どの程度の人材がいたら蜀が統一出来たのだろうか3

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1無名武将@お腹せっぷく
前スレ
どの程度の人材がいたら蜀が統一出来たのだろうか2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1101181306/l50
2永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/28 23:21:12
>>前スレ990
>なんとか呉と決定的な破局を迎えないうちに体制を整える。
>他に戦略はないよ。
言葉にすれば二行ですが、呉の事情も刻々と変わってます。
曹操と戦ったり、荊州に手を伸ばそうと画策したり、めまぐるしいです。
状況が変わるたびに新しい目標設定を考えないと対応し切れません。
いつ破局になるかを想定するだけで大きく方針が変わるし、
どうやって破局を引き伸ばすかによっても、方針は変わります。

>呉を配下に置けない以上、勢力を広げていくには北か西に攻めていくしかないわけだし実際蜀取りは成功してる。
蜀取りは謀士と武将が手際よく働いてくれたので成功しました。
しかし、その先にはっきりした展望があったようには思えません。

>>前スレ991
>屯田兵って知ってる?曹操が始めて使ったんだよ。紙一重ってのはそうだろうけど
>内政の上手下手がその紙一重を分けたと思うよ。
官渡では、曹操の方が兵が少ないにもかかわらず、食糧難に陥ったのはご存知ですか?
脳内ソースと言われないように、本文より引用します。

公與紹相拒連月,雖比戰斬將,然 ?(文字化けしました)少糧盡,士卒疲乏.(魏書武帝紀)
五年、與紹連戰.太祖保官渡,紹圍之.太祖軍糧方盡,書與ケ,議欲還許以引紹.(魏書荀ケ伝)

屯田制が施行されたのが196年、官渡戦役が集結したのが200年。
4年では屯田制は軌道に乗らなかったようですね。
これに表れてるように、劉勲が旧袁術勢力を吸収した時点では、
曹操の内政は軌道に乗っていなかったのです。
3無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 23:25:42
4無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 23:31:18
劉勲大ハヤリだな

劉勲がいれば、蜀は天下統一できた!
5965:04/12/28 23:31:51
前スレ>>994

「政治の専門家が統治者として有能か」どうかに着目する。

軍事面の功績が多大であり、蜀科の成立にも関わった。
確かに。それで、それが一体何だというのか。
功績だけで領地を治められる物ではない事を、まずは念頭に置くべきだろう。

確かに「劉備の下で働く」上においては有能だっただろう。
功績がそれを実証している。
法正が、
そちらの言われるように彼が有能な法家であり、能吏であったとしよう。
しかしそれは酷吏。
宿命として、酷吏は民衆からは決して愛されない。
法の大家である曹操でさえ、袁家を慕う民の郷愁を覆す事は死ぬまで出来なかった。
法正の能力で、まして一勢力の長ですらない彼が、法家の宿命から逃れられるだろうか?
復讐や何やらに対する中国での価値観だか文化云々はここでは問題ではない。
法正が「私怨を晴らす為に法とその立場を利用した」ことが人に法正を恐れさせている。

私怨で人を殺す人間が法家でありえるだろうか?
その見地からいけば法正は法の番人ではなく、彼は法家の人ですらない。
法の厳でもなく、徳の寛でもない。方針が一貫しない以上、統治者としても疑問符がつく。
袁紹の寛、曹操の法。どちらも一寛したからこそ、人を治める事が出来たというのに。
6無名武将@お腹せっぷく:04/12/28 23:47:32
>>2
> 呉の事情も刻々と変わってます。

呉との小競り合いはあったが、とにもかくにも表面上は荊州を分けることで紛争は収まった。
そういった状況の中で荊州を失陥してしまったのは関羽の責に帰すべき。
諸葛亮の無策ゆえじゃないよ。

> しかし、その先にはっきりした展望があったようには思えません。

その先は展開待ちでしょ。
実際もともとのいわゆる「天下三分の計」も一角を占めて機会をうかがうというものであったわけだし。
たださあこれからというところで関羽のミスによりその前提が破綻したわけで。
その後の夷陵の戦役は諸葛亮の制止を聞かなかった劉備の責任でしょ。
7前スレの982:04/12/28 23:55:58
>>永遠の青さま
双方紙一重とおっしゃいますが、
官度戦役において、曹操側にはまだまだ余力があったように思えます。
(ハイショウシの指摘通り)
孫策が紙一重なら、曹操側は紙三重ぐらいの。
孫策は紙一枚が破れて死に至りましたが、曹操側の反乱はいずれも未然で防がれるか、ボヤ程度で済んでいます。
政治力の差は歴然としています。

曹操側が孫策に備えて、手駒をひとつ失うなら、孫策側にも同じことが言えるでしょう。
曹操以上に孫策のほうが余裕は無いのですから。
8永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/29 00:12:29
>>6
>呉との小競り合いはあったが、とにもかくにも表面上は荊州を分けることで紛争は収まった。
>そういった状況の中で荊州を失陥してしまったのは関羽の責に帰すべき。
関羽が過ちを犯したのは事実ですが、孫権陣営にも荊州を奪取したいと言う強い意思があり、
それに対抗する戦略を立て得る人物が劉備陣営首脳にいなかったことが、失敗の原因だと思います。

>諸葛亮の無策ゆえじゃないよ。
彼は後方支援担当なので、戦略の失敗は彼の責ではないでしょう。
そもそも、当時の諸葛亮は劉備陣営においては、
戦略立案は担当していなかったと言うのが、私の意見です。

>その先は展開待ちでしょ。
展開待ちです。しかし、その先の展望を開くのは、
蕭何の才しか持ち合わせていない諸葛亮の役目ではないでしょう。

>実際もともとのいわゆる「天下三分の計」も一角を占めて機会をうかがうというものであったわけだし。
機会を伺うのにも、戦略が必要です。
何を機会とみなすか、機会とみなしたらどう動いて、何を獲得目標とするか。
劉備陣営には的確にそれを示せる人物がいないのです。

>たださあこれからというところで関羽のミスによりその前提が破綻したわけで。
前スレで書いたとおり、劉備陣営には、天下統一に必要な人材である
「高い戦術能力、戦略眼、統率力、統治能力を合わせ持った将軍」がいません。
関羽しか置けなかった時点で、前提は破綻しています。

>その後の夷陵の戦役は諸葛亮の制止を聞かなかった劉備の責任でしょ。
上でも書いたとおり、劉備存命中の諸葛亮は後方支援担当。
夷陵の戦役でも、積極的に制止した記録は有りません。
「法孝直が生きていたら、東征は阻止できただろう。東征したとしても、惨敗することは無かっただろう」
そう語ったことが記録に残っているのみです。
9無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 00:23:12
厨房板ならではの低レベルな論争だな
10永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/29 00:27:18
>>7
>双方紙一重とおっしゃいますが、
>官度戦役において、曹操側にはまだまだ余力があったように思えます。
十対一と言う正史の戦力差は不自然ではないかと、私も思っています。
陳寿(の参考にした魏の公式記録)の誇張ではないかと思います。
しかし、誇張されていたとしても、その元となる
「曹操の方が戦力が少なく、食糧にも苦しんでいた」と言う事実、
「多くの郡県や豪族が袁氏に呼応した」と言う事実は存在したと思います。

当時、官渡以外の場所にいた臣下の伝を見ても、
「袁氏の方が戦力が大きい」「曹操は苦戦していた」
「曹操領内の動揺が大きかった」と言う記述が散見しており、
やはり曹操はかなり追い込まれていたのではないでしょうか。

>孫策は紙一枚が破れて死に至りましたが、曹操側の反乱はいずれも未然で防がれるか、ボヤ程度で済んでいます。
>政治力の差は歴然としています。
孫策は力尽きて敗死したわけではありません。
政治力の欠如のために自壊したわけでも有りません。
少ない護衛で遠出するという群雄にあるまじき無用心のせいで
仇敵に暗殺されただけです。
他の大勢力の主が、そこまで無用心ならとっくに暗殺されています。

袁紹も曹操も、大勢力になる過程で大勢の仇敵を作りました。
殺した中には大豪族、人望の厚い名士も少なくありません。
それこそ、刺客を放って仇を取りたい人間は大勢いるでしょう。
しかし、そんな隙を見せなかったので、病床で死ねたのです。
11前スレの982:04/12/29 01:44:24
>>10
歴史書では手柄はより誇大にする傾向があります。
列伝内でも反乱鎮圧に、通常なら手柄を5倍の数にするところを
反乱を誇大に描くのは不名誉として、実数に直した話もあり、
上に挙げられた事例にもかなりの誇張が含まれていると思われます。

>>「多くの郡県や豪族が袁氏に呼応した」
官度の折に汝南の袁氏縁故のものが蜂起したしたところ、満寵が兵800で鎮圧したとあります。
実際は戦闘行為ではなく、自警団を繰り出して不審者を捕らえた・・・程度の治安維持活動レベルの話です。
戦闘行為だとすれば兵が少な過ぎます。
この当時の満寵は将軍ではなく、官吏でしたから。

>>「袁氏の方が戦力が大きい」「曹操は苦戦していた」
白馬、延津での勝利の後、官渡に撤退したのは、
けっして苦戦して追い込まれてた訳ではなく、戦術的撤退によるものです。
ただ、戦地に居ないものは、戦況だけ聞いて上のような感想を持っても不思議ではありません。
それが列伝に反映されただけの話です。

反乱を未然に防ぐのも、それに伴う防御体制が整っているからで、
それは政治力の力とは言えませんか?
それに曹操は豪族、名士層の取り込みには充分意を注ぎ、
時には逆らう名士の処断などしたりしましたが、
孫策のように逆らうどころか、従わぬものまで片っ端に粛清をかけたりはしてません。
お互い大勢の仇敵が居るとしても、曹操と孫策とでは危険度に差があります。

必ず曹操が勝つとは限りませんが、モロモロの状況で曹操のほうに分があるというのが私の見解です。
12無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 02:03:46
だから曹操は常に複数の敵を抱えている状況が多いのに、
二方面作戦を展開してどうすると何度言えば(ry
13無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 02:09:14
>11
割り込む様で申し訳ないが、官度の役はやはり曹操側は相当厳しい状況だったと思うよ。
戦力差10:1は永遠の青氏のおっしゃる通り、誇大だと思うけど、それでも袁紹側の方が相当多く、しかも曹操側は兵糧不足。
袁紹側の失策(色んな部分で)のおかげで勝利出来た要素が大きい。
それを最大限に活用した曹操は偉大だけどね。
奢った袁紹に対して、最善を尽くした曹操に運が傾いたような部分があると思う。

結果的に曹操大勝だけど、田豊の建言のような堅実さに徹していれば袁紹が普通に勝利し、曹操が厳しい状況に追い込まれた可能性もかなりあると思うけど。

14前スレの982:04/12/29 02:19:15
>>12
自分は曹操と孫策が領土を接しても、実際には戦闘にならないと思います。
それこそ史実通りに暗殺されるか、反乱者が出て、それの対応に追われることになると思います。
史実の暗殺も、実際は郭嘉による計略でしょうし。(史書では予言の形を取っているが)

すみませんが、ここらで落ちます。
15無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 02:19:18
俺がいれば蜀が天下統一できた。
それどころか西方進出までできたね。間違いなく。
16無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 02:25:42
>15
すげーな、どうやるんなだ?
17永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/29 02:28:00
>>11
>官度の折に汝南の袁氏縁故のものが蜂起したしたところ、満寵が兵800で鎮圧したとあります。
満寵伝では兵500です。

>実際は戦闘行為ではなく、自警団を繰り出して不審者を捕らえた・・・程度の治安維持活動レベルの話です。
自警団を繰り出して二十余城を攻め落とし、二万戸と兵二千人を降したなんて、
汝南の自警団は強いんですね。

>戦闘行為だとすれば兵が少な過ぎます。
理由1.
汝南の県の多くが袁氏になびいており、曹氏側の県は少数派だったため、
曹操派の太守満寵の元には500人程度の兵士しか集まらなかった

>この当時の満寵は将軍ではなく、官吏でしたから。
董卓が現れて、無政府状態になるずっと前から、
郡太守は異民族討伐や反乱討伐のために郡兵を指揮して戦っています。
郡太守であるなら、将軍でなくても、郡兵には指揮権が及ぶのです。
1812:04/12/29 02:36:06
 まぁ、曹操と切り結んでも孫策がいずれ死ぬ事になるだろうという部分は概ね同意。
しかし、曹操側もその対応で隙が出来る(占領した盧江を統治しなければならない)のは事実で、
その隙を見逃すほど袁紹は鈍重では無い(いや実に色々見逃してるがそこまでとは)ように思う。
確かに盧江は、取るべき場所ではある。盧江が無ければ、後に延々続く合肥の戦いも無かった訳で。
 戦略面から見れば982は実に正しいと思う。
しかし、本当にあのタイミングで取らなければならないのだろうか。
レスを待ちたい。
19無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 03:09:41
曹操んとこにたどり着く前に陳登にやられちゃうって。
何で光栄の陳登の評価はあんなにいかれてるのか。
20無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 03:59:30
陳登は曹操からの救援が無ければ簡単に降伏するかも
21無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 07:28:36
>>8
>上でも書いたとおり、劉備存命中の諸葛亮は後方支援担当。

>>6とのやり取りは概ねあなたに同意だが、この記述はおかしいよ。

軍師将軍などという過去にない号をわざわざ劉備が作って任命したところに、
孔明に期待されていた役割を推察することができる。
「軍師」の役割は、明らかに「後方支援担当」じゃない。
戦略参謀総長(ここでいう戦略=軍事ではない。内政・外交・軍事を全て含んだ国家戦略のこと)
であり、実際に東征を制止する諫言を行ったかどうかは別として、ムチャだと思えば制止することは
孔明の職務のうちに入る。

ましてや、直接の職務でないとしても国家の重大となる問題であればそれは職務を越えてでも
諫言するのは臣下の勤め。
劉備が敗死し国家が滅びるような一大事を事前に察知しておきながら、あなたの言うとおり
特に諫言せずに、後になって「やっぱりね〜。俺、ムリだと思ってたんだよなあ」とか
言っているとしたら、孔明はサイアクな人物でしょう。
実際、一将軍に過ぎない趙雲でさえ劉備を諌めているわけですし。

ここは、孔明も劉備に諫言したが敵討ちという問題や年齢から来る焦りのために
劉備が聞き入れなかったと推測すべきだし、そのために同じように諫言した趙雲とともに
東征に連れて行ってもらえず後方支援にまわされたとする演義の内容も、ある程度、事実に
即していると見るべきでしょう。
22無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 08:12:15
>>21
いやいや、「永遠の青」氏のいうとおり、諸葛亮は東征に反対していない
なぜなら、劉備がこれで失敗して死んでくれたら蜀は自分の思い通りになるから。
関羽の失敗も予知できながら、それをみすみす看過したのもそのため

その諸葛亮の腹黒さをイメージして作られたのが、OVAジャイアントロボに
登場する策士・諸葛孔明
23無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 08:21:31
((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル  

醜悪龐統、陰険法正、死亡馬良、低脳馬謖、嫉妬楊儀、暴言廖立、傲慢李厳、妄想彭ヨウ
そして腹黒諸葛亮・・・・

蜀が滅びたのは当然ですね
24無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 08:39:24
>>23
(´ー`;) 馬良をそこにいれるのはいかがなものかと...

せめて、入れるなら無謀姜維、泥酔費禕ぐらいにしといてください
蔣琬と董允と馬良はいい人ですね
劉巴はちょっと威張りすぎかな
25無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 10:12:46
諸葛亮が自身の死後の事の北伐に関して明確に遺言してないし、漢中府には
多くの文官も駐在していて、武官との仲も悪いし。
成都に董允一人は厳しい物があるな。
26無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 10:39:56
>>21
たしかに「能力的に後方支援に向いている」というイメージが、いつのまにやら
「諸葛孔明の職務は後方支援」ということに議論の中ですり替わっているね。
"軍師"将軍という雑号から推測される劉備が諸葛孔明に与えた役割は、やっぱり
軍事や政治、外交も含めた蜀の国家戦略全体の統括なのだろう。
27無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 10:44:26
関羽が敗北するように、兄を使って呉を動かしたのは私です
張飛を暗殺させたのは私です
劉備の寿命を縮めるために、東征にはわざと反対しませんでした
ホーホッホッホ

                 ,, -―-   ,
             __ ‐''": : : : : : : : : : \
          , -''": : : : : : : : : : : : : : : : : :.\
.          |: : : ,ヘ : : : : : : : : : : : : : : : : : : :\
           |: :./ \: : : ; ;.. -ー-、: : : : : : : : \
           V_    ̄       \: : : : : : : :i
            | >=、 、 ____  /: : : : : : : :.|  
           } `ー’}  `ーr- ―ヘ\ゝ: : : : : : : : |
          /|   /     \ー-’-` > r=、: : : : : |
          |:{   /       `''     〉:lテ 〉: : : : :.|
          l:ト 〈__ ..        /: / /: : : : : rヘ
          lハ/:ト、 ___   ,ヘ   | /‐ ': : : : : : :}_i
            _V  `=‐'´ ̄|ノ   ィl/ ト、 : : : : : : /
 __... .  -―''" /ヘ  ´     / -‐''"/ ヽr-、/
´        // ヽ/ヽ_  __/    /   lヘ `ヽ、

28永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/29 11:05:14
>>11
>白馬、延津での勝利の後、官渡に撤退したのは、
>けっして苦戦して追い込まれてた訳ではなく、戦術的撤退によるものです。
「紹連營稍前,依沙?為屯,東西數十里.公亦分營與相當,合戰不利.時公兵不滿萬,傷者十二三」
史書のこの記述はさすがに誇大に過ぎると思いますが。
そもそも、十対一の戦力比なら、数十里もの陣営を対抗して敷くことなど、不可能だからです。
ただ、戦って利あらず、官渡まで退いたのは誇張の無い事実であると思います。

>反乱を未然に防ぐのも、それに伴う防御体制が整っているからで、
>それは政治力の力とは言えませんか?
史書には未然に防がれる前に、兵を擁して叛き、
武力や策謀で鎮圧されている人がたくさんいるんですが…。

>それに曹操は豪族、名士層の取り込みには充分意を注ぎ、
>時には逆らう名士の処断などしたりしましたが、
>孫策のように逆らうどころか、従わぬものまで片っ端に粛清をかけたりはしてません。
曹操自身が名士階級の出身であり、漢朝の権威で名士に強く出られるのに対し、
孫策は袁紹のような名声も、曹操のような権威もありません。
しかも、早急に勢力を広げたために領内に抱え込んだ、
私兵や名声(社会的勢力)を有した不穏分子の取り込みに意を注ぐには、
曹操や袁紹のようなとっかかりが無い分、時間が掛かります。
その間に、不穏分子の一部が名声や権威のある群雄に呼応して、
反旗を翻す可能性が出てきます。実際、江南の不穏分子に対し、
袁術や陳登が工作を仕掛けて反乱を起こさせた事例もあります。
それならば、従わない者は徹底的に殲滅して、反乱の根を摘み取るのが
短期間で地盤を固めるなら、最善の策ではないかと思います。
29永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/29 11:31:00
>>11
>お互い大勢の仇敵が居るとしても、曹操と孫策とでは危険度に差があります。
曹操だって何度も殺されそうになっていますが、用心深いおかげで生き残っています。
孫策が許貢の遺子と食客程度の相手に殺されたのは、
単に孫策が身辺警護に無頓着すぎたからに過ぎません。
曹操の仇敵が弱くて、孫策の仇敵が強かったのが、生死を分けたわけではありません。

>必ず曹操が勝つとは限りませんが、モロモロの状況で曹操のほうに分があるというのが私の見解です。
曹操の背後を強大な袁氏が脅かしていることをお忘れなく。

>>14
史実の官渡戦役時点でも、曹操と孫氏の領土は接していましたよ。
廬江の隣には、曹操側の揚州刺史厳象がいました。
そして、孫策は曹操側の広陵太守陳登と交戦状態にありました。

それはともかく、廬江が曹操を抑えたとしても、
あなたのおっしゃるように、官渡時点で曹操が江南に侵攻するということはまず有り得ないと思います。
曹操は背後に不安がありすぎるからです。

孫策がどう動くかは分かりません。
背後の不安を承知で、曹操が袁紹戦にかかりきりになってる間に江北を奪うべく賭けに出るか、
あるいは不穏分子粛清に奔走するのでは無いかと思います。
いずれにせよ、曹操・袁紹の決戦が終わるまでにできるだけ勢力を拡大し、
不穏分子を減らしておかなければ、決戦に勝利した側に飲み込まれる危険があるからです。
ただ、孫策は極端に身辺警護を軽視しているので、
いつ死ぬかは分かりませんが、いずれは暗殺か戦死すると思います。
30永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/29 11:57:41
>>21
>軍師将軍
劉備が荊州南部を押さえると、諸葛亮を軍師中郎将に任命しました。
そして、零陵・桂陽・長沙三郡の行政を担当させました。
益州攻略時は、増援軍を率いて益州入りしています。
軍師将軍になると、諸葛亮は後方支援を担当したと、史書に明記されています。
「成都平,以亮為軍師將軍,署左將軍府事.先主外出,亮常鎮守成都,足食足兵」(蜀書諸葛亮伝)

劉備が何を考えて軍師中郎将、軍師将軍という官職を創設したのかは良く分かりませんが、
史実の軍師将軍は「鎮守成都,足食足兵」を行っています。
彼が軍師将軍在任中に行った献言は、皇帝即位を勧めたぐらいです。

史実で国家戦略に関与した参謀・軍師なら、必ず史書に残るような献言が記録されてます。
そういう献言が無い人物でも、最低限「計略を出した」「謀議に与って功があった」と言う記述ぐらいは残っています。
少なくとも、荊州占拠から、劉備が死亡するまでの諸葛亮は、
本来的な意味での参謀・軍師では無く、内政・後方業務のトップであったと思います。

>ましてや、直接の職務でないとしても国家の重大となる問題であればそれは職務を越えてでも
>諫言するのは臣下の勤め。
そう思う人もいれば、主君が間違ったことをしても、
自分は与えられた職責だけを果たそうという人もいるでしょう

>劉備が敗死し国家が滅びるような一大事を事前に察知しておきながら、あなたの言うとおり
>特に諫言せずに、後になって「やっぱりね〜。俺、ムリだと思ってたんだよなあ」とか
>言っているとしたら、孔明はサイアクな人物でしょう。
残念ながら、諸葛亮が東征に積極的に反対したと言う記録は、
史書の中どころか、裴松之の注にすら残っていないのです。
積極的に反対した人の伝や注には「反対した」とちゃんと記録に残ってます。
諸葛亮に関して一切記述が無いということは、積極的に諫言しなかったのでしょう。
31永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/29 12:03:15
>>26
能力的に向いていると言うのも、
「劉備在世中に諸葛亮がどんな任務を担当していたか」
「最高権力者になってから、どんな分野で特に能力を発揮したか」
そういう史書中の記述から、推測したに過ぎません。

>たしかに「能力的に後方支援に向いている」というイメージが、いつのまにやら
>「諸葛孔明の職務は後方支援」ということに議論の中ですり替わっているね。
そういうイメージを「職務は後方支援」にすり替えたのではなく、
「劉備在世中の諸葛亮の職務は後方支援」
「丞相になってから、特に内政で力を発揮した」という史書の記述から、
「能力的に後方支援に向いている」と判断したのです。
32赤ペン先生:04/12/29 12:16:14
知識の披露は結構ですが、
長くて読むのが大変ですね。

次は、簡潔にまとめることを心がけてください。
33無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 12:40:10
>>30
その記述は、事実上、劉備が外にいるときは内のことは孔明が任された、つまり劉備の次の地位であった
ことを指しているだけのことでしょ。
それに、文字通り解釈するなら"軍師"将軍が意味するとおり軍師であったと解釈すべきでしょ。
もともと蜀は史官がいないこともあって記録が少ないことや、劉備が存命のころは周囲の反撥、
特に関羽ら譜代ともいうべき連中の嫉妬をかわないように表面的には控えめにして、劉備と
二人っきりいろいろ打ち合わせをしたんだろう。
特に諫言のようなものは、表立ってナンバー2の地位の人間がそれをやると影響が大きいので、
内々で劉備に行ったと考えるほうが自然。

劉備が失敗してから、「失敗すると思ってました」的な発言をするのは、立場的にも変。
記録にないから何も事跡・功績がないとするのなら、そもそも丞相になんかなれません。
天下国家を論ずるに値する経綸の才(や、ある程度の軍事の才)のない人間に、
国家を任せるほど劉備もバカじゃない。
そして、あなたが言うように諸葛亮が「自分は与えられた職責だけを果たそう」というような
そんな消極的な人物なら、北伐を敢行したりもしないだろう。
劉備の生存していた頃と、そのあとであまりにも人物像が変わりすぎるし、与えられていた
実権やその号が示唆する役割と全然あわない。
劉備がいた頃は、譜代家臣の反撥・嫉妬を避けるために、劉備と二人っきりのときにいろいろと
国家戦略についての密議・謀議を行っていたと考えるのが自然。

漢文を書き下し文にして、それを「史書にこれしか書いてないからこうだ!」なんて
あまりにも不自然すぎでしょ。
もうちょっと状況を考えながら、実情に沿った解釈をすべきだと思うがね。
34無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 13:25:10
>>33
なんか言いたい事はよくわかるんだが、

>>周囲の反撥、 特に関羽ら譜代ともいうべき連中の嫉妬をかわないように
>>表面的には控えめにして、劉備と 二人っきりいろいろ打ち合わせをしたんだろう。

この辺とか特に根拠がなさすぎて萎えるな。二人っきりって・・・
勝手に空想を膨らましすぎじゃないか?
それなら「史書に残ってないけど実は〜だった」とかはいくらでも妄想できるぞ。

>>特に諫言のようなものは、表立ってナンバー2の地位の人間がそれをやると影響が大きいので、
>>内々で劉備に行ったと考えるほうが自然。

魏や呉とか、他の国・時代とかでも普通にナンバー2が諫言して、特に問題なかったと思うんだが、
蜀だけ無理なのか?
35無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 13:35:19
>>33
> 劉備が失敗してから、「失敗すると思ってました」的な発言をするのは、立場的にも変。
二人の時に諫言していたならこんな事言うべきではない。

> 記録にないから何も事跡・功績がないとするのなら、そもそも丞相になんかなれません。
内政や後方支援を軽く見すぎているのでは?
そもそも丞相って政務を取り仕切る役職でしょ?

> 天下国家を論ずるに値する経綸の才(や、ある程度の軍事の才)のない人間に、
> 国家を任せるほど劉備もバカじゃない。
劉備が後事を託したのは諸葛亮と李厳。

権力を手にしてから人物像が変わるというのはよくあることだと思うが。
36無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 13:58:19
>>32
あの程度で長く感じるおまいさんのおつむってどんなもんよ?
こんな議論に2スレを丸々消化してもまとまらないでいる以上、
丁寧な解説の方がいいのは瞭然としてると思うんだが?
37無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:08:37
>>34
>>33ではないけど、魏や呉でナンバー1に諫言したのナンバー2とは誰のこと?

ちなみに、魏や呉は人材も後継者も豊富におり、ゆるぎないナンバー2とはっきり言い切れる人はいないけど、
劉禅が幼かった当時の蜀の場合は、まさしく劉備と諸葛亮しかいなかったでしょ。
もっている権限や実力を考慮すると明確に「この人がナンバー2」と言い切りにくい状態の魏や呉で
肩書き的にナンバー2程度の人間がナンバー1に反対するのと、文字通りツートップしかいない蜀で
ナンバー2がナンバー1に反対するのでは人心に与える影響が大きく、孔明がほかの人の前であからさまに
劉備に反対したことが広まれば、征東軍のモチベーションも下がりまくりで、いよいよ国家を危険に
さらすことになったと思われ。
そういった国情を考えれば、孔明は東征には反対したが趙雲ほどあからさまに表立ってやったわけじゃない
という>>33の推測は悪くないんじゃないかな。
完全に密室で二人っきりでやったではないにせよ、敗戦後の劉備と孔明の言動を考えても、孔明が
反対を諫言していたと推測するに困難ではないと思う。
>>30の正史にないから諫言してないってのは無理がありすぎだと思われ。
38無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:16:00
俺は諸葛亮をそれなりに評価してるし、当時では一級の人物とも思ってるけど、
嫌でも万機に携わってた様に解釈したがるのもどうなんだかな。

なにも>>30さんだって諸葛亮を無能とは言ってないし、それほど逆読みし過ぎた
様な極端な意見を言ってるわけでもなく、むしろもっとも無理のない意見としている
様に思うのに、そこまで必死に喰いつくのもどうかと思うんだが……

そんなに”軍師”なんて呼称を冠した将軍号から想像をひろげていきたいわけ?
39無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:19:16
>>37
当時の劉備陣営を考えると到底諸葛亮No.2とはいえないでしょ。
No.2は関羽だろう。
劉備譜代の少数の連中は軒並み諸葛亮より上だし。
40無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:27:10
>>39
地位がNo2だとしても、>>37は、(慣用句として使用する)役割としてのNo2
の意味で使ってるのだろうから詭弁にしかなってないな。
41無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:29:21
>>37
>>34ではないけど、張昭がいるんじゃない?

夷陵前の諸葛亮が「文字通りツートップしかいない」というのは違うと思う。
漢中王就任時で形式的にはナンバー5でしょ?

もし諸葛亮が東征に反対したという何らかの資料があれば裴松之が放っておかないと思うけど
42無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:34:15
>>37
曹操のナンバー2荀ケは、思い切り諫言しまくってますが。
袁紹のナンバー2沮授は、必死で南征止めようとしてますが。
孫権のナンバー2陸遜は、二宮の変で諫言して、憤死してますが。
孫晧のナンバー2陸凱は、思い切り諫言しまくってますが。
司馬炎のナンバー2賈充、平呉戦役に必死で反対してますが。
4337じゃないよ:04/12/29 14:39:09
>>42
魏、呉に関しては全く正しいと思うのだが
蜀の人間が一人も居ないのは何故なんだ?
44無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:42:56
>>43
劉備在世時は明らかなNo2がいなくて
劉禅のときは諫言する必要が無かったから?
45無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:43:15
>>37
孫権と張昭のガチ喧嘩とか考えると、

>ナンバー2がナンバー1に反対するのでは人心に与える影響が大きく、
>孔明がほかの人の前であからさまに
>劉備に反対したことが広まれば、征東軍のモチベーションも下がりまくり

は言い過ぎな気がするんだけど
46無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:46:40
とにかくナンバー2が表立って反対することで影響が出るのなら、
君主はその影響についても考慮に入れなければならず、
場合によっては取り消さざるをえない状態になることも考えられるわけで、
むしろナンバー2が君主の行いが間違っていると考えたときは、
表立って反対する方が君主の誤りを正すことができると思うんだが。
間違ってるかな?
47無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:54:31
場合にもよるけど、大抵の場合は間違いだな。
君主の権威、面子もあるし、表立っての反対がスタンドプレーと見られる事や
対立と見られる事もあるかと、穏便にそれとなく反対して説得可能なら
それが一番いい。
48無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 14:57:48
諸葛瑾を見習えってことか
49無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 15:08:50
劉gに対して諸葛亮が江夏太守になるよう助言を与えたのは
彼らが二人っきりの時だった。それでも史書には載ってる。

もし>>33の言うとおり諸葛亮と劉備が二人だけで密議を行っていたとしたら、
史書に具体的な内容までは記されなくても、「諸葛亮と劉備はたびたび
二人で国家について相談を行い・・・」くらい書かれていてもおかしくはない。

それがないってことはやはり劉備生存の頃の諸葛亮はそういう立場には
なかったと考えるほうがむしろ自然だと思う。
結構重要なことなのに当時はおろか後世の歴史書にもまったく言及されてない
ってのも変じゃないか、と思うが。

国家戦略に関わることができるくらいの能力はあったのだろうが、
劉備生前では特に国を支える内政に力を発揮し、その功績で出世したと
考えるのは別におかしなことじゃない。
50無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 15:11:36
>>47
もちろん穏便に済ませた方がいいがそれで止められないのなら・・・
表立って反対して翻意を迫り名臣と評価された香具師は古今東西に幾らでもいる

諸葛亮の場合は荊州派閥のトップとして表立って反対出来なかったというのはあるかもしれないけど
資料が無いことから荊州奪還と東征の危険性の狭間で判断に迷っていたって所じゃないの?
51無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 15:23:58
>>50
No2って言葉は好きじゃないけど、No2の立場に居る人物が
表立って反対するのは、あまり意味が無いし色々問題が有るかと。
信頼されているのだから、こっそり手紙でとか、人払いしてとかでも説得できる様な
それで駄目なら、表立って反対しても説得は無理だろうから。

諸葛亮の件は俺には分からないな、諫言しなかったのかもしれないし
密かに諫言したけど、失敗に終わったから記録に残らなかったのかもしれんし‥
何とも言えない。
52無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 15:31:44
結局のところ、どの程度の人材がいたら蜀が統一出来たのだろうか??
53無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 15:36:06
賈詡みたいな人材が二人といれば・・・
54無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 16:56:18
>>39
議論に出ている「当時」は、呉への東征なんだから関羽どころか張飛も死んでるヨ

5537:04/12/29 17:15:58
>>45>>42
例がおかしいよ。
そこに名前の挙がった人物は、君主が死んだときに君主直系の子がいなかったとしても、
魏や呉の後継者として名前が出ることはありえないでしょ。
だから>>37に、劉備と孔明のような状況と他の国では明らかに違うと書いたと思うんだけど。


>>46
諫言しても、主君は聞かないぐらいに感情的な問題の場合は?
実際、趙雲の批判は聞き入れられなかったし、秦宓なんて幽閉されたでしょ。

そして、それぐらい心ある人が反対するほど国や劉備自身を危うくするような東征に、諸葛亮ほどの人物が
「自分は与えられた職責以外のことはしませんよ」と、諫言しなかったという>>30の主張のほうが
仮定としておかしいんじゃないの?と俺は思うんだけど。
56無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 17:17:27
呂布が殺されずに、曹操に仕えていたら・・・
57無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 17:19:27
孔明スゴイって思ってたが山崎法正さんのほうがナイスなんですね。
58無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 17:28:29
ん〜、なんか文章がみんな長いな
三戦板らしくないw
「正史に書いてないことは存在しないのだ」の正史原理主義者の青タン+その信者(or自作自演)と
正史意訳・解釈派の争いか?
演義ロマン主義光栄改革派準正史分派のオレが大岡裁き(龐統裁き?)をつけてあげよう


             諸葛亮は軍師!でも包茎!! 残念!!!
59無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 17:29:03
>>55
張昭は?
というか蜀が文字通りツートップしかいないというのが間違っているのでは・・・
後事を託された片割れ李厳の立場は?

大勢の人が正史に残らなくても資料が無いのはおかしいと指摘している
60無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 17:32:14
孔明が包茎だなんて正史に出てないので認めません!
正史には、誰の伝にも包茎とかかれていないので全員ムケチンです
これだから低脳な演義厨は困るよ
61演義厨:04/12/29 17:35:42
>>60
演義にも包茎のシーンはないぞ
でも横山漫画なら、全コマじっくり見れば誰かひとりぐらい横チンはみ出てて包茎のシーンはあるかも・・・
ってことで、古代中国人は全員ムケチンか否かの検証は、漫画厨へ任せます
62無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 17:39:36
>>55が言うように、君主が死んだ場合に後継者として名前が出てもおかしくないぐらいの人物をナンバー2・・・
と考えれば、魏や呉に孔明ほど絶対的なナンバー2は後年の司馬イぐらいしかいないし、すくなくとも李厳は
ありえないと思われ。
63無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 17:43:12
ちょっと話は逸れるが。
もし龐統が死ななければ、荊州に孔明を残す事が出来た。
が、一度、益州を取れば蜀科を作るために孔明を益州入りさせるしかない。
そこで龐統を荊州に戻せば、関羽の暴走的北伐は(多分)無い。
問題はそこから先の展望だよなぁ。
荊州を残せれば、漢中・荊州からの2方面攻撃が出来るので、軍事的には問題ない。
しかし、呉との外交問題が根強く残る。
やっぱり孔明・龐統だけじゃなくて、もう一人「外交の天才」が欲しいなぁ。
大使とかじゃなくて、うまく対呉関係を取りまとめてくれる人。
6455:04/12/29 17:43:38
李厳にナンバー2という評価はありえないと思うんだけど。

>大勢の人が正史に残らなくても資料が無いのはおかしいと指摘している
これは誰に対して言ってるの?
65無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 17:51:15
>>62
> 君主が死んだ場合に後継者として名前が出てもおかしくないぐらいの人物
この例えがよく分からんのだが諸葛亮が絶対的なナンバー2なら何で劉備は李厳を呼んだの?
李厳がナンバー2という意味じゃないよ

>>64
諸葛亮が諫言したなら何らかの資料に残る
それを裴松之が見逃すとは思えないということです
66無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 18:05:52
>>63
>もし龐統が死ななければ、荊州に孔明を残す事が出来た。・・・そこで龐統を荊州に戻せば、関羽の暴走的北伐は(多分)無い。
それはどうだろう?
ここの住人は、無意識的に光栄感覚で武将には常に軍師を一人つけて・・・などと考えているが
優れた文官はふつう都にいて政治を司るのが普通。
もちろん、参軍・司馬・祭酒の資格で関羽の下級官吏としての参謀がついたり(王甫など)、
文系軍事指揮官に将軍位をあたえて将軍として派遣することはあっても、
荊州に常駐している軍隊に「常設軍師」みたいなことをするのは、制度上あまりないと
考えられます。
龐統が生きていたからといって、「関羽のそばに龐統を・・・」とは限らない。
(まあ、オレが劉備なら龐統を荊州に間違いなく置きますけどねw)

「外交の天才」ならケ芝・宗預がいますね。
ただ、どちらも表舞台に出るのが関羽存命中には間に合わなかったけど。
天才というほどじゃないが馬良もすぐれた外交官だし、堅実なところで陳震か。
古株なら袁紹や劉表からも信頼された孫乾、ある意味天才の簡雍もいるけど、
どっちも劉備蜀漢王朝成立時点で偉いさんになりすぎて、外交使節ごときは
やらないだろうなあ。
6763:04/12/29 18:13:15
>>66
龐統を関羽の下につけたとして、軍師的な動きをさせるかどうかは分からない。
か。確かにその通りだなぁ。

外交官としては確かにケ芝と宗預はすごいね。
ただ、あそこで言ってた「外交の天才」ってのは、
対秦で蘇さんが出した「縦横」とか、魯粛の蜀呉同盟みたいな、
外交自体のプランを出してくれる人。使節は優秀なのが沢山いるので安心なんだけど。
孔明は、戦略はどうでも、人を見る目や人付き合いの計画はちょっと心もとない。
6855:04/12/29 18:19:53
>>65
蜀は史官がいないので資料がほとんど残っていないことで有名だし、
オレは>>33と同じく正史の行間を読み取るべきでは?って思っている人間だけど、
その主張に正史原理主義派の人は「妄想するな」と言いながら、
「何らかの資料が残る」「裴松之が見逃すはずがない」と想像・推測・仮定で
反論されてもなあ(あなたが>>34ではないとは思いますが)。

結局、正史原理主義の人も「何かあったなら正史にのるはず」「何かあったなら正史には
のってなくても史料があるはず」「正史および裴松之註にないことはありえないはず」と
しょせん推測や仮定でものを言っているので、このスレはどの議論も堂々巡りでループするしか
ないんだよなあ。
6966:04/12/29 18:34:29
>>67
春秋戦国のころに合従連衡を説いた縦横家の話術はネタ割れしてしまって、すでに通用しない時代なので
しゃべりでだますのムリ。
やっぱりケ芝や宗預のように腹を割って信頼を得る外交しかないでしょう。
それに孫権自身も頭がいい人だし、魯粛からも言われているので「(小+小 vs 大)→(中 vs 中)」の
戦略のメリットは理解しているけど、性格的に保守的で守勢、計算高い人なので
そういう遠い将来のことより、目先の荊州を得る周瑜プランのメリットのほうが
大きく感じるだろう。
意気軒昂で攻勢の性格をもつ孫策ならともかく、孫権が呉の君主である限り、
どんな外交官・軍師がいても蜀は荊州を失わざるを得ない気がする。
むしろ、蜀自身が「荊州あげるから手を組もうよ」とか発想を転換しないかぎり
ムリなんじゃないか?
70無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 18:37:33
>>66
優れた文官というと、無意識的に光栄感覚で内政のできる人物と考えがちだが
本来は政治判断にすぐれた人物も含まれる(ごめんw
鐘縣、満寵の様な司令官も居るワケだし、大して官制の整ってない蜀なら
龐統を関羽補佐の地位に付ける事は出来たと思う。

>>67
荊州に関しては、どのみち返還するしかなかったと思ふ。
71無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 18:39:55
荊州返還して戦力を温存するか、
さもなくば呉とガチの喧嘩するかだな。

劉備が天下に届く可能性を残すためには、
荊州を失うことは出来なかったと思われる。
7267:04/12/29 18:41:55
程普・呂蒙と陸戦の天才を当てられ続けられた日にゃ、
「合肥攻めこそ陽動なんじゃねぇか」と言いたくなる勢いで荊州を取られる事に間違い無しだしなぁ。
関羽がどれほど野戦で踏ん張ろうが、相手は知勇兼備。
孫権も荊州を返すまで蜀には気を許さんという腹…とすれば、
荊州はやっぱり呉に返し、その上で北伐…かぁ。
漢中からはまともなルートはすくねぇんだよなぁ。
でも、関羽と孔明が組んで北伐できるなら、それなりに芽もあるか。
73無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 18:42:55
とりあえず前提として「正史ないしはそれ系の資料を読んで
分析する」というのがあるのは当然だろう(それ以外方法ないし)。

だから正史に沿って事実関係を纏めて論じている>>30も、
資料が乏しいので正史から読める状況から推測している>>33
別にやってることは上と同じこと。

だから論ずべきはその相手のスタンスではなくて
論拠として正しいのか、理屈としてあってるのか、ということではないか。

だから>>58みたく「〜派」みたいな分け方しかできないような奴が
一番お呼びでないわけだ。
7466:04/12/29 18:43:19
じゃあ、後は「荊州を返還?呉とガチンコ勝負?」の2案の方向でよろしくw
田舎に帰るので落ちます。
みなさん、よいお年を!
7555:04/12/29 18:50:21
>>66


>>73
>>58はネタでしょう。
ここは、無数の魏延・楊儀・廖立・李厳・彭ヨウの集まる場所で、
スレが3つ目に突入しても同じような内容の議論を繰り返しつつ、オレたち
オタクは永遠にループするわけですよw
76無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 18:53:26
リンデロンリング。
ここに出口は有るのか…w
7755:04/12/29 18:57:17
>>72
>漢中からはまともなルートはすくねぇんだよなぁ
荊州陥落がなく、平和のうちに荊州が返還されたのであれば、劉封・孟達・申耽・申儀の
まもっていた上庸・房陵・西城ルートが使えるよ。
上庸周辺があるなら、蔣琬の計画した漢水船旅ルートも有効になるんじゃないかな。
78無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 18:59:07
>>68
妄想するなとは思っていないけど・・・
というか仮定での議論に想像・推測・仮定以外に何で反論しろというのでしょうか?
それこそ正史にのっていない、そういう資料も無いで終わりですよ

付け加えるなら夷陵には荊州人が積極的に参加してるので
諸葛亮も荊州奪還という迷いがあり、明確な判断が出来なかったのではと妄想しています。
79無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 18:59:39
関羽三万の将兵+夷稜で死んだ将兵と未来の士官が無事だからな
北に向ける力は格段に増すだろうな
それでも・・・攻勢ポイントの選択肢が減りすぎると
結局相手の備えを楽にするだけなんだよな
8071:04/12/29 19:02:41
結局、無血で荊州返還、って経緯じゃ
荊州人脈が黙ってない筈なんだよ
下手すると劉備を見限りかねないわけで。
劉備は天下を取りたかったろうが、
彼に付いていた人たちには別の利害がある。
それを無視して「益州から北伐だ!」
と息巻いても、心服させられるだろうか?

つか、劉備が夷稜の戦いに突入していった理由のひとつは
やっぱそこだったと思うよ
8155:04/12/29 19:03:41
>>78
だから「あなたが>>34ではないとは思いますが」って書いてるじゃん。
結局、どっちの主張も想像・推測・仮定で話するしかないって言ってるだけ。
82無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 19:04:36
呉と共同作戦なら、道くらい借りれるんじゃねぇ?
もしくは、少し危険だけど漢水下って攻め込むか。
8371:04/12/29 19:13:23
>>81
まあまあ、面白い話しをしようよ。

>>82
うーん、荊州だけで呉は満足しないと思うんだよねえ・・・
全力で魏を攻めに掛かった隙をついて
蜀の後ろをつつくのは、一度だけの話じゃなかったでそ。
じっさい孫権は何度か益州を窺ってる。
共同作戦の協力度合いはともかく、
その成功後何が起きるかだよねえ。
呉にとってその占領地と益州を分断するのは実にたやすい可能性がある。
8472:04/12/29 19:13:35
そうか。西城ルートか。
漢中に劉備&諸葛亮。西城に関羽。とすれば確かに漢水の水軍も使える。
武関ににらみを利かせながら、天水を伺う。
おおっ燃える展開じゃないか。
8555:04/12/29 19:14:02
>>79
関羽の兵や士官・官僚のいくらかは、自分の故郷である荊州に残るにせよ、
関羽軍の大部分、夷稜の戦没者、それに張飛・黄権・劉封・孟達(おまけに申耽・申儀w)も残るわけだし、
劉備の死もある程度先送りできただろうから、かなり軍勢は充実するね。
北伐の各路、漢水船旅ルート、上庸ルートから一斉に出るだけの武将メンツはあるな。
呉が、荊州返却による同盟の義務に従って荊州・揚州両方で戦端を開いてくれれば、それなりにおもしろい
状況は作れたろうな。
86無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 20:03:09
>>85
じゃあ、こんな感じでどうよ?(荊州陥落と夷陵がなければ、将軍クラスの武将だけでもこんなに名前を並べられる)

【子午道】 関羽  関平・廖化・士仁
【駱谷道】 劉備・魏延  王平・尚朗・尚寵・高翔・胡済・程畿・楊儀・馬良・馬謖
【斜谷道】 張飛  馮習・張南・趙融・張翼 
【箕谷道】 黄権  杜路・劉寧・輔匡・馬忠
【関谷道】 呉懿  馬岱・ケ芝・張嶷

【漢水】  趙雲 陳式・呉班・潘濬
【上庸】  劉封 孟達・申耽・申儀

【守備兵站】 諸葛亮・李厳・糜芳・張裔・蔣琬・費禕
87無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 20:04:34
>>86
武将や兵站が確りしてても兵数が無ければ・・・
88無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 20:08:50
>>86
関羽軍と夷稜で失われたはずの兵があれば、諸葛亮の北伐時の兵力の倍は
出せるんじゃないかな。
89無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 20:14:13
>>87,>>88
加えて、劉封・孟達・申耽・申儀の上庸・房陵・西城の守備兵も残ってるのだから
けっこうあるぞ
90無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 20:20:05
>>86
荊州の人間は半数くらいいなくなるだろ
91無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 20:21:33
★結論

  荊州を呉に返す
  これで天下統一できるかどうかは別として、天下統一にトライするのに十分な態勢をとることができた


 ============================= ス レ 終 了 ===============
 ============================= ス レ 終 了 ===============
 ============================= ス レ 終 了 ===============
 ============================= ス レ 終 了 ===============
 ============================= ス レ 終 了 ===============
 ============================= ス レ 終 了 ===============
 ============================= ス レ 終 了 ===============
 ============================= ス レ 終 了 ===============
 ============================= ス レ 終 了 ===============
92無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 20:33:50
( ̄□ ̄; ) 終わりかよ! 
93無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 20:39:45
結論が出たので終わり。
以降に書き込む人は、ただの厨房。
94無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 20:42:11
と、厨房が申しております。
9571:04/12/29 20:51:22
仲謀が喜びそうだなw





いや、煽りじゃないよ。
96前スレの982:04/12/29 21:39:56
Σ(゚д゚lll) 進んでるなぁ・・・もう終わりかよ!(w

>>永遠の青さま
まずは満寵の兵士数に勘違いがあったことをお詫びします。

>自警団を繰り出して二十余城を攻め落とし、二万戸と兵二千人を降したなんて・・・
実際考えられないですよね?この戦果。
やはり資料に誇張があるものと思われます。考えられるのは・・・
1、満寵の兵士数を少なく見積もってる。
2、戦果を誇大にしてる。
3、その両方。

2のケースでシミュレートすると・・・
汝南で袁家恩顧の者が反乱を企んでるとの情報があり、満寵が500の郡兵を率いて出陣。
賊軍が砦を築く最中、防御体制が整う前にこれを急襲、
首謀者とその一味を捕らえ、一族郎党を連行した・・・こんなところでしょうか?
戦果は5倍するのが通例ですから、実際の5分の一。
500の兵で出来ることはこんなもの。戦闘すらならなかったと思います。
この時は大事に至らなかったとはいえ、その後も汝南が反乱の温床になったのは疑うべくもありませんが。
97前スレの982:04/12/29 21:40:31
>>18
実際難しいところでしょうね。
しかし、曹操が本気で天下統一するならば、これ位の危ない橋を渡るのも必要かと。
曹操が戦場で危機に晒されたのは、最初の徐栄戦と張繍戦ぐらいで、
あとは勝ち戦も負け戦にも余裕がありました。
世間でギリギリの勝利だといわれる官度の戦役も、
ただひたすら耐えて袁紹のミスを誘ったのではなく、積極的に動いて相手のミスを誘った面が大きい・・・
まだカードを2,3枚出せる余裕すら感じます。

盧江の守備を万が一に備えてあった(実際は投入されなかった)予備のカードで埋めたらどうでしょう?
官度では補給任務にあった夏侯淵を大将に、その副将として李通、参謀には劉【日華】を・・・
孫策以外なら充分対応できると思いますが。
その孫策を動けぬように後方撹乱も同時に行えば、袁紹との対戦中は孫策を封じ込めると思います。
98前スレの982:04/12/29 21:49:19
追記・・・
李通は史実では徐・ワイの賊を平定してたので、
だれか任務の代わりが必要かも。
実際は李通は孫策に対する備えだったと思いますが。
99無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 22:00:21
官渡の戦いはぎりぎり一杯、兵力で劣り物資も困窮してきている状況で
たまたま許攸が寝返ってきたから勝てたのだと思うが‥

中原の雌雄を決する相手、袁紹、が戦いを望んでいる情勢なのに
わざわざ遠くの孫策を相手にする意味はない。
100無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 22:35:52
>>86
荊州返していれば糜芳も士仁も劉封も孟達も申兄弟も蜀にいることになっちゃうんだね

ところで、劉封が上庸を失わなかったとなると、孔明も劉封を罪に落とす(讒言?)理由を失ってしまうわけで
その場合も孔明は執念深く劉封を罪に落として殺そうとしたんだろうか?

p.s.
 申タン、袁タン・・・タンがつく人は萌える (*^▽^*)
101前スレの982:04/12/29 22:40:31
>>99
兵糧は確かにギリギリで、
兵力はガチンコ勝負は無理だけど、充分対応範囲です。
許攸が寝返った一因として、曹操の後方撹乱に痺れを切らした結果でしょう。

それにこのシナリオでは孫策を封じ込めるのが目的で、戦うわけではない。
史実でも曹操の後方撹乱(許貢の内応)の結果で暗殺されましたから・・・
102無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 22:45:46
>>100
ずっと前何かの本で、第一次北伐で孔明がもし魏延の長安奇襲を認めて、伸びきった補給路を
上庸の孟達を使えば何とかなったかもしれないって書いてあった。
103無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 22:49:52
>>100
劉封が皇帝になって、諸葛亮率いるキャリア/エリート派は権力は抑えられ、
魏延ら叩き揚げのノンキャリア/現場組が台頭

劉禅よりは劉封が皇帝になったほうが、歴史的には面白かっただろうなあ

104無名武将@お腹せっぷく:04/12/29 22:53:43
>>97
夏侯淵は今まで兵を率いていて今回は補給任務をしてた
というわけではなく、この兵糧補給以後に行われた于禁と共同での
昌キ攻撃が一軍を率いた最初の戦であるわけだから、この時点で
対孫策陣営の大将となるには荷が重すぎ。
10518:04/12/30 05:38:52
劉曄を参謀に…か。大博打だなぁ。
官渡の勝利には劉曄の貢献が大きかったと思われるので。
下手をすると審配のモグラ大作戦を見破れなくなる可能性が有るんだよな。
…演義では。
 当時は劉勲配下だから、あそこに劉曄を置けるっちゃ置けるのか。
ただ、降将である劉曄の言葉を聴くのは劉勲だけだろう事が問題。
結局、そのプランでは劉勲が孫策が倒せるかどうかになるが…う〜ん。

 次。夏候淵にとって孫策は絶好調時の劉備と同じく鬼門なんだよね。
夏候淵は確かに野戦や賊討伐戦ではべらぼうに強かったけど、
謀略を仕掛けられると、アッサリやられてしまった結果(漢中)が有る。
知勇兼備で、周喩や、淵に匹敵する陸戦の名将程普を一身に受けては、
漢中の二の舞になってしまう気がする。

 いずれにせよ、盧江の帰趨が孫・劉の命運を左右する想像は面白い。
盧江が無ければ、孫家は建業を防備し、合肥への北伐を諦めて西進。
それに準じて劉備の運命も大きく変わるはずなので。
106前スレの982:04/12/30 12:17:15
>>18
博打です。(w
でも当時として考えれる配置だと思いますが。
このシナリオの主眼は、袁紹との対戦中は孫策を謀略で封じ込めておくことなので、
夏候淵でも立派に勤まると・・・信じたい。
・・・で孫策の暗殺次第で李通を反乱討伐につかえると。(史実どおり)

可能性としては袁紹相手なので5分5分ぐらい。
官度の対戦相手が絶頂期の劉備や、孫権ならもっと下がるんですが・・・

>>104
夏侯淵は最初の昌キ攻撃にも参戦してます。
立場的には緒将の上で、曹操にもっとも近い親族の一人だから問題なと思いますが。
10718:04/12/30 18:11:35
>このシナリオの主眼は、袁紹との対戦中は孫策を謀略で封じ込めておくことなので、
>夏候淵でも立派に勤まると・・・信じたい。

 劉曄が翻弄できるかどうかは、孫家の全ての軍師より先を読めるかどうかになる。
当時、孫策は内部調整の必要性は有っても、外の敵は抱えとらんからね。
黄祖が相手といえば相手だが、予章を守るのに大軍は要らんからなぁ。
下手に曹操がつつくと、曹操を恐れてバラバラになるか、纏まっちゃうか、というのも有る。
赤壁を見るに、孫家の領地は纏まっちゃう可能性が非常に高い。
さて、劉曄一人で孫家を相手に謀略戦を挑める物か…難しい。
やはり夏候淵の武略が、孫家のそれを抑えられるかにかかると思う。

>・・・で孫策の暗殺次第で李通を反乱討伐につかえると。(史実どおり)

これは、我々が歴史を知っているから言える事で、劉曄や夏候淵は結末を知らんのだよなぁ。
だから、李通の人事は納得がいかないだろうし、彼を叛乱討伐に使うというプランは使えないな。
李通は当時まだ曹操に帰順してない(曹操陣営に入るのは劉表攻めから)からねぇ。

>可能性としては袁紹相手なので5分5分ぐらい。
>官度の対戦相手が絶頂期の劉備や、孫権ならもっと下がるんですが・・・

 これについてはハッキリと否定させていただくかな。
後の呉や蜀よりも、袁紹の方が強敵です。物量、人材、君主の力量ともに圧倒的。
袁紹死後に離散した袁紹勢力の構成員には、後の魏の中核を担っている者が数多く居る。
もとは曹操の賊閥と、その友人、そして数少ない名士という構成に過ぎなかった曹操軍。
それが一気に河北を制したのは、袁紹の勢力の大部分を吸収する事が出来たため。
袁紹の敗北が、魏という勢力を作ったと言っても過言ではなく、袁紹はその長だった人物です。
自分がこの計画を面白いと言ったのは、袁家の方が後の呉・蜀より御しやすいからではない。
 三国志全体を見た時のターニングポイントとして、孫家の盧江は蜀の荊州と同じ所に位置する。
計画は高確率で失敗するだろう。しかし、それでも成功すれば曹操がその存命中に天下統一できる。
そのような視点からです。
108無名武将@お腹せっぷく:04/12/30 21:00:30
で、呉は荊州を決してあきらめないということで、蜀はどうしたらよかったの?

 (A)荊州を平和的に返還し、北伐5路、漢水川くだり、上庸・房陵・西城から魏へ侵攻
   メリット
    ・北伐に漢中5路に加え、上庸ルート、漢水川くだりも使える
    ・劉備、関羽、張飛、劉封、孟達、申耽、申儀、糜芳、士仁、潘濬、黄権、馬良、馮習、張南、程畿、趙融、杜路、劉寧らが蜀将として健在
    ・関羽軍(で荊州残留を願わない者)、夷稜の戦没者の兵力が戦力として健在
    ・呉との友好関係のさらなる強化
  
   デメリット、課題
    ・荊州の喪失(でも、結局喪失したのでデメリットとはいえない?)
    ・実際にそんなことが可能か?特に荊州系人士がその方針に納得するのか?


 (B)荊州を返還せず、あくまでも呉と荊州をめぐって戦う
   メリット
    ・荊州が健在(ただし維持できればの話)
    ・北伐に漢中5路に加え、上庸ルート、漢水川くだり、襄陽ルートも使える(ただし荊州を維持できればの話)
    ・劉備、関羽、張飛、劉封、孟達、申耽、申儀、糜芳、士仁、潘濬、黄権、馬良、馮習、張南、程畿、趙融、杜路、劉寧らが蜀将として健在
    ・関羽軍、夷稜の戦没者の兵力が戦力として健在

   デメリット
    ・呉と関係悪化(下手すると魏と呉の両面攻撃を受け続けて北伐どころではない)
109無名武将@お腹せっぷく:04/12/30 22:05:45
荊州返還のほうがメリットは大きいけど、長年放浪してようやく掴んだ自分の国。
劉備たちも納得しないし、荊州出身者も反対するからムリ。
結局、呉を敵に回してしまい、魏と呉の共同作戦の前に国土を削られてジリ貧になる
(B)しかないけど、それならば関羽の死亡・夷稜の敗北後に和解した実際の歴史のほうが
マシかもしれんな
110無名武将@お腹せっぷく:04/12/30 22:17:21
小競り合いに抑える事はできないか?
もしくは荊州分割みたいに交渉を続けてジリジリ荊州から退避していくとか
111無名武将@お腹せっぷく:04/12/30 22:58:25
呉は別に漢朝の復活なんて望んでないから、何をしたとしても蜀とは
関係が悪化する。
112無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 00:29:31
劉曄が言っていたが、
蜀における名将は関羽、張飛のみというから
趙雲、馬超をはじめとする武将は良将(与えられた任務をこなす)
なのだろう。
個人的には諸葛亮らの諌めを聞かず、私情に任せて夷陵で大敗して
失ったものが大きいので、人材不足となった転機はここと考えまする。
113無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 01:03:36
>>110
実際、魯粛の時代に小競り合いがあったので、桂陽とかだけ
一部返還したけど、結局はああいうことになった。
借金と同じで返すときはあっさり全部返さなければ、向こうは
感謝するどころか、恨みに思うだけ。

>>111
荊州を返却していれば、「魏を滅ぼすまでは同盟」という関係は
維持できるじゃん。
114無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 01:06:38
呉を甘く見てないか?
荊州を返せば次は益州だって思わないか。
115無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 01:08:05
実際呉の基本戦略は長江流域の保持
蜀もそれに入っていると思われる
隙あらば蜀をも占領しようとするはず
116無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 01:25:47
>>115
横長の国家を維持するのは困難。
ましてや、中国を横断する国境を維持するには膨大な兵力が必要。
おまけにそんなリスクがありながら魏を前にして蜀と戦えば、魏に間に入られて
簡単に戦線を分断されてしまう。
劉備の死の直後や蜀降伏直後のような、あっさり占領できる時期でもない限り、
蜀に深入りすることは、戦略的に愚劣。
周瑜が蜀をとることを考えていたのは蜀がまだ劉璋の時代であり、それ以降には
合肥や徐州を狙う戦略を立てることはあっても荊州以西を望んだ呉の武将が
いないことからも、「蜀狙い」はない。


117無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 01:50:39
>>112
ソンナコトイッテナイヨ
118無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 01:54:31
>>116
そんなことはない。
長江以南全域を確保した王朝は沢山あるじゃないか。
119無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 01:56:01
ついでにいうと、夷稜後も、
蜀滅亡時も、呉は蜀に対して色気を見せている。
魏の圧力をかわしつつ派兵する余力がなかっただけだ。
120無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 01:56:19
比較的近い時代で言うと東晋とかね
121無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:13:12
>>119
>ついでにいうと、夷稜後も、蜀滅亡時も、呉は蜀に対して色気を見せている。
 >>116も「劉備の死の直後や蜀降伏直後のような、あっさり占領できる時期でもない限り」
 と書いてるじゃん。

>魏の圧力をかわしつつ派兵する余力がなかっただけだ。
 だから>>116の「中国を横断する国境を維持するには膨大な兵力が必要」ってことなのでは?
 >>116への反論どころか、>>116の書き込みの内容をそのまま肯定して
 賛成しちゃってるじゃんw
122無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:14:54
それを言うと115も
>隙あらば
と言ってるわけで、隙とは
>劉備の死の直後や蜀降伏直後のような、あっさり占領できる時期
のことを言うんじゃないのか?
123無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:15:58
>>120
長江流域が開発される前後じゃ
同じ地域を支配していた勢力だとしても、国力からみて
別物だから同列には比較できないと思う。

魏が在り、相手が蜀、成算を持つのは無理だろうかと。
124無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:21:21
要するに
蜀になんかあれば呉は攻め込んでくる
ってことで満場一致に見えますがw
125無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:22:12
114が正解だったと
126無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:26:07
>>124
夷稜後も、呉は攻め込んで来なかったワケだが‥
>なんかあれば〜 ってのは、どの程度の事態をいうんだ?
127無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:30:34
>>126
この荊州返還シナリオで魏蜀がガチでやりあってる時じゃない?
128無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:34:42
>>126
夷陵後、諸将は攻める気満々だったじゃん。
陸遜が留めたから攻め込まなかっただけで。
129無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:37:03
>>127
たとえば、
蜀が関中盆地に主力集結して魏とがっぷり四つの間。
130無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:38:09
>>126
それは、>蜀になんかあれば呉は攻め込んでくる
とは言わないw

>>127
諸将の意見はともかく
荊州を確保してない呉に、荊州、蜀を一気に攻略できる実力は無いと思うね。
現実に陸遜は止めたのだし。
131無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:48:31
曹操が漢中を攻略したとき、
呉は荊州に進軍したわけで。
それと同じ事は当然益州でも起こると考えられるな

蜀滅亡時も実際に軍だしてるだろう
132無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 02:59:42
さらに隙あらば孟達、申耽、申儀は簡単に裏切る
133無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 03:02:07
完了したスレをいつまでやってるんだ?
134無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 03:02:42
勢いがつき過ぎて止まれない様だ‥
135無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 03:27:56
あまりにありえない結論だったから
136無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 03:36:53
結論なんてどうだっていいんだよ
議論そのものが楽しいんだ
三国志が好きだからこの板に居るんだしな
137無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 04:14:09
>>135
そうか?まともな結論だったと思うが。。。
むしろ>>131-132の方が100倍ありえないw
138無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 05:46:19
いや、ありえないだろ
139無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 05:58:13
>>138は、結論がどれだか知らずに
知ったかして、煽ってるだけなので注意。
140無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 06:03:07
大晦日だし、仲良くしようぜ
141無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 06:19:31
結論ってのは<91だろ?
だから、ありえない。
142無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 06:23:11
>>141
では、貴殿の「あまりにも素晴らし過ぎる煽り」を書いて頂こうかな。
143無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 06:53:33
>>141
このスレは、実際にありえるかありえないかではなく、「オレが蜀の君主ならこうやって天下とります」
のスレじゃないの?
144無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 07:03:59
凋落の言葉がぴったりなスレになったな
145無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 07:07:28
劉備が蜀をとって以降に取れる選択肢はこんなものか

 1.荊州を呉を一括返還する(部分返還は史実でもやっているので意味なし)
 2.荊州に固執する呉と対決。魏・呉二国を敵に回して戦うか、荊州を渡さず呉を納得させる方法を模索する
 3.劉備の死までは史実どおり。それ以降になんらかの方法で挽回する
 4.諸葛亮の死までは史実どおり。それ以降になんらかの方法で挽回する

やっぱり>>91の結論に出ている「1」が一番可能性がありそうだよねえ。
146無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 07:07:42
読んでみたけど
けっきょく劉備はどうやっても天下取れない!と
改めて思ってしまった。
戦えど戦えど、孫権が後ろからつついてくるだろうね
劉備>孫権のパワーバランスが確定することを、
絶対に容認しないだろう。
147無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 07:09:41
>>144
2100以上も書き込めば、議論は出尽くしてるだろ
スレタイも悪いよな
「オレが劉備ならこうやって天下を取る」じゃなくて「蜀」以降に限定なので選択肢は限られる
148無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 07:12:52
>>146
>劉備>孫権のパワーバランスが確定することを、絶対に容認しないだろう。
>>91>>145
>戦えど戦えど、孫権が後ろからつついてくるだろうね
魏を相手せずにか?頭悪すぎ‥
149無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 07:17:39
スレの主旨変更!

  あなたが劉備およびその後継者なら、どうやって天下とりますか?
  関羽・張飛ゲットして以降なら、いつでもいいです

         .∧__,,∧
        (´・ω・`)
         (つ夢と)
         `u―u´


  俺なら皇叔時代に曹操暗殺
150無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 07:19:52
>>148
孫権が魏に降伏しても劉備を攻めた事実を踏まえて
よくまぁ「頭悪すぎ」と言い切れるものだ。

荊州進行ににしても、劉備が魏に対峙した空白を突いているな。
しかも、一度じゃない。
151無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 07:25:51
>>150
>>148はDQN
無視して初詣に備えて寝ろ!

スレはこれ以降、「オレが張飛ならどうやって天下とる?」に変更ということでヨロシク
152無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 07:28:21
ちがうちがう、俺は早起き組だw
いまから駅前のドトールで珈琲飲んでくる。

ひょっとしてさっきから煽り口調が多いのは
眠いから機嫌悪いのか?
153無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 10:20:00
終わったスレなんか書いてないで、年賀状でも書けや
154無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 17:30:56
(´・ω・`) このスレおわちゃったの?永遠にループしてくれると思ってたのに・・・
155無名武将@お腹せっぷく:04/12/31 17:51:46
皆、どっかに散ってしまったようだな。
156無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 01:23:00
>>150
>孫権が魏に降伏しても劉備を攻めた事実を踏まえてよくまぁ「頭悪すぎ」と言い切れるものだ。
劉備が攻め込んできた行き掛かり上だろ、頭悪過ぎ。

>荊州進行ににしても、劉備が魏に対峙した空白を突いているな。
劉備が益州を奪取して、荊州を返還しないのが明らかになった時点での話だろ。頭悪過ぎ
157無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 02:55:17
呂布に徐州追い出されなければ何とかなった?
158無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 03:17:34
口の悪いDQNがひとり住み着いてますね。
スルー推奨でしょう。
159無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 07:57:49
馬鹿とDQNの一騎打ちか・・・
160無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 08:25:28
>>157
公孫讃の下で活躍、界境の戦いでも勝利して、
袁紹を圧倒。
のち獅子身中の虫になって反逆、あるいは自立。

というシナリオでは。
161無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 08:37:31
>>160
話が繋がっていないのでは?
162無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 09:19:15
>>150-152
うはwwwおkkwwwwwwwwっう
163無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 11:09:19
まずは孔融の援軍に言った時に見つけた太史慈をゲットするところからはじめにゃ。
劉備と太史慈も結構気が合いそうだし、孔融んとこで顔をあわせたときはまだ太史慈はフリーだったんだし。
164無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 11:18:48
他のスレでもあったが、孔明の時代には北伐も成功しなかったが
それは孔明がひとつの敗北による衰退を防ぐ戦法を取ったため。
しかし問題は姜維が国内の疲弊を省みず、攻勢に出たためと思われる。
しかも260年代は負けが続き、防戦一方。
こうなる前に法正のような人物がいればこの展開にはなっていなかった。
165無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 11:49:00
蜀に押し込められてからでは手遅れだろ。
166無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 12:00:35
それ以前に>>164の文章は、読みにくい上にピントがずれてる気がする。
167無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 14:02:55
いってることはそうだと思うけどね。
一度の敗北で壊滅しないように配慮しつつ乏しい国力で関中を獲ろうという
二律背反の根本矛盾の中で悪戦苦闘していたわけで。
168無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 14:14:27
そんなに間違ってるとは思わないけど
3行目からスレの趣旨と無関係なのが・・・
169sage:05/01/01 17:14:34
蜀が荊州を取り戻すっていうのはどうだろう
170無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 18:41:03
>>169
あえて呉との関係を断つのですか?
171無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 19:41:18
>>170
蜀と呉はいつまでも潰しあえる立場じゃない。
蜀が呉に対して同盟を持ちかけざるをえなかったのも、
結局はそこ。
たとえば夷稜の勝敗がちょうど逆だったらどうなるだろうか。
呉としては手打ちせざるを得なくなるだろうしね。
かといって蜀に揚州まで進行する余裕はない。
172無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 20:23:03
蜀はどんなに頑張って荊州を奪還しても孫呉軍を揚州に駆逐する程度しかできないと思う。
173無名武将@お腹せっぷく:05/01/01 20:39:45
お互い最後まで決着着けるには魏が重すぎるんだよ。

まあそのバランスが三つどもえの面白さなんですが。
174無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 00:04:04
某は呂蒙と孫権が荊州奪還後関羽を斬首したことが
その後の蜀の衰退につながったと考えまする。
主簿の左咸が関羽の首を切るよう孫権にすすめたが、
張昭は反対していた。
その後の展開をみると張昭の言が正しかったと思われる。

175無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 00:25:19
>>174
演義
176174:05/01/02 00:42:21
>>175
正史ではいかなる理由で
孫権は関羽を斬ったのでござるか?
177無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 00:58:51
>>176
自分で調べるのも学習の内だよ。

武帝紀には関羽を攻めて斬ったとあり、関羽伝にはただ斬り殺したとある。
孫権伝は手元に無いので勘弁。

第一、敗軍の将を斬らない方が変。特に関羽の場合は斬らねば後々が面倒。
178無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 02:35:47
大昔のチャンコロの事なんてどーでもいーじゃねーか
179無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 02:43:14
>>178

それを逝っちゃあw
180無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 23:45:25
前漢の三傑にあてはめると
張良→法正か龐統その後該当者なし
韓信→強いてあげれば諸葛亮
蕭何→強いてあげれば李厳

やはり、天下を取るには人材不足
181無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 23:49:09
諸葛亮が韓信って・・・・またひどい釣りだな
182無名武将@お腹せっぷく:05/01/02 23:54:11
前漢の三傑にあてはめると

張良→諸葛亮
韓信→強いてあげれば劉備
蕭何→諸葛亮

一人二役したら過労死します。
君主が指揮官じゃ連戦できません。
183無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 00:06:07
>>181
それだけ人材がいないんだよ。
というか劉備以外軍を率いたやついないじゃん。
だから諸葛亮なんじゃないの?
184無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 00:06:35
本来なら韓信の役を関羽が担うか、孫呉をその役目として利用するって感じだろ
185無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 00:17:54
劉備は戦上手だったが・・・それを継げる人材がいなかったな
186無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 00:33:54
蜀将スレ見ると結構有能だったんじゃないかと思われる人材も散見されるけどね。
ただ蜀魏の関係をひっくり返せるほど人材はいなかった。
おそらく魏や呉にもいなかったんじゃないかな。
あの状況をひっくり返せるような人材は。
187無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 01:15:40
というか中国大陸には有能な奴などいない
というより育たない
188無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 01:37:35
>>187
孫武とかも無能って事でFA?
189無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 01:46:38
>>188
じゃあ孫武がいれば統一できただろうよ
190無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 02:00:11
>>189
有能な人が一人いれば天下統一できるんだw
191無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 02:18:45
>>190
というか中国大陸には有能な奴などいない
というより育たない
192無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 02:22:15
>>191
そりゃあ、一人いれば統一できる人材なんて存在しようがないから、
育つわけもわな。
「有能」のハードルが常軌を逸して高過ぎないかい?
193無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 02:26:48
>>191

孫武とかも無能って事でFA?
194無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 02:46:48
お前等ってホント中国が好きなんだなw
195無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 02:53:18
>>194
あなたが偏見持ちすぎか、
あるいは無知なだけですよ。
196無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 02:54:48
>>194
三戦板だしなw
つか嫌いすぎw
197無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 04:01:52
人口が10倍いたら話はそれからだ
198無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 09:59:37
人口が十倍いたら養えなくてあぼ〜ん
魏や呉の人口も増えるだろうし
199無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 11:41:22
>>194
今の中国と昔の中国を分けて考えられるだけだから
200無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 11:48:04
昔の中国って今の中国同士が争ってるって感じだな
201無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 14:02:49
蜀や呉の人事制度ってどんなのだったのですか?
学校の歴史で習った魏が始めた九品中正だったのですか?
蜀は漢代の伝統を守り郷挙里選のままとかw
202無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 14:11:23
諸葛亮は政治家として一流で指揮官としてはそれほど
でもないっていうのが通説だけど、そんなことはない。
彼は2つを同時にやろうとしただけだ。
きっと指揮官のみに専念できたら、成功していただろう。
203無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 14:13:56
管仲、楽毅になれなかった愚か者って訳だな
204無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 14:46:30
ひとりで何もかも出来る奴など神
205無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 15:22:09
>>202
成功ってのが何を指してるのか知らんがそんな変わらんだろ。
もともと勝算なんてほとんど無い状態だから指揮官としても十分優秀。
206無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 15:23:11
>>203
その基準だと、人類の九割九分九厘までが愚か者認定されそうだ
207無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 15:41:37
>>206
比肩すると自称しておいて(ry
208無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 16:12:54
>>202
曹操は両方で成功したわけだが。
というか、一国の指導者が政・軍双方に携わらなければならないのは当然だろ。
209無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 16:15:02
まあ管仲も楽毅も三国時代で言えば州単位の範囲で活躍した程度なんだがな。
210無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 16:32:58
陸遜の戦術って侵攻してくる敵に対しての防御は
完璧なんだけど、攻めに関してはいまいち戦果を
挙げてない
孔明も安全策をとっているから、北伐も一進一退。
この点からして三国時代最強は司馬懿と決定。
211無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 16:35:10
>>208
曹操はなんだかんだで政治は結構ミスしてる
張バク、陳宮のように身近な人間に反乱を起こされる辺りもう全然だめ
あと治世は途中から他の人間に割と丸投げ風味
内政を他にちゃんとやれる人が自陣営にいたから親征マニアの曹操は成功した
曹操は確かに万能の天才みたいな語られ方する時はある
けどそれは何でもできることを表してるだけで何でも一緒にできたわけじゃない
曹操が全部同時にやってる時期なんかない

>>209
樂毅はともかく管仲は州単位じゃなくて中原ほぼ全部の範囲で活躍してただろ
212無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 16:46:56
>>211
曹操が、同時期に全てやったとは言っていないのでは?
それを言ったら孔明だって同じだ。親征(北伐)中は、ショウエンや費イという
留守役に内政を任せて自分は軍事に専念している。
それでも曹操は成功させ、孔明は失敗した。

原因を個人の才能のみに帰する気はないが、少なくとも>202 みたいな意見は的外れ
ってことだろう。
213無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 17:27:26
>>212
孔明って北伐中に賞罰の軽重に関わらず、自分で裁いたり、
進軍中に穀物の種をまいて自給自足させたんじゃなかったっけ?
とても軍事に専念しているようには見えんけど。
214無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 19:22:28
>>213
蜀宮廷の事務の決済が、前線の諸葛亮のもとに持ち込まれたわけではないだろう。
賞罰も屯田も、軍務の一環だ。特に屯田は、戦場ではなく後方で行われた曹操の場合と、
戦場で兵士に行わせた諸葛亮のとでは違う。
215無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 19:39:01
宮廷に残った連中がそんなにだらしなかったら、
そりゃあ蜀が天下統一なんて出来るわけないな。
216無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 23:36:05
やっぱり劉備が50過ぎるまで
自分の国をもてなかったことに尽きる。
217無名武将@お腹せっぷく:05/01/03 23:38:00
>>216
いや支那竹だった事に尽きるだろ
218無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 01:15:59
内政を丸投げできる人材集めるのも能力のうちだけどな。
219無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 01:18:39
市井に埋もれたままの人材は多かったはずだしな。
220無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 01:30:15
曹操は人材を自ら見出したのではなく、部下が推挙した人物を使ってただけなんだけどな。
でも、蜀にはそうしたシステムやそれを奨励する法令すら無かったよな。
221無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 01:53:50
曹操の場合、部下の名士が芋づる式に人材を引っ張ってくるのよね。
軍事面の人材は、一族と長く使ってきて信用できそうな奴と兵を連れて降参してきた奴を使う。
誰をどこまで取り立てるかは自分で考えないといけなかったけど、
集める分には大して苦労してないんだよな。

諸葛亮は自分の荊州時代の仲間とその子孫以外、無条件で下に入ってくる人材がいない。
益州の人材は自分で取り立てないといかん。
杜微伝を見る限り、結構自分で苦労して益州の人材を集めてたようだ。
しょせんは最高実力者の意向で全部が決まる地方軍閥だったから、
いちいち自分で取り立てないといけなかったんだろうな。
222無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 14:31:33
結論・・・

 反三国志を実践できる人材がいればよかった。
 
223無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 21:12:43
>>221
というか諸葛亮の性格の問題でしょ。
> 賞罰の軽重に関わらず、自分で裁いたり
これなんか他人を信用してないって言ってるようなものだし。
曹操と比べるのは無茶だが人を上手に使えなかったということじゃないの?
224無名武将@お腹せっぷく:05/01/04 22:05:40
>>221
>集める分には大して苦労してないんだよな。

曹操の旗揚げ期は漢が崩壊する混乱期であり、しかも中原にいるので人材を
あちこちから集めるのは難しくない。
諸葛亮は、閉ざされた益州の中だけで探さないといけないので条件が違うと思われ。
225無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 19:17:08
蜀に不足しているのは、
「悪だくみのできる人材」
魏には、司馬懿・程イク、カクがいたし、何より曹操自身が出来た。
呉には周喩・呂蒙がいた。
ところが蜀にはこれが出来る人材がいなかった。
馬謖だなんていい人材だったんだけどなぁ。
奇麗事じゃ天下はとれまへん。
226無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 19:23:35
ジュンイクが曹操ではなく劉備についていたらいくらかマシになった
227無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 19:30:46
そりゃ純幾のほうが願い下げだろう・・・
228無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 20:49:46
>>225
劉備、諸葛亮、龐統、法正がいたじゃないか
229無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 21:26:06
>>225
むしろ愚直に天下国家を語れる人材が不足してたんじゃないのかな
230無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 21:36:56
地図を見る限り、漢中から長安とか、襄陽からとか、よくもまあ数万規模の軍隊を
移動して戦争できたもんだと諸葛亮他には感心しきりでつ
231無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 22:00:54
蜀はイリョウの戦いで、良将がいっぱい死んだ。
人材不足はそれが原因。










・・・らしいよ。
232無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 22:38:24
>>229
愚直に天下を語る人間を、危険人物として排除したのが孔明と劉備の政治。
特に孔明の元へは讒言と密告が相次ぎ、その度に孔明は厳正に対処した。
劉備は具体的に行動を起こそうとした人物のみに対処を留めたが、
孔明は危険な発言の報告だけで首を切る事もしきり。
こんなんじゃ小物しか集まらん。
233無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 22:42:17
劉封が後継者になっていれば天下が取れたかもしれない
234無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 22:44:51
劉封がどれだけの人物だったんだよ。
235無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 22:47:52
劉禅よりは面白味がある
ただ諸葛亮の独裁は無くなるし十中八九史実より先に滅びるだろうな
236無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 22:57:24
支那竹だったのが原因
237無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 23:25:09
関羽、張飛がいなかったら
とっくに野たれ死んでいたよ。玄徳くんは。
そういう意味でも、蜀を取れただけでも
幸せ者だよ。
238無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 23:43:52
劉備は関張がいなくても魏で出世できる器
239無名武将@お腹せっぷく:05/01/05 23:45:29
>>238
関張がいたから名声集められただけw
240無名武将@お腹せっぷく:05/01/06 00:03:34
劉備は浣腸をしなくても排便できる尻
241無名武将@お腹せっぷく:05/01/06 09:36:31
むしろ下痢止薬が必要
242無名武将@お腹せっぷく:05/01/06 10:50:13
>>232-241
だだすべりして自演しまくる>>232にワロタw
243無名武将@お腹せっぷく:05/01/07 22:55:52
ビスマルクとモルトケレベルのコンビがいたら統一できた
244無名武将@お腹せっぷく:05/01/08 15:36:05
>>243
どっちも物量に負けたじゃないか
245無名武将@お腹せっぷく:05/01/08 16:12:54
まぁ こういっちゃ実も蓋もないけど何処が統一しようがどうでもいいんだけどな。
246無名武将@お腹せっぷく:05/01/08 16:25:24
>>244
物量?
247無名武将@お腹せっぷく:05/01/08 17:07:21
ラク城攻防戦でホウ統を討った劉循を養子にして後を継がせればよかった
張任程度の補佐で善戦した彼だ。劉封なんかよりよっぽど有能だっただろう
248無名武将@お腹せっぷく:05/01/08 17:38:13
>>244
負けた?
249無名武将@お腹せっぷく:05/01/08 23:14:28
>>247
劉循は奉車中郎将になってるけど、それ以上の昇進が無いな。
どうしたんだ?早死にか?
250無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 00:32:56
>>249
自分が国を奪ったのに、昇進させるわけないじゃん。
下手に権限を与えて叛乱企まれても危険だし。
ただ早くになくなったのは確かだろう。
劉循が奉車中郎将になったのは、劉備が左将軍の時代。
劉備が王・皇帝になった時代まで生きていれば、実権はない肩書きにせよ
もっと高い地位にあがったはずだから。

劉循は戦いに不慣れな益州兵で兵力も劣るのに、劉備軍を相手に1年間戦い続けたし、
弟の劉闡は、慎み深い性格で財を軽るんじ義を愛し親分肌の人で、呉においては
益州刺史として南方から蜀侵入の機会をうかがい、蜀と呉が再同盟後は御史中丞を
務めたというから、劉璋の二人の子は劉備の養子・実子よりは優れていたといえるかもしれない。
251無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 01:00:31
まあ、劉禅が皇帝の癖にあまり何をやったのかがわからないのが問題。
陳寿は諸葛亮じゃなくて劉禅を怨んでたんじゃないかと思う。
252無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 01:07:30
>>247
劉封は裏切ったから悪く書かれたけど、事跡から考えてそれなりに優れた人物だよ。
諸葛亮が讒言に近いことをしてまで劉備に彼を殺させたも、劉封が優れており
またそれなりに人心も掴んでいるからだろうし。


253無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 01:14:04
>>251
何もやってないからでしょ。
可もなく不可もなし。
曹操・曹丕・曹叡・孫権・劉備のように出征・親征したわけじゃないし、
大して政治もやってないが、とりたてて愚行を起こしたわけでもない。
曹叡以後の魏の皇帝と同じだよ。
254無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 01:18:02
>曹叡以後の魏の皇帝と同じだよ。
この発言はマズイ
255永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/01/09 01:40:58
>>250
孫策に国を奪われた揚州牧劉ヨウの子、劉基は孫権の重臣として活躍し、
光禄勲・平尚書事に至っています。副宰相と言っても良い地位です。

劉備と孫権では状況が異なりますが、
劉備政権下でも費観や呉壱ら、劉璋の姻戚が重用されていますので、
劉循も長く蜀漢に仕官していたら、才幹に見合った高い地位に就任できたのではないでしょうか。
国を奪い、前政権の幹部も使い続ける気なら、前政権の首班一族を厚遇する必要があります。
そうしなければ、前政権の幹部を取り込むのに差し障りが出てきます。

劉循官位が奉車中郎将で止まったのは、早くに亡くなったか、
父に付いて荊州に行った後に、父とともに呉に降って消息が途絶えたかの、
どちらかであると思います。
256無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 04:50:54
りゅうほぅ!
ててててってって
ててててってって
てぇをぉあわせて、みつめるだけーで
すぅぐぅあなたにわかぁてしまぁう
257無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 17:33:37
諸葛亮が関羽を連れて行かなかったので、
3本の矢のうちの1本が欠けてしまった。
ダメだよ・・・あんな外交下手荊州に置いちゃ。
258無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 18:36:59
>>255
もとの益州牧とその長子が共々、荊州に行くことはないだろ。
劉璋伝にも兄弟は別々に暮らす事になったとあるから劉循は益州に
居たと思う。
259無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 21:06:34
>>255
父親といっしょについていって呉に降ったのは劉闡。
正史にもはっきり劉循は蜀、劉璋・劉闡が呉と書いてある。
260無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 21:14:13
父親が呉に降ったから、劉循に軍権を与える訳には行かなくなった。
そんな所じゃねぇかな。
261無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 02:23:56
劉循・劉封を劉禅の後ろ盾にしてやればよかったのになあ>劉備
でも、諸葛亮がいるからダメかな。
大して問題を起こしたわけでもないのに、劉封を殺すように進言するような
奴だからなあ。
262無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 04:40:21
>>261
劉封は先主の養子で、年齢的にも後主より上。さらには能力的にも後主よりも優れているから、
本人の意図がどうあれ乱の原因になる確率の方が高そうだね。

263無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 11:02:34
>>262
劉封って、軍事的な功績はあるけど指導者というか政治的なものはほとんど
なかったから、一概に「後主より優れいている」とはいえないような。

むしろ魏の曹真のような、軍事の統括者として後見というのは悪くないと思うが。
264無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 11:28:15
「人材」というよりもあと200万人の人口とそれを支える肥沃な
土地があって、宦官抹殺。
人材なんかは人口が多ければ自然とついてくるさ。
265無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 15:06:36
ここはやはり卑弥呼様の力を借りれば
266無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 16:02:12
>>262
「徳の人」劉備に、
荊州簒奪を薦めた時は引き、
また益州簒奪を龐統が示した時は黙認し、
更に関羽が死んだ時の劉封の処罰では後害と罪も無いのに殺す事を薦める。
そしてまた、街亭では軍法に照らして馬ショクを斬って綱紀粛正。
孔明のチグハグぶり此処に極まれりって感じだよな。
267無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 16:19:10
劉備も関羽が死んで逆上してたと思うがね
268無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 16:35:08
>益州簒奪

そもそも宴会で討ち取っていればもっと楽できただろうね。
簒奪っていったって、既に事実上柵封体制も崩壊してたし、自分自身も何度も壊乱の危機に
直面した癖に徳などと言う虚名にこだわった時点で劉備の天下なんてあり得ない。
269無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 16:39:24
>>268
演義厨(・∀・)カエレ!!
270無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 17:52:34
いやいや、確かに宴会で討ち取っていればもっと楽できただろう
その代り劉備が死ぬ可能性、極大だがなw
271無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 18:42:31
>>267
そこを上手く収拾させるのが真の忠臣だろう。
主君の激情につけこんで、自分の思惑を是とするのはどうか。
お膳立てされた形で劉禅を後継者にしても指導力を発揮できないのは目に見えてる。
実際、劉禅はその御世においてたった一度しか指導力を発揮しとらんからなぁ。
基本的に家臣の言いなりですよ。
272無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 20:14:39
俺なら、劉備と劉璋両方でプレイしておき、「外交」→「降伏」で益州簒奪簒奪します。
273無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 20:58:45
つうか「簒奪」には誰もつっこまないのな
274無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 21:36:52
諸葛亮・龐統・法正の3人が、蜀の政治家・軍師としては卓越した人物であることは
正史の列伝の立て方からも、陳寿の評(龐統=荀ケ・荀攸、法正=程c・郭嘉)からも
明らかだが、それに続く人物となると馬良・董和・劉巴・黄権ではなく、習禎を挙げるべき。

惜しむらくは龐統・習禎・馬良・程畿・張南・費観を早くに失い、黄権が魏に潘濬・郝普が
呉に降り、こうした上〜中上級の文武ともに可能な優れた人材をごっそり失ったため、
残った人の中でも李厳や廖立のように才能のある人物の自負心が大きくなって
さらに人材を失うハメになってしまった。
そのうえ諸葛亮は諸葛亮で「俺がいなけりゃ、みんなダメになってしまう」と
自分にプレッシャーをかけ命を縮めた。
まさに、負のスパイラルですなぁ。

荊州に十分な対呉対策を施すか荊州を呉に友好的に返す、また荊州喪失後に
復讐のための東征を行わない、いずれかを行っていれば人も兵も無駄に失わずに
済んだだろう。
275無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 21:50:12
>法正=程c・郭嘉
そうなのか!?
276無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 21:57:53
>>275
低能は消えろ
277無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 22:06:43
>>273
言葉の上げ足をとって絡む低脳はこのスレにはオランのです。
278無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 22:06:56
>>276は自分が低脳なのになぜ>>275を低脳といえるのですか?
279無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 22:30:02
>>278
>>276じゃないが法正=程c・郭嘉は>>274が書いているように陳寿の評
そうなのか!?と聞かれても・・・
280無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 22:31:03
>>278は法正が程c・郭嘉と同一人物だとおもたにイッピョー
281無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 23:12:24
>>278
類は友を呼ぶからです。
282無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 23:15:07
陳寿の評価の上では、龐統を荀ケ・荀攸に、法正を程c・郭嘉に比してますな。
>>275>>278は正史を知らない演義厨か光栄厨でしょ?
283無名武将@お腹せっぷく:05/01/11 16:00:01
>>282
正史さえ知っておけば、演義も光栄も晋書も後漢書さえも知らなくて良い。
そんな正史厨がここに。





釣られてみた
284無名武将@お腹せっぷく:05/01/11 17:14:38
俺も、魏史と呉史は読んだけど、蜀史は読んでないので真偽が分からない‥
285無名武将@お腹せっぷく:05/01/11 23:08:43
>>283
演義や光栄を全否定したレスには見えないが?意味不明すぎ
286無名武将@お腹せっぷく:05/01/11 23:45:18
>>284
少なくともちくまのではそうなってるよ
287無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 07:17:32
>>285
>>283>>275>>278じゃない?
とりあえず>>282に何か言い返したかったのだろうけど、結局墓穴を掘ってしまったということか・・・
288無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 12:03:37
>>283
釣られてみたとか言う前に最低限、正史が何かを勉強した方がいいよ
マジで
289無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 14:14:16
俺が書いたものが正史だ

1999年曹操が復活世界が滅びる
290無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 18:03:16
いや、>>287>>288よ自演は良いから。
とりあえずこのレスは結論が出ているので ― 終 了 ―
291無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 22:29:13
>>290
いや晋書も後漢書も正史なんだが・・・・
292無名武将@お腹せっぷく:05/01/13 08:01:52
正史を固有名詞とかん違いしてる人ってたしかにいそう
293無名武将@お腹せっぷく:05/01/13 08:44:50
>>275=283=290だったらかなり笑える
レスする度にドツボに嵌ってる
294無名武将@お腹せっぷく:05/01/13 21:14:59
とりあえず>>283は二十四史がどんなのか調べたりすることをおすすめする
295無名武将@お腹せっぷく:05/01/14 17:06:25
1368国志くらいになってたらどうよ
296無名武将@お腹せっぷく:05/01/14 21:17:37
周初の様な感じになる
297無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 00:55:09
周初の諸侯の数は本当にそれ以上にありそうだな
298無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 01:19:54
>>297
一応、800諸侯だったはず
299無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 06:59:13
ううむ。釣果が悪いな。
300無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 07:26:41
諸侯だけで800あると夷狄蛮戎も合わせれば1368は行きそうな気配だ
301無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 21:00:38
            ヽ、    ヽ     ヽ 、   ヽ
   )ヽ、_,,,..._    ヽ、_,   げえッ───────!!!
   iー-、::_: `、ゝ_,,-  ノ  (    ) 、     )
   ノ::`ー_-_ノ ノ ノ_,-"イ /    ` 、ノ  `i  (   l
,-、 |::::.ヽ _。ヽ:: /_。フ' |ノ   ヽ、      i、   ノ
|6`i/:::. ,,-.―'' /i|.ー-、. |
ヽ ::: i ::    ⌒  : |  <・・ぎ、魏延!ひけっ!ひけっ!
ヽ`l | ::    /ニ`i   /
 `|:. ヽ、   i_,,,、/  /     ,へ___
  ,|:::._ヽ___/   _//`ー--、ニ=--―,
  | ̄ ̄ ̄ ̄||| ̄|    / / / __     ̄ ̄`¬
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ヽ | // /   / 三三三  /
魏王・曹操
302無名武将@お腹せっぷく:05/01/19 08:41:39
あげ
303無名武将@お腹せっぷく:05/01/19 08:57:08
>>302
まともな流れになったところで上げろや…。
恥晒しになるだけじゃない。
304無名武将@お腹せっぷく:05/01/20 18:18:24
ttp://extraction.ddo.jp/sangoku/index.cgi
これでもやって歴史を変えろ
305無名武将@お腹せっぷく:05/01/22 00:36:46
あげ
306無名武将@お腹せっぷく:05/01/22 13:17:15
このスレは終了?
307無名武将@お腹せっぷく:05/01/22 14:04:35
EDAJIMAがあと9人いたら蜀が…
308無名武将@お腹せっぷく:05/01/22 15:20:42
人類を滅ぼしていた…
309無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 22:02:56
レキ食其が説客として呉に使いして、警戒を無くすと同時に
関羽が呉を攻め取る。その後関羽は呉王として独立して…
310無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 22:05:09
どこかで聞いた話だな
だが、それだとレキ食其が煮殺されないか心配だにゃ
311無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 22:10:31
放蕩のような人材が居れば統一は出来た。
312無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 22:18:47
EDAJIMAが3人いれば統一できた
313無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 23:12:51
1億ほどの兵士がいれば人海戦術で勝てそうだな

ただし、それを支える国力や、訓練や統率ができる指揮官を相応の数必要だが
314無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 23:22:03
>>313
むしろ、魏と呉に難民1億人ずつ送り込む。
あっという間に体制崩壊する罠。
315無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 23:27:07
>>314
しかし、その難民の受け入れを万が一にも成功した場合、民心にとって超絶的に計り知れない好印象が付く事は必至。
316無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 23:38:00
>>315
現在のアメリカに難民一億人送り込んでも、
虐殺しない限り無政府状態になる。
まして、人口数百万の魏・呉じゃ支えきれん。
317無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 23:38:41
伏龍と鳳雛がいれば…
318無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 23:43:10
二人とも伏せたまんま、雛のまんまだったんだなあ
319無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 23:49:40
疫病流行らせたら
それだけで全滅するんじゃない?
320無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 23:54:23
マジレスすると俺一人だけ追加すれば余裕。
三国志9で実証済み。
321無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 23:55:42
横山マンガからみると
孟達が孔明の言うことを聞いて慎重に行動すれば洛陽を獲って魏を滅ぼせたかのように聞こえる
322無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 23:59:41
>>321
あれは孔明の失策を孟達や馬謖の所為にしてるだけだからな
323無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 02:20:53
劉禅が張良の100倍政治・軍略に優れていて
呂布の100倍は槍と弓の名手であり
口から吐く炎は一度に100万人の兵士を焼き尽くし
すばやさは風の様に駆け抜け一日に万里を走る馬よりも速く
自由に大空を飛ぶことができ
目から発する超音波で敵を混乱させる
奴だったら統一していたぞ
324無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 02:40:21
それならあんた、世界征服も一日で出来るしw
325無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 08:19:14
>>323
それだと弓や槍はいらないんじゃあないか?w
326無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 10:37:45
劉備の出身が洛陽だったら
327無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 12:24:47
劉備が孝廉だったら
328無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 13:50:54
劉備が可進だったら
329無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 14:07:17
劉備がピサロだったら
330無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 14:43:42
それは蜀どころじゃない罠
331無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 17:52:07
>>323
そいつがトップの集団は宗教組織になりそうだ
332無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 11:28:47
>>320
言葉も通じず、何処の誰ともつかぬ蛮族の320を重用する大胆な人物なんていませんから
残念!
333無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 23:34:20
>>332
ここに居るぞ!
334無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 00:48:29
馬岱は嫌だな
335無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 00:56:09
>>332
マジレスすると香具師ら日本語話せるよ。
三国志9で実証済み。
336無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 08:25:55
卑弥呼様だってば
337無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 11:38:53
正直、卑弥呼だけではどうにもならん。
338無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 22:55:10
age
339無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 00:54:04
姜維とか夏侯覇とか見てると
巨人の代打が四番張ってる野球チームに近いものがあるよな
340無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 03:04:34
劉備の人材取りこぼしが多すぎる。まず田豫、太史慈、陳羣、徐庶あたりは確実にさらっとかにゃ。
特に後半戦に備えて田豫がいるといい感じ。陳羣なんかも政治家が薄い蜀には重要。おまけで陳泰がついてくるし。
341無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 03:28:44
陳羣なんてついてきた日にゃ、中原の士大夫軒並みかっさらえるぞw
あれは清流の大元の陳是の直系じゃねーか
342無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 03:38:00
たとえ劉備が陳羣の言うことをよく聞く人間だったとしても
結局徐州→袁紹→荊州の放浪の時期で見限られてしまいそうだな。

あの時期を超えてもなお劉備に仕えようとする人間はよっぽど
劉備に心酔してないと無理。
343無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 13:37:04
若かりし日の太史慈はけっこう劉備と気が合いそうだよな。
いろいろと無茶やたりしてるし。
あと徐州時代の取りこぼしは陳羣もだけど陳登とかもけっこう大きいな。
なにせ字が格好いいし対孫家用としては優秀な駒だし。
344無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 13:58:26
徐州を離れて流浪の輩に付いて行くようなアホが有能な人材だとは思えない
345無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 18:22:45
徐州はなれることになったら陳羣はどっか行っちまうだろうなあ。徐州命な陳登もついてかないっぽい。
張飛に酒呑むなと言っても無駄だろうから関羽と張飛の配置を入れ替えてみよう。
346無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 18:42:56
徐庶は曹操にとっ捕まって降伏したんだし劉備が取りこぼしたのとは違うだろ
347無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 19:38:37
太史慈が配下になったとしても赤壁の頃には
もう寿命で死んでるからあんまり意味はないな
348無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 19:54:12
病気だから、状況が変わればどうなるかわからない
349無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 21:45:33
赤壁まで行く前に状況が変わるから太史慈が活躍する目も出てくるよ。
まず曹操と一緒に呂布を挟撃しようぜ。んで張遼や高順やゾウハといった連中を吸収。
曹操が炎症と対立してる間に猿術、劉搖を打倒出来れば天下統一も出来るよ。
350無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 01:08:04
>>343
陳登は徐州から離れないと思う。
また、仮に付いてきたとしても、協調性のない性格のせいで、
劉備陣営が大所帯になったら、トラブルの種になってたと思われ。
351無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 01:49:12
>>339
キモイ野球ネタ空振り乙w
352無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:07:32
>>345
どの道曹操のところに行ってしまうよ。
孔融、荀ケ、鐘ヨウの誰かが声をかけるのは間違いなさそう。
祖父以来の付き合いはでかいなー。
353無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:14:09
>>352
反対に陳羣が荀ケ・孔融たちを呼びつけるのは無理だろうか
354無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:24:18
無理
355無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 02:46:04
>>353
つーか奴らには劉備陣営に鞍替えするメリットが
1ミリもないだろ
356無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 03:19:36
荀ケひとり釣れれば後は大漁だが…。やっぱり無理でしょう。メリットなさ杉。

陳羣逃したのはおおきい。内政のかなりはカバーできる人材だから、
諸葛亮の負担はかなり減ったと思われる。
357無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 03:32:57
>>356
逆に名声が高い陳羣が蜀の初代丞相になって、
諸葛亮がその補佐になる予感。
358無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 03:41:08
>>357
そうだね。家格・実務能力、他勢力とのパイプ、陳羣のが上にきそう。
蜀で九品官人法ができたら、すごいif。
359無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 03:41:40
ってか間違いなくそうだろう
>>356はゲームでしか陳群を知らん
360無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 04:06:00
>>356はゲーム脳
( ´,_ゝ`)プッ
361無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 04:50:36
>>358
九品官人法は、当初は漢の官僚を魏に仕官する資格がある人材かどうか、
再審査する目的で作られた制度。それが漢魏交代の後もなし崩し的に続いた。

郷里での評判をもとに才能と品行を総合的に考慮してランク付けするシステムなんで、
才能も人間性もそれなりにまともで、
郷里で指差されないような無難な人材を必要とする治世には向いてるかもしれないが、
「品行が悪くても、才能あるなら構わんよ」と言う乱世には向かない。
362無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 17:16:10
と言うことはいかにして徐州を維持するかという事だな。
363無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 13:41:47
どうやって呂布倒す?
364無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 02:40:51
田豫・徐庶
↑ここの二人は完全に運なく逃しちゃったもんな
両名とも、関羽と共に荊州に置くことが出来たら……
365無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 02:57:46
いっそ呂布が劉備の部下になっていれば・・・
陳宮・張遼・高順、それに賊系の臧霸や早死にしたのでマイナーな孫観もかなりの人物。
366無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 03:37:18
一時期なってたけど
呂布を暗殺して陳宮・張遼・高順を手に入れるのが妥当かなぁ
367無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 10:43:56
田豫いたら五虎将が六虎将だな。
んで太史慈入れて七、ついでに魏延も入れてハ虎将だ。
と思ったけど徐州に地盤築くとなる五虎将が揃うことはないのか。
368無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 13:07:45
黄忠なんて絶対入らん
369無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 13:59:08
>>367
おまえ、本当に田豫のこと知ってるのか?
370無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 14:16:32
知ってるぞぉ
371無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 22:19:36
徐州にいたら本格的に曹操に潰されているだろ。
辺境の蜀だからこそ国土を維持できたわけで。
それに、蜀漢成立をささえた荊州・益州の名士が手に入らない。
徐州は名士が欠乏していたからな。
372無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 22:26:20
>徐州は名士が欠乏していたからな。
>徐州は名士が欠乏していたからな。
>徐州は名士が欠乏していたからな。

荊州に移住した人間が多いだけだろ

徐州じゃ領土拡大できないどころか、領土維持すら難しいのは同意だが
徐州に本拠を構えても、名士を集める気になれば招聘することもできるだろ
373371だけど:05/02/13 22:37:26
>>372
>荊州に移住した人間が多いだけだろ

いや、「欠乏」とはそういう意味で使ったんだよ。初めからいないとかじゃなくて。
374無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 00:22:06
袁術潰して淮南奪えば相当な戦力を揃えられるでそ。
375無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 00:40:50
もう、淮南ってだけで相当凄いんだが
この地を制した者が天下を取るか、二分するんだぞ?
376無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 17:41:11
淮南はなまじっか豊かなだけにあそこを押さえた連中はろくな事しでかさねーよな。
袁術のあとも魏では反乱多発地帯だし。
377無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 21:23:32
ただあそこ“も”押さえないと天下を維持するには難しいっていうか・・・
378無名武将@お腹せっぷく:05/02/20 12:35:55
関羽殺された劉備が呉攻撃を思いとどまりさえすればまだまだ戦えたんと違うの?
379無名武将@お腹せっぷく:05/02/20 18:48:30
そこで思いとどまらないタイプだから、名だたる武将がついて来たんだろう
その時点では信頼を完全なものにしていた孔明ですら止められなかったわけだし
益州だけを死守っていう方針では存在意義も薄れると思う
結局そうなる前段階の対応ができるだけの人材が欲しいっていう説と
もっと前の徐州期の人材が欲しいっていう説になってしまうわけだよな
380無名武将@お腹せっぷく:05/02/20 18:48:54
むりぽ。ほっときゃ次は益州に攻め込んでくるよ。
381無名武将@お腹せっぷく:05/02/20 21:00:43
>>378
あれは正しい判断だろ
蜀スレでも言われてた通り、見誤ったのは引き際
382無名武将@お腹せっぷく:05/02/21 00:48:59
法正が夷陵のころまで生きていればそれなりに解決
383無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 04:00:34
偽帝討伐の際に「ここで活躍したら帝に推挙するんで手伝ってくれ」と
呂布に頼んで参戦してもらってたらどうだっただろう。
帝室の一門で通ってただろうから説得力はあっただろうし、呂布にしても
悪い話ではないだろうし。
後の流れを考えると、徐州は確保できてたんじゃないかなぁ。
・・・とか考える俺は演義厨でしょうか。
384無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 11:47:12
袁術討伐に呂布駆り出すのはいいけどその後が大変。
呂布や曹操に獲られる事なくうまく淮南を掠め獲れるかどうか。
かといって劉備単独じゃ袁術にはかなわないし。
385無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 13:02:45
>>381
陸遜については呉の諸将ですら見くびっていたほどだから、仕方がなかったのかも知れないが。
386無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 17:52:47
馬謖がいなければ・・・
劉禅がいなければ・・・
387無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 19:49:11
官渡で袁紹が勝ち、中原を得る

曹操軍劉表を頼る、関羽同行

曹操、三顧の礼で諸葛亮を迎える

袁紹病死、劉備お家騒動に巻き込まれて追放され、関羽の居る曹操の元へ

劉表死す、曹操、諸葛亮以下の進言に従い荊、益を得る、

袁尚、禅譲を受け国号を趙とする

曹操、蜀を建て、皇帝を称す

曹操、赤壁にて孫権を破る、孫権降伏

曹仁・関羽、文醜を斬り樊城を落とす
張遼・孫権、合肥で顔良を破る
劉備・夏侯淵、張コウを破り漢中を占領

蜀の武帝自ら軍を率いて趙を滅ぼし、天下を統一す

大司馬:曹仁 大将軍:夏侯惇 太尉:孫権 司徒:劉備 司空:荀ケ
388無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 20:16:50
>387
三顧の礼の孔明は?
389無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 20:18:38
>>388
尚書令。
390無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 20:20:13
>>387
孔明いらない気がするんだが・・・
荀ケ・郭嘉・賈詡・程c・芝居もいるし
391無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 20:32:46
ここまで読んだ感じ、呂布を使えてれば、ひょっとしたらってこともあったかもね。
392無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 21:12:07
>>390
郭嘉:#38610;城攻略中に病死。官、司空従事中郎・軍議中郎将&に至る。蜀建国後、忠侯と諡される。
賈詡:特進・光禄大夫。
程c:魏国初代太尉に推されるも、高齢を理由に固辞。高齢により、官を退く。官、太僕に至る。死後、太尉を追贈される。
司馬懿:尚書左僕射。
393無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 21:54:01
>>392
ifにつっこむのもなんだが官渡で負けたら司馬懿はいないだろ
394無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 22:19:26
>>391
呂布陣営には張遼がいたしな
張遼が魏にいなかったら徐州は呉が奪っていたかも
395無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 22:59:19
>>393
并州刺史高幹率いる袁紹軍が河内郡に進軍してきた時、
かつて曹操を裏切ったにも関わらず、許されて河内太守となった魏 种は、
恩を報じるべく、一命を賭して徹底抗戦。高幹率いる并州の精鋭を苦戦させた。
苛烈な河内攻防戦の過程で温県も戦火に巻き込まれ、
司馬一族は荊州へと疎開して行く。

袁氏の大軍の前に、諸県の兵は玉砕を遂げ、魏 种は懐に篭城。
なおも抵抗を続けたが、一年後に懐は陥落。
魏 种は壮烈な戦死を遂げた。

後世、魏 种は蜀書忠義伝にその名を留めることとなる。
396無名武将@お腹せっぷく:05/02/23 08:37:51
>>387
劉表は、袁紹の同盟者として張シュウとともに曹操の背後を脅かしてきたのに
なんで袁紹に敗れた曹操が劉表を頼るんだ?
むしろ汝南とか寿春あたりに逃げて、孫策と同盟して荊州を劉表から奪うことを
考えるだろ。
397無名武将@お腹せっぷく:05/02/23 22:07:40
荀ケ・郭嘉あたりは、蜀に移った時点で
ついてこないと思うのは、漏れだけか?
398無名武将@お腹せっぷく:05/02/23 22:19:41
>>397
二人とも、一旦袁紹の下に入ってから、その人間性を見て出奔した人間。
袁氏の下に出戻るとは、考えにくい。
399無名武将@お腹せっぷく:05/02/23 22:27:50
>>397
やヴぁいのは賈詡
400無名武将@お腹せっぷく:05/02/24 15:41:40
賈クは主のために手段を選ばずに最善は尽くすけど裏切りったり見限ったりは全くしない忠義な男
401無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 00:11:23
>>400
李傕らや段煨はあっさり見限っとるけどな。
402無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 07:09:26
>>401
段煨の場合は理由があったし、段煨も賈詡の張繍軍参加を歓迎したから見限ったとは
いわんのじゃないか。
403無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 17:40:03
劉備が曹操に攻められ徐州を失ったあと、袁紹のところへいかず荊州へ
行っていたらどうだろう?

劉表(黄忠・魏延)、張繍(賈詡)、劉備の連合ができる。
これに荊州人士(徐庶、諸葛亮など)を加え、袁紹、関中の馬超・韓遂、
呉の孫権、汝南の劉辟らと結べばいい感じじゃん。
あとは、ジワジワと劉表の荊州を乗っ取って蜀を併合し、袁紹や孫権との
三国志。
404無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 18:52:49
結びすぎ
405無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 20:00:08
>403
じわじわどころか劉備は劉表のところに行っても
死ぬまで5〜6年荊州を乗っ取れなかった。
406無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 20:18:41
>>403
袁紹の庇護も受けてない、しかも曹操の侵攻から逃れてきた劉備を撃破すれば
曹操に恩を売れてしかも袁紹との同盟関係も崩さないことになるから、かえって
劉表から見れば潰すのには好都合じゃないのかな
407無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 20:45:30
荊州人士とやらは普通に袁紹に付く罠
408無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 20:53:28
荊州の土着の有力者って、劉表の家臣じゃないわけだから結局はそのときの実力者の
支配下に入る。だから劉備に力があればそれは可能だろうけど、実際にはそうじゃないうえに
荊州を荒らしに来たと思われて総攻撃食らうと思う、当時はまだ劉j劉gの問題は大した
こと無かっただろうから一枚岩になる可能性もある
409無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 01:12:15

劉表は清流派
儒教的名声が無い奴は重用されない(だから馬氏等が劉備についた)
下馬評どうり袁紹が勝つと読んだ上で
劉表が張繍にしたように劉備を援助すれば徐庶とその人脈が劉備につくのはありうる
エイセン、まで占拠できれば陳郡やジュンイク、ショウヨウらが帰順する可能性もあり
個人的には楽しい展開


410無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 01:41:09
袁紹にあっさり帰属するとおもいます!
411無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 23:54:08
趙雲が必死で助けた劉備玄徳の馬鹿息子
412無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 18:20:11
age
413無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 18:23:37
趙雲が阿斗じゃなくて奥方を助けてたら
414無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 18:25:45
曹操が蜀いれば灌朝統一ができただろうに
415無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 21:50:27
阿斗が劉備クラスの人器だったら漢復興の目も無いではなかったろうな。
416無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 21:57:20
無理
417無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 22:05:17
>>416
ならば策を述べよ
418無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 22:09:18
>>415
蜀で育った劉備の血を引くものがいればそれだけで違っただろうな
419無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 23:14:54
荊州を失ってからだったら君主の能力程度では
戦況がそう変わるもんでもないと思うがな。
420無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 23:38:57
>>417
タイムマシンで歴代の中華武将、宰相を召還する
421無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 09:41:32
タイムマシンを作れる科学力があるなら世界も統一出来る気がするぜ
422無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 10:30:59
じゃ劉備が、徐州を失った後、孫策の元に行く。
孫策が死んだ後、孫権に許を攻める行動を継がせて
自分は、もう一度徐州を手に入れる。
孫権が動かなければ不肖の弟だという事で、張昭と共に、
孫翊を立てて呉家中を割って、勢力を増やしていく。
423無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 12:54:10
>>422
まだ地盤も兵力もしっかりしない孫策が受け入れるだろうか
劉備を受け入れる=いやがおうにも中原の実力者とのいさかいに首を突っ込むということだが
それに呉の家中は割れてるのがデフォ、豪族の連合体だからな
424無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 00:30:19
仮に、あくまで仮にだが周瑜がいたらどこまで蜀の台所事情は楽になる?
425無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 00:39:21
>>424
いつの話だよ。
426無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 01:35:36
>>422
「行動を継がせて」「動かなければ不肖の弟だという事で」とか、劉備が呉の孫政権において
重要人物になっていることを前提にしすぎだ。
同族である劉表すら、劉備の曹操を攻める献策を無視したことを良く考えろ。
ましてや孫権は政治能力が高い人物で、呉は自己主張の強い豪族連合政権なのに、浪人客将ごときに
何が出来ると思ってるんだ?
427無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 15:48:45
>>426
劉備に都合が好いように書いているのだが。
劉備が、孫策の所へ行った時点で、太史慈位重要人物になって
いそうに思うし、いったん許襲撃の手前まで準備がなされてい
た中での話なんだから、例えば劉表が同じような状態で殺され
ていたら、劉jに進言したとしても、賛成する人物は多くいそ
うだと思う。
428無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 15:49:10
>>425 入蜀後
429無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 17:16:49
周瑜の寿命が…
430無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 10:38:46
周瑜が長生きしてると劉備陣営は逆に苦しくなりそうな悪寒……。
431無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 04:36:34
だーめだ、こりゃ。
人、いねーじゃん!


「虚名を含む、当時の蜀漢人士の名声順位」(★は諸葛亮より先に死亡、☆は魏へ移籍)

 1.諸葛亮(臥龍、四相・四英)
★2.龐統(鳳雛)
★3.習禎(龐統に次ぎ馬良より上)
★4.馬良(白眉)
 5.蔣琬(四相・四英)
 6.費禕(四相・四英)
 7.董允(四相・四英)
★8.許靖(虚名No.1有名人、中原での知名度だけなら元1位)
★9.射援(皇甫崇の娘婿)
★10.劉巴(名士劉君)

 次点:★法正、★射堅、★姚伷、★董和、★頼恭、陳祗、秦宓、☆黄権、☆龐林、☆徐庶
432無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 00:24:27
うお〜〜〜〜〜〜〜
433無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 02:38:14
蜀将討議11スレたてて携帯からは無理だ
434無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 02:45:54
正気の沙汰とは思えない山脈超えをしたトウガイが蜀にいたら・・・
長安強襲失敗で一戦で蜀滅亡したかも知れないが、間違って勝ってたかも。
435無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 02:59:56
   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
  /   ,――――-ミ    
 /  /  /   \ |  
 |  /   ,(・) (・) | 
  (6       つ  | 
  |      ___  | 
  |      /__/ / 
/|         /\          
              
     ∧
  / ̄   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | なわけねーだろ!!
  \__________________
436無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 12:51:19
誰かスレ立ててくれませんか?うちからじゃムリ。ちなみにOCN。

蜀における武将・人材総合スレッド

蜀の人材に関して総合的に語り合うスレ。
蜀将スレが10まで行き武将以外の人材についても語られはじめてるのでちょっと趣旨を替えてみた。
とりあえずただの煽り合いは抜きの方向で。
あと演義基準で語られると論議のしようがないのでなるべく控えてほしいところ。

<前スレ>
蜀将討議スレッド10
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108629096/

<過去スレ>
蜀将討議スレッド9
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1098807561/
蜀将討議スレッド8
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1091196164/
蜀将討議スレッド7
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1090156694/
蜀将討議スレッド6
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1089022105/
蜀将討議スレッド5
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1088188865/
蜀将討議スレッド4
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086984613/
蜀将討議スレッド3
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086376565/
蜀将討議スレッド2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086111941/
蜀でNO.1の名将は誰か?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085319730/
437無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 12:52:21
<関連スレ>
どの程度の人材がいたら蜀が統一出来たのだろうか3
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1104243588/
■賛否亮論■諸葛孔明の実像に迫るスレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1096333204/
孔明死後の姜維の北伐は無駄だったのか?【第三次】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1088084730/

魏の名将・良将を語るスレ 其の七
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1109393677/
魏の参謀ベスト10を決めよう
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1087734165/

【正史】呉を語るスレ【名将】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1107497770/

他にもあったら補足よろしく。
それでははりきってどうぞ。

なおスレタイ等に不満があれば適当に変えちゃってください。
438無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 13:50:21
たてたよ
蜀将討議スレッド11
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1110602773/

439無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 14:58:42
>>438
感謝!
440無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 23:35:03
>>438
ありがと
441無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 23:41:38
呂布と張遼が肝だな。次点は徐庶。こんなとこじゃないの?
442無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 00:56:42
蜀って間羽や孔明みたいなトップクラスが優秀かつ真面目過ぎたので
若くて野心を持った武将が育たなかったのではないかと言って見る、
ガイシュツならスマン
443無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 03:04:14
将が育つ地盤が無かったわけだから、あるていど才能あって自分だけで
何とかなるような逸材しか残りようがない
だからいかに早い内に拠点を持てるかって話にもなってくる
劉備軍にはこの点が大きすぎる問題としてあるから難しいんだよね
444無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 12:03:03
>>426
無視したのは荊州諸豪族の意向だろう。
445無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 14:48:58
竜の軍師いればおk
446無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 00:58:32
将が育つ地盤がどうのこうのって何それ?
平和すぎて実戦経験が少なかったってこと?
447無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 02:24:02
>>446
そのもの地盤、拠点だろ
曹操にも孫堅にも、あまたの有力者には自分の拠点があった
448無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 00:38:46
>>447
何が言いたいのか意味が不明だな。
449無名武将@お腹せっぷく:2005/03/21(月) 12:23:06
それは将が育つ基盤というより兵隊の供給源だな。
まあ将が育つ基盤より兵隊の供給源の方が重要だろうけど。
450無名武将@お腹せっぷく:2005/03/21(月) 12:32:08

      //
     / /
    /  ./   パカ
   / ∩∧_∧     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   / .|┝ ・∀・|__ < そうでもないよ
  // |     ヽ /  \______
  " ̄ ̄ ̄ ̄"∪
451無名武将@お腹せっぷく:2005/03/21(月) 20:46:57
>>447
劉備にも徐州があったじゃん
452無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 19:20:52


 張苞  関興
   趙雲
馬岱    魏延
   ケ芝
楊義姜維馬謖王平
   諸葛亮

    蜀
    VS


   張コウ
   孫礼
 楽琳戴良張虎
   カク昭    
 郭淮曹真王双
   司馬懿
453無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 13:00:43
>>451
ほんの数年で失うような拠点は拠点とは言わない。
454無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 13:10:01
gakasyoua
455無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 13:11:41
金環三結一人で十分じゃーーーーーーーー
456無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 13:13:37
諸葛亮1万人
457無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 13:18:28
俺1億人
458無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 13:29:10
>>457
ニート1億人で魏を食いつぶして共倒れになってくれるのか
それなら蜀が中原を抑えて、呉に勝って天下を取る目もあるかな
459無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 13:31:13
>>455-457はスレタイの趣旨に沿って投稿されたものと仮定する
すると
10000金環三結=1諸葛亮 =α
100000000金環三結=1>>457 =β とする

このときβにαを代入すると10000諸葛亮=1>>457となる
つまり
100000000金環三結=10000諸葛亮=1>>457 という解が得られる。
だがこの解は正解ではない。その理由を述べよ。
但し解に虚数は含まず、1行目の仮定も覆る事はないものとする。
460無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 13:46:20
陳羣が蜀にいたら諸葛亮は過労死しなかったな
461無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 13:53:58
過労死するタイプは、暇になれば別のことするから結局過労死すると思うよ
462無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 14:57:15
んなワケないだろw
膨大な事務処理+政治判断、指示⇒(別のこと)⇒ボンボンの相手
過労死できんがな
463無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 16:16:52
>>453
いや拠点が無かったんじゃなくて拠点を保てなかったんだろ
464無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 18:15:13
たとえ五虎将+ホウ統生存×顔良、文醜、ケイ道栄みたいな猛将達がいても天下は厳しいと思う
理由は……






また来週
465無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 18:19:08
>>1
500万の戸籍人口とそれに見合った数の士大夫。
466無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 19:46:22
ぎゅうきんがいればかてた
467無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 20:27:01
人材だけで蜀が統一できるものであれば、南北朝時代には容易に南朝が
統一ができる事になる。
468無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 20:30:21
おまえ北朝を舐め過ぎ
469無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 23:31:00
>>467
ネタか?
470無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 00:21:50
侯景ごときに攪乱されまくった南朝が人材豊富ねぇ……
471無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 15:13:37
司馬イと張コウ
472無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 15:15:07
いくらいたって蜀は糞。劉備が馬鹿だから、一緒だよ。
473無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 15:23:45
その割にはいいとこまで行ったじゃん
後半は人材不足に悩ませられた蜀。この蜀に有能な士
がいたならば絶対統一できたはずだ!
474無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 15:30:25
人材不足は諸葛亮のせいと考えられなくもない
475無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 15:35:13
なぜ?
476無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 15:36:29
あいつは人を見る目がない悪い人材を登用し、
よい人材を遠ざける愚かな香具師
477無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 15:37:45
>>474
おとなしくて目立たない人物を好んで採用していたそうで
478無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 15:41:34
曹操がいれば統一できた。
479無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 15:43:10
曹操は人に仕えるようなヤシじゃない!
480無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 16:22:07
479、当たり前だボケ
481無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 16:25:41
>>478-479
そんな事はない、上がふがいないから独立しただけで
曹操は「自分は将軍になれれば満足」程度で独立志向じゃない
482無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 16:56:51
諸葛亮は官僚系の人材を好んだだけであって、その点において人を見る目が無い訳ではないのだが…
なんか春っぽくって微笑ましいな
483無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 17:08:27
宗田ボケ!宗田ボケ!!宗田ボケ!!!
484無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 17:15:18
485孟蒙:2005/03/25(金) 17:57:49
何が春っぽいん打予
486無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 18:07:42
ageる馬鹿
最近正史を知って、無意味に諸葛亮を陥れるアホ
まぁ、年中ある現象とも言えるが
487無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 00:53:30
臨機応変の策が無かった=軍才無し
とかって短絡的に考える人が多いしな
488無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 06:09:45
諸葛亮ってば内政の天才だったように個人的には思えるよ。
そりゃ知略には定評があったから死後も仲達を奔らせることができたけど。
やはり向き不向きってのがあってさ。鳳統や法正らを失っていたことが大きいと思うよ。
それから、入蜀したとき討ち取ってしまった数多の将星を登用できていたら
、その後の動きはかなり違っていたかも。

これは、入蜀の際に無血でできていたら、という理想論だけど。
成功していたら鳳統も生きていたし。
489無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 06:18:51
曹操は
俺は漢左将軍操と墓碑に刻まれれば満足だった
それが何の因果か天下が乱れてしまったので今こうやって今上陛下を補佐し身に余る待遇を受けいてる
別に野心なんかないんだ!
と演説してるな
490無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 06:37:01
491無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 07:27:06
乱世だなぁ
492無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 09:31:26
>>489
曹操カッコワルイ
493無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 10:14:37
>>488
え……っと、まずどこからツッこもうか

>諸葛亮ってば内政の天才
内政、軍政の天才だわな。漢中ラインの防衛線の構築は諸葛亮によるところが大きい。
あと、戦争においても、負け無し。とくに撤退戦に関しては鬼。戦術レベルでも充分優秀な人間

>知略には定評があったから死後も仲達を奔らせることができたけど
仲達の立場ってものがあるのをお忘れなく。ここで大勝してみろ、粛正されるに決まってる

>、入蜀したとき討ち取ってしまった数多の将星
殆ど吸収したと言ってよいんですが?諸葛亮時代には劉璋政権に仕えなかった人も仕えてるし
逆に討ち取った名のある武将を教えて欲しいんですが?
人材の枯渇は夷陵の方が問題だろ

鳳統の誤字にかんしてはあえてつっこまない

494無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 10:57:45
>>493
> 仲達の立場ってものがあるのをお忘れなく。ここで大勝してみろ、粛正されるに決まってる

公孫淵討伐はどうなるんよ?
495無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 11:21:17
粛清は極論。

司馬懿が積極攻勢を採らなかったのは当時の蜀の侵攻に対する
魏の基本方針に則ったもの。
これを度外視して司馬懿を貶す意見を時に見かけるけど、これは論外。
如何に軍権を与えられているとはいえ、指揮官個人の恣意や彼我の戦力差で
万機が決すると思うのは間違い。

>>494の公孫淵討伐にいたっては曹叡自身が積極的に征伐を企図し、それに
対して司馬懿が期待通りに応えたもの。
496無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 12:09:58
>>495
どっちにしろ鮮やか過ぎる大勝をしてしまえば警戒される可能性はあるだろ?
しかも防衛戦で多大な功績を挙げるより侵攻戦で多大な功績を挙げるほうが危険だよ。
鐘会の例を見てもね。
保身を考えて対蜀戦で手を抜いたというのはちょっと無理があると言いたいだけ。
497無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 12:19:26
>>487
戦略と戦術の違いが分からない人も多いからな。
498無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 12:21:05
>>496
鍾会の場合は出征以前から野心を看破されていたからというもの。

むしろ三国の鼎立を経て安定期に差し掛かってくると、むしろ軍事で粛清の
対象になるのは諸葛恪のような例。
499無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 12:33:30
>>498
諸葛恪の場合、専横が激しかったので軍事での失敗を口実に粛清されたのであって軍事的な功績が大きかったからじゃないぞ?
500無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 12:40:46
>>492
曹操様はカコワルくない!!!
501n:2005/03/26(土) 12:43:42
人材よりも国力だと思う
曹操が蜀の君主であったとしても魏と蜀の国力差は跳ね返せない
それがシュミレーションゲームではない歴史
502無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 13:36:38
しかし曹操なら夷陵で大敗はないな・・・。
503無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 13:38:43
>>501
荊州にしろ北伐にしろもう少し優秀な人材が多ければ何とかなったかも知れない
とか考えるわけですよ

ついでに人材こそが国力である、と言ってもいいと思うんだが
例えば魏と蜀の家臣を丸ごと入れ替えて考えてみれば、国力差があっても
この場合蜀が勝てそうな気がする
504無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 13:57:34
>>501
それは正論だが、国力差を跳ね返した稀有な例も世界史上にはあるし、
それと同じ事を蜀でやるにはどれほどの人物が必要かって話でしょう。
505無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 14:18:29
>>501
つ日露戦争
506無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 15:16:46
>>503
勝てねぇだろ
ってか、国力があって初めて人材が生かせるんじゃないか
ショクに魏の人材がいてもトップクラス以外は持て余すだけ
507無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 15:19:24
馬謖が街亭ちゃんと守ってたらどうなってたんだ?
西涼〜長安落せてその分国力アップしてた?
508無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 15:26:55
本当の意味での三つ巴になったろうな
509無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 15:31:51
維持できないと思うけどね西涼〜長安はたとえ落としても
510無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 15:37:35
西涼は馬超人形掲げておけば大丈夫だろ
511無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 15:40:21
馬超死んでるし
512無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 15:44:05
反乱多発地帯だから維持は難しそうだな
513無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 15:49:42
関中平野を奪取できるかが全て
涼州はお飾り
514無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 15:57:12
函谷関を取れれば関中を維持することも可能と思う
515無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 16:00:45
漢中〜長安と洛陽〜長安ってどっちが近い?
あと長安って最前線になっても耐え切れるだけの備蓄あったのかな?
漢中と長安の分断策を魏にとられたとしてそれに耐えられたのかな
516無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 16:01:54
それ魏が先に兵糧不足なるんじゃ?
517無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 16:07:21
北伐ってのは食料維持が最大のネックだったからその心配は大いにあると思う
物量作戦になって魏に敵うわけないし、長安を落としたから即周辺都市が従うわけでもない
518無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 16:13:40
必要なのは関羽と馬謖を諌める人材だけでよかったって事だよ。
そうすれば国力軽く2倍はいってたな。
519無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 16:51:59
蜀に曹操がいたとして、関羽に曹操をつければ荊州は死守出来たな
関羽死なない→夷陵起こらない→劉備長生き
馬謖は用いられないので無問題
魏延ももっと活躍できると。
520無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 16:56:23
蜀に曹操がいるとして、じゃあ中原は誰が制覇してるんでしょうね………
521孟蒙:2005/03/26(土) 16:57:45
519、奈良天下は三分去れ菜胃予
522無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 17:38:12
>>520
袁紹様をお忘れか
523無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 17:44:43
>>517
そうでもない。三国とも、地方豪族達の忠誠心の無さには最後まで苦しめられた。
曹操不在の間に当の許都で叛乱が起きてるし、関羽の北上に曹操らが慄いたのも
宛周辺に呼応の気運があったから。関中は叛乱のメッカみたいなところだし、
強い軍隊が占領しにくれば、何割かがあっさり掌返しておこぼれに預かろうとした
だろうといっても無理な想像ではないと思う。
劉備が新野時代から長らく中原帰還を捨てられなかった理由はこの辺にあると思う。

収拾つかなくなって大分裂時代が早まるかも知れんけど。
524無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 18:01:15
諸葛亮北伐でさっくりと三郡が呼応してるのがその証左だな
525無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 21:41:49
たしかにな。蜀も、劉備の死後に南方が叛いている、呉の煽動つきで。
諸葛亮の遠征後も何度も反乱を起しているし。
526無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 00:12:31
劉備は劉邦みたいに、いったん出陣したら2度と成都に戻らず前線で
戦い続けることは出来なかったのかな。曹操は動きまくっているのに。
漢中で曹操を撤退させた後、申儀の西城へうまくすれば南糸まで進駐
するみたいな。
527無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 00:51:21
一応有力部族と手を結んでるじゃなかったか?
後主伝に記載があったはず
528無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 00:52:46
楚漢の戦いは超短期決戦だったから
旧秦の食料集積地もそのまま残ってたし
各種インフラの破壊もそれほどでもなかったはず
漢中攻防戦があったころは20年以上の破滅的な動乱を経ている
ぶっちゃけ長期の軍旅自体が不可能な状況だったろうな
もし劉備がむやみに軍を進めていたら
食料が尽きるか疫病が大流行するかで、退却すら不可能になっていた
529無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 01:13:51
そもそも漢中での攻防が一年半近くかかったから
曹操が撤退したら、事後処理せにゃならんでしょうな
しかし一年半近く後方支援を維持した諸葛亮は流石というか
蕭何に比べられるのも肯けるよ
やはり、諸葛亮が前線に出張らねばならなかったのが蜀の不幸ですな
530無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 07:34:38
後方支援してたのは別に諸葛亮だけじゃないでしょ。
それこそいろんな人間たちが携わっていたと思う。
(その辺は資料がないからなんとも言えないけどさ・・・)
とにかく何でもかんでも諸葛亮の功績にする風潮には
どうにも納得できん。
531無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 08:00:50
そうか残念。でも漢中から劉封が動けるくらいの増援はほしかった。
南糸じゃなくて南郷でした。趙雲のような手堅い武将に。
傅方・新野の胡脩を降参させ、宛の徐晃を牽制させれる位。
532無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 08:37:35
>>530
単純に、司令官の功績が第一に上げられるもんじゃないのか?
組織の運営には無数の人間が関わっているのを飲み込んだ上で、
「史書に載ってない人間〜」とか言い出しても仕方がない。
533無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 12:46:22
へえ〜
関中戦そんなにかかってたのか
534無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 13:13:30
>>532
ならば、諸葛亮の軍才は劉備(法正?)には及ばないとなるが・・
漢中戦の時の魏軍は物凄い豪華だが、それを撤退させたわけだが。しかも、蜀が魏に大規模な戦で勝った唯一の戦なんだが。
535無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 13:15:38
結果論で言えば諸葛亮は北伐で敗北しているが、
北伐の戦略プランはかなり計算されていて
成功してもおかしくないものだったと言われる。
536無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 13:26:04
>>535
戦略や政治力に置いては当時でも随一なのは、確か。
ただ、劉備に比べて人を使いこなす才に置いて劣ってるのは否めない。ここが総帥としての−ポイント。まぁ、劉備が曹操に次ぐ程凄いんだけどさ。
法正に比べて軍略で劣るいう点は状況的に手堅くいかざるを得ない点があるから一概には言えないけど。
537532:2005/03/27(日) 14:56:41
>>534
なんで俺に? レス番間違いか。

ついでに、「軍才」が軍兵を以って戦略目標を達成する能力とするなら、
諸葛亮は劉備に及ばないだろう。
一戦の結果でどうこう言うのも極端な話だが。
劉備は学はないが統率力と経験はこの時代屈指だったと見ていいだろう。
538532:2005/03/27(日) 15:09:37
あ。漢中攻略の「司令官」が劉備だからレスされたのか。

>>530に対しては、
後方兵站を担った司令官は左将軍府事の諸葛亮だろう。
ならば兵站を維持した功績は先ず諸葛亮に帰せられる。
と、言いたかったんだ。「軍才」とは違う話。念の為。
539無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 16:08:17
>>538
>>530の言い分はあまりに不当だと、はっきり言ってやるべき。
史書に書かれない功績を妄想して、史書に明らかな功績にケチをつけることが許されるなら、
諸葛亮であろうが蕭何であろうが法正であろうが、その功績を軽んじることは容易いに決まっている。
540無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 16:57:54
詭弁を相手にする意味がわからん
541無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 16:59:40
果てしなく暇が潰せる
542無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 10:14:53
劉備に学がないってのは少し疑問
と言うのも字の玄徳ってのが老子だったり経書だったりに出てくる言葉
だから正史の書を好まずってのは勉強は嫌いだけど学はある程度はあったって事なんじゃなかろうか
543無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 11:52:13
字って親がつけんだろ?
544無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 12:07:29
自分で付ける場合もある

曹操の孟徳なんかの場合は司馬キの徳操と同じ語源だろうと言われているし
曹操の場合は名と字で一文字づつに割っているけどね
原典は同じく経書

後漢末期に経書などから名前を取るのが士人層で流行していたとして
玄徳などと仮に親からだったとしても劉備にその字が付いていることは士人層の中に劉備がいたと言うことじゃないか?
士人ならば当然ながら一般常識としての学はあるはず
一般的に言われてる程劉備は学無しではないと思う
545無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 12:38:09
劉備=大学は出たけど、大学では合コン三昧だった
曹操=エリート官僚になるべく勉学にも勤しんだ
546無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 12:43:43
劉備は一応塾に通ってたらしいじゃん
こうそんさんの後輩らしいし
↑漢字わからん(つД`)
547無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 18:16:49
盧植の下で学んでたわけだしな
馬商人の用心棒やって金稼いでたわけだから、社会性はあっただろう
学のある人間に舐められない程度の学は金を稼ぐのには必要不可欠
548無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 22:54:54
>>546
分かりもしないのに発言する腐女子はキエロ
549無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 23:04:48
鄭玄と劉備ってどういう関係だったの?鄭玄の推薦で孫乾が劉備の幕下に入ってたりするけど。
鄭玄に学問を習ったことがあるというのが本当だったら劉備の学識は大したもんなんだろうけど。
550無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 23:10:34
>549
劉備自身が後年、鄭玄と交際していた、って言ってるね。
おそらく、青州に居た頃か、徐州に入る頃、あるいは徐州時代に交流があったのかもしれんね。
学問を習った、と言うよか、鄭玄の居住地、あるいはその近隣の有力者(統治者)だったので交流があったんじゃないかな。
551無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 23:20:26
>>549
鄭玄と劉備の間に、師弟関係は存在しない。
孔融は、かつて劉備に命を助けられたことがあって、劉備を高く評価するようになり、
劉備が徐州を領する時の推薦人になった人物だが、
彼は鄭玄を厚遇していた。
つまり、鄭玄にとって劉備は恩人の恩人(盟友)。
その縁で孫乾を劉備に推薦したと思われ。
552無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 06:28:24
いくら優秀な人材を山ほど集めたところで失敗することはあるわけで
結局第2第3の関羽・馬謖を生み出しただけの話。
三国が形成だれた時点で一度の失敗を挽回できる国力がないって時点で終わってる。
553無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 14:31:00
それをひっくり返せる可能性があったのが第一次北伐だったのに馬謖のバカ
554無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 18:48:10
第一次北伐がもし成功していたら、蜀は統一できたのだろうか?

蜀の勢力がある程度大きくなると、呉は黙ってないだろうし、
諸葛亮一人ではどうにもこうにも回らんくなると思うが、
そこを埋める人がやはり必要に・・・
555無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 18:50:31
>>554
曹丕、曹叡が早死にすればあるいは
556無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 18:59:00
そして孫権も死亡
557無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 19:02:10
皇帝黄鬚児アヒャーーーーーーーーーーーーーーー
558無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 19:08:56
>>554
北伐に成功しても諸葛亮存命中の統一は無理だろう
諸葛亮の狙いは自身が生きている間にいかんともし難い国力差だけは埋めておこうと考えていたんじゃないか?
袁紹と華北を争った曹操が騒乱を収めるまでの間に10年程度の歳月を要しているしな
劉備死後から諸葛亮陣没までの10年だとよくても関中までしか取れないかと俺は思う
それ以上の速度で膨張すると内乱で蜀が自滅しそうだ
559無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 21:12:19
>>558
長安位まではほしかったんじゃない?
560無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 22:03:15
北伐で涼州辺り落とせても荊州失陥の穴埋めには到底なりそうもないし。
やはり荊州失陥を何とか阻止しないと。。


561無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 22:45:20
このスレをお借りして…。
なんだかこの板に来るのって、恐れ多いなぁ。
俺が元いた板に戻るとするか…。
562無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 08:10:01
蜀は天然の要塞なので守りには人材はいらないぶん攻撃に集中できる。蜀は人材よりも君主劉禅すらマトモであれば天才孔明の思惑通り洛陽・長安あたりまでは落とせたのだろう。
563無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 09:03:38
仮に劉備が生きていたら諸葛亮に軍権さえなかったのですが、何か?
564無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 09:05:43
丞相にしたんだから持たせんじゃね?
565564:2005/03/31(木) 09:06:34
ごめん。ダメだ。
566無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 10:14:56
いらんだろ、保守政治家に軍権なぞ
567無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 10:46:57
馬謖切らなかったらあの後めちゃくちゃ成長した
568無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 10:54:13
長期仕込み洗脳と圧力加減行動誘発で順番に
自作自演自己成就予言をする
ニセ救世主ごっこ大好き談合ユダミナティロスチャイルドの
自己満足ゲームのためだけに世界中の何も知らない人々が
必要もなく殺された究極のゴミバカ。
60億人にばれないように気をつけろよ
頭に中央銀行とテレビ
右手にアメリカ左手に国連で操って
戦争と平和を作り偽救世主降臨
今イラクレバノンアメリカの洗脳工作隊を干渉させてるのか
569無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 10:58:44
蜀は六度に渡る北伐で兵糧不足に泣いたから簫何のような人物がいたら
天下統一出来たかもしれない。
570無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 11:19:22
兵糧の問題だけが解決しても天下は取れないだろう
571無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 12:00:07
時々、曹爽が有能な人物なら司馬家と血みどろの権力闘争になって
蜀漢の逆転の目が出たんじゃないかと思うことがある
572無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 12:13:08
>>569
勘違いしてるかもしれないけど、食料が不足したわけじゃなく輸送が滞りやすい
地理的条件に左右されただけ。
事実、食料の不足で撤退したのは陳倉城攻囲と祁山へ進出した二度のみ。
それも前者は魏の予測よりも早い出師だった事や街亭での敗戦まもない時期
であった事が影響しているし、後者は人的要因。
最後の五丈原への進出にいたっては事前の入念な準備が功を奏してるしね。
573無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 12:39:53
輸送が滞りやすい。
要するに人物不足と解釈出来るが?兵糧輸送に簫何のような人物が付いたら蜀
は天下が取れたかも知れないと言いたかったのだが
まあ簫何が誰かは>>572には分からないか
574無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 12:42:54
>>573
煽る時くらいは人名正しく書きなよ
575無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 14:18:32
山師さん@トレード中 :2005/03/30(水) 23:54:44 ID:txMVkxYQ
社名 株式会社エムステーション・ドットコム 株式会社エムスタ
英文社名 M Station.com inc. m-sta.com inc.
設立年月日 2000年6月6日 2000年2月15日
代表者 代表取締役社長 金 鎭浩(キム ジンホ) 代表取締役社長 金 鎭浩(キム ジンホ)
本社所在地 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3丁目26番20号 三鱗渋谷ビル 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3丁目26番20号 三鱗渋谷ビル
資本金 11億7560万 1億7560万
従業員 - 55人
役員 代表取締役社長 金 鎭浩
代表取締役副社長 崔 弘林
副社長 菊地原 靖孝
取締役常務 野口 秀
取締役 堀江 貴文←←←←←←←←←←←←←←←***
(株式会社オン・ザ・エッヂ代表取締役)
576無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 14:20:35
>事前の入念な準備
だから過労死したんだな。適当に手を抜くことを知らん奴だ。
577無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 14:38:54
>>573
簫何を知らないで>>572のような書き込みはせんし、むしろ>>573こそ当時の
蜀の輸送事情に疎いんじゃないの?
>>572でも書いたけど、地理的条件が大きな要因であって、それに対する
対応策は諸葛亮自身が行ってるし諸葛亮以上の有効的な対処をとった人物も
いない。
人的な要因ではないし優秀な人物の有無で解決できるような状況でもない。

簫何の場合の様に、関西(中)から蜀に較べればはるかに地形的制約をうけない
中原への輸送とは根本的に異なる。
そもそも輸送に秀でた人物であれば任峻の様な名をあげるべきで、後背地の
統括者である簫何の名を挙げる方がおかしい。
578無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 15:00:38
姜維なんかは兵糧輸送を捨てたしな
蜀の山道を舐めたらいかん
579無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 16:32:23
だから木牛流馬のエピソードとかもあるわけで。
輸送手段の問題云々を改善するための人材って
ことを言いたいんかも知れんが、
そこまで行けば必要な人材は
政治能力に優れたショウカではなく
技術開発者だな。エジソンとかライト兄弟に頼むか?www
580無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 16:37:46
補給は街道整備する能力よりも
トラブルに対処できる能力が必要な気がする
581無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 18:40:44
ていうか、諸葛亮こそ簫何だろう。改めて言うことでもないが。

すると蜀の北伐に必要なのは、
北伐を統括し、大局的な戦略を構築する絶大な権威を持つ司令官と、
状況に即応して作戦を立案できる軍師だ。
諸葛亮は後方に控え、本国からの兵站維持、不安定な新占領地を
片端から安定化させていく。宰相役がそのままで勤まっただろう。
582無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 19:10:41
入蜀以降の劉備の戦をやたら長くやってられたのも諸葛亮の力によるところが大だな
入蜀、漢中攻防戦、夷陵とどれも年単位での戦争だからな
まさに簫何の器だ
583無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 19:16:13
>>581
簫何は大軍を率いて相手君主を怯えさせたりはしない
584無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 19:56:25
>不安定な新占領地を片端から安定化させていく。

それは中央に腰をドンとおく宰相ではなくて、有能な地方太守の役割だろう
後漢なら寇恂、魏なら劉フクや田豫、等々、将に文武両道な人材が
585無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 07:19:13
諸葛亮は簫何+張良+英布くらい凄い奴
586無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 07:45:20
諸葛亮は軍事がダメだったかのように言う香具師がいるけど、同時代の人間が
彼を褒め恐れていることからも、軍事に優れていたのは間違いない。
諸葛亮が軍事で結果を残せなかったのは、あの司馬懿が蜀軍以上の兵力を有しながら
正面切って戦うのは可能な限り避けて守ったからこそ。
敵のレベルを考えれば、戦果がなくても諸葛亮の軍事能力は認められるべき。
つまり簫何というよりは、「(簫何+韓信)÷2」。
587無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 09:09:32
司馬懿は趙括と違って打って出なかったのが大きいな
588無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 09:43:44
なぜ司馬懿の比較対象が趙括になるのか意味不明。
589無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 10:02:59
打って出たものと我慢したものの違い
590無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 10:49:56
>>586
天下三分の計を授ける軍師の側面もあるので張良でもある
(簫何+韓信+張良)÷寿命=過労死
591無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 19:26:52
韓信ほどの閃きは無いんだがな
592無名武将@お腹せっぷく:天正433/04/01(金) 20:52:36
やっぱり韓信じゃなくて英布くらいだよな
593無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/01(金) 23:32:11
やっぱり韓信じゃなくて韓王信くらいだよな
594無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 05:43:37
馬謖とシバイが入れ替わってたら勝てた
595無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 07:56:15
武官・文官・人民・国家予算・食物総収穫量×10ならギリ
596無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 09:08:35
諸葛亮は、演義のような何でも屋ではないが
天下三分の計を考えたのは戦略眼がある証拠だと思うし
細かい所では、自ら呉に乗り込んでわざと孫権を挑発したり
司馬懿陣営に女物の着物を送ったのは見事だと思う

まず諸葛亮という人物の才能には申し分ないんだが
やはり彼の他にも軍師がいるべきだった
龐統と法正がいれば、諸葛亮の仕事量も減り
諸葛亮が早死にする事もなかったかもしれない

呉にも言える事だが、優秀な参謀が早死にするのは
実に惜しい事だと思う
597無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 10:07:14
>>596
むしろ、多少なりとも北伐が成功の可能性があったのも
諸葛亮に権力が集中していたからでしょ。
598無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 11:28:30
権力が集中してたのはいいんだがそれを輔佐する人物が欲しかったって意味じゃない?
負担が大きすぎて過労死するわけだし
599無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 11:31:39
このスレも無益に長々と続いてるな。
前スレの終盤でほとんど答えなんて出尽くしたのに。
600無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 12:18:48
まあ諸葛亮は50過ぎまで生きてるんだから早死にってわけではないでしょ。
てか蜀は他の軍師連中のほうが早死にすぎる。諸葛亮と同世代の有名どころはほとんど50前に死んでる。
そりゃ残された諸葛亮が過労死もしようて。
601無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 13:37:12
天下三分策って、そんなに優れた策略なのかね?
三分策自体も、諸葛亮のオリジナルというのではなく四百年も前に同じことをいった
やつもいるし。
602無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184/04/02(土) 14:26:00
>>601
天下三分自体は驚くような戦略ではないが
劉備陣営にとってみれば目標を決めるということが重要だったんじゃない?
曹操、孫権を見誤ったのが失敗の原因だろうけどそんなに世の中思い通りに運ばないし
それでも蜀漢を建てることができたのは天下三分に拠るところが大きいと思う
603無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184,2005/04/02(土) 14:38:37
考えるのは簡単だけど呉を取り込めた諸葛亮の外交は凄まじい
604無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184,2005/04/02(土) 14:54:33
要請は呉からだけに凄まじいというのはチョット…
605無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 17:26:17
新野から北への帰還を睨み続けていた「中原の群雄」に、南を向かせた。

中国地図を上から見下ろして「ここが空いてる」と言うのは簡単だが、
地面に立っている人間にこれを実行させるのはそう簡単なことじゃない。
606無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 20:26:58
別にあいてたわけじゃないけどな。
まあ誰にでも考えつきそうなこととはいえそれを実現できるまでのお膳立てを整えたの言うのは凄いんでしょうね。
607無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 21:20:19
一つ疑問というか不思議に思っていることがあるのですが、益州とそこを支配する
劉氏政権はそんなにも脆弱で簡単に支配できるものなんですかね?
諸葛亮の三分策でも周瑜の二分策でも蜀を支配して北の曹操と対峙するとしている。
実際に劉備はまず援軍というカタチで内部に入り込んだ上で挙兵を初めているが、
そんな絶好の状況でも時間にして三年?戦死者も多くだしている。
周瑜の最期の遠征もいかにも病死がなければ益州を征服できたのに、という論調
で語られるのが常ですが、当時の孫権の国力で、そんなにあっさりと征服できる
ほど弱かったんですか?
608無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 21:47:13
劉焉自体がよそ者だからな
劉家以上の力を持つものが現れれば益州民はそっちにのりかえる
国力以上に益州政権の成り立ちが特殊だった
609無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 22:12:34
>>608
それを言うと、荊州の劉表やその後の劉備、さらに揚州の孫氏政権も河北の袁紹
の政権も余所者によるのだが。
610無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 22:21:39
周瑜は優秀な指揮官だが、恐らく周瑜が出陣しても
益州は落とせなかったんではないだろうか
補給戦が延びきるかもしれないし
劉備軍が予想以上の抵抗にあい、援軍まで呼んだように
益州軍の力はあなどれるものではない
リュウショウが、馬超の力を恐れて降伏するとかしなかったら
もうちょい戦いは長引いてたかもしれない

天下三分の計が、誰にでも考えつくものなら
孔明に教えを請うまでもなく、劉備配下の誰かが考えていただろう
軍師がいないとはいえ、劉備軍だってバカの集団ではない
611無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 22:25:07
二分計って荊州を確実にしたうえでの戦略でしょ
補給の心配はそれほどではないと思うけどな
612無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 22:31:10
>>611
劉備という獅子身中の虫を抱えたままそんなことは出来ねえ気がする。
613無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 22:38:33
だからさ、荊州には劉備だけじゃない曹操もいたわけで
もともと実現性のきわめて低い戦略なの
それをより実現性を高めたのが諸葛亮の三分計
614無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 22:47:14
呉は人口の不足を荊州奪取によって補わない限り蜀侵攻などできるはずが無かった
だから劉備が南郡支配した時点で、二分計は考慮の余地もなくなってる
615無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 22:48:24
>>609
孫氏政権は周ユのお陰で地元民とコネクションが出来てる
劉表は姻戚関係でむしろ自分が土豪と化してる
袁紹は袁家の名声と実力で土地に根付いてる
>>610
諸葛亮の出現って名士層からそっぽ向かれてた劉備に地盤を与えたってことでしょ
天下三分とかよりそっちの方が重要そうな気がする
616無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 22:52:26
赤壁の役の時、呉が動員出来た兵力は公称10万、実質5万。
でも、実際開戦に動員が間に合ったのが3万。
赤壁の勝利で、荊州に勢力を拡大し、赤壁当事の動員体制を継続していたとしても、最大で10万に届くかどうかで、7,8万って感じかな。
その兵力全部を益州攻略に向けられる訳でもないだろうから、益州に出兵出来るのは3万前後、ってトコじゃないかな。

劉備の場合、最初は援軍として迎えいれるというアドバンテージがあったのに、あれだけ苦戦したからねぇ・・。
最初から攻め込む状況じゃぁ、苦戦は必至でないかな。
617無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 22:57:15
しかし、水軍の兵で城を落とす周瑜だからな
長引いても執念でとりそうな気がする……
618無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 23:01:43
当時の劉備陣営も呉が益州を落とすのは無理だと見ていったっぽい(周瑜生前かどうかはわからんが)。
周瑜伝には張魯と劉璋の争いにつけ込む形を狙っていたっぽいが、さて・・・
619無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 23:29:54
>>615
劉焉・劉璋だって土地豪族と結びつき、逆らうものを討って支配権を20年以上に
わたって確立しているが。
土地豪族たちの上に君臨する、という意味では劉表も孫策・権も同じなのに、何故
劉焉だけ特別とするんだ?
620無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 00:15:50
張松とかに裏切られてるからじゃないかな
621無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 00:30:08
いっちゃん最初の段階で賈竜とかを謀殺してるからね
それでも劉焉が生きていた間はよかったんだろう
似たような経緯をもつ劉表も同じか
622無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 00:37:04
劉表はなあ。龐徳公にそっぽを向かれなければ臥竜鳳雛を得る事が出来たのだろうか。
623無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 00:38:10
龐徳公
624無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 12:50:22
無理だろ
諸葛亮は荊州名士の反本流だし
625無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 18:40:20
諸葛亮の縁戚関係みるともろ本流だぞ。
626無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 19:39:07
>>625
袁紹と戦っている曹操の背後も突けない様な奴に関心はない
627無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 20:55:31
だな
劉備もその決断力の無さに嘆いていたし
628無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 21:35:25
突いたところで未来ないからだろ。
629無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 21:49:40
劉表の側近の蔡帽が曹操と個人的に仲良かったからだろ
630無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 23:18:49
>>625
姻戚が本流であることと、諸葛亮がどうであるかは別の話。
姻戚から援助や庇護はあっただろうが、諸葛亮人はその傲慢ともいえる自身ゆえに
ほとんどの人間から認められていない。
631無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 23:21:35
そんな記述あった?
632無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/03(日) 23:29:12
>>631
630は言いすぎだと思うが豪族筋はともかく識者筋にはそれなりに名を知られてたっぽい。
ただ文字通りに彼の才能を認めてた人は少数。
633無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 00:51:43
俺は管、樂に匹敵だなんて言う奴は誰も信用しない
634無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 01:48:41
>>631
諸葛亮伝注引王隠『蜀記』
「亮刑法峻急ニシテ百姓ヲ刻剥ス。君子ヨリ小人マデミナ怨歎ヲ懐ク」
一言で言えば皆から嫌われてたってこった
635無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 09:44:58
でも弱小だった劉備勢力に蜀を建国させるまで引っ張っていった諸葛亮はやっぱりすごいと思う。
ただ人材が不足してるのに李厳や馬ショクなどを罰するのは少し疑問に思う。
信賞必罰を心掛けないといけないのは分かる気もするけど。
636無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 10:18:32
自分の非をごまかすために、優勢だった軍勢を
撤退までさせた李厳はさすがに自業自得かと…
馬謖も、命令を無視して多くの兵を死なせたのでは仕方がない
もちろん李厳、馬謖ともに必要な人材ではあった
諸葛亮は自分の寿命縮めるほど真面目すぎる性格が欠点かも
龐統や法正なら、もっとリラックスしてやっただろうに
637無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 18:08:17
人材が不足してるからこそ信賞必罰って考えもあると思うけどな
明確なルールがあるからこそ人も集まるし、公正さをアピールできるってね
もちろん人間はそれほど単純ではないけど、諸葛亮はその方針で多大な成果を
残してきてるわけだから、そこで例外を作るのは考えられない
法正に関しては、彼の性格を考えれば人を裁く地位につけるべきではないだろ
638無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 21:47:21
しかしもって、肝心な賞罰の基準がブレまくりだし
639無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 23:49:52
蜀が三国統一って無理なんじゃない?
640無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/05(火) 00:18:24
それは心に思っても文字にするな
641無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/05(火) 00:44:08
可能だろうけど諸葛亮級の人材が切れ間無く次々と出て来ないと無理だろうな
642無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 12:57:56
関羽が二万人、孔明が五千人いれば可能

というのは冗談だが長い歴史において、
明らかに国力兵力で劣った勢力が大国を打ち破った例は
いくつかあるわけで、絶対にムリだったわけではなかった
何か一つのきっかけか、あるいは将を失ったことが敗北に繋がることもある
643無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 13:14:36
美髭公が量産の暁には魏などry
644無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 13:19:57
曹爽が有能だったら魏を倒せる
645無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 14:10:37
曹爽がな
646無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 14:22:20
>>645
いやいや、>>644は曹爽があるライン以上あるライン以下に有能である事によって
司馬一族との激しい争いで魏が荒廃し、蜀が付け入る隙が生まれたんではないか
ってな事を言いたいんじゃないかと思う。
647無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 14:27:01
曹爽が有能だったら司馬氏の台頭などなく付入る隙もない
648無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 18:14:54
天下三分を維持して魏の内部崩壊を待つってのが基本政策だと思うよ
その間に蜀漢が内部崩壊しないように法家っぽい思想で国力を上げる
益州の地方国家に落ち着いてしまわないように、国家の正当性をアピール
するためにたまに北伐するって感じかな
649無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 18:21:50
国力差が開く一方なら併合されると思うよ
650無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 18:55:47
>>642
関羽が二万人いたら、全員が「オレが一番」と言い出して争いはじめると思う。
諸葛亮が五千人いたら、全員が「私がトップに立つ」といって蹴落としまくると思う。

それから、歴史上小国が大国を破るときは、まず大国の方に負けるだけの要素(支配力
の低下など内部からの崩壊)があって始めて可能となる。
651無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 19:13:08
やはり曹爽が(略
652無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 19:24:52
>>619
劉焉が特別なわけじゃないな。
孫権も劉備も劉表も、それぞれ出来るだけ地元豪族や名士に
配慮しもなお、政権は安定しなかった。実力が落ちればあっさり
他の実力者に頭挿げ替えられる危険が付きまとってた。曹魏だってそう。
だからこそ、群雄割拠の時代だと言えるんじゃないかと。
653無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 19:39:49
劉焉は寿命が無かった
それが他の奴との違い
654無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 21:10:27
>>651
曹丕か曹叡が10年くらい長く生きてたらそもそも政争なんて起きなかったろうな。
655無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 21:19:33
魏がもっと長く続いて統一しただろうな
656無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 06:16:24
天変地異が起きて魏の国土の半分が崩壊し、国民が十分の一くらいになればなんとかなる
657無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 08:14:40
司馬イが隠居したままならなんとかなる
658無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 09:14:22
シバイを登用すれば一番かと…
659無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 09:28:55
芝居を失脚させた後、間者を用いて説得する。断ればそれを理由に
魏に殺させればいいし(内通してたとか言って)こっちにくれば最高。
660無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 09:39:42
国力の勝る魏にいて国力の劣る蜀を滅ぼすことも出来なかったのに、
国力の劣る蜀に寝返って国力の勝る魏の天下を覆せるとはとても思えん。
661無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 09:50:16
徐庶、法正、鳳雛らがそのまま二十年くらい蜀にいたら
別の歴史になったかもな。
662無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 09:53:44
>>661
なってたと思うよ
663無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 10:36:53
そもそも郭嘉が生きてたら劉備ごとき赤壁前に瞬殺
664無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 11:37:38
何進が暗殺されなかったら漢王朝が繁栄していた
665無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 12:21:28
それは無い
666無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 12:46:51
もとより、人ではない。 蜀ではむりなはなしだ。
667無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 12:51:26
ちゃんと陳宮が曹操の首はねてれば・・・
668無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 12:52:30
>>652-653
生きていたところで夷陵の戦いが2四半世紀ほど早く起きるだけ。
669訂正させてくれ:2005/04/06(水) 12:53:35
生きていたところで夷陵の戦いが四半世紀ほど早く起きるだけ。
670無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 12:55:54
353 無名武将@お腹せっぷく sage New! 2005/03/26(土) 18:28:54
韓当 黄蓋 程晋


354 無名武将@お腹せっぷく sage New! 2005/03/30(水) 08:37:37
賈?>>>>>>>>>孔明


355 無名武将@お腹せっぷく sage New! 2005/03/30(水) 08:38:06
賈?


356 無名武将@お腹せっぷく New! 2005/03/31(木) 23:41:40
魏延・楊儀・馬岱


357 ○ sage New! 黄帝生年紀年4716/04/01(金) 00:47:36
ルパン 次元 五右衛門


358 無名武将@お腹せっぷく sage New! 黄天当立184年,2005/04/03(日) 11:34:28
独眼鉄・蝙翔鬼・男爵ディーノ


359 無名武将@お腹せっぷく sage New! 2005/04/06(水) 12:55:17
松田聖子 山口ももえ 森昌子
671無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 17:45:18
で?
672無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 01:16:29
周瑜、呂蒙、徐盛、丁奉、程普、韓当、黄蓋、朱桓、朱異

沈瑩、賀斉、陸遜、陸抗、唐咨、甘寧、太史慈、朱然、蒋欽、潘璋、凌操、凌統

董襲、陳武、全j、全端、全懌、鍾離牧、呂範、呂拠、呂岱、周泰、吾彦、厳圭

がいても無理。
673無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 01:27:25
みんな頭悪いなぁ
曹操と孫権のたった二人がいたら自動的に天下統一してただろ
しゅうりょ
674無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 21:58:50
>>669
劉表が「劉焉が馬騰の反乱の黒幕だ」という密告で偶々成都にいた劉璋以外は家族皆殺しになったからな。
まあ、事実なのだが…。
675無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 23:26:45
なんと。と言うことは覇ロードで劉焉が曹操から大狸呼ばわりされてるのはちゃんと根拠があったんか。
676無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 23:56:09
>>672
それに加えて魯粛、張昭、張紘、顧雍、諸葛瑾、歩シツ、厳峻、カン沢、虞翻、程乗、薛綜

等が居れば・・・派閥争いがますます激しくなるでしょう。
677無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 18:15:15
>>674-675
正確には劉表は論語の一説を引用して暗に「劉焉に天子のような僭上の振る舞いがある」と上奏、
その直後に馬騰が叛乱を起こすと、劉焉は長安にいた息子・劉範を馬騰に内通させ自らも配下を援軍に送った事がばれて劉焉の家族は皆殺しにされた。
(正確には劉璋の兄一人も生き残ったが元々精神病があって跡を継げるような状況ではなかった)
その後、劉焉は劉表に報復の兵を向けたが本人の死去で中断、劉表も後任の刺史を担いで益州内の一部の反劉璋派とともに攻め込んだが敗北している。
(ちなみに後の呉の名将・甘寧も反劉璋派として参戦したために益州にいられなくなって黄祖のもとへ行ったという)

以上、正史の劉二牧伝より。
678無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 18:37:28
へー、結構面白い事もあるもんだな
知らなかった
ちくまの正史買おうかしら
劉焉も劉表も陶謙も正史じゃ相当のろくでなしだったらしいね
679無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 19:10:53
>>678
正史呼んでから言え
680無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 20:37:20
孔明があと五人くらい居れば軽く統一楽ショーじゃね?
681無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 20:40:17
諸葛家が五代にわたって孔明クラスの子孫を残してれば
682無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 20:54:59
実際統一できたとして『反三国志』みたいな話だったら、あんまりショクを応援する人、いないような気がするんだよね。
スレ違いかな?ごめんね。
683無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 21:18:49
蜀が天下を統一したとして、その後は漢王朝の再興を行うわけだが
皇帝は劉禅がなるんだろうか
献帝の息子がなるのだろうか
諸葛亮はどのみち過労死すると考えた場合
司馬懿が生きていたら、やはり乗っ取られていたか
皇帝があほんだらだと三十年かそこらでまた乱世に…
684無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 21:32:37
>>682
どうやろうがあんなのにはなりませんから
685無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 22:15:31
献帝の孫
686無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 22:29:43
劉禅の娘と献帝の孫がケコーン
687無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 22:35:04
>>686
同姓は大丈夫なんか?

蜀漢が統一したら劉禅の子孫が継ぐんじゃないかと推測。
献帝の一族は皇族として優遇されるだろうが。
688無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 22:37:33
荀イク、陸遜、田豊、陳羣、鍾ヨウ、魯粛、ホウ統(長生き)
張コウ、徐コウ、李典、羊コ、トウガイ、陳泰、陸坑。
689無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 22:41:03
後漢と同じ様になるだろ
690無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 22:47:48
司馬炎もすぐに乱世引き起こしてるしな
691無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 22:52:16
司馬炎は引き起こしてない
692無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 22:58:39
乱世を引き起こす原因を作った
693無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 00:08:35
いや、本人的には
「あ〜頼りね〜息子だわさ〜でも家臣が面倒見てくれんでしょ?孫はイケてるっぽいし
 そこまで我慢してくれればさぁ……ほら、こんな時のために一族に強権あたえてんだしぃ」
な気分だったと思われ
まさか息子の嫁があんなハイパーだったとは……って奴さ
どこぞの世界帝国のミスター貞観も同じ事やってんじゃん
694無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 07:38:12
やっぱ奥さんは大事だな
孫夫人も麋夫人も甘夫人も、あともう一人いたか
あんまり極端な悪女じゃなくてよかった
695無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 20:48:24
どの程度の人材というより人口なきはするが・・・。
確か当時の把握されている人口は
魏400万人
呉120万人
蜀80万人
位だったと思う。
696無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 20:55:05
魏 12州、93郡、720県、 戸66万余、口440万余 吏員2万以上、帯甲将士60万以上。
呉  4州、43郡、331県、 戸52万余、口239万  吏員3万2千、 帯甲将士23万。
蜀  1州、22郡、139県、 戸28万  口 94万  吏員4万、  帯甲将士10万4千。
697無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 10:25:59
魏の動員数60万には疑問を挟む余地もあるし、対外情勢や兵站を考慮すれば
現実味のない数だけど、それより問題なのは蜀の官吏の数。
人口比でいけばこれは異常としかいえない。
698無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 11:52:32
>>697
戦争だけが兵の用途じゃないって事だろ。
治安維持機能も重要だから面積が広いし多くの異民族と接していれば
呉・蜀相手には動員できない兵を多数抱えていて不思議はない。
699無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 19:54:37
>>696の蜀漢の数字に関しては滅亡時のものだけど、蜀漢の場合、益州1州だけの所有なのに、中央政府の官吏と益州の地方官吏の両方を置くハメになったからかな。
諸葛亮時代は丞相府の幕僚=中央政府の官僚=益州の官吏って感じで兼任が多かったみたいだけど、諸葛亮没後はポストが増えてるみたいだね。
700無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 20:41:22
諸葛亮は盛大なリストラで浮かせた金で北伐してたからな
701無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 22:37:03
そういえば、台湾もつい最近まで台湾省長のポストがあったんだよなぁ。
意味が無いポストって言われ続けてたけど、廃止するのはかなり揉めたらしい。
702無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 08:46:35
兵隊の数って常備なん?
703無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 19:39:38
>702
帯甲将士=常備軍の兵力ではないみたい。
704無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 19:57:15
現代でいう予備役とか含めた軍人の数って事じゃないかな?
警察兼任で
705無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 10:34:56
∩(゜∀゜∩)
706無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 10:42:49
ぬっちゃけ無理ぽ
707無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 15:04:05
>>704
違う、純軍人の数。
708無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 15:09:06
蜀は北伐に存亡懸けてたからな。敵地遠征の人数とちて考えたらそんなもんだろ。
709無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 18:50:00
軍用へりが3台あれば勝てる
710無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 19:16:40
確かに
711無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 20:21:06
全土を制圧するには燃料足りないだろ。
それに全弾命中させたところで倒しきれないだろ。
712無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 00:32:43
無限バンダナだ
713無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 11:12:20
>>709
偵察と戦闘補助だけで十分
ヘリ三台だけで戦争するわけじゃないし
714無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 02:11:34
マジレスすると、核爆弾
715無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 02:34:48
金正日マンセー
716無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 02:36:14
怖いお兄さん4人で逝けるぜ
717無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 02:37:09
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 次 ボケて! |
|______|
`∧∧ ‖
(゚д゚)‖
/  づΦ
718無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 02:39:55
朝鮮人捕虜2人
719無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 15:03:36
>>714
核爆弾なんか、威圧になるか。
神の怒りとかになるに決まっておろうに
720無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 15:49:17
>>719
敵国が作った謎の新兵器の方がずっとましじゃないか?
蜀に逆らうと『天』の怒りを受けるって方がよっぽど当時の人間の戦意奪うだろ。
721無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 20:40:21
泣いて馬謖を斬る

泣いて馬謖を斬れ

泣いてる馬謖を斬る(諸葛亮は無表情)

泣いて馬謖に斬られる

妬いて馬謖を斬る(諸葛亮の嫉妬)

泣いて馬謖をKILL!

泣いて馬謖を斬るカッコワライ

泣かぬなら 斬ってしまえ ホトトギス

泣いて馬謖を守る

と見せかけて斬る(ちぃ!はかったな!)

泣いて馬謖にスクリューパイルドライバー

泣いて蜀を斬る(諸葛亮の謀反)

泣いてフリーザを斬る(トランクス)

残念!!馬謖斬りぃ!!!

裂いて馬謖を斬る(二段斬り)

焼いて馬謖を斬る(火炎斬り)
722無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:01:36
この中の実行したら蜀が統一できるのでしょうか?

1.マンネルハイムを摂政(実態は軍最高司令官)にする。
2.アリエル・シャロンを首相(実態は軍最高司令官)にする。
3.細川勝元を管領(実態は謀略担当係)にする。
4.ヤン・ジシュカ雇う。
5.マイク・ホア雇う。
6.ポル・ポトに禅譲する。
7.>>721に馬謖斬らせる。
723722の訂正:2005/05/13(金) 00:03:33
× この中の実行したら蜀が統一できるのでしょうか?
○ この中のどれを実行したら蜀が統一できるのでしょうか?
724無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 07:48:11
>>722
>1.マンネルハイムを摂政(実態は軍最高司令官)にする。
マンネルハイムは発想が守りなので、
天下統一には向いて無いと思う。

WWUのフィンランド軍から人材を連れてくるならば、
諸葛亮を総司令官のままで、
戦略的判断力と戦術指揮能力を兼ね備えたタルヴェラ(包囲戦術の考案者)と、
シーラスヴォ(冬戦争で四倍のソ連軍主力を殲滅した指揮官)を、
副将に任命した方が良い。

>2.アリエル・シャロンを首相(実態は軍最高司令官)にする。
戦略眼と戦術能力を兼ね備えた名将だが、
政治的な柔軟性がないので、最高司令官は務まらないと思う。
上に優秀な政治家がいないと、力を発揮できないタイプ。

>3.細川勝元を管領(実態は謀略担当係)にする。
日本を二つに割ったところで死んでしまった勝元じゃ、
自ら呉の中枢に隠蕃と言う強力なスパイを仕込むほど謀略に長じていた明帝と、
曹操時代から活躍していた側近の謀士蒋済・劉曄に対抗できるかどうか怪しい。
725無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 07:49:01
>>722
>4.ヤン・ジシュカ雇う。
車陣は田豫が防御的に使った例があるが、機動的に使った例は無いので、
この時代でも十分に通用すると思われ。
ターボル軍の主要飛び道具はクロスボウなので、
代わりに蜀軍自慢の弩を大量に装備させれば、そのまま「無敵」の名をほしいままに出来そう。
車陣用の車は、普段は武器食糧の運搬に使えば、補給問題も解決。
ただ、ジシュカは頭が固い理想主義者なので、最高司令官には向いてない。

>5.マイク・ホア雇う。
後方撹乱を任せるのが良いか。
雇ったところで、天下が大きく動くスケールの人材とは思えないが。

>6.ポル・ポトに禅譲する。
民衆を手前勝手な理想でぬっ殺し、
疑心暗鬼で、部下や同志を殺しまくって勢力基盤を自分で弱めたあげく、
殺り残した元部下に政権を奪われるような奴は、君主失格。

>7.>>721に馬謖斬らせる。
可。
726722:2005/05/17(火) 00:55:05
>>724,>>725
レスありがとうございます。
興味深く拝見させていただきましたが、お伺いしたいことが2つ有ります。

1.有能な軍人を軍司令官にして孔明は文官に専念させるのと、有能な
  政治家に内政を委ねて孔明は軍務に専念させるのとでは、どちらが
  いいでしょうか?
2.やっぱり馬謖は斬るべきだったのでしょうか?
  共和制時代のローマでは負けた指揮官は罰せられなかったそうなの
  でついこのような疑問がわいてしまいました。
727724:2005/05/17(火) 02:02:26
>>726
>1
諸葛亮は、戦術指揮能力は優れているが、リスクの大きい作戦を採用できないので、
将軍は務まっても、最高司令官には不適任。
自軍が圧倒的な戦力を有していない戦争においては、
リスクを犯さなければ、決定的な勝利を収める事は出来ない。

漢の高祖は自分をエサにして、何度も負けて死にそうになりながらも、
必死で項羽をひきつけ、その間に別働隊に項羽の後方を食い荒らさせ、
別働隊の勢力が大きくなって言う事を聞かなくなると、
あっさり広大な領土をくれてやって、ようやく項羽を倒した。

光武帝は、少ない手持ちの兵力をさらに分割して、
複数の敵勢力と同時に戦端を開き、
少数の兵力で敵の大軍と対峙する危険を冒したが、
賭けに勝って爆発的に勢力を拡大させ、最後は天下を取った。

わざわざ大軍を動かして遠征し、リスクを恐れて負けない戦いに徹して、
「新しい領地は得られませんでした。敵主力を撃滅できませんでした。
 でも、局地戦では何度勝っています。死傷者もあまりいません」では、
お話にならない。

諸葛亮の戦術指揮能力は惜しいが、
それでも軍人としての彼は一将軍程度の器に過ぎない。
戦争は大軍を率いる統率力と、リスクを冒すべき時に冒す作戦能力を有する名将に任せ、
諸葛亮は政治指導に徹した方が良いように思う。
728724:2005/05/17(火) 02:35:53
>>726
ローマで負けた将軍が罰せられずに、再起用されたのは、
「リスクを冒して決定的な勝利を収めようとしたが、失敗した。
 作戦が成功すれば、決定的な勝利を収められる可能性は十分にあった」と、
元老院に判断された場合のみ。
「こいつを使えば、次は勝てるかもしれない」と思われた将軍だけが、
敗北しても再び戦場に立つことが出来る。

決定的な勝利が収められる可能性が無い作戦を立てて敗北した将軍、
消極的な作戦で失敗した将軍は、きっちり処罰される。

街亭における馬謖の任務は、諸葛亮率いる主力が到着するまで、街亭を守りきること。
あらかじめ作戦目標が定まっており、最高司令官である諸葛亮から、
明確な司令を受けていたにもかかわらず、
馬謖は無視して山に登り、ややこしい指示を乱発して軍中を混乱させた。

馬謖は決定的な勝利を収めようとして敗北したのではなく、
司令に背いたあげく、間違った指示を独断で出したために、
街亭確保と言う作戦目標を達成できずに敗北した。
「こいつを使えば次は勝てる」と思わせる以前に、
軍人として最低限の義務である命令服従義務ですら果たしていない。
命令違反は十九世紀の欧米列強の軍隊でさえ、死刑相当の重罪。
馬謖は斬られるべくして斬られた。
729無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 03:12:46
その上逃亡までしてたら極刑は免れないな
730無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 06:44:06
馬謖が、ベテラン将軍である王平の言う事を聞けば…
実は馬謖は、字が十文字しか書けない王平を
侮っていたんだろうか
王平が張郃の軍を牽制しなければ、生きて逃げる事も
叶わなかったかもしれない
731無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 07:41:12
命令違反というが
あきらかに意味不明な命令だったらどうするんだ?

たとえば予測不可能な敵が出現して
命令を遵守したら全滅の危険性があるとか

論点ずらしてたら悪い。
気になっただけ。
732無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 08:39:57
魏は初期から最後まで優れた名将がいた
呉は名将はいたが、2国に比べると見劣りする。
呉はどちらかというと後期の孫権が強かった
蜀は初期から中期(刑州から蜀建国まで)は優れた名将がおり突出していた
だが関羽が死んでからダメになりだした

すべては劉備が刑州と成都を早くとらなかったのが悪い

劉備がもたもたしてなければ蜀が統一してたかも

と思う
733無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 09:30:33
>>731
それなら逃げ出すこたぁないだろう
逃げ出すって事は自分でもやっちゃったって思ってるときなんじゃないかね?
734無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 10:39:41
そもそも「山に登るな」って演義の創作だし
街亭の場所も一体何処にあるのやら…
諸葛亮擦り付け説と馬謖冤罪はクロとは言い難いがシロともいえんよ
735無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 15:00:10
最近、どの事象に関してもシロクロあるよというのが多すぎ
そんなのつまらねーんだよ
736無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 16:41:38
馬謖は軍隊という組織を勘違いしていたんだと思う。
軍隊というのは、部下部隊の指揮の受容によって形成される、ボトムアップ式の組織。
指揮官のやるべき事は、緊要な時機と場所に部隊を配置する事であって、
部下に対して細かい指示を出す事ではない。

それを頭でっかちの馬謖は勘違いし、自らの指揮で全てを行おうと、
本来ボトムアップ式である軍隊をトップダウン式に運用しようとしたんだろう。
737無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 16:58:22
命令を煩雑にしたって記録はあるから>>736の言う事にも頷けるな
738無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 23:17:29
三国志演義では、街亭は砦のない平地であり
兵糧を輸送する上で、占領されると困る地だったので
馬謖に、山に陣取らず平地に陣取れと命令したが
正史では、街亭には砦があり諸葛亮は
本隊が到着するまで、馬謖には街亭の砦を死守するよう命じた
だが馬謖は山頂に布陣しようとし、手下の采配は猥雑であった
王平が忠告しても聞き入れなかった

街亭を占拠した張郃が水道を遮断すると、馬謖軍は
星屑のように散ったが、整然とした王平軍千人が太鼓を鳴らしたので
張郃は深追いしなかった
諸葛亮は、進軍しようにも拠るべき砦がなく、撤退した
739無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 07:19:18
井上喜久子

生年月日 1964年9月25日
血液型 O型

趣味/特技 ボーッとすること、詩を書くこと、水泳/ピアノ、華道、茶道(免許皆伝)、即興音楽、水泳、自慰

資格 小学校教員免許
740無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 14:08:02
ドモ〜♪ヽ(^−^。)
741無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 14:22:18
街亭の戦いの時、馬謖が諸葛亮の命令に背き、山上に布陣し、魏軍に敗れた
もし、細道などに布陣してたら魏軍からの攻撃を防ぎ、長安も取れていたと思。
742無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 14:28:21
>>732
>呉は名将はいたが、2国に比べると見劣りする。
ネタですか^^^^^^^^;;;;;;;;;;;;;
743無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 15:33:21
龐統が前線に立たなくてもよい程度に黄忠魏延クラスの将がもう一人いれば
744楊儀:2005/05/21(土) 22:29:47
>>732
劉焉に勝てるかな?
745無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 11:49:49
虎牢関における呂布との戦いで
まず最初に張飛がつっかかっていった。
それはいい。将来のライバルどおしだから
で次に関羽が助太刀にきた。
うん、ここまでもいい。
だけど次が問題だ。
劉備が助太刀にきたのだ。
いくらなんでもそれは無理じゃないかと。
劉備なんて呂布の前では一刀のもとに切り伏せられてしまうんじゃないかと。
気になって夜も眠れません。
746無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 12:47:33
>>745
呂布は関羽や張飛の相手で手一杯なんだから雑魚とはいえ劉備にまでは手が回らない
つまり劉備の助太刀とは名ばかりで実際は戦う三人の周りをちょろちょろしてただけ
747無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 13:20:56
そう考えるとその光景はちょっと笑えますね
劉備が将来世渡り上手になるのもここから暗示されていたんでしょうか。
748無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 13:43:25
まあ劉備の持ってる剣じゃリーチが短くてろくに攻撃が出来ない気もするな
749尚書令ドラミちゃん ◆rXXEdmnrEc :2005/05/22(日) 13:57:16
>>745
実は飛び道具を用意していた。
750無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 15:48:02
腕が最強に長いから剣が短くても無問題ですよ
751無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 21:06:47
新城直衛
752無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 21:11:09
演義の劉備は弱すぎ
正史では結構な武勇持ちだったのに...
753無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 21:28:07
>>745
関羽と張飛が正面から相手しているところを、
劉備が後ろから(w
754722:2005/05/22(日) 23:12:28
>>727&>>728
返答ありがとうございます。
(お礼を申し上げるのが激遅で申し訳ありません。)
建前 孔明は文官に徹して戦争は(正史の)魏延に任せた方が良かった
    と思いました。
本音 諸葛亮の戦術指揮能力は惜しいに激しく同意したくなりました。
    なぜなら、わざわざ大軍を動かして遠征し、リスクを恐れて負け
    ない戦いに徹して、「新しい領地は得られませんでした。敵主力
    を撃滅できませんでした。 でも、局地戦では何度勝っています。
    死傷者もあまりいません」でも、相当難しいと思うからです。
本音その2 馬謖を重用するなら、軍人じゃなく文官にすべしと骨身
        に染みました。
お話をお伺いできて本当に楽しかったです。

>>729 パロって申し訳ありません。
その上逃亡までしてたらスパイ説は免れないな

>>730 字が十文字しか書けない王平
トラキア出身の豚飼いユスティヌスは戦争強くて人気が出て皇帝にな
りましたが、読み書きが出来ないので都で教育をうけた甥のユスティ
ニアヌスを共同統治者にしましたとさ、めでたし、めでたし?
って言うお話を思い出しました。
755尚書令ドラミちゃん ◆rXXEdmnrEc :2005/05/24(火) 00:11:24
孟達に諸葛亮曰く。「If you're not with me, 
then you're my enemy」(私と同じ道を行かないのなら、
おまえは敵だ)
756無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 17:55:33
・馬謖は斬るべきではなかった。
・阿斗は死ぬべきだった。
・諸葛亮はほうとうを止めておくべきだった。
・荊州にも優秀な参謀を置いておくべきだった。
・劉備は呉攻めの時和睦に応じるべきだった。
・無駄な臨時指揮官をたてず、五丈原からの撤退時に前もって費禕を呼ぶべきだった。
757無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 18:04:52
>>756
>荊州にも優秀な参謀を置いておくべきだった。
関羽が言うこと聞くと思う?
758無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 18:10:04
>>756
費禕は従軍してたはずだが。何処に呼びつけるつもりなんだ?
759無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 22:23:17
>>757
というよりも関羽は蜀攻略に連れてった方が良かったんじゃないか?
孔明置いてって。

760無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 18:54:03
法正が死ぬのがはやすぎた。
761無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 19:10:00
>>756
馬謖と阿斗は生きてようが死んでようがたいした差は無い。
私はありがちだがホウ統が死ぬのが早すぎたと思う。
762無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 19:14:24
とりあえず荊州時代まで戻って・・・・・

徐庶が去らない。
ホウトウが死なない。
馬超といっしょにホウトクもやってくる。
法正が長生きする。
関羽が死なない(荊州がなくならない)→もちろん張飛も死なない。→当然夷陵もない。

ここまでやんないとダメ。
763無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 19:20:26
つまり、諸葛亮が指揮を任せられる名将がいればよかったってことだな
764無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 19:22:02
いや、もっと戻って官途で曹操が負けてりゃ良かった!ってのは?
765無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 19:22:36
法正が死ぬのがはやすぎた。
766無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 20:20:44
自衛隊がタイムスリップしたら勝て
767無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 00:07:18
ねーよ。
弾薬と燃料がなくなった時点で終わりじゃね?
言葉も通じね―し。
768無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 00:19:25
>>767
言葉は中国語を勉強すれば・・・・無理か。
当時の中国語と今の中国語は違うだろうから。

ただ、戦闘機や銃は数回使うだけで敵の士気をごっそり削ることが出来ると思う。
敵は混乱し、投降者や逃亡者も出るだろう。
そのあとこの時代本来のやり方で戦いに挑めばいい。

と、マジレスしてみた。
769無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 00:41:11
そんな異能の勢力に、興味を示すのは曹操くらいなもの。
770無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 00:56:26
そうそう。
771無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 03:08:01
諸葛亮、ホウ統が美少女なら勝てた
772無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 03:32:55
火星戦線で800人狩りを達成したへんなやつがいれば勝てる。
773無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 13:52:34
孔明が2人いれば1人刑州、1人液州でサイキョ





という厨房多いだろうな。
774無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 14:53:58
あの頃の孔明はまだ最強ってほどじゃなかったと思うんだけどね
龐統や法正が二人いるほうが助かるだろ
775無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 00:55:50
孔明って大器晩成を絵に描いたような人間だからなぁ。
776無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 01:31:17
誰も頼る人間がいなくなっちゃったから自分がでっかくなるしかなかったんだろうなあ
777無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 02:58:59
結論はドズルの名言でいいのかな?>「戦いは数だよ、兄貴」
778無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 03:45:24
>>775
といいつつ
仲達より若いだよなw
779無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 04:42:20
武将の無い物ねだりはいかんな。

蜀が強兵だったらどうだ?
正直、蜀が滅びたのは弱兵にも原因があると思うぞ。
たとえば姜維と同レベルの武勇を持つ一万人の精鋭部隊を作り上げたら、とか。
馬謖が連れて行った部隊が姜維一万人だったらかっていたかも知れない。
780無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 10:50:20
>>779
正直、蜀兵は魏兵よりも強いと思うぞ
街亭の時点ではどうかしらんが・・・

姜維一万人だったらって、それが無い物ねだりだろ。
姜維クラス1万人が、一般兵のままでいるとは思えん。
ただでさえ有能な武将が少ないのに、きっと武将に抜擢されてるでしょう。
781無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 11:08:25
まあ、姜維並に有能な軍人があと数人いたら、孔明の採れる戦略の幅も広がっただろうな。
782無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 22:38:10
例え名もない船頭でも10人もいれば船を山に上らせることができるといいますからね。
姜維クラスの人間が一万人もいたら船が山登るどころか宇宙にだっていけますよ。中国統一ぐらい当然楽勝でしょうね。
783無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 01:28:25
ということはここにきて一つの結論が出たな



・蜀に姜維がさらに1万人いたら統一できた。



これは大きな進展だと思う。
これから徐々に姜維の人数を統一出来るギリギリまで減らせばいいと思う。
784無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 10:45:22
諸葛亮が5人くらうでも、結構いい線いきそう。
785無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 10:46:12
諸葛亮が5人くらいいたら、結構いい線いきそう。
786無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 12:59:09
曹操五人でもいけると思うyo
787無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 13:48:02
曹操5人じゃ互いに喧嘩はじめそう。
んで蠱毒と同じで最後まで残った曹操は普通の曹操より強力なの。
たぶんそいつなら統一は容易。
788無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 15:00:58
孔明五人も仲悪そう
自分が全部やろうとして冷戦になると思われ
789無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 15:14:52
孔明ってやりたくて全部やってたのか?
単に任せられる人間がいなかっただけじゃ・・・
790無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 15:52:12
孔明が5人いても駄目だろう。
実行部隊になれる将が小粒になったのも原因だろうから。
せめて魏延並の矛性能があと数本必須。
張ぎょくとかそもそも矛たりえる器ではない。
女に一騎打ちで負けるくらいだからな。
791無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 17:23:35
それこそ魏延を量産してもダメポ
馬超クラスがいるんじゃなかろか
792黒金兵卒・魏 ◆Y/2ry2CHHE :2005/06/19(日) 17:25:39
実戦経験豊富な指揮官がいれば良かったのにと思う今日この頃
793無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 17:58:44
孔明が5人いても、みな同じ思考をするわけだから、たいして変わらないのでは?
あと、この人材さえいれば勝てたっていうのは、ゲーム的じゃない?
794無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 18:01:33
だいたい孔明には、天下統一なんて気はさらさら無かった。
彼がやっていたことは、蜀の延命。
795無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 18:15:07
誰にも突っ込んでもらえない>>782が少し可哀想だ。
それどころかそのままの流れで話が進んでいるし。
796無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 18:47:02
>>793
こんなこと考える時点でゲーム的なんだから仕方ないんじゃないの?
797無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:12:39
現実問題として、同じ人材は複数いちゃだめだ
趙雲と馬超があと三十年生きて
龐統と法正も死ななければ良かった
諸葛亮は、決して短命ではなかったが
もうちょい長生きはして欲しかった
798無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:13:08
だが一番長生きすべきだったのは…
劉備だったのかもしれない
799無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:21:55
>>797
>現実問題として、同じ人材は複数いちゃだめだ

 有能な人材が複数(例えば、諸葛亮5人)いて、それぞれが、
 役割分担できればうまくいくと思うけど?
  丞相・軍事・内政・外交・劉禅教育 とか・・・

> 趙雲と馬超があと三十年生きて...

 趙雲に期待してるところが・・・

800無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:22:07
もうちょっとだけ早死してれば大敗はなかった
801無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:48:23
なかったところで孔明は北伐を成功できただろうか
802無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 22:51:31
>>798
関羽死んだ時点で死んでれば夷陵は無かった
803無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:08:02
とりあえず孔明を内政専門しちまえ。
軍事は法正・龐統にまかせりゃいいやん
804無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:34:29
ホウ徳が馬超と一緒に蜀に降ってれば、関羽が死ぬことはなかった気がする
805無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:36:43
関羽がもう少し性格よければ死ぬことはなかった気がする
806無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:37:31
張飛が・・・
807無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:47:15
劉備が(ry
808無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 01:02:48
どの程度のソフトがあったらSEGAが統一出来たのだろうか
809無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 04:08:24
サターンの時代にFF&DQ揃えばいけたと思う。
810無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 04:24:11
分裂状態の中国において
益州から出て統一までこぎ着けた勢力は劉邦の漢だけ
それだけ難しいと言うことだと思う
人材と言うよりも他の勢力との勢力比や
内部事情の方が問題かと
811無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 04:53:31
それを言っちゃあおしまいよ
812無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 05:59:41
>>808
時代を先読みしてポリゴン性能を重視しなかった時点で
もはや…
813無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 07:03:02
>分裂状態の中国において
>益州から出て統一までこぎ着けた勢力は劉邦の漢だけ

ノンノン。劉邦は漢中から出て天下を取ったの
あと、既存の王朝が取りあえず逃げようとする土地>益州
唐の時にここに逃げて盛り返せた実績があるからな。宋代なんかだと、益州派、江南派、抗戦派によく分かれる
814無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 00:30:07
>>813
漢中は益州漢中郡ですが。
815無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 14:53:58
>>814は天下取りにはいらない子
816無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 15:00:52
>>815は橋の下のみかん箱に捨てられた子
817無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 20:35:32
言葉遊びが出来ない子に軍師は務まらないからな
818無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 14:10:51
そもそも蜀自身より魏と呉の人材をどうにかしなきゃ統一なんて無理でしょ?
819無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 14:30:21
そりゃそーだ
820無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 22:21:12
徐庶と龍鳳+五虎大将軍がいてさらに荊州を呉に奪われなかったら





という、今戸榮一「超三国志」(反三国志演義)の設定でいったらどうだろうか
821無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 23:21:19
演義の時点で蜀の勝ち
822無名武将@お腹せっぷく:2005/07/01(金) 19:44:09
いや、演技でも通常版だと負けてるし
823無名武将@お腹せっぷく:2005/07/07(木) 19:31:08
>>818同意
「蜀にどの程度の人材がいたら〜」というよりも
魏と呉の人材を減らさないと駄目な気がする


とりあえず呂モウと陸遜、司馬親子がいないことが前提
824無名武将@お腹せっぷく:2005/07/07(木) 20:36:23
郭淮とケ艾も怖い
825無名武将@お腹せっぷく:2005/07/07(木) 20:53:04
司馬親子じゃなくて司馬一族
826無名武将@お腹せっぷく:2005/07/07(木) 22:11:22
曹操がいなけりゃよかったんだよ
827無名武将@お腹せっぷく:2005/07/07(木) 22:13:17
人間なんて生まれてこなければよかったんだよ
828無名武将@お腹せっぷく:2005/07/08(金) 08:17:35
生まれてきてすみません
829本間 賢助 ◆b6xr2qTD7k :2005/07/10(日) 19:49:58
お馬はポコポコ
830無名武将@お腹せっぷく:2005/07/11(月) 19:13:38
保守
831無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 09:59:45
なんといっても蜀は良い人材が早死にしすぎた。魏延や劉禅、馬謖、ふしじん、びほう、はんきょう、ちょうたつが早く死ねばよかった。変わりに関羽、馬超、馬良、法正、関興、張ほう、ほう統などが長生きしてれば…
832無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 12:01:11
張任が降ってくれれば、もうちょっと人材確保になったのかなぁ。
833無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 16:42:07
>>831
魏延が早く死ねば良かったか・・・・
え〜と、三国志の正史って読んだ事あるかい?
後、早く死ねば良かったの欄に劉禅を入れて、
長生きの希望欄に劉備が居ないってのはどういう事かな?
さっさと滅びろって事かい?関興は君の読んだ漫画の様に
実際は活躍してないから長生きしても分からないし、
馬超や法正はともかく関羽、ホウ統、馬良は戦死だから
長生きするも糞も無いんだよ。まああれだ、
勉強してきなさいって事だ。





こう釣られて欲しいのかm9(^Д^)プギャーーーッ
834無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 16:47:08
まあ最後にm9(^Д^)プギャーーーッとか入れたくなるおまえさんの気持ちもわからないではないが
なんと言うか釣られたとか言われないようにそういうふうに逃げ道を用意しとくのはいくないね。
831がアレなのは見りゃわかるんだからもっと堂々と釣られてしまえという気がする。胸を張って餌に食いつけと。
835無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 17:04:39
m9(^Д^)プギャーーーッ とか書いちゃってる時点で>>833の方が痛々しい気も
836無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 18:39:16
>>833
気持ちは分かる。議論スレを厨房に荒らされたくない気持ちは
分かる。だが、ここはセオリー通り、こう釣られて欲しいのかm9(^Д^)プギャーーーッ
を無くして>>834に突っ込まれるべきだと思うんだ。
「釣られてんじゃネーヨ( ´,_ゝ`)」
まああれだ、一人で釣られるのと回避を行ったのが悪いってこった。




まあ俺もお前が書いてなきゃ書いてたと思うがなorz
837無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 20:52:15
待て待て
関興、張包、法正が長生きすれば良かった ってのは生かして良い部分じゃないか?
孔明の最後の北伐時に関興と張包がいるだけでも大分違うと思うのだが。
838無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 23:01:17
いや、関興と張苞は早逝してて才能も詳らかでないし。
839無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 10:33:19
>>833
すいません、漫画とネットでしか勉強してなくて… 
今からでも三国志正史を読みたいと思ってますが、どの著者の本を買えばいいのですか?どなたか教えて下さい。
840無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 10:39:44
どの著者の本も何も、全訳が読めるのはちくま文庫だけなので選べる余地などない。
有名武将の伝だけなら徳間書店のハードカバー版でも読めるが。
841無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 11:04:18
>>839

気にスンナ。本読んだらまたココで語り合おうな。
842無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 14:48:43
蜀建国時に献帝連れてきて擁していたらどう?
劉備も私情で呉に攻め込めないだろうし。
843無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 15:04:52
>>842
建国時って許から拉致するの?ちょっとそれは無理でないか?
844無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 15:23:29
対呉は別に私情じゃねーし。
845無名武将@お腹せっぷく:2005/08/01(月) 14:14:15
いやあれは私情だろ
846無名武将@お腹せっぷく:2005/08/01(月) 15:03:11
私情もあるが打算の方が大きい
荊州の重要さを考えてほしい
847無名武将@お腹せっぷく:2005/08/01(月) 15:56:32
打算なんだけど私情に見せないと名分が成り立たなかったって事だな
それまでの人生で徹頭徹尾打算で生きてる劉備がここに来てその考え方を変える訳がない
848無名武将@お腹せっぷく:2005/08/01(月) 17:21:25
>>1
魔玉
849皇帝永井尚志 ◆9VhYyp3ihs :2005/08/01(月) 17:38:00
それはない
850無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 02:01:03
柳眉が蜀に入った時に
赫昭、郭淮、陸遜を筆頭に
トウ艾、司馬一族、朱然、温詼、顔良や文醜クラスの猛将があと五人いれば235年ぐらいには統一できたかも。
851無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 03:32:47
1億人の庶民
852無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 05:05:33
西涼から落ち延びた馬氏がもう少し多かったらってのは夢見すぎ?
853無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 08:01:46
>>852
わるくないかな?
西凉方面の攻略が楽になるかもね
854無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 09:20:03
というか荊州に関羽じゃなくて趙雲を残せば良かっ(ry
855無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 09:34:51
>>854
根拠は?
856無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 10:13:02
>>855
攻めに出ないからじゃないかな?
857無名武将@お腹せっぷく :2005/08/02(火) 10:55:55
>>856
趙雲なら呉や魏の進行は防げたかもと…
むむむ
858無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 11:02:54
荊州に関羽を上手く動かせる軍師がいればよかったと思う。
859無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 12:02:50
北伐時までロクに軍を指揮してない趙雲を残して何するの?
860無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 12:10:54
何もしなければいい
861無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 13:48:19
何もしないと呉と小競り合いしてたから何とか守れた荊州をもっと削られて結局意味ないよ
862無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 15:46:54
荊州をもっと削られてというのはどういう意味?
関羽は全て奪われてるんだからもっとなんてことはあり得ない
それに江陵が守れれば他はオマケみたいなものだから全然OK
趙雲に荊州任せるという前提に無理はあるが北上しない事に意味がある
863無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 20:05:19
まあ、確かに関羽みたいに事を荒立てることも北上することもなかっただろうけど、
実際趙雲がどれだけの名将だったかとかはわかんないからねえ
別伝の一騎駆けで阿斗救出とかの武勇伝が事実だったとして、
それが呉への抑止力となるだけの知名度があったのかとかの問題になるし
もしかすると呂蒙と陸遜にあっさりしてやられちゃったりするかもしれないし

まあでも、当時の劉備的にはやっぱりそんな選択肢はありえなかっただろうね
864無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 20:21:00
関羽以外に諸将を納得させる事の出来る格があったわけでもないしね
漢中王即位時趙雲は魏延より格下なんだし
865無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 20:29:22
実際、趙雲が将として重用されるのって諸葛亮の時代を待たなくちゃいけないからね。
無能だったわけはないだろうが、劉備としては何かしらの不足を感じてたんじゃあるまいか。
866無名武将@お腹せっぷく:2005/08/02(火) 22:59:08
趙雲は典韋・許チョみたいな存在かと思ってた
867無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 01:39:54
違う
劉備にそこまで信頼されてないからな
868無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 02:21:16
曹操に取っての典韋・許褚的存在って
劉備にとっては誰なんだ?
869無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 02:25:52
趙雲じゃねえの?
870無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 02:29:54
でも趙雲は単なるボディガードって感じしないな
小説・マンガの影響受けすぎなのかもしれんが
871無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 02:33:27
>>868
名前の出て来ない人
872無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 03:06:14
>>681
簡雍。
873無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 03:06:55
アンカーミス

>>868
簡雍。
874無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 03:45:09
ただの悪友だな
嫁泥棒してた曹操と袁紹みたいな感じ
875無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 03:49:22
曹操と劉備の違いだな
一度信じたら死ぬまで信じる曹操と常に相手を疑う劉備の違い
876無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 03:50:11
んなバカな
877無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 04:07:19
趙雲は信頼されてたさ
878無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 06:44:32
兵は人に頼らず、勢いを尊ぶ
879無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 07:48:49
一つだけ方法がある。





三国志オタで蜀ファンが司令官の人民解放軍がタイムスリップしてき(ry
880無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 23:02:58
『三国人民軍』ですか。
881無名武将@お腹せっぷく:2005/08/04(木) 00:12:20
劉備にとっての許楮・典韋って、関羽と張飛じゃないのか?
途中で役目は変わったが。
882無名武将@お腹せっぷく:2005/08/04(木) 01:12:47
>>881
違うくないか?
関羽・張飛はそれこそ曹操にとっての惇・淵みたいなポジションだと思うが
883無名武将@お腹せっぷく:2005/08/04(木) 01:36:24
>>881
名の残ってる中では趙雲だろ?
赤壁後は韓浩・史換に近くなったが。
関羽は副将的なポジションという意味では確かに惇兄だろうな。
張飛は惇よりは曹仁とかのポジションに近いと思う。
884無名武将@お腹せっぷく:2005/08/04(木) 03:23:39
張飛は淵だろ
関羽は惇と淵両方
885無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 00:27:17
劉備の親近の将(ボディガード的な意味で)と言うと、陳到でないかな。
劉備晩年は近衛部隊の長で、趙雲よか若干格下な位置にいるし。
楊戯も「忠誠」の人と評してるから。
886無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 09:29:42
徳間の「三国志英傑伝」しか持ってないから陳到のことはよく知らんのだよな
やっぱちくま文庫買うか
887無名武将@お腹せっぷく:2005/08/11(木) 14:03:53
>>886
ちくまでも陳到の記述は『季漢輔臣賛』の2〜3行だ。
888無名武将@お腹せっぷく:2005/08/12(金) 00:01:13
蜀の人材かぁ…範濬とかどう思う?荊州陥落さえなければ諸葛亮のいい補佐役になったかも。
忠義心も高く、政戦両面で中々の活躍が見込めるかと。
889無名武将@お腹せっぷく:2005/08/15(月) 13:16:21
横レス
もし、漢中の平民を曹操が連れ出さなかったら
もうちょっと戦いらしい戦いが出来たんじゃないかと思うけど
どうだろう?
890無名武将@お腹せっぷく:2005/08/15(月) 14:26:23
それを見越した上での行動だったわけで、曹操の方が上手だったというしかない
891無名武将@お腹せっぷく:2005/08/15(月) 18:23:02
つまり、蜀に誰かいたらと言うより
魏に曹操がいなければ良かったわけかw
892無名武将@お腹せっぷく:2005/08/15(月) 18:34:26
蜀に曹操がいればよかったんだよ!
893無名武将@お腹せっぷく:2005/08/17(水) 13:14:59
劉備死亡時までに蜀の逃した魚リスト。
田豫
陳羣
徐庶
太史慈
黄権
糜芳
博士仁
劉封
孟達
潘濬

結構優秀な奴多いな…
894無名武将@お腹せっぷく:2005/08/17(水) 13:35:55
士仁な
895無名武将@お腹せっぷく:2005/08/17(水) 16:32:02
関羽が殺されなかったら張飛は怒らず部下から殺されずにすんだ。つまり原因は樊城の敗戦にあり。ホウトウも死ぬの早すぎ。何より人材には恵まれていたが兵が少な過ぎた。益州は自然の大要塞だがそれも時間の問題だった。
896無名武将@お腹せっぷく:2005/08/17(水) 16:48:24
その益州の大要塞が問題で兵站がうまくいかない面も大きそう。
耕作地の少なさが人口増加率の増加を阻んでいるだろうし、
有能な人材の自国内での確保を難しくしている。
人口があれば憂国の士は多く集まらあ。
897無名武将@お腹せっぷく:2005/08/17(水) 18:11:31
>>896
ちょっと待った。

>耕作地の少なさが人口増加率の増加を阻んでいるだろうし

これはあり得ない。
当時の人口で四川の耕作地が足りなくなるなんて、ありっこない。
後漢書によると、益州の人口の多い郡は巴郡で108万、蜀郡で135万、永昌郡180万などがある。
晋が蜀を下した際の蜀の人口が100万にも満たなかったそうだ。

むしろ、耕作地は有り余っていたが人口が追いつかなかったなら考えられる。
898無名武将@お腹せっぷく:2005/08/17(水) 20:18:33
>>897
同意。
それを見越して曹操は漢中から人という人すべて掻っ攫ってたんでしょ?
899無名武将@お腹せっぷく:2005/08/17(水) 20:24:14
>>895はほほえましくていいな
900無名武将@お腹せっぷく:2005/08/17(水) 21:45:37
>>898
そう
敵地からの人間の略奪は、敵の人口を減らし自勢力の人口を増やす一石二鳥の策。
(勿論、土地ごと頂くのが最上であるのは言うまでもない)
勿論曹操も当初は漢中を維持するつもりだったろうけど、
漢中は戦地になると推測されるので、劉備から被害を受ける前に人間だけでも確実に確保したのだと思う。

後漢末の混乱によって、戸籍上の人口は激減し、
三国共に人口の確保は、最重要課題だった。
賊徒や流民の懐柔。異民族の討伐と捕虜の確保など三国志中の記事によく見られるのはそのため
そういや人間を得るために船団を派遣した皇帝もいたっけ…
901898:2005/08/17(水) 21:56:52
>>900
先に謝っとく、個人的な思い込みだったらごめん。

結局それが中国中に道教を広める結果になったんじゃないかと思ってる。
曹操って宗教に関しては結構寛容だったように思うから。
(青州黄巾兵とかもあるしね)

劉備は益州掌握のためにそこまでの余裕を見せることが出来なくて
もし、漢中に人が残っていたとしても活かしきれなかったんじゃないか・・・
って時々思う。
902無名武将@お腹せっぷく:2005/08/18(木) 01:19:25
関羽と張飛と劉備って死んだ順番ベストだと思う
劉備一番最初に死んだらどうなってたんだろ
903無名武将@お腹せっぷく:2005/08/18(木) 01:32:10
劉備って荊州劉表から奪い取っても曹操二十万(くらい?)軍に勝てたとは思えないんだけどなあ
904無名武将@お腹せっぷく:2005/08/18(木) 02:38:56
あれは諸葛亮のミスだよな。
遁走した劉備が正解。
905無名武将@お腹せっぷく:2005/08/18(木) 08:51:14
ゆくゆくどうなるかまったく未知数(むしろダメ方面)の奴より安全策取るわ
906無名武将@お腹せっぷく:2005/08/18(木) 22:54:42
>903,904
それは、対外宣伝的な部分の可能性もあるよ。
そもそも襄陽辺りで頑張っても曹操軍に対して勝ち目は無い。けれど、敵わないから逃げるってだけなのも・・・。
そこで、逃走は既定路線なんだけど、あえて諸葛亮が荊州奪取を進言→義にもとるってんで劉備却下→劉表の墓参り、って流れかと。
対外的に劉備=義の人、みたいな感じになり、劉ソウを見限って劉備に従った人材も多い訳だから。

まぁ、劉備に臣従したばかりの諸葛亮が事態を把握できずに、拙い進言をした可能性もあるね。
なんせ、その頃はまだ27,8際の青二才だし。
907無名武将@お腹せっぷく:2005/08/20(土) 18:21:47
結局、後に益州をとったわけだから、義の人っていうのはどうも..。
あのときに荊州をとっていても、劉備に好意を持っている人材は、
そのまま残ったと思う。

荊州については、後に呉との領土問題に発展したし、
あのときに荊州をとっておけば、そのようなこともなかったと思う。
もちろんとるといっても、劉奇の後見人として...

908906:2005/08/20(土) 21:09:31
>907
意味を理解してるのかな?
あの状況で、荊州奪取ったって、劉ソウを排除して襄陽周辺を押さえるだけで、荊州九郡全てが劉備に従う確証は無い。
と言うか、劉備陣営と劉ソウ陣営が対立して混乱するだけ。
さっさと逃走した史実でも南下途上で追いつかれてるのだから、襄陽辺りでもたもたしてれば曹操軍に捕捉・撃滅される可能性が高い。
その辺りを考えれば、荊州を奪おうとしても利点があまりないよ。

義の人云々ってのは劉備が実際に「義の人」であるかが問題なんじゃなくて、本来は劉備を警戒していた劉表(この辺は表向きはともかく、周知の事実だった)に対しても「恩義がある」と発言し、墓参りすることで信義に篤いと言う部分を強調出きれば良い訳。
劉備に好意を持っていても出身地を捨ててまで劉備について行く決意がつかない人物(逃走する劉備は何処に向かうかは判らない。荊州を追われる可能性もある)に対しては劉備について行く、と言う判断への材料にはなる。

ついでに呉との点だが、曹操・劉備・孫権の三者が鼎立状態になり、孫権以外の者が荊州(特に江陵付近)を押さえていた場合、孫権はどんな手段を使っても荊州を奪おうとする。
長江下流域を本拠とする呉が安定して自立するには荊州の確保は死活問題であるから。
史実の荊州問題は貸し借りが拗れて起きた事ではないよ。
909無名武将@お腹せっぷく:2005/08/20(土) 21:13:35
>>908
言ってる事は概ね正しいのだが南下中に追い付かれたのは曹操の無謀な強行軍があったからだろ
あれが出来たのは後方が、つまり劉【王奇】がしっかり降伏しちゃったからで
荊州が混沌としてたらそんな強硬な真似は出来ないから逃げるのは史実より楽になるんじゃないかな?
ただ荊州同士で足を引っ張り合うから曹操と戦争すれば確実に負けるのは確かだな
910906:2005/08/21(日) 10:45:50
>>909
降伏したのは劉ソウでないかな?
劉備が史実通り逃走しないで、襄陽を劉ソウと奪い合うような状況で曹操軍が現れれば(曹操に降伏した)劉ソウは当然曹操側であるから、劉備は逃走時期が遅れるか、逃走できなくなるんじゃないかな。

史実の曹操の追撃は曹純ら5千騎程度の部隊が劉備軍のみを目指した行動であって、あれ自体は無謀な軍事行動ではないよ。
911無名武将@お腹せっぷく:2005/08/21(日) 15:01:59
うん間違えた
912無名武将@お腹せっぷく:2005/08/21(日) 15:03:36
襄陽奪い合いになれば抗戦派の人間が後ろからつっかけてくるやも知れぬと思うと五千での追撃もできないんじゃね?
913無名武将@お腹せっぷく:2005/08/21(日) 16:12:19
劉表の死んだ時期ってジャストタイミングすぎるよな
心労つっても早すぎず遅すぎず全員が困る場面だ
914無名武将@お腹せっぷく:2005/08/21(日) 17:39:21
あとは野となれ山となれ
915無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 00:19:33
劉表にしても袁紹にしても奥さんに甘すぎるせいで後継者問題こじらせてるね。
916無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 06:37:58
>912
抗戦派ったって、劉表の旧臣、特に有力な連中はほとんど降伏派だったので、曹操軍に抵抗できないと思うけど。
抗戦派の中核たる劉備の兵力も5千に届かないような状況だし。
なんせ、曹操軍の数が圧倒的。
917無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 08:50:50
とりあえず地盤を持てる荊州を取るか
当たりを期待して放浪するか
劉備はギャンブラーだな
918無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 19:44:54
荊州乗っ取る方がギャンブルだと思われ。
919無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 23:13:56
話を反らすけど
もし南郡を押さえた直後
江州が孫権ではなくて劉備に下ってたらどうなったかな〜
軍資金とか、かなり豊かになるような気がするけど
920有名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 23:29:16
ホウトクが生きてたらいけそうな希ガス
921無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 23:30:51
>>919の話っていつの事を言ってるわけ?
それに江州って何? 荊州でのうて?
922無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 23:42:52
>>921
交州でした
赤壁後に呉に併合してますが
もし、孫権ではなく劉備側になってたら
どうなっていたかなって思いました。
923無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 23:45:04
すべては天数の成すところ・・・みたいな気がする。
蜀の人材の豊富さは魏や呉の比じゃない!
戦死者のタイミングが悪すぎるんだよね〜、張飛やら鳳統やら。
924無名武将@お腹せっぷく:2005/08/22(月) 23:58:55
いや、人材的には魏や呉とそうそう変わるもんじゃないと思うぞ
層の厚さから言えば蜀が一番薄っぺらいだろうし
925無名武将@お腹せっぷく:2005/08/23(火) 00:07:44
>>922
孫権が荊州を押さえに掛かる速度が早まったと思う。
926無名武将@お腹せっぷく:2005/08/23(火) 00:10:19
>>923
去った人材や戦死者も含めてようやく呉の人材と良い勝負ってとこだと思うぞ。
927無名武将@お腹せっぷく:2005/08/23(火) 14:00:40
やはり三国志新聞のボツ記事、「黄金の三角地帯」で。
とはいえ劉備の交州入りは当陽直後には考えていたんだよね。
928無名武将@お腹せっぷく:2005/08/25(木) 07:30:32
            れ〜んど〜  れ〜んど〜
       γ´⌒ヽ   たっぷり  れ〜んど〜
         | ( ゚д゚)             in 剣閣
        | 姜   |
          l 維  l
        〉   j
'⌒Y⌒Y⌒ (__,ノ
929無名武将@お腹せっぷく:2005/08/30(火) 12:38:15
アイスクライマー
930無名武将@お腹せっぷく:2005/08/30(火) 14:02:22
実際、荊州乗っ取たら、多分そのままやられるだろう。
何より、益州ってところを攻めることは、荊州を攻めるよりずっと難しい。
ここで荊州を取ったら、多分益州はもう取れない。逆に益州で足場を見つけて、
荊州に出るのは、すくなくとも天然の要塞を攻め落とすより簡単。

結局、劉璋が劉備を信用して、招いたのも、劉備の所謂用心棒履歴のおかげ。
つまり荊州での一連の演出を見て、この人は雇い主に忠実したうえ、
地盤の確保にあまり興味がないと、劉璋が思ってしまう。
931無名武将@お腹せっぷく:2005/08/30(火) 14:42:10
張飛が100万人くらい
932無名武将@お腹せっぷく:2005/08/31(水) 00:41:50
>>931
ひとを100万人も維持できないよ
933無名武将@お腹せっぷく:2005/08/31(水) 00:49:04
>>931

 宴会になったら共食いして終了だな
934無名武将@お腹せっぷく:2005/08/31(水) 00:52:53
張飛を何だと思ってるんだ
935無名武将@お腹せっぷく:2005/08/31(水) 01:58:53
張飛だと思ってる
936無名武将@お腹せっぷく:2005/08/31(水) 15:19:23
おまえら
937ネオ破壊王 ◆3AMaK.bie2 :2005/08/31(水) 20:52:39
福沢諭吉を1万人
938無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 12:55:37
兵士全員が張飛だったら勝てたね
939無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 12:57:40
1張飛=10000普通の兵士
つまり張飛が10000いると10000^2兵士分の働きになる
940無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 17:19:49
張飛は食糧が通常の兵士の100人分必要なので10000人もいたらちょっと厳しい。
ちなみに酒は1000人分消費するのでかなりきついです。
酒無かったら暴れるし呑んでも暴れるのでもうぐじゃぐじゃですよ。
941無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 17:28:12
じゃあ、趙雲100万人じゃダメ?
942無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 17:45:42
趙雲は食糧一人分ですむけど100万人もいたら蜀の兵站は崩壊しちゃうからやっぱ無理。
趙雲10万人にしとけ。
943無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 17:52:11
趙雲じゃ10000人分の働きしないじゃん
やっぱ張飛と同じ性能の関羽10万人だよ
944無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 17:56:35
あんなヒゲ人間が10万人もいたらむさ苦しくて大変だよ。

爽やか趙雲が10万人+陰湿孔明が10万人でどうよ?
945無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 18:15:16
趙雲だって本当はドカベンだよ
946無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 18:29:16
孔明だって背がでかいから怖いよ
947無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 19:18:16
けど孔明は元農夫だぜ?
食料が無きゃ自分で作ることが出来る。
おまけに山東人ということでガタイも良かったろうから普通の農民の10人分くらいの性能はあったんじゃね?
つまり孔明が100万人ほどいれば蜀の生産力は北伐を戦い抜けると言うことだな。
948無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 19:57:29
農夫じゃないけどな
949無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 22:15:03
農業はバイトみたいなもんだよ
950無名武将@お腹せっぷく:2005/09/01(木) 22:30:16
なんかで、諸葛亮自身が畑を耕してたわけじゃないって説を読んだことがあるな。
「躬耕隴畝」って語は畑を耕してくれる小作人を雇っていることの慣用句みたいなものだとか何とか。
951ブルガリア人:2005/09/02(金) 00:25:38
すいませーん
蜀のほうで、バシレイオス2世ブルガロクトノスを引き取っていただけな
いでしょうか?
952無名武将@お腹せっぷく:2005/09/02(金) 21:17:10
>>951
嫌だ
953無名武将@お腹せっぷく:2005/09/03(土) 14:48:09
手段は思いつかないが陸孫を呉から派遣してもらい一時的に蜀の軍師として合戦の陣頭指揮をとってもらう
孔明は蜀で作戦の立案のみを行う こうすれば万一陸孫が死んでも孔明の死期が遅れ魏を倒せる ただしこれは魏を倒した後、呉との関係が悪化(最悪の場合、蜀呉合戦)となるから実質的には無謀
954無名武将@お腹せっぷく:2005/09/03(土) 15:15:32
>>953
それはゲームでどうぞ……
955無名武将@お腹せっぷく:2005/09/03(土) 16:28:01
後20年ほど孔明が長生きすれば三国統一も夢ではないと思う 司馬仲達は寿命で死去 孫権は史実通りにボケ老人となる
956無名武将@お腹せっぷく:2005/09/03(土) 16:55:07
>>953
諸葛亮が陸遜に匹敵すると言ったほどの人材が蜀にはいましたが…
957無名武将@お腹せっぷく:2005/09/03(土) 17:05:51
>>956
龐統と同等に評価された香具師もいたっけな。
二人とも末路が似てるが…
958無名武将@お腹せっぷく:2005/09/04(日) 01:26:39
>>955
孔明も70過ぎてるからボケちゃうんじゃないか?
つーか過労死するぐらい働いて初めてあそこまで頑張ることができたわけで
あと20年も長生きできるぐらい余力残してたらとっくに蜀は滅んでるかも
959無名武将@お腹せっぷく:2005/09/05(月) 09:13:39
俺は最高で天才。
960無名武将@お腹せっぷく:2005/09/07(水) 03:05:19
ヒント 司馬懿もとっても長生き
961無名武将@お腹せっぷく:2005/09/07(水) 05:45:00
漢中〜関羽のあたりが最大にして最後のチャンスだったのかorz
962無名武将@お腹せっぷく:2005/09/07(水) 09:24:05
最後のチャンスは第一次北伐
963無名武将@お腹せっぷく:2005/09/07(水) 09:50:16
正直、馬謖が勝っても魏を決定的に追い詰めるまでには至らなかったと思う
964無名武将@お腹せっぷく:2005/09/07(水) 10:28:37
関羽北上も割拠のためにしかならんよ
中原があまりに豊かだから他の地域をいくら持ってても完全に魏を打倒するには至らない
965無名武将@お腹せっぷく
ただ、劉備、関羽、張飛、諸葛亮が健在のうちに勢力を広げることができれば、
将来的に何とかすることができたんじゃないかって期待はどうしても抱いちゃうよな。