1 :
タケノコ ◆ENokT4mw :
多種多様な三国志が存在するために、
論点が不明確になりがちな三国志の話題。
それを避けるために、このスレでは正史についての話題のみでお願いします。
演義、無双、吉川、横山、北方、天地を喰らうなどは専用のスレでお願いします。
純粋に2
3 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:07
知識仕入れたばっかでしゃべりたくてたまらない史学科うざいよ。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:08
5 :
タケノコ ◆ENokT4mw :02/10/03 17:08
スレ立てしたし話題を振ろう。
魏は何故倒れてしまったのか。
あれほど広い土地を持ち、人材も充実させながら滅んでしまった。
その原因は何だろう。
異民族の反乱を抜きにして考えれば、魏での反乱は数が多い気がする。
スレ誕生おめでとうage
7 :
タケノコ ◆ENokT4mw :02/10/03 17:11
8 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:16
>>5 んな難しいことわかるか。おまいは知識を自慢したいのか?
いいじゃないか。なんか演義スレのほうは無双厨お断りって書いてあるが、
はっきり言って、三国ヲタのほうがキショイ。
無双ファンを馬鹿にすんな!無双のおかげで三戦スレがあるようなもんだ。(三国志なんて知ってるヤシ少ないだろ。
もはや板違い。世界史スレ逝け。ちょっと言い過ぎたか?
でもな、無双好きの方がが多いんだからな。長文スマソ
9 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:16
やっぱここってある程度知識がないとまずいよな…。
うっかり厨っぽいこといいそうで怖いよ。
10 :
タケノコ ◆ENokT4mw :02/10/03 17:17
>>5 >>1を読んでくれ。
馬鹿にしてはいない。
「話題の混乱を避けるため」に「別のスレ」を作ったのだ。
分かってくれるな?
11 :
タケノコ ◆ENokT4mw :02/10/03 17:18
>>8 本当に氏ね。板違いはおまいだ。
無双が人気でも三国志好きなヤシはたくさんいるんだよ!
>>8 ヴォガは放置しませう。
無双は只のゲーム。考察する価値は無し。
つうか
>>8は何を求めてここに来たんだよ
ゲームの話がしたきゃゲーム板いけよ
15 :
タケノコ ◆ENokT4mw :02/10/03 17:20
喧嘩しない。
いいですか。
「違う話題だから」
「別のスレ」
を作ったんです。
どっちが上、下ってんじゃないんです。
たこ焼きの話題のスレでイカ焼きの話をするのは混乱の元だから
別のスレを作ったようなもんです。
17 :
タケノコ ◆ENokT4mw :02/10/03 17:20
たこ焼きはイカ焼きよりも人気があるから上!
とか言い出す人間がいたら「?」って思うでしょ?
そゆこってす。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:21
あぼーん
タケノコは意外におもろい性格だった。
22 :
三戦板で超有名:02/10/03 17:24
世界史板にちゃんとあるじゃん…
ここはタケノコを語るスレになったのか?
25 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:25
>>23 まあ何だ、三国志・戦国と銘打っておいて正史のスレの一つも無ければ格好がつかないじゃないか。
>24
それはない。
袁紹と董卓の関係
他の板でPART2までいっているスレがあるのに
ここの板でまたスレを立てて意味があるのか?
既にあるスレに参加した方がレスも多くつくようになって
良いのでは?
ここで正史を語ろうとしても演義・ゲームの話が
主題になってしまうのはこれまでも何度もあっただろ?
31 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:42
韓馥は何故董卓に刺史に任命されたのか
わかる人は居る?
32 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:43
>>30 26 :タケノコ ◆ENokT4mw :02/10/03 17:25
>>23 まあ何だ、三国志・戦国と銘打っておいて正史のスレの一つも無ければ格好がつかないじゃないか。
>24
それはない。
>>30 世界史板にスレがあるなんてみんなしらねえでしょ
俺も知らんかった
だからいいじゃん
もしお前がそう思うなら随時このスレから誘導すればOK
33 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:44
34 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:45
>>33 世界史板にスレがあるなんてみんなしらねえでしょ
俺も知らんかった
だからいいじゃん
もしお前がそう思うなら随時このスレから誘導すればOK
37 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:52
世界史板の三国志スレも1000が近いことですし、
世界史板に巻三を立てるときは
スレタイトルから「正史」の一文を抜くことはできないでしょうか。
「正史」に限定して三国時代を語るスレは世界史板よりも三国志板のほうが
ふさわしいように思えます。
三戦板で正史について語ることに意味があります。
向こうとは違った感じになるんじゃないかな
なんて期待があるからですが。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:54
うるせー馬鹿!
(⌒Y⌒Y⌒) / ̄ ̄ ̄\
\__/__ _ノ _ \
/ \\ / / \/\ ⌒)
/,へ.__, ,_ノヽ \ \ / / ,へ.__, ,_ノヽヽ /
| (・) (・) \ ⌒ ) | _| (・) (・) V
| ⊂ U 9) ) | (6 U > | あはははですぅ。
| ___ | ). ヽ_フ ___ | /////\
\ \_/ /. \ \_/ / ///// \
\____/ / ̄ ̄ヽ/⌒ ̄\ \____/ / ̄ ̄ ̄ ̄ \ |
i i⌒\__ノ ノ)( ヽ_/⌒i i | ⌒ ⌒ ヽ |
ヽヽ ヽ 井波律子 // ⌒\ 丿 /./ | ´c ` 9)
)) )-─/ //| | |\\ \─( (( | ____ |
ヽヽ ヽ/ // ∪ / ノ \.ヽ ヽ ヽヽヽ \ \_/ /
(((_ノ( ( < | || .>.) ) .(_))) \__ __/
ヽ ヽ ヽ ∪∪ //../ ( ヽ
\ \\ ..// / (⌒(⌒,,人)
(⌒_(⌒__ヽ /__⌒)_⌒) ↑
↑ 陳寿
>>30、
>>33、
>>35
とりあえず、荊州の4人組って曹操が任命したんだっけ?
43 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 17:59
反董卓で挙兵した連中って結局なにやったんだっけ?
44 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 18:14
あぼーん
46 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 18:15
48 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 19:01
>>44 あの四人は別に落ち度は無いぞ、何を持って彼等を非難するんだ?
49 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/10/03 19:39
>>5 長江以南への人口移動による根本的な生産力の衰退。
3世紀半ばにヨーロッパで立て続いた天災でローマ帝国が衰弱したことに伴って、
ユーラシア大陸を横断していた北回り交易路が弱体化し、
北中国(雍州司州)に国家の拠点を置いておく旨みが少なくなったこと。
古気象学ではちょうど地球が小氷河期に当たっていたので、
北中国での耕作が振るわなかったであろうこと。
たえず潜在的な脅威として存在し、塞内の結束の原動力となっていた匈奴が西方へと移住したので、
自国内での勢力争いに集中しやすかったこと。
そんな小さな理由が重なっていって、
乱世気分が抜けなかったとか。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 19:45
正史では関羽が曹操のところからどうやって劉備のところに戻ったの??
千里行の話は演義だけだったの??
51 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 19:47
>>50 曹操に降伏後張遼と共に顔良隊を迎撃、顔良を戦死させた後脱走。
>>49 そんなにややこしいことかな。
結局、魏の滅亡というのは司馬晋に乗っ取られたということだから、
なぜ幕僚のひとりがそこまで権力にぎれたのか、ということがポイントじゃないの。
魏の権力構造が始祖曹操の半ば同僚的な個人的な部下の連合という実体のまま
世代交代したから個人の力量でまさる司馬氏が曹氏を圧倒したわけでしょう?
53 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 20:01
54 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 20:05
55 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 20:14
>>52 曹一族をあまり重要な地位につけなかった
から、権力が弱体化した。とどっかでみた。
うろ覚えでスマソ。
56 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 20:16
呉は他民族の反乱が多かったみたいだね。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 20:17
58 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 20:17
誤にも反乱者が多くて困る
59 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 20:42
>>55 確か司馬炎がそう言ったはず。
でも、晋は王族に兵権を与え過ぎた為に
権力争いが勃発して衰退してしまったようだ。
一族なら結束が固く、色々とプラス面があるのだろうと
考えたのだろうけど、それが全くの裏目に出てしまったんだね。
権力構造云々だけでなく、基盤を固めるべき二代目、三代目の早死も原因の一つじゃない?
泰平の世ならいざ知らず、乱世では幼君は心許無い。
で、皆が権臣司馬懿に擦寄った。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 21:50
ところで「正史」とやらはどこで売ってるんだよ。
小説ばっかで見た事ないぞ。
>>61 俺の買ってくれ。
ハードカバーの3冊で1万5千円以上した・・・・
64 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 22:03
正史だと陳登元龍ってものすごく評価たかいよね。
あと公孫氏は大体がDQN
65 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 22:05
正史って図書館行かないと無いだろ。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 22:07
正史 三国志1〜8 ちくま学芸文庫
本屋で売ってる。あまりないけど。
図書館でわざわざ資料室まで探しに行ったのになかった…
ちくしょう。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 22:13
神田神保町
東方書店・内山書店で新品の文庫売ってます。
東方の、入って一番左の列のひざ位の高さ。
内山も入って左。一番左の列の棚、こちらは腰ぐらいの高さの気がします。
(最近行ってないので、違っているかもしれません)
両方とも中国図書では有名な書店です。ここなら原文や演義の訳本も
手に入りますよ。高いけど。
>>70補足
ただし、気をつけないと、余計なものまでやたらめったら欲しくなる罠が、
充分に用意されているので、行く前には必ず財布と相談してください。
>余計なものまでやたらめったら欲しくなる罠
いや、まったく。。。(遠い目)
欲しくても財布の中身の10倍もの値段で
到底買えないような値段になる。
>>52 この板では人物に焦点が当てられがちなので、世情の面から攻めてみました。
>>55 東漢中期は、西漢末期よりもやや中央集権が進んだとはいえ、
全国に王国が19、侯国が95もあり、その下には君がいて、それらの王侯が私的に領有する民戸は、
(朝廷が把握しているだけでも)全国の戸数の4分の1を占めていたといいますから、
東漢・西漢時代は中央集権国家の仮面をかぶった封建国家であり、
諸王侯国連合政権を皇帝がまとめているといった面もあったといえます。
曹操は、その東漢と同じ轍を踏むことを嫌って、
あえて自分の血縁を王侯に封じなかったように思います。
最終的には、おっしゃる通り、同族血縁を封建しなかったことが災いして
一旦傾いてしまった魏は脆かったのですが、
逆に晋は、
>>59の指摘するように、曹操の失敗を避けるために王を27人も立ててしまったことが災いし、
またしても王侯の権力が強すぎて封建割拠を推進するという
東漢・西漢と同じ失敗を繰り返して滅びたというように言われますね。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/03 22:47
こおろぎさんは一文字スレの世話役だけかとオモタら知識あるんらね・・・
×全国の戸数の4分の1を
〇史料上ではなく、実際に存在したといわれる全国の戸数の4分の1を
6行目訂正です。
自分で振ったネタをある程度は自分で回収せざるを得ないと思っていたけど、
自分が出そうとした結論より高度なものが出てきてしまって自らの浅学菲才ぶりを恥じるばかり。
悔し紛れに勝手にフォロー。
西漢=前漢
東漢=後漢
中国では東西で呼ぶことの方が多いとか。
この東西は都の位置(長安・洛陽)ね。
78 :
Z騎督 ◆KQwZckPA :02/10/04 00:12
更にフォロー。
常識の範疇だという方もいると思いますが
司馬炎の晋=西晋
司馬睿の晋=東晋
…本当に常識
対五胡十六国でごく一般的に見られますね。
>>74 制度的な欠陥?は分かるけど、でもそれが魏の滅んだ直接の原因といえるの?
81 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/10/04 01:27
>>80 「魏が滅んだ直接の原因」 に限ってしまうと、
司馬氏のクーデターが直接の原因であることはあまりにも明白なので、
そこ到るまでの土壌や、その後の軌跡が論点かな? と思いますよ。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 03:22
興味深くスレを見てみたのだが、
いかんせん、
>>8のカキコが輝き過ぎているのが問題だ。
>>64 >陳登元龍
こんな表記している時点でDQN
>>81 いや、それはわかっているけど、権力構造はあくまで遠因に過ぎないと思ったので。
司馬氏が皇帝を蔑ろにし、他もそれに同調したのは何故なの?
皇帝の曹一族に忠義だてする連中なんかほとんどいなかったから。
漢王朝はまがりなりにも四百年の歴史からくる権威があったけど
曹一族なんか、成り上がりのにわか帝室。
魏の臣下達からすれば
自分たちの権益が保証されれば皇帝は司馬氏でもなんでもいいし
司馬氏に荷担して曹家をほっぽりだすのにもさして痛みを感じない。
司馬氏が軍権を掌握していたことに尽きるでしょう。
大尉だっけ?
>>86 曹家って成り上がり家系?
劉邦の天下取りを支えた曹参(だったっけ)の一族じゃないの?
それとも曹参とはつながりはないんだろうか?
知ってる人教えてくり。
89 :
慶太 ◆yjbVP7ew :02/10/04 10:41
曹家って言っても、曹操は宦官の家系だから
養子なんでしょ?
だって、宦官って去勢しちゃうから子供産めないし。
でも、宦官の中で三公にまで一時期は行ったらしいし、
曹操も近衛兵を指揮していたこともあったから
曹家はそれなりの家柄だと思うよ?
曹操の親父曹嵩が、宦官であった曹操の祖父曹騰の養子であったはず。
確か夏侯氏から養子に来たんだったかな。
>>90 だよね。だから、曹操の親父が養子とかにならなかったら、
曹操は「夏侯操」ってな名前になってた。
「夏侯操」ってなんか懐かしいな
93 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 14:39
>>8はむちゃくちゃ笑える。芸としても相当の域に達しているな。
>84
普通、名と字を並べることはないから
「陳登元龍」ではなく「陳元龍」、あるいは「陳登」と記述すべき。
と>83は言いたいのだと思う。
何故DQNと言っているのかはわからん。
ちうか説明くらいしてやれば良いのに。
95 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 15:13
曹操にしろ,劉備にしろ,孫堅にしろ,祖先は信憑性が薄い。
にしても,なぜ早く転覆したのか?
「中国人は裏切りやすい民族」て誰か言ってたな。
民族よりも
思想、信念。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 15:24
っていうか正史(記録書)自体魏の産物でしょう。魏に有利に書いてない確証も無い訳で・・・
演義(物語)と比べるレベルの物では無いというのは当然なのだけれど。
それに記録書だからって全ての出来事を網羅できている訳でもないと思うし(魏側で掴んだ情報のみ記載?)。
あんまり「正史絶対、他は全部ウソ!主義」に走るのはなんともはや・・・
みなさんそういう正史厨ばかりでは無いとは思いますが。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 15:28
>あんまり「正史絶対、他は全部ウソ!主義」に走るのはなんともはや・・・
このスレでそんなことを言ってるヤツはいない。
いらん方向にスレを走らせるな。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 15:44
>>98 それは失礼、では話を戻しますか。
中国人は裏切り安いと言うか、国土が広い為ここでダメなら他の国で一旗・・的な
発想が多いみたいですよね。っていうか「同国人でないと実力を認めない」気質が
日本人は強いみたいです。外国人で宰相クラスになった人は日本には居ませんが
中国では当たり前のように他国の優秀な人材を採用してます
それが思想なのか民族性なのかはちょっと判断つきませんが
100 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 15:46
>>95 「魏はなぜ早く滅んだのか」とは少し違うが、俺が興味あるのは、魏の最高実力者に上るまでの司馬懿の真意。
@自分も皇帝になりたい。
A息子、あるいは孫の代には、司馬一族の帝国を立てられるよう筋道を付けたい。
B自分は魏の臣。魏の安寧を妨げる蜀を撃退するのが我が務め。
でも、曹真らが何かと権力争いで自分の邪魔をするから、排除しとこう。
Cその他
・・・のいずれの筋道をたどって、司馬懿は魏を牛耳るようになったのか。
つまり、司馬懿は簒奪の野望を胸に秘めて魏の実権を握ることを目指したのか。
あるいは、魏の忠臣たらんと活動する過程で、邪魔者を排除して実権を得た結果、その息子、孫が魏を滅ぼすことになったのか。
どう?
101 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 15:50
最初はBで進んで行くうちAか@の目が見えてきた。
>魏の忠臣たらんと活動する過程で、邪魔者を排除して実権を得た結果、その息子、孫が魏を滅ぼすことになった
案に一票
102 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 15:51
>>94 「陳登元龍」というような名と字を並べる表記も
数は少ないものの使用例はあります。
陳寿の書いた三国志にも出てきますし
三国時代の例では魏の文帝の書いた文章にも出てきます。
使ってはならないと当時の文章に書かれていないかぎり、
問題無いようにおもえるのですが。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 15:54
>100
司馬懿って曹操から警戒されていた云々の話があるじゃん。
正史か演義か忘れたけど。
その時のトラウマから「魏憎し」の気持ちが芽生えて・・・
と妄想。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 15:55
もちろん使用例が少ない以上、
あまりスタンダードな書き方ではないというのなら
納得できますが
105 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 15:57
106 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 15:58
>>102 定期的にこの手の話がでてくるが,
正直,どっちでもいいと思う。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 16:00
正史の諸葛亮伝の冒頭には、
「潁川徐庶元直與亮友善」
曹丕の『典論』・論文編では
今之文人,魯國孔融文舉,廣陵陳琳孔璋,山陽王粲仲宣,
北海徐幹偉長,
108 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 16:01
「正史が正しい。演義はウソ!」
「姓、名、字を並べて表記するな!」
正史関連のスレの風物詩。
ホント、どっちもでいいと思う。
ウザイだけ。
袁紹は誰の子どもなのか?
110 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 16:03
妾・・・・・・?
>>108 姓、名、字を並べて表記するなという者には
具体的な例はあげませんが「正史厨房」といわれる人々が多いようにおもえます。
しかし実際に正史に使用例がある以上
本当の正史厨房ならば「姓、名、字を並べて表記するな!」などと
言うべきではないでしょう。
もしそのような寝言を言うものがいれば
そのものは正史を全部読んだことがない
偽者の正史厨房にすぎません。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 16:09
>>108 わかってないね。
その手の話を蒸し返すな、って言ってんの。
有ろうが無かろうが列記していいと思う。
正史に名前と年齢を続けて書いてなかったら「曹操40歳、」とか書くのは誤りなの?
日本語フォントじゃなくて中国語フォント(それとも三国志当時再現フォント?)で書くの?
解り易ければそれでいいじゃん。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 16:14
>司馬懿って曹操から警戒されていた云々の話があるじゃん。
「走狗煮らる」の対象ではあったかもしれない(笑)
ただ「シバイはヤバイ」と曹操が考えていたとしたら何らかの手を打っていたと思うのですが。
もしかして曹操存命中は大将軍位に付けなかったのは「あまり権力もたせるとヤバイ」と考えていたのでしょうか?
>>105 >>94で
普通、名と字を並べることはないから
「陳登元龍」ではなく「陳元龍」、あるいは「陳登」と記述すべき。
と書いてありましたので、
使用例があり、書いてはならないと当時の書物にない以上
「べき」などというべきではないとういことで、
>>102を書かせていただきました。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 16:17
知識がありすぎる人間のこだわりもウザイ。
118 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 16:20
>>117 同意。
どうせならその知識を、スレの活性化に使ってほしい。
さんざん語り尽くされたこと以外で。
>>114 あー、名と字の議論からは関係ないけど、
中国語フォントは使いたいよね
昔の三戦板ではみんな中国語フォントを使っていたが
今は世界史板でも三戦板でもそれが使えなくなってしまった
これは俺の日本語がまずかったわ。正直すまんかった。
「記述すべき」じゃ限定してるもんな。
「記述する方が一般的」に訂正しておきます。
>>120 こちらこそスレ違いの話題をいたしまして
長々、失礼をばいたしました。
魏書の曹騰=品行方正 さすがは曹操の祖父
漢書の曹騰=劉家の外戚葬りまくり? さすがは大宦官
↑
ここら辺を知りたいのですが。
正史には異常気象や蝗害の記載が繰り返し出てくるが、
中国の他の時代と比較してどんなもんだったのだろう?
「中国史・天変地異年表」なんかがあれば結構面白いもの
が見えてきそうな気がします。
(「ガイシュツだぁゴルア!!」とのご指摘、期待していたりして)
そういえば「瑞兆」や天文の記載も多いね。当時は迷信
どころか立派な科学だったんだろうなぁ。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 18:27
>>124 三国志時代の話ではないんだけど・・・
役場農政課の人から聞いた話では、江戸時代によく飢饉が発生したのは、
異常気象というより、害虫によるものが大きかったそうな。
で、現代は害虫駆除が発生しているから、昔みたいな大規模な飢饉は発生しない、と。
それと、学生時代に講義で、有史以降の気象の変化に関する本を読まされたが、
やはり現在と昔とでは、けっこう気象も違ったらしい。
もちろん、ジュラ紀と現代みたいにまったく違う、とまではいかんが。
アンド、現代のように情報が氾濫している時代と異なり、ネタが少なかった当時としては、
異常気象やらイナゴとかは、ことさら大きな話として扱われたのでは。
だから何なのよオレ的文章なのだが、ネタふりになれば幸いです。
>>123 サンクス。
漢書× 後漢書○ でした。凡ミススマソ。
当時は貧家がてっとりばやく出世するため、
子供を去勢して宦官にさせるんだよね?
字名乗ってるし、宦官が封爵を世襲できるようにしたのは曹騰時代だし。
野心家だよなぁ。しかし曹参の末裔とはよくいったもんだ(w
夏侯家の血をいれたからいいけどもさ。
127 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/10/04 23:45
>>124 >当時は迷信どころか立派な科学
劉秀以降の後漢の支配階級は、自らの支配権を神秘化するために
図讖を積極的に政治に利用していたといわれますよね。
すみません質問させてください。
正史を人物別じゃなくて、時代の流れに沿ってまとめた本があると聞いた事があるんですが
どなたか御存知ないですか?
どうも。誘導されてきますた。
やー…正史厨ってほんとにいるんですね。
正史に書かれてることは真実だとか事実だとか…
演義よりそれが多い可能性が高いだけであって
正史を読んで真実を知った気になるのはどうもね。
>>130 正史読まずに三国の歴史を議論することは出来ないのもまた事実
>131
それはその通り。
しかし正史は資料の一つであって真実が必ずしるしてあるわけではないと私は思うわけです。
それを「真実が知りたいから正史を読む」のはなんか違うだろ!!
と突っ込みたかったわけです。
>>132 正史(注釈込み)以外に真実を知るすべがないのもまた事実
おまいら!
もちつけ!
/\⌒ヽペタン
/ /⌒)ノ ペタン
∧_∧ \ (( ∧_∧
(; ´Д`))' ))(・∀・ ;)
/ ⌒ノ ( ⌒ヽ⊂⌒ヽ
.(O ノ ) ̄ ̄ ̄()__ )
)_)_) (;;;;;;;;;;;;;;;;)(_(
>133
そんなことはないダロ。
正史一つで真実知った気になるのはマズくない?
過去の真実ってのは様々な資料や情報から読み取っていくモノなんじゃないの?
真実を知りたいと思って正史を読むことを悪いとは思わないけど、
かといって正史を読んでそれを全て真実と思うのはマズイとは思うんですよ。
>>136はタイムマシンでも開発して実際にみてくんだな
なんだか急に人が増えたね。
>>132 >>136 そうですね。東夷伝はあれども西戎伝が無いことからも、
三国志正史は事実のみを記録した書ではなく、
少なからず政治的なバイヤスのかかった朝史ですね。
そのことを忘れて丸ごと鵜呑みにしてしまうような鵜呑み屋さんには、
俺もあまり関わりたくはありません。
勿論正史は全ての資料においても三国時代を語る上では
大きな比重を占めることも、真実である部分が多い事もわかります。
しかし他の資料やその時の情勢などを調べないと真実はこれだ
なんて断言できないと思うのですが、
これはおかしなことなのでしょうか。
純粋に三国志の話をするスレ※無双厨お断り
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1033630581/ の>143->152の人たち!
>137
その通り。
タイムマシンでもできない限り真実なんて誰にもわからないんだよ。
真実を知りたいと本気で望むなら正史読みつつタイムマシン開発にいそしんでおくれ(w
私は別に真実はどうでもヨイ。
おまいら、もとのスレに戻ってください。頼む。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 01:02
もう僕はなにも信用できません!!
正史だろうが演義だろうが別伝だろうがみんな嘘なんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
>>135をしっかり読んでくれましたか?
結論は既に出ています。
>>140 なんでだよ。あっちは演義継承だ。
ローカルルールを見ろ。
正史以外に資料があるなら見せて欲しいな、無いから正史読むしか
ないんだろうが。
正史を批判するくせに対抗資料を示せないのでは・・・
正史は列伝体だから、
読んで見えてくるのはその人の人物像。
真実がどうとかじゃないと思うんだよう。えぐえぐ。
>>136 全てが真実で無いのには同意するが、
正史に無くて演義にある記述が真実である可能性は極めて低い事は否定できない。
それ以前に正史読んでも伝によって記述内容が食い違ったりするので
真実知った気になる事自体無理な筈なんだけどな…。
正史≠真実
正史が真実ではない、真実に近い物も有る程度です。
正史=真実の人は
馬謖の死に様を詳細に教えてください。
>148
それも同意。
別に演義にある部分に真実があるとは主張しません。
ただ演義スレで真実を知りたいから正史を読むというヤシがいてな。
正史にあるのは情報であって真実ではないわけで。
他に資料がないから正史が真実だ、つーのは通らないわけで。
他に資料がないと、寧ろ検証が出来ないので真実かは断定できないんだ
と主張したかっただけです。はい。
>>136は、単に
>>133に対する返信であって、
誰も「正史のみが真実」だなんて言ってはいないんだから、
ここは今までどおりに、陳寿著の『三国志』をとっかかりにして、
あれこれ書き合うスレでいいんじゃないかな。
>>150 他に資料がマジで無いからどうしようもない
反論キボンヌ
みんな神経質だね。冷静なのはこおろぎさんぐらいじゃないか。
ちなみに私は>129=>130=>132=>136=>139=>150 でした。
>153
だから当時を記す資料の一つなんだって。
検証が出来ないと真実だとは断言できないんですって。
正史及びその注釈しか三国志を調べられない、他は中国行くしかない。
これで終了、もう寝よ
大変だな〜・・・でも過去いかに正史厨が三国志界に猛威を振るってきたかが判るな・・(笑
128に話を戻してしまおう
人物別以外っつーと本紀のことかな?
三国志正史は紀伝体という方法で書かれています
紀伝体とは
国の動きや帝王の伝記を年代順に記した「本紀」
天下に名を現した個人の伝記等を記した「列伝」
その時代の文化史である「書」「志」
諸侯の事績を記した「世家」
各所の年表からなる「表」
から構成されている書物です
魏志30巻、蜀書15巻、呉書20巻あります
これらを全部読んで頭に叩き込めばと立体的に三国志の世界が貴方の物に(w
>>158 正直おまえみたいな奴とはなにも話したくない
160 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 01:30
大変だな〜・・・でも過去いかにループ厨が三国志界に猛威を振るってきたかが判るな・・(笑
……済んだ?
ループと言えば趙雲スレ
164 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 01:35
正史出ちゃいました♥
165 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 01:38
>>164 約1700年前に出てます。
それとも、何?あれですか、 あ れ 、
三戦板はこのループもまた心地よい
たまにはこういう電波もいないと
正史では呂蒙伝、劉封伝、張遼・楽進・李典伝が好きだな。
事実かどうかはともかく、いい話だ。(劉封は違うか……)
壁に向かって話すスレ
正史以外の史料というと三国時代前後に書かれた文章などで、
いまにも伝えられているものはありますよ。
とりあえず世界史板であがっている華陽国志や、
このスレであがっている典論なども読んでみてはいかがでしょうか。
ほかに近年でもいろいろと発掘された遺跡などもありますし。
>>159 えー、俺は158タンとお話したいよう。
漏れは正史は【パズル】だと言われて正史にのめり込むようになったのだが、
知れば知るほど納得。
こんなに面白く、永く楽しめるパズルは無い。
陳寿は作為的に「わかりにくく」して、なるべく中立に書こうとしてるのが伝わってくる。
漏れの思い込みかもしれんがね(w
別にプロじゃないんだから、「歴史」に触れるときに「真実」に拘る必要は無いと思う。
ぶっちゃけ、ここにいるのは「自分なりにイメージした歴史」を他の人と議論したり、
またーり語り合うのが楽しいからだし。
素人歴史ファンのレベルなら、「陳寿の正史は正しい。何が何でも正しい」という
のも間違ってない。
書物に対するスタンスは人それぞれだしね。
そんな人とは語りたくないという人もいるかもしればいけど、漏れは逆に、
そういう人「とも」語りたいと思ってる。
『三国志』という広大な世界を愛した「同志」だからね。
遅レス
>>128 『三国志の真実』(『真実の三国志』だったかも・・・)は確かそんな感じだった
ような気がします(あやふや)。
出版社、著者もまったく覚えてません、すいませぬ・・・(^^;
なんか今、ふっと思い浮かんだのでおやすみ前の適当カキコ。
【正史≒2ちゃんねる】と言ってみるテスト。
ものすごく有用な部分もあれば、ゴミもまた多め。
「嘘を嘘と見抜けない人には難しい」
最も、正史の場合「嘘」を見抜くのがものすごく困難な罠。
その「嘘」が討論の燃料な事実。
三国志は面白い・・・
ではおやすみなさい。
173 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 02:53
じゃ演議はテレビと言ったところか
郭図公則殿
同意。
特に
>>171 >『三国志』という広大な世界を愛した「同志」だからね。
>>172 >三国志は面白い・・・
わしも寝る。次の合コンは頑張る。
>>158 レスありがとうございます。
そこまで行くと本と言うより文献ですね。
それら全てを頭に叩き込めたら確かに立体的な三国志の世界を得られるような気がしますが
全て読み終わる頃には読みはじめの部分とか忘れてそうです(w
>>171 貴重な情報ありがとうございます。
検索してみたところ、【真実の『三国志』 活劇!三国志正史】という本がありました。
171氏の話を併せて考えるとどうもこの本のようなので、早速注文してみようと思います。
>>128氏
ありゃりゃ、ひょとしてもう注文しちゃったかな・・・
あやふやのまま教えてしまいすいませぬ。
友人に電話して確かめますた。
その【真実の『三国志』 活劇!三国志正史】であっております。
ちなみにその友人によると、
>>135のスレにも書き込んでる、コテハン「地雷魚氏」
は、その本の作者さんなそうな。
ほんまかいな・・・
>>176 三戦板の過去ログで本人もそう証言していたし、
真実の三国志の著者のサイトでも三戦板での書き込みにふれていたので、
ほんまなのです。
わかりやすい文章で黄巾から呉の滅亡までの歴史の流れを
簡潔にまとめてあってお奨め。
ありゃありゃ、ちょと荒れてたんですね。
後漢末〜三国時代の考古学的史跡(表現変かな?)について
分かりやすく触れた本がないかなぁ。
魏代の銅鏡とか壁画拓本は美術全集で見たことあるけど、
呉・蜀での出土物って見たことがないです。
「おぉ、正史で書かれてたアレかぁ!」(例:董卓が洛陽を焼いた跡)とか
史書で触れられていない大ハケーン!(兵馬ヨウみたいな)とか
あると面白いのだがなぁ。
スレ違いだけど、鶴間和幸「始皇帝の地下帝国」(講談社)は
素人にも面白い本でした。
>>178 上海博物館には、三国時代の呉の出土物の実物がうじゃうじゃ展示してありますよ。
陶器とか、剣とか、錦、アクセサリーの類ですが。
蜀漢や魏のものも、狭西博物館や洛陽博物館で見たことがあります。
絵画的資料は墓磚画が主でしょうか。
ただ三国魏晋時代は文学史上の偉人は多く出ましたが、美術史的には
(紡績業や絹織物の著しい発展はあったとはいえ)際立った特性が少ないために、
「三国時代」で括る必要性が薄く、当時の出土品だけをまとめた本は望み薄かも……。
なにかよい本がありましたら、お知らせ下さい。
>「おぉ、正史で書かれてたアレかぁ!」
五銖銭や、正史に記載のある、董卓が鋳造したという董卓小銭は、
日本の古銭の本でも写真を見かけたことがありました。
おぉ、早速且つ丁寧なレス、有難うございます。
しかし自分の浅学非才ぶりがさらけ出されておるなぁ…(〃´Д`)ハズカスィ
やっぱし、「世界の美術」ぢゃ広範すぎて、代表選手の魏の出土品しか
紹介されないのかな。
春秋時代の呉越の出土品だって話題になっているのだから、三国の呉の
モノがないわけないか。
>董卓小銭
初耳でした。今度、本屋で古銭カタログを見てみます。で、他にも面白げな
本があったら報告します。
181 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/06 10:10
袁紹って正史ではすごいの?
182 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/06 10:29
↑とおーってもお金モチなの。オマケにガタイがよくて二枚目。
ただし、あたまがわるく疑い深く・・・曹操の良い引き立て役として
大活躍した、ゲゲゲのキタロウにおける、ねずみ男のような名脇役。
>>181 曹操を敗走寸前まで追い詰めるが後一歩のところで自滅
自滅というか、死ぬ時期がまずかった・・・
人民には結構慕われてたようでもあるし、曹操に勝ってればもう少し名君に書かれてたかも。
>>185 そうなると曹操配下の将軍達の伝が軒並消滅し審配伝や逢紀伝に
袁紹や袁譚の本紀が・・
>>181 袁紹は名門の生まれなんだけど、妾の子供ということもあって
スタートラインは袁術よりは下。
たまにボンボンっていわれるけど、結構過酷な権力闘争を生き抜いてきたと思う。
正史ではすごいというほどでもないが、実際の袁紹はまあ大人物だったのではないかと。
袁術が妾の子じゃなかったの?
演義と正史で違うの?
190 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/06 21:19
↑別名・自滅ブラザーズ
もんた&ブラザーズとは同格
河北の英雄が凄くないのか…
どんな正史を読むとそうなるのか?
>>191 正史には袁紹の偉大さが十分書かれていないのでは
ということを言いたかったんですがなんか文章失敗した。
193 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/07 02:44
歴史書ってのは敗者にはチビシーのれすね・・・
194 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/07 04:01
>>193 それは少し違うだろう。
官渡の戦いの記述などは、袁紹に若干よく書かれているという評価がされている。
陳寿が晋の史官であったことと、晋という国家が前王朝との間にはらんでいた
微妙な政治的立場を鑑みて、部分的に検証していくのであればいいが、
気分だけで「敗者に厳しい」など総合的な評価を下してはいけない。
195 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/07 06:49
>>149 馬謖の死に様…
先鋒として街亭で張コウと対峙するも、
諸葛亮の指示を無視し、自らの判断で水路を捨て、
南山を頼りに、山上に陣を構えるという奇策で対抗。
だが、馬謖にとっては策であったこの奇策も、
歴戦のツワモノ張コウには通じなかった…
この一連の判断は、王平の諌めを無視したものだった。
結果、水路を絶たれた馬謖率いる先鋒隊は、張コウに敗北。
先鋒隊は混乱を極め散り散りとなるも、王平率いる千名余りが、
陣太鼓を鳴らし抵抗。王平軍のこの動きに、伏兵を危惧した張コウ側は
深追いをしなかった。そして王平はそのまま敗残兵らを纏めつつ殿を務め無事撤退。
その混乱の最中、馬謖及び将軍である張休・李盛らは、兵を纏めることもせず、
戦場放棄という形で、自らが真っ先に逃亡。
この結果、敗残しながらも王平の株は上がり、その王平側により、
敗北・撤退時の、馬謖らの無様なさまが明らかになる。
そして戦場放棄からの逃亡後、自軍に発見・保護されてか、
自ら単独で帰ったかは不明だが、馬謖・張休・李盛らは刑に処される。
その状況を知っていながらも報告しなかった向朗も免官処置。
馬謖は終身刑という形で投獄され、獄中で死去。
馬謖は獄中から諸葛亮に手紙を送り、その手紙を読んだ諸葛亮は
思わず涙を流した…
と、勝手に推測してみた。実際、正史から予想するにこんな感じではなかろうか?
>>74 >>曹操は、その東漢と同じ轍を踏むことを嫌って、
>>あえて自分の血縁を王侯に封じなかったように思います。
曹操の能力が一般人より図抜けて高かったこともあるんじゃないかな?
俗にいう天才肌の人間は凡人の苦しみがわからないから、何よりも才能を愛でてしまう
ところがあるし、そういう人は自分の後継者にも同等以上の能力を求めるようなシステム
を作ってしまって却って有能な配下に足元を救われる、
というのは歴史の1つのパターンとして存在すると思う。
もちろん曹丕とて凡百の人間とは一線を画しているとは思うけど、あまりにも曹操が。
>>149 ご苦労様
でも
>>149が言いたいのは
正史読んでも人によって色々違う推測ができちゃうだろ
って事なんじゃないの?
>>196 曹操は生前皇帝じゃないんだから同族を王侯にするなんて無理があると思うけど。
それをやらなかったのは曹操じゃなくて曹丕では?
見つかったらしいね。
結構前の話だけど。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/07 14:59
ほんと、大分前の話だよね
名刺とかが見つかったんだっけ?
アフォだ…
冒頭を
>>195 ご苦労様
に修正(鬱死
安徽省亳州市(三国時代の陳留)で発掘された曹一族の墓に
「蒼天既に死す」という落書きがあったとどこかで読んだ。気になる…。
www6.airnet.ne.jp/~rover/resultdata/s8/s804.htm
>>195 でも高翔のヘタレ具合も凄かった気がする
149は諸葛亮伝と馬良伝での記述の違いを言いたかったんだろうが正史三国志はそれぞれの伝に贔屓目に書かれている感じがする
伝の立っていない者達の評価が低いのはその辺があると思う
まぁ・・・評価が低かったから伝が立てられなかったんだろうが
>>128 >すみません質問させてください。
>
> 正史を人物別じゃなくて、時代の流れに沿ってまとめた本があると聞いた事があるんですが
> どなたか御存知ないですか?
徳間書店から出てる三国志(box入り全5巻+別冊1巻)は後漢書、三国志、晋書から
エピソードを抜き出して時系列で並べてあり、現代語訳の後ろに原文と読み下し文、訳注がついてる。
ただ情報量は列伝形式の正史より禿げしく劣るけどね。正史への入門書という感じかな。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/08 14:46
陳到はなぜ伝が立たなかったのか?
趙雲に次ぐ功績を挙げた、とか書いてあるのに。
>203
なるほど、色々あるものなんですね。ありがとうございます。
>現代語訳の後ろに原文と読み下し文、訳注がついてる。
これを読むとかなり親切な作りになっているようですし、入門書として読むには良さそうですね。
流石に値段が張りそうなので、注文するのは辛そうですが(w
近所の図書館とかにあれば良いな・・・。
一冊1800円くらいだったと思うよ。
>>204 趙雲と同じように賛美されている連中は5人はいるが伝が無いよ
>>204 多分、趙雲と陳到の間が、列伝立つか立たないかの
当落線だったのでしょう。
>>204 陳到の場合は多分北伐に参加してないからそこら辺がマイナスだったのでは。
やっぱり華々しい場面がないと書きづらい気がする。
永安の都督だから重要なポストではあったんだろうけど、、、
>>209 裴松之が注釈つける前に「趙雲の華々しい場面」なんてなかったんじゃないの?
阿斗と甘夫人救出。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/08 20:52
>210
全身肝男
>>211 おおむねそうみたいですが、2点ほど微妙な錯誤があるようですので補足です。
一つ目は、発見された文字列は落書きではなく、
後漢時代当時に墓に副葬することを目的として記された正当な刻印文であること。
二つ目は、発見された文章は「蒼天既に死す(蒼天已死)」ではなくて、
「倉天乃死(/「葬?」、文字不鮮明につき諸説あり)」であることです。
もしも、曹宗墓から発掘された文字列が「〜乃葬」ならば、
押韻上、黄巾の号とは無関係である可能性が高い文章。
もしも文字列が「〜乃死」であるならば、墓の成立年代から、
張角の号した「蒼天已死〜」の文の発生起源が早くなる、
……とのことのようで、比較的注目を浴びている発掘史料みたいですよ。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/09 16:30
ちょと気になったんだけど、1に陳舜臣の「秘本三国志」が入ってないね。
陳先生のはわりと正史よりだから、話題にしてもいいのかな?
「小説十八史略」では司馬懿のクーデターを、簒奪者になりたくはないが
息子達に大義名分がないため参加、みたいになってるね。
私自信も、司馬懿にはそれほど野心はなかったんじゃないかと思ってたんで、
ちょと嬉しかったな。
陳先生って専門の研究者さんからすると、どういう位置付けの人なんだろうか?
作家じゃないの?
今、諸葛孔明読んでる
イイネ
「正史」を語るといいながら小説をもとに論じる人がいるのに驚く
219 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/11 18:55
215>一次資料でもないし、論文でももないので、歴史ではあつかわず、
概説書の位置付けだとおもうよ。
ただし、文学の範囲では研究対象になるよ。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/11 18:56
すまん、上の「資」は「史」に訂正。
>それを避けるために、このスレでは正史についての話題のみでお願いします。
裴松之の注釈や魏略とかはこのスレでは扱ったらだめなのか?
みたいなアホなつっこみもう出た?
222 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/11 20:18
正史だけでは三国時代を知ることはできません。
正史に書かれていることは全て真実ではありません。
スレタイトルに「正史」を冠しただけでは、
史実としての三国時代を語るという意味にはなりえません。
「純粋に三国志「正史」について語るスレ」や
「三国志正史スレッド」というタイトルのスレで語るべきことは
「陳寿はどのうよな経緯で三国志を執筆したか」とか
「陳寿はどのような史料をもとに三国志を執筆したか」とか
「三国志は歴代王朝でどのようにあつかわれてきたのか」
といった三国志正史を主軸においた話題に限定されてしまいます。
三国時代を検証するための史料は正史だけではありません。
正史には収録されなかったが現代にまで伝えられた当時の、
あるいはその前後の時代に書かれた詩文や、近年の発掘資料など、
正史のみに頼らずこれら様々なものを使ってこそ
三国時代は検証されるべきなのです。
故に次のスレを立てるときは「正史」の文字をはずすか、
「正史」の文字をいれるにしても、
「正史などを用いて史実としての三国時代に迫るスレ」
などのようにするのが望ましいのです。
などとアホなつっこみで応えてみるテスト。
三国志を検証するスレではなく正史を検証するスレですよここは。
俺は正史のことなんてどうでもいいから、
曹一族の墓や朱然の墓とか、
もっとそういう話も聞きたいのよ。
タイトルからして歴史上の真実を語るのではなく、書物としての「正史」を語るスレでいいでしょ。
次のスレと言うより別に史実を検証するスレをたててもいいんじゃないかと思うが。
じゃ様々な史料をもとに三国時代に迫るスレたてようか?
数十件くらいしかレスつかずに過去ログ倉庫逝きになると思うけど
つーか、この板よりも世界史板向き?
陳先生の著作が資料となりうるかではなくて、
陳先生ご自身が研究者として活動なさってたりしているのか?と思ったんよ。
どっちにしろここで聞くようなことではなかったね。
司馬懿に野心がなかったと考えたことについては、
陳先生の本からではなく、晋書やいろいろな人の本を読んだからだよ。
同じ考えでちょっぴり嬉しかったのさ。
232 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/14 09:09
あげ
>>陳舜臣
面白い小説をいくつか残しているとは思う。
でも歴史家として見るなら、その辺の中高生の物知りな奴と同レベル。
風説や俗説と学説の区別なんて全然できてないし、
本格的に史料を考察したとは思えない発言をあっちこっちでしてるよ。
というより、学者じゃないんで、そんなことする気も必要もないんだろうけど。
あくまでベクトルは別方向を向いてます
234 :
朱然の墓 ◆Xs5riRtBYc :02/10/17 15:59
呉が天下をとれた気がしないでもないのだが。
↑諸葛亮の没年
>>233 陳舜臣は歴史家じゃなく小説家だぞ。。。念のため
>>236 つーか、あんたと同じことが言いたかったのだが、逆にとられてしまったか・・・
考証学で否定された内容はどの程度あるのかな?
>>233-235 なんかレス番号がメチャメチャな気がするんだけど。
意味がよくわからない。
>>239 だけど、レス番号がメチャメチャに見えたのブラウザのバグだ・・・逝ってくる・・・
241 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/26 09:06
あげてみりゅ
242 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/28 23:38
>>238 よくわからんが、飛頭蛮は生物学的に否定された
243 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 21:57
あれは正史にあった話だっけ?
いや、たぶん捜神記
245 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 14:57
清朝考証学で否定されたこと・わかったこと
・陳寿が、父を諸葛亮に処罰されたのを恨んで史料を捏造した話はガセ
・陳寿が賄賂を取って史料改竄をした話しもガセ
・劉辟は陳寿のミスで二度死んだことになっている(趙翼)
・諸葛亮の北伐は中原制覇が目的ではなく、蜀防衛の為(王夫之)
・蔡ヨウと董卓はつるんでいた?(王夫之)
・後漢の武将の系図は大抵ウソ(顧炎武『日知録』)
・ジュンイク郭嘉の話は捏造が多い(趙翼)
・陳寿は晋の都合の悪いことは隠している(趙翼)
・孫権が中原に討ってでれなかったのは山越が原因(王鳴盛)
246 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 17:35
>・後漢の武将の系図は大抵ウソ(顧炎武『日知録』)
>・ジュンイク郭嘉の話は捏造が多い(趙翼)
詳細きぼんぬ
>・ジュンイク郭嘉の話は捏造が多い(趙翼)
これだけど、正史『三国志』に於いて、ジュンイクと郭嘉は
大変な予言者のように書かれているわけだが、趙翼に言わせると
それが怪しいのだそうだ。例えば、ジュンイクは袁紹配下の軍師5人は、
性格によってそれぞれ最期を遂げるだろう、と述べて事実そうなったし、
郭嘉は「孫策は刺客の手に掛かり暗殺されるでしょう」と
予言したりしてる。郭嘉の発言で当たらなかったモノは一つもない。
これは大変不思議なことだ。(長いので続くよ)
で、この不思議な話は趙翼によると、
『春秋左氏伝』で行われた捏造テクの模倣なのだそうだ。
『春秋左氏伝』では、田斉の始祖がまだ国を建国する前に、
占い師が「あなたの家は段々盛んになって、八代の後になつたならば
これより大きな家がなくなるだろう」とわざわざ予言し、これが
ピッタリと当たるわけよ。この『春秋左氏伝』の件に関して朱熹は、
「後に盛んになつた家のことを見てから、
その家が始めて興つた時のことを遡つて書くから、
それで旨いあたつた八卦が書けた(文章は内藤湖南の講演による)」のだといっている。
ずばり陳寿が郭嘉を描写するときに用いたのもこの手法だと、
趙翼は指摘しているわけさ。
なお、陳寿は『春秋左氏伝』の子供の頃からの愛読者であり、
こういう捏造のやりくちはよく知っていたのであろうと思われる。
この件に関しては、もっと詳しく知りたい人は
『二十二史剳記』(国民文庫刊行会)を見てくれ。
これは正史全部について批判を行った中国史学の名著で、
学者がよく論文のネタにしている本だよ。
後、
>・後漢の武将の系図は大抵ウソ(顧炎武『日知録』)
ってのは漏れも詳細はわからないんだ。山口久和という
人が『三国志の迷宮』で言及しているので知っているだけ。
すいません。
長文お目汚し、失礼しました。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 18:57
>>247-248 解説サンクス。
俺は今まで当たった予言だけを書いていた(陳寿が参照した史料に残っていた)
と思ってたよ。
本人の伝には、いいことしか書かない!というのが
基本的スタンスだから、
外れたのがあっても載せないのは至極当然だと思うが。
予言が当たりすぎるから捏造と決め付けるのは暴論にすぎると思ふ。
理由は>250と>251と同じ。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 23:26
参謀なのだから、あたることを言わないと
だめなのだが・・・と、言ってみる。
はずしてばかりの参謀は、すぐ首にします。
254 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 00:23
>253
カクトは?
245だけ読んで、てっきり廬弼集解ことかと思っていた……。
『二十二史剳記』か。読んでみたいな。。。
256 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 12:17
裴松之も指摘していますが、賈クの伝が程イクや郭嘉ではなく
荀イクや荀攸と一緒に伝が立ってるのは何故でしょう?
曹操の戦略レベルの意思決定を左右した人間だからじゃない?
官渡までは郭嘉のような立場で、赤壁での読みで抜擢され、
関西〜漢中攻略までのプランニングに携わった・・・ってーのでは?
戦略レベルでの意思決定ですか。
ちょっと荀イク荀攸賈ク伝を読み返してみよう。
>>247 遅レスだけど、
>郭嘉は「孫策は刺客の手に掛かり暗殺されるでしょう」と
>予言したりしてる。郭嘉の発言で当たらなかったモノは一つもない。
孫策の死を予言してことについては、郭嘉が刺客の手配をしたものだと
深読み(=勝手な想像)していたよ。
予言は当たったものが残ってるだけって意見が多そうだね
漏れもそう思うから捏造ではないと思う
261 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/11 00:04
「捏造」ってな言い方をしちゃうと、その人物そのものを否定していると取られても仕方がない。
262 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 23:21
あげ
ようするに「聖マラキの予言書」と一緒だってことだな。 後づけという点で。
孫策って于吉かなんか殺して地元民にブーイングされとったんだっけ?
乗じて暗殺計画があるのを郭嘉は知っていた・・とかw
265 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 16:58
>>264 関東だけど行きたいなぁ。夜行とか探してみようかな。。懐は痛いが。
孫夫人の碑は、あの孫夫人のもんじゃないよ。
西晋の任城太守夫人の碑だから。
268 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/26 10:58
三国時代は人物マニアに占拠されていて
地道な考証(現物資料・考古資料)は人気ない
>>268 漢代の考古資料は結構な数があるんだが、
三国時代の考古資料って、そもそも数が少ないような気もする。
270 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/02 13:32
劉備の死後 五途50万で攻めてきたのも演戯だけでしょうか?
271 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/02 13:39
はい、そうです。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/03 22:05
>269
曹丕、羊コ、杜預、虞翻などはそれなりに著作を残しているが、
三国時代そのものに関する資料というわけでもないしな。
273 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/13 10:49
あげちゃうのだ!はむはーっ!
保守
275 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/24 22:54
あげます
276 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/31 10:07
「捏造」というか「粉飾」されているだろうね >郭嘉の予言とか
277 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 11:18
朱然の墓はー?
279 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 11:49
(既出だったら陳謝)
朱然も「正史」と「演義」では、扱いがだいぶ異なるね。
なにしろ「演義」じゃ、夷陵で趙雲に一突きで殺られるんだから…。
本当は、呂蒙が後任に推すほどの人物なのに。
280 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 12:13
文集ってどうやって死んだんだっけ?
281 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 12:16
>280
荀ユウ伝を読む限りでは曹操軍との乱戦の中で死んだ模様
282 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 12:26
張遼って、性格良いのか悪いのかいまいちわからんよな
同僚には嫌われていたらしいが、部下には好かれてたって言うし
朱桓も部下には好かれてたな。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 20:11
関羽も同じタイプだよね
[暴走度]
朱桓<張遼<<<<<<<関羽
287 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/08 00:26
朱桓に捕まえられた王双って蜀に殺された王双と同一人物ですか?
(^^)
房的質問をしても宜しいですか?
赤壁の戦いと、合肥新城包囲戦は演義作成というのは本当ですか?
回答お願いします。
>>289 一応曹操が南下して劉備や孫権に負けた戦いはあったんだけど
演義みたいな最大の見せ場って書かれ方は全くない。
まして孔明が祈祷して風が吹くのをみんなが体育坐りで待つなんて
話もないw
>>290 回答ありがとうございます。
赤壁の戦いの真偽は分かりましたが、合肥新城包囲戦はどうなんでしょうか?
後者の回答もお願いします。
>>289 合肥新城については、孫権みずから軍を率いて
2度ほど攻撃した記録が正史にある。
1度目は、合肥新城が作られた嘉禾二年(233)。
ただし、この時は孫権が上陸したとたんに満寵の伏兵をくらって敗退。
翌嘉禾三年、呉軍は大規模な軍勢を率いてリベンジを計画。
この頃、西では諸葛亮が北伐を行っていて、魏軍が手薄になったと考えたからだ。
陸遜・諸葛謹が夏口、孫韶・張承が広陵〜淮陰を担当して
孫権の軍勢は合肥新城を包囲した。
満寵は寿春まで撤退して誘き寄せる策を願い出るが
曹叡は聞き入れず、満寵に新城の死守を命令。
命令を受けた満寵は、火計などを駆使して城を防禦した。
二ヵ月後、曹叡が援軍に駆けつけると孫権は撤退する。
合肥新城包囲戦の正史での記事は、こんな感じ。
ちなみに20年くらい後に、諸葛恪も合肥新城を包囲してるけど
疫病が発生して四ヶ月で撤退、帰国後すぐに殺されてる。
>>292 回答ありがとうございます。
これでやっと疑問が解決しました。
本当にありがとうございました。
>>292 回答ありがとうございます。
これでやっと疑問が解決しました。
本当にありがとうございました。
hosyu
(^^;
297 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/23 16:27
もの凄い勢いで山梨ぃ〜〜〜!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(・∀・)⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
298 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/24 11:47
/⌒ヽ
/( V )ヽ_____ _____/|___
// \ / ヽ
____/ \ / |
( | | | <______
\ (_人人人人人人_ノ ( 人人人人人人 )
\ (_ ● ●| (| ● ● ) )
/ // \ ワ___/______ __ ヽ ー / )
/ | | / ̄\ ̄ ̄| < ( | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\__/
/ ____.| |/ \ / ̄^  ̄|____ \____
 ̄ ̄ /\\ _\ \ | /
/ ヽ ニL_LI\/ \ | /|
/\ /_| |^ \N^ |_____/|_ノ
\ \____/ (________)
曹操は神様を苛めて殺した。なんて奴だ。
300 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/24 23:06
300
301 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/26 00:21
301
302 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/26 21:29
302
303 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/26 22:28
>>256 荀ケ=曹植派
荀攸=中立
賈ク=曹丕派
304 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/26 22:48
正史は駄作ですよ。
演義読みましょう。
演義は駄作ですよ。
平話読みましょう。
>>303 すまんが、それが一緒に伝を立てられる理由なのかわからん・・・
煽りだ、気にするな
308 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/27 19:01
308
309 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/27 23:17
ところで、正史では呂布は本当に強かったの?
310 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/29 00:25
呂布の攻城能力はそんなに言うほど高くは無いと思う。
それと後半になるにつれて呂布に敗戦が多くなるのは、
手持ちの精強な涼州兵が徐々に減っていったから…とかいう話をどこぞで聞いた。
311 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/29 02:57
保守あげ
>>310 涼州じゃなくて并州。ということでage
>>303 それは渡辺精一氏の見解。
結論は裴松之が賈クを嫌っているからそういう?がでてくるだけであって、
賈クは別段不純な人物ではない。
同列でもおかしくは無いということだ。
ゲームの話で悪いが裴松之の感情が賈クのゲームの能力
魅力60台を決定付けた。
314 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/29 09:44
315 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/29 15:14
呂布は総帥というよりも部将としての才能があると思う。
316 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/29 21:48
人中の呂布 馬中の赤兎
呂布自らを曰く「明公(曹操)が歩兵を、私が騎兵を率いれば天下とてたやすく平定できよう」
317 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/29 23:12
>316
で?
318 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/29 23:21
319 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/30 00:57
>318
怒ってる意味がわからんのですが。
不毛スレと化してきたな。
ここは、タケノコ殿やこおろぎ殿の御登場を待つべきだろうな。
321 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/30 23:46
322 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/31 00:26
誰かお題出してよ
立伝されてるけど演義じゃマイナーな武将を正史的に語るとか。
324 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/31 00:59
そんなのいくらでもいるっしょ。
325 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/31 09:17
じゃあ劉巴か黄権語ろうぜ
劉備「黄権が裏切ったわけではない。わしが黄権を裏切ったのだ。」
泣ける話だよな。
327 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/31 11:04
子の黄崇も泣けるよな
蜀に残り蜀滅亡時には諸葛1000と魏に備えるが
臆病な1000が逃げようとしてるのに涙して
1000を逃がした上で防戦、戦死って・・・
>>327 やっぱあれか。
親父が魏の重職に就いてるから疑われてたんだろうな。
ところで崇が言ってた作戦って実際正しいのか?
瞻は結局失敗して死んだけど崇の言ってた作戦を取ってたら少しは変わってたんだろうか。
329 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/31 20:36
疑われてたって尚書令まで上がったのに・・・
尚書郎?
age
332 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/10 14:37
精子について語れよ
精子ならさっき放出したばっかりだ。
334 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/11 02:22
だからそれについて語るんだよ。
放出した後の戦後処理についてとかさ。
ほしゅ
皆さん魏延の素晴らしさについて述べてください
339 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/20 20:09
劉備が呂布を徐州にいた頃受け入れたよね。何で受け入れたのかわからんのよ。
実際すぐ裏切られて、乗っ取られてるし。
誰か考察してくれないか。俺の理解の範疇を超えてるんで。
困っている人を見捨てることは、義に反する。
「徳の人」のイメージでメシ食ってる劉備にとって、呂布を見捨てることは自分の評判を傷付けることになりかねない。
だからじゃねーか、とマジレス。
曹操との関係じゃないの?
あの頃曹操って徐州で虐殺やったりして評判悪かったから
陶謙とか他の勢力と連携して対峙した方が政治的にはよかったかも。
呂布も曹操と対立してたし。
結果的には曹操が圧倒的に強かったけど。
劉表にとっての張繍・劉備。
ようするに、パシリ
>>341 袁術系群雄と結べる筈が無いだろう
344 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/20 21:32
>>339 おそらく対曹操のため。劉備軍だけではとても勝てないので呂布を矢面に
たたせたのだろう。劉備もなかなかやりますな。奴は呂布以上に裏切りものだよ。
>>343 あ、違う違う。
「劉備にとっての呂布」
「劉表にとっての劉備」
ってことれす。
付け加えて。劉表は劉備を思った通りに扱えたけど、
劉備は呂布を扱えなかった、という点では大いに違うよ、勿論。
なるほろ
呂布を有効活用してやろうって魂胆なら、袁術が攻めてきたときに
何故劉備は呂布を使わず自らが城を出たのかっていう疑問が出てくるよね。
守将は張飛だし、あれじゃ呂布に城を取ってくれと言ってるようなもんだと思うんだよ。
うまく呂布を扱えなかったのかな?
しかし呂布が扱いにくい奴だなんてことは先刻承知だろうしな。
義の人だから呂布を受け入れるしかなかったって考えると、袁術のときは納得できるんだが
そうなると劉備は頭がちがちの人物になちゃうしね(笑)。
普通に考えて、逃げてきた人間をパシリに使いたいからって、
逃げてきてすぐに「迎撃して来い」と命ずるのもオカシイかな。
勿論、呂布も引き連れて袁術を迎撃するのが、劉備の(最)善策だったんだろうけど。
呂布と合流する暇なんてないと思うけど。
ぐずぐずしていたら袁術が徐州に侵入しちゃうよ。
曹操に略奪されつくした徐州をまた戦場にするなんてできないでしょ。
352 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/22 09:49
>>351 呂布を迎えてから、袁術の進軍はそんなに早かったっけ?
呂布と合流できないほど暇がなかったとは思わないんだけど。
>>351,352
では何年何月に徐州に袁術が攻め、
進軍速度を算出し
また、その頃の呂布の所在、劉備の所在を確認し
証明してください。
埒があきませんので。
随分と自分の意見の正当性に自身がおありのようで
>>353 とりあえず資治通鑑で悪いが、2つの時期を示しときます。
195年四月〜七月 呂布、東に奔って劉備を頼る
196年六月? 袁術、劉備を攻めて徐州に争う
ま、資治通鑑はそれほど信頼しきれる程の史料じゃないけどね。w
完訳正史付録の年表より
195
.01 曹操、呂布を定陶で撃破
.10 曹操益州牧になる。呂布は劉備の元に身を寄せる。
196
.01 袁術と劉備とが徐州を争い、劉備が敗れると、呂布が徐州牧を称する
.10 呂布に敗れた劉備が曹操の元に身を寄せると、曹操は劉備を予州牧に任ずる。
ちくま?
劉備と袁術が対峙した淮陰は徐州と揚州の境目あたり。
てことは小沛にいる呂布と合流するのを待っていたら
徐州に侵入されるのは間違いないんじゃない?
それどころか袁術は淮水を利用して進んでこれるから
呂布の軍備、到着が遅れたら最悪下ヒで対峙ということもありうる。
更にもう一つ。呂布を小沛から呼び戻すとなったら
曹操の侵攻に備えて当然代わりの軍を小沛に送らなきゃならない。
小沛に軍を派遣→呂布と合流→袁術の迎撃に向かう
これは時間がかかりすぎでしょ。
呂布軍は曹操に対する備えでしょ?
呂布動かしたら曹操方面が手薄になるから劉備は自軍だけで袁術迎撃したんじゃない?
曹軍の備えとしてカヒに呂布を置いとくと、袁術は劉備自身でしか迎撃できない。
だから城を空けて行ったと、なるほど。
で裏切られたと。結局、呂布を見誤ったってことになるのね。
>呂布軍は曹操に対する備えでしょ?
うん、そう。そもそも戦略的に呂布は動かせない。
そこをあえて袁術にぶつけるという話だと思ってたよ。
ま、徐州失陥の落ち度は結局張飛にあるんだけどね。
曹豹は某ゲームに反してかなりの実力者らしく、荒くれ丹陽兵を仕切っていた。
それを殺しちゃったもんだから下ヒは大混乱になり呂布が易々と占領できた。
ここで曹豹が殺されなかったら、曹豹が呂布を撃退なんてこともあったかも。
>曹豹が呂布を撃退なんてこともあったかも。
某ゲームから三国志に入ったあっしには((((((; ゚д゚))))))ガクガクブルブルでやんすw
364 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 13:14
おい演戯でも夏侯淳と一騎打ちをしようとした猛者だぞ
>>364 それはそうだが、「一騎打ちをしようと『した』」どまりだから、評価としては何とも。
366 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 01:15
なんと三国志平話では、呂布とも戦ってる>曹豹
hahaha
tesut
369 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 05:16
このスレ面白いわ
史実全然知らないから興味深い
ところで、ずっと気になっていたが、曹豹はいつ殺されたことになったのだ。
殺そうと思っていたら、曹豹が呂布を招きいれたのだろう?
>>366 三国志平話か。
張飛がかなり飛ばしているのがおもしろい。
なんてったって、皇帝を名乗って年号まで勝手に立てちゃうんだから。
372 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 15:15
>>371 なんたって、平話の実質上の主人公は張飛だもんね。
373 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 20:53
しない
375 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/27 00:15
>>370 『正史』「先主伝」本文では、張飛と曹豹が対峙している最中に
曹豹が呂布に救援を求めた(曹豹の死までは書いていない)ことになっていますが、
『正史』「呂布伝」註『英雄記』では、張飛が曹豹を殺したことで
逆上した丹陽軍閥が、呂布に救援を求めたことになっています。
裴松之註の性質から考えると、こと曹豹の死亡状況に関しては、
「呂布伝」註の記述を信用してもいいのではないでしょうか。
376 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/27 06:29
丹陽兵って強いけど
曹操劉備孫策と言った英雄たちも痛い目にあってるんだね
なかなかやるな
>>375 信じ難いなぁ。同じ『英雄記』で引いた文章として、
「張飛、之(曹豹)を殺さんと欲す」と先主伝にあるんだから。
裴松之のミスかもしれんけどね。
378 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/27 15:50
裴松之というより、英雄記がミスってんじゃないの?
同じ出典から異説があるなんてのは、当時は珍しい事じゃないし。
でも、「曹豹の軍勢は」って書いてあるから、
曲解すれば曹豹はすでに亡くなっていたという説も成り立つ。
ちょっと強引だけど。
「呂布伝」註『英雄記』→「先主伝」註『英雄記』と読めば、
この説もあながち妄想ではないと思う。
英雄記が現存してれば、編年体ではないだろうから何とも言えないね。
やはり、そこに詳しい注釈を入れなかった裴松之のミスとも言えるかも。
380 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/27 21:48
>詳しい注釈を入れなかった裴松之のミスとも言えるかも。
『集解』とか『二十二史剳記』ではどうなんでしょうね。
廬弼あたりが註でも入れててくれないものでしょうか?
「感想」みたいな註まで、けっこう細かく入っているので、
もしかしたら……。
>>378-379 確かに、「呂布伝」註『英雄記』→「先主伝」註『英雄記』とする考えは想定してたけど、
呂布伝で敢えて「欲」の字を書いた理由が思い当たらんのですよ。
実際に殺したんだったら、「殺さんと欲す」などと書く必要が無いかと思いますが。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/28 06:57
>>381 「欲」の字にそこまで拘らなくてもいいんじゃないの?
順当に考えれば呂布伝の註ですべて納得いく話なんだし。
383 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/28 14:58
>>382 オリもそう思う。
ただ正史には、何かと現代のオリらの妄想を広げる部分がある、とも思う。
>>383 同感。
読み深める楽しみというのは、妄想の楽しみでもあるわけで。
>>382 書いてあるものに拘るのは当然でしょ。
貴殿の意見だと、「殺」の字を疑ってもよくならない?
ところで「呂布伝の註」ってことは、殺されなかった、ってこと?
386 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 02:07
ここって保守しないとすぐ落ちるのな
三国男塾落ちちゃったよ
( ´_ゝ`)フーン
388 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/03/04 23:49
>>385 裴松之の付けた註を信用しないというのであれば、
「殺されなかった」という解釈も可能ですよ。
が、曹豹の名前は、196年を境にして『正史』本文中には出てこなくなのは事実ですし、
雑史『英雄記』に「死亡」と書かれているところから、
死亡してしまった可能性も拭えません。
原文があれば助かるんですが。
張飛欲殺之
だとしたら、欲の訳し方にもよるのでは?
欲を「〜〜しようとする」「〜〜したがる」とすれば張飛が殺したことは完結しませんが、
書面語の「欲」には「=将要(間もなく〜〜するだろう)」とも訳せます。
当然を予期して〜〜となるだろう、とこれから先の話をする場合に用いられます。
ですから、「張飛は之(曹豹)を(当然)殺すだろう」となります。
ほれ
呂布伝
英雄記曰:張益コ與下ヒ相曹豹共爭,益コ殺豹,城中大亂,不相信.
先主伝
英雄記曰:陶謙故將曹豹在下ヒ,張飛欲殺之.豹?堅營自守,使人招呂布.布取下ヒ,張飛敗走.
391 :
出川オズ朗:03/03/05 01:49
やれ豪傑だの五虎将だの言われてるけどさ
呂布なんかそこらへんの農民に毛が生えた程度のもんだろ
漏れと素手でタイマンしたら負ける気しないね
>>391 このスレは現在貴様のようなイエローモンキーには一切使用されておりません。
クソお書き込みになった文章をもう一度そのミニマム脳味噌と節穴アイでお確かめの上
改めてお書き込み下さい
393 :
出川オズ朗:03/03/05 02:17
>392
まあ熱くなるなよ
2000年前の史実なんかあてにできないよなあ
張飛なんかさあ実際は伊集院みたいなただの巨漢デブだったんじゃないの?
394 :
出川オズ朗:03/03/05 02:17
もう寝るわ
おやすみんご
395 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 05:23
というか何が本当で何が作り話なのか分からん
黄布とか赤壁の戦いみたいなのは間違いなく史実だろうけど
個人レベルでの一騎討ちだの武勇伝は疑わしい
正史で書かれてる事もなんか権力者の観点だし
孫堅が華雄倒したって事になってるんだっけ?
黄色い布
398 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 07:27
黄色い布を頭に巻いてたから黄巾賊と呼ばれます
田舎のコンビニ前によくいます
399 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 07:29
日出づる国の洛邑じゃ、ゾクも見られなくなったねぇ。
401 :
司馬昭 ◆ocEa5z8sLQ :03/03/05 14:12
赤壁の戦いって記述が本当に少ないよな。
まあこれは晋が一応魏から国を譲り受けたから魏を正統化して書かなければいけなくて、
あまり曹操に不利になるようなことは書けなかったんだろうけどどちらにしても
天下分け目なんかまで言われている赤壁の戦いがあんなに記述がすくないのは
納得いかない。誰かレスをお願い。
402 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 16:45
曹操が赤壁でなんか悪い事した可能性があるってことか
実際本当に大した事なかったんじゃないの?
圧倒的勢力だった曹操が「負けた」ことが問題なんであって。
404 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 17:54
正史で赤壁に関する記述が少ない理由として、ふたつ考えられる。
(理由その1)
晋の前身たる魏(というか当時は曹操か)がコテンパンにやられた戦いを正確に記すっつーのは、やはり気が引けますわい→ミッドウェー海戦後の大本営みたいなもの。
(理由その2)
赤壁の戦い? ああ、武帝が初めて孫呉と対峙した戦いね。
でもあれ、疫病が流行ったせいで、ほとんど大した戦いもせずに武帝も退却しちゃったから、書くことも特にないじゃん→「赤壁の大戦」は演義の脚色だった。
俺はその2だと思ってる。
405 :
司馬昭 ◆ocEa5z8sLQ :03/03/05 17:59
>>404 まあその可能性大だろうな。しかしその後しばらく大規模な
行軍等を曹操はしていない。疫病の被害は相当なものだったのか
それとも・・・真相は闇に包まれたわけだな。
歴史の虚偽って難しいね
現代の政治家の虚偽を見抜くのも難しいんだから
客観的に見るとか、資料で見るってのでも
資料がてんこ盛りにまだある、昭和時代でも難しいもんね
407 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 18:16
でも、呉側の書物には結構
赤壁の記載あるよ。
呉書の分を合わせても、記述が少ないって話?
409 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 18:23
>>407 呉からすれば、建国以来最大の危機だったわけだからね→曹操の南征
当然記述は多くなるんだろうと想像。
俺は呉書を読んだことがないのだが、呉関係の記述の内容はどうなの?
例えば、「ウン万とウン万の軍勢による激しい戦闘があった」とか「魏の某という将を討ち取った」とか。
そういう記述が多くあるなら、演義版「赤壁の戦い」とまではいかなくても、それなりの直接戦闘もあったんだろうな、と想像できるわけだが。
想像する前に読むべきではないのかと。
荊州を平定したのち、曹操軍陣中では疫病が蔓延しつつあった。
呉平定を目論む曹操は進軍し、周瑜・程普の呉軍と赤壁で接触した。
疫病が蔓延し志気が下がる一方の曹操軍は緒戦の小規模戦闘で負けてしまう。
さらに志気が下がる曹操軍は撤退を決め、残った船などを全て焼き払った。
赤壁の大戦
朱元璋=劉備
劉基=諸葛亮
赤壁=[番邑]陽湖
火だるま船団突入戦法=黄蓋
借史?
五行も想像書くくらいなら、
とりあえず呉主伝と周瑜伝くらいは読んだ方が良いと思われ
>>411 色んな時代・場所で起こりそうな話だから、借史までは言わんでもいいと思うよ。
漏れ的にそういう思考回路は好きなんだけど。
414 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 18:38
>>410 このスレ見るまで、呉関係には関心がなかった。
ちょうど407が知っているようだから、軽い気持ちで聞いてみただけよ。
教えて君にそういう形でいちいちかまうな。
ふむ、漏れは蜀みたいな秘境よりも、呉のような辺境の方が面白いと思うぞ。
後の時代でも蜀は相変わらずだが、江南は繁栄の一途を辿るしな。
俺は山に囲まれた土地のほうが良いな。
まぁ、別に地形で好きになるわけじゃないけど。
417 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 19:05
>>415 秘境と辺境か。
ムカムカしてたがちょっとワラタ。サンキュ。
そのうち金貯めて呉書も買ってみる
まぁ、話に加わるのは読み終わってからってことで。
別にいいじゃん。正史に興味があるヤシなら話に加わったって。
417はスレの流れぶっ壊してたわけでもないし、自分の想像に固執してたわけでもない。
教えたくなければ無視すればいいだけの話だろ。
このスレに限った話じゃないが、ただでさえ過疎気味のこの板で、どうして知らないってだけで排斥しようとするんだ。
逆に何で、無視しなくちゃいかんのかと訊いてみたい。
俺へのレスか?
どれが誰へのレスやら
>>390 ありがとうございました。呂布伝の最後、「不相信」で「信じない」という意味なんですが、それが
文意にそぐわないので(???)とさせていただきました。
>呂布伝
>英雄記曰:張益コ與下ヒ相曹豹共爭,益コ殺豹,城中大亂,不相信.
英雄記に曰く。張益徳と下ヒの相の曹豹はともに争い、益徳は豹を殺し、城の中は大乱となり、(???)
>先主伝
>英雄記曰:陶謙故將曹豹在下ヒ,張飛欲殺之.豹?堅營自守,使人招呂布.布取下ヒ,張飛敗走.
英雄記に曰く;陶謙の古参の将曹豹は下ヒにいた。
@張飛はこれ(曹豹)を殺したいと思った。
A張飛はすぐにこれ(曹豹)を殺そうとすると
豹は陣営を堅く守り、人に呂布を招きに行かせ、呂布は下ヒを取り、張飛は敗走した。
>>389のような展開には少し無理がある気がしました。
>>423 人に呂布を招きに行かせ、呂布は下ヒを取り
↑
この文の間に曹豹が死んだとも考えられる。
呂布伝の英雄記のあとの部分には、
「丹陽兵は将軍(呂布)が来たので、みんな喜んだ」
みたいなこと書いてあった。
>>423 本文・註ともども、記録を全て利用した上で
時系列を無理なく並べると
「下[丕β]城内での曹豹と張飛の対立」
↓
「曹豹が、呂布の元に救援を求める使者を出す」
↓
「曹豹が張飛に殺される」
↓
「呂布の下[丕β]城入城」
が、一番無難でしょうか。
>>424 『演義』では、曹豹が呂布を頼った理由を、
呂布と曹豹の間に架空の姻戚関係を持たせることで説明していました。
実際には、当時の丹陽郡を押さえていた揚州軍(袁術)と劉備が交戦中だったことに対し、
呂布は揚州軍とは友好関係を保っていたので、
丹陽兵は呂布の到来を喜んだ、、、ってところでしょうか。
「城中大亂,不相信」がポイントかもしれんね。
「城中大いに乱れ、みな互いを信ずることが出来なかった」だから、
ドサクサで恨みを持つ誰かに、もしくは火事場泥棒に殺された可能性も大いにある。
その「乱れ」を作ったのが張飛だから、彼が殺された責任も張飛に帰結し、「張飛、曹豹を殺す」となったのかな。
史家独特の書き方のせいかも。裴松之って左氏好きだったよね、確か。
ようやく納得できる解釈ができますた。みなさん、ありがとう
427 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 00:46
三国志モノでオススメな漫画ってあります?
なんで国文板でやらんのかと小一時間
正史がすべてなのか?本当にそうなのかとさらに小一時間
>>429 スレ見つけたばかりだからって出尽くした議論書かんでよろし。
431 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 01:47
国文も違うのでは。
433 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 05:07
>>429 正史は歴史書だから世界史板がベスト、でもここでも間違いじゃないじゃん。
429。かなり恥ずかしいぞ。
436 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 14:47
日本では釣り好きの人を太公望といいます。
ここは入れ食いだな
>>439 丸一日スルーされたか……。
気の毒に。
(^^)
443 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 01:38
なんでもいいから語ってよ
445 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/03/19 22:14
>>444 『正史』の本文って、どのあたりまで信用してます?
俺は、武器庫の屋根に魚が止まっていたりするあたりが、
なんかぁゃιぃと思うんですが。
しかし、現代だって多摩川に海豹がでたり、某川で鯔が大量発生して川鵜が群がったり
三国時代だったら間違いなく亡国の前兆として記録されてる気がする。
屋根に魚がとまることだってあったかもよ。
魚が屋根に…… パァァ(*´∀`)
普通に考えてしまえば、
珍しい気象条件でもあって、魚、屋根まで飛ばされてしまったんでしょうね。
しかし、そんなことまで記録されていてしまうあたりが、
『正史』の侮れない部分でつ。
正史を読むと関羽が最強としか解釈できないのですがどうですか?
>>446-447 一番ありそうな可能性というと、竜巻でしょうかね。
魚を巻き上げるような竜巻自体が、凶事ではないかという話もありますが。
史料を読む時に、後世からも調べられる気象の記述が正確かどうかは一つの
ポイントになるそうですが、日食とか月食の記述ってあるんでしょうか?
烏が置いていったんじゃない?
光るし。
>>448 俺には合肥の張遼が最強に思えてならんが
単純に鳥が落としたのでは?
被った・・・
三国時代の戦争って戦車は使わなかったのかな?
対矢仕様の防御板を装備した投石器はある意味戦車だなw
異民族の騎馬兵に野戦で対抗するために、
外側に戦車を並べて円陣組むのと言う記述はよく見るけど、
古代の用に戦車同士の合戦って聞かない。
そういえば史記とかで国の大きさの単位は「千乗」とか「万乗」とか戦車の台数でいう
場合がありますね。戦車1台につき兵が何人とか・・・
458 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 01:29
衝車は戦車?
衝車は門を壊す道具です。お寺にある釣鐘をつくような棒を釣っていて、それを
釣鐘を衝く要領で門にぶち当てて門を壊します。この大掛かりな仕掛けをお城の門の
前で組み立てていたら、その作業中に城壁から妨害されてしまいますので、自走式というか
車の上に組み立てた状態で門まで行って、門をぶっ壊すんです。
>>456-457の言う戦車は野戦に用いますので、使用目的が異なりますので、
衝車は戦車?といわれると違う気がしますね。
戦車は前漢時代にはすでに指揮官が乗る飾りみたいなモンになってた。
>>458 攻城兵器じゃないかい?
戦車というカテゴリに入るかな?
かぶった
西洋はいつまでここでいう戦車を使っていたんだろう・・・
鞍や鐙で乗馬が容易になるにつれ、同じ機動戦力の戦車は姿を消したのでは。
戦車は平地でしか使えないし、メンテナンス大変だし、
訓練しないと乗りこなせそうにないと、貴族の兵器にしかならない。
勉強になりました。Thx
いつの間にか出てこなくなってたんで不思議だったんです。
中華の範囲が広がって、戦車戦が地形的にできない
地域が多くなったからってのは可能性無いかな?
>>465 貴族中心で構成されていた時期を経て、国家規模が膨張し、行政機構が整備されて
職の細分化がすすむのに並行し、民を大量動員しての軍編制による総力戦へと移行
していったのも、大きな要因では?
あと
>>466の方が言われているように、地形的な問題から戦場での戦車の有効性が
下降し、その結果として、地形による運用上の制限を受けにくい歩兵の比重と価値が
増大していったという事もある。
ひとつ疑問に思ったんだけど、鐙が完全に普及したのは西晋時代になってからでは
なかった?
一部では既に普及してたってこと?
鐙の発明は、3世紀頃の北もしくは西アジアの遊牧民族の間で、
もしくは中国のどこかと思われます。
三国時代には片側だけの不完全な鐙が登場してたかもしれん。
普及したのは4世紀になってからのようですが。
曹植が鎧についての文章書いてたよ。
筒袖鎧とか魚鱗甲とかはちゃんと使われてたみたいだし。
曹騰だか曹参だかの墓から出たやつは鎧じゃなくてただの祭祀用?
呉書の第四節で、劉ようと士燮+太史慈がいるのは違和感ある
>>473 どっかの呉を扱ったサイトにその辺の考察があったな。
太史慈は一諸侯として扱ったんでしょ、確か
呉書見聞さんだね。
まぁ、彼の論に限らず有名な話だとは思うけど…
477 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/26 23:06
(; ´Д`)
478 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/26 23:55
ごめん、400あたりで出てる赤壁の話だけど、昔読んだ本(題名わすれた)に、
@孔明の出師の表の曹操が敗れた戦いの中に赤壁の名前がない
A戦があったとされた時期の後にシュウユが昇進、加増されてない
Bあとわすれた
とかいう中国の研究者の論文がある、とかって読んだ記憶があるんだけど、
それって本当の話なの?
479 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/27 00:00
/ヽ ハ
/ ヽ / ゙、
/ ヽ__/ ゙、
/ ヽ
r.┐ ,.-' \
| | / ,__ノ ヾ___ ヽ 本当です !
」 | __ | |;;;ノ __ |;;;ノ |
/| レ /゙i l (__` ' .|
|. | |. ( ノ
ゝ. ゙、/ヽ `´ /\
\ ゙、 `ヽ_ ,,.,;‐' |
ゝ ヽ "''''''ー‐---‐‐'''''" |
知力100ですが、何か?
481 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/27 00:19
『三国志』「魏志」武帝紀
董卓徒天子都長安遂焚洛陽宮室是時袁紹屯河
内卓兵彊莫敢先進太祖曰挙義兵以誅暴乱大衆
已合諸君何疑董卓今焼宮室劫遷天子海内震動
不知所帰此天亡之時也一戦而天下定矣不可失
也遂引兵西将拠成皋遇卓将徐栄与戦不利士卒
死傷甚多太祖為流矢所中所乗馬被創従弟洪以
馬与太祖得夜遁去
曹操が反董卓連合軍を組織したものの、
袁紹が動かないため自ら攻撃したが
徐栄に敗れ曹洪に救われるシーンの原文。
漢文にするとこんなに短い。
>>481 う〜ん、読めないw
真面目に漢文の授業受けときゃよかった
俺的にはこれだけの記述から
あれだけ膨らました方をほめてやりたい。
そうとうアレな質問ですが、
詳しい方おねがいします。
魏の屯田制についてですが、
「所有者のいない荒れ地を国有地とし、流民や一般農民に農具等を貸与して
耕作させる制度。収穫の5割は小作料として国に納め、同時に兵役も科した。
という制度」
という説明をネットで見かけたんですが、
私が見た限りだと、正史に記載が見つけられませんでした。
「後漢書」とか「晋書」に書いてあるんでしょうか?
それとも、「三国食貨志」あたりでしょうか?
485 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/28 18:45
精子にあった様な気が・・・
五姦除だったかなぁ・・?
無知ですみません、
演義で創作された人物がたくさんいるということを教えてもらったのですが、
そういうことについてまとめているサイトや文献はありますか?
>481
董卓 天子を徒し長安に都し、遂に洛陽の宮室を焚く。
是の時袁紹は河内に屯す。卓の兵彊ければ、敢へて先進するもの莫し。
太祖曰く、「義兵を挙すは以て暴乱を誅さんとすればなり。大衆已に合するに、
諸君何ぞ疑はん。董卓今宮屋を焼き天子を劫遷す。海内震動し帰す所を知らず。
此れ天亡の時なり。一戦して天下定まらん。失う可からざるなり。」と。
遂に兵を引き西し、将に成皋に拠らんとするに、卓の将徐栄に遇い、
与に戦うも利あらず。士卒の死傷甚だ多し。太祖 流矢の中る所と為り、
乗る所の馬は創せらる。従弟洪 馬を以って太祖に与え、夜もて遁去するを得。
訓読は個人の癖とか好みが出るから、細部が気に入らなければ変更しる。
あと、白文は授業レベルを真面目にやっても読めるもんじゃない。気にするな。
あらためて正史(ちくま)読んでみると、何気に孫和と孫覇の継承者争いで
歩騭や呂岱、全jなんかも孫覇派だった事に気づき少し驚いた。
その3人、わりと好きだったのに何かちょっと幻滅してしまった。
もうちょっと読み深めてみてみると、状況が分かると思うよ
全jって結構問題ありだよな
それなりの器だったようだが
一族そろって印象がよくない感じ
なるほど、孫和の母親の王夫人と全jの縁者である全夫人とが対立してた
わけか。
あと、歩騭と呂岱については歩騭について記載されてるおを持ってないから
正直、歩騭と呂岱が交州刺使つながりであるという事位しかわかんないなぁ
>>491 ホウ統に微妙な判定されてるとこも評価ダウン
494 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/02 23:19
495 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/04 23:16
正史についてくわしく説明しているサイトないかな?
検索してもくわしく載せてる人いないんだよね…
具体的にはなにが知りたいの??
>>495 武将のことが知りたいなら、古本で三国志の武将ファイルでも買ったら?
正史と演義に分けて書いてあるよ
498 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/04 23:40
>>492 もう一人意外な所では呂拠(呂範の子)も孫覇派の人間。
しかし呂岱や歩隲らが二宮の変で具体的に何をやったのかは謎。
呂岱伝や歩隲伝にその記述は一切無し。
初代丞相に関する記録が全くない国だからな。
自分たちに都合の悪い記録は・・・
>>495 正史について、じゃないけどニセクロんとこは?
あそこはかなり濃いから面白いよ
501 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 00:07
>>496 武将の参加した戦いだとか
武将の過去とかくわしく知りたいんでつ…
502 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 00:10
正しく学びたいなら
徳●書店の本買ったほうがよいかと。
高いけど…
>>501 じゃあ素直に武将ファイル読むことを薦めるよ。
正史系謳ってるサイトはいろいろあるが内容が偏ってたり
扱う範疇が狭かったりで五十歩百歩だから・・・
ブックオフとかで安く売ってるし
504 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 08:49
>>503 光栄の武将ファイルじゃ申し訳程度しか載ってないと思うが・・
しかも武将ファイルなんて何冊出てると思うんだい?
それなら素直にちくま文庫の三国志買った方がいいよ。
光栄社員だろ?
徳間○店から「三国志群雄録」ってのがある。
筆者の好みが文や紹介人物なんかにでてるがまぁ入門書としてはいいと思う
個人的にこの筆者の文章あまり好きになれないが
>>505 >ブックオフとかで安く売ってるし
って言ってるのに・・・
508 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 18:41
どちらにしろ、
>>495は正史について詳しく知りたいといってるので、
それならばちゃんと正史の三国志を買った方がいいと思うのだが。
図書館とかに置いてないか?
509 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 19:24
>>509 ネットで学ぶのは止めた方が良いと思うよ。
先述のニセクロも結構曖昧な事を断言してたりするし。
素直に正史買った方が良いかと。ネットで売ってるし。
それか金が勿体なかったら8か9の武将ファイル買ったら?多少値は張るけど。
ちくまの学術文庫のやつをちまちま1冊ずつ買って、読み終わったら次を買うとかしたらいいんじゃない?
どうせ一気に買っても読みきれないだろうし、読み終わる頃には次を買うお金も溜まっているだろ。
でも一冊ずつだとストレス溜まらないか?あれ。
俺の場合一人の人物を読む場合8巻の索引使ってそいつの登場場面しらみつぶしに調べるけどなぁ。
紀伝体の性質上、読みきれるかどうかなんて関係なしに
全部そろえるが望ましいとおもう。
金銭的な問題があるならしょうがないけど。
一冊千五百円で八冊。税抜きで金一万二千円也。
文庫が出るまでは、全部そろえると5万円くらいしたんだがなあ。
攻防の頃必死にバイトして買ったもんだが。
当時から考えればウソみたいに恵まれてるのに。
>>515 わかる。
自分も『正史』ではないけど、諸史料を買い漁ったりするから。
>>499 それは魏がダントツでしょ
しかし孫ショウってわからんよな
あの経歴だけでは初代丞相になるほどの人物なのか
まあ3年しか丞相をしてないようだが
>>517 三年しか、って…、それをいったら陸遜なんか…。
521 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/08 20:48
質問age
シ巳水関と虎牢関って同じ場所だよね?
三国時代の資料としては後漢書と晋書も必要になってくると思うが、これって
市販されてるの?
後漢書は岩波から和訳が出始めてるけど1巻10000円近い高値。
晋書はまったく手つかずだけど解體晋書ってHPが有志で訳にあたってる
一部だけ公開もされてるよ。
晋書は資料としては役に立たないという話だけど。
>晋書は資料としては役に立たないという話だけど。
史料として役に立たないって云った人は誰なんでしょうね。
『晋書』の評価については、『二十四史』を鑑定した清の趙翼が著書『二十二史剳記』でした
「ネタが多いのは困るが、宋書などの後世の史書よりは価値は上」
というのがほぼ定説になっています。歴代正史の中では評価されている方です。趙翼は正史の嘘にはメチャメチャ敏感な人で、
ボロカスに云われているものもありますからね。
君の言う通り、「ネタが多いのは困る」から勘違いしただけだろう
>>525-526 大澤良貴の「三国時代」つー本じゃないかって以前どこかの掲示板で話題になってたよ。
おれはその本持ってないんで確認はできないんだけどね。。。
漏れは持ってるけど、それ以前にも書いた人がいた気がするな。
大澤氏は無用に断じたりするけど、そこまで暴論する人じゃない気がするし。
529 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/11 22:22
age
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
age
533 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/04 05:00
誰もいねーから独り言だ。
最近になって牛金と司馬氏の奇妙な関係を知ったヨ。
ウマの次は牛の天下ですか。まあ、この時代まだまだ妖しげな予言の類が流行ってたんだね。
司馬睿が牛金の隠し子なんだよな。魏書では・・・
>>535 誤解を招くようなレスをするな、て。w
牛氏の子孫という噂が立っていただけであろ
牛金との関係は全くの不明
537 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/08 05:04
史実では于金は女なのだ!
538 :
動画直リン:03/05/08 05:51
原文「僭晉司馬叡,字景文,晉將牛金子也」by魏書
晋書の方では、『予言信じたシバイが牛金殺して一安心、
と思ったら元帝ママが牛氏と密通して元帝誕生』という説があるよって言ってるよね。
曹操と三匹のウマと同じようなオチがついている分こっちのネタが好きだヨ。
>>539 牛金は晋将じゃないでしょ。信用できるとは到底思えないな
だから晋書ではそれではなく540に書いたような説を載せてるのでしょう。
共通するのは「牛氏」、「パパは司馬氏じゃない」の二点。
敵対国の言とはいえ、なにか元帝にはヒミツがあったのか・・・?
信用できるとは到底思えないな
548 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 06:19
541 :無名武将@お腹せっぷく :03/05/08 20:30
>>539 牛金は晋将じゃないでしょ。信用できるとは到底思えないな
549 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 13:23
魯粛って演技だと、孔明と周ユの間をウロチョロまわってる、情けないヤツって
イメージだけど、正史だとマッチョで部下を厳しく訓練し、中々のダンディー
なヤツだった。
魯粛は孫権・周瑜は言うに及ばず、曹操謀臣の劉ヨウにも認められているし、
事実上呉の行く末を策定した呉の大功臣ですよね。
演義が必要以上に貶めているのです。
551 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/10 20:52
演義
552 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/10 21:05
まあ、中国娯楽小説に道化回しって必要だから。
553 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/11 05:54
演義では、魯粛より周瑜の方が悲惨な道化師だった。
魯粛はマヌケだけどお人好しで憎めないキャラって設定だけど、
周瑜は虚栄に満ちたセコイ策略家というイメージで、
最後にはあまりにもマヌケな横死ぶりまで晒してしまう。
かろうじて美男子である事が救いではある。
いくら諸葛亮を引き立たす為とはいえ、ここまで酷い扱いされてるとはね。
・・・
1 菊地 ◆v0NGyHA. わあああ New! 02/05/18 13:19
僕は本当は周輸だといいと思いますけど、実際は魯粛とかかな?
気が小さいですからね。戦国時代なら誰ですかねえ。うーん、
真田昌幸とかが好きですけど、でもそこまで戦に強くないかな。
555 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/14 06:50
保守age
556 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/14 10:09
正史では周瑜は立派やん。
孫策との義侠に生き、孫権に主君が変わっても態度を変えることなく、
孫権にホンキで天下を取らせようとした、数少ない人物。
張昭や、張紘、太史滋など孫策時代の家臣は、孫策には忠実だったが
孫権にはあまり親身になっていなかった。
まぁ、孫権も名君か暗君か区別がつけられない難しい人物なので評価に
苦しむが(老年、酔って陸孫殺してるしねw)変わらない『呉』への
忠誠心は立派やねん。
演義の被害者は
間違いなく諸葛亮だな
知恵と誠実さで築いたものを
妖術とかで処理されているので
正史をかじった奴の文章を読んだ奴が
わけのわからぬ「政治家だから頭が悪い」という理論を
振りかざして得々とした顔をするぐらいだ
元は一地方軍閥でしかなかったのに最後は三国時代最後まで生き延びる勢力にしたんだから、孫権は間違いなく「名君」だと思う。
酒だの乱暴だのというのは、個人としての人格は評価下げるかもしれないが君主としての評価とは別。
一国の君主としてどういった判断、どういった行動を取ったか、結果どうなったか、が重要。
晩年の「二宮事件」については確かにケチを付けた感もあるが、陸遜が呉の貴族の領袖的存在だったことを忘れてはいけない。
皇太子とその他の皇子の後継争いは、常に政治的な権力争いを背景にしているのだから。
孫権と陸遜が仲悪くなったから陸遜死んだ、なんて簡単な話ではない。
もっと陰険かつ壮絶な権力闘争の末の悲劇で、孫権一人の気持ちだけでどうなるものとも思えないのだ。
それだけで孫権=暗君は安直過ぎるよ。
結論。孫権は「名君」、ただ友達にはしたくない。
人格で言えば、袁紹なんかの方が上だろう。いいとこの育ちだし。
ただ天下を取ったり維持したりする能力は関係無い、と。
孫権の悪評はほとんどが晩年だから、
痴呆性の病気みたいなモノだったかもしれないね。
袁紹の悪評も
つか、張昭が粗暴な孫権の正確を抑えていたような気もする。
>>588 二宮事件はほとんど孫権の落ち度だろ
しかし全般的に見れば孫権は有能な君主だろう
結論は若い頃から初老の時期までは名君だったが、惚けたちゃってから駄目になったってことでしょ。
いや、張昭が生きている間は押さえていたのだ
張昭が鍵なんだろうね。
政治というより政争の面で言えば、君主権の確立と伸張を望む孫権を抑えて行き過ぎ(=暴君)ないようにすると共に、
貴族層に対しても孫権との調整役を果たして離反を防いだのが張昭ってとこだな。
居なくなった事が貴族層との利害の対立を激化させたのだろうか。
張昭は関係ないだろう。
孫登の死去は241年で、張昭は5年も前の236年に亡くなっている。
孫権だけが長生きしすぎたと言えない事も無い。
>>558 いやいや「二宮」の件のみで暗君といっていすのではなく、
ほかにも色々とあるんで言ってみたw
若い頃は公費を小遣い代わりに使ってしまうといったり、
孫策が太史滋と戦ってる時に、のんびりして夜盗に襲われ、
あわや周泰を戦死させるまでにいたった。(周泰の傷はこの時のものだとか?)
皇帝になった時は孫策に対し、皇帝の位を与えなかったとか、
孫権自ら軍を率いた時の勝率の悪さ、
泥酔して人を殺すとか。。。
自分の中では、ホントに評価に苦しむ人だw
部下に心配りを忘れない名君としての姿を見せたかと思うと
上のようなこともするw
実主義者であるのに日本の探索に乗り出すなど大胆不敵な行動を平気でするw
攻勢はには弱いが、守勢には強かったのだろう。
でもそんな孫権だからこそ、三国が成り立っていたのだと思う。
>>567 周泰は戦死してませんが、何か?
三国鼎立後なら曹操の勝率も低いですが、何か?
569 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 16:24
>>567 周泰と孫権の、その後の有名なエピソード知らんのか?
これはむしろ孫権が名君であったと示す為に用いられるエピソードじゃん。
孫策に皇帝の位を与えなかったのは同族による内紛を恐れた為で仕方ない処置。
それに、孫権は泥酔して人を殺した事はなかったと思うが(殺そうとした事はあった)・・・。
あと、戦が上手い事が名君の必要条件でもないと思うが。
>>568 三国鼎立後の曹操の勝率って、あんた(w
>>568 あわやって書いてるぞ
しかし江南の地の発展の基礎を確立、曹操の覇道を阻止
有能な人材に任せ領土を拡大した、この3点で充分、名君と言えるだろう
567で挙げられている過失も功績に比べてば小さなものでしょう
あやや?
>>567 孫策に帝位を与えなかったのは当然だと思うけどな。
孫策に帝号を追贈していたら、それこそ暗君。
二宮どころじゃない後継者争いが巻き起こるかも。
574 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 22:24
>>568 あわや周泰を戦死させるまでにいたった、って書いてありますが何か?
>>574 日本語読めない輩をあんまりしつこく叩くと荒らしになるからやめとけ
576 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 22:31
577 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 22:44
>>573 司馬師は追贈されて世宗・景帝と呼ばれてるけどね。
でも、この人には男子がいなかったんだっけか。
578 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 22:45
いたはずだ
それに、その所為とは言いませんが司馬氏は二宮の変どころじゃない骨肉の争いが起きましたぜ?
580 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 22:50
それは、あんまり関係のない話だと思うが
いや、系図を見ると司馬師の唯一の後継ぎ司馬攸は
司馬昭の次子で司馬炎の同母弟なんだよね。
だから男子がいなかったと思ったんだが。
>>579 それもそうだw
ぁゃゃ
583 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 23:27
>あわや周泰を戦死させるまでにいたった。
よく考えたら日本語が変じゃないか?
「あわや」がついてるというだけで
戦死してないという風に読める文章ではないぞ・・
「あわや戦死寸前までにいたった」
なら意味は通るが。
もう負け惜しみはいいよ
585 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 23:33
ぉぁあわやぁあああぁア亜亞!!!
ミキティ>>ぁゃゃ
589 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 23:38
>>588 反論できないと荒らし扱いか?
とことんクズだな(w
おまいら、もちつけ。
正史だって本当は正確な歴史書じゃないから、陣寿も伝承なども
入れたりしたが、いくらなんでも多すぎだろ。魏書2巻とか。
あそこまで多いとあの時代にはやはり神秘の世界があったのかな・・
と思わせてくれるね。
ゴメン592どん、何を言いたいのかおいらはイマイチつかめない。
そりゃまあ、神秘つーか当時の人たちはある程度は神秘な世界を信じていたんだし。
信じていたって事は当時の人にとって神秘の世界は実在していたと言えるのでは?
>>592 でも、一応二十四史の一つですし。
魏が多いのも仕方がないと思うよ。
晋は一応魏から禅譲した形だし、臣民も呉・蜀より多かっただろうから。
>>594 一応じゃない。
二十四史の中ではかなりマトモな方
>正史だって本当は正確な歴史書じゃないから、
これ言い出したらキリがないからヤメとけ
597 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 23:54
(´・ω・`)
ショボーン
600ゲト、ズザーー!
聖書の解釈でプロテスタントとカトリックの精神的対立が生じたように
三国志正史でも解釈次第で争いが起こってしまったって事か…?
とにかく仲良くしようよ。(藁
>>592 >正史だって本当は正確な歴史書じゃないから、
これを常套句のように振り回す香具師って、じゃあいったい何を根拠に話したいんだ?
妄想か? 香ばしくも出鱈目な推論か?
600ゲト、ズザーー!
劉禅って最後どんな死に方したの?
降伏して魏に送られてから、どんな人生歩んだのか知りたい。
正史に書いてあります?
演義の方は「蜀がなつかしくないか」と聞かれ
「全然なつかしくないむしろこっちの方がイイ」という会話を最後にうやむやになってます。
誰か彼のその後をご存知の方教えて下さい。
>>606 いいから、今すぐ本屋に行って、筑摩の正史を買うのじゃ。
蜀書は一冊だし。それぐらいはしようよ。
>>606 日本にわたって神武天皇になったらしい。
>>607 そ、そりゃそうだろうけど…
>>608 前から正史読んでみたいと思ってましたが
「筑摩」って「筑摩書房」ですね。
「蜀書」ってのがあるのか。うん本屋逝って見てみますね。
買ってきます。
>>609 なるほどぉ〜。激しく納得。責任取ってくれ。(藁
みんなありがとうね。近いうち買って読むよ。
611 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/17 00:12
>>610 筑摩書房の「ちくま学芸文庫」というシリーズから出てます。
>>611 >>612 あっご親切にありがとうございます。
さっそく(σ・∀・)σ本屋でゲッツ!!してきます。
>>606 ただ普通に死んだだけ。劉禅みたいな奴が反乱などという大それたことなど
やるわけがない。あの司馬昭が警戒心を解いてしまったんだから。
>>614 そうでつか…劉禅のその後ってあんまり省みるべき点がなさそうですね。
もしかしたら正史の方に何らかの劉禅のその後が記述されているかと期待してまして。
彼の降伏後、一体誰がどのくらいの施しをして面倒見てやったのか等。
それまでの酒色に溺れた?不自由無い皇帝暮しからどれくらい落ちぶれていったのかとか。
晋になった後も晋が面倒を見たのか、それとも誰か心有る人が面倒を見てあげたのか
それとも自立して細々と生きたのか。何故か気になるんですよ。
魅力ほとんど無い彼のその後について。
漏れの性癖なのかも知れません(藁
信玄より勝頼が気になるし(藁 溥儀のその後のたそがれた人生にも興味湧いたし(藁
ダメ2世って世の中多いじゃないですか、歴史に埋もれていった光無き人生…
三国志の中にもそんな彼らが沢山居ますよね。漏れはそんな視点でも三国志正史読んでみたいな。
長々とすみませんでした。この辺で失礼をば…
安楽公だったか?
晋の五等爵では最高位もらって、その名の通り安楽に暮らしたと思われます。
晋の永嘉の乱で子孫は殆ど死んだが一部生き残り蜀に逃げたそうです。
劉禅は溥儀よりは穏やかで恵まれた生活だったと思われます。
完全に通して読むまでには至ってなかった『正史』を、いま「呉書」から読んでる。
蜀もそうだが、三国鼎立後の呉の窮状がよく伝わってくる。
とにかく不服住民や山越の叛乱が多いし。
あらためて、これじゃあ中原進出なんて不可能だな、と思うわけで。
呉書か…漏れはちくまの5巻までもってるけど6巻以降のやつは未だに買うつもりないな。
呉の人物ってつまんないし。
蜀志より、遥かに呉志の方が面白い
歴史としても、文学としても、ドラマとしても
620 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 09:06
蜀志しか、まだ買ってない
今月21日に出かけるから、残りの巻でオススメな巻数教えて
2冊ぐらい買う予定
621 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 09:37
そりゃやっぱ魏書の1と2だろオメー!
622 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 09:39
623 :
動画直リン:03/05/19 09:48
625 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 12:50
8巻の索引と年表があると便利ですよ。
街停の戦いで、馬謖が高山に布陣して張合βに敗れた、という話は、正史に載っているのですか?
それとも、演義の話?
正史
>>618 おいおい、索引と年表の入った8巻買わないでどうすんだ(w
それに蜀書なんぞより呉書のほうが面白いぞ。
629 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 22:24
精子
630 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 23:40
魏書の方がオモロイよ。
631 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/20 16:46
よく「正史読め」ってレスがあるけど
筑摩書房の正史三国志全8巻というのを読んだら正史を読んだことになる?
632 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/20 16:52
>>631 和訳されたものではなく、原本を読んでこそ読んだことになるんじゃない?
訳されたものなら多少なりともニュアンスに違いがでてくる。
>>632 アリガd。
なるほど。みんな猛者だな・・・・
>>632 そこまでせんでも・・・
筑摩でいいだろ! 2chで語るくらいなら(W
>>631 「俺正史読んだ事あるんだぜ!」なんて自慢してたらアレだが、普通に正史の話をする分にはOKかと
636 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/20 22:24
ちくまのって陳のやつ?
孔明がただの政治家になってるやつか?
この話他のスレでしたら、陳のやつは精子と認めんみないな空気になってた
なにを読めばいいんだぁーー!!
637 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/20 22:28
ちょっと待て「陳のやつ」って。
正史といわれてる「三国志」という歴史書の作者が陳寿。
それの訳本を「筑摩書房」から出版されているってことだぞ。
諸葛亮はただの政治家。スーパースターになってるのは羅貫中の「三国志演義」
混同してないかい?
なにをいっとるの?
まず落ち着いて話して呉蘭。
陳ってシュンシンの小説かな?
陳のやつって中華の鉄人の陳健一だろ
寒ッ
641 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/21 00:38
つーか、ちくまの正史は正確に言えば陳さんだけじゃないッスよ。
裴さんとかの方が文章量多いんじゃないッスかねー。
そっちの陳さんなのか?
陳舜臣はちくまから本出してないんじゃないか?
陳舜臣はこのスレの
>>233が言ってることが
だいたい的を得ていると思うが
スマソ
言いたかったのは「陳舜臣」のこと。
精子の作者が陳寿ってのも判ってます。
記憶では「ちくま文庫」から出てる(筑間書房はチェックしてない)正史は
『三国志正史・陳舜臣』だけだったと思いました(あくまで「ちくま書房」)
それを読んで、他のスレで「俺正史読んだぞー!」って言ったら、
「陳舜臣それは正史じゃねーよ、バカ」みたいなことを言われたので、
じゃーなにを読めばいいんだぁーーー!
とのことでした。
正史じゃないと言われる理由は
>>233さんからの理由でしょうか?
まぁ正史なんでしょうが、陳の個人的主観により脚色されてる部分が多いそうで。。。
な〜にをーよめばーいいのー?
>>645 なんか知らんが、すべてが聞いた事ない情報だなぁ。
そもそも、ちくま文庫って筑間書房から出てる文庫シリーズの名前であって、
別の出版社じゃないんだよ。そんで、三国志の正史はちくま学芸文庫ね。
そんで、陳舜臣が正史の訳者をやってたってのは初耳。
ググってみたが、そんな情報はまるでhitしなかったぞ。
もしかして、秘本・三国志と勘違いしてるんじゃないか?
あれは文春文庫だし、内容は正史をベースとした架空のストーリーだよ。
秘本三国志かよ!
・・・スイマセン。
自分の中で陳舜臣と陳寿が完全にゴッチャになってました。。。
恐らく他のスレでも、
>>645で書いたように、陳寿のところを陳舜臣と
書いてしまったのであろう。。。
槍田氏脳
「やりだ」って何?
陳舜臣は名前だけ見ると明くらいの人みたいだからなぁ。
躁かよ… 鬱はともかく、躁は怖いからやめとけ…
>>648 つまり、636は他のスレで陳舜臣の正史が〜とか書いて
それを見た奴に「陳舜臣の三国志といえば小説だろ?正史?こいつバカじゃね?」
ってレスを返されて一人で混乱を深めていたわけだな。ご愁傷様。
>>653 おそらく、そうだと思われ
初めは、反三国志スレにでも行って
「陳寿の三国志なんて正史じゃねーよ」
なんて言われたのかとおもたよ
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
656 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/22 03:35
age
リア厨登場か…
知らないと言うことは、強いな…
正史というのは、あくまでカテゴリー、ジャンル、形態の名称で、
別に陳寿の三国志だけを指すわけじゃないし、「真実を綴った歴史書」の意味でもない。
一般に清の乾隆帝のとき定められた、紀伝体の歴史書24種を指す。
ここから幾つかを省く説もあるし、追加する説もある。
三国志はいずれの場合も含まれてる。
基本的には一つの王朝についての歴史書。
史記、三国志、晋書の載記、北史、南史、新旧の五代史は
例外的に複数王朝を扱う。
研究する現代人としては、あくまで数多くの歴史史料の一つに過ぎず、
その記述に怪しげな点があれば、当然、その他文献・発掘史料や
各種状況証拠などから比較・考察する。
一方、統合的に王朝一代の事項がまとめられている点や、特に「志」などという形で
法制度、風俗、学問、社会状況などなどが記載されている点は非常に便利。
志は無いのもあるが。なお三国志の「志」のことではない。
一方、演義とは、現代日本語に訳すと「歴史物語小説」の意味が最も近いだろう。
だから本来、「正史」の対義語ですらない(正史の対義語は野史)。
三国演義の歴史史料性が認められないのは、それが物語小説だから。
はじめから物語としておもしろいことを最優先して構築されているので、
歴史事実の正確性を後回しにしているから。
もちろん、もしかすると正史などの歴史史料には見えなくて、
三国演義にのみ書かれていることが歴史の真実であることもあるかもしれない。
しかし、三国演義には、それを事実として証明するに至る、多角的に見た証拠や
そう断言するに至る考察・理論の過程などは書かれていない。
だから史料性を認められないのであって、それは歴史小説一般に当てはまる。
ということで、どうも正史という言葉の使い方を誤ってる人が多いのが、
結果として636氏のような失敗を招いているような気がする。
酷いのになると正史ってのは今鷹真と井波律子の著作だと思ってる人がいたもんなぁ。
そういじめるなよ
>>636がイジメられてると言ったかい?
俺らイジメなんてしてないぜ、なぁ?
>>636。
ヤキソバパン買ってこいよ。
いまどき焼きそばパンって売ってるのか?
俺がヤキソバパンっつったら、カレーパンも買ってこいっつーことなんだよ。
10秒で買ってこい。 あ? 金?
うるせー馬鹿、あと9秒だ。
きゅーう
はーち
なーな
>>662&665
なんか言ったかぁ?おいっ!
マジブチ殺すぞっテメー死ねカスッ!
667 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 13:00
筑摩の三国志ってホントに売ってるのだろうか・・読んでみたいけど
669 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 17:09
>665、666
ヤキソバパンとかどうでもいいよ。正史の話をしようよ。
じゃぁ、ヤキソバンについて語ろうか
焼きそばパンか。。。
あれってうまいよな。
コンビニで売ってなかったよ>焼きそばパン
7-11で前見た気がするな
677 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 20:16
>>674 へ?普通に売ってるよ・・・。
あんた、どこに住んでんの?
678 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 20:29
680 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 20:35
埼玉は地域により都会田舎の格差が激しいからな
681 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 20:38
焼きそばパンは売れ筋。
普通のパン屋でもコンビにでもね。
683 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 20:40
このスレはいまから
純粋にヤキソバ「パン」について語るスレ
に、なりますた。
684 :
欧陽詢 ◆hAKnaa5i0. :03/05/23 20:41
685 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 20:51
つーか、
>>636が焼きそばパン買いに行ったまま戻って来ないですけど・・・・・
688 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/24 08:48
620です、散々悩んだ結果、1巻と8巻買ってきました
放置しておけば良いのに、
>>669が無意味に燃料を投下しおって・・・
無邪気で、その後の影響というものをまったく考えない「善意」が一番ウザイ。
確信犯じゃないのか?
ageてるし。
放置しておけば良いのに、
>>689が無意味に燃料を投下しおって・・・
無邪気で、その後の影響というものをまったく考えない「善意」が一番ウザイ。
692 :
欧陽詢 ◆hAKnaa5i0. :03/05/24 14:36
善意じゃないだろ
693 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/24 15:00
うぜーぞクソコテ
694 :
欧陽詢 ◆hAKnaa5i0. :03/05/24 15:08
うぜーぞクソ名無し
695 :
欧陽詢 ◆hAKnaa5i0. :03/05/24 15:22
逃げたか
腰抜けだな
あんた、矮小なコテハンだな…。
つまらん叩き合いしないで、もちついてくれよ。
697 :
欧陽詢 ◆hAKnaa5i0. :03/05/24 15:43
矮小なコテに構うなよ
お前はお前の道を行け
正史で訳されてない原本みたいなのってどこで買える?
699 :
欧陽詢 ◆hAKnaa5i0. :03/05/24 15:44
>>698 神保町などで中国関係の本を取り扱っている店をあたるがいい
中華書局本は神保町の中国専門の書店では見るけど普通の本屋には売ってないね。
活字じゃなくて電子テキストでも良ければ、
台湾の中央研究院のサイトに二十五史が全部ある(繁体字中国語フォント必須)。
若干文字化けしてるけど。
本屋は高いぞ
中央研究院の漢籍電子文献の自作外字のインストールについて、
立命館大のサイトで多少の解説がしてありますので、
中黒(・)に化けている分は、それで解決するでしょう。
でかい黒丸(●)になってるのは、そもそも、それで書いてあるのでだめです。
でも二十五史程度なら、まず殆どの文字を表記することができると思いますが。
あくまで思うと言って逃げておきます。
>702
じゃぁ、牛飯家へ行ってみるよ。
いや、ジョナサンがオススメだ
「正史三国志英傑伝 陳 寿/徳間書店」
↑これって正史ってことでいいんですか?
>>706 正史ではあるけど、重要な人物の伝しかないので、
ちくまのより読み易く、初心者にはお薦めかも。
>>706 二巻の司馬懿(宣帝紀)読むために図書館で借りた。
>>708 何ページくらいあった?
漏れも借りてみようかな。んで、コピ(ry
>>709 全部で330ページ、うち司馬懿で70ページ取ってる。
皇帝、それも太祖の紀なんだからそれも当たり前か。
いいからちくま文庫版ぐらいは8冊そろえて買ってあげなさい。
これ以上出版社を追い込むなよ。
全訳されてる史書ってこれぐらいだぞ?それに、興味あるんだろ?
魏書4の王母丘諸葛ケ鍾伝(反乱者列伝?)なんか面白いぞよ。
良心的なレスなのにスマンが、
漏れは
>>706とは別人だ。ちくまは当然持ってる。w
>>703 おお、本当だ対処法あるんだ。ありがとう。
>>711 >全訳されてる史書ってこれぐらいだぞ?
一応史記と漢書も全訳されてますが・・・
いやいや、史記・漢書は表とか全訳されてないぞゴルァと711は言いたいのかもしれない。
たしか、岩波の史記は書表は省略がありましたよね?
漢書はどうでしたか?
文庫で手に入る以外のテキストも、全訳はなかったような。
その点、「三国志」は、むこうの標準的なテキストの一応全訳
ということで、いいんではないかい。
ちくま訳本漢書の表はまるで使い物になりません。百官公卿表とか。
漢書は表にしか載っていない情報が多いので全訳と言っていいものか。
抄訳?
三国志は裴註も訳してあるのである意味最強。「全訳」の名に相応しい
のかもしれない。
>>714 716は私が書きましたが、他の方も似たような感触を、持っているようで…
納得して頂けましたか?
夏五月、地、震える。
って怖いなオイ!仕事帰りだったが近くのビルがゆさゆさと・・・。
天が政治の乱れを譴責しとるん?
ああでも三国時代に天変地異で大臣を責めるのをやめたんだったかな?
>>717 『三国志』はたしかに全訳に近いけど、訳文がカス過ぎて、読んでても
苦痛でしかたがない。
中学生低レベルの文章を長々と読まされてる感じで、とにかくひどい。
理系の教科書・論文の類はあんなものじゃありませんが、何か?
>>721 すまない。
「あんなものじゃない」というのは、どっちの意味で?
>>720 史書の忠実な翻訳ってのは読み物として面白くする作業のことじゃねーんだよ
>>723 そうなんだよな。原文が想像できる方が望ましいわけだし。
>>723 何を言ってる?
ただ稚拙な文章だと言っただけだが?
自分はいちおう原文も読んでる。
とてもじゃないが、あの訳文は忠実とはいい難い。
>>724 ついでのようで悪いけど、あれで原文を想像できると?
>>722 あんなものと比べるのもおこがましいまでに酷過ぎて、
酷いにも程があるだろと言いたくなるほどに酷過ぎる
>>725 じゃあお前が忠実ではないと思う訳文と、
それに対するお前自身の翻訳を披瀝してくれよ。
>>729 いちいちムキになって、つっかからないでもらいたい。
訳文とはいえ散見できる、「ちゃんと」とか「こっそり」、「クーデター」などの
安易な外来単語を用いていたり、それだけでも拙文だとは思われないと?
>>730 別にムキになってないけど。
クーデターはクーデターでいいと思うけどね。
小説書いてるわけじゃないし、それがいちばんわかりやすいし。
つーかそんな些細なことでグダグダいってただけなのかよ。
つまらん。
訳が拙いのは確かだけど、クーデター程度はいいと思うぞw
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
原文で読めば万事解決。
原文で読めれば万事解決
筑摩書房の訳はあまりこなれてはいませんが、原文も決して名文とはいえないものですから有る程度しょうがないですね。
悪文とまではいいませんけど、原文は漢文としては読みづらい部類だと思いますよ。
范クンの『三國志』推薦文の中には「司馬相如に劣るも質朴は勝る」と書かれているわけですし。
筑摩のは、現代日本語で有る程度意味が通じる文章になっているわけだから、それで良いと思いますよ。
原文と一緒に読めばいいわけで。
まぁ、熱くならずにマターリ逝きましょうや。
あ、原文に忠実な訳本が読みたいんなら、江戸時代の返り点が付してある汲古書院の和刻本正史『三國志』
読んだらどーですかねw まぁ、書き下しを訳といっていいのかどうかって問題はあるけど、
吉川幸次郎も正史の訳としては汲古書院のシリーズを推奨しているわけだしねー(吉川幸次郎は筑摩の訳者たちの師匠)。
版本としては明の陳仁錫のものだから全然良くないですけど、全部返り点が付いているのは確かあれだけじゃないかな。
738 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/28 21:37
ほす
曰(いわく、いはく)を筑摩の訳本では「○○にいう」としています。
「言う」「言った」「このように語った」とどのようにも訳せます。
この「曰」、直接の伝聞の場合でもありますし、間接の伝聞にも用いられます。
論語の「子曰、…」は孔子がこう言った、というのも孔子がこう言っていた、と
いう場合にも用いられています。また、書物からの引用の際にもこの文字を使用
することもあります。
それらをひっくるめて「イワク」です。訳者が手を抜いているのでもないし、
もとの筆者がいい加減に書いているとも思えません。このイワクを現代日本語訳に
するのに「○○にいう」と固定して、大本の簡潔な文章の中にある並列の雰囲気を醸し
出しているとするなら、確かに稚拙に見えるかもしれません。
で、正史読んだ事ない人間が読み始めるにはどれがいいんでしょ?
演技はそこそこ読んだと思うんですが
741 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/30 15:07
普通に三国志正史を読むか、もしくは
>>706の三国志英傑伝辺りだろう。
(どっちにしても内容自体は正史だが)
皇帝の紀・伝を最初に読む場合は、上奏や布令はかっ飛ばせば良い。
『きらめく群像』あたりもいいと思われ
正史って作者が馬謖の血縁者って本当?
嘘だよ
誰がそんなデマを…w
馬謖ではないが、三国志8の攻略本に陳寿が陳式の子って書いてあったのだが、
これって本当か?
そんなわけないよな。
そんな説が根強くあるのは確かだが、やっぱ姓が同じだけだと思うな
思いっきり信じてたよ・・・・鬱。
749 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/30 19:15
>>746 多分「諸葛亮を貶した」といううがった見かたの説得力を強めるために、
陳式を陳寿の父にしたんだと思う。陳式は命令違反で処刑されているし。
陳寿の父も諸葛亮に頭髪を剃られる刑罰を受けたのは確かだが。
陳寿って偉いなあ・・・・・・
??
>>741-742 サンクスです
漢文がどうとか訳がどうとか言ってるから取っ付きにくいのかとオモタ
754 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/03 23:07
俺でスレストかよage
そんなもんれす
756 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/05 19:20
age
757 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/05 20:36
ここは正史と名を打たれた天舞スピリッツも語ってもいいスレですか?
天舞はPC98版のエンディングでおかしな書き下しを掲載したからだめでちゅ
「来たり王く」、て? すなおに「来王す」、くらいにしとけよ。
ところで、あの文、何だったかなぁ?
別のところで読んだ記憶があるんだが
天舞スピリッツか・・・。テンポの悪いゲームだった・・・
正史読むと曹爽ってかわいそうな奴だな
記憶があやふやだが
マヤかインカ文明って文字が無くて
言い伝えなんかの言葉でしか歴史が伝わっていないって聞いたか読んだかした事がある
これを黄河文明に当てはめたら演義が正史になってたって事か・・・ガクガクブルブル
いや、長江文明の方が進んで別の歴史に・・・
なんてアホな事考えてみた
朝の独り言終わり!
764 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/12 10:54
平凡社の漢書・後漢書・三国志列伝選はどうよ?
三国志だけではなく後漢書も読まないと三国志は理解できんぞ、と。
後漢書はちくまも岩波も徳間も訳を出してないからな。
誰が買うんじゃ、ヴぉケ!とばかりに高っけぇヤツだな
767 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/12 19:07
768 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/12 19:17
三国志にとって後漢書がそれほど重要な位置を占めるとは思えない。
なんせ、文字通り後漢の史書なのだから、三国志で占める割合はほんの一部だよ。
それに著者・范曄は宋代生まれだし、同時代には裴松之もいる。
しかも、范曄は裴松之より年下で裴松之より早く逝去している。
歴史学者でないかぎり、裴註で充分だ。
董卓も袁紹も袁術も献帝も無視して三国志を語るのか?
無茶に無理を重ねていると思われ
>>三国志にとって後漢書がそれほど重要な位置を占めるとは思えない
三国志も後漢書も書名だから、この表現はおかしいのだがな。
それはさておき、後漢、つまりは中国の古代帝国のシステムやイデオロギーや
レーゾンデートルやアイデンティティ、横文字ばっかですまんが、そういうものが
崩壊したり、現状に適合できなくなったり、当時の人生哲学からかけ離れたりした結果が
三国時代の乱世とも言える面もあるのでな。
何で三国時代なんてものが成立したのかって辺りまで突っ込まなきゃ
関羽と呂布じゃどっちが強ぇ、とか、曹操と袁紹じゃどっちが大物だ、とか
そういうレベルに陥ってしまうのは何とも寂しいものであることよのぉ。
>>769 >董卓も袁紹も袁術も献帝も無視して三国志を語るのか?
あんた正史読んだ事ないのか?
>>768 そのほんの一部でさえも追求してしまうのが三国ヲタというものだと思われ。
776 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 19:35
このスレはage推奨です
>それに著者・范曄は宋代生まれだし、同時代には裴松之もいる。
>しかも、范曄は裴松之より年下で裴松之より早く逝去している。
年が若い即ち年長者に劣る、という理屈は成り立たないわけだが。
言いたいことはわかったが、この2行余計だろ。
不必要と思うならそうしろ。漏れは『後漢書』も読むが。
hage
779 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 16:54
あのさ、劉豹って左賢王?右賢王?資治通鑑と正史で違いがあるけど、正史の間違い?同時代に去卑が右賢王になってるし。
それとも当初は左賢王だったけど後に右賢王になったん?
三国会要に於夫羅在命時に匈奴五部のうちの匈奴左部師になった事がかかれてたけど、
左賢王と右賢王って左匈奴の責任者と右匈奴の責任者って事?
なら元々の匈奴左部師から左賢王に昇進したと考えるのが自然?そんでから正史の間違えじゃなけりゃ右賢王に転任かな?
780 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 18:19
>>768 裴註って可愛くていいよな。
私は考える。また思う。
また思うってところがアイらしいんだよ、うん。
史書にぶつぶつケチつけながらも、信憑性が薄くても律儀にちゃんとのせてる所が結構いい奴だな
基準が無いだけじゃん?w
783 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/29 16:26
王正史読みました。ホウ統ってイケ面でしたか?
784 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 12:04
陳寿が陳式の孫っていうのは、劉備が劉勝の子孫と言っているようなもの
八冊セットと、一冊づつバラで買うのではどっちが良いの?
八冊セットってなにか特典でもあるの?
あるショッピングモールは7・8が売り切れ
他のところは八冊セットが取り寄せ
バラでも問題なければ1番目の所で1〜6、
2番目の所で7・8を買おうと思ってるんだけど。
788 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 20:49
バラバラで買ったら、7巻だけどこにも売ってない状態に陥りました
取り寄せすっかなー
>>787 セットだと紙の箱がついてる。しょぼいけど。
バラで買うと、挫折したときの傷が小さい。
いや、セットで買うと傷がでかいので挫折できない。
八冊セット注文しますた。
2〜3週間で届くと。
792 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 19:28
>>791 全部スキャンしてnyで流してくれ。
頼んだぞ。
>>792 当然の義務だな。
一巻につき一ヶ月、計8ヶ月で全部挙げること。
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(∩・∀・)< もしもし犯罪者が常駐しているスレを見つけたんですけど
□……(つ ) \___________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|
|
スキャナないんですが……
じゃぁ、打ち込みでよろ
いいから買いなさい。
安けりゃ、8000円。
一日働けばなんとかなる。
スキャナなら5000円ありゃ買える
ところで、nyって何〜?( ・∀・)
・・・化石発掘( ´ー`)y−~~
>>798 大人は、時間を切り売りしながら生きてるんよ。
いいから、そろい本を買いなさいや。
>>779 今さらだが、左賢王は匈奴の皇太子で、次期単于じゃなかったっけかな。
少なくとも前漢代はそうだったよ確か。
だから、次に単于になっていれば左賢王が正しいことになる、かもしれない。
>>802 先代も、先々代も単于になる前は右賢王。その頃にはその太子が左賢王となる風習は廃れていた模様。
まあでも晋書に眼を通すと左賢王になったと書いてあるのは書いてある。
だから左賢王→匈奴左部帥→右賢王っぽい。左部帥は〜〜王とはまた別口の話かな?兼任?
あと〜〜王という位は変わるんかな?
804 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 20:29
禿
805 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 20:44
董卓が赤兎馬を手に入れた経緯を教えてください。
806 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 20:48
駅の駐輪場でぱくった
駐馬禁止のステッカー貼ってあったやつをな。
808 :
宮本武蔵@生涯童貞? :03/07/08 20:52
>1
精子って詠めるの?なめるのぢゃないの?
>>805 董卓が赤兎馬を呂布に与えたのはフィクション
正史の抜きどころを教えてください
812 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/11 18:21
すべてに
>>811 曹洪が半裸の楽女で兵士を喜ばせてたら、
頭のカタイ香具師に諌められて取りやめた・・・って話があったが
どこだっけ?
頭カタイ?そうでもなし。
楊阜
頭固いけど、なんかかっこ(・∀・)イイ!
実はその曹洪軍には密かにシンピも居たんだよな。 剛直をうたわれる彼もラジョには勝てなかったか。 曹洪に釣られてラジョキターとかやってるシンピうまー
マジレスが返ってきてビックリ 裸女?
自分の好きなエピソードのあとに「臣裴松之は考える」ってでるとドキッとしないか?
>>811 曹叡が道化師かなんかに宮女と交わらせたのを見て楽しんだとかナントカあったな
その曹叡の生年があやしいから袁熙の子か?とかいうのも(正史ではないが)あった
妊婦を寝取る曹丕ハァハァ
>>813 半裸ハァハァ
曹叡クンは、
文帝死亡直前まで皇太子に立てられずに放置
後継者、斉王芳が実子ではなく、しかも何者かよく分からない
と、なんだか妖しげな点がありますな。
>曹叡の生年があやしいから袁熙の子か?
というのは実際にそうなら当時から言われていただろうから、母が消された事といい文帝や大臣に疑惑を持たれていたとしても不思議じゃない。
彼ら(曹叡含む)の脳裏には、始皇帝と呂不韋の関係が浮かんだ事だろう。
んで、曹叡の血統を絶やすために他の曹氏の子に継がせようとした?
曹叡自身に子供が生まれても密かに処理されてしまったのかも?
>>820 明帝紀にはこのような記述があります。
太和五(231)年7月15日、皇子曹殷が誕生。
太和六(232)年5月、曹殷が死去。安平哀王。
なお死因は不明です。
>819
>曹叡が道化師かなんかに宮女と交わらせたのを見て楽しんだとかナントカあったな
曹芳じゃなかったか?
>>822 確認せずうろ覚えで書いちまいますた。郭懐・袁信という名前が挙がってますな
中領軍許允らが司馬昭の暗殺を計画したときも「捺印しろやゴルァ」つった
雲午なる道化師が傍にひかえてたようだし
曹芳クン好きねぇ…
824 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 16:03
あげ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>820 その説って高島俊男がえらい剣幕で否定してたような・・・
まあ高島が正しいとは限らんけどね。
>>820 曹芳も出自が怪しいな、ちくまで「宮中のことは秘密なので、経歴は不明」とかあるし
なんだそりゃ?みたいな
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>820 その辺は流石に新資料か何か出てこないと、実際のところはわからんままだろうね。
しかし本当に袁煕の子なら、とりあえず実父含むマジ馬鹿三兄弟に似ずによかったな、と。
後、英雄の子を別の英雄の家で養育するって、何かローマっぽい
>>829 オイラは影武者徳川家康を思い出した。
あれだと、紀州の徳川家は世良田の子なので、家康の血を引いていない事になるんだよ・・・。
>>829 英雄の子を、じゃなくて、孫を、でした。袁紹の孫。
ところで曹氏の皇室って凄く孤独なイメージがある。
臣下との間に厚い壁があるような。何となく隋の皇室に似てるような
832 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/17 06:19
保守
後漢末期みたいになるのを防ぐためじゃあねーの
いり
835 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/25 07:14
836 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/25 18:03
やはり曹ヒのやり方がまずくて、司馬氏に専横されたのでは?もともと血筋が少ない曹家にとって、曹植や曹彰は必要な人材だったのでは?曹ヒが彼等を冷遇したのが曹家の敗因かと。
>>836 それを言い出すと、曹沖を可愛がって曹丕にトラウマ植えつけた曹操が悪いんじゃねえか?、と。
概ね同意だけど、曹沖は関係ないんじゃね?
曹丕は曹沖に関しては諦めてたくらいだし。
ちくま版を読んでいて、やっと8巻に辿り着いたのだが、
年表の166年「皇甫規は自分も”党人”の一味だと
名乗り出たが、相手にされず」というのにチョトワラタ。
そんな言い方しなくても。
ちくまの本とか表とか全然ないんだけど、実際の正史にも魏の官職を表にして
まとめたりとかしていなかったの?
表や志のことでいいんだよな?
志は後漢書(実際は続漢書)と晋書にあるが、三国志には無い。
あと、自分の書いた文章は見直すべきだぞ。
うっさいヴォケ。死なすぞ。
>>841 >自分の書いた文章は見直すべきだぞ。
おまえこそ見直せよ、日本語になってないぞ。
>>840 三国志は正史の中では珍しいスタイルだからな。
もし君が東洋専攻の史学科とかがある大学に通っているか、その近所に住んでいるか、
さらにもしくは大きい図書館とか近所にあるなら、「歴代官制表析」という本を
探してみるのも良し。古いので、大学の図書館が一番確実かね。
正史の職官志などと比べれば簡易で粗雑だが、
歴代王朝の官職名、品秩(階級みたいなもの)、職掌(職務)、
官属(その配下の官職)を表にしてまとめてあり、見やすい。
三国時代のもあるが、三国一括してあり、「これは呉にはない」とか
「これは蜀では非常任」と書かれている。
あ、後、現代中国語で書かれているので、わからなければ辞書を片手にどうぞ。
箇条書きだから、字さえわかれば漢文読めずとも何とかわかると思う。
>>843 確かに正確ではないな。w
それは慣習的に使われている事の多い、強調の「は」。
突っ込まれることを期待していたが、ありがとう。
ここは知ったかクンが集まる場所ですか?
頼むからほかの場所で「お前正史読んでないにわかだろ?(プ)」
とかいって誇らしげに恥をさらすのはやめろよ。
っどうせお前らも大半は正史が正しいとおもってる、にわかなんだからww
>>847 何だ、お前、正史読んでないにわかだろ?(ププ
最近はメール欄でレスするのが流行りでつか?
>>851 はぁ?いってる意味がわからないけど。
ウザイよ!
>>852 真性ウザー。夏厨だろ(w
さっさと宿題やって寝ろや。
先生、釣りがしたいです・・・・
854=847?
邪魔してスマソ。夏は大漁だね。
でも変なマネしてスレ無駄に消費するなよ(w
>>847は、つい先日、メール欄で遊ぶことを知ったようなんです。
サルのオナ○ーと同じレベルではありますが、暖かく見守ってやって頂けると…
>>853 そういうオマエが夏厨。
必死だな(wwwww
>>857 >>856くらい気の利いたコト言えや(w
どうでもいいが本題に戻れよ。こんな古臭いネタに引っかかって何やってんだか。
っていうか2chで釣りしてる香具師が
いまだに存在してる事自体が貴重だ
このスレは、
もはや無限のループに入り込んでいるのでございました。
おまいらスルーはできんのかい?
粘着ウザイ!
つまりはネタ切れか・・・
>>863 これも、アメゾー以来よくみるレスですな。
(懐古すまそ)
はぁ?正史なんか原文ですでに読んでますが?
お前らと違って。
列伝も読破してますが?
お前らと違って。
>>848クンとは違うんだよタコが(プ
三国志はほとんどが列伝ですよ?
「正史読んだし、列伝も読んだ」なんて普通は言わないもんだ阿呆。
まぁ無双厨で演義のストーリーすら知らない藻前は、キャラにハァハァしてろってこった(プ
蜀伝が1番面白い
お前らと違って。
列伝も読破してますが?
お前らと違って。
お前らと違って。
列伝も読破してますが?
お前らと違って。
お前らと違って。
列伝も読破してますが?
お前らと違って。
お前らと違って。
列伝も読破してますが?
お前らと違って。
872 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/02 02:21
>>871 読解力無いのさらしてるからやめな・・・・
一番上の文抜いたら変だが、そのままの文なら変じゃない。内容はともかく・・
873 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/02 03:21
>>872 読解力〜?(w
おお、そうか。
>>871の恥をさらに晒してやろうって魂胆だな。
一番上の文を入れたら、さらに
>>871の馬鹿さ加減が浮き立ってくるもんな。
お前もエグイねぇ〜(w
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
875 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/02 12:27
なまあたたかく放置しる
ところで劉備ってよく劉邦に例えられるけど、実際のところどうなのよ?
ぜんぜん似てないと思うのだが…。
>>876 確かに
晋の文公に似ていなくも無い気はするが
曹操が光武帝に倣っていたっていうのは、未だに納得いかねえな
正史房のレベルの浅さがよくわかるなw
>>871とか
>>873 の文見てるとw
正史より国語の教科書まず読みな!小学校低学年あたりの!
とりあえず
実際のところ劉備に天下は取れんだろ。あまりに情に脆過ぎる。
そのために致命的なミスを犯しまくり・・・。
対する劉邦は…。天下取った後、部下を殺しまくる程の冷酷無比の人。
っていうかそういう人じゃないと天下は取れない。
でもまあすごいいい奴ではあるだろうね劉備は。
あれだけ癖の部下達をまとめていけたのは、ひとえに彼の人柄の良さのお陰でしょう。
なんか劉備の部下って他行ったら、うまくやっていけなそうな人ばっかだし・・・。
>>881 問1:劉備が純粋に情に脆いだけの理由で引き起こした失策を挙げよ
883 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/02 20:46
長坂
ヽ|/
/ ̄ ̄ ̄`ヽ、
/(●)(●)(●)ヽ
/(●)(●)(●) |
| (●) (●)||| |
| / ̄⌒ ̄ヽ U.| ・・・・・・・・ゴクリ。
| | .l~ ̄~ヽ | |
|U ヽ  ̄~ ̄ ノ |
|  ̄ ̄ ̄ |
>>879 釣りって餌があって針があって獲物があるもんだよねぇ…
886 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/02 21:42
211年、のこのこやってきた劉璋を捕らえていれば
張松・ホウ統等死なずにすみその後、馬超と手を結ん
で曹操と当たれたかも。
887 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/02 21:51
∧∧∧∧∧∧∧∧∧
< >
< 釣りヴァカ発見! >
< >
∨∨∨∨|/∨∨∨∨
へ |
| \
| \ ┌ ∧、
| ヽ ̄(゚Д゚,,)
| ℃ _'ヌ ,ヨ
| と|_ノ‖
| ___(_(⌒'人__
| く  ̄ ̄
| > ヾ
ザッパーン | ( ヾソ
∵,,| ∵ヽ
| ∴ミζ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
つれた♪論議まじめになってきたので最後にします
自作自演してゴメンネ♪
本物は僕ですよ。
最後にしますって奴、名前を捨ててまたやってくるって2chの法則にあったなぁ…
正史でよくあるパターンってある?
正史厨でよくあるパターン
マイナーな人物を「実は有能」
メジャーな人物を「実は無能」
僕の知り合いの削除人に頼んで
アク禁申請しました。
無双厨=ブタ
895 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/02 23:05
蜀のリョウカって何者なの?
蜀滅亡まで現役だったんだよね?
ちょー長生きじゃん・・・
初出が夷陵ですから。
実は襲名してて2代目だったりして。
>>892 演義で無能な人物を「実は有能」
演義で有能な人物を「実は無能」
が、正しいと思われ。
前者は魏・呉にゾロゾロいるな。
後者は徐庶・馬岱辺りが顕著な例か?
(無能と言うより活躍してないだけだが)
>>895 ネタ? 違ったらスマソ
>>898 徐庶は傳すら無いからなあ
何か実績無いの?
孔明を推挙した以外に
>>900 >>徐庶は傳すら無い
あるよ。
魏略に・・・
[厨房のための煽り煽られ講座 決定版]
2.自分の無知・知ったかなどで予期せぬあおりを食らった
【対処レス】
また一人釣れたよ、今日は大漁だ
つれねーな、X人だけかよ
ヤター!マジレスキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
おまえらネタに吊られるなんてアフォ過ぎ♪
何で釣りってわかんないのかな、最近の厨房は。
【対処行動】
この場合、再び議論に戻ることはほとんど不可能なので、
IDが変わるまでおとなしく逃げている。
#他人を煽るときの知識として、レスを読んでおけばよいでしょう。
#次から同じ間違いをした他人を煽ることが可能です。
>>899 疑ってスマソ、責任取って解説するわ。
261年、廖化が宗預を訪ね、諸葛瞻のもとへ挨拶に行こうと誘った際、宗預は「我々は七十歳を越え、既に身に余る位階を受けている(中略)年少の輩に何を求めて、こせこせと訪問しようというのか」と答えている。
つまり、廖化の生年は191年頃であったと推測される。
この事から、廖化が黄巾残党であったという演義の記述は、完全な創作である事が分かる。
ちなみに、正史での廖化に関する最初の記述は、「関羽の主簿であり、関羽が敗北した際、呉に身を委ねた」というものである。
関羽が前将軍に任命され、捕らえられた年である219年以前の、廖化に関する記述は無い。
襄陽出身なので、劉備が荊州にいた頃に仕えたものと推測される。
あげ。
良スレ良スレ。
この手のためになるスレの一覧とかって誰か持ってない?
正史って怪奇現象も記録されてるよね?
怪光現象や天体現象の謎、謎の轟音や声…etcの不思議自然現象なら
本紀や帝紀に記載されている事もある。
あと天文志などで、それがどういうことなのか解説されてる場合もある。
日食とか隕石とかね。
ま、当時はそれも科学の一端だったわけで。
幽霊でたとかってのは、列伝が立っているような要人の錯乱とか、怨恨のほのめかしとか
政治的に絡んでこないと普通は載らないと思うけど。
909 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 03:10
そういう怪現象は歴史の転機である事件が起こる前に必ずある現象だからな。
要するに後から尾ひれを付けて仰々しく騒ぎ立ててるだけだ。
911 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 05:06
呉に火星人が出たのは別の本か。
じゃあ演義の左慈・于吉・管輅の話の元ネタなんかもどこかに載ってるんですか?
>>909 /⌒〜Y⌒"""ヘ ヘ∨ ∨
/⌒/ へ \|\
/ / / /( ∧ ) ヘ ヘ
く // ( /| | V )ノ( ( ( ヘ\ お て
┘/^| \ ( | |ヘ| レ _ ヘ|ヘ ) _ヘ し め
/| .| | )) )/⌒""〜⌒"" iii\ え |
.| α _ ヘ レレ "⌒""ヘ〜⌒" ||||> て
_∠_ イ | | /⌒ソi |/⌒ヘ < や に
_ (_ ) ヘ | ‖ () || || () || _\ ん は
/ ( ) ヘ |i,ヘゝ=彳 入ゝ=彳,i|\ ね
/ー ( / """/ ー"""" > |
_) | ヘ(||ii ii|||iiii_/iii)ノヘ|||iiiii<
| ( ヘ|||||iiii∠;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; フ
///// ヘ_/ ) ヘ|||""ヘ===二二二===7フ / ム/∧ ∧ ∧
///// ( | ii | |LL|_|_LLL// | )( ∨| ∨)
・・・・・ ) )| || | |||||||||||||||||||||||| | | ( ヘ | ヘ ) (
___ | | /| .| |||/⌒/⌒ヘ | | | iiiiヘ ( | ( | /
/ / (|.| | | | | | iii ) | ヘ )( )
( ( /..| | |_____/ | | iii ( )( // /
\ ) )..| |ヘL|_|_L/ / / ,,,,--(/Vヘ)(/
/ ( .|ヘ \_ヘ |_/ / /
呉ではちょくちょく甘い雨が降っていますが、何か?
>>907 その手の類の話なら、『捜神記』を読むといい。
朱桓の下女が飛頭蛮で、不気味だからやめさせたんだっけ?
トップとしては曹操と司馬い(炎ではちょっと・・・)のどちらが
適していただろうか?とりあえず考察。
統率(国をまとめあげる力)
冷静(血気にはやらない)
人材収拾(人材を広く集める)
人材抜擢(位の低い者からも実力のあるものを見抜いて使う)
人材起用(人の使い方)
度量(あえて耳の痛い諫言にも耳を貸せる、等)
魅力(声明・利害抜きで「この人の為なら」と思わせる力)
政治(民に不満なく、国内を富ませる)
保身(不満を見抜いて、未然に防ぐ)
外交方針(自国と他国との状況を考えて方針を間違えない)
これで考えてみますか。
全部曹操
終了
統率・・司馬い(それぞれに勝手な行動をさせなかったというのがあるし、
辛ぴと計った件も仮に嘘だとしてもその位の事はやりかねない。と言うイ
メージが。曹操もかなりだとは思うけど、たまに部下が先走ったりする所
を見ると、ちょっと部下の才能を重視、かつ「勝敗は兵家の常」って部分
が強い気がする。私的には少し司馬いの方がすごいかと。)
冷静・・・司馬い(曹操は非常な中にも人情はあったし、たまに迂闊な面も
あったから。それ以上に司馬が孔明・曹操以上に感情を消している様な気が
する。割り切りの凄すぎる男だよな、やっぱり。)
人材収拾・・曹操
人材抜擢・・曹操(甲乙付けがたいが、実際にトップの身でありながら実力
主義で位の低い人間からも抜擢。と言う点では曹操か。司馬いも人を見る目
はあったけど。)
なんだ縦読みできないのか
>>919 そりゃねえyo!せめて根拠キボンヌ。
人材起用・・曹操(これは曹操か。司馬いは少しだけ実力以上に自分に従う
者を重視した感があるし、適材適所については、それ+北伐防衛しか分からない
から。曹操もじゅんいく・ゆうの件は置いても孔融・楊修・王平・崔えんとか
あるけど、人材に困ってない事、漢への忠誠による危険性もあるから。)
度量・・・司馬い(根拠無し。経歴を見てると、司馬いの方が他人の言葉を冷静
さだけで聞く事が出来る気がしただけ。)
魅力・・・曹操(司馬いにそういう物はほとんど無いと思う。)
政治・・・曹操(そういう政治では、曹操の方が実績もセンスもあったと思う。
司馬いもやらせれば鳳雛並にはやると思うけど。)
保身・・・曹操(記述で見れば曹操、私的にあの冷静さなら司馬だとは思ったけど
ただ、臣下として曹操に睨まれながら出世したと言う点で、臣下としては司馬いか。)
外交方針・・・司馬い(記述で見れば曹操・・・と言いたいけど、呉の心理を見てとって
荊州を保持した事に関して実戦は徐晃・曹仁達の働きが大きいけど、方針と言うか戦略面
では司馬いが一番大きかったと思う。それに当時の蜀の現状も一番把握できていたのは
司馬いと言っても過言ではないと思う。呉対策にしてもこの人は少なからず発言してるし、
その上で出過ぎはしなかったし。)
923 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 18:15
気に入らなかったか・・・では、戦術家としての
曹操・司馬いの比較で。
曹操・・・呂布・えん紹・孫権・劉備・馬韓連合・張繍・えん術・李郭連合・張魯
それぞれとの戦いでほとんど勝ってるけど、ほとんど参謀から出てるな・・・
自ら出した戦術と言えば、
「梅林の計」「王こうへの責任転嫁」それと、許ゆう採用も戦術に近いか。
こうして見ると、
曹操自身は戦術では奇策家としてのポイントが高いかも。
司馬い・・・こちらは相手と自分の現状を確実に把握してそれに最も最善の
戦術を取るのがこの人の戦い方だね。彼は、参謀の意見を採用したものもあるけど、
大きな戦いは自己の戦術だね。ただ、彼の場合は既に魏と言う大きな後ろ盾、それに
既に司馬いに対抗できる様な戦術家がほとんどいなかったというのもあるね。陸遜か
陸抗と陣比べしてみてもらいたかったけど、そういう強敵とは戦わない様にしてたのも
司馬いの戦略面での強さだしね。
トップとしては曹操の方が優れていると思う。
司馬懿は下に付く方があってる。
トップはカリスマや統率力、決断力さえあれば良いし。
あとは沢山の参謀にお任せ。
司馬懿は上に付きたがらなかったし、完璧な合理的考えの人だから
トップになったとしても確実で安全な政治をしそう。
逆に曹操は画期的な変革ね。
二人の共通点=虐殺をおこなったことがある
>>925 確かに役割的にはそれが正しいね。司馬懿自身も自分の役割は自覚してたんだ
と思う。ただ、彼は有能すぎて時々人が馬鹿に見えるんだと思う。だからトップ
にはならなかったけど、専権に近い事はやったのでは?権力欲はあっても、義は
わきまえているし、支配欲はあまり無い人なのだろうか。
後、曹操も合理的ではあったのでは?司馬いや信長ほどでは無いにせよ。
合理的と保守的が一部混同されてるような気がするな
927>勿論、曹操はその時代には珍しい合理的な人でもあるよね。
ただ、司馬懿の方が割りきりが恐いぐらいできてるから。
ついで、先を見とおして策を練れる。
曹操は画期的な政策とかしてたけど、少し先走りが多かった。
凡人には天才の行動がわからないって事をあまり考えてなかった。
それが魅力の一つなんだろうね。
曹操と宇文泰、司馬懿と楊堅なら比較対象になると思うんだがな。
曹操と司馬懿、両者の人生は違いすぎる。
あえていうと司馬懿なら董卓や袁紹に喧嘩得るような真似はしなかっただろう
931 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 20:35
>勿論、曹操はその時代には珍しい合理的な人でもあるよね。
曹操の兵法書(『芸文類聚』に引用する魏武帝兵法)には「雨の日に出陣すると勝つ」
など意味不明なことが書いてありましたが何か?
曹操は薬になるといって毒草を食っていましたが、何か?
どこが合理的なんだ?
>>931 現代人の目で見られてもねぇ。
曹操にとって雨は勝利へのジンクスだったんだろうし、
毒を薬として服用した名君など少なくないだろう。
ところで、毒草の件はすぐに見付かったけど、雨の件はどこ?
933 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 20:41
なんか、正史スレで演義とか蒼天航路の話しをしている人がいるな。
>「梅林の計」「王こうへの責任転嫁」
演義の創作なんですけど。(梅林の計の元ネタは正史武帝紀注に引用されてはいるが、
史実かどうか怪しい)
>凡人には天才の行動がわからないって事をあまり考えてなかった。
曹操を天才だとするのは蒼天航路。正史の武帝紀の曹操は自ら
「漏れは目が四つあるような人間じゃない。普通の人間だ」といって
天才であることを否定している。
夏とはいえ、もう少し気を遣ってね。
まあ、弁護するわけでもないが
本人が否定したから、天才じゃないってのもアレかなと。。。
自称凡人ってとこか?
935 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 20:49
>931の出典は別冊宝島の曹操孟徳伝に出てくる、
坂田新氏の「曹操の兵法」に関する解説だろ。
ただ『芸文類聚』を見てもそれらしき記述はないのだが・・
>>920- で具体的な事績が挙げられたことって、ほとんど無いよな。
自ら天才って言えないだろうに…。
言ってる香具師っているの?
938 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 21:46
曹操は罪の無い人民を大虐殺した悪魔です。ヒトラーより最悪です。
この様な残虐な人物が再評価されたり漫画の主人公にされるなど有り得ない話です。
皆さんは何故、彼の功績だけを評価してこの虐殺から目を背けるのですか?
蒼天と光輝、どっちが正史に近い?
どっちが信頼性がある?どっちか、読んでみようと思うのだが。
940 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 21:59
接要
>>938 少なくとも光輝は正史からほどとおい
ってか、吉川をなぞってるだけなんでそっち読んだのならあらためて読む必要はない
>>931 完全な合理主義とは言ってないよ。
全体的に見て合理的なタイプの人間だろう、と。
>>933 「怪しい」だけで夏厨はないだろう。確かに俺が無知だったが。
ただ、その2つを見てそういう事もしかねない人間と言うイメージは正しいと思う。
>>「漏れは目が四つあるような人間じゃない。普通の人間だ」
これは別に俺は凡人だ、って意味じゃないだろう。
「俺もお前等と同じ人間だ」みたいな意味じゃないか?
>>936 分かってると思って、それなりにしか挙げてないだけです。
>>937 デイコウがちょうどいい見本かな?
まあ、自分で天才なんて言ってる奴はせいぜい
奇才・秀才・大罪人のどれかに当てはまると思いますよ。
>>938 別にみんな否定していないし。今は戦略・戦術・思想とかについて話しているから
罪については触れていないだけです。ヒトラーにしたって功罪の両面から見るべき
では?
>>939 どちらかと言えば、横光。正史ベースの漫画は正直無いかも。
ブック・オフでたまに置いてある大仏顔の表紙の三国志以外なら大丈夫
だと思います。
943 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 22:27
演義+吉川=横光かなあ?
944 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 22:29
横山なんて吉川そのままやん。
アホ草。
吉川より横光の方が好きだよ。俺は
941>サンクスコ。吉川を読んだ事あるので蒼天にしてみます。
よく、蒼天曹操=超人、他雑魚扱いって聞くけど、そんなに正史を捻じ曲げて書いてあるの?
それなら、あまり読みたくないんだが。
結局は、曹操主役にした演義だよ。>蒼天
>正史を捻じ曲げて書いてある
のが読みたくないなら、伴野朗の「中国反骨列伝」の諸葛瑾・楊阜の香具師がお薦めだ。
ほとんど正史そのままだから。
>>946 正史の材料を使い劉備一行を魅力的に仕上げた物語が三国志演義
正史の材料を使い演義のアンチテーゼとして曹操を魅力的に仕上げた物語が蒼天航路
はっきりいって正史は何も面白くない。いかに想像力を働かすか、
何気ない一行の記述をどこまで膨らますかが作品の魅力だろうね
947>それは読んだ事あるが…面白くなかったよ。
曹操を主人公にした演義ってことは、作り話一杯なのか〜。
空城とか、東南の風とかみたいに。
曹操が妖術とかつかったら、萎えるので読むのはよしまつ。
948>正史の材料を使い演義のアンチテーゼとして曹操を魅力的に仕上げた物語が蒼天航路
こう言われると読んでみたいかも。
でも、いくら想像力を膨らませるといっても、空城とか東南の風は
かけ離れてて、面白くないからなあ。
蒼天もそうなら読むのはよしまつ。
そこんとこ、どうでしょう?
>>949 すさまじいスピードで碁を打つ。というのは聞いた事があるよ。
横山はほぼ吉川だけど少し横山流のフォロー入り。
正史に最も近いのが演義。その演義に最もちかいのが横山。
だったりする。
>はっきりいって正史は何も面白くない。いかに想像力を働かすか、
正史読んでる奴は皆こんな感想なの?
俺はたいした知識無いけど、正史(註含む)が三国志物で一番楽しめたが。
>はっきりいって正史は何も面白くない
それは君が歴史にあまり興味を持っていないか、
事実を把握する能力を欠いているか、どちらかだろう。
おそらくは前者なのだろうが、
事実は分析すればするほど面白みを増す、と俺は思う。
孔明は戦ヘタ
物語としては読めないって意味だろ。>正史は面白くない
歴史書と小説では読んで味わう感動が違うのは当然だと思うが
雨の日に出陣すると勝つ!by曹操
信長は梅雨に合戦すると勝つな。
正直、武帝紀や各列伝は面白いと思ったが、文帝紀とか明帝紀は苦痛以外の何ものでもなかった>正史
>>958 文帝紀みたいな無味乾燥っぽい記事から隠れた何かを見つけるのが楽しくなるんだよ〜
マゾか?
>>960 それが歴史研究というものなのですよ。
あらゆる想像を自分で抑制しなきゃいけないんで、歴史屋さんがマゾかっつうたら
そうかもしれませんね。
新スレ立てて良い?
それとも立てるヤツいる?
>>962 立ててよろしいのではないでしょうか。
おねがいします。
965 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/13 15:00
正直、後主伝が一番苦痛だと思われ・・・
2○△年 大赦が行われた
正史を読んでみたら気になったんですが
裴松之て孫盛に恨みでもあるの?
969 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/15 15:15
奥さんを寝取られた恨みがあります。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
>>969 実は諦めていたのですが、寝取った方がビクビクして攻めてきました。
今、城下に兵が迫ってます。どうしよう。
純粋に埋める
1000取り厨は氏ね
1000
975 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/19 18:59
歴史の浪漫age
そろそろ
埋めようよ
孔明は戦ヘタやった?
ホウトウは?
曹操は曹参の末裔じゃなく、夏侯嬰の末裔?
誰も居ないの?
しりとり すっか・・・
劉備
糜芳
于禁
(´・ω・`)
曹操と孫権って会ったことないのかな?
気を取り直して、曹操
于吉
おお?!
ナイス!!
また于禁って書くとこだったよ。
>>991 実は「つ」でも中国の人名的には終わりな罠・・・
Σ(゚д゚lll ガーン
三国志しりとりって、難しい。
ツァオツァオとかで続けられないことも無い。
995 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/22 23:08
じゃぁ、吉平
996 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/22 23:18
>995
またまたナイス!!!
じゃあ、伊籍
998 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/22 23:41
鬼然
999 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/22 23:41
あげー
1000 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/22 23:41
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。