最初会ったときは古臭い因縁に固執するような堅いヤツじゃないと思ったんだがなぁ。
二番槍ゲット
3 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 22:58
かろやかに2get
4 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 22:59
信長が「もしも朝倉家を攻める時は自分に相談して欲しい」という約束を破ったから。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 22:59
裏切ったのは信長だろ
暇な事せず議論せい。
なんか名前似てるよね
8 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 22:59
3?
3 :無名武将@お腹せっぷく :04/01/15 22:58
かろやかに2get
8 :無名武将@お腹せっぷく :04/01/15 22:59
3?
親父に押し切られたんだろ?
じゃあ織れが四だよな?
>>4 いやその約束はあくまで「私事」だろ
おれは上洛を拒む義景を将軍に代わって討伐に行ったわけだから、
何ら問題はないはずだ。
天下の仕置きが第一だろうが。
そうは言ってもね〜
外交はそう単純な理屈じゃないからね〜
>>13 ほう。当時の浅井家の外交に詳しそうだな
ぜひその知識を披露してくれよ、マジで
15 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 23:23
理屈じゃないのよ 外交はハッハー
16 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 23:25
>>12 ほら、アイツってば中卒だからその辺のことがよくわかんなかったんだよ、きっと。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 23:31
脳卒中 逆さに読んだら 中卒脳
祖父の代から佐々木にたたかれるたびに朝倉に助けてもらっていたんだろ。
それに加えて伸張著しい信長を討ち取る絶好の機会だったことも忘れてはなるまい。
ご存知のとおりその後も信長は信頼していたものからよく裏切られるが、そういうときは
なぜかポッカリとスキがあいているのだよな。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/16 01:18
実弟に裏切られ、義弟にも裏切られ、家臣にも裏切られ
哀れな男だな>信長
普通に"行ける!"って思ったんじゃないの。
読みが外れただけで。
「浅井長政はなぜ裏切ったのか? 」
「ぼうやだからさ」
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 00:58
裏切るもなにも
信長の意識→「縁戚の近江の大名。当然オレの手足」
朝倉の意識→「配下大名。当然オレの手足」
浅井の意識→「ずっと朝倉庇護なおれたち」
>>1 浅井が裏切ったのではない
織田が裏切ったのだ
〜〜〜〜〜〜終了〜〜〜〜〜〜
長政には神の声が聞こえたんだよきっと。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 01:09
>1はバカ
カレーが辛かったから
シャワーが熱かったから
27 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 14:16
yoshiki
月が蒼かったからだ。
月が蒼かったからだ。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 17:55
>>18 隙があるからって何で裏切らなきゃならないんだよw
説明になっとらん。
第一長政はもっと前に絶好の機会があったのに見逃してるじゃない。
>>23 >>12を読め知障。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 18:00
裏切ったつーか
これまでの朝倉への恩義を重く見た結果だろ
32 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 18:00
本当にキモい奴は、男にも女にもモテない。
クラスで女と話してる姿なんてまず見ないし、当然彼女いない暦=年齢。
女に失礼だから、合コンに呼ばれることもない。
必死で男集団に取り入ろうとしても結局ハブられる。
そういうものだ。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 18:08
浅井長政談
「太陽が眩しかったから」
浅井久政談
「そこに織田があるからだ」
裏切りとかそういう次元の問題じゃないのは>22の言うとおりで、
問題は浅井長政には大局を見る目があったかどうかではなかろうか。
朝倉に着いていけば織田を打倒して今までどおりでいられると思っていたのか
それとも織田が勢力を伸ばしつづける将来を予測していたが
それでも朝倉との関係を切ることができなかったのか。
織田が越前をとってしまったら浅井は織田領地のなかに孤立してしまい
完全な織田支配下に入ることになるからだろ。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 21:41
浅井長政が仮に信長側に着いたら
↓
家康よりも重く用いられる(義弟だから)
↓
本能寺では一番速く駆けつけられる(近いから)
↓
長政が織田家の旧領を受け継げる。
↓
長政の天下が見えてくる(*゚∀゚)=3
>>37 甲斐辺りに配置転換されるだろ、途中で。
その措置に怒った家臣団に担がれて、京にいる信長襲撃→
京北部にいた光秀が真っ先に仇討ちして天下人へ。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 22:03
>>37 >>38 「配下」と考えるか、同盟者と考えるか、でしょ。<配置
多分に後者だから、北近江はそのままで
+越前
+若狭
:
とかって感じにあっち方向にのびてくんじゃない?
そのあとが、加賀か丹後かで、運命変わってくるだろうけど。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 22:42
浅井長政が当主だからといって自分の判断で浅井家のことを何でもできると思ってるのは戦国ゲームのやりすぎ。
まず何といっても隠居した親父の浅井久政の発言力が大きかったんだろうね。
それと当時の戦国大名なんて「豪族連合」にすぎないんだから
今まで朝倉家に恩義のある家臣たちも朝倉との関係優先の意向だったろう。
市を嫁にし子供もボンボンもうけてた長政自身は確実に信長との関係を尊重したいと思ってたろうね。
実父を始めとした浅井家内の反対により、やむおえず自分の意志と裏腹に朝倉家についたというのが真相でしょ。
こういう例は関ヶ原で石田三成シンパの佐竹義宣が西軍につこうとしたが親父の佐竹義重と家臣の猛反対で
しかたなくやや東軍よりの中立という形にせざるおえなかった例がある。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 22:49
浅井家は代々朝倉家の恩恵を・・・というのは真っ赤な嘘。
六角に喧嘩売った頃の浅井家は、朝倉家からも攻撃されている。
史料上、両家の確たる同盟関係が見られるのは、1570年に
信長と縁を切ってから。
それ以前の話は、ほとんどが後世に作られたもの。
浅井長政裏切りの理由は、別の所に求めなければならない。
>39
史実で言えば、柴田勝家+佐々成政みたいに、対上杉軍に備えて
北陸を任せるんじゃね?
ちょうど東海道で防波堤となってた徳川みたいにさ。
>41
別に41を疑っているわけじゃないが、ソースが何か教えてくれないか?
知らない話なんでちょっと原著のほうを見てみたい。
44 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 22:56
>>42 北陸を任せるのなら、むしろ越前遠征に参加させて、その功績で
越前を与えたりしないと。
兵を出さずに領土だけ受け取るのは他の連中も許さんだろうし。
越前に信長が進出すると、四方が信長の領地となってしまい、
新たに領地を広げる望みが断たれてしまう。
あるいは、三代守った土地を捨てさせられて田舎に飛ばされるか。
そんな悪条件で、信長の家臣扱いされることが我慢ならなかったのかもね。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 22:59
>>43 例えば、「当国御陳之次第」には、1525年に浅井氏を攻撃中の
六角定頼を助けるために出兵したという話とかが載ってるよ。
小谷かどっかに宗滴じぃの築いた出城だか砦跡だかありましたよね。
朝倉と浅井の関係を裏付けるものっすね。あれは。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 23:12
>>46 真柄峠や金吾丸は、一般には1525年に六角定頼が攻めて来た時に
朝倉教景が「浅井家を助けに」やって来て布陣した場所だとされているが、
朝倉家の史料である「当国御陳之次第」では、六角定頼を助けるために
出陣したとされているわけで、小谷城攻略のための付け城であった
可能性があるな。
坊やだからさ
>>47 あれは公文書扱いの準一級品の資料っすからね。
おおっぴらにウソは書けないとは思いますね。
浅井と朝倉が仲悪かったら、ロマンがないだろw
51 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 23:30
>>41 激しく同意。
浅井長政は、六角家臣娘を即日離縁していきなり六角領に攻め込んで
勝利を収めて、しかもそれが初陣だったという極めて血気盛んな
行動力あふれる男。だからこそ信長に認められたんだろうし、よって野心も
相当なものだったはず。腹の底では、自分が天下を取りたい、No1に
なりたいって考えてても全然不思議じゃない。
つまり、このまま信長と同盟してても一生トップにはなれないから、
天下人の有力な家臣になるよりも、自分が天下人になる事を狙って大きな賭けに
出たって事かもしれん。
つまり、長政の野望が自分自身を滅ぼしたという事かも
52 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 23:31
今の阪神の影の立役者。
田淵よりこの人の方がチームへの貢献度が高い。
田淵はバッターとしては一流であったが、指導者としては三流。
アリアスを筆頭に阪神打線の好調さはオマリ―抜きには
ありえないと言っても過言ではあるまい。
とりわけ、外国人選手にとっては、技術面だけでなく精神面の
大きな柱になっているのは、承知の事だと思う。
そんな、オマリー特命コーチについてかたるスレです。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 23:32
長政に野望があったんだろう。信長謀殺を試みたり、
(この時は何故か久政に止められている)
近江切り取りに盛んに動いていた事を考えれば、相当な野心があったのは推察出来る所だ。
謀叛同然の手法で父親を強引に隠居させて主導権を握り、六角軍を叩き潰すなどして名を上げた男だぞ。
そんな猛気の塊の様な男が久政ごときに引きずられるものか。
あえて秋山説で通すが、長政は信長に良い様に動かされている事が不満だったんだろう。領土欲の塊の様な男だから、そんな事態が耐えられなかった。
そんな時に、義昭あたりから誘いを受けて、その時にはもう決めていたのでは無いのかな。
「朝倉〜」のくだりはどうもその本心を誤魔化す為の自己弁護の様に聞こえる。自分に大義があると見せつけたい為の姑息な弁舌に。
自分の目的の為にならなんでもする様な男が朝倉に義を立てようと考えるとは私には到底思えない。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 23:34
ナンバー1にならなくてもいい〜
元々毒舌な毒蝮三太夫〜
55 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 23:35
信長の上洛に力を貸したのに、六角の旧領は信長のものに。ショボーン
結構恨んでいたんじゃないだろうか。
「江南は俺がずっと狙っていたのに!」って。
56 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 23:37
別に朝倉との縁を重視したわけじゃないよ。
家康みたいにこき使われるのが嫌だからだったらしい。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 23:43
結論として考えるに、長政は清廉な人物でなく、むしろドロドロした『武将らしい』人間。
コーエーめはつくづく間違った歴史認識を送り込む。
>>55 将来的にも江南を譲られる可能性は低そうだもんね。
六角旧臣も残ってるし、蒲生家には信長の娘も嫁いでるし。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 23:54
根津甚八と三好清海・伊三の陰謀でつよ。
真田厨は(・∀・)カエレ!!
61 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 23:57
真田はきらいでつよ
まじで。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 23:58
>>57 コーエーだけでなく、他の小説とかもたいがいそうだけど・・
63 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 00:00
あざいいよりのやぼう
64 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 00:05
万福丸の野望
阿閉貞征の(ry
66 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 00:14
地理的に信長の配下(同盟者)だと領土拡張が望めない?
はあ???
んなもん飛び地を貰えば良いだろうが、
豊臣政権でも徳川政権でも配下大名の飛び地の領地なんてのはゴロゴロある。
>>66 細川家なんてムチャクチャ離れた領地だったもんな。
68 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 00:17
浅井井頼の野望
69 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 00:31
織田信行・・弟よ・・
浅井長政・・義弟よ、まさかお前までもが・・
松永久秀・・手間をかけさせおって・・
荒木村重・・あれほど目をかけてやったのに・・・
明智光秀・・是非も無し・・
裏切りは男の勲章
>>69 安藤守就・・誰だっけ?
佐久間信盛・・茶がヌルい!!
林通勝・・
>>71 平手政秀・・・聞く耳もたん
織田信光・・・うざ杉
比叡山・・・言っただろばかめ
73 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 03:07
しかし六角と朝倉に同時に攻められてたら
とっくに滅ぼされるか配下に組み込まれていると思うんだが…
本当はあざいなのにあさいあさいって言われることに腹が立って裏切ったんだろう
小谷城が堅固で亮政が戦上手だったからだろうな。
久政の代には組み込まれとるわけで。
なんで2代目ってボンクラが多いんだろう…?
坊やだからさ
78 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 08:26
やはり親父や家臣たちの意向だろう。
>>76 北条の場合は義時、氏綱と最強のやつが2代目だったぞ。
>>79 多いとは書いてあるがボンクラしかいないとは書いてないぞ
81 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 20:42
久政の隠居は家臣主導であって長政が扇動したわけではない。
っつかさ、たまたま信長が生きていたから先が見えていない的なこと言われるけど、
信長にとって、最大級のピンチだったわけじゃん。
あれはあれで、評価できる一手だと思うな。
明智の謀反まで我慢して、明智と立ってたらって妄想をしてしまったり・・。
>>82 それよりも、浅井に呼応して松永も裏切るべきだった。
そうすれば信長、秀吉、家康全滅だった。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 22:29
そんな貴方に秋山駿「信長」を薦める。
実際、信長はナポレオンがやった様な二正面作戦をする事も可能だった筈。
信長の才略はナポレオン以上なのだから。ナポレオンでさえ、オーストリア・プロイセン連合軍、
スペイン軍を二正面作戦で撃破しているのだし、個人的には朝倉、浅井に対する二正面作戦で信長の真骨頂を発揮して欲しかった。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 22:53
>>83 松永が裏切る理由が無いよ〜
>>84 あんな電波イラネ。
西洋の有名人の言葉を引用しては強引に信長に当てはめ続けるだけの
究極的妄想狂w
ただネタにするには面白いけどなw
秋山流で言えば、信長は地球上で最高の人間で、まさに神。
そしてその信長に唯一自発的に戦いを挑んだ武田勝頼が、
戦国時代で二番目に優れた男。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 22:55
「ふん、貴方、あんな生意気な兄貴懲らしめてやってよ!!」
……………………
「馬鹿兄貴、小豆のナゾナゾ判るかナァ?」
……………………
「マズィ、まずいわ、って、アンタ本当に馬鹿! 冗談真に受けちゃって!
あたしは織田の人間ですからね。子供達と一緒に実家に帰らせていただくわ。」
って、あたりが真相かと…。
>>85 理由があるから裏切るのでは、我らが敬愛する松永弾正ではない。
裏切るチャンスがあるから裏切る。それこそが松永弾正の真骨頂
である。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/20 00:34
>>87 裏切るチャンスがあるなら、それは裏切る理由になるw
キュピーン 裏切りの予感
AA略
>88
つまり、>85がおかしい、と。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/20 19:07
>>83>>87 松永久秀は朝倉攻めに参加してたのでは?
しかも信長に退却を勧めたのも弾正じゃなかったっけ?
92 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/20 19:10
>>91 そうだな。確かに朽木谷の豪族集団(朽木元綱)を説得して匿わせたのは奴だからな。
その気になれば騙し討ちも出来た(朽木元綱を張略したと嘘をついて誘い込み、謀殺する)から、
この時点ではまだ久秀には裏切る意志は無かったのだろう。
>>92 朽木元綱を説得したのに信長から何の恩賞も無く、弾正は後悔したんだろうな
あの時、元綱と謀って殺しておけば・・・みたいな感じに(w
94 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 00:51
信長ってそんなんばっかやね。
上洛に協力した浅井長政→六角旧領は織田家がもらった!→裏切られる
朽木元綱を説得した松永弾正→で、あるか!→裏切られる
摂津を任せたはずの荒木村重→やっぱ秀吉に任せるね!→裏切られる
信長と義昭が仲違いした原因は、信長が久秀を助命したことが原因
らしいな。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 06:09
二条城築城工事での浅井家臣と柴田家臣の喧嘩殺傷沙汰も無視できない。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 09:07
>>96 あんま知られてないね。
この頃は
・親戚として織田と付き合い関係は深まり
・朝倉とは旧来通り
いつかは、どっちかを選ばなきゃいけなかったんだろうけど。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 13:59
優柔不断にならなきゃいけない極めて特殊な状況でスパっと決断しちゃったんだな。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 00:20
朝倉の兵力は二万であってる?
朝(鮮人と噂である名)倉の(、横シ)兵(でスった)力(ネ)は二万であってる?
104 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 03:19
名倉はタイ人かフィリピン人に見えるが。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 05:42
長政は自分の意思で裏切りたかったんじゃないと思う亮政の代
に六角の脅威に朝倉に助けてもらいそのころからの関係があり
久政は朝倉との関係を壊してはいけないと長政に言った長政も
結局は朝倉の同盟を重視するしかなかった
お前らは裏切りとかどうとかいつも書いてるけど
結局は、朝倉に誘われて深入りした信長を討てば
自分が一番天下に近いと感じた長政の判断でしょ。
袋のネズミの信長を殺せる可能性は極度に高かった訳だしさ
107 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 06:08
>>105 亮政の代に、朝倉に攻められたことならあるぞ。
108 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 06:17
長政を擁護する気はさらさらないが長政は義理堅き人間だと
自分は思う信長が義昭を押して京に昇るときも長政は信長
を助けた久政に謀反を起こしたときも結局は久政を許している
信長に反旗をひるがえすにはよほど勇気がいると思う
109 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 06:27
義理固かったら六角に叛旗翻さないし妻を離縁しないし
110 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 06:41
確かにだけど長政がのぞんだ結婚じゃなっかたことは
後の行動で解かるはずである
111 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 07:10
政略結婚ちゅう意味じゃ六角も織田も同じやね。
しかもどっちも家臣扱いされるしw
久政を島流しにした長政が久政に従順なわけはない。
裏切りは長政の判断。
句読点すら付けられない者へのレスは控えるように。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 14:53
つまり113を放置、と?
115 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 14:55
yes
>>111 家康も家臣扱いかな?
>>112 暗殺、追放、監禁するのが普通だと思う
まあ当主と言っても家臣が反対したらだめだろうけど(どっちにつくにせよ)
>>116 後に嫡男殺させたな。対等な同盟関係じゃねえべ
>>116 家康もけっこう扱いが悪かったぞ。
家康が信玄と戦った後に信玄に家康が悪ければ謝罪させるみたいな手紙だしたし、
自分の主要合戦には兵出させて、なかなか徳川救援軍出さないし。
119 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 20:47
まぁ、信長=ブッシュ
家康=小泉
くらいの「対等な外交関係」なんだろうな
120 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 21:22
そんで加増してやったのも2国だけ。しかも事後承認。
よく裏切らなかったよな。
チャンスがなかったんだろう。
>>119 神君家康公とクソ泉をイコールで結ぶなっ!ヴォケ!!
>>117 信康を自害させたのは徳川主導だと思うがどうよ
124 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 22:29
>>123 いやいや、築山殿はわかるが信康は違うんじゃないのか?
糞息子秀忠よりずっと優れていただろうし。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 22:44
>>124 いや現代では家康主導説が有力。
それに信康は悪い評判の方が多く「聡明だった」という説の方が分が悪い。
良い歳こいて政務をさせてもらえてなかったし。
126 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 22:48
>>112 あれは家臣主導だよ。
信玄の信虎追放と同じ。
>>110 夫婦仲むつまじく確認されただけでも一男三女をもうけてますが?
127 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 00:30
>>116 家康は確実に家臣扱いだね。
例えば長篠の後、信長は家康の家臣であるはずの奥平貞昌に自分で会って、
自分の一文字を与えて信昌にするという、本来の被官関係を飛び越えた
恩賞の与え方をしているよね。
対等な同盟ならば、こんなことは有り得ない。
明らかに家康を下に見ていて、家康と信長との間に被官関係があるかの
ように捉えていたからこそ、家康の家臣もまた家臣の家臣だから自分の
家臣も同然ぐらいに扱っていたんだろう。
>127
あまり徳川に詳しくはないんだが、当時の奥平家って明確に家康の家臣といえる存在なのか?
確か信玄の侵攻のとき武田氏に服属してるよな。その後勝頼の代に武田氏を離れて家康に助けを求めたように記憶しているが。
当時にあっては徳川家臣とはいえないような気がする。
誤認があったら是非教えて。
>誤認があったら是非教えて。
こう書いて逃げ道をつくるな。
スレを盛り上げるためには煽られるのを覚悟の上で断定口調を使え。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 01:53
>>128 形式的には所領の安堵を受けた時点で家臣となると言えそうで、
それをまだ受けていないのではないかということかな。
だけど所領を介した被官関係という点で言えば、とっくに徳川家臣だろうね。
奥平氏の本領は作手なんだが、この作手は長篠の前年に勝頼に奪われている。
つまり奥平氏は本領を失ったわけだ。
では長篠城に兵を率いて籠っていた奥平貞昌は、どこから兵を連れてきて
いたかと言えば、これは家康から与えられた領土からという答えしか
ないわけだな。
家康に与えられた領土という点でこれは完全に家康の家臣だな。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 02:22
明快な論理だね
132 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 03:33
お父さんがいらんことしぃなだけじゃないの?
133 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 05:28
>>125 その「悪い噂」もいかにもとって付けたようなもんばかりなわけで。
まあ本人が聡明だろうが馬鹿だろうが、家康は信康を殺さにゃ
ならなかっただろうが。
134 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 19:34
信康と一緒に正室も殺した以上、信長の命令だったんじゃないの
135 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 21:26
>>126 >夫婦仲むつまじく確認されただけでも一男三女をもうけてますが?
六角の嫁と思われ
>135
平井定武の娘が長政に嫁いでいた期間って4年もあったか?
六角とてぎった時点で離縁されてるはず(平井定武の娘)
まさか鬼武者2の設定を信じてるんじゃないだろうな。
>>1 あれだよ、信長に「おい、オカメ」て呼ばれてブチギレですよ。
長政の肖像画見た事あるでしょ?
>>136 そもそも、
>>110が言っている「望んだ結婚ではなかった」のが、
六角方の嫁とのことを指している、つまりは
>>126の誤読、
おそらく
>>135はそのことを指摘しているのでしょう。
まあ、
>>126が鬼武者2の設定を信じてる可能性もあるが。
ただ男子は、お市の子供かどうか微妙なところ。
長政の子供って、二男三女じゃなかった?
長男が万福丸で信長に殺される。
女三人は言うまでも無い。
次男がいて、寺に預けられたとか。
この長男ってお市の方の子供だっけ?
根津甚八
浅井井頼は大坂の陣に豊臣方で参加
しかし何故大坂方。江戸方でもよかっただろうに。
146 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/25 19:34
また架空の話ばしよる。
>146
じゃあ架空だとする論拠ヨロ
ソースも明示しないで言うなよ。出典ぐらい知ってるんだろう?
いわゆる「金ヶ崎の退き口」で浅井がいち早く信長及び軍勢を追いつめ討ち取ってたら
六角・斎藤・北畠は復活できたのか?
>148
勢いにのった浅井が
六角の復活は許すまい。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/26 02:58
>148
とりあえず手を結んだと思われ
ゥアザイズァアン! オンドゥルルラギッタンディスカー!!
ここにもブレードが侵攻して来てるとは!w
斉藤の復活もなさそうだ
155 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/27 05:01
>>142 長男を10歳ぐらいとすると、お市が嫁ぐ前に生まれているはずだ。
とは小和田哲男氏の見解。
織田・徳川同盟は最初から平等じゃないでしょ
徳川は独立したばかりで勢力は脆弱
織田の属国みたいな形で盟約結んだと思う
後に徳川の時代になったから相互同盟と変えられたんじゃ
徳川の物は俺のもの
俺のものは俺のもの
158 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/27 23:32
159 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 00:42
>>156 はじめの頃は対等に近かった。信長が家康に宛てた手紙を見ると、相当気を
使っていたのがわかる。
その頃は信長も同盟者がおらず孤独だった
161 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 03:13
信長が裏切った
「この裏切り者っ!!」
「身の程を知りなさいっ!!」
「ムシズが走るわっ!!」
「せいぜい苦しみもがくがいいわっ!!」
「嘘だ。嘘だ。嘘だ! 長政君が朝倉側だったなんて・・・ そんなの嘘だ!
裏切ったな!僕の気持ちを裏切ったな!」
164 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 23:04
「ゆ、ゆるさねぇ…!」
プラチナム光臨
165 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 23:16
昔あったスレが上がってきたのかと思った。
2家の関係は対等な同盟関係じゃなかったらしいからな。
織田:徳川=朝倉:浅井
むしろ「浅井長政はなぜ朝倉を裏切らなかったのか?」
答えはのぶやぼ乱世記武将ファイルの浅井長政欄参照。(捨てちゃった)
>>165 もともと浅井家は朝倉家と同盟なぞしておらん。
>>161-164 オンドゥルルラギッタンディスカー!!
人 a a
つ;`A')つ(~ж~)
アザイザンー!!オンドゥルルラギッタンディスカー!!
169 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/01 16:42
浅井長政はお市が好きじゃなかったんだよ、きっと。
だから謀反して実家に帰らざるを得ないようにしたんじゃない?
帰ったら、信長に謝るつもりだったんだよ。
でもお市は帰らなかった。
しょうがなく謀反を続けて帰る気になるのを待ったけど、その前に滅ぼされてしまったと。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/01 17:30
クサムカァ!キサマァガミンナウォー!! (貴様が!貴様がみんなを!!)
カグゴジド!ア゙ザァグラベ!(覚悟しろ!朝倉め!)
信長軍、朝倉軍に突撃
ウェェェェェェ!!ウェッ!ウェッ!ウェッ!ヘェ!ヘェ!ヘェ! →信長様の戦闘中の気合です。勘違いしないように。
苦戦する信長
しかし、盟友の浅井からの救援はいっこうにこない
ナズェミデルンディス!! (何故見てるんですか!!)
ア゙ザァイザァン!!(浅井さん!)
しかし朝倉軍に攻撃される信長軍を傍観する浅井軍
アザイザンー!!オンドゥルルラギッタンディスカー!!(浅井さん!本当に裏切ったんですかぁ?!)
アンダドーゥレハ!アカマジャナカッタンテェ゙スカー! (あんたと俺は仲間じゃなかったんですか!)
浅井軍が信長軍に鉄砲を打ちかける。浅井の裏切りは明白となった・・
ゾンナァハァヘェ・・・ソンナァハァウェェ! (そんな…はぁ…ふぇ…そんなぁ、うぇぇ!)
ンナヅェダァ!ンナヅェダァ!ナヅェダァ! (何故だ!何故だ!何故だぁ!)
>169
同意
おい血が、おくちでしてくれなかったからだという噂があるしな
172 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/01 19:18
>>170 ワロタ
2ちゃんで最近見かけるオンドゥルルラギッタンディスカー!!
今日初めてテレビで見た。マジで↑こう聞こえたw
仮面ライダーの中の人、滑舌悪杉w
174 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/02 08:38
>>169 調子に乗って4人も子供作っといて何を今更。
175 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/02 10:28
久しぶり見て、一つ思った なぜ義昭を伴なって信長が上洛した時
長政は信長についたのか?信長と同盟関係にあるから?
義昭と朝倉家は確かに、なかは良いが朝倉と浅井のなかも織田
よりは良いはず でも浅井家のなかでは 長政 久政との意見は
違ったはずだ長政は織田より久政は朝倉よりなどと
176 :
ゴバ━━━━(゚∀゚)━━━━ク!!!!:04/02/02 10:36
もとから挟撃する予定だった罠
177 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/02 10:40
>>175 浅井家とすれば勢力拡大のために信長と組んだはずだったのに、
南近江の旧六角領は全て信長に取られ、今また北に隣接する
朝倉領も織田家の手によって攻略されようとしており、
出兵していない浅井家が配分に預かれる可能性はゼロ。
信長と組んだ本来の目的が全く達成される見込みが無いということが
分かったから信長との同盟を切ったんでしょ。
別に浅井と朝倉の仲が昔から良かったというわけではない。
明確な協力関係は浅井が織田との関係を断ってから。
179 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/03 04:52
180 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/03 05:56
>>178 浅井家は織田家の家臣ではない。同盟者だ。
利害が対立すれば再び争うことは元より明白。
飛び地なぞ無意味だ。一度事あらば敵中に孤立するだけの土地など。
家康とて幾度信長に助力しても飛び地なぞ貰っておらん。
181 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/03 08:33
『信長公記』によれば、信長は浅井長政には江北を与えたのだから
裏切ったりするはずがないと思ったんだと。
でも江北の土地は信長に与えてもらったんじゃなくて
長政が自分で切り取り、維持してきたんだよね。
しかも六角を相手にその支配領域を広げつつあったんだ。
信長の助けを得て維持していたというわけじゃないんだ。
それを信長が「与えてやった」という程度の感覚でいたのだと
したら、両者が喧嘩別れするのは最初から目に見えていたと思うよ。
そして信長の越前遠征はその絶好の機会だった。
ただそれだけだと思うよ。
しかし、長政も岐阜―京都を結ぶ江南の地を譲ってもらえるとは思ってなかっただろ。
上洛ルートの確保は細川氏(摂津)・山名氏(丹波)・畠山氏(大和)・三好氏(摂津)と中央政権を左右した連中は手放さなかったわけで、
信長にとって江南は確保すべき上洛ルートであり要衝だわな。
長政は於市を妻にした時点で江西・若狭・越前方面にしか領土の拡大は望めないことはわかってただろうに。
結局長政は信長を過小評価してしまっていたのだろうか。
あるいは信長が伊勢を通って伊賀・大和方面へ領土拡大すると勘違いしたのだろうか。
信長「やってくれましたねみなさん・・・よくわたしの天下布武への夢をみごとに
邪魔してくれました・・・」
信長「お市の姿がありませんね・・・あなたたちが閉じ込めたんですか?どう
やったのかは知りませんがこれはちょっと意外でしたよ・・・それにしても
お互いあと一息のところで計略が無になってしまうとは・・・長政さん
には残念でしたがわたしにはもっとでしょうか・・・」
信長「はじめてですよ・・・このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は・・」
義景「・・・」
元明「・・・」
長政「・・・」
久政「・・・」
信長「まさかこんな結果になろうとは思いませんでした・・・」
信長「ゆ・・・ゆるさん・・・」
信長「ぜったいにゆるさんぞ虫ケラども!!!!!じわじわとなぶり殺しにしてくれる!!!!!」
信長「ひとりたりとも逃がさんぞかくごしろ!!!」
長政「本性をあらわしやがったな・・・やってみやがれ!!いまのオレがそうカンタン
にやられるとおもったら大マチガイだぞ!!」
信長「くっくっく・・・なにをいいだすかとおもえば・・・どうやらわたしのおそろし
さをわすれてしまったようだな・・・」
信長「おもいださせてやるぞ!!!」
グゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・(集結する織田軍)
ビリビリビリ・・・・(大地が震える音)
織田軍兵士達「風!風!風!」
長政「・・・ぐ・・・・・・」
久政「そ・・・そそ・・・そんな・・・」
義景「あ・・・あ・・・あいつ・・・こ・・・ここまでものすごいとは・・・」
長政=ベジータかw
なんとおそろしい!
おだのぶながが はんだーすも!!
187 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/13 19:39
アリが恐竜に勝てると思っていたのか?
当時の信長の上洛ルートって、岐阜から関ケ原越えだったの?
俺の認識じゃ、伊勢北畠・神戸攻略&養子縁組、18の城砦を落として六角領を突っ切っていた
という事実から、東海道(現在の国道1号)を使ったんではなかろうか。
で、あれば、江南は言う程重要でなかったんじゃないか。大津さえ押さえとけば良い。
長政と家康、待遇は似たり寄ったりだと。
ただ、長政自身は信長に協力する意志があっても、バカ親父筆頭に反対者続出で、出来なかったのでは。
もし長政が信長側に着いたなら、たぶん朝倉領全部貰って、上杉の防波堤になっただろうな。
家康の武田防波堤と同じ扱い。
ひと通り見たけど、的を得た意見は
>>41>>81>>91>>92>>93>>166あたりか?
なぜ信長が浅井と結んだか、って話が出てるけど、浅井には”過剰なまでの”
領土拡張の野心は無かったからとも思える。
浅井が江南どころか近隣を併呑しようなんて野心に溢れてたら、まずもって
信長も盟友に択ばないと思うんだが。
それに代え地云々の話が出てるけど、信長は獲得した領土を家臣にすら
与えているわけではなく預けてるにすぎない。
家康は武田の防波堤であるとしても、浅井に近畿中枢の要衝を与えるわけ
にはいかないんじゃなかろうか。
候補としては、朝倉が介入していた武田氏の若狭あたりなら考えられなくも
ないとは思うけど……。
信長が越前に侵攻したのも、
>>41>>166のいうとおり、確たる同盟関係に
なかったからと見るほうが自然。
長政を過大評価してる香具師が何人かいるけど、六角と抗争を繰りひろげた
のは屈辱的な従属関係を快く思わなかったせいであって、領土の拡張は
副産物に近いんじゃなかろうか。
長政や久政に限らず、浅井そのものが現状維持にはしる家だったと思うが?
190 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/14 23:46
とりあえず的をゲットして良かったね、と言っておこう、
>>189 何が的を得た意見だよw
単に事実を書き連ねただけのレス番挙げてるだけじゃねーか。
どのレス番も何らこのスレに必要な「考察」の部分が欠けてるじゃん。
そんなのは「意見」ではなく「事実を列挙しただけ」だろ。
史実をなぞるだけしか能の無い香具師らの「意見」見て、我が意を得たりと
ばかりに「的を得た」か、おめでたい脳味噌してんなw
×的を得る
○的を射る
○当を得る
>>189 自分の憶測でしか語れないの?
「思う」とか「か」・「が」・「けど」とか、類推疑問ばっかり。
ハァ? 何が言いたいのよ結局?
リアル厨房が何言ってんだか。
武田氏の若狭? 信長の上洛段階での若狭武田氏の動向について何も知らないの?
まあ歴史事実云々より、まずは正しい日本語から学ぼうな。
主語・補語・述語の単純文法すらできてないお馬鹿さん。
まあ戦国時代を自分の目で見てきた奴以外は全部憶測なんだけどな
「憶測」ですか、そうですか。
196 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/15 19:37
どいつもこいつもチンポばっか。
197 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/16 03:30
ゴミどもが
198 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/16 03:59
素直に信長方の方が弱いと思ったんじゃないの?
実際、信長の撤退劇は凄かったよ100kmを1晩で帰るなんて、小学生引率して帰る
くらい大変だろう撤退戦って、しかも道はアスファルトじゃない。
201 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/16 05:53
長政は顔が餅に似ているから、つかれたらコシがでて大いにのびる。
長政は信長に協力したかったが、久政&家来が反対して出来なかった。
勝手な推測。
有名なお市のあずきの件は、長政がやらせたのではと考えると面白い。
203 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/17 06:27
そもそも
>>1の命題自体が間違っている気がしてきた。
>>189が
>長政や久政に限らず、浅井そのものが現状維持にはしる家だったと思うが?
とか書いているけど、信長の朝倉攻めが済んでしまえば、四方が織田領になって、
浅井家はそれこそ現状維持以外することはなくなってしまう。そう考えると、
長政が裏切ったのは、まさに現状維持がいやだったからだろう。ある意味、
裏切ったのは必然だし、裏切るならあのタイミングがベスト。
となれば、命題とすべきはむしろ、
・信長はなぜ長政の裏切りを想定せずに朝倉攻めを行ったか
という点ではなかろうか。やっぱり信長は浅井のことを、「現状維持にはしる家」
だと考えていたのかな。
既出だけど、信長は朝倉攻めに浅井軍を参戦させ、攻略後の旧朝倉領は
浅井家に与えるべきだったと思う。そうすれば、
浅井:領土大拡張。さらに勢力拡張の余地あり。
織田:上杉に対する強固な防波堤ができて、西方に専念できる。
ということで、両家とも(゚д゚)ウマーだし。
ただその場合、朝倉攻めに参戦した織田軍の家臣への恩賞が
ひねり出せないのが問題だな。あくまで同盟関係に過ぎない相手を
あまり大きくしすぎるのも将来的に不安があるし。浅井が家臣ならば、
「越前を与える代わりに北近江は召し上げ」
で済むけど、同盟相手に本領をよこせとは言えないわな。
物語として楽しむなら、谷崎潤一郎「盲目物語」も面白いよ。
お市のお付按摩士の視点からのあざい家の興亡。
189も一理あるが、朝倉攻めは、「名目上」将軍義昭の命令に背いたので、足利将軍・織田・徳川・三好・松永の連合軍。
実態は別にして。
で、義昭は長政も参加させようとしたが、信長が浅井と朝倉の仲を気にして拒否した、という説もある。
怪しいもんだが…
189でなくて、203の間違い。スマソ
越前は北陸の拠点として欲しくてたまらんかったとこだから
たとえ織田、浅井連合軍で攻めたとしても
越前を浅井にくれてやるなんてことは無かろうに
浅井が裏切ったのではない。長政が裏切ったのだ。
坊やだからさ....
210 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 12:18
↑よいこはマネしないでね!
デブだからイマイチ好きになれない 長政
どうせフーフー言いながら裏切ったんだろ 萎
デブでも好きだったら気にしなくなるものさ
長政様・・・だからワシがあれ程言うたでわありませんか・・・
ついでに揚げときまする
浅井の裏切りは本願寺の陰謀だな。
長政としては目の前に信長の首が転がってるんだ、裏切って当然。もし討ち取ること
ができたら近江も美濃も大混乱。自分のものにできるんだぞ。
美しい妻に強力な軍隊、日本で最も富める領国。涎が垂れてくるよ。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 19:54
>211
飢餓が当たり前な当時の日本でデブなんて最高に贅沢じゃないか。
長政と信長との間に小田が越前出兵する時は浅井に連絡が入るという条約がありそれを無視して信長が越前遠征した
ってのが一般説
>>216 そりゃあ常陸から遥々来るんだもの、連絡して当然だわなw
218 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 21:08
kusaiな、
>>217はひょっとするとウンコか?
219 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 02:20
史料から見る限り、朝倉は六角に加担して浅井を攻めたりしていたので
あって、三代に渡る付き合いなどという物も存在しない。
したがって
>>216のような通説を肯定するのは難しいと言わざるを得ない。
両家が確たる軍事的強力関係にあったのは、浅井長政が信長を裏切って
以降の事である。
>>219 でも、浅井家は長政の祖父亮政以来何度も朝倉の力を借りて復興してきていると『日本の歴史』にすら出ているから関係の深さはあるんでは?
>>220 それ言ったら南京大虐殺も強制連行も『日本の歴史』には出てくる罠。
そんな物の史料的価値は皆無。
朝倉宗滴が浅井亮政を攻撃中の六角定頼を支援するため出陣したと
「当国御陳之次第」などに書かれているぐらいで、三代に渡って
世話になったなどという事は無い。
『日本の歴史』を引き合いに出し始めると、いくらでもツッコミどころが
出て来るぞ?w
223 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 04:38
長政らいすっき
224 :
歴史が好きなジャイアン:04/04/07 07:54
冗談なしで長政タンにドラえもんがあったらどうなってただろう… てか久政を殺せよ… 殺さんぐらいなら謀反みたいな事するなよ… でもあそこで裏切った後信長を殺すのを失敗したからその後信長サマに謝って許してって言ったらどうなるの?
信玄の死亡前なら、とりあえず許してもらえた可能性は極めて大きいだろうなぁ。
信長は必要ならば裏切り者でも使う男だし、
あの時点で浅井が寝返り直してくれればどれほど戦略的に楽になるか。
まぁでも二十年後くらいに利用価値が無くなったら、
そのことを持ち出されて領土召し上げの高野山送り、だろうが。
>>211 ノブヤボではみまごうばかりのイケメンですが何か?
227 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 11:54
将星録の長政マジかっこよすぎ
まあ、いちでもかっこいいっていう気はするが
228 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 15:14
225さん質問に答えてくれてありがとう!!じゃあやっぱり長政タンは裏切った時点で終わってたんですね!
229 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 18:48
柴田みたいに追放される前に本能寺来た奴は勝ち組
でも柴田はその後負け組。・゚・(ノД`)・゚・。
230 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 18:51
オンドォルギルギッダンデズガ
亮政は戦に負けまくりって聞いたことがあるんだが、
朝倉とも敵対してたならどうやって勢力拡大できたんだ?
232 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/08 14:04
むしろ亮政は勝つとこは勝ってる。
二代目は六角に臣従したけどw
233 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/09 00:04
亮政が六角に一度も勝たずに(局地戦はともかく)北近江に地歩を築けたのは
朝倉の支援が大きかったと思う。
実際に援軍を出さなくても「浅井の後ろ盾には朝倉がいる」となれば、それだけ
で北近江の他の国人はびびって亮政に従うわけだから。
いずれにせよ朝倉がはっきりと浅井の敵方に回るなどということはあり得ない。
「当国御陳之次第」の「宗滴、江州小谷に出陣」の記載をもって「六角を支援
して浅井方と戦った」ことの根拠としているようだけど、宗滴は軍を率いて来て
浅井と六角の戦いを調停した(というか軍勢をもって六角を恫喝して和睦させた)
だけで、六角の支援なんかしてないし。
だいたい、小谷城下まで攻め寄せるほど優勢な六角がわざわざ朝倉に援軍を求める
理由はないし、朝倉がそれに応じる必要もない。むしろ六角の勢力伸長を防ぐため
浅井を支援する方が良いに決まってる。(信長が毛利の後方攪乱のために尼子家
再興を支援したのと同じ)
それと宗滴が陣取った金吾丸が「小谷城攻略のための付け城」ってのも無理が
ある。これ書いた人は小谷城址に登った事無いんだろうけど、金吾丸は小谷山
の中腹(出丸の東、番所跡や厩跡のすぐ西)にある。敵の城郭のど真ん中に砦を
作る馬鹿はいない。
とにかく、浅井と朝倉の間には同盟というほど対等でないにせよ、親密な関係が
あったのは確かだと思う。もっとも、長政がその朝倉との関係に「義理」を感じて
信長を裏切ったかどうかは疑問だが。
>浅井と朝倉の間には同盟というほど対等でないにせよ、親密な関係が
あったのは確かだと思う。
「当国御陳之次第」だけで不服なのは分かったが、
お前が↑のように思える根拠=ソースは?
235 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 00:58
ソース=史料ってこと?開き直るようで悪いけど、信憑性の高い史料で「浅井と朝倉が
長年にわたり同盟していた」と記述しているものは無いな。「浅井三代記」とか「浅井
日記」「江濃記」「江北記」あたりには出てるけど、江戸期に成立した軍記ものでは
お気に召さないだろうし。(軍記もデタラメばかり書いているわけではないのだが)
しかし、同盟関係を記した信憑性の高い史料が残っていないからといって、両家に親密
な関係がなかったと考えるのは早計だと思う。敗者側の史料が現存していないのは珍し
いことではないし、史料が乏しくても遺構や当時の状況から推論を立てることは可能
なんだから。
逆に信憑性の高い史料だからといって、それのみを根拠にして他の状況を無視するのは
推論を立てる上でキケン。
遺構を例に取れば、野村(姉川)合戦前に美濃と近江の国境に築かれた刈安、長比の砦
や小谷城の月所丸(大嶽から下りた所にある)に朝倉氏の築城技術が使われていること
から浅井氏と朝倉氏が親密な関係にあることがわかる。それ以前に相当親密な関係が
無い限り、朝倉氏がわざわざ浅井氏の領国に自国の築城法を用いて砦を作る理由がない。
また、浅井亮政が六角氏にたびたび敗れながらも捲土重来して北近江に地歩を固めて
いったことは、後ろ盾の存在なしには考えられない。後ろ盾もなく独力で亮政が再起
しても北近江の土豪たちが付き従うはずもなく、隣国の強大国である朝倉氏が後援して
いるからこそ浅井の麾下に入ったと考えるのが妥当な推論だと思う。
これらの事から考えて、浅井と朝倉の関係は、多分に朝倉上位の同盟もしくはそれに
近い関係だったと思われる。
236 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 01:22
補足しとくと、最近では「浅井氏は朝倉氏の被官(郡司クラス)だった」という説も
あるそうだけど、個人的にはそこまでのことは無いと思う。完全に朝倉配下なら、信長
が妹を嫁がせて浅井と同盟を結ぶことは考えにくい。
あくまでも浅井氏は戦国大名として独立していたが、その成立の当初は朝倉と友好関係
にあることを強みとして領内をまとめていたため、半ば朝倉の傀儡政権の様相を呈して
いたと考えるべきだと思う。(長政の代になるとその様相は薄れてきていただろうが)
そうなると、そもそも亮政が本当に負けまくりだったのか?という疑問が
あるな。久政はあえなく六角傘下になったのに、朝倉が何かしてくれた
という話を聞かん・・・
238 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 11:01
おそらく亮政は六角との決戦以外はそんなに負けてないと思う。一時は美濃の
西方(不破郡あたり)にまで勢力を伸ばしていたこともあるんだし、少兵を
用いた局地戦は強かったんではないか?ただ六角が本腰入れて決戦を挑んで
くると戦力差をいかんともできず敗北→朝倉の支援で再起のパターンだったと
思われる。その頃、六角は将軍を抱え、対三好戦でわりと忙しくて、江北に
ばかり関わっていられなかったから、亮政はジワジワと江北に根を下ろして
いけたわけだ。
朝倉としても加賀で一向一揆と対峙し、美濃に介入してたから、朝倉シンパの
亮政を応援して六角の勢力伸長を防ぎたい一方、直接六角と衝突したくはない
から再起を助けるという方法をとっていたんだと思う。
特に浅井が六角に屈してその傘下となったころは、他国にガンガン介入して
拡張路線を走っていた孝景から義景に代替わりしており、宗滴も加賀の一向
一揆の対応に追われている時だから尚更。
当時の江北を描いた地図とか見る限り、あの地域は江南からの侵攻に対してはかなり
守りやすそうだよな。俺九州人で近江なんて行った事ないから実際のところは知らんけど
地元民から見てどうよ?地元の方、お答え願います。
240 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 13:14
江北と江南の線引きをどこでするかにもよると思うけど、坂田郡以北を江北と考えるなら
かなり守りやすいといって良いと思う。佐和山を抑えておけば、江南から江北への侵攻は
ほぼ食い止められる。(佐和山の東は美濃まで山地なので、山から琵琶湖まで幅3キロ弱
しかない平野部を通るしかない)愛知川を境と考えると話しは違ってくるが。
>>240 おお、地元の方だ。どうもありがとうございます。佐和山は磯野丹波でしたっけ?
浅井は地の利を活かして領土を防衛していたんですね。佐和山以南はしょっちゅう
奪ったり奪い返したりしてますもんね。
242 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 13:42
で、長政は何で裏切ったんだ?
243 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 13:44
裏切ったのではなく主君朝倉に
忠義を尽くしたと言ってみるテスト
244 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 13:49
でも朝倉=主君と考えると信長と婚姻同盟してるのおかしくねー?
245 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 14:18
思うに浅井の存在は、安芸一国をどうにか平定した頃の毛利の立場に似てる気がする。
毛利家は大内と尼子の間を上手く渡り歩いて(時には二股もかけて)生き残ろうとし、
大内、尼子の両家は、勢力伸長のため毛利を自陣営に引き入れようとしていたわけだが、
一方の勢力の影響下にあっても臣下ではない。浅井も同じではないかな?
亮政が自立して以来、朝倉の影響を受けながら北近江を守っていたが、破竹の勢いの
信長が接近を図ってきたことから、朝倉との関係を保ちながら信長とも同盟したのでは?
246 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 14:57
つまり浅井は朝倉にほぼ従属している存在であったが、臣下ではなく独立大名であった
ので、信長とも同盟できた。しかし、いざどちらかを選ばざるを得なくなった時に、
国人連合の領袖的な立場の弱さから、他の国人領主の意向を無視できず、朝倉についた
ものと考えられる。
国人領主たちは、長らく朝倉の影響下にいたことから朝倉のシンパが多かっただろうし
その力に信をおいていただろうしと思われる。二条城造営の際のいざこざもあって、織田
は快く思われていなかっただろうから尚更だ。贔屓してる方の力を過大に見積もりたがる
のは人間として当然の心理。
もちろん中には違う意見の者もいたと思うが(長政もそうだったかもしれない)周囲の
状況を考えれば、織田と朝倉の間にそれ程大きな戦力差はないし、国人領主たちの大勢が
朝倉支持に傾いていたらひっくり返すのは難しかっただろう。従属関係にあった朝倉を
支援するほうが大義名分も立つから評議では強いしね。
江北を維持すべし!というのを浅井家の大命題に据えるなら、
明らかにあそこで織田を切るのはおかしい。
戦国大名ってのは、どこも非常にドライな判断をするものだ。
やはり対六角戦(信長上洛戦)に参加したにもかかわらず、
それまで六角相手にじわじわと削っていた江南、浅井家が狙っていた
江南において、一寸の領土も得られなかった、つまり将来的な勢力拡大の
方向性を信長が完全に奪ってしまっていたことが裏切りの要因だろう。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 23:59
>将来的な勢力拡大の方向性を信長が完全に奪ってしまっていたことが裏切りの要因だろう。
ちょっと根拠薄弱じゃないか?そんな理由で盟友を裏切った大名を寡聞にして知らない。
それに国人領主連合体の性質をいまだ残している浅井家の意思決定は有力国人領主達との
合議だったはずだが、根本地主である国人領主が浅井家「将来的な勢力拡大の方向性」に
ついてまで考えるってのは変だろう。地元に根付いた彼らにとって既得権益の確保こそが
最重要課題だったんだから、今後の発展性なんてのは二の次だ。そこに裏切りの根拠を
求めるのは無理がある。
強い方について生き残ろうと思った
↓
けど長い間の朝倉従属の影響が残ってた
↓
「最終的には朝倉の方が強い」という意見が大勢をしめた
↓
裏切った
だと思うけどなぁ。
>>248 織田が勝つか朝倉が勝つかと考えて、朝倉が勝つと思う奴は
そうおらんだろ。
250 :
県民戦士・びわこちゃん:04/04/11 00:27
>>240 江南と江北の境界線は湖東の愛知川、湖西では安曇川。
251 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 00:46
>>250 それは知ってる。でも浅井のことを取り上げてるこの板で「江南から侵攻に対して守りやすそう云々」
と書かれてあるから、浅井と六角との抗争をふまえて坂田郡以北で話しをしたまで。
浅井の領土が佐和山以南に広がったのは、野良田合戦後だしね。
>つまり将来的な勢力拡大の
>方向性を信長が完全に奪ってしまっていたことが裏切りの要因だろう。
可能性としては頷ける話だ
253 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 00:58
>>248 当時はそうでもなかったのでは?現代の我々はその後の歴史をしってるから
「織田が負けるわけねぇだろ」と思うけど、そのころの認識としては「織田
なんて三好の二の舞にだよ」くらいの認識だとしても不思議ではない。
朝倉は大国の部類だったわけだし、長年朝倉に従属してきて朝倉の強さ、豊かさ
を肌身に感じている浅井家の国人領主達にしたら「朝倉に勝ち目なんて殆どない」
と思うほどには戦力の差を感じなかったのでは?
国人領主のだいたいの行動原理=所領安堵
所領の維持が目的なら、幸い信長から出兵は求められてないんだし、
信長が勝てばもちろんよし、
朝倉が勝っても「ボクは止めたんだよ!」とか言っとけば無問題。
>>253 実際織田が朝倉領に侵攻している状況だっただろ。
それだけで織田軍有利なのは明らか、
さらに普通に考えれば織田は負けてもまだ次があるが、
朝倉は負ければそれでおしまい。
国人領主なんてのは概ね事なかれ主義者だから
この状況でよりリスクの高い方にかけるなんてありえない。
大体国人領主だっていろいろな考えの者が居るんだから、
合議によってそんな大胆な行動の合意が得られるとは到底思えない。
のんびり合議なんてしていたら
>>254のとおり結局何の行動もしない、
ということになる可能性が一番高い。
とすると、やはりこの行動は浅井氏の意向によってなされたと見るべきでしょう。
順慶みたいに洞ヶ峠を決め込むってこと?その後の筒井家を見る限り良い方法とは思えん。
>255
長政の決断だったとすると
1 朝倉への恩義(従来の通説)
2 朝倉からの命令(朝倉被官説)
3 朝倉が勝つと判断(事実錯誤説)
4 天下を狙える好機と判断(野望説)
5 周りが織田領になる事への危機感(危機感説)
6 江南の仕置きや二条城造営時トラブルに対する怨恨(怨恨説)
のどれかってことか。あと何かある?
>>256 筒井家にとってはね、
しかし国人領主の意向とすればそんな判断が一番妥当でしょう。
つーか、国人領主には朝倉派、日和見派、
そして現時点で勢いのある織田派なども当然いたはずで、
合議で決めようなんてしても簡単に結論はでず結果的に日和見にならざるを得ないでしょう。
逆に朝倉領に織田が攻め込んでいる状況で、
国人領主が一致して朝倉に付くと決断するような朝倉有利な条件があったとは到底思えないが。
>>256 確かに日和見を決め込むのは浅井家にとって良い判断とは思えない。
だからこそ、
信長を打つという決断は浅井家によってなされたと判断するのが妥当だろうと。
260 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 12:55
>>257 長政によるものなら5っぽいな。
久政がからむと1と2と3も加わるかも?
と勝手に思い込むのは山岡小説の影響からかな・・・
>>255 >国人領主なんてのは概ね事なかれ主義者だからこの状況でよりリスクの高い方に
かけるなんてありえない。
だとすると長政が朝倉支持を決めた時に何で反対しなかったんだ?
国人「我々は派兵には反対でございます」
長政「何を言うか!命令に従え!」
国人「嫌だ。お前なんか元々は俺たちと同格じゃねーか。みんな帰ろうぜ」
>>261 既に国人領主の合議体制を脱し、
浅井家による指導体制に移行しつつあったってことだろう。
裏切った当時の浅井氏の所領周辺の状況を見れば長政の決断は理解できるように思う。
織田の所領となった江南は信長が死ねば残るのは小勢力のみ。宿敵六角は再起不能。
濃尾は織田の本貫地だが信長が死ねば幼主の治めるところとなる。織田家は一門の力が
弱いから幼主を支えることはできまい。加えて有力家臣は越前に信長と共に在陣中。
そして越前から近江に抜ける街道さえ抑えてしまえば信長は袋のねずみ。まず命を失い
家臣団も壊滅するだろう。
そうなれば上に書いてきたような状況から信長の遺領は無主の地同然。切り取り放題と
なり、浅井は日本一の大大名になるだろう。
以上のようなことを長政は考え、裏切ったのではないか?ところが国人連合の悲しさ、
召集に時間がかかり、結果として浅井は滅亡してしまった。
長政は織田の上洛の際に信長の実力に瞠目させられ、自分も信長並の力を持ちたい、
という野望というか幻想にとり憑かれていたのだろうと思う。
かつて遠藤直経に信長を殺すよう進言されたときには、この目で信長の実力を見ていた
わけではなく憑き物にとり憑かれることもなかったのだろう。朝倉との交誼云々は
真相を隠し、美化するために持ち出したものにすぎないものと思うが。
言っておくが資料はないぞ。資料批判されてもどうしようもないからな。
265 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 13:43
なんか、これまでの経過を見てると
>>255「国人領主達は所領安堵優先で事なかれ主義」
とか
>>247「戦国大名はどこも非常にドライな判断をする」
っ言うのはちょっと断定し過ぎじゃないかな。単純に有利不利で付く方を決めるとも
思えない。本当にそうだとすれば、江北に信長が大軍を率いて出陣して来た時点で
相当数の国人領主が寝返ってそうなものだろ?それなのに以降3年にわたって相当数
の国人が浅井方で頑張っている。この時代とは言え、ある程度の帰属意識があったのでは?
浅井は朝倉の影響下にあった時期が長く、被官ではないかととられるほどの関係があった
のだから、朝倉に対する帰属意識も低くはなかったと思うが。
>>265 確かに国人領主には、圧倒的に不利な状況でも少なくとも数年は浅井方に残る程度には、
帰属意識も忠誠心あったとはいえると思う。
だからこそ浅井家が信長を討つと決めたならそれに従った、とも言えるだろう。
しかし、それらの国人領主が緊急の時に一致団結して朝倉方に付こうと判断し、
浅井家にそのように行動するように働きかけるとは思えない。
国人領主が浅井家を飛ばして朝倉家にそれほど強い帰属意識を持っていたとも思えないし、
結局あの浅井家の行動はあくまで浅井家の判断によるもので、
国人領主の合意によるってことはないでしょう。
無論、その浅井家の判断がどんな理由によるかはなんとも言えないだろうけど。
267 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 14:49
いや、国人が浅井家を飛ばして朝倉家に強い帰属意識を持っていたというのではなくて、
当主の長政も含めて浅井家全体が、長らく影響下にあった朝倉に帰属意識を持っていた
のではないかということ。いわば「家臣意識」、乱暴に言ってしまえば、従来の通説である
「恩義」ってこと。
朝倉と織田の戦力差が、もうハナから勝負にならんというほどではないのだから、その
「恩義」に引きずられても不思議ではないと思う。
もちろん、
>>263の言うように勢力伸長の好機と考えなくはなかっただろうけど、それは
あくまで二次的なものではなかったかな?
朝倉だけでなく、一向一揆、
信長の背後にいる信玄なんかも
計算に入れれば
机上では反信長が有利に見えないか・
>>267 それは結局浅井家が朝倉についた理由についての意見だよね。
こちらが反論していたのは、
朝倉についたのは浅井家の判断というより、
国人領主の合意によるのではないかって意見についてだから、
まあ違う議論ですな。
>>268 まだ浅井が裏切るあたりでは、
反信長連合はきちんと成立していなかったと思う。
武田は上杉との抗争で忙しくて徳川・織田領に本格進行する気配はなかったし、
石山本願寺も完全に敵対行動を起こしてはいなかった。
むしろ浅井家の裏切りで信長が敗走したからこそ、
一気に反信長連合が成立したと思うんだが。
271 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 18:39
>>269 なるほど、それは失礼。
しかし、国人領主が朝倉支持に回ったことが、決断する上で大きな影響をもっていたと思うなぁ。
もちろん、色々な意見はあっただろうが、国人を含めた浅井勢力全体が朝倉に対する「帰属意識」
(「恩義」と言い換えても良いが)を持っていたとの推論に立てば、おそらく、親織田はかなり
少数意見だと思われるし、その少数意見にしたところで、その「恩義」から完全に抜け出している
わけでは無いと思う。だから合議でその「恩義」を持ち出されれば、強くは反論できなかったはずで、
議論噴出して対応定まらずなんてことは無いだろう。
そうなってしまえば、長政がどんな意見を持っていたところで、ひっくり返すの難しい。別にそれは
国人一揆の領袖的立場から脱却しつつあったとしても同じ事。(謙信ですら家臣の反対で派兵を取り
やめたことがあったように思う←これはうろ覚えなんで、余り自信ないが)
>>271 なるほど、
ただ、そうすると前にも言ったとおり
北近江の国人衆が浅井家にならともかく、
朝倉家に対してそれほど恩義を感じていたのか、
ってのが疑問になるんだけどね。
まあこっちも明白な根拠があるわけじゃないからなんともいえないけど。
273 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:59
>>272 北近江の国人衆が浅井家にならともかく、朝倉家に対してそれほど恩義を感じていたのか、
ってのが疑問になるんだけどね。
たしかに、浅井朝倉の同盟(といわれているもの)が従属に近いような関係だっただろう
という推論の上に、更に推論を重ねた話しなので、確証は全然無い。
あくまでも一つの考え方というところで。
ちなみに
>>257の4の「野望説」も実は嫌いな説ではない。むかし羽山信樹が書いた
「第六天魔王信長」という本を読んで、ギラギラしっぱなしのいかにも戦国武将らしい
長政に感銘を受けた覚えがある。散り際も格好良くてお気に入りの一冊だった。
恩義だけで身を滅ぼすかなぁ?
武田の自壊や、小田原評定を考えると
そうも単純ではないと思う。
清水宗治なんかが有名なのは
珍しかったからでしょ?
江北三郡に限ってみても、小谷城に入らず周辺を固めていた国人領主は
信長が攻めたらほとんど抵抗せず降った方が多いわな。
小谷城に入ってしまったらそう簡単に一抜けたとも行かないだろうし。
276 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 08:50
>>274 別に浅井家としては「身を滅ぼしても朝倉家に付いていくぞ」と考えていたわけではないだろう。
何度も書いているが、浅井が裏切った時点では朝倉と織田の戦力差に、ハナから勝負にならない
ほどの開きはないのだから、(金ヶ崎時点での戦力差位なら、持ちこたえた例はいくらでもある)
これまでの恩義から「ちょっと不利だが朝倉に付くぞ」(不利という認識があったかどうかも疑問だが)
と考えても全然不思議ではない。
>>275 滅亡前の時点での話しだろ。そこまで戦力差が開けば恩義とか威勢の良いことも言ってられなくなるわな。
277 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 09:43
信長「俺さあ…濃と愛し合ったなぁ…」
長政「俺の知ったことか!」
信長「粉かけたらすぐに寄ってきたんだ…」
長政「男と女のやること、珍しいことでもない」
信長「市もなんだ」
長政「な、何を言ってるんだ…?」
信長「いやさぁ、妹だなんて馬鹿にしてたさ。
がね?いや味わい深くて感動したぁ」
ここで長政は信長に突撃するが、羽柴軍がそれを突き返す
長政「くぅ…!」
信長「アヒャヒャヒャ!怒れよ!」
長政「あああああああ!」
信長「普通こういう話は面白がって聞くもんだぜ?怒るって
ことの意味はわかるよなぁ?」
長政「嘘だぁぁぁ!!信長流の強がりだー!!」
信長「なら市に聞いてみろよ…情熱を秘めた肉体」
長政「貴様あぁぁぁ!!」
278 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 13:28
>>276 いや、1570年の段階でも国境の国人とか、結構寝返ってる。
279 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 14:08
刈安、長比の堀(樋口)とかのことか?
でもそれは少数派。寝返りが本格化しだしたのは、佐和山陥落後。
280 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 02:21
むしゃくしゃしてやった
(織田家が)滅びればいいと思った
281 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 09:50
その当時の信長軍は「身の終わり(美濃尾張)」と言われる程度の評価なんだから
勝てると思ったんじゃないの。浅井も朝倉も少兵をもって大兵に打ち勝ってきた
(対六角の野良田合戦、対一向一揆戦)過去があるから自信もあったんだろ。
283 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 23:37
以前にもふられてた話題だけど、金ヶ崎で裏切らなかったら、長政はどうなってたかな?
284 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 11:10
↑
というようなイベントを太閤Vのイベントツールで作ってみようと思うんだが何か案ある?
285 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 12:05
越前加増。対一向宗の最前線&捨石。
前波の二の舞になって越前の領国の大半を失う。
ほくそ笑む信長
金ヶ崎で裏切る事も出来ないような従順な浅井家に未来はない。
北畠の二の舞になるのがオチ
>>285 家臣でなく同盟者である長政が、出陣してない戦の戦果に預かることはない。
| `'‐ 、, \
└ 、,,_ `'ー----‐'"'i
. 〃'‐-.、,,__,,,、ィ.、
. /:i ヽ
|:::ヽ ゙,
|::::::`;-..、. ,,、、、、 -', むしゃくしゃしてやった。
|::::/r,'i;!´ 、.ェェ: i ェ! 相手は誰でもよかった。
|::::l,{ ''. ヽ i まさか(頭蓋骨を)杯にされるとは思わなかった。
!:;、ヽ,, ,, ,、ニニ、, l 今は反省している。
,、ィ" i ';;, リ´''''''ヾ./
''´;;;;;ト, ` .、 /---
;;;;;;;;;l ヽ `'ー-- f=F〈;;;;;';;;;;
;;;;;;;;;;', ヽ | |;;;;;;';;;
浅井 長政
家臣扱いされて国替えとか。
290 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 09:05
「裏切らない」にしても選択肢は色々ある。
1 手勢を率いて朝倉攻めに参陣する
2 朝倉以外の反織田勢力(江南の六角残党など)を叩いて後方支援
3 洞ヶ峠を決め込む(小谷から動かない)
4 織田、朝倉両氏に使者を送り和睦を調停する
ほかにもあるかな?
291 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 10:00
1はかなりの積極策。朝倉に非違(上洛命令に従わないとか)を糾弾する
絶縁状を叩きつけて越前平定戦に加われば、織田家中における義弟殿の
評価はかなり上がる。越前南部または若狭あたりを配分される可能性も
ある。ただし、配下の国人はかなり反発する可能性が高いので、越前での
戦況と長政のリーダーシップが問われることになるだろうが。
2は次善の策。越前平定戦に加わらずにじっとこらえて、六角や三好が
動き出したらすかさず叩く。宿敵六角相手なら配下の反発も少ないし、
信長にも恩を売れる。江南領有への足がかりにもなる。ただし、越前平定戦
がすんなり終わると(そんなことはないと思うが)六角、三好は動かない
おそれもあるので一種の賭けだ。
3は現状維持策。信長も越前平定戦に浅井の参陣は期待してないので、
咎められることはないだろう。ただし織田家中における浅井の評価は低く
なるだろうし、配下の不満もたまるし(1、2なら新領地を得ることで
ガス抜きもできるが)で後々に危険要素をはらんでしまう。
4は浅井家の政治力を考えると実現困難だが、両方に義理立てして両方に
嫌われるパターンで下策。問題の先送りに過ぎないしね。
292 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 11:21
ごちゃごちゃ屁理屈だそうが、真実は一つだけ
信 長 が 怖 か っ た
それだけだ
| `'‐ 、, \
└ 、,,_ `'ー----‐'"'i
. 〃'‐-.、,,__,,,、ィ.、
. /:i ヽ
|:::ヽ ゙,
|::::::`;-..、. ,,、、、、 -', 裏切る気はなかったんだ。
|::::/r,'i;!´ 、.ェェ: i ェ! 信りんに援軍出そうとしたのに、
|::::l,{ ''. ヽ i 裏切ったと勘違いされちゃってさ。
!:;、ヽ,, ,, ,、ニニ、, l あの人の早とちりには参っちゃうね。
,、ィ" i ';;, リ´''''''ヾ./
''´;;;;;ト, ` .、 /---
;;;;;;;;;l ヽ `'ー-- f=F〈;;;;;';;;;;
;;;;;;;;;;', ヽ | |;;;;;;';;;
>>294 あり得るかも。っていうか「援軍に参りました」とか言いながら襲いかかればよかったのに。
/\
/ \
 ̄j ̄ ̄ ̄l_
、,/ \ ゙゙゙゙゙̄>、
i"___,,,,,、、 ---‐'" 」
l____,,、、--‐‐、''"
/ .l;;;;;;;;;;;;i
. / l;;;;;;;;;;;l
. |__ __,,,, l;;;、r.、! ボクだってそうさ
'、__` ´_,, l;;;'.'´ l 西国に向かう途上に本能寺に挨拶に言ったら
|'゙'` ノ ."'゙''"´ l;;'` ' ノ 裏切り者扱いだもん
|. / 、, .、_ノ;| 思わずキレちゃったよ
l ` '' l ヾ'、
ヽ. --- / ./l l\、
ヽ ''' ノ ///:::::::`i`''-.、_
,、-r‐''ヽ、,,,,,、.- '" .//./:::::::::::l l
'"´ .| |::::|ヽ、 .,r'./ /:::::::::::;' l
| |:::::| l ', / / /::::::::::::;' !
298 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 15:59
朝倉への「義」オンリー
朝倉とは半主従的な同盟だったんでない?
織田と徳川のようなあの感じ。
すると、やっぱり仕方ないんでねい?
裏切ったというより、
くっついたけどやっぱ離れたって風で
300 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 00:00
義で死ぬってのは出来過ぎな気もするけどな。
逆に情勢を見て・・・っていうのもな、、、
うちも仮説たてますか。
父親の裏切りともいえる行為を糾弾して長政を担ぎ上げた浅井家は、
情勢を見て強いと思われる方につく方針は許されないんじゃ?
故に家臣団や国人の有力者にとって、盟約破りの織田につくって事は、
あまり高らかに言えなかったのではないかな。
長政も担ぎ上げられた人物といえど、六角を攻めて領土を増やした功績はあるから、
浅井家代表として発言力は十分だった。
長政決起の理由は、やはり顔に泥を塗られた事だとおもう。
『カワイイ嫁をあてがった位で、盟約破りとは何事だ!』
まだまだ若い長政なんだからこんな若々しい思いもあったかも。
朝倉の恩義が前面に出てくる理由はそれが『大義名分』だったからだと思うんだよね。
突っ込みどころの多い駄文ですが、長政同様『若気の至り』ってことで。
そもそも、そんな「盟約」の存在を主張する資料は後世に書かれたものばかり。
朝倉が浅井を助けたと言えそうなのも、亮政の時に一回だけ。
盟約がなかったとすると、
浅井長政のイメージは反転しますな。
強い独立志向、天下への意欲、強欲、過剰なまでの自信(?)
カワイイ嫁&天下(金持ち、名声)&イケメン
こんな奴だったら負けてよかったと思う自分がいた。
303 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 11:08
長政とお市の婚礼(織田と浅井の同盟)時期については、永禄10年(1567年)
説をはじめとして同4年(1561年)説、同7年(1564年)説があるが、永禄10年
説をとったとしても、信長よる美濃攻略が完了する直前で、足利義昭も越前に
いる時期であり、信長が朝倉と事を構えるかどうか(天下に号令する存在に
なるかどうか)は判然としない状態。
こんな状態で「朝倉を攻めない」という盟約を結ぶとは余りにも先走りすぎで
考えにくい。永禄4年説や7年説なら尚更のこと。盟約は後世の創作と考えて
よいと思う。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 11:39
その上で、浅井家が信長を裏切ったのは、朝倉家に対する恩義によるものだと
思う。浅井家が(紆余曲折はあったが)亮政以来、朝倉家と並々ならぬ関係
にあったとの推論は、遺構や浅井家の戦国大名としての成り立ちから考えれば
ごく自然であり、浅井家はその流れから朝倉家に荷担したのだと思う。
そしてもう一つ言えることは、金ヶ崎退き口の時点では、織田と朝倉両家に
それ程大きな戦力差はないということ。織田軍が3万近い軍勢を擁して侵略
し、支城2つを落としているとはいえ、朝倉にも2万の本隊が無傷で残って
いるのだから、地の利を考えれば充分勝負になる。浅井家もそう読んだから
朝倉家についたのだろう。朝倉家が弱小大名で滅亡必至なら恩義があっても
味方にはつかなかったと思うがね。
305 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 11:46
つまり、「恩義ある方につく」というのと「義のために死す覚悟」と
いうのを一緒にしてはいけないということ。朝倉と織田の戦力差が、
それほど開いていなければ、あとは当家の判断次第だ。
306 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 12:47
バカくせー。将軍家に踊らされただけだろ。
結論が2年前に出てるよ。
307 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 13:01
2年前って何?
ウエディング
なんだそういう意味か。2002年に新たな証拠資料でも見つかってたのか
と思った。つまらん。
310 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 15:34
>>303 永禄10年だと、5人も子供ができた事実が苦しくないかい?
311 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 15:58
あげ
312 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 16:01
6年で5人だから無理ではないが、確かにハイペース。
永禄10年説は、同年に長政が織田重臣の市橋長利あてに「信長との
関係を周旋してもらいたい」といった内容の書状を送っていること
が根拠とされている。永禄4年や7年に婚礼の事実があれば、市橋の
周旋など必要ないだろってこと。
313 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 21:42
長政同盟に酸化しる
浅井家自体、ゲームのような大名扱いされるほどの統制が取れていたかが疑問。
信長が六角家臣の嫡男に娘を嫁に出したりする(蒲生)時期だし。
実際の浅井家は有力国人クラスでしかなかったのではないだろうか?
315 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 22:52
たしかに一部の研究者の間では、「浅井家は支配基盤が弱く戦国大名とは言えない」
という説もあるな。
しかし、長政のころになると、郷村間の(つまり国人間の)水利争いを調停したり、
亮政時代に同列であった国人に感状を出したりして、他の国人との差がかなりはっきり
してきている。
また一部国人を所領替えしたり、城下に屋敷をつくらせて本貫地との引き離し工作を
進めるなどして国人を被官化しているので、戦国大名と言っても差し支えないと思うぞ。
織田家側からどう見ていたのかが問題になるだろうな。北畠・神戸・長野家に養子を入れたり
細川京兆家に妹を入れたりしている時期に、浅井家に妹を嫁がせた理由は
有力国人の懐柔ではなかっただろうかとは考えられないか?
317 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 10:00
伊勢の三家とはかなり事情が違う気がするが・・・。
あれは信長の侵攻に耐えきれず降伏したら「うちの倅(弟)を養子にしろ」と
言われ、実質乗っ取られたんだから。
それはともかく、
>>316が言いたいのは「信長は浅井家を有力国人と見ていた
ので、倅を養子に入れることで家臣化させた伊勢や江南の国人達と同じように、
家臣化する目的で妹を輿入れさせたのではないのか?」ということだと思う
けど、浅井家が有力国人だろうが戦国大名化していようが、目的が懐柔(味方
に抱き込むこと)なのは同じ。あとは、その家との力関係により家臣化される
か同盟国の地位にとどまるかが決まる。
浅井家はある程度戦国大名化が進んでいて力があったし、信長も美濃を平定
できていない時期なので同盟国として扱われたと思うな。
漏れの想像だが腹減ってたんで裏切ったと思うよ
信長が上洛したときに挨拶にきた連中に対して、「先に弟(長政)の
ところへ挨拶しにいけ」と言っていたのだから、同盟者として扱われ
ていたと考えて間違いないだろう。
320 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 13:10
しかしもったいないな。あの信長がそこまで気を遣ってた相手ってあんまり
無いんじゃないか?徳川よりは良い扱い受けてるよな。
弟だったら格下扱いだろ。浅井は完全独立していたとは言えず、いつでも
京極六角朝倉織田の影響下にあるし。大名というよりは大被官(?)とでもいうべきかな。
322 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 13:48
べつに信長と同格である必要はないだろ?
朝倉と同盟組んでても朝倉一門より下の扱い(志賀の陣で京都を占拠した
際に朝倉景健と連名で発した禁制では、景健の名前が先に書いてあった)
なんだから、弟として家臣団とは一線を画した扱いをしてくれる信長に
ついてた方が明らかにいいと思う。
>>310 何年に嫁いだにせよ、側室がいたと思うが。
>>323 5人とも(一説には4人→次男なし)お市の子だったと言われてるし、
側室がいたという記録がないんだよ。輿入れしてすぐ離縁した正室
ならいたが。(平井加賀守の娘)
325 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 15:17
>>317 明確な家臣であるなら、信長から知行安堵の文書が発給されるかと。
そうでなければ同盟者的な存在になるだろうね。
時期的に同盟者だろう・・・
>>324 信長公記に言う浅井備前十歳の嫡男を長男・万福丸と考えた場合、
これがお市の子供だと輿入れが1563年以前でなければならないが、
市橋伝左衛門宛書状から輿入れはもっと遅いと考えられる。
するとお市の子供では無い。お市の連れ子ならアリだけどw
次男・万寿丸は小谷城落城時に生まれたばかりだったとされているが、
三女である小督の生年が1573年だからお市の子供というのは無理っぽい。
小督との男女の双子ならこれもアリだけど。
>>325 すると、万福丸、万寿丸ともに妾腹の可能性が高いということか・・・。
更に浅井井頼が長政の子とすると他にも側室がいた可能性があるわけだ。
もしくは長政とお市の婚礼は永禄7年以前で、市橋長利宛の書状については信長
との周旋を頼んだものではなく、単に連絡を取りたいという内容だったとか。
(市橋長利あての書状が同盟の周旋を頼んだものとすると、婚礼までの段取りが
早すぎる、何故頼まれた方が人質(お市)を出すのか?等といった疑問が残ると
いう考え方で永禄4年説、7年説が出てきたらしい。)
>>326 永禄4年説は川角太閤記だね。
磯野員昌が尾張を旅していた時に病気になり、信長が城下で静養させて
やったところ、員昌と信長が仲良くなって長政とお市の縁談が
まとまったという・・・
永禄7年説は浅井三代記。ただし正確には婚約が7年で輿入れは8年と
書かれている。
永禄7年に信長が美濃を平定し、翌年にお市を嫁がせたと書いてある。
だけど実際の美濃の平定は永禄10年・・・
>>326 未だ申し述べ候はずといえども、啓達候。尾張守へ書状を以って申し候。
よろしく御執り成しに預かるべく候。よって太刀一腰・馬一疋進覧候。
向後申し奉る便までに候。尚氏家方・伊賀方伝説有るべく候。恐々謹言。
九月十五日 長政(花押)
市橋伝左衛門尉殿
御宿所
ただ連絡を取りたいという文書ではなく、
尾張守(信長)に刀と馬を送るからよろしく言ってね(はぁと
という書状だな。
で、お市の輿入れ後に信長の家臣経由でよろしく言ってもらう必要は
無いよね。
書状には年号は無いけど、信長が尾張守を名乗ったのは永禄9年9月13日
から永禄11年の8月頃までだから、永禄10年の書状だと言われている。
>>327 >>328 なるほど、納得。永禄10年説で間違いないわけだ。お市は我が子万福丸を
串刺しにされて秀吉を深く恨んだというイメージも再考せんといかんな。
>325
連れ子&養子乗っ取りを併せて考えると
万福丸はお市と信長の子。
長政はそんな話に耐えきれなかったので
信長ゴラァの旗を立てた。
決定だな。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 12:27
>>330 浅井家の嫡男がお市の連れ子だったとは・・・
そりゃおれでも・・・
332 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 13:39
最後天守閣で一緒に花火見たやん
>>330 あいつらって異母兄妹だろ?
んじゃあまり萌えないね。
334 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 01:32
それだったら何故万福丸は処刑される?
兄弟姦淫の醜聞を秘すため
生き証拠を消した。
337 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 14:48
話は違うんだけど、大河ドラマって主人公が優柔不断で、ウジウジといつまでも
思い悩むシーンが多いだろ?信長とか近藤勇とかがウジウジ悩んでるのを見ると
イライラしてくるんだけど、長政が主人公で悩んでたら絵になる気がする。
設定もドラマチックだし。NHK作ってくれないかな?
(1950年代に「お市の方」という映画があったくらいだから不可能ではないかも)
>>337 長生きしてないし,これといった逸話も少ないし。
それで一年もたせるのは辛くないか?
339 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 15:49
いやいや、そうでもないよ。
亮政時代の威名も地に墜ちた浅井家に誕生した祖父生き写しの長政。
文弱な父(久政)と対立する家臣団に期待され、鍛え上げられる幼年期。
家名復興に燃えるが故に、六角家から嫁いだ妻を愛していながら(という
設定)も離縁し、父と対立、そして六角との野良田合戦に臨む少年期。
朝倉との交誼を重んじながらも信長と同盟し、絶世の美女お市の方をめとる
が、上洛戦で浅井家と織田家の確執がくすぶり出す青年前期。(信長暗殺
未遂もある)
そして青年後期。最大の悩みどころ、金ヶ崎退き陣をはじめ、姉川の戦い、
秀吉との江北攻防戦、小谷落城におけるお市、娘たちとの別れなど苦悩する
シーン盛りだくさん。どんどんウジウジしろって感じ。
伊達政宗や毛利元就に比べて、絡んでくる敵方も豪華(信長、秀吉、家康)
だし、一般受けしそう。
340 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 16:06
信長の朝倉攻めを黙って見ていたら家臣に殺されていた。
同盟相手の非を黙視しない。戦国の世とは言え侵しては
ならない掟がある。日本もアメリカが朝鮮半島を攻めたら
アメリカに対して反旗を翻すべきだ。
341 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 18:25
同盟相手の非を黙視しないのはいいとしても滅んじゃダメだろ。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 21:13
>>340 敵視してるくせに、日本に頼るなっつーの。
343 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 23:09
素朴な疑問 長政って兄弟いたの?
たしか姉がいた筈。
あと、弟も。
えらく記憶があいまいだが。
345 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 00:42
信長が急激に勢力を延ばした新興勢力に過ぎず
さながら木曾義仲のようなポシャリそうな勢力で
信長の強引なやり方などを見て
ついて行く事に不安を感じて、
足利義昭の信長包囲網に荷担したのじゃないのかな?
軽視されがちだけど足利将軍家の威光というのは
当時でも結構あったんだよね。
ただなぜ妹を嫁に貰った織田といとも簡単に決別したかというと、
長政が某漫画みたいに天下を狙うとか大それた事は考えてはいなかったろうが、
単に南近江の大部分を取られるなどして勢力伸張を妨害された事に恨みを感じてたのだろう。
思うに浅井の概念では勢力伸張は南近江に限るというような概念しかなく
いずれは織田に飛び地領土なり越前若桜方面なりを貰えるとかいう斬新な発想はなかったと思う。
信長も浅井をずっと北近江の限られた領地に押し込めておく気はなく家康のように
ちょくちょく勢力伸張させてやろうとは思ってたと思うけどね。浅井は理解できなかった。
>>345 長政が裏切った時点では、信長包囲網などないぞ。
347 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 09:47
>>345 >南近江の大部分を取られるなどして勢力伸張を妨害された事に恨みを感じてたのだろう。
なんで恨みに思う必要がある?別に領土拡張が至上命題ってわけでもないだろ。
それに
>思うに浅井の概念では勢力伸張は南近江に限るというような概念しかなく
って何だ?亮政時代や長政時代に美濃に侵攻してるんだけど・・・。
>>347 領土拡張は浅井家にとって至上命題だったのではないか?
でなければ、六角と縁を切って戦ったりする必要は無い。
美濃の信長と結んだら、勢力拡大の方向は既に江南しか残っていない。
だがそれは全て信長のものになった。浅井家も出兵していたにもかかわらず。
とすれば、もはや朝倉との関係を清算して北に勢力を伸ばすか、
信長と切って江南なり美濃なりへ伸びるかの二択。
信長は長政を伴わない越前遠征をやったことで、長政を江北の一勢力の
ままに留めようとする意志を明らかにしたから、浅井家にとって
前者の選択肢は消えて後者を選んだというだけのことだろう。
クリックしても開けなかったから
>>348 うーん、そうかなぁ。野良田合戦は防衛戦だし、観音寺騒動における出兵に
したところで、義治と対立した六角臣下との共謀で攻め込んだ火事場泥棒
(言い方は悪いが)みたいなもんだし、浅井家があえて強大な織田家に敵対
してまで領土拡張を目指していた根拠にはならん思うが。
むしろ織田家と結んだことで、本貫地である江北への侵攻の恐れがなくなり
喜んでいた可能性だってある。
戦国大名化が進んでいる大名ならば、意思決定するのは大名本人だから「領土
拡張=自領の増大」で意欲が強いのも判るが、当時まだ領内国人の盟主的立場
を脱し切れていない浅井家では、意思決定は浅井家当主と国人領主たちとの合議
で決定していたはずで、領土拡張が即、自領の増大に繋がるわけでない国人領主
達が、自領を危うくする危険を冒してまで領土拡張に突っ走るとは考えにくい。
よって織田家と決別した主な理由は領土欲ではないと思う。
351 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/22 12:12
長政がそうだったかどうかはともかく、意地とかプライドとか義理とかいった
ウエットなものが原因で無謀な行動をとった武将って結構いるよな。
坂崎出羽守とか別所長治とか松野主馬とか。
352 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/22 13:09
いろんな情報が手に入る現代人だからこそ
朝倉と通じて織田を敵にまわすというのが無謀に感じるだけ。
現代人ならちょっと検索したり歴史群像みたいな一般向けの本を見ただけで各勢力の経済力とか軍事力がわかるけど、
当時の事だからねえ、朝倉とか複数の勢力と組めば新興の織田を追い出すくらい簡単と判断したんじゃないかな?
353 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/22 13:34
>>352 たしかに。金ヶ崎退き陣の時点では、伊勢、江南、山城あたりは勢力下
ではあるけれど領地としていたわけではないしな。
充分勝負になると読んでもあながち無謀とは言えないな。
おもしろそうだが長文多過ぎ
>>354 それが当り前
オマエがいつもいる狼板とは違う
356 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/29 13:31
信長を裏切って戦い、玉砕した若き戦国武将というところでは播磨の
別所長治も同じなのに、なんで人気無いんだろう?
↑
sageるつもりだったのにageてしまった・・・。すまん
それ言うなら山口教吉(教継の子)も信長と互角の戦いをしてる
浅井親子と比べて、何で人気無いのかな山口親子は
>>358 うーん、何かこう身の振り方に美しさがない。議論の余地もなく、弱い方
(信長)を見限って強い方(今川)についてる感じで。死に方も華々しく
戦って死んだんじゃなく、今川方の手で誅殺だからなあ。
>>356 別所長治はゲームの顔グラが地味だからじゃないか?
361 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 19:45
浅井の場合は一時的に信長を追い詰めたし、見せ場も結構あるからじゃないかな
やはり、お市の方の存在なくしては語れまい。
美人の嫁さんもらって織田家の言いなり、
などと言われたくなかったのだろう。
という悲恋が想像できるからこその人気ではないかと。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 07:29
みんな蜀将スレにでも行ってしまったのか
365 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 07:37
織田信長が裏切ったのだ
長政的には勝算があったはず。
当時の信長は尾張・美濃・南近江・山城を抑えていただけに過ぎず、将軍義昭とかなり不仲だった事も
当然知っていただろうし。
当時の浅井・朝倉は延暦寺を味方に付けて持久戦の構えで、おそらく軍事に暗い義景は実質蚊帳の外で
実際主導権を握ってたのは長政だっただろうから、じっくり構えて反信長勢力を集めるつもりだったんだろうな。
たださすがに延暦寺の焼き討ちという害基地行動までは読めなかったと。
加えて当時の長政はまだ所領を自分の意志で切り盛り出来る状態じゃなかったから、
とりあえずの時間稼ぎの策であったと思われ。
延暦寺を味方に引き入れたのは姉川以降でしたな。スマソ。
369 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/12 19:48
>>367 「反信長勢力を集めて持久戦にもちこむ」ほどの政治力が長政にあったかどうか
はともかく、浅井家としてはこれまでの近江抗争の経験から「一通り凌ぎきれば
相手は攻めあぐねて引き上げる」という考えを持っていたのではないかと思う。
ところが信長はしつこく藤吉を居座らせて、間断なくちょっかいを出し続ける。
「鬼のいぬ間に勢力回復」という初代亮政お得意の方法も使えずジリ貧になって
いく。これは誤算だったのではないかなあ。
370 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/13 22:24
そういや久政は亮政の実子じゃなくて六角家から入った養子って
話を聞いたことがあるんだが実際どうなのかな?
371 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/14 15:59
そういう説もある。
・久政の浅井家中における求心力が弱かったこと
・久政が六角家に対する政策を強硬策から宥和策に変えたこと
・久政が当主の時期、六角家の侵攻で苦境に陥った浅井家を朝倉家が何ら支援をしていないこと
といった事などからまるっきり荒唐無稽でもない。
亮政の死後、六角家の後盾で同じ養子の(田屋)明政との後継争いに勝ち、六角との宥和政策を
推し進めたが、配下国人の反発で苦境に陥り、六角家の支援を求めたため、六角家は江北に侵攻
し浅井家内の反久政派を黙らせた。朝倉家はお家騒動なので傍観という筋立て。
まあホントのところは、久政が幼少時、一時、人質として六角家に預けられていた事から出てきた
説ではないかな。
372 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/15 15:19
久政の兄に「高政」というのがいて非常に優秀だったが17歳で夭折した
という話もある(高政の息子が政種)。これはチト嘘っぽいが。
373 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/17 23:00
別に裏切った理由を無理矢理一つに絞る必要は無いんじゃないか
朝倉家に対する義理も当然有ったろうし、長政の野心も有っただろう
或いは将軍家からの働きかけも有ったかもしれない
それらの理由が絡み合って最終的にあの判断に成ったのではないかと
374 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 10:57
>>373 皆それは判った上で、様々な理由の中で、長政の決断を決定づけるのに一番
大きな役割を果たした理由をあれこれ考察してるわけだが。
375 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/21 08:58
ふと思ったけど、浅井家は裏切り常習犯じゃないか?
1 浅見氏を盟主とする国人一揆を組んで京極家を裏切る
2 国人一揆の盟主であった浅見氏を倒す
3 朝倉家との同盟がありながら六角家に臣従
4 姻戚関係にあった義兄信長に兵を向ける
変節きわまりない!
藻前等…いったいどれだけ無駄な討論をする気だ!?
当時の戦国時代を想像し、自分ならどうする?と考えてみろ!
そしたらおのずと答えが出てこないか?
隔離スレから出歩いている
デムパにマジレス厳禁!!!
俺なら・・・お市と毎晩ガンガル。
380 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 18:35
もし長政が裏切らなくて、徳川みたいに織田家に従順に従って生き残っていたら
家康が「タヌキ」とか呼ばれたみたいに「白豚」とか呼ばれてたかも。
華々しく散って良いイメージを残したのは正解だったと思う。
滅んで正解なんてあるかよw
俺の長政イメージをいえば裏切ったあげくに滅んだ長政は馬鹿まるだし。
イメージなんて人それぞれで良いイメージを残したなんて主観的な結論だな。
長政自身は滅んだけれど、娘三人を通じて家の血脈としては生き残った点では評価できる。
少なくとも、甥である信雄や信孝よりは…華々しい(?)し
答えは、出てるだろ?
このスレはこれにて閉鎖するぞ
それともまだ何か語りたいか??
385 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 21:44
このスレ閉鎖に同心。
以後、お市sageまん説を語るスレに変わります。
娘に遺伝してるのは間違いないな。
388 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 20:54
>>383 そうだね。確かに長政は滅んだけど、
長政の孫が二人も(秀頼・家光)天下人に成ってるし
家光の血筋は7代家継まで残ってるしね
そういう意味では長政は信長に勝ったと言えるかも
389 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 18:15
根津甚八(浅井井頼)による死亡事故
暑かったからね。
391 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 10:57
淀は久政の隔世遺伝にみえる
根津甚八を柔和な表情にすれば水谷豊に
>>374 どう好意的に見てもそうは思えんな。過去ログ読みなさい。
絶好する時、殺さずに離縁したってのが長政らしいね。
_,,,,,,,,
, - ' ゙ `` ‐ 、_,,,,,
,r' /=ミ
/ 彡ll',''´
. / 彡lll
!-- .、 ,、、、、,,, 彡lノ
l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ
. |`゙'' ./ `'゙'''" .〉,l | 長政の長って俺の名から付けたんだろ
|. ,' // 断交したなら景政にでも改名しろよ
. ',. ,' , r'
. ゙, ゙'ー ‐` l |
゙、''゙ ,,、二''‐ ノ l、
''''''''7'ヽ ''' / /`〉`゙T''''''''''
l ` 、,,,,、- ' " / /.| |
. | | .l i / ./ | |
| | | l / ./ .| |
. | | | l / / | |
| | | ', / / l .l
ぬるぽ
ガッ
>>395 「立場上已む無く敵同士と相成ったが、その心は信長殿と志を同じくしている。」
という意思表示だと思われ。
>>398 別に深い意味はなさそう
足利「尊」氏なんて人も昔いたことだし
400 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/14 20:36
400
401 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/14 20:52
402 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/14 21:19
六角義賢から賢を貰って賢政だったはず。
その後六角と断交して長政に変えたはずだろ
403 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 03:06
>>402 それって信長と同盟するよりだいぶ前じゃん。
桶狭間で有名になった信長にあやかったんだっけ?
何でも信長にこじつけたがるとは。
これだからオタは・・・・
長政の「長」が信長にあやかったって話は結構流布してる話だぞ
信憑性はともかく
三好長慶かも知れんぞ。
当時三好は六角と争ってたし、
これから六角と戦おうという賢政にとって良い偏諱だったんじゃないかな。
410 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 23:05
>>371 その系図って確か赤松も朝倉義景もみんな六角から養子にいったことになっている奴じゃないの?
徳川秀忠の秀も秀吉から拝領した字だけど、生涯そのままだったしな。
戦国の頃はそういうことにこだわらなかったんじゃないかい。
謎だよな。結局。
でも、他の裏切り行為と違うかと言うとそうでもないような。
あの時の信長の力は最盛期の三好勢ぐらいと見積もっていたのかもよ。
みんな蜀将スレにでも行ってしまったのか
>>412 そりゃあ、決定的な回答なんてのはもとより無理だが。
それでも、このスレに一通り目を通すだけでも、
こんな状況もあったのか、こういう可能性もあるな、
くらいのことは大分考えさせられるし、
考察を深めるには結構役に立つと思うよ。
その意味でかなり良スレだったのではあるまいか。
415 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 08:59:59
俺もそう思う。新知識も得られたし、感情的になる者もそれほどおらずイイかんじだった。
つーか 信長を裏切らなかった奴って家康ぐらいじゃねーか
荒木村重も松永久秀も足利義昭も、最期は光秀にやられちまうが。
柴田勝家も尾張統一前に刃向かってるし、秀吉にしたって信長の死後は遺族を適当に扱ってるし
裏切らない方が不自然だったんでは 信長相手には
>>416 たしかに。もし晩年の信長が敵に攻め立てられて滅亡の時を迎えることがあった
としたら、家臣に見捨てられた無様な死に方のような気がする。
>>417 まあ、戦国大名が滅びる時なんて大抵そんなものだと思うけどね。
ただ、勢いが衰えていく時ならともかく、
信長の場合勢力の増大中に裏切られるケースが比較的目に付くような気はする。
もっともそんな統計なんて調べたこともないし所詮イメージだが。
少なくとも浅井、荒木、明智はそうだよね。
419 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/11 22:55:51
長政?
420 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/11 22:56:33
妹(現在・茄子)が風邪をひいて家で寝ていて
様子を見に行ったら、
「座薬を入れて!熱が下がんないから!」と言ってきた。
親に言えや!と返したら母親は今いない。
親父には見られたくない。という事らしい。
妹は後ろ向きに四つん這いになって
「その下は見るなよ!」と半分ケツをペロリとだした。
ロケット型の白い座薬を妹の*にゆっくりと入れる。
が、直ぐケツの力で這い出してしまう。
「奥まで入れてよ!」と言われ、「汚ねぇから触れねぇーよ!」と切り返したら、
引出しからコンドームを1つ渡し「これで!」と。
指に不自然にそれをハメると
妹は何度も「絶対に変な事するなよ!」「絶対に変な事するなよ!」と言いながら
もう一度四つん這いに。オレは無心でゆっくりと奥まで一気に入れる。
妹は「アッ!ゥン・・・フグ!」と少しだけ悶える。すまん!と意味も無く謝る兄のオレ。
ところがそのまま指が穴から抜けなくなる。
抜けない!とオレが焦って動かすと「ウッ!動かさないで・・・!」と妹はマジ悶える。
「力入れるなよ!」と叫ぶオレ。「じゃあ関節曲げんなよ!エロ!」と妹も負けじと叫ぶ。
分かった。落ち着こうよ。な!力抜いて。ほら。よし!抜けた。
そしてヌポッ!という音ともに
ドゴッ!と妹はオレにマジ蹴りを入れ部屋に閉じこもった。
あれからもう6年経つが、
いまだに妹の部屋から「ア○ルもいいのー!・・・お・・・・ぃ・・ちゃ・・・・」
とか聞こえるんですけど・・・。
やっぱ↑の事が原因かな?
421 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/13 00:30:21
李舜臣
武力 67
統率 92
政治 53
智謀 81
魅力 95
野望 63
特技 水戦、威風、奮戦、鼓舞、火矢
異名 世界三大提督の一人
朝鮮の至宝
列伝
いわずと知れた、朝鮮の誇り。
義弘、如水、清正らの参加した日本軍と抗戦し、撤退を強いた義将。
戦いの最中、落命するが、その威像は、今もソウルに泰然と聳えている。
422 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/14 22:34:35
423 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 19:04:15
李舜臣は義将であり、長政みたいなチョンと違って、裏切りなどしない。
世界三大提督の一人、イ・スンシン。
嗚呼、朝鮮の誇り。
424 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 20:17:05
エーン、キムチ臭いヨー
425 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 20:33:34
426 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 22:15:31
李舜臣は義将であり、長政みたいなチョンと違って、裏切りなどしない。
世界三大提督の一人、イ・スンシン。
嗚呼、朝鮮の誇り。
引っ越しのドサクサに紛れて小和田先生の「近江浅井氏」が無くなっちゃった!
どこいったんだろう・・・。
428 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/17 23:05:31
浅井って近江以外にもあるの??
地名のこと?
地名だとすると、滋賀県(東浅井郡浅井町、伊香郡西浅井町)以外にも
・愛知県一宮市浅井町
・富山県射水郡大門町浅井
がある。他にもあるかも。
浅井一族ということなら、上記の一宮市を所領とする尾張浅井氏がいた。
信長の母衣衆だったはず。
オヤヂがファビョったから
>>430 親父の所為にすんなよ。子供じゃあるまいし。
長政毛嫌い厨=信長信仰オタ
433 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/22 05:43:29
勝てると思っていたと判断していいのか。
434 :
名無し募集中。。。:04/12/22 12:06:43
長政が信長の降伏勧告受け入れてたらどうなってたろう
一度刃向かった上の臣従だから転封されても文句言えんだろうし
朝倉旧臣とともに越前の一角をまかされて、一向宗相手に華々しく討ち死にってオチもありえそうだけど
435 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/22 12:17:57
使える人間で、今忠誠誓ってるならあんま気にしないと思う
勝家だって元反信長だし
>>434 三代記によると、小谷城攻防戦の際に「この度のことは久政、老臣たちの仕業
で長政には何の遺恨もない。このまま降れば大和半国をあてがう」と言われた
とか。あり得ない話だが。
池上遥一原作の信長はそれがもとネタだったのか。
>>436 大和半国・・・南半分だったら悲惨だな。
大和半国
南だったらまだ織田領になっていないし、北だったら松永や筒井たちは
どうしていたのやら
松永筒井浅井の三つ巴?
まあ、大和は京に近いし一大勢力化されるよりは弱小同士で団子状態の方が都合がいいけどな
>>439 そこで空手形ですよ。
久秀対長政じゃ勝負が見えてる?
>>440 しかし、例えばのちの豊臣政権ではナンバー2の弟秀長に任されています。
京に近いというのも、団子状態よりは絶対に信用できるものに一元支配させた
ほうがよいのでは。信長も、大和を筒井に任せつつ、その筒井自体は明智光秀
に属させている。
仮にだが、大和云々の話が本当だったとしたら、よっぽど長政個人を買っていた
のだろうな信長は
443 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/09 13:43:03
長政を買ってたのは確かだろうな。
そうでなければ、上洛時に「わしよりも先に弟のところに挨拶にいけ」
なんてことは言わないし、人夫同士の喧嘩の時も一方的に謝罪すること
はなかった。
信長の気性を考えると、義弟とはいえ小勢力の当主にこれほどの厚遇を
ほどこすのは普通では考えられない。
444 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 04:19:22
>>423 その李を冷遇した朝鮮人は素晴らしい民族ですね
445 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 04:20:59
すももって何した人だっけ
446 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 04:22:47
そりゃね
骸骨で杯でもつくらなければ気がおさまらんですよ
447 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 08:11:11
421
李舜臣
武力30
統率50
内政5
外交2
魅力20
特技
水軍 冷遇 キムチ漬け
列伝
自称、朝鮮のホコリ、一部の朝鮮人は現在も騙されてる
田吾作
武力10
統率0
以下0
列伝
どこかの農民上がり、李舜臣をしとめた。「朝鮮の英雄は日本の農民に討たれるくらいカスなんか?」と言う
448 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 09:48:30
すももはスレ違い
449 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 18:56:32
ここらで本題に戻ろうか。
このスレのテーマ「なぜ裏切ったのか」には「勝ち目が薄いにもかかわらず」
という前提があるんだろうけど、その後の展開を見る限り、あながちそうとも
いえないような気がする。
姉川合戦で負けたとはいえ、その後の再起の早さを見るとたいしたダメージは
受けてないし「志賀の陣」ではかなり信長を窮地に追い込んでる。ちょっとした
展開一つで信長は滅んだかもしれないわけで、裏切りは必然とも考えられる。
>>449 所詮、朝倉頼みに見えるがね。
裏切って以後、浅井が外で戦ったのは朝倉の援軍があった場合のみ。援軍があっても、
朝倉自身に戦意がなかったら篭城。
志賀の陣で信長が窮地に陥ったのも比叡山で想定外の対峙状態に陥ってしまった間に
各地で反対勢力の蜂起が相次いで対応策が取れなかったから(この蜂起自体も、別に朝倉
浅井の策動によるものではない)。戦線を建て直した信長には、以後一度も勝っていない。
浅井に勝機があったのは、金ヶ崎退陣の時だけだよな
452 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 22:17:05
金ヶ崎で信長を討てなかった時点で長政の命運は尽きていた。
詳しく知らないのだが、金ヶ崎のときに浅井って織田軍と戦っていたか?
朝倉が追撃したのは知っているが、退却中の織田軍が浅井軍と交戦した
という記録は知らないのだが。
裏切っておきながら、何やってたんだ長政?ここでも朝倉頼みかよ。
ところで信長って中国古典ヲタだったのかな?
頭蓋骨を杯にするのは趙襄子が智伯にやったのが元ネタだろうし、
うつけから名君へっていうのも『三年鳴かず飛ばず』の楚の荘王だし。
455 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/26 22:38:01
>>454 髑髏杯は否定されてますが。むしろ根拠は?
荘王云々も、信長はわざとうつけの振りをしていたとも思えないけどね。
何だか良くワカラン
457 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 01:25:07
金ヶ崎で義影は若狭にも軍を置き3方から責めていれば・・・無念
458 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 21:04:24
裏切った(裏切りという言い方が正しいかどうかはともかく…)。
今まさにその実力を天下に知らしめる時の人たる信長。信長にあこがれ賢政の名を長政に改めたような男である。
上洛の際にその実力をイヤと言うほど見せつけられ、自分も信長のようになりたいと常に考えていた。
こんな時に越前から近江に抜ける街道を通過する信長。
長政はこのシチュエーションにデジャヴを感じたはず。「これは第二の桶狭間だ」と。
織田の所領となった江南はまだ信長の支配体制が確立しておらず、信長を殺せば残る小勢力は瓦解する。
宿敵である六角はすでに(信長の手により)再起不能。
この時点で確立している織田家の本領は濃尾2か国のみで、加えて有力家臣は越前に信長と共に在陣中でかなり手薄な状態。
いまなら、信長が今川義元をつぶし飛躍したように、自分も信長をつぶせば一躍…そう考えたかもしれない。
浅井長政といい明智光秀といい黙って信長に従ってれば大大名になれたのに
もったいねーなー
しかし、使い捨てにされた佐久間のような例もあるし、
大大名になれたとは限らないよ。
長政はともかく光秀の動機にはそういうことへの不安もあったのではないかね。
ところで賢政ってなんて読むの?
かたまさ じゃないの?
463 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 15:15:25
>>459 そこが浅井の魅力
黙って従って成功パターンは家康で十分だろ?
>>463 長政なにげに漢だよな。男の生き様としてはカコイイ。
でも残された妻や子供たちの末路を考えると・・・良いパパとはいえん。
465 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 18:53:36
まあ、孫が征夷大将軍になったんだからいいじゃん
466 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 18:58:26
信長についていけば。
家康的立場で天下も狙えた。
信長についていれば
お市も北国で自害しないですんだし
娘たちもマシな結婚ができたよ
浅井家は豪族の力が強すぎたな。その豪族達は軒並み親朝倉。長政に嫁いでた六角の嫁を追い返し、久政を隠居させたくらいだからな。
こうなると、長政はどうこうできないだろ。流されるがままだ。
469 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 07:59:52
つか、信長はほんとに浅井になんの連絡もなく朝倉攻めをしたのか?
もし、ちゃんと事前に信長が長政に連絡をすればこうはならなかったんじゃ・・・?
それをしなかったのは信長が長政を(つか浅井家自体)信用してなかった。もし
浅井が信長に中立or協力していてもそんなにその後を待遇はしなかったのでは?
荒木村重の方が悲惨かな
>>469 信用してなかったなら領地跨いで朝倉を攻めたりしないだろ。
むしろ歯牙にも掛けてなかったんじゃないか
信長の性格からすると、朝倉攻めは浅井の利益にもなる筈だから。長政は喜んで協力するだろうと踏んでいたのではなかろうか。
自信過剰で他人の心をあんまり省みないところがあるし、信長には。
信長的には、徳川が今川に従属していたのを解放してやったのと同じ感覚で、浅井家の六角や朝倉に靡かざるおえなかった哀れな歴史に終止符をうって
いっぱしの大名にしてやり、西国や京への抑えとして使おうとしていたのではないだろうか。
裏切られるまでは、家康以上に長政のことを買っていたようだし
>>469 連絡をいれていたからこそ、絶妙のタイミングで裏切られたのでは
>浅井家は豪族の力が強すぎた
朝倉攻めは、そこを中央集権に転換するチャンスだったはずだ
確かに豪族連中は厄介だったろうが、
信長こそ、その為の後ろ盾じゃないか
とは、長政は考えなかったんだろうな…
474 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 10:00:14
>>473 そんな蛮勇を奮うタイプではないだろうねぇ
信長は劣勢の兵で六角を大破し、浅井家を立て直した長政を
桶狭間あたりの自分と重ねてたのかな
だから気に入ったし、信用もしていたんだが所詮一方通行の思いだった
476 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 12:39:15
長政は金ヶ崎で信長を討てれば、天下を狙えると本気で思ってた
のか?そんなビジョン持ってたようには思えないが。
むしろ、信長に協力して北近江に限定されてた支配圏を拡げたい
くらいしか考えてなかったんじゃないかな。
金ヶ崎では久政が独断で信長の補給部隊を攻撃したって話もある
し。信玄や義龍みたく父親を追放するか殺すかしとけばよかった
のに。
長政はそこまで非情になれる男ではありません
そこが彼の敗因
長政「ムシャクシャしてやった。今は反省している」
479 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 20:31:41
越前侵攻の際、事前に信長が浅井に連絡入れなかった
理由は、それを知れば長政が悩むと思ったからという説と、
朝倉に情報が漏れるのを恐れたからという説をよく
聞くけど、後者だとしたら信長も相当バカ。
情報が漏れるのを恐れるくらいなら、背後を突かれる
心配しろっての。
480 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 21:34:31
4様がにこやかに1000 GET
481 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 05:24:28
>>479 あれだけの兵を動かせばすぐ朝倉を攻めにむかっているくらいわかるさ。
長政は先刻承知のはずだ。
朝廷の意向を無視した朝倉討伐の大儀名分はもう世間に知れ渡っているし、
オレの弟だからいちいち知らせなくても・・・・という考えで、
それでも一応礼儀を欠いたことで腹を立てたんだよ。
「あいさつくらいしろよな〜」と、長政が裏切った。
482 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 05:48:23
信長にとって長政の裏切りは本当にショックだった
その後の非情な行いはこれが原因
483 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 08:49:19
かわいさあまって憎さ100倍てか?
まだ幼い長政の子供を磔にしたり、捕らえた生母の指を
一日一本ずつ切り落としたあげくに斬殺。
いくらなんでもあんまりな気がするな。
でも同じようにかわいがってた荒木が謀反したときも、
一族郎党皆殺しにしたみたいだし、信長ってやっぱり怖い
ご主人様だな。
信長の人生ってそれの繰り返しだからな。
可愛がる→裏切られる→許す→また裏切られる→ブチ切れる
ブチ切れる→どうせ殺されるならと徹底抗戦→戦が長引く→
→結局皆殺し→無用な殺生で恨みを買う→敵を作る→
裏切られる→ブチ切れる(振り出しに戻る)
で、結局統一できず。
まあ、信長は器が小さかったな。
と、奸臣な羽柴筑前守が申しておりました。
対一向一揆戦なんて、石山本願寺を明け渡せとか無茶な要求してなければ
しなくて済んだ戦だしなぁ。
武田や上杉にはそこまでしなくてもってくらい低姿勢だったくせに、何で本願寺には
あんなに態度でかかったんだろう?
無茶か?
政教一致の武力を抱えた勢力を放置するわけにもいかず
かといって自分たちから攻撃するつもりもなく
妥協案として選んだ道だろ
あと石山譲渡要求は顕如が門徒をたきつけるために作った創作という説もあるぞ
対本願寺戦は、どっちかっつーと本願寺がケンカ売ってる
491 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 19:17:45
長政蚊帳の外。
保守
493 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 11:28:04
なんだかんだで往来の説通り親父の意向が大きかったんじゃないかな?
長政の天下取り説や領地拡大説よりよっぽど説得力がある。
494 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 12:58:19
あと長政は確かに家臣に押されて新当主にはなったが
父の久政が嫌いだったわけじゃないみたい。
小谷落城の時も父親の死を聞いて自殺したほどだし。
久政は逆に長政を嫌いとまでは言わないが、
苦々しく思ってた節があるけどな。
496 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 02:28:37
保守ついでにアゲ
死ぬのが怖かったから裏切った。
498 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 23:19:51
>>485,486
可愛がる→裏切られる→許す→また裏切られる→また許す
→どうせ許されるならと裏切りまくり→戦が長引く→
→結局許す→近隣から舐められる→敵を作る
→ 裏切られる(振り出しに戻る)
どっちにしても天下は定まらんよ。
普通に親父の命令&昔からの縁を守る古風さが信長狩りの原因じゃねーの?
500は取りませんよ
501 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 00:34:29
浅井家が江北を拠点に勢力を拡大していくつもりだったのなら、
朝倉攻めに呼ばれないとなると越前の分け前も無く四方が織田領。
「俺に一生こんな小領主やってろってか!」とブチ切れ。
ってとこじゃないの?
家臣じゃないから「飛び地」も考えにくいし
越前か若狭を貰って東か西へ広がりたかったのでは。
>>501 浅井は毛利と同じで保守派だから領土拡大狙うかな?
保守派だからこそ昔からの朝倉についたんだと思う。
六角の支配を蹴った長政が保守ってあーた・・・・
むしろ江北だけで満足するような奴なら朝倉に味方もしないだろうな。
>>503 支配されるのを守るのを保守とでも思ってるのか?
だから本当の保守なら六角に従ったままでいるさね。
それが正しき室町秩序。
というか、戦国でも屈指の領土拡大を誇る毛利を保守派と言っておいて、
保守派は領土拡大を望まないって、あなたそれは幾らなんでも・・・
毛利元就は絶対に保守派じゃないが
毛利輝元は保守派かもしれない。
508 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 18:23:38
>>506 毛利はいわゆるあの3国取ってからはこれ異常増やさず減らさずがモットーでしたけど?
509 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 18:48:16
510 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 18:49:42
揚げ足取りたいなら「異常」に突っ込め。底の浅いヤツだな。
>>510 2ちゃんで漢字の間違いを指摘する奴が一番底が浅井。
>>508 最終的に8カ国だか10カ国だかまで増えているのに?
というか、一地方の土豪が三カ国を制するってだけでかなりのものだが。
お前らに俺の気持ちなんてわかんねーよ。
514 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 20:26:48
>>512 最終的には8〜10?バカ丸出しだーよ。
正確には11ヶ国+αだよな。
516 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 20:51:03
>>517 とりあえず、
安芸・備後・周防・長門・石見・出雲・因幡・伯耆・備中・備後・美作。
まあ、全てを完全支配してはいなかったとしても、
三ヶ国はのみってのは少なすぎだぞ。
推測するに、
>>508は大内・尼子二家を滅ぼしたことを、
もとの毛利領とあわせて「3国取って」と言っているのではあるまいか。
多分、安芸、備後、周防、長門、とかいった国分けそのものを知らないのだろう。
そうでないなら毛利家を3国だけというのは幾らなんでも無茶すぎる。
どれとどれとどれをもって3国と言っているのかすら分からないし。
毛利両川体制の三カ国って意味じゃねーの?
なるほどね、そっちの意味なら3カ国だな
>>520 でもそれだと、
毛利家は吉川・小早川を乗っ取っていわゆる両川体制が確立した後に、
大幅な領土拡大を実現しているから意味が通らなくなってしまうんだよね。
まあ、そういうことも知らない可能性もあると思うが。
それにしたって、
大内・尼子を滅ぼした段階で凄まじいまでの領土拡大であることに違いはないが。
いずれにしろ、毛利家を領土拡大を望まない家の例として使ったのは大間違いだわな。
>>522 なんか君さっきから508の事煽ってるけど、荒れるからやめた方がいいよ。
領土拡げず狭めずは尼子とか潰した後の話しを元就がした奴の事だろ。
その前に元就は死んでるけど尼子は長年の敵だからさ
ゴールデンウィークも始まったし、
いちいちそんな事に反応しても仕方ないだろう。
>>525 それよりなんでチミは一つにレスまとめずに2レス書くんだ?
毛利の話はこのさいどうでもいいわけで・・・・
浅井長政に領土拡大の野望があったかどうかでは?
長政は六角から来てた嫁送り返して決別し、
朝倉に背後固めさせて六角相手に領土を広げてきたわけで。
だから俺は当然、長政には勢力拡大の野望があったと考えるわけよ。
で、信長が出てきて六角が消えたら後はどうする?
おそらく信長と組んだのは六角と斎藤が元々組んでいたけれども、
その斎藤が消えて後に来た信長と組む事が出来たら対六角戦を
有利に進められると考えたからじゃないかと思うわけでさ。
ところが信長は六角の旧領を浅井に配分していない。
もはや家臣扱いだな。
それでも例えば朝倉を協同して攻めて、若狭でも越前でも貰えたら
まだいいが、朝倉攻めには今度は呼ばれもしなかった。
もはや信長に囲まれて家臣同然の扱いのまま生きていくしか無いのかと。
それでブチ切れたんじゃないかと思うんだよね。
長政ちゃんの意思が働いてないと思うのは俺だけ?
自分から親父を追ったわけじゃないし、多分弱気な性格だったんだと思う。
いくら信長に勢いがあったとはいえ、やはり昔からの家柄の方が最終的に有利になると思い
朝倉の味方したんじゃないかな。
六角に服従したのは長政の親父で
叛旗を翻したのが長政ちゃうんかいな。
>>530 朝倉の話ししてるようにしか見えないんだが?
それよりも長政って実のところ体格ってあの肖像画のまんまだったのか?
だとしたらお市の方はあんなに子供がいるって事は・・・まさか?
好みが・・・・アレ?
>>530 家臣に無理やり担ぎ上げられたのかもしれないぞ、家臣達が久政じゃ駄目だと思って。
>>532 好みも何もどんなキモブタだろうが、政略なんだから中出しさせなきゃいけないんだよ。
決して恋愛結婚なんてイメージは持たないほうがいいぞ。
>>534 俺も朝倉の話しに思えたよ
子供がたくさんいるといっても
嫁いだ時期から考えて三姉妹だけでしょ。
嫡男産めなきゃ政略結婚としてはマズイのでは。
>>536 そればっかりは結果論だからな。男が産まれるとか産まれないとかの産み分けなんてね。
538 :
:2005/05/02(月) 15:48:38
無断で朝倉を攻めないことが同盟の条件だったとすれば
無断で朝倉を攻めた時点で、信長が同盟を破棄した事になる。
信長に同盟を破棄されたなら、朝倉に付くしかないだろ。
つーのはやっぱりダメか?
浅井久政は六角家の下につく事を受け入れた。
この時点で朝倉との関係ってのは無いでしょう。
長政は六角の下からは逃れたが、長政の代に朝倉との
明確な協力関係ってのは1570年以降しかなかったかと。
昔からの関係がどうとかいって寝返るような大事な
関係は無かったのでは。
だとすると、じゃあ何で信長を攻めたのか、君の意見を
聞かせてくれ。
>>540 俺は「信長が長政の江北からの勢力拡大の可能性を奪ったから」という
説を唱えている人です。
>>540 決定的な答えは当然出ないが、
このスレ最初から読み直すだけでもいろんな意見や説が出てきて興味深いと思うよ。
>それよりも長政って実のところ体格ってあの肖像画のまんまだったのか?
>好みも何もどんなキモブタだろうが、政略なんだから中出しさせなきゃいけないんだよ。
当時としてはアレが美丈夫として扱われてた容姿だよ
色白のもち肌で恰幅が良くて雅をそなえた顔立ち[アイコ様やサーヤ様みたいなん]というのは
食糧事情の悪い地域や時代に置いては、デブであることは美しい事として認識されるし
字からして[大きい羊]なわけだし
じょんいるや正男も本国ではバリバリの二枚目なのかもよ
>>543 そうでもないぞ。
信長は美男子だったと言われるが、彼の肖像画はむしろ痩せ型。
絶世の美女というお市の方の肖像もそうだ。
貫禄があるという意味での「美丈夫」と混同する向きもあるけど、
美醜の基準はまた違うのよ。
545 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 20:49:09
やはり、浅井に相談も無しに朝倉を責めたのはマズかったよね!?
約束は守らないと…浅いは朝倉とカナリ仲が良かったんだから
織田はもっと気は利かせるベキダッタ
そもそもそんな約束あったのか?
それに長政の代の朝倉との明確な協力って
長政が信長に叛旗を翻して以降では?
たぶん、そうだと思う
朝倉に恩義があったのは長政のじいちゃんじゃなかったけ?
だから、信長のことわりなしの朝倉攻めに久政が激怒したんだろ
信長との同盟破棄を命じたのも久政だったはずだし
久政からしたら、親父が恩をうけた朝倉をせめるとはなにごとだぁーという感じじゃない
久政は亮政の路線を変更して六角に服従したのでは
549 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 07:19:13
亮政の時代には六角に協力して朝倉も浅井を攻めてるのだが。
>>550 それについては論が分かれるようですね。
朝倉が六角に協力して浅井を攻めた事に対して、意見が分かれてはないよ、否定しようがないから。
分かれてるのは、浅井と朝倉の関係ではないかな?
・金吾丸の名称(朝倉教景と断じてるが、根拠なし)
・堀の問題(畝堀が見られるが、一箇所しかないので長政と信長の対立以降でも考えられる)
・禁制の問題(信長に抵抗したので、立場的に上位の朝倉に浅井が従属する形をとるのは自然)
・和泉神社の奉納文(義景が奉納した時期は姉川後、禁制と同じで最上位が朝倉となったのを示す為とも読める)
と、浅井と朝倉の密接な関係は、信長に対向する為に築かれたと思ってる
俺の意見ですた。
>>552 おや?浅井と六角の争いに介入して軍を出したというでだけで、
六角について浅井を攻めたとは書かれていないのではないかったかな。
よく一般的に、浅井家は朝倉家と以前から同盟関係にあり、
深い恩義を感じていたといわれるが、その根拠となるのが、
その朝倉が近江に出陣したという件。
要するに浅井よりの立場で出陣したと解釈してそのように言っているということ。
つまり、どちらの立場での出陣だったかの解釈の仕方によって議論が分かれていると。
まあ、正直原文読んだことはないのでどちらの解釈の方が妥当かは
私には分からないけど。
六角家の家臣から朝倉の誰か(名前ド忘れ)に、出陣したお礼の書状が残ってるから
六角に協力して浅井攻めたとなってるのですよ。
朝倉が浅井救援に近江に出陣したとは朝倉始末記が根拠になってて
信憑性が問われるのです。
一つだけわからんのが、金吾丸は何で金吾丸なの?
558 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 17:05:42
∧__∧
(`・ω・´) 真実は霧の中か
.ノ^ yヽ、
ヽ,,ノ==l ノ
/ l |
"""~""""""~"""~"""~"
浅野長政はなぜ裏切ったのか?
実は裏切っていなかったが、
信長が勘違いしたのだよ。
誤解を受けた原因は父の久政の不穏な動きで、
誤解されちゃった以上はもう仕方なく、
反信長で逝くしかなかったのだよ。
562 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 21:57:56
age
563 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/29(日) 23:47:53
つうか君達、長政を飾り立てようとした徳川の策動に引っかかってない?
家光の爺ちゃんだもんな。
近江国は琵琶湖に流れ込む河川が大小数多いので、治水政策が米の生産高は言うまでもなく水上運輸の死命も制する
ここで
早く続き書けよ。
>>悪い、寝落ちした
ここで久政は高時川流域に井堰を作るなど手を尽くしている。
また用水で争いの絶えない在地の土豪達に分け入って、そのまま被官化していく巧みさも見られる。
久政が凡庸な人物とはどうしても思えんのだよ。人物評価次第で話が随分変わってこない?
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 03:09:28
確かに…。
南近江には、六角が居るし東には斉藤道三
そして西は足利幕府の権力は失墜…大混乱中
北の朝倉と仲が良いとはいえ…まだまだ安心出来ない状態だったハズ!
その中を生き抜いた久政の能力は、もっと評価しても良いと思う。
久政は秀忠や義詮などの「守成の二代目」タイプ。
「創業の一代目」と「安定の三代目」をつなぐ役割なんだよ。
つなぐも何も親父の路線放棄して六角に屈服してるしなあ・・・・
京極氏を血縁に取り込んだのは亮政の功績だけではないといってみる。
長政を「安定の三代目」と呼ぶのも何か抵抗が…
創業の初代
ぶち壊しの二代目
滅亡の三代目
576 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/06/10(金) 22:38:16
>>571 一時の事。結局は打ち破ったんだから問題ないっしょ。
創業の初代
雌伏の二代目
悲運の三代目
流転の四代目
明暗の五代目
>>576 長政が従順だったらそのまんまだった気が。
それはそれで信長が付け入る隙も無く平和かもしれんが。
579 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 00:45:37
信長は「ハァ!長政空気嫁!」って思ってたんだろうなぁ
580 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 17:30:56
久政がネックだな・・・。
581 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/06/12(日) 19:04:05
ここまでの流れから、緊迫した代替わりの局面を乗り切っている久政はかなり有能と思う。
長政の内政面での事績ってあまり知らないけど、何か有るかな?
戦はともかく実権がどれだけ委譲されていたのだろうか。
長政さまハァハァなんだけど、このスレ読んだことで
盲目信者とは一線を画す見方ができるようになったなぁ。
ホント勉強になりまつ。
ここまで美化されて伝わってるのも、家光や娘たちのお陰なんだろな。
イパーン人は何が史実か見極めることすら困難なわけで
伝聞や、記録を元にした小説・漫画・映画・ドラマなんかで
勝手にイメージ作ってるわけで。
ROMってたけど、惜しげもなく知識を披露してくれるおまいらに感謝。
>>582 表面じゃなく、真実を検証するのって、大事だと思うし、
そうしないかぎり、極端な話感情論になるからねぇ。
日本と韓国、中国の歴史とか、きちんと検証しないといけないのがよくわかる。
当事者以外の国の資料なんて、特に信頼性が高いとか。
お馬はポコポコ
585 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 17:51:39
bokoboko
あの段階での織田領は濃尾と伊勢半国、それに代官支配を許された
大津、草津、堺の二国半三都市のみ。まだ充分に倒せる可能性のある
勢力。
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 11:34:40
朝倉とのつきあいが長かったからか?
588 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 17:46:24
TENKA FUBU信長の長政は
足利義昭にそそのかされて裏切ったのだが。
久政の代に六角に屈してるぐらいで、朝倉との付き合いなんてのは
ほとんど認められないでしょ。
長政も朝倉の援軍を受けたのって実は姉川の時が始めてじゃねえか?
織田信長が悪い
>>
亮政の時に対六角で朝倉とも敵対してるが
久政の時に六角の影響下に入ると、六角と朝倉との友好関係から
浅井と朝倉の関係も修復したと思われる
結局積極的な支援は姉川が始めてって事か。
1526年時点では両者は何の交際もなかったからね。
むしろ敵対していたとみるべきかな
朝倉と浅井が特に友好関係に無かったのに
信長の朝倉攻めで唐突に長政が裏切ったのは
違和感がないか?
唇破れて歯涼し
596 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/29(月) 00:46:09
朝倉との関係はよう知らんけど、
やっぱり信長が長政に構ってあげないからでしょう。
上洛に協力しても六角の領地は信長のもの。存在を無視!
朝倉を攻めるにも声がかからず。存在を無視!
正直、あんまりにも無視されるから腹が立ったんじゃないかと。
信長としては名門朝倉相手にするのに浅井が後ろに居て無傷として置いておきたかっただけかもな
同盟が無傷ってのはやっぱ心強いし、相手も心が折れる
浅井が北近江で目を光らせてれば近畿の牽制にもなるし、イザ武田が攻めて来ても浅井と一緒に撃退も可能
そういう感じで使われるのが嫌だったのか、単に領土伸ばせなくなりそうで鬱になれたのかで裏切っただけなのかもなぁ
601 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/05(月) 00:15:18
age
しかし、信長に対抗しても湖南と岐阜とではさみ討ちにあうってことがわからなかったのかな?
なぜ裏切ったのかは、久正の威光もあったのかもしれんな
市が信長に裏切りをしらせてなかったら勝ったかもね
いくらなんでも小豆の袋はネタなんじゃないかと
>>602 小豆は多分ネタ
長政は金ヶ崎あたりで信長を確実に討てると思ってたんだと思う
浅井長政って、金ヶ崎以前から親父に対してクーデターかますわ同盟は破るわ領土広げまくりの野心家。
隠居なんて甘いこと言わずに、親父は殺しておくべきだった
と、後に長政は後悔します。
実際問題、親父なんて大した力ないのでは。
六角に従ってた親父を隠居させて
独立したんだからな!
金ヶ崎で信長の補給部隊を久政が独断で攻撃したって話を
聞いた事がある。どこまで信憑性があるのかわからんが。
久政が独断っつぅより家臣が久政を担ぎ出した可能性は否定できない
久政を隠居させたのも家臣が長政を担ぎ出してやった事だし、浅井家は家臣の権力が相当強かったんじゃまいか?
浅井家は大名というより土豪の盟主という感じですね
京極氏の被官から江北を押さえる過程で赤尾氏らを従属させますが、
磯野氏あたりは独自に六角氏と交渉を持つなど、配下を押さえ切れていないのが
浅井家の特徴・弱点だったようです
家臣の権力が強いというよりは大名としての拘束力が弱かったのでしょう
浅井家が一種の国人連合で、浅井家当主はその盟主的な存在に過ぎないとすると、
戦国を生き抜こうとする大名としては致命傷だな。
612 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:23:40
>>610-611 この当時は殆どの大名クラスが、国人・豪族の盟主的な存在なんですけど・・・。
613 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:50:31
よう分からんのだが、ではどのような組織なら理想で、実際にその理想的な組織造りなりを
した大名というのはどこの誰なんだ?あの時代の特殊例である織田家以外で教えてくれ。
国人を家臣にうまく統制化した大名に毛利・大友・島津・北条・武田・今川・蘆名がいますが何か?
織田家は何も特殊じゃない。
ただ、うまく統制できたのは組織的なものではなく、大名個人の政治的手腕とカリスマによるところが大きい。
だからこそどの大名も代替わりがおこるつど、規模の大小はあれ騒動がおきる(後継争いが全くなかった大名
は後北条氏くらいのもの)。
そして織田家はたしかに特殊ではないが、家中であそこまで絶対的な独裁権力を確立したのは信長の他にいない。
他家では、信玄でも謙信でも元就でも国人勢力の統制と懐柔には非常に気を使っている。
大和で差出出せーといったら反乱起こる絶対権力。
618 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/12(月) 12:50:43
ただ朝倉の次は浅井家という恐れがあっただけじゃん。
619 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/12(月) 12:54:11
>>1 アミダ、もしくは花びらを一枚づつ「裏切る・・・裏切らない・・・」って千切ってくやつ。
浅井亮政 浅井久政 浅井長政
↑はかなり優秀だった。
たしかに、戦国時代は国人や豪族のあつまりだったようなものだね。
武田は小山田氏や穴山氏などの豪族をまとめるのに苦労してたみたいだし。
集まりのようであり、中央集権のようでもあり。
武田家だって、小山田の領地からも武田家が棟別銭を徴収していたのだから。
上杉謙信も国人衆の統制には散々手を焼いたからね。
謙信の強いカリスマがあってもそんな状態だったんだから、
浅井家については推して知るべしって事なのか。
ただ、浅井が織田と敵対した理由に国人・豪族の意向が強く
あったとして、姉川以降、織田に寝返った連中も多かった。
強い者に従うのが習性なのかもしれないが、これは長政の力量
とは無関係なの?
家格の違いだろうな。
627 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/12(月) 19:56:05
繋ぎ止めておくだけの材料が弱かったのでは?個人の能力云々よりもそ
の時の情勢の問題が大きい気はするけど。
上杉謙信が、上洛したり、上杉姓継いだり、関東管領なったのかは
越後国内の支配統治の権威付けする為
>>627 >その時の情勢の問題
を招いたのは、長政の力量不足とも言えると思うが。つまり金ヶ崎で
信長を討てず姉川で敗れ、志賀の陣でも・・・。
そのうちに旗色が悪くなったから国人連中が浅井を見限って織田につく
のももっともな話だよな。
つーか、謙信にカリスマなんてあったのか?
ちゅーか戦国時代って名門の家が多いな。
鎌倉時代から続く家がらとかが、多いし。
むしろ本当の意味での新興勢力ってどれくらいいたんだ?
浅井、宇喜多、斉藤はすぐ思い浮かんだが。
本当の意味って?
634 :
632:2005/09/14(水) 15:44:58
先祖の素性がはっきりしないとか、本人の出自がよくわかって
いない大名家って言いたかった。
毛利氏も安芸の小領主に過ぎなかったから、そういう意味では
新興勢力かもしれないけど、大江広元の子孫って事は鎌倉から
続いているわけだし。
松平家は?
>>635 源氏の子孫と捏造できるぐらい古い
新興勢力って後北条、羽柴(豊臣)あたりは確実かと
津軽はどうなんだろうな
>>632 斉藤は守護代家の斎藤氏を乗っ取ってるから、新興勢力ではないだろ
だったら織田信長も新興勢力では?守護代家の奉行の一人
長宗我部、北条(政所の伊勢氏で今川の支援受けてるから微妙だけど)、松平
これはどうなの?
長曾我部氏の祖先は秦氏の流れで信濃の土豪とかいうね。
松平氏は幕府の奉公衆に名を連ねてる土豪なんだけど、出自は不明なのかと。
>>632氏の定義が曖昧なんで、起点をはっきりしないとね。
>>638 それは知らなかった。松平ってそうだったのか…
乗っ取りの場合は新興勢力扱いでいいだろう。
>>637 北条早雲については、室町幕府の侍所別当を担った伊勢氏の一族、備後守護伊勢氏の
流れというのが現在有力な学説だったと思う。
東国下向して今川の家督争いを仲裁したのも、当人の私的なものというよりは幕府の
意向だったとか。
亮政の出自ははっきりしてるの?
直種の子で京極氏の被官。
出生がよくわからん大名家って事だろうか?尼子ってどうだったっけ?
まぁ大体が源氏、平氏、藤原氏の流れに大体は絡んでる場合が多いわな。
尼子は佐々木源氏の後裔を名乗ってるけど、比較的に系図は信憑性高いってね。
豊臣って藤原氏では?信長は平氏らしいね。
徳川はどうかわからんな・・
徳川は源氏だろう。
幕府をひらけるのは源氏のみ(平家もだっけ?)
豊臣秀吉は藤原氏だったので幕府をひらけなかった。
>>614 武田と島津は出来なかっただろ。
特に武田の滅亡原因は。
徳川は偽源氏
藤原名乗ってるじゃん
葵を使っているのだから、賀茂神社の人だろ。
木瓜使っている織田が、織田剣神社の人だから。
豊臣の藤原ってのは養子か何かで得た苗字じゃないっけ?
姓の話じゃないの?
秀吉は平だったが、二条昭実と近衛信輔(近衛前嗣の嫡男)が関白職を争った際に(関白相論)
喧嘩するなら俺にくれと、近衛前嗣の猶子となって藤原長者となり関白に就任しますた
でも由緒ある五摂家、藤原長者にさせ続けるわけにもいかず、豊臣の姓を与えましたとさ
征夷大将軍は源氏じゃなくともおk
幕府は征夷大将軍じゃなくとも開ける
松平家の系図が百歩譲って真実ならば、源氏を名乗れるはずないんだよな。
賀茂姓ならわかるけど。
あれっ?葵の家紋って本多家の物じゃなかったけ?
657 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 01:06:33
おまいら浅井氏はどうなってるんだ?
浅井=そば・うどん板
朝倉=スロットサロン板
織田=ニュー速VIP
謙信が上杉姓をなのったのは、憲正が是非にと頼んだからでは?
憲正ははじめ佐竹に上杉をなのってくれというたが断られたからでは?