異世界系リプレイスレ 〜武田騎馬軍団vs三國志 その3
建安二十四(219)年2月
【雲蒸龍変】
―小沛―
[言焦]から小沛への侵攻路には、途中で大きな湖面が広がっている。
呉の軍勢は湖の南側に本陣を布いた。
「馬超軍は騎兵による突撃を得意としている。じゃがその反面、猪突を
好む。何とかして湖面に誘い出し、一気にケリを着けたいものじゃが」
参軍を任された程cは悄然と肩を落としながら、すっかり白くなった
髭を捻った。
程cは馬超が直率する騎兵によって濮陽を蹂躪され、曹植、楊脩共々、
この小沛に逃れてきたばかりだった。
歳を取ると戦場に身を晒すだけで体力を消耗する。況して負け戦の
直後とあっては尚更だ。何とかして早く戦を終わらせたかった。
「敵が馬鹿正直に湖上を突き進んでくれればいいんですけどねえ」
楊脩が他人事のように笑う。程cは相変わらずこの男が癪に障ったが、
今はそんな事を言っている場合ではなかった。
「では楊廷尉卿。貴殿はどう戦うべきと考える?」
「本陣を固めるしかないでしょう」
楊脩は一転して真顔になった。
「どこで待ち構えたところで、我が軍は既に労。部隊は再編がならず、
戦傷者も数多い。迂闊な兵力分散は極力避けるべきです。そして味方の
援軍が着くまで持ち堪えるのです。しかし敵の接近を知る必要があります
から、驃騎将軍には湖畔の砦に篭って、子方殿は湖東の山上に陣を
構えて、それぞれ敵の様子を覗って頂ければと思います。そして出来れば、
可能な限り敵を砦に引き付けておいて頂きたいのですが」
「某は構わんが、驃騎将軍ほどの将をその様に扱うのはどうかな」
糜芳がちらりと一瞥する。趙雲が返答するより早く、楊脩が口を挟んだ。
「驃騎将軍なればこそお願いするのです。私は将軍の用兵を信じて
いますよ」
「……御意」
趙雲は眉一つ動かさず、短く答えた。そう言われては程cも反論の
しようがなかった。
「兎に角。下[丕β]から大将軍たちが救援に向かっています。下[丕β]の
軍勢が来れば、我が軍は馬超軍の約2倍の兵力になります。そうなれば
馬超軍など物の数ではありません。諸君はそれまで何とか持ち堪えて
下さい」
すっかり影が薄くなっていたが、小沛太守を務める董昭がそう言って
軍議を締めた。
「何故濮陽に援軍を要請しなかったのですか」
湖北に布いた本陣の中で、鉄が不満を漏らした。
[言焦]の城を出る前に、兄さんが濮陽を陥したという情報は伝わって
いた。けど僕にとっては、そんな事はどうでもよかった。
援軍を出せと言えば出してくれそうな気はする。兄さんが雲碌の事で
負い目を感じているなら。けどそれは僕たちにとっては、思い出したく
ない事だ。況して兄さんに頭を下げて助力を請うなど、真っ平御免だ。
――とはいえ、本当の事は言えない。
「兄さんも戦ったばかりで疲れてるだろう。今回はいいよ」
僕がそう答えると、雲碌が真意を確認するかのように、僕の目を見た。
僕は黙って頷いた。
「そうですな、考え様によっては手柄を独占する好機かもしれませんな。
ご府君もなかなか機を見るに敏ですな」
赫昭は頷くと、地図を広げた。
「では軍議を始めましょう。小沛の呉軍は迎撃してくるようです。それから、
下[丕β]から敵の増援がある模様です」
僕が描いた地図を指し示しながら、赫昭が説明する。
「下[丕β]からの増援は、恐らく南西から来るでしょうな。直進または東を
迂回する事を推奨します」
「湖面を直進するのは駄目だ。機動力が活かせない。湖の東を迂回して
突き抜ける」
僕がそう言うと、赫昭も「それがよいでしょう」と言って頷いた。
ところが行軍の途中で凶報が齎された。
「急報です。昨夜馮将軍(馮習)が何者かに襲われ、重傷を負わ
れました!」
伝令からその報せを受け取って、僕は思わず舌打ちをした。
「…仕方ない。馮習は兵糧庫まで退いて療養する事。敵が兵糧庫
に近付いてきたなら迎撃するように。…ただ、敵将如何によっては
戦略的撤退も視野に入れる事」
「御意!」
伝令が身を翻して駆け出していく。
「手痛い戦力低下ですね。敵にこれから増援がある事を考えると…」
傍で雲碌が呟いた。僕は黙ったまま、進軍する先を見据えていた。
これは誰の仕業なんだろう。普通なら眼前の敵である筈だ。けど
僕らの陣営には、僕らを消そうとしている影がある。雲碌の指摘は
さしあたりの真実を突いているが、その裏にあるものまでは捉えて
いない。
(……まさか、僕が勝つ事を望んでいない人がいるとか?それとも
僕の手足を傷つける事で、僕自身を死に至らしめようとしている人が
いるとか……)
我ながら疑心暗鬼に囚われているな、と思う。けど、どうしても不安
は拭い去れなかった。
迂回を始めて5日目。先頭を進むキユの部隊の更に先頭が、急に
騒がしくなった。
「どうだった?」
直接先頭を視察に行った雲碌が戻ってくると、キユは訊ねた。
「趙雲が率いる部隊が湖畔の砦に篭り、我が軍に向かって罵詈雑言
を吐いているようです」
雲碌が答えた。表情が凄く険しかった。
「挑発だね」
「懲らしめてやるべきでしょう。誰に喧嘩を売ったのか、篤と教えて
あげましょう」
「まあ待て雲碌。戦いは熱くなった方が負けだよ。熱くなると冷静な
判断力を失う――と、仲達が言ってた」
雲碌は憤然とした。
「ではあのような輩を放っておくとおっしゃるのですか。斥候、敵の
兵力は?」
「8千余りです」
「たかが8千程度で…。お兄様、やはり一揉みに揉み潰しましょう」
「だから熱くなるなって。全軍に通達だ。敵の砦に向かって一斉に
こう言え」
キユはそう言って妹を宥めると、一枚の紙切れを手渡した。その紙
にはこう書かれていた。
『引き篭もり必死だな。( ´,_ゝ`)プッ』
砦内の聚議庁に、一人の伝令が駆け込んできた。
「驃騎将軍様。一部の兵が敵の挑発に乗せられて、出撃しました!」
その報告を聞いた瞬間、趙雲は切歯扼腕して天井を仰いだ。
趙雲が今率いている8千の兵士のうち、8割方は新兵だ。新兵の
多くは訓練も訓戒も行き届かぬまま、定陶で馬超軍と戦い、野に
屍を晒した。ほんの数日前の事だ。
馬超が直率する西涼騎兵の驍悍さは、初陣にはきつ過ぎた。それ
が心の傷となって、今回挑発に乗せられてしまったのだろう。
それにキユが思いの他冷静だった。逆手にとって挑発し返してくる
とは思わなかった。
「已むを得ん、全軍直ちに出撃。馬休の本隊を衝く」
趙雲は即座に命令を下したが、驍騎都尉の夏侯蘭が諌めた。
「将軍。我々の任務は敵をここで足止めし、援軍の到着を待つ事です。
既に援軍は湖西に姿を見せています。今は砦を固守するべきです。
焦ってはいけません」
趙雲は暫し沈思した。
「…さりとて砦を出た味方を見殺しにするわけにもいかん。その様な
事をしては兵の信頼を得る事は出来ん。だが貴殿の言も尤もだ。
故に私は半数を率いて砦を下り、飛び出してしまった味方を連れ戻す
事にする。貴殿は残り半数を指揮して、私が不在の間、砦を守ってくれ」
「御意」
夏侯蘭は拱手した。
趙雲は味方がキユの部隊に包囲されているのを看取すると、
果敢にも突撃を仕掛けた。
「我こそは呉の驃騎将軍、常山真定の趙子龍なり!死にたくなく
ば道を開けいっ!!」
趙雲自らが先頭に立って血槍を振るう。趙雲が一閃する毎に、
血霧が春陽に煌いた。
だがキユの麾下は、趙雲の武名にも臆するところがない。それ
どころか逆に一躍名を馳せんとばかりに、次々と趙雲に襲い掛か
ってくる。その貪欲さは餓狼のようでありながら、かつ整然と統率
が行き届いていた。
趙雲隊4千は歩兵。対するキユの本隊2万は騎兵。余りにも無謀
な突撃となった。趙雲隊は何とか合流を果たしたものの、じわじわ
と押し包まれ、今度は諸共に脱出出来なくなってしまった。そして
瞬く間に供回り百人前後にまで打ち減らされていた。
(強い。馬超ほどの殺気はないが、軍事をよく弁えた将のようだ。
これが馬超の弟か)
趙雲は纏わりつく敵を屠りながら、冷静にそう判断した。天下で
五指に入るほどの名声は、どうやら虚名ではないようだった。
何より常勝将軍に率られる事で、将兵が自信に満ち溢れている。
(疆いのは馬超独りのみに非ず…或いは所詮は新兵か)
趙雲の頬を自嘲の翳が滑り落ちた。
敵の軍は訓練が行き届いている。騎兵の動きは剽悍にして俊敏で、
一糸の乱れも無い。趙雲一人の驍勇では、敵の戦意を突き崩す事
が遂に出来なかった。寡兵で打ち破るのは困難極まりないように
見えた。況して歩兵では…。
挑発に乗せられた部下は、既に立っている者がいないようだ。
救出は完全な失敗に終わった。
無念だが、ここで自棄を起こしてはいけない。百人足らずと雖も
助け出す。何としても血路を切り開かねば。
そう思った矢先。趙雲の目の前に、一人の将が手勢を率いて
立ち塞がった。その将は白銀の鎧を身に纏い、花冠を被った
華やかな女将だった。
「呉の驃騎将軍、趙雲子龍殿とお見受けします。おとなしく馬を
下りなさい」
「…女か。女子供が戦場に出てくるものではない」
「その台詞は聞き飽きました。語りたい事があれば、その槍で
語りなさい」
「…そなた、名は何と言う」
「馬寿成が娘、扶風茂陵の馬雲碌」
「ほう…。墓碑銘にはそう刻んで差し上げよう。覚悟っ」
掛け声と共に、趙雲が猛然と突き掛かった。
十合、二十合、三十合。槍が交わる度に戛々と音が鳴り響く。
雲碌は最初の一合で膂力では敵わないと覚り、受け流しての
反撃に重きを置いた。
雲碌の心臓を的確に狙った一撃が繰り出される。雲碌は趙雲の
剛槍を槍の柄で巻き込むように受け流すと、逆に趙雲の右胸を
狙って槍を突き出した。趙雲は避けきれないと踏んだか、槍から
左手を放して雲碌の突きを掴み止めた。そして右腕一本で槍を
振りかぶり、雲碌の首筋目掛けて叩き下ろす。雲碌は鞍を蹴って
間合いを詰め、一瞬で槍を持ち替えた。そして腕を大きく反す。
趙雲が馬上でよろめいて、穂先が地面を撃った。趙雲は相手の
槍を手放すと、鞍を蹴って素早く間合いを取った。雲碌の槍が
趙雲の鎧を掠めて退いた。
趙雲は驚くと共に感心した。巻き込んだ技倆もさる事ながら、
槍を掴まれた瞬間の判断、持ち替えて隙を与えない手捌き、どれ
を取っても一流の鎗手だ。成程、女だてらに戦場を疾駆するだけ
はある。久々に血が滾るのを感じた。
…だが、今は己の武勇を誇っている時ではない。自分が馬騰の
娘と戦っている間に、供回りは既に僅か2人にまで打ち減らされて
いた。兎に角、今は逃げるのが先決だ。
「ぬうんっ!」
趙雲が槍を横に薙ぐ。槍が音を立てて大気を切り裂き、馬超軍を
僅かにたじろがせた。その隙を見て趙雲は瞬く間に2騎の敵を打ち
落とし、部下に馬を与えた。
「馬雲碌!今日のところは勝負は預け置く。後日再戦!」
そう言い捨てて、馬に鞭を入れる。
「逃がしません!」
雲碌は部下を叱咤して追い縋った。
「待ちなさい、趙雲っ。それでも男ですかっ」
叫びながら、2騎の敵を突き伏せる。だが趙雲だけは馬がいい
のか、雲碌の愛馬『胡蝶蘭』を以ってしても、なかなか追いつけ
なかった。
「ちいっ、逃げ足の速い」
雲碌は舌打ちをすると、勁弓に矢を番えた。そしてひょうっと
放てば、矢は狙い違わず趙雲の馬の尻に突き立った。馬は突然
の激痛に棹立ちになった。
「しまった…!」
体勢を整える暇もあればこそ。趙雲はもんどりうって落馬した。
趙雲は腰を強かに打ちつけて立ち上がれない。そこへ雲碌の
手勢が駆けつけて雪崩のように趙雲に飛び掛かり、遂に趙雲を
捕縛した。
「あーあ、ケツの穴に突き刺さってるよ。こりゃ痛いだろーなー」
丁度趙雲が捕えられたところに、キユが現れた。キユは泡を
吹いて悶絶する趙雲の乗馬を見ると、そんな感想を漏らした。
緊張感の欠片も無い感想だったが、雲碌は莞爾と微笑んだ。
「将を射んとすれば、まずその馬から射るものです」
「無理してる、無理してる」
キユは手を振った。雲碌はその笑顔とは裏腹に、全身で荒い息を
吐いていた。額にも玉のような汗がいっぱいに浮かんでいる。
幸い趙雲が退こうとしたから助かったものの、あのまま戦い続けて
いれば、雲碌の命の保証は無かったかもしれない。
「ま、何にせよお手柄だ、雲碌。お疲れ様」
「有難うございます」
「けど、気を付けてよ。相手は趙雲なんだから。凄く心配したん
だぞ」
雲碌が趙雲の首を取りに飛び出した後、キユは趙雲の武名に
畏れを為したものの、何とかそれを振り切って駆けつけたのだった。
「確かに強敵でした。けど、今日は私、凄く調子がいいんです」
「調子がいいのは結構だけど、雲碌に何かあったら僕が困るん
だからね」
「はい」
雲碌はにこりと笑った。愛する人に心配されるのはすごく嬉しかった。
翌日、キユは自ら軍の先頭に立ち、湖畔の砦に吶喊した。
その手には桿棒が携えられていた。
キユは的廬が疾走するのに任せて桿棒を振り回し、戦意の
低い敵を薙ぎ倒していった。なるべく不殺を貫く為の処置だった。
守将の夏侯蘭は重傷を負った末に、キユによって捕えられた。
湖上を東進していた夏侯惇は、これを聞いて愕然とした。
「なに、趙雲と糜芳が捕まっただと?!」
「御意。二つの砦も既に陥落した由」
伝令は跪いたまま、顔を上げない。夏侯惇の隣で、張[合β]が
「ほう」と呟いて顎を撫でた。
「キユも案外やりますな。まさか驃騎将軍までもが手玉に取られる
とは」
2人の許へは既に、山上に陣取っていた糜芳も、張苞によって
捕縛されたという報告がなされている。だが糜芳と趙雲とでは、
将器で比較にならない。その趙雲が反計の好餌となった事は、
これから自分達がキユと戦う際に留意するべき事項となるだろう。
「感心している場合か。予定が狂った。急いで上陸しろ!それから
耿紀の船に伝令だ。敵の兵糧庫を奪え。奪えないなら火を放て。
兎に角敵の後方を脅かすのだ!」
夏侯惇が怒鳴るように命令する。伝令は粛然として頭を下げると、
帷幕を飛び出していった。
「キユには…キユにだけは負けるわけにはいかんのだ。今が絶好の
機会なのだ。奴の首は必ず取る!」
夏侯惇が卓子に拳を叩き付ける。張[合β]はその様子を訝しげに
見守った。
新スレ移行で少し長めに書きました。
今更趙雲と邂逅してもねえ…(^^;
ここで次回予告。一難去ってまた一難。呉の新手は夏侯惇と張[合β]。
両雄の猛攻をキユはどう耐え凌ぐか。ロケットでつきぬけろ!
>>馬キユ氏
テンプレに四代目氏のサイトとまとめサイトへのリンクキボン
>>17(夏厨)
管直人さんのまとめサイトは、テンプレに追加しても良いと思うけど。
四代目さんのサイトは、個人サイトだから晒すのは極力やめれ。
念のため保守。
ほっしゅ
【死線 弌】
「敵襲!」
砦を陥した翌朝、キユたちは警鐘の音と共に跳ね起きた。
「敵襲?!どこから?!相手は誰だ?!」
キユは夜着のまま表に飛び出した。寝所の中では雲碌が、慌てた
様子で着衣の乱れを直している。
「大型の船団が湖畔を埋め尽くしています。既に敵の一部が上陸を
始めています!」
「で、相手は」
「旗幟には夏侯と張の文字、それと大将軍の軍旗が見えます」
「まさか…!?」
キユは慌てて櫓から身を乗り出した。
上陸した敵の中に、見覚えのある偉丈夫が指揮を執っていた。
その偉丈夫の隣に駒を並べているのは、これもまた堂々たる体躯を
した隻眼の将。その隻眼の将がキユの姿に気付いた。
「そこか、キユ。今からその素っ首を貰いに行くから、そこで待っておれ!」
夏侯惇が大音声で呼ばわる。
「朝っぱらから何考えてんだ…!」
キユは舌打ちしたが、戦場には元々朝も夜もない。油断したキユが
悪かった。
「者共、攻め落とせっ」
夏侯惇の合図と共に、夏侯惇と張[合β]の部隊、併せて3万7千が
喚声を上げて砦に攻めかかった。
張[合β]隊が水際に馬を下ろし、次々と馬に飛び乗る。その間、
夏侯惇の指揮する弩兵が船上から、砦に向けて弩を斉射する。
張[合β]は夏侯惇の傍を離れると、麾下の騎兵を指揮して砦に突撃した。
キユの部隊は不意を衝かれて混乱しかけたが、彼等も既に歴戦の
勇者である。司令官の指示がなくとも、各々の判断で即座に迎撃の
態勢を整えた。砦に守られていたのが幸いした。
「全軍、全力で守れ!敵を砦の中に入れるな!」
キユが漸く月並みな指示を出したところで、軍装に着替えた雲碌が
出てきた。容姿を整えている暇が無かったのか、化粧は全て落とされ、
髪もところどころが解(ほつ)れている。
髪の解れは昨夜の情事の名残だ。化粧を全部落としたのもそのせい
だろう。
「お兄様、早く着替えてきて下さい。暫くの間私が防戦の指揮を執ります」
「…ごめん。頼んだ」
キユは一瞬躊躇った後、頷いた。仮にも司令官だ。こんな格好で指揮を
執るわけにはいかなかった。
けど、一人であの二人の相手をするのは無謀だ。
キユはそう考えると、赫昭の部隊を救援に呼び戻すべく、伝令を走らせた。
夏侯惇の攻勢は激烈を極めた。味方の損害も顧みず、只管
力任せに押し捲った。夏侯惇自らが先頭に立って、血槍を振るう。
槍を何本も潰しては、その都度敵から槍を奪い取った。
馬から下りていたというのもあったかもしれない。夏侯惇の鬼気
迫る戦い振りに、剽悍な涼州兵も流石に怯んだ。
やがて北の寨門が焼け落ち、木柵が押し倒された。夏侯惇率
いる呉軍は燻り続ける木柵を踏み越えて、砦内に雪崩れ込んだ。
「どこにいる、キユ!隠れてないで出てこい!」
眼前の敵を突き伏せて、夏侯惇が呼ばわった。敢えて夏侯惇に
近付こうとする馬超軍の兵士は、もういなかった。
「隠れてたつもりはないんだけどね」
麾下の兵士を掻き分けて、キユが進み出た。
「はっ、何の寝言を。俺はこの三十有余年、戦場に出れば常に最
前線にこの身を晒してきた。貴様は戦争嫌い戦争怖いで甘ったれ
て、戦場でも大軍に守られて後陣でガタガタ震えてきただけでは
ないか」
「将たる者は軽々しく先陣を切って戦うもんじゃないと思うけどね。
戦局全般を見渡し、臨機応変の指揮を執る事こそが、将に求めら
れる器だと思うけど」
キユは今まで、それを実践しようとしてきたわけではない。キユに
とっては一種の詭弁だが、それは曹操の考えと合致していた。
夏侯惇は頭頂から湯気を出さんばかりに赫怒した。
「この俺が貴様に将器で劣るとでも言うのか。ふざけるな。俺が貴様
などに負ける筈がない。負けて堪るか!――キユっ、勝負っ!」
夏侯惇は怒号するや否や、キユに襲い掛かった。
夏風邪をこじらせて寝込んでしまい、更新が遅れました。
すみません。
その間保守して頂いた皆様には心からお礼申し上げます。
>>17-18 ここですね。諒解しました。
三国志リプレイ集(三戦板リプレイ保管庫)
http://urakusai.hp.infoseek.co.jp/top.html 四代目殿の個人サイトはここからリンクが張られているので、
このスレから直リンするまでもないでしょう、という事にしておきます。
ここで次回予告。キユVS夏侯惇の陰で雲碌を脅かす者が現れる。
果たして勝負の行方は?シスター・オブ・ラブでつきぬけろ!
(*゚∀゚) <ホシュダゾ アヒャ
26 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/04 18:28
急速浮上。
私が通常利用しているプロバイダがアクセス規制を食らっているようで、暫く更新できません。 申し訳ありません。
>>27 アク禁はやむを得ないことかと。お気になさらず。
お戻りをマターリお待ちしてます。
ホッシュホッシュ。
…OCNはきついぞ、マジ…
ネトゲ板に書き込もうとしたら、エラーいきなり出たし。
この仕様はよなおしとくれ、まじで。
アク禁からの復帰を祈りつつ保守・゚・(´Д⊂ヽ・゚・
保守
保守
アク禁がまだ解けません。保守してくださっている皆様、有難うございます。そしてすみません。
そんなに悪評高いのかな、ウチのプロバイダ。。。
馬キユ殿……何でしたら捨てアド晒しますので、
捨てアドから原稿送っていただければ、代理で
書き込みますがいかがでしょうか?
34氏、ご厚意に感謝します。宜しくお願い致します。
不肖ながら微力を尽くさせていただきます。
目欄にアドは書きましたので、sageと半角スペースを
取って送信のお願いいたします。
【死線 弐】
「なかなかやりますね……!」
雲碌は張[合β]の矛を槍の柄で受け止めながら言った。柄と柄がギリギリと
軋み合う。
雲碌は余裕の笑みを浮かべようとしたが、噴き出す汗が頬を伝って滴り落ちた。
二人が撃ち合っているのは、西の寨門の内側である。ここの守備に駆けつけた
のは雲碌で、その雲碌が指揮する防禦に、張[合β]は意外に攻略を梃子摺らされ
ていた。だがそれでも張[合β]が先陣を切って寨門を突破した時、その乗馬の額
に一本の矢が突き立った。雲碌が射たものだった。
張[合β]は馬が倒れるより早く、地面に飛び降りた。その目の前に雲碌が立ち
塞がった。
張[合β]の背後では、門柵を叩き壊そうとする呉軍と、そうはさせまいとする
馬超軍とが乱戦を繰り広げていた。
張[合β]はやや訝しげな表情を見せた。
「貴女こそなかなかの腕前です。しかし驃騎将軍に打ち勝ち得るほどの強さとは
思えません。驃騎将軍はどうかしたのですかな?」
張[合β]に訝しがられるのも、ある意味当然だった。
雲碌には昨夜の情事の名残がある。腰が疲れていて据わらず、お陰で力が上手
く出せなかった。
それに、股間には詰め物までしてあった。朝、立ち上がった時に、胎内に溜ま
ったモノが零れ落ちるような不快感を感じた。それを押し留める為のものだった。
だから激しく動き回ると詰め物が落ちそうで恐かったし、詰め物をした事自体、
いつもと違う感触に違和感を覚えた。
だが、体調不良で戦った事は一再ならずある。その程度の事で弱音を吐くつも
りも、またその必要も無かった。
「さあ、どうでしょうね…っ!」
雲碌はクンッと手首を反すと、張[合β]の矛を受け流した。張[合β]の身体が、
支えるものを失って流れた。雲碌は飛び退りながら、がら空きになった張[合β]
の首筋目掛けて、穂先で思い切り斬りつけた。
だが、張[合β]は全力で雲碌を押し込んでいたわけではない。その分、身体が
流される度合も少なくて済んでいた。張[合β]は咄嗟に矛をくるりと回転させて、
刃で敵の穂先を受け止めた。
ギィン…と金属音が鈍く鳴って、辺りに谺した。
「…成程、これが貴女の力ですか。少し侮っていたようですね。某も全力を以っ
て応える事にしましょう」
張[合β]がゆらりと立ち上がる。
(ちっ、まずいわね……)
雲碌は心中で軽く舌打ちをした。
目の前にいる勇将は、一昨日戦った趙雲とほぼ互角の実力を持っているようだ。
だが勇将としての矜持というか、趙雲にしろこの張[合β]にしろ、相手が女だと
いう事で、最初は少し手加減していた。それ故に雲碌の活路もあったのだが、今
のを仕留め損ねた事で、勝機はグンと下がってしまった。
張[合β]が無造作に歩み寄る。雲碌が槍で間合いを計りながら、じりじりと後
ずさる。
コツンと。雲碌の踵が何かに当たった。それはさっきまで張[合β]が跨ってい
た馬の亡骸だった。
雲碌の意識が一瞬、張[合β]から逸れる。その僅かな隙を張[合β]は見逃さな
かった。
「ぬうんっ」
重低音の掛け声と共に、張[合β]が矛を縦に一閃した。雲碌がハッとして右に
跳ぶ。矛は地面を叩き割ったかと思うと、そのまま逆袈裟に切り返されて雲碌に
迫った。
「くっ…!」
雲碌は避けきれず、槍で受け止めようとした。だが張[合β]の斬撃は疾く重く、
雲碌の軽い身体をガードごと吹き飛ばした。
雲碌の身体が地面に叩き付けられた。衝突の衝撃で、雲碌の手から槍が零れ落
ちる。だが槍を拾う間も無く、張[合β]の第三撃が雲碌を襲った。雲碌は槍を諦
めて飛び退った。
抉り取られた大地がドサリと音を立てて、漸くその母の許へ帰った。
雲碌は土埃を払うと、ちらりと目線を走らせた。雲碌の槍は張[合β]の足元に
転がっている。取り戻すのは難しそうだった。
已むなく雲碌は腰に手を伸ばした。佩剣を抜く為である。だが腰に手を伸ばし
たところで雲碌は、そこにあるべきものがない事に気が付いた。
(しまった、寝所に忘れてきた……)
不意の敵襲に焦り過ぎたのだ。だが、後悔してももう遅い。雲碌は唇を噛み締
めた。
「剣があったところで、その細腕ではこの間合いを補う事は出来ますまい。覚悟
召されよ」
張[合β]は勝利を確信して、ゆっくりと歩を進めた。女を斬るのは忍びないが、
かといって生かしておいては将来の禍根になりそうだ。
馬騰の娘という事はキユの妹という事だ。ここで彼女を殺せば、キユからは間
違いなく怨まれるだろう。だがそれが国家の大事だった。
(…まだ策は残っている。機会は一瞬。今度機会を逃せば多分死ぬ…)
雲碌は張[合β]の言葉を聞いていない。ただじっと、相手の動きを細大漏らさ
ず覗っていた。
「覚悟は宜しいですか」
張[合β]がゆっくりと矛を振りかぶった。蛟竜が顋(あぎと)を開いて、雲碌
を噛み砕こうとしている。雲碌はそんな錯覚を覚えた。
(…まだ死ねない。私はこれからもずっと、お兄様と……!)
雲碌が瞋目する。張[合β]には一瞬、その赤毛がぞわりと逆立ったように見えた。
刹那、張[合β]の矛が旋風を伴って、雲碌の身体を薙ぎ払った。矛は見事な
までに、雲碌の身体を袈裟斬りに斬り下ろした。だがあまりの手応えの無さに、
張[合β]はハッとした。
「残像か…!」
急いで周囲に視線を走らせる。右下方に何かの影を見出した。張[合β]の矛が
素早く弧を描いて、再び振り上がる。だが張[合β]が矛を振り下ろすより、雲碌
が飛び込むのが一瞬だけ早かった。
雲碌の腰は、その俊敏な動きに耐え兼ねて痛みを訴えている。力が抜けそうに
なる。
けど、ここで力を抜けば即、死が待っている。ここで仕留めなければならない。
「哈ッ!」
雲碌は気勢を上げると、右の肘を鋭く尖らせて、張[合β]の腋のすぐ下に叩き
込んだ。更に右の拳を左の掌で押して、威力を増大させる。腋の下は人体の急所
の一つでありながら、最も装甲が薄い部位である。張[合β]は激痛を覚えて顔を
歪めた。
間髪を入れず、右斜め下から、張[合β]の顎に掌底を叩き込む。張[合β]の顎
がガチンと鈍い音を立てた。
「が……!?」
掌底が余程効いたのか、張[合β]がよろめいて、顎を手で押えようとする。
だがその手を撃ち抜くように、雲碌が更に上段蹴りを放った。直線的な上段蹴り
は手の上から確実に張[合β]の顎を捉え、その身体を吹き飛ばした。
軽い地響きの音を立てて、張[合β]の身体が地上に沈む。張[合β]は意識が
混濁して、俄かに立ち上がる事が出来なかった。
「今のうちです。この者に縄を搏ちなさい」
雲碌は荒い息を吐きながら、部下に命じた。
(流石に疲れたわね…)
雲碌は右肩を押えた。肩で息をした時に痛みが走ったのだ。
腰も痛くて堪らないが、そこを人前で押えるのは流石に憚られた。
少しだけでいい。今は休みたい。
だが今は、休めない理由があった。
(お兄様、大丈夫かしら……)
雲碌は身体を引き摺るようにしながらも、兄の姿を捜し求めた。
周囲では漸く駆けつけた赫昭の部隊が、主将を失った張[合β]軍の掃討を始め
ていた。
【死線 参】
夏侯惇は既に長時間戦っており、60歳という年齢も相俟って、流石に息が荒く
なっていた。
だが一方のキユも、夜更けまで房事に勤しんでいたので、まだ腰が痛い。結局
両者の一騎打ちは、夏侯惇の方が若干押し込んでいた。
「キユ…嫁を寝取られた親の気持が解るか…」
激しい鍔迫り合いの中、夏侯惇がギリギリと歯軋りをする。その隻眼に憎悪の
炎が燃え上がっていた。
「解らないよ…っ」
キユは必死で睨み返した。
「そうか、解らんか…この不逞半狄がっ」
「そんなくだらない策を弄したのはそっちだろ。それに僕は寝取っていない…!」
「今更そんな言い逃れが通用するかっ…」
「ほんとの事じゃないかっ…」
そう言ったものの、公主がここにいて証言してくれるわけではない。夏侯惇が
納得するべくもなかった。
「兎に角、貴様は今ここで死ねいっ!」
「死ねるかよ…っ!」
申し合わせたかのようにお互いを弾き合う。キユはよろめいて片膝をついた。
夏侯惇の方が先に足を矯め、キユに向かって突進した。
「くそっ…!」
キユは咄嗟に地面の砂を掴むと、夏侯惇の顔目掛けて投げつけた。
「ちいっ、姑息な真似を!」
夏侯惇が眼前に迫る砂粒を左手で払いのけながら、直刀を振り下ろす。キユは
辛うじて剣で受け止めると、夏侯惇の腹に跖底を蹴り込んだ。
「ぐうっ、おのれ…」
夏侯惇は呻いて踏み止まると、キユの胸目掛けて真っ直ぐに突いてきた。
キユは受け流して躱しざま、夏侯惇の左の肩口目掛けて斬り下ろした。だが
夏侯惇が素早く避けて、剣は肩当てを掠めるに留まった。
「はぁ…はぁ…夏侯惇さん、息が上がってるよ…いい加減あきらめてくれない
かな…っ」
「息など…はぁっ、上がっておらぬわ…はぁっ…そういう貴様こそいい加減あき
らめろ」
「嫌だね…!僕にも望むものがある」
「ならばその望み、永遠に叶わぬものにしてくれる!」
夏侯惇が左右袈裟、左水平の三連撃を放つ。
キユは最初の二撃は辛うじて受け止めたが、斬撃の重さに受け止めた手が痺れ
た。そして三撃目も受け止めようとして、剣を弾かれた。
一瞬、キユの懐がガラ空きになった。
「しまった…!」
「貰ったぞ、キユ!」
夏侯惇が半白の髭を震わせる。そして袈裟掛けに斬り下ろした。
「ぐぅっ…!」
二人の口から同時に、呻き声が漏れた。
夏侯惇の左脇腹に、キユの右回し蹴りが入っている。
だがそのキユの左肩は、斜めにざっくりと斬り下げられていた。その瘡痍は胸
にまで達そうかというほど深く、重かった。
キユががくりと膝をつく。夏侯惇はよろめきながらも踏み止まった。
呉軍から歓声が湧き起こった。馬超軍は逆に色を失った。
夏侯惇はキユの胸座を掴み上げた。脇腹に痛みが走る。キユを掴む左腕が震えた。
「どうだキユ、解ったか。これが俺と貴様との実力差だ。孟徳は人材に貪欲だか
らな、まず集めてみないと気が済まない。だが我等が大呉に貴様など必要ない。
今までの怨毒、ここで晴らさせて貰うぞ」
夏侯惇がキユの胸に垂直に剣を向ける。そして剣の柄を握り直した。
(僕…ここで死ぬのかな……)
キユは虚ろになっていく思考の中で、そう思った。
死にたくはない。けど血がどんどん溢れ出して、力が入らない。ものを考える
のも、もう億劫になってきた。
元の時代に帰りたかった。そして漫画家として、もう一度頑張ってみたかった。
もう、ダメなのかな……?
自分の為に人の命を足蹴にしたから、罰が当たったのかな……?
……ダメならダメでいい。最後に、雲碌の顔が見たかったな……。
「死ね」
夏侯惇が宣告した。
【死線 肆】
「お兄様……!」
薄れゆく意識の中で、キユはそんな声が聞こえたような気がした。
「あ……雲碌……?おかえり……」
呂律が回らなくて、何を言ったのか解らない。だがキユには、その自覚すら無
くなりつつあった。目が翳んでよく見えない。
(ごめん、雲碌――……)
そしてキユの意識は途切れた。
砦の中から出てきたのは、紛れもなく雲碌だった。
雲碌は最愛の兄の肩に剣が食い込むのを見た。
瘡口から鮮血が噴き出すのを見た。
「いや……!」
雲碌は悲鳴を上げた。心が千々に乱れる。次の瞬間、我を忘れて駆け出していた。
「お兄様……!」
「ちっ、小娘が…」
夏侯惇は雲碌の姿に気付いて舌打ちをした。猛る復讐心に水を差された気がした
のだ。
その時キユが何か言ったようだが、夏侯惇にはよく聞き取れなかった。
「貴様等、その小娘を捕えておけ!」
咄嗟に夏侯惇が怒鳴る。流石に夏侯惇も、この状況で女を殺す気にはなれなかった。
だが、自分で捕えに行かなかったところに、夏侯惇の失敗があった。
それほどまでに夏侯惇は、キユを殺す事に執着し過ぎていた。
(犯す!)
呉軍の兵士は狂喜と下劣の笑みを浮かべながら、雲碌に襲い掛かった。
彼等は武器を放り出していた。武器を使って傷つけるのが惜しかったし、使うま
でもないと思った。雲碌の強さを知らなかったのだ。
雲碌を取り巻くように、一陣の血風が舞った。
数多の兵士がただの肉塊と化して、雲碌の周囲に崩れ落ちた。
血霧の中から雲碌が姿を現す。雲碌は全身に返り血を浴びて朱に染まっていた。
我を忘れて隙だらけだった筈の少女が、刹那のうちに十人以上の呉兵を屠った。
白刃が煌くのさえ見えなかった。呉軍の喜色は一瞬にして色褪せ、慄然として皆
立ち竦んだ。
雲碌は虚ろな瞳のまま、ゆらゆらと夏侯惇に歩み寄った。
呉軍の兵士は返り血のせいか、雲碌が静かな炎を身に纏っているような錯覚を
起こした。呉軍はその様子にかえって恐懼し、雲碌の為に道を開けた。
夏侯惇は雲碌の絶技よりも、雲碌が手にしている剣を見て驚いた。
「その剣は張[合β]の…まさか?」
「夏侯惇…お兄様を傷つけましたね……」
雲碌の両眼が突如、瞋恚の炎を燃え上がらせた。
疲れも痛みも感じない。ただ、愛する者を傷つけられた怒りだけがあった。
「貴方を殺します…!」
雲碌が大地を蹴った。猛鷲の如き疾さで夏侯惇に詰め寄る。
雲碌の手が消えた。夏侯惇の背中がぞわりと粟立った。
(来る…!)
夏侯惇は咄嗟にキユを手放し、剣に両手を添えて、眼前で水平に構えた。
罅割れた金属音が鳴った。斬撃のあまりの重さに、夏侯惇の手が痺れた。
(この細い身体のどこにこれほどの力が…)
驚いている暇もなく、雲碌の連撃が夏侯惇を襲う。夏侯惇は忽ち防戦一方に
追い込まれた。
気で既に呑み込まれていた。それに疲労が追い討ちをかける。更に五合を数
えたところで、夏侯惇の剣は弾き飛ばされた。
夏侯惇が顔色を失う。髭を震わせるより早く、雲碌の剣が一閃した。
夏侯惇の鎧が、斜めに裂けた。裂け目から血が滲み出した。
(浅い…!)
夏侯惇は咄嗟に、我が身を後ろに反らせていた。お陰で致命傷は避けた。
だが勢い余って後ろに倒れ込んだ。背中を強かに打って顔を顰める。
雲碌は間髪を入れず飛び掛かると、夏侯惇の胸の上に馬乗りになった。
雲碌は憎悪に身を委ねたまま、剣を振り翳した。その切っ先は夏侯惇の喉に
向かっている。白刃に陽光が煌いた。
夏侯惇は顔を醜く歪めた。それは「仇」を取り損ねた故か、はたまた諦観の
故か。
「死になさい」
雲碌は勢いをつけて、剣を突き下ろした。
その時。
(ダメだよ、雲碌……)
その言葉が雲碌の耳朶を打った。雲碌はハッとして、咄嗟に切っ先を逸らした。
ドスリと、音がした。
雲碌の剣は夏侯惇の喉を逸れて、大地に深深と突き刺さった。
夏侯惇が目を見張る。だが雲碌は、そんな夏侯惇には見向きもせずに、倒れ
ている兄に視線を向けた。
キユは意識を失ったままだった。
(今のは幻聴……?)
そう、今のは多分幻聴だ。
なら何故そんな幻聴が聞こえるの?私は赦せない。お兄様を傷つけたこの男を。
(……それとも、それがお兄様の意志…?)
自分が傷つけられても赦すというのですか?
…………いや。そんな事は今はもういい。
もしもお兄様の意志が私に通じたのなら、きっとまだお兄様は生きている。
こんな男に拘ずらわっている暇はない。
雲碌は夏侯惇をうち捨てると、キユの身体を抱き上げた。
血糊で手が滑る。けどそんな事を言っている場合じゃない。早く手当をしないと。
そして雲碌は駆け出した。
夏侯惇は仰向けになったまま、起き上がらなかった。
様々な思いが胸中に去来する。最後に悔しさだけが残った。
夏侯惇は顔を手で覆った。その口から低く小さく、嗚咽の声が漏れた。
馬超軍の兵士が恐る恐る近付く。だが夏侯惇は反応しない。馬超軍はそれを
戦闘放棄と見做し、夏侯惇を縛につけた。
「妹君が止めを刺さなかったのだ。何か理由があるんだろう」
馬超軍はそう判断した。
夏侯惇の麾下もまた、抗戦を止めた。彼等は不安を抱えながらも、主将と共に
敵の処断を待つ事にしたのだった。
【聖痕 弐】
私はお兄様を寝所に運び込むと、応急処置を施した。けどお兄様の全身は土気
色に変色し、体温も徐々に失われつつあった。傷口から血があまり出てこないの
は、もう血が残っていないせいなのだろうか。
「お兄様、返事をして下さい…。死んじゃ嫌です…お兄様…!」
私はお兄様の身体に縋りついて咽び泣いた。早く目を覚ましてほしい。でない
と刻一刻と過ぎ行く毎に、不安と焦燥が加速度的に増していく。
けど、今の私はこれ以上の術を知らない。ただ呼びかける事しか出来なかった。
でも、お兄様は目を覚まさなかった。
「いくら叫んでも無駄じゃろう。キユは既に死にかけておる」
私ははハッとして振り返った。
いつ、どこから、どうやって入ってきたのだろう。そこには、上元節に来てい
た老人と青年の姿があった。
「いいえ、お兄様は死にません。私が死なせません」
「よい覚悟じゃ。じゃがどうすれば死なせずに済むか、そなたには判っておるか?」
…そんなの判るわけがなかった。私は答えられなくて俯いた。涙が止まらなかった。
「老師、少し意地悪が過ぎませんか?」
青年は恭しく窘めると、私に向き直って言った。
「ご安心下さい、馬雲碌殿。キユ殿の命数はまだ尽きておりません」
「本当ですか?」
私は驚いて嬉しくて、顔を上げた。
「ええ、本当です」
「というか、キユだけは儂等の管轄外なんじゃよな。何故か」
青年は莞爾と笑い、老人はやや憮然として白い長髯を捻った。
「それ故、まあ今回は特例じゃ。蘇生してやれん事もない」
「本当ですか?!」
私は目を輝かせて訊ねた。瞬間、自分の声が上ずったのが判った。
「本当はこういう干渉は固く戒めるところなんですがね」
青年が苦笑する。
どういう意味かは解らない。けど、『聖痕』を意の儘に与えられる人たちだ。
何かしらの事情はあるのだろう。ただ彼等には本来、お兄様を助けるべき義務
も義理も無い。
「では何故…?」
「敢えて言えば、管轄外に置かれている、その事に反発したくなった。そんな
ところかのう」
老人が可笑しそうに笑う。私にとっては今は笑い事じゃないのだけれど…。
「…じゃが、キユは完全に神気を喪失しておる。流石に代償が必要じゃ」
老人が一転して真顔になった。
「お兄様が生きられるのであれば、私は何でもします。私の命を差し出せと言
われれば喜んで差し出します」
私が即答すると、老人は呵呵と笑った。
「さても美しき愛情かな。じゃがいざ生き返ってみて、そなたが死んでいると
いうのでは、キユも生き返った甲斐があるまい。もう少し肩の力を抜くがよい」
……老人の言う事は尤もだ。けど私には、お兄様のいない世界など意味が無い。
「…では、私はどうすればよいのですか」
私が訊ねると、老人は白髯をしごいて答えた。
「そなたの神気の半分を貰う。その神気をキユの傷口から体内に注ぎ込んで生
き返らせる」
「半分で宜しいのですね?解りました。存分にして下さい」
老人は急に眉を顰めた。
「即答か。よい心がけじゃ。じゃが今少し慎重になって考えよ。この業はかなり
の危険を伴う。そなたらは今後お互いに、今までのような満足な活動は出来なく
なる。特にキユじゃが、キユは今後常時、そなたの神気を受け取る事によって
生き長らえる事となろう」
「お兄様が、私なしでは生きられない身体になる…?」
その言葉に、私は不覚にも胸がときめいてしまった。
「じゃからそなたの消耗は激しくなる。当然じゃ、一人分の神気で二人分の身体
を動かさねばならなくなるのじゃからな。それでもやるかの?」
「当然です。他に方法が無いのであれば、迷う理由などどこにもありません」
緩みそうになる顔を引き締めて、もう一度即答する。老人は頷いた。
「そなたの覚悟、確と受け止めた。キユを生き返らせて進ぜよう」
老人は更に何か呟いたようだけど、私の耳には届かなかった。
「有難うございます」
私は跪いて深深と頭を下げた。
やがて老人が促すのに従って、私はお兄様の左横に仰向けになった。
「これがキユの瘡痍か…流石は夏侯惇じゃの。鎧の上から斬ったのに骨を砕き、
肺臓にまで傷が達しておる」
老人は繃帯を外すと、傷口を検めて感心した。…少し腹が立った。
「…まあちょうどよい。この瘡痍を以って聖痕としよう」
老人は私達のの間に腰を屈めると、右手を私の胸の上に、左手をお兄様の肩の
痍に翳した。
老人が目を閉じて、念を込め始める。
何か不可思議な力を感じた。
霊妙なその感覚は温かくて、柔らかくて。
けど私の中で渦巻いて。
私の中の何かを絡め取るような、吸い取っていくような、そんな感じがした。
急に凄い疲労を感じた。そう言えば今朝から、何も食べないまま動きっぱなし
だった。
何だか眠たくなってきた。意識が薄れていく――。
【蘇生】
――目が覚めた。
「ここは――…?」
僕は辺りを見回した。けど辺りは暗くて何も見えなくて、しんと静まり返って
いた。
いつの間にか眠ってしまっていた。しかもこんなに暗くなるまで気が付かなか
った。戦の最中だというのに、何て事だ。
「――あれ?」
僕は首を傾げた。
僕は眠ったんじゃない。夏侯惇に斬られた筈だ。痛くて血がたくさん流れて、
もう駄目だと思った。それで気を失ったんだった。なのに今は、その斬られた筈
のところが全然痛くない。
「痛くないって事は――」
もしかして本気で死んじゃったのか?
そう思うと、恐くてひとりでに身体が震え出した。
(ここはどこだろう?)
確かめてみたくて、ゆっくりと身体を起こす。
急に頭がぐらぐらした。
何だか身体もだるかった。
(死ぬって、こんな感じなんだろうか?)
僕は起き上がるのをあきらめて、横になった。
そこで漸く、触覚というものを思い出した。
(これは布団…ベッドだな。あったかい――って、これは僕の体温のせいか)
頬を抓ってみる。感覚は少し鈍ってるけど、痛かった。どうやら僕は生きてる
らしい。
ほっとした。途端に空腹を覚えた。
(あれだけエッチして、まだ朝飯も食ってないもんなー)
それに、何だか血が足りてない気もする。…そりゃそうか。あれだけ血を流した
んだから。
噎せ返るような血の匂い。
(――う。思い出したら吐き気がしてきた。)
僕はげんなりした。お腹は空いてるけど、食欲がなくなってしまった。まあどう
せ食べに行く気力もないから、どっちでもいいようなもんだけど。
(それにしても、何で痛くないんだろう?)
恐る恐る、傷口に触れてみた。
傷口は何故かもう塞がってて、膜が張られていた。傷痕を指先でなぞると、くす
ぐったいような疼痛が走った。
不思議な事もあるもんだな、と思ったことろで、今度は別の事が気になり出した。
一つは戦闘の行方、もう一つは雲碌が今どうしてるかだった。
…ふと、隣に微かな寝息を聞き取った。
(今頃気付くかよ)
思わず苦笑が込み上げる。そして相手を確かめる為に顔を寄せた。
噎せ返るような血の匂い。僕は思わず顔を背けた。そしてもう一度、今度は鼻を
抓みながら顔を近づけた。
暗がりに少しだけ目が慣れて、相手の顔がぼんやりと浮かんできた。
顔全体にも血がこびりついてて、元の顔が分かり辛い。それでも何とか見定めた。
(雲碌だ)
雲碌はすうすうと、静かな寝息を立てて眠っていた。
(よかった、生きてる)
雲碌も疲れたんだな。こんなに返り血を浴びて…。明日目が覚めたら、僕が綺麗
にしてあげよう。それまでゆっくりおやすみ。
(……けど)
キユは雲碌の頭をそっと撫でた。
(危ないから、戦場でエッチするのは、もうやめとこうな)
【老骨枯る】
翌朝、キユは砦の攻防戦に自分達が勝った事を知った。
元気な姿を現したキユを見て、馬超軍の将兵は驚き、かつ喜んだ。彼等は九分
九厘キユが無理を押して元気に振る舞っているのだろうと思ったが、それでもこう
して元気な姿を見せてくれた事は、彼等の士気を大いに奮い立たせた。
対する呉軍は夏侯惇、張[合β]、趙雲、この3人の上将を失い、既に馬超軍の敵
ではなかった。程cや楊脩が馬鉄や韓玄の部隊を混乱させるものの、最早それは
時間稼ぎにしかならなかった。やがて後方の馮習から、兵糧庫を狙った耿紀を捕え
たとの報告が入り、張苞らが前線で程c、董昭を虜にすると、呉軍は雪崩を打って
壊走を始めた。
だが呉軍は小沛の城に帰り着く事なく全滅した。
楊脩は下[丕β]に退路を取った。これが幸いして楊脩は難を逃れたのだが、楊脩
とはぐれた曹植は小沛への帰路、馬超軍の追撃を受けて虜囚となったのである。
キユは小沛城に入城すると、早速捕虜を引見した。
まずは夏侯惇、張[合β]、趙雲だった。
3人はそれぞれ、憤然、憮然、黙然として、キユの前に引き据えられた。特に
夏侯惇などは、瀕死の重傷を負わせた筈のキユが平然としている事に愕然とした。
だがキユは彼等に一言も問い掛ける事なく、左右に命じて3人の縄を解かせた。
「僕は人を殺すのは趣味じゃない。降伏してくれるというなら助かるけど、降伏が
嫌なら自由に立ち去って貰って構わない。ただまあ正直言わせて貰うと、次からは
一騎打ちに応じないからね。あんな命の遣り取りは二度と御免だ」
続いてキユは、糜芳、董昭、耿紀を引見した。
あっさりと旗幟を翻した董昭、耿紀に対して、糜芳は傲然と胸を張った。
「殺したくば殺せ。だが俺の命は奪えても、俺の誇りまでは奪えんぞ」
「いや、要らないから」
キユは短く答えて帰りを促した。
最後にキユは一人で、程cと曹植に宛がわれている部屋を訪れた。
彼等は今、死の床にあった。
程cは船から落ちて水を飲み過ぎた。飲んだ水は捕えた後すぐに吐き出させたが、
水のせいで病を得たらしい。老齢が身に堪えたのも、病を助長した一因だったかも
しれない。
曹植は馬鉄に馬上から突き落とされて、頚椎を骨折していた。
「琥珀さんが本草学を心得てる。もうすぐ小沛に着く筈だから、それまで頑張って
ほしい」
キユはそう言って励ました。
「子建さん。琥珀さんと一緒に清河公主も来ます。公主に元気な姿を見せてあげて
下さい」
曹植は蒼白な顔をキユに向けた。頷きたくても、首が痛くて頷けなかった。
痛くて気絶しそうだった。だがその痛みで、逆に目が冴えた。眠れなくて、ジリ
ジリと命が削られていく。いっそ気絶してしまえたら――だがその時は「死」なの
かもしれない。
恐かった。死ぬのが恐かった。
何故妹が来てくれるのかは解らない。ただ、それだけが支えだった。
程cは落ち窪んだ目で、凝然と天井を見詰めていた。
(儂も年老いたものじゃな……)
馬騰に洛陽を奪われ、馬超如き青二才に濮陽を逐われ、小沛すら守り切れず、
今、敵の馬休から温情をかけられている。[業β]を攻めさせて子文殿を死なせ、
今また子建殿に瀕死の重傷を負わせている。何の顔(かんばせ)あって、再び
陛下に相見える事が出来よう。
その昔荀ケ等と共に、陛下の為に呂布から三県を守り抜いたのが嘘のようじゃ。
儂は一体、何の為にこの歳まで生き長らえてきたのか。
(あの日見た夢も夢であったか)
…いや、夢では無い。あの日儂が両手に捧げ持った太陽は、今確かに太陽となっ
て、燦燦と六合を照らしておる。儂の人生、顧みれば瑕や綻びだらけじゃったが、
生涯を通して明主に仕える事が出来ただけでも、幸せだったというべきじゃろう。
老臣の為すべき事は終わった。
「暁。武。後は頼んだぞ……」
程cはぼそぼそと呟くと、眠るように目を閉じた。
その日の深更、程cは息を引き取った。
程cに遅れる事約二刻。東の空が明るみ出した頃、曹植もその若い命を散らした。
清河公主が兄の死に顔と対面したのは、その翌日だった。
兄の亡骸に縋って流涕する公主の頭を、キユはそっと撫でてあげた。
【劉家断絶】
その頃江州には劉循軍が攻め込んでいた。孟達が孫策に降って以来、今もなお
江州には太守がいない。先月の戦傷は未だ癒えていなかった。
だが、成都から駆けつけた馬岱、軻比能の突撃は強烈だった。馬岱は郭淮の軍と
乱戦を続ける劉循軍の側面を衝き、遂に劉循の首を挙げた。馬岱の武名は轟き、
主亡き後の劉循軍は軍旗も鉦鼓もうち捨てて逃走した。
敗残の劉循陣営は鳩首凝議し、劉循の遺児がまだ幼い事から、董和を以って後を
任せる事となった。
また楚軍が柴桑を奪還せんと攻め寄せてきたが、守将司馬懿は朱治率いる楚軍を
翻弄、全滅させた。司馬懿は朱治、劉巴、諸葛恪の三将を捕えたものの、殺すよう
な事はせず、
「何度でも挑んでくるがよい」
と、笑って解き放った。
馬キユ氏、代理34氏、多謝!
どうも、34です。うp終わった瞬間に、仕事の電話で
終了報告できず申し訳ありません。
今回の分は56までです。
長文の分割区切り、ちょっと変かも知れませんが
なにとぞご寛恕いただきたく存じます。
34氏、本当に有難うございました。そしてお疲れ様でした。
34氏、本当に有難うございました。そしてお疲れ様でした。
感謝保守
62 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/18 10:07
一時浮上。
保守
建安二十四(219)年3月
【哀糸豪竹】
―呉―
曹植と程cの亡骸は温車(註1)に乗って、呉の曹操の許へ鄭重に送り返さ
れてきた。
曹操はまず程cの手を取って哀悼した。そして曹植に向き直ると、亡骸を
抱き締めて慟哭した。
「キユよ…何故子建を死なせた…何故だ…?」
曹操が嗚咽の声と共に漏らす。
(陛下のような御仁でも、ご子息の死を斯様に悲しまれるのか)
黄忠はやや意外そうな目を主君に向けた。
「陛下。馬休の首をご所望とあれば、この老骨を下[丕β]に行かせて下され。
必ずやご期待に応えてみせましょうぞ」
「……早まるなよ、黄忠。朕はキユを殺したいのではない。使いたいのだ」
曹操はジロリと一瞥した。
「朕は『キユが死なせた』とは言ったが、『キユが殺した』とは言っていない。
子建の仇を取ろうなどという考えは毫毛もない」
「…御意。出過ぎた事を申してすみませんでした」
黄忠は跪いた。
曹操が曹植を溺愛していたのは、曹植がまだ子供のうちの事だった。曹植が
長じて後は、その詩才を絶賛するものの、国家を担う器としては全く評価して
いなかった。それほど曹植は奔放に過ぎた。自分の長短が極端に遺伝されて
しまったと、曹操はやや歯痒く思っていた。
とはいえ、先に沖を病で失い、彰を河水に見失った。我が子が次々と若く
して先立っていくのは辛かった。
この慷慨を馬騰や馬超にも味わわせてやりたかった。それだけでもキユの
篭絡は重要な意味があった。
「それにしても、大将軍らが3人がかりでキユ1人にあしらわれてしまうとは…」
曹休が慨嘆する。キユの事は誰よりもよく知っているつもりだったが、今回
の結果は余りにも予想外だった。
「夏侯惇はキユを殺しかけたらしいな」
「いや、それは……殺していれば戦には勝利していたわけですし、戦場での事
ですから特に問題はないと思われますが」
曹休は冷や汗を掻きながらも答えた。この冷や汗は何だろうか…?
「そうだな。何の問題もない」
曹操は頷いた。
「キユが馬超の下からいなくなれば、馬超軍など恐るるに足りん。故に戦場で
生死を問う必要はない。――だが。それでは何の為に公主を贄としたのか、
解らんではないか。
夏侯惇は我を忘れ過ぎた。激情に任せて大将軍としての責務を怠った。故に
譴責する必要がある。文烈、そなたは下[丕β]に赴いて夏侯惇の重しとなれ」
「御意」
曹休は跪きながら、心中で胸を撫で下ろした。曹操が夏侯惇を譴責するに
留めたからだった。曹操が怒りに任せて解任するのではないかと、それが不安
だったのだ。
曹操は更に張魯に、程cと曹植を国葬を以って報いるように命じた。
(――まあ、打った策の全てが当たらなければならんというわけではないが)
曹操は自室に戻ると椅子に腰を下ろした。その手には一通の書簡が握られて
いる。曹植の遺品の中に混じっているのを見つけたのだった。
曹操は徐に書簡を開いた。差出人は清河公主だった。
(そうか、馬雲碌と侍女の監視が厳しくて上手くいっていないのか)
曹操の顔が思わず綻んだ。若い娘同士の嫉妬や意地の張り合いを微笑ましく
思ったのだ。
だが読み進めていくうちに、曹操の顔色は一変した。そこには「子建兄様の
死は不幸な事故です。キユ様は何も悪くありません。キユ様を責めないで下さい」
と、寛恕を請う文が書かれていたのだ。
無論、曹操とてキユを責めようとは思わない。だが公主からこんな事を言わ
れると、
(あの馬鹿娘、逆に篭絡されたんじゃあるまいな?)
という疑念が胸裡を翳めるのだった。
註1:オンリョウ車(車偏に温の旁+[車京])。寝ながら乗れる車で窓があり、温度調節
が出来る。後、死者を載せる車となった。
【矯枉過正】
―濮陽―
「なに、キユが曹操の娘を囲っているだと?」
その夜、馬超は董[禾中]からその報告を受けて、驚声を放った。
馬超は一糸纏わぬ姿で、義弟の前に仁王立ちしている。四十半ばにして愈愈
逞しく充実した長身は、まるで大理石の彫像の様である。黙っていれば芸術的な
その裸体を、馬超は惜しげもなく曝け出している。そしてその股間にある一物は、
テラテラと濡れて光っていた。
馬超のすぐ後ろには天蓋つきの寝台があり、天蓋からは薄絹の帳が垂れている。
蝋燭の明かりがその帳の中を照らして、薄絹に人影を投射している。
帳の中で人影が動いた時、豊かな胸の双丘が一瞬だけその艶美な影を映し出した。
董[禾中]は一瞬ドキッとした。
「御意。しかも『父親が皇帝になったのだから、これからは公主と呼ぶ』などと
言っているようです」
董[禾中]は顔を伏せて答えた。義兄に表情の変化を覚られない為だった。
「おのれキユめ…逆賊の娘を囲うだけでも度し難いのに、公主とまで呼ばせるか」
馬超が歯軋りをする。彼奴はどこまでこの俺を怒らせれば気が済むのだ。
「これはもう、漢朝に対して逆心を抱いていると言ってよいでしょう。キユ殿を
排斥する口実が出来てよかったですな」
董[禾中]はそう言ったが、いちばん喜んでいるのは他ならぬ彼自身である。
何せ、粛清を命じられてからこの半年、ただの一人も消す事に成功していないのだ。
季節はこれから夏になろうかというのに、彼の首筋はそろそろ涼しさを覚えている
ところだった。
「…成程。貴様の言う通りだな」
馬超は不意に相好を崩した。偽帝の娘と通じるなど、あってはならない事だ。
だがそれは逆に、キユの大失態であるとも言えた。奴から全てを取り上げる絶好
の機会のように思えた。
(そうか、雲碌はもうキユに捨てられたか。雲碌も今は目が覚めているだろう。
早く俺の許へ帰ってこい。俺が存分に可愛がってやるぞ)
馬超は董[禾中]の存在も忘れて、一人、妄想に耽り始めた。
馬超の一物が徐々に鎌首を擡(もた)げてくる。元々長大なソレはやがて馬並み
に膨張し、天に向かって屹立した。董[禾中]はその大きさと、馬超が堂々として
それを隠さない様に圧倒された。そして
(帳の中の人も大変だな…まあ姉さんなわけだが)
と、かなり馬鹿げた事を思ったりした。
馬超は昂奮して居ても立ってもいられなくなったのか、義弟に労いの言葉一つ
かけるでもなく、帳の中へ消えた。
やがて帳の中から、湿った音に混じって、微かな喘ぎ声が漏れてきた。
すすり泣く様な咬哇は三更まで続いた。だが馬超はまだ物足りなかったのか、
失神した董氏の胎内にもう二度ほど精を放ってから、漸く遅い眠りに就いた。
夜は既に明けかけていた。
だが数日後、馬超がキユ排斥の密議を図ると、軍師・孔明をはじめとした重臣
たちは一様に反対した。
「閣下、それは何かの間違いでしょう。キユ殿は先月、偽帝曹操から小沛を奪還
したばかりではありませんか」
「左様。しかも曹操の股肱ともいうべき上将3名を虜にし、偽帝の子曹植を死なせ
ての勝利だ。勇戦撃砕、寧ろ激賞して然るべきかと存ずるが」
「それに、もし本当に曹操の娘を囲っていたとしても、それを以ってして逆心明
らかなりとは、到底申せません。正式に妻に迎えるというのであれば一考の余地
はありますが」
「そもそも某の聞くところによれば、曹操は閣下とキユ殿との間を裂こうとして、
寡婦となった自分の娘をキユ殿の許へ送り込んだという事です。みすみす曹操の
策に嵌ってやる理由はありませんぞ」
馬超は歯軋りをした。
何故だ?楊彪や呂布が偽帝袁術と姻戚になろうとした時には、挙ってその非を
打ち鳴らされたというのに、何故キユだけは許されるというのだ?訝しいでは
ないか。
「では何故、キユは曹操の娘を斬り殺さない?」
「キユ殿が女の首を斬って悦ぶような為人ですか?」
「なら曹操の許へ追い返せばよいではないか」
「キユ殿に他意はなかろうと存ずる。追い返さないからといって何か問題があろ
うか?」
「大ありだ。逆賊の娘を傍に置く事自体、逆賊と誼を通じている証拠ではないか」
「キユ殿は此度の戦で夏侯惇に殺されかけたと聞き及んでいます。夏侯惇は渦中
の娘の義父にあたりますが、少なくとも夏侯惇はキユ殿に対して、明確な殺意を
抱いていたようですが。本当に誼を通じているのでしょうか?」
「さっき離間策だと言ったのは誰だ。夏侯惇に殺意があるのでは道理が合わんぞ」
「それはこの仲達ですが、某、諜報にかけては些か自信があります。故にこの
情報にも自信がありますが、ただ万一某の情報が間違っていたとして、それで
何か問題がおありですかな?キユ殿が情にほだされて漢朝に仇を為しているよう
には、どうしても思えませんが」
「では貴様等は、どうあってもキユを弁護するのか」
「キユ殿の排斥を図れば、必ずやキユ殿は曹操の許へ奔るでしょう。曹操は間違い
なく、キユ殿を厚遇します。そして閣下の不徳を嘲り、天下の笑い者とするでしょ
う。愚策の極みです」
「兄弟相争うは亡国の兆し。キユ殿が天子や閣下に対して明確な逆意を示したわけ
でもありますまい。今少し静観なされては如何ですかな」
「張飛も夏侯氏の娘を妻にしましたが、予は張飛が死んだ今でも気にしておりませ
んな」
「娘は所詮娘。キユ殿がその娘に溺れて容喙壟断を許すようなら確と言い聞かせる
必要があるが、今のところ放置しておいてよいのではないかな」
「傍で雲碌が目を光らせておるのじゃから、左様な心配も必要あるまい」
「キユ殿も曹操が帝位を僭称すると知った上で、曹操の娘を傍に置いたわけでは
ありますまい。敢えて申し上げれば、玉璽を持ち逃げされた事に原因があります
まいか」
「玉璽を持ち逃げされたのは誰じゃったかな?」
「申し上げにくい事ながら、閣下です」
「では閣下の失態でしょうな」
「持ち逃げしたのは楊脩ではなかったかな」
「ではキユ殿は先月、その盗人を討伐したわけですな?」
「そういう事になりますな。何ら問題はないと思われますが」
「もうよい!」
これ以上は聞くに耐えなかった。馬超は席を蹴って立ち上がると、大股で部屋
から出ていった。
部屋の扉が乱暴な音を立てて閉まった。その扉を開けて、ホウ徳と馬岱が主君の
後を追う。この2人は密議の席上で、遂に一言も喋らなかった。
「やれやれ、孟起にも困ったもんじゃの」
韓遂はすっかり白くなった鬢を掻きながら呟いた。
「文約殿、貴公が言いますか?」
やんわりと釘を刺したのは劉備だ。韓遂は去年の後継者選定会議の席上で、馬超
の廃嫡を目論んでいた。劉備はそれが馬超の劣等感を煽っていると指摘したのだ。
韓遂は口の端を歪めた。
「じゃから、これが孟起とキユの器量の差じゃと言うたのじゃ。キユは曹操の娘
じゃとか、そういう事はまるで関係なく、大きな心で呑み込んでおる。それが証拠
に、最初はキユを疎んじていた雲碌でさえ、今はキユに甲斐甲斐しく仕えている
そうじゃないか」
内心ギクリとしたのは、劉備だけではない。だが韓遂は気が付かず、陳羣も
「キユ殿の徳はさしずめ風でしょうな(註2)」
と言って相槌を打つにとどまった。
「偽帝曹操が立ち、孫策が王号を僭称した今、我等は一致団結して彼等に当たって
いかねばならん。たかが女一人の事で自らの片腕を切り落としたがる輩には、とっ
とと引導を渡した方がよいやもしれぬな」
「……文約殿。その発言は不穏ですぞ」
劉備が再び窘める。だが今度の声は力無かった。韓遂は鼻で笑った。
「ふん…まあよい。孟起が九垓を統べ得るなら、それもまたよし。もう暫くは生
温かく見守ってやるわ」
韓遂が腰を上げる。どうやら彼の話はもう終わりらしい。韓遂に続いて司馬懿、
陳羣、張松、蒋エン、張昭、軻比能、文聘らが、ぞろぞろと立ち上がった。そして
彼等は、韓遂に跟随して部屋から出ていった。
室内に取り残されたのは、劉備、関羽、孔明、ホウ統、関平の5人だった。
ホウ統は孔明が、関平は父が、何故残っているのか解らなかった。だが他の3人は
皆、一様に苦い顔をしていた。
「……何にせよ、孟起殿が既に退室していたのは僥倖だった」
劉備は満腔の息を吐き出して呟いた。
「ですね」
短く応じたのは孔明。
「どういう事だ?」
ホウ統が訊ねる。関平も同じ疑問を抱いたのか、父の顔を見た。
「済まない、士元。いくら貴公とはいえ、こればかりは今は言えない」
「つれないな」
「…そうだな。鍵は文約殿の言葉の中にある、とだけ言っておこう」
「韓遂の言、なあ…女の出自を気にしない、妹から今は好かれている、こんな
ところか?」
「まあ、そんなところだ」
「つまり我が君は、その2点が気に入らんというわけだな?しょうもない話だ」
そう言ってボリボリと懐を掻く。
その二つが融合したのが正答だとは、流石に言えない。孔明は噴き出す汗を
白羽扇で扇いだ。
あの2人は恐らく、既に関係を持っただろう。お膳立てをしたのは他ならぬ臣だ。
それは確かに穢らわしい事だと、自分の中の儒が訴えている。そして不義の心を
抱いているのは、馬超とて同じだ。
(馬氏の兄妹は皆、漢人並みの倫理観は持ち合わせていないと見える。所詮は半狄
か)
そう蔑む気持が心の奥底に蟠居する一方で、孔明は、妹との不義、この一点を
除けば、キユは老子が孔子に説いた君子そのものであるようにも思えた(註3)。
はっきりと言える事は、キユの行為は馬超の行為と比べれば遥かにマシだという
事だ。
それにあの時、キユは天下が平定された後は隠遁する心積もりがあるように
見受けられた。
斉の襄公は実妹と不義を為したが、我が身を滅ぼした所以は公孫無知との私怨
にある。
淮陰侯は嫂と姦通したが、誅殺されたのは統一後に身の処し方を誤ったからだ。
(彼等がその轍を踏まないというのであれば、そっとしておいてやってもいいの
ではなかろうか)
最近はそう思うようになった孔明だった。
「キユは名声を博し過ぎたのでしょうか?」
関平は父に問うた。
馬超は顕職を得て漸く、キユ以上の名声を得た。だが宮中には「銅臭大臣」と
陰口を叩く者もいる。「半狄の輩に政治が解るものか。董卓の二の舞になったら
どうするのだ」と、半分は懼れての陰口もある。そんな馬超の名声は、地道に
叩き上げ、陳羣の月旦を得て広く人士と交わったキユのそれには、実質で及び
ようがなかった。
主を凌ぐ名声を持つ臣下は疎まれる。もしかしてそういう事なのだろうか。
関羽は「うむ…」と、生返事を返しただけだった。
「だがまずいな。今日のこの件で、閣下とキユとの亀裂は誰の目も明らかになった」
ホウ統はフケを払い落として冠を被り直した。
馬超は密かに事を運ぼうとはしなかった。それは馬超にまだ公正さが残っている
事の顕れであろうが、その心理はどこまで他人に理解されるだろうか。
「独り家中の者だけではない。呉楚両国にも早晩伝わるだろう。これをきっかけに
家中が揺らがねばよいがな」
ホウ徳と馬岱は荒れ狂う主君を何とか宥めて、主君の私室から退出した。
「しかし、キユもどうかしていますよ。偽帝の娘を傍に置くなど、血迷ったと
しか思えません」
馬岱はこめかみを押えながら、隣を歩くホウ徳に話し掛けた。
こめかみがズキズキと痛む。嫉妬と憎悪に狂乱する主君を止めようとして、
主君の肘打ちをそこに食らった。骨が陥没したかと思ったが、幸い大丈夫なよう
だった。
返答するホウ徳の声は低く、小さかった。
「…貴殿は今し方、そう仰せの我が君を諌めたのではなかったのか」
「張昭の言も尤もだと思いましたので」
「兄弟でいがみ合っている場合ではない、か」
「ええ。新参の張昭ですらそう見るのであれば、やはり一理あるのではないかと
思いましたから。ですが、挙ってキユに一片の誡告も与えようとしないのは、
やはり訝しいように思えます」
「……」
ホウ徳は沈黙した。馬岱の言も一理あると思ったのだ。
(――だが、我が君が諮ったのはキユの貶斥だ。それは流石に度が過ぎている)
まだ証拠もないのにいきなり排斥を諮っては、例えキユと親しくない者でも
唐突すぎて反発するだろう。閣下はそれが解っていない。
ホウ徳は知っている。馬超が一方的にキユを憎んでいる事を。先君の跡を継いだ
後ですら、キユに対しては敵意を剥き出しにしている。それは功を焦り、全てに
おいてキユより上であろうとし続けた馬超の、未だに超克出来ない心の弱さだった。
ただ彼は、その憎悪が既に相互のものであり、雲碌までをも巻き込んでいると
いう事までは知らなかったが…。
「……認めたくないものだな。若さゆえの過ちというものは」
ホウ徳は呟いた。今の群臣の反発は全て、我が君自身の脆弱な心に起因している。
それを克服出来ない限り、我が君はこれからもずっと、同じ様に群臣の反発に
遭うだろう。
馬岱は頷いたが、ホウ徳が指摘した「過ち」を、キユが清河公主を傍に置いた事
だと思い込んだ。
註2:『論語』顔淵篇。「君子之徳風、小人之徳草、草上之風必偃。」
人の上に立つ者の徳は風のようなもので、人の下につく者の徳は草のような
ものである。下の者は風に靡く草のように、上の者の感化を受ける。
註3:『史記』老子伝。「良賈深蔵若虚、君子盛徳容貌若愚。」
賢い商人は財産を人目につかないところに隠しているので、一見何もない
ように見える。同じ様に、君子は立派な徳があってもそれを外に出して
誇らないので、一見すると愚か者のように見える。
34でございます。
馬キユ氏は未だアク禁中でございます。
本日も代理うpさせていただきました。
>64->75で本日の分は全てでございます。
長文の区切り、変なところがありましたら、海より
広い心でご寛恕いただければ幸いでございます。
おもさげながんす。
馬キユ氏も代理氏も乙であります。
感謝保守
保守
80 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/25 22:17
保守age
保守。
建安二十四(219)年6月
【亢龍搏鼠】
―渤海郡南皮県―
この月孔明は、太守王昶の許可を得て渤海郡に攻め込んだ。
渤海は4月、再び楚軍の手に落ちていた。だがそれからも激戦が続き、
今は孫権率いる1万2千の水軍がいるだけだった。
如何に水軍と雖も、陸に上がればただの歩兵である。しかも今の孫権
には、策を諮るべき良将が傍にいなかった。
「軍師殿、城の攻囲がほぼ終わりました」
張嶷が帷幕に入ってきてそう告げた。孔明は筆を止めて静かに頷いた。
「孫権は降伏を潔しとしないでしょう。敵の援軍が到着する前に片付けて
しまいましょう」
「ここを孫権の墓標にしてやっても宜しいですかな?」
文欽が自信に満ちた顔つきで訊ねる。孔明は静かに首を振った。
「はっきり言えば、彼は軍事は無能です。寧ろ生かしておく方が今は得策
です」
「成程」
張嶷と文欽は笑いながら頷いて、それぞれの部署へと戻って行った。
「胡済、胡博」
「何でしょうか」
孔明が呼ぶと、帷幕の隅に立っていた二将が進み出た。
胡済は義陽の人で、字を偉度という。元孔明の主簿で、現在は中典軍
にある。胡博は胡済の弟で、現在長水校尉の任にあった。共に直言の士
でり、孔明の信頼も厚かった(註)。
孔明は2人を招き寄せると、図面を指し示しながら命令を下した。
「そなた等はそれぞれ兵2千を率いて工作に当たって下さい。この地点か
ら城内まで坑道を掘り進めます。余程の事が無い限り、敵に気付かれる
事はないでしょう。城内に達した後の宣撫工作は胡博に任せます。策の
詳細はここに認めてあります。後で読みなさい」
孔明はそう言って一枚の書面を手渡した。
「しかし軍師殿、万が一敵に覚られ、未然に防がれた場合は如何致しま
しょうか」
胡済は書面を受け取りながら訊ねた。
「その場合は勿論、即座に作戦を中止します。改めて作戦を練り直しまし
ょう。…ですがその心配はまず要らないでしょう。未然に防げる程の兵も
人物も、城内にはいませんから」
孔明は涼やかに笑った。
「御意」
兄弟は拱手して帷幕から出て行った。
註:蜀書董和伝。
【趙雲】
―小沛―
この3ヶ月の間に、この街の内外ではいろいろな事が起こっていた。
兄さんが衛尉に、耿紀が洛陽太守に、簡雍が汝南太守に、王威が
[言焦]太守に、柴桑の馬忠が廬江太守に、それぞれ任じられた。
これらに先立って、僕は赫昭、張苞の両名を晋陽に異動させた。
孔明の依頼によるものだった。この2人を、特に赫昭を手放すのは
惜しかったけど、孔明の判断に異論を唱えるつもりはなかった。
「郷里をこの手で守れるのは好ましい話ですな」
「まだ見ぬ郷里を取り返してきたいと思います」
赫昭たちはそう言って旅立って行った。
平原の楚軍が南皮を占拠したのは4月。5月になって、楚の隙を突い
て北海の呉軍が平原を占拠し、更にその隙に兄さんが北海を占拠した。
申耽が兄さんに降った。呉軍は城陽から出兵して北海の奪回を図り、
兄さんに撃退された。
兄さんは捕虜のうち、華[音欠]だけを斬首に処した。今回の捕虜の
うちで僕と書簡を交わした事があるのも、華[音欠]だけだった。
5月にはその後更に、楚軍が平原を奪還した。そして今月、孔明が
その隙に南皮に攻め込んだ。
兄さんの昇進を受けて、僕も振威将軍に昇格した。
僕は昼は董昭を連れて巡察を繰り返し、いろいろな陳情を聞いた。
前太守が傍にいるお陰か、小沛の民心は急速に平静を取り戻して
いった。けど貪官汚吏というものはどこにでもいるもので、巡察する
度に密告がある有様だった。僕は新兵の補充と訓練は雲碌と閻行に
任せると、恐縮する董昭を連れて小悪党の摘発を繰り返した。
日が傾くと城に戻って、手紙を書いた。耿紀、簡雍、張苞、天水の
雅丹、徹里吉、それと呉に戻った趙雲。この3ヶ月で手紙を送った
相手はそれだけだった。
「あら?それは趙雲からですか?」
僕がベッドの中で返書を読んでいると、雲碌が身を寄せてきた。
雲碌は興味深げな顔をしていた。僕は「うん」と頷いた。
この3ヶ月で返書を送ってきたのは簡雍、張苞、趙雲の3人だ。けど
簡雍と張苞は機会があればまた会いましょうと言ってきてるのに対して、
趙雲は「敵同士なのに頻繁に書簡を頂くわけにはいかない」と書いて
いた。
「そんな事言ったら、曹操や曹休はどうなっちゃうんだろうね?」
僕は頭を掻いた。もしかして趙雲には嫌われてるのかな?まあ出会い
は最悪だったからなー。
「でも理由は『聞くならく、君子の交はりは淡きこと水の若しと。また聞く、
君子は周して比せずと。故に書を返す』だそうですよ」
「どういう意味?」
「君子の付き合いは水の様にあっさりしているが、その代わり長く変わら
ない付き合いをするものだ。…厳子ですね(註1)。また、君子は広く公平
に交わって、偏る事がない。…論語ですね(註2)。だから返事を書いた
そうです」
「はー。雲碌って、何気に博識だよね」
僕は感心して雲碌を眺めた。雲碌は可愛らしく小首を傾げた。
「そうですか?茂才の人たちなら諸子百家くらいは暗誦じられると思い
ますけど」
「でもほら、白馬寺の時とか」
「あれは…」
雲碌がぼっと顔を赤くした。
「あの時は調べましたから。でも時間がなかったから白馬寺しか調べ
られなくて」
「調べてくれたんだ。有難う」
鬢を掻き揚げながら、雲碌の頭を抱き寄せる。雲碌は従容と僕に
身体を預けた。
「私、あの頃からずっと、お兄様の事が好きだったんですよ。気付いて
ました?」
「――そうだったらいいなあとは思ってたよ。けど、望むべくもない夢だと
思ってた」
「私もです――」
舌と舌が絡み合う。キスをしてるうちに、もう1回した後だっていうのに、
また僕のモノが固くなってきた。
ただ。夏侯惇に斬られて以来、やたらと疲労を感じ易い体質になった
みたいだ。どうも体力が保たなくなっている。やっぱり歳のせいだろうか?
(少し休まれては如何ですか?)
琥珀さんの声が幻聴となって脳裡に響いた。
…まあいいや。今日はまだ動ける。疲れた後の事は疲れてから考えよう。
僕は思い直すと、雲碌のお尻を引き寄せた。
註1:荘子の事。後漢2代明帝の諱が荘なので、後漢代、荘氏は姓を厳と改めた。
註2:『論語』為政篇。
【赤壁探訪】
―江夏―
10日後――。
僕たちは雑談をしに来た韓遂を見送っていると、いつの間にかずるずる
と江夏郡の近くまで来ていた。
ここまで来たのなら――と、韓遂と別れた後、僕たちはついでに関羽の
許を訪れた。
関羽は丁度出掛けるところだった。
「どこかへお出かけですか?」
「うむ、楚の軍勢の蠢動が気がかりでな。江夏の地勢をよく見極めておこう
と思い、ここ数日各地に足を運んでいる」
そして関羽は、今日はこれから赤壁を見に行くつもりだと言った。
赤壁…名前だけは記憶にあった。本来ならここで、曹操と劉備、孫権の
連合軍が戦っていた筈だ。
…孫権?あれ、今の楚王は兄貴の孫策だな。韓遂が来た時、孔明たち
が今月南皮を占拠して、孫権を解放したという話をしていた気もするけど。
……まあどうでもいいか。
僕は雑念を追い払うと、関羽に同行を申し出た。
「そうだな。赤壁は赤く燃え上がるような岩壁だと聞いている。そなたら2人
にはお似合いの場所かもしれんな」
関羽が珍しく冗談を口にする。僕たちは赤くなって俯いた。
えー、何とかアク禁から復帰する事が出来ました。
皆様にはご心配とご迷惑をおかけしまして、どうもすみませんでした。
私がアク禁の間保守して頂いた皆様、及び
>>77-81氏に
心から感謝致します。
そしてその間、私の代わりに原稿をアップして下さった34氏には、
満腔より感謝の意を表します。
皆々様、これからも宜しくお願い致します。
ここで次回予告。
2人が黄昏の赤壁で鴛鴦の交わりを楽しんでいる間に、
小沛城下に無数の馬蹄が轟き迫る。小沛の運命や如何に?
シスター・オブ・ラブでつきぬけろ!
※エチーシーンはありませんので、悪しからずご了承下さい。
馬キユ氏復帰おめでとうございます。
代理34氏もお疲れ様でした。
お二人に心からの感謝を。
感謝保守
保守
【呉軍急襲・其の壱】
―小沛―
僕たちが小沛に戻ってきた時、小沛は妙に慌ただしくなっていた。
僕は何事かと訝しみながら、そのまま雲碌を連れて政庁に向かった。
政庁では既に、鉄、閻行、韓玄、馮習、董昭の各人が集まって議論
をしていた。ただその雰囲気は険悪…とまでは言わないまでも、少し
不穏な空気が漂っていた。
真っ先に僕たちに気付いたのは、今日も韓玄だった。
「おお、ご府君、お帰りなさいませ。お待ち申しておりましたぞ」
そう言った韓玄の顔には疲労の色が見えていた。
「有難う、韓玄。それで何事?」
「呉の軍勢がこの小沛に向かってきているという報告がありましてな。
じゃがご府君がおられんので、どうするべきか、儂等は悩んでおった
ところです。帰ってきて下さって本当に助かりましたわい」
「そりゃ悪かった。…けど、何かそれ以外にも何かあったのか?」
僕は会議の席をざっと見渡して訊ねた。鉄だけが不貞腐れたような
顔でそっぽを向いていた。
馮習が、これまたうんざりしたような顔で答えた。
「弟御が、ご府君不在の間は自分が総指揮を執る、自分が采配を揮う
のが筋だと、頑強に主張されまして。議論が紛糾していたところです」
「そうなのか、鉄?」
僕が訊ねると、鉄はそっぽを向いたまま答えた。
「悪いですか?」
「いや、悪いかどうかはまださて置くとしてだ。反対されるにはそれなり
の理由があったんじゃないのか?」
ここに赫昭がいれば、僕がいなくても赫昭を大将にする事で衆議一致
してたんだろうけど。つくづく悪いタイミングで北へ送り出してしまった。
「私は弟御が指揮を執られても構わないのですが、弟御がどうしても
撃って出ると申されまして。勝手な出撃は拙いのではないかと、私など
は諌めていたのですが」
口を開かない鉄の代わりに、馮習が答えた。
「いい判断だね。有難う」
僕は馮習の好判断を褒めておいた。けどそこで、董昭が徐に口を開いた。
「馮将軍の言に偽りはないが、説明が足りていませんな。弟御は『どうせ
兄さんは帰ってこないかもしれない』などと申されていたのですが」
「何ですって?」
僕より早く反応したのは雲碌だった。雲碌は柳眉を逆立てて鉄を睨んだ。
「鉄兄様、それは本当ですか」
「……」
鉄は答えない。という事はどうやら本当のようだ。
「何でそう思った?」
僕は訊ねた。けど鉄は答えない。
「何でそう思った?」
もう一度訊ねる。鉄は漸く、重い口を開いた。
「この間孟起兄さんが休兄さんの貶斥を諮ったのは覚えておいででしょう。
だから兄さんの方から出て行ったのかもしれないと思ったんです」
ああ、成程。そういうわけか。僕は納得した。
兄さんが僕の排斥を図ったという噂は、この小沛にも既に届いている。
僕は「遂に来たか」と思っただけで、別に気にも留めなかった。
雲碌は「あんな小娘を囲うから…」と半ば非難する目で僕を見たけど、
僕が追放されれば僕に随いて下野するだけの話で、やはりそんなに気に
した様子は無かった。
だけどその噂を初めて聞いた時、鉄は信号機のように顔色をころころと
変えた。だから今回、僕が出奔したと思ったのかもしれない。
お陰で、清河公主の存在も公になってしまっている。まあ僕が[言焦]から
呼び寄せた時点で、多少噂にはなっていたけど。
「お言葉ですが弟御。ご府君が見当たらなければまずお捜しするのが筋と
いうものではありませんか?それもせずにご自分が指揮を執りたいなど、
如何な弟御と雖も放縦に過ぎますぞ」
「そうです。『どうせ帰ってこないかもしれない』とは何事ですか」
董昭に続いて雲碌も糾弾した。
「思った事を言っただけだ。何が悪い」
「口に出したのが軽率だと申しているのです。何の証拠も無い憶測では
ありませんか。況して貴殿は実の弟なのですからな。貴殿が斯様な発言を
されるから、伝え聞いた兵士達が動揺しておりましたよ。兵士を動揺させて
おいて出撃を望むなど、狂気の沙汰でしょう」
「公仁。貴様、私が莫迦だとでも言いたいのか」
「止めないか!」
僕は大声を上げた。董昭が何か言おうとしたけど、結局黙って引き下が
った。
「何も言わずに出掛けて悪かった。帰りが遅くなって悪かった。だから味方
同士でいがみ合うのは止めてくれ。それよりも早急に小沛を守る為の策を
練ろう」
「御意」
鉄を除く全員が拱手した。僕はそんな鉄を敢えて無視して、話を進めた。
「公仁さん、敵の陣容は?」
「呉軍の兵力は7万余。総大将は張[合β]で、参軍が何故か夏侯惇です。
この小沛との距離は既に50里を切っていると思われます」
「篭城するべきかな」
僕が訊ねると、董昭は「是」と短く答えた。
篭城は望むところだ。…野戦を戦ったら、今度こそ命はないかもしれない
し。
他の武将もぐるりと見渡す。異論はなさそうだった。
>>90-92 有難うございます。
ここで次回予告。決戦を望む馬鉄と、固守を命じるキユ。
城外では決戦を望む夏侯惇と、降伏を呼びかける曹休。
小沛にそれぞれの思惑が交錯する。
ストーリーは盛り上がらなきゃ。ヒロインを交えてねっ。
(このネタを知っている人が何人いるか…。)
乙です。ネタは知りませんが。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 04:43
保守age
保守
保守
【呉軍急襲・其の弐】
張[合β]を総大将とする呉軍は、何の抵抗も受ける事なく、
小沛の城下まで迫っていた。
ここまで来ても馬超軍が迎撃に出てくる気配が無いのを見て、
夏侯惇は歯噛みをした。
「ちっ、キユの奴。臆病風に吹かれたか」
「そりゃ吹かれるでしょうよ。大将軍に殺されかけたわけですから」
張[合β]が漫然と応じた。
張[合β]は今回、戦袍の下に魚鱗甲(註1)を着込んでいる。
前回の戦いでの失敗を、彼なりに反省したものだった。
「大将軍。陛下の御心はキユを麾下に加える事です。あまり興奮
なさらないで下さい」
曹休も毅然と窘めた。夏侯惇はフンと鼻を鳴らした。
「それでですが、大将軍。閣下の御名でキユに降伏を勧告しては
頂けませんか」
「何で儂が…」
夏侯惇は露骨に嫌そうな顔をした。
「陛下がキユを配下に加えたがっているのは、閣下もご存知でしょう。
閣下の誓約には千斤の重みがあります。少なくとも、嘘ではないと
知らしめられるのではないでしょうか」
「どうかな?キユは却って疑うかもしれんぞ」
「どういう事ですか?」
曹休が訊ねたが、夏侯惇は答えなかった。
「…まあ降伏を勧めるのはいいとして、キユが応じてこなかったら
どうするつもりだ?」
糜芳が曹休に訊ねる。尤もな質問だった。
「キユが応じなくとも、麾下の将兵や小沛の市民の中には変心する
者があるかもしれません。それを待ってみましょう」
「それすら無かったら?」
「その時はまた改めて、城を攻め落とす策を練りましょう」
「ふん」
糜芳は鼻を鳴らして小沛の城壁を見やった。彼にとって、ここは
間接的ながら、思い出の多い街だった。
「…しかし、儂等が長年かけて頑丈にした城壁を、儂等が壊さねば
ならんわけか。糞ったれが」
夏侯惇が忌々しげに呟く。その言葉に、他の三将も黙然と俯いた。
註1:筒袖鎧の事。筒袖の為、腋にも隙間が無い。後漢末〜三国時代
に流行った。
【城を楯に】
「城を楯にするのはいいとして、何かいい策はないかな」
僕が皆に諮ると、鉄が真っ先に進み出た。
「敵は城外に到達したばかりです。今夜は疲労で油断している事で
しょう。夜襲を仕掛けてみては如何でしょうか」
「そんなに上手くいくかなあ?着いたばかりだからこそ、今夜は警戒
してるんじゃないかな?」
それに、夜襲をかけるって事は敵にも味方にも犠牲が出るんだろ?
面白くないなあ…。
「兄さんは弱気過ぎます。兄さんが敵を恐れていては士気が奮いません。
小沛の民も不安がります」
董昭が呆れたような表情で鉄の顔を見たのに、僕は気付いた。
けど董昭は何も言わず、代わりに雲碌が反論した。
「弱気か慎重かは結果が決めます。鉄兄様の言葉こそ、お兄様の
意図を官民に曲解させます」
「雲碌!お前、私にいちいち突っかかるのは止めろ」
「ならば鉄兄様も少しは言葉を慎んで下さい。先程そう言われた
ばかりでしょう」
鉄と雲碌が人前で口喧嘩を始めた。
(前々から思ってたけど、雲碌は頭はいいけど気が短いよな…)
僕がそんな事を思ってると、楼閣から伝令が駆けつけた。
「将軍。城外の敵が降伏を呼びかけています」
「降伏だと?」
「降伏ですって?」
雲碌たちが喧嘩を止めた。
「御意。降伏すれば皆厚遇すると言っています。その代わり抗戦する
なら、撫で斬りも辞さないとの事。その声を受けて、城内の一部に
動揺が見られるようになりました」
「敵は我が軍より少ないではないか。城壁も高く厚い。その程度で
動揺するとは」
「徐州の民は一度経験しておるからな。曹操の撫で斬りを」
渋面を作る馮習に対して、韓玄が他人事のように応じた。
馮習に続けて鉄も舌打ちをした。
「だから言わんこっちゃない。一度撃って出て、敵に思い知らせてやる
べきです」
董昭は黙って一息、溜息を吐いた。
けど、僕は別の事を考えていた。
(厚遇か…曹操に降ったら船作ってくれるかな?)
そしたら殺し合いなんかさっさと止めて、日本に向けて漕ぎ出すん
だけど。
「お兄様、今何をお考えですか?」
雲碌の問いかけに、僕は我に返った。そんな打算で動いたら、間違い
なく雲碌から嫌われるな。やっぱり無理か…。
ふと、董昭と目が合った。董昭はそこで初めて、莞爾と笑った。
「ご府君、今私が一計を思い付きました。これぞ網を張る前から魚が
飛び込んできたというものです。これを利用しない策はありません」
「へえ。言ってみてよ」
僕は興味を惹かれて発言を促した。
董昭が策を簡単に説明する。聞きながら僕は、確かに有効な策だと
思った。
成功すれば、敵には多大な損害を与える事が出来る。味方に損害は
殆ど出ないだろう。
失敗しても、見抜かれるだけならお互いに傷つかずに済むだけだ。
敵とはいえ、沢山の死傷者が出るのは忍びない。けど戦わずには
退いてくれないのだったら、仕方ない。
「解ったよ。それでやってみよう」
僕は全面的に裁可した。董昭は「有り難き幸せ」と言って、深深と頭を
下げた。
その時、雲碌も一歩進み出て言った。
「公仁様の策も結構かと存じますが、私も一計を思い付きました。今から
仕込んでおきたいのですが」
「どんな策?」
「離間の策です」
うむむ。思ったより文章が長引いてしまいました。
今回はここまでです。
>>98-101 保守して頂き、有難うございます。
>>98 元ネタは「宇宙英雄物語」(伊東岳彦)です。
聖クルセイダーズにもあったかなー?
ちょっとよく覚えてないです。
次回予告!!董昭が示した策が呉軍を恐慌に陥れる。
ヒステリックにつきぬけろ!
>>107 乙です。
……宇宙英雄物語に聖エルザとはまた、懐かしい名前を聞きましたよ。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/10 03:36
保守age
【陥穽】
その日の深更。董昭から夏侯惇宛てに密書が届いた。曰く、
「過日は命惜しさに降伏したが、固より主君は呉皇帝ただ一人と心に
決めている。何卒陛下に便宜を取り計らってもらいたい」
夏侯惇はこの密書を読んで小躍りした。
これでキユに報復出来る。何事もやってみるものだ。それに董昭が
戻ってくるなら、将来政務の面でかなり助かる筈だ。
夏侯惇が張[合β]らにこの密書を見せると、張[合β]らもすっかり
信用し、董昭と打ち合せを始めた。
董昭が内応を約束してから2日目の夜。
その日は午後から雲が出始め、夜になると雲はすっかり空を覆って
いた。
月の明かりがない闇夜。董昭から「この夜陰に乗じて西門を開ける」
との矢文が届いた。歩兵は跫音を潜め、騎馬には枚を含ませ、呉軍は
静かに西門へと迫る。
やがて手筈どおり、門が開いた。呉軍が喚声を上げて、我先にと
城内に雪崩れ込む。
だがその直後。眼前の世界が突如、暗転した。陥穽に落ちたと覚った
時には、俄かに鬨の声が上がり、陥穽の周囲に馬超軍が犇(ひし)めい
ていた。
更には城壁の上から叢雲の如く弩兵が湧き出でて、弩を雨霰と浴びせ
掛ける。
「しまった、罠だ!全軍、退けい、退けい!」
張[合β]は声を嗄らして叫んだが、あっという間に6千近い死傷者を
出していた。惨澹たる敗北だった。
「……思えば昔、呂布と戦った時もこんな陳腐な策に引っかかって、
孟徳が危機に陥ったのではなかったか。年を経て忘れていたようだ」
夏侯惇は眦が裂けんばかりに激昂したが、鼻息荒く一息つくと、そう
言って反省した。
曹休も冷や汗を掻きながら溜息を吐いた。
「キユがこのような策を用いてくるとは思いませんでした…」
「恐らくは董昭の発案でしょうな。…あの裏切り者め、してやられたわ!」
張[合β]は地団駄を踏んで悔しがった。陛下に登極の発議をしたのは
奴だった。その事に囚われ過ぎて、奴がすっかり敵になっているという
事に思い至らなかった。
だが曹休の気は晴れなかった。自分が降伏勧告を提案しなければ、
もしかしたらこの損害はなかったかもしれない。
(俺はキユに踊らされるほど落ちぶれたのか?)
或いはいつの間にかキユに抜かれたか?そんな不安がふっと胸を過る。
昔のキユは風声鶴唳にも怯え、虎が出れば失神する様な軟弱者だった。
なのに今は…。
キユにまた一つ借りが出来た。この借りは必ず戦場で返さなければ
ならない。いや、今ここで返さなければならない。曹休はそう思った。
辺りは静まり返っている。さっきまでの喧燥が嘘のようだ。見張り以外の
兵士は皆、勝利の酒宴を開く事もなく、それぞれの兵舎へと帰って行った。
今頃はきっとよく眠ってるだろう。
僕は城壁の上から、陥穽の中に累々と積み重なる死屍を、暗澹とした
思いで眺めていた。
思ったとおり、一方的な虐殺になった。幸い張[合β]の判断が早かった
から、この程度で済んだと言うべきなんだろうか。
夜の静寂を微かな跫音が破った。跫音は僕のすぐ傍まで来て止まった。
「敵の死を悼んでいらっしゃるのですか、お兄様?」
「うん…」
僕は呟くように答えた。
「出来れば彼等を鄭重に葬ってあげたい。それが彼等に対する、せめて
もの償いだ…」
「無理ですね。この穴は夜が明けたらこのまま埋め立てます。戦時に
何千もの亡骸を鄭重に葬っている暇などありません」
「そんな……」
僕は振り返った。
「それが戦争です」
雲碌は憐れむような目で僕を見詰め返した。
「お兄様。戦争というものは詰まる所、如何に効率よく敵を殺すかです。
味方の損害を出来るだけ抑え、その上で出来る限り多くの敵を殺す。
それが勝利へと導いてくれるのです。いちいち気にしていたらとても
戦ってなどいられません。それがお兄様の美点だとは思いますけど、
あまり気落ちしないで下さい」
「…ああ、解ってる。解りたくはなかったけどね……」
僕は城壁を背にして腰を下ろした。
その傍に雲碌が楚々と腰を下ろした。
「……なあ、雲碌。僕はいっその事、降伏勧告に応じようかと思ったん
だ……」
雲碌の表情が瞬時にして険しくなった。
「……何故そう思われたのですか?」
押し殺したような声。
「そもそも僕は戦いたくなんてなかった。兄さんの為に戦うのも嫌だ」
「だから曹操の為に戦う、というのですか?」
「いや、違う。曹操なら船を作ってくれると思ったんだ。そしたら船で漕ぎ
出すつもりだった。そして雲碌と二人で――…」
雲碌は最後まで言わせてくれなかった。雲碌の手が僕の頬を引っ叩い
ていた。
「…私だってあの人の為に戦うのはもう嫌です。ですが裏切り者になりたい
とは思いません。竹帛に汚名を残す程なら、討死にする方がまだマシです。
お兄様の気持は嬉しいです。けど、お願いですからそんな事は言わない
で下さい」
雲碌の目から大粒の涙が零れていた。
ああ、やっぱり。
「僕の事、嫌いになった?」
「いいえ…嫌いになんかなっていません。…嫌いになんかなれません。
だからそんな事は…」
雲碌が僕の襟を掴んで咽び泣く。
怒らせた。泣かせた。嫌われるような事を言った。嫌われても仕方ない
と思っていた。
けど雲碌は赦してくれた。
そんな雲碌が愛しくて、雲碌を悲しませた自分が腹立たしくて。
「…ごめん、雲碌。もう言わない。だから泣かないで」
指先でそっと、雲碌の涙を拭った。
「ええ、ええ…」
雲碌は涙声で頷いた。
僕は雲碌の身体をそっと抱き締めた。
幾許か。静謐な時間が流れた。
「……まだ戦は恐いですか、お兄様?」
雲碌が小さな声で訊ねた。僕は少し迷った後、本心を吐露した。
「…ああ、恐い。夏侯惇と戦って改めて、嫌と言うほど思い知らされた。
戦争は嫌いだと思ってたのに、いつの間にか慣れてたって言うか、
甘く見るようになってたのかもしれない……」
「大丈夫です、お兄様」
雲碌がそっと抱きついてきた。
「お兄様の命は私が守ります。必ず」
…本当は僕が雲碌を守ってやらなきゃならない筈だ。けどその時は、
雲碌の言葉が無性に嬉しかった。僕はもう一度雲碌を抱き締めた。
>>108 一時期コミックコンプを購読してたもので。
>>109 有難うございます。
次回予告!!いよいよ雲碌の策がベールをぬぐ。
雲碌の目的は?ヒステリックにつきぬけろ!
↑名前欄変えるの忘れてた…(;´Д`)
乙です。
個人的に気になったのは、キユ、もう少しこれまでの人との繋がり(自軍)を思って下さい、
というところですかね。結構その辺り、自分じゃ分からないことでしょうけど。
人との繋がりって色々とあるものでしょうから。
琥珀、翡翠のお二人も気になりますし。
では、続きを楽しみにさせて頂きます。
保守
【女を楯に・壱】
呉軍が誘引の策に嵌ってから、10日余り過ぎた。
その間、呉軍は頻りに挑んできた。城に向かって罵詈雑言を浴びせ
掛ける。堂々と決戦を挑む。城門を叩き壊そうと攻めかかる。
小細工も弄してきた。城壁を壊そうとしたり、城壁の土台から崩そう
としたり、僕の暗殺を図ってみたり。地下道を掘って城内への侵入も
試みたらしい。
僕たちは城壁を修復しながら、何とか持ち堪えていた。雲梯で城壁
を登ってくる敵は、[言焦]から援軍に駆けつけた謝旌に命じて、藉車
(註)で防がせた。出撃を逸る鉄を押し止め、竪穴を掘って水を流し
込んだ。刺客は雲碌が捕えた後、地下の牢獄に放り込んであった。
註:ゲーム中で守城軍の歩兵が使っている兵器。下に車輪がついていて、
城壁に沿って移動できる。
「お兄様。私の仕込みもそろそろ機が熟してきました」
その日、雲碌は僕にそう言った。
雲碌の策とは、城内にいる清河公主を利用したものだった。清河公
主から夏侯惇に宛てた手紙を偽造し、夏侯惇に気付かれないように、
その幕舎へと届けていたらしい。しかもその内容は、雲碌なればこそ
の発想に基づいていた。その意味では、董昭の献策よりも遥かに
えげつないもののように思えた。
偽筆を引き受けてくれたのは琥珀さんだった。流石に男の字では
バレるだろうという事で城内の女性の誰かに頼む事になった時、
琥珀さんが自ら進み出て引き受けてくれた。
「こんな私でもお役に立てるのであれば、どうか手伝わせて下さい」
琥珀さんはそう言って、にこやかに微笑んだ。
…けどその琥珀さんの横顔を、翡翠が何か醒めた目で見ていたよう
に、僕は思った。
僕が清河公主の部屋を訪ねた時、公主はベッドから腰を浮かし、
身構えるようにしてこっちを見ていた。
「公主?僕だよ、キユだよ」
僕がそう言うと、公主は少し安心したのか、ベッドに座り直した。
けど。
「何でしょうか、キユ様?」
訊ねる声音は微かに震えている。怯えているのは容易に想像が
ついた。
「隣、いいかな?」
僕が訊ねると、公主はややあって頷いた。
僕は静かに、公主の傍に腰を下ろした。
「恐い?」
公主がまた頷く。
「そうだね。僕も恐い」
僕はそう言って、後ろで両手をついた。
「城が落ちるのですか?」
「いや、落ちない。――落とさせない」
「では何故?」
「戦争が嫌いだからだよ」
公主がやや怪訝そうに僕の顔を見た。そしてすぐに視線を落とす。
「そうですか。けど、そしたら私と貴方の『恐い』は違うようです」
「どんなふうに?」
「私は疑われています。呉軍の間者なのではと。それ自体は否定
しません。私は目的があってここに送り込まれたのですから。でも
この戦の事は何も知らされてなくて…。
なのに、私が部屋から出れば、誰も彼もが私の陰口を叩きます。
城内を嗅ぎ回っているだの、内応する機を窺っているだの、工作を
仕掛けて城内の混乱を誘うだろうだの…。お陰で街に出るのも
遮られました。
それだけじゃありません。時折、殺意の篭った目を向けてくる者
すらあります。
私が何をしたというのです?私は何もしていません。いえ、何も
出来ない女なんです……」
公主がぎゅっと裳を握り締める。俯いたその顔は唇を噛み締めて
いた。
僕は公主の肩をそっと抱いた。
公主がはっとして身を強ばらせた。
「嫌?」
「……いえ」
辛うじて聞き取れるくらいの小声で、公主が呟いた。
「公主は何も悪くない。疚しい事は何も無いんだから、堂々として
いればいいよ」
「…出来ません。私は元々間者ですから。疚しい女なんです」
「自分を蔑むのはよくないよ」
「皆はそう見ています。…いつか、誰かが私を殺す為に忍び込んで
くるかも…」
「大丈夫。公主は僕が守るから」
我ながら臭い台詞だなと思った。
て言うか、僕は雲碌に守られてる身の筈だから、本来は雲碌に
対して言うべき台詞なんだよな。けど、ここはそう言ってあげないと
いけないと思った。
公主は驚いた顔で僕を見上げた。
「そんな事を約束していいのですか?」
「ん?いいよ。正月にもそう言ったろ」
「…信じても宜しいのですね?」
「うん」
僕は頷いた。
公主は自分の膝と僕の顔とを何度か交互に見やった。
そして公主の肩から力が抜けたと思うと、ぎこちない仕草で僕に
寄りかかってきた。
公主は身体が冷えているみたいだった。僕は公主の肩を抱く右手
に、少しだけ力を込めた。
その頃、呉軍が宿営している南門の城門の上に、一本の丸太が
立てられた。丸太には一人の少女が縛り付けられていた。
馬鉄はその丸太に手をかけると、城下の呉軍に向かって大声で
叫んだ。
「逆賊夏侯惇、並びに曹操軍の将兵よ、人の心あらば聞け。曹操は
漢の大将軍として天朝に粉骨砕身忠義を尽くすべき地位にありながら、
玉璽を盗むや忽ちにして野心を露にし、畏れ多くも天子であるなどと
僭称した。しかもあろう事か、貴様等は今、その逆賊の頤使に甘んじ
て、天子の軍に盾突き、あまつさえ王土を掠め取ろうとさえしている。
貴様等に一片の衷心あらば、即座に矛を投げ出して地に跪き、
乃ち天朝に帰服せよ。
これにある少女が見えるか、夏侯惇。この娘は曹操の娘にして貴様
の息子の嫁の清河公主だ。貴様等がたちどころに降伏せぬというので
あれば、この娘の命はない。退かないというのであれば、やはり命の
保証はしない。よくよく考えて心を決めるがよい」
声高らかに呼びかける馬鉄は得意げだ。
馬鉄は戦前の我が儘が原因で、先日の誘引の計に参加させて貰え
なかった。
(もしかして疎まれたかもしれない)
疎まれて使って貰えなければ、軍功を挙げる機会が害われる。それ
だけは流石に嫌だった。
だが今回、計略の要所を任された事でその不安が一掃されたうえに、
ここ10日余りが防戦一方だった事の鬱憤を晴らす事が出来た。
――が、実はただ汚れ役を押し付けられただけである。だが馬鉄は
気付かなかった。
因みにこの「公主」は偽者だ。本物の公主は今、自分の部屋でキユと
話をしている。従って公主は、城門でそんな事が起こっているなど知る
由もない。そしてこの公主の偽者は、城内で公主に似た女性を捜し出し、
金を払って雇ったものだった。
尤も、雲碌は最初、公主本人を磔るつもりだった。キユが強硬に反対
して、董昭が
「本物を出して、本物に自分の事など気にするななどと言われては薮蛇
ですよ」
と忠告した為、その案は立ち消えになった。
後は呉軍がどう出るかである。
>>118-119 いつも有難うございます。
ここで次回予告。ブチ切れる夏侯惇に呆れる糜芳。
策の行方は?ヒステリックにつきぬけろ!
乙&保守
保守
130 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/17 18:24
革命
私ゃ続きが読みたいから応援しまっせ。
【女を楯に・弐】
「公主が磔にされています!」
前線からの伝令で、夏侯惇たち将領は慌てて陣を飛び出した。
だが、遠目ではその真偽など判らない。ただ、公主が城内にいるという
事実だけははっきりしていた。夏侯惇は愾然として顔色を失った。
「訝しい…これはキユらしくない」
帷幕に戻ると、曹休はそうひとりごちた。
「だが、現に女性が縛られているぞ」
糜芳が顎をしゃくってみせる。張[合β]は憂色を示しながら髯を撫でた。
「…いや、ある意味キユらしいのかもしれません。非戦という一点のみに
おいては」
「衛将軍。本気で言っているのか?女をダシに恐喝するなど、武人に
あるまじき行為だろうが」
糜芳がばっさりと斬り捨てる。キユが聞いたら「武人として以前に、
人としてあるまじき行為だよ」と、真顔で訂正していただろう。
張[合β]は流石に苦しく思い、
「ともあれ、陛下の仕込みが裏目に出ましたな」
と言ってお茶を濁した。
「小沛を攻めたのが誤っていたと?」
「元皓殿の命令です。出陣の命令が下った以上、我々は戦場で最善を
尽くすのみです」
「そうだな。それで大将軍殿はどうしている?」
「血管がブチ切れそうになっている。少し安静にしてもらった方がいい」
糜芳の問いには曹休が答えた。糜芳は呆れ顔になった。
「それでも大将軍かよ。それでどうするんだよ?」
「大将軍の意向を聞かねばどうにも出来ないでしょうな。何せ人質は公主
です」
3人は再び腕組みをして考え込んだ。呉の陛下に意向を問い質している
時間はない。どれだけ議論を重ねようとも、今はそれが限界だった。
戦線が膠着してから2日後。呉軍は、陣中をうろついていた不審な男を
捕えた。
その男は手紙を所持していた。男を捕えた兵卒たちは、その日見張りを
担当していた糜芳に報告し、同時に手紙を上官に差し出した。
報告を受けた糜芳は手紙を開封してみた。
『馬休はお義父様の寝返りについて、もう少し詳細に話を煮詰めたいと
言っています。早急なお返事をお待ちしております。話が前後しましたが、
お義父様のご英断に感謝致します。さぞやご苦衷の事と存じます。ですが、
私は嬉しくてなりません。漸くまた、お義父様の許へ帰る事が出来るの
ですね。また昔のように私を愛して下さい。一刻も早く再会できる事を
心待ちにしております』
糜芳は驚愕した。国家の藩屏であり、陛下にとって挙兵以前からの友で
あり一時は不臣の礼すら摂られた大将軍が、敵に内通しているとは。
しかもそればかりか、息子の嫁と姦通していようとは!
糜芳からの急報を受けて、張[合β]と曹休も愕然とした。そんな事は
有り得べきではない。…だが、人質を取られて心が揺らぐ可能性は否定
出来ない。まず、差出人が本当に公主であるかどうかが疑われた。
「ですが、私は公主の筆跡を知りません」
「私もあまり見た事がありません。大将軍に聞いてみる他ないのでは?」
「…それしかありませんな」
張[合β]と曹休はそう話し合うと、糜芳を連れて夏侯惇の幕舎を訪れた。
夏侯惇は問題の書簡を見せられると仰天し、隻眼が飛び出さんばかりに
瞠目した。
「これは…何かの間違いだ…」
やっとの事でそれだけを呟く。
「間違いかどうかはさて置き、まずは筆跡を鑑定して頂きたいのですが。
如何ですか?」
「…公主の筆跡に間違いない……だが何かの間違いだ。儂はこんな話は
知らん!儂は疚しい事など何一つしておらん!」
張[合β]の問いに、夏侯惇は忿激して声を荒げた。だが僚友たちの
反応は冷ややかだった。
「おいお前ら、大将軍の幕舎を検めろ。塵一つ見落とすな」
「ははっ」
数人の兵士が夏侯惇の幕舎に侵入してきた。彼等は糜芳の命令に従って、
夏侯惇の幕舎を隅々まで調べ上げた。その結果、夏侯惇の幕舎から、新たに
4通の書簡が見つかった。いずれも「清河公主」からのものだった。
『義父様が城下に来て下さった事を嬉しく思います。早く城を攻め落と
して、私を助けて下さい』
『私は馬休の許へ送り込まれて以来、ずっと辛い境遇に立たされています。
馬超の家臣たちは皆私に辛く当たり、中でも馬休は毎夜の如く、私を苛み
ます。お義父様の許にいた頃が懐かしい…』
『お義父様。馬休はお義父様だけでも漢朝に帰服すれば、私の命を助けて
もいいと言っています。どうかお願いします。私の事を憐れんで下さるの
であれば、お心をお決めになって下さい』
『お義父様、急いで下さい。城内の者たちはそろそろ痺れを切らし始めて
います。このままでは私は生きて再びお義父様にお会い出来そうにありま
せん。お願いします、どうか助けて下さい』
6筋の疑惑の視線が、夏侯惇に集中した。
「罠だ!これは何かの間違いだ!こんな手紙は儂は知らん!」
夏侯惇が口角沫を飛ばしながら身の潔白を訴える。だが、一度生じた
疑惑の目は、簡単に拭い去れるものではなかった。思い起こせば、小沛で
不要なまでに入れ込んでいた事も、この疑惑に拍車をかけた。
「しかしこうして見つかった以上、拘禁せざるを得ません。御身の潔白が
証明されるまでの間、例え大将軍と雖も、それは免れないと思って下さい」
張[合β]は冷徹に言い放った。
>>128-132 いつも有難うございます。
次回、篭城戦決着。
まったりまったり まったりな〜 いそがずあせぇらず〜 まいろぉ〜かぁ〜♪
いえ、なるべく急ぎます、はい(;´Д`)
乙
140 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 06:10
期待age
【女を楯に・参】
「お兄様、朗報です。夏侯惇が拘禁されました」
雲碌は入室するなり、笑顔でそう言った。
けどその報告を聞いても、僕の心は晴れなかった。
「どうかしましたか、お兄様。そんな冴えない顔をなさって」
「策が当たったのはいいとして、これもなあ…」
僕はぼやいた。こんな誹謗中傷で人を陥れた事が、やっぱり不本意だった。
「何か問題がありましたか」
雲碌がけろりとした顔で問う。
「何か、まるで僕が極悪人みたいなやり方じゃないか」
「あら、お兄様は十分悪い人ですよ」
雲碌はそう言って、琥珀さんみたいにくすくすと笑った。
「何でだよ」
「だってお兄様は、私を背徳の道に誘(いざな)いましたもの」
「…よせよ。照れるじゃないか」
「くすくす」
そう言って笑う雲碌は、それでも幸せそうだった。
本当は実の兄妹じゃないんだけど…でも背徳感を抱きながら、その事に
昂奮している自分も、確かにいる。
(……確かに僕は悪人だろうな。雲碌を騙して抱いて、自分の欲望の為に、
これだけ多くの人を殺している。本当に戦いたくなければ、武威にいた
時に官を捨てて逃げ出せばよかったんだ)
それでも今は守りたかった。雲碌と、雲碌との関係を。この夢のような
日々が少しでも長く続くように。
大将軍夏侯惇が敵に通謀していたという噂は、瞬く間に呉軍内に広まった。
そしてその噂は、呉軍の戦意を阻喪させるに十分だった。
張[合β]は自ら陣頭に立って、攻城の指揮を執った。声を嗄らして
叱咤激励する。だが呉軍の士気は一向に奮わなかった。
「文烈殿。キユを欺く事はまだ出来ないのですか」
張[合β]も流石に苛立ち始めていた。守城軍の指揮系統は強固にして
臨機応変で、なかなか隙を見出せないでいた。
だが情報工作を任された当の曹休は、誘引された後も一度、策を逆手に
取られて手痛い損害を出している。
(キユに二度も出し抜かれるとは……)
曹休は焦慮したが、その焦りが既に一度失敗を招いている。慎重になら
ざるを得なかった。
城に攻めかかろうにも、雲碌と閻行の強弓が指揮官を狙撃して苛む。
指揮官が変わる度に攻城軍の士気は衰え、そのうち夜に入ると脱走者が
出るようになった。
そしてある夜、兵糧庫が焼き討ちを受けた。董昭の手の者の仕業だった。
「……申し訳ありません。これ以上は……」
朝焼けの空に朦朦と立ち上る煙を遠望して、曹休は遂に匙を投げた。
兵糧が残っているうちに退くしかない、と進言した。
「…………已むを得ん」
張[合β]は天を仰いだ。
最早戦にならなかった。誰も戦う気力など残っていない。張[合β]は
曹休の言を受け入れて、撤退を指示した。
(それにしても、忌々しきはキユよ……)
キユを敵にして戦う事がこれほどの難事だとは思わなかった。大将軍を
陥れられた事といい、文字どおり手玉に取られた。あの風貌や日頃の言動
からは想像もつかなかった。成程、陛下が敵に回したがらないわけだ。
キユが味方についてくれれば頼もしいが、再び敵として相見える事が
あれば、その時こそこの借りを返す。
張[合β]はそう心に誓った。
そして張[合β]以上に心に誓ったのは、夏侯惇と曹休だった。
>>139-140 有難うございます。
ここで次回予告。
漢詩大会を見物しに来たキユに馬超が下した命令とは?
プリンセス・オブ・ラブでつきぬけろ!
乙
保守
建安二十四(219)年7月
【董和懾服】
―濮陽―
「張昭、見事な出来栄えであった。褒美を取らせよう」
馬超は首座から鷹揚に呼びかけた。
有難き幸せ、と答えて張昭が拱手する。
馬超は更に張昭の俸禄を増やす事を約束したが、ふと見ると、張昭
はまだ何か言いたそうな顔をしている。
「何だ、この程度では不満だとでも言うのか?」
馬超はやや不機嫌顔で言った。
馬超自身としては、張昭に対してそんなに悪感情は持っていない。
先日の謀議で「兄弟相争うは亡国の兆し」とは言ったが、立場そのもの
は中立を保っていた。だからこの漢詩大会で、他の張松、ホウ統、諸葛亮、
陳羣らに優勝を持って行かれずに済んで、内心ほっとしていた。
それだけに奮発したつもりなのだが…。
「いや、不満などござらん。そうではなく、閣下にお願いがござる」
張昭は再び一礼をした。
「何だ。言ってみろ」
「されば申し上げる。臣を説客として董和の許へ遣わして頂きたい」
「なに、説客?」
「御意。董和は未だ越シュンを中心に蟠居しておるが、臣の見るところ、
その勢力は既に衰亡の兆しを見せておる。この際一気に併呑してしまう
べきでござる」
「だが、彼奴らは南蛮諸族を糾合して気勢を上げているという話も聞くが?」
馬超は興味を引かれながらも、慎重になって訊ねた。馬超は張昭が
降ってより半年以上、何も酬いていない事を自覚している。説客を口実に
出奔される事を危惧したのだ。
「その南蛮勢と旧来の家臣共との折り合いが悪いようじゃ。旧臣は南蛮を
王化に浴せぬ獣民と蔑んでおる。じゃが南蛮は南蛮で旧臣共を、敗走を
重ねて逃げ込んだ無能者だと蔑んでおるし、実力も兵力もないのに、
仕官が長いだけでデカイ面をしているのが気に食わんらしい。あれは
早晩瓦解する」
「ならば瓦解してから徐に料理すればよかろう」
「それは違いますな、閣下」
張昭は目を細めた。
「故にその一方を抱き込み、戦わずして膝下に拝跪させる好機なので
ござる。董和が降伏に応じれば、蜀に展開している我が軍を、時間と
兵力を害う事無く、江南に移動させられます。利多くして害無し。疾く
ご決断なされ」
馬超は沈思した。張昭の言には理がある。だが信用してよいものか…。
「閣下、ここは子布殿の奏上を採用なされませ」
悩む主君を見かねたのか、孔明がそっと耳打ちした。
「子布殿の見解には臣も同意致します。今なれば説伏も容易でしょう。
成功すれば閣下の名声が弥増しになるばかりでなく、子布殿の忠誠心
も買う事が出来ます。佳い事ずくめではありませんか」
「貴様が俺に目出度い話をするとは意外だな」
「お戯れを。臣は閣下の臣下ですぞ」
孔明は謹厳面で、主君の皮肉を受け流した。
馬超はふんと笑うと、大きく一つ頷いた。
「よし解った。張昭に命じる。必ずや董和を説き伏せて参れ」
「御意」
張昭と孔明は恭しく拱手した。
>>145-146 いつもありがとうございます。
馬超とキユの会見が少し長引きそうなので、今日はここまで。
次回は今日明日中にもう一度アップします。
【確執・参】
漢詩大会が終わって、僕は兄さんから呼び出された。
政庁に向かうと、政庁では丁度、呂範が南皮太守を拝命して退出
するところだった。僕はその呂範と入れ替わりに、兄さんの前に通さ
れた。
「御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」
僕は跪いて拝礼した。心にもない台詞が抑揚を失って口から漏れる。
「よく来たな、キユ。来ないかと思っていたぞ」
棘のある声。…いや。それ以上に、恨みを呑んだような声。
「だが雲碌の姿が見えんな。どうした?」
「雲碌は已むを得ない事情で、小沛に置いてきました」
どんな事情かは言わなくても解るだろう。兄さんに会わせるつもり
が無かったからだ。
僕まで欠席すると不穏な噂が流れかねないから僕は出席したけど、
雲碌まで無理に出席する事はない。そう言ったら、雲碌は納得して
留守番を諒承した。
僕がいない間、雲碌の身辺の警護は閻行に頼んである。閻行が
見張っていてくれれば、万が一も有り得ないだろう。
兄さんの声が暫くの間途切れた。
「…そうか、それは仕方ないな。が、それはそれとして、キユ。お前が
何故ここに呼ばれたのか、解っているだろうな?」
「さあ?」
僕はとぼけた。
「もしかして、僕を解任する心算ですか?ならはっきり言って下さい。
すぐに荷物を纏めて出て行きますから」
周囲がざわめいた。
「早まるなよ。お前は俺にとって必要な人間だ」
制止する兄さんの声が、微かに引き攣っている。
「…だが、事と次第によっては厳罰を科さざるを得んやもしれん。
心して答えよ。まず、お前が曹操の娘を囲っているのは本当か?」
「囲っているというのは正しくありません。故あって身柄を保護して
いるだけです」
「ふむ、口では何とでも言えるな。だが娘がそう言ったわけではない。
娘からも証言を得たい。一度俺の許へ寄越せ」
背筋がぞくりとした。今度は何を企んでるんだ、兄さん…?
「さて…公主は人見知りの激しい人です。それに今は精神的にも
不安定になっています。暫く僕が面倒を見ますので…」
「それを囲っていると云うのだ!」
突如、兄さんが声を荒げた。
「貴様、今『公主』と呼んだな?逆賊の娘が公主だと?漢朝を蔑ろに
するか!」
「ごほん」
僕が返答するより早く、誰かが咳払いをした。
ちっ、と舌打ちの音が聞こえた。
「キユ、いつまで頭を下げているつもりだ。顔を上げて答えろ」
兄さんの顔を見たくないからだっていうのに…仕方ない。
僕は顔を上げた。
「漢朝を蔑ろにしたつもりはありません」
「では何故公主と呼ぶ」
曹操が皇帝だから…と馬鹿正直に答えたら、ここぞとばかりに
攻撃されるんだろうな。
「何となく」
「何となく?」
「その方が呼び易いので」
「では今日からは改めろ」
「解りました」
僕は出来るだけ生真面目に答えた。しょうがない、帰ったら公主に
名前を聞くか。
「だがな」
兄さんはそう言って一度言葉を切った。
「お前がその娘を追い返せば、たかが呼び方で議論する必要もなく
なる。早々に追い返せ」
僕は一瞬、返事に詰まった。公主を返す口実が出来たのは事実だ。
けど…
「返事はどうした?囲っているのでなければ簡単な話だろう?」
兄さんが意地の悪い笑みを浮かべている。あれは絶対誤解してる
な…。
だけど。
「その命令には従えません」
僕ははっきりと言った。
またもや周囲がざわめいた。瞬時に、兄さんのこめかみに血管が
浮かび上がった。
「…何故だ?」
押し殺したような声。
「僕は彼女を守ってあげると誓いました。今更その約束を破るわけには
いきません。信義に反します」
「君命と貴様のちっぽけな信義と、どちらが大事だと思っている」
「そもそもこの話は、3月の会議でケリが着いていたと思うのですが」
わざと直答を避ける。ギリリと、歯軋りの音が聞こえた。
「つまり貴様は、その娘を手放したくないというわけだな。漢朝に対して
叛意ありと見做すが、それでもよいか」
「手放したくないというのは語弊があります。況して叛意などありません」
「では追い返せ。行動で示してみよ」
「閣下」
見かねたのか、孔明が横から口を挟んだ。
「キユ殿は先月、曹操の軍勢を撃退しました。叛意がない事は既に
明白です。キユ殿に何か落ち度があれば、いずれ御史台から奏上が
ありましょう。ここは閣下の大海の如き寛容を以って、お許しになられる
方が宜しいかと存じます」
兄さんは孔明を横目で睨んだ。
「何を言うか。此奴が情にほだされて君命を蔑ろにした事が、今明らかに
なったではないか」
「君命を得て従わざれば、罪を犯した事になりましょう。しかしキユ殿は
閣下に対し直接、復命出来ない旨を言上致しました。未だご下命に
服したわけではありませんから、これは罪に当たりません」
兄さんが口許を歪めた。
「ふん、口だけは達者だな。貴様が如何に取り繕おうとも、キユが逆賊の
娘を匿う意志を見せた事は紛れもない事実だ。この罪をどう贖わせる
つもりだ?」
「されば、曹操の娘の件を許す代わりに、別の命令を与えては如何で
しょう」
「何だと…?」
「下[丕β]の曹操軍はまだ立ち直っていません。この隙にキユ殿に
下[丕β]を攻め落として頂きましょう」
「某も軍師殿の提案に賛成致します」
真っ先に賛同の意を表したのは、意外にもホウ徳だった。
続いて、あちこちから同じく賛成する声が湧き起こった。兄さんは
憮然として黙り込んだ。
(まあ、僕は別に構わないんだけど。どうせ建業までは行くつもりだし)
そう思いながら、僕もちらりと見回す。寿春太守のホウ統だけが複雑な
表情を浮かべていた。
と、急に兄さんが立ち上がった。
「曹操の娘の件、今日のところは許してやる。だが代わりにキユに
命ずる。下[丕β]を奪還せよ」
兄さんは吐き捨てるように言い放つと、沓音も荒く奥へ消えて行った。
僕はゆっくりと一礼した。
ここで次回予告。それぞれの思惑が交錯する中、奸計が再び闇に蠢く。
ロケットでつきぬけろ!
158 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/27 03:41
感謝age
下ヒは「奪還」なのけ?
【秉心】
小沛への帰り際、司馬懿、韓遂、陳羣といった人達に呼び止め
られた。
「先程は冷や冷やしましたよ。全く、無茶をなさる」
陳羣が苦笑気味に言った。僕も苦笑で返した。
「僕にとって、父さんの命令は絶対だった。兄さんが後を継いだ時も、
絶対だと思ってた。けど上手くいかないもんだね。やっぱり譲れない
ものはあるよ」
「だがあまり頑ななのもよくないぞ。今日は閣下のやりようも宜しく
なかったが、キユもちと我が勝っているように見えた。軍師殿が
上手く仲裁してくれたからよかったようなものだが」
お前が下手を打つと我々が困るのだ、と司馬懿が指を立てて
忠告してくれる。僕は頷いて「これからは気をつけるよ」と答えた。
陳羣がふと、遠い目をした。
「しかし、こうして会うのは久しぶりですね。何年ぶりでしょうか」
「多分1年半だよ。父さんの葬式の時以来じゃないかな」
「そうですか。随分経ったように思いましたが、感傷だったかもしれ
ませんね」
陳羣は苦笑した。
「あの時は楽しむ事も出来ませんでしたが、新野での餞祖は楽し
かった。孝直がもういないのがつくづく口惜しいですね」
「うん」
「そういえば今日は仲宣殿の姿が見えんな」
司馬懿が思い出したように呟いた。
王粲もあの場にいた。司馬懿自身はあの場には居合わせなかっ
たけど、死んだ法正から聞き知っている。
張松が答えた。
「宛では夏の終わりから流行病が起こっていて、仲宣殿も罹って
枕が上がらんらしい」
「それは一大事。早く快癒するとよいのじゃが」
「そうですねえ」
韓遂が呟いて、僕は相槌を打った。
「永年、貴公こんなところで水を売っていていいのか?病が長安に
流れでもしたらどうする」
ホウ統が注意を促すと、張松は顎に手を宛てた。
「…そうだな、それは警戒しておかねばならんな。が、今日一日
くらいはまあよかろう」
「呑気なもんだな」
張松はふっと淋しそうな顔をした。
「孝直が死に、子慶は孫策に降った。最近は人生に張り合いを
欠いておるよ。せめて誰かさんが神輿に担がれてくれればのう」
…最後のは僕に対する宛て付けだな。やれやれ。
そこへ。
「なかなか話が弾んでいるようだな」
不意に声をかけてきたのはホウ徳だった。
ホウ徳は兄さんの側近中の側近だ。皆それを知っているから、
一瞬ギクリとして押し黙った。
「いや、まあ、それほどでも。それよりさっきは有難う」
平静を装おうにも、ぎくしゃくして声が上手く出ない。
ホウ徳は僕の顔を一瞥した。
「礼には及ばん。国家の為に当然の事をしたまでだ」
「いやまあ、でも有難う。…で、何か用?」
「うむ、まあな」
ホウ徳は頷いた。
「さっき見ていて思ったのは、閣下の冷淡さもさる事ながら、キユ、
お前も閣下に対してよそよそしかったように思う。お前達、何か
あったのか?」
「……」
そりゃああったさ。他人に言える事じゃないけどね。
…あれから漸く1年か。この1年間、ほんとにいろんな事があったな
…今からまた一合戦あるんだけど。
「無いわけではないんだな?しかし言えない事なら仕方あるまい」
ホウ徳は頷くと、僕達をぐるっと見渡した。
「閣下とキユとは、公には君臣で、私には兄弟だ。2人が諍いを起こす
のは宜しくない。私も閣下をお諌めするから、卿等も軽挙盲動せぬ
よう、気をつけて貰いたい」
ホウ徳はそれだけ言って、その場を立ち去った。
僕達はほっと胸を撫で下ろした。
【密命】
馬超は自室へ戻ると、近臣を遠ざけて、ただ董[禾中]のみを
呼び入れた。
「さっきキユに、曹操の娘の送還を命じた。だが奴は拒否した」
「はあ」
馬超が重々しく呟く。
それがどうしたと言わんばかりに応えて、董[禾中]はすぐに、
自分の間の抜けた返事を後悔した。君命を拒まれて腹を立てない
者はいない。
「それで、キユには如何様な処罰が下されたのでしょうか?」
「処罰など無い!」
馬超は声を荒げて床を蹴った。
「代わりに下[丕β]を攻めさせよ、だと。皆がそう言う。あろう事か
ホウ徳まで賛成しおった。あの馬鹿共、一体誰が国主だと思って
いやがる!」
董[禾中]はゴキブリのように床に這いつくばった。義兄の怒気の
嵐が頭上を無事通り過ぎるまでこの姿勢を保っていないと、首から
上が危なかった。それも物理的に。
馬超は漸く気を落ち着けると、徐に訊ねた。
「董[禾中]。貴様にはキユをはじめ奴に与する群臣の暗殺を命じて
あった筈だが、どうなっている」
「それにつきましてはいろいろと障碍も多く、未だに成果が上がらない
でいます。既に多くの刺客を失い、損失を埋め合わせるのも容易で
はなく…」
這いつくばったまま、声を恐懼に震わせる。馬超は怒気を閃かせた
が我慢した。
「刺客が駄目なら毒という策もあろう」
「…成程」
董[禾中]は心中で頷いた。確かに食事に毒を盛れば手っ取り早いし、
大した技術も必要ない。何故今まで思い付かなかったのだろう。自分
の愚鈍さが恥ずかしくなった。
だが、媚びる事も忘れない。
「流石に閣下は明敏でいらっしゃいます。とても私如き凡愚の及ぶ
ところではありません」
などと言われると、馬超も少し気をよくした。
「うむ。だが愚かな奴等が挙って、優れた俺を差し置いてキユの擁立を
画策している。いつ奴等が政変を企てるとも知れんし、万が一キユより
先に俺が死ぬような事があれば、奴等は間違いなく秋と承に牙を剥く
であろう。何としてもキユを除いておかねばならん。貴様も精励しろ」
「御意」
董[禾中]はこれ以上頭の下げようが無いので、そのままの姿勢で
答えた。
だが、立ち上がって退出しようとする董[禾中]を、馬超が呼び止めた。
「何でしょうか、閣下」
振り返って恭しく一礼する。
「董[禾中]。貴様、キユが囲っているという曹操の娘を見た事があるか」
「いえ、ありません。艶名のみを伝え聞いています。寡婦とはいえまだ
二十歳にも満たない若さだそうで」
「キユに娘を一度俺の許へ寄越せと命じたら、人見知りが激しいなどと
言って断られた。そうか、若くて美人の後家か」
馬超は少し考える素振りを見せた。
「――興味が湧いたな。冗談ではなく、一度その華容を見てみたい
ものだ。董[禾中]、貴様連れて来い」
「は。連れて来いとは」
「キユの事だ、まともに言ったところで取り合うまい。攫ってでも構わん
から連れて来い。幸いキユは帰ったら下[丕β]へ進軍だ。娘の周囲は
ガラ空きだろう」
だが董[禾中]は、すぐには返事をしなかった。
「返事はどうした、董[禾中]」
「あの、閣下。畏れながら、かの娘は暫くあのままにしておいた方が
よいのではありませんか?」
「何故だ」
馬超の声が怒気を含む。
「キユがかの娘を寵愛すれば、キユはますます不利な状況に陥りますし、
畏れながらその…妹君の御心もキユから離れていくのではないかと
思うのですが」
「無論、雲碌は俺のものだ。だがキユの傍に美人がいる事自体、
許し難い」
「ですが、人を攫うというのは暗殺するよりも難しく…」
「小沛など目と鼻の先だろうが。キユが勝つにしろ負けるにしろ、
勝負がつく前に事は済むだろう。つべこべ言わずに攫って来い」
もし気に入れば、俺の愛妾にしてしまうという手もある。キユが囲って
許されるのだ、俺が囲ったとて文句はあるまい。
(さて、どんな風に俺を楽しませてくれるかな)
董[禾中]が渋々拝命して退出する。その背中を見ながら、馬超はまだ
見ぬ「美少女」に、暫し思いを馳せた。
「女を攫って来いだと?一体誰に向かって言ってるんだ。寵が移ったら
割を食うのは俺達じゃないか。真面目にやれるかよ」
董[禾中]は義兄の部屋を退出すると、途端にぶつぶつと文句を言い
出した。
ついでに言えば、これまでの働きに対してさっぱり酬いて貰っていない。
まあそれは捗々しい成果を上げていない自分の非でもあるから強気には
出られないが、近い将来に使い捨てにされそうな気がしてならない。
(手を切るなら今のうちだな。今ならまだ、政変が起こり謀事が露見しても
言い逃れが出来る)
…だが、薄情な義兄の事だ。露骨に離れようとすると、却って誅殺の
動きを早めかねない。
(結局、自然を装うには他の女が要るわけか)
董[禾中]は溜息を吐いた。
(仕方ない。曹操の娘とやらに、その役を担って貰うか)
今は他に案もない。董[禾中]はあきらめ顔で、公主略取の方策を練り
始めた。
>>158 いつも有難うございます。
>>159 名分論になりますが、下[丕β]は元々漢朝の王土であるにも拘わらず、
曹操の独立によって一旦失われました。ですから馬超から見れば
下[丕β]は「奪還」です。下[丕β]に限りませんが。
解り難くてすみませんでした。
次回、キユ率いる馬超軍が下[丕β]へ進軍を開始する。
ロケットでつきぬけろ!
>>161に訂正です。
×水を売っていていいのか?
○油を売っていていいのか?
痛恨のミス(;´Д`)
>>168 なるほど、明快な説明を有難うござる。
自分も理由があるとすればそれかな、とは最近思い直していたところですた。
しかし馬超もえろいな(;´Д`)ハァハァ
保守
【疾如風】
―下[丕β]県―
「速攻か。してやられたな…」
田豊は地図を前にして腕組みをした。
味方は先月の敗北からまだ立ち直っていない。兵は神速を貴ぶと
いうが、キユのこの用兵はまさにそれだった。
「廷尉卿。卿はどう戦うのがよいと思われる?一応意見を聞きたい」
「篭城に如かずと存じます」
楊脩は恭しく頭を下げた。田豊は元々降将とはいえ、その剛直さは
夙に有名である。例え呉国内の法を司る廷尉卿と雖も、田豊の臍を
曲げさせては首が危なかった。
「敵はまたも騎兵で統一して挑んでくるようです。斯様な敵の鋭鋒は
篭城して躱すのが良策…」
「ならん!」
ドン、と卓子を叩いたのは夏侯惇だ。
「キユ如きを相手に城に閉じ篭るなど出来るか。臆病にも程がある!」
「俺も大将軍の意見に同感だ。このままおめおめと引き下がれるか」
夏侯惇を止めなければならない筈の曹休までがそう言った。
「卿等はそこまで馬休と決戦したいのか?」
田豊がジロリと一瞥する。
「卿等の実力を以ってすれば、先月の苦杯はまず有り得ない筈だった。
にも関わらず卿等は敗れた。それは何故か?
それは馬休が城を楯に守りを固めたからであろう。今度は我等が
守る番だ」
「ぬるいわ!」
夏侯惇が咆える。
「建業から子丹が大軍を率いてこっちに向かっている。敵に倍する
兵力を抱えながら城に閉じ篭るなど、婦女の為す事だ。断固、出撃を
要望する!」
「卿の我が儘が罷り通ると思うたか。軍令を犯すようなら大将軍とて
容赦せんぞ」
「篭城はまだ廷尉の一意見に過ぎまい。いつから軍令に昇格した、
元皓?」
「この私が同意している」
「廷尉の意見だけ聞くのが軍議か。そなたが同意したらそれで軍議は
お終いか、ああ?」
夏侯惇と田豊との間に火花が散る。止む無く張[合β]が間に入った。
「まあまあお二人とも、少し冷静になって下さい。今は味方同士で
いがみ合っている時ではありませんぞ」
「む……」
夏侯惇らは短く唸ると、腕組みをして椅子に深く座り直した。
「――しかしながら、大将軍の御意見も尤もかと存じます。先月キユが
城に篭ったのは、野戦では我等に克ち得ないと踏んだからでしょう。
なればキユが城を出てきた今こそが好機。野戦を挑むべきかと存じ
ます」
田豊は張[合β]の言に理を見出した。元々この張[合β]という男は、
変化の法則をよく弁え、軍略に通じ、用兵を誤るという事がない。
それ故先月は大将軍の夏侯惇を差し置いて、攻め手の総大将に
任命したのだ。
だが、敗れた。この男にしては珍しく、敵の策略を読み切れなかった
ようだ。今更責めようとは思わないが、そのせいで肝腎の夏侯惇ら
主力の兵力は皆、先月の出陣前と比べると4割から5割ほども少なく
なっている。
斥候の報告では、敵は騎兵8万6千。小沛の全兵力を以って出撃
してきたようだ。
対する下[丕β]の軍勢は7万9千、うち騎兵は張[合β]の1万余。
味方の知略と武勇を以ってしても、これではせいぜい五分といった
ところだ。
泗水沿いには広大な平野が広がっていて、騎兵を歩兵で受け止め
られるような格好の邀撃地点がないのは、不安材料だろう。
ただ、建業からの援軍が7万7千。彼等の到着を待って正々と旗幟を
並べて挟撃すれば、勝利は掌の内にある、と言えなくもない。
田豊は暫し沈思した後、顔を上げてこう言った。
「よかろう。迎撃して決戦を図る」
「敵は邀撃に出たようですね。下[丕β]の城の北西に大々的な陣を
構えているようです」
董昭はキユが描いた地図に駒を並べながら説明した。
徐州州都・下[丕β]県は、泗水沿いに城郭を構えている。その西で
2本の支流が泗水に合流し、かつその南東で更に1本の支流が合流
している。下[丕β]の城は3本の河に西南北三方向を囲まれた、
天然の要害だった。
今、呉軍はその一本を渡り、水を背にして陣を構えていた(註)。
呉軍の構えは方陣でも横隊陣でもない。前衛に張[合β]、中央に
夏侯惇、右翼に曹休、左翼に糜芳、そして後陣に田豊と楊脩の司令部
があるという、変則的な方円陣だった。
「敵の本陣は丘と呼ぶには低い場所ですが、それでもこの近辺では
最も高い場所に設けられています。その本陣の前面は広い平地と
なっていて、騎兵の機動力が活きる地形です」
「何で田豊はそんなところに陣を構えたの?」
僕は訊ねた。先に答えたのは雲碌だった。
「この辺りに陣を布くなら理に適った布陣でしょうね。広い平地は大兵の
展開と運用にも適しています。田豊は我が騎馬軍と真っ向から勝負して、
打ち勝つ自信があるんでしょう。尤も、私は城を出た事が賢明だとは
思えませんけど」
実際、田豊や張[合β]は白馬義従との戦いで対騎兵戦を学んでいる。
漢人にとって騎兵の運用や対騎兵戦というものは、流石に実際に戦って
みないと身につかないものだった。
「それもありますが、建業から援軍が来るまで、堅固な陣に拠って守りを
固めるつもりではないでしょうか」
「本気で守りを固めるつもりなら、河を渡らないのではありませんか?
私は田豊には決戦の意志があると看ます」
「水を背にしているのは我が軍が騎兵であり、渡河を好まない事を
知っているからでしょう。敢えて死地に身を置いたのではなく、背後に
天然の楯を備えたに過ぎません。敵の本陣までの厚みを見なされ。
これは寧ろ守勢ですよ」
董昭と雲碌が喧喧諤諤の議論を始める。
どっちにも一理あって、正直僕には判断がつかなかった。
「…まあ、どっちの言う事も尤もだ。で、敵が決戦を図っているなら上手く
躱して下[丕β]城に入りたい。守りを固めているなら、その隙に下[丕β]
を陥したい」
「…どの道下[丕β]を掠め取るつもりですか?」
雲碌の問いに僕は頷いてみせた。
「出来ればそうしたい。出来ればね。だから皆にはこれから、その為の
方策を練って貰いたい」
水軍があれば、泗水を下るのが手っ取り早かった。けど水軍はない。
南を迂回すると河を3本も渡らなくちゃいけない。出来れば1本で済む
北を迂回したかった。
暫くの間協議を重ねて、漸く方針が定まった。
「じゃあ、そういう事でいいね。ロケットで突き抜けろ」
僕はそう言って軍議を締めた。
註:すみません、詳細な地図がなくて河の名前が判りません(;´Д`)
>>170-171 いつも有難うございます。
ここで次回予告。キユは田豊の裏をかく事が出来るのか?
ロケットでつきぬけろ!
>ロケットで突き抜けろ
軍議終了の符牒かなんかですかw
180 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/04 03:52
感謝age
保守
保守
保守
【津涯の飛沫】
キユ率いる馬超軍は、3日分の糧食を携帯すると、夜陰に紛れて
全速力で迂回した。
呉軍はすぐにこの動きを察知した。だが田豊は最初これを夜襲だ
と判断し、張[合β]と当たるのを避けて曹休の部隊に攻めかかる
ものだと考えた。田豊は全軍に命じて陣の向きを北に回転させ、
迎撃の態勢を整えさせた。
だが馬超軍は、曹休の陣の脇をもすり抜けて、田豊、楊脩がいる
本陣に殺到した。
「しまった、敵の狙いは本陣か!急いで本陣を守れ!」
夏侯惇らは慌てて軍を動かした。
曹休がまず、軍を反して馬超軍の右後方に襲い掛かる。この時
既に、呉軍の本陣はかなりの損害を受けていた。
馬超軍の最後尾を指揮しているのはキユである。
キユを補佐しているのは閻行。雲碌は別命を受けて先陣にあった。
「そこに見えるのはキユか!こっちへ来い。俺と勝負しろ!」
馬群に揉まれながら、曹休が大声を上げる。その声は当然キユの
耳にも届いていたが、キユは無視した。曹休の姿はそのまま馬群に
呑み込まれていき、そのうちキユから見えなくなった。
夏侯惇や張[合β]の部隊もそんなに離れていたわけではないから、
すぐに曹休隊に追いついた。だが眼前には味方の軍が犇めいていて、
馬超軍に攻めかかる隙間がない。
「ええい文烈め、何をしている。そこをどかんか!」
夏侯惇たちは切歯扼腕しながら、遠目にキユの旗幟を見るばかり
だった。
やがて。先陣から雲碌が自ら駆けつけた。
「お兄様、敵の浮橋を奪いました。急いで渡りましょう」
「解った。全軍に伝令。浮橋を突き抜けろ!」
キユは大声でそう命じると、
「有難う、雲碌。よくやってくれた。助かったよ」
と言って、雲碌の頬を撫でた。
田豊は防戦の指揮を執りながら、敵の狙いが浮橋である事を
素早く見抜いていた。
(だが焼くのか?それとも奪うのか?)
俄かには判断がつかない。松明を持っていないのは明らかだが、
別の火種を持っていないとも限らない。篝火を奪われる可能性もある。
奪われる程なら焼き落とさなければならない。だが焼かれるので
あれば、このまま半包囲すればいい。どのみち包囲する必要は
あるが…。
「ここからでは暗くてよく見えん。敵が何か火種になるような物を
持っているか見てこい」
御意、と短く答えて、数名の斥候が飛び出していく。田豊はそれを
視認する暇を惜しんで、篝火を火種に焼き落とす準備をさせると共に、
各部隊に半包囲陣形を取るよう伝令を発した。
斥候が戻ってきて、火種を持っている様子も篝火を奪おうとする
様子もないと報告する。田豊はさてこそとばかりに浮橋の焼き落とし
を命じたが、田豊の命令が行き渡る前に、浮橋は雲碌率いる騎兵
5千によって既に制圧されていた。
田豊はその迅速さに仰天した。
「元皓殿。強行しますか?」
楊脩が傍から訊ねたが、その楊脩自身、もう間に合わないだろう
と思っていた。
案の定、田豊は首を横に振った。
「…いや、もう手後れだろう。焼き落とすにはまず奪い返さねばならん。
だがどうも、私の用兵ではあの将から奪い返すのは無理のようだ。
腹立たしい限りだが足元を掬われた。敵の狙いは下[丕β]城だ。
全軍に伝令。急いで新しい浮橋を作れ。敵が下[丕β]城に達する
前にその前面に回り込むのだ」
田豊は淡々と命じたが、内心では臍を噛んでいた。
完全に後手を踏んだ。河を渡ってしまえば、下[丕β]の城はすぐ
そこだ。日中には敵は下[丕β]の城に到達するだろう。
しかも彼我の機動力には差がある。今から橋を作り直していて、
果たして追いつけるかどうか…。
何故、前もって浮橋を壊しておかなかったのか。その事が
悔やまれた。
伝令が駆けつけた。
「ご府君、大将軍より進言です。敵はキユが殿軍を務めている。
このまま一戦してキユを屠り、敵を瓦解させるべきとの事」
「馬鹿を言え。馬休も自分が狙撃されていると知れば、早々に
安全な場所へ逃れるだろう。そんな無駄事を考えている暇が
あったら早く浮橋の設置に取り掛かれ。戻ってそう伝えろ」
田豊は吐き捨てて馬に飛び乗った。
「ではいっその事、城は一度明け渡して、改めて攻囲しては
如何ですか」
楊脩が飄然と言った。
「馬鹿を言うな。家族を人質に取られて戦えるか。…いや、
私は構わん。それが大義の為ならば心を鬼にしよう。だが
兵士達の心はそうはいかん。何より、下[丕β]は我が軍の米櫃だ」
楊脩は肩を竦めて、田豊の後に続いた。彼も自分が仕掛けた
罠が無になった事に、一片の悔吝を覚えたのだった。
僕たちは電撃的に城を占領し終えて、一息ついていた。
城の守備兵は殆どおらず、「呉軍の主力は既に敗れた」と恐喝
すると、守備兵は震え上がって城門を開いた。無血開城だった。
「兄さん。解っておられると思いますが、城を占領しただけでは
勝ったとは言えません。敵が城下に戻ってきました。そのうち
敵の援軍も到着するでしょう。なのに、我々の兵糧はあと2日分
しかありません。策はあるんでしょうね?」
休息を取り終えた鉄が、開口一番にそう訊ねた。
僕は座ったまま、ゆっくりと鉄の顔を見上げた。日もそろそろ
暮れかかっているというのに、まだ少し気だるかった。
「そんな事はない」
「はい?」
「そんな事はない、と言ったんだ。ここには兵糧がある」
「よくご存知ですな」
唖然とする鉄を尻目に董昭が答えた。董昭も少し驚いた様子
だった。
「水運を見れば判るよ。僕たちもこの先の彭城に一度兵糧を
置いてきた」
「成程」
董昭は納得したのか、大きく頷いた。鉄は赤面していた。
「…しかし、陥したばかりの城に篭るなど無謀もいいところです。
下[丕β]の民はまだ慰撫されていません。敵に煽動されたら
どうにもなりませんよ」
「内憂外患か。頼もしい未来予想図じゃな」
韓玄が嘯く。悪気があってのものではなさそうだ。僕は無視した。
「…まあ民衆の宣撫工作は公仁さんに一任するよ。それから、
篭城するつもりはない。今から撃って出る」
「今からですか?」
皆驚いた様子で僕を見返した。けど皆、嫌がっている風はない。
…ただ少し、雲碌の顔色が悪い様に思えた。そう言えば
さっきから元気がない。
「出撃は望む所です。ですが、では何故先月は出撃を許して
頂けなかったのですか?」
「先月の敵は通常の進撃速度で小沛城に迫っていた。だから
疲れたといっても大したもんじゃなかった。今日の敵はまだ暗い
うちから起こされて、浮橋を作り直し、慌てて引き返してきて、
漸く到着したばかりだ。だから疲れてる。逆に僕たちは一息ついた。
卑怯かもしれないけど、今がチャンスだ」
「佚をもって労を討つ。兵法に適った策かと思われます」
董昭が恭しく一礼した。それで鉄は引き下がった。
皆に指示を出し終えて、それぞれが自分の部隊の許へと
散っていく。
その中で雲碌だけが残っていた。
「雲碌。疲れてるんじゃないのか?少し休んでていいんだぞ」
雲碌はハッとして姿勢を正した。
「いえ、大丈夫です。お兄様こそ少し顔色が優れない様ですが、
安楽になさっては如何ですか」
「僕は大丈夫だ。それに僕は、これから行う夜襲に対して責任を
負わなきゃならない。休んでなんかいられないよ」
「私はお兄様が大人しくしていてくれた方が助かるのですが」
「頼りない兄貴でゴメンね」
「あ、いえ、そういう事ではなく…」
雲碌がきゅっと唇を噛んだ。じゃあ何の事だろう?よく解らないな…。
「まあいいや。あんまり無理はしないようにね」
「あ、お兄様…」
踵を返した僕の背中を、雲碌が呼び止めた。
「なに?」
振り返って訊ねる。
「あ、いえ…」
わざわざ呼び止めたくせに、雲碌は歯切れが悪い。
努めて優しく、もう一度促すと、雲碌は漸く重い口を開いた。
「あの、曹操の娘の件ですけど…何故送還しなかったのですか?」
「ああ、公主の件ね」
この間送還を命じられて拒否した事を、雲碌はどこからか伝え
聞いたみたいだ。
「守ってあげるって約束したからね」
「でも、追い返す口実が出来たじゃないですか」
「もしかしてヤキモチ?」
「あ、いえ、そういうわけでは…」
言いつつも雲碌が悄然と俯く。全然妬いてないってわけじゃない
みたいだ。ま、ちょっと意地悪な質問だったかもね…。
それにしてもいじらしい。雲碌にこんなところがあるなんて、
昔は思いも寄らなかった。
僕は周囲に人がいないのを確かめて、雲碌を後ろからそっと
抱き寄せた。
「大丈夫、僕が好きなのは雲碌だから」
「ええ」
「けど、約束は約束だ。僕が平気で約束を破るような奴だったら、
雲碌だって嫌だろ?」
「ええ」
「公主はそれだけの事だから、雲碌は何も心配要らない」
「はい、信じます」
雲碌が僕の兜に手をかけて身を捩る。僕は雲碌を抱き直して、
その口にキスをした。
「――じゃあ行こうか。気をつけて」
「はい。お兄様も」
僕達はそう言って身体を離した。
田豊は下[丕β]城陥落の報告を受けると、天を仰いで慨嘆した。
やはり城に篭って守りを固めるべきだった。少なくとも、援軍が
近くに来てから城を出ても遅くなかった。主戦論に押されて判断を
誤るとは、らしくない。
だが、嘆いてばかりもいられない。当面の糧食を確保する事が
急務だった。
「衛将軍に伝令だ。これより可及的速やかに彭城を陥してきて
貰いたい。そこに敵の兵糧庫がある筈だ」
張[合β]の手勢は漸く渡河を終えたところだったが、張[合β]は
新たな指令を受け取ると、嫌な顔一つせずに引き返した。キユに
出し抜かれ続きなのは忌々しいが、補給の重要性も官渡で嫌と
いう程思い知らされていた。
張[合β]は騎兵1万を率いて、昼夜を分かたず北進した。
呉軍が馬超軍の夜襲を受けたのは、張[合β]の部隊が再び
渡河を終えた後だった。
呉軍は完全に虚を衝かれた。敵も全速力で駆け抜けたのだから、
今夜はゆっくり休息を取るものだと思っていた。だからといって
見張りを立てなかったわけではないが、その見張りの気が緩んで
いたのだ。
夏侯惇らが漸く軍を立て直した時、呉軍の本陣は既に壊滅し、
田豊、楊脩共に虜囚の辱めを受けていた。
「ええい、慌てるな!まだ儂が残っておる。この戦、以後はこの
大将軍の指示に従え!」
夏侯惇は一喝した。
だが、暗闇の中に馬蹄の音が無気味に轟く。呉軍の不安と
動揺はなかなか収まらなかった。
夏侯惇らが率いる弩兵3万余は、それに倍する騎兵の総攻撃を
受けて、みるみる数を減らしていった。
「くそっ、キユめ!やらせはせん、やらせはせんぞぉ!」
夏侯惇は自ら矛を振るって奮戦したが、圧倒的な不利は覆らな
かった。他の部隊との有機的な運動を図り、曹休との連携は取れた
ものの、糜芳からは返答として救援を乞われた。
夏侯惇は怒気を閃かせて答えた。
「我に奇兵(予備隊)なし。自力で善処しろ」
伝令からこれを伝え聞いた糜芳は逆上した。
「連携する気がないなら初めから伝令を寄越すな。大将軍だからと
いっていい気になるなよ」
逆上した糜芳は盲滅法に弩を乱射させた。敵も味方も見境の無い
攻撃に夏侯惇は舌打ちしたが、いちばん閉口したのはキユだった。
「全滅寸前の部隊の分際で…」
「私が潰してきます」
「殺さないようにね」
「解りました」
雲碌は頷くと、愛馬の手綱を取って駆け出した。そして糜芳と干戈
を交えるや、またも一合で捕獲した。
糜芳捕縛の報せを受けた曹休は部隊の指揮を部下に委ねて、
夏侯惇の許へ直接馬を走らせた。
「なに、一時撤退しろだと。どこに撤退しろというのだ」
夏侯惇は隻眼を怒らせた。
「彭城へ向かい、衛将軍と合流すべきです。今これ以上の抗戦は
無意味です」
「キユを相手に退けというのか。馬鹿を言え」
「衛将軍と合流し、更に子丹の援軍と合流すれば、まだ敵を上回る
兵力で戦えます。ここで自棄を起こしてはいけません」
「黙れ。キユにこれ以上恥を掻かされて堪るか」
曹休の必死の説得も、夏侯惇にはなかなか通じなかった。
曹休は溜息を吐くと、夏侯惇の従卒に命じて夏侯惇を拘束させた。
「き、貴様等、何をする…!?放せ、放さぬかっ…!」
「敵が迫っています!何卒、何卒今は…!」
従卒は暴れる主人に必死でしがみつきながら懇願した。
「キユに勝ちたいのは私とて同じです。ですが今は軍を立て直す事が
急務です。退く事は決して恥ではありません。最後に勝てばよいのです」
曹休はそう言った。
「おのれキユ…っ、覚えておれ…っ!」
夏侯惇は従卒に引き摺られながらも咆え続けた。
―目于目台―
曹真は曹休からの報せを一読すると、書簡を持つ手を震わせた。
「如何なされましたか」
「王司徒…これを」
王朗は受け取った書簡を一読して、同じ様に愁眉を顰めた。
「…何はともあれ、彭城に向かいましょう。合流するのが先決です」
「そう…だな」
曹真は頷いた。
だが我が軍はまだ、漸く淮水を渡り終えたばかりだ。彭城は
遠すぎる。何より、敵は既に下[丕β]を押えている。途中で襲撃
される事も考えられた。
「雎陵(註1)で合流したい。大将軍にそうお伝えしてくれ」
曹真は伝令にそう告げると、険しい表情で腕組みをした。
註1:正しくは[目隹]陵(すいりょう)。[目隹]≠雎。
僕達は散々に敵を打ち破ると、今度こそ熟睡した。お陰で身体が
少し軽くなった気がした。
翌日、僕は諸将を政庁に集めると、早速新たな軍議を開いた。
「夏侯惇たちはどうしてる?」
「彭城に向かったようです。我が軍の兵糧庫に目をつけたようですね。
一両日中には奪われるものと思います」
董昭が答えた。
「ふうん。下[丕β]の備蓄は?」
「思ったより貯め込んでいます。3年分近くあるのではないでしょうか」
「じゃあ問題ない。引き返してくるのを待とう」
「それは如何でしょうか?」
董昭が首を捻った。
「敵の動きを待つのは騎兵の用法ではありません。常に主導権を
握ってこそ、騎兵はその強さを発揮します。敵が下[丕β]陥落の
情報を得る前に、敵の援軍を叩いてしまいましょう」
「下[丕β]が陥ちた事は、流石にもう知っているのではないかな?」
珍しく韓玄がまともな発言をした。
「…そうですね。曹真は無能ではありません。夏侯惇らにしても然り。
既に伝令は走らせているでしょうね」
「では、敵が合流する前に各個撃破するのが筋、という事になりま
しょうか」
鉄が言うと董昭と雲碌が頷いた。
「じゃあ、公仁さんは早急に敵援軍の所在を突きとめて欲しい。他の
人は敵の所在が判るまでの間、可能な限り負傷兵を労り、城内の
民の宣撫に努めて欲しい」
「御意」
鉄たちは拱手すると、足並みを揃えて出て行った。
田豊ほどの智者をこの程度にしか書けないとは…(;´Д`)
>>179 キユ的な合図ですが、意味もなくアレを挿入するのもまたキユらしいかと(笑)
>>180-183 いつも有難うございます。今週はアップが遅れてすみませんでした。
ここで次回予告。全軍が出払ってがら空きになった小沛に
怪しい影が忍び寄る。メイド・オブ・ラブでつきぬけろ!
また名前欄変えるの忘れてた…。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/11 20:58
浮上
>田豊ほどの智者をこの程度にしか書けないとは…(;´Д`)
悪いのはコンピューター。そのせいでまたキユに勲功が。
馬超には北斗の三男の如くブチ切れて欲しい。
【心傷】
―小沛―
キユ率いる馬超軍が電撃的に下[丕β]城を陥したという報せが、
小沛に残っている琥珀たちの許へ届けられた。
この類の書簡は毎度のように届いている。その度に琥珀たち
女官は荷駄を纏め、自分達の主人の後を追ってきた。
琥珀は書簡を一読すると翡翠に言った。
「今回も勝ったみたいね。いつでも出発出来るよう、今から荷物を
纏めておきましょう」
「ですが敵はまだ駆逐されていません。少し気が早いのではあり
ませんか、姉さん?」
翡翠が尤もな事を言った。琥珀はにこりと笑った。
「ええ。気が早いけれど、準備を始めてしまいましょう」
どうも、姉さんの中では荷造りはもう決定事項のようだ。逆らって
も益はない。おとなしく荷造りを始めよう。どうせいつもの事だし。
「では、他の女官にも知らせないといけませんね。私は清河公主に
伝えてきますので、姉さんは――…」
「あ、いいわ、翡翠ちゃん。公主にも私から伝えておくから」
琥珀が妹の言葉を遮った。翡翠は少し驚いた表情をした。
「いいんですか、姉さん?いつもは私に頼んでいるのに」
「そうね。いつもは翡翠ちゃんの鉄面皮が有無を言わせなくて
便利なんだけど」
「もう、姉さん」
「くすくす、ごめんなさい」
翡翠が憮然とすると、琥珀は袂を押えてくすくすと笑った。
「でも、今月は少し言っておかないといけない事があるから。
じゃ、少しの間部屋の片付けをお願いね」
琥珀はそう言い残して、自分達の部屋を後にした。
ところが。
清河公主の部屋へ行く途中で、琥珀は庭に不審な男の影を
目撃した。
不審な男は庭の茂木に身を隠し、きょろきょろと辺りを窺って
いる。何か企んでいるのは確実だった。
琥珀は気付かぬ風体(ふう)をして茂木の傍を通りかかった。
男は慌てて身を潜めた。
琥珀はくすりと笑うと、立ち止まって悠然と訊ねた。
「そこで何をしていらっしゃるんですか?ここはキユ様以外の
殿方が勝手に立ち入っていい場所ではありませんよ」
男は最後まで言わせてくれなかった。琥珀の右腕を掴んで
素早く茂みに引きずり込む。男の左手は琥珀の口を塞いでいた。
「騒ぐな。騒ぐと殺す」
男は囁きながら、懐剣の切っ先を琥珀の鼻先に突き付けた。
琥珀は軽く目を見開いた。
「曹操の娘の居場所を探している。お前は知っているか」
「……」
琥珀は答えない。
男は重ねて質問した。琥珀は矢張り答えなかった。男は少し
ムッとなった。
「貴様、答えないか」
だが相変わらず琥珀は答えない。男は苛立った。
「首を縦に振るなり横に振るなりくらいしろ」
そこで琥珀は初めて、自分の口を塞いでいる手を指差した。
「なに、手を離せだと?うっかり離して騒ぎ立てられたら困る
だろうが」
琥珀はツンとそっぽを向いてしまった。思わぬ反抗に男は
慌てた。
(脅迫されているのに、何て女だ)
だが、いつまでもここで遊んでいるわけにもいかない。この
女官の姿を捜して他の者達が騒ぎ出したら、元も子もない。
「ほら、離してやったぞ。返事をしろ」
男は已む無く手を離したが、代わりに空いた左手で琥珀を
後ろから抱き締めた。男としては拘束しただけのつもりだったが、
意外にもこっちの方が琥珀の顔色を蒼くさせた。
「ん、どうした?顔色が悪いようだが」
だが琥珀は黙ったまま、男の右手首に思い切り爪を立てた。
「痛っ…!痛って…げっ、血が滲んでやがる。何すんだこのアマ。
殺されたいのか」
男は手首に滲んだ血を舐め取ると腹を立てた。
琥珀は臆するどころか、却って男に冷ややかな視線を投げ
つけた。
「殺す、殺すって、男は殺されるのがそんなに恐いんですか。
女には殺されるよりもずっとおぞましい事があるんですから」
「なに…」
「公主の居場所を知ってどうするつもりですか」
「それをお前が知る必要は無い」
「あら、そうですか。ならそのまま息絶えるといいわ」
「なに…」
「私の爪には毒が染み込ませてありますから。手首の血管に毒を
入れたつもりだったのに、ご丁寧に舐めるんですもの。あと何刻
持つか楽しみですね」
「げえっ?!」
不審な男は琥珀を突き飛ばした。そして余程動転したのか、
琥珀に解毒を頼むでもなく、意趣返しをするでもなく、白塗りの
壁を飛び越えて逃げ去った。
「あらあら、慌ててもどうにもならないのに」
琥珀はくすくすと笑った。
それはいつもの明るい微笑ではなかった。自分に乱暴を働いた
男を冷たく蔑むような嘲笑だった。
「――毒なんて嘘なのに」
琥珀はもう一度くすくすと笑った。
>>202 いつも有難うございます。
>>203 田豊については、全くもってそのとおりです…。
ジャギ様の台詞はそのうちどこかで使いたいと思っています。
誰が使うかはまたその時に。
ここで次回予告。大都督曹真率いる8万の大軍が下[丕β]に近付く。
キユはどう迎え撃つのか。ロケットでつきぬけろ!
>「――毒なんて嘘なのに」
普通の者が読めば何となく察しの付きそうなこの台詞。
ほっとしたやら残念やら思ってしまう漏れは月を知る者。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/20 04:10
急速浮上
保守
保守
【兵鼓填然】
―下[丕β]城―
2日後、董昭は烽火の合図で、曹真率いる7万7千の大軍が
北西へ向かいつつある事を知った。董昭はその報せを持って
キユの許へ駆け込んだ。
「おかしいな。そっちに行って何かある?」
「特に何も」
「ふーん…夏侯惇たちの様子は?」
「彭城を陥して張[合β]と合流したという報告はありましたが、
再び泗水を渡ったという報告はまだありません」
「もしかしたら、敵は再び合流するつもりではありませんか?」
雲碌が訊ねると、董昭は「その可能性は高いですね」と頷いた。
「そうなると厄介だね…合流前に叩ける?」
「そうですね……」
董昭は地図を見ながら顎に指を宛てた。
「敵が合流するとすれば、雎陵と泗水との間で合流を図りそうな
気がします。となると、雎陵の南東で建業の援軍を迎撃する
必要があります。今すぐに出陣すれば、雎陵の南東50里辺りで
敵を捕捉する事が可能かと存じます。尤も、泗水の流れがきつく
なければの話ですが」
「よし。じゃあ皆を集めてくれ。出陣する前に頼みがあるんだ」
キユは再び全軍を率いて南に向かった。
「申し上げます!馬超軍がこちらに近付きつつあります。その数
6万から7万!」
「何だと!?」
斥候からの急報を受けて、曹真は一瞬狼狽えた。
「ううむ…已むを得ん、迎え撃つぞ。大将軍にも急ぎ伝令を
遣わせ!」
「御意」
王朗は拱手すると、鼓を打ち鳴らさせた。
キユ率いる馬超軍と曹真率いる呉軍は、雎陵県の南東60里の
平原で激突した。
曹真は、或いは合流する前に敵の出撃があるかもしれない
とは予測していた。だがそれは、基本的に合流が遅れた場合
だった。雎陵に着く前にぶつかるというのは、万が一程度にしか
考えていなかった。
だからこれは予測の最悪を極めさせられた。それでもギリギリの
時節で布陣を終えた曹真は、流石に非凡だった。
「キユよ。実の兄に疎まれた弟よ。一体誰の為に戦うというのか」
曹真が大喝する。だが馬超軍は構わず襲い掛かった。
「むう、動揺せぬか」
曹真は迎撃の指示を出しながら唸った。
「寧ろ馬超の方が孤立しているようですからな」
王朗が相槌を打った。
だが王朗にはもう一つ、気がかりな事があった。それは[言焦]
での一件である。
(誰が、何故、キユを狙ったのか?)
自分には判らない。諜報も苦手だ。そこで陛下に奏上した
うえで、満寵に調査を依頼している。調査結果が出ずとも、
答えは見えている様な気もするが…。
一方キユも、黙って聞き流したものの、気持は沈んでいた。
(痛い所を突いてくれる。曹操の陣営にも噂が届いてるとはね)
流石は曹操、といったところかもしれない。
こんな時傍に雲碌がいてくれたらと思うが、今は自分が望んだ
事だった。
キユは真正面からの決戦を命じた。
「敵は兵法を知らぬ愚か者か?」
戦闘が始まってから一刻。曹真は表情を曇らせた。
我が軍は1200歩(約1.6km)以上の横隊方陣を展開している。
この兵力であれば十分な厚みを伴っており、騎兵に切り裂かれる
惧れも、左右両翼を突き崩される惧れもなかった。況して背後を
衝かれる心配などない。
そして兵数では、味方の方が僅かに上回っている。
なのに、敵は無策にも正面からぶつかってきた。
「敵は半分夷狄の様なものですからな。区々たる用兵は不得手
なのかもしれません。しかし漢族の堂々の陳が、匈奴の騎兵に
幾度も煮え湯を飲まされています。油断は禁物ですぞ」
王朗の返事に曹真は頷いた。
これが本当に連戦連勝を重ねてきたキユの戦い方なのか。
こんな敵に、大将軍らが幾度も煮え湯を飲まされてきたのか。
信じられない。まだ何かある筈だ。
「王司徒。嘗て貴公と戦った時、キユはどの様に戦いましたか」
「包囲殲滅、各個撃破」
王朗が短く答える。
「今回は違うな」
「違いますな」
「変わってくるかな」
「変わりたいでしょうな。こちらは陣形を崩さぬ事です」
「貴公の言うとおりだろう。しかしそれでは些か芸がないな」
曹真は頷いたものの、注文を付けた。
今のところ、戦闘は我が軍が優位に進めている。矛先を並べて
押し出せば、騎兵と雖も恐るるに足りない。
曹真の命令で呉軍は攻勢に転じた。右虞候に韓浩、右翼に
張紹、中軍に曹真、左翼に王朗、左虞候に陳式の部隊を並べて
攻めかかる。後方の奇兵を移動させて徐々に両翼を広げながら、
馬超軍を押し包もうとしていた。
夷狄は逃げるのを恥としない。不利を覚ればすぐに逃げ出す。
あとは「勝ち」に乗じて深追いするのを避ければ、高祖の轍を
踏む事もないだろう。曹真はそう思った。
馬超軍の両翼が崩れるかに見えた時、曹真の後背で喚声が
起こった。
「間に合った…!」
キユと雲碌は約1里離れていながら、異口同音に安堵の溜息
を吐いた。
キユは下[丕β]の城を出る際、自分、馬鉄、韓玄、馮習、董昭
の全部隊から各2千騎ずつ抜き取ると、閻行と雲碌にそれぞれ
5千騎を持たせて、敵の背後を衝かせたのだった。計1万の
軽騎兵は鷙鳥の疾さで迂回すると、それぞれ曹真、王朗の
部隊の背後に襲い掛かった。
呉軍の後陣は忽ち混乱を来した。
「馬鹿な。何故敵がそこにいる…?!」
曹真は愕然としたが、すぐに納得した。
そうだ。せめてこれぐらい出来なければ、大将軍らがキユに
後れを取る筈がないし、陛下もキユを欲する筈がない。
だが、この別働隊の兵力は意外だった。目の前にいた敵は
6万以上。それですら、下[丕β]の守備軍を破った後にしては
多いように思っていたのだ。
(下[丕β]軍がそれほど大敗を喫したという事か?)
解らん…だが事実は事実だ。まずは目の前の戦況に対処
しなければ。
「全軍に通達。後背の敵とは敢えて戦おうとするな。左右に
分かれて敵の両翼を叩け」
こちらが既に奇兵を投入した後だけに、この命令は仕方が
ない。
曹真の命令に応じて、すぐさま鼓が鳴らされた。
呉軍がさっと左右に割れる。だが王朗の部隊は混乱を引き
摺っており、動きがやや鈍かった。王朗隊は後を追った曹真軍
と混ざり合って、自ら陣形を乱した。
雲碌はその綻びを見逃さず、猛禽の鋭嘴を閃かせるが如く、
王朗隊を一気に引き裂いた。王朗隊の指揮官は雲碌の矛に
かかって突き落とされ、馬蹄の塵と化した。
雲碌は王朗隊が無力化したのを看取すると、王朗隊をうち
捨てて曹真隊に襲い掛かった。曹真隊は前面に馬鉄率いる
中軍を、後面に雲碌と閻行率いる奇兵を抱える事になった。
これで呉軍は、単に軍を分断されたのと同じ事態に陥って
しまった。
(強い…これが奴等の実力か!)
曹真は戦慄した。
特に、軽騎兵を率いて奇襲を仕掛けてきた2将。この2人の
武勇と用兵は傑出していた。
キユより寧ろ此奴等の方こそ、陛下は麾下に欲するべき
ではないか。
「貴様、王朗だな。その顔には見覚えがある。とすると、
そこにいるのは大将か?」
不意に声をかけられた。
「おう。呉の安南将軍、曹子丹とは俺の事だ。貴様がキユか」
「扶風茂陵の馬鉄とは私の事だ。その首貰ったっ」
掛け声と共に馬鉄が馬上から矛を繰り出す。
曹真はその太り気味な体格とは裏腹に、俊敏な動きを見せた。
馬鉄が繰り出した矛を鉤[金襄]で引っ掛け、流したのである。
馬鉄の体勢が馬上で崩れた。
「その程度の腕で俺の首を取ろうとは、笑止」
曹真は慌てる馬鉄の右腕目掛けて剣を振り下ろした。
「ちぃっ…!」
曹真は不意に剣の軌道を変え、背後に向けて斬り上げた。
「ぎゃっ…!」
蛙が潰れたような悲鳴が上がった。背後から曹真に迫って
いた馬鉄の部下は、曹真の思いがけない斬撃によって手綱を
斬られ、身体の均衡を崩したところを別の呉兵によって突き
殺されたのだった。
部下が迫っていなかったら、馬鉄の腕は切り落とされていた。
馬鉄は肝を冷やし、先刻の大言壮語もそのへんに放り捨てて、
忽ち駆け去った。
曹真はその後姿を見送りながら眉を顰めた。
「…しかしまずいな。敵将に斯様な接近を許すとは」
だが王朗は別の事で眉を顰めていた。
(訝しい。将軍の正面にいたのは敵の中軍の筈。何故キユが
中軍を率いていない?その中軍を率いていたのが馬鉄だと
すると、キユは一体どこに…?)
「王司徒。敵の戦線が回復したようだ。我が軍の出血も激しい。
これ以上の交戦は今は無益かもしれない。軍を10里退いて
立て直しを図る」
王朗は曹真の命令を危うく聞き逃すところだった。王朗は
拱手して、撤退の鉦を鳴らさせた。
曹真は一時軍を退いて、抜本的な再編成を行うつもりだった。
それ自体は間違っていない。
ただ、方向を間違えたのだ。呉軍はそのまま前進して馬超軍
の背後に回り、そこで再編成を行うべきだった。曹真の器量で
あればそれも可能な筈だった。曹真の引き鉦の合図は、馬超軍
の攻勢を呼び込む結果となってしまった。
キユはさっきまで王朗の部隊と戦っていた。王朗軍に連弩が
配備されているからこそ、キユは敢えて自らこれに当たって
いったのだった。そしてそのキユを扶けたのが雲碌だった。
キユは王朗の部隊が壊滅したのを確認すると、雲碌とは逆に
陳式の部隊に攻めかかった。まず敵の左翼を潰しておこうと
いう考えだった。
孤立した陳式は、キユと馮習の挟撃を受けている最中に
引き鉦の合図を聞いた。
名将ならざる陳式はそこで戸惑った。敵の挟撃を支えるので
さえ精一杯なのに、同時に退却までは出来ない。その迷いが
更に退却の機を失わせ、結局陳式はそのままずるずると出血
を強いられ続けた。
「馮将軍より伝令です。敵将陳式を捕えた由」
半刻後、キユはその報告を受け取って頷いた。
「よし。敵の左翼は壊滅した。馮習の部隊は味方の後ろを
通って敵右翼の更に右側面を叩け。僕の部隊は雲碌と合流
する。突き抜けろ!」
麾下の将兵が揚々と応えて軍を反転させた。
しかし、キユは既に疲労を感じていた。
(ほんとに疲れ易い体質になったな…何でだろう。以前の倍
以上疲れる感じがする)
歳のせいだとは思いたくなかった。不本意な戦いの日々を
強いられて年老いるのは嫌だった。その苛立ちがキユを、
心なしか粗暴にさせた。
桿棒を握るキユの手に力が篭った。
一方馬超軍の右翼では、韓玄、董昭の部隊が、韓浩、張紹
の部隊と激戦を繰り広げていた。
韓浩と張紹は独断で踏み止まった。韓玄の部隊に偽情報を
流し、火を放つ。その為韓玄の部隊は一時混乱を来したが、
董昭の迅速な対応によって事無きを得ていた。
やがて続続と捷報が届く。雲碌が王朗を、閻行が曹真を、
馮習が陳式を、既に虜囚としていた。呉の援軍の指揮系統は
壊滅し、残るは韓浩、張紹の部隊のみとなっていた。
「おろ、それに見えるは元嗣か」
韓玄は面影のある顔を見つけて呼びかけた。呼びかけられた
将は振り返って驚いた。
「兄上か…!」
「如何にも、韓玄じゃ。のう元嗣、そなた何故偽帝に仕えておる。
さっさと武器を投げ出して天朝に帰服せぬか」
「最早漢朝の命運は尽きた。この先誰が覇を唱えようと、漢の
天子が傀儡である事に変わりはない。某は斯様な虚器虚弱な
王朝には興味がない。兄上こそ、溌溂たる新王朝の末席に
名を連ね、以って竹帛に名を留めては如何か」
「それは漢朝が滅んでから考えるとしよう」
「それでは遅い…!」
韓浩は頭を振った。
「決断が遅れれば、その分陛下の心証も悪くなる。良禽は木を
選ぶ。疾く決断なされよ」
「ならば儂はキユ殿に全てを委ねよう」
「どうあってもお聞き届け願えませぬか」
「無理じゃな」
「是非もなし…!」
韓浩は慨嘆した。
「かくなるうえは、兄上と雖も容赦はしない!」
「望む所よ!」
言い終わるや否や、二人の剣が交わった。
>>211 その琥珀さんがいるからこそのネタではありますが、
一介の女官が平素から爪に毒を仕込んでいたら恐すぎます(笑)
まあ機転の勝利という事で。
>>212-214 いつも有難うございます。最近更新が遅れ気味ですみません。
ここで次回予告。下[丕β]攻防戦、遂に決着。ロケットでつきぬけろ!
228 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 14:59
急速浮上
229 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 10:03
age
230 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 11:54
保守
TKG
〜Takeda Kiba Gundan〜
おまいらの単車にもTKGのペインティングを!
保守しる
233 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 18:18
保守
【死山血河】
昼夜兼行して雎陵を目指す夏侯惇たちの許に、建業からの援軍が
馬超軍との間に戦端を開いたとの報せが届けられた。
「敵の動きが速すぎる。何かの間違いではないのか」
流石の張[合β]も思わずそう問い質した。だが伝令の返事は変わら
なかった。
「まさか合流の意図を覚られて、我々をすれ違わせようというつもりで
しょうか?」
「…いや、この報せは本物だろう。交戦地点は目于目台から雎陵への
途上にある。子丹が敢えて迂回でもしない限り、すれ違う事はない」
夏侯惇は髯を捻った。
「伝令、帰って子丹に伝えよ。すぐに行く、それまで持ち堪えろと」
「御意!」
伝令は一礼して駆け出した。
「大丈夫ですか?我が軍も既に強行軍の疲労が出てきていますが…」
「疲れた等と言っている場合では無い。急いで子丹の軍と合流する」
夏侯惇は曹休に向かってそう答えた。
だが夕方になって、夏侯惇らは斥候から援軍の壊滅を知らされた。
渺茫と広がる平野には累々たる屍山が築かれ、無数の黒鴉が空腹
を満たす為に集まっている。屍山からは滑々と血河が流れ出していた。
数万に及ぶ死体のうち、その八割までが呉軍のものだった。
斥候はそう報告した。
「8万近い援軍が、たった1日で壊滅したのですか…?」
張[合β]は半ば茫然と呟いた。
「キユは何か心境の変化でもあったのでしょうか?」
「ああん?」
曹休の呟きに、夏侯惇が胡乱げな顔をした。
「キユにしては粗暴で、しかし用兵としては上出来です」
「先月の鏖殺を忘れたのか。人質で欺いたのを忘れたのか」
「…そうでしたな」
曹休は赤面した。
「あれこそが奴の本性だ。皆騙されているに過ぎん」
夏侯惇が呟く。
曹休も張[合β]も同意し辛かった。だが否定するには、先月キユに
まんまと踊らされた記憶が苦く、新し過ぎた。
やがて続報として、建業からの援軍を率いていた五将が尽く捕虜に
なった事が伝えられた。
「……キユはどこに宿営している?」
夏侯惇は捕虜には敢えて触れずに訊ねた。
「北に退いて、泗水の南岸に陣を構えた様です」
「兵力は?」
「およそ5万」
「まだそんなに残っているのか」
張[合β]は慨嘆した。こうなると流石に、キユの用兵が忌々しくなった。
夏侯惇は気難しげに腕組みをした。
「ともあれ、我が軍は今日はもう動けない。明日以降の戦に備えて安息
を取らせよう。だがこの間の様な怠惰は許さん。見張りには敵の動きを
注視するよう、確と言いつけておけ」
「御意」
曹休は拱手すると、更に斥候を放って、引き続きキユの動向を窺わせた。
日付が変わる頃、董昭が僕の幕舎を訪ねてきた。
隣では雲碌が静かな寝息を立てている。
僕の方が先に気付くなんて珍しいな…まあいいや。そっとしておこう。
僕は静かに布団を抜け出すと、幕舎を出て董昭からの報告を聞いた。
董昭は呉軍が雎陵に退いて屯営を張ったと告げた。
「兵力は?」
「騎兵1万余、弩兵4千余。今から動けば、払暁には雎陵に攻撃を仕掛け
られますが」
「夜討ち朝駆けが好きだね。けど今日はもういいよ」
僕は欠伸をしながら答えた。
「こっちは3倍の兵力だろ?小細工はもう要らない」
「御意」
董昭は少し不満そうな顔をしながらも、一礼して自分の宿舎へ帰って
行った。
【二休相搏】
翌朝、キユは全軍を率いて雎陵を目指した。
時を同じくして夏侯惇率いる呉軍も動き出し、太陽が冲天に達する頃、
両軍は激突した。
キユは言ったとおり、小細工を弄さなかった。全軍を横隊に並べて、
呉軍を三方から押し包むように攻めかかった。
「夏侯惇はよくやりますね」
開戦から半刻。雲碌がそう言った。
「ああ。地勢の優劣を考えても、十倍のこっちを相手によく支えてる。
あれが本来の実力なんだろう」
夏侯惇は部隊を再編成して、一か八かの賭けに出ていた。夏侯惇は
弩兵4千余と騎兵600の併せて約5千を率い、自らは街道沿いの小高い
丘に拠って、馬超軍の攻撃を一手に引き受けた。そして残る1万騎を
張[合β]、曹休の各々5千騎に分けた。張[合β]、曹休の両隊は馬超軍
の両翼をすり抜けて、馬超軍の後背に回ろうとしていた。
その様子は僕達の本陣からも見えた。
「お兄様。あの2人を放っておいて宜しいのですか?」
「うーん…」
僕は考え込んだ。放っておくと余計な出血を強いられそうだな…。
「閻行、5千騎を指揮して張[合β]に当たってくれないかな。って言うか、
張[合β]本人の相手も任せた」
閻行は黙然と頷くと、馬首を反した。
「殺さないようにね」
僕は駆け去る閻行の背中に、そう声をかけた。
「曹文烈はどうしますか?」
「そうだな…僕が相手をしよう。夏侯惇は雲碌に任せてもいいかな?」
「…私が傍にいなくても大丈夫ですか?」
雲碌が心配そうに僕を見た。
「相手は曹休だ。多分何とかなるよ。それより、雲碌に厄介な方を
押し付けてゴメン」
「気にしないで下さい。お兄様を守るのが私の役目ですから」
「…有り難う」
場所が場所じゃなければ、抱き締めてやりたかった。
僕はそれだけを言うと、騎兵4千を率いて曹休に向かった。
雲碌はキユの後姿を見送ると、全軍に改めて指示を出した。
「韓玄の部隊に伝令。回頭して曹文烈の側面を突きなさい。また
鉄兄様、馮習の部隊に伝令。夏侯惇の両翼を削りなさい。私の許に
残った4千騎はこれから夏侯惇に突撃をかけます。命を惜しむな。
踏み潰せ!」
張[合β]は長駆してキユの部隊の背後に回った。だがその後背を
捉えたと思った矢先に、何者かの一隊が立ち塞がった。
その先頭に立つ敵将は異様ないでたちをしていた。顔の半分を
覆い隠す、黒色の鉄兜。鎧も戦袍も漆黒の闇を染め抜いた様な黒。
跨る馬も、黒鹿毛の巨躯。一見しただけで凶凶しいその驍将は、
声もなく間合いを詰めてきた。
鈍い金属音が鳴り響く。張[合β]は敵将の斬撃を咄嗟に矛で受け
止めていた。
受け止めた腕がびりびりと痺れた。
(疾い…そして重い。何という剛力!)
五合、十合と切り結ぶ。
張[合β]は敵将の装束が虚仮脅しでない事を知り、慄然と肌を
泡立てた。
これは恐怖ではない。武者震いだ。
「我が名は河間[莫β]県の張儁乂。貴公の名を聞こう」
「金城の閻彦明」
返事は短い。言葉の代わりに斬撃が返ってきた。
(これ程の驍将が何故今まで無名だったのだ?)
張[合β]は好敵に出会った事を喜びつつも、そんな疑問を持った。
「貴公の力を以ってすれば栄耀栄達も思うが儘であろう。何故斯様
な所で燻っている?私と共に陛下にお仕えしないか」
「断る」
閻行の返事は早く、やはり短かった。
「漢朝も馬超も貴公に報いる事、少なすぎるとは思わぬか?いや、
キユにしても然り。何故貴公程の将を斯様な所で腐らせているのだ」
閻行は舌打ちをした様だった。
「卿に私の身を兎や角言われる筋合いはない。卿の首を取るのは
容易いが、それはキユ殿の本意ではない。おとなしく退け」
「私の首を取るのが容易いだと?」
張[合β]は赫怒した。如何に武勇に自信があろうと、この私を殺す
のが簡単だと?侮辱するにも程がある。
「その自信が慢心だと知れぃ!」
張[合β]の矛が唸りを上げて落ちかかる。
だが。
閻行は張[合β]の矛を片手で受け止めると、力任せに矛の柄を
へし折った。
「な……っ!?」
閻行が左手で矛を薙ぎ払う。矛の峰が、唖然として声が出ない
張[合β]の胴を強かに打った。
激痛が魚鱗甲を突き抜けて張[合β]の脇腹を襲った。
閻行はすっと駒を寄せた。
閻行が馬上で蹲る張[合β]を鞍から引き抜いて、脇に抱え込む。
そして周囲を一瞥した。
張[合β]の麾下は怖じ気づいて降伏した。
それより少し遅れて。
5千騎を率いて疾駆する曹休の行く手を、キユ直属の4千騎が
遮った。
「キユか……」
「そうだよ。こんな形で遭いたくなかったな」
「奇遇だな。俺もそう思う」
曹休は苦笑いを浮かべた。
「――少々馴れ合いが過ぎたのかもしれんな。お前が敵だという
事を、すっかり忘れていた様な気がする。清河公主をお前に預けた
のは、つい半年前の出来事だったか。公主は壮健にしているか?」
「頗る元気だよ」
「そうか、それはよかった。ついでに、公主を連れて陛下に拝跪
する気はないか?」
「それは先月ちょっと考えたけどね。雲碌が一緒じゃないとダメ
なんだ」
「やれやれ、妹離れ出来ない奴だな。昔の方がよっぽど距離が
あったぞ」
「そうだね。自分でもびっくりしてる」
キユは苦笑した。
「ま、それなら仕方ない。お前がその気になるまで、たっぷり
可愛がってやってくれ」
「ん?公主の事?」
「当り前だ」
「言っとくけど、抱く気はないよ」
「何故だ?公主はお気に召さなかったか?」
曹休は意外そうな顔をした。
「いや、何でって言われてもね…。そりゃ公主は綺麗だし可愛い
と思う。けど、それ以上に健気だ。いくら据え膳でも気が引けるよ」
「遠慮深いな。親も本人もいいと言ってるんだ。深く考えずに抱い
ちまえ。それで公主に溺れてくれると尚有り難い」
「公主の本心は、死んだ旦那さんに貞節を尽くしたいんだろ。無理
強いはよくないよ」
「そうか。それは残念だ」
曹休は苦笑いを浮かべた。
「ならば実力行使と行こう。今から俺と一騎打ちをしろ、キユ。俺が
勝ったら、お前には陛下に臣従して貰う」
「何でそうなるのさ」
「いいじゃないか。どうせお前は馬超から疎まれてるんだろ。何も
あんな奴に忠義を尽くす事はない」
キユは本気で考え込んだ。キユとて馬超の為に犬馬の労を尽くそう
などという気は、毛頭無くなっている。悪くない提案だった。
だが。
それこそ、先月考えて雲碌に叱られた話だ。今更「やっぱり考え
直した」などとは言えない。第一「1人で大丈夫だ」と言って来た手前、
ここで負けるわけにはいかなかった。
「一騎打ちは嫌だな。好きじゃない」
「じゃあお互いの軍兵に血みどろの戦をさせるか?俺はそれでも
構わんが」
「嫌な言い方だな」
キユは顔を顰めた。流血を好まないキユにとって、それは殺し文句
に等しかった。
「……解ったよ」
キユは渋々そう答えて馬を下りた。
「何故下馬する?」
曹休が不思議そうに訊ねた。
「鐙が片方しかないから力が入らないんだ(註)。文烈も地に足を
着けて戦おう」
「…いいだろう」
曹休は少し考えてから頷いた。確かに馬上での一騎打ちは足の
踏ん張りが利かなかった。
(成程、鐙が両側にあれば少しは踏ん張れるようになるか。帰ったら
陛下に進言してみよう)
曹休はそう思いつつ、馬を下りた。
「では始めるとするか」
註:鐙は西晋の騎馬俑が、現在その存在を確認出来る最古のもの。
この騎馬俑には鐙が左側だけしかなく、騎乗の際のステップの
役割を果たすだけだったと思われる。
今度は武術大会じゃない。今目の前にある槍は稽古用のもの
じゃない。刺されば傷つき、血が流れる。下手をすれば死ぬ。
見切りや受け流しにミスは許されない。夏侯惇の時みたいな事は
もう御免だ。緊張した。
けど。
見切れる。曹休の戈術は兄さんやホウ徳には遥かに及ばず、
魏延と比べてもやっぱり遜色がある。これなら問題ない。
戦うのは本来好きじゃない。雲碌の修行の相手をさせられるのは、
昔は嫌だった。けど今は雲碌に感謝しないとな。
僕は曹休の戈を受け止めると、そこを支点に戈を巻き落として
桿棒を打ち込んだ。
一方、曹休は内心で舌打ちしていた。余計な条件を出した事を
後悔していたのだ。
この勝負に勝てば、キユを陛下に拝跪させられる。だがその為には、
キユを生かしたまま捕えなければならない。真刃のついた武器では、
思い切った攻撃が出来なかった。
だが、キユが持っているのは桿棒だ。喉を潰しでもしない限り、
相手を殺してしまう事はまずない。当然、思い切った攻撃が出来た。
せめてキユの手から武器を奪えれば。そう思うが、キユの技倆は
なかなかのものがあった。
実力は接近していると見えた。過日大将軍と長時間渡り合ったと
いうのも、あながち嘘ではなさそうだ。
ただ。こっちの斬撃はキユに掠りもしないのに、キユの打撃は時折、
こっちの鎧を掠めている。
(……分が悪いな)
殺す気で戦わなければ、制する事は容易くなさそうだ。
長い付き合いだけに一層苦い認識ではあったが、曹休はそう思わ
ざるを得なかった。
互いの得物を交える事百余合。漸く両者に疲労の色が濃く漂い
始めた。
――いつの間にか、曹休とその麾下の5千騎を、馬超軍が十重
二十重に取り囲んでいた。曹休はその事に気付いた。
(大将軍も衛将軍も既に敗れ去ったか。結局俺達は、今回もキユに
勝てなかったわけか)
勿論、キユを捕えられればキユとの賭けには勝利する。だが今
この状況で賭けに勝ったとして、何の意味があろうか。キユの敗北
と同時に鏖殺されるのが関の山だろう。
無論、キユの命を楯に脱出を図る策もある。上手く行けばキユを
そのまま陛下の許へ連れて行き、陛下に忠誠を誓わせる事も可能
だろう。
だが人質にし得たとして、果たしてどれほど意味があるか。
(キユは馬超に疎まれている。これ幸いと除かれたらどうする?
馬鉄や馬雲碌の性格からして、大義の為に親を滅するくらいの
覚悟はあろう)
この時点で、曹休の馬鉄に対する認識は正しい。だがキユと
雲碌の関係までは知らなかった。
終わったな。
曹休は戈を投げ出した。
「参った。降参だ」
キユは目を丸くした。曹休は情けなさそうな笑いを浮かべた。
「そんなに驚くな。もう俺個人が勝ったところで意味が無い。それより、
こいつらの命は助けてやってくれ。俺はどうなろうと構わん」
「僕がどうにかするわけないだろ」
「…そうか。そうだったな」
曹休は俯いた。
キユはそういう為人だ。この温克さには敵わない。改めてそう
思った。
ここに下[丕β]の呉軍は全滅し、キユは徐州全域を制圧した。
【濫觴】
―濮陽―
董[禾中]は慌てて濮陽に逃げ帰ると、町医者を訪ねて解毒を
乞うた。だが医者に
「毒なんぞ塗られておりゃせんわい。お前さんの言うとおりの日時
に塗られておれば、お前さん今頃はとっくに黄泉路を歩いておる」
と笑われて初めて、あの女官に謀られたと覚った。
(非力な女に一杯食わされるとは、情けないやら腹立たしいやら)
董[禾中]は恥じたが、或いは義兄から毒の話を聞かされて少し
過敏になっていたのかもしれないと思い直して、少しだけ気を落ち
着けた。
これから誘拐失敗の報告をしなければならないのは憂鬱だが、
部下が失敗した事にすればいい。それより今回の事で、毒殺の
有効性が身に染みて解った。
これからは毒殺でやってみるか。
――ふと、またあの女官の事を思い出した。
(あの女が本当に毒を扱っていたらどうだろう?)
特にキユ付きの女官だったりすると、キユの毒殺が失敗する
可能性もある。
(――まあ、2つの仮定に基づいた話は論ずるに値しないか)
董[禾中]は安易に考える事にした。
>>228-233 保守して頂き、いつも有り難うございます。
また間隔が空いてすみませんでした。
ここで次回予告。小沛の民撫に努めるキユと、
それを見詰める少女たちのそれぞれの思い。
シスプリメイドオブラブでつきぬけろ!
251 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/10 07:08
保守
建安二十四(219)年8月
【鼓腹撃壌】
―下[丕β]―
その日、公主はふらりと街へ出かけていた。
(この街はこの間まではお父様のものだった…小沛もそうだった
…)
街は支配者を変えても、その営みは変わらない。
普通なら変わるものだ。なのに変わっていない。
市場には数多の器材食材が並び、人が集まり賑わっている。
酒場からは朝から陽気な笑い声が聞こえてくる。
鍛冶屋からは朦朦と蒸気が立ち上り、鉄を打つ音が絶え間なく
聞こえていた。
街の片隅に視線を移すと、子供達が撃壌(註1)をして遊んでいる。
嬉しくもあり、哀しくもあった。
(それにしても……)
喪が明けるまで、まだ四ヶ月残っている。だがそれとは関係なく、
私は一生喪に服するつもりだった筈だ。なのにこうして街に出て
きている。
無論、街を散策するくらいでは服喪を疎かにした事にはならない。
けど今、自分の心は確かに、亡夫の喪に服する気持を疎かにして
いた。
恥ずべき事だ。なのに後ろめたさはない。[言焦]から小沛、小沛
から下[丕β]へと連れてこられて、少し感覚が麻痺しているのかも
しれない。
外の空気は美味しかった。仲秋の風は街中でも涼しく、心地が
よい。
孀閨に閉じ篭ってばかりだと、気分が陰鬱になって仕方がない。
喪に服していれば当然の事なのに、何故かそんな気分に耐え
られなかったのだ。
何となくは、解っている。身体が疼くのだ。だからせめて外の
空気を吸い、外界を見て、気分を変えたかった。
それはきっと、ただの偶然ではない。
多分、探していた。
キユを見かけた。
それは街の中でも少し薄暗く、湿った場所。そんなところに
キユはいた。
キユの傍にいる馬雲碌が、その程度の陰では翳る事のない
存在感を放っている。だから目が向いて、キユを見つけた。
痩せ衰えた婦人が、路地に這いつくばって何度も頭を下げて
いる。その周りで、青洟を垂らした子供達がはしゃぎ回っている。
子供達の手の内が黄金色に光っているのが、ちらりと見えた。
どうやらキユは、貧民に金を分け与えていたようだった。
(義父様のように恬淡としているのね。死んだあの人とは大違い
…)
私は感心しながら、キユを眺めた。
本当に貧民を救いたいなら、政治によって救うべきだ。一家の
貧民を特別扱いにするのは、その場限りの自己満足でしかない。
けど看過するよりはずっといい。
足が勝手に、キユに向かって動きかけた。
「女独りでそんなところに入るのは危険ですよ、お姫様」
軽い皮肉の波長を伴った、だが飽くまで穏やかな声が私を引き
留めた。私は嫌な顔をして振り返った。
思ったとおり、そこには琥珀がいた。その傍には翡翠もいた。
「何故貴女たちがこんなところにいるのです」
「私たちですか?買い出しですよ」
琥珀はにこにこと笑った。琥珀たちの手には荷物が抱えられて
いた。
「――で、喪中の公主がこんなところに何かご用でも?」
「別に…ただキユ様をお見かけしたから、声をかけて行こうかと
思っただけです」
「そうですか。またこんなところに――」
琥珀たちは一瞬遠い目をして、路地を覗き込んだ。
見覚えのある光景。
ただ一点。あの時の私たちはあの向こうにいた。
私たちは薄暗い路地の奥から、陽の当たる場所を羨望と絶望の
眼差しで眺めていた。
漢人でありながら蛮夷の婢女として虐げられた、幼い日々。
貢女として再び漢土を踏んだ屈辱。日を措かずして漢朝から
捨てられた怨嗟。
ただ生きる為だけに、幼い身体を売り続けた。
けどあの日。暗い怨念は春雪の如く融け、絶望は希望に変わっ
た。
(それは全てキユ様のお陰――)
(それは半分はキユ様のお陰。もう半分は姉さんに知性と計画性
があったお陰――)
双子の姉妹はそれぞれ、胸の裡で過去を振り返った。
キユがこっちに気付いて、路地から出てきた。
「やあ。皆で揃って何してるの?」
「生薬の買い出しです」
キユの問いに、琥珀は嬌笑して答えた。
「ああ、成程。いつも有り難う。…荷物持とうか?」
「あら、有り難うございます。翡翠ちゃんもキユ様に持って頂いた
ら?」
琥珀はキユの申し出に素直に応じると、翡翠にも笑顔で促した。
翡翠は躊躇ったが、キユが笑顔で手を差し出すと、「すみません」
と、眉を顰めて荷物を手渡した。
「気にしなくていいよ。いつもお世話になってるからね。せめて
こんな時くらいお礼しないと」
キユはにこやかに答えた。
私は漸く解った様な気がした。
「貴方はそうやって人心を掴んでいくのですね」
「へ?」
キユはぽかんとした顔で私を見詰めた。
…この人には自覚がないのだろうか。
キユは兄に逆らってまでして、私を庇護してくれた。
キユは何も言わない。先月、小沛で琥珀から聞かされた話だ。
キユが約束を守ってくれた事が嬉しかった。琥珀に言われる
までもなく、キユには感謝している。
しかし同時に琥珀は私に、寡婦としての自覚を促して行った。
キユは私の貞節を思えばこそ庇護してあげているのだと。
そんな事は言われなくても解っている。けど琥珀は、私がキユ
に好意を持つ事を警戒している。表面的には何気なく振る舞って
いるけど…。
私の見るところ、少なくとも妹の馬雲碌と侍女の琥珀はキユを
慕っている。馬雲碌など実の妹にも関わらず恋慕しているようで、
人倫に悖る事甚だしい。
とはいえ奇妙な光景だ。女子にこんな情をかけるのは、凡そ
君子の為すべき事ではない。君子は名実を正し是非を明らかにし、
忠孝を尽くして大義を全うするべきだ。キユには君子の徳風はない。
にも関わらず、彼女たちはキユのそんな言動に魅かれている。
いや、彼女達だけではない。このところ、私自身――。
(…馬鹿げた話ね。私は死ぬまで子林様への貞節を貫く、そう
誓ったじゃない)
だが、興味が湧くのは抑え切れなかった。
キユはここにいていいと言っている。だからもう少しここにいて
みよう。そうしたら、もっと何が解るかもしれない。もしかしたら
父様のお役にも立てるかもしれない。だから――。
註1:「鼓腹撃壌」の場合、土くれを打つ事。ここでは中国古代の遊戯の一種。
壌と呼ばれる沓の片方を地面に突き立て、30〜40歩離れた場所から
もう片方の壌を投げて当てる遊び。
>>251 いつも有り難うございます。
ここで次回予告。拙筆で果たしてどこまで書けるものやら…。
,,v‐v-/l_ (⌒)
_「/ ̄ く /
lYノノ/_ノl_ヽ))
<イ( l l )l> / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<|)'|l、"(フノ|l < エッチなのはいけないと思います!
,(ヨリ<>o<>リ'] \______________
|ト‐!]-ム- i']l
ヽ_ノv__l/ /
. ノ[//‐─‐/_/、
( /E|, (フlヨ \
,-| El___lヨ /
└-\`^^^^^^´/
260 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/15 09:40
保守
建安二十四(219)年10月
【袁熙懾服】
―下[丕β]―
8月、9月の間に、田豊が雲南太守に、董和が陳留太守に任じ
られた。
この下[丕β]の方針は「軍備」と定められた。
曹操は自ら水軍を率いて、海路楽浪を陥し、続けて襄平まで
占拠した。
司馬懿が江陵の情報を持ってきたので、僕は江陵の孫策、
カン沢、虞翻に手紙を送り、また柴桑の朱褒、雍ガイ、雲南の
金環三結、永昌の王甫、建寧の張任と、董和が降伏した事で
増えた同僚にも手紙を送った。
今月になって疫病が晋陽、長安にも蔓延し、多くの犠牲者を
出している。そんな中、疫病とは関係なく西平太守許靖が死去。
王甫が新たな西平太守に任じられた。
袁熙は楽浪、襄平を失って力尽きたらしい。北海に使者を
遣わし、兄さんに降伏を願い出た。兄さんは得意げに頷いて、
後漢丞相の降伏を許したという。袁熙は丞相の任を解かれ、
当面は儀同三司の待遇を以って迎えられる事となった。
僕はその間、公務の合間を縫って、江陵の劉賢と北平の卑衍
に手紙を送った。
そんな中、司馬懿が遊びに来た。
「元気にしているかな、キユ?」
「今日はちょっと気だるいかな。けど元気だよ。こないだも来た
ばっかりじゃん」
僕は酒を勧めながら答えた。
「そうだったかな?まあよいではないか。私も最近暇なのだよ」
「暇、暇って、柴桑に何人か新たに配属されたろ。そいつらは
どうしてんのよ」
「今は蒙衝を造らせている。江水は軍船がないと戦にならん
からな」
「いいなあ…僕も欲しいなあ…」
「そうか?なら今度柴桑に来るといい。作ってやろう」
「有り難う」
礼を言ったものの、最近は手紙を書く時間すらあるかどうかと
いう毎日だ。柴桑に行けるかどうかは正直、微妙だった。
「まあしかし、孫策の水軍の強さは際立っている。文聘でも少し
梃子摺りそうだ。況して朱褒や雍ガイの輩ではな…。我等ももう
少し調練せねばならん」
司馬懿はそう言って盃を呷った。
その後暫く、司馬懿とは四方山話が続いた。弘農太守の陳矯
は優柔不断らしい、だが今更弘農太守に決断力があっても仕方
ないがな、などという皮肉も聞いた。
「ときにキユ。今日も妹が傍におらんな。どうかしたか?」
「女の子にはいろいろと事情があるんだよ」
「そうか、あの日か」
僕が目配せすると、司馬懿は苦笑で返した。
雲碌は最近、いつも無理をしてるような節がある。だからこういう
日くらいはきちんと休ませてやりたかった。
…何か最近、雲碌のバイオリズムに僕の体調がシンクロしてる
ような気がするんだけど、まあこれは気のせいだろう。
そんな事を考えていると、アシスタントが報せを持ってきた。
「孫策率いる楚軍が襄陽に攻め寄せた模様です」
「何だと?」
敏捷に反応したのは司馬懿だった。
「孫策って事は江陵の楚軍?」
「御意」
「襄陽に攻め込むにはその路しかあるまい。しかし面白い事に
なった」
司馬懿はニヤリと北叟笑んだ。
司馬懿のいる柴桑からは、江陵への水路が繋がっている(と
いっても長江そのものだけど)。襄陽での勝敗がいずれになるに
せよ、司馬懿の心が躍るのは仕方ない事だろう。
司馬懿は朱褒たちの建造を急がせる為、夜を待たずに柴桑へ
の帰路を執った。
【孀閨濡潤】
クチュ…。
チュプリ…。
クチュッ、クチュッ…。
クチュクチュ…。
「…………んぁふぅ」
溜息と共に喘ぎ声が漏れた。
少女は牀台の上で仰向けになっていた。
室内には他に誰もいない。
少女は喪服の裳裾をたくし上げている。
少女自身の手が、裳裾の中に潜り込んでいた。
手首を反すように、指を動かす。手の動きに合わせて、粘質な
水音が天蓋に響いた。
「ああ、そこ、そこ。ああ、そこぉ……」
鼻に掛かった声が漏れる。
少女は死んだ夫との日々を思い出しながら、指を動かし続けた。
少女は最近、苛立っていた。
夫が死んだからではない。
ただ、淋しかった。身体が淋しがっていた。
悦楽を知ってしまったが故の、堕落。
今までは我慢していた。我慢出来ていた。
それが今日になって俄かに我慢出来なくなったのには、理由が
ある。
夢を見た。
誰かと愛し合う夢だった。
最初、相手の顔はぼやけていてよく見えなかった。ただ優しく
包まれ、丹念に愛撫された。
自分も相手の事が愛しくて、大事な所をしとどに濡らした。相手は
自分が充分に濡れているのを確認すると、ゆっくりと挿入してきた。
少女は自分の心の許しぶりから、性交の相手が夫だと、ぼんやり
と思っていた。
夢を見ているという実感は無い。死んだ筈の夫が何故、という
疑問も湧かない。ただ長い間満たされなかった思いを満たされて、
快感に身を委ねた。
ふと。
夫の顔が見たくなった。
夫の顔がぼやけているのは、私が夫の顔を忘れかけているから
かもしれない。しっかりと思い出し、もう一度胸に刻み込まないと。
そう思った時、「夫」が覆い被さってきた。腰の動きが速くなる。
少女は痺れるような快感に押し流されながら、それでも何とか
「夫」の顔を思い描いた。
だが。
そこに現れた顔は夫のものではなかった。
現れたのはキユの顔だった。
「あっ…!?」
と叫んだのは夢か現か。
その瞬間、少女は跳ね起きていた。
「……あ…夢…?」
少女は吐息を漏らしながら辺りを見回した。
そこは漸く見慣れてきた自分の部屋。どうやら小春日和の陽気
に誘われて、うたた寝をしていたようだ。
息が荒かった。だがそれも驚いたせいなのか、夢そのままに
喘いでいたからなのか。
判らない。
何故キユの顔が浮かんできたのか。
それも解らない。
だが考えてみれば、死んだ子林様があんな優しい愛撫をする
筈がない。ああいう愛撫は、寧ろキユがしそうな気がした。
(…濡れてる――)
裳裾の中に手を入れ、それと確認した。そこは夢そのままに、
熱く濡れそぼっていた。
(まさか私、キユにあんな風に愛されたいと思ってるの?)
厭やな疑問が脳裡を翳めた。
…いや。「厭や」ではない。
小沛でキユに肩を抱かれた時、最初は抵抗があったものの、
すぐに慣れた。初めて会った頃の、夫以外の男に触れられる事へ
のおぞましさは、キユに対してはもう湧かなかった。肩を抱かれて、
却ってほっとしたほどである。
けど。
私は亡夫への貞節を固く誓った筈だ。他の男の事など考えては
いけない。いけないのに、こんな夢を見てしまった。
(こんな夢、見ちゃ駄目なのに――)
そんな事を考えている間にも、裳裾の中で手は動き続けている。
まさぐっているうちに、指先が突起を掠めた。
「あふぁ――」
思わず、熱い吐息が漏れる。
そこはまだ赤く充血し、大きく膨らんだままだった。
そう言えば夢の中ではまだ達してなかった。
そう思った瞬間、不意に全身が灼熱した。
(あ…どうしよう…手…止まらない――)
手が自分の意志とは無関係に、うねうねとくねり出した。
少女は椅子から立ち上がると、ふらふらしながら何とか牀台に
身を投げ出した。
仰向けになって、秘所を覆い隠すように右手を添える。そして
掌全体で、突起から襞にかけて、丹念に愛撫を始めた。
こんな事をするのは初めてだ。少女は自分の今の痴態を想像
してますます昂奮した。
(死んだあの人なら、今の私をどうやって折檻するだろう)
夫に愛撫されているものと思いつつ、夫の顔を思い浮かべよう
とする。だがその愛撫の仕方は、亡夫のそれとは明らかに違う。
却ってキユの顔が脳裡にちらついた。
「ああ、子林様、そこ、もっと、もっとぉ…」
キユの顔を脳裡から追い払うべく、亡き夫の名を呼びながら
自慰を続けた。左手で服の上から胸を撫で回す。そして右手は
ゆっくりと、少女の大事な所へと沈み込んでいった。
「ああ――」
思わず溜息が漏れる。
襟首から鎖骨にかけて、左手でなぞるように触れる。そのまま
襟の中へ手を滑り込ませ、直接胸に触れた。乳輪から先端に
かけて絞り上げるように扱くと、ピリリと電気が走った。
胸への愛撫を次第に強めつつ、2本の指で中を上下左右に
掻き混ぜる。自らの愛液に塗れた2本の指が出入りする度に、
少女のそこは淫猥な響きを奏でた。
だんだん何も考えられなくなってきて、ただ貪るように指を
動かし続けた。
「ひうっ、ふうっ、ううん。うっ、うっ、あっ、ああん、あ、あ、あ…」
せり上がってくるような感覚が抑え切れなくて、指を噛む。
「あ、あなた、いくっ、わたし…っ、もう…もう…いくぅ…っ!」
目の前がチカチカして、パァンと弾けた。
瞬間、少女の身体が弓形に反り返った。
痙攣したかのように硬直する事、数瞬。少女の身体はぽすりと
敷布の上に沈んだ。
大きく息を吐き出す。続けて深呼吸を数度。そして目を開いた。
少女はじっと天蓋を見上げていた。
やがて、ぽつりと。
「…どうしよう。こんなのじゃ足りない――」
そっとドアを閉めた。
聞いてしまった。清河公主の閨声を。
これは偶然の出来事だ。司馬懿が帰ってもすぐには公務に戻る
気が起こらなくて、話し相手が欲しくなった。最初は雲碌の部屋を
訪ねたんだけど、翡翠に今は寝ているといって入室を断られた。
だから代わりに公主の部屋を訪ねた。
ドアをノックしても返事がなかった。だから何気なく開いて、中へ
足を踏み入れた。
その時、帳の中から声がした。
明らかに喘ぎ声だった。
(誰と!?)
真っ先に気になったのはその事だった。思わず後ろ手でドアを
閉めて、そっと忍び寄る。ベッドの帳の外に膝を着いて、耳を澄ま
せた。
「ああ、子林様、そこ、もっと、もっとぉ…」
その声で、公主が自慰をしてるんだと判った。
気がつけば愚息が硬直した。公主の痴態を覗き見したい衝動
に駆られた。
けど、覗いているのがバレたらまずい。辛うじて我慢した。
なのに。
声だけを聞かされるというのが、こんなに昂奮するものだとは
思わなかった。喘ぎ声から公主の痴態を想像して、ますます
血が滾る。公主が絶頂に近付くにつれて今度は、帳を引き裂いて
公主に襲い掛かりたい衝動に駆られ出した。
(――駄目だ。約束が違う)
公主は死んだ旦那さんが恋しくて自分で慰めてるんだ。僕は
ここ数日雲碌としてなくて溜まってるだけだ。僕の欲望を押し
付けるのは間違ってる。
雲碌とも約束した。雲碌を裏切るわけにはいかない。理性を
保てているうちにここから出て行かないと。
(公主が終わらないうちに。バレないうちに――)
僕は静かに、音を立てないようにベッドから離れ、公主の部屋
から出た。
ドアを閉める間際に、公主が達した声を聞いた。
(間に合った――)
ドアを静かに閉めて、ほっと安堵の溜息を吐く。
けど愚息は収まり切らない。公主の絶頂を聞いてますますいきり
立っていた。
けど欲望の捌け口は見つからない。
(…やっぱ、最後はこの手に頼るしかないか)
僕は多分情けない顔をしながら、一目散にトイレを目指した。
うーん、ついにやってしまった。お目汚し失礼しました(;´Д`)
>>260 いつも有り難うございます。
ここで次回予告。襄陽を巡って劉備と孫策が火花を散らす。
…面倒臭くなったら端折るかも。でも呂蒙の出番だしなー。
ロケットでつきぬけろ!
( ゚д゚)ポカーンw
273 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/19 05:12
保守
【小覇王】
―襄陽―
劉備は髭を撫でながら、地図をじっと見詰めていた。
襄陽城は北壁と東壁が漢水に臨んでいる。そして北向かいの
岸には樊城が建ち、襄陽城と唇歯の連携を取っている。
それが今、却って問題となっていた。敵は水軍を率いて、漢水
を溯行してきたのである。
(素直に陸路を進んでくればよいものを…)
さすれば当陽付近での邀撃を考えたのだが。何にせよ厄介だ
った。
「江夏からの…関羽の援軍はまだか」
劉備は傍らの劉度に訊ねた。
「援軍は恐らく陸路を取るでしょう。溯航する水軍と重騎兵では、
水軍の方が若干速いですかな」
劉度は難しい顔をして答えた。
今、劉備の幕下には軻比能、馬玩、雷銅、霍峻、劉度がいる。
江夏からは徹里吉、雅丹、卓膺、蘇飛、士匡の五将が出陣した
と思われる。卓膺以下の将は既にその力量を把握しているが、
徹里吉と雅丹は中原では初陣だ。実力は未知数だった。
「軻比能殿。徹里吉らの鉄騎をよく指導してやって下さい」
「心得た」
軻比能が頷く。
「この城は篭城する方が却って不利だ。迎撃する。各々、何と
しても荊州を守り抜きましょう」
「御意」
軻比能らが拱手する。
ただその中で一人だけ、一礼して進み出た者があった。
「霍峻か。如何致した」
「皇叔。某に一案がありますが、お聞き頂けますでしょうか」
「願ってもない事です。是非聞かせて下さい」
二日後の深更。孟達の屯営を一人の男が訪れた。
「これは皇叔…何故斯様な場所へ……」
孟達は意外な来客に驚きつつも、劉備を上座へと案内した。
孟達は馬騰に降った後、暫くは漫然とした月日を送っていた。
だが劉備も馬騰に従属すると、劉備に心酔して、字を子敬から
子慶へと改めた。劉備の叔父の字を敬遠したのだ。
劉備はごく自然に上座に着くと、典雅に微笑んだ。
「孟達。貴公が孫策に降ってから心配していたが、今元気そうな
姿を見て安心した」
「勿体無いお言葉にございます…。某、今日こうして再び皇叔に
お目にかかれただけでも、望外の倖せにございます」
「そう卑下するな」
「いいえ。某、一度志を捨てて変心したばかりか、この度逆賊の
手先となって皇叔に弓を引く事と相成り、心が千々に乱れる思い
にございます」
「そなたの衷心、確と受け止めた。では予に力を貸してくれるな?」
「力を貸せとは?」
「予が合図を送ると共に、貴公には我が軍に寝返って貰いたい」
「おお…某の変心をお赦し下さるのですか」
「人は何度でも道に迷う。その度に道を正せればよいだけの事だ。
今また正道に立ち戻ろうというのに、何を拒む事があろうか」
劉備は孟達の手を握った。
「有り難き倖せ…!」
孟達は両手で握り返した。
更に二日後。馬超軍と楚軍の間に戦端が開かれた。
馬超軍は河畔から2里ばかり退いたところに陣を構えて迎え
撃った。これを見て虞翻は
「迎撃してきた敵など無視して、襄陽を陥してしまいましょう」
と進言した。だが孫策は
「兎が狩られる為にわざわざ巣穴から出てきてくれたのだ。軽く
一蹴してくれよう」
と答えて、全軍に応戦を命じた。
次々と上陸してくる楚軍に向かって、馬超軍が罵声を浴びせる。
だが楚軍はさして動揺した様子もなく、呂蒙の部隊を先頭に、
馬超軍に攻め掛かった。
呂蒙の出鼻を挫かんと、軻比能の鉄騎が突撃を仕掛ける。
呂蒙隊は強かに出血を強いられながらも、果敢に応戦した。
楚軍2番手の劉賢隊が、呂蒙隊の側面をすり抜けて劉備の
中軍を窺う。その前面に立ち塞がったのは、実父劉度だった。
「呂蒙、劉賢とも、まずまずの様ですな。ただ、呂蒙の損害は
少し大きすぎますぞ」
虞翻が言上する。孫策は頷いた。
「鉄騎に梃子摺っている様だな。呂蒙に少し退くよう合図しろ。
出来れば水上で戦わせたい」
「御意」
鉦の合図で呂蒙軍が後退する。軻比能は勢いに乗って河畔
まで進み出たが、呂蒙軍は素早く船上に引き上げると、逆に
鉄騎に向かって弓矢の雨を降らせた。
「ふん。矢嵐如きに怯む我が鉄騎ではないわ。者共、船を出せ。
奴等を仕留めるのだ」
だが本陣からその様子を見た劉備は愕然とした。
「軻比能に伝令を走らせよ。深追いは禁物だ。陸に戻らせよ。
霍峻にも伝令だ。軻比能に首輪をつけて引き摺り戻せ」
直ちに伝令が軻比能と霍峻の許へ向かう。だが霍峻が軻比能
の部隊を収拾した時、軻比能軍は既に6割以上の兵力を損耗
していた。
「いかんな。軻比能を一旦下がらせよ。雷銅隊と交替させるのだ。
それから江夏に急使を送れ。援軍を急がせるのだ」
そして劉備は腕組みをした。
幸い、敵はまだ孟達の部隊を投入して来ていない。まだだ、
まだ合図を送るには早い。
だが孫策、虞翻の部隊も未だ無傷を保っている。楽な戦は
させて貰えそうにない。
(孫策が上陸した時が好機なのだ。それまで出来る限り損害を
抑えなければ…)
とはいえ、軻比能と代わった雷銅も、水上に引きずり出されて
手痛い損害を出しつつある。
楚軍は上陸したままの劉賢の援護を孟達隊に委ねると、孫策、
虞翻の両部隊で呂蒙の援護に向かった。雷銅隊の壊滅は避け
られないかもしれない。ならば。
「馬玩に伝令。劉賢に突撃せよ。だが劉賢は殺すな。生かして
捕えよ。軻比能は孟達を牽制せよ」
孫策は雷銅を捕えて意気を揚げていたが、逆に劉賢が捕え
られたと聞いて表情を険しくした。
「孟達は何をやっていたのだ」
玉杯を握る手に力が篭る。
「軻比能の部隊に牽制されて、動けなかったのですかな」
虞翻が陸の様子を窺った。陸地では孟達と軻比能の部隊で
睨み合いになっている。
馬超軍が劉賢を捕えただけで今は満足しているのか、それとも
孟達が隙を見せなかったからなのか、それは判然としない。ただ
孟達の布陣はしっかりしており、隙らしい隙はない。それが今は
却って、孫策の怒気を煽った。それだけ出来て何故劉賢を見殺し
にしたのかと。
「軻比能如きに腰が引けるとは…孟達の部隊を下げろ。余自ら
敵を打ち破ってくれる」
「殿下、それは少し性急に過ぎませんか。まず某に軻比能を
お任せ下さい」
進言したのは呂蒙だ。孫策は一瞥して口許を歪めた。
「呂蒙、そなたの意気は買う。だがそなたの部隊は損耗が激しい。
余の用兵を見て今少し学ぶがよい」
孫策はそう言うと、言葉通り孟達を下げ、虞翻、呂蒙の部隊を
両翼に従えて馬超軍に攻撃を仕掛けた。
流石に豪語するだけあって、孫策の用兵は巧妙を極めた。
敵の隙を素早く見抜き、そこに兵力を叩き付ける。敵が守りを
固めれば挑発し、絡みつき、吸い出すように陣形を崩させる。
戦局全般を見渡し、しかもその機微を見極める点において、
劉備は孫策の敵ではなかった。馬超軍は陣形を乱されて
夥しい血を流した。劉備は歯噛みをしながらも、只管防禦を
指示した。
やがて両軍に、江夏から援軍が到着した事が報された。
報告を受けた時、孫策はあまり気に留めなかった。
「ふん、大した事もあるまい。孟達に防がせておけ」
虞翻にそう言って、佩剣を抜き払う。父の形見の古錠刀
だった。
虞翻はびっくりして訊ねた。
「如何なさるおつもりですか?」
「余もそろそろ腕が疼いてきた。直接劉備の首をもぎ取って
来よう」
「陣頭指揮を執られるおつもりですか?」
「そうだ」
「いけません」
虞翻は首を横に振った。
「亡き周郎も申していた筈です。玉は中央にあってどっしりと
構えている事によって、将兵に安心感を与えます。犬馬の業
など部下に譲られませ」
「まあよいではないか。今度だけだ。それに余は一度、あの
大耳児の顔を拝んでみたいのだ」
孫策は笑顔で答えた。
「しかし、後方に江夏の軍が現れております」
「だからこそだ。孟達が防いでいるうちに劉備を斬る。さすれば
後は降るなり逃げるなりしよう。なに、すぐに済む」
孫策の笑顔には自信が満ち溢れていた。
虞翻はそれを却って危惧したが、考えてみればこの状況は
有利ではない。早急に前面の敵を潰すというのは各個撃破と
して正しい。
虞翻は已む無く折れた。
「但し、くれぐれもお気をつけ下さい」
「そなたは心配性だな」
孫策は哄笑して、愛馬を駆り出した。
孫策が陣頭に立った効果は絶大だった。古錠刀が一閃する
度に鮮血が噴き上がる。意気揚がる楚軍の前に、馬超軍は
完全に押され始めた。馬超軍が雪崩を打って壊走せずに
済んだのは、劉備の手腕ではなく、霍峻の補佐のお陰だった。
「ふむ。杞憂だったか」
虞翻は前線を遠望して、ほっと安堵の溜息を漏らした。
殿下と呂蒙。この二人だけの力で、味方は勝利しつつある。
後は時間の問題に思えた。
(さて、私はどうする?このまま殿下の後詰めに留まるか、
後方の孟達の支援に向かうか――)
ぐるりと首を巡らせる。
そこで虞翻は眉を顰めた。
漢水の下流に、何かが霞んで見えたような気がしたのだ。
「物見!下流に何か見えるぞ。確かめて来い」
口調も鋭く命令する。嫌な予感がした。
やがて斥候が戻ってきて復命した。
「孟達殿の船団がこちらへ向かってきます。その後方を敵が
追ってきているようです」
「何、孟達が敗走しているのか?」
「よく判りませんが、孟達隊の損耗は然程激しいようには思わ
れませんでした」
「何だと?」
それは少し予想外な答えだった。孟達が打ち破られたわけ
ではないのか?
虞翻は河畔へ戻ると、船の楼閣を駆け上がって下流を眺めた。
先頭に立つ船団は確かに孟達の軍旗を掲げている。その
後方を追う軍旗は「蘇」と「士」。更には孟達の部隊を囲むように、
河畔を土煙が向かってくる。
孟達は不利を覚って逃げてきたのか?だが何かが訝しい。
(だが何が?)
判らない。だが何か、違和感がある。考えろ、そして見つけろ
――。
虞翻は不意に、肌が粟立つのを感じた。
「殿下に伝令!孟達が寝返った――!」
「ふっ、虞翻め。漸く気付いたか」
楼上で孟達はせせら笑った。
孟達は劉備からの合図は受け取っていない。受け取りようが
なかった。だから自分の判断で「敵」と通じ、江夏の軍勢を先導
してきたのだ。
虞翻の部隊が迎撃の態勢を整える前に、孟達の部隊は既に
上陸を始めていた。
「蘇飛殿と士匡殿に合図を送れ。虞翻の部隊を三方から押し
包むのだ」
孟達は左右にそう命じると、自身も上陸して、自ら陣頭に
立った。
孫策が戻ってくる前に虞翻を潰す。孫策も呂蒙も、相手を
するのはそれからだ。
劉備率いる襄陽軍もそれを覚ったのか、攻勢に打って出た。
楚軍は完全に挟撃された形になった。
一方虞翻の部隊では、一部で混乱が起こっていた。
「何故先刻までの味方と戦わなければならないのか?」
虞翻の麾下にしろ孟達の麾下にしろ、その疑問がある。
だが孟達は士心をよく掴んでおり、意外にも内部に不賛同者
を出す事なく、寝返りを成功させた。
意気揚がらぬまま両軍は先端を開いたが、友軍の助力を
得た孟達軍が結局は勝った。
虞翻は自ら矛を振るって奮戦した。矛を振るうなど慣れない
話だが、独り手を拱いているわけにもいかなかった。全身に
返り血を浴びながら、一人、又一人と突き伏せていった。
「精が出るな、虞翻。貴公がそこまで戦えるとは思わなかった
ぞ」
「孟達…貴様!」
虞翻は恨みの篭った目で相手を睨んだ。孟達は鼻先で笑った。
「何故裏切ったのか、と問いたそうだな。が、まあ気にするな。
元の鞘に収まっただけだ」
「それが理由か、この蝙蝠め。貴様のような下種、この場で
叩き斬ってくれる!」
「貴様が殺す?この俺を?ふん、笑止」
孟達は鼻で笑った。
孟達の喉を目掛けて虞翻が矛を突き出してくる。孟達は矛の
柄を切り払うと、もう一度剣を一閃した。
虞翻の首から血泉が噴き出した。孟達の剣は狙い違わず
虞翻の頚動脈を断ち切っていた。
「あ…が…」
虞翻は傷口を手で押えたが、噴き出す血は止まらない。
口からも血が溢れ出した。
虞翻はがくりと膝を突くと、そのまま自分が作った血溜まりの
中に倒れ込んだ。
「医者を気取ってみても、自分の怪我は治せんか。――それ
とも傷が深すぎたかな?」
孟達は虞翻が事切れたのを確認すると、勝鬨を上げさせた。
「敵の船を尽く奪い取れ。東岸で足踏みしている徹里吉たちに
渡河の道具をくれてやるのだ」
孟達の命令が下った。
孟達造反、虞翻討死の報せは瞬く間に楚軍を駆け巡り、
その意気を削った。
「おのれ孟達…殺す!」
孫策は激怒したが、呂蒙が自ら駆けつけて制止した。
「黙れ呂蒙。裏切り者に大事な家臣を殺されて、おめおめと
引き下がれるか!」
「お怒りは御尤もです、殿下。殿下にそう言って頂ければ仲翔
殿も浮かばれましょう。ですが短気を起こしてはいけません。
殿下のお命は何物にも代える事が出来ないのです。今、我が
軍は窮地に立たされています。ここは一旦退かれるべきです。
殿下のお身体に万一の事があっては、亡き仲翔殿も死んでも
死にきれますまい」
「だが…!」
「仲翔殿が遺された将兵もいます。彼等だけでもお救い下さい。
殿軍は某が引き受けます」
孫策は暫しの沈思の後、呂蒙の正しさを認めた。どのみち
軍は立て直さなければならない。
「だが呂蒙、そなたも無理はするな。必ず生きて戻れ」
「御意」
呂蒙は不敵に微笑んで拱手した。
孫策は敵陣を眺望した。今は砂塵に紛れて遠くまでは見渡せ
ないが、あの方向に確か劉備の本陣があった筈だ。彼奴の顔
を拝むどころか、ケツを捲くって逃げる羽目になろうとは…
「……おのれ大耳児、覚えておれ!」
孫策は捨て台詞を吐いて馬首を反した。
>>272 いや本当に申し訳ありません(´ω`;)
まあやっちゃったものは仕方ないので、
今後の展開に活かせるよう頑張ってみます。
>>273 いつも有り難うございます。
でも前回のあの時点でageられるのは
ちょっと恥ずかしかったかも…(笑)
ここで次回予告。次回もちょっとエッチかも。
シスプリ・オブ・ラブでつきぬけろ!
リアルタイム・キユ殿ハケーン。
ありがたく拝読させて頂きますた。
孫策カコイイ。
次回もポーカンの悪寒?w
>>291 あやや、リアルタイムでしたか(笑)
どーでしょ?次回は冬の夜って事で、寒い夜に
裸で暖め合う展開には持っていくつもりですが。
誰と誰が、ってのはまた次回。
293 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/27 05:37
保守
建安二十四(219)年11月
【背徳と背信と】
―下[丕β]―
先月、襄陽は楚軍の攻撃から守り抜いたものの、北平は
曹操が親率する呉軍によって陥落した。加えて今月、薊の
辛評が呉に寝返った為、薊の太守として董昭が請われる
事になった。
南方では劉備が軻比能に命じて、江陵を攻め落とさせた。
捕虜はあったものの皆解放され、その中でも呂蒙が無事
解放された事に、僕はほっとした。
(…そう言えばここ数年、呂蒙との親交が途絶えてる。たま
には手紙でも書かないといけないな)
そう思いつつも、僕は董和の元配下の人達へ送る手紙を
優先していた。
そんなある夜。
その日は昼から曇り空で、寒かった。夜に入ると冷え込み
は一段と厳しさを増し、気がつけば雪が降り始めていた。
僕は開けた窓から夜空を見上げた。
「見てごらん、雲碌。雪だよ」
「そうですね」
僕の腕に雲碌がそっと寄り添う。
涼州にいた頃は、冬になると当り前のように雪が降ってい
た。けどここ数年は見てなかったように思う。何だか無性に
懐かしかった。
「…それだけですか?」
雲碌が訊ねる。
「それだけって?」
「雪を見て詩を詠みたくなったとか、そういう事はないのです
か?」
「風流だね。けど僕にはちょっと無理かな。雲碌は詠める?」
「私にも無理です」
雲碌はそう答えて、くすりと笑った。
すごく可愛かった。
「あ、でもそうだね。絵は描きたくなったかもしれない。雪が
舞い散る中、美少女が一人、佇んでるの。その少女は手を
差し上げて、掌に雪を受け止めようとしてるんだ」
「悪くない構図ですね」
「いい構図だと言ってよ」
「褒め過ぎたら『モデル』とやらにされそうですから」
雲碌が悪戯っぽく笑う。僕は
「残念。モデルにするつもりだったのに」
と応じて、笑い合った。
と、雲碌がぶるっと震えた。
「寒い?」
「ええ、少し」
「じゃあもう窓は閉めようか」
「ええ。――そして、暖めて下さい」
雲碌が唇を濡らしてねだる。
「熱すぎて火傷させちゃってもいい?」
雲碌はぼっと頬を赤らめた。
「――ええ。お願いします」
僕の肌の下で雲碌が切なそうに身悶えしている。
女が乱れるのは恥ずかしい事だとでも思っているのか、
雲碌は未だに、すすり泣くように喘ぐ。雲碌のその声が、
姿態が、却って僕を悩乱させる。
雲碌の中は今日も熱く爛れている。僕の肉棒も一緒くた
になって、ドロドロと融けてしまいそうな感じがする。雲碌の
身体は、どれだけ抱いても飽きる事がない。
なのに、ふと。
公主の顔が頭に浮かんだ。
この間盗み聞きしてしまった、あの閨声。あれが耳から
離れない。
雲碌としている最中にも拘わらず、僕は雲碌に、公主の
痴態を重ね合わせてしまった。
(僕って、本当はすごく女好きなんだろうか)
そりゃ、女の子は嫌いじゃない。けど、愛し合っている彼女
がいるのに、あんな事で「公主も抱いてみたい」と思うように
なるなんて…。
それとも、男って皆こんなもんなんだろうか?
「……お兄様?」
雲碌の声が僕の意識を引き戻した。
「あ、な、何?」
「いえ。お兄様が急に止まったから、どうされたのかと」
荒い息を吐く雲碌の目には、涙が滲んでいる。まるで心の
中を見透かされたような気がして、僕はドキッとした。
「いや、何でもない。イキそうになったからちょっと我慢しよう
かと…ごめん」
そう答えて、髪を梳いてやる。雲碌が「あ…」と濡れた声を
漏らした。
ピンク色に上気した雲碌の肌に、玉の様な汗が無数に浮き
上がっている。僕はそれを舌で掬い取りながら、再び腰を動
かし始めた。雲碌は目を閉じて、全てを僕に委ねた。
(雲碌はこんなにも僕を信じてくれてるのに…)
後ろめたい気持が胸中に蟠る。
僕は心の中で雲碌に謝りながら、その罪を贖うかのように、
激しく腰を打ちつけた。
「あ、お、お兄様、私、わた…しっ…!」
雲碌がしがみついてくる。膣口がきゅっと締まった。
僕は強く抱き締めると、その夜何度目かの精を雲碌の中に
放った。
趙範兄嫁スレがdat落ちになって、少し寂寥を覚える年の瀬です。
>>293 いつも有り難うございます。
ここで次回予告。妄想は果てしなく。しかし罪の意識は重く…。
プリンセス・オブ・ラブでつきぬけろ!
あぼーん
なんかひさしぶりに見たら
妄想全開のキモイことに
なってるな(上のコピペじゃなく)
建安二十四(219)年12月
【偸惰忽々・キユ】
―下[丕β]―
董昭がいなくなった代わりに、孔明は下[丕β]に劉jを
寄越した。頭は良さそうだけど、大人しいというか、少し
おどおどした感のある人だった。
江陵太守には楊彪が任じられた。けどここにも曹操の
調略の手は伸び、劉賢が父劉度の制止を振り切って、
曹操の許へ走った。
その間僕は、手紙を書く傍ら巡察を繰り返し、民心の
安定に努めた。
ある日、僕は清河公主の部屋を訪れた。
特に理由はない。強いて言えば公主の事が気になって
いたからだ。
公主に会った時、公主は熱っぽい表情をしていた。潤ん
だ瞳が僕を狂わせる。
暫く、他愛ない話題で場を凌いだ。
けど、どうしようもなく我慢出来なくなって、僕は公主の
額に触れた。
公主がびくりと身を強ばらせる。けど、拒絶はしなかった。
(熱い――)
公主の額は火照っていた。
この熱さ。思い出される、公主の閨声。
喉が渇く。あそこが鎌首を擡げた。
(違う。これはただの熱だ)
自分に言い聞かせる。
気を落ち着けて、漸く。
「熱っぽいね。今日は早めに寝んだ方がいい」
そう言えた。
公主が何か言いかける。その時、部屋の外から翡翠の
呼ぶ声が聞こえた。
「キユ様。柴桑より司馬懿様がご子息を連れてお見えに
なっています」
「……解った」
僕はやっぱり、答えるのに時間がかかった。
言いたい事が、今日も何も言えなかった。それが名残
惜しい。
けど、司馬懿を待たせるわけにはいかない。僕は公主に
中座する事を謝って、部屋を出た。
去り際に、公主が名残惜しそうな顔をしていたように思う
のは、僕の欲望のせいだろうか。
(僕は雲碌も公主も裏切ろうとしている)
罪の意識が僕の心を苛む。けど抑えれば抑える程、
欲望は募る一方だった。
以前はキユが司馬懿の許を訪れる事もあったのだが、
最近はそれが絶えて久しかった。
師も昭も、幼い頃にはキユに会った事がある。だが名将
として名を馳せるようになってからのキユには会った事が
ない。司馬懿が2人の息子を連れてきたのは、今のキユに
会わせておきたかったからだった。
キユの許を辞してから、司馬昭は父に問うた。
「父上。あれがキユですか?」
「そうだ。何か思うところでもあったか?」
「ええ、まあ…」
司馬昭は言葉を濁した。
「私にはその、信じられません。あの様な茫とした男が名将
などとは…」
司馬懿は息子の言いたい事が理解出来たが、口に出して
は多くを語らなかった。
「今日のキユはどこか上の空だったな。ただそれだけの事だ」
「それはそうかもしれませんが、しかしあの凡庸な風貌は…。
優れた人物は内面の才知徳操が風貌に現れ出るものだと
思いますが」
「外見に囚われ過ぎるのはよくないな、子尚」
父に代って司馬師が応えた。
「容姿が優れていたり威風があったりするのは、それはそれで
一つの人徳だろう。だが容姿が優れていても狷介な者もいれ
ば、威風があっても優柔不断な者もいる。本当の才能とは外見
だけで測れるものではない」
司馬師が諭すように言う。司馬昭は返答に詰まって俯いた。
(ふむ。子元はそろそろ半人前と言ってもよいかな)
子元の方はいい線を行っている。後は現実にその判断が誤り
なく出来るかどうかだろう。孔明がそろそろ2人の出仕を要求
してきているが、もう2,3年は手許において様子を見るか。
子尚はまだまだ教条的で、もう暫く教育する必要があるな。
司馬懿は髭を扱きながら、目を細めて我が子を見やった。
――ただ。司馬師は司馬師で、別の事も考えていた。
(キユはもう不惑を超した筈。なのにあの若々しさはどうだ。
一見凡庸な風体は擬態に違いない。噂では聖痕を手に入れた
らしいが、何か不老の仙術でも心得ているのだろうか。実に
興味深い)
いつかその秘密を暴いてやりたいものだ。そして出来れば、
その知識を我が物に。
司馬師はそう思っていた。
【偸惰忽々・清河公主】
あれから何度も自慰を重ねた。
自慰は気持がよかった。自分が欲しいところを、自分の望み
どおりの加減で愛撫する事が出来る。夫との性交では得られ
なかった快感が、そこにはあった。
自慰をするようになった当初は、それで気分が落ち着いた。
けど最近、それが癖になり出している。すると今度はしない事
で落ち着かなくなった。回数が日毎に増えていく。恥ずかしい
のに止められない。
何より、指だけでは物足りない。中だけはもっと太くて固い
物で満たしたかった。自慰を重ねれば重ねる程、アレを渇望
するようになってしまった。
(キユ様にお願いしようかしら)
そう思ってすぐ、首を横に振る。キユにそんなはしたない女
だとは思われたくなかった。
…そのくせ、妄想は膨らむばかりだった。
1度、自慰の最中にキユが部屋を訪れた事がある。慌てて
身繕いをしてキユと対面したものの、身体の火照りはなかなか
鎮まらない。顔も上気して余程赤くなっていたのだろう。キユ
が躊躇いがちに私の額に触れた。
(ばれてしまう――)
一瞬、恐怖が胸を過った。
けど同時に、そのまま済し崩しに押し倒されたいと願った。
「――熱っぽいね」
キユはそう言うまでにかなりの時間をかけた。そして
「今日は早めに寝んだ方がいい」と付け加えて、手を離した。
やがて翡翠が司馬懿の来訪を告げに来ると、キユは
「解った」と答えて席を立った。
何事もなくキユが出ていくと、ほっと緊張の糸が切れた。
けど。私は安堵すると共に後悔した。
(もしばれていたら。もし押し倒されていたら――)
どうなっていただろうか。想像してみる。
自分は形だけでも抵抗し、キユに拘束される。そして痴態
を蔑まれ、不貞を詰られながら身体を弄ばれる。
――ゾクゾクした。先刻までの昂奮が蘇ってくる。
あの夢は多少なりとも自分の願望が混ざった夢だったの
だと、今では覚っている。
けど、言えなかった。
琥珀が恐いというのは勿論ある。
けどそれ以上に、キユはきっとそんな事を望んでいない。
キユにとって私の女としての価値は、司馬懿の友人として
の価値に及ばないのだ。
「司馬懿――」
不意に。
思い出した。あの日司馬懿に言われた事を。
『女としての悦びを知って、なお寡婦を貫くというのは、
かなりの苦業だ』
司馬懿の言ったとおりだった。私の意志は既に挫けかけて
いる。自慰に手を染め、キユに抱かれたいと願う匹婦に成り
下がってしまった。
急に自分が情けなくなった。
欲望に流されそうな自分がいる。それを否定しなければ
ならない自分がいる。
どうすればいいのか解らなかった。
私はキユが去った後の扉を見詰めながら、我が身をぎゅっ
と抱き締めた…。
【219年12月】 (C)武田騎馬軍団
※※※※※※※※※※※※※※薊※※※北平※襄平※楽浪※※
※※※※※※※※※※※┏━━●━━┳━■━━■━━■─┐
※※※※※※※※※※※┃※※※南皮┃※※※※※※※※※│
※※※※※※※※※晋陽●━┓┏━━●━━┓※※※※※※│
※※※※※※※※※※※┃※┃┃※※┃平原┃北海※※※※│
※武威※※※※※※上党●※┗●━━☆━━●┓※※※※※│
※┏●┓※※※※※※※┃業β┃※※┏━━┛┗┓城陽※※│
西┃※┃安定※※※河内●※※┣━━●濮陽※小■────┤
平●※●━┓※※弘※※┃洛陽┃陳留┗━━┓沛┃下丕β※│
※┃天┃※┃長※農┏━●━┳●━━━━━●━●━┓※※│
※┃水┃※┃安┏●┛※┃※┃※※※※┏━┛※┃※┃※※│
※┗●┛┏●━┛※※宛┃※┗┓許昌※┃言焦┏┛※┃建業│
※※┃※┃┗━━━━━●━━●━━━●※┏┛※┏■┓※│
※※┃※┃※※※※※※┃※新┗━┓※┣━●━┳┛┃┃※│
※武●┳●┓※※※襄陽┗┓野┏━●━┛※寿春┃※┃┃呉│
※都※┃漢┗━●━━●┳●━┛汝南※※※※┏┛┏┛■─┘
※※※┃中※上庸※※┃┗━━━┓※※※廬江┃※┃※┃※※
※※梓●※※※※※※┗━━┓※┃江夏┏━●┛※┃※┃会稽
※※潼┃※※※※※※江陵┏●━●━━┫※※※┏┛※■┐※
※成※┃※江州※※※※※┃┗━┳━━●━━━┛※┏┛│※
※都●┻━●━━☆━━━┫※※┃※※┃柴桑※※┏┛※│※
※※┃※※┃※永安※武陵☆━━☆長沙┗━━━■┛※※│※
※雲┃※※●建※※※※※┃※※┃※※※※※┏┛建安※|※
※南┃┏━┛寧※※※零陵☆━━☆桂陽※※┏┛※※※※|※
●━●┛※※※※※※※※※※※┃※※┏━┛※※※※※|※
永※┗━━━━━☆━━━━━━☆━━┛※※※※※※※|※
昌※※※※※※※交趾※※※南海└──────────┘※
■曹操 ●馬超 ☆孫策
キユ(馬休) 42歳
身分 下[丕β]太守、振威将軍
名声19983 功績19224
武力 86(+2)
知力 59
政治 62(+10)
魅力 96
特技…諜報・商才・応射・反計・収拾・偵察・無双・突撃・一騎・強行・火矢・乱射・
扇動・神算・鼓舞・罵声・穴攻・聖痕・行動・鍛錬(20個)
装備…弓・騎馬・弩・馬鎧・鉄甲
アイテム…双鉄戟、春秋左氏伝、的廬
>>301 申し訳ありません。一応今後の展開に活かすつもりですので、
長い目で見てやって頂けると幸いです。
(本当は去年の)年内に終わらせたかったリプレイも、
漸く219年12月まで来ました。随分時間がかかっていますが、
大晦日に12月までってのもキリがよくて、ここまでは何とか
進めておきたいと思っていたので、少しほっとしています。
ここで次回予告。年明けと共に城陽に大挙進軍する馬超。
初春の晴天に突如として落ちかかる霹靂。
キユたちの運命は?ロケットでつきぬけろ!
あけおめ。ことよろ。
314 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 12:55
明けおめ
>312
あけおめ
気にすんな
妄想がどうたら言っていたらシミュレーションゲームなど出来んわ
保守
建安二十五/延康元(220)年1月
【曹休死す】
―下[丕β]―
長安の張松から手紙が届いた。
長安にまで流れた疫病は、春を迎えて何とか収まったと
いう事だった。
長安が疫病の被害に遭ったのは、元長安太守の僕として
は気がかりなところだった。だから張松に安否を問う手紙を
書くと同時に、被害の様子などを克明に知らせて貰ったのだ。
『事前に対策を講じていたので、大きな被害は出ませんで
した。ただ貧民区だけはどうしても衛生の観念が乏しく、
そこで疫病による死者が目立ちました』
張松からの返書にはそう認めてあった。
そうと知った琥珀さんは、妹の翡翠を連れて僕の部屋を
訪ねてきた。
「キユ様のお陰で、私達は今日こうして生きていられます。
改めて御礼申し上げます」
そう言って、二人して深々と頭を下げる。正直、面映ゆか
った。
年が明けて、廬江の蔡和と汝南太守の簡雍が死去したと
いう報せが届いた。
簡雍の死は予期していなかっただけにショックだった。何
より、「機会があればまたお会いしましょう」という返事を貰っ
ていたのに、それを果たす機会が永遠に失われたのがショ
ックだった。
「こうなると判ってたら会いに行ったのに…時間なら十分あ
った筈なのに…」
そう言って自責する僕の背中を、雲碌がそっと撫でた。
悲報はそれだけに留まらなかった。
簡雍の死を悼む暇もなく、赫昭から急使が駆けつけた。
「我が君は北海の軍勢を以って、逆賊曹操から城陽の地を
解放する為に出陣されました。何卒増援の程を宜しくお願い
致します」
赫昭の急使はそう陳情した。
「っていうか、赫昭は晋陽に行ったんじゃなかったの?」
「移動を命じられたのではありませんか?袁熙が降伏して
前線ではなくなりましたから」
戸惑う使者に代わって雲碌が答えた。成程、言われて
みればそのとおりだ。
使者は僕の納得顔を見て安堵の様子を見せ、もう一度
増援を請うた。
「いいよ。断る理由もないしね」
僕は嘘をついた。
増援は出す。それは嘘じゃない。けど断る理由ならある。
兄さんに手を貸してやる気が起きないという理由だ。――
けど、それは理由にならなかった。
「誰を出そうかな…って、選択の余地はないか。鉄、韓玄、
馮習、陳式は騎兵で。軍馬を持たない劉jの部隊は弩兵
で、それぞれ出陣だ。監軍として閻行が同行する事。皆に
そう伝えて」
「解りました」
雲碌が頷いた。
20日余りが過ぎて、鉄たちが帰ってきた。勝利の凱歌を
上げながらの帰還だった。
「お帰り。お疲れ様」
僕は帰ってきた鉄たちをそう言って労い、経緯などの報告
を聞いた。
そして僕は、凄くショッキングな話を、鉄の口から聞かされた。
「何…だって?曹休が死んだ……?」
僕は我が耳を疑った。何かの間違いであって欲しい、そう
願わずにはいられなかった。
>>313-316 明けましておめでとうございます。保守して頂き、有り難うございます。
更新まで少し間が開いてすみませんでした。
>>315 お心遣い有り難うございます。そう言って頂けると、
私も気が楽になります。
ここで次回予告。馬超孟起と曹休文烈が遂に戦場で相見えるか?
城陽の空に暗雲が立ち込める。ロケットでつきぬけろ!
リアルタイムでした。いつもお疲れ様です。
ついに曹休が・・・
保守
【壮士休烈・其の壱】
―城陽―
城陽太守は曹丕が、皇太子でありながら兼任している。その
幕下には呂虔、太史享、張虎、楽チンがあり、また下[丕β]から
逃れてきた曹休、糜芳、また引き抜いて日の浅い辛評がいる。
そしてここで参謀の役を担ったのは、辛評だった。
辛評は迎撃を進言して容れられ、既に邀撃地点に着いて
帷幕を張っている。辛評が戦況を説明する傍らで、曹丕は
独り沈思していた。
「太子、如何なされましたか。よもや馬超に恐れを為したわけ
ではありますまいな」
呂虔が訝しんだ。
「馬鹿を言え。余が馬超如き蛮人に怯える道理がない。ただ
気になる事があるまでよ」
「ほう、気になる事とは?」
曹丕は呂虔の問いに直接には答えず、曹休に視線を転じた。
「光禄勲。敵は下[丕β]から援軍を出しているそうだが、下[丕β]
の太守はキユだったな」
「御意。それが何か」
「馬雲碌は出てくるかな?」
「気がかりとは女の事ですか」
曹休は半ば呆れ顔で従兄弟を見返した。
「それは私にも判りませんが、出てきたらどうだというのです?」
「知れた事。余のものにする」
曹休は今度こそ呆れた。国家危急存亡の秋だというの
に、太子は女の事で頭が一杯とは。しかし子桓は愚鈍では有り
得ない。とすれば単に豪胆なだけなのか。
「確かに馬雲碌は美人ですが、太子には既に甄氏もいれば、
郭氏もいるではありませんか」
これを聞いて密かに愕然としたのは辛評だが、辛うじて沈黙を
保った。
曹丕は苦い顔をした。
「甄氏か…あれはダメだ。如何に才色兼備とは言え、な。郭氏は
まあ愛い奴だが…。
兎に角。英雄色を好む。余が何人の妻を持とうが問題ない。
いや、余には寧ろ太子として、より多くの子を為す責務があるのだ」
「御尤もですが、何事も程々が肝要ですぞ」
曹休は暗に、その子等が後日後継騒動を起こす事を危惧して
いた。そしてその事を曹丕は即座に理解した。
「そうだな、そなたの言も尤もだ。今は女の話は措こう」
だが、自分の女色に釘を刺されたのは少し癇に障った。
「では先頃キユに降伏した文烈に問う。馬超の直属とキユの麾下、
いずれが手強いとそなたは見る?」
曹丕は皮肉っぽい笑みを浮かべた。だがその目が笑っていない
のに、曹休は気付いた。
曹休は憮然とした。自分が降伏を申し出たと聞いて、陛下が
あからさまに落胆したのは知っている。子桓がこういう為人だと
も解っている。だがその性格がいざ我が身に降りかかってみると、
やりきれない事この上なかった。
曹休はその場を取り繕う為に沈思する風体を見せた後、出来る
だけ淡々と語った。
「私は馬超の直属と戦った事はありません。故にその個々の将の
為人を聞き及ぶばかりですが、ホウ徳を始め馬岱、魏延、厳顔は
いずれも武勇に秀でた猛将です。…ただ、このうちホウ徳以外は
武術大会でキユに敗れています。侮るわけにはいきませんが、
さして懼れる程の者たちでもないでしょう。張苞はご存知のとおり
張飛の嫡子で、夏侯妙才殿の外従孫に当たります。赫昭はキユ
の推挙によって馬騰に仕え、長期に亙ってキユの参謀を務めて
きました。キユの連勝を支えた一人といってよいでしょう。劉勳に
ついては太子の方がよくご存知かと思います。残るは上庸の申耽、
申儀兄弟ですが、彼等は大した事はありますまい」
「――で、結局どうなのだ?」
「キユは流血を好みません。その性は本来臆病であると思います
が、それが却って戦術に長じさせているようにも思えます。また
将の指揮にも長けているのか、凡将と雖もこれを能く使い、勝利を
拾います。馬超は己自身の武勇と麾下の将士の強さによって、
勝利をもぎ取ります。キユが今の馬超と同じ将士を率いれば、
将としてはキユの方が恐るべき敵となりましょう」
「キユを随分と高く買っているな、そなたは」
曹丕の記憶にあるキユとは、宛で変な歌を歌って誤魔化した姿
があるだけだ。肝腎な所で馬雲碌を奪い返された怒りはあるが、
先年子建を死に至らしめた事には二重の意味で感謝もしている。
「馬超の武勇は一度だけ、私も個人的に見た事があります。呂布
ほどの勇者ではありませんが、やはり絶倫には違いありますまい。
故に馬超を侮るつもりは毛頭ありません。ただそれは個人の武勇
であって、将としてではありません。――それに、キユ自身の武勇
も隅に置けませんぞ。大将軍を相手に激戦しましたし、私と打ち
合っても引けを取りませんでした。血は争えませんな」
「キユの武勇など」
曹丕は「ハッ」と笑って手を振り翳した。
「馬雲碌の足元にも及ばぬのであろう。その馬雲碌も余の前では
赤子同然だった。大将軍もあの時は疲れていたのだろう。キユ
如き、如何程の事やあらん。
文烈。貴公がキユを懼れる様は、まるで枯れ尾花を幽霊と見紛わ
んばかりだな。貴公ほどの将でも、連戦連敗するとそうなるものか」
曹丕の冷笑が曹休の頬を打った。曹休は微かに唇を噛んだ。
男子、三日会わざれば刮目して相見えるべしと云う。人はいつ
までも昔のままではない。自らを夸耀する性癖のある子桓には
解らぬ事かもしれない。或いは一度、痛い目を見るべきなのか。
「まあよい、よく解った」
曹丕は頷いた。
「どの道下[丕β]の援軍は大した脅威ではない。そなたらに命ずる。
全力を挙げて馬超の本隊を叩き潰せ。彼奴の首を余の前に差し
出すのだ」
「ははっ!」
諸将が声を揃えて拱手する傍らで、曹休だけは黙然と手を束ねた。
>>321-322 いつも有り難うございます。
曹休はいつ死ぬか、いつ死ぬかと懼れながらプレイしていましたが、
ここまで来れば最後まで生き延びられるかも、と淡い期待を抱いた
矢先だけに、その死が痛かったです。
ここで次回予告。拙戦する馬超軍に呉軍が牙を剥く。
だがそこへ下[丕β]からの援軍が到着して…。
【壮士休烈・其の弐】。ロケットでつきぬけろ!
220年代といえば、有力な将がごっそりとぬける時期になりますからね。
寿命の心配があるとはいえ…どうなることやら。
とにかく、おつかれさまです。
330 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 05:07
保守
331 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/26 18:24
保守
332 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/31 04:42
保守
保守
保守
【壮士休烈・其の弐】
戦は両軍が干戈を交える前から始まっていた。殊に申耽の
「活躍」は目覚ましく、毒罠や水罠を踏みつけては味方の部隊
を巻き込んだ。申耽が巻き込んだ味方は延べ6部隊にも及び、
申耽が敵の罠にかかる度に、馬超や魏延の部隊からは
「また申耽か!」
という罵声が飛んだ。味方からの怒声を浴びる度に申耽は
肩身を狭くした。
また申耽が罠を踏んで味方の進軍が遅滞し、その間にホウ徳
と馬岱の部隊が突出した形になった。
「あれが劉循の首を挙げた馬岱だ。奴の首を挙げて名を上げ
ろ!」
「馬超の片腕をもぎ取れ!」
張虎、楽チン、太史享らの二世トリオが口々に叫んで、馬岱隊
を三方から包囲する。不意を衝かれた馬岱隊は瞬く間に陣形
を崩し、馬岱自身も遂に虜囚となった。
馬岱捕縛の報せを聞いた馬超は赫怒した。
「逆賊の走狗共がよくも…撫で斬りだ!」
だが馬超が部隊を立て直すには、今少し時間が必要だった。
一方、下[丕β]から増援に駆けつけた馬鉄も、従兄弟が虜囚
となった事を知って蒼褪めた。
「馬岱殿を急ぎ救出するのだ!」
馬鉄はそう命じたが、軍監の閻行が頭を振った。
「…何ですか、彦明殿。何か異存でもありますか?」
「ここからは曹丕の本陣の方が近い」
「成程、魏を囲んで趙を救うのですな」
陳式が手を打つ。閻行は頷いた。
ところが。いざ曹丕の本陣に迫ってみると、馬鉄と陳式の部隊
は曹丕の策に嵌って混乱し、身動きが取れなくなってしまった。
已む無く劉jが弩で曹丕の騎兵をちまちまと削る間に、韓玄と
馮習が辛評隊約4千に突撃を敢行した。
(たったこれだけの兵力で支えられるか!)
辛評は悲鳴を上げて、隣接する曹丕に救援を請うたが、曹丕
からは「本陣を空けるわけにはいかない」と、すげない返事を
寄越された。
(馬鉄や陳式を足止めするので忙しいのは解るが、救援の兵士
を割くくらいはしてくれてもいいではないか)
辛評は不満を感じた。誰の策のお陰で、馬超の本隊をきりきり
舞いさせていると思っているのだ。
大体、甄氏と言えば前の丞相袁熙の正妻ではないか。人妻を
…去年までの我が君の妻を掠奪しておいて、その甄氏を人前で
侮蔑するとは何事か。曹休を嘲笑した事もそうだ。こんな男が
太子では、呉の将来が案じられる。過日は主君が馬超に替わっ
たのが嫌で出奔したが、どうも早まったらしい。
辛評はそう考えると、部下に命じて白旗を掲げさせた。
曹丕は依然余裕を保って馬鉄らをあしらっているものの、辛評
が降伏したとの報せを受けて渋面を作った。好きにはなれない
男だったが、もう少し役立たせる術があった筈ではなかったか。
その頃、馬超は漸く体勢を立て直し終えていた。馬超は韓玄
らが北海軍の救援の為に取って返すのとは反対に、雑魚を無視
して曹丕の本陣を目指すよう、命令を下した。
厳顔は申儀、韓玄と挟撃して河畔の砦に篭る糜芳を撃破し、
そのまま主君に続いて進軍する。
ホウ徳は南西の砦に篭る曹休の足止めを受けた。曹休を援護
するように呂虔隊がホウ徳隊の右側面を衝き、ホウ徳に消耗戦を
強いている。
申耽、赫昭、魏延は未だに罠から脱しきれないでいる。
劉勳は無人の城を占拠したものの、城内を宣撫しているうち
に馬岱を破った二世トリオに城を攻囲されて、城から出られなく
なってしまった。
馬超の用兵は、凡そ用兵とは呼べない代物だった。曹丕は
一得一失と雖も寧ろ我が軍優勢と判断し、馬超の用兵の拙劣
さを嘲笑った。
その中で韓玄と馮習が、当初の予定を無視して北海軍の
救援に向かった事は、馬超にとって幸いした。韓玄らの部隊は
劉勳が篭る城下に姿を現し、為に張虎らは城の攻囲をあきらめ
たのである。
「貴公らの来援に感謝する」
劉勳は虎口を脱して、満腔の感謝の意を述べた。
「なに、お互い様じゃ。戦はこれからじゃよ」
韓玄は髭を捻って笑った。
それにしても、と韓玄は思う。
(一度我が君の精強な兵と共に戦ってみたいと思っておったが、
我が君の用兵は強引すぎるの。キユの方が上手くはあるまいか)
キユに連れ回されると苦戦や激戦を強いられるが、それは常に
倍する敵と戦っているからであって、用兵が拙劣だからではない。
此度の我が君のように、敵に倍する兵力を抱えながら各部隊の
連携もなく、ただ己の思うが儘にてんでばらばらに戦って苦戦
しているのとはわけが違う。斯様な戦い方では、勝てる戦も勝て
まいて。
(各将が己の武勇を恃み過ぎるのも考え物じゃの)
キユに推挙されて以来キユに従い続け、些か勲功を積み
重ねてきた韓玄の、それが率直な感想だった。
>>329-334 長い間更新が遅れてすみませんでした。
その間保守して頂き、本当に有り難うございました。
ここで次回予告。助勢を得て気焔を上げる馬超の前に、
曹休の軍が立ちはだかる。ロケットでつきぬけろ!
皆様も風邪にはお気を付け下さい。
乙です。
インフルエンザが流行っているようです。プレイヤー氏もご自愛下さい。
捕手
343 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/09 13:50
保守
保守
【壮士休烈・其の参】
劉j隊が放つ弩は一度の被害こそ大きくないが、連日
射込まれると流石に苛立った。
曹丕は劉jの部隊も混乱させようとしきりに細作を放っ
たが、劉jが賢明なのか、なかなか混乱しない。そのうち
に馬鉄や陳式が混乱から立ち直り、彼等をまた混乱させる
ので、曹丕は次第に手一杯になり出した。
そして馬鉄が三度混乱から回復した時、馬超の本隊が
曹丕の本陣に迫っていた。
「ちっ。いつの間に突破しやがった…!」
曹丕は思わず、口汚なく罵った。慌てて馬超の側の守り
を固める。
だが馬超の衝突力は尋常ではなかった。曹丕は嘗てない
痛撃を食らって動揺した。間髪を入れず、側面から馬鉄の
騎兵が突撃してくる。曹丕の本陣は見る間に削り取られ、
深く穴を穿たれた。
「兄さん、加勢します!」
「おお鉄か、よく来た。力を合わせて逆賊をうち滅ぼそうぞ!」
「御意!」
戦場ですれ違い、短く言葉を交わす二人。
馬鉄は馬超がキユの排斥を図った後も、馬超に対して
不信感を抱く事はなかった。
勿論、馬超がキユを排斥しようとした事、それ自体には
驚いた。だが考えてみれば馬鉄自身、キユと雲碌の、とも
すれば兄妹の矩を越えるのではないかと疑いたくなる
親密さに、以前から眉を顰めるものがあった。徳行を修め
ない者は排されても仕方ないように思えた。
そんな事もあって今では、近くのキユより遠くの馬超の
方に、より親近感を覚えている。その兄であり主君である
馬超の力に直截的になれるのは、馬鉄にとって喜びだった。
馬鉄は混乱から立ち直ると、兄の旗幟を見つけて奮起した。
「おのれ北狄共が……」
曹丕は歯軋りして悔しがったが、一度穿たれた穴は容易
には埋まらない。曹丕は本陣を墨守する事こそが愚策だと
覚った。
「我が隊は全軍、南西の砦に撤退しろ。文烈らの軍と合流し、
軍勢を立て直す。張虎たちにも伝令だ。敵の兵糧庫を奪い
取れ」
だがその命令は、遂に戦局を覆し得なかった。馬鉄率いる
騎兵は馬超と共に曹丕の本隊を追撃したものの、その他の
下[丕β]軍はいち早く敵の意図を察し、一旦は太史享に奪
われた兵糧を即座に奪い返したのだった。
その頃漸く罠から脱し得た赫昭は、旧知の韓玄らを援護
して張虎ら三将を尽く捕え、魏延、申耽を罠から救い出すと、
挙って馬超との合流を図った。その時曹丕は、河を渡る手前
で馬超らに後軍を捉えられ、乱戦に陥っていた。
曹休は彼岸の砦からこれを遠望して顔色を失った。この
ままでは子桓の身命が危ない。
「執金吾殿に伝令だ。ホウ徳の側面を衝くのを止めて、即刻
砦内に戻られよ。俺は今から太子の救出に向かう」
呂虔は伝令を受け取ると、単身戻ってきて曹休を諌止した。
「執金吾殿、貴公も心配しておられるのか。俺がまた敵に
膝を屈するのではないかと」
曹休が口許を自嘲で歪める。呂虔は威厳に満ちた眼差し
で否定した。
「まさか。国家の基は人だ。部下の身命を慈しんだ貴公の
決断こそ、断腸の思いであったろう。貴公は李陵に等しい。
余人の中傷などに負けられぬ事だ」
曹休は暫し沈黙した。目頭が熱くなるのを我慢する。
「…済まぬ。しかし俺は失墜した名誉を恢復させねばならない。
ここで子桓まで…太子まで失わせたとあっては、どの面下げて
陛下の御前に戻る事が出来ようか」
「光禄勲。太子の御身も大事なれど、貴公もまた皇室の藩屏。
身命を惜しまれよ。不肖某がその任を承らん」
「貴公の配慮にはいたく感謝する。だが駄目だ」
曹休は頭を振った。
「貴公の部隊には渡河に適した軍船があるまい。こと河上に
おいては俺の軍の方が速く動ける。事は急を要するのだ」
呂虔は嘆息した。
「貴公の覚悟は解った。だがくれぐれも気を付けられよ。
決して無理な戦をしてはならんぞ」
「ご忠告、感謝する…!」
曹休は拱手して駆け出した。
曹丕は馬超、馬鉄、厳顔、申儀の部隊に四方から囲まれ
て、ただ鏖殺されるのを待つばかりとなっていた。それは
曹丕にとっては屈辱極まりないものであったが、逃れる術
はないように思えた。
(子建の死を喜んでいたと思ったら、今度は俺の番か)
最初は優勢だった筈だ。どこから話が違ってしまったのか。
曹丕はギリリと唇を噛み締めた。この様な無様な敗戦を
指揮する羽目になろうとは、屈辱以外の何物でも無かった。
と、その時、申儀の部隊の背後で喚声が起こった。
曹丕が何事かと首を伸ばすと、「曹」の旗幟を掲げた一軍
が申儀の軍を打ち破ってこっちに向かってくるのが見えた。
「文烈か…!」
「助かった」と言いかけて、曹丕は思わず舌打ちをした。
戦前の曹休との会話を思い出して心が怯んだのだった。
曹休は周囲の敵を斬り伏せて、すぐに曹丕の許へ駆け
つけた。
「太子、ここは私が防ぎます。その間に太子は舟で砦まで
逃れて下さい」
「逃げろ、だと?」
曹丕は勃然と色を為した。
「黙れ文烈。誰に対して逃げろなどと言っているのだ」
「太子、貴方に対してです。この戦は最早利あらず。一度
逃れて体勢を立て直すべきかと」
「余は負けぬ。故に逃げる必要もない」
「負けるとはこの城陽の地を失う事でしょう。勝敗は兵家の
常。目先の勝敗に囚われて城陽を失うような事があっては
なりません。況して大事な御身に万が一の事があっては…」
「万が一などないっ」
「埒も無い事を…」
曹丕の思いがけない言葉に、曹休は溜息を吐きたくなった。
今の戦況が把握出来ぬ程、太子は戦下手ではない筈なの
だが…。
「再度申し上げます。速やかに兵を退き、城に篭るのが上策。
一月もすれば、海路援軍が駆けつけましょう。その時改めて
馬超と雌雄を決すれば宜しいかと存じます。それまでの辛抱
です」
「余は退かぬ。余はお前らとは違う!」
曹丕は素直になれない余り、余計な事を口走ってしまった。
「いいか文烈、申儀の陣は既に崩れた。今から馬鉄、厳顔、
馬超の軍を順次打ち破っていく。砦の味方に呼応するよう
伝えろ」
「いい加減にしないか!」
曹休が怒鳴った。その手は我知らず、曹丕の襟首を掴んで
いた。
曹丕は思わぬ罵声に一瞬、茫然とした。
「ならば子桓、お前は何の為にここまで逃げて来たのだ。
無理な戦を避けて再戦を期す為ではないのか?お前が何を
思って今そんな事を言っているのかは知らないが、お前の
下らん意地の為に戦を、将士を失うわけにはいかんのだ!」
曹丕は悄然と項垂れた。
「解ったら渡河の支度をしろ。ここは私が支える」
「……済まん。任せた」
曹丕は鳴咽を噛み締めるように呟くと、くるりと馬首を反した。
曹休は「御意」と応えて、曹丕らに背を向けた。
「者共。太子が無事に逃れ切るまで、何としてもここで敵を
防ぎ止めるのだ」
「応っ」
曹休の檄に、無数の勇ましい声が返ってきた。
一方――。
「おのれ曹休め、余計な真似を…!」
馬上で切歯扼腕したのは、馬超である。
今一歩というところで大魚を逸した。しかも邪魔をしたのは、
キユと懇意な曹休だ。キユが情にほだされて斬っておかない
から、今こうして障碍になってしまった。「一日敵を見過ごせば、
数代に亙って厄災を蒙る(註1)」とはこの事だ。まったく、キユ
の行動はいつ何時も俺に祟る。
「従卒。槍(註2)を持て!」
舌鋒鋭く命じる。馬超の従卒は驚き、怯えるようにして主君
に槍を差し出した。
馬超は二、三度槍を扱くと、鞍を蹴って駆け出した。
目指すは曹休の首、唯一つ。
註1:『春秋左氏伝』僖公三十三年。
註2:以前にも戦闘や武術大会で「槍」を使いましたが、槍が
武器として普及したのは隋・唐の時代からです。ただ、
実際に武器としての槍を開発したのは諸葛亮のようです。
>>341 ご心配頂き、有り難うございます。この時期は体調を崩し易くて
なかなか大変です。
>>342-344 いつも保守して頂き、有り難うございます。
ここで次回予告。運命の一撃が曹休を切り裂く。
ロケットでつきぬけろ!
>>352 > 「おのれ曹休め、余計な真似を…!」
> 馬上で切歯扼腕したのは、馬超である。
「敵ながら見事」とか言わないのは流石孟起どのw
保守
保守
【壮士休烈・其の肆】
馬超の単騎駆けを遮る者はなかった。それだけ曹休の
部隊は窮状に追い込まれていたのだが、例え遮ろうとし
ても無駄な努力だっただろう。
やがて馬超は見覚えのある顔を見出した。
「そこな将、曹休と見た」
我が名を呼ばれて曹休は振り返った。
「おう、そういう貴様は馬超か。単騎駆けとは殊勝な話だ。
わざわざ殺されに来たか」
「世迷言を」
馬超は鼻先で笑った。
「――何年ぶりになるかな。こうして貴様の面を見るのは」
「さあ、覚えてないな。しかし人が変わるには十分な時間が
過ぎたのは確かだろう。あの頃可愛がっていた弟を、最近
では憎んでいる奴もいるようだしな」
「何だと」
曹休の軽い皮肉に、馬超は怒気を発した。が、馬超は
頭を振って気を取り直した。
「…ふん、貴様などに何が解る」
「詳しい事情など知らんさ。キユは何も言わんからな。だが
貴様は知って欲しいのか?それとも情報が駄々漏れで
あって欲しかったのか?」
「ほざいてろ。事情を知ったところで、キユ如きを相手に
連戦連敗街道を驀進する貴様等ではどうにもなるまいよ」
「そのキユがいなければ、今の貴様の地位はないと知った
上での発言かな、それは?」
馬超は今度こそ本気で怒った。韓遂といい雲碌といい
曹休といい、キユを取り巻く輩はどうしてこうも俺の機嫌を
逆撫でするのか。
「今の俺があるのは誰のお陰でもない。俺自身の力による
ものだ」
「臣下の手柄を横取りするとは、殊勝な主君だな。貴様に
仕える奴等が哀れでならんよ」
「ほざけ!貴様等逆賊の手から天子の御身を取り戻したの
はこの俺だ!」
「一事が万事とはおめでたい奴だな。そもそも弟に家督を
譲られたのは誰だったかな?」
「黙れぇ!」
馬超は我を忘れて突きかかった。
馬超のその突きは槍法に則っていない、全くの出鱈目な
ものだった。曹休は連戦の疲れも見せず、馬超の刺突を
軽くいなした。
「キユ如きに勝てん奴がこの俺に意見をするか!身の程を
知れ!」
「キユ如き、キユ如きと連呼するが、キユを認めていないのは
もう貴様だけじゃないか?まっ、そんなだから妹に疎まれるのさ」
曹休が嘲笑う。
曹休のその台詞は馬超の心の傷を深々と抉った。馬超は
白皙の顔に満面の朱を注いだ。
「敗残の恥晒しが偉そうな口を叩くな。貴様には今この場で
引導を渡してくれる!」
「おう、やれるものならやってみろ…!」
申し合わせたように、双方の矛が交わった。
戛然と槍矛の柄が鳴り響く。本来の実力差なら曹休は五合と
保たないところだが、馬超には曹休に侮辱された瞋恚があり、
「一撃で仕留めん」という気負いがあった。それは馬超の動作を
いつも以上に大きくし、その分だけ曹休に付け入る隙を与えた。
しかも曹休はキユの言にヒントを得て、早くも鐙を鞍の両側に
取り付けている。馬上で踏ん張りが利くようになった曹休は、
その分有利を得ていた。
…だが、それだけではどうしても埋まりきらない実力の差が、
そこには有った。
両者が矛を交える事四十八合、曹休は遂に力尽きた。曹休の
矛は弾き飛ばされ、代わりにその右肩に深々と、馬超の槍が
突き刺さっていた。
曹休は激痛に顔を歪めた。それでも馬超の槍を左手でがっちり
と掴み止めた。
それと見て、馬超は槍から手を放した。
「……何のつもりだ、馬超」
「ふん。その槍を使いたければ使うがいい。俺はこれで相手を
してやる」
馬超は佩剣を抜き払った。
「そして己の非力を呪いながら死ね」
そう言った馬超の顔が、これから流れる血を期待して嬉々と
している事に、曹休は気付いた。
(同じ血を分けた兄弟で、こうも違うものか)
流血を好む兄と厭う弟。だが曹休はふと、その姿を曹丕と曹植
に投影した。
(まあ、そんな事もあるのだろう)
キユが我が呉に来ていれば、そして子建が生きていれば、
二人は仲良くなれたかもしれない。だが馬超と子桓では駄目
だな。
(俺の生涯もここで終わりか)
もう降伏は許されない。馬超に降伏したいとも思わない。
これだけの深手を負って、今更生き長らえ得るとも思えない。
心残りがあるとすれば、陛下の統一を生きて目にする事が
出来ない事か。肇よ、簒よ。陛下を、呉国を頼んだぞ。
キユに借りを返せなかった事も心残りといえばそうだが、
今となってはもうどうでもいい気がする。
最初は同じ諱というだけで興味を持った。見ていて飽きない
と思うようになってからは、進んで親交を深めた。醴は遂に
味を違える事がなかった。それは人生の快事ではあるまいか。
「よかろう。呉の光禄勲曹文烈、最期の一槍を仕る」
曹休は肩から槊を引き抜いた。傷口から鮮血が溢れ出て
戦袍を濡らした。
不思議と痛みは感じなかった。
「おおおおおお……っ!」
曹休が雄叫びを上げる。最後の気力を振り絞って、槍を
左手一本で大きく振り上げた。
だが曹休が振り下ろすより早く、馬超の剣が閃光を描いた。
>>354 当リプレイではコンプレックスの塊になっちゃってますから(笑)
>>355-356 保守して頂き、有り難うございます。
ここで次回予告。…てゆーか次回は戦後処理とかそのへん。
舞台も再び下[丕β]に戻るんじゃないかと。
まったりとつきぬけろ〜。
↑名前欄を変えるのを忘れてました。
>>361に訂正です。
×曹休は肩から槊を引き抜いた。
○曹休は肩から槍を引き抜いた。
直し忘れがあったとは不覚…。
保守
366 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/24 00:43
保守
【舌禍】
曹丕は曹休の訃報に接すると、血涙を呑んで砦を放棄した。
馬超は追撃を命じたが、敵が河を下って海上に逃れた事を
知ると、地団駄を踏んで悔しがった。今の馬超軍には海上に
出て敵を追う術がなかったのである。
ひとまず安全を確保した曹丕は、復讐心に燃えながらも、
海路楽浪へと退いた。
馬超は城陽の政庁に入ると、捕虜を引見した。
虜将のうち、まず楽チンが馬超に降った。父楽進が既に馬超
に仕えているというのが大きかった。
そしてその楽チンの説得を受けて、張虎が降った。張虎は父
張遼が車騎将軍にある事を理由に帰順を渋ったが、最後は
友情にほだされたようだった。
彼等が降った事で馬超は気をよくしたのか、残余の捕虜は
降伏を肯んじなかったが全て解放された。
馬超は最後に、降伏して来た辛評を引見した。
引見の際、馬超は不機嫌さを隠そうとしなかった。
(此奴は過日、理由もなく余を裏切ったばかりだ。今更どの
口を拭って余に跪くか)
そんな思いが胸中を占めていた。
だが馬超の神経を逆撫でしたのは、その事実ではなかった。
「私は誤りました。呉の太子曹丕は人妻を掠め取ってなお、
その妻を人前で侮蔑する人間です。斯様な人物には私は
ついていけません」
辛評のその言葉は、馬超の肺腑を再び深く抉った。
他人の女を欲しているのは馬超とて同じだ。そんな事は
赦されないと、こいつは言う。しかも俺の欲する女は実の妹だ。
将来俺が雲碌を俺の物とした時、こいつは再び同じ事を言って
俺の非を打ち鳴らすだろう。冗談ではない。
馬超は重々しく顔を上げた。
「成程、貴様の言う事は尤もだ。だが人倫を唱えるなら、
余にも一つ、言いたい事がある。それは己の好悪で主君を
度々替えるような不忠者は、我が軍には不要だという事だ」
辛評の顔色がさっと蒼褪めた。袁氏に忠義を尽くしてきた
自負があるだけに、不忠者の烙印を押されるのは耐え難い
仕打ちだった。
「お待ち下さい、殿…!」
「余はもう貴様の主君ではない。何を勘違いしている。者共、
この汚らわしい蛆虫をさっさと雨花台へ連れて行け」
馬超の返事はにべもない。
馬超の下命に応じて、刑吏が辛評の両腕を取り押さえた。
辛評は金切り声を上げたが、その声は誰の感銘を呼ぶ事も
なかった。
【鎮魂歌】
―下[丕β]―
「曹休が…死んだ……」
鉄からの報告を聞き終えて、僕は目眩がした。立っていら
れなくて、机に手をつく。
雲碌が僕を支えてくれた。心配そうな顔をして僕の顔を
覗き込む。僕は「大丈夫だ」と手振りを交えて、雲碌に応えた。
「随分と失意のご様子ですが、兄さんが手ずから敵将を討ち
取った事がそんなに問題ですか?」
鉄はそう訊ねた。僕はキッと睨み返した。
「僕が流血を好まないのは知ってるだろう?それに曹休が
僕の許へ足繁く来てくれていたのは鉄も知ってる筈だ。
親友の死を悼んで何が悪い?」
「ええ、よく覚えています。ですが敵と解っていながら度を
過ぎた親交を結ぶ必要もなかったでしょう。嘗て文約の
叔父貴が苦言を呈した筈ですが」
「その韓遂は僕を支持してる。僕が改めなくともね」
「私が言いたいのは、黙ってはいましたが私も同じ思いだっ
たという事です」
鉄の口調は明らかに僕を非難していた。
「この際ですからはっきり言います。兄さんは少し軽率すぎ
ます。逆賊をその野心も知らずにほいほいと招き入れていた
のもそうですし、今もそうやって雲碌を傍に侍らせているのも
そうです」
「あ?雲碌と曹休に何の関係があるんだよ?」
流石に僕もキレかけていた。僕は抗議しようとする雲碌を
手で制して、鉄の前に立った。
「いいか鉄。僕は今は親友の死を悼んでるんだ。兄さんが
曹休を殺した事に対して一片の恨み言も言っちゃいない。
昔ホウ徳が郭援の首を取った時、鐘ヨウは甥の死を悼んで
泣いたし、ホウ徳は鐘ヨウに謝った。それでも僕は曹休の死を
悼んじゃ駄目だって言うのか?」
「それは……」
鉄が言い澱む。
「況して何の関係もない雲碌をここで槍玉に挙げようなんて、
非礼にも程がある。不愉快だ。下がれ」
鉄は恨めし気に僕を見上げた。けど反論出来なかったのか、
やがて黙然と一礼して、そのまま部屋を出て行った。
鉄の背中を見送って、僕は大きく一息吐き出すと椅子に
沈み込んだ。
「お兄様、宜しかったのですか?」
雲碌が控えめに訊ねてきた。
「お互い他人の事でそんな喧嘩腰になって、気まずいまま
別れてしまっては、後に禍根を残す事になりませんか?」
「いや、もう無理だろう」
僕は半ば投げ遣りに答えた。雲碌にまでケチをつけられて
赦してやるわけにはいかなかった。それで赦してやれるほど、
僕は聖人君子じゃない。
いつからだろう。鉄は些細な事で僕に突っかかるようになった。
原因は大体雲碌の存在にあったような気がする。僕が雲碌を
傍に置いておくのが気に入らないなら、この先同じ事の繰り
返しになる。ならざるを得ない。
雲碌の件については、この国の人達に理解を求めようとは
思わない。いや、誰の理解も要らない。どうせいつかはここを
去るんだから。父さんが許してくれただけで充分だった。
(それにしても、兄さんが曹休を斬り殺すかよ)
僕は天井を仰いだ。
兄さんと曹休とは、一度だけ会った事がある。まだ武威にいた
頃の事だっただろうか。あの時から二人は喧嘩腰だった。今日
のこの事態は、その時から約束されていた事なんだろうか。
「……なあ雲碌。僕は本当は兄さんをぶん殴りたい。そして半日
でも半月でも問い詰めたい。何で曹休を殺したんだって……」
死んで欲しくなかった。顔さえも知らない敵の兵士ですら、
死んでいくのに心が痛かった。況して曹休は、敵対していたにも
拘わらず足繁くやって来て、遊びに誘ってくれた。何かと世話も
焼いてくれた。本当にいい奴だった。
この先どれだけ待とうとも、あの気さくな笑顔がそのドアを
開けて入って来る事はもうない。そう思うと、「二千年も前の
過去の人」の筈なのに、涙が溢れて止まらなかった。
雲碌が袂でそっと、僕の目許を拭った。
僕はふと思い出して、沢山のキャンバスの中から1枚の絵を
抜き出した。それは何年か前の冬に描いた曹休の全身画だった。
巻き狩りに誘いに来た曹休を、寒いからといって断って、代わり
に曹休をモデルにして描いた絵だ。安請け合いしたはいいものの、
描きかけのまま放り出してあった。
あの頃はこんな日が来るなんて疑ってもみなかった。だから
こんな適当な事をしてしまった。あの時ちゃんと描き終えていれば
よかった。けど後悔してももう遅い。
僕には絵を描くしか能がない。だから絵を描こう。この絵の続き
を、今度こそ最後まで。そして僕たちの記憶に留めよう。曹休と
いう友がいた事を。
僕はその夜、雲碌の寝室へ行く前に、公主の部屋に立ち寄った。
そして曹休が兄さんに討取られた事を伝えた。
「……そうですか。文烈様が…」
公主はぽつりと呟いた。
「喪服、結局着続けなければならないんですね。最初からその
つもりでしたけど…」
「御愁傷様と言うか、その…ごめん。他に言葉が浮かばない」
「いえ、お気持有難うございます。キユ様も親友を亡くされて
さぞや御心痛でしょう。お察し致します」
「…うん。有難う…」
僕は力なく答えた。今日だけは公主と哀しみを分かち合える
ような気がした。
公主が顔を上げた。
「キユ様、お願いがあります」
「なに?」
「文烈様の亡骸を郷里の墓地に葬ってやりたいと存じます。
遺体を引き取っては頂けませんか」
「解った。兄さんが応じてくれるかどうかは分からないけど、
出来る限り努力するよ」
僕はそう請け合った。
それはいつも通りの僕だった。けどその時僕は、心の中に
一片の下心も無いというわけにはいかなかった…。
>>365-366 いつも保守して頂き、有り難うございます。
ここで次回予告。
自らの勝利に酔い、元号を延康と改める馬超。
一方、建業への進軍に向けて着々と準備を進めるキユ。
しかしそれは、やがて起こる悲劇の濫觴となる。
ロケットでつきぬけろ!
辛評もツキのない男で…。
376 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 22:25
保守
ほっしゅほっしゅ
保守
延康元(220)年2月
【冤抑・其の壱】
―下[丕β]―
曹休の死後、江州の郭淮が指揮する馬超軍が永安を
攻め落とした。捕虜のうち呉蘭と陸遜が兄さんに降った。
兄さんは先月末に元号を延康と改めると、今月、北海
太守に董允を任命し、自身は執金吾に任じられた。それ
に合わせて僕も建武将軍に任命された。
けど、そんな祝賀ムードを吹き払うような凶事が起きた。
或る夜、夕食を前にして毒味役の男が死んだ。僕の
食膳を毒味しての結果だという事だった。
「どういう事?」
訊ねる声が震える。
誰が?何故僕を?
死んだ人が可哀相だと思う一方で、もしそれを僕が食べて
いたらと思うと、とても平静ではいられなかった。
「調べてみた結果、鴆毒の反応がありました」
琥珀さんが跪いて応えた。琥珀さんの話によれば、異変に
気付いたのは翡翠だった。
翡翠は配膳の為に厨房に戻った時、厨房から出てくる一人
の女官を見かけた。その女官が余りにも挙動不審だった為、
翡翠は琥珀さんに相談した。話を聞いた琥珀さんは毒味役を
連れてきて、その場にあった食膳を毒味して貰った。そして
最初に僕の食膳に手をつけた途端、毒味役の男は悶死した
という。
経緯を聞き終わるや否や、雲碌が烈火の如く怒った。
「愚劣な。お兄様に毒を盛るなんて…!この私が赦しません。
その女をすぐにここへ連れて来なさい!」
「翡翠ちゃん、その女官の顔は覚えてる?」
琥珀さんが問い掛ける。翡翠は少し戸惑い、やがて
「すみません、顔までははっきりとは……」
と、本当に申し訳なさそうに答えた。
「使えないわね!」
雲碌があからさまに舌打ちをする。それを聞いて翡翠は
ますます萎縮してしまった。
「まあまあ雲碌」
翡翠が気付いた時点で、僕は出来過ぎなくらいツイてる。
これ以上望むのは我が侭だろう。
僕は雲碌を宥めると、翡翠に感謝の意を表した。
「翡翠のお陰で僕は命が助かった。本当に有り難う」
そして翡翠の手を取ろうとする。…けど、拒絶された。
僕が手に触れようとした瞬間、翡翠は驚いたように手を
引っ込め、そのまま身を竦めてしまった。
「翡翠、貴女…!」
雲碌が再び激昂する。
「まあまあ雲碌」
僕はもう一度雲碌を宥める事になってしまった。
「……あ…すみません……」
翡翠が、自分が無意識のうちに取った行動に気付いた
のか、慌てて平伏して謝罪する。
「…いや、いいよ。気にしないで。勝手に触ろうとした僕も
悪かったから」
けどショックは大きい。嫌われてるとは思ってたけど、
ここまでとは思わなかった。
「あの、キユ様、お嬢様」
その時、琥珀さんが口を挟んできた。
「翡翠ちゃんは男性不信に陥っているので、男性に触られる
事を身体が拒絶するんです。今はいくらキユ様でも無理だと
思います。翡翠ちゃんのせいじゃないので、赦しては頂け
ませんか」
…そうだったのか。
僕は安堵する一方で残念にも思った。折角こんなに可愛い
のに、勿体無い…。
「まあでも、それならしょうがないよな。知らなかった僕の方が
悪い。ごめんね、翡翠。雲碌も赦してあげてよ」
「……そういう事情があるのでしたら仕方ありませんね」
雲碌も渋々ながら、翡翠の無作法を赦す事にしたようだった。
ほっと安堵する。
けど、安堵してばかりもいられない。これからは毒を盛った
犯人を捜す事が、下[丕β]の諸官の急務となった。
それから数日経った。毒を盛った犯人は未だに見つかって
いない。犯人捜しは急務だけど、その事だけに拘泥している
わけにもいかなかった。僕は不安と焦燥に駆られながらも、
楼閣の上に立っていた。
僕は軍馬の嘶きを聞きながら、幾つかの報告を聞いた。
江州太守の後任に糜竺が内定した事。兄さんが、曹操が
留守をしている隙を狙って海路呉に親征し、散々に打ち
破られて逃げ帰ってきた事。
楽チンはあっさりと曹操の配下に戻り、申耽、申儀兄弟も
曹操側に寝返った。おまけに張苞が斬首されたという。
「お兄様…」
「解ってる。何も言うな」
僕は腹を立てていた。張苞を斬首した曹操にじゃあない。
無謀な遠征を試みた兄さんに対してだった。
今の馬超軍にはまともな外洋船がない。粗末な小船に
分乗して攻めてみたところで、端っから勝敗は見えている。
曹操がいる、いないの問題じゃなかった。
張苞は簡雍と共に、再会を期していた一人だった筈だ。
それがまるで兄さんに殺されたようなものだった。
(こんな事が続くなら、兄さんなんかに任せるんじゃなかった)
そんな思いがふと脳裡を過り、僕は慌てて首を振った。
それを望んだのは僕自身だし、自分ならもっと上手くやれる
と思うのは慢心だと思った。
…兎も角。死んでしまったものはどうしようもない。生者に
出来る事は死者を弔い、その冥福を祈る事だけだ。僕は
建業にいる張紹に弔辞を送り、併せて約束を果たせなかった
事を詫びる事にした。
>>375 ゲーム的には袁熙降伏→辛評引き抜き→捕虜で斬首
ってだけなんですけどね。話を作るとこうなっちゃいました。
南無南無…。
>>376-378 いつも保守して頂き、有り難うございます。
今月の話はもっと簡単に済ませるつもりだったのですが…
もう少し続きます。ロケットでつきぬけろ!
>>384 > (こんな事が続くなら、兄さんなんかに任せるんじゃなかった)
(・∀・)ニヤニヤ
天下人目指しますか?w
保守
【冤抑・其の弐】
眼下には劉jが買い揃えた万余の軍馬が犇めいている。
だが配属されるのは張虎の予定だ。
背後で靴音が鳴った。
「ご府君、お呼びでしょうか」
楼閣を登ってきたのはその張虎だった。僕は振り返って
頷いた。
「うん。今そこに見えてる軍馬は全部君の部隊に預ける」
「有難き幸せ!」
張虎が欣然と拱手する。けど僕の心情は緩まなかった。
「あれだけの軍馬を与えるからには、きっちり働いて貰わない
と困る。1ヶ月以内に麾下の将兵に騎兵の運用を叩き込ませろ。
動かし方は閻行あたりに聞くといい」
「戦ですか?」
「そうだ。来月出陣する」
僕はそう答えて、遠く空を見詰めた。
「――なあ張虎。君は友と干戈を交えなければならないと
したら、どうする?」
「友とですか」
張虎は少し考え込む風体(ふう)を為した。
攻め込む先は建業以外に有り得ない。その建業には楽チン
がいる。
俺に降伏を勧めて熱弁を振るったくせに、再び戦に敗れると
自分だけさっさと元の鞘に収まりやがった。裏切られた、という
思いが胸中に渦巻いて去らない。
「今は死力を尽くして戦うでしょう」
張虎はきっぱりと答えた。父が江南にいないのは幸いだった。
思わず苦笑した。「今は」という事は、状況が変われば別の
論理が働くという事だ。矢張り本当なら戦いたくはないだろう。
僕も戦いたくない。そして死なせたくない。勿論僕も死にたく
ない。
けど、曹休の命は守れなかった。目の前では守れたけど、
僕の目の届かない場所で兄さんに殺された。無性に哀しくて、
悔しかった。
建業の太守は鐘ヨウだ。以前何度か手紙を交わした仲だ。
友人と呼ぶほど深い仲ではないけど、人格者で、書にも
優れている。何より芸術を理解してくれる人だ。死なせたく
なかった。
張紹もいる。弔辞を送り、その涙も乾かないうちに攻めよう
というのは義に反しているような気がする。
けど。それでも攻めなければ始まらない。
いや。僕の「旅」が終わらない。
(兎に角、来月だ)
僕は頬を一つ叩くと、地上へと続く階段を降り始めた。
街の喧騒に紛れて、軍馬の嘶きが聞こえてくる。
「いよいよ出陣かな」
酒場の店主が誰とも無しに呟いたその言葉に、一人の
男が反応した。
「そうなのか?」
店主は男の方に振り返った。男は而立ほどの年齢だが、
その衣冠からかなり裕福な家の者だと推測された。
「そりゃ、単に軍馬を買い求めただけって考え方も出来ます
がね。買い求めたからには使い途が要るでしょう」
元々占領軍の部隊には軍馬が行き届いている。新たに
買い求めるなら、それは劉jか張虎の為だろう。どのみち
動かすには充分な戦力が整う事になる。
「だから動く可能性が高いだろうな」
「成程」
董[禾中]は頷いたが、またこうも訊ねた。
「店主はいつからここで店をやっている?」
「さあね。俺は生まれた時からこの酒場の息子さ」
「なら、ついこの間までは曹操の支配を受けていたのだろう。
支配者が変わって忸怩たる思いはないのか?」
「土地の者じゃないとは思ったが、曹操と呼び捨てにする
あたり、あんたかなり遠方から来たな」
董[禾中]は内心ギクリとしたが、表面的には平静を装った。
「私は誰の束縛も受けたくないだけだよ」
「まあそういう事にしといてやろうか」
店主はにやりと笑った。
「ま、正直どうでもいいんだよ。支配者が誰でもな。要は
俺達が暮らし易い世を作ってくれればそれでいいんだ」
「それもそうだな」
「ついでに言えば徐州の民は皆、曹操に対して少なからず
恨みを抱いている。30年前の虐殺劇が未だに忘れられない
のさ。ま、それも最近はだいぶ薄れてきてたんだがね。新しい
太守殿が善政を布いている限り、寧ろ歓迎するだろうよ」
「ふむ…。有り難う、店主。馳走になった」
董[禾中]はもう一度頷くと、酒代を置いて店を出た。
だが店を出るや、董[禾中]はすぐに舌打ちをした。
(またしても失敗か)
出陣が近いという事は、キユは無事だという事だろう。
廚婢の一人を買収して鴆毒を渡しておいたのだが、今回も
不発に終わってしまったようだ。
(あの廚婢が捕まり、口を割られてはまずいな)
それを防ぐ為に小細工を施しておく必要がありそうだ。
だが悪い事ばかりでもない。
(キユが出陣するとなれば、もう一つの件に好機が訪れるな)
口封じが終わったら、そちらの方策を改めて練るとしよう。
董[禾中]は一度だけ振り返った。
その視線は目の前の町並みを越えて、所謂高級住宅区を
見ようとしていた。
標的はそこにいる。
董[禾中]はふっと笑うと踵を返し、仮の宿へ向けて歩き始めた。
2日後の朝、下[丕β]城内の井戸から一人の廚婢の死体が
引き上げられた。
廚婢の身辺を整理した結果、相当量の大麻と、遺書と思しき
書簡が一通、見つかった。
文面は出来損ないの恋歌だった。太守様(キユ)に恋焦が
れているものの、一顧だにして貰えない事を恨み、せめて
あの世で添い遂げたい。そんな歌だった。
「兄さんもなかなか罪作りな方ですね」
報告に現れた馬鉄が、そんな皮肉を言いながら遺書を
手渡す。キユは受け取って一読すると、沈痛な面持ちで
それを握り締めた。
>>386 出来ればそうならない方向でリプレイを進めたいと
思っていますが…さてどうなる事やら。
ちなみに今のキユの武力で謀叛を起こしたら、
確実に失敗して斬首されるでしょう。
(以前成宜でプレイした時、主君の孫策に牙を剥いたら
失敗して斬首されました。)
>>387 いつも保守して頂き、有り難うございます。
ああ、あ、業界の荒波を乗り切り、連載を二度も勝ち取り韋駄天(いだてん)、
二度とも突き抜けて来たキユよ。真の漫画家、キユよ。
今、ここで、アシスタント生活に戻ってしまうとは情無い。(tbs
次回は大半が蘊蓄話になると思います。月は変わりません。
すぐに次が書き込めるとは思いますが…長引くなあ…(;´Д`)
395 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/11 04:53
保守
【欣慕】
キユは清河公主の部屋を訪ねた。
曹休の遺体に関する孔明からの返答を伝える為だった。
「孔明から返書が届いたよ。曹休の遺体だけど、夏侯覇
って人が郷里の墓地に埋葬させて貰う事を条件に、兄さん
への仕官に応じたみたいだ。遺体は既に夏侯覇が引き
取って、埋葬ももう済ませたらしい。だから御心配なく、
だって」
「そうですか、仲権様が…解りました。有難うございました」
公主はそう言って頭を下げた。キユは手を振った。
「いや、僕のした事じゃないから。御礼ならその夏侯覇って
人に言ってあげて。僕も御礼の手紙を書くからさ」
「ええ、そうします」
キユと公主はお互いの目を見合った。お互いこれを
きっかけに少し関係を深める下心があっただけに、当てが
外れて心中落胆していた。
夫がどれほど奢侈淫蕩の愚物であっても、一度夫婦と
なったからには貞義を貫く。それが女としての誇りだ。
それは解り過ぎる程解っているし、私もそうありたいと
願ってきた。楽羊子の妻(註1)や許升の妻(註2)の
ような道を歩みたいと思っていた。
でも、もう駄目だ。私には貞義を貫けそうにない。
私はもう、はっきりと望んでいる。キユに愛されたいと。
それは亡夫夏侯子林を忘れたいという意味ではない。
私は女としての悦びを知ってしまった。今の私には男性
に愛される事が必要なのだ。けど、愛のない結びつきは
要らない。
キユになら愛されてもいい。いえ、愛されたい。キユなら
きっと私を大事にしてくれる。
今では毎夜の如く、キユがこの部屋に忍んで来る事を
期待している。
…ただ。不貞と蔑まれるのは恐かった。何より、自分が
立てた誓いを破るのが恐かった。
だからせめて言い訳くらいは欲しい。
私はどうすればいいのだろう?
お父様は賛成してくれるだろうけど、それは飽くまで私が
政略の道具として機能した場合の事だ。それは今の私の
気持には沿わない。
(…お姉様達なら相談に乗ってくれるかな)
キユの許へ来て以来、私は何度か、洛陽にいるお姉様達
とも連絡を取っている。勿論、キユの事も何度か書いている。
お姉様達なら、今の私の心境を解ってくれるかもしれない。
私はキユが部屋を去ると、机に向かって筆を執った。
註1:姓名・字不詳。河南郡の人。楽羊子が拾ったお金で
餅を買って帰ると「志士は盗泉の水を飲まず」と言って
窘め、夫が遊学中にぶらりと帰ってくると「中途で放り
出して帰ってくるなど、最初から何もしないのと同じだ
(メロスかよ)」と叱って学業に戻らせた。その為夫は
7年後に不帰の人となったが(;´Д`) 、彼女は変わらず
姑に孝養を尽くした。
その姑が、我が家の庭に迷い込んだ鶏を捕まえて料理
すると、不義の食べ物だと言って遂に手をつけなかった。
のち、ある賊が彼女を犯そうとし、姑を人質に取った。
賊に「俺のものにならなければ姑を殺す」と迫られると、
慨嘆した彼女は自ら首を刎ねて自決した。(『後漢書』列女伝)
註2:字は栄。呉郡の人。父呂積は許升の博打好きが直らない
事に怒り、娘に離縁を勧めた。しかし栄は拒否したうえに
却って父を説得した為、夫は妻の誠意に感動して更正した。
その夫が寿春で盗賊に殺されると、捕まった盗賊を自らの
手で斬首した。
のち呉郡を賊徒が襲い、栄も犯されかかる。生け垣を飛び
越えて逃げ(たが遂に捕まり)、「おとなしく言う事を聞けば
生かしてやる」と言われたが断固拒否し、殺された。途端に
天地雷鳴し暴風雨が荒れ狂った為、賊は懼れ這いつく
ばって謝罪した。(『後漢書』列女伝)
>>395 保守ageして頂き有り難うございます。
ここで次回予告。遂に建業へ向けて動き出すキユ。だがその背後に
暗い影が忍び寄っている事を、キユはまだ知らない。
ロケットでつきぬけろ!
保守
保守
延康元(220)年3月
【長江を越えて】
―下[丕β]―
出陣の間際、キユは清河公主の部屋を訪れた。
「僕の戦いはここで終わる予定だ。曹操の領地が僕の
せいで次々と削られていって、公主には何かと辛い
思いをさせてきたと思う。本当にごめん。でもこれ以上は
無いから。それで気休めになるとは思わないけど、
それだけは言っときたかったから。
それでと言うわけじゃないんだけど…この戦争が
終わったら、公主に少し話がある。だからその…心の
準備だけはしといて欲しい。お願いだ」
それがひいては死んだ曹休の望みにも叶うだろう。
もしこれが兄さんにバレたら?今度こそ免職されるかも
しれない。
(いいじゃないか)
僕の戦いはこれで終わるんだし、免職は即ち僕の自由だ。
僕の望みどおりじゃないか。
…ただ、そうなると雲碌は間違いなく激怒するだろう。
(――それでも、欲しいんだ)
もう、止められない。
キユは公主の顔をじっと見詰めた。気持と覚悟とを言外に
伝える為に。
「……はい、解りました。お待ちしております」
清河公主は息を呑み、数瞬の間躊躇った後、微笑とともに
頷いた。
そしてキユは予定通り、建業へ向けて出陣した。
それが公主との今生の別れになるとも知らずに。
―建業―
途中で少しもたついた部分もあったけど、僕達は殆ど鎧袖
一触で建業の城に入った。
逃亡を試みた鐘ヨウとその家族も、鉄の部隊によって捕縛
された。僕は張紹、申耽、申儀、費[ネ韋]の降伏を認めた後、
その鐘ヨウと対面した。
「はじめまして。僕がキユです」
「…………」
鐘ヨウはじっと僕を見詰めたまま押し黙っていた。
「あの、元常さん…」
「何も言うな。疾く首を刎ねられよ」
「な……」
「同じく楷書を嗜む者として、貴公の顔を一度なりとは見て
おきたいと思っていた。望んだ形ではなかったが、これも
運命だろう」
僕は絶句しかけた。
「何で僕が貴方を殺さなきゃならないんですか」
「関西の馬賊を遂に馭す能わざる事、我が失計にあらず
して何ぞや。何の顔あって陛下に再び相見えん」
左右が色めき立った。
「我々が賊だと?無礼な!」
「天兵を何と心得るか!」
「まあまあ」
僕は皆を宥めた。…最近、こうやって人を宥める事が
増えてるような気がするな…。
「僕は知らない人ですら、血が流れるのを見たくない。
況して貴方の事は全く知らない間柄じゃない。だから
貴方がどう思ってるかは知らないけれど、僕は貴方を
殺さない」
「では何故無用の乱を起こす?」
「無用の乱ですって!?」
「貴公の征旅が血塗られた路である事は明々白々!」
憤る雲碌を、鐘ヨウの声が威圧した。
「否、勝利とは流血によってこそ贖われるもの。然るに
流血を好まぬとは欺瞞も甚だしい。如何程の将士が
貴公に追従しようとも老臣の目は誤魔化せぬぞ」
鐘ヨウによる厳しい弾劾。政庁は一瞬、しんと静まり
返った。
「……口上、確かに承りました」
聞き終わると、僕はゆっくりと顔を上げた。
「なら、これ以上血を見たくないので、曹操に降伏して
欲しいと言ったら、貴方は曹操を説得してくれますか」
「馬鹿な。何故臣が左様な戯れ言を陛下に奏上せねば
ならん」
「納得して頂けないのなら、多少の流血は已むを得ません。
対話が拒否されれば血が流れる、それだけの事です」
反論されたのが意外だったのかもしれない。鐘ヨウが
目を瞠った。
「ほう…。しかし今の言葉で貴公の底が割れたぞ。流血が
嫌いだとは口先ばかり。貴公の心底には流血と恫喝とを
天秤に掛ける、冷徹な血が流れていると見える」
確かに、昔の僕なら絶対に使わなかった論法には
違いない。目も耳も塞いで、血腥い闘争から身を避けて
生きる事が出来たらどんなによかったか。
「元常さん、貴方は平和を愛しますか」
「無論の事だ。世が紊乱すれば国力は衰え民は苦しむ。
さればこそ一刻も早く統一を果たし、四海に平和と安寧を
齎さなければならぬ」
「僕はそうは思いません。たとえ世界に数多の国が割拠
しようとも、それぞれの国がお互いに相手の公正と信義を
信頼し合う事が出来さえすれば、この世から戦争はなくなり、
人々は平和で幸福な生活を送る事が出来るでしょう」
「一つの理想ではあろうな。だが空論に過ぎぬ。人間の
性は本来悪である。この世の全ての人間の欲望を抑制する
事など出来ぬし、従って他人を盲目的に信用する事も出来ぬ。
さればこそ法による統制が必要なのだ」
「けど、僕はそれが正しい事だと教えられてきました」
「馬騰が左様な戯れ言を?」
鐘ヨウが鼻先で笑った。
周囲の怪訝そうな顔を見て、僕は「しまった」と思った。
今のは日本の平和憲法の話じゃないか。雲碌に変な目で
見られるわけにはいかなかった。
僕は大きく一つ、咳払いをした。
「…まあそれは兎も角。実際そうとばかりも言ってられないと
いう事は厭やと言うほど思い知らされました。戦争を止める
為には戦争をするしかないというのであれば、それも已むを
得ないでしょう」
何故この平和の理念を誰も解ってくれないんだ、とは言わない
事にした。どうせ話はすれ違うだけだから。
「僕は自分が犯した罪を今更弁解しようとは思いません。
それがこの時代を生きるという事でしょうから。心は日に日に
麻痺していき、嘗ては抱いていた人としての心をいつしか
失ってしまった、そんな気さえします。けど僕にも譲れない
思いがあった事だけはお伝えしておきます。本当は貴方にも
降伏を勧めるつもりでしたが、多分無理でしょう。命までは
取りませんから、どうかお引き取り下さい。道中お気をつけて」
鐘ヨウはじっと俯き、やがてぎこちない仕草で立ち上がると、
僕に背を向けた。
足を引き摺りながら(註1)去っていくその後姿が、僕には
すごく小さく見えた。
註1:鐘ヨウは膝に疾患があり、起居もままならなかったという
(魏書鐘ヨウ伝)。
実はここで、鐘ヨウは斬首されています。
そこが上手く描き切れないままのアップとなって
しまいました。すみません。
ちなみにここで幼い鐘会を登場させて憎悪の言葉でも
吐かせようかと思ったのですが、鐘会は225年生まれ
なので没になりました。
>>401-402 保守して頂き、有り難うございます。
ここで次回予告。遂に建業を陥したキユ。しかし暗い翳は静かに
歩み寄ってきていて…。シスプリ・オブ・ラブでつきぬけろ!
とりあえず、保守る
太閤立志伝5かったが、三国志Xはこれ以上に楽しめるといいのぅ。
保守
【日本への扉】
明けて翌日。私は目が覚めると、傍にお兄様がいない
事に気がついた。
乱れた髪を掻き揚げながら辺りを見回す。室内にいる
様子もなかった。
(お兄様ってほんと元気ね。昨晩もあれだけ激しかった
のに)
思い出して頬が熱くなった。実のところ、昨夜の事は
途中からが記憶にない。達し過ぎて失神してしまった
ようだ。それほどまでに、昨夜のお兄様は猛々しかった。
それだけ愛されているのだと思って顔が緩む。
と、そこで、素朴な疑問が浮かんだ。
お兄様がだらだらと寝過ごして情事が明るみになるのは
まずい。だからいつもは、朝になると私が急かすように
お兄様を追い返していた。けど今日に限って違った。
一言くらい声をかけてくれてから帰ってもいいのでは
ないか。
まだ寝ている私への気遣いかもしれないが、少し情に
疎いような気もした。
(…些細な事ね。気にしちゃいけないわ)
私はお兄様に愛されている。その事実があればそれで
十分だった。
「琥珀。翡翠。服を」
だが反応はない。
…そう言えば琥珀たちはまだ建業に着いていないん
だっけ。
私は半ば赤面しながら、いそいそと服を着た。汗は
乾いているものの、さっぱりしない感じが僅かに不快感を
そそる。けど気にしない事にした。
髪を結い直し、化粧を終えると、私は徐に筆を執った。
今回の建業攻略は些細な失敗は幾らかあったものの、
大過なく終える事が出来た。呉軍が皆水戦に慣れて
おらず、長江を渡り終えてからの野戦になったのが
大きかっただろう。
緒戦で韓玄が用兵を誤ったが、韓玄に相対した敵が
申耽だったのが幸いし、損害が軽微なうちに立て直す事
が出来た。
お兄様も敵将費[ネ韋]の計略に嵌って、一時指揮系統
を乱した。趙雲や曹文烈といった名将の計略は冷静に
捌いてみせたのに、こんなところで足元を掬われるお兄様
が少しもどかしく、それ以上に可愛かった。こういう時に
お兄様の力になれた事が凄く嬉しかった。
唯一手強かったといえば、呂虔の部隊だろう。活躍の程
はあまり耳にしていないが、曹操から要職を任されただけ
あって、熟達した用兵を見せていた。けど雷雨の最中
(さなか)の奇襲と偽伝令が功を奏し、呂虔を混乱させる事
に成功した。呂虔は最後は馮習の部隊によって捕えられた。
ただ困った事に、鉄兄様が馮習に入れ知恵をして、建業
周辺での掠奪を企図したらしい。
私達辺境の民は、掠奪の恐怖を嫌と言うほど思い知ら
されている。それは夷狄の侵略然り、慾令の苛政然り。
掠奪の恐怖は独り辺境の民のみが知る事ではない。
中原の歴史を紐解けば、戦の度に掠奪は行われてきた。
それは勝者の当然の権利と思われていて、今でも普通に
耳目にする。泣きを見るのはいつも民草や女だ。
けど、お兄様は掠奪を厳禁してきた。これは宛を攻めた時
からずっとそうだ。考えてみれば当り前のような気がする
この処置は当り前ではなく、民衆からは仁政と称えられる。
だからこそ、お兄様が攻め取った郡県の治安の回復は
どこよりも早い。
それを今になって、よりによってお兄様が欲していた
この建業の地で図るとは。
鉄兄様に対して怒りが込み上げた。会って真意を問い
質そうかと思った。
けど止めた。お兄様も既に鉄兄様との関係の修復は
擲っていて、上司と部下の関係に徹している。そしてその
原因は私にある。
鉄兄様は私がお兄様の傍にいる事を望まない。会えば
またその話になる。どうせ二人の考えは相容れない。なら
会わない方がお互いの為だろう。そう思い直した。
私はひととおり愚痴を書き終わると、筆を置いて立ち
上がった。
(これからが本当の蜜月ね)
お兄様はもう戦うつもりがない。昔の私なら不満を感じた
だろうけど、今はそれが私達の平穏で幸せな日々に繋がる
と思うと、嬉しさが込み上げるばかりだった。
私は一つ背伸びをして、部屋を後にした。
お兄様の背中を捜して。
僕は独り、的廬に跨って建業の城を出た。
雲碌の顔がまともに見れなかった。
何故なら、昨夜雲碌に対してぶつけた欲情は、本当は
清河公主に対するものだったからだ。
かといって今は、石頭城に向かう気にもなれない。
石頭城に向かえば、下[丕β]から大荷物を抱えて移動して
くる琥珀さんたちを出迎える事になる。その中にはきっと、
清河公主の姿もあるだろう。だから僕はそっちとは違う場所
に駒を向けた。
「やっとここまで来た――」
僕は万感の思いと共に息を吐き出した。
行き着いた場所は、建業から程近い長江の河口。その先
に広がっているのは、東シナ海。そして更にその彼方にある
のは、僕の祖国、日本。
(そう…そうだな。日本こそ僕の祖国だ)
僕は渺茫と広がる水面を眺めながら、心中でそう呟いた。
この世界に来てはや20年余り。こっちの生活にも慣れた。
雲碌という恋人も出来た。僕にとっては今や第二の故郷と
言っていい。
けど。それでもここは僕のいるべき場所じゃない。僕が本当
にしたい事はここにはない。況して祖国にはなり得なかった。
(絶対に日本に帰る)
今この時代の日本に帰ったところで、元の時代に帰れると
いう保証はどこにもない。それでも、まずは日本に帰る事だ。
建業の地は手に入れた。あとは楼船を造るだけだ。
――ふと、馬蹄の音が聞こえた。
最初は微かに。だんだん大きくなってくるその音。どうやら
こっちに向かってきているらしい。
振り返ると、葦毛の馬を駆る女の子の姿があった。雲碌
だった。
急に。心が乱れた。
「お兄様、何故こんなところに…。捜したんですよ」
雲碌は馳せ寄せると開口一番、そう言って複雑な表情を
見せた。
僕は「ごめんごめん」と、手ぶりを交えて謝った。
「で、何か用?」
「もう…何か用事がないと、お兄様の傍に来てはいけませ
んか?」
雲碌は拗ねた顔をして言った。
「いや、全然構わない」
僕は笑顔を繕って答えた。後ろめたさが再び鎌首を擡げて
くる。
ふと、ある事に気が付いた。
僕は雲碌を連れて日本に帰るつもりだった。
けど、どの日本に?
今の「倭」に連れて行く事は出来るだろう。けど、元の時代
に連れて帰る事は出来るんだろうか?もし出来たとして、
連れて帰っていいんだろうか?
それに僕はドク(註)じゃないから、タイムマシンなんて
造れない。だから雲碌を連れて帰るべくして連れて帰る事は
出来ない。そこにも問題があった。
清河公主の件もある。
今、僕は公主を抱きたくて堪らない心境にある。公主が
こっちに着いたら、会って僕の欲求を伝えるつもりだ。
けど、運良く抱く事が出来たとしてどうすると言うのだろう?
そこには雲碌と同じ問題が付き纏っている。浮気な分、
そして今更な分、性質が悪かった。
眉を顰める僕の顔を、雲碌が不安そうに眺めた。
「お兄様、やはり私は来てはいけなかったのですか……?」
「い、いや、そうじゃない。来ていいんだよ」
僕は慌てて否定すると、雲碌の不安を打ち消す為に馬上
で抱き寄せた。
雲碌は恍惚とした表情で、的廬の鞍上に身を移し替えた。
的廬は迷惑そうに一度振り返ったけど、すぐに首を戻して、
「胡蝶蘭」と鼻先を擦り合わせ始めた。
その様子を漠然と見ているうちに、僕の手が勝手に動いて、
雲碌の身体をまさぐり始めた。
「お兄様…だめ…こんな所で…あん」
「大丈夫、誰も見てないよ」
「けど昨夜もあんなに激しく…んっ、んんっ…」
「でもここはもうこんなに感じてるよ」
「それは…あっ…ああんっ…あっ」
馬から下り、草叢の上に雲碌の身体を横たえる。雲碌は
静かに僕に身を委ね、時折可愛らしい声を漏らし始めた。
けど、そうやって雲碌の身体を愛撫しながらも、僕は独り、
(困ったな。どうする…?)
と、答えの出ない思索の淵に沈んでいった。
註:ドクター・エメット・ブラウン。『Back to the Future 1〜3』
>>411-412 いつも保守して頂き有り難うございます。
今週だか先週だか、随分大きな圧縮があったようですね。
dat落ちせずに済んだのは貴方がたのお陰です。
本当に有り難うございました。
個人的には、このリプレイを書き終わるまでは
KOEI系の次のゲームをしないつもりです。
既存のゲームの他のシナリオや武将でのプレイも含めてですが。
でないとそっちに嵌ってリプレイを書くモチベーションが
下がってしまいますので(笑)
次回、レ・ミゼラブル。
>>421 > 「胡蝶蘭」と鼻先を擦り合わせ始めた。
ファレノプシスキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!
とか言ってみるテスト。
424 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/25 22:50
保守
【凶報】
―建業―
「何…だって…?」
僕は到着したばかりの琥珀さんの話を聞いた瞬間、言葉を
失って茫然とした。
戦争中、韓玄の部隊に伝令が届いた。下[丕β]で住民叛乱
が起きているというものだった。
勿論これは敵の策略だった事が戦後はっきりしているし、
韓玄もそれと覚って戦場に踏み止まった。けど万一の事を
考えて数百の兵士を割き、下[丕β]に戻している。けどその時
実は、下[丕β]で火事が起こっていた。
原因は放火らしい。留守居役の劉jをはじめ、男女の諸官が
右往左往しているところに丁度彼等が帰着し、迅速な消火作業
に当たったという。お陰で下[丕β]の政庁は焼失せずに済んだ。
けど。
「清河公主が行方不明って、どういう事だよ…?」
「すみません。私達も突然の出火に気が動転していましたので…」
琥珀さんが済まなさそうに謝る。
「いや、琥珀さんのせいじゃないから謝らなくてもいい。けど…
火事の時公主は一体どこにいたの?」
「多分御自分の部屋におられたと思いますが、何しろ皆必死で
消火作業に当たりましたもので…」
「つまり、公主がどこで何をしていたか、はっきりしていないと?」
「はい。皆公主の事は忘れていた、と」
「しまった、それは陽動だ」
僕は思わず叫んでいた。
こんなの僕でも分かる。初歩の初歩だ。
…ただ、主体が判らない。
(もしかして公主自身の策だろうか)
厭やな想像が脳裡を翳める。出陣前、僕があんな事を言った
から、公主は身の危険を察したのかもしれない。それでこんな
事をして逃げ出したとか。
…いや、そんな筈はない。公主は別れ際、お待ちしています
と言ったんだ。その時公主は微笑んでいた。公主が嘘をついて
いたとは思いたくない。
(じゃあ誰が?)
曹操の筈はない。曹操自身が寄越した娘だ。返して欲しければ
まず言って寄越すだろう。
『一度俺の許へ寄越せ』
不意に背筋が凍り付いた。
まさか。まさかそんな筈は……。
「と、兎に角。全力で行方を捜すんだ。南皮の孔明にも密使を
送って」
僕は急いでそう命令したものの、この身体の震えは止まりそう
になかった。
【凶戻無恥】
―城陽―
董[禾中]が数人の男を連れて、馬超の私邸に現れた。
董[禾中]達は行李を携えていた。董[禾中]は男達を指揮して、
馬超の私邸の一室にその行李を運び入れた。
やがて使者に呼ばれて、馬超が帰ってきた。馬超は義弟の
顔を見て顔を綻ばせた。
「漸く成功したか」
董[禾中]は手を束ねて一礼すると、急かされるようにして、
馬超を公主の許へ案内した。
清河公主は牀台の上に横たわって、静かな寝息を立てていた。
「眠っているのか」
「御意。騒がれては困りますので、攫う時に薬で眠らせました」
「でかした。しかし、何故この娘は斉衰を着ているのだ?」
「一昨年夫を亡くしたそうです」
「一昨年…では礼に則ってももう喪は明けた筈ではないか(註1)」
「周囲には一生亡夫の喪に服すると語っているそうですが」
「ほう。そのくせキユには喜んで股を開いているわけか。しかも
この格好で。とんだスキモノだな」
馬超は嘲笑った。笑いながら、喪服の後家を凌辱するのも
乙だと思った。
「確かに美人だな。あの矮醜な曹操から斯様な美女が生まれる
とは、出藍の誉れと云うべきか。気に入ったぞ」
この、曹操の娘を俺が姦る。曹操に対して、そしてこの娘を
囲っていたキユに対して、これ以上ない面当てだ。
そう思うと、後から後から笑いが込み上げてきた。
「事が済んだら呼ぶ。それまで外で控えていろ」
馬超はまたも義弟を労う事なく、部屋から追い出した。そして
手早く服を脱ぎ捨てた。
公主の胸元を引き裂いた。形の良い、豊かな胸の双丘が
零れ出る。まだ十代とはいえ、既に男を知る少女は、初々しさの
中にも大人の色香を漂わせていた。馬超の全身の血が滾った。
裳裾を捲り上げる。透き通るような白皙の太腿。その付け根
には柔らかな草叢が黒く生い茂っていた。馬超は少女の股を
乱暴に押し開くと、既に剛直と化した肉棒を少女の秘裂に宛がった。
註1:『礼記』学記篇には「斉衰杖は期(1年)」とあるが、『礼記』の
葬礼制度は殷周時代のものであり、孔子が生きた春秋時代
には既にこの制度は守られていない。墨子は冗長な葬礼を
嫌い、斬斉(3年)ですら3ヶ月でよいとしている。
後漢〜三国時代の戦乱期にあっては服喪を簡略化する事が
多く、曹操は埋葬が終われば、劉備は死後3日で喪服を脱げ
と遺命している。また孫呉では屡々服喪が公職に優先される
事を憂い、首脳が罰則について鳩首協議した。
>>423 いえ、お察しのとおりファレノプシスです。気付いて頂けて光栄です。
以前宛の戦闘でも出したのですが、その時は反応が無かった…。
>>424 保守ageして頂き有り難うございます。
ここで次回予告。シスターレイパーは一転してプリンセスレイパーとなる。
馬超の野望の行方は?プリンセス・オブ・ラブでつきぬけろ!
>>429 「斉衰杖は期」は『喪服』でした。訂正します。すみません。
馬超もうだめぽ
∩
( ´・ω・`)
( *´Д`) ιょぅι゙ょハァハァ
>>429-431 あう…まだ間違ってました。
『墨子』節葬篇下には、妻の死に対しては、主君・父母・嫡子と並んで3年の
喪に服するのが当時のしきたりだと書かれています。
『礼記』学記篇でも曾子が孔子に「(妻に対して)3年も服喪するんですか?」
と訊ねているので、傍証となるでしょう。
先日註に挙げた『喪服』の当該箇所の原文は「夫為妻齊衰杖期」です。
(「衰」は正しくは[糸衰])
ただ別資料では、斉衰を着るのは1年間の服喪の時のようです。
私としては『喪服』の「期」という字からも納得していたのですが…。
このあたりの不一致の理由はよく解りませんが、現時点ではまだ夏侯楙の喪が
明けたとするべきではないようです(清河公主にとって)。
…まあでも、喪が明けてなかったからといって、この馬超が行動を改める
わけではありませんが(´ω`;)
ちなみに「杖」とは普通に杖です。真剣に服喪する事によって栄養失調になり、
杖をつかないと歩けない、そういう意味があるようです。
【欲火劫略】
「い゛っ……?!」
余りの激痛。
否が応にも、目を覚まさせられた。
気絶していたみたいだと思う暇もなく、見知らぬ男が私の
目の前に現れた。
男は裸だった。
「気がついたか」
見知らぬ男は私を見ていやらしく笑った。
美形だ。けど妖しく濁った眼光。私は怖気を振るった。
股間に強い圧迫感がある。男がギシギシと動くと、それに
つれてアソコが捲れ返るような激痛を覚えた。
「…………っ?!」
私はそこで漸く、目の前のこの男に犯されているのだと
覚った。
「あ…あ…!」
不意に。涙が溢れた。
厭やだった。抗う事も許されなかったなんて。
キユ様ならそれでも赦せた。けどこの男はキユ様じゃない。
それどころか、どこの誰かも知らない。
欲しかったのはこんなのじゃない。
こんな形で貞節を穢されるのは堪らなく厭やだった。
「何だ、もう泣いてるのか。そんなにいいのか?まあ当然だが
な」
「厭や、厭や…!」
私は必死で、男の胸を押しのけようとした。けど男の身体は
びくともしない。男はニヤついた顔のまま、私を犯し続ける。
却って私の両手首を押えつけ、組み敷いた。そして何の芸も
無く、ぐいぐいと腰を擦り付けてきた。
「厭やぁ…」
私は痛くて、おぞましくて。でも抗えなくて。
ただ死んでしまいたくて。
泣きじゃくった。
けど男は赦してくれなかった。男は私に覆い被さると、耳元
で囁いた。
「どうだ、曹操の娘。俺とキユとどっちがいい?勿論俺の方だ
ろう。俺のモノに比べればキユのモノなど親指同然の粗末な
ものだ。女一人満足させる事が出来ん。俺は違うぞ」
そう言いながら、一際深く挿入した。
ズン、と奥にぶつかった。痛い。
メリメリと引き裂かれるような激痛。何か届いてはいけない
場所まで侵入してくるような、喉の奥を掠めるような感覚。
吐き気を催した。
「どうだ、凄いだろう。こんなモノを持ってる奴は他にはいない。
たっぷりと味わえ」
「厭やぁ…止めてぇ…」
男は尚も、独り善がりな行為を私に強いた。
この男はキユ様の知り合いなんだろうか。キユ様の知り合い
に、こんな卑劣な男がいたのだろうか。凄く哀しかった。
「厭やぁ…。助けて、キユ様。キユさ…」
いきなり。頬を叩かれた。
男が憤怒の形相で私を睨み付けた。
「黙れ、この売女が!…ふん、矢張りな。そんな事だろうと
思ったぞ。とんだ売女だな、貴様も。夫の喪も明けやらぬうち
から別の男に腰を振っているとはな」
「そんな事ありません…。キユ様は、キユ様は…」
泣きながら反論しようとした。けどまた叩かれた。
「そんなにキユが恋しいか。だが残念だったな。キユは来ん。
薄情な男さ」
「貴方なんかにキユ様の何が解りますか…」
「黙れ!」
今度は拳が私の頬を撃った。鈍い音がして一瞬意識が
遠のいた。
やがて激痛で意識を取り戻した。頬骨が砕けたような
鈍痛が私の意識を苛んだ。
「貴様も同じ事を言うか!奴の事なら俺は何でも知っている。
奴が如何に下らん男か、な。売女風情が賢しらな口を利くな!
…ふん。そんなにキユに助けて欲しけりゃ、好きなだけ叫ぶ
がいい。貴様がキユを求めて泣けば泣くほど、俺の欲望が
満たされるわ」
男が動きを加速する。引き攣れるような痛みが全身に走った。
「厭や、厭や、厭やっ…」
「何が厭やだ、この鴇児が。貴様が何と言おうと、貴様のここ
は俺のモノを咥え込んで、涎を垂らして喜んでるんだよ!」
「違います…!」
「違うものか。貴様のここはもうこんなになってるだろうが!」
男がそう罵りながら中を掻き混ぜる。グチョグチョといやらしい
音が聞こえた。
違う。私は感じてなんかいない。なのに何故濡れるの?
私は欲しかった。キユ様の身体で満たされたかった。けど
こんなのは違う。
…それとも、私は感じてるの?こんな卑劣な男に無理矢理
犯されているというのに。
厭やだ。信じたくない。悔しい。凌辱されているのに濡らして
いる自分が憎い。
死んでしまいたい。
「お願いです、もう止めて…」
「ここをこんなにしといて何が止めて、だ。素直によがれ、おら!」
「厭や、厭や…止めて…止めて…」
「五月蝿い!」
男が平手の連打を浴びせてきた。意識が朦朧とした。
男は再び私の両手を押えつけて、奥の奥まで抉り込むように、
私を貫いた。
泣いているのに、私が厭やだと言っているのに、男は赦して
くれない。
ただただこの悪夢が早く終わる事だけを祈っていた。
どれくらいの時間が過ぎただろう。
男は漸く、私の中で果てた。穴を穿たれるかと思うくらい、
激しい勢いで射精された。
その時私は改めて、この男に犯されたのだと思い知らされた。
完全に穢された。もう取り返しがつかない。
けど、悪夢はまだ終わらなかった。
男はその後も、何度も私を貫いた。
捻じ切られるかと思うような怪力で胸を揉みしだかれた。
頬が痛くて開かないのに、無理矢理口をこじ開けられて、
この世のものとは思えないような巨大なモノを咥えさせられた。
ひっくり返され、四つん這いにさせられて、雌犬のように後ろ
から犯された。
まるで家畜か何かのように、背中と言わずお尻と言わず、
片っ端から平手打ちされた。
肉の弾ける音が延々と私の耳を打つ。聴覚はもう麻痺し
かけていた。
「ふん、漸く自分から腰を使い出したか。いいぞ、もっと使え。
それでこそ売女だ」
男が蔑み嘲笑った。
嘘だ。そんな筈ない。
泣きたかった。なのに涙が出なかった。
私は抵抗する気力も失って、ただ茫然と、男の為されるが
儘になっていた。
「今日のところはこれで許してやる。だが忘れるな、貴様は
俺の奴隷だ。次からは御主人様にちゃんとご奉仕出来るよう、
心を入れ替えておけ。たまには弄んでやるからな」
男は尊大な台詞を吐きながら、再び私の中に精を放った。
>>432-433 やってしまいました…。
しかしこういうシーンには慣れないですね。描写的にも、趣味的にも。
上手く書けてるかどうか…。
次回、墜。
馬超もうだめぽ
否、超だめぽ
【南柯一夢】
気がつくと、部屋の中は暗くなっていた。
男の気配はもうない。犯るだけ犯って、満足したら私をうち
捨てて出ていったようだ。
…そんな事は別に構わない。気がつくと傍で愛おしそうに
私を見詰めている方が、余程おぞましかった。
長い沈黙の後。
「…………キユ様……」
その言葉が私の口を衝いて出た。
キユ様の暖かい笑顔が脳裡に浮かんだ。
涙が溢れた。
不意に。誰かの声がした。
「ああ、気がついたのか。なら1つ言っとこう。キユじゃあここを
突き止めるのは無理だ。キユの許へ帰るのはあきらめるんだな。
お前は閣下のお気に入り。これは褒め言葉だ。閣下はもうすぐ
海内を統一される。統一後は禅譲も有り得るだろう。閣下が
至尊の位を戴くその日までに、せいぜい媚びを売っておく事だ」
さっきとは違う男の声が、不快な言葉を残して部屋を去った。
男が部屋を出た後、重い金属音がした。
幽閉された。やったのは馬超だ。直感がそう訴えた。
私は股間に手を伸ばした。ドロリと、何かが指先に絡んだ。
粘質なその何かは、私の大事な所からドクドクと垂れ流れて
いた。
(犯された)
馬超に貞節を穢された。馬超がこんな醜悪な外道だとは
思わなかった。
それだけではない。これから一生、私はここで馬超、あの
忌まわしい男の奴隷として生きなければならない。
容赦無い現実が三度私を襲った。身体が震えた。
厭やだ。そんなのは厭やだ。
なのに。
敏感な突起が熾火のように静かに疼いていた。
そっと触れてみると、まだ愛撫を受け足りないかのように
固く尖っていた。
(私は本当に感じてしまったの?)
衝撃と屈辱に打ち震えた。
この身が厭わしい。いっそ消えてしまいたい。
私は枕に顔を埋めて嗚咽を噛み殺した。
(…そうだ。死のう)
私はそう思った。この軛から逃れるには、もうそれしかない。
あの日子林様の後を追う事が出来ていれば、今日のこの
恥辱はなかった。どうせ2度は自害を図った身だ。今更何の
未練があろうか。
腰の辺りで絡まっている喪服をまさぐった。だが懐剣が
見つからない。手当たり次第に捜してみたけど、矢張り
見つからなかった。
私は途方に暮れた。
乱れた喪服をそのままに、窓の方へ歩いて行った。
股間から溢れ出す精液が内股を不快に濡らした。
窓を開けると、水平線から下弦の月が姿を見せていた。
微かに。潮音が耳朶を打った。
真下を見下ろすと、断崖になっていた。汐の香りが夜風に
乗って吹き上げてくる。
(嗚呼。天はまだ私を見放していなかった)
嬉しくて涙が出た。
亡夫以外の男に抱かれるなら、キユ様がよかった。
キユ様の言葉の続きを聞きたかった。
それはもう叶わない。
「子林様、今貴方のお傍へ参ります。お父様、先立つ不孝を
お恕し下さい」
公主は最期にそう呟くと、窓から身を投げ出した。
>>442-443 今回の馬超はいつの間にやらそういうキャラに育ってしまって…
ほんと何でこうなったのやら(´ω`;)
ここで次回予告。悲劇を知った者と未だ知らざる者。その思いは交々に。
ロケットでつきぬけろ!
448 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 01:15
hosyu
良き兄貴だった馬超が懐かしい。
親友だった曹休が懐かしい。
ツンツンしてた雲碌が懐かしい。
…皆、変わりましたね。
ある意味昔のままなのは曹操と韓玄くらいか…。
最後まで頑張って下さい。応援してます。
【舞弄】
―城陽―
清河公主がいなくなった事は、翌朝には馬超の耳に
届いていた。
董[禾中]が家人に命じて朝食を公主の部屋へ運ばせ
たところ、公主は室内におらず、ただ虚しく音を立てて
揺れる窓だけを見つけた。家人は慌てて董[禾中]に
報告し、董[禾中]も即座に、しかし内密に義兄に伝えた。
「娘は恐らく、自ら墜死を選んだものと思われます」
「ちっ、あの売女め。何が気に入らんというのだ」
馬超は報告を受けて鋭く舌打ちした。俺の力で漢朝
再興も間近に迫っている。俺に盲従し、俺の一物を喜ん
で咥えていれば、逆賊とはいえ曹操に一片の温情くらい
期待出来ようものを。愚かな女だ。
…まあ、娘が如何に媚びたところで、曹操は極刑を
免れんがな。
「話は解った。俺も少しは楽しめたし、キユと曹操には
いい面当てになった。ご苦労だった。
だがな、董[禾中]。軟禁するならもっと徹底しろ。窓が
開いたままなどという失態、二度と犯すなよ」
「御意」
董[禾中]は平身低頭した。雷霆の如き叱責が落ちかか
らなかっただけでも僥倖だろう。
「ところで、遺体は如何致しましょうか」
「引き揚げたのか」
「いえ、まだ探していません」
「なら放っておけ。そのうち魚の餌になるだろう」
「御意」
義兄の部屋を辞し、城陽の別宅に戻ると、董[禾中]は
大きな溜息を吐いた。
清河公主に死なれたのは、彼にとっても大きな誤算
だった。義兄に公主を寵愛して貰い、その間に姉共々
義兄から離れていくという計算が御破算になってしまっ
たのだ。
だが死んでしまったのだからどうしようもない。
何よりまずいのは、この事実を誰かに知られるという
事だ。もし知られた時、キユがどんな反応を示すかは
解らないが、曹操は確実に激怒する。恐らく執念深く
命を狙われる事になるだろう。
曹操の刺客に狙われたらどう対処すべきか。
(今のうちに逃げるか?)
だが今逃げ出したら義兄が追っ手を放つだろう。今は
駄目だ。
今回も報酬はまだ貰っていない。だがこうなったら、
いっそ貰わない方がいい。
幸い、行李を運んだ連中には中身を知らせていない。
ここから話が漏れる心配はないだろう。問題は今朝
食事を運ばせた家人だ。
(死んで貰うか)
信頼していたのだが、こうなっては致し方あるまい。
董[禾中]は頷くと、抽斗から鴆毒の入った袋を取り出した。
延康元(220)年4月
【疑団】
―城陽―
馬超は既に清河公主の事など忘れていた。いつもどおりに
政庁に赴くと、いつもどおりに政務を執った。
兵士の訓練を命じられたホウ徳は、その場で恭しく拝命した。
だが。やがて馬超が自室に戻ると、その後を追うようにして
ホウ徳が馬超の居室を訪れた。
馬超に面会するや、ホウ徳は「話があります」と切り出した。
「何だホウ徳。用があるなら何故政庁で済ませない?」
馬超は不機嫌さながらに下問した。
「はっ。あの様な場所では余りにも憚られますので」
ホウ徳は跪いた。
「何を憚るというのだ」
「閣下は既にお聞き及びでしょうか」
「何をだ」
馬超は苛立たしげに、椅子の脇息を爪先で叩いた。
「では申し上げます。キユの許にいた曹操の娘――キユは
清河公主と呼んでいたようですが――が、先日何者かに
攫われて、現在行方不明だそうですが」
「…………」
馬超の顔がさっと蒼褪める。だが言葉は発しなかった。
ホウ徳はその表情を盗み見て、慎重に訊ねた。
「閣下は何かお聞き及びの事はありませんか?」
「いや、ない」
馬超は顔を背けた。
面と向き合っているわけではない。だがそれでも、見透か
される事を馬超は懼れた。
「何故予が何か知っていると思うのだ。予を疑うつもりか?」
「滅相もありません。ただ某(なにがし)かの手掛かりでも
あればと…。キユからの頼みでもありますので」
「大逆犯の娘が1人いなくなった所で如何程の問題があろう。
下らん事でいちいち騒ぎ立てするな。キユにも確とそう言い
つけておけ」
馬超が声を荒げて命令する。
「……御意」
ホウ徳は深く一礼すると、立ち上がって踵を返した。
(そうではない)
主君の部屋から退出すると、ホウ徳は首を振った。
如何に大逆犯の娘であろうと、罪に問われるまでは一個の
女性である。行方不明となった経緯に不審な点があれば、
調査するべきだ。況して曹操にその身柄を取り返されたので
あれば、キユの失態である。追求するべきであった。
(…いや。そうではない)
ホウ徳はまた首を振った。
先刻の閣下の表情。あれは明らかに何かを知っている
表情だった。
「これ以上の追求は危険だ」
直感がそう訴えたからこそ、黙って引き上げた。
そう言えば閣下は最近、董[禾中]とこそこそと何かを謀って
いるようだった。董[禾中]が閣下の私室に出入りしているのを
見かける度に、自分は眉を顰めてきた筈ではないか。
加えて最近、不穏な噂も漂っているようだ。
まさか、と思いたい。
「しっかりしろ、令明」
ホウ徳は両手で頬を叩いた。
私は閣下を護り、盛り立てる為に粉骨砕身しているのでは
なかったか。
私は私の任務をこなすのみ。余計な詮索は無用。柄でも
ない事に首を突っ込むのは身を誤る因である。
…だがそれでも、疑念は澱となって心の底に堆積していく
のだった。
>>448 保守ageして頂き有り難うございます。
>>449 ご声援有り難うございます。
自分でもこういう展開になるとは予想していませんでした(;´Д`)
まあそれでも、最後は雲碌に仄かな恋心を…という予定はありましたけど。
馬超ももう少し理性を聞かせるつもりだったんですけどねえ…(;´Д`)
ここで次回予告。建業は未だ悲劇を知らず。シスター・オブ・ラブでつきぬけろ!
保守
感想レスがつかなくなったのう
すみません、前回のアップ以降ずっと、イラクのあの事件を追っていました。
文字どおり入れ替わるように消えた2人の事もまだありますが、
一応一段落つきましたので(「解決」じゃないですよ)、
また続きを書いていきたいと思います。
>>459 保守して頂き有り難うございます。
>>460 文章にゲームの展開とは無関係な部分が増えてしまいましたから、
仕方ないかなと思っています。このへんは反省頻りです。
462 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 16:56
保守
保守
保守
アク禁中です・・・OTL
【娘子冀嫡】
―建業―
ホウ徳と孔明から返書が届いた。
ホウ徳からの返書には、あまり捗々しい事は書かれていなかった。
それでも、兄さんに問い質してはみたらしい。兄さんは知らないと
答えたと、そこには書いてあった。
『あまり執着せぬように。度が過ぎると結局は誰の為にもならない』
返書はそう結ばれていて、僕を少なからず不快にさせた。
孔明からの返書にはまず、兄さんの周囲を極秘に調査する旨を
諒解した事が書かれていた。
(よかった…早く見つかるといいんだけど)
少しだけ気分が落ち着いた。けど、自分だけ手を拱いているわけ
にはいかない。他の人にも片っ端から手紙を送って消息を尋ねる
と共に、自分の足でも少しずつ聞いて回る事にした。
返書と共に届けられた辞令には、建業の方針を軍事とする事、
降将の費[ネ韋]を宛太守に任じる事、馮習の薊への異動が記されて
おり、僕はそれに従って費[ネ韋]と馮習を送り出した。
何故今更費[ネ韋]が宛太守に任じられたかというと、それまで
太守を務めていた王粲が先月末に死んだからだ。去年の疫病が
原因かもしれない。あと霍峻、劉gの2人も病死した。
病気といえば建業でも1つ、大きな問題が発生していた。疫病の
発生だ。
ただこれは軍隊に限っての話で、市井の民は今まで通り健康的
な生活を送っている。何が悪かったのだろうと考え抜いた末、
僕は『龍狼伝』を思い出した。
(そうだ、水だ)
江南の水は北方とはかなり違って、雑菌が多いようだ。お陰で
江南の水を飲んだ兵士の中には体調を崩す者が多かった。
もしかしたら大腸菌やコレラ菌がうようよしているのかもしれない。
幸い将官級の人は滅多に生水を口にしないので、僕を含めて
大事に至った人はいない。僕は生水を飲まないよう、水を飲食に
使用する時は一度煮沸してから使用するよう通達を出して、
雲碌の部屋に向かった。
雲碌の部屋のドアをノックすると、琥珀さんが静かにドアを開けた。
「どう?雲碌の様子は」
僕は声を落として訊ねた。琥珀さんはにこりと微笑んだ。
「だいぶよくなりました。今は眠っておられます」
「そう。よかった」
僕はほっと胸を撫で下ろした。
雲碌の場合は水に中ったわけじゃない。折しも初夏とは思えない
暑さで、雲碌には珍しく体調を壊したのだった。
診察した琥珀さんの話によると、どうも熱中症のようなものを
起こしたらしい。
熱中症は現代だって、下手をすれば死に至る。でも琥珀さんの
迅速かつ適切な処方のお陰で、雲碌は大事に至らなかったようだ。
こういう時、琥珀さんの存在は有難かった。
「有難う、琥珀さん」
「どういたしまして」
琥珀さんがいつも通りの屈託のない笑顔で応える。
公主が失踪しても、ここはいつも通りだ。ほっとする。
…いや。或いは琥珀さんのこの笑顔は空元気なのかもしれない。
琥珀さんは先月、公主の失踪に人一倍責任を感じて蒼白に
なっていた。何故そこまで責任を感じているのかは解らない
けど、やっぱり琥珀さんはいい人だと、改めて思った。公主には
厳しく接していたと聞いてるけど、もしかしたら愛情の裏返し
だったのかもしれない。
僕は笑顔で応えた。
「僕達、いつも琥珀さんのお世話になりっぱなしだな」
「お嬢様のお世話をするのが私の仕事ですから」
そして「キユ様へは…奉仕です」と、少しはにかんだ笑顔で
付け加えた。正直、こっちまで照れ臭くなった。
「えと…じゃあまあ、雲碌も大丈夫みたいだし、僕は帰るよ」
「あら。顔を見て行かれないんですか?」
「起こしちゃ悪いからね」
「ご心配には及びません。私なら目が覚めました」
不意に声をかけられた。
視線を転じると、いつの間にやら雲碌がベッドの上で起き
上がっていた。僕は意味もなく琥珀さんと顔を見合わせると、
雲碌が休んでいるベッドの方に歩いて行った。
「いいのか雲碌、起きても」
そう言いながら雲碌の隣に腰を下ろす。雲碌は微笑んでみせた。
「ええ。お兄様が来てくれたので元気が出ました」
「そんな事ってあるのか?」
「勿論です。お兄様が近くに来ると分かるんです」
「でも雲碌は寝てたんじゃ」
「お兄様だけは特別なんです」
「…そうなの?」
「ええ」
雲碌が莞爾と微笑む。何だかよく解らないけど、雲碌が目が
覚めたのはまあ事実だ。不思議な事もあるもんだなと思いつつ、
僕は「ふーん」と返すに留めた。
ふっと、雲碌が眉を曇らせた。
「…お兄様。清河公主の事が心配ですか?」
「ん?ああ、凄く心配だ」
僕は答えた。
「だって守ってあげるって約束したんだ。守れなかったら嫌じゃ
ないか。彼女は若い身空で旦那さんを亡くしてるんだ。これ以上
辛い思いをさせたくない。これ以上誰かが不幸になるのを見たく
ないんだ。…死んだ曹休の為にも」
「優しい人」
雲碌が優しく微笑んだ。
「正直言って、今まで私はあの娘が好きではありませんでした。
けど今はお兄様と同じ気持です。無事だといいですね」
ズキリと、胸の奥が痛んだ。それは雲碌を騙しているという
罪の意識だった。
「有難う、雲碌。でも無理しちゃダメだよ。雲碌だって大事な
身体なんだから」
僕は雲碌の身体を掻き抱くと、シーツの中に戻してやった。
雲碌が従容と枕に頭を戻す。少し深めにシーツを被せてやると、
雲碌は両手でシーツの端を持ちながら、鼻から上だけを覗かせた。
恥じらうような表情が愛しくて、僕は淡い栗色の髪を撫でてやった。
やがて。雲碌が躊躇いがちに一言、呟いた。
「お兄様…私、子供が欲しいです」
「……急な話だね」
僕は動揺を隠しきれなくて、応えるまでに少し時間を要した。
「そんな事はありません。お兄様と結ばれてからもう2年近く経ち
ました。その間、お兄様から数え切れないほど愛して頂きました。
なのにまだ子供が出来ないなんて…」
雲碌が哀しげな表情を見せる。
まさか薬で避妊して貰ってるとは打ち明けられず、僕はまた
返答に詰まった。
「…ああいや、あのね、雲碌。そんな急いだからって子供が出来る
わけじゃなし。こういうのは運を天に任せるしか」
「でも…」
「それに今雲碌に子供が出来たら、皆は誰の子供かと疑うよ。
それはまずいだろ」
「それは…そうですけど」
「解ったら今日はおとなしくおやすみ。そして早く病気を治す事を
考えよう。子供の話はその後だよ」
そう言って雲碌の髪を撫でてやる。
雲碌はまだ不満そうな顔をしていたけど、キスをしてやると
笑顔が戻った。僕はその笑顔を確認すると、立ち上がって
雲碌の部屋を後にした。
ただ退出際に、ドアのところまで跟いてきた琥珀さんに一言、
そっと呟いた。
「避妊の件、引き続きお願いするよ」
琥珀さんは微笑みながら頷いた。
【自責】
その夜――。
琥珀と翡翠は雲碌が熟睡したのを確認して、自分達の部屋
へと戻った。
2人が宛がわれている部屋は然程広くないが、2人だけの
部屋を宛がわれているだけでも、他の女官に比べれば十分
優遇されていた。
だが優遇されるには理由があった。たった2人で雲碌の身辺の
全てを世話しているのだ。のみならず、清河公主がキユの許に
秘匿されていた頃は、この2人で公主の世話までしていた。
琥珀が本草学を心得ている事もあって、他の女官たちは渋々
ながらその優遇を認めていた。と言うより、2人の部屋は生薬の
保管庫を兼ねて、隔離されているようなものだった。
「ふう。今日も1日、無事に終わったわ」
琥珀が肩を揉みながら、こきこきと首を左右に傾げる。佩環が
涼やかな音を立てた。
琥珀が裙帯の結び目に手を伸ばす。と、その手を翡翠の声が
止めた。
「なあに、翡翠ちゃん?」
琥珀は屈託のない笑顔を妹に向けた。だが翡翠は無表情の
まま、逆に訊き返した。
「いいんですか、姉さん?」
「何が?」
「キユ様の部屋へ行かなくていいんですか?多分今夜が最後の
機会になると思いますが」
「行ってどうするの?」
大凡の見当はついているものの、琥珀は訊き返した。
翡翠は途端に真っ赤になって口篭もった。琥珀は妹のそんな
初心(うぶ)な所作を愛しく思ったが、口に出してはこう言った。
「勘違いしては駄目よ、翡翠ちゃん。キユ様は私達の恩人だけど、
ただそれだけよ」
「姉さんにとってキユ様は只の恩人ですか?」
どういう意味か、と問い返すのも馬鹿らしい。琥珀は苦笑した。
「去年小沛で偽筆を引き受けた時、姉さんは本当はどう思ってたん
ですか?」
「……」
琥珀は答えない。
それは勿論、「キユ様の為に」少しでも役に立ちたかったからだ。
戦後、謝辞と褒賞とを頂いた。けど褒賞は辞退した。欲しいのは
そんなものではなかった。
けど言わなかった。元々一生言う気はないのだ。
翡翠ちゃんは薄々それに感付いていて、もどかしく思っている
ようだ。昔はずっと私が翡翠ちゃんの身を案じる一方だったのに、
いつの間にか逆の指向が発生していたようだ。
「けどね、翡翠ちゃん。私の気持がどうかってのは置いといて、
キユ様が私を望んでいないのは分かるでしょ。キユ様が望むなら
キユ様の方からここに忍んで来られる筈だし、男が女の許へ足を
運ぶのが貴人の習わしでしょう?」
「私達は――…」
言いかけて翡翠は口を噤んだ。
私達は一度奴婢に落とされた。今更貴人の礼儀など――と
思うが、その間に姉さんが受けた苦痛を思うと、口にするのは
余りにも憚られた。
「姉さんはそれでいいんですか?」
やっと、それだけを訊ねる。
「いいも悪いもないのよ。ただそれだけ」
私は清河公主が何者かに狙われていると知りつつ、キユ様に
何も言わなかった。あの男の台詞から、曹操の間者でない事は
容易に想像がついた。けど、公主なんていっそいなくなればいい
と思っていたから、キユ様には黙っていた。
その結果がこの有様だ。私には判る。清河公主は決して無事
ではいられない。
私はキユ様の信頼を裏切った。今更どの面下げて「抱いて
欲しい」などと言えようか。
「――…そう。それが私の罪に対する罰(註)」
琥珀は褥に潜り込むと、妹に背を向けて呟いた。
註:実際の当時の刑法に照らすと、看過していた事が発覚すれば
刑事罰を受け、この場合量刑は恐らく死刑。詳細は近日改めて
註釈を入れる。
>>462-464 保守して頂き有り難うございます。
ここで次回予告。ホウ徳がキユの援護を得て呉に侵攻。
その頃臥龍鳳雛は…。ロケットでつきぬけろ!
初めて読みました。すごく長いですね〜。
一気に読んじゃいましたよ。
個人的には初期の
キユが絵を書く→デストローイ!
とかのノリのほうが好きです。最近はキユも馬超も雲碌とかもエゴまるだしで
読んでて辛いです・・・
延康元(220)年5月
【原心定罪】
―寿春―
ホウ徳率いる馬超軍が建業からの増援を得て呉の帝都を落とした頃、
一輌の車駕が寿春に入った。車駕は寿春太守ホウ統の私邸を目指して
いた。
驟雨が淮水の景色に靄をかけている。次第に雨足が強まってきて
いるのは、嵐が近い前触れだろうか。
「何もこんな天気の日にはるばるやって来る事もあるまいに。暇じゃ
ないんだろ?」
ホウ統は不意の来客に、自ら手拭いを差し出した。
客人は手拭いを一瞥し、洗いたてなのを確認してから受け取った。
車駕に乗ってやって来たのに、道中横殴りの雨に打たれて、随分と
濡れていた。
「まあな、暇ではない。貴公は暇そうだがな」
客人は卓上に白羽扇を置くと、顔や髪を軽く拭った。ホウ統は舌打ち
をした。
「嫌味な事を言う。キユが下[丕β]、建業と陥しちまったから、この寿春
は後方になった。我が君から預かっていた諸将もあらかたは他所へ
異動した。本当にやる事がない。唯一の楽しみと言えば酒だけだ」
ホウ統が愚痴を零しながら指を鳴らした。従僕が主人の合図に応じて
すぐに現れ、客人にも酒肴を差し出した。
「しかし先月は災難だったな」
「何がだ」
「貴公の甥の事だよ。子瑜殿は解放されたようだが」
「元遜か」
孔明は服を拭う手を止めた。
先月、軻比能率いる馬超軍が楚の長沙を攻め落としたのだが、
その時若年ながら従軍した諸葛恪が戦後、斬首に処されていた。
そこで何があったのかは知らないが、眼前で嫡男を処刑された
兄上の痛憤を思うと余りあった。だが。
「異なる主君を仰げばいずれは起こり得る事態だ。覚悟は出来て
いる。兄上でなかっただけ、私にとってはまだましだった」
孔明は言いながら手拭いを傍に置くと、一献傾けた。
「ときに士元。姉上は元気にしているか?」
「そんな事は山民に訊けよ。旦那は俺じゃない、山民だ」
「それはそうだが、私も少し忙しい。貴公から消息を尋ねておいて
貰えまいか」
「……解ったよ」
ホウ統は頭を掻くふりをして表情を隠した。友人の精勤ぶりに呆れる
一方で、国政に辣腕を振るえる立場が羨ましくもあったのだ。
「で?多忙の身でありながら、風雨の中をわざわざ訪ねてきたのは、
姉君の消息を尋ねるのが目的ではあるまい。一体何の用なんだ、
孔明?」
「うむ、それなんだが…」
孔明は盃に口をつけたまま顰めっ面をした。孔明にしては珍しい
表情だった。
「先日宛太守の王粲が亡くなったのは覚えているな?」
「ああ。病は今年に入ってだいぶ持ち直したと聞いていたが、容態が
急変したらしいな。あれほどの才人が…惜しいものだ」
「容態が急変した?少し語弊があるな。正しくは毒を盛られたんだ」
窓の外が光った。
「何だと?」
ホウ統は思わず腰を浮かしかけた。駭汗が一筋、背中を伝って
流れた。
室内に視線を走らせる。他には誰もいない。だがホウ統は念の為、
戸締まりを確かめてから席へ戻った。
「……例の奴等の仕業か」
「ああ」
孔明は苦い顔をして頷いた。折角の銘酒も、こんな話題の下では
ほろ苦く感じられた。
「そうか、遂に犠牲者が出たか」
「年明けに死んだ汝南太守の簡雍も、死因がどうもきな臭い」
「簡雍もか。じゃあ劉gと霍峻は?」
「未調査だ。だが昨冬、疫病のどさくさに紛れて、長安の永年が再び
命を狙われたようだ。前回は刺客、今回は毒だった」
「何だ、毒殺が増えてるな。…手段が毒に変わったとか?」
「手駒が足りないんだろう。腕の立つ刺客を集めるのは容易では
ないからな」
孔明はぐいと盃を呷った。
「で、黒幕は判っているのか?」
「アタリはつけてある。だが間違いであって欲しいな」
孔明の歯切れは悪かった。
ホウ統はうそ寒いものを感じた。これは雨のせいだけではなさそうだ。
「で、黒幕とは?」
「貴公、董[禾中]という男を知っているか?」
孔明は直接には答えず、そう問い掛けた。ホウ統は即答した。
「いや、知らん」
「我が君の愛妾、董氏の弟だ」
「ふうん。で、その男がどうかしたのか?」
明敏なホウ統の頭脳は、既に答えを弾き出している。だが確認する
べきだ。
「簡雍と王粲が死んだ時、汝南と宛の街中で董[禾中]を目撃した
兵士がいる。どちらも三輔の出身で、家が董[禾中]の私邸に近い
らしい。それで顔を知っていたと」
孔明は盃の酒を飲み干した。孔明の酒の進み具合がいつにも
まして速い。
「だが何故?」
ホウ統は問うた。
董[禾中]という男が一連の暗殺を指揮しているなら、黒幕は我が君
か董氏以外には有り得ない。だが董氏はおとなしく控えめな女性だと
聞いている。夫の手足を勝手に切り落とすような愚挙は起こすまい。
必然的に、黒幕は我が君ただ一人に絞られる事になる。
では何故、我が君は自らの手足を自ら切り取ろうとするのか。それが
ホウ統には解らない。
解らないと言えばキユの排斥未遂の件もあった。
よくよく考えてみれば、天子のお側には曹操の息女が3人も上がって
いる。
帝位の僭称は法に照らせば大逆不道であり、曹操は腰斬、その三族
は棄市(斬首)となるのが定めである。曹操が帝位を僭称したのは去年
の正月。よって本来なら昨冬のうちに曹貴人達は誅戮されるべきであった。
だが御史台が怠慢なのか馬超が忘れているのか、今に至るまで
彼女達は咎められていない。況してあの時点では、司馬懿の言う通り、
それだけでは問題になろう筈がなかった。
孔明は盃に酒を注ぐと、その水面をじっと見詰めた。
「永年、仲宣、憲和。この三者の治める地を線で結んでみろ」
「ほぼ一直線だな」
「じれったい奴だな。ならそこから更に[言焦]、小沛、下[丕β]――…」
「待て待て待て」
ホウ統は慌てて友人の言葉を遮った。
そこまで言われれば誰でも解る。これはキユが切り取り、治めてきた
地だ。
最初に得体の知れない刺客に襲われたのはキユだ。排斥も諮られた。
全てはキユに繋がっているというのか?だが何故?
「孔明、いい加減教えてくれ。我が君がキユを疎んじる理由は何だ?」
「廃嫡を画策され、キユが担がれたからだ」
「それだけではあるまい。それだけならあの時、髭殿は関平に頷いて
みせた筈だ。もっと他に、人に言えないような何かがあるんじゃない
のか?」
孔明は顔を伏せた。聡い友はこういう時厄介だった。
やがて孔明は顔を上げた。腹を括っていた。
「いいか士元、これは絶対に他言無用だ――」
雷が落ちた。
かなり近い。
だがホウ統の耳には入っていない。孔明の告白がホウ統の耳に、
万雷にも勝る轟音を響かせていた。
「……おい孔明、それは本当か……?」
ホウ統は半ば茫然と訊いた。手にしている盃から酒が流れ落ちて、
卓上を濡らした。
孔明は黙然と頷いた。だがホウ統は未だに信じられないといった
風に、首を左右に振った。
「有り得ん話だ。いや、あってはならん話だ。実の妹を犯そうとした
など…!」
そう叫ぶ声は小さい。孔明は黙って盃を口に運んだ。
孔明はまだ全てを話してはいない。話したのは馬超の強姦未遂まで
で、その後のキユの告白までは告げていない。だが今は伏せておいた。
どうやら説明は馬超の話だけで充分なようだった。
「…成程、韓遂の言に鍵があるとはこの事だったか。韓遂は知っていた
のか?」
「いや、知らないだろう。知っていれば放っておくまい」
「そうだな。奴はそういう男だ。しかし漸く解った。去年の排斥未遂は
その逆恨みだったのか。暗殺が駄目なら排斥、排斥が駄目ならまた
暗殺というわけだな。
――しかし待て。何故キユではなく、他の者が先に毒殺されたのだ?」
「キユ――というか妹君の侍女が本草学を会得しているらしい。もしか
したら既に毒殺に失敗しているのかもしれない」
「新野の趙累は?[言焦]の王威は?」
「趙累はキユの推挙で帰参し、キユの後任として新野太守に任じられた。
先君の時の事だ。…確かに狙われた可能性はあるな。
王威は逆にキユとはあまり親しくない。劉gに従って降った身だし、
太守に任じたのも我が君だ。彼が狙われた可能性は低いだろう」
「そうか」
ホウ統は溜息を吐いた。
「それにしても困った事をしてくれる。元凶は全て我が君自身では
ないか。罪の上に罪を重ねて得られる天下などあるまいに。
大体、自分の思い通りにならないからといって家臣を暗殺する主君
がどこにいる。俺達は何でそんな奴の為に犬馬の労を捧げなきゃ
ならんのだ?」
「まだそうと決まったわけじゃない。飽くまで疑惑の段階だ」
「疑惑?妹を襲ったのも疑惑か?」
「いやそれは事実だが…」
「なら議論の余地はあるまい」
「まあ待て。話はまだ終わっていない」
「何だ、まだあるのか?」
もう何を聞かされても驚かないぞ。いいから話してみろ、とホウ統が促す。
孔明はますます沈痛な顔をしたが、やがてこう言った。
「この3月、キユの許にいた曹操の娘が消息を絶ったのは知っているな」
「ああ。キユが血相を変えて探し回っていると評判に…おい、まさか…」
ホウ統は忽ち前言を撤回した。
「恐らくそのまさかだ。丁度同じ頃、件の董[禾中]が我が君の私邸に
大きな行李を運び込んだ。運搬を手伝った人夫に金を掴ませて口を
割らせた。中身は知らされなていかったが、下[丕β]で火事が起きた
日に、その下[丕β]から持ち運んだものだそうだ」
「あの昏君!妹を襲うだけでは慊らず、人攫いにまで手を染めるか…!」
ホウ統は憤激の余り、玉杯を床に投げつけた。玉杯が音を立てて
砕け散った。
家人が扉の外から「何事ですか」と問う。ホウ統は杯を落として割った
と告げ、新たな杯を受け取ると、また鍵をかけて家人を締め出した。
ホウ統は憤懣やる方ないといった表情で、どかりと椅子に腰を下ろした。
「…で、それは事実なのか?」
「こっちはほぼ間違いない。と言うか、この事件が董[禾中]のそれまで
の足取りを追う契機になった」
「成程な…。で、曹操の娘は今どうしている」
「死んだよ」
轟雷が鳴り響いた。
「な…に…」
喉が嫌な感じに渇く。だが孔明は淡々と続けた。
「多分な。我が君の私邸の一室は外が断崖絶壁になっていてね。その
下で女物の簪を見つけた」
「遺体は」
「見つからず。下は岩礁なんだから仕方ない。岩場に簪が引っかかって
いただけでも僥倖と言うべきだろう」
「そうか…」
「思えば幸薄い人生だった。佳人薄命とはよく言ったものだ。可哀相に…」
2人は暫し瞑目し、亡くなった少女に哀悼の意を捧げた。
「だがな、士元。私もキユに頼まれて追跡したんだが、この結果をキユに
伝えていいものか、正直判断に迷っているよ」
「貴公でも迷うか、孔明」
「当り前だ。だから智恵を借りに来た」
「成程…。だが簪はキユに見せねばなるまい。彼女の物かどうか、
確認して貰わねばならん」
「そうだな…」
孔明は溜息を吐いた。
「それで孔明。証拠は挙がりそうなのか?」
「ん?何のだ?」
「勿論我が君が暗殺を指示していた事と、曹操の娘を攫わせた事のだ。
もしそれが動かぬ事実なら、俺はそんな奴に仕えるのは真っ平御免だぞ」
「待て、士元。下野するのは気が早い。我々は馬孟起の臣下である前に
漢朝の臣下である筈だ。短慮を起こしてくれるな」
「だったら証拠が揃い次第譴責し、然るべき罪科を負わせるべきだろう。
いや、妹を襲っただけでも棄市に値するぞ(註1)」
「私も出来れば裁きたい。だが今、まがりなりにも我が君の旗の下に、
漢朝は再び権威を取り戻しつつある。今は耐える時期だろう(註2)」
「今そこにある罪を看過出来るのか?(註3)」
「狡兎が死ぬまで走狗は活かしておくものだろう」
「ふむ…とすると、走狗は馬孟起でなければならんな」
「然り。走狗を煮た後の事も今から考えておく必要があろう」
「キユを担ぐんじゃないのか?」
「キユは官を去りたがっている。馬孟起の死が統一より早ければ、建前
上キユを担ぐ事になるだろうが」
「成程。統一が先ならわざわざキユを担ぐ必要はないわけだ」
「然り。…ただ、簪がその少女のものだったとすれば、キユが暴発しない
とも限らない。その時は貴公にも協力を願いたい」
「いいだろう」
ホウ統は言下に頷いた。
「それにしても、統一も見えたという時期になって厄介な事が起こった
ものだ」
ホウ統はむしゃくしゃした気分と共に、酒を腑内に流し込んだ。孔明も
暗い面持ちで頷いて酒杯を呷った。
註1:棄市とは斬首の事。城内の東市において公開処刑される。
男性にのみ適用された。
中国では秦漢律以来、「原心定罪」という原則が存在する。
解り易く言えば「悪意のない罪は既遂と雖も罰する必要は無い」
という理念。裏返すと「悪意が明白であれば未遂であっても罰する」
となる為、前漢時代には原心定罪を楯にした酷吏が蔓延った。
強姦未遂は当然悪意が明白なので棄市。
註2:秦漢律では、同腹兄弟間の姦通は棄市。同産兄弟(父が同じ)
間の姦通はよく判らない。前漢の王族には、同産妹と姦淫して
廃王となった者もいれば、姉と姦淫して獄に下されそのまま
死んだ者もいる。(『漢書』王子侯表第三)
しかしこれについて問うとキユと雲碌も同罪となるので、
孔明としては頭を悩ませている。…つーか悩んでるのは私(;´Д`)
註3:犯罪を知りながら見逃した罪の事を「見知」という。量刑では
関知していた罪と同罪とされる。先日の琥珀の件はこれに該当し、
今ホウ統もそれを懼れている。酷吏に追求されない限りはまず安泰。
>>476 拙文を読んで頂き、有り難うございます。
長いと言えば確かに、書き始めてからもう2年近くが経ちました。
字数も何気に30万字を超えていたり(今までは3万字程度)。
>個人的には初期の
>キユが絵を書く→デストローイ!
>とかのノリのほうが好きです。最近はキユも馬超も雲碌とかもエゴまるだしで
すみません。私も最初はギャグで進行するつもりだったんですが、
宛の戦い辺りからガラリと…(´ω`;)
あの辺りでキユネタが尽きてきていたというのもありまして…。
今思えば、曹休の肖像画を描いた時にもう1回「デストローイ!」
をやってもよかったかもしれません。
エゴはその…ネタがアレだけに……すみません(´ω`;)
ここで次回予告。慟哭、そして復讐の誓い。
ロケットでつきぬけろ!
延康元(220)年6月
【慟哭・キユ】
―建業―
政務の合間を縫って、孔明が密かにやって来た。
孔明は人払いを要求すると、1本の簪を差し出した。
「この簪に見覚えはありませんか」
孔明が声を潜める。背筋がぞくりとした。
僕は差し出された簪を注意して観察した。見覚えがあるような、
無いような、微妙な感覚だった。
「…これは公主のものなの?」
恐る恐る訊いてみる。
「公主と呼ぶのは改められたのでは?」
「…ああ。あの場はああ言わないと話が長引きそうだったからね。
けど公主に名前を聞きそびれたのも事実でね。他に呼びようが
ないんだ」
「成程。で、見覚えはありませんか?」
「もし公主のものなら、琥珀さんか翡翠が知ってるかもしれない」
僕は即答を避けた。公主のものだったような気がずる。けど
認めたくなかった。
やがて呼び出された2人のうち、琥珀さんが清河公主のものだ
と証言した。
孔明は大きく息を吐き出した。
「やはりそうですか」
「…どこで見つかったの?」
もう一度。恐る恐る訊いてみた。
「申し上げ難い事ながら、執金吾様の私邸の窓の下です。そこは
断崖絶壁の海になっていまして、岩場に辛うじて一つ、この簪
のみが残っていました」
「…………そう」
僕はやっとの思いでそれだけを答えた。
嫌な予感が当たった。
公主は死んだ。多分間違いない。そこで何があったかは知らない
けど、大体の想像はつく。
兄さんは恐らく、公主に不貞を強いようとした。そして公主は海に
落ちた。
公主はきっと、兄さんの手から逃れようとして、貞操を守ろうとして
海に落ちた。
そうに決まってる。公主は誰よりも貞淑な子だった。兄さんに凌辱
される事も、何かに屈して身体を許すような事もなかった筈だ。
そうでないと公主が可哀相すぎる。
でも。僕は結局、公主を守ってあげる事が出来なかった。
ごめん、公主。謝って済む事じゃないけど、僕にはもう謝る事しか
出来ない。
涙が溢れた。
「ごめん、公主……」
僕は簪を握り締めた。これが公主の形見。この世に残った公主の
最後の一欠片。
膝が落ちた。
「ごめん、公主。ごめん……」
僕は人目も憚らず泣きじゃくった。
って、名前欄間違えてました(;´Д`)
(――殺したい)
生まれて初めて。人に殺意を抱いた。
(公主を殺したあの人でなしを切り刻んで……)
それ以上何も浮かんでこない。
復讐したいのに復讐の仕方が思い付かなかった。
そこへ。孔明が声を潜めてきた。
「貴公がお望みなら、すぐにでも韓遂、司馬懿の輩にこの事を
伝えますが」
僕はハッと顔を上げた。
間違いない。謀叛の教唆だった(註)。
孔明の両眼が冷徹に光っていた。
「どうなさいますか?その覚悟がおありなら、臣等も微力を尽くし
ますが」
僕は答えなかった。
人を殺したいほど憎んでいる今の自分が情けなくて。
憎しみのぶつけ方が解らない自分が情けなくて。
一片の良心が咎め、決断出来ない自分が情けなくて。
また涙が出た。
「…ごめん。もう少し考えさせて欲しい」
僕はそう言って逃げた。
註:ゲーム的には謀叛という手段になるが、ストーリー上は断罪
或いは失脚の打診。
【慟哭・曹操】
―易京―
最近、曹操は苛立っていた。
呉国が徐々に、だが確実に領土を削られていっている事に
ではない。
先月、呉の帝都が落ちた事にでもない。帝都は落ち、韓浩も
斬首されたが、卞皇后をはじめとする后妃皇族は皆、秘密の
抜け穴を伝って無事に脱出していた。
3月末から、キユの許へ送り込んであった清河公主からの
連絡が途絶えていた。間者を放ってみると、公主が失踪したと
いう事で、キユが血眼になって行方を探し回っていると判った。
そこで満寵に命じて、公主の行方をこっちでも捜させていたのだ。
(キユからは何も言って来ない。まあ朕に余計な心配をかけたく
ないからかもしれんし、朕に逆恨みされるのを懼れての事かも
しれんが…。何はともあれ、無事であって欲しいものだ)
だが、曹操のその願いは無惨にも打ち砕かれた。
孔明がキユに簪を見せていた頃、満寵が温車を牽かせて帰還
したのだ。
「申し訳ありません、陛下。斯様な仕儀と相成りましてございます」
満寵は恐懼して平身低頭した。
満寵の行動は孔明より僅かに遅れていた。だがその代わり、
孔明の動きによって目標を絞る事が出来た。
孔明の間者は岩場で簪を拾って帰った。満寵は孔明の部下が
いなくなった後、水夫を集め、彼等にその周辺を潜らせた。すると
公主の腰に絡まった喪服が岩礁に引っかかっており、遺体を
奇跡的に発見、回収出来たのだった。
満寵は命の危険を冒させた代償として彼等に高額の報酬を
弾んだが、その額には当然、口止め料も含まれていた。
曹操と対面した時、公主の遺体は既に崩れかけていた。満寵は
遺体が玉覧に堪えるよう、そして主君が抱く事が出来るよう、
白絹で全身を隈なく覆い、更にその上から蜀錦で包んでおいた。
曹操はがくがくと震えながら棺の中に手を伸ばした。
「これが…公主のなれの果てだと申すか」
「畏れながら御意にございます」
「だが見目がまるで違う。何かの間違いであろう」
「信じたくないお気持は分かります。ですが2ヶ月余りの間海中に
あって、体が水を吸って膨らんだのです」
「顔を見て確かめるわけにはいかんのか」
「畏れながら、それはお止めになられた方が宜しいかと存じます。
亡き公主の為にも、陛下御自身の御為にも」
満寵は首を振った。公主の遺体の損傷は余りに酷く、口にする
のも憚られた。
直接の死因は転落した際の脳挫傷だと思われる。だが…。
「おお、公主…何という痛ましい姿に…」
曹操は変わり果てた公主を抱き締めて慟哭した。
満寵は主君の嘆きようをこそ痛ましく思い、これ以上哀しませる
のは止めようかと一瞬迷った。だが矢張り言っておくべきだろうと
思い直し、思い切って奏上した。
「陛下の御心痛、お察しして余りあろうかと存じます。しかしその、
何と申し上げればよいのか解りませんが…ご遺体には凌辱された
痕跡が残っていました」
「何…だと?」
曹操の目に冥い炎が点った。
「誰だ…朕の大事な娘の貞節を穢し、あまつさえ斯様な無惨な
姿に変えたのは誰だ…?」
「馬超でしょう。馬超の愛妾の弟に董[禾中]という者がおり、その
者に命じて拉致監禁したようです。遺体発見現場のすぐ上は
馬超の私邸でした」
「おのれ、匹夫馬超…!」
曹操は怒りに声を震わせた。
「朕の大事な手足をもぎ取るだけでは慊らず、かかる蛮行にまで
及ぶか。よくも朕の娘を辱めてくれたな!赦さん…絶対に赦さんぞ。
必ずや彼奴の肉を引き裂き、臓腑を剔り、その血を啜ってくれようぞ。
朕、天地神祇に誓ってこの怨讐を晴らさん。朕、既に老いたりと雖も、
この復讐を果たすまでは断じて死なん。我が愛娘、清河公主よ、
九泉の下より我が復讐を見届けよ…!」
眦を引き裂き、血涙を流す。その声は悲痛な咆哮となって辺りに
谺した。
満寵は主君の哀痛を思って、粛然と首を垂れた。
ここで次回予告。
月日は流れ、衝撃の報せが齎される。
ロケットでつきぬけろ!
【経過】
その年の秋。僕は武術大会には参加しなかった。
清河公主を攫って死なせた兄さんの顔を見たくなかったからだ。
優勝したのは関羽、準優勝は夏に降った甘寧だと、後で聞いた。
冬10月。兄さんは自ら楽浪を攻めて敗れた。ここから曹操軍と
馬超軍は一進一退の攻防を続けたが、南方では馬超軍が孫策軍
を着実に追い詰めていった。
翌年1月。馬超軍は北平を奪回した。
2月。兄さんが光禄勲に任じられた。
3月。兄さんは自ら兵を率いて三度楽浪を攻め、遂に占拠した。
4月。大赦を行って年号を章武と改めた。
5月。馬超軍は交趾において孫策軍を打ち破り、楚を滅ぼした。
そして翌章武二(222)年、4月――。
【驚報】
―建業―
清河公主が亡くなってから、もう2年が過ぎた。
孔明に公主の死を知らされてから3日間、僕は心喪に服した。
それ以後は平静を装って政務を見ていたけれど、雲碌にはバレ
バレだった。
雲碌はただ黙って、僕の傍にいた。
時折僕を気遣う風を見せる。けど雲碌自身、以前ほどの闊達さは
見られなくなっていた。
僕が他の女の事で落ち込んでるんだから無理もない。
夜になると、雲碌は何か欲しそうな表情を見せる。
解ってる。僕だって雲碌を抱きたい。けど、雲碌を抱こうとすると、
決まって公主の顔が脳裡にちらついた。
覆水は盆に帰らない。いつまでもうじうじしていたって始まらない。
解ってはいるけど、守ってあげられなかった悔悟の念が、僕を
いつまでも縛り付けた。
雲碌を抱く回数は次第に減っていった。
日本に帰る準備を着々と進めながら、兄さんによる一刻も早い
統一を、期待と憎しみの目で眺めていた。
その日は初夏に似合わぬ暑さだった。太陽が旱々と照りつける様は
まるで真夏日みたいで、建物から一歩外へ出ると、景色が陽炎の
ように揺らめいていた。
登用したばかりの滕胤が、息を急き切らして駆け込んできた。
「何だよ、慌ただしいな」
僕は気だるげに振り返った。このくそ暑い日に走る馬鹿もいたもん
だと思った。
「こんな報せを受け取れば誰でも慌てます!こんな…こんな事が…!」
滕胤が荒い息をつきながら早口でまくしたてる。
「こんなって、どんな?まあ取りあえず落ち着いて、それから報告
してよ」
「ぎ、御意…」
若い滕胤は大きく深呼吸して息を整ると、重大な一言を告げた。
「光禄勲殿がお亡くなりになられました…!」
「な――……」
絶句。
僕は口をあんぐりと開けた。
言葉が出ない。浮かんでこなかった。
バサリと。
一瞬遅れて、傍で音がした。
傍では雲碌が茫然と立ち尽くしていた。
手にしていた筈の書類は全て床の上に落ちていた。
499だけ改行時の空欄を忘れてた…(;´Д`)
ここで次回予告。馬超の死因は何だったのか?ロケットでつきぬけろ!
501 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 05:03
佳境age
保守sage
煤i゚Д゚;) 孟起殿…! そういやあいつって寿命短めだったよなあ。
……ってか、馬休も大して長くなかったような。大丈夫か?w
【報仇雪恨】
―襄平―
曹操は老躯を鞭打って台上に昇った。
「今や、我が大呉には易、襄平の地しか残されてない。朕も老いた。
朕の命ももう、そう長くはあるまい。だがこの世を去る前に、朕は何
としても果たさねばならん事がある。それは馬超の首を挙げる事だ。
朕はかねてより、朕の四女清河公主をキユの許へ行かせてあった。
それを馬超は先年、あろう事か隙を見計らって公主を拉致し、その
貞淑を穢し、事が済むと海に突き落とし、まるで虫けらか何かのよう
に殺害した。かかる悪逆非道は天が赦さず、地が赦さず、朕もまた
赦さん。朕は公主の御霊に誓った。必ずや彼奴を殺すと。
馬超に楽浪を奪わせたのは朕の策だ。馬超は愚かにも、その策に
嵌った。彼奴の命運は既に尽きた。
我が大呉の全将兵に告ぐ。馬超を朕の前に引き摺り出せ。生死は
問わぬ。清河公主の仇を討つのだ!」
曹操が声を嗄らして叫ぶ。呉の20万将兵は粛然と亡き清河公主に
黙祷を捧げ、復讐の炎を燃え上がらせた。
「加油!加油!加油!加油…!」
海嘯の如く轟き渡る将兵の声を聞きながら、夏侯惇は瞑目した。
儂は嘗てキユを疎み、憎んでいた。だが今思えば、キユは馬超に
比べれば遥かにマシな男だった。キユに何度打ち破られ、その度に
命を助けられただろう。
公主に横恋慕していたかどうかは知らん。だが大事にしてくれて
いた事だけは伝わっている。キユを憎む気持はもう無い。
子林も公主も水に落ちて亡くなった。何故あいつらが、若い身空で、
しかも夫婦揃って、そんな非業の死を遂げなければならないのか。
せめて比目魚(註1)に生まれ変わり、東海(註2)で添い遂げている
事を願うばかりだ。
「…馬超だけは赦さん。この儂の手で引き裂いてくれる」
夏侯惇はぼそりと呟いた。
「しかし宜しいのですかね、陛下は。馬超を殺せばキユが後を継ぐの
は必定。陛下はキユを使いたがっておられた筈ですが」
張[合β]が誰ともなしに問い掛ける。趙雲が応じた。
「正潤を論じるなら馬超の長子が後を継ぎましょう。そうなれば流石に
キユも不満を募らせるのではありませんか。或いはそれが狙いかも
しれませんぞ」
「ですが、群臣は今更馬超の子に後を継がせたいと思うでしょうか」
「…思わないでしょうね、恐らく。敵国の事ながら、私も継がせたく
ありません」
もしかしたら陛下は既に諦観しているのかもしれない。趙雲は
ふと、そう思った。
黄忠は隣で脂汗を掻いている張遼に声をかけた。
「随分辛そうじゃな、車騎将軍。御病気なのであろう?無理をせず
休んでおられては如何かな」
「ふ。お気遣い御無用。陛下ですら悲愴な決意を固めておられる。
顕職を戴いている我等がそれに殉ぜずしてどうする。貴殿こそもう
老齢であろう。猫の背でも撫でながら日向ぼっこをして待って
おられるがよかろう」
「ふ、言うわ」
黄忠は呵呵と笑って、不意に真顔になった。
「貴殿の覚悟は分かった。死ぬなよ」
「貴公もな」
そして呉軍は進撃を開始した。
註1:伝説上、東方にいる単眼魚。2尾並んではじめて泳ぐ事が出来る
という。比翼の鳥、連理の枝と同じく夫婦仲睦まじい事の喩え。
(『爾雅』地篇)/現在ではヒラメ科の魚を指す。
註2:東シナ海。中国では現在も慣例に倣って東海と呼称する。
>>501-502 保守して頂き有り難うございます。
>>503 確かに寿命も近いのですが、今回は寿命のせいでは
ありませんでした。
馬休は馬超より若いですし、いざとなれば北斗南斗が
何とかしてくれるでしょう。
ここで次回予告。曹操パパの愛が復讐の焔を纏って
馬超軍を貫く。
山田の出番はあるのか?ジャギの出番は?
ロケットでつきぬけろ!
…いつ何処の世界でも相変わらずというか、曹操の武将は
ものすごいメンバーがそろっておりますなぁ…。
え・・・ジャギ様!?
【怨敵撃攘】
―楽浪―
「邪魔だぁーっ、退けーっ!」
張遼が病躯を押して先陣を切る。
「ひゃはははは。俺の名前を言ってみろぉ!」
第二陣として突撃をかけているのは、馬超が2度目の楽浪
侵攻に失敗した時、呉に降った魏延である。
以下第三陣に臧覇、第四陣に趙雲、第五陣に張[合β]、
第六陣に黄忠、第七陣に夏侯惇、第八陣に曹丕、後陣に
曹操と魯粛の総司令部が続いた。
楽浪の馬超軍は、喩えれば彊弩の末勢だった。しかも楽浪
を攻め落として以来、兵士の補充がなされておらず、再編成
も行われていなかった。
少なくとも馬超の才覚において、そこは彼の攻勢の終末点
だった。
その終末点を、曹操は標的と定めた。楽浪では篭城を指示し、
将兵を損じる事なく退いた。そして彎弓が勁矢を放つが如く、
一挙に襲い掛かった。
呉兵一人一人に猛る復讐心が、それを後押しした。
馬超軍は抗する事が出来ず、忽ち算を乱して逃げ出した。
「この馬鹿共!逃げるな、戦え!」
馬超が怒鳴るように叱責する。
後一歩。後一歩で統一が成る。残る敵は易、襄平の曹操軍
だけではないか。何故ここで崩れねばならんのだ。
だが、一度傾いた戦況は覆らない。覆すだけの才知を馬超は
持ち合わせていなかったし、そんな才知を持った有能な参謀も
この場にはいなかった。
百戦錬磨の兵士、武勇、軍略。馬超軍は嫌と言うほど思い
知らされた。
況して。
「馬超が清河公主を姦殺した!」
「馬超が公主を拉致した!」
「蛮虜死すべし!」
どろどろと轟く馬蹄の音に混じって、呉軍が呪言の如く唱えて
いる。馬超軍はその猛々しさと、相反する薄気味悪さと、敵の
文言の虚実を疑って、最初から戦意を喪失していたのだ。
「何故逃げる!統一はすぐ目の前ではないか。逃げる奴は斬首
に処す。逃げるな、武器を取って戦え!」
馬超は声を嗄らして叫んだ。だが敗勢は止まらなかった。
追い討ちをかけるかのように、呉班の戦死の報せが届いた。
「おのれ、何故だ。何故だ…!?」
顔を赤黒く染める馬超の傍らで、厳顔が冷ややかな視線を
送った。
「閣下。一つお訊ねしたいのじゃが、敵の言っている事は真実
ですかな?」
「だったら何だ!」
「もしも真実であれば、将兵はそんな非道な主君の為に死力を
尽くして戦いたいとは思いますまい。夏の桀王、殷の紂王の
故事を紐解けば…(註1)」
「黙れ、厳顔!曹操の娘は即ち逆賊の娘だ。誅殺して何が悪い!」
「誅殺?そうではありますまい。誅殺ならば堂々と捕縛し、然る
べき手順を踏んで罰を負わせれば宜しい。キユ殿はおろか
我等一同にまで秘匿して拉致し、殺める必要はござらん。況して
攫った女を凌辱するなど、気が触れられたとしか思えませぬ」
「黙れ黙れ!英雄色を好む。俺がどんな女を抱こうと文句を
言われる筋合いはないわ!」
「本気で言っておられるのか、閣下?戦場では婦女を戦利品と
して扱う向きもござろうが、閣下の所業はそれには当て嵌まり
ませんぞ。それに閣下はその娘の件でキユ殿を貶斥しようと
なさった筈。閣下のなさりようは余りにも筋が通りませんぞ。
この戦が終われば、恐らく閣下はこの件に関して罪を問われる
事となり…」
「黙れと言っているのが分からんのか、この老いぼれが!」
馬超の佩剣の柄が鳴った。
厳顔の首が刎ね飛んだ。厳顔は首から鮮血を噴き出しながら
後ろに倒れた。
「厳顔様が閣下に斬り殺された!」
「閣下がご乱心なさった!」
動揺は瞬く間に全軍に広がった。
最早馬超の為に戦おうとする者は一人もいない。蜘蛛の子を
散らすように四散してしまった。彼等は湊まで逃げ、数少ない
船に我先にと乗り込み、海路後方へと落ち延びて行った。船に
乗り損ねた者達は行き場を失って呉軍に降伏した。
「馬超を追え!」
「逃がすな!必ずや陛下の御前に引き摺り出すのだ!」
「復讐を果たす時は今ぞ!」
呉が誇る屈指の驍将達が、馬超の首ただ一つを狙って追い回す。
馬超は堪らず逃げ出したが、湊に着いてみると船は既に一艘も
残っていなかった。
「糞っ、不忠者共が…!」
地団駄を踏んでみても始まらない。海路城陽なり呉なりに逃れる
手段は断たれた。あとは匈奴の地を通って薊に帰還する以外に
途はない。馬超は素早く心を決めると、追っ手の目が届かぬ
うちに馬首を反した。
註1:ここでは飽くまで『史記』の記述に基づく。殷墟で発見された
甲骨文によると、受辛(紂王)は正統な祭祀を行い、屡々
奴隷獲得の為に淮夷に遠征していたという。
張遼は最初の頃のスタイルなら「山田ぁーっ!」となっていた
のですが、結局真面目なキャラになりました。
また別の機会があれば再チャレンジしてみたいです。
>>508 曹操軍は元々良将が多いだけに、密集すると恐いですね。
>>509 馬超にやらせたいと思いつつ、結局こんな形になりました。
ここで次回予告。進退窮まった馬超、追撃する曹操軍。
その先に待っていたものは…。ロケットでつきぬけろ!
馬超……(ノД`)
せめて最期は西楚の覇王が如くであって欲しいと思ったけれど、それも叶わぬ夢か。
今こそ言おう
馬 超 も う だ め ぽ !
【因果応報】
だが、馬超の逃避行は長くは続かなかった。いつの間にそう
なったのか、匈奴は曹操に協力的だった。味方、せいぜい中立
だと信じて近付いた瞬間、馬超は雨霰と弓を射掛けられた。
幸い命に関わる矢傷は受けなかったが、貴重な足である馬を
失った。必死で山中に逃れて匈奴の追っ手を撒いたものの、
山に逃れた事自体はすぐに知れ渡った。匈奴は山を遠巻きに
して馬超の逃亡を防ぐと同時に、呉軍を案内してきた。
馬超は岩場に偶然横穴を見つけると、中に転がり込んで漸く
一息ついた。
「糞っ、糞っ。愚か者共が。糞っ…!」
荒い息を吐きながら罵る。鎧に突き刺さった矢を1本、また1本
と抜いては投げ捨てた。
「糞虫共め。帰ったら皆首を刎ねてやる。覚悟しておけ…!」
…だが今は疲れた。腹も減った。
少し休みたい。今だけ。ほんの少しだけ――…。
いつしか、馬超は浅い眠りについていた。
『馬超…馬超…』
どこからか呼びかける声がする。
馬超は「すわ、追っ手か」と慌てて飛び起きた。だが誰も
いなかった。
ほっと安堵する馬超の耳に、再び自分の名前を呼ぶ声が
聞こえた。馬超はハッとして身構えた。
暗闇の中に、白くぼんやりしたものが幾つか、現れた。
目を凝らしてみると、それが人影である事に馬超は気付いた。
『貴様等、何者だ?』
『何者だとはご挨拶だな。俺の顔を忘れたのか』
影の一つがクククと笑う。
『……曹休だな』
『御名答。しかし随分と惨めな姿を晒しているな、馬超』
『惨めだと?ふん。惨めなのは貴様だろうが』
『天下を九分九厘まで掌握しながら、こんな所で独りぼっち、
こそこそと逃げ回っているのが惨めではないと?』
『そんな貴方の逃げっぷりを、いつか詩にしてあげましょう。
――貴方を呪う詩にして』
見覚えがあるような、ないような顔。
『貴様等は誰だ』
『曹孟徳の四男、曹子建です』
『同じく五男の曹熊』
『貴様等なぞ知らん。何の用向きだ』
『知らぬとはご挨拶。私は洛陽で貴様に斬り殺されたのだが』
『何かと思えば恨み言か。遠吠えする事しか出来んこの負け犬
共が。失せろ』
『失せろと言われて素直に失せるとでも?妹が止めてと哀願
したのに止めなかったのは誰ですか?』
『黙れ!』
馬超が剣を一閃する。
剣は曹植の胴を真っ二つに切り裂いた。だが曹植の身体は
陽炎のように揺らめいただけで、また一つの身体に戻った。
曹休達が嗤笑を響かせた。
『ふふっ。貴様の力はその程度か』
『何事も暴力でしか解決出来ない。愚かで惨めな男ですね。
ふふふふ…』
『何だと…!』
馬超は躍起になって剣を振るった。何度も何度も、3人の影を
切り裂く。だが何度やっても結果は同じだった。馬超は遂に
息切れを起こし、切っ先を地面に落とした。
『ハァ、ハァ、ハァ…この化物共が…!』
『うふふふふ…化物とは笑止。貴方ほど人の皮を被った鬼畜生は
おりませんものを…』
代って聞こえる、若い女の声。
馬超はその声に聞き覚えがあった。ギクリとして振り返る。
そこには若い男女の影が茫と佇んでいた。
『曹操の…娘…!』
『馬超…よくも俺様の妻を凌辱してくれたな…』
蒼白い顔の男が、目を赤く光らせる。
『ハッ…!天下は俺のものだ。天下の女は即ち俺のものだ。
どうしようと俺の勝手だ!』
『うふふ…まだ解っておられないのですね。女は物ではありません。
そんなだから実の妹にも牙を剥き、疎まれる羽目になるんですよ。
くすくす…』
馬超はぎょっとした。
『何故貴様がそれを知っている!?…そうか、キユだな。キユが
貴様に喋ったんだな!』
『うふふ…キユ様にお伺いしなくとも、貴方の罪は天が知り、
地が知り、人もまた知っています。不義不貞の虫豸、馬超よ…』
『だ、黙れ黙れ!不義と言うなら奴等こそ不義ではないか!』
『さあ、それはどうかしら?くすくすくす…』
『笑うのを止めろ、この死に損ないがぁ…っ!』
馬超が再び剣を振り回す。
『ふはははは。無駄無駄無駄。何度やっても同じ事よ』
曹休が背後から嘲弄を浴びせ掛ける。
『何を…!』
と振り返る馬超の背に、冷んやりとしたものが触れた。
『馬超殿…』
ぎょっとして振り返る。目の前に清河公主の蒼い顔が迫っていた。
『お恨み申し上げます』
刹那。清河公主の姿が豹変した。
身体がぶよぶよと膨れ上がり、顔が紫色に腫れ上がる。頭蓋が
砕け、脳漿が弾け飛ぶ。全身が急激に腐爛し始め、眼球が零れ
落ちた。眼窩から、七つの竅(あな)から、体液が腐臭を放ちながら
流れ出す。美しかった黒髪がざんばらに解け、瞬く間に抜け落ちて
いった。
醜怪。その一言に尽きた。
流石の馬超もこれには肝を消し飛ばし、吐き気すら催した。
馬超は慌てて洞穴から逃げ出そうとした。だがその行く手を
曹休達が阻んだ。
『どこへ行く、馬超』
『お前が妹をあのようにしたのではありませんか』
『あれが貴様の罪だ。目を逸らすなよ』
『だっ、黙れぇっ!』
馬超は滅茶苦茶に剣を振り回した。
馬超の心は既に恐怖に支配されていた。頭のどこか片隅では、
何度やっても無駄だと解っている。だが恐怖がそうさせた。
ずしりと。馬超の背中に何かが圧し掛かった。
腐臭。ぽたり、ぽたりと滴る腐肉。
尖った何かが、馬超の頬をツツッと撫で上げた。
恐る恐る振り返る。
『…………!』
馬超はうわ言のような絶叫を上げた。
そこにあったのは、醜く腐り果てた清河公主の姿だった。
『どこへ行くのですか、馬超。私は貴方の奴隷なのでしょう?
次は御主人様にご奉仕しろと言ったのは貴方でしょう?お望み
通り奉仕してあげますから、そこに座りなさい。さあ』
『しっ、知らん!俺は何も知らん…!』
『あら、つれない。貴方のモノ、今日ならちゃんと口に入りますよ。
大きく開くようになりましたから。ほら、こぉんなに』
クワッと。殆ど髑髏と化した公主の口が、馬超を呑み込まん
ばかりに大きく開いた。
『ひっ、ひぃいいぃいぃ…!』
馬超が尻餅をつきながら後退る。曹休がげらげらと笑った。
『ははは。先刻の壮語を早や忘れたと見える。鶏頭か貴様は』
『馬超。貴様のような悖乱蚩々の輩を生かしておくわけには
いかん。覚悟せい』
曹休らの背後から、甲冑に身を固めた若い将が2人、剣環を
鳴らして進み出た。
『だ、誰だ貴様等は』
『曹孟徳が第三子、曹子文』
『夏侯恩。懐公(曹熊)と同じく、洛陽にて貴様等に討たれた者だ。
そうか、覚えておらぬか』
曹彰達がすっと佩剣を引き抜く。
『曹彰、貴様は楚軍に殺されたのだろうが。何故俺に仇を為す!?』
『可愛い妹の事を思えば些細な事だ』
『ば、馬鹿な…!』
『馬鹿は貴様だ』
曹休、曹植、曹熊、夏侯楙も各々佩剣を引き抜くと、馬超に
向かって剣を構えた。
『こんな…こんな所で終わって堪るか。俺の天下はもうすぐそこ
なのだ。俺の手でここまで成し遂げたのに、今更キユに全てを
持って行かれて堪るか…!』
『貴様の天下を望む者などいない。大人しく天の裁きを受けよ』
6人の亡霊が一斉に襲い掛かった。
洞穴内に絶叫が谺した。
翌朝。
趙雲麾下の一隊が一つの洞穴を見つけた。
洞穴の中で、馬超が全身の穴から血を噴き出して死んでいるのが
見つかった。
外傷はない。ただその死に顔だけが恐怖に引き攣っていた。
今回は少し悪ノリしたかな?でも筆は進みました(笑)
>>515 覇王ではありませんが、小覇王には近かったでしょうか。
今書いているような馬超では、「潔く死ぬ」というのは
ちょっと難しかったです。
>>516 馬超に死なれるのはこちらとしても予定外でしたが、
こんな死に様も皆さんにしてみれば予想外でしょうね…。
ここで次回予告。権臣達による謀議再び。キユの選ぶ道は?
董[禾中]達の運命や如何に?ロケットでつきぬけろ!
また名前欄を変えるの忘れてた…。
よく考えると、厨王に似ているようなsage
>馬キユ殿
こちらでは初めまして、韓玄スレで拙(つたな)いリプレイを書いている者です。
あちらでは度々のレス、ありがとうございます。
馬キユ……なんか当初の周囲の空気を読まないマイペースっぷりが
どっかいっちゃいましたね。雲禄と暴走(苦笑)し始めたあたりからかなぁ……。
馬超は、最近どーも「正義と結婚済み」とまで言われた某ゲームのイメージが強いんで(苦笑)
ただ、演義での馬超(力任せで短慮)などを見るに……これもまた馬超かな、と。
将としては優れているが、王の器ではない……彼はある意味、呂布に近い人間なのかも知れません。
「最近エゴむき出しで痛い」というレスがありましたが、しょーじき私もそう思います(苦笑)
雲禄はなんか視野がどんどん狭くなってきてる気がするし、
馬キユは自分に都合のいいことばっか考えてるし、馬超は言わずもがな。
(仕方ない面もある、と仰るかも知れませんし、事実そういう面はあるのでしょう。
が、それと読んでて気持ちいいかどうかはまた別の問題です)
ちと結末は読めませんね……馬キユは最終的に、何を選ぶのでしょうか?
ちなみに、このリプレイで一番気に入ったのは……韓玄です(w
いや、マジでなんか渋いんですが。与太者のように振る舞いながら締めるところは締める、ってカンジで。
でも、彼も寿命が近いのかなぁ……。
今回の「悪乗り」は……いいんじゃないですかね?因果応報、天罰覿面。
ラストへ向かってこのまま「ロケットで突き抜け」て下さい。
随分長いレスになってしまいましたが、正味2スレ分ということでご容赦を。
529 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/20 15:26
保守
【虚受】
―建業―
馬超敗死。その話は雷電の如く海内を駆け巡った。
孔明はこうなる事を予期していたのか、即座に重臣会議を
招集した。召集を受けるや韓遂は、陳羣と司馬懿に密書を
送って何事かを依頼した。彼等もまた、独自の諜報によって
薄々感付いている事があったのだ。
司馬懿は密命を受け取ると、すぐに2人の息子を呼び寄せ、
小声で何か言い含めた。
「何やら騒々しいですね。どうかなさいましたか?」
慌ただしく出て行く息子達の背中を見送って、張春華が
司馬懿に話し掛けた。
張春華は司馬懿の正妻である。
「なに、大した事じゃない。害虫駆除の仕事が舞い込んだ
だけだ」
害虫駆除と言われてただの虫取りかと思うほど、春華は
愚鈍ではない。彼女は静かに夫の顔を見詰めた。
「ただの害虫にしてはお顔の色が優れませんわ」
「気のせいだろう」
司馬懿は愛妻に笑顔で応えた。
尤も、その害虫は人間に直接危害を及ぼしてきた。私自身
危うく殺されかけもした。だがそれは黙っておいた。
(それにしても――)
あの時文聘の言葉にうかうかと乗らなくて本当によかった。
あの時清河公主を側室なり息子の嫁なりに迎えていれば、
いろいろな災厄が降りかかってくるところだった。主君に妻を
奪われて殺されるという屈辱も味わわずに済んだ。
そう思った後、司馬懿はあの時の少女の思い詰めた顔を
思い出して、不意に眉を曇らせた。
「あなた?」
「いや、何でもない」
司馬懿は呟くように応えて、妻の顔を見た。
春華は今年で34歳。聡明で、女としても今が盛りだろう。
私が明日にでも亡くなれば、後家として心ない者達の欲情を
そそるには充分だ。
清河公主に妻の姿を重ね合わせて、司馬懿の心は千々に
乱れた。
「…お前は私より長生きしてくれるなよ」
「何ですか、いきなり?」
「いや…お前は私の妻だという事だよ」
「まあ、今から嫉妬ですか?」
春華はころころと笑った。
「大丈夫ですよ。妾の夫は貴方だけです。それにあなたが
亡くなる頃には、妾もきっと皺くちゃの老婆になっていますわ」
「――ああ、そうだな。そのとおりだ」
司馬懿は頷くと、妻の手を取ってそっと撫でた。
重臣会議はまたもや紛糾した。但し今回は韓遂の建言に
対して、劉備一人が頑強に反対するだけだった。今度は
孔明も大っぴらに、キユの擁立に同意した。
「何を言われるか、軍師殿。孟起殿が亡くなれば、その後を
継ぐのは孟起殿の遺児と決まっているでしょう」
劉備は熱の篭った声で反駁した。孔明は涼やかに劉備の
顔を眺めやった。
「それは正道ではありましょう、皇叔。ですが遺児の馬秋殿も
馬承殿もまだ若年。臣の観察致しますところ、才器も亡父に
遥かに及びません。斯様な者を戴いては、それこそ家中が
動揺致します。此度こそはキユ殿に後を継いで頂く他ないと
思います」
「軍師殿、自分の言っている事が解っておられるのですか?
キユ殿は――」
「皇叔が推薦なされた孟起殿と比較して考えられませ」
「う――」
劉備は返答に詰まって沈黙した。
僕にはこの2人が、僕と雲碌との関係について話し合って
いるのがすぐに解った。
(やり切れないな)
それが素直な感想だった。いっそおおっぴらに言い合って
くれれば、僕の後継話も立ち消えになりそうなものなんだけど。
自分からは言えない。それは父さんとの約束に反した。
それにしても。殺したいほど憎んだ相手が、こうもあっさり
いなくなるとは。
殺したかったけど、唆されたけど乗らなかったのは、こんな
日が来るのを避けたかったからだ。我ながら自分勝手だと思う。
召集を受けた時の、雲碌の嬉しそうな、それでいて哀しそうな
表情が目に焼きついている。
雲碌は僕の後継を半分は望み、半分は望んでいない。
僕は全く望んでいない。この世界に責任を取り続ける事なんて
出来やしないんだから。
けど話は加速度的に進み、否応なく僕を巻き込もうとしていた。
鉄と岱はこの会議の席にはいない。一族であるにも拘わらず、
今回も列席を許されなかったのだ。
兄さんが死んで、鉄はショックを隠せないようだった。ただ僕と
目が合った時、一瞬だけ、突き刺すような視線を放った。僕に
後を継ぐなという意思表示なんだろう。理由はさて置き、その
意見には同意だった。
「ではキユ殿、宜しいですね?」
孔明が確認してくる。僕は意識を引き戻されて慌てた。
「ぼ、僕は――」
「気に病む事はない、キユ。今儂等の上に立ち得るのはそなた
を措いて他にない」
「ですから、遺児のお2人が――!」
劉備がなおもそこに縋る。けど韓遂は余裕綽々の笑みを
浮かべていた。劉備はふと、それを不審に思った。
「文約殿、何が可笑しいのですか?」
「いや何、もうすぐ判るわい」
突然、会議の席上に、司馬懿が兵士を連れて乱入したきた。
劉備はその狼藉に怒気を発したのか、思わず声を荒げた。
「仲達殿、何をしに来られたか。この会議は貴殿の与かり知る
ところではない!」
「キユ。馬超の後を継げるのはもうそなたしかおらん」
司馬懿は劉備の警告を無視して、僕に向き直った。
「いないとは異な事を。現に遺児が――」
「ん?その遺児とやらは既に監獄行きですが?――おい、
あれを」
「な、何を――」
劉備が訊ねるより早く、司馬懿の声に応じて、1人の兵士が
進み出た。兵士は手にしていた麻袋をひっくり返すと、1つの
塊を放り出した。
「あっ――?!」
僕は思わず、劉備と異句同音に、そう叫んでいた。
それは生首だった。見知らぬ男の、既に土気色に変色した首。
「そいつは馬超の愛妾董氏の弟で董[禾中]だ。董[禾中]は
死んだ馬超に命じられて、暗殺稼業をしておった。私も文約殿も
狙われた。孔明殿も狙われたと伺っている。そしてキユ、そなたも
この者の刺客に襲われた。身に覚えはありますな?」
「何ですと!?」
司馬懿が問い掛けてくる。劉備は知らなかったのか、今度は
声を裏返して叫んでいた。
「――刺客に襲われた覚えはある。けど誰の仕業かは知らない」
「それがこいつの仕業だったのだ」
僕は慎重に答えた。司馬懿はそんな僕を嘲笑うかのように、
あっさりと断定した。
「つまり、そなたは兄からそこまで疎まれておったという事よ。
恩知らずにも程があるとは思わんか?斯様な忘恩の輩に
いつまでも義理立てする必要はない。今こそそなた自身の足で
立つがよい」
「今更嫌だと申されても、今や正統はキユ殿にある。他の者が
後を継ぐ事こそ正道に悖る。お心を決めなされ」
張松もそう言って唆す。
「しかし…!それが正嫡を廃する理由になりましょうか。どこに
正義がありましょうか!?」
劉備が必死になって叫ぶ。けどそれすらも、新たな闖入者に
よって敢え無く否定された。
「正義なら頂いて参りました」
陳羣だった。
「何…だと」
劉備は陳羣に対して、今までより少し乱暴に反問した。
陳羣はそんな劉備を意に介さず、詔勅を読み上げた。それは
馬超とその一族の誅殺を命じたものだった。
「馬鹿な!何故その様な詔勅が下るのだ!」
「なに、簡単な話です。馬孟起はキユ殿の傍から清河公主を
攫わせたうえ、これを犯し、殺し、捨てました。それを天子の
貴人方にお伝え申し上げたのです」
天子・劉協には現在、伏皇后の他にも何人かの側室がいる。
そのうちの3人は曹憲、曹節、曹華といい、彼女たちは皆曹操の
娘だった。つまり、死んだ清河公主の姉妹にあたっていたので
ある。
彼女たちは馬超の非道を聞くや、愴恨として慟哭した。そして
陳羣等に勧められるまま、天子の居室を訪い、詔勅を下すよう
求めたのである。
劉協は最初信じなかったが、陳羣が傍から曹操の発言を奏上
すると、凋然と座り込んだ。
「……だが、その話が真実だとしても、馬超は既に戦場で殪れた。
これ以上は死者を鞭打つ行為であろう」
「では陛下は天下に恥をお晒しになるお覚悟ですか?天下に
赦されざる罪が3つあります。盗、姦、殺です。この三者を同時
に行った者に大権を与えたばかりか、その罪が露見しても
罰する事が出来ぬ天子を、誰が天子として敬いましょうや。
斯様な者の罪が見逃されて、今後臣等はどうやって万民に
法の遵守を説けば宜しいのですか」
「陛下、妾の妹にお慈悲を…!」
陳羣と、3人の貴人が代る代る訴える。それは粘り強いを
通り越して執拗だった。
劉協は何より、女達の哀号に耐え切れなくなった。そして
已むなく、清河公主誘拐に携わった者達の誅殺を命じる
詔勅を書かせたのだった。
唖然として声のない劉備に、陳羣等は悠然と笑顔を向けた。
「そうか、一族誅殺か。なればやはりキユが立つ以外に途は
ないの。刑の執行はいつじゃ?」
「慣例に従えば、冬になればすぐにでも」
「殺すなんて駄目だ!」
僕は陳羣達の会話に割り込んだ。
「ふむ、気に入らんか。まあ無理に殺す事もないかもしれんが、
詔勅は詔勅じゃ」
「でも妻子には関係ない事だ」
「何を生温い事を…」
司馬懿は呆れたように僕を見た。それを見て韓遂がニヤリと
笑った。
「まあよいではないか。キユは既に我等の上に立って、我等を
指図しようとしているのじゃ。それこそ我等の望みではないか?
のう」
「な……ば、馬鹿な事言わないでよ。僕は――…」
「『命令』ならば謹んで承るぞ。そなたがここで我を押し通す
ならば、それは即ち主座に就く事に同意したと見做すが?」
成程、と司馬懿が手を打つ。
「そうですな。では我等に命令して頂こうか、キユ殿。ならば
我等もそれに従うと致そう。各々方もそれで宜しいかな?」
「そうですね。キユ殿を首班に、減刑の嘆願書に連署しましょう」
陳羣たちは頷いた。
(何でそうなるんだよ)
毒づきたいけど言葉が出ない。
(僕が後を継げば僕の一存でたくさんの人の命が救える事が
ある)
解ってる。前にも思った事だった。
けどその重圧に、僕は耐え切れそうにない。
もう、逃げられないんだろうか。
こうなる運命だったんだろうか。
長い間、悩んだ。
そして。
「――妻子を死なせる事は許さない」
「ではキユ殿、爾後は貴殿が我々を導いて頂けるのですね?」
孔明が恭しく問い掛けてくる。
「…そうするしかないんだろう?」
僕は答えた。重大な決断。なのに、僕の心はどこか他人事の
ようだった。
「では存分にするがよい」
韓遂たちは北叟笑みながら拱手した。
「皇叔も納得して頂けますか?」
「……最早他に道もありますまい」
観念したのか、劉備は瞑目してそう答えた。
>>526 紂王にしろ項羽にしろ、才長けていたが故の悲劇なのかもしれませんね。
>>527-528劉香蘭殿
本当に最初から読んで下さるとは…感無量です。
いえ、決して嫌味ではなく、自分でも読み返すのが既に面倒な
分量になっているものですから。
現在のキユと雲碌のエゴ剥き出しな行動には一応意味があります。
エゴに対する落とし前はいずれつけさせる予定ですので。
韓玄はリプレイスレ初期の主役ですし、今となっても出番が作れる
のであれば、やはり出したいと思っています。またゲームの性質上、
一度手許に置いたら能力的に配置換えが起こり難いキャラですので、
自然と出番も多くなりました。
馬超は、私的見解を申し上げますと、決して正義を背負ったキャラでは
ありません。ですが演義を中心としたそういう設定には感心しています。
>>529 保守ageして頂き有り難うございます。
ここで次回予告。馬超の官位を継ぐ為、数年ぶりに天子に謁見するキユ。
そこで示された意外な提案とは?プリンセス・オブ・ラブでつきぬけろ!
人間の負の感情をオチってはニヤリとする、悪趣味な自分にとっては
馬キユさんのリプは興味を感得するし、そういったものを書くところに斬新さを感じています。
長丁場でお疲れかもしれませんが、最後まで楽しみにしてますんで。
保守
この後の劉備の行動に期待age
【称旨】
―洛陽―
僕は父さんの(兄さんのとは思いたくなかった)後を継ぐ
決心をすると、洛陽に赴いて天子に謁見した。光禄勲の
官位の引継ぎを天子に承認して貰う為だった。
「馬休、面を上げよ」
天子劉協の傍らで、宦官が天子の言葉を取り次ぐ。僕は
「はっ…」と短く答えて顔を上げた。
僕が顔を上げたのを確認すると、劉協が直接声をかけて
きた。
「亡き馬超に代って、そちを光禄勲に任ずる。漢土はほぼ
恢復された。残るは幽州一州のみだ。一刻も早く平和を
取り戻してくれ」
「御意…」
再び平伏する。
…ふと、衣擦れの音と共に、かなりの数と思われる足音が
聞こえてきた。
「曹貴人…憲、節、華。如何致した」
劉協が驚いた声で訊ねた。
後宮の夫人が後宮の外に出るのは禁忌の筈だ。先日は
突然の事でこっちまで動転してしまい、その点に思い至ら
なかった。後で貴人達共々伏皇后に窘められたものである。
それでも尚慣例を犯すとは、どういう料簡であろうか。
曹節等は数人の女官と共に、陛下に跪いた。
「申し訳ありません、陛下。ですが妾等から新たな光禄勲に、
是非ともお願い致したき儀があって、斯くは罷り越しました。
何卒お許し下さいますよう、伏してお願い申し上げます」
劉協は一瞬、苦い顔をした。今回、既に彼女達に押し切られ
る形で、馬超の一族を誅戮する詔勅を出しているからだった。
「…よい。申してみよ」
少し考えてから、劉協は発言を許可した。あくまで発言を
許可しただけであって、まだ裁可するつもりはなかった。
曹節は再び拝礼して奏上した。
「では申し上げます。妾の聞き及ぶ処に依れば、光禄勲
馬休は未だ独身だそうです。そこで妾の妹の曹英(註1)を、
光禄勲の妻に娶わせたいと存じます」
朝廟がざわめいた。
曹貴人の妹と云えば曹操の娘だ。無理にも程がある。
そもそもどこにそんな妙齢の娘が残っているのだろうか。
僕も動揺した。けど僕が動揺した理由は、多分他の人とは
違っていた。
「皆々様のご懸念には及びません。曹英とは即ち、清河公主
の事ですから」
「何と?!」
百官が更に困惑する。曹節は構わず、僕の方に向き直った。
「光禄勲…いえ、ここではキユ様とお呼びして宜しいですか?」
「…仰せのままに」
「有難う」
曹節は穏やかに微笑んだ。
「妹の件ですが、実は陳羣から奏上がある以前から、父より
書簡を受け取っておりました。尤も、行方不明になっている事
までしか報されておりませんでしたが」
「……守ってあげられなくてすみませんでした…」
やっとの思いで答える。その声も擦れていた。
「謝罪などなさらないで下さい。貴方も辛かったのでしょう?
寧ろ妾達3人、貴方には感謝しております。実は妹が亡くなる
以前、妾の許へも時折、妹から書簡が届いていました。妹は
貴方の事ばかりを書いていました。優しい人だと。恥ずかし
ながら頼りにしていると。そして最後の手紙には、再嫁するなら
貴方がいい、ただ不貞を詰られるのが恐い、と」
もう耐え切れなかった。
「…ごめん…なさい…守ってあげられなくて…ごめんなさい、
ごめんなさい……!」
僕は人目を憚らず慟哭した。膝を折って、床に拳を叩き付けた。
何度も、何度も。
「そこでね、キユ様、妾達からお願いがあります。先程も申しました
けれど、妹を貴方の妻にして頂けないかしら」
「……」
僕には答えられなかった。清河公主の気持は嬉しかった。
公主を抱きたいと思っていたのは事実だから。けど、結婚と
なると話は別だ。
何も答えない僕を見て、曹節が顔を曇らせた。
「どうかしましたか?何かご不満でもありましたか?…あ、
ごめんなさい。不満はありますよね。相手は死者なんですもの。
だけど、このままでは余りにも妹が可哀相なの。お願いです、
解って下さい」
曹節は跪いて頭を下げた。これには流石に驚いた。僕は
慌てて彼女を助け起こそうとした。
「そんな畏れ多い事を…貴人ともあろう御方がそのような事を
なさってはいけません」
「可愛い妹の為ですもの、何だって致します。妹は夫を亡くして
から1年余、貴方の傍にあったのでしょう?せめてその間だけ
でも、貴方の妻だった事にしてあげて下さい」
「曹貴人のご希望、誠に勿体無き仕儀と感激しています。
ですが…」
僕には雲碌がいるので…とは言えなかった。僕はまた言葉に
詰まってしまった。
3人の貴人が口々に僕を説得しようと試みる。その申し出は
本当に有り難いと思う。けど僕には、何も答える事が出来なかった。
やがて。
「馬休。朕からも頼む。曹英の夫になってやってくれ」
玉座からもその声が発せられた。
僕はびっくりして玉顔を仰ぎ見た。劉協は眉間に小さな皺を
刻んでいた。話が遅々として進まない事に苛立っていたのかも
しれない。
「詔勅により、自今は曹英の清河公主という称号を公式に認める
事とする。貴人達の妹なら朕の妹も同然だ。天子の義妹であれば
強ち不適切な称号でもあるまい。それにそちが公主を娶ってくれる
なら、そちは朕の義弟という事になる。馬休。朕の義弟となって
朕の社稷に力を添えてくれ」
「その様な…畏れ多い…」
「そちは朕の義弟となるのは嫌か?」
「いえ、決してその様な事は…」
劉協が不興げな顔になる。僕は慌てて平伏した。
「では何だ?…ああそうか。義父が大逆犯となるのが恐いのか。
心配するな。曹操の罪はその娘4人(註2)には累禍せぬと約束
する。異例の事だが、朕がそう決めた」
僕は絶句した。はっきり言えば御都合主義な御託宣だ。無論、
公主の名誉が回復されるのは僕としても好ましい話だ。けど、
それを楯に天子の義弟になれというのは…。
……だけど。
これ以上は断れそうにない。劉協の表情を見る限り、そう
思わざるを得なかった。
僕は深い溜息を吐いた。覚悟を決めて頓首する。
「陛下のたってのお望みとあらば、臣に否やはありません。
謹んでお受け致します」
「おお、そうか。承知してくれるか」
劉協たちが一様に顔を綻ばせる。
「……ただ、臣からも1つ、陛下にお願いがあります」
「何だ。申してみよ」
僕は面を上げて背筋を正した。
「曹操に降伏勧告の使者を送って下さい。そして曹操が降伏に
応じるなら、曹操以下呉国の全ての者を助命してあげて下さい」
「な、何を言い出すのですか、光禄勲!?」
劉備が素っ頓狂な声を上げた。
「曹操は至尊の地位を掠め取った大逆犯ですぞ。死罪を以って
酬いる以外に途はありません!」
「しかし、曹操は朕の義父でもある…」
「陛下まで何を…。思い出して下さい、陛下。許田の巻き狩りを。
そして国舅董承の事を」
劉協はすぐに何か思い出したような表情を見せたけど、貴人
たちに視線を転じて困ったような顔をした。
劉備は熱弁を振るって劉協を説いた。劉協も他ならぬ自分が
下した密勅である為か、劉備の言にいちいち頷いている。けど、
それでもどこか迷っている風だった。
やがて。
「…諸葛亮はどう考える?」
自分一人では判断しかねたのか、劉協は孔明に諮問した。
孔明は端的に答えた。
「皇叔の申されます事、逐一尤もかと存じます」
劉備が我が意を得たりとばかりに頷く。関羽、ホウ統たちも
同意見のようだった。
「けど、曹操が赦されないなら、僕は官位を棄てて平民に
戻ります」
「何故じゃ!」
韓遂だった。
「そなたが官を去るなぞ、儂は許さんぞ!」
「元々僕なんかじゃ鼎足を折る職務だけど」
「そんな事はない。いや、そういう事を問題にしておるのでは
ない!」
「文約殿、落ち着かれませ」
宥めたのは徐庶だった。徐庶は韓遂の気が鎮まったのを見て、
僕に向き直った。
「岳父とはいえ父に孝を尽くすのは人としての責務。友に対して
義を尽くすのもまた、当然の理。結構かと存じます。しかし曹操の
罪が清河公主に及ばぬという勅があるうえは、閣下へも何の
害も及びません。官を棄ててまで庇うほどの事はないのでは?」
「僕はなるべくなら人を殺したくない。一言赦すと言って、曹操が
解ったと答えれば、それで済む話だと思う」
「罪を法によって裁かなければ示しがつかんぞ」
今度は田豊が口を開いた。
「法による裁きは殺人ではない。殺したくないから法を枉げる
など、あってはならん」
「けど僕は殺したくない」
「閣下の心境は複雑であろう。それは解る。だが我等にして
みれば、主君の讐を討たずしては臣下の名折れだ。如何に
無道の主君であろうともな(註3)」
「でも…」
「閣下!」
今にも詰め寄ってきそうな人達。流石に腰が引けそうになった。
けど引いちゃいけない。僕の理想を果たす為には。そう思った。
「……そうですね」
ふと。今まで沈黙していた諸葛瑾が口を開いた。
「閣下の申されようは確かに、法に則ったものではありません。
しかしながら曹操が赦されないとあらば、敵は最後の一兵となる
まで戦い抜く事も考えられます。片や我が軍は天下の趨勢既に
定まり、下々には今更命懸けで戦いたくない者も少なからずある
ようです。頑として攻め滅ぼす事だけしか考えぬのであれば、
惜ら多くの犠牲を払わされる事も考えられます。それで流血が
避けられるのであれば、降伏勧告も宜しいかと存じます」
劉備は目に見えて仰天した。
「な、何を言われますか、子瑜殿。左様な妥協は一時的には
平和を齎そうとも、将来に禍根を残すものである事は疑いあり
ません。曹操を生かしておくのは危険過ぎますぞ」
「皇叔の仰言る事も尤もだが、臣からも一言、言上致したい」
代わって発言を求めたのは孫策だった。孫策は劉協の許しを
得ると、劉備に向き直った。
「臣は嘗て楚王を僭称し、畏れ多くも陛下に対して弓を引く形と
なった。しかし最後は国破れて放浪し、当時建業太守であった
キユ殿の推挙によって、正道に立ち戻る事が出来た。皇叔は
孟達にこう言ったそうだな。人は何度でも道に迷う、ただその
度に正道に立ち戻りさえすればよいのだと。今、曹操に対しても
同じ事が言えまいか。確かに曹操は一代の傑物。だが天下が
定まれば善き臣下たり得るやもしれぬ。一度くらいは正道に
立ち戻る機会を与えてやってもよいのではあるまいか」
「彼奴の評を知っての言葉ですか、それは?奴は清世の姦賊、
乱世の英雄ですぞ」
「では孟達に言った言葉は偽りか、皇叔?」
「それは…」
「確かに。国敗れ進退谷まって後の降伏は遅きに失するで
しょうが、今からでも正道に立ち戻るというのであれば、その
赤心を嘉してこれを赦すのもまた王者の度量かと存じます」
陸遜も頷いた。
喧喧諤諤、議論はなかなか纏まりを見せない。
やがて馬良が折衷案を提示した。
「ではこうしては如何でしょうか。この際ですから清河公主の
件も含めて大赦を発し、天下の辜民の罪を一等減じるのです。
それを条件に降伏を勧告すれば、曹操をはじめ曹操の許で
重職にあった者達も、多少は応じ易くなるでしょう」
「幼常殿、こっちは孟起殿を討たれたのですぞ。曹操は今、
意気軒昂しているに違いありません。斯様な時にそんな弱腰
の条件を出しても、突っ撥ねられるのではありますまいか」
「…成程。幼常殿の御意見にも一理ありますね」
劉備の言葉の後、孔明がぼそりと呟いた。
驚いたのは劉備だけではない。関羽、徐庶、ホウ統等も
それぞれの表情で孔明を見やった。
「な…軍師殿!?」
「皇叔の御心配、御尤もです。しかし所詮は一敗です。今更
我等の優位が覆される心配はまず、ありません。ここは大人
の余裕を以って彼等に接してもよかろうかと存じます。先方が
拒絶すれば改めて攻め滅ぼせばよいだけの事。この程度の
労力を惜しむ必要はありません」
「或いは曹操も、此度の一勝を以って有利な外交をと望んで
いるかしれませんな。楽観に過ぎるかもしれませぬが、交渉
してみて損はないでしょう」
張昭の一言で評議は決した。
劉協は使者の人選をキユ以下の諸官に委ねると、貴人達を
伴って朝廟を後にした。
註1:創作です。「憲」「節」がともに法規を意味する漢字なので、
「華」に対応させて清河公主の名前を「英」としました。
註2:何晏に嫁いだ金郷公主もいるので、曹操の娘は少なくとも
5人以上はいる。
註3:「臣、賊を討たざれば、臣に非ざるなり」(春秋公羊伝)。
穀梁伝ではそれに時空の制限をつけるが、公羊伝では
千代の末、九垓の果てまで追いかけて(=無制限に絶対)
報仇するべきだと説く。
>>540 今回は個人の視点から書いている部分が多いので、
多分好悪の感情が入り乱れていると思います。
ですから批判がある事も覚悟していますが、
そう言って頂けると有り難いです。
>>541 保守して頂き有り難うございます。
>>542 ageで頂き有り難うございます。
劉備の今後ですか…そう言えば梟雄としての
劉備の視点が今回のリプレイには抜けていますね。
むむ、どうしましょうか…。
ここで次回予告。キユの決断に雲碌は…?
シスター・オブ・ラブでつきぬけろ!
555 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 20:22
保守。
みんなで幸せになろうよ。by後藤隊長
ここまで乱世を生き抜いてきたので、皆終わりを全うして欲しいものですな。
最後には主立った人物のその後も是非書いて頂きたいと思います。
主人公の行く末も、この世界の行く末もどちらも気になりますので。
ほっしゅ
【涕涙濡枕】
洛陽で引継ぎの諸事を終え、キユは半月ぶりに建業に帰って
きた。
だが、折角建業に帰ってきたのに、雲碌は迎えに出なかった。
「雲碌は?」
そう訊ねるキユに、翡翠は非難がましい視線を向けた。
「お嬢様はもう半月近くも、ご自分の褥から出られようとしません」
「出て来ないって…何で?」
「それはご自分の胸にお聞き下さい」
翡翠は冷たく突き放すと、キユを置いて立ち去った。
キユは絶句した。
「何なんだよ、一体…」
翡翠のつれない態度にもショックだったが、翡翠の態度にばかり
拘ってもいられない。キユは雲碌の部屋へ行き、取り次ぎに出た
琥珀に改めて雲碌の事を訊ねた。
琥珀は困ったような顔をした。
琥珀達が見ている限り、雲碌はこの半月、食事も摂らなければ
水も飲まなかった。湯浴みもしなければ服も着替えない。一言も
喋らず、ただ褥席の中でじっと蹲っていた。
「多分、原因はあの件なんでしょうけど…」
琥珀の話によれば、雲碌はキユが清河公主との「婚姻」に称旨
した話を聞いて、見るからにショックを受けていたという。
「キユ様も、お嬢様のお気持は解るでしょう?」
「えっ?あっ、ああ…」
キユは吃りがちに答えた。雲碌が機嫌を損ねるだろうとは思って
いたが、そこまでとは思っていなかったのだ。
(どうして…お兄様、どうして…)
あの日、私との愛を誓い合った筈なのに。
馬超、あの汚らわしい長兄の死によって、後を継ぐのはお兄様しか
いないと当然の様に思った。だから今までの関係が害われる事を、
惧れはしたけど覚悟もした。けどそれは一時的なものであって、世に
泰平が戻れば、隠遁して2人で静かに暮らす事になっている筈だった。
けど、こんな事は予想していなかった。天子の義弟ともなれば、
簡単に隠棲出来る筈がない。それこそ帝室の藩屏として国体を
護持する義務が生じる。天子の義弟が実妹を妻になど出来よう
筈もない。
私だって清河公主の死は憐れに思う。でも、それとこれとは話が
別だ。何故故人を、しかも後家だった女をお兄様の「正妻」に迎え
なければならないのか。翻って私は、「後妻」にすらなれない立場
に追いやられた。ただでさえ、最近は公主の死のせいで睦み合う
事が減っているというのに。
(どうしてこうなるの?理不尽にも程があるわ――)
悔しくて、遣る瀬無くて。涙が出た。
ふと気がつくと、琥珀と翡翠が、まるで憐れんでいるかのような
眼差しを向けてきていた。それが無性に腹立たしかった。私は
苛立ちを隠そうともせず、2人を部屋から追い出した。そしてもう
一度、頭から褥を被った。
それからどれくらい経っただろう。時間の感覚がない。ただ、
長い時間が過ぎたのだけは何となく分かった。
衣擦れの音がした。音はどんどん近付いてきて、私の枕元まで
やって来た。
「お嬢様。キユ様がお見えですよ」
どくんっ。
琥珀の囁く声に、胸が大きく高鳴った。
心臓がどんどん早鐘を打つ。
会いたい。
会ってすぐにでもお兄様の胸に飛び込みたい。
なのに。
動けない。
会った瞬間何を口走ってしまうか解らない自分が恐い。
きっと今、私は醜い顔をしている。それをお兄様に見られるのが
恐い。
「……放っといて」
「お嬢様?」
「放っといて。何度も言わせないで」
少し間を置いて小さな溜息が聞こえた。
跫音が遠ざかっていき、扉が開く音がした。そして閉まる音。
しんと静まり返った。
(またやってしまった)
またつまらない意地を張って拒絶してしまった。
あの時漸く素直になれたのに。
これじゃあの頃と何も変わっていない。
嫌だ。お兄様が傍にいないのは嫌だ。
…けど。勇気が出せなかった。
(お兄様も悪いのよ)
どうして無理矢理にでも踏み込んできてくれないのか。
どうして「本当に愛してるのはお前だけだ」と言って抱き締めて
くれないのか。
それだけで蟠りなんて消えてなくなる筈なのに。
それだけで満たされる筈なのに。
「……馬鹿……」
私は小さく呟いた。
気を遣い過ぎるお兄様と、そして臆病な自分自身に向けて。
―蓬莱山中―
北斗、南斗の二仙は、仙界にあって下界を見通していた。
「老師の易卦はどうやら的中のようですね」
南斗は敬愛する老仙の盃に酒を注ぎながら言った。
「ふむ…遂に運命を違える事はなかったか。我が理の中に在らざる
者ゆえ、或いはと思うたのじゃが…」
答える北斗の声は心なしか張りがなかった。南斗はそれを疑問に
思った。
「卦が外れる事が望ましかったのですか?」
「吉卦は当たる方がよく、凶卦は外れるに越した事はない」
「成程」
南斗は頷いたが、言葉ほどに納得した様子は見られなかった。
北斗は北斗で、まだ言わないでいる事があった。
帰妹の卦と一口に言っても、その卦の数は幾つかある。
年少の女性が長男に嫁ぐ事、女性側が縁談に積極的である事、
女房関白の前兆、晩婚、降嫁、離縁、破談……。
問題は、今のキユにはその全てが降りかかっているように
思われる事だった。
南斗は恐らく、帰妹の上六(婚姻の不成立)を以って的中と
見做しているであろう。だが、キユに耳打ちした時に出ていた
卦は、それではなかった。
(何より…)
帰妹の卦が出ているのは、独りキユのみの話ではない。
馬雲碌自身にもその卦は現れているのだ。まだ一波乱あると
見るべきだろう。
俗世の感傷など、とうの昔に忘れた筈だった。だが今、
僅かに憐憫の情と共に、2人を見下ろしている北斗だった。
北斗は一つ目を瞑ると、軽く頭を振って、盃に口をつけた。
―建業―
雲碌はそこにいる。けど触れる事はおろか、その姿を見る事
すら許して貰えなかった。
僕だって望んでこうなったわけじゃないのに。
この世界で結婚したって意味がないのに。
――けど、それは言えない台詞だった。
僕は雲碌を愛してる。こんな世界とはいえそれは事実だし、
その雲碌の心を傷付けた責は追うべきだ。
ただ、今はかける言葉が見つからなかった。
僕は已む無く踵を返した。
ふと。あの老人の言葉を思い出した。
『心を正しく持ち続ければ、或いはいずれか一方は手に入れる
事ができるかもしれん。じゃが両(ふたつ)ながら手に入れる
事は決して叶わん。心して選ぶがよい』
(そうか。そういう事だったのか)
僕は不意に悟った。
元の時代に帰りたかったら、雲碌を置いて行かければなならない。
雲碌と共に生き続けたかったら、夢をあきらめなければならない。
2つとも手に入れる事は出来ないんだ。
どちらかを選ぶしかないんだ。絶対に。
(もしかしたらこれでいいのかもしれない。だからこれで、このまま
統一を迎えれば――…)
けど、無性に悔しいのは何故だろう。
「――雨が降ってきたな」
僕は空を見上げた。
空は嫌味な程、青く輝いていた。
>>555-556 保守して頂き有り難うございます。
そうするとエピローグが長くなりそうですね…。
まあ構想の段階で結構長くなっていますので、
数滴加わるようなものですが。
出来るだけの事はやってみます。
ここで次回予告。易京に遣わされた陳羣。
嘗ての主君と相見え、何を思う?
ロケットでつきぬけろ!
567 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 14:48
保守
568 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/12 04:52
保守
保守
【決裂】
―易京―
陳羣を正使、郭奕を副使とする使者の一行は、国境を守備
していた満寵によって導かれて、易京の城に到着した。
易京に入る時、南の城門の上に一個の死体が吊り下げられ
ているのが目に入った。鉄鎖によって雁字搦めに縛られた
その死体は、無数の黒鴉に群がられて、僅かに両足の爪先
だけが見えるだけだった。
靴だけで判断する事は出来ないが、まず間違いなく馬超の
ものだろうと、陳羣は推測した。
城内に入ってからは、大鴻臚の曹宇が自ら案内をした。
陳羣は曹操の眼下に立つと、三跪九叩頭を施した。
「久しいな、陳羣。何をしに来た」
曹操は陳羣が自分の面子を保ってくれた事を覚り、柔らかい
口調で訊ねた。
「光禄勲のご下命で、足下に銭5千万銭を進呈致しに参りました」
「ほう…。で、その莫大な銭を以って何を望む?」
「まず、馬超殿のご遺体を引き取らせて頂きたく存じます」
「何故かな?」
「罪人と雖も墓に入り、祭祀を受ける資格はございましょう。
光禄勲のご意志です」
「ほう…それは意外だな」
曹操は目を細めた。
清河公主を攫った馬超はキユにとっても仇敵と言っていい。
引き取って私刑を加えるのかと思ったが、どうやら違うようだ。
まあそれもキユらしい。
(出来れば激情に身を任せて欲しい気もするが、それは結局
朕すらも出来なかった事だ。況してキユではな…)
曹操は最初、満寵の前で言ったとおり馬超の肉を食らうつもり
だった。だが馬超の不審な死に様は、多少医学の心得がある
曹操を鼻白ませるに充分だった。
一時的な熱狂が去った曹操は、法家としての冷静さを取り
戻した。ただ何もしないのでは気が晴れないので、馬超の
屍体を宮刑に処した後、城門に吊るして晒し物にする事で
些か溜飲を下げているところだった。
「……相解った。朕としても持て余していたところだ。存分に
せよ」
「有り難きお言葉」
「それから?銭5千万銭の代償が罪人の遺体1つでは済むまい」
曹操が探るような視線を寄越す。陳羣の表情がやや強張った。
「…ご賢察。光禄勲はこの仮王宮の廃宮、また黄衣朱蓋旒冕
その他の廃止をお求めです」
「…つまり、朕に降伏せよと、キユはそう言うのだな?」
「御意」
曹操が勃然と立ち上がった。
「帰ってキユに伝えよ。顕職に祭り上げられたくらいでのぼせ
上がるな、と」
「たかが一勝でのぼせ上がっておられるのは足下ではありま
せんか?」
陳羣が峻烈に言い返す。
「何だと!?」
「無礼者め!」
「裏切り者の分際でほざくな!」
途端に左右が沸騰する。中には早や剣の柄に手を掛けて
いる者も、少なからずあった。
「鎮まれ」
曹操は眼光鋭く百官を制止すると、そのまま陳羣を睥睨した。
「暫く見ぬうちに囀るようになったな、陳羣」
陳羣は跪いて三礼した。
「非礼を承知で申し上げます。今足下は大勝を博し馬超孟起の
首級を挙げられましたが、我が軍にはなお無傷の精兵百万が
あり、幽州を併呑すべく続々と集結しつつあります。また呉班、
厳顔を失ったとはいえ、なお武には関羽、甘寧、ホウ徳、孫策、
呂蒙があり、智には諸葛亮、ホウ統、徐庶、司馬懿、陸遜らの
名将が燦然と名を連ねております。万が一にも足下の勝ち目
はありません。ここは潔く降伏なされませ」
「ほざくな。朕にも数多の勇将智将があり、三十万の精兵と
それを支える百年の兵糧がある。この城も漢軍が攻め寄せる
頃には、更に堅牢にものとなっておろう。容易く勝てると思うな。
否、朕が勝つ」
「足下の軍は既に窮地にあります。足下に解らぬ筈があります
まい。無用な意地は捨てて降伏召されよ。今なら陛下も足下を
義父として特赦するとの仰せですぞ」
「甘言には乗らぬ」
「甘言とは異な仰せ。そもそも足下の特赦を陛下に進言なさ
れたのは光禄勲です。足下の女婿が2人して、足下を赦そうと
仰言っているのです。そのご厚意を無下になさいますな」
曹操は一瞬胸を詰まらせた。位階を高めるにつれ、人の厚情
に触れる事がなくなっていた。それを思い出したのである。
だが。他人に憐れみを乞うなど、最早考えられない事だった。
「……駄目だな。朕は既に他人に屈する膝を持ち合わせて
おらん。遠路はるばるご苦労だった。その首は繋げたまま
帰してやる。銭5千万銭も返そう。それ故、帰って朕の意志を
篤と伝えるがよい」
陳羣は曹操の顔を凝視した。
陳羣は曹操の一瞬の表情の揺らぎを見逃さなかった。故に
曹操の真意を探ろうとした。
だが曹操の表情は傲然としたまま、二度と揺らがなかった。
「…そうですか。是非もありませんね」
陳羣は曹操の意志が固い事を覚ると、溜息を一つ吐いて
踵を返した。
だが。その陳羣の背中を曹操が呼び止めた。
「何か」
陳羣は振り返った。
「風の便りで楽進が亡くなったと聞いた。弔辞を一筆書こう。
よければ楽進の墓に供えてやってくれ」
陳羣は一瞬言葉を失った。
「我、人に背くとも人、我に背く事勿れ」
それが曹操の信条だった筈だ。敵方に奔った元部下を
これほど気にかけ、その死に対しても厚情を施すなど、
思いも寄らなかったのだ。
「…ご厚情、亡き文謙殿に代って御礼申し上げます」
陳羣は戸惑いながらも恭しく一礼した。
「…というわけで、曹操には拒否されました」
陳羣は洛陽に帰着すると、一部始終を復命した。
「そう…ご苦労様」
キユはそれ以外に返す言葉がなかった。
「こうなってはもう攻め滅ぼす以外にありませんな」
劉備が周囲を見渡しながら意見を諮る。その表情は得意げ
ですらあった。
異論は上がらなかった。
「閣下もそれで宜しいですな?」
劉備が最後にキユに問う。
「……仕方ないね」
キユは已む無く頷いた。
>>567-569 保守して頂き有り難うございます。
ここで次回予告。
そして戦乱は終局へ。曹操、夢、見果てたり。
保
守
建興元(223)年6月
【終熄へ】
曹操が降伏を拒絶した後、僕は再び建業に戻って政務を
執った。
大概の事は孔明達の判断に任せている。僕はただ決裁
するだけだった。
御史台で兄さんの妻子の取り調べが行われ、彼等が一連
の事件に関知していない事が判明した。僕は連署によって
彼等の減刑を嘆願し、それは容れられた。
その代わり彼等の身柄は官に没収された。兄さんの妻妾
と娘は官婢として織室に入れられ、馬承、馬秋他の男子は
労役刑に従事する事になった。
その間、僕が独自に行った事と言えば2つ。
1つは昇進だ。諸将の功績に応じて将軍位を上げ、禄を
加増した。
もう1つは大規模な人事異動。城陽に孫策、陸遜、呂蒙、
甘寧、呂岱、朱拠、孟達、張任、呉蘭、雷銅を、呉に司馬懿、
司馬師、ケ艾、文聘、郭淮、赫昭、韓遂、ホウ徳、張虎、
軻比能を、南皮に劉備、関羽、諸葛亮、ホウ統、徐庶、
馬岱、王平、馬忠、関平、陳到を集めて軍の再編成を
急がせる一方、後方の治安や内政は馬良、張松、張昭と
いった賢臣に委ねた。
それから1年。
城陽からは孫策を主将とする海軍が楽浪を陥落させた。
南皮からは劉備を主将とする陸軍が北平を陥落させた。
呉軍は善戦した。けど共に支え切る事は出来なかった。
捕虜は誰一人として降伏しなかった。
叛臣は斬罪に処すべしという声は高かった。けど僕は
全員を解放した。
そして建興元年6月。劉備率いる漢軍は曹操最後の拠点、
襄平に向けて進撃を開始した。
【夢の終わり・曹操】
―襄平―
「…最早これまでのようだな」
曹操は城の中央にある高閣から眼下を見下ろして、
ぽつりと呟いた。
三重に築かれた、高く堅固な城壁。二重に張り巡らされた
濠。城門には尽く甕城を築き、守りとした。馬面を配置する
間隔を詰めて、より効率的な迎撃が出来るようにもした。
だが、所詮は易京を失っての急拵えでしかなかったのか。
あらゆる設備は意味を為さなかった。
敵が一撃放つ毎に、城壁が脆くも打ち砕かれていく。
以前、官渡で袁紹と戦った時、霹靂車というものを作った。
この遼城を攻略するに当たって敵が用意してきた兵器は、
その時の霹靂車よりも飛距離、威力共に遥かに上回っていた。
城内からは矢も弩も届かない。そんな所から雨霰と砲弾を
撃ち込まれた。
干戈の交わる音は今日も聞こえない。城内の兵士達は、
ある者は敵に手が届かない事を悔しがり、地団駄を踏む。
またある者は止む事の無い轟音に耐え切れず、打ち拉がれ
たり震えたりしていた。
敵が免死の旗を掲げてから三日が経つ。兵卒のうちには、
夜陰に紛れて姿を消す者も散見されるようになっていた。
敵に降伏したか、それもせず逃げ出したか。どちらにせよ、
既に去ってしまった者を如何ともする術を、曹操は持たなかった。
「何を言うか、孟徳!まだ終わってはおらんぞ!」
夏侯惇が叱咤する。だが曹操はゆっくりと首を振った。
「これは最早戦いではない。嬲り殺しだ。残念ながら、朕の
智恵ではあの兵器に対抗出来そうにない。これ以上戦いを
長引かせても、惜ら将士を失うだけだ」
「……くっ!」
夏侯惇はどかりとその場に腰を下ろした。その顔には
恨悔の色が濃く表れていた。
張遼、黄忠、魯粛は既に亡い。この1年の間に皆、黄泉路
へと旅立った。
だが生きていたとして、今日のこの日に善策を講じる事が
出来ていたかどうか。朕の天下を信じ、斯様な屈辱を目の当り
にせずに済んだだけ、彼等はまだ幸せだったかもしれない。
「王朗。百官を朝廟に集めよ。朕から皆に話がある」
「陛下……」
「今し方夏侯惇に言ったとおりだ。急いでくれ」
王朗は老いた顔に深い皺を刻み、やがて黙然と一礼した。
開城する。
曹操の口からその言葉を聞き、廟内は暫しの間寂と
静まり返った。
「…何故…何故ですか父上!?」
「何故左様な重大事を、我等臣下一同にお諮りになる
事もなく決してしまわれるのですか」
曹丕、蒋欽等が色を為してにじり出る。だが曹操は
「見てのとおりだ」
の一言で片付けた。
「では…陛下はどうなさるおつもりですか?」
満寵が慎重に、しかし重要な疑問を口にした。曹操は
苦笑いを浮かべた。
「さて…な。朕の女婿2人の我が侭が通るか、劉備らの
弾劾が通るか。まあ見通しはよくないな」
百官が散会しても、曹操は玉座から動かなかった。
今、曹操の心中には様々な記憶が去来していた。
十常侍に盾突いて上表した事。騎都尉に任じられて黄巾賊
を鎮圧した事。董卓に抗って九死に一生を得た事。天子を奉戴
して天下に号令をかけた事。天子を失って自ら登極した事。
しかし。全ての策は無に帰し、今日のこの日を迎えた。
何故こうなったのか。朕には何が足りなかったのか。
これまでに数多の将士を失った。人材の喪失こそがその
根本原因であろう。
そして今、嘗て篭絡せんと欲したキユによって、この地に
追い詰められた。
馬騰や馬超に追い詰められたとは思わない。キユの常勝が
なければ、奴等如きに追い立てられる事は有り得なかった。
(結局は朕自らの過ちであったか)
自らキユと対峙し、その進撃を食い止める努力を怠った。
全ては朕の過失。
そしてその過失故に、数多の将士を失う事となった。
敗れたのもむべなる哉。
我が野心は潰えた。
(――そうだ。これは野心だったのだ)
曹操は不意に悟った。
朕は朕を信じて跟いてきてくれた者達に酬いてやらなければ
ならぬと思った。故に群臣の推挙を受け、帝位を称した。
だがそれは間違っていた。我が帝位は天命を俟たず、玉璽
だけを頼りにしたものだった。それは野心でしかない。袁術と
同じである。故にその末路もまた、袁術と同じくするだろう。
(――いや)
袁術と同じになどならぬ。断じて、あのような醜態は晒さぬ。
それが漢朝400年の功臣の裔として、大呉の天子として、
朕が保ち得る最後の矜持だ。
曹操は未だ陛下に残っていた夏侯惇に声をかけた。
「元譲。そなたは玉璽と朕の首を持ってキユの許へ行け」
曹操の言葉に、夏侯惇は仰天して右目を剥いた。
「なっ、何を言うか、孟徳!そんな真似が俺に出来るか!」
「いや、この役目はそなたにしか出来ん。朕の首を携え、
張既と共に降伏の使者となれ。そしてこの首と引き換えに、
残余の者の助命を乞うてくれ」
曹操の声は淡々として落ち着いていた。
夏侯惇は何か言いかけて一度口を噤んだ。曹操の決意の
固さを看取したのだった。
「…何故死に急ぐ、孟徳」
「漢朝に叛して皇帝を称したのだ。今更赦してくれなどと誰が
言えようか」
「随分とあきらめがいいな」
「これも天命だ。仕方あるまい」
「ならば俺も死ぬ」
「ならん。そなたは生きろ」
夏侯惇の隻眼が烱烈に光った。
「何故だ。俺とて呉の大将軍だ、生き長らえるわけにはいかん」
「そなたには朕の妻子を守って貰いたいのだ。子桓の性格では
降伏の屈辱に耐え切れまい。恐らくは礼を失して誅殺される
羽目に陥ろう。だが朕は子桓の命も助けてやりたい。その時、
その一命に代えても、子桓の命を守ってやって欲しい」
「…つまり、俺はいざという時の楯であり、贄であるわけか」
「そうだ」
夏侯惇はじっと曹操を見据えた。
曹操は身じろぎもせず、厳しい表情で夏侯惇を見返した。
やがて。
「…ふぅ――」
夏侯惇は大きな息を吐くと、破顔した。
「そうか、お前の妻子を守る為か。ならば異存はない。この
夏侯惇元譲、人生最期の大役を見事務めてみせよう」
「済まぬな。朕の我が侭に付き合わせて」
「我が侭とは水臭いな。俺とお前の仲じゃないか」
「…ああ、そうだな」
曹操は立ち上がると、一歩一歩踏みしめるように、階を降りた。
夏侯惇が見詰める前を素通りし、闔閾に差し掛かる。
そこで夏侯惇が声をかけた。
「待っていろ。俺もすぐに行くからな」
曹操は立ち止まって振り返ると、涼やかに笑った。
夏侯惇はにやりと笑って言葉を継いだ。
「あの世に着いたら妙才達を集めて、また天下取りでもするか?」
「あっちには董卓も呂布もいる。孫子も項羽もいるかもしれん。
手強いぞ」
「望む所だ」
二人は一頻り笑い合った。
「――では、一足先に」
そして曹操は姿を消した。
>>576 保守して頂き有り難うございます。
ここで次回予告。
祭りの刻は過ぎた。その時キユの決断は…?
ロケットでつきぬけろ!
曹操の葬送
【夢の終わり・キユ】
―建業―
キユは北平の孔明に進軍の指示を出すと、自らは荷物を
纏め始めた。
「今後は洛陽で政務を執る」
言わば引越しの準備である。それが建前だった。
それに応じて、琥珀たちも全員が中央に戻るべく、荷物を
纏め始めた。
1人、雲碌を除いては。
だが、雲碌は別に洛陽に行きたくないわけではない。
単に不貞寝が続いているだけだった。
そんな雲碌の様子を見て琥珀は溜息を吐いたが、何も
言わずに雲碌の荷物も纏め出していた。
その日僕は、建業の自室において、遼城の陥落と曹操の
自決の報告を受け取った。
曹操の首なんて見たくない。生首だけになった義父の姿
など正視に堪えない。
実検の必要なんてない。劉備や関羽が確認すればそれで
十分だ。それよりも――。
(遂にこの日が来たのか)
僕は慄然とした。
中原は遂に統一された。
平和は来た。もう僕が戦う必要はない。こんな時代と場所
に縛られなければならない理由はなくなった。これからの
僕は自由だ。どこにだって行っていいんだ。やっと元の時代
に帰れる。
――そう思うのと同時に、いろいろな事が脳裡を過った。
『心を正しく持ち続ければ、或いはいずれか一方は手に
入れる事ができるかもしれん。じゃが両(ふたつ)ながら
手に入れる事は決して叶わん。心して選ぶがよい』
『海内が再び統一された暁には、2人して隠棲し、どこか
人目の届かぬところで静かに慈しみ合ってくれ。くれぐれも
人目を憚らぬような真似だけはしてくれるな』
『お兄様は私の全てなんです。お兄様さえ傍にいて下されば、
それだけで私は幸せなんです。だからどこにも行ったりしない
で下さい。約束ですよ』
『私はお嬢様付きの侍女です。ですが御恩があるのはキユ様、
貴方に対してだけです。キユ様がお望みであれば、私はどの
ような事でも致します。そう心に誓っているんです』
思えば随分と柵(しがらみ)が出来た。愛する女性(ひと)も
出来た。雲碌の為にこの時代に骨を埋めるなら、僕は元の
時代に帰る事をあきらめるべきだろう。けどこうして何とか
生き残る事が出来たのは、僕に漫画家としての命運が
尽きていないという事の証かもしれない。
僕は元の時代に帰りたい。帰ってもう一度漫画家として
チャレンジしてみたい。
(僕はどうすればいい?)
あれから何度となく悩んだ。煩悶しつつも答えが出ずに
今日まで来た。
けど、砂時計の砂はもう落ちきってしまった。これ以上答えを
先延ばしにする猶予は僕にはもうない。今日、決めなければ。
それからどのくらいの時間が過ぎただろう。空はもう茜色に
染まっていた。
僕は遂に意を決すると、琥珀さんの部屋へと足を運んだ。
翌朝。
といっても、既に陽は高い。
「お嬢様、おはようございます。お召し替えの時間です」
雲碌の目を覚ましたのは、いつもと違って翡翠の声だった。
雲碌は応えない。
「洛陽へ上る準備が整いました。今日にでも出立せよとの、
キユ様からの仰せです」
随分と愚図ったが、雲碌は結局、渋々ながら牀台から出た。
いくらすれ違いが続いているからといって、離れ離れになる
のだけは嫌だった。
牀台から出て、雲碌は琥珀の姿がないのに気付いた。
「翡翠。琥珀は?」
一瞬、翡翠の身体が強張ったように見えた。雲碌は首を
傾げた。が、翡翠はすぐに冷静を装った。
「姉さんは今、用事があって城を離れています」
「私の侍女なのに、主人である私よりもその用事とやらの
方が重要なの?」
翡翠に着替えをさせながら問い詰める。
「お嬢様を軽んじているわけではありません」
「それは用事の内容を聞いてから私が判断します。琥珀が
外せない用事って何?」
「出立には間に合わせますので、どうかご安心下さい」
「誰がそんな事を訊いてるの?私が訊いているのは琥珀の
用事の内容です。どんな用事なの?」
「……」
「翡翠…貴女侍女の分際で私に隠し立てをするつもり?」
翡翠は恐怖に打ち震えたが、歯を食いしばって堪え、
雲碌の着付けを終えた。
「そう…そんなに言えない用事なの…」
雲碌の声音が落ちた。そっと瞼を閉じる。
刹那。雲碌は片手で瞬時のうちに翡翠の首を締め上げて
いた。
このあたりは如何にも馬超の妹だった。
翡翠は動転した。慌てて雲碌の手を引き剥がそうとしたが、
両手を以ってしてもびくともしなかった。
「かは…お…お嬢…様…」
声が擦れる。頭に血が上る。だが雲碌は目尻を吊り上げて
翡翠を睨み付けた。
「言いなさい、翡翠。言わないと死ぬわよ」
「い、言います…言いますから手を…」
どうしようもなかった。翡翠は息も絶え絶えに懇願した。
翡翠から話を聞き出すや、雲碌は翡翠を突き飛ばして
部屋を飛び出した。
『キユ様は挂冠なされました。今日、東夷に向けて出航
なされます。姉さんはその見送りに出かけました』
(それって一体どういう事?解らない。何故そんな事に
なってるの?)
混乱する頭で愛馬『胡蝶蘭』の手綱を取る。
だがその視界に、キユの的廬が繋がれたままなのを
見咎めた。
雲碌は迷わず手綱を持ち替えた。
『お嬢様には内密にと言われていました。キユ様のご意志
だそうです。この事を知られないうちにお嬢様を洛陽まで
お連れしろとの事でした』
(何故私に一言も相談してくれないの?どうして私を連れて
いってくれないの?)
私はお兄様を愛している。お兄様も私を愛していると言って
くれた。そして幾百幾千の夜を愛し合った。なのに何故?
もう飽きたというの?私の事なんてもうどうでもいいの?
私がずっと拗ねてたから…それが悪かったの?
それともそんなに清河公主の事を愛してたの?
解らない。何もかもが解らなかった。
私にはお兄様が必要なのだ。絶対に離したくない。離れ
たくない。追いついて問い詰める。そしてお兄様がどうしても
この地を去るというのなら、私も一緒に連れていって貰う。
着のみ着のままだっていい。他には何も要らない。お兄様
さえいれば私はそれだけで幸せなのだから。
「目指すは湊です。行きなさい、的廬!」
雲碌が一鞭を当てる。的廬は一声、甲高く嘶いて駆け出した。
>>587 ダジャレでの保守、有り難うございます。
リプレイ開始から今日で丸2年が経ったわけですが、
漸く終わりが見えてきました。長い道程でした…。
ここで次回予告。それぞれの夢の終わり…。
ロケットでつきぬけろ!
保守
リプが始まった当初から拝読していますた。
話の結末がたのしみだけども、リプ終わったあといつも更新チェック
してたところが一個減るさみしさを考えると、複雑な気分……(´・ω・`)
「オーレー オーレー♪ウジザネサンバ♪オーレー オーレー♪ウジザネサンバ♪」
∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ´∀`)
⊂ つ⊂ つ
.人 Y 人 Y
し'(_) し'(_)
「あぁ 恋せよ アミーゴ♪踊ろう セニョリータ♪」
∧_∧ ∧_∧
(・∀・ ) (´∀` )
⊂、 つ⊂、 つ
Y 人 Y 人
(_)'J (_)'J
「眠りさえ忘れて 踊り明かそう♪サーンバ ビバ サーンバ♪」
∧_∧ ∧_∧
( ・∀・ ) ( ´∀` )
( つ⊂ ) ( つ⊂ )
ヽ ( ノ ヽ ( ノ
(_)し' (_)し'
「ウ・ジ・ザ・ネ サーンバー♪オレ♪」
∧_∧ ∧_∧
∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩
〉 _ノ 〉 _ノ
ノ ノ ノ ノ ノ ノ
し´(_) し´(_)
599 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/25 16:04
保守
【夢の終わり・雲碌】
―建業郊外の湊―
「本当にこれで宜しかったのですか、キユ様?」
琥珀は一隻の楼船を前にして訊ねた。
琥珀さんは相変わらず笑顔で話しかけてくる。けどその
笑顔も、今日ばかりは少し翳って見えた。
「ああ、これでいいんだ。これで――…」
僕は雲碌の幻影を振り切るように言った。
この数年間、琥珀さんには本当にいろいろとお世話に
なった。はっきり言えば利用した。琥珀さんの気持を
分かっていながら。それが僕の罪悪感を更に大きくする。
けど。それでも僕は引き返せない。
「今までありがとう、琥珀さん。そしてごめん」
「謝って下さらなくとも結構です。全てはキユ様の御恩に
報いる為ですから」
琥珀さんはくすりと笑った。けど、その微笑もやっぱり
どこか曇りがちだった。
「この事が雲碌にバレたら、ただじゃ済まないかも
しれないよ?」
「ではどうしてキユ様は私を頼られたのですか?」
「それは……」
「でしょう?キユ様は最初から解っていらしたんです。
それでも私を頼られました。ですから私はキユ様の
ご希望にお応えしたんです。ただそれだけです」
「……ごめん」
僕はそう言うしかなかった。琥珀さんは苦笑の溜息を
漏らした。
「でも、私やキユ様はそれでよくても、お嬢様はきっと
納得してくれませんよ?」
「そうだね…そう思って、実は雲碌に一筆認めた。
帰ってから雲碌に渡してほしい」
そう言って僕は、一通の手紙を琥珀さんに手渡した。
「これでお嬢様が納得して下さればいいですけど…
確かにお預かりしました」
「はは、そうだね……」
僕は苦笑した。確かに、こんなもので納得してくれるとは
思えない。けど、それでもこれは伝えなきゃならない事だ。
でも正面切っては告げられない。会えば必ず未練が残る。
だから直接会う事は出来ない。こうして琥珀さんに託す事
しか出来ないんだ。
「閣下、出航の準備が整いやしたぜ」
船上から船長が声をかけてきた。
「そろそろ行かなきゃ」
「これでお別れなんですね」
琥珀さんが寂しそうに笑う。胸がずきりと痛んだ。
「…そうだね。本当にごめん」
「いいえ。私はこうしてキユ様の船出を見送る事が出来ます。
それだけでも他の人よりずっと幸せだと思います」
「そう言われると気恥ずかしいな」
僕は鼻頭を掻いた。
「じゃあ行くよ」
「キユ様、あの……」
踵を返しかけた僕を、琥珀さんが呼び止めた。僕は
何だろうと思って振り返った。
琥珀さんは何だか顔を赤らめてもじもじしていた。
「なに?」
「あの、最後に…一度だけでいいんです。一度だけで
構いませんから、私を抱きしめてくれませんか」
僕は琥珀さんをまじまじと見詰めた。
琥珀さんは頬を赤らめながら、じっと僕の目を見詰めて
くる。その瞳から余程の覚悟と決意が伝わってきた。
そんな事を言われるのは男冥利に尽きる。けど……
「ごめん。雲碌にさえしてやれなかった事を、他の女性
(ひと)にしてあげるわけにはいかないんだ」
「そう――ですか。そうですよね――…」
琥珀さんが寂しげな笑いとともに俯く。
けど僕の身体は言葉とは裏腹に、琥珀さんの身体を
抱きしめていた。
「――えっ…?」
琥珀さんが目を見張る。
「けど、僕は琥珀さんに何もお礼をしてあげられない。
だからこれが僕のお礼だ」
そしてすっと手を放す。
「琥珀さん、ありがとう。じゃあ僕は行くよ」
「……はい。こちらこそありがとうございました」
「元気でね。皆にもそう伝えておいて」
「はい。キユ様もお元気で。よい船旅を」
ステップを上がっていく僕に、琥珀さんは優しく微笑み
かけた。
その目尻にはうっすらと涙が滲んでいた。
雲碌は的廬を湊まで直走りに走らせた。
ここ最近引き篭もっていたせいか、身体が重い。馬を
駆る事がこんなに負担の掛かるものだとは思わなかった。
でもここで立ち止まるわけにはいかない。
湊は人出で賑わっていた。帰還した兵士、故郷に錦を
飾った将校、彼らを出迎える家族。或いは積み荷に携わる
商人や人夫。誰もが中華全土の統一を祝い、来るべき
新時代、平和と進取の時代を謳歌しようとしていた。
その人いきれの中を、雲碌は風のように駆け抜けた。
桟橋で手綱を引き、兄の名を呼んだ。申し訳程度に
琥珀の名も呼んだ。
「お兄様とは誰の事ですかな?」
裕福な身なりの壮年が雲碌に問い掛けた。
「漢の光禄勲、馬休の事よ」
「ああ、閣下でしたら、ほら」
壮年は海に向かって指を指した。
「あそこに船が見えるでしょう。あれに乗っておられますよ。
何でも東夷に…」
壮年の言葉が終わるのを待たずして、雲碌は的廬を
海に乗り入れていた。
驚いた壮年が何か叫んでいたが、雲碌の脳には
届かなかった。
壮年が指差した船は、既に湊から一里余り離れていた。
ほんの僅かの差だった。
同じ陸地にいさえすれば、どんなに離れていてもいつかは
追いつく。追いつくまでの時間を短縮することも容易い。
だが、海はそうではなかった。海では一度ついてしまった
差が容易に縮まることはない。それは宇宙の真理の如く、
厳然として雲碌の前に立ちはだかった。
「待って、お兄様!私を置いていかないで…!」
私が悪かったのなら謝るから。
これからは素直になるから。
だからお兄様の傍にいさせて。
雲碌は必死で船に追い縋ろうとした。
だが両者の差は縮まるどころか、広がっていく一方だった。
いつしか的廬は、海面に首を出しているだけで精一杯に
なっていた。
雲碌は絶望に打ちひしがれて俯いた。
でも。
離れたくない。
失いたくない。
「お願い、的廬…」
雲碌の口が微かに動き、そして爆発した。
「お願い的廬!私をあなたの御主人様のところまで
連れていって…!」
雲碌のその願いが通じたのか。
的廬はひときわ高く嘶くと、五、六丈ほども飛び跳ねた。
だが。
的廬がどれほど驚異的な跳躍を見せようとも、キユの
船は遥か彼方。届くべくもなかった。
そして船は見えなくなった。
閻行が駆けつけたのは、その直後だった。
閻行は、表まで出てきたはいいがどうすればよいか
解らずに狼狽えていた翡翠の前を折よく通りかかり、
翡翠の頼みでここまで追ってきたのである。
それから数分後。
海中に沈みかけていた雲碌は、閻行の指示によって
救助された。
続いて的廬の救出が試みられたが、こちらはなかなか
作業が捗らなかった。
陸に揚げられた雲碌は、そのまま蹲って打ち震えていた。
閻行は上着を脱いで雲碌の肩にかけてやった。そして一言
「無茶をしたな」
と言った。
「…無茶苦茶なのはお兄様の方よ」
雲碌は力なく呟き返した。
「何故…?どうして…?」
囈のようにそれだけを繰り返す主人を見て、琥珀は流石に
胸が痛くなった。
「お嬢様、これを」
琥珀は先刻預かったばかりの手紙を雲碌に差し出した。
雲碌は呆けたように一瞥したが、手紙の存在に気付くと
引っ手繰るように受け取った。そして食い入るように内容を
検めた。
『親愛なる妹へ。
僕が黙って立ち去る事を赦して欲しい。
君は何故と問うだろうけど、これには山よりも高く海よりも
深いわけがある。
実は僕は、君の実の兄じゃない。いや、馬寿成の実の
息子じゃあない。お父さんには確かに馬休という次男が
いるらしいんだけど、それは僕の事じゃない。
僕は本名を松井勝法、ペンネームをキユという、君たち
から見れば1800年後の倭人の漫画家なんだ。何故こう
なったのかはわからないけど、僕は僕の世界で事故に遭い、
気がつくと馬休という人物になっていた。これが真相だ。
馬休本人と僕とが入れ替わってしまったのは20年以上も
前、君がまだ襁褓をしていた頃の事だ。それ以来僕はずっと、
全ての人を偽って生きてきた。最初は得体の知らない世界で
独り放り出される事が怖かったからだけど、長い年月のうちに
次第に居心地のよさに甘えるようになってたと思う。
この話を伝えるのは君にだけだ。話しておかないと君は
きっと納得してくれないだろう。だからこの話は他の人には
黙っておいてほしい。
この時代も平穏になったことだし、僕はそろそろ本来の
自分を取り戻したいと思う。
これは元々予定していた事だ。
雲碌の事は勿論、愛してる。けど、それでも僕はこの
帰心を押し止める事が出来ない。だから僕は行く。
最後まで嘘をつき続けてごめん。
いつか本当のお兄さんが見つかるといいね。
君の幸せを心から祈っています。
バイバイ。
キユ
P.S.近々洛陽にたくさんの捕虜が護送されてくるだろう。
僕の意思は皆赦だ。出来れば僕に代ってそう奏上して欲しい。
これが漢朝に対する、僕の最後の奉公だ』
「……何が『私の幸せを心から祈っています』よ……」
雲碌の声が震える。
「お兄様がいないのに私が幸せになれるわけないのに…
お兄様がいない世界など私には意味がないのに……!」
雲碌は握り締めた拳を地面に撃ちつけた。何度も、何度も。
「お兄様が誰だって構わなかった!お兄様は私にとって
お兄様だった!…………そして、兄以上だった…。
お兄様……お兄様!」
閻行が雲碌の肩をそっと叩く。
閻行を見上げた雲碌の顔は、滂沱に塗れていた。
「う…う…わああああああああああ!ああああああああああ
……!!」
>>597 最初からという事は、私がドラクエに嵌って更新を疎かに
していた時期もご存知のうえで、読んで下さっているのですね。
貴殿のような方がいて下さったお陰で、私も何とかここまで
くる事が出来ました。本当に有り難うございました。
何事も始まりがあれば終わりもまたあります。
寂しいと言って頂けるのは幸甚に尽きますが、
ご容赦の程、宜しくお願い致します。
>>598 何だかよく解りませんが、保守して頂き有り難うございます。
>>599 保守ageして頂き有り難うございます。
次回からエピローグになります。
2,3回に分けて書き込む事になると思いますが、
最後までおつきあいの程を宜しくお願い致します。
612 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 09:23
保守
613 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 22:18
保
守
S
A
G
A
【エピローグ】
海の底から湧きあがって来るような感覚。
意識の深淵が呼び覚まされるような感覚。
そして光を感じた。
「あっ、母さん。カツが目を覚ました」
「えっ、ほんと?!」
うっすらと目を開けると、見慣れない光景に、懐かしい顔。
「…アキ…と母さんに似てるなあ…」
キユがぼんやりと呟く。
「似てるんじゃなくて、本人だよ本人」
「本人?」
キユはあたりを見回した。近代的な病室に、近代的な設備。
そして目の前にいるのは自分の本来の母と弟。2人とも「よかった、
よかった」と、そればっかり繰り返してる。
「なんだか懐かしい顔だなあ。まるで20年ぶりくらいに見た
気がするよ」
「あ、まだボケてるわこいつ。20年も経ってたら俺も母さんも
こんな顔してないよ」
「…それもそうか」
キユはまだぼんやりとしつつ、アキに訊ねた。
「ねえアキ。今日は何年何月何日?」
「ん、今日?今日は2002年の某月某日だ」
「そうか…帰ってきたんだな、僕は」
「帰ってきた?何を言ってるの勝法。あなたはこの5日間、
ずっとこの病室で意識不明に陥ってたのよ」
「へっ?」
「まーまー母さん。きっとカツは三途の川を渡りかけたんだよ」
「こら、明紀。言っていい冗談と悪い冗談があるわよ」
「へーい」
アキは首を竦めた。
「ところでさあ、カツ。さっきからビミョーなニオイがする
んだけど……」
「えっ、何が?」
キユは問い返して不意に、自分の股間が生温かいことに
気が付いた。
(やっ…べえ、夢精か?そーいや雲碌とヤリまくってたん
だっけ)
「まったくウチの息子たちときたら、親の目の前で何て会話を」
母が眉根を寄せて溜息を吐く。キユは赤面し、アキは再び
首を竦めた。
「…じゃあカツ。タオルと着替えはそこにあるから。俺らは
暫く出とくから、何かあったら呼んでくれ」
「おー」
キユは母と弟を視線で見送ると、最後にある記憶を辿ってみた。
湊で一騒動あったとは露知らず、キユは、これで一件落着
とばかりに船内でダレきっていた。後は無事に日本に辿り着く
のを待つばかり。
だが、そう思ったところで大きな疑問が湧き起こった。
「…待てよ?仮にこのまま日本に辿り着いたとして、でもそれは
日本だけど僕の知ってる日本じゃないよな。どうすればいいん
だろう?」
うーむ、と考え込むキユだが、固より答えが出るはずもない。
「ま、なるようになるか」
キユはそう呟いて、さっさとこの問題を忘れることにした。
「…それにしても、っかしーなー。アレ、持ってきたと思った
んだけどなー。どこやったんだろ?」
そんなキユの薄情っぷりといい加減っぷりに天が怒ったのか。
出港して5日後、キユの船は台風に巻き込まれた。
よほど運が悪いのか、キユを巻き込んだ台風はかなりの大型
だった。海上は大時化状態。キユは忽ち船酔いを起こして嘔吐
を繰り返した。
「うわ〜、よく考えたらこの時代じゃなくても、6月って台風
シーズンじゃないか…うぇっぷ。しかも 東シナ海って台風の
通り道だよなー…おぇっぷ」
船縁に縋って胃の中のものを吐き出していると、一人の水夫
がキユに近付いてきて、船長が呼んでいると伝えた。
「あ〜…何?話って」
「言いにくい事なんですけどね」
船長はそう前置きしたけど、ちっとも言いにくそうじゃない
のはなぜだろう。
「このままだとこの船はヤバイです」
「ヤバイ?」
「はい。早晩転覆か沈没か、2つに1つです」
「…それは頼もしい未来予想図だね」
「豪胆ですな」
「あんたほどじゃないよ」
「…ごほん。そこで倭人の持衰とやらに海鎮の祈祷をさせて
いますが、あんなのは私に言わせりゃアテになりません」
「同感だね」
「でまあ、こういうときの方便として、人柱を捧げて海神の
怒りを鎮めるという手法もありますが、どうしますか」
「要らない要らない。ただの自然現象相手に積極的に死ぬ
事もないさ」
「しかしこのままですと全滅の憂き目に遭いかねませんが」
「全滅は嫌だね」
「ではご決断を」
「でも人柱はダメ」
「そんな悠長な事を言ってる…と?!」
その時、一際大きな波が来たらしい。
僕たちの船は中空に撥ね上げられて…そして海面に激突
した。
勿論船はバラバラ。積み荷もバラバラ。人は…あ、僕は
大丈夫みたいだ。
周囲を見渡すと、さっきまで船だったものが無数の破片と
なって海面に浮かんでいる。船に乗っていた人たちは思い
思いに、その船の切れ端に縋っている。僕は…この帆柱に
しとくか。
僕が帆柱に縋って一息ついてると、船長が船の破片を
ビート板よろしく使って近付いてきた。
「や、あんたも無事だったみたいだね…」
「あんたのせいだぞ!」
船長は開口一番、そう怒鳴った。
「あんたがぐだぐだ言わずに人柱を立てときゃ、こんな事
にはならなかったんだ!」
…祈祷の効力は信じないのに人柱の効力を信じるのは
なんで?
「ま、仕方ないさ。覆水盆に還らずとも言うしね」
「還らないどころか水浸しだ」
あーはいはい。しかしこれからどうしますかねえ…
「船長、船長!」
水夫の必死の叫び声が聞こえてくる。
「あーん?」
僕と船長は同時に振り返った。
その目の前に迫り来るのは、ワイキキビーチもかくやの
ビッグウェーブ。
「……!!」
僕と船長は声も出せずにお互いを見やって…そのまま
波に飲み込まれた。
嗚呼。勝って勝って勝ち続けて、こんなところで負ける
のか。それも台風に。所詮僕はここまでの男だったのか、
雲碌…なんつったりして。
危機感とはおよそ無縁の事を考えながら、僕の意識は
海中深く沈んでいった。
――思い出した、こんなカンジだった。
えーと、待てよ?つまり交通事故に遭って過去に飛んで
20年以上も過ごし、海難事故に遭って現在に戻ってきたと、
そういう事になるのかな?
でも、母さんは僕が意識不明でずっと寝てたって言った
な。じゃああれは全部夢?
しかしたかだか4,5日意識不明に陥ってたからって、
あんな壮大な夢を見るもんかねえ?
てゆーか、意識不明の状態で夢って見られるもんなのか?
退院してからはいろいろと忙しかった。編集部や師匠、
友人の漫画家たちにご心配とご迷惑をおかけしたお詫び、
とかいって、暫くは挨拶回りが続いた。
勿論、ナンバー10はとっくに打ち切りが決定していた。
あーあ、また当分はアシとバイトの生活かー。次作の連載
枠獲得に向けてLive Like Rocketだ。
―225年夏、建業―
雲碌は一人、桟橋に立っていた。
あの日、お兄様はここから旅立って行った。
お兄様の乗った船が難破した話は、すぐに大陸にも
伝わってきた。
私は洛陽への出立を取り止め、お兄様を追う準備を
していた。その矢先の凶報に、私は半狂乱して周囲を
驚かせた。
お兄様が生きていたという報告は、未だにない。
そんな報告が決して齎される事がないという事は、
私がいちばんよく解っている。だってあの日以来、
私の身体は嘘のように軽くなったのだから。
そう。これは昔感じていた身軽さ。お兄様に私の
神気を与える以前の感覚だった。
狂乱するなという方が無理だった。
お兄様が書き残していった「本物の馬休」なる人物
すら、姿を現さなかった。
光禄勲の突然の棄官に、漢の朝廷は混乱を来した。
中でも落胆が大きかったのは天子劉協、文約の叔父様、
そして司馬懿だろう。
朝廷は大きく分けて3つの閥に分かれた。劉備、孔明
をはじめとして中央集権を図る一派。孫策、陸遜を
はじめとする江南の豪族連合。鉄兄様は我こそが次の
盟主たらんと大号令を発したけど、日を措かずして
何者かに暗殺された。馬岱様はその哀れな死に様を
見て、黙々と劉備の閥に加わった。
捕虜を裁くどころではなかった。いや、却って助命
する代わりに、自らの閥に取り込もうという動きが
加速した。中でも司馬懿、陳羣らは諸夏侯曹氏の生き
残りや若手を取り込んで、もう一つの派閥を形成した。
政争はもう始まっていた。
いなくなった者の事など、誰も覚えていなかった。
お兄様の気配が失せて以来、私は抜け殻のような
日々を送っていた。
「郷里にお帰りになりますか?」
ある時、琥珀が遠慮がちに訊ねた。
最初は何を訊かれたのかさっぱり解らなかった。
何度か訊き直されて漸く、私は首を振る事が出来た。
ここから離れる事が出来なかった。郷里の、あんな
内陸に帰ってしまっては、お兄様との絆が本当に
断たれてしまうようで恐かった。
けど、いつまでも城内に留まっているのは都合が悪い
という事にも気付いた。
私は孔明を通じて建業郊外に一軒家を無心して貰い、
琥珀達と共に移り住んだ。
荷物は一度纏まっていた。引っ越すのは簡単だった。
引っ越してから数日後。彦明様が大きな荷物を送って
きた。
お兄様が描き溜めていた、たくさんの肖像画だった。
(こんな大事なものを忘れてたなんて…)
いくら気落ちしていたとはいえ、城を引き払う際に
あの人の荷物を引き取らなかったなんて、何と間の抜けた
話だろう。私は自責しながら肖像画をめくり始めた。
そこにはお父様がいた。孟起…兄様がいて鉄兄様が
いて文約叔父様がいた。彦明様がいて琥珀がいて翡翠が
いた。曹操がいて曹休がいて司馬懿がいた。他にも
たくさんの人物が描かれていた。
そして幼い頃の私がいた。
「…私、目も口もこんなに大きくありませんでしたわ」
半泣きでぼやきながら、次々に紙をめくる。
…肖像画は次第に、私のものが増え始めた。怒った顔、
拗ねた顔、泣いた顔、笑った顔。横顔に寝顔まであった。
よくこんなに見ていてくれたものだと思いながら、
嬉しさと懐かしさで胸がいっぱいになった。
「…何かしら?」
最後に一つ、別個に梱包されている包みが残った。
包み方が他のものとは違い、それだけで別人が包んだ
ものだと判った。
もしかしたらお兄様が忘れていったものだろうか。
私は何気なく包みを開いた。
「…………っ!」
そこには、とびきりの笑顔で微笑む私がいた。
私は胸が高鳴るのを覚えた。
私はふと、その絵の左下隅に何か書いてあるのに気付いた。
『my love, 雲碌』
堰を切ったように泪が溢れ出た。
言葉は読めない。でもその想いは確かに私の胸に
伝わってきた。
私はその絵を強く抱きしめた。
私はこの上なく嬉しくて、そしてこの上なく悔しかった。
ずっとお兄様と一緒にいたかったのに。
でも、それはもう叶わない。
私はいつまでも泣き続けた。
そして3年が過ぎた。
「お嬢様」
背後から呼びかけられて、私は振り返った。
「琥珀。翡翠」
「やっぱりここでしたね。お急ぎ下さい。もうすぐ
平東将軍様との婚儀が始まりますから」
私は琥珀に対して頷いてから、翡翠の咎めるような
視線に気付いた。
「なに、翡翠?随分不満そうだけど」
「一つお伺いしても宜しいでしょうか」
「いいわ。何?」
「お嬢様が今ここにおいでになっているわけは何でしょうか」
「さあ。強いて言えば郷愁かしらね」
翡翠の目つきが一段と険しくなった。
「…僭越ながら言わせて頂きます。お嬢様は薄情です。
お嬢様までこのままキユ様をお忘れになるおつもりですか」
「そう見える?」
「はい」
「そう」
私は思わず苦笑した。侍女の分際でいい度胸してるわ。
この二人もあの人を慕っていたと知ったのは、
あの人がいなくなってからの事だ。
といっても、あくまでそうらしいと覚っただけで
あって、二人に直接問い質した事はない。今ので
疑惑が確信に変わったけれど。
…まあ、そんな事はどうでもいいんだけど。
「私は忘れたつもりも、忘れるつもりもないわ」
「ではなぜ、あんな老人との婚礼を承諾なさったの
ですか」
「一つは丞相からの懇請だから」
劉備亡き後、丞相となったのは孔明だ。
政争は現在、小康状態にある。とはいえ呉会の豪族に
睨みを利かせるつもりなのだろう。趙雲が平東将軍揚州
都督諸軍事として、近頃建業に赴任してきた。その直後
にこの縁談だった。
私は、事情を知りながらこんな縁談を寄越した孔明に
腹を立てたが、
『今更俗事に関わるつもりはない』
と返すに留めた。
孔明から折り返し返事が届いた。その使者として
やって来たのは徳衡(馬鈞)だった。
徳衡は今、丞相鎧曹掾として朝廷に出仕している。
本来ならこんな役目を負う立場ではないのだけど、
恐らく遠戚にあたるという理由で起用されたのだろう。
『平東将軍は既に老齢です。形だけでも人妻の肩書きを
手に入れれば、その後貞義を貫くにも何かと都合が宜しい
のではないかと存じます。平東将軍にもその旨お伝え
致しますので、よいお返事を頂けますよう、伏して
お願い申し上げます』
親書にはそう書いてあった。
正直、形だけでも他人のものになるのは嫌だった。
せめてあの人の子供を授かっていれば。
誰から何と言われようとも、頑として貞義を押し通す
事が出来ただろう。
いや。寧ろ不義の兄妹よと謗りを受けて、世間が私を
爪弾きにしてくれた事だろう。
けど、子供を授かる事は遂になかった。
あの人がそれを望まなかったのだと、後日琥珀から
聞かされた。
腹立たしくて、遣る瀬無くて。――けど、それが
正しかったのかもしれない。
琥珀はその時死を覚悟しているようだったけど、
私は何も言わなかった。
返事は書かなかった。
それから2度、孔明からの親書が届いた。
3度握り潰したところで、今度は孔明自らが足を
運んできた。
「今を時めかれます丞相閣下が、このような怨婦に
何のご用でしょうか」
「既にご承知とは思いますが、貴女に平東将軍との
婚儀を承諾して頂きたく、かくは罷り越しました」
「たかがその程度の話で政務を蔑ろになさるなど、
とても常日頃の閣下とは思えません」
「貞婦は時に自決しますからね。女性の貞義はそれで
守られ、称揚されるのでしょうが、拒絶された側は
やはり傷つきますから。そう、あれはもう何年前の
話になりますか…」
それはまだあの人がいた頃の話だった。
郭奕が後妻に穎川の荀采という女性を望んだ事が
あった。荀采は19歳で後家となり、その時もまだ
二十歳を過ぎたばかりだった。荀采の父は結婚を認め、
嫌がる娘を無理矢理郭奕の家に送りつけた。すると
荀采は「尸還陰(我が屍は陰氏=夫の家に還る)」と
書き遺して、自ら首を縊って死んでしまった。
その話を伝え聞いて、私はあの人と共に胸を痛めた。
私には彼女の気持が痛いほど解った。
「無理強いする男の側に問題があるのです」
「……そうですね。如何に言葉を取り繕った所で、
事実は枉げられませんね」
孔明は躊躇った後、そう認めた。
「しかしその、何と申し上げればよいですかね。
こればかりは訊くまいと思っていたのですが、
あの時の事を知る者として単刀直入にお尋ねします。
何故かの御仁は一人で旅立たれたのでしょうか?」
びくりと。
身体が震えた。
「…失礼。やはり訊いてよい話ではなかったでしょうね。
しかし余にはどうしても解せないのです。彼は貴女と
2人で隠棲する事を望んでいた筈ですが…」
私は黙って文箱を取り寄せると、その中から一通の
手紙を取り出して孔明の前に示した。
孔明は黙って一読し、そして何かを悟ったような
顔をした。
「成程。不思議な事もあるものですね。ですが漸く
合点がいきました。彼は最初から余を知っていたの
ですね」
後にして思えば私にも心当たりはあった。いや、
あり過ぎた。
けど、それを知る事にどんな意味があったというのか。
知らなくてもよかった。ただあの人さえ傍にいて
くれたら。
「しかしこの手紙を読む限り、貴女が頑として拒絶する
理由はないでしょう」
「何故ですか」
「彼は貴女に、幸せになってほしいと願っています。
このまま誰とも結婚せず、老い朽ちてゆくだけの一生は
幸せとは言えますまい」
「私の幸せは私が決めます」
「しかしそれが彼の最期の望みではありませんか?」
「そしてもう一つは…あの人が幸せになれ、と」
「操をお捨てになるのがお嬢様の幸せなのですか?」
翡翠の言うとおりだ。操を棄てて私の本当の幸せなど
あろう筈がない。この命を絶ってでもあの人への貞義を
貫くべきなのだ。
けど。
「駄目よ翡翠ちゃん。せめて遺言だけでも守ろうとする
お嬢様のお気持を察してあげなきゃ」
琥珀が人差し指を立てて、諭すように叱りつけた。
「遺言なんかじゃないわ」
「えっ?」
「あの人は生きています」
「…まあ、遺体は見つからずじまいですから、お嬢様が
そう思いたいのは解りますけど…」
琥珀は駄々をこねる娘をあやすような顔をした。
「私には確信があります。貴女達に話しても仕方のない
事ですけど」
「では尚更、キユ様をお待ちになられるべきです」
翡翠の抑揚のない声が私の頬を打つ。
「そうね。本当にそうするべきだわ」
私は苦笑した。
でもね、翡翠。あの人は今は、私なんかではもう
手の届かない場所にいる。
「ではなぜ?!」
「今言ったでしょう。貴女達に話しても仕方のない
事だって」
そう、あの人はまだ生まれていない。これから千年、
二千年の後、遠い異郷の地に生まれる人なのだ。
現世で寄り添う事はもう叶わない。
私は道ならぬ恋に身を灼き尽くしたと唾棄されても
構わない。
けど、あの人は私が死ぬ事を望んでいない。
ならばせめて、精一杯生きよう。偽名でもいい、
清名を遺しておこう。そうすればあの人はきっと、
私を見つけてくれる。その時初めて、私はあの人の
許へ行く事ができる――。
(お兄様はあの空の彼方に――)
私は青く広がる空に向かって両腕を広げた。
穏やかな風が吹き抜けていった。
―2003年、桑名―
「今度はテコンドー漫画で1年やる予定なんだって?」
「誰から聞いたよ、そんな話?」
「違うのか?」
「僕はそんな話は聞いてないよ」
「そうか。俺も出来れば止めて欲しいと思ってたけどな」
僕は帰省して、地元の友人と久しぶりに再会した。
といっても、その友人自身もたまたま同じ時に帰省して
いたんだけど。
彼と会うのは何年ぶりだろうか。昔はよく、自作の
漫画を描いては彼に見せていたものだ。
僕はその友人が中国史に詳しいのを思い出して、
夢について訊ねてみた。
「ああ、あるよ」
その友人は事もなげに言った。
「邯鄲夢の枕っていうんだけど。詳しい話聞きたい?」
「や、それはいいよ」
「ふーん。…で、その夢の結果がソレなの?」
友人は僕が抱えている分厚い紙袋を指差した。
「うん、そうだよ」
僕は答えて、その紙袋を抱える手に力を入れた。
紙袋の中には『反三国志』が入っている。今し方
買ったばかりだ。
「なんかね、さっきこの本に触れた時、僕はこの本を
買わなきゃいけないような気がしたんだ」
「そう?」
「うん」
「ま、俺は別にいーんだけどな。それより、その夢とやら
が今後の漫画家生活に活かせるといいな」
「そうだね」
見上げれば、どこまでも続く青い空。
そこに「夢」の中で会った人々の顔が次々と浮かんでは
消えていく。
非命に倒れた友、中道で亡くなった父さん、最後まで
生き残った同僚たち。夏侯惇以外のそれは、みんな笑顔で
現れた。
ともに笑い、泣き、ときには戦い合った。それが例え
夢であっても、今ではいい思い出だ。彼らの「将来」に
幸の多からんことを。
最後に、雲碌が現れた。
雲碌は優しく微笑みながら両腕を伸ばしてきた。
ああ、君はそこにいたんだね。僕はここにいる。
これからはずっと一緒だよ――。
約束をしよう きっと ずっと 忘れないように
Baby クラシックなBlue 涙があふれちゃう
今アツイキセキが この胸に吹いたら
このまま2人 素直なままで いられたのに
愛しい人 震える想いは 今も 生きてるわ
この街の どこかで 強く風が吹いたら
切ない日々も キレイな空の 色に染まる
愛しい人 震える想いを のせて
いつまでも 夢の中にいて――――
JUDY&MARY「クラシック」
――完――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・
事件などには、いっさい関係ありません。
【参考文献】
陳寿編、今鷹真・井波律子・小南一郎訳 『正史三国志』全8巻 ちくま学芸文庫
三田村泰助 『宦官』 中公新書
宮崎市定 『中国史 上』 岩波全書
陳舜臣 『中国の歴史(1)』 講談社文庫
竹田晃 『曹操』 講談社学術文庫
内田俊彦 『荀子』 講談社学術文庫
浅野裕一 『孫子』 講談社学術文庫
浅野裕一 『墨子』 講談社学術文庫
安能務 『韓非子』全2巻 文春文庫
金谷治 『韓非子』全4巻 岩波文庫
金谷治 『荘子』全4巻 岩波文庫
金谷治 『孫子』 岩波文庫
金谷治 『論語』 岩波文庫
福永光司 『荘子』 中公新書
植村清二 『諸葛孔明』 中公文庫
立間祥介 『諸葛孔明』 岩波新書
穂積陳重 『復讐と法律』 岩波文庫
冨谷至 『古代中国の刑罰』 中公新書
高田淳 『易のはなし』 岩波新書
高田真治・後藤基巳訳 『易経』全2巻 岩波文庫
本田済著、吉川幸次郎監修 『新訂中国古典選1 易』 朝日新聞社
駒田信二 『中国怪奇物語』全3巻 講談社文庫
天石東村 『書道入門』 保育社カラーブックス
篠田耕一 『武器と防具 中国編』 新紀元社
歴史群像グラフィック戦史シリーズ 『戦略戦術兵器事典 中国編』 学研
小川環樹他編 『角川新字源』 角川書店
【参考WEBサイト】
裴明龍 『錦繍中華之一頁』より『歴史傳記』
東アジア略式データベース
【ネタ元】
週刊少年ジャンプ 集英社
キユ 『ロケットでつきぬけろ!』 集英社
周大荒著、渡辺精一訳 『反三国志』全2巻 講談社文庫
TYPE-MOON 『月姫』
>>612-614 保守して頂き有難うございました。
馬キユリプレイは以上で終了です。
2年間もの間、お読み続けてくださった皆様には心から
感謝の意を表します。
しばらくは充電期間に入りますが、ネタと構想が
固まりましたらまたリプレイにチャレンジしてみたいと
思います。
それでは最後に一言。
痛みを知らない子供が嫌い。心をなくした大人が嫌い。
優しい漫画が好き。バイバイ。<馬キユ>
完結乙です。
正直に申し上げれば、読者としては思い入れのない現実世界にもどるより、
キユにはあの世界でのんびり暮らしてもらいたかったのですが、
これもまた人生ということなのでしょう。
また機会がありましたら是非何らかの形で作品を発表して頂けたら、と思います。
本当にお疲れ様でした。そして有り難うございました。
642 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 19:40
二年間ご苦労様でした。
このリプレイが終わるのはとても残念です。
ですが二年間楽しませていただきました、ありがとうございます。
また帰ってきてくださいね
二年間乙。
そしてありがとう。
栄枯盛衰是一炊之夢
まずは二年間お疲れ様でした。
途中、色々と大変な面もおありだったとは思いますが、それでもこの大作を完結させたことに、
素直に賞賛の言葉を贈りたいと思います。
印象に残ってる人物と言えば、やはり曹純でしょうか。
なんとゆーか今三つぐらいマイナーな感がある人物ですが(苦笑
キユとの友誼、そして対決。そこから教訓を得て実戦で生かし、
そして最期の馬超との血戦……。
見所が多い人でしたね。
キユは、なんというか……最後の最後までイマイチ感が抜けませんでしたな(苦笑
まあ、何でもそつなくこなすキユなんて最早キユじゃないですが。
雲碌。
序盤はともかく、後半某妹化したのがちと……(^^;
さておき。本当の意味で結ばれるずとも……それでも、彼女は強く生きていくのでしょう。
読んでいる最中でも感じましたが、やはりきちんと書く為にどれだけ調査をなさったのか、
列挙された参考文献を見るだけでも良く分かりますね。この点、敬意を表したいと思います。
最後に繰り返しとなりますが、二年間お疲れ様でした。
自分の方も、この十分の一にすら届かないつたない出来ですが、完成まで頑張ろうと思います。
ではまた、異なる歴史の中で彼らに出会えることを願って。
二年間お疲れ様です!
途中で音沙汰が無くなった時もあったけど、チェックし続けてよかった。
かなり面白く見させてもらいました。
新しいネタが出来たらまた見させて頂きますんでそのときはまたヨロシク。
>644
それは、曹休だとおもわれます…<曹純
つっこみを入れたところで…
2年間お疲れ様でした。
げふ(吐血)
なーんでいっつもこうかなー(死)
>646殿
ご指摘感謝します。
しかもトリップ間違えてるし orz
読了。馬キユリプレイ、自分は多分この物語を半年くらいは忘れないでせう。
馬キユ@プレイヤーさん、長い間お疲れ様、そして有難う御座いました。
今では馬休たちが愛しくて仕方ないですw 馬キユ、お疲れ様。
面白かった・・・面白かった
本当にお疲れ様でした。
質の高いリプレイを長期に渡って続ける事は本当に大変な事ですよね。
完結は少し寂しい気がしますが、再びリプレイスレに降臨される時をお待ちしております。
内容が遥かに乏しいものですが、私もそろそろ更新を再開致します。では。
さあ、空いてるよ!
誰かリプレイしないか、しないか!?
653 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 09:18
保守
654 :
◆TJ9qoWuqvA :04/07/24 09:37
しよっかな…
いや待てヘタレ(自称)リプレイヤーの出る幕じゃないか…
>>655-656 いいんでないかい?
どうせ誰もやってないし。
どんな感じでやろうと思ってるの?
658 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/06 22:51
>>657 とりあえず6と2と1と5があるのだが、5は壊れてるので6をやろうかと。(2とか1でリプレイ書くのはムズィ)
しかし、色々と忙しくなったので今は無理かな…。余裕ができたらチャレンジするかも。内容は…期待しないで下さい。
ちなみに異世界系だよね?
ってもうスレタイにこだわる必要ないのか?
>>661 あ、完全にその事忘れてた…どうしよう…。
ちなみに、この一連のスレのリプレイはハーゴンのと馬キユ氏のしか見てませんが…。
なるほど、紛れ込んだ人、か…。
時を駆ける少女ですねぇ…。いや、時を駆ける漫画家でしたか。
…いかん、モ娘が紛れ込んだらと妙な想像をしてしまったが、
そもそもモ娘に興味ないから、誰がどんな感じなのかさっぱりわかんね。
MMRのメンバーでやって欲しい・・・と言ってみるテスト。
裏をかいて、三国志の人物が日本の戦国時代に巻き込まれる
時をかける少女が似合うのは闇千代か?
保守
670 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 07:29
a
h
ほす
agemasuyo-