>>1 また単に京まで上洛する「だけ」なら可能というオチ?
3 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 02:15
3getずさー
結 論 : 信 玄 が お 忍 び で 旅 す る な ら 上 洛 は 可 能
5 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 02:31
6 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 02:36
2万5千もいらんでしょ
騎馬隊精鋭1万もいれば敵なしだよ。
武田信玄はなぜ参勤交代をしようと思いついたのだろう
8 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 06:38
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/ ヽ
l |
l ./ \ | ボクがしんだら
彡彡 (●) (●) 彡. タケダどうなるんだろタケダ
彡彡彡 ∬\_____/∬彡彡 (心配になってきた、心配になってきた)
彡彡彡彡∬ .\/ ∬ 彡
/ ::::i \
/ / ::::|_/
\/ ::|
| ::::| キュム
i \ ::::/ キュム
\ |::/
|\_//
\_/
>>8 義信ならそのAAも説得力あるかもしれんが、
信玄坊主ごときに、キュムキュムで喋られてもな・・・。
「てめぇの尻ぐらいてめぇで拭け」って言われるのがオチ。
>>6 そりゃ当時の日本で本当に騎馬単一編成をそれだけ揃えられる財力があればね
11 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 07:26
>>前スレ
一万石250人とすると三河で7千ぐらい遠駿で1万ぐらいだよ
もっとも今側従属時の松平宗家は西三河の一部しか領していないが
一条信龍最強
13 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 11:23
>>11 だが氏真に統一的な作戦を行う気が全く無いというのがポイントだな。
総兵力が多くてもそれをまとめる気がゼロでは・・・
氏真「ホッホッホ。麻呂は蹴鞠が好きでおじゃるよ。ホッホッホ」
>>11 桶狭間の二万五千というのは・・・
浜松移転後でも総動員力8千だったらしいから、
三河だけで7千は多すぎでしょ
>>15 おそらく後方支援のためかりだした非戦闘員も含まれた数だと思われる
とりあえず
信長は、信玄上洛時に岐阜にもどり備え
義秋に和睦をしようとしていた。
でいち早く信玄の死を知り義秋を攻めた。
先に義秋攻めると、信玄に攻める口実を与えるとかある
京と信長からみれば武田は上洛ですな
18 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 12:41
>>15 総兵力8000なわけないじゃん。
岡崎城や吉田城に十分な兵を残した上でなお8000を動かせるって
意味だからね。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 12:48
一万石250人が間違えなんじゃないかね?
末森合戦の時も佐々が2万近く動員している。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 12:50
>>19 逆に兵の人数の記録も適当な事が多い。
特に第三者が記録した場合は。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 12:53
じゃあ、明智でもいいよ。1万3千だっけか?
丹波40万で1万3千は集めれる。
坂本や安土ももってたが、坂本はともかく安土はとりあえず接収
した程度なんでまだ人を集めれるほど掌握してなかったとおもわれる
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 12:55
23 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 13:01
坂本加えて1万6千だ。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 13:05
近江坂本ってそもそも何万石よ?
坂本城周辺だけなら数万石って所じゃないかな。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 13:08
坂本というより志賀郡を任されたと言うべきだろうねえ。
まぁ、数万石なら、仮に5万石として
丹波40万+近江坂本5万で、45万で1万6千近く動員できる。
>>80 小和田が言うには、最大動員が8千らしい・・<徳川
ちなみに、これも小和田が言うには桶狭間時の信長も
領内での最大動員数が5千らしい。尾張の石高と全然比例してないよね
尾張は50万石ぐらいか?
100%信長が掌握してなくても、40万としてもだ。
1万3千は出せるな。
桶狭間の両軍の兵力差は尾張と駿遠三の石高を考えると不思議だよな。
信長が各地に兵を分散しなくてはならないのを差し引いても
兵力に違いがあり過ぎじゃない?
>>30 織田の40万石の中から日和見決めこんだり内通する連中が出たからでは?
32 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 22:27
氏真って出陣したことあるの?
34 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 23:20
>>33 軍の指揮ならした事はある。
セガサターンの古いゲームで家康が主人公のゲームを何故か持っていたが、その時は出陣さえしていたよ。
少なくとも全く指揮していない事は無い。掛川での戦いでは家康を和議に追い込むなど、補佐があったとはいえなかなかの手並み。
当時の織田領は20万石だったそうだ。旧日本軍の統計によると。
知多半島は今川の属国も同じだし、三河からは追い出されているし、北の叔父は信用出来ないし、『家老衆』も信用していない。
そうなると、五千を動員しても内部がガタガタだから、実質二千ぐらいしか信用していなかったのでは?
信ちゃんって尾張すら統一できてない状態から
よく東は富山・群馬、西は岡山・鳥取の領国築いたね
朝比奈泰朝は偉いよね。氏真にすら忠義を守るんだから
37 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 23:29
だが当時の今川の動員数にも疑問が残る
二万三万などどうやったら集めれるのか。
三河・遠江・駿河で何万石よ?
信玄が甲斐・信濃・駿河と上野・遠江・三河・飛騨・美濃の一部分
を領有して2万5千なんだろ?
>>37 それは俺も疑問。
石高以外にも動員力を決める要因あるんじゃないかな
石高に限らず一時的になら可能だったのでは?
農作物の取れ高以外にも収入があるなら、領民に仕事を放棄させても
問題ないだけの支払いができたのかも。
またはそれだけを動員したと号して、実数は何割か少なかったとか。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 23:37
>>38 多分秀吉の朝鮮出兵みたいに強引にかき集めたのだと思われる。
普通は一万石で二百五十人前後の所を、
一万石当たり五百人とかな。(朝鮮出兵では島津がその犠牲者だった筈)
無茶すれば何百人でも集められるものだと友人は言っていた。
経済的に破綻する事無く集められる平均動員兵数が二百五十人前後なのだと思われる。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 23:50
だが戦国の世も煮詰まってない当時なら
かえって桶狭間のほうが動員難しそうだけど。
今川は西だけを見てればいい状況だったからフルに動員兵力を
尾張に入れられたんじゃないか
武田の2万5千って言うのは総兵力じゃないよ
あくまで上洛戦?のときの動員兵
第4回川中島の戦いでは武田はもう少し多い兵を動員してたと思う(うろ憶え
もちろん今川が上洛戦に2万5千を動員したって言うのも今川は何世代も
あの地に根付いていた大名だから財産もあっただろうし民衆の掌握も出来
ていたことを想像すればおかしな数でもないと思うが
石高が高い土地を支配して1年や2年で動員できる兵力より何年もかけて
支配した国での動員できる兵力のほうが多いと思う
信長が上洛したとき、尾張・美濃・北伊勢・三河の兵だけで4万5万でしょ?
1569の大河内城攻めなんて、尾張・美濃・北伊勢・三河・南近江の兵
10万で南伊勢になだれ込んだらしい。
尾張の5千からどうして急にここまで増えるのか
上洛時は氏真への備えの兵力もあるはずなのに、よく4万5万も
集められたね
>石高が高い土地を支配して1年や2年で動員できる兵力より何年もかけて
>支配した国での動員できる兵力のほうが多いと思う
しかし信長は1年も経たないうちに征服した美濃の兵力をフル動員して上洛してるよね・・
思うに、石高は動員能力の一因であって絶対要件ではないんじゃないの?
46 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/24 01:45
>>33 和議に追い込んだって・・・
家康が氏真を和議・開城に追い込んだんですよw
>>45 つうか実質的に土地を支配してるのは中小の土豪なので、
こいつらの恭順を取り付けたらその日からでも動かす事は可能です。
代替わりなどがあると所領安堵をやり直し指揮系統を再編し・・・と
時間がかかりますけどね。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/24 01:48
まぁ、東北で80万石っても、人口そんないなそうではないよな
港や鉱山、各種矢銭、特産品などからの収入、
つまり金銭収入を考慮しないといかんのでは。
金があれば大阪の陣の時のように傭兵として雇うことも出来る。
> 大阪の陣の時のように傭兵として雇う
関ヶ原以前と以後とでは被官でなくてそこそこ戦闘可能な人間の数が違うのではないかと思う。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/24 07:16
関ヶ原の時に取り潰された家の武士がわんさと浪人してたからなあ・・・
戦闘のプロがたくさん失業してたわけだ。大阪の頃は。
>>37 1万石→250人(40万石→10000人)はあくまで目安で、
むしろ様々な動員例考えると少な目
1万石→300〜350人(30万石→10000人)とかの方が普通
今川は三・遠・駿で約70万石で、なおかつ接する他勢力が織田以外は同盟国の
武田・北条のみだから、25000人ならギリギリ出せない数字じゃないかと。
あと武田の25000人はあくまで東海筋への出兵数であって、東美濃への侵攻軍と
上杉への抑えの兵力で合わせて8000〜10000人くらい割いている。
と考えると概ね妥当なラインでしょ。
>>51 後期織田家の圧倒的に有利なところは豊かな近江を完全に内国にしたことだね。
柴田も羽柴も信忠も明智も、背後は近江という状況で前方の敵に100%の
兵力を割くことができた。
結局、武田も今川も完全な内国は得られなかったよね
戦国時代の戦に攻勢限界点ってあるの?
弾切れや燃料切れはないし食料もその辺の村から強奪すればいいし。
戦線を広げすぎて予備兵力が無くなるというのも
あのせまい地域に2万以上の兵がいるからそんなことはないだろうし。
>>53 おいおい。弾切れはあるし、略奪じゃ空振りや、反撃食らって逆にダメージ受けることがありえるぞ
だいいち、士気や多くの兵士の本業である農業がおろそかになる点はどう解決する
略奪も、本当に村々から集めるんじゃ手間がかかってしょうがないんじゃないか?
隊伍の整ってないところを敵に襲われたらひとたまりもないし。
イマイチ徳川が今川を飲み込む状況がピンと来ない
今川って家康から見ると「眠れる獅子」という感じで
いつ起きて本気を出すかヒヤヒヤ物だったんじゃないか
>>56 寝起きが悪いと悟ったから今川から独立したんだよ
自分は肛門の締りが悪いのにな
58 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/25 02:38
>>56 三河一向一揆で内乱状態にある時でさえも攻めてこない相手なんて、
無能クズビビリヘタレしかありえん。
今川家は桶狭間以降、愛に目覚めたんだよ!
氏真がせめて勝頼級の武将だったら、徳川は滅亡?
いや、家康は今川の家来のままで、織田の方が滅亡だろ
>>60 どの道武田と北条を敵にまわしてあぼーんしそう
桶狭間以降の今川は武田信虎を総大将に使うほど人材不足だったからなあ
64 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/25 22:29
>>40 >無茶すれば何百人でも集められるものだと友人は言っていた。
Σ(`ё´ ) ソレガ、ソースナノカー!?
氏真が父の仇を取ろうと出陣したものの、ひそかに織田に内通した家康に
首取られそう
義元が元康を見込んでいたというのは本当?
67 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/26 02:10
>>66 どっちかつーと至れり尽くせりという感じの待遇ではあったね。
68 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/26 22:19
家康は隔世遺伝だからな
氏真の息子は優秀だったのかもしれない
この辺はお家にとっても運だな
69 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/26 23:54
やっぱ戦国大名は天下盗りレースに加わってナンボだからなあ
個人的に伊達政宗の戦歴とか全然興味ないからなあ
そもそも当時は応仁の乱の泥仕合を見て、京を抑えて天下を・・・なんて発想はとっくに廃れていた
せいぜい地方制覇して割拠だろ
日本全国を視野にいれた天下取りは信長が出てくるまでなかったわけで
その点からみれば政宗は遅すぎ、信玄・謙信は早すぎたわけだな
71 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 00:02
信長の革新的なところは、軍を率いて京に上るという発想を導入した
ところ、と言われているそうな
72 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 00:11
信長が二国目を取った時点で、西には信長以上の強敵はいなくなった。
ここが信濃を征服した武田との差だよな。
西の弱小勢力を各個撃破すればいい信長と、強敵ばかりで攻めるところがない
信玄・勝頼では領土拡張のペースが段違いになるのはやむをえなかった。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 00:14
信長と家康との違いでもあるんだけど。
西へ思う存分拡張できた信長と強敵ばかりで東へ進めなかった家康。
>>68 氏真も太平の世なら名君だっただろうよ。
生まれた時代が悪かった。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 00:21
「大内義隆のおかげで現代に萩焼が残った」みたいな話ですな
76 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 00:36
大河信玄で、氏真が寿桂尼に和歌ヲタぶりを怒られて
「戦ばかりが国造りではございませぬ」と言い返すシーンが
あるんだけど、ホントにそういう発想の大名だったんだろうな、と思った。
氏真なら現代の名宰相になってたんだろうな〜
首相の任をこなしながらサッカー日本代表もこなすマルチっぷり。
かえすがえす勿体無いw
信長の運の強さにもう一例加えるなら、美濃の斎藤義竜が早死したこと
長生きしていれば信長にとっての謙信になったかもしれない
スマソ誤爆
80 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 00:48
>>71 それだけじゃ大内と変わらん・・・
>>78 織田信光とかも都合良く死んだな。
81 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 01:15
>>78 加えれば、義元の息子が氏真だったことも幸運だね
82 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 01:26
義元も氏真のことは心配してたみたいよ
いい歳して前線に出さなかったんだから
>>69 政宗「馬鹿め!人様に誇れるような戦歴などないわ!!」
84 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 12:33
尾張+美濃の信長と、甲斐+信濃の信玄では兵数的にはそれほど大差ないよな。
信玄でも六角領を蹂躙することや、三人衆を追い出すくらいできたはず。
その気になれば、浅井・朝倉を滅ぼすこともできたろう。
勝頼も八上城や三木城を落とすくらい何てことなかったろう。
やっぱ強敵に囲まれた武田は拡張できなかったし、拡張しようとすればするほど
軍事的・経済的に衰亡していったのである。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 13:15
う〜ん、尾張と美濃のほうが石高も大きいと思うけど。
甲斐なんて20万ちょっとだべ
尾張を制覇した場合、交易のための陸路(東海道)と、海運(熱田港)を抑えることになるから石高以上の価値があるだろう
87 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 13:32
尾張は農業国じゃなくて商業国だからね
人口・石高だけで言うなら尾張だけでも十分大国だし
中山道・北国街道・東海道の交わる美濃は当時の超大国にあたるんじゃない?
美濃を制するものは天下をって誰がいったんだっけか・・・
江戸時代になると徳川は美濃みたいな要所には国持大名をおかず、
小大名をいくかつか分散させて統治させてたしね。
甲斐は金山でウマーだろうけど黒川金山って信玄在生の時にもう廃坑寸前までいってなかった?
う〜ん
今も砂金取りとかあってるしどうなんだろね
90 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 19:53
尾張一国で甲斐信濃ぐらいだろ
91 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 20:24
石高に囚われすぎでない?
美濃併合前の織田よりも甲信領有の武田のほうが動員力上だったのが
よくわからない
92 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 20:44
わからんもんは語れませんわ
石高だと一応太閤検地だと
甲斐22万石
信濃40万石
尾張57万石
美濃54万石
信玄の方は川中島に2万投入だっけ?
信長の方はこの時期(美濃併合前)はほとんど兵力不明や小競合いばかりで
総力戦がないからよく分からん、ただ1544年の美濃攻めでは信秀で1万5千率いてる。
一万五千・・・マジで?
小豆坂で4000とか言われてるのに信じられん。
当時資料でさえ書いてあるのは宣伝で水増しした数だからな・・・実数はなかなか
ってかそんなに集めれるなら
桶狭間も1万はくるだろ。
一応1万5千とか本には書いてあるけど、実数かどうか怪しいし(信玄の2万も同様だが)
尾張の兵だけというわけでもないし。
とりあえず織田の兵力が美濃併合前で一番大きい例をあげただけです。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 22:43
川中島信玄の2万はそんなに不自然じゃないでしょ。
駿河・西構図ケ併合後で3万前後くらいだったんだから。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 22:58
まぁね、戦場も武田領みたいな所だし
2万前後は妥当な数字と思う。
怪しいのは93と今川の桶狭間
100 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 23:05
今川の桶狭間は小和田も2万5千説を支持してるぞ
石高だけを見れば美濃併合前の織田でも既に武田と今川と同クラスの
動員力があったはずだが、そうとは到底思えないわけで。
1547年の加納口の戦いで織田軍1万というのもある
上洛戦や伊勢北畠攻め、長島攻めも怪しいと思う
102 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 23:09
もっと怪しいのは
謙信の小田原包囲と手取り川ね
103 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 23:12
河越夜戦や耳川・沖田畷あたりも怪しい
104 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 23:22
それらは全部講談です
105 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 23:54
沖田畷の竜造寺5万や神流川の北条5万なんて一体どこから集めたんだ?
軍馬や色々陣に出入りする民間人も数に入れてたんだよ
おそらく実戦要員+賦役を課した領民+雇足軽(その場限りの金で雇われる兵)=兵力として記載される、だろうな
北条は5万くらい集めてもおかしくない。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 00:22
勝頼はオンボロ新府を築いただけで領民に総スカンを食らい、
信長は黄金の安土城を築いても平気だったのは何故?
111 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 00:23
北条の5万って小田原攻めのときより多くない?
それを短期間で徴収して神流川に集めるって大変だと思うんだけど。
そうか、短期間という制約があったね。
それ考えると難しいかもしれない。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 00:56
信玄在世の頃既に4万は動員してるから動員能力として有り得ない数字ではないな。
相手は主君が討たれて宙ぶらりん状態の滝川だし。
>>110 それ以前の軍役で武田の領民は疲弊してたんだよ。ただでさえ織田に比べて余裕が無いのにな
一方織田の安土築城は無理矢理人員かきあつめた、というより巨大公共事業の側面があり、負担を補って余りある金が領民に落ちたわけだし
117 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 01:43
木曽の檜を新府に運ぶ途中、塩尻で崖から檜が落ちて何十人も下敷きになったんだよな。
しかも、やっと運んで組み立ててもほとんど使われずに燃やされちゃうんだもんな
仁科盛信が大して長くもない間年貢・賦役を軽くしただけで(内治の成果だけじゃないだろうが)地元で今もえらい人気という事実が勝頼末期の武田領の実像を雄弁に語ってると思うが
雄弁も何も話が抽象的すぎる
120 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 02:36
大島城があっさり落ちたのも領民の離反が原因らしいし。
経緯はともかく結果として勝頼は領民に見放されたのは確かだったんだろう。
121 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 02:53
>>120 領民というか、伊那の国人領主が勝ち目無しとこぞって寝返ったから
支えようがなくなって自落を選んだというか。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 03:06
領民にそっぽ向かれるというか、大規模な事業があれば
規定以上の賦役が課されるのはしょうがないし、それは
織田家でも北条家でも変わらん事だよ。
戦略的な意味のある事業では完成を急ぐことが第一だからね。
甲斐・信濃の問題は、強いて言えば、平和な時間が長すぎた事。
甲斐は40年も敵に攻め込まれた事が無かったし、
信濃も中部南部は20年もの間平和だった。
平穏な時間が続きすぎると、ちょっとした事で拒否反応が出るね。
つかさ、信玄公率いる2万5千と普通の大名が率いる2万5千とじゃ
10倍(少なくても5倍)くらいの差はあると思うが?
兵の数だけありゃいいってもんじゃないよ。
>>123 そんなにあったら、武田が天下取ってるよ
兵士の強さや、いつも通じるとは限らない指揮能力をあてに天下が統一できるなら苦労しないだろ
126 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 12:09
>>121 勝頼の最期は、国人のみならず領民クラスからも見放されたところに
特徴がある。
上原城→新府城の移動中でも雑兵クラスが抜け毛のようにポロポロ脱落
して、一夜のうちに1万5千→5千。
理由はどうであれ、勝頼は領民からの人望を失っていた。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 20:43
一ヶ月で燃やされた新府城の檜の下敷きになった領民達を思うとき、
勝頼が名将だと言うのはどうしても抵抗がある
128 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 20:44
武田ごときが上洛できるわけもないだろ。
上洛=単に京都を訪問して朝廷・将軍家に挨拶するだけなら武田でもできる
が、そこからさらにすすんで軍事的政治的な中央支配をやるのは不可能
>>129 挨拶するだけなら謙信もしてるしな
信玄は
中央支配なんか考えてなくて
天皇への挨拶ついでに
2万5千の軍勢で信長を殺すこと考えていたんじゃないかな
ほぼ無傷の2万5千の武田軍が京都に到着するだけで
信長は各方面軍を中央に呼び戻さなければならない
各方面の戦線は崩壊し都落ちする信長
信長を滅ぼすのが目的なら目標は尾張・美濃じゃないのか。
て言うか武田の軍勢がどうやって一戦も交えずに京へ入れるんだ。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 01:49
>>126 特徴があるって・・・朝倉とかもそんなもんだろ。
蔵米侍、扶持米侍を除けば大なり小なり領地持ちの武士とその部下から
構成されているんだから。
その事を指摘しても領民に見放されたとかは言えないよ。
133 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:04
勝頼が領民に見放されたのは周知の事実だよ。
大島城も篭城しようとしたら付近の農民が織田方につくと言い張ったので
商用権は退散せざるをえなかった。朝倉は家臣団が瓦解しただけで、
家臣・領民両方から見限られた勝頼とはタイプが違う。
田野では、地元の土豪まで織田方についたのだから
いかに勝頼が嫌われていたかがわかる
そもそも滅亡確定の君主についていく武士も領民もいるはずがない。
彼らが従う理由は、君主が彼らの領地安堵や安全保障を行うからに
過ぎないのだから。
勝頼がどんなに善政を敷いても最期は変わらんだろうね。
135 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:19
滅亡間際の君主が離反されがちなのは共通だけど、
勝頼ほど極端な最期を迎えたのは、そうそういないよ。
2万の兵を率いてた君主が戦わずして一ヶ月後には
40人とともに山中を彷徨うなんて日本史上稀にみる出来事だろう。
あの氏真ですら篭城に御伴する重臣がいたのだよ。
やっぱ攻め込まれる前の統率力と人望のなさが伏線になってるはずだよ。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:23
>>133 つーか国人領主と彼らの領民はセットなわけですが?
>>135 朝倉義景だの柴田勝家だのと来たら・・・
137 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:25
セットだから国人領主と領民の両方に嫌われてたってことでしょ
138 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:25
今川氏真って武田軍を迎撃に行って一戦も交えず軍勢が崩壊し、
正室まで裸足の逃避行っていう、あれだろ?
朝比奈泰朝がいてくれてよかったな。
>>137 セットだから領民なんてのを持ち出すのが阿呆なんだよ。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:26
勝頼には朝比奈に相当する家臣すらいなかったところがポイント・・
141 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:27
要するに上から下まで皆に嫌われてたってことだな
>>140 馬場、朝比奈等最後まで戦った連中も普通にいるんだが・・・
武田信豊は小諸で最後の一戦やろうと構えてたら
家臣に殺されてたな・・・
144 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:29
>>136 彼らはその直前に戦っているでしょう。
敵の姿が見える前から大半が逃亡ってわけじゃないでしょ。
甲州兵に朝比奈並に骨のあるやつがいたのかね?w
146 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:30
147 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:33
駿府から落ちのびる氏真を迎えたのは朝比奈。
新府から落ちのびる勝頼を迎え撃ったのは小山田。
148 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:37
朝倉みたいに織田に追いかけられて討ち取られたわけじゃなく、
城から城に移動する間に次々と兵が脱走したのだよ。
前者は敗残兵、後者は脱走兵でしょ。
149 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:39
甲陽軍鑑にしても信長公記にしても、やたらと悲惨な描写をしているが、
そもそも国中の防衛を放棄して(穴山寝返りでそうせざるを得なかった
のだが)郡内もしくは信州佐久郡あたり(田野を通るルートから判断)
に下がろうと決めた時点で、甲斐国中を敵に明け渡すと決めた事と
同義なのだから、甲斐の国人が従う理由は最初からゼロなんだよ。
逆に無理に従われても本領の身内を人質に取られて内応に使われるのが
関の山。
どんどん逃げられたというより、従軍を初めから強要していないかったと
考えるべきだろうね。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:41
そもそも10万とかの軍勢が四方八方から攻めてくる状況になった
大名が少ないからなw
151 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:44
輿をかつぐ人まで逃げちゃったから、正室が馬に乗らざるをえなかったんだろ
152 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:46
>>149 穴山が寝返ったから抗戦を放棄するというのが良くわからん。
敵がどっから攻めて来ようが、新府城に籠って戦えばいいだろ。
国中の防衛というのなら、要害山もあるんだし。
勝頼の死後でも一族や一部領主がそれぞれの領地で戦って潰されてる。
そういう連中集めて踏みとどまるという発想が無いのは何故?
>>150 武田・長曾我部・島津・北条・九戸・豊臣くらいだろうな。
九戸と武田はどっちが悲惨かねぇ・・・
154 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:47
>豊臣
ワラタ
155 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:47
>>153 島津はフロイス曰く、豊臣軍は兵糧不足で撤退寸前だったのに
大軍にびびって降伏しちまった、だったっけね。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:52
>>150 守る方の数も加味しないと。
武田は一応、2万は動員できたのだから。
4,5倍の敵に攻め込まれた例で、戦わずして君主を見捨てた国ばかりと
は言えないよ
158 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 02:56
>>152 新府城の立地条件を考えれば一目瞭然。
あの城は「国中に敵を入れないための城」だよ。
信濃側からの侵攻に対して、非常に厳重に作られている。
勝頼にとっての絶対条件が、「国中に敵を入れないことだった」
と考えれば全て説明が付く。
穴山信君が寝返ったため、徳川軍の侵攻が予想を超えて早まる事が
確実となった。敵は江尻までを手中に収めたわけで、あとは
駿州街道を北上するだけ。しかもそのルートは穴山支配下にあったのだから。
だからこの時点で勝頼にとっては「負け」なんだよ。
名のある武将クラスすら何人も最後まで従っていたのだから、新府でも
要害山でも、ある程度の人数を集める事は可能だったはずでね。
とっとと逃げれば北条か上杉が受け入れてくれるんじゃないかという
意見が上の方であったけど、勝頼がそれを打診したのが小山田である
ということだな。郡内は同じ甲斐国内ではあっても独立性が高く、
国中の防衛という条件のうちに入っていなかったんだろう。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 03:01
>>157 朝倉勢などはもっと兵力差が少なかったのに、戦う意志も無く
後退していき、その途中で追いつかれて討ち取られたに過ぎんが・・・
信玄の代は常に甲斐国外で戦ってたしな
「人は城 人は石垣」なんて言ってないで
もしもの時の城作っとけと問い詰めたかったろう>勝頼
しかし信玄のやったこと・やらなかったことが
悉くと裏目になるな、勝頼は。
>>159 朝倉義景はとっとと逃げて親類のとこに逃げ込んで裏切られてるしな。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 03:04
>>160 甲斐国内まで攻め込まれたら、要害山があるだろ。
信玄も要害山で生まれたんだし。
甲斐にまともな石垣のある城は無いよ。
西国と違って良質の石が無いからね。
江戸幕府の江戸城は方々から石を運んだが、それでも石垣は門の周辺だけで
あとは土塁だった・・・
かなりどうでもいいネタでスマソ。
>>163 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェヘェ (62へぇ)
ミスった lol
166 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 03:27
>>159 勝頼の方が惨めだろ
敵が見えないうちから兵がいなくなっちゃうんだから
>>166 惨めとかそういう問題じゃないと思うが・・・
甲斐国中の放棄を決定した時点で従わせる封建的論理が無いのだから。
むしろ何のために早い段階で国中の放棄を決定したのかという方が
問題だよ。
168 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 03:36
兵卒が逃げ出したのは上原から新府に帰る途中なのよ。
上原を出発した時点では甲斐を放棄する気などなくて
新府に篭って戦うつもりだったけど、
新府に着いたときには、城を支えるだけの兵数がいなくなったから
焼いて逃亡したそうな。
>>168 新府もすてて郡内に退くことを決定し、新府を焼いて出発した時でも
5、600騎いたということだが。
太田牛一によれば、勝頼が滅んだのは武田家が三代に渡って
何千と人を殺してきた因果なんだとさ。
つまり織田信長は万単位だったから一代で滅んだのか・・・
171 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 03:48
5、600騎じゃなくて5、600人だよ
172 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 03:50
>>171 牛一によれば「侍分」が5、600だから「騎」の方が表現として
正しいな。それぞれが従者を率いていれば数千単位になりかねん数だ・・・
173 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 03:54
今の本では新府出発時は500人だったのが最期は40人という説明だよ。
途中で一条の館で食事したくらいなんだから、せいぜい数百人レベルだよ。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 03:55
まあ勝頼はDQNだったという事実は揺るぎ無いな
>>173 今の本・・・?
それはさすがに厨房と言われてもしょうがない反論だな・・・
新府出発時ですら「侍分」が5、600人。
最期の時ですら「名のある者」が四十余人。
カッコ部分をスッカリ飛ばしてしまってますね。やれやれ。
176 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:02
小和田の本にも新田次郎の本にも500人と書いてあるけど、これは間違い?
出発した当日に一条館で全員休憩取ったらしいから、数千単位というのは不自然では。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:05
名のない者含めてもせいぜい100行くか行かないかだろ
>>176 >小和田の本にも新田次郎の本にも500人と書いてあるけど、これは間違い?
『甲陽軍鑑』では新府出発時6、700人。
『信長公記』では「侍分」5、600人。
>出発した当日に一条館で全員休憩取ったらしいから、数千単位というのは不自然では。
その話は『甲陽軍鑑』の方にあり、3月2日は一条氏の館に宿泊した
ことになっていますね。
でも500人でも館一つで全員収容して宿泊するのは無理かと。
主要人物が館に入り、入りきれない連中は陣を張って野営では?
全員収容が「城に入る」条件なら、1573年に長篠城に逗留した
武田軍も絶対に収容し切れてませんし・・・
尤も、勝頼嫌いの甲陽軍鑑も表現の大袈裟な信長公記も
その記述を鵜呑みにして良いとは考えませんが・・・
179 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:17
のぶなが公記なんて全て講談ですよ
>>179 それならそれで結構だが、だとすると甲陽軍鑑はスカラー波、
ここで勝頼を語る事なぞに至っては・・・
181 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:28
>>178 細かい突っ込みで恐縮ですけど、一条館は昼食休憩だけでしょう?
一泊目は勝沼の大善寺のはず(この一夜でも相当数逃げたらしい)
軍鑑には宿泊と書いてありますか
ただ、理慶尼の記述から想像すると、多くても数百人に見えますけど・・
あれは軍勢と言うより一行ですよ。
出発時どれだけいても、結局逃げられてるんじゃな・・・
国人領主や土豪としては当たり前の選択かもしれないが。
新府周辺に残ってる逃亡哀話を見ると、寂しい数だったんじゃないかな
184 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:35
>>181 君が何の史料をソースにしているかを知りたいね・・・
理慶尼記は持っているのかな?
ま、女子供をも含む「一行」であることに異存は無い。
出発時にどれだけいようが、仮に勝頼に殉死する気だった者でさえも、
途中で部下は帰すだろうからね。
それが領主としての務めであるし、また国中の人間を郡内まで連れて
行っても意味が無いからね。
伏見城の甲賀衆のようになるのがオチだ。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:36
お ま え ら ス レ 違 い だ ぞ
最初勝頼についてきてた連中も、どうせ「方向が一緒だから」とか、
そういうレベルで一緒に出発しただけだろ・・・
落ちぶれて城焼いて逃げますなんてのに付き合う義理は無いからな・・・
上洛を目指した男が反対方向に逃げなきゃならんのだから・・
188 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:45
むしろ誰もついて来なければ、勝頼は身内だけでとっととどこにでも
逃亡できたんじゃないかと思ってしまうのだが・・・
189 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:46
>>186 国中に住んでる土豪とかなら、「わしの領地の近くまではご一緒します」
みたいな感じかもね。
北条夫人は偉いよな・・
オッパイを一突きで切腹・・・
しかも19歳・・
191 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:47
>>155 島津は関が原のこといってんじゃねえの?
192 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:48
>>190 それ切“腹”じゃないんじゃ・・・煤i ̄口 ̄;
氏真夫人って結局どうなったの?
北条夫人の願文は偽物らしいね
新府出発前なのに小山田が謀叛とか書いてあるらしい
岩櫃に逃げても小山田が真田になるだけの話だったんだろうな
196 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:54
197 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 04:55
確かに、2月19日の日付で、木曽義昌しか出てこないね。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 12:37
結局、武将としては優秀でも大名の器ではなかったんだろうな
大名の器って言うか…
誰が天下を取るかってとこまで煮詰まって来てたから、
時代的に厳しかったってのはあるでしょ。
201 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 12:59
>>195 岩櫃なら上杉領に逃げ込みやすい
岩殿逃げても袋の鼠じゃん
202 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 13:01
岩櫃に行く途中で真田の謀叛を知り、女・子供一緒に浅間山で自害って可能性ないのか?
小山田もどうせ死ぬなら忠義を守れば朝比奈みたいに名が残ったのにな
204 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 13:37
>>193 氏真の妻・北条氏政の姉は氏真との間に五人の子供をつくり、
実家の北条家が氏真を相模から追放した後も、
氏真についていき、氏真よりも一年早く没している。
>>204 なんと忠義な妻だ・・・
北条夫人といい、氏康の娘は人間ができておるのう
義信夫人はどうなったんだろうか・・
歴代当主の娘は長老の幻庵宗哲が教育係だからな
幻庵に教育されてたのか
武家の娘とは言え、オッパイを一突きして自刃できるものなど
そうそういない
209 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 22:58
俺には出来ない
おまいら胸にこだわり杉
211 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/01 07:36
真田昌幸が北条とやり取りした手紙は、武田家滅亡後の日付の
ものしか無いっちゃ無いんだけどね。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/01 11:14
>>205 つーか氏政にいちゃんに人望無くて相模に居着きたくなかっただけじゃねーの2人とも?
氏政慕ってたの氏照だけだろ
213 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/01 12:55
北条夫人だけ助けてもらうことはできなかった?
214 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/01 18:11
氏ちゃん
ところで久しぶりに来たけどまだこのスレやってんのかよ。
氏氏氏氏氏
氏氏氏氏氏
氏氏氏氏氏
氏氏氏氏氏
氏氏氏氏氏
>>203 小山田の名なら残ってるよ。
尻尾振った相手にブチ殺されたブザマな裏切り者として。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/02 00:00
219 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/02 01:59
勝頼っていう名前も皮肉だよね
220 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/02 02:01
勝頼は最後、飢えと疲労で織田兵とチャンバラする体力もなく、
座ったまま切られたそうな
>>218 確かにそう考えれば優秀な殿様だねぇ、
どんなに賢くてKOEIの能力値高くても領民疲弊させてたんじゃ、
褒められても尊敬はされないわな。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/02 12:27
まあそれもこれも長篠で大勢ぶち殺されて田んぼが荒れまくったことが最大の問題だったわけで
224 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/02 22:52
まだこの糞スレあったのか
215=224?
一日で消えるわけないだろ。
>>225 「まだこの糞スレあったのか」
これは保守だよ
227 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/02 23:15
215じゃねーよぼけ
228 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/02 23:17
まただ。
このスレを覗いた俺は書き込みを見て落胆した。
また時間がループしてる。
何時になったら、この無限地獄から逃げられるのか。
武田信玄とは、騎馬軍団とはいったい何なのだ?
229 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/02 23:17
幻のたまごっちだ
230 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 11:19
腹減ったな
232 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 19:50
信玄時代のほうとうは今のようにうどん状のものではなく、
汁の中に野菜団子が入ってる味噌汁みたいなものだったらしい
233 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 02:13
三方ヶ原って、何であんなに扱い大きいの?
信玄当時の武田が徳川に勝つのがそんなに凄いことなの?
負かした相手が結果的に天下取ったからだろ。
235 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 02:22
236 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 02:35
日本史の教科書では姉川や長篠が太線キーワードになってるけど、
やっぱこの二つは重要なのかね
漏れの教科書は長篠の戦いと石山戦争が太線になってる
戦国時代の合戦で日本史の教科書に載ってたのって、
信長・秀吉・家康がらみがほとんどだよな。
例外は川中島と厳島くらいか。
239 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 06:37
山崎と関ヶ原以外は合戦の結果は大して重要じゃないな。
小牧は?
人取橋載っけろーーー
>>241 そんな事言い出したら根白坂や中富川や明禅寺・耳川・沖田畷・河越など同程度の合戦なんていくらでも
あるだろ
243 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 17:49
姉川ってそんなに重要か?
244 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 20:58
俺の教科書には碓氷峠の戦いと稲生の戦いが太字になっている。
「私の辞書には〜」的解釈へと変化していってるのか?「教科書」の意味(w
マーカーで線を引いただけじゃないのか?
だいたい戦国時代に割くページ数が少なすぎるんだよ、
「僕らの先祖はこんなに頑張った」てのが歴史教育の根幹なんだから
それが最も顕著に現れてる戦国時代は日本全国網羅した上で
最低10ページは使うべし!!
248 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 09:32
教科書は文化系おおすぎ。
そんな腐れ文化人より書くもの他にあるだろうと
まぁ運動駄目駄目ガリ勉クンたちが作るんだから
筋肉よりも脳みそ贔屓しちゃうんだろうなぁ・・・。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 14:58
理系は負け組だしな
251 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 16:37
よーわからんが理系は関係ないだろ
三国時代や戦国時代が教科書で取り上げられないのは、
「興味を持つ人が多いため、独学で知識を身に付けてしまい、純粋な学力判断に結びつかないから。」
と考えるがどうよ?
三国志・戦国おたくの漏れとしても、
>>247,248には禿同。
自分の文章、なんか変だ。
上の文章は、
「独学で知識を身に付けてしまうため、純粋な学力判断に結びつかないから。」
ってこと。
でも、興味を持って知識を身に付けると素晴らしい事だと思うのだが・・・。
254 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 20:03
確かに不自然に記述が少ないよな<戦国
150年近く続いた時代にしては
255 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 22:35
なにしろ戦国だからな。 備忘録付けてる場合じゃないんだろ。
記録つけてそれが他家にコソーリ盗まれてもアレだしな
戦国の記述はすくないのは戦前の教育の反動なんじゃね?
書こうと思うと書くことが多過ぎる。
だから、いっそのこと殆ど書かない。書くのは次代に繋がるネタのみ。
で、織豊徳ネタばかり。
259 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/06 03:02
日本史の授業における戦国期のトピックといえば、
分国法、一向一揆、南蛮人の渡来、下克上、といったあたりか?
軍事史が軽視されるのは日本の歴史教育全般で言えることだから戦国に限った話じゃないな。
というか室町時代も北山文化とか東山文化とかばっかで、
応仁の乱以前の関東の争乱とか政治や軍事情勢の話がさっぱりなのは個人的には甚だ不満だよ。
260 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/06 03:16
>>259 応仁の乱以前から関東って荒れてたの? 関東管領や足利公方は何してたの?
戦乱を起こした張本人です
(永享の乱で、鎌倉公方足利持氏が幕府に反抗して滅ぼされる)。
なんか厨房が涌いて出てるが、もう春休みか?
日本の教科書を一言で言うと、「単線型政治史観」ということになる。
あたかも見てきたように古代からべたで政治指標ばかこれでもかと押しつけてくるわけだ。
たとえば外国の歴史の教科書なら、「複線型、近代重視」プラス小学校ならなにかあるエピソードから
興味を持たせていくっていう、ある意味当然のプログラムになっている。そりゃそうでしょ、いきなり聖徳
太子何年とか大化の改新とか、実はろくに解ってもないことを平気で消防に教え込むわけだから、歴史
嫌いにもなる罠
で、なぜ戦国が疎外されるかというと、実はまだまだ解っていないことがどれだけあるかということが白
日の元に晒し上げされるからに他ならない。みんな興味あるし、市井の情報量も多い。そこが学者には
気に入らないわけで、「桶狭間ってこうなの、長篠ってこうなの、ごちゃごちゃ言わないの!」と言いたい
わけだな。
本当は、青びょうたんの貴族が実際には何もしてないのに「○○年こんなことをしますた」とかよりも、民
衆の歴史の力強い歩みこそが歴史の勉強で一番大事なのだが。その点はまあ、日本史の弱点でもある
けどね。日本には劉邦も陳勝もいねえし、異民族の侵入もほとんどないし、フランス革命もなかったから、
政治主義史観でも一見歴史が流れてるように見えてしまうのが怖いところ。
いわば、三戦板こそ教科書と対極の存在と言うわけだなw
このスレはパート15まであるみたいですけど
過去ログはhtml化されていないんですか?
264 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 01:36
なんで関東には関東管領と足利公方みたいに二つも権力機構があったの?
一つで良いんじゃないの?
鎌倉公方 > 関東管領
266 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 02:37
>>264 あのなー、管領は元は公方の執事だったの!
公方が弱体化して、管領が公方の勢力を越えるようになってきたので、
公方が古河に逃げたりして関東動乱になったの。
人に質問する前に、ちっとあ自分で勉強しな!
267 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 03:03
>>266 なあるほどね。 関東管領って名前の割には大した事無いんだ?
っていうか、それじゃあ室町幕府ってのは関東は直轄領ではなく属国として
わざわざ半独立みたいにさせてたわけじゃん?
なんでそんな自分の力を削ぐような事してたわけ?
3年ほど人生経験を積んでから、また質問してください。
269 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 03:47
>>263 ぱーと1からみなくてもいいよ。
「言ってる事やってってる事は全部同じだ」
>>267 もしかして当時の通信技術が近代並にあったと思ってる?
271 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 05:55
手旗信号
のろし
おまいらバカにすんな! 答えろよおい。
教えてください。
上洛時の信玄の二万五千は織田の十万に匹敵するほどの選りすぐりの精鋭。
4倍の人数に匹敵するということは個人戦闘力が16倍必要なわけだが。
277 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 14:59
信玄と氏真で同時に攻め込んで徳川を滅ぼせばよかったのに
北三河を武田領・南三河を今川領
義信君も健在で一石二鳥
山道も、一時的に軍事侵攻ルートに取るだけならいいかもしれないけど、
駿河・遠江が他家の領土のままってのは辛いだろ。
失敗におわっただろうな。
280 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 19:40
旧今川三国はどれも海に面した南半分こそがおいしい所なのに、またしても山岳部を
領土にしてどうするんだよ。
277は徳川を潰したいだけだからな
282 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 20:05
信玄は今川の領土を家康と分割することで
かえって家康の勢力伸張に一役買ってしまったわけだな
283 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 20:07
東三河を今川領・西三河を武田領で分割できないものか
つーか、信玄単独で三河を征服できなかったのか、と言ってみる
>>283 どっちにしろ地図が変な形になる。
三国同盟なのに1国が2国に囲まれたら変でしょ
285 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 23:35
だって氏真にやる気ないし・・
氏真を生かすか家康を生かすかの選択で
長い目で見れば過ちを犯したんじゃないか
信玄は
286 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 00:13
氏真も政治や剣術は優秀だったんだが、
薩捶峠で裏切りにあったのが痛かったな。
そのまま、籠城しようとした賤機山城も裏切られるし。
287 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 00:14
だいたいヘナヘナの今川相手に武田単独で戦いを挑まないというのがヘタレ。
それともあの時代でも今川には武田単独で戦うのは苦しいほどの戦力があったのか?
288 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 00:20
>>287 徳川勢力を遠江に入れなければ二俣だの高天神だのと悩まないで済んだのにね
信玄は味方になるものは何でも使うからね、諏訪攻めで高遠を支援して一年後に高遠に
悩まされたこともあった、短期的には自軍の被害は少なくても長期的に被害が増える。
豪族連合だからしかたないかもしれないが。
武田単独で挑んで、氏真・北条に徳川まで敵に回られたら
武田末期の四面楚歌の状況とあまり変わらないような気がする
291 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 00:49
単独で駿河・遠江を征服したら徳川まで敵に回しちゃうだろうかね
向こうも狙ってた食い物を横取りしたと言う意味で。
別に単独だろうが何だろうが駿河に攻め込むのが遅すぎたんだよ
293 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 01:01
氏真の無能さってホントに日本の歴史を変えたとつくづく思う
せめて勝頼・景勝級の武将なら信長も全兵力を美濃に向けられなかったはず
294 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 01:28
>>293 ていうか、1560年に順当に逝ってそう
せめて無能でも一条兼定のように領土を取り返そうと
行動に移してくれりゃあな(結果は失敗だったけど)
北条から兵を借りるとか全くそういう発想がないのよね
>>289 信玄だけじゃないっしょ。信長もウンコ垂れも同じ。
そういう時代だったんです。
領土を取り返そうとして徳川頼ったり、蹴鞠を信長に披露したり
勝頼と長篠で戦ったりはしたんだけどね。発想が真逆というか
敵対行為ばっかりだな、氏真w
298 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 02:03
氏真は大名やりたくなかったんだろうね
299 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 02:14
氏真は信長より前に楽市楽座始めたり、
武田が同盟を一方的に破棄すると上杉と北条と結んで、
塩留めを行っている。
また、上杉家の山吉氏に書状を送り、
氏真が北条氏直を養子として、
北条氏秀が謙信の人質となる事を条件に三国同盟を結び、
また、三浦正俊らに積極的に徳川勢を攻撃させた。
遠江でも反乱が起こると飯尾氏や井伊氏などを滅ぼし、
徳川に寝返った朝比奈真次を討つなど、領国を立て直そうとした。
しかし、武田信玄は上杉を動けないように一揆を起こさせてから、
徳川家康と結んで、駿河・遠江に攻撃をかけ、
氏真は掛川城に籠城し、家康との半年近くの戦いの後、
家康の方から、
「信玄を駿河から追い出した後は氏真を再び国主とする」
という条件で和睦。
氏真は戸倉城に移り、同盟の条件で氏直を養子としたが、
後に北条氏と対立して氏直を離縁して、京都に上り、
信長に接近して、(神保氏は信長に接近して越中を取り戻した。)
長篠の戦いでは信長に次ぐ大将となり武田勢と戦った。
しかし、駿河を氏真に戻すという事はなくなり、
氏真は妻と孫達とともに二男・品川高久の館で没した。
結構、がんばってるんだけどな〜。
可哀相に・・・
301 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 02:24
果たして氏真は能なしだったのであろうか?
否。
氏真は
>>299で挙げてるように結構がんばってる。
ただ・・・
周りの大名(徳川・武田・織田・北条・・)偉大過ぎて無能に見えるだけ。
>>301 武田・北条は同盟国、徳川は属国、織田は国力的に格下。
戦国大名としては無能以外の何物でもない。
遅くとも織田が美濃攻略を終えるまでに義元の死から立ち直る必要があったな。
それなりに頑張ってはいるようだが…
304 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 03:01
デスラー総統がいれば信長や信玄なんてイチコロだよ
激しくガイシュツと思われるが、
そのころは信長包囲網というやつが敷かれておったため、
武田は2万5千で十分だったんじゃないの?
通りすがりなんでよく判らんが。
織田の援軍が来なけりゃ信玄一人勝ち
来たら面倒な事になる
>>301 なんだかんだ言って、三河一向一揆に乗じて三河を攻めなかった時点でアホ
あの頃は寿桂尼の時代だというからなぁ。
氏真自身、成人してはいたんだが。
309 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 09:24
毛利、上杉に手紙書いてみんなで上洛するぽ。
氏真が井伊とかを滅ぼしたせいで、遠江の国人の今川離れが
余計に進んだしね。
311 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 11:14
一大名なんだからさ、井伊だけじゃなく遠江の国人ごとき全滅させればいいんじゃん。
国人なんて兵力数百人ていどだろ。
嵐世記の国人とはわけが違いますよw
314 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 11:36
いや、いつも思うんだが大大名とかがいちいち国人なんかに気を使うのが理解できん。
信長なんか即直轄領じゃん。 国人なんか皆殺しに近いだろ?
315 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 11:39
桶狭間の戦いでは義元だけじゃなくて、
松井、由比、三浦、久能といった今川家の重臣達がかなり戦死している。
つまり、戦意は低下してとても他国に攻め入れる状態ではなかった。
>>310 逆効果だったかもしれないが、やっていなかったらもっと評価下がってたな。
316 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 11:48
戦死者を割り引いても氏真は消極的すぎた
長篠の後の武田勝頼、
桶狭間後の今川氏真、
結構状況似てると思うだが・・・?
イタリアの如く降伏して国内救った氏真の方がマシに見える。
>国内救った氏真
なかなか斬新な意見ですねw
319 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 12:19
氏真と勝頼はよく比較されるけど、タイプがビミョ−に違うよね
320 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 12:55
そもそも氏真が有能なら、義元は桶狭間にいなくてすんだかもしれないのに
321 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 17:14
氏真は人質を殺すことだけには執念を燃やしたらしいね
322 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 17:47
氏実が優秀なら桶狭間では家康が攻撃の主軸で氏実が防御の主軸として
義元は安泰だったのかもな。
もっと猛将なら逆に清洲強襲もこなせたかもな。
/;;;;;;;;;;;;;\
/\;;::::::::::::::::::ヘ
/,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ
L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l
|l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::... ...:::::::;;;;;;|l
〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕
/j/ ヾ、
l::||:::: |l
>>322 |/ ̄\ (●) (●) || パパを漢の高祖に例えると、崇孚が韓信・僕が蕭相国なのさ
r┤ ト::::: \___/ || だから僕が戦闘に参加しなかったからって馬鹿扱いしないでね!
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ 後ろを守るのも大事だよ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__ (イッテヤッタ イッテヤッタ)
| _)_ノ ハ // / |
ヽ____)ノ \// / |ヽ、∧
324 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 18:18
桶狭間合戦がもしなかったらどうなっていたの?
>>317 全然救ってないんだが。追い詰めきられるまで悪あがきしたじゃん
326 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 23:18
氏真は人質に串刺しの刑を課したことで有名だよな
有名だな。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 23:38
氏真は家康に串刺しの刑を課してこそ、戦国大名として評価される
人質を殺しても火に油を注ぐだけで、国人衆は次々と離反していった
329 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 23:39
>>320 義元がいたのは桶狭間じゃなくて桶狭間山だけどね。
いってやったいってやった
331 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 23:41
>>324 長期的には、武田と北条の滅亡原因にもなった事件だな
氏真が普通の武将なら、尾張攻めの総大将にされて、義元は
健在で済んだかもしれない
義元も氏真をまともに前線に出さなかったから、やっぱり将来を案じて
いたのであろう。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 23:43
>>322 桶狭間山の戦いがあったのは五月で、現在の六月に当たる。
兵農分離のできていなかった当時は、農業にとって大切な時期であり、
その時期に大規模な尾張強襲などしたら、
今川家の収入に大きく関わり、領国経営が難しくなる。
しかも、今川家の有力な家臣達が桶狭間の戦いで討たれている。
とても、清洲強襲は無理。
>>328 人質を殺したのは、他の大名でもあった事。
結果から見て、判断はできまい。
ハァ?
334 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 23:54
>>332 財政難も何も実際に尾張強襲してるだろ。
池沼か?
上洛戦だったかどうかはともかく、尾張を攻めて大動員かけて、実際織田を押し込んでたわけだから戦況が普通に推移すれば屈服あるいは撃滅を狙って清洲城を落としいれようとするのは当然のような
336 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:01
ここはいつから氏真スレになったんだ?(w
338 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:06
339 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:07
氏真並に低能だなw
341 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:15
信玄は氏真の無能さに気づくのが信長・家康よりも数年遅かった。
この数年の差が長い目で見れば、両勢力の膨大な国力差につながった。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:18
氏真ってそんなに無能か?
政治向きの事は結構、才能あると思うよ
もっと何もやってない奴らもいるんじゃないの?
無能だよ
344 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:22
戦国大名としては無能でしょう
345 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:23
もしも信玄が氏真と一緒に家康滅ぼしてたら、
氏真無能呼ばわりされてないねw
もしもじゃねーか
できないから無能なわけだし
348 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:28
低脳は低脳に惹かれるの図
349 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:31
>>337 武田と織田の国力差の変遷を考える上で、両者の緩衝勢力だった氏真を
語ることは避けて通れない、とマジレスしてみる。
「氏真が日本の歴史を変えた」とすら思うのはそういう理由からでつ
350 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:32
351 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:33
信長には氏真に背後を突かれたらどうしようという心配は
微塵もなかったのだろうか。徳川だって最初は弱小だし。
352 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:37
最初は弱小っていうか敵勢力です
対応する暇も与えず一気に攻め込んでくる力はあるまい。
徳川が押され始めたら対策を取り始めれば十分だろ。
第一、上洛するまでは背後に隙ができるほど本拠から離れて活動してないし。
355 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:50
少しでも戦国武将としての仕事をやる気がある人なら
斎藤と同盟を結ぶくらいはするんじゃないか
356 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 00:56
357 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 01:07
でも、滅亡寸前の窮余の策でしょ?<新三国同盟
駿甲相三国同盟や甲尾同盟のような攻撃的な同盟とは
言えないでしょう
358 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 01:27
家康が氏真から離反したのは、幼少の竹千代が氏真に苛められていたのも
あるそうだ
家康は根に持つタイプだから
359 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 01:49
>>358 人質といっても、実際はかなり優遇されていたようだし、
氏真、家康と北条氏規らは親交はあったから、
もし根に持っていたのなら、その後、氏真を諏訪原城主にしたり、
浜松や京に館を与えたりしないと思う。
晩年だって氏真と家康はよく駿府城で会談してたみたいだから、
別に苛めてたってわけじゃなさそうだ。
360 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 02:03
家康と氏真って不思議な仲だよね
361 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 02:08
>人質といっても、実際はかなり優遇されていたようだし、
普通の人質というより、武将として人材育成してたみたいだね。
信玄・信長もそうだけど優れた大名は皆、人物眼が確かだよね
氏真はとても優れた大名だったんですね
その優れた氏真が武田、家康に攻められて
その後何故武田側に組せず、織田・家康側に回ったんだろう
信玄が氏真にいずれ子孫を駿河に〜とか吹き込んで協力させても
不思議はないのに・・・。
>家康は根に持つタイプだから
ワロタ。
なんか氏真を過当に評価してるバカが一人いるな
366 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 11:08
全部お婆ちゃんが考えた事なんだよ。
氏真はホントに何もできないバカ。
367 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 11:14
雅は鮮やかに一級品
渡世術は満点の一級品
政は厳しく一級品
だけど喧嘩はかっらっきしの三級品
三国同盟を堅守したらどうなっていたのかな?
武田が今川を支援して織田、徳川に対抗。
義信も不幸にならなくて済むだろうし。
信玄が義信の不幸も考慮して徳川と組んで今川を攻めたんだから
武田が徳川と組んだ時以上の利益は出ないだろう
あと氏真やるき無さそう
372 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 11:44
>>369 当然、ターゲットは三河だよな。
雪姫と勝頼の縁談はもちろん断る、と。
義信君健在だから信勝いなくても平気だしね
373 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 11:56
氏真はやる気はないけどプライドは一級品だから
三河を武田に取られたら文句言いそう
>358
幼少の家康は蹴鞠の玉拾いやユニフォームの洗濯とか
雑用させられて家に帰るのが遅かったらしい
375 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 12:07
氏真を現代人に喩えると
・無断欠勤しまくりで首になったサラリーマン
・ゲームしすぎで受験に失敗した学生
といったところか。要するに職務怠慢だな
376 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 12:11
ユニフォーム??
377 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 12:13
>>374 いくら人質でも雑用はさせられないよ
雑用は雑用で、係りが決まっている。
それにそんな命令受けても、竹千代じゃなく家臣達がやるから、
竹千代自身がやる事はなかった。
378 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 12:15
>>375 いや、現代の若者のほとんどが氏真タイプ。経験も実績もないのにプライドだけが高いw
379 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 12:16
>>371 >あと氏真やるき無さそう
三河や遠江で徳川家が独立したら、氏真、結構攻めてるぞ。
やる気はあったが、徳川の勢いに負けたって感じじゃないか?
380 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 12:22
>377
マジレスしないで _no オネガイダカラ
>>382 最近史板から来た空気読めない厨が多いから気をつけてね。
自分の知識をひけらかして自己満足したいだけのおバカさんが増えたからね。
>>377 でも岡崎の家に帰るのが遅れたのは雑用が多かったからじゃないの?
>384
ウワアアン。・゚・(ノД`)・゚・。
386 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 12:43
>>385 漏れが悪かった、これで許してくれ_| ̄| ...○
>387
自害(・∀・)イクナイ!! イキテ!!
話は戻すけど
義信が生きてれば上洛戦も楽だったろうにね
389 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 12:55
>>388 義信って自刃と病死と二つ説があるけど、
菩提寺とかでは、どっちを有力視してるの?
義信が生きていても重臣合議体制と、領国の差の克服は不可能だから織田には勝てないよ
>389
ありきたりだけど表むきは病死で実際は自刃だったんじゃない?
菩提寺の方の考えまではわからないけど
392 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 13:15
支えてくれれば武田は勝てるよ。
374は自演までして忙しい馬鹿だな。
394 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 13:35
>>390 でも勝頼体制の最大の難点であった、当主への軽視はなくなっただろうね
>393
え?してないよ
374,382,385,388,391は書いたけど
396 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 13:43
397 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 13:45
400勝ちがいぞいそげ!
399 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 13:46
374うざいしね
義信と今川義元の娘との間に女子が
産まれていたらしいのだが、どうなったの?
402 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 13:50
子供生まれたの?
それって結構重要ジャン
403 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 13:58
義信が生きていたら、もう少しマシな結果になっただろう
しかし義信を生かすには三国同盟維持せんとならんからな・・
404 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 14:45
氏真も樹形似という軍師がいたのに何であんな凡策ばかりしたんだ・・?
405 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 14:48
今川が滅んだのは氏真の無能と言うより義元の上洛の失敗が原因。
有能な人材は失い1大プロジェクトに失敗すれば、経営の建て直しは
並大抵ではない。
勝頼は結果的に長篠の戦で優秀な人材、兵力を自ら減じた点で言えば
大名の器ではなかったと思う
406 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 15:05
まずいな、俺ももうじき親父から結構デカイ会社引き継ぐんだが、勝頼や氏真のように
ならないように気を引き締めないとな。
高転びするわけにはいかんぞ。
浅田社長キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
408 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 16:14
409 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 16:40
>>408 無能というか不測の事態で継いだわけで、所詮は苦労もしてない21歳の奴が
いきなり何の準備のなく継いでうまくいくはずがないと思うが・・・
戦に敗れ国力は衰退、当主は若年となれば国人達の離反を防ぐのは
難しいと思われる
勝頼の嫡男・信勝と勝頼の正室(後妻)・北条夫人は年が近いこともあって仲が良かったらしい。
武田滅亡時、信勝16歳、北条夫人は19歳。多分、こいつらは出来てたんだろうな。
>何かの小説のネタにされそうな関係だな
肥えなら戦国無双あたりにもやっちゃいそうだ・・・
>>410 三歳年上の義母か。武田版源氏物語っぽいな
勝頼が重臣から軽視されてたってのどうも後世の創作臭いな。そもそも軽視されてたら当主としての地位さえ維持できないのが武田のシステムで、晩年の信玄が実績とカリスマで強引にまとめてた以外は重臣(特に大勢力の国人を兼ねる家臣)の意思に逆らう行動が取れたかどうか
415 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 20:25
北条夫人の胸揉みたい
416 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 20:27
>>409 そもそも、もし氏真が一人前の武将なら尾張侵攻の総大将にされていた
可能性もあるから、義元が桶狭間山で休息取らないで済んだかもしれない
417 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 20:32
大事な作戦で長男を駿府に置いたままにしたことからして、
義元は氏真を(ry
418 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 21:07
>>416 当主である義元が総大将で、出陣しないなんて事あるんですかね?
義元自身がもし一流の武将なら桶狭間で討たれるなんて事もなかったと思うが・・・
419 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 21:14
中には、長男に任せるケースもあるでしょう。
確かに義元も出陣するケースの方が多いと思うけれど。
その場合でも氏真も出陣していれば、軍勢の配置が違う形になって
義元も桶狭間とは別の場所にいたんじゃないだろうか、と言ってみる
>>417 でも、大事な戦いなら息子に任せず、義元自ら指揮を執るだろ?
隠居しても、まだまだ現役だったし。
それに氏真には、武田や北条が裏切ったり、
謀反が起こらないように後方を守るという役目があった。
>>420 >でも、大事な戦いなら息子に任せず、義元自ら指揮を執るだろ?
訂正
でも、大事な戦いなら息子に任せず、親自ら指揮を執るだろ?
家臣の信頼も、親の方があるだろうし。
422 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 21:20
しかし、普通は長男も出陣でしょう。
第4次川中島や西上作戦の義信・勝頼のように。
もう二十歳超えた立派な大人なんだし。
423 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 21:22
低脳が低脳に惹かれるの図
氏真というより樹形2に守らせたんだろうな<駿府
やっぱり氏真は義元に勘当されていたとしか思えない
425 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 21:28
>>422 尾張攻めって、その理由に諸説あるけど、上洛戦じゃないとしたら、
そんなに重要な戦いじゃなかったんじゃないの?
それでわざわざ氏真を連れて行かなかったんじゃないかな。
426 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 21:30
>>424 氏真がもしも勘当されてたら、
喚英長応か、一月長得が還俗してるはずだから、それはない。
427 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 21:35
どの道低脳には変わりない
武田信勝の弟の武田勝親って、
103歳までどうやって生きたのか、誰か知ってない?
429 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 21:39
もし義元と氏真が一緒に出陣しても軍勢の配置そんなに変わりますかね?
総大将って大体は後方だと思うのですが・・・
>>429 桶狭間の戦いの時は、
本陣の桶狭間山を中心に周りに軍勢が広がっていたな。
たぶん、山を中心にするのは間違いないと思うが。
今川氏真スレはここでつか?
そうでつ
秀吉の側室になって適当に不幸になった
>>426 廃嫡するかはともかく、あまり大きな期待はしてなかったと思うよ。
やっぱり、これほど大規模な軍事行動で長男が留守番というのがどうも・・
つーか、ここ何日か張りついてる氏真マンセー君は確信犯(敢)でしょ
あまり思い通りに釣られないように
まあまあ、マンセー派と無能派の応酬も面白いではないか
もしや、義元は元康を氏真の軍師にすることを考えてたのかもな、と言ってみる
へー軍師ねえ
軍師と言うよりも、有力武将だな。
氏真の軍師には庵原忠房と三浦正俊がいたから。
戦国一の卑怯者武田に対する警戒だよ
いつ発狂して攻め込んでくるかわからないからな
義元の子供(男)は不幸なことに氏真だけだったんだよな。
>>437 それなら戦場に連れてくだろ。
義元は普通に氏真に軍事は無理だって気付いてたんだよ。
>>441 義元には氏真以外にも男子はいる。
東京の萬昌院の開基となった一月長得は氏真の弟で、
兄の葬儀を萬昌院で執り行っている。
長得の縁によって、萬昌院は今川家の菩提寺となり、
後に分家の品川家や親戚の吉良家も菩提寺とした。
444 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/10 12:28
桶狭間の戦いの今川軍って配置にミスがあると思うんだよね。
確かに本陣は最後部にあるんだけどそこから前衛にかけて全軍が東西にばかり厚くなってるんだよ。
逆に南北の厚みが無いというか、一応は本陣を要に扇状に展開してはいるんだけど
扇の幅が足りなくて本陣は北からの攻撃に対してはかなり無防備なんだよね。
そこをうまいこと突かれたわけだね。
氏真がいればひょっとしたら北に兵力を割けたかもしれない。
もっとも、氏真だから信長に襲われたら死んでたかもしれないけど。
>>444 氏真が捨て石になってる時に義元が無事脱出&態勢を立て直した
今川の逆襲が始まり、退き時を逃した織田が総敗北
ただし嫡男を失った今川も深追いはしない
>>445 難しいと思うな。
一度、崩れ出すと志気も下がるし、なかなか立て直せないと思う。
447 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/10 13:41
義元の場合どうだろう。 嫡男の危機に際して救援に行くか、自分は逃げるか。
逃げたら求心力ガタ落ちだろうな。
>>447 義元も戦国武将だから計算するんじゃない?
基本的には救援を考えるだろうけど、無理してまで救いに行くことは無いと思う
449 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/10 14:11
どんなに氏真が弱かろうと優秀な副将付けて本隊五千から二千くらい分けてやれば
本陣防衛軍の主将的な役割としてそれなりに氏真の面目も立つだろうな。
まあそれでも今川軍首脳部は織田の急反撃を全く想定してなかったみたいだから
氏真の部隊も即壊滅だろうな。
義元も一旦退くしかないだろね。
やっぱり、出陣なし=軍事の適性なしとみなされた、なんだろうな
>>449 大久保彦左衛門の三河物語とかだと、
今川勢が守りを固めていたと書かれているが、その辺はどうよ?
453 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/10 22:03
>>452 守りの配置には付いていたが敵の襲来を全く考えてなければ戦力にはならんから
やっぱり混乱して話にならなかったんじゃねえか?
454 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/11 00:26
>>444 いつから信長が北から攻撃したことになった?
西からだよねえ…
氏真しか跡取りがいないなら逆に戦場には出したくないんじゃないかな?
織田家の例を見てるとそんな希ガス。
織田家の例というのがよくわからんのだが・・・
2つのパターンが考えられるな。
パターン1:
>>456は信忠が順調に戦歴を重ねていや事を知らない。
パターン2:本能寺で信長と一緒に信忠も討たれている。ほら見ろ、危ないじゃないか。
1>跡取りにはなるべく戦を経験させて、後々独り立ちできるようになってもらわんと困るだろ。
2>本能寺は戦場と違うしなあ。
どのみち氏真以外の子もいたわけで、あまり論じてもしょうがないかな。
459 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/11 08:45
氏真って初陣とかしたの?
>>459 してるよ。
初陣の時に義元が与えた鎧がある。
461 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/11 11:46
>>454 だから北から急南下して今川の東西縦深陣の本陣のすぐ西に潜り込んだ後に突入したんだよ。
信長は丹下砦から、善照寺砦、中島砦に入り、
中島砦から出た信長軍はそのまま山すそを直進。
桶狭間山のふもとに到着した信長は
そのまま山を駆け上り、正面から今川軍に攻撃をかけた。
あ
氏真の初陣の詳細きぼん
蜂須賀党が付近の村々に触れ回って酒と唐芋の煮つけを用意させ、
今川軍に差し入れさせた。
今川軍は宴会気分で田楽狭間に陣取り、酒を飲んで浮かれていた。
そこを信長が北に迂回して急襲したんだよ。
宴会気分じゃなくて、昼食食ってただけ。
田楽狭間っていう地名は江戸時代についたもので、
今川軍の陣があったのは「桶狭間山」
信長公記によると、信長軍が北に迂回した記述がないため、
>>462のように攻め込んだと最近では考えられている。
468 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 10:21
馬鹿だなあ。それじゃ武功夜話と矛盾するじゃないか。
おまえら津本陽をナメてんのか?
せめて、前野家文書と言い給へ
470 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 12:44
2万五千で上洛できっかよ、つーかでーきーまーすー。
@当時ノブ長は本願時、浅井、朝倉、松永、その他雑魚どもに兵を釘づけにされ、
対武田に裂ける決戦兵力はせいぜい2万とみた。
A例えば関が原においても家康率いる東軍が8万数千という表現をわけだし、あの
当時将軍、顕如、他の大名はことごとく信玄の上洛を望んでいた事実を踏まえると
武田包囲軍8万と表現してよいわけで・・・
B結論として、信玄イコール根回しの達人。関が原時の家康の根回しなど比にならない。
信玄ともあろうものが、今川のように何の仕掛けもせず2万で京に進むわけないと。
当時のそういった状況を考えないと「上洛できっかよ」と思うのもたしかに無理ない。
471 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 12:48
津本陽すきじゃわい。「よからあず」って方言好きじゃわい。
1は意味不明、
2は時期不明、
3は思考回路理解不能
>>470 できないよ
@まず、その朝倉が勝手に引き上げた事実を無視してる。さらに、浅井・松永は総兵力は一万すら届かず、最大勢力本願寺は一揆衆主体のため防衛戦には強いが組織的遠征能力がない。
よって、織田野戦軍が2万という構図は考えにくい。さらに背後に敵がいるのは武田も同じ。特に上杉がいつまで一揆勢に振り回されてくれるかは不明でリスク高すぎ
A上洛を望んでいたのかどうか疑問。義昭はともかく、他の大名が「武田が織田に代わるだけじゃ?」と判断する恐れあり。仮に望んでいたとしても、統一された指揮が確立されてない上、
近畿の主要交通網は織田が抑えてるから史実通り各個撃破される可能性大
B単なる信玄への過大評価。信玄は若い時から根回し下手。いらん敵を作り、信虎が数年で平定した佐久郡あたりすら取るのに10年費やしている。
さらに、友好関係にあった北条・今川・徳川をそれぞれまずいタイミングで敵に回してる事実がある。さらに、「何の仕掛けもせず」というなら、信長が黙って武田のいいようにされる保証こそどこにもない
最近目立たなかった織田厨、元気出てきたなw
>>473 そもそも、上洛という言葉が指している意味が違うのでは?
以前から議論されていたように、ただ京都にたどり着く=上洛なのか?
京都を占領(長期的に)し、中央政権を確立することまでを考慮しているか?
それを考えた場合、2万5千だろうが数十人程度の供回りだろうが、京都に潜入するくらいはできたと考えられる。
だが、信玄が政権確立できたかというと、難しいのでは?
一揆鎮圧した上杉が甲斐、信濃に攻め入れば帰国あるいは大部分の兵力を割かねばならないだろう。
敗戦から立ち直った徳川が後方撹乱したら?
一番大きいのは、京都までの兵站能力がない。
もちろん、村からの徴発なんてたかが知れてるし、そんなことを続ければ反感を買い、自体はさらに悪化・・・。
以上のことを考えると、結論は過去のレスの通り、京都には行けるが、そのあとは続かないだろう、となる。
476 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 17:27
いや、上洛できる!理論的に申しますれば、
@武田の強さは日本中に知れ渡っている。
兵士1「た、た、武田だー!もうダメだー!」
兵士2「た、た、武田だー!もうだめだー!」
そこですかさず、大音量でNHKの「武田信玄」のオープニングテーマを流す。
下士官1「わわわ!」馬から落ちる。
その隙をみて、そのまま一気に京へむかう。
夢のない意見だが、
>>475の意見が妥当だな。残念ながら。
結局夢だったんだろう。信玄と幕僚、そして兵士達の。そしてその夢は、信玄が健康ならば実現も
可能だったのは確か。上洛までなら。だから信玄が病没したことで、更に夢がふくらんでしまった。
ちょうど、大鑑巨砲時代の幻想にとらわれて艦隊決戦で米機動部隊と雌雄を決する妄想にしがみ
ついた旧海軍のアホ連中と同じで、「武田軍団ならどんな相手も鎧袖一触!」と気合いを入れてた
んだろうね。しかし、すでに時代は信長のような経済戦略が最上位に来始めていたわけで、上洛す
れば勝ちという事はない。その後もうんざりするほどの国人達との折衝や征服が待っているわけで、
そこまでのスタミナが農閑期の百姓兵にあったかと言えば・・・・・。
そこまでやりきろうとすると、最低5、6万は必要だろうな。同時期の織田の最大兵力がそれぐらいと
もいわれるし。
上洛すれば勝ちだろ。少なくとも
現実的に考えて
>>478 「大艦巨砲」は余計
旧海軍は相対的にみて特に大艦巨砲にとらわれていたとは言えない。
「武田騎馬軍団」並みの俗説
「艦隊決戦の幻想」だけならかなり正しいが
動員が2万5千足らずだったんだから上洛する気はサラサラなかったって結論が出てます
482 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 23:00
仮に三河から山城まで一気に織田を倒して兵糧を占領地から現地調達でまかなったとするだろう。
ふと後ろを振り返ると占領したはずの旧徳川、織田領でことごとく反乱が起こって
占領地が消滅してんだよ。 それで本国まで帰る事すらできない状況になってたりな。
483 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 23:16
>>482 山城まで一気に織田を倒した後ならばそういった反乱分子は
各個撃破でめでたく総あぼーんだよ
まず、その前提自体が有り得ないが
あのさ、信玄率いる二万五千は、八万〜十万くらいに匹敵する。
>>482 それは軍事的敗北のインパクトを過小評価しすぎだ。
通り過ぎたから次の日に挙兵、ってなわけにはいかないし、
心理的衝撃も考えるとどこか別の場所で負けたりといったきっかけも要る。
まあ一度の遠征で京に至るルートを軍事制圧するという前提自体が難しいとは思うが。
>>483 へっぽこ武田家ですら総あぼーんしてねーのに織田家が総あぼーんできるわけないだろ。オメデタイがきだねw
そういや、おまえはがきじゃなかったけ
今思い出したすまんすまん
489 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/13 00:18
>>486 482が言っている占領地の反乱というのは現地調達が引き起こした農民反乱の
ことを言っていると思うんだが。
織田は倒されたという事でしょ。
織田家臣で降伏した連中のことかと思った。
農民の反乱は、支配者が変わったからと言って
急激に激増するもんじゃないでしょ。
負担が増えるようなら徐々に増えていくとしても。
492 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/13 02:20
三方に喧嘩を売っている状況で他人を上杉と織田の的にし
周囲が疲弊している間に石高にして50万石を併呑できれば
それで十分だと思うが。
奥三河を北上して美濃から岐阜を目指すこともできる。
嫌でも信長を岐阜に拘束し
朝倉義景が出兵して狭い地域で包囲が成立する。
選択の余地は両方に残されている。
上洛なら後者が成立して美濃の織田軍を潰走させれば可能。
越後の合戦ヲタが二度も数千の兵を率いて上洛してる(道中の大名・領主に
領国通過の承諾を取り付ける政治力があった)のに、信玄はついに上洛
できなかったってのは何だかなぁ。
実は政治力なかったんじゃねえの?
本国から切り離された兵隊を引き連れて将軍に謁見する“だけ”なら
可能でも、実効支配を伴わなければ意味が無いと考えていたからでしょ。
その「政治力」による領国をまたいだ上洛では
結局義輝を助けられなかったわけだが。
いつからそういう話に?
自信無いけど多分謙信の上洛時に義輝が信玄に謙信と和議を結ばせて
信濃で争わない代わりに信濃守護職を信玄にやったけど信玄は信濃では争わないで
上野で謙信と争ったため謙信が上洛できない、
それで義輝が武田家に何か言ったとかいう話のことだと思う。
_| ̄|○ メール欄
おまいらに差し入れです。
._ _ _ _ _ _
|○| .|○| .|○| .|○| .|○| .|○|
. ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄
組み立て方
|
| ← ←
._ ___ .| ↑ ↓ ↓
|○| |○ |○  ̄ ̄ ̄|○ _| ̄|○
/→ ↑
502 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/13 14:19
信玄て、親を追放して国乗っ取る、攻め滅ぼした敵の娘をむりやり?側室にする、敵兵の首を大量に相手の城に並べ見せ付けるわ、嫡男は自害させるわ同盟国は平気で裏切るわ
503 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/13 14:20
三国志の呂布もうわまる非道ぶりですけどあんまり悪人みたいな評価はされてないよね? 家臣や民にはいい大名だったの? その辺り誰か教えて
504 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/13 14:32
まあ戦国の基準で言えばたいしたことはないと思う。
家臣に裏切られて横死するDQNよりはマシだな
勝頼のことか。
信長じゃないか?
510 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 00:22
武田の税が高いなんて言ってるのは素人だな。
北条の税が安いと思ってるのも素人だな。
511 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 00:28
税なんて講談の賜物
これが玄人
年貢と賦役だろ。税じゃなくて
北条は税率は他所より低かったけど、(だいたい四公六民ぐらいとか)
隠田の摘発をどこよりもビシビシやってしかもその全てに
同じ税率をかけたから、実質的な支払いは決して少なくなっていなかった
ようだね。
年貢徴収対象となる土地の総量をアップさせることで、新規に褒美として
与える領地(つまり土地に対する年貢徴収権)を生み出していったようだ。
ちなみに武田は五公五民とされるが、検地で発覚した隠田については、
当面の税の減額措置が設けられていた。
毛利の税が高かったのはガチ
毛利というか、長州藩の税率はヤバかったね。
516 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 14:16
>>513 要は武田には既得権を打破できる力を持ってなかったというわけか
北条は新興勢力だからやり易かったと
517 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 14:27
いきなり、質問失礼します^^
甲斐の三美濃て誰でした??原美濃守・馬場美濃守まで覚えてたのですが、あと一人忘れちゃったので教えてください。
>>513 >隠田の摘発をどこよりもビシビシやってしかもその全てに同じ税率をかけた
隠し田なんか持てない零細農民や、開墾した田を真面目に申告してた農民に
とってはその方がありがたいよな。
>>517 ここで みのもんた と考えてしまう私は負け犬ですか? そうですか…
由緒正しきこのスレの御住人様が駄洒落とは、嘆かわしい。
先スレ様に何とお詫びすればよいのか・・・。
純米吟醸酒"須田美濃守"の説明によれば、
二階堂・蘆名家臣の須田美濃守盛秀、
武田家臣の馬場美濃守信春、
佐竹家臣の梶原美濃守政景、
の三人だそうだ。
どういう基準だか良くわからん。
>>516 早くから検地を実施していただけでもかなり先進的なんだが・・・
信長でさえ1578年まで検地できてない。
特に尾張美濃は最後まで手付かずだった。
てか信玄てただの人間のクズじゃん。
同盟を無視するにもほどがあるでしょ。諏訪さんかわいそ過ぎるよ
同盟破って駿河を攻めるだけじゃなく、今川の財宝掠め取ろうとして
馬場に注意される始末だし。今川の嫁もらってる長男に注意される
(当たり前)と長男まで殺しちゃうし。
そりゃうらみかって武田すぐ滅んじゃうわけだよ。
>>522 小手先の改革・先進性だけなら小泉でもできる
それだけ北条家が先進的だったということですね
従来通りの税率を変えないなら、踏み出し分に当分の減免措置を与えておく
事は領民の反発を押さえ、検地の促進に協力させる上でも有効だったと
思うのだな。逆に税率自体を下げるという発想も有効だな。
税率を下げずに減免措置を設けるという方法は、隠田の多寡に関わらず、
とりあえず従来通りの収入は確実に確保した上で、検地で発覚した
踏み出し分からの増収もある程度見込めるという方法だな。
税率自体を下げる場合は、隠田が少なかった場合には総収入の減少を
招く可能性があるが、隠田が多かった場合には収入の大幅な増加も
有り得るという政策だな。
その辺どちらが有効かは、土地柄とかにもよるだろうし、何とも言えない
だろうね。平地ばかりで耕作に適した開墾可能な土地が多い場所なら、
隠田も相当にあると見込めるだろうし、耕作に適した土地はとっくの昔に
開墾され尽してます、みたいな山国だったら、隠田がどのぐらいあるかは
未知数かもしれん。
529 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/17 11:20
家宝燃やしちまう馬場美濃よりも
文化的価値に重きに置いて敵将に譲り渡した明智左馬助のほうが器が大きいと思う
530 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 01:33
信玄のやってることはただの押し込み強盗ですよ。
毘沙門天もお怒りです。
>>529 物の価値を全く分かってないDQNの所業だな。>婆
財宝目当てに今川を攻めたと思われるのが嫌なら、封印しておいて
後で使者立てて氏真に引き渡せばいいだけの話。
謙信に至っては関東で強盗そのものを兵にやらせてたからな・・・
強盗しなきゃ生きていけない時代だったんだよな
出兵のために重税
↓
農民生活苦しい
↓
従軍して強盗
謙信最強ループ!
関東管領とか言って領土の取れない出兵を繰り返したせいだ・・・
武田信玄って最低でも魅力を松永弾正ぐらいの下げてくれないかなあ。光栄。
俺的には60くらいでいいのだが。95とか見ると虫唾が走るぜ。
>>534 それサイヤ人軍に限ったことじゃない。
信長が常備軍化する前の雑兵は略奪目的で従軍してたようなもんだ。
537 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 17:19
志村けんが加藤茶と中本工事に両手をつかまれて、上から落ちてくるタライを食らってしまう
。1571年頃の信玄のポジションはそのタライや。上洛は無理でも信長は相当痛い一撃を食らったはずや。
539 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 17:46
だから志村が信長。当時の織田は石高から換算して動員兵力6万弱、浅井朝倉方面は横手城に2万投入。
本願寺、雑賀、秋山信友、松永やらの抑えで2万は残す。残りは2万弱。これで2万5千の信玄にあたるわけ。
上洛は無理でも、信長は痛い目に遭うでしょう。ということ。
541 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 18:57
>>535 信玄は自ら魅力を築いた感じかな
一癖ある国人と家臣団まとめるために。
手っ取り早い方法が金と
自ら総帥・神的存在になって国を束ねようとした。
これのおかげで、家督相続が上手くいかなくなった観もある
542 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 21:03
信玄はとにかく国を奪った延長で天下を取れると考えた。
いやそもそも当初は天下統一の野望などなかったかもしれない。
長男を殺害してまで駿河を取り、そのあたりで上洛を思いついたの
かもしれない。とにかくえげつない手を繰り返し国を奪っていった。
国を奪うにはずるくて強くなければならないが、信玄はその点だけは
戦国最強クラスであった。
このようなビジョンも何もないただのDQN集団は、当然いったん弱くなれば、
すぐにビジョンを持った信長のような存在に駆逐されるのは明らか。
つまり天下統一ビジョンを常に持っていた信長とは
根本的にレベルが違いすぎるのだ。
543 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 21:12
家臣に「あんたのやってることはただの強盗です。恥を知りなさい。」
と忠告されるばかりか、せっかくの略奪品を家臣に燃やされるなんて恥。
>>542 信長厨はっけん
春休みですかね?wwwwwwwwwww
545 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 23:33
>>544 それなりに筋の通った意見を、厨呼ばわりするのはいかがなものか。
少なくとも、武田信玄が目指した上洛は、織田信長の後追いなのは
事実。
どこに筋があるんだ。
あるとしたら、筋は筋でも「お話」の筋だな。
政策と言うのは置かれた状況に即して立てるもんだ。
信玄が天下統一を政策に掲げたからと言って強くなったりはしない。
おまえらが信玄叩いて、一番怒るのは信長だろうよ。
「貴様に何がわかる!」てね。
信長も家康も信玄を非常に恐れてたのは事実なんだから、叩くのはほどほどにしな。
550 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 00:16
>信長も家康も信玄を非常に恐れてたのは事実なんだから、叩くのはほどほどにしな。
恐れてたのは騎馬軍団だけだがね。しかし鉄砲三段撃ちで問題解決。
信長が一番恐れてたのは長男だろ
騎馬軍団…
>>550 ネタレスにマジレス(・∀・)ニヤニヤ
武田騎馬軍団は後世の講談の産物だろうが
555 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 00:41
武田騎馬軍団 GOOGLE、HIT件数1760件
武田軍団 GOOGLE、HIT件数665件
つまりは武田の部隊の呼び方は”武田騎馬軍団”で正しい。
武田軍 5540件。
「武田軍」が正しい。
信長が天下を速く意識できたのは京に近かったから。(美濃攻略後位)
しかし天下を獲れなかったらただの大ぼら吹き呼ばわりされてただろう。
信玄が領土拡大路線の延長線上に天下を置いていたのも、
方向性としては間違いでは無いと思う。
甲斐+信濃と美濃+尾張では生産力が違うんだから当然のこと。
やっぱり最大の問題は甲斐と京の距離でしょ。
>方向性としては間違いでは無いと思う。
数年後滅亡という結果ではいかんともなし。
身の程を守って上洛せず、専守防衛しておけば
秀吉死後にひょっとして・・・
信長が拡大政策を取る以上、どうせ激突するのだから同じ事。
信長は美濃攻略前から京を意識していたと思うが
尾張統一前に自ら京に上洛し足利義輝に拝謁したり、
足利義秋(←字はこれでいいのかな?)の要請を受けて斎藤氏と和睦して
上洛支援しようとしたり。
信玄は京から遠いからあまり上洛は意識していないと思う、謙信のほうは信玄よりは
京に近いからなー当時は
京の制圧を考えるようになるということとは別物だろう・・・
京(の権威)を意識するということならどこの大名もやっていたことだ。
後世の評価では、滅亡の責任は勝頼にほとんどなすりつけられてるな。
半分以上は信玄の責任。最高のタイミングで病没したね。
564 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 05:01
信玄は信虎を追放して、重臣連中に担がれて当主になったろ
で、そのごたごたの間に信虎が切り取った土地の多くは離反。合議制のまずさを露呈する形で再支配するには10年かかってる
ただでさえ時間くってたところで「戦国大名でもっともイってる男」謙信に粘着喰らった
足場がこれじゃあ・・・
信虎が切り取った土地というのは佐久しか無いわけだが。
信玄は10年でその何倍もの土地を取っているわけで・・・
>>565 一応信玄は佐久郡を手に入れるのに10年ほどかかっているが
でもその間に諏訪郡も手に入れているけど何倍とはいかないだろう
ちなみに信虎は数年で諏訪家を属国化し佐久郡を領土にしたから
564の言ってることは一応正しいと思うが
信玄も諏訪か佐久のどっちかだけ攻めていればもう少し早くなっただろうに
いたずらに戦線広げるから時間かかるんだよ
567 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 12:20
いや信虎は確変中の台を信玄に奪われたわけで、確変を引いた信虎はやっぱえらい。
信玄は土地を奪う能力は特Sだが、そのほかはたいしたことない。
信虎を追放した直後は窮地になったのは事実。
つうか塩がなくて敵に塩を送ってもらうってのは恥。
>>571 だな。
その辺は考えていなかったのかね?信玄は
上洛も長期的展望が感じられないし、その場しのぎだな。
結局お家を潰したのは勝頼というより信玄。
574 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 18:47
ま た 信 長 厨 で す か
>>571 あれは贈られたんじゃなくて買ったんだよ。謙信は塩止めに加担しなかったのと、値を吊り上げるのを抑えただけ
何なんだこのスレはw
信玄に何の恨みがあるんだ?
お前らの論理によると、織田を没落させた責任の半分以上は信長にあり、
豊臣を滅亡させた責任の半分以上は秀吉にあるんだよな?
プラス面を棚に上げて、マイナス面ばかり強調するのはいかにも2chらしいな。
信玄のプラス面ってなんかあったか?
>>577 普通の日本史の本でも読んだらどうだ?
ヘンな物ばっか読んでないでw
>>576 まぁ、お前も、2chの「マイナス面ばかり強調してる」発言が
みられるな。
これが何を意味しているのかわかるかね?
582 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 20:07
脳内家臣に怒られる
(( (`Д´) (`Д´)
(/ /) (/ /) ))
< ̄< < ̄<
ハイ!あるある探検隊!
あるある探検隊!
(`Д´)ノ (`Д´)ノ
<| ヘ| <| ヘ|
< 、, < 、,
583 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 20:08
脳内家臣に怒られる
(( (`Д´) (`Д´)
(/ /) (/ /) ))
< ̄< < ̄<
ハイ!あるある探検隊!
あるある探検隊!
(`Д´)ノ (`Д´)ノ
<| ヘ| <| ヘ|
< 、, < 、,
584 :
マルドゥーク:04/03/19 20:44
武田信玄は神
585 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 21:15
信虎がこね、信玄がつきし信濃もち、座りしままに捨てるは勝頼
やはり信玄より信虎ですよ。
587 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 21:18
>>542 信玄は信長に触発されて京を目指した面もあるんだろうな
死ぬ間際にあせって上京しても無駄無駄。
あの状況で家督をついだら誰でもどうしようもないと思われ。>勝頼。
むしろ、信玄より信虎の方が上洛できたんではなかろうか?
593 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 23:03
もし勝スレにあったんだけど
信玄が三河に侵攻しようとしたら
氏真に断られたってマジ?
そういうのはソースがあれば真実だろう。
オレは聞いた事ないが。
ってかいつの話よ、義信が生きてる頃か?
595 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 23:15
話の文脈からして三国同盟が健在のときだと思いますけど
普通に考えて
三河を信玄がとったらマズイだろ。
三国同盟の意味が無くなる。
>>590 あの状況で家督をついだら誰でもどうしようもないと思われ。>信長、家康
>>594 信玄と信長が同盟結んだあとで義信が生きていた頃
599 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 06:35
信玄はたしかに戦国トップクラスの戦上手、根回し、謀略の天才だが その領土欲の強さゆえ無用な戦いを招きすぎ!
600 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 06:47
戦国最強の家臣団をも要してるのに しかも皆信玄に陶酔してる。やはり天下を取れなかったのは戦バカ毘沙門謙信と必要ない戦に時を費やさざるおえなかった事につきる
601 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 07:00
勝頼って信玄が可愛がった真田昌幸の事をうまく使えなかったの?真田の家紋、六紋銭はさんずの川の駄賃と武田の恩を忘れぬ為って意味って書いてあったから
信長なんかほっといて、今川領取れば良かったのにな
604 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 11:18
>>598 信長と同盟していて三河を攻める・・・?
605 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 11:20
>>596 氏真には駿遠の内政に専念してもらうため
606 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 12:22
>>602 いや、そうしたんだが、なかなかとれなかった。
607 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 12:26
いきなり美濃攻めるってのは無理なの?
無理ではないが。
勝てるかどうかが問題だけどな
過去にNHKのどっかの番組でいってたが、
尾張+美濃だけで当時の日本の石高の一割にあたったらしい。
加えて商業、貿易などの上がりを加えたら相当なもの。
今川領に進行する前に織田と戦うのは、現実的ではないね。
石高高かったとは思うが一割は多過ぎないか?
美濃と尾張あわせると120〜130ぐらいか?
地図的にそのまま美濃は無いだろう。
やはり駿遠をとったが自然。
中央アルプスがなかったらな
結局、信玄の選択には誤りはなかったみたいだね。
石高高い越後を盗って後方の憂いをなくすのが最善だったな。
あそこにたまたま粘着の軍神がいたのが運の尽き。
越中にでるってのはだめなのか?
越中・飛騨にも多少手を伸ばしてる様子。
でも下手に上杉を刺激してまた北信に攻め込まれると、
連絡線を切られる結果になってかえって大ダメージになりそう。
やつがいる限りはどうあがいても天下は不可能だったってことだよ。
つまる所、ヤツと戦わなければ、天下は可能?
ヤツは信義に篤いしさ
ぷ
信玄は天下の極悪非道DQN、人間のクズだから、
正義の毘沙門天の化身である謙信との戦いは絶対に避けられない。
623 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 21:55
とりあえず信玄はやりチンが最大の欠点
上杉と手を組むと言う事は、北条と敵対するって事になるんだよね。
どちらを敵に回しても大変だなw
強いて言うならやっぱり北条と組んだ方が利が多いような。
上杉と手を組んでも、あれだけ血を流してれば消極的同盟まで。
共闘は無理でしょ。
ますます史実どうりだがw
まぁ、なんにしろ、信玄には無理ってことか。
まあ70歳まで生きてりゃ天下取れたかもな。
と言うと、また叩かれそうな予感。
信玄の性格からして謙信不在で混乱の越後を襲う。
→武田の強大化を恐れた信長が上杉と北条と組む。
→織田、徳川、上杉、北条の武田包囲網完成。
→あぼーん。
信玄なら包囲網ができないように外交できるだろ。
>>627 上杉はもともと織田と同盟してる。
そしてそれは対武田という意味でロクに機能してない。無意味とは言わないけど。
北条が織田と結ぶことはまずない、っていうか結ぶとしても織田が武田を圧倒的に
追い込まないと無理。なぜなら北条の主眼は関東攻略であり、後背勢力(武田)を
その周辺勢力(織田、徳川、上杉)と結んで牽制するより直接手を組んだ方が安全だから。
徳川はトップが糞漏らしてる時点で負け組。
かといって武田が天下とったなんて思わないが。
武田の領土分割とか北条に好条件示せば包囲網に乗ると思われる。
三国同盟破棄した信玄なんて、北条はとっくに愛想尽かしてるし
信用するわけがない。信玄終わりだな。
631 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 03:35
何も考えずに貼ってるようだが、さすがに1スレ目でないスレに貼るのはアホだろ。
>>593 甲陽軍鑑に書いてあるな。信憑性は微妙だが可能性はある、
といったところか・・・
信玄が70歳まで生きてりゃ天下取れたよ。
文句ある奴いる?
635 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 17:46
(´゚c_,゚` )プッ
その前に北条早雲が150歳まで生きてりゃとっくに天下獲ってるよ
637 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 18:34
文句はないが、論理的に説明してくれ。
信玄は天下どころか、お気に入りの勝頼を当主にするため、優秀な嫡男を
謀反の罪を捏造して殺害し、死後数年で武田家を滅亡させた駄人。
g
信長は天下どころか、軽率な行動で配下に殺害され、秀吉を登用したせいで死後数年で織田を没落させたさせた駄人。
過去の人物を持ち上げたり見下したりしても不毛ですよも前ら。
虚心坦懐、歴史のドラマを素直に愛でるのが一番。
2ちゃんで正論吐く方がよっぽど不毛だよお馬鹿さん
643 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 23:04
>>310 てか普通に謙信死後は
毛利>>>上杉だろ
内乱で所領を減らしたし
644 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 23:27
>>630 北条は愛想尽かすどころか自ら和議&復縁を申し出たわけだが。
そもそも領土分割なんて包囲されてる織田が持ちかけても空手形でしかない。
信長は革命家偉人、信玄は抵抗勢力駄人。
646 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 23:47
>>640 ということは、武田家は駄人に滅亡に追い込まれたと言うことになるね。
/ ̄ ̄ ̄\
. |.. |
∩|:::: (● (●|
⊂⌒..ヽ:::::::......3...ノ なんでどーさんは天下とれなかったの?
`ヽ__つ ⊂ノ 美濃じゃん。人徳がなかったの?
648 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 00:46
氏政は本来信玄びいきだったんじゃないか
氏康は武田と争ってる時期のほうが長いが
氏政は違うしな
甲相再同盟は氏康の遺命と言われてるが
子の区別も付かなかった時期の氏康の意志とみるよりも
氏政が父親の名前を使ったと見る方が自然
650 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 18:37
北条って織田に臣従してたわけ?
651 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 14:33
勝頼は、100石以上の領国をほぼ戦わずして滅ぼした戦国唯一の大名
勝頼ってもしかして、ダメ大名?
失地王ばり?
な〜に毛利輝元は100万石以上の領土を戦わずして(以下ry)
え? 上杉景勝は100万石以上の領土を放棄同然で(以下ry)
んなこと言っても毛利も上杉も幕末まで大大名だからなあ
自国の領地の天目山で食べるものもなかった誰かと違ってw
そういや、三国志も似たような馬鹿がいたなあw
657 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 21:35
100万石失ってもお家は残ってるじゃん。武田はダメダメ。
生き残れば勝ちという話ならこんな掲示板で論ずるまでもないじゃん。
結果よりも過程を重視するのがこういう四方山話のキモでしょ。
…勝頼はあからさまな失敗があるのでその方向性でもつらいが。
勝頼の美談ないの?
660 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 01:29
>>656 幕末の上杉は全然大大名じゃないぞw
知ったかで書くな
ゴミクズは氏ねよ
関ヶ原の前フリをやった挙句に領地4分の1・・・
自爆キングだな。景勝は。
御館の乱、織田の北陸侵攻、関ヶ原、と3回も絶体絶命の危機に
晒されながら生き残っただけでも強運の男だと思われ。
自爆といえば政宗も二枚舌で失敗したクチだな。
お前ら後からだからなんとでも言えんだよ
あの大軍同士の戦である関ヶ原がわずか1日で終わるとは誰にも読めなかったし
そもそも関ヶ原でどっちが勝つかなんて誰にも分かんなかった事だぞ
>>656 米沢15万石
でも江戸諸藩の中では大大名と言っていいかも
>>657 水戸武田家があるじゃないか
一代で御家断絶だけど
667 :
戦国初心者・日本七の兵:04/03/24 09:24
やはり甲斐出身のオイラとしては信玄に天下を取ってほしかったな。
一番好きなのは幸村だけどね。戦国無双で好きになりました。
話は変わるけど、謙信が死ぬ直前上洛?しよーとしたよね。
謙信ならいけたかな?どーでしょうか?上洛ではなかったらすいません。
668 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 11:24
一応、関東に出兵する予定だったと記録にはあるが。
669 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 11:46
670 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 12:42
>>656 勝頼は疲労と空腹でチャンバラする気力もなく切られていったからなあ
せめて朝倉義景みたいに寺で死にたかっただろうなあ
>>670 勝頼は切腹だぞ。
別にチャンバラせずにきられたわけじゃないだろ。
水戸武田家ってなに?
水戸武田家は家康が自分の息子に武田の名跡継がせただけだから意味ないよ。
信玄が自分の息子達に、滅亡した甲斐・信濃の名家の名跡を継がせたのと同じ。
ああ。なんだなんちゃって武田家か。
山県みたいなもんか。
穴山の娘か何かと結婚していたような気がする
>>674 全くのなんちゃってじゃなくて武田家の血は引いてたよ
677 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 19:35
>>671 別説では織田兵に切られたという噂もあるそうだ
上野晴朗の本に書いてあった
678 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 21:44
>>676 穴山信君の養女との間に産まれたのが武田信吉だから、
血を引いていたかどうかは不明
679 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 22:37
名前からしてへちょそうだな>武田信吉
>>679 体が弱くて18歳くらいで死んだはず。しかも子供もいなかった。
682 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 23:05
そいや、武田逍遙軒だっけ?
アイツも織田方に寝返ったよな?
あいつはどうなったの?お家残ってないの?
逍遥は寝返ってねぇよ。
684 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 23:56
誰か、武田氏で寝返ったヤツいなかった?
685 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 23:57
>>682 信廉は信長に降伏したけど、処刑されたと思う
686 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/25 00:11
信廉って逍遙軒だよな?
高家の武田家が普通にあるじゃん。
689 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/25 00:58
穴山信君
690 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/25 01:24
穴山梅雪はなんでいつも、変な帽子かぶってんの?
691 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/25 03:02
なんで井川遥の話してんの?
佐竹も南部も元とたどれば武田だから
お家は残ったって事で
傍流やお情けの復活の藩と自力で幕末まで残って活躍した藩をごっちゃにするスレはここでつか?
>>667 仮想戦国物で「上杉神将伝」は面白かったよ。謙信が上洛を目指して織田と
激戦するやつ。「毘将星伝」て続編も継続中だから読んでみるのもいい鴨。
武田・真田が好きなら勝頼&昌幸の名コンビ(になって欲しいが)の活躍も
読めるかもしれないし。
695 :
無名武将@お腹せっぷく :04/03/25 21:17
天目山の露
当時の家格って
足利 今川 武田 斯波の順でいいのかな?
佐竹
698 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/26 02:12
足利、斯波、吉良、今川、武田の順じゃないの?
滅亡を滅亡とは絶対に認めない必死な信玄ヲタが複数いるスレはここですか?
長篠の戦後数年で武田家が滅亡したのは教科書にもはっきり載っていますが。
信玄の直系の話はしていないから信玄ヲタではないと思うが。
武田と聞いて信玄しか思い浮かばない人は教科書レベルで満足なんだろうな。
て か 武 田 信 玄 ス レ じ ゃ ん 。
>武田と聞いて
安芸武田とか若狭武田の話でもしましょうか?
703 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 12:13
実力では武田が一番
タワケダ
705 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 22:35
武田信長
小笠原はダメですか? そうですか…
708 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 14:33
もし、この人が織田家家督を継いでいたら
信虎・・・三河西部を放火して回る
信玄・・・調略で三河衆を寝返らせる
勝頼・・・桶狭間で討死
>>708 勝頼・・・桶狭間で攻められた際、家臣のほとんどに裏切られ、食にも困りながら領内で自害
が正解。
勝頼を馬鹿にしすぎ。
尾張からなら簡単に逃亡できるだろう。河内で氾濫に遭う可能性もなくはないが。
勝頼の軍才に尾張の生産力があったら武田は天下を取っていた
それぐらい尾張と甲斐は人口・経済力の差があった
と、とりあえず言ってみる
712 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 16:34
それ以前に勝頼では尾張一国まとめきれないだろ
で、なんでも親父のせいになるw
>>712 邪魔な有力家臣団がいない分まとめきれるんじゃないか?
(ほとんどの家臣今川に引き抜かれてたし・・・・)
>>708 まぁ・・・有りかと思う
あれは奇跡に近いし
と、とりあえず言ってみる
信長だってもう一回やれって言われたら難しいんじゃないか?
信玄は、家臣団が信虎を追放するためのクーデターの際に担ぎ上げられて家督を継いだ。
だから家臣団と信玄の間には言葉は悪いが腐れ縁のようなつながりがあった。
__
|侵|
|掠|
|如|
|火|
| ∧∧∩
へ( ゚Д゚)/<侵掠だゴルァ
/o ヽ ヽ
しS フ /
| レヽ
( レ /
リ リ
信玄厨って変態の素靴だね
720 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/30 23:20
織田厨歓迎age
721 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 01:24
織田厨も信玄厨もクズ。社会不適合者
徳川厨も島津厨もクz(略
723 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 02:18
織田厨も信玄厨も徳川厨も島津厨もみんな糞ってこった。
そもそも、
三国志>(越えられない壁)>戦国だし。
竹中が孔明?(プ
ま、上杉厨が一番だな。
726 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 02:51
>>723 笑わせるな
好色さでは
曹操>>>>>>>>秀吉
なのは確かだが
誰も書かないので、島津こそ最強であることを一応確認しておくぞ。
反論は一切受け付けん。
島津こそ最強のホモ軍団であることは歴史的事実
織田信秀も信長も、子供の数では曹操に負けてないよw
まあ、秀吉の場合はやりすぎて薄くなったというのが定説だけど。実際長浜時代は早くに
子供を亡くして竹生島に祭ったって言う記録があるらしいし、種なしでは無かったんだろう。
731 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 23:13
信長って子供そんなに多いの?
732 :
王ちゅーぷー:04/03/31 23:39
結局戦国一の武勇の持ち主は
前田慶次なんだろ?
三国志で言うと呂布に匹敵すんのか?
王ちゅーぷー よ ごくろうさま
家で戦国無双でもしる
>>730 その子が秀吉の種だったとは限らんわけだが。
一応記録ではねねと二人で祭りにいったということだけど・・・・・。
長浜当時は、まだ側室はいなかったのでは?
736 :
王ちゅーぷー:04/04/01 11:14
>657 信玄の二男信親(龍芳)の家系で武田昌信氏がいますよ。
738 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/01 23:30
何が島津だよ。笑わせんな 敵中突破って突破してねーし。敵前で逃げてんじゃん。そんなに命が惜しいか?
❖ฺ
>>738 その逃げる少兵を必死になって追撃する大人気ない徳川旗本。
やる気満々で追撃してたつもりが、危うく討ち取られそうになってるし。( ´,_ゝ`)プッ
741 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 01:08
742 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 12:31
織田常真「>>738の申すこと、尤も尤も。
薩摩兵どもは、はるばる美濃までやってきて観戦しに来たようじゃナ。
みな命懸けで働いているところを、目のあたりにして観戦じゃ。
自陣に敗走する宇喜多勢に鉄砲を打ちかける始末。かといって東軍につくわけでも
なし。いったい関が原まできて何がしたかったのじゃ?どうせ西軍が負けると思い
動かなかったと擁護する説があるが、たわけめ!それならもっと早く退却せよ!
つまるところ、前哨戦の夜襲の献策が一蹴されたことを根にもったんじゃろう?
だとするならば、島津の関が原における振る舞いは真に「婦女子の如し」じゃ!
ああいう迷惑な輩は関が原に存在して欲しくなかったわい・・・。何も働かんかったくせに名を上げおって・・・。
743 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 14:42
燃料をいくつか
1甲陽軍艦では評価高くない義信だが作者が誰かを考えれば当然。
2川中島を扱った上杉方の北越軍記には謙信ですら義信の戦上手を褒めている。
3信玄の年表見れば駿河攻めで何年貴重な寿命を浪費しているかが明白。
4信玄は信虎を放逐したトラウマがあった・・・と言うよりそれ位義信の家内における実力は
見過ごせないものがあった。
5信玄は弱いものを叩くという戦略があるみたい。これはある意味正しいが
時と場合によりけり。
6信玄が美濃より駿河を選択したのは取りやすいから ただそれだけ。
744 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 15:17
別バラの義信と勝頼が猛将だったということは
よほど信玄の精子がよかったんだろうな
745 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 15:18
義信を生かして徳川を攻める
これが武田家のためだった
信虎 キチガイ
晴信 ちょっとキチガイ
勝頼 ややキチガイ
次で最強武将が誕生したんだけどなあ
747 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 16:04
燃料投下
信長がなぜあれほど信玄を恐れたか。
実際信玄は戦は滅法強かったらしい。戦に負けるとどうなるかは桶狭間で体験済み。
1尾張は文化的だけに兵は弱い。逆に甲斐・信濃は強兵。
2信長は姉川で浅井・朝倉に辛勝している。浅井・朝倉は所詮連合軍。単一の有機的軍隊
ではない。それよりも強くなおかつ単一組織軍の武田は押して知るべし。
3謙信は程良い数万より直下の8千が使いやすいと言っている。謙信は戦のなんたるかを
知っていた。〔例アレキサンダー軍2万数千対ペルシャ軍数十万そのうちアレキサンダー
指揮下は1万弱〕
4軍事歴史家アーサー・フェリルやリッデル・ハートは鉄砲の有効性についてこう言っている。
「ナポレオン時代の大砲・小火器があったとしてもアレキサンダーの用兵と組織があったならば
破るのは相当困難であったろう。」戦国に当てはめて言えば火気は威力はすごいが
その運用は非常に難しい。長篠はレアケース。普通はそんな使い方させてくれない。
5騎馬隊は今で言う機甲師団。その電撃戦の効用は押して知るべし。
だから信長は心から信玄が怖かったんだと思う。だからこそあれほどまでに
外交を駆使した。それに乗った信玄は・・・・・・。
信玄も本気で天下が取りたかったら上杉とかほっといてさっさと織田&徳川潰して
おけばよかったのに。この二家さえ抜けばあとは腰抜けばかりで楽勝でしょ。
749 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 17:08
>>748
では具体的に西暦何年頃から信玄は動き出せば良かったのですか?
>>747 >5騎馬隊は今で言う機甲師団。その電撃戦の効用は押して知るべし。
マジメにそんなことが言えてしまうあたりが・・・(プッ
>>747 もうちょっと戦国について勉強して真面目に考えてレスをつけなきゃ燃料にならないよ。
752 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 18:55
じゃあ。燃料を投下。
島津義弘と信玄が戦ったらどっち勝つか言うまでもないよな?
歩詰で信玄の負け
754 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 19:37
>751
勉強してて真面目なところで具体的にレスつけてみせてくれ。
755 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 20:03
>>748 1565(武田・今川連合軍が三河分割の密約を結ぶ)
1566(家康は尾張に逃亡)
1567(武田・斎藤が尾張分割の密約を結ぶ)
1568(信長は小谷城に逃亡)
これくらいのペースで行かないと苦しそうだ
>>742、
>>752 懸命になって島津義弘を貶めようとすればするほど、
追撃で重傷を負った井伊直政も貶められてしまう罠。
ちなみにその「井伊の赤備え」は、多くが武田遺(ry
まだ武田騎馬軍団が実在したと思ってる香具師がいるのか
それとも燃料投下=釣りか?
決まってるだろ。わざと昭和の俗説みたいなことばかり書いてる。
760 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 23:59
>>757 武田遺の続きはなに?
気になるな〜wwww
指揮官の負傷と軍の弱さはイコールではないだろう。
よくわからんが10回戦って6回島津が勝つ位か。>島津義弘vs信玄
762 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 02:09
信玄かなあ。まあ鉄砲が普及する前と後の武将だから比較が困難だが。
島津は仲間捨石にして逃げただけだろ
一部が根性見せても全体がヘタレならヘタレ扱いが当然
765 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 02:15
>>747 何度となく完全否定されても「武田騎馬隊=組織的な騎兵隊運用」のイメージに固執する香具師が
出てくる……業は深いな……
「ヘタレ」の定義がそれだとすると戦の強さとはあまり関係ないことになるが。
全く集団的運用をしないなら馬がほとんど重視されないことになると思う。
実際には戦国武将は馬を結構重視している。ということは、
西洋の重装騎兵のような運用はされてないとしても、
軍事上のメリットがはっきり出る程度には活用されてたはず。
機甲師団にゃなるまいが、少なくない数の騎馬武者が連れ立って
機動力を活かした攻撃に出ることはやってたんじゃないのか。
追撃や撤退の時には有効だと思う。
織田常備軍にはかなわない
>>767 残念ながら、講談等はともかくとして馬上突撃は日本ではほとんど使われてない
下馬戦闘がメインで、追撃も同様
さて、今更こんな事いうのもなんだが、
信長の野望「天下創世」のOPムービーで抜刀した騎馬武者が突撃する場面が出てくるよな。
馬上であの程度の刃渡りの刀を振り回して敵に届くもんかね?どうなのさ?
コーエーにそんなもん期待すんな
772 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 04:07
>>767 むしろ輸送手段だろ。
仮に武田家が他の大名家に対して有利に立っていたとすれば、それは山岳地帯
での運用に適した軍馬を多数保有できる技術を持っていたということだろう。
馬が本来苦手とする山岳地帯を難なく突破でき、予定地に必要な軍事資源を迅
速に展開できるとしたら、このアドバンテージは大きい。
773 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 05:35
>>770 馬上で長い槍を扱うにはかなりの熟練が必要で、
馬上では太刀の方が取り回し易いのも事実。
采配の代わり兼武器として馬上では太刀を使う者は多かったようだ。
槍を使う時には下馬する場合が多い、とも。
コーエーのムービーでの刃渡りは知らんがw
平家物語では馬上では弓か組討ばかりだが
太平記では馬上での太刀打ちが出て来る・・・
甲斐信濃のような土地じゃ騎馬による機動戦は無理だろ、
追撃撤退だってあまり役にはたたないだろ、山道は走れないし、平坦な道だって
戦場での騎馬の速度なんて人と大して変わらないだろうし。
役に立たないとは言わないが戦闘面においてはそれほどのメリットが
あるとは思えない。
無論偵察伝令輸送は別だが
上級武士の鎧は足軽の鎧より遥かに重い。
自分で走ったら足軽より遅いのは明白。
馬に乗ることで少なくとも足軽の速さに合わせられる。
>>747 751ではないが
1 尾張弱兵論だが具体的証拠がない、織田はその尾張兵で松平や
今川に勝ってる 一応一般的には商業地区や豊かな地域の兵士は弱いと
言われるから尾張の兵は弱いかもしれないが元亀の信長は美濃や近江など
他の地域の兵も率いているから、尾張だけ語っても意味無い
2 浅井朝倉連合より武田が強いと決め付けている 武田のほうが強いというなら
具体的な証拠を示してくれ
武田は国人土豪の連合政権に穴山小山田木曾等の武田の同盟者によって成り立っていて
単一組織軍などでは決してない。
3 内容が意味不明この文章だけでは武田と関係無い
兵は多いほうが良いに決まっている アレキサンダーは別に兵が少ないから
勝ったわけではない また謙信の場合も8千が使いやすいのではなく直下の兵が
使いやすいだけでは
4 ナポレオン時代の将軍たちが平地で正面から戦ってくれればそれは正しい
長篠の戦いは別にレアでも無い片翼包囲若しくは後方への機動の一形態、同様の例
は多数ある、これが二重包囲だったなら非常にレアだが。
もっとも日本の戦史では敵主力を包囲殲滅できた例はレアケースといえばレアケースだが
5
>>769とかを参照
と燃料に答えたぞ
てゆーか信玄さんにあれこれ意見をのたまうヤツは
まず自分が県知事くらいなってから言ってくれ
780 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 11:51
781 :
無名武将@お腹せっぷく :04/04/03 14:58
何で謙信より信玄のほーが人気あるんだ?
782 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 17:49
>>781 それ以上にそんな事実を勝手につくるなよ
そりゃ山梨や長野なんて地図でも山しかないもんな。
豊富な葡萄資源(山梨)と水資源(長野)か?
785 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 19:57
1具体的証拠と云われれば、ここで議論しているifは全て具体的証拠を提出出来る代物ではない。甲陽軍艦等の江戸期の兵書をある程度勘案して推量するしか
ないのである。〔例 アメリカ第7艦隊と紀元前のアテネ海軍は戦ってないのでどちらが強いなどとは云えない。
〕と云われても困るのである。
2これも1同様である。ただ浅井・朝倉軍が武田軍より有機的かと言われれば異論がある。少なくともひとりの主君のもとに行動する軍はふたつのそれより
仮にどんなに伝令・事前打ち合わせをやつたにせよ有機的でなければならない。
3兵は多いほうが良い。戦略的厚みは加わるが戦術的にはあながちそうでもない。
戦をする上で作戦遂行場効果的な単位があり〔例プロシア陸軍の77制〕上官が目の行き届く範囲
の効果の飽和点が存在する。その観点からの例証としてシンタグマ・騎馬隊・散兵等からなる有機的軍隊であった
アレキサンダー軍を引き合いに出したまで。謙信については色んな場面で軍から8千を引き抜く文献が見られる。
〔例謙信家記 輝虎公越中発の下りで 越後出陣の折1万3千余騎が糸魚川・大津の軍勢 またそこかしこから下りたる武士
集い、戸山到着のときは2万余騎に達す。けれども輝虎公大軍は思うように従わぬものだからと
手足の頑丈なものを選りすぐって8千余騎を従え、残り1万2千を戸山に残された。〕これとは別に謙信が語り家来が問う形式の
上杉家の記録だったと思うが同様の8千と言う具体的数字を挙げての記述が見られる。
4例えばアーサー・フェリルの「戦争の起源」のなかの「アレキサンダーがワーテルローで戦っていたら」の節のどこにも
ナポレオン時代の将軍たちが平地で正面から戦ってくれればなどというエクスキューズは無い。
ここで言いたかったことは彼が示した軍事上のひとつの暗示、「この戦いにおける大砲とマスケット銃の効果」についての
記述に勿論いくつかの仮定の上でマケドニア軍はイギリス軍を圧倒しうると結論づけていることだ。
長篠をレアケースと言ったのは、いくら自軍が精強な騎馬隊を有していると言っても、柵を施した鉄砲隊に向けて
突撃を繰り返す戦法が常套手段とは考えにくいと云う側面から言及した。
786 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 21:10
>>774 偵察伝令輸送だけのために高いコストを払い
しかも愛情を注ぐかのような重用振りをされるとは思えない。
戦国の武家が馬を重視した理由が説明できないだろ。
山道を突撃とか妙なことを言ってくれるなよ。
合戦はやはり、ある程度開けた土地で行われるのが普通だ。
馬の機動力は戦略面でより戦術面で、より効果を発揮するものだし
(長距離を疾走することは所詮不可能だから戦略移動では歩兵の差は小さくなる)。
追撃や撤退では、敵との距離をつめる最後の100m、距離をとる最初の100mが一番肝心。
一旦距離を開けてしまえば、簡単には追いつかれない。
だから、要所要所で追撃する敵兵の先頭を叩き、隊伍を整え直すことを強要した上で
さっと撤退する、ということができれば撤退は容易くなる。
いつも絵に描いたようには行かないとしても、機動力を侮ってはいけないよ。
>>785 騎馬隊自体が講談の産物で実在しねーって何度出てるんだよ
788 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 21:22
編成としての騎馬隊と、戦場における騎馬武者の集団はまた別物。
土台歩調が違うのだから、騎乗した武将が有効に振舞おうとしたら
騎馬武者の集団による一時的な戦闘行動は当然考えられるものじゃないか?
789 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 21:25
騎馬隊に対する誤解
743 747投下後 ?と思われるものがあるので補足説明する。
武田軍に関して言えば、親族衆・家老衆・先方衆・国衆等から構成され武田24将と言われる
武将がそれぞれに部隊を持ち部隊を構成していた。その内訳は大まかに騎馬・歩兵・散兵等からなる
組織的連携を持った部隊だったらしい。そのうちの騎馬の数も甲陽軍艦には具体例挙げて述べている。
馬場隊120騎内藤250騎山県300騎高坂450騎等。この数は他国の部隊の騎馬数より割合的に多いと言われている。
また錬度・士気も高かったようだ。
陣には必ずその間の継ぎ目が存在する。その継ぎ目を押し広げ突き破る突進力は当時騎馬隊に勝るものはない。
ナポレオンのワーテルローにおける敗北を後世の軍事史家はこう指摘している。
歩兵との連携の無いネイ将軍騎兵隊5千の突撃だと。
>>788 ありえん。武士(騎馬)と足軽(歩兵)の関係は封建領主とその配下というのが日本の事情
戦術単位での歩騎分離ですら、幕末で完全な洋式軍制が取り入れられるまで使用されなかった
やったのは源義経の例外のみ
>>789 その場合の『騎』は騎兵ではなく、配下につけられた正規の武士身分兵士の人数を表してるだけなんだが・・・
そもそも日本の武士は弓騎兵
騎馬隊となんでも強引に結びつける武田厨の醜態カコワルイ
795 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 21:49
マジレスですが、2万5千の兵力では上洛できないと思います。
上洛途中の城砦を全て陥落させるのにどれほどの戦力を有するでしょうか。
補給線は保てるのでしょうか。
慎重堅実であり、一見鈍牛のような手堅い戦略を好んだ信玄がばくちのような敵中深く切り込むような方法を本気で考えたとは、どうも思えないのです。
戦国時代の戦いは、遠戦が主流
有名な話だが、当時の負傷者の怪我の原因の統計を当時の書状から取ったところ、弓・銃によるものが圧倒的だった
騎兵突撃なんかした日には損害がでかくてやってられんだろ
それは負傷者の統計だから、
矢では死ににくいのでカウントが多くなったのかもしれない。
刀や槍の一撃をもらった奴は死んでるのでノーカウントと。
それと、騎兵突撃を遠戦たけなわの序盤戦でぶつけるのは定法ではない気がするぞ。
攻撃的に使うなら移動中の敵に襲撃とか、壊乱した敵を粉砕とか、背後に回って撹乱とか。
まあ戦国の場合、単独で長躯するような用法は余りしてなさそうではあるが。
西洋の騎兵は突撃任務が主流
が、それを達成するためには機動力が何よりもとめられ、戦闘が儀式化した時期(いわゆる暗黒時代)の騎士の重装備を除き、その装備は軽装
対して日本の武士の装備は、どう考えても騎乗突撃戦向きではないんだが
>>797 (白兵による)即死の戦死者の割合が、負傷者の全体より遥かに多いという根拠は?
・矢や弾丸は確率で当たるけど、接近戦で怪我して動きの鈍った奴はあっさり二撃目をくらうだろう。
・傷によって破壊される面積が刀槍の方が大きいので致命傷につながりやすいと考えられる。
802 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 22:18
>>798 適当な事ばっかりいってくれんなw
重騎兵は17世紀までばりばり活躍していましたけど何か?
もう一個。
「負傷者」において刀、槍の傷を負った者の数が少ない
↓
ってことは死んだんだろ。
弓とか銃の殺傷力がどうしてそんなに弱いことになるんだ・・・
あと、遠戦中の負傷者は撤退しやすいから
すぐ手当てを受けられるってのもあるんじゃないかな。
重騎兵と軽騎兵の区分ってどこよそもそも
戦国時代の合戦自体、死者が大量に出るような激闘は例外
兜・胸当て・槍だけでも重騎兵扱い
アレキサンダーの時代は
って言うか漏れも遠戦が重要なウェイトを占めていたという点については同意なんだけど、
統計(というか他人による統計の「分析」結果)をそのまま鵜呑みにするのは危険だよと。
>>809 白兵戦で死者続出というのは完全な推論だろ。分析にすらなってない
じゃあ鵜呑みにするのかい?
まあ脱線しすぎたな。
騎馬隊がどうだったかどうかは知らないけど武田の兵が強かったのは事実じゃないの?
あと国人土豪の連合政権といっても小山田や小幡なんかはかなり強かったし、長篠でも大真面目に戦っている。
少なくとも信玄時代は戦国一といわれるだけの強い軍を持ってたと思う。
国人連合だからこそ、小隊単位では強かったと考えていいんじゃないの。
土豪の人にしてみればメシのタネだから当然大事にするし、
小規模だから隅々まで目が届く。
問題はいかにして全体を組織的かつ効率的に軍として動かすか、だけど。
軍忠状には討死した者も記される。
そして討死した人間は死傷者のうち5%ほどしかいないので、
槍や刀で攻撃された人間がことごとく一撃で死んだとしても
死傷原因の割合の順位をひっくり返すのは無理だな。
ただ俺が思うのは、弓矢鉄砲は、飛んできたら防ぐのは難しい。
しかも大鎧の上等なものとかでないと、まず貫通されてしまう。
つまり、あたったら確実に怪我をする。
対して刀や槍は、お互い武器もって戦う局面で使用されるものであり、
しかもお互い鎧を着てであるから、戦ったら必ず怪我をするという
わけでもないような気もする。
もっとも、『甲陽軍鑑』に、陣地なども築かず、柵なども設けず、
お互いにだだっぴろい所で向かい合って正々堂々の合戦となったのは
戦国時代を見渡しても川中島と三方原しか無いと言っているように、
当時の戦の多くは陣地戦だったり攻城戦だったり奇襲だったり夜襲だったり
とお互いに工夫を凝らすわけだから、チャンチャンバラバラ刀槍を
振り回して戦いあうような状況自体が、起こる割合が少なかった
だけではないかという事も言える。
陣地戦や攻城戦で弓矢鉄砲投石の負傷者が続出するのは至極当然だしね。
武田の兵って冷静に考えれば強いって言える要素ないだろ
圧倒的多数を打ち負かしたこともないし、武田氏の領土拡張スピードも遅いからトータルとして強いともいえん
少なくとも周辺で抜きん出てたとは言いがたい
戦術と戦略がごっちゃになってるな。
圧倒的多数を打ち負かすと言うのは、
戦略的な失敗を戦術的勝利で補っただけ。
しかもそういう場合は戦術的に有利に戦っただけ。桶狭間なんかね。
一時的に敵の本営にそれ以上の戦力を叩きつけるわけだね。
戦術的な強弱と言うのはあまり議論しても仕方ないだろ。
だいたい五分の条件で同数の兵がぶつかり合うなんてこと自体ないんだから。
領地拡張していったって事は強いって事だろ
じゃ織田軍最強。武田なんか問題じゃないってことになるな>領土拡張=強い
>>816 >戦略的な失敗を戦術的勝利で補っただけ。
その「だけ」をやるのがどれだけ大変か小一時k(ry
まあ博打みたいなもんで、相手が上手なら確実に負けるわな。
戦力で劣っていると。
だから勝ち方が地味であっても、事前に入念に準備をして勝てる戦いだけ
する方が、多くの場合正しい。
宮本武蔵も勝てる相手としか戦わなかったから強いと言われたのだ。
ま、桶狭間みたいに向こうから攻めてくるんじゃやるっきゃないがなー
むしろ今川義元みたいに、普通なら確実に勝てる局面で
死んでしまうというのは、運が悪いというか何というか・・・
朝倉が退陣しただけで覆る程度の準備で信長に戦いを挑んだ信玄はへたれ
その無謀のツケが子の代に出てきたせいで家は・・・
なにが「程度」なのやら・・・
>>785 2 浅井朝倉は同盟とは言えないのでは 指揮系統も長政は
景鏡なんかの下位のはず、義景の元に一応統一されていて、主君は一人だが
最も半同盟の形でもあるから信長と家康や武田本家と小山田家のような
関係に似ている。
3 兵は戦術的にも多いほうがいいだろ ただ指揮能力の限界には同意
中国の将軍とかの単位も1万ぐらいだし欧州の師団も3〜4の部隊からなる1万数千
ただ謙信の場合は他の武将に3〜4千で指揮させればいいだけのことだろ
兵の能力が均一と仮定し補給を無視すれば8千だけで行動する必然性は全く無し
兵力が多い大名は現にそうしている
で、このことと信玄の関係は?
4 重装歩兵は機動力が低い 部隊の転回が難しい 陣地戦や山岳戦に不向き
ただ歩兵の攻撃力を発揮できる場面であればよほどの火力が無い限り近世でも
通用すると思う
長篠はただの後方への機動だろ 騎馬隊なんて無いし、武田の被害は退却時のもの
騎馬隊があったとかなかったとか、脳内妄想がかまびすしいなw
普通に、歩兵の中に数騎でも突っ込めば、十分脅威になる。部隊の移動は並足で足軽も伴走
したが、実際に側背からの奇襲の時などは、武田の部隊は騎馬でまず突入してから槍、白兵
と広げ、その間に騎馬隊が攪乱、再突入を繰り返して敵陣を確保していった。単独で騎馬を運
用するのは危険も多いし、策の成功する可能性が相当高い場合だけだが、戦術的には騎馬軍
の単独行動はいくらでもその戦例に見られるところ。
826 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/04 11:53
戦国最強軍団・武田騎馬軍団
この時代の騎馬兵は、土地持ち豪族の関係者
無謀な突撃やらせて死なせた日には後始末が大変
武田信玄は朝鮮人ニダ
朝倉が逃げたら火病起こした歴史的事実がなによりの証拠ニダ
829 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/04 14:23
戦国最強軍団・武田騎馬軍団
武田の名のある武将には結構討ち死にが多い。
それだけ勝ったり負けたりしているということだが、
騎馬戦力の威力を目一杯活用した代償だったりして?
>>818 実際問題じゃなかったやん
ボコボコにやられて滅亡したし
833 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/04 21:52
織田厨乙
834 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/04 21:57
戦国最強軍団・三段打ち織田鉄砲隊
織田の鉄砲隊は三段落ち
>>830 お偉いさんが前線まで出て指揮を取るから軍の士気が高く強い。
だが運が悪いと武将が討死するという、諸刃の剣。
>>830 村上関連でもかなり死んでるな
横田高松・甘利虎泰・小山田信有・板垣信方・初鹿野なんとか とか
単に小部隊の指揮官まで「将」と持ち上げてるからそう見えるだけじゃないの?
840 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 09:28
戦国最強軍団・武田騎馬軍団
あんまし最強とか言ってっとどっかの球団みたいに恥ずかしいことになるよ
842 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 10:27
>>841 開幕から「長篠の合戦」をやってしまった某最強球団のことか?
843 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 11:42
ちんちん
2回裏 巨1−4神
ノーアウト1・2塁 ランナーは2塁ローズ・1塁清原
バッター7番元木
8番は阿部、9番はピッチャー木佐貫
堀内の戦略
元木に送りバントをさせても阿部が敬遠で1アウト満塁バッター木佐貫になってしまう。
ここは強攻策だ。サインはヒッティング。
信玄の戦略
ここで少しでも点を取らないと負ける。
制球が定まらない木佐貫はすぱっり諦めて代打ペタジーニを出そう。
だからここは元木に送らせる。サインは送りバント。
大ちゃんの戦略。
デニー・ギャラード・佐々木。デニー・ギャラード・佐々木。デニー・ギャラード・佐々木。
デニー・ギャラード・佐々木。デニー・ギャラード・佐々木。デニー・ギャラード・佐々木。
デニー・ギャラード・佐々木。デニー・ギャラード・佐々木。デニー・ギャラード・佐々木。
順番間違えないようにしなきゃね♪
845 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 12:13
信玄は野球知らないだろ御馬鹿!
最強は徳川です
848 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 23:14
やっぱりカンヌだろ
将棋は知ってたらしいがw
850 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 08:39
>>844 8点も取られるまで木佐貫を使った堀内はアホだよな
851 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 09:05
戦国最強軍団・武田騎馬軍団
このスレ、ヤバイ。
「堀内監督とともに苦難を乗り越えていくスレ」になりそうでヤバイ。
853 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 11:53
>>844 信玄の戦略間違ってね?
ピッチャーが下柳だったんだから代打は右の江藤だろ?
江藤より威圧感のあるペタジーニの方が押し出しで点が入る可能性が高いじゃん
855 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 13:36
武田一族といい堀内監督といいカスばっかだな、山梨県人
堀内って甲府商業出身だったのか!
そういう繋がりだったのか!
完全にスレ違いだと思ってましたw
>>856 ●戦国時代の名武将、武田信玄の“兵法”で、堀内巨人が天下統一を狙う。
巨人・堀内恒夫監督(55)が3日、
故郷の山梨・甲府市にある武田神社を初詣でに訪れ、日本一奪回を祈願。
戦国最強とうたわれた武将を御祭神としてまつる地から今季の第一歩を踏み出した指揮官は、
信玄流「戦(いくさ)の鉄則」も踏襲。
140試合すべてを勝ちにいくのでなく、逆転不可能な劣勢試合に限って、
あえて深追いしない大胆かつ異例の作戦を取って覇権奪回に挑む。
↑
と言う内容の読売のサイト(1月3日付)があったが、
グーグルのキャッシュにしか残ってないので、URLをしめせない。スマソ。
858 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 14:20
立てるなら
【信玄】風林火山VS甲府の小天狗【堀内】
とかでお願い。
859 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 15:19
40歳からは負けないように戦えと教える信玄を例に引くなら、
堀内は投手陣を徹底補強して例え打てなくても負けない試合を
するべきだろ・・・
まさか勝つように戦えと信玄が言っている20歳の若者か?堀内は。
あの顔で20歳は嫌だなあ・・・
860 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 15:35
二万五千円もあれば上洛は可能かと…
甲府から京都まで新幹線を使えば(略
861 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 16:33
信長のおかげで観光客が来る市町村
・・・清洲町・岐阜市・安土町
信玄のおかげで観光客が来る市町村
・・・甲府市・石和町・塩山市・長野市
勝頼のおかげで観光客が来る市町村
・・・大和村
東京ドーム:第1戦 信玄死去
第2戦 長篠の戦
第3戦 天目山
以上、巨人滅亡
武田菱の刻印されたお菓子を見た瞬間、凍ったね。
・・・緊張っていうの?
お菓子のまったりとした世間一般のイメージと、
戦国史に武威を誇る武田のイメージが重ならず、
食うのを躊躇したよ。
あ、ほんの5秒だけどね。
864 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 17:07
↑そのお菓子はよく見るとウンチでした。
中日対堀内 = 名古屋対甲府 = 信長対信玄
このスレの一部の人間にとって注目の3連戦ですな
>>864 下品な方ですね。
一応、ちゃんとしたお菓子でしたよ。
仕事でいっぱいいっぱいの時に遭遇したのでノーガードでした。
「山の神武田信玄め・・・」の石橋の台詞を
心の中で復唱しつつ食いますた。
867 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 19:01
信長ラーメン・信玄餅・田野そば
868 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 19:01
堀内は大和村の武田イベントにゲストで呼ばれてたよ
869 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 19:59
誤・田野そば
正・天目そば
870 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 21:00
>>866 石橋の台詞を心の中で復唱しつつ食ったあなたはよく見るとウンチでした。
>>865 信玄と信長に失礼すぎ。
せいぜい信廉vs信雄ってとこだ。
872 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 14:51
信長は「俺流」だけどな
873 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 15:16
信玄って山梨県民に人気あるの?
知り合いの甲府市民に「山梨では信玄って呼び捨てにしちゃいけないの?」
って聞いたら「ハァ?」みたいな顔されたよ
一般世間ではこの板の住人が思ってるほど戦国武将の影響力なんて強くないよ
また前田で負け
877 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 22:50
完済人はチョソ
>>873 俺が甲府行った時は、おばさん五人ほどが、「信玄さん、信玄さん」と言っていた。
歴史好きそうな地元のおじいさんは、「信玄公」と言っていた。若者はさすがに言わないんじゃないかな。
地元の祭事の時は、信玄公って言うだろ、フツーの人も。
そもそも、日常会話の中で親族以外の故人を呼び捨てにはしないだろw?
あくまでも日常会話の中での話だけど。
故人が400年以上前の人だったとしても、呼び捨てしたらバチがあたりそうじゃん。
せめて「〜さん」づけぐらいするわな。
学術書や教科書では呼び捨てだけどさ。
例えば、地元に著名な故人がいたとする。
町内会の集まりなどで、その故人が話題にのぼったとする。
そんな時、故人を呼び捨てにするか?
尊敬してるかしてないかは別として「さん」づけ位する罠。
NHKの「その時歴史は動いた」とかで、いちいち「さん」とかつけてたら
耳障りでしょうがない。
徳川家康さんは豊臣秀吉さんの作った堀に苦しめられました。
「ああ、このままずっとがっぷり四つでお主といられれば…」
「殿、まだまだ日が高うございます。続きは今宵にでも…」
「殿…もう昌信はとろけそうなほど殿にまいっております」
モ−ホーの天下人というのは許せない。
885 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/09 13:43
戦国最強軍団・伊達騎馬鉄砲軍団
886 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/09 21:46
>>885 確かに最凶。大阪の夏の陣では大活躍だったな>伊達鉄砲組
はぁ
888 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/09 22:07
で、釣りは放置しておいて、
889 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 02:16
戦国最強軍団・武田騎馬軍団
妄想最強軍団・武田厨房軍団
武田は親父信虎の方が絶対優秀。馬鹿息子のおかげで滅亡した。
部下が付いていけない優秀ってのは、戦国領主的には無能と同義なのだが。
893 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 12:39
じゃあ信長も無能だな。
ついていけないどころかぶっ殺されてるし。
894 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 13:35
戦国最強軍団・武田騎馬軍団
バカ息子がフォローしろよ
万難を排して早期に美濃確保せんと天下とりようがない
896 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 16:40
>>857 >140試合すべてを勝ちにいくのでなく、逆転不可能な劣勢試合に限って、
>あえて深追いしない大胆かつ異例の作戦を取って覇権奪回に挑む。
どこが異例だ?
こんなの普通のことだろうが。
大差で負けてる試合で、大魔神をリリーフにだしたり、清原をずっと
出して置かないだろうが。
おまいら、信玄はネコミミ謙信に萌えていますた。
898 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 19:08
戦国最強軍団・今川蹴鞠軍団
外敵に潰され、内部崩壊までさらした武田は二重の意味でへたれ
織田は少なくとも外敵を圧倒
川中島で疑問あるんですけど
謙信が武田本陣に突入した時、背後に武田の別働隊が来たじゃないですか。
その後、謙信はどうやって本国まで帰ったんでしょうか?
そのまま突破したら武田領内ですよね。
反転したら別働隊に殺されますよね。
銀河英雄伝説のアムリッツァで、ヤン・ウェンリーはどうやって同盟まで帰ったのかと
同じぐらい不思議なんですけど。
あと、車がかりの陣なんてホントにあったんでしょうか?
キルヒアイス提督曰く
疲れさせないで敵を疲労させる戦法らしいですが、余計疲れそうな気がするし、
兵力が優ってるなら持久戦なんかせず一気に攻めた方がいいと思うんですが。
最後にもう一つ。
アムリッツァでキルヒアイス艦隊はヤン艦隊の4倍ってありますけどこれ変じゃないですか?
1艦隊1万5千として6万になっちゃいますよ。
帝国軍10万で同盟軍17万なのに、これだとキルヒアイス艦隊だけで全軍の半数以上になっちゃいます。
でもウランフ提督は自分の艦隊より、ビッテンフェルト艦隊の方が多いいと言ってます。
帝国軍は艦隊を湧き出す魔法のツボでも持ってるんでしょうか?
無論上杉勢は撤退で損害を被っている。
しかし別働隊も千曲川を渡りながら漸次増援に駆けつけるという状態だったので、
上杉勢を袋の鼠にするには至らなかった。
903 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 23:12
今、NHKニュースで信玄公祭りのVTRが出てた。
勝野さんが信玄だった。
やっぱ、信玄は袈裟を着てて欲しいよ。
大河の葵三代で島津義弘が戦場で着てたような
ゆったりとした羽織も着てて欲しい。
904 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 23:31
>>904 このネタ、一向宗スレに貼らせてもらってもいい?
つか、貼るよ、マジで。
906 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 23:41
>>900 武田軍は上杉軍の北に待ち伏せていたので、
実はそのまま突っ切ると上杉の本国なのだよ。
どっちかって言うと武田本体が東、上杉が西という感じじゃないかな。
別働隊は南から西へ(東向きになってる上杉軍にとっての背後に)回りこんだので、
北は開いてた。
908 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 00:18
>>907 陣地の配置はそんな感じなんだけど、
実際の戦場はそれよりかなり北なのよ、
で武田軍の方がより北に居たわけ。
909 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 00:20
てか結論、甲斐の山猿
910 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 00:34
>>900 私なりの答えです
甲軍では早朝に武田軍本体に上杉軍が当たっています。
武田軍の別働隊が上杉軍の背後を襲うのが午前11時前後で、戦闘終了が午後4時。
上杉部隊は6時間の撤退戦で、犀川北まで引いています2キロ後退しただけです。
この結果から合流し挟み撃ちにした武田部隊は、思うように追撃できず上杉の後退を
許してしまったのではないでしょうか。
(6時間も追撃戦を受けたら普通壊滅して大名1人で逃げ帰るだけでも大変だし、引いて戦線を維持
するのも不可能ですから。)
車がかりの陣ですが、複数の部隊で移動中の伸びた上杉軍が到着順で当たっていれば可能だと思います。
上杉軍が一度部隊を編成した事が資料が見れない事から考えてもね。
小説の話も答えることが出来ますけど書く気にならないで簡便ね。
911 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 00:46
>>901さんの意見も入れると。
武田の別働隊も到着順で当たっていればそんな脅威にはならないでしょうね。
全てが同時に到着してハイ開戦ですは不可能でしょうから。
つーか、武田本隊に挟撃の一方を担うだけの余力が無かっただけでは?
913 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 01:11
まあ、早朝から防戦一方で叩かれたら、合流しても追撃は出来んだろうね。
そう考えると上杉軍は移動も含めて長く戦ったよな。
織田、徳川に勝頼なんか午前中で敗走だもんね。
914 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 01:13
まあ織田家と武田家は和睦したんだし上洛は可能かな
織田家・武田家和睦の報にビビってウンコ漏らす狸。
祭り状態だな、ヌー速。
917 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 01:43
ヌー速って何?さっさと教えろや、ヒキヲタ
918 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 01:43
何
919 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 01:46
>>913 合流した別働隊も瀕死の本隊付近に残ってる上杉勢を追い払う
ことを優先したのかも
武田の戦術を読んで下山したのが事実なら後方から敵が来るのも
予想通りだろうしね
そもそも謙信は「妻女山」なんぞに布陣していない。
従って啄木鳥戦法もない。
922 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 01:59
そもそも妻女山なんてありません 講談です
上杉謙信なんていません 講談です
従って啄木鳥戦法もない
923 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 02:00
>>913さんへ、ハイその事はよく言われています。
じゃあ質問です、武田部隊はどうして2部隊に分けたでしょか?
それも合流まで時間がかかってます。もしかすると、武田本体が合流するまで全滅する
可能性がある時間的距離まで移動してますしね。
まあ上杉の背後を襲うか、補給線を狙うか何かを狙った行動だとは理解してますよね?
>>920 妻女山ではなく西条山だというやつやね。
確かに、甲陽軍鑑も西条山と書いている。説明からすると妻女山だけど。
小幡景憲が加筆する際に間違えた可能性はあるね。
謙信公御書集にも西条山に登ったと書いてあるね。
926 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 02:15
927 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 02:17
もちろん西条山なんてありません 講談です
928 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 02:20
じゃあ、なぜ、武田は2部隊に分けたんだよ。
>>923 そもそも、2部隊に分けたというのも甲陽軍鑑だから。
妙法寺記には郡内勢が背後をついたら逃げていったと書かれているが、
それだけでは戦場における側面包囲戦術などの可能性も捨てられん
わけだからね。
なにぶん、妻女山には布陣の痕跡が何も無いわけだから。
仮に100歩譲って大真面目に部隊を分けていたとして。
上杉軍が西条山(善光寺よりさらに北側)に陣取ったとした場合、
信玄は自身を囮に陽動作戦として八幡平で展開して上杉軍の
目を引き付け、その間に別働隊が北国街道を北上して
西条山よりさらに北の上杉方拠点を攻撃する目的であったのだろう。
上杉軍が八幡平に展開する武田軍を西条山から確認してから
襲い掛かってくるのであれば、渡し場などの防御に適した場所や
あるいは海津城まで後退しつつ上杉軍を引き付け続ける余裕が
あるだろうが、実際にはすでに上杉軍も八幡平に展開していた
といった筋書きが思い浮かぶな。
930 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 02:32
了解です。
第4回川中島は、1回〜3回と同じ展開し終えた軍で行われた言う分けですね。
>>930 展開し「終えた」とまで言ってしまうとまた御幣がありそうだが・・・
ま、お互いに八幡平に出撃して遭遇してしまったという意味ではある。
1回から3回はどっちかっつーと小競り合いっぽいのばかりだった
気がするけど。
932 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 02:36
武田の将校もかなり倒されてるけどね。
まあどちらも主戦場が分かれて最後の両雄の戦いであったと思うよ。
もしかして第4回も無かったと・・・・・・
>>931 >また御幣がありそうだが・・・
「ごへい」と思い浮かべて、むしょうに五平餅を喰いたくなった。
頭の中に山岳地帯を思い浮かべつつ、スレを読んでるからかもしれない。
934 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 02:44
ぺヤングでしょ夜食は。
935 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 02:46
910です。
おやすみ、明日鯖ゲーなんで、朝早いでじゃあ。
>>935 おやすみと言ったヤシが本当にそのまま休むことはあまりない。
ある種の逃亡に用いられる事がほとんどである。
938 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 03:07
啄木鳥作戦みたいな派手で大規模な迂回作戦なんてできるわけないよな。
あの辺の平野で普通に正面衝突したってのが真相じゃないの?
>>938 濃霧のせいで、お互い陣形も整ってない状態で激突してしまったのかもな。
両軍の損害の多さもそのせいか。
940 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 07:52
おはよう
ようするに結論はただの山猿なんだよ
942 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 11:14
山梨県人だけど、
信玄公とも言うけど、信玄公祭の時は「おやかたさま」だよ。
昨日武者行列で足軽やったyo-
943 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 12:57
はっきり言うが武田は絶滅はしてないぞ。
945 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 13:35
後北条も滅亡はしたけど絶滅はしてないね
信玄の子供も勝頼の子供も何人か生きてるからね
徳川の政策だからな。狭山藩と、旗本北条氏が残った。他にも傍系は沢山居るが、
北条の名前を伝えたのはその二家だけ。
948 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 20:35
戦国最強軍団・武田騎馬軍団
世田谷ってことは高家で続いた武田ですか?
ゴゴォオオオオ
_ /lミ
l /| ̄ l
| |. | |
|_| .|__|
.::|/彡
>>942 三河じゃフツーに「家康」と呼び捨てだな。
この前家康行列(大名行列)とやらがやってたが、
看板もアナウンスも徳川家康だったよーな。
イベントの時くらいは敬称をつけた方が盛り上がると思うなあ。
ノリ悪いのね。
たんに
>>951が一つの事象でもって全体を語っているだけ。
三河でもイベントなんかで家康公と呼ぶときがあるよ。
学術以外の分野で故人の呼び捨ては、まずいだろ。
その故人がエライか否かが問題ではなく。
955 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 00:25
たけだしんげん(←何故か上洛できない)
しかし歴史上の人物を語るときは、
誰しもプチ歴史家の気分でしゃべってる気がする。
実際上は余り問題ないのでは。
958 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 12:39
ナガシノ敗戦でも勝頼で10年近く武田家は保った。
しかも外征ばっかして失費していながら10年でしょ?信玄が上洛を一旦失敗しても、
寿命さえあればいつかは上洛を果たす可能性は少しはあるんじゃない?
たしかに信玄がナガシノで戦っても勝頼と同じ結果になっていたことは認める。
でもそこから先が決定的に違うと思う。信玄なら鉄砲の有効性を素直に認め、軍制を
改めるかもしれない。しばらく外征は控えて、近隣国の同盟を固くすることは彼なら
とうぜんだろう。
もっとも今気が付いたが、ナガシノの敗戦で勝頼を追撃しないことについて、信長は「武田は立ち枯れるからほっとけ」
といったそうだが、もし信玄相手だったら死に物狂いで信玄を追撃したかも知んないね。
すんません、出直します。
信玄は以前から鉄砲を重要視してたって何度言ったら…
信長って何で野戦で勝っても追撃しないんだろ?
桶狭間、姉川、ナガシノと
追撃してボコポコにしてたらもっと早く領土拡張したんじゃないかな。
浅井、朝倉で3年無駄になることも無かったのでは?
伊達、北条、島津なんかは野戦で勝って一気に領土拡大してるけど違いあるのかな?
詳しいことはわからんが,
桶狭間は追撃したら確実に返り討ちにあってると思ふ
>>958 >ナガシノ敗戦でも勝頼で10年近く武田家は保った。
十年近く保ったのは単に信長が相手にしなかったからという面が大きい。
勝頼の統率もまずかったせいもあって、長篠後はほとんど年々衰えていく一方だったし。
>たしかに信玄がナガシノで戦っても勝頼と同じ結果になっていたことは認める。
信玄は慎重だから信玄だったら長篠はなかったと思う。
しかし、信玄がそんなことまで言われるとは馬鹿息子を持つと大変だな。
>でもそこから先が決定的に違うと思う。信玄なら鉄砲の有効性を素直に認め、軍制を
改めるかもしれない
勝頼はまさしくその通り長篠後に軍制改めたよね?
けどもうジリ貧だったってこと。
長篠はかなり長距離で追撃しただろ。
姉川だってきっちり追撃して損害を与えてるし、
しっかり横山城を落として着実に前線を進めている。
一気に領土が拡大できるのは、戦力差が圧倒的な場合だけだ。
1573年の朝倉氏撃滅戦ではそれはもう物凄い勢いで追撃してる。
毛利、大内なんかも一気に領土が拡大してるけど
信長だけだよなたいして変わらないの。
信長の領土がたいして変わってない?そんなアホな。
追撃はしても、それで全部殲滅できるなどと言うことはほとんどあり得ない。
深入りして返り討ちにあうし、敵も必死だし。
大事なのは、戦術的勝利をもって、豪族など諸勢力を寝返らせ所領を安堵するなどの
戦略的攻略につなげるということである。調略が成功するに必要なだけの勝利をすれば
いいわけだ。
968 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 22:08
戦国最強軍団・真田十勇士
朝倉を滅ぼしたときは、
確か浅井の救援に来た朝倉軍を打ち破り、
これを追撃してそのまま滅ぼしてしまったはずだよな。
それこそ一気に越前を併呑してしまったわけだが。
>>962 逆に言えば、信長が西を早々に制圧してしまったら、長篠の結果は
あまり関係ないってこった。
>>969 正確に言えば、越前から出てきたものの大嶽に入れなかった朝倉軍が
諦めて退却に移り、それを追撃しただけで滅ぼしたんだけどな。
打ち破りすらしてないけどなし崩しに勝っちゃったし
戦って負けたわけでもないのに滅んじゃったw
>>970 実際には本願寺やら裏切り者やらで西に制圧するのにかなり時間がかかっているから、長篠の一戦の影響はかなり大きかったと思うが。
小豪族に与えた影響は間違いなく大きかっただろうし。
>戦って負けたわけでもないのに滅んじゃったw
勝頼も似たような感じ。
それに比べれば浅井は頑張ったといえるかもね。
当主の器の違いかもしれない。
972 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 17:22
>>962 >十年近く保ったのは単に信長が相手にしなかったからという面が大きい。
なるほど、たしかに。
>勝頼はまさしくその通り長篠後に軍制改めたよね?
けどもうジリ貧だったってこと。
あ、そうなんだ。私、勉強不足でしたわい。
>信玄は慎重だから信玄だったら長篠はなかったと思う。
これについては?です。
信長は尋常な戦法で信玄にあたるわけにはいかないと考えて、馬防柵を何十にも連ねた
陣を考案したものと思う。(有名な三段攻撃は本当にあったかどうかは知らないが)
その戦法をずっと暖めていているうちに、信玄がぽっくり逝ってしまい結局、勝頼にたいして実践したのだと思う。
つまり、信玄は一回は鉄砲で手痛くやられるに違いないと。ナガシノの合戦はないけど、ナガシノのような布陣で対峙
することは避けられないと考えますが・・・。
>>972 馬防柵みたいなのは信長に限らずどの国でもやっていて、画期的な戦法でもなかったらしい。
あと長篠のような背後にも敵を抱えるような危険な布陣を信玄が取るとも思えない。
さらに言えば三方が原後の浜松城すら攻めなかった信玄が3倍もの相手に決戦するとも思えない。
974 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 17:57
野戦築城は古典的な戦術だが・・・・
信長ヲタって・・・・
信玄って自分より兵力の優る敵とは余り戦ってないような気がする
そりゃ孫子の兵法が好きな信玄が敵より劣る戦力で戦うわけがあるまい
977 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 22:41
>>975 戦略家に対するこれ以上ない誉め言葉だな
>>975 駿河での対北条戦ぐらい?これは信玄にとっては予想外だったからか
三増峠でも戦場では兵力で優っていたし
979 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 17:39
>>973 >長篠のような背後にも敵を抱えるような危険な布陣を信玄が取るとも思えない。
いや、だから、そりゃそうですよ。わたしが言いたい「ナガシノの布陣」つーのは
小牧長久手の戦いで家康や秀吉が張ったような長大な陣という意味。
信玄はこういう織田軍の布陣に対峙する羽目になるだろうといいたいだけです。
>三方が原後の浜松城すら攻めなかった信玄が3倍もの相手に決戦するとも思えない。
たしかにそうですね。でもね、彼は上洛を目指したんですよ。なぜでしょうか?
980 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 19:07
>>979 >でもね、彼は上洛を目指したんですよ。なぜでしょうか?
1572年ごろの情勢なら、反信長勢力を結集してじっくり攻めれば、
最終的に互角程度の戦いにはできると踏んだからでしょ。
最初から1575年のような勢力図だったら、織田家の盟友の道を
歩んだはず。
>>979 そりゃあ、織田家が兵力を集中できない情勢を作り上げることに成功したからだろ?
だから上洛しようとしてないっつうの
浜松城は、家康に物心両面でしばらく発てないダメージを与えたから。
脱糞は伊達じゃない。
>>980 1575年時点でもそこまで武田と織田の実力差は開いてないんじゃないかな。
あの時点は一向宗がうるさかったから、信州の山のほうまで大軍を動かせる余裕は信長になかったから(長篠の3万が限度?)。
信玄がもし長生きして信長と戦うようになっても、睨み合いみたいになるだろう。
名将対名将はそういうもんだ。
985 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 23:39
>>981 一流の大名には共通して見られる謀略や外交的な駆け引きの巧さが
正直、勝頼からはあまり感じられないんだよなあ
>>984 信長は既に京に10万の兵を集結させて威勢を示したりしている。
少なくとも既に武田に勝ち目は無いだろ・・・
987 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 01:39
>>987 でも、やっぱりノブちゃんには余裕無いでおじゃる。
本拠地のギフとキナイを行ったり来たりの毎日。
しかもその連絡線上には叡山があって、浅井と朝倉もジャマだてしとる。
ヨシアキはあいかわらずうごめいてるし、久秀はノブに心服しとらん。
都合上、ノブに従ってるだけで機会があれば裏切ろうとしてる。
ミヨシの残党もようわからん。
そんな状態でシンゲンに勝てるだけの兵力(ノブが「勝てる」と確信するに足るだけの)
を用意するのは至難の業だよ。
この確信を得られる兵力っていくら?
ノブの性格上、3万じゃないだろ?5万か?
無理だな、1572〜3年のノブには。絶対とは言わないけど。
まちがった、986あてだよ