蜀将討議スレッド6

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1無名武将@お腹せっぷく
蜀将討議スレッド6

蜀の人物の戦争における実力功績を討議するスレ。
とりあえずただの煽り合いは抜きの方向で。

蜀将討議スレッド5
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1088188865/

蜀でNO.1の名将は誰か?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085319730/
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http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086111941/
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<姉妹スレ>
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http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086309791/          
>>1
3無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 19:14
2chで始めて次スレを立てることが出来ました。
そして今、更に2get。
ようやく本物の2ちゃんねらになれた気がします。
これからもよろしく御願い致します。


ということで、 2 g e t 。
4無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 19:16
ショボーン
なにやってんだか
6無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 19:19
5ゲト ズサー
スレたて乙
8ひょっとこ斎:04/07/05 19:20
ひょっとこ斎が5げとでぇーす
>前スレ974
>馬超にしろ、黄忠にしろ趙雲にしろ関張と同じ伝を立てられているわけだから、
>少なくとも当時の人は身分や立場を超えて5人が同レベルの人材
>であったと見ているのだと思う
>(これは大事だと思う。少なくとも私たちがあれこれ言うより正しいでしょう)。

つまりは黄忠,馬超も含めて,劉備や諸葛亮の次は,5将が入らないとおかしいって話しか?
姜維や魏延より下はおかしいと。


>魏延が終わりを全うしていれば6人かもしれなかったが・・・。
>なんせ魏延は最後を飾れなかった人物(李厳や楊儀と一緒)の伝に入っちゃってるから。

この論で謂えば,張飛も入れないだろ。
天寿を全うした将以外は軒並みランクダウンだと謂いたいのか?


ちなみに,関羽,張飛,馬超は節を与えられているが,黄忠と趙雲はない。
姜維や魏延,費イやショウエン,李厳,李恢ですら持っているのに。
馬超が上位に入るというならともかく,趙雲は難しくないか。
>>9
姜維に至っては、大将軍・督中外軍事だからな。
今で言えば、防衛庁長官と幕僚長を兼ねてるようなもんか?

時代が違うという事もあるが、権限だけで見れば、
趙雲や黄忠どころか関羽よりも上だもんな。
(草+将)王宛:大司馬
費示葦:大将軍
魏延:征西大将軍

この辺も関羽より上か
黄忠と趙雲はいぶし銀的な活躍をした武将ってことなんだろうな
>>9
魏延は最後を飾れなかった人物(李厳や楊儀と一緒)の伝に入っちゃってるから。

確かに終わりが悪かった者で一括りだが
劉封と魏延は他の連中とは違うだろ
>>11
魏延の場合は、将軍位という点では関羽より上だけど、
軍事における権限はそうでもないと思う。

劉備存命中は督漢中だが、関羽より上とは言えないし、
劉備死後も、基本的には諸葛亮の下で働いてたんだしね。
15無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 20:24
>>989
呉懿が護軍で、呉班が領軍なので呉班かな。
>>15
呉懿の護軍は、都督の属官の方だと思うが、呉班の場合は近衛の事だろうな。
他に領軍って知らないし。
中軍は皇帝直属なので、中軍すべてを近衛、禁兵と呼んでも間違ってはないと思うが、
ここでいう近衛は極少数の皇帝警護兵とかか?
>>14
関羽は荊州4郡の司令官で魏延は漢中1郡の司令官。
守備する地域の広さだけでいえば関羽のが上だね。

>劉備死後も、基本的には諸葛亮の下で働いてたんだしね。
ただ、これはちょっと関係無いのでは?
関羽存命時は、諸葛亮並に権限持ってる人はいなかったんだし、比べられないと思う。
皇帝警護の役職なら羽林だ
>>18
そりゃ比べられないんだけど、事実として、
魏延の生涯を通して関羽以上の権限が与えられた事は無いから、
>>11に魏延を入れるのは間違いかなと思っただけ。
>>19
羽林が宿衛、近衛が禁兵だからね。
けど、近衛軍所属の武衛将軍なんかは皇帝警護じゃないの?
その辺りの境界がよく分からないんだけど。
孔明死後は董允が虎賁中郎将を兼任して宿衛兵を統率してるね
結構適当なんかな軍
>>20
そだね。
個人的には,劉備は魏延を関羽の後釜にしようとしてたように思うけど,
魏延が長生きしても関羽を超えるような権限を与えることはなかったと思う。
つまり趙雲は、劉備存命中は、
呉班の下で禁兵数千人程度を統括していたというわけか。
>22
蜀漢は実際人がいないから、仕方がない面も多いと思う。
孔明が自分の死期を悟っていてもどうしようもなかったと思う。
「姜維に至っては、大将軍・督中外軍事だからな」
この一文の通りだが、言い換えれば姜維にここまでやらせざるを
得なかった、とも言えるわけで。実力不相応と言わざるを得ない。
>>25
姜維が実力不相応だったとまでは言えないんじゃないの?
相手が姜維以上だったと言うだけでさ。
実際に軍事を統括する事自体は出来てたんだし。

まあ、蜀全体を通して、そこまでの権限を与えても安心できるのは諸葛亮くらいか?
趙雲が中護軍・征南将軍になったのは223年、劉備が死んだ年だからなー
たとえば名声官位とも常に趙雲の次にありといわれた陳到。
陳到は建興初年(劉禅の即位した年)に永安都督・征西将軍になり、亭侯に封じられた。
(ちなみに同時期、趙雲は中護軍・征南将軍に任じられ、永昌亭侯に封じられている。)
そして建興4年には李厳の支配下に置かれてる。
この辺から語れるものはないか?

>>28
孔明の独壇場
趙雲、戦場では凄いんだけどね
別伝だから割り引かなければいけないかもしれないが、敵主将(曹操)直率の軍とほんの僅かな手勢で遣り合って勝利し、逃げ遅れた味方がいると聞くと再突撃して救出。さらに奇策で追撃部隊を蹴散らす
魏の張遼を彷彿させる
>>30
そういうスタンドプレーの得意なタイプ
とするとやっぱり部隊長というかそういうイメージになっちゃうけどな
いわゆる名将ということでいくと少し違うかもしれん
結局、趙雲は何位が適当なんだ?
出ている意見は、関張と同列で、魏延より上ってものだが。
ってことは

一位 劉備
二位 諸葛亮
同率三位 関羽、姜維
五位 張飛
六位 趙雲
七位 魏延

でいいのか?
>>32
魏延より上なんて出てたか?
関羽が魏延より上ってのはあったけど。
>>32
魏延より上なんて意見あったか?
あったとしても、それがこのスレ内の主流とは思わないが。
趙雲って、征南将軍→鎮東将軍→鎮軍将軍とだんだん位が落ちてないか?
将としての実績を考慮すれば9位くらいかな。
いずれにしてもベスト5には入らないがベスト10には入れたいといった感じ。
>>33>>34
>>9の意見
>>35
征南将軍→鎮東将軍の場合は昇進したと記述されてるからそれはない。
どうも蜀の官位は微妙に違うっぽい。
関羽が入蜀時に旧領を守った功績を認めるなら
李厳が北伐の際、主力が出払った後の内治と後方支援をやった功績も認めて順位上げてもいいと思うが
第四次まではまっとうしたわけだし
>>35
ちくまでは、征南→鎮東の流れを「昇進して」と書いてあるが、
原文では「遷鎮東将軍」とあるだけだし、制度上は四征より四鎮のが下なんだよな。

やはりあれは降格なのかな?
降格の際ははっきり『貶為鎮軍將軍』と書いてあるから
遷=左遷とは違うだろう
>>41
蜀の制度において、四征と四鎮の序列がいいかげんだったって事か。
北伐時臨時に高位官職を発するという可能性は0ですかね?
しかしわざわざ陽動部隊を率いさせておいて、負けたら降格っていうのもひでぇよな
>>40
なんと。原文ではそうなのか……
ただ「遷」だと「退く・退却する」という意味合いの他に「登る・低所から高所に行く」という真逆の意味もあるみたいだし、単に「官職が変わる・転任」という意味もあるからそれだけじゃなんとも言えん感じ。
もっとも普通の官制からみれば降格なのかもしれない。
楊戯の「季漢輔臣賛」でも趙雲は鎮東将軍でも鎮軍将軍でもなく征南将軍だしね。
何かヘマやったのかな?
失敗したから
そもそも征南将軍は劉備が身罷ったための香典返し人事で
すぐに適職に戻したってことじゃないのか
趙雲も実際は南征に従軍してて、そこで何かしらの失敗をしたから降格、
更に従軍の記録も残らなかったのかも。

なんて事は無いか。
単に方面的なもの?
南より北や東の方が重要でしょ
呉の陸抗も征北将軍→鎮軍将軍から特に落ち度なく移されたこともあるし
魏の張遼も征東将軍→前将軍に移されたことがある
配置換えの必要性があれば、征・鎮などはあんまり序列気にせず移し変えたんじゃないかな
徳間本では単に「鎮東将軍になった」としか訳されてないな。
>>50
そんなもんかもな。
何にせよ、この程度はマイナス評価にはならないだろうしな。
将軍位は封侯などと違って必要に応じて宛がわれるものかもな
鎮軍将軍に貶されたのはマイナス評価でいいのでは?
55無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 22:05
話をぶった切るような真似をしてしまのだが、孔明在世中の魏延の仮節って実権どこまであったんだろう?
孔明も魏延も基本的に漢中にいるし、魏延の仮節より丞相府の権限の方が上だよな。
魏延の仮節っていったい、何の意味があったんだ?
>>54
あの敗北は仕方ないし、陽動としての役目はきっちり果たしてるからなあ。
あえてマイナスに見る必要は無いと思うが。
鎮東(職制を素直に実施するなら東部方面司令官)→鎮軍(特定指揮範囲を持たない)は降格
ただ、陽動で曹真本隊とぶつかって順当に負けました(陽動自体は成功し、大敗まではいっておらず撤退戦は成功させた)でこれは厳しいかも
諸葛亮自身が三等降格しているから仕方ないかもしれんが
諸葛亮が南征して平定したので征南将軍の職が廃されたとか?
あとちくまの三国官職表をみると「黄初以後、四征と四鎮は並置せず」という記述があるのでそれと上の件との絡みってことはあるかな?
>>55
名誉、だろうなぁ
主だった兵力権限は諸葛亮に集中してたわけだし
第一線が北方一方面だったら権限分けても弊害が出るだけだし
魏延も丞相府の前軍師な訳だし,名誉職ってことはないだろう。
諸葛亮不在時は魏延が代官となる訳だから。
通常の官職・楊戯の「季漢輔臣賛」の記述から征南将軍>鎮東将軍。
諸葛亮が南征し南蛮を平定、征南将軍が廃される。
趙雲の官職があいちゃった。どうしよう?
しょうがない鎮東将軍に移ってもらおう。

こんな感じ?
62無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 22:19
悪魔大将軍って官位あるんですか?
北伐軍の、東より方面の部隊(実態はより西よりから進む諸葛亮本軍のための陽動)
だから、魏に注視させる意味もあって鎮『東』に・・・ぐらいじゃないかな
趙雲がホントは陽動じゃなくて別働隊のつもりだったとか…?
街亭で魏延使わないなら趙雲と交代させてもよかったのにな。
そんで(以下妄想

ホント劉エンとかあんなポストにいるなんて蜀漢だめぽだよな。
>>62
郭図がなってたよ
66無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 22:22
>>62
あるよ
魏ではウ禁、曹純、安眠、熊
呉では周ユ、除盛らが歴任している
一気にネタスレ化
>>66
へーありがとう(^O^v
>>54
魏延の謀反ってのが政争に負けただけでマイナス点にならないのと同様、
趙雲の降格もやむを得ない事だったと判ってる訳だし、
マイナスに勘定する必要はないだろう。
70無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 22:41
わずか4時間弱でここまで行くとは・・・。
前981(+903その他)です。
せっかくいい感じで議論できていたのに・・・。

とりあえず、9さん、なんか誤解させてしまったようですね。
けしてそういう意味ではないですよ。
魏延も順当に行けば関羽たちと同じ伝であったろうと言いたかっただけです。
ただたんに終わりが悪かったものの伝に入っちゃったと言いたかっただけで・・・。
71無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 22:49
70(前903その他)です。
どなたかが言われましたが、趙雲って決して近衛軍ってわけでもないかと・・・、
無論呉班の指揮下でいたわけでもないでしょうし。
72無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 23:53
おまいら関羽ネタばっかり延々とうぜえよ。いいかげんにしろよ。










関羽が蜀の名将のNo1はケテーイしてるだろ (゚Д゚)y─┛~~ 
>>72
流れが止まったからって無理矢理盛り上げようとしなくて良いよ
新スレでは趙雲ネタが主流ポイぞ
関羽ネタよりまっとうに話が続くな
軍制の話とか
趙雲別伝は、空城の計だけがどうしても解せない。
曹操は大軍、趙雲は寡兵、それに趙雲は対外的にそこまで名が知られてたとも思えない。
なのに、なんで曹操はあっさり兵を退いてしまったんだ?
>60
でも魏延って常に孔明の指示通りに動いてるイメージしかないなぁ。
そんなに大した事ないんじゃない?というか代役って逝っても
孔明の代役で何かやったなんて記述はどこにもないよね?
それこそ全て名誉職でしかないんじゃ・・・・
>72
釣りか?w関羽なんて話題にもなってませんが?
ここは「名将 趙雲子竜」を語るスレです。
>>77
そんなエサで俺が(ry
>>77
でもそんなこと言い出したら諸葛亮麾下の将は全員評価対象外だなぁ。
それほど凄いことじゃないなら、自分が指示通りに兵を動かしてみればいいんじゃない?
というか何かある前から代役として地位にあるってのは十分諸葛亮の信頼を得ていたってことだ。
諸葛亮になにもなかったから代役することもなく済んでよかったよね?
それこそ否定する根拠にはならないんじゃ・・・・
>>78
>>79
俺始め魏延を趙雲に脳内変換して全然違和感無く読んでたよ。
横光の三国志の印象で申し訳もないが,趙雲と魏延ってタイプが似ている気はするな。
南征のときの共同作戦とか,仲がよくって微笑ましかった。
どっちも豪傑タイプじゃなく,職業軍人ってタイプなんじゃないかとおもうよ。
82無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 03:20
趙雲は官位は武官のみ(それも他の所謂五虎将に劣る)だけど
・夏侯蘭を捕まえた際の推挙と以後の関わり方
・入蜀成功後の論功行賞の際、民心を考えて土地邸宅の恩賞分配反対
・呉討伐の際の諫言
など、単純な軍人とは違う見識を見せたことがいくつかあるんだよね
才覚を認めれば新参の黄忠さえ大抜擢してのけた劉備がなぜ趙雲をあまり高く引き上げなかったのかちょっと気になる
8382:04/07/06 03:29
あ、桂陽太守とか留営司馬も兼任してたっけ
・桂陽太守の時、美人を勧められて拒否した
ってのもあったな。これの理由はよくわからんが趙範が信用できなかったからか?
84前903他:04/07/06 03:50
毎回名乗るのもあれなんで、ネームに付けました。これからも(お手柔らかに)よろしくお願いします。
>>そうですよね、漢中王になった時も昇進させなかったし(手柄あるはずなんだけど)、
本当に将帥としては認められてなかったのだろうか・・・。そうは思いたくないけど。

何度もこの言い方をして申し訳ない(他に拠り所がないのも事実・・・)ですけど、
将帥として本当に?マークがついてしまうなら、
他の4将と同じ伝は立てられないんじゃないかと思う。
関張で伝を立て、馬超、馬岱伝って感じでもいいはず。
または関張馬伝(それぞれ仮節ということで)でもいいはずだし
関張馬黄でもいい(前後左右ということで)と思う。5人にする必要はないわけだし。

正史では他に拠り所があまりないから毎回この論法(伝の立て方について)を使ってしまうし、
これ以上は憶測過ぎるからあれなんだけど、戦闘以外では慎ましい、一歩引いた感の
ある趙雲のことだから、出世を望んでなく、昇進辞退してたりして・・・。
恩賞2度も固辞?したくらいだし。
>>84
まぁ、趙雲を推したい気持ちもわからんでもないが
読んでてあまりに憶測っていうか都合の良い妄想が過ぎる気がした。
そんなレベルの妄想を可にしちゃうと
「だったら魏延とかはもっと凄かった(以下略」
みたいなループになっちまうような悪寒(極端な例だが)。
ageて数字コテまで使うんならもっと意義のある発言をキボン。
やはり後ろ楯のない異民族か魏延よりも身分の低い人物だったと考えるとなんとなく辻褄があうと思うが。
87前903他:04/07/06 05:05
>>85
すいません、僕も書いてちょっとあれかなと思ったんですけど。
そんなこともあるかなってことであえて冗談半分で書いてしまいました。
僕自身も本気で書いているわけではないです。

実際趙雲を推したい気持ちがあるのは否定できませんけど。

名前をこれに変えたのは、毎回〜です、って名乗るのがあれなんで・・・、
一応自分の発言はこれって明確にしたかったので
(おっしゃるとおり、たいした事言って来ませんでしたが、笑)。
>82
呉討伐の際の諫言って、臣下一同の意見を代表として伝える役だったって
何かで読んだ記憶がある。

ただ、ソースがわからんorz
誰か出所分かる人いませんか?
>>84
馬岱の名を挙げてる時点で、この人は正史を読んだことあるのか?と疑いたくなるな…
90無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 09:23
蜀って正史の記述が少ないからなぁ、関羽とか張飛とかの古くから劉備に付き従ってる
奴らの記述が恐ろしく少ない。逆に蜀後期の人達は、陳寿や他の人々の記憶に
残ってるせいか結構記述が多い。
趙雲にしたって、将軍位とか考えると結構な地位にいるのに、全然記述が無い。
重厚な猛将、と称えられつつも、記述が少ない。
つーか正史本編だけでは、1ページに満たないってどういう事だよ…。
91前903他:04/07/06 09:24
>>89さんへ

馬岱って正史に出てこないんですか?
それとも別の意味でそういう風におっしゃられているのか・・・。

>この人は正史を読んだことあるのか?
全部を呼んだわけではないですけど、一応は。
馬岱は個人の伝は立っていなかったと思いますけど、
関張馬黄趙伝の馬超のところにちゃんと出てきますよ。
確かに伝を立てるほど記述はありませんが。
92無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 09:43
>>89
煽り厨乙
もう出てくるなよ
>>91
ま、正史で独立した伝を立てられるほどでない人物(汚い言葉で言えば小物)で
伝を立てて章編成を変えろというのは極端過ぎて冷静に見れてないという突っ込み
と取る事もできるかなぁ。

もっと悪い意味で言ってる可能性もある訳だけど、とりあえず悪い方に取らない方が
お互いの精神衛生にいいんでないかと。
>>88
別に諫言を上げた者もいたよ
秦ヒツとか。ただしそっちは牢屋送りにされたが
処罰を受けなかったところを見ると趙雲はやはり身分を越えた劉備との信頼があったんだろうか
趙雲て妻に殺されたらしいな
針で刺されて死んだってやつか
趙雲は常人に比べて異常に気血の流れが活発なのだ!
だから武力・知力において常人以上!
だがそれゆえ一度流れ始めた血は止められぬ!
それが一子相伝の宿命!!
ちょっと面白いよね。それ。
戦場で死ななかったのが奇跡だ。
白血病だからこそ自分の体に傷をつけない戦い方を必然的に身につけ
それが単体での戦闘能力を高めた・・
自らの欠点を補うためにある一点において異様な技能を身につけることは
よくあると思う。
・・・ってのは俺の完全な妄想
そ、そうなのか?趙雲が初代なのか?

・・・・・確かに1800年の歴史と言ってたから、ちょうど合うな・・・。
>>100
それは皇帝守護の暗殺拳のことか?
やめろ!ネタスレに化してしまう!
趙雲は部将としての能力はどうあれ、諸軍を統括する能力は認められてなかったろうな。

長年劉備に近侍していて、その信頼も抜群だったのに、劉備、諸葛亮の時代を通して
そういった官に置かれなかったし、節も持たされた事が無い。

自分は、数千の兵を統べる事ができる将より、数万の兵を統べる事ができる将を高く評価したいので、
趙雲はやはり一歩退いた位置にあるべきと感じる。

それでも10位以内には入るだろうし、黄忠なんかとは十分に張り合えるとは思うけどね。
その昔、偉い医者様がいたそうな。頭を開いて毒を取り出したり、触っただけで病を見抜いたり、
それはもう優れた方だったそうな。

時に、覇者が除州と言うところで、父の恨みとばかりに沢山の民を殺したそうな。そのとき生き残
った若者は、血の涙を流して、件の医者様に頼んだ。
「なあ、医者様!俺を、俺を強くしてくれ!親兄弟や、村のみんなの復讐がしたいんだ!」
そこで医者様は、それまで蓄えた知識を全て授けて、若者を大変強い男にしたそうな。なんでも、
体の経血の流れの枢要を適当な順番と力でせき止めると、人体はどうにでもなるそうな。

その若者は、後に劉備玄徳という殿様に仕えた。覇者にいつかは復讐するという誓いを立てて、
いつもその殿様を陰に日向にお守りしたそうな。だから歴史にもあまり伝わっておらんのじゃよ。
しかしながら、百万の大軍の中で、単騎殿様のお子をお守りしたなどは、数少ない武勇伝じゃな。
そんなことの出来る人間など、およそ考えられぬ。よほどの強者じゃったのじゃな。

・・・で、結局覇者への復讐を果たしたのかって?それは誰にもわからぬ。ただわかっておること
は、深い山の中で相まみえて戦い、大いにうち破った後、覇者は頭に病気を発し、さんざん苦し
んで死んだそうな。かの医者様も呼ばれたが、結局治療を行わずに投獄されて死んだそうな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・どうかな。これが、今に伝わるという伝説の、始まりの話じゃ。皆も、七つの
傷の男には気をつける事じゃな。
あの作者の描く三国志を読んでみたい
106無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 21:02
趙雲=劉家北斗神拳伝承者説かよ!w
107無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 21:31
曹操「お前は・・・。伝説の暗殺者とは、お前のことだったか。」
趙雲「俺は、除州で殺された民の生き残りだ。これまで、貴様に復讐するために、血をすすって
    生き延びてきた。」
曹操「そうか・・・。私はこれまで、強敵(とも)と呼んだ敵達を、大勢葬ってきた。その私が、この
    辺境の地で果てるのも、何かの因縁か・・・。だが、あえてあやまることはすまい。存分に
    矛を合わせようぞ!」
趙雲「相わかった。俺も今は一軍の将、この拳をあえて封じよう。逝くぞ、曹操!」

このとき初めて、趙雲こそがあの、華蛇直伝の恐怖の暗殺拳の使い手であると言うことが敵味
方ともに明かされたのである。
曹操は、魏の中軍を、夏侯渕の敵討ちとばかりに激しく攻め立てた。敵の背後は川である。しか
し、そのときすでに、趙雲の正体に敵味方の陣に、影響が出始めていた。すなわち、魏軍の動揺
を、蜀軍の勢いが上回りつつあったのである。期せずして、背水の陣は、その効力を最大限に発
揮しつつあった。

自軍が散りぢりになる中で、単騎逃げる曹操。追いすがる趙雲。
趙雲「待て!この俺の、そして除州の民達の拳を、受けてみよ!おあ〜〜〜〜あたたたたたた!」
曹操「う、う・・・・・・・。何故だ、すぐに殺さないのか・・・・・。」
趙雲「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
華蛇「そう、それでいいんじゃ。」
趙雲「お師さん・・・。」
華蛇「この男も、自分の父を殺されておる。民とは関わりのないことじゃがな。それに、この希代の
    英傑もまた、時代が望んだ男よ。」
曹操「では、私の命は・・・。」
趙雲「お前の命はあと一年。・・・・・・せいぜい善政を敷くがよい。それこそが、民へのせめてもの供
    養となろう。」
曹操「わかった・・・。私の生の続く限り、そうしよう。」
趙雲「さらばだ。もう会うこともあるまい、わが生涯の強敵(とも)よ。」
もう夏厨の時期か
真面目な話はどっかに消えたか
感動した!!
話は変わるが黄忠のことで疑問。
夏侯淵を斬った功で討虜将軍から征西将軍に昇進、その後、劉備が漢中王になると後将軍に起用されるわけだが
……
基本的に官位で言えば四征>四方。しかし関羽の例の件から考えれば後将軍に就くことは明らかに昇進。
ということはこの時の黄忠の征西将軍はどのようなものなのでしょうか?
>103
貴殿の理論だと蜀には名将は孔明しかいない事になるな。
実際正史だけで蜀将を語るのは無理。
そもそも全編通してあらすじ書くとすれば誰の物語だと思う?
劉備、関羽、張飛、孔明の4人の物語が9割方だと思うが?
つまり劉備が死んだ時点でもう殆ど終ったのだよ。
残りは孔明の活躍を描くためと蜀の最後を書いて終り。
この最後の方で主役になった人の方をメインに書いてある
正史は信憑性に疑問が残る。
つまり前半は資料がなく、活躍が無いから描かなかったのでは
なく、「書けなかった」と捉えるのが自然だろう。
早い話正史だけで見るのは無理って事。
キョウイオタは納得しないだろうがね。演義じゃ単なるアフォだもんな。
113103:04/07/06 23:07
>>112
なんでそんな内容のレスを俺に返すんだ?
「蜀で名将は誰だ」とか、「こうでなければ名将ではない」なんて事は言ってない。

蜀将に序列をつけるにあたって、大規模な用兵による功を重視したいって言っただけだが。

それと、演義でやりたきゃ演義のスレでも立てれば良いんじゃないか?
このスレは初代から正史をもとに議論してるんだよ。
>>112
ていうか何故そこで演技だ
普通はほかの史書を挙げるだろ
>>112
                        |
                        |
      ∩___∩              |  ぷらぷら
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>>111
魏の征西将軍を討ち取ったからその宣伝じゃないかな
劉備自身の評価はともかく、夏侯淵といえば当時魏の実戦部隊指揮官でもトップクラスの名声を持っていたから
劉備は必ずしも孔明ほど、信賞必罰を重要視した傾向は見られない。
蜀軍は軍閥や豪族の集まりなので、体制に影響がでないよう派閥絡みに
優先度をつけて昇進させた。むろん我のつよい関羽張飛にもしかり。
そんな中、有能にも関わらず昇進や報奨には固執せず、強力な後ろ楯のない
趙雲の小心はついつい先送りになってしまった。
それでも変わらぬ忠義と働きをしめした趙雲に劉備も心の中では陳謝して
いて、官位以上に信頼度は抜群だった。
劉備が崩御し、全権を孔明がにぎると信賞必罰を旨とする孔明なので
趙雲は功績に応じた順当な昇進をするが、孔明も劉備のように趙雲につい
甘えてしまう所があり、ほかの将なら不平不満を挙げ、志気もあげづらいような
負けが決まっている誘導作戦や殿などに使ってしまうことがあった。
それでもきちんと役割をこなし、自分と同じ報奨を固辞し信賞必罰を地で
いく趙雲に孔明も劉備以上の信頼を寄せ続け「私の右腕」とまで言うように
なった。

これが俺が考える功績ほど趙雲が出世してないことへの考察だ。けして
部隊長どまりでもなく近衛だけでもなく歴とした名将だったと思う。
まあにべもなく煽ってくるやつも多いだろうけど、そんなに無茶な推測でも
ないと思うし、当時の蜀政権内の機微や人情も考察に含んだので、議論の種には
なるとおもうが。まじめな意見頼む。
>>117
また明日ね。
119103:04/07/06 23:56
>>117
魏延の抜擢はどう説明するんだ?
魏延はただの部隊長上がり、名士でもないし、後ろ盾だって無いぞ。
考察というより妄想だもんなぁ。
議論にもならなければ、意見も糞もないよ
魏延は一応荊州派に入るだろ。
官職を語る上で派閥を無視して議論しても駄目だろ。
趙雲は異民族なんじゃあないの?
>>121
趙雲を異民族とする根拠は?
考察ってのはつまり資料を元に根拠を延べつつ論理的に答えを導き出す作業
>>116
そうなのかな?ただ基本的に四征>四平・四方で馬超ですらこの時平西。
だから飛びぬけて官職が高いのが謎に思えたわけだ。
しかしこの時は劉備自身が左将軍なので黄忠の征西将軍は雑号の一種扱いということなのかな?
妄想を前提に語られてしまうと議論が成立しないんだが・・・
>>124
四征将軍は黄初年間設置とあるから、当時の蜀では雑号将軍の一つに過ぎなかったのかも。
劉備が皇帝になる前は漢の制度に則ってたんじゃないのかな?
そうなると正規の職と混同されるような雑号をわざとつけたってことになるが
>>111>>116>>124
蜀の官制は多少ながら特殊で、普通にいけば「四征>四平>四方」だが、
蜀の場合、これが「四方>四征>四鎮」とみて間違いではないはず。

もう眠いから省くけど、「蜀書」だけではなく『華陽国志』の記述とも照らして
みると頷けると思う。
ついでにいえば、四方・征・鎮の将軍位にしても「大」がつくことで格が上がる
んじゃないかと思う。

たとえば、蜀では右将軍>征西将軍だが、これが征西”大”将軍となると
位階が逆転する、ということもある。 じゃ、寝ますわ。
>>126
そっか、その辺が絡んでくる可能性があるか。
漢代は四方>四征で、魏で制度が変わる。
しかしそうすると蜀は劉備即位後、漢の制度ではなく魏の制度を取り入れたのか?
詳しい人、解説キボン。
後漢末期あたりで変わったとか?
131無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 01:28
詳しいわけではないが
魏が採用した九品中正法は人材登用としてそれまでの漢の制度より優れていたので(ぶっちゃけ偏った儒教的観点からの推挙が多かった)
蜀呉も真似たという話を聞いたことがある
魏延・趙雲って出自が明白じゃないんだよね
食うや食わずの貧乏人とか馬鹿にされてる蛮族とかが百戦を経て将軍になるって妄想すると燃えるけど
実際にはどうなのかな。周泰とか呂蒙とかも大分出自が下らしいけど
133無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 01:34
>>117の言ってる事ってそんなに妄想じみてるか?
これで妄想とかいうと、このスレのほとんどは妄想で語られてる
ことになりそうだ。特にあの人たち。
>>133
またおまえか・・・
荒らさなきゃ気が済まんのか?
徐庶と呂蒙どっちがより出世したのかな?
>>135
そこで他国の部将を出した意味を教えてもらえますか。
>>135
このスレに、その質問が意味あるとは思えんが

そもそも比較にならん
呂蒙が死んだ時、孫権は車騎将軍か驃騎将軍で
曹操は魏王
劉備は漢中王
与えられる官位に差が有りすぎる
大体、当時の張昭が車騎将軍軍師だし、周瑜の最終官位は偏将軍南郡太守というレベル
じゃあ王平と徐庶ってどっちが頭良いのか?
>103
スマソ。最初の1行だけで、残りは全員に向けての意見だったのだが・・・
逝ってくる・・
>>138
文字の書き取りだけなら断然徐庶のほうが上
117の意見はさほど突飛でもないと思うがなぁ?
実際あまりに書かれてないので想像でしかないが。
まだ公孫賛の元に居たときから劉備がその才能、忠義ぶりから
是非配下に加えたいと思った人物なのだから。
劉備の人物眼を信頼するならばかなり有能だったのは確実だろう。
よく関羽が「忠義の士」と言われるが趙雲こそがふさわしいと思うね。
趙雲が裏切りました!と注進したら劉備に修正喰らったほど。しかも武器で
ちと話が変わるが荊州の責任者だったときの関羽は
劉表にとっての黄祖より部下よりくらいの立場に見えなくもない気がする。
忠義の士っぽくはないな。
144無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 01:20
馬超が蜀の名将に入らないというのはなんとも
しぶとく抵抗する劉ショウ(王章)をそれこそ『威名』で挫けさせたわけだし
上位入賞は絶対無理でも末尾ぐらいには
蜀でなんもやってないというのが候補外の理由だったはず
やっぱ馬超は一群雄としてみるべきなんかな
馬超は、帰順してからの事績に何も載ってないものな。
劉備のもとで軍功を挙げた事が全くない。
唯一功と言えるのは、>>144の言う、その名で劉璋を降伏に追い込んだ事か?
ネームバリューならトップクラスなんだけどな。
ネームバリューだけで10位に食い込む事が可能かどうか検討するのは
興味深い気がする。

軍功などの直接的な実績が無くても
存在だけで、蜀にとってある程度の価値はあると思うんだが
羌族などの西方系異民族との連絡とかかな?>馬超の価値
馬超が生きてるうちに涼州方面に進出できたら面白かったのにな
馬超が劉備配下に入ってから、漢中争奪戦という蜀が独り立ちできるか、それともそれまでの劉備勢力の常として一過性の政権として潰れるかという瀬戸際の激戦があったわけだが
それに関する事跡まで無いとなると、蜀入りした時すでに連戦で大怪我をしていたり病気だったりしたんだろうか?
演義なら張飛とともに別働隊を指揮したり、夷陵・南征時に漢中の守備指揮を執ってたりするんだが
>>150

正史でも、漢中争奪戦時に、張飛・雷同・呉蘭と共に下弁に進入してるよ。
曹洪に阻まれちゃって撤退してるけどね。
>>151
dクス
紀伝体では失敗は本人の伝にあんまり書かれないのを失念してた
ていうか
馬超ファンの俺としては
中途半端な順位に入るより
論外にしといて欲しいんだが

もうみんなそこには触れないで!
群雄としてなら、曹操と堂々と渡り合った馬超は結構評価高いと思うよ
>153
禿堂。
除外項目作ってそこにでも入れといてくれ
>>155
よし、劉備も孔明も関羽も趙雲も除外対象にしちゃえ。
>>156
と、なると1位候補は王平・李厳・張飛の3者か
馬超は劉備の部下とかいった枠には入りきらんからなあ。
本人もあんまり気が乗ってなかったみたいし・・・・・。

呂布みたいに背かなかっただけもうけもんって感じ。
>>157
いや、>>156の面子抜かしたら残るのは姜維だろ
1 簡雍
2 簡雍
3 簡雍
4 簡雍
5 簡雍
6 簡雍
7 簡雍
8 簡雍
9 小川
10簡雍
1位はケ艾
162無名武将@お腹せっぷく:04/07/09 00:27
趙雲ネタが意外と盛り上がったな
ところで関羽と姜維の比較は厨やアンチ入り乱れていろいろ論戦みたいなのがあったが
それぞれを他将との比較じゃなく評価したことってあったっけ?
>>162
初代スレとかではそんな事もあったような
姜維って確かに蜀内では軍のトップだけど、初期と比べると
あまりに人材が乏しい中だからなぁ・・・評価は差し引いていいと思う。
関羽や張飛らがいたらそこまで出世しなかっただろうし。
蜀将の中でも戦績も1番悪いじゃん?もう「敗北の将」としか思えないんだが・・
なぜageる奴が多い?厨だからか?
1・姜維は神懸かり的な守備を見せたことがある。
2・蜀に基盤をもってなかったのにもかかわらず出世している。

2はさらに関羽・張飛はほぼ劉備の親族扱いによる出世をしていることを考えても、
関張がいても出世していたこと可能性は少なくない。
それに、関羽・張飛の板時代もすでに人材は寂しいものだった。
もちろん、関張の下に付くだろうがあくまで年功序列に過ぎない。
1と比べると関羽はよくある出世の原因程度の勝利しかあげていないことがわかる。
細かく比べると、関羽と姜維はかなり拮抗していて
蜀は最早滅びるしかなかったことを重視している人間は姜維。
失陥の原因は呉の策が巧みだったのと、劉備・諸葛亮のミスもあったことを
重視する人間が関羽を選ぶらしい。
二人ともに共通しているのは、
政治的な面が疎かったってことか
>>166
姜維の場合、一概に政治面が悪いとばかりはいえないだろうケドね。
そもそも基盤らしい基盤はない、孔明死後は特に後ろ盾もなく文民系の臣が幅利かせて
軍人系の立場は弱そうだし。
その悪い状況を覆すほどの凄い有能さがなかったのは事実だろうケド。
まあ大抵の人間は如何ともしがたい状況だったんじゃないかな?
長安一回でも落とせてれば
まわりは姜維を重く見ざるを得ないでしょ
そこで逆に警戒されたら政治力で根回しが必要になるけど
内部においての政治力というのは実績と綿密に関わるから
政治力自体がなかったら実績で勝負するしかない
一回でも長安落とせてればあとで奪われてたとしても
姜維の評価はあがっただろうに。
そのときの蜀での評価もそうだし後世の評価も。
俺の個人的見解としては
関羽は強いし何でもそれなりはこなすんだけど、外交センスだけは壊滅的だったし
プライドが高すぎて邪魔になった。

姜維は結構軍の指揮能力は高いし、政治面とかも無能ではないんだが周囲の制約を
振り切れるほど切れ者ではなかった。欠点としてはちょっと視野狭窄気味な点が
あった

ってな風に思ってる。
姜維は難しいなあ。
一応ひいが生きていた頃は大きな武功も失敗もない。
率いてる軍勢が少ないこともあってか戦略的に不利になれば大怪我をする前に引き揚げるだけの戦略眼はある。
一方、ひい死後軍の最高責任者となり大軍を率いれるようになると大きな戦勝もあるがケ艾にはこてんぱんにやられてる。

厨臭く光栄風に数値をつけるなら
戦略眼=80弱、部隊(小隊)指揮=80前後、統率(大軍指揮)=75前後
こんな感じかな?


ケ艾は魏スレでは7位にされることが多いから、それから考えると姜維は・・・・・。
>>171
魏の人材との相対評価なんかしたら蜀には名将なんてほとんど
いなくなってしまいますが?
>>172
ただ魏の初期の将は曹操あってのという面も無視できないからな。
特に三国が形成されてからは国境線の大きな変更というのはあまりないし将の質としてそんなに一方的に魏>蜀とは言えない気がする。
魏将と蜀将の差は質というよりはその所属する背景であるところの国力とか人材の層の厚さの違いと見るべきだと思う。
これは偏差値としてみた場合そんなに差がないのではないかといってるだけなので、姜維>ケ艾とかそういうことを言ってるのではありません。
>>173
そりゃ人口が段違いだからな。
>>170
ケ艾に大敗を喫した大きな要因に、胡済が約束を破って来なかった事があるのを忘れてないか?
>>175
こてんぱんは言いすぎだったかもしれんがその後も何度か対戦して一度も勝ててないのは事実。
>>176
何度かと言うか、侯和の時の1回、彊川口を入れても2回だな。
自分は、作戦レベルの判断力ではケ艾>姜維なのは確かだが、
実際に軍が衝突した時の采配に関しては、拮抗してるか姜維が僅かに上ではないかと思ってる。
>>177
> 実際に軍が衝突した時の采配に関しては、拮抗してるか姜維が僅かに上ではないかと思ってる。

それはどうかな?
確かに段谷の戦いにおいて胡済が来なかったのは姜維にとって確かに計算外だっただろうが、戦闘前に自軍が不利だと悟ったら撤退するだけの戦略眼はこれまでの戦歴からは見てとれる。
それなのに大敗北を喫したということは必ずしも不利にあらずと姜維が判断したからだと思うし、それなのに負けたということは部隊指揮においてもやはりケ艾>姜維と判断せざるを得ないと思う。
ただこれは決して姜維が無能だったとか言うのではなく相手が悪すぎたと言うべき。
魏将スレでは荒れがちなネタだが、個人的にはケ艾は魏で上位3名に入る名将だと思うのでね。

>>178
ケ艾伝によると、姜維は南安の辺りでケ艾と一戦交えた後で上邽に向かってる。

恐らく、胡済の合流準備に時間が掛かると見た姜維は、敵の油断を突く為、先行して魏への侵攻を再開。
ところがケ艾が迎撃準備をしていた為、これを抜く為南安方面へ進路を変更。
そこで要害を占拠しようとケ艾と戦うが、勝てなかった為に撤退を開始。

そして上邽へと向かい胡済と合流してケ艾と戦わんとするが、胡済は現れず、
追撃してきたケ艾に破れて敗走って感じだと思うんだよな。

勝てると思って戦ったわけでは無いと思う。
>>179
「勝てる」と思ったじゃなくて「必ずしも不利ではない」と思った。
というのもオレの憶測であってホントのとこ姜維がどう判断したかは正確なところはわからないんだよね。ごめん。
でもその後の戦いを見てもやはりケ艾>姜維は動かないと思うんだけどどうだろう?

それと胡済のことだけどこの後も督漢中を任されてるようだし最終的には右驃騎将軍にまで昇ってるところを見るとあまりこの責任を問われなかったみたいだね。
なんか姜維伝をみると、ちくまの訳文だけど、「約束を破って」と書かれてるので故意に来なかった印象を受けるけど、実際は合流に遅れた程度だったのかな?
>>180
自分も言葉が悪かったな。
姜維は南安で戦った後、後方に退くのではなく、夜に紛れて東に進軍してる。
つまり、西方より追撃中のケ艾を破らなければ、退くのも進むのも難しかったはず。
だから段谷は容易に撤退できる戦闘では無かったんじゃないかと。

南安での戦いの結果を鑑みて、上邽で胡済と合流して自戦力を増強する共に、
突然の戦力増強をケ艾に見せつけて狼狽させれば勝てる公算が大きいと判断したんだと思う。

胡済の処分が無いのは自分もよく分からない。
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1088084730/
段谷はこっちのがいいな
183無名武将@お腹せっぷく:04/07/09 21:38
姜維も優秀な将軍ではあるが、相手が悪すぎたな。
ケ艾なんて、もともとただの農業の技師。それが、ろくに戦場を駆け回ったこともないのに、
あれだけ見事に作戦を立てられたのは、天才としか言いようがない。相当に分析的な頭脳
を持っていたんだろう。
確かに、戦術レベルでは姜維にかなわなかったかもしれないが、それを超越する作戦を常
に出してくるから、いくら武勇に優れていても、勝てない。

漏れも、姜維は頑張ったと思うよ。ただ、姜維クラスでは、あと10人ぐらいは必要だったな。
ケ艾クラスでも一人ではどうしようもなかった状況だからな。
ケ艾がいなければ、このスレでの姜維の評価ももっと上がってたかもな。
強い相手に負けまくるより、弱い相手に勝ちまくる方が評価上がるだろうし。
>>184
それはある。強いか弱いかは所詮相対的なものだし
何故王経は、洮西の戦いで数万もの被害を出したんだろうな。
王経自身にそれまで兵を率いて戦った記述は無いが、対蜀の最前線である雍州なんだから、
旗下に軍事に精通した人物もいただろうに。

王経は農家の出なのに尚書まで出世したんだから、聡明な人物だったはず。
それがここまで徹底的に負けるものか?
>178
相手が悪いなんて何のいい訳にもならん。
戦闘やるのに「こいつはくるなよ〜」なんて言う気か?
誰がこようと常に最善手を打つのが将の役目。
直接操曹とぶつかってた初期と比べれば随分楽だと思うぞ?
戦の天才と言われてた奴とぶつかりながらも生き残れたのは、
関張始め人材がいたのが最大の理由だが。
人がいないならそれなりに戦うべきで、北伐は無謀としか言いようが無い。
>>187
放浪しながら戦い続けて生き残るのと、戦い続けながら国家を保つのとではえらい違いだと思うが。

それと、
>>人がいないならそれなりに戦うべきで
このそれなりに戦うって具体的にどういう事だ?
>>187
結局何が言いたいんだ?
「相手が誰だろうが、負けたんだから姜維は無能」
とでも言いたいのか?
とにかく負けても結果を残せればいいわけだが、
負け続けても建国を果した劉備にように。
あるいは勝率が高くても評価は出来るな。負けっぱなしってのは全く評価できない。
姜維の立場を考えて、残せた結果って何だよ。
劉備みたいにコロコロ主を変えても出世できる時勢じゃないんだぞ?

少なくとも主に対する貢献度で考えると劉備は最悪。
使えた主は次々に敗れ滅んでいっている。
生き残ったのは裏切り対象の曹操だけ。
で、自分に対する貢献度なら、蜀の軍権を握った晩年は大成したと言えるな。
でも劉備が主人を滅ぼしたことは一度もない。
>>190
なんで勝率とかで考えんの?
圧倒的に有利な状況で戦い続けて勝率が高い奴と、
圧倒的に不利な状況で戦い続けて勝率が低い奴とを比べて、
勝率だけで見て前者に軍配を上げるつもりなのか?

勝敗は兵家の常、勝率だけで実力は測れない。

それに、諸葛亮だって、5回の遠征の内、勝利と呼べるのは1度だけだ。
これは6度の遠征で2回の勝利を得た姜維より低い。
費禕時代を考慮して、11回中2回としてもあまり変わらない。
お前の考えだと、諸葛亮も駄目って事か?
>191
主って誰だよw。元々自ら漢朝を復活させるために立ち上がったのに
誰に仕えたと?一時的に身を預けたといっても、その人の為に
居た訳ではないぞ。ただ利用したにすぎん。
当然ながら劉備は人に仕えた事などないよ。
>189
言葉はワルイがそういえる。結果がサイアクなら誰かがその責任を
負わなくてはならない。当然ながらその責任は・・・
>190
そのとおり。結果として国が滅んでしまったなら立派な戦犯。
例えば孔明なら無謀な北伐よりも天然の要害である地形を活かして
あくまで守る戦いをするだろうし、それ以上は出来ない。
孔明も北伐をやってはいるが、あくまで自分が生きている内に
劉備との約束を果たさんがための出兵で、これは将としてよりも
1人の人間としての行動だと思う。
孔明亡き後、ヒイはしっかりと国を固める事に力を費やし(これは正解)、
姜維は防衛戦を想定しなければならない。
実際ヒイが健在のうちは蜀も安定していたし、姜維が代等した途端
崩壊が始まっている。結果論ではあるが、歴史に於いて最も重要なのは
結果である。日本だって第2次世界大戦に勝っていれば、
これほど朝鮮から責められる事もなかったんだよ。
アメリカを見ればわかるだろう?ベトナムは負けたから非難を
浴び大統領は落選。今はテロが止まらないから支持率も落ちているが、
戦争直後は急上昇している。勝てば官軍。これは昔から変わらない。
>元々自ら漢朝を復活させるために立ち上がったのに
  誰に仕えたと?一時的に身を預けたといっても、その人の為に
 居た訳ではないぞ。ただ利用したにすぎん。

演義厨乙
というより歴史上の人物を評価するのに、まず結果から
もってこなくてどうするのかと。
会ってその人の器量を推し量れるものでもなし、
圧倒的に不利な状況を打破するのが実力者だし、
なるほど、どうしようもない状態というのはあるかしれんが
それでも結果を残せなければ断定的な評価をするというのは無理、
本当に実力があったなら不幸としかいいようがないがな。
もしあんな状況じゃなかったら、とか 多分姜維は実力があるけど結果としてダメだった、とか
全部推論にすぎんからな
仮になにかの戦いでいい戦績を残したからといってそれ全部他に当てはめるのも無理がある
結局トータルでの±評価が全て
関羽と張飛などが評価できるのは、圧倒的劣位から、劉備を補佐し続けて
大成させた功績ではかれるからだよな、結局。
少なくとも彼らがいなけりゃ死んでる可能性が高いし劉備。
>>199
それも具体的な記述に則して検証できない部分が多い以上、
妄想・推測の域を出てるとはいいきれない。
特に最後の一行なんかは特に。
まあ姜維はだめってことだ。
歴史上、活躍の舞台すら与えられずに埋もれてく人間が多い中で、
厳しかろうがなんだろうが機会は与えられてるではないか。
それでだめならだめなんだ。
姜維オタが抽象論にすり替えようと必死だなw

おまいら、選挙もちゃんと逝けよ。
煽り厨 忘れた頃に またわいた
結果論者はこんなスレ来る必要ないだろ。
議論する気も考察する気もないんだからさ。
「結果論だけで三国志の人物を評価するスレ」でも立てて、そっちで勝手にやってくれ
出された結果を比較・検討することで評価をだしていくのが歴史の考察ちゃうか
206無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 12:34
>>204は結論を出さずにぐだぐだやるのが好きなヤシ
結果論で語るならそれはそれで構わないが
そこから「姜維は駄目」なんて結論が何処から出てくるんだ?
蜀将のなかで結果を残した武将なんてどれだけいるんだ?
于禁が負けたのは実力ではない、雨でたまたまとか言うのと同じだな
他の蜀将がどうあれ、姜維の場合は比較する必要もなく評価できない、ってことでは。
相対的に順位をつける時はよくわからんな。成果を出してないばかりか
国力低下というマイナス要因が大きいから低いのかな?
まあそんなことはこのスレでは散々いわれてるんだろうが・・
>>206
これまでの議論の一切を無視し、過程を考慮せず、結果だけ見て結論づけられるのが嫌なんだよ。
その過程を必要としないやり方もあるってことだろ。
第一これまでだって結果のみから結論づけるやり方もしていた。
結果の見方は重要だろうね。
姜維は蜀が滅びた時の責任者
関羽は事実上蜀を滅ぼした責任者

結果だけを見るなら、
姜維の時はすでに蜀は立て直せない状態だったとか、
関羽が失陥させたのは劉備と諸葛亮の責任もある
とは言えない。なんせ姜維だって全権を持っていたわけではないのだから。
意味がわからんな。
荊州は、関羽でなくとも焦眉の土地で、危急の時を迎えていた。蜀の国として
失陥させたとしか言いようがないし、だからといって即ち蜀の滅亡と言うことで
は無かった。

関羽派が馬鹿正直なのは確かだが、姜維オタはこういうレトリックとすり替えで
せこいから嫌われるんだよ。
荊州失陥でその後の蜀の命運は固定されたようなもんだと思うが
国力は実質半分以下になり、対魏戦略はいちじるしく制約を受けた
>>関羽派が馬鹿正直なのは確かだが

とてもそうとは思えんが・・・どこからそう感じたんだお前は?
それと煽ってばっかだとそのうち相手にされなくなるぞ。

で、荊州失陥=蜀滅亡というのはちょっとアレかもしれんが
引き金になってるのは間違いない。
その後の夷稜の事も考えると蜀における痛手は痛烈。
ん?なんか結果論っぽいな。
夷陵出兵は大失敗だったな
戦略的には二正面に敵を持つことになるから馬超・魏延・趙雲ら主力は動かせない
兵力も(演義じゃ七十五万という無茶苦茶な数になってるが)少ない
しかも相手は陸遜だし…
217212:04/07/10 18:10
場は荒れるだろうがこれだけははっきり言わせてもらう。
何故姜維がすでに滅亡が決まっていたも同然の時期にいたことは認めないのに、
>荊州は、関羽でなくとも焦眉の土地で、危急の時を迎えていた。
なんてことが平気で言えるのか。
実際関羽を推す人間は、関羽が出兵するまで荊州を安定させていたと評価している。
ここに来て、もはや失陥するのが当たり前であったと発言するならば、
意見のすり替えを行っているのは>>213であるのは明らかではないか。

さらに、即滅亡でないなら原因ではないかのような発言は、
姜維が出兵して敗戦したことによって即滅亡していないから、
姜維は蜀滅亡の責任がないといっているようなもの。
ここでも、また関羽と姜維で基準が変わっている。
関羽・姜維両者国力を著しく落とさせた責任者である。

>>212では、それらを含んだことを簡潔に述べていたに過ぎない。
結果論からみて同じ尺度で測れば
姜維は蜀が滅びた責任者
関羽は事実上蜀を滅ぼした責任者
であることをどう否定するのか?
>>216
相手が陸遜じゃなかったら、緒戦の呉班を囮にした奇襲が成功して呉軍大敗。
そのままの勢いで荊州奪還とかもあったかもな。
まあそれなりに勝算はあったんだろうな
少なくとも演義みたいに無謀な出兵ってわけではなかったんだろう
220無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 18:34
姜維派はヒステリックだなw
夷陵出兵の目的はやっぱり仇討ちは名目で、実際は荊州の半分でもいいから取り戻すことにあったんだろうな
荊州出身者は軍でも政府でも蜀の大事な部分だったわけだし
人口生産力の高い土地をある程度でも奪還しないと魏との戦はジリ貧になる
でも法正も黄忠もいないし、張飛も部下にやられて…
駄目なときは何をやっても駄目ポ
夷陵前後は、呉の孫権の外交・陸遜の実戦能力が際立つなぁ
劉備が攻めてくれば魏に外交的に降伏してに正面を避けて蜀をまず撃破
撃破した後は、深追いせず関係修復を匂わせつつ、やはり二正面を避けて偽装降伏に痺れを切らした魏の侵攻を撃退
魏=漢を簒奪した逆賊で、蜀は正当な漢の後継という立場があると、こういう手はできない
荊州失陥に夷陵の大敗、その後の蜀の命運を大きく左右した戦だが、その両方に陸遜が大きく関わっている。
劉備の天敵は陸遜だったのかもな。
実際、魏蜀の差ってのは覆しがたいよな。
姜維が王経を破り、数万もの首級を挙げた戦は、魏にとってかなりの痛手ではあったもの、
所詮は一地方の事であって、大勢には殆ど影響は無かった。
これが蜀だったら滅亡に直結しただろうに。

荊州を持っていたからと言って、この差ってのは覆ったものなのか?
荊州を持っていて、なおかつ呉と連携が取れていたとしても、
到底魏と五分五分とは言えないだろうが、
持っていないよりははるかにマシだ。
荊州失ったのは戦略的後退
北伐の疲弊は滅亡の遠因(直接の理由かも)

普通にこれ認めろ
ていうか
関羽VS姜維は
関羽の勝ちで結論でてるからもういいでしょ
>>226
戦略的後退って、戦略的な優位性を保つ為に敢えて後退する行為を指すんじゃないのか?
戦略的に後退してしまったと、ただそう言いたいだけだろ、多分。
>>226
そこは関姜両派にとって荊州問題のようなモノ、
穏便には終わりれません。

>>227
そんなエ(ry
おらよくわかんねえが
マイナス面ばっかり言い合ってるようだけれども
功績で測る、いわゆるプラス面だけでいうなら両者の比較はどんなもんだい?
232226:04/07/10 21:15
グハ 間違えた
要するに

荊州失ったのは国家戦略の幅を狭めた
北伐の疲弊は滅亡の遠因(直接の理由かも)

ってことだ。これを普通に認めろよ
あげあしとりしか出来んのか?それしか反撃方法無いもんな・・
233228:04/07/10 21:16
>>229
そういう意味だとは思うんだけど、戦略的後退って言葉はよく聞かないから分からないんだよね。

戦略的撤退と同義なのか、それとも戦略的に後退してしまった事を指すのか?
>>232
姜維が北伐をせざるを得なくなった遠因は
関羽の荊州失陥だとも言えるがな・・・


てかね。まるで活躍した時代も状況も違う武将を比較するのは無理じゃないのか?
>>234

遠因の遠因をいいはじめたらきりないだろ
論理が飛躍しすぎ
論拠もはなれすぎ
遠因とか言い出したら、そもそも劉備が建国するのが対比的に
遅すぎたんだ、とかいうことになりかねないし、与えられた情況で
なんとかしてくれ。
できなければ結局はちょっと前にあった結果的にダメな場合、断定的評価
ガ出来ないってことで、どっちみち姜維を評価するのは無理。
>>234
北伐せざるを得なくなったと言うよりは、北伐が勝ち目の薄いものになったって感じだと思う。
荊州を失陥していなくても、蜀という国家の性質上、北伐は避けられなかったんじゃないかと。

一地方政権に甘んじ、国家の延命のみを考えるという事で国論が纏まれば別だけど。
>>232
いや北伐が滅亡の遠因ってのは当然だと思うが(直接ではないと思う、
内部のほうもゴタゴタしてたわけだから)
荊州失陥における国家への痛手の数々、(人口密集地を失う、夷稜による
立ち直れないレベルの人的損失、)
などを考えるとどうしても俺の目からは滅亡への序曲みたいに映ってしまう。

それと開き直って煽るな。
>>236
その結果論でやったら、蜀将の実力の序列はどうなるんだ?
なんでもいいからマイナスから離れ
ちったあいいとこ評価してくれよ
>>235
そりゃきりがないが、そういう事を考えなきゃ、結局最後にバトンを回された姜維が
割を食う事になるんじゃないか?
国の方向性なんて北伐一つしかなかったという考え方自体が
姜維弁護の無理矢理論法だよ

やりようはいくらでもあるだろ
国力や兵力に劣る国が強国を倒して覇権握った例は
中国に限らずいくらでもある
結局、結果のでなかった姜維をいくら評価しようとしても
妄想にしかならん

もう姜維派はあきらめろ
可愛そうにすら思えてくるよ
>>241
その通りだろ
で、いいとこ見せられなかったのでお気の毒さま、で終了
成果がなけりゃ評価できません
>>243
じゃあ、試しにそういう方法で蜀将の序列をつけてくれよ。
どんな結果になるのか気になるんだが。
普通におとなしくしてなさい
姜維派
5位以内に入れてあげるから
姜維を押してる人は何をもって彼を押してるの?
なんでみんな姜維に対しては求めるものを大きくするんだ?
小国が大国を破り覇権を握った例がどうとかって、そこまでやらなきゃ姜維は論外なのか?
>>246
演義の活躍ぶりだろ
一騎打ちとかして強いもん
それしか考えられんw
>>246
王経を破って敵兵数万を殺した事とか、魏の蜀征討戦で見せた圧倒的な機動力とか
>>247
大国をわざわざ破りにいったのは他ならぬ姜維自身でしょうが。
王経を破った
これだけかな・・

機動力云々はわけわからん
圧倒的な機動力?
対魏戦を断念した場合、国内がガタガタにならないか?
蜀漢っていうのは漢の後継っていうのが権力の源泉だろ
魏と妥協する姿勢みせたら無茶苦茶になると思う
>>251-252
過去スレにあるよ
せめて姜維には長安落として欲しかった
姜族やらロウセイ中心の馬超であとチョイでいけた

蜀とロウセイ、合流しうる状況とバックボーンを持つ姜維なら
有能であれば出来たと思う
>>242
姜維が蜀のほぼ全権を握ってれば別の方向性もあるかもしれんが
そこまで大権を有してない将がそんな越権行為に走れんだろ。
お前こそ論理が飛躍しすぎではないか?

>>246
単純に将としての能力、ろくな人脈も作らなかったあたり内部に対する能力は
拙いとオモ。
>>255
馬超?
>>251-252
具体的に言うと、全く知らされていなかったケ艾と諸葛緒による挟撃を、
その機動力でかわしつつ陽安へ急行し、陽安急行の途上でその陥落を知った後、
ケ艾らに追いつかれる事無く白水まで後退して剣閣に入る事が出来たって事を
鑑みて、機動力に優れていたと考えている。
>>255
馬超は涼州から長安への侵攻、姜維は漢中からの侵攻。
一概に比較は出来ないだろ。
機動力があった・・ってだけでそんな高い評価?
えらい部分的ですね、そんなことだから推測入りすぎって
いわれるんですよ
むしろ俺は関羽をどうしてそこまで押すのかが分からん
アイツこそ具体的な功績はほとんどないだろ?
単に残ってないってのもあるけどさ・・・
てかどうでもいいけど

王経を破った
機動力があった

これだけで君らは姜維を推してるのか?
おお、またやっとるのか、この論争
関羽も相当だが、姜維も相当自意識過剰だったそうだからなあ、
なんで演義であんなに持ち上げたのかよくわからんよ
>>260
機動力は重要な要素だぞ。
「兵は拙速を聞く」という言葉もあるし、ナポレオンも、
「余は単に機動で敵を撃破したに過ぎない」とオーストリア会戦の後に語ってる。
王経を破った
機動力があった

魏スレの反応が怖いw
世の中にゃたまたま、って言葉もあるんだよ
無論どっちつかずだからどうとはいわんけど
>>263
剣閣で魏軍を迎撃したりとか、その他の細かな功績から判断してるだけですが?
単にそれだけ記録が残ってる武将があの時期姜維くらいしか居ないってこともあるがな・・・
>>263
王経を破ったって言ったって、単に撃破したのとはわけが違うぞ。
魏はこの戦いで数万もの将兵が死に、ケ艾もこの事態を「危機滅亡の状態」と語ってる。
>>265
機動力をもって具体的な戦功をいくつもあげてるナポレオンと
姜維を同列に考えないでくれ

>>266
王経が出てくるのはスレ的にまだまだだろうし
機動力も比較対象にもしてくれんだろうよ魏スレじゃ
>>270
別に同列に語ってるわけじゃない。
機動力の重要性を説くために名将の言葉を借りただけだ。
王経は50位ー60位とみた 魏スレ
まあ結果が全てだな、歴史に関しては。過程なんて書く人の
認識や思想が入ってしまうから正確ではないからだ。
姜維なんて10位にも入らんよ。そもそも戦い方からして、
小国が大国に挑む戦い方じゃない。
国力削って遠征してどうなる?本気で魏に勝つつもりでいたのか?
だとしたら大局が見えない単なる馬鹿。
もし孔明と劉備が生きていたなら、まず力を蓄えるのが第一だろうね。
遠征と言うのは100万いたって必ず勝てるものではない。
故に孔明は常に一定の戦果で引き上げているのだ。
そして負けても決して致命的ダメージにはなっていない。
この辺が劉備よりも優れているところ。
>253
妥協ではない。元々3国連立でやっていくのが目的なのだから。
蜀が他2国と対等に戦える力を持つまでは。
>>263
何故にそこまで局所的な部分に拘る?
そういった点から将帥としての能力に優れていると考えるワケだが。

>>266
何故ソコで魏スレが?

それとな同一人物かは知らんがネタ振ってレスが帰ってきたら
ちゃんと答えを返してくれ。>>232とか>>242とか。
徐質は160〜180位ぐらいかな
魏スレ
姜維の功績聞く前に、関羽の功績語ってくれよ、
どうしても関羽対姜維の形にしたい人は。



俺としては>>234
>まるで活躍した時代も状況も違う武将を比較するのは無理じゃないのか
が、まさに核心を突いてる気がするがな
>>274
こちらが力を蓄えている内に、魏がそれ以上に力を蓄えて滅ぼされるって可能性は無いのか?
まあここで魏スレのこといっても仕方ないぞ
あそこは進みがゆっくりなんだ、こことは違くて
というか最初は単に姜維を否定していたはずだが・・
いつの間に関羽対姜維の図式になってるんだろう
>>280
ああ、そりゃなんだ伝統?みたいなもん
282212:04/07/10 22:07
関羽を推す人間は、姜維との差を見せてくれ、
”史書に残ってない”将としての力を、
史書に残っている部分から論理的に分析して。
姜維の功績のなさを示して、関羽との差をみせつけているつもりなんだろうが、
どうみても、姜維の否定は関羽に同じように当てはめることが出来る。
これまでの議論は関羽と姜維がいかに拮抗しているかを示すに過ぎない。

>>274
だから、結果論者は文句垂れる前にその結果論で序列を付けてみてくれって。
>>282
つまりは保留しろってことですか?
姜維を否定してる人間が同時に関羽を押してると思って欲しくは無いが。
もう関羽対姜維の構図は飽きた
もっと他の五虎将とかについて語ってくれ
特に張飛と黄忠あたり
色々策を凝らして戦場に出続けて致命的な敗北が無く撤退時期も誤らず
たまに王経撃破みたいな事もできるのが姜維の強み。

つか人材尽きかけていた蜀はほっておいても衰退したと思うがね。
姜維が後援のある政治家だってならともかく、後援の無い将軍にすぎないわけだし。
>>274みたいな事をやれと言われても無茶な話。

たとえば趙雲や王平に政治家やれったって無理だろ?
そうするとスレが止まるのが
ここの特徴
>>286
上手く考察を引き出せるほど事績が無いから難しい。
魏スレみたいにここらで一度暫定順位でも作っておいたらどうだ

1位 劉備
2位 諸葛亮

3〜10位 保留

こんな感じで
まあ最近は魏スレもこっちに触発されて、激しくやり合ってるけどな。
あっちは曹仁、とうがい、夏侯淵、于禁なんかでよく揉めてる。

それはそうと、こないだ写真集で、剣閣の写真見たけど、すげーところだな。
あそこならある程度誰でも守れると思う。

とにかく周囲を桟道で守られてるわけだし、中途半端に出兵しなくても、十分守れたと思うよ。
戦力を小出しにすれば、当然小さい方が消耗するわけだし。
>>290
ほとんど決まってないに等しいなw

3〜10位候補って誰だ
いやここも一回順位決まっても
不毛なループが続いてるだけなんだよな
趙雲ネタの時はこんなにギスギスしてなかったものを!
功績は小さすぎても失態が無いもの
そろそろ

1位   劉備             1位   劉備
2位   諸葛亮            2位   諸葛亮
3位4位  関羽 姜維 順不同   →   3位   関羽
5位-10位 張飛、魏延、王平など     4位   姜維
                    5位-10位 張飛、魏延、王平など

にしちゃってもいいんじゃないの?姜維派も4位確保で一安心では?
それともあくまで3位かね
>>294
アレはアレでデムパな香りがしたけど。
>>296
そうしても良いと言うなら、関羽の方が姜維より上だという論拠をはっきり示してくれ
>298
そうじゃないというなら、姜維の方が関羽より上だという論拠をはっきり示してくれ
>>299
保留状態から関羽を上位に持っていこうとしてるのはそっちだろ?
>>300
まあしかし論拠をしめすことはできるだろ?
そうじゃないという意見ならば。
>>301
関羽と姜維、どちらが上とはっきり示せる論拠が無いから保留なんだろ?
>>298
あえて挙げるなら瞬間最大風力じゃない?
曹操が長安遷都を考えたのを、姜維の長期的戦功より上に見ているんだろう。

>>299
で、こちらは長期的戦功が元だな。
撤退時期を誤り手痛い敗北をする関羽より
安定してそこそこの実力を見せる姜維のが上だと見ているんだろう。

タイプが違いすぎて比べるのは無理。どっちも負け組なのは、まあ蜀だし。
>>302
3位 関羽
4位 姜維
に納得しないから反論してるんだろ?
それともどっちも互角という意見なのか?
長安じゃなかった、アホか俺
姜維が安定してそこそこの戦功って・・・
ほとんど負けてないか?
>>304
だから、どっちが上かはっきり示せないから保留なんだろ?
その状態を崩して関羽を上位に持っていこうとするからには、
それなりの論拠を示すべきだっての。

それを、「ならそっちが論拠を示せ」ってのは乱暴すぎ
兵糧不足で撤退のケースが一番多かったんじゃ?>キョーイ
大勝も大敗もそもそも合戦まで段階が進んでの話だし
>>308
それを否定するのに論拠も示さないで否定するのもどうなんだと・
もし君が関羽と姜維が互角だどっちが勝るとも思えないという意見なら話は別だが・・
真っ先にかみついた君を姜維弁護派と誤解したというならこちらが悪いが
きみは姜維派だろ?
ならぶちあげられた事例に対し根拠を持って反論するべきでは?
それを根拠を先にしめせということに違和感は感じないのか?
姜維と関羽が互角だなんて誰も言ってない
どっちが上かはっきり決めれそうに無いから保留なんだ

論拠というなら、過去スレの関羽と姜維議論の迷走ぶりを見れば分かると思うが・・・
>>296
そこで火種を蒔くか貴様・・・と言いつつも
とりあえず根拠出せ。
正直劉備や諸葛亮みたいに推測を含めても関羽をベスト3には推せん。

>>299
軍を率いての統率力、深謀さ、引き際、判断力。
記述量=事例も多いし、↑ここらへんは姜維が上だと思うがね。
で、そちら様は?

>>306
関羽だって(ry
まぁどっちも傾国に関わってるんでとやかく言わない。
>>309
話を理解してるのか?
俺は「論拠を示せないから保留にしておくべき」って言ってるんだ。
順位を動かそうとしたのはそっち、ならそっちがまず根拠を示すべきだろ。

仮に俺が、君より先に姜維>関羽と根拠もなしに主張したとして、
姜維>関羽の根拠を示すより先に、相手にそれを否定する根拠を出せってのは変に思わないか?
>>310
まあ過去スレをみて決めれそうもないというのは同意
しかし主観だがこのスレにおいて
姜維派が一時やりこめられた気がしてたから
もうそろそろいいんじゃないか?
とおもって順位を提起したわけで。
いわば姜維に4位を確保して譲歩させようとおもったわけだ
うははは
姜維も関羽も負けすぎだろ。
そこで張飛が三位浮上。
あ〜あ
折角、関羽VS姜維の長い冬の時代、趙雲のキモ生暖かい時代を越えて、ようやく初代スレの雰囲気(単純に姜維を考察)だったのにな…
このスレでの煽りあいの歴史から
やりだまにあがった将が間違いなく貶められるという歴史から
先におまえが根拠しめせ合戦が勃発中

こんなアホなことばっかやっててもね
三位は王平・趙雲・魏延クラスから選んだほうが無難だと思うが
>>315
姜維を考察したいならなんか専用スレあるだろ
そっちいったほうがいいよ
>>315
上の方でも誘導されてたが、姜維の考察はここでやると荒れるから、
姜維スレでやった方が良いかも知れんな。
>>317
趙雲?・・・・・・
将の良い所を認めないで悪いところだけを探しぬいて叩き続ける厨房が多いからな。

>>317
魏延はまだしも、なぜ王平趙雲?
まあここで提案なんだが
関羽 3位
姜維 4位
確定しちゃって関羽派、姜維派ひとまず安心しちゃわないか?
そうすれば関羽派の強情、姜維派の屁理屈で
3位4位に王平やら趙雲(ありえんだろw)
が来るのを撃退できると思うんだが。
3位4位が順不同だとこいつら無難軍団が
上位に来る隙を見せて大変なことになるぞ!!

関羽、姜維同盟の締結を求む
>>322
頭悪いの?
>>322
関羽派は強情で、姜維派は屁理屈ですか。
>>322
といいつつ関羽派は裏で魏延と手を結ぶ腹だろうが!
そうはさせんわ!
>>325
既に王平と同盟済みの姜維派に言われたくは無いな!
趙雲は誰と同盟結べばいいですか?
>>327
誰か地味な人とでも結んでください
マイナスポイントが少ない趙雲は、加点減点方式なら屈指!

といってみるテスト
同盟結ぶなら陳倒とかクフぐらいか
>>329
両方とも事績が何にも伝わってない人物だな
>>317
そもそも三位四位が関羽・姜維で内定なのは
両派の厨害が酷いので他の者が
「ならその二人は同率三位でいいから他の者を語ろう」
って過程で決まったからな

要は三位四位に隔離しただけ
今さらそこを弄りたくもない
王平やら趙雲は別として、何故、張飛が関羽・姜維の上ではだめなの?
グフ?ランバラル?
334315:04/07/10 23:35
〉318
いや、俺は別に姜維の考察をしたいんじゃなくて
初代スレの雰囲気に戻りたいんだ
ここんとこの姜維ネタで出てきている長安陥落させとけば,って意見は魏延擁護論ですか?
正直,長安を落す最後のチャンス兼諸葛亮没後の蜀の士気を高める絶好のチャンスは,魏延の北伐続行策だったと思うですよ。
>>332
徐州での失敗とかのイメージが強すぎるんじゃ?
>>335
魏延を陰で擁護しながら姜維をおとしめ
3位 関羽
4位 魏延
にもってこうとする関羽派の策略だろ
>>337
そりゃいくらなんでも…
疑心暗鬼になってないか?
最近は陰謀論しかないのか、このスレは。
340337:04/07/10 23:45
>>338
ちょっと人間不信になってますた
第一次北伐で奇襲を採用して成功しない限り、長安を一時的にでも占拠するのは無理っぽい気がする
魏の西部方面軍だけで蜀全軍と拮抗するわけで。さらに中央から後詰が出せるんだし
姜維時代も含めて、魏の対蜀戦線にはどの程度の戦力が張り付いてたんだろうな。

姜維が王経を破った時の被害は、多く見積もっても2、3万だろ。
それでも尚、依然数万の戦力を有していた姜維に対抗でき、更にその翌年の姜維の侵攻にも
耐え得るほどの戦力があったわけだ。
そうすると、雍・涼州全体で10万近いか、それ以上の兵力を擁していたのか?

その上中央からの後詰か。中原は遠いな。
>>342
どうも姜維の時代は雍涼のみで対処されてたっぽい
諸葛亮の頃は、曹真、司馬懿といった中央の都督が対処してた
>>343
諸葛亮が連年遠征を繰り返した事を見て、蜀の魏侵攻の志が萎えてないと判断し、
その後の時代に雍・涼州の戦力を増強でもしたのか?
蜀の兵力は、降伏時の帳簿によると10万程度
これを常備兵力のみと仮定しても、守備やら治安維持に当てる分やらが引かれるから動かせるのは過半ぐらい
さらに蜀が打って出る際の兵站問題を考えると3〜4万で打って出られれば上等か・・・
国力がまだ諸葛亮時代まで遡ればマシ、と考えても・・・
>>344
姜維の頃は魏国内で多くの問題を抱えてたから、
雍・涼にほとんど目がいってないだけ。
>>343
王経が敗北した時は、中央が動く気配もあったんじゃないか?
ケ艾らは、要害を切り取りつつ姜維の勢いの衰えを待つように主張していたし、
姜維も救援の軍勢が集結してから来るだろうと思ってたみたいだから。

姜維がそう予想していたという事は、王経が敗北した段階で雍州に残ってる兵力は、
姜維のそれと拮抗していたのかもしれない。
そう考えると、雍・涼州の兵力は7、8万って所か。
もう姜維はいいよ
>>345
筑摩の三国志8巻の巻末にある年表だと、諸葛亮は第5次北伐に10万を動員したとあるが、
当時の蜀にそこまでの兵力を動員できたのかな?
>>349
人口90万程度で、しかも連年遠征を続けながらそれだけ動員っていうのはかなり無理がある気がする
曹操本軍と漢中を取り合った時のような無理な動員かけたとしても6万強行けばいいほうだと思う
結論から言うと
1位孔明(議論の余地なし)
2位劉備(でも多分本国でこの人名将って人いない)
3位張飛(人間性は別問題)
4位関羽(名声に免じてギリギリ)
5位黄忠(戦績がいい)
6位趙雲(特に失策ゼロ、戦功は不明)
7位魏延(裏切り者は名将とは永遠に言われない)
8位姜維(オタのためにお情け)
9位以下は各自自由でw
こんなもんでしょ?どう考えても姜維は無理ありすぎ。
負けっぱなしを名将なんて言う国はないよ。
関羽や張飛など初期は共同作戦ながら勝ち続けて結果として
建国まで行ってるのだから上位にくるのは当然。
>>351
荒れるの嫌なんで一つだけ突っ込み
魏延の裏切りは演義仕様
>>351
荒れ際にネタは勘弁
354349:04/07/11 00:57
>>350
漢籍電子文献の晋書を見てみたら、宣帝紀に、
「二年,亮又率十餘萬出斜谷,壘于郿之渭水南原.
 天子憂之,遣征蜀護軍秦朗督步」
と、あるから、これをもとに10万としたのかな。
姜維の熱狂的な支持者ってなんだか不思議なんだけど…

VS魏というかたちをとったのは、
国内を纏めるためと過程しても、
漢中の防衛ラインを下げたあたりは尋常じゃ無い。
第一であるはずの、国を囮にしてどうするんだよと。
ああまで撃破に固執して、失敗していたら
評価も何もあったもんじゃないだろう。
>351
演義仕様のかおりがプンプンする。
魏延の評価をどうにかしろ。
あと趙雲は高すぎる

正直、姜維はそんな感じだと思う。
>>354
正史に書いてあるなら、よほど非合理じゃない限り素直にとったほうがいいかなやっぱり
と、なると本気で根こそぎ動員したわけか…
魏延が撤退に反対したのは「おいおいもう後がねぇんだよ!」っていう感覚からだったのかも
命令自体には忠実だったわけだけどここで急に実務面でごねだしたから
姜維ヲタがだらだら段谷やら王経戦やらを都合のいいように
細かく解釈するスレはここじゃないだろう
専用スレでやってよ
359349:04/07/11 01:03
>>357
孔明も第5次は本気だったんだろうな。
でも屯田が思った以上に上手くいかず、五丈原に拠点を築く事に失敗、
自身の寿命も尽きてしまったわけか。
粟がうまく育たなかったらしいね。その失敗のダメージが大きすぎて病気に
なってしまったというのが真相だそうな。
とうがいならあり得ないミス。
>>360
演義でも正史でも、期待していた呉の呼応がダメポだったんで精神的に切れたんじゃなかったか?
諸葛亮は、魏延では10万の大軍をまとめて司馬懿を破るのは不可能と考えていたのか。

確かに、いくら魏延とは言え、10万なんて大軍を統率した経験は無いし、
同僚と仲が悪いから、例え戦おうと思っても軍が上手く動いてくれないだろう。
諸葛亮の撤退という判断は、やはり正しかったのか。
蜀単独での長安攻めはやはり無謀だろう
姜族やらの呼応が最低条件

孔明、魏延じゃむりぽ
孔明、馬超が最上、孔明、姜維ならまあなんとかってところ。
>>361
曹叡の大軍が数百里の彼方にいる内から撤退したんだっけな。
やる気ないよな、あいつら。
益州の人口から考えて、10万の遠征軍はあり得ない。
巴西や南方も空には出来ないし。
呉は234年までの5,6年間は連年のごとく出兵してるんだがな。
大体、呉の出兵がうまくいく確率なんて蜀同様に小さいものだし、
呉にメリットが少ない割には、よく戦ったほうだと思う。
晋書には10余万とあり、三国志には大軍を悉くとあるだけ。
実情はどれくらいだったんだろうな。
正直234年の呉の出兵なんて前年に群臣の反対押し切って公孫淵に使者送って斬られて
面子まる潰れの孫権の名誉回復の為の示威行為みたいなものだから成功率ナッシング。

期待する方が悪かったと
実際どんくらい期待してたかはわからんが
10万動員可能なだけの人はいたんだろ
ただ、孔明死後は逃げ出す兵や戸籍を把握できなくなったりなんじゃないの?
>>369
期待してないだろ
蜀だって呉の都合よく
行動してたわけでもないし
>関羽や張飛など初期は共同作戦ながら勝ち続けて結果として
文章として残ってない以上、所詮妄想に過ぎない。
張飛は勝ってる戦が書かれているから想像できなくもないが、
関羽の功績をだした戦と言えば、相手がビクネームというだけでよくわからない状態。
さらに言えば、初期の兵が少ないときは活躍できてたと仮定すると、
少数の兵はよく率いるが、要所を任され大軍を率いる身になると失策する人物である、
つまり、関羽は黄忠・魏延には見劣りし、
趙雲・王平と並んで語られるべき人物ということになる。
>351
大方納得出来る。
あとは魏延のとこの勘違いを修正すればいい感じじゃねぇか。

劉禅伝には「征西大将軍魏延、与丞相長史楊儀争権不和、挙兵相攻。延敗走。延斬首。儀率諸軍還成都。大赦。」とあるし、裏切りじゃないだろ。
三国志の裏の値打ちとして、魏の人々にとって蜀の内情がよくわからなかった所に、
蜀側の資料とつきあわせられたことがある。

魏延の事についても、案外本当だったんじゃないか。それまで魏にすれば、何で失脚
したのかよくわからなかったわけだし、時代の証人の証言として貴重だと。
魏延の謀反について
政争扱い:劉禅伝、魏延伝
謀反扱い:楊儀伝、王平伝
どちらでもないが、両者の仲が悪かった記述:費イ伝

本人の伝と国主の伝が政争扱いで、魏延に敵対した二者の伝だけが謀反。
本人の伝に悪く書くことは少ないことから考えても、政争で負けて謀殺されたというのが本当クサイ。
>372
関羽に関して特別記載がないとしても、初期に活躍した事は
疑う余地はない。そもそも孔明が参加した所で直接戦いに
参加するわけでなし、義兄弟の位置からして劉備に次ぐ次兄が
張飛より活躍の場が少ないなんて中国の国民性からして
ありえない。まして他の将が誰も居ない頃から戦っているんだから。
領土こそなかった劉備だが、戦自体は殆ど勝っている(初期)。
この戦勝は関羽と張飛によってもたらされたものだろう。
>373
魏延の裏切りというのは違うかも知れない(多分違うと思う)、が、
そもそもそんな疑いが掛かる事自体がもう「名将」とは言えないって事です。
世界で「名将」と言われるのは1、古くは悪政を敷く領主を少ない兵で
打ち破った者、2、戦争時とにかく出れば勝つと言われた者、
3、正義感が強く広く人民に慕われ忠義に厚い(勿論強い事)
こんな人で蜀の様に少ない兵で大軍に勝つ人をいう事が多い。
10万の兵で1万に勝っても誰も言わない罠。
だから初期の評価が高くなるのは仕方ないね。
>>376
疑いが掛るって演技のことか?
あれは創作だろ。
以前,中国の民話がこのスレで紹介されてたが,演技のイメージが無ければ民衆的には裏切りなんておもっちゃいねいだろ。

376の意見だと,演技で悪いイメージが付いたから名将ではない,って意見に読めるぞ。
魏延は裏切り者でもなんでもなく、
ただ権力闘争に負けただけ
裏切り者ならさっさと魏に降伏している
なぜ関羽の事跡の不明部分については好意的推測ばっか飛ばすんだ?
このスレ正史準拠じゃなかったっけ
魏延が単なる政争によって失脚したに同意

伝は本人主観にたって書かれることが多いので
ヨウギ主観から見たら魏延が逆臣
魏延主観からみたらヨウギが逆臣
でたまたまヨウギが政争に勝っただけ

石の馬の伝承を見ると当時の世論がうかがえるがそこからも推測できる
ttp://homepage2.nifty.com/tonglaya/shirenma/shirenma00.html

しかし功績からして関羽より上はないとおもう
活躍期間が短すぎ。
>活躍期間が短すぎ。

10年以上漢中で働いていますが、何か。
382372:04/07/11 10:51
>>376
だから残されてない部分をどうして関羽が”将”として活躍した、
と決めつけられるのかを聞かせてもらいたい。
初期の戦で勝っていることを劉備自身が指揮した結果ではなく、
関羽・張飛が指揮した結果と決めつけている。
劉備が関羽・張飛の力で戦に勝ってきたというならば、劉備の人物評価は
正史のそれではなく演義のそれが正しいということになるのではないか?

それと、初期の(比較的小規模の)戦いで活躍できていたとしても、
要所を落とすほどの人物というならば、やはり趙雲・王平のような戦上手という
評価で十分ということではないだろうか。

>>381
漢中での防御のみでしょう
張飛をさしおいて漢中まかされ
そのさいカクワイだっけ?少し攻勢かけて破ってる
この辺は評価できる
魏延の評価出来る点はここのみで
さらなる活躍が見込まれたが政争に敗れて死んだので
それ以上の活躍は出来なかった。
短すぎとは言い過ぎたが関羽や張飛に比べて短く
自然とあげられる功績も短いが故に多くはない。
自分は魏延擁護派(張飛と同率五位でどうすか)なので関羽については割とどうでもいいンだが,関羽を墜すのに魏は曹仁,徐晃を出し,その軍が陽動扱いになって呉が関羽の一族を人質にした上で漸く斬首でしょ。
欠点も有ると思うので順位については特に意見はないが,「趙雲・王平のような戦上手という評価で十分」ってことはないと思うが。
>>383
第四次北伐の前年に、郭淮と費曜の両軍(おそらく挟み撃ち)を撃破した件とか
丞相司馬として孔明の戦術的勝利に貢献しているのとかは功績に入らない?
>>383
「関張に比べて」短い,って話に同意。
まぁ,それを謂ったら対を張ることが出来るのは趙雲と麋竺,孫乾,伊籍くらいになりそうだが,それは已む無い話だ。

でも,北伐中の前軍師だった功績を評価してほしい氣も。
まぁ,北伐中は諸葛亮の事ばかりで,他の将も含めて何も事蹟は記されていないが,「配下の士卒の訓練を怠ることなく」と伝にはあるし,諸葛亮麾下の将としても軍の掌握に努めていたことは判るし。
387372:04/07/11 11:26
>>384
関羽は最前線の防衛というかなりの重職を与えられたが、それを果たせなかった。
最前線とは常に状況が変化するものであり、
相手が大がかりに出たから関羽がそれだけの将だったなんてことは言えない。
魏・呉は関羽という人物ではなく荊州の大きさをしっかりと認識しており、
関羽にではなく”荊州の司令官”にそのような手を打ったと考えるのが自然。
結局関羽は過分の責務を与えられて果たせなかっただけ、ということであり
そこまでの責務を与えられなかった趙雲・王平との比較にこそ
意味が出てくるのではないか?
孔明北伐戦中だと、魏延と呉懿が当時蜀軍のビックネームとして「街亭を任されると皆がみていた」とか「(第四次北伐決戦時に)先鋒として派遣され」とか重点戦区に投入されてたみたいだね
王平も孔明指揮下で張合βとガチバトルして耐え抜いたりと
陳式も一応魏領土を分捕ったわけだから功績を上げているとみていいだろうな
>>387
それはそのとおりだねぇ。

いやね,自分は魏延擁護派だけど,「関羽は黄忠・魏延には見劣りし」というのに違和感を感じたので。
魏延>姜維とは思うが,関羽>魏延というイメージがあったので。
390372:04/07/11 12:04
与えられた責任と残した結果のバランスを見ると、
魏延>関羽だと思う。
姜維・関羽は与えられた責任と残した結果のマイナスが大きめで拮抗しているから、
結果論で語るなら魏延や黄忠や張飛を上に持ってきて、
趙雲・王平らとの比較で語った方が良いのではというのが個人的な主張。
391名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 13:10
功績のみの(推測される能力はあまり考慮してません)比較表

    建国まで  蜀奪取   蜀成立後        マイナス評価

魏延  なし    活躍    漢中を攻勢に出つつ守護 これからという時に
                            政争に破れ死亡

黄忠  なし    第一の活躍 漢中奪取に大活躍    蜀での活躍期間があまりにも短い
                カコウエン撃破  

張飛  多大に貢献 活躍    漢中攻防において 配下に殺される
                カコウエンの兵を割かせる
                要因(対張コウ)
                これが決定的か?

関羽  多大に貢献 背後(荊州)  5年荊州守る      魏を震撼させるも北進
          の守護               成功せず荊州失う
                            蜀の戦略の幅せばまる

姜維  なし    なし    北伐における 北伐は大半が負け戦
                王経撃破(大勝利)    国の疲弊の要因
               
王平  なし    なし 漢中守護。その際   特になし
               曹爽を援軍来るまで
               防ぐ。
392391:04/07/11 13:13
表にしようとしたが失敗
スルーでよろしくw
趙雲より、黄忠の方が部隊長って感じがするな。
カンネの戦いで、ハンニバル軍左翼の重騎兵を率いていた、
ハンニバルの弟みたいな役割なんじゃないか?

自分で布陣や軍の指揮、敵の撃破を行うんじゃなく、
千数百から数千の規模の隊を率い、劉備の指揮の下で動いていたんじゃないかと。
ただ、武勇に秀でて、兵に死力を尽くさせるのが上手かったから、
戦いの度に武功を立て、漢中では夏侯淵を討ち取る程の活躍をしたとか。
魏延の郭淮と費曜の両軍(おそらく挟み撃ち)を撃破した件とかは
蜀成立後の功績に入らない?
>>391
魏延が漢中の守護をしていた時に、彼が攻勢に出た事を示す記述って特に無いと思うんだが。
>>392

     建国まで    蜀奪取        蜀成立後             マイナス評価

魏延   なし       活躍       漢中を攻勢に出つつ守護    これからという時に
                                             政争に破れ死亡

黄忠   なし      第一の活躍    漢中奪取に大活躍        蜀での活躍期間があまりにも短い
                         夏侯淵撃破

張飛  多大に貢献   活躍       漢中攻防において         配下に殺される
                         夏侯淵の兵を割かせる
                         要因(対張郃)
                         これが決定的か?

関羽  多大に貢献   背後(荊州)    5年荊州守る            魏を震撼させるも北進
               の守護                         成功せず荊州失う
                                             蜀の戦略の幅せばまる

姜維   なし       なし       北伐における            北伐は大半が負け戦
                         王経撃破(大勝利)         国の疲弊の要因

王平   なし       なし       漢中守護。その際         特になし
                         曹爽を援軍来るまで
                         防ぐ。
そういえば
ゴイって順位論議に出てこないな
>>397
呉懿は事績に乏しいから。
具体的な戦功は、230年に、魏延と共に陽谿で郭淮らを破った事くらい。
それでも11位以下の候補には入ってたけどね。
これはなんの順位について話し合っているのですか?
>>399
読めば分かると思うが、蜀将の軍事的な能力の順位についてだよ
趙雲別伝の信憑性ってどの程度?
>>400
では戦争が下手な関羽がなぜ上位にいるのですか?
>>401
裴松之が註として取り上げ非難していないところを見るとまったくのでたらめという可能性は少ないんではないかという程度じゃないかな?
その後の研究とかでどのような判断がなされたかは知らんが。
404名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 16:16
>>402
新手の煽り(2段構え)
手が込んでて逆に感心したぞ!!
>>396
姜維の北伐に関してだけど、大半が負け戦というのは違うと思う。
まず前半は上にしょうえんやひいがいて彼が動かせる兵数は多くない。
またその目的も蛮族が多く魏にとっても不安定な領域である涼州に地歩を築くためのものであり、それに関してはそれほどは目的を達成できなかった。
しかし軍事的にみれば利あらずとみれば負け戦にならないうちに引き揚げてるのでプラスにもならない代わりにあまりマイナスにもならないと思う。
みずから軍を動かして成果なしという点においては非難されべきだが、この時点では国力をそれほど損ねてないのでそんなに問題ないんじゃないかな?

後半、軍のトップに立って漢中の兵力を回し大軍を動かせるようになると、大勝もするがやりすぎて大敗することもあるようになる。
国の疲弊に関してはこの辺が理由か……って、これこそ姜維の責任に帰することになるな。
姜維を擁護しようと思ったのにな。

ただ漢中の兵を回したこと自体は攻勢に出るという方策をとった場合、必ずしも悪い安ではないと思うけどね。
そもそも、巴蜀に侵攻するルートは漢中だけじゃない。
漢中に兵を張り付けていても、大規模な多方面作戦を行われたら防ぎようがない。

だから、姜維が漢中の部隊を割いて、自軍(遊軍)に組み込んだのは、
良い事じゃないが、非難されまくる程悪い事でもないと思う。
     建国まで         蜀奪取        蜀成立後             マイナス評価

趙雲  それなりに貢献     一応活躍   恩賞で劉備に助言           軍を率いての事跡が僅少
     当陽で阿斗・夫人救出          曹操の本隊を寡兵で撃破                   
                             夷陵で劉備を諫言
                             北伐で陽動・撤退成功
                             恩賞で諸葛亮を諫言
                         
>>407
別伝の記述が入ってるね。
>>407
('A`)
>>407
蜀成立後の功績の半分が諫言、助言ってのはどうよ
     建国まで         蜀奪取        蜀成立後             マイナス評価

陳到   趙 雲 に 次 ぎ ま す
人格的には趙雲は五虎将で1位かもね。
まぁ軍事能力にはあんま関係ないけど。
別伝は趙雲のものも含めて二十種らしい
関羽の建国までの貢献の大きさは無視できないとして、
将としての討議に建国の何をしたかよくわからない功績をいれるのは無しだと思うのだが。
>>411
ワラタ
まぁ能力的なもんで拮抗してて上下の判断が難しい時なんかに
公人としての識見なんかの+αを考慮に入れるのはいいんじゃね?
関羽の荊州守護と王平の漢中守護の違いはなんですか?
かんちうは要害だがけいしうはイマイチ
江陵と襄陽持ってないと、防衛困難
荊州は背後にも呉という敵性勢力になってもおかしくない存在があった
漢中は後背地はとりあえず安全
この差は大きいと思う
関羽とその配下は精鋭を蜀に出した後の兵力でよく支えたと思う
>>420
それは蜀だけのものの見方だね。
魏からすれば荊州は攻めずらく、
呉は合肥方面に目が向いていた。
だからこの場合は戦争ではなく外交で守らなきゃいけなかった。
422名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 19:22
5年の間はのらりくらりで守ってたけどね
たんとう会見だっけ?
そのへんまでの
荊州の帰属をうやむやにしながら荊州保持し続けた外交は結構巧かった
北上するまでは外交で保持してたんだよ荊州を
さあ北上ってときに呉に騙されたわけなんだから
そこは関羽の外交に対する甘さなわけだけど
まあそれまでだまし続けてきたわけだから重大な局面で騙されても仕方ないけどね
普通に考えると荊州を外交で保持するというのはきわめて困難。
もともと取り返されて当然な上に、呂蒙のやりかたが巧すぎた。
しぶとい曹仁と天才呂蒙を誉めるべきで、関羽を責めるべきじゃない。
424名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 19:39
刑州を仮に維持できたとして蜀漢にとって重荷じゃなかったのか?
長安とれれば荊州がめちゃめちゃ活きたんだけどナア
>>424
持ってないよりは遥かに有利だと思うが。
重荷ってのはどういう理由でそう思うんだ?
関羽の場合、自壊という面が大きいのがなんとも
同盟勢力のボスを犬呼ばわりしたり、監督権があるとはいえ同僚を馬鹿にしたり…
だれか発言権をもった補佐や交替を回そうと思わなかったんだろうか劉備は
428変質社:04/07/11 19:52
ははは こやつらめ
>5年の間はのらりくらりで守ってたけどね

半分呉に持って逝かれた訳だが・・・・・。外交では覆いきれないほど呉の圧力が大きくなってきた
所へ、漢中を獲ってしまったから、孫権にすればこれ以上看過しがたい所まで来ていた。
根本的なてこ入れが必要だったはずだが、孔明は何をしていたのだろうか。
>>429
益州の内政やってたんじゃ?
劉備存命中は主に管理部長だったわけだし
赤壁の外交や入蜀時の軍事行動は例外で
431変質社:04/07/11 20:06
誰だ二虎強食の計を仕掛けてるのは?
というか最前線なんてものは事態が急転したりして、
中央が当時の通信技術では対応しきれないからこそ、
それなりの人物を置くのだろう?
全てが関羽の責任なんて言うことは出来ないが、
関羽が他の二国の司令官に対して圧倒的な遅れを取っていたのが現実だろう。
そもそも、曹仁の粘りと呂蒙の辣腕を差し引いても、
ハンシュンの件に関してはあの時代決して見過ごすべきでないものを見過ごした結果、
例え外に対して上手くやりおおせたとしても内によって崩壊する危険性があったことを示す
決定的な証拠になっているのではないか?
433無名武将@お腹せっぷく:04/07/11 20:59
潘濬の件って?
434351,376:04/07/11 21:33
物凄い書き込みだなw。まず俺は関羽を上にしたけど、決して
「名将」にふさわしいとは思っていない。
初期でいえば張飛の方が記述が多い分やや上と見る。
しかし曹操の様に個人の才を好む英雄が奸羽を欲しがった事からも
幾多の戦績があった事は想像に容易い。
こういうと「所詮妄想だろ」という人がいるが、それは違う。
これは推察というものだ。個人的な贔屓無しで推察すると
当然功績があって当然、となる。
しかし、「名将」とは言えないかとも思う。失った物があまりに大きいからだ。
本音を言えば「名将」と言えるのは孔明だけって気がする。
ただ蜀という中で見れば趙雲が次点かな?という気がする。
他はプラスマイナスしなくてはいけない時点で名将と呼ぶ気にならない。
マイナスがない、ってだけでも(蜀に限れば)充分「名将」と
呼べるかとw。
廖化ちゃんも名将だよぅ
>>434
まあ結局肝心の「何故関羽>姜維と言い切れるのか」という疑問には答えてないな
>>434
喪前さんが趙雲好きなのは良く分かった。
仮に趙雲がいなかった所で蜀にとっちゃ殆ど影響無いから下なんだが。
>>437
いなかったらエンショウの元で自前の兵力集まらず泥舟に強制同乗かもよ
>>434
なんで関羽に対しては、「功績があって当然」とか言って上位に持ってってるのに、
姜維はオタのためのお情けとか言って9位なんだ?

大体、負けっぱなしとか言ってるが、兵権を握ってからの勝率は2/6だぞ。
負けっぱなしって程じゃないし、その内の一つは三国志全体でも稀に見る大勝利。
更に、「指揮官が戦闘を継続する事に戦術的意味を失った事」による
戦闘の自主的中止を考えず、双方の強制的中止だけで考えるならば、勝率は2/3だ。
440439:04/07/11 22:00
訂正、9位じゃなくて8位か。
まあ、あまり変わらんが。
そういや中国名将100選みたいな本があったけど、そこに趙雲が次点で入ってた。
その本には99人までしか書かれてなくて、「最後の1人は個人の好みで」みたいに書いてあったけど、
そこに著者の考えとして他5人くらいの名と一緒に趙雲の名。
ちなみに魏からは曹操。呉からは周瑜と陸遜。蜀からは関羽が出てた。
諸葛亮は名臣だか名政治家だかの100選に入れるから除外したと。
>>441
芳樹なんかほうっておけ
>>442
その著者のことよく知らんけど、趙雲を入れる辺り小説家とかなの?
>>443
田中芳樹でぐぐってみそ
俺もその本読んだけど、関羽を選んだ理由が理由になってなくて笑ったんだけど。
>>445
どんな理由だったの?
趙雲を外した理由は民衆に神格化されて大人気の関羽に譲ることにしたとかって。
張飛を入れないのは関羽と張飛はセットで考えるから関羽を考えることは張飛を考えるのと一緒だとかなんとか。
後の細かい記述は忘れた。改めて見るとかなりテキトーだなぁ
>>447
民衆に神格化されてると問答無用で名将なのか…
しかも張飛と関羽はセットだとか、わけわからんな
つーか関羽も姜維も俺としては双方五・六位程度
>>449
その理由は?
双方大失敗だから
二人ともキツイ状況だったのだろうが
452無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 00:21
>>447
民衆に神格化されてると問答無用で名将になるのならば
関羽にかなう人材は一人も居ませんな。

名将100選だめぽ
このスレだと、責任が大きくなればなるほど、
求められるものも大きくなって不利になるな。
>>453
それなのに責任を全うしただけでは功績として大きく見られないし(王平とか)
あと内乱鎮圧に活躍した張ギョク・李カイなんかの評価も低い気がする
張嶷は参謀兼部隊長って感じだな。
一軍を率いて活躍する機会があれば、もっと評価が上がったろうに。
身寄りのない貧しい家の出身だったから、あまり重用されなかったのか?
〉441
芳樹の本なんざ、読めたもんじゃないさ
「俺ってこんなこと知ってんだぜ!」ってのが全面に押し出された文章
(おまえら、三国志しか読んでんじゃねーよプゲラ)
安いカッコつけただけの登場人物
過度の岳飛と光武帝のマンセー
挙げ句の果てに「ディズニーにムーラン盗られちゃったな」発言
>>455
一応名士層と交流はしていたみたいだけどね
やはり自前の土地とか部曲(私兵)とかがないと厳しいかも
もっとも蜀軍の場合、全兵力が少ないから外征時はどうしても大軍を預かる武将の数が少なくなるんだけどね
姜維が数万人殺したって魏蜀の趨勢は全く覆らなかったんだから、
数百から数千の規模の兵力では、魏蜀の趨勢に与える影響なんてたかが知れてる。
大規模な兵力を巧みに動かせる能力こそが、蜀には求められてるはず。

だから自分は、大規模な兵力を動かし、明確な戦果を上げた姜維を3位に推す。

しかしながら、蜀には司令官級の働きをした人間自体が少ないから、そういう基準だと、
必然的に劉備、諸葛亮、姜維と、兵権を握った人間が上位に来る事になる。
だからこういう事を言うと、司令官になれなかった人物を推す人から反発がある。
どうしたものか?
>>457
的確な状況判断と、それに合わせた行動の決定はしっかり出来てるから、
一軍を率いさせても結構活躍できたと思うんだよな。

そうじゃなくとも、もっと早くから姜維に付き従って、
北伐で様々な作戦立案とかをしてれば、かなり評価は上がったはず。

でも張嶷が北に来ると、南方が不安定になりそうだもんな。
まず数万人てことを鵜呑みにするのもどうかと・・
実際は1万にもみたないだろう
大きな勝利だったのは確か

しかしなぜこれだけの大勝利にもかかわらず拠点もなんも落としてないんだ?
詳しい方教えて
姜維は動機と結果が一番の問題だな

自分の目的を最優先するがために兵権もっぱらにする、
それにより蜀自体が疲弊して滅亡につながった。

この図が崩れない限り多少操兵うまくても上位にはいれられんよ
成果のない戦いをたくさんしすぎで能力も?だし・・

10位以内に入るだけでも姜維派は喜んでいいと思う
>>460
既出だが、王経の敗戦について、ケ艾は、
「洮西の敗戦は小さな失敗ではない。軍は敗れ兵は殺され、米倉は空になり、
 住民は流浪する事となり、ほとんど危機滅亡の状態と言って良い」
と語ってる。
王経は恐らく、雍州の諸軍を引き連れていったんだから、その兵力は3、4万あったろう。
それが敗北して狄道に籠もる時には1万程度になってる。かなり死んだか逃亡したはず。

姜維は、敵はこちらの勢いを重く見て、大軍が集結してから救援に来ると予想し、
そのまま狄道を包囲し落とそうとしたが、陳泰が即時救援を決めて援軍に現れた為に失敗してる。
つまり、野戦において敵を散々に打ち破ったまでは良いが、拠点陥落まではいかなかったって事。
>>461
なんで姜維の北伐を私事だと思うんだ?
動いたら動いたで、姜維のように評価は低くなり、
動かなかったら動かなかったで、王平のように微妙な評価。
一体どうすりゃ良いんだ?
>>462
その説明を見ると
何度も敢行した北伐において
対王経戦の勝利だけを見ても(段谷では負けたとしても)
姜維が将として無能ではなかったことの証明にはなるなあ

まあ拠点落とせなかったのは魏との兵力の絶対数の差というところか
>>465
もう一つ擁護させてもらうと、段谷の敗戦は胡済が来なかった(来れなかった?)
事も大きな要因となっていて、姜維の用兵を極端に貶めるものではない。

あと、>>460は数万人の記述なら1万人に満たないと言っているが、
段谷の魏側の公式記録は数千の首級。
洮西が1万にも満たないなら、段谷なんて千にも満たなくなってしまう。
やはり洮西は、少なくとも1万は殺したと考えるのが妥当だと思う。
>>463
姜維の目的・・・魏を討つ
蜀の目的・・・・国を存続させる

だからでしょ
蜀の目的が魏を討つという意見はあまりにそこに住む人々を無視しすぎ。
段谷での敗戦後守備兵けずらないと攻撃部隊編成できなかったわけだから
敗戦後はその結果を潔く受け止めて回復に努めるべき。

それをろくにしないで自分のやりたい戦争戦争だから私事といわれても仕方ないでしょ
まあ461も467も同じ俺の意見なんだが
まとめちゃうと

能力面   なかなか有能
功績    結果として最悪

という意見です 
これが姜維を上位には配せない理由
>>467
段谷の敗戦後は、北伐のペースは極端に落ちていて、257年に沈嶺に出兵した後、
次の出兵は5年後の262年。

批判が大きくなって動けなかったというのもあるが、そこまで戦争を強行したわけじゃないよ。
更に、この頃は既に国政の中枢で姜維の発言力は極端に低下しており、
内政に従事するなんて事が出来たとは思えないんだが。
やはり責任が大きくなると不利になるのか。
功績が結果として最悪とか言われるのも、軍事において大きな権限をもってしまったからであって、
そういう立場にならなかった人間はそんな事は問われないし、政治面の能力も別に求められてない。

しかしながら姜維は、軍事においては圧倒的に不利な状況で魏を破る事が求められ、
政治においては派閥を作ったりとか、国力の回復とかを求められたりする。
今更だが、>>462のケ艾の言葉は、「兵は殺され」じゃなく「将は殺され」だな。
原文だと「洮西之敗,非小失也;破軍殺將,倉廩空虛,百姓流離,幾於危亡」か。
なにも姜維が内政に従事する必要はないでしょ。国力が回復してから
機に乗じるべきで
内政はその役割の人間にやらせればいい。

どうも姜維の場合蜀への愛が魏を討つという事にこだわりすぎて
兵権を司るものとしての判断を大きく誤った気がしてならない

>>469
段谷後 1年してすぐ出兵、その後5年してまた出兵というのは
それまでのペースがやや落ちたというだけのような・・
依然としてハイペース。
到底国力の回復を見てとは思えない。
むしろ依然として戦争したがったが反対勢力にやむなくペース落とさせられただけ
では?
>>470

だから俺も姜維が失敗の少ない王平や趙雲に劣るという意見は賛成できない
大きな兵権を持ちそれを動かして攻撃し大勝利すらおさめてる姜維は
その失敗を見ても能力的には王平や趙雲を上回っているとは思う
>>472
ややではなく、かなり落ちてると思うが。
253年に最初の北伐を敢行してから、段谷までは毎年遠征してたんだし、
それに比べると異常にペースが落ちてる。
それに、諸葛亮は6年間で5回だから、この間の時期は諸葛亮と比べても異常に遅い。

批判が大きくなって出兵しづらかったてのは大きいと思うけどね。
自分は、初代スレから延々と姜維の擁護をしているが、
最近は姜維の擁護をしていても援護射撃があまりない気がする。

関姜の隔離スレでも話したが、あの騒ぎってのは、
やはり双方のアンチが便乗してただけなのかね?
でも翌年
出兵しちゃってるでしょ?
反省しとらんのかと(笑)

まあそれをやや落ちたというか異常にペースが落ちたかというのは
ひとそれぞれの捉え方によるのでこれ以上何ともいえないな。

まあここまで自分の意見を述べてきたが
逆に姜維を上位に推す人の本音と根拠を知りたいなあ

姜維の北伐ー蜀の疲弊

これをどう弁護するのか冷静にみたいんだが意見述べては貰えまいか?
援護射撃少なくなったすか(笑)

まあお互いアンチの粘着には苦労してるということで(笑)

しかし好みでいうと俺は姜維の方が好き。
人として弱い部分が非常に人間的でドラマがある
関羽はプライド高すぎて醜い
でも上司にはいいかな 同僚は絶対いやだね
>>476
姜維が北伐を敢行した事で蜀が疲弊したのは事実。
それはどうしようもないが、蜀が疲弊したからと言って、
姜維の将才が疑われるなんて事はない。

そして、自分はこの序列は純粋に将としての能力で決めるべきだと思っているし、
その能力という点では姜維は他候補を上回っていると考えているから、姜維を上位に推している。

それと、北伐について、過去スレに、
「1万なんて小出しにせず、初めから大規模な兵を率いさせ、
 奇襲的要素を含ませて北伐させるべきだった。だから費禕の責任は重い」
という意見もあったが、それでも成功するか分からない以上は、
北伐についてそういう擁護の仕方は出来ないと思う。
純粋に能力を評価するか
功績と併せて考慮するか

これによって順位はかわるということだな

能力的な面においてはここではほぼ合意してるとおもうので
あとは何を基準に考察すべきかという部分さえクリアできればってこと

まあもともと順位つけるという発想が無茶苦茶なわけで(笑)
ただし順位つけるからこそ盛り上がったのも事実

お、民主党大躍進か
そろそろねます
>>479
誰を推しているかによって評価方法も変わってくるだろうから、
これについては合意を得るのは難しいだろうな。

じゃ、自分も寝る。
>478
今までの流れからすると
「蜀という国の臣下としての功績」=「国家にどれだけ益をもたらしたか」
が評価の大きなウェイトをしめてると思うんだが。

それによって、実際馬超なんかは除外されているわけだし、
個人の将才だけ語って上位だと言われても説得力無いよ
>>481
>そして、自分はこの序列は純粋に将としての能力で決めるべきだと思っているし
>>478はこう言っているのにそこを無視した煽りすんなや。
つか関羽派姜維派を煽り続けていたのお前じゃないのか?
功績を入れるのなら法正や政治家たちも入れるべきだろ。
>482
「自分はこの序列は純粋に将としての能力で決めるべきだと思っている」
なんて自分ルールをいきなり持ち出されたら、
ツッコミ入れたくもなるだろうさ。

将才だけで語るとなると、今までの討論は全部無駄じゃん。
功績、人間性、地位、将才…etc
全部踏まえた上で語るから話がなかなか纏まらず、
だからこそ興味深い考察を読めたのになーと思う、1スレ住人の意見。
>>484
だったら「俺はこう思うからこうしたい」と言えばいい。
明確な判断基準が決まっていない状態で
>個人の将才だけ語って上位だと言われても説得力無いよ
こんな事言い出すのはただの煽り。
>>478>>476の疑問に答えただけだってのに。
>485
お前も落ち着けよ。
>>486
悪いな。論点のすり替えと煽りにはたいがいウンザリなんだ。
厨房はこれを繰り返して議論を長引かせた上、真面目に説明しようとしても長引くのを利用して
今度は「スレの占有だ」という手法に切り替えて煽りだすから性質が悪い。

議論は迷走し続けもう6スレ目になっている。
トリップ無しの意見は無視するとかルールを決めないと、まっとうな議論は出来ないのではないか。
そもそも、
「自分はこの序列は純粋に将としての能力で決めるべきだと思っている」
が論点のすり替えだから、指摘されてるのでは…?

姜維以外の人物ではすでに、将才以外の点での評価、除外、減点が行われてる所に
姜維のみこれでは、見てる側としても納得いかんよ。

さて、俺も煽りとか言われるのかな。
>>1
>蜀の人物の戦争における実力功績を討議するスレ

で、ある以上功績について語ってもいいし、能力について語ってもいい。
ここで「お前功績無視して語るなや」とか言う権利は誰にも無い。
当然「功績なんか無視して語ろうぜ」なんてことも言えないわけだが。

まあ>>478は主張は、能力と功績なら能力にウェイトを置いて評価したい、という主張だとでも思えばいいのではないか。
確かに関羽は建国前の功績があったなんて言って、
将として活躍したかどうかもわからない部分を
曹操が認めたんだから、憶測じゃなく推測だなんて言える人間がいるもんな。

じゃあ、なんで姜維は蜀で出世したのか、と
はっきりいって、関羽・姜維の拮抗度合いを認めたくない人間が
関羽の話を延々、姜維の話を延々、同時でなく交互にするのが問題なのでは?
現実に並べて模擬合戦させられるわけじゃなし
様々な史料を見比べる以上の事ができない相手に
『純粋な能力比較』なんてものは絶対にできない。
時間移動技術でもできれば話は変ってる来るが。

結局史書から読み取れる能力ってのは、当時の評判と少し後の時代の評判
後は実績からの推測でしかない。
それを忘れて能力を検討できると考えるところが既におかしい。
>>490
まあ半分あおりだと思うが
それは姜維派も将才のみでなく国での功績も加味したうえで上位に推す
ととってもいいのだろうか。
でその根拠は
「出世したから」
ということで問題ないのかな?
魏スレでも曹一族こきおろしによく使われていることだけど
降将と、旗揚げ時からの付き合いだったり親族だったり特別な派閥に元から属していたり
主君と特別な関係にあったりする将では出世の難度が違うよね
494490:04/07/12 10:47
>>492
まあ半分あたりだと思うが
平気で用いられている推測「名声があるから間違いない」
っていうのは「出世したから間違いない」と何ら変わるものでないのではないか、
と言いたかっただけ。
そういうのは、推測ではなく妄想・憶測のたぐいではないか?とね

>結局史書から読み取れる能力ってのは、当時の評判と少し後の時代の評判
>後は実績からの推測でしかない。
>それを忘れて能力を検討できると考えるところが既におかしい。

なんて正論を持ってきても、
関羽が部下に優しかったという記述はあっても、
黄蓋のように兵卒が功を競って負けが少なかったなんて記述がないところなど、
戦場での評価がなされていないところに名声を当てはめるなんて
関羽の”将”としての評価に神格化されているという補正が掛かっているのでは?
と疑問が起きる。
495491:04/07/12 11:28
>>494
純粋能力評価とかいう議論が出てたから書いただけで誰を擁護するつもりもないんだが。
もし、そういう評価基準で不利になると感じるなら、特に根拠のない思い込みで持ち上げ
過ぎてる場合だけじゃないのかな?

関張趙などは、初期の記録が定かでない部分があるが関張に関しては当時のほかの人が
それなりに評価(程度はとりあえず無視)していたという事だけが初期の実績を推察する
資料ではあるが、詳しい詳細がある場合ほどの価値はないだろう。
が、当時こう評価されていたという記載事態は、評価するに足る情報だとは思う。

姜維が出世できたから凄いというのに付いては、当時蜀の中にいた多くの将に勝っていた
十分な証拠にはなるだろう。ただ、当時トップである事と全盛時に五指に入るのとで
どっちが上? って聞かれるとその事自体で評価するのは困難、事実上無理だと思う。

仮に漢中戦くらいの時点で、魏延>関羽という評価が確立していて。
その後経験を積んだ魏延が生きていて、それと比べられた上で姜維が上にたったならば
姜維>魏延>関羽という序列を作れただろう。
が、魏延と関羽の比較は存命時だけで言えば、関羽>魏延だったわけだし。
魏延存命中に姜維がその上に立った事もない。

これは比較が困難だといわざるを得ない。
魏延以降はいい加減各地の勢力が淘汰統合されてて
単に戦場で強いだけじゃどうにもならなくなる時代
兵站と外交を含めた戦略に理解がある文官畑の出身者が最終的に司令官に食い込んでる
姜維も屯田しているし(これは政治的逃亡の意味合いが強いが)
関羽が活躍した個人的武勇がもてはやされた時代とは背景も違うし
>>491の「模擬合戦」って言葉を見てて、関係ないんだけど、秀吉が側近と語った
「信長と蒲生氏郷が五千ずつを率いて戦ったら勝敗は如何?」って話を思い出した。
出世したら能力が高いとか
出世したから実績がある

という考え自体が間違い

出世して何を成したか
が重要であって
出世して国疲弊させてればどうしようもなくないか?
>>496
大いに同意。
それがわかっていない連中は創業期の武臣ばっかり評価したがる。
動員兵力の多寡や個人の才略だけではどうにもならない局面もあるもの。
突き詰めていえば、戦争の趨勢なんて兵站が大半を支配してるようなもの。
おおかたの姜維弁護者の根拠は
>>478の見解が正直なところだと思う

それを苦し紛れに
出世したから功績があると無茶な論理に走らず、

蜀、疲弊させたのは事実だが
トウガイとの戦争の記述において戦上手な点が多く見られるから
そこから分析される能力に重きを置いて上位に推す

とシンプルな主張をすべきと思うのだが、、
>>500
だが、勝ってはいないわけで。
勝った側には、自己の功績を誇大に報告する術として、倒した敵は優秀で
俺でなければ勝てなかったんだというのがあるのは事実。
これに当てはまるかもしれないし、当てはまらないかもしれない。
能力が高かったという根拠としてはいまいち弱い。
>>499
まあしかし創業期というのは別に劉備陣営に限らず
後漢の平和な時代から乱世に移った時期で、
戦争慣れしてない将が戦争慣れしてない兵(北方騎馬民族などは別としても)
を率いて戦う以上、原始的な戦いが多く、
そこで重宝されたのが武勇だったり威名だったりしたわけで
その時代背景の中で将に必要な能力が武に重きを置かれてるので
その時代に活躍する素養として評価すべきだと思う。

三國志時代も中盤ー終盤にかけて、
武勇より戦略のウエイトが大きくなったとき
それはそれで戦略や作戦に優れた将が活躍するわけだから
その時代背景ごとの評価で問題ないでしょう
503490:04/07/12 12:29
>>495
もう一度読み直してくれ、関羽の名声も評価できるから姜維の出世も評価できる
と言っているのではない。
そのどちらも、考慮するには無理がある同じようなものと言いたかった。
関羽の名声が将としてのものであったならば、
関羽の戦場での活躍かさもなくば、「これこれの様に兵をよく用いた」とか
指揮の仕方などの記述があったはずではないか?
ただ、”評価”されていたならば蜀の重鎮として当然の評価を得ていたと言えても、
将として評価されていたと推測するのは難しいと思う。
今はじめて来たんだが、姜維の評価たかっ。
やつのせいで国の寿命は相当縮まったような気がしてたんだが
>>503
しかしここが名将を論じるスレである以上
名声は名将の一つの要素として評価できるだろう
それが純粋で具体的な戦争能力を示してはいなくとも名将(名のある将、有能な将)
の定義に含まれる以上は論じるべきでは?
その時代のヒーローとして扱われてたことはそれが能力を直接示唆
するものでなくとも
「名声なんてわけわからん」と断ずるのはどうだろうね
社会において名声の効果は思いの外大きいし、
(一流企業が営業にいくのと無名の企業が営業にいくのとでは難易度まるで違う)
それが戦において力になる場面は非常に多い

つまり名声や国に対する功績を加味しないで純粋能力を実績から推測して将を論じたいならば
そんなかんじの専用のスレ

http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1087348085/l50
三国志上最も軍事的能力の高い将を考察するスレ

ここにでもいくべきだ


506490:04/07/12 15:06
>>505
名声を論外にしているのではなく、
関羽に”将”としての名声があったとは言いにくいのではないか、と指摘している。
蜀の将である関羽の名声が高かったのは記述から簡単に見て取れるが、
”将”としての関羽の名声が高かったなら、
戦場での活躍か、兵をよく率いたという記述(名声)があったのではないだろうか?
突飛な話になると(名声の高かった)許靖が名将なんて誰も言わないと思う。
関羽も将としての名声でない以上、直接根拠とするには無理があるのでは?
名声が戦場において効果を発揮するということは否定しないが、
張遼は恐れられたという記述(名声)が残されているが関羽はどうか?
そういった理由から、残されている記述(名声)は、
将としての関羽の評価を高くする直接の根拠にはしにくいと思う。
507490:04/07/12 15:11
簡単に書くと関羽の名声は名将としての名声だったか否か?
という問いに対して、自分としては必ずしもそうは言えないのでは。
と論じている。
>>506
では一つ聞きたいのですが

魏を震撼させた

の一文はなにをもって震撼させたと考えますか?
関羽の将として恐るべしの名声か
それとも実際に非常に状況がヤバいとおもって震撼したのか。

俺は両方だと思うんだが・・

それとまさか関羽が文官として名声が高かったと思うわけではないでしょう
許靖は人物批評家としての名声があった これは誰が見てもそう

関羽は剛勇がうたわれてる以上少なくとも文官的にとらえられてるわけないし
武人としての名声と考えて全然自然だと思うんだが。
それは普通に于禁率いる七軍が捕虜になって荊州の拠点を失う可能性が出たからだろ。
同じことを劉禅がやっても震撼するだろうよ。
なんで、そこで関羽の将としての名声に話が飛ぶんだ?
関羽って徐晃に負けたんじゃなかったっけ?
511508:04/07/12 15:44
ずいぶん煽り口調になってるが509は508での問いに対する
490の回答と考えていいのかな?
>510
まあまあそこで煽らんでも(苦笑)
それは今論じてることではないだろ

それは別の機会に論じればいいわけで今は名声のあり方の議論をしてるんだから

>>510
そう。ただ徐晃に負けた事自体はそれほど致命的ではなかった。
撤退すればいいだけだからね。
致命的だったのはその裏で行われていた呉による荊州侵攻。
これがなければ最終的には徐晃に敗れ撤退はしたものの魏を震撼させ曹仁を追い詰め于禁を生け捕りにする武功を挙げたで終わった可能性がある。
呉のほうでは関羽の名声はどんなものだったのだろう?
俺は姜維派だが、ここは逆に考えてみたら?
于禁を叩き、曹操と魏軍を震撼させたって事は、それくらい影響が大きかったって事だし
こと名声というか、知名度は凄いことになってたんじゃない?<関羽
509と515のように意見は二通り出る

つまり名声と現実の両方によって
魏は震撼したといえないか?
ていうか関羽も姜維もどうでもいいんだが
関羽が人物批評の達人とか名政治家としての名声があるわけなくて
どうみても武人としての名声だろ?
どうやったら文人としての名声にとらえられるんだよ
>知名度は凄いことになってたんじゃない?<関羽
「梁・夾・陸渾群盗或遥受羽印号、為之支党、羽威震華夏。」
ってくらいだからね。

>>509の「同じことを劉禅がやっても震撼するだろうよ。なんで、そこで関羽の将としての名声に話が飛ぶんだ?」ってのは,言ってることがおかしいな。
それだけのことを関羽がやったから名声が上がっているって話なのに,変に詭弁で誤魔化そうとしているように見える。
490の回答が見たかったんだが
いなくなったのかな
残念
でも、やったことは自滅覚悟で兵を動かしただけでしょ。
于禁は自爆だし。新兵編成の徐晃にも負けたし。
>520
まあ今はそれを論じてはいないでしょ
論題になってることと違うことで挑発すると
煽り厨とおもわれてもしかたないぞ
名声という面でいったら
姜維もなかなか名声高いとおもわないか?

なんかトウガイとかにいろいろコメントされてたような・・
姜維の場合、魏将にはそれなりに評価はされていたな
全国区だったのかは良くわからんが
姜維は名声もあったがなめられてた感がなくもない
これは単なるイメージなのでスルーで....
関羽の傲慢さも呉に知れ渡っていた感があるな。
関羽は呉にはなめられてた感があるな
魏をはじめとした中原では武名高かったが...
まあ単なるイメージなんでスルーで...
関羽は魏の動揺をみて北上したんだろうが
これはミスだったと思うな
多少魏領を切り取っても、漢中との連絡が全く無いため魏はなんのかんのいっても、最後まで予備兵力をかき集めて投入できた
一方関羽は元々兵士数に余裕がないので、激戦になると対呉の備えを引き抜かざるを得なくなった
この上外交的な口実を与えてしまえばどうなるかは明らか
誰の指示判断によるものかは不明確だが、まずい手だったのは確かだ
>>527
北上したら魏が動揺したの間違いでは?
もし俺の見落としてる魏の動揺理由がったら教えて欲しい
今は功績の良し悪しじゃなくて名声についての話だろ。
有能さはともかく名声はあるんだよな二人とも。
>>528
劉備が漢中に進出したんで
魏では内乱連発
特に劉備勢力に近い宛などででかい反乱があった
関羽北上はこれを好機と見たものらしい
>>530
魏フウのことかな?
ふたりとも名声があるのは確かだと思うが
こと名声に限っていえば
関羽のが上だろう
能力は考えないとして・・
関羽派は呉の評価を無視してどうするの?
最近流行してるのが
漢中でコウオンを呼応させ
劉備の漢中侵攻のチャンスを作ったのがコウオンの旧知である関羽なことから
魏フウも関羽の何らかのネットワーク(侠のなんかか?)によって
関羽の北上との連動で反乱の準備を進めてたという説で
関羽の策士としての面を覗かせている
まあ根拠がしっかりしてない説なんだが・・
関羽は呉の評価もそれなりにあるんじゃない?(名前だけなら・・・)
これ以上ないラッキーとはいえ、ビックネームの于禁を捕らえたのは大きいでしょ。
関羽を捕縛した際、どうするか相談した孫権の側近たちは
「狼の子を養うことはできませぬ。のちに必ず害をなすでしょう。
曹公は即座に彼を排除しなかったために自ら大きな心配事を作り、都を遷そうと提議したのです。今、どうして生かしておけましょう」
といったそうだ
(『蜀記』より)
ただ、正史を見ると関羽は捕まって即斬られているから後世の創作の可能性大
>>533
呉は関羽の武そのものは警戒していたよ。
智に関してはそうでもなさそうだけどね。
>>533
だって呉と魏だったら魏のが国もでかいし人口も多いじゃん
それに姜維は呉に評価されてたかというとそうでもない
関羽も姜維も名声は中原が主体
で関羽のほうが単純に有名だったでしょ という話
確か周瑜が警戒していたような気がする>関羽
名声だけでいいなら,馬超も上位に入れるな。
関羽はなにげにこずるいところあるぞ
荊州の帰属問題も呉の主張をのらりくらりかわしてたのは関羽だからね

劉備が漢中に攻め入る前に単刀フカイだっけ?その話し合いが決裂後
荊州の帰属について蜀が半分譲る形で合意を見たときに
はじめて関羽も呉に応じたわけでそれまでは
あーいえばこういう状態で呉の主張をごまかし続けた
こずるいんだよ 意外と
>>518  
中原で関羽に名声があったのか無いのかの話題だったのに、>>508は既に関羽に名声があったという前提で話を進めてるように見えたから、話が飛んだように見えたんだよ。
陸コン等の盗賊に関しては、関羽に名声があったから手を結んだのか、于禁らが破れたため手を結んだのか、その文章だけじゃよく分からん。
>>542
>関羽に名声があったから手を結んだのか、
>于禁らが破れたため手を結んだのか、
>その文章だけじゃよく分からん。

思いっきり「羽」威震華夏ってあると思うが。
508の「魏を震撼させた」部分に関羽の名前が有るし,関羽に名声があったってことで問題ないだろう。
>>541
その割にはあっさり呉への備えを緩めたりしてるしな・・・
関羽の智謀面の評価はようわからんなあ
>>544
智謀はそれなりにあるけどいかんせん性格的欠点=自分の自尊心を満足させるものの方を優先させるという困った一面がある御仁だからな。
まあ表現が的確かどうかはわからんが「頭の切れるバカ」みたいなもの?
そもそも名声や功績は、関羽と姜維の対立軸が出てきた頃、事績の乏しさゆえに、
それによる能力評価が難しい関羽派が主張しだし、以後評価の対象になってきた。
そして、最初の内は多少考慮するって程度の扱いだったのが、スレが進むにつれて
何故か分からないが、そのウェイトが大きくなってきたんだと思う。

功績などのウェイトが大きくなった事によって、
北伐による蜀の疲弊を理由に姜維が下位に落ちていくようになり、
姜維派がその憤懣をぶつけたのが>>478だったのではないか?
>>543
ループ、ループ。
于禁らが破られたため関羽が震撼させることができたのか、関羽という名前で震撼させることができたのか分からないだろ。
548541:04/07/12 18:31
>>544
イヤ実は俺もよくわからんのだよ
関羽の知謀面については
こずるいが甘いという気がしてます
>>478は姜維派代表の魂の叫びか
名声自体を評価してどうすんの?
名声から推測できる能力が問題なんだろ?
んで関羽は神になってるわけだから補正かけられてる可能性大だろ
もうあんま煽らないようにするよ
姜維。
俺は関羽派だが>>478には正直少し心打たれたw
>>550
正史書いている間は関係ないと思われ
それ以降のはかなり怪しいが
>>550
ここは名将という一定の基準があるわけで
名将の辞書定義が「名のある将、優れた将」だから
名声で全てを判断するわけでなく名声も名将のひとつの要素って話で
名声を論じてたんだと思うが。
もちろんそれが全てなんて誰も思ってないよ
>>553
名将という言葉にこだわらずに議論していく為に、
スレタイから名将という言葉を取っ払ったんじゃなかったか?

あくまで「名将」にこだわるのがスレの方針ならそれはそれで構わないが。
別スレで馬忠のこと凄いって書いたらマイナー礼讃クソ正史厨扱いされたよ・・・
蜀スレ的には馬忠ってマイナーか?
>>554
まあそれに関しては俺が断ずることは出来ないよ
ただいままで名声や功績を含めて議論してきたことは事実で
明確に名将を論ずるという前提や定義が
変わらない状態で議論されてきたのは無視できまい
>>555
少なくとも、このスレの議論に参加してる奴の間ではマイナーではないだろ。
しかし戦いに負けて、国が疲弊してんだから将才が疑われても仕方ないと思うが。
将ってのは戦争だけしていれば良いって訳じゃないし、
特に姜維みたいに最高責任者みたいな人は政治面まで考えなければいけない。
まあそういう面では関羽も姜維も駄目駄目。
>>556
初代スレに「名将」と明確に書いてあったのが悪かったのかもな。
その為、名将の定義に囚われながら議論がどんどん進んでしまい、
>>546にあるように初めは高評価だった姜維が下位に落ちていったり、
「蜀に名将なし」なんて話になったりもした。

「名将」として考えるとして、名声や功績にどの程度のウェイトを置くかってのを、
改めて決める必要があるのかもしれないな。
明確に決めないままに、どんどんウェイトが大きくなっていった結果が>>478なんだし。
しかし関羽派は今まで通り、名声、功績半分くらいにしたいだろうし
姜維派は純粋な将才に絞りたいだろう

だれを推すかで議論の前提もみな希望が違う以上
前提を変えるわけにはいかないのでは?
特このスレの参加者がいつもいるわけではないので
不在の時に前提変えるのは乱暴では?
>>558
まあ確かにそうだが、そういう責任ある立場になったことがあるのが
関羽と姜維くらいしかいないわけでなぁ・・・
それだけを理由に他の武将より下に置くってのはどうかと思う
失敗を決定打のように論ずる人は
蜀という弱小から力をつけた国がその成立と存続において
ばくちを打ち続けなければならない宿命にあることを
理解してほしい
結局、関羽も姜維も似た者同士なのね・・・。
>>560
それはそうなんだが、名声・功績のウェイトは今だって曖昧なんだよな。
極端に言えば一人一人その置き方は違ってる。

勝手に決定するのは乱暴かもしれんが、そうしないといつまでも迷走を続けるような気がするんだよ。
まあ、今までもそういう事を明確に決定しようという話も出たが、結局決まってない。
決めるのは不可能な事なのかもな。
>>563
確かに。加えて、
関羽は最後が(劉備達含む)哀れであったから
姜維は彼の置かれた状況が哀れであったから
どうしても肩入れしたくなるよな・・・
姜維は本当に優れていたと、他の時代の将や魏や呉の将と比べても確実に優秀といえるほどの
記述がされているわけですか?

そもそもが、能力なんて正史のあっさりした記述で書かれているものなんですかね?
その点が姜維の優劣よりも気になるんですけど。
>>547
ループって,藻前様は議論の出だしを故意にとぼけてないか?

>>508は初めからこう謂っているだろ。
 >関羽の将として恐るべしの名声か
 >それとも実際に非常に状況がヤバいとおもって震撼したのか。
 >俺は両方だと思うんだが・・
それに対して>>509がこう謂った。
 >それは普通に于禁率いる七軍が捕虜になって
 >荊州の拠点を失う可能性が出たからだろ。

初めから508はどちらの可能性も示唆し,509は片方の可能性を根拠なく否定した。
この辺について>>516は「両方の可能性があるだろ」と援護射撃し,>>518は原典を提示した。

518の原典を観ても,そもそものお題の「魏が震撼した」理由は関羽の威風にある旨書いてあるだろ。
その関羽が威風を持つ切っ掛けについては,干禁が敗れたためか,それによって関羽が得た名声に惹かれた盗賊たちが関羽を支援したためか,それとも元々持っていた名声によるものかは判らない。
が,喪前様が氣にしている「中原で関羽に名声があったのか無いのかの話題」については,あったで問題なかろう。
しかし、辞典に出ている通りの「名将」を決めるのならば、
二つの意味のどちらかでも満たしているなら誰でも名将になれるし
その水準も曖昧だから人の数だけ名将が存在する、で話はいつまでも終わらない
それならば「実力そのもの」と「総合評価」で分ければ決着がつくんじゃないだろうか?
関羽も名声から推測して、その実力を考察すればなかなか面白い結果が出るのではと
ちなみに「名声そのもの」は演技読んでればいいだけだから除外するとして・・・
569無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 19:25
              蜀スレ三國志


   関羽派                  姜維派    
     将才 武勇 名声             純粋に将才のみを
     功績 全てを含めて議論したい       議論したい




            その他派
              名将のイメージから
              失敗の少ない将を選びたい
              失敗の多い将を上位に推すのは
              不自然
>>566
北伐で何度か魏軍を破っている まあ負けも多いけど
その上、完全な外様の武将なのに蜀の軍事最高責任者になってる
これで彼を無能というのかね?
このスレの迷走の大きな理由として、
1位劉備
2位諸葛亮
3位関羽・姜維
初期の頃に決定されたこのランクが、最初は戦術TOP10だったのに、
いつの間にか蜀の名将TOP10に入れ替わってしまった事もあると思う。
これが入れ替わったのも、関羽と姜維の対立軸が出来た頃だと思ったが。
一度気分転換に、演技準拠で順位をつけてはどうだろうか?
一位はダントツで諸葛亮だろうが
573無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 19:33
演技準拠だと趙雲がすげえだろ
劉備がかなり落ちる。
1諸葛亮2趙雲3関羽って感じ?
575無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 19:40
>>567
俺の援護射撃をしてくれるのは嬉しいが
こと名声に関してはべつに姜維派ももはや否定しないだろ
一応の一致を見てる気がする

それ故に姜維派は今度は論争の定義自体に文句を言い始めてるわけで。
>>563
似てるからこそ議論が白熱するんだろう、
そして双方とも他国の武将から賞賛されている記述もあるし。
正直比較するのは不可能っぽいが。

>>566
>姜維は本当に優れていたと、他の時代の将や魏や呉の将と比べても確実に優秀といえるほどの
>記述がされているわけですか?

何故そこで他国の将との相対評価が出んの?しかも能力においての。
そんな記述は他の将でも無いと思うが?あったら教えてくらはい。
関羽は魏、呉両方に名が知れてたし、姜維だってトウ艾から蜀随一との
評価を受けてるが明確に他国の将よりも優れているなんて記述は
俺には存知あげませんな。
>>566
よく読めばわかる。
たとえば鍾会らの侵攻作戦の「そろって引き退き剣閣にたてこもって・・・」なんてところでも、
不測の事態における優れた決断力とか、進軍の速さから伺える統率力とか、いろいろ。
>>561
まあ一国率いる、又はそれに準ずる位の責任を背負った人間と、
基本的には誰かの下で兵を率いてた人間とを比べるのは無理があるんだけどね。
いっその事分けてしまえば良いと思うこともある。
張飛がヤバイ
後半に限定すると、どう考えても張飛>関羽

個人的には
一位諸葛亮二位趙雲三位張飛
>>578
分けてしまうと、司令官級として論じる事が出来るのは、
劉備、関羽、諸葛亮、姜維の4人だけだろうから、1位劉備、2位諸葛亮は動かないとして、
結局、関羽と姜維のみで議論される事になる。
そうなると、関羽派と姜維派は例の隔離スレに行く事になるんじゃないか?
姜維も相当ヤバいだろ
一騎打ちも強いは
蜀をしょって立ってるはで
一騎打ちは趙雲と互角だぜ
1位諸葛亮
2位趙雲
3位姜維
4位関羽
5位張飛
6位うーん迷う
関羽のどこいら辺がいいのか分からん。
>>582
姜維のどこらへんがいいのかわからん

とりあえずただの煽り合いは抜きの方向で。
関羽はヒゲがいい
胸囲は巨乳がいい
関羽はね、能力からくる名声よりも、むしろ知名度薄弱な劉備陣営の人間で
唯一、名が知られていた、ってことの方がより大きいように思うよ。

紀伝体であることを考慮しなければならないけど、それでも関羽の具体的な
事績で、「魏書」を見ても「蜀書」でカバーできない部分が無い。
つまり、「魏書」における「関羽を名将とする」根拠にしても、顔良と樊・襄の件
以外の記述なんて無い。
もともと「魏書」に登場する劉備陣営の人物の名なんて数が知れてるけど、
どれも多くは具体的な記述に乏しいし、それだけ関羽の実質よりも知名度が
先行してたってことじゃないの?
あ、ごめん。
>>585
>関羽の具体的な 事績で

の後に、「関羽に不利な部分を除いて」が付くね。
>>572
魏延もヤバイだろ。
諸葛亮の陰湿な虐めに耐えながら功績を挙げてったしな。

>>579
魏延が本当にヤバイ。
蜀成立後に限定すると,完全に魏延>張飛

>>580
司令官級には魏延,王平,ショウエン,費イも入れていいだろ。

>>578
なんで、昨日あたりから提案していたんだが、わりきった結果論であえて論じ
与えられた責任 − 残した結果 = 将としての評価
でみると関羽・姜維は圧倒的に不利な立場に置かれるが
劉備、諸葛亮は今と同じ順位にいられるし、
張飛・黄忠・趙雲・魏延にも上位進出の機会が得られる。
一度試してみるのも面白いと思うんだが。
>>587
魏延と王平が司令官職を務めていたと言えるのは、
双方とも漢中を守護していた時だけだと思う。
それでは司令官としての能力を論じるのは難しいような気がする。

蔣琬と費禕は、実際に兵を統率し、動かした事績に欠ける為、これもまた難しい。
そう思って除外したんだが。
>>589

>>587 は演義基準でいってるんだよ
過去ログよもーよ
>>590
司令官級とその他を分けるって話も演義準拠なのか?
572と579が演義基準へのレスだな
580が本題へのレス
複雑怪奇な文章構成だなw
しかしもうここまで名将って定義で来たんだから
今までの定義で1位-10位までざっと決めちゃわないか?
姜維派も今日の議論で名将の定義なら姜維の順位が下がる事は
納得してるみたいだし

で将才のみの定義であとで順位決めればいい。そこでは
事績から推測される能力のみを考察すればいいさ














>>589
それだと関羽も入らなくないか?
魏延と王平と費イの司令官としての任の記述が正史にない,という意味なら判るが。
ショウワンは確かにしょうがないね。
>>593
細かい順位はともかく,1位から10位に入りそうな武将を挙げてしまうのはどうか。
で,10傑として隔離して,11位以下を論じた方が揉めなくてよさ氣。
>>593

もうすでに名将って話は議論し尽くしてるからそれはいいかもしれない
関羽派も名将定義で3位に入ってればあとでの将才のみの定義での議論では
ごねないだろう

お互い花を持たせることがこの議論の最大の解決案とみた!!
順位を決めているのだから、点数を付けてみるのはどうだろうか?
たとえば将才は100点満点で何点とか、名声は50点満点で何点にするとか、
それで項目の数や項目の重みをいくつにするとか、
所詮は人の主観でしかないのだから、自分はこう考えるというのが
一つのやり方だと思いますが。
永田町ぽいな
まえも点数つけたが点数つける項目や基準で
皆やりたい放題だったような・・
「名将」のワンランク上の「百戦百勝の鋼鉄の霊将」という位を創設してみてはどうだろうか?
下っ端パルチザン出身の嘘つき戦争犯罪者ですら無茶な称号持ってるぐらいだし
功績オンリーでの順位をまず作ってみてはどうか
今までの議論に決別するためにも
新たな定義でなく
名将にあくまでこだわった基準で順位をつけてしまうのが
もっとも早道と思うがどうか?

姜維派が名声についての見解で一致し>>476において本音がでてる今しか
決を採れる時期はないと思うのだがどうか?

あとで将才のみを順位づけるのは姜維派にとっても楽しいことと思うのだが・・
>>567
お前は何か勘違いしてないか?
俺は関羽に名声があるか無いかは言ってない。

于禁事件直後に中原が震撼したことが関羽の名声のせいかどうかは言えないだろ、と言ってるだけだ。
そりゃ、最終的に関羽の名声が三国に鳴り響いたのは確かだろうよ。
604602:04/07/12 21:13
>>476において本音がでてる今しか

>>478において本音がでてる今しか

の間違い
まぁ、姜維による蜀疲弊は認めてる姜維派がいても、
関羽による蜀の実質的滅亡を認めている関羽派がいないからねぇ。
どんなに理由を付けようと関羽の失敗が蜀の滅亡を決定付けたのは事実。
最前線を落とし、かつ版図も大幅に縮小させたのだから言い訳はありえない。
それを否定しようとするから、姜維派が蜀は滅亡が決定していたのだから
姜維一人の責任にすることは出来ない、という論が成り立ってしまうんだよ。
さらにいうと、姜維は出兵したがそのまま敗北、その勢いで本国失陥というように
直接滅ぼしたわけではないが、関羽の方は・・・・・・・、という論も立つわけで。
要は関羽派とよばれる人間は国力を徐々に減らしていることは騒ぎ立てるのに、
一気に落とすことはあえて過小に見るのが問題なのでは?
606変質社:04/07/12 22:03
ここからどうやってお市タン3位にもっていこうかな・・
607351,376:04/07/12 22:21
>485
つーかmyルールを持ち込まれても困るんだが?
481は真っ当な意見だと思うぞ。能力だけなら馬ショクの方が上なんじゃないかね?
結果がサイアクだけに誰も評価しないがw。
何と言ってもあれだけ孔明が可愛がっていたんだから。
その能力は姜維より遥かに上だったんだろう。でも結果が駄目だから
評価してないんだろ?だったらなぜ姜維だけ「能力で」評価するんだ?
その辺がおかしいんだよ、君等は。俺は関羽も評価しない、が、
前スレタイの「名将」という定義なら上位にくるというだけの事。
能力で見るだけなら孔明しか評価できん。
国を疲弊させずに北伐を行い、それなりの戦果を挙げたなら上位にくるが、
どちらも駄目bだった訳で。ある意味馬ショク以下だよ。
>499
それは根本的に違う。そんな事まで考慮に入れるなら、この文献だけでは
何1つ判断できない。あくまで将としての評価をするならば、いかなる
政治的状況にあっても最善の結果を残さねば評価できない。
少なくとも万の単位で兵を動かせる状況からスタートした姜維なんて
初期の数百数千から見れば実力を揮うには遥かに恵まれている。
それで結果が残せなかったのだから、能力もないとしか見ようが無い。
608351,376:04/07/12 22:24
607は遅すぎた!スマソ・・・つか書き込み大杉
>>605
関羽の失敗が実質滅亡の原因というのはちと無理があると思う、
魏を滅ぼす事が遥かに遠のいたのは事実だけど。
実際、蜀が滅んだのは関羽の死後数十年後だし、遠因の一つであるけど。
>609
同意。いくらなんでもそこまでの影響はないと見るべき。
そりゃ2、3年で滅んだっていうならともかく。
611605:04/07/12 22:44
>>609
魏と呉、両国が存続した上で滅ぼされない程度の国力になったのに、
実質滅亡に無理があるとはこれ如何に?
>>609
まあ、あれだ、
魏の滅亡が曹叡の宮殿造営乱発にあったとか、呉の滅亡が孫権の老害のせいだと言われるようなもんかも…
国ひとつが滅びた遠因を探し出したら、いくらでも出てくるよね。
>>610
発足10年に満たない党が選挙の結果10→5議席に減らしました。
まだまだ、残れる見込みはありそうですか?
>>607
極端な事を言えば、お前のつけたランクだってMyルールでつけたもんだろ。
このスレで、明確で統一された評価基準なんて決定されてないんだからな。
今だってどのように評価するかは人それぞれなんだから、お前がそんな事に文句つける必要は無い。
>>611
別にそのまま直に滅亡した訳じゃないし、その後も呉と盟を結んで、
国を正常に運営していれば、魏に滅ぼされない程度の国力は残っていた訳だし、
勝ちが非常に薄くなった=実質滅亡、という訳じゃない。
それに魏・呉・蜀、全ての国は国力差で負けた訳じゃなく、それぞれの国が
正常な国家運営をできなくなり、国がガタガタになって負けたから、
関羽の失敗が直接の原因では無いと思われる。
616605:04/07/12 23:10
>>615
その”正常に”国を運営させればというやり方でも、
他国も”正常に”国を運営させていけば国力差はさらに広がっていくわけで、
他国の領土は変わっていない・増えているのに、国の半分を落としても
まだ大丈夫という考えがあまりにも戦略的でない気がするのですが?
ショクに関して言えば専守防衛が正解だった。
特にキョウ維が指揮する時代ならなおさら。
国力が疲弊しても戦争を行うだけ、そのために防衛力まで減らす。
総司令官としてはあまりに配慮に欠けすぎている。

将軍としてならショクは部隊長クラスを語った方が面白いと思う。
そういう国なんじゃないかな?
>>616
戦略的には駄目駄目だが、結果的にそうなってしまったのだから仕方がないし、当然大丈夫な訳でもない。
しかし、そんな駄目な状況でも数十年は国として存在し、最後の10年ちょっとまでは正常に運営されてきた。
これで、蜀が滅んだ直接の原因を関羽にあるとするのは、やや無理がある。
遠因の大きな一つだけど、直結してるわけじゃあない。
後、魏も呉も蜀滅亡時には、国力が増えるどころか国家としては、かなりヤバイ状態になってる。
>>618
魏に関しては滅亡時でも国力も国家としても問題無しでしょ。
曹氏政権は終わってたけど。
620605:04/07/12 23:33
>>618
その意見によると蜀は国力増強に励み攻勢に出なければ、
晋が出来てからも存続できたという見解でよろしいのですか?
自分が国力増強に励めば、相手は国力増強を行わないという理論にしか見えない。
もはや、存続が他国に依存する部分の大きさから考えて”実質”滅亡だと思うんですが。
蜀が生き残った数十年は自力によるものという見解なんですね?
>>616
その理屈は蜀が荊州を有している場合にも通じる理屈だよ
呉蜀併せたとしても、まだ魏に劣る以上、魏が政治的、戦略的に問題なければ差が開く
言うなれば戦略上の手詰まり状態
であるからこそ諸葛亮も「変事」に乗じることを戦略に加えている
蜀というか劉備陣営が滅んだ遠因は、まだ曹操や孫家と大差のない時代に得た足場
徐州を張飛が失陥したことにある。
あの時代に徐州をしっかり守り、かつ人中の呂布まで飼いならしていたなら、曹操を
打ち破り中原に覇を唱えていた可能性もあった。

しかし、張飛が酔っ払って呂布に城を取られた事が劉備陣営の滅亡した遠因である。

遠因なんていったら何処までだって遡れるから意味ないな。
関羽は蜀の勝ち目を奪う大敗をし、劉備が致命傷を作るきっかけになった。
しかし蜀は生きていたし、100年の計を取るなら魏には国境を堅く守りつつ異民族同化
政策を徹底して、魏並の国力になるまで蜀の政権の地を外に広げる可能性もあった。
ま、孔明にせよ姜維にせよ生きているうちに何らかの結果を出したたかった故に、時間の
かかる異民族同化政策には踏み切れず北伐を繰り返し、結果的に死期を早めた。

誰か1人に全責任が掛かるって話はないと思うな。
623無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 23:43
姜維がもし、ことさら無駄な出兵をせずに、たまに攻めてくれば返り討ちにしたりして、
落ち着いていれば評価もぐんと上がったと思うけどな。
魏も大したこと無いって油断しまくっていたから、雌伏してすきを狙うのが本当の漢だ
と思うが。それでチャンスが無かったとしても、それはしょうがないというぐらいの辛抱。

孔明の場合は、いわば権利みたいなもんで、実際内政もしっかりと仕上げ、建国の英
雄達が死に絶えた後も孤軍奮闘してきたわけだから、自分自身の三分の計に責任を
取る意味でも、北征は避けられなかっただろう。

姜維には、その義務は無かったし、もっと客観的に見ることも出来たと思う。このあたり
が姜維の限界。といっても、他の蜀将で、同じ立場でそれを上回れたかといえば、それ
も難しいだろうが。曹操や司馬いでも難しいだろうし。
624605:04/07/12 23:45
>>621
荊州を過小評価しているのでは?
荊州それ自体の土地による収入だけではなく、荊州から狙えるものを考えたとき
同様には言えないことは明らかでしょう。

>>622
どこまで遡るか、それは蜀の滅亡である以上蜀を得たときまでではないだろうか?
自分は荊州失陥を遠因なんて言い切ることはできないと思っている。
>>620
理論では無く結果論です。
あくまで蜀の話であり、関羽死後数十年は国家として大過なく運営してこれたことから、
関羽の失敗は蜀にとって大きな痛手であるが、直接滅びる原因になりえなかった、
という結果を話してるだけです。
それに他国に多少なりとも依存するのは弱小国は何処でも一緒、
仮に荊州を領有していたって国力は魏+呉>蜀。
というかそもそもの政策が三国県立という他国に依存したものだから、
どうしても他国に依存せざるを得ない。
>>624
君は魏が正常に政治を運営していることを前提にしているのでしょう?
荊州があれど、国力に差が開くことには変わりないでしょう
しかも元々、国力は魏の方が上なんですよ
魏に政治的、戦略的に問題ないという前提の上、国力は明らかに劣っている。
何処に付け入る隙があると言うのです?
>>623
いや、そんなには上がらないだろ。
曹爽の侵攻から漢中を守りきった王平がそれ程評価されてないんだし。

孔明死後から姜維の寿命が尽きるまでの期間に魏が攻めてくる回数なんてたかがしれてる。
精々1,2回だろ。1,2回守りきったってくらいじゃそんなに高評価はされないと思うぞ。
いや、つーかさ
能力を見るなら、任された場所の防衛と攻勢目標への攻撃を見るべきであって、
どっちが重要だとか全く関係ないんですが
問題は防衛・攻勢の難易度だろ
北伐時、諸葛亮指揮下としての王平の活躍が過少評価されるのはなぁ
独立した兵権もたなければっていう前提は蜀の国力・戦略的正面の限定性からいって馴染まない気もするが
難しいから失敗した、事実としては常にそうなんだと思う。
その人にとっては難しいことだったから失敗したんで、簡単なら成功していたろうから。
が、結局難しいから失敗したってのは評価できないと思うな。

難しい事でもやり遂げたらそれは多大なプラス評価の元だ。
簡単な事でもやり遂げたならそれなりのプラス評価の元だ。
難しい事だからできませんでしたは、マイナスしない事はあっても
プラスにする理由はないと思う。
>>630
しかしながら、現状では、姜維や関羽は、困難な事を失敗したという事で、
それ以外のプラス面で補いきれない程のマイナス評価をもらってる。

それに対し、関羽派・姜維派が反発しても、結局マイナス部分を突かれて、
なんだかんだで評価を回復できない。そしてまた反発するって事の繰り返しだ。

評価基準が曖昧だからこんな事になるんだが、その評価基準の決定も出来ないから、
ずっと変わらず迷走を続けてる。
こんなこと言うと荒れるかもしれんが、言っておきたい。
上の方で、名将の定義なら姜維の評価が下がるってあったが、
辞書の「優れた武将。名高い将軍」という定義なら、姜維だって十分上位に入ると思うんだが。

姜維は「蜀が恃みとしているのは姜維一人」と言われる程の評価を得ていたわけだし、
その将帥としての実力がかなりのものであった事は、事績から読み取れる。
姜維は優れた将であり、名高い将でもあったと自分は考える。

蜀に対する功績を重視するなら下位に落ちるだろうけどね。
関羽の失敗、姜維の失敗ってのはそもそも
他の将であったなら当然の如く回避したことであり、本人の落ち度が大きい失敗なのかな?
他の人間をおけば回避できた失敗であったなら、マイナスになる要因ではあるが
誰にも回避しえないあるいは、他人ではその前に破綻しているという類のものであれば
マイナス評価を下すのは難しいと思うがな。

特に、関羽の時は他の人材がいなかったわけでもないんだから。
同じ荊州を任されて○○なら関羽同様5年単独で守り通し、その上で失陥も防いだ。
と確信を持って言える当時の蜀将ってのはいますか?
勿論蜀取りや漢中攻めにおいて交代可能な立場でないと無駄な議論ですが。
>>631

いままでの定義だと蜀に対する貢献度が重要に語られてきたから
姜維は大きく下がることを
姜維派自身も認めてるという話でしょ?

これは姜維派の多くが認めていることとおもうんだが
635634:04/07/13 02:54
>>632の間違い スマソ
まあしかし関羽の荊州失ったのはーーーーーーー戦略の幅を狭めた
     姜維の北伐連発による国の疲弊ーーー滅亡の遠因

これは普通に認めるべきだろ 認めてないのは姜維派でも一部だとおもうけどね

荊州失ったのが滅亡の要因というのはいくら何でも飛躍しすぎだし


でもなんだ
名将という定義で、将才 国への功績 名声 全てを考慮に入れて順位決めることを
早く決着つけることにより
次の議題 ■将才のみを考察■に移れるんだからさっさと決めてしまおう

         主な功績     将才      名声     マイナス
1位 劉備 
2位 孔明
3位 関羽 建国、荊州5年守備  名将3人撃破  言わずもがな 荊州失い戦略幅半減
4位 張飛 建国 蜀取り 漢中奪取 張コウ撃破     関羽に次ぐ  部下に殺された
5位 魏延 蜀取り 漢中守護7年 カクワイ撃破  石の馬伝承   政争に破れた
6位 姜維 晩年の蜀の第一人者  王経撃破(大勝利) 魏将に高評価 無理な北伐で国力弱
7位 黄忠 蜀とり 漢中奪取   カコウエン撃破   老イテマスマス盛ン  在蜀期間が短い
8位 王平 漢中守備       曹爽大軍防ぐ    並か 特になし  
9位 張ギョク 南方平定     南方平定  南方での慕われ具合 大軍での戦がない
10位 趙雲    趙 雲  ファ ン  に  考  慮

たたき台だ!!
もう決着つけて次の議題いこう
623のが殆ど正解だと思う。俺が前の方で姜維を8位(お情けで)
にしたのは防衛戦にすべきなのに遠征に出た点に尽きる。
孔明の場合とは事情が違うんだよ。
蜀は天然の要害で守るのは容易い。国力が違うのだから
守ればいい。どんな国だっていつまでも繁栄を続けた事はないからな。
3つ巴にしてそれを維持するだけなら充分可能だったはず。
それをやっていたら結果はわからないが、評価はグンと上がっていた。
>533
その「たら、れば」を言ったらきりがない。だが孔明なら無駄とわかってる
北伐は(姜維の立場だったら)やらなかっただろうね。
国政は安泰で国力は上がって行き、後の結果から見れば
統一だってできただろう。ただこんな事言っても意味ない。
孔明は死に姜維が継いだ以上孔明と同等の結果を求められるのは
当然。そのために高い給料もらってたんだから。
>>637
うーん強引な気がするが、
まあケチをつけさせて貰うと  姜維 晩年の蜀の第一人者 のとこか
姜維は北伐が否定されてるから第一人者なのは功績とは言えない
蜀の軍部の維持が功績と考えた方がいいなあ
もうめんどくさいからこんな感じでいいような気はするが
それと魏延の 石の馬伝承 は名声といえるのか?
あとは魏延と姜維の順位が入れ代わればまあ納得かな
魏延は漢中急襲案が採用されてないからいまいち実力が見えないので5位は高すぎ
>639
それをいうなら長安急襲案だ
でも魏延は張飛をさしおいて漢中守備まかされてるから
それだけの働きが入蜀戦においてあったと言える。
俺は4魏延5張飛6姜維なら納得です。
てかもうねる
>>637
趙雲ひっこ抜いて馬超いれれ
功績:劉璋降伏
将才:
名声:神威将軍
マイナス:

蜀軍在籍時の将才とマイナスはみあたらず、
功績と名声のプラス要素のみ判断出来るのは大きいかと。
>>641
馬超を入れるのに賛成。
ただ,劉備・諸葛亮は別枠扱い,10位は趙雲ファンに考慮してのランクインなんだから,実質3位〜9位しか使えないンでは。
なので,外すなら9位の張ギョクか。
でも張ギョク外すくらいなら,王平外した方がしっくり来るな。

>>637の他の部分はこんな感じでいいような氣はするが。
あとは張飛と魏延の順位が入れ代わればまぁ納得かな。
ファンに考慮してのランクインなんだから
趙雲はずすのは妥当な気がする。
将軍位についてただけで名声だというなら、趙雲だって将軍位もってるじゃん。
あ、あと、馬超には呉蘭雷同を助け出せずに敗走したというマイナスあるよ(張飛もだけど)。
神威将軍は将軍位じゃないよ。
異民族に対しての名声

呉蘭雷同を助け出せずに敗走は馬超と張飛の責任になるのか?
呉蘭雷同は、張飛馬超の言動が原因で敗走に至ったわけでは無いし
マイナスでは無いだろ。

そんなに趙雲おろされるのが嫌なのか?
>神威将軍は将軍位じゃないよ。
>異民族に対しての名声

意味が分からない?
なんおこっちゃ。

あと、呉蘭雷同の援護に向かったのに、援護し切れなかったのは責任だよ。
×なんのおっちゃ→なんのこっちゃ○
>>607

>少なくとも万の単位で兵を動かせる状況からスタートした姜維なんて
>初期の数百数千から見れば実力を揮うには遥かに恵まれている。
>それで結果が残せなかったのだから、能力もないとしか見ようが無い。

って、ものすごく意味不明。
動員兵力が大きければ楽とでもいう気なんだろうか。
地図一枚ひろげることもせず、戦争を記述のみで考察する典型的な例だろうね。
651不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/13 11:41
戦力とは絶対的なそれを指すのではなく、相対的なものである
>>650
>>351,>>376は演義厨、スルーしろ
話は変わるが閻宇はどうだったんだろうね?
涼州方面・対魏の姜維に対して荊州方面・対魏・備呉の閻宇という感じだけどどう評価するべきだろうかね?
成都陥落時、任地から中央に召還されてたけど結局戦闘は行わなかったのかな?
謎だらけだ。
閻宇は演義じゃ雑魚扱いだったな・・・
>>637
演義っぽいのが散見されるんだが
その割には趙雲の欄はタチが悪いし・・・
趙雲の功績

・長阪で曹操の追撃を受けた際、劉禅と甘夫人を保護した。
・蜀奪取の際、諸葛亮・張飛と共に軍を率いて郡県を平定し、
 外水から江陽に攻め上り、諸葛亮と成都で落ち合った。
・北伐の際、ケ芝と共に陽動として斜谷道に出陣、大軍の曹真に敗れたものの、
 軍勢を引き締めて固守したので、大敗するには至らなかった。
・関羽・張飛・馬超・龐統・黄忠・趙雲は共に追諡され、当時の議論では栄誉とされた。

別伝を除いてこれ位かな。
別伝を含めれば、かなりの功績を挙げているが…。
で、趙雲の別伝での功績は、

・劉備が袁紹を頼り鄴に居た時、趙雲に密かに兵を集めさせ、劉備に随行して
 荊州に到達。
・江南平定に従軍し、偏将軍となり、趙範と交代して桂陽太守を領する。
・夏侯惇と博望で戦ったおりのこと、夏侯蘭を生け捕りにした。
・孫夫人が密かに後主を連れて呉に帰国しようとした時、張飛とともに軍勢を率いて長江を遮断し、
 後主を取り戻してから帰還した。
・漢中の戦いで、数十騎で曹操軍の先鋒と戦い敵勢を陥れた。
・敵を陥れた際、将軍張著が負傷して動けなくなっていたので、趙雲はふたたび馬を駆って敵の陣営に戻り、
 張著を迎え入れた
・曹操の軍勢が追撃して来た際に、城の門を開け放ち、曹操が伏兵を疑い兵を引いたところを、
 背後から太鼓を鳴らし、戎弩で曹操の軍を射り、勝利した。
・箕谷で敗退した際、軍需物資・将兵を損なうこと無く退却する。

と結構あるんだけど、信憑性の問題ををどうするか…。
漢中で数十騎で〜ってのが本当だったら呂布並だね。
後主を呉から救い出したってのはボツじゃない?
張飛伝にはないっしょ?
ある伝にはあって、ある伝にはないとか、そんなの幾らでもあるぞ
それを全て除外すんのか?
>>653
閻宇は具体的な記述が無いから、評価するとしたら、
「有能であったが名声、功績とも馬忠には及ばなかった」
っていう記述だけでやるしかないな。
それもそうか。難しいね。
スレ違いだが、そもそも、なんで孫夫人は後主を呉に連れて帰ろうとしたんだ?
自分の子というわけじゃないし、理由がよく分からん。
>>663
数年間一緒に暮らしてたから愛着がわいたかもしれないし
後継候補である以上、人質的価値があるのは確かだし
真意なんかはかかれていない以上分からんが、私情も政治判断もありえる話。
>>663
孫夫人は阿斗が凡愚な後継ぎになると見抜いていたので純粋な善意から処分しようと思ったんだよきっと。
>>663
領土問題がこじれた時分だから、人質だろうな
でも劉備のことだから子供より領土って言いそう
>同じ荊州を任されて○○なら関羽同様5年単独で守り通し、その上で失陥も防いだ。
  と確信を持って言える当時の蜀将ってのはいますか?

漏れも同じ事質問したけど、姜維オタにそこだけスルーされたなw

少なくともここに巣食うネラーどもには無理なわけだが。

まあ折れも熱狂的な関羽オタでもないし、どっちが上でもいいんだが、少なくとも他にいれば
そいつが変わって荊州任されてただろうな。
でも、当時の荊州を巡る状況は、曹操や張良呼んできても難しかったわけだから、関羽一人
にその責を負わせるのは無理がある。結果だけで判断するなら、名将なんてほんの一握り
しかいないことになってしまう。

同様に、姜維だってよそ者なのになぜ責任者を任されたのか?他にいなかったからであり、
姜維が優れた将軍であったことは間違いない。ただ、時に利無くんばやってもやっても悪い
方に転がってしまう悲劇の名将である。その点は関羽と、実は一番よく似ている。

折れは、順位づけそのものがもう必要ないと思う。劉備が名将かどうかも怪しいし、孔明だっ
て知謀の士であって、将というのかどうか・・・。帥といえばぴったりだけどな。
せっかく趙雲ネタになりかけてぬるま湯のような心地よさに戻るかと思ったのに
まあ無視しよう
趙雲の名声といえば、虎威将軍。曹操の大軍を撃破したのを賞賛して兵士がそう呼んで敬ったらしい
演義じゃこの名が五虎将軍位の一つになっている
別伝でのそれぞれの功績部分の信憑性を格付けしてみれば…と思ったが、どれも大して変わらんか・・。
別伝は、曹操を撃破したのだけは信じられんなあ。
別段名が知られていたわけでもない趙雲に恐れて引き退くなんて、
曹操がやる事とも思えないんだが。しかも撤退時に散々にやられてる。

これだけはどうしても信じられない。
まあ正史が全て真実という事もあるまいし、他の伝もいれて
考慮するのもアリだろう。大体三国史=演義なのが一般人の
見解だしね。
>>672
あれはあくまで曹操軍の一部と出会っただけじゃないのかね…
敵の指揮官の名は特に出てなかったと思うが…
>>673
ま、演義を軸に置くくらいはいいとしても、演義だけを鵜呑みにすると恥ずかしいわな。
演義しかしらないのは恥ずかしくないけど、演義の記述を全部真実と思うのは恥ずかしいな。
>>672
名が知れていたからじゃなくて、大軍が近付いても全然動かないのが不気味に思えたんでしょ。
長坂の張飛の対極みたいなやり方。
趙雲の近辺に大量の伏兵でもいんじゃないかと疑ったのかもしれないし。

>>676
まあそれならあり得たのかもしれない
ある意味で空城の計
あれは空城の計でしょ。門を開け放ち、曹公の軍は伏兵を疑い引き退いたとあるんだから。
曹操が慎重になっていたとしても、問題は撤退時に散々に破られた事。
曹操ともあろうものが、そんな下手な撤退をするだろうか?

この戦いで、魏軍は、終始「公軍」と表現されてるが、これはやはり>>674の言うように、
曹操本人が率いていたわけじゃなかったと考えるのが妥当か。
撤退時といっても、尻込みした瞬間に襲われたって感じだよね。
どこからか分からないトコからいきなり沢山の弩やら矢やらを浴びせかけられたら、どんな軍も混乱するような。
「やっぱり沢山の伏兵が(実際はそうでもないが)いた!追い討ちをかけられる!」ってな感じで兵が取り乱しちゃう感じ。


問題は曹操がどうしたとかじゃなくて、そういう戦いが実際にあったかだよな。
全体的に見れば漢中戦での更に局所的なもんなのかな?
あったかどうかは正直微妙なところ、黄忠伝や武帝記には書かれていない。
ただ、正史は基本的には伝の人物の良い所を中心に書いてるし、
この戦いが局地戦で、曹操本人が率いてないとすれば、書かれないのも無理はない。
黄忠伝にしても、蜀には史官が居なかったから、蜀前半の人は記述が少ないから、
本当の所はよく分かんない。

ただ、趙雲の名声自体は、蜀ではかなりあったのは確かなよう。
この戦いで黄忠がどうなったか激しく気になるのだが…
帰ってこないまま放置されてんだよな…
正史と演義他の伝も含めて考えると評価がガラリと変わるよね。
趙雲なんかは正史じゃ殆ど出てこないが、現実にはかなり
活躍したんだろうね。孔明からも劉備からも信頼は厚く
一介の端役でない事は明白。俺はそれほど何冊も読んでないけど、
正史除くと評価はずっと上がると思うのだが?
>>683
まあ正史除けば、三国中でも1、2を争うスーパー武将ですよ
別伝がある武将って他にどんなのがいるの?
荒れそうな気がするから聞くけど、姜維の功績も書いていいかな?
>>685
魏の人間だけど、文若とか。
>>686
誰の伝でも歓迎
姜維の功績

・延煕元年(二三八)に蔣琬に随行して漢中に駐留、彼が大司馬に昇進すると
 その司馬となり、一軍を率いてたびたび西方に進出した。
・同十年、汶山郡平康県の蛮族の叛乱を鎮圧。
・また隴西・南安・金城に進出して洮水にて魏の大将軍郭淮・夏侯霸と戦った。
 蛮王治無戴らが住民ともども降伏してきたので彼らを成都近くに移住させた。
・同十二年、ふたたび西平に出たが勝利できず帰陣した。
・同十六年、数万の大軍を催し、石営・董亭を経由して南安を包囲した。
 魏の雍州刺史陳泰が南安東南の洛門に到着すると、兵糧不足のため撤退した
・翌十七年、督中外軍事に任じられる。ふたたび隴西に出陣すると狄道県長李簡が
 降伏してきた。さらに襄武に進み、魏の将軍徐質を撃ち破って首を斬った。
 多くの敵兵を降伏させ、河関・狄道・臨洮の三県の住民を連行して蜀の民とした
・十八年、車騎将軍夏侯霸とともに狄道に進出、洮水の西で雍州刺史王経を
 撃ち破って数万人を殺し、さらに狄道城を包囲した。
 魏の征西将軍陳泰が救援のため駆け付けてきたので退却、鍾題に駐屯した。
・十九年春、任地において大将軍を拝命した。鎮西大将軍胡済と連繋して
 上邽県で合流しようとしたが胡済が現れず、段谷にて魏のケ艾に大敗して
 多数の死者を出した。そのため人々は彼を恨んで西方で離叛が相次いだ
・魏の征東大将軍諸葛誕が淮南において叛乱したので、魏の軍勢が東方に
 向かって手薄になったので、姜維は軍勢数万を率いて駱谷を通り沈嶺に
 着陣したが、司馬望・ケ艾が守備を固め、そのまま越年。
 魏の反乱が鎮圧され、撤退。

続く
続き

・漢中の防衛について建議し、敵を深く進入させ、大勝利を得る方法に変更。
・景耀五年(二六二)、侯和に出陣したがケ艾に敗れ、退いて沓中に駐屯した。
・翌六年魏の鍾会が大軍動員を準備していると知り、張翼・廖化に
 陽安関・陰平橋を守らせるよう本国に要請、無視される。
・魏の諸葛諸が建威に入ったと聞いて姜維はこれを防いだが、
 一ヶ月ほどしてケ艾に攻撃されて陰平まで退いた。
・鍾会が漢城・陽安関を陥落させたので、陰平を放棄して剣閣まで後退した。
 ここで張翼・董厥と合流して抵抗したので、鍾会は進むことがでなかった。
・鍾会と共に魏に反逆、魏の将兵は怒り、鍾会とともに姜維を殺害した。

ざっと書いてみた、訂正・指摘・追加があったらお願いします。
>>683
正史除くって…
演義での序列を作りたければ、別スレ作ったほうが良くないか?
それはそれで面白そうだし。
692689&690:04/07/14 00:15
ちょっと書き忘れ。
諸葛誕の反乱で姜維が出兵したのは、20年。
十六年〜二十年まで連続して出兵してる事になる。
で、十六年は姜維の事を「彼の計略は僥倖を恃んだものと」と評して、
長年一万以上の兵を渡さなかった費イが死んだ年です。
>>685

孫資別伝とかね。
孫資は多くの三戦板住人にとってはほぼ無名に近いだろうけど。
蜀で例えるなら董允みたいなものかな。>孫資
孫資の子孫が孫盛。
費いも別伝あるね。あと誰がいたかな?
>690
見事に負けてるなw。まあ仕方ないとは思うがね。
やはり8位あたりが妥当だな。
>691
趙雲に関しては正史が1番怪しい。他の伝と比べ明らかに
扱いが少ない。正史基準だけで語る=間違った認識の可能性もある。
正史だけがランク外なわけでむしろ異常と言える。
>>正史が1番怪しい。他の伝と比べ明らかに扱いが少ない

黄忠と趙雲の伝ってほとんど同じ分量だよな。・・・はて?
>>696
別に趙雲だけが少ない訳じゃ無いし、正史でもそれなりの功績を挙げてる。
関羽・張飛・馬超・黄忠、と、一緒に纏められてる連中も記述がかなり少ない。
特に黄忠なんて、入蜀の時頑張った、漢中で夏侯淵を撃破、ぐらいしか載ってない。
てか注を含めないでも趙雲のほうが黄忠よりも分量は多い。
加えて黄忠は注すらないわけだし。
趙雲別伝で、偏将軍に任じられたとか、桂陽太守になったとか書いてあって、
正史本文に無いのが気になる…牙門将になったことは書かれてるのに。
役職の変遷なんて、本文にあるべきだと思うけど…
それとも、正史にもこういう書き漏れは結構あるもんかな?
>>700
書き漏れというより、詳細な記録が無かったのかもしれない。
蜀は史官を置かなかったために、魏・呉と比べても正史の量が驚く程少なく、
蜀創立時の功臣の記録が無い、末期は陳寿も記録を集めれたらしく、
末期の将の記録はまあまあ豊富。
>>696
まあ、あれだ、歴史書と小説は別物だと認識は忘れずにな。
演義での趙雲を語りたければ、他所でやればいいんだからな?
>>701
逆に趙雲別伝は詳細過ぎだな。
>>701
たしか史官がずっといなかったわけではないよね?
たしか諸葛亮が史官を置かなかったらしいから、
初期の記録は期待できないなぁ、どっかの誰かが個人的に著してない限りは。
特に蜀初期の人達は放浪時代が長かったから、余計に集め難いだろうね。
では,諸葛亮生前の武将の記述が少ないのは已む無しってことか。
関張馬はもとより,魏延,呉懿,李恢,呂凱,霍峻,王連あたりの記述が少ないのもそのせいか?
>>690
ここのスレだと、事績を箇条書きにするよりも軍事行動を明確に論じた方が
いいんじゃない?
それに、たとえば

>・鍾会が漢城・陽安関を陥落させたので、陰平を放棄して剣閣まで後退した。

の記述だって、姜維は当初、陰平から剣閣に直接に向かったわけではなく、
諸葛緒とのせめぎあいがあって姜維は進路・退路を定めるのに苦慮してるし、
当初は陽平関南方にある糧食の備蓄されている関城に拠って抵抗しようとした
ものの、鍾会に機先を制されて関城を落とされ、やむなく白水経由で剣閣まで
後退していったのが実情だよ。

この部分だけでも、姜維・ケ艾・鍾会の伝を見なければ実情はみえてこないし、
姜維自身の伝だけでは詳細な部分や本質も見落としてしまうよ。
もううんざりの「名将定義」(将才、名声、国への貢献度)による順位
たたき台その2


         主な功績     将才      名声     マイナス
1位 劉備 
2位 孔明
3位 関羽 建国、荊州5年守備  名将3人撃破  言わずもがな 荊州失い戦略幅半減
4位 魏延 蜀取りNO2 漢中守護7年 カクワイ撃破    それなり   政争にやぶれた
5位 張飛 建国 蜀取り 漢中奪取 張コウ撃破     関羽に次ぐ  部下に殺された
6位 姜維 蜀軍の維持      王経撃破(大勝利) 魏将に高評価 無理な北伐で国力弱
7位 黄忠 蜀とりNO1 漢中奪取  カコウエン撃破   老イテマスマス盛ン  在蜀期間が短い
8位 王平 漢中守備       曹爽大軍防ぐ    並か 特になし  
9位 張ギョク 南方平定     南方平定  南方での慕われ具合 大軍での戦がない
10位 趙雲  ここに馬超をいれろというのか?

魏延と張飛がどっちが上にするかで二つの意見が・・で一応多かった方の意見をいれた
個人的にはここでさらに張飛の順位下げて5姜維 6張飛でもいいような気も・・
決着まであとすこし・・みんな頑張ろう

>>707
指摘ありがとう。
やっぱり姜維伝だけで纏めたのは拙かったか…、
まあ、こんなんありましたー、位の感覚で、参考程度に見ていただけるとありがたい。
>>708
黄忠・魏延の蜀取り功績NO1・2にはちょっと疑問がある。
黄忠は三軍のうちでも第一の武勇を発揮した、
魏延は功績を挙げて一部隊長から牙門将軍に昇進したとしか書かれていない。
これをもって功績NO1・2とするのはちょっと強引じゃない?

個人的には王平を上げても良いような、
街亭での敗戦処理、祁山で張郃を防ぎ、魏延の叛乱をただの一戦で終わらせた、
曹爽の大軍を防いだ。
などと功績面ではかなりのものがある、名声はイマイチだったが…。
>>708
馬超をいれるか否かについては
もうさんざん議論してる
蜀での活躍の少なさから入れないともう決定済み
それに馬超ファンは中途半端にランキングには入りたくないそうだ
他にいないのなら趙雲でもいいんではないか?
姜維の事績って、スレが新しくなる度に書かれてる気がする。
逆に関羽の事跡が書かれんな
まあ記録されてないんだからしょうがない


それが議論をややこしくするものの一つではあるが
>>708
たたき台提示したいなら
とりあえず演義と正史の区別つけてな
どこか区別ついてないところあんの?
張コウ撃破とかじゃないの?
>>717
張飛が張コウ撃破したのは正史にちゃんとあるんじゃない?
719無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 20:27
馬超も黄忠も貢献と記録の少なさは同じくらいなんだけどな。
>>719
黄忠は実戦で功績上げて
馬超は劉備の元へ来る前の軍閥リーダー的名声で影響を与えた
質は大分違うと思うな
なお黄忠が老人であるという記述はない
関羽が老兵呼ばわりした一事を羅貫中が膨らませたものと思われる(関羽だって立派に老兵呼ばわりされる年齢だったし)
>>708
黄忠の「老イテマスマス盛ン」って名声なのか?
>>719
淵撃破は馬超と同じ貢献にならない。
黄忠の夏侯淵撃破って、張飛の張コウ撃破や魏延の郭淮撃破と同列に並べられるものか?

あれって、漢中戦の最中に、劉備の指揮で夏侯淵の陣に突撃・撃破しただけで、
黄忠が夏侯淵に勝ったという意味での撃破ではないと思うんだが。
敗走させるだけじゃなく討ち取ったってのはかなりデカイと思うが。
>>724
討ち取った功績は確かに大きいが、自身の戦術によって夏侯淵を破り敗死させたわけじゃなく、
勇敢に突撃し、兵に死力を尽くさせた事によって夏侯淵を討ち取ったんだと思う。
突撃に至るまでの戦術は、あくまで劉備のものじゃないか?
それを、「将才」として大きく評価できるのかなって思ったんだよ。
>>723
それを言うなら関羽の顔良撃破だって似たようなものじゃないか
727725:04/07/15 00:47
>>726
俺は関羽の顔良撃破も、「将才」としてはそれ程評価してないよ。
武勇は凄いと思うけどね。
>>723
むしろ張飛の張コウ撃破のが微妙。
張飛は勝つには勝ったが、当時、巴西太守だったのに、
むざむざ張コウに巴西を占拠されて民衆を移住されてしまった。
魏では敗戦としてないしな
確かに魏の扱いを見ると本当に張飛伝にあるような敗北したの?
と疑いたくなるな。昇進までしてるとは。
まあ、それはお約束ということで…
勝ったほうは大げさに、負けたほうはひっそりと。
>>731
まあそんなとこだろな
ほどほどだったにしろ、とにかく張飛が追い返したのは間違いなかろう。
移住をされてしまったのも確か
張コウにとっちゃ、ちょっかいだした程度でもよ
張飛っつーか蜀にとっちゃ自領に魏軍が入り込んできてるって事で
一大事だぜ それを防いだんだからまあ評価してやれば?
後に諸葛亮よりこれを憚ると蜀人が恐れ、劉備が最も脅威としていた
武将だからな。撃退したってだけで、そりゃあ蜀じゃもてはやされたろうな。
張コウが張飛に引きつけられたおかげでカコウエンが張コウ援軍のために兵を割き
おかげで難攻不落の漢中の防衛力が落ち(コウオン寝返りも大きいが)
それが劉備&黄忠の漢中攻撃成功の大きな理由になった
張飛を張コウ攻撃させた采配はだれだっけ?
張飛も功績大きいがその作戦自体を提案した者の功績もでかいと思う。
>>710
王平の堅実さを評価して黄忠と入れ替えるという手もあるな
何となくそんな気がしてきた
>>735
張飛vsは漢中戦の前哨戦だぞ、ごっちゃにするな
定軍山への機動で攻撃目標を変え、魏を圧迫したのは、
それを献策した法正と後方で予備兵力を送った孔明の功績だ
>>735
>>737の言うとおり、時期を錯覚してるよ。
張飛が張コウを撃退したのは、215年の曹操が張魯を降して漢中を制圧した直後。
この時は、巴西に侵入した張コウを張飛が隘路を利用して撃破した、ってのが実情。
黄権も巴郡の重要性を説いているし、結果としては張飛が阻止して巴西の住民を
拉致されるに留まってるけど。

ただ、この以前に巴郡の諸豪族が曹操に帰順していて、曹操が彼らを巴西・巴東
太守として(おそらく名目上だろうけど)封じているから、張コウの巴西侵入も、その
既成事実を狙った繋がりがあるという見方もできる。

218年の漢中攻防戦では、張飛はほとんど良いところは無いけど。
>>737>>738
陽平関と張飛がなんかごっちゃになってたスマソ
吊ってくる
でも、紀伝体を読み解いていこうとすると、しばしばこういった類の誤解や錯覚は
おきるし、時として時系列を無頓着な記述があるから、それ自体にいささかの問題
がある事もある。

ようするに、気にすんなってこと。
黄忠は将軍というより、決戦兵力部隊長って感じかな?
入蜀戦の活躍も「真っ先に陣営を占拠し〜」ってよく考えたら指揮官としてはかなり危険な行為
>>741
決戦兵力というより、劉備が直接率いた軍の先鋒を勤めた将って感じだと思う。
伝では黄忠はつねに先登して、と書かれてる事や、他の伝では黄忠の名前は出てこず、
劉備の軍、というのを強調されてるから。
劉備がもし黄忠じゃなく他の将をつかってたら
カコウエンを討ち漏らしてたかな?
漢中落とし損ねてたかな?
>>743
仮定の話だからあくまで印象だが
劉備が今までの苦労が水の泡になるか、漢中で決定的なアドバンテージを握れるかの瀬戸際で送り込んだんだから、やはり戦場での武勇と指揮能力は随一だったと思う
後に関・張・馬などと同列に引き上げられているのも、単なる御褒美ではなく以後の活躍も期待してじゃないだろうか?
黄忠の官位は

劉表より中朗将
  ↓
裨将軍に仮任官(曹操勢力下に一時服した際)
  ↓
入蜀後に討虜将軍
  ↓
夏侯淵を討ち取って征西将軍に(これ当時の劉備の位より高いんで既レスじゃ雑号将軍じゃなかって説も出たな)
  ↓
劉備漢中王に登った際、後将軍に。ほどなく死去
劉禅時代、剛侯と追諡
>>744
む なんかその表現の仕方見ると
劉備の秘密兵器っぽくてカコイイな
人の使いようだけはやたらうまいからなあ劉備
>>745
「曹操勢力下に一時服した際」って?
>>747
劉表が死んで劉ソウが曹操に降伏した時のこと
長沙太守韓玄の配下になった
元々黄忠は劉表配下でその甥・劉磐の補佐役
黄忠記録なさ杉
しかし関羽直接とらえた呉の馬忠がたいした評価受けず
それを指揮した呂蒙が評価高いのとか見ると
ランキングにはいるだけでも十分な評価かも黄忠
大勢が決した後の掃討殲滅や撤退時とかとは
状況が違うのでは。
>>749
落ちのびようと脱出するところを捕らえるのと
難攻不落の漢中の将を討つのではまるで状況違うだろう
関羽の場合は、既に率いる軍が瓦解していて、ほとんど抵抗力が無かったから軽視されるのかな?
夏侯淵の場合は兵を張合βに分派したとはいえ、直率軍は残ってたわけだし
黄忠は、劉備が決勝点に投入する、秘蔵の主打撃部隊を統率する部隊長だったのかも。

自身に戦術的冴えは無いものの、その勇猛さと、兵を叱咤激励し部隊に死力を
尽くさせるという事に関しては、当時の劉備軍随一だったのではないだろうか?
結局、黄忠の順位はどの辺りが妥当なんだろうな?
そもそも張コウの巴西侵入は本当にあったのか?
魏も蜀も、山を越えるのにさんざん苦労してるのに、偉く簡単に四川盆地に入れたもんだ。
もう、入ってしまっただけでも攪乱戦としては上出来だよな。
与えられた仕事を鬼神のようにこなす黄忠は
やっぱひとかどの名将
>>755
当時の魏は漢中を手に入れてたから、巴西侵入もそこまで難しくは無かったんじゃないの?
王平とくらべてどうなの?黄忠は
でもホント役割違うからなあ・・・
俺は王平推したいけど
武将としての役割は違うけど王平は仕事が堅いし黄忠は派手。
でも責任の重さは王平のが重いし活躍期間が長い
でも王平が姜維を上回るのは考えにくい。
>>758
王平は馬謖の尻拭いの時は寡兵でも活躍してるし、
曹爽の侵攻から漢中を守るなど、大規模な兵力の運用も心得てる。
ただ、いつも守ってるだけなので、攻めに転じた場合の能力がよく分からない。

トータルだと黄忠より上だとは思うが、黄忠は一点が突き抜けてる印象があるから、
そこをどう捉えるかによって変わるかも。
>>759
曹爽の侵攻を防ぐといっても王平・劉敏が侵攻に備えてたので曹爽は思い切って攻めこめずにいたところ、費いの援軍が到着したので引き揚げたという流れだからなあ。
この件に関しては多少過大評価の気がしないでもない。
>>755
それをやってしまったから、張コウはちょっと敗戦しても出世(だよな)したのかも。

寥立は「夏侯淵・張コウらを巴の奥深くまで進入させ、危うく一州全部を失うところだった」と述べ、関羽の敗北や呉との争いが徒労に終わったことと並べて、
先主時代の失敗としてあげてたので、張コウの侵入は大事件だったと思われる。
まあ、寥立の言ってることが的を射ているとしての話だけど…
張コウが侵入した時期って、丁度劉備が大軍で公安に向かった時で、
益州は軍事的な空白地帯になってたんじゃないの?

軍勢の少ない時期を見計らって侵入したんだから、そんなに難しくはなかったのかもよ。
>>762
劉備が公安にいたのは張魯が漢中で健在のころ。
張コウが進入したときには既に、劉備自ら江州(巴郡)に駐屯してた。

ちなみにこの時、張コウは巴西と巴東の2郡を攻略したけど、横に異様に長い。
そりゃ、簡単に分断されて負けるわな…
764無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 00:10
>>762が言う劉備の公安行きは、関羽が孫権軍と益陽で対峙した時のことでは?
765763:04/07/16 00:32
>>764
それは分かってるけど?

劉備が5万の軍勢で公安へ。関羽が益陽入り。

曹操が漢中に侵攻し、張魯が巴西まで逃げ出す。

劉備は孫権と和解し、江州(巴郡)にまで戻る。

劉備が張魯を得ようとするも、先に曹操に降伏。

曹操は淵と張コウを置いて帰還。

張コウの巴郡侵攻。

という流れだよ。
張コウの巴郡侵入の責任を張飛に負わせて、>>708の張飛の順位を下げるべきか?
あのーつかぬ事お伺いしますが張飛が徐州失ったのは
演義だけの話なんでしょうか?
>>766
それを理由に下げる必要は無いんでない?
勝ったのは確かなんだし。
>>767
斐松之の注にある。
むしろ張飛のでかいマイナスポイントは徐州にあるような。。
姜維を4位魏延と張飛を5位、6位で終了では?
張飛は将才という点で兵卒の統率力に欠ける気が。(徐州失ったのとその死に方)
実績はまあ建国と入蜀、それに張コウ追い払った点が評価できると思うけど
姜維は兵卒の統率はむしろばっちし。大きな勝利もあげてるので将才に問題はない。
功績はやはり軍の大権を維持し続けたわけで張飛より重い責任だったから。
国の疲弊があるので激しくプラスには出来ないが重責はみるべき。
>>770
どのみち確固とした地盤を持たない劉備が徐州を維持できたとは思えん
結果論になってしまうけど、徐州失陥は別にマイナスじゃないと思う
>>771
姜維の大将軍は重く見るのは辛い純粋にやったことの実績で見る分には問題ないが
姜維が大将軍に上った当時に、ベスト10候補がどれだけいたというのか?
それがいながら、上に立ったならばその他の有力な将より上で確定するのもやぶさかではないが

議論の余地もない将より上であってもそれは評価できない。無論、当時の蜀でNo.1というのには
異論がないが、全盛時の面々と比べて上かというと疑問。

関羽は張飛・趙雲らよりは優先して荊州都督になったので彼らよりその時点で上
魏延が張飛・黄忠らより優先して漢中太守になったので彼らより上とかは言えるが

姜維が勝ってるのは蜀の全盛時の将との比較ではなく、同時代の将相手。
>>773
正論に見えるが、三国志前半の武将は英雄だらけで
孔明没後は劣った武将ばかりでてくるという演義補正をかけていないだろうか?
創業時と守成時では明らかに求められるものが違うことを念頭に置いて
評価していないように見える。
”全盛期の蜀”とやらに比べて姜維のいた時代の蜀は戦に負け続けているのか?
いや、どちらも大差ないと考えるべきではないだろうか。
演義の影響大き杉

正史の姜維も判官贔屓したくなる要素の塊だな
しかし逆に考えて張飛が大将軍のような責任ある地位を務められたか?
と考えるとかなり疑問符が。
魏延なら出来ただろうが張飛は重責に耐えうる人材ではないのでは?
もちろん張飛の忠誠心やら武勇やら名声など突出した物があるとはおもうが
戦略性は意外と出来るという程度だし軍を統括する地位となると足りない能力
も多いと思う。
>>760
相手に付け入る隙を与えないのも立派な能力と功績だと思うが
派手な戦闘やったほうが確かに功績と見やすいが、その後の消耗などを考えると…
興勢の戦役は漢中の守備軍がそれほど多くなく、動揺も大きかったはず。
それでいて東部に突出した興勢囲まで兵を進めて防衛線を後退させなかった
王平の功績は十分に評価できる。

たしかに、このときの魏の出征自体に問題があったともいえるけど。
王平を高評価するなら羅憲も評価しなければならなくなるぞ
王平が対曹爽であるのに対し羅憲は対陸抗。
将としては陸抗が数段上でしょ
しかも1年も守った。
王平より上かも。
780無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 15:16
呉が蜀を攻めない本当の理由は何だろうね♪
>>779
羅憲の功績は蜀将としてのものになるんだろうか?
あくまでも呉の火事場泥棒が嫌で踏ん張った、みたいなわけで
その時点では晋に下っていたわけだし
782無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 16:18
羅憲は撃退したわけでもなく、一発屋なのがな
街亭、キ山でもいい守備してる王平には及ばないかと
>>782
曹爽の侵攻を防ぐといっても王平・劉敏が侵攻に備えてたので曹爽は思い切って攻めこめずにいたところ、費いの援軍が到着したので引き揚げたという流れだからなあ。
この件に関しては多少過大評価の気がしないでもない。
まあ王平は、孔明の北伐時代からの活躍も評価されてだからね
ところで演義なら王平とかと同格扱いの
張翼とかリョウ化とかってどうなの?
>>782
羅憲は最初に派遣された歩協の軍勢は撃破してる。
>>784
張翼は姜維にその才能を認められてたし、廖化は常に先鋒だった。
しかしながら、北伐で活躍していたようには見えないから、王平よりは確実に下かと。
787無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 18:11
子龍
プラス
放浪期の劉備を支える
アトを助ける
入蜀でも地味にがんばった
黄忠助けに敵陣突入 空城の計(別伝
曹真の追撃を寡兵ながらふんばる

マイナス
特になし

8位には入るだろ
>>776
魏延も大将軍の地位を勤められるかはかなり疑問。
他人が自分にへりくだらないと気がすまない性格だったみたいだし、
政治力も無いし、人望もいまいちだし、とてもではないが大将軍を勤めれたとは思えない。
それに軍だけではなく、政治面も考えなければならない大将軍には、
勇猛であるとかよりも、バランス感覚がある人間が勤める方が良いだろうと思う。
>>788
確かに、後に大将軍になれるくらいなら、孔明死後あんなあっさり政争に敗れたりはしないよな。
そんなこと言い始めたら関羽だって大将軍は無理だし。
>>788
そういうことだと思う。
たとえば、魏で最初に大将軍となったのは夏侯惇だし、呉は諸葛瑾。

大将軍というのは三公と同様に単なる軍官ではなくて、政治的影響力を多分に
及ぼす要職。
単に軍事一辺倒にはしる武官や権門に列なる家柄でもなければ、そうそう安易に
就ける官職じゃない。
それが事実に、蜀で大将軍に付いたのは、それまで軍事に殆ど直接的な関与は
なかった蒋エンと費イ。
後年は姜維も、だけど、おそらく相当に軍部に強い影響力があっためと思う。
ただ、三国をみても政略に殆ど関与せず、ひたすら前線の将帥であった大将軍
なんてのは姜維くらいじゃない?
792776:04/07/16 19:45
大将軍みたいな地位といったのが誤解を招いたが
大将軍でなくとも蜀の軍権の統括者的な地位につくにおいて張飛は無理ぽく
姜維は北伐は別として軍の統括そのものはちゃんとこなし
魏延なら漢中の守りの責任を7年間全うしたことをふまえて
出来そうだといったまで。
張飛には大きな責任ある地位を任せにくいのでは?
という疑問提起でした。
>>783
過大かなぁ?
優勢な兵力を持つ敵に隙を見せず援軍到着まで持ちこたえ結果的に相手の大軍を無力化したんだし
もし後退防御してたら援軍が来ても、敵が漢中を侵蝕して追い払えなくなる可能性もあったわけだし
やっぱり激戦に及んで撃破しなきゃ功績っぽくないか?
>>793
敵を漢中に押し込める事が出来るのなら、招き寄せつつ大軍の到着を待ち、
一斉に繰り出して殲滅するという方法も取れそうだな。
一度漢中に入ってしまうと、撤退時にも細い桟道を通らねばならず、
逃げる事は困難になってしまうだろう。
王平自身、敵を招き寄せる策に反対していたのは、
援軍が来る前に陽安が突破されるのを懸念しての事だったはず。

この場合、陽安を突破されると蜀自体が危なくなってしまうから危険な賭けだな。
王平が要害を連ねようとしたのも当然だな。
てか曹爽はよく大軍で漢中までこれたな
到着したときはぼろぼろじゃないのか?
>>793
王平が興勢囲で抵抗しようと考えたのは正しいと思うよ。

興勢囲は漢中の諸々の囲のなかでも最も東に位置しているし、
陽安関は四道のなかでも比較的道のりが緩やかな、最西部の
陳倉経由からの侵攻に備えた防衛施設だから、ここまで侵攻を
許すと、>>794の言うとおり漢中盆地をほとんど魏に奪われたも
同じになる。
漢中におびき寄せるというのは、孔明も曹真にやろうとしてたな
こっちは防御じゃなくて、殲滅を狙ってたようだが
>>776
結局4位魏延,5位姜維,6位張飛でいいのか?

魏延に政治力が無いというのはどういう判断からだろう?
漢中太守と漢中都督を兼任して7年大過なく過ごすのは政治力なくしては無理だと思うが。
督漢中といっても、その多くは諸葛亮の漢中進駐で数次の北伐と時期は重なるし、
実質は諸葛亮に差配されていたようなものだし、政治力をもとめようもない。
>>776のいう政治力がどういったものを指してるのかはわからないけど。
>>799
「実質は諸葛亮に差配されていたようなもの」ってのはどういう判断?
劉備が漢中王になったのが建安24年。
章武元年には成都に戻っているので,魏延はこの頃には漢中太守になっている。
諸葛亮が出師の表を書くのは建興5年。

なので,諸葛亮が漢中に来るまでの7年間,魏延は諸葛亮の北伐とは離れて漢中都督兼漢中太守を全うしていると思うが?
まして,諸葛亮は建興3年から南蛮討伐に行っているし,魏延に差配できるとは思えないのだが。
そうだよな、七年っていったら建安24年から建興5年になるよな……介錯頼むわ
802776:04/07/16 22:10
>>798
そうだなあ
4位魏延,5位姜維,6位張飛
4位姜維,5位魏延,6位張飛
のどっちかかと。
張飛は突出したものがあるのかもしれないけど
こと重責に耐えうるかという点においてだけは魏延 姜維 王平
には及ばないような。
しかし建国やらをふまえて王平やら黄忠やらよりは上という提案。
魏延がヨウギを倒して生き残ってたら
姜維と魏延のどちらが上位に置かれたんだろう

どちらも主流派閥からは外れていそうだが
どちらも軍事力は他者と換えがたいから首脳陣も使わざるを得なかったと思えるが
>>799
魏が侵攻した時、魏延の作った基地が重要な役割を担ったことがあったと思った(誰の伝か忘れた。調べてくる)。
その点で軍略に通じる政治力(でいいのかな)にプラスできないかね。

>>795
ぼろぼろだった。輸送用の家畜が死にまくった。
それも曹爽があっさり負けた要因のひとつだろうな。
やっぱ、蜀は守りに入ると強いねえ。自然現象が味方になるんだから・・・
>>803
そら魏延だろう
ただ他の政敵との争いは出てくる可能性はある
まあそれは姜維もあったんだろうが。
なんで関羽が三位で決定してるの?
魏延はヨウギとは仲が悪かったらしいが、
他の文官とか武官とかとはどうだったんだろう
やはり協調性に欠けるタイプだったんだろうか
でも劉備が惚れ込んで漢中任せるくらいだからなぁ・・・
>>806
決定じゃないだろ
今はとりあえず>>708を叩き台に議論してるわけだから
>>798
太守と一国の軍権を統括する地位とでは、求められる政治力が大分違うと思うが?
事実、魏延は諸葛亮の死後、軍権を楊儀と争ったが、諸軍を味方に出来ず、
成都に居る董允・蔣琬も味方に出来ず、部下にも逃げられ、ただの一戦で敗れた。
ここに反逆者ゆえの誇張が混じったとしても、魏延の反乱が蜀では大きな反乱にならなかった、
という事実がある訳で、これで魏延が軍権の統括者的地位を勤めるだけの政治力があるとするには無理がある。

それに魏延が漢中を守った7年間は、魏も別段ちょっかいを出さなかった時期でもあるし、
魏延が漢中で優秀な施政を行った記録もないし、普通だったとしかいいようがない。
正直言って関羽について話しだすと荒れるから
劉備・孔明と同じく隔離三位祭り上げでいいよ
>>807
記述を信用するなら、兵卒の信望はそれなりにあったみたいだけど、
将領や士大夫との交誼に幅をもてていたかといえば疑問。

さらに、諸葛亮歿後の楊儀との争いで、説諭をうけるなり魏延麾下の
士卒は四散したみたいだから、士卒の信頼も絶対的だったとはいい難い。

魏延を叛乱者として非があるとみたための、士卒の保身もあったのかも
しれないけど……。
>>811
こういう言い方はなんだけど…、
自分の上司である諸葛亮に、自分の案が通らなかったからといって、
臆病者と罵り、だから自分の才能が発揮できないんだ、と言ったり。
自分のへりくだらない楊儀と憎みあう、誇り高すぎる性格。
嫌われるのも無理ないと思うよ。
漢中太守になってから13年間,中央の政治から離れてた魏延
元々中央官吏で,丞相府の事務長冠として中央とも繋がりのあった楊儀

董允ら前線を知らない高官たちが見誤るのは当然だろ。
で,それを兵たちに流布されたら,諸葛亮の死で動揺している軍が瓦解するのも理解出来るが。

それを持って魏延に政治力が無いというのは乱暴じゃないか?

7年間,太守兼都督として漢中の軍権を統括していた訳だ。規模は違えど,本国との関係や前線地域としての施政をやらねばならず,規模は違えど内容はそう違うものではないと思う。
確かに施政について特段の記録はない。なので「7年間大過なく」と表現しているが,それってかなり大した事だと思うが。
中央の政治自体が安定していない時期の漢中で,何も騒動を起こさせなかったンだから。
814無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 22:43
>>802
政治力が必要かどうかわからんが、張飛が兼任した司隷校尉は重責の地位だと思う。
とはいえ、俺はランク付けするなら、漢中守備をまかせてもらえなかったところから、
劉備の目からみて、魏延のほうが張飛より優れていたんだと思う。
もっとも徐州失陥で張飛には拠点防衛はまかせられんと劉備は思ったのかもしれんが、
魏延って抜擢されるまでに拠点防衛的な功績をどっかで立ててたのかな?
大過なく、とはいうけど、第一次の諸葛亮の侵攻に対して殆ど備えのなかった
魏にとって、攻勢の主眼は呉にあったはずだよ。
当時、曹叡は呉蜀いずれを先に討つかを諮問していて、司馬懿も呉を優先すべき
と言って、結果として宛に駐屯している。

大過なんて起こり様もないし、起こるとすれば内乱の方じゃないか?
>>814
>張飛が兼任した司隷校尉は重責の地位だと思う

蜀は司隷を領してないから、単なる肩書き、絵に描いた餅かと。
>>813
成都に居た高官もそうだが、同じ前線で戦っていた他の将も魏延に味方していない。
部下にも逃げられてる、これで政治力があったとするのは無理だよ。
そもそも中央との繋がりを持てない時点である意味政治力の限界を露呈している。

軍の統括に関して言えば、7年間大過なく、は確かに凄いが、
その位の功績の持ち主は他にもいるよ、反乱を起こした南蛮を見事に治めた馬忠とかね、
それで一国の軍権の統括者を勤めれる、というのは乱暴だろう。
>>>776
結局4位魏延,5位姜維,6位張飛でいいのか?
いいわけない。おまいが姜維オタなのはわかるが、
名将とは断じて言えない。少なくとも後年名声が残ってる
人物差し置いて4位とか5位は贔屓目にもほどがある。
中国では関羽は忠義の人であり廟で祭られている。
孔明は言うまでもないが姜維なんて名将だと言う人はいないだろうよ。
むしろ孔明→ヒイが築いた蜀を崩壊させた戦犯というイメージしかない。
>おまいが姜維オタなのはわかるが
>中国では関羽は忠義の人であり廟で祭られている。

きたよ、きましたよ。
つっこみどころ満載だけど、特に↑二行はね………
>>817
>同じ前線で戦っていた他の将も魏延に味方していない。
>部下にも逃げられてる、これで政治力があったとするのは無理だよ。

それって、死ぬ前の関羽や姜維だって一緒だよなあ…
これは蜀で滅び行く者のお約束の末路なんだな…
821820:04/07/16 22:59
あっと、関羽は殉じてくれた部下が一人いたか。
やっぱ関羽>魏延か。
中国で悲惨なのは姜維じゃなくて魏延だと思う
>>818
自分は煽ったつもりがないのかもしれないが、
煽り以上の効果はない論だな。
なんせ、日本だけならともかく中国でも演義が事実だと思われているんだから。
そりゃ、演義が事実なら関羽は名将の中の名将だよ。
>>820
姜維の死は、関羽や魏延とは状況が全く違うように思えるが。
825無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 23:06
劉備は魏延かわいがってたね
劉備には魏延は絶対の忠誠してたのかな
しかし劉禅ダメダメだな
部下が政争してんのほったらかしかよ
>>817
諸葛亮死後,別働隊の指揮をしている間,楊儀に早々と丞相府本軍の指揮権を掌握され,なおかつ費イの謀略で全軍への命令すらも届かず終いで,どう抵抗しろと?

魏延伝を読むかぎりでは,費イと姜維も楊儀に共謀しているみたいだし,諸葛亮の死に立ち会えなかった不利を考えれば魏延の味方をする将が少なかったことは已む無いのでは?

中央との繋がりを持てなかった訳ではないだろう。
持てないで太守なんて勤まらんし。
ただ,その辺の政治力では,本職の楊儀には適わないだろうさ。比較の問題で楊儀よりも下って話なら同意だが,それで魏延に政治力がないってのは短絡だろう,と謂う話。
>>826
家臣次第で名君にもなれば暗君にもなる人だから・・・
>>826
魏延の肩を持つと士族の反発が起こり国が維持できない。
楊儀たちの肩を持つと、「やっぱ士族かよ」的な不平が起こる。
そうしなかった、劉禅は名君
>>824
関羽:戦死
魏延:内乱での敗死
姜維:戦争終結後のクーデター失敗

確かに違うな。
>>827
その状態で勝てると判断し、反乱を起こしたのは魏延。
たとえ不利であったとしても、他の将を味方に出来なかったのは
魏延の見通しの甘さに他ならないのでは?
少なくとも援護の材料にはならないと思うよ。

それに楊儀も結局は大した役職に就けず、姜維に追い出されてる。
楊儀も結局その程度の政治力しか持ってなかった訳で、
魏延の政治力じゃ無理でしょ。
>>831
>その状態で勝てると判断し
勝てると判断してないと思うが?
追い詰められての行動だったように思う。

だいたい本当に叛乱起こすならさっさと魏に降った方がマシ
>>831
楊儀は姜維ではなく費イに追い出されてないか?
ここで魏延敗死の黒幕姜維説登場
>>831
魏延は叛乱起こしてないだろ。
本軍を引きいた楊儀に,別働隊の戦力で勝てると踏んで,軍令違反者の楊儀を討伐に動いただけだ。
しかし,本国が楊儀に付いたために兵卒が動揺して離散したために敗走しただけ。
本国が軍権を保たない楊儀に付くとは考えてもいなかったろうからな。
まぁ,その判断が甘かったというのは同意だ。

楊儀を追い出したのはショウワンだろ。
>>816
司隷校尉には秘密警察の役割がある
張飛の死後、諸葛亮も司隷校尉を兼任していることからも、単なる肩書きではないと思われる
>>832
これ結構重要
>だいたい本当に叛乱起こすならさっさと魏に降った方がマシ
魏延の行動が本当に叛乱であったなら魏に行くだろうという説を見たことがある。
あれは魏延なりの説得と見るべきかもしれない。
>>832
諸葛亮の軍勢はみな撤退を始めていたので大いに腹を立て、
先回りして彼らが帰国できないようにした。
とある。

勝てないと思えば素直に殿軍を務めたんじゃない?別に罷免された訳でも無ければ、
命を狙われた訳でもないんだから、それをわざわざ↑みたいな事をしてるんだから、
少なくとも追い詰められての行動じゃあないと思うよ。
これで叛乱を起こしてるつもりがなかったら、それこそただの馬鹿だと思うが…。
>>838
・他の軍が勝手に撤退開始して自軍だけ取り残された
・諸葛亮の死に立ち会えず、後の実権を握ったのはヨウギ

この状況なら追い詰められたと十分言えそうだが
>>834
姜維黒幕説は面白いが,姜維が得た実益が無さすぎの氣も。
どっちかっていうと,ショウワンが魏延と楊儀の対立を利用したって話のほうが説得力があるような。
>>833
本当だ、楊戯と間違えたorz
指摘ありがとう。
842無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 23:31
とりあえず張飛はその実像がはっきりしてないからなあ・・・。
実は劉備の初期のパトロンで、文化人だったっていう説もあるし。

ただ、死に方が酷いのははっきりしてるから、関羽やう禁が死に様で割り引かれるなら
張飛の場合どれぐらい減点になるのかと。
>張飛の場合どれぐらい減点になるのかと。
誰にも迷惑かけずに死んだので関羽とはだいぶ違ってくる気がする
将才ではともかくとしても、
人間性は駄目だろうな
>>839
元々諸葛亮の指示で撤退は決まっており、殿軍は魏延に決まっていた。
それを良しとしなかったのは魏延であり、かなり不用意な行動で自分を
追い詰めただけと思うけど?だいたい先回りしてるんだし、別に敵地に一人取り残された訳じゃない。
それに楊儀は退却の指揮をとってるだけで、本国の指揮権まで握った訳じゃない、
それを考えると、魏延の動きはかなり拙いし、やってる事の重大性を考えると、
政治的な視点がかなり欠けてると思うよ。
諸葛亮の死後の軍権は,丞相府軍師の魏延に移る訳だから,費イが握り潰した魏延の命令が正統。
魏延は仮節も持つ訳で,軍令違反者を処罰しようとするのは至極当然だと思うが。

まぁ,諸葛亮あっての丞相府な訳で,その意味で退却をした方がいいかも知れないが,少なくとも軍師に相談もなく撤退するのはおかしい。
>>816

司隷校尉は名誉職じゃないですよ。
今で言う「警察庁長官」なんで。
チト横道にそれる疑問だが。

>楊儀は退却の指揮をとってるだけで、本国の指揮権まで握った訳じゃない
>>845の謂うこの部分は確かにそのとおりだ。
楊儀はなんでこの程度の任務を遂行するために,費イを派遣してまで魏延に策略掛けてるンだ?
本当に諸葛亮の遺言の内容は,ああいうモノだったのか,疑問に思うのだが。
楊儀伝には「諸葛亮は彼の才幹を愛し、また魏延の武勇を頼りとしていたので、その二人がつねにいがみ合っていることを非常に残念がっていたが、どちらかを辞めさせようとはしなかった。」とまで書いてある。
なのに,何故,死後は楊儀に魏延のことを粗略に扱うような遺言を残すのか。不思議。
>別に敵地に一人取り残された訳じゃない。

魏軍が目と鼻の先にいるのに、自分だけ取り残されてるんだよ。
そりゃ、見殺しにしようとされてると感じ、殺られる前に殺ってやると思ってもおかしくないような…
五丈原なんてほとんど敵地だし。
魏延が実験握ったって、姜維と何が違うんだ?
無謀な外征をして、下手すると一発で主力崩壊だ
>850
無謀な外征をするかもしれないし、しないかもしれない。
太守時代に無茶をやってないところをみると、
案外姜維ほどの主戦派ではないかもしれない。
孔明への長安攻めの進言からすると主戦派かもしれない。

どうだったかは判らない以上、無駄な仮定だな。
>>846
費イは楊儀の命を受けて、魏延の意向を伺いにいってる。
魏延に断りも無く撤退してる訳じゃない。
それに撤退は諸葛亮の命令だから、軍権が魏延に移行しても、
疎かに出来るものでは当然無いし、撤退は履行すべき命令でしょう。

>>848
別に楊儀は魏延を策略にかけた訳じゃ無いよ、楊儀はあくまで費イを派遣して
魏延の意向を調べただけ、それで魏延が

「何で俺が居るのに撤退するんだ?俺が諸軍を統括して敵を討伐するから、
 諸葛亮直属の貴方達は遺体を担いで帰国しなさい」

と言って、遺言に逆らった。
それで楊儀はじゃあ勝手にすれば?って感じで撤退しようとして、魏延がそれを阻んだ。
魏延は反逆者扱いだから、正しく記録されているかは分からないが、
どっちに非があると言えば、明らかに魏延だろうね。
元々魏延と楊儀が憎みあったのも、楊儀だけだ魏延に頭を下げなかったという無茶苦茶な理由だし。
>>847
司隷校尉は長安近辺である司隷(司州)の長官で、司州の治安維持をする権限も持ってる。
逆に、司隷地区以外では何の権限も持たない。
そういう意味では、司隷を支配していない蜀に司隷校尉があっても意味無い。

まあ蜀の場合、成都の治安維持目的の役職なんだろうけど…
わざわざ司隷校尉を名乗ってるのはハッタリだろうなあ…
周りが政敵だらけ、早めに実績が欲しい、孔明への主張の正しさを認めさせたい、自惚れ
やっぱ、外征して自滅だね
>>852
だから,じゃあ勝手にすれば,なんて謂える権限は楊儀にはないンだが。
それを上位指揮権をもつ魏延に逆らって軍を動かしているのだから,どっちに非があると謂えば,明らかに楊儀だろうね。


>元々魏延と楊儀が憎みあったのも、
>楊儀だけだ魏延に頭を下げなかった
>という無茶苦茶な理由だし

同じような話を楊戯伝で読んだ氣もするが。
2人とも劉備が見いだした人物だから、俺の方がという張り合いもあったかもな
>>855
楊戯伝?楊儀伝の間違いじゃないのか?

ただ、どっちにしろ「魏延が楊儀に頭を下げなかったから憎みあっていた」
なんて記述は無かったような気がするが。
楊儀も性格が悪かったのは確かだがね。
いや楊戯伝の最後。
>>855

>じゃあ勝手にすれば

これは俺の付け足し、紛らわしかったな、すまん。
それに権限は無いが、諸葛亮の遺言という、丞相の命を受けての撤退であり、
魏延に軍権が移行したとはいえ、どっちの命に従うべきは明白だと思うが?
まあ私情を挟んだ事は否定できないけど…。

楊戯の方は姜維との確執、楊戯は姜維を馬鹿にしており酒の席ではいつも嘲笑していた、
姜維はそれを表面上寛大に接していたが、ある時姜維の意向を受けた者が楊戯を告訴したので、
楊戯は罷免されたうえ庶民に落とされらしい。
魏延・楊儀もこのくらいのしたたかさがあれば、軍権を握ることも夢じゃなかったんだが…。
したたかさって,魏延のが「無茶苦茶な理由」なら,同じでは。
つ〜か,あたら優秀な人材を陥れているのはどう〜よ。

まぁ,確かに魏延のイメージは職業軍人なので,そういう策謀を弄するのは似合わないと思うけど。
楊儀や魏延はともかく、楊戯は優秀とは言えない気はするな。
仕事も怠惰だったらしいし。
>>859
丞相の命により征西大将軍を最前線に置き去りにして撤退しました,なんて命に従うべき,な訳ないだろう。
軍権が魏延にある以上,丞相死後の遺言の施行も魏延の命で行うのが当然。
魏延が違う事をしようとしたら諌めることは可能でも,魏延の命を無視して勝手に軍を動かすのは軍令違反だろう。

だからこそ,帰国後一旦は恩赦されるけど,わずか5ヶ月後に罷免されているわけだし。
>>861
どこに書かれてるんだ?
>>861
楊戯伝から要約
・諸葛亮の高評価
・どの仕事でも清潔・簡約
・他者に媚びることなく清廉

丞相府主簿→尚書右選部郎→ショウワンの片腕として益州治中従事→東曹掾→南中郎参軍→建寧太守→護軍・監軍・梓潼太守→射声校尉

十分優秀じゃないか?
怠惰は大罪だが,優秀過ぎて能力が余ったンじゃないの。
>>864
いや、それはそうだが、楊儀や魏延ほど重要な人材では無かったって事。
伝が立ってるくらいだから、有象無象より遥かに優秀なのは分かるよ。
魏延.キョーイ>張飛に異論ある人の意見てどんなかんじなんだろう?

魏延、キョーイは順不同で。    

>>864
2番目と3番目は単なる性格・性分であって、有能無能とは関係ないんでねーの?
1番目もなあ…孔明って寥立とかも異様に賛美してたし…
いや、有能だと思うけどさあ。
>>862
まず第一に正式に魏延に軍権が移行された訳ではない。
それに先に魏延が丞相の命令に逆らった、この時点で魏延は言ってみれば反逆を犯してることになる。
反逆を犯してる人間に、従わねばならない義理はない訳でして。
なにより周り人間は、魏延の主張を正しいとは思わず、諸軍・配下と、誰も魏延に従わなかった。
つまり当時の人々は、魏延に軍権など無く、その主張も正しくないとした、というこじゃないのか?

罷免て楊儀の事?別に楊儀は魏延に対する越権行為で罰せられた事などないと思うけど?
蔣琬が尚書令・益州刺史に任じられ、楊儀は実際の仕事がない中軍師の官職を与えられたので、
それに対する不満から不用意な発言をしたから罷免された訳で、
その役職も、諸葛亮が生前から蔣琬を推していたからで、別に魏延は関係ないと思うけど?
>>866
張飛の兵卒に対する態度は将としての根本的な部分で問題がある。
厳しくて恐ろしいということで兵卒の恐怖の対象となり恐怖で兵を
支配するところまではわかる。
しかしそれを補う飴と鞭でいう飴の部分
優しさだったり何らかの愛すべき点がないことにより兵卒から
恨みばかり買ってしまった
これは戦略や戦術云々以前に兵卒を司る者としての資質にかかわる。

かといって恐怖によって兵を率い幾多の武功はあげてるので
将の資質がないかといえばそうではない。
ただ名将というには欠けてる点だな
姜維や関羽、魏延にしてもそれぞれの欠点はあるが兵卒を率いるという将の根本
に欠けてる点は見られない。
よって魏延 姜維>張飛ではないか?
>>868
乱世において死んだ人間のいうことを
忠実に守り続ける義務はないだろう

軍権を持つ者が遺言に反して行動したとしても
それが即ち反乱とはならないだろう
それが反乱の証拠!と貶められる要因でしかない
つまり政争ですよ
>>868
矛盾してないか。
死んだ諸葛亮の代官となるのは軍師な訳だ。
それを代官ですらない楊儀が何故に叛逆と判断する?

各官が勝手な判断をしないように官職が決められている訳で,事実軍師の魏延は楊儀の謀反と判断して本国に通報している訳だ。
魏延にしてみれば,軍律に則った行動を採ったのに,ショウワンが楊儀に援軍を出したことが信じられなかったろう。

「諸軍・配下と、誰も魏延に従わなかった」とあるが,王平が「公亡 身尚未寒 汝輩何敢乃爾」と謂うまでは魏延に従っているンだが。
本国が楊儀を支援したことを知った魏延配下が離散しただけで,魏延の主張が正しくないと判断した訳じゃないだろう。

楊儀の罷免に関しては,そもそも大赦されていることからの推測。
勿論楊儀伝にあるようなことも一因ではあると思う。
まず孔明の遺言は絶対守るべきってみんなが思ってたという
考え方が演義っぽいよ
演技っぽいっていうか横山三国志をベースに話してるんでしょこの人達?
大きな権力を持つ者が死んだあと
その権力をめぐって自分の正当性を主張しお互いを貶めあうことで
権力闘争し誰かが勝ち残り権力を握る、もしくは政敵を屠る

この力学自体が政争ですよ
そして勝った方がその場の正義になる。
>>870
いくらなんでも丞相の命令を死んで間もないに、破るのはいかんでしょう。
特に戦術・戦略面でも問題なかったし、攻めあぐねいていたから妥当な判断だと思うし。
まあ結局は政争だから、真実は闇だけどね。

>>871
反逆かどうかを判断するのに代官なんて関係ない。その行動が命令に違っていれば、それは反逆。
まあこれはちょっと俺の勇み足だったね、別に楊儀がこの時点で反逆と判断した訳じゃない、すまない。
それに楊儀はこの時点では、魏延よりも諸葛亮の遺言に重きを置いて撤退しただけ、
代官は代官、丞相の遺言を優先してもなにもおかしくない。
そして反逆として劉禅に訴えたのは、魏延が退路を塞ぐという行為に及んだ後。
で、この後董允・蔣琬は魏延に非があるとしている。
楊儀の根回しかどうかは知らないが、第三者も魏延の主張を是とはしなかった、
本人がどう思ってるかは関係ないよ、だれも自分が間違ってると思って、
政争なんて行わないだろうし。

魏延の部下たちは魏延の非を知っていた、とも書いてある。
部下が魏延の主張を正しいと思っていたわけではなさそう。
876871:04/07/17 01:54
>>873
「この人達」には,私も入るのかな?
演技なら,魏延に兵権があるか判らないので,ここまで擁護しませんが。
まぁ,演技の魏延は諸葛亮に虐められて可哀想とは思うけど。
877871:04/07/17 02:02
>>875
魏延の非を知っていた,ってのは「延士衆知曲在延」のこと?
知っていたではなく,「非があると知った」ので魏延の命令を聞かずに離散した,ではないか。
つまり,王平の謂った内容に驚き離散した,と考えるが。

「第三者も魏延の主張を是とはしなかった」ってのについては先にも書いたが,魏延の最前線に長年いた経歴を考えると,楊儀に比べて信用されていなかっただけだ。

ところで,元々は魏延に政治力が有るや否やについて語っていた筈だが,いつの間にか魏延に非が有るや否やの論議になっているな。
そろそろ軌道修正しませう。
>>872
そんな事は思っていないつもりだが、ただ、
諸葛亮の遺言>魏延の命令
と周りが感じたから、他の将や人は、魏延に従わなかったのでは、とは言ってるけど。

>>876
まあ色々議論させて貰ってる身で、立場上魏延の事も色々言ってるが、
演技での魏延は可哀相を通り越して、諸葛亮が鬼畜に見える…。
>>877
そうだね、まだまだ議論したい事はあるけど、そろそろスレ違いになっちゃうからね。
いや、楽しかったよ、いろいろ勉強にもなったし。
なんかここのスレ
関羽を3位に隔離することで
議論が建設的になってきたな
>>880
ただ魏延が髭無し関羽だと言うことを、誰かが気付けばそこで終わりだがな
魏延>張飛>キョーイ

確定。
魏延、とキョーイの比較はお互いのファンにゆだねてもいいが
張飛>キョーイに異議あり
張飛は人の上に立つものとしての基本に欠けてる
最後まで部下に慕われたキョーイと部下に殺された張飛を比べれば
兵卒の上に立つ者としての基本的な素養の差はあきらか。
>883
人間性は最低かも知れん、が、功績と結果で見れば
明らかに張飛が上だろう。OOはただの戦争バカだよ。
国民の生活も鑑みず遠征の連続で結果として国を滅ぼした。
>>884
張飛の功績と結果とは?
建国までの功績は認めるとしても
途中足がかりになった徐州失ってるのは結果的に
蜀の建国には影響ないかもしれないがその時にしてみれば一大事。
せっかく得た本拠みすみす失ってるのだから、そのマイナスは
将才と功績両方の面に大きいマイナスではないか?

将才は張コウ撃退で認められる部分あるが
張コウ伝にはのらない勝利で?なのはすでに論じられた。
加えて魏延に漢中守護の座を奪われたあたりにも
「そんな重責は張飛に任すと怖い」という
劉備の張飛評価が何となくだが見える気がする

さらに人格が最低なのは兵を司る事に影響なければ問題ないが
兵卒に殺されたあたり兵を司るという将の基本に欠けてる面があるといわざるを得ない

姜維は兵卒からの忠誠は固く、重責を担い、王経戦で大きな勝利をあげているので
結果だけでいっても将才をみてとれる。
北伐による蜀の疲弊は責任が重いがその減点は十分に考慮しても
先に述べた張飛より順位は下げるべきでないと思う。
>将才は張コウ撃退で認められる部分あるが
張コウ伝にはのらない勝利で?なのはすでに論じられた。

でもこれ大きいと思うよ。あれ以上草刈り場にされて曹操の本隊が突入してきたら、
結局劉備軍自体壊乱してたかもしれないし。
姜維を否定したいやつは、何が何でも滅亡の元凶にしなきゃ気がすまんのかね。

いや何も、だれが、とまでは言わないけどね、碌に検証もしていないんだろうに
必死ですね、って感じ。
>>885−886
とゆうか、しっかり張コウ伝にも載ってるYO!
>将才は張コウ撃退で認められる部分あるが
張コウ伝にはのらない勝利で?なのはすでに論じられた。
でもこれ大きいと思うよ。あれ以上草刈り場にされて曹操の本隊が突入してきたら、
結局劉備軍自体壊乱してたかもしれないし。


まあ俺も蜀ファンだしこれは認めてもいいとは思う。
撃退したのは確かだろうし。ただ張コウが戻ってきたときはわずか数騎
ってのが少し怪しいが。
その功績と将才を含めても>>885で述べたように姜維>張飛といえると思う
    姜維    張飛 
功績 北伐でマイナス 徐州でマイナス
将才 優れている 兵卒の扱いに難あり(上に立つ者としての)
蜀軍統括の ただし戦そのものは問題なし
   重責
名声 やや張飛のが上か

将才で兵を司る能力を考えると
功績と名声で張飛が姜維をやや上回るも
将才の大きな姜維のリードで総合すると姜維の勝ちって感じ。
ゲームっぽくなってすまないがw
 
890889:04/07/17 09:49
見比べ表失敗したので再度w

    姜維     張飛 
功績 北伐でマイナス  徐州でマイナス
将才 優れている  兵卒の扱いに難あり(上に立つ者としての)
   蜀軍統括の   ただし戦そのものは問題なし
   重責
名声 やや張飛のが上か

将才で兵を司る能力を考えると
功績と名声で張飛が姜維をやや上回るも
将才の大きな姜維のリードで総合すると姜維の勝ちって感じ。
ゲームっぽくなってすまないがw
キョーイは蜀を滅ぼしたが、
張飛は自分を滅ぼした。

結果から見ればキョーイのほうが減点は大きいが、
国が滅びるのを止めるのと、自分が滅びるのを止めるのはどちらが容易だろうか?

俺としてはキョーイ>張飛を押したい
やっぱり外様の武将が軍の最高責任者にまで出世したってのは並大抵のことでもないだろうから
892無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 10:48
張飛は好きだし、実像についての研究も諸説あるらしいが・・・・・。

でも、史実だとすれば、別に負けてもないのに部下に寝首をかかれたヤシってのも珍しいな。
>>892
刑罰で人を殺しまくり、毎日兵を鞭打って、それを側近にしてるんだから殺されもするだろ。
劉備に言われても止めなかったんだから、自業自得だと思うが。
>>891
御苦労だけど、小説で語らなくていいから。
姜維が蜀を滅ぼした、とは断言しない。他の要因もあったしね。
しかし、姜維が魏の侵攻を招いたのは事実だろうね。
姜維が軍権を握ってからの行動を見ると、延煕17・18年は、見事な勝利を飾り、
徐質・王経を破っている、が、19年からはケ艾に破れ、20年は魏の内乱に乗じて
出兵するも、敵が守りを固め何も出来ず帰還。
で、その後に漢中の防衛策を変更し、景耀5年にまたケ艾に敗れてる。
その翌年に鍾会は蜀への侵攻のため大軍を動員している。

姜維の無茶な連年の出兵と、特に景耀5年にケ艾に敗れた事が鍾会の蜀侵攻を
決意させたのは確かだと思う。
>>895
姜維がが負けてる事と蜀の内部が腐敗してること両方あると思うけどね。
姜維と鐘会の反乱計画ってどの程度優れてたの?
確かに張飛が張コウを撃退したのは張コウ伝にも載ってるな
ただ「軍を進めたけど張飛に阻まれて撤退した」とか非常に
あっさりしてて、さらにその直後くらいに新しい将軍位をもらったりしてるんで
張飛伝に載ってるような大敗だったの?と思ってしまうだけで・・既出だな
>>895
蜀侵攻の作戦自体は、侯和の敗戦以前から練られていたと思うがね。

それと、あの敗戦そのものよりも、姜維がその後沓中に留まっている事から、
「蜀は連年の出兵で疲弊し、更に唯一厄介な姜維は本国からの信頼を失ってる」
と考えて出兵を決意したんだと思うが。
>>898
ここを誤解している人がいるようなので言っておくけど、

>さらにその直後くらいに新しい将軍位をもらったりしてる

張コウと張飛の戦いは215年、漢中での戦いは218年。
張コウ伝では一纏めに記されているから、ここを同時期の事象と勘違いしやすい。
>>900
張コウが盪寇将軍に任命されたって記述が、巴郡侵入と漢中戦の間に載ってるが、
>>898はその事を言ってるんじゃないのか?
>>894
何が小説で語っているというのだ?
張飛が自分を滅ぼしたのは確かだろ
それが軍略の才能と関係あるかはともかくとしてもだ
>>884>>351
もういい、釣り宣言でも何でもして早くこのスレから消えてくれ。
お前のレスっていつも内容が同じなのな。
>>904は煽り宣言でもしとこう
結局
張飛<キョーイ
になったのか?
将としてはどうだか知らんが敵として当たるなら
張飛には当たりたくない。野戦指揮官としてはかなりのもんだからな。
俺も張飛と戦いたいとはおもわんが
張飛の部下にだけはなりたくない
いわれなく殺されそう
というか張飛とはかかわりたくない
さわらぬ神にたたりなし
>>903
だから何が小説なのかはっきりおしえろ

キョーイの無理な出兵が蜀の疲弊の原因となったのは事実だろ
1.姜維の出兵が蜀を疲弊させた
これを
2.姜維が蜀を滅ぼした
ここに飛躍させるあたりじゃない?
魏=晋にはどのみち蜀はどう足掻いても勝てなかったんだけどね
曹操以来の制度改革が進んだ中原の人口と益州の格差は大人と子供
>>911
俺は別にそこまで飛躍させてない

蜀を滅ぼした原因はキョーイだから減点、と言うが、
国が滅びるのを止めるのはとても難しい。
それに比べて張飛が滅びるのを止めるのは比較的容易だった。
蜀を滅ぼしたとしてキョーイを減点するなら、張飛のほうがよっぽど減点されるんじゃないのか、と。

俺としてはそう言いたいつもりだった。
別にキョーイが国を滅びしたとは思ってないよ。少なくとも原因の一つではあるだろうが。
おもうに>>894
は煽り誤爆なんじゃないのか?
つか姜維の事になるとやけに盲目的な意見が多いな。
悪いが全部妄想にしか聞こえん。地位に上り詰めたから
才能がある(はずだ)とかそもそも負け戦の方がずっと多い
香具師のどこを取れば擁護できるわけ?
才能で言えばホウトウの方が100倍も上だろ?
更にバショクにも勝てんな。どっちも結果だしてないのは同じだがw
キョーイも最後は身分不相応な計画を企て、
鍾会もろとも殺されているわけだからマイナス。
>>915
もまえはきょーいになんか恨みでもあるのか?
100倍とか盲目的とか香具師とか
そこまで罵詈雑言浴びせんでもw
>>915
>つか姜維の事になるとやけに盲目的な意見が多いな。
確かに。お前みたいな盲目的なアンチとかな。
>>915=>>351ってまだ頑張ってんのか。
なんでそんなに姜維を嫌うのかが理解できないな。

結局、張飛、魏延、姜維の順位の変動はどうする?
魏延、姜維>張飛で良いのか?
張飛は関羽と同じような立場だけど、どこかパっとしないしな・・・。
野戦の指揮官としてはともかく、ここでいう名将でいくなら
魏延、姜維>張飛としても良いんじゃないだろうか?

まあ、あくまで暫定だし。
907 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 04/07/17 16:39
将としてはどうだか知らんが敵として当たるなら
張飛には当たりたくない。野戦指揮官としてはかなりのもんだからな。

908 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 04/07/17 16:41
俺も張飛と戦いたいとはおもわんが
張飛の部下にだけはなりたくない
いわれなく殺されそう

909 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 04/07/17 16:48
というか張飛とはかかわりたくない
さわらぬ神にたたりなし


↑ この一言で終わってしまうところが張飛のつらいところだなw
 漏れも、張飛は味方にして心強いという気がしない。戦場で敵になるのも 
 怖すぎだが、味方になってしばかれるのも・・・。
 やっぱりこの人と出会ってしまった時点で不幸だな。劉備は凄いよ。
>>915
むしろお前ほど妄想全開な文を書く奴も珍しいとオモ。
あんまり自分の馬鹿さ加減をフルオープンしないでくれ、伝染るから。
4位から6位は張飛を一歩下げるって形で良いとして、
うやむやになった黄忠と王平の比較はどうする?
>>913
それは無理な比較なんじゃない?
国を滅ぼした原因の一人と、部下に殺され自滅した人、
どっちの方が国としては問題かというと前者だろう、後者は死んだって国が滅びる訳でもなし。
張飛の行動は大いにマイナスだが、姜維の減点が張飛を下回るのは無理がある。

まあ張飛は部下に殺され、魏延は反逆者として殺され、姜維は怒った魏兵に殺され、
全員かなり悲惨な末路遂げてる。
>>924
そこまで真面目に比較したわけじゃなかった。
ちょっと言ってみただけだから。
本気で減点しようとか思ってない。
黄忠の夏侯淵撃破をどう評価するか、だな
入蜀時の活躍は抽象的で判別しずらい
複数の功績のある王平と比べるには、具体的な黄忠の戦功の評価がまず必要では?
>>926
小規模な部隊統率に関しては劉備軍随一、劉備もその後の活躍に期待して後将軍に任命。
ただ具体的な戦術の冴えなどを見せる前に死んでしまったってところか。
確かに黄忠の評価は難しいな。
黄忠と王平の評価ほど種類の違う比較ともなると
論点あわせるのが難しいな

張飛<姜維がとりあえず決まったとすると
姜維と魏延の比較になるとおもうのだが
これはかなり比較しやすいね魏延はいきていたら
姜維的立場になった可能性もあるし。
>>928

>魏延はいきていたら姜維的立場になった可能性もあるし。

正直言ってそれは微妙、諸葛亮は自分の後継は蔣琬と決めていた感じだし、
諸葛亮が魏延と同じくらい頼みにしていた楊儀の末路を考えれば、
仮に魏延が生きていても、はたして権力の座に着けたかどうか…。
姜維は蜀書の記述はあっさりしていても、北伐や蜀討伐時の記述が魏書の方に詳しくあるから、
戦闘の状況がよく分かり、そこからその将才が見て取れる。
でも魏延の方は蜀書にしか出て来ないから、〜を撃破したとか、
度々戦功をたてたみたいにあっさりした記述しかない。

ただ、長安奇襲や陽谿侵攻など、長駆侵攻を好んでる事から、
姜維と同じく機動力重視の戦法を好んだ事は考えられるな。
黄忠にかんしてはたかだか4-5年?蜀につかえただけで
そのでかい戦績を評価されてランキング入りしてるので
もうそれだけで充分でしょ、長年在職の趙雲10位、リョウカランク外からしたら
破格の評価
よって王平>黄忠を提案

932無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 01:31
ところで、孔明在世中における
魏延の前軍師・征西大将軍・仮節と、
楊儀の長史って、
実際の権力が大きかったのはどっちなんだ?
なんか豊臣秀吉存命中の奉行・石田三成と大老・徳川家康みたいな感じで、
楊儀のほうが権力上っぽいイメージが俺にはあるのだが。
933無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 01:39
ヨウギ自体の発言力は高くないねたぶん。孔明のおつきだし。孔明も
ギエンの蜀における影響力が自分の次に大きいから除こうとしたんだ
と思うんだな。
中枢に近い分楊儀のほうが立場的には上かもしれんが
しかし直接の軍権自体は魏延の方が遙かに上なんじゃないか
諸葛亮自身が楊儀の性格の悪さを問題にしてたんだから、楊儀に大権は与えてなかったんじゃないか?
とりあえず暫定出してみようか

1位 劉備
2位 諸葛亮
3位 関羽
4〜5位 姜維 魏延
6位 張飛
7〜8位 王平 黄忠
9位 張ギョク 
10位 趙雲

で、良いんだろうか?
とりあえず今後の課題は
・姜維 魏延のランク付け 及び上位の関羽との比較
・黄忠 王平のランク付け
だろうか。
937無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 10:02
今で言えば、楊儀は総司令部の兵站部門の責任者兼首席副官で中将ってとこか。
魏延は1軍の司令官で大将って感じかな。
立場が違うから影響力は別だが、職階上は魏延の方が上。魏延は使持節もってるし孔明存命中は楊儀に軍の指揮権すらないし。

簡単に言うと、魏延は楊儀を呼び捨て出来るが、楊儀は魏延将軍と呼ばなきゃならん。
>>933
それは演義ね。
939871:04/07/18 11:01
>>932
蜀軍全体として見た時,魏延は征西大将軍で蜀軍のほぼ最高位(大司馬がいればそれに次ぐ)にいる。楊儀は綏軍将軍(雑号将軍?)で下級将軍の一人。
魏延のほうが遥かに上。
また,魏延は仮節を与えられ皇帝の代理者の権限も持っていたことから,社会的地位も遥かに上だった。

但,丞相府内でみると,魏延は前軍師で丞相の参謀総長,楊儀は長史で丞相府の事務部門のトップと,丞相のスタッフとしては魏延のほうがやや上って程度で,ほぼ同列と考えていいと思う。
まぁ,飽くまでも諸葛亮のスタッフとして同格ってだけで,楊儀には軍内の権限は全くないのだが。

ちなみに,楊儀の叛逆の際に楊儀についた者たちの立場は,費イが司馬(丞相府の軍部責任者),姜維が中監軍(軍監),王平は参軍(部隊長)だった。
どっちも孫権に馬鹿にされたのって正史だっけ?
正史ではないと思うが,襄陽記に載っているらしい。(未確認)
黄忠と王平では、王平の方が戦歴も長いし、貢献度も大きいと思うんだが、
如何せん王平には誰かを撃破したりといった戦功がない。
街亭、祁山と二度にわたって張コウを防いでるあたり、陣を固めて守るのは上手いんだろうけど。
地味だな。いや別に地味が悪いと思ってるわけじゃないが。
名将という言葉の1文字目にこだわったら王平不利か。
黄忠の名って知られてたのかな?
夏侯淵を討ち取ったのって、魏側からしてみれば、黄忠に討ち取られたというよりは、
劉備に討ち取られたという認識だったんじゃないだろうか?
>>945
うん。魏側の資料には劉備に殺されたとし書かれてない。
演義では夏侯淵が討たれた後、失地奪回と敵討ちにきた曹操軍とも黄忠は戦ってるんだが
正史では夏侯淵撃破後、関羽らと並ぶ地位について死去で終わり
ううむ
王平は街亭では馬謖の下で千人の兵を率いただけで、これは単なる部隊長だよな。
祁山で南の軍営を守った時はどの程度の規模で、指揮権の有無はどうだったんだろう?
>>948
王平伝では、街亭での戦功で参軍・討寇将軍・亭侯になった後官位の変動がかかれないで第四次北伐の祁山の場面になってるから、そのままじゃ?
漢晋春秋によると、無当監となってるから、
南の軍営の指揮の一切は任されてたんじゃないだろうか?

そうなると、堅く守り、張コウの戦術行動を破綻させる事が出来たのは王平の手柄だな。
やはり黄忠より上とするべきか?
>>950
戦術を破綻させたというレベルまでいってねーべ。
>>951
魏軍全体の挟み撃ち構想を頓挫させたのは事実じゃないか?
結局、黄忠と王平ではどちらを上とすべきか?
>>952
それは仲達が負けたのが主な理由じゃない?
司馬懿の方は酷い負けっぷりだったな。
三千も首級を取られ、鎧や弩まで多数奪われてる。
950師
次スレ建よろしく
957950:04/07/18 22:06
姉妹スレって全部残しちゃって良いの?
>>953
ぶっちゃけ夏侯淵の大将首を逃がさなかったことしか具体的軍功と能力をうかがわせることしかないから
総合評価ではやはり王平が上だと思う
次スレ立てるなら暫定順位

1位 劉備
2位 諸葛亮
3位 関羽
4〜5位 姜維 魏延
6位 張飛
7位 王平
8位 黄忠
9位 張ギョク 
10位 趙雲

あくまで暫定ではあるけどね
960950:04/07/18 22:21
次スレ立てました

蜀将討議スレッド7
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1090156694/
おぉ,仕事が早い
乙です
なんだか、既に次スレに移行してしまった感じがするが、こっちはどうする?
雑談で埋めるか
雑談と言っても、良い話題が考え付かないな。
何かないかな?
全然関係ない雑談だけど,書き込み関係で仕様が変わった?
Live 2chで妙にメッセージが出るンだけど。
ここで言ってみる
やっぱり趙雲はトップクラスの名将だ!と
性格で自滅した武将が多いとどうしても……
孔明はランクインするのに
法正がでないのはなぜ?
魏延の叛乱のときのことって,どうして正史に余り記述がないンだろうね?

蜀書では,劉禅,魏延,楊儀,王平の伝くらいにしか書かれていない。
でも,実際には,高官では呉懿とか費イ,位が低いものでも姜維,張翼,楊戯あたりも現場にいた筈だし,ショウワンや董允も叛逆の報を貰って居たりするのに。

事件としては,それほど小さなモノだったのかな?
魏延に同調した人が結構いたとか・・・
でこれ以上の人材の損失を出す訳にいかないので
魏延一人を悪者にし
その他を不問に付した
一件落着
魏延に同調した人物の名簿はその場で闇に葬られ
正史にも記載されることがなかった

妄想乙
970無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 12:09
郭攸之 ひい 董允 向寵 蒋王宛
孔明が名をあげたモノ達は、実際すぐれた将だったの?
人を見る目は無さそうだけど・・・・
孔明の人材配置って馬謖以外は特に致命的に間違った例ってないと思うが?
>>970
なんでそれらの人物が将でなくちゃならないんだ?
>>969
魏延は三族皆殺しなのに,その後(かどうかは不明だけど)大赦が出てるンだよな。
あれも意味不明。

魏延一人を悪者にした,ってのはあると思う。
黄忠と黄祖・黄射親子ってやはり親戚なんじゃないの?
黄の字は火のついた矢を意味する。
ここから来てるのか、黄一族は弓を得意としている。
孫堅射殺は黄祖親子の弓術の高さを示していると思われる。
黄射の名前自体が弓を意識した名前だし。
975無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 19:57
苗字が同じで得意な物が同じだったら親戚でつか?
出身地も近いし、全く血縁がないとは言い切れない。
黄祖と同族と考えたら、劉備陣営での厚遇も納得出来る。

もっとも、推測の域はでない話だが。
黄忠が弓が得意と言ってる時点でネタだし
「先頭に立って陣営を占領〜」なら弓より当時の白兵戦主武器の戟とかのほうが得意そうだが
979無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 21:07
>>957

法正は純粋に参謀タイプだから。
孔明もそうだけど、実際に自分で兵を率いて大将を勤めている。自分で出師とかいってる
ぐらいだしw
980不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/19 21:32
というか古代の戦争の主要武器は弓ですよ
弓での戦いが基本ですよ
>>980
いや、関係ないだろそれは
>>980
三国時代は弩が飛び道具の主流ですよ
中国では狩猟用の弓と戦闘用の弩を使い分ける傾向にありました
勿論騎射などのために普通の弓も使っていましたが。それは全体の比率では少数です
983不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/19 21:50
うんにゃ
白兵戦でも弓が基本なんですよ、これが
手持ちの武器使うのは乱戦状態にでもならないと
984不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/19 21:51
ああすまん
弩だった
そうなの?
>>978は指揮官の持つ主要武器について言いたかったんじゃないか?
太史慈や呂布は弓の名手だけどね
結局劉備が1位なの?それでいいの?国王が将軍で1位?
おかしいだろ?
全然おかしくないだろ
これは耳のでかさランキングだからな
そればっか話し合ってきたんだ
過去ログ嫁
そもそも劉備が一国どころか一州の主になった期間がアレだからな
戦場の傭兵隊長みたいに過ごしていたわけだし
991無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 23:29
別に皇帝で1位でもいいだろ。李世民とか趙匡胤とか、他にいくらでもいるし。
劉備はそんなかではちょっと落ちるかな。
992無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 00:32
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
993無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 00:34
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
994無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 00:37
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
995無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 01:40
関羽のおかげで蜀建国した
996無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 01:51
 
997無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 02:17
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
この変な歌の人
スレ2あたりからずっといるよな
よほど姜維が好きなんだろうな
怨念めいてるw
1000
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。