戦国時代の殿様って何食ってたの?

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1鉄人細川
信長が茶漬けかきこんで桶狭間に出陣とか
氏政がご飯に汁かける分量まちがって氏康に叱られたとか
ろくなもん食ってないんですが。。
2無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:31
肉、西友の。
3無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:31
4無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:32
女食いまくり
5無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:33

6無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:37
丸大豆と魚。
7無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:38
>>4
女より美少年
8無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:38
カヤの油で揚げた鯛のテンプラ
9無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:39
鯨、秋刀魚、酒、金平糖、鰯、
10無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:44
牛肉のみそ焼き
11無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:47
家康が塩鮭を食った時に「こんな美味いものが世の中にあったのか?」と
言ったとか言わなかったとか
12無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:49
鯉、鮎、カステラ、昆布
13無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:50
近世期になると、目黒の秋刀魚しか食わなくなるんだがな
14無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:52
山菜、タケノコ、芋、そば
15無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 20:52
>>11
頼朝と聞いたけど?
>>11
孝明天皇かと思われ。

幕府から支給される賄領が少なく、
粗悪品ばかり召されるのを不憫に思った、
松平容保が献上したもの。

スレ時代違うし、大名じゃないしSAGE
17鉄人細川:02/10/17 22:13
今日はうどん作って食べました。
コンビに弁当はあきました。
18無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 22:49
でも、その当時は松茸に今ほどの価値を見出していたかどうか
肉も比較的手軽に手に入る食材なので
魚全体が今より高級化してた可能性も否定できない
>>18
鮭が非常に高価な魚だったと、聞きかじったことがあります。
>>13
付け合わせは焼き葱
21無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 23:08
信長にハンバーグでもおごってやりたいな。
うまいうまいって、俺のことを尊敬の眼差しで見るに違いない。
22無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 23:12
GPSもないまま沖合に行って太陽と星だけ見て帰ってくる
当時の漁師ってすごいよね。
そんだけ根性ありゃ倭寇でも何でも出来るわ。
23ノヴナガ:02/10/17 23:21
>>21
主に腐った肉を出すとは何事じゃ!
24鮭(゚д゚)ウマー:02/10/17 23:28
>>11
漏れは氏んだじいさんから伊達政宗だと聞いた。鮭のハラスを食って、
「こんな美味いものはない、これ一尺と青葉城を交換してもいい」
と言ったとか。
誰の話が元ネタだろう?
25無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 23:41
戦の時には、セノビー飲みながらオーザックと明治の
ストロベリーチョコを食ってたらしいよ。
>>24
鮭の皮じゃないか?
ソースは美味しんぼだが・・・
>>26
皮だったかな? 何しろ20年くらい前の話だから記憶が曖昧で…
赤身の部分じゃないのは確かだ。
28鉄人細川:02/10/18 18:23
信長が家康を饗応したとき
どんなメニューだったんだろ。
>>28
本膳
・たこ ・たいの焼き物 ・菜汁 ・こいのなます ・香の物 ・鮒の寿司
・御めし
二膳
・うるか ・うなぎのなます ・ほやひや汁 ・きんこ(干しなまこ)のふくめ煮
・あわび ・はも ・こいの汁
三膳
・きじ胸肉 ・やまいも、鶴汁 ・わたりがに ・たにし ・すずき汁
四膳
・まきするめ ・ひきつぼ ・ふな汁 ・しいたけ
五膳
・まなかつお刺身 ・しょうが酢 ・ごぼう ・かも汁 ・けずりこぶ
菓子(翌日の朝食)
・うすかわまんじゅう ・やまのいも ・美濃柿 ・びわ ・あげふ

『続群書類従』の記事より推定したらしい
(歴群シリーズSELECTION『俊英・明智光秀』より)
乙カレ。
31無名武将@お腹せっぷく:02/10/24 22:52
32無名武将@お腹せっぷく:02/10/24 23:32
この時代は獣肉をあまり食わないから、魚がメインだよな。
33無名武将@お腹せっぷく:02/10/24 23:47
>29
フナ寿司まずいて本当ですか?
美味しいのかな・・・美味しいなら食べたい
34無名武将@お腹せっぷく:02/10/25 00:32
>>33
にほいがきっついとはよくききますが。
大河でも忠勝が「うっ、くせえくせえ」と鼻まげてたのがフナ寿司と思われ。
35無名武将@お腹せっぷく:02/10/25 02:27
戦国武将で実際に鮭を食ったらしいのは毛利秀元。
弁当に持ってきた鮭を江戸城に登城した大名同士で分け合って大事に
食べたそうだ。江戸時代研究者の辻達也氏がいっていたことだと、
隆慶一郎の小説にあり。辻氏の発言を誰か持ってきてくれると、嬉しいなぁ・・
鶴食いすぎ
>>33
酒飲みにはうまいらしいが、腐った川魚なんて食えるか?
シュールストレミングとえらく変わらん。
38無名武将@お腹せっぷく:02/10/25 08:08
>>37
ほら、酒飲みは腐った米やらブドウやらを飲む人たちだから・・・。
ちなみに今日の朝食は腐った小麦を焼いた物です^^
珍味系はマニアックだから饗応向けじゃないよな。
信長が家康に自慢したがる様な、信長が好きな物でなければまずやめといたほうが良かった。(w

豪勢にたくさんそろえるのは良いが、口に合う物が少ないと嫌がらせにしか思えない。

食い物の評価は「ウマイかまずいか」が最優先だものなあ。

まずい物を死ぬほど食わされたら拷問だ。
40無名武将@お腹せっぷく:02/10/25 10:57
篭城で飢えた時には人肉を食う。
>>29
意外と豪華だねえ・・鶴肉とか・・
まあ「接待用」なのだろうが。
42無名武将@お腹せっぷく:02/10/25 12:40
そりゃそうだ・・。光秀はフナ寿司上手いとでも思っているのか?
43無名武将@お腹せっぷく:02/10/26 02:31
>>41その他の方
う〜む、ほんとに鶴を汁にしてたとおもってる人が多いのか?
山芋(?)の蔓?の汁→蔓汁→鶴汁
という解釈もあるのだが。

といいつつ漏れは山芋の蔓ってどんなのか(蔓があるのかどうか)しらないんですが。

>>42
公家業界の飽食の世界(とそれに接してる人々)では、そう言う平民の酒のつまみ系珍
味もアリだな、というふうになったんでは??
確か島津と肝付の仲違いの発端に、鶴の吸い物の話があったじゃん。
これは真偽は別として、鳥の鶴じゃないと話にならないよね。

九州に鶴が来るなど俺は聞かないけど(昔は知らないが)、
それだけ珍重され・存在したってことじゃないかな?

光秀のが鶴なのかツルなのかは知らないけど。
4543:02/10/26 03:01
>>44
すいません、それはじめて知りますた。
ま、鶴も捕まえるのに苦労するほど希少動物ではないですね。
勉強になりますた。
鮭の皮というと水戸光圀だな。

「厚さ一寸(三寸だったか?)の鮭の皮があったらもうなにもいらない」
とかいうようなことをのたまっていたらしい。

そんな分厚い皮って、クジラなみやがな。
鶴は石器時代から食われていたのではなかったかな、貝塚から骨が出たりとか。
美味いのか?
48無名武将@お腹せっぷく:02/10/26 22:25
鶴の恩返し・・の鶴を食べていたの?
それを光秀は出したのか・・
どうやって採ったんだ?
49無名武将@お腹せっぷく:02/10/26 22:37
じゃあ孔雀の脳髄を食べたがったヘリオガバルス帝はどうなるんだよ
ソースは忘れたが、上杉謙信の晩酌の肴は味噌と梅干だったらしいな。
51無名武将@お腹せっぷく:02/10/26 22:44
なんか食い物関係の研究書って無いのかねぇ
戦国とは無関係だが「卵百珍」
近世後期の卵料理レシピ
53無名武将@お腹せっぷく:02/10/27 00:24
>>50
漏れもそれ何かの本で読んでマネして梅干しで酒飲んだ。(゚д゚)激ウマー
濁り酒が本当なんだろうけど、清酒の方が合うな。
将軍様が食す、平目の縁側を必死でほじる
旗本の小説があった。
将軍なんてのは
材料の一割を使って料理、料理の一割を食べる、ってくらいじゃない?
そんでもって残りは皆のもの。御下がり(゚д゚)ウマー
56無名武将@お腹せっぷく:02/10/27 10:13
7,8年前のCMで(鹿賀丈史が出る奴)

「信長の好物は・・・ だった」
「家康の好物は・・・ だった」
とかいうのがあったよな。内容やなんのCMか忘れたけど
57無名武将@お腹せっぷく :02/10/27 11:50
みんな平日半額のバーガーだよ
信長はジャンクフード食いそうだな
59北條ツナマヨ:02/10/27 12:20
「信長の好物はかるびマックだった」
「家康の好物はフィレオフィッシュだった」

マックのCMになりそうだなw
60無名武将@お腹せっぷく:02/10/27 13:01
信長・・・吉野家派
秀吉・・・松や派
家康・・・ランプ亭
義重・・・吉野家朝亭納豆
絶対人肉
朝倉義景の主食は越前クラゲ
>>60
信長は桶狭間合戦の前に牛丼をかきこんで出立したらしいな。











おまいら、スレの主旨が違ってきとりますよ。
64無名武将@お腹せっぷく:02/10/27 15:01
吉野家最高
まあ吉野家の由来は南北朝時代の吉野山での戦陣食だからなあ
66無名武将@お腹せっぷく:02/10/28 16:08
へえー。マック食って感動する武将達・・・
 麦飯に焼き味噌。
68無名武将@お腹せっぷく:02/10/28 17:53
ヨレ気味ながら名スレなんでage
本朝食鑑に食材はでてたんで一読してみては但し江戸時代の食療法の本だが 獣畜の巻にはオットセイとか載ってて楽しいYO
69無名武将@お腹せっぷく:02/10/28 18:14
大河ドラマの秀吉で、家康が戦時中の城内でてんぷら揚げて食ってたな。
70無名武将@お腹せっぷく:02/10/28 18:16
あれ、当時って食用の牛なんていたのか?
全て農耕牛だと思うんだが。徴発?
>>53
漏れも昨日それしてみた。(゚д゚)マジデウマー
清酒と梅干が合うなんて知らんかったよ。
72無名武将@お腹せっぷく:02/10/28 18:19
>>70
篭城して食べるものがなくなって食べたとか
73無名武将@お腹せっぷく:02/10/28 20:22
>>72
そんなところでは
犬でも食ったし
74無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 01:37
>73
犬は薩摩では日常食だろ。

籠城時の食料として蔵の壁に
スルメを塗り込んでおくって小説があったね。
なにかしら実例があるのかな?
75無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 02:55
>>56
サントリー白角のCMだな。家康の好物は鯛の味噌焼きとかでなかったか?

>>71
(゚д゚)ウマーだろ、米なのだからご飯にあうものなら大概いけると思うぞ。
76無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 03:05
>74
何で読んだか忘れたが、三成の逸話だったかと。

あと、鶴は凄ぇ旨いらしいよ。将軍家だか天皇家だかにも献上されてる。
形はアレな感じだが、喰ってるモンは鴨とそう変わらんので確かに旨いかも。
77無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 05:24
たしか、サントリーのCMでは
上杉謙信が里芋の煮っ転がし
織田信長がアワビの煮物だったと
思ふ。
78無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 08:36
>>74
三木城の話ね。

司馬遼の「雑賀の舟鉄砲」という短編にある。

雑賀の若衆が顕如(の坊官)の指令で三木城篭城支援に
いったときの話だったな。
79無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 11:34
ふな寿司・・・・食べたい・・・・
あれうんこの臭いするぞ
81無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 14:21
>(゚д゚)ウマーだろ、米なのだからご飯にあうものなら大概いけると思うぞ。
そうでもないなぁ。
カレーとか、砂糖キナコ、マヨネーズはごはんにあうけど、
日本酒には激しくあわんぞ。
82無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 14:25
吉野屋の肉が牛丼チェーンのなかで一番まずいぞ。
あれが良いと思ってるお前らはすでに…
いやこれ以上はかわいそうで言えない。
83無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 14:25
>>35
昔NHKの「クイズ面白ゼミナール」(古!)で問題になってたなぁ→鮭を皆で分けた話。
学校に持ってく弁当に毎日鮭が入ってて母に文句言ってたんだけどこれ見てから文句いう
のやめた。
>>81
お前は砂糖きなこで飯を食うのかと小一時間…

あくまであの時代にあるもの限定な。
81では無いが、幼少の頃、
ふるさとでは砂糖きな粉は子供に大人気のふりかけみたいなものでした。
菓子類に きな粉もち があると思うが、味はあんなもの。
おいしかったよ。
86  :02/10/29 16:50
「ボイルした人参+マヨネーズはあらゆる酒に合う」と豪語し、日々実行してるヤシが知り合いにいるぞ・・・
87無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 18:54
>>84
  _, ._
( ゚ Д゚)
♪ごっはん ごっはんっ 炊っきたって ごっはん♪
♪きっなこ きっなこっ ごっはんっに きっなこ♪

この歌を知らんのか……

もっともこれをしたら切腹が待っているんだが。
88無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 19:11
>>87
じゃあお前も切腹か?
89無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 20:22
>80
食べた事あるんですか?
味はどうなのかな?
ここは食べ物について語り合うスレになりました
91無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 23:56
>>89
旨いけど美味くはない。
92無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 00:07
>>87
きなこ餅とどう違うんだ?
93無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 00:08
ふぐのてんぶら
94無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 02:28
元親は、秀吉に鯨を献上したと聞いたが
秀吉は食ったのかな?
そもそも、輸送中に腐りそうだが・・・
95無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 02:53
小学生のころに先生に聞いた話なんだけど、
「ある殿様が城内で使われる茶碗は薄くて熱いから嫌いだったそうな。
その殿様が狩りで田舎にでかけた時、農家で食事をとった。
そこの茶碗は厚く熱が伝わりにくいのでいたくよろこばれた。」
って話なんだけど、これってどの殿様なのかな?
信長は田舎味の料理が好きって聞いたけど、これも信長なんかな
96無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 18:54
>92は粳稲と糯稲の味の違いが解らないダンディーです(藁
9781:02/10/30 19:07
たくわんも比較的日本酒には合いにくい気もする。
カツオブシまぶして、ごま油でいれば合うけど。
あと、ぬか漬けにしてもビールには合うけど、あう日本酒は結構限られる気がする。
あと生クリームと蜂蜜もご飯にはあうけど、日本酒には合わない気がする。
カップめんの汁モナー。

>>84
ご飯にキナコをかけずに、なんにキナコを使うのですか?
98無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 19:09
>>97
日本酒
9981:02/10/30 19:10
・・・あ、他にもあるか。
キナコを蜂蜜で練ってトーストに塗る。ゲキウマ。
いりたてのゴマを加えても最高。
そのまま食ってもたんぱく質たっぷりで健康にいい。
あと、煎り豆を食いたいときに代用する事もある。
ただし粉なので迂闊に息を吸い込むと、しばらくゲホゲホが続く罠。
100無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 19:12
ボクの先祖は戦国時代に熊肉鹿肉食いまくってました
あとシャケも
ソースが「爆笑信長の野望2」で申し訳ないんですが、大名でも

・赤米の雑炊
・糠味噌汁
・野菜の煮物
・梅干

ぐらいだったらしい。
ご馳走に魚が加えられる。当時は醤油がなかったから、刺身はなくて
煮たり焼いたり蒸したりして食べたそうです。
102無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 19:18
生クリームと蜂蜜は嫌だ。
マヨネーズもご飯にかけるのは許せん。
10381:02/10/30 19:19
スレ違いのことを書いちゃったのでお詫びに
俺のご先祖様が食ってたものを書きます。
殿さまではなく、小さな豪族の部下って感じですが。
うろ覚えですが、普段は玄米や雑穀、きのこ、木の芽、野菜とか、
沼に大量にできるレンコンと、沼魚、ナマズを潰して練った団子状のもの、
を中心にして、あと、いろいろ。
酒は、米を精米して蒸したものに麹を大量に入れて溶けて来た所に、
古い酒を混ぜて作ったようなどぶろくをたまに飲んでいたようです。
どぶろくは濁り酒ですが、今のような甘いものではなく、
酸味の強いものだったようです。
古い酒を混ぜる前の液状のものは、甘酒として、甘味を求めて飲まれていたようですね。
篭城時や戦の時は、腹にもたれないように白米と焼き味噌(か漬物か梅干)
あるいは焼き米(買った米を籾ごと燃やして、表面の灰を落としたもの)とかみたいです。
実家に帰ったら、資料館とかいって、もうちょっと調べておきます。
10481:02/10/30 19:23
米があまり取れない土地柄だったようなので、
雑穀やその他の食材(野菜や魚、ナマズなど)で、
不足するカロリーをできるだけ補っていたようですね。
結果として、いくさの時以外は、主食よりもおかずの多い(とはいってもごった煮とかで、
主食に具沢山の汁とか、雑炊とか)食卓だったようです。
10581:02/10/30 19:25
で、結論としては、
・日本酒にあうものは、だいたいご飯にもあう(例外・・・チーズ)。
・しかしご飯にあうものが、日本酒に合うとは限らない。
・ご飯に生クリームとか、キナコ砂糖とか、甘いものをかけない人が意外と多い。
って形になるんでしょうか?
10681:02/10/30 19:26
ちなみにアツアツのご飯に、ひやひやのミルクアイスを、がーっと混ぜて、
冷え冷えアイスと、ぬるくなったご飯とアイスってのもうまいですよ。
余談ですが。
ご飯にきな粉は士道不覚悟
10881:02/10/30 20:10
>>107
何で?
109無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 20:14
>>81は糖尿予備軍
チーズとご飯って、あうんじゃないかな?
ラザニアとか。
好みの問題かもしれないけど。
11181:02/10/30 20:33
あ、大事な事忘れてた。
ご先祖様は「血」を食べていた。
具体的には殺した猪や蝮からすぐに血を抜いて、
それをしばらく放置して、固まってから茹でて食べていたそうだ。
日本では珍しい食生活ではないだろうか。
これも乏しい穀物のおかげなのかな。

>>109
血糖値も正常です。
というか、市販のお菓子とか食べてないし、コーヒーも紅茶もブラックだし。

>>110
その通りですが、チーズをおかずにしてご飯を食べることはあまり無いかと・・。
ただ、牛乳を鍋に張って、表面にできる膜をポン酢につけて食べると美味しいと思います。
112無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 20:35
お菓子や砂糖をひかえれば、糖尿にならないとでも言うのかね?
>>110
何事もなかったように流れそうなので揚げ足とりたくて仕方なくなったんですが
ラザニアに米は使わないだろ、フツー。
たとえるならリゾットですな。

ガキの頃給食に出てきたなまあったかい牛乳にできる膜が痙攣するほどきもちわる
くて牛乳はよく冷えたの限定。
血を食うのは沖縄では活発みたいだけど、
そもそも大陸文化だったのかな?
モンゴルとかも食ってるみたいだし。
>>113
あら、グラタンみたいなのの底に
米が詰まってるのはラザニアじゃなかったか。。
つうか米みたいな淡白なのは料理次第で何でも合いそうだな。。
ヨーロッパ人が生野菜に米を撒いてドレッシングかけて食ってるみたいに。

しかし牛乳を暖めて出してくれるなんて、良い学校じゃないかw
116無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 21:11
そら、ドリアですな
117おっさん:02/10/30 21:12
ねずみ・チーズ・人(−Λー)
118無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 22:16
血は鉄分を補うのに良い
119無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 23:05
>101
わさびが普及する前、平安貴族は
大根下ろしで刺身食っていたはず。
戦国時代の大名も刺身食っていたんじゃない?

>103
手も込んでいるし豪華だね。

池波正太郎によると、味醂が生まれたのは
安土桃山時代らしいが本当かな?
12081:02/10/30 23:05
沖縄じゃないしなぁ・・・。
むぅ、意外と血を食う文化は合ったと言う事か。
今はドイツと沖縄と中国くらいしか残って無さそうだが。
ちなみに私も血を食ったことは無い。

あと、血糖値も低いし標準体重で、内臓脂肪もないぞう。

12181(103):02/10/30 23:11
>>119
手が込んでるっていうか、穀物だけでカロリーが取れないので苦肉の策だと思います。
実際米は他の地方に比べて相場も高かったようで・・・。
城主は米を中心に食べてたようですね。
12281:02/10/30 23:20
>>119
味醂と酢と酒は製造過程がかなり似てるので、そうでしょうね。
あと、米味噌と米醤油も・・・
かなり乱暴な位置付けではありますが、
・米に麹を入れて糖化させて甘酒を造る。
そして甘酒を乳酸菌ですっぱくしたら「酢」になって、
酒を造る酵母を中心に仕込んだら「酒」になって、
酒にする変化を少なめにして、甘くしたら「味醂」になるんじゃないでしょうか?
あんまり歴史をよく知らないので、勝手な分類ですが。
123無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 23:21
牛肉を食っててたかどうかって話だけど、カルビの起源は秀吉が朝鮮出兵の時
済州島に(おそらく食用としての)牛を大量に運んだものの、撤退の際にその
まま放置されたのを朝鮮人が食ったのが始まりって聞いた事がある。
だから当時から牛肉を食う習慣があったんだと思ってた。
>>105 >>111
そんなことはない。チーズとごはんは皆が思っているよりも相性がよい。
俺の姉がバイトしていたおにぎり屋では「チーズおにぎり」ってのがあって
これが結構うまかった。
>121
苦肉の策が大切です。
俺の親の実家が山の迫った港町で、
素材そのままで食っても旨いから
料理が発展しなかった・・・
つまり、あんまり家の料理は旨くなかった(笑

そーいえば、秀吉は虎の塩漬け食ってたね。
すんません、このスレみてて疑問に思ったんですが、
江戸時代以前は、獣の肉は食わないんじゃないかと勝手に思い込んでいたんですが、
そんなことはないんでしょうか?
仏教文化で食わなかったと勝手に思ってたんですが、籠城戦とかで食うもんなくなっ
て、馬や牛食って、「これいがいといけるじゃん」とおもったりもしたのかなあ、
なんておもいますた。
12781:02/10/31 00:31
>>126
そんなことは無いです。
今ほど食べてないにしても、江戸時代に急激に肉食が禁じられたようです。
篭城もあるけど、穀物のあまり取れず、植物だけでカロリーのとりにくいところでは、
結構獣の肉を食べてたんじゃないでしょうか?
あと、江戸時代でも鳥と魚は蛋白源として食べられていたようですし、
またぎなんかは猪も食べてたのではないでしょうか?
江戸時代でも、僧侶が兎を「一羽二羽」と鳥のように数えて食べたりしてたようですし。
>127
肉食禁じたのは、江戸だけじゃ無かったっけ?
古代は獣肉も普通に食っていたが、仏教の「殺生禁断」と神道の「けがれ」の思想
などにより禁止されたり敬遠されるようになった。
戦国時代になるとキリスト教伝来とともに一部盛んに食われるようになったが、
鎖国とともに再び禁止されたり敬遠されるようになった。
というのが大まかな歴史らしい。

最近の新聞か何かに明治初期の庶民の青年の感想として
「牛を食うなど冗談じゃねぇ。田畑を耕したりと
 ずっと一緒に暮らしてきたのに、 食えるわけねーだろ(T.T)」
というのがあった。
130無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 01:40
>>129
江戸時代の農民にとっては、牛を食うのは、
現代の我々が「飼っていた猫を食う」とか「大事な部下を食う」ってのと、
似たようなものだったのかも。
131無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 01:59
つまり、愛でつね。
その代わり、江戸など都会では
「うし肉?なにこれ最先端?旨いじゃん!文明ってやつはうまいねぇ!」
133無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 02:30
時代や地域によってだいぶ違うよ
肉食禁忌は、けっこう古くからあったみたいで
奈良時代には何度も禁止令がでた。これは仏教の殺生戒(いきものへの慈悲の心)から。

日本はなんだかんだいっても肉は昔から食ってて、江戸時代でも
「鯨は魚の一種・猪は山の鯨・兎は鵜と鷺でトリ肉」とか理屈つけて食ってたし
タヌキ汁なんかも食ってた。彦根の牛の味噌漬は有名だしな。
でも推奨されたわけではなくて昔から
仏教とは無関係な「肉食はケガレ」とする感覚(神道の思想?)もあったようだ。

ただし西日本では肉食一般がケガレとして後ろめたいものだったのに対して
東日本では牛馬犬猫以外ならばとくに食っても後ろめたいものではなかった。

牛馬は食物ではなく家族の一員という感覚だったので、それを食うのは人間を食う感覚に近かった。
(犬猫は個体によって家族だったり補食可能な生物だったりしたらしい)
逆にいえばそれ以外の肉は食い放題。
あんまりおおっぴらには言われないが南九州では未開の人食い人種の文化と同様に
武勇すぐれた敵兵の生き肝を食うということが行われていた。
つまり食って良いか悪いかかは、物理的生物学的に何の肉かによるのではなく
社会的な関係性によってきまったのである。
(でも現代人だって、大虐殺とかテロとか地球の裏側の悲惨な事件には他人ごとだけど
自分が溺愛してるペットが死んだらこの世が終わったように取り乱すのと同じようなもの)
134 :02/10/31 02:51
よく考えると、白いパンに牛肉を使ったハンバーガーは、中世ヨーロッパでも贅沢な料理なのかもしれん。

白い飯と牛肉の牛丼もしかり。
中世ヨーロッパにハンバーガーは無いだろが
サンドイッチは18世紀らしい
つうかサンドイッチとハンバーガーの違いってなんだろ
雀牌に出来るか出来ないかの違い。
>>137
サンドイッチてのは
サンドイッチ伯爵がトランプを遊びながら軽食がとれるようにと、トーストに具を挟んだもの
これは結構有名なエピソードやね

でハンバーガーってのはアメリカで行われた博覧会が発祥
その博覧会に出展してたレストランのコックが
パンとハンバーグという同じメニューを延々と焼き続ける事にブチ切れて
半ばヤケクソでひとまとめにした物を売ったらコレが大当たり
てのが始まり
140無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 03:54
白いご飯にイカの塩辛、まんせー。
塩分濃度約20%で、ビンのラベルシールに、そのまま食うなとか警告文が書いてあるけど、さいこー。
理解者求む(涙
141140:02/10/31 03:58
つぅか、日本の食事っつたら、基本は塩分過多であろう。
それがまたいいんだから。
142無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 03:59
>>140
よくわかるよ。東北人?
東北人はしょっぱいもの大好きだよな
脳溢血で死んでもいいってみんな言ってるし
143140:02/10/31 04:02

  脳 溢 血 死 し て も 我 人 生 悔 い な し

  死 ぬ と き ゃ 桜 が 散 る 如 く!
九州でも普通にイカの塩辛あるよ。
でも新鮮さ優先で、塩分濃度控えめが多いかも。
最近は明太子なども新鮮でマイルドってのが多いし。
全然保存食になってないw
戦前「徴兵逃れ」のウラワザで、醤油の一気飲みってのがあった。
醤油の一升瓶ぜんぶ飲むと健康診断で腎臓がひっかかり
徴兵の“丙種合格”(つまり失格)になる、っていうんで全国的に流行った。
ところがそのウワサが東北まできたところで真似した奴らが
ぜんぜんひっかからなかった。
みんな「醤油を飲む?いつものことだが?何かのおまじないか」と思っていた。
ちなみに漏れも漏れの知ってる東北人も寿司屋で醤油をかけすぎたあげく
小皿の醤油を飲んだりするので生っ粋の江戸っ子には顰蹙かう(w
関西人には人間扱いされない(www
146140:02/10/31 04:21
方言を隠すことはできても、隠し切れないのが食卓の濃いくち醤油・・・。
鮭など北の海産物は保存のための塩がきつすぎて不味かったが
新巻鮭は塩の量を抑えることに成功して大ヒット!!
みたいな事を司馬遼が書いていたが、
塩がきつすぎたのは生産地域の嗜好だったりしてw

暑いところは辛いものを、
寒いところは塩辛いものが好きになるのかいな
148無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 04:47
塩やめて唐辛子にすれば体にいいものを・・・
ちなみにハンバーグは遊牧民族発祥です。
>>148
尻が痛くなっちゃうよ。
151無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 14:18
しょっぱい料理といえば東北以外ではブラジルかなぁ。
とはいえ、東北のように「わずかなおかずで大量のご飯を食べる」ではないので、
東北ほどしょっぱくないけど。
152無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 14:21
>>148
唐辛子だって、なれてない人が大量摂取したら体に毒だよ(慣れてる人でもあれだけど)
辛さで味蕾が破壊されて、味覚障害がひき起こるし、過度の刺激がガンを引き起こす事もある。
また、逆に塩分を急激に減らしたり、増やしたりしても良くないらしい。
体がその摂取量で慣れてるから、汗や尿で多めに塩分を排出したりするのだが、
塩分をいきなり減らして汗をかくと、急激に体内の塩分が必要量を下回って、
最悪死ぬこともあるそうだ。
153無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 14:21
どうでもいいけど、江戸時代の殿様の食事の話は・・?
154無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 14:27
十万石まんじゅう
一心太助から買った鯛を家光が三尾もお代わりしてた。
将軍のくせに裏側までしっかり喰ってたよ。
156無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 17:16
>>154
風が語りかけます。
>>154
>>156
ワラタ
158無名武将@お腹せっぷく:02/11/01 00:58
>>149
元々蒙古軍の野戦食でモンゴル人は生で食ってたそうだ、それをヨーロッパ
の人はタルタル(=タタール=蒙古)ステーキと呼び、さらにハンブルグ(=
ハンバーグ)で大ブレイクしたらしい。

>>158
さらに付け加えると、ヨーロッパ人も最初は生で食ってた
でもある時、焼いた方が(゚Д゚)ウマーだということでステーキになった
その後、アメリカへ渡って>>139の通り

あと、一時期は挽肉料理は万病に効く薬だと信じられていて
ハンバーグ流行のきっかけになったらしい

なんか世界史スレみたいなのでsage
160無名武将@お腹せっぷく:02/11/01 14:54
ほうとうムスコ
16181:02/11/01 23:10
さらに「ごはんに合うけど、日本酒に会わないもの」を追求してみました。
今回は混ぜご飯系です。
・バターショウユご飯ならぬ日本酒。
とかしたバターとメンツユを日本酒に投入・・・・意外と美味しいけど、
日本酒だけで飲んだほうがいいかも。

・味噌汁ご飯→日本酒
日本酒ではなく焼酎に混ぜると・・・それなりかも?

・卵かけご飯→日本酒
卵酒はうまいけど・・・生卵と醤油を混ぜたものと日本酒は・・・あわないことも無いけど。

・納豆かけご飯→日本酒
納豆発明した奴殺す、酒発明した奴殺す!!と絶叫したくなる味でした・・・。

>>161
おもろい。
でも板違いだと思われ。
おまいのチャレンジスピリッツを必要としている板は他にあると思うよ(w
163無名武将@お腹せっぷく:02/11/02 02:11
>>162
つづきはジャンクフード板がいいと思われ

>>152
韓国人は唐辛子減らして塩増やせ
東北人は塩減らして唐辛子増やせ
16481:02/11/02 09:30
逆バージョンで、日本酒にあうけどご飯に合わないもの。
・スポーツドリンク入り日本酒・・・・意外なほど合います。一本一万円のような高い酒でなければ試して見ましょう。
スポーツドリンクかけご飯・・・・そのまんま、スポーツドリンクをご飯にかけた味です。
舌を切り落としたり、自殺したくなるほどまずくは無いですが、とりあえず別々に飲むのがお勧め。

ちなみに前出の納豆入り日本酒ですが、素直に納豆をつまみにすればゲロまずではありません。
しかし、混ぜてゴクゴク飲むと死ねます。
熱燗はお勧めではありません。匂いがきつすぎて飲む以前の問題になるからです。
お勧めはミキサーでミックス状態にしたものの、ヌル燗です。
熱燗のように部屋全体に匂いが充満して近寄る事すらできない毒ガス状態ではないので、
無理をすれば飲むことが可能だからです。
一口飲めば「いま、俺にタイムマシンがあれば、俺は納豆発明者の親暗殺のため生涯をささげる」
と誓いを立てること請け合いです。
ちなみにまずすぎるからといって、辛子入りシューマイや青汁みたいに×ゲームに使用するのはお勧めしません。
強烈過ぎて本気の殺し合い、戦国時代顔負けの血みどろ状態になるからです。
で、どういうときに使うといいかというと、酒と納豆をやめたい場合にお勧めかと思われます。
酒と納豆の匂いを受け付けなくなりますから。

・・・・・・で、だれか資料を調べて殿様の食事の話に戻してくださいね(ジャンクフードいた探したけど無いです)。
実家に戻れたら、当方のご先祖様のも調べてきますので。
一生懸命調べてる姿に感服だよ。
でもそんな無理して納豆酒作らなくてもw
>>154
>>156
さいたま!さいたま!さいたま!さいたま!さいたま!
>>164
http://food.2ch.net/jfoods/

混ぜるならウォッカとスポーツドリンクがオススメ
168無名武将@お腹せっぷく:02/11/04 18:23
>>145
戦後、中国から引き揚げる兵士が帰国の時、入船の順番が病人優先なんで大量の醤油を
飲んだって話を聞いたことがある。熱が出るんだってよ。
ポカリ酒は危険だぞ
アルコールが吸収されやすくなってすぐに潰れる
殿様じゃなくて雑兵なんだけど
「みみずの塩辛」「蛇の蒲焼き」「カエルの膾」なども食したそうだ。
参考になるかわからんが、今読んでる「元禄御畳奉行の日記(鸚鵡籠中記)」に出てくる
尾張藩の下級武士の結婚式献立はこんな感じ

引渡しさんぼう盃。
雑煮(こんぶ、たつくり、餅 ふだん草、花かつほ、大こん)、盃、吸物ひれ、
あつめ汁(塩たい、大こん、ごぼう)、
鱠(なよし、いか、たつくり、ささがき大こん、たで、ほうふ)、
めうがの紅、香之物、二汁(こち、氷こんにゃく)、煮物(くづし、山のいも、ごぼう、竹の子、ふき)、
あへ物(大根、葉)、焼物(かまぼこ、干きす)、取肴(するめ)

冷酒、取肴(のし、数の子、するめ)、かん酒、吸物(鯛)、肴、
あつもの(しきふ、かまぼこ)、取肴(小梅)、からすみ

指身(すすき、たです、いり酒、九年母、わさび、すいせんのくり)、汁(塩鴨)、
香の物いろいろ、筍干(竹の子、梅干、くしこ、焼あゆ)、焼物(かまぼこ、嶋えび)
吸物(鰌、生椎茸)、麩、煮〆、塩辛、がうな、【魚乍】、吸物(すすきのわた)、
水物(くり、なすひしみ)、大こん花、取肴(からすみ、小梅、かずのこ)

172無名武将@お腹せっぷく:02/11/07 00:30
品沢山で豪華だなぁ
毒見の話が出てないようですが、少なくとも江戸期以降の殿様は冷めたものしか
食えず、皆猫舌みたいな話を聞いた事がありますが、実際どうなのでしょう?
>>173
よくわからないけど、その話が人口に膾炙しているから目黒の秋刀魚の話が出てきたんじゃないのかな?
175無名武将@お腹せっぷく:02/11/07 21:09
信長って酒飲めないんだっけ?
176無名武将@お腹せっぷく:02/11/07 23:20
そうなの?
されこうべで杯作る程度には好き
あれって1回だけで捨てたのだろうか
178無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 18:20
>>177
とりあえず一回使って、あとは適当に晩酌に使ったかどうか程度では?
しかし、しゃれこうべに金箔と漆を塗って作った杯ってのこってないのかな。
179無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 18:32
肉食禁忌とかケガレのレスがあったが、折れはこないだ関ヶ原近所のとある
食肉加工工場がある町で、歴史は脈々と続いているんだなということを
肌身に感じた。鬱だ氏脳・・・
180無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 22:09
なんか九州島津の殿様は江戸時代も延々豚肉を食っていて、
さらに江戸の藩邸でまで豚を飼って食っていたらしい。
なんか、ニュース速報+にスレッドがあったよ。
味付けはよく知らないけど。
181無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 22:15
トンカツかな?ウマー
しょうが焼きも、(゚д゚)ウマー
味噌はあったんだから、みそ焼きだろう(・д・)ウマー

ソースは忘れたが、毛利元就はサバのみそ焼きが好物だったそうだ。
184無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 02:54
城下ガレイって、何処の城の下なのかな?
その城の殿様も食べたんだろうなぁ。
豊後・日出だから木下家か。

ttp://www.oita-bussan.or.jp/special/specia04.html
186無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 07:42
>>183
若いときは瀬戸内まで勢力が及んでなかったろう(吉田郡山は山間部)
から中年以降だろうな。
やっぱり有名なのは目黒の秋刀魚か?
188無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 17:24
>185
サンクス。
ちと調べた。
城下(しろした)かれい・・・
将軍家への献上品にもされていたようで
武士以外は食っちゃいかん!という品だったとか。
献上品っても、江戸までどう運ぶんだ?
カレイの干物なんて聞いたこと無いけれど、
生じゃ腐っちゃうよね。
189無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 17:39
徳川12代将軍・家慶が好きだったのは芽ショウガ。
ある日、家慶が鯛の塩焼きを食べた時、芽ショウガがないんで近くの者に問いただすと
老中の水野忠邦が緊縮財政の為に芽ショウガの促成栽培を禁止したためと分かり、
忠邦を激怒したというエピソードがある。
>>188
カレイの一夜干し、スーパーでよく売ってるぞ。安けりゃ\100で。
江戸まで運ぶのなら干物しかないよな…
>>190
江戸前で調達して、パッケージ偽装
192無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 19:08
>190
それはしらんかった。
今度食べてみるよ。
193無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 19:28
>>188
江戸時代に関してならば、下町とか長屋にも、とれたてぴちぴちの魚を桶に入れて、
わしわし売り歩いていたらしいぞ。
夏場でもガンガン生魚を売り歩いていたらしい(さすがに取れてすぐの魚を売り歩いて、
夕方までにはさばかないと、次の日に持ち越せなかったらしいが)。
当時は江戸前で取れる(今の東京湾)魚だけで、江戸の民衆に行き渡るだけの魚があったようだ。
氷が無いからもちは悪かったと思うし、生で食べる事もあんまりなかったらしいが、
(食べるにしても、酢でしめたり、なれ寿司にしたり、せいぜいイキの凄くいいカツオをタタキにするくらい)
結構イキのいいうまい魚には困ってなかったと思うよ。
>193
城下カレイって、大分だよ?
今日の晩飯はなんだろうか
197無名武将@お腹せっぷく:02/11/14 20:42
殿様じゃないけど「だし」について。
日本のダシは海鮮素材と決まっているが、山中ってダシとってなかったのかなぁ?
縄文時代はシカの肉と一緒に茹でたりしたそうだが。
198無名武将@お腹せっぷく:02/11/14 20:59
>197
キノコなら良い出汁出そうだが?
199無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 02:17
>197
出汁は椎茸でもとるぞ。
単なる知識不足。
>>197が頭に描いてると思われる、煮干し・コンブ・鰹節だって、
山中に持っていくのに何の不都合も無いと思うが。
そうは腐らないだろ?
201無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 02:49
淡水魚でも出汁は取れるし、

しかし、出汁をとるという作業を意識してやりだしたのはいつごろからだろう?
>201
鰹節が出汁として使われるようになったのは室町期らしいよ。
それ以前にも煮汁が調味料として使われていたとか。
203無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 03:03
カツオなど保存食として燻製にして乾燥にしたけど、硬くて食えないから
湯でやわらかく煮戻してたら汁もウマーと気がついた、

って感じで始まったのかな。
204無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 03:39
どうでもいいけど、現代までは「赤見魚=下等」「白身魚=上等」
で100%分けられてたっぽいな。
初カツオがいくら高級といっても、鯛とは違って庶民でも手を出せたわけだし、
殿様の食卓といえば「鯛」なわけだし。
でも油の少ない白身魚だから目黒のサンマの落語も生まれたわけだし・・・。
信長は庶民的な味付けを好んだらしいが、身分が高くなると味が淡白なのが好みになるのかな?
205無名武将@お腹せっぷく :02/11/15 03:42
山椒等の野草系香辛料、柑橘類、奉書焼(ホウバ焼き?)とかの風味付けって結構昔からだよね?
206城下カレイは・・・:02/11/15 04:06
>>188
城下カレイはその名の通り、海に面した城の直ぐそばで取れるからその名がついた。
大分では高級魚らしい。
207無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 12:52
>204
戦国期はともかく、江戸期には食べていい魚に制限があったんだ。
士分には食っていい魚と食ってはならない魚があった。
江戸幕府は小姑みたいにやかましいな。
三代将軍家光が病気がちだったため
飯をしっかり食わせるために春日局が通常の白飯の他に
乾飯、湯取飯、菜飯、粟飯、麦飯、赤小豆飯、ひき割飯
の7種類を毎日用意させ、気に入った物を食べさせたという。
これが慣習となって家綱にも引き継がれたが余りにも無駄なので
3種類に改めて以後の慣習としたそうな。

他人にゃ厳しく自分に優しい幕府の好例か。
幕府がこの魚を食うのは士のみとかお触れを出したの?

まぁ、今でも良い魚はお金になるから
出荷してしまうので、高級魚は地元でも
あんまり食えないんだけれどね。
211無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 18:06
今でこそ和食は世界中の料理と比べても美食に入るが
江戸時代末期まではとても不味いものだったらしい。
ほとんど調味料を使わない味気ない料理だったそうだ。
212無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 18:14
三戦板とは思えない良スレにビクーリ!!
213無名武将@お腹せっぷく :02/11/15 20:48
五代目将軍徳川綱吉の好物は
ペディグリーチャムだったそうだ
>>213
さすが公方様、いいもの食ってるな。俺の先祖は貧乏だったから
たぶんビタワンくらいしか食えなかったと思う。
215無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 21:04
昔はマグロは下魚で・・・さらに大トロの部分なんてだれも買わないから、
庶民が捨て値で買ってきて、ネギと一緒にねぎま鍋にして精力をつけたという・・・。
今となっては大トロは生で食う専門で、ネギマ鍋なんてとてもとても・・・だな。
しかし、魚の砂ずり(マグロならオオトロの部分)って魚によって、値段が極端だな。
捨て値なら本当に市場に出回らないほど捨て値(というか捨てられる)し、
高いものはマグロのオオトロを筆頭に本当に高いし。
216無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 21:05
>>214
将軍様は赤身肉の混じったそんな下賎なもの食べません!!
白身肉100%でキロ50円のカリカリを水と一緒に食べます。
217無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 21:09
急にレベルが下がってないか?
218無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 21:10
>>211
和食と言っても、フランス料理が高級料理だけではなく地方それぞれの特色ある郷土料理があるように、
日本料理にも色々ありますよ。
味が薄いのは公家とがか主に食べる和食とか、山間部の百姓の郷土料理だと思われ。
例えそれでなくても油分が少ない料理が多いらしいですが、
東北の漁師は魚の肝臓をどかどか入れて、肝臓から出た油が鍋の表面2センチにもなる、
脂っこい魚の鍋料理を愛飲して、冬でもホカホカだったそうです。
219無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 21:11
和食って何で身分が高くなると味が淡白になり、低くなるほど濃い味つけを好むんだろう。
欧米とかは逆だし。
>215
大トロは輸送技術の問題で、
腸に塩を詰めて持ってくるから、
塩辛くなってしまい生では食えなかった。
221無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 21:13
いそいでカルカン
殿まっしぐら
222無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 21:13
>219
汗を流す仕事をすると塩分が欲しくなるからじゃないか?
223無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 21:57
殿様の食う刺身は、生臭さを取るために一切れ一切れ水で洗う。
224無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 22:06
>>222
いや、しょっぱさと味の濃厚さはまた別の話ですよ。
しょっぱいけど淡白な味ってのは多いし。
225無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 01:43
>224
素材の値段や、調理の手間なんかが
起因すると思うんだけれど、
具体的にはどんな料理を想定しての事ですか?
欧州では身分の差で、乳製品の使用量が変わるんじゃないかな?

島津藩は結構肉食していたみたいだ。
豚、イノシシ、鹿なんかを食っていたみたい。
226無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 01:44
プリン
227無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 01:46
>>223
しかしそんなことをすると、せっかくのっているアブラが落ちて不味くなるという罠
殿様じゃないが、昭和天皇が納豆食いたい!と言ったときに
糸引くとよろしくないと言うことで、洗って粘りをとり出したそうだ。
あまりの不味さに残したらしい。

あの人は、アメフラシも煮て食ってみたんだよね。
>>228
>あの人は、アメフラシも煮て食ってみたんだよね。

食いたいと言ったら侍医に止められてので、食えることの証明(毒見)のために
侍女にこっそり食べさせたらしい。
230無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 02:51
>>223
鯉とかの洗いはそれからきてるのか・・・とか考えてみるテスツ

徳川吉宗は、鷹狩で討ち取った鶴の生き血をすするのが好きだったとか・・・
231無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 09:28
>>228
たしか天皇家の食卓には(語弊があるが)腐ったものは
だしてはいけないんだっけ?
納豆とか、ヨーグルトとか、チーズとか
232無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 09:28
腐ったものというより、腐らせて作るものだな
233無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 10:12
だとすると厳密には味噌も醤油も駄目だな
234無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 10:18
>>1
キムチ。
>231
納豆は糸引くから不作法と聞いたけれど・・・
宮中晩餐会では、フランス料理が出るから
チーズを使わないことはないと思う。

宮中晩餐会でこそ泥しちゃったのは
阿波の太守でしたっけ?
236無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 22:26
>>231
酒も全部駄目になりますがなw
つか、酒も味噌も納豆も厳密には腐敗とは別物らしいです。

しかし、天皇はやっぱりイランね。
アメフラシ食わせたり、アホな納豆の食いかたしたり。
237無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 00:11
>236
天皇は日本の外交官だと思えばよい。
海外からの客も、宮中晩餐会に呼ばれたら
最上級のもてなしだと喜ぶだろうし。
>>211
それが今や調味料の固まり・・・
天皇は必要だな、俺が天下を取ったときに征夷大将軍に任命するやつが居ないと
こまるべさ。
240無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 02:28
松江7代目領主・松平不昧公が、
オランダ料理を取り入れアレンジしたのが
始まりといわれる『鯛めし』。
丸皿に鯛のそぼろ、玉子の黄身と白身のそぼろ、
おろし大根、海苔、わさび、ネギを飯の上に乗せ
特製のだし汁をそそいで食う。

よく、みそ汁飯にかけて食べると
母親に怒られたもんだが
ぶっかけ飯は大名の常食なのか?
241無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 03:15
BUKKAKE(・∀・)イイ
242無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 10:38
>>235
蜂須賀の子孫が金の盃を記念に持ち帰ろうとして明治天皇に
「やっぱ血筋だな」と言われたらしい。
蜂須賀小六の子孫、ってことで皮肉ったのだろう。
243242:02/11/18 10:47
ttp://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/1234/td/td102ha.html

金杯ではなくて煙草らしい。
なんかの小説で金杯だというのを読んだ気がしたんだけど・・・。
244無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 11:02
スレ違いかもしれんけど戦国時代って
一日2食or3食?
桶狭間の今川軍の小休止(=昼弁当)が当時では"考えられなかった"って
『国盗り物語』にあったけど
245無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 11:41
アラブとか王政だから天皇がよく訪問するじゃん
向こうでは天皇が王のようなものだと思ってるので
246無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 13:13
>244
室町辺りから三食になりつつあったからな。
米も蒸すから炊くに変わったし。
ただ、こういうのは京都から伝播してくものだからな。
247無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 15:38
>>244
2食のところと3食のところがあったようね。

同じく国盗り物語の終盤にあるよ。

光秀「わしの若い頃は昼飯など食わぬ」
248無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 18:09
見落とされてるかもしれないけど,白ご飯も今のご飯と
比べたら品種改良もすすんでないし,あんまりおいしくないはずだよ.
野菜も.
野菜は昔の方が甘みや栄養素の点で優秀だったと聞くが。
今の野菜はみんなモヤシみたいだってさ
250無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 18:24
>249
うん、スーパーなどで普通に売られている
野菜は味がなくうまくもなんともない。
昔、実家の庭で野菜作っていたが
もぎたてのトマトは、何も付けなくてもうまかったよ。
251無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 18:27
>>250
当時トマトなんかないぞ
そういえば野菜ってなに作ってたんだろね?
252無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 18:29
>>251
250はちょい昔の話をしたんであって戦国の話じゃないだろ、
おちけつ
253無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 18:30
>>251
当時の野菜なら大根と長ねぎ、にんじんくらいなのかな
254無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 18:46
>253
蓮根、山芋、牛蒡、京菜、じゅん菜、蕪。

長ネギは違うんじゃないかな?
わりと最近じゃないだろうか?
かぶやにらとかは?
256無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 18:48
うんこ
257無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 19:41
大根だって、みんなが思い描いてるような大根は存在しないよ。
一昔前の大根は今の大根とは根本的に違う。
たしが、ごく近代に「青首大根」が品種改良で作られて、
それが一気に広がって、逆に古い大根が消え去ったんじゃないかな。
昔の大根は異常なほど辛い(わさびの方が甘味がある分まだましってくらい)もので、
かつ、今のようにでかいものではなく、ごく小ぶりのものだったらしい。
多分葉っぱの方がはるかに多くて、根ももう少し「根っこ」ぽかったらしいです。
というか、今の大根が植物としてはアンバランスに根がクソでかいといえなくもないが。
あと食感もスジだらけだったり。
いま、昔ながらの大根を食べようと思ったら、山菜として砂地や砂丘に自生する
野生の大根の味が近いです。
258無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 19:47
>>237
首相で十分だよ。
259無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 20:06
>>254
あとは大豆小豆とかのまめかな。
260無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 20:06
うんこ
芋粥 芋粥 芋粥
262無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 20:14
>>261
あれは山芋でしょ 芥川竜之介の芋粥でもわかるように
263無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 20:29
だからうんこ
264無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 21:42
本当に今考える野菜のかなりの部分がなかったんだよな。

春菊を作り出しちまったのも頷けるな。
265無名武将@お腹せっぷく:02/11/19 02:02
>255
蕪=カブ

>257
当時の野菜事情は
京野菜がヒントにならないかな?
266無名武将@お腹せっぷく:02/11/19 08:14
>>258は金閣や姫路城より東京タワーのほうがいい
と言うタイプ
金閣はムネオハウスと同じぐらい駄目物件だろ
268無名武将@お腹せっぷく:02/11/19 08:55
「坂の上の雲」で白菜が日露戦争の時代まで日本になかったようなことが
書かれていて驚いたことがあります。
昔の人は白菜の漬物食えなかったんだなぁ。
269無名武将@お腹せっぷく:02/11/19 09:39
>>268
明治8年(1875年)に、当時の清から種を持ってきたが、
栽培に失敗。
成功したのは、10年後。
豆知識。。
270無名武将@お腹せっぷく:02/11/19 10:34
>>269
失敗の原因ってなんだろな、虫?
難しいのかな?
271無名武将@お腹せっぷく:02/11/19 10:50
272無名武将@お腹せっぷく:02/11/20 07:34
キノコのほとんどは昔からあった。
273無名武将@お腹せっぷく:02/11/20 09:48
昔の百姓って米ばっか作ってるイメージが有るけど
他に何を作ってたんだろか
>>273
子供
275無名武将@お腹せっぷく:02/11/20 12:11
>>273
借金
大麦、小麦、アワ、ヒエなんかでは?

あとあぜ道にソバとかさー
277無名武将@お腹せっぷく:02/11/20 19:38
当時砂糖なかったんだっけ?
278無名武将@お腹せっぷく:02/11/20 19:49
砂糖がわが国に入ってくる以前の甘味料としては「甘葛煎(あまかずらせん)」がありますが、
甘味が低いために充分な加工の役割は果たせず、穀物加工品は菓子としてなかなか発達
しませんでした。やがて754年、唐僧鑑真が日本入国の際、天皇に黒糖を献上したのが
初輸入とされています。しかし少量であったこと、製法が不明であったことから、薬品として
用いられ、菓子などに使用されることはありませんでした。調味料として一部菓子に利用
されたのは、鎌倉時代の点心の発達によってです。それでも砂糖は貴族や豪族など
上流階級のものでした。

わが国の製糖の元祖は、慶長年間に薩摩の直川智が中国に漂流して製糖の術を
習得したことですが、普及しませんでした。100年後の1727年に八代将軍吉宗が
琉球より庶苗を取り寄せ、黒糖を製したのが砂糖製造のはじめとされています。
以降、幾度も失敗を重ねながら1744年甘蔗(別名/サトウキビ)の栽培に成功しました。


一般的な甘味は蜜や果物などからとっていたみたいですね。
279無名武将@お腹せっぷく:02/11/20 20:25
江戸時代の将軍は炊いた飯じゃなくて蒸飯食ってたらしい。
なんでも蒸飯はバサバサしてあまり美味しくないらしい。
精進日には酒・肉禁止、そしてやたら精進日の数は多い。
気の毒…
>>273-275の流れにワロタ

前の話題を蒸し返して、しかも怪しい話で申し訳ないけど、
謙信の酒の肴はイカの塩辛だったとなんかの小説で読んだ気がする。
…うまそう。
281無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 03:14
>278
和讃盆ってもっと最近だっけ?


昔の片栗粉は、片栗の根から
こつこつ作っていた貴重品だったはず。
>>280
小説の話は聞いたことないけど、塩辛は7世紀頃から存在するからありうるかもな。
まあ、梅干しとか塩辛とかで大酒飲めば卒中で死ぬわけだ。


とりあえず塩辛は飲み屋のお通しでも出てくる。
283無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 03:19
「トチ餅」ってのがあったらしい。
どんぐりからつくる餅で、どんぐりの中身をすりつぶしてアクを抜き、
どんぐりの澱粉などから作るようだ。
戦国時代の有名大名(誰か忘れた)が、送られてきたトチ餅を食べて
「これはうまい、アクがないな」と賞賛し、嫌いだったトチ餅への認識を改めたとか。
284無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 03:23
>わが国の製糖の元祖は、慶長年間に薩摩の直川智が中国に漂流して製糖の術を
確かさとうきびから砂糖を作る以前に、穀物を麹などで糖化させて、
「水あめ」をつくる技術があったらしい。
その水飴を固めて飴を作る事自体はもっと後だが、江戸時代に至っては、
水あめも味醂や酒などと一緒に、それなりに庶民にも流通していたようだ。
ちなみにこの頃はまだ砂糖は「超高級品」として薬屋で量り売りされていたという。
285無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 03:31
>283
「トチ餅」ってトチの実+餅で作るんじゃないの?
新田次郎の武田信玄で、晩年の信玄が好んで食ってたよ。
ブブ漬け食わせろってんだ!この野郎
287無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 03:44
吉野屋
288無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 03:55
伊達政宗が食ったと言われる正月膳。
豪華である。

本膳
◆御膾
(鮭ひず、ぶりこ、ほや、ふのり、輪切りみかん)
◆納豆
◆御汁 (白鳥、山芋、五分菜)
◆和え物 (ねぎ、酢みそ)
◆濃醤(赤貝)
※濃醤(こくしょう)とは塩分の少ないみそを
 濃く溶いて魚介、鳥肉、野菜などを煮た
 汁気の多い煮物のこと
◆海鼠腸(このわた)
◆御飯

二の膳
◆伊勢海老(鬼がら焼き )
◆鮭漬浸し(だし酒がけ)
◆煎羽(鴨、ふさ菜、柚)
※煎羽(せんば)には、煮物や汁物などがある。
◆御汁(鱈、柚)

三の膳
◆御向(石焼料理鯨)
◆御向(鮒煮こごり)
◆指身(鯉子付、わさび、いり酒)
◆御引菜(吉次の大板蒲鉾)
◆鮭子籠
※いくら 水和え(するめ、くり、しょうが、大根かつら)
◆御汁(かけな)
腹減ってきた
290無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 09:47
>>244 >>246 >>247
そりゃ勘違いだよ。
昔は朝飯と昼飯の計二回だよ。
朝飯と晩飯だと思ってたのかな?

余談だが、それでは腹が空くので「おやつ」の習慣がうまれたんだが、
291無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 11:41
米と麦芽で水飴はできます
>>290
時代小説には、よく夕餉のシーンが出てくるけど、これ全部ウソ?
信長・秀吉・家康は、赤みそで育ったんだでかんわ。
信長が田舎料理が好きってのは、中部より東の地区の人間が、京の味覚に慣れる前に
言われる事で、特別変な話じゃない。
江戸の料理だって、京から見れば、味の濃い下品な田舎料理。

ちなみに秀吉の嫁の、おねね殿が料理上手だったってのは本当なんでせうか?
秀吉が太閤になった後も、昔の部下が、おねね殿の雑炊が食べたいとわざわざ
訪ねて来て、厨房に立つのもしばしばだって話を聞いたので。
294無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 14:56
>290
朝食と晩飯じゃないか?


饅頭・豆腐・中華料理が中国から伝わり、
醤油や味噌を調味料として使われるようになったのも
室町、安土・桃山時代だね。
295無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 15:34
>>294
違うよ朝飯と昼飯、
当時は夜は暗くなると寝てしまうよ。
時代劇なんかでは武士はおろか庶民や農民ですら、
夜、普通に起きてたように描写されてるけど、あれは嘘。
そんな明かりなんてロクになかったよ。

>>294
裕福な階級ではあったかもしれない。
296無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 15:43
>>295
イヤ「朝飯と昼飯」でも正解と言えない事はないのだが、正確には遅い朝飯と遅い昼飯(もしくは夕飯)が正解。
晩飯は確かに普通はなかったろう。
当時の夜は闇の世界、灯はローソク、油くらいしかなかったから、細かい仕事はできない。
そのかわり密談なんかは夜されたらしい。
午前の10時くらいに朝飯、午後の3時に夕飯だったはず。
おやつはもっと早い時間じゃなかったかな?
おやつって、八ツ時(午後3時頃)に食べるから「おやつ」と言うんだと思ってた…
298無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 15:51
>>296 >>295
暗い時間帯は食事しないというのはわかるんだけど。
昔の人ってそんなに早寝遅起きだったのか?
それに夏と冬では明るい時間帯が随分違うのが気になる。
299無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 16:07
>>297 >>298
調べてみると明治以前の時間の数え方はメチャクチャでしかも、日の長さによっても時間が違うわけでややこしい。
とりあえず、流れは

朝飯→おやつ→夕飯(必ず日が沈む前)という順序なのは間違いない。
>>299
不定時法と言うらしい。
一応、それなりの法則や意味はあったそうで。
とりあえず、一刻≒2時間で大体オーケー。
301無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 18:19
>>300
そうだけど、当時の科学レベルで正確な時刻を量れるわけもないしな。
302無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 18:30
何で時刻をはかってたんだろう。
太陽を目測したのか? 砂時計か日時計でも使ったのかな?
当時の文書にはちゃんと「午の刻」とか書いてあるけどな。
303無名武将@お腹せっぷく:02/11/21 21:23
ちゃんと時計があったんだよ
ただ文字盤には数字の代わりに牛やらネズミやら12匹の動物の絵が描かれていたそうだ
ヲイヲイなんだか「戦国時代に詳しいフリをするスレ」みたいだぞ
305無名武将@お腹せっぷく:02/11/22 04:26
誰も書かないので書いてしまおう。
堺屋太一の秀長で、農民時代の秀長が
菜種油をなめて、あまりのうまさに感動している
シーンがあったよね。油ってあの時代は貴重品だよな。
魚も肉も滅多に口にはできないだろうしさ。


奈良時代(かな?)を舞台にした小説の話だが、
水時計を実用化する話があったよ。
306無名武将@お腹せっぷく:02/11/22 10:45
>>302
基本的には太陽の高さ。
あとは寺の鐘。
307無名武将@お腹せっぷく:02/11/22 10:56
>>305
魚や肉は結構口にできてたはずだぞ
308無名武将@お腹せっぷく:02/11/22 11:14
>>306
悪天候で太陽が隠れてたらどうすんだろ?
309カメハメハ大王:02/11/22 12:26
>>308
そういう日はお休みです。
310無名武将@お腹せっぷく:02/11/22 12:35
>>308
そんな時の為の腹時計だ
311無名武将@お腹せっぷく:02/11/22 19:21
>307
農民も?
>>309
だから白い人たちに植民地にされる。
313無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 04:04
当時は、火時計や水時計も有ってそれも日時計と併用してたんだよ。
水時計は、飛鳥・奈良時代には既に中国から入って来てた筈。
寺の鐘って、どんなタイミングで鳴るの?
調べろってか。こりゃまた失礼。
315無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 07:20
>>309 >>312
>>309がギャグっぽく書いたけど、案外、良い着眼点だ。
確かにそうだろうね。
農民その他の野外作業の人も悪天候では作業できないだろうし、雨が降ったり強風だったらお休みだろう。
そういう意味では現代より昔の方が楽だった一面もあるんだろうね。
316無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 09:32
>>315
杉浦日向子も言ってたけど、昔は相当、労働は楽だったみたい。
一般的な作業は九時くらいから始めて三時くらいで終了。
武士なども暗い夜にはたいした仕事もできない(門番くらい)
野外作業者は雨が降ればお休み、風が吹いてもお休みとカメハメハ以上の楽さ。
農民なら冬はお休み状態(出稼ぎはあった)

それに比べて現代人は夜が長くなったせいもあって、
夜遅くまで長時間、働かされるという退化ぶりなんだよな。
317無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 09:41
昔の方が哲学的思索に耽る人が大勢いたんだろうな
現代人は奴隷みたいなもんだな
318無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 10:03
まんこ
ちんこ
319無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 10:07
>>317
だよね。
毎日毎日、朝の八時から夜の六時〜九時まで(通勤時間や昼休みの時間も含む)拘束され、
休みは週の一回とちょっとだけ、
仕事仕事で一日中、一年中拘束され家に帰って飯食ってネットちょっと見て寝るだけ、下手すると過労死。
一応、有給休暇や病休は許されるものの、それも仕事の状況や職場の同僚や上司の顔をうかがって使わないかん。

現代人が人類史上、もっとも苛烈に長時間働かされてる生き物だという事は間違いないね。
昔は奴隷でも、もっと加減されてたらしい。
320319:02/11/23 10:09
朝の八時は甘すぎたな。
普通は七時か六時だった。
321無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 10:37
そう考えると人間ってホントに進歩してるのかと思う。
322無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 10:41
人の時間を削り取って人間が得たものは物、物、物
あふれるばかりの物ばかり
でもくだらない物もけっこういっぱいあるな
323無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 10:45
>>322
つーか大半はゴミだろ。
ひょっとしたら江戸時代ってのは、循環型社会の究極形態だったのかもしれない。
関係ないのでsage

324無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 10:50
>>323
思いきりageてるじゃんよ(笑
325無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 16:25
小室哲哉とKEIKOの披露宴ディナーメニュー
串鮑、小鯛雲丹俵焼、子持ち若芽、加良須美、平目求肥巻、寿だち釜盛岩田鱠、
日の出海老、金箔黒豆、双身烏賊
白髭伊勢海老紅葉造り、枸杞の実、松の実、いくら、彩野菜細々、季の花、
香り醤油
海の幸の恵み、平目、車海老、帆立貝のポワレ、真珠野菜とキャビアを添えて
特選近江フィレ肉のステーキとフォアグラのマリアージュ 芳酵なトリュフの
香りと共に
コーヒーと小菓子
326無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 16:35
>>325
高円宮が亡くなったのに不謹慎なヤシらだな
327無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 17:31
江戸時代は飢饉が起これば餓死者が大量に出てるわけで、決して楽な生活じゃない
328無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 17:33
>>327
そりゃそうだ、現代人よりも働かないで現代人よりも豊かな暮らししていたら
現代人が無能過ぎるだろう(w
329無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 20:02
氏政がご飯に汁かけるって、あの話はウソだろ?
雑兵の食べ方だろ?汁かけるのって。
330無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 20:10
>>329
つりですか?
331無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 20:11
つうか桶狭間の直前に信長も汁かけて食べていなかったっけ?
332無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 21:15
>>331
信長は焼香を投げつける青年なので
333無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 21:22
美少年
334無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 01:40
湯漬けだろ
335無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 01:45
そうそう。合戦前に湯漬けを胃に流し込むらしい
336無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 02:20
綱吉以前は日本人も犬食ってたのかも
綱吉公マンセー・・万歳!!
337無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 02:58
合戦前の湯漬けって信長だけじゃなくて一般的なもの?
338無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 03:00
永谷園のお茶漬けのCMみたいにかきこんで合戦に出たのだろう
カッコ良いね
339無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 03:17
高円宮殿下がお亡くなりになったのに盛大な結婚披露宴を開くとは不届き者だな
小室哲也
しかし角隠し姿のKEIKOはなんか不細工に映っていたな
340無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 03:52
確かに、湯漬けが一般的か?を考えたことないな。
小説では戦時は大抵、湯漬けかっこむね。
まぁ、水分の補給にもなるし、腹持ちするし
合理的な食べ物だな。栄養価は低いけれど。
>>326
それに出席する森前首相って・・・・・・。
342無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 10:05
以前、山梨に逝った時、ほうとうを食べた事がある。
武田軍の陣中食がルーツらしいが、相当豪華なものを食ってたと思われ。
一杯¥1000も取られたぞゴルァ!(w
343無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 10:10
>>342
ほうとうならうちでは鍋の中にぶっこんでる。
もちろん一杯1000円などしない。
344無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 11:34
山梨県人が通った後にはぺんぺん草ひとつ残らないって諺があるそうだが
山梨県人って草まで食ってしまうという意味なのかな?
>>344
真面目で働き者だから小さな草も残さず引っこ抜くっていう意味だよ。
346カメハメハ大王:02/11/24 13:19
>>344
       ┌─ 、     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       了Y ヽ  < いま草まで食ってしまうのは北朝鮮の人民だ
       (、┳ >0   \_______
       _,!;;´`;;;;"ヽ_
    /⌒ ""゙゙゙   ⌒ヽ
   /   三`Y"三  ヽ`\
  r' ‐、ノ、   `|´   入.r  j
  `、  ヽ `-‐´+`ー イ /  丿
   ` - 、` i. ‐',+`‐' i/ /
     lr,ノ ̄ ̄ ̄ ̄( く;
     ~リ|||||リリ|||リ||||リ`‐'
     /  ( U )   |
.    /   /´`|   |
>>340
茶漬けとたいして変わらん気がする、具がないだけで。
348無名武将@お腹せっぷく:02/11/25 01:01
349無名武将@お腹せっぷく:02/11/25 01:19

神よ具という字を見ただけでマンコを想像してしまった私をお許しください
安達祐美はちょっと具が大きい
>>349
その最初の3文字をみて伊勢の雑魚武将を思い出した。
352無名武将@お腹せっぷく:02/11/25 18:19
>>351
神戸具盛か
353無名武将@お腹せっぷく:02/11/25 21:03
やっぱり冷蔵庫がある今の時代のほうが何百倍も贅沢だね。
今の日本人の豊かさは、エネルギー消費量に換算すると、
一人が数百人奴隷を養ってる計算になるみたいだね。
ボタン一つで風呂も沸くし。

スレ違いだけど、現在戦争中の地域の前線の人って何たべてるのかな?
カロリーメイトみたいなのかな?
354無名武将@お腹せっぷく:02/11/25 21:06
缶詰とか乾パンみたいなもの?
355鉄人細川:02/11/25 22:10
仕事も落ち着いて帰ってきました。
スレ立てた本人がいないおかげかレスが随分つきました。
仕事忙しい間はコンビにのおにぎりとパンばっかだったよ。
>>353
カロリーメイトみたいなもので間違いじゃないが、味食感(素材)のバリエーションが
豊富。
357無名武将@お腹せっぷく:02/11/25 22:13
>>355
残念ながら、お前のメシ事情は聞いてない
358無名武将@お腹せっぷく:02/11/25 22:17
>>357
誰もおまえが仕切れとは言っていない
359無名武将@お腹せっぷく:02/11/25 22:18
>>358>>355??
>>359
そんなことよりも今夜の夜食の心配でもしてろ
361無名武将@お腹せっぷく:02/11/25 22:22
>>360
そうだな・・・何がいいと思う?
>>361
(=゚ω゚)ノ● 鼻くそ丸めて万金丹
363無名武将@お腹せっぷく:02/11/25 22:40
>>362
(ノToT)ノ┫:・'.::・┻┻:・'.::・
364無名武将@お腹せっぷく:02/11/26 01:59
>353
自衛隊のレーションはうまいので有名。
メニューも豊富で、あったかご飯が食べれる。
なんかで、賞を取ったんではなかったか?
基本的にご飯食民族の軍隊は、
炊飯で位置が敵に知れるという欠点があったそうだ。

話を戻すが、
カボチャ、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ、スイカ、コショウは、
戦国期に渡来したそうだ。
365無名武将@お腹せっぷく:02/11/26 04:08
トウモロコシのことをトウキビと言うが、中国から渡ってきたから「唐キビ」なのだろうか?
366無名武将@お腹せっぷく:02/11/26 04:10
同じく カボチャ>なんきん トウガラシ>唐辛子 も?
ジャガイモはジャカタラ(ジャカルタ)の芋だからジャガイモだと聞いたことがあるが。
367無名武将@お腹せっぷく:02/11/26 08:03
昔の戦での携帯食&保存食の代表的なものは「干し飯(ほしいい)」だろうな。
アルファ米にほぼ近いもので、炊いた白米を洗って、よく天日で干したもの。
煮ておかゆにする事もあるが、大概はよくかんでそのまま食べる。
白米だからエネルギーの固まりだし、塩分がないので水をあまり必要とせず、
腹にもたれにくいようだ。
あと、イモのツルを味噌漬けにして縄代わりにして腹に巻いていたらしい。
縄としても使えるし、腹が減れば食えるし、調味料代わりにもできるそうだ。
あと、死んだ馬を焼いて焼き味噌をつけて食ったとか、そんな記録もある。
368無名武将@お腹せっぷく:02/11/26 08:33
>基本的にご飯食民族の軍隊は、炊飯で位置が敵に知れるという欠点があったそうだ。
そう言えば、ちょっと前に旅行が当たって、山奥の温泉(たぶん日光?)に行ったんだが、
バスガイドに「この温泉地は過去、平家の落人の隠し里で、現在この辺りに住む人(温泉経営者も)
は彼らの子孫と言われています。落人たちは追っ手に見つからないように、
煙が出ないように、穴の中で置火の蒸し焼きだけで煮炊きをして隠れ住んだと言われています」
なんて話を聞いたことがある。
釜も使えないから、穀物が手に入っても、水で濡らして布に包んで土に埋めて炊いたそうだ。
当然、研いだら白い研ぎ汁が下流に流れてばれるから、とぎもしないらしい
369無名武将@お腹せっぷく:02/11/26 09:21
>>365
昔は外国から渡ってきたものは何でも唐OOOとかつける傾向があったんだよ。
まあ多くの物は中国から渡ってきたけど、それが国号とは必ずしも性格に対応してない。
ジャガイモは正解「ジャカタライモ」から来た。
370無名武将@お腹せっぷく:02/11/26 09:22
カボチャはカンボジアからだしな
371無名武将@お腹せっぷく:02/11/26 11:20
>>370
それホントか?
少し信じにくい。
>基本的にご飯食民族の軍隊は、炊飯で位置が敵に知れるという欠点があったそうだ。
板違いかもしれんけどヨーロッパの軍隊食はどうなの?スープだろ、あっちは?
373無名武将@お腹せっぷく:02/11/27 01:12
>372
炊飯と比べるなら、スープじゃなくパンだと思うが?
位置を知られてはいけないような
行軍中にスープは省かれると俺は思うよ。
イギリス軍は何処でも、紅茶をたしなんでいたらしいがね。

好物一覧(少ないが・・・)
豊臣秀吉>麦飯
加藤清正>玄米飯(玄米を食えと家訓も残した)
北条早雲>ほしぐり
大久保彦左衛門>かつおぶし(かじったのか?)
上杉謙信>梅干し
374無名武将@お腹せっぷく:02/11/27 02:08
>>367
俺も消防の頃、何かの本で干し飯と味噌縄の話読んだなぁ。
味噌縄をそのまま茹でて味噌汁にしてたとか。
インスタント味噌汁の起源だな(w
主に足軽がやってたそうだが。
名のある武将さん達は落ち延びる時以外はしっかり食ってたんだろうね。
375372:02/11/27 03:55
調べたけど無かった。参考までにハンニバル遠征時の兵隊食を
●主な食物は、
・麦かゆ(粗挽きの麦粉を牛乳、野菜などと一緒にトロ火で煮込んだ流動食)、豆類、
チーズ、バター、ワイン
●保存食としていたもの
・堅焼きパン、ビスケット、燻製肉、干し肉、ドライソーセージ、魚燻製、塩漬け、
ナッツ類、ドライフルーツ、チーズなど
376鉄人細川:02/11/27 04:00
>>357
ウッセーバカ。

ところで当時おかき、せんべいはないの?
あぶらが普及しだした頃なんで天ぷらもどきは?
>376
遡って切れるなよ。

奈良・平安に、米の粉を練って揚げた唐菓子があった。
鎌倉期に精進料理で、味を付けた野菜などを衣揚げにした「付け揚げ」が登場。
16〜17世紀に、長崎に卓袱シッポク料理の長崎天麩羅、
西洋料理のフリッターに近い揚げ物が登場。
378無名武将@お腹せっぷく:02/11/27 05:16
生肉のオレンジジュース漬け
>>377
奈良時代にドーナツみたいのがあったと聞いたことがあったが、それのことか。
その後、廃れたとも聞いているが。
380無名武将@お腹せっぷく:02/11/28 01:20
>379
砂糖なしのドーナツはうまそうじゃないからねぇ。
菓子と言えば、茶の湯に菓子は出なかったのかな?
>>380
砂糖が伝わる前の甘味料は使わなかったのかな。
麦から作るのは『飴』て名前だったっけ。
平安の頃なんかは調味料に使ったんだから、
そのドーナツっぽいのにも使ってなかったのかな。

って、もはや戦国でもなんでもない気もするな。
382無名武将@お腹せっぷく:02/11/28 18:50
伊達家の正月料理
本膳の前に御若水、御鏡餅、奥田餅、それに精進の御膳(大根とふのりの膾、ふのりの汁、
折昆布、納豆、香の物、御飯)が並ぶ。その後に雑煮と酒。 それから「三汁十六菜」から成る
本膳が出される。 (仙台藩公儀使・大童信太夫の覚書より)

本 膳
◆御膾
(鮭ひず、ぶりこ、ほや、ふのり、輪切りみかん)
◆納豆
◆御汁 (白鳥、山芋、五分菜)
◆和え物 (ねぎ、酢みそ)
◆濃醤(赤貝)
※濃醤(こくしょう)とは塩分の少ないみそを濃く溶いて魚介、鳥肉、野菜などを煮た汁気の多い煮物のこと
◆海鼠腸(このわた)
◆御飯

二の膳
◆伊勢海老(鬼がら焼き )
◆鮭漬浸し(だし酒がけ)
◆煎羽(鴨、ふさ菜、柚)
※煎羽(せんば)には、煮物や汁物などがある。
◆ 御汁(鱈、柚)

三の膳と御向
◆ 御向(石焼料理鯨)
◆ 御向(鮒煮こごり)
◆指身(鯉子付、わさび、いり酒)
◆ 御引菜(吉次の大板蒲鉾)
◆ 鮭子籠   
※いくら 水和え(するめ、くり、しょうが、大根かつら)
◆御汁(かけな)
>382
既出
>381
米や麦から作る飴は古墳時代からあったらしいので
まず使っていただろうね。

なかなか参考になります。

京菓子共同組合
ttp://www.kyogashi.or.jp/kashi/

これ見ていて気が付いたんだけれど、
中国から来た菓子を唐くだものと称したと言うことは
くだもの=菓子なのかな?
水菓子=くだものなのはそう言う事かな?
385無名武将@お腹せっぷく:02/11/29 07:13
戦国時代っていうか昔の人は、
食べているときは黙々と食べて喋ったりはしないのだろうか?
黙々と料理を口に運ぶ武将たち。殺伐としているね。
香の物を落したりしたら斬りつけられても不思議ではない世界だったのだろう。
香の物を落とした武将といつ斬り合いになってもおかしくない、そんな雰囲気がいいんじゃねーか
387無名武将@お腹せっぷく:02/11/29 10:51
>>381
実際に現在でも本格的な和菓子の餡子をつくるときに手製の水飴を混ぜるよ。
現在だと安易に砂糖を混ぜてしまうけど砂糖だと甘味がきつくなりすぎていやだと
言う人も多い。
>387
うちの近所の和菓子屋さんは
二代目が時代に合わせていかないと!と言う人で
和讃盆に海草からとったカロリー控えめな
甘味を使っているそうです。

飴については、今度聞いてみますね。
389無名武将@お腹せっぷく:02/11/30 02:46
不思議なくらい味噌が語られていないな。

信玄味噌
味噌を丸めて干し、兵に持たせた。
390無名武将@お腹せっぷく:02/11/30 03:24
不思議なくらい餅が語られていないな。

信玄餅
餅にきな粉と黒蜜を添え、兵に持たせた。
391無名武将@お腹せっぷく:02/11/30 03:36
不思議なくらい男色が語られていないな。

信玄小姓
甲斐、信濃から美少年たちを集め、兵に与えた。
392無名武将@お腹せっぷく:02/11/30 03:45
餅といえば、上越ではこの季節に「川渡餅(かわたりもち)」というものを食べる。
川中島の合戦で、上杉軍が犀川を渡るときに餅を食べて力を付けたという言い伝え。
普通のあんころ餅だが、漏れの子供の頃は学校給食にも出てきた。今でも出ているのだろうか?

>>392
漏れ下越だけど給食にそんなの出なかったよ。
当たり前だけど。
信玄味噌は、ネタじゃないんだが・・・
強い戦国大名のいた地域(東限定?)って、
有名な味噌があるじゃん。
保存食として発展したんだと思う。
味噌が一般に使われるようになったのも
室町末期からのことだし。
395無名武将@お腹せっぷく:02/11/30 04:12
さっきTVで和菓子のことやってたんだけど、茶の湯の初期って
お茶うけの菓子は乾燥シイタケとかコンブだったんだって。
396無名武将@お腹せっぷく:02/11/30 04:14
ホントホント。味噌語れよ。

味噌カツ
信長の大好物。当然八丁味噌でである。
397無名武将@お腹せっぷく:02/11/30 04:18
     / ̄ ̄ ̄ ̄\
   /:::::::::::::::::::::::::::::::::::\  
  /::::::::::::∧:::∧::::∧::::::::::::ヽ
  .|::::::/V V  V  V\::::::|
  |::::::|三  \   /   |:::::::|
 .|::::::|三 ⊂⊃ ⊂⊃  :|:::::::|  よーし、まる子もシイタケになっちゃうもんね
 |;;;;(|三●       ● |);;;;;|   
   ヽ三  (⌒⌒)  ノ     
     `ー――――´   
米ってすごくねぇ?
大抵のものに合うし
巣で食ってもうまいし
毎日食っても飽きない
こんな食い物他に知らん
399無名武将@お腹せっぷく:02/11/30 11:17
>>396
名古屋人から言わせてもらうと味噌カツはまだ食べる方だが味噌煮込みうどんは
年に何回か程度しか食わない。
そういう代物だ。
味噌カツも好き嫌いがはっきり別れるので食べない人間はまったく食べない。
きしめんなどはもうなにが名物なんだよというくらい。
じつはきしめんが一番うまいのは名古屋駅のキヲスクだという現実を他地域の人間は知らない。
最近熱い名物はやっぱ天むす、海老の天ぷらが入った高級おにぎり。
しかし東京でも密かなブームで名古屋名物ということを忘れられているというのが悲しいな。

話がそれるとこだった。

京都で信長が食事をしたとき京の味付けが薄いので口に合わなかった、料理人が作り
直し信長にうまいといわれた料理は濃い味付けの田舎料理だった。
といわれてます、実際に味噌が料理に使われていたのでしょうか?
八丁味噌はかなり強烈ですからねえ。

名古屋人は赤だしがなければ生きていけません、これは本当です。
400無名武将@お腹せっぷく:02/11/30 20:00
地獄のように遅レスだけど、
とろけるチーズを炊きたてご飯の上にのっけて、
醤油かマヨネーズを薄く塗る。l
そしてちょっと経って、チーズが柔らかくとろけかけてきたら米と一緒にかっこむ。

激ウマー
401無名武将@お腹せっぷく:02/12/01 23:22
家康が三方原から逃げ帰るときに、
漏らしたババを「味噌だ!」と言ったつうお話があるが、
と言うことは、あの距離の行軍でも
味噌を持って出陣したんだね。
402無名武将@お腹せっぷく:02/12/01 23:32
単なる負け惜しみだろw
403無名武将@お腹せっぷく:02/12/01 23:41
ちがう
家康の味噌=ウンコ
つまり、味噌とはウンコだったんだ
404無名武将@お腹せっぷく:02/12/02 00:24
つまりそのころの三河ではウンコを食っていたのかな?
違うよ、家康は味噌を分泌できたんだよ。
レベルが落ちたな。
407無名武将@お腹せっぷく:02/12/02 21:49
徳川家では家臣に家康のウンコを食わせていたんだゆ
408無名武将@お腹せっぷく:02/12/02 22:36
ちなみにおぼっちゃまくんのうんこは金の延棒
409無名武将@お腹せっぷく:02/12/03 19:35
女体盛です。
410無名武将@お腹せっぷく:02/12/03 22:14
ウンコの話のあとで続けるのはアレなんだが…
味噌を味噌汁にして飲むようになったのは
いつごろだっけ?
戦国時代だとまだ保存食・非常食だったかな?
411無名武将@お腹せっぷく:02/12/03 22:17
こうして見ると、今我々が和食だと思って食べているものって
さほど伝統はないんだなと思う。

醤油が広まったのは江戸時代なんだよね。
うっかりするとすきやきとか肉じゃがを純和食だと思ったりするけど、
あれは明治以降だもんねえ。
むしろ和食が完成したのは明治になってからなのかな?

醤油の発明はありがたいね。
おかげで明治以降に外国から入って来た食べ物も、
醤油をかけたり醤油で煮込んだりするとなんでも和風にアレンジできちゃったんだし。
http://www19.big.or.jp/~higashi/nagasaki/inoue/europe.html
ちなみに、戦国から江戸時代における
西洋からの醤油感は、こんな感じだったらしい
413無名武将@お腹せっぷく:02/12/03 22:44
味噌汁は秀吉の好物だったそうだ。
既出だが、芋の蔓をみそ漬けにして
戦場で煮て味噌汁にする話もあるし
戦国期から食っていたと思われ。

醤油というか、魚醤は驚くくらい古くからあるよ。
鎌倉時代に「溜」が使われはじめ、室町期には
醤油という名前が文献に登場する。

確かに、今日の和食は以外と最近に作られた
モノだけれど、韓国に唐辛子が伝わったのが
江戸時代に日本からだし、イタリアにも
新大陸発見以前には、トマトもジャガイモも唐辛子もなかった。
パスタだって、マルコポーロが麺を持ち込んだという説もある。
余所の食文化もそれほど変わらないはず。

劉備は麻婆豆腐とか食っていないんだよね(笑
414無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 23:15
酒はどういうの飲んでたんだろ。
上流階級はすでに清酒?
庶民は濁ったやつを飲んでいたの?
>414
清酒は鹿之助の孫(だったかな?)が作り出した。
だから、戦国時代は濁酒だろうねぇ。
その家系は、後の鴻池グループになる。
416無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 01:01
マルコポーロは
たまごぼーろ食ってた
417無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 01:03
ウマが戦場で死ぬ
これを一口サイズのお肉にバラす
腰につけている味噌をつけてやく
ウマー
418無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 01:06
>>415
孫じゃないよ、子供さん。
>418
そうだったか、スマソ。

417はネタだと思うが、実際にもあり得そうだと
思うんだけれど聞かないよなぁ。
戦の時に、馬は殺さないのが暗黙の了解だった
なんて話も聞いたことがあるような・・・
420無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 03:28
>>419
馬が高価だったかじゃねいかい?

まあ死んじまったらおいしくいただくしかないででしょ。
馬食いはやはり殺生として従来からタブーだったんじゃないかな?
地域の細かいところまでは知らないけど。

そして西欧外国人どもが来て、食ったり調理を教えたりして
戦国時代にも一部で食われていたけど、
バテレン追放と同時に「牛馬を食うな」という命令も出てるので、
やはり馬を食うことに古くからの反発もあったんだと思う。
逆に言えば一部では食われていた証拠ともなると思うが。

当時の流行としてキリスト教と同じくらい時代の最先端だったんじゃないかな?
高山右近「馬はバラして味噌付けて焼いて食うと(゚д゚)ウマー」
加藤清正「許せん!武士と日本人へのボウトクだ!野蛮行為だ禁止しろ!!」

みたいな確執があったのかもしれない。本当に知らないけどw
>421
仏蘭西もナポレオンのロシア遠征時に、
飢えから仕方なく馬を食うが、
精神的な抵抗は激しかったそうだ。
424無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 15:14
牛乳が庶民にも飲まれるようになったのはいつ頃ですか?
昭和以降では?_
訂正、大正以降w
427無名武将@お腹せっぷく:02/12/06 10:55
>>421
おいおい
肉食が禁じられていたと信じているわけではないよね。
肉食の文化ははるか昔からより途絶えたことはないよ。

禁じる命令といっても効果が無かったんだよ。
>>427
肉食にとどまらず、馬食いの話なのだが、
"馬を食料とすることは昔から普通だったし禁止されても誰も止めなかった"とでも言いたいのか?

それに肉食や牛馬食の禁令が出ているというのは事実だと信じているのだが。

たびたび禁令が出されていることからも、その実態は想像できるが、
しかし肉食をタブー視してきたというのは間違いないだろう。
様々な手段で実際に肉を食ったり、または地域ごとに細かいことはあろうと、
それをもって意味不明なことを言われても困るよ。
ついでに言うと、戦場での食糧難などで馬を食う逸話もよく出てくるが、
そんなのが脚光を浴びるくらい重大な出来事だったともいえる。
日本帝国軍も食糧難では人肉も食ったりしたが、
やはりそれは日常ではタブーだろう。
人肉は旨いのか?
     _∧  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     プ  ミ (´∀` ) < 馬はウマー
      \ ミ⊂   )   \__________
       (    / /⌒)=*
        | | |(__)| /
        |_|_|   |_|_|
        /_/_|   /_/_|


そりゃ高価で貴重な労働力である馬を、あえて殺して食べることは
なかっただろうけど、飢餓や戦の空腹の中で、食してしまうことは、
容易に考えられる。またその経験を元に、馬食に抵抗が無い土地
柄はあるだろうね。例えば、信濃ではスキヤキの肉といえば、馬肉
を連想する世代が今もある(俺の知人がそうだ)。
ただしこのあたりは、戦国武将として、無事生涯を全うして、仏門に
入るとき、敢えて公言するような事でもないから、タブーのような物
だったかもしれないね。

ちなみに以前水戸で食った馬肉の煮込みは、まったやわらかいく
ビーフシチューのような味わいで最高でした。
すみませんB級グルメ板逝ってきます。   (゚д゚)ウマー
>>430
基本的には、不味いらしい。下手に筋肉が発達してるから。
硬くて臭いらしい。このあたりは、「野火」「ひかりごけ」あた
りの小説の情報だが、古き中国では、客人を持て成す最高
のご馳走として、妻子の肉を饗することがあったらしい(禮
紀だっけ、まちがえたらコメソ)。
調理法や、餓えという条件の中ではやっぱり (゚д゚)ウマー と
なるのかな? 
中国行ったときで、猫肉の煮込みをだされたオラはやっぱり
猫ときいただけで、食べられずに (゚д゚)ウー
となった。
ゴメソ 俺もB級グルメ逝ってくる。
佐川一政の言うことには、
人肉の赤みはトロの味がするらしい。
佐川くんは例の事件起こすまで、オナニー知らずだったらしい
435無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 12:27
鹿狩りで仕留めた鹿は食べたのかな?
鷹狩りでは、兎も捕れると思うが、
兎を鶏肉と言って食べてしまうために、
兎は1羽、2羽と数えると聞いたことが
あるような気がする。
436無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 12:43
戦で怪我で役に立たなくなったり、死んでまもない牛やウマなら
焼いて食べるということも地方によっては有ったと聞くが。

437無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 13:04
>>432
大学の理の先生が同じこといってたので、多分間違いないと思われる。
438無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 22:16
>>435
兎肉は臭みが強い。安物のソーセージに使われてたりするので、以外と口にする機会はある。
原材料に「家兎肉」とあればウサギ入り。

439無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 22:17
美少年はおいしいんですか?
440無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 22:29
>>432
妻子の肉ってどういうこと?
客人に饗するためにわざわざ殺すの?
441無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 22:39
>>427
そんな事は無いんだよね。
興味深いのは江戸時代の大飢饉の記録に
「この飢饉で農民たちは犬や猫は言うに及ばず、牛や馬まで殺した食べた」という記録があったりする。
現代人の目で見ると逆だろうと思うんだが、当時としては牛・馬はそこまで食われなかった。

無論、これは牛・馬が労働力として役立つ家畜とか長年、連れ添ってきた飼育動物のような存在というのもあるが、
仏教的に思想やタブー視があったのも事実。
また民話などにも「肉食をしたためバチが当たった」「武士が愛馬を斬ったためタタラれた」なんて話しも多い。
「禁じられてた」とか「命令されていた」いうより民間レベルでタブー視され食べる習慣がなかったんだよな。
ただ、タブー視されず食べる習慣があったのは兎や鹿なんだよね。

>>435
それは事実

>>424
明治以後だよ。
しかも「牛乳を飲むと角が生えてくる」とかいかがわしい噂があってなかなか普及しなかった。
それまでは日本では習慣として全くなかった。
442無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 22:42
>>432 >>440
三国志に出てくる劉備一行をもてなす逸話だね。
妻を殺して客にふるまう行為は
中国では最大の「忠孝」とされているそうだ。
443鉄人細川 :02/12/08 23:11
鯨の肉はどうでしょ?
鯨は魚として食ってたんじゃないかな?
>>442
斉桓公の料理人は、3歳になる自分の息子を丸蒸しにして桓公に饗したため気にいられて出世した。
桓公本人はその料理人のために無惨な死を迎えるわけだが……
446無名武将@お腹せっぷく:02/12/09 10:40
今でもこんな風習が中国には残っているのかなあ?
感覚が日本人と違い過ぎて同じ人類とは思えない
周の文王も、長子である伯邑考の羹を飲まされたというし、戦国期の魏の臣
である楽羊も、攻略中の国に息子を捕えられて殺され、羹として送り返された
それを飲んでいる。
長期にわたって攻囲された篭城側の民も、食が尽きると隣家の子と交換して殺し、
それを食べて生き長らえたというし。
古代の中国では、人肉食は珍しくもないな。
448無名武将@お腹せっぷく:02/12/09 11:37
包囲されて食べ物がなくて仕方なく・・・って言うのは分かるけど、
客人のために妻子を饗するって信じられん。
子供も幼児なら、当時は子供の数も多かっただろし補充の利くものだからまだ理解できるとして、
連れ添った妻を・・・って何考えてるんだ?
思想が違うとはいえ妻もよく同意するよな。(そもそも同意なんかないのか?)
>448
安心してくれ、戦国時代の殿様はそんなことしない。
食人のことなら、世界史板に該当スレがあるので
そちらでどうぞ。
450無名武将@お腹せっぷく:02/12/11 22:18
夏に冷たい飲み物はあったのかな。
かき氷とかは?
たしか将軍や天皇に献上する氷だとか、
そのための氷の小屋とか洞窟とか、あったんじゃないかな?
夏まで何とか保存して提出。

ちなみに今でも池などで氷を作って、まぁ保存は冷凍庫なんだけど、
氷を売っている商売は日本にもある。結構高値で売れるらしい。
452無名武将@お腹せっぷく:02/12/12 01:18
>451
秩父に天然の氷でかき氷を作る店が今もあるらしい。
小説とかでの知識だと、富士山から京へ
運んだと読んだ記憶がある。
453無名武将@お腹せっぷく:02/12/12 01:25
人と氷の関係史
ttp://www.junpyou.or.jp/museum/history.html
>幕末期、外国人医師たちが治療用に使ったボストン氷と呼ばれる天然氷は
>アフリカ・喜望峰経由の大航海を経て日本に輸入されていたので大変高価なものでした。

氷に違いがあるとは思えないのだが・・・当時の日本人騙されていないか?
ともかく、氷に関する制度みたいなのは出来上がっていたみたいだね。
庶民持ったべてたって、きっと凄い金持ちの庶民なんだろうけどさ。
454無名武将@お腹せっぷく:02/12/12 17:12
ほんの100年前にさかのぼってもうまいものはそうないわけなんだ。。。
>>454
食ってる物はそんなに変わってないね、、、
物の質の方はずいぶん変わったと思うが、、、
冬にとった氷を、氷室(ひむろ)という、洞窟だか地下だかに保存しておく。
そういうトコはそれほど気温が高くならないので、夏まで持つわけ。
平安の大貴族は、その氷を酒に浮かべて呑んだりしてたそうだ。

まぁ、戦国武将が氷室なんか持ってたかどうかは判らないけど。
明治初期、浜松から上総国へ移った
鶴舞藩主、河内守正直の意向で作られた山椒もち。
千葉県市原市の名物らしい。
458無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 02:36
紀州や水戸で梅が名産なのは
江戸時代に戦時に備えて植えたモノだとか。
459無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 02:38
このスレみてると湯漬けかっこみたくなってくるぜ
動物性の食材は昔の方が旨い、という事も結構あるかも。
品種改良がなっていない植物性は、カナーリ駄目ぽ。
461無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 07:54
肉は昔の方が旨かったというのは疑問だが
(餌=植物性の質・量が向上した近代の肉の方が旨いんじゃないかな?)、
もともと肉は塩だけでも十分旨く感じるくらいだから、
その点では肉の方が昔から人気が高くても不思議じゃないね。

尤も脂を忌み嫌ったので、今の霜降り牛など見向きもされないかもしれないが。
まあ、ブロイラーみたいな柔らかい鶏はなかったとは思う
漏れは脂身のない、硬い肉が好き。
昔はそんな肉ばかりだったかな?
現在、スーパーなどで普通に売っている肉と比べれば
昔の家畜の肉の方が、味が濃かったかもね。
運動量も多いし、飼育年数も長いだろう。
単純に太らせる為だけでない餌もいいね。
でも、値段的な事考えても、それは比べても仕方がないよ。
465無名武将@お腹せっぷく:02/12/21 01:37
高山右近は小田原攻のさい、細川忠興に牛肉をふるまった。

466鉄人細川 :02/12/21 01:52
>>465
煮たの?焼いたの?
467無名武将@お腹せっぷく:02/12/21 02:10
>466
そこまでは調べれなかったよ。
助っ人求む!age
煮てさ 焼いてさ 喰ってさ
それを木の葉でちょいと隠せ
>>265
食ったとしたら焼いたんだろ。
高山はキリシタンだから牛肉に抵抗が無かったのかな?
471無名武将@お腹せっぷく:02/12/21 09:39
>470
宣教師の真似から、キリシタンに
肉食が広がったらしい。
472鉄人細川:02/12/21 16:29
焼いて味噌付けてかな?
473無名武将@お腹せっぷく:02/12/23 00:31
タイにアワやカボチャの種を詰め込んだ「包焼」、
すりつぶしたクルミを塗った「鳥ノ串焼」、
タイのあらでだしをとった「潮煎(うしほに)」
なんてのを、武将が縁起を担ぎ出陣前にかっくらったらしい。

うまそうだ。
>>473
なんか読んでると腹へってきたよ。このスレ読んでると戦国時代の料理を
だす店なんかやるとけっこう繁盛するんじゃないかと思えてきた。

ちなみに昔「大根足」というと誉め言葉だったそうだ。色が白くてほっそ
りしてるから。今や肥料やらなんやらのおかげで大根もでかくなってすっ
かり逆の意味になってしまったなぁ。
>>454
今ではマグロの大トロは大変珍重されますが、ごくごく最近までは、油っぽくて
気持ち悪いと捨てられていました。(>>461参照)
また、ホルモン焼きの「ホルモン」は関西の言葉で「捨てるもの」です。

食の趣味の変遷というのもあるらしいですから、100年前の食事というのは、
仰るとおり現代人の口に合うとは限らないものでしょう。
>475
タンも捨てていたモノですね。
戦後の食糧難時に、仙台のお店で
出したら好評で全国で広まったとか。

好みの変遷もあるかもしれないけれど、
食わず嫌いもあったんじゃないかと思います。

#南蛮漬けも語ります?
477無名武将@お腹せっぷく:02/12/26 01:59
薩摩age
伊達政宗は日本人で初めてチョコレートを食べたらしい。

つーか、当時のチョコは液状なので食べたというより、飲んだ?
479無名武将@お腹せっぷく:02/12/28 01:22
葡萄酒は、堺で飲まれていたとか。
あわび、野鳥、焼き魚、
481無名武将@お腹せっぷく:02/12/28 01:40
夏草の賊で元親は桑の実食ってた。
482無名武将@お腹せっぷく:02/12/28 13:07
「うむ、そのカステラの名に恥じぬよう精進いたせ。」
UNKO
484無名武将@お腹せっぷく:02/12/31 14:42
正月は雑煮っていつからだろう?
正月は鶴の吸い物は誰だっけ?
家康かな・・・政宗か・・・
485無名武将@お腹せっぷく:02/12/31 23:14
打鮑・勝栗・昆布
486無名武将@お腹せっぷく:02/12/31 23:15
黒豆・数の子・ごまめ
75% お米
25% すかとろ
488無名武将@お腹せっぷく:03/01/02 10:33
489無名武将@お腹せっぷく:03/01/02 12:30
>484
雑煮と言っても、各地で大きく違うし
いつ生まれた!?とか言うような物でも
無いのでしょうねぇ。
490無名武将@お腹せっぷく:03/01/04 22:43
蕎麦は蕎麦掻
491山崎渉:03/01/11 02:17
(^^)
492無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 04:01
庶民は味噌買えたのかな?
493無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 04:02
味噌=うんこ

家康の定説
494無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 05:22
>>111
禿しく遅レスなのだが、
血を固めたものを茹でて食うって、
まさにそれは西洋のソーセージなのではないかな?
腸に血液を詰めて保存食にしてたって何かで読んだが。

あと、サスケかなんかのマンガ本にも、似たような話が出てたな、
血のソーセージの話。
495無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 05:44
>>492
山岡荘八の「織田信長」で、藤吉郎が味噌を城下(庶民)に買いに行くのがあったような。
ということは庶民も味噌を所有していたと考えられるのでは。

まあ目的は味噌買いじゃなかったんだけど。
496毛乳頭孔明 ◆rpiMulRTOc :03/01/11 05:54
ソーセージは血を腸に詰めて茹でたもの
だから腸詰めと呼ばれていたなもし

「手前味噌」の言葉が出来るほど味噌の自家醸造が
室町時代から盛んだから
庶民というほどの人達は造って食べると思われるなもし

んで、味噌屋ができるのは江戸時代だから買う店がな〜い
497無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 05:59
そうか、庶民も味噌汁飲めたんだね。
レス、サンクス。
498495:03/01/11 06:01
>>496
ふむふむ。

いや、買う店とかじゃなくて個人売買とか(w
>>496
物々交換でしょ
500whenyousaytomestaygold:03/01/11 10:08
冬厨達がいなくなったのを見計らい100げと
501無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 14:14
伊達政宗は「牛タン」が大好物でした。
毛利元就は「お好み焼き」が大好物でした。
徳川吉宗は「和歌山ラーメン」に目が無かったそうです。
502:03/01/11 14:49
>>494
ソーセージは挽き肉をケーシング(豚・羊の小腸又は大腸など)
に詰めて燻煙した保存食です。

血のソーセージはブラッドソーセージと呼ばれ
屠殺したものの血液を挽き肉と混ぜて作ります。
(ご記憶のが血液100%で無ければの話ならですが…)
血の一滴も無駄にはしない昔の人らしい知恵ではないかと。
見かけは黒っぽくヤバ気ですが風味は良いらしいです。
ちなみに現在食されるソーセージのケーシングは
コラーゲンから出来ている人工が主流といったところです。

ソーセージ談義ゆえに、ちと参上いたしましたが…
スレ違いなカキコ平にご容赦賜りたい。
>502
昔の日本には薫製で食べるモノって
どのくらいあったんだろう?
家の構造上らしきものは簡単に作れそうなんだが。

「いぶりがっこ」くらいしか思いつかないな。
504無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 15:55
>>501
黒田官兵衛は博多ラーメンをこよなく愛しました。
505無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 15:56
>>501
島津義弘は白熊が好き!
506無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 16:33
manko
507502:03/01/11 16:46
>>503
う〜ん…日本の燻製というと自分も「燻りがっこ」位しか
思いだせません。鰹節も燻製であったような気がしますが。

只、西洋と違って獣肉を食べる習慣が少なかったとすれば
干す・漬けるの類の保存食で十分だったのではないかと思います。
508無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 20:38
上杉景勝は米沢牛のステーキがお気に入り
>507
鰹節もありましたね。囲炉裏の上に吊しておけば
簡単に薫製になりそうだけれど、
やはり獣肉を食べないからなのかな?
魚類の薫製がもっとあっても良さそうなのに・・・
アイヌは鮭を薫製にしていたので、
それが流通していた可能性はありますね。

保存食と言えば、乾飯・高野豆腐・寒天・乾麺など
乾燥させてと言うモノも多いですねぇ。
伝統芸(?)なのかな?
510507:03/01/12 01:53
>>509
燻製は香りという嗜好的要素が強いからあまり発展しなかったのかも?
加えて魚などは牛などを屠殺するよりは細かい生産調整が可能ですし
「干す」などで十分事足りたのでしょう。

恐らく香辛料などが和食にあまり使われてないことを考えると
昔から素材に手を加え過ぎないものが食されていたのでは。

<鮭を薫製
そうですね。アイヌの方が食糧に占める農作物の割合が少ない分
保存の技法が確立した可能性は大ですね。
511無名武将@お腹せっぷく:03/01/12 13:41
欧米ではアンガス牛以前の牛肉は硬くて、とても不味い代物で
その頃は牛肉よりも人々は豚肉を好んで食べていたと
聞いた事がありますが、高山右近が食していたと思われる近江牛などの日本在来の牛の
肉は柔らかだったのだろうか?
512無名武将@お腹せっぷく:03/01/12 19:08
確か現在、和牛と言われてる種が確立されたのは100年ほど前で
その過程でアンガス種とも掛け合わされていた気がします。

柔らかさという点には飼料や肥育方法も大きく関わることも
考えると恐らく肉は硬かったのではないかと。
現在の様に運動させずにトウモロコシのような濃厚飼料を食わせる
のとは違い、当時は使役用で餌も草などの粗飼料のみですし。

むしろ、その肉をどの様に食べていたのかが気にかかりますね。
最も安易に考えれば煮るといったところでしょうか?
513無名武将@お腹せっぷく:03/01/14 01:28
1561年上杉謙信との川中島の対戦時に
信玄の陣中へ.快川国師より勝ち栗を贈った書状が
松里の恵林寺に蔵されています。

だそうだ。
514無名武将@お腹せっぷく:03/01/15 14:21
織田信長・・・カツカレー
羽柴秀吉・・・塩サバ
515無名武将@お腹せっぷく:03/01/22 02:52
家康はモスバーガーが好きそう
【好吃!】 食の歴史vol.2 【好吃〜!!】
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1039883473/l50

ヨーロッパでの断食についての話のレスより。

>「断食」と言っても肉の断食。魚は良いらしい。その断食を「テンプル」といい、
>その時食べる料理が「テンプラ」として南蛮人によって日本に伝えられた。
517山崎渉:03/01/22 14:37
(^^;
518無名武将@お腹せっぷく:03/01/27 00:12
長宗我部元親は、安芸の浜にてカヤ火で半焼にし鰹を食べた。
519無名武将@お腹せっぷく:03/01/30 06:53
29日夜の鹿島アントラーズ選手の夕食メニュー

・日南海岸で獲れたサバ・ブリ・イカなどの刺身と寿司
・しゃぶしゃぶ
・地獲りのブリ照焼き
・日向地鶏のつくね鍋
・豚肉の辛み炒め
・大根もち
・牛春雨炒め
・トンカツ
・地魚のワイン蒸し
520無名武将@お腹せっぷく:03/02/01 01:52
関連スレハケーン

【戦国】時代もの漫画の食い物について【江戸】
http://comic.2ch.net/test/read.cgi/comicnews/1042816726/
521無名武将@お腹せっぷく:03/02/13 20:09
戦国時代の武将にピザ食わせたい
522無名武将@お腹せっぷく:03/02/13 20:12

       ∧_∧ ハァハァ
 シコ   ( ´Д`/"lヽ  <521、多分マズイと言うでしょう
      /´   ( ,人)
 シコ  (  ) ゚  ゚|  |
      \ \__, |  ⊂llll
        \_つ ⊂llll
        (  ノ  ノ
        |  | ̄ヽ \
        |   |   \ ヽ
        |  )    |   )
        /  /    /  /
         /  /    (___)
      (___)
523無名武将@お腹せっぷく:03/02/14 14:12
>>476
もちろん、タン食は日本で始まったものではないよ。
外国では当たり前として食べられてた。

>>478
それって、ようするに「ココア」なのでは・・・
524 :03/02/21 00:57
チョコは岩倉。ココアは支倉。
ほしゅ
>>523
ココアはチョコレートから油分を抜いて粉末したもの。
液状のチョコレートは、カカオの成分そのままで油分が入ってる。
それをお湯かなんかで薄めてたと思われ。
チョコレートは長い間、嗜好品じゃなくて薬として飲まれていた模様。
天正二年2月3日朝御会
津田宗及が岐阜を訪ねた時の茶会後料理

(本膳)
焼鳥
蔓汁
鮒なます
まへ塩(小皿に盛った塩)
塩引(魚の塩漬)


(二膳)
鱒焼物
このわた
辛ニシ壺焼き
鱈汁
クラゲ
削物

(三膳)
鯉刺身
酢(刺身用)
生白鳥汁
生鮑
鮒煮物
白魚の吸い物

菓子として枝柿
天正元年11月23日信長殿ニテ御会 下京妙覚寺での茶会後料理

(本膳)
雉焼鳥
鯛青なます
塩煮の鯛大汁


(二膳)
ニシ壺焼き
鮭焼き物

鱈汁
桶に鮨
(三膳)
かまぼこ
雁汁
かわらけ(土器)に入った温めた酒
うけいり(魚のすり身を入れた澄まし汁。鯛のすり身味噌煮とも)
白鳥の汁
(酒肴として)うずら十羽を刻み一人前五十ほどで盛る
(菓子)
きんとん
ざくろ
キンカン
くるみ
美濃串柿(干し柿)
昆布
むき栗
椎茸
揚げ物(カヤの実の油煎り)
戦国時代くらいから料理の流派って出来て
水を飲んでどの川か当てっこしたりもしたらしい。
既出だが徳川家康一行の安土到着時のメニュー。
昔、別冊太陽の企画で池波正太郎らが再現された料理を
試食したが、池波はうじまるを大変気に入った。

十五日をちつき
・本膳
皮を剥いた蛸(煎酒を掛けた) 鯛の焼き物 菜汁 鯉のなます
香の物(味噌漬) 鮒の鮨 飯
・二膳
うるか うじまる(鰻の馴れずし)
ホヤ冷や汁(ホヤは葛で粉打ちした)
きんこの太煮(干し海鼠に山芋を詰めて煮たもの)
鮑 鱧 鯉の汁
・三膳
雉焼き鳥 鶴汁 かさめ(ワタリガニ) ニシ(アカニシ) 鱸汁
・四膳
巻スルメ 鴫つぼ(ナスをくり抜いて鴫肉を詰めた物)
鮒汁 しいたけ
・五膳
まな鰹刺身 生姜酢(刺身用) ごぼう
鴨汁(風味付には胡椒が使われていた) 削り昆布
・菓子
やうひもち 豆飴(炒り大豆を飴で絡めた物)
美濃柿 花煮昆布 から花(造花)
十五日晩御膳
・本膳
三つ和え こまごま 鮎の鮨
干し鯛 飯
・二膳
串鮑 鯒汁 なしつけ 三ひしくひ
角煮 鯛のあつ物 つぼ 折二かう
角盛り・壷盛り ふくらいり(ナマコ煮物)
きしませにふとう その他いろいろ

十六日御あさめし

・本膳
うじまる 鱒焼き物 汁 鮒なます
うど このわた 飯
・二膳
ひばり かれい 鯛の汁 干鱈の削り物
麩の小串 イカ 冷や汁
・三膳
塩引き 麩と雁の汁 切り蒲鉾・焼き鮎・酢ごぼう盛り合わせ
杉かかり(杉板を使った煮物で杉の香を食材に移した) とさか海苔
・四膳
大はも とへた(ツメタ貝) 山の芋・醤煎り・あま海苔色々
そぼろ 鱸 蓼酢 かけいり(魚のすり身団子) ミル貝
・菓子
薄皮饅頭 山の芋 美濃柿 ビワ 麩揚げ
十六日之夕

・本膳
飯湯漬け 塩引き かりの豆 焼き物
和え混ぜ(スルメ・鮑等の酒和え) 飯
香の物(味噌漬け) ふくめ鯛 蒲鉾
・二膳
からすみ 皮を取った蛸 サザエ三つ
あつめ汁(ナマコ・串鮑・麩・椎茸・大豆・あま海苔)
小串 和えくしげ
・三膳
山椒はも 竹の子と白鳥 海老舟盛り
熨斗もみ(鮑の塩もみ) 鯉汁
・四膳
数の子 百菊焼き(鳥内臓の焼き物) 青鷺汁 瓜もみ
・五膳
鴫のはもり ウドと鯨の汁 バイ貝
・菓子
羊羹 うち栗 くるみ 揚げ物
花煮昆布 おこし米 のし(鮑)
・点心
生姜・あんふん・山椒 かた海苔 こたうふ 椎茸
蒸し麦五枚(点心用の小麦粉製皮)
御そんさかな(御添え肴。菓子の時に添えた酒の肴)橘焼き二本
角盛り・壷盛り 鯛のあつ物
折十かう・杯の台,その他いろいろ。
牛豚馬は出てこないようだね・・。
534無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 08:45
当時、食中毒はどうしてたんだろう?
535bloom:03/03/11 08:49
536山崎渉:03/03/13 15:29
(^^)
>534
治療のこと?
538無名武将@お腹せっぷく:03/03/22 11:54
>>537
いろいろ
539アムロ菊池:03/03/31 23:12
家康は鯛の天ぷらにあたって亡くなったという話はきいたことがあります。
糞尿を呑ませて吐かせる。
>>540
時代小説でそういうシーンがたまにあるけどその糞尿は人間のでつか?
542無名武将@お腹せっぷく:03/04/03 08:05
>541
馬の尿じゃなかったっけ?
543無名武将@お腹せっぷく:03/04/04 11:06
小姓を食べます
544無名武将@お腹せっぷく:03/04/04 11:23
>>543
お味の方はいかがですか?
545無名武将@お腹せっぷく:03/04/04 12:12
おいしいです。
少年の細いからだと、多少のオスっぽさのある匂い。
んで初めて夜のお供を命じられてブルブル震えてる訳ですよ。

そんなに怖がられたら殿様も少し申し訳ないから一人で寝ようとするんですね。
すると「と、殿は私がお嫌いなのですか?」って泣きそうな声で訴えてくるわけです。

で、ゆっくりと襟から着くずしていくんですよ。
白い肌に鎖骨が浮かび上がる様には言葉を失います。
546無名武将@お腹せっぷく:03/04/12 10:34
縄文人は狩猟民族だよね。
んで、弥生人と言われる渡来人が
中国、モンゴル、朝鮮と
どこから来ていたとしても、肉食うはずなのに
なぜに日本では肉食が食文化として
定着しなかったんだろう?
547無名武将@お腹せっぷく:03/04/12 14:02
>>546
とりあえず学校で習ったには、聖徳太子の時代には濁音のつく言葉がまだ発明されてなかったらしい。
という事はだな、豚(ブタ)は存在してなかったわけだ。
少なくともこの頃は豚は食えなかったという事だろう。
>>547
ブタは知らないが、当時と現代の名詞が同じとは限らないよ。
日本人も結構肉を食べてたじゃないの
550毛乳頭 ◆rpiMulRTOc :03/04/12 15:08
日本で肉食が定着しなかったのは仏教と穢れの考えのおかげらしい
遣唐使か遣隋使か忘れたが、中国皇帝への親書に
日本では肉食していないことを明記し
仏教の教えを守っている文化的な日本、と皇帝に認識させようとしていたとか
奈良時代までは結構肉食ってたようなことをどっかで聞いた。
チーズやバターも食ってたらしいし。
チーズやバターは輸入して食ってみたけど後が続かなかったらしいな
553無名武将@お腹せっぷく:03/04/12 23:54
一般民衆に仏教は、あまり関係ないんじゃなかろうか?
魚は食って良しってのもなんか変だし。
そこら辺はどーなのだろうか?
チーズって、醍醐だよね?
前に他のスレに書いたのだが、昔は赤い米(古代米発見!とかで有名なアレかな?)で
戦国末期くらいが白米が普及したんだって。

秀吉は赤飯も食ってるけど、秀頼は白米ばかりのようだそうな。

そんでもって赤飯(セキハン)は、小豆でわざわざ染めて当時を再現させたものらしい。
と書いてて気付いた555だが、
秀吉と秀頼の差は身分も関係してるのかも。

急に白米が普及してみんな食いだしたというよりも、
身分の高いものは白米を食って贅沢してたって考える方がありそうだもんな。
557無名武将@お腹せっぷく:03/04/13 10:25
>>553
兎を一羽二羽と数えるのは、寺の坊主共が肉を食う為、兎は鳥ですという方便の為
にこう数えたと聞いた事があるな。
558毛乳頭 ◆rpiMulRTOc :03/04/13 11:44
毎日赤飯、毎日おめでとう
559無名武将@お腹せっぷく:03/04/13 21:48
>557
??
それって答えになってない。
牛や馬以外は食べてたのでは?
いのしし、ウサギ、たぬき、しかとか
561無名武将@お腹せっぷく:03/04/13 22:22
>>21
「うまいうまい」とソーセージだろ!!笑
562山崎渉:03/04/17 11:06
(^^)
563山崎渉:03/04/20 05:39
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
564無名武将@お腹せっぷく:03/04/25 01:14
当時の食材って何があったんだ?
和食の食材ならいろいろあったでしょ
566無名武将@お腹せっぷく:03/04/25 02:28
いわゆる和食は最近の料理だよ。
567:03/04/25 11:03
死人の肉
568無名武将@お腹せっぷく:03/04/25 12:40
一汁三菜。

http://www.net-para.com
569無名武将@お腹せっぷく:03/04/26 12:58
落花生の本格的な栽培は明治に入ってから。
ただ、江戸期の書物には「南京豆」との記述もあり
中国から輸入されていたようです。
戦国期にも多少は入っていたかもしれないが、
この時代の殿様が酒の肴にしていた可能性は低いな。
570無名武将@お腹せっぷく:03/04/27 13:32
このすれってここと関係ありそうだな
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/army/1049553688/
571無名武将@お腹せっぷく:03/04/27 15:06
司馬遼太郎が対談集の中で秀吉が、ビーフシチューを
食べた事があると言っていた。
本当ですか?

572無名武将@お腹せっぷく:03/04/27 17:39
>>21
禿同
冬は? 野菜とかは漬物だけ?
>573
考証をしてない思いつきだが書いちゃおう。

ネギなんかは土に埋めておけば結構もつ。
根菜なんかも日持ちするだろうね。
他は、切り干し大根、干し柿、豆かなぁ。
冬至にカボチャ食う習慣てのも、
野菜の摂取量の減る冬季にビタミンを補給する事で
健康を保てるって事を経験則から作られたモノだろうし、
基本的に野菜は少なかったんだろうねぇ。



いざとなったら木の皮を食う

























かも知れない
576無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 09:47
謙信公のかちどき飯
ttp://web.joetsu.ne.jp/~jtca/taberu/kachidoki/kachidoki.htm

クルミがたくさん使われていてうまそうだ。
冬瓜ってのがメニューに入っており、
冬の野菜かと期待してしまうが、旬は夏。
577動画直リン:03/05/05 09:51
>>574
そのへん突っ込んで調べると何かありそう・・・・・。
野菜とか保存食に加工する事で増えるビタミンあったよね?(漬物とか)

栄養学とか詳しい人降臨キボンヌ↓
579無名武将@お腹せっぷく:03/05/08 03:06
七草粥もそうじゃないかな?
580__:03/05/08 03:14
581無名武将@お腹せっぷく:03/05/08 04:30
>>574
かぼちゃは多分まだ伝来して無かったろう
日本古来の野菜って何?
>>582
芹とか蕗とか山芋とかじゃないの?
>581
かぼちゃは冬季の野菜の少なさを
説明する実例としてあがっているだけだが?
585無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 11:17
殿様は女体盛りを食っています
ムヒョヒョ
おやつも教えてくれ、菓子やら果実やら・・・・・

砂糖かけた桃の食いすぎで死んだ殿様の話は昔聞いた事あるが。
青森だったかな?
お腹すいた
>>582-583
参考程度にどうぞ 奈良時代の貴族の宴会料理一部再現
ttp://www23.ocn.ne.jp/~oukoku/seikatu/shoku/nara.htm
ttp://homepage3.nifty.com/murata35/kansaitanboki/silkraod/
589無名武将@お腹せっぷく:03/05/17 15:11
>576
うまそ。
でも日常は謙信クラスですら質素だったんだねえ。
590無名武将@お腹せっぷく:03/05/17 16:38
>>586
>砂糖かけた桃
現在でも贅沢品だなそれは。
でも(゚д゚)ウマーそうだから今度やってみよう。
591無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 22:34
1万石の価値って現在ではどれくらいなんだ?
592無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 23:55
寿司
593無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 23:56
10万石まんじゅうのうまさってどうなんだ?
594無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 23:59
>>590
ネタつうか昔話だよ。
実際に桃に砂糖かけると(゚д゚)マズー
まあ、やればわかるぞ。
戦国時代の桃は今と違って品種改良してない罠
>>586の殿様はなんというか、砂糖水で喜こんでいる消防みたい
>>591
米一万石: 1500トン
一万石の大名なら五公五民で収入は米750トン
597無名武将@お腹せっぷく:03/05/20 05:55
>596
>収入は米750トン
米の相場知んないけど10キロ5千円として
3億7千5百万?
いまと昔じゃ米の価値もちがうけど。
うんこさん
599山崎渉:03/05/22 01:17
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
またーりと保守してみる。
601無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 23:02
mari
602無名武将@お腹せっぷく:03/05/26 00:52
セサミンについてTVで放送した時に
兵糧丸の話題が出ていたので拾ってきた。

#携帯用の兵糧としてよく用いられたものに『兵糧丸』がある。
#直径4〜5cmの丸く固めた兵糧のことであるが,
#1個で1食分のカロリーに相当したという。
#そば粉や黒大豆,かたくり粉を中心に梅肉,人参,山芋,甘草などを
#粉末にして混ぜ合わせ,酒で固めた戦陣用の完全食であった。

記述には入っていないが、ゴマも入っていたらしい。
603あぼーん:あぼーん
あぼーん
604無名武将@お腹せっぷく:03/05/30 01:47
age
605動画直リン:03/05/30 01:51

                          .|_|__|__|__
                        .∧_/|__|__|__|_
                  グシャ  (  ;;;;;;;|_|__|__|__
                    =〔~∪ ̄..|__|__|__|_
                    = ◎〜◎|_|__|__|__
干し飯、焼米って食ってみたい
608無名武将@お腹せっぷく:03/06/14 10:54
柿はくってるだろーな。
609無名武将@お腹せっぷく:03/06/17 11:14
>>576 かちどき飯 祭りで食べられるってホント?
>>586 らくがんは絶対あったな
小説などでもよく瓜(うり)が果物として食われてるようだが・・・

瓜って食ったことある?
611無名武将@お腹せっぷく:03/06/17 21:02
騰吉郎も瓜売りやってたね
612無名武将@お腹せっぷく:03/06/17 21:06
>>610
まくわ瓜と西洋メロンのかけあわせがプリンスメロンです
>610
なに瓜かはしらんが、うちの母親が好きで
よく出てきたので俺も食ったよ。
あっさりした甘さと、歯触りが好きだった。

確か、漬け物(浅漬けor塩揉み?)にもしたはず。
614無名武将@お腹せっぷく:03/06/18 06:55
>610
子供の頃夏によく食ったよ。スイカより好きだったな。
漬物(浅漬け)もけっこう好き。

戦国時代の漬物ってどんなのがあったのかな。
塩漬けと糠漬け?
615 :03/06/18 11:28
味噌漬け 粕漬け 梅酢漬け 湯漬け ものども我につ漬け
616 :03/06/18 11:29
>>ウリ

きゅうりの太った味
メロンのやせた味
>>611-616
なるほど、なんとなく想像できたよサンクス
シャッキリ美味そうだ
今日読んだ小説にも瓜の塩漬け(酒の肴)が出てきた
謙信が酒と一緒に食ってた梅ってなんなんだろうな?
餅食いたい
620無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:50
桑の実
621無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 03:03
622無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 03:23
当時は2食で肉類もなかったんでしょ?
兵士も含め当時の人々の体力がすごい。
おれなら、戦に狩り出されても
冬に野営するだけで死ぬわ。
623無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 03:25
腹減った
食べ物めぐんでくれ
>>623

( ´∀`)つ●←兵糧丸
625無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 08:43
いま筋トレしてるが
肉系タンパク、乳系タンパク摂れって言われる。
大豆系は効果低いってさ。
当時は内陸だと魚はむつかしいよな。
中日ドラゴンズのリナレスが豆腐食べて、筋肉キープしつつ11キロも減らしたのを知ってますか?
627無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 16:10
あれは中の人が出てきたんだ
炭水化物中心だと持久力付くのでは? 空腹にも強いだろうし。
カルシウム不足も否めない。
それでもあの時代の人はちゃんと生きていけたんだよなー。
TVの情報番組やらで○○を取らないとやばいよやばいよーと、
煽っているのがアフォらしく見える。
(当時の人と現代人では体の出来が違うのかもしれんが。)
631無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 01:42
南北朝時代の篭城のときに馬食べたってのは
聞いたことあるけど
戦国時代にもあったの?
そんな激しい篭城戦教えて!
家康が牛の糞天ぷらにして食べてたのは有名。
あの加藤 鷹がAV女優の耳タブを食いちぎったのも有名
634無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 01:49
>>632
いとくだらなし。
>>631
関ヶ原から逃げた島津とか
秀吉に囲まれた鳥取城とか
真偽は不明だが聞いたことあるな
636無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 01:53
>>630
飽食の時代には別の栄養素が必要になることもある
炭水化物を過剰に接種するとビタミンBやカルシウムが不足したり

という訳で
みんな質素な食事に変えろ
当時の人はそれでも生きた
質素な時代・・・人生短い
現代・・・長寿
我々・・・不自然な食事ばかりでもうだめぽ
赤米ってもう食べれないのかな?
>>638
通販なんかで普通に売ってるし、食べられるんじゃない?
640無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 13:45
>>635
鳥取城では死人が出たら争って食ったという記述があったような。
部分では脳が美味とか。
>>640
信長公記
開城後、粥を与えたら死んだんだっけ?
水を求める被爆者に
水を与えたら、満足したのか急に死んじゃった
みたいなことなのだろうか
何も食べない期間が長すぎたために、胃が極度に衰弱していたと言われる。
極度に衰弱した胃には粥ですら刺激が強すぎて受け付けず、吐き出してしまうのだそうだ。
水で溶かした小麦粉くらいから馴れさせるのが適当、という栄養学の話も。

ちなみに>>641で信長公記と書いたけど、同書にあるのは>>640のように死人の話ではなく、
死にかけの人。

殿様の食事じゃないのでsage
645無名武将@お腹せっぷく:03/07/13 01:52
ttp://kyouiku.mukogawa-u.ac.jp/mnakauye/sotsuron97/soybean/ma0210.htm

東北地方に納豆の生みの親が源義家という
伝説が残っているとか・・・
646無名武将@お腹せっぷく:03/07/13 07:59
>>644
弱った体、もしくは空腹続きの人間が一気に大食すると
胃や身体に対するショックで死んでしまうってのはよくあるんだろうね。
手術したあと、禁食が解けたら最初は重湯からってのはそいう
ことなんだろうな。

たしか、備中高松に本能寺の変を知らせる飛脚(光秀が出した毛利への
密使とは別ね)がきたとき、その飛脚はずっと走りつづけた後、
出された粥を大食して眠り込んだらそのまま逝ったという話もある。
647三好義興:03/07/13 08:42
漏れは松永久秀に毒を盛られました…
648和炉詰め合わせ.zip:03/07/14 05:05
当時の武者の身長って150cmが平均ってマジ?
ということは、女はみんな130cm台・・・

ハァハァ
いっとくけどな、背が低いってのはつまり足が短いって事なんだぞ
決して同じ比率で縮小されてるわけじゃないんだ



でもハァハァ
>>648
passヒント下さい
651無名武将@お腹せっぷく:03/07/14 09:58
時代がちょっと違いますが

気候が寒冷期ー天明年間ころ
男157p、女145pがせいぜいだったそうです

高温期ー南北朝時代
残っている鎧とか
足の骨とかで、男平均166pくらいと推定される

でも一般庶民はもっと小さそうな・・・

増上寺で発掘された徳川秀忠は”骨太
虫歯もなし”だったとか
バランスのとれた食事をしていたのでしょう
>>651
でも、歴代将軍の下顎は代を重ねるごとに弱く、細くなってたみたいね。
硬いモン食わないから。
姫飯or強飯
福島正則が加藤清正への手紙で「今日は蓼の塩漬で飯を食い候」と書いたら
清正は「蓼なんか贅沢だ、味噌で充分だ!」と怒ったとか。
655山崎 渉:03/07/15 11:59

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
         (⌒\  ∧_∧
         \ ヽヽ( ´_ゝ`)
          (mJ    ⌒\ 
           ノ ∩  / / ∩  ___
           (  | .|∧_∧/ /  |      | 
       /\丿 | ( >>655)/   |\⌒⌒⌒\
       (___へ_ノ ゝ__ノ     \ |⌒⌒⌒~|    
657ウマル氏:03/07/16 09:05
>>428
馬って動物に長年触れ合ってみなよ。
あんなに従順で、人間になついて、優しい動物は他にないよ。
一番近いのは犬だけど、犬は自分勝手でしょ。
馬は信頼する主に対しては黙って背に乗せる。

馬を食わないという思想が当時生まれたのは当然至極といえるのでは?
>>622
ほんの数十年前の日本人もほとんど肉類を摂取せず(たまに魚貝類が食える)
肉体労働に勤しんでたし何とかなるんじゃね
当時を知る祖父母が生きてるんなら聞いてみな

帝国陸軍も米と味噌だけで大陸を闊歩してたんだろ
>>654
池波正太郎がエッセイとかでよくそのエピソードを書いてるね。
「質素だったんですねえ」って。

蓼って美味いのかねえ、俺は食ったことがないからわからん。
「蓼食う虫も好き好き」なんて言葉があるぐらいだから、
えらく辛そうなイメージがあるんだけど。
蓼ってあれだよ
カイワレダイコン…
661659:03/07/18 08:07
>>660
え、そうだったの?
俺はかいわれ大根を蓼と知らない現代人だったのか…
>>660
微妙に違う気が…
貝割れの一部に蓼の芽があるというのは聞いたことあるけど
馬食い禁止は、武具としてウマを扱っていたということでは。
いざという時ウマがいなきゃ、武士は話にならない訳で。
ペットとか信頼とかそう言う思想を江戸以前の武士が持っていたとは考え難い。
大切なお役目の前日に、ネギをたくさん食って
ネギ臭プンプンで当日に、武士にあるまじき不作法と
えらく怒られた侍がいなかった?

昔のネギは臭いも今よりきついんだろうなぁ。
昔の野菜はなんでも臭いきつかったみたいだねえ。
戦国時代どころか、ほんの半世紀くらい前までは。
>665
今でも家庭菜園で作った野菜と、
スーパーで買う野菜では
味も臭いも濃さが段違い。

俺達は虫も食わない物を食っている。
それで生きれれば問題ないな。
虫が恐れ多くて食わないものを食っているのだw

ちなみに、実際虫には毒で、人間には旨みという成分もあるんだよ。
>>666
山岡さん?
まあ、家庭菜園の野菜も
それなりにいい土がないと、スーパーの野菜よりまずいけどね
余程の職人さんが作った少量の野菜だけだな、ほんとに美味いのは。
俺の食った家庭菜園の土は、
鶏糞&腐葉土&生ゴミで作られた土で、
野生化した芹やハーブがどんどん生えてくる。
野菜も果物もうまいのが採れるよ。

>667
確かに、虫の有無で一概にはかることはできませんね。
hosyu
673無名武将@お腹せっぷく:03/07/26 02:01
今年みたいな気候の年は、
東北地方は食い物無かっただろうな。
674無名武将@お腹せっぷく:03/07/29 02:04
ひょうはく米は江戸時代から、だよな?
玄米茶漬け?
675無名武将@お腹せっぷく:03/07/29 02:52
幕末の話だが会津戦争の時に、会津藩の勇将を薩摩藩の香具師等が、
「勇者の肝を食べると、自らも勇者になれる」という昔からの伝統にのっとり、
死にたての死体から肝臓を取り出して喰ったそうな。
南九州には戦国時代からそういう風習があったのでしょうな。

ちなみに新鮮なレバ刺しはすげーうまいので、たぶん人間のでもうまいと思う。
676無名武将@お腹せっぷく:03/07/29 07:24
>>651
男166cmねえ・・・
いろんな資料を見ても、そんなに背が高い時代があったとは思えないけどね。
でも、確かに昔の日本は95%が農民でさらに60%くらいは貧農だったから、
武士階級や貴族階級がいくら背が高かったと言われても一応は辻妻は合うけどね。
しかし、やはりちと信じられない。

それと、日本人の身長が何百年周期だとか寒冷期・高温期がどうのこうのというのは昔の話し。
現代人が日本史上ズバ抜けて高いのは質量ともに優れた食事と栄養学の発達によるものだから、
もはや暑くなろうが寒くなろうが関係ない。
そもそも、現在、世界で一番、背が高いの北欧人だし。

昔の日本の間違った栄養学では米は万能の食品と言われて乳児の離乳食に何ヶ月もお粥だけ飲ませたり、
魚肉絶ちをしてる人が大豆にタンパク質がある事を知らずに病気になったりという事も多かった。
677無名武将@お腹せっぷく:03/07/29 07:27
>>630
明治維新以前の平均寿命は三十代程度ですよ。
それは乳幼児の死亡も含めてだろうと反論する人もいるだろうけど、
乳幼児を除いても平均は五十ちょっとです。
白米しか食わなかっただけと聞いたが
679無名武将@お腹せっぷく:03/07/29 11:36
>>678

脚気に注意。
680無名武将@お腹せっぷく:03/08/04 01:44
戦国時代なら、白米はないんじゃないか?
赤米だろ。
681無名武将@お腹せっぷく:03/08/04 10:28
>>680

赤米って現在の水稲の元になった種類の通称名だろ。
白米は玄米を精白したもので、種類の名前じゃない。
赤米は面積あたりの収穫高少ない。
戦国時代にもなれば、ある程度品種改良が進んで違うものを作ってたと思うが。
まあ、地域にもよるだろうけど。
城の内壁は、骨組みの上から塩で固められてたとか、
ゼンマイを味噌で煮込んだ物を、干して縄にし、
戦場でそれを千切って湯に戻して、即席味噌汁にしたとか。
「とか」ばっかだな・・・。
あぁ、殿様限定でしたか、スマソ。
>682
芋蔓ではなかった?
685無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 20:36
>>677
でも長寿の武将多いよな。

中国の皇帝ならともかく
1県すら支配してない大名が普通で
さらにいろいろ出費のある当時は贅沢できんかもね。
安土城、大阪城は豪華だけど。
686無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 20:45
この資料は本当ですか?
おどろきますた
http://www.ceres.dti.ne.jp/~takeda/sinchou.htm
210cm 孟獲

208cm 呂布

207cm 関羽

でかすぎ
688無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 20:51
その他
華雄が237cmらしい!

しかしこれは中国の陰謀だよ
ロシアやら中国という国は
他の国を馬鹿にして
政治絡みになるとなんでもでっち上げる
癖がある!
689無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 21:10
たしかに北中国人は背が高いが..
そんな高いわけあるか!
つか、殿様は三国志の武将を食わないから
彼らの身長などどーでも良いよ。
獣肉はやはり鹿や猪などが一般的だったのだろうか?
>>690
すげぇ理由だ(w
>691
鶴。
いや、日常的に食っていたかはしらんがな。
694無名武将@お腹せっぷく:03/08/13 22:41
馴れ寿司なんてのも食っていただろうね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/456957646X/qid%3D1054685456/sr%3D1-5/ref%3Dsr%5F1%5F2%5F5/250-0466212-9350656
に書いてあった内容を一部抜粋

・ミミズの塩辛・蛇の蒲焼・蛙の膾というのもあった
・乾燥野菜などを使ってのインスタント味噌汁があった(増田長盛発明?)
・やっぱり生米は腹を壊すので家康は禁止令を出してる
・酒の作法が意外とうるさい
・兵糧丸は色々な調合があり軍事機密として隠していることもある
生米と言えば、陶軍の石見攻めを思い出す。
飢饉続きで腹を空かした兵隊連れていったら、
砦を落としたとたんに貯蔵されていた生米を食ってしまった。
もちろん腹痛で動けなくなったところを、
逆襲され敗退。切られた兵の腹から生米が出てきてびっくり。

記憶で書いたから細かいところ違ってるかも・・・
697あぼーん:あぼーん
あぼーん
>切られた兵の腹から生米が出てきてびっくり。

イヤスギ
良すれ
腹減ってきた
三成や行長は関ヶ原からの逃亡中に
生米食って腹壊していたらしいが
腰兵糧は持ってなかったのかな?
炒り米とかじゃなくて、米を戦場で調理する場合、

そのまま生で食べる
水に浸して食べる
布などで包んで地中に埋め、上で焚き火して加熱(焼き芋みたいなものか)
布や葉、竹などに包んで火中に投じて加熱
鉄製の陣笠などを鍋釜にして炊く
専用の炊飯器具で炊く

などがあるようで、三成も一応水に浸したり煮たりしたかもしれないけど
急ぐあまりに半生で、腹壊したのかもね
703無名武将@お腹せっぷく:03/08/21 09:55
きっと1600年頃だとヨーロッパ人もろくなもん食ってないんじゃなかろうか?
中国はどうかなー
おれは最近納豆ばっかくってるけどな
>>701
火を使うと敵に見つかるし
>>685
だから平均での話し。
もちろん長寿の武将も多いけど、
反面、乳幼児の頃に死んだ武将の子もいるわけで。
706無名武将@お腹せっぷく:03/08/21 11:53
>>663
でも、犬や猫も多数、飼育されてたし、
太田資正は犬を100匹以上飼育して全てに名前を付けて可愛がってたという。
それで、太田が「もしも自分が留守の時、敵が来たら犬を放せ」と家臣に命じてて
ある日、太田が外出の時、敵が攻めてきて、太田の言いつけ通り、犬を放したら犬は太田のとこに来て、
城の危機を知らせたという逸話あり。
他に松永久秀はスズムシを熱心に飼育してたし、
城では一般的に小鳥が飼われてたし、庶民の間ではハツカネズミの飼育が流行したという。

それで、牛や馬だけど、昔の人も今の人も同じ人間だし、
動物と一緒に暮らしていたら情も移るし信頼というものもあったろうと思われる。
「昔の人にそんな概念はなかった」とかいうのは正しいとは思えん。
707無名武将@お腹せっぷく:03/08/21 12:24
昔の人のごちそうは何といっても魚だろう。
特に豪華な料理の象徴とされたのは鯛だ。
この鯛、腐っちょる!
腐っても鯛っちょる!
そりゃそうでしょうが、この場合ペットと言っても、
(偉い人は)自分で飼育している訳ではないでしょうし、
やはり現代人が飼っているペット(と持ってるペット観)と
同類に捉えるのもどうかと。
ハツカネズミってホントに愛玩用なんですか?
食用にするには肉があまりないよな
良スレ保守した〜〜い
714無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 23:19
秀頼の好物はサザエ。
ただ、サザエが木になっていると思ったとか。
715無名武将@お腹せっぷく:03/09/06 20:04
信長は鴨が好物だって
信長は蘭丸が好物だって
小姓をいただくとき潤滑油のようなものは使わなかったのだろうか?
唾ぺっぺ、だな!
潤滑油代わりに山芋とか昆布つかうとか↓ここにあった。

【無駄知識】ホモビアの泉【2んあっ】
http://www2.bbspink.com/test/read.cgi/801/1059804018/221-230
720鉄人細川:03/09/07 21:28
>>716〜719
おまえらスレ違いですよ。
ところで当時蒟蒻ってあったの?
hosyu
新田次郎は、雑穀の甲軍vs米の越軍としてたな。
ほす
724無名武将@お腹せっぷく:03/09/26 12:50
>>717
「ねり木」という潤滑剤を使っておりやした
そういえば江戸時代初期には普通に肉屋があると聞いたのですが・・・
726無名武将@お腹せっぷく:03/09/27 06:49
>>724
でも、日頃から主君のモノの太さに合わせて、菊門を拡げるように練習しないと
いけなかったみたいね。
芋類を食べちゃいけないとか、清潔にしてなきゃいけないとか。
727無名武将@お腹せっぷく:03/09/27 07:08
うんこ
728無名武将@お腹せっぷく:03/09/27 11:11
平時は玄米、戦時は白米
729無名武将@お腹せっぷく:03/09/27 11:19
雑穀食わされてた最強騎馬軍団・・・
730無名武将@お腹せっぷく:03/09/27 11:28
>>726
美童なら食ってみたいな…ハアハア
>729
食わされていたというか、
小さいときから食っていたから
普通の飯だったんだろうね。
732無名武将@お腹せっぷく:03/10/05 21:16
干物マンセー
733無名武将@お腹せっぷく:03/10/07 22:41
タイムスリップしたら飯まずくて食えないかも
冷蔵庫がないからな。
まずいというより雑菌に当たって
食中毒死する。
鶏肉食ってたのかな?
736無名武将@お腹せっぷく:03/10/15 04:50
鶏の卵は?
>>735-736
鶴は食ってたようだけどね
鶏を飼う習慣もあったようだから(『日本史』フロイス より)食ったんじゃないかな
738無名武将@お腹せっぷく:03/10/16 02:50
>>737
ツル?
あんなもん食うほどたくさんいたの?
写真でしかみたことないけど。
739無名武将@お腹せっぷく:03/10/16 03:38
いただろ。
秀忠の倅・忠長が城の塀に止まっていた鶴を鉄砲で撃ち、夕食の膳に
加えたために、秀忠から叱責を受けたという話もあるし。
江戸城の周りに鶴がいて、鉄砲で撃ち、吸い物にしたというのだから、
日常的に食う習慣があったんじゃないの?
理由は「大御所から自分、自分から家光に受け継ぐべき城に鉄砲を向
けるとは何事か!」ということらしい。
まあ、自分の子供でもない家光に家督を譲る秀忠・・・たまらんよな。
740無名武将@お腹せっぷく:03/10/16 03:40
ちなみに家光の好物は・・・ムフフ・・・
741無名武将@お腹せっぷく:03/10/16 04:08
>>739
江戸城にツルか現代からは想像できんな。
おまえら野生のツルみたことあるけ?
白鳥と鴨ならみたことあるがよ…
鶴なんてないぞ
そりゃまあ、乱獲で減ったからな
鶴も
>>739
> まあ、自分の子供でもない家光に家督を譲る秀忠・・・たまらんよな。

……え?
>744
そうか、そこ突っ込んで良かったのか。
良かったぁ。
俺の知らないうちに、
新しい定説ができたのかと不安になったよ。
746744:03/10/25 04:27
>>745
俺も妙に自信なくなっちゃったから弱気の突っ込みに。
前半はちゃんとしたこと書いてあるしなー。まさか家光は家康×春日局の子供とか
そういうつもりだったんだろうか>739
747無名武将@お腹せっぷく:03/10/26 02:03
疑問解消祈願age
天海の子という怪説があるらしい。
誰のとだ、というのが謎だけど。
749無名武将@お腹せっぷく:03/11/10 00:15
age
3Qgets!
751無名武将@お腹せっぷく:03/11/14 01:53
当時は山鳥とか食ってたんですかね?野生の。
そういうのって弓矢or鉄砲??
752無名武将@お腹せっぷく:03/11/14 05:01
真田軍は大坂の陣で鉄砲猟師を多く抱え込んで、正確な射撃で寄せ手を翻弄
したらしいけど、鉄砲だってそんなに安くは無いでしょ。火薬だって貴重品だし、
まとまった数が民間に流通してたかどうかは疑問。
やはり基本的には弓だったんじゃないの?
確か前に見たサイトでは江戸期に鉄砲数を調べた資料が載ってて、
民間でもかなりあった記憶がある。ただし比率とかはさっぱり忘れたけど。

しかし野鳥には罠がいけてたんじゃないかな?
例えば小さな鳥を取るには、網を木の間に貼っておけば、
魚が引っかかるみたいに取れてたような、
ツグミ取りってそんな感じだったような。。
全部うろ覚えだけど
それに戦国武将が使うような鉄砲でやると、
弾が鉛なので当った瞬間に平べったくなって、
そのまま肉を貫通して、でっかい穴が開くらしく、
そんなのをそのまま鳥に使ったら、肉の半分ぐらいは飛び散ってしまいそうだ。

たしかに戦国武将や江戸期の大名が鉄砲で鳥を取ったという話も残っているけど、
遊び半分じゃないかなぁ。。
頭を狙うんだろ。
火縄銃はスナイプライフルだと言うし。
鴨とり権兵衛は網で鴨とってたな。時代背景とかわからんけど。
昔話って言えば猟師が鉄砲で化け狸とか狢を仕留める話があるな。
ひょっとして明治以降にできた昔話?
それを猟師が鉄砲で撃ってさ って歌もあるね。
散弾銃とかなかったっけ?
モンゴルのてつはうは散弾銃
760無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 04:05
食べたいage
ソースが井上靖なんで微妙っちゃ微妙だが、
大黒屋光太夫一行がロシアでは散弾銃を使って鳥を撃ってると
幕府の役人に報告するくだりがあった。
してみると当時の一般的ではなかったのかも。
モンゴルのてつはうは石火矢の親戚だとすれば散弾銃というより
炸裂弾みたいなもんだから狩りには不向きだろう。
散弾銃っぽいものとしては南蛮打雷が該当しそうだが、
17世紀のラッパ銃を江戸期の猟師が持ってたとは思えん。

食い物に戻ると、江戸時代トキの肉が珍重されて乱獲されたんで、
保護政策を打ち出したって話を聞いたことがあるがソース不明。
案外鳥肉はポピュラーだったのかな?
豚汁って最近のものかな?
763肛門の会:03/12/07 02:16
タヌキ汁とかかちかち山で出てきたし

狸、いたち、猪、山犬とかはふつうに食ってそうだ
>763
普通にって、一部ではの話だろう?