石田三成はなにがいけなかった??

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1
石田三成の戦略はちょっとひどい・・。
他に有効なのはなにかな?
人望がないのがいけなかった
3無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:22
三成なりにがんがったと思われ・・・って何時の?
4:04/01/05 01:24
関ヶ原で^^
おきまりだけど書いておこう

重複スレじゃないの?
「石田三成に対する批判」
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1045405132/l50
6無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:27
元々、家康封じの東海道の大名達が家康側についたのが
まずかった。
戦略自体はそんなに悪くないと思うけどね。
>>2の指摘通りに人望の欠如と、家康が一枚も二枚も上手だったと
8無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:28
人生経験の差。
9無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:28
家康に与しなかったのが誤りの始まり
10:04/01/05 01:28
批判じゃなくて再検討ってことで。
三成は一応凄いひとだし^^
11ずばり:04/01/05 01:28
性格。
12無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:29
なかったのは運だけ。
人望はあった。
13:04/01/05 01:30
性格はしかたないね。致命傷だけど・・。
挙兵のタイミングもいけなかった
14無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:30
三成は悪くないだろ
どうして毛利が出てこなかったかだ
15無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:30
>>1がアホ過ぎて話にならない
秀吉との出会いで人生が狂った1人
>>12
そうか?
まあ一部に人望はあったと思うが、戦略レベルの作戦実行するには人望不足じゃねーの?
18無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:32
三成は>>1並みに人望が無かったのがダメだったな
19無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:34
性癖
20:04/01/05 01:34
人望不足は一番痛いね。
あと島津義弘を軍師にすればよかったと思う。
21無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:35
増田と組んじゃ不味かったかもね・・・Wスパイだし
>>20
オイオイ嫌われてますよ三成。
23無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:35
もしも三成が七将に攻められたときに死んでいたら

三成の変わりとなるような人物は誰になったのだろうか?
A 上杉
B 毛利
C 増田
D 前田
E 小早川
F 加藤and福島
24無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:37
>>1別にちっともひどくないだろ
どうひどいのか言ってみろこの知ったか
25:04/01/05 01:38
F!てーか、加藤
>>24
まあ無意味に煽るな、直ぐ落ちるから。
27無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:40
上にたつタイプじゃないのにでしゃばったから。
28:04/01/05 01:40
義弘は関ヶ原にいた武将の中で唯一家康に対抗できる
29無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:42
名前の画数
花の慶次の三成の描かれ方は納得いかんですよ
31:04/01/05 01:43
増田も微妙だね
32無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:43
上に立つというか
所謂『将の将』としての資質は皆無だった
33無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:44
>>1
三成の戦略がどうひどいのか言ってくれないと
議論のしようが無いんですが
ソロバン奉行だったしな
35無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:45
>>34
      ∧ ∧
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)  <逝ってよし!
 UU ̄ ̄ U U
36無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:46
なんか>>1は初心者くさいな
37無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:47
>>1から戯曲のにおいがする
38無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:49
とりあえず
全有力人物に対して吉継・左近レベルのエピソードみたいな感じで
勧誘してればなんとかなったかも
39無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:52
友達ほしければ性格直せ!

40:04/01/05 01:52
初心者っつーか表現の仕方が下手でm(__)m

数だけ集めようとやっきになってたけどそこの時点で崩壊の兆しが・・。
三成の性格からじゃあんなエピソードの勧誘は無理っぽい
42無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 02:23
>>38
三成を買いかぶりしすぎ。

「東大出身で大蔵省の傲慢なエリート役人」というのを想像してみろ。
そいつには、それなりに信頼できる友達や有能な部下がいるかもしれないが、
だからと言って、ほかの多くの人間から見れば「イヤな奴」というのは
変わらない。
>>30
影武者徳川家康では、カコイイ人に描かれてるので
許してくださいな
44三成:04/01/05 03:11
毛利と島津が動かないからだよ!こんちくしょーめ!
毛利は様子見、島津も様子見
けっ、根性なしどもが
結果的に毛利は大幅な減封、
島津は土下座しまくってやっとのことで本領安堵

ざまあ、無いね
会津や薩長など、外様大名などを当てにしたやつが悪い。
三成は彦根なのだから。
19万石で家康と天下分け目の合戦をしたってだけでも凄いことだな
まあなんて言うか

厨房だよな
「フィールドワーク関ヶ原」の記述が正しいとすると、天才的な戦略立案能力を持っていたとも言えるのでは?

ただし、関ヶ原の戦略を三成が練ったのだとしたらだが・・・
>>40

>数だけ集めようとやっきになってたけどそこの時点で崩壊の兆しが・・。

三成のことを言っているのか、ご自身のことをいっているのか?
成り上がりは嫌いよ
51無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 01:48
Me、じゃなかった、目。
52無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 02:34
みんなに嫌われてたんだよ。これがよくなかった
女みたいだった。これがいけなかった。
ライ魔神大谷吉継の鼻汁を飲んで発狂した。あれがいけなかった。
55無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 08:21
たかだか20万石程度の大名で
家康ほどの巨人に十分、善戦したと言えるよ。

三成が無能・人望無かったのではなく家康が
凄すぎただけだ。
俺は逆に花の慶次の三成が好きだ。
57無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 08:42
その1:朝鮮出兵の責任を負って腹切って自害
その2:七将に攻められたところで腹切って自害
その3:佐和山に蟄居されたら腹切って自害
58無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 08:52
せっかちで几帳面すぎた
59無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 10:46
三成は寝返り工作とかしてなかったのかな
60無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 10:49
マジレスすると、
生まれてきたのがいけなかった。
61無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 10:50
イケメンだったために、
がんもどき顔の福島や加藤ら武闘派に恨まれた。
三成・・・内政の才能はずば抜けていて
しかも他の人の仕事も(たとえば城内の見回りなど)も
勝手に自分でやったっていうくらいだから
部下にはいいが友達には欲しくない。
やっぱ秀吉より下だな。
江守徹がいけなかった。
64無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 11:12
始めっから藤吉郎にクソ熱いお茶出しとけば
拾われなかったと思われw
何がいけなかったと言うことは、逆に言えばどうすれば
目的(=豊臣政権維持)が達成できたかと言うことか

何らかの工作で家康を失脚させることができたとも思えないので
やはり戦で勝つしかなかったのかもな
どうすれば家康に勝てる?
秀吉が死んだ際浅野長政に秀吉の死はまだ黙っとこうとか言ったクセして
利家と家康にはちゃっかりしゃべり長政を孤立させようとしたが
利家と家康には見破られたと
67ハート様:04/01/28 19:10
光成はどこも悪くないと思う。司馬遼太郎の小説で書かれているが
「あの一挙は故大閣へのなによりの馳走になったであろう。豊臣政権のほろびに
あたって光成までの寵臣までが家康のもとに走って媚を売れば、世の姿はくずれ、
人はけじめをうしなう。かつは置き残していった寵臣からそこまで裏切られれば、
秀吉の惨めさは救いがたい。その点からいえば、光成は成功した」と、
書いてある。水戸光圀も徳川でありながら、「光成は善人」と言っている。
光成は戦では負けたが、ある意味勝ってんだよ。
三成はそれなりに優秀だった・・・だけど相手が悪かった。
遅漏だったので逝けなかった
三献の茶の話は江戸時代に徳川が「三成は頭だけの
小ざかしい官僚だ」って植え付けるために作った講談だよ、重家が言ってる。
三成の挙兵、戦術は悪くはない、というか最上の策じゃないかと思うが
71無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 19:49
三成がとみに頭がキレるという書きこみを見るたびに、秀吉・家康とつながっていた説
がホントのように思われる。
たしかに仇敵の武将の名前を地名につけるなんて考えられない。
ブッシュがビンラディン坂なんて作る訳無いし。
そりゃ三成は徳川家からみりゃ優秀だろ。
結果論とはいえ、家康にとって邪魔だった奴等ををまとめて一網打尽にする絶好の機会を
つくってくれたんだから。こんなすばらしい演出は三成以外にはできなかっただろ。
>>72
その通り!
>>71
たしかに仇敵の武将の名前を地名につけるなんて考えられない。
これってなんの事?
74無名武将@お腹せっぷく:04/01/28 21:59
>>67
「光成」って?
75無名武将@お腹せっぷく:04/01/29 03:27
光ってます
76無名武将@お腹せっぷく:04/01/29 04:23
よく光りますなあ
77無名武将@お腹せっぷく:04/01/29 09:03
秀吉をパクって、
秀頼をあやして膝の上に抱いて、大坂城の広間の上座に座って
「者ども頭が高い」とかやれば良し。
78無名武将@お腹せっぷく:04/01/29 09:25
好きな子が出来た。
会えば仲良く話せていい感じ。
告白したが断られた。
理由は彼氏がいるからって言われた。
これが三成のパターンで家康だったら
まず彼氏いるか確認する。いたら程々でいなかったら根回しが始まる。

俺は三成だった・°・(ノД`)・°・
>>77
そんなことすれば福島、加藤あたりに暴力で秀頼を取り上げられ
無理矢理壇上から引きずりおろされる悪寒。
>67
そこの下り漏れもすきだな

しかし、皮肉なことに”三成憎し”を家康があおることで
豊臣政権内部の反三成派(=親家康派)を作り上げてしまったことだな

あり得ない話だが、逆に三成が真っ先に家康に媚びを売っていったら
武闘派の誰かが三成を討ち、そいつが旗頭になって家康と対抗したかもしれない
81ハート様:04/01/29 20:42
>>80
もしそうなったら三成は100%討たれるだろうけど・・・
しかし命張ってまで家康に対抗するかなぁ?

島津は最初から家康派だし、毛利は何も考えてない、加藤や福島は
家康にはかなわないと思ったから家康側についた訳だし・・・
豊臣家の為に闘うような武将って、三成以外にいるだろうか?
82無名武将@お腹せっぷく:04/01/29 21:09
まず100%勝ち目が無さそうな家康を相手どって関ヶ原で包囲陣を敷いただけでも拍手。
結果的には負けちまったが・・・
家康の根回しとか策略勝ちとか言うけど、実情はほぼ五分の戦いだったように思う。
>>82
あのざるを包囲陣と言ってはいけない。
毛利も小早川も石田三成の意志に関係なくかってに陣取りを
してしまったのだから。
家康が七将に追われた三成を匿った時に
結局誰も三成を討てなかったわけだから
>三成が真っ先に家康に媚びを売っていったら
>武闘派の誰かが三成を討ち
の可能性は低いだろうと思うが、どうかな
当時婚姻を結んだばかりの福島、蜂須賀を無下にはできないだろう。
86無名武将@お腹せっぷく:04/01/30 11:28
>84
それもそうかもね。

ただ、頭の良い三成が家康政権になっても、
官僚として権勢を振るいたいと望んだとしたなら
もっと早く、それこそ秀吉存命中から家康に近づき
媚びを売る必要があったとおもう。

端から見れば、秀吉の次に家康に取り入ろうとする三成の姿は醜く
そこに向けられる憎悪は計り知れない物になっていたかも

なんか、どちらにしても助からなかった人みたいに思えてくるね
87無名武将@お腹せっぷく:04/01/30 12:24
俺が三成で死なずにすむという方法取るなら
家康が政権握るに大坂での執権をそのまま任すけどな。
媚びる必要も無く、な。
大老として政治に必要不可欠だし協力していく。
何もしなければ家康も何もしないだろ
88無名武将@お腹せっぷく:04/01/30 18:21
家康が老衰で死んだら、「ヒヒヒ」ってワケだな
>>87
甘い!政治の世界はどろどろしている。身内の中での権力争いでお互い足の引っ張り合い。
本多と大久保しかり、天海と崇伝しかり。生前スキのなかった長安は死後悲惨。
よく石田三成は人望がないと言われているが
特にそのことを表しているエピソードってなんかない?
なんか清正や正則と仲悪かった事しか知らないのだが
大谷吉継の発言
官吏タイプの武将は人に嫌われてこそなんぼ
仕事ができて生真面目な人は、いつの世も嫌われるものです
>>93
あと権力を借りてないと嫌われないだろう
>>94
借りてない借りてない(w
よく権力をかさにきて贔屓したとかいうのは江戸時代の俗説だから。
顔が好くなかったのが一番の問題だな。
女みたいだったからこそ、清正にさんざんバカにされた。
>>96
それは当たってるかも。
実際明治時代に彼の頭骨を見た研究者が「一見すると男か女かわからない」
って言ってたくらいだから。
で、>>1は何処行った?
存在自体
100無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 15:36
あげ
101無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 15:49
石田三成は武功とは無縁に思われてるが、朝鮮では戦闘指揮して勝ってるんだよな
102無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 16:07
あのへんなバンダナがいけなかった。

秋葉系とよばれ虐げられることに。
単純に対立してた徳川家康が勝ったから、悪く言われてるだけじゃない?
豊臣側から裏切った連中の後ろめたさからくる自己保身もあるだろうし。
>>102
ウエストポーチもマイナス点だったな
>>102
>>104
何の話だよ(w
106無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 21:34
age
107無名武将@お腹せっぷく:04/02/12 03:40
多分一人よがりなとこじゃないですかね。一人変なとこに熱かったりとか。
巨人の元監督の原とかと勝手にかぶってます。
武功なんて言ったら福島や加藤清正は武功なんてほとんど無いぞ、単に縁戚というだけで
所領がでかい


あと福島は前田利家と家康が対立した際に家康に付いているのだから三成と関係無く家康派
だろ。
>>108
大谷も家康派?
110無名武将@お腹せっぷく:04/02/12 13:24
age
>>107
つまりあれか?原=三成、星野=家康と?
三成=ポレ
113107:04/02/13 03:23
>>111
星野とは何かイメージが違うな〜あえて言うなら山下大輔=徳川。顔とか。
114無名武将@お腹せっぷく:04/02/13 04:29
秀吉が死んで家康が婚姻政策など豊臣政権無視して独自の行動をとって
前田利家と対立した時
利家側には他の3大老5奉行佐竹島津加藤その他いろいろだが

家康側についた有力大名は伊達黒田福島藤堂ぐらいであとは小大名ばかりだったはず。

福島正則は真っ先に豊臣家を裏切ってます、石田三成の生死動向に関係無く家康派でしょう。
115無名武将@お腹せっぷく:04/02/13 06:28
>>114
福島はねー、講談とかではまるで豊臣の忠臣で家康にだまされているように
書かれたりしているけど、秀吉が死んだらあっさり家康に乗り換えてるんだよね、
まあ家を守らなければならないというのは分かるが、本当恩知らずだよな。

黒田は恩を感じていないとしても無理は無いがw
>>114
大谷吉継の存在を小大名として一括りにしてしまうのは嫌だな。
>>112
はげどう

石毛の次に監督になったガイジンは、大野治長。
>>114
利家の死後、それらの武将の殆どは関ヶ原で家康方についてるな。
やっぱり三成は人望がない嫌われ者だったんだな。
いや、いきなり家康対三成の構図が浮かんだ奴は居ないだろ
にしても利家の死後は誰対家康みたいに言われてたんだ?
利長対家康
>>119
対抗馬不在だったから、みんな家康に流れたとか
122無名武将@お腹せっぷく:04/02/13 19:41
>>119
上杉景勝じゃないの?
大老
輝元>景勝>利長>秀家。
大老の石高順
輝元>景勝>利長>秀家。
大老の官位
輝元=景勝=利長=秀家。

利家存命時の年齢順
利家>輝元>景勝>秀家。
利家存命時の官位
利家>輝元=景勝=秀家。
>>123 是正

大老 の年齢順
輝元>景勝>利長>秀家。
大老の石高順
輝元>景勝>利長>秀家。
大老の官位
輝元=景勝=利長=秀家。

利家存命時の年齢順
利家>輝元>景勝>秀家。
利家存命時の官位
利家>輝元=景勝=秀家。


三成が輝元を図ったのか
輝元が三成を図ったのか
>>125
目立ちたい一心の宇喜多秀家
>>118
ていうか利家が死んだ時点で家康への対抗馬は事実上いなくなったと
見ていいのでは?だから三成の人望云々以前の問題だと思われ
三成・・・野中広務

家康・・・青木幹雄

秀吉・・・竹下登

福島正則・・・小泉純一郎

福島正則の子供・・・安倍晋三
下痢してウンコもらしたところ
>福島正則・・・小泉純一郎
>福島正則の子供・・・安倍晋三

なんでやねん!!
131無名武将@お腹せっぷく:04/02/19 16:55
三成みたいな人は好き
ドビュッシーに似てると思う
>>128
左側の人物に対して失礼w
また敗者批判かよw 弱い者いじめが好きだねぇ
家康を批判する事にこそ喜びがあるのに
おまえはな。
>>131
そうか?
>>129
三成はゲリにはなったが漏らしてはいない。
ウンコを漏らしたのは三方ヶ原の時の家康。
137無名武将@お腹せっぷく:04/02/20 13:45
三成漏らしまくてたらしいよ。
138無名武将@お腹せっぷく:04/02/20 14:29
単純に秀吉の死後の備えが少なすぎただけだろ三成の敗北は。
黒田あたりに大権と100万石程度与えて尾張近辺か播磨近辺に置いとけば、
豊臣家の滅亡は無かったかもな。

>>1
三成の戦略ミス、福島正則達が清洲城に入った時攻撃すれば先発隊つぶせた。
また義弘の意見を聞いて家康到着直後に夜襲すればよかった。
>>138
そんなことしたら黒田が豊臣滅ぼすぞ(w
>石田三成は何がいけなかったのか
たぶんあのでこっぱちと反っ歯が(ry
142:04/02/20 15:37
石田ちゃんを悪く言う香具師は許さないわよ
143無名武将@お腹せっぷく:04/02/20 17:06
>>135
ドピュッシーの若い頃の写真と
石田三成の頭巾を被った肖像がにてるとおもいまつ
ttp://members.jcom.home.ne.jp/achille/
144無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 02:02
淀の方を軟禁し、秀頼を拉致してきて総大将に据えるというわけにはいかなかったのだろうか。
またその話?
146無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 02:08
前スレとかあんの?
漏れこの板来るの二回めくらいだったりするんで。
>>144
もう腐るほど既出。てか、んな考え誰でも一度は思いつくわな。

フロイスによると、秀吉の言葉として
「秀頼が政権を継ぐには幼すぎるので、家康に一時政権を預け、秀頼が成人したのち政権を秀頼に戻す」
こということになっていたそうだ。
ってことは三成が主張する家康の専横ってのはいいがかりで
家康のほうが秀吉の遺言に忠実なんだよ。
>淀の方を軟禁し、秀頼を拉致
こんな暴挙にでれば秀吉の遺言を無視し専横しているのは三成ってことになるわな。
>>147
いかにも江戸時代に改竄されたって感じだな
家康が忠実だったら幕府を開くわけないし
>>148
家康が忠実じゃなくて、家康が幼い秀頼に代わって政権を取り仕切るところまでが
秀吉の遺言に忠実ってことだ。秀頼が成人しても政権をかえさなかったところは忠実ではない。
150147:04/02/22 02:27
なんか文盲と会話してのか?
脱力するような的外れなレスだな。
フロイスの書簡なんだから江戸時代の改竄なわけがねーだろうが。
152無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 02:31
いや、それ言ったら仮にも五大老の一人である家康に逆らってる時点で専横でしょ。
毒を食らわば皿まで、って言うか、
そもそもそんな名目論で動いてないでしょ、当時の武将は。
遺言がどうあれ家康が豊臣家を軽んじつつあることは誰の目にも明白だったわけで。
フロイスの書いた文章まで改竄できる江戸幕府の権力てすごいでつねw
現代では関ヶ原を三成VS家康と捉えがちだが
三成が本当に西軍の首謀者と言える?
当時の外国人たちは割と客観的に物事をみているんだよね
宣教師達はまるで三成が西軍の首謀者のごとくあつかわれていると驚いているし
朝鮮国の記録でも当初は西軍の首謀者を三成としているが
あとで事実が分ってくると毛利輝元に修正しているんだよね
156無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 02:40
三成が首謀者でいいんじゃないかなあ。
元々あった反徳川勢力(というか徳川家が権力掌握を強めていく過程で生じた
反動)を利用したという立場ではあるけど、
「西軍」という形でまとまった戦略を立てた、総合プロデュースは彼なんだから。
>「秀頼が政権を継ぐには幼すぎるので、家康に一時政権を預け、秀頼が成人したのち政権を秀頼に戻す」
フロイスの記述にあるこの遺言が事実だとするなら
横から政権をとろうとした輝元も専横だけどね。
関ヶ原は幼い秀頼を舐めきった専横した者同士の内乱だったと見たほうが現実に近そうだな。
>>156
関ヶ原は清正や正則ら武断派と三成ら文治派の対立だろ。
159無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 02:48
>>1
三成は関ヶ原をしたのがそもそもの間違いだった。
>>157
んで、負けたほうが三成に全て責任を押し付けたと。
>>158
それは対三成戦略として家康が利用しただけじゃないかな。
関ヶ原の合戦は武断派と文治派の対立だとか家康と三成の対立だとか
そういう単純な話ではなさそうだな。
>>161
家康がそれを利用したのは事実だろうが
関ヶ原の根の部分に武断派と文治派の対立があったのは間違いないだろう。
164無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 02:58
まあ「根」の定義によりますが…
しかし家康除くべしという三成の意志がなければ関が原は起きてないでしょう。
一方、三成と清正・正則らが対立してなくても関が原は起きていた確率は高いと思います。
>>164
武断派貫で東海道を西上できないから、やはり関ヶ原はなかったに一干し柿。
毛利輝元が西軍の首謀者とするなら、なんで関ヶ原にこなかったんだろうな。
対東軍戦は長期化すると踏んでたんだろうか。
>>166
家康と密約があったんじゃなかったっけか?
大阪から出てこなければ悪いようにはしないって。
>>167
司馬遼の小説だとそうなってたよね。
毛利家軍事顧問の吉川を差し置いて安国寺が三成と軍儀しているのかがまず不思議だな。
安国寺と話つけても事実意味がなかったわけだし。三成タン
両方のルートに手を打って、成功したのが安国寺の方だけだったんじゃ?
輝元が首謀者だったが状況が悪くなってきたから三成を首謀者に仕立て上げた
家康も毛利と本格的に戦うのも馬鹿らしいので了承
172無名武将@お腹せっぷく:04/02/25 16:33
大谷だけはガチ
何を血迷ったか東軍→西軍に鞍替えし改易となった
小野寺義道もガチ(でアホ)
174無名武将@お腹せっぷく:04/02/25 16:51
秀頼もガチ
175無名武将@お腹せっぷく:04/02/25 18:17
〉)17
>>173
伏見城落城を知って西軍に付いたやつ多し。
岐阜城落城を知って東軍に内通したやつ多し。
秀頼はガチ(で能が上手かった)
Hideyori is Gachi
まぁ、名古屋三郎の息子だからな・・・
でもまあ徹底的に人望が無かったのが災いしたんだろうな。
>>169
吉川広家が毛利一族を騙しただけだろ
実際に騙されたのは広家だったけどなw
>>166
増田長盛が内通してるとかいろんな事が言われてるね
対北条戦の忍城攻めでは
秀吉の真似して水攻めをやって大失敗して
その後しょうがなく強引に力攻めをするんだけどこれまた失敗。
いくら忍城が難攻不落だったからといって10倍近くの兵力を持っても落とせないとは。
しかも城を守っていたのは甲斐姫という19歳の女の子。
こりゃもう弁護の余地がないほどの戦下手だな。
秀吉も無理に三成を抜擢せずに加藤清正か大谷吉継か真田昌幸辺りに任せてれば
さっさと忍城落とせたかもしれないのにな。
各個撃破もせずあくまで決戦で家康に挑んだ三成萌え
>>184
でも家臣や他の大名に迷惑かけすぎだろ(w
水攻めには必ずしも向いてない城なのに、
秀吉の命令でやらざるを得なくなった、という説を唱えてる人もいるようだよ。

ttp://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/knsh/oshi.htm
>>186
ああ、そこのHPね。知ってるけどちょと胡散臭くない?
ただ、水攻めに金がかかるのは間違いないし、
当時の三成の地位は、独断でそんなことが許されるほど高くはなかったと思う。
ならばそれを主君に対し意見するのも能力ある忠孝の道
無論それができればそれに越したことはないが。
好きにやって良い場合に比べれば幾分ハードルは高いだろ。
191 :04/03/11 22:22
三成は五奉行でも筆頭ではない。家康と対抗するには毛利輝元が立ち上がるのが必至。
輝元は自分と義兄弟を結び豊臣家に忠誠を誓った家康の裏切りに憤り、しかし秀頼の補佐
のため大坂城におり、ほぼ実権は三成と宇喜多秀家に。三成は才能あるが実戦経験がなく
朝鮮侵攻の際のことなど他の武将に嫌われていた。さらに大名の家族を人質にした。
192無名武将@お腹せっぷく:04/03/11 22:37
>>183
ちょっとその姫に萌えますた
あえて言おう
遣える主君を間違えた
194無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 22:21
家康の下に三成だったら最高だった
戦略も糞も、働いた戦力が1/10程度ではねぇ

「人望が無かった」

これで足りる
腹が弱かったのがいけない
大坂まで帰還して毛利輝元を焚き付ければよかった。
天下分け目の合戦当日に、仮にも一方の総大将が参戦を頼みに
走り回ってるようじゃ話にならん罠。
所詮は事務屋だ。飛びきり有能な事務屋ではあるが。
198無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 18:11
人望人望言うけど、個人の資質以前に位があまり高くなかったのは辛いでしょ。
やっぱみんな石高の低いやつの言うことはなかなか聞いてくれないわけで。
199無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 21:10
>>198
純粋に質問、じゃあ黒田如水は?あのひと石高高くない割りの人望あったでしょ
秀吉って最低だな
20万石にも達しない中堅大名のくせに、若造のくせに、200万石以上
の大大名、戦国時代を生き抜いた古狸相手に、あそこまでよくぞ
やったというべきであって、非難される筋合いではない。
家康と互角の戦に持ち込んだ事自体、奇跡のようなもんであって、
その奇跡を賞賛こそすれ、さらに大きな奇跡を起こせなかった事を
非難するような筋合いではない。
>>201
単独で戦った訳ではないので、石高は関係ないと思うぞ。
だから輝元に首謀者擦りつけられただけだって
>>183
真田昌幸って忍城攻めのとき、援軍にきてたはずだが?
ちごうたっけか?
忍城を攻めた豊臣方は大将石田三成を先頭に主だった武将として大谷吉継、長束正家、浅野長政、本田忠勝、赤座直保、真田昌幸、真田幸村だそうな
猫に小判
豚に真珠
三成に名将
207  :04/03/15 18:50
三成に名城
朝鮮軍相手には大勝だったんだがな三成
>>205
なんでそれだけ揃って落ちない?
>>209
攻めてないからだよ。
寄せ集めだったからだろ。烏合の衆じゃあ・・・
てか、遠巻きの包囲してただけだろ。
「水攻めで落としなさい。強襲禁止ね。」
っていう秀吉の言いつけを守ってたからでしょ。
214無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 22:59












何はともあれ1にダメだしされるほどひどくないと思う。
つか、水攻め失敗→強襲になったんだが。
なんだか、レベルさがってるぞ。

ぐぐってみろよ
まあ最終的にはね。
>>205
よほど三成に武功立てさせたかったんだろうなぁ。>エロ猿
素直に大谷・本多・真田父子あたりに指揮任せてたらあっさり落とせただろうに。
ゲームみたく人間の能力がパラメータだったら堕ちてたんだろうなぁ
忍城は平地の城だけど相当に攻め辛い城だよ。
>>217
だからその後真田が攻めても落ちなかったんだってばよ!
>>201
自分一人だけ負けたんならその通りだが。

家康にとって邪魔なやつらを大量に道連れにして
まとめて叩く機会を提供し、
徳川幕府成立を助けたことは非難されても仕方ない

これなら何もせずに秀頼が成人になるのを待ったほうがマシだった
>>221
本田正信が三成の遺児助命に奔走した時、その理屈を持ち出して
家康を説き伏せたという話をどこかで読んだ。
>>221
そりゃあ結果論てやつじゃないかね
戦の何たるも知らないくせに出しゃばったからこうなった。
当然の結果。
225無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 23:12
age
三成が戦を知らないならその三成に数倍の大軍でかかって負けた朝鮮軍はどうなるよ
謝罪と賠s(ry
勝ったり負けたりの良くも悪くもない凡将って考え方はできんのかい
>>209
100万パワーの超人を集めても
友情パワーが無ければ1000万パワーの悪魔超人には勝てません
229無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 23:45
石田三成は、朝鮮出兵の緒戦の大勝の時も冷静に戦線不拡大と、民政安定を主張してたぞ
勝ちにいい気になって功をあせった清正らが後補給に事欠き、現地調達に頼らざるをえなくなって李朝に反感をもって最初日本に味方していた朝鮮民衆を結局敵に回したせいで負けに転じた
どこが戦を知らないんだ?
太平洋戦争時の人事を見ればわかるとおり、日本人は冷静な大局観のある人物の価値を低く見る傾向があるな
戦を知っていて戦線不拡大と、民政安定を主張してるのに
総奉行の権限を持っておきながら清正等を制御出来なかったからだろ
単に清正がDQNなだけじゃなかろうか?
233下っ端敗残兵:04/03/20 23:58
まわりに先をみる力がなかった
やはり実力(兵力)がないと地位があっても抑えがきかないんだろう
もし三成の総指揮に従っていれば朝鮮出兵の結末は違ったものになっていたかもな
235無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 00:06
営業に嫌われる総務の典型のような男だな。
総務は営業立てないといかんのだよ。
お疲れ様です、とか言って。
三成はそれをやらんかった。
どころか、営業を頭下げるだけの馬鹿と軽蔑した。
浅野長政とか大谷吉次はちゃんとやってたのになあ。
>>235
指揮と前線との間を知ることが”戦を知る”って事なんだろうな
きっと
単に戦線拡大派の武将が頭悪かっただけだろこの場合
「戦を知る」っていうのは負けるほうへ行くってことか?
制御する権限があるのに戦線拡大派を止められなかった
とすると>>229の1行目みたいなビジョンを三成が本当にもっていたかどうか臭い って事だろ
239下っ端敗残兵:04/03/21 00:44
目先の利益しか見えてない奴に
何いっても無駄ってことを三成は
知っとくべきだった
それをうまく使えない三成の作戦ミスだろ
権限があったといっても他数人の武将とワンセットで、だからな
三成一人が意見いっても他の奉行と武将が反対すればアボン
民主主義だったのか
242無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 01:11
朝鮮出兵自体が無謀。
はじめからやらなかなきゃよかった。

進撃を止めるなんてはじめから決めてないと不可能に近い。
つまり秀吉が馬鹿だったってこと。
>>235
あと、忍城攻めの失態が武闘派の人望を失う一因となったと思われ。
何ぼデスクワークにかけては天才的でも、自分が現場に出るとダメな
人ってのは現場の人間に馬鹿にされるものなんだ。
244無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 03:26
結論。光成はいけなくない。
>>1がいけない
245無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 07:26
>>201三成にせめて50万石あればなんとかなったかもしれないが、
もたせなかった秀吉が悪いということかなあ。
結局飼い主(秀吉)が悪い、と
247無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 08:29
秀吉をパクって、
秀頼をあやして膝の上に抱いて、大坂城の広間の上座に座って
「者ども頭が高い」とかやれば良し。

248無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 09:05
秀吉が家康に200万石も与えた時点であぼーん
秀吉:家康よ、お前の野心は目に見えている。よって減反。三河一国とする
家康:あぼーん
こうすると秀吉の信頼がなくなるは
朝鮮出兵は正しい









ただし、秀吉に嘘ついた小西・宗が上げた情報が正しいとすれば、だが
豊臣政権の短命化を招いたという結果から見れば明らかな失敗
凄い名案思いついた

秀吉が死ぬ前に三成と清正と正則を呼んで
「この一本の矢を折って見よ(ry」
>>251
清正と正則は5本くらい軽く折りそうだが
>>252
あいつら空気読めそうもないからな。
逆に三成は一本も折れず
清正と正則により軽蔑される事になると…って駄目駄目じゃん
>>251-253
ワラタ!
就職先間違えた、マジで。
徳川家なら得意な政務もやりまくれるし、
事務的能力が一級品なら歴史に名が残らない事も無さそうだし。
>>243
だから真田でも落とせなかった難攻不落の城だってばよ!!
258真田:04/03/22 11:31
強襲しか選択肢が無くなってから任されてもなぁ
259無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 12:19
戦闘と戦略は別物
260無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 12:30
>>257はヒッキー
かくて難攻不落の水の要塞、旅順要塞の攻略戦に似た 無謀の極みの強襲作戦は
その火蓋を切って落とされる。
262無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 22:40
>>197 大戦略家だよ。事務能力は彼のほんの一面にすぎない。
263無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 22:53
大戦略家ねぇ〜…本気??
264無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 22:56
なぜか俺の脳内では光成の身長は低い。
265264:04/03/22 23:00
っ・・・。
間違った。三成だ。
266無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 00:21
>>263 関ヶ原は自然に起こったとでも思ってるの?
>>263
三成が真の首謀者だったらね
268無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 01:07
>>267 ほう 他に誰がいるというのですか?
269無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 02:37
三成が好きな人には悪いが彼は完全に
家康の手のひらの上で踊ってしまった。
秀吉亡き今、家康が諸侯に盟主で
あるということを決定的に認めさせるには
力を見せる必要があったわけで
その敵が石田三成ということだろう。
三成が兵を挙げたことによって徳川幕府が開かれた。
家康は三成に感謝したかもしれない。
秀吉没後、家康に対抗する勢力をまとめきれずに
関が原で決戦をすることになったのがそもそも
家康に大きく器で劣っているといえる。



単純に器を比較するには初期条件が家康に有利過ぎるようだが。
酷吏の一面があった三成が対徳川を主導しなかった時点で駄目だったっぽいな
本多正信の献策を受け入れず三成が殺されていたらまた展開は違ったかも
272無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 03:25
初期条件が悪い=時期に恵まれていない
これが三成の器だと思う
中国的に言えば天の時に恵まれていない
普通そういうのは「器」って言わない。
百歩譲って、言ってもいいとしても注釈なしで使わない。
>>272
格好つけて器とか言いたがる奴って寒すぎ。
クワタ並みの阿呆だな。
275無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 06:54
三成は家康を利用して関ヶ原を演出したともいえる。単に家康を葬るだけなら暗殺という手もあっただろうにそれを採らなかった(嶋左近が何度も献策している)
ことによって三成は家康によって自分の名を歴史に残すことができた。惜しむべきは最後に潔く切腹しなかったこと。そうしておけば、忠臣のイメージが確固たる
ものになり恒例年末ドラマの主役は大石内蔵助ではなく三成になっていたに違いない。
276無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 07:05
まぁ器が小さいカスだったんだよな。
277無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 08:22
時勢を見極める
天運があるかないか
器に大きく影響すると思うが・・・
>>268
秀家説や輝元説
初期条件の話にしても
三成は秀吉からの加増を断った=もう一波乱あるとは思わなかった
って事にならないか?
>>275
柿のエピソードがあるから、十分忠臣と見られるだろ
281無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 10:05
どこが悪かったか…それは








いや、当時の美的感覚がどうか知らんが
NHKの高感度1位が男女共に饒舌な反っ歯だ


つまり悪かったのは性格
283無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 10:52
どこが悪かったか…それは






チソコ
確かに人望無いし、戦下手だったと思う。
しかし彼の死に際に関しては彼の事をケチョンケチョンに叩いている
江戸時代の資料でさえ評価している。
人間というのは死に直面した際にその本性が表われるという。
もし本当に彼がちっぽけな人間だったら家康に命乞いをしてたと思う。
干し柿の話や捕まってもなお家康を「上様」と認めなかった話を思うと
どうしてもただのチンケな小役人として片付ける事は出来ない。
少なくともコーエーの攻略本書いてる連中や
このスレの>>1が好き勝手に言える人物ではないと思う。
>>284
ハァ?
>少なくともコーエーの攻略本書いてる連中や

わかる。確かひどいやつがあったよな。
覇王伝武将ファイルだな
三成スレで必ず一度は話題になる
288無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 23:50
>>284 人望がないのに西軍の首謀者たりえたのが凄い
つまらぬ男

だっけ?
>>288
別になれるだろ
恵瓊と仲が良けりゃ
>>288
>>290
別に三成一人が首謀者じゃありませんよ
三成の威信が低かったので共謀の形をとらざるを得なかったが、
企画発案の元々の出所、最も精力的に推進した中心人物は三成でいいんじゃないか?
>>284
あと、E爆とかの知ったか住人もね。
294無名武将@お腹せっぷく:04/03/29 00:16
三成が実権を握って海外征伐をやっていれば朝鮮出兵のようなつては踏まずに
当時の西欧諸国がやっていたように各国の港湾部だけ占領していくという効率
のいいやりかたを採ったはずだ
>>294
手動マルチ乙
296無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 22:16
三成は性格ってか人間性に問題があったと思う。
いつの時代も頭よくても、そういう大事なとこが欠けてちゃ実権とるどころか・・・
>三成は性格ってか人間性に問題があったと思う。
これは徳川家の活動によって形成された人物像。
>>三成は性格ってか人間性に問題があったと思う。
>これは徳川家の活動によって形成された人物像。
これは司馬遼や隆慶一郎の活動によって形成された人物像。
そこいらの作家にそんな影響力があるとも思えんが。
影響力があるのは作家と言うより小説という媒体自体だな
器が小さいおかげで世間遊泳の上手い大器なお歴々とちがって三成は筋を通そうとした
愚直なまでに最後まで1人豊臣への忠節を守った三成の人間性に問題あるなら、「できた人間」とは一体どのような奴なのだ?
人として筋を通そうとした所に問題があった、という事じゃないだろうか。

三成の能力うんぬんは別として、リスクの大きな戦争は避けるべき
だったハズ。それを自らの考えを押し通して戦争に持っていったのは、
やはり我の強すぎる男だったと。

だが、そこがいい。
後世の学生のためにわざわざ西暦1600年に合戦を起こした優しい人だったんだよ
たしかに!
目安にはなってるよな。
「関ヶ原よりあとだから・・・」とか、
そんな感じで覚えてる事とかあるし。
305無名武将@お腹せっぷく:04/04/01 21:59
三成は信長の海外征伐構想や中央集権体制を引き継ぐために家康を除こうとしただけ。当時の日本で信長が果たし得なかった夢を継承できる器の男は三成しかいなかった。
器も糞も負けてんじゃん。
307無名武将@お腹せっぷく:04/04/01 22:06
覇王伝の武将ファイルみたけどこの人散々な書かれ方だったなw
>305
じゃ、秀吉も踏み台だったんだw
309無名武将@お腹せっぷく:04/04/01 22:28
そのとおり秀吉なんか三成の足下にもおよばん
もし三成が関が原で勝っていたら、最終的にはやはり家康に敗れただろうが少なくとも信玄謙信並の評価にはなっていたはず
勝ちの度合いにもよるだろうけどね。

でも、関ヶ原で家康の主力を破るようなら、
様子見の大名連も、明確に西軍参加を
表明しただろうから、三成、かなり有利に。
ぶっちゃけIFの世界なんか存在しないから何とも
ぶっちゃけすぎ。(^。^)
314無名武将@お腹せっぷく:04/04/01 23:54
>>310
信玄謙信みたいなのより
中国の周公旦みたいな評価じゃないか?
実力者だけど忠臣で名宰相みたいな
315無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 02:53
やっぱ戦将としての経験のなさと、成功体験のなさじゃない?
こういうのは周囲に対する自らのカリスマ性にも直結するし。
あと、作戦や戦略の成否に関する判断が恐ろしく鈍い。
頭はよかったらしいので、十分な経験を積み、それなりの学習効果が
得られれば、武将として一段も二段も上の高みへ行けたはずだ。
合戦はうまくなることはできないかも知れないが、下手でなくなることはできると思う。
十分な経験を積めば誰だって・・・
>>303
「キリ年代ゲットー!」という行為は厨房っぽいのではないかという評価もある。
俺のイメージ的には三成の能力値は
政治:97
統率:68
智謀:75
教養:80
魅力:78
くらいだな
>>303
名前も小野妹子と張り合う程覚えやすいな。
日本史で覚えやすい名前ベスト3に入るな。
320無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 22:08
入試問題等で戦国時代あたりは時事より文化に関する問題が多いという罠
>>319
でも「光成」と書き間違えるのは結構いるよ。
322無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 22:19
官僚大名
浅野長政に頭巾を焚き火の中に入れられただとか
家康に竹杖を拾ってもらって礼を言わなかったとか
これらはどこまで信憑性あるんだろ?
>>321
それはIMEのせいじゃないか?
筆記試験で間違える人は、いるかもしれないが少なめだと思う。
>>319
小野妹子より歴史的意義が圧倒的に小さいけどな
別に歴史的意義とか比べてないから・・・
結果的に徳川政権樹立・豊臣家の影響力低下に手を貸したわけだから、
存在意義は小さくないと思うぞ。
フォローになってないが。
歴史的価値なんては水面に石を落とすようなもん。
小さくても波紋は広がる・・・とか言ってみる。
石田三成は
 
 
 
 
                がいけなかった。
島津ハシルの石田三成は途中で少し同情してしまう
331無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 22:43
age
332無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 23:02
石田三成は、名官僚。
その生真面目さゆえに、福島正則らの反感を招いたが、もし、豊臣政権のまま乱世が終わっていたら、彼らの手腕で天下は太平になっただろう。

朝鮮征伐でのよどみない、名護屋への物資の調達も官吏としては一線級。
ただ、忍城攻めでは多少、戦下手とは言える。
敵が水不足で困っている所に水攻め、しかも堤防が決壊して、攻め手にダメージ。
しかし、彼を弁護するならば、関東は初めて来る異境の地であるし、領民も北条に靡いていて、工事の手抜き、堤防の破壊などをやっていたのも事実。
決定的に戦下手とは言いがたい。
それに、島左近などを雇って、軍事面も補強し、石田隊は関ヶ原でも粘っている

関ヶ原について、初心者は「石田三成は徳川のじらしにあって、おびき出されたバカだ」などというが、
メッケル少佐が言ったように、関ヶ原での西軍の布陣は一部の隙も無い。むしろ、家康は袋の鼠状態である。
歴史を知っている現代人は「小早川も裏切るし、毛利も不戦で大丈夫」というが、秀秋は鉄砲を撃ちかけられて、やっと裏切るという不穏な行動を見せている。
これらから考えると、三成は名将には及ばないにしろ、次点並の実力はある。

マジレススマソ。
司馬遼の言い分みたいなマジレスだな。
334無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 09:36
>332
忍城水攻めは秀吉の指示っすよ。
335無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 10:10
豊臣家のために戦った石田光成。
豊臣家を裏切った、加藤・福島・黒田。
石田三成の行為は、豊臣政権に対する謀反。
337無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 10:22
>>335
「豊臣家のために戦った石田光成」
って、字違うし(笑)
338無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 12:39
小早川、毛利などに
裏切られると分かって戦ったのか、
裏切るとは思わなかったのか。
そのあたりは聞いてみないとわかりませんね。

裏切られると分かっていながら関ヶ原を戦ったのならアフォかもしれないけど潔いというかカコイイ。
裏切られると微塵も思っていなかったのなら、やっぱりアマちゃんだと言われても仕方ないような気がする。

まあ、私は三成スキなんですけどね。司馬遼太郎「関ヶ原」の三成なんかもスキだな。きれい過ぎるところが。だがそこがいい。
三成が一番カッコよく書かれてる本って何かな。
名高い関ヶ原でさえなんか三成へたれ入ってるし(まあ三成はそういう部分があってこそいいんだが)。
中立視点の関ヶ原が一番三成寄りという現状なのか・・・
花の慶次
341無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 12:58
原哲夫マンガでは、三成の死に際がカッコ良かったです。
SAKONの三成はあんま好きじゃない。
343無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 13:04
葵徳川三代の三成は「義の人」という位置づけだった。
344無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 13:12
佐竹申伍の「島左近」の三成もいいよ。
345無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 13:48
三成は自分の理想を他人に対しても
正しい事だと押し付けるタイプの人。
よくいるタイプではあるが現在の人のように
自分に有利なご都合を押し付けてる訳ではない。
偽善者ではないが、はた迷惑な善人ってとこか。
だが、そこがいい(笑
346無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 14:02
ここだったか忘れたけど、どこかの三成スレで、
三成は白い巨塔の里見に似てるという意見を見たが
三成がジジイになったら大河内教授みたいな感じになってたと思われ・・・
まだ若すぎて威厳がついてきてなかったばかりに
あの性格や態度が傲慢と見られることが多かったんだろうな。
出世が早くて嫉妬もされてただろうし。
>>346
出世は福島などと比べて、特に早いというわけでもないだろう。
348無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 17:17
>>346
 むしろ、福島が東国で波乱が起きた際最前線となる清洲に20余万石、加藤が対朝鮮の最前線となる肥後に24.5万石、
 三成は交通の要衝・三和山に19万石。
 
 こう言うのを見ていると、特別三成の出世が早かったわけでは無いだろう。
 まぁ、多少、福島や加藤よりは士官時期が後と推測されるが、「秀吉が子飼いを漁っていた時期」として見れば同期だからな
三成は秀吉に100万石与える意思があると言われたけど
中央を離れては政治に携われないという理由で自ら断った事があるよ。
それに実質宰相みたいな位置だったので石高では測りきれないくらいの権力持ってたと思うが。
>>349
本多正信なんかが正にそれだな
351無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 22:50
会社でいうなら
三成はデスク肌に見られてそう。
で、外勤営業みたいな福島とかに
「内勤デスクは外のことなんかわかりゃしねえ!」
とか言われてそう。

だから、三成自身も優秀な内勤デスクではあったけれども、
自分を内勤と思われるのを嫌ってそう。
全くの妄想だけど。
>>351
>>自分を内勤と思われるのを嫌ってそう。
そうだろうな。性格はむしろ短気で武闘派向きだと思うし
関ヶ原の合戦時も善政のおかげで石田隊の戦闘力はかなりのものがあった
353無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 21:24
賤ヶ岳でも、七本槍のような突出して打撃を与えるような勲功は無いが、後方支援の指揮官として活躍したらしいぞ。
>>353
おまいは、賤ヶ岳を何も知っていない
マジメ過ぎて失敗したという典型例だとおもう
356無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 01:33
>>355
だが、それがいい。
清廉潔白
358無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 04:20
たまたま雨ふって鉄砲使えなかったから役に立ったのに、七本槍なんて大袈裟なんだよ。恥ずかしいわ。 関係ねーけど、三成はA型だったらしいな。家康はABなんだと。
家康はAだったような
7本槍は子飼いの家来を作りたかった秀吉が
実際は大した事ないのに功績を必要以上に持ち上げたという噂
361無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 20:18
>>358
 お前は槍無しの戦が戦と言えると思ってか?ヴォケッ!
362無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 20:27
>>361がいい事言った!
363358:04/04/15 21:46
いや、オレも槍働きは好きなんだ。上島喜内とかさ。でも信長あぼんして秀吉が台頭した時はもう普請と銭と鉄砲と補給線の戦だべ。槍の戦はロマンだがな。
364無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 21:53
大谷吉継というGOOD FRIENDがいたのになぁ。
>>363
槍の戦というのを、槍働きつまり個人的武勇が主体の戦と取るなら、
それはそうかも知れないが、
>>358ではあたかも槍という武器が自体が鉄砲が使えれば役立たず、
と言っているようにも見えるわけで、
もしそうならそれは大間違いだよって話だと思うぞ。
>>364
別に吉継ばっかが友達じゃないし
吉継も三成ばっかが友達じゃなかったろう
三成、野心家だったんじゃねーの?
本当に豊臣の為だけに戦ったとは思いにくい
まぁ死ぬタイミングだろうね 死人に口無し
家康も秀吉より少し前に死ねば古今比類なき名将扱いされてただろう
吉継は人望はあったけど友達は三成しかいないんじゃないの?
ホラ、あの病気だし。
三成、普段の人となりや後世に残る逸話を見てもひたすら無欲だしなぁ。
ただバカ正直に豊臣の事を思ってたんじゃないか。
371無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 18:10
>>369
 吉継の娘は幸村の妻=真田家ともなかがイイ。
 あと、小西行長とも仲がよかったらしい。
>>371
吉継と信繁のかかわりは、またかっちょいい逸話だよな。
373無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 19:40
本能寺襲うべきじゃなかったよな
左近は好きだが三成は・・・。
375無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 21:37
本能寺って・・・誰のこと?
376sage:04/04/17 01:46
三成好きに島津なんとかさんの著書「乱世光芒」をすすめとく。
みっつんイイよな。
地味に好きだ。
地味に好かれてほしい。
地味に好いてやってくれ。
切腹だ…sageてないよ!
378無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 18:07
>>373
 意味ワカンネ
吉継は家康とも仲良かったんじゃなかったっけ?
利家と家康が対立した時も家康方に付いたくらいだし。
まあ、友達ってのとは違うけど、病気のことは有るにせよ、
人間関係では三成よりは器用そうだ。
>>379
三成は人間関係不器用そうだよな・・・。




だが、それがいい。

司馬遼小説の影響受けた偏見だけどさ。
381無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 13:17
すくなくともあの程度の石高で
当時最強の家康と数の上では互角の勝負に持ってっただけでも
相当な器量の持ち主だったはずだ。
結果的には家康と三成の格の差が出てしまったのが敗因。
三成の手形よりはそれは家康の手形のほうが説得力がある。
せめて三成自身に100万石の格、もしくは
せめて家康につぐ格の毛利輝元の出陣があれば
多少は結果も違ったのかも。
自陣の格はしょうがないとして
まあ、輝元出陣については裏工作駆使してそれを
許さなかった家康が一枚上手だったことも事実だろうが。

という感じで、どこかの本に書いてあった(いや、マジで)
というよりこれはくぐり抜けてきた修羅場の数の違いなんじゃない?
数多くの実績を残したとはいえ三成は比較的とんとん拍子に出世したのに対し
家康はずっと苦難の日々を過ごしてきたわけだから。。。
>>382
まあ、信玄・信長・秀吉あたりに煮え湯を飲まされながらも
どうにか渡り合って生き抜いてきた男と、
清正・正則・長政辺りと内輪揉めを繰り返して、秀吉にゴマすって出世してたきた男じゃ、
人間としての説得力に差が有りすぎるよな・・・
384無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 18:06
>>382 >>383
深く納得。
家康は後期に出た人間とはいえ、生粋の戦国大名なんだよね
三成は修羅場を潜り抜けてきた戦国大名って感じではない
他の戦国大名を畏怖させることはできないよ
だからナメられてたんだよね・・・。
能力はあったのかもしれないけど、
経験・実績が家康とかに劣っていたっぽい。

リアルとかでもいっしょだね。
実績と経験で評価される。
それは仕方ないけど
経験はともかく実績でも評価するなら少しは給料上げれ

愚痴ってみる。
386無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 22:49
なんか甘いんだよね。西軍大名らが大坂城に入ったとき、首謀者が三成らで、
熱心な大名は宇喜多秀家くらい、しかも三成は謹慎中なので入城できないって
知ったらね。そりゃ烏合の衆と化すよ。しかも捕まった時、反対してた吉継らを
説得したと自慢してたらしいし。なんか結果より過程みたいな。
>>386
その甘さも三成の魅力の一つだと思うんだがなあ。
>>387
まあ、好きな人にとってはあばたもえくぼなんだろうけど、
いくらなんでもそれは・・・
389豆頭錠金:04/04/19 06:13
三成は「いくら自分が嫌われていても、『豊臣対徳川』の戦になれば、
豊臣恩顧の大名が徳川につくわけがない」とタカをくくってたんだと思う。
老獪な家康に、逆に関ヶ原を「逆臣三成を討つ」という大義名分で
『豊臣対三成』にすりかえられてしまって敗れてしまったが。
上杉が家康の求めに応じて素直に上洛し、三成がおとなしくしていれば、
家康は戦を仕掛けられず困っただろうね。
政の実権は握れても、あくまで「豊臣政権内で」ということになるし。
390無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 06:55
『豊臣対徳川』『豊臣対三成』にすりかえられる老獪な家康
こういう構図を打ち建てていくような能力は家康以外では三成ぐらいなり
サカイや太一の大いなる企てをよんで思った感想
家康を徹底的に悪者に仕立てて書いてあるのがおもしろい
文章はへたくそだが
大体あの規模の西軍が出現したこと自体マジックとも言える。
残念ながら家康の実力という現実の前に砕け散ったわけだが。
392無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 10:48
毛利輝元が秀頼の首に縄をつけて出陣しなかったのがいけない。
現代でいう
官僚上がりの中央志向の政治家が率いる党と
地元から叩きあがって来た地方重視型政治家が率いる党が激突したという事か
394無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 11:41
まあ当時は修羅場を潜り抜けた経験があってそれを知られていなければ
武士はついてこなかったって言うからね。
395無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 23:37
顔がいけなかった
世渡り不足は命取り
>>1がスレ放棄してるから
「頭が切れるのにあんまり利口じゃない人」という感じ。
そこが好きなんだが。
399無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 17:48
age
400ゲト
401電波姫@ゴーゴー尾張 ◆a.TgNskvck :04/04/21 17:51
頑固だったから。
402無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 21:21
小早川秀秋の扱い方がまずかった。
がむしゃらさが足らなかった。
404無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 22:20
三成って麻雀で他人の手は全く気にせずに
自分の手の美しさを追求するタイプっぽい。

家康は自分が上がらなくてもいいから他人を上がらせないことに
手を回しそうだ。

偏見だが。
確かに麻雀の打ち方は性格が出るな
友達にシバリョウの関ヶ原読ませたら島×三成とかゆってた
同人女だけど
>406
政則×三成の方がしっくりこないか?
408無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 23:07
どっちにしろ三成は掘られるのか・・
司馬遼太郎の関が原で
「左近は、三成は秀吉の寵童あがりでは、と疑った」
とかなんとかいう描写があって
ちょっとイヤだった(藁
左近を召抱えた知行は一万五千石なのか二万石なのかはっきりして欲しい
どっちにせよ主君との割合にしては破格
412無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 14:58
大津城と丹後田辺城をほっとかなかったのがいけなかった。
413無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 17:53
大津城陥落。田邊城開城。これらは後顧の憂いを絶つ為に非常に有効だったと思うが。
414無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 17:58
三成自身は陰に徹して表にでなきゃよかったんだよ
毛利を総大将にしたんだから毛利に全て任せて
三成自身は調略でもやってりゃいい
とは言っても毛利じゃ家康に勝てなそうだ・・・   
415無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 18:07
毛利って、なんで総大将を引き受けちゃったのさ?
引き受けたならそれもいいけど、本腰を入れなかったのがよくわからない。
やるなら本気でやらないと、負けたら家康につぶされてしまうのが
目に見えてるのに。
やる気なさげにすることで、負けたときに「嫌々引き受けたんです」と
言い訳できるとでも思ったのかな。
416無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 18:19
>>415
そこが毛利の駄目なところ
煮えきらず動きが遅い
要するに輝元がアホだったってだけ
潰されるのが目に見えてなかったんだろw
>415
>416
豊臣勢力がそんなに簡単につぶれる、とは
思ってなかったんじゃないかな。
様子見で、時間稼ぎ→→→必要なら対応、という感じで。

関ヶ原出陣の吉川あたりでも家康側思考だったワケだけど、
様子見対応だったわけだし。

でも、家康の政治感覚を甘く見過ぎだよね。
418無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 22:14
恐らく、輝元もいつか家康に滅ぼされるかもと危惧してたと思う。家康の目指す
安定な封建社会では大大名は邪魔だし。正確な情報を得られない状態だったから
実は西軍方があんなだったとはと大坂に来て感じただろうが。とにかく、毛利を
守ることを第一に、いずれ狙われるならと腹をくくったのだと思う。広家はあまり
に浅はかだと思う。
「家康の目指す安定な封建社会」像なんて物を関ヶ原当時の
輝元が関知し得たとは思えないのだけど。

とういか、その時点では誰も関知できなかったと思うけど。
だったら豊臣党が家康に付くはずないだろうし。
評価の順序が滅茶苦茶だな
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             l! rヲ――--_」Lii--――ヾ. l
             l! // <二》 _ 《二>゙ ヾ、!、
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           /'' l!   ,.. '´ ヽ    ゙̄ーr-ノ  ゙ー-、_
         _/'´  トt-イ  ,_----っ   ,!/      >
        <.      ゙t'ヽ  ヾ_ _/   /,」      /
          \     `-iヽ  ー =  ,.r 「    _/
      .     ゙"ー―┬;L ヽ __ / ,.!┬―''"
                  !レー゙==┬==‐゙┐l
                l   テ、 ]l.l ,r= ゙.l
    ,.,..-、--ー―===ー".ヽ、  ゙r  ! ̄F" /ー--、ー-----、
  r;''/  ) ̄ ̄____ ゙ヾ=.コ l! .「"./  __ ゙̄ー--ヲ \__
  フ/,ィi」i」    ヾ====== \_ \ i! / __/,.=======ヲ  i ,. _ r、\
  / ゙"        ヾ=====   ̄    ̄   ======"   Lハ l l l トi.」
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三成、君はいい奉行だったが、君のお父上がいけないのだよ!
423無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 00:03
同じ様な人間でも好かれる奴と嫌われる奴って出てくるよな
石田三成公は人気がなかったが同タイプの直江兼続公は人気があった
敵対した徳川家康や最上義光も兼続公を手放しで褒め称えている
石田三成公・・・融通が利かず要領の悪い東京大学生
直江兼続公・・・融通が利き、要領の良い京都大学生
といった感じかな?
無理に公使わなくていいよ
425無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 00:42
石田三成は釣りに使われたんだろうよ
バンダナなんか巻いてるからイケナイ
シャツの裾をズボンの中に入れてるのもマイナス点
428家康:04/04/23 16:28
いやぁ、使える奴だったよw
やっぱ、伊達正宗を引き込めなかったのが痛いな。
伊達を利で抱き込んで、上杉、伊達、佐竹連合軍を組織させ、
関東で東部戦線を開けば、家康は江戸から出れない。
家康のいない西部戦線の徳川連合軍なんて、所詮烏合の衆。
両戦線を徐々に関東に狭めていけば、徳川はつぶせたかも。

ただし、その後は、また群雄割拠の時代に逆戻り。

上杉、伊達、佐竹、真田、宇喜田、毛利、黒田(如水)、島津、長宗我部あたりが
覇を競う。君主の年齢や行動力を考慮すると、伊達あたりがぬけだすか?
430無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 23:18
伊達が西軍につくのはあり得ないだろ。

家康には会津まで行ってもらって、上杉と戦端を開くまさにその瞬間に
西軍を立ち上げれば西部戦線は制せると思う。
まぁ妄想だしテキトーに
その、瞬間を狙うってのがシビアなんじゃないかね、電話もTVもない時代なんだし。
もしかしたら、三成も「丁度今くらいか?」って感じで立ち上がったのやも。
多分、「ヤバイ!早く挙兵しないと上杉が滅亡してしまう!」
って感じで焦ったんだろうな。
実際には上杉独力でも持久戦に持ち込めるくらいの目算はあったようだが。

三成って焼肉を何回も何回もひっくり返すタイプだぞ、きっと。
434無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 09:32
家康の他の武将との付き合いは広く浅く
三成は狭く深くだったんじゃなかろうか
俺が当時の大名だったら間違いなく三成側についてたな
で、四条河原で打ち首になってた、とw
俺も家康は嫌いなタイプだな
でも俺が当時の大名だったら家康につくな
嫌いでもお家存続の為に勝ちそうな方に
しかし、結局インネンつけられて改易、と。   
秀吉が井伊・本多・榊原辺りを過剰と思えるほどに褒め称えたり、
結構な官位をくれてやったりしてたのも失敗だったかもね。
徳川の方は家康個人だけじゃなく、家臣団もそれぞれが大名クラスにも影響力持ってて
本多と福島・真田や榊原と加藤辺りはカナーリ交流あったみたいだし、
尊敬しちゃったりしてたみただから。

家康が三方が原で大敗した武田に敬意を持っちゃったのと同じで、
秀吉も長久手で痛い目に合わされた徳川家臣団に惚れ込んじゃったのかな。
>>436
他大名家の家臣の褒めたり官位を上げたりしたり大名格にしてやったり
大名の重臣に直接コナをかけるというのは
秀吉にとってメリットのほうがはるかにでかかったぞ?

「お目見え」という制度を作ったおかげで
「大名といえど勝手に処分できない家臣」を大名家に作ることによって
中央政権の内政干渉をできやすいようにしたんだから。

そういうシステムは別に徳川家に向けてだけやっていたわけではなくて
全国の大名家の重臣への豊臣家のパイプを直通させる政略の一環として行ったに過ぎない。
実際、上杉家の直江や、宇喜多家の明石などには非常に効果的だった。
他大名家に対しては十分効果が上がったけれど、徳川家臣団が特異的だったということ。
石田三成の何が悪かったって、
運が悪かったことだろうな。

なんぼ用意周到に準備して絶対負けない戦略を家康が整えても、
戦で光成の運が良ければ勝てた。

頭の悪い意見とは承知してるが戦争なんてそんなもん。
>>438
言いたくはないが、
本当に頭悪すぎ、
自覚してるなら書き込まない方がいいぞ。
福島の小山会談での行動が、輝元を消極的にさせた原因かも。
441無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 14:45
>>413
ほっといても城を出て行動起こせるほどの人数じゃなかったでしょ?
押さえの人数だけ追いときゃ十分なんじゃないの?
442無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 17:00
官僚は現場の気持ちが分からんのだよ
>>419
そこまでいかなくても
「前田や上杉に難癖つけた。やべぇ、次は俺か」
という想いくらいは抱けるんじゃない?
>>440
輝元に関して妄想してみた

元々毛利主家は主戦論だった。
しかし、関ヶ原での勝利を収めたとしても、
不戦を家康に持ちかけていた吉川家との対立は避けられず、
自国の経営に破綻をきたしかねない。
てぇことで吉川広家の説得を試みるが、主戦論を唱えたのが恵瓊だったために
広家は首を縦に振らなかった。因みに広家と恵瓊は不仲だったらしいです
そのため輝元は出陣出来なかった。

説得に失敗した輝元は西軍が敗戦した時は、広家案の所領安堵を得ようと考えた。
結果、輝元は西軍大将という立場にいながら、兵を動かさなかった。

輝元が西軍大将として関ヶ原に出陣した場合、小早川の裏切りはなかったと思われる。
実は関ヶ原最大のキーマンは『吉川広家』だったんです(ぉ
445無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 10:31
減封の沙汰があった時の広家の顔を見てみたい。
>>440
そもそも関が原一戦で決着がつくとは思ってなかったから
毛利輝元も出陣しなかったんだろ。

それに毛利が大阪城に居ることで西軍=豊臣で多くの大名
がついてきたんだろうしな。
仲間内から裏切りが出る事を想定してなかったのはマズイだろう・・・
味方にも諜者入れてれば裏切り者はわかるんだから、軍儀の時に
証拠突き出して捕縛して人質にして、兵だけ家老にでも任せて戦わせればいい。
多少強引だが、大将を人質に取られたら戦わざるおえない。

金吾なんてあからさまにぁゃιぃんだから、ちょっと探ればボロが出まくり。
史実を知ってるから言える事かもしれんが、俺だったら金吾を捕縛して
人質にして小早川に先鋒をやらせる。山の上に布陣なんてさせない。
疑わしい香具師や寝返った香具師に
先鋒をやらせるのは戦国じゃ当たり前だったからな。

吉川広家も同じく諜報で探らせてれば裏切り解ってたから
同じく捕縛して、秀元に広家は裏切ったから捕縛した。
助けてほしけりゃ前線で戦えとちょっと脅す。
勿論、毛利は知らない事として責任は不問としますとか
言って、ご機嫌は損ねないようにする。飴と鞭ね。

小早川と毛利で3万強の軍勢になるだろう
それがまともに戦ってれば勝ってただろうし
この両家が戦ってれば他の連中も裏切りは
しなかったと思う。ちょうそかべもまともに
戦ってくれてたろうしな。
って書いたけど三成だけのせいじゃないな。
関ヶ原の名目上の大将は宇喜田秀家なんだから
もっとあいつも色々やってりゃあ・・・ってお家騒動で
それどころじゃなかったか。やっぱ家康の方が一枚上手
だったってとこかIl||li _| ̄|○ il||li
とりあえずタイムマシンがあったら会ってみたい人間の上位ランカー
捕縛は難しいと思うよ。
下手すりゃ西軍という集団自体が雲散霧消する。
三成は難しい西軍の中で頑張って奔走しましたね。
島津の扱いや朝鮮派兵時にポカがあったけど、
忍城包囲戦と関ヶ原においてはMVPに近い働きがあったと思うから、
信長の野望をやる時には彼にカルバリン砲でも与えて
金吾に向けて撃ってあげようかと候
>>447
バカだな、諜報で探っていれば三成が自分を捕縛するつもりなんて事すぐ分かるから、
軍議になんか行かないか、そうされないように充分な護衛を連れて行くに決まってるだろ。

って、いやマジレスすると、
探れば分かるなんてのは短絡的、
怪しいくらいは認識できても皆を納得させる証拠を手に入れるのは困難だ、
そして証拠なしに大名を捕縛して人質に取りその軍を操るなんて暴挙をすれば、
それこそ西軍全体が疑心暗鬼に陥って軍の体をなさなくなる。
また逆に明白な証拠をもって小早川・吉川を糾弾すれば、
当然彼らが徳川に通じていたことが明るみに出てしまい、
そのこと自体が西軍に大きな動揺を生む、
さらに身内から裏切り者を出した総大将毛利の責任問題につながり、
不信感もつのるだろう。
いずれにしろ西軍はぼろぼろになる。はっきり言って現実的な案とは思えない。
さらに捕縛とやらに失敗した時のリスク大きい。最初の例じゃあないが、
吉川にしろ小早川にしろ細心の注意は払っていただろうしね。

まあだからって裏切りの疑いのあるものをそのままにしておくわけにもいかない。
思うに最良の策は実際に三成がやったように、
土壇場で馬鹿でかい餌(関白就任)を提示して一時的にでもこちらに繋ぎとめてしまう、
という手だったと思う。
結局これも最終的に上手くいかなかったわけだが、
実際の結果を見ても結構いいところまで行っていたと思う。
まあ、あまり小早川や吉川を追い詰めたら、
戦が始まる前に西軍を離脱される可能性もあっただろうからね。
信頼できる味方:宇喜田、島津、大谷、魚屋
辺りには事前に話を進めておけば問題ないでしょ<捕縛

実際、島津は怪しいって話したら捕まえて殺してしまおうって
言い出したくらいだしな
布陣でいったら西軍の圧勝なはずだから、
疑わしい者も働いてくれると思ってたんじゃないのかね
>>455
百戦錬磨の家康が、なぜわざわざ不利な布陣をしたのか気づかなかったんだろうか?
毛利・吉川が動かないと事前に知ってなかったら絶対しないだろ。
戦下手の三成はともかく、島左近や蒲生郷舎は気づいたと思うがな。
アレは行軍隊形から地形の制約を受けながら展開した、
言わば応急的な陣形だろ。
戦闘が始まるまでの経緯からすれば十分あり得る形だ。
三成が、作戦が図に当たったと希望的観測をしても、そう無茶な話じゃあない。

あのままでも、要の位置にある三成の本陣の辺りを速やかに粉砕すれば、
西軍はよりどころを失って後退するしかなくなる。
家康がその可能性に賭けて強引に勝負に出たという解釈は成り立つだろう。
>>454
無理だってちょっと大名一人を捕虜にするってのを簡単に考えすぎじゃないか?
大体その信頼できる面子の総兵力、裏切った連中に劣ってるぞ?
事前に計画がばれたらそれだけで西軍自体が崩壊する。
情報戦で常に三成がたが優位に立てるなんてのはご都合的過ぎる考えだ。
てか、三成いなかったら勝ってたよ
460無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 11:57
てか、家康いなかったら勝ってたよ
461無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 14:49
家康に関八州を与えたのがすべての始まりだわ。
当時の徳川領が駿遠三に甲斐・信濃ったって、信濃は半国だし、せいぜい百万石ちょい程度。
北条攻めの恩賞は伊豆一国で十分だったのに、いくら畿内から遠ざけて、東海道を恩顧で固めるったって、
250万石もくれてやることはなかった‥‥まあ、そこが秀吉の器なのかもしれんが。
462無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 15:30
せめて相模・武蔵だけでよかったよな(ほぼ100万石)
そして上野・下総あたりは牽制のために佐竹に与えるか
北条に与えれば良かった
なんで自分の直轄領以上の石高に上る大封を与えたのかさっぱり理解できんね
信長は徳川家に力つけさせなかったのにな
464無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 16:45
>>461 >>462
秀吉vs家康
戦では家康に完敗だった。根回しも直接対決も外交も。
秀吉は家康には勝てない事を知った。
勝てたとしても泥沼化の上の勝利か、多大な犠牲が必要。
織田信長でさえ挫折した天下統一を
なんとしてでも進めたい秀吉にとって家康は最期の難関だろうが。
信長は光秀に移俸を告げた後に急襲された。
秀吉は信長とは逆の道で天下を取ろうとした。
しかも家康は主君の盟主な為、高待遇で迎える必要があった。
結果、家康は臣従の立場を取ったんだぞ。
なんと信長ですら不可能だった配下に組み込んだ。
そこまではパーフェクト。

いけないのはその後の朝鮮出兵と老害。
楽観視せず、やるなら家康にも出兵強制させるべきだった。
465無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 16:56
石田三成は調略、外交失敗したのが原因。

明智光秀の失敗を繰り返しただけ。
何を見ていたのか。
秀頼を出兵させていたら楽しかったかもしれない。
逆に家康陣がぐらついたと思われ。
>>461
やっぱり、最終的には長久手が仇になったかな。
外交戦で臣従させるのには成功したものの、
単純な戦果以外で秀吉が失ったものと家康が得たものが大きすぎるよ。
467無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 22:52
>>465
えらく簡単に言うが、
それを実行するのが大変なんだろうが、
秀頼の側近には家康の息のかかったものも多いし、
秀頼出陣なんて簡単にいくわけがない。
何より石高の差や関が原開戦前の三成の立場を考えれば、
あれだけの西軍を組織できただけだかなりの離れ業だぞ。
むしろ外交調略は大成功といえる、
最終的にはそれでも足りなかった訳だが、
少なくとも光秀の失敗を見ていれば失敗しなかったはず、
なんていう簡単なものじゃない。
三成中心に組織したものだったのか>西軍
469無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 00:23
>>468
まあ、諸説あるが主導的立場の一人だったのは間違いないだろ。
>455
家康といえども、あれ程の軍隊を動かしたのははじめて。
布陣上、見事なまでの包囲陣を引かれていた事をちゃんと
認識してなかったと考えるのが妥当じゃなかろうか。
(不利な状況程度にはわかっていたかも知れないが・・・)

何故、不利な陣形になってしまったか?は、>457に賛成。

同じ理由で、有利な立場を金吾や広家がちゃんと認識していたとは
思えない。金吾の直接の裏切りはやはり三成の予想外の事だった
のでは?
せめて消極的な戦闘参加、程度が事前の予想だったと思う。

>467
話は変わるが、まあ、その評価くらいが三成への正当な評価だと思う。
豊臣の名前が後ろにあったとしても、石高=国力と考えて良い当時、
嫌われモノの三成があそこまでの軍団を動員できたのは奇跡に近い。
各国の思惑があったとしても。
>>470
じゃあ三成は完璧だったが負けた・・・と。



〜終了〜


472無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 10:03
いくら布陣が三成有利でも関が原をする事自体が
家康の思惑通りっていう面がある。
天下分け目の関が原という名前が示すとおり
家康が手っ取り早く天下人になるためには
反家康派・新家康派で大きな戦争をして勝つ必要が
在った。そういう意味で三成は表面上の戦術的な
有利はあってもそれは戦争がしたかった家康が
演出したのかもしれない。そして実際に裏切り者を
作っておいて西軍を負かしている。
清正が生きてれば
小早川秀秋は、ここで東軍に突っ込めばヒーローになれるってわかってなかったんだろうな。
メチャメチャおいしい役回りだったのに。
三成はここまでお膳立てすれば乗ると思ったんだろうけど。
確かに、これでもかってくらいお膳立ては済んでたよな〜
神になるチャンスを棒にふった小早川萌え
関白にしてくれるって約束したそうだしな
でも小早川が戦っても西軍負けてたような
気がするのは俺だけか?家康は自軍3万戦わせてなかったし。
>>471
完璧だったんじゃなくて、有利な状況を三成も利用しきれなかった、
という事じゃないかな。

とにかく、自分で動かせる軍が少なかった
→→→局地戦の勝利では、包囲陣を活用できないという事。

>>477
金吾が西軍として積極的に、もしくはある程度の参加をしていれば、
少なくとも関ヶ原決戦が一日で終了する事はなかったんじゃないかと。

松尾山は関ヶ原のメインの戦場をにらむ要害だし、緒戦の戦闘は
西軍有利、畿内の各家康派の城へ散った部隊も3〜4日以内には
合流するだろうし、補給線も西軍の方が短い。
秀忠軍の合流で家康は互角に持ち込みたい所だけど
内部に豊臣派を抱えている心配は時間が立つほど増えていく。

こう考えると、やはり関ヶ原は家康の演出と考えても良いかも知れない。
権威確立の為の大動員、豊臣直臣に冷静な対応を取らせない+地方の
三成派の動きを押さえ込む為の短期決戦、どれもこれも、あまりにも
家康有利に動いた感じがある。まさに天下の計、という所・・・とは、
家康を褒めすぎか?>だけど、だからこそ三成がいいんよね!
479無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 17:29
>>477
形が悪すぎる。
それでも家康本体が踏みとどまった場合、総崩れになって後退してくる
前衛に道を塞がれて身動きが取れなくなり、一時的に麻痺状態になる。
その間に戦況を見て南宮山の毛利らが退路を絶ちに来たら、
兵力的には余力を残していてもどうしようもなくなる。

うまく撤収できれば壊滅的な被害は免れるだろうけど、
少なくとも東軍の「勝ち」にはならない。
あ、もちろん関ヶ原での戦術的勝利の話ね。最終的な勝負はまた別な話として。
小早川が戦っても毛利は動かなかったんじゃね?
>>479
・・・だね。
古来のどの戦闘を見ても、敗走する味方を見て、
動揺しない軍隊はない。

西軍が勝ちに乗じて強く追撃に出た場合、
家康は逃げるにしても、踏みとどまるにしても、
かなりハイリスクな決断をしなくちゃいけなかったに違いない。
(負けそうなんだから、当たり前だが・・・)

上では金吾らが、強く出なかった場合を想定して書いてみた。
金吾も三成も、どちらかといえば戦闘上手ではないし、もともと
三成は持久戦を想定していたらしい面もあるし。

>>480
戦闘に勝利ができそうなら、毛利だって動くかも。
山の上にいるんだし、戦場は見えてそう。
481だが、ちょっと修正させてくれ。

書いてから思ったんだが、家康ほどの男が
三万の自軍を温存していながら、メインの戦場で
一戦もせずに後退、というのはなさそうな気がする。
(後退、即、大敗退の可能性があるワケだし)

となると、金吾がメイン戦場に参加したとしても、
家康旗本が前に出てきて、それと戦闘!
→→→旗本の頑強な抵抗に怯む金吾!
ってなイメージがあるがどうか?

で、やっぱり金吾は松尾山へ退き、家康も自陣をやや後ろへ
移して治まる、三成方も一戦で家康を下せると考えていないので、
無理に追撃はしない。様子見の各大名も動かず・・・

最終的には秀頼、もしくは天皇家の仲介で両軍、矛を収めるという形に
なったかも知れない。
(これは消極的な考えすぎるかな?)
>>480
私も動かないと思うね、
毛利と言うか吉川は、
吉川としては西軍が負けても本領安堵、
勝てば西軍総大将の毛利の権力増大と思い込んでいるわけだ。
つまりノーリスクハイリターンだと、
その状況で勝敗が確定する前に自分で動くメリットはない、
しかも上手いことに東軍が敗走するときは、地理的に自陣の目の前を通るしかない。
つまり、東軍の負けが確定した後で退却するところを、
横撃ないし追撃すれば一応戦闘に参加したことに出来て、
一応の言い訳も立つ。
結局小早川が西軍についてもそれに連動して即座に東軍を攻めることはないく、
少なくとも家康本隊が持ちこたえている間はそのまま傍観を決め込むのではないだろうか。
>>483
俺と同じ見方だ、吉川動かないよねぇ。
秀元は戦いたかったみたいだけど
吉川動かなけりゃ毛利は動けない、しかし吉川は戦う気全くない。
安国寺が直接戦ってれば?秀元も動いたんじゃないか?
と考えないでもないけど、難しいなぁ。
485無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 17:59
>>483
下手すると秀元に攻撃されるぞ。戦場だし何が起こるかわからん。
486無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 18:45
石田三成の戦略と戦術の研究
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1082963830/
真面目に議論してる
>>483
小早川が攻撃に出たのを見てすぐ参戦、ということはないかもしれないが、
家康としてはそれが絶対にないと信じて突っ張ることはできない。
破滅的な事態に陥る前に撤退せざるを得ず、結果として少なくない損害を被るだろう。
>>487
しかしだな、
家康は本隊3万を温存している、
壊滅的な事態に陥ると決まったわけでもないだろう。
むしろ、
西軍は既に戦うべきものは全て戦っていて余力がないのに、
東軍には3万の予備兵力があった。
だからこそ小早川は土壇場で結局東軍についたと言えると思う。
己の保身を第一に考える者なら当然の判断だっただろう。
>>488>>489

そうなんだよな。幾ら三成が美味しい餌くれるっつーても勝てる見込みが
無ければ絵に描いた餅だな。小早川・毛利が戦ってやっと
徳川勢3万を引っ張り出せるってとこかな。
しかし西軍、実質戦ったのは3万くらいか?少なすぎる・・・
三成だけじゃなくて家康に対抗する大将がいなかったっから
怖くて戦えなかったのが敗因だな。
毛利輝元を出馬させられなかったのが、関ヶ原での決定的な敗因だったのかも。
輝元が出てたら、吉川広家もその場で戦わないなんて無茶?は出来なかったはず。
まさか、輝元も出てきて戦わないなんて事はない・・・よな?
>>488-489
言っておくけど、>>487は小早川が東軍側で作戦行動を開始した場合の"if"だよ。
その上で言うんだけど、合戦は兵力だけで決まるもんじゃない。
緊要地点での勝敗がそのまま全体に影響する。
ただでさえ陣形が不利なんだから、そうなったらかなりマズイことになる。
つまり戦況を変えるポテンシャルは持っていた。

何が言いたいかというと、結果論で言えば小早川は損したな、と。
間違えた、"西軍側"だ。
>>492
確かに小早川が西軍についてもそれでも確実に東軍が勝つとはいえないが、
それでも予備兵力がある以上はそれだけで勝敗が決するとも言えないわけだ、
しかし、東軍についた場合、
既に西軍はいっぱいいっぱいの状況だったから、
それでほぼ勝負ありになるのは充分予想できる、
つまり小早川としては勝ち組にまわれることがほぼ確実だ、
その状況であえて火中の栗を拾う必要はない。
495無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 09:05
>488
479ぐらい嫁
まあ・・・産まれて来たのがそもそもの間違いだったな。
>>495
あなたこそよく読んでくれ、
>>479は毛利がきたらどうにもならなくなるということだったが、
その後毛利は吉川が動かないからこれないだろうって話になってるだろ?
これを覆すには毛利は必ず来るってことを論じてもらわなければならない、
毛利が来なければ、
少なくともそれで勝敗が完全に決するというほど決定的なことにはならないと思うぞ、
無論東軍がかなり不利になるのは間違いないが。
しかし毛利や長宗我部はやる気だったんだし、
道を塞いでられるのにも限界って物があるんじゃないか?
>>498
実際塞いでたじゃないか。
いやだから戦況が史実と違ってきた場合さ。
時間も長引くし家康の軍に動きも出る(史実でもちと動いてるが)。
>>498
確かにそういう可能性もあるけどね、
しかし先陣である吉川を無視して攻撃開始するのはかなりの決断だろう、
実際三成からの攻撃開始の狼煙が上がっても、
毛利は動かなかったわけだしね。

いずれにしろ小早川が東軍を攻めてもそれに連動して確実に毛利が動くとはいえない、
つまり、それで東軍の敗北が確定するとも限らないわけだ、
対して西軍を攻めた場合は、西軍にはほぼなすすべがない、
このような状況で我が身の保身を第一に考える者なら当然西軍を攻めるほうを選ぶ。
小早川も関白という餌につられてずいぶん迷ったようだが、
結局はより確実に勝者になれる無難な選択をした、
ただそれだけのことだ。
じゃあ、西軍に金吾が参加した前提で、
なおかつ、彼らが徳川本隊に強く圧迫をかける事ができたとして、
秀元はどうか? という点だが、個人的には動く可能性が高い、と思う。

そうなれば、479がいってる通りに、徳川はかなりキツイ状況になる。
3万の軍勢もほとんど役に立たない。前後に敵を迎え撃つ形では、
勝利を収めるのはほぼ不可能に近い。
そうなれば結果は敗走しかない。敗走となればもう、雪崩式に
関ヶ原全体が西軍に傾くだろう。

家康としては、当然、それを避けたいだろうから、
金吾が戦場に出て来て、不利になるのが見えるようになれば、
戦力の逐次投入は避け、その時点で陣を下げざるを得ない。
(逆に本隊投入も考えられるがそこまでの博打を家康が打つだろうか?)

そういうワケで関ヶ原対陣は長期戦になるんじゃないか?
金吾の戦場への介入は、関ヶ原合戦の停滞を生み出す要因と
なったと推測する。

でも、個人的には金吾が家康本体に肉薄するほど、
活躍するとは思えないけどね。
小早川勢は決して弱くない、むしろ先代の小早川隆景が鍛え上げた
かなりの強兵軍団、大谷勢に最初押されたのは自分達の不義理な行為に
兵士達もやる気がなかったせいだと思われる。

もし東軍に突っ込んでいたら、小早川勢は本当の強さを発揮してただろう。
大将の金吾の問題じゃないね。そこで毛利が動くか?動かないと俺は思うが
動いてたら西軍は勝てただろう。その後も一度負けた家康の声望も武威も落ちるから
楽勝とは言わないが、徳川は滅亡してたかな。そして黒田が・・・
>>503
先代のころの小早川軍が強かったのは、
隆景の卓越した組織運営と指揮による、
別に強い兵士が揃っていたわけじゃあない。
>>502
家康が陣を下げるというが、
小早川が東軍を攻めるタイミングが史実で西軍を攻めたのと同じだと仮定すると、
その時家康本陣は三成の陣の前くらいまで前進していたから、
陣を下げるにも下げようがないと思うぞ。
実際小早川が攻めてきたら家康としては、
勝つ為にはもちろん退路を確保するためにも小早川軍を攻めるしか選択肢がない、
結果家康は全力で小早川を攻めるしかなくなる、
果たして秀秋にその攻撃に耐えることが出来るかどうかが問題だが、
個人的には無理じゃねーかなと思う。
高地から攻め下るわけだから小早川の方が圧倒的に有利だよ。
家康は狭い平地の中で部隊を上手く回さないといけない。
>>504
配下の武将たちはそのときの仕事のやり方を覚えてるわけで。
兵士はともかく、一旦熟練した下士官クラスは財産になる。
「組織運営」にはその辺の育成も入ってるだろ?
>503
>507
過去に(主な)部隊構成員が戦闘を経験してるかどうか?
・・・は大切な事だが、状況的にその経験は関ヶ原参加の
どの武将も同じ程度と考えてみる。

そうなると、やはり率いる武将の知名度、過去の戦歴なんかが
大切になってくる。若い金吾が、家康とその旗本の野戦での
名声に対抗しうる尊敬を受けていたと思えないので、家康本隊を
追いつめるほどの活躍は期待できないと推測。

>505
家康の本陣の位置関係はちょっと曖昧だった。
ご指摘ありがとう。

505氏の指摘のタイミング、位置で小早川が参戦したとして、
家康が後ろに下がれない状況にあるのなら、その時点で
かなり家康も勝負に出ていたという事か。
そうなると前にも書いたが金吾が家康本隊を圧倒できるとは
思えないので、西軍の勝利は他の部隊が如何にその時点で
動くかという事になるな。
小早川が参戦すると、福島や京極、藤堂らが潰されて
東軍は狭い盆地のそのまた一画に押し込められることになる。
なまじ家康が突出してきてるだけに事態はより一層悪化する。
右手は山で展開が難しいし。
家康の3万が加わったところで実力を発揮する余地もなく壊滅すると思われ。
むしろ飛んで火にいる夏の虫。
>>509
そこまで狭くないだろ、
現に家康は軍を前進させているし、動きが取れないということはない。
確かに小早川の目の前の福島らはなすすべもなく崩れるだろうが、
その次には島津と対峙したままの井伊、本多、忠吉が控えている、
こいつらが家康本隊の準備が整うまで持ちこたえることが出来れば、
まだ家康有利だと思う。

また仮に小早川が家康本隊が展開する前に肉薄しこれを圧迫したとすると、
毛利の押さえとして配置された池田隊他1万余に横腹をみせることになり、
こいつらが攻撃すれば逆に小早川が挟み撃ちにあうことになる。
しかし、押さえの部隊がいなくなればそれをきっかけとして、
さすがに毛利隊がうごく可能性も否定できない、
個人的にはそれでも動かない可能性もあると思うが。
さらに言えば怒り狂った福島が思いのほか持ちこたえる可能性もあるし、
この機にじょうじてついに島津隊が参戦することも考えられる。
結局、状況は混沌とし、予想しきれない諸々の事象によって戦況は左右され、
どちらが有利になるとは一概には言えなくなるだろう。
まあ、それでもやや西軍有利になる可能性が高いかな、
とは個人的にも思うが。
で、結局何が言いたいかというと、
小早川が東軍を攻めた場合はどちらが勝つとは一概に言えないが、
西軍を攻めた場合はほぼ確実に東軍が勝つ、
これは結果論だけでなく当時の状況だけでも充分予想できたことだ、
つまり、小早川が勝利者の側に回ることを優先して行動したなら、
東軍についたのはごく当然の判断だった、ということ。
>>511
当然とは言えないだろう。
一応味方だったのを裏切って西軍攻めたんだから。
戦闘時間がかなり経過してから西軍を攻めた辺りからも
かなり迷ったのを伺える。

秀秋が家康には勝てないと知恵で
判断したとは思えないが、やっぱり関東250万石は怖いと
思ったんだろうな。常識で考えれば6万以上を単独で動員出来る
相手に戦争しようとは思わんだろう。
スレ違いでスマソ、戦国武将の辞書ツールありませんか?
ATOKのはあるみたいだけど、IMEのがないんで・・・
>>512
まあそういう倫理的な面まで言えばね、当然って言い方は良くないだろうが、
自分の利益しか考えないような者だったら東軍につくだろうって話。
>>512
小早川は裏切ることについて倫理面で悩んだというより、
関白就任という三成が示した条件に引かれたと見るべきではあるまいか、
実際裏切ること自体は既に確約していたわけだし。
ところで、三成が秀秋に関白に就けるという条件を示したのは、
関が原の合戦前夜だったという話を聞いたことがあるがこれは事実なのか?
関が原に陣変えするときに小早川の陣に立ち寄ってそう言ったと。
三成は小早川を信じきっており裏切られるなどとは思っていなかった、とも言われるが、
もしこれが事実なら信じていたとは言えないわな、
既に信頼している相手に土壇場で新たな破格の条件を提示する必要はないわけだから、
裏切りをある程度危惧していたからこその行動だと思う。

また、もしこの条件によって小早川の心が西軍に揺れたとするなら、
合戦直前にとんでもない好条件を提示することで、
東軍につくつもりだった小早川を西軍側に一時的に引き戻す見事な策略だったと思うが。
まあ、結局はそれも家康の鉄砲を撃ちかけてビビらせるという、
ほとんど策とも言えない強引な手で破られてしまったわけだが。
金吾、西軍で参戦後という限定なら、個人的に
510氏の意見はとてもわかりやすいな。

個人的には混沌とした戦場を三成は嫌うんじゃないかと
思うので、やっぱり、その後は長期戦狙いに以降と予測。
早朝からで、戦闘時間も長いし。(逆に家康は短期狙いだろうが)

金吾の裏切りに関しては、やはり悩みがあったのは間違いない。
戦前の判断では家康寄りだった金吾が、戦場でなかなか寝返りを
うてなかったのは、オーソドックスに西軍の中核であった各部隊が
思ったよりよく戦っているという状況だったらからではないか。

倫理面もゼロではないだろうが、戦後、裏切った事に対して、
責任を感じて狂気に陥いったりする辺りを見ても、裏切りという
行為に関して、この時点ではあまり考えをめぐらせてなかったと思う。
終わった後、事の重大さを周りに責められてから気づくあたりは、
やはり金吾は若かった、という所か。
>>509
大谷勢が邪魔で、小早川勢が進出すべきスペースが無い。
大谷が藤堂や京極を狭さを利用して防いでいたように、今度は
狭さが藤堂、京極に有利に働く。
>>518
山から下ってくる小早川勢を藤堂・京極ていどの小勢じゃ
鎧袖一触だろう。両家合わせても5.000に満たないし
大した武将も居ない。東軍に寝返らなければ
槍鬼と呼ばれた松井主馬が小早川勢の先陣だよ?
敵じゃなかったと思われ。
>>519
だからその前に大谷勢が立ち塞がっていて、突入できない。
山から駆け下って勢いがつきすぎていると間違ってそのまま大谷隊
へ突撃してしまいかねない。
そんなに大谷勢は突出してませんよ・・・
三成の本陣付近をカバーしてるだけで
東軍に突っ込むなら充分スペース空いてますが。
>>520
つーか、
戦場に降りられない山に布陣して、どんな意味があるんだ?

関ヶ原は差し渡し数キロ四方。
松尾山の麓だって、充分に部隊運用可能なエリアだ。

じゃなければ、家康が三万の兵を桃配山から
前進させるワケないじゃん。
>510
話は少し前に戻るが、秀元の隊の参加条件だが、
もし、小早川の部隊が横から池田隊に攻撃されるほど
徳川本隊を圧迫していたとすれば、もう、徳川は半分敗走状態に
近いのではないか? 
すでに一キロほど、前進させた陣から後退させた事になる。

その条件なら、秀元隊が参加の可能性は飛躍的に高くなる。
もし、参加すれば徳川本隊も壊走状態になる事はほぼ間違いない。

まあ、あくまで徳川本隊が金吾の隊に圧迫された場合。
戦力、それに戦闘経験でも劣る部隊が徳川陣に肉薄する
可能性は低い。
>>521
松尾山の降り口である不破の関付近は、とても狭隘な地形であり、
だからこそ関所が置かれていた訳である。おまけに藤川に架かる
橋が一本しかなく、大谷吉継が小早川を封じ込める布陣をした関
係で、小早川が関ヶ原方面に進出する為には渋滞でかなりの時間
を必要とする。
>524
現代と違い、道の整備がされてない時代、
「関所」という所(その近辺)はその中で充分に
整備がなされていた数少ない場所ではないか?

不破の関は交通の要所として有名だった場所、
そこに敵が陣取っていたなら移動は出来まいが、
戦闘参加の為に通るダケなら、なんら問題はないハズ。
むしろ、整備が整っていた可能性が高いのだから、
移動は通常よりスムーズだったかも知れない。

橋の関係はもう、現在は残っていないし、
場所も正確にはわからないので、なんともいえないが、
史実で金吾の隊が、吉継の隊への攻撃をかけられた事を
考えても、あまり問題になるとは思えない。
東の上杉を挙兵させたのがそもそも間違い。
それだと三成が中央で挙兵して挟み撃ちと言っても、
本拠が東の家康もまた自由に出来るので失敗する。

西の島津に兵を上げさせたあと家康に討伐軍を出させ
それを中央の三成と挟み撃ちにすれば勝てただろうがな。
俺は家康につくぜ。

と、三刀谷孝和君が言っとりました
>>526
挙兵「させた」ってほどのリーダーシップは取ってなかっただろう、幾らなんでも、
むしろ、上杉挙兵にどれほど三成の意思が絡んでいたかの方が疑問だが。
あと、島津は内部が複雑で当初はむしろ家康側に近かったとも聞くが。
福島を挙兵させて、それを討ちにでかけた家康を関ヶ原で東西から挟撃
>>527
らしいね。
伊集院の件で家康に借りがあったから、義久はじめ内部で意見が割れて
主戦派は義弘くらいだったとか。
その義弘も本当かどうか怪しいとこだが、当初は東軍に付くつもりだったと言うし。
上杉が進んで挙兵したってよりは家康が討伐するって言うから
防衛のために仕方なくって感じじゃない?
>526
島津を討伐という名目で家康の軍が京/大坂に入るのか?
軍の大半はそこで動かなくなっておしまいじゃないかな。
秀頼が実質的な人質になりかねない。
>>526
三刀谷孝和は毛利氏に仕えた出雲の土豪三刀谷(屋)久扶の子で、
父久扶が毛利輝元に疑われて出雲から追放されたとき、
まだ幼かった彼は安国寺恵瓊の元で育てられ、
成人後は毛利秀元に従って朝鮮役で活躍した。
しかし朝鮮役以後、同家を去り京都洛外吉田山に隠棲していた。
彼は安国寺恵瓊から旧主に復帰して田辺攻めの先鋒を務めるよう勧められたが、
一族郎等を率い、田辺に入城した。
>>531
島津征伐で徳川軍が九州に入ったところで挙兵すれば、
家康は進退に窮しただろう、ということじゃないかな。
>533
いやいや、言葉が足りなくてすまん。

島津討伐という事で西進(軍は1万から2万もあればok)、
大坂入りした時点で大阪城、もしくは近辺の城に駐留し、
豊臣の中心地に大部隊を駐留。経済/政治の部分での
実質的な権力を徐々に奪う形へ移行する。
(もう、この時点で本隊はここから動かない)

島津の件は、九州の家康派、もしくは畿内の反石田派の
豊臣家臣団の一部を向かわせる。逆に邪魔な石田派の
主力を討伐に向かわせてもいい。九州で大同団結するなら、
改めて毛利を含めて討つのは、中央の関ヶ原でするよりも
リスクも少なく、ラクチンと考えたがどうか?
毛利も含めて・・・というのは、毛利も味方に引き入れてという意味です。
わかりづらい文章ですまん。
>>535
家康が大坂城にいて京・大坂一帯に大軍を駐留させれば、
確かに畿内の反乱は封じ込めることはできると思うが、
家康が独裁体制を強めれば、毛利・宇喜多・上杉の反発を招くんじゃないか。

それに、家康が出馬しないで九州平定が可能かな?
西国の家康派(両加藤・黒田・細川・藤堂)だけで島津が倒せるとは思えんし・・・。
島津征伐で手こずれば、家康政権の威信低下は避けられない。
結局は家康自身が出馬しなければ収まりがつかなくなってしまうだろう。
>536
九州での反乱は正直いって果ての地の事。
実際には島津征伐は畿内での掌握が終わった後で
ゆっくりと外交だけで完了できるのではないか。
島津は利には賢く、外交センスにすぐれた家だから、
無駄な戦闘はしないと思う。

また前記したが、宇喜多あたりを総大将で向かわせるのもいい。
成功すればよし、失敗すれば責任を問い、職を奪い、実権を
なくす事もできる。また、かの地で合流して反乱をおこせば、
これこそ意気揚々と征伐の軍を起こせる。
※これには毛利も上杉でさえ反対はしないだろう。

畿内に駐留する目的はあくまで五大老としての職務なのだから、
表だって他の大老の反対はない。気をつけるのは毛利の動向だけ。
宇喜多上杉はどのみち西軍参加であった事を考えれば気にするほど
の事もない。暴発すれば各個撃破、だまっていれば家康の威光を
示す実例となる。
むしろ、戦闘を回避して、なし崩し的に豊臣の勢力(主に畿内での
経済力)を奪うのが目的となる。実際には畿内に駐留してしまえば
そこでの戦闘はほとんど無い、と思える。秀頼がいるし、経済地盤で
戦闘を起こすのは得策ではないと豊臣石田派は考えるだろうからだ。

この部分でナンセンスなのは、やはり最初の「畿内に徳川の部隊が
入る事を石田派が許すハズがない」という所か。
吉川広家や毛利一族って西軍が負けた後に恩賞として
東軍の連中に与える土地はどこから出てくるか考えなかったのかね?
真っ先に毛利から削る事を家康が年頭に置いてなかったとでも思ってたと
したら楽観的を通り越しておめでたいね。
>>537
うーん。。。そううまくいくとは思えないなあ。
宇喜多や毛利はそもそも島津征伐なんて嫌がるだろうし、
大老として一応対等なんだから、無理矢理やらせるのも難しい。
かといって、反逆者を放置するわけにも行かないだろうから、
家康が行かないなら、秀忠あたりにやらせるしかない。
外交中心でいくとしても、島津としては徳川軍に一撃を加えて、
少しでも有利な講和を結ぼうとするだろうから、簡単にはいかない。
秀忠が島津相手に苦戦すれば、家康の威信は下がりまくりだろう。
>537
まあ、たしにかホントにうまくいった場合だけれども。

ただ、五大老として宇喜多毛利が家康と同格という認識は
やはり違うと思う。正直、島津がどういった理由で挙兵するかに
よるが、家康が大坂入りしてから、五大老会議が招集される事に
なれば、島津は正式に豊臣政権下の敵として認識される事になり、
その征伐は秀頼の名によって行われる事になる。

その状態では拒否はどの武将でもできない。
そこまで事が明確になれば、家康は自由に諸国の隊を
召喚でき、関ヶ原よりも楽に(大義があるのだから)多くの
軍団を組織できるのではないか?
総大将は家康であったとしても、家康が大坂を動く必要はなく、
指揮官は毛利の名代、先方は九州勢であったとしてもおかしくは
ない。(ちょうど朝鮮役の本陣を名護屋城においたような形)

やはり重要なのは大坂に明確な家康の勢力が軍隊として
駐留する事。それ以前にも家康は地元や大坂で好き勝手
(諸国との婚姻関係や、大坂城の二ノ丸の占拠・・・これは
関ヶ原以降だっけ?)して、豊臣石田派を挑発してきたワケだから、
大坂に実戦部隊を入れて、秀頼の首根っこを押さえたあとなら、
さらに強権を発動する事が可能となる・・・史実と大きくはずれた
あとの話だから、可能性だけどね。あくまで。

ちなみに秀忠はやはり東北、上杉などの押さえに関東において
おきたいので、動かしたくないなあ。
すまん537じゃなくて、>539 でした。
>539
正直いって、島津がどんな理由で反乱をするのかの方が
IFとしてはおもしろいかも。三成が裏にいるとすれば
どんな条件が島津を“のるかそるか”に駆り立てるのか?

>538
まったくだ!
家康の政治感覚を侮りすぎ。
島津は朝鮮での最大の戦功を挙げたから
叩く理由がないだろう?徳川とも仲悪くないし遠すぎる。
現実的じゃないなぁ。それよりも前田討伐の話が出た時に
三成はもう少し積極的に前田に肩入れして戦に持ち込めば
あるいは・・・
そう、叩く理由がないんだよなあ。
遠すぎるってのにも賛成。
そして家康とも仲悪くない。
だから、ifが聞いてみたい。

前田への話はなあ・・・家康の政治戦略の見事な口火だった。
家康の前田外交は(´<_`  ) 流石だよ
古狸の知恵爆発って感じでしたな。。。
>>540
どうかなあ。
宇喜多や毛利からすれば、島津征伐が決定すれば協力はするだろうけど、
失敗して責任を問われる可能性が高い島津征伐の司令官なんて引きうけないんじゃない?
辞退したからといって強要することは難しい。
5大老はもともと合議制で重要事項は多数決で決めることになっているからね。
まあ、大抵のことは筆頭大老で秀頼の後見人である家康の意向を尊重するだろうが、
自分の利害が絡む場合は、そうはいかないだろう。

>>542
上杉の例から推測すれば、義久に恨みを持つ重臣の伊集院か、
隣国の伊東・相良あたりが家康に「島津に謀反の疑いあり」と讒訴すれば、
家康は島津義久に「釈明のため上洛せよ」と命令を出す。
そして、それを義久が拒否すれば戦争になる。
そんなに難しいことではないのでは?
>545
ここで話せば話すほど、家康の政治感覚には
脱帽せざるを得ないよな。

押すと引くを心得た、まさに稀代の大政治家か。

このスレの趣旨でいえば、三成は家康に逆らったのが悪かった
・・・という所か。(そんな無謀な三成が好きなんだけど)
>546
会議で島津討伐必要無し、となれば家康とて出陣する必要はない。
あくまで豊臣政権下の事だから。
でも、実際に討伐しなければならないとしたら(反乱、起こってるんだよね?)
それに反対するのは逆に中央での政治的な立場を危うくするだけ。
毛利、宇喜多、上杉、だれも反対できる場合ではない。また協力を惜しめば、
それも同じ。(上杉、宇喜多が会議に参加するかはわかんないけど)
合議で出陣が決まれば協力以外の選択肢は他の大名にはない。

また、前記にも書いたけど、島津が反乱を起こしたのか、
家康が島津を攻撃したいのかで全然違うとこ。
が、対上杉と違い、家康が島津を攻撃したいと考える理由は
ほとんどない。中央での権力もなく、反家康派でもないし。
故に島津が反乱を起こし、挙兵したという526の仮定で書いてみた。
(というか、書いてる)

そういうワケで家康が島津謀反の可能性!と聞いても動く可能性は
至極薄いと考える。むしろ家康は南方貿易への道筋として島津家を
重要視していた感がある。史実、関ヶ原後の島津家への沙汰は、
外様の中では群を抜いて配慮ある扱いである。
(遠すぎて、征伐がタルかったって事もありそうだが・・・)
>>548
まあ、今回の話はもともと西軍の東西挟撃策があったとして、
上杉でなくて島津が挙兵したらどうなったかというifなのだが・・・。

で、家康が島津相手にあくまでも宥和策をとるというのなら、
「島津討伐を口実に家康が京大坂を事実上占領し、権力を強化する」
ってのは無いんじゃない? 大軍を上京させる理由がないしね。
また、強攻策でいくなら、>>546で述べた理由により、
「島津討伐は毛利・宇喜多にやらせる」というのは難しい。

まあ、上記の難点を克服する手が無いわけではない。
クーデターを起こして、毛利・宇喜多・上杉を大老職から解任してしまえばよい。
ただ、万事慎重で手堅い家康がそういう強引なことをやるとは思えないが・・・。
>>527 >>531 >>532 >>537
別に俺の意見じゃなくて、
三刀谷孝和がそういうことを言ったという逸話が
例の参謀本部編集の「関ヶ原の役」に載ってただけだよ。
「だから俺は家康につくぜ」ってのまで含めて彼の意見・感想。
言ったというか、そう判断し(て田辺城に入っ)たと書いてあった。
>550
三刀谷孝和の件の事はよく知らなかったよ。
で、少し勉強してみた。サンクス!
それぞれのレスは、氏のコメントが大前提って事で。
オレも家康につくな。その策なら余計に。(^。^)

>549
島津征伐を題目に大坂入りするのが目的。普通なら入れないと
思うが、「三成方の方策として島津が挙兵」の前提条件でなら、
三成も大坂に入城する家康を止められない。→→→というか、
九州へ行って欲しいんなら、止めるワケない。

家康としては、九州へ行くと見せかけて入城後、ただそこを動かないのが目的。
戦時下になるワケだから、占拠ではなく、あくまで表向きは軍の本陣。
でも裏では、今までの権力に武力という武器をプラスさせるのが目的。
大坂入り後、改めて会議を招集するのはあくまで豊臣政権をたてているという
名目上の事。権力の委譲は徐々に行うのが目的で、一気に占拠は
反石田派豊臣家臣団を敵に回すだけだから、もちろんゆっくりと。

毛利には宥和でいいと思う。ここぞと立てまくる。上杉宇喜多両大老に関しては、
前記にもあるが、暴発でも、静観でも好きなスタイルで構わない。暴発が一番だが、
黙っていてくれれば、家康としてはさらに挑発を重ねるだけ。

まあ、実際的に宇喜多に討伐軍の指揮は任せられないかも。
いいのは名代としての秀元あたりか。で、軍の進発の影で
島津への宥和政策は進行させる。
(島津反乱のきっかけが結局わかんないけど)
>549
>まあ、今回の話はもともと西軍の東西挟撃策があったとして、
>上杉でなくて島津が挙兵したらどうなったかというifなのだが・・・。

書き忘れた。(まとめ的に)
これに関しては、家康は九州へいくべきじゃない。(遠いから)
が個人的な答えかな。中央から離れるのは絶対に避けるべき。
極端だが、島津の挙兵は放っておいてもいいくらいだと思う。
まあ、そもそも島津が挙兵する可能性がほとんどないしな。
だね。(たくさん書いてきてなんだけど)
島津が駄目なら奥の手。

三成の口先方便でなんとか朝鮮再征伐を決定する。
国家の大老にして、先の戦役では出兵を免除されていた
自称国内最強の徳川君は当然海を渡る。
少なくとも名護屋城までは行く。
あとはそれをみんなで突付く。

鬼才三成ならできる。
>>556
途中まで話を進めてたら、家康の政治的圧力で清正・正則・長政らに加えて
三成まで先遣隊の一員として逝かなきゃならん羽目に・・・ガクガク((゜Д゜;))))プルプル

おまけに、今度こそ誰も止める人間もいないので遠い異国の地でドサクサに紛れて(ry
>これに関しては、家康は九州へいくべきじゃない。(遠いから)
>中央から離れるのは絶対に避けるべき。

これはわかるんだけど、

>極端だが、島津の挙兵は放っておいてもいいくらい

さすがにそういうわけにはいかないのでは?
関ヶ原合戦後なら、ライバルの毛利・宇喜多・上杉が全員敗北しているので、
島津は無理につぶさなくてもいいという判断はできるだろうけど・・・。

>そもそも島津が挙兵する可能性がほとんどないし

それはどうかな?
島津の実力からすれば、5大老の一員になり、
あわよくば島津幕府をうち立てたいと考えても不思議ではない。
(実際に幕末にはそういう行動をとった)
毛利・上杉・宇喜多・佐竹・島津の雄藩連合で徳川を打倒するというプランがあったなら、
ノリノリで参加したかもしれないよ。
(史実においては宇喜多・島津以外の連携は無きに等しかったが・・・)
>>558
あの時期の島津は伊集院の件もあったし、
内部はガタガタとまでは言わなくてもとてもまとまらんだろ。
当主の義久も実際関ヶ原で煮え切らない態度を取ったように
それ程の意欲が見えないし、そもそも家康にも恩義感じてるくらいだから。
>558
う〜ん。
とにかく島津が日本を制する可能性は低いなあ。
京までの道のりが長すぎる。
上杉ら大老との連携も取りようがない。
連携が取れなければ、挙兵後もどれもこれも家康の各個撃破の餌食になる。

だから反乱は無い。
自らの首を絞めるような事はすまい。
西軍参加だって間違いだったのに。
>>558
少なくとも当時の島津にそのようなつもりがなかったのは明白だよ。
もしあったら西軍東軍どっちにつくにしろ、
全勢力をあげて行動するに決まっている、戦後の影響力を上げるためにね、
あるいはこの機に九州制圧戦を再開するか、
いずれもしなかったのはそのようなつもりがなかったか、
出来ない事情があったかだ、
いずれにしろそういう事情であるいじょう、
あの時点でも島津の自主的な挙兵はありえない。
島津が幕末に動いたのは関ヶ原での屈辱があればこそ。
「チェスト関ヶ原」が島津のスローガンになったくらいだから(笑)
ひたすら九州制覇を目指していた島津が中央に感心を持ったのは
関ヶ原以降だね。
>>559
戦略上勝利の可能性が高くて、島津家悲願の中央進出ができるのなら、
幕末でそうしたように、多少の無理はすることはありうるんじゃないかな?
「当時の島津家にそんな決断ができるわけない」といわれればそうなんだけど・・・。

>>560
>京までの道のりが長すぎる。
江戸だって十分遠いと思うけど・・・。
大坂から見れば、九州と関東は直線距離でそれほど違わない。

>西軍参加だって間違いだったのに。
どうかな? 島津が関ヶ原に大兵力を派遣していれば、西軍が勝ったかもよ。

>>561
>島津の自主的な挙兵はありえない
それはそうなんだけど、仮定の話として、
西軍としての戦略的な挙兵ならあり得るんじゃない?
っていいたかったんだけど・・・。
>563
対徳川戦の勝利へのプラン(558)が雄藩連合による、というスタイルでは
ちょっと弱い、ってのが559氏の指摘なんじゃないかな。
雄藩連合をつくる為の土台になる背景が書いてないので、
559氏も「それでは西軍の主力として働く理由が明確でない」という
コメントだろう。
勝つとわかっているなら、もちろん、島津だって野望を抱く。
一番大変な大老・雄藩同士の連合のポイントが欲しい所。

>>大坂から見れば、九州と関東は直線距離でそれほど違わない。
これはもっと明白。空を飛ぶわけではないので、直線距離うんぬんは
さすがにナンセンス。京から江戸の道のりは、徳川はもともと自分の領土
+勢力影響内だった場所を通るワケであり、また街道の整備も当時、
辺境だった九州内陸部とは比べモノにならないほど進んでいる。
そして行く先々で絶対に自分以上の勢力の土地を通る必要はない。

逆に島津は九州を北上しなくてはならない。九州はまだら模様に
勢力が点在しているし、そこを通ったあとは毛利の巨大な勢力範囲が
ある。毛利との同盟が明確かつ完全なものだったとしても、やはり
島津が動けば、毛利は明確に反家康という旗印をあげる事になり、
家康軍との単独での戦いを強いられる可能性に陥る。
連合による対徳川の構想はタイミングが難しすぎる。ひとつ間違えば
前記したように家康の各個撃破の的になる。

>島津が関ヶ原に大兵力を・・・
そりゃそうだけど、兵力を動員できる状況には遠かったって事じゃないかな。
その辺りは561氏などもコメントしてるようにお国事情だったり、
それにやっぱり中央との距離かな。これが一番キツイ。
せめて島津が九州全域を納める大大名であれば、とは思うが。

長文スマソ
559氏とか、561氏とか、勝手に解釈して書いてしまった。
すまん。
両氏のコメントを読んでの解釈、という事で了解してくれるとうれしい。

連カキコでこれまたスマン。
566無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 11:10
島津中央情勢に疎すぎ。
肩入れしてた三成が情報提供しなかったのかな?
電話が通じていれば情報収集が楽だったのにねえ。
>>567
だめだ。どのみち言葉が通じない!
素でワロタ
不覚にもワロタ
確かに言葉通じなかったらしいな
571無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 20:31
おおひさびさに見た涼スレだ

ここは三戦板か?
違うよ。ここはコーエー板だよ。
>>571
偉そうにしやがって何様のつもりだ
日本史板に帰りゃいいだろカス
九州と京都には言語の壁があったのか・・・。
それも情報収集がすんなり行かなかった要因の一つなのだろうかw
>>564
当時の九州は辺境じゃないよ(比較すれば関東の方がずっと辺境)
九州が遠いから大兵力を派遣できないということはありえない。
(遠いと言えば朝鮮はもっと遠いしね)
島津の場合は実力は十分にあったのに、関ヶ原では敢えてやらなかったということ。
まあ、それはともかく・・・、

このIFは要するに「島津にいかにやる気を出してもらうか」ということであって、
島津家の内部事情なんて百も承知の上で、幕末の雄藩連合をモデルとして提示しただけ。

別に島津が独力で大坂まで攻め上って天下をとれと言っているわけじゃない。
西軍全体の戦略として、徳川軍を九州に引きつける役割を果たしてくれればいい。
家康だって京大坂に何年も大軍を駐屯し続けるわけにはいかないでしょ。
世間は「家康なにやってるんだ」と騒ぐだろうし、
徳川の兵たちは「サッサと済ませて早く関東に帰りたい」が本音だろう。
西軍の戦略としては、家康が西下すれば挙兵して退路を断てばいいし、
京大坂でグズグズしていれば大老会議を開催し、多数決で家康を煽ればいい。

各個撃破なんて言うほど簡単じゃない。
豊臣系大名だって家来じゃないし、駒のようには動いてくれない。
結局は家康が関東の兵を率いて各地を転戦しなければならなくなる。
家康が九州や中国を「各個撃破」しにいったら、
西軍としてはその留守をつけばいいのだから、それこそ思うツボでは?
ちょっと聞いてよ奥さん。
毛利の両川関ヶ原で裏切っちゃってるじゃないの〜。
だからね、ちょっと毛利のスレ覗いてみたのよ。
したらびっくりですよ。あの馴れ合いスレッド、立川さん衣笠さんも驚愕ですよ。
プチ切れて空気も考えずカチコミですよ。
ところで安国寺恵瓊の評価低くないですか?
そりゃ一発で変換できないけど、名前で遊べたりするんですよ。
恵瓊クンもIFで活躍させて!!
577無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 00:59
>結局は家康が関東の兵を率いて各地を転戦しなければならなくなる。
島津がなにを名文にして兵を挙げるかしらんが家康が各地を
転戦しないといけない状況にはしないと思うぞ
島津挙兵でかなり盛り上がりましたが
はっきり言ってあり得ない・・・
家康は、怱無事令違反だと言えば西側大名に討伐の指令出せちゃうんじゃないかな。
西側同士で闘わせてウマー、断れば豊臣に従えぬと言わせる様なものかと思うが。
恵瓊は『島津なにしとんのじゃぼけー』ていいますよ。
指令出されそうなのたぶん毛利辺りだろうから。
そうそう、もし島津が挙兵しても利するのが三成って可能性は低いよね。
寧ろ家康のほうが得しそう。
無理やり伊達討伐を敢行させれば西軍有利だったな
家康は豊臣をたてつつ(名目上)
好き勝手に難癖つけられる外交面の主導権をもってたからね。
西軍がまとまるような事させてくれるかな?
闇黒痔恵瓊って戒名させて家康に凄むしかないです(ゴメ

伊達ってあのときなにしてたっけ?
>>582
上杉を最上と一緒に攻めてた。
ちなみに、その時に上杉の領地を切り取り次第与えるって徳川と密約が
あったらしい、100万石のお墨付きってやつだね。
>>582
(敵のハズの)上杉と和睦して(味方のハズの)最上に当たらせて、
(味方のハズの)南部領を攪乱してた。
その後、最上の援軍要請に応じて留守を派遣。
>575
レスおつかれ。せっかくなので再度コメントしてみました。長文になったらスマソ。

九州と東海道〜関東の街道の開け度についてはお互いに意見があるみ
たいだが、それはそれでいいと思う。オレの参照にした各ソースではやはり
家康の通るルート(関東から東海道の道のり)の方が、島津の通る(敵のいる)
九州北部、山陰or山陽道よりも通りやすいと思うので意見は変わらない。
細部は前記してあるので、そちらを参照して欲しい。

朝鮮の例をあげてるが、これも比較対象にならないのは明白。九州北部から、朝鮮釜山まではほんとにすぐだ。正直、これはどの辺りを比較/検討しているのかわからない。

>「島津にいかにやる気を出してもらうか」
つまり、島津が「徳川を九州に誘い出す為に」やる気を出すには、
上杉、毛利ら大老と、佐竹などの関東の大名の連合くらいは必要になるって事? 
うん、たしかにそれくらいの(勝つ為の)保証は必要だ。そうじゃないと島津は
たたないだろう。それに対しては反対はないけど、その連合を組むまでの過程が
ないので、検討しようがない。正直、その連合はあまりにも難易度が高すぎに思うがどうか?
587586の続き:04/05/07 02:09

家康軍が京に駐留する件に関しては、(個人的にだが)そんなに困難だと
思わない。大軍といっても、初期に二万程度、諸国がおちつけば一万もあれば
畿内へのにらみには充分。この軍は、畿内において、反家康同盟を企てないように
する為のいわば「楔」。いるだけで役に立つ。いざ、戦闘となっても、家康のこの軍を
即座に圧倒する人数を集められる国は他にはない。費用も畿内の経済権を豊臣から
奪える事を思えば、そこから捻出可能だし。

また、徳川の兵がきらびやかな京/大坂から「関東に帰りたい」と思うかどうかは
半々くらいだと思う。駐留軍として必要なのは常時いる事なので、必要なら1年交代
ででも軍の入れ替えですむ問題。結構うれしいかもしれない。京/大坂に来るのは。
588587の続き:04/05/07 02:10
また、大老会議で多数決で徳川を破る、うんぬんの部分は、これも前記しているが、
すでに形骸化している大老会議が役に立つとは思えない。もし、会議が機能して
いるのなら、すでに秀吉の遺訓を何度も反故にし、無視して婚姻などを繰り返してきた
家康はその前に討伐の対象になっているハズ。これも問題にするほどの事はない。
(家康が気にする必要があるのは、毛利の動向だけ。これも毛利を手厚く扱う事で
充分にクリア可能だと思う)

各個撃破に関しては、実際に前田、それに上杉がやられそうになっている。
政治的に追いつめ、無理難題をいって暴発させる。しなければ悶着を起こして実際に
軍を出立させる。このパターンで家康は天下を取った。

家康が京/大坂にいて、これを追い出す為に上杉らが連合を組む動きをみせれば、
当然、彼が関ヶ原前にしたように、自分側へつくように各国に要請するだろうし、
その結果は少なくとも関ヶ原に動員できた兵以下になると思えない。
上杉はヘタをすれば一撃で関東の本軍(秀忠)に撃破されるし、畿内では軍を
起こせない(家康軍一万がいる仮定の為)三成派は、毛利に泣きつくしかないが、
毛利が家康にたてつく可能性はホントの関ヶ原の時よりも低い。
何しろ、家康はすでに京にいるのだし、三成が当てにしている上杉が、関東で家康の
本隊に勝つ見込みはないのだから。

対して家康はもし(本当にもし!)、毛利宇喜多が同調して立ったとして、京/大坂で
一時的に不利になったとしても、一万有余+家康方につくだろう京以東の家康派の
軍をもって立てこもって戦ってもいいし、ゆっくりと琵琶湖東岸、もしくは美濃/
尾張あたりまで退いて秀忠が送ってくる軍隊との合流を待ってもいい。
(この場合は別の意味で関ヶ原となる)

やっぱり長文になったので、3回に分けてみた。
どっちにしろ、なんか東北にうつってるな、話題。
駄文でスマン。
中国の戦国時代に外交に例えるならさ。
反秦の合従外交が親秦の連横外交に破れた訳は
秦の実力という裏付けが連横外交にはあったから。
日本で当てはめれば
三成じゃあ実力的な裏づけがある家康を外交で叩くのは
不利になるばかりのような気がするよ。
ここの勢力で考えれば強い奴に付いたほうが
潰される心配ないしね。
中国は統一されちゃったけど日本は
どう考えても分権になるってわかってるし。
三成が外交策に有利に立つ事は難しい。
>ここの勢力で考えれば強い奴に付いたほうが
個々の勢力で考えれば強い奴に付いたほうが
家康がブッシュアメリカで
大老会議が国連かな。

アメリカのパワー外交に近いね。
やりたい放題。
>>591
ヽ(`Д´)/それだ!
家康の一番ムカついた関ヶ原合戦前後の出来事

大阪城の米使って自分の兵を養ってた

セコイ・・・セコすぎる。
日本の金を使ってアメリカ兵を養ってるじゃないか。
>>577
>島津がなにを名文にして兵を挙げるかしらんが
大義名分にこだわるねえ。。。
(東西挟撃策の場合の)上杉と一緒でいいんじゃない?

>>579
>西側同士で闘わせてウマー、断れば豊臣に従えぬと言わせる様なものかと思うが。
「西軍どうしで戦わせる」というのはありえないのでは?
西軍であることが判明しているなら討伐の対象じゃん。敵に命令するの?

>>580
この挙兵戦略においては実力不足の三成はハッキリ言ってしまえばどうでもいい。
島津の野心に火をつけて、実力を発揮してもらえれば西軍が勝ったろうというだけの話。
>589
うん。三成はやはり家康には勝てない状況だった。
で、そんな中、西軍を組織したんだから、やっぱり奇跡。

三成が使えたのは、豊臣への忠誠心と戦後の空手形、
それに本人の人脈か。

人脈で集めた人間+豊臣の忠臣はほとんど(関ヶ原他)で
活躍してるが(上杉、大谷、宇喜多など)、逆に金や名誉に
釣られたヤツらは役にたってなかったもんなあ。(毛利、小早川)

人間、信用できるのは金じゃない、って事かね。
寂しい中でも唯一、それが輝いて三成を照らしているな。

さて、そんな中で三成に恩義のあった島津だが、
やっぱり遠出をしすぎて、恩義メータが切れたかな。
>>586
「九州と東海道」については、海運もあるよって言いたかったんだが、
水掛け論になりそうなんでやめよう。
実際の関ヶ原でも西国大名の多くは大坂までは船で来ている。

朝鮮の例については、島津は関ヶ原よりずっと遠い朝鮮の内陸部まで
進撃しているよと言いたかったんだが、言葉足らずだったかな。

「その連合はあまりにも難易度が高すぎ」とあるが、
いちおう全部西軍なんで、連合はしていたけど連携がなかっただけでしょ。
三成でも誰でもいいけど、司令塔役が機能していれば随分違ったとは思わない?
>島津がなにを名文にして兵を挙げるかしらんが
大義名分にこだわるねえ。。。
(東西挟撃策の場合の)上杉と一緒でいいんじゃない?

上杉は徳川に因縁付けられて攻められただけで
元々は上杉に東西挟撃策なんて考えはない。
(兼続が家康に送った手紙から)
そう思ったのは三成でそれは結局家康に乗せられただけ。
つまり上杉とのいくさは三成を誘き出すため
有利に見える状況を演出してあげただけ。
と・・・いうことは本当に不利になる島津征伐に行く訳がない。
>597
>海運による移動について
海運は物資の輸送や、小規模部隊を急ぎ送る時には
いいかも知れないが、大軍移動に関してはどうか?
島津が大兵力で家康軍への対抗を考えた場合、
海運での移動はやはり可能性としては低そうだ。
なにせ、負ければ後ろがない。

まあ、島津水軍は朝鮮役でも活躍してるし、
なにせ商業王国として、島津は海に関しては利がありそうだが。
(海運は決して間違いな選択ではないが、とにかくひと言もかいて
ないんじゃ、検討対象にならんよ)

>朝鮮の例について
島津が朝鮮で進軍した距離を島津本領からの距離で数えるのは
おかしい。船で上陸したの釜山あたりで、しかも日本軍として、
そこから勢力圏を広げていったのだから。
朝鮮役で島津の武勇は並ぶものないほどだったが、
それはいわば個の武勇。天下を取るために九州から
中国を通り、京へ入るのとは全然状況が違う。

>西軍側大老と島津の連携について
その連携がとれる算段が立たないんだってば。
島津が明確に反徳川として立っても、他が立たなければ意味ないし、
それにもし、毛利らが積極的に立っても、今度は島津が一緒に
軍事的行動をしないと意味がない。(家康と戦う為に中央に大部隊を
早急に送る必要がある)
そうしないと各個撃破されちゃうでしょ。
積極的に大同団結した全勢力が合われば、家康を撃破できる
レベルになるが、わずかなズレで全軍崩壊の可能性が残るし、
そのリスクを侵してまで各家が立つ理由/旨みも「具体的に」欲しい所。

601無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 13:11
島津の経済状態ってどのくらい逼迫してたのかね?
大きな戦闘の後(朝鮮役)だから、どこの国も余裕はなかったと思うが、
島津は南方貿易の玄関口として先が見込めたので比較的、切迫度は
低いんじゃないかな。

なんのソースもないけど。なんとなく。
>>602
島津忠恒が慶長7年に家康に伺候の挨拶のため上洛したときに
福島正則にそれまでの借財を立て替えて払ってもらっています。
この又借りしたお金を島津がちゃんと福島に返したかどうかは不明。

それでも相次ぐ江戸や京への上洛費用や、江戸城建設のための石垣運搬船の調達など
借財はたちまち膨れ上がったようだ。
特に実際の石高が30万石そこそこしかないのに、太閤検地の時の「60万石余り」という名目高を誇示せざるを
得ない事情があったため(名門の見栄とか、家臣団をリストラできなかったなど)
名目石高相応の上洛行列の維持や、家臣団の維持で、琉球出兵で得た利益なんかあっという間に吹っ飛ぶほど
財政は火の車だった様子。

忠恒(=家久)が亡くなったときには江戸で起債が出来ないほど借金が
膨れ上がっており、当時の筆頭家老・伊勢貞昌が国元に
「わしらも食事の回数を減らしたりするから、国元でも節約に励むように」
という嘆きの書状が残っている。
しかし、結局借金は雪だるま式に増えこそすれ、減ることはなかったみたい。

最終的にこの時の借金を完済したのは
江戸末期に調所笑左衛門が鬼のリストラを実行したとき。
604603:04/05/07 15:56
誤 誇示せざる
正 固持せざる

鬱氏
>603
おお!
勉強になった!!

“鬼のリストラ”はよく考えたら覚えがあった。
そうか、その時まで・・・泣けてくるなあ。
>>603
調所ってリストラなんてやってたの?
500年かけて返すと言い放ち借金の証文を焼き捨て、
チャラにしたと聞いていたが。
>>606
それ俺も聞いた事ある。
借りた500万両を250年で返すっていって踏み倒したから完済してないだろ。
毎年2万両払ってたらしいが、廃藩置県で支払い責任がなくなったっぽい。
未だに江戸時代だったとしても、まだ100年くらい払わないと終わらないしね。。。

てか戦国時代の島津の経済の切迫度と
幕末のそれじゃ参考にならない罠
徳川って肉食うの禁止したり最悪の治世してたよな〜
>>608

>>601-603の流れから
いきなり
>てか戦国時代の島津の経済の切迫度と
>幕末のそれじゃ参考にならない罠
てな話になるのかワカラン
それとも詭弁?
>>610
いちいちノラ犬みたいに噛み付くなよ
や〜ん!
>>599
ちょっとまってくれ。
最初に「九州は辺境」とか「交通が未整備」とか言ってたから、
それは違う、海運が発達しているだろ、と言ってみたまでのこと。
今になって「商業王国」とはどういうことよ?

丁寧に説明しよう。地図を見てくれ。
薩摩−釜山と、薩摩−大坂は船で行けばほとんど変わらない距離だ。
(誤解されているかもしれないが、薩摩−釜山は船で行っている)
ただ、薩摩−大坂の方が陸づたいに行けるから、安全で負担も少ない。
その後の陸路だって、釜山から朝鮮内陸部に進撃するのに比べたら、
大坂から関ヶ原に進軍することはずっと楽だ。

>天下を取るために九州から中国を通り、京へ入る

だからー、そんなことしなくてもいいんだってば。
島津が先に挙兵するケース(IF)なら、九州で頑張ってくれればいいんだし、
上杉が先に挙兵するケース(史実)なら、大坂に大兵力を派遣してくれればいい。
実際に、同じ九州の鍋島や小早川は大坂に大軍を派遣している。
島津は彼らを上回る実力を持っていたが、本国に兵力を温存していただけ。

島津に「独力で天下を取れ」なんて言ってない。
あくまでも目指すのは西軍(=雄藩連合)の勝利。
島津にとって、天下取りへの1ステップにはなるかもしれないが、それはまた先の話だ。
>613
こんちは。さて、長文にならないように気をつけながらレスするぞ!

>今になって「商業王国」とはどういうことよ?
「546南方貿易」のあたりを参照してくれ。考慮にいれてなかったワケじゃない。
辺境といっても、野蛮だとか、遅れてるとかいってるんじゃないくて、あくまで京
から見ての距離、道のりの事。文化的には九州は昔から大陸からの貿易など
の盛んな場所だし、北部も南部もそれなりにね。

「海運が発達しているだろ」
・・・といったのは前回のレスでだよね。だから、「599海運は決して間違いな選択ではないが、
とにかくひと言もかいて ないんじゃ、検討対象にならんよ」と書いた。

>丁寧に説明しよう。地図を見てくれ。
海運の話が出た時点で、その辺りは理解していると思う。
で、その上でオレの意見は、やっぱり変わらない。「599なにせ負ければ後ろがない」がその答え。
本領から遠すぎるし、信頼できる味方がいなさすぎる。
615614の続き:04/05/08 16:08
>だからー、そんなことしなくてもいいんだってば。
島津が九州で挙兵する可能性と、した場合の徳川の行動(九州へはいかない)に
関しても個人的にも、他の人もたくさんレスがついてるので、そのままで。

上杉の件(史実)に関しても島津が大兵力を送った場合、じゃなくて送れなかった理由はここだから、こうすれば送れる。
と書いてほしい。大兵力を送ったら・・・では、どこの国も同じだし。
(例えば秀忠の遅参がなかったら、の方が想像が容易で、なおかつ
結果に与える影響も大きいんじゃない?あくまで例えばだけど)

最後の島津の天下取りに関しては、まあそれはそれでいいかも。
西軍が勝って、徳川が衰退した場合に、次の天下が誰のモノに
なるのかは、たしかに混沌としてる。場所の不利を補えるか?
せめて、関ヶ原直後(西軍勝利ver.)九州全域は支配下に治めたい。

雄藩連合の勝利の為には同じく「599」の最後にある部分を検討したい。
そこである程度納得のいく具体策が出て、はじめてifのおもしろみが出ると思うがどうか?

すまん、やっぱり長くなった。
>>614-615
>なにせ負ければ後ろがない

そんなことはない。
史実でも立花宗茂は大坂から船で帰国して抵抗を続けている。

>大兵力を送ったら・・・では、どこの国も同じ

西国大名で兵を出し渋ったのは島津だけ。

>島津が大兵力を送った場合、じゃなくて送れなかった理由

当時の島津家は、義久・義弘・忠恒の連立政権であって、
大規模な派兵に関して意思統一が図れなかったことが主な理由。
義弘はヤキモキしているのだが、「秀頼様御為」では義久は面白くない。
結局、本国に兵をたくさん置く方針は変わらなかった。

でも、野心家の義久をそれなりに本気にさせれば島津は一本化するんじゃないか?
そこでIFとして雄藩連合のプランを出してみた。

1 反家康の同盟を結び、島津が本国で挙兵。
2 徳川軍が西下した隙を狙って、毛利・宇喜多が挙兵して大坂・伏見を占領する。
3 上杉・佐竹が挙兵して関東を制圧する。

雄藩連合としては中央に集結する必要はない。1→2→3の順序でやればいい。
これは家康にとって最悪のシナリオである。
関ヶ原合戦後に家康が島津征伐を行わず宥和政策をとった理由も、
宇喜多以外の雄藩は関ヶ原以後も勢力を保持していたし、
この最悪のシナリオを怖れたためかもしれない。
(家康は島津にもともと好意を持っていたといわれるが、片思いのようにも見える)
九州には黒田かんべーがいるぞ・・・
島津といえどもそう簡単には行かないと思われ
>>617
黒田如水は確かに名将だが、12万石にすぎず(18万石説もあるが)、
島津に対抗するには実力不足であることは否めないな。
敵を倒せば兵力は増える。実際、如水は関ヶ原の時に九州で猛威を振るっていた
>>619
黒田如水は九千の兵を動員したが、その多くは寄せ集めであり、
兵力通りの実力を発揮することは難しいと思われる。
関ヶ原の敗報が伝わるまでは、九州で如水が撃破したのは、
大友吉統(これも領地をもたない寄せ集め軍)だけだった。
>>616
まあ、現実的ではないわな、無論承知の上だと思うけど、
まず、そんな連合を成立させるための核となる人物が居ないし、
そこに名前が挙がった大名のうち一枚岩で徳川と戦うつもりがあるのは、
宇喜多と上杉だけだし。

そういったリアリティーを一切無視してとにかくそういう連合が成立したとしても、
2、は無理だね、島津討伐軍を起こすならその先鋒をは毛利が務めることになる、
それを断れば毛利も謀反の疑いありとなるから、そんな状況で徳川本隊が九州に向かうはずがない、
場合によっては毛利が先に討たれる可能性もある。その場合は単純に、
島津・毛利対徳川という戦いになるわけだが、九州には加藤とかもいるし、
当然そういう仮定なら黒田軍も本隊が九州にいることになる、
そう簡単には島津も九州を制圧できないだろうから各個撃破されて終わりだろう。
3はさらに無理、上杉佐竹だけで関東制圧なんて単純に国力からして不可能、
もし、伊達を諸藩連合とやらに入れることが出来れば可能性は出て来るが、
伊達は信用できない人物だ、それは当然西軍についた場合でも同様、
むしろその方が裏切る危険は大きいだろう。
結果そのプランでも徳川に勝てる見込みは極めて少ないと言わざるを得ない。
>616
せっかく書いてくれたけど、検討する部分がはずれてしまってる。

「1 反家康の同盟を結び、島津が本国で挙兵」だが、必要なのはそれを
起こす為に何が必要なのかをコメントする事。特に毛利が積極的に
同盟に参加するにはどうしたらいいのか? がないと検討の対象にならない。
これは何度も書いてるので、レスを読んでくれ。

「2 徳川軍が西下した隙を狙って、毛利・宇喜多が挙兵して大坂・伏見を占領する」
これは特にたくさんレスしたと思う。西下する理由がない徳川をどうやって誘いだすのか?
その他、徳川本体が九州へ行く理由がないのをカバーしてくれ。

「3 上杉・佐竹が挙兵して関東を制圧する」
これは番外か。家康の本隊が関東からいなくなり、本当に全国で反徳川の勢力がたくさん
立つようになれば可能性はある・・・が、やっぱりその為の土台を書いて欲しい。

・・・と、実は先に書いてくれた621氏とほとんど同意見、というか、前にたくさん書いたレスの
ままで同じなのでそっちを読んでくれ。1はほとんどドリームチームの構成なのだから、
すべてが反徳川で立ち、電話でもあるかのように連携を取り、なおかつ各家が
滅んでも構わない、というほどの決意であるのなら、勝てる見込みは充分以上だ。

>>なにせ負ければ後ろがない
>そんなことはない。
>史実でも立花宗茂は大坂から船で帰国して抵抗を続けている。

これもこっちのいいたい事とはズレている。島津が関ヶ原に大量の兵を海運で送り込んで、
負けた場合、畿内には彼がよって立つ場所がない、ということ。一戦して負け=逃げる場所がない。
では、戦略的にかなりキツいでしょ。後ろがない場所で戦うのはナンセンスだといいたい。

またまた長文スマソ。(ワザとじゃありません・・・(/o\))
>>621
>2、は無理だね、島津討伐軍を起こすならその先鋒をは毛利が務めることになる

何回も言うけど、そんなこと家康が1人で決めていい問題じゃないでしょ。
毛利・宇喜多は共犯だが、「こういう大事は大老会議で決めるべきだ」と言われれば家康も断れない。
いくらおだてられても島津討伐の司令官を軽々しく引き受けるほど毛利や宇喜多もマヌケじゃないだろう。
常識的に考えれば、「島津は強敵。家康が出ていかなければ勝てない」という結論になる。
司令官の押しつけに成功したとしても、討伐を他人にまかせて自分はいつまでも後方にいれば、
先鋒に組み込まれた諸将は福島じゃないけど「捨て石にされた」と怒り出すだろう。
下手すれば島津討伐軍が反徳川で団結してしまう可能性もある。
何が何でも徳川が行かないという選択肢は厳しいと思うが・・・。

>九州には加藤とかもいるし、当然そういう仮定なら黒田軍も本隊が九州にいることになる、
>そう簡単には島津も九州を制圧できないだろうから各個撃破されて終わりだろう。

島津は加藤・黒田に勝てないほど弱いと思っているわけですね。
史実では島津が西軍についたために、九州の大名はあらかた西軍方につくという雪崩現象が起こったほどだというのに・・・。

>3はさらに無理、上杉佐竹だけで関東制圧なんて単純に国力からして不可能

家康不在かつ伊達単独で対抗できるほど上杉・佐竹は弱いと思われているわけですね。
それなら、史実で家康がなかなか西上しなかったのもナンセンスだったということになるわけだが・・・。

まあ、島津・上杉・佐竹が強くないという前提なら、確かにこのプランはナンセンスだ。
でもそれなら、「何をやっても西軍は勝てません」という結論しか出てこないんじゃないか。
このスレの存在意義が・・・。
>623
621氏じゃないけど、今この場にいるので簡単にレス。

>何回も言うけど、そんなこと家康が1人で決めていい問題じゃないでしょ。
じゃあ、史実の上杉攻めは誰が決めたんだ? これも「何回」もいうけど、大老会議は形骸化してた。
家康が「こうだ」といえば、通る状況だった。588など参照の事。

九州での島津攻めは家康が総大将(大坂本陣)、毛利が副大将(九州北部が本陣)、
で、621氏がいう通り、先手が黒田、加藤などが現実的だろう。
これも前にレスした覚えがある540あたりか。

>島津は加藤・黒田に勝てないほど弱いと思っているわけですね。
>家康不在かつ伊達単独で対抗できるほど上杉・佐竹は弱いと思われているわけですね。
つーか、せっかくレスしてくれてるのに、噛みつくような文章はどうか?
違う意見ならそう書けばいいじゃん?

とにかく、526以降のレスを再度、読み直してくれ。
かなり検討済みの事柄があると思う。

長文、毎回すまんと思ってるけど、同じ内容を繰り返し書いてるせいもあるんだ。
レスは見てくれ。
>>622
>毛利が積極的に同盟に参加するにはどうしたらいいのか

え? 史実でも毛利は最初はノリノリで大軍を率いて大坂城に入っている。
途中から吉川広家が小細工して積極的に戦わなくなっただけ。
後で積極的にやっていたことがばれて所領没収されたのはよく知られた話。

>徳川本体が九州へ行く理由がない

それはあくまでも徳川の都合であって、政権トップがそんなこと言いだしたら人望を失う。

>すべてが反徳川で立ち、電話でもあるかのように連携を取り

だから、そんなことする必要はないんだってば。
>>616でいえば、1→2→3の順序でやればいい。
一斉に蜂起する必要もないし、電話で連携をとる必要もない。
上杉が最初に挙兵する史実のパターンなら、
徳川を本拠地に帰すとフリーハンドを与えるので緊密な連携が必要となるのだが・・・。

>畿内には彼がよって立つ場所がない

それは違う。
実際に義弘は大坂城で徳川と再戦することを希望していた。
秀元や宗茂の進言を退けて降伏してしまった輝元が不甲斐なかっただけ。
関ヶ原で西軍が負けても制海権を喪失したわけじゃないから、
最悪、船で帰国して第2ラウンドを戦うという選択肢もあり得た。
>>623
司令官なんて言ってないよ、先鋒を務めるって言ってるでしょ?
地理的に毛利が先鋒を断るのは無理だろ?
徳川が本隊として動くのはともかく、
徳川よりはるか西に本国があり島津とも近い毛利より先に徳川が島津討伐へ向かうと言うのは、
いくらなんでも無茶な話だ大老会議でそんな無茶が通せるならそもそも家康に専横なんてさせてない。

>島津は加藤・黒田に勝てないほど弱いと思っているわけですね。
毛利・島津対徳川という状況になった時、島津が迅速に九州を制圧して、
毛利に加勢しないと各個撃破されて終わりでしょ?
しかし、加藤黒田はそんな迅速に排除されるほど弱くないってこと。

>伊達単独で対抗できるほど上杉・佐竹は弱いと思われているわけですね。
何で伊達単独で対抗しなきゃならんの?東北・関東は上杉佐竹以外全部東軍でしょ?

あと、
>常識的に考えれば、「島津は強敵。家康が出ていかなければ勝てない」という結論になる。
>司令官の押しつけに成功したとしても、討伐を他人にまかせて自分はいつまでも後方にいれば、
>先鋒に組み込まれた諸将は福島じゃないけど「捨て石にされた」と怒り出すだろう。
>下手すれば島津討伐軍が反徳川で団結してしまう可能性もある。
幾らなんでも島津を過大評価しすぎ。
当時の石高からしたら毛利単独でも島津以上、
それにその他の諸将がつけば兵力で圧倒することになる。
島津が怖くて自分ではいけませんなんていえば笑い者になるだけ。
島津の動員兵力とかって具体的に考えてる?
>625
え?じゃなくて。一戦してすぐに降伏するような決意じゃダメって事。
毛利の不参戦を広家個人の策略に帰結させてるが、
それなら、仮定の「大同団結」も広家の策で空中分解するという事にならないか?

>それはあくまでも徳川の都合であって、政権トップがそんなこと言いだしたら人望を失う。
政権トップの秀頼にいかせろってか? そのトップに連なる毛利や宇喜多が渋るとか
いいつつ、家康がいかないというのがおかしいと? それに反乱が起こればもちろん、
家康は主戦論派。それに毛利、宇喜多が「え〜オレは行くのやだな〜」とでもいおうものなら、
そっちの方が人望を失うよ。

>上杉が最初に挙兵する史実のパターンなら
上杉が挙兵じゃなくて、徳川が攻める為にいちゃもんをつけた、というのが
大方の史実の見方だけど? それに蜂起の順番が123となるのなら、
やはり最初に部隊を率いる事になるのは毛利。島津征伐を毛利がいいつけられた場合、
どうやって回避するのか?

>>畿内には彼がよって立つ場所がない
>それは違う。
>実際に義弘は大坂城で徳川と再戦することを希望していた。
負けた場合、大量の兵を退く場所がないと書いた。よく読んでくれ。
義弘のやる気なんかどうでもいい。
海路で大坂入りすれば、大坂に根拠地をもたない島津は、もしもの時、
逃げ込む場所がないという事。



>>624
上杉討伐の決定について言えば、家康が反対を押し切って決めたことだ。
でもそのために西軍挙兵のときに弾劾されているわけでしょ。

>島津攻めは家康が総大将(大坂本陣)、毛利が副大将(九州北部が本陣)

大坂にいるなら本陣ではなく、留守番じゃないか?

>せっかくレスしてくれてるのに、噛みつくような文章はどうか?

噛みついてなんかいない。
前提条件(意見ではない)が違いすぎると議論にならないと言っているだけ。
↑悪い、ちょっと文章がアレてる。
いきおいで書いたからな。
630621:04/05/09 12:40
まず確認するが、
>>616の3はほぼ不可能、
上杉・佐竹が関東に軍を進めれば背後から討たれてお終い。
まず背後を固めなければどうしようもないが現実を見ても明らかだが、
それはそんなに簡単ではない、
家康だって本国を空にはしないだろうしね。

2もやはり無理、毛利・宇喜多の兵が本国にいるのに、
家康の本隊だけは九州という状況がありえない。

まあ、まとめるとこれだけのことだね。

>>628
まあ、>>626も私なんだがもう少し考えてみてくれ。
>628
>西軍挙兵のときに弾劾されているわけでしょ。
そんな事を(家康は)屁とも思わない状況だったって事。
弾劾文にはいっていても、それをみて「家康にはついてられん!」と
反石田派がこぞって分離したワケじゃないでしょ。
それこそ、大老会議が機能してない証拠じゃないの?

>大坂にいるなら本陣ではなく、留守番じゃないか?
じゃあ、毛利が総大将で。家康は留守居。
文章はどうでもいい。

>前提条件(意見ではない)が違いすぎると議論にならないと言っているだけ。
上に本人のコメントがあるから、どうぞ。
オレはなんか噛みついたように見えたんでね。
そうじゃなかったんなら、いいんだ。
ちなみに >629 は >627へかかる文です。
レスの速度が速すぎて、入れ違いに。
>>630
史実はずいぶん違った前提で話をしているのが気になる。
当時の弱小大名の多くは、東軍・西軍一筋で命をかけようなんて思っちゃいない。
周囲の大諸侯の動向に左右される。だから戦力に数えることは非常に危険だ。
実際の家康は上杉・佐竹を非常に恐れ、福島らの懇望にもかかわらず西上を渋り続けていた。
伊達を味方につけるために「百万石のお墨付き」など必死で手紙攻勢を賭けていたのは有名。

あと、留守番役は実力派を置かないと重しにならない。
上杉征伐で家康が島津に留守居を依頼したのもそのため。
島津征伐に家康自ら出陣するなら、毛利あたりに留守居を依頼するしかない。
家康が毛利・宇喜多も連れていくというのなら、畿内に力の空白区ができることになるから、
それこそ実力不足の三成あたりでも容易に制圧できる状態になる。
(家康が出ていかず毛利・宇喜多にやらせる場合は、>>623で説明したので省略)
そんな話になるなら、島津より上杉立てた方がいいんでねぇの?
豊臣を中間的な立場に置いたまま、義による連合の結束を促しやすい気がするけど。
三成になにさせるかが問題なんだけどな、なにもさせないってのもありだな。
635621:04/05/09 21:22
>>633
史実と違った前提って・・・・
対徳川大連合自体が全くありえない仮想のものに過ぎないわけだが・・・
義久も吉川広家も佐竹義重も家運をかけてまで徳川に敵対しようとは思わないわけだから。

まあ、それはともかく、
確かにあなたとは前提条件に違いがあるわな、
あなたの常識では島津は家康がいかなくては倒せない、
先鋒の諸将は家康が来なければ捨石にされたと思って反家康になる、
というほど島津軍は強力だと思っているようだからね。
だがね、前にも言ったが島津の動員兵力は単独では毛利以下、
私の常識では留守居が重要だからこそまずは毛利が先鋒、
徳川は本陣として後ろにひかえるというのが当然だと思うぞ。
そして反徳川派が大坂を押さえない限り、上杉が挙兵しても周りが雪崩を打って、
上杉に従うなんてことはありえない、徳川方が大坂を押さえている状況では、
上杉の挙兵はただの謀反だからね。
横から入るけどさ

関ヶ原直前の島津の評価は低いと思う。
原因は二つ、
1.朝鮮出兵の大遅参
2.重臣伊集院の反乱

国力も、朝鮮出兵と内乱で疲弊しているだろうは
どんなボンクラでも気がつくでしょうし。
あと、守旧(義久)派と革新(義弘)派で対立とは言わないまでも
一枚岩でなかったのも大きい。

上杉や前田など大老の反乱鎮定と違って、
中堅大名が反乱を起こしたところで
政権首座の家康自ら出向く必要は低いかと。
毛利一族を中心に九州勢だけでおつりがくる。

よって、>>635に同意。
まさかだたの島津最強厨だったとおいうオチじゃあないよな。
というか、
島津・毛利・上杉その他が完全に一致団結して反家康で結集したなら、
順番とか考えないで各地でいっせいに蜂起すればそれだけで、
かなりいいとこまでいったんじゃないか?

まあ、最初の前提が一番ありえないわけだが。
>>637
藻前それはタブーだよ!!パンドラ開けちゃいましたか
635で勝手にやれって空気になったのは確かにワロタ
>>635
>あなたの常識では島津は家康がいかなくては倒せない、
>先鋒の諸将は家康が来なければ捨石にされたと思って反家康になる、
>というほど島津軍は強力だと思っているようだからね。

私はそれほど強いとは思っていないが(内部不統一や経済的疲弊を知っているから)、
家康はかなり強いと思っていたんじゃないか。
朝鮮出兵の活躍により、当時の島津の評判は非常に高かったわけだし。

>私の常識では留守居が重要だからこそまずは毛利が先鋒、
>徳川は本陣として後ろにひかえるというのが当然だと思うぞ。

家康は、なぜその「常識」を実行しなかったの?
毛利・加藤・黒田程度で島津が倒せるなら、関ヶ原後に実行してもよかったのでは?

>反徳川派が大坂を押さえない限り、上杉が挙兵しても周りが雪崩を打って、
>上杉に従うなんてことはありえない、徳川方が大坂を押さえている状況では、
>上杉の挙兵はただの謀反だからね。

鳥居元忠を留守居にして上杉征伐に行ってしまった家康は非常識なバカですか?
>>640
家康が内部不統一や経済疲弊を知らないはずないでしょ?
誰が仲裁して誰が金貸したと思ってるの?

>家康は、なぜその「常識」を実行しなかったの?
>毛利・加藤・黒田程度で島津が倒せるなら、関ヶ原後に実行してもよかったのでは?
メリットがないからだよ、正確にはリスクにともなうだけのね。
島津の方から和を請うていて、毛利その他も戦を望んでいないときに、
あえて戦を起こす必要はない、無論リスクはゼロでないしね。
島津が決起したと場合というあなたの前提とは全く状況が異なる。

>鳥居元忠を留守居にして上杉征伐に行ってしまった家康は非常識なバカですか?
いや、あえて三成を挙兵に誘ったんだろ。

すまないが正直当たり前のことを書き続けるのは疲れるんだが、
もう少し自分で考えてから書き込んでもらえないだろうか?
つーか家康の本領が関東にあるから上杉征伐には家康が適任、ってだけだろ。
島津が反乱を起こした場合総大将は家康にはならんだろ。
あくまで豊臣政権の重臣の一人としての軍事行動であって、
あらゆる局面で家康が総大将になると決まっているわけじゃない。
>>640
>>623
>常識的に考えれば、「島津は強敵。家康が出ていかなければ勝てない」という結論になる。
>司令官の押しつけに成功したとしても、討伐を他人にまかせて自分はいつまでも後方にいれば、
>先鋒に組み込まれた諸将は福島じゃないけど「捨て石にされた」と怒り出すだろう。
>下手すれば島津討伐軍が反徳川で団結してしまう可能性もある。
これはあなたの書き込みだろ?
どう考えてったこれは過大評価だ、
敵より多数の兵でありながら捨石にされたと思うなんてのは尋常なことじゃないぞ。
朝鮮で活躍したのは何も島津だけではない、
なんで家康筆頭に諸大名がそんなに島津に恐れおののかねばならないんだ?
要するにあなたのプランの前提には島津に対する過大評価がある、
それでは他人を納得させることは出来ないよ。
まぁ秀吉以降の対島津認識は
「反抗されたらド田舎まで遠征せないかんし遠征費も嵩むから
 適当におだてておくか」
程度であったと思われ。
秀吉が島津をおだてた事って
 あ っ た っ け ?
何かと理由を付けて嫌がらせなら山のように うわ何をbkるあkぞっk1うglか
島津「家」をおだてるどころか、.>645の言うとおり嫌がらせ全開だったけど、
こと、島津義弘と伊集院忠棟はおだてたというか、厚遇されてたと思う。
ま、島津家への嫌がらせの一つともとれるけど。
>>641
>メリットがないからだよ、正確にはリスクにともなうだけのね。

(家康が感じていた)リスク=(家康が認識していた)島津の強さ、じゃないの?
家康が島津を弱いと認識していたなら、踏みつぶせばいいだけ。
敵対行為は明らかだから誰も反対しない。

>島津が決起したと場合というあなたの前提とは全く状況が異なる。

逆だよ。前から言っていることだが、
関ヶ原で大勝した後なら、島津を懐柔しても家康の威信は低下しないが、
敵対勢力を放置して征伐を他人に丸投げして、
自分は大坂の兵力を増強して権力強化に走るばかりじゃ反感を買うでしょ、
と素直な疑問を提示しているだけなのだが。

>いや、あえて三成を挙兵に誘ったんだろ。

よくわからないのだが、
徳川軍の武力で京・大坂を押さえ続けていれば史実よりも楽に天下が取れたというあなたの仮説からすれば、
史実の家康は自らリスクを呼び込んでしまった、地雷を踏んでしまったという解釈なわけ?

>すまないが正直当たり前のことを書き続けるのは疲れるんだが、

こちらも一向に噛み合わない議論にいい加減疲れているのだが・・・。
「当たり前」って思い込んでいる部分に盲点があるような気がしてならない。
よし公正な第三者の俺が判定してやろう

>>647の負け!

以上両者共にこの話題に関する書き込み禁止な
そーかぁ?
島津ごときに一々全国の大名が戦力を集結する必要あるかぁ?

関東の大名である家康が主力となるってのはそういうこと、
(全国の大名が兵を差し向けているということ)だろ?
九州の端っこで起きたローカルな反乱に家康が出張る必要性は常識的に見て皆無だ。

島津なんぞ近場の連中が片付ければ済む話。
まあ五大老クラスの一人くらいは出陣してもらうか?
となると所領の位置から言ってやはり毛利だろう。

要するに、家康を打倒するという三成の政治目標とリンクすることは不可能。
よってこのスレで語っても無意味だと思うがいかがか。
まともな大義名分も出さないままここまでやった藻前らに敬服します。
>>647
まず私の文がおかしいわな、
リスクにともなう、ではなくリスクに見合っただけのメリットがないだな。
で、あなたさ、リスクを極大と極小でしか判断できないの?
無論、島津と戦うリスクはゼロではないよ、
ただ、関が原の勝利後徳川の主導体制が固まりつつある時期に、
既に向こうから抗戦の意思がないと表明してきている相手に対して戦を仕掛けても、
得られるメリットはリスクに見合ったものではない、
だから仕掛けなかった、島津が蜂起した場合というあなたの前提とは全然状況が違う。

>徳川軍の武力で京・大坂を押さえ続けていれば史実よりも楽に天下が取れたというあなたの仮説からすれば、
そんなことは一言も言っていない、
家康が大坂と秀頼を押さえている状況では、各地の大名が反家康に立つのは難しいといっただけ、
名分が立たないからね、で関が原の時はあえて大坂を手薄にし、
三成らの蜂起をさそって一気にけりをつけようとしたんだろうってこと。
正直こんなことまで説明しなければならないとは思わなかったよ。

それから、
議論は充分噛み合っている、噛み合うだけならね、論点は唯一つ、
あなたは島津が決起すれば、
多くの大名は家康自らが鎮圧に当たらなければ手に負えないと思い、
よって家康が九州に赴かざるを得なくなる。と思っているが、
私はそこまで島津が高く評価されていたとは到底思えない。
ただこれだけのことだ。
あなたがその根拠としてあげているのは、島津が朝鮮で活躍したということだが、
その程度のことでそこまで恐れおののかれる存在になるとは私には到底思えない。
まあ、どんなに言葉を尽くしてもあなたのその信仰を曲げることは出来そうにないが。

>>648
申し訳ない、
大人気ない私はどうしても書き込まずにはいられなかった、
スマヌ。
このスレの大勢は
島津に家康があたる必然性がなし ということで、この議論は終了。
これ以上やるならスレ立ててそっちでやれや。
>>651
負けず嫌いなのはわかるが、そう屁理屈ばかりこねられても困る。
もう何回「史実では・・・」と書き込んだことか。
まあ、>>534の意見があまりにもトンデモだったのでついついここまで来てしまったのだが、
こちらも大人気なかったのかもしれない。
おかしな部分についてはこれまでのレスで指摘済みなので敢えて繰り返さない。
最後に論点を一つに絞ってくれたので、いくつかコメントしておく。

1 島津は天正6年の耳川の合戦で5万人を動員し、
  天正9年の相良攻めでは10万人を動員している。
  これは島津が九州を席巻する以前の出来事であり、
  潜在的な動員力は、全国の大名でもトップクラスであったと思われる。 

2 「義弘の武勇は、また、諸倭にくらべて冠たるものである。
  倭人はみな、『義弘を、武勇を発揮できる地に居らせたならば、
  日本全国を併呑するのも困難ではなかろう』と言った・・・」
  これは当時日本に捕虜としていた朝鮮人儒学者の本国への報告文書である。
  この書(看羊録)は観察と記述が的確であることから、史料価値は非常に高いとされている。

3 関ヶ原での決戦の最中に義弘は、「薩州勢5千召列候はば、今日の合戦には勝つものを」
  と何度も口にしたと記録されている(旧記雑録)。
  義弘の「関ヶ原に賭ける闘志」と「島津兵の強さに対する並々ならぬ自信」がよくわかる。

非常に誤解されているようだが、私はいわゆる島津ファンではない。
その頃の島津氏は戦いには強いが出陣が遅れることが多いのも事実。
トップの権力が分散されていたため、迅速な行動を不得手としていたようだ。
実はそのことが島津の最大の弱点なのだが、家康はそれに気づいていたかどうか。
>>653
>1
薩摩+大隈で40万石くらいだろ?
多めに見積もっても3万人が限度だ。日向を入れても4万はかなり厳しい。
耳川の4万はまだ用意できるかもしれないが、水俣攻略で10万?バカ言うな。

>2
まあ島津が朝鮮で活躍したのは事実のようだ。ほかの武将にやる気ない奴が
少なからず含まれていた可能性はあるが。

>3
「薩州勢」が五千いれば、というのは確かに自負心の表れだろうが、
「今日の合戦には勝つ」というのは三成による布陣が良かったことを踏まえての発言だよな。
さすがに薩摩の五千で東軍全体に勝てると言ってるわけじゃあないだろ。
>>653
十万て・・・。
仮に百万石の領土があっても、百石あたり10人動員しないと不可能だよ?
九州はただでさえ数字の誇張が激しいんだから鵜呑みにしないが吉。
その程度の知識をひけらかさない方がいいよ。
ていうか、そろそろ君、痛いよ?
>>653
屁理屈よばわりは正直心外だが、
史実ではあなたの反徳川大連合など全くありえない荒唐無稽なものだという基本を忘れないでくれよ。
その上で、もしあなたが信じているほど島津が強かったなら、
あなたのプランもありえなくはないだろう。

もうこれで終了でいいだろ?
ただね、あなたと同じことを信じられる人間はそれほどはいないんだよ。
>>654
>水俣攻略で10万?バカ言うな。

別に私が言いだしたわけじゃなくて、そういう記録があると言っているだけ。
肥後水俣陣立日記とか、大量動員の史料は残っているんですけどねえ・・・。

>>655

石高による兵力算出は公儀への軍役奉仕の基準ではあるが、
最大動員数の上限を縛るものではない。
現に、関ヶ原合戦後に行われた江上・八院合戦では、
31万石の鍋島が3万2千、13万石の立花が1万2千を動員したと伝えられている。

>>656

腹を立てているのはわかるが、思い込みで突っ走らないでくれ。
もう一度繰り返すが、私は島津信者ではない。
幕引きをしたいという気持ちはわかったから、最後に1つだけコメントしておく。

反徳川連合はあったんじゃないの?
でないと、挙兵から伏見城攻撃までの迅速さの説明が付かない。
どうやら義弘もそれに加わっていたようだ。
輝元・秀家・大坂奉行衆・行長・吉継・三成の談合に同意したという、
景勝あての義弘書状が残っている(旧記雑録後編3の1126)。
日付は9月15日。西軍挙兵の2日前のことだ。

もっと早く同意していれば、と思わないでもないのだが・・・。
658657:04/05/22 11:07
やべえ、間違えた・・・。
義弘書状の日付は9月15日ではなく、7月15日です。

疲れてるな、オレ。
やっと幕引き? 今までROMってたけどちょっと忠告してみる。

>>657
君の一番の問題は相手の批判をちゃんと受け止めていないことだ。
わかりやすく言うと、枝葉の反論ばかりしているから議論がかみ合わない。
自分のプライドを満たすことに追われているとそうなりやすい。

せっかく努力をしているんだから、もう少し大人になればいい。
大人になって、全体を見通した反論や受容が出来るように努力する。
でなければ、あなたの言葉は周りが聞いてくれるものにはならない。
だから今回のようなことになる。ま、ガンガレ。
660657:04/05/22 12:45
忠告ありがとう。
何だか誤解があるようだが、プライドを満たすことに躍起になっていたわけじゃない。
あまりにも>>534が珍説なので、何を根拠にそんな結論になっているのかわからず、
その後の長い長いレスの中からそれを読みとろうと考えて
個別の指摘を繰り返すことになってしまったのが実際のところだ。
最後に論点を絞ってくれたのでソースを挙げてコメントするという方法がとれたが、
ここまで来るのに時間がかかりすぎてしまった観は否めない。
なるほど、君には君の言い分があるわけだ。
誤解だったのならいいんだけれど、
どうも、君の言葉の中に攻撃性が感じられてね。
たとえば、>>534を珍説呼ばわりしたりとか。
実際にそれが珍説かどうかは別にして、レッテル貼りはあまりよくない。

動機としては君が>>660で言ったとおりだと思う。
でも、実際の言動には攻撃性に引き摺られている部分が感じられたんだよね。
それが議論の目的を見失わせてしまって、だからここまで揉めているんじゃないかと。
で、もし君にそういう部分があるのなら、もったいないなあと思ったんだ。
とまれ、少しでも思い当たる節があるのなら役立てて頂戴。

さすがにスレ違いなんで、以降、これについて私は何も言わないことにする。
662657:04/05/22 15:46
再度の忠告ありがとう。
「屁理屈」「トンデモ」「珍説」・・・読んでいてわかりやすいが、確かにレッテル貼りはよくないね。
でも最初の頃はこのネタでスレを盛り上げようと思っていたんだけどね。
論破して恥をかかせようとか、そんなこと全く考えたことはなかった。
>>657
あってもせいぜいその程度が限界であなたの想定するような強固なものは無理ってこと、

あと兵力について言うと、
そういう無茶な兵力の記述があるからこそ、その動員兵力が信用できない、
特に九州はということになるんじゃないの?
まあ、島津軍最大10万なんてのを素で信じてしまっていたなら、
家康が出なければ手に負えないと思っても無理ないがね、
もっとも、あなたが上げた例を信じるなら二家だけで4万4千の動員が出来るようだが。

それから>>534は珍説ってものじゃない、
極常識的なものだ、
無論想定する島津の強さによってはだがね。
相手に恥をかかせないつもりで「珍説」なんて言葉を選んだのなら
とんだ恥知らずだ。
血が通ってない。主に脳味噌に。
665657:04/05/22 18:33
>>664
>相手に恥をかかせないつもりで「珍説」なんて言葉を選んだのなら

違うね。「最初の頃は」って書いてあるだろ?

>血が通ってない。主に脳味噌に。

あまりにも血の通ったセリフで恐れ入るね。
666657:04/05/22 18:42
>>663
自分で「終了」って言っておいてなんだよ、もう・・・。
あなたが何を信用しようと何を常識と思っても、それをどうこう言うつもりはない。
「珍説」についてはバカにしたわけではなく、斬新な切り口のネタとして
議論を楽しみたかったのだが・・・、もうどうでもいいや。
667657:04/05/22 19:02
うーん・・・。
なんかすっかりスレが荒れてしまったようで申し訳ない。
本当にこれで終わりにする。
668無名武将@お腹せっぷく:04/05/22 22:50
個人的には、三成にはいけなかったと言われるような明白なミスはなかったと思うがな、
そりゃあこうすれば勝てたというような条件はいろいろあるだろうけど、
秀頼、あるいは輝元を関ヶ原に連れ出せばとか、
小早川の裏切りを防げればとか、
しかし、それらは三成が出来たのにしなかったわけではなく、
試みたが成功しなかったことなわけでこれはミスではなく実力不足だ、
結局何がいけなかったって、個人の能力から、人望、石高、動員兵力まで総合した、
実力が足りなかったのがいけなかったとしか言いようがないと思うが。

当時の三成に実行可能で実行していれば有利になっただろうといえるような策が何かあったかな。
兵力に関しては、石高はあくまでも目安にすべきだと思うよ。
極端な話、人口の許す限りの大勢の人数を動員することだってできる。
ただ、大勢を動員すればするほど、国庫は早く空になるし、
国内では働き手がいなくなって経済が破綻する。
動員数が多いと、長期戦には弱いよ。
だから常識的に考えて、1万石で500人くらいが上限じゃないか
ということになるんじゃないかと思うけどね。

史料の数字は誇張が激しいものも多いし、鵜呑みにしない方がいい。
三河物語なんかもひどいよ。
あんまり大きな数字が出てきたときには、まずは疑ってみたほうがいい。
あえて言うなら、
東軍の先鋒が尾張に到着した時点で、
もっと迅速に兵力の集中が出来なかっただろうか?
と言ったところだろ思うが、
あの時点で田辺城や大津城なんかは押さえの兵のみ残して、
他を前線に集中しておけば、家康の着陣が予想以上に遅かった時点で先手を取れたのでは?
と思うが、あるいは少なくとも岐阜城落城くらいは防げたのではないかと。
>>665
なんだ、じゃあ今は相手に恥をかかせるのを目的にしてるのか。

バカじゃないの?
兵力分散は確かに痛かったね。あれはみっちゃんのミスだったような。

>>671
いい加減に終わったら?
>>671
もう止めとこうよ、
そりゃあ私だって、家康でなければ手に負えない島津軍10万、
の方がよっぽど「斬新」だと思うけどね、それこそ目もくらむほど。
674三成:04/05/23 00:23
で、僕は何をすりゃいいんですか?
>>674
由比正雪にお願いして魔人に転生させてもらってください
あれだ、
当初の予定通り、重家を吉継と共に会津征伐に従軍させて、
そのまま家康派に軸足を移すってのは・・・
677534:04/05/23 07:20
珍説の>>534です。(^。^)
それ以降、>>632くらいまで島津派の彼と(主に)コメントを交わしてたのはオレだな。

しばらくカキコできなかったので、ひさしぶりに来てみたら、
結構荒れ気味。

正直、>>632くらいになると、繰り返し同じ事ばっか書いてたので、
文章が荒れてしまってた。(627とか631とか)
相手の彼もそれで意地になってしまったかな。

文章に失礼があった部分は素直に謝罪しよう。すまん。
そういうワケでマタリ風味でお願いできたらうれしい。

・・・というコメントをふまえた上で書かせてくれ。
どんな(あとづけ)理由にしても「珍説」って表現はないよな。

>>653
朝鮮人は嘘つきだから信用することは出来ない。
>>670
福島正則を中心とする東軍の精鋭部隊を過小評価してなめていたのか
或いは驚異に感じて西軍諸将が怖じ気づき、進軍をすることを躊躇し
て遠巻きにしていたのかもしれない。
>>679
どっちだったとしても、
やるまえからもうダメポって感じだな。
681657:04/05/23 10:54
>珍説の>>534です。(^。^)

なるほど・・・。635以降は煽りだったわけか。
そういわれてみると文体も微妙に違う気がする。
煽りにレスするとは私も大人気なかったな(^_^;)

>相手の彼もそれで意地になってしまったかな。

いや、「珍説」をネタとして議論を盛り上げたかった、
議論を深めたかったのだが、うまくいかなかったという感じかな。
西軍の戦略はどうあるべきだったか?というスレの本題に持っていきたかったが、
島津が強いかどうかという(私にとってどうでもいい)話になってしまい、
非常に不本意なカキコを続けることになってしまった。

>どんな(あとづけ)理由にしても「珍説」って表現はないよな。

「珍貴」「珍妙」「珍味」とか、もともと「珍」に悪い意味はないんだが・・・。
それはともかく、気分を害したのなら、謝罪する。申し訳ない。
代わりといってはなんだが、「島津派」というレッテル貼りはやめてもらえないだろうか?
私は薩長が嫌いなので・・・。
>>670
いや、先鋒だけで三万以上の大軍だろ?
西軍を全部結集できれば勝てるかもしれないが、
落ちてない要衝が後方に残されている以上迅速な集結は難しい。
って言うかそうやって三成にフリーハンドを与えないために篭城してるわけで。

よしんば戦力を集めて東軍の先鋒を叩いたとしても、
一撃で粉砕できずに持久戦になってしまった場合、
抑えの兵力を残している西軍は戦力分散という結果に陥るリスクがある。
つまり上手く叩ければ良いけど、失敗したら史実より一層の兵力分散に陥る。
もっとも、それで大垣のラインを諦めて後方で迎撃することにしたら輝元が参陣したかも?
いや、グラついてる連中が寝返るだけか。
しかし一撃加えて面目を保った形で後退できればあるいは…
>>681
いい加減にしとけ、往生際が悪いぞ。
ちなみに言っとくと「島津派」なんてレッテルは貼られていない、
島津を過大評価し過ぎと言われていただけ。
それから議論を深めるも何も本来ならとっくに終わっていた話だ、
当時の島津に家康本隊を九州までおびき出すほどの力はなかった、
で終了。
島津反乱だったらこのシナリオしかないだろ。

島津征伐の総大将に毛利輝元が任命される
 ↓
首尾よくこなして毛利家の発言力が増す
 ↓
家康に対するにらみがきくようになる
 ↓
家康が身動きできないうちに秀頼が成長する
>>681
今度は相手を煽り扱いか、
なぜ635あたり以降からは別人が議論の相手になっていたことに気づかない?
最初からあなたの相手をしていたのは一人じゃなかっただろ?
この期に及んで相手を貶めてどうしようというんだ、
あなた自身が煽るつもりがないなら思慮が浅すぎるとしか言いようがない。
あと、蛇足になるが島津が強いかどうかがどうでもいいのに、
正にその点が論点になるような話をふっかけたのも考えが足りない行為だと思うぞ。
>>686
もういい加減終わりになりませんか? お怒りになるのはわかりますが…
688534以降632まで:04/05/25 05:19
>685
>首尾よくこなして毛利家の発言力が増す
>家康に対するにらみがきくようになる
ここにオレなりに・・・
評価をするのは家康なので結局、家康の権威が増すだけにならないか?
家康>>>毛利という図式を明確に全国に示す実例と取られるかも知れない。

ちょうど、家康を秀吉が(色々とやって)ついに大坂に上洛させた件のように。
(家康と輝元では、役者があまりにも違うが)

>657
「珍」の件
たしかに意味自体はそうだけど、今の日本語としては
あまりいい意味にはつかわれてないからね、それを意識して
なかったってのは逆にイイわけじみてる。(と感じるよ)

でも、ま、謝罪してくれてるし、オレは了解した。
で、他の人が怒ってるのは(気持ちはよくわかるので)・・・それは個別に対応してくれ。
島津派とかはレスで擁護をしてるから言葉上の事。名前をしってるワケでもないし、
気にしないで欲しい。別に島津びいきとか思ってるワケじゃあない。
(そんな事いったら、オレは家康好きじゃないし)
689534以降632まで:04/05/25 05:21
657じゃなくて、>681だ。
すまん。
690686:04/05/25 07:46
いや、何も対応しないでくれていい、
たぶん悪気はないんだと思うが、というか思いたいが、
また不用意な発言で不愉快な思いをさせれれるような気がするから。
691無名武将@お腹せっぷく:04/05/30 17:20
過去レス読んでるとここが三成スレだというのを忘れてしまうな(w
このスレ的には、
三成は何がいけなかったというわけではない、
あえて言うなら実力が足りなかったのがいけなかったということで終了なのか?
実力より
石高と金と人望が…
福島はただ単に三成憎しで家康についたの?
関ヶ原後も豊臣派であることを公言してたらしいが、
だったら張遼と楽進、李典みたいに手を結んで対抗しようとは思わなかったのだろうか
三成憎しで家康につくのはあまりにDQN
696無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 01:18
家康がどんどん政治勢力を強めている中、
家康子飼いの家臣ばかりが功績を上げる形になっては、豊臣家に対する忠誠心を持った武将が
政局から次第に外されていくことになりかねない。
一定の発言力を確保するためには、ある程度徳川家の勢力が増す結果になっても
軍事作戦などにおいては積極的に関わっていくしかない。
家康も結構歳だし、代が替わればまた勢力関係も変わってくるだろう。

なんて理屈は成り立たないだろうか。
>>694-695
三成が挙兵した時には既に家康の指揮下で行動してたわけで、
いくら秀頼のためと三成が主張してたって反家康軍に寝返るのは添う容易いことじゃない。
ましてや西軍を事実上切り回してるのが遺恨のある三成では
万難を排して西軍に加わろうとは思えないだろう。
家康の独走が豊臣政権にとってよろしくないのはわかっちゃいるけど、
またの機会を待とう、と。

まあそんな機会がそうそうあるわけないんだけど。
698無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 03:52
おいおい。秀吉が死んだのに異国で戦っていた加藤清正らに
秀吉の遺言「朝鮮領土を死守せよ」を伝えた三成だよ。
それが臣下として正しいのかどうか・・・。
秀吉が死んで絶望の中、国にも退却できず
補給も無く、明・朝鮮連合軍がひたすら味方を殺しに来る。

どう思うよ?

結局助けに来たのは家康の船。
追い込まれた武士の心は家康にしか分からないのかな。

さて帰ってきたボロボロの加藤らを大阪城に無理やり呼んで屈辱の戦果報告させ
その傍らに綺麗な服に身を包んだ三成が「ご苦労、国へ帰れ」と
秀頼の摂政として誇示し権勢をふるった。

憎いよな。
枝葉を見すぎなんだよ。
戦国時代を秀吉が終わらせて
次は誰をリーダーに武士の
世を作ろうかって事なんだよ。
ということは三成とかじゃだめなんだよ。
700三成:04/05/31 07:04
だから秀家を持ち上げたんだYO
>>693
それも含めての実力であろう。

>>700
秀家でも無理。
>698
>699
が、わかりやすいな。

政則らが三成の暗殺を企てた事は一度や二度じゃきかないし、
それが成功していれば満足だったのだろうから、
(それで豊臣は良くなると思ってたんだろうから)
やはり三成憎し、という感情は無視できないほど
強いものだったんだろう。朝鮮の役が、ターニングポイントに
なったというのもわかりやすい。

が、それだけではやはり多くの豊臣直臣が徳川方で
戦ったのは説明しきれない。やはりそこには699でコメントが
あったように、「天下は実力者の回り物」という感覚が
当時の武士らに強くあった為ではないか。
>>701
石高と金は三成にはどうしようもないだろ。
他の小姓仲間からみてもとりたてて低いわけでもないし。

>>702
豊臣直臣と言うには弊害があるかも知れないが、
黒田長政と藤堂高虎が如実だよな >次代の覇者を作ろう
西軍に着いた武将でもはじめは東軍に着こうとした武将もいるし、
大半の武士にとっては自家さえ守れれば、天下人は豊臣である必然性はなかったのかもね。
>>699
戦国大名としての誇りを持っていれば
例え豊臣恩顧の大名でも家康の実力を認めざるを得ないけど、
三成や全く実績のない秀頼は認めにくいよね
>703
何度もガイシュツだと思うが、そんな中で
西軍を組織したんだから、それは素直に褒めていいと思う。
いけなかったのは、指揮を託す相手を用意出来なかった事か。
もしくは関ヶ原に千成瓢箪の馬印を(勝手に)持ち出すくらいのズルさが
三成にあれば、とも思うが。

東軍についた反三成豊臣派の武将も、裏切りではない、という意識が
あったんだろうなあ。あくまで家康の後は秀頼、もしくは秀忠政権の
重臣としての秀頼を意識してたのかも知れない。
丹羽長重も前田利長を嫌って西軍についてるし、当時の感覚はそんなもんだったのかな
強いモノにつく、というほど単純じゃないだろうが、
長い戦国時代を生き抜いてきた武将達が、きれい事を
ぬかすだけの三成を毛嫌いした感じはある。

逆にそんな中で忠、恩、義などを唱え、小勢力ながら、
傲然と反家康を言い放つ彼に惹かれたものも多かったんだろうなあ。
秀吉への仲介役としての恩義があったにせよ、大勢力の上杉や佐竹などが
東軍についたのは、ひとえに三成個人の考え方に同調したんだと考える。
(小勢力の大谷や安国寺などが三成についたのはいうに及ばす・・・)
>>703
うむ、だからどうしようもなかった、
と思うわけだ。
その上で>>705の前段に同意。
相馬は伊達を嫌って西軍に付いた?
相馬は軍事行動を起こしてないはず。
相馬は上杉がおっかなくて西軍についた?
伊東は島津を嫌って東軍に付いた?
>>709
相馬家は三成と親交があったから、好意的中立を保った。
あと、関ヶ原後に取り潰されそうな相馬家を救ったのは、何故か宿敵の伊達家。
政宗の取り成し、土井利勝の尽力が大きかったらしい。
714無名武将@お腹せっぷく:04/06/02 10:52
>>713 相馬潰されると、間違いなく家康の譜代系の大名の領地にされちゃうだろうから、うざい状況を避けたい伊達としてはそう動くだろうね。
>>713
話によれば、関ヶ原直後に政宗主従が領内の通行しているとき、
宿の提供をした事があるらしい。
そりゃ平和時に領内を通過するなら宿の提供くらいするだろう。
親密と言うには、城に招かれて久しく逗留した、ってくらいじゃないと。
いやいや、宿を提供したのではなく、宿の提供を誓願されたの。
その時の相馬側の大勢は政宗主従を害するべしだからなw

>>715にも書いたけれど、役の直後ってのがミソかと。
通らなければならないとして、上杉領内か相馬領内か。
718無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 00:47
信長の思想を相続できるのは三成以外なかったと思う
無理
720無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 01:07
原哲夫が書いてた「影武者徳川家康」の

石田三成って、北斗の拳のトキに似てたんだが。

気のせいだよな。
721無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 08:11
「先にあの世へ行きオマエラの不忠義な行動、言動、逃さず太閤殿下にお伝え申し上げる」

で、加藤清正がビビッたんだよなぁ。
722無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 10:07
清貧で、あくまで国家の為を思い自分の身を犠牲にして働くが
その手法にちと問題がある、日本版ロベスピエール。

単なる理想先行型って事なのか。
>>721
太閤閣下に言いつけてやる〜ウワァァァーン

みたい
>722
さすがにロベスピエールとはダブらないなあ。
ロベスピエールは侮られてたワケじゃないし。
三成は西軍を組織しえる能力がありながら、
最後まで侮られてた感じがある。
でも、好きだけどね。
726無名武将@お腹せっぷく:04/06/06 17:46
スレ違いだが。。。
>>653 相良攻めで10万??いくら石高が大きくて、兵農分離
の整ってない外城制の島津でもそりゃ不可能だろ。
というかロベスピエールといえば「粛清」のイメージだけど、
三成はそういった粛清推進派ではないと思う。
関ヶ原は結局粛清というよりはクーデターだし(秀頼を担ぐこともできななかったし)。
共通点は官僚肌という点だけじゃないのか。

それに、
ロベスピエールはクーデターを起こされて処刑された。
石田三成はクーデターを起こそうとして失敗して処刑された。
立場逆じゃん。
722じゃないが、
清貧で真面目な故に融通が利かず、
最終的に回りに敵をつくってしまったってトコが、って事じゃないかな。
>>728
だが、それがいい。
豊臣政権自体が粛清下手だったからなあ・・・
上手かったら人気はもっとなかっただろうけど。
731無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 00:03
>>730

豊臣政権下での派手な粛清っていうと秀次事件ぐらいか?

この時、小早川秀秋も秀次の謀反未遂に荷担したとして
10万石没収されて、粛清の首謀者とされる三成を心の底で
憎むきっかけを作ってしまうんだよな。
三成は秀次事件を回避させようとしてるし、
事件後、秀次家臣の身の振りを何とかしてやってる。

三成の良いところは、
政権の信頼を損なうような秀吉の挙動を
なんとか阻止、あるいは傷が広がらないように勤めた点だと思う。
まあ、あくまで自分の立場で出来る範囲ででしかないが。
>>731
あとは千利休が殺されたのが、かするくらいですかね。

>>732
武功夜話には秀次事件を回避させるために三成がかなり苦労したと書かれていますね。
武功夜話は偽書説がありますが、そこに書かれている三成に好意的な内容までもが
嘘とも思えないですし、前野兵庫が三成に付いたことを見ても三成はシロだと思います。
秀次事件で得をしたのは福島正則と田中吉政だ。
やつらが怪しい。
三成って逸話とか見ても好かれはしても嫌われることはないよな。
何でこんなに嫌われたんだろ?
正論振りかざして容赦のない奴が同僚だと、息が詰まるよ。
上司として、或いは部下としては頼もしいだろうけど。
余裕のあるトップならいいけどね。
ぎりぎりやってるトコなら、
「何をキレイ事を!」と反発は必至。

いや、三成は厳しい地方の外様にも、かなり助けを
出してるから、キレイ事だけじゃない男だったハズなんだが。
カッコつけすぎて、自分の手柄をアピールできなかった、って事かな。
朝鮮出兵など、太閤の失策の責任を被せられた感もあるね。
佞臣石田三成のイメージはここらから来たんじゃないかな?
で、本人も言い訳をしないから話がややこしくなると。
部下じゃこんなに良い人材はそうそういないな・・・
領主としてはどうだったんだろう?
何ともいえん。
何せ、国政にかかりきりだからなぁ。
「三成掟書」ってのがあったらしいが。

普請割り当て、年貢なんぞの事が書かれていたという話。
あとは桝の規格統一とか、領民の訴え(訴訟権?)に関する事とか。

どこの地方にいっても、ある程度、自分のとこの(名のある)領主は
褒めるもんだが、度量衡とか、訴訟権まで気をくばってるのは
三成らしいといえばらしいかもしれない。
桝ひとつで度量衡ってのはおおげさか。

+上記「・・・自分のとこの領主褒めるもんだが・・・」
のあとに「概ね、領民の評判は良好だったようだ」
が抜けてた。スマソ
744無名武将@お腹せっぷく:04/06/11 08:48
市松よりは人間出来てると思うな。
あれでも、部下からの信は厚かったらしいぞ >市松
酒乱で酒好きという救いがたいオプションは付いてくるけど。
746無名武将@お腹せっぷく:04/06/11 16:45
石田三成は鬱だったってほんと?
747無名武将@お腹せっぷく:04/06/11 19:12
↑本当。
通院していた病院の先生に聞いた。
でも秘密だよ。
>>745
それがあるから魅力倍増。
佐吉にもそれがあれば、あれほど嫌われなかったのかもしれん。
酒を飲んで本音を話す、という感じか。
まあ、たしかに親近感というのは生まれるよな。
市松、虎之助とも、戦場で部下と酒を呑むという図は
容易に想像できるが、佐吉はカッコつけだからなあ。

それにヤツが酒を飲むとグチが出てきそうでイヤだが。
いや、市松は 酒に酔った勢い で家臣を殺してしまってます。
親近感とか、そんなレベルじゃなさそうだ。
751無名武将@お腹せっぷく:04/06/12 18:05
三成の糞野郎、俺の初芽タソの処女を奪いやがった。許せん。
俺は東軍に寝返るze。
なんか伊吹の台詞みただなw
三成も部下に慕われてたが
つーか、普通、慕われてない方が珍しい。

慕われてないようなのは、大抵、さっさと殺されちまうか、
名を残したりできないでしょ。
三成の兄貴も結構いいやつでなんかの逸話残したりしてるな。
ということはあれか、井伊直政は稀有な例なのか?
>756
人斬り直正か。
たしかに部下に慕われてる、って感じじゃないよな。

う〜ん、厳しすぎる故に、直接の部下には慕われる隙を
与えなかったという所か。(変な表現だが)
少なくとも、息子と二代、不平等というそしりは受けなかった
ように感じる。

それが、狂気と紙一重ともいえるほど厳しい彼の行動を
正当化し、部下の裏切りは防いでいたのかも?
離反はよくあったらしいが。
張飛
>>758
なかなかの名将だったようだな。
講談で実像と違った武将のイメージを植え付けられてしまった
という点に於いては福島正則と共通しているな。
張飛は講談そのものでもヒーローだしな。

横山三國志でも味があるし。
デカい。(^。^)
三戦だと三成はあんまり叩かれんな
三戦では判官贔屓が大事な要素だからな
今でも三成が嫌いな人はたくさん居る。
三成挙兵は義挙だという人もいるが、俺は大げさな騙し討ちだと思う。
義挙と騙まし討ちは別に相反しないと思うが・・・
別に騙されてもいないしね。
三成が騙し討ちを仕掛けたのに、家康が騙し討ちを仕掛けたかのように語る人は痛い。
まあ、三成が不意打ちを狙ったのは間違いないわな、
騙まし討ちって言うにはもっと積極的な行動がないと言えないと思うが、
上杉挙兵自体が三成が流したガセネタだったというなら騙まし討ちと言えるだろうけど。
で、問題は実際には不意打ちにすらならなかった点だな。
>>764
仏の嘘は方便
将の嘘は知略。
三成擁護(アンチ家康)派は、日米開戦の理由をアメリカ陰謀説に集約する人に似ていると思う。
でも家康って結局最後には豊臣家ぶっ潰したからな・・・
結果だけ見れば三成が正しかった。
>>770
そりゃああんたの頭がおかしいわ。
ねえ、日本史版ではなんで百石で兵士が何人出せる、
ってコメントだけで100レスもつくの?
戦略は政略に依存するから、
そこを突き詰めているだけだろ。
それに、考えてみると結構面白いぞ。
並みの人間なら蟄居してそのまま表舞台から消え去るしかない状態から
あれだけの大博打を打てたのが凄いと思う。

秀吉亡き後の政権の主導権を狙ってる点では三成と家康の立場は一緒だよ。
でも三成の方が面白い。
776u212251.ap.plala.or.jp:04/07/03 20:57
てす
というか秀吉没後、家康はすでに政権の首座だから、主導権を握ってない?

三成の博打が面白いのは同意だが。
>>777
確変ゲットお目

秀吉の間違いはいゑやすを後事を託しちゃう5人衆の筆頭にしたことだろうな
最もそうしないと晩年の秀吉は失策だらけだったし
それに不満をためた大名が秀吉死後どう動くか分からなかった
という事が家康を筆頭に据えた理由として大きいとは思うが
779無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 19:31
ほぅ
博打が面白い方=資本が少ない方
特別三成が面白いって訳じゃ無いみたいね
782無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 06:15
太閤全盛期の石田三成、家康時代の本田正純とか、いずれも
頭が切れるが、容赦なく他人の落ち度を見つけ、ネチネチ責
め付けたり批判がえげつない。やな上司ってとこだ。
「虎の威を借る狐め」って感じで、廻りではあからさまに
口にはしないものの、影で相当な反感を買っている。

そして権力者が失脚すると、まってましたとばかり、今度は
敵の謀略に足をすくわれる。自業自得だ。
>>782
でも虎の威を借るってんなら清正、正則だって秀吉のおかげで大名やってられるんじゃない?
それに、謀略に足をすくわれたのは清正、正則含む豊臣家全体だろう。
あと、正純もそうだけど、戦国ムードを終わらせる意味で有力者の落ち度を見つけて力を削るのは当時の最重要課題。
それを二人の性格のせいにするのはかわいそうだろ。
義弘、宗茂に関が原の指揮権を預けなかった事だな。
>>784
そのクラスじゃ他の大名がついてこないって。。。

豊臣への忠誠度+三成との中+身分 を考え合わせると
宇喜多秀家を関ヶ原での大将に祭り上げれば良かったように思うが、秀家も年齢が若すぎるしなあ。。。
786無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 15:31
石田佐吉→石田光成→石田三成
と改名したって何かで読んだ気がするけど正しいですか?
たしかに秀家あたりが実際的だったろうなあ。
その前に関ヶ原に指揮官がいなかったってのが敗因か。
まぁ指揮権以上は現実無理としてもだ、
実績を誇る武将の意見をも無視したのは狭量だな。
秀頼を引き摺りだす戦略に引き摺られたのか?
>>788
まあ、敵味方の判別が難しい状態だったから
島津あたりは怪しいと思ったのかもね
立花宗茂も加藤清正と親しくなかったっけ?
九州系の武将に指揮権をまかせるのは無理っぽいな。
なにせ「知らない人」に過ぎないからな。

地元、近畿で三成と懇意で、しかも誰もが認める
名のある武将というのが条件だろう。誰かいるかな?
いやー、立花宗茂は知らんが島津義弘はバリバリの三成シンパだったぞ。
国許でも京でも、色んなところで義弘は何かと三成に助けられてるし。
っていうかむしろ義弘が助け求めているのか。
>>791
まあ色々と問題があるが、小説「島津奔る」を読むことをお勧めする。
小説は所詮小説だろ。
>>792
( ゜Д゜)ポカーン
島津は東軍につく予定だったから信用できなかったのか
島津家の意見は統一されてない
だから>>792の小説なんだろ?(盗作疑惑本だけど)

つーか、義弘一行が交渉の末に伏見城@東軍に入れて貰えなかったのは、
古文書に残ってることなんだろ?
そんなのに、一軍を任せられるわけない。
宇喜多が総大将ってのは関が原までの流れから見てありえないでしょ。
やっぱり西軍の総大将は輝元しかあり得ない。で、大坂城に三成が入る。
これでどうだろう。

あと、三成が西軍をまとめ上げたことを評価するレスが散見するけれど、
実際のところは安国寺恵瓊が首謀であって、三成は上杉や佐竹ら東国との
パイプが重宝されたのとともに、豊臣政権を守るという意志が強かったことを
いいことに旗頭に祭り上げられた存在だったんじゃないだろうか。

つまりは、関が原の戦いとは、毛利主戦派(=恵瓊)による打倒徳川の戦いで、
三成を動かし、輝元を動かすことで西軍を纏め上げた恵瓊によるもの。
根拠としては三成と恵瓊の佐和山城での謀議から輝元大坂入城までの
用意周到な早さ。前々から恵瓊は三成と謀議を重ねて上杉の動向を確かめると
共に輝元を焚き付けていたと考えると筋が通る。
で、敗因は吉川広家を動かしきれずに毛利一族を纏め上げられなかった
ことに尽きる。
それは単に「恵瓊には恵瓊の思惑があった」と言う話であって、
「首謀者」とは言わんだろ。
800無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 10:34
>>798
関が原の戦いとは、毛利主戦派(=恵瓊)による打倒徳川の戦い

違うな。毛利は恵瓊の謀略工作に、不本意ながらひきずり込まれ
利用されただけだ。
恵瓊にどんな謀略があったって?
多少の情報操作はあったにせよ、本当に不本意ならやめとけばいい話。
一応毛利家中の最高権力者は輝元なんだから。
輝元に機会便乗主義があったればこそ利用される隙も出てきた。
恵瓊は毛利家にとって、知略袋だったワケだから、
主戦派の筆頭だったとは思うけど、その個人的な思惑
で動くほど毛利家は小さい勢力ではなかっただろうな。

事実、家康派の広家と長政の接触を封じる事ができてないし、
また純粋に軍事的には自分の手配で戦場に大戦力を
送り込む事は出来なかったワケだ。絵は描く事は出来ても、
やはり東軍に対抗しうる兵力を動員してのけた三成の手腕
には一歩及ばないと感じる。
803無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 22:02
三成は不当に貶められたり過剰に評価されたりと毀誉褒貶の激しい人物だな。
それでも個人的にはもっと評価されてもいい人物だと思うんだけどねえ
西軍が勝っても三成や秀頼がどうなるかは・・・
>>791-792
ワラタ
>804
西軍が勝てば、三成の発言力は鰻登り。
後々、天下は豊臣中心の合議制を取ったんじゃないかな?
>>806
ソンナ モノガ
長続キスル訳ガナイ
西軍は勝てば動員兵力などから戦功は毛利、宇喜多、小早川の三者。
ここですでに親類恩顧と外様のバランスが取れてる。
以後、豊臣を脅かす可能性のある勢力は毛利だけとなり、
その毛利も徳川と比べれば危険度は大きく減る。

また、実際の政治同様、秀頼の後継人として、淀君が大きく関係する
と想像してもおかしくはない。三成は淀の強いバックアップを受けるワケで、
政治的な復権は当然、なおかつ強力なものとなるだろう。

豊臣政権維持に積極的な三成、宇喜多が再度中心となって、
上杉、前田、毛利(+もう一家)あたりとの合議制というのは
そんなにぶっとんだコメントじゃないと思うが。
十中八九、上杉が最上領を併呑+加増だから
下手をすれば200万石級の大大名にならないか?
当然毛利も加増されるだろうし、宇喜多も百万石に届くのは間違いないだろうし。
長宗我部や島津といった中堅も勢力を増したら、
豊家の権威が相対的に低下しそうなものだが。

下手をしなくても、内乱の火種を内在するような政権じゃないか?
時代は再び乱世に、民は再び塗炭の苦しみに
やっぱりなんだかんだいって徳川じゃないと無理
この板の住人としてはつまんないだろうけど
そこで朝鮮再出兵ですよ!
別に天下統一が皆の願いと言うわけじゃないぞ
群雄割拠の戦国よ再び、と思っていた奴も多かろう
奥州の竜とか
>809
徳川滅亡という事は、配下勢力とあわせれば300万石近くの
配布可能な領地ができるワケで、戦後の不満勢力は余裕で
懐柔できる。

上杉毛利の勢力は当然のびるが、それでも豊臣の勢力は
400万石近くになる。しかも近畿中央に基盤のある豊臣は、
史実の徳川よりもはるかに経済的に強い。

上杉毛利両者とも、戦功あったとして評価されるワケだから、
その豊臣を叩こうという理由がみつからない。
合議制政権の予測は秀吉が残した五大老制がそのまま
残るであろうから。毛利が筆頭、上杉が副筆頭、宇喜多が
秀頼後見人という所か。

中堅の勢力増強を危惧しているが、これも同じ。単体では
豊臣政権には楯突きようもなく、家康のように反対派を
まとめあげる力を持った人物も勢力もない。豊臣の権威は
秀吉が狙ったように、皇家のバックアップの元に時間とともに
安定していく。秀頼が元服さえすれば、五大老制に頭が出来て
今度こそ、真の豊臣政権が発足してもおかしくはない。

独眼竜はたしかに野望をもった人物に見える。
が、彼が上杉と連合できるような人物にもみえないし。
直江〜石田ラインが健在の内なら、それほど危険には
ならないんじゃないかな?
>>813
西軍諸将に恩賞を与えないわけにはいかないかと。
それを考えると、徳川300万石を没収しても足りない気がする。
それに上杉・毛利・宇喜多を始め、徳川時代に比べると大大名が増えすぎそう。
そうすると、室町幕府の二の舞になりそうな予感。
諸将に恩賞を与えた上でまだ残ると思うよ。
東軍勝利の後、論功行賞して配分してるワケだし。

室町幕府の二の舞という可能性はたしかにある。
その辺りはどうしてもぬぐえないなあ。この内乱は
どちらが勝っても人材の乏しい豊臣にとってはマイナスだから。

正直、豊臣が政権をとっても、徳川の世のように200年も
続くようなのは無理だろうとは思う。
俺は、明治維新は日本にとっての理想的展開から半世紀ないし1世紀程度遅れていると思う。
偶々スムーズに政権交代が進んだから良かったようなものの、結構きわどかった。
徳川政権は安定すぎたんじゃないか?
あれだけ長い間、鎖国してて被害は最小限だからね。
日本は幸運な国だったと・・・しみじみそう思うよ。
>>816
維新は結局、薩長の薩長による薩長のための政治だからなー。
徳川方でも制度改革は進んでいたようだし、
そっちの方が良かったかもね。
長い平和のおかげで農民ですら複雑難解な日本語の読み書きが出来るようになった
凄まじい進歩だよ
>>819
その話、最近日本史板某スレで喧々囂々の論議の的になっていたような気が・・・
少なくとも総人口当たり識字率100%は無くてせいぜい20%?だったとかどうとか・・・
都市部での識字率はほぼ100%らしいが、
農村部まで含むとガクンと下がるだろうな。
中国みたいなもんか>識字率
維新が薩長主体ってのは同意
まぁ、革命の功臣が維新後ことごとく逝ったからな。
ただ、長州、土佐はそれなりの犠牲の上の政権奪取だけど、薩摩狡すぎ……
それも、大久保あっての事なんだろうが、死んじまうし
中国よりは遥かにいいだろう。
家康なんぞの田舎幕府が長かったおかげでこんなざまだ。
あの失った2百余年が無かったら今頃は世界制服はもとよりUFO飛ばしてるはず。
世界制服か(;´Д`)ハァハァ
自ら飛ばした飛行物体がUFOか・・・。
江戸時代があって良かったよ。
826無名武将@お腹せっぷく:04/08/18 18:02
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1060085577/

これによると「喧伝した戦果」に関しては
立花家が最大の報告をしたことになってる。
>>824
二百年から来る勉学自体の評価とハングリー精神が無きゃ無理
829無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 17:49
しょせんはインテリDQN
Yシャツのボタンを一番上まで止める
831無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 00:15:04
女のような骨格だったから
832無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 00:56:13
頭が良くないから。
833無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 04:56:46
授業の時は、常に最前列に座るから。
834無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 11:37:55
美しすぎたから。
835無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 13:18:12
屁理屈をこねて食べ物の好き嫌いが多かったから。
836無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 03:15:31
三成、普段の人となりや後世に残る逸話を見てもひたすら無欲だしなぁ。
ただバカ正直に豊臣の事を思ってたんじゃないか。
837無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 23:47:04
まぁ台所だから上手いことやれないことも無いさ
838無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 00:52:52
>>836
同意する。
あそこまで無欲でつくすなんて武士道の鑑だと思う。
なのにそう思われなかったのは敗軍の将ゆえの悲劇だな。
「美談」も「企み」にすりかえられてしまった…
839無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 02:13:57
徳川光圀は評価してるわけで、そんなに嘆くことも無かろう。


ま、徳川家の血族に評価してもらっても、三成は嬉しくないだろうが。
840無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 06:48:56
顔だよ。男は顔が全てだ。
841無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 10:02:55
本多正信の一万石に比べたら貰い過ぎだな
842無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 12:24:19
井伊直政18万石
本多忠勝10万石
本多正信2.2万石

福島正則24.5万石
加藤清正19.6万石
石田三成19.4万石

たしかに貰いすぎだな
843無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 12:48:36
そこに更に筑前を加増して100万石にするという計画もマジあったそうだから
844無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 13:44:52
>>841

なんか昔のダイエットコーラ(1calのやつ)のCM思い出した

「石田三成をひとり養うには、本多正信が19.4人必要です!」
845無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 15:32:02
>>844
想像してちょっと萌えた
846無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 17:37:50
島左近と蒲生備中併せて三万石
847無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 17:53:38
左近は三成の知行が4万石の時にその半分2万石で召し抱えられて
その後も加増を断った人だから比較対象にするのはどうだろう…
欲しくても貰えなかった人じゃないからね。
848無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 20:16:58
>>847
島左近は生涯一万五千石のままだが?
849無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 00:14:18
>847
三成は、「知行四万石」−「他の諸経費」
で、残り三万石の頃に島左近に一万五千石で仕官を要請した。

・・・が正解。
850無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 10:15:12
>1
う〜ん 難しいよね
あえて言えば…
関ヶ原で戦う事をもっと早く予想して
自分自身が「天下人」になる努力をすべきだったのでは?
簡単に言うと豊家乗っ取り。

家康・利家・毛利を倒し天下人になった後で
豊家に大政を奉還。
851無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 10:30:07
>>850
それは無理だ。三成自身が天下人たる質じゃない。
それは三成自身が一番分かっていたことのはずだ。
852無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 11:36:04
自ら天下人にならんと野望をあらわにする三成なんて、
三成の魅力を根底から否定するようなものだ。
853無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 12:13:10
そうだな

徳川家康並の所領を持ち
徳川家康並の戦歴と権威を持ち
徳川家康並のしたたかさを持っていれば
三成も天下を取れたかも知れんが
すでにそれは三成ではない。

売れない演歌歌手のファンに
「もっと若くてかわいくてモー娘に入っていれば大ヒットするのにねー」
となぐさめるようなもんだw
854無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 13:49:55
別に三成が家康になる必要はない…
っていうかそれじゃダメじゃん。
秀吉が死んで弱体化した豊臣政権の立て直しにこそ力を尽くしてもらわないと。
855無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 15:00:02
>850
1にマジレスするなら、三成は戦争を起こすべきではなかったな。
秀吉さえ避けた家康との直接対決を、自分でなんとか出来ると
思ったのが間違い。家康が死んだ後なら、状況もずっと変わっていた
可能性はあったんだが・・・

ま、家康は死ぬ前にものすごい挑発をして、
とにかく戦闘に持ち込んだだろうけどね。
856850:04/10/03 17:10:10
>>852
ええまあ、それはわかってます。
でも、あえて悪名を蒙るのも在りだと思うんですよね。豊臣のために

それに、確かに武人の資質には乏しかったと思うけど
経済力(石高)さえあれば人材を登用して、それを補えたのでは?

857無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 17:18:41
三成が豊臣家乗っ取り(に見える)行動をとったら、
速攻で叩き潰されるだろう。利家も味方にはなってくれないだろうから、即死だね。
858847:04/10/03 18:10:10
>>848-849
訂正サンクス。知識がひとつ増えたよ。
859無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 18:10:59
豊臣にとって、もっとも恐るべきは家康。
悪名を背負っても、というなら家康を刺し違えてでも
殺せばよかった。
860無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 18:16:21
たしか日本で初めて、ウンコを紙で拭いた人じゃなかったっけ?
861無名武将@お腹せっぷく:04/10/04 03:57:32
>>860
情報サンクス。知識がひとつ増えたよ。
862無名武将@お腹せっぷく:04/10/04 04:05:56
>>860
違うよ。
ただ、伊吹山中でケツを拭いた後を発見されて、
逃亡中こんな事をするのは治部だろうと徹底捜索をくらい捕縛。
863無名武将@お腹せっぷく:04/10/04 16:15:57
>伊吹山中でケツを拭いた後を発見されて、
>逃亡中こんな事をするのは治部だろうと徹底捜索

憐れというかなんというか…それで体調が悪くて云々て言ってたわけか。(SAKONの三成ね)
「こんな事」が何を指してるのか気になる。

・逃走中なのにしっかりケツを拭くこと
・逃走中なのにウンコすること
・排泄物にちゃんと砂がかけてあったこと

どれ?
864無名武将@お腹せっぷく:04/10/04 16:29:49
家康の糞っタレが>三成
865:04/10/04 19:19:19
久しぶりっす^^
866左近:04/10/04 20:18:58
>>864
殿は人のこと言ってられませぬ
867無名武将@お腹せっぷく:04/10/05 03:06:49
福島、加藤がいけなかった
868無名武将@お腹せっぷく:04/10/05 05:24:08
>>863
>・逃走中なのにしっかりケツを拭くこと
これ。
ケツを拭いた紙だか葉っぱだかを発見→治部の事かー!→捜索・発見
869無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 01:20:58
>>868
それってどこかのHPに載ってる話?
それとも何かの書籍に載ってる話?
どんなふうに記録されてるのか興味が湧いたんでよかったら教えて。

あと、当時はウンコしても尻は拭かないのが当たり前だったの?
870無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 04:57:28
>>869
紙で拭く習慣は平安あたりかららしい。
戦国時代になると、平時は大名も紙で拭くようになったとか。
あと、スマンがどこで読んだかはっきり覚えていない。

tp://www11.ocn.ne.jp/~drtoilet/2000.htmlでちょっと触れられている。
相当勘違いしているというか、大坂の陣で石田三成ってorz
まー、そういう説もあるって感じです。
871無名武将@お腹せっぷく:04/10/09 03:34:58
>>870
おお、ありがとう!
あの時代に尻を紙で拭くのは大名クラス以上(という説)ってことかあ。
普通はどうやって処理してたんだろうなぁ。
三成スレなのにそんなことばっかり気になるw
872無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 00:35:31
>>871
農民などは藁や縄、葉っぱでふいて、それをそのまま肥やしに混ぜていた。
水で洗う事もあったけど、インドなどのアジアみたいに普及はしてなかったようだ。
当時は和紙は高価だし、今のトイレットペーパーみたいに柔らかくないから、
柔らかい葉っぱの方がふきごこちがよかったかも。

ちなみに田舎の農村などでは、結構最近まで葉っぱでふくことも多かったらしい。
紙などは便と一緒に肥やしになりにくいのでそれでふいた場合、
便槽に落とさずに集めておいて燃やし、その灰を便に混ぜていたそうです(by釣りキチ三平)
873無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 01:12:37
20年も前の小学生時代、自宅まで2kmの道のりにたえきれず野糞したことがある。
運悪くポケットティッシュを持っておらず、仕方なしに大きめの葉っぱで拭いた。
やたらひんやりしてる上に綺麗に拭ききれない。
拭ききれないけどパンツにうんこが付くのは嫌だったので、葉っぱを尻に挟んで帰宅した。
874無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 06:00:26
竹べらなどで拭き(?)取っていたところもあるみたいだね。

ところでここは一体何スレだよ?w
いや、面白いから良いんだけどね。
875無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 06:46:58
尻拭きにこだわった三成は滅び、
鞍の上で垂れ流した家康は勝った。
勝利の要諦とはこんなところにある。
876無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 19:48:02
家康は逃げるの上手だからな。
三方ヶ原、伊賀越え、大坂夏の陣。
孫子に曰く、「逃げるの巧いヤツは滅びないよ」
877無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 22:00:56
戦場からの逃走だけではなく、
保身センスそのものがずば抜けているからな >家康
878無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 23:13:31
>>877
でも、見苦しい
879無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 00:05:51
>>878
全然見苦しくない、むしろ敗戦や逃亡を重ねる度に
身代を大きくさせる手腕に同時代の有力者は畏敬してた。
880無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 00:25:30
信長も逃げるのは上手い(金ヶ崎の時とか)。

義元だって、逃げるのが上手ければいくらでも立て直しが利いたのに…
881無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 00:57:57
信忠君は潔すぎw
882無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 02:01:09
>>851
だね。職人気質の計数ヲタ(という割には社交性はあったが)で、
天下人になるよりも、その下で台所を切り盛りする方が性にあっていたと思うし。
883無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 05:00:04
そうだねぇ。
トップ(天下人としての飾り)は秀頼で十分。
内政エキスパートとしては三成以外ない。
884無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 06:22:42
外交は絶対やらせちゃいけないなw
885無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 09:36:17
葉っぱとか縄で拭いてたら肛門がかぶれて病気になると思うんだけどな。
男色が当たり前だった件といい、昔の人は肛門を酷使してたんだね。
886無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 12:20:13
へいくわいもの
887無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 19:23:37
昔の人間の体はそんなにヤワじゃないだろう。
ボットンのおつり喰らっても平気だし。
現代の人間ならすぐ病気になるだろうけどな・・
888無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 22:32:55
昔の人はみんなサナダムシを体内に飼っていたから
アレルギーなどとは無縁だったしね。
889無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 04:16:10
つかぬことを聞くけど、皆の家でとってる新聞には「天下人」って小説は載ってるか?
うちでとってる新聞(地方紙)だけかな。最近気付いて読み始めたけど結構面白い。
昨日の段階で秀吉の兄・秀長が病死。
三成と兼続がちょっとした口論。(情で人は動くと説く兼続、政に私情を挟むべきではないと反論する三成)
これから朝鮮出兵だ。

歴史物の小説って読んだことないんだが、三成ヲタの俺が満足しそうな小説をおしえてくれまいか。
やはり定番は「関ヶ原」かな?
890無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 04:33:05
あ、ちなみにその新聞小説書いてる人は火坂雅志って人。
891無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 08:19:47
火坂雅志は着眼点はいいけど、考証などがけっこうひどいイメージがある。
「壮心の夢」なんかは他の作家が取り上げないようなマイナー武将を並べて
おおって感じなんだけど、短編なのに年齢とか経歴とかけっこうキモの部分を
まちがっているところがけっこうあって萎え。(短編なので余計気にかかる)
でもさすがに「秀長が秀吉の兄」なんてまちがいはやらかさない気が駿河。

ちなみに三成ヲタ向けの小説ならば、「群雲、関ヶ原へ」だな。
「巨いなる企て」は関ヶ原直前で物語が終わるが、三成好きなら。
892無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 17:15:42
村雲手にはイラネー
重版きぼんぬ
893無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 18:06:24
>>891
ごめん、兄でなくて弟。俺が間違えた。
「群雲、関ヶ原へ」と「巨いなる企て」、今度読んでみるよ。
894無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 23:24:25
俺も「巨いなる企て」に一票。
組織やプロジェクトに結びつけたビジネス的な話が多いので、一見ドライに見えるが、
だからこそ三成ヲタの心の琴線に触れる話が浮かび上がってくる。
宇喜多家の調停に失敗した大谷吉継が、三成のことを思い浮かべ覚悟を決める場面は見もの。
895無名武将@お腹せっぷく:04/10/18 00:08:32
「群雲、関が原へ」評判いいから読みたいんだが
どこにも売ってないよ。絶版らしいし。
896無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 00:46:09
俺も群雲読みたいな。
再販してくれんかなぁ。
897無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 09:37:02
「復刊どっとこむ」で署名集めるしかないか・・・
898無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 17:03:38
あることはあるが、新品同様の値段だな・・・
ttp://search.easyseek.net/search/?c_no=0&sitem=%8CQ%89_%81%40%8A%D6%83%96%8C%B4&_dm=%81%95
899無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 20:09:20
文庫版なら古本屋にけっこう売られていると思うが。
900無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 10:30:26
まぁbookoffに普通に売ってた訳だが
901無名武将@お腹せっぷく:04/11/05 22:06:05
http://www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/mitunari.html

人望っていうか、人間性はあったと思うが。
時代にそぐわなかったのと、演出が下手だったんだろうな。
倫理感が高くて立ち回りが下手なら、そりゃ煙たがられるよ。
典型的な「深く狭く」つきあうタイプだね。俺は好きだ。
902無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 00:34:39
光成は立派にやったよ。
徳川光国(水戸高門)も光成の事を「忠臣」て誉めてるし、
903無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 01:00:59
光成ってだれだよw
高門もな・・・
904無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 02:27:39
三成かっこいいよ
子供の名前は「三成」にするって決めた
905無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 03:29:47
>>904
おまいが石田なら一成にしとけ
906無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 03:34:24
>>904
子供にはヘタレでもいいから最後まで生き抜いた奴の名前付けてやれ
907無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 03:34:41
>>904
家での呼び名(ニックネーム)は「じぶ」な
908無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 03:52:59
>>906
そうだな、「秀家」辺りどうだ?
「忠輝」でもいいが。
909無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 11:29:47
どうせなら自分の一字を与えよ
910無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 11:44:56
>>909
ウチの妹は若くして戦死した祖父の名前から一文字貰ってるな。
911無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 11:45:38
有楽斎とか信孝とか長生きしそうでいいんじゃない?
912無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 13:54:22
玄庵とかも長生きしそう。
913無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 14:12:55
自分と嫁の名前から一字ずつ
914無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 14:15:02
>>902
つーか家康だって酷評はしてないよ。
915無名武将@お腹せっぷく:04/11/06 17:20:05
冶部畜生めが
916904:04/11/06 18:56:49
すげえ反響だ
いや、長生きしなくても三成みたいな立派な人間になってほしいんだよ。
有楽斎とか信雄とかは死んでもつけねえ。
秀家だと孤島に住みたいとか言い出すと困るからやめておきます。
>>907
いいね。そうする。じぶ。いい響きだ。
917無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 00:35:50
しかしケツの穴は小さい男に・・・
918無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 00:40:03
さらに学校では体育会系の人々に苛められることに・・・
919無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 01:12:59
胃腸も弱いしな
920無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 02:55:59
盲目の友達ができたり
921無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 04:13:10
とりあえず学級委員長にはなりそうだ
922無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 04:36:38
味方だった担任が転任→イジメ激化
923無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 08:10:33
親族巻き添えにするほどの巨大企画を持ち込むが
派遣の小早川、吉川班が働かず一日でポシャる。
柿を食べるのをためらってから首吊り自殺・・・
救いは息子が相手企業の会長に保護されること。
924無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 08:22:45
石田正継(いしだ まさつぐ)    ? 〜1600

三成の父で豊臣秀吉の家臣、隠岐守。通称は藤左右衛門・佐(左)吾左衛門・太郎右衛門など
諸説あり、近江で三万石を領したとされる。治政に優れ三成不在時の庶政を執り、また教養
豊かな才人としても知られる。関ヶ原の際には一族をあげて佐和山城を守るが東軍に攻め
落とされ、城に放火して自刃した。

(・∀⊂)ウエーン
925無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 19:01:14
痰の毒って何?
柿食うとタンがからむのか?
926無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 21:02:19
三成の生き様は現代の社会人にも参考になるな。
仕事のやり方とかはそつなく合理的だが人間関係で(ry
927無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 21:25:43
そつなく合理的っていうよりも
ただゴマをすって秀吉の機嫌を取るのがうまかったから出世しただけ
928無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 21:40:47
本当にゴマするのが上手いなら、
家康に取り入ってそうだがな。

武功ならぬ、文功第一と言ってもいいだろ。
ただ自分含めて、周りも全て理詰めで動くとか思ってそうだが。
929無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 23:09:22
>>927は清正
930無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 23:14:46
三成ってう○こしていることころを見つかったんだっけ?
931無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 23:14:53
厨な質問で悪いんだが、文官の仕事って官僚みたいなものと考えてok?
三成の功績としてはどんな仕事が挙げられるの?
932無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 23:31:09
三成に功績なんかないよ。豊臣家潰しただけ。うんこちゃん
933無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 23:33:19
正則と清正が粘着中
934無名武将@お腹せっぷく:04/11/07 23:51:54
三成のせいで豊臣恩顧が2つに分裂して
徳川を利することになった
935無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 00:08:27
そんな底の浅いことしか言えないとは…
さすが体育会系!
936無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 01:11:50
豊臣家のことを考えていたのは加藤だけ
937無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 02:41:04
>>931
三成は官僚だよ!検地やって米巻き上げたり商業利益をあげるため商人を管理したり・・・。
朝鮮出兵のための船や兵糧、兵士人数の管理とか。数字に強かったから損失はほとんどなかったらしいし。
豊臣家の金庫番だよ治部さんは。治部さんなくして豊臣家は語れないよ。
三成が豊臣家を一番考えてたし知り抜いていたと思う。

体育会系は政権運営(内政面)のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。
そして家康にまんまと乗せられた。けんか吹っかけて内紛起こしたのは体育会系。
938無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 03:56:06
三成の功績なら大返しも加えてやれよ
939無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 04:05:59
体育会系の奴等は目先のことしか見えてなかった。
「あいつムカツク」っていう感情だけで後先考えない愚かな内紛をおこした。
いつの時代もそうだが、内紛は自勢力を弱体化させ敵勢力を利することになる。
狸はそんな頭の悪い体育会系を言葉巧みに引き込み、
まんまと天下を手中におさめた。
大きな、本当の敵が誰なのか読めなかった体育会系。
こいつらがもう少し理性的だったら…
940無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 05:58:34
すいません。初めて参加します。
私が思うに、三成はそんなに嫌われモンじゃなかったのでは?
後の幕府が捏造したんじゃないかと私は疑っております。
その根拠といたしまして、もし本当に嫌われてましたら斎藤義龍と道三の戦のようにどちらかに兵力が偏るのではと思います。
「三成を慕ったんじゃない、秀頼に味方したのだ」とみなさんは指摘するかもしれません。
それについて私はなにも反論できません。
では、さようなら。





二度とくるか!こんな糞スレ!ボケ!ボケ!
941無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 07:34:40
>>940
( ゚д゚)ポカーン
942無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 14:34:49
>>940
自己完結の上逆切れにワロタ
あまりのスピード感についていけなかったが・・・.
943無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 14:39:54
たしかになー、体育会系はあせっていたんだろうな。
三成が秀吉に気に入られて権力持っていくのが。
それをやっかんで家康に操られて内紛起こして関ケ原へ・・・。
その後体育会系が家康によって改易されているのがさらに悲しいね。
うまく祭り上げられちゃった感じか。
944無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 14:45:18
要するにその程度の譜代しか持てなかった秀吉の不幸。
945無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 17:16:17
秀吉の急激な立身出世の最大の弊害だよな。
(人格的・能力的に)信頼のおける一族・譜代が少なすぎる。
しかもその少ない一族・譜代を秀次事件で殺しちゃうし。
自分で自分の首を絞めているようにしか思えない。
946無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 17:25:38
秀長が長生きしてくれたらなあ
947無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 18:24:12
襲撃されるほど現場との溝を放置する三成も管理職としてどうかと思う
948無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 20:10:54
>>947
そのものズバリというか。
いい事いうなあ。
949無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 20:14:50
秀吉が種無しなのが滅亡最大の原因
950無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 20:24:02
まぁ、三成は仕事に忠実な官僚だったわけで。
現場との軋轢を何とかするのは秀吉の仕事のはずだが、耄碌してるし・・・。
跡継ぎはどうにもなんないし・・・。
秀長、利休がいなくなったのは厳しいねぇ。
951無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 21:14:40
利休はでしゃばりすぎ。
952無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 22:06:59
イエスマンなブレーンは、既にブレーンとしての機能していないと思うが?
半兵衛・秀長が死んで、如水を冷遇し、利休を殺して・・・、そら暴走するわ。
953無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 23:04:24
三成はイエスマンじゃないよ。
間違ってると思えば秀吉にもちゃんと意見してた。
意見が聞き入れられるかどうかは秀吉の心次第だっただろうけど。
954無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 23:17:35
黒田親子が悪い
955無名武将@お腹せっぷく:04/11/08 23:36:18
加藤清正は三成を「背の低いおべっか野郎」って言ったらしいけど
三成って156cmで当時としては平均的身長だし
秀吉宛に送った、秀吉の間違った見解を正す書状も残ってるからおべっか使いとも思えない。
自分の失態を報告されて謹慎させられたことを根にもって逆恨みしてたとしか思えないよ。
三成は自分の仕事しただけ。それを逆恨みするなんざ愚の骨頂。
本当に豊臣家のことを思っていたなら、自分の感情は二の次にしろっつーの。
この人、本当は憎き三成を重用する秀吉のことを憎々しく思ってたのでは…
956無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 00:26:11
間違ってると思えばじゃなくて
自分の意にそわなければ意見したの間違いだな
基準は豊臣家の為というより自分の野心の為
957無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 01:44:19
三成が秀吉に意見したのって、朝鮮攻めの中止とか、秀次の助命とか、忍城の水攻め反対とかで筋通ってるよね。
958無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 02:05:11
確かに三成はイエスマンではないな。
自分の意見も理想もしっかりもっていたからこそ秀吉にも意見できた。
一本芯がとおっていたんだろうな。
しかし善悪の区別が付いていたからこそ体育系を敵に回してしまった。
だから朝鮮での体育系の失態も、忠実に秀吉に報告してるから敵を作ってしまったわけだが。
そこでうまく立ち回れない三成も魅力的だとおもうんだけど・・・。
959無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 02:27:43
ようは秀吉のように体育会系をうまく使えるだけの器がなかったってことだろ
960無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 02:46:15
お前ら全員、机上の空論。
朝鮮で大事な部下をたくさん失った武将の気持ちが理解できてない。
これは秀吉にあって三成にない資質でもある。
このスレは、石田三成シンパのスレであるという時点で他人の気持ちを理解できない連中の巣窟だな。
961無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 02:59:30
>>960
だから、それは三成の仕事じゃないって言ってるの。
自分が生きてる間にその辺を何とかできなかった秀吉のミス。
それが三成の責任なら、加藤福島等だって豊臣家を思う三成の気持ちが理解できないんだから問題ありだろうが。
あと、体育会系を使えなかったのは器の問題じゃなくて、立場の問題。
秀吉だって柴田勝家使うのは無理だろうが。
962無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 03:36:29
yournet規制で携帯から。
規制解除までこのスレ残ってますように…


三成の不器用な生き方に萌えるよ、俺は。
963無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 04:05:28
>>962
萌え萌えどころの騒ぎじゃないよ
燃え燃えだよ
964無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 04:34:14
>>961
>加藤福島等だって豊臣家を思う三成の気持ちが理解できないんだから問題ありだろうが。

凄い言いがかりだな(w
「豊臣家を思う」のと「"豊臣家を思う三成"(身勝手な妄念)を思う」のは全く別だろ。
965無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 05:11:58
>>964
だから、三成も加藤等の気持ちなんて考える必要ないって事
966無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 05:20:43
わずか20万石の三成と関東数百万石の家康
ゆくゆくどちらが豊家にとって脅威となるか考えなかった加藤福島
967無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 08:11:34
>>947
むしろ襲撃されるほど皆から憎まれる三成の性格の方こそ問題かと。
968無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 09:22:23
加藤必死だなw
969無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 09:38:28
石田三成は焦りすぎだと思う。
970無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 11:09:31
>>961
秀吉と柴田の関係と一緒にするなよ
971無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 11:24:39
>>970
似たようなものだって。
立場上、どうあがいてもトップの命令がない限り言うこと聞かせるのは無理。
トップがいなくなりゃあっという間に殺し合い。
972無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 11:58:56
>>1
加藤福島らに暗殺されなかったのがいけなかった。
973無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 12:08:21
>>972
体育会系はこれだから・・・w
974無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 12:10:53
石田福島加藤ってほぼ同期だぞ。
さらに福島なんかは筋肉馬鹿だしうまいこと言えば使えるだろ。
それをしようとしなかったし、できなかった三成は器がちいせえってことよ
975無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 12:16:19
福島は一応悩んでたんだよね
西軍につくか東軍につくか
ほんと、あとひとひねりあればね
976無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 12:25:50
年下の福島正則、加藤清正に舐められる時点で、
石田三成はオhルね。
977無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 12:35:48
加藤は年上だぞ
978無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 12:50:13
加藤や福島らが三成嫌いで家康に付いたって本当かな?
利の問題で家康に転んだとされるより、感情的な問題で三成と敵対したということにした方が
当時の周囲や後世に与える印象がマシになるとか考えたんじゃないかと思う。
と、後付の意見を言ってみるテスト。
979魚くん:04/11/09 13:05:14
>>977
ヘタクソが
980無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 13:48:11
>>978
三成嫌いも家康についた要因の一つではあると思う。
もちろんそれだけではなくて、
家康に対する信頼とか、出世欲とか、
次の天下を睨んで既に豊家から徳川に軸足を移していたりとか。

さて、キリも良いことだし、次スレ立ててきます。
981無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 13:57:43
982無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 14:50:11
張遼、李典、楽進のように私情を捨てて結託したらどうなったことやら
983無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 14:53:39
このスレ見事に「福島加藤と三成の口論」状態だな。
一生平行線。
984無名武将@お腹せっぷく
>>982
その例えはちょっと違う。
楽進たちの敵は呉って明確だけど
福島たちの場合、本当の敵が誰なのかさえ読めてない。
それに三国武将の方は同僚を憎んでたわけじゃないし。