光栄三国志の理不尽な能力について語れ24

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1無名武将@お腹せっぷく
光栄三国志は演義を基準としているが、演義で不遇だった者、登場していない者を正史準拠で語ってみよう。
無論「ゲームでも十分強いが演義ではもっと強い!」というのもOKだ。
上の基本方針以外で語るならその旨表記。(周瑜は史実では〜など) 実績>人物評

各種テンプレは>>2-10
2無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:00:56
過去スレ
光栄三国志の理不尽な能力値について語れ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1109662910/
光栄三国志の理不尽な能力値について語れ、2人目
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1111489760/
光栄三国志の理不尽な能力値について語れ 2(実質3)
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1111489781/
光栄三国志の理不尽な能力値について語れ 4
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1111786882/
光栄三国志の理不尽な能力値について語れ 5
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1112059200/
光栄三国志の理不尽な能力値について語れ 6
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1112449988/
光栄三国志の理不尽な能力値について語れ7
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1113318483/
光栄三国志の理不尽な能力値について語れ[
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1115052300/
光栄三国志の理不尽な能力値について語れ\
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1116430981/
光栄三国志の理不尽な能力について語れ]
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1118678038/
3無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:01:28
光栄三国志の理不尽な能力について語れXI
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1120829468/
光栄三国志の理不尽な能力について語れ12
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1121590212/
光栄三国志の理不尽な能力について語れ13
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1123965227/
光栄三国志の理不尽な能力について語れ14
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1125304029/
光栄三国志の理不尽な能力について語れ15
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1125544068/
光栄三国志の理不尽な能力について語れ16
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1126626946/
光栄三国志の理不尽な能力について語れ17
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1127059195/
光栄三国志の理不尽な能力について語れ19
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1127530076/
光栄三国志の理不尽な能力値について語れ20
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1129315617/
光栄三国志の理不尽な能力値について語れ21
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1132069766/
光栄三国志の理不尽な能力について語れ22
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1133185585/
4木鹿大王:2006/01/07(土) 23:02:12
てへっ
5無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:02:29
光栄三国志の理不尽な能力について語れ23
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1134295401/
光栄三国志の理不尽な能力について語れ24
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1135080775/

参考資料
三国志10武将データ
 ttp://channel2.s151.xrea.com/sansen/san10/10-ichiran.html
以前2chのスレでまとめた正史版の能力評価(三国志\のゲームシステム)
 ttp://www011.upp.so-net.ne.jp/otaclub/3594/seishi9.htm
6無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:03:02
統率テンプレ
■90以上 (15名枠)
魏:曹操 司馬懿 ケ艾 曹仁 徐晃 満寵
呉:陸遜 周瑜 孫策 呂蒙 陸抗
蜀:諸葛亮 馬超 姜維
他:皇甫嵩
●議論中 90以上〜85以上
Down候補(満寵 孫策 馬超 姜維)
Up候補(夏侯淵,張コウ,曹真,郭淮,張飛,関羽)
■85以上(20名枠)
魏:(夏侯淵,張コウ,曹真,郭淮)羊コ 于禁 杜預 陳泰 張遼 朱霊
呉:朱然 徐盛 孫堅
蜀:(張飛)劉備 魏延 関羽 王平
他:高順 徐栄
計20名 ()は89候補
■80〜84候補(30名枠)
魏:楽進 文聘 李典 程イク 曹休 曹洪 臧覇 鍾会 田豫 王濬 カク昭 陳登 王昶 王基
呉:甘寧 朱桓 賀斉 呂岱 丁奉 程普 潘璋
蜀:馬忠 張嶷 羅憲
他:麹義 袁紹 公孫サン 劉循  
計28名
■79〜75候補(40名枠)
魏:曹彰 曹純 ホウ徳 張繍 賈ク 司馬昭 司馬師 王渾
 :夏侯尚 韓遂 李通 張既 賈逵 カン丘倹 張燕 諸葛誕 牽招 趙儼 夏侯儒
呉:魯粛 黄蓋 歩シツ 孫韶 孫桓 周泰 孫権 凌統 孫咬 蒋欽
 :諸葛恪 呂範 潘濬 施績 吾彦 鍾離牧
蜀:李厳 黄忠 趙雲 呉懿 張翼 廖化 霍峻 霍弋 黄権 夏侯覇
他:文醜 顔良 盧植 呂布 張角 朱儁 董卓 審配 劉カイ 張宝 張任
計56名
■74〜70候補(50名枠)
7無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:04:50
知力テンプレ
■90台 (15名枠)
魏:曹操、司馬懿、荀ケ、荀攸、賈ク、郭嘉、程c、劉曄
呉:陸遜、周瑜、魯粛、呂蒙、陸抗
蜀:諸葛亮、法正
他:
計15名
■85以上(20名枠) ()は89候補
魏:(ケ艾 満寵 董昭 司馬師) 杜預 鍾ヨウ 蒋済 張既 王基 陳泰 郭淮 司馬昭 鍾会
呉:
蜀:(ホウ統) 徐庶 
他:田豊 沮授 逢紀
計18名

■80〜84候補(30名枠)
魏:張コウ 徐晃 李典 田豫 衛臻 陳登 劉放 孫資 カイ越 曹丕 曹叡 賈充 羊コ
呉:甘寧 徐盛 朱然 歩シツ 諸葛恪 賀斉 呂岱 丁奉 周魴
蜀:劉備 王平 張嶷 ショウエン 費偉 姜維 董允
他:皇甫嵩 劉焉 士燮 陳宮 王允
計34名

■その他高能力候補
魏:張遼 于禁 曹仁 曹真 王昶 牽招 王渾 徐バク 陳羣 崔エン 賈逵 華キン カイ良 
 :王朗 王濬 カク昭 夏侯尚 戯志才 徐奕 程武 臧霸 王リョウ 楊阜 婁圭 傅カ 温恢
呉:黄蓋 カン沢 虞翻 諸葛瑾 施績 孫桓 孫休 孫堅 孫権 孫策 朱拠  
 :顧雍 蒋欽 太史慈 潘濬 呂範 張昭 張紘 全j 
蜀:李厳 馬忠 羅憲 霍峻 黄権 劉巴 伊籍 ケ芝 馬良 李恢 霍弋
他:李儒 盧植 朱儁 審配 張角
8無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:05:55
魅力90以上候補(15名枠)
魏:曹操,荀イク
呉:周瑜,張昭
蜀:劉備,諸葛亮
他:袁紹,劉虞
計8名

候補
張角,張魯,孫策,孫権,陸遜,関羽,夏侯惇,夏侯玄,司馬師

政治90以上 (15名枠)
魏:王朗、荀ケ、鍾ヨウ、曹操、曹丕、陳矯、陳羣、盧毓、華キン、高柔、梁習
呉:顧雍、張昭、潘濬、陸遜、魯粛、張紘
蜀:諸葛亮、蒋エン、費イ
他:沮授
晋:賈充、司馬懿、司馬昭
計24名
9無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:06:41
>>1
乙。
10無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:07:19
武力叩き台
■90以上(15名枠)
魏:許楮、典韋、曹仁、張遼、文鴦、ホウ徳
呉:孫策、太史慈、甘寧
蜀:関羽、張飛、趙雲、黄忠、馬超
他:呂布
計15名
■85以上(20名枠)
魏:夏侯淵、張コウ、徐晃、于禁、楽進、李典、王双、曹彰、李通、トウ艾、夏侯惇
呉:周泰、呂蒙、丁奉、孫堅、凌統、董襲、徐盛、朱桓、陳武
蜀:魏延、姜維、関興、張苞
他:閻行、麹義、顔良、文醜、華雄、董卓、公孫讚、郭シ
計32名

>>6-7のテンプレは確定ではない。異論ある人は,論拠をしめして議論しよう
>>8-10はテンプレじゃなく叩き台。議論しよう
111:2006/01/07(土) 23:08:09
すまぬ。焦ってたのか、スレ番号間違えてしまったorz
12無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:19:11
統率の85以上についてだが、
朱霊・徐盛に比べたら楽進・鍾会・甘寧・朱桓あたりの方が上じゃない?
13無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:29:53
>>12
鍾会は微妙なところだな。評価対象が戦略ばっかりだからな。

ただ、80〜84の上位は、85以上と大差は無いだろうから、
個人の見解によるところも大きいだろうとは思う。
14無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:32:38
っていうか多いよな、正直。
もし実際にこういう数値になったとしても「能力高い奴が多すぎる」という例の文句は変化無さそうだ。
15無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:34:40
つまりこのスレでやってることって無駄なんだよね
16無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:36:41
三国板は討論は楽しいんだが
短文の毒舌(煽り?)がウゼーんだよな。
17無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:37:15
>>1
18無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:37:18
それは、どんなに万人が納得できるリストが作れたとしても完全に無駄です
19無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:39:11
歴史ゲーム板でやるべきだよな、そもそも
20無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:39:12
>>16
それは昔から無視が前提。
元から三戦板は「煽りはどうでもいいからなにか話題があるなら出せ」っていうスタンスのまま。
21無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:42:00
朱霊は何した人?
22無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:42:46
曹操に嫌われた
23無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:42:57
青州兵を率いてた人
24無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 23:48:14
徐盛は演義で曹丕の大軍を夜襲で破るという大戦果をあげているので演義評価とみればわからんでもないが、
朱霊は本当に何故?って感じ。
25無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 01:05:08
名前だな。名前。
怖そうな名前してるもん。
26無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 04:38:39
朱霊は80↑のとこで良いかと
あと関羽は結局統率面での活躍の無さからすると
80↑の場所でも問題はないと思うんだが
27無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 06:42:23
このスレでは関羽はNGワードです
28無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 09:39:12
戦術能力とか攻撃力とかの新能力値が必要になる?
29無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 14:03:20
関羽は演義があるじゃん
30無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 14:13:17
>>28
運もね
31無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 14:35:49
>>30
昔にあったじゃねえか
32無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 14:43:30
関羽の話は禁止
みんな飽きた
過去ログ読んで補完してくれ
33無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 14:46:48
だから呂虔について語ろうぜ。
34無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 14:52:46
いやいや、劉阿について語るべきです
35無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 15:00:32
高堂隆について語るべき
36無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 15:01:33
朱苗について語るが良い
3733:2006/01/08(日) 15:05:38
真面目に。政治知力とも50は欲しいと思うがどうだろう。
38無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 15:16:46
>>37
マジレスすると10で既に知力61政治70なんだが。
39無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 15:21:06
>>38
そうなの?
マジですまん。武力はいくつ?
7で知力28政治26だったから…
40無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 15:24:21
呂建と間違われてんじゃね?
41無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 16:14:41
それはない
42無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 16:42:05
>>39
統率58武力70知力61政治70魅力58
43無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 17:04:15
>>42
サンクス。
44無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 17:14:41
10のデータなら、わざわざ聞かなくてもテンプレの参考資料のところにあるような。
45無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 17:34:28
知力85以上の枠が二人分空いてるが、晋の征呉戦略が羊祜の立てたもの
ほぼそのままだった事を考えれば、羊祜は85以上に昇格しても良いのでは?
46無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 17:41:29
>>45
いま見返して初めて気づいたが、たしかにおかしい。
王基と入れ替えた方がいい。

それにいつの間にか法正が90台確定になってる。
47無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 17:44:47
>>46
いや、20名枠中18名で、2人分空いてるんだから、わざわざ王基を下げる必要は無いと思う。
王基は王基で一級の戦略家だし。
48無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 20:25:47
知力80〜84は、枠を考えると昇格2人に降格2人か。
一歩抜けてるのは、やはり羊祜だろう。もう一人を決めるのは難しいけど。

個人的には、80〜84の一歩下にいる王昶は1段上げても良いと思う。
駐屯地を宛から新野へ移した事や、偽退や伏兵を駆使して施績を破った事などを評価したい。
49無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 21:41:47
知力85以上に昇格なら曹叡か姜維かねえ
夜襲で呉の大軍をを打ち破ってるのと演技の神に土をつけた男という事で
50無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 23:07:21
陸抗と呂蒙って確か
知力か統率どちらに評価するかが微妙で
知力か統率どちらかを90台から落とすべき、
とか言われてなかったっけ?
陸抗を90台から降ろして沮授を90台にしたい

>>45
85↑が空いてる王允を挙げてみる
51無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 23:08:38
魅力90台も関羽・張角は確定してたはずなんだがいつの間にか落ちてるな
52無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 23:20:38
>>50
陸抗に関しては、西陵の勝利は統率よりも知力で評価すべき部分が多いとの意見があった。
あまり議論はされてなかったけど。

呂蒙は揉めたが、結局両方ランクインで収まったような。よく覚えてない。

ところで、王允って演義で呂布に董卓を殺させた事ぐらいしか知らんので、
できれば85以上に推す根拠を教えて欲しい。
53無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 23:26:44
>>51
してないしてない

少しは過去ログを確認してくれ
54無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 23:33:09
>>50
うん、沮授を入れて欲しいな。
55無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 00:49:42
>>53
関羽はしてたはず
張角は知らん
56無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 01:03:15
>>55
いい加減過去スレ読め
57無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 01:18:23
20スレ目の段階で関羽の能力は大体
統率 83〜87
武力 97〜99
知力 68〜72
政治 48〜52
魅力 70〜75
に落ち着いてる。
魅力でソートかけて過去ログあたると15では確かに90以上と言われていた。
だから両者嘘は言ってないので(わざわざ調べてきた俺に免じて)喧嘩やめれ。
55は気になるなら20スレの前半を覗いてみるといいだろう。
58無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 02:00:22
統率75〜95
武力90〜99
知力45〜85
政治30〜70
魅力50〜90

これなら問題無いだろ。
関羽の話は短くて数日、下手すりゃ週単位に及ぶ。
しかも結論なんて出ない。
どうしても議論したい奴は責任持って最後まで参加しろ。
そこまでの覚悟があるなら話してくれ。
59無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 02:04:50
>>58
とりあえずおまえさんが全く過去ログを読んでもいないのはわかった。
せっかく>>57が過去ログから引いてくれているのに、勝手な数値で自分だけで
なに納得してんだか。
60無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 02:13:58
>>59
なに一人で熱くなってるんだよ。
読んでないどころかずっと参加してるよ。
あんだけ幅を持たせときゃ話を持ち出す奴は出てこないだろ。
61無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 02:16:54
大は小を兼ねると言うしな
>>57>>58をすっぽりと含む
62無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 02:31:50
全スレ保存してある俺がきましたよ。

>>57の数値は最も多くの住民が納得するかたちで落ち着いた幅なんだよね。
ここから更に広げようというのならよほど論拠を示さないと難しいと思われ。

…と、その時ちょうど参加してた奴の意見。
63無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 02:42:54
>>26>>55みたいなのや、20スレに参加してなかった奴を納得させられるのか?
多くの住人と言うけど20スレの議論に参加してたのは、せいぜい5〜6人だぞ。
64無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 02:46:11
>>58
幅が広い方が皆納得しやすいと思ってるなら大間違いだぞ。
幅が狭いってことは、「高くても(低くても)ここまでなら」という意味での納得を得られる。
65無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 02:46:15
うそ
3、4人がいいとこだよ
66無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 02:48:08
>>63
26は57でジャストミートじゃないか?どういう意味それ?
67無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 02:51:35
>>64
狭い幅に入ってない数値を主張する奴が話を持ち出してまた無限地獄を繰替えすのか?
俺だって無意味にあの広い幅の数値を付けたんじゃないぞ。
このスレでの議論で出てきた数値の最小と最大を持ってきただけだ。
68無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 03:00:50
またかよ
>>57>>58みたいなレスは要らないんだよ
過去ログ読めってだけレスしときゃいいの
69無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 03:12:16
>>66
20スレに参加してなかった(と思われる)人をどう納得させるのか?って話しじゃないか?
俺は過去スレ読んできたら?としか言えんな。1にあるテンプレもそうだけど。

>>67
落ち着いて考えてみろよ。
関羽
統率100〜1
武力100〜1
知力100〜1
政治100〜1
魅力100〜1
という評価は関羽に対する殆ど全ての評価を内包しているが、はっきりいってなんの意味もない。
ここから議論を前進させてたどり着いた数値が57だったわけで。
ちなみにこのスレで出た意見なら(100オーバーを除いて)俺が調べただけで
統率68〜99
武力80〜100(恐らく武器込みで108)
知力24〜93
政治6〜91
魅力26〜98
だったぞ。調べそこない?
70無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 03:26:17
単に自分の意見を「このスレ」の意見として出しただけだろ。
まともに調べてそうもない。
71無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 04:47:35
まあまあ、もういいじゃないの。
72無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 06:25:27
>>69
記憶を頼りにまともに意見として出てた数値の上限と下限を書いてみたんだが、
そこの数値は上も下もふざけたり冗談とかで出されてた数値だろ。

まあ、20スレの参加者にはこだわりもあるだろうが、もっと幅を持たせたほうが万人に納得してもらえるからそのほうがいいよ。
73無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 07:36:47
>>57が数値なんて出さなければなあ
せっかくここまで自主規制してきたのに
74無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 10:20:49
>>68
>>51は13〜15のスレのことを言っているし
>>53は20スレ目のことを言っているから
どっちが悪いんでもない気がするな。
75無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 10:39:53
>>73
>>58の数値も酷いと思ふ
76無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 11:51:23
テンプレについて語られてもな。
リュウショウの政治あたりでも語ってくれる方が楽しいんだが。
77無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 12:21:10
東州兵は諸刃の剣だな。
ある程度劉璋の力の根源となったが、統御しきれずいさかいの種になったということでやはりマイナス要素か?
78無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 13:31:58
>>72
お前が勝手に意見の取捨選択を行ってたらもう君の意見みたいなもんだし、
意見の取捨選択を行わないなら幅は大きくなる一方だ。
全能力1だと主張する奴がいて、「万人に納得してもらえるから」という理由でそいつ以外納得できないのに
下限を1にするのか?
79無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 13:52:46
関羽の話題は、1キャラだけ全能力値を先に決める、という部分で既に曖昧すぎる
相対的に比べられないからアバウトな個人個人の主観しか入りえない
80無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 14:08:15
じゃあ知力の話に戻すか。

今のところ出た意見を纏めると、

・90以上に昇格 沮授
・85以上に降格 陸抗
・85以上に昇格 羊祜 王允 曹叡 姜維
・80−84に降格 王基
・80−84に昇格 王昶

こんなもんか。
81無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 14:24:42
曹叡は知力高いのでしょうか?
宮殿造りばかりして国を傾けたはずですが、85以上ならその辺は気がつくと
思いますが。
82無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 14:45:50
俺は、陸抗最大の評価対象と思われる西陵の戦いは、
高い情報分析能力と戦略的判断力による勝利だと思っているので、90以上からの降格には少し違和感がある。

姜維は演義諸葛亮を破った事に起因してると思うけど、蜀平定時に徒に沓中に留まってケ艾に包囲されたり、
諸葛瞻が敗北した事はおろか、ケ艾に侵入された事も察知できなかった事などを考えると、
85以上に強く推せるかと言うと微妙だと思う。
戦場での判断力なんかは、むしろ正史姜維の方が上なんじゃないかとすら思える。
演義はそれほど知らないから、はっきりとは言えないけどね。
83無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 15:32:08
>>82
まあ同意。
戦略的な劣勢を戦術的勝利で覆した陸抗を90以下に下げるなら、それなりの
根拠が必要だが、能力的にみて妥当でも人数枠の問題で外すという意見だと
やはり俺も納得はできないと思う。
84無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 17:26:21
夏侯惇なんかは正史と演義のイメージが違いすぎるからどうにもならんね。
85無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 17:58:40
>>83
戦略的劣勢を戦術的勝利で覆した、と言うのなら、評価すべきは知力より統率じゃないの?
86無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 18:35:35
>>84
演義と正史の良い所取りできるんだから惇なんて優遇されるぞ
87無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 18:40:17
このスレのノブヤボ版
信長の野望で過大過小評価されている 武将十人目
http://game10.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1136554047/
88 :2006/01/09(月) 18:51:10
>>87
ワロタ、能力が100超えてる
それはともかく人口とか兵数で考えれば、三国志より個人武勇がものをいいそうなのに、
武力なしで統率だけなんだな
89無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 18:54:18
三国志は演戯が有るから一騎打ちとかで評価できるけど戦国は出来ないじゃん
90無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 18:55:59
>>87
歴ゲー板開設から10スレ続いてるし、何気に人気スレなんだな
91無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 18:58:36
この手の不毛な議論は長続きする
もちろんこのスレも
92無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 19:00:54
>>82
侵入は察知してたけど援軍が来なかったのでダメでした
93無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 19:11:24
11の追加情報ってないの?
まー呂布の武力108は堅いだろうが、統率がまた95辺りなのかが気になる。
94無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 19:48:39
>>88
ノブヤボって100超え普通になかったっけ?
ノブヤボの2種類くらいを流しプレイしただけだからあまり覚えてないけど
95無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 19:56:30
>>86
だから正史準拠にしてみたいんだよね。
96無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 20:06:05
全能力、80以上には入らんよ、たぶん
単独でみれば何かあってもいい気はするけど相対的にみてしまうと上に行きようがない
97無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 20:08:01
魅力は80代だよ
98無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 20:18:40
優遇と全能力80以上は違うわな
99無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 21:04:28
全能力80以上なんて無理なこと狙うより、個々の能力をアピールすべきだよ。
統率は呂布討伐・河北討伐・孫権討伐に従軍してるが、それ以外は殆ど留守番。70いかないかも…
武力は演義で確か関羽と数合打ち合ってるし十分80以上狙える。正史だと14で師のために辻斬りっぽいことしてた。
知力は軍中でも先生を招き講義を受けるなどなかなかの勉強家だが、劉備に伏兵かまされたりもしてる…60未満?
政治は曹操不在をよく治めた軍政官としては評価できそう。治水・農業事業でも成果を挙げてるのもポイント。70〜80かな?
魅力は財貨を惜しまず大勝自ら雑事に従事するなど、尊敬を集める人柄が高ポイント。主君からの信頼も特別篤いが、
そこは親族であることを割り引く必要があると思う。85前後?
100無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 21:50:47
>夏侯惇
統率:75 高幹あたりには勝つが高順には負けている
武力:87 個人的には90欲しいが難しいか
知力:64 会議では重要なポストにあったらしい。猪武者という印象もない
政治:82 灌漑、治水工事、韓浩や典韋の推挙
魅力:91 慎ましい人柄、治水工事では自ら土砂を運んだ。

>>99とあまりかわらないな。
個人的に好きな武将なのでひいき目になったかもしれない。
といいつつ蜀ファンなので正直そんなに詳しくない。ツッコミあればよろしく。
101無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 22:20:20
>>92
援軍が来なかったから、と言うのは1番最初、魏で蜀攻めが計画されてる時じゃないか?
剣閣に籠もった後、ケ艾の四川盆地侵入と諸葛瞻の敗北を察知したような描写は無かったような。
史実と違って、劉禅からの降伏の命令書も剣閣で受け取ってたし。
102無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 22:42:55
剣閣引き篭もって以降はいいところないな
103無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 22:48:01
>101
ケ艾の四川盆地侵入は察知出来なかった様だが、諸葛贍の綿竹での敗戦を知り、広漢辺りまで撤退してる。
そこで、降伏命令を受領した。
ただ、この間、蜀漢側も大混乱で、正確な情報は掴めなかったらしいが。
104無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 22:51:31
>>102
以降ってかラストだからな
105無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 22:54:54
>>103
いや、正史の方は俺も知ってる。俺が言ってるのは演義の方。
演義では降伏命令は剣閣で受け取ってたはず

もともと、「演義の姜維も知力マイナス要因は結構あるのでは?」という話だし。
106無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 23:01:01
そりゃ演義だと
漢中陥落>剣閣確保>剣閣完全包囲>諸葛亮の秘密兵器>ケ艾山岳行
の時系列なので姜維は外界からの情報を完全に遮断された形
失点とか以前の状況だぜ
107無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 23:05:29
武力と魅力が演義で、あとは正史でいいんでないの…
事実(という位置づけ)に物語を無秩序に混ぜて判断しろと言われても無理なんじゃない?
108無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 23:08:10
>>106
時系列では演義も正史も変わらんよ。
姜維が剣閣に籠もったのは9月下旬から末、鍾会の第一回剣閣攻撃とケ艾の山越えが10月だから。
109無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 23:15:46
>>85
コーエーの統率は戦闘レベルの用兵にほぼ特化されているので、そうならない
と思われ。

西陵の戦役で呉が勝利する事ができたのは、陸抗の優れた分析力と判断力に
裏づけされた高い知力があったから。
この戦役はヘタをすれば呉は長江上流域の国土を広く失った可能性もないわけ
ではなく、全く防衛戦が後退しなかったのは奇跡といってもいい。

>戦略的劣勢を戦術的勝利で覆した
を殆ど不可能な状況で可能にしたから陸抗は知力90以上と考える。
110無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 23:27:40
剣閣は完全に包囲できるような地点でもないんじゃないかな。兵力差もそこまで顕著だったとは思えん。
滅亡時に限った事ではなく、今の視点から見てしまうと情報収集においては姜維はかなり遅れていたと言わざるを得ない。
魏に対しても、成都に対しても。

姜維の事態に直面した時に瞬時にとった判断と行動には、驚くほど当を得ていたものが多い。
逆にその分状況を甘く見ていたのかもしれない、という部分が全体的に姜維にはある。
111無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 23:28:07
>>109

>>西陵の戦役で呉が勝利する事ができたのは、陸抗の優れた分析力と判断力に
>>裏づけされた高い知力があったから。

これは分かる、と言うか俺も主張は同じ。
俺も、西陵は統率ではなく知力を大きく評価すべき、という考えだし。

戦術的勝利、という点に疑問があっただけだから。
多分戦略と戦術の認識に齟齬があるんだと思う。
俺は古代における戦術を、あなたの考えてるよりもっと狭い範囲での戦力運用だと思ってるから、
戦術的勝利と言うのは統率の範囲だと考えてたもので。
112無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 23:29:49
>>100
全部正史だけなら凡将になりそうだねえ。
113無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 23:35:39
>>110
剣閣での魏蜀の戦力差は、約3倍だと思うよ。蜀4万、魏12万って所だと思う。

姜維の情報収集能力が低い、と言うのは少し異論を挟みたい。
少なくとも、軍事戦略レベルでの情報収集はしっかりやっていただろう。
どの戦役においても、比較的早い段階で敵の機動等を察知し、代替案に切り替えたり、
撤退に移行したりしている。
魏が蜀に侵攻しようとしている事も早い段階で察知していたし、沓中から剣閣に到達できた事を考えると、
鍾会らの動きを察知したのもかなり早かったと思われる。
114無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 23:47:43
>>111
>多分戦略と戦術の認識に齟齬があるんだと思う。
>俺は古代における戦術を、あなたの考えてるよりもっと狭い範囲での戦力運用
>だと思ってるから

ここを読んで得心した。あなたの定義する戦術の方がたしかにそういえる。感謝。
115無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 23:54:20
>>110
パワプロ的にピンチ○逆境○な選手か
116無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 00:00:00
>>114
やっぱり認識の違いだったようだね。
俺自身は、古代における戦術を、指揮官の視認で切る範囲での、分かりやすく言えば、
一会戦レベルでの戦力運用だと思ってる。
この話自体は能力評価には違いを及ぼさないので、双方納得したという事で終わりにしよう。
117無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 00:01:04
>>113
その兵力差の予測ははじめて見た
ケチつけたりするつもりはないから、アバウトでいいので根拠を教えて欲しい。

あと情報収集に関してだが、その卓越した指揮、判断と比べてもあまりに行動後
「既に手遅れだった、対応されていた」というものが多すぎる。
滅亡時の動きも、姜維軍自体が迅速だったことは確かだが結局の所全然対処しきれなかった。
早い段階で蜀侵攻を本格的に察知できていたとはちょっと思いづらい。
118無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 00:10:10
>>117
>>113ではないが、『晋書』から所見できる数値。
諸葛亮時代の動員数、それに諸葛亮が歿した後の兵役数の微妙な減少、
各防衛線の戦力、姜維が可能だった動員数や滅亡時の兵員数などから
概算しても妥当な数字。
119無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 00:24:00
>>117
蜀軍4万については、剣閣陥落後の鍾会の上奏に加え、蜀軍の動員兵力から逆算したもの。
もうdat落ちしたが、姜維スレに少し詳しくあったと思う。
魏軍12万は、魏軍の遠征兵力から、蜀軍各拠点に対する抑えの兵力などを引いて逆算したもの。
120119:2006/01/10(火) 00:34:46
>>117
もう一つ、姜維の情報収集については、確かに戦役を起こす前の段階においては、
恐らくそれほど入念な諜報活動を行ってはいないと思う。
非難される程やってなかったわけでもないと思うけど。
自身の戦略を過信していたのかもしれない。

しかしながら、一度軍を起こした後は、相手の行動を逐次把握しながら、
早い段階で正しい判断を下している事が専らだとおもう。
その辺で認識の違いが有るのではないかと思う。
一つ考えた事として、姜維は自軍の周囲100km程度の範囲では比較的高い諜報能力があったのでは、という事がある。
姜維の北伐を、地図と睨めっこしながら考えてた結果だけど。
121無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 01:15:33
兵力に関しての話は確かめようがないから、置いとくよ。姜維スレは大概見てたはずなんだが。

>>120
自軍の穴を埋めようとし、相手の弱点を突こうとしていた適切な行動が多いのは、見て取れる。
状況把握能力においては劣っているとは少しも思わない。
しかしきっちりとした兵站の確保と精鋭をもって臨んだ北伐の撤退理由も、結局は対峙した挙句弱い部分・弱い時期を
撃たれたり、先手打とうとした部分を先に対処されていたりして退いたものが多い。
また滅亡戦、タダで漢中取られたといっていいくらいに剣閣に至るまで結局の所何も出来ていない。

万事に言えることだが、判断から行動に移すまで、また退却時等の相当な思い切りのよさから考えると、
やはり「ほぼ全てにおいて、きっちりとした情報を持てていなかった=情報収集力の甘さ」しか浮かべないんだよね。
122無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 01:36:29
>>87
そこ、煽りと厨認定したがる奴ばっかりで糞スレとかわらないよ。
ろくに史料を参照してる人なんて殆どいないし。
123119:2006/01/10(火) 01:36:59
>>121
そもそも指揮官や司令官は、戦場や彼我両国の状況を、そこまで高いレベルで知れるものではないし、
全ての指揮官は、霧の中にいるような僅かな情報で判断を下しているもの。
また、相手の空間的、時間的弱点を突くと言うのは常道だし、それが情報収集能力低さに繋がらない、
とは言わないが、それが姜維の情報収集の甘さを断言できるほどに、
大きなウェイトを占めているわけではないと思う。
それと、退却時等の思い切りが良いからと言って、諜報能力の欠如には繋がらない。
良い指揮官は、情報の担保があろうとなかろうと、大胆に判断を下すものだから。

また、蜀滅亡時は、ほぼ同時に進発した敵の軍勢に、姜維の現有戦力で対処するのは不可能とも言え、
成都が早い段階で派兵を行わなかった時点で漢中の失陥はほぼ決まったようなもの。
しかしながら、姜維が沓中にいたのは失策であるとも言え、指摘するような諜報能力の欠如があった可能性もある。
沓中にいたのは、唯一防御施設を築かなかった白水江沿いの侵攻に備えたと言う見方も出来るが、
それにしたって推定にして2万もの兵力を、姜維自身が率いて留まる必要も無い。
本来ならば、漢寿やフ、関城辺りにいるべきだろうからね。
124無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 01:38:20
もちっと補足しておくと、姜維の失点はほとんど全てが「手遅れであった事」の一言に尽きると思う。
手を打とうとする前に相手に一歩遅れていてそれが致命傷となった、という例が殆ど。
廖化への救援にしろ、ケ艾との数々の敗北にしろ、蜀侵攻戦にしろ。
判断力と統率力は稀有なものを持っていたと思うからこそ、手抜かりも多かったとしか予測できない。

なんだかんだいって当時60前後のジーサンだし、若干頭が固くなっていたという部分もあったのではなかろうか。
で、姜維の知力だけど…80-85で妥当じゃないのかね。ただ、ホウ統や徐庶が上にいるのは相当違和感はある。
125121=124:2006/01/10(火) 01:39:55
すまん、タイミング悪かった
126119:2006/01/10(火) 01:52:26
>>124
手を打とうとする前に、相手に対処されたというのは、やはり諜報能力というより
戦略的な判断力によるものじゃないかな?
そういう場合、相手が動き出すのを察知してからでは当然遅いから、
相手の行動を読んで、それに先んじて行動しなければならないし。

姜維の知力に関しては、大体同様の評価かな。85以上は当落線上だと思う。
80-84入りは確実だと思うけどね。
ホウ統や徐庶については俺も疑問だねえ。判断材料が少ないからなんとも言えないけど。
127無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 02:04:35
常にケ艾の1枚下が姜維っぽいな
128124:2006/01/10(火) 02:06:38
あまり自分の主張だけ無理やり押し通そうとは思わないのだが。

>>126
戦略的な判断力に欠けていたという可能性を否定できる明確な根拠は、ないね。
ただ、個人的にはあくまでも姜維の大きな欠点は万事においての情報収集の怠りにあったのではないかとは、やっぱり思う。
逆に姜維の諜報能力の高さを示すような根拠があれば言って欲しい。
129無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 02:07:33
んじゃ魅力以外は全てトウガイ-5ってことで
130無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 02:11:26
>>127
知力だけはきっぱり、ケ艾が上。
他は比べようがなぁ…
131無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 02:13:25
無茶な山越えとか見ても統率でも上手じゃない?
132無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 02:15:43
上確定は知力統率より政治だべ
133無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 02:16:30
姜維の用兵もいろいろと常識外れだよ
ケ艾の統率を95以上とするなら、そこまでは姜維は及びようがないだろうけど
134119:2006/01/10(火) 02:17:50
>>128
姜維の諜報能力の高さを示す根拠、と言われても取り立てては無いなあ。
実際に戦役に臨んだ時は、少なくとも作戦地域での敵の行動は、
その行動が起こされて間もなくそれを察知しているのは見て取れるように思えるが。

諜報活動は、
・情報の要求
・情報資料の収集
・情報資料の処理
・情報の使用
の4段階に分けられるが、情報資料の処理に関しては、姜維に特に失点は無いので、
問題があるとすれば、情報の要求か、収集の部分だが、情報収集の技術が諸葛亮時代と
姜維時代で劇的に変化したとも思えないので、情報の要求に問題があるのかもしれない。

まあ、この辺に関しては、双方結論に至らなかったという事で。
135119:2006/01/10(火) 02:20:48
>>128
そうそう。久々に姜維の議論が堪能できたので、結構楽しかったよ。
ありがとう
136無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 04:15:42
武力と魅力は姜維の方が上かな?でもケ艾は文オウと互角だしな
趙雲と互角が上か、趙雲2世と互角が上か
137無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 04:48:37
魅力はどっちも低い気がするんだが
138無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 12:38:22
魅力はどう決めるの?
139無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 12:48:04
民に嫌われた姜維と俺と同じで友達がいないケ艾
どっちが下か
140無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 13:39:22
>>139
演義だとケ艾は陳泰と親友だったと擁護してみる。
141無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 14:23:35
確か杜預はケ艾を尊敬してたはず。友達が皆無というわけではない。
基本的には嫌われ者だが。
142無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 14:52:16
そうなんか、じゃあ友達がいないのは俺だけか
143無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 16:33:40
お前には俺がいるじゃないか
144無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 16:40:21
姜維の、民心が離れていったという記述もまともに反映させるのはちょっと考えもの
二人とも魅力が低ければその位置にはいなかったであろう人物

ただ「上司や自軍の将卒の心を掴むこと」を統率やら知力にして
「魅力」値と完全に分けてしまうとするなら、二人とも魅力は低くないと個性は出づらいかもね
145無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 16:53:43
>>143
ありがとう友よ


146無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 17:01:45
>>144
上司(諸葛亮・司馬懿)はその能力を見込んで彼らを取り立てたのであって、
人格的美徳によって栄達したわけではないぞ。
147無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 17:09:39
姜維の場合、少なくともケ芝や鍾会らは彼に心酔してたし、彼の性質が非難されるべきものではなく、
寧ろ称えられるべきものだったのは、郤正の論文からも分かる。
段谷の敗戦を理由に人々が姜維を恨んだ、という記述のみを以って、
魅力を大きく下げるというのも違和感がないだろうか?
148無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 17:20:20
諸葛格も敗戦が理由で大いに信望を失ったが、敗れる以前から無理な動員令によって遠征を強行した時点ですでに
民を苦しめ人々の恨みを買ったことが見て取れる。

姜維も(諸葛格ほどではないが)しばしば諌められたにも関わらず軍事行動を強行し、
敗戦以前から恨まれる要素は揃えていたと思うがどうか?
149無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 17:21:46
逆に何回も出兵できてる時点で魅力はすごいものがあった、という逆説的な見方も出来る
150無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 17:26:42
姜維の路線に反対しつつも、従った張翼を
気に食わなくても軍令に忠実だった張翼の魅力とするのか
気に食わなくても従わせるだけの魅力が姜維にあったとするのか
151無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 17:28:14
権力握って専横を繰り返した奴を見て、どんな逆説的視点をもってしても
「彼はそんなことをしても許されるほど周りから好かれてた」とは読み解けんでしょうに。
姜維は専横したわけではないが、行動を正当化させたのは彼のカリスマ性ではなく地位と軍事力の方だと思うが。
152無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 17:34:03
地位と軍事力って…はじめから姜維はその位置にいたわけじゃないよ。
その位置につけるような有利なものを持っていたわけでもない。
そもそも政権は掌握していない。専横できる状況じゃないって。
153無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 17:38:23
>>152
姜維が出兵した時点で本来出兵できる地位に居なかったってこと?
しかも専横はしてないとはっきり書いてあるのに。
154152:2006/01/10(火) 17:56:42
>姜維が出兵した時点で本来出兵できる地位に居なかったってこと?
縁故も実績もほとんど見られない人物が敗北・失策を繰り返しながら軍を精鋭のまま把握し続けた事は驚きに近い。
彼が「降伏者」であったことは不動の事実で、失脚する可能性のようなものも本来はじゅうぶんにあった。
張翼・廖化にすら反対する心が見える。軍自体での暴動が起きていても少しもおかしい状態じゃない。

>しかも専横はしてないとはっきり書いてあるのに。
地位と軍事力なんて所詮は脆いもんだよ。特に姜維の立場は。
無理やりな専横でもしていない限りはあまり理由にはならない。で、専横できる状況にあったとも思われない、と。
155無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 18:08:19
>>154
>>152で言ってることと微妙に(所によっては大幅に)意味違くない?
「はじめからその位置にいたわけじゃない」って何時のどんな位置?
156無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 18:15:39
いや、>>151は「確固とした地位と軍事力を持っていて、姜維の行動が許されたのはそのおかげ」
みたいな書き方だったから。
157無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 18:26:21
>>154
姜維は敗北・失策しかしてないわけでもないし、実際失脚の動きがあったのを中央からの召還令を無理やり無視して地位を保ったわけで、
152の「政権は掌握していないから政治的専横はしてない」のは確かだけど、誰もそんなこといってないし、
自分の地位を守るために軍事力を盾に漢中方面に立てこもることは姜維もしてる。
張翼・廖化が姜維に反対だったことも事実だが、なにをもって「暴動が起きていてもおかしくない」と結論づけたかもわからない。

>>156
「部下が従ったのは指揮権があったから。中央が制御しきれなかったのは軍権を握っていたから」
具体的にいうとこんな感じなんで、勘違いですね。
読めばわかると思ったんだが>>149を踏まえての発言ですので。
158無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 18:29:18
>>156
151が「確固とした地位と軍事力を持っていて、姜維の行動が許されたのはそのおかげ」だと、
154と152で言ってることが変わる理由になるのか?
それとも155に返したレスではないのかな?
159無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 18:33:13
董卓が遷都に踏み切れたのは、それだけ魅力があったから。
楽進・李典からすら張遼に対する反感がうかがえる。暴動が起きていても少しもおかしい状態じゃない。
160無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 18:34:13
とにもかくにも、具体的な数値を出さない事には話はまとまらんのじゃないか?
161無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 18:51:01
姜維が国を変えて出世したのは魅力+。
姜維の行動に反対が出てもそいつが反乱なり起こさなければむしろ魅力+。
姜維の無茶な行動も容認されたのだからむしろ魅力+。

今のところこれだけ?
162無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 18:51:12
数値出したら荒れるから却下
163無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 18:51:47
>>157
>なにをもって「暴動が起きていてもおかしくない」と結論づけたかもわからない。
「魅力が本当に低かったのであれば」の仮定。
姜維に次ぐ高官であった張翼・廖化二人ともに反対していたにも関わらず、まったく止める事ができていない。
独裁者のような行動をとっていたのは確かであり、結局得るもののない出兵だった。
暴動が起きていてもおかしくない、という仮定は十分に出来るはずだが。

>「部下が従ったのは指揮権があったから。中央が制御しきれなかったのは軍権を握っていたから」
これ、神業的な綱渡りじゃん。
当然「指揮権は中央から与えられたもの」で「軍権を握っていたのは部下を従えてたから」なわけで、
こんな相反する二つの理由だけで無茶苦茶な行動(相次ぐ戦役、漢中へ逃避等)ができるような根拠にはならないだろうに。
164無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:02:08
姜維に次ぐ高官であれば姜維に反旗を翻すことが正当化されるのか?
軍事行動を失敗すれば暴動はおきるのか?

起きないし正当化されんだろ。本人の好き嫌い関係なく。


中央が任官を解いて従う理由がなくなれば当然部下も従わなくなる奴続出だろうし、
それでも中央がそれを行わなかったのは遠方かつ最前線の要所に居たから。
姜維が実際に職を剥奪されて尚漢中に立てこもり続けるようなことがあれば、
張翼・廖化あたりが手勢を率いて姜維を討ったかもしれんが、
実際は魏延のように手勢を率いて攻め寄せてくるか、孟達のように魏に寝返るかだろう。
どちらにしろ最悪だ。
165無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:02:10
>>158
いや別に、「堅固な地位・軍事力があったわけではない」という説明に両方とも矛盾してるつもりはないんだけど。
もちっと具体的に頼む。

>>159
董卓には董卓自身が育て上げ引き連れてきた多数の兵があった。
張遼はほとんど失点ないし確固とした曹操からの信頼があった。
166無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:08:43
>>165
152は「はじめからその位置にいたわけではない」「その位置につくために有利だったわけじゃない」
これはどんな位置で、有利じゃなかったからどうなんだ?
167無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:14:11
董卓の言うことに従ったのは董卓の手勢のおかげ。
姜維のいうことに従ったのは姜維の手勢関係なく姜維の魅力。
168無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:16:17
国家の大事に私情は挟まぬ、と言った李典が特別で、他所では好き嫌いや意見の食い違いで暴動がおきるのも当たり前。
169無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:22:29
>>164
だから、上段と下段は別々じゃなくて同時進行だろう。
張翼・廖化の位置は「姜維軍の高官」ではなく「蜀政府の高官」。
正当性なんてのは、独裁者を悪役に仕立て上げればどうにでもなる。
三国時代だけにすらそういう例は山ほどある。
170無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:25:58
>>166
「独裁を行っても堅固な地位・軍事力を保持し得る」という位置
171無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:32:54
>>167
「蜀軍」を無理やり恫喝して漢中に移動させることができるほど「姜維の手勢」があったということですか、そうですか
あと董卓の魅力も本当に低かったのかどうかは微妙だけどね
172無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:33:23
>>169
ぱっと思い浮かんだのが魏延と楊儀の例なんだが、あの時の楊儀には「諸葛亮の遺命」という名分に従って魏延の命令を無視したわけだが、
張翼・廖化はなんと言って姜維を討つのだろうか?
「地方にあって専制を振るい、内心叛意に溢れ云々」と言えば普通に認められてしまうのかな?
また逆説的にこうならなかったから姜維の魅力が高いなら、
魅力が高くないとこうすることが普通ということなのか?
173無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:35:08
>>170
独裁というのは何を指しているんだ?軍の指揮官が他者の提案を退けたこと?
174無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:41:18
>>171
恫喝して移動させた?命令を密かに握りつぶしたんじゃなかった?
移動ってどこからどこに?
175無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 19:58:36
張翼等は、遠征には反対ではあったけど、姜維が蜀漢トップである事に反対した事はないね。

ゲキセイではないが、自然に清廉で淡々とした人となりは、周囲に専横への不安を抱かせないで済んだのでは?
魅力と言えば魅力かもしれない。


176無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 20:01:53
>>172
>「地方にあって専制を振るい、内心叛意に溢れ云々」と言えば普通に認められてしまうのかな?
蜀政府に本気で姜維を誅するつもりがあったのであれば、認める認めない以前の問題。
上にも書いたつもりだけど、「蜀軍」というものは「姜維の手勢」ではない。

>>173
相次ぐ出兵→撤退、そのあげくの帰還命令の拒絶。
反対者がいたことは見て取れるが、高官の中に行動自体に対しての賛同者がい続けたような記述は、ない。
しかも成果を得ておらず、結果的にみれば財や民の命を浪費させるだけの北伐だった。

>>174
すまん、漢中「移動」ではないな。
表現からちゃんと訂正すべきかもしれんが>167自体がどうでもいいからいいや
177無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 20:09:58
>>176
蜀政府の話しなのか?蜀政府が張翼・廖化と結託して姜維を誅殺しようとしてるならそりゃ張翼・廖化の行動は正当化されるさ。
178無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 20:15:33
>>176
蜀政府が本気で姜維を誅殺しようとして姜維討伐令を出したら、みたいな前提のもとに話してるわけ?
179無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 20:28:07
>>149が恐らく148を受けて
しばしば諌められたにも関わらず軍事行動を強行できたことが高い魅力の証明という。

>>151でそれをうけて
姜維がしばしば諌められたにも関わらず軍事行動を強行できた理由は、それを行う地位に付いていたらというと、
>>152
はじめからその位置にいたわけではなくその位置につくために有利だったわけでもないという。
後の説明では独裁を行っても堅固な地位・軍事力を保持し得る位置にいなかったという意味らしい。
151では専横は行ってない書いてあるが、163曰く独裁者のような行動をとっていたのは確からしい。

152にとってしばしば諌められたとはいえ大将軍として軍事を任された姜維が北伐を行うことが独裁なのか?
180無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 20:45:18
>>154曰く姜維は実績もほとんど無く敗北・失策を繰り返す人物で、
失脚する可能性は本来高く軍自体での暴動が起きていても少しもおかしくないらしい。
ここから話しは発展して、部下が反対したことを退けたことが独裁者のような行動>>163とか、
結果論として失敗すると暴動がおきる>>163とか

突っ込まれると>>176にて色々条件を追加され、
反対者の記述はあっても賛同者がい続けたような記述はないから独裁。

命令の拒絶は確かに越権行為だが、実際に召還命令があったかというと正式には無いはず。
157は言い過ぎだったわけだが、176も偶々言い過ぎただけなんだろう。
181無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 21:14:11
>>177-178
張翼・廖化は姜維の配下である以前に、蜀政府の高官。
彼らが勝手に姜維を殺しちゃった場合でも考える余地はないよ。蜀政府は「認めざるを得ないに決まっている」。

>>179
言いたい事がいまいち分からんのだが。
毎レスのように質問形式で止めるんじゃなくて、結果的に自分はどういうことが言いたいのか、まで書いておいてほしいんだけど。
とりあえず151の指す専横は「蜀国家での専横」と解釈しており、163等で表現している「独裁者のような行動」というのは
軍部内限定として話している。つまり別々。
182無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 21:18:24
>>180
えーと、本格的に分かりづらい。
頼むからもうちょっと具体的に。

>命令の拒絶は確かに越権行為だが、実際に召還命令があったかというと正式には無いはず。
ああ、明確な命令拒絶の記述はないね。
まこれはお互い様だな。ちなみに、どうしていつも数レスに分けてるの?
183無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 21:20:17
魏からの降伏者である姜維がなぜ、大将軍まで昇れたか。

まず、第一に諸葛亮に認められたこと。才能も含めてね。これは諸葛亮から張裔に与えた書簡から証明できる。
武人とか文官とかで無く「名士」と認定されたこと。
特権階級とは言えないが、社会的影響力の強い名士階級に仲間入り出来た事で、蜀漢内での将来性が開けたと言える。

諸葛亮に認められ、諸葛亮在世中は、その幕府内で働いていた事も大きい。
これは、幕府に参画出し実務を任されるのは、諸葛亮に認められた人物に限られると言う部分で、最初の部分と重なるが。
つまり、諸葛亮系統の人物であった、と言う事になる。

そして、諸葛亮の死去後は蔣琬・費禕と政権は継続されるが、諸葛亮死去後、諸葛亮が担っていた職務は一人に任されない。
主従の違いはあるが、連立政権的性格を帯びる。
蔣琬時代は費禕が補佐を勤め、費禕時代は蔣琬政権で幕僚長的立場にあった姜維が補佐をする。

ただ、ここで思いがけない事に費禕が暗殺された事で、比較的第一位となってしまった姜維が蜀漢トップとなってしまった、と。
本人もトップに立てるとは思ってなかったろうし(なりたいと思ったかもしれんが)、蜀漢政府首脳も費禕がこんなに早く退場するとは思わなかっただろう。
恐らく、費禕の卒年は50代半ば前後であり、あと10年ほどは政権を担って行くことが予想されてただろう。
費禕が引退あるいは死去する頃は姜維も第一線を引く年齢であり、その頃には、次代のホープ諸葛贍が政権を引き継いだと思われる。

長々、すまん。
184無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 21:53:06
>>181
直属の部下じゃなく蜀政府の高官なら勝手に殺しても認めざるを得ないに決まっている?
185無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 21:55:34
>>184
もうレスしなくていいよね?
186無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:04:58
>>181
151の専横をどう解釈したかなんて一言も聞いてないわけだが。
その行為を独裁というのかを聞いてるのに。179の最後の行とか読んでないの?
どういうことがいいたいのかなんて一環して
「姜維が何回も出兵できてる時点で魅力はすごいものがあった、という逆説的な見方はできない」だが。
姜維の行為は彼の職権から逸脱するものではないのだから、貴方が言うような張翼・廖化が暴動起こすとか、
勝手に殺して不問に付されるなんてありえない。
187無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:07:02
>>185
というかスタートからドンドン主張がズレていってる上に後から後から変な言い訳するもんだからそもそも議論になってないよ。
188無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:17:35
姜維が国を変えて出世したのは魅力+。
姜維の行動に反対が出てもそいつが反乱なり起こさなければむしろ魅力+。
姜維の無茶な行動も容認されたのだからむしろ魅力+。

反対者がいたことは見て取れるが賛同者がい続けたような記述はない(のでいない?)
姜維の北伐は独裁行為。
張翼・廖化は姜維の配下である以前に、蜀政府の高官なので、勝手に姜維を殺しても蜀政府は認める。

良くわからない主張だが最後が飛びぬけて凄いな。
189無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:26:38
>>188
一番上は多少あるんでね?朱霊みたいに実力あっても出世できんこともある。
2番3番はさすがにないとして、
4番は賛成はわざわざ書かれなかったのかもしれんし、蜀書は高官であっても伝立ってないとかザラなのでなんともいえん。
5は多少強権的要素があったことに皆異論はないんじゃない?それが許容範囲か魅力で纏めてたのかでもめたのか?
6は…孫峻みたいな一種のクーデターを想定してるんじゃないか?いくらなんでも言葉どおりの意味とは思えんが。
190無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:43:15
>>189
孫峻の場合は政権を諸葛格から無理やり奪いとったわけで正しくクーデターだが、
姜維は録尚書事のわりに都に帰ることもまれなわけで、意味合いが違ってくるかと。

ちなみに呉では結構勝手に殺人を起こしてちゃっかり許されてる奴も多いんで、
一概に処断されるかというとそうでもない。まぁ呉が特殊なのかもわからんが。
191無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:45:23
甘寧?
192無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:52:35
潘璋もしょっちゅう人殺してるし、
朱桓なんか同僚に腹を立てて殺そうと部下率いて軍営前で待ち伏せ、相手に知らせた自分側近や止めた副官も切り殺してる。
が、孫権は大目に見た。
193無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 22:54:17
勅任官を殺すのと、兵や部下を殺すのとはまったく違うよん
194無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:12:24
>>193
朱桓はその前者を殺そうとしたわけで。後者でもかなり問題だとも思うが。
195無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:16:44
>194
その前者を何とか殺害しなかったんで、大目に見てもらえたのでは?
そんでも呉は奔放だな。
196無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:24:57
結局姜維の結論は出たのか?
途中から両方ともグチャグチャだったな
197無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:28:41
魏にとっては脅威だったことがわかりました
198無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:31:36
大将軍になったのは、諸葛亮の幕府出身者であった事+能力。
で、兵権を専らにしたが、何とかルール内であった、と。
無茶な遠征を繰り返したが、蜀漢国内でクーデターを起こすなどと思われなかった部分は清廉な人格によるもので魅力+。

姜維がトップに立った頃の蜀漢の人材では魅力もトップって事じゃね?
199無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:31:38
>>196
結局、相手の主張を否定する事に終始して、能力値に関しては話せてないからな。
やはり、具体的な数値を出して落し所を探さなきゃまとまらんだろうな。

上位150人程度が70以上だが、取り敢えずそこに入るかどうかを考えりゃ良いと思う。
200無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:40:26
>>198
ルール内というか、姜維という人物だから許容範囲だったってことかね。



つか魅力の定義からはじめないか?
201無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:43:09
劉備が100
202無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:45:13
玉璽を持った孫堅も100
203無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 23:55:49
武力と魅力は演義基準じゃなかったか?
正史で付けようがないからって話になってた気がする
204無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 00:04:55
魅力リスト
劉備:100
夏侯惇:高かったはず
姜維:高かったかも
ケ艾:低くはなかったかも

骨折れそうだね。
205無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 00:11:10
>>203
魅力は正史でもつけられると思うが過去スレでそんな話あったっけ?
206無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 00:13:29
世界史板の十段階テンプレは使えた
207無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 00:19:39
>>205
つける基準は?
208無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 05:55:39
三国志Xで魅力下からTOP3の韓玄、岑昏、楊松について語ろうぜ
209無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 12:47:59
ネタキャラ化されてるからしかたない
210無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 13:02:57
つーか実在するの?
211無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 13:14:04
韓玄は墓あるらしいな。


「漢忠臣韓玄之墓」というのが。
212無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 17:53:40
賈充の魅力8ってのが気になるんだけど、この人そんなに嫌われるような事したの?
呉征伐に反対していた事と、絶大な権力をもってた事しか知らない
213無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 17:57:16
>>212
高貴郷公を殺させたりとかが原因だと思う。あとは娘のせいとか
214無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 18:39:36
>>212
親父が偉大すぎて、息子、孫娘がその家を途絶えさせたのも遠因だろうな。
215無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 20:50:22
>>212
賈充って皇帝殺害を指揮してたために陳泰に相当恨まれたことしか思い浮かばないけど、
やっぱりそれが相当響いたんじゃない?あと司馬昭の懐刀として積極的に陰謀に参画していたような印象があるが、
実際のところどうなのかな?

216無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 23:08:13
泰始律令策定の主要メンバーだっけ?
217無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 23:34:59
太傳の鄭沖を別とすれば13人の筆頭っぽい。
218無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 00:00:42
どうも光栄は晋の人間を無視したり過小評価したりしがちで困る。
219無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 00:24:02
晋なんかはもはや三国志とは言えないからねえ
どうでもいいよオレも
220無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 00:27:56
魏の後半15年くらいの話だったりする
221無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 00:43:55
>>218
同意。
杜預なんかは初期の頃から毎回の様に登場してるのに、祖父の杜畿や父の杜恕を
無視でもしてるかのような神経を疑う。
殆ど頭数扱いの過小評価もそうだが、ユーザーの誰もが曹操や劉備の時代で
やると思ったら大間違いだ。
222無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 00:44:02
>>220
250年頃〜って事か?
晋の人物というイメージで、尚且つその頃から活躍してるって誰がいるだろうな?
賈充とかか? どうも、パッとは思い付かないな。
223無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 00:45:53
>>221
ユーザーの誰もが曹操や劉備の時代で
やると思ったら大間違いだ。

いやさ、正直ムリして三国志やる必要ないと思うよ?
他のゲームに期待したらどうよ?
224無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 00:45:58
王祥とか
225無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 00:49:05
>>223
魏末〜晋初が舞台って言うと、やはり三国志のゲームしかないんじゃないか?
226無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 00:50:12
そのために新武将作成があるんだろ?
勝手に晋の人物でも作ってオナニーしてれば?
227無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 00:56:37
さあ、このスレの存在意義に疑問を投げかける爆弾発言ですよ!





要は晋書とか読めないし晋の人物の話出来ないからry
228無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:01:01
全員新武将作成すればおけ
229無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:04:30
>>227
要は晋書とか読めないし晋の人物の話出来ないからry

この部分も大きいと思うよ、正史三国志を読んでないは論外だが
晋書まで読んでる人は少ないと思うよ、別スレでやれよ、正直マニアすぎるし
重箱の隅よりもっとつつくべき人物があるだろう、空気嫁
230無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:06:10
蜀が滅亡した後のシナリオとか欲しいけどね

せめて273年の歩闡の叛乱と280年の征呉戦くらいは
231無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:06:11
賈充、杜預、王祥あたりが重箱の隅とはねぇ
232無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:08:05
重箱の隅と言いつつ、王濬や杜預の様な高能力の人物を盲目的に使ってる人も
いそうなわけで。
233無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:12:04
三国志において、賈充、杜預、王祥あたりが重箱の隅だろう
これだから正史厨は困る

234無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:14:38
と言うと更にマニアックな人物をあげる正史・晋書厨でした
235無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:14:49
三国志(ちくま)しか読まない(読めない)正史厨にとってはね。
236無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:18:15
無双や蒼天横山吉川しか知らないヤツはマニアックだろうな
出てきませんから
237無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:20:29
晋の武将もっと出てきてくれたら嬉しいけどな〜
司馬駿とか劉弘とか陶侃とかも出てきてくれたら最高
238無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:20:33
まぁ、晋将は新武将でつくるかな。劉弘とか羅尚とか
あと劉淵、劉聡、王弥、石勒、李持当たりも
出ないのは確かに哀しいケド、三国志だし
でも三国志自体の後期の武将の能力の低さとか人物の少なさは問題だとは思う
239無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:21:52
1.演義しか知らない
2.正史も読んでるが晋など知らん
3.晋にも詳しい

1と3はこのスレから去れと?
240無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:24:12
>>238
ちなみにそれらはどれくらいの能力にしている?
241無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:24:43
マニアックだろうがなんだろうがその時代で重要な役割を果たした人物を軽んじていいはずがない
俺はちくまと徳間の訳文正史しか読めない上に晋書なんて読もうとすら思わないが
知識のある人たちがこのスレで俺の知らない人たちを紹介しておおまかな能力値決めてくれるなら願ったりだ

まあ議論には一切参加できんけどw
242無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:27:07
243無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:28:51
西晋初期〜五胡のスレッドでも立ててそこで能力値決めろよ。
確かに重要な人物なんだろうがわけのわからない人物を永延と語られてもな・・・

1.演義しか知らない
2.正史も読んでるが晋など知らん
3.晋にも詳しい

1と2はこのスレッドから去れと?
244無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:31:36
このスレは晋初期の人物を語るスレッドになりました。
甘蕃や徐蓋や石苞など聞いた事も無いと言う人は参加できません。
245無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:31:52
排除してるのは晋初をやめろって言ってる奴だけじゃん
わからないなら傍観してりゃあいいでしょ
246無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:33:25
>>245
1.演義しか知らない
2.正史も読んでるが晋など知らん
3.晋にも詳しい

1と2はこのスレッドから去れと?
247無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:43:20
1.煽りたいだけ
2.晋の話が出来ないのが悔しい
3.晋初の人物も語ろう

1と2はこのスレッドから去れと?
248無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:47:09
2と1の複合形態

2だったゆえに1に変化した

249無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:49:14
張華とか諸葛緒とか衛カンとかくらいは語ろうYO
250無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 01:58:32
去る必要はない
無理してレスする義務もない
ただスレを荒らさない事だけでいい
もし自分で書き込める事があれば書けばいい
251無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:00:16
だねえ
なんでスレを去るとかそういう話になるのかがわからん
252無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:01:28
>>251
>>248の2
253無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:05:22
俺はわからん話も勉強になって嬉しいけどそうじゃない人も案外多いってことか
難しいなあ
254無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:12:23
>>227とか晋書読めるヤツが煽ったのが悪いのだろう
255無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:17:54
正史になると本物のオタクが増えて知識自慢大会になるので
ライトな演義ファンだけで語ってみたい
256無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:18:09
責任転嫁きたー
257無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:25:36
>>255
ライトな演義フアンのスレでも立てれば?
258無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:26:54
演義ファン専用スレはあってもいいと思う
259無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:38:36
立てたよ。両晋十六国スレ

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137001070/
260無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:43:17
晋限定だと正直興味なくて覗く気にもならないからここで語ってほしい
261無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:45:51
このスレには晋書も読めずに司馬懿を語ろうとする奴がいるぞ!気をつけろ!
262無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:46:47
>>260
晋なんてそんなもんそれをこのスレに押し付けのも辞めて欲しい
263無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:52:17
ゲームに登場する年代の人物だったらいいと思うけど
後期シナリオやるとき知識ないから武将の能力いじったりオリ武将作るのも大変だし
肥三国志のスレで肥三国志がカバーしてる範囲について語るなってのもおかしな話じゃない?
264無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:54:26
>>261
実際、司馬懿なんて晋書抜きで語れることほとんどないんだよな
265無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 02:55:49
>>264
呉蜀に二虎競食の計をかけた
266無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:04:05
>>263
気持ちは分かるがそれを許さない方々がいるのです。
でしたら別スレ立て話を割って話たほうが荒れないで済む。
荒れたら元も子もないでしょう。
267無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:10:29
それは横暴じゃね?
正史三国志は孫皓が死ぬまで書かれてるしゲームとしても晋の統一までの年代はカバーされてる
語っていいはずだ
268無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:12:16
いや別に
過去散々荒れてるスレだから個人的にはどーとも思わんけど
それに過去スレじゃ杜預(だっけ? 自信ない)とかについて普通に盛り上がってたじゃん
あのときの議論は非常に勉強になったし楽しかった

まあもう寝よう
269無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:16:17
>>266
気持ち以前の問題だし、そもそもスレ乱立を推奨するような発言はいただけない
ここは肥三国志のスレであってこのスレで語られるべき範囲が肥三国志準拠になるのは当然
文句があるなら晋をゲームに登場させる肥に言え
270無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:17:31
演義だって呉滅亡まで書かれてるからいいじゃん
271無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:21:26
と、晋厨が必死なスレでした

新スレ立てたのにな
272無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:22:37
一部の晋厨が必死なのはいただけないが、確実に煽ってる奴もいるから何とも
273無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:22:53
そもそも三国時代の最終的な勝者である晋について語るなという方が無理な話
統一後まで語られ始めるとちょっと困っちゃうが
274無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:24:45
>>271
いや、晋とか本当にどうでもいいんだけど
ただゲームの舞台となってる時代を排除しちゃうのはどうなの?って話
275無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:28:36
晋厨の特徴

西晋時代の武将名にやたらと詳しい。
司馬懿は晋の時代だ!と論う
西晋初期が三国時代だと考えている。 (蜀魏は滅亡しているのに)
自分を自己正当化するため、杜預、司馬炎などの人物の重要性を訴える
晋書を読めない、読まないヤツが悪い。
別スレッドがたったのに、頑なに居座る。
演義でもkoeiゲームでも呉滅亡までと宣う
そのくせ日頃は演義やkoeiゲームには否定的
史記マンセーがたまにいる
276無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:30:05
それ、曹操は天才スレのコピペだろ
もう疲れたからいいよ
277無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:34:47
とりあえずゲームに登場する武将は語って問題ないだろ(そもそもそのためのスレだし)
ゲームで遊べる時代に存在した筈の未登場武将についても問題ないはず
皇甫嵩が後漢書準拠で能力決められた過去を振り返れば晋書準拠も悪いことではあるまい
晋の統一後について語りたい人は晋スレへって感じでいいんじゃないの?
278無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:40:02
能力を語る上で統一後も引き合いに出さなければいけない場合もあるから晋の全面禁止は出来ないが
原則晋統一後からの人物は出すべきではないね

陳寿とか語ろうとすると蜀仕官時よりも晋仕官時の方が事跡が多いしな…
279無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:45:05
劉弘や陸機、陸雲なんかは、時代が合わなくても
三国時代の人物の子や孫だから、でてくるだけで「おぉ!?」ってちょとなる
8のPKで陸景だけ出てて寂しーよーな嬉しいよーなw
280無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 03:48:43
司馬ユもちょっと可哀相な能力だった気が
登場してない司馬駿よか恵まれてるか
281無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 06:00:59
ちくま正史全文テキストマイニングでもしてみるかな…

どっかにテキストファイル化されたの,落ちてない?
282無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 14:35:20
とりあえず>>275は演義すら読んではいないみたい
283無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 22:06:18
> 三戦板のレベル
> http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1136623009/l50
>
> 43 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/01/11(水) 23:34:21 0
> 武将とか言ってるしw
> 基本的に暴力が強い奴ほど偉いって感覚なんだろうな。
> いかにもDQNっぽい感覚だ。
> おそらく三戦板住民ってのは低学歴で収入も低いニッカポッカはいてる奴らなんだろう。
> そういう意味ではリアルで合いたくないなw




お前等、戦の準備じゃ!
世界史板の奴らを叩き潰そうぜ!
284無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 22:11:14
話を能力値に戻すと、
結局、知力の話で纏まったのは、羊祜の85以上への昇格がほぼ確定って事くらいか?
85以上のあと一人は、異論が出なければ姜維になりそうではあるが。

沮授と陸抗の比較が待たれる所だが、陸抗の降格は反対意見が出ていたな。
285無名武将@お腹せっぷく:2006/01/12(木) 23:17:08
                 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
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                 |ノ . / \. \ノ . / \. \ .|
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       / ____ヽ           /  ̄   ̄ \
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   , ―-つ(6  _ー っ-´、}         q -´ 二 ヽ      |
   | - ) \ ヽ_  ̄ ̄ノノ          ノ_/ー  |     |
    | ̄ ̄|/ (_ ∧ ̄ / 、 \        \     |      /
    ヽ  ` ,.|     ̄  |  |         O===== |
      `− ´ |       | _|        /          |
         |       (t  )       /    /      |
「あの絵、とびだして見えるね」   「騙し絵っていうんだよ」
286無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 20:10:51
さぁー、ここにきて一気に過疎ってまいりました。
287無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 21:13:21
確かに一気に過疎ったな。丸二日近くレスが付かなかったしな。
288無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 21:14:32
どうせ話あったって結論でないんだから
皆、飽きちゃったんだよ
289無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 21:26:18
元から過疎と盛況を繰り返すスレだからレスない時はこんなもんさ。
290無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 21:46:52
馬隆あげ
291無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 03:42:26
じゃあ荊州王 関羽を語んべよ
292無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 04:11:24
>>291
関羽信者が荒れるからやめとけ
293無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 08:30:35
>>284
姜維の統率が高いのは認めるが知力は何故だと聞いてもいいか?
294無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 09:00:46
>>293
少し前の議論で、空いてる85以上枠2人を誰にするかという話になって、
80〜84の中で羊祜、王允、曹叡、姜維の4人を候補として推す声が挙がった。
それで、姜維の諜報能力等の議論の時に、姜維は85以上枠の当落線上にあるだろう、
というのがその議論の結論として出されて、それに対する異論も挙がらず、
他候補も最初に挙げられただけでまともに議論されないのでそのまま決定になるのかなと思って。

姜維については「異論が出なければ」と断ってるので、まだ議論するべきであれば
85以上に決定する必要は無いと思うよ。
295無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 12:59:48
ただ蜀陣営のややこしさとして演義の大幅なプラス補正があるんだよね…
296無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 13:09:27
魏陣営の蒼天補正
297無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 13:44:25
>>291
全体的に過小評価だと思う
全能力後15くらいプラスしても問題ないかと
298無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 13:51:09
>>295
そうでもないよ、
演義では統率は上がらないのに
正史でもあまり詳しく残っていない人物が多い

>>296
曹操を抜いたら変わらない気がする
一部マイナー武将が評価上がる気もするけど
299無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 15:41:37
>>296
その文献考慮する必要があんのかとwちょっとウケタけどさ。

>>298
正史は完全正史でいくにしても、姜維の武力・知力は演義の方が伸びると思うね。魅力もそうかも。
300無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 17:45:26
           ___   
          ./    \
          .| ^   ^ |
          | .>ノ(、_, )ヽ、.| <えぇ〜それだけぇ?
         __! ! -=ニ=- ノ    勝ったな。
    /´ ̄  .|\|||||/
    / 、、i    ヽ__,,/
    / ヽノ  j ,   j |ヽ 
    |⌒`'、__ / /   /r  |
    {     ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
    ゝ-,,,_____)--、j
     / \__       /
     |    "'ー‐‐---'|'
    ./;;;,,   U   ;;;;;;ヽ
    /;;,',';;  ノω, ',',;;::',',゙i
   ./,',',';;" /   \ ',',',;;,'i
   i 、  /    ヽ ',;::'、| 
  丿  〈       ヽ''  i
  ト,   i        | 、 i
  |',',;;  }        ! ',',;;i
  |,','、 /        ヽ',',','|
  !;;', /          !,',;,;'|
301無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 18:11:26
朱然って過小評価じゃない?
]だと↓なんだけど、
86・66・71・60・79

朱然は800人でそれぞれ数千を率いる魏将2人を連破したり、隙ついて少数ながら包囲側の敵陣二つ落としたりと、
少数指揮の手腕もかなり優れてるが、武力は66。

夜襲で敵を撃退するなど戦場での機知は中々、夷陵直後の魏の侵攻を見抜くなど戦略も悪くなく、
孫権からも「事の成り行きが良く見える人物」と賞賛されたが、知力は71。

県長→県令→郡太守と地方行政官もこなしたが、政治は60。
302無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 18:14:32
んなわけねーよ
303無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 18:27:59
武力上げて統率、知力を少し落としたらいい
304無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 19:33:06
夷陵直後の魏の侵攻を見抜いたのは陸遜や劉備も同様だったやうな
305無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 19:41:22
劉備は知らんが陸遜はそうだよ。
306無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 20:06:25
>>305
劉備は、魏が攻め込むに違いないから、自分がかわりに魏をやっつけてやろうと言って道を借りようとし、
それに対して陸遜が、貴方は私にひどい事やられたのだから、今は休んでなさいと言って退けてるw
(正史・陸遜伝)
307無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 20:19:10
なんじゃその気の使い方w
308無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 20:24:17
それ本文だっけ?
HI−CHUじゃなかったっけ?
309無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 20:34:43
>>306                       
違うぞ。劉備は魏が既に江陵に迫ったのを聞いて「援軍を送ろうと思うのだがどう思う」と書いて送り、
陸遜は「敗戦の傷が癒えぬ内にまた自軍を危機にさらすべきではない」と返した。
予測したという話しではない。

ついでにこれは言葉通りの意味じゃなく
劉備側は脅し半分の手紙で反応を探り、陸遜側がもし来たら返り討ちにしてやるよと強気で返した話しじゃないかな。
310無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 21:08:50
夷陵での敗戦を受けても劉備は梟雄のままだったと言う逸話だな
311無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 21:11:16
あん?
312無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 21:14:22
つーか、大協とかが戦ってたらこわいし。。。
313無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 21:16:04
>>310
夷陵後も死ぬまで白帝城に留まり続けたのだから、最期まで荊州奪還を諦めなかったんだろうな。
314無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 21:18:48
なんで陸遜って水軍のスキル持ってるの?

夷陵みたいに陸戦に強いイメージしかない
315無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 21:20:00
>>312
歩協が戦ってたら怖いのか?
316無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 21:23:51
バカめ。
ܲ
317無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 22:43:26
>>314
それなりに水軍率いてるからじゃない?
318無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 22:58:55
>>314
荊州攻めの際には長江を呂蒙と共に密かに遡って公安らを降伏させた後、呂蒙とわかれさらに船を進め宜都を占領。
水陸両軍を指揮して敵軍を打ち破ったこともある。襄陽を攻めた時なども普通に水軍を使っているが、
この頃になると魏が水上の呉軍(しかも陸遜相手)に攻撃をしかける気もないのか水上戦は聞かないね。

俺は「何故陸遜に水戦が?」じゃなく「何故凌統に水戦がないのか?」の方が気になる。
319無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 00:14:12
凌統は鎧着たまま泳いだんだよな
320無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 00:16:55
>>314
夷陵ではしっかり水軍使って劉備焼いてるぞ
321無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 00:29:42
>>319
それは凄いな、俺潜水士もってるけど着衣水泳なんか絶対できん
322無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 00:34:00
「泳げる」って言葉、現代と昔じゃ意味違うからな
現代の泳げるは「速く泳げる」だし古代の「泳げる」は沈まないで移動出来る
沈まないで移動するだけなら着衣でもそんなに難しくない
必要なのは技術じゃなくてスタミナ
323無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 00:46:18
>>322
ソース
324無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 00:47:19
凌統は泳いで張遼から単身逃げたんだよ
325無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 00:49:25
董襲は?
326無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 00:58:28
>>323
古式泳法の技法見てもらえばわかるが速度を出す事はあんまり目的にしてない
大事なのは沈まないで移動する事
327無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 02:17:03
古式ゆかり
328無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 03:06:41
あずヲタは漫画板へどうぞ
329無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 12:32:36
あずじゃねぇー!
330無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 13:23:42
荒らすなカス
331無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 13:28:42
俺は余裕で甲冑着たまま泳いだ経験あるけどな
あのときの米兵の攻撃は凄まじかったよ
俺は一兵卒の身でありながら数百の首級を挙げ、英雄になった
332無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 13:29:45
英雄のはずなのに昼間から2chか
333 :2006/01/16(月) 13:44:07
ベトナム人か(w
334無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 13:45:20
>>319
凌統は泳いで渡ったこともそうだが、先鋒として船に乗り込み敵船に突っ込んで敵将斬殺&全水夫捕縛し、
さらに一度引き返した後本隊の先導も勤めた水上の勇なのになぜかついてない。
赤壁にも参加してるのに…
335無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 15:34:48
しょせん甘寧とのモホキャラだし
336無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 16:34:09
>>334
単純な付け忘れでは?
337無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 17:33:26
親父も持っててもおかしくないよな。
338無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:23:48
このスレは終了?
339無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:25:31
慌てない慌てない
一休み一休み
340無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:26:47
一休宗純
武力78(骸骨攻撃)
知力99(そもさんせっぱ)
魅力95(天皇の子供)
341無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:31:57
折角なので馬隆でも
342無名武将@お腹せっぷく:2006/01/16(月) 23:54:59
>>341
まず自ら率先して、馬隆がどんな人物なのか語ったらどうか?
マイナーな人物の場合、その方が話が広がるだろう。
343無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 00:50:40
麦飯の能力考察ヨロ
344無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 01:07:57
>>343
まず自ら率先して、麦飯がどんな人物なのか語ったらどうか?
マイナーなコテの場合、その方が話が広がるだろう
345無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 08:14:08
麦飯
武力35(ひきこもり)
知力42(知性のないレス)
魅力29(知名度ゼロ)
346無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 11:37:22
このスレも末期か
347無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 11:42:59
945 名前:名無し草[sage] 投稿日:2006/01/15(日) 20:14:18
最初の方も欲しいな
まだ麦飯が萌やし素麺を名乗り平和なスレを楽しんでた時に魔玉が単身突撃
魔玉も萌やし素麺を名乗り現麦飯をいたぶる偽者事件が勃発(第一回)
麦飯は萌やしの名を捨てワカメ素麺となり萌やし(魔玉)に復讐を誓う
ワカメを名乗った麦飯は萌やしに猛攻撃するも萌やし(魔玉)の策にはまり住人を敵に回す(第二回)
この戦いでライバルと認め合った友を失い敗れ去ったワカメは関羽スレ撤退を宣言
萌やしへの怒りが収まらないワカメは麦飯を名乗り関羽スレに潜伏し住人を欺く
しかし萌やしに看破され暴れたところを全住人に攻撃を受けテンプレに麦飯はスルー推奨と書かれるほどの惨敗(第三回)

この続きは参加してなかったからよく分からない
別コテ使うもまた看破されてみたいな感じだと思うがそれが第四回?
今回が第五回目?なのか知ってる人頼む

948 名前:名無し草[sage] 投稿日:2006/01/15(日) 20:21:22
>>945
第四回目は麦飯が周倉を名乗りルール改訂を発議した辺りからかな
その後「なりきりスレ外での武将名は板のローカルルールに反する」と言う
理由で周倉はSOULD-OUTと改名


しばらくすると魔神が(聖帝)SOULD-OUTと別のコテだったギップルが複コテだと見破り
sleepknotは当初信じなかったようだが某スレでの密会を経て理解
ここからだな、彼が麦飯アンチになったのは

因みに麦飯=SOULD-OUT=ギップルは本当だったらしくそれ以降姿を消した
348無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 12:10:54
本スレは別にあるからな
349無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 16:27:20
やれやれ…
やはり荒しに走ったか
350無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 17:16:56
>>303
武力上げはともかくなんで統率や知力が下がるんだ?それに政治は?
351無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 18:00:37
単純にそれ以上の武将が他に多いからじゃないの?
このスレで統率86より↑って言ったら35人枠な訳だし
352無名武将@お腹せっぷく:2006/01/17(火) 18:17:41
テンプレ見れば分かるけど、朱然はこのスレでは結構評価されてる
353351:2006/01/17(火) 18:42:41
すまん、85以上の枠に入ってたんだな
テンプレ見ずに言ってたよ
354無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 21:06:44
理不尽な人は消えてください^^
355無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 21:13:48
このスレ自体が消えるってのはどうよ?
356無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 21:49:18
やっぱここは関 帝聖クンを再検討するしかないって。
357無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 22:00:48
つまらん
358無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 22:12:20
とりあえずさ、大した活躍もして無いくせに70代を確保している武力馬鹿とか何とかならんものかな。
荊州4英傑の部下とか、黄巾の雑魚(黒山賊のぞく)どもとかさ。

何処に中央値をおくかにもよるが、70ともなればかなりの豪の者が終結する値。

そこで、70以下に落としちゃって良いだろ、的な武将の名前を挙げてみないか?
359358:2006/01/18(水) 22:14:10
以下じゃなくて、未満。すまん。
360無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 22:18:56
それだったらまず武力70ってのがどの程度かを
決めたほうが良くないか?
361無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 22:21:27
このスレのテンプレ基準なら、70以上は上位155名だな。
362無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 22:56:27
>>360
世界史板にあるスレのテンプレですが、どうぞ↓

0代=逆にすごい
10代=ゴミ
20代=ろくでなし
30代=苦手
40代=凡人
50代=可もなく不可もなく
60代=まあまあ
70代=優秀
80代=一級
90代=超人
100=神
363無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 23:06:25
武安国とか刑道栄とか?
364無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 23:26:43
それよりは、陳応とか陳横とか、演義にしか出てこなくてしかも一合でバッサリやられちゃう連中だな。
365無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 23:27:41

妖怪図鑑 其の百三十六

         _,,..i'"':,     妖怪 箱ティッシュ
         |\`、: i'、
            \ \`_',..-i   オナニーして逝きそうになると
           \|_,. -┘    ティッシュが手元に無い。
  タタタッ    _ノ )  ノ    それは妖怪箱ティッシュの仕業です。
        ノ ///
       _//  | (_      弱点は水に濡れると死ぬ。
        .. レ´  ー`
366無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 00:13:54
じゅんうけい
もうかく
ちょうえん
もうたつ
りゅうほう
はんかい
367無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 02:34:26
張春華×麦飯

最高のカップルになると思う
368無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 17:03:07
今日中に1000行ったら妹の裸うpします
http://ex14.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1137644576/
369無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 21:01:31
>>350
朱然
88・70・71・65・75
統率は陳泰らに並ぶと個人的に思う。
武力は確かに低いので上昇の見込みありだが、演義にて趙雲に一撃で刺殺されてしまう点が−といえば−。
そこは趙雲が強すぎるとみて70以上位なら問題なさそう。

知力は将軍で70以上あれば十分評価されてると思うので据え置き。
政治も特筆するような記述もなく、大過なく勤めたということで65ぐらいで。
魅力は難しいが名声高く人柄も良く孫権に愛されたことを考慮しても、若干高く思われたのでやや下げ。

以上が俺の個人的評価だが、
朱然は>>301の光栄評価でほぼオッケーだと思う。
実際にいじるなら武力ぐらいか。
370無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 21:04:42
>>369
こいつ全然空気読めてない
馬鹿じゃネーの
371無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 21:44:48
>>370
馬鹿はテメーだ。

荒らしはとっとと失な
372無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 21:59:45
>>371
スルーしとこう。レスつけても何にも良いことない
373無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 22:27:32
パワプロちっくな朱然。
統率 B
武力 C
知力 D
政治 D
374無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 00:37:52
演義の朱然は酷すぎる・・・・
趙雲ごときに・・
しかも一撃って・・
寿命どんだけ縮められてんだ
375無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 01:16:07
>>369
将軍で知力70以上なら高く評価されているからそれで良い、というのは変じゃない?
その人物の立場がどうのではなく、純粋に事績の比較で決定すべきだと思う。
376無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 01:38:36
張春華◆Shunka/GUM

統率 83(新党党首として党員を率いている。)
武力 24(女なので武力は低いと思われる。)
知力 92(撹乱戦術は一級品。そのため敵は戦いを避ける。)
政治 85(新党党首に就任。善政を行う。)
魅力 83(アンチも多いが、ファンも多い。)
377無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 10:24:38
統率がちょっと高いかも。
378無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 10:46:47
全部マイナス100くらいで丁度いいだろ
379無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 11:28:31
>>369
山越討伐や撤退戦で殿軍をつとめて敵の追撃を食い止めた件などを考慮して武力は70後半あってもいいと思う。
380無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 14:05:26
      _
      \ヽ, ,、
       `''|/ノ
        .|
    _   |
    \`ヽ、|
      \, V
         `L,,_
         |ヽ、)
        .|  
     / ̄ ̄ ̄ ̄\  
   ../         \
   /\    ⌒  ⌒ |
   |||||||   (・)  (・) | 
   (6-------◯⌒つ |
   .|    _||||||||| │
    \ / \_/ /  ┼ヽ  -|r‐、. レ |
      .\____/    d⌒) ./| _ノ  __ノ
                                           
381無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 15:12:23
朱然かわいいよ朱然
382無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 15:41:36
             ,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
              /               \
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
         / / //─'''´ ̄ ̄`ヽ      ゙i
        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |
        ,' /  //          | ヽ  ', |
        | |  / l,、、,,_   -‐''" ̄`゙i. |   | |
        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |
        .!///゙!     ,         ノ__/ .!
         |/ | ',    ゙        /  |  |
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  |
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   |
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
        |    / / /|       ヽ       \
        .!   / { ヽ|    ...     ゙、        ヽ
        |  {  ゙i   ヽ  ::r.;:.     l         ::_)
        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
         |    ト| | ∧       /           /
            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /
383無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 15:56:21
↑誰コイツ
384無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 17:00:58
ドラクエ5のビアンカかと思ったけど微妙に違うな
たぶん兀突骨
385無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 17:06:06
サクラ3のグリシーヌじゃね?
386無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 17:13:59
      , -―- 、
   /了 l__〕      〈]
   7| K ノノノ ))))〉  バックでパンパン♪
   l」 |」(l| ┃ ┃||
    | |ゝリ. '' ヮ'丿! ./ ̄ ̄ ̄\.
    | |/ \i∩二i'___{_ノl|_|i_トil_|i
 (( .l l |(  <ヽノー- |,彡 //// .{.i|   あんっ…麦飯たぁん…
     !リ ∠_)r__,'と》|il(_, * ヮ''丿|ゆ ))
387無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 17:49:45
     :(゙( 'A`)'):  ハァハァ
    :ノ⌒', −、'^', 
    :(,,人,_,,ω,_人,,)
388無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 18:19:34
>>379
朱然
87・78・74・68・75
こんなもんかね?
389無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 18:46:07
兀突骨の武力は85くらいが妥当だな

390無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 19:30:42
兀突骨はむしろ藤甲の扱いの方が気になる。奴だけのために特技を作るべきか?
391無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 20:07:20
>>390
前に知力上げろって言われてたけど
一人が頑張って特技にしろって言ってたから特技で決まったっぽい
392無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 23:24:38
というか知力を上げろって言う住民が一人で頑張って轟沈してた流れだったと思う
393無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 23:41:04
武力1の定義って何?
車椅子の生活とか施設で暮らしてるじーざんばーさんとか?
394無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 23:53:28
このスレでの能力値は相対評価だから
定義付けするならば登場人物の中で一番弱そうな人
395無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 00:23:10
それだったら厳oよりも張松の方が弱そうなんだが
ドヨだって馬に乗れんかったし
396無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 00:24:20
>>395
張松はちゃんと馬に乗るシーンがある
397無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 00:26:30
てか張松の背が120aしかないのって演義の創作だったんか
はずかしっ
398無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 00:26:50
まだ10歳の張飛の方が強い
399無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 00:30:37
いやーもうオレが武力1でいいよ
一輪車乗れんしなわとびの交差とびとか出来ないし
400無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 00:39:33
ネタも寒くてスマンonz
401無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 00:58:56
つ知力1
402無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 01:14:44
>>392
そうなのか?俺はその時いなかったから知らないが
今見たが知力下げの人の意見は無理があると思うんだが
403無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 12:05:22
>>402
そう思うなら根拠と共に意見出してくれればいいよ。
404無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 15:50:48
>>403
本人だから、そっとしといてあげて。
405無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 15:58:43
>>403
その地方では知ってるのが当然で、
火計に対策をしてないと言われている、
他にもマイナスのことしか書かれていない人物はいるから
技術面だけ知ってことでも知力1はないと思う。

それと誘引を喰らったと言え、
相手が諸葛亮であり、当時実在しない地雷を使われたこと、
それと15度魏延に勝っていたら
自分たちのペースだと勘違いしても当然だと感じたから
知力は平凡な武将程度あるとの意見。
406無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 16:08:25
>>405
ある種知ってて当然の知識・持ってて当然の技術が知力換算されるなら、
南蛮連中は漢民族の知識・技術分減算される。だから平均値が滅茶苦茶低くなり、
その上マイナスのことしか書かれていないから1桁。
407無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 16:16:12
光栄三国志では猛獲の配下だよな?
猛獲は漢民族なんだからその考えは少し変じゃないか

あとマイナスだけと言っても質もある、
地雷に15度の勝利と来たら読める人物なんているかどうか
408無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 16:26:57
猛獲の配下だからなに?
それで南蛮連中が漢民族の知識・技術を知ってる
とかでも言うつもり?
409無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 16:31:43
正史と演義を混ぜてるこのスレだからこそ言えるが
漢民族の猛獲が知らないなら漢民族が知る知識としてはおかしいんじゃないか?
410無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 16:42:34
知力1は恒例なんだからわざわざ上げないでいいだろ
劉禅の能力上げろって言ってるのと同じようなもん
どうでもいいんだよ
411無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 16:46:52
>>410がスレ違いも甚だしい件について
412無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 16:47:07
>>407
演義の猛獲が漢民族だなんていう記述あったか?
しかも猛獲はあれだけ嵌められても45なんだから猛獲は漢民族で知識があっても問題はないし、
烏戈族の知識を猛獲が持ってないように猛獲が知っていることを烏戈族は知らない。
413無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 16:53:28
>>412
漢民族の常識を知ってた方が有利と言うことなんで、
猛獲は漢民族評価になるのでは?
それに配下に一つの民族の知識を持っているものがいるのと
勢力全体が一つの民族の知識しか持っていないのでは大きな違いが出ます。

>>410
納得
414無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:01:28
>>413
漢民族の方が有利だから猛獲は史実の猛獲で。これはいい。
だが演義にしか登場しない烏戈族の兀突骨にはなんの関係もない。

>それに配下に一つの民族の知識を持っているものがいるのと
>勢力全体が一つの民族の知識しか持っていないのでは大きな違いが出ます。
意味不明なんですが、これが烏戈族あるいは兀突骨の知力にどう影響するの?
烏戈族が他の文化を受け入れたり吸収した記述でもあった?
415無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:05:40
なんか微妙な流れだから言うけど
>>401>>399に対するレスね。
416無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:09:34
このスレの定義が曖昧だから意見を言ったまでだが、
演義でしか登場しないものを
正史基準になってるものからの視点で見たらダメなのか

猛獲の配下にいるんだから
猛獲が取り入れることは出来た、と言うこと
あと烏戈族の文化じゃなくて、藤甲兵の知識な
417無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:16:44
猛獲の援軍に烏戈国からやって来ただけで猛獲の支配下にあったわけでもないし、
猛獲達が藤甲兵の知識を教わって藤甲兵を使ったというわけでもないんだがどこが取り入れた?

それと正史基準になってるものからの視点ってどういうこと?
418無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:20:56
おまいらそろそろ孟獲に訂正しろ

猛獲は別に存在するわけだし
419無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:24:10
取り入れたと言うわけではなく、
取り入れることは出来た、と言っている
火計が使えないところで藤甲を使うことも出来たわけで、
猛獲に考えが足りていたらしていると思ったので

猛獲の漢民族、と言う正史から見て
このスレの演義と正史の良いところ取り、と言うやり方で
正史の猛獲と演義の兀突骨に接点を与えることが出来ないのかな、と思って

今思うと無理な考えだと分かったよ、
閻行なども馬超に勝った、と言うことではなく
正史の強いか弱いか分からない馬超に勝ったと言うことで収まってるし
420無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:29:22
>>419
知力換算されるということは知識・技術を自分のものにしてるということだろ。
演義正史以前に「〜〜していたら」なんて仮定で能力水増ししようなんて論外だろ。
「劉禅が賢くて孫子を初め古今の兵法に通じていたら知力は高かった」みたいな主張してどうしようっていうんだ。
421無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:33:35
>>420
そうじゃないだろ
あくまで猛獲が藤甲を取り入れることは出来ること
422無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:35:50
>>421
はいはい
ゴタゴタ言う前に、”孟”獲、な

それにムチャな仮定たててもそれはあくまでも仮定
423無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:40:53
>>422
今は演義の話だったはずだが

あと無茶も何も普通に考えたら
藤甲を使わないことはないんじゃない?
火以外にも弱点があるならまだしも







釣られたOTZ
424無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:41:12
>>421
だから、出来る出来ない以前にやってないだろ。
劉禅が四六時中稽古や勉学に励むことも可能だが、実際やってない。
425無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:46:03
というか結局のところ>>423はどうしたいわけ?
前スレの>>834-854あたりの流れを踏まえたうえでレスしてる?
426無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:48:52
兀突骨の話しをしてたのに突っ込まれてまともな反論にならず、
現在は孟獲が藤甲を取り入れることは可能かどうかに話しをすりかえたいのかな?
427無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:53:47
孟獲が藤甲を取り入れることは可能だからなんなんだって話しなんだが。
それで知力が上がるって言いたいのか?
428無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 17:54:23
晒しage
429無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 20:02:41
十五度勝ったら調子乗るのも当然だ、と言ってるけど
俺には十五度わざと勝たされてることに疑問を持たない馬鹿さ加減が気になる
とにかくこの議論は不毛な気がする
430無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 20:40:03
ようやく流れが南蛮に傾いたな。
俺が兀突骨の政治知力を見直してくれと言ったのはそれだけじゃないぞ。
三万将兵の動員、藤甲等装備調達は無知な指揮官には無理だろうと言ってるんだ。
431無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 20:59:20
>>430
それをプラスしてもマイナスが大きすぎて
1桁は確実って言われてる
432無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 21:00:31
>>430
一国の王なんだからそれくらい出来て当然
むしろ出来なかったら政治も1決定になるかも
433無名武将@お腹せっぷく:2006/01/21(土) 23:59:03
知力か・・・韓フクや一部の黄巾なんかは一桁で十分な気がするな。
434無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 00:21:07
知力一桁ってワースト20とかだろ。よほどの事じゃないと付かない数値のような。
まあ、ワーストはベストより更に決め難いから、イメージで決めるしかないのかもしれないが。
435無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 00:35:15
>>429
同意します。
ふつう十五度勝てば、相手の主力を撃破するなり撤退に追い込むなり、将官を
斬獲するなりできそうなものですが、この十五度の敗戦で蜀軍はそのいずれの
損失もこうむっていません。
仮に十五度の勝利全てが小競り合いであれば、そこまで戦闘を重ねる前に蜀軍の
主力を撃滅しようと積極攻勢にでるべきですがそれをしていませんし、十五度も
蜀軍を手酷く痛めつけているならますます怪しむのが普通です。

少なくとも兵書と史書などから軍事を学んでいる中原の将官であれば、常識的な
判断から最後まで疑わずにあっさりと誘引されるミスは犯しませんし、それ以前に
蜀軍の兵站を襲うなりして侵攻を封じる手を講じます。

はっきり言ってしまうと兀突骨の戦い方は何ら戦略性もなく、攻めてくるから応戦し、
最後には連勝の驕りと油断で墓穴を掘った格好です。
いくら藤甲が堅固でも、蜀軍が十五度も一つ覚えに無為無策で攻めてくる姿勢を
疑わないのはあまりにお粗末な知力であるとしかいえません。

>>430
鳥戈国の軍事力がどの程度かはわかりませんが、王といわれる孟獲ですら絶対
的な立場ではなく、木鹿大王など敵対している勢力も存在している以上は、どの
部族も文化レベルの低い地域であれば尚更それなりの軍事力を有する必要が
あったと推察できます。

ただ知力が1というのはコーエーのおふざけでしょうし、そこには同情しますが。
436無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 11:01:36
>>少なくとも兵書と史書などから軍事を学んでいる中原の将官

オウヘイ
437無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 11:44:34
王平?
王平は人に読ませて学んでたわけだが
438無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 11:48:43
学んでたんじゃん
439無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 12:46:15
>>437のほうがよっぽど池沼
440無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 12:53:50
439 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 2006/01/22(日) 12:46:15
>>437のほうがよっぽど池沼
441無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 13:25:02
>>437
人に読ませて?横柄な奴だ!
442無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 15:46:47
自演し放題の板ではこの人に勝てません><
443無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 17:40:09
>>437-442
自演乙
444無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 17:53:03
>>442-443
そんな自演って言葉を使いたいがために2レスも使ったのか
445無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 18:03:28
>>442-443
自演乙www
446無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 18:47:12
自分に都合の悪いものは全部自演扱いかよwww
447無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 20:55:07
人に聞かせて学ぶのは限界があるのではないか?
448無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 21:52:47
一度聞いたことは忘れなかったとあるから、兵法を学ぶのにさほど支障があったとは思えないな
あと人に聞かせるじゃなくて言わせるな
449無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 22:19:16
というか王平の知力なんて、高い評価をうけてると散々語られてる気がするんですが
450無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 22:27:40
王平の知力は、テンプレの評価なら、田豫や徐晃、張嶷や朱然なんかと同等の評価だな。
451無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 22:31:34
武田久美子
452無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 22:34:15
一度聞いた事を忘れないわりには文字が読めないw
それをまともに信じている奴らはハゲワラス
どーゆ脳みそしてるか見てみたいね
453無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 22:49:32
>>448-450
ジエン乙突骨
454無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 22:49:40
矛盾しないでしょ
文字は視覚情報だし音読は聴覚情報だもの
455無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 22:58:10
>>454
それすら理解できていないかわいそうな奴がいるのが現状らしい
456無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 23:01:25
ジエンゴツトツコツイイ!
457無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 23:10:47
文盲が知力高いねえ〜
ふ〜ん、そうなんだ…
このスレのレベルはこの程度だったのか〜
荒れるわけだな〜
文字読めない事で生まれる弊害は上げればキリがないと言うのにな〜
そんな事も分からないようじゃ中学校卒業できないよ?
458無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 23:11:41
>>457
それすら理解できていないかわいそうな奴がいるのが現状らしい
459無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 23:15:14
このスレのレベル

文盲→だったら聞けばいいじゃない。
視覚と聴覚は別なんだし

ハ ゲ ワ ロ ダ ム ス
460無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 23:19:07
ところで晋厨はどこいった?wwwwwwwwww
晋の話をしなくなってから盛り上がってるのだが?wwwwwww
461無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 00:18:36
知識と知力は違うでしょ
462無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 00:59:49
>>461
それすら理解できていないかわいそうな奴がいるのが現状らしい
463無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 01:28:46
>>460
どこが盛り上がってるんだ
464無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 08:47:22
はっきりしてるのは>>457は文盲ではないが頭はそうとうに弱いという事

知力と知識が同義でもイコールでもない事もわからん様じゃ人の意見も
理解できんだろうが、久しぶりにこのスレでも底辺レベルのアホを見た
465無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 09:14:38
このスレで評価される知力って知識よりは判断力とか意志力がメインだね
466無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 10:13:02
1800年前にそんなに識字率高かったんだ中国って
467無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 10:16:32
>>465
故人を評価するうえでは、知識や教養そのものがいくら高くても、実績を残して
いなければ人間のステータスに過ぎないから、要するに知力よりも魅力に還元
されるべきモノだもの。
そうでなければ実績皆無に近い学者や知識人が知力の上位に並ぶことになる。
このスレにはそういった事がわからん奴もいるみたいだけど。
468無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 11:22:35
>>466
支配者層はな
469無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 12:42:42
ぼくはじがよめません
470:2006/01/23(月) 21:22:38
光栄三国志で能力どん底と
いえば……昔曹豹、今劉禅。
これは前者が過大評価されてるのか、
それとも後者が過小評価されてるのか?
471無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 21:25:59
みんな曹豹のことが大好きだからだよ
472無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 12:21:40
単に劉禅のキャラを立てただけに一票
473無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 12:35:02
次はギランの時代
474無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 12:46:07
せいぜい何とか骨 ってやつは知力は5ぐらいだな
475無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 13:26:59
骨進
476無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 15:30:58
>>474
頑張りすぎ
477無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 19:45:22
Yの頃の能力変動バージョンにした場合、その時代の主要人物の能力の推移はどんなものになるのかな?
俺のイメージで統率をつけると
黄巾の乱
皇甫嵩(95)>>孫堅(85)>朱儁=曹操(80)>韓遂=張角=公孫サン(75)>董卓=劉備=盧植(70)
董卓の専横
曹操=孫堅=徐栄(85)>董卓(80)>韓遂=公孫サン=袁紹(75)>劉表=劉備(70)>>袁術(60)
群雄割拠
曹操=孫策(95)>麹義=高順(85)>呂布=公孫サン=于禁(80)>袁紹=劉備=臧洪=張繍(75)>袁術(70)>劉表(65)
官渡直前
曹操(100)>>孫策(90)>袁紹=于禁(85)>張繍=関羽(80)>韓遂=劉備(75)>黄祖(70)>>劉表(60)
赤壁
周瑜(95)>曹操(90)>曹仁=劉備=関羽(80)>韓遂(75)>孫権=諸葛亮(70)
入蜀
曹操(90)>馬超=劉備=夏侯淵(85)>曹仁=張飛=呂蒙=関羽(80)>韓遂=諸葛亮=魏延(75)>孫権(70)
漢中戦〜関羽北上
馬超=曹仁=徐晃=呂蒙(90)>曹操=劉備=張飛=満寵(85)>夏侯淵=関羽=張コウ(80)>于禁=魏延(75)>孫権(70)
三国鼎立
曹仁=徐晃=満寵=陸遜(90)>張コウ=張遼=朱然=諸葛亮(85)>魏延(80)>趙雲(75)>孫権(70)
諸葛亮の北伐
司馬懿=諸葛亮=陸遜(90)>張コウ=徐晃=曹真=朱然=魏延(85)>郭淮=陳泰=王平=張嶷(80)>趙雲(75)
諸葛亮死後
司馬懿(95)>陸遜=姜維=ケ艾(90)>魏延=郭淮=陳泰(85)>王昶=王基=丁奉=張嶷(80)
蜀末期〜晋の統一
ケ艾(95)陸抗=姜維(90)>杜預=羅憲(85)王濬=鍾会=丁奉(80)>諸葛恪(75)
478無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 19:46:32
劉備は75ですか。そうですか。
479無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 20:44:34
最終的には85になるようにしたつもり。
ピークを入蜀〜漢中戦とみました。
480無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 21:35:18
劉備が徐州以前から英雄扱いされてたことは無視ですか
481無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 21:44:24
無視ってこたぁないですが、まあ高順に負けたり袁術に引き分けたりを加味しつつつけてみました。
魅力や知力や武力はまた別ですし。
482無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 22:05:45
諸葛亮と曹真の統率は北伐時に同じにしてほしいな
あと馬超強すぎだろ、劉備に付いてから何かしたか?
483無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 22:10:55
>>477
関羽の統率は上げろ
何もしてなくても関羽だけは高くないと駄目なんだ
484無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 22:19:27
>>482
漢中戦時の馬超は確かに高かった。85〜80でもよかったかもしれない。
しかし曹真については…あそこで諸葛亮を90以下にもできず…
485無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 22:25:16
>>481
袁術との戦闘はあからさまに兵力差ないか?
486無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 22:37:06
>>477
さすがに関羽北上の時ぐらいは関羽90でもいい気がするが。
このスレの関羽ちょっとかわいそス
487無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 22:39:47
>>486
まあわからないでもない。
>>483の意見はただの我侭だが。
488無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 22:46:03
お前ら落ち着け
あくまで>>477はイメージだ
















イメージだけ統率高い代表の関羽の統率を下げるとは・・・
489無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 22:46:49
いやいや、関羽は特別に一票。
490無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 22:50:59
kiero
491無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 22:56:13
>>485
ない、と俺は思う。徐州が特別か細い地域というわけでもなし。
でもそこまで自信もないですが、何故そう思われたのでしょうか?
492無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 23:03:24
>>486
関羽は逆に若い時の方が(人格的にも)輝いてたように思えなくもない。
493無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 23:13:29
>>491
劉備が徐州の実効支配出来たかって言うと怪しい
徐州入り前の劉備の手勢は流民を使って数多く見せかけるような少数
前年の曹操の攻撃で徐州は援軍が必要な程に元々兵力が多かった地域ではない
従って対袁術時の劉備の兵力は少なかったと考えられる

袁術は後年の袋叩きに遭うまではそれなりの兵力を維持している

よってこの時劉備と袁術の間には兵力差が少なからず存在していると考えた
494無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 23:18:50
袁術はそれなりというよりかなりの蜂蜜好き
495無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 23:37:29
>>493
敵(曹操)が攻めてきたなんて言われたらとりあえず援軍要請ぐらい出すだろうから
それをもって徐州は兵力が多かった地域ではないとするのは乱暴では。
麋竺の「領民100万」とか陳登の「歩兵騎兵10万」だのは話し半分に聞き流すにしても、
むしろ豊かな地域といえるのではなかろうか。
下ヒを奪われ袁術に破れ小肺に逃げ込んだ後でなお直ぐに1万の将兵を集めてる。
劉備は州民から歓迎されたとか強く招かれたとかは良く聞くけど実効支配を疑われるような話しは初耳。

袁術がそれなりに兵力を有してたのは確かだが、それをどの程度投入したかもわからない。
既に曹操とも幾度か戦い破れているし、割り振る兵力にも限りがある。
496無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 00:14:54
>>495
俺は>>493ではないけど。

徐州は五郡あるものの、下ヒ国相・乍融、彭城国相・薛礼が江南に行ってしまい、
広陵太守・趙cも殺されており、後任がどうなっているのか、その後に混乱が生じた
可能性や行政に支障はきたしていないのかなど、はっきりはしていない。

また陶謙がエン州を攻めて後の曹操の報復もあり、>>493が実効支配に問題があると
言及しているのはこういった事情に基づいているのではないかと思われ。
もっとも曹操に攻められるまでの徐州は比較的豊かな地域だったようだが。
497無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 00:47:08
徐州に戦力があったとしても、それがすぐさま機動作戦に利用可能だったかは少々疑問だな。
機動作戦に使えるような編制と訓練をしなきゃならないし。
498無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 00:57:35
それまで兵士が居なかったわけでも訓練されてなかったわけでもないだろうに。
499無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 01:09:36
>>498
戦闘教義も違えば、命令に使う合図も違う、というような状況で、
その戦力が機動作戦に耐えうるとは思えないという事だよ。
それまでその徐州の兵を指揮していた人物に支作戦を任せたりとか、
拠点防衛に使ったりとかはできるだろうけど。
劉備麾下の主力に組み込めたか、という点で疑問符が付く。
500無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 11:13:40
500
501無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 14:31:57
>>499
命令に使う合図なんてどこの国も似たり寄ったりなんじゃないか?
つい三十年前(厳密にどこで区切っていいかわからんけど一応)までは一つの統一王朝によって治められていた地域が
てんでバラバラの指揮系統に地域別けされてしまうもんなのかね?一年以上の猶予があっても機動作戦に耐ええない程?
戦闘教義なんて学ぶものがあるとすれば共通した古典やそれに基づくものだろうし。

「機動作戦」がどういったものを指して使われているのかも良く判らないが。
502無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 15:33:51
それは官軍として全体が一度統一された系統の軍属になりゃその通りだが
豪族が私兵を集めたような集団では指揮系統なんて一年やそこらじゃ統一できんよ
と言うか軍制すら違う集団を纏めてこうなんて無理無理
10年違うだけでも全く別の戦術ドクトリンを採るようになるんだしな
503無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 17:04:36
豪族が私兵を集めたような集団って…陶謙はきちんと案東将軍・徐州牧の任を受けた人物で、
徐州の兵も当然後漢の流れを汲む制度によって組織されてるでしょう。
仮にそうでなくとも効率良く兵を組織化するには前代の官軍にならうのが最も手っ取り速いわけで、
劉備だって一から軍の組織制度を作り上げて指揮していたとは思えんが。
劉備も若きころ鄒靖などに従軍しているし、その頃学んだやり方が基本となっているはず。
指揮系統なんて一年やそこらじゃ統一できんなんてなにを根拠に?
陶謙は幽州の時と徐州の時ではまるで違うやり方で兵を組織していたとでも?
10年違うだけでも全く別の戦術ドクトリンを採るようになるとは何時の時代のどの軍組織を基にした言ってるの?
504無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 17:18:28
505無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 17:23:58
劉備が白帝で没してから諸葛亮が没するまでの10年で蜀は全然違うようになってるね
506無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 17:31:16
劉備なんかは前半生は毎回借りてきたり新規募集した兵で戦ってるわけでそういう意味では不利だったんだろう。
>>502とかは大げさだと思うけどね。
507無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 20:05:27
朱儁ってさ、なんで79〜75候補にいるの?確かに黄巾の乱ではすごかったけど、李、郭に負けてるし。
ついでに丁原も、前スレあたりで出てた気がするが、統率71は高すぎないか?
508無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 20:18:53
>>507
79〜75候補は、入りそうな人物を適当に突っ込んだだけだから、ろくに議論してないからな。
40名枠に56名も入ってるから、落ちる人物は結構いる。
509無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 23:52:00
むしろ李、郭が過小評価されてる気がする。
一時は後漢を牛耳った董卓軍の中核を占め、
董卓死後は王允、呂布ら新政権を打ち倒して実権を握ってるし。
そりゃあ戦上手だったとか立派な戦績が残ってるわけじゃないけど、
そこらへんの数多大勢の雑魚武将と一緒には出来ないでしょ。
510無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 00:28:02
ブヒヒン
511無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 00:32:45
馬鹿野郎
朱儁の凄さがわからん奴は後漢書を読め
512無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 00:34:51
>>507
このスレではテンプレは関係ないので無視してください。
513無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 01:01:07
次からテンプレいらんわな
なんか当たり前のことか、テンプレ作成者の主観が入りまくりだし
514無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 01:08:30
>>509
正史厨から見たら郭シの武力はかなり高い設定の様です。
515無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 01:43:14
>>512,513
別に決定事項じゃないから異論があれば挙げていけばいい
516無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 10:09:10
>>512,513,514
517無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 13:41:25
歴ゲーいけ糞共
518無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 13:43:04
519無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 15:59:03
中二病 〜主な症例〜

1.ちくまを覚えた途端、横山を軽視する
520無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 16:36:56
テンプレでいえば楽進と朱霊はいつみても統率逆じゃないかと思う。
521無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 16:39:25
正史って皆どこから出てるの読んでるの?
522無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 16:44:34
中華書局に決まってる
一番安いし読みやすい
523無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 17:15:18
左様
524無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 17:15:29
劉備の統率は高いのか低いのかわかんね
525無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 17:26:41
ようするに高くもなく低くもなく
526無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 17:27:57
>>524
けして低くはない。
コーエーが定義する統率力でなければ相当高くなる。そういう事。
527無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 17:34:31
>>526
光栄定義の統率で高いか低いかワカンネって話しかと。

>>520
朱霊の具体的な戦功というと
・袁紹の将軍として季雍の反乱を鎮圧。
・袁紹の将軍として曹操の陶謙討伐を支援。以後曹操軍に。
・劉備らと共に袁術討伐。
・冀州に赴くと部下の程昂らが叛乱したが、即座に鎮圧。
(ちなみに元々不満を持った将兵らで反乱自体は朱霊だけのせいとはいえない)
・馬超討伐にて、徐晃と共に本隊に先行して渡河し築陣。馬超を封じ込める。
・夏侯淵指揮のもと西方のテイ族を討伐。
・張魯征討にて張コウらとともに進路を妨害したテイ族を撃破。
・石亭で敗れた曹休を救出。

多分こんなもん。まあ楽進のが若干上っぽいかな…
528無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 19:06:19
楽進は武力の議論?の時にも悲惨な言われ様だったしな

>>519
演義と横山は違うからな
529無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 19:30:32
呂蒙が過小評価されすぎだと思う
530無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 19:33:34
義理の数値について語ろうぜ
531無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 19:36:36
>>529
統率→90以上(超一流)
知力→90以上(超一流)
武力→85以上(一流)
の呂蒙のどこが過小評価?魅力か政治?
532無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 19:37:30
高順は15で>義理
曹操は15で>野望
533無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 19:38:54
呂蒙は全能力95以上じゃないと納得できん
534無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 19:39:28
武力も?
535無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 19:41:22
当たり前だろ
漫画ばっか読んでないで史書も読めよ馬鹿
536無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 19:45:14
馬鹿扱いされちまった
俺の知力いくら?
537無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 19:46:09
87くらい
538無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 19:49:19
>>537
ありがd

劉度を支える名軍師になってくるよ
ノシ
539無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 22:27:26
>>533
統率と知力は95以上(特に知力は95以上あって当然)あってもいいと思うけど
武力政治魅力は95以上はつらいと思う

武力は正史で見ると90以上でも遜色無いが
自ら敵将を斬ったりしてるが他の武力95以上と比べるとやっぱり見劣りする

善政を敷き民の指示を得たりしてるがこれは知力で評価すべきだと思う
実務能力を高く評価するのなら80以上あってもいいのかもしれない
ただ政治家としてみるのなら、長生きしてたらもっと伸びてただろうけど60-70台

貧乏出身から大都督まで上がって民部下上司のどれからも信頼されて
癖のある部下をうまく使いこなし、自分の死後財産を全部国に返した
三国志屈指の人格者。当然結構なカリスマもあったのだろう
でも君主クラスや周瑜等と比べると若干劣るか。魅力80台
540無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 22:37:28
なんで呂蒙を虐めるの?
何か恨みでもあるの?
541無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 23:22:07
蜀厨はかまうな
542無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 23:38:29
【ゴールデンレス】
      ___
      /:::::::::::::::::::ヽ
      l/^_,ヽ,_:::::::::::) このレスを見た人はコピペでもいいので
     从 ・ω・) ̄´10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
     /~ヽ ; i )   そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
     (⌒'J⊂ノ⌒)  出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
    (_)  (_) 

543無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 23:38:31
呂蒙が全能力95以上じゃなきゃ嫌な人は
中国史で曹操がナンバーワンじゃなきゃならない人みたいなもんだ
無視しろ
544無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 23:40:53
競馬のパソコン投票で金額のケタ間違えて

2−4  
2−8
4−8

各100,000円 でボタン押してしまいました。人生オワタ\(^o^)/
545無名武将@お腹せっぷく:2006/01/26(木) 23:51:27
.          \                ./  
           \             /
             \          /
              \ ∧∧∧∧/
               <    誰 >
               < つ .も >
               < ま  い >
 ─────────< ん  な  >──────────
               < ね  く  >
               <    て  >
               /∨∨∨∨\
              /         \
            /            \
           /                   \
         /          ( ゚д゚ )       \
546無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 00:13:26
いやー呂蒙兄ぃに勝てるやつぁいないよ
547無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 00:14:52
この前カミさんに謝ってたよ
548無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 00:47:26
呂蒙のあだ名はカミソリドラゴンに決まりました
549無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 01:13:10
呂蒙の知力95以上当然とまで断言されると違和感が...。
確かに戦術面では優れた計略を見せているけど、
国家戦略の面ではそこまで大した考えを持ってはいない。
テンプレの面子でも国家戦略で優れていた、
曹操・荀ケ・司馬懿・諸葛亮・魯粛等の面子には及ばないと思う。

個人的には智略は魔法の数字の89くらいが妥当と思っているけどね。
550無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 06:25:12
>>549
呂蒙の国家戦略は、
周瑜、魯粛のように後々魏を倒すと言う考えは無く、保守的。
関羽を打ち破り長江全域を制圧し守りを固めると
劉備の力を借りずとも曹操を打ち破れる、というもの。
陸遜もこの考えを継いでいて、長い間魏に侵略されることは無かった
十分に優れた考えを言えるのではないか?大した考えを持っていないというのには激しく疑問
ただこれは呂蒙単独で考えているわけではなく、魯粛の国家戦略を受け継いでいる形
常に柔軟な考えで曹操を倒そうと企んでいた魯粛には及ばないだろうが
周瑜レベルの戦略眼はあったと思う、諸葛亮なんかよりは全然上。
それに戦術面での非の打ち所の無い活躍をプラスすると、95以上でも問題ないのでは?
551550:2006/01/27(金) 06:27:38
曹操を打ち破れる>曹操から守りきれる
に訂正
552無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 07:51:02
>>550
国家戦略ってのは寧ろコーエー三国志では「政治」能力に該当するのではないかと。
「知力」は戦略能力より戦術能力って感じがする。
553無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 08:08:24
むかしのドラゴンボールカードダスみたいにゲームバランス無視でいいなら諸葛亮が最大パラメータでいいのにな

呂蒙が50000くらいだとした
諸葛亮は999999
554無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 08:42:06
“【電凸】ワンクリ総合スレ【http://i.pic.to/5wat4】”
http://ex14.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1138234319/

誰かタシケテ(;'A`)兵士と知識が足り茄子
555無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 09:11:51
呂蒙は人格者なのに、嫌われてるよね。
死期を悟って関羽を討つのもかっこいいし
556無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 09:28:33
まあ読者には劉備派蜀派がダントツで一番多いだろうし
その中でも関羽殺しの悪役キャラだからな呂蒙は
557無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 11:50:45
>>550
しかし呉は呂蒙案の荊州方面からの侵攻は目処が立たず、
その後は再び徐州方面の出兵へと戻っていく。
結果を見れば呂蒙の荊州奪還は魏を助け、蜀と争うきっかけを作ってしまった、
呉の命脈は延びたが、天下統一からは遠のいた戦略を取ってしまった。
魯粛はあくまで蜀と盟を結ぶ事に拘っていたし、
ここらへんは呂蒙が魯粛の国家戦略を継いでいるとは言えないし、
天下三分を一時はその形まで持っていった諸葛亮より上とは到底言えない。

戦術面も非の打ち所は無いと言うが、統率の賜物の部分も大きいし、
統率90以上、知力90あれば十分だと思う。
558無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 12:24:36
>魯粛はあくまで蜀と盟を結ぶ事に拘っていたし
拘っていたわけではありません。

>天下三分を一時はその形まで持っていった諸葛亮より上とは到底言えない。
諸葛亮は隆中対以降は戦略に対して何をしたのかも明確にはわかりません。
559無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 12:32:44
>>558
魯粛は一時は蜀とも争ったが、結果として魯粛が死ぬまで呉蜀同盟は破綻しなかった。
その事実がなによりも、魯粛が呉蜀同盟を重く見ていた、という証拠だろう。

諸葛亮にはその隆中対を一時は現実まで持っていった手腕があるんだけども、
劉備に三国鼎立を説いたその功績は多大。
560無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 12:44:18
>>558
入蜀の戦略は法正とホウ統だし
漢中攻略は法正の戦略だもんね。


ところで>>549
国家戦略に優れていた面子に司馬懿が入っているが、
司馬懿は国家戦略を提唱したことあったっけ?
地方レベルや軍事、防衛の戦略作戦は知ってるんだけど…
561無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 12:51:12
>>556
う〜ん、小さい頃読んだガキ向け三国志でも、人形劇三国志でも、
演義や吉川のいずれも、死ぬ直前の関羽って同僚に対して尊大だったり、
孫権からの縁談を侮辱して跳ね除けたりと、印象悪かったから、
呂蒙・陸遜に計られて追い込まれたのも当然の帰結と受け止められたけどな。
562無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 12:54:09
>>559
戦略の途中まで達成というのなら、呂蒙も荊州攻略によって成し遂げているよ。
これによって曲がりなりにも呉の国防体制が整ったわけだし。
と言うか、国家規模の大戦略を完全に成し遂げた奴は魏呉蜀にはいないし…
呂蒙も戦略家として三国志では屈指の存在と思うよ。

>>561
人形劇三国志でも!!!!!!?
563無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 13:00:22
>人形劇三国志でも!!!!!!?
小さい頃見た記憶で言ってるだけだけど、諸葛謹なんかに対しての対応とか最悪だった印象がある。
564無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 13:18:54
>>560
関羽北上の際には呉に荊州を突かせる事を曹操に提言する。
運河の開設は防衛の食糧問題の解決や、ひいては後の蜀討伐への布石にもなった。
様々な人物を追い落とし、司馬家の権力を磐石にして魏を乗っ取る布石を作る。

>>562
規模が違うよ、天下統一までの道標を示した天下三分とはね、
ただ呂蒙の国防体制はそれはそれで評価してるけども、そこで終りなんだよね。
既に書いたけどもその国防体制も魏を助け、蜀を挫く選択を取る事で、
大国である魏の息を吹き返さしたし、蜀との戦端を開くきっかけを作った、
蜀との争い自体も陸遜が大勝できたから良かったけども、泥沼と化せばどうなっていたか...。
功罪の両面から見れば呂蒙の防衛体制は+もあるが、同程度の−を生み出している。
呂蒙は襄陽占拠案は後の呉が経路変更してしまってるしね、どうしても他の人物と比べると見劣りする。
565無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 13:42:00
>>564
関羽北上の際には呉に荊州を突かせる事を曹操に提言する。
運河の開設は防衛の食糧問題の解決や、ひいては後の蜀討伐への布石にもなった。

これは国家戦略じゃないよ。
あくまでも軍事規模や地方レベルでの問題と、戦略に過ぎない
国家の道標を明確に指し標したものじゃないよ。

>様々な人物を追い落とし、司馬家の権力を磐石にして魏を乗っ取る布石を作る。

これにいたっては政争に過ぎない。

>規模が違うよ、天下統一までの道標を示した天下三分とはね、

規模に関しては目的に差があるだけで双方とも国家規模だよ。

>ただ呂蒙の国防体制はそれはそれで評価してるけども、そこで終りなんだよね。

うん。その通り。次の段階である天下二分には持って行けなかった。
同じように諸葛亮のも呉との同盟破綻と荊州失陥で終わったのよ。

>大国である魏の息を吹き返さしたし、蜀との戦端を開くきっかけを作った、
>功罪の両面から見れば呂蒙の防衛体制は+もあるが、同程度の−を生み出している。
>呂蒙は襄陽占拠案は後の呉が経路変更してしまってるしね、どうしても他の人物と比べると見劣りする。

これを気にしていたら荊州は取れないし、何より揚州と交州だけで天下統一が出来るわけないし、
防衛すら満足に出来るかどうか、あやしい。
それに襄陽攻めをしなくとも、選択肢として確保されているし、
荊州の生産力などの価値。国力そのものの増強など大きな利点がある。
揚州と交州だけで、同規模の国策が可能だとはとうてい思えないよ。

呂蒙の荊州攻略の否定は、まず揚州と交州で何が出来るかを証明しなけばならないと思うよ。
566無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 13:47:08
個人的に風習の能力がもう少し高ければいいなと思う
567無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 14:29:02
魯粛の戦略も欠点は多いと思うがなぁ

益州を反魏の勢力とするのはよいが、これにより劉備は刑益二州を手に入れ孫権と同規模またはそれ以上の勢力となったわけだし、これによって呉の侵攻ルートは濡須合肥ラインに絞られてしまった。
この後の荊州攻略の間に曹操は関中と漢中を平定し蜀を伺うところまで躍進した。
さらに魯粛は蜀の勢力拡大に助力しながら、蜀に対する対策案を持ち得なかったのも大きな問題点。
568無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 14:34:06
穴を指摘するなら代替案を
569無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 14:42:28
>>568
無いと思う。
益州が魏の勢力になるのも困るが、
劉備が呉より強大になるのも困る。
揚州だけでは厳しいのも事実だし、荊州がなければ呉がじり貧になるだろうし、
魯粛の戦略も呂蒙の戦略もその時期に置いては呉にとってベターだったんだと思う
そもそも呉や蜀の国力じゃ欠点のない戦略ローリスクハイリターンなんて無理と思われ
570無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 14:43:39
>>560
>国家戦略に優れていた面子に司馬懿が入っているが、
>司馬懿は国家戦略を提唱したことあったっけ?
>地方レベルや軍事、防衛の戦略作戦は知ってるんだけど…

たしかに国家戦略とよべるほどのものはさして献策していない。
ただし様々な局面における軍略に関していえばトップクラスの洞察力・判断力を
示しているので、それらが評価されているんだろう。
571無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 15:04:55
>>570
その辺は陸遜とかぶるね。
陸遜も国家戦略は献策してないけど、軍略や洞察力などが抜群だからね。
司馬懿の場合は、その上に政争を勝ち抜くほどに謀略にも優れている。
572無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 15:08:06
司馬懿の場合、国家戦略を提唱しなかったのか?できなかったのか?
573無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 15:25:05
司馬懿の戦略は、各地の戦略的要綱を押さえることで戦術的優位を得るという一種の持久策だな。
キ山と襄陽、寿春がそうだ。

孔明と陸遜もそれぞれ、漢中や五丈原、夷陵や合肥を戦略の要綱とした。

この3人の戦略は、大陸の攻防を点で見るという点で共通している。
574無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 15:27:02
そもそも司馬懿の時代にはすでに大規模な国家戦略を提唱する必要などなかったと考えることもできる
575無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 19:00:43
>>565
運河の開設は灌漑・水運、蜀からの防衛、将来的には蜀侵攻への布石となり、
立派な国家戦略だよ、これが国家戦略で無いと言うなら呂蒙の荊州侵攻とて国家戦略とは言えない。
それに政争にも知力はいるが、それはおいといても司馬家が魏という国家を奪うという、
言ってみれば司馬家が天下を取る戦略をとったと言える。

まさにその目的の規模が違うんだけど。

呂蒙は天下二分など唱えていない、
あくまで荊州奪還の後に自身は襄陽を攻撃するという程度。

まず呉は蜀と荊州を分割しており、揚州と交州だけではないし、
荊州を手に入れたところで呉単独では天下統一は不可能、
だからこその天下三分であり、呉としては半ば不本意な形ながらも
天下三分が実現したところで、魏の勢いが衰えた以上は蜀と共同して魏を攻めるべきだった、
魏を討つなど荊州を領有したところで事実無理であったし、関羽北上以降はパワーバランス
が覆る事も無かった、荊州奪取は短期的に見れば呉の防衛に役立った、
しかしながら荊州を足したところで魏の国力には遠く及ばないので、長期的にはイマイチ。

荊州南部を完全に奪取する以前から呉は十万規模の軍を遠征に出せたし、
それを使って関羽北上に乗じて徐州を攻めるべきだったね、天敵張遼も居ないし。
576無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 19:29:35
魏の楽チンなんかはどう?
演義じゃやられキャラだけど、正史じゃ父親の立場をそのまま受け継いだみたいに
あらゆる戦場で先鋒として使われてる。
577無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 19:39:40
>>557
>その後は再び徐州方面の出兵へと戻っていく
その後も徐州方面の出兵は続いたが、荊州からの同時出兵も何度か行ってる。
結果だけをみればむしろあれだけやって徐州方面では成果をあげられなかったわけで、
選択肢を広げたことが天下統一からは遠のいた戦略とはいえないはず。
三分まで一時的に持っていったことを評価して、
自身も認めているように呉の命脈は延ばしたことは何故評価しないのだろうか?

ちなみに俺が調べた限りの呉の対魏攻勢。
徐州(揚州北部)       荊州               その他
                 226年・江夏郡
228年・石亭
                                   230年・夷州
233年・合肥新城
234年・合肥新城       234年・襄陽
241年・淮南・六安      241年・樊城          241年・柤中(何処?)
253年・合肥新城
255年・寿春
578無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 19:55:29
>>576
諸葛誕の再評価が進まない限りヘタレのままな気がす。
579無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 20:05:53
>>575
一応言っておくけど孫権は別に天下取ろうと思ってたわけじゃない
580無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 20:08:32
>>575
張遼を動かしたのは呉が恭順の意を示したからだし、実際は張遼を動かす前に関羽は敗れているので
呉に不穏な動きがあれば直ぐに援軍として向かわされたろうね。

そもそもあれだけ手薄だったにも関わらず敗れた地に、荊州を手に入れるチャンスを棒に振って大軍を投入するのが優れた
選択とも思えないが。勝っても攻めにくい割りに呉が保有するには守りにくく、旨みも少ない。
581無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 20:10:09
>575
呉と言うか、長江下流域の政権が自立して行くには長江中流域の確保が必須って言う部分を失念してないかい?
確かに長沙等の湖南3郡は確保していたけど、呉の安全保障を確立するには長江流域の確保が必要な訳で、湖南3郡では意味が無い。
逆に蜀漢から南郡等の長江流域を奪取すれば、湖南3郡はおまけで付いてくる。

劉備が東征してきたにせよ、蜀漢内の世論は半々くらいか東征不可の方が強いくらい。
魏と結ぶ選択肢が無い蜀漢としては、荊州を取られても結局、呉と結ぶしかない。劉備自身も夷陵の敗北後はあっさり講和してる。

同盟相手にせよ、油断ならない梟雄・劉備に荊州を委ねるより、一時的に蜀漢と険悪になるにせよ荊州を確保し、呉の自立を確実にする。
蜀漢は呉と結ぶしか外交的な選択肢が無い以上、いずれ向こうから折れてくる。
そうなれば、劉備は益州と言う山奥に閉じ込める事になり、西方からの脅威は少なくなるだろう。
呉にとって、長期的に自立が出来る状況を作り、情勢が許せば天下統一も目指す、そんな戦略では?

徐州への出兵は、魏側も防衛が容易であり困難であること、仮に確保出来ても、国境線が長大で、防衛に著しい負担が生じることなどの理由を呂蒙も述べてる。


582無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 20:15:41
>>576
楽綝の戦歴なんて、毋丘倹の乱の時に、騎兵を率いて前衛となった司馬l
の後詰として歩兵を率いたという晋書の記述しか知らないぞ。
剛毅で父の風が有った、とは書かれてるが。
「あらゆる戦場で先鋒となった」と言えるほどの記述は何処にあった?
583無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 21:01:45
>>577
荊州からの同時出兵ってもメインは徐州なのは君の調べた結果が物語っているし、
天下の形勢を再び魏に傾けさした荊州奪取は十分に天下統一から遠のいた戦略、
呉の命脈を伸ばした事はそれなりに評価してるけども、同時に−も大きいと既に書いた。

>>579
孫権は魏に対して攻勢をしかけたりしているし、呉が独立を保つには魏の存在は邪魔。
黙って引き篭もっていても先行きは暗い。

>>580
張遼を動かしたのはそうだったね、しかし呉と魏が盟を結ばないとすると関羽に対して
史実ほど大規模な兵の動員を出来ないとしても、関羽に対して兵を割く必要があるのは変わらないから、
徐州方面は手薄になるのは間違いない、確かに合肥では芳しくない結果だったが、
それでも兵の多寡では勝っている状況で、そう何度も奇跡的な勝利を起きないでしょ。
曹操は遷都さえ考えてた状況で呉の侵攻が始まれば、曹操は徐州奪還どころの話じゃない、
曹操の奪還が予想される状況では旨みが少ないが、それが無ければ十分美味しい話。

>>581
自立だけじゃあ将来を見据えればジリ貧、それに荊州を手に入れても結局国力差は覆らないから
周喩は益州を欲したし、魯粛は劉備と妥協し天下三分を目指した、
無論荊州を手に入れる事自体は呉の課題だけども、呂蒙の場合は侵攻した時期が問題。
蜀の世論が東征不可の方が強いという事は無い、正面きって反対したのは趙雲くらい、
諸葛亮でさえも内心反対と思っていた程度、それに劉備自身があっさり講和したのは
陸遜が夷陵で大勝した結果、蜀漢が呉と結ぶしか選択肢が無いというのは劉備が攻めてきた時点で破綻してる。
呂蒙の考えは関羽が北上を始まる前、関羽北上時は曹操が容易に援軍に来れない状況であり、
国境線に負担は掛かるかもしれないが大いに勢力拡大を果たすチャンスでもある。
584無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 21:20:23
実際の所、魏はそれ程危機だったわけじゃなく(だったのだとしても)呉が動く前に既に関羽の敗勢は濃厚。
呉が動いたとしても張遼らをそのまま留め置けば済む話しで、結局諸軍が残ってしまては呉の展望は暗い。
その場合関羽側は諦めて後日再度侵攻を計ることもできるし、余力があるなら攻勢の姿勢を残して
魏軍を引き付けるぐらいはしてくれるかもしれないが、精々そのぐらい。

呉側への防衛が手薄になるのは間違いないなんてことはない。
585無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 21:36:38
>>583
侵攻路にメイン・サブがあるわけじゃない。
それに荊州南部で得た兵が揚州方面にも回され、さらにいえば荊州を保持していたからこそ揚州から積極的に
打って出ることもできただけ。荊州は蜀方面にも注意をさかねばならないが、揚州はその心配がない。
引きこもっては天下は取れないの言葉通り、荊州がなければうかつに攻めることもできない。
586無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 21:37:16
>583
国力云々おっしゃるが、自国の最低限の安全保障を確立しないで、なんで勢力拡大できるかね?
呉の生命線とも言える荊州を他者に委ねておくなんて選択肢は、呉に無いんだよ。
だから、赤壁後、劉備と同盟関係にあっても、常に荊州確保を狙ってたんだし。

東征の賛否について言うと秦ビツも反対した末、投獄されてる。
これは恐らく、諸葛亮が代弁させたんだろう。
あなたもおっしゃる通り、諸葛亮も内心は反対だったろう。現実的な部分で。
その諸葛亮が蜀漢政府を代表する人物である、と言う事は政府内の重臣も概ね反対だったって事だろう。
その代表意見が趙雲な訳で。
秦ビツのような学者を投獄する、って事は「これ以上反対すると容赦出来ない」と言う、他者への脅しでもある。
つまり、その他にも反対者は居たと言う事。

また夷陵の敗戦云々ではなく、蜀漢は呉と結ぶしか選択肢は無いよ。
魏とは結べないのだから。
敗戦後、劉備があっさり講和したのは、隆中対の原則に戻っただけ。つまり呉全面的に争う、っていう状況は劉備勢力にとっては極めて異常な事態である、と言うこと。
蜀漢と言う国の基本戦略が隆中対にあり、それが当事の状況からすれば蜀漢の取りうる数少ない選択肢である以上、呉側もそれを踏まえて戦略を練るのは当然だろう、と。

また、何故隆中対の内容を呉が知りうるのか、と言う疑問も出るだろうが、赤壁以降の劉備の選択肢は隆中対のような道しか無いのは劉備勢力以外でも容易に察せるから。
587無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 21:53:59
>>583
戦力差が覆らないなんて言ったら周瑜が益州手に入れたって劉備と手を組んだって未だ歴然。
チャンスを待ってそれまでは勢力拡大を狙うのが当然なわけで、時期としては呂蒙はドンピシャで的中させたともいえる。
時期が悪かったというのは関羽(蜀)側から見た話し。

大体仮に関羽の北上が成功して荊州がより強固になったとしたら今後どう対処するつもりなんだ?
そうなったら蜀は躍進するだろうがね。
588無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 22:01:37
呂蒙の戦略も、北上に失敗した時点で破綻してるんだけどな。

そういう意味では、曹操の逐次投入はやばそうに見えて正解だった。
589無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 22:13:30
>>575
どうも君は戦略というものが全くわかっていないようだ。
国家戦略は、国家が想定しうる最大級の戦略。最も大きい戦略のこと。

まず呂蒙は荊州を取り曹操からの防衛を確保し、
関羽を破って長江流域を得て状況をさらに有利にするべきと、はっきり言っている。
明らかに中華を二分することを想定している。

呂蒙の国家戦略は荊州進攻でなく天下二分すること。
荊州進攻は、天下二分という国家戦略を達成するための軍事戦略。
荊州を奪取する方策を作戦。

運河の開設は、あくまでも国家戦略に従属する物。
あと政争が国家戦略とは初めて聞いた。
流石にこれはないだろうよ。



どうも議論がかみ合ってないと思ったが、納得した。
荊州進攻否定派は、「関羽が成功する」という「仮定」に基づいて呂蒙の否定していたのだから、
そりゃ仮定を前提にすりゃ荊州進攻はダメダメですわな
だって関羽が成功し、その隙をついて夏侯惇26軍を打ち破って徐州に進入できるんだから。
590無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 22:15:31
>>588
呉は荊州戦後に襄陽を確保できたのを知らないの?
その後、奪い返されたけど、これは呂蒙死後のこと
591無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 22:15:42
呂蒙は北上に着手以前に死んでるしね。
そもそもの計略が呂蒙自身言ってるように「荊州を手に入れ支配を磐石にすること」が一番の目的なわけで、
その後の北上失敗で「呂蒙の戦略が破綻した」というのもお門違い。
592591:2006/01/27(金) 22:17:41
>>590
そうなの?588じゃないがこりゃお恥ずかしい。
593無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 22:21:27
1、弓腰姫と劉備をえっちさせまくって子供を産ませる。
2、劉禅はあとで鬱陶しいことになるので暗殺。
3、共同で曹魏を滅ぼす。
4、東呉三州を孫子の独立領土として認めさせる。
5、孫権は首相として甥を補佐する。
6、劉備の新漢が五胡の侵入で滅びたら独立。
7、北伐で天下を収める。

て、天才だオレって…孔明や子明を超えている。
これから『超明』とでも名乗るか。
594無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 22:31:22
>>592
本当、ただし魏と戦って奪ったわけではない。
当時は同盟を結んでいたから。
魏が襄陽を放棄したから呉が確保した。
595594:2006/01/27(金) 22:43:29
ご免、間違えました。
>魏が襄陽を放棄したと思われるから呉が確保した。
と訂正します
596無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 22:48:26
りょもうたん、なかなかやるじゃん
かんうの野郎出かけたから今のうちだぜってレヴェルじゃありませんのですわね。
597無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 22:56:29
>>592
ちなみに襄陽の放棄(というよりも棄却に近い)に反対したのは司馬懿といわれる。
598594:2006/01/27(金) 23:04:27
>>597
おおっ、宣帝紀ですな。補足ありがとう。
曹丕は政治家としては一流だけど、戦略眼が曹操や曹叡と比べると明らかに劣るよね。
599無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 23:11:55
>>598
仰るとおり、たしかに戦略に関していえばその二者には劣る。
そのかわり指導者として組織・体制を固める事では曹操よりも俺は上とみる。

曹丕といえば禅譲と軍事の失敗のふたつばかり取り沙汰されやすいが、
国内の統治に力をいれており、明らかに曹操時代よりも安定期を現出させている。
曹操の時代の努力が実ったともいえるが、前代の培ったものをどう育むかは
二代目の手腕にかかってくるのだから。
600無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 23:21:09
曹丕が孫権を攻めなかったのはいかにも失策だったが、
曹丕にしたら根強く残る反発を押し切って強行させた帝位禅譲の翌年、
父曹操を退けた呉が自ら膝を屈して臣と称してきたことが、
その徳の証明であり、内外に知らしめるいい機会だと思ったのかもね。
蜀がすかさず帝位を自称しあくまで反曹を訴えたことへの反感もあったかもしれん。
601無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 23:32:47
おまいらすげーな
602英雄中心主義の場合:2006/01/28(土) 00:06:27
>>584
関羽の北上は成功しなくとも良い。
だが、この時期以外に曹魏を潰す機会はないのだ。
曹魏は反乱の直後で動揺して、最重要拠点の真正面に匕首を突かれている。
こんな好機は後にも先にも存在しない。
確かに徐晃に叩かれて包囲を解かざるを得なかった。
だが、それが関羽の名声をどれほど損なったか?
于禁を降し、曹仁を追い詰めた、それだけでも十分すぎる働きだ。
事実、曹魏は未曾有の危機に全軍団を動員していたのだ。
関羽は陽動として最善を尽くしたのである。
徐晃が関羽を退けても、東西から劉備と孫権が攻め込めば、
曹魏は戦力を二正面に分散するしかない。
それも単発ではなく波状攻撃なのだ、如何に曹魏が強大でも疲弊しないはずがない。
そして、曹操と劉備が項羽と劉邦よろしく殺し合い、孫権が韓信の如く東に割拠する。
そこからが面白かったのだ。しかし、そうはならなかった。
曹操と劉備、どちらの才が優れているかと言えば無論曹操である。
だが才は寄る年波とともに衰えるもの。
事実曹操は漢中で劉備に斥けられている。
この事実に誰が曹操と劉備に漢楚の戦いの決着を思い出さないというのか?
項羽は百戦九十九勝しておきながら最後の一戦に破れて天下を失った。
韓信は劉邦に良い様に利用されて最期には処刑された。
曹操と孫権が歴史の繰り返しを恐れるのも無理はない。
だが、あえてもう一歩を踏み出す勇気が孫権が天下を取るには必要だった。
しかし、孫権は、劉備の虚名と歴史の幻影を恐れて、天下を捨ててしまった。
成る程、目標の達成度では他の二者とは比べ物にならない程充実している。
だが妥協は容易く、大望は果しがたい、と仮定すれば、
最初から孫権は他の二人に並び立つような存在ではないのである。
曹操と劉備、結局はこの二人こそ、まことの英雄なのである。
袁紹の不明を以って田豊を下とするならば、孫権の志の小ささを以って呂蒙を下とすべきだ。

う〜ん、苦しい。何を基準にするかで全然意見が変わる。呂蒙弁護もあとでします。
603無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:18:19
関羽の北上が成功してないから、そもそも曹魏を潰す機会になってないんだが。
反乱でいえばそんな散発的で小規模のものでなく後に幾度も起こってるし。

それ以降は電波ビンビンで何を言わんとしてるのかも不明。
604無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:22:40
覇業は一代完結。
劉備は頂点に手が届きそうな所で奈落に落ちた。
曹操は勝ちきらずに勝ち逃げした感がある。

孫権は…激しい喜びもないが、深い絶望もない。これもまた人生!
605無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:25:05
魏も大変だったのは確かだが、劉備もやっと漢中を確保したばっかで余裕が無い時期だから、関中へ出張るなんて出来んし。
606無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:26:32
>>584
魏が危機で無いなら曹操は遷都なんて考えない、
関羽に関しては徐晃に包囲を解かれた後も襄陽を包囲して魏と対峙しており、
敗走したのは呉に荊州を攻撃された後。
さらに徐州については呂蒙自身が孫権に「防備が薄い地域で、勝つ事は出来ると」と言っており、
呂蒙が危惧しているのは曹操が軍を率いて襲来する事、
関羽北上に際しては徐晃に兵を与えまくっており、漢中の敗戦が魏に響いている状況で、
曹操自身も南に向っており、魏領内ではちらほら反乱も見られる、
直には徐州には向えないし、徐州を奪えはそれこそ魏は反撃どころじゃない。

>>585
呉の主な出兵が徐州に傾いてるし、呉の意向はメインは楊州からでしょ、
そんで蜀に注意を払う前に魏を何とかしなけりゃいけない。
無論荊州も大事だけどね。

>>586
真の安全保障を考えるなら魏を討たない限りは呉の未来は暗い訳で、
荊州を狙うのならば魏の勢力を後退させた後、当時の時点で蜀に呉をどうこうするという考えは無い。
諸葛亮は天下三分の提唱者であり、反対するのは当然であり、
他に出た反対者は秦ビツ・趙雲だけで、他の将兵は従っている以上蜀は反戦の方が
優勢というのは無理だろう、また夷陵の敗戦があったから劉備が荊州を諦めたのであって、
魏と結ぶ選択肢は無いが、劉備が呉との同盟を再び結ぶかは話は別、
その基本事項に立ち戻るために蜀は大いに力を損失させて、
呉と蜀が争っている間に魏は力を取り戻した、つまり蜀は呉と結ぶしかないから大丈夫と
考えていたならば、その戦略は失敗している。
607無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:28:13
>>587
事実として荊州を手に入れたところで呉はどうにもならなかった、
魏が唯一危機に陥ったのは呉蜀同盟が崩れる前の関羽北上のみ、
つまり呉蜀同盟しか国力差を覆すチャンスが無かった、
だからこそ同盟堅持が大事であり、チャンスがあれば拡大と言っても、
それが大国魏を利してしまえば話は別、蜀と魏では魏の方が遥かに大勢力であり、
天下を狙うにしても、呉の防衛にしても魏を何とかしなければ話にならない。

防備の薄い呉も躍進すればいい、というかするしか呉に未来は無いね、
荊州には麋芳・士仁といった楔も打ち込んでいるが、
蜀と覇権を争うのはせめて魏の勢力を後退させた後だろう、
それ以前に戦った所で再び魏>呉蜀となるだけ、というかなった。

>>589
>関羽を破って長江流域を得て状況をさらに有利にするべきと
これから天下二分は飛躍し過ぎ、呂蒙は蜀に対する対応も考えてないし、
天下二分する後のプランも言っていないのに、天下二分からは程遠い、
あくまで長江を占拠してから勢力を伸張させるとしか言っていない。

三国の一国である蜀からの防衛と後の侵攻に繋がる運河開設は、
蜀に対し魏の対応方針を堅固にした立派な国家戦略です。
また司馬懿の場合は政争と言っても司馬家が国家を専横する為に行動して、
結果として魏を奪い晋を建国する布石となったので、単なる政争とは言えない。

勝手に納得されてもな...。関羽北伐中は呉にとってチャンスであり、
関羽の成否は謎だけど、魏が息を吹き返し、呉蜀が争うのが不味いといってるんだけどね。
また徐州の防備は薄いと呂蒙が言ってる。
608607:2006/01/28(土) 00:30:53
さて、流石に返す相手も多くなってきたし、同じ様な事ばっかり書いてる気もするから
そろそろ逃げる、ひょっとしたら返信する場合もあるかもしんないけど、さよなら〜。
609無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:38:22
>>606
蜀に注意を払わないでいいわけがないし、早々魏がなんとかできるわけもない。
だからこそ足場を固め地力を増し機会を待った。
防衛ラインが整っていれば後の南北朝のように滅多なことでは滅びることはなく、
北方もいつまでも安定してるわけでもない。呉も蜀も滅んだのは自滅に近いしね。
610無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:41:09
蜀が呉と結ばなくてもいいといえるのは呉を併呑した場合のみ。
呉も蜀も相手を一機に滅ぼせるのでなければ結局魏が動く前に手を結ばざるをえない。
611無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:48:55
そもそも関羽の北伐って蜀の劉備本体と連動した動きなのか?という問題が。
諸軍を集め曹操自身も荊州まで出張ったという時期に、劉備は別に関中方面へ
出兵なんぞしていない。
もともと孔明の隆中対は「益・荊二方向から同時進撃」であり、それがなされて
いない以上陽動にもなっていない。さらに厳しく言ってしまうと関羽は結局
曹仁を破ることができず進撃はストップしている。
612無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:55:15
南北朝時代は異民族に中原を取られて、やむを得ず割拠という選択肢を取らざるをえなかったわけだが、
呉は果たして、割拠してその後どうするつもりだったのか。
永遠に魏と戦い続けるつもりだったのか。
613無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:55:57
そうかな?
北は函谷関以西、南は三峡以西を制圧すれば、
呉を併呑しなくても十分引きこもれるはずだが。
呉蜀同盟の存続には『涼州を取ったら返す』という言葉を信じるしかない。
でもそうなった場合、劉備は荊州を返さないだろう。
614無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:59:23
>>611
同時ってそういう事じゃないべ。
益・荊どちらも動けるという状況の事だべ。
益から攻める時は荊が備える。これも同時に動けるが故。
益・荊両方ともいっせーのせで動くのはハイリスクにも程がある。
615無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:59:39
>>612
割拠してチャンスがあれば領土拡大だろ。そもそも永遠に魏が続くわけがないので、
呉の防衛が完璧で国政が健全なまま続けば自動的に統一のチャンスが転がりこむ。
国を健全なまま保つのが困難なんだけどね。
616無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:01:33
ハイリスクにも程があるは蛇足だったなあ。。。失敗した。
617無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:03:16
>>607
居巣に夏侯惇の26軍が駐屯していたのに防備が薄い?
于禁の7軍が約3万とされるのに
26軍が手薄としたら呉は一体何軍用意できたのでしょうか?

呉が長江流域を得たら、中華には魏と呉しか残らないんですよ?
益州は長江流域であることをお忘れですか?
長江流域制覇は=天下二分ですよ。

国家戦略とは、国家の大方針そのもののことですよ
宣帝紀にて司馬懿は、貴方の言うような国家戦略として成国渠を提唱していませんが拡大解釈して
戦略として考えたとしても国家戦略を達成するための戦略でしかありません。
618無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:05:20
>>611
それは『魏の最大のピンチ』という議論の大前提が崩壊しかねない指摘だ…
それにしても、何故あんな訳のわからないタイミングで北上したんだか。
第一、兵力的に絶対成功するはずがない。無茶がありすぎる。
やっぱ、隆中対を関羽がロクに理解していないってことなのか?
619無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:07:47
>>618

>侯音の乱
620無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:10:16
>>617
逃げるって宣言して逃げたんだからもう見逃してやろうや。
621無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:19:36
侯音の乱は219年正月に平定されてるし、
関羽の北上は219年7月だからタイミングとしては遅いんじゃないかな
622無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:21:25
>>617
司馬懿はひとつ国家の大方針を転換させている。

諸侯王(皇族)を一箇所に集めて軟禁する、という方針。
それまでは弱体とは言え各地に封建されて任地に赴いていたが、司馬懿がそれを変えた。
623無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:24:20
守将が曹仁でなければ落ちてた可能性が高いし、
まんざら間違ったタイミングではなかったよ。
624無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:28:14
>>617
原則として、
・数字は絶対的ではない、特に中国では。
・国家戦略は一人の一存で決められるようなものではない。
・天下二分はその時点ではナンセンス。劉備の主力は健在。夷陵は迎撃戦だったから勝てたようなものだ。

個人的意見として、
・土地を取れようが取れまいが”26軍だけ”と戦えるときに26軍を消耗させた方が合理的。
・後で夷陵で劉備と戦うくらいならそっちの方がはるかにマシ。
・とにかく魏にだけは漁夫の利を与えてはならない、それは最終的に呉の安全保障に帰結するのだから。
625無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:28:20
>606
大敵がいるから、その滅亡を目指す、ってのが安全保障の確立じゃぁないよ。
特に孫呉の場合、魏が統一戦争でも始めない限り、全面的に敵対する理由は無い。
孫呉の目的は「江南での自立」なんだから。それを確実にした上で、天下統一もチャンスがあれば目指す、と言うもの。
前提条件が確立されてないのに、さらにその上の不明瞭な目的を目指すなんて安全保障戦略とはとても言えない。

おいおい、反対者は趙雲・秦ビツ等で史料にも出てるのに、賛成は出征してる将兵?
皇帝・劉備が頑として出兵を主張すれば、反対でも従うしかないでしょ。全将兵が反対だったとは全く思わないけど。

よく読んでね。「蜀漢と一時的に険悪になっても」と書いてある。

関羽が殺され、荊州を奪われた劉備が復讐に出てくることも当然視野には入れていただろう。
ただ、劉備の個人的心情と、隆中対のこの当事の状況における二律背信的部分(呉との連携or荊州確保)の中でどちらを蜀漢が選択するかまでは完全に予測するのは不可能。
一時的な険悪状態(関羽殺害〜夷陵の役まで)になり、その上で最終的に呉が荊州を確保した場合でも、蜀漢は呉に折れるだろう、と言う確信が呉側にはあった、と。
その辺りを踏まえれば、呂蒙の戦略は破綻したとは言えない。
626無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:35:28
>624
26軍がどれほどの規模かは不明なのは確かだが、于禁の規模より多いのは確かだろ。
その26軍が守ってる所に明らかに劣勢の軍勢が遠征する、なんて方が無茶。
しかも、戦える時に相手を消耗させるだけでも、なんてのは戦略とは程遠い。

夷陵の役も、迎撃戦なら楽と言うのは確か。
だとすれば、荊州を奪取した後、劉備と戦争になっても楽に防げると想定するのもアリでは?
627無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:40:10
>>622
ご免、大方針ってのは解りづらかったかな

う〜ん、なんと説明すべきか
蜀の国家戦略が、天下三分による蜀の天下統一には異存無いよね。
じゃあ、法正やホウ統の入蜀は、勿論天下三分を達成するための戦略となるわけ。
天下三分は益州と荊州に割拠することが条件だから、天下三分に従属する形。
勿論、漢中攻略も同じく。


>>624
頭イタイ

そりゃ国家戦略を決定するのは最終的には君主の決定だよ。
でも天下三分も天下二分も、諸葛亮や周瑜、甘寧、魯粛といった個人が提唱してるの

劉備の主力ったって、益州だけの劉備と、楊刑二州の孫権じゃ有利なのは自明だよね。

後、26軍の凄さが解らないようじゃ話しにならない
1軍を低く見積もって2000としても26軍52000
別軍と同じ5000としたら130000。
于禁の軍と近い1軍3000としても78000
消耗させるどころか下手すれば呉がやられかねん勢力だっつーの
628無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:46:20
>>623
荊北の守将に曹仁が就いてから関羽が北上するまでそれなりの時間はある。
曹仁がいなければ、なんて仮定にもならない。
それは結局関羽が曹仁の実力を見くびっていた(見誤っていた)という事で
あり、仮に関羽が曹仁がいたことをしらなかったと言うのなら、それは関羽
の諜報活動に問題があったということ。
どうしたって関羽個人のミスは免れない。
629無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:54:05
>>628
>でなければ
って書き方がまずかったね。そこが主旨じゃなくて、
落ちててもおかしくない情況だったから、タイミングとしてはまんざら間違いではないということ。
630無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:55:36
>>617
防備が薄い、ってのは呂蒙自身がそう言ってる。
二十六軍の司令官として駐屯したのは217年春であるけども、
曹操はこの時曹仁も残していっている事から、二十六軍であったのは
濡須から引き上げる一時の時だけと思われる。
曹仁を荊州へ移動させたり、漢中の戦いや曹操自身の西方への出兵等があり、
また北方も騒がしかったようだから兵力が分散したんじゃないかな、
呂蒙の提言も濡須の後の発言だし。
対して呉が用意できたは合肥を見るなら10万、呂蒙の言でも7〜8万は動員出来るんじゃないの。

呂蒙の言う所の長江の確保とは長江流域全部ではなく、あくまで荊州から楊州までのライン、
呂蒙の考えた東方の防衛ラインは白帝城であり、蜀を併合する意思も策も述べられてはいない。
長江の確保=長江制覇=天下二分は飛躍し過ぎ。

司馬懿が国家戦略を打ち立てていないなら、上に書いたとおり呂蒙も国家戦略を行っていない、
あくまで防衛戦略に過ぎないんだけども。
631無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:57:07
孫呉のの目的が「天下統一」ではなく「自立」しかも「江南での」て言う部分を理解しないと議論が噛み合わないだろうな。
チャンスがあれば天下統一も目指す、って程度。

孫呉の場合、豪族連中の影響力が強い、ってのは理解してくれるとは思う。
江南で孫呉との連携で、既得権益を得ている豪族連は無茶な戦争は望まない。
つまり、一時的に確保出来たとしても、争奪の場となる徐州を権益拡大の場とするにはリスクが大きすぎる。
そうなると、結局目を向けるのは荊州と言う事になる。
荊州なら、長江と言う自然の防壁も頼りにでき、防衛も比較的容易だし、江南における既得権益を守る事もでき一石二鳥。

劉備と険悪になるが、呉と蜀の国力を考えればは呉が有利だし、呉は魏と結ぶのも可だが、蜀漢は魏と結べない。
それに、益州からの侵攻路も長江流域に限られてるから、防衛体制の準備も比較的楽。

632無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:59:12
現状維持は国家戦略に入らないのか?
国の大きさからいって時間が経つほど魏が有利になるはずだ。
633無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:02:38
>630
26軍がもう少し削減されてて、呉と同程度の兵力だったとしても、遠征側の呉の不利は変わらんでしょ。
公称10万動員できたのも、あくまで准河流域への出兵だった、って部分もあるんじゃないかな。
その辺りまでなら、兵站もなんとかなったろうけど、さらに徐州まで、ってなると遠征側はキツイ。
634無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:02:45
>>630
>呂蒙の考えた東方の防衛ラインは白帝城であり
間違えた、東方じゃないや、西方ね。
635無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:02:51
>>630
呂蒙伝では「不如取羽,全據長江」だよ
636無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:05:57
まぁ、荊州を呉が確保して、劉備を益州の山奥に閉じ込めれば、劉備勢力の影響力は相当落ちるから、あながち「天下二分」もおかしくも無いかも。
637無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:06:34
>>632
魏側か蜀側で変事があれば、拡大しようと本気で思っていたと思うよ。
蜀が滅ぶ時も、羅憲がいなければ蜀に本格的に攻め入ったはず。
周瑜、魯粛の悲願を達成し、二国になってから更に魏を攻めていくつもりなんだろう。
さらに、呉の場合は体制を現状維持していれば次第に国力としては増強されることになる。
開拓などの余地があるから。
そこは無理に打って出るか座して滅ぶかを選ぶしかない蜀とは違う。
638無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:09:18
>>635
おそらく荊州の長江全てって事だろうね、あくまで関羽を討っても手に入るのは荊州だけな上に、
白帝を確保すれば呉の防衛ラインとしては十分、
つーか本当に全據長江を実行すると蜀どころかどこまで行くんだって話になっちゃうし、
呂蒙は西方に関しては白帝城以上は言及してないし、
敵が来たら川を上下して応戦するって言ってるからそれ以上西は考慮してないっぽい。
639無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:15:05
>呉の場合は体制を現状維持していれば次第に国力としては増強されることになる。

されない。
呉は三国時代にどんどん人口が減っていっている。異民族もいる。
だから辺境の島(日本?台湾?)まで人狩りに行っている。
640無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:24:53
呉にとって一番の最悪は魏に南郡を取られること。
徐州を占領できても魏に南郡取られたら負け。
641無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:26:28
わかりやすい結論ですな。
642無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:27:59
皇帝の支配する人口はな

豪族の支配する分も含め、山越の漢化も計算に入れていけば、
また話は変わる。

呉を事実上支配する豪族たちにとっちゃ、現状維持は大いに利益があったってことだよ。
中原の政権の妨害や搾取を受けずに好きなように開発や山越潰しできるから。

江南の地力は呉の時代の「現状維持」の中で間違いなく養われた。
643無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:31:14
>>633
まあ二十六軍がどれだけ削減されたかは謎だけども、
呂蒙が勝てると断じる程度の数までに減少したんではないかと。
644無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:31:23
>>638
屁理屈はよそうよ。
普通に考えて後漢末での長江全域は揚州、荊州、益州の三州でしょ。
そもそも荊州すら確保していないのに益州攻略の作戦まで言及するはず無いでしょ。

これが甘寧の二分
一破祖軍 鼓行而西 ,西據楚關 ,大勢彌廣 ,即可漸規巴蜀 .
この一文の前に荊州の状況などが入る。

これは魯粛の二分
剿 除 黄祖 ,進伐劉表 竟長江所極 , 據而有之 , 然後建號帝王以圖天下 ,此高帝之業也 .
この一文の前に漢朝と北方の状況説明が入る。

当たり前だけど双方ともに益州攻略の作戦については言及無し。
荊州攻略の作戦についても言及無し。

呂蒙の二分
不如取羽 ,全據長江 ,形勢益張 .
呂蒙の場合、この一文の前に荊州攻略の作戦から徐州と荊州の比較が入る。

ぶっちゃけ、三者とも曹操に対抗するため荊州取って、長江流域を取って勢力のばそうって事。
魯粛は帝王を名乗ろうとも言ってるが…
周瑜のはまた違う議論になりそうなので勘弁
645無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:35:03
好きなように山越潰しとか・・・。
認識が誤っているというか、異民族を舐めすぎ。
646無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:37:20
なめられない存在だからこそ、山越潰しに全力注げるような体制が必要だったんだよ

言葉のイメージだけで言われてもな
647無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:38:59
>>645
ウザイから自演で上げるな
648無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:45:08
>>646
魏や山越と戦い続けなくてなならないわけで、それで人口減らして、
どこが国力の増強なんだ?>>647
上げてないんだが・・・
何を言ってんの?
649無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:46:41
地勢的に白帝城以西は江南とは言えない。まるで別世界。
だから十分に天下二分では?
確かに四川は長江上流だけど何とかなるだろ。
そこまで蜀も脆くないだろうし。
650無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:47:59
>>647

>>645
>>646
>>647
自演はやめろと
651無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:50:02
ちっバレたか
ここまでのレス全部俺の自演
652無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 02:59:42
>>631
孫呉の政権基盤が独特で弱いというのはわかる。
彼らの思考が及ぶ範囲が狭いということも。
ホントはそれを現実的というべきなのだろうね。身の程をわきまえているというか。
でも政権基盤が弱いと言ったら蜀漢だってそうではないか?
よそ者の荊州閥が地元の益州閥を差し置いて政権を握ってるのだ。
それでも孔明は独裁権力を握って、南征北伐を行った。
だから、孫呉という国においても国の体制が極端に行動を制限するというのはないだろうと考える。
現に同盟が機能していた時期には合肥方面にも出兵しているのだ。
長江による防衛ラインという絶対に譲れない線があるのはわかる。
だがあのタイミングで奪い取るのはやっぱり、リスキーだったと思う。
まだ我慢できたんじゃないか?できない?
これについてどう思うか?意見が聞きたい。
653無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 03:07:15
>>644
屁理屈もなにも、
孫皎を南郡固めさせ、潘璋は白帝、蔣欽は長江で敵を迎撃する友軍、自身は襄陽に北進、
という呂蒙の発言を考えると長江を確保というのには蜀侵攻は明らかに考えていない、
それに長江を北限として防衛を定める呉にしては蜀は長江以南とは明らかに言い難い、
まあ地図を見れば明白だけど。

甘寧は具体的な作戦を述べていないが、蜀を制圧しろと明確に言っている、
呂蒙は述べていない。

魯粛の天下二分は劉表生前かつ北方がまだ定まっていない時期の戦略であり、
竟長江所極、から割拠に至るまでは蜀については考慮していないので無くて当然、
しかも後には劉備を援助して益州を攻略させるんだから、益州攻略の意図は元々無い。
荊州に関しても劉表を討ち取って、と関羽を討ち取ってに違いがあるとも思えないけど。

三者とも荊州を取ろうって所までは一緒だけど、そこからが違う、
甘寧は荊州の後は蜀と明確述べており、魯粛は後に益州を劉備に取らせる事で天下三分を目指した、
呂蒙はあくまで荊州〜楊州までの防衛ラインの確定であり、そこから魏への伸張を目指した。
654無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 03:14:35
なんでも呉の人口は150万人から280年の時点では230万人にまで伸びているらしいから、
伸びてないわけでもないんじゃなかろうか。
ただ213年時点の魏の人口が900万人、280年の晋の人口は1600万人らしいから、
中央からすればそれがどうした、ってなもんだろうけども。
655無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 03:32:45
>>653
つーかさ作戦と国家戦略の区別くらい付けよーよ。
作戦の部分と国家戦略の部分をごっちゃにしてるでしょ。

蒙乃密陳計策曰
で始まる呂蒙の戦略は、まず荊州攻略の作戦から始まり、
「今不於彊壯時圖之 ,一旦僵仆 ,欲復陳力 ,其可得邪」
で一旦区切られてるでしょ。ここまでが荊州攻略の方策を述べてるの。

次に「今操遠在河北 ,新破諸袁 ,」から「不如取羽 ,全據長江 形勢益張 .」
は徐州と荊州の比較、そして徐州の代わりに関羽を討って、
そして長江全域を取って勢力伸張するべしっていう国家戦略も含む文章でしょ
何のために明確な形で荊州攻略の作戦の文章と、徐州と荊州の比較が分けられてるとでも

後、「全據長江」も明確に益州を指し示してますよ。
限定的な事柄に「全」なんて普通は使わない。

いい加減勝手な漢文の解釈はやめてほしいよ。
つーか、これじゃ何でもありだ。
656無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 03:53:01
>>653の漢文の用法をただしても始まらんから、恥を忍んで聞きます。
筑摩の訳本はどのように訳されてるの?
全長江とか長江全域じゃないの?
荊州攻略の部と、徐州と荊州の比較の部に区別されてないの?
ごちゃごちゃに訳されて、順序だてられていないの?
657無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 04:13:49
>>655
どこら辺が?まあ具体的に言ってみてよ。

荊州攻略とは関羽の事か、荊州北部の事か?まあそれは置いといて、
蒙乃密陳計策曰から始まる呂蒙の荊州攻略作戦は関羽を討ち取った後の話だよね、
でなければ孫皎に南郡を固めさせたり、潘璋を白帝に留め、
蔣欽を長江を移動する友軍には使えない。

故にこの蒙乃密陳計策曰から始まる文章と如取羽,全據長江,形勢益張.
は文章は決して無関係ではなく、関連付けて読めるもので、
全據長江は孫皎や潘璋を長江の要所に置く長江確保に繋がっているし、
形勢益張はその後の呂蒙が襄陽(長江の要所とは言えない)を攻めるという事に繋がる、
君は如取羽,全據長江,形勢益張.の一文だけしか見て無さ過ぎ、これ一文ではどのように解釈も出来るが、
前後の文を読んでみれば蜀に対しては考慮に入れてない事はわかる。
しかも全據長江は益州攻略を明確に指してはいない、長江が益州の何処に流れ居るのかを考えれば、
長江確保=益州攻略とはとても言えないね、長江は益州南部を流れる川だよ?

まあ勝手な漢文解釈ってもね・・・君の「そして徐州の代わりに関羽を討って、
そして長江全域を取って勢力伸張するべし」とか全據長江」も明確に益州を指し示してますよ。
っていう解釈も相当なもんだけど、しかも>不如取羽 ,全據長江 形勢益張 .とか勝手に句点を抜いて
自分の都合のいい文章にしてるし...他人に何か言うのならばもう少し自分を見返せば?
658無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 07:31:01
西陵を防衛ラインと定めたのは、呂蒙ではなく陸遜の案じゃなかったか?
なにぶん浅学なのでアレだが。

>>657
ええと、自分は>>655じゃないが、日本語では「見返す」ってのは他人に使う言葉だ。
その他、文中に色々と日本語でおかしい部分がある。
人に何事か言う前に、まずは自分を見つめ直してみてはいかがだろうか。
659無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 08:34:06
2日見ないうちにこんな良スレになってたんだな
660無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 08:41:35
661無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 10:17:33
>>658
は揚足を習得している。舌戦では強そうだ。余に仕えんか?
662無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 10:17:58
チ慮
路粋
徐キュウ
鮮于輔
閻柔
トウ展

このあたりの能力キボンヌ
663無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 10:22:07
このスレで議論してる人って三国時代なら名将になれるかもね
664無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 10:30:52
あと
王必
孫弘
陰化
馬隆
石苞
ギ覧
カク普
傅方
郭玄信

この辺もよろ
665無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 11:01:20
>652
蜀漢と呉を比較すると、蜀漢の方が政権基盤が強いよ。
蜀漢は劉エン時代に有力豪族の粛清を行ってるし、その後、劉ショウを擁立した趙イ等の大族も結局滅びてる。
で、劉備が入蜀した訳だけど、これに益州豪族は取り込まれた訳だけど、積極的に劉備側についた訳でもなく、劉備が優勢だった&劉ショウの統治能力に失望して劉備に従っただけで発言力・影響力は強くない。
便宜上、益州閥と言う言葉を使うけど、派閥と言うほど強固な集団にはなってない。
その証拠に、劉備時代に名誉職以外に政府の枢要部門に登用されたのは2,3名。ほとんどが地方官であり、第二級扱いと言うところ。
諸葛亮時代には、諸葛亮の荊・益両州人士を統合し「蜀漢人士社会」を作ろう、と言う動きから益州人士の登用が始まるけど、これも益州人士の力と言うより、蜀漢の政府要請から起きたもの。
諸葛亮の死去後は、蜀漢政権の土着化が進み、最終的に政府の枢要部門の過半が益州人士が占める事になるけど、本来、益州に政府を置く事が過度的であるはずだったものが、長期に渡った事で土着化したんでやむえないと言うか当然の結果。
そんでも、政権首脳は荊州系が握ると言う基本はかろうじて押さえているけど。

666665:2006/01/28(土) 11:02:34
>>652
続き。
呉の場合、政権創設時から、豪族連との密接な協力関係にあって、征服政権である蜀漢とは単純な比較が出来ない、と言うところかね。
呉の場合、孫家の武威を中心に江南の秩序を構築し、権益の拡大を図る、って感じだが、蜀漢の場合、隆中対を基本原則にする、と言う部分がある。
前者は政権を構成する豪族等の意見の集約が政策・戦略に強く反映し、後者は政権を主宰する者の意向が政策・戦略に強く影響すると。

呉が合肥を攻めたのは、国境線を長江の線から准河の線に移し、江南の権益を准南へ伸ばす、と言う部分も大きいと思うよ。だから徐州まで、ってなると飛躍しすぎる。
呉にとって(と言うか江南政権にとって)荊州確保が安全保障上必須だった、と言うのは理解してくれてると思う。
だとすれば、自国の安全保障の確立は早期に図るべきであるから、もっと待て、ってのは無理かと。
215年の荊州分割の時もチャンスだったが、この頃曹操が漢中を平定し、巴蜀まで侵攻しようとしてたから、益州まで曹操に平定されると呉も困るので、3郡で手打ちにした。関羽の荊州軍主力も江陵に居ったしね。
219年の頃は、漢中平定直後で劉備に余裕は無く、その上関羽は江陵を留守にしてる。早期に荊州を奪取出来る、この時期を逃す手は無いよ。

長文、申し訳ない。

667無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 11:05:43
>>662 >>664
折角いい流れなんだから、後にしてくれないか
668無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 11:42:37
結局の所ちくまではどう和訳されてるんだろう。
669無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 13:37:16
>>658
白帝城と西陵は違う。
670無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 14:12:57
>>665-666
丁寧な解説ありがとう。
隆中対が如何に孫呉の本質を無視した都合のいい妄想で、
呉蜀同盟が如何に矛盾に満ちているかが良く分かった。
それに、この時代では対魏戦を単独でやってもほとんど効果が望めないようだ、ということも。
一連の解説の結果、劉備が動けない状況で、関羽は北上をやるべきではなかった、と思わざるを得ない。
そうなると曹操死後の文帝の即位まで期間が出兵のチャンスだろうか?
だがその時まで老齢の劉備や関羽が生きているだろうか?
彼が手柄を焦るのも無理はなかったのだ、と弁護しておきたいが、
その結果として隆中対が半分以上破綻したことを考えるとそれすらも無理がある…
それにしても、同盟の構造上の欠陥を利用し、成果を挙げた呂蒙は凄い。
実際、この時期の彼は神懸かっているとしか言いようがない。
671無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 14:19:35
>>630
防御が薄くても難攻不落、しかも後ろに青州・エン州・豫州などに軍団が控えていて、その行き来がし易いのだから
落とすのも維持するのも難しいし、呉本国からすれば長江を隔てた向こう側にある飛び地で、
しかも河を利用した防衛もできない。
                 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
呂蒙の「徐州は落とせても維持はできない」という主張の中の「落とせる程防備が薄い」という主張を絶対的に信じてるくせに
維持の難しさになれば呂蒙の言及以外の点を加えて無理とするのは恣意的に過ぎる。
呂蒙は青州・エン州・豫州などの兵力も呉本国からの距離にも徐州の拠点の堅牢さにも触れてないのだから
それを加えれば十分難しいとなる。

呂蒙が「徐州が落とせる程薄い(が維持はできない)」の前半の強調文を鵜呑みにするのは
周瑜の「後方に憂いなく遠征の疲れもなく内地安らかで遠征の余力があっても水戦なら勝てる」
を真に受けるようなものだ。
周瑜は後半の「その上この寒さの中、長距離を遠征して水郷地帯に留まれば疫病が発生するに違いなく、
”万に一つも負けるはずがない”」と言いたかったまでで、
実際に前半の通りなら普通に勝ち目は薄かったし、後半も入れてようやく勝てそうだといえるぐらい。
672無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 15:21:25
>>671
防御が薄くて難攻不落ってのは矛盾してる、本来は呂蒙が言っている通りに攻略しやすい地域であり、
難攻不落なんかではないし、背後の軍については曹操の援軍を予想しているけど当時は曹操は動きにくい状況、
また魏は漢中〜関羽北上までの流れで圧迫されており、反乱もちらほら起きており、
徐州侵攻を成功させればさらに魏領内は混乱する可能性が高い、勢力拡大のチャンスだよ。
長江を隔てれば飛び地て、どちらにせよ長江を超える必要があり、また超えてきたのだから、
川を利用した防衛が出来ないから〜、で侵攻を断念してたらお話にならんでしょ。

>呂蒙の「徐州は落とせても維持はできない」という主張の中の「落とせる程防備が薄い」という主張を絶対的に信じてるくせに
>維持の難しさになれば呂蒙の言及以外の点を加えて無理とするのは恣意的に過ぎる。
呂蒙の徐州の防備が薄いとする徐州の状況は、呂蒙の発言以降に防備が薄くなる理由があり、
曹操の動向の予想は曹操が援軍に来にくい状況になりつつある、
呂蒙の言の取捨選択は理由を書いてるし、絶対的に信じている〜、恣意的だと言われてもね。
触れてはいないが、徐州侵攻の成否を述べている訳だから、当然考慮済みだろう、
まあ徐州の拠点が堅固か?と言われればそうでもないと思うけど。

いやそんな適当な例を出されてもな、
呂蒙の進言は、徐州攻略は出来る→しかし攻略しても曹操が来るので防備に不安
となる文であり、攻略後の見通しの不安を述べているのであって、別に内容を強調していない、
全体を通して見ても徐州攻略全体の分析。
周喩の進言は、曹操が万全でも水戦では有利→しかも曹操は万全ではありません
という左の文で自軍が不利な状況を仮定しながら呉の有利を説き、右の文では敵の不利を説いて左の文を強調している、
呂蒙と周喩の進言は性質が違うものでしょ。
673無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 15:27:00
正直、マジレスで周「喩」みたいな厨御用達な誤字みると萎える
674無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 15:32:38
>>673
俺からするとお前のが厨。
そもそも、シュウユってめっちゃ日本語やで。←むかつく
675無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 15:34:54
674の言いたいことがわからない
676無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 15:42:33
周”郎”とでも呼べば良いのでは。
677無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 15:42:49
>>674
晒しあげ
678無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 15:44:28
>>675
スマン。シュウユを指してるって事が伝わればいいんじゃねっていう意味です。
換羽だろうがカンヌだろうが。
679無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 15:57:54
国家に忠誠 叫ぶ僕 国民年金 滞納中
企業の倒産 喜ぶ僕は 就職活動 不戦敗
イラク人質 叩いた僕は 自分で自分を 監禁中
マスコミ嫌いな 僕の口癖 新聞ネタも 俺調べ
日本の伝統 褒めてる僕に 今では来ない 年賀状
韓国けなす 僕の自慢は 日本国籍 保有それだけ
親戚うざいと 言ってる僕は 未だに要求 お年玉
市民活動 嫌いな僕は ネットで 思想の言論活動
日本の過去を 賛美する僕 自分の現在 ほぼ終わり
弱肉強食 説いてる僕は 何をやっても いつも負け
個人主義とか 叫ぶ僕 一人で出来る ことは自慰だけ
女をくさす 僕に今まで まともに彼女 いたことなし
板の自治 好きな僕 生徒会とか 町内会は 参加せず
左翼を叩く 僕にとっては 社会の助け もっとも必要
集団主義を 説いてる僕は 体育の時間じゃ いつもカス
主婦を攻撃 している僕は 家事手伝わない パラサイト
高卒けなす 僕の年収 納税額 彼らに比べて 低すぎる
ボランティア 見下す僕と 付き合うことは ボランティア
他人に説教 している僕は 自動車教習 一回怒られ 不登校
靖国神社 参拝する僕 クリスマス 元旦 空白スケジュール
ネットじゃ強気で 威張る僕 面接とかでは いつもオドオド
同人女が 嫌いな僕は ネットでブログで チャットも大好き
暴走族とは 違う僕 働きもせず ネットで日の丸 振り回し
公務員 リストラしろと 要求する僕 親が相談 それは保健所
氏ねとか言ってる 僕には聞こえる 家族みんなの 同じ台詞が
田舎が嫌いと 言う僕は うわさ話や 足を引っ張る ことが大好き
少年犯罪 厳罰要求 している僕は ウィニーやって ゲームコピー
女子高生の 援助交際 むかつく僕は エロゲー内で 幼女をレイプ
銀行員の 給料下げろと 言ってる僕は 借りたものとか 返してない
電車のケータイ にらむ僕 老人いても 席を譲らず ずっと寝たふり
障害者 嫌いな僕は 人生の 障害物走 いきなりこけて 以来そのまま
日本の技術 誇りにする僕 単純作業の バイトですらも まともにできず
680無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 16:01:13
周喩の様な誤打はともかく、換羽やカンヌは明らかに萎える。
あまり真摯さが伝わってこないのは確か。
681無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 16:07:37
歴史上の人物や国家を語る時はできるだけ当時の字で書くのが常識
682無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 16:18:20
議論で負けそうになると揚足取りで話題をそらすのが三戦板の常識
683無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 16:22:46
自分の理論は絶対正しい、それ以外は全否定というのが三戦板の常識です
684無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 16:29:31
>>678
伝われば、ね
誤解を招く場合があるから字は極力正しい物を使う努力をすべき
フォントが出ない字はしょうがないけど瑜くらいは簡単に出せるでしょ
IMEの手書き使えば大抵の字は出るんだしさ
685無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 16:40:10
>>678
登録すればいいだけ。

読む人間がいるなら最低限のマナーでしょ?
長文の中で当て字の名前がゴロゴロしてたら相手が嫌だって思わんのかな…
686無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 16:42:50
>>672
手勢が薄くても要害だったりすれば難攻不落だろうよ…
呉にとって比較的攻略しやすい地域といえるのも湖沿いにある旧合肥城ぐらいでそこを越えても淮南の寿春など
いくつもの拠点がある上に、その合肥ですら以前に二度に渡り呉を退けた紛れもない要害。
徐州侵攻を成功させればなんて簡単に抜けるわけでもない上に、動きにくいといっても無視して援軍を送らないわけもない。
なんか徐州自体はあっさり抜けるとでも思ってるような口ぶりに辟易。反乱というか盗賊が多少蠢動したほど。
河を越えてきたなんて言ってるが越えたのは江陵ぐらいでそれも河と河に挟まれた水郷地帯だ。
一方で困難で実り少ない方策を諦めて利益大きく易しい方策をとることのどかがお話しにならないんだか。

徐州侵攻の成否を(言及以外の点まで)当然考慮済みなら、言及してる曹操の状況も当然考慮した上で
援軍にくるし守りきれないと述べてるに決まってるじゃないか。

甘寧が黄祖を攻めろと言った時も実際に黄祖が耄碌してわけでもないし、
荀ケが呂布を攻めるべきとした時も実際に一戦で決着がついたわけでもなく、
また荀ケが曹操と袁紹を比べた時も郭嘉の述べた勝因・敗因もみな正確な事実というわけじゃない。
呂蒙も「取るのは易くても守りきるのは難しい」が主意であり、「易しいから攻めろ」と言ったなら
かなりの勝算を計算したうえだろうけど、易しいとしたのも「聞けば取るにたらない兵力らしいから」くらい。
687無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 16:51:30
まず「魏を倒すために」呂蒙の採った策は下作といっている人は、
実際には「蜀が勝つために」呂蒙の採った策は下作としか
言えていないことに気付いてほしい。
蜀と呉が共同で魏に当たるという戦略はいいが、蜀はそれを
実現する努力をまるでやってない。蜀呉間の関係が安定するのは
陸遜諸葛亮時代であって、それまでの呉の劉備の評価は梟雄
でしかない。一国の司令官がそんな同盟国を当てにするほうが
どうかしているし、こんな状況でのこのこ北伐しちゃった関羽が悪い。
一連の流れは、蜀の隆中対路線は呉との対話ではなく関羽の武力で
維持できるという蜀側の読みが単に外れただけだと思うがどうか。

呂蒙にしてみれば最小の被害で肥沃で防衛の要衝たる土地を得、
信用できない蜀を益州に閉じ込めて「単独で」対魏戦に専念できる形を
作ったのだから現状ではベストの行動だし、呉が得をして魏は現状維持、
蜀が損をした結果から見てもどっちの戦略ミスかは明白かと。

てゆうか呂蒙の作戦にダメだししている人は自分の提案で呉が得するか
どうか考えてから書いてほしいな〜
688無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:02:37
×下作
○下策
誤字脱字は萎えるのでやめてくれんかね?
読む人間がいるなら最低限のマナーでしょ?
689無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:13:27
>>687
同時に北上すれば一戦で荊州を得る以上の領土拡張ができると本気で思ってるんじゃない?
その後長江上流をがっつり押さえた蜀にどう対抗するのかもきっと考えがあるんでしょ。
690無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:14:00
>>687の理論では、映画監督ではない人間は、映画の論評をしてはならないらしい。
691無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:19:34
>>690
その例えなら「自分ならどうやってより良い映画を作るのかを考えてない人間」が映画の論評をしてはならないんだろ。
687は「当時の中国に行ってその戦略を実現してこい」みたいな要求はしてないぞ。
692無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:20:24
>>691
要は「俺が納得できる論説の出来ない奴は喋るんじゃねぇ」って事だよな。
693無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:22:57
ぐだぐだですね
694無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:25:54
何で三国成立していない時期に魏とか蜀漢とか呉とかで出てるんだろうな。
良く考えてみると不可解だよ。名目だけでも後漢朝は存在してるんだし。
別の言い方にすべきではないか?
695無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:31:53
>>690
呉の立場になって考えろって意味でしょ
関羽北上の手伝いするとどうやっても蜀に美味しい部分だけ切り取られるからな
それ以前にまず魏を倒すのが呉に出来ると思っているのが間違いだって事に気付けって
呉は寄り合い所帯、山越他の異民族問題、人口問題を抱えてて中原に打って出る国力がなかった
蜀は国力は小さいけど君主権がしっかりとして寄り合い所帯の呉とは違って国論の統一が簡単
呉が独活出来る能力を身に付けるためには江陵は何としても必要だったって事
江陵を握ってるのが誰であっても呉は奪いにかかる
696無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:33:41
>>694
三国鼎立以前だが曹操は魏王だし劉備は漢中王
孫権は呉主と史書に書かれているし問題ない
697無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:35:05
呂蒙の戦略が不味いのは、その後、劉備との緊張をどうするかが丸丸ずっぽり抜けてる事だな。

死んだから何も出来なかったってのは無しね。
ここは、何も手を尽くして無い、という事実だけを見るべき。

つまり、関羽の立ち居地がそのままに呂蒙へ代わっただけで、孫呉の対魏戦線は一切好転して無い。
統一への目標云々ではなく、孫呉は、関羽と同じく、蜀魏の二方面作戦をやらなくてはならなくなった訳だ。
そして、孫呉による襄陽侵攻=呂蒙の戦略目標は、曹操の戦力逐次投入によって早々に破綻した。

さらに、孫呉はその後に夷陵の役という国家存亡の危機に直面する事になる。

陸遜が夷陵で勝ってなかったら孫呉は滅んでいた。そして夷陵における作戦は陸遜独自の物だ。
呂蒙が、その後の劉備の侵攻を見越していたという記述は、正史には一切無い。

たしかに、呂蒙の戦術眼は優れていたが、その戦略は場当たり的で、
江陵も「取れたから取った」に過ぎず、その後の江陵での努力は全て呂蒙によらない物だと言える。
698無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:37:07
>>692
全然違うだろ。
要約するなら「批判するなら自分の対案がより相応のかどうか考えてみろ」だと思う。
699687:2006/01/28(土) 17:38:04
誤字の件は申し訳ない。

しかし最後の一文は余計だったかね。

オレ的には蜀の視点で呂蒙の行動を評価している人が
多いような気がしたのでつい書いちまったんだが。
700無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:38:28
>>695
関羽が負けて、魏が侵攻してきた時に掠め取る形でも良かったんじゃね?
蜀がもう一度、荊州を伺うにしても、
「蜀が負けて魏に取られた」のと、「呉に横取りされた」のとでは、おのずと持つ意味合いが違う。

呂蒙の侵攻は、明らかにタイミングが早すぎる。
701無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:40:22
>>700
魏に荊州取られたらどうするの?
702無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:43:11
>>701
獲物を狙ってる奴の後背を狙うのは難しい事じゃない。
曹仁が、関羽に勝ったからと勝ちに乗じて江陵にまで侵攻するなら、
荊州で死ぬのは関羽ではなく曹仁になっただけだろう。

呂蒙はただ、兵を伏せて伺い、魏の後背を狙う事を考えれば良いだけ。

簡単だからといって同盟相手を狙ったのが、のちの夷陵をまねいたわけで。
703無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:45:56
>>701
その場合、曹仁を殺したあと関羽を
荊州から追い出すわけ?
なんかもっと評判おちる気がするが・・・
704702:2006/01/28(土) 17:50:12
勿論、関羽が悪くないとは言わない。
関羽の行動は明らかに信用できる同盟相手のそれではなかったからな。

しかし、関羽の後ろに劉備がいるという事が、丸々ずっぽり抜けてる行動はやっぱり不味いってこと。

>>703
関羽が引き際を誤れば、敗走して荊州をさまよう事になる。
勝てば勝ったで、関羽は麦城と襄陽を手に入れる。

曹仁を殺した後、関羽が戻ってきて「江陵を返せ」と言ってきたら、
前者なら「我らは魏から奪ったのだ」と言い張れば良いし、戦力の無い関羽にはどうする事も出来ない。
後者なら、かつての荊南の時のように、襄陽と江陵を計りにかけて再度協定を結べば良い。
705無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:50:31
関羽が成功したら
徐州を取って尚かつ曹操をしのげたら
関羽が負けて、魏が侵攻してきた時に掠め取る
陸遜が夷陵で勝ってなかったら孫呉は滅んでいた

これらの呂蒙批判が願望と希望的観測によって成り立った仮定にすぎないことに何故気付かないんだろ
706無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:53:20
>>697
蜀魏の二方面作戦を避けるための臣従であり、読みは当たったというところなんだろう。
襄陽は呂蒙時代に占拠してるらしいし、「取れたから取った」江陵ってのは襄陽のことじゃないのかな?
呂蒙が生きていたら呂蒙が劉備を破っただけの気がするが…


>>702
関羽の場合持てる力をほぼ全て前線に投入したから隙をつけたけど、
曹仁が守るべき拠点を捨てて無理して侵攻してくるとも思えんし、
魏が侵攻するなら大軍を投入してこれる時だろうから背後を狙うのは多分難しいかな。
707無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:56:47
>>700
関羽が負けた理由が呂蒙に江陵を落とされたから
つまり関羽北上はあのままだと成功する感が強い
もし関羽の北上が成功した場合、その後一切江陵に触れられなくなる可能性さえある
樊・襄二城の堅固な防衛構造に曹操の南下以前劉備達の交遊関係、孫呉の荊州での評判の悪さ
他にも色々あるが要するに劉備達に荊州を抑えられるとそのまま内地化して手が出せない
占領軍である魏や呉よりもはるかに強固な支配が可能になる
それよりは取れる時に取るのが正解
708無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:02:48
>>707
>関羽北上はあのままだと成功する感が強い
そーなん?
徐晃に負けたところが潮時で、呂蒙がこなかったら
関羽は荊州に引き返して元の情勢に戻るのかと
思ってたけど。
このへんよく知らないから教えてください。
709無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:03:20
>>706
むしろ、呂蒙が生きてたら劉備攻めてこないんじゃね?
俺は、劉備が攻めてきたのは
「うは、あの化物呂蒙がいないってことは荊州攻略いけるんじゃねwwっうぇっうぇ」
みたいな考えで攻めたんだと思うけど、実際はどうなんだろ?
710無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:04:47
>>707
なんで孟達と劉封は動かなかったんだろうな。
あんな中途半端な土地、樊城さえ落とせばどうにでもできるだろうに。
711無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:06:26
>>705

確かに、事実だけ取って、あらゆる可能性を否定したら、呂蒙が正しかったという可能性しか導き出せない。
しかし、荊州攻略が、夷陵という国家存亡の危機を招き、
それにたいして呂蒙が何らの手立ても備えていなかったという事実はどう解釈すれば良い?

>呂蒙が生きていたら呂蒙が劉備を破っただけの気がするが…

既に死んでるので何とも。関羽が襄陽を取ったら。周瑜が生きていたら。と、同レベルではないかな。
呂蒙が劉備の侵攻について何らかの手立てを供えていたなら、それはその通り。
しかし、魏の群臣も劉日華を除いて予想できなかった劉備の侵攻。
果たして、呂蒙をしても予見できただろうか?

やはり夷陵は、その場で全てをこなした陸遜でなければ勝てなかったのではないだろうか。

>魏が侵攻するなら大軍を投入してこれる時だろうから背後を狙うのは多分難しいかな。

襄陽と江陵の間にはだだっぴろい平原が横たわり、大軍同士の決戦が予想される。
大軍が侵攻する時、相手方は動きが鈍化するよね。
麦城が落ちているなら危ないけど、落ちていないなら時間は稼げる。
曹魏が攻めてくるのは、決戦の準備を整えてからになるわけで、かなり遅くなる。
合肥や徐州を伺うべきは、まさにこの時ではないかな?

蜀に恩を売る事も出来、東方戦線の成算も高い。(とはいえ、孫権の親征では期待できないが(つД`)
712711:2006/01/28(土) 18:07:43
>呂蒙が生きていたら〜以降は、>>706氏へのレスです…アンカーが抜けとった
713無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:11:05
>>707
関羽伝にキッチリと時系列が書いてある

羽之出軍,芳、仁供給軍資,不悉相救.
羽言「還當治之」,芳、仁咸懷懼不安.
於是權陰誘芳、仁,芳、仁使人迎權.
而曹公遣徐晃救曹仁,[二]羽不能克,引軍退還.

先に江陵が落ちてから徐晃の曹仁救援があり、関羽はそれを打ち破れず引き返したって事
714無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:13:57
>>711
劉備は益州1州。孫権は荊州と揚州の2州という事実がある以上
国家存亡の危機と言えない。
715無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:14:46
>>713>>708へのレスね
716無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:15:55
>>711
都合の良い可能性による仮定だけで否定すれば、
あらゆる戦略fが否定できる。
717無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:16:00
>>709
劉備は「荊州を取り戻す」為に戦ったのだから、呉との緊張が解けていない限り、
誰が相手だろうが、侵攻という選択肢を取った公算が高い。

関羽が相手なら兎も角、劉備を相手に陸遜と同じように呂蒙が勝てたかどうかは疑問。
陸遜の勝利も、薄氷を踏む辛勝であって、楽勝では決して無かったのだから。
718無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:17:27
大勝なんだけど紙一重の勝利なんだよね
719無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:20:10
>>717
その論理は無意味だろう。
実際劉備と呂蒙はやり合ったこと無いのだから、
ただ常識レベルで考えるなら、
共に百戦錬磨の指揮官なわけだから、守備側でで国力が上な方が有利とするべきだろう
720無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:21:52
>>714
夷陵で陸遜が敗れてたら、呉は主力軍を失い、孫家は指導力を失って滅亡する運命。
陸遜の時のみ危うく、呂蒙の時なら必ず呉が助かるなんて理論はおかしい。

>>716
全てのIFを切り捨てるなら、そもそも歴史的事実以外の可能性について話し合う必要は無い。
可能性の高さ云々についても論じる気も無い、その短文。
721無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:25:17
>>719

>>717の「関羽が相手なら兎も角、劉備を相手に陸遜と同じように呂蒙が勝てたかどうかは疑問」
というのは、「呂蒙なら勝てた」という理論も、同様に空虚な論だという事のあてつけなんだけどね。

夷陵と、劉備VS呂蒙の戦いが同じ条件だって事も無いだろうから、
呂蒙の事前準備の見通しだけが判断材料だし、呂蒙が災いを避けるまで生きられなかった以上、
呂蒙の江陵侵攻は、夷陵を招いたという悪条件だけが残るって事。

江陵を取ったのは正解だと思うんだけど、そこから先の展望を考えると、戦略方針にはやはり疑問符が残る。
722無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:25:45
>>720
結局、自身の言い分が高確率だと言い張るのみだろ。
仮定に仮定を重ねて、なお仮定を重ね合わせているのが醜いと思わないの?
723無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:28:40
>>722
短文乙
724無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:30:13
>>721
少なくとも劉備勢力より国力を優位にしたわけで、
悪条件だけというのは可笑しいな。
725無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:31:44
>>709
呉にとっても蜀にとっても荊州は大事だから劉備は狙ってくるとは
思うけど、呂蒙が死んだのはチャンスではあるよね。

>>711
仮に呂蒙が荊州ではなく、徐州をとった場合。
劉備の変わりに曹操が遠征してくると思う。
相手が劉備か曹操かの違いだけだとおもうけどな。
また領土を取って取り返しにこないなんて都合のよい事を
考える司令官はいないから呂蒙が夷陵で勝てたかどうかはともかく
予想外ってことはないのでは。

後半は関羽北上>関羽敗走>曹仁逆襲 の場合で
いいのかな?
その場合呉は長江上流を魏にやるわけにはいかないから
結局呉は荊州になだれ込むしかないと思うよ。
726無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:32:39
>>723
お互い様w
まあ俺は根拠が仮定に基づく否定派より、
根拠が事実に基づく肯定派のがましと思うだけよ
727無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:33:47
悪魔の証明というヤツですなwww
728無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:36:59
>>727
それって「無い」ことを証明することはできない。
なぜなら「無い」のだからってやつでしょ。
729無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:39:43
>>714
呉が持ってるのは荊州一州じゃなくて江陵一帯だよ
そして江陵一帯を失ったら呉は防衛線が成り立たない
短期的には国家存亡に繋がらないかもしれないが中長期的には滅亡に繋がる
730無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:39:54
>>724
呂蒙が死ぬまでの短期間だけを見ればそう見えるが、後の劉備の侵攻を避けられなければ全てが水の泡。
魏蜀との二方面作戦を計画してまで、あのときに荊州を得なければならなかった理由にはならないのでは?

結局、後処理は全て陸遜や朱然、ハンシュンが行う事になった訳だ。
全てが上手く行ったから良いようなものの、孫呉を揺るがす大事件も幾度か起こった。
その解決には神業的なもの多く、決して、荊州掌握が孫呉にとって簡単だったわけではない。

荊州掌握を難しくしたのは、呂蒙のやり方が不味かった事と、急だった事による所が大きい。

たしかに呂蒙は戦場じゃ優れていたけど、他の面でアラが有ると思えるのだよ。
731無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:47:12
>>729
ちょっといいかな?
その論理はまずいんじゃない。
その論理は詰まるところ中期的に見て、江陵に関羽が存在するのは良くないって事になり、
結局は、荊州取るべしってことになり、ループするだけでしょ。
732無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:47:27
>>725

>徐州をとった場合〜

曹操か…それは難儀ですね。
蜀との同盟と、南郡一つを比べれば、劉備と戦って共倒れになるより、
曹操と戦う方が中長期的に見ればプラスに転じると思うのですが、曹操を甘く見てますかね?
コテンパンにやられて、一気に江北進出の目を失う可能性も0ではないのでしょうか。

>また領土を取って取り返しにこないなんて都合のよい事を考える司令官はいない

それはその通りですね。
ただ、「想像より早かった」もしくは「魏を攻めるのでは」というのは有ると思います。

>結局呉は荊州になだれ込むしかないと思うよ。

結果は兎も角、理由が異なれば、外交上の問題はクリアー出来ます。
荊州における関羽や呂蒙の一連の行動は、外交をないがしろにしている、どっちもどっちだとしか思えないので。
孫・劉の同盟は、後の陸遜・諸葛亮時代の方がよほど洗練されていると思います。
733無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:50:08
結局、「関羽は呉にとって信用ならない」という所に全てが帰結するんだよな。

関羽が信用できる相手なら、呉はたとえ江陵を押さえられていても、無理をしなかっただろう。
あのタイミングに、全てを失う結果を招いたのは、他ならぬ関羽の行動による。
734無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:51:29
>>730
孫呉を揺るがす大事件?
例えば?
735無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:53:34
関羽北上
肯定派:上流の蜀漢が強大化するのは危険。劉備の都合には付き合いきれない。
否定派:孫呉にとっても権益拡大のチャンス。戦う相手が間違っている。

北進
肯定派:26軍と戦えって?ふざけんな。
否定派:ガンガレ

呂蒙の是非
肯定派:荊州を確保して国防に貢献した建国の大功臣。
否定派:曹魏を助けて、後漢の滅亡を決定付けた大罪人。

関羽の是非
肯定派:本拠がら空きで戦ってる無礼なバカ。やっちまおうぜ。
否定派:呂蒙が余計なちょっかいをしなければ曹仁にも勝てたはず。

対曹魏
肯定派:別に南北を分け合えれば戦わなくてもいい。ただ向こうから攻めてきたら戦う。
否定派:何が何でも後漢朝を再興!でなければ劉備が即位!その為に孫呉が協力するのは当然!

昨日までの印象だけど、大分論点が変わってるね。いいぞいいぞ。
736無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:54:24
>>731
実際に関羽がいるのはマズイんだよ
江陵がどんな存在かわかって言ってるかい?
737無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:56:04
>>711
呂蒙が蜀の侵攻に何ら対策を取っていなかったことを基礎に議論しているようだが、既に陸遜を送って夷陵を押さえて蜀の侵攻に備えているよ。
738無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:56:40
>>732
そりゃ諸葛亮の時代の方が洗練されてるよ。
なにせ荊州問題が解決されたのだから、
739無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:56:43
それ以前に曹操って徐州まででれるんかね?
曹操が遷都を思い止まったのは呉と同盟を結べたからだろ、
だったら呉が魏と結ばなくて、徐州まで大軍を率いて出兵すればそれこそ遷都して、
徐州への出兵どころの話じゃないんじゃないの。
それから結果論になるけど、関羽が死んだほんの3ヵ月後位には曹操は死んでしまっているので、
そうなればまさに出兵どころの騒ぎじゃなくなると思う。

実際これだけの事になれば魏領内で勃発していた反乱は勢いを増すだろうし、
天下の趨勢は一気に傾くから魏はぼろぼろになるだろうね。
740無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:58:25
結論、蜀漢は荊州から仕掛けるべきではなかった。
741無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:58:44
>>734
最大の物は、劉備に帰順しようとした、武陵の役人の反乱(ハンシュンが寡兵でもって鎮圧した)だな。
早期に鎮圧できなかったら、夷陵での勝利は危なかった。
742無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:59:15
>>736
でしょ。
でも劉備が攻めてきたて江陵奪われたら大変。滅亡の危機。
ってことらしいよ。
どうしろというのだろうね。
743無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 18:59:28
>>735
いや恣意的過ぎるだろ、だろも後漢再興とか言ってないし...。
744無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:00:24
>>731
>>740
それは言える。関羽の行動は、とにもかくにも不味い。
呂蒙の行動は、関羽という人物を考えるなら否定できない。
745無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:01:57
ここいると勉強になるわ。みんないい武将になれるぞ
746無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:02:29
>>741
樊[イ由]の事件?
747無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:05:09
曹操が徐州まで動く必要ないでしょ
張遼いるしさ
曹操が対関羽で張遼を動員したってのは単純に動ける軍を逐次投入しただけなので
もし徐州が危なければ張遼はそのまま対呉戦線で防衛してるよ
748無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:06:04
>>738
解決したのは他ならぬ諸葛亮・陸遜両者なんだけどね。
呂蒙は外交問題をどう処理するつもりだったんだろうか。

「呉蜀は、荊州をめぐって一度はやりあわなきゃならなかった」
とは、諸葛亮と陸遜のその後の関係を見るとそうは思えないんだよね。
呉蜀は、その後は滅亡まで一度も戦ってない訳でさ。

>>742
関羽が魏を相手に負けるのを待つのが最良だと思う。
難しい選択肢なのは確かだけど。
同盟を維持しつつ、自国の国力を増すのなら、孫呉の行動は誰にもそれを否定できない。

弱者だから手段を選んでられないという甘えが、劉備と孫権の双方にあった事は否定できない。
749無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:06:39
>>747
夏侯惇も臧覇もいるな。
何より動員力が桁違いだよな。
750無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:09:16
>>748
つーかさ陸遜は荊州奪取に積極的だったでしょ。
陸遜、自ら呂蒙の元に出向いて献策し取るのに…
751無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:10:26
呂蒙ってちょっと関羽を警戒し過ぎのなんじゃないかと思う、
なんかやたらと関羽が呉に攻めてこないかを心配しており、
関羽が攻めてこないのは自分が居るからだ、ってな事言ってるし、
なんつーかちょっと関羽に対して過剰反応してるように思える。
関羽の北上を見れば関羽の眼は東方へ向いてないと思うんだけどなぁ...。
752無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:12:19
>>746
そう。ハンシュンはあの事件を「小物が起こしたヒステリー」ときちんと見抜いたけど、呉の群臣は見抜けてなかった。
あるいは、見抜いていたのに知らないフリをした。
そればかりか、自分の軍権を拡大する口実にしようとすらした。
(こういう事例は、後々までハンシュンと争う歩シツの行動にも見られる)


樊[イ由]の事件が早期に解決できなければ、あるいはハンシュンの進言が取り上げられなかったなら、
帰順した荊州の群臣や、豪族達が荊南で好き勝手をやることになっていただろう。

ハンシュンのあの時の行動は、神がかっているし、ハンシュン以外には出来なかったと思う。

こういう人物を軽んじた関羽の行動は、やはりおかしい。とも思う。
753無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:14:00
>>751
いや、流石にそれは…
この時代、自勢力でも警戒される者は警戒されるんだから、
不安の種を消そうという呂蒙の考え自体は間違いじゃないぞ
少なくとも、ここで議論してる方達も、そこんとこは了解済みと思うんだけど…
754無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:18:06
>>750
この当時の陸遜が呂蒙と対等に話を出来る訳が無い。

何より、江陵を取る路線は、魯粛存命の頃から孫権が荊州に色気を見せていることからも明らか。
すでに呂蒙と孫権の間で規定路線であり、陸遜は成功率を上げる為の献策をしただけと思うな。
呂蒙は、陸遜と話をするより先に、孫権と話をしてる訳で。
755無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:19:56
>>752
その理由はわかるけど、あの手の類の事件は領土を拡大したら起こりうる事件で、
呂蒙の責任とはならないと思うよ。というか流石に責任にしたら酷と思うよ。
反乱や、それに付随した悪事は呉だけでなく魏や蜀でも起こってるんだから、
特に歩隲とのことは、歩隲に非がある。
756無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:21:24
>>751
まあさ、ちょっと自分の先入観を消して考えて貰うといいと思うんだが
こんな状況ならどうする?

・もの凄く武名のある人物Aが統治する地域Bの隣が自分の任官地だ
・Aの主君は野望溢れる梟雄CでAはその忠実な部下
・Cと自分の主君Dの仲は現在険悪
・それ以前に何度もDはCに攻撃を仕掛けている
・土地Bは元々自分達の領土で梟雄Cに貸与してるだけなのに返却されない

Aが隙を見せたら即座に土地Bを奪い取る、とは考えないかね?
757無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:22:48
>>754
でも陸遜伝に、建業に戻る呂蒙の元に出向いたとあるんだよね。
しかも、呂蒙に関羽に対する計略を練れと言ってるんだよね。
758無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:23:09
>>754
確かに対等に話はできないが献策はしてるよ
細かい事をね
陸遜の献策がなければ関羽は命からがら蜀に逃げ込めたかもしれん
759無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:24:47
>>755
呉の体質の問題であって、呂蒙の責任では無い、と。理のある弁ですね。
760無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:26:50
>>751
「関羽が攻めてくるか」ではなく、「関羽をどう攻めるか」
そればかり考えていたのが実は本当なんじゃないだろうか。
本音って隠そうとすると逆に露見するし。
761無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:31:36
>>713
遅れたがdクス。
これって呂蒙がこなければ関羽の北上が成功していた可能性が
あるってことかね。それなら呉の北上も多少は意味があるかな。
それでも徐州の防衛体制が整うまで関羽が魏をひきつけるという
前提があってこそだが。
どっちみち他国の将軍を当てにして戦争なんてできないからなぁ

>>748
蜀は北上したい 呉は荊州ほしい だから
738が言っているとおり領土が完全に定まったことが
両国の安定化に帰結していると思う。
蜀は荊州奪取後北上という2連戦をやる体力がなく、
呉も魏を気にしながら西進する体力が無いため
ながらく安定したと考える。呂蒙であっても同じ展開に
なったんじゃないかな。
762無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:37:16
>>757>>758
呂蒙伝によると、
呂蒙が関羽を倒すことを考えるのは、それよりはるか前の、魯粛が死んだ直後の頃からの事なんだよね。

内容は、孫権が江陵と徐州と、どちらから攻めるのが良いだろうか?問い、呂蒙がそれに受け答えする内容。
その内容は、

江陵
・南郡を落とした後、襄陽・白帝・を落とし、敵の増援には遊撃を加えれば、曹操も迂闊には手を出せない
・関羽は部下を使って乱行三昧。同盟相手としてあまりにも信用なら無い。
・関羽が呉を攻めないのは、呉にビビってるから

ここまで述べた後、自分が死んだら関羽は攻めてくるかも...と、孫権を脅してる。

徐州
・曹操に東方に兵を割くだけの余力は無く、徐州は簡単に落とせる
・しかし、落としたとしても、魏の騎兵がやってくれば、守りにくい徐州を維持するのは7、8万でも困難

であるから、くみしやすい江陵をこそ攻め落とすべき。

こんな感じだよね。
呂蒙の中では、関羽を攻める事は始めから前提条件で、それ以外の選択肢の可能性は無かったのだろう。
何せ、この後の呂蒙の行動は、その全てが関羽を殺すことに注がれている訳で。

陸遜は、呂蒙のそうした計画を知っていたから、彼の大願をかなえる手助けをしたのではなかろうか。
763無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:38:52
>>747
張遼が居るっても、張遼が合肥での活躍は奇跡的ではあるが、
兵の多寡で考えれば呉が勝って当たり前の戦いであり、そう何度も奇跡的な勝利は起きないだろう。
また曹操が遷都してしまえば前線の士気はガタ落ちだろうしね。

>>749
夏侯惇は将としては凡将だし、居巣で二十六軍の指揮官だったのは一時の事で、
この頃は多分寿春に軍を構えており、どれだけ兵力が居たのかはさだかではないけども、
あんまり兵は居た様子は無いね、臧霸も何処に居たかは謎だけど、夏侯惇と一緒かな?
動員力も漢中の戦いで夏侯淵を失い、于禁と七軍が流されたりと結構な規模の軍を失ってるが原因か、
徐晃に急場で将と合流させたり、自分が出陣する際には夏侯惇を召し寄せたりと、
かなり兵力不足な様子が伺える、実際呉が同盟を結ぶという話が出た瞬間に張遼を召集してるのも、
呉の同盟の偽りだったらかなり危ういのに、そういうのを気にする余裕も無いしね。
まあ曹操が遷都して、直後に死んでしまえば夏侯惇も臧霸も呉どころの話じゃないだろうし・・・。
764無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:39:30
>>762
関羽ほどの男を倒すのは簡単じゃない、でも江陵は欲しいってジレンマだな
765762:2006/01/28(土) 19:44:44
付け加えると、

孫権の、
江陵(同盟相手の保有する土地)か徐州(最大の難関)かという2択を呂蒙に突きつけているのは良くない。

また呂蒙も、
このように主君を脅かして、選択肢を狭めるやり方は、やってはならない事だとも思う。

しかし、関羽が信用ならない同盟相手であるのは事実で、
関羽の北伐が成功すればするで、孫権が合肥に固執する以上、孫呉が徐州を狙うしかなくなるのも事実。

なんともジレンマだね。
766無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:45:18
>>753
その不安の種っていうのが、呂蒙の場合は関羽を意識過ぎて、
仮想敵としての関羽をイメージを育ててしまい、自分の中で不安の種を作り過ぎているんではないかと。
実際自勢力でも警戒される者は警戒されるけど、その警戒が行き過ぎると良くない、
警戒しすぎが芳しくない結果を生む事がある。
呂蒙はそこまでは言わないまでも、関羽が東征しようと考えている、と推測している辺り、
流石に関羽に対して警戒しすぎだと思う。
767無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:46:45
        ┌──────────.      ─────────┐
  ∧∧  │ったく、また>>1かよ.         >>1なんて・・・・・   │  ∧_∧
 (,,゚Д゚)<. もう糞スレ立て見飽きた       存在する価値も生きる>(・∀・  )
 (.   ) │ゴルァ、さっさと首吊れ         価値も無いからな! │ (      )
  |   |. └─────────       ─────────┘  l    l 
  し ヽj                                       (_ |_ )
         ┌────────       ─────────┐
  ∧_∧ │10円やるから          >>1なんかにお茶   │ ∧_∧
  ( ´∀`)<. さっさと消えるモナ        やらねぇよ       >(`・ω・´) 
  (  ⊃I.└────────       ─────────┘ (つ旦~ サッ
  │   /                                     と_)_)
  し´ヽっ                ∧_∧
       ∧∧            (・⊆・  ) ・・・・?   糞キタ──(゚∀゚ )──!
       (*゚ー゚)ギャクサツスレヨリ .   (>>1 つ
       (   ) クソスレネ      ノ   |             (・A・ )>>1イクナイ!
       ゝ  ノ            し  つ        ('A` )>>1マンドクセ
       ι J
            >>1 は 皆 に 嫌 わ れ て い ま す 。
         2 c h の レ ベ ル を 下 げ な い う ち に 、
            こ の ス レ は 終 了 し ま し ょ う 。
768無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:55:10
江陵が落ちたのが先だろうが後だろうが
徐晃戦にそこまで影響を与えたとは思えないのだが。
江陵が落ちたことを知って動揺したとかが原因だったら
ちょっと弱い気がする。

江陵が落ちたことで関羽軍本隊にどれくらいの影響があったか
分かる記述ってある?
769無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:55:33
>>762
>・南郡を落とした後、襄陽・白帝・を落とし、敵の増援には遊撃を加えれば、曹操も迂闊には手を出せない
これはどちらかと言えば曹操でなくて、蜀に対しての警戒だと思う、
白帝と南郡は長江を固める為の方策だろうけど、長江を下って呉に進撃してくる相手っていえば
やっぱり蜀しかいない訳で、蔣欽の遊撃は曹操も含めているだろうけども、
上り下りしての遊撃と考えれば蜀の相手も考えていると思う。

ただ蜀と敵対しているの、魏と戦端を開くっていうかなり無茶な作戦なだと思う・・・。
770無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:58:49
>>768
そこから時間は少し進むけど
関羽の兵卒達が家族は呂蒙に丁重に扱われていると聞いて関羽軍から逃げた
って話を十二分に動揺ありとする証拠としていいかね?
771無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 19:58:51
>>768
いや根拠地を奪われれば動揺するどころか普通は軍が崩壊して終りでしょ。
おまけに退路を断たれる形になるわ、しかもそれが同盟国の裏切りときた日にはもう・・・。
772無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:09:35
>>769
結局この戦略だと、関羽の立ち居地にそのまま呂蒙が座る訳で、自分なら上手くやれるという心が有った事が伺える。
敵愾心だか何だかは分からないが、このときの答弁が発端だとするなら、大局的な観点は欠けてるように思う。
773無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:10:33
もう少し様子を見ても良かったとは思うけどね。
仮に、関羽の北伐が成功したらどうなるか?
>>707の言うようにになるかな?
774無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:11:16
>>770
家族が丁重に扱われていることを知るのは樊から撤退した後だって
呂蒙伝を読むと分かるからこれは直接は関係なさそう

>>771
それなら麋芳が降伏した時点で関羽は完全に終わってたんだね
775無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:14:55
>>773
兵站の概念が薄い関羽じゃ、どっちにしたって長丁場の戦いは続けられない。
麋芳、フ士仁、ハンシュンも、無茶に思える北伐を支える続けるのは無理だと途中でサジを投げるだろうし。
孟達や劉封も、劉備が長安に向けて北上するまでは迂闊に動けない。
そうなると関羽は魏の中で孤立する訳で。

劉備次第、かな。
776無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:18:36
>>766
関羽が何年も北に進めず膠着状態になれば目を向けるのは東方しかなく、
北上に成功したら荊州一帯を治めた関羽勢はますます強固になる。
777無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:21:32
>>776
北に進めないから東、という発想はおかしくないか?
一番弱い蜀漢に二正面作戦は自殺行為。
後半は同意。
778無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:25:18
関羽討伐スレが復活したのかと思ったよ
779無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:26:16
関羽が東征するというのは、呂蒙が功績を得るための方便だと思うぞ。
780無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:33:16
これ元々呂蒙に知力9割以上は相応しいかって話でしょ。
イベントで残り寿命と引き換えに一時的に上がるってのはダメか?
これ以上は収拾がつかない気がするが。
781無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:34:58
と言うか呂蒙を下げてるなら
次に誰を上げるかが問題な気がする
782無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:39:52
>>775
関羽に兵站の意識が薄い、というのはどうかと思うが、
于禁軍を捕虜にしたから食糧が欠乏したって話も、
じゃあ捕虜にせず殺せっていう話になるが、そりゃどうかんがえても愚策であり、
捕虜によって食糧が減ったのもしょうがない部分がある。
ただ于禁が護送されたのは江陵だから、実際に食糧が欠乏していたのは江陵なんじゃないの、
それに対峙している魏にも関羽軍が食糧不足という話は無いし、載っているのは呂蒙伝のみ(の筈)
だから湘関云々は胡散臭い部分もあるしね。
783無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:40:52
>>780
うんにゃ、呂蒙は95以上は確定かどうかって話。
784無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:41:36
でもさ、仮定の話で能力下げられたんじゃ、他の連中も下がりまくると思うんだけどな〜。
つーか、何で呂蒙だけ事実じゃない仮定によって否定されにゃならんのだろう
785無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:43:04
関羽に兵站の意識が薄いってソースは無いな。
食糧不足は数万もの捕虜が入ったから起きたことであって、
そこまで予測して食糧を用意するなんてことはありえない話。
786無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:45:48
>>782
捕虜にせずに殺した方が上策だろ
787無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:47:34
大局的な視点>目前への対策
ってのもおかしな話だとは思う。
呂蒙は大局的な視点に立ってというよりも、単純に目の前の荊州を取りたかったんだと思うし、孫権に色々語ったのは方便だと思うけど、
それが知力を下げる要素かどうか。
788無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:51:23
>>786
下策も下策。
そんなことしたら、今後蜀軍がどこへ進攻しても住民は従わない。
789無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:51:25
完全に成功して下げられるというのもあんまりだね。
『事実じゃない仮定』で関羽を加点しても、呂蒙を下げるべきではないよ。
790無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:51:36
>>787
大局的視点っての立ち位置で大きく代わる。
しかも三国志は勝者が晋という三国以外であったため、
三国それぞれが、最終目的への正解を見いだせなかったわけだし
791無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:52:34
>>782
兵糧が足りなくなったら、策源地に寄越せと無心したり、
準備出来なかったら出来なかったで今度は出来ないことを(麋芳などを)責め立てたり、
それでも用意できないと分かると、近隣の領(孟達など)に救援を頼んだり、
それも不可能だと分かると(これは呉書の記述だが)同盟国の兵糧を奪ったりと、

補給部隊を軽んじている記述は色々有るよね。
理由は様々あれど、平地での輸送で兵糧に事欠居ていたのは事実。

兵士が窮乏していたと言う記述は無いけど、補給しろという無心をしている訳だから、
やはり足りなかったのでは?
麋芳が武器庫を失火してるから、足りなかったのは武具だったという可能性も有るけど。

>>785
>>数万もの捕虜
生き残りが投降したのであって、それが数万丸々とは…
792無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:53:46
>>784
事実じゃない過程の話って何処のレス?
それぞれが伝の記述から引いてきて、呂蒙の不味い所を指摘しているように思うのだが。
793無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:54:25
>>789
同意。
そうじゃないと嫌いな人物に対して、仮定を持ちだして難癖つけようとする奴らがあふれるに決まってる。
諸葛亮とか姜維とか、趙雲とかが対象になったときのことを想像すべし。
794無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:56:29
>>792
何言ってるんだ。
徐州を攻めたら成功したとか
関羽は成功したとか
陸遜と諸葛亮なら旨いこと外交で解決できただろうとか
それこそ過去ログ読めば腐るほどあるだろ
795無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:56:52
>>789
だから、何が完全に成功して、何が「事実じゃない仮定」なの?

呂蒙伝において呂蒙が孫権に語った戦略目標=>>762の内容は完全に破綻してるんだけど。
796無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:58:19
>>794
過去と未来の事例と、結果的にどうなったかを持ち出してそれ以外を模索してるだけだろう。

>>687

>てゆうか呂蒙の作戦にダメだししている人は自分の提案で呉が得するか
>どうか考えてから書いてほしいな〜

と書いたので、軍師軍略合戦になっただけだろ。流れを見て無いのか。
797無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:58:59
>>791
あなたが挙げたことは全然補給部隊を軽んじたソースにはなってないよ。
それに、孟達には援軍を頼んだだけだし、呉書は結構呉に都合のいいように書き加えられている部分があるし。
数万の捕虜の記述は関羽伝になかったかな?
798無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:59:09
>>795
ふぅ
じゃあ魯粛も、諸葛亮も破綻してるな
だからいやだって言ったんだよ。
最終的に成功した戦略なんて羊コの征呉の位なのに
799無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 20:59:23
>>788
捕虜にした後で皆殺しとか歴史上では多くあるし
ましてや戦闘中に夥しい死者が出ることは当たり前のこと

食糧が欠乏すれば遠征の失敗はもとより
荊南の維持さえままならない
800無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:04:23
>>791
麋芳・士仁が責められたのは、関羽が出陣してから軍需物資の供給するだけで、
全力で支援しない職務怠慢によるもの、食糧が足りなかったから準備しろだの、
足りなかったから責めるだのいう話ではない。
劉封と孟達に出した要請も軍兵を出してくれという要請であり、
食糧問題から見れば逆の要請。
君の言う補給部隊を軽んじている記述は無い、そもそも補給しろという無心を出してはいないし、
南郡の失火は北上の前の話でしょう。
801無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:04:31
>>799
>捕虜にした後で皆殺しとか歴史上では多くあるし
よい例としてはあまり聞かないが・・・具体的に何かよい例として挙げてみてくれないか?

>ましてや戦闘中に夥しい死者が出ることは当たり前のこと
それは捕虜の虐殺とは全く意味合いが違う。
802無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:05:01
>>797
そもそも関羽伝そのものの記述が少ないのだから、
他の伝から類推するしかなくなる=関羽に不利な記述が増える、のは仕方が無い。
かといって、関羽でン以外の記述を無視するわけにもいかないわけで。

>あなたが挙げたことは全然補給部隊を軽んじたソースにはなってないよ。

否定するのは結構なんだが、なぜそうなのかの理由がレス中に無いのは何故?

>数万の捕虜の記述は関羽伝になかったかな?
于禁の軍が水没した。関羽はそれを攻撃して虜にした、と有るだけ。
まるごと捕虜になったなんて記述は何処にも無いよ。

>>798
なんでそこで隆中対や天下二分が出て来るんだ?
呂蒙が語ったのは、戦争の目的、短期的な戦略だろうに。
803無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:06:44
>>796
その理屈なら呂蒙に有利な結果を模索して加点としてもいいのか?
そして、そう言った存在しなかった結果をもとに加点原点合戦をするのか?
周瑜の天下二分なら天下統一できたという理由で加点が許されるのか?
郭嘉がいたら赤壁での敗北はなかったという曹操の言葉だけで加点はいいのか?
804無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:06:59
>>798
じゃあ羊コをトップにしようぜ。
花が咲かなかった種を一々比べてもしょうがない。
805791:2006/01/28(土) 21:08:34
>>800
ふむ。

兵糧や物資は足りていた。しかし兵が足りなかった。
その為に、作戦の遂行速度が落ちていた。

于禁の投降兵を受け入れたら、兵糧が足りなくなった。

>南郡の失火は北上の前の話でしょう

足りないのは物資だと考えていたので、その原因をあそこに求めたのですよ。
しかし勘違いだったようで

関羽の兵站感覚に関しては、ほぼ全面的に納得です。
806無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:09:03
>>799
戦闘中の死者と捕虜にとった後の虐殺はまるで意味が違う、
降伏した捕虜を殺すのは歴史上でもだいたいが下策、

関羽の軍自体が食糧問題で停滞してないし、呉書の言う食糧欠乏も何処まで本当か・・・。
禁が護送されたのも江陵だしね。
807無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:10:56
>>802
戦略の優劣は長期的とか短期的とか時間の問題じゃないよ。
目的が達成できたかどうか。これに決まっているよ。

少なくとも呂蒙は荊州を得て、諸葛亮も益州を得て、
戦略の一段階である曹操に曲がりなりにも対抗するという部分は達成している。
そこを評価すればいいじゃないの?
808無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:12:01
>>802
>なぜそうなのかの理由がレス中に無いのは何故?
あなたが挙げた補給部隊を軽んじたソースが、全部補給部隊とは何ら関係が無いことばかりだったから。
ちょっと強引過ぎる。
809無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:12:10
>>801
有名な長平の後の皆殺し
あそこで捕虜数十万を受け入れてたら秦の財政が破綻していた危険性がある
もちろん良い部分だけではないし道義的にも許されないことだが
秦にとっては間違いなくプラス

捕虜にしてから殺すのではなく降服を容れずに殺せばいい
810無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:12:25
>>803
事例を持ち出して道理に適っているかどうかをはかるのは、何かを評価する時の常道だろう。

あと「存在しなかった結果」とはいっても、評価対象が事態を正しく把握出来ているたかどうかが
評価対象になるのは当然だろう。

郭嘉や周瑜はともかく、具体的な発言が有るときにその内容を吟味するのは不自然な事だろうか。

君の理屈だと、評価すべきは勝者のみで、敗者は全ての面において勝者に劣っていることになる。

811無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:12:29
>>805
劉封・孟達への援軍要請は于禁敗北後だよ、時系列がずれてる。
812無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:16:17
>>809
秦のような大国ならともかく、魏と比べ小国である蜀が降伏を容れないなんて
戦略取れるわけ無いじゃん、関羽は魏の内乱も煽っており、
また襄陽・ハン城では包囲が続いてる現状で、降伏を容れないなんてデメリットが大きすぎる。
813802:2006/01/28(土) 21:16:57
>>807
7分どおりという事ならその通りなのだけど、呂蒙の目的は、
それを完璧に達成しないと痛い目にあうというハイリスクハイリターン。
江陵を得た、という事で全面的に評価して良いものなのだろうか…

>>808
関羽兵站音痴論は、アッサリ論破されました。強引だったようだ。

とはいえ、そのレスにも補給部隊と関係が無いという理由について言及が無いけど…
この時代の史書の記述は、補給部隊について言及する事はほとんど無い。

なので、起こったことから類推するしかないんだよね。
814無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:17:08
>>810
事例を持ち出して道理にかなうというが、結局の所。両者とも都合の良い仮定を持ちだして、
そこから導き出される結果を基に相手を否定してるだけ。
815無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:17:12
>>802
呂蒙の提案が蜀攻めまで考えていたという証に
南郡奪取後に孫権が蜀攻めを企んだという話がある
あくまで状況証拠に過ぎないが…
816無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:20:20
>>811
劉封・孟達の記述については、食料を無心したと読み違えた時点でこちらの落ち度なので。

>>814
議論というのはそういうものだろう。
互いに主張する所の有力な証拠をだし、それを元に自説を論じる。

817無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:20:44
>>813
>>完璧に達成しないと痛い目にあうというハイリスクハイリターン。

関羽に協力して徐州を攻める方がはるかにハイリスクハイリターンじゃないのか・・・
荊州攻めの方がそれよかリスクは少ないぞ。
818無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:21:43
>>813
ハイリスクは弱者の戦略上仕方がないよ。
天下三分だって漢中で曹操と決戦というリスクを背負ったし、
魯粛のだって劉備が荊州と益州を得て、孫権より強大になるというハイリスクがあった。
全面的評価は、すべきじゃないけど、否定されるほどでもないと思うよ。
819無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:24:38
>>816
証拠?
そんな物どこにある?
少なくとも今までの仮定の話には史実を覆せるような証拠などなかったがな。
820無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:27:44
>>817
同盟相手を攻撃する方が、
強大である最大の敵を相手に戦うよりもリスクが少ないというのが、ちょっと理解できない。
たしかに、組みしやすい相手ではあっただろうが、
仮にも条約を結んでいる相手を機会攻撃的に狙って良いものなのだろうか。
ロシア、朝鮮などは歴史的に良くそのような手を使ったけれども、あくまで自国領土の防衛戦。
大国の論理としては、正しいのだけれどなぁ。

>>818
たしかに否定は出来ない。
しかし、孫権への脅しや、関羽への敵愾心など、様々な面が見え隠れして、どうも評価しづらいのです。
821無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:28:06
>>816
それは違うよ。
過程の結果を重視すれば、
その仮定を成立させるため新たな仮定が持ち出されてくるものだよ。
822無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:30:55
>>819
言葉遊びがしたいなら他所でやってくれ。
証拠というのは、歴史においては史書の記述であり、その時代以外からも引かれる様々な歴史的事実だ。
「悪魔の証明」結構。
あれは事実の認定の為の論理であって、確定的な事実以外は推理するしかない歴史考証の場じゃ通用しない。
823無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:34:38
>>818
脅しは別に良いんじゃない
ぶっちゃけ魯粛の赤壁んとき使っているしw

敵愾心についても私はそう思わない。
当時、関羽は当代でも屈指の将としての評価があり、
劉備勢では断トツの評価を得ている。
呂蒙、自身だけでなく大勢の人物から警戒されている。
むしろ警戒するにし過ぎることはないと思う。
824無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:37:11
どっちもハイリスクではあったと思うよ。
劉備が長江を下って荊州に雪崩込んで来て大乱戦になる可能性だってあったわけだし。
825無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:39:50
>>822
わかってないなぁ
結局、自分に都合の良い仮定を追い求めるに終始するに決まってるでしょ。
関羽が成功したとかは、架空の結果なんだからそれを理由付けるには、
架空の出来事を想像するしかない。
その架空に対して、どうやって史実の結果に匹敵する説得力を持たせられるというの?
826無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:40:32
呂蒙の行為の結果(事実)
孫権:良くやった!荊州マジで欲しかったんだよ!
曹操:良くやった!荊州の南半分はくれてやる!
劉備:なんてことを!氏ね!というかコロス!

関羽が成功した場合の結果(仮定)
孫権:…貧乏くじを引かされた気分だ。というかいい加減に荊州返せ。
曹操:三方で押され気味だ。死んでいい?
劉備:よし!次は関中と涼州だ!その次は河南その次(ry

もし、北上に成功していたら後漢の時代は続いていただろう。
でも関羽北上に孫権が乗ったとしても得するのは劉備だけだ。
これで納得は出来ないよ。
827無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:42:28
>>822
>「悪魔の証明」結構。
それはつまり「無い事」を想像してもいいと言うことですか?

ちょっと、これは唖然としてしまいます。
828無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:43:15
>>825
ん〜三国志の考察だと、
証拠の有る無しは「三国志に書いて 有る・無い」ことを立証すれば良いのだから、簡単なんだよね。
TXTはそこらに転がってる。確かめる術は幾らでも有る。
三国志正史の記述が正しいかどうかとか解釈を考えるのは、学者さん達がやれば良いと思う。
だから後は仮定の話になるのは仕方が無い。

史実の結果を重んじて全てを決定するなら、
誰に相談するまでも無く正史の記述を読んで、それを元に一人で何もかも評価すれば良いってことになるじゃない。
その論理は、他者の人格を必要して無いと思うよ。

>>823
呂蒙は関羽を侮らなかった。
関羽は陸遜を侮った。

素直にこう受け取れば良いという事かな。
それでもまだ、関羽を殺すというのが規定路線になってる最初の戦略方針には疑問符がつきますが…。
829無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:51:53
>>828
でも仮定なんだから両者に都合の良い仮定が持ち出されるし、
事実、このスレでもそうなっている。
敢えて認めるなら、敗者の再評価くらいに留めるべきと思いますよ。
否定のための仮定がたちが悪いのは、物事に100%がないため、
あらゆる事が失敗するかも、悪影響を及ぼしたかもという理由付けが出来るからです。
また、その成功に対する欠点を、我々は神の視点で見つけ出せるやもしれません。
830無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:51:59
 止 ま っ た な
831無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 21:52:07
>>820
関羽と曹操を攻撃しても、関羽も呉も失敗する可能性は十分ある。
曹操を攻撃して劉備陣営と共に打ち倒す、もしくは魏の寸土を得ることができる確率より、
関羽の背後を攻撃して荊州を得ることができる確率の方が遥かに高い。

旨味としては
曹操を倒す、もしくは弱体化させる>荊州を手に入れる>失敗して何も得られない
の順で、確率的なリスク、リターンを考えると荊州攻めの方がよい。

その後に劉備の反撃があったとしても、それは劉備と孫権の争いである。
劉備が曹操と結ぶことは大義名分からありえない。
魏側は傍観する可能性が高いが、別に劉備と孫権のどちらに組してもいい。
この時点で劉備と孫権の間に不利有利はない。
これだと結果的に魏が得する形だが、
少なくとも関羽と共に曹操を攻めることで得られる期待値に比べて、
「荊州を手に入れることができる」というリターンは十分だと思う。
832820 :2006/01/28(土) 22:10:40
ふむ。
大義名分などは必要とせず、功利をもってうごく…ですか。

西陵を得る事は、孫家独立のための絶対条件であり、孫呉は堂々と皇帝を名乗ることが出来た。
確かにそうなのですが、あんな取り方でよかったのかなぁ
833無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:16:41
>>832
あんな取り方をやってしまうところが孫呉の素晴らしさ。
834無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:16:50
どんな取り方でも国内の豪族さえ黙らせられればいいんだよ
中原とはまた別の価値観で動くのが江南
835無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:17:36
そんな蜀寄りの視点で語られてもなあ。そもそも荊州貸与なり関羽の食糧略奪なり、理由が全くないわけでもないし。
836無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:19:32
>>832
大義名分より功利を選ぶなんて当たり前
劉備の蜀獲りだって同じ事

呉にとってあれ以上良い取り方はないと思う
837無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:20:48
>>833-836

ふむ。認識を改めたほうが良さそうですね…
838無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:23:38
と言うか人物を評価するのにどこかの国に肩入れした史観に囚われてるのはダメだろ
839無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:23:53
老齢の劉備関羽の寿命まで待てばどうなったかな。
分国たる荊州を任せられるような絶対の忠誠心と対外的なネームバリューを持った人物が蜀にいたかどうか。
840無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:27:24
別に>>832がどこかの国に肩入れした史観に囚われてるようには見えないがな。
もっと良い方法が無かったかってことだろ。
841無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:34:37
>>839
呂蒙は自身と孫権の死後のことを心配していた。
まあ理由は色々あれど、孫堅、孫策、周瑜、魯粛と、皆これからというときに死んでるからね。
どうも呂蒙には自身や孫権の死後、
曲がりなりにも自立できる体制を残しておきたかったふしがある。
どちらかと言えば攻撃的な戦略が多い中、こんな保守的な戦略もアリかなと思ったりもする。
842無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:39:10
あんな取り方というって事は呉の取り方は正当ではないと言ってるも同然だろ
正当とか正当ではないってのは当時の考え方であって俺らが現代で話すのは
その判断の精度やそれによって情勢がよくなったかどうか
善悪とかはを論じる時点でどこかを正義とする史観に囚われてるんだよ
843832:2006/01/28(土) 22:39:31
>>840
肩入れはして無いんですが、論語や故事成語を好んで読む人間です。

太公望のように、大義名分を整えつつ大望をかなえるやり方を是としているので、
大義名分の有る無しには囚われてるかもしれません。
844無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:43:18
>>842
>>843を見ての通り、俺もあなたも見当違いだったようだ。
845無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:43:52
>>839
張飛がいるぞ。劉備が死ぬ年まで生きてたとしても55歳
五丈原まで生きてても不思議じゃないぞ

ただ関羽と張飛が劉備死後生きてたらやばそうな気がする
絶対孔明と対立する
846無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:49:01
呉が荊州を奪い取ったことが引き金となって蜀魏との連戦を強いられたわけで、
呉としてもかなり際どかったわけだ。
下手すりゃ蜀戦で疲弊して魏の進攻で滅亡していた可能性もあった。

劉備関羽が寿命で死んだ後、維持が困難になった蜀から平和に荊州を返還という道は無かったのかな、とは思う。
847無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:50:52
あの時のそれぞれの疲弊具合は第一が蜀だろ
時間を置けば置く程に支配力と戦力を増強する上流の敵の存在に呉は耐えられない
848無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:56:03
上流の敵って蜀のこと?
呉の方からちょっかいを出してただけで、蜀は別に呉を敵視してはいなかったぞ。
849無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:56:16
>>842
大義名分に我々が囚われてはいけないというのは納得がいく。
だが、大衆を支配するのに大義名分以上に便利な道具はないのも事実。
じゃなきゃ先主が成り上がれるはずもないわけで…
当時としてはどういう受け止められ方をしていたのかをお聞きしたい。
850無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:56:29
劉備も関羽も精力絶倫なので何時死ぬかどうか…という予測は難しいね。
851無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:57:37
>>846
維持が困難になって返還という僅かな望みにかけるわけにはいかないでしょ
普通に考えれば返還されるとは思えないのだから
852無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 22:58:15
>>846
>劉備関羽が寿命で死んだ後、維持が困難になった蜀から
 平和に荊州を返還という道は無かったのかな、とは思う。

さすがにそれはないだろ。
あるとしてもそれは蜀側から提案しないと発生しないし、
そんなのを呉が期待して戦略立ててたら無能の極みじゃん。
853無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:03:30
>>848
蜀が呉をどう思っていようとも呉は蜀を敵でないとは見なさないって事さ
上流と江陵を占領している仮想敵国に名声のある武将
この条件で敵が力を涵養してる暇を与えないで済むならそれが良策
呂蒙も魯粛も劉備が益州を得たらもう江陵に置いてやる義理も用もないと考えていたわけで
可能な限り早く江陵を奪いたくてしょうがなかった
854無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:06:28
いやいや、益州を取ったら荊州は返すって取り決めはあったんだから、
蜀側からの提案が無くとも呉側からそれを求めて行くのは当然だろ。

というか、呂蒙以外の呉の首脳部の考えはそうだったように見受けられる。
855無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:07:24
>>846みていて思ったんだが
北上時に徐州への出兵を要請し、
成功報酬として江南返還というのはどうだろう。
ここまで仮定を重ねると妄想にすぎないが。
・・・どっちみち蜀が手を打たなきゃ呂蒙の西進は
なくならない気がするな。
856無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:07:33
荊州ってホントに必要だったのか?
関羽を殺されて夷陵で戦って主力の大半を殺されるくらいなら、
さっさとくれてやった方がよかったんじゃないか?
857無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:10:48
>>856
未来が見えるのならそうしたろうね
858無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:10:50
必要だったんだよ
諸葛亮が北伐で益州北上ルートの厳しさを証明してるでしょ
奇襲1回失敗したら終わり
859無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:12:57
孫呉に道を借りるというのは無理?
860無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:14:54
劉備が夷陵での敗戦後に一度道を借りようとして陸遜に来んなって追い返されてる
861無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:18:19
>>854
その返答が「今は返せないけど涼州を取ったら返す」だったわけだが…
862無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:21:32
>>861
代が替われば情況も変わる。
強硬派の劉備関羽が死ねばそれも変わる。
荊州の維持に頭を悩ませた諸葛亮が折れてくることもある。
863無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:23:41
>>862
呂蒙がそれを孫権に言ったら殺されるぞw
864無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:24:30
荊州派の長である諸葛亮がそんな事するなんてあり得ないと思うよ
江陵を落とされ、夷陵で蜀の主力は壊滅
こうまでしなきゃ荊州を手放せない程に蜀にとっても荊州は重要
865無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:26:55
>>862
その可能性を信じて行動していたら知力は一桁だよ
つーか荊州の維持に頭を悩ませた諸葛亮って話は何?
866無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:27:58
>>849
特に非難とかは無い模様
「天下を治めるのは徳のあるものである」との言葉通りになってる感じ
867無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:30:13
>>864
そうかな?
本気で中原への進出なんて考えてたのは劉備関羽それと張飛くらいのもんだろう。
868無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:32:30
ぶっちゃけ、この時代の大衆にとっての大義は

「おまんま喰わせろ」
869無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:36:19
>>865
>その可能性を信じて行動していたら知力は一桁だよ
そんなことは無いよ。元々そうしてたわけだし。
>荊州の維持に頭を悩ませた諸葛亮って話は何?
荊州を保持したまま関羽が死んだら誰に任せるかで頭を悩ませるだろ?
絶対の忠誠心と対外的なネームバリューを持った奴が他にいるか?
870無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:39:51
>>853
呂蒙はともかく、魯粛は最期まで蜀との同盟を大事にしてたよ、
一時は蜀と争いながらも、曹操が漢中方面へ出兵を始めると、
有利な立場に立ちながらも領土分割でごねずに、南郡の領有を認めていた。
871無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:41:06
>>867
いやいや孔明が持ち出した話だからね
872無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:42:03
>>870
同盟を大事にすることと江陵を奪いたいことは矛盾してない
だからこその短刀会見だろ
873無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:44:24
>>871
その話はカリスマ劉備あってのものだろう。
874無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:45:58
>>872
あのときの魯粛は周りに流されたかんもあるぞ
875無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:49:37
>>872
奪いたいのではなく、返せってのが魯粛の立場でしょ。
短刀会見もあくまで会談で荊州問題での蜀を非を唱えるのであって、
出来れば話し合いで決着を付けようとしている。
>呉は蜀を敵でないとは見なさない
そんでこういう行為を止めろって魯粛は唱えてるのさ、共同して当たるべきは魏であると。
876無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:52:29
>>873
ともかく孔明は考えでは、燭の存亡は中原進出にあったわけであって、国力の差から短期決戦が一番好ましかったんだよ。事実そのころの中原では戦火がおさまってきて戦禍を避けて南に逃げていった農民たちも中原にもどっていったらしいし。
877無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:52:50
そこが呉の複雑なところで外交役の魯粛の意志と内部の意志は全然違う方向を向いてるからなぁ…
878無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 23:59:38
>>877
魯粛のペテンは神だと思うけれども、周囲はどうもそれを理解して無いというか無視してる節が有るよな。
879無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 00:06:08
魯粛の考えとは裏腹に孫権の意向が荊州奪取へと傾いてしまっていたからね、
南郡を貸した劉備は順当に勢力拡大を繰り広げていく中で、
呉は伸び悩んでおり、いつの間にか蜀>呉という状況に危機感を覚えたんだろな。
おまけに周瑜が死ぬまで呉は劉備に対して結構きつい事もしてきたから、
関羽が東方を狙ってるとか、やり返される的な感情も働いたかもしれない。
880無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 00:06:56
魯粛は演技のほうじゃパッとしないから光栄の能力みたらびっくりたまげた
881無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 00:41:16
だいたい約束をちゃんと守らないから呉から攻められてたんでしょ。
関羽が死んだのは自業自得。
劉備が負けるのも必然。
882無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 00:54:10
その約束を守ったら蜀漢がしたかった中原制圧はできん
883無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 00:57:57
そういう訳だな。
884無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:02:04
つまり、どの道劉備と諸葛亮の戦略には破綻があったと。
885無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:09:08
>>884
破綻しないように孔明がギリギリの範囲で呉との外交を進めていたわけだがそれを全部打ち壊したのが関羽。孔明の失敗は関羽の力量不足を見抜けなかったことだね
886無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:30:01
打ち壊したのは呂蒙だろ。
関羽は別に呉に対して何もしてないぞ。
887無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:36:13
>>886
正気ですか?
それとも俺が釣られましたか?
888無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:39:22
>>887
せっかくいい流れで来てたんだから荒らす気なら消えな
889無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:44:07
呉は蜀以上に魏への侵攻に熱心だったんだから、
呉を信用してさっさと荊州返せばよかったんだよ。
890無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:44:45
グダグダになってきたしこの話ももう終わりだな
891無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:47:08
んじゃ>>662>>664きぼん
892無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:50:11
>>888
レス番号間違えてるぞ
893無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:50:42
ねえ、張飛を武力以外で讃えるとしたら何がある?益州侵攻のときとかみると、かなりの軍略家だったとおもうんだけど
894無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:53:48
>>662は徐キュウがはっきりしない。
>>664はギ覧ではなくキ覧だと思うが。
895無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:56:46
896無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 01:57:33
>>894
袁胤から玉璽奪って皇帝に返した。
あと曹操が丞相を譲ろうとした相手。

ナムコ三国志リスペクト。
897無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 02:54:54
関羽が呉にしたって話も縁談を蹴った話と食糧強奪事件の二つだけども、
縁談を蹴った話は元々呉の関羽と劉備の離間策が見え見えの縁談だし、
関羽が怒るのも無理は無い、断り方は不味かった面はあるが、
呉もこれに対して怒るのは筋違いの話。
食糧強奪事件は既に呂蒙が荊州奪取に動き出している段階の話であり、
既に同盟の破綻が起きてる時点の話、信憑性もイマイチだしな・・・。
荊州問題自体は劉備からして返さない方針で、関羽がどうこう出来る問題ではないし、
それに荊州割譲以後は両国に交渉は無いので、一旦収まった問題ではないだろうか。

魯粛死後から孫権に荊州奪取の策略を説いて、実行に移そうとしてるあたり、
同盟の破壊者は呂蒙で間違い無い。

まあ荊州問題そのものに関しては、両国とも相手を非難できる問題じゃねえけどね。
南郡を貸したのがいつの間にか荊州を貸した事にしてる呉も呉だし、
南郡を借り受けといて知らんぷり決めてる蜀も蜀。
898無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 03:06:31
>>縁談を蹴った話は元々呉の関羽と劉備の離間策が見え見えの縁談だし

そりゃないだろ。
いくらなんでも蜀贔屓すぎる
899無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 03:10:38
>>897
離間策が見え見えなら、ますますそれに乗ってしまった関羽の思慮不足は責められるべきだな。
どんなに見え透いたことでも、相手が一応は礼節に乗っ取って外交を行っている以上、それを
暴力的にぶち壊したのでは、「関羽は呉と通好する気はない」と口実を与えるだけ。
フォローになってないぞ。
さらに
>荊州問題自体は劉備からして返さない方針で、関羽がどうこう出来る問題ではないし
だからこそ、荊州を任された関羽にはその失陥に対する責任がある。関羽は、主君の方針を
守ることが出来なかったのだから。
ついでに言えば
>食糧強奪事件は既に呂蒙が荊州奪取に動き出している段階の話
だとすれば、関羽は呉が荊州侵攻の動きを見せている時期に守備の兵を割いてまで北進
を行ったわけだ。知っていてやったのなら呉の戦意と戦力を見誤った結果であり状況
判断のミス。知らなかったというのならそもそも関羽の諜報能力に問題あり。
900無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 03:18:33
>>898
いや状況を見ればどう見ても離間策でしょ。
関羽の主君である劉備は既に孫権の妹と離縁しており、
それなのに主筋である劉備を通さずに、関羽に直接の交渉、
一国の君主である孫権と、荊州を任されてる関羽が縁談を受ければ蜀政権内で関羽が
どういう立場に立たされるか分る筈、しかも呉が荊州を強く求めてる事は周知の事実であるの
にも関わらずだ、またこの場合関羽の娘をよこせっていうのは半ば人質をよこせと言ってるようなもの。

まさか本気で呉がこの縁談を持ちかけていたとすれば、それはそれで呉の外交的配慮を疑う。
901無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 03:25:22
>>899
離間策って劉備と関羽との離間策なんだけど、だから策に乗ってないし、
おまけに主筋である劉備を通さずに関羽に直接縁談を持ち掛けるのは
礼節からも外れてるし断られて当然でしょ。
ただ確かに関羽もうちょっと穏健に断ればよかったが、
この一件で呉が関羽の態度についてウダウダいうのは筋違い。

荊州失陥は蜀政権内の関羽の責任であって、呉蜀同盟破綻の責任ではない、
同じく守備兵云々も蜀政権内の関羽の責任、なんか論点勘違いしてない?
902無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 03:35:30
呉蜀同盟の破綻?
そんなもん劉備が江陵を返さず妹が呉に帰った時からのことだろ。
関羽のせいとは言わないが、だからと言って孫権や呂蒙のせいとも言えないぞ。
もともと呉の戦略においても蜀の戦略においても荊州は必要な土地。それでも
呉蜀が同盟を組もうというのなら、どちらかが折れて諦めるしかない。
903無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 03:50:23
>>902
孫権の妹が帰った後も魯粛が死ぬまでは同盟を続けようとする意思はあった、
魯粛死後に呂蒙が孫権に荊州攻略を説いて、それからは明確に荊州奪取に向けて動いており、
同盟破壊の実行者は間違いなく呂蒙でしょ、同盟破壊を前提に動いてる。

荊州は一応は割譲されたし、呉にとっては今だ不本意でも互いに騙し騙しやっていく必要があった、
荊州の奪取はもっと時期を見るべきであり、夷陵を招くようなやり方は不味かった。
まあここらへんは上でも散々語られて、ループしてるけどねぇ...。
904無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 04:21:09
呉蜀同盟をうまく操作できたのは魯粛だけ。
劉備も関羽も魯粛の手のひらに踊ってたに過ぎない。
そんな魯粛が死んじゃったもんだから蜀を操作できる人間いなくなっちゃって
仮にこのまま呉蜀同盟が円滑にいって魏を打倒できたとしても
蜀の方が呉より優位に立っちゃう可能性の方が高そうだし
かつて呉より下位だった蜀が自分より上位になっちゃうのは
俺が呉の立場だったら魏の傘下入りするより遥かにへこむな。
905無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 04:27:55
>>904
演義読んだことないの?
ならこのスレくんなよ
906無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 04:46:55
そもそも呉には蜀のように魏を倒す意思があったの?
荊・楊州の防衛ラインを堅守して、半独立国家を維持できればOKって気がするんだけど。
907無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 04:50:26
孫策周瑜魯肅にあったことは間違いない。
908無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 09:26:46
>>903
>荊州の奪取はもっと時期を見るべきであり、
時期を見て荊州奪えなかったじゃ洒落にならんだろ。
あのタイミング以外でどういう絵を描いたら荊州を獲得できるのかそれを示せない限り
呂蒙の荊州侵攻は唯一の機会を生かした最善の戦略だったことになる。
909無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 09:41:26
荊州奪取は時期を待って、と言う意見には同意できないなぁ。
では、どんな時期なんだろう、と言う事になるよ。
関羽が隙を見せた、あの時期がチャンスでは?
荊州を失陥すれば劉備が出兵してくるのは視野に入れていたと思う。
陸孫を早々に夷陵近辺に派遣して国境を塞いでる訳だし。
また、夷陵の役の時期は呉にとって大変な時期ではあったけど、関羽戦の頃より、魏とは良好な関係を築いてる訳で、二面戦の可能性は低い。
対蜀と言う部分では、国境線に近い夷陵で劉備軍を防いでおって、この戦役のみを取り上げれば、そんなに厳しい戦いではない。
火攻で大勝する以前に、蜀漢軍を止めてる訳で、この段階ですでに防御側有利だろう。
910無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 09:41:45
>>903
一つ誤解があるような。
魯粛の呉蜀同盟はあくまで「呉が荊州を領有する」ことが前提。
三分についても同様で、魯粛は本来甘寧と同様に二分策で益州まで含めて魏と
対峙することを計画に入れている。しかし周愉の死によって益州侵攻が一先ず
頓挫してしまったので、次善の策として劉備を強化して魏に当らせるという方策
をとっただけのこと。
呂蒙が同盟を破壊した云々というが、実際には魯粛も壊している。
この二人はあくまで荊州の領有を目指した上で蜀と結ぶ事を目指しただけ。
単刀会でも、最初に侵攻したのは魯粛。そのあとで会談で(一先ずの)妥協決着を
つけただけ。おそらく魯粛が生きていれば、同じ調子でじわじわと荊州を奪還して
いっただろうね。呂蒙はいっぺんに奪還をはたしたわけだが、それは両者の考え
の違いではなく、おかれた状況の違いなだけ。
二人とも、「まず強引にでも土地を奪う、その上で蜀に認めさせたうえで同盟を再
締結する」という手段は変らない。
911無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 10:20:07
>>910
魯粛存命ならば、そこで打ち止めじゃないか?
少なくとも涼州を取るまでくらいは。
呂蒙に夷陵の役をやる覚悟があっても、
魯粛にはないだろう、と思うのだが。
912無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:22:26
>>911
赤壁前夜、勝手に劉備と密盟結んで諸葛亮連れてきて孫権に事後承認を迫ったのが魯粛ですよ。
演義のイメージで語らないほうがいい。
913無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:40:43
>>912
すまん、『覚悟』という言い方が悪かったようだ。
『つもり』くらいに修正しといて。
私は魯粛を過小評価していない、と一応言っておく。
914無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:44:01
涼州を取るまでっていつ?

そもそも劉備は中原よりも先に涼州を取る気があったのか?

中原を得て強大になった劉備は、昔の盟約を律儀に守って
荊州を返却してくれる保障はあるのか?

かつて呉も一方的に盟約を破っているのだから
蜀も守る必要はないと突っぱねられたらどうするのか?
強大になった蜀と一戦するのか? それこそ勝ち目はないんじゃないか?

演戯のお人好し魯粛でも無い限り、荊州が将来的に平和的に呉の物になるとは考えないだろう。
魯粛だって、どうせ強行策をとらざるを得ないんだったら蜀がまだ呉の手に負える内に
荊州をとっちまおうと考えるんじゃないだろうか。
915無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:45:17
どっちにしろ、魯粛が荊州を奪うとしたら、劉備が攻めて来るのも計算しているだろうよ。
その時の作戦指揮は彼がやるとは限らないが、劉備を破るつもりだったと思う。
916無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:47:37
>>915
孫権の魯粛評が呂蒙伝にちょっと載ってるから読め
917無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:54:39
>>916
孫権の評価はあてにならんだろ、あれ
918無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:20:53
魯粛はプランナーとしては優れていたけど実行する能力ってのはそれ程ではない
孫権も「言うだけ言って実行しない欠点があった」と評価してる
919無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:25:21
>>914
劉備が約束を守る保障などまるでない。
守らない可能性がはるかに高い。
魯粛とて劉備がロクでもないやつだということは、
荊州分割の時点でわかっていただろう。
それでも決定的な同盟決裂、それに伴う激戦は曹魏を利するだけで、
それは孫呉が天下を得る上で絶対に避けねばならないはずだ。

>>演戯のお人好し魯粛でも無い限り、荊州が将来的に平和的に呉の物になるとは考えないだろう。
魯粛だって、どうせ強行策をとらざるを得ないんだったら蜀がまだ呉の手に負える内に
荊州をとっちまおうと考えるんじゃないだろうか。

合理的な考えだ。だが、こう考えたのは呂蒙ではないか?
魯粛はもう少し別の方向を見ていたような気が私にはする。
920無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:25:22
>>918
プランナーだから荊州奪回プランは取り返しに来る劉備を倒すとこまで考えるだろ。
実行者は別人だろうけどな。
921無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:35:28
>>920
計画ってのも大局的なのと実務的なのがあって魯粛は前者が得意だったってこったな
922無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:39:43
孫策…中原進出?
周瑜…自ら西進することで反曹勢力を糾合。天下二分
魯粛…同盟によって、周瑜の代わりに劉備を利用した天下二分?
呂蒙…同盟抜きで孫呉が自立できる天下三分

難易度でいうと魯粛のが一番キツイかな。
923無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:41:41
>>921
うむ。
だから孫権の魯粛評は一面の真実かもしれんが、全く不当な評価だと思う。
実行者であった者を持ち上げるための発言と言うべきか。
924無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:46:47
>>923
それは、おかしくないですか?
評価というのは結果も含めて為される物なのだから、
魯粛自身が蜀に対する対策を持ち得ず、事実、荊州を奪還できなかったんだから仕方がないでしょう。
あったかわからない魯粛の荊州奪還プランとやらで孫権評が不当とするのはどうかな。
925無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:48:54
>>919
>それでも決定的な同盟決裂、それに伴う激戦は曹魏を利するだけで、
>それは孫呉が天下を得る上で絶対に避けねばならないはずだ。
>
曹魏を利することよりも、荊州が二度と手に入らなくなることの方こそ
天下を取る上で絶対に避けねばなるまい。

関羽討伐をまずい策と批判するのならば、
それ以外に荊州を手に入れる方法があるんだということを示すべし。
話はそれからだ。
926無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:50:18
不当ではないかも知れんが孫権が全てを見通していたって保障もない
要するに参考にはなるけど全面的に信用するようなものでもないってことだろ
927無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:51:55
>>924
それに対する魯粛の弁が
「なんかやろうとする時(天命があれば)頭いい人が来て助けてくれるさ!」
だから、孫権の魯粛評を不当とするのはちょっと早計じゃないか?
どう見ても行き当たりばったりです
928無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:58:03
実際赤壁といい荊州問題といい夷陵といい、たまたま成功させられる人間がいたから出来たというタイトロープだよ。
ただ魯粛が計画しないとそのロープ自体が見えなかったと思うよ。
929無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:59:46
>>926
そんなこと言い出したら、あらゆる論評が信用できない。
孫権による評価は、対象者達の言行、結果などを比較した上で、
彼らの主君という立場から為された貴重の史料と思います。
930無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 13:04:06
>>919
そりゃそうだ。
だが関羽北上の時点で曹魏も蜀漢も孫呉との戦いは望んでいなかったはず。
『漁夫の利』を狙えるのだから、時間一杯戦わせて疲弊させてからでも遅くはないだろう。
その間に劉備の主力が回復するというのは考慮できるけど、それだったら曹操だってそうだし。
漢中戦と関羽北上で体力を使い果たした蜀漢に魏も呉も同時に相手にできるかな?
その時こそ外交だけでどうにかできそうな気がするのだけど。
931無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 13:05:46
>>930>>925宛。ミスったorz
932無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 13:08:21
>>930
その論理は、
時間一杯戦ってくれる
外交で解決できる
そのとき魏がちょっかいを出さない
という三重の希望的観測によって成り立ってるよ。
933無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 13:28:22
・時間一杯戦ってくれる
⇒魏と蜀漢が消耗するのは確実。
 しかし、呉が手を出したせいで結果的に魏の消耗が抑えられ、
 極端に蜀漢が弱くなってしまったのが得策ではなかった。

・外交で解決できる
⇒確かに疑わしいが、夷陵の役をどうにかして避けられないものか。

・そのとき魏がちょっかいを出さない
⇒その場合は当然の如く同盟続行。
 蜀が魏と結ぶなんて関羽北上の成功より有りえない。
934無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 13:41:43
>>933
戦前の段階で、長期戦になり両者が消耗するかなど不明。

呉の圧力に屈するほど弱くなった蜀に、魏が黙っているだろうか?

一つ一つ条件では、可能性があっても、
そういった条件を積み重ねるというのは無茶だと言うことですよ。
935無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 13:42:25
>>931
外交で解決できる状況にできないこともないだろう。
どうであれ、『もっと上手く出来たんじゃないか』とかいう論理で、
呂蒙を減点はできないのは確かだが。
936無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 13:46:40
>>930
戦況は刻一刻と変わるのに、遠方の呉がどうやって「時間一杯」のタイミングを測るんだか。
外交の使者を送ったら、「魏はすでに遷都し、蜀は中原に進出していました」
あるいは「関羽はすでに退却して南郡にひきこもっています」じゃ阿呆だろ。

とりあえず時間一杯のタイミングを具体的に示してくれ。
次にそのタイミングドンピシャで外交の使者を送ることができるのかどうか
その実現性は高いのかどうかを検討してくれ。
937無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 14:04:51
>>935
ですな。
ifの可能性を追い求めるのは歴史ファンの楽しみの一つだが、
そのifをもって歴史上の人物の能力を評価するのは駄目と思う。

周瑜が天下二分を立案したことを評価するのはありでしょう。
これをもって、多少の知力増もありやもしれません。
でも、周瑜なら天下二分を成し遂げたろうから知力を上げろ、というのは無茶なんですよね。
938無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 14:10:53
>>903
時期を選んだらその内蜀が攻めてこないような時期が転がり込んでくるのかよ。
939無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 14:19:34
>>936
タイミングを測る場所は”遠方の呉”ではなく”前線の陸口”ですよ。
そして「魏はすでに遷都し、蜀は中原に進出していました」が、
正にそのタイミングではないのですか?
蜀は漢中〜漢水のルートで魏と戦えるから、
戦略的に荊州にこだわる必要がある程度は減る。
戦線が拡大するので孫呉との同盟を一層強固にする必要がある。
だから荊州を返還する、と。
関羽を殺して魏と呉で南北を分け合うのではなく、
関羽を生かして蜀と呉で南北を分け合った方が、
長い目で見れば両者にとって良いのではないかと思うのです。

5行目以下は「よくわからない」としか言いようがないです。
あなたはどう思いますか?
940無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 14:32:49
>>939
益州・荊州・雍州(涼州・エン州・豫州)などを押さえられ魏が北方に遷都した後なら、
もう譲歩して荊州を譲る必要がない。

むしろ魏の動きしだいでは北方を守りに専念して河を降って呉を滅ぼすこともありうる。
941無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 14:43:04
>>940に同意。そこまでいったら逆に蜀と魏が和睦して盟を結び
蜀が呉に攻め込むこともできる。
そうなったら呉は絶望的だよ。
942無名武将@お腹せっぷく
魏と結ぶことはないな。自殺行為だ。
結ばなくとも中原は一進一退の攻防だろうし、益州・荊州が全軍を挙げて攻め込めば
晋の征呉の再現になる可能性は高い。