1 :
無名武将@お腹せっぷく:
自分に乙
2 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 00:25:51
3
その3です。
牛金
三国志の人物の中で、軍事的能力の高い人物について考察するスレです。
・スレタイには「最も」とありますが、無理にランク付けに拘らなくても良いです。
ランクより考察が目的のスレです。
・基本的には正史準拠です。演義、無双はお呼びじゃないです。
・根拠も無く名前を挙げるのはやめましょう
6 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 00:45:36
前スレでもあったが軍事能力の高いの定義は?
( ゚д゚) ……
軍事能力の定義は、与えられた戦力を効率良く使用するって事でいいの?
↑国土、民衆、施設、物資も含めて。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 02:42:08
そうするとやっぱ単純に戦績を見るだけにならないかな?
元々の戦力が乏しい国だと(例:北伐時の魏と蜀)攻めるにも難しい
だがほっとけばジリ貧になるって状況だし。
戦力を集められる力(戦略っていうのかな?)ってのが軍事的にかなり重要
なわけで
戦力を集めるのは戦略じゃあ無い、その先からが戦略、というか軍事能力。
それに効率って書いてあるから
少数で多勢を破った場合は評価高いんじゃないの?
13 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 04:14:36
俺は
戦略、戦術、戦法てな具合に分けて、
戦略が政治等の大局的な動き。戦力を集めるってのはこれに含まれる
戦術が兵隊を集めた後の軍事行動のとり方。長期戦の構えとかそんなの
戦法が戦術をもっと具体的にした○月×日焼き討ちしますぽいこと
だと思ってたけど。
で軍事的能力てのはイメージでは戦術の組み立てが上手くて戦法が臨機応変である
てのを指してるんだろうけど、実際に戦績を残すのは戦略ありきでは?
兵士数や地の利を押さえてればある程度の指揮官なら戦争ってのは勝てる気がしないでもない
つーかね。
別にこのスレは本当に「最も」軍事的能力が高い人物を決めようとしてるわけじゃないだろ。
「軍事的能力」が高いと思われる人物の事績から、
その能力とかを考察してるだけ。
戦略的な面も戦術的な面も含めてね。
戦略とは戦争全体の勝敗を決める為の基本的な構想とそれを実現する為の技術。
戦術とは局地的な戦場で勝敗を決するための、いわば応用の技術。
戦法とは個人レベルでの戦闘における手段。
こんなんだと思ってたよ。
肥三国志9あたりで言うところの 戦法=武力 戦術=統率 戦略=プレイヤー性能
つまりあれだ。
定義なんかどうでもいいからお前ら語れ、と。
戦法というより、軍事的な用語でいえば、作戦術じゃないの?
戦略・戦術・作戦術・(最小規模の戦闘を含めた)用兵、ってあたりになるんじゃ
ないかと。
>>16 定義無しに語ると堂々巡りになると思うけど。
堂々巡りで結構。
考察スレなんてループスレで構わないんだよ。
三戦はループで出来ていることに17気づくべきだな
語る人間が毎回定義すればいいと思うんだけど。
たとえば「陸遜は戦術的な面ではどうこうだけど、戦略面ではどうこうだ」とかさ。
>>13 戦法と戦術を間違えてる、戦術と戦略を間違えてる、戦略と政治も間違えてる
悪寒‥
人物は陸遜を推薦、夷陵なんかは相手もそこそこw 戦果も申し分無いかな〜と。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 18:21:49
魏 : 曹操 司馬懿
呉 : 孫策 陸遜
蜀 : 諸葛亮
オレなりの候補を挙げるとこんなとこかな?
司馬懿・陸遜・諸葛亮は、戦略面でTOPクラスでと思うが、
ある程度、力をつけてからの活躍になっているところが個人的にはマイナス点。
(特に魏は、国力で圧倒的に差があるから、勝って当たり前みたいに思ってしまう。)
その点、曹操、孫策は創業時の活躍が大きい。
そして活躍時期も長さなど、総合的に見ると、やはり曹操だと思う。
と、個人的意見でした。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 18:31:37
いや待てよ、やさしくしたらヤレル度で言えば陸そんが一番やれそうだ
24 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 18:41:47
曹操のマイナス点をあげるなら、ここ一番での負けがあったことかな。
張繍戦で曹昂を亡くしたり、赤壁で負けたり、
漢中での鶏肋にしたり・・・
その辺で勝っていれば、曹操時代での統一も無理ではなかったかも??
25 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 18:48:19
孫子を読めば誰でも名将になれるわけじゃないよな。
頭が良くても、戦争は下手だってことも多々ある。
戦の才能っていうのは、やっぱり天与のものなのかなぁ?
26 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 18:53:10
>>25 兵法書の暗記だけでは、名将にはなれない。馬ショクがその代表格。
学んだ知識を、実戦でどう応用できるかは、やはり、
個人の資質によるものが大きいと思う。
>>24 張繍戦は紛れも無く敗戦だが、
赤壁は詳細不明で疫病つき、
漢中は蜀を落とすつもりがなければ、文字通り鶏肋程度の価値しか無い土地。
これらがそれほどマイナスになるとも思えないがなぁ。
>>25 軍事理論書だけじゃ、大抵の人間は戦上手になれない。
資質と言うのももちろん重要だが、一番重要なのは経験だと思う。
だから軍事理論の勉強の他に、多くの戦例を知る事や実戦経験を積む事が必要。
名将と呼ばれるようになるには、それ相応の資質がなきゃ駄目だと思うけどね。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 19:06:17
>>27 でも、赤壁の敗戦によって、国力をかなり消耗したことは確かですよね?
だから、戦いを起こすにも「時」がともなってなければ、やはり勝てない。
疫病(風土病?)が起こっているなら、戦わずして撤退もできたんじゃあないかと。
もし進行されても、国力の消耗がなければ、容易に防ぐことはできただろうし。
漢中の件は、確かに少し言いすぎかもしれん。
ここを取られて、長安をにらまれるのがいやだったから挙げてみただけ。
>>28 同意。
学んだ経験を次に生かすのも、資質として考えてました。
>>22 魏に張儁艾を入れておくれ
単純に軍事能力から言えば、
司馬懿や諸葛亮を凌駕すると思うが。
実際、諸葛亮は敗れてるし・・・。
蜀に趙雲・・・ヽ(`д´;)/
32 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 19:21:35
>>31 張儁艾のことは、よく知らないのです。すみません。
よろしければ、ご教授ください。
趙雲は、一武官としてはかなり優れていると思うが、軍事的能力としてみると、
実績が少ないので、候補に挙げれないのです。
個人的には好きなので、荊州を関羽ではなく、趙雲にまかせていれば、
面白かったと思います。
そしたら、名将として挙げることもできたかも・・・
魏はトウガイ追加
35 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 19:31:12
>>33 トウガイは、活躍時期がかなり後半(国力に圧倒的な差があるころ)なので、
個人的には挙げたくないです。
それと、
>>22で挙げたのはあくまで個人的な意見ですので、
皆さんがいろいろ候補をお持ちなのは、理解しているつもりです。
それでこのスレが盛り上がればよいのではないかと。
ちなみに前スレでも挙がってますね。
7 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2004/07/25(日) 23:05
とりあえず候補
曹操、劉備(+法正?)、孫策、麹義、賈ク、トウ艾(+鐘会?)
陸遜、陸抗、呂蒙、司馬懿、孔明、周喩
まあ順位はつけるのはかなりアフォらしいが
つけると議論が白熱するのでまあなんとなく考えればいいんではないかと。
>>35 このスレを盛り上げてくれるのはいいんですが
ここはsage推奨ですのでヨロシクお願いします
>>32 張コウの事
張遼・楽進・于禁・徐晃と共に魏の五将軍と称された。
張コウ知らないってどうよw
張コウで俺が評価するのは易京と馬謖だな
まあ公孫サンを破ったのは麹義であって張コウはとどめさしただけ
ともいえるが、
孔明の軍のほころびを見破ったのがさすが。
戦略眼も何となくあるように思えるし、戦術とか指揮能力は文句ない。
まあ中堅クラスの中ではトップの実力とは思うなあ
39 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 19:53:05
曹仁を入れるべし。敗戦は朱桓戦ぐらいだろ。赤壁戦後、あまり兵いない状態で周ユ
の猛攻を一年以上耐え抜き、関羽戦では前半押されたがついに関羽を撃退に成功したし。
魏の創業期では無敗だし、俺は張コウよりも強いと思う
羅 列 ス レ に な っ て き ま し た
羅列やめよう
ageっ子もsageよう・・
テンプレ
三国志の人物の中で、軍事的能力の高い人物について考察するスレです。
・スレタイには「最も」とありますが、無理にランク付けに拘らなくても良いです。
ランクより考察が目的のスレです。
・基本的には正史準拠です。演義、無双はお呼びじゃないです。
・根拠も無く名前を挙げるのはやめましょう
・・・武将の名前しか挙げない、ってわけでもないんだから
いいんじゃないのか?
44 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/18 21:18:52
軍事的能力が高いのは、張昭だろ。
あと、魏では荀イクかな。
現場の指揮官じゃないな
てか荀イクはともかくとしても、張昭は駄目だろ。
>>44 えっと…(汗
理由も書いてくれると嬉しいな
47 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 21:35:11
>>45 >>46 理由も何も、そのまんまだよ。
軍事的能力として、二人は秀逸。
あと馬良、董允、伊籍なんかもいいんじゃないかな
理由も無く
「軍事的能力が高い」人間が居るのかね
>>44 ・あなたの言う軍事的能力が一体なんであるかを
他人に分かるように説明、或いは定義してください。
・あなたの挙げた人物が何故「軍事的能力が高い」と言えるのか
事跡なども挙げながら説明してください。
・それができないならあなたはこのスレには不要なウジ虫です。
このスレでこれ以上語ることを許しません。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 21:46:25
>>48 いるよ。張昭なんかそのまんまだよ!
理由ねえけど。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 21:48:19
魏は曹仁、張コウはかなり高い評価を受けるべきだろう
釣 り は ほ っ と け
呂布戦における于禁はかなり凄くないか
ちょ、張昭?????
軍事的能力の低い人物ベスト10にノミネートされる可能性はあるかもw
>>52 ほっとけといわれても釣られてしまいますw
55 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 22:12:12
曹操は実際負け戦が多いと思う。
彼のすごいところは何度負けても国力を復活させて
また攻め込むところなんじゃないかな。
こういうのは軍事能力に入らないのかな
とんでもなく広義の意味では軍事的能力かもしれないなw
>>44 荀ケよりむしろ荀攸かと。
張昭って・・・張郃や張飛の間違いか?
>>55 損切りがうまいんだろうね
例え負けても、それをあっさり認め躊躇いも無く兵を引く
そのため損害を最小限に抑えられ、一度の負けが致命的とはならない。
考えてみれば指揮官に一番大事な能力かもしれない。
>>56 それはもはや軍事的能力とは言わないなw
59 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 22:22:44
見て分かるとおり大漁です
61 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 22:53:46
戦績をもって軍事能力を高いとするなら
>>55で言ってることも軍事能力に入る気が
明、順、清の三国志では袁崇煥・・・いや呉三桂かな?
63 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 23:20:54
>>55 負け数がないとは言わないが、勝率は高いほうだとおもうけど?
>>55 曹操は敗北を戦術レベルでの損失に抑え尚且つ戦略的な勝利に帰結させてる。
赤壁での撤退は厳しい評価もあるだろうけど、漢中は中原からみた場合には
絶対的に保持しなければならないわけじゃないし、困難とみるや兵を退いて、
展望の期待できない長期戦を避けてるしね。
官渡にしても、白馬や延津で勝利しつつ巧みに防衛線を下げてる。
兵站線でみても袁紹側は黄河を越えなければならないわけだし。
>>62 大順国のやついねえじゃん・・
福臨、多爾袞、ドド、李自成、国姓爺
なんかも、加えてやれば?
>>64 そう考えると、曹操って戦上手だなあ。
官渡では、自分に有利な定石に巧みに誘導して勝利を収めたわけだな。
それで、負けが込んできたり、膠着状態になったら、さっさと撤退すると。
で思ったんだが、これって人生にも当てはまるような・・・。
戦上手は世渡り上手?
やっぱり要領のいい人間が勝ち組になるのかなあ・・・orz
項羽と劉邦の時代なら文句なしで韓信なんだが、三国時代は難しい。
ていうか、韓信すごいです。
今更ながら背水の陣の詳細に目を通す機会があったけど、
あれは捨て身戦術どころか高度な心理戦だったんですねえ。
>捨て身戦術どころか高度な心理戦だったんですねえ。
今更こんなこと言う奴の詳細などたかが知れている
韓信は確かにすごい奴だが、簫何、張良にお膳立てされている状況だからなぁ……
一兵卒だった韓信が連座で処刑されそうになったところで見出されて上将軍に抜擢されたってのはホントなのかね
いくらなんでもって気もするが、劉邦を見出した蕭可ならそれもありうるのかな?
蕭可が劉邦を見出したってのは初耳だ。
亭長に過ぎなかった劉邦を持ち上げて補佐したのが蕭可だからだろ
蕭可がいなければ、劉邦はまともな挙兵ができたかどうかすら怪しい
蕭可よりも呂公じゃないの?
>>69 お膳立ては政治の役割、軍事的能力を計るスレなのに意味不明。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 17:29:50
49 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/09/18 21:43:24
>>44 ・あなたの言う軍事的能力が一体なんであるかを
他人に分かるように説明、或いは定義してください。
・あなたの挙げた人物が何故「軍事的能力が高い」と言えるのか
事跡なども挙げながら説明してください。
・それができないならあなたはこのスレには不要なウジ虫です。
このスレでこれ以上語ることを許しません。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 23:11:06
スレ流れからいくと、曹操が筆頭候補のようですね。
ならば、曹操対蕭可&張良&韓信ならどちらが勝てるかな?
曹操は三人の特性全て(内政・謀略・軍略)を併せ持つ破格の人だぞ
79 :
変質社:04/09/19 23:14:51
, -☆-―- ☆-、
(_, '/ `、 、_)
l /レ/ソ`ノ ノ))
id l'┃ ┃〈)
ヾ丶_ ー ノ
/`\'ヽ、_
l^l l__,l、_| | |つ
lJく/ |_|ゝ|_|
|`'|. |
(二)ニ)
>>74 じゃあさ、勝てる条件をこれでもかってくらい揃えた状況で勝つのってどうなの?って話な訳だよ
韓信は簫何が兵站を憂いなくこなして、張良が項羽を孤立させる状況や、負けても損害のないようなシナリオを用意している上で戦ってるんだよ?
恵まれてるじゃないか。
三国の諸葛亮なんかは、兵站も自分で気にしなきゃいけないし、負けたとき等のあらゆる構想も練って置かなきゃならないじゃないか
一人で何でもできるということは確かにすごいことではあるが、
一人で何でもやろうとする奴はアホだ。
国家なんて一人で運営してるわけじゃないんだから、当然役割分担がある。
一人で全部やってたら優秀な奴でもその能力を十分に発揮できんだろ。
>>80 まったくだ
そういう意味じゃ孔明のが偉いな
>>80 >勝てる条件をこれでもかってくらい揃えた状況で勝つのってどうなの?
それを含めて軍事的能力だと思うが。
孫子の軍形篇の「善く戦う者は勝ち易きに勝つ者なり」って名将の定義になると思うんだが。
>>85 ?
だから、諸葛亮のほうが上とか言いたいの?
いや、言い方が悪かった。
俺も韓信は名将だと思うし、勝てるときは勝つってのは優秀な証拠ってのは知ってる。
ただ、スレの流れ的にそういう言い方になっただけだ
もっというと韓信マンセーみたいな感じがやだっただけだ。
>>87 いや寧ろそういう条件を整えるとかは別個にして考えるべきかと…。
突き詰めれば戦争は政治の一部って事になっちまうし…。
突き詰めなくても、戦争は政治の一部だしなぁ。
例えば人付き合い、家柄なんかも政治的分野で軍事的にも必要だし。
そうなるとこのスレ
三国志上最も政治的能力の高い人物考察スレ
になっちまうぞ
現場指揮官お呼びじゃないってか
>>91 意味不明
政治的能力の低い呂布、関羽が名将と言われない理由を考えてみたほうがいいぞ。
国家戦略の策定から前線指揮まで、全て出来て初めてこのスレで論じられるって事か?
それはハードルが高すぎだと思うがな。
軍事=軍隊・軍備・戦争に関する事柄。
政治=(1)統治者・為政者が民に施す施策。まつりごと。(2)国家およびその権力作用にかかわる人間の諸活動。広義には、諸権力・諸集団の間に生じる利害の対立などを調整・統合することにもいう。
一応これも・・・
統率=多くの人をまとめて率いること。統御。
>>93 同意
それらを全て評すことが出来る行動をした人物というだけで相当人数が絞られる
戦争=(1)武力を用いて争うこと。特に、国家が自己の意志を貫徹するため他国家との間に行う武力闘争。国際法上、宣戦布告によって発生し、戦時国際法が適用される。いくさ。
(2)激しい競争や混乱。
外交・政治が絡みますね。というか、孫子などの兵法書を読んでれば政治と戦争は別とか言わないだけど・・・
グデーリアンやロンメルなんかは、政治の部分には殆ど関わってないが、名将と呼ばれる。
基本的には前線指揮の部分で見て、それ以外は+αとして評価するって形で良いと思うんだが。
それは近代になって政治家と軍事家が分かれたから
三国時代は武官、文官の区別はほとんどありません。
このスレは名将を決めるんじゃなくて軍事的能力の高い人物を
決めるんだから、総合的に判断すべきでは?
あまり政治・外交に偏る必要はないけど、
陣頭指揮以外にもある程度の戦略的見通しを持ってることとか、
作戦能力とか、部下や兵士に対する統率・指揮能力なんかは
十分考慮に入れた方がいいと思う。
人の将か、将の将(つまりは将帥、方面指揮官みたいなもの)のどちらを評価するかということだな
もう定義の話はいいだろ
最初から決まってるんだよ定義は。
政治外交を除いての戦争戦略の視野の優劣と
戦場での指揮能力と戦術の巧さ。
それらを総合した戦争の上手さと強さを三国志の人物に問うて語り合うってこと
定義ヲタみたいなのが一人いるけど
三国志のことが語れないならどっか他いった方がいいのでは?
あくまで順位とか最も優れてる人物を決めるのが目的じゃないのは
テンプレにもある
>>5 三国志の人物の戦争の強さと上手さを考察するのが目的。
それであがってきた候補が
曹操、劉備(+法正?)、孫策、麹義、賈ク、トウ艾(+鐘会?)
陸遜、陸抗、呂蒙、司馬懿、孔明、周喩
なわけで彼等は政治、外交に携わる人物もいるが評価されてるのは
戦略的視野と現場での戦術、指揮能力。
基本的にこれらの人物の携わった戦争を考察しながらその能力を見てくのが
このスレの流れ。
もし他にも戦略、戦術ともに優れていたと思える人物がいればどんどん考察すればいい
孫堅の戦績も見るべきものがあると思うが、孫家の地盤を作りあげ、
華雄を打ち破り、いち早く洛陽に攻め上がったのは凄いと思う
対黄巾の戦績も評価するならば孫堅もそうだが
コウホスウも勝ちまくっている。
ただ対黄巾戦というのは組織力に欠けた軍との戦いであるから微妙だとは思う。
董卓との戦いは評価できるような気もする。(曹操は徐英に追撃失敗してる点もあるし。)
104 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 06:19:23
>>101は心が狭いな・・・
定義をどうするかと議論してるというより
実際戦争が始まってからだけでなく
戦争の前準備、負け戦の見極めと判断の鋭さ等
軍事能力とぱっと言われた時に見逃しがちな所にも焦点を当ててみよう
と言っていると思うんだが。
新しい視点で見ようという姿勢は良いと思う。
麹義なんて挙がってんの? 麹義って騎馬隊専門の戦法の名手で、
その戦法さえ伝授されてしまえば只の用済み凡将くらいに思ってたわ。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 07:21:25
マイナー武将ほどもてはやされるところがあるからね。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 07:26:20
有名どころは飽きたのも事実
108 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 07:34:43
よしここで
>>44の言う張昭の軍事能力を模索していこう
・・・主君とタイマン張る武骨なところとか・・・孫権を叱咤して政務を
させる指揮能力とか・・・・
109 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 07:50:23
呂布だと、単純に思うね。
漫画や演義じゃ豪傑扱いだけど、つまりは、当時としては無敵の
北方騎馬民仕込みの騎馬用兵の術を駆使する、今風で言えば最強の
陸軍機動部隊の戦闘にもっとも長けた生粋の将軍だったんでは?
そして、裏切りを繰り返し、というくだりだが、それは彼が純粋な傭兵大将
だったからじゃないかとも思う。時の混乱に乗じ、軍事クーデターを仕掛けた
賤職に過ぎない軍人を脱皮して、日の当たる政治家を目指して挫折した人物なんじゃないかな。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 07:57:37
呂布、公孫瓚、劉備等の傭兵隊長と目される人物は
自分の部隊と任侠的な繋がりをもってたらしいね
今で言うチームワークってやつが強かったとか
呂布軍団ってチーム単位だと相当なものだったと思う
政治を軽視してたところも似てるけどね・・・
111 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 08:03:45
>>110 任侠つながりの呂布と劉備の関係なんて、まさに今の暴力団抗争そのものだよね。
それを影で煽ったり支えたりしながら自分の経済、政治基盤を作り上げた成り上がり
のライブドア、楽天社長ばりのエリート官僚が曹操。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 08:14:06
結局はエリート官僚が天下取っちゃうのも悲しいところだ
曹操然り、司馬懿然り
歴史上寡兵で大国を破った例は源義経とかナポレオンとか
このスレでいう軍事能力に優れてる上に画期的な戦術を取った
人たちだね
三国上では居るんだろうか
115 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 08:29:53
うーん。寡兵で一国を覆しえたほぼ純粋な軍人といえば、やはり董卓だろうな。
1万に満たない兵力で大漢帝国を鎮圧したんだから。呂布、リカク、カクシ、張遼などの
その後の三国時代を彩る純粋武闘派系を辺境から中央に引っ張り出したのも彼だ。
いづれにしろ、中央が腐敗し、地方の権力者が私腹を肥やして私兵を持つに到るとき、国は滅ぶ。
今のこの国の現状ともリンクしていて興味深い。
最近一部で言われる、職業としての殺傷を生業とする集団というのが、
この時代の軍人だろう。董卓一派のごときは、まさにその系統だったかと。
つーかこのageっ子
同一人物だと思うんだが
早く消えてくれないかな
他いけって
>>96 政治の延長に戦争があるにしても政治能力と軍事能力は別
外交も農政も公安も政治の一部だけど必要な能力は各々異なるでしょ?
開戦を予定した以降の行動が軍事
兵の準備や武器の調達は軍事に近いけど、そのものでは無い
で、俺は孫策に一票。
というか
>>101で述べたこのスレのおおまかな流れを乱さないでほしいね
もう一回貼付けとく
もう定義の話はいいだろ
最初から決まってるんだよ定義は。
政治外交を除いての戦争戦略の視野の優劣と
戦場での指揮能力と戦術の巧さ。
それらを総合した戦争の上手さと強さを三国志の人物に問うて語り合うってこと
定義ヲタみたいなのが一人いるけど
三国志のことが語れないならどっか他いった方がいいのでは?
あくまで順位とか最も優れてる人物を決めるのが目的じゃないのは
テンプレにもある
>>5 三国志の人物の戦争の強さと上手さを考察するのが目的。
それであがってきた候補が
曹操、劉備(+法正?)、孫策、麹義、賈ク、トウ艾(+鐘会?)
陸遜、陸抗、呂蒙、司馬懿、孔明、周喩
なわけで彼等は政治、外交に携わる人物もいるが評価されてるのは
戦略的視野と現場での戦術、指揮能力。
基本的にこれらの人物の携わった戦争を考察しながらその能力を見てくのが
このスレの流れ。
もし他にも戦略、戦術ともに優れていたと思える人物がいればどんどん考察すればいい
戦略って部分でいえば兵制そのものの改革に優れていることも一つあると思う
孔明や麹義なんかはそういう視点に優れていた。
>>118 孫策は勢いに任せてるんだかそう見せかけてしっかり計算してるんだかわからが
兵力優勢な相手に全兵力動員しての各個撃破の戦術は三国志ばなれした指揮官とすら思う。
ただそれによって短期間での領土拡張を成し遂げているのは袁術が後方に控えていたので
攻めるときに兵力を全部動員できたという強みがあるのかな・・
>>115 俺は董卓ってのが軍事の能力にはたしてどれだけ優れていたのか判断に迷う。
つまり黄巾ではちょくちょく負けてるし洛陽占拠したのも戦争によっての占拠でなく
機に乗じての占拠。
涼州というものをまとめ上げた才覚は非常に優れてるとは思うのだが、それは戦争の巧さとは
ちょいとちがう。実際、用兵や戦術に優れてる点が事績から見えない。
戦略眼はなかなか、統率するカリスマ性はかなり高いと思う。
むしろ異民族の統率に優れていたと言う点ではスケール的にも戦争自体の巧さでも
檀石槐のほうが董卓後を遙かに上回るだろう。
ただし統率力がありすぎて兵力が異様に膨れあがり食糧難に陥っているので
兵站の概念にかけてる?
>>120 典型的な俺様の言うことは正しいですちゃんだから
そっとしておやり
テンプレ
三国志の人物の中で、軍事的能力の高い人物について考察するスレです。
・スレタイには「最も」とありますが、無理にランク付けに拘らなくても良いです。
ランクより考察が目的のスレです。
・基本的には正史準拠です。演義、無双はお呼びじゃないです。
・根拠も無く名前を挙げるのはやめましょう
単純な騎馬戦術の優位性が三国志初期では顕著であったが
中盤以降は戦線が中原から蜀の山岳地帯や長江近辺に移ったこともあり
優位性というものがなくなった。
騎馬戦術に優れていたキョウド系や姜などの軍閥はその流れに対応できず
次第に表舞台から消えていく
騎馬戦術が有効なのはモンゴル方面や西涼あたりから中原に攻める場合と
中原での戦いだとおもうがそういった平原での戦いでも騎馬軍に対する戦い方は
研究され尽くしていた。
董卓系の将たちは、もし仮に生き残っていたとしてもこの流れには対応できなかったように思うね。
余談ですがナポレオンは騎馬戦術に極めて長けていた。
それはどういったものかというと馬一頭で運べるほどの大砲の小型化に成功し、
馬がある程度、山岳などの移動にも適応できるのを利用して大砲の移動手段として
活用した。
これにより他の軍では考えられないような機動力のある砲撃部隊が実現し
他軍ではあり得ない奇襲作戦で敵の意表をつき数々の勝利をものにすることが出来た。
三国志の時代ではナポレオンのように兵制自体を一新することにより戦略を強化すると言う視点にたてた将は少ない。
というより三国時代ではじめてそういう将が出てきはじめたと言える。
49 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/09/18 21:43:24
>>44 ・あなたの言う軍事的能力が一体なんであるかを
他人に分かるように説明、或いは定義してください。
・あなたの挙げた人物が何故「軍事的能力が高い」と言えるのか
事跡なども挙げながら説明してください。
・それができないならあなたはこのスレには不要なウジ虫です。
このスレでこれ以上語ることを許しません。
別に政治的な力が軍事的能力だと思うのなら
そう言う風に語っても構わないよ。このスレの住民は誰も止めない。
ただし、その話題がスルーされても文句は言わない。
あと三国志以外の人物について語るのもほどほどにしてくれ。
全ての人間が中国史(あるいは世界史)に精通してるわけじゃ無いんだ。
>>124 いや、平地での騎馬戦術の優位性はまだ崩れてはいなかったように思う。
>董卓系の将たちは、もし仮に生き残っていたとしてもこの流れには対応できなかったように思うね。
ってのは微妙。少なくとも原野戦では十分生き残れたと思う。
むしろ騎馬の優位性ゆえに山岳地帯や湿地帯が三国の国境になったと思うんだが。
>>125 自分の知識の無さを棚に上げるのはどうかと思う。
三国志以外の人物を挙げたりするのがそれほど悪いこととは思えんが
むしろ、新しい知識が手に入るから俺としては楽しいが
誰にでもわかるようにとレベルを落として会話されてもしょうがない
終いには三国志の武将でもマイナー武将挙げるなとキレるやつもいるが正直うざい
少々、知らない事実が混じって難読な文章でも勉強しながら見るから構わない(NETはその点便利)
>>127 板違い スレ違いって言葉を知ってるか?
>>126 >むしろ騎馬の優位性ゆえに山岳地帯や湿地帯が三国の国境になったと思うんだが
あーそういう見方も出来るね。
ただじゃあ戦線が山岳地帯や湿地帯になりましたってときに彼等の出番はなく、
例えば董卓が軍の兵制自体を全面的に変える柔軟性があったかというと疑問がある。
騎兵の強さを理解してなおかつ兵制に柔軟に対応できる曹操などと比べると
そのへんが董卓は大きく劣るような気がする。
まあはやく歴史から姿を消したので見えない部分もあるとは思うが、
やはりそういう柔軟性が見える事績がないので「兵制に柔軟性がある」とは判断できなくないかなあ
>>127 だから「ほどほどに」って言ってるんだよ。
ちょっとした例として挙げるくらいなら構わないけどさ。
あと
>自分の知識の無さを棚に上げるのはどうかと思う。
こんなことは言うな。
つまりは俺が知識の無い人間だと思ったのか?
知識が無いから、自分の知らない話をされるのが嫌な人間だと思ったのか?
知識の有無に関わらず、このスレで三国志以外の話をわざわざしたくない人間も居るんだよ。
世界史全般について語りたいなら世界史板に行け。
まあただ一応三国志のスレなんで大まかに三国志の話をするべきじゃないのかなあ
たまに三国志の将との比較で他の時代、他の国の将も語るという程度で。
そうしないと収集つかなくなるよ
>>129 まあ結局董卓政権は内紛で崩壊しちゃったからなぁ。
洛陽を棄てて長安に篭って自分が死ぬまでやりすごそうとしてた点
とか見ると、既存の戦略から逸脱できてないものを感じるんだが
兵制を柔軟に変え状況に対応していく姿勢はなかったんじゃないかな
というか勢力を伸ばそうという意図も見えねえ。
>>132 大まかな流れでは三国の人物を語るために他の時代の話や
当時の政治の話とかしてるようだけど
>>136 韓信ヲタは韓信のことが話したくて仕方ないように見えるが・・
それが主体にしか見えないので他いけってはなし。
あえていうなら韓信とにたタイプの将は三国志でいうと孫策かな。
戦術や用兵のみで戦争に勝つ手腕が似てる
この二人には兵制に対する斬新な視点は見えず、純粋に用兵や戦術に優れてる
点のみで戦争に勝っている。
なんか似てるような気がする・・あんま根拠ないけど。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 14:09:51
>>136 だから
>>125が自己厨なだけ
自分が違うと思ったことには耳を傾けず追い出そうとする始末。
少なくともここに居る人は三国時代の軍事について話そうという
意思はあるわけで、その手法は人それぞれ
議論しようとしている人に居なくなれと言う権利は無いと思うけどな
>>138 いやいや
一応さ スレには流れってものがあるわけで
現にこんなことはなす事で実際にこのスレで論ずるべき話じゃない話になるでしょう。
sage進行にもかかわらずageまくるし
参加したいならある程度流れ尊重しなよ
だから強制はしてないだろ
頼んでるだけだ
>>138 ていうかそれ以前に張昭の名前挙げてるのは君?
まあどっちもどっちってことで
話を元に戻そうか
ちなみにsageのやり方は E-mail のところにsageと入力して
書き込めばいいよ
てなんでこんなこと説明しなくちゃいけないんだw
まあ無理にsageろとは言わないけどね。
孫策は短期間で江南を制圧したことよりも、
その後うまく袁術と縁を切り、勢力として地盤を確立したところを褒めたい。
ついでに釣りの時はメール欄にturiと入力してみるといいよw
前スレ途中までと比べてものすごくレベルが下がったな。
>>145 >その後うまく袁術と縁を切り、勢力として地盤を確立した
このへんは孫策の戦略眼の証明かもね
125ではないが、一応スレタイが「三国志上・・・」となっている限りは、
三国志以外の人物について語るのはどうかと思うよ。
もちろん、比較対象として出てくるのは一向にかまわんが、
>>78-88あたりは、脱線しすぎの感は否めないだろう。
だって、
>曹操対蕭可&張良&韓信ならどちらが勝てるかな?
って、それを比べても、「三国志上最も軍事能力が高い人物」に
行き着くとは、とても思えないです。
その割りにはあっさり暗殺される孫策・・・。
なんだかなぁ。
>>137 韓信の話するのは気が引けるけど
一定兵数の戦闘集団で分ける手法(軍団制?師団制?)
は目新しいんじゃないかな‥
三国志から離れちゃうけど、李牧と韓信は格が1つ違うと思う。
三国志だと大規模戦役(コレこそ軍事能力の最高位のモノが問われる)
を指揮した人物がそう多くないから人数限られるけど
陸遜をお薦め、ミスらしいミスの記述が無いし
夷陵の戦果も素晴らしい、相手は優秀とは言いかねるけど。
>曹操対蕭可&張良&韓信ならどちらが勝てるかな
面白そうなのであえて答えてしまうが
さすがに曹操でもそのトリオには勝てないだろw
ただし曹操もなかなかに兵制にたいして斬新な視点を持ってるので
ここで優位に立てば勝てるかもw
>>150 たしかに、円熟した孫策が見てみたかったですね。
若くして死んでいる分、活躍時期も短いし、
「若さに任せて、勢いだけで領地を拡大していき、
内政を省みなかったから暗殺されるんだ」
みたいに思われる可能性もあるし。
「領地を広げるなら孫策。内政なら孫権のほうが優れている」って
まさしく孫策はそのとおりの人だったかもね。
長江以南の孫氏は、当時中原から遠く離れた未開地の側面があったのだと。
文化、技術水準が(少なくとも軍事技術において)数段劣っていた可能性があるのでは。
騎馬による戦いが主だったということは、兵馬を養いうるそれだけの経済力の基盤が
あったであろうことは予想できます。演義などでは貧乏な河賊崩れが河賊の討伐で名を上げた
ように描かれていますが、本当は農作物の豊かな江南の地において、もっとも中原に近い
経済観念をもって蓄財、交易に勤めた先進的な豪族だったのかな、と。
当主が不慮の死を遂げてもその子を頭目に頂いて盛り返すだけの、強い結束をもった
封建的な主従関係が、当時の江南地方としては群を抜いていたのかと。
それが、孫氏の鉄の結束、三代に渡る破竹の進撃による三国鼎立を可能にしたのでは、と思う。
三国志の軍事といえば、屯田制を聞くが、実際の発案者ってだれだったんだ?
>>151 韓信の場合その兵制の改革は烏合の衆で戦うことが多かったことを起因としての
軍を効率的に管理するための兵制の改革と思う
軍のポテンシャルをより高めるための改革ではなく弱小軍を一定のレベルに引き上げるための改革
孔明や曹操、麹義などの兵制に対する新しい視点とはややちがうような気がする。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 15:09:59
麹義みたいなマイナー武将褒めて通ぶるなよ( ´,_ゝ`)プッ
後漢書ではおもいっきしメジャーなんだがw
軍制というものが、兵農と一体だった時代のことだから、
その人物の軍事的な能力の側面を語る時は、やはり戦場においての
功績のみから考えるのがいいかな。
そう考えると、異民族というテロリズムでクーデターを起こし、
弱体化した中央政権の官僚システムを一時的に機能不全にし、
その後家臣の(と、いうより寄せ集めの傭兵大将の一人)に
下克上された董卓は、単なる思慮の浅い、皇室簒奪という事の
重大さがわからない地方の武闘派ヤクザに過ぎないかもしれない。
その後は、彼の連れ込んだ傭兵達は大乱世の主役になっていくが。
>>154 おおーかなり同意だ
ただそこまで軍事技術の水準がおとっていたとはおもわないが。
劣っていた面はあると思う
孫家云々に関しては全面的に同意
曹操の赤壁での敗戦って言ってた人がいたんですけど、どういうことなんでしょう?
あの一連の軍事行動は、二つの目的があったわけですよね。
1.当地に住んでいる優秀な人材、カイ兄弟を確保する。
2.劉表の勢力を乗っ取ろうと活動している劉備を放っておけない。劉備を追い払う。
で、二つとも目的は達成できたと・・
ところが劉備はある程度の戦力を保ったまま逃走したから、曹操も追撃したと。
劉備はまんまと孫権の勢力範囲に逃げ込んだので、曹操は赤壁でキャンプ設営。
曹操の兵士に疫病が出たので、退却決定。
孫権と劉備の両陣営が仲違いするように工作し、艦は持ち帰れないので焼却処分。
あきらかに軍を全うして還ったわけで、国力も損耗しなかったのですが。
これでも敗戦と言うのでしょうか?
>>155 発令したのは曹操だよね。実際の発案者ってだれだろね。
韓浩じゃなかったっけうろ覚えだが
>>156 また韓信の事だけどもw
弱小軍を一定のレベルに引き上げるための改革と
孔明や曹操、麹義などの兵制に対する新しい視点は
一段上の立場から見れば同じ事、戦闘力を上げるのには変わり無いっしょ
それに烏合の衆に、そこそこ高度な動きを求めるのは無駄だろうし。
と書いておきながら、韓信も部隊ごとで戦う仕組みを使ってたんじゃないか?
と言ってみる、兵馬俑も結構アレだし。
166 :
信玄:04/09/20 15:28:21
信玄です。
>>161 目的の捉え方じゃないか
呉を打ち破る目的ってのが一般論だしそう考えると決定的な敗戦
カイ兄弟を確保ってのは完全なおまけでしょ
>>162 屯田自体はもっとむかしからあったでしょ
>>159 三国志の時代は兵農一体ではあったが兵制の進化が見え始めた時代で
これが戦果に顕著に表れたので用兵や戦術と同じくらいに重要と思うよ
169 :
信長:04/09/20 15:32:14
信長です。
>>161 いや、そこまで言い切るの曹操側の苦し紛れのいいわけだと。
実際に曹操軍は艦隊戦を見越した水軍の錬兵池を人工的に造っているようだし。
赤壁の年と言われる以降も、何度と無く魏軍(立場上は官軍)は呉に攻め入って撃退されているようだ。
この戦いで孫氏に江南の新興勢力の存在を広く中原にアピールさせてしまうのだし。
やはり、赤壁の戦い(と、呼ばれる事件)は、この後の歴史に大きな影響を残している。
171 :
信虎:04/09/20 15:33:09
信虎です。
曹操が劉備を消さなきゃと思ってたフシは江陵を騎馬団で強行
して取ったことからも伺えるね。江陵を取った時点で江夏なんて
行かずにとっとと引き上げるのが戦略的に良かったってのは聞く。
劉備が呉と結んだために無理して赤壁に向かったって感じが
するんだけど
>>168 兵農分離は変化であって進化じゃない罠
戦国期の国家の1/5が兵士になる様な兵農一体国家(国力充実必須)
と戦ったらあっさりと葬られること必定。
>>168 そういった視点で見ると。任侠ヤクザや異民族かぶれの傭兵たちが、
弱体化した帝国を崩壊させた後に登場する、演義なんかでは影の薄い
赤壁以降の、ホウトウ、法正、諸葛亮、シバイ、陸遜のような最高司令官たちの
用兵が、それ以前の旧態依然とした古代軍制の指揮官達をことごとく破っていく
シーンこそがこの時代の軍事的パラダイムシフトだとも言えるかも。
この時代最高の軍事能力って一言で言っても、その立脚点が根本的に違うんだと。
英雄時代的騎馬戦主体の戦いと、大規模な経済政策に裏打ちされた、兵站、錬兵を施し、
経済力、国力の粋を尽くして戦われる集団歩兵戦の時代へと移り変わる時代の通過点。
そう考えて読み直すと。
任侠界の巨人、関羽の死と、それに伴う張飛の舎弟による裏切り、弔い合戦を
強引に進めた分不相応に肥大したヤクザの組長、劉備の無謀な隣国侵攻と、
それを徹底的に壊滅させた近代歩兵術の科学的総司令官たる陸遜、というふうに
読むと、漢中戦以降の、演義などでは理不尽な経過が理解できるな、と思った。
>>173 まあ軍事国家としては兵農一体こそが進化だろうね
文化的な国家では退化かもしれないが。
現代で兵農一体とかやられたら困るw
>>173 そうじゃない。国力の五分の一なんて人的資源を、軍事活動だとという
きわめて非生産的な行動に駆り立てなくても良いようにするために、
戸籍制度による人間の確保、徴兵による強力、強大な戦時兵力の確保
平時における予備役の、生産活動への従事による経済力の確保を可能にした。
そしてこれらは、国家に属する人たちの安全保障、生産力、生活力拡大に
大きく寄与した。
屯田制は、古代史において革命だったんだよ。
>>174 禿同
ただ面白いのはカントにおいては軍容が近代的だったのはむしろ袁紹で
旧態依然の戦い方はむしろ曹操なんだよね(屯田という部分では曹操のほうが近代的)
つまりこの時点でそのパラダイムなんとかっていうのは
ハッキリとは表面化してなかったんじゃないかなあ
混沌とした時代だったんだな
>>176 戦国期は大国同士の睨み合いで、国力、政治技術は相当高レベル
戦役時には数十万の大軍が動くけれども
平時は時折軍事訓練をするだけで全どの国民は農業に従事してた。
屯田制ってのは国土が荒れ人民が散った
高度な統治が難しい状況での対応、当時の状況では最善の策だけど
革命でも無いし高度でも無い。
曹操も国力が許す状況ならば兵農一体にしたはず(不可能だけど)
>>179 春秋戦国期は資料がはっきりとしない時代の話で、そこに書かれた万という
単位をそのまま良しとするのはナンセンスです。
(三国時代の100万人の軍勢というのも有り得ない。どう多く見積もっても、
当時の農耕技術から考えて20万人が限界らしい。)
そして、ただ農民を徴兵するという行為では事実上戦闘はおこない得ません。
兵士の錬度が全く違います。そもそもその間の生産は誰がするんですか?
屯田制の最も大きな点は、訓練を受けた人間が予備役として潜在的に国内に
とどめておける、という点、そしてそれを可能とする戸籍による人間の管理が
進んだ、という点です。
蜀の諸葛亮は、新興国家の人口を増やすために南蛮遠征を図り、版図を広げますが、
肝心の戸籍の整備が不完全だったため、兵の不足に悩まされます。
「人はいる。南蛮どもは戸籍に加わらないのだ」と、嘆いた書簡が残っているそうです。
蜀の動員可能兵数は5万人
呉でもうちょい
魏でやっとこさ10万越える程度
>>180 戦国期のは結構資料発掘されてるよ
それに三国志の時代と違って、国土荒れ放題、人民疎らってこともない
当然に農業、経済、政治技術とも三国時代より発展してる
戸籍もある、人口も7国のウチ1つでも魏に近い数が居た模様。
>そもそもその間の生産は誰がするんですか?
残った家族ですよ、全く生産出来なくなるワケじゃないし
物資も三国時代と違い豊富。
兵士の錬度は違うだろうけど、倍以上の人数が居れば勝てる
それと弩や矛等は、そこそこの訓練でも使える用に作られた武器。
そもそも屯田は、秦以西の遊牧民の元で形を成してきた制度で、
騎馬遊牧民であるかれらが、一定の土地を耕作するために期間を
定めて定住するようになったのが始まりです。
天才と戦乱が続いた後漢末、中華の人口は著しく減少します。
三国時代は、中国史上もっとも人口が減少した時代だということです。
しかし、法家の怪物曹操は、漢(魏)の国力を充実させる為に、強制的に
移民と結婚をさせ、耕地に人を配置して戸籍に登録させます。まさに恐怖政治。
これにより離散していた人々は、法の名の下国家という枠組みのもとに生活することを
余儀なくされていきます。(しかし同時に、それは漢民族という枠組みをさらに
強いものにしていきます)この制度が、後の世の晋の武帝の時代に均田制といわれる
農耕地の基本法の礎になったとも言います。この時代の屯田制、特に魏のそれは、
中国史上にも極めて大きな意義を残す制度です。
さらに一つ大きな曹操の軍事力の要因は、太平道の信者達、黄巾党を青洲兵と
して自軍に組み入れ、この狂信的に訓練された人々を軍の主力とするとともに
屯田により耕地を与え保護します。濁流派と揶揄される彼は、人士はただその能力
のみにより評価する、という唯才論のもと、宗教活動に弾圧を加えなかったのです。
破格の人と称される所以でしょう。
屯田制や、当時の様子がなんとなく理解できるような気がする。
だから曹操はどうなんですか?
「三国志上最も軍事的能力の高い人物」ということなんですか??
そこな抜けているので、一見スレ違いのような感じがします。
希望を言うなら、人物を中心に語ってほしいです。
十分屯田制に詳しいことはわかりますので・・・
あ、入れ違いで、抜けていた部分が出てきたようなので、
>>186は無視してください。
188 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 17:33:24
>>186 軍事的能力の、政治的側面で最も大きな功績を残したのは、曹操、といえるかもしれませんね。
ただ、蜀の諸葛亮も、南蛮遠征で中華世界をさらに広め、異民族を自軍に組み入れ今の四川省
を一つの国家と言えるまでに拡大するという革命を行っています。
まさに、この時中華は三つに分かれたんですね。
まあその軍事的能力の政治的側面という意味での優れた点が
曹操と孔明には見られるね
兵制の政治的な側面(兵站との関わり)という部分での先見の明が
戦争における勝敗を大きく左右していたのはわかる。
そこで純軍事的な兵制についてはどうなんだろうか?
(騎兵中心から歩兵戦術へ)
孔明はそのへんの進化が顕著に見られるし
曹操も軍容自体を柔軟に変化させている
麹義はそのへんの進化のはしりをになった。
他にこの視点で優れてた将ってのは三国時代にいるのかな?
あえていうなら劉ヨウもそういえるかな(世界初?発石車の実戦使用)チョットちがうかw
191 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 18:21:35
霹靂車を発明した李典マンセー
>>189>>190 そうなんだよね。
三国時代に至る以前、それまで国家体制の根幹を支配していた儒教の影響力を
削減して、(純然とまでは言い切れないけど)法家として効率的な国家運営の方途を
打ち出した人物って、せいぜいが曹操と諸葛亮の二人くらいじゃないかと思う。
なんせ、それまで400年も続いてたんだから。
曹操が(諸葛亮もだけど)偉大たる所以はこのあたりにあるんだと思う。
小さな敗戦(徐栄とか張繍あたり)を大袈裟に取り沙汰してる人は、そのあたりの
部分で曹操に対する観察力が欠けてるのかな…とは常々思ってた。
陸孫などの呉の将にはそういった純軍事的にしろ軍事政治的にしろ兵制の一新はみられない
これはなぜかというと呉という国の軍が一括して管理されてない状況がある。
つまり豪族の軍の集合体としての呉の軍であるからだとおもう。
魏は青州兵が歩兵の根幹をなし
蜀は益州派閥の駆逐に成功して
共に軍事の中央集権化が進んでいた。(少なくとも曹操、孔明の時代には)
私論であるが孫コウは中央集権化に尽力したが豪族の力の強さを打ち破れずに
呉の限界を打破できなかったようにおもう。
そういう意味では単なる暴君ではないような。
192の言う小さな敗戦を大袈裟に取り沙汰してこそ、このスレだと思ってた漏れorz
196 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/20 22:49:45
劉禅こそ戦略眼に優れていると思う。
彼は人生設計を立てたときどうすれば
殺されないかを第一に考えた選択を逐一行っていた。
彼は皇帝ではなく、一般人だったら、相当な人物だっただろう。
197 :
44:04/09/20 23:34:12
そこで張昭ですよ
198 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 23:46:30
張昭?
張悌の間違いじゃないのか?
しかし、この流れだと武官連中はお呼びじゃないな・・・。
なんか語る次元が違ってるし
>>200 優秀で勇敢な武官達がいるからこそ、上で挙げられてる連中が光るのにな。
ネタ詰まり気味なんだからそいつらについても語ってやって欲しいよ。
>>201 自分で語ればいいじゃん
例えば候補にあがってる呂蒙なんかは戦術面の評価が高いことで候補に挙がってる
まあ司令官クラスではあるが武官ってタイプでしょう
過去の君の言から察するに戦術級(現場のみ)の将について語りたくて仕方がない
と見えます
トウガイも現場指揮官であるし(しかしながら戦略的に優れた点も見える将ではあるが)
戦略面の読みが皆無でなければ戦術面で極めて優れてる点をもって候補には加わってると思うよ
俺的にはあえていうなら張コウの名前挙げてしまうところではある
その理由としては若いときから大きな戦線で活躍し(易京)、戦の全体像を把握してるだろう事
長年にわたる第一線での活躍とそこから見える大きな実績。(ガイテイなど)
相手の弱点を見抜いてそこをつく戦い方は韓信にも似た冴えがあるし(褒めすぎw)
まあ失敗らしき場面もあるのだが(漢中)勝敗は戦の常ってことで。
あとはどうだろう魏延とかおもいきって挙げてみるw
彼も戦略眼はわりとあるんじゃないかな?(長安急襲策)魏延のいったとおり
カコウボウは別の戦いで逃げ出してるようだし(笑
魏延の収集した情報は正確であったことが証明され正確な情報をもとに
作戦を立てる将だと推測される。現場ではかなり強いし。
ただし張コウも魏延もややスケールが小さいかなあとは思うんだが・・
そのスケールが小さいってのが何処から来る発想なんだ、と。
>>202は
>>101あたりから長文書きまくってる典型的な仕切り君なので
突っ込みたいとこがあってもスルーしといたほうが無難だよ。
またウザい長文で返されるのもアレだし。
「最も」を抜かせば良いスレなのにね
スレタイの「最も」に拘るやつが多いからな・・・。
ランクよりも考察がメインなのに。
屯田君も含め、前後・漢時代、儒教が国家体制の根幹だと誤解している人が居るけど
史書を読めば、どう考えても法治思想が主体だと思うけど‥
儒教は表の飾り、戦前の道徳教育みたいなもの
儒教が国家体制の根幹なんて言うのは
戦前の日本は神道が国を支配していたと言うくらいナンセンス。
>>200 最もだからね‥、どうしても大規模な戦いを指揮した人物になる
といいつつ徐晃とか言ってみる、負けの記載が無いから。
だからなんでそこで大規模云々の話になるんだ、と
作戦立案・部隊指揮などの戦場での能力や組織強化などの軍政面における能力、有能な人材を使いこなすトップとしての能力など総合して考えれば普通に曹操だろうな。
もう次スレからは「最も」を消そう
>>208 大規模になる程、最高指揮官に高度な精神、能力が必要になるからさ
最もが付いてるとなると、大規模な戦争が一番目盛りになると思ったワケ。
「最も」は要らない、とは思うけどね‥
現場で兵を指揮する才能と
司令官に必要な才能は別物だろ?
>>202 >カコウボウは別の戦いで逃げ出してるようだし(笑
そんな事実、あった?
俺の記憶違いかもしれないけど、「演義」と混同してない?
それはそうと、魏延に戦略眼がある、なんてどこをどう読んで想起したのか不明。
魏延の長安急襲案は警戒の緩やかだった第一次のみならず、ひとつ憶えに毎度の
様に提案したというし、これはどうみても視野が狭窄な証になるはずなんだが。
もともと魏延の事績は立案者の企画を実行している事が大半で、戦略的な部分での
事績や主体性なんて皆無に近い。
陽谿での戦いを思えば用兵に長じているだろうとは思えるけど、戦略はおろか作戦術
についての能力だって想像するにも不十分。
>>213 勝つ為なら長安急襲策が最善(当然、代価は高い)
北の方へ遠足に出掛けて最低限の出費で帰る事を望むなら
諸葛亮の実行した行動が最善
魏延は立場上、魏に打撃を与える事を一番に考慮した筈だから
その観点から見れば戦略眼は有った。
>>212 それは分かってるけど、司令官の方が
より高次の精神力と才覚を必要とするでしょ?ってこと。
>>213 いやなんか昔蜀スレで言われてたことで未確認なんだが
カコーボーは孔明が攻めた際に異民族のとこに逃げ込んだらしい・・
演義はほとんど読んでないからわからんがその話に驚く人が多かったので(自分も驚いた)
>>212 それと皆さん忘れてるようだが語られてる将は司令官としても現場指揮官としても
両方に優れてる将だってこと。司令官としてのみの将で現場を知らないタイプは候補になってない
逆に司令官として実際に優秀でないか優秀だと予想できない将だと現場で強くても候補には入らないってこと。
夏侯楙は別に異民族の所に逃げてはいないと思うが。
魏略の記述に、228年に都に召還されて尚書に任命されたとあるしな。
たしかうろ覚えなんだがそのときの蜀スレの発言によると
逃げ込んでからまた魏に戻ったとか何とか言ってた。
結構細かい事績を述べる人だったので感心してログみてたんだが
あれはデマだったのか・・
ちなみに今は確認できる環境にないので誰か確認してくださると有り難いです。
もし記載があるとしたらあれなんだろうナー
突拍子もない人物の伝にちょこっとだけとかなんだろうな・・
逃げ込んだ異民族の族長とちょろっと関わりがあった官吏の伝とかw
家戻ったら確認してみますw
諸葛亮の第一目的は長安じゃなくて
馬超の遺産、反曹の異民族との繋がりを持つ事だと思うよ。
ちくまの索引は完璧じゃないからなあ。
全部丁寧に読んでけば、異民族の所への逃亡の記述も、もしかしたらあるのかもしれない。
呂蒙のペニスはでっかい。
>>219 にしては大掛かり過ぎるな、北伐。
本当にそれが目的なら、さらさらっと使節団でも派遣しとけばイイ。
俺も、何所かで異民族の所に逃げた記述を見た覚えがある。
ただ、三国志だったか魏略他だったかはワカンネ
まぁどっちにしても「俺が行きゃ逃げるだろ」って考えは感心できないもんだな
まあどちらにしても魏延は可能性のある将だとは思うんだが
明確に司令官としての実績のあって現場も指揮してる他将と比べちゃうと
やはり見劣りがする。
張コウもなあ うーん
ただこの二人相手の弱点を良く見極めるタイプではある
225 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 22:24:43
魏延はもともと部隊長上がりのごろつきみたいなもんだよ。
だから真田幸村みたいに局地戦には強いが、大局的な戦略は
持っていない。
部隊長上がりのごろつきが大局観を持ってないってのが短絡的すぎ。
ごろつき出身で大局観ある将は多いよ。
むしろ乱世で戦場の空気を読む将に無頼の人は多い。
だね、大局観は生まれ付きの才覚と経験を精神で練磨したモノ
部隊長上がりのごろつきだから、といって無いとは限らない。
例えば山頂布陣の人とか‥
>>222 使節を送るのに魏の領土通らないといけないわけだが。
領土的に隣接すれば、反曹の勢いも増すのでは無いかな?
>魏延
取っても守りきるという感覚がない。
漢中ならいざ知らず、長安なら魏も本格的な攻勢をするだろうし。
リセットが使えるなら魏延の策も面白いかもしれないが
一度負ければ則、国の滅亡の現状であの策を唱えるのは
ばくち打ちか何か。司令官的発想では無いね。
>>228 >領土的に隣接すれば、反曹の勢いも増すのでは無いかな?
そうだね、でも領土を維持しないといけないから確実な作戦とも言えない。
>魏延〜
長安が陥落した状況で、本格的反攻をするのに
その日に反攻命令→翌日出陣ってワケには行かんよ
魏延も言った通り、3ヶ月近く掛かったんじゃ無いか?
一度負ければ国の滅亡とは大袈裟
大きな打撃だし2度と北伐は出来なくなるだろうけど‥
勝敗は兵家の常、戦争は博打でしょ?
能力ある将が準備万端整えて、あとは気力と運、勝つ気が無いなら勝てない
穏健策は北伐して被害を出さずに帰ってくるだけ
100回やっても決して大した戦果は得られ無い、出兵する意味無し。
馬謖が失敗しなきゃ結構いけたんじゃないの?
>>229 領土維持の観点から言えば、長安よりもはるかに守りやすい長安は点だが、領土は面だから。
涼州近くの異民族や反曹の力を纏めれば長安を落し維持するのは不可能では無くなるのでは無いかな?
一度負ければ国の滅亡は大げさじゃないと思っている。
劉備時代ならいざいしらず諸葛亮時代は国力が安定して本来の国力差がもろに出てきている。
戦は博打ではあるが、宵越しに銭を持たないやり方はキョウイの例を見ても意図は無くとも国を潰す。
司令官の性格は勇猛果敢より、臆病で細心の方が信頼できる。
横槍失礼
長安をとるということが引き起こす魏そのものに対する影響ははかりしれない
もちろん準備完了後すぐに長安奪還の軍を派遣してくる公算は高いものの
長安を失った動揺から内部反乱が多初し内通勢力の出現など乱世の状況の
流れの一つの変化を生み出すことは必至。
それが蜀にとっての唯一の打開のチャンスなわけ。
そもそも安全策をとり続けて覇を唱えた国家などなく、
乱世においては危険な博打をうって状況を打開していかなければ生き残ることすらできない。
ただし孔明の西を固めてから長安をとると言う作戦も否定はしないけどね
だが西を固めると言う作業をしてるうちに長安自体の守りががっちり固められて
姜族の動員が可能になったとしても
結局、魏とまともに戦わなければいけない状況になる。
そうなると総兵力で大きく下回る蜀は不利。というか勝ち目ない。
どこかで賭に出ない限り。
俺的には危険な博打ってのは
太平洋戦争の例があるからなんとも・・・・
長安とってもその後が続かないと意味ないし
>>234 たぶん君が三国志の君主だとして最もうまくいったとして劉表じゃなかろか
それも一つの生き方だとは思うけど。
>>235 ま、それも悪くないな
国家ってのは建国よりも維持の方がずっと大変だし
ま、実際俺も劉表っぽいほうがいいんだがw
戦争とかしたくないし領土欲もないし
つーか戦火と離れた田舎豪族のぼんぼんで親の財産食いつぶして楽に生きたいところだw
だね〜これだけ豊かな世の中なら劉表みたいな奴ばっかの方がイイw
>>236 滅亡を先延ばしにしても状況は悪くなるだけだから
勝つ気なら危険な賭けに出るしか無かった
滅亡を先延ばしにするのが悪いとは言わないけど
それを維持というのかどうかは微妙な気がする。。。
>>234 太平洋戦争は優勢な相手に、だらだらと戦って講和の見通しも無かった
危険な博打というより、底なし沼を全然足りない資金と物資で埋め立てる様な無駄骨。
対して、魏延の長安急襲策は危険だけども成功する可能性もあった
それに、成功すれば状況は格段に好転した筈。
あと臆病で細心な司令官なんぞゴミ(クロパトキンとか)
勇猛果敢で慎重、周到なら信頼できる。
俺は実際孔明がもし第一次北伐に成功してたとしたら
そこからの博打というのは考えていたと思うんだよね
涼州はおさえました。漢中も準備万端。
後はチャンスを待つばかり。
お?魏の○○地方で内乱?
呉が攻めた?
よし今が一世一代の大ばくちのチャンス!!
長安おとせーー てな具合に。
長安を取るって可能性の低い博打
長安を維持するという可能性の低い博打
長安を維持しつつ戦うという博打
長安に維持に戦力を割きすぎた時に孫権が蜀にちょっかいを出さないという博打
これらが全て成功するというのは不可能に近い。
博打をするにしても、せめて成功率八割は欲しいところだ。
劉備に荷担した所を見ると諸葛亮もばくち打ちではある。
>>239 第一次北伐が成功するには博打が必要だったと思う
涼・雍州の領土を維持して〜といっても
蜀の領土として安定する前に、当然に魏も本格的な反撃をするから
結局は司馬懿と睨み合ったのと同じ状況の悪寒。。。
それに一気に長安を陥落させられない軍が、遠回りして他の領土を切り取った上に
長安まで落とす事は2000%不可能
講和が成立するか魏が諦めて一時停戦になれば別だけど。
一方で長安が陥落すれば涼・雍州はそのままでは成り立たなくなる位置だし
朝廷への精神的打撃も大きい、その後の状況はかなり有利になった筈
まあ成功する確率は低かったと思うけど‥
>>240 北伐は成功率0%の博打。
>>240 成功率八割なんて博打とは言えないよ
成功率八割の安全策をとりつづけて小さな国が強国に勝つことは不可能。
安全策とは優位に立ったときにとってはじめて良策。
それに魏は長安とられて結束が揺るがないほど一枚岩ではない。
大きければ大きい国ほどその動揺は多岐に広がる
乱世とはこういうときに気運が変わるもの。
魏延にとって賭けなのはどれくらいの動揺を魏に与えられるかと言うこと。
動揺が小さく司馬イのような有能な指揮官が魏の論をまとめ上げ長安に最速で
軍をむけられたらさっさと逃げる。追ってきたら漢中で迎え撃って殲滅。
もし動揺が大きければ内乱や内通で魏は国論が二分する。
保身しか考えない穏健派が発言力を増したりすると長安奪回の準備は遅れ規模は小さくなり
下手すれば講和もっと下手すれば遷都もあり得ない話ではない。
単純な数字的な兵力のつぶし合いであれば長安とってすぐつぶされるとなるが、
国を構成する豪族や官僚の思惑はそれほど単純なものではない。
>>242 日和見主義者は勢いのある方につくもんだしな
>>241 司馬懿とのにらみ合いの状況にはなるだろうが
涼州と雍州を手に入れた状況でのにらみ合いは
あきらかにチャンスがふえないか?
補給的に見ても楽になるし。そこから大勝負かけるチャンスを待つって作戦。
>>243 だから、手に入れた状態になる前に反撃が来るだろうってこと。
官吏人民、上から下まで魏の人間なのに
はい、ココは我々が占拠しました〜 明日から、ココは蜀で貴方達は蜀人です
なんて言っても何の意味も無い、戦乱で田畑は荒れてるだろうし
翌年も好き好んで年貢を納めたりはしない。
屯田をすれば補給が楽になると思うけど、涼州と雍州に反乱させない為には
駐留兵を置かなければいけないから戦力も落ちる
情報も魏に流れ易くなるだろうし、領土維持で手一杯
司馬懿との睨み合いも不利になるのは間違いないと思う。
涼州と雍州とを一時的に支配下に置いた時点でたしか孔明は1万の戦力を手に入れてる
キッチリ支配すればさらに徴兵も可能
長期的な視野に立ち涼州と雍州をウマイこと開拓し統治してその間の魏の侵攻は
ガイテイで食い止めるってのが孔明の作戦だからガイテイさえキッチリ守りきれば
お上手な作戦だったと思うよ
孔明の読み違えは
・ガイテイが期待してたほど守るのに適していなかった
・馬謖がヘボヘボだった
てことだとおもう
>>245 イイ作戦だとは思うけど危険だし難しい作戦の気がする。
司馬懿との睨み合いで結局撤退した様に
敵軍と向かい合った状況で長く敵地に留まるのは不利
司令官は司馬懿より軍事的能力(このスレの主題w)が低そうだけど
涼州と雍州とを一時的に制圧した状態で戦うとなると相当不利ジャマイカ?
馬謖が居なければ、あんなに速やかに完璧に負ける事は無かっただろうけど
涼州と雍州を制圧してからだと、どのみち負けた筈。
成功間際で李厳、馬謖、関羽の暴走で邪魔される諸葛亮
ひとりの力では限界があるという見本だな
ガイテイが魏延か呉壱だったらどうだったんだろうな
街亭を作戦通りに守ってたのって王平の5千くらいの兵だっけ?
>>246 司馬懿より低い理由がイマイチつかめないが?
司馬懿って諸葛亮に勝った事あったっけ?
>>250 いつも勝利してるだろうが。
まさか野戦の結果が全てだなんていうんじゃないだろうな?
勝利って、お前、相手が勝手に兵糧切れて撤退してるだけじゃねーか。
司馬懿が攻めて致命的な一撃を与えたとか何かがあればわからんでもないが
何かあったか?
あれが軍事的勝利なら、司馬懿は大国に所属しながら
蜀を取れなかったから戦が下手になるぞ?
>>250 司馬懿は諸葛亮より戦上手かなぁ、と思うが
その事じゃなくて、魏の司令官の話。
>>252 兵糧切れる奴も優秀とは言えん罠。
>>252 少し餅つこう
俺も司馬イと孔明は軍事能力という観点で五分と見ている
孔明ー兵制の優位
司馬イー現場の経験と軍人としての資質の優位
戦略ー五分
馬謖がヘボいっていうのが定説みたいだけど…。
これは選んだ孔明が悪いよ…。
初陣の彼を、この作戦の成否を左右する重要なポストに付けるのはいくらなんでもやりすぎ。
まあでも相手が並みの武将なら、勝てたんだと思うよ。それ相応の才能は有ったんだろうし。
でも相手が悪すぎた…。孔明の言いつけ通りに馬鹿正直に砦を守ってても守りきれなかったと思う。
馬謖はそれを悟った上で、山上に布陣しようとしたんだろ。でも何分経験不足。展開が遅れて…そこを張コウに付け込まれたんだと推測してみる。
水源確保について、王平も進言した形跡が無い。恐らくする暇もなかったんだろう。一瞬生じた隙に間髪入れず寄せてきて、どうしようも無い状況になってしまった。
馬謖を責めるのはあんまりだと思う。
もし魏延か呉壱が代わりだったら…。
馬謖のような致命的失敗はしないだろうが、同時に絶対に勝てなかったかと。
ジリ貧になって撤退だな。つまり打つ手無しw
しかしこの北伐での趙雲の活躍はすごい。
孔明に囮役を命じられ、僅かな兵で曹真率いる魏の主力を箕谷に釘付けにし、実質無力化してる。
しかも蜀の本隊が撤退した際も、ほとんど損害を出さずに引きあげてる。
街亭の守り、趙雲だったらいけたかもね。
勝てた、勝てない以前に
命令違反をしている時点であいつは駄目
>>255 >ジリ貧になって撤退だな。つまり打つ手無しw
それでいいじゃないか なんか問題あるの?
馬謖が責められてるのは命令違反をしたからだろ。
しかもその結果が惨たるものなんだから。
馬謖を抜擢した諸葛亮の判断は正しいものであったとは言えない。
とはいえ命令違反なんてのは完璧に想定外だと思うんだがなぁ。
>>255 もしガイテイを張コウの二万から守りきった場合
孔明の本隊が涼州の兵を吸収して四万ぐらいに膨れあがっていて
涼州の治安の維持には一万程度の兵と優秀な将を置いておけば良く(孔明が残るのも手)
他の3万がガイテイに合流するという作戦なので、
ガイテイのもともとの配置、馬謖の約一万五千とあわせると5万近くの大軍が集結する
その準備のために曹真の約三万の本隊を趙雲を使って足止めさせていたわけであり
その準備が問題なく完了すると蜀軍約五万VS曹真約三万+張コウ約二万という
守る側である蜀に有利な展開となる。
そうなると魏もうかつに手を出せなくなりその間にガイテイの防備を堅固にし
涼州の統治をすすめる。
この孔明の作戦はかなり見事で勝算は充分あったし完遂まであと少しだったと思う。
馬謖や李厳については孔明の弱点である現場軍務の把握に未熟だった点が出ており
責任は孔明による部分が大きいのは同意。
しかしこの作戦が上手くいったとしてもすでに長安には曹エイの魏本軍約五万-十万
が集結しておりこれの動き次第では涼州、ガイテイと一気に攻略される恐れもあるわけだが。
なんでそんな風に馬謖を擁護するのかが分からん。
まともに戦って負けたんならまだしもさ・・・。
話それるが馬謖って実は孔明の弟子じゃなく
孔明が馬謖に教えを請う立場だったって話あるけどホントなのかね?
>>260 擁護してんの俺だけじゃんw
なんでそんな風に馬謖をこき下ろすのかが分からん。
勝てそうな戦で負けたんならまだしもさ・・・。
>>261 何処何処?
だって不自然じゃん
馬謖がヘボかったとするよ
孔明程慎重な人が、なんでよりによってこの一番大切な局面で、そんなヘマやるわけ?
いくら目をかけてるからってありえないでしょ。
だから馬謖はかなりいけてたんじゃないかと推測してみたw
孔明はちょっと過大評価しすぎちゃったかなって感じ。
なにせ彼は初陣だったんだから。
まあなんだ。なんでも多方面から検証してみるのは大切な事だと思うよ。
一方的に決め付けるんじゃなしにさ。
でもう一回言う
街亭の守り、趙雲だったらいけたかもね。
>>262 昔なんかの本で読んだんですが
いくらなんでも初陣の将に任せるほど街亭はあまい戦地ではない点
馬家の学識は孔明を上回って天下に鳴り響いてた点
年齢がそれほど離れていない点
士大夫としての格は馬謖の方が上な点
こんな感じの根拠で孔明が馬謖に教えを請いながら南征におもむき、
「心を攻めよ!孔明!」と教えを施し
北伐では師に気を遣った孔明がちゃちな戦場でなく最重要拠点の守備を
うやうやしくも引き受けて頂いた、って話
まあ珍説なんですが(w
>>264 孔明も丸め込まれてたんだw
なんだかんだで孔明も青いトコあるねww
>>255 >孔明程慎重な人が、なんでよりによってこの一番大切な局面で、そんなヘマやるわけ?
ヘマはヘマだけど、そこまでのヘマじゃなかったと思うんだけどなぁ。
何度も言うけど命令違反なんて想定しようがないじゃない。
さっきから語尾にwつけてるのは同一人物か?キモイからやめろ
>>268 君はその前に牛乳飲んでカルシウム補給だな
>>260 俺の場合は馬謖を擁護してるのではなく孔明の責を問うている。
命令違反と言っても今のように通信技術が発達してるわけでもないこの時代に
戦いの情勢が想定してたのとちがう場合いちいち本部に判断を仰げない
なので司令官には自分で判断しなければならない場面が必ずある。
馬謖はそういう場面での判断を経験の無さから誤った
なので経験のない将を重要拠点に置いた孔明に責があると思うわけ。
諸葛亮が馬謖の将来にかなりの期待をしていた。
それこそ、自分の跡継ぎになりうるか、ぐらい。
でも馬謖は経験が浅いため、司令官としての経験を積ませるとともに、
何か手柄を上げさせたかった。
だから、街亭の司令官として抜擢。
しかも、細道に陣取るよう指示を与え、さらに副将として経験豊富で、
土地にも若干詳しいであろう王平をつけた。
でも結果は、その王平の諫言を無視し、敗北。
蜀軍は撤退せざるをえなくなった。
だから、馬謖はダメダメだとされてもしかたないと思う。
もちろん、諸葛亮の馬謖へのヒイキ目にも原因があり、
それが人物眼を狂わせたのは、否定できないが・・・。
孔明の失態
それは先主(劉備)に、
馬謖は中身を伴わない表面的な才を振り撒く輩だ。信頼するな。
と念を押されたにもかかわらず、馬謖を重用してしまったこと。
これはまた、劉備は、人を見る眼だけは優れていたことが窺えるエピだな。
でも、魏延の場合、劉備の言いつけどおりに扱っていれば、
蜀の滅亡はもっと早かったかもしれない。
人材の乏しい蜀の実情としては、将来性のある若手に
ある程度期待してしまうのはしかたないとは思いますが。
まして、自分の考えの合う人ならなおさら。
ま、私情を挟んでしまっては、指揮官としては失格だとはおもいますが。
若い頃、劉備と出会った時の自分と重ねたのかもしれないね。
若造の抜擢、才能の開花など。
>>271 ても、潘濬の例があるから別にそれほど凄いともいえないじゃない。
抜擢にかんしては孫権のほうが優れていると思うよ。
まあ、馬謖はダメダメ、諸葛亮も人物眼は2流ってことでしょ。
とはいえ、あっさり一蹴した張コウの軍事能力(一応お約束)は大したもんだ。
うだつのあがらない大器晩成を抜擢して成功したじゃないか
二流って事は無いと思うがな。
トウ芝の軍事能力(一応お約束)も文官出身としては大したもんだ。
趙雲伝を読んだ事無いんだけど
正史でも、やっぱり名将?
>>277 かいつまんで言えば、
劉備の親衛隊長として優秀だった。
曹操の親衛隊長だった典イや許チョが武芸達者だったのと同じ感じ。
また、小部隊の指揮でも肝っ玉の太さを発揮し、
偵察中に大部隊と遭遇したときにも敵を撹乱した上で、
味方には損害を出さずに引き上げたことがあり、
その局地戦での指揮振りを敵の総司令である曹操にも褒められた。
>>279 魏の五将軍みたいに、指揮官な感じとは違うんですね。
thx
>>278 そりゃそうだ
でも、ちくま本で済ますにしても、神保町まで行かないと無いしなぁ
と思って聞いてみた、明日でも買いに行こうかな。
579 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/09/13 03:17:53
趙雲の武功が特に光ってるのはこの2回かなあ…。
漢中攻防戦の際、兵糧を奪いに行った黄忠が期限をすぎても帰ってこなかったので、数十騎を率いて迎えに行くが、曹操の大軍に遭遇。
趙雲はそのまま突撃!敵の先鋒を撃破した後、戦いながら退く。
曹操軍は態勢を立て直し、再び追撃してきたが、趙雲は門を開けさせ、旗を伏せ、太鼓を止めて待つ。
曹操軍がそれを危ぶんでいる所を、すかさず太鼓を打ち鳴らし、弩で攻撃!曹操軍は大混乱に陥り退いた。
その大胆不敵な戦い方を後で知った劉備は、「子龍は一身これ全て胆なり」と驚愕する。
第一次北伐の際別働隊を率いて囮となり、曹真率いる魏の大軍を斜谷道に引き寄せる。
街亭で本隊が張コウに敗北して退却したため敵中に取り残されるが、少しも動揺せずに見事な撤退劇を繰り広げ、ほとんど損害を出さずに帰還する。
諸葛亮は彼を大いに評価し、褒美を与えようとするも、「戦に勝ったわけでも無いのにどうして褒美がもらえましょう」と断る。
血の気の多い他の武将が、俺が俺がと功を奪い合ってるのを、一歩引いて手柄は譲り、その後始末に徹してるのが普段の趙雲。
しかし一度仕事を任されると、命令した人が驚くほどの成果を上げる。
将としての資質は関張を遥かにしのぐと思われ。
たまには趙雲のことも誉めてやろう
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1087981920/579
「趙雲は功労すでに顕著で、天下を駆けずり廻ってはたらき、法を遵守し、その功績は記録に値します。
当陽の戦役では、金石を貫くほどの節義を示し、お上を守護した忠節に、我が君は恩賞をとらさんと念じられ、
部下を厚遇する礼節に、その臣下は死を省みませんでした。
知覚のある死者ならば、充分この不朽の称号を栄誉としましょうし、
生者がこの恩義に感謝すれば、身を投げ出してお報いいたしましょう。
謹んで諡号の規則を調べますと、柔順・賢明・慈愛・恩恵を有するものを順と称し、
仕事をするのに秩序があるのを平と称し、災禍・動乱を平定するのを平と称します。
趙雲に、順平侯の諡号を賜るのが、至当と存じます」
これだけ見ると滅茶苦茶素晴らしい将に思えるよな。
ところで「趙雲は夏侯晏のともがらだろうか」とかって陳寿の意見は、
すぐに自分の子を捨てちゃう劉邦と劉備を重ねた皮肉かね?
つーか趙雲は将としての実績が少なく名将スレだと一蹴されがちだが
能力だけ見るこのスレでは
このポテンシャルの高さを評価してもいいのではなかろか。
現場をよく知りなおかつ戦略眼も見える。
将としての実績も地味ながらも難易度の高い任務を着実にこなしている
しかし・・・空城の計・・ウサンクサー
>>283 趙雲は後の皇帝を救った功があるから贔屓にされたんだよ。
趙雲別伝に引かれた功績が史実なら、陳寿も喜んで正史に入れたと思うが、
そうでないと言う事は、かなり怪しいと見るべきでは。
諸葛亮の人材登用というと南中遠征後、南中諸郡に抜擢した人材が馬忠を除いてことごとく反乱に遭って
死亡するという人材登用を行っている。
南方の統治に成功したのは李恢と馬忠ぐらい、この二人は劉備に登用されている。
特に馬忠は劉備が抜擢した人材で南中統治は諸葛亮死後に馬忠と張嶷によってようやく回復した。
>>284 ばんばん批判を入れているハイショウシが趙雲別伝に関して何も言わないのを見ると、
かなり怪しいと言い切るのもどうかと思う
呆れて物も言えなかったんじゃないか
冗談だよ冗談
肯定も否定も無意味だな
もともと趙雲ってどこの出身?
遊牧民とかだったらその活躍も納得できるかも
訓練された騎兵って例え数十騎でも、相当の脅威だから。
>>286 史実だとしたら、元蜀臣である陳寿が知らぬはずが無い。
そんな陳寿があえて記載を避けたのは、疑わしいからでしょう。
291 :
無名武将@お腹せっぷく 無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 00:19:49
歩シツはどうですか?
彼は西陵督も勤めてるし、陸遜亡き後丞相にもなってる。
292 :
武将としての総合力:04/09/24 00:42:20
曹操>周ユ>>>関羽>>夏候惇>>>呂布>>>>趙雲>>>黄蓋>>>その他諸々
293 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 01:04:59
間違いなく曹操。孔明と司馬懿はすべての面で同レベルなはず、
孔明のほうがやや上だと思うけど
最近の一般的な(私が良くないと思ってる)三国風潮
・アンチ演義の風潮により劉備、諸葛亮等をこき下ろす
・上記の風潮により浮上した周瑜、呂蒙等を祭り上げる
・正史の記述を全てとし一切の考察、仮定をしない(認めない)
・演義を馬鹿にしている割に演義にあるイメージ等を事実の如く言う
世の中の評論とか聞いてると上記が目立つんだけど
気のせいかしら
295 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 01:22:12
・アンチ演義の風潮により劉備、諸葛亮等をこき下ろす
これは現代では儒者的でつまらない人物である劉備キャラが嫌われてるだけ、侠客劉備は評価が高い
諸葛亮に関しては、むしろ演技に毒されて諸葛亮は神というやつのほうがおかしい
それに対する否定であり、諸葛亮そのものへの誹謗ではない
・上記の風潮により浮上した周瑜、呂蒙等を祭り上げる
これは個人的な趣味だと思う
・正史の記述を全てとし一切の考察、仮定をしない(認めない)
大部分の人は正史をもとに考察、仮定を行っている。
むしろ、演義至上主義の人が演義の解釈を全てとして、正史をもとにした考察を聞き入れない
・演義を馬鹿にしている割に演義にあるイメージ等を事実の如く言う
ちょっと意味不明
前スレとか見てて思ったことなんだけどね
曹操は軍事力として大事なのは「強い軍隊と十分な食料」て言ってたと思うんだけど
武将に異常に傾倒してる人が多いことにちょっと疑問だったり、(武将が目立つのは演義)
考察等に断言的な言い方をしたり(これは特に雑誌とかが多いけど)
うーんそうなんですか?と聞いてて疑問を覚えちゃうのが多いんですよね
297 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 02:00:51
関係ないかもしらんが
関羽を獲られた仕返しの戦いで
呉に攻めてやられた時、劉備が「法正がいたなら…」と
言ったらしいが、なんでや??
法正なら、どうしたって言うの?
298 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 02:07:16
法正の軍略があれば、負けなかった
少なくとも大敗はなかったということじゃないか
曹操が赤壁のときに郭嘉がいればと言ったのと同じだろ
「法正がいたなら…」と言ったのは諸葛亮。
理由は居たら出兵をとめることが出来ただろうから。
演義云々とかもう一周しちゃってると思うんだけどなー
コーエー三国志の出始めで演義マンセー
大沢がやり出した頃にアンチ蜀
蒼天の頃で曹操マンセー
今は、もう拡散して各人がそれぞれ好きなように解釈する時代だろ
>>293 孔明と司馬懿は同レベルだが、
やっぱり臨機応変な軍略を持つ分、司馬懿の方が上だと思う。
孔明と司馬懿が軍略で戦った孟達戦は、司馬懿の圧勝だし。
諸葛亮って軍事的になんか凄いとこあるの?
軍政面では優れていたみたいだけど、実際の戦争面においては何か功績あったっけ?
ごく一部の戦闘レベルでは勝ってるけどそれだって諸葛亮の功績とは言い難いし
>>293>>301 諸葛亮と司馬懿では簡単に比較なんてできないと思うけど?
司馬懿は戦略的な勝利を得るためには戦術的なリスクや敗北を顧慮しない。
これは上庸・五丈原・遼東の戦いをみればよくわかること。
持久策と速攻を時宜を損なわずに臨機応変に用いてる。
対して諸葛亮は戦略・戦術双方で投機的なリスクを極力排除してる。
事前に侵攻口に邸閣を築いての糧秣の蓄積や、兵站への認識と効率化とか、
装備の向上、主な侵攻点を雍州西部として漸進策を採るなどはそのあらわれ。
特別秀でているわけではないけど、蜀の現状を十二分に認識していて、けして
軍事で愚鈍なわけでもない。
だいいち双方とも背負ってるものからして違うし、国力差を鑑みれば用いれる
戦略・戦術・作戦の全てでおのずから異なる。
諸葛亮を疑問視ないし否定するひと、桟道を抱えた蜀が如何に兵站の維持と
補給量で苦労するか、計算してみるといい。
一万人を一日食わせるだけでも凄まじい消費なんだから。
>>301 臨機応変ができたのは国力に余力があるからとも言える。
ギリギリ(予備兵が無い)の状態だと臨機応変に事態を変えるのは難しい。
>>304 たしか諸葛亮の使った道は険しかったけど、もう一本比較的に安全な道が無かった?
>>306 後年に姜維がよく使った武都を経由する方?
四道のいずれかを指してるとしても、程度の差こそあれ険しいけど。
時折かん違いしてる人をみかけるけど、より桟道が険しいのは四川盆地から
漢中に至る方。
つまり蜀は国内での輸送にすら途方も無い苦労を払わされてるってこと。
>>285 人物眼は大したこと無い、でFA
>>304 >対して諸葛亮は戦略・戦術双方で投機的なリスクを極力排除してる。
弱勢な側がその態度を取るなら、そもそも出兵するなよ、と思うが‥
政治手腕は非常に優秀だと思うけど、軍事能力には疑問。
>>308 諸葛亮の北伐は、その背景にある政治的な要素や諸葛亮個人の意図などを
考察していかないと読み解けないと思うよ。
本気で魏を打倒する肚だったのか、不可能を承知で行動だけはおこしたのか、
劉備の遺勅に縛られてか、考えられる要素がいくつもある。
単純に「軍事行動そのもの」とだけに限定してみるわけにもいかないだろうから。
>>305 本当に余力が無くなったのは第二次北伐以降。
第一次にはまだ勝機があった。
勝機があった第一次北伐で勝ちきれなかったのが、孔明の限界だと思う。
陳寿の評はよく孔明を見てると思うよ。
>>304 >糧秣の蓄積や、兵站への認識と効率化とか、
>装備の向上
これって302の言う軍政の部分だと思うが
諸葛亮の軍事能力を計るにも南方遠征と北伐しかない上、両方とも戦略的には失敗しているし、
実績が無い分評価が厳しくなるのも仕方が無いと思う。
>>311 基本的に同意だが南方遠征は戦略的に失敗は言い過ぎでは無いかと思う。
一応呉と結んだ反乱勢力を潰すことができたのだkら。
ただ結局南方統治に失敗してるから政略的には失敗かもしれん。
313 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 15:41:39
それだけ異民族の統治は難しいということだろ、呉だって異民族の統治には苦労してるんだし、
それに実際に統治をしたのは諸葛亮じゃ無いんだから
ただ張翼に統治させて反乱招いたりと人事は諸葛亮によるものだから、その面では政治家としての能力に
疑問を感じるが。
315 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 16:45:54
>>310 同意。国力はどうであれ、あの時は勢いがあった。
第二次は明らかに、勝てない戦いに挑むような感じ。
孔明もそれは分かっていたのでは?
やはり孔明は政治家向きであり、軍事面は得意ではなかったと思う。
劉備の遺志を達成したいが、軍事を任せられる人材がいなかったため、
結局、自分自身が前線で指揮をとらざるをえなかった点は同情したい。
蜀は劉備が死んだ時点で終わっていたんだろうね。
みんな、劉備のもとで働きたくて配下になった奴等ばかりだし。
劉備の遺志だけが、蜀を支えていたのだと思う。
316 :
sage:04/09/24 17:01:51
>>314 う〜ん、張翼に任せた点だけで政治家としての能力を云々するのはどうかと思うが
蜀の人材面の事情も考えないと
まぁ法律に厳格だったみたいだから、孔明ともウマが合ったのかもね
そういう意味で安心できると判断したのでは
↑
は、はずかしい、、、
名前に「sage」とは
しかし孔明は自分が軍人でないので持っていない部分
(現場の戦術やらなにやら奇襲の機を読むだとか有能な現場指揮官の任命だとか)
を軍政によってカバーしそれはかなり成功していた。
つまりド兵の装備を向上させ有能な指揮官がいなくても強い軍を作り
その戦術はあくまで正面衝突を手法とすることによって
奇策によっては決着のつかない戦いに持ち込むのである。
南蛮政策は失敗とは思わないなぁ
軌道に乗るまでは時間が掛かるし。
曹操だって旧エンショウ領、経営にはかなり手を焼いていた。
領土併呑は10年スパンでみないといけないと思う。
軍事は危なげなく勝ってるんだから、一定の評価はするべきかと。
俺もそう思う。
南中の統治に関しては諸葛亮の方針で間違っていない。
征服者が官吏を置いて現地を掌握させれば、地元民の不満に備えて軍を
駐屯させなければならず、それは軍事力による征服者の抑圧に繋がり、
結局は叛乱を惹起させる要因になる。
諸葛亮はそれを実によく理解してたというべき。
まぁ、本来、これは王者の政策であって、事を性急に軍事力を行使して運ぶ
場合は覇者のおこないなわけだから、いささか時代に逆行してる様にも思うけど。
もともと異民族の統治と制御は一朝一夕に片付くものじゃない。
それはどの時代をみてもあきらかだし、南中政策で諸葛亮を批判するのは酷。
しかし、一時期は完全に支配権の及ばない地域になったからなぁ‥
烏桓や鮮卑と違って、南蛮や山越の居住地は山がちで
呉も山越に手を焼いたし、難しいんだろうけど
ちょっと派遣する人物を間違えた気はする。
>>318 普通、正面衝突こそ有能で老練な指揮官の得意だと思うヨ
一斉に力がぶつかる分、指揮、判断量が多くなるから。
さすがに担当官が殺されてしまったりすると
あまりいい印象は抱けないよな・・・ >>南中の統治
難しいのは判るけどさ。
正面衝突って具体的にどういう事なんだ?
迂回や包囲など、機動の一切を行わず、単純にぶつかる事を指してるのか?
それとも、戦術機動も含めた決戦の事なのか?
俺は、地形の複雑で無い、だだっ広い場所に全兵力を配置して
ガチこ〜ん、だと解釈したんだけど違うかも‥
それはともかく、機動なんて司馬懿に効くわけ無い罠。
南中の統治は李恢と馬忠以外みんな殺されたり逃げ帰る状況ではなんともね
かつて劉備時代に馬謖が太守を収めていた郡も張嶷の担当になるまで蜀から完全に離反してるし。
孔明が正面衝突に強い軍を作ったということと
有能な指揮官の必要ない軍をつくったというの事に説明を加えると
・ド兵の割合が増えた点
これは騎兵は騎馬の技術などに熟練を要するし
強力な歩兵には敵に突撃する勇猛さが必要である
こういった人間の数には限界があってその確保が蜀にとっては難しかった。
ドという武器は弓に比べて少ない訓練で一騎当千の敵の猛将をただの農民上がりの兵が
殺せる武器でありこの装備を増やすことによって普通の人が猛将並みの攻撃力を持つ割合が
他の軍に比べて増えたのである。
しかも通常のドをさらに強化し袁紹の軍などもド兵の割合が多かったが
攻撃力は今までのド兵部隊を大きく上回ることに成功した。
そして他軍を上回る規律の強化によりその規律を持って有能な中級指揮官の代わりとした。
これはつまり個の強さを否定して組織の強さをより強化する姿勢であり
近代軍と近いものがあるのである
魏の勇猛な軍隊が正面切って突撃してくればこの組織化されたド兵の集中砲火を浴びることになる
孔明はこの強さを機動力と引き替えに手に入れた。
これは自らは奇策(奇襲など)を行いにくい軍の形である。
そして自らが攻めるよりも敵の攻撃を迎撃する態勢が最も強さを発揮する軍の形であり
孔明にとっては敵が攻めてくるようにし向けることこそが唯一の戦術と言ってよかった。
孔明は戦略はみっちり練り上げて常にこのド兵の有利な拠点展開を心がけ
敵の奇策のつけいる隙を見せなかった(馬謖以外)
司馬イはもともと戦の空気を読むのに長け速攻や奇襲が得意な曹操に似た将であるが
この孔明の新機軸の兵制の危険さを読みズバっと攻めたいのをこらえて戦わないことで
戦略的な勝利を得たといえる。
>>326 司馬懿が戦わなかったのは魏の基本方針でもあるんだが・・・
魏の基本方針など存在しない
魏は一枚岩ではなく戦わないことを主張する人間もいれば
戦うことを主張する人間もいた
司馬イは中央のどちらの意見にも影響されながら司令官として
自ら判断したといえる
不戦派の影響を受けながらも完全に拘束するものではなく
現にこらえきれなくなり追撃して張コウを失った例もある
基本方針なんてもので単純に計れるほど国家(特にこのころの魏)は単純ではない。
>>326 まず第一に、孔明が孔明に対して規律の強化するべきだったなw
それに、規律で軍が強くなれば誰も苦労しない罠‥
軍隊が強くなる為には、気力と根性と経験が大事だと思うけどな。
だいたい、待ち専門の軍なんか何の役にも立たないでしょうが‥
こちらが待ち受けていれば勝手に撤退してくれるのだから‥
貴方は、少し変な本を読みすぎかと思われ‥
>>329 ここは一つの意見にたいして
「ヘンな本の読み過ぎ」
って断じるスレではないよ
それと君の場合軍隊と規律がどれだけ密接に関わっているか
一から研究した方がいいのでは?
組織行動において規律の強化における命令系統の円滑化はどれだけ軍事行動に
影響するかということや信賞必罰の徹底が兵士達の士気の維持や軍事行動からの逸脱の歯止め
という部分での軍の根本を成しているということ。
もちろん他の軍が全て規律がないとは言わないが孔明の規律の体系は
後世の軍政に少なからず影響を与えたほどのものであることに優れた点が見える。
>気力と根性と経験
たしかにこういう要素も大事だがその三点で軍隊の強さを断じるのは
あまりに軍隊=組織行動の分析が足りなすぎる。
「気力と根性と経験が大事」なんて、叩き上げの刑事みたいなセリフだねw
>>326 おおむね同意だが
その持久戦を司馬懿が選択できたのは
国家戦略的に漢蜀に打撃を与える必要が無い防衛戦である事とと
国力的に、持久戦に十分対応できる余裕があるという理由がある。
これは個人的能力の差異ではなく、与えられた環境の勝利とも言える。
その処置はもちろん名将と言えるが「軍事的勝利を得た」とは言いにくい。
>>332 ネタっぽい言い方にしたけど本気w
>それと君の場合軍隊と規律がどれだけ密接に関わっているか
>一から研究した方がいいのでは?
>組織行動において規律の強化における命令系統の円滑化はどれだけ軍事行動に
>影響するかということや信賞必罰の徹底が兵士達の士気の維持や軍事行動からの逸脱の歯止め
>という部分での軍の根本を成しているということ。
文章はご愛嬌として‥3.4行目が大事なのは同意だけど
それが、規律だけで達成出来ると言うのはナンセンス
孔明本人や馬謖がイイ例、気力と根性と経験が足りないとこうなる。
それに、信賞必罰の徹底は重要だけど、魏軍も当然やってること‥
孔明の政治能力は非常に優秀だとは思うけども
軍政に関しては有能ではあると思うけど、特段どうこういうものでも無い。
>>334は新手の釣り師か?
もっともな事を言っているようで、その実は漫画や小説の影響をうけてない?
どうも初めからかん違いしてる感じだけど、諸葛亮は法家の色合いが濃い。
軍の体質が、規律や軍制・賞罰といった部分で徹底されていくのは自然の道理。
それに動乱期を勝ち抜いた曹操ですら、軍規や賞罰に関しては厳しかったし、
兵の逃亡などには厳罰を以って臨んでた。
諸葛亮が曹操と異なるのは、経験の不足、であって、これを補うには上記を徹底
させ、浸透させていくのはある意味で当然の事。
それは諸葛亮の死後に軍籍が減少したといわれてる事からみてもわかるはず。
だいいち、気力と根性と経験、の三つが揃っている人材が蜀には不足してる。
その状況下でそれらを備えた少ない人材をあてにしようというのでは問題だよ。
>>335 諸葛亮は法家の色合いが濃いのも、曹操が軍規や賞罰に関しては厳しく
兵の逃亡などには厳罰を以って臨んでたのも、知ってるし
それが重要なのも理解してると思ってる。
ただし、そうは言っても信賞必罰の徹底をすれば
戦闘力が上がるというのはナンセンスじゃないの?ということ。
>>336 じゃあ、大軍でも烏合の衆が、少数であっても統制のとれた正規軍に敗れる
事実を、あなたはどう説明する?
戦国時代、秦軍の連戦連勝の背景で、兵の数はなにも多かったわけじゃない。
合従軍を相手にする事が多い分、逆に兵力では劣ってる状況も多かった。
別に秦軍を相手にした六国の将軍が劣ってたわけじゃないよ。
どの国にも名将は存在した。
あなたの場合、そういった事情も踏まえた意見とは、俺は思えなかったわけ。
規律や軍制・賞罰を徹底すればある程度戦闘力が上がるのは確かだけど、絶対的に強くなるわけではないし
相手も似たようなことはしているわけだし、結局制度だけでは戦闘に勝つことはできないと言いたいのでは?
話は変わるけど蜀の晩期に大赦が連発されたのは賞罰の徹底に反するのだろうか?
>>339 もちろん知ってるよ。
だけど、程不識は別に全てをおざなりにしてたわけじゃないでしょ?
>>336 孔明自身の経験不足に関しては同意なんだがそれを規律の徹底でカバーしてた
って話でしょう
司馬イと孔明比べると純粋な軍人としての素養は明らかに司馬イが上と思うが
兵制自体の改革において孔明が大きく司馬イを上回るのは否定できないね
これは孔明が国家の第一の権力者であることと孔明の先進性がそろってはじめて実現したわけで
司馬イはこの時点で国家において第一の権力者でなくただの有能な司令官にすぎず
軍の根本的な改革には着手できる立場になかった。
司馬イに孔明のような先進性があったかは微妙だが少なくともあったとしても着手できない状況
なわけで。
魏軍も平均からすると軍の法体系は優秀であるが時代をこえたような先進性という意味で
孔明の軍政が進んでいたということ。
加えてなんの秀でた能力を持たぬ普通の兵が短期間で戦力を強化する手段として
兵装の強化(ドの強化)がありこれらを総合して強い軍が完成したと言うこと。
軍の法体系がしっかりすれば烏合の衆が一変して統率のとれた軍に変化し
それが軍人としての個の強さで成り立つ軍隊を打ち破っていくのが
古代中世の戦いからー近代戦に移り変わる時代の流れ。
加えて兵器の進化が軍隊の強さの個々の兵士の強さを上回る
決定要素になっていくのもこれまた時代の流れ。
兵装の強化(ドの強化)+規律の徹底
これが鍵なのかもね
士気の高さなんていう不安定な要素に頼ることなく、常に安定した戦闘力を確保出来る事こそ大事だったのかな。
>>343 士気の高さってものは軍律の徹底(信賞必罰)
によって維持されると思うよ
頑張れば公平に評価されるという既成事実が一般の兵に
「俺もここで頑張れば出世できる」と疑いなく思わせることは
兵士の戦闘意欲の維持に役に立つと思う。
蜀は攻めてで、兵の補充がしにくいから機動力を減らして
重装備にして、同兵力の敵に対して強くして
対して魏は、守りで何処を攻められても救援に行けるように
機動力重視なんでないかい?
まあ単純に言ってもの凄い強い男とよわっちーのが一対一で戦えば勝敗は明らかだが
よわっちーのが拳銃持てば勝つ可能性断然高くなるよな
諸葛亮の飛び道具が拳銃ほどのアドバンテージはないにしろ同じ論理で強化されたはず・・
>>345 おおむね同意だが
魏は攻めるときも軽装。
孔明対魏=重装対機動力の戦いの形は実はカントでも実現している
このときは曹操が機動力を活かして袁紹の兵站を断ち(鳥巣など)
見事勝利している。
袁紹陣営は命令系統などに難があり重装の強さを生かし切れなかった。
しかし正面きって戦うと袁紹優勢な場面も多かった。(緒戦など)
>>340 程不識はなにをおざなりにしたの?
私はお馬鹿なんで教えてください。
なんだかさ、規律や賞罰といった軍規を疑問視もしくは軽視してる人って
三国志以外の歴史には興味ないんじゃない?
あまりに歴史を知らないっていうか、「孫子」や「商子」に一度でもふれた事が
あればわかるはずなんだけど……
>>347 魏は遊牧民取り込んでるからね
そういう戦いが可能なんだろ
そしてそれが最強!
>>350 全く同意・・
前スレ以前では少なくともそこまで考察が足らない意見はなかったような・・
>>350、352
むしろ逆ですよ。
軍規を疑問視もしくは軽視してるのではなく、
一部の人間が絶対視してるのでツッコミを入れてるの。
別に諸葛亮だけが軍規に厳しいわけでもなく
蜀軍の強さは軍規が厳しいから強かったとか言ってる人がいるから。
法はその制度より公平さじゃないんかな
>>353 絶対視はしていないな
個々の兵士の経験不足などを軍律で補うことに成功したという意見な訳で。
だが軍の強さ影響する大きな要素として軍律と兵装があげられるのが戦争の歴史の流れで
歴史が証明している。
しかし本当に軍律が重要なのに気がついているなら
「努力と根性と経験が一番」とか
「信賞必罰の徹底をすれば戦闘力が上がるというのはナンセンスじゃないの?」
という言が出てくるのは不思議。
こんなことをいうのはあれなんだが意見(ツッコミ?)のレベルがあまりにも低すぎる。
分析足らずは他のスレで煽り専門に楽しんだ方がいいと思う。
>法はその制度より公平さじゃないんかな
公平さは制度によって守られるものだ
>別に諸葛亮だけが軍規に厳しいわけでもなく
これはすでに
>>341で述べている。人の意見を勝手に捏造しないようにね。
↓
>魏軍も平均からすると軍の法体系は優秀であるが時代をこえたような先進性という意味で
孔明の軍政が進んでいたということ。
なんというか・・・
他人の揚げ足とりが多すぎだ。少々のミスくらい多めに見ろよ。
だから李広と程不識を間違え書いたんだろ。
李広のおざなりにしてた部分はなんなの?
>>356 ん?
>>337と
>>340は俺の書き込みではないよ 軍政に関しての意見は同じと思われるけどね
李広と程不識は自分で調べればよいのでは?
しかし
質問されるとレスしたくなるので答えちゃうが(スレ違い感あり)
李広は前漢の将で寡兵でキョウドを撃退するなど極めて有能な将と思う。
部下の統率に優れるも軍政においては特に優れた点は見えないかな。
一方で程不識は軍律の厳しい将で軍規で軍を強くしていたタイプ
個人の能力重視と団体行動重視。
サッカーで言えば前者がジーコで後者がトルシエ。
経験豊富で有能な兵がいればジーコがいきるが
有能な兵が少なければトルシエの手法がいきるということ。
孔明は不確定で蜀には少ない有能な兵や中級指揮官に頼らず
組織力を高めることで強い軍を作ったわけ。
>>355 >魏軍も平均からすると軍の法体系は優秀であるが時代をこえたような先進性という意味で
孔明の軍政が進んでいたということ。
魏と孔明の軍政の違いってなんだ?
なんかなあ、規律や賞罰は当たり前で結局は指導者のセンスが軍の強さだと思うんだが。
優秀な規律を作るのも指導者のセンスの一部ってな感じで話してるんじゃないの?
俺もこの話題には特に興味がないけど。
>>360 それはつまり孔明の兵の制度ってのは
ドの部隊がおおいという部隊編成と密接に関わっていた点が大きい。
屯田などの政治的軍政の部分では曹操の屯田を参考にした面もあり
両者ともほぼ同じ制度。
しかし部隊編成という部分では大きくちがいド兵が効率的に作用するような全くちがう
命令系統をきずいたと言える
魏は軍の形が軽装を主体としておりこれが強みであったためにそこに着手するには至らなかった。
(重装にしなくても経験ある兵や中級指揮官が多くその必要性に迫られていなかった)
三国時代までの中国の歴史でもっとも重装だったといってもいいこのころの蜀軍
はその新しい軍の形に対応するような軍律が必要でありそこが新しい点。
三国志より後の近代軍に近い軍の形において孔明の兵制が参考にされたのはこういうこと。
>規律や賞罰は当たり前で結局は指導者のセンスが軍の強さだと思うんだが
規律や賞罰は当たり前ではない
歴史を見ると規律や賞罰に優れていた軍が武勇のみの軍を破る場面が圧倒的に多い
曹操もそれで呂布などを破ったということ。
そして兵装にすぐれることが戦争での決定的優位というのもまた事実。
わかりやすくいうと武田軍などが信長の鉄砲隊に敗れ去る戦いの形があげられる。
信長の鉄砲隊の優位性は鉄砲の数だけでなくその射撃間隔の効率化を計った
命令系統の円滑化にあるということも付け足しておく。
フ陵群から徴兵した精鋭を連弩士にしてんな
まぁ、これは何処の国にもあったエリート部隊だが
366 :
無名武将@お腹せっぷく 無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 00:34:08
孫堅を戦死させた蒯良のいうことを聞いていたら、
劉表が天下を取っていたかもしれん。
黄祖ごときのために天下を逃すとは本当の馬鹿だな。
あとは中級指揮官の決定権を減らしているね
機動力が主体の魏軍では中級指揮官の能力に頼る部分が多いが
命令系統をトップに集中することでより組織力を強めているわけだ
臨機応変な対応が出来ないが弩兵による迎撃にはそういった場面が
それほど必要ではないといえるな。
むしろ統一された行動に重きがある部隊編成といえる。
信長の鉄砲隊もそりゃ絶対ではないがさら火縄銃がリボルバーやライフル
に進化していくとより絶対になる。
連弩やゲンジュウ、火縄銃が火器として絶対的な兵器になる移行の時期の兵器ということなので
無論それがあったから絶対に勝てる軍とはいえない。
しかし優位であったのは確かだな。命令系統さえしっかりしていれば。
というか信長の鉄砲隊の優劣について語るのに>お前ら 火縄銃を過大評価しすぎ!のネタスレを根拠にあげる
>>364って....
>>367 まあ火縄銃も弩も一発撃って次撃つまでの準備に時間がかかる兵器なので効率的に運用するには軍の命令系統をしっかりするのは必須ではあるな。連弩は弩の倍時間がかかるらしいし元戎弩は2-3人が弦を引かないといけなかったらしい。十発同時に発射なので威力は凄そうだが。
>>368 いや意外にネタスレではないよ
火縄銃を使用した理由の一つに訓練時間が短くてすむ
などの意見もあり面白い。(でもネタもおおいけど)
まあこれはドにもいえることでドも長弓にくらべ訓練時間が短くてすむという兵器だ。
長弓は弧を描いて飛ぶ、つまり狙いをつけるのに風向きなどを読むだとか
弦のヒキ具合だとか弦のヒキ具合と弧の曲線のバランスなど熟練が必要。
ドは直線で飛ぶので狙いがつけやすく風の影響もそれほど高くない。そして高威力。
ただし装填に時間がかかるのは火縄銃と同じ。
いくら火力があっても機動力が無いんじゃ拠点防御や互角の戦力で正面から戦う以外に使いみちないのでは
相手より国力が上ならそれでもいいけど、自分より国力が上の国を相手するのにそれでは・・・
>あとは中級指揮官の決定権を減らしているね
これってますます機動力を下げるような
イリョウで優秀な中級下級指揮官が全滅したからかもしれないが、おおよそ機動戦よりも拠点防御に向いた
軍隊という気がする、ただ蜀という特赦な地形の国を守る部隊としては優れていると思う。
長篠の戦は戦力の優劣と信長の優れた機動戦の勝利じゃないの
本隊で相手の主力を拘束優秀な支隊で相手の支隊を撃破し敵主力を包囲
別働隊が鉄砲500持っていたというから、その点では火力の勝利といえるけど
>>370 それは弱点といえるだろうね
結局、機動力というものを完全に捨て去って手に入れた強さだからね
ゲンジュウなんてバカ威力のものを軍に組み入れた時点で動きの軽快さと
多彩さは捨て去った。正面からの攻撃力のみ重視。
戦場の空気を読む戦術に孔明は特に優れていたわけでないから
機動力を捨て去ることによる戦術の選択範囲よりも軍の攻撃力を優先したと言える。
あとは正面決戦にもちこむという戦術だけが孔明が成すべき作戦だったがこれは
相手が司馬イということでほとんど成功しなかった。
相手が夏候エンとかだったらその性質的に上手くいったのかもしれないが。
退却すると見せかけて隙を作り誘い込むとかそういう戦術はとれなかったもんかなとは思う。
司馬イも退却時には隙アリと判断したわけだし。隙が無さすぎたのが仇となったと思う。
ところでド兵の優位が続いたのは鐙が発明されるまでの話で鐙の出現により
騎上からの短弓の射撃と高い機動性による戦術が優位になった
(三国志の時代にも鞍があり騎上射撃も可能ではあったが難しく、限られた軍のみの財産だった)
つまり機動力があってしかも火力もある軍。
こうなると再び騎馬部隊が優位に立ち、必要とされる軍の制度も変わる。
このように軍の優位性というものは兵装によって変化し兵装の変化によって
軍の命令系統も変化していくといえる。
>>371 1.3文目は概ね同意。2文目、隙を作っても夏候楙クラスじゃないと
引っ掛らない気がする‥結局足が遅いと侵攻には色々不利だから勝てない罠。
>>363 >規律や賞罰は当たり前ではない
>歴史を見ると規律や賞罰に優れていた軍が武勇のみの軍を破る場面が圧倒的に多い
>曹操もそれで呂布などを破ったということ。
前提が間違ってる様な‥曹操軍は戦争続きで武勇に優れていた。
それに、武勇のみの軍というが、長い間有能な将と寝食.戦いを共にして
武勇を備える様になった軍は、当然統率に優れていると思う。
なんにしても、兵力、装備の似通った、規律や賞罰に優れているのみの軍が
武勇のみの軍に勝つことは全ど不可能かと思われ。
>そして兵装にすぐれることが戦争での決定的優位というのもまた事実。
>わかりやすくいうと武田軍などが信長の鉄砲隊に敗れ去る戦いの形があげられる。
1行目は同意、2行目は守備万端整った多勢の相手に突っ込んでいった
勝頼君がオ馬鹿さんなだけ。
とはいえ、同時代のより国力のある魏軍と蜀軍の装備に
大きな性能(質は違うかも?)の差が有ったとも考えにくい。馬均とか居たしw
>>373 見たつもりだったけど違うみたいだ、説明してくれ。
>>374 逃げろ、逃げるんだ。
流れとか言っても全然流れじゃないツッコミを受けるぞ
今なら大丈夫、逃げろ
>>372は最後の「w」が全てな感じがする
これ使われると鬱陶しいし萎えるんだよな
>>375 うむ〜三十六計逃げるに如かず‥
感謝する、さらばじゃ。
ちょうどいいので話かえるか
そだね、次は魏対呉で活躍した辺りかな?
って縛っちゃいけないか‥
>>376 最後の「w」が全てな感じ、ってのも凄い話だねw
審配、カクショウ、羅憲、吾彦このあたりの人はどう評価すんの
鶏肋かと
上手いと思ってしまった
>>382 審配はどうでもイイ、強い雑魚
カクショウって誰?と思ったらアノ人か‥
蜀の五虎将軍の下の方くらいじゃないか、独断だけど。
ラケンとワレヒコって何処の人?知らない‥
>>382 資料が少なすぎて語るすべがない
精一杯妄想談義でもする?
キクギみたいに。
>>385 こーえーゲームは面白いですよね。
審配はまだしもカクさんや羅さんは一発屋だからなぁ……
1発屋っぽくて、守城の人?
ちなみにキクギって全然資料少なくないような..
羅憲だって伝が立ってるからな。
>>390 羅憲は裴松之によって霍峻伝に注が引かれてるだけで独立した伝は立てられてないぞ?
三国志以外の史書か?
羅憲と吾彦は晋書に伝があるよ
そういうこった
そうだったのか、どうりで知らないワケだ。にしても詳しいですね、てめえら。
ところで晋書ってどうなの?あまり、正史らしい評価を聞かないけど‥
>>394 厳しいことに、二四ある正史の中でもかなり低い評価をうけてるのが実情。
というのも、「捜神紀」とか「世説新語」とか、史料としてみるなら価値の低い
文献の説話が盛り込まれてるためとも。
まぁ、俺も詳しくないから、有識者にすぱっと解説してもらえると嬉しいけど。
ほかに評価低いのは元史とかだっけ
元史は評価が低いなんてレベルじゃないくらい杜撰
晋書は確かに評価低いけど、宋史、元史、明史等よりは、はるかにマシと言う意見もある
つーか二十五史では、四史の評価がずば抜けて高い
晋史以降は国家単位での編纂になったんだっけ?
少しかわってるのが「唐書」だったうような。
旧新ふたつがあるけど、旧は評価が良くも悪くもあるとか聞くけど。
age
呉起と韓信あたり
韓信は項羽と直接対決は無く、当時から項羽はずば抜けていた。
呉起は諸葛亮と比べて突出しているかと言えば疑問である。
戦上手と一般に言われる二人だが
三国志時代に生まれたら、曹操に勝ると言える論拠は無い。
呉起って戦上手なの?俺はてっきり政治系だと思ってたよ。
>>403 >韓信は項羽と直接対決は無く、当時から項羽はずば抜けていた。
あのねえ。韓信は垓下で項羽と直接対決してますよ。
韓信30万対項羽10万。そのうち韓信直率の10万と項羽軍がぶつかって、韓信直率軍は敗走したが、
残りの20万が項羽軍の側面を突いたため、項羽軍壊滅。
史記ぐらいちゃんと読んでから韓信の名前出しましょうね。
>呉起は諸葛亮と比べて突出しているかと言えば疑問である。
呉起は生涯で七十六戦して六十四勝十二引き分け。秦から領土をむしりとり、
敵国の侵入を防いで、二等国だった魏を最強国に引き上げている。
さて、諸葛亮は何戦何勝してどれだけ蜀の国威を高めたのだろうか?
>戦上手と一般に言われる二人だが
>三国志時代に生まれたら、曹操に勝ると言える論拠は無い。
そりゃそうだろ。呉起は戦国時代、韓信は漢楚時代の名将だから、
違う時代の軍隊を率いてそのまんま通用するわけが無かろう。
時代が変われば軍事技術も変化するからな。
お前の言ってることは、アレクサンダーやチンギスハンもナポレオンの時代に生まれたら、
ナポレオンに勝ると言える根拠は無いと言ってるのと同じだ。
>>404 そう、だから諸葛亮と比べた
>>405 ご存じの通り垓下はまともな戦になってない。
兵力差もさることながら、敗走に次ぐ敗走中の出来事かと。
諸葛亮は領土の無い状態から蜀漢を作った。
北伐での失敗も戦力差から考えれば考察の余地もある。
敗北と言える敗北も無い。
ここら辺は上の方でたくさん語られている。
劉備と関羽しか居ないと思われていたところに人材ありと認めさせ、国威は高まった。
南を制圧、北を防衛。領土は増やしたが寸土も犯されていない。
>そりゃそうだろ。呉起は戦国時代、韓信は漢楚時代の名将
三国志上最も軍事的能力の高い人物考察スレと認識されておられないか?
>>406 2段目意味不明‥
侵略して、得るもの無く撤退するのは敗北だと思うけどなぁ
敵より多大な物資労力を消費して、結局一利も得られないんだよ?
項羽云々もどうだろう、韓信が上とは言えないが
項羽が平定出来なかった斉を韓信が平定したのは事実。
斉平定は純軍事的勝利とは言い難い。
>>408 あほはけーん、軍事的能力を量るスレだから軍事的勝利でOK。
>>409 外交あるいは謀略での不意打ち感があって
軍事的勝利とは言い難いと言ってるのだが。
どういう風に意味を取ったんだ?
こう言えばイイかな?
軍事的能力での勝利とは言い難い
判って貰えればいいが
>>411 スマン、騙し討ちにしてたのを忘れてたw
謀略は広義の軍事的能力に含むのじゃ〜と思って書き込みした
今は反省している。
>>405 >ご存じの通り垓下はまともな戦になってない。
>兵力差もさることながら、敗走に次ぐ敗走中の出来事かと。
大軍がちゃんと布陣して正面衝突した会戦がまともな戦ではない?
一時は韓信直率軍を撃破したことからも分かるように、項羽軍はちゃんと戦っておりますが。
項羽軍が組織的戦闘能力を失ったのは、垓下以降ですよ。
>諸葛亮は領土の無い状態から蜀漢を作った。
荊州は呉からの租借。蜀取りの総指揮は劉備で、諸葛亮は後から張飛たちと一緒に援軍に来ただけだね。
劉備在世中の諸葛亮は基本的に内政担当。軍を率いて領地を切り取ったのは劉備。
>劉備と関羽しか居ないと思われていたところに人材ありと認めさせ、国威は高まった。
蜀は攻めてこないと思ってたところに、無名の諸葛亮が攻めてきたからびっくりしただけ。
>南を制圧、北を防衛。領土は増やしたが寸土も犯されていない。
南中は劉備時代から蜀漢の領土なんだが…。諸葛亮がやったのは反乱の鎮圧。
国を挙げて何度も攻め込んでおいて、局地戦の勝利と一時的に郡を占領しただけじゃ軍事的成功とは言わんぞ。
敵の主力を殲滅するか、でっかい領土を切り取らないと、釣り合わないな。
>三国志上最も軍事的能力の高い人物考察スレと認識されておられないか?
>>韓信は項羽と直接対決は無く、当時から項羽はずば抜けていた。
>>呉起は諸葛亮と比べて突出しているかと言えば疑問である。
>>戦上手と一般に言われる二人だが
>>三国志時代に生まれたら、曹操に勝ると言える論拠は無い。
>>403がこういう電波を飛ばしたから、時代の違う奴を比べる意味は無いといいたかったんだが。
上のは
>>406。自分で自分にレスしてどうするよ自分。
>>408 >>410 イ水の戦いは無視ですか?
韓信軍と楚・斉連合軍が会戦してるんだが。
楚だけでも二十万を号する大軍だ。
あと、斉はだまし討ちですぐ滅んだわけじゃなくて、かなり抵抗してるぞ。
>>414 405落ち着いてくれ
まず
>>402を見てくれ漏れも言いたい事は同じだ。
三国志の話に呉起と韓信を持ってくるなと言いたいわけだ。
比較検討にならんから。
>垓下
飯も食えずにヘロヘロの状態でさらに劉邦軍に奇襲を受けて遁走中の出来事だ。
これで兵力が三倍では戦とは思えない(さらに項羽は短期決戦しか許されない状態)
まぁいいや。
これは漏れの間違いで項羽と韓信の直接対決と言う事にしよう。
だとしたらこの状態で五分の戦力で押し返される韓信が弱いという事になるな。
>イ水
項羽居ないじゃん。
スグに滅んだわけじゃないが、大きなダメージを受けたのは確か。
>諸葛亮
劉備在世中前半は内政権を持たない参謀(今で言う政策秘書
後半は内政権よりも代理統治権を確立したNo2
ただの行政屋では無い。これは周喩、ジュイクも同じ。
びっくりしたというダケで死亡時に悲しんでくれる敵国人は居ないと思うよ。
軍事的勝利とは恒久的に占領することでは無いと思うよ。
関羽以後、誰一人として魏を破る事は出来なかった。。
これは相対的に魏国が強大で安定していた事を物語る
同時代の人材(陸遜も含む)が全て軍事的に無能であったわけではない。
例え呉起が漢蜀に居て何か出来たとは思えない。
416 :
405:04/10/06 22:33:00
>>415 >飯も食えずにヘロヘロの状態でさらに劉邦軍に奇襲を受けて遁走中の出来事だ。
>これで兵力が三倍では戦とは思えない(さらに項羽は短期決戦しか許されない状態)
双方が完全に五分の状況で始まる会戦なんてめったに無いんですが…。
あとまあ、項羽軍10万は韓信率いる補給十分の精鋭を一度は撃破してるから、
思い切り戦になってますね。
>だとしたらこの状態で五分の戦力で押し返される韓信が弱いという事になるな。
誰が項羽より韓信が強いと言いました?
私は>韓信は項羽と直接対決は無く、当時から項羽はずば抜けていた。の
「直接対決は無く」にだけ突っ込んだんですが。
項羽と韓信のどっちが強いかって聞かれたら、そりゃ項羽と答えますよ。
>イ水
>>410で
>外交あるいは謀略での不意打ち感があって
>軍事的勝利とは言い難いと言ってるのだが。
という意見があったので、序盤で大打撃を受けた斉軍も抵抗してるし、
韓信は楚の援軍を破ってるから、斉平定も立派な軍事的勝利ですよ、と言ったまで。
項羽がいるいないの話などしていませんよ。
別に項羽に勝てなくても、劣勢の兵力で大軍を打ち破り、大国を平定したなら大した軍事能力だと思いますが。
417 :
405:04/10/06 22:34:40
>諸葛亮
>劉備在世中前半は内政権を持たない参謀(今で言う政策秘書
>後半は内政権よりも代理統治権を確立したNo2
丞相になってからのことですか?それでも劉備在世中は軍を率いないで後方を押さえてますね。
これも重要な仕事ですが、軍事的能力とは関係無いですね。
>びっくりしたというダケで死亡時に悲しんでくれる敵国人は居ないと思うよ。
最初はビックリして、途中から冷静に対処が北伐に対する魏のスタンスでした。
土地を切り取れず、主力も殲滅できなかったのに魏に高く評価されたのは
「よくまああの戦力であんなに攻め込んでこれたもんだ。敵ながらあっぱれ」と感心されたからじゃないでしょうか?
>例え呉起が漢蜀に居て何か出来たとは思えない。
>>三国志の話に呉起と韓信を持ってくるなと言いたいわけだ。
>>比較検討にならんから。
と言ってるあなたが、なんでまたそんなIF話を持ち出すんですか?
呉起はあくまで戦国時代の軍事技術の範囲内での名将です。時代が違います。
比較したければ、三国時代の将と比較してください。
>>417 横槍ですまんが
土地を切り取れなかったという言い方は誤解を招くんじゃない?
一応、陰平・武都の二群を切り取る事はできたわけだし。
>>418 五回も国の総力をかけて攻め込んで、辺境のニ郡しか切り取れなかったんじゃ、
大きな戦果とは言えんだろ。
>>419 後漢書によれば武都郡は涼州でも人口の多い地域だし、陰平と武都の保持が無ければ、
漢中を素通りされて直接四川盆地に入られる危険性もある。
それほど大きな戦果とも言えないかもしれないが、小さい戦果ともいえないと思うが。
421 :
age:04/10/06 23:46:39
>420
ほっとけ。
相対的評価を知らん人間に何を言っても無駄だ。
待て待て、おかしいぞ。
>>418は土地を切り取れなかったというのが間違いと指摘してるのに、
大きな戦果とは言えないという反論は変じゃないか?
>>405は己の無知を露呈されたんで必死で話を逸らしたように見えるが・・・
>>405 の発言も偏ってるが
>>406 の諸葛亮への評価も過大評価し過ぎて意味不明になってるぞ。
日本人って本当に三国志と史記しか読まないよね
韓信や呉起なんてきょうび流行んねーんだよ
岳飛と李靖。コレだねw
きょうびじゃ無くても流行って無いし‥
中国史最高となると岳飛か項羽って気はする
では、無い。
知名度も高く、抜群の軍事の冴えはこの二人だと思うが。
20代、軍事力で皇帝になった人物と
無敗で抗金の名将の代表各
俺的には李牧一択
岳飛の戦績は吟味する必要アリだぞ
曹友聞を一押し
432 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/08 16:27:25
三国志上なんだよ。理解しろ( ゚Д゚)ヴォケ!!
毛沢東だろうに
>>432 関羽と項羽ってなんとなく名前が似てるので
三国志の人物に入れていいですか?
436 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/08 17:47:40
昔あった某考察TVで孔明の北伐は国内をまとめる為にやってたんじゃないか、というのがあった。
攻めなくて国力消耗しなくても将来的には攻め滅ぼされる可能性が高かったし、有力な後継者は出てこない。
逆に自分無き後内乱で滅亡する可能性も多少あった。
実際、かんうが負けなければ2箇所から攻めつつ呉にも援軍頼めば五分五分までもっていける見込みがあったんだろ。
かんうが死んだ時点でほぼ絶望的だったという説が大きいからな。
孔明はどっちかというと発明家っぽいけどな。
いろいろと内政や軍事面に進化をもたらした物を出してるし。
ぶっちゃけ劉備の運が無いのが悪いw
それを言うなら劉備が呉伐をしなけりゃ、まだ何とかなったんじゃないか?
劉備の東進が蜀衰退の一番の原因なのは異論あるまい
関羽殺されてからの3年間程の間に起こった人材の喪失はでかい
面白れえよなあ、劉備も。
あれだけしたたかな男が最後は情に流されるのかよ・・
ほんとに情かな?
荊州なしに天下をねらえないって感じてたからじゃ?
さらに、彼の新しい配下の多くは荊州出身。
荊州失陥を放置してりゃ求心力を失う
>>441 攻め込みすぎが東進の失敗
呉と落とし処を決めて同盟復活させればよかったものの一気に呉を滅ぼそうとしたのは余分なことだろ
でもなんか後からとってつけたメリットという感じがしなくもないな
どんな行動にも意味づけはできちゃうからな〜
劉備圧勝で呉を併合できてれば
三国志が南北志になってたかねぇ・・・
魏が介入してくるから無理か
445 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/08 20:57:39
そうそうだろ
>>443 周瑜の蜀併呑が実現できてても南北朝時代になる。
こっちの方がまだ可能性ある気がする
周瑜は仮に蜀を得た後、
大義をどう補填するつもりだっただろう?
普通に漢を曹操の専横から守るでいいだろうが
劉備を帝に据える
>>444 ブチ切れ劉備対陸遜の時点で、勝つ要素は全く無いけどな。
>>449 なるほど、献帝の様に劉備の実権を奪って祭り上げるわけか。
だが無理だな。
>>447 天啓でも吉兆でも何でもいいから起こせばいいだろ
延焼にしたって劉備にしたって大義は何にも無いワケだし。。
>>451 本人じゃなくても劉備の子供でよろしかろう
劉氏を推戴する必要は必ずしもあるまい
袁紹は劉虞が没した後は劉氏の推戴考えてなかっただろうが
だから見識が無いという
エピソードの一つになっていると思うが?
むしろ、推戴した曹操が優れているというエピソードか
劉協を認めずに劉虞を推戴しようとしたのが見解の無さ
劉備を推戴するのは劉協がいる以上、それと同じこと
劉協を曹推すから救うでいいんだよ、大義名分は。反董卓連合もそうだっただろうが
間違えた
曹推す→曹操
周瑜の二分の計も実際やってみたら失敗してたんじゃないの?
曹操放置してたら普通にアウチだろ
劉備は孫呉が牽制になったから蜀に行けたけど
専守防衛なら十分防げるっしょ。
荊州抑えたから長江の利が十分に使えるし。
どっちかといえば涼州軍閥が牽制になってた気が
呉と涼州の軍閥を比較する事自体ありえねー。
涼州の軍閥舐めんな
一撃で屠られたのにか?
読み直して一つ聞きたいのだが
このスレでは軍事は引き分けという概念は無いのか?
あるのならどのような状態?
引き分けっていうより痛み分けって感じだよな
>>464 まず勝ち負けの概念を説明してくれ
それで、どちらの勝ちでも負けでも無ければ引き分けだ。
ここにはとりあえず、意見を言わせて
批判しかしないやつが居ますね
>>467 言っておくが
>>464は意見と言わないし、
誰かの意見に反論なり補足なりしていくのが基本の流れだ
批判されるのが嫌なら、最初から書き込むな
批判と非難は違うよ
470 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 23:15:41
バイク盗まれた
471 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 23:16:18
ごめん誤爆
10月入ってから・・・
なんだかな・・・
陳登ってかなり頑張った名将だと思うんだが
名将というより策士という感じだからじゃない?
孫策戦も孫策本人では無さそうだし
俺は満寵とイメージが被るな…チンとマン…(照
陳登が晩年治めていた東城(或いは東成)ってどこ?
中国全土地図を描いてるんだが、
広陵の近くって事くらいしか判らん
そのサイトは勿論知ってたけど、
地図に辿り着かなかったよ…orz
サンキュー!
ん
で
手元の地図(中国簡体字の)見たらちゃんと載ってるしw
東城って物凄く前線じゃん。
陳登ってホントに期待されてたんだな。
479 :
諸葛格 ◆kowHnVUZAQ :04/10/13 12:16:34
主
月
沮授・田豊
仕えるべき主君を見誤っていたという減点を除けば、この両名を推す。
沮授・田豊の言を聞き入れることで袁紹は勝利を収め、聞き入れないことで滅んだ。
>>480 減点15ね。んでカク、カクカにも及ばない、と‥。
カクも君主をコロコロ変えている所をみると
節操無くて見る目がないと言えるかもしれない。
カクが忠義の士なら、トウタクと共に死亡してるんじゃないだろうか?
馬鹿でも君主と割り切って落ちぶれていった沮授・田豊がカクに劣る理由にならない。
そんな事を言い出したら袁紹見限った許攸先生は沮授・田豊に優る事になる。
許攸は結局処罰されとるがな‥
賈文和は天才変態素晴しい
儒教ガチガチじゃなくても、こんな奴を荀2人と並べるのおかしいと思うわなw
蒼天航路でも人物像は作りやすかったろうなw
天舞スピリッツでは、1000人以上の登場人物中で
策略のステータスが単独一位だった
このゲームはステータス格付けは素晴しいね
肥よりよっぽど見識/センスあるわ
スレ違い
>>487 そうか?
超有名どころは正史基準でまあまあ良かったけど、
マイナーどころはなんじゃいそりゃ?ってなステータス多かったけどな。
ゲームとしては問題外だし・・・>>天舞スピリッツ
>>466 正史に大破って書いてあるのが勝利
それ以外は引き分け
ええええええええ!!