石田三成に対する批判

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1
石田三成に対す評価をしてみよう
2無名武将@お腹せっぷく:03/02/16 23:19
大砲を撃った
3無名武将@お腹せっぷく:03/02/16 23:25
処刑される直前に逆臣福島正則を罵倒
4無名武将@お腹せっぷく:03/02/16 23:30
批判オンリー?
5無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 00:42
のどが渇いている時に欲しいのは
ぬるいお茶よりビールだ。
6無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 00:44
いやいや、豆乳ですよ
7無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 01:33
柿が痰の毒だというのには何か科学的根拠でもあるのか?
>>7
柿は知らないけど、蛎は当たると半端じゃないらしいよ。    
あひゃ
10無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 08:26
福島や加藤なんぞよりよっぽど筋が通っていたと思うのは私だけかな?
人の上に立つ器ではない。
夢見る馬鹿。
柿は従来からノドの薬だったので、痰の毒ってことはないので、、
・・・・・・あれ、何か他の理由をもじった皮肉だと、
誰かがコラム程度に書いていたが、肝心なとこは忘れてしまった。
13無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 09:30
石田ー小西ー宗のラインで朝鮮の役を程良いところで勝手に講話しようとした。
それを秀吉の意志を忠実に実行させようとして、小西、宗らの外交交渉の妨害をしたのが加藤清正。

しかし、加藤清正ら武断派は加藤清正自身を除いては朝鮮出兵反対派。
親石田派も朝鮮役反対というのが面白い。
三成は秀吉の言うことに忠実なフリして朝鮮出兵が豊臣没落の原因になる事を知っていて、
小西らとの連携を強めて、交渉の妨害をする加藤を左遷したり、武断派をなだめたりして交渉がうまく行くよう計ったが、
それが武断派の怒りを買う。

三成はどうすれば良かったのかって感じだ。
14無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 09:33
石田は晩年、モウロクした秀吉をなだめながら、
豊臣家を安定させる施策をしなければいけなかったので、
非常に難しい立場だ。批判なんてできない。
15無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 09:34
実は結構な戦上手だった。
16無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 09:37
NHK大河ドラマ「超軍神・加藤清正」放送キボンヌ。

石田三成はえげつないまでの悪役で。
17無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 09:41
>>4
「批判」という日本語を理解してないヤツが一人・・・・・・。
水攻めあぼーん
>>3
小早川もな〜
>>15
城主不在の空き城(忍城)を落とせなかったようですが

で、蒲生氏郷を殺ったのは本当ですか?>三成さん
20無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 12:08
>19
江戸時代になって豊臣政権の時の怪事件はことごとく三成のせいにされただけ。
光栄の武将マニュアルで酷評されていたな
22無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 12:44
知ってるつもりでも酷評されてた。
秀吉もだけど。
23無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 13:44
>>17
ひはん 【批判】 (名)スル
(1)物事の可否に検討を加え、評価・判定すること。「学説―」「―を仰ぐ」
(2)誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと。「政府の外交方針を―する」
(3)〔哲〕〔(ドイツ) Kritik〕人間の知識や思想・行為などについて、その意味内容の成立する基礎を把握することにより、その起源・妥当性・限界などを明らかにすること。

(1),(3)みたいなのもあるが、(2)みたいなのもわざわざ辞書に載っているので、
いい意味で使われる事はすくなさそうだ。
24無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 13:48
知ってるつもりのラスト辺り

番組では三成の馬鹿なところばかりあげつらって……最後にこのエピソード。

ナレーター
「最後に三成は『柿は痰の毒になるのでいらない』と断った。
 すると雑兵は『今から首を撥ねられると言うのに痰の心配を』と笑う。
 三成はここで言い返した。
 『大将たるものは最後まで望みを捨てないものだ』」

加山雄三
「足軽を差別しているんでしょうかね。最後の言葉が許せません。
 何様のつもりだったんだと言いたいですよ」


お前の言葉のほうが絶対に許せないのだが。
司馬遼太郎の関ヶ原はイイ。三成ちょっと頭弱めに描かれてるけど格好いい。
あれ読んで三成好きになったな。

>>24
…マジですか?
24ですが、うろおぼえながらマジです。
世間一般の石田三成像は、いまだに徳川時代に作られたまんま。
司馬関ヶ原の三成も物足りない気がする。
>>24>>26
ネタかと思ったらマジなの?
和歌代償も相当アフォだな。
28無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 20:05
>>24
ありえない…三成をバカにするんじゃねぇ加山!
三成に すぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城
30無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 11:32
まあ加山も馬鹿なんだけれど、あの番組は明らかに作り手が
ゲストにそう言わせるように仕向ける流れだったかせなあ。

あの番組(別の時)に出たダウンタウンなんか、
番組前に関口宏は「すべて台本どおりにやるように。
アドリブやギャグはいらないから」と、何度も念を押されたそうだ。
>>30
同じようなことをビートたけしも言ってたな。
関口は全くアドリブが利かないので、あらかじめ決められた内容を
丸暗記してるってよ。
まぁ二代目はどいつもこいつも糞だな。
32無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 13:29
わしは島左近好き
33無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 13:36
この人は忠臣なんですかね?
ただ権力を握りたかったのか?
実際はどうだったのでしょうか?
その辺が漏れは気になる。
司馬遼太郎の関が原では生き方が不器用だけど高潔な人間として描かれてますね。
でもたいがいのドラマや小説では悪役っぽく描かれているような気もする。
34無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 16:08
大抵のドラマでも権力欲とは無縁の忠義の人として描かれているよ。
ただし人間が小さくて失敗した、器量無しと。
当時、文官の立場が確立してなかったのが三成の悲劇だよなぁ。
シビリアンコントロールの重要性に気付いていなかったのに、
時代に許してもらえなかった悲劇の人。

でも、南宋の中国あたりに登場していたら、大義名分を振りかざして
モンゴルに無謀な戦をしかけ、滅亡を早めていたような気もする。
パワーアップ版文天祥か?
36無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 18:09
>>33
忠臣だった。太閣の恩義にむくいたかっただけで、
自分の野望のために行動したわけではない。
諸葛孔明も彼とさほど変わらぬ男でしょうな
七本槍が馬鹿すぎたからな。
39無名武将@お腹せっぷく:03/02/19 10:47
うむー、忠臣だったとすると、もう少しこの人評価されてもいいんじゃないかなー。
20万石たらずで、当時家康と張り合ったわけだし・・・。
器量なしってことでもないような気もするのだが・・・。
負けたんだからしょうがないだろ。
しかも諸葛孔明と違って身寄りが体制側に生き残っていないんだから。
最終的に家康が豊臣秀頼をぶっ殺した事から三成の忠義が
七本槍の忠義に勝る事は証明されているな。
忠義云々はともかく、結果として三成も七本槍も
家康にうまく利用されただけの存在にしかならなかった。
後継者をうまく育てられなかった秀吉が悪い。
ただやっぱり武将というよりも、多分に官僚のような気が駿河
経済観念は同時代人において比類がないと思われ
44無名武将@お腹せっぷく:03/02/20 22:03
忍城水攻め失敗して『戦下手』という評価が出たようだが
確かに忍城を水攻めにするのは困難だが、困難だと言われている事を派手なパフォーマンスで成功させようという事が
秀吉の願望で、三成に忍城を水攻めにするよう命じた。
三成はそれに忠実に従っただけだ。
45無名武将@お腹せっぷく:03/02/20 22:56
秀吉の朝鮮出兵のとき
何万の軍勢の船の手配とか食料の調達とか
担当してた。
馬鹿じゃできない。
覇王伝の三成の智謀の低さを知らないバカばかり(藁
こんな低い数値なのに、三成はバカじゃないって言ってる人って・・・ネタ?
無知は氏んでね
47無名武将@お腹せっぷく:03/02/20 23:02
名前だけ有名
48無名武将@お腹せっぷく:03/02/20 23:06
口だけ官僚
現実逃避ばっかで現実見れてないオマイラにうってつけだな
>>46
小賢しい吏僚だからな。
三成は限りなく正しく、限りなく下らない。
まったく、つまらぬ男もいたものだな。
50無名武将@お腹せっぷく:03/02/20 23:22
>>43
俺もそう思う。能吏だった事は確かだって気がする。
朝鮮出兵を除けば、秀吉が何十万兵を動かそうが
兵站関係で失敗する事なかったし。
その辺のやりくりの上手さとか、経済に明るい所を評価されてたんじゃ。
単純な力攻めを嫌った秀吉にうってつけの人材。
確かに裏方だから目立たないし、軍事面ではあんまパッとしてないけど。
忍城水攻め失敗

作ったのは治水用の堤防?
52無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 08:56
戦下手だから!戦上手を家臣にずらずらぁ〜〜〜っと。
島左近 舞兵庫 蒲生牢人衆

関ヶ原で島津や宇喜多の提案を受け入れていれば。
53あぼーん:あぼーん
あぼーん
54無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 09:25
>>46
>>48
お前らのような下賎のものには、わからぬであろう(藁
55無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 10:16
>>46
>>48
は福島正則
56無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 10:33
朝鮮征伐では補給だけでなく戦略面でも優ていることを見せた。
57無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 10:48
>>50
秀吉がそういう事ばかりさせてたから
軍事面で評価が芳しくないんだと思う。
58無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 10:52
>>49は煽り下手。
三成は秀吉生前、ぱっとした武功も何もないのに、
あれほどの信頼を得て、権勢を振るったのですから、
間違いなく能吏といえる存在ではあったんでしょう。

彼の悲劇は、秀吉死後、家康が天下に野心を持ってしまった事と、
三成ほど、豊臣に忠義を尽くす智謀の士が他にいなかった事で、
家康に対し、自らの力量不足を知ってか知らずか、
孤軍奮闘せざるをえなかった事にあるような気もする。
これも結局、秀吉が悪いと言ってしまえばそれまでなんだろうけれど、
自分の器量を超えた役割を演じねばならなかった彼の心境は
どのようなものだったのだろうか。

>>58
49はネタであろう。
60無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 13:16
いや、器量なしではなかったと思うぞ。
その辺がちと間違った評価ではないかと思うのだが・・・。
家康に対抗した人物として真田幸村と並ぶべき評価があってもいいように思うぞ。
島左近はなかなかの男だったらしいが、
そうした男が器量なしのヤシのとこには仕官しないだろう?
三杯の茶から立身出世したんだし、
むしろ器量なしっていうのは、信長の子らみたいなオヤジのあとを継げないやつら
の方がいえてると思うのだが・・・。
俺もその辺りに関しては異論はないですよ。

ただ、三成さんに器量がないとは思わないんだけれど、いくらなんでも、
家康を敵に回してに一戦仕掛ける程の器量までは期待できないでしょう。
ちょっと相手が悪すぎるわ、ありゃ。
62無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 13:52
まあ武将の器量は、良くて七本槍ぐらいだと思われ
63無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 13:58
>>61
あの脱糞野郎を評価しすぎじゃないんですか?
>>63
そうかも知れない。でも秀吉さんもかなわなかったと言う事で、
当時の人も三成以上の評価を持ってしまったでしょう。
評判も器量のうちだし。
6563:03/02/21 14:39
>>64
三成ヲタなんでやや煽り気味ですいませんでしたっ!御免!
俺も三成厨ですんで。
67無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 14:48
で、三成は秀吉から九州あたりに100万石で栄転の話があったけど、中央での
奉仕がままならなくなるからといって断ったと「関ヶ原」にあったけど、
これはほんとなの?
68無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 14:57
三成に足りなかったのは石高だけ。
あの身分で家康と互角の勝負が出来たのは素直に凄い。
島左近や大谷吉継との友情話を信頼すれば、
三成は公私を潔癖に分けすぎる人ではなかったかと夢想してみるテスト。

年来の同僚とか家臣とか、「私」が交わらざるをえない人間関係では
もの凄く好かれるのに、
朝鮮役での武断派武将のような「公」でしか関係のない人間関係では
嫌われまくる。
「公」を重要視するあまりそれに振り回されて、人間の幅を狭くしている
というか。

今の日本の官僚にもこういう人って結構いそうだ。
混同するヤシより遙かにマシなのだが。
70無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 17:39
三成は忠臣でいいと思うが、「あわよくば」的な野心はあったように思う。
とは言え、その野心は豊臣家内における権力掌握(家康を廃して)と言う事で。
71ムコーニン ◆og5moFk5GU :03/02/21 18:24
もし関ヶ原で勝ったとする

そしたらその後大坂に入城して実権を掌握していただろうな

そして関ヶ原苦戦の例に倣って自分の領地を増やすだろう

よくも悪くも豊臣政権を維持するには自分がいなければ駄目だ的自負も持ってただろうし

勝ったら勝ったで後世への評価は低いままだったかも
勝者は記録を改ざんできるから、なんともいえん
73無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 18:48
三成って聞くと今で言う理系な考えとそういう能力に秀でた人って言うイメージある。
謀略や根回しがうまくなかったのもそうゆうイメージを強くさせる。

戦に出るよりも秀吉に内政や経理を一番頼りにされたってのは相当頭は切れる人だったと思う。
島左近や大谷刑部が着いてきたって事は家康や秀吉子飼の武将よりも
裏の無い人間だったんじゃない?
人徳は無かったと思うけどそれを補うほどの能力は確かに持ってたと思う。

でも大物じゃなかったろうね、最後の最後で俺がやるしかないって感じだったんだろうよ。
74無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 18:54
死の直前まであきらめる
ことなく自分の生き方を
つらぬいた勇将三成に乾杯。
75ムコーニン ◆og5moFk5GU :03/02/21 19:10
俺様とかぶるんだよな・・・この人

特に源平盛衰記を愛読(俺様の場合は戦国)していたってところとか

半端ない頭のキレ具合とか

とにかく凄いかぶる
76無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 19:12
あくまでも奉公意識の強い人間だったと思う。
忠義って言うか義理堅いっていうか人間的には真っ直ぐな人だったんじゃないかなぁ。
それと一国一城の主に納まるより、政権の中枢で理想的な国家像を描くくらいの人物
だったと感じるが。
戦場ばかり行っていたらもっと評価される人間になってたかもね。
77無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 20:54
本当にこの人は人望が無かったのかなぁ。
この人より人望があった人物って家康ぐらいしか思い浮かばない。
78小金城代 ◆SYw12jMwwA :03/02/21 21:05
>>77
まつ様とか言ってみやがる漏れ
79無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 21:39
石田三成は、頑張った。秀吉の遺訓を守り豊臣家に忠義一途。
頭が下がるね。これだけ篤実な人間は滅多にいない。
人望がないのは、性格がまじめで自分に厳しく他人に厳しいため。
本当に関ヶ原でよく戦ったよ。

まぁ、頑張っても勝てなきゃ意味がないわけだがw
80無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 22:12
関が原での三成の戦いぶりを検討しようぜ 
徳川だと本多正信が似たようなタイプ?
82無名武将@お腹せっぷく:03/02/21 23:52
>81
激しく違う。
TV版関ヶ原だと、最後に初芽タンのところに行くのがカンベーじゃなくて
正信なんだよな。んで、「三成タンに教えられますた」とか言って去っていく
>>83
あのラストにはやり直しを要求する。
あんないい子ぶった正信はいらん。
85無名武将@お腹せっぷく:03/02/22 00:35
>>81
どちらかというと息子の正純のほうが立場は近い
>>81
そういえば司馬遼の関ヶ原でそういう描写はあったな
確か「三成と同じ立場」「三成の気持ちが解る」みたいな事言ってた
ような…
正信も2万2千石しか貰ってなかったしな
88三成:03/02/22 04:12
左近によしなに伝えよ。
おれは生きる。
生きてもう一度やらねばならぬ。
なぜ、
東軍が上杉と交戦を開始するまで、待たなかったの?
なんでだろうな
そうすれば徳川の軍勢は攻めるどころか
引くことも出来ずに包囲されたはずだが
>>86
官兵衛が主役の播磨灘物語は三成が秀吉に重用されて、
その有様に官兵衛が失望するところで終幕になるんだけれど、
それとあわせて読むとちょっとだけ感慨深い。
9289:03/02/22 23:04
誰かおしえて
>89
それだと、西国の大名が家康に合流してしまうのでは?
94無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 01:24
>89
上杉の領内に進攻しなければ上杉が討って出てこないことを家康は分かっていた
そして上杉に無闇に仕掛ければ西軍の進攻含め様々に戦況が不利になったからじゃない?
上杉だけじゃなくて佐竹も上杉に加勢するかもだったし、真田も居るしね。
戦況次第では東軍の家康も寝返りされる武将が結構居たと思う。

関ヶ原だって裏切りがなければ西軍勝ってたかもだし、上杉攻めたら
それこそ負けを意識したから家康東軍はそれを避けたんだと思う。
まあ上杉が仕掛けてればその場でだけじゃないと思うが東軍が負けた可能性は
大だったと思われる。
あと上杉の軍には前田慶次郎もいたんだよね。
95無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 01:28
直江が指揮し、前田慶次が先鋒だったら怯むだろうからな
関東の守りは結城秀康以外カス武将ばっかりだし。
うひゃひゃ
97無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 04:04
>94
家康は、あえて上杉を攻めずに、三成の挙兵を待っていたとおっしゃるのですか?
6・16 会津討伐軍大阪出立。
7・2  家康、江戸入城
7・13 東軍先鋒隊出陣〜19秀忠の前軍出陣
7・21 家康本隊出陣〜22岩槻〜23古河〜24小山着陣

この日程には、意図的な遅延はないように思えます。
ところが、三成の「内府ちがひの条々」は7・17に発せられている。
あと数週間待てば、家康は自ずと戦端を開かざるをえない局面だったように思えます。

私も、>89同様、
あれだけの大構想を実現させながら、なぜ三成はその数週間が辛抱できなかったのか、
理解に苦しみます。

>93
一理ありますね。参考になりました。
98無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 05:46
いまみたいに情報の風通しがよくなかったんだよ!
数日単位のタイミングなど調整できんのよ当時は。
99無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 06:48
>98
わかってます。
だからこそ、各大名家、必死に細作を派して情報収集してました。
これだけの大事ですから、開戦すれば数日後には第一報入るはず。
なぜ、上杉と徳川が開戦したことを確認してから、
行動を起こさなかったのかが疑問なのです。
100無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 10:08
巷説で言われているような直江山城守と挟撃の密約があったなら、
なおのこと開戦を待たねば、その効果が半減するのは明らか。
東軍反転後の上杉の態度も、三成の勇み足のため?
101無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 10:13
上杉征伐に出れば三成が兵を挙げることを、
家康は読み切っていたと、当たり前のように信じられてるけど、
そもそも家康は、ほんとにそのことを読んでたのか?

もしかしたらコレも勝者の特権、歴史の後付けじゃねぇ〜のか
>>101
読んでなかったら腰上げなかったんじゃネーノ?
>>97
もともと上杉と家康の戦が始まる直前に三成は蜂起したかったという解釈はどうだろうか?

例え直江と石田は家康打倒に燃えていたとしても、
景勝や普通の家臣は越後回復を優先したかっただろうし、
そんなに家康打倒を最優先しているとは限らない。
上杉は只でさえ家康以外の東軍にも囲まれているんだから、
もしかすると家康と一戦して負けたら、瓦解や降伏するかもしれない。

だから、三成としては、家康を引きつけてくれただけで十分で、
さらに東軍の一部を今後も東にひきつけてくれているだけで十分。
無理に決着などつけて欲しくない、あとは自分でやるって意識もあるんじゃないかな?
家康参上でびびって上杉に寝返りが頻発するようになると最悪ってことで。

で、景勝は景勝で、自分は家康と決着などよりも、まずは越後でも回復ってことで。
家康は家康で、東は守りだけおいて、西軍を一撃し大坂に戻って事態の収拾を一気に。
三成は東軍の城も潰し軍功を稼ぎつつ、もちろん家康も殺したかった。

結局、みんな緩やかな連携の下で自分の作戦をしたんだと思うよ。
それで家康の作戦が大当たりしたってことで。
だれも関ヶ原の一日で勝負がつくとは思えなくて、地道に自国を太らせようとしてた。
つうか、もしも家康と上杉が対陣しても、三成蜂起を聞いたら
家康はそのまま上杉攻めを継続せずに、西に向かってもいいしね。
上杉が脆そうだったら決着つけてもいい。
なんと言っても東軍はあそこにいっぱい居たんだし、
東北諸国に上杉任せて帰っても問題はないでしょ。
家康の上杉討伐の大儀は間違ってもいないわけで、上杉も悪人。
もちろん太閤の遺言を反故同然にした家康も悪人。
結局、死ぬ間際に五大老などを作った太閤がまぬけ。
まえから奉行制度はやってたんだから、そのままにしとけってことで。
まぁ関ヶ原は忠義者同士の私闘ととらわれていたようだが。

三成の野望は関ヶ原後に発揮されるんだから、
三成の野望がどの程度かはわからないけど、
太閤が死の直前に作ったシステムへの反乱なんだから、
野望ともいえるんじゃないかな?「公の野望」かな。
大体からして豊臣政権自体織田家からの乗っ取りから始まってるから
誰が善玉で悪玉かであるかという議論は意味をなさないと思われ
107無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 16:19
>>99
開戦して数日では挙兵した時に上杉が滅亡、良くても壊滅寸前に追い込まれて
しまってるかもしれない。だから三成としてはあれがぎりぎりのタイミングだった
んじゃないの?三成の立場で綿密に計算した答えがあれだったと思うよ。
実際、関ヶ原では裏切りさえなければ互角以上の勝負を展開できたわけで・・・
108無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 18:12
>>106
禿同
歴史は勝った者勝ちだしね、それが正義だったりするし。

>>107
自分の庭同然の土地じゃ結して数が有利じゃないから、互角の戦いはしたと
思うよ上杉は。
なにせ謙信に嫌と言うほど戦に連れて行かれたから、そんな猛者達が
自分の庭で戦ってれば負けることは無かったと思う。
越後兵は日本一って言われてたし関東や西の方の兵士は実際に越後兵と
戦うのは嫌だったらしいしね。
109無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 18:30
戦闘が始まってから挙兵だと、みすみす各個撃破のチャンスを与えるだけです。
開戦前に挙兵した三成の判断は超ファインプレーだと思います。
>>108
謙信が死んでから何年経ってると思ってるの
それに、越後兵ってそんなにいたのかな?
111無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 19:20
>>108
庭って言っても会津に移されてからまだ数年しか経ってないよ。
113無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 21:12
>>105
システムへの反乱は三成が行ったのではなく、家康だけがやっていたのだろう。
その暴走を力量及ばずながらも、佐和山の三成が食い止めんとして敗れただけの話。
114無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 21:16
三成の兄と親父の官位は治部少輔
より下なの?従四位下だったっけ?
石田 正澄 従五位下木工頭
石田 正継 従五位下隠岐守
石田 三成 従四位下治部少輔

こうかな?

治部少輔は従五位下相当のようだが、三成の官位は高いな。
116無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 04:46
>109
逆に、戦闘開始後だったら、
東軍はあんなに速やかに反転できなかったと思うけど。

上杉方が篭城&ゲリラ戦を展開すれば、数ヶ月は身動き取れなくなり、
日和見してた大名が西軍につき始め、
戦局は西軍にとって好転していた可能性のほうが高くないか?
ただ上杉景勝は予想以上にヘタレっぽい。
結局結城秀康にビビって越後に逃げ帰ったしな。
>>116
上杉が篭城しだしたら、結城秀康や最上、伊達らに任せ、
家康は結局西上してしまうだろうよ。
つまり、家康を叩くだけの戦力が無ければ、家康を繋ぎ止めておくことなど出来ない。
東北の西軍派が最上や伊達の本国を荒らせば
上杉などにかまってる余裕はないので引き返すだろう。
120成三明孔:03/02/25 08:27
→37

激しく
同意☆(^□^)☆
>116
そこが、兵数で圧倒してきた時代に秀吉下の
官僚であった三成の限界なんじゃないかな。
上杉vs東軍の兵力差が不安で、そのような作戦が取れずに
兵数が多い自分の方で、東軍主力を引き受けたいんじゃない?
実際の上杉家を見れば、引き付けだけしか役立たなかった。
最上や伊達が誰かに荒らされ上杉に手を出さないなどという空想は
三成の開戦時期の問題とは関係ない。
123無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 15:52
>>121
「上杉が頑張ってくれるかも・・・」などという仮定に基づいた戦略は下の下でしょう。
それに戦端が開かれる前に三成が挙兵しなければ、上杉の不信感は募るだろうし、
そのせいで上杉の士気が低下して、いざ挙兵というときに上杉が降参なんてことに
なってたら、西軍に従う大名が激減して関ヶ原どころじゃなくなると思いまする。

上杉が徹底抗戦→思わぬ抵抗で東軍の士気低下→背後で三成挙兵→東軍分裂
・・・なんて都合の良い可能性が無いわけではないが、それは博打であり、関ヶ原の
結果を知ってる我々の感覚で文句いうのは如何なものかなと。

というわけで俺は挙兵のタイミングについては、三成はベストの判断を下したと主張
します。
124無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 15:54
家康は二面作戦なわけで・・。もっとも上杉も挟まれてるから
江戸をつける可能性があったのは、伊達が裏切ったときのみ。

家康は様子見で江戸にかなり居座っていた。
家康が上杉征伐に出かけた時点での、
上杉軍はどのくらいの勢力だったのでしょうか?
教えてクンですみません。
126無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 20:24
五万くらいか?
東軍は35万?
127無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 20:27
上杉は領内での戦闘態勢見越してだから総数でみたら8万はいたんじゃないか?
128無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 21:30
>>97
三成が完全に西軍全体を掌握していて、
一人で開戦の時期を決めることが出来るなら、上杉戦が始まるまで待つ
という事もできるでしょうが、実際にはそうではなかったわけです。
大谷、安国寺、小西あたりと謀議を持ち、
毛利を総大将に担いだり、多数派工作をしたりしてからでないと決起は出来ません。
当然そういう工作をしていれば徳川方にばれる危険性もあったわけで、
のんびり開戦時期を待つことなど出来なかったのではないでしょうか。

それに、江戸入城から先発隊出発まで11日間、本隊出発まで19日間ってのは
結構長いのではないでしょうか?
何かを待っていたと考ることも出来るような気がします。
まあ、状況証拠に過ぎませんが。
129無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 21:43
普通に考えろ!
三成という天才が、当時の状況を熟慮して出した結論が、
当時の状況も適当にしか知らないボンクラの2ちゃんねらの結論に
劣るというようなことは有り得ないだろ!
三成の場合はタイミングは良いと思うけど、
当時の天才より現在の普通の人の方が良い判断を
下せるということは良くある。
状況把握が断然違うからね。
状況把握というか、後出しと言ってもよい。
132無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 21:59
じゃあもっと”今だから言えるあの時三成こうしておけば良かった!”話してよ。
三成&淀は秀頼を作らずに、秀次政権を守り立てればよかった!!

秀次は近江の有志が「秀次の名誉を回復しよう運動」を頑張ってるらしいな。
134無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 22:04
三成が作ったのかよ!w>秀頼
そもそも鹿児島人に期待したのが間違い
”今だから言えるあの時三成こうしておけば良かった!”

あのままでよし。
史実のとおり考えれば、こんな感じ。

天下を狙った家康は関ヶ原で西軍と戦った。
小早川の裏切りが大きく響いて苦戦の末東軍が勝利した。

本来勝ち目のない戦を勝ちきった史実の家康は神のごとき存在。
小早川秀秋の信義誠実を疑わない家康と、考えるところが厨の妄想。
このあたりが歴史的な真実。

三成としては、上杉が家康を引きつけてくれた時点で十分で、むしろ、上方での楽勝ムードを引き締めるのに必死だったであろう。
昨今の選挙戦を見るがよろし。

家康が小早川を銃撃した時点で東軍大敗確定だろ?
少なくとも東軍が勝てると思っていたら家康はそんなバカな事はできない。
勝ち組を裏切ったところに小早川家の不名誉があるわけで。
負け組を見限って早めに裏切ったならば誉めたたえられるだけさ。
>家康が小早川を銃撃した時点で東軍大敗確定だろ?

何が言いたいのかよくわからない。
138無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 00:31
普通撃たれたら応戦しちまうだろ
139無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 00:43
>>138
何回目まで?
140無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 00:44
三戦板に合い相応しい内容で感動しました
141無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 00:45
>>139
三回くらい
142ムコーニン ◆og5moFk5GU :03/02/26 01:02
金吾!人非人!
>>142
電波は電波板へカエレ!
>>139 >>141 なんかワラタ
145無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 09:56
>>123
>>124
>>129
>>131
禿同。
どうのこうのというヤシにイライラしてたんで、
これらの発言は痛快だったぞ(藁
146織田秀信:03/02/26 10:13
伏見なんか後回しでさっさと援軍寄越せやゴルァ!!
なんでワシが猿爺の糞ガキの為に働くと思ってんじゃゴルァ!!
147名無し野電車区:03/02/26 11:34
この時点で「豊臣の大義」はどれくらい意味があったの?
148無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 13:13
一応はどちら側もその大義を掲げていたのだよね
149無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 14:18
朝廷の認めた事柄だけが大義ですよ。
150無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 14:57
>>146
おまえがおとなしくしないから岐阜城損したわ。
福島勢を調子付かせよって・・・
桶狭間でも夢みてたんか!
まー三成はかつての秀吉の腹心としての立場から
その時取れうるベター(notベスト)な行動を取っただけだし
逆臣として叩くのは論外としても正義一筋の忠臣っつーのも何か違うのよね
信念が強すぎてただひたすら一途になっちゃってたんだろう。

家康だって同じようなもんだ。
あくまで秀吉の遺志を継いで天下平定事業を完遂させただけ。
秀頼が死んだのは政宗が予見していたように
夢見る大坂フリーター軍団に担がれて引っ込みがつかなくなった結果だし。

漏れ三成嫌いだったけどごめんどうやら誤解というか錯覚だった。
 三 成 厨 が 嫌 い な ん だ
勘違いっぷりが何かコヴァと通ずるものがあるんだよな。愛国厨兼ねてそうだし(w
そういうたとえはどうかと思うが
153無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 19:46
>>151
浪人軍団で秀頼が引っ込みつかなくなった言うよりも、家康の豊臣潰しの策略に
はまっただけじゃない?
家康は自分が死んだ後のことも(秀吉死後の自分がとった行動故に)考えて
自分の生きてる間に目の上のタンコブの豊臣家を潰したかったんだよ。

三成厨ってw俺は三成嫌いじゃないけどね。
154無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 19:53
>>151
三成の部分にはほぼ同意しますが、家康は違うでしょ。
彼がどれほど陰険な手段で大坂方を戦に追い込んだか、
知らないわけではないでしょう?
その上年端の行かない秀頼の子どもさえ斬首にする。
要するに彼は徹底して豊臣家を滅ぼしたかっただけです。

もっとも私はそんな家康が大好きですがね。
155無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 20:00
>>151
なんかひねくれたものの見方してるな(藁

>>153
同感
156無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 20:09
>151
愛国者だが、小林氏はどうでもよいし、三成もどうでもいいんですが。

嫌いなものを全て手前勝手に一つにされても困りますな。
157無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 20:13
>>151に対する批判

>>151はコヴァの臭いがします。


>>158
コヴァヤカワ!?
大河の三成は徹底的にむかつくキャラになってるな
葵の三成はミスキャスト。いくらなんでもあれはひどすぎる。
蟹江敬三の福島には笑ったが。
162無名武将@お腹せっぷく:03/02/28 11:07
>>161
禿げ同。熱演はしてたんだけどねぇ。
163無名武将@お腹せっぷく:03/02/28 12:09
蟹江の福島はミスキャスト?
164無名武将@お腹せっぷく:03/02/28 19:41
いや〜猪武者にピッタリはまってんじゃ
ないの。蟹江敬三は。他に適役いるの?
>>151の1段落目に矛盾がある。
166無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 07:40
果たして、三成が小早川に鉄砲を撃ったらどーなったか?
推測せい!
167無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 09:12
>166
間にいた、宇喜多・大谷部隊が石田隊に突撃。
168無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 10:30
小早川が裏切った時点で、
西軍はその主力のほとんどが前面の敵と交戦中だったのに対して、
東軍は家康の旗本部隊3万が未だ戦闘に参加せず、予備戦力となっていた。
つまり、西軍を攻めるなら、相手の側面を攻撃することになるが、
東軍を攻めると家康本隊と正面から激突する事になる可能性もあった。
安全を重視するなら、西軍を攻めるのが当然。
鉄砲とかはあまり関係ないと思う。
169無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 10:38
おいおい関ヶ原布陣図をもう一度よくみろ。
小早川に突撃されて致命傷をうけるのは東軍も同じ。
170無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 10:55
馬鹿の癖に大軍持って出やがったのが厄介だよな。
はじめから引きこもっていればよかったのに。
鹿賀丈史がやってた三成(NHK大河「徳川家康」。家康=滝田栄)はよかったような
記憶がある。役所広司の信長も
172無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 13:59
嫌われ者の印象が強い三成だが、以外に領民からは敬愛されていたと聞く。
以外どころか蓄財もしないし、家臣には高禄で報いるし、なにより自身は
不得手でも家臣が戦上手のつわもの揃いだからね。
174無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 15:07
茶会で大谷吉継が膿を落としてしまった茶を飲み干した友情話は泣ける。
175無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 15:40
>>169
そりゃあ、小早川に攻められれば東軍が決定的に不利になるってのは分かりますよ。
ただ、秀秋の立場で考えるなら、
ほぼ全軍が交戦状態でいっぱいいっぱいの西軍と、
3万の予備戦力を残している東軍を比べたとき、
明らかに前者の方が与し易い相手だってことです。
相手に余力があると、万が一の可能性が増えますからね。
少なくとも我が身の保身を第一に考える人間なら当然西軍を攻めるでしょう。
>>172
領民から敬愛されてない有力大名って方が少ないような・・、
領民から敬愛されてたっていっても清正ほどじゃないだろうし。
177無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 17:44
田中角栄や鈴木宗男でも地元で敬愛されてるし(藁
178無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 21:00
前田利家あたりは領民から蛇蝎の如く嫌われていたように思いましたが。

領民から敬愛されていたという逸話は確かに結構聞くけど、
敬愛されてない方が少ないってことはないのでは?
>172
カクエイタナカは知らんが、
ムネヲが愛されてるというのは、
デマゴークだよ。

一部の土建屋さんには、熱烈に愛されてるみたいだけど。
180無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 22:39
>>177
まあ仕事がなくて苦しいとき
菓子折持っていって
よっしゃよっしゃで
仕事入れば地元じゃ神だよな。
181無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 00:59
>>175
小早川が小心だったおかげで、徳川の痩せ我慢(鉄砲撃ちかけ)が功を奏したわけか。
これが戦略眼のある激高型の人物だったら逆効果だったろうな。
さすが家康。三成など足元にも及ばぬ駆け引きよ。
182無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 01:16
>>179
揚げ足とりだがそれはデマゴギー
183無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 01:30
ここでは誰も触れてないけど、鉄砲撃ちかけは本当にあったのだろうか?
NHKで検証実験をやっていて、家康の陣から松尾山まで、激しい戦中に
鉄砲の音は届かなかったようだ。
184無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 01:30
>>181
逆だったら後世に残るバカ殿なんだけど
185無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 01:35
実際、家康の旗本部隊3万の強さはどうなの? 小早川が裏切らなくても
旗本3万で戦局を変えれそうだけど
嫌われ者の印象が強いのは全部大河のせいと言ってみる
187無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 02:06
家康の旗本部隊3万は秀忠への備えです。
188無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 02:18
根本的かつ初心者の質問だが、部隊の強さはどのあたりで
決まってくるのかな(兵士数以外)?ゲームなら、武将の
戦闘力と統率力で単純に数値化されているのだが。
189無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 02:27
>>188
現実の場合ってこと?
190無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 02:30
そう。一部隊の強さ。
兵の信頼、まとまり
装備の充実
疲労の度合い
個々人の技能
経験
兵の信頼、まとまり →大将のカリスマ性?
装備の充実 →足軽隊ならどこも似たようなもの?
疲労の度合い →軍師の作戦のうち?
個々人の技能 →鉄砲隊ならどれだけ訓練したか?
経験 →関が原でいえばどこも大差なし?
月月火水木金金〜
194無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 03:10
兵の信頼、まとまり →やる気と連携
装備の充実 →長槍、鉄砲、その他
疲労の度合い →兵の士気、相手を「やる」のに必要な体力
個々人の技能 →鉄砲なら修練度。個人戦での「攻め」と「退き」の呼吸?
経験→攻め時・逃げ時?
兵の信頼、まとまり →法(大将)と訓練
疲労の度合い →乳酸
経験 →慣れ
196無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 04:45
負けの定義は死亡か降参だろ
部隊内に「戦いつづける人」が一人もいなくなる状態が「部隊の壊滅」だろ

・兵数・・・多ければ多いほど「戦いつづける人」の母数も増えていく
・目的・・・戦うメリットがなくなれば、人は「戦いつづける人」でいられない
・装備・・・これが貧弱であると「戦いつづける人」は死んだり降参しやすくなる
・訓練・・・訓練が適切でないと、人は長時間「戦いつづける人」ではいられない
・疲労・・・食事や休憩が適切になされないと、人は「戦い続ける人」ではいられない
・指揮・・・隊長に絶大な信頼か束縛力があれば、人は死ぬまで「戦いつづける人」をやめない
ゲーヲタの定義付け
>>196
そんなに間違ってはいないけどかなりゲーム厨臭い定義だな。
大体、戦さの負けは戦意を喪失した部隊が崩れて逃げ出した状態になった時。
恐怖は感染するからやはり士気は大切。
士気が重要なのは同意だが、士気は何によって維持されるのだろうか?
側面や背後に敵に回られたら、一気に低下しそうだ。ずいぶんとスレ違いな
話題ではあるが。
家康の旗本は、三河兵は強い!と言う評判に支えられて
相手に恐怖心が宿って実力以上に強いだろうね。
201無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 13:09
家康は愚将ではないと思うけど名将とも思わない。
行政も武田信玄のパクリが殆ど。
罪なき家臣団を惨殺したりして民心の安定を図ろうとする家康の何処を尊敬しろと…。
202無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 14:03
>>201
誰が家康を尊敬しろと?
尊敬ではなく、盗め!
203無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 15:48
家康の旗本3万の問題は、独立して戦闘を行えるクラスの指揮官がいなかった事だそうです。
つまり、例えば3万のうち5千を福島隊の援護、もう5千を対三成戦線に投入して
残り2万で小早川を牽制、というような部隊を分けた使い方はできず、
家康が指揮して3万全軍を一括して戦闘に参加させるしかなかった。
小早川の去就がはっきりしない段階でそれをしてしまい、
その後小早川に攻められてはそれこそ目も当てられない。
だから、小早川の裏切りがはっきりするまで、旗本隊を戦闘に投入する事はできなかった。

むしろ家康としては、
小早川に対して攻めてくるならいっそ早く来いという気持ちがあったのではないかと思う。
さすがに陣地にこもる小早川軍をこちらから攻めて撃破するのは無理だが、
むこうが平地に降りてくるなら、小早川その他の2万を自分の指揮する3万で粉砕して、
一気に勝負をきめてやる、という程度の気概は当然持っていただろうし。
そのような意味もこめての、挑発の鉄砲だったのではないだろかと思います。
秀秋は家康のその気迫に押されて、東軍についたのでは?
とも思うがそこまでいくと推論というより妄想になってしまいますね。

もっとも、小早川が西軍についた場合、東軍の他の部隊の動揺などもあるだろうから、
それでも家康が勝ったとは当然言い切れませんが。
204無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 15:56
小早川が家康本陣に襲い掛かった場合、布陣どおりの包囲網が完成する可能性が
非常に高く、家康討ち死に!
205無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 15:59
しかし福島勢に遮られて前進もままならないので徳川勢に戦闘体制をとられてしまう時間ができてしまう。
206無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 15:59
>>183
俺が見たNHKの番組では銃声はかすかにしか聞こえないが、
それでも心理的には充分な効果があっただろうといっていた。
207無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 16:01
小早川が西軍につき、連鎖的に吉川達に参戦されると終了>東軍
208ムコーニン ◆og5moFk5GU :03/03/02 16:07
>>203
本多忠勝と井伊直政じゃ役不足だったんかね

5000程度だったら十分いけるとおもうんだが
209無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 16:12
>>208
両者ともすでに自分の部隊を率いてます。
それに、封建時代では簡単に一つの部隊を他の武将に任せるってことは出来ませんから。
210無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 16:17
>>207
一応毛利らに対しても押さえの部隊を1万数千ほど置いているし、
即座に壊滅はないと思うけど。

もちろん、小早川に攻められた方が不利になるのは当然だけど、
秀秋としては、西軍を攻めた方がより安全・確実だったということです。
211無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 16:29
>>210
んなあことない。
戦場で包囲されるということを理解してないのでは。
囲碁の勉強からやりなおしなさい。
212無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 16:42
>>211
だから、西軍全体としての判断じゃなくて、
あくまでも秀秋が利己的に判断したとすると、
まだ、戦闘に参加していない予備戦力がある東軍より、
ほとんどの部隊がすでに戦闘中の西軍を攻める方が安全・確実だってこと。
213無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 16:45
>>207
たしか毛利に関しては池田などの一万数千の兵力の他に岡山(勝山)
方面に残留した堀尾など一万数千、その他長曽我部などの後方にいる西尾、市橋などの兵力もありほぼ互角の戦闘ができるので、毛利の参戦が即、関ヶ原方面に影響を与えるのはむずかしいかとおもいます。
214無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 16:46
【お題】石田三成はどうしていたら小早川秀秋を味方にすることができたか?【考えよう!】
215無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 16:50
>>212
それに小早川が西軍を裏切ろうかと迷っていたのではなく、むしろ東軍のつもりだったが西軍の恩賞に目がくらみ裏切って西軍につこうかと迷っていた可能性もあるとすれば、東軍として参戦する確率の方がもともと高かったでしょう
216無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 16:55
>>214
小早川を減俸にした憎き石田が東軍に参加する
217無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 17:06
>>211
包囲といっても戦術レベルのものと、戦略レベルのものがあると思います。
前者は戦闘開始後、敵部隊の側面や後方に進出して行うもの、(カンネーの戦いなどがその例)
後者は、布陣や進軍・配置の段階で行いそれぞれの部隊で連携して敵を攻撃するもの。
関ヶ原は明らかに後者の例です。
この戦略レベルの包囲は指揮系統が一元化さた軍隊行えばかなり決定的なものになりますが、
指揮系統がバラバラな封建時代の軍隊ではそれほどでもありません。
各部隊がそれぞれ各個に正面の敵と戦うことになるだけですから。

この指揮系統が一元化されていないという特徴は、特に西軍で顕著です。
218無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 17:09
>>216
それなら確かに「西軍」の味方にはなってくれるかもしれませんね。
それでは石田三成が家康に忠誠誓ってれば、
豊臣家は残れたかも知れんということになってしまうな。

ところで小早川は勝手に松尾山を占拠したんだから、
西軍は最初から包囲などできていないんじゃないの?
>秀秋としては、西軍を攻めた方がより安全
一般的なイメージとしては山から下った15000の濁流に流されるように西軍は敗れ去ったように
思うかもしれないけど、大谷勢に一時押し返されたと言うのが現実らしい。
小早川勢は大谷勢の3倍の兵力を擁し高い所に位置しかつ、大谷勢は多正面作戦を強いられるの
になぜそんな事が起ったかというと、大谷勢は正面に向けている兵力とは別に予め対小早川戦用に
兵力を配置していて、しかも小早川勢が大谷勢に攻撃を掛ける経路というのが地形の制約から限定されてから。
まあ、松野重元の行動にも見られるように士気が上がっていなかったっつうのもあるのかな。分からないけど。
実際のところ、大谷勢が崩れ去る原因となったのは、松尾山の下方に陣取っていた寝返り3将の戦闘加入だったとか
だから西軍に攻めた方がより安全...というのはどうだろうかと思う。

それどころか小早川勢は東軍側という真実を隠し、そして伊藤正盛を追い出しての松尾山入城だったんじゃないのかな

221無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 19:22
>>220
>予め対小早川戦用に兵力を配置していて

500くらいの兵力でしたっけ、
秀秋もいくらなんでも1万5千の自軍が、
500程度に押しまくられるとは思わなかっただろうから、
安全だと思ったのでは?と考えるんですが。

もっとも、秀秋が最初から東軍として行動していたという説をとるなら、
確かにこんな議論無意味ですが。
222無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 20:00
チョコレートとココアは親戚のようなもの。同じカカオ豆から作られる。厳密
に言えば、油分を絞って粉末にしたものがココアで、まるごと使えばチョコレ
ート。実は液状のチョコレート(ココア)の方が古くて、固形のチョコレート
はせいぜい140〜150年くらいの歴史しかない。昔はカカオ豆をすり潰して、水
やお湯で割って飲む「チョコレート」だけだった。でも、昔ながらのチョコを
試してみたことがあるけど、砂糖も入っていないから、とにかく苦くて飲めた
ものじゃなかった。嗜好品というよりは、むしろ薬だったらしい。有名なとこ
ろで、アステカのモンテスマ王は、そのチョコレートが大好きだったと伝えら
れている。精力剤というか、飲んで元気が出るものと考えられていて、王様や
貴族しか手に入らないものだったとか。それをヨーロッパに持ち帰ったのは、
アステカを滅ぼしたスペイン人、フェルナン・コルテスだった。だからヨーロ
ッパで最初にチョコレートが普及したのはスペイン。そして17世紀になって、
チョコレートに砂糖を入れるようになって、修道院を中心として徐々にヨーロ
ッパ中に普及し始めた。爆発的に人気になったのは、フランスが最初。マリア
・テレサも大好きだったらしいし、ナポレオンも遠征のときは必ず携行したら
しい。それでもチョコはずっと薬として扱われていて、嗜好品になったのは19
世紀になってからだった。日本人で最初にチョコレートを食べたのは、文献上
では、出島の外国人からチョコをもらった長崎の遊女、ということになってい
る。ただ支倉常長なら、どうもヨーロッパに渡った時に食べたらしい…のだけ
ど、残念ながら証拠がない。本当は、長崎の遊女や支倉常長が食べたチョコレ
ートというのは、時代的に液状のココアだったはず。では固形のチョコレート
を最初に食べたのは誰かというと、明治の元勲、岩倉具視。フランスに行った
時に「スズの紙に包んだおいしいモノを食べました」と書き残している。これ
が固形のチョコレートだった。
そうでした。予備兵力がどうのというのはあくまで大谷側から見た場合のことでしたね。
ただ小早川側から見た場合でも>>220にかいたように攻撃する経路が限られるんです。
小早川勢の攻撃について
ttp://kakutei.cside.com/kakutei02.site/bijutu-image2/fujin.jpg
といったイメージそのままに現実に取られた行動を連想してしまいますが
(こんな感じという概要を示す図としては決して間違っていない)
ttp://haruna.on.arena.ne.jp/military/travelogue/sekigahara/map2.jpg
(10番が大谷勢、15番が小早川勢)
のほうが現実で、また平面図では分かりにくいですが、地形の高低のせいもあって
攻撃に向かうのに実際に通る道は大谷勢の右側面というより背後を伺うような、かなり迂回的な経路であり、
またその道を通って大谷勢と戦ったとしても正面幅が限られて兵力差が満足にに生かせない地形です

>もっとも、秀秋が最初から東軍として行動していたという説をとるなら、
>確かにこんな議論無意味ですが。
まあ最初から隠れ東軍だったというのなら、この議論は確かに無意味ですね。
秀秋は立場や恩讐で考えたら家康につくべき人間ですから、
西軍について伏見城を攻めた事の方がすでに家康に対する裏切りという見方もできますし、
かなり早いうちから、東軍からの裏切りの誘いもあっただろうから、
松尾山入城の時点ですでに東軍につく(本来の立場に戻る)ことを決めていた可能性もあるでしょう。
三成らが大垣城を出て関ヶ原に布陣したのは小早川裏切りの噂を聞いて、
これに対処するためと書いてある書物もあるそうですし。

秀秋がすでに東軍につくことを決めていたとするなら、
その秀秋が土壇場で結局どちらにつくか迷ったのは、三成が直前に提示した、
関白就任という条件のためでしょう。
もし、三成が秀秋の本心を知っていて西軍につなぎ止めるために
そのような条件を提示したなら、
三成は策略家としてもなかなかのものだったといえるのではないでしょうか。

まあ、結局は失敗したわけですが。
226無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:32
>>203
(遅レスですが)個人的にはかなり納得しました。
227203:03/03/02 22:03
>>226
前段部分についてのことですね。
後段では個人的な推測を書いてしまって、
少々議論を紛糾させてしまったようで面目ないです。
228無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 23:11
秀秋だけの判断で寝返ったわけじゃないと思う
家臣団も含めたまとまった意見だったんじゃない?
秀秋だけで小早川家を背負える器量があるわけじゃなしw

それよりも大谷が小早川の裏切りを読んでいて、小早川側にも陣形を敷いていたのが
凄いと思う。

金吾って関ヶ原後にキチガイになったんだよね?
229無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 23:51
金吾は気の弱い神経の細いヤシですた
家臣団の意見は(少なくとも重臣クラスは)東軍につくってことで、
すでにまとまっていたのでは?
>228
つか、あれで裏切りの可能性を考えない方が世間知らず。
>>231
裏切りの可能性を考えていても、
それにどう対処するかで評価が分かれるところ、
三成の場合秀秋は結構土壇場まで迷っていたようだし。
「おしかった」という程度の評価はしてあげてもいいと思うんですが。
>232
もちろん、三成の策を全否定はしないけれど、
秀秋の行動への対応はやはり世間知らずだと思う。

優秀なんだろうが、生の世間を知らないって感じがするよ。
234無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 00:25
>>233
それじゃあ、どうすればよかったっていうのよ。
秀秋に対して。
>>234
裏切りがあっても対応できるような場所においておくとか
小早川重臣を、豊臣につくよう下工作しておくとか
>235
松尾山城へは、勝手に入っているから
陣替えは難しいだろうね。
237無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 00:48
>>234
秀秋を始末して、小早川家をのっとる
238無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 00:51
重臣への下工作は確か具体的な数字まで出してやっていたけど
ダメだったんだよね。
三戦板の厨達へ

・三成は関ヶ原の前に、松尾山城へ勝手に入城した秀秋を大垣へ呼び出そうとして、秀秋に拒否された。
・三成は、西軍が疑心暗鬼になって崩壊しそうだと増田長盛へ愚痴を書いてる。
・秀秋は伏見城攻め直前に鳥居元忠へ和平交渉を持ちかけて断られた。
・秀秋は伏見城攻め以降、関ヶ原まで西軍の城攻め・合戦に一切参加していない。
・伏見城攻めの後、秀秋は家康に伏見城攻めの謝罪を行い、人質を送った。
・秀秋の陣には、黒田長政家臣の大久保猪之助が帯同していた。

>>220
伊藤正盛じゃなくて伊藤長門守盛正。
240無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 04:49
金吾様の裏切り後

ふ、ふふふ・・・、裏切られることには慣れてる。慣れてるのさ。
私が友達少ないことは知っていたではないか。
ん、なんだこれは・・・?私の涙か・・・・・・。

隆景がもうちょっと生きてればね……
>>239
厨達へってずいぶん偉そうだけど、
日本史板の関ヶ原スレだってにたようなモノでしょうに。
しかし、何もあそこまで嫌われなくてもいいような<みっちゃん
244無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 11:04
223
まじでサンクス
245無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 07:41
俺があの時代に生まれていたら、絶対三成(西軍)の味方になる。
246無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 14:23
>>245
へたれの君が?( ´,_ゝ`)プッ
247無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 14:30
>>242
いちいち官位なんざつけて知識ひけらかさなくても「伊藤盛正じゃない?」っていえばいいだけなのにな。
正直、むかつく。
248無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 14:30
重要な一文が抜けていた。
いっちゃん最初に「揚げ足とるにしても」
249無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 15:52
>>245
家康として生まれていてもか?
250無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 17:14
>>247-248
ゲーヲタレヴェルの雑魚
251無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 21:01
ヤバイ。三成ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
三成ヤバイ。
まず弱い。もう弱いなんてもんじゃない。超弱い。
弱いとかっても
「アリ2匹ぶんくらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ無謀。スゲェ!なんか作戦とか無いの。戦術とか戦略とかを超越してる。無謀だし超弱い。
そんで島津は特攻してるらしい。ヤバイよ、特攻だよ。
だって普通は大将とか特攻しないじゃん。だって自分の部隊の大将がどんどん死んでったら困るじゃん。退却とか困るっしょ。
陣形が伸びて、最初のときは士気十分だったのに、退却のときは袋叩きとか泣くっしょ。
だから大将とか特攻しない。話のわかるヤツだ。
けど島津はヤバイ。そんなの気にしない。特攻しまくり。豊久とか戦死してもよくわかんないくらい無謀。ヤバすぎ。
無謀っていたけど、もしかしたら慎重派かもしんない。でも慎重派って事にすると
「じゃあ、関ヶ原の戦いの成算ってナニよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あと超結束弱い。小早川裏切って壊滅。超裏工作。ヤバイ。頭悪すぎ。戦う前から負けてる。ヘボい。
それに毛利超可哀想。超孤独。それに超適当。一族とか平気で保身の為に見捨てる。見捨てるて。久秀でもやらねぇよ、最近。
とにかく貴様ら、西軍のヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ西軍に勝った家康とか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。

三成自身が全身全霊を持って加藤や福島と仲良くしてれば良かった
学級委員長だったオレは、文化祭の前日の
クラスのみんながあまりにもダラダラしてたので
「みんな、真面目にやろうぜ」と注意したら
「えらそーに言うな」と、総スカン食らった。

それ以来、三成の気持ちが少しだけわかったよーな(。´Д⊂)゜。・
>>251
w
ヤバイ。家康ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
家康ヤバイ。
まず太い。もう太いなんてもんじゃない。超太い。
弱いとかっても
「横綱2人ぶんくらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ卑怯。スゲェ!なんか自分の手汚さないの。殺人とか詐欺とかを超越してる。卑怯だし腹黒い。
そんで秀忠は遅刻してるらしい。ヤバイよ、遅刻だよ。
だって普通は大将とか遅刻しないじゃん。だって先に着いた部隊がどんどん減ってたら困るじゃん。戦う気失せるっしょ。
大軍勢任されて、最初のときは士気十分だったのに、遅れて総スカンとか泣くっしょ。
だから大将とか遅刻しない。頼りになるヤツだ。
けど秀忠はヤバイ。そんなの気にしない。遅刻しまくり。戦さとか始まってもよくわかんないくらい遅刻。ヤバすぎ。
遅刻って言ったけど、もしかしたら早く着いたかもしんない。でも早く着いたって事にすると
「じゃあ、関ヶ原での秀忠の出番ってナニよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あと超戦下手。少人数の真田に城に籠もられ立ち往生。超ダサイ。ヤバイ。頭悪すぎ。戦う前から負けてる。ヘボい。
それに福島超可哀想。超骨折り損。それに超単純。井伊にまんまと先陣を横取りされる。横取りって。道三でもやらねぇよ、最近。
とにかく貴様ら、東軍のヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ東軍に立ち向かった三成とか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。
それでも負けちゃう西軍萎え
257無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 19:24
やっぱ金吾の領地をそっくり秀吉からもらっときゃよかったのかな(w
とにかく一点だけはっきりさせておこう。

家康は、東軍優勢のさなかに恫喝の意味を込めて小早川軍に鉄砲を放ったのか?

勝てば官軍という御国柄での資料しかない現在、その一点だけははっきり意思表示して欲しいものだ。
259無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 23:47
 以前、関が原に行った時思ったがとてもじゃないが松尾山までは鉄砲は届かない。
 距離が遠すぎて小早川陣営から家康軍が鉄砲を撃ち掛けたことさえ確認は難しく
 恫喝の効果としては甚だ疑わしい。 
 届くのはせいぜい、脇坂、小川、赤座、朽木らの陣営まで。

 おそらく、鉄砲の恫喝は後世の創作では?
 もしくは、脇坂らへの恫喝だったのではないか?
実際のところ、もう我慢できなくなって攻撃したのでは?
258です。マジレスです。

資料を学者が調べても戦況経過はほとんどわからず誰某が誰の首を取ったということしかわからない、ということらしいのです。
確かに、合戦に出た者の家族・親族にとってはそれが最大の関心事であったであろうと想像します。
討ち死にした自分の知り合いが、結果、打ち取った者の名誉・武勲になったならば慰めにはなります。

正直なところ、不謹慎な輩の人格の卑しさには辟易としてしまいます。
腐れ儒者の林羅山とかの記した記録の方がまだしもマトモな判断ではないかと、ハイ。
資料としての信憑性は別として、小早川に鉄砲を打ちかけなかったという方が論理的に妥当であろうと考えています。
そう考えても、その後の推移との整合性がとれないのが難点なのですが。
日本史板の廚達とは一線を画した論議を望むものです。
>>261
どうでもいいけど、
>日本史板の廚達
っていう言い方はいかがでしょうか。
どちらにも痛い香具師がいるのは事実だけど
それをあげつらっても無用の波風を立てるだけだと思うのですが。
それに、厨というのとは違うけど、
こちらの板の方がよりネタが許容されてしかるべしだと思うし。
もちろん限度ってのはあるが・・・・・
263無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 07:24
3543
264干し柿協会:03/03/12 09:35
干し柿を馬鹿にするな。
265山崎渉:03/03/13 15:07
(^^)
266無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 17:06
あげとく
将帥の器量は、従う者に目標達成の実現を信じさせるところにある。
そういう意味で、三成には器量があったと思う。
少なくとも、彼は自分の手札とその生かし方を知っていた。
(ブラフのカマし方も含めて。)
戦は生き物なので、関ヶ原での小早川の裏切りを三成の責にすることは
意味がない。
(念のため、これは上の方々の言及に関するものではない。歴史上の出
来事があったかどうかという考察自体には意味があると思うので。)
人事を尽くして天命を待つという観点からすれば、全国を二分する支持
者を集め、政治的に重要な畿内で圧倒的な優勢を保ち、岐阜城の失陥や
予想外の家康の早期出陣といった戦略の齟齬にも関わらず関ヶ原で互角
以上の態勢に持っていったことで、彼を名将と評しても良いのではない
かと思う。
毎回同じ事書いてるヴォケが再登場か。
269無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 21:23
西軍に反三成派がいたのが敗因で三成の責任 あと小早川
>269
東軍が関ヶ原で負けてたら、家康が同じこと言われる罠。
現実、東軍は負けていない罠。
>>270
そりゃそうでしょう。そこが関が原の戦いで最も重要な所なのです!
273270:03/03/16 01:24
いや、271、272はもっともなんだけど、実際には、天下分け目の戦い(の雰囲気)
の中で最初からどちらかの陣営のみに賭けるってのは危険すぎるから、ほとんど
の武将は保険をかけていたんじゃないだろうか、と思うのよ。
かなり露骨にやったのが吉川、増田、鍋島(オヤジ)だけど、実際には両陣営に
書状を送るくらいのことはどの大名もやっていたことだろう。
関ヶ原戦では吉川のサボタージュが功を奏したが、成り行きしだいでどの大名が
どんな動きを示すかはわからない。
(東軍では藤堂あたりが怪しいか。池田、浅野あたりも信用されていなかったと
思う。まあ、参戦武将はほとんどが戦国の生き残りだから、戦況次第で反目に関
係なく陣営の乗り換えくらいはするだろう。)
戦況が東軍に決定的に不利にならなくても、秀頼の出馬があれば寝返る武将はい
るだろうし、それで家康が負ければ「東軍に親豊臣派がいたのが敗因で家康の責
任(まとめきれなかったから) あと○○○(直接寝返った武将)」と言われる
ということ。
8歳前後が出馬ねぇ・・・
>>273
でも、西軍でも「保険をかけていた」のは実際裏切った奴らだけなのでは?
それ以外の連中は戦後かなり容赦無くやられてるし、保険利いてないじゃん。
ほとんどの武将が保険をかけていた(両陣営に渡りをつけていた)ってことは無いでしょう。
276無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:04
>>275
いやいや、ほとんどの連中は保険かけてましたよ(特に西軍)。
ただ、保険が効いたやつもいれば、効かなかったやつもいるということです。
277無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 23:30
アゲ
278270:03/03/18 23:48
>274
出馬といっても、要するに戦場まで『玉体』を運んで豊臣の旗印を立てるかど
うか、ってことです。(そしたら家康は反乱軍に転落ですから。)
まあ、戊辰の折の錦の御旗と一緒ではないかと。
>275
確かに、家康はマメに手紙を書いたが、三成は勧誘やフォローが足りなかった
と言われていますね。
でも、西軍が負けた後では、三成からの書状は、たとえ受け取っていたにして
も、受け取った側で後々のことを考えて処分するでしょう。
また、書状にしてしまうと後々面倒という場合には、家老レベルで会談を行う
という形で交渉を行ったと思います。
後者では、二股の証拠は残らないかわりに、戦後に素知らぬ顔をされてしまっ
たり、交渉相手の格によって頼りにならなかったりすることだってあり得るわ
けです。(だから戦後には様々な悲喜劇があったと思いますよ。)
関ヶ原で闘った組では、宇喜多や大谷はさすがにそんなことはないでしょうが、
毛利はそれに近い状態になっていますね。
(全国区では、常に交渉の余地を残すという意味で、むしろそういう状態が正
常ではなかったかと思います。)
279無名武将@お腹せっぷく:03/03/22 21:15
石田君への批判
歯を矯正しなさい。
280無名武将@お腹せっぷく:03/03/25 15:42
ageとく
で、幼少の秀頼公を旗印に掲げて、石田方が敗北したらどうするんだ?
282無名武将@お腹せっぷく:03/03/25 15:46
そのときはそのとき。
秀頼に死んでもらえばいいだけ。暇つぶしになる。
マジおすすめ。
>>279
マチャミもびっくりするほどの出っ歯だったらしいね。彼。
284無名武将@お腹せっぷく:03/03/26 13:25
石田三成って出っ歯だったのか?
いい男だったって聞いた気がするけど・・・
その出っ歯だったって話も、江戸時代に徳川に捏造された可能性があるな。
285無名武将@お腹せっぷく:03/03/26 13:33
石田光成はカナリの男前ゆえ秀吉に可愛がられたが、
福島や清正の反感を買う原因ともなった。

ところで、人質に妻とかを差し出すってあるよね?
これってH込みですか?
286無名武将@お腹せっぷく:03/03/26 13:35
細川玉子さん(光秀の娘で細川忠興の妻)は、
人質となり三成にハァハァされるのが厭で、家臣に自分を殺させました。。
>284
出っ歯だった可能性は結構高いんじゃない?
江戸時代に程度が誇張された可能性は大きいけれどね。
288無名武将@お腹せっぷく:03/03/26 13:36
>>286
絶世の美女だからねw ハァハァするよね。
>>287
三成の出っ歯説は墓から発掘された頭蓋骨の復元結果からだったと思うよ。
出っ歯で美男子・・・・(謎)
 いやいや久本雅美も黙ってれば結構美人だから、出っ歯の美男子もありかも。
遺骨から三成は身長156〜157cmで華奢な優男タイプだったようだ。
>>291
うん。出っ歯だった点いがいでは知性ある顔立ちだったとか。
293無名武将@お腹せっぷく:03/03/28 01:26
>遺骨から三成は身長156〜157cmで華奢な優男タイプだったようだ。

う〜ん、槍働きがいまいちで、武闘派からは嫌われるタイプだな。
これきいたら、なるほどって気がした。
294無名武将@お腹せっぷく:03/03/28 02:06
>183
デマ。良質史料にそんな記事はない。
出典は悪名高きメイリョウコウハンかな? あんま自信無いケド。
秀頼の父親を大野治長にしてるのもこの本だったな。トンデモ説が満載された本だけど、読み物としては面白いよ。
ジョウザンキダンのほうがオススメだけどね。
295無名武将@お腹せっぷく:03/03/28 02:10
ごめん、200以降を見るの忘れてた!
296無名武将@お腹せっぷく:03/03/28 09:18
>>293
当時の平均身長はそんなもんだけどな。
まあ、戦国武将の平均身長は普通の人よりは高かったかもしれん。
しかし、武田の勇将、山県昌景の身長も135cm程度だったと言われてるが。
297無名武将@お腹せっぷく:03/03/28 10:07
伊達正宗は150あったような覚えがあるが
それでは斎藤義龍の190いくらというのは現代のジャイアント馬場どころではないのですな
299無名武将@お腹せっぷく:03/03/28 15:58
>>296
小人症ですか?
三成に限らず
現代でも東大京大にストレートで入る秀才が
体育会系の学校にいたら浮くだろ。
斎藤義龍は今のセームシュルトぐらいでは
302無名武将@お腹せっぷく:03/03/30 19:36
>>296
当時の平均身長がそんなもんだとすれば、
当時の侍って、現代人から見ればそんな強くないんじゃねーのか?
現代人の方が体力あるだろう。

>286 敵は帰ってしまったのに、タマちゃんは勘違いして死んだような気がしたが?

>302 体格と体力とは根本的に違うのだ。
侍はどうかは知らんが、ほんの半世紀前くらいまでのお百姓さんはとても足腰が強かったそうな。
長宗我部の一両具足とかもそれはそれは強かったらしい。

食べ物事情なんかは現代の方が恵まれているが、運動量とかきんぼうの差で昔の人に軍配が上がるだろう。
侍とかお百姓さんとかは知らんが、漁師も昔は足腰が強かったそうだ。
な、イナオ?
306無名武将@お腹せっぷく:03/04/07 11:33
ageとく
307無名武将@お腹せっぷく:03/04/08 15:01
イナオって誰?
308下総国諜報員:03/04/10 00:47
福島正則ら、反三成派の東軍参戦を過小評価したのはまずかったかなあ。
豊家の武将が分かれて戦っては、
豊臣VS徳川の図式が成立せず、秀頼も出馬できなかったのでは。
私怨で動く福島らを、三成はさぞ苦々しく思っていたろう。
309無名武将@お腹せっぷく:03/04/10 00:55
秀頼が出なかったから豊臣VS徳川の図式が成立しなかった。
>>21

かなりの亀レスだが、
それって確か武将風雲録か、戦国群雄伝の武将ファイルじゃなかった?
筆者の個人的感情が溢れ出すくらいの酷評だったね。
311下総国諜報員:03/04/10 01:47
>309
なるほど。
確かに、秀頼出馬となれば三成嫌い達も西軍に馳せ参じたって事か。
どっちが先なんだろ?
家康も、テーマを対豊臣にはもっていかないようにしてたが。
312無名武将@お腹せっぷく:03/04/10 01:51
秀頼を出馬させなかったのは淀君と家康の協議で決定事項なんじゃないの?
家康は秀頼(豊臣家)の指示で上杉討伐に行ったのに中央で三成が挙兵。
東軍から見れば、三成が大阪城を奪おうと考えてると思うんじゃないかな。

秀頼出馬してきたら「太閤殿下の遺言を無視してる」と
難癖つけて三成以下従った武将を糾弾できる。

こう言う妄想はどうだろ?
西鉄の鉄腕稲尾
千成り瓢箪盗んで来て、陣頭に立てたら
何か変わったかな?
315無名武将@お腹せっぷく:03/04/11 07:22
三成がそれをやったら三成自身が謀反人として西軍に討たれるでしょう
316無名武将@お腹せっぷく:03/04/11 10:46
>>299
徳川綱吉124cmよりよっぽとマシ。
>>310
覇王伝武将ファイル
あれ全部酷い
しかし、三成挙兵よりも実は宇喜多挙兵の方が早かったんだけど。
三成は関ケ原に至るまでみんな後手後手に廻っているが、三成挙兵は
計画されたものではなく成り行きでって感じがかなりする。宇喜多は家康を相当
恨んでいたんで当然だとは思うが。結局三成には決定的に欠けていた物。
それは「運」だね。上杉も南下して家康を攻めなかったし。上杉と三成軍で家康軍を
挟撃すればかなり違った展開になったはず。でも史実から三成軍は相当強かった事が
分かったけどな。あの関ケ原で午後2時ごろまで踏ん張っていたのは凄いよ。
強い理由はその装備及び兵の質に有った訳だけどな。
319無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 14:39
>>318
島左近を知らんの?
320無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 18:04
>>317
あれはヴァカが書いてるな。
三成のとこなんて、「それ美点だろ?」ともとれる事ばかりで
けなす論拠になってなかったな。
単に個人の好き嫌いで因縁つけてて人間の下劣さ爆発してたぞ。
「まったくつまらない人間もいたものだ」とかいう締めのとこでは、
「おいおいお前の方が百倍はつまらないぞ」と思った記憶が。
321無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 18:19
嶋左近君は開始早々負傷退場しますた
三成か・・・
そういえば城の見回りよりも2時間以上早く起きて自分で城の見回りをして秀吉に報告するくらい真面目らしいな。
こういうエピソードは好きだが・・・どうも好きになれぬ・・・
>>322 ちなみにこれは南條氏の戦国武将ビジネス読本(なんかすごいが)という本から。
    この本では秀吉なら三成の才がなければこれほど重用(年若く5奉行の一人に)するとはおもえないとかいてある。
    また三成派と武断派は自然の成り行きで溝ができたのであろうとしている。
    ほかには関ヶ原後彼の城に略奪しに行った兵があれだけ権力があったから財宝もいっぱいあるだろうと
    のりこむと障子にすら古紙を使っているくらい倹約してて金銀財宝は見つからなかったという。
    彼の知謀の低さを表す例は朝鮮出兵の時如水、浅野長政と仲が悪くなり秀吉死後長政と家康の仲をさこうとした犯人が三成とばれたとも・・・(三河後風土記
    今日まで三成がひどく叩かれてるのは時代の流れによって三成=奸臣というイメージがつくられたいうこと。
    最後にこの本は反家康の旗を掲げたということは彼が単なる才子でもなくただ傲慢な人物でもなく真に勇気のある戦国男子だと南條氏は言っている。 

    文章乱雑ですまぬ。
>323
資料『三河後風土記』というのは、
敵本営発表みたいなもんですね。
まあ、関ケ原で万が一勝っても石田幕府は難しかったろうね。
まだまだ毛利一族や宇喜多、上杉等も居たわけだし。
まあ、せいぜい高級官僚になって豊臣政権を仕切る位が関の山かな?
しかし、西軍が勝ったら西軍武将はその獲得した石高から軒並み所領は倍増しただろうな。
しかし、所領で比べると毛利一族は輝元120万石 秀元20万石 宇喜多57万石 
吉川 20万石 小早川 35万石と合計で徳川に匹敵する所領があったんだな。
>せいぜい高級官僚
三成は高級官僚どころか、官僚のトップだと思うのだが
財務省事務次官クラスだな

毛利一族に宇喜多を入れるのは何故?吉川は毛利所領に含まれてるはずだし
しかし、未だに素朴な疑問なんだが西軍の首領はなんで三成なんだろ?
その石高から言えば毛利か宇喜多になるはずなんだけど。
すくなくとも関ケ原に輝元が出陣していれば毛利VS徳川になった気がするな。
確かに三成がVS徳川包囲網の戦略絵図を描いたには違いないんだけど・・
関ケ原の後、輝元が大阪城を明渡し、家の存続を図った関係上三成が真の首班とした方が
いや、しなければいけなかった部分は有るだろうけど。叉豊富恩顧の東軍武将にも
徳川方についた大義名分も立つという部分からのような気がする。
関ケ原戦後の所領分配時に三成首班が強調されたような気がする。
そうだとすればその後の東軍方の戦後の枠組みもキレイに理解できる。
如何なものなんだろうか??
>>325
戦場から遠いから?
329山崎渉:03/04/17 10:46
(^^)
330山崎渉:03/04/20 05:46
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
331無名武将@お腹せっぷく:03/04/24 04:25
治部少輔。
332無名武将@お腹せっぷく:03/05/02 12:23
保守あげ
333無名武将@お腹せっぷく:03/05/02 16:49
>>327
首領って言うより(言葉悪いけど)黒幕って感じだね。

それとも最近は宇喜多秀家首謀者説が有力なの?
334無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 16:03
以前、母がデジカメを買って嬉しそうに色々撮ってたけど、そのうちメモリが
いっぱいになったらしくてメカ音痴な母は「ねえ、これ写らなくなっちゃっ
たんだけど…」と遠慮気味に相談してきたけど、漏れは面倒くさかったから
「なんだよ、そんなの説明書読めばわかるよ! 忙しいからくだらないこと
で話しかけるなよな!」と罵倒してしまった。
その母が先日事故で亡くなった。
遺品を整理してたら件のデジカメを見つけたので、なんとはなしに撮ったもの
を見てみた。
漏れの寝顔が写っていた。
涙が出た。
コピペによろしく
普通に文官の三成が戦の総大将になれたのが凄いと思うな
西軍の武将は不安じゃなかったんだろうか
337無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 21:17
武士は武官に分類すべきだと思うよ
338無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 21:19
>>336
不安だっただろうw
>>338
その筆頭は大谷吉継ですね
340無名武将@お腹せっぷく:03/05/04 04:48
>>336
文官?
それは後世になってからの固定的評価じゃないの?
ともかく当時は権力者の一人だったと思う。
非武功派
かな
342無名武将@お腹せっぷく:03/05/04 21:18
僕は、32歳。彼女は、8歳年上の40歳です。
40歳だけど、ナイスバディでどう見ても20代後半にしか見えません。
いつも甘えさせてくれるし、僕の世話をやいてくれます。
セックスも上手で最高です。毎日、抱き合ったままで朝を迎えます。
「いつも甘えてばかりで悪いね。」と僕が言うと、
「私、あなたが甘えてくれている時が、一番幸せなの。」と言ってくれます。
僕は今、最高に幸せです。
343無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 00:20
>>342
とても32歳とは思えない文才ですね。
344無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 00:26
こういうのがいるから世の中が楽しいんじゃん。
>>344
サクッと刺しちゃうよ?
346無名武将@お腹せっぷく :03/05/05 01:54
>>325
石田幕府ってなんだそれ?

では鎌倉幕府は別名北条幕府っていうのかいw
>343-344

最近はコピペにマジレスすんのが流行なのか
流行ってますね。間違いなく。
>>347
遅れ過ぎ。
>>347のためにコピペを用意したから気の利いたマジレスしろよ

不細工まじめ:がり勉  イケメンまじめ:知的
不細工マッチョ:デブきもい  イケメンマッチョ:スポーツマン
不細工暗い:根暗キモイ  イケメン暗い:クール
不細工面白い:笑われ者  イケメン面白い:人気者
不細工高学歴高収入:金の亡者  イケメン高学歴高収入:エリート
不細工リーダー:調子に乗るな  イケメンリーダー:頼りがいがある
不細工おしゃれ:勘違いもいいとこ  イケメンおしゃれ:イケテル
不細工やさしい:ピエロ  イケメンやさしい:いい人
不細工低身長・高身長:キモイ・怖い  イケメン低身長・高身長:カワイイ・カコイイ
不細工フリーター:さっさと就職しろボケ  イケメンフリーター:夢に向かってがんばってね
不細工マニア:おたくキモイ、敬遠される  イケメンマニア:流行の発信源、関心持たれる

不細工が告白 : きもっ、ストーカー!!
イケメンが告白 : 嫁にしてクダサイ
不細工新入社員 : 歓迎会無し
イケメン新入社員 : 歓迎会あり、なぜか他部署からも女子社員が参加
不細工が美容院 : 営業妨害
イケメンが美容院 : ようこそいらっしゃいました
不細工一人旅 : 自殺だけはするなよ
イケメン一人旅 : ロマンスたっぷり
不細工、ブスと付き合う : 底辺同士でお似合い(藁
イケメン、ブスと付き合う : 女性を顔で判断しない、とても純粋な心の持ち主
不細工、美人と付き合う : ついに援交か・・・落ちたな
イケメン、美人と付き合う : あ〜ん、理想のカップル
不細工独り暮らし : 孤独死確定ね
イケメン独り暮らし : 御飯作りにいってあげる!
不細工接触:キャー、セクハラ訴えてやる!
イケメン接触:あ〜ん、クリも舐めてぇ〜ん
351無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 12:21
>>350
よし、氏ね。
352無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 13:17
>>341
武功がないわけじゃないでしょ
それ以外の働きが目立つだけで
353無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 16:10
江守三成「おのれ家康、何様のつもりかっ!!」
なかなかよかった。
蟹江福島と細川大谷も好きだったなあ。
蟹江正則「承服しかねーる。」
細川吉継「お主も阿呆じゃが、わしはもっと阿呆じゃぁ!!ハッハッハ!」
特に大谷吉継は鳥肌モノだった。
でも葵って視聴率取れなかったんだよね〜。
まあ夏の陣以降はウダウダだったからなぁ・・・。
禿同!葵の三成と吉継は(・∀・)イイ!

秀秋呪殺の件はイラネと思ったが。
>>354
漏れも禿同!

>秀秋呪殺の件
Watchしそこねた(;´Д⊂
ひょっとして吉継の亡霊(((;゚Д゚)))
356無名武将@お腹せっぷく:03/05/06 16:38
家老の舞兵庫タソはどーなったの?
左近・郷舎共々討ち死にですか。
ていうか舞兵庫って何かの官命?俗称?
なんかかわいい名前だな
>>舞兵庫
358無名武将@お腹せっぷく:03/05/07 22:40
三成ほどの忠臣は、滅多にいませんよね。
359無名武将@お腹せっぷく:03/05/07 22:49
僕もそうですが、TBSドラマの関が原でファンになった人が多いんだろうなあ。
その後のNHK大河での描かれ方と言ったら...
悔しくて、泣けてきたよ。
360無名武将@お腹せっぷく:03/05/07 22:49
>>356
島左近は関ヶ原で死んでないと言う説もあるね。
ttp://www.m-network.com/sengoku/sekigahara/sakon_c.html
島津豊久の生き残り伝説と同じ様な物で、可能性はめちゃ低いと
思われますが。。。
361無名武将@お腹せっぷく:03/05/08 19:58
三成が主役の大河が見たい
>>361
首都移転が三重畿央地域へ決まればきっと実現するに違いない
363無名武将@お腹せっぷく:03/05/08 21:59
>>361-364
毛利や武田や上杉よりは人気あると思うんだけど。
364無名武将@お腹せっぷく:03/05/08 22:00
>>363
そりゃ〜無い。
知名度あっても、一般的に人気は無い。
365無名武将@お腹せっぷく:03/05/08 22:23
秀次ぼっちゃんの家臣に前野兵庫助何たらってのがいたんよ。
そいつ、ぼっちゃん改易に連座して処刑のところを三成に拾われて、
前の名前は捨てて舞兵庫って名乗った。

由来は舞というか、踊り?能かな?それが好きだった(得意?)んで、秀次改易前に
もらってた官位+で舞兵庫って名乗ったってわけ。

秀次直臣だったか前野長康の家臣だったかはちょっと・・・。
366356:03/05/09 00:50
>>365
サンクス。
やっぱり兵庫は官名だったんだ。
でも舞が好きで自分の名前にしたなんて、粋だねえ。
それにしても三成配下は魅力的な人物が多い。
やはり冶部君には一種人を惹きつける何かがあったんだろうね(でも同時に嫌われる所以でもあったんだろうけど)
367無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 01:03
舞兵庫は前野長康の娘婿でもとの名を前野兵庫介忠康という。
前野家家臣から豊臣秀次に仕え黄母衣衆十三人の一人として活躍した。
秀次失脚寺には石田三成の計らいで伏見屋敷に匿われて難を逃れた、その後一旦浪人し三成の家臣となる。
関ヶ原では一隊を指揮して黒田長政・田中吉政勢と戦うが戦死。

つまり舞姓は改易された前野姓をはばかって改名しただけ。
>>365よ、勝手な妄想をすんな!

368無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 01:08
アタマ悪ぃ香具師が多すぎるなw
>>368
特にお前がな。
370無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 19:50
>>364
本来人気あったのに、NHK大河で、続けて悪役的に描かれた時期があった。
そのせいで人気が下がったと思う。
無知な脚本家の橋田スガコやジェームス三木のせいだ。
371あぼーん:あぼーん
あぼーん
372無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 19:56
>>370
おし!石田三成の名をかたって白装束軍団を
山梨から追い出そうぜ!
そうすりゃ人気はうなぎ上り。
373無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:34
想う会に刺されてもいいなら、どうぞ。
374無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:36
>373
山梨のために命を張った石田三成は
英雄として受け継がれていくのであった。
375無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:03
>>374
そしていつのまにか、信玄と並んで山梨の英雄に。
376無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:21
やっぱり滋賀では人気あるんでしょうか?
377無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:29
京都ではなぜか人気ないぞ。
378無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:31
>>375
おし!お前に石田三成役を譲ってやる。
本当はおれが行きたいけど出張なんだ・・・
>>378
よし、ではこれから山科へ行って来る
380無名武将@お腹せっぷく:03/05/10 01:30
>>379
石田三成のために捕らえられて来い!
京都で斬首してやるから。
381379:03/05/10 01:38
伊奈図書の検問に引っかかって逝けなかった
382無名武将@お腹せっぷく:03/05/10 01:40
>>381
なにげに詳しいなw
石田三成と諸葛亮って似ているね
384無名武将@お腹せっぷく:03/05/10 17:02
どこが?
385福島:03/05/11 00:23
>>381
俺が文句つけて切腹にしてやるYO!
福島正則って相方の清正と違って人気ないね。
>>386
大言壮語のくせに
あの最後じゃ…
その割りに人情家で民政家だったようです。
そんな主人についていく家臣も多かったようで…ワンマンの清正とは相対しますね
389無名武将@お腹せっぷく:03/05/11 03:19
浅野はかげ薄いね。
390無名武将@お腹せっぷく:03/05/11 04:52
朝鮮戦役の最高司令官って、実質上三成だったと思われる(秀吉は耄碌気味)
15万の大軍を海を渡って侵攻させ、膨大な補給物資を的確に送り届けたのだから、
将帥としての才能は秀吉に匹敵するものがあったのではないか?
関ヶ原だって、負けたけど狙いは悪くなかった
東軍内部の政治的切り崩しをもっと時間をかけてやっていれば、少なくとも
あんな短期間で終わってしまうことはなかったろう
391無名武将@お腹せっぷく:03/05/11 10:45
大河で、石田三成やるとしたら、主人公三成役は誰がいい?
何度か光成役やってる真田広之?
若手起用なら窪塚とか?
真田氏が哀愁漂う役柄をやって欲すぃ
393毘沙門天:03/05/11 11:49
>>390
政治的切り崩し…と言っても、三成と言えど家康には敵わないと思われ。
それに重点となる領土問題(味方すれば加増)でも、家康が言えば信憑性はあるが、
政権下の一奉行が言ったところで信憑性も加増できる権力もあるの?みたいな感じで。

大義名分とか肩書きにとらわれずぎで、自分がこうだから他人もこうあるべきみたいな性格っぽい。
すごく愚直な人ですよね。この愚直さが好きなんだが…

394あぼーん:あぼーん
あぼーん
395無名武将@お腹せっぷく:03/05/11 12:22
>>391
婚姻に必要な書類を間違えるような馬鹿ではムリだなw
>朝鮮戦役の最高司令官って、実質上三成だったと思われる
出たよ・・・
何をどう指揮してたんだろうかね・・・
朝鮮役で物資が的確に送り届けられた事はないし。
慢性的に物資不足に悩まされてたのに。
397文禄役:03/05/11 12:51
第一軍 小西行長・宗義智・松浦鎮信・有馬晴信・大村喜前・五島純玄 1万8700
第二軍 加藤清正・鍋島直茂・相良頼房 2万2800
第三軍 黒田長政・大友義統 1万1000
第四軍 毛利吉成・島津義弘・高橋元種 1万4000
第五軍 福島正則・戸田勝隆・長宗我部元親・蜂須賀家政・生駒親正・来島通之及び通総 2万5000
第六軍 小早川隆景・毛利秀包・立花宗茂・高橋直次・筑紫広門 1万5700
第七軍 毛利輝元 3万
第八軍 宇喜多秀家(壱岐在陣) 1万
第九軍 羽柴秀勝・細川忠興(壱岐在陣) 1万1500
船奉行
高麗 早川長政・毛利高政・毛利吉安
壱岐 一柳直盛・加藤嘉明・藤堂高虎
対馬 服部春安・九鬼嘉隆・脇坂安治
名護屋 石田三成・大谷吉継・岡本重政・牧村利貞
京城陥落以後に、秀吉が本営を京城に移そうとしたが、浅野長政・前田利家・徳川家康が押し留め
代わりに第八軍の宇喜多秀家が京城守備を任され、増田長盛・石田三成・大谷吉継の3人を奉行として派遣
第三軍と第四軍を合併させ、第一、第二と同じく前衛軍とした

朝鮮での行動を決める京城での軍議出席者
宇喜多秀家・小西行長・黒田長政・小早川隆景、増田・石田・大谷の3奉行
この時、加藤清正らの第二軍は、現在のロシア北朝鮮国境沿いまで進出していた為不参加
第五軍は後方の治安維持、拠点確保、陸路維持に奔走中
第七軍は不明
>>388
人間味をしめすエピソードに関してはあの時代では最も多い人だろう。
戦国ホームドラマの主人公としては、前田利家などよりも最適だとおもう。
400ゲト
401無名武将@お腹せっぷく:03/05/13 23:40
大河ドラマ「三成と左近」きぼん
>>401
はげどう
403無名武将@お腹せっぷく:03/05/14 01:04
戦前では三成を楠木正成に並ぶ忠臣として描かれていたらしい。
戦前の日本は徳川を否定しないと、政権の存在意義がなくなるからだと思われ。
404無名武将@お腹せっぷく:03/05/14 13:02
>>403
そのとばっちりで、戦前戦後とも新田義貞、福島正則が永遠の悪役。
405afo:03/05/14 13:48
aaaaaaaaaaaaaa
406無名武将@お腹せっぷく:03/05/14 20:59
福島正則と加藤清正、大嫌い!
何故?
408無名武将@お腹せっぷく:03/05/14 23:51
金吾中納言も大嫌い!
409あぼーん:あぼーん
あぼーん
410無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 02:34
金吾中納言も大嫌い!
金吾中納言も大嫌い!
金吾中納言も大嫌い!
金吾中納言も大嫌い!
金吾中納言も大嫌い!
まぁ、アレだからな。金吾は真性のハードゲイだからな。
412無名武将@お腹せっぷく:03/05/16 17:48
>>411
金吾はゲイだったのか?
413無名武将@お腹せっぷく:03/05/16 17:49
石   田   三   成
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1053066606/
414あぼーん:あぼーん
あぼーん
415無名武将@お腹せっぷく:03/05/16 22:50
411じゃないけどお答えカキコ
金吾中納言がゲイであるという説には文献に逸話があり信憑性は高いと思われ。

関ヶ原の合戦の頃
伊達政宗の家臣に片倉小十郎景綱という者がおり、その景綱の息子に重綱
(後に重長と改名)という若武者がいた。1600年当時彼は16歳。
しかも大変な美少年だったらすぃ。父親にくっついてうろうろしている重綱を
見初めたのが金吾中納言。しかし!重綱にその気はなく、必死に逃げ回り貞操
を守ったそうだw

ちなみに重綱は大阪の陣の時に真田幸村の娘・梅を保護し、後に奥さんにして
います。
あまりにも有名な話だと思うが、これってマジ?
後付けのヨタ話。
だよな 
>>401
左近「わたくしにおまかせくださりませ!」
420無名武将@お腹せっぷく:03/05/17 18:38
    /:::::::::::::::/      ヽ:::::::::::::::::ヽ
   ./::::::::::::::/        ヽ:::::::::::::::::)
   |::::::::::::/;;;;;;;;;;,    ,,,;;;;;;;ヽ::::::::::::::|
   |::::::::::|    '''';;  ;;'''''   ヽ:::::::::::|
   |::::::::/. -=・=- ) ( -=・=-  |::::::::::|
   |::/|::|  ''''''''     ''''''''   ヽ:|ヽ:|   
   |::| |/     丿  ヽ.      |:| |:|   
   .ii;ヽ|    ノ((  .).)`ヽ     ソ;;iii   
   iii;i;;|   /■■■■■\   /;;;iii  
    iiiヽ ヽ -┬┬┬-- /  /;;iiii    
     iii;!\  `┴┴┴‐.´  /;;i;ii  
      ''''' \  ''──'''  /''''''   

おい三成っおまえ淀と寝タンか?でもって中出ししたんか?
答えろ!!
422山崎渉:03/05/22 01:26
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
423無名武将@お腹せっぷく:03/05/24 22:44
と  こ  ろ  で  秀  頼  は  誰  の  子  だ
オレ
425無名武将@お腹せっぷく:03/05/24 23:17
オレだろ
426無名武将@お腹せっぷく:03/05/24 23:19
>>424>>425
はぁ!?
私のお父さんですが。
淀の子
428無名武将@お腹せっぷく:03/05/28 03:55
>>415
レス、サンクスコ。
429あぼーん:あぼーん
あぼーん
430無名武将@お腹せっぷく:03/05/29 23:48
淀懐妊のころは三成は朝鮮にいたってどこかで見たような・・・
431無名武将@お腹せっぷく:03/06/04 10:02
保守あげ
432生涯現役:03/06/04 17:11
つか秀吉の子じゃないって言う根拠は?
>>432
まあ、状況証拠だろうが、
あんだけ側室がいて、他は全然生まれないのに、
淀だけ2人も生まれるのは確率的にどうよ?
ってことでは。

まあ、おねにも子供いたらしいし、
種無しと決まったものでもないだろうが、
あんだけ女がいて生涯子供が三人ってのは・・・
>>433
>まあ、おねにも子供いたらしいし、
こっちの話の方が初耳〜
ソースきぼーん
>>434
正直、オイラも良く知らんのよ。
まあ、仮に秀吉の子供が淀との間の2人だけなら、
状況証拠は極めて黒に近いって事になるわな。
秀吉の子供について整理してみよう。
と言っても史料で実子分かるのは3人だけだが。
養子については多いからパス。

1)秀勝→長浜時代に生まれたと言われる。地元のお寺(大通寺だったか)に位牌があるらすぃ
     竹生島に残っていた奉納された絵馬などの史料から母親は「南殿」という人だったと
     推測されている。
2)鶴松→淀殿との間に生まれた。夭折。
3)秀頼→淀殿との間に生まれた2人目。大坂夏の陣で敗死。

ルイス・フロイスの『日本史』でも秀吉は子供ができない身体だと書かれている
ところを見ると、「秀吉には子供ができない」と言うのは当時の世間の一般認識
であり、そんな中で生まれた鶴松・秀頼に対して当時の世間は騒いだでしょうな。
当然「実の父は誰やねん」と言う話も持ち上がっていたと思われ。

ただ、少なくとも秀頼に関しては、その当時三成は奉行として朝鮮半島に渡って
おり、アリバイがあるが。
437436:03/06/06 14:18
ついでに淀殿以外の秀吉の側室を見ると

1)松の丸殿
  前の夫・武田元吉との間に2男を産む
2)於福
  前の夫・宇喜多直家との間に宇喜多秀家を産む
3)加賀殿(お麻阿)
  秀吉死後、万里小路家に嫁ぎ一男を産む

最低でもこの三人は子供を産む能力があったわけで、淀殿との間にしか秀吉の子供が
生まれなかったのは不可解と思われても仕方ないと思われ。
438無名武将@お腹せっぷく:03/06/09 11:47
側室ホスィ
>>438
まずイスラム教に改宗スレ
それからイスラム教国へ逝ってこい
これでとりあえず法律上の問題は回避できると思われ
440無名武将@お腹せっぷく:03/06/10 09:48
三成の側室事情はどうだったのよ?
441あぼーん:あぼーん
あぼーん
442無名武将@お腹せっぷく:03/06/10 10:34
結局関が原を起こさなくても、徳川に天下を盗まれると
考えたら人身掌握の詰めの甘さはともかく忠臣だと思うが。
443無名武将@お腹せっぷく:03/06/10 13:08
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/knsh/oshi.htm

既出?三成の忍城水攻め失敗について中々面白いことかいてある
444無名武将@お腹せっぷく:03/06/10 13:17
    /:::::::::::::::/      ヽ:::::::::::::::::ヽ
   ./::::::::::::::/        ヽ:::::::::::::::::)
   |::::::::::::/;;;;;;;;;;,    ,,,;;;;;;;ヽ::::::::::::::|
   |::::::::::|    '''';;  ;;'''''   ヽ:::::::::::|
   |::::::::/. -=・=- ) ( -=・=-  |::::::::::|
   |::/|::|  ''''''''     ''''''''   ヽ:|ヽ:|   
   |::| |/     丿  ヽ.      |:| |:|   
   .ii;ヽ|    ノ((  .).)`ヽ     ソ;;iii   
   iii;i;;|   /■■■■■\   /;;;iii  
    iiiヽ ヽ -┬┬┬-- /  /;;iiii    
     iii;!\  `┴┴┴‐.´  /;;i;ii  
      ''''' \  ''──'''  /''''''   
445無名武将@お腹せっぷく:03/06/10 13:57
忍城は正攻法でやっててもなかなか落ちなかったんじゃないの?
>>440
私はしらないなあ。三成の家族構成自体余りよく分かってないような。。。
司馬遼の『関ヶ原』でも早々と奥さんに先立たれた設定になっていたしw
実際は違ったようだが

三成の死後生き残ったというのは、確か坊さんになった次男?長男?だけだったっけ
447無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 05:20
448無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 10:35
イメージ的には堅物だから側室もそうは持たなかったんでは?
449無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 22:51
age
450無名武将@お腹せっぷく:03/06/22 19:34
age
今日も三成叩かれるのか・・・
452無名武将@お腹せっぷく:03/06/25 11:30
>>444
誰?
453無名武将@お腹せっぷく:03/06/25 11:50
司馬遼「関ヶ原」の作中に初芽という側室が出てくるが、これは実在したのか?
俺は創作上の人物かと思ってたが、元国務大臣の堺屋の関ヶ原ものにも初芽という
側室が出てくるくらいだから何か資料があったのだろうか?
それともパクリなのか?
454無名武将@お腹せっぷく:03/06/25 12:56
>>453
関係ないのでは。宮本武蔵の小説に「お通」三国志の小説に「蝶蝉」
が出てきても架空の人物であるのと一緒でしょう
>>454
三国志の方はともかく武蔵の小説に「お通」が出てきたらそれはパクリなのでは?
石田純一に対する批判求む
457無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 05:08
株価回復祈願あげ
458無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 21:36
たたきAGE
>>455
武蔵小説の「お通」は「パクリ」ではなく、デファクトスタンダードになってると思われ。
standard in fact
461無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 22:14
age
462無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 23:24
関が原行って、笹尾山に登ってみた。
行く価値あるね、あそこは。
463石田冶部少輔三成:03/07/01 23:26
ここでも批判されとるのか?ワシ
464無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 10:50
>>453
下巻末の解説で京大学教授某が「架空の人物」って書いてある。
465無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 13:45
>>454,455,464
架空ってことは小説のために司馬氏が創作したものだよね。
ってことは、堺屋の盗作でしょうな。
偶然に初芽なんていう側室の名が一致する確率なんて稀少でしょ。
466稲造:03/07/04 13:44
誰か、三成と大谷吉継の情報キボン
467無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 12:11
株価回復祈願あげ
468無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 12:14
三成は結局人好みが強烈すぎたんだよなぁ。
    /:::::::::::::::/      ヽ:::::::::::::::::ヽ
   ./::::::::::::::/        ヽ:::::::::::::::::)
   |::::::::::::/;;;;;;;;;;,    ,,,;;;;;;;ヽ::::::::::::::|
   |::::::::::|    '''';;  ;;'''''   ヽ:::::::::::|
   |::::::::/. -=・=- ) ( -=・=-  |::::::::::|
   |::/|::|  ''''''''     ''''''''   ヽ:|ヽ:|   
   |::| |/     丿  ヽ.      |:| |:|   
   .ii;ヽ|    ノ((  .).)`ヽ     ソ;;iii   
   iii;i;;|   /■■■■■\   /;;;iii  
    iiiヽ ヽ -┬┬┬-- /  /;;iiii    <正則は氏ね
     iii;!\  `┴┴┴‐.´  /;;i;ii  
      ''''' \  ''──'''  /''''''   

470無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 12:53
三成って今の人物にたとえたら外務省の田中均氏のような気がする
やり手なんだが、やってることに「人の血が通って無い」というか。

>>466
秀吉が「大谷吉継には1万の兵を指揮させたい」と言ったらすぃが
吉継が直接軍を率いた戦って、関ヶ原しか印象がないんだよね。
それ以前で大谷吉継の戦功ってあるの?三成ネタじゃなくてスマソ
471無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 14:43
>>466 二人は親友だったと何かの本で読んだ記憶があるのですが、なんだったけ?
472あぼーん:あぼーん
あぼーん
473無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 15:17
それぞれの家の獅子身中の虫(奸臣)・嫌われ者
毛利=井上元兼・安国寺榎恵
織田=森成利
伊達=中野宗時
徳川=大賀弥四郎
長宗我部=久武親直
三好=松永久秀
能登畠山=遊佐続光
畠山本家=遊佐信遊・安見直政
武田=穴山信君・跡部勝資・長坂光堅
長尾=長尾政景
大内=相良武任
豊臣=石田三成・大野治長
474無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 15:20
安国寺より橘川のほうが嫌われてないか?
475無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 15:23
菊花輪は叔父だから別に尊大に振舞っても・・・
476無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 15:27
毛利家中で裏切り者ってかんじで嫌われてるんじゃないかな?

安国寺は外交顧問として大きな力もってただろうし。
477稲造:03/07/06 23:22
≫470≫471 ありがd
早水咄斎の実在情報キボンヌ。
479無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 15:11
age
480山崎 渉:03/07/12 16:33

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
481無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 19:03
安国寺は秀吉から所領を貰ってるよね。
482無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 19:07
三成にすぎたるもの2つ。島の左近に佐和山の城
と揶揄されるくらいだから
器ではなかったということ
483無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 19:10
それなら徳川家康だって言われてたじゃん。
本多とカブト。
484無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 20:07
三成は自分を器量人と思ってるただのナルシスト
485あぼーん:あぼーん
あぼーん
19万石で250万石と戦った勇者
487無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 20:12
ちょっとしたデシャバリさんだと<<
釣りウザイ
正義大儀義挙逆臣討伐
身の程知らなさ過ぎる
491無名武将@お腹せっぷく:03/07/14 10:37
忠臣、能吏、頑固者、潔癖症、理想主義者。
492あぼーん:あぼーん
あぼーん
単なる逆臣だろ、石田なんて。
494無名武将@お腹せっぷく:03/07/14 15:47

「自分がやらなければ、誰がやる!」というナルシストであったとは思うが
豊臣家の御為・・・というより、家康になびいていく風に抵抗し
加藤清正ら身内との妥協が出来なかったのは、器ではなかったのだろう。
しかし、魅力的な武将ではあるな
495あぼーん:あぼーん
あぼーん
496山崎 渉:03/07/15 11:58

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
497無名武将@お腹せっぷく:03/07/17 07:10
age
zib
499無名武将@お腹せっぷく:03/07/21 20:53
age
500無名武将@お腹せっぷく:03/07/21 20:56
500
501無名武将@お腹せっぷく:03/07/26 00:33
>>482
それは、才能の無い香具師が妬んで言ったこと。
502無名武将@お腹せっぷく:03/07/26 20:26
>>470
100万じゃなかったっけ。

よしつぐに100万の軍を指揮させて自分は後ろで眺めていたい
と秀吉がいったとか。
503無名武将@お腹せっぷく:03/07/27 14:52
>>502
フォローサンクスコ

しかし、この当時でも100万の軍勢って動員できなかったのでは・・・
朝鮮出兵でも10万人強ぐらいじゃナカータっけ?
504無名武将@お腹せっぷく:03/07/27 15:36
一人で100万は指揮できんと思うがな〜
ていうか西軍って味方につけるために凄いこと約束してるね
黒田しかり真田しかり・・・
最初から勝つつもりがないから空手形乱発できる。
506無名武将@お腹せっぷく:03/07/27 15:58
勝ったらいちゃもんつけて潰すのか?
507無名武将@お腹せっぷく:03/07/27 16:10

ちょっと聞いてくれ、すごいことを発見した。
桃から生まれたアイツは桃太郎だよな。
ということはだ、膣から生まれた俺達は、
膣太郎と名乗るべきなんじゃないのか?
ちょっと聞いてくれ、すごいことを発見した。

膣太郎と名乗るべきなんじゃないのか?
508無名武将@お腹せっぷく:03/07/27 21:05
あれ?批判スレじゃないのここ?
しかし覇王伝の武将ファイルの三成の項は最高だったな。主観入りまくりw
誰か持ってる奴いねえ?
509無名武将@お腹せっぷく:03/07/28 00:52
>>507
確かにすごい発見だ!
510無名武将@お腹せっぷく:03/07/28 00:54
>>508
あれはもはや伝説。秀吉、家康あたりもひどかったw
511無名武将@お腹せっぷく:03/07/28 02:15
安国寺のバカについて語るスレはここですか?
512無名武将@お腹せっぷく:03/07/28 03:11
全く、くだらぬ男もいたものである。
513無名武将@お腹せっぷく:03/07/28 03:17
重家タンはどうなったんですか?
514無名武将@お腹せっぷく:03/07/28 04:40
どっかの作家も似たような事書いてたけど、
あれで三成がもし家康に尻尾振って、豊家の子飼い共も全員一斉に家康になびいてたら、
その後の日本の歴史もかなーりつまらない物になってたろーな。
19万石程度の身上で10万に届くような大軍を集め、
ああいう劇的な戦いをやってくれ、
処刑される寸前まで家康と家康側に廻った豊家の子飼い共をボロクソにけなしたおかげで、
あの時点での歴史にきっちりメリハリがついてる訳だ。
その点では家康に匹敵する歴史的キーマンでそ。
515無名武将@お腹せっぷく:03/07/29 14:33
確かに、この時代「利」でなく「義」で行動した貴重な人物。
「義」って「利」を目的としたものなんだけどな。
517無名武将@お腹せっぷく:03/07/29 14:47
>>516
意味わからん
覇王伝の武将ファイルの三成評が全て。
519無名武将@お腹せっぷく:03/07/29 15:09
>>471
茶を回し飲みしている席上で病気持ちの大谷が膿を茶の中に落として、諸将たちが飲むふりをしている中、
三成が茶をグイッと飲んで「ここで終わりにします」と宣言し場を治めた、
大谷は感度しいつかは命をかけて恩にむくいると決意したという。

520あぼーん:あぼーん
あぼーん
三成の友人って気骨のある人が多いね。
何でだろ?
三成に騙されてた?w
522あぼーん:あぼーん
あぼーん
>>517
ただの知障。
スルー。
>>521
逆じゃないかな、最後まで三成の友人であったため気骨のある人物と賞された
んじゃないかい。
田中吉政に気骨などないと思うが。
526あぼーん:あぼーん
あぼーん
527無名武将@お腹せっぷく:03/08/03 13:45
>>518
知障の書いた三成評
>>518
誰か全文貼り付けてくれんかのう…
529あぼーん:あぼーん
あぼーん
>>525
だから裏切って三成ひっとらえたじゃん。
531無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 15:35
共産主義になった翌日、私は妻とともに散歩に出かけた。
もう冬だというのに木は青々としている。
人々の表情は希望と活気に満ち、額から流れる労働者の汗が太陽光を反射していた。

「人間が憎しみあう時代は終わったのだな」
昨日までとある一流企業に勤めていた斎藤さんが、ほっとしたように私たち夫婦に言った。
「ええ、これからは人が人を支え合う時代なんですよ」
普段は滅多に話に加わらない妻の靖子が、斎藤さんの肩に手を置いて優しく言った。
「人という字を御覧なさい。二本の線がお互いを支え合っているじゃないですか」
通りがかりの髪の長い中年男がそう言って微笑んだ。

ロックンローラーは長年使ってきたギターを質に入れ、黒光りする鍬を購入した。
「ロックはもう不要だ。これからは日本中に鍬の音を響かせよう」
一仕事終えた農夫の表情で男は言った。

青空のなかををツバメが横切っていった。
532甲斐姫 ◆rYcNGP4O2g :03/08/10 15:45
>>531
共産主義は「終わってる」宗教よ
>>532
いまさらコレに釣られるなよ・・・・
534甲斐姫 ◆rYcNGP4O2g :03/08/10 17:05
>>533 釣られたいお年頃なの
じゃぁ、俺のサオ(ry
http://www.ume.sakura.ne.jp/~edo/person24.html

E幕ではケチョンケチョンに貶されてるみたいでつ( つД`)・゚・。
537無名武将@お腹せっぷく:03/08/15 20:41
共産主義になった翌日、私は妻とともに脱国をはかった。
もうすぐGWだというのに、成田は閑散としている。
職員の表情は鋭さに満ち、手に構えた機関銃の柄が太陽光を反射していた。

「人間が好き勝手に動ける時代は終わったんだよ」
昨日まで全日空に勤めていた斎藤さんが、吐き捨てるように私たち夫婦に言った。
「ええ、でも私たちは出国許可書を持ってるんですよ」
普段は滅多に話に加わらない妻の靖子が、PCで作ったニセ許可書を振りながら優しく言った。
「許可書の文字を御覧なさい。線が少しにじんでるじゃないですか」
通りがかりの髪の長い中年男がそう言ってほくそ笑んだ。

職員たちは私たちの財布を懐に入れ、黒光りする銃を突き出した。
「金はもう不要だ。これからは強制労働の鍬の音を響かせるんだな」
一仕事終えた工作員の表情で男たちは言った。

青空のなかをを軍用機が横切っていった。
538あぼーん:あぼーん
あぼーん
539無名武将@お腹せっぷく:03/08/18 22:47
資本主義になった翌日、私は妻とともにキューバへ向かおうとした。
天候の良い10月だというのに、成田空港は閑散としている。
職員は卑屈な作り笑いを浮かべ、持たされた携帯電話がまるで
牛の鼻輪のように太陽光を反射していた。

「労働者が休暇を楽しめる時代は終わったんだよ」
昨日まで国営企業である日本航空に勤めていた斎藤さんが、吐き捨てるように
私たち夫婦に言った。
「ええ、でも私たちは人民旅行証明書を持ってるんですよ」
普段は滅多に話に加わらない妻の靖子が、党が勤労者のために発行した証明書
兼クーポン券を振りながら優しく言った。

「証明書の判子を御覧なさい。共産党千葉県委員会はもうありませんよ」
通りがかりの髪の長い中年男がそう言ってほくそ笑んだ。

職員たちは私たちの証明書を一瞥し、軽蔑の眼差しを向けた。
「あんたらそれで飛行機に乗るつもり?」
職員はすぐに向こうから来たブルジョワらしき男に卑しい作り笑いを浮かべて
応対を始め、私達は取り残された。

青空のなかをアメリカ帝国主義の軍用機が横切っていった。
540無名武将@お腹せっぷく:03/08/26 00:19
age
541無名武将@お腹せっぷく:03/08/26 15:49
本当に柿は痰の毒なんですか?
三成は豊臣家のことしか考えてなかった。
日の本全体のことを考え、百年以上続いた戦乱の世に終止符を打つことが目的だった
家康に敵わないのは当たり前。
>日の本全体のことを考え、百年以上続いた戦乱の世に終止符を打つことが目的だった家康
かどうかは分からぬが
>三成は豊臣家のことしか考えてなかった。
つうのは禿同。
544無名武将@お腹せっぷく:03/08/26 18:46
>>542
アホか、
家康だって徳川家のことしか考えてないだろうが、
何か家康のしたことで、
徳川家の損になるが日本の為に敢えて行ったことが何か一つでもあったか?
>>542
つーか、秀吉が平定した天下に、徳川のために乱を起こしたのが家康だろ
日の本全体のため?何青臭いこと言ってんだよ
>542
早く宿題終わらせろよ、坊主
547無名武将@お腹せっぷく:03/08/27 09:45
まぁまぁ、皆さん。
>>542は家康が主人公の小説でも読んだんでしょう。
全く、くだらぬ男もいたものである。
>>518
>>528
全文ではないが
ttp://www.tcn.ne.jp/~zero/kao-mitunari.htm
ここで、なんとなーく概要ならつかめる。

・・・相当すごく書かれているらすぃ。
550h:03/08/28 09:38
うむ。神と崇めたらうpしてやってもよい。
551h:03/08/28 09:42
わお。スキャナが故障ちう。
大口叩いてスマソ…
552i:03/08/29 04:37
>551
責任取って自分の目と手で写し取れ!
553無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 18:27
三成こそ、真の忠臣です。
しょうがないから、覇王伝武将ファイルの三成列伝をのせてやるよ。
長くなるから覚悟しとけ

〜小賢しい吏僚〜
治部少輔。狸親父とあだなされる徳川家康が好きだという人はいるだろうが、
その敵手の石田三成を好きな人はほとんどいない。
例えばこんなエピソードを読んでいい気持ちのする人間がいるだろうか。
近江長浜城主であった秀吉が鷹狩りの途中、渇きを覚えてある寺で茶を所望した。
若い寺小姓が接待にあたってまず大きな茶碗にぬるめの薄い茶を八分目ばかり立てて出す。
秀吉が飲み干すと、次はやや熱めの前よりは濃い茶を茶碗に半分ほど、
三杯目は小さな茶碗に濃く熱い茶を少しばかり勧めた。
アメリカン、ブレンド、エスプレッソである。
もちろんこの寺小姓こそ後の石田三成なのだが−何たる小賢しさ。
15か16でこんな小細工を弄する奴は、何となくひね媚びていかにも器の小さい感じがする。
こんな小細工に感心して取り立てた秀吉もどうかと思う。
さて、秀吉の近侍に取り立てられた後、石田三成はそのせせこましい気の回しようと
生真面目な滅私奉公の務めぶりで寵愛を欲しいままにした。
俸禄の半分をはたいて勇名高い島左近を召し抱えたと言う逸話は有名だが、
これも自分の付加価値を高めるばかりではなく、人に仕える者の義務だと考えていたらしい。
必然的に生活は哀れなほど質素だった。
秀吉には厳しい諫言をすることもあったと言う−多分、それも仕える者の義務だと考えていたのであろう。
こうした仕事ぶりを秀吉が評価しないはずはなく、豊臣政権下での、重大な政策実行には大概からみ、
五奉行に任じられてからは事実上ナンバーワンとしてふるまう。
ただし、同僚の評判はすこぶる悪い。
秀吉のために正しいことをやっているなら他の者は無条件に従うべきだと考えての振舞いも、
他の者にとっては虎の威を借る狐の伝に過ぎない。
人望は全くない。
もちろん、秀吉に仕えているので他の者のご機嫌を伺う必要はないと彼は言うだろうが、
後ろ盾秀吉が死んでしまえば、心から彼を支持する者は一人もいない。
武功派武将らは早速三成の暗殺を試み、あろうことか家康に助けられるが、
この時すでに彼の命運は尽きていたと言わねばなるまい。
関ヶ原はその運命にけりをつけたに過ぎない。
死に際して、三成はもうひとつ嫌な話を残している。
六条河原で首を切られる時、警護の者が喉の渇きを訴える三成に干柿を与えると、痰の毒だと言って断った。
死に際に体の心配かと言って嗤うと、大義を志す者は死の瞬間まで命を惜しんで本意を達しようとするものだ、と説教したと言うのである。
限りなく正しく、限りなく下らない。
全く、つまらぬ男もいたものである。


以上が全文。
途中から書き写すのが嫌になったぞ
558無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 20:15
つくづくとヤナ男だなぁ三成
三成の本質をよくつかんだ文章だな。
あいつはネチネチした嫌な奴だ。
560無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 20:19
こんなクソに騙された大谷や左近がかわいそうです
間違っても友達や同僚にしたくないタイプだね
ジサクジエーン
563無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 20:30
>>561
大丈夫だ、お前のまわりのDQNどもの中に
大企業の社長室長になれる香具師はいないからw
笑える。人望がないとは。
19万石であれだけの戦ができて、人望がなかったとは・・・。
結果的に負けたけどね
566三成大好き:03/08/31 20:40
んだぁゴラァ!!!静かに聞いてればいいたいことばっかこねやがって!
なに?騙された大谷や左近がかわいそう?ばっかじゃねえの!?
もし本当に三成が悪い奴だったらだまされた奴が馬鹿なだけだろ
でも三成は上杉、島津、佐竹、小西、大谷、真田、毛利、立花、宇喜多、
安国寺…などの人物たちに信用されてたんだぞ!
最後に!おまえらがいってるように三成が最悪で、もしおまえらが三成の兵士だったら
普通見捨ててにげるだろ!なのに関が原の三成隊の奮戦はなんなんだ?
石田家家臣団は三成への絶大な忠義心でなりたってたんだ。関が原で
合戦中に逃げた輩は樫原彦右衛門ただ一人だったんだ。
…長文スマソ。つい厨房なんでプツッときてしまった…
これよんで気分悪くした人、スマソ
こんなにも現代人から好かれている三成は神。
島津
三成に恩はあるが関ヶ原前の三成の態度によるいざこざ、元々東軍に味方するつもりだつた
等の理由により関ヶ原日和見
佐竹
隠居様からの信用はゼロ。
真田
徳川憎しから挙兵したのであって三成云々ではない
毛利
自家の保全しか念頭に無い上に家中分裂状態
宇喜多
その信頼されていた宇喜多の御家騒動を三成は救ってあげませんでした
安国寺
いうまでもない
>>566-567
でも現実に官僚タイプは嫌われるよ
財務省の官僚とか好きになれる?
>>554さんは、神!うp乙〜
それにしても、アンチとは言えどもなかなかここまではかけん罠(w

憎さ余って憎さ100倍てゆう感じの文章で砂
三成、人気ないな・・・。

ところで、三成と武闘派との確執について、小説等では太閤が
生きていた当時からの経緯と語っているけれど、どんなもんだろ?

情の上での忠義と、利害計算を秤に掛けて、現実的な対応をした
彼らにしてみれば、何か、うしろめたい物が、当然、あったはず。
そこに三成の正論だ。

結局、当初より不仲なのもあるが、自分達の負い目、うしろめたさを
石田三成を憎む事で正当化し、自らの心情を誤魔化し、納得していた
のではないかな?
三成好きって社会の荒波に揉まれていない人だよ
現実に三成タイプの奴が同僚だったら許せん。

どっかに左遷させたい
荒波に揉まれたからスレるとは限らないよ。
むしろ三成の凄さを再認識する事だってあると思う。
単に自分の身を考えるだけのやつだったら、身の振り方も違ったものになったかも知れないし、
反発したとしても時期や方法も異なったろう。
あそこで家康に非を鳴らしてあれだけの軍勢をおこすのだから、やはり相当なものだと思うよ。
まあ小者は加藤だの福島だのだな。
ただの使いっぱで挙げ句に捨てられて。
モノが違いすぎ。
>>554-557

今、再度読んでみると前読んだ時ほどのインパクトは感じないな。
こんな俺は2chに毒されてんだな・・・
負けてなお、三成のすがすがしさを表わす逸話が残っている現実。
黄門さまは、三成こそ真の忠士、国士とベタ誉めしてまふ
>>574
秀頼を担いだことを忘れないように。個人の徳望だけで軍を起こしたわけではない。
他人を担いだ故に、統一した戦略が実施できなかったということはあるだろうな。
挟撃案は機能せず、大津から丹波方面まで兵力を分散した。

政権の中枢にいたため、政権の光と影の両方の印象を持っていたのは事実だろう。
家臣としては朝鮮出兵を留め得なかったことが名臣と評価できない点だな。

後は、自尊心や振る舞いが家臣として秀吉没後の政権に悪影響を与えたのは事実だろう。
武功派との諍いを口実に佐和山へ引退させられたのは減点だな。
大体、軍を起こすのは必ずしも最良の手段ではない。
戦に訴えずに、徳川を政権の枠に押さえ込めれば、それが豊家のためによりよい手段であったろう。
それができない、自分がやらねば、と戦に訴えたこと自体は政権側としては良い手段ではないな。
そこに至る政治的手腕では家康に負けたということか。

西軍に多数の武将を集められたのは、評価に値するが。

>>576
負けたからだろう。三成がいくつかの美徳を持ち、いくつかの悪徳から自由だったのは確かだろうが。

>>577
奴の書くものは奴の観念的価値観でガチガチになってるからな。
>>574
細川や黒田、池田は?
>>574
浅野もな。
>>571
三戦板っぽくなくなってしまうけど
笠谷和比古さんの著作が参考になるかと思われ。
一般向きなのは『秀吉の野望と誤算』(文英堂)かな。
2000年に関ヶ原400年記念便乗で出た本のようだけど
もしかしたらもう絶版かなあ。
わしは図書館で偶然見て借りましたが、非常におましろかったっす。

ちなみにややネタ晴らしになるが笠谷説は
「三成と”武断派”の対立は蔚山城の戦いに原因があった」という説です。
石田三成は結果的に徳川幕府創設の最大の功労者になってしまった。
583無名武将@お腹せっぷく:03/09/10 01:01
age
584無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 11:42
小泉総理が再選された翌日、私は散歩に出かけた。
まだ晩夏だというのに、既に木々の枝に青葉は無く、かさかさと葉が音を立てて
一斉に落ちはじめている。
動物たちの表情には失望と諦めが満ち、植物の葉に溜まった酸性雨が異臭を放っていた。

「人間が自然を慈しむ時代は、終わったのだな」

昨日まである大きな外人宅で飼われていたポチが、狂ったように私に言った。
「そうだよ、これからはこれまで以上に動物と植物が、いや強者と弱者がいがみ
あう時代なんだよ。」
普段は滅多に話に加わらないサルのヤッシーが、ポチの肩に手を置いてにやりと言った。
「空を御覧なさい。粉塵が立ちこめて太陽はかすんでるでしょ。生物に満ち足りた環境
は百害あって一利無し。」


曇り空のなかををカラスが横切っていった
保守
小泉と石田はにている
石田一成
588あぼーん:あぼーん
あぼーん
本当の君子は感情の好悪を表に出さないのが
良いとされていますが、三成はあまりにも
好き嫌いが激しいので家康と天下を争う器では
なかったのだろうな。惜しい哉。
それが違うんだよ。
天下を争うつもりじゃないんだから、パフォーマンスは不要なんだな。
それが限界でもあったんだけど。
今の天下を守る。それだけの人。勝敗は時の運。負けてなお清々しさがあるこの男を、
とても好きで、そしてとても尊敬している。
591無名武将@お腹せっぷく:03/10/11 21:54
age
592無名武将@お腹せっぷく:03/10/11 21:59
主家への忠誠心は立派だが、しかし部下にとっては良い大将ではないよな
今年の正月に見た大河の「徳川家康」では
家康を美化してた割には三成はそんなにいうほど嫌な奴に描かれてなかったな。
夏目雅子演じる淀殿もそうだったけど。
むしろ「秀吉」や「利家とまつ」の時の方がずっと酷いくらい。
この2つに携わった竹山洋は石田三成が嫌いだったのかな?
松平NHK?
595(  ゚∀゚ ):03/10/15 17:00
>>593
真田広之の三成はどうも変だったな。
江守徹の三成はハマリ役のように感じた。
596無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 02:44
age
597無名武将@お腹せっぷく:03/10/30 19:45
三成って、そんなに人気無いのかな?
>>593
おかしいと思ったら同じ脚本家か
あんな設定でオッケー出すNHKも問題ありだな。
>>595
ちょっと江守は老け過ぎでない?
TBSの加藤剛が漏れのNO.1  美形すぎるが
>>597
最近はそうでもないと思うが
私の周辺にいる豊臣ヲタは、官僚派と武闘派で真っ二つに別れる。
どっちも好きな私は変人扱いされてまつ(w

やっぱりそう言うもんなのだろうか。。。
>>599
もしかして貴方は秀吉公ですかなw

ついでに600頂いちゃいますた
601無名武将@お腹せっぷく:03/10/30 22:43
>>592
貴殿は何を読んでそうおっしゃるのか?
史実は「部下にとってとても良い大将」だっのに・・・。
久しぶりに覇王伝のあれ(>>554-557)読んでみてふと思ったのだが、
この筆者は本当にミッチーに対して悪感情を持っているのだろうか?
毒のある書き方をしているが嘘は書かれていないし、むしろ読み手が
ミッチーを好人物として再評価できるような内容の文章になっていると思う。

昔これを買って読んだときにはモーレツに腹が立ったが、ひょっとしたら
これがこの筆者のスタイルなんじゃないかと思った。考え過ぎか?
>>568
あんまり関係ないが、島津義弘は元々西軍派(義久も家康派ではなく中立派)だし、
関ヶ原当日も二番備えであったという説が有力。

>>602
たしかに・・・
実は三成をけなしながらも、本当は誉めているように感じるとこもある。
「人望はまったくない」というのも三成の公正さ清廉さゆえとも読める。
もっとも、そうだとしてもひねりすぎて良くわからん文章だけどね。
604無名武将@お腹せっぷく:03/11/01 05:13
竹下登    = 豊臣秀吉
藤井道路総裁 = 石田三成


島津は伏見で合力を申し込んだけど鳥居に断られなんとなく
西軍についたはいいが、重く見られないばかりか危機に
陥ったときに後詰めを頼んだ時三成に無視された為関が原で
やる気なくなったんじゃないの?
606無名武将@お腹せっぷく:03/11/01 10:48
大河ならこのくらいのキャストだろ。

石田三成・・・中井貴一
島左近・・・役所
大谷刑部・・・竹中直人
直江山城・・・真田広之
秀吉・・・松方
淀君・・・天海
金吾・・・中居(SMAP)
>>605
まぁ、サツマイモと人間じゃ言葉が通じなかっただろうから意思の疎通は難しい罠。
でもやる気無くなったってなぁ…既に現場に出てきて陣取ってしまっていながら、
この期に及んでそんなこと言ってるのってバカとしか…。

そうやって大人気なく非協力的な態度をとり、周りが全部敵になるまで手を
こまねいていた結果がほぼ全滅とも言えるあの結果に繋がったわけで。
そんな風にわざわざ自ら窮状を作り上げたうえで貴重な家臣をわんさか
死なせての敵中突破がどうして賞賛されるのか…全くトホホな奴らだよ。

それにしてもこの戦の義弘の行動、どれをとっても戦巧者といわれる姿とはかけ離れてる。
すでに耄碌していたのか?
ここは島津のことを述べる場ではなくて
三成公への苦情を申し立てる場のはずだったのだが(こほん)
>>606
新鮮味のない配役だなつまんねーププププププププpppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppp
610606:03/11/01 14:55
>>609

でも10年前ぐらいの「大河ドラマ」って感じでてない?w
最近のは方向性が違うからなぁ
感じは出てるが駄目。全然ダメやり直し。
今日中に再提出な
三成公w
再提出。

三成・・・真田広之
左近・・・陣内孝則
大谷・・・三上博史
直江・・・堤真一
小西・・・益岡徹
蒲生・・・阿部ちゃん
舞・・・宮迫
秀吉・・・武田鉄矢
茶々・・・松雪
家康・・・中尾彬
金吾・・・オダギリ
本多正信・・・石橋蓮司
宇喜多・・・伊藤英明

うーん、どうしても10年前の配役になっちゃうなぁ〜・・・(w
渋い感じで(・∀・)イイ!
大河やってほしい
三成公が士官するくらいからで
三成公って全然耳に馴染まんなぁ
616(  ゚∀゚ ):03/11/01 22:41
>>613
真田さんは大河の「秀吉」でやってましたよ、三成を(´・ω・`)

617無名武将@お腹せっぷく:03/11/02 04:04
三成・・・キムタク
左近・・・藤木直人
大谷・・・三上博史
直江・・・草ナギ
小西・・・上戸彩
蒲生・・・阿部美穂子
舞・・・宮迫
秀吉・・・石橋とんねるず
茶々・・・松雪
家康・・・木梨とんねるず
金吾・・・オダギリ
本多正信・・・浜崎あゆみ
宇喜多・・・伊藤英明
618無名武将@お腹せっぷく:03/11/02 04:14
石田は粉飾しねーよ
619無名武将@お腹せっぷく:03/11/02 04:36
己が信念を貫き通したのは評価できる
>>617
普通、「とんねるず石橋」って書かないか?
621無名武将@お腹せっぷく:03/11/10 00:14
age
622無名武将@お腹せっぷく:03/11/10 04:40
>>605
その話しは古くさい俗説で現在の説は>>603の説の方が主流なんだよね。
>>622
主流というか単に新しい説ってだけだよ。
新しければそっちが正しいってわけではない。
624無名武将@お腹せっぷく:03/11/13 15:50
>>623
でももし>>605の説の方が本当だったとしても
個人的に関ヶ原での島津の行動はあまり評価できないな
最近のレスは
 石田三成に 対 す る 批判
になってないわけだがw
もし西軍が勝ったとしても三成が豊臣天下を簒奪しないという確証は無い
627無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 11:23
>>626
そんなことになったら大谷刑部が命張ってぬっ頃すだろうな。
佐吉がその程度の男だったら、とっとと100万石貰っとるだぎゃー
629無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 11:57
関ヶ原の後、島津当人が、5000の兵がいたらと手紙を書いていたりする。
>>629
それがどうかしたの?
631無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 12:34
>>630
605の否定だろうと推測できる。
>>631
うーん、それだと要するに関が原で参戦しなかったのは、
三成に不満があったからではかくて兵力が少なかったからってこと?
それはさすがにどうだろう?

つーかどんな局面でも兵力なんか多い方が良いんだから、
5千いたらどうだったといっているのかが分からんと何とも言えんなぁ。
>>632
だ〜か〜ら〜
参戦しなかったのではなくて
2番ぞなえだったと。。。
>>633
は?
だったら5千いれば云々は関係ないじゃん。
そもそも二番備えってのはただの仮説だぞ、
5千いればって手紙がその仮説を証明する証拠になるのかい?
二番備えだったという説は聞いたことがあるが、
それの根拠になってる文書じゃあ確か、
三成が一番備え、島津が二番、宇喜田が三番となっていただろ、
三番ががんがん戦っているのに傍観している二番備えってなんだ?
636無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 13:43
1500程度が2番備えというのもどうかと。

>三成が一番備え、島津が二番、宇喜田が三番

兵数でいっても、二番備えが貧弱すぎる。小西をあてはめた方がしっくりくる。
石田隊の側面防御の横備えと見るがどうだ。
637無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 13:47
5000いたらあんな負け戦にはならなかったということだろ。
積極的な西軍として動こうとしていたのは、本国への別の手紙でもわかると聞いたことがある。
638無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 14:08
なんだろうと、参戦しなかったのは事実。
石田の出撃の指図も無視した。
二番備えなら何もしなくていいというわけではないぞ。
>>637
だったら結局
「関が原で参戦しなかったのは、三成に不満があったからではなくて兵力が少なかったから」
ってことになるでしょうが。
640無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 14:17
結論 島津はチキンということでヨロ
>>636
だからこそ二番備え説の根拠になる文書が、
現実に即していたものなのかが疑問になってくる。
よって二番備え説自体が仮説に過ぎない、
それもたいして有力でもない仮説に過ぎないってことになるのよ。
では。
その人数も少ない、あてになりそうもない島津勢を、あの場所に於いた
石田三成の采配は何だったのか?と小一時間問いたい。
>>642
好きなだけ問い詰めてやってください、
三成を。スレタイにそった展開でいいんじゃない。

つーかあなたはどこに配置すれば良かったと思うわけ?
644無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 15:30
あてにしてあの場所に置いたんでしょ。
思ったより使えない連中だったというだけで。
島津は、兵の損耗を抑えて長期戦を生き抜くつもりであったのでしょう。
読みが外れてあのていたらくだったわけだけどなw
島津を信じた石田の落ち度はあるが、それ以上に島津は・・・
645無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 15:33
まてまて、人数の少ない島津をあの地点に置いたのは、石田の見事さだろう。
最後まで傍観できるほど、圧力の少ない地点をわざわざ選んで配置したと考えれば。
石田隊が防戦のみで防いでいたら面白いかもね。
島津と立花はポジションをチェンジすべきだったなあ。。。
648無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 21:51
>>645
あの配置って別に石田の差配じゃないんでわ?
「俺此処とっぴ」的に島津が(多少周りとすり合わせはしても)
自発的に取った場所じゃないの?
649無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 11:14
>>253
分かる・・・泣ける( ´Д⊂ヽ
結局手勢1500の島津すら言うこと聞かせられなかった三成は
 カ ス
ということでファイナルアンサー?
島津がカス派
確かに三成みたいなのに付いてしまった島津がカスかもしれんw
三成ほどの男についていながらのあの中途半端。確かにカスですね。
では毛利・長宗我部は何だったのかと小一時間(ry
655無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 07:50
age
656無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 19:50
三成君は、戦略戦術はもちろんのこと、
得意のはずの裏方でも諜報と調停工作、資金調達と全部ダメダメです。
つか、「太閤が集めた資金・物資の輸送・手続き」だけが
得意で、他は全然無能だったんじゃないの?
657無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 21:12
三成の戦略プロデゥース力は欠ける。
658無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 22:01
>>656
十分有能じゃんけ
659無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 22:10
いうなれば今のキャリアみたいなもんか?
武勲も無いくせにでかいツラしてんじゃね〜!
「朝鮮出兵は現場で起こってるんだよ!!」
やっぱ武闘派は言う事聞かないよな。
660無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 22:35
関ヶ原の戦いで西軍が敗北すると見抜いた義弘は
薩摩本国に累が及ばないように不戦をつらぬいたのだろう
しかも寡兵で見事な見せ場を作り
あの修羅場から退却した島津義弘は見事だよ
島津義弘の関ヶ原の戦いでの行動は戦後の事を考えた政治的な行動と見て間違いないだろうね


661無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 22:52
>>660
島津に殺された琉球の人々のいのちをかえして!
>>660
見事な見せ場?
ただ無様に壊滅して這々の体で逃げ帰っただけなんだが。
663無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 01:40
>>662
史上に類を見ない前退却は見事と言う他ないだろう
しかも圧倒的優位なはずの敵の武将を何人も負傷、戦線離脱させている
このような反撃が這々の体で逃げている部隊にできるわけがないだろう?
見事ではあっても、だから何?って感じ。
勝ってる東軍は、生き延びれば恩賞にありつける。
キチガイと戦うのはイヤだろうさ。
666無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 02:39
>>665
生き延びれば恩賞にありつけるというが
それだったら敵を追撃しないだろが?
実際の戦では勝敗の決した後の追撃戦で
もっとも恩賞の元になる敵将の首を上げているのだからな
それを忘れていいかげんな事をかいちゃいかんよ、いかにも厨な書き込みだなw
島津信者キモイ
668無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 09:18
島津がよく戦ったのは、退却の前半だけでしょ。
まさか正面からかかってくるとは思ってなかったし、
勝敗の決まった戦で死に物狂いで攻めてくる敵に、
戸惑ったわけだ。

時間がたつにつれて、体勢を整えた本多忠勝隊や井伊直政隊によって
壊滅させられているよ。
石田三成に対する批判を述べる場のはずなのに
島津厨とアンチ島津厨のバトルの場になってんな。
そしてアンチ島津厨が追い込まれそうになると
>>661とか>>667とか
の発言で話をはぐらかそうとすると。

それにはそれ専用のスレがあるからそっち逝けよおまいら。
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1068026941/l50
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1067810759/l50
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1010072667/l50
670無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 19:39
>>669

なぜここを紹介しない?

http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1067297434/l50

さすがにここではアンチ島津厨は圧倒的に不利だからかな?
671ぼっこちん:03/11/24 20:14
井沢元彦は嫌韓厨か!
http://www.girondo.com/
三成を批判するスレなんだから
【^▽^】←コイツか
江戸幕府の常連さんに来てもらいたいものだ。
特に光源院義輝あたりに。
漏れとしてはほとんど何の功績も無い福島や加藤があんだけ石高が高いほうが変だと思うのだが。
>>673
その辺については、何かいい論文があったような無かったようなw

三成は一度小早川秀秋転封後の筑前をもらう話があったが、断っている。
理由ははっきりしないが、筑前の大名になると京・大阪を離れなければいけなくなり
政権の中枢を外れることになるのを嫌ったからと言う説がある。
しかし実際のところ、筑前には秀吉の直轄領(蔵入り地)がおかれ、
その管理担当は三成だったため、筑前は三成領となったも同然の状態だったといわれている。

後世「武功派」といわれる連中は、
実は朝鮮出兵まではあまり武功がなかったりする。

福島正則と加藤清正は秀吉の親戚。
池田輝政・浅野幸長・黒田長政・細川忠興は2世大名。

叩き上げの武将は加藤嘉明くらいじゃないかな?
福島や加藤たちの他の7本槍の連中は三成嫌っているの?

福島正則と加藤清正は秀秋と同レベルに思えてならないのだが
関ヶ原しか見てないからだよ
678無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 21:33
みんな、石田三成が律儀に秀頼様のために豊臣政権を家康の魔の手から守るために
立ち上がったって頭から思い込んでいるようだが
本当は石田三成自身が政権奪取しようとしていたという可能性は考えないのか?
武功派の連中はその危険性を感じて三成に敵対したのではないか?
>>678
何を根拠にそう思ったのかを知りたい。
自分の下衆な思考でしょうな。
崇高な人間を理解できない。
681無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 22:07
>>680
オイオイ、小説やテレビドラマに影響されすぎ
少しは自分の頭で考えるクセをつけようね、ぼくちゃんw
関ヶ原で家康に勝ったというIFの先にはあるかもな
>>681
むしろおまえがフィクション全開。
自分で考える≠妄想する ←理解出来るか?w
684無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 22:38
>>683
可能性を考えないのか?と疑問を持つ事が妄想だと決め付ける
お前の頭の構造はいったいどうなってるんだろうね?
日本語が少し不自由な人のようでつねw
まぁ682の言うとおりって事で
>>684
日本語どころか頭そのものがおかしいやつにそんなこと言われてもなw

三成が忠臣だったってソースは同時代の諸資料や後代の光圀の言葉
その他が容易に見つかるのだが、政権奪取のソースはどんなものがあるんだ?
可能性があるって言えるからにはソースがあるんだろ?

何の根拠もなく「ひょっとしたらそうだったかも」なんてレベルじゃただの空想。
>>684
普通は何の根拠もなく可能性を述べるのは「空想する」ってもんだな、
悪く言えば妄想といっても大差ない。
仮にも「自分の頭で考えた」というならそう考えた理由とか根拠とを挙げるべきだ。
>政権奪取のソース

日本外史(ボソ



ゴメン、逝ってくる
689無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 17:00
石田三成は豊臣政権の忠臣と思っている奴は低脳
690無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 16:32
石田三成は豊臣政権の忠臣と思っている奴は低脳と思っている奴は低脳
目糞鼻糞
目糞鼻糞は低脳
まったくだ
694無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 22:54
いやさ、発泡酒とビール、やっぱビールの方がええやな。
695無名武将@お腹せっぷく:03/12/03 00:05
ん?
まあ石田三成が忠臣なら関ヶ原なんて大きな賭けはしないだろうな?
豊臣政権の主である秀頼は家康を討てと命令したのか?
してないんだろ?
だったら石田三成は忠臣どころか、越権行為をして豊臣政権を危うくしたマヌケに過ぎんだろ?
>>695
もうちょい歴史を勉強してからほざけ。
見てる方が恥ずかしくなるよ。マヌケが。
>>696
アンチ石田は多い。歴史も知らぬ無知を相手にするな。
どうせ、先祖が徳川にシッポを振っていい目を見たのだろう。
無知をすぐに敵と連結する奴もどうかと思うけどな
699無名武将@お腹せっぷく:03/12/03 11:07
家康が秀吉より前に死んでたら、誰が反豊臣&武断派を率
いたんだろうか?
三成暗殺ぐらいで終わってたんかねー
どっちにしろ江戸幕府とちがって大名が力を持ちすぎだから、
豊臣政権はあまり長くはないとはおもうけど。
石田七百成
秀吉政権の被害者の一人
702無名武将@お腹せっぷく:03/12/03 17:45
ていうか秀吉政権がなければ三成の地位も無かった訳で・・・
でも秀吉政権は一大名にひっくり返されるほどのゆるゆるだった訳で・・・
704無名武将@お腹せっぷく:03/12/03 20:46
石田三成は家康に天下取らせるために挙兵したんだよ、きっと。
そーじゃなきゃ、本物のマヌケだよ
>>704
その結果、その家康に斬首させられているのだから
三成は超弩級の道化だったのか?
>>705
世紀の道化師石田三成カコ(・∀・)イイ!
707三成:03/12/04 16:57
嬉しくねーよ!
漢字の変換優先率が
光成>>>>>>>>>>>三成>>>>>満つなり
なんだが光成って何者?
709無名武将@お腹せっぷく:03/12/10 20:42
垣屋光成
710無名武将@お腹せっぷく:03/12/10 21:28
石田三成は豊臣政権のパラサイト
むしろ豊臣政権は石田三成のパラサイト
>>711
腹痛のため、伊吹山中で倒れる三成
その三成の腹を割って淀殿が
「ミギャーッ!」
。。。って『エイリアン』じゃないか、これは
713無名武将@お腹せっぷく:03/12/10 23:11
三成って、胃腸が弱かったのかな?
714無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 04:21
もう、毎日毎日忘年会で胃腸がもたね〜yo
>>714
そうか、連日連夜大名の接待攻撃で胃腸が弱かったわけだ>三成 w
ていうかお酒ダメだったらしいよ。
だから武功派からバカにされたとか。
とりあえず「痰の毒」と言って逃げる三成
のみにけーしょん の嫌いな人だったのね。三成
719福島正則:03/12/27 15:04
酒も飲めないカスの三成を晒し上げじゃあ!
720あぼーん:あぼーん
あぼーん
721無名武将@お腹せっぷく:04/01/01 18:45
age
722無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:55
そこで石田@幕府ですよ!
723無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 21:34
age
724無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 22:05
下戸だったのか石田。
おう、お前のこと嫌いだったけど、同情するぜ。
おう!
出っ歯だから饒舌
三成って出っ歯だったの?
確かに出歯の人は明石屋さんまで分かるとおり、しゃべりが多いとは言うけど
 明治40年、京都大徳寺三玄院の三成の墓から骨が発掘された。
 発掘資料から後年、復顔や体格の分析がおこなわれた。それによると「女性のような骨格、
 頭形は長頭、鼻は高く鼻筋が通っており、かなりの反っ歯、身長156cm前後」と報告されている。
 加藤清正が三成を「背の小さきはんさん者(おべっか使い)」と言ったというが、
 当時としては特別背が小さい方ではない、ということになる。ちなみに、家康の身長は155〜158cmと推定されている。
728無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 06:30
>>727
180以上ある加藤清正にとって三成は「気に入らないチビ」だったんだろうな
加藤清正がその当時にしては成長しすぎなのでは
ていうか自分の領土における内政の功績でも加藤清正の方が上なんじゃない?

三成=事務処理が得意なだけで融通が利かず世間の反感を買いやすい。
   いわゆるお役人根性。

清正=土木工事等における具体的な功績が多く、世間からも慕われている。
>>730
三成も地元の民からは慕われてなかったか?
>>731
三成のおとーちゃんも評判は良かったらしい。

私見だが、こんな感じか。
農業土木:清正>三成
築城:清正>三成
計数・算術:三成>清正
検地など業務の実務運営:三成>清正
部下の受け:三成≒清正
民政家としての手腕(一族含む):三成≒清正
どちらも朝鮮出兵を止められなかった(清正は積極派)ので忠臣ではありえても名臣ではない。
江戸時代は神君に歯向かった三成は公然と称揚できないしねえ。
神君に歯向かっても評判良く伝わったのも居るが
近くには左近とか
>>734
それについて司馬氏は
「三成をおおっぴらに称揚できないので、この時期のその他の人々
(左近とか幸村とか)が江戸時代の講談物のヒーローとして
人気があった」っていってたような。
左近人気は三成人気を多分に含んでいると思われ
もちろん左近は単独でカコイイ香具師だが
やはりあの時期の三成の挙兵は軽挙だったろう。
しばらく放置しておけば秀頼を蔑ろにする家康と、正則の間に亀裂が
入るのは時間の問題だったはず。正則が、家康と三成双方を嫌ってい
た場合、その両者が争えば豊臣の安泰のため三成に付くだろう。
そうすれば西軍の勝利は確実だ。
>>736
既に前田が徳川の軍門に降っているし、
放っておけば今度は上杉が潰された、次は宇喜田、毛利と各個劇はしていけば、
徳川の支配体制は結局確立してしまう、
そうなってしまえば福島などには手が出せない、
実際、蔑ろにするどころか正に殺そうとしている時すら福島には何も出来なかった。
http://www.ume.sakura.ne.jp/~edo/person24.html

結構酷い評価を受けてるな。やっぱり世間一般では
未だに

石田三成=悪人、小人物、虎の威を借る狐、典型的な腐った官僚

というイメージが大きいのかな?
739無名武将@お腹せっぷく:04/01/21 20:39
age
>>738
>虎の威を借る狐
このイメージは仕方がないだろうな。

>典型的な腐った官僚
清廉であったのは確かだが、人の好悪は激しかったようだし官僚的であったのも確かだろう。
741 :04/01/23 19:08
ここに関ヶ原の首謀者が石田三成ではないと
書いてあるのですがどうですか?
何か変な文(その人の思想とか)に感じるのですが。

http://www.sengoku-expo.net/phone/imode/topics/1230.html
742無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 19:10
特にここらへんとか

限られた史料の中で、
『関ヶ原日記』では石田三成vs徳川家康という構図をなるべくとらない
よう試みました。だいいち、関ヶ原本戦で、石田三成本陣の笹尾山は
西軍の最北端にすぎません。それだけでも、三成の位置がどのような
ものだったのかわかろうというものです。

三成の役どころについては、外国人たちのほうがむしろ冷静に正直に
眺めていたようです。

当時の外国人からみても明らかなフレームアップを今
日まで信奉し続ける必要はさらさらないのです。

筆者も途中からいくぶん信憑性にかける史料も使ってし
まいましたし
743無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 19:14
「冷静に見れば毛利輝元であるという」根拠が全然書いてありません。
もしろ石田三成否定を掲げるあまりに毛利首謀説を取って付けた
感じを受けました。
もしくは「外国人=冷静」という思想から出てきた考え。
744無名武将@お腹せっぷく:04/01/24 01:25
歴史読本2002年7月号(特集・豊臣vs徳川30年戦争)を見ると、
「石田三成は西軍挙兵のフィクサーだったのか?」という記事があります。
書いているのは土山公仁という人です。
>>741のHPは、歴史読本の土山氏の文章とほぼ同じ内容ですので、
この部分は岐阜市歴史博物館学芸員の土山氏が書いたものと思われます。
745無名武将@お腹せっぷく:04/01/24 02:01
>>743
毛利輝元が首謀者と断定しているわけではないようです。
リンク先の全文はこれです。

http://www.sengoku-expo.net/J/diary.html

西軍挙兵前後に注目すると、
7月12〜14日に三成謀反の噂があったものの、
7月29日に伏見城に攻撃参加するまで、
三成の具体的な動きを示す史料はないようです。
どこで何して何を考えていたか、よくわからないのです。
そういったことから、三成首謀者説に
疑問を投げかけているのではないでしょうか。
746無名武将@お腹せっぷく:04/01/24 02:13
首謀者は今川氏真。
747無名武将@お腹せっぷく:04/01/24 02:22
そこで蹴鞠ですよ。
鞠の中に爆弾仕掛けて敵陣へ。シュート炸裂!!
749無名武将@お腹せっぷく:04/01/24 03:58
>>745
全部読みました。
 良かったです。
学級委員なんかさせられると三成の気持ちが
少しだけわかるよ(。´Д⊂)゜。・
今日の朝、行列の出来る法律相談所の再放送に出てた話で
スッゴイ嫌な部長が出てきてたけど、石田三成もあんな感じだったんじゃない?
なんつーか、人の落ち度を見たらすぐ「太閤様に言いつけてやる」みたいな?
そりゃ人に嫌われて当然だよ。人情っつーのが全然わかってないんだから。
昔クラスに一人はいたじゃん?すぐ先生にチクる奴。それでいて自分は正しい事やった
みたいな顔しててすっごいムカツク香具師。で、友達は一人もいないと(w
あんなのに味方した名将の直江や真田や大谷がすっごく可哀想。
ていうか石田三成って忍城を止めときゃいいのに秀吉の真似して水攻めにして
大失敗したんだろ?正に猿真似(プ
それに朝鮮出兵だって、失敗したのは三成が原因なんだろ?
しかも関ヶ原では僅か1900人しか篭っていない伏見城をなかなか落とせなかったし。
どう考えてもただのゴマ擦りが上手いだけのDQNだね。
大阪の陣の時の真田幸村の足元にも及ばない。
こんなクソが挙兵するって事自体間違ってたんだよ。あーあ豊臣家の癌細胞だねこれは。
石田三成は伏見城に苦戦した。
福島正則は岐阜城を瞬殺した。
文治派と武断派でこれだけ実戦能力に差が出る。
>>751-752が釣りかマジかの判断がつかない漏れ・・・
断言できるのは、悲しいほど才能と脳みその足りない釣り師気取りということだけだな。
スレタイ通りの書き込みなわけだが
>>756
751‐752は、批判じゃなくてただの中傷になっとるやん。
758無名武将@お腹せっぷく:04/01/26 22:50
官僚が戦争した事自体が間違い
いや、明らかに意図的だとしか思えない頻度で、
突っ込みどころが満載な事から>>751-752は釣りであると思われる。
あれがマジならあまりにも痛すぎだし。
760無名武将@お腹せっぷく:04/01/26 22:52
石田三成は利口そうに言われているが本当はあまり利口な奴じゃなかったと思う
関ヶ原の合戦(家康に対して挙兵)なんてしないで、前田家に対して濡れ衣の言いがかりをつける家康に
武力を使わずに冷静に前田家を弁護してやればよかっただろう
元々前田家は無実なのだから時間をかけて証明していけば家康のいいがかりは広く知れ渡れ
家康の株が落ちることは確実
前田家も家康の元へ屈することなく、親三成派になってくれただろう
百戦錬磨の老人へ挙兵するなんて下策もいいところ
時間をかせいで味方を増やしておけば、老人の家康は三成よりも先に死ぬのは見えていたんだからさ
>>760
家康が前田家に難癖つけてる時には三成は佐和山に謹慎中で表立って動けないんだが

前田を挑発して激発したところをぶっ潰そうとしてるのに無実を証明してもなーんの意味もありませんな
前田が無実なんて馬鹿じゃなければ皆承知していても家康が恐くて何も言えないからね
前田利家が悪い。
死ぬ直前に伊達政宗、福島正則に喧嘩を売っていなければ。
で、おまいらは信長の野望における
三成の能力値についてどう思う?
764無名武将@お腹せっぷく:04/01/27 02:38
極端に低かった智謀が嵐世記で急増してたな
知将と言われてるんだからこっちの方がしっくりくる
765無名武将@お腹せっぷく:04/01/27 06:08
     ∧∧ミ,,,;;
    ( ゚ー゚)ノ)"  ガンバレ
    / ,,- ,,|     ガンバレ
    `ミ   ;
     `''''"


























政をage知をsageくらいで
流石に嵐世紀はちょっと過大評価だと思うがそれまでのシリーズは余りにも酷いな。
まあ政治92統率51智謀76ぐらいが妥当じゃないかと思うが。。。
768無名武将@お腹せっぷく:04/01/30 11:29
なーなーバガボンドの最新刊に出てくる巨雲って
実在する人?
ググっても出てこないんだけど
三成は権力者家康に単独立ち向かった正義の人として美化されるか
秀吉権力をかさにきる悪人として描かれるか

両極端だな
770石田三成(偽者):04/01/31 04:51
わしは近日中にいやおうなしに
あの世へ参る身だ...
あの世に参れば当然即刻
故太閤殿下にお目にかかる事になる!
その時こそ見ておれよ!
わしは>>1-1000の所行.言説
委細残らず殿下に申し上げてくれるぞ
殿下の御懇篤なる御依頼にもかかわらず
私をないがしろにし
ついでに殿下を(プゲラする>>1-1000の恥知らずの所行を
殿下がなんとおぼし召されるか!
やがて>>1-1000があの世へ参った時身をもって思い知るだろう
いや殿下の御気性では
それまでお待ちになれぬかもしれぬ...
夜毎>>1-1000の夢枕にお立ちになり
あの大声で>>1-1000を叱責なさるやもしれぬ
その時はわしも殿下と共に
>>1-1000の夢枕に立ってやる!!
殿下の叱責に>>1-1000が身をよじって苦しむ様を
笑いながら見ていてやるぞ
さぞいい気持ちだろうな
わぁはははは
771無名武将@お腹せっぷく:04/01/31 05:09
朝鮮出兵は三成がいないと日本軍は当地で全滅に近い打撃をこうむってたわけだが。
そもそも無謀な出兵を止めるのが臣下の役目だろう。
本気で成功すると思っていたら単なる阿呆だしな。
773無名武将@お腹せっぷく:04/01/31 10:29
関が原で毛利一族(小早川、吉川、毛利本体)が西軍として真面目
に働いていたら勝てたという推測があるけど、実際、そうなってい
たら戦後どうなっていたんだろうな。後々、毛利将軍になっていた
可能性が高いような気がするのだが。総帥であるし、実際に関が原
の西軍の兵力の半分近くを出しているわけだし。どうみても毛利の
存在を無視できなくなってしまう。
豊臣の天下を守りたいならなんとしてでも秀頼を担ぎ出す必要があ
ったのでは。大体、自分の天下を守るために邪魔な有力豪族を排除
するために自分の力ではなく他の有力豪族の力を使うようならその
有力豪族に牛耳られてしまう場合がほとんどなのだが。
>>773
確かに毛利家の権力は増大するだろうが、
だからって毛利なしじゃあ全く勝ち目がないぞ、
もはや、その先のことを考えるゆとりがないほど、
徳川の脅威が差し迫っていたんだよ。
いずれにしろ豊臣政権の先は見えていたってこと。

もっとも徳川に比べれば毛利は大分組しやすい相手だと思うけどね、
一枚岩じゃあないし、
まあ、それはそれで押さえが利かず戦国時代へ逆戻りになりそうでもあるけど。
>>770
「影武者徳川家康」の際に金吾に言った一言だな。
正直マンガだと花の慶次の三成と影武者徳川家康の三成が別人みたいだ。
776石田三成(偽者):04/01/31 23:14
>>775
ははははは、微妙に違う
金吾に放った台詞は「言いたい事はそれだけか?(以下rya)」だ
それはさて置き「慶次」のわしは結構酷い書かれ様じゃのう、かなりショボーンじゃ
まあ「家康」で義の人として汚名挽回出来たからよしとするか
初期の頃の原作者は典型的な悪役として石田三成を登場させていたことによる。
ところがあの時代の小説を書き進めていくとどうしても悪役にできなくなってしまったようだ。
最後の頃には善玉になって登場し、悪役は徳川**に譲るはめに・・・・・。
悪役交代ともに登場の機会も減ってしまったのが微妙に寂しい。
>>776
名誉返上、汚名挽回でつね!!
779石田三成(偽者):04/02/01 10:01
>>778
ははは、最近は気を付けておったんじゃが
 ま た 間違えたのである....._| ̄|○<汚名を挽回してどうするというのだ・・
恥かしいけど教訓を込めて晒しageじゃ(w

>>777
然り、慶次でも家康は秀吉が生きてる間は善玉だったが
関ヶ原後はどうしても内容的に悪役にせざるを得なかった
顔まで歪んで憎々しい感じに書かれているのが明白だった
「SAKON」は「北斗の拳」化しておるし(敵が死ぬ時の台詞にはワロタ)
秀頼様や淀殿の顔が全然違うのも笑えるポイントじゃろうな
780石田三成(偽者):04/02/01 10:08
ふと思い出したんだがわしの終生の友である直江殿は
佐渡の章で修理とかいう香具師にアッサリとやられておったが
初めて慶次と会った時に慶次の朱槍を軽々と振り回した程の
力がある事を読者に示した筈なんじゃが…?
ああも簡単にやられるとは腹でも下していたのかのう?
まあ第三者としてみると尊敬できる人物
実際に接触すると嫌いになりそうなのであまり関わりたくない
782見えない名無し:04/02/02 14:30
>石田三成(偽者)

プッ!

まあヰ`よ

蛇足だがSAKONは作者の脳内変換大爆発の糞漫画です
NHK好感度男女一位共に出っ歯だった
そんだけ
784無名武将@お腹せっぷく:04/02/03 11:04
昔コーエーでも三成の扱いが酷かった点についてだが
初期からもかなり抗議はあっただろうが、ま、PKを買って自分で変更してくださいな
というのがコーエーの姿勢。
そのためにPKがあるといっても過言ではない。

やはりあれだけの資料にあたる以上は、ゲーム製作側がプチ歴史家になるのは仕方ない。
歴史家きどりの人間は、独自の説に固執するものだ。
で、アンチ三成を養育したのは、例の司馬小説関が原の功罪といえなくもないだろう。
関が原では石田三成が善玉・・・というより家康が悪玉なのは、小説とすれば義に殉じた
悲劇のヒーローをえがいたほうが大衆にウケルという計算。
ところが司馬小説の考証がいい加減な点については有名であって、歴史家きどりの人間は
だいたいアンチ司馬になる。
俺らはオトナ。一小説よんで感動した中学生じゃないんだから・・・と。

だがゲームの製作者が少数である頃は良かったが、講談で語られるような有名キャラは
ゲームでも使いたい人が多いから能力は高めにしておくのが商売としては無難。

嵐世記あたりから売上げが不調になったか、会社の規模が大きくなって部下に
権限交代したのか、おそらく別の人が関わってるのだろう。
>>784
でも、たしか風雲禄の武将ファイルでの三成に関するコメントの部分は
結構三成を高く評価してたよ。
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1073233277/l50
なんか重複スレっぽいところ見つけた。
787無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 21:35
age
>>786
偶然にも今そのスレが隣に(w
789無名武将@お腹せっぷく:04/02/12 03:25
三成に 過ぎたるものが 2つあり 1つ私に くださいな
>>789
三成の下痢便あげます。
791:04/02/19 19:22
石田ちゃんをバカにしないで!!
>>791
治長と遊んでて下さい。
793無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 23:11
age
794無名武将@お腹せっぷく:04/03/02 14:38
で、おまいらは三成が秀頼の本当の父親という説についてはどう思う?
たしか淀殿が懐妊した頃は三成は朝鮮にいたんだと思うんだが。
秀頼の父親といえば大野治長に決まっておろうが
わっ、真実を述べておるほどに、狼藉者が何をす(ry
796無名武将@お腹せっぷく:04/03/02 20:31
就職面接で尊敬する人物を石田三成と答えてしまったワシ
印象わるひ
797無名武将@お腹せっぷく:04/03/02 22:24
凄い人だと思うよ
秀吉や左近の認めた人間なんだから
敗戦の将ってのは後世きつい扱いを受けるもんだ
家康なんざ神になろうとしたくらいだよ
三成が忠義者の立派な武将となれば自分は悪役だもの
そうはならないようにしてるはずでしょ
秀吉もなろうとしてたろ基地害
>>798
なろうとした時点では勝者だったのでは
800無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 11:40
>>796
そこで石田三成について熱く語って
面接官の石田三成に対するイメージを覆す勢いじゃないと
この就職難の時代は乗り越えられんぞ(w
>>797
秀吉はともかく左近に認められるのは微妙だな
802:04/03/03 21:26
やおいおめ
個人的には大谷吉継に認メラレタヒ
804無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 22:39
age
805無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 11:49
 徳川家でも石田三成への評価はあったのは確か。
史実かどうか知らんが家康の息子の秀康は7将襲撃で家康邸に
逃げ込んだ三成の護送中にもらった刀を勇者の刀と評したとか言う
話を聞いたし
前レスでも書かれてるけど水戸光圀は三成を忠臣と評価してるし
 三成の孫娘は三代将軍徳川家光の側室になって生まれた娘が
徳川御三家の尾張徳川家の正室としてに嫁いでるし

逆に豊臣を見限って(というか三成を憎悪して)家康に味方した
小早川秀秋、加藤清正、福島正則の家の末路は悲惨だし。
朝鮮出兵の責任は秀吉に嘘ついた渉外担当の小西・宗コンビのせいだろ
内向き担当の三成にどう止められたと?
807無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 12:20
三成と吉継のエピソードに三成の人間性が込められてる気がする
>>806
忠臣なら諫言するのが筋だろう。始まった後でもな。
>>808
三成がスーパーマンじゃないと納得できないんだね
反対も何も三成の言うとおりにしてれば勝ってた
事後収拾にあたったのも三成
これ以上どうしろと・・・?
>>809
政権を揺るがした重大な政策に諫言するのは忠臣であれば当然だと思うが。

>>810
>反対も何も三成の言うとおりにしてれば勝ってた

詳しく説明を希望。
何をもって勝利とするかにもよりけりだとは思うが。
812無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 01:33
諫言ったって当時は出兵歓迎の流れだったし肝心の情報元が嘘ばっか流してたから物理的に不可能だろ
813無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 04:24
関ヶ原は三成の道楽だった
ちんこがちいさそう
まずそれがだめ
815無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 05:12
>>752 戦闘と戦略はちがうのさ
816無名武将@お腹せっぷく:04/03/25 16:11
忍城水攻めは秀吉の指示ですよ。
817無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 00:36
「柿は痰の毒」発言で全国の柿業者に訴訟起こされて
記者会見場で柿を食べるパフォーマンスをさせられたというエピソードは余りにも有名
ワラタ
819無名武将@お腹せっぷく:04/03/29 00:14
三成が実権を握って海外征伐をやっていれば朝鮮出兵のようなつては踏まずに
当時の西欧諸国がやっていたように各国の港湾部だけ占領していくという効率
のいいやりかたを採ったはずだ
>>819
んじゃ、実際に秀吉政権で海外出兵の作戦を練ってたのは誰よ?
>>819
つて ×
轍  ○
822無名武将@お腹せっぷく:04/03/29 09:44
たぶん石田三成って白い巨塔の里見みたいな感じだったんだと思う
第三者から見ると正義漢かもしれないが同僚にするとかなりうざそうだな・・・
823無名武将@お腹せっぷく:04/03/29 13:34
秀吉はアレだ

西田俊之
>>819
戦国時代に練りに練られた「陸」軍の活躍どころが無いし。
825無名武将@お腹せっぷく:04/03/29 18:50
>>820 秀吉が大方針を決めたのであり、それが良くなかったので三成といえども
どうしようもなかった。
単純に>>819の言う事に根拠が存在しない
827無名武将@お腹せっぷく:04/03/29 20:20
>>826こんな板で根拠だってよ学者かい 大学院にでも行けば
>>827
わかったからもう市ね
829無名武将@お腹せっぷく:04/03/29 20:55
三成が実権を握って海外征伐をやっていれば朝鮮出兵のようなつては踏まずに
当時の西欧諸国がやっていたように各国の港湾部だけ占領していくという効率
のいいやりかたを採ったはずだ

三成は信長の構想を実現に移すために関ヶ原合戦を企てた

家康が勝って日本はつまらん国になったもんだ
>>829
馬鹿?
どうせならもっと早い段階で秀吉ぬっころして実権を握ってやってくれ
831無名武将@お腹せっぷく:04/03/29 21:43
>>830秀吉がもっと長生きしたら殺ってた
昔、TBSでやった関ヶ原再放送して欲しいな。
配役が凄かった。
司馬遼太郎の原作を元に作ったものだが
原作の方が、情けない石田三成で面白かった。
実際はどうなんだろう?少し情けない香具師なのかな?

そんな俺の家からは伊吹山がきれいに見える。
>>832
加藤某が三成役のヤツ?
アレはよかったよね。オレも見たい。

大谷吉継が三成に檄を飛ばすシーンがものすごい好きだった。
834無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 22:49
age
835無名武将@お腹せっぷく:04/04/09 19:39
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1043415869/899
三成が秀吉に諫言して左遷されたという話のソースきぼん
>>738
そのページの「投票コーナー」の各種アンケートでは三成がやたら人気あるんだが。
やはり欠点もあるがそれも含めて好き、って感じじゃないかい?
豊臣家の御威光を陰らせ、秀頼公の天下を揺るがす者は、
誰であっても容赦はせぬ!
この三成が太閤殿下に代わって成敗してくれる!!
838内府:04/04/16 20:58
(´゚c_,゚` ) プッ
839無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 09:48
共産主義になった翌日、私は近所に住む田中君とともに学校に向かった。
もう冬だというのに木は青々としている。
子供たちの表情は希望と活気に満ち、広場で遊ぶ女の子の額から流れる汗が太陽光を反射していた。

「人間が憎しみあう時代は終わったのだな」
昨日までとある私立中学に通っていた斎藤君が、ほっとしたように僕たち二人に言った。
「そうだ、これからは人が人を支え合う時代なんだよ」
普段は滅多に話に加わらない田中君が、斎藤君の肩に手を置いて優しく言った。
「人という字を思い浮かべて見ましょう。二本の線がお互いを支え合っているでしょう」
ちょうど出勤してきたばかりの髪の長い中年教師がそう言って微笑んだ。

小学校高学年の子は長年使ってきた参考書をブックオフに売り、真新しいサッカーボールを購入した。
「詰め込み教育はもう不要だ。これからは日本中に元気な声を響かせよう」
少年らしい生き生きとした表情で男の子は言った。

青空のなかををツバメが横切っていった。
小早川が寝返えらず、関ヶ原は西軍が勝ってれば
三成の評価は全然違っていただろうね。
秀頼が出陣しなかったのはもとより、佐竹が動かなかったのも痛かった。
841無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 22:02
>>835
五奉行の前身である六人衆には当初三成は入っていなかった。
石川光重に代わって三成が六人衆に入ったのは秀次事件以降のこと。
(秀吉の側近六人衆と石川光重, 日本歴史586)

朝鮮出兵では和平派だったから、冷遇されていたのかもしれないな。
842無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 22:58
しょせん、三成は五奉行の四番手ですから
七本槍がドキュンということでよろしいか
844無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 10:05
>>841
>石川光重に代わって三成が六人衆に入ったのは秀次事件以降のこと。
ヤパーリ三成って秀次事件に裏でかんでいたのかな?
三成はヒキコモリ系に好かれる
七本槍は体育会系に好かれる

よって2chでは三成の評価は必要以上に高い
846無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 10:45
体育会系が七本槍の名前言えるのか?
>>836
ほんとだ。
しかもコメントがやたらと熱いw
848無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 16:29
>846
ヒキコモリでも全員言えん。
例の七人なら言えるだろ。
言えない方は、三戦板住人失格。
七本槍ってぇと石川一光と桜井左吉れすね
851無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 21:59
>>822
己の正義を貫こうとする信念の強さ、
悪く言えば独善的なあたりは財前に近いと思うが。
小豆坂七本槍
>>851
三成に田宮次郎並のオーラがあれば、
関ヶ原もおこらんかっただろうなあ。
854無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 01:09
七本槍ってアレか?

蜻蛉切
日本号…
…ごめんなさい吊ってきます
855無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 10:34
>842
形式上は、だろ?
856 :04/04/27 10:49
いっぽんにほんさんぼんしほんごほんといえばりゅうかくさんぼんよんほん
ごほんといえばりゅうかくさんしじゅうにさんしーごーろく

ななほんやり!

おんどりゃー!!!
857:04/04/27 13:44
ここは石田ちゃんの魅力について語るスレですか?
858無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 16:42
>857
もしかして慕っておられたのですか?
859:04/04/27 16:50
ポッ
加藤清正・福島正則・加藤嘉明・平野長泰・脇坂安治・片桐且元・糟屋武則。
861無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 09:03
平野長泰・糟屋武則って何処いったんだろうね。
糟屋については
ttp://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/m133.html
平野はぐぐっても良いページが見つからず

で、データのある糟屋についてだけだが冷遇された印象があるな。
残り5人に比較してもこの二人は大したこと無かったのか・・・
謎ではある
863861:04/04/28 11:51
>862
乙でした。
864無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 12:24
平野は秀吉から豊臣姓をもらっているから、たいしたもんだったと思うが・・・なぜか記述があまりない
石河長松
イシゴナガマツ

石川長松
イシカワ


どっちが正しいんだろう
両方書くなら、読みは「イシカワ」だろう。
>>866
歴史群像 大阪の陣でイシゴって書いてあったもんで。。
868無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 12:23
美濃加々島(鏡島)城主の石川氏の一族は多く、豊臣氏との関係も深い。

長男・光政…美濃斎藤氏のち織田氏に仕えたが、早世した。

次男・光重…秀吉草創期の家臣であり、秀吉側近六人衆の1人。秀吉の子・鶴松の傅役となる。

三男・一光(兵助)…賤ケ岳合戦で一番槍の功名をあげたが討死。

四男・光吉(貞清)…尾張犬山城主・木曽代官。秀頼側近四人衆の1人。
    石田三成の婿であるといわれ、関ヶ原合戦では西軍荷担により所領没収。

五男・一宗(長松・頼明)…戦死した兄・一光の後を継ぐ。秀頼側近四人衆の1人。
    関ヶ原合戦では大坂七手組の一人として大津攻撃に参加。
    西軍敗戦により切腹。三条河原に梟首された。

ちなみに、秀頼側近四人衆の残り2人は石田正澄(三成の兄)と片桐且元。
光重の孫、光忠の子孫が尾張徳川氏に仕えて「石河(イシコ)」と改姓しているので、
さかのぼって石河姓にしているということらしい。北条早雲と同じだな。
>>868
なるほどー!
しかし賤ケ岳合戦で討ち死にで他の面子は大名になっていくのか。。
なんかせつないな
870868:04/05/04 02:39
光吉(貞清)は光重の子で、大谷吉継の婿という説もある。
一光は光吉の弟とする説もある。
また、真田幸村(信繁)の七女かねは「石川貞清室」とある。
正妻大谷氏の子で、大助の妹なので、後妻なのかもしれない。

関ヶ原合戦当時の石高は次のとおり。

石川光元(光重の子)5万3千石
石川光吉(木曽代官領含む)12万石
石川一宗(播磨・丹波の内)1万2千石
871無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 10:58
>石川光吉(木曽代官領含む)12万石
三千人は動員できるじゃん。関ヶ原では何やってたの?
>>871
石川光吉は西軍に属し、当初犬山城に籠城した。
犬山城には稲葉貞通・典通・方通・加藤貞泰・関一政・竹中重門といった
美濃の大名が援軍に入っていた。

東軍は犬山には中村一栄の5千を押さえにつけ、岐阜と竹ヶ鼻を集中攻撃した。
岐阜城で西軍が敗北すると、犬山の援軍は相次いで撤退し、東軍に寝返ってしまった。
光吉もいったん東軍に降伏し、犬山城を献上した。
光吉は犬山籠城中、拘置していた東軍荷担の木曽郷士の人質を釈放したため、
東軍の作戦を有利に導いたと言われている。
しかし、その後また西軍に走り大垣城に入城し、関ヶ原主力戦にも参加した。

光吉は木曽代官として巨万の蓄財をしていたため、戦後失領したが、
黄金千枚を献上し死を逃れ、その後は京都で金融業を営んだと伝えられている。
873871:04/05/07 09:30
>>872
ご丁寧にどうもです。
874無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 14:13
漏れが石田側についてたら西軍大勝利であっただろう
>>874
( ´,_ゝ`)
876無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 14:37
>>874
 確かにそれはいえるな
877無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 21:06
>>874
 一理ある
じゃあ、オレが金吾中将の副官だったら?
879無名武将@お腹せっぷく:04/05/10 09:13
>878
小早川幕府ができてたんじゃないか?
880無名武将@お腹せっぷく:04/05/10 15:38
>878
金吾が乱心した時に切り殺されてた。
881無名武将@お腹せっぷく:04/05/12 10:15
>>874
具体的にどうすんの?
882無名武将@お腹せっぷく:04/05/17 15:41
家康の仕業に見せかけて金吾を暗殺する。
相変わらずの無駄話っぷりですな
884無名武将@お腹せっぷく:04/05/18 09:23
>883
んじゃ、実のあるレスをお願いします。
885無名武将@お腹せっぷく:04/05/19 09:54
秀吉の死後三成を最も評価してたのは家康か?
光圀
887無名武将@お腹せっぷく:04/05/19 10:23
>>840
佐竹は当主義宣がやる気まんまんだったのに
義重の圧力と家臣の猛反対で動けなかった。
888無名武将@お腹せっぷく:04/05/19 11:51
結果減封ですか・・・
いっそのこと上杉と関東になだれ込んでれば・・・
だから戦記シュミレーション物ではしばしば佐竹は重要な役割をになう事が多い
シュミキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!
>>888
上杉は北で忙しいんで無理です。
単独でいって討ち死にしてください。
江戸時代以降の三成評は藤原頼長をモデルにしてるんじゃないかと勝手に妄想。
インテリ、人望薄、奇襲提案を拒否など。
別にこれらのエピソードが捏造だと言うわけじゃなく、
なんとなくこういう人物像ってものに沿って描かれた気がする。
893無名武将@お腹せっぷく:04/05/24 11:00
>891
守り固めて北は捨てて佐竹とともに進軍すりゃ良かったのに・・・
とにかく、関ヶ原決戦が一日で終了(西軍大敗北で)するってのは、
あまりにも計算外だったんだろうなあ。
>>893
守りを固めれば何とかなるというほど北の情勢も甘くないだろう、
無論関東も、上杉・佐竹だけでどうにでもなるというほど甘くないだろうし。
896無名武将@お腹せっぷく:04/05/24 20:15
実際最上領に侵攻してるから、その兵力を関東に回せば…
というのは一応論としては成り立つと思う。
難易度はずっと高いけど。
最上戦すら手こずる程度の兵力で何をしろと?
家康もこの時は生涯最大の賭けということで、ここぞとばかりに大動員をかけたと思う。
上方に向かった自身の本隊や秀忠隊、松平忠吉隊など、合わせて75000人程度。
250万石の所領で、1万石で400人動員すれば10万。500人なら12.5万。
結城秀康らが率いる2〜3万人程度の兵力が関東にあったとすると、
上杉と佐竹が一緒になって攻めても、関東勢にがっちりと守りを固められたら
そう簡単には江戸までたどり着けないと思う。
中央の情勢には大きな影響を与えるだろうけど。
実際佐竹が動いたら面白かったのにな
真田と佐竹が江戸突くって作戦があったらしいが
江戸には徳川勢ってどれくらいいたんだろ?
上杉が北で粘ってれば佐竹、真田だけでも江戸落とせることは落とせたんじゃ
900無名武将@お腹せっぷく:04/05/24 20:33
おまえらそんなに西が勝ったほうがよかったのか
うん
>>899
佐竹はともかく真田は絶対無理でしょ。
最大動員2・3千で上田から江戸までって、
そりゃあ実行してれば間違いなく歴史に名を残しただろうが。
>>900
西が勝ったら「東が勝ったほうがよかった」と言ってる
904無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 08:54
>903
そりゃ間違いない
905無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 14:53
直江が家康追撃を進言したってのは本当?
 
907無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 19:47
>>905
たぶん本当。
ただ佐竹と一緒に江戸を攻めていても秀忠の後発隊が引き返してくる
可能性が高いからイーブンの戦いになったろう。
908無名武将@お腹せっぷく:04/05/26 10:48
直江兼続対本多正信、榊原康政の戦いも面白かっただろうな。
秀忠軍には奥平や信之兄ィもいるしいい勝負になっただろう
910無名武将@お腹せっぷく:04/05/26 13:36
でも大将が真田の挑発にあっさり乗るボンクラだからねぇ・・・
秀忠マンセー
912無名武将@お腹せっぷく:04/05/26 18:48
秀忠が真田の挑発に乗らず美濃に到着してたら家康は大垣城を攻めただろうか?
結局第二次上田城ってあったの?
914:04/05/27 22:09
>>885

あ た し
915:04/05/27 22:10
>>885

あ た し
916有名武将@お腹いっぱい:04/05/30 07:08
治部も腹を割って話してみると意外といい奴だよ、冗談とかも言うしさ。
「淀さんとはどうなのよ?」って冷やかしたらマジ受けしたのが笑った。
917:04/05/30 10:26
誰だよお前・・
>>916
治部は切腹なんかしていないぞ!!
::::::::::/            ヽ::::::::::::
:::::::::::|  ば  じ  福   i::::::::::::
:::::::::::.ゝ か   つ  島   ノ:::::::::::
:::::::::::/  だ  に  正  イ:::::::::::::
:::::  |  な。    則  ゛i  ::::::
   \_       は   ,,-'
――--、..,ヽ__   _,,-''
:::::::,-‐、,‐、ヽ. )ノ      _,,...-
:::::_|/ 。|。ヽ|-i、      ∠_:::::::::
/. ` ' ● ' ニ 、     ,-、ヽ|:::::::::
ニ __l___ノ     |・ | |, -、::
/ ̄ _  | i     ゜r ー'  6 |::
|( ̄`'  )/ / ,..    i     '-
`ー---―' / '(__ )   ヽ 、
====( i)==::::/      ,/ニニニ
:/     ヽ:::i       /;;;;;;;;;;;;;;;;

>>919
それは否定できないw
921無名武将@お腹せっぷく:04/06/03 09:20
>>919
ハゲワラw
922無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 15:03
加藤清正も意外にばかだな
文治派って言われてた奴らのほうが、頑固で時代の流れに乗らなかったってのも皮肉だな
まあ、千の兵士で女が守ってる城を1万5千を超える軍勢で落とせない時点で
石田三成に軍才は無い。(忍城攻略戦)
925無名武将@お腹せっぷく:04/06/14 10:52
水攻めは秀吉の指示
秀吉にとっては一夜城と水攻めが二大イベントだったんだろうね。
927無名武将@お腹せっぷく:04/06/22 15:19
兵糧攻めは?
>>926
八王子城薙で斬りと併せて三大イベントでは?
929無名武将@お腹せっぷく:04/06/23 13:58
>923
増田は本当に家康に内通してたのかな?
930無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 17:48
>>926
三木城と鳥取城の干殺しは?
931無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 19:24
>>930
小田原攻め限定でいってるんじゃない?
女が1000人で守ってる城か…



俺も落としてみたいなあ
女を千人口説き落とすのは無理だと思われ
>>931 おいおい
一夜城(墨俣城)は小田原攻めか?
935無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 13:36
小田原攻めでも一夜城のエピソードなかったっけ?
>>935 石垣山城?
どうもマイナー
イベントとは言えないかな
937無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 21:26
>>936
一般的にはマイナーかもしれないけど、関東以東の大名への秀吉の実力のアピールを考えると結構でかかったと思うよ
>>937
むしろ最大のイベントだろ。
城を頼みに秀吉への反抗を決意した関東の田舎大名に対して、
より近代的な強力な城を簡単に造り上げて実力の違いを見せつけ、
戦わずして敵の戦意を削ぐ。
939無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 16:19
チョンに味方をした時点で、三成は滅ぶ運命にあった。これヒュソダイの常識!
940無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 18:23
そういえば豊臣家も加藤家も、チョンにかかわるとロクな目にあわないね。
941無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 00:46
法則は大昔から存在していたのですな
三成は天下が誰の手にあるか読めてないばかりか、ナルシストぶりを発揮して
家康の思惑通り関が原を起こして無駄死にした。
誰も三成に本気でついてくものはいない、こいつは豊臣家を潰した逆臣。
武断派に襲撃されたときにさっさと死んでおけばよかった
>>942
正信必死だな
三成のせいで豊臣が滅んだとかいってる奴は家康を甘く見すぎだろ。
余計ナ事ヲセズニ秀頼ガ成人スルノヲ待テバ良カッタ
家康が待ってくれるわけないだろ。
律儀ナ内府ハ待ッテテクレル
>>945 >>947
さっさと逝けよ正純
949無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 15:48
参院選が終わった翌日、私は散歩に出かけた。
夏らしい日だった.頭上にはギラギラとした光と熱をお日様が
まき散らしていた.湿気が多く纏わり付くような空気の中で,
どこかの木に止まっているのだろうか,蝉の声がかまびすしく溢れていた.
ふと車道縁の街路樹の付け根を見るとドブネズミの死骸が数匹,蠅に集られながら
転がっていた.
いつもと同じ一日が始まったのだな,と心の中でつぶやいて深いため息をついた.
 
混んだ山の手線を新宿で降りた.そしてアルタ前まで来て足を止めた.
ビルに張り付いた大きな動画の中の人物が話した言葉が突き刺さったのだ...
「弱者は非効率的です.これからは彼らの切り捨てを加速させる必要があります.
平等の時代は終わった.21世紀は競争と淘汰の時代なのです」
続いてスタジオの参加者たちの笑い声が聞こえてきた。

何かが違う,日本は変わってきたのか.そんな思いを胸に秘め,空を見上げた.
太陽はギラギラとした光を投げかけ続けているのだった

曇り空のなかををカラスが横切っていった
正純じゃなくて、清正とみた!
もしくは正則。
ま、戦略が甘かった という点は否めないだろう。
短期決戦ではなくて、
ジリジリと包囲する方向で持っていけば良かったと思うんだが。
952無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 20:09
三成について 批判・弁護
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1090747240/l50
>>951
相手より遥かに巨大な内憂を抱えている段階で長期戦はあまりにも無謀。
家康に擦り寄ればよかった
そうすれば三成嫌いの奴らが反家康側につくし
>>954
擦り寄れば無条件で受け入れてもらえると思うのか?
長政みたいな役になるだろう
本田正純と石田三成ではどちらが人気あるかな?
本多正信と石田三成なら本多正信だが
本多正純と石田三成なら石田三成だな
正純ヲタなんてあんまいないでしょ
>>959
あのいかにも小賢しそうな、親父と違って策士策に溺れそうな
とことか好きなんだが、大坂の陣では大活躍だったし
961無名武将@お腹せっぷく:04/08/08 16:58
参院選が終わった翌日、私は散歩に出かけた。
夏らしい日だった.頭上にはギラギラとした光と熱をお日様が
まき散らしていた.湿気が多く纏わり付くような空気の中で,
どこかの木に止まっているのだろうか,蝉の声がかまびすしく溢れていた.
ふと車道縁の街路樹の付け根を見るとドブネズミの死骸が数匹,蠅に集られながら
転がっていた.
いつもと同じ一日が始まったのだな,と心の中でつぶやいて深いため息をついた.
 
混んだ山の手線を新宿で降りた.そしてアルタ前まで来て足を止めた.
ビルに張り付いた大きな動画の中の人物が話した言葉が突き刺さったのだ...
「弱者は非効率的です.これからは彼らの切り捨てを加速させる必要があります.
平等の時代は終わった.21世紀は競争と淘汰の時代なのです」
続いてスタジオの参加者たちの笑い声が聞こえてきた。

何かが違う,日本は変わってきたのか.そんな思いを胸に秘め,空を見上げた.
太陽はギラギラとした光を投げかけ続けているのだった

曇り空のなかををカラスが横切っていった
党員資格

自民党: 日本国民 
共産党:18歳以上の日本国民

民主党:18歳以上の個人(在外邦人及び在日の外国人を含む)
公明党:18歳以上の者は、国籍を問わず党員となることができる。
社民党:18歳以上の者 ※国籍明記なし

自民党 ttp://www.jimin.jp/jimin/jimin/tousoku/tousoku-1.html#102
民主党 ttp://www.dpj.or.jp/seisaku/unei/kiyaku.html
公明党 http://www.komei.or.jp/about/what/rules/rules.html#part2
共産党 ttp://www.jcp.or.jp/jcp/Kiyaku/index.html
社民党 ttp://www5.sdp.or.jp/central/03tousoku.html#02
>太陽はギラギラとした光を投げかけ続けているのだった
>
>曇り空のなかををカラスが横切っていった
 結局晴れてるのか曇ってるのか。
三成は軍才はなかったと言われ、実際に特に後世に残るような
勝利は収めていないが、実際はどうだったのだろうか。

文禄の役で、碧蹄館の戦いでは散らばって戦うことを主張する諸将を
集合させ、大勝利に導くという戦果もあげてはいるんですが。
コレは自身が大活躍というよりも、日本軍全体の勝利と言うイメージで
三成は全く評価されてはいないですよね。
965無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 05:34
age
966無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 07:04
清正等に追われ、家康の屋敷に逃げ込んだ三成は、部屋に入ってパニくって
るスズメそのもの。

その家の猫(家康)は、フフンと冷笑しながら、その様を余裕で見物。
まぁ家康は糞だけどな。
まあ器で言えば家康だが、誓紙書いたのを破って主家乗っ取るより、主家を護って
死ぬ方が爽やかでよい。儒教の精神にも適うし人の心を惹き易いし、後々もっと評価
上がるだろうね。

使いっぱの裏切り者福島や加藤なんてのは三成の比較の対象にもならんな。
爽やかとか訳わかんねーw
970無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 13:58
肖像画は結構爽やかだぞ
971無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 14:23
>>968
>誓紙書いたのを破って主家乗っ取るより

 主家乗っ取りの悪どさ・小汚さにかけては秀吉が一枚上だよ。
 それに戦国時代「誓紙」など何の意味もない。
 三成が「誓紙」持ち出したって馬鹿にされるわけだ。
972無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 18:43
福島正則の偏差値があと3高かったら歴史は変わっていた
3で足りるだろうか
加増後も問題も起こさず治めきりました。
ぐらいにシフトチェンジ
秀忠の改易対象から外されていたとは思えん
改易した大名の数が一番多いのは秀忠
>>969
お前が馬鹿だからw
>>968
豊臣を裏切り、徳川にも捨てられた福島や加藤が馬鹿だってのには同意だ。
藤堂あたりの法がずっと上(嫌いだけど)。
978無名武将@お腹せっぷく:04/08/27 10:37
豊家に殉じた忠臣。
織田家にはそんな奴いないだろうな。
>>978
柴田勝家とかどうじゃろ
>>978
丹羽長秀とかどうじゃろ
織田家に「豊家に殉じる忠臣」などいないってオチだったりして
982981:04/08/27 13:47
あ、織田秀信がいたか
お蘭
>>983
肝心の人を忘れてた━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━(  ゚)━(  )━(  )━(゚  )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!!
村井貞勝とかど(ry
986兵卒:04/08/27 15:16
どうで殉じるなら一人で死ねよ>三成
>>976
爽やかな戦争とか訳わかんねーw