1 :
無名武将@お腹せっぷく:
2
かろやかに3
前スレ
>>983 補足:息子に家督を譲る数ヶ月前から、如水の態度は豹変し、部下をぞんざいに扱うようになり、
いわゆる暴君となった。長政は父の豹変振りを不審に思い、問うたところ、
如水は「二代目の君主と言うのは先代と比べられることが多く、過小評価されやすい。
それによりわしの代から仕えておる家臣が増長するとお家の崩壊を招きかねない。だから晩年にわしが乱心することによって
お前の評価がおのずから高くなるのだ。」
といったそうです。
そう考えると山口百恵はいい時期に引退したなぁ。
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
( ・∀・)つ〃∩ ガッテン! ガッテン! ガッテン!
( ゚冶゚)つ〃∩ うゎぁあ うゎぁあ うゎぁあ
( ´_ゝ`)つ〃∩ フーン フーン フーン
( ´,_ゝ`)つ〃∩ プッ プッ プッ
( ゚Д゚) つ〃∩ ハァ? ハァ? ハァ?
(;´Д`)つ〃∩ ハァ ハァ ハァ
( ^^ )つ〃∩ ぬるぽ ぬるぽ ぬるぽ
( ・∀・)つ〃∩ ガッ ガッ ガッ
( ゚∀゚ )つ〃∩ アヒャー アヒャー アヒャー
(=゚ω゚)つ〃∩ ぃょぅ ぃょぅ ぃょぅ
(゚听)つ〃∩ イラネ イラネ イラネ
ヽ( ・∀・)つ〃∩ ウンコー ウンコー ウンコー
(゚д゚)つ〃∩ ウマー ウマー ウマー
( ・3・)つ〃∩ エェー エェー エェー
( ゚∀゚)つ〃∩ さいたま さいたま さいたま
( ´・ω・`)つ〃∩ ショボーン ショボーン ショボーン
<丶`∀´> つ〃∩ ニダー ニダー ニダー
( ゚Å゚)つ〃∩ ホゥ ホゥ ホゥ
( ゚д゚)つ〃∩ ポカーン ポカーン ポカーン
(´ι _` ) つ〃∩ あっそ あっそ あっそ
, '´  ̄ ̄ ` 、
i r-ー-┬-‐、i
| |,,_ _,{|
N| "゚'` {"゚`lリ
ト.i ,__''_ !
/i/ l\ ー .イ|、つ〃∩ やらないか やらないか やらないか
意味も無く8get
>>前スレ991
水戸光圀の生涯行動範囲は、北は白河関だか日光(ちょっとうろ覚え)、
東は銚子、西は箱根、南は忘れたが、この東西の範囲を考えれば房総
or三浦半島のどこかだろう。いずれにしても狭い。全国行脚したのは助さん、
格さん(のモデルになった人達)である。
追加トリビア
「黄門」とは中納言の唐名(中国風呼び名)であるが・・・・・・
そもそも中国歴代王朝において「黄門官」とは宦官のことである。
>>9 「光圀の「圀」は則天武后の作った文字」はここで言うんだった!
前スレで言っちゃったんだよ。
「圀」は唐の勢力が八方に及んでおり「すべてを囲んでいる」との
自負から作り得た字らしいのぉ。
>>10 漢字を作るといえば三国志では孫休を思い出しますね。
結局どれも全く流行ることはなかったそうですが。
>>11 四方の「四」と「方」を組み合わせたものじゃなかったか?
当方自信が無きゆえ、補足トリビアと言えないんだけども。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/30 08:17
虎牢関とシ巴水関は実は同じ場所である。
>5は実は言い訳で、ただの憂さ晴らしだった
に一票。
>>9 格さんのモデル安積澹泊も特に旅に出てはいないらしい。
全国行脚をしたのは主に助さんのモデル佐々十竹で、大日本史編纂のための史料収集が目的。
ちなみに、佐々十竹は
京都妙心寺の僧侶だった
補足:光圀に仕えたのは還俗後
,r――――-、_ | 次はこちらのトリビアです!
,r'⌒ \ |
/ )”´ ̄ ̄⌒ー-、 l \_ _________
} ) ヽ } ノ
ト、「 二。ニ ニ。二 |ノ| / ̄⌒⌒ ̄\ __
|ハ  ̄  ̄ リ / , , , ,、 \ ト.L
「ヽ ヽl /-__-\ /ノ / ,ィj j j ’’’ハ`ヘ ヽ ,ト !|
.ノ /)ヘ. { ー--‐‐ !./ j j ,,_、 ,_、ヽ { .トヾ!|
| ///) _/\  ̄ ノ! ト十(ー・=)=(=・ー)十┤ } .|
,r‐:ァ}'/ ./ ノフ \ ゝ--‐ァ' /\ Yハ ィ_ _, /! / ! ノ、
/ / | イ _. \へ! ヘ./ `ー-、_ `-ヘ _____, /~ ト、 ノ )
ノ l ノ .ノ Xi、 | 。 | _ ー-、 .\ ー‐ " / |ヽ _ ハ
../ ヾ_ ,イ」 Xi、. ! j へ jX' >、 人ゝ---‐',. イ、 L ___.人
爪  ̄ラ' Xi、 、 // jX' ,ィ | _ ノト==rvっ==彡/ー‐-、__, -― ト 〃 )
20 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/30 11:43
戦国時代、武将の兜の飾りの一つに毛虫をかたどった飾りをつけているものがある。
これは何を意味しているのかというと、絶対に後退しないという意味らしい(毛虫は後ろに下がれないから)
>>20 毛虫じゃなくてムカデじゃなかった?伊達成実の。
違ってたらスマソ
札幌市白石区の「白石」は、
仙台藩の白石支藩(片倉家)の「白石」から来ている。
正確には戦国じゃないか。
24 :
無名武将@お腹せっぷく :03/08/30 13:25
ドラマ水戸黄門では、
英語とドイツ語が使用された。
<血液型A型の一般的な特徴(改訂版)>(欠点は直そう!)
●とにかく臆病・神経質で気が小さいだけ(真に他人を思いやる気持ちはない、二言目には「世間」(「世間」と言っても、一部のA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎない))。
●異常に他人に干渉して自分たちの古いシキタリを押し付け、そこから少しでも外れる奴に対しては好戦的でファイト満々な態度をとり、かなりキモイ(偏狭、自己中心、硬直的でデリカシーがない)。
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされるとカッと怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、内面的・実質的には負けていることが多い)。
●基本的に悲観主義でマイナス思考なため性格が鬱陶しい(根暗・陰気)。
●とにかく否定的でうざく、粗探しだけは名人級(例え10の長所があっても褒めることをせず、たった1つの欠点を見つけては貶す)。
●社会的強者には平身低頭だが、社会的弱者に対しては八つ当たり等していじめる(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる(人が見ていないときは、より一層))。
●少数派の異質・異文化を理解しようとせず、あるいは理解を示さず、排斥する(多数派=正しい と信じて疑わない、了見が狭い差別主義者)。
●何でも「右へ習え」で、単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)。そのくせ、集団によるいじめのリーダーとなり皆を先導する(陰湿かつ陰険で狡猾)。
●他人の悪口・陰口を非常に好むと同時に、自分は他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(自分がウソツキだから他人のことも容易に信用できない、ポーズだけで中身を伴っていない)。
●友人関係は、表面的な浅い付き合いでしかなく、心の友はおらず孤独(他人の痛みがわからず、包容力がなく、冷酷だから)。
●頭が硬く融通が利かないため、すぐにストレスを溜め、また短気で、すぐに爆発させる(不合理な馬鹿)。
●後で自分の誤りに気づいた場合でも、素直に謝れず強引に筋を通そうとし、こじつけの言い訳ばかりする(社会悪の根源、もう腹を切るしかないだろう!)。
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考え(例:「あいつより俺のほうが男前やのに、なんでやねん!(あいつの足を引っ張ってやる!!)」)。
戦国時代の今川氏真や水滸伝の高キュウが蹴鞠の名人なのは有名な話であるが…、
実は三国時代、魏には洛陽宮の中に蹴鞠用の部屋が用意されていた。
ちなみに、233年6月、この蹴鞠の部屋である「鞠室」が
火災に遭った事が『魏書』明帝紀に記されている。
盛り塩の期限は司馬炎
スレタイは「2へぇ」にしてほしかった。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/30 17:04
ハチ、ファイトだ
水戸黄門様はトリビアの宝庫だな。
あのじいさんもやってくれるよ。
ともあれ、
ムカデは戦国時代、毘沙門天の使いとされ、
部隊にその名前を付けたり、兜の飾りにしたり
その御利益を求めた。
ひそかに面白い。前スレのMVPは朱然の墓かな?
毛虫は葉を食べる。
で、葉と刃を掛けて縁起がよいとされたんじゃなかったか?
佐竹義宣のつけてた奴がそうだったはず。
剣聖と呼ばれ、新陰流の始祖であり竹刀の発明者でもある上泉信綱だが、
実は槍術にも精通しており、上州長野家十六槍の一人としても知られていたりする。
>>36の【補足トリビア】
上泉信綱の剣の師匠といえば愛洲移香斎が有名であるが、
槍術に関しても長野主膳という師匠がおり、
この長野主膳の指南のおかげで、
信綱は上州長野家十六槍の一人として数えられるようになるのである。
>>37 数年前に中国で朱然の墓が見つかったというお話。
"朱然の墓"で検索してみたところ、見つかったのは1984年、
安徽省鞍山市の紡績工場で、拡張工事中に偶然見つかったそうです。
そこには朱然の名の入った木版の他、副葬品として当時の漆器、陶器類も見つかり、
当時の事を知る重要な手がかりになったそうな。
>>39 ヘェーヘェーヘェー サンクス
前のとりビアで武士の写真が残ってたが
三国時代なんかカメラないもんなぁ
っーか、俺は朱然の墓を知らない奴が大量にいることでへぇだよ。
それだけ若い人が多いってことか?
そのうち「朱然って誰?」とか言う奴でてきそうだな。
そのうち「曹操って誰?」とか言う奴でてきそうだな。
そのうち「張允って誰?」とか言う奴でてきそうだな。
そのうち「三国志って何?」とか言う奴でてきそうだな。
そのうち「中国って何?」とか言う奴でてきそうだな。
水戸黄門こと水戸光圀は
シャケの皮が大好物だった。
・補足トリビア
「厚さが一寸もあるシャケの皮があればもう死んでもいい」とも言っている。
>>48 一寸って三センチだよな。皮の厚さが三センチっていったらクジラみたいなサイズになるぞw
>>43 蒼天航路の読者で「曹操って実在の人物なんですか?」
ってのはいたな。
っていうか歴史物に若い奴が〜って関係あんのか?w
誰も当事生きてたわけじゃねえのに
52 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/01 06:56
>>51 朱然の墓が発見されたのは1984年なんだからあるでしょうが
53 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/01 09:44
家康の父、広忠殺害の時、
長男信康切腹の時も、
なにより家康自身を二度、傷つけたとして
徳川家に仇を成すとして「村正禁止令」が出た名鍛冶・村正作の刀剣
いわゆる「妖刀・村正」
ゆえに鍋島や島津、西郷隆盛が愛用した村正。
かの竹中の子孫、長崎奉行竹中正重は村正コレクターであったがために
遠島で済むはずが切腹になった。
しかし
三戦板のアイドル・徳川家の守護武神ともいうべき本多忠勝。
彼の名槍「蜻蛉切」は実は村正である。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/01 09:59
>>52そんなニュース三国志ヲタじゃないと覚えてないだろうな
見逃すこともあるし
55 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/01 10:04
コノブンショウ オ ヨムト シニマス
>>53 号「蜻蛉切」槍は、確かに勢州だが村正ではなく正真の作
57 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/01 11:34
三戦板のトップの絵〈曹操が「関羽のアイコンじゃ!」っていってるアレ〉は、
同人サイトの管理人の手で作られたもの。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/01 11:39
アイコラ
>>51 進学率が高くなったにも係わらず不勉強な香具師は増えたと思う
以前BSで三国志の人物の子孫を特集する番組が放映されたそうだが(私は見てない)
実は五胡十六国時代にも劉備の子孫の名前が歴史に登場する。
彼の名は劉玄といい、劉備の次男、劉永の孫。
ちょうど蜀に成を建てた李雄が劉玄を安楽公として劉禅の後を継がせたそうな。
ちなみに、劉備の一族はこの劉玄の系統しか残っていないので、
現代に残っている劉備の子孫もこの劉玄の系統である。
>>61 まぁ、三戦板のトリビアなんて、
不勉強がどうだとかいうほどのネタじゃないわけで。
朱然の墓の一件だが、
学研の「歴史群像シリーズ(28)・群雄三国志」の84ページに、
「発掘された朱然の墓〜数々の出土品は何を明らかにしたのか」と題した一文がある。
興味のある方はご一読を。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/01 22:16
曹操は
明を滅亡させた農民反乱・李自成の乱の主要メンバーである
67 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/02 04:58
今更だが 関羽のアイコン・・・・って
俺のIME2000は・・
換羽としか出ない(悲)
>61
進学率と不勉強な学生の割合は比例する。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/02 14:10
>>68は
辞書登録というものを知らない。
(もしくは三国志辞書)
皇帝やその一族の食生活は贅沢なものと思われがちであるが…、
かの曹丕の母・卞太后は大変なベジタリアーンあ〜んど倹約家。
その為、彼女の側近達は粟の飯と野菜のおかずが主食で、
魚や肉はちっとも食べさせてもらえなかったそうな。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/02 20:56
冷蔵庫もトラックも無い時代だしな
74 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/03 00:57
俺は今
「始皇帝暗殺」というビデオを見ている
75 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/03 01:02
>>74 鈴の鳴る夜は気をつけろ
暗殺されそうになったら粉薬の箱をぶつけて目つぶしだ
76 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/03 03:02
覇王別姫
〜さらば わが愛〜
見逃した
>>74 3時間近くあるのに糞つまんねーのな。
趙姫イラネ。
ケイカ弱い。
始皇帝バカ。
>77
確かにその三言に尽きるなw
80 :
ご参加まってます。:03/09/03 08:51
>>76 主人公レスリーチャン(男)の女装は
副主人公コンリー(女)よりきれいに見える(w
【補足トリビア】
・しかしレスリーチャン自殺しちまいましたが。。。
・コンリーは『始皇帝暗殺』にも出てた。
ゴミネタなので当然sage
>>68 かんう、で変換すると・・・
カンヌと出てくる・・・
ぎえんを変換するとピカチュウになったりしないかな…
ぴかちゅうが出るの、なんだっけ?<変換
南征の後に君臣の関係になった曹操と蔡瑁であるが…、
実はこの二人、孝廉の同期生で、しかも二人揃って選部尚書(官僚人事担当の人)
の梁鵠の査定で不遇を被ったという過去を持つ。(曹操が洛陽北部尉になった時の事)
ちなみに、この梁鵠、後になって自ら体を縛って曹操の元へ出頭するのであるが、
下級武官に追いやられた上に、書の名人であった為に
ひたすら書を書かされてこき使われたそうな。
上の【補足トリビア】
ちょうど南征の後に、曹操は旧知の縁で蔡瑁の家を訪ねているが、
その時に、
「徳珪(蔡瑁)よ、孝廉に挙げられ、一緒に梁孟黄(梁鵠)に会った時のことを覚えているか?
奴は人を見る目がなかったのだ。今、荊州にいるらしいが、
一体どんな顔をして我々の前に姿を現すのだろうな。」
と愚痴を漏らしている。当時、曹操が希望していた官は洛陽の令であったそうですが、
希望かなわず洛陽北部尉にされた事を相当根に持っている事が覗える話ですね。
>84
ぎれ または ぎぇ だ
だから ぎぇん だと
ピカチュウン
になるぞ!
しかし
>>86はよく一日一トリビアのペースでネタが出せるな。
俺はもうネタ切れダーヨ。
「留守」という苗字がある……
トリビアか?
知らない人にはへぇ〜ってかんじなんじゃないの
戦国時代なら留守政景が有名と…言うほどではないな
まあ表札に「留守」って書いてある映像が見れるのがテレビの強味だな。
隈部親永が隈府城に入る前の居城隈部館がある熊本県菊鹿町の現在の町長は
隈部弘正さんである
>>94 へぇ〜へぇ〜へぇ〜
しまったボタンがみつからねえや(w)
隈部は秀吉に滅ぼされたはずだけど、一族の子孫なのかな?
ご存じなら補足トリビアきぼーん。
>>86 洛陽北部尉の件では司馬防(司馬懿パパ)にも言ってましたな。
いきなり洛陽県令は超超エリートでしょうね。
袁紹でも濮陽県長ですからそれ以上。
流石に高望みだったと思うのですが。
「岐阜」は実は……
↓
↓
「義父」の駄洒落でございました。
私は馬鹿です。TT
隈部親永の子孫は2ちゃんねらー。これ本当。100ゲット。
>>100 補足トリビア
戦国武将の子孫が100ゲトかよ
もっとやることねえのか
>>101 漏れじゃねえよ。
そいつは顔文字板住人。
>>94の【補足トリビア】
肥後国人一揆のときに隈部親永・親安父子は切腹。
親永の次男・鎮房は『内空閑伝記』によると内空閑鎮資の養子になり、
肥後国人一揆後に立花宗茂により殺害されたとされる。
親永の三男・親房は不明。
子孫だとすれば三男の家系でないでしょうか。
私は親永と親泰(鎮房)の二人の身柄が宗茂預かりとなって、
放し討ちにされて最期を遂げたという話を聞いたことがありますが、
あの話の出典は一体どこだったのだろう?
ウチの宗茂本に書いてあったのですが、検索かけてもそれらしき記事全く出てこず…。
ちょうど与太話として聞き流す程度には面白い話なのでついでに紹介しておきますが、
その話によれば、宗茂は身柄を預かった隈部一族十二人に対して、
武人としての名誉ある最期を飾らせる為に『放し討ち』を行ったそうです。
この放し討ちは一対一、もしくはまた同数による果し合いのことらしく、
隈部一族十二人に対して立花側からも十二人の討手が出され、
柳川城の黒門内側の三の丸広場で行われたとのこと。
これによって親永・親泰ら隈部一族十二人は全員討たれ、
立花側にも一名の死者が出て、その他の全員も傷を負ったという話です。
もし、これが本当だったら凄い話ですが、如何にも小説のネタっぽい話ですよね。
一応、ウチの宗茂本は小説ではないのですが…。
なんか見世物的になぶりごろしにされる隈部一族って感じだよなそれ…
>>103-104 補足さんくす〜
104氏の話がホントだとすると、宗茂、意外にえぐいっすね。。。
「武士の名誉」と言うより、105氏の言うようにコロシアム的なぶり殺しという気が
宗茂ファンには封印したい過去かも
仮に事実だったとすると、隈部側には武器を持たせなかったんだろうな。
>>107 隈部側が武器なしだったら立花側に死者も怪我人も出ないと思われ
ただ殺されるなら、と全員で一人を殺しにかかったんだろ?
隈部側が武器を持ってたなら、立花側の死者が一人だけのハズは無いよ。
隈部方の武器の有無が論議を呼んでいるようですが、
ウチの宗茂本によれば、隈部方も一応武器は持っていたそうです。
ただ、日頃と較べて隈部方は動きが鈍く、
特に親永は老年かつ病気がちであった為に、ろくに抵抗もできずに討たれてしまったとか。
ちなみに、宗茂はこの果し合いの様子を櫓の上で観戦していたそうですね。
コロシアム的要素があるというのも確かに頷けます。
どんな武器でつか?
>>111 立花方も隈部方も両方刀みたいです。
まあ事実だとすれば、立花方はその十二人にかなりの手練を選抜したのでしょうね。
十二人全員名前も残っていることですし。
>>112 差し支えなければその十二人の名前を教えてくれ
具足はどうよ
立花側は完全装備で、隈部側はたびびとのふくとかw
>>113 立花方の十二人は、本によれば
十時摂津、十時勘解由、十時伝右衛門(連久)、池辺龍右衛門・池辺彦左衛門(貞政)、
新田掃部助(鎮実)、内田忠兵衛、安東五郎右衛門、安東善右衛門(常久)、
石松安兵衛、原尻(古庄)宮内(鎮勝)、森又右衛門の十二人、
うち、戦死したのが森又右衛門らしいです。
これに対して隈部方は隈部親永、隈部親泰、隈部善良以外は〜某としか書かれてません。
この中で比較的有名なのは十時摂津かな…。
>>114 具足については詳しい事は書かれてないのでよくわかりません。申し訳ない。
>>日頃と較べて隈部方は動きが鈍く、
果たし合いまでの間、食料とか与えられてなかったりしてな。
隆慶一郎が喜びそうだね。
118 :
流浪の民 ◆VLgK092DHI :03/09/05 12:38
かの諸葛亮は、木牛・流馬など発明家としての一面も持っている事で有名だが…、
実はカブの一種のハナダイコンの別名「諸葛菜」も諸葛亮が由来である。
しかし、これは孔明がこれを開発したとかいうわけではなく、
遠征先で、成長が早く繁殖力もあるこの作物をよく植えたことからきているそうな。
よく見てみたらこのネタ、前スレでガイシュツでしたね、スマソ。
代わりに孔明繋がりの別ネタを出しますが、
中国には今でも孔明が開発した『孔明茶』というお茶が残っています。
この孔明茶、滋養強壮、精神安定、さらには肥満や便秘にも効果があるという
すごい健康茶みたいです。興味のある方は一度探してみては如何?
121 :
sage :03/09/06 01:24
アメリカンポニーテールは
カワイイ
真田太平記で主要人物の一人として大いに暴れた樋口角兵衛であるが…
『先公実録』によれば、幸村の家臣にこの樋口角兵衛のモデルとなった
樋口四角兵衛という家臣がいたらしい。
こちらもイカサマサイコロで幸村の来国俊という刀をぶん取ったり、
亀の甲という力士と相撲を取って脛の骨を折るなどなかなかの暴れっぷりで、
大阪の陣でも幸村に従って武功があり、子孫は真田藩に仕えたとのこと。
ただ、この『先公実録』という史料は幸村の薩摩落ちの話なども
載っている史料でもあるので、作り話の可能性も大いにあり。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/06 20:01
>>122 幸村のその後って、多いよね。義経ほどでは無いが。
アメリカンポニーテールは
アメリカで生まれた
「留守」という苗字の武将がいる。
つーかなんだありゃ・・・クソ番組化してきたな。
なんかさ、あの番組って
本当に「へー」というのが少ない
ただお前らが無知なのでは?と言いたい
↑いるよな、こういうヤツ
露西亜には焼きマンコという町がある
は「へー」だったぞ。
ゴールデン化して質が落ちたのは事実だろ。
218年、許の都で耿紀、韋晃らによるクーデターが起こされた事があったが…
その首謀者の一人、金褘は実は金旋の息子である。
ふつう知ってるので1へぇ
むう、やっぱり少々メジャーなネタでしたか。
明日はもう少しマイナーなネタにしてみます。
俺は知らなかった(;´Д`)
>>135 地下で喜んでいまつ、ってことで流しておけよw
留守政景でへえ獲得か。
じゃあ俺も
木連浦で討ち死にした信長の配下の水軍の将に
真鍋七五三兵衛なる者がいる。
うまく纏まったようでいて、全然纏まっていない訳で。
ごめん、誤爆った(つд`)
>>137 「まなべ しめべえ」かな?
補足トリビアで読み方の正解教えてほすぃ
太平道や五斗米道の源流は黄老道という宗教であるが…、
後漢の十一代皇帝・桓帝は実はこの黄老道シンパ。
彼の時代に黄老道は朝廷の承認する宗教として認められ、
皇宮の中に黄老道の祠を建てて祭った為、黄老道は大いに繁栄したそうで。
この事が黄巾の乱の遠因になっている可能性も否定できない。
五斗米道は天師道という宗教を生んだ
144 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/08 23:45
中国では同族の中で世代が上だと年下でも「おじいさん」「おじさん」という
「姓・名・字」式の表記はおかしい、「姓・名」か「姓・字」にすべきだ、
とツッコむ人はよくいるが、
そういうケースで批判にさらされるのは大抵「諸葛亮孔明」という表記。
「曹操孟徳」や「劉備玄徳」はスルーされるケースが多い。
それは、「諸葛亮孔明」のような3+2の漢字5文字だと座りが悪い、
2+2の漢字4文字だと座りがいいというだけのことじゃないのかと小一時間
補足:
曹丕が書いた「典論」では姓・名・字が列記されており
単純に「おかしい」とは言い切れない。
らしい。
真鍋七五三兵衛の読み方は
俺も知らない。
*補足
ググっても四件しか出てこない。・゚・(ノД`)・゚・。
まなべ なごみべえ
かね?いい感じの名前だ・・・。
>>147 そうか。。。残念だ。。。(´・ω・`)
真鍋 七五三兵衛 貞友
父:内蔵助貞行 子:貞成(真入斎宗白)
貞成の官途は蜂須賀→堀→戸田→豊臣→福島→紀州徳川
ネットでわかるのはここまでっぽいな。
「西遊記」の中で三蔵法師は、天竺で死んでいる。
しかも、橋から川を覗いたら、自分の死体が流れていた、という
かなり嫌なエピソード。
153 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/09 01:58
ヤキ
マソコ
154 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/09 06:27
>>152 じゃ 誰が八万法蔵のお経を中国に持っていったんですか?
しめべえ
じゃないの?
しちごさんべえ だろ
しちごさん はそこから来たんだ
753( ・∀・)つ〃∩ ヘェー
と読む。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/09 14:58
トリビアの泉 リアルへぇボタン
http://www.dfnt.net/t/photo/column/he.shtml へぇー、1/1「へぇボタン」発売だって
http://www.zdnet.co.jp/news/0309/02/njbt_11.htmlタソ ZDNetJobs
バンダイは、フジテレビ系の人気番組「トリビアの泉」に登場するアレを
実物大で商品化した「1/1へぇボタン」を11月初旬に発売する。価格は1980円で、
2004年3月末までに10万個の販売を見込んでいる。へぇー。
投稿されたトリビア(ネタ)に対し、脱力感あふれる「へぇー」音で応える
ボタン。「『へぇボタンが欲しい』という声も多く」(バンダイ)、商品化を決めた。
サイズは100(幅)×100(奥行き)×76(高さ)ミリ。押せば「へぇー」音と
ともにボタン上部が点滅する上、押した数だけ側面の液晶パネルに数字が
表示され、最大20までカウントされる点も実物と同じ。パーティグッズ
などの用途を想定している。今年の忘年会は「へぇー」があふれそうな悪寒。
そう言えば小学生の時同級生に、七五三って苗字の人いたな。
話は変わるが、朱然の墓が見つかった時も遺骨は見つからなかったんだよね?
三国志の武将の遺骨が見つかって、顔の復元とか出来たら間違いなく祭りなんだが・・・
前に伊達政宗の顔及び声の復元をテレビでやってたけど、
まさしくただのオッサンで、ガッカリした記憶がある。
(ドラマや漫画の影響で二枚目のイメージ持ってたので・・・・)
>>161 何年か前、織田信長の画像から復元した声がCMに使われていた。
かなり有名な話なのでトリビアネタでもないかも知れないが。
【補足トリビア】
保険のCM。このほかに「坂本龍馬バージョン」もあり。
ちなみに声は40代後半の男性にしては超高音だった。
去年の大河『利家とまつ』の明智光秀@ショーケンの雄叫び声に近かったような(w
戦国の梟雄として有名な松永久秀であるが…、
実は彼は無類の女好きとしても有名。
行軍の際にはいつも美女数人を引き連れ、
気が向いたら真昼間からでも平然とヤリまくっていたらしい。
>>154 実は一行は厳しい試練を乗り越えるうちに、
いつの間にか仏になっており、お釈迦様にも会えて無事お経を持ち帰ることができたと言うわけ。
解脱したのかぁ。
なんだかがっかりだな。
>>163 いいなあ・・・。
男は絶対この時代に生まれたほうが得だ。
能力にもよるが。
お前>166、俺も含めてだが、
どちらかというとこういう奴らに彼女を奪われる側になりそうな予感。
おまいら、戦国時代に生まれたら
男でも男にレイープされる危険がある
ということも頭にいれといたほうがいいぞ
、、、と書いた後からガクガクブルブル(((((((;゚д゚)))))))
>>163 女好きというよりは、小姓を受け付けない体質だったのかも。
巴御前連れてってた木曾義仲もそうだったとか。
>>163補足。
家臣・子弟に向けてのSEXの指南書を残していたといわれる。
>>170 読みてぇな。
「処女はじっくりと愛撫をして濡らし、恐怖心をなくしてから一気に突くのじゃ」
とか書いてあるんだろうか?
Gスポットやアナル開発、潮吹かせにも精通してたことだろう。
マジレスすると戦国の頃の男のセクースはとにかく自分さえ良けりゃ良し。
前戯なんてほとんど何もしないうえに、時代柄やたらと乱暴なので、女から
みりゃレイプされてるようなもの。
前田利家の統治で有名な金沢では、「食べましょう」を「食べまっしぃ」という命令形が語源の言葉を用いる。
その属国だった富山では、「食べましょう」を「食べられぇ」という尊敬語表現が元になる方言が今でも使われる。
戦国トリビアとしては微妙なネタ。
競艇にバタイという選手が居る。
馬袋だけどな。
温泉愛好家としても有名な武田信玄であるが…、
彼の愛好した隠し湯・下部温泉では毎年五月に『信玄公隠し湯祭り』が行われている。
興味がある方は一度訪れてみては?
武田信玄と言えば、高坂弾正との恋文は?
常識かなぁ。
ホモネタはもう本家でやってるし。。。
斉藤道三の甥が大阪の陣に豊臣方として参戦していた
大阪の陣で織田有楽斎の息子、頼長は
自分が織田信長の甥であることを理由に豊臣側の総大将になろうとした
182 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/11 02:41
Mr、オクレは
かなりの戦国マニアである
補足:以前にNHKでその博識ぶりをひけらかしていた
183 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/11 09:56
>>166 断片的にしか見ないからそういう感想を持つ
同じ条件なら今の政治家や高級官僚のほうがひどいよ
184 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/11 14:17
>>171 彼のセクース指南書の、ほんの一部を紹介します。
こんなセクースは病気の原因になる。(やってはいけない五つのセクース)
セクースはTPOを選べ(いいセクースができる場所、時、体調)
うまくいくセクースマニュアル(正しいヤリ方)
挿入のタイミングと女性のオルガスムスの見分け方。
私の持ってる本にはこの辺のことが書いてありました。
ある意味関ヶ原の主役・小早川秀秋。彼の死因には諸説あるが…、
一説によれば、農民に股間を蹴られて死亡したらしい。
>>185 諸説あるってところから初耳。
酒に溺れて狂い死にって話しか知らんかった。
賤ヶ岳七本槍の筆頭・福島正則。彼は女癖の悪さでも有名だったらしいが…、
浮気がバレた時に女房に薙刀で襲われたらしい。
>>185-197 なんかの本(すぐ図書館に返してしまったのでタイトル失念)にのっていた話では
・アル中説
・狩りの途中で不満を持っていた領民にやられる説
・股間を蹴られた説
など。
どうも「股間を蹴られた」が本当の話で、余りにも外聞が悪いんで家臣がアル中説を流したとか言う
ことでした・・・どっちにしろ外聞は悪いと思うけど
>>181 (・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
そういえばその父親の有楽は最初は大坂城にこもった者の土壇場で脱出したんだっけ?
>>180 彼のその後など補足プリーズ
ググったら出てきた。
井上時利 いのうえ・ときとし ?−1615
長井道利(斉藤道三の弟)の三男。秀吉に仕え、慶長4年(1599)美濃・河内で760石を宛われる。同5年関ヶ原の役では西軍に属し戦後失領。のち大坂入城。元和元年、夏の陣で討死。
もういっちょ。兄弟で参陣したんだねぇ。
井上頼次 いのうえ・よりつぐ ?−1615
時利の兄。長井道利の次男。秀吉に仕え、天正11年(1583)黄母衣衆に属す。冬の陣の時、鴫野の戦いで上杉軍と戦って討死した。
>>191 長井道利って道三の長男じゃなかったっけか?
武経七書の一つ『李衛公問対』。これは唐の李世民と李靖の対談集みたいなものであるが…
この本の中では曹操より諸葛亮の評価が圧倒的に高い。
そういう意味では、この『李衛公問対』はこの時代の諸葛亮人気の高さを
示す重要な史料とも言えるでしょう。
>>196 諸葛亮人気といえば、盛中唐の杜甫は孔明崇拝詩をけっこう作ってる。
晩唐の杜牧の「赤壁」詩は、
折戟沈沙鐵未銷 折戟沙に沈みて鉄未だ銷せず
自將磨洗認前朝 自ら磨洗を将て前朝を認む
東風不與周カ便 東風 周郎の与に便ぜずんば
銅雀春深鎖二喬 銅雀 春深くして二喬を鎖さん
つまり、もし東風が吹かなかったら、呉は負けて二喬は銅雀台にかこわれる
ことになっただろう、という内容で、かなり演義チックだ。
『李衛公問対』は、単に諸葛亮人気というより、演義的価値観の成立を示す
ものかもしれない。
武田信玄の・・・
血液型はAB型
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
でも何でAB型ってわかったん?
補足トリビアきぼんぬ
おもちろいHPおしえてくれてありがd
そんなに軽々しう性格判断していいのかよ!と言う疑問はあるが
血判状から判断してるんだったら確実でしょうな。
>>197 なるほど、ウチもその詩は聞いた事があるのですが、
それについてはあまり深く考えておりませんでした。
東南の風は『江表伝』、二喬の件は曹植の銅雀台の賦が元ネタだったはずですが、
そういった面がこの詩で全面に出されているというのも興味深い話です。
ちなみに、李衛公問対の中の諸葛亮ですが、古人に等級をつける話の所では、
二等級目に当てられています。これの一等級が張良、范蠡、孫武、
同じ二等級の残りが管仲、楽毅であることを考えれば、相当な評価の高さです。
それ以外でも、諸葛亮の八陣図に対する解説なども載っていますし、
諸葛亮に限らず本自体が兵書にしては非常に読みやすく面白いので、
もしまだ読んでいなければお薦めの一品ですよ。
203 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/14 15:24
>>200 上杉謙信のAB型に(n‘ヮ‘)η*・゜゜・*:.。..。.:*キタワァー
女性説があったのも肯ける。
何より俺自身AB型で、謙信公の行動理論がわかる気がする。
>>200 O型…豊臣秀吉、大久保利通
A型…徳川家康、西郷隆盛
B型…織田信長、伊達政宗
AB型…武田信玄、上杉謙信
同じページにこうも載ってる。
日本の伝統食の一つ、味噌。戦国時代でも重要な食糧の一つだったが…
実は戦国大名の味噌作りの奨励によって名産となった味噌が少なくない。
有名なところでは、信玄の信州味噌、謙信の越後味噌、政宗の仙台味噌など。
>>206 すいません、うっかり失念しておりました。
八丁味噌も家康の大好物で製造の方も奨励していますね。
あと、当時は兵糧として焼き味噌がよく用いられていたとか。
お茶→女性器
茶柱→男性器
ちいう隠語だから・・・
茶柱が立つと縁起がいいというのは(ry
正史三国志に
「槍」という字は一度も出てこない
>>209 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
と言うことは「矛」とか「戈」とかはでてくるんだ?
>>210 「矛」とか「戈」は当然でてきます。
時々「青龍刀や蛇矛は三国時代にはなかった」などと言って悦に浸る人がいますが、
そもそも演義ができた頃にはあった「槍」も後漢時代はまだありませんでした。
ちょううんは槍の名人じゃないの?
>>202 なるほど。管仲、楽毅と同列では、見事に自称の通りですな。
機会があれば読んでみます。
それはやさしさだな。始皇帝や煬帝の呼び方に通ずるやさしさ
216 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/15 11:10
>>216 どんなふうに?
(てゆーか、日本の弥生時代の青銅器の写真見たら何となくは分かるんだが)
>>215 戈は柄の向きと直角に刃がついた武器。主に頸部を掻き切る武器として使われたそうです。
槍と矛は形が似ていて区別が難しいのですが、
柄に刃を差し込む形状になっているのが槍、
逆に刃の側が柄に覆い被さるような形状になっているのが矛、です。
ちなみに、この戈と矛が合体したのが戟。
こちらは戦国時代の後期に出現し、漢代には既に標準装備となっていたそうです。
まあ、図がないと分かりにくいと思いますが、中国の武器に関しては、
『武器と防具 -中国編-』 新紀元社
『戦略戦術兵器事典 -中国編-』 学研
辺りが図版つきで詳しいので、興味がある方はそちらをご覧下さい。
トリップ付け忘れた
官渡の戦いで曹操に兵糧庫を焼かれた淳于瓊は
曹操、袁紹と同じ西園八校尉の一人だった
222 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/15 20:45
兵士「将軍!わが軍はほぼ壊滅状態です!」
将軍「たったの三兵か!」
>>221の【補足トリビア】
西園八校尉の筆頭は蹇碩である。
世界初の麻酔手術を行ったとされる江戸時代の華岡青洲は
華陀に憧れて麻酔薬を作った
【補足トリビア】
日本麻酔科学会のシンボルマークは
華陀も麻酔薬に用いていた朝鮮アサガオの花からとられている
張飛益徳は
ドッチボールの達人だった
現代のアメリカの黒人男性の平均寿命は戦国時代の日本人の平均寿命と
ほぼ同じである。
>>225 補足トリビア
怒馳暴流
その源流は三国時代の中国にあるといわれている。
馬上の敵に対し、鉄球をぶつけて倒すことが目的であり、
さらに敵がその鉄球を避けた時のために「外野」と呼ばれる兵士が、
外れた鉄球を拾い、再び敵を狙うのである。
余談ではあるが、張飛益徳がこの怒馳暴流の名手であったことは、
多くの歴史書には記されていない。
民明書房刊「中国球術大覧」より
>>225 ネタかと思って調べたらほんとだった(((゜д゜;)))ガクガクブルブル
ドッチボール→ドッヂボールなのだが
グーグルではドッチでも「ドッジ」にもヒットする
ジャイアントロボの悪役・BF団に軍師・孔明が出てくることは有名な話であるが…、
設定だけの存在として、国際警察機構側の軍師に司馬懿仲達がいたらしい。
ちょっと訂正。
軍師→策士
>>232 多分孔明の方のことを言っているんだろうけど、
司馬懿は軍師でよかったと思うよ。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/16 23:26
信長は
ヘソを整形した
>>221 大したものではないですが正史だと淳于瓊は潔く死んでるようですね。
別スレでも使ったネタですが…
鮮卑には禿髪氏という氏族がいる。
宦官の全去勢でなく半去勢の者は
微妙にち○こが回復して勃起もできるらしい。
(中国の詩人がネタとおもってたら本当だったという記述がのこっている
魏の恵王の前で牛を捌いた料理人・庖丁(ほうてい)
包丁の呼び名は、彼の名前が由来である。
240 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/18 00:57
>>85 自分を不採用にした中央公論社を復讐で買い取った
読売の渡辺みたいなやつだな。
>>161 伊達政宗も遺骨から想定すると150センチ弱しかなかったそうな。
ドラマのイメージで捉えてはいけませんな。
そういう意味ではちっこい真田広之は大河にうってうけなのかもしれん
「ござる」という言葉は、本来名古屋弁。
>>238 だから明時代宦官なのに姫様に通じてたのってのはそういうことか・・・
>>239 なるほど土地や形とかが由来と思ってたけど人物なんだ。
>>241 エビフリャーと同じとは想像がつかん
>>242 「ほうちょう」で変換してみ。
両方でるから。
>>240 ドラマやゲームではかっこよくなっている真田幸村も、
実際は風采が冴えない小男だったらしいですね。
歴史のリアルなんて所詮こんなもんです。
>>241>>243 今でも庖丁という字を使うこともあるらしいですね。
由来含めて今まで知らなんだ。
>>244 かっこいいのは普通に許せるが若武者なのが許せなかったり
>>224 華岡青洲が麻酔手術の祖とは知らなかった・・・
ついで言うと彼の孫は金玉3つある男を手術したらしい。
(やり方はメスを相手に見せて縮まなかった一玉を切ったということらしい
玉3つは明治時代で山口県でも目撃されてるからネタではないそうだ
(ちなみに世界二番目の発見。胎児みたいなのが入ってという
247 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/18 21:12
嵐じゃないけど、
やっぱ3つあると絶倫なの?(w
まあなんか病気になりやすかったからとったんだろうけど
>>247 玉3つは絶倫かどうかはわからないけど
世界には5回くらい抜いても精子の量と中の数が変わらない
すごい人がいるらしい・・・
てかエロいのでsage
昔の彼女と6回やったけど、
さすがに2日間寝込んだ。
快楽になっちゃだめだ。
愛がなきゃね。愛が。
>238
金つかませて、取らないのに取っちゃったと記入させたヤツも居ただろうな。
>>250 宦官になるために切除手術をしたあと、
「モノ」は大事に保管して、宦官になるときに
取った証として献上するワケです。
でも、なかには切ったのにも関わらず
宦官になれない悲惨な人がいて、
そういう人は、自分の「モノ」を高額で
売ったらしいです。
買い手は、切ってないのに宦官になる者、
切ったけどなくしてしまった者、
なれないと思って売っちゃった後買い戻したい者
など。
そんなワケで、モノがついてる宦官が跋扈する
ようになり、宮中の秘事が生まれるわけです。
南華仙人は道教の南華真人をモデルに創作されたと言われているが、
実はこの南華真人とは荘子のことである。
道教は老荘の流れをくむし、太平道も道教の一派と考えればこの設定は辻褄があう。
三国志演義はこういう細かい設定が厳密にできていたりすることもある。(もちろん
大雑把な所も多々ある)
>>253 補足トリビア
老荘の流れを汲む、と道教信者は訴えているが、
実は、老子や荘子の考えとは全く方向性が違う。
255 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/19 02:59
切るならサオでは無く、玉を取ればいいのに・・・。
そうすれば事実上去勢となり、性欲も消えてなくなる。
もどかしい思いをしなくて済むかと、今更ながら古代の人にアドバイス。
>>254 「荘子は老子の思想から毒気を除きすぎた。
逆に、韓非は老子の思想を殺伐とさせすぎた」
とか何とか批評してたのって誰だったっけか。
明代あたりの儒者だったか、明治あたりの日本の学者
だったか、それとも現代日本の学者だったか。うろ覚え。
>>255 明末清初あたりから、
玉だけ取る方式に変えたんでなかったっけか。
>>253 三国志演義は物語としてだけではなく、
史料的にも面白い部分はありますよね。
饅頭の話とか、どこが出所なのか気になるところです。
>>255 まあ死亡率の高さから学習して、時代を経るにつれて、
徐々に陰嚢のみを切り取るように切り換えていったから一件落着ということで。
ぬあ、かぶった。
首吊って逝ってきます
||
∩||∩
( / ⌒ヽ
| | |
∪ 亅ノ
| | |
∪∪
>>256 韓非は老子の思想を参考にしていたのですか。
話を聞く感じでは、筍子あたりを参考にしてるのかと思ってました。
256じゃないけど、韓非は荀子の弟子だよ。
老子の観念を取り込んで、少し捻じ曲げてしまってるけどね。
あと、タケノコじゃないから。
>>259 なるほど、ウチはその時代はあまり詳しくないので勉強になります。
あと、筍についてはウチのパソコンで『じゅんし』で変換したら
こう変換されてしまいました(´・ω・`)
261 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/19 09:09
>>257 司馬遼が宮刑になった頃に既に死亡率は低かったんじゃかなかったっけ?
史記に書いてあったかは知らないけど
>>252 秦の始皇帝の時代のローアイの乱を思い出しますね
司馬遼・・
>>259 そこらへんが実ははっきりしない。
李斯が荀子の弟子であることは『荀子』の中にその名前が見えることから
確実だけど、愛弟子であるはずの韓非の名前はまったく出てこないし。
『韓非子』の中にも荀子の名前が見られる記述はごくわずかしかない。
『史記』の中でのみ、韓非は荀子の弟子とされているんじゃなかったっけ?
『韓非子』中にはそれぞれ「解老篇」「喩老篇」という章があって、
老子の説明に結構な紙幅を割いている。この部分に関しては
後世の偽作との説もあるけど、偽作だとしても相当初期のもの
らしく、やはり法家思想の根本において、老子はかなり重要な
地位を占めていた・・・らしい。
>>256 ひょっとしてコレでは。以下コピペ。
----------------------------------------------------------------
この『老子』の誤解の歴史を、唐の陸希声は『道徳経伝』自序に於いて、
以下のように批判している。(引用は国訳漢文大成・『老子』『荘子』『列子』
付録「老荘列子論賛」より。公田連太郎編訳)
「夫れ老氏(老子のこと)の術は、道以て体と為し、名以て用と為し、
無為にして為さざることなくして、皇極(中庸の道の究極)に至るものなり。
(中略、ここで楊朱・荘子が老子を誤解したことを述べる)
申韓(申不害・韓非)は老氏の名に失して、苛キュウ刻急に弊(つい)え、
王何(王弼・何晏)は老氏の道に失して虚無放誕に流る。
この六子はみな老氏の罪人なり。」
陸希声がいうように、老子は色々な思想家から誤解され続けてきた。
そして、その誤解は今も続いているのである。
----------------------------------------------------------------
ttp://ueno.cool.ne.jp/souryuu/sisou-dou.html ----------------------------------------------------------------
清の時代にイギリス人が取った記録によると
そのときのやりかたには竿を切っていたと・・・
明と清の時代じゃやり方がちがうかな?
イギリス人の記録には切ったあとには数日はベットでお漏らしをしたとかが
書いてあるから玉だけ切っただけじゃ漏らしは無理と思う。
>>261 ウチは司馬遷の時代はまだ死亡率が高かったという話を聞いた記憶があります。
さすがに清代にもなると相当死亡率は落ちていたようですが。
>>265 その英国人とはステントのことでしょうか?
そういえば、彼の記録によれば、確かに清代には竿も玉もまとめて斬ったとありますね。
技術の向上によって死亡率が下がったのと、
玉のみ斬るやり方では性行為を行うのも不可能ではなかったのが原因なのでしょうか。
不完全去勢の宦官が性行為に勤しんでいたという話も聞いたことがありますし。
ほお
たしかに宦官 ステントで検索したらなかなか役立つモノがあるではないか
しかしこれは宮崎氏のとかなりかぶっとる・・・
宦官ネタがブーム。
といいつつもほかにトリビアはないのだろうか・・・
水滸伝に・・・
張文遠という人物がいる
>>269 │ヽ
││
@ │ノ
/ / . @
./ / i ‖ミ
| ( ゚Д゚) .‖ < ヘェーヘェーヘェー
|(ノi 張|つ‖
| i 遼i ‖
\_ヽ_,ゝ ‖
U" U .‖
【補足トリビア】
水滸伝で他に三国志に関係がある人名+異名は
毛頭星・『孔明』、『美髯公』・朱仝、『小覇王』・周通、病『関索』・楊雄、
小『温侯』・呂方、『関羽の二十代目の子孫』・関勝、『操』刀鬼・『曹』正など。
他に何かいたら補足キボン。
ヘーヘーヘーヘーへーへーへーへーへーへーへーへーへーへーへー
15へぇ
(粗品)横山光輝三国志文庫版 全30巻
林沖(二水に中)って虎髭、蛇矛じゃなかったっけ?張飛と関係ない?
張飛役は黒旋風だと思うのだがなあ。
名前とか関係ないけど。
>>274 張飛役も関羽役も複数いるのですよ。
でも李逵は張飛とは似て非なる感じもします。
それと、水滸伝と金瓶梅の関係とか、
紅楼夢の主人公賈宝玉のアダナが混世魔王だとか、
武松とカッパがおなじカッコウだとか、
三国志と水滸伝に限らずお互いにパクリあいというか影響しあってる関係ですから。
276 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 06:58
水滸伝初期の編者が羅患中という説もあるし、良いんでね?
罹患中?!
というか中国の小説は封神演義みたいに神が地上に降りてきて世を正す・・・
みたいなやつだから朴李も当然。
教育のない一般人に講談師が適当な事言ってただけだからな
「元の木阿弥」という格言があるが…
これの語源は筒井順昭の影武者・木阿弥に由来している。
灯台下暗しという格言があるが、
由来は知らん。
信州の島津家に「島津忠直」という人物がいたのは割と知られている話かも知れないが
ほぼ同じ頃、薩摩の島津家にも「島津忠直」という人物がいた。
【補足】
ちなみにあの島津豊久の弟。
名前がダブっていて世間を混乱させた・・・と言う話は伝わらない(w
有名かもしれんが、
司馬遼太郎の由来は
司馬遷に遼(はるか)に及ばない、ということからつけられたらしい。
唐沢一行知識からのネタ。
諸葛孔明は劉備に「私が死んだら蜀を継いで欲しい」と遺言されたことになっているが、
これは孔明が自分で書いた「諸葛亮集」に載っている話で、どうやら作り話くさい。
ん?「私が死んだら蜀を継いで欲しい」は正史本文じゃないか?
じゃから、その正史の元ネタじゃろ?
「諸葛亮集」は後世の人々が編纂したものの通称である(たぶん)
陳寿が編纂したのは「諸葛氏集」
>>289 陳寿は「諸葛氏集」とは別に「諸葛亮集」を編纂していますよ。
内容は諸葛氏集とかぶってる項目は省かれているそうです。
もっとも、後世にも諸葛亮関係の事績を編纂した本があるので、
それらの通称として「諸葛亮集」ということもあるのですが。
後者の諸葛亮集は明〜清代に編纂が盛んだったそうですが、
こちらは陳寿のものに較べて史料的価値はあまり高くないとかいう話です。
人物往来社の「戦国人名辞典」では小野崎従通という人物の「額田照通」という別名を
誤って別人として項を作ってしまっているが、
コーエーの烈風伝ではこの辞典をソースにしたのか
この二名(?)を別人として登場させてしまうというボーンヘッドをやらかしている
当然「額田照通」は以後の作品では登場しておらず、この時使われた顔グラも転用されていない
補足トリビア
常陸の小野崎家には宗家の山尾流のほか、石神や額田などの支族があった。
小野崎従通と額田照通は、この額田小野崎家の人物。
この両者は、共に主家である佐竹に謀叛を疑われ、共に伊達に逃れており、
こうした観点から、同一人物ではないかと疑われています。
勿論、違う人物ではないか、親子ではないか、など諸説もあるようですが。
なお、小野崎宗家の山尾家は暫く佐竹一族が継いでおり、
佐竹義昭の二弟・義昌、佐竹義久(東義久)が当主となっていました。
>>292 吉川あたりがしっかりした辞典作ってくれないかな?
吉川?
297 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/24 18:59
>>295 吉川の三国志演義がヘンテコなのはごぞんじか?
吉川弘文館じゃねーの?
299 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/24 20:27
300 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/24 20:30
301 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/24 22:45
↑300
302 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/24 23:05
関雲は
身の丈八寸。
303 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/25 20:41
倖田來未は
misonoの実姉
304 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/25 20:47
まじで?
305 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/25 20:56
306 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/25 21:21
misonoは
鈴木亜実
じゃないの?
現在も酒のつまみとして愛好されている塩辛。その語源は…、
漢の武帝の異民族討伐からきている。
↑はよく考えたら三戦板のトリビアではないですね。
板違いのカキコでスマソ。
>>311 いや、ウチが言うとるのは現在おつまみで食べられるような
魚介類のしおからの語源の話ですね。
補足説明しておくと、当時、夷を追って海岸に来た時に
漁夫が魚の腸のしおからをつくっており、
夷を追ってこれを得たことから『豚(月が魚へん)夷(これに魚へん)をつける)』という漢字で
しおからと呼ばれたとか。当時はグチ、ボラ、サメなどの内臓がよく用いられたそうです。
すみません質問クンです
前スレ最後あたりにでた島津の従軍慰安猫を奉った神社の
名前と場所をどなたか教えてくれないでしょうか
どうも探し方がうまくない…
ありがとう。以後気をつけます
松前藩の先祖である蠣崎氏は
武田家の血を引いている。故に源氏である。
加賀藩主は代々
徳川将軍家から名前を一字もらっている。
318 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/27 22:53
>>316 自称な。
出資家であるはずの若狭武田家の家計図には、出てこない名前の人物が先祖と主張しているし。
320 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/28 22:45
日本最初の征夷大将軍には、
後漢の霊帝の血が流れていた。
>>320 【補足トリビア】
大納言坂上大宿禰田邑麻呂(坂上田村麻呂)は前漢高祖皇帝より出づ。
二十八代は後漢の光武皇帝に至る。
十九代孫は霊皇帝なり。
十三代阿智王は一縣同姓百人を率いて、
漢朝(中国)を出て本朝(日本)に入る。
(それは)応神天皇二十六年の時であった。
勅によって、(彼らは)大和國檜前地を与えられてここに居を構えた。
一名を英智王といった。。
322 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/28 23:56
馬鹿という言葉は
秦の時代宦官の趙高が自分の権力にモノを言わせて鹿を馬と言わせ、馬と言わなかった者を全員処刑したという故事に由来する。
>>322 どちらかというと梵語説のほうが一般的じゃないか?
うましかは当て字としては分かるが、意味がイマイチ合わない。
>>323 へぇーへぇーへぇーへぇーへぇー。
学校教育を鵜呑みにしてはいけませんね。
俺は「最初」と習った覚えが無いなぁ。
ちゃんと「前任者の跡を継いで」と教わった記憶があるよ。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/30 01:39
なるほど、大伴氏だったのか。そういえばあそこと物部は軍人の家系だったような。
では、
関が原前夜の徳川家康の陣には
謎の牢人が助太刀に現れたことがある。
【補足トリビア】
後の備後福山十万石、水野日向守勝成のこと。若年で父忠重の就職を妨害し、
また合戦で兜を被らず(近眼のため)あまつさえ怒った父の前で立小便をして勘当され、
この当時は一介の浪人兼虚無僧だった。
この後、父親の暗殺に伴い家督を継ぎ大名になった。
ちなみに宮本武蔵が関が原で陣借りをしていた大名でもある。
中国に
陳琳という歌手がいる。しかも女性
>>330 お公家さんはいまだに名前に通字を使う人が多いけど、この人は通字じゃないね。
ちなみに七条家の先祖・藤原隆家は
「中関白」藤原道隆の息子で、兄に藤原道長と対立して左遷させられた藤原伊周、
妹に悲劇の皇后・藤原定子がいる。
隆家はこの後、太宰大弐となり、その頃太宰府に来襲した「刀伊」と言う異民族
を追っ払ったという、この時代の貴族としては異色の豪傑だったらしい。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/01 19:45
333 :
弓子 ◆hbJuwPsI6g :03/10/01 19:47
呂布を罠にはめたとされる貂蝉であるが
実は心から愛していた
334 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/01 19:48
335 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/01 19:53
>ちなみに宮本武蔵が関が原で陣借りをしていた大名でもある。
大阪の陣の間違いでわ?
ていうか、貂蝉は
架空の人物
ちなみに周倉も
>>328 確か彼の伯父さんだったかの子孫があの水野忠邦でしたよね。
>>331 そういえば、刀伊は女真族と学校で習いましたが、
この刀伊が後々の女真族王朝・金を建国した勢力と考えてよいのでしょうか。
少々気になるところ。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/02 19:25
じゃあ、ラストエンペラーの先祖もいた可能性があるのか。
あぼーん
「あの世で子修(曹昂)に母(丁夫人)の居場所を訊かれたら、どう答えればいいんだろうか?」
曹操の最後の言葉。
曹昂を戦死させたのがきっかけで、丁夫人に見放された曹操。
この事件は、最後まで彼の心の傷だったらしい。
子修の本当のママンはもうあの世で待ってたりするけどな
346 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/03 14:05
曹昂と曹沖って どっちが優れていたのだろうか
そりゃ曹昴だろ。
成人する前に死んだ若造より将となり戦っていた方が優れている。
君主として考えると俺は曹沖だと思うが、スレ違いになりそうなのでsage
丁婦人が離縁した理由は
ほんとは子修の件とは何ら関係ない。
1582年正月。安土城付近の寺にて
あまりの人大杉によって石垣が崩れ死人が出た。
しかしいったいどれだけ人来たんだ?
ならば補足してくれ。
補足トリビア
信長公記には詳しい数字は載っていない
353 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 18:49
加藤清正の武勇伝、虎退治のエピソードは有名ではあるが
実際に、虎を退治したのは黒田長政だった。
>352
いやすまん。>349に対してだったが、タイミングが悪かった。
>>353 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェー
でも、確か熊本城所蔵の「黒漆塗りの虎の頭蓋骨」というのをなんかの本で見た記憶が
あの頭蓋骨、長政から清正が横取りしたものなのかなあ
(便乗トリビア)
朝鮮の出兵での虎退治
実は出兵させられたどこの大名でも さ せ ら れ て いた
【補足】
秀吉が「虎の肉は精力増強にいい」と侍医からそそのかされ
その命令を受けた奉行どもが出兵中の大名達に
「秀吉様の気に入られたけければ、虎の肉とってこんかいゴルァ」
と督促する事態に。改易を恐れた大名どもは、御家の安泰をかけて
虎刈りに精出す羽目に
【おまけ】
そのころ日本軍の補給線は途絶えがちで
出兵させられている大名達は食べるもんもなかったらすぃ(つд`)
【おまけ2】
そうしてせっかく送った虎の肉も秀吉の口には合わなかったのか
「もういらないから」
と、各大名にはすげない手紙しかもらえなかった
しかも結局精力増強に役立ったのは
淫羊角という漢方薬で、虎は関係なかったというオチ
まあ家康はオットセイのティムポ食べるくらいだから
秀吉も虎狩りやって当然かな・・・
「戦国人名辞典」には
長野業正が載っていない
補足トリビア
息子の業盛は載っている。
広辞苑には
王サンが載っている
362 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/05 22:43
>355
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
そりゃ朝鮮人がびびるのも無理ないよなあ。虎と聞いて逃げ出すどころか
銃刀を持って首を打つんだし。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
366 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/05 23:17
367 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/06 00:26
信長蒼天録で全武将の基本能力値(政治・統率・知略)の合計値のランキングを作ると
ワースト10にあの氏真の名前が入ってこない
へぇ〜 というより ええっ?! な話ですな
最近は氏真見直し運動(w)があるから、その結果なのかも知れないけれど。
氏真は文化人的な教養は十分持ち合わせているから、そんなに低くは
ならんということだろう。
372 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/06 16:13
ど〜みても一条兼定だろ
374 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/06 20:15
猪俣は・・・もう少しマシか
k6は
香川県人
倭寇は
実際には日本人よりも外国人が多かった。
377 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/07 00:29
所謂「高貴倭寇」というヤツだな。明の海禁制作であっぷあっぷの密貿易商人や
ゴロツキが徒党を組んでいた。
>>376 前期倭寇は日本人と半島人と大陸人の混合だったらしいが、
後期倭寇は完全に半島人と大陸人だけだったと俺は学校で習った。
>>378 後期倭寇が半島人と大陸人だけってのは言い過ぎだろ。ほとんどだったくらいが妥当かと。
鄭芝龍(鄭成功の親)が平戸を根拠地の一つにしていたんだから、日本人ゼロってのは
まず有り得んのじゃないかと。
>>369-374 政治 統率 知略
1488位 今川氏真 33 4 7 総合44
1488位 織田信雄 18 18 8 総合44
1490位 武田光和 20 12 9 総合41
1490位 細川昭元 24 6 11 総合41
1490位 最上義俊 21 15 5 総合41
1493位 冨田長繁 5 27 8 総合40
1494位 別所吉治 19 11 9 総合39
1495位 北畠具房 21 7 9 総合37
1496位 斯波詮直 26 8 2 総合36
1496位 佐久間正栄 27 5 4 総合36
1498位 肝付兼亮 18 8 3 総合29
1498位 木曾義利 18 6 5 総合29
1500位 一条兼定 19 4 1 総合24
備考
武田光和・・・安芸武田家当主
斯波詮直・・・奥州斯波家最後の当主
別所吉治・・・家名復興し一度は安堵されたが参勤をさぼったのがバレて改易
佐久間正栄・・・信盛のドラ息子。父と一緒に追放され茶人として生きる
冨田長繁・・・朝倉家臣。信長に降伏するがすぐに背き味方に殺される
最上義俊・・・義光の孫。お家騒動で改易され最後の当主となる
肝付兼亮・・・島津家と争うが実家(島津家)の方が大事な実母に追放される
(政治が低い者は統率が高く、統率が高い者は残り2つが高い、
しかし知略が低い者は他の能力も概して低いという傾向があるためサンプル数の割りに割り出しやすい
見直されたつーより1500人もいりゃ他にも馬鹿はいるぞって話)
倭寇は
現在もいる
382 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/07 19:31
>>380 氏真と信雄が並んでるのがなんとも・・・
太閤立志伝4だと魅力の高いお2人(・∀・)
一条兼定 統率12武力11内政20外交5魅力88
今川氏真 統率18武力11内政51外交19魅力82
参考までに
西園寺公広 統率9武力15内政27外交22魅力15
北畠具房 統率22武力13内政31外交16魅力28
富田長繁 統率57武力24内政15外交9魅力7
織田信雄 統率31武力34内政32外交24魅力36
384 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/08 18:02
織田信雄ってなんでパラメータ低いの?
軽く検索したんだけど、そんなしょぼいとはおもえなかったんだけど。
385 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/08 18:10
確かに、信雄は小牧・長久手の頃は馬鹿っぽいが、
晩年はなかなかの巧妙な政治力を身につけており
大阪城内ではあてにされていたらしい。
ちなみに信長の子どもの中で親父に風貌が一番似ていたんだって。
コーエーは時々。能力値ミスするよな。
386 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/08 18:18
>>385 結局は滅亡した大名だからじゃないか?
将星録辞典での酷評ぶりはさすがにどうかと思うが。
信長と比較して一門は馬鹿ばっかとやりたかったのかねえ。
信益もかなり低い評価だし。
二条で逃げたとはいえ、茶人としての功績は今も伝わっているし、
名前は知らなくとも、雅号からついた地名を知らない人は珍しいレベルなんだから。
もっとも地名ネタだと、神保長治の屋敷があったということで神保町と言う地名がついたなんてのもあるから一概にはいえないが。
孔明は
実は朝鮮人
>>384 フーンと思って検索したんだけど、すげー波乱万丈な人生だな。
秀吉に一度追放されて又呼び戻されたり、大阪に組してたのに
徳川に寝返って五万石貰ってたり。ってか小牧・長久手で家康
に苦虫噛み潰させた本人だよね?
んで領土は息子に譲り自身は京都でのほほんと余生を送った
なんてあたり、なんか憎めない奴って感じだったのかなぁ。
そこまで無茶苦茶やってよく殺されなかったなあ。
やはり江戸期に残った相当数の大名の元主君、織田前右府様ご落胤ということで
ムカつくけど生暖かく見守るしかなかったのかも。
391 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/08 19:10
まずいらない信孝を秀吉と組んで殺し、
今度は秀吉潰すために家康と組む・・・とここだけでも
なかなかの政治力だと思う。ただの2世ではないだろうよ。
領地没収にしろ秀吉からすれば元々の主家の力が強いのは
面倒だから歴史の必然といえよう。
信雄の能力云々の問題ではないと思う。
俺だったらこれぐらいにする。
統率539武力55内政58外交69魅力73
392 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/08 19:10
統率53ね。失礼
393 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/08 19:15
539キター
ファミコン版三国志2の審配の忠誠度じゃないんだから。
394 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/08 19:27
>ファミコン版三国志2の審配の忠誠度
バグでそうなるの?
そりゃあ、審配なりに袁家が心配(以下ry
忠誠度255だっけ
>ちなみに信長の子どもの中で親父に風貌が一番似ていたんだって
へぇ〜〜
あまり関係ないが、
三奈はセゲヲの子供の中で親父の性質を一番濃く受け継いでるという話を思い出した
397 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/08 19:36
>>396
他の戦国「似ている」話といえば・・・
信康の娘婿だった小笠原秀政は非常に家康に似ていたという
話がある。(全然血はつながっていないのだが)
彼は大阪の陣で戦死したが、
本当に戦死したのは家康で残り一年は秀政が勤めたのでは
ないかという説まである。
>381は
ネタではない。
まして、北の工作船や密漁船のことでもない。
海賊は現在もいる。
>>397 その話は知ってるが、いくらなんでも孫婿が影武者をやるってのはかなーり
無理があると思うんだが。
>>399 東南アジアには海賊はいるね。時々日本のタンカーが襲われる。
そんでもって、旧日本軍の武器をつかったりしてるんだな。
こりが。
401 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/08 22:10
>397
TV時空探偵でやってたな。
マラッカ海峡あたりの海賊は有名だな。
403 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/10 07:53
>401
時空警察だってばさ
404 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/10 12:45
日本には
諸葛亮孔明を祀った「星落秋風五丈原」なる唱歌が存在する。
405 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/10 12:46
関羽だって祭られているんだから当然だわな。
406 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/10 12:48
407 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/10 14:59
数々の城を建て、築城の名手と有名な藤堂高虎は、
肝心の自分の天守閣を風に飛ばされしまっていた。
補足
伊賀上野城
高虎っつうたら生駒家に介入しすぎて滅ぼしたな・・・
>>405-407 「かんていびょう」を返還したら「鑑定病」になった(w
じゃなくて、こっちが本ネタ
日本において「関帝廟」は
横浜の他にもある
【補足】
私が知っているのは神戸の関帝廟。ちなみに南京町の中では無く山手の方にある。
あと「関帝廟」として単独で建っていないが、函館の中華会館の中にも関帝廟がある。
そりゃそうだろ。
華僑がいないのに関帝廟だけあるってんなら驚きだが
「返還」はネタだろうか。一時間ほど悩んでしまった
「へんかん」を変換したら「返還」になった(w
ってことか。
414 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 16:38
戦国・三国ヲタは
妄想虚言癖のきらいがある
415 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 18:53
劉備も劉表、劉璋、劉協も元をたどると皆西漢景帝に行き着く
僕が馬鹿でした。ごめんなさい。
423 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/14 14:54
言い合いの意味がわかんないんで、第三者の方解説お願いいたします。
424 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/14 16:30
要はみんな馬鹿だということです。
劉表・劉璋は魯恭王劉余の子孫で、恭王は中山靖王と
同じく景帝の子です。
劉協は光武帝の子孫ですが、光武帝も景帝の子供
長沙定王の子孫です。
よって中山靖王の末孫であるところの劉備も前漢景帝に
行き着くと
>>415が書き込んだところ、
>>416が「劉備だけおかしい」と
言い出す。
>>415のネタだと気づかずに食いついた
>>416に対して
>>417が「馬鹿」と煽りを入れたところ、未だネタだと
気づかない
>>416が「劉備だけ自称」などと今更な事を言い出す。
呆れた
>>417が「本当に馬鹿」と書き込んだあと、厨房お得意の煽りで
返すも、2時間ほど経って自分の馬鹿さ加減に気づいて
謝りのレスを入れる。
こんなところか?
>>421は俺だが・・・ アンカーくらい、きちんと読め。
つーか、俺を取り残すな!
>>426 解りづらかったかな。訂正しますね。
呆れた
>>417が「本当に馬鹿」と書き込んだあと、厨房お得意の煽りで
返すも、2時間ほど経って自分の馬鹿さ加減に気づいた
>>416が
謝りのレスを入れる。
>>421は「どっちも馬鹿」というレス? なのかな?
これでよい?
事態を複雑化させたのは
>>420が、自分に対してレスしたことだろうな。
多分、ブラウザの関係で、あぽーんとかで番号がずれたんだろう。
きょげん 0 【虚言】
うそ。いつわり。
「―を吐く」「―を並べる」「―者」「―症」「誓て―せざるなりと/世路日記(香水)」
432 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/14 23:38
解説ありがとうございました
>>431 おまえの書き込みは
三戦板創設以来、ちょうど1000000回目だ。
伊達政宗は
B型
信長はAO 秀吉はO だったらしい
↑ガイシュツだった スマソ
ええっと 服部半蔵は 忍者ではない
猿飛佐助には モデルがいる とされる これは 出てなかった気がするんで
( ・∀・)つ〃∩ ヘェー
猿飛佐助のネタに関してとりあえず1へぇ〜
補足トリビアとしてその実在の人物名を上げてほすぃ
服部半蔵が忍者ではないのは結構有名かもね
伊賀衆の頭領的な立場だったのは確かだったようだが
真田十勇士の中で三好入道は実在の人物だったんだっけ?
>>437 モデルは三好政康だっけ?三好三人衆の一人
437 百道三太夫の配下に 佐助 という 身のこなしが早い 忍者がいた
たしか 司馬遼太郎先生の 本に あった気がする
440 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/15 13:22
平将門の子孫は
「将門は歴史的に悪だから
この先、生きにくい」
と言う理由で、大将時代に名字の文字を変えた。
あ、大正時代のまちがい。スマソ
モーニング娘。は
最近コンサートに満足に人が入らなくなってきている
ノアの人気プロレスラー・田上明選手の、相撲取り時代の四股名は「玉麒麟」。
ちなみに顔は……玉麒麟というか、農民チック。
俺は
真三国無双というゲームの、某女性キャラの中の人と友達である。
447 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/16 20:39
おにごっこのときに遣う「えった」という言葉は差別用語のえたからきている。
注 えたは江戸時代のころの身分で一番低い身分。(非人という身分もあった)
おまいらなるべく「えった」って言わないようにしよう。
448 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/16 20:42
>>445 俺の実家が田上の実家に近いんだけど、
パパもやぼったい人なんだ(w
449 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/16 20:59
>>448 やはり……。ある意味正統な全日といいますか。全日じゃないけど。
俺は
部落民だ。
452 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/17 12:17
>>447 おまえの住んでる部落だけだろ?そんなこと言うの。
あと穢多って漢字も知らねえのかよこのバカ。
この板にもうくるなよ。そして早めに死んでくれカス。
お、まさか他人がいたなんてw
458 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/17 17:32
>>447 >おにごっこのときに遣う「えった」という言葉
鬼ごっこの時に使う言葉は地方によってかなり違うので、だから何?って感じ
>注 えたは江戸時代のころの身分で一番低い身分。(非人という身分もあった)
小学校で習うことを注釈で言われてもなあ…
>おまいらなるべく「えった」って言わないようにしよう。
だいたい鬼ごっこなんてここに来る奴らがすると思うか?
君がリアルで消防、厨房ならまだ救われるが
もし高校生以上だったらもはや致命的。
掛け声なんかは地方によって違うからなあ。
漏れも、お神輿を担ぐときの掛け声でカルチャーショック受けたことあるし。
地元じゃ、わっしょいが基本だが、お袋の実家のそばじゃ、
さーさーさーさーせやさーせやさー
が基本、高校があった市(地元の隣の市だが)じゃ、
えーんやこーらが基本だった。
掛け声を専門的に統計とっている人もいるそうだし、奥が深いかもな。
とりあえず、
>>447は氏ね
>>458 >注 えたは江戸時代のころの身分で一番低い身分。(非人という身分もあった)
身分はね。生活は下手な農民よりよっぽど良かった。
家畜の屠殺業、それを材料とした革製品等の産業、参勤交代の時の街道整備
荷物運搬等を独占していたから。
生活が困窮し始めたのは職業の選択が(一応)自由になった明治以降。
とりあえず
>>447みたいに自分の恥を曝け出せる
人間がいることに驚いた。( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
>>460 非人は農工商になれるチャンスもあったってほんとなの?
>>462 >>460じゃないが、それは事実。
一定の金を払えば、農工商に戻る制度はあった。
逆に心中で生き残ると刑罰として非人に落された(男のみ生き残った場合は、打ち首)
そうして非人になった場合は、親戚が裕福なことも多く、結構元の身分に復帰することがあったようだ。
>>460 >>463 ( ・∀・)つへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇ〜
学校で習った、えた・非人に関する授業がいかに間違ってるかよく分るなぁ。
>451補足
東北地方では「部落」を集落と同義語で使う。
だから、「部落差別問題」という字面はいまいちぴんと来ない。
>>458 それ読んで大学まで蟻の巣追いかけていた女の話を思い出した
こういう話を聞いてる時だけ「田舎でよかった」と思う
同和教育とかとも無縁だったし
代わりに覆し難い属国意識が根強かったが
「おら、こんな村いやだー」の人ですか?
っーか、同和同和って今でも騒いでるのなんて京都と大坂と兵庫の年限だろ!
あと平民なのに商売のために部落村とかに住んでた人とかもいるんだよな・・・
ここは
ト リ ビ ア の 泉 i n 三 国 戦 国 板 p a r t 2
スレ違いだけど勉強になった。
関聖帝君とされ神格化した関羽だが
関平も関平聖君になっている。
上は本当。
補足トリビア
関羽の最終官位は関聖大帝。
また、関平まで祭っておきながら、実はもう一人の周倉を祭ってはいない。
で、この"関聖帝君"と"関聖大帝"は略称である。
フルネームは・・・↓
とても長い
三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君
フルネームってこれ?
関羽で変換すると出てくるで気になってたんだが。
>>476 忠義神武霊祐仁勇威顕護国保民精誠綏靖翊賛宣徳関聖大帝
世界史板で見つけた
覚えられないよ・・・
ていうかまず読めないよ
歴代の王朝がどんどん追贈してそうなっちゃったんだよな
>>476 「かんう」で変換して出るとはすごいな・・・
俺のはさいしょカンヌだったし
>>476 >>477 さっそく俺の辞書にも登録しますた。
無双厨が暴れてるスレで使うと面白そうだ。
九品官人法を作った陳羣の祖父は
十常時・張譲の父の葬式に出て処罰を免れた。
補足トリビア
本名は陳寔と言い、「梁上の君子」という故事を残した人。
処罰を免れるために弔問に出かけたわけではなく
冠婚葬祭に関しては人としての礼を欠く事はしない、と言うのが
陳寔のあり方だったらしい。
以上、解説は某サイトより
487 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/25 13:03
>>465 部落ってもともとどこでも集落の意味だろ。おれも普段使ってるよ。
>>488 特定部落に住んでいるということで、部落単位での差別=部落問題となった。
だから、新興住宅地とかだと気を付けないと、関係ないのにその地域に住んでいるからと差別される危険があるので注意。
現代での具体的な呼び名は被差別部落。
博物館などにある戦国時代の兜の銃弾痕は、、、、
本人がつけたものである。
補足トリビア
実験や願掛けの意味で自分の兜を撃ってみるという奇習があった。
特に博物館に飾られるような立派な兜は、戦場で敵の弾に当ることは皆無で、
逆に戦場で敵の弾が当ったりしたら記録に残るので、そんなものが残っているか、
変な場所に銃弾痕があった場合だけ、戦場でのものだと博物館で説明される。
>491
久しぶりにやってまいりました。
へぇー。
>>491 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
494 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/29 21:09
西郷隆盛の本名は・・・
隆盛ではなく、隆永。隆盛は父親の名前。
日本史板で先月書かれていたな
497 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/29 21:57
というか、ボビった。
西郷隆盛ネタは
板違い
一応三国志・戦国時代板だから>ここ
499 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/29 22:06
伊達政宗の趣味は・・・お料理
「満を持して」という言葉は、
本来「弩の弦を引いていつでも発射できるように用意しておく」という意味。
補足
漢の劉邦が匈奴の囲みを脱出する時の記事で使われた言葉。
502 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/30 20:57
he-
長宗我部(ちょうそかべ)と・・・・
変換できない。
505 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/30 21:36
「長宗我部家」と、「十河家」は四国で雌雄を争った間柄であるが・・・
秀吉に臣従してから、常に一緒に戦い、同じ戦場で死んで
同じ時に滅亡した。
補足1:戸次川の戦い(1586年)で、十河存保と長宗我部信親が戦死。
大阪の陣(1615年)十河存英と長宗我部盛親が戦死。両家は滅亡。
補足2:両家を間接的に潰す原因となった「仙石秀久」は後に許され、
「仙石家」は生き残った・・・
>長宗我部盛親が戦死
戦死じゃなかったね。打ち首獄門だった。
>>505 四国勢は豊臣に関わったばっかりにひどい目に遭ってるのが多いな。
確か香宗我部の家系だけが生き残ったと覚えてたけど
>>494 補足トリビア
弟の西郷従道も本来なら盛道なのだが、口頭で伝えたため間違えられて従道となった。
>>511 「盛道」ではなく「隆道」。音で読んで「リュウドウ」を「ジュウドウ」と間違えられて
「従道」になった。
>>447 蒸し返すようで何だけど、幼稚園の時確かにえったって言ってたな。
当方、北海道でした。
このスレ(前スレだっけ?)で、スレ住人が投稿・採用されたっていう
武蔵ネタって、もう番組でやりましたっけ?
どんなネタだっけ?
519 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/01 09:46
コーエーでは「演義」だけの人物と書かれる李儒だが、正史でも「後漢書」には登場している。
(董卓から廃位された弘農王(少帝)の補佐(監視役?)に任じられている)
訳されていないから。晋書もか。
訳されてるぞ・・・?
訳って全部出てた?後漢書の
李儒の登場シーンはもう出たYO。なにしろ霊思何皇后紀にたった一箇所だからな
526 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/03 00:05
,r――――-、_ | 次はこちらのトリビアです!
,r'⌒ \ |
/ )”´ ̄ ̄⌒ー-、 l \_ _________
} ) ヽ } ノ
ト、「 二。ニ ニ。二 |ノ| / ̄⌒⌒ ̄\ __
|ハ  ̄  ̄ リ / , , , ,、 \ ト.L
「ヽ ヽl /-__-\ /ノ / ,ィj j j ’’’ハ`ヘ ヽ ,ト !|
.ノ /)ヘ. { ー--‐‐ !./ j j ,,_、 ,_、ヽ { .トヾ!|
| ///) _/\  ̄ ノ! ト十(ー・=)=(=・ー)十┤ } .|
,r‐:ァ}'/ ./ ノフ \ ゝ--‐ァ' /\ Yハ ィ_ _, /! / ! ノ、
/ / | イ _. \へ! ヘ./ `ー-、_ `-ヘ _____, /~ ト、 ノ )
ノ l ノ .ノ Xi、 | 。 | _ ー-、 .\ ー‐ " / |ヽ _ ハ
../ ヾ_ ,イ」 Xi、. ! j へ jX' >、 人ゝ---‐',. イ、 L ___.人
爪  ̄ラ' Xi、 、 // jX' ,ィ | _ ノト==rvっ==彡/ー‐-、__, -― ト 〃 )
527 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/05 08:04
>>523 岩波の全訳の最終巻が出るのはあと3〜4年後でないかと。(訳者が高齢なのが気がかりだが)
>>524 関連で、伏完は一族皆殺しの前にすでに病死している。
あのぅ、日本の在来馬は今の馬と違うと聞いたのですが、
どんな産地にどんな種類の馬がどれだけ居たのでしょうか?
これってよく調べればトリビアになりませんか?
よく知られているのでトリビアにはなりません
>529
社会科の宿題ですか?
>>529 良く知られているのは南部駒、木曽駒、土佐駒辺りですね。
土佐駒は背高が低く、どちらかと言えば農耕用。
南部駒は馬態が立派で、戦闘用としてのブランドがNo1。
木曽駒がその中間くらい、で良いかな?
今、生存しているのは木曽駒くらいです。
広辞苑には、毛利輝元がのっているが、
佐竹義重、大谷吉継が載っていない。
534 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/08 17:38
長久手町とワーテルロー市は
姉妹都市
最近は武田騎馬隊はいなかったというのが主流ですが
江戸時代の農家には大体2頭ぐらい繁殖馬がいて、
1〜2歳の子馬を含めると400戸の村で1000頭程度いたようです。
領主はこれらの馬を借り上げることが出来るため、
戦国期の武田家でもかなりの馬を揃えることが出来たのでは
ないでしょうか?
農耕馬でドカドカ武田騎馬軍団。
・・・って、こっちのほうが迫力あっていいかも。
人馬一体
ぬかるんだ戦場には乗馬馬よりも農耕馬だ!
>>533 その二人は美化された話多杉なだけの気が
,. -─−─--、
,∠ --──‐--- 、ヽ、
d′ o o o b
l ,.-= −=、┬-、_ j
`l Y'T ,イ下、l h`Y′ へ
. ヘ │|l_j !ノ| レ | ぇ
ぇ l〈 ┌、 ''' l | | へ l
ヘ l | 丶 ー' _ .ィ ! l l ぇ
ぇ | ノ´l ̄,イ´ハ| │ │ l
l. rlr┴┴┴'r、! l l !、
ヒ) ニ! ゙l (こノVk.__、_>
|_└_└'_| |
f´ト、__.. -‐<_ , -、 ンヽ,
l__jノ-─(^ヽ,/ス__ノ
`ー'‐'´
>>540 戦闘用には使えなくとも物資運搬とかに使えるだろ
農耕に使ってるからって戦闘に使えないことはない。
武士以外が馬に乗ってはいけないとされたのは江戸期から
だから戦国の農民は馬は操れた。か?(農民が忙しい合間を
縫って調教・乗馬訓練出来るのはよほど余裕がある富農ぐらいだから
大半の馬は運搬用かまれに替え馬にしたのでは)
古文書には乗馬3人他28人の軍役申しつけとあるから
1割くらいは騎馬隊になる勘定ですね
しばしば馬の市などが立つぐらいだから今とは考えられないぐらい
身近な存在だったのではないでしょうか?
たとえて言うといま日本に敵が攻めてきてとしたら非常動員で
自分のバイクや車・トラックで駆けつけるようなものと。
戦闘には使えないけど移動・輸送には使える
馬っていうと競馬を思い出すけど、あれは走るためだけに交配のもと生まれ育てられた
純粋に走るための生き物だろ。ジョッキーの体重の微妙な差でコンディション・結果が
変わってくる。足の骨が折れたら薬殺。走れないなら苦しみながら生きていくだけだしな。
頭の中の「馬」のイメージ像をひっくり返さないと、この話ピンとこないままだぜ。
プッ
546 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/09 13:47
>>533 「広辞苑」には王粛・陸機は載っているが、
王朗・陸遜は載っていない。
ちなみに陸機の項には「呉の丞相・陸遜の孫」と書かれ、父・陸抗は完全無視。
曹操が孫子に注を付けたのは有名だが、
孫子兵法と並び称される呉子に注を付けたのは
賈詡
補足
隋書経籍志より。
後付けっぽい気もしますが、
当時の人々に賈詡が曹操同様の兵家と見なされていたことが分かり面白いです。
548 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/10 23:07
>>547 この人、koei三国志だと評価が不安定だよね。
>>547 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
550 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/11 19:31
関羽の前世は
赤帝
>>145 ひたすら亀レスで悪いが、
「姓・名・字」式の表記はおかしいという厨は、
田中芳樹氏の創竜伝を読んだ香具師だと思われる(あくまでも想像ですが
そういう私も・・・(遠い目
>>145 ひたすら亀レスで悪いが、
「姓・名・字」式の表記はおかしいという厨は、
田中芳樹氏の創竜伝を読んだ香具師だと思われる(あくまでも想像ですが
そういう私も・・・(遠い目
最近では珍しいねw
劉禅は・・・
40年も皇帝をやっている。
ちなみに孫権でも30年である。
果たして劉禅は伝えられているほど無能だったのだろうか・・・。
>>556 長期君臨で無能扱いされてるのは他にも多少居るかと思われ
>557
某国の将軍様とか・・・ゴフッ。
559 :
孔明 ◆F5yeP.FsHA :03/11/12 10:00
俺は4年後に
椎名林檎と結婚している。
林檎さいこうだよな!
明の万歴帝なんて四十八年間在位して最初の二十五年間、
一度も大臣と接見しなかった凄腕だぞ
>>552-553 いや、高島俊男先生も、
「劉備のことを『劉備玄徳』と言う人があったとしたら、それは無知無学の人と断定してよい」
とか書いてるぞ。
どうでもいいが、劉備玄徳だとか曹操孟徳はよく見かけるけど、項籍羽だとか劉邦季とかいう
表記は完全に見かけないが、やはり3文字だからだろうか……。
初期の横山三国志でも姓名字を併記してたね。
きらめく群像ォ〜!!
高島俊男がいうこうとは信じるに値しない。
これはトリビアの種になるな。誰か調べてくれ
>>564 曹丕の「典論」(だったかな?)では姓名字が列記されてる。
諸葛亮と瑾が兄弟ではない。とする説も根拠が無茶苦茶、素人でもはっきり否定できる代物だったが・・・
>>566 同意
っーか、高島は水滸伝専門だろ。歴史家なの?文学者じゃないのか?
>>564-567 まぁまぁ、奴らは本業(執筆活動)の片手間に
副業で歴史やってるんだから、そんなこと言ったら可哀想だろ
で、結局のところ、姓名字をつなげて表記するのはどういう場合なら正しいの?
>>569 姓名を記号として記す記録とかなら良いんじゃない?
○ 劉 備 玄徳 蜀を立てた人
× 小説の一場面等での台詞 劉備「おお、そなたが諸葛亮孔明殿か」
日本で言えば
○ 江藤 胤雄 新平 司法卿
× 小説の一場面等での台詞 西郷「おお、そなたが江藤新平胤雄殿か」
みたいなもんじゃねーの
も一つ。
○曹操「劉 玄徳どの」
×部下「曹操さま!」
劉 備 玄徳
>>572 その時は
部下「曹丞相!」とか
李逵「宋兄貴!」
と、姓+役職(や肩書き)で呼べばいいのかな?
575 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/14 01:50
現代の中国語だと、名前言うときに
「私の姓は○○で、姓名は●●です」って言うって習った。
姓・名・字もそれに近い感覚じゃないかな?
中国ドラマの三国志の台詞も
「私は劉備、劉玄徳です」
って言ってたよー
>>574 かぶらない場合を除いて、官だけで構わなかったような。
正史見る限りじゃ、「姓・名・字」は確かに正しい呼び方では無いと思う。
しかし魏の皇帝であり、且つ一代文学者の曹丕が呼んでるんだから、あり得ない呼び方でもないんじゃない?
目上の人が下の人の「名」を呼ぶのはかまわんのです。
「忌み名」の様な意味合いがあるからです。
その逆は大変失礼なことです。
>574
小説などでは、姓を付けないと判読しかねる場合があるからでしょう。
>576の見解で正解です。
そこらへんは大体日本と同じなんだね・・・
しかし
日本の大河とかはやたらと諱で読んでいてこそばゆくなるがな・・・
また勉強になった。
スマソ。「かぶる場合を除いて」の間違いね。
たぶん、大多数が気付いてただろうけど、一応。
本願寺顕如は
信長より年下
>>579 思うに諱と○兵衛とか××守などの通称の区別がついてない人が多いんじゃないか
例えば「松本図書介」とかの一体何が可笑しいのかといつも思うのだが
図書介というのがれっきとした本名だと本気で思い込んでいるんじゃないのかと
584 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 15:34
age
調所広郷
586 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 18:15
諱は忌み名なんだから、付けるけど使わない儀式的なものなのにな。
587 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 20:54
まあ「図書助」を「図書介」と書いた583は十二分に可笑しいがな。
588 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 21:01
としょすけだとおもってたりしてな。
松本図書助って忌み名なかったっけ?
590 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 09:38
本当はなんて読むのか、俺にだけこっそり教えろ。<図書助
>>591 ずがきのすけ
と適当に言ってみる。
ところで、よく荀ケ(ジュンイク)の事を「荀郁」などと書いているのを2chなどで見かけるが、
「荀郁」と実際に書かれていた史書もある。
この板では
名前欄に
【】&rf&rusi&ran&ras&ran&r
って書くとおみくじスクリプトが動く
ワシが出たら天下様
凶が三回はでます。
598 :
【やや凶】:03/11/20 14:27
なんて出るかな。
わくわく。
やらなきゃよかった。。。sage
どうなるかな?引っかかってみたw
わ〜っひっかかった〜・゚・(ノД`)・゚・
記念すべき
>>600がこれとはw
602 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/20 16:34
【】の間にでないなんてだめくダメん。
どれ
605 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/21 01:11
(´・ω・`)結局誰一人ひっかからなかったってことか...
606 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/21 01:17
>604
mofタンハァハァ(;´Д`)
607 :
【】 fm02d-605.cc.hamamatsu-u.ac.jp:03/11/21 11:49
ワーイ
浜松は駅の近くのウナギ茶付け屋が好物。
法事で浜松に行く機会が年に1、2度あるが
必ず寄って之を食べる。
後ブラジル関連のショップが異常に多い。
出稼ぎに来ている人が多いせいだが。
荀郁って決戦じゃなかったのか
宦官に殺された後漢の大将軍何進。
車騎将軍の何苗。
いずれも漢の霊帝の何皇后の兄である。
実はこの何進と何苗は血が繋がっていない。
何苗の本当の名前は「朱苗」といい、何皇后の異父兄。
一方で何進は何皇后の異母兄。
(後漢書何進伝と、続漢書五行志より)
だから仲悪かったんだ。
>>613 ( *´Д`)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー ×4
616 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 03:16
袁紹の忠臣として知られる田豊だが、
実は元々は韓馥配下であり、しかも韓馥に忠義を尽くし袁紹に抵抗した
同僚の耿紀と閔純を謀殺し、袁紹に投降している。
ちなみに沮授も元・韓馥配下だった。
×耿紀→○耿武だった、スマソ。
魏で一番の高給取りは
張合β
テスト。
張邯
620 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 23:14
がうがう
張邰
下邳
621 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 01:04
張郃儁艾
張郃儁乂
[合β]の字欲しいよな…。
「チョウコウ」じゃ子綱なのか趙雲の息子なのか黄巾賊の奴なのか判らんからなあ。
>>593,611
漢紀だったよね?
名前の由来は論語の八イツ『郁郁呼として文なる哉』らしい。
意味同じならどっちでもいいのか?
ちなみに曹操の由来は荀子。
625 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 08:07
下がりすぎ
長坂の戦いの時、趙雲は・・・
どさくさに紛れ、自分の息子を阿斗として渡したらしい。
「補足トリビア」
事実、劉備が赤子を受け取った時、それを投げ捨て子より家臣のほうが大事だといったのだが、
趙雲は「バレてもうた!?」とあせったという。
この板のトリビアは嘘が多い
俺は
神である
補足トリビア
629は神(じん)正夫さん
補足トリビア2
629は疫病神で貧乏神。
俺は神
戸人である
・・・へー・・・
634 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/13 06:58
∩
| |
| |
∧_∧ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´Д`)//< 先生!ネタ切れです
/ / \_______________
/ /| /
__| | .| |
\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| ||
635 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/13 23:21
じゃ。
3000本安打を達成した球史に残る大打者・張本勲の本名は「張勲」で、袁術の
配下と同名というのは有名な話だが、
『三国志平話』には曹豹の娘婿として、「張本」というそのまんま名前の武将が登場する。
渇ッ!!
実は
639 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/15 01:33
戦国時代に、有名な半島系の武将って居るの?
赤穂浪士の中に、爺さんが支那人の武将が居ることは知ってますが。
なら
塚原卜伝の忌み名は高幹である。
とか。
鉄砲の伝来は1543年種子島とされているが
実はそれよりも以前に明の商人が平戸に持ち込んでいたとする説がある。
642 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/19 16:23
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
ていうか、応仁の乱で鉄砲(飛砲・火槍)が使われてたろ
北条氏康の幼少期に明の商人が鉄砲を披露しに来てるし。
644 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/22 21:07
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
645 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/22 21:48
蜂須賀家の子孫は明治時代華族となったが、ある時明治天皇のたばこを勝手に
拝借して「血は争えないな」と明治天皇に皮肉を言われた
外出
>645
当時の蜂須賀侯爵は徳川家斉の孫で、実は蜂須賀家の血を引いてない罠。
蜂須賀が山賊だったって記述って何が最初なの?
江戸時代の講談?
へぇ〜へぇ〜(* ゚∀゚)ノ"Ω
(´・ω・`)
651 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/24 13:41
じゃあ、嘘話なの?
652 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/24 21:06
941 日本@名無史さん 03/11/05 00:02
9代将軍家重は知恵遅れだった
943 日本@名無史さん 03/11/05 12:53
生来虚弱のうえ、若くから大奥の婦女を相手に酒宴にふける生活を続けて
健康を害し、やがて言語も不明瞭となり、わずかに側用人の大岡忠光のみ
聞き分けることができたという
--------------------------------------------------------------
これマジ?
うんこは
豚の餌
>>952 知恵遅れかどうかは分かんないけどw
(大河の『八代将軍吉宗』ではそういう感じの書かれ方で、あの中村梅雀が怪演)
>やがて言語も不明瞭となり、わずかに側用人の大岡忠光のみ聞き分けることができたという
というのはホント。全然父の吉宗には似なかったみたいです。
ところで板違いも甚だしくて申し訳ないのだが、この大岡忠光って、あの越前守忠相の親戚?
息子じゃなかった?間違ったらスマンが
今日このスレに書きこんだ奴は
今日「も」平日だと思っている
ごめん親戚だけど親子じゃないらしい
>>654 将棋は無茶苦茶強かったそうだが>>家重
大正天皇とか晋恵帝のように、こういうオツム弱いというイメージのある人には
意外なエピソードがあるものだ
だれだっけ?
将軍の一族で30人以上も子供生ましてあちこちに養子に出しまくった野郎は・・・
家斉?
あぼーん
662 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/02 16:43
honto
jyama
663 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/02 20:22
618も616の仲間
664 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/07 10:27
程昱は、兵士達の弁当に人肉を入れ、曹操に引かれたことがある。
そのせいで公の位に昇れなかったらしいな
朝廷も引いた
北宋の最後らへんの時代には人肉を売る人がいたらしいが・・・
どういう人が売られてるんだ?かわいそうだ・・・
>>639 島津とか宗とか長宗我部とか
渡来人・秦氏(惟宗氏)の末裔とされているが
しかし渡来してから既に数百年立っているから
半島出身といえるのかどうかw
秋月・原田・高橋は後漢霊帝の子孫
669 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 12:20
弱小君主として知られる武陵太守・金旋には劉備に殺された説と降伏した説の両方あるが、実は大して意味はない。
なぜなら、武陵陥落の9年後に息子の金禕が耿紀・吉平と許昌で反曹操クーデターを起こして失敗して一族皆殺しになったから。
(しかも劉備と繋がっていたらしい)
信長の野望天翔記における高水寺斯波氏の生年は無茶苦茶である
1549年生まれの詮直が1544年に14歳で登場する。
>>669 吉平 の後に「の息子」が抜けていると思われ
672 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 19:49
673 :
【】 FLA1Abo069.chb.mesh.ad.jp:04/01/12 21:13
たれ
674 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 15:41
世界の便器は大別すると、座り式(いす式)便器と
しゃがみ式便器に分かれる。
この境界はトルコのイスタンブールで、ここより西は座り式、
東はしゃがみ式である。現在でもこの境界は変わっていない。
日本では平安時代から、しゃがみ式便器が使われていたが、
このしゃがみ式便器に「きんかくし」がついているのは、
現在まで日本の便器だけである。
平安時代の便器についていた「きんかくし」は、
板とその上についた丸い棒で、当時の高貴な人たちは、
この「きんかくし」を後ろにして、用を足していたのだ。
お姫様がトイレに行くと、侍女がついてきて十二単の裾をまくり上げ
「きんかくし」に掛ける。用が済み次第侍女は、十二単の裾を元に戻す。
お姫様は何もなかったかのような顔をして殿中に消えるのだ。
この当時「きんかくし」は、「きぬかけ」と言う言葉が変わった物で、
何時から「きんかくし」という呼び名に変わったのかは不明だが、
江戸時代末期までこの形が使われたのは確かなようだ。
トイレで出された糞尿は、砂の入った箱に落ち、家来がその箱の
糞尿を捨てる。ちょうど、今の猫のトイレと同じと思えばよい。
また男性は、杉の葉を敷き詰めた箱の中に、小便をした。
杉の葉により臭いと音が消されたのである。 続く
675 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 15:42
京都東福寺にも、修行中の禅僧のためのトイレがあり、「東司「西淨」
「登司」「雪隠」と呼ばれていたが、この中「東司」だけが現在まで
残っていて、一見丸ごとトイレで、建物の寸法は幅10m奥行き27mと
立派な物である。このトイレを利用するには、実に厳しい決まりがあり、
用を足すことも大事な修行と考えられていた。
急にもよおしても、駆け込んで済ませることはできなかったのだ。
12世紀鎌倉時代の絵巻「餓鬼草紙」の中に、食糞餓鬼が群がって
脱糞したりして、周囲に紙や糞べらが散らばっている、いわゆる野糞の図
である。これは今で言う街角の公衆トイレでの絵ではないかと思われる。
この「餓鬼草紙」が尻の始末に紙を使っている、最初の書籍による記録である。
当時紙は非常に高価なもので、手紙などをしたためるのに使われていたが、
排便後の処理に、まだ一般人が紙を使う事はなかった。
日本人がトイレで紙を使うようになったのは、平安時代と言われている。
しかし当時は貴族だけで、戦国時代には大名も尻を紙で拭くように
なってきたようである。
大阪夏の陣で、戦いに敗れ落ち延びる石田三成が用を足し、
紙で尻を拭きその紙を置いて逃げて行った。
豊臣の残党を追っていた徳川軍は、尻を拭いた紙を見て
「これはさぞ位の高い武将が逃げたに違いない。追え!!!」
その結果石田三成は捕らえられ、首を刎ねられた。
そういえば戦国〜江戸初期にかけて
月経中の女と交わると性病が治るという噂が。
んで家康君は実際にやりましたと。
>>676 東南アジアで少女にエイズが流行ってる原因みたいな話だな。
678 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 19:19
>>671 吉平は正史ではこっちの方に親子で参加していた筈。
演義の伏完の件は正史と大分違う(伏完自身も発覚前の209年に病死)
679 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 19:53
徳川家18代目は現在日本郵船顧問って既出?
織田信長は
681 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:31
トリビア見れ
682 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:33
種はいいから
なんだろ?ドキドキ
683 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:35
三郎だが次郎
684 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:36
実は上総介ではなく、下総介だった。
オリンピックネタからの流れ出フルチンか
686 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:45
しかも知ってたし。
トリビアでもなんでもねーな。>はげねずみ
688 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:46
次元が低い・・・
689 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:46
あほかと、もうこれだからトリビアゴールデン進出失敗だったんだ。
そりゃあ歴史オタが対象じゃないからね。
信玄の手紙の話もでたね。
お前ら何か送ってみたら。
691 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:47
サルがイイ
692 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:48
PNは「無名武将@お腹せっぷく」でw
693 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:49
しかも85って高いなオイ
おれらには和式ヲシュレットとか、へえ〜だけど
トイレ板のやつらには屁でもないわけで…
トイレ板なんてあるのか
697 :
前スレより:04/01/14 22:03
359 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 03/08/07 13:59
秀吉のあだ名は
猿以外にも剥げ鼠というのがある。
---------
ひょっとしてこれトリビアに投稿した人とカキコした人同一人物とか?
これで採用されるんだから他にもイケそうなネタいっぱいありそう。
>>697 トリビアの場合、面白いVTRが作れそうかどうかが全てだからな。
700 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 23:35
>ええと491に補足トリビア
願掛けというお話でしたが一回仙台の博物館の人に聞いたときの話は
強度調査の意味合いもあったとのことでした。
つまり
貫通しない=強度OK!
貫通した=強度に問題アリ
とのことです。だから甲冑に弾痕が残っているんだそうです。
「一休さんの父親は天皇」ってネタを投稿したのに、補足トリビアで片付けられてしまった
(´・ω・`) ショボーン
新右衛門さんは最初悪役として登場、のが良かったか。
むしろ「一休が生まれた年に将軍様は出家したのであの姿はおかしい」のほうがトリビアっぽくないか。
704 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 00:31
(*´Д`*)将軍様ハアハア 義満ハアハア
705 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 00:38
ええーい新右衛門、何とか一休を困らせる方法はないのか!
ちょっと間違った
鎌倉室町人名辞典によると
足利義満1358年生まれ1395年二月に出家1408年死亡
一休宗純1394年生まれ1481年死亡
となってるんでもしアニメのシチュエーションがあったとすれば1404〜1406ぐらいか?
707 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 01:23
>>707 へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜べぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
張飛の妻が夏侯淵の娘だから親戚だなんて結論だったら怒るぞ。
張飛の妻は夏侯淵の娘では無いから、怒る必要は無いぞ。
>>697 日本最古のキスに関する文献は
豊臣秀吉のラブレターである。
てのはどーか?
随分前に聞いた話だから、今でも日本最古なのかは分からんが。
>>712 接吻シーンだけなら、古事記にも出てくるが?
714 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 12:42
劉備と曹操は親戚だった
まず歴史を高祖劉邦 曹参の時代までさかのぼります・・・
>>660 遅れたけどdクス
今調べてみたら、20人の妾がいて産ませた子供は54人だったよ。
これからの注目は新撰組だから、それ関連のネタを投稿すると
採用率高いかもよ。
近藤勇の虎鉄は偽者とか?
新撰組は池田屋襲撃の時に
ダンダラ羽織を着てなかったとか?
むしろ新撰組隊士は浅黄色の羽織を
きていた事はほとんどないんだがな〜。
忠臣蔵の討ち入りのシーンも、赤穂の連中の服装はバラバラだったしね。
沖田総司はヒラメ顔。
また、彼の刀が菊一文字というのはありえない
とか?
720 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 21:43
「反董卓連合」の一人予州刺史の孔伷の没年は190年が有力。
理由:袁術が孫堅を後任の予州刺史に推挙してそれに袁紹が反対して別人を推したことが「連合」解散の直接のきっかけになっているから。
(孔伷が生きているなら、仲間の役職を奪い合う必要は無い)
722 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 19:43
>722
アホー!あほー!AHOー!!
>721
1.存在すら怪しい。(現存する菊一文字はただの一振りも無い)
2.鎌倉初期の刀工の作ですから、あったとしても国宝級の代物。
3.そして、国宝級の代物であるようなものが、実際の使用に耐えるはずもない。
と言う理由だ。
724 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 20:08
725 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 21:05
明治期の美少年コンテストで・・・
前田家の子孫がグランプリだった。(やっぱ先祖に似て美男子だったそうな)
王忠は
人を食べた事がある。
馬の蹄に骸骨を付けられて曹ヒにからかわれたそうな。
727 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 21:42
今日のトリビアも有名なのばっか・・・
728 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 21:44
NHKみろよ・・
えーと、結局
現存品がほとんどないから、沖田も持ってたわけないってこと?
731 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 22:20
初代則宗作以外にも、菊一文字は大量にある。
初代のが「The 菊一文字」として語られるだけで。
だれかが、「沖田の刀は初代則宗」とかいったのか?
732 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 22:26
天群雲が自分ちの倉にあったんですが・・
734 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 22:42
>>733 本物だったら税務署が固定資産税を取りに来たあげく
教育委員会だの自治体の美術館員だのがネチネチ寄贈してくれとか
研究のために貸してくれだとか粘着しに来るし、
偽物だったらしばらくは陰口と物笑いの対象になるあの番組の事ですか?
735 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 01:45
>>725
前田利家って美男なん?
>731
司馬遼太郎の奴。
他にも、土方のを2代目兼定の作とかいう勘違いをするし。
11代目で正解なのだが。
738 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 23:02
>>737 小説家じゃないか(笑)
小説家に文句言うなよ(笑)
菊一文字は現在も世襲されている。
だから京都のみやげ物屋には「菊一文字の包丁」や「菊一文字の肥後守」なんかも売っている。
司馬遼太郎の言うことを間に受けては駄目です。
741 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 11:20
>>740 司馬に限らず小説家は、史実より、おもしろさ優先だからな。
鬼平見て、火付盗賊改方が、町方と同じような働きしてたって思われても困るし。
大多数の人は真に受けて、で、小説の内容が事実として流布されるのよな。
743 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 13:18
そもそも、伝初代則宗作の菊一文字があったとして
沖田に買える金額とは思えない。
贋作やモグリ詐欺のは、当時山ほどあったらしいが。
744 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 21:24
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜べぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
そして、>723にループします。
秀吉は
大の猫好きだった。
>>714 曹操は曹参の子孫じゃないぞ
曹操の祖父の曹騰が曹参の子孫で、曹嵩がその養子になって、その子供が曹操だぞ
とはいえ、曹操と劉備が親戚なのは夏侯淵の娘と張飛の一件で確かだが、曹参と劉邦は関係ない
あぼーん
750 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/05 18:57
「麻酔」を使ったとされる華佗はペルシャからの
渡来人と言う説が根強い。
曹操の逆鱗に触れたためだけでなく、日頃から「伝統中国の医術とは異なる」
という理由で他の医者から排斥されていたと言われ、
華佗はペルシャ語で発音すると「先生」という意味らしい。
華岡青州は麻酔に曼荼羅華を使ったわけだが、
それはインド原産で、サンスクリット語の文献にも
向精神作用ある事記され、イブンシーナーの医術書にも麻酔作用が記録されるなど、
あの辺では古代から麻酔作用ある事は広く知られていたとか。
ペルシャ渡来と考えれば、華佗の風変わりな治療法も納得できる。
ちなみに「麻酔」は和製熟語で元は漢語に無かったらしい。
>>750 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
>>28 秦始皇の側室が皇帝の気を引こうとしたのが由来じゃなかった?
部屋の入り口に塩を盛っておけば皇帝の乗った馬が
舐めようとして止まるから、皇帝はその部屋に入らざるを得ないという。
今日初めてこのスレ見たので亀レス。
水戸黄門の旅は近場だけって本家に出たね。
>>752 陳舜臣「小説十八史略」によれば、司馬炎らしいよ?
>>753 晋書后妃伝によると武帝(司馬炎)の愛妾胡氏がやったそうな。
ちなみにこの胡氏の父は胡奮。
755 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/13 19:36
1970年代に曹一族の墓(所在地は昔の[言焦])の発掘調査が行われたが、その際、
磚(レンガ)造りの墓室内から多数の落書きのある磚が見つかった。
そのうちの一つに刻まれた文字は・・・・・・
「蒼天已死」であった。
本当だったら、そいつはすげえや!
それ別冊宝島の曹操の本にも載ってたな。
758 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/13 23:30
>>726 程cも人肉好きだったっていうのは有名ですよね。
忍者カスミ伝を書いた 漫画家 唐沢なをき は
霧隠才蔵の遠い子孫
760 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/15 02:01
>755
それはつまりどういうことなの?
>>760 曹操のせいで蒼天は氏んだ
ってことじゃ?
違うだろ。
「蒼天已死」という言葉がその当時流布されていたかどうか定かでなかったが、
これが本物ならその裏付けになるということだろう。
ちなみにこれは、黄巾の乱のを起こした張角の
キャッチフレーズだった言葉だが。
>762
あーそういうことかぁ
ありがとう。
>>758 違うよ。あの時代好き好んで食べた人なんていない。
別の時代になるが、桓公は人肉を食ってみたいと言い、
自分の子を調理して出した家臣を重く取り立てた話がある。
そんな狂人と一緒にするな。
それは日本人は全員サガワくんと同じ嗜好だと言っているようなものだぞ。
極めて特殊な例を挙げても例証にはならんぞ。
中国では、人肉は「両脚羊」と呼ばれ珍味だったのだが。
だから「珍味」であっても常食じゃないんでしょ。
米や牛肉と同レベルの常食ではないのは確かだが、
飢饉の時や遭難時など非常時に仕方なく食う、といったものでもない。
こんなのはもう既出でしょうか
貂蝉は あまりにも美女だったので、「董卓を倒す為に、華陀の手によって
誕生した元祖サイボーグ」という民間伝承がある。
>>770 つまり貂蝉は先行者の遠い親戚でオケイ?
いや、ロボットとサイボーグは違う。
>>770のは、人間の顔を墓から掘り出した西施(だったと思う)の顔とすげかえるという、
生体改造ネタ。
>>772 771はちゃんと「『遠い』親戚」と言っているから、そのツッコミはどうだろう。
サイボーグというよりフランケンシュタインの怪物って感じじゃないか
>>773 キングジョーとタイラントは遠い親戚とすらいえないと思うが……。
JR安土駅の自動券売機で切符を買える「近距離」区間は
JR清洲駅まで。
>>776 ( ・∀・)つヘェーヘェーヘェー
しかし名古屋方面には直通が少ないこともあり、買う人はほとんどいないんじゃないか?に1000モナー
あっ、確変突入だw
>>778 昔の三洋のデジパチは
7 7 8
でも当りだった(前後賞)。
三戦ネタじゃないのでsage
本家で、服部半蔵ネタ出たのに上がってないな。
782 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/13 08:18
何となく吊るしage
張飛は 諸葛亮に、
気を落ち着かせる為に刺繍をしろと言われ
いくさ前に花の刺繍を縫った事がある。
※集中力を高めるために刺繍するといいと聞いた事がある
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
あの張飛が花の刺繍かよ、想像し難い光景だ。
周倉は
徒歩で赤兎馬に並走できる
(出典:笑府)
786 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 16:54
黄巾の乱もあるが、
紅巾の乱もある。
【補足トリビア】
紅巾の乱(1351〜1366)
黄河治水工事の強制徴発に反発し、漢民族の反乱が起こった。
白蓮教徒が中心で、紅い頭巾を目印にした。
ちなみに、両方(こうきんのらん)と言う。
>>784 張飛は絵画などもたしなみ、意外と器用だったらしい。
達筆でもあった。
>>786 明建国のきっかけだよな。
そういう風に書くと、1366年で終わったかのように思えるが、
朱元璋って、紅巾軍幹部だったんだよな。
>>787 張飛も演義の被害者だからな。
本来は、蜀ではなかなかの文化人だったのに。
「家康は戦場で運子を漏らしたことがある」ってネタを本家トリビアに送ったら
何へぇ〜くらいなんだろうな。
>788
はい、そうです。
>>789 送ってみたら?
有名人+下ネタはそれなりにへぇを取れそうな感じはする。
792 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 01:57
今のところ、トリビアは「コレだ!」ってのが無いな。
>783
パクリイクナイ!
今度は自分で探そうね
三国志の
新聞がある
補足:「三国志新聞」 日本文芸社
795 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 15:47
光栄初代三国志は・・・
値段がファミコン本体と同じ14800円(詐欺)
797 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 14:37
>>794 読んだことある。写真が実写なのがおもろいw
∧_∧
( ´∀`)
( )
>>1の脳みそは―――
| ||
(___)__)
(##) パカッ
\ T /))
( ´∀`)
( ) はい、
| || メロンパン入れになってまーす♪
(___)__)
800
伊達政宗といえば独眼龍で有名だが、
昔いた伊達牧場産のダテハクタカという馬は、平地で菊花賞3着、阪神大賞典1着
といった優秀な成績を残した後、障害に転向して連戦連勝。
しかし迎えた中山大障害(春)で、
何者かによって顔に硫酸をかけられ、右目の視力をほとんど失うという、
そんな結果になった。
802 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 17:04
>>789 俺つい最近そのネタを投稿したばっかなのに・・・・・!!
嗚呼先を越された・・・・。
「徳川家康は戦に負けて逃げる途中ウンコを漏らした」って送ったぞ。
三方ヶ原の戦いで負けて逃げて城に着いたらウンコ漏らしてて家臣に笑われたってやつです。
前にも勝海舟が犬に金玉噛まれたってネタも先を越されたというのに・・・鬱
_,,. -‐‐‐‐‐‐‐- 、
lヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
l } | | | | |
l } | | | | |
|ニニ''" ̄ ̄○ ̄ ̄`|
/ //  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
/ // ヽ これからも僕を応援してくださいね。sir!
l:::::::| |. |
|:::::::| |: (●) (●) |
|:::::::| |::::::: \___/ |
ヽ::::::| |::::::::::. \/ ノ
山崎拓男とは?説明しよう。見た目はどっかにありそうなAAである。
従来の「山崎渉」や「にっこり君」では、学歴の高い人達が馬鹿にして受けにくい。
そのため、冠をつけてある程度の地位、家柄が関連しているのではと思わせ、
さらに政治界にその名を知られている某政治家の名前をもじって、インテリ層に
興味を抱かせようとする山崎プロパガンダ政策の一環なのである。
804 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 18:24
ζ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/\ \ / |
||||||| (・) (・) |
(6-------◯⌒つ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| _||||||||| | < じつは、俺は服部半蔵だ。
\ / \_/ / \________________
\____/
なんか急に程度が低くくなってねーか?
三顧の礼は
無かったという学説が強い
>>802 ていうか学研の学習漫画とかに普通に載ってたりするレベルのネタじゃない?
808 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 02:56
802だが。
勝海舟の話なんか児童向けの勝海舟の伝記みたいのに普通に載ってたからなあ。
しかも信長が秀吉に禿げ鼠って言った話も戦国好きなら基本のようなネタでしょうよ。
それから見たら家康ウンモネタはレベル的に上でない??
結局、トリビアは一般人が見たらへぇ〜って感じるネタだからな。
(歴史)ヲタの常識は一般人の非常識と考えてほぼ間違いないよ。
>>806 三国志蜀書先主伝にそのような記載がないので、実際はなかったのでは?…と言われてる。
講談三国志通俗演義にしか載ってないしね>三顧の礼
つまり後世のフィクションだと。
出師の表にのってんじゃん。
即死でしたね。
>>811 確かに出師の表に出てる
しかし、中国では古来より、三度とか三回ってのはお約束な数字で
本当に三回訪問したとかいう意味ではなく、あくまで手厚くという意味合いで
使われるんだってさ、だから三顧の礼も、三回訪問した礼というよりも
手厚い迎えという意味だという説が正しいらしい
あと陳寿の「三国志」以前に編纂された史書「魏略」では
樊城にいる劉備を孔明が訪れたことになってるらしいw
そーいや、今の中国でも行動するのは「必ず3回」という暗黙の了承があるな。
3回家を訪ねるのではなくて、劉備が3回請願して孔明が2回辞退して3回目に引き受けると。
このことは徐州で劉備が陶謙から譲られる時も、まったく同じ行為をしている。
最初の2回は必ず空辞退するのは、現代の中国人でも常識だと。
だから、相手もそれを承知の上で3回だけお願いするとか。
三顧の礼はあくまでも儀礼的なしきたりと考えるのが自然だな。
ていうか諸葛亮伝にも三回訪問云々は乗ってるんだが
曹丕も禅譲の際には再三辞退してるよね。
だからどうというわけでもないが。
釈迦も弥勒に三回頼まれて説法してるしな。
ジョルジュ三度
つーかリンカーンが髭を
ロリ少女の手紙で生やしたって言うのは、
かなり有名じゃないか?
学研漫画でもやってたぞおい。
>820
で、ある。
明治憲法が盗まれたってのも学研漫画で読んだ。
極めて普通の知識だと思っていたが・・・。
学研漫画って、それほど一般人は読んでないと思う。
824 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 14:31
そういえばベルとグレーの電話特許争いのネタがあったけど
エジソンも参加してたことには触れなかったな
これも学習漫画で知ったネタ。
エジソンはベルより一ヶ月早く申請を出したが
その時点でまだ図面しか出来てなかったので、いち早く実物を完成させたベルに負けている。
826 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 22:22
関羽の息子関索は正史にその記述がないが
その他の息子である関平は関羽と一緒に斬られる前後に名前が出るだけで、
関興は関羽の跡を継いだという記述があるのみである。
>>826 どこにへーといえばいいかわからなかった
>>827 まあそう苛めるな
知ったばかりのことを書きたいのは誰でも同じだ
828 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage 826( ´,_ゝ`)プッ] 投稿日:04/04/12 16:40
>>827 まあそう苛めるな
知ったばかりのことを書きたいのは誰でも同じだ
ここは痛さを競うインターネットですか?
831 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 21:45
>>786 ちなみに紅巾の乱の中心地は工事の為に税金が上がった長江流域住民。
逆に工事で働かされた黄河流域住民は工事の成功によって元朝への信頼が高まった。
明が華北進出に苦心したのはそのせい。
>>831を補足すると。
反乱の中心となったのは長江下流の都市富裕層と長江流域の転運業者。
反乱蜂起の原因は、臨時徴税の偏りと業者の大量失業。
黄河流域は氾濫洪水が治まった事により、生活が安定した農民たちの支持が高まった。
833 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 01:01
KOEIゲーム三国志は
横山光輝の漫画がモデル
ちがう?
834 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 01:02
835 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 01:04
836 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 01:05
837 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 01:05
838 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 01:55
>>837 あっ、それだけ違うね。でも他は一緒の気がする。
839 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 02:43
840 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 03:29
841 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 15:35
保守
842 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 18:16
上げてないよ… 吊ってくる(つд`)
846 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 14:54
847 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 17:15
なんと言うか、このスレはためになりそうで全くためにならない。
どちらにしろ
>>826は馬鹿だけどな
848 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 21:00
このスレは意外と忘れてたことを思い出させてくれるから楽しいよ
>>826は馬鹿だけどな
849 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 21:03
850 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 23:26
たまに気がついたらへぇって言ってしまうネタがあって悔しいよな。
>>826は馬鹿だけどな
851 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 23:27
書き込もうとしてもなかなかネタが思いつかないんだよなw
>>826は馬鹿だけどな
852 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 23:32
お前らあんまりよってたかって、一人を晒さないほうがいいと思うぞ
>>826は馬鹿だけどな
853 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 23:39
しかしここまでまったりした雰囲気になることも珍しい
>>826は馬鹿だけどな
854 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 23:45
ずっと貼り付いてるのか……
キモw
タバコの火の消し忘れが原因で、火事で死んだ漫画家がいる。
これ、あと、数年後くらいにはトリビアになるんだろうな(鬱
ご冥福をお祈りします。
前略
お祈りします。
人の死を笑いのネタにはしてほしくないな。
黙祷・・・
859 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 09:55
860 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 10:54
826=856
861 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 11:59
>>858 本当にやめてほしいよな。
不謹慎すぎ。
862 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 17:11
韓玄は
演義では韓玄の弟といわれる韓浩だが
曹操に屯田制を作るように進言した、とてもすごい方なのである。
864 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 19:39
865 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 00:32
866 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 22:51
867 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 01:19
826=828
868 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 01:23
869 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 01:25
黙れ、俺より馬鹿なやつはおるか!
俺より馬鹿なやつはおるか!
俺より馬鹿なやつはおるか!
呼んだ?
>>870 馬鹿キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!!
曹操の有名な詩といえば短歌行であるが
息子の曹丕も短歌行という同じ題の詩を書いた
874 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 00:03
>>873 どこにへーといえばいいかわからなかった
本能寺の黒幕は
足利義昭
張飛の字は翼徳だが
正史では益徳
>>878 どこにへーといえばいいかわからなかった
と言って欲しかったのだろうか。
>>879 まあそう苛めるな
知ったばかりのことを書きたいのは誰でも同じだ
と言って欲しかったのだろうか。
>>880 いや、そういうのが流行ってるんだろ。
と言って欲しかったのだろうか。
三戦板の黒幕は
エノキ
それは三戦の極秘情報だろ
だが実際に番組で採用されるかどうかということを考えると、
>>878くらいのが一番いいんだろうなあ。
ここの連中がうなるくらいのネタだと、一般人にはまったく理解不能で。
黒幕の御登場だ。最近ファンネルである複コテを駆使してないな。
名無し潜伏がメインなのか?
>>878 なぜ、正史と演義では字が違うのかも説明してくれないと「へー」はやれん。
たぶん当時の王朝の忌み字が関係してるとは思うが。
>>868 826、863。カンゲンやケイドウエイと比べてどっちがバカ?
888 :
【】 194.98.29.219:04/04/25 02:05
そりゃ!
889 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 18:43
新王朝建国とともに改暦をした魏(景初暦)・呉(乾象暦)と後漢の四分暦をそのまま使った蜀では日付が一日ずつずれていた。
>>886 翼と益は読みが一緒
口伝の講談で書き間違えたor「飛」という名前にあわせて書き改めた
と考えられる
考えられている
ブロードキャスターでやってたんだが
織田信長の末裔は現在現役高校生でフィギュアスケート選手らしい
この板の住人さんには常識かも
sage
劉備は
性転換した男性を妻として娶ったことがある
>892
養護施設の主任もね。
俺の塾の同級生にもいた。
あと織田無道も・・・
結論:けっこういる
そりゃあ何百年も前の人の子孫は大勢いるだろうw
有名人なら子孫も「うちはあの家系」ってキッチリ名乗るだろうしな
この間武田家と和解してた織田家当主もいたよね。
897 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/01 13:57
>>895 中山請王劉勝の子供は
たくさんいる
だから末裔も
劉備の時代で劉勝の子孫はおおよそ十万くらいいたらしい
900 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 15:23
>>898 そんなにはいない。
劉邦の子孫が後漢末で10万位いたという話はあるが…。
901 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 18:07
村民の60%くらいが
諸葛孔明の子孫の村がある。
902 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 18:14
村に八陣あるんだよね
903 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 18:17
現在、2チャンネルでは・・・・・・
「ゲーム」に行けなくなっている。
改行が多すぎるのうざい
>>900 いや、そんぐらいいるて聞いたよ。何せ劉勝の子供の数で数百単位いるらしいから
>>905 劉勝の子沢山ぶりに同母兄が激しくあきれて叱咤した話があったと聞いた。
出典はなんだっけ?
>>906 史記や漢書に載ってるよ。
正確には、中山王のエロ好きに兄があきれて文句を言ったという話。
908 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 00:47
現在2チャンネルでは・・・
現在2チャンネルでは・・・
現在2チャンネルでは・・・
現在2チャンネルでは・・・
現在2チャンネルでは・・・
「ゲーム」に行けなくなっている。
909 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 17:48
>>905 劉勝の息子や孫が全員好色だったというなら成り立つだろうが
娘もいるでしょ。
911 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 18:54
日本の問題にもあるよな
天皇だって男系だし
女系の家系なんか残ってるわけないしな
>>911 劉禅が曹家の遠い親戚だ、とか言うくらいなんだから、有名人に連なるものは大概名乗ってたんじゃないかな?
914 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 01:36
アダムとイブ信じてる人にとったら、人類みんな親戚
まあ、俺がいいたいのは劉備の自称は本当であれ嘘であれカスみたいなもんてことよ。
それでも、最後は漢の皇帝を称するまでに登りつめて、劉勝子孫自称に本当っぽい
箔をつけてしまったことが凄いと思う。権威は後からやってくるからなぁ。
917 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 14:45
>>916 東北大の山田勝芳教授の説だと当時の税制面の立場から、とりあえず漢室の末裔というのはウソじゃないらしいが…。
>>917 税制面についての詳細きぼん
>>914 信じればそうなる、ってわけじゃあないだろ。
それだと天皇家の親類と思い込んでるパラノイアは天皇家の親類、ってことになっちまうぞ?
919 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 10:17
>>918 山田氏のこの本に出ているよ。
『秦漢財政収入の研究』 汲古書院 全680頁 1993年12月
920 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 12:38
蜀漢のケ芝は
後漢の光武帝の宰相、ケ禹の子孫である。
921 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 12:49
今NHKでやってる火の鳥の外注スタッフに「諸葛子敬」という人がいる
922 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 18:18
演義とかでは赤壁の戦いの際、黄蓋将軍は川に落ちたところを韓当に助けてもらったとされるが、
死体と間違われ便所に捨てられているを韓当が見つけたらしい
一応、呉の兵に助けられたんだけど、黄蓋だとは気づかずに便所に放置されてしまった。
真冬の厳寒の中、黄蓋が便所から必死で助けを求めた所を韓当が偶然発見、無事救出された。
『ファミスタ88』のナムコスターズには、
「りゆうび」という選手が登録されている。.240の10HR、6番打者。
これは、同社から『三国志』が発売されたことによる。
925 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/11 23:53
加藤清正は
痔だった
926 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/12 00:04
>>924 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
6番打者にしては成績がよくないなあ
でも実際の劉備の勝率は2割4分ぐらいかも
927 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/12 17:14
真田幸村は・・・
怒って村に放火しようとしたことがある。
928 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/12 17:20
929 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/12 18:46
( ・∀・)つ〃∩ ガッテン! ガッテン! ガッテン!
それマジですか?
でも、戦国武将の放火は普通、というより常套手段だからな。
状況にもよるが。
○補足トリビア
真田親子が西軍を味方しようと上田に帰ろうとしていた時のこと。
途中に信之の沼田城を立ち寄ったのだが小松(忠勝の娘で信之の妻)がどうしても入れなかった。
昌幸は最後に孫の顔が見たいと言ったがそれでも入れようとしない。
これに怒った幸村は城下に放火をしようとするが、それを昌幸が止め、
「流石はあの本多忠勝の娘だ。彼女がいれば、真田は安泰だ」
といって城下町で宿を借りることにし、一夜を過ごしたという。
幸村の気持ちもわかるが、放火なんかやったら後世の英雄にはなれなかっただろうな・・。
ちなみに本多小松、文を見るとかなり冷たい人物に思えるが
実はこの後城下の正覚寺にいた昌幸たちの所へ孫をつれて会いに行き別れを惜しみ、
九度山に流された後もいろいろ仕送りなどをして真田親子を助けた優しいひとなのである。
小松タン(*´Д`)つ〃∩ ハァハァ! ハァハァ! ハァハァ!
しかし、昌幸はさすがにできてるな。
933 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/14 20:39
もひとつトリビア
徳川家康は・・・・
食い逃げをして捕まったことがある。
934 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/14 21:07
>>933 藤堂高虎は
食い逃げをしてうまく逃げおおせた事がある
936 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 00:20
>>935 正解。
案外知ってる人いるんだな。
補足トリビア
三方ヶ原の戦いで敗れて逃走中の時、腹がへったので餅屋で腹を満たすことにした。
家康が団子を食べてると武田軍が迫ってきて金を払わずに逃げ出してしまった。
すると店の女将が馬に乗って追いかけてきて家康を捕まえ、代金を払わせたという。
いつの時代も女は強いですなぁ・・・。
んな糞コテにレスつけんでいいよ。
938 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 00:22
糞漏らしたタイミングが団子屋の女将にとっつかまったッ直後だったりしたら
満へぇ〜やりたいんだけどな。
いみわかんね
基地害のひとりごとか
941 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/15 00:27
マジ糞エノキは死んで(・∀・)イイだろ。
保守
赤井英和は赤井直正の末裔
って今テレビでやってた
>>944 いや、詳細って言ってもホントにこれだけ。
家系図とかがあるわけじゃなくて、おばあちゃんから聞いたそうだw
ちなみに日テレでやってた「本物は誰でショー2」って番組
そうなのか…サンクス。
直系御子孫は伊賀上野にいらっしゃるそうだが、
畿内同士だし可能性としてはありうるなー。
死体って便所に捨ててたのか?
>>914 一応人間のDNA調べると、最初には一人の女に行き尽くそうぞ。
>>948 行き着くのは22万年くらい前で、かなり昔。
ちなみに男系を通じてのみ伝えられるDNAのY染色体部分を調べたところ、
こっちは27万年頃に共通祖先があったそうな。
何人調べたんだろうか。統計学上云々だと相当数必要のはずだけど。
今週やってた本家トリビアの次回予告で
「戦国時代には・・・」ってのだったけど
大方「戦国時代には・・・インスタントみそ汁があった」とかその程度のネタだろうな
>>949 つまり、アダムとイブは6万年もの時を隔てた恋をしていたわけですね!
953 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/30 11:17
広島には臥龍山という山がある
姫路には小赤壁という場所がある
ミトコンドリア・イヴ
エノキは一人で自演して会話してんのか。キモイね。
959 :
無名武将@お腹せっぷく:
へぇへぇへぇ