九州の中小大名を語ろう

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1無名武将@お腹せっぷく
3強以外にも、個性的な勢力がずらり。
秋月・原田・高橋・松浦党・大村・有馬・宗・城井・土持・伊東・菊池・
五条・蒲池・天草五人衆・名和・阿蘇・相良・肝付などが、必死かつ
したたかに戦った九州の戦国時代を語ろう!

一応前スレ?
九州戦国史
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1030/10300/1030008149.html
九州戦国史について語ろうや
http://academy.2ch.net/history/kako/1006/10067/1006786927.html
九州戦国史について語ろう
http://216.218.192.139/history/kako/972/972006404.html
2無名武将@お腹せっぷく:03/09/08 00:00
すかさず2get。
で、五島列島は誰が治めてたんだ?松浦党の一族?それとも大村
とか有馬なの?
4無名武将@お腹せっぷく:03/09/08 00:01
松浦だ!松浦だ!
5:03/09/08 00:02
>>3
惜しかったな・・・ふんっ!
>>4
違うだろ!
伊東家、松浦家ではプレイするがな。
五島は「五島」って殿様じゃなかったっけ?
それ以前は「宇久」と言う苗字を名乗っていた模様。
ttp://www.qeclub.ne.jp/hanrekishi/hizen/nenpyou.list.hizen.nagasak.html
姉妹スレ?
【小野寺】奥州の小大名について語ろう【戸沢】
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1056622855/
>8
早っ!サンクス。
島だし、さぞかし倭寇ではぼろ儲け・・・ゲフンゲフン
五島って、五峰王直の屋敷があったんだよね?
11無名武将@お腹せっぷく:03/09/08 00:24
相良は結構好きだ。島津があまり強くならないうちに肥後を制圧、
兵力を整えて一気に南征。こっちの兵隊はほぼ全滅するが、
なんとか島津家臣団を抱き込めば、あとはカンターン♪
倭寇の本拠地の一つでしたね>五島
たしかに五島には超有名倭寇・王直の本拠地がありましたな
ただ王直と五島(宇久)氏との間にどれくらい交流があったかはわかりませぬ。

五島(宇久)氏は松浦とは遠縁のようね。
まあ、この辺の大名はたいがい松浦の親戚ではあるのだが(w
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/uku_k.html
誰か高千穂三田井氏について語ってくれッ 
真幸院北原氏についても触れてくれると嬉しいッ
14無名武将@お腹せっぷく:03/09/08 02:13
三田井氏は伊東と土持の和睦をあっせんしたり、大友→島津と
所属を変え、戸次川で島津側に立って土佐勢をぶっ叩いたり、
巧く立ち回ってたんだが、豊臣大名の高橋元種に騙し討ちにされる。
北原氏は大隈の肝付氏の一族で、えびののあたりの領主だな。
調子のいい時は山を越えて相良を攻めたりしてるが、島津に潰され
て転封された。・

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/og_mitai.html
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hyu_kita.html
>>11
相良義陽の最期はいかにも侍って感じでかっこいい(・∀・)



・・・のだが、関ヶ原以降の相良は結構DQN。。。(´・ω・`)

>>14
北原氏の衰亡には相良氏を制圧下に置こうとする島津氏の戦略がからんでいたようね。
16無名武将@お腹せっぷく:03/09/08 14:24
薩摩や日向西部なんかによくある「○○院」て、なんのこと?
伊集院とか長淳院とか。
荘園みたいなもんなのか、それとも寺院領か?激しくカコイイと思うのは俺だけ?
>>16
荘園の地名というのが正解。
薩摩、大隅、日向三ヶ国に広がっていた「島津荘」という日本一でかい荘園の各パーツを「○○院」と名付けていた。
他の荘園でもこういうパーツ分けをしていたようだけど、この地域だけにこういう地名が残ったようでつ。

あと、中世の寺院領は「荘園」と言ってもいいんではないかな。
私はこの辺は専門ではないんで、後は日本史板の初心者スレで聞いてみてくれ。
>16
そうか?
牛屎院(ねばりいん)なんて激しく萎えるぞ。しかもそうゆう苗字を名乗った武将までいる。
「うしのくそ」・・・。イヤだ。
19無名武将@お腹せっぷく:03/09/08 16:02
牛糞って苗字は昔あった。
20無名武将@お腹せっぷく:03/09/08 17:17
門柱所
21無名武将@お腹せっぷく:03/09/08 17:17
親戚に雲林院っているぞ
>>21
「うじき」だっけ?それとも「うんりいん」だっけ?
>>20
「問注所」が正解。
鎌倉時代の役職から来ている由緒正しい名前みたいね。>問注所
○○院といい、問注所といい、九州武将の苗字は奥が深いですなあ。

>>21-22
能で同じタイトルの謡曲があり、それは「うりんいん」と言ったと思う。
京都の大徳寺の近くにあったお寺の名前からタイトルがとられたらすぃ。
ぐぐったら「雲林院」で「うじい」という苗字の人がいるみたいね。
あと税所(さいしょ)もいるよな、島津家中に。

九州は鎌倉御家人以外に、在庁官人上がりとか荘官上がりとか、
平安期からずっと生き残ってきた勢力が多いのが面白い。秋月、
原田、菊池、松浦あたり。
筑前衆の恐るべき変わり身の早さは、その辺のしたたかさを感じて
面白い。そうかと思うと秋月なんかは、親の仇の戸次鑑連の弟5人
を討ち取ったりして、血の熱さも感じるな。
>24
休松合戦か!
大友義鎮が鑑連に慰めの書状を送ってたな。
26無名武将@お腹せっぷく:03/09/09 23:58
のぶやぼだと、相良配下は地味に有能だけど(赤池長任とか犬童とか)、
これはやっぱり島津絡み?
2713:03/09/10 00:19
>14
thanks

しかし播磨屋さんは間違いもあるのでちょっと・・・。
秋月はタフですな。
最後まで豊臣秀吉に抵抗し、結局日向に飛ばされちまいますが。。。
徳川体制になってからの秋月も(・∀・)イイ!
とくに財政改革の名君を二人も生んだ功績は大きい。
(上杉鷹山と兄の秋月種茂)
最もタフなのは筑紫家だと思うなぁ。
なにせ家訓が「死ぬより生きろ」(のような意味)だったらしい。
惟門の時代に毛利家に通じて敗れた時は一門総出で毛利家に逃げ込んだ。
立花鑑載の謀反の混乱の時?にドサクサにまぎれて本領復帰。
その後も大友についたり竜造寺についたり島津についたり右往左往しながら
結局高橋家に娘を差し出して血縁関係に。で、島津軍に敗れてここで筑紫家は終わり。
と思ったら逃げ出して島津敗走の混乱の最中に本領奪取、と。
朝鮮の役も出兵して、最終的に関ヶ原の戦いで宗茂と一緒に取り潰しになったけど。
ここまで勝ち組に乗ることに徹底してる点は、何か共感持てるというか、一番人間らしい生き様というか。
そうそ、筑紫という強烈なのがいたなあ。
寝がえり率100%(苦藁)
てゆーか、こんだけ寝返りしてたら、誰か疑い深い武将に捕まったときに
斬首されてしかるべきだと思うんですが・・・
結局九州には信長みたいなのが居なかったと言うことなのか(w

ところで、あの畜死哲也はこの筑紫の家系なんでしょうか。。。
>>30
敵の中に仲がいい人が多かったからじゃないかな。
島津に捕まった時は秋月に助命されたらしいし。
友好関係を持つ事にも長けていたのかもしれない。

筑紫家も結構な家計だからもしかしたら筑紫哲也もそうかもしれない。
ただ「筑紫」ってのは昔から北九州、もしくは九州の総称として使われてきた程だから
筑紫広門の祖先、と言うわけでもない気がする。筑紫神社と広門は何の関係も無いしね。
>>29-31
鍋島直茂という説も聞いたことあり>筑紫広門の命乞いした人

と言う命乞いを聞かずに、伊集院忠棟がとっとと広門たたっきっておけば、
後で島津義久の不興を買うこともなく、忠棟もあんな死に方にはならなかったのでは
・・・んなこたーないのか(w
3332:03/09/12 14:21
鍋島が命乞いしたのは立花宗茂の弟だった・・・
回線切って逝ってくる
高橋統増(立花直次)か。
この人は父・兄がずば抜けていただけに、かわいそうな境遇だな。
本気でずば(ry
耳川(高城川)の戦いの前哨戦であっけなく滅ぼされた一族の名前が
なかなか思い出せなかったよ。土持氏って言うんだね
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/tutimoti.html
これ読んでると、結構悲惨・・・
伊東みたいに再興されることもなく、蒲池みたいに省みられることもなく・・・
その程度普通だろ。
立花宗茂って。。。実は怖かったのか?ガクガクブルブル(((((((;゚д゚)))))))

その1話目
ttp://wolfpac.press.ne.jp/daimyou04.html#TakahasiMototane
>元種は陸奥棚倉藩主立花宗茂に身柄を預けられ、翌年10月9日、同地で没した。44歳。
>ちなみに宗茂の実父は高橋鎮種といい、大友宗麟が鑑種の追放後、その旧領を与えて
>高橋姓を名乗らせた人物で、鑑種・元種父子とは仇敵の間柄であった。幕府がそうし
>た過去の因縁を知っていて、あえて宗茂に預けたのかどうかは不明である。

その2話目
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1062166951/
>その話によれば、宗茂は身柄を預かった隈部一族十二人に対して、
>武人としての名誉ある最期を飾らせる為に『放し討ち』を行ったそうです。
>この放し討ちは一対一、もしくはまた同数による果し合いのことらしく、
>隈部一族十二人に対して立花側からも十二人の討手が出され、
>柳川城の黒門内側の三の丸広場で行われたとのこと。
>これによって親永・親泰ら隈部一族十二人は全員討たれ、
>立花側にも一名の死者が出て、その他の全員も傷を負ったという話です。

>なんか見世物的になぶりごろしにされる隈部一族って感じだよなそれ…


一応九州の中小大名の高橋とか隈部がからんでるので、カキコ許してくれい。
秋月と吉弘系って別に仲が悪かったとは思わんけど。
当時の情勢を踏まえれば、一度敵対したからといって仇敵と断ずるのは変でしょ。
40無名武将@お腹せっぷく:03/09/14 15:50
甲斐姫スレ見て思い出したのだが

秋月も当初秀吉に対抗して完膚無きまでに破れ
・当主が坊主になる
・秘蔵の茶道具を差し出す
・自慢の姫を差し出す
して、降伏したと記憶してるんだが

この姫様はその後どうなったの?
>39
吉弘系の宗茂にとって秋月系高橋氏はどうでもいいかもしれんが、立花道雪にとっちゃ秋月氏は怨敵だな。弟を5人も一挙に失えば復讐したくなるぞ・・・。
それでも逸話類では「真正面から打ち破る」と言って闇討ちを拒んでるな。飽くまで逸話だが。
あと島津の北上戦では秋月氏は積極的に協力して大友方の筑紫氏・立花氏を攻撃している。
仇敵の間柄とゆうわけではなくて、秋月系高橋氏を名実ともに立花城主にするためだが。
42無名武将@お腹せっぷく:03/09/15 17:58
>>34
でも立花の家名は残したぞ。
>>42
そうだな。宗茂子供いなかったし。弟おらんかったら立花は今頃無嗣断絶。。。
44無名武将@お腹せっぷく:03/09/20 11:15
ノブヤボでの隈部のあのキターって顔は何なのだ?
>>38で悲惨な打たれ方をしたから、色物扱いなの?
>>44
『天下創世』でも相変わらず「キター」な顔なんでしょうか?>隈部さん(w
それはそれでネタとしてはうれしく(苦藁
もう一人の「キター」こと東北の二階堂盛義さんは顔が変わってしまったそうなんですが・・・

隈部さんが「キター」な顔なのは秀吉に逆らって一揆を起こして死んだからでしょう。
死に様が悲惨だから・・・
>>30
 だから筑紫哲也は国や社会に対する裏切り率100パーセントなのか……
漏れの先祖は関東の宇都宮系だから、どうしても城井家のことが気になる。
今でも祖父の墓参りに行くと、黒田家のでっかい墓石に向かって唾と飛ばします(^◇^;)
>>46
おそらく筑紫哲也と筑紫広門家は関係ない。
>>48
やっぱりそうだとは思っていたけど(w
念のためソースなどあればきぼん

>>47
一度本で見たけど異様に立派だもんな>黒田家墓所
前田家の墓所も異様に立派だし、よそから乗り込んできた大名に限って墓は立派に作るらすぃ
・・・宗は違うみたいだが(w
50無名武将@お腹せっぷく:03/09/22 19:38
50あげ
多磨霊園にある黒田家の墓も異常に大きい。
怨霊大名宗像もおもしろい
あの道雪と充分に渡り合ったというのになぜか戦国ゲーでは評価の低い宗像氏貞・・・・・
宗像氏も古い氏族だね
高市皇子の母方の実家にあたるため、宗像神社の地位は田舎の神社の割に高かったらしく
平安時代になっても「宗像神社」というのは京で信仰されていたようでつ
今でも京都御所の中には宗像神社というのがありまつ
戦国の宗像氏と言えばお色姫か。。。祟りの果てに不幸な人生を終えたという。。。
 へえ、その宗像氏の話、知らなかったな。面白そう。
宗像の怨霊騒動は白石一郎の「弓は袋へ」(新潮文庫)に書いてあったな。
あと閲覧しやすい史料として宗像軍記が続群書類従に入ってるから普通の大学図書館なら
見られるはず。
つか蒼天録じゃ宗像は武将扱いしてもらえてない
お色姫の話自体は地元の郷土史家で有名な吉永正春さんの『戦国九州の女達』と
言う本に詳しく載っておる。祟りの前ふりとなる宗像氏のお家騒動についても。

>>56
大友の陪臣扱い?
 >>55
 サンクス。その文庫買ってみます。
大友と毛利の間をうまく立ち回り、時には立花の大友勢と死闘を繰り広げた宗像氏貞公が
大友の陪臣扱いじゃ公も浮かばれまいて・・・・
どっちかと言えば毛利寄りなんだが
 しかし毛利という人は,情に厚かった人みたいですな。
お主のことは、決して見捨てぬみたいな……尼子を駆逐し、その後も
血塗られた合戦を引き起こしつつ、あまり悪口を言われないのは、
毛利家の徳なのかも知れませぬ。
>>57
諸勢力(旧仏教)として
・地面に根を張って動けない
・シナリオによって生没年設定が違う(どのシナリオにもいなくてはいけないから)
・能力値はあるにはあるが諸勢力代表武将として一律同じような値にされている
・列伝がない
・家臣として召抱えられない
ちなみに九州では
山下氏、若林氏、黒木氏、草野氏、名和氏、蒲生氏、菱刈氏などが同様の扱いを受けてまつ
>60
おいおい毛利は転身と裏切りで生き残った家だぞ? どこが情に厚いんだよ・・・。
使えるものはとことんまで使ってやろう、不要になったら切り捨ててやろうという薄汚い奴じゃねえか。
毛利万歳を自分でぶちあげて己に都合のいい話しか残させようとはしなかったんだから、悪口が少ないのは当たり前だろ?
しかし、あまりにも酷すぎる毛利の悪行を400年にわたって伝えつづけた地域もあるんだぜ?
味方にとっちゃ徳のある人でも、無道を働かれたほうにとっちゃ私欲に満ちた腹黒男でしかない。
宗像はまだマシなほうだったろうな。
ほほお、なあるほど。
では毛利の回りにいた武将はみな善人だとでも……
>>60>>63-64
どうでもいいが、お前らスレ違いってことわかってる?
あれれ、毛利は九州の中小大名同士の抗争には欠かせぬ存在では???
67無名武将@お腹せっぷく:03/09/26 03:45
そういえば総務大臣は遠賀の麻生氏と繋がりがあるのかねえ
68無名武将@お腹せっぷく:03/09/26 03:58
>>61
要人仕官イベント組めんのか?
>64
悪人毛利が悪人Aほかを裏切り悪人Bほかに味方しただけだろ。
毛利を礼賛したいのなら毛利スレに行け。
70無名武将@お腹せっぷく:03/09/26 18:15
>>67
太郎くんは地元では(想像を絶する)大地主です。

昔は「お役所に陳情するよりも、麻生さまに言ったほうが早い。私財で作ってくれる」
と言われたもので。


明らかなボンボン育ちっぽいのはその所為。

>>69
はいはい。
じゃみんな悪人じゃん。あはは
>71
毛利が一番悪人なわけだが。悪人が好きとはイイ趣味をしてるね、キミ。









プッ
 よく褒められます。
プッってのは、もう古めかしくて恥ずかしいね。
プッ
ぼく可愛いね。
いちばんの悪人は島津に決まっとるやないかい!
おまいら、ここは毛利と島津の悪口を言うところじゃないわけだが
それにはそれ専用のスレが日本史板あたりにあったからそっち逝きなされ
そっちの方が仲間も多いし楽しいと思うぞ
逝ってきます。
薩長ヲタ必死だな
話題を戻して

肥前に「後藤」というのがいたように記憶しているのだが。
あのフロイスの『日本史』で
「本来なら本家の長子で跡を継げるはずだったのだが母親の身分が低いので後藤に養子に出された」
とか言う記述でそんなのが居たのかあ、位にしか覚えてないが。

その後は龍造寺→鍋島に吸収されたんだっけ?
>81
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hiz_goto.htm

大村氏から後藤氏に養子に入った後藤貴明と、有馬氏から大村氏に
養子に入った大村純忠が争ってるな。
貴明も松浦から養子を取ったが、自分が養子に殺されかけ、結局追い
出してる。その後迎えたのが竜造寺隆信の三男・家信。
この家信が竜造寺姓→鍋島姓で幕末まで続く。
 うわ、詳しいな……
 でも九州の戦国大名って、ほんとに血で血を洗うような戦や陰謀が多かったよね。
 それって、三河だの尾張だの、最大の権力争いをしていた中心部よりずっと激しい
よね。なんでなんだろうね。
そうでもない。
織田家だって信長が尾張を平定するまで骨肉の争いばかりだった。
松平家も決して平穏とは言えなかったし。
>83
戦国初期には、どの勢力も血縁によって周辺勢力と結び付けられて
いたので、戦に勝っても相手を根絶せず、結果いつまでも争いが続く。
また、当主が旗下の土豪に対して強権を振るうと、土豪たちが当主の
子息・弟を盛り立てて対抗したりする。結果肉親の争いになったりする。
織田や島津、伊達なんかはそういう戦いを乗り越え、当主ただ1人に
権力を集中させ、かつ周囲の所領を遠慮なく併合する覚悟も見せる
ようになった。ので、あまり血で血を、のイメージがないのかもしれない
が、実は早いうちにしっかりと(むしろ思い切り)やっていたわけだ。

姻族・骨肉の争いを克服することができない勢力は、上述したような「克
服できた」勢力に呑み込まれていくしかなかった。
乱暴に言えばこうなるかな。
 なるほど……
伊達の骨肉の争いはすごいからね。
何しろ伊達は東北中の大名に息子は養子に出し、娘を嫁に押しつけているから。
東北内の大名の戦争はそのまま「骨肉の争い」になる。
そのバトルの最終的な勝利者が独眼竜政宗。

同じ日本の最果てでも島津は他大名との政略結婚が少ないのが特徴。
自分とこの家老の娘とか、近隣の豪族の娘
もう一つ素性のはっきりしない家来の娘というのまでいる。←島津義弘の妻がそうだったりする

半分九州ネタじゃないし中小大名ネタでもないのでsageまつ。
 そうか。なんか伊達の話を聞いたら、最上ファンになってきたぞ。

 って、ここ九州の大名の話だったんですよね。スマソ
>>87
当代人の意識として、それは「骨肉」では全くない。

横道なのでsage
90!

と言う中途半端なところで前の前の話しに戻す(w
のぶやぼで「諸勢力」としてちゅーと半端な扱いを受けているらすぃ
山下氏、若林氏、黒木氏、草野氏、名和氏、蒲生氏、菱刈氏
を語っていきましょうか

このうち名和、蒲生、菱刈
しかもその知識もちゅーと半端にしか知らなかったりするわしなのだが(w
わりと知ってる・・・名和・蒲生・菱刈
とりあえず活動とかを知ってる程度・・・黒木・若林
名前ぐらいしか知らん・・・草野
苗字しか知らん・・・山下

この爺いに「山下」について教えてくだされんかゴホゴホ>>90
山下・・・さすがに播磨屋さんにものってねーわ(w
しかもぐぐってもいいのがひっかからん(つд`)
山下長就(やました ながなり) ????〜????
○宇佐氏 和泉守 治部少輔
 豊後・大友氏の下加判衆を務める。周防・大内氏との戦いに参加。
ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/sn-dos/sengoku/l_ya.htm

この一族か?
この一族なら、宇佐神宮宮司家と同族で、速見郡司宇佐氏の末裔の
ようだ。国東に土着して大友配下として活動していたらしい。
あ、なんか聞いたことがある名前だった・・・。
大友義長・義鑑の頃の家臣だっけ?
95無名武将@お腹せっぷく:03/10/02 03:03
そういえば宇佐宮司家ってどうなんだろう?
阿蘇や宗像のように武家化しなかったのな
○山下長就
 大友氏家臣。1533年に大友勢が宇佐官社の末社を破却したことへの
 抗議を受けた際、入田親廉と共にこれを処理した。1538年(天文7年)
 には、田北親員・臼杵鑑続とともに義鑑の使節として大内義隆との
 和睦交渉に当たり、成立させた。1550年代には 加判衆を務める。
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~tachi/sengoku/ya2.html#175

ところで俺ノブヤボは天翔記までなんだが、蒼天録に出てくる山下氏
の下の名前はなんていうの?
97あぼーん:あぼーん
あぼーん
98無名武将@お腹せっぷく:03/10/09 01:46
対馬はずっと宗の単独支配だったのかな
>>98
鎌倉時代までは「阿比留」氏の支配下。
後からやってきた宗氏(この頃はまだ「惟宗」氏だったが)と戦って阿比留氏は衰退。

ちなみに「阿比留」で「アヒル」と読みます。非常に古代的というか変な苗字だ。
日本古代史を研究していると「阿比留文字」なるデムパな文字で書かれた史料に引っかかることがあるのだが
もちろん、この文字自体が江戸時代に造られたニセモノであり、いかにも「らしく」見せかけるために
その発祥がこの「阿比留」氏に結びつけられたという経緯があるそうな。

但し「対馬に昔からいた一族」という以外起源については全く不明の謎の氏族の様子。
今でも対馬には「阿比留」さんという人はいるらすぃ
ttp://www.open-net.jp/site/page/news/news/2002/nagasaki/
ttp://www.age.ne.jp/x/abiru/wwa/wwa.html
このひとたちももしかするとそうかもね?
ttp://www.actg.co.jp/care/news/nikkeihealthcare.html
ttp://www.k-d-a.org/news/news.d.talk5.html
                    ∧_∧
                 ∩(・(ェ)・::) 肥前の熊が100getじゃ〜
                 ヽ    :::::::).
                 (⌒(⌒)_ノ
  /ロ二二ロ二/■\二/■\二二二二/■\二/■\二l
  (´∀`∩  ∩(´∀` ) (´∀` )    ∩(´∀` ) (´∀` )
┌〔〔 〔〔V)  ヽ〔〔 〔〔 つ〔〔 〔〔 つ   ヽ〔〔 〔〔 つ〔〔 〔〔 つ
(_ノ〈 ||_|  (_ノ〈 ||_|(_ノ〈 ||_|    (_ノ〈 ||_|(_ノ〈 ||_|
   (__)     (__)   (__)       (__)   (__)
龍造寺ワショーイ    龍造寺ワショーイ
          龍造寺ワショーイ    佐賀ワショーイ
わ!熊さまが進撃してきたぞぉぉ

・・・て他スレのネタをこんなところでしてどーするの(w
102無名武将@お腹せっぷく:03/10/15 11:07
久しぶりにage

山下氏にとりあえず結論が出たようですし、次は誰か若林氏について語ってくれ
ちなみに関西では「若林」と言えば仏壇屋だ(w)
103無名武将@お腹せっぷく:03/10/18 11:43
何気に上村頼興とか犬童頼兄とかが好き。
おれは恵利が嫌い。
裏切り者め! 上方勢に靡くとは何事か!(談話:秋月種実さん)
105無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 10:32
>>104
いやあ、俺は笠大炊や波多江丹後のいうことを聞いていればよかった
と思うよ。こいつらのいうとおり、豊臣軍は凄い大軍だったし。
早めに恭順してれば、肥後に飛ばされずにすんだだろうなあ・・・
(談話:原田信種さん)
戦国九州の初心者でつ
大友さんと龍造寺さんと島津さんあたりは分かりまつ
でも>>103-105辺りに出てくる人になるとサパーリ分かりません・・・

せめて仮免レベルの補足のご説明よろしくお願いしまつ
>102
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/b_wakaba.html
若林氏は豊後国佐賀関に居を構える大友家臣で、大友持直の代(15
世紀前半)に記録に現れる。鎮興(1547〜93)・統昌(1568〜1637)父子
が宗麟について、水軍として大内輝弘の周防侵攻作戦や伊予西園寺戦
などで活躍。
同じ水軍衆の津久見の薬師寺氏とともに遠祖は下野出身との伝承が
ある。大友氏への従属性は高く、ノブヤヴォで諸勢力にされている理由
はよくわからん。諸勢力にするなら佐伯氏とかのほうがいいような・・・
(株)若林佛具製作所との関係は不明。そっちは天保年間の創業らし
いぞw
>106
ttp://f2.aaacafe.ne.jp/~kshine/1sagara%20clan.htm
犬童・上村などの相良氏家臣はこちら。
相良氏は知ってるよな?知らなかったらお手数だがぐぐってくれ、山ほど
ヒットするから。

秋月種実はこのスレの上の方を参照。原田信種はこれをご覧あれ。
ttp://www001.upp.so-net.ne.jp/Strumgeschutz-3/harada.htm
両氏は同祖で、大内・少弐・大友・毛利・龍造寺・島津の間であっちについたり
こっちについたり、目まぐるしく立ち回りながら生き残った。秀吉の九州征伐の
際、どちらも家臣を豊臣軍に派遣し様子を探らせ、帰ってきた家臣が降伏を
勧めるのも聞かず、島津側に立って参戦しボコボコにされる。秋月は日向
高鍋に転封、原田は佐々成政の家臣→加藤清正の家臣→浪人→天海僧正
に嘆願し、会津保科家に仕官。幕末の会津藩・朱雀隊に原田の名が見える。

>>109
神様ありがとうございます
相良氏は義陽ぐらいしか知りませんが、あとはぐぐってみまつ
原田はかなり悲惨な生涯をたどったんですね
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!な顔の隈部親泰よりはまだましなようですが(w
111無名武将@お腹せっぷく:03/10/30 11:31
山下・若林ときたから、つぎは黒木氏いきましょうか

黒木。。。ロッテマリーンズの故障中のピッチャー、もしかして末裔?
>>111
どっちも九州だしな。関係あるかもしれない。
ロッテの黒木は宮崎だっけ?
黒木氏は確か筑後の豪族だったような気がする。
詳しい人補足してください。
あなたは知っているか、筑後黒木家と筑後星野家が同祖だという事実を!
あなたは知っているか、筑後黒木家と筑後河崎(川崎)家も同祖だという事実を!
ジョニー黒木と星野監督とダイエー川崎が同じ調党出身(かもしれない)のだ!

ttp://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03007.htm
114無名武将@お腹せっぷく:03/10/30 23:12
なぜつぼイw
>>112
そう、ロッテの黒木の出身地は宮崎。
日向市生まれ延岡高校卒らしい
ttp://www.medianetjapan.com/2/17/sport/yamatomakoto/etc/eto/kenpuro/miyapuro.htm
ちなみに宮崎県は黒木さんが非常に多いとか。
ttp://www2k.biglobe.ne.jp/~yano/man5/131100582424551.html

>>113
「調」って、なんて読むんだろね。「しらべ」さん?「みつき」さん?
星野前タイガース監督は岡山県出身だから、可能性はちょっと薄いかも知れない
>>114
113じゃないが、つボイノリオでつ。
117無名武将@お腹せっぷく:03/11/01 20:32
♪おおっーともーはー、まーあかん。
 汚れとるとろくさい宗教はやっとる。
 こーれからのパフォーマーは竜造寺に決まり!

♪シーマンズもー、まーあかん。
 おわっとるたるくさい、犬食らっとる。
 こーれからのイニシアチブは竜造寺にキ・マ・リ〜!!
>>117
いや、だから、ここは 「九州の中小大名を語ろう」 スレですから
大手さんは、特に龍造寺さんは専用スレがあるからそっちで

>>114から出始めているつぼいネタがワケワカラン・・
119113:03/11/03 00:43
うわっゴメンな!つボイ好きなもんだからつい・・・

口直しに、
>>115
調氏は「つき」あるいは「つぎ」と読みます。東漢氏(百済系)の系統で、
壬申の乱で天武側について美濃に下ったり、『竹取物語』のラストに
ちらっと登場したりしてます。九州に土着したのは平安期か?
秋月氏・原田氏などの先祖である大蔵氏も東漢氏の子孫とされていま
すので、同系と言えるかも。戦国と関係ないのでsage。
>>119
ほほー、渡来系なんだね>調(つき)さん
東漢氏は蘇我氏とつながりが深かった一族だね
坂上田村麻呂もこの系統っす
ちゃんぽんが存在の証明ってか。貧しい品性だな。
>>121
てゆーか首都圏住民は基本的に首都圏(茨木・栃木・群馬を除く)しか関心がないかモナー
同じテーマで「首都圏住民が思う近畿のイメージ」なんて聞いたらおもしろいかも
124123:03/11/09 19:41
茨木→茨城
鬱死
>124
読み方が間違っている。
茨城は「いばらぎ」だが、茨木は「いばらき」で清音だ。
昔はどっちも「いばらき」みたいだが。
茨城も「いばらき」だよ。茨城県民は頑として譲らない。
127無名武将@お腹せっぷく
にわかage
次は草野氏を語ってみませう