ぷ
■HN 音浪 ◆imo8.onro. 、 音浪 ◆5dgoTpSAKE(前スレまで) ■性別、歳等 男、30代前半、リーマン
■居住地 北東北、視界の70%が田んぼ
■身体 チビデブ、(上島竜兵+ゆずの小さい方)/2
■2ch歴 2001年12月から
■壁歴 2003年3月から
■行く板 世界史、ガイドライン、三国志・戦国、独身男性、壁など
■調査中 イスラムスペイン(アンダルス)の音楽、中世蝦夷地
■好きな酒 エビス、まろやか酵母(ビール)、白波(芋焼酎)
■一言 リバウンドは確実にフォローする。でないと(ry
前スレは910レスで落ちた。サイズは470KBぐらいだったので、容量オーバー
が原因ではない。900レスを超えてから7日間レスがつかないとdat落ち、と
いう板内基準があるのかもしれない。
パソコンが壊れていたので、なかなか来れなかったからな。でも、こういう風に
突然途切れるというのも趣があっていい、とちょっと思ったのも事実。
新スレになった記念に、トリップを変更した。禁煙とそれに続く急激な肥満に
より体質が一変し、悪酔癖がついたため、飲酒量が激減したからだ。今では
外で飲むのは月に3〜4回程度で、家でも毎日は飲まない。SAKEトリップが
泣くかな、と・・・
まあ、こんなですが、引き続きよろしくお願い申し上げます。
ネットができない間は、アマゾンで日本北方史関係ばかり5冊買い込み、順次
読み進んでいた。それを踏まえて昨晩いろいろネットで調べてみると、まだ
あまり活字化されていないここ2〜3年の考古学的新発見がいくつかヒット
した。ネットだけで調べ物するより、ほかのメディアと組み合わせた方がうまく
いくということを再認識。ネット情報は、早いが、関連分野とうまく組み合わせ
られていないことが多いもんねえ。
室町以前の蝦夷地史なんていうマイナー分野でも、全くの個人サイトであり
ながら、実によく調べ上げているものも多い。あそこまでは中々真似できそう
にない。内容の類似したサイトを立ち上げるとすれば、一つ一つの事柄の
出典を丁寧に明らかにすることと、史料批判をきちんとすることで、他との
差別化を図るしかないようだ。
さて今日も深夜まで作業。汗かいてきます。
新スレおめ。
前スレが妙な落ち方をしたのは何ででしょうね。
980超えてdat落ちなら良くあるんですが...
新スレおめでとうございます。
前スレが落ちたのは、容量による即死判定だと思います。
481KBでしたから。
夏真っ盛りで暑い日も続きますので、
水分補給きっちりしてください。
>>6 ありがとうございます。970レスを超えた時点で、自分で一気に1000まで
進める計画もあったんですが、発動できずに終わってしまいました。
前スレの話題を引っ張ると、北回りの大陸との交易活動は、旧石器時代
からずっと行われていたと思われます。5〜10世紀にはオホーツク文化人
が持ち込んだ大陸製の銅・錫製品が日本海側でも発見されていますし、
11世紀以降近代までは中国の絹製品がサハリン経由で取引され、「蝦夷錦」
の名称で和人商人が買い付け、京都祇園祭の山鉾の装飾に使われたり
しています。
泊村からは14〜15世紀の青磁(明か李朝製)が出ていますが、これは和人
商人が本州経由で持ち込んだものと思われます。北からのものが出れば
面白いかな、と。
ttp://www.domaibun.or.jp/touziki/05.htm
>>7 512KB行かなくても容量規制がかかるんですね。それでか!
それにしても、AAがほとんどないのに容量規制がかかるスレって・・・
関東ほどではないにしろ、こちらもしばらく33度越えが続いてます。今年は
夕立があまりなく、なかなか涼しくならないのが辛い。雷雲は発生してるん
ですが、降雨に結びつくのは週に1回程度です。
ものすごい汗かきだし、水分補給には気をつけるようにします。
お心遣いありがとう。
新スレおめでとうございます。
猛暑が続いていますが、ホント、身体には気を付けてください。
お腹を冷やさないようにネ!(田舎のおばあちゃん口調で)
あらやだ音浪ちゃん、前スレ落ちてたのね。。。(お隣のおばちゃん口調で)
お元気そうで何より。。。
流れを読まずに書き込むことも多いワタクシですが、今後ともヨロシュウ。。。
>>10 寝るときは腹部にだけはタオルケットをかけていますのでご安心を。
それ以外の場所はフリーです。毒男さんAA並に。
あや、しんぺかげで、しかだねごど!
※うちの田舎のおばあちゃん口調で。おやおや、心配かけて済まないねえ、
位の意味)
>>11 んだなしゃ〜、おぢでらったなしゃ〜(先週行った、なんちゃってゲイバーの
ホステスさん口調で)
流れをつくり出すのはレスの集積で、レスから独立した流れというものは
ないですよね。思ったことをそのまま書いて下されば、流れに影響を及ぼ
して流路を変えるかもしれないし、変えないかもしれないし、またレスの読み
取られ方が書き込んだ本人の意図を離れて変化するかもしれない。それが、
掲示板の面白さだと思ってます。こちらこそよろしく!
盆明けまで、AM2時まで作業だったり、AM4時から仕事だったりという日が
ほぼ交互に続く。壁内でさえ読むのが精一杯で、レスが遅くなると思います
が、なにとぞご容赦下さい。
では寝ます。おやすみなさい。
>>13 そのゲイバーちょっと行ってみたいなぁ...
>>15 ホステスが全員「なんちゃってゲイ」なんです。オネエ言葉で化粧してます
が、中身はストレートの男性で、皆男前ばかりという。・・・結果的にホスト
クラブ的に利用されてます。興味津々の後輩たち(女性が主)を引率して
行ったんですが、後輩たちは楽しんだみたいで、また来たいと言ってました。
安い店なので、はまっちゃってもたいした散財にはならないと思いますが、
ちょっと心配。
オリンピック会場の工事、間に合ったみたいでよかった!ずっとダラダラ
やっていて、最後の最後にギリッと集中して完成させるのがギリシア風と
聞いていたので、物凄く親しみを感じていたのだw
昼まで作業したら、午後から休みをもらって、温泉へ。
併設されたコテージに泊まって旧友たちと飲んでくる。俺がヲタ全開でも
引かれない唯一の飲み。周囲もロボット工学だのミラノコレクションだの
好き勝手喋ってるし、そもそも知らない話題にも知識と想像力を総動員して
喰らいついてくる連中なので、下手に詳しい奴らと話すよりずっと面白い。
昨年欠席したので、2年振りに会う奴も多い。楽しんできます。
4月に亡くなった友人の墓にみんなで参り、それから行く。今年はいつも
よりはしんみりした飲みになりそうだな。
泊まりの飲みでは早々にダウンし、一番盛り上がった(らしい)11時台には
すでに夢の中状態。最近就眠時間も睡眠時間もでたらめだったせいか、はた
また年(ry
富山以東の各地から集結したのは20人ぐらい。家族連れで参加する奴、
泊まらずに帰る奴、夜から参加する奴など様々で、しかも年代もばらばらな
ため、誰も全貌を把握できていない。5年以上一緒に参加しているのに、顔と
名前が一致しない奴も少なくない・・・
この連中を結ぶものはたった一つ、高校の図書委員(あるいは、図書委員的な
ポジション)に在籍していたことがある、という、それだけ。読書家が多いが
全員でもないし、元ヤンからPh.D.まで、普通なら友人関係を築くのが難しそう
な人たちが違和感なく酒を酌み交わしている。緩いが確実な、絆があるように
思う。
高校時代の思い出話には、あまりならない。今そいつがどんな分野に興味を
持っているのか、あるいはどんな仕事をしていてどのような問題があるのか、
どんな新しい取り組みがなされているのか、などについて、突っ込みやノリツッ
コミを交えながら延々と質疑が繰り返される。皆、今現在の彼・彼女らの姿と、
そこから垣間見える世の動きと、両者の間の相互作用に興味があるのだ。
自分と平行して、遠くで走っている奴らの息づかいに触れて、自分も元気に
なるのが感じられる。
誰かが自分の子供を連れてくることも多い。子持ちが口々にいうには、「年代
や性別や仕事や居住地に関係なく、皆違和感なく馴染んでいるこの状態を、
子供に見せておきたい」のだそうだ。
まあそれはこれまでの、だいたいの話、ともいえるのかもしれない。
結婚した人、子供ができた人、転職した人。そういう報告が、今年はいつ
になく多かった。いつものんびりぼんやり、でも好きなことだけには一生懸命
だった連中も、それまでの伴走的なものからもっと緊密な人との結びつきに
向かっているような印象を受ける。
いや、最近の話ではないな。前からあったことだ。
7〜8年ほど前のこの集まりでのこと。俺は1つ上の先輩と、夜空の下で酔い
覚ましをしていた。彼はその直前まで、マリッジブルーで不安定になっていた
別の先輩(女性)をなだめていて、そちらが一段落したので一休みしていた
ところ。
大丈夫だったですか、から始まり、とりとめのない話をしばらくした後、なあ、と
彼はこちらに向き直った。
「俺はこの集まりに来ない方がいいような気がする」と、彼は話しはじめた。
俺はここにいるべきでないと思うんだ、という。
うろたえた俺は、なぜそう思うのかを聞かずに、そんなこといわないで来て下さ
いよみんな楽しみにしているんですから、と必死に引き止めにかかった。彼は
1つ上の代のまとめ役的な存在なだけでなく、全員が無条件に信頼を寄せる、
この集まりには数少ないタイプだったから。
笑顔をキープしながらも必死な俺のことばを受け流し、彼がぽつぽつと語った
こと。俺はこの集まりの、共通の趣味(本)を持ちながらも互いに一切の干渉を
せず、心地よい距離を保った人間関係が好きだった。でも、今の俺は違う方に
向かおうとしている。もっと生々しい領域に踏み込もうとしている。その生々しさ
を、この集まりに持ち込みたくない。いや今のはいいわけだ。俺はもっと人に
シビアにならなければならない、戦わなきゃいけない。そう決心をした眼から
見て、ここの牧歌的な雰囲気が、嘘臭く映る。何か違う、と感じるんだ。
彼はそこでことばを切ったが、こう続けたかったのかもしれない。ここは、俺を、
弱くする、と。
ここでは誰も、「否定」しない。内面に直接関わらない仕事の問題などに関して
は、ああでもないこうでもないと議論しても、人対人の、恋愛関係なども含んだ
どろどろした問題について、話者の希望する方向性を否定することは決して
なかった。
もともと周囲から変わり者扱いされることが多かったメンバー達は、その事実
を余裕を持って他人事のように眺めるふりをしながらも、内心は誇りと恐怖と
の入り混じった執着を抱いているのだと思う。「変わっている」ということが、
自分のアイデンティティになってしまっている。
皆、互いにそのことには気付いているので、恐怖感を刺激し、かつ相手への
軽蔑を惹起するようなこと、すなわち「他人の信念に対する、一般的価値観に
よる否定」を行うことはまずない。
「お前のこの行動はよくない、誤解されてお前に不利だ」、などの具体的なアド
バイスはするものの、あくまでも道具的な扱いで行うのみ。
世間的な価値観に照らして自分の考え方や行動をチェックし、いったん外的に
位置づける。そして、個人的な価値観とのバランスを取りながら、道を選択して
進んでいく。最後に、世間的な価値観というものを、手持ち情報と自分の想像
力とを駆使して換骨奪胎し、「普遍的な価値観」といったものを脳内で構築し、
行動の鏡とする。
こういった、絶対に必要な作業を、十分に行えていない人が多いように思う。
そしてそのことを指摘する勇気のある奴は、ずいぶんあとまでいなかった。
そのことを敏感に感じ取った人たちは、正面から叱咤してくれる友人をこことは
別に見つけ出し、後押しを受けて、分析力と行動力とを磨き上げていくことに
なる。行動する人となったこの人たちは、夏のこの時期にはいろんな意味で
忙しくなるため、自然に集まりへの足が遠のいていく。
結果、集まりから足が遠のく人が、上に書いた先輩以降、20代の終わりまでの
間に何人か出た。
嘘臭い、といった彼のことばを、今に至るまで他の誰にも伝えていない。
自分の内奥にまで外部の価値判断の光を当てる度胸がないことを自覚して
いる者に対しては、このことばは破壊的な効果を生むだろう。たとえ嘘臭い
ものであっても、実りも多いこの集まりをパワーダウンさせるようなことはしたく
なかった。
よく考えれば随分失礼なことを言われたような気がするが、その時は不思議と
腹立たしさは覚えなかった。彼の多忙さや置かれた環境の厳しさは知っていた
し、俺には知りようのない何らかの出来事が進行していることも想像できた。
何より、俺自身も、この集まりの持つモラトリアム的な効果に気付いていた。
俺にはもう、そうですか、と呟くしか選択肢が残されていないと感じた。そして
彼を少し羨ましく思った。
翌年から、彼の姿が集まりから消えた。俺らの大ボスが連絡はずっと取って
いたし、俺もその後の上京の際は何度か会っているが、彼が夏にこちらに戻っ
てくることはなかった。何度か勤務先も替わり、多忙なせいもあったと思うが、
本当に数年間、彼は一度も帰省しなかったらしい。
その彼が、この春結婚したという。関東在住組にさえほとんど知らせずに。
別のメンバーの挙式の際に呼ばれたことで、こちらにも情報が伝わってきたの
だ。
もし子供ができても、彼の決心は変わらないだろうか。
いったんはこの集まりを離れ、子供ができたことをきっかけに再び戻ってきた
人が、何人かいる。
離れる時に生ぬるく感じた、相手の精神に対する基本的全肯定が、自分の心
の大きな支えになっていたことを思い出す、といった人がいた。破れそうな袋
の底をしっかりと押さえてもらっていた、と。戻ってきた他の人もそんなような
ことを考えているのかもしれない。
彼が子供を連れてきて、俺らの集まりの持つ寛容さと脆弱さの双方を、子供の
記憶に残すことを選んでほしいと、勝手ながら密かに願っている。
意味の通らないところや表現の重複満載ですが、何卒ご容赦を。
新しいパソコンはデスクトップだが、画面が見やすくて本当に助かる。
さてCDでも焼こうかな。
前スレを集計してみた。こういう作業は大好物だ。もっとずっと詳しくやったの
だが、一部だけ載せてみよう。
■スレ立て日 2003.3.9
■最終レス日 2004.7.29
■スレ存続日数 508日間
■総レス数 910
うち自レス数 683 (75.1%)
ゲストレス数 206 (22.6%)
荒らしレス数 21 (2.3%)
■1日あたりレス数 1.79
■1日あたり最多レス数 17 (2004.4.17)
■スレ総容量 481KB (データ提供:漢ならプレーソフィルターさん)
なお、文章を書き込んで下さったコテハンの方は9人、名無しさんはおそらく
3人、いらっしゃいました。ありがとうございました。引き続きご愛顧いただけ
れば幸いです。・・・なんだか営業トークみたいだな。
コテハンが意外と少ない気がしますな
>30
ちなみに、>29で挙げた「文章を書き込んで下さった」コテさんは、以下の9人
です(レス数順・トリップ略)。
鞍馬トマトさん、老猿さん、安住っちさん、~-v('A`) さん、耳 ゚Д゚|ノ さん、
漢ならプレーソフィルターさん、横からオジャマしますさん、こまちさん、混沌さん
点呼に答えていただいたかまぼこさんと、「ふーむ」というひとことを残した
キューピーさんを入れると11人になりますね。
本当にあれば愉快だと思う、オリンピック選手の優勝コメント
Q:金メダルおめでとうございます
A:だから優勝するっていったでしょ。俺が嘘つきじゃないこと分かったよね?
Q:そ、そうですね。決勝戦はどうでしたか?
A: 相手は強かったけど、俺の方が強かったね。それだけ。
Q:この気持ちを誰に伝えたいですか?
A:勝利の味ってのは、闘う者にしか味わうことができないんですよ。
Q:はぁ・・・。では最後に、テレビをごらんの皆様に一言お願いいたします。
A:まあ皆さんが勝手に俺を日本代表に選んだわけですけど、俺は俺のため
だけに闘いました。だから皆さんは俺におめでとうと言わなくていいです。
俺は望むものを手に入れました。満足です。
(全体的にヘラヘラしながら)
現実のメダリストたちのコメントは、勝利の嬉しさをそのまま表現するか、自分
を支えてくれた人々への感謝の表明が多いような気がする。日本人選手だけ
でなく、世界中のどの選手も。莫大な国費の出動を許し、選手を大舞台に送り
出している各国国民に対するリップサービスという側面もあるのだろう。
しかし、正直、勝利への意志というのはもっと個人的でギラギラしたもので、
子供っぽいものではないかと思う。もっと傲岸不遜な奴が現れて、多くの人は
隠してしまうそういった野心をむき出しにし、メダルへのプレッシャーをかける
国民を哂い飛ばすような、国民からは怒りと失笑と少しの共感を呼ぶような
ことばを誰か吐いてくれないだろうか、と期待しているのだが。
なぜ期待するか?感謝の念というのは、通常何かを成し遂げた時に、自分を
支えてくれた人に対して自然に浮かぶもの。しかし、自分に関係のある全ての
人に感謝の念を捧げるのを責務のようにいわれ続けることが多い中、「人に
感謝したくなる」という心情全体がなにか人工的なものに思えてきて、自己
嫌悪に陥ることがある。
そんなふうに義務感で自分を縛り付けてしまった俺たちの前で、自分の欲求に
忠実に振舞う様子、他人からあらかじめ負債を負わされていることを意識しな
いで天真爛漫に自分の強さを誇示するさまを見せ付けてほしい。
その様子を眺めながら、自分を縛る縄の痛みと圧迫感を、少しは忘れることが
できるかもしれないから。まあそんな理由。
こういうヒール?の出現を、格闘技界ではなく、あえて背負わされるものの
多いオリンピックの舞台で見たい、かも。性格悪いかな俺w
そうはいっても、今回のオリンピックでの選手たちのコメントは、これまでになく
のびのびとしたものが多い気がする。北島の「キモチイー!!」をはじめとして。
そのことと、メダルラッシュに因果関係があるんじゃないかと思うのは、考え
過ぎだろうか。
さて昨日から陸上が始まってます。末続に期待。いけいけどんどん!
柔道野村の「やっぱオレ強いわぁ〜」ってのがそれに一番近いですかね。
カメラのいない通路ではそう言っていたらしいですが。
>36
なぜそれをカメラの前で言わない!・・・て、言えないですよねなかなか。
上に書いたのはあくまで願望ですので。
個人的には、同じ柔道の100キロ超級で金メダルを取った鈴木の「イェ〜」
が好きでした。小学生みたいで。
>>31 あらやだ、レス数トップぢゃないの。。。
>38
いつも話題提供していただき、感謝しておりますよ。またよろしく。
最近ただでさえ拘束時間が長いのに、自サイト開設を見据えて史料集め
なんぞ始めたため、音楽やアート方面に触手を伸ばす時間がなかなか
取れません。しばらく潤いのないスレ進行になると思いますが、まあご容赦
下さい。
まろやか酵母を飲みながら、カヤグムを聴いている。
ビクターで出しているワールドサウンズシリーズの『郷愁の伽耶琴』。伽耶
は朝鮮半島南部の地名だが、カヤグムは半島全域で演奏されている。
緩く張られた絃を爪弾く音が、左手の絃さばきで操られ、波のように寄せたり
跳ねたりする。感情のうねりがそのままの形で表出されているような、非常に
生々しい音。
サムルノリのような爽快感のあるものも好きだが、こういったはらわたをさらけ
出すような演奏も、時々無性に聴きたくなる。
高速を飛ばして1時間、県立図書館で史料をコピーしてきた。
日曜はやはり混んでいるが、こっちの高校生はしつけがいいのか?あまり
騒がないので、快適に利用できた。
ついでに寄ったタワーレコードの店内は、キャバクラかと思うようなコスチュー
ムの10代女性で一杯だった。本人、同年代の男性、どちらにしても若造に
とってはあれぐらいどうってことないんだろうなあ。
しかし、毒オサーンは思う。オサーンらも、若造を見習い、あれぐらい見ても
動じない強靭な精神力を育成しなければいけないのだろうか。それとも俺の
勘違いで、10代男でもやっぱりあの服装はエロいと思っているのであり、
逆に日常の中にあの程度のエロを含むのが自然なことになってきている
(以前にもそういう時代はあったろうが、改めて)ということなのだろうか。
>>41 キャバ系コスはともかく、うちのアルバイトの女子高生にきいたところ
超ミニスカは本人たちもそれなり不便も感じているし、結構恥ずかしいらしいです。
でも、みんな超ミニスカなんで周りに合わせて履いてるんだとか。
そうでないと仲間はずれにされるんですかね。
43 :
壁に耳あり、障子にメアリーさん:04/09/01 01:55
老猿さんもミニスカに(ry
ミニスカは大好きですがはくのはちょっと。
すね毛がすごく濃いので。
>老猿さん、メアリーさん
超ミニスカよりタイトスカート、タイトスカートよりぴったりしたジーンズの方
が・・・いや聞かれてなかったっすね。
>>服装と仲間外れ
ダサい人と一緒にいると自分までダサく思われるから仲間にしない、っていう
発想ならありそうですね。共感はできませんが理解はできます。ただ、超ミニ
スカでなくてもいくらでもオシャレな格好はできるような気がしますし、そういう
ちょっと系統の違った装いも許容できない友人しか持ってないのであれば、
それも寂しいなあと思います。
老猿さんをはじめとする全国5千万人の超ミニスカファンには申し訳ないん
ですが、服装ぐらいは好きに選んでほしいような気がします。んでぜひぴった
りした(ry
さて、今週で3時起き仕事は終了。寝るのが遅い仕事より、起きるのが速い
仕事の方が体には負担が少ないような気がするんだが、体感疲労度は後者
の方がはるかに大きい。新規業務だったが事故もなく、実績が計画を下回った
ものの、収益率はそこそこの水準を確保できた。客にも上にも面目は施せて
一安心。
ご褒美として、1年ぶりに(最近、本・CD以外は何を買ってもそんな感じ)ゲー
ムを購入。「太閤立志伝V」。
日本の戦国時代後期における人生ゲームみたいなもの。史上の人物から1人
を選ぶか架空人物を創り上げ、武士・商人などの職業に従事し、上司の命令を
こなして同僚達と出世競争。その後独立して日本統一を目指すもよし、上司の
天下取りを補佐するのもよし、野に下って気ままにさすらうのもよし、という、
自由度の高いゲーム。
パートIIとIVではかなり楽しんだので、今回も期待して購入。おお、今回は
武将プレイ以外の諸プレイでもちゃんと分野ごとの「日本一」が設定されている。
全国の商工会議所会頭を兼ねる大商人とか凄腕刀鍛冶とかにもなれる。
ということで、架空人物「浪速屋早右衛門」を作成してプレイ中。しばらく職を
転々とした後、泉州堺の今井宗及の店に奉公し刻苦の上、のれん分けで独立。
北九州の小倉に居を構えて頑張っている。現在は、かつての古巣・村上水軍
(海賊)の力を借りてルソン島に貿易に出かけ、帰ってきたところ。その利益を
惜しげもなく賄賂に費やして南北九州の商人の頭になり、自分が御用商人を
務める島津家に中国四国への侵攻を焚きつけている。つまり自分の儲けの
ために戦争を起こそうとする極悪商人w
海外交易に必ず海賊衆の力を借りなければならない設定になっているのだが、
史実に照らすとちょっと行き過ぎだし、全体的に海賊を重視し過ぎなきらいは
ある。また、コンピュータの思考力が前作より弱いため、敵勢力の成長が遅く、
戦っても歯ごたえがないのがやや残念。しかし、それぞれの職能集団が
ゲーム内世界で有機的に支えあい、世を動かしていくこのゲームは、これまで
の歴史シミュレーションゲームが武士なら武士・商人なら商人と単線単層的な
構造になっていたのと比較すると、なかなか画期的なんじゃないだろうか。
政治勢力の他に宗教勢力、座などの独占協業体、商業資本が支える自治
都市、惣村などが重層的に権力を分有する中世の社会を、狙ってか偶然かは
不明だが、構造的な面でうまく再現している、といえば褒め過ぎか。
>>45 ぴったりしたジーンズも大好きですよ。
全ての女性はもう1インチ小さいジーンズをはいて
美しいヒップラインを(ry
最近すっかりエロ固定化してきたなぁ...
>>45 コレ、私が語り出すと長くなりますがよろしいですか。
長文推奨ってくらいですからいいのでは...
エロスレ化の懸念が一抹の不安材料ではありますが。
54 :
壁に耳あり、障子にメアリーさん:04/09/03 15:49
男はみんなエロイです。エロを語れずして壁に来るなとよく言ったものです。
ほのかにエロテイスト漂うのがこのスレの魅力ですから
>51
そうなんです!問題はヒップライ(ry
エロ固定って、この板には1枚も2枚も上手の方々がいるじゃないですか。
大丈夫です目立ちませんから・・・慰めになってないですね。
>52
老猿さんも書いてますが、ここは『長文推奨』です。
もうこれでもかってぐらい語り倒して下さい。いよっ待ってました!
>老猿さん
ほのかにエロテイスト!なんと!
いやエロ(について真面目あるいは不真面目に分析する)スレ化は大歓迎
ですよ。
エロ(さがもたらす甘さとせつなさについて語り合う)スレ化でもOK。
エロ(い行為について詳細かつ執拗に描写しハァハァする)スレ化だけは勘弁
ですが。
いらっしゃいませ。いや大丈夫です、エロを語れない男なんていないですよ。
語り方はさまざまで、リアルでの俺のように描写を間違って引かれまくる
奴もいなくはないでしょうが・・・
ごめんなさい。上のレスは >54のメアリーさんにあてたものです。
台風がすっかり空気を入れ替えたようで、早くも秋めいてきた。
ススキは穂を出し、空にはいわし雲。昔お世話になった人からは秋刀魚が
届いた。文字通り刀のようにギラギラして力強く背中の伸びたそいつを
肴に、キリン豊潤を飲っております。
尻。(ヒップ、なんて軟派な呼び方はしない!)
今回はその「尻」そのものにスポットを当てて少しばかり・・・
そもそもみなさんはどのくらいのサイズの尻が好みですか?
思うに、ミス・ユニバース(*)のような引き締まった尻が好きな方が多数を占めるのではないかと思います。
そう、この夏あなたがビーチで追いかけたのもそんな尻だったのかもしれませんね。
しかし、私はそれでは物足りないのです。・・・諸君!物足りないのだ!私は物足りないのだッ!
なるほど、確かにビーチではキュッとした尻が目をひきます。それでTバックなんてはかれた日にゃ・・・(*'A`)
・・・ウォッホン!・・・それは仕方のないことでしょう。
しかし、しかしです。現実生活に戻ってみるとどうでしょう。
どの尻もパンツ、スカートといった厚い壁に阻まれてしまっているではありませんか。
そのような場では、先ほど述べたような尻では役不足(←誤用)なのです。
全く以てアグレッシヴさに欠けるのです!
ではどんな尻がよいか・・・?もうお分かりでしょう。
「もっちり感。」これに尽きます。
引き締まってばかりでは駄目だ。しかし、あまりにボンバーなのも駄目。
重力に逆らってそれでもプリンとした(オヤジ臭い!)尻こそが私の理想なのであります。
*
ttp://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0409/03pic1.html
長文書くのって大変ですね( 'A`)=3
>毒男さん
尻士毒男先生による憂尻演説会、という感じですな。感激ですw
そうです、問題は肉しt(ry
後ろから抱きしめたときの充実感と弾力をシミュレ(ry
・・・略してばかりではなんなので。
自分は、どちらかというとボンバー寄りが好みです。かつ、大臀筋の発達も
期待したいです。やはり、動きの中でその魅力を確かめたいのですよ。
堅い締まり尻ならショーケースに入れとけば、って思います(言い過ぎ)。
強靭かつしなやかに移動する筋肉の動きが、その上についた贅肉をもっと
滑らかに動かす、そのとき「もっちり感」も発生するのでは、と。
長文書くのは、「わかりやすく伝わりやすく書く」ことより「自分の頭の中の
イメージを忠実かつ詳細に再現する」ことに重点を置くと、わりと簡単にできる
ような気がします。
・・・その結果、以下のような冗長でわかりにくいものが出来上がるわけですが。
というのは、よそのスレからネタをパクッてくる悪い癖がまた疼いているのです・・・
某スレに沖縄民謡『安里屋ユンタ』の歌詞が書いてあり、それに触発?され
てこの歌の原曲について調べ始めたのだ。
安里屋ユンタ、といえば明石家さんまがテレビでネタにする(「さあ言い言い」、
だそうだw)ほどで、沖縄民謡の代表格とみなす人も多いと思うが、現在
流布しているラブラブな歌詞は昭和9年に作詞されたもので、原曲には全く
別の歌詞がついている。
原曲の存在は、細野晴臣が70年代に出したソロアルバム『はらいそ』で、大和
口の歌詞を細野が、沖縄口の歌詞を地元の女性歌手(現在アルバムを貸して
いるため名前を確認できず)が歌っている様子が収められていることから想像
はしていたんだが、はっきり確認したのは今回が初めてだ。
竹富島に18世紀に実在した美女・クヤマと、彼女を現地妻にしようと言い
寄る琉球王府の役人のやりとりを、幾分かユーモラスに描写したのが原曲
の世界。しかし原曲といっても、作品の舞台である竹富島で伝承されている
歌詞と、石垣島などの他の八重山地域で歌い継がれている歌詞も、また違う。
竹富・石垣どちらのものでも、クヤマは言い寄る役人をあっさり振ってしまう
のだが、竹富ヴァージョンでは「もっと偉い王府の役人から言い寄られていた
から」、石垣ヴァージョンでは「島出身の男性と一緒になりたいから」と、振る
理由が全く異なるためだ。
その背景は・・・まあ下のリンクで読んで下さい。
この辺の違いの背景を調べていくと、琉球王府による八重山統治のシステム、
石垣島駐在の琉球士族の世界なんかが絡んできて面白いんだが、書き進む
につれて前スレのファルクナーの時みたいに長大になりそうな予感がして
きた。どうしようか思案中。
偉ぶった男が女性に振られると、なんとなくユーモラスかつ嬉しく感じるのは
時代を問わずなようで、2000年以上前の漢詩に『羽林郎』というのがある。
勢家の使用人が飲み屋に行って、胡人(中国の北方あるいは西方に住んで
いた民族の総称)のホステスを囲い者にしようとするが、彼女は
男児愛後婦 男は後からできた女ばかり愛しますが
女子重前夫 女は前からの男を大事にします
人生有新故 世間には新しい出会いや古い付き合いもありましょうが
貴賤不相踰 身分の違いは越えられません
多謝金吾子 執金吾(官職名)の家の方、お気持ちには感謝しますが
私愛徒区区 浮気なんて無駄に疲れるだけですよ
と、ことばは慇懃だが、もう取り付くしまもなくうっちゃってしまう。
うむ、俺みたいなモテナイ男だけでなく、幅広い層が、この情景に爽快感を
覚えるからこの詩が残ってきたのだと信じたいw
NHKに西のアクセントが流れている。そのリズムに引き込まれそうになる。
紀伊半島周辺の津波が大きな被害をもたらさないように願いつつ、おやすみ
なさい。
PCにノートンインターネットセキュリティをインストールしたら、2chに書き込み
できなくなった。設定を変えて、書き込みテストしてみる。どうかな?
書き込みできてますよ。大丈夫です。
原曲があったとは全く知らず、いや改めて恐れ入りました。
適当なその時の思いつきでカキコしてる身としてはw
「はらいそ」って廃盤になったままなんですね。アマゾンの
マーケットプレイスにでも出てくるのをのんびり待ちます。
>71
『はらいそ』は細野のトロピカル3部作の中では一番湿度の高い怪作?です。
手に入ったら、最後の曲がフェイドアウトしてもすぐスイッチを切らないで
待ってみることをお勧めします。
すいませんネタをいただいてしまいました。面白いテーマがあるとついその
周辺を洗いたくなり、そのうち調査範囲を広げすぎて息切れするという
悪循環を繰り返しております。なにとぞご容赦をw
日暮れ時、会社からの帰り道でのこと。
交差点に差し掛かるとき、直進する俺の車の右側に、後ろからなめらかに
滑り込んだ車がいた。右折レーンに進み、俺の車の右横にぴたりとつける。
進むスピードは全く同じ。一瞬2台の車が静止していて、風景が後ろに動いて
いるような錯覚に捉われる。
と、その車はスピードを落とさないまま、頭を右に向けると、魚のようにすうっ
と身を翻して離れて行った。
首を向けると、思いのほか遠くにテールランプが見えた。
全体でも数秒間の出来事。でも、なんだか旅先で知り合った人と別れた時の
ような、なんともいえない気分が湧いてきて困った。
>トマトさん、鞭さん
気に入っていただけて、よかったです。
自分とは全く関係のないところで、しかもこのように公開された形で、自分の
過去の断片が保存されている。しかも色褪せずに。不思議な気分になりま
した。鞭さんが「亡霊」というのもわかる気がします。
それにしても、トマトさんのところの2枚の地図、中学校の地理の授業で使え
そうな都市化の進展具合ですね。
ただ今野付半島とか竹富島とかを散策しております。
仕事から帰って家業の作業中、たまたま来ていた甥っ子(小学低学年)
が俺の脇に走り寄ってきた。
甥「ねえおじちゃん知ってる?ヘルクレスオオカブトムシはどこの国にいるで
しょうか!」
俺「知らない」
甥「ブラジル、コロンビアです(勝ち誇ったように)。じゃあ、アトラスオオカブト
ムシは?」
俺「コンゴとかカメルーンとか?(あてずっぽう)」
甥「ブブー。インドやインドネシアやマレーシアでーす(ますます勝ち誇ったように)。
じゃあ、パラワンオオヒラタクワガタは?」
俺「フィリピン?(あてずっぽう)」
甥「・・・正解(投げやりに)。じゃ、じゃあ、どの島にいるかわかる?」
俺「パラワン島?(パラワン〜という名前だから)」
甥「・・・せいかーぃ(物凄く投げやりに)。・・・もうやめた。あーあつまんない!」
なぜか憤然として俺から離れていく甥っ子。爆笑する大人たち。
甥っ子は他人に難しい問題を出して、ギブアップさせるのが大好きだ。負けず
嫌いなせいか、相手が問題を解けない=自分の勝利、問題を解かれる=敗北、
という構図が頭の中でできているんだろう。
幼いうちはそれでもいいと思うが、敗北したからといってすぐ凹んで(というか
逆切れしてw)戦線離脱してしまうところはちょっと弱いかも。
打たれ強く育ってほしいと思う今日この頃。
なんだか微笑ましい光景ですね。
こどもってそんなもんだと思いますけど。
そうそう、その質問をそのまま彼の親に振ると、彼はかなり嫌がるんじゃないでしょうか?
男の子って、ほんと・・・バカですから。
男の子って、見た目よりよっぽど、打たれ弱いですから。
男の子って、結局さいごには、勝ち負けにこだわっちゃいますから。
・・・そんな僕は男の子。甥っ子かわいや、かわいや甥っ子。
>80
ようこそいらっしゃいました。
子供は見ていて飽きません。見ているだけなら、ですが。作業中に寄ってこら
れると、もう大変。親って大変なんだなあとしみじみ。
質問を彼の親に振る・・・
俺(30代前半) 「ねえお義兄ちゃん知ってる?ヘルクレスオオカブトムシは
どこの国にいるでしょうか!」
義兄(30代後半) 「知らない」
俺(30代前半) 「ブラジル、コロンビアでーす(勝ち誇ったように)。じゃあ、
アトラスオオカブトムシは?」 (以下略)
限りなく寒いっすね。確かに甥っ子も嫌がりそうですw
>81
勝負にこだわるのが男の子。そうでした。勝負に向かう男の子たちの撒き
散らす熱気と自意識から、今なら逃げずにいることができるんですが。
負けないようにと生きてきたら、勝てなくなってしまったなんてことのない
ように、精一杯(今頃だけど)男の子をやらなければいけないのかもしれんね。
JAZZMATAZZシリーズを引っ張り出した。
このシリーズのホストは、GURU。 東海岸のヒップホップユニットGangstarr
でつや消しの語りを聴かせているこの人が、米英のジャズ/ファンク/ソウル
/ヒップホップミュージシャンと縦横に組んだプロジェクトが"JAZZMATAZZ"。
93年に1作目をリリースし、95年にvolume II "The New Reality"、2000年に
も" Streetsoul"を新しいゲストを迎えて発表している。
これもコラボレーションものと括っていいんだろうか。もっとも音楽における
ヒップホップのスタイルそのものが、さまざまなジャンルのレコードを持って
きていいとこ取りすることで成り立っているし、一方ではファンク/ソウル系
アーティストのレコーディングへのラッパーの参加(及びその逆)も今では
一般化しているので、ことさらミクスチャーを強調する必要はないのかもしれ
ない。
ただし、ジャズ色の強いvolume IとIIの登場は、それなりの衝撃をもたらし
たと思う。既存のジャズレコードからフレーズを持ってくるのではなく、
ゲストミュージシャンにオリジナルを録音してもらったことと、異種格闘技戦
と呼ぶのがためらわれるほどの楽曲の練り込みによって。
特にラムゼイ・ルイスやロイ・エアーズなどの(俺でさえ名前を知っている)
アメリカジャズ界の大御所たちを楽しげに踊らせるさまは、なかなか堂に
入っている。グールーは、自分のラップとジャズメンの楽器ソロの「掛け合い」
を録るのではなく、ジャズメンに「雰囲気作り」を任せて、自分はそれに乗り
ながら語っていく形を選んだ。
ゲストは、グールーが用意したリズムトラックに合わせて自由に演奏すること
になる。結果、曲ごとの色塗りを任せられた大御所たちは、かっちりした
リズムの中でも最大限のルーズさと妖しさを演出しようと頑張る。volume Iの
8曲目Take a Lookでは、エアーズのヴァイブがせわしない分散和音のパート
とセクシーな和音のループを交互に繰り返し、むせるような夜の香りを散らす。
ジャズがヒップホップに利用されず、ヒップホップに沁み込んで一体化して
いる感覚を味わえる、といえば褒め過ぎか。
ちなみに、フリージャズのビリー・バングのプロデュースで、ジャズミュージ
シャンとヒップホップミュージシャンがスタジオで一堂に会し、生楽器を使って
セッションを行ったアルバムも持っているが、俺の耳にはなんだかまとまり
のないものに聴こえる。なかなかバランスを取るのが難しいようだ。
そういった企画のよさ以外にも、グールーの声の滑らかさとかすかな渋味が
十分表現されている作品だと思う。ブルースのマディ・ウォータース、西アフ
リカポップス?のサリフ・ケイタと並び、個人的に彼の声が好きだというのが
この作品群の脳内評価を上げている大きな理由な気もする。
改めて読み返してみると、こんなに褒めたのは前スレからでも初めてだな。
2作目、3作目と来るごとに自分の好みからは外れていくし、雑然として
くるのも事実だが。
朝晩涼しくなってきた。皆さん、体調管理に留意されたし。
では、おやすみなさい。
細く空けた窓から、夜気が入り込んでくる。Tシャツ1枚に短パンではもう寒い。
NHKの熊野の番組をずっと見ていた。
神仏習合や修験道は、俺の住んでいる地域では親しみ深い。村の鎮守である
祇園社は寺の境内に鎮座しているし、うちボイラーの脇の壁には出羽三山の
火伏せの御札が貼ってある。
また、うちのような農村部には、葬式が終わった後に、西国三十三ヶ所の
一ヶ所一ヶ所を短歌にしたものに節をつけた御詠歌を皆で歌う習慣が残って
いる。その第1番が、那智山青岸渡寺だ。
補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智の御山に 響く滝津瀬
この歌い出しから「ふだらく」と俗称されるこの歌、独特の節回しを何度歌って
もちゃんと覚えられない。遠い土地への憧れと遠くに仏を送る惜別の感情が
入り混じり、集中力が働かないからかも、というのは言い訳です。
西国三十三ヶ所巡礼の記録を拾ったので貼っておこう。
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2936/index.html 江戸時代には、この地域からも西国巡礼が盛んに行われたらしい。武士
階級以外では、北前船を通じた西日本との交流の方が関東とのそれより
強かったのだ。
俺の住む地域で「ふだらく」を歌うのは、亡くなった人に擬似的に巡礼を
してもらい、功徳を積むことで、閻魔の法廷での裁きで有利に取り扱って
もらうことを目的としているとのこと。というか、もともとの理由は違うかもしれ
ないが、現在はそのように認識されている。
この歌が終わると、仏は十万億土に旅立つとされている。葬送の最後の
段階で、僧侶でなく(「ふだらく」を歌う席には、僧侶は同席しない)地域の
人々が霊的な先導者として振舞うところが面白い。
車を車検に出した次の日、整備工場から電話があり、どうしても交換しなけ
ればならない部位があるので見に来てほしいとのこと。昨日行ってきたが、
ブレーキディスクの覆いがボロボロに錆びてほとんどなくなっていたのみなら
ず、タイヤと駆動部分をつなぐ部品のベアリングが駄目になる寸前まで痛ん
でいた。
あまりの痛み具合に整備士は首をひねっていたが、しょっちゅう高速に乗る
ことを話すと合点がいったらしい。この腐食の原因は、冬季に高速道路の
路面に散布される凍結防止剤だろう、という。
確かに冬に高速に乗って帰ってくると、車体が真っ白になるほど凍結防止剤
がこびりついている。舐めるとしょっぱい。ほとんどが塩分なのだ。洗車嫌い
な俺もこのときだけは丁寧に水洗いするんだが、足回りの内部までは気に
したことがなかった。
ディスクの覆いは外からは見えないが、ベアリングの状態については、自分
でタイヤ交換をしていればぐらつきに気付けたかもしれない。ここ2年、面倒
なのでタイヤ交換をSSでやってもらっていたが、やはり寒くても重くても自分
でやらなければならんな、と反省。
のんきに人のスレで欠陥トラックレースしたいなんて書いてる場合じゃなかっ
たな。自分の車がクラッシュ寸前だったとは。気をつけなければ。
・・・で、部品交換には○万円かかるとのこと。まあ身の安全には代えられ
ないが・・・助手席に乗る人もいないしケチっても・・・いやいややけになっちゃ
駄目だw
_________________________
<○√
‖
くく
しまった!ここは糞スレだ!
オレが止めているうちに他スレへ逃げろ!
早く!早く!オレに構わず逃げろ!
・・・拾い物。ワラタので貼っておこう。
>>93 交換の際にきちんとチェックしないSSにも問題があるような...
でも冬のタイヤ交換は雪が降ると一斉にお客さんが来るんで
なかなかそこまで見てる時間がないんですよね。
>95
実際、タイヤ交換したのは出勤途中で、向こうも忙しい上に俺まで急かしたり
してたので、グラつきチェックどころではなかったと思います。
やはり自分の身は自分で守らないといけない、という天の戒めかなと。
整備工場では、とりあえず状態のいい中古ベアリングを探してもらっています。
車も走行距離12万キロ寸前、いずれ近いうちに買い替えしなければならなく
なると想定されますので、中古で十分と判断しました。
教育TVで琉球組踊をやっている。もっと見ていたいが、リアルお花畑が呼んで
いる。では作業にいざ・・・
夕方7時頃。山の端を離れた月は不恰好なぐらい大きくて、赤めの銅色を
羞じるように急いで登っていく。ちょっと目を離すと、いつの間にか蒼い光の、
いつもの済ました満月に。
豆名月は、意外にウブだ。
7時間後の今。地上には、エビスですっかり出来上がった丸顔のオサーンが
転がっている。
明日から稲刈り開始。豊作だけど買い叩かれそう。でもやっぱり無事収穫
できるのは嬉しいね。
おやすみなさい。
とどまれば あたりにふゆる 蜻蛉かな 中村汀女
10月です。
雨続きで稲刈りがさっぱり進みません。コンバインは濡れた稲株を脱穀でき
ないので。
菊も10月分が咲き始めたし、いやはや。
ー
キ
ス
ン
ビ
ラ
ト
ス
NHK教育見ながら、壱岐っ娘でいい気分。
初めて実況板行ったが面白いね。
何事もなかったかのように100ゲトおめ。↓
ありがとう!
俺が仕事を休むと雨が降るような。家の2階から北を望むと、うちの田んぼ
だけ黄金色。周囲はもうとっくに稲刈りが終わってる・・・
これ以上遅くなると米の質の劣化が始まる。あと30アール(3,000u)、なん
とか月曜日までに晴れてくれないだろうか。
まあ、花の方は10月分が終了して作業はないので、今日明日はゆっくり体を
休めることにしようかな。
最近全くCDを買っていない。出張も休日の遠出もしてないし、もともと秋は
新しいものにチャレンジするというより、棚から昔聞いたのを引っ張り出して
聴き入ることが多いせいもある。
今はジム・ホールの"Three"。12年ぐらい前に中古屋で買ったジャズ・ギター
の作品。柔らかい音にしばらくひたりましょうか。
一方、なんとなく『大正時代の身の上相談』(ちくま文庫)をブックオフで購入。
時代性を感じる相談もいいが、不覚にも「みかんを一度に20個食べる夫に
悩む妻」に一番ワラてしまった。中学時代の俺かい!
>100さんに、重ねておめでとうございます!
台風、こちらには多少の雨を与えただけで、被害なく遠ざかっていっている
ようですが、関東の皆さんは大変でしたね。お疲れ様でした。
さて、某板にスレ立ててこようかな・・・
立てたスレは、俺のレス以外はたった2レスしかついていない・・・
日本史板で中世ネタは鬼門というのは本当だったらしい。これ以上自演で
伸ばすほどの知識はないし、どうなることやら。
それはともかく、稲刈りがようやく終了した。麦焼酎「壱岐っ娘」をかっ喰らっ
ている。昨年よりは多いものの平年より若干少ない収量。昨年より26%
下落、一昨年からは5%減の販売価格。素直に祝杯という気分でもないが、
無事に作業が終了したのは確か。ほっとしている。
>102にはあんなことを書いているが、CDを注文した。
(このスレに自分の状況を書き込むと、それを裏切りたくなる性向がある
ようだなw)
前スレでほんの少し触れた、『ショーロの夕べ』の続編が出ているとの記事
を、久しぶりに覗いたワールド音楽板で発見し、早速ぐぐって注文したわけだ。
いつものアマゾンにはなかったので、雑誌『ミュージック・マガジン』でよく名前
を見かけていた田中勝則のサイトで注文。
ttp://www.sambinha.com/homefile/rice/ricepage7.html 1作目は、買ってから8年ぐらいになるのに毎年8回以上は聴くほどのお気に
入りだ。大きな期待を胸に入荷を待つことにします。
最近2chで見かけない表現
「鬱出汁脳」(うつだしのう)
「逝ってきます」(いってきます)
2chに足を踏み入れた2001年当時は、これらのことばが飛び交う様を目の
当たりにして、かなり引いた記憶がある。日常生活では決して出てこないから。
特に上に挙げた2つは、どちらも自分の失敗に対する悔悟や反省の念を
表すものとして使われていた。字面の大げささとは裏腹に、真剣な謝罪から、
sage忘れやコピペミスなどの軽度の失敗や結果的なマナー違反などの後に
つける"excuse me"的な用法まで、幅広く使用されていたように思う。
文字だけのコミュニケーションでは、怒りや喜びなど生な感情についての
表現は比較的字面どおり受け取られる。しかし、反省や陳謝など態度の
表明については、その含む真剣さの度合いがなかなか伝わりにくい。一歩
間違えばふざけてるように取られかねない(長崎の少女殺人にも感じたこと
だが)。
そこで、わざと大げさに表現することで、ちゃんと反省してますよ、きちんと
陳謝の気持ちになってますよ、とアピールしているつもりだったのではない
かな、と想像している。
俺はついぞパソコン通信というものに触れないでしまったのだが(ニフティ
には入会したが、その直後にウェブを知ったため結局2〜3回しか繋いで
いない)、こういう表現、パソ通時代からの流れなんじゃないかと思っている
のだが、どうなんだろう。
一方で、今の傾向では、軽いミスのあとには「ミスったごめん」「すまん」など
の、普段俺らが使っている口語的?表現が主流だ。携帯メールの文面に
かなり近づいてきているのではないかと思う。
普通っぽくなったと喜ぶべきか、アングラ臭がなくなったと悲しむべきなのか。
本格的にリバウンドが進み、再び体重が69kg台に乗ってしまった
昨日も焼肉食いまくったし、食欲の秋が暴走中です・・・
なんとなく某板のハンガリースレを覗いていたら、マジャール人(ハンガリー
の主要民族。ルーマニアやスロヴァキアなど周辺諸国にも300万人くらい
居住)の中のエスニックグループのひとつ、ヤース人の先祖が「アラン人」だ
という
ことを知った。アラン人といえば、古代から中世の各地の文献のそこここに
ひょいと顔を出す、愉快なイラン系遊牧民だ。
もともとカスピ海の北岸あたりに遊牧していた人々で、ストラボンの『地理誌』
に記載されているのが初出(BC1世紀)、続いて『後漢書』西域伝に「奄蔡
(えんさい)」として登場し、産物が記述されたりもしている。出だしからスケー
ルがでかい。扱いは地味だが。
やや西に居住域を拡大して、4世紀、フン族の襲撃を受ける。一部はフンの
支配下に入るのを肯んぜず、西へ西へと逃亡を開始。途中同じようにフン
から逃げるゲルマン人たちと一緒になり、ローマ帝国領内になだれ込むこと
になる。いわずと知れた、ゲルマン民族の大移動の開始。
このときアラン人は、言語も生活スタイルも全く異なる、ゲルマンの一派の
ヴァンダル人となぜか仲良くなり、一緒にフランス、スペインと移動しまくる。
その仲の良さは、5世紀に入って王アダックが戦死すると、自民族から王を
選ぶのをやめ、ヴァンダル王グンデリックを自分たちの王として推戴するぐら
いだ。この辺の経緯はよくわからないのだが、指導者に血統ではなく能力を
要求する遊牧民の考え方が影響しているのかもしれない。
グンデリックの後継者ガイセリックの指導下、アラン人はスペインから北アフ
リカに渡る。今のチュニジア・アルジェリア・モロッコ沿海部を領域とする
ヴァンダル王国をヴァンダル人とともに建国し、馬を船に乗り換えて100年に
渡って地中海を荒らしまわることになる。海賊をやる遊牧民なんて、この前に
もこの先にも記憶にない。
100年間で随分ゲルマン化・ローマ化していた上、6世紀に東ローマに、
8世紀にイスラム勢力に征服された北アフリカで、その後のアラン人は混血を
繰り返して一体感を喪っていく。教科書に登場するアラン人の動向は、ここ
までだと思う。
しかし、フンに服従してハンガリーまで赴き、フンの滅亡後は自立して黒海
北岸に引き返し、東ローマやスラブ人にちょっかいを出したりしていた一族も、
実はいたのだ。中世に入ると北カフカスに引っ込み、アス人と呼ばれて地味
に遊牧を続けている。北方の黒海北岸では主人公の遊牧民がひっきりなし
に入れ替わるのに、北カフカスはわりとまったりしていたようで、キリスト教化
した他は、13世紀まであまり目立った事跡は残っていない。が、13世紀に、
今度はフンならぬモンゴルの襲来を受けることになる。
チンギス・ハーンの孫、バトゥ・ハーンに思い切り叩き潰されたアス人だった
が、その後実用気質のモンゴル人に「使える」と思われたのか、隣接して遊牧
していたトルコ系諸族とともに一部が軍隊に組織され、そのまま東に連れて
行かれることになる。フビライ・ハーンの下で「アスト人部隊」として南宋征服
に活躍し、もしかしたら元寇時に日本にも攻め・・・いや、部隊ごと来た可能性
は低いが、弘安の役の際に南宋人部隊の指揮官として何人かは日本の土を
踏んだかも知れない。
元が滅んだとき、アスト人(アスの、モンゴル人による呼び方)もモンゴル人と
ともにモンゴル高原に移動し、やがてモンゴル人に同化していった。15世紀
にモンゴルの部族名としてアストの名前が登場するのを最後に、歴史の舞台
から姿を消す。
話を13世紀に戻すと、またまた実は、モンゴルに服従するのを潔しとしない
人々もいた。その人たちの一部が冒頭で述べた、遠くハンガリーまで逃げて
行ってハンガリー王の下で軍役に従事し、やがて地元マジャール人に同化
して、ヤースというエスニックグループの祖となった。
ハンガリーのあるカルパチア盆地というのは負け犬遊牧民の逃げ場として
長い歴史を誇るが(大体マジャール人にしてからが、ペチェネグ人の攻撃で
現ロシア東部から逃げてきたのだ)、このときもアス人だけでなくポロヴェツ人
なども一緒に逃げてきてマジャールに同化し、クンやパローツなどのエス
ニックグループを形成している。なお前スレにも書いたが、ボロディンの歌劇
「イーゴリ公」に出てくる「ダッタン人」とはポロヴェツ人のこと。
さらに、モンゴルに拉致されず、遠くに逃げなくても何とか助かった人々まで
いた。
この人たちはしばらく北カフカスで遊牧生活を続けたが、バトゥ・ハーンの
子孫たちを戴いた遊牧民に圧迫され、平野を捨ててカフカス山中に逃げ
込むはめになる。
その末裔が、先日テロリストによる学校立てこもり事件があった、ロシア連邦
内の北オセチア共和国と、グルジア共和国内の南オセチア自治州に、現在も
合わせて40万人が暮らしている。オセット人と呼ばれる人々だ。
結局、最後まで古代からのイラン系の言語やアイデンティティを捨てなかった
のはこの人たちだけ、ということになる。捨てなかった、というか、最後まで
逃げ切ったというか・・・。
ただ山中に定着してからも、隣接して住むカバルダ人やグルジア人に支配
されたり、キリスト教徒が多かったためにロシアのカフカス統治に協力したり
(というかさせられた。いや積極的に協力したケースもあるし、一概にはいえ
ない)、そのせいで周囲のムスリム諸族と反目関係に陥ったりなど、苦難が
続く。イングーシ人(チェチェン人の兄弟のような民族)のテロリストが今回
北オセチアを狙ったのは、その辺の感情も影響しているといわれている。
ちなみに関取の露鵬・白露山兄弟は北オセチアのオセット人。今回のテロ
事件で知人が犠牲になり、悲しんでいるという記事が新聞に載っていた。
中央アジアを起点として、アフリカから中国から欧州から、各地に足跡を残し
ている、アラン人とその子孫たち。物凄くスケールの大きな移動だが、主体的
な移動というより他民族に攻撃されたり巻き込まれたり、なんとなく付いて
いったりの結果だというのが、なんだかおかしくもせつない。
その末裔たちの住処、カフカスに、一日も早く平穏が訪れますよう。
Date : 2004/10/22 00:18:58
Subject: 長文推奨2
URL :
http://that3.2ch.net/test/read.cgi?bbs=wall&key=1091843318 From : 音浪 ◆imo8.onro.
Mail : sage
>>105が到着。ゴキゲン。としか言いようがない。
>・・・いや、エンリッキ・カゼスのカヴァキーニョは正直あんまり好きではないん
>だが、自身のリード作と違ってアンサンブルではあまり感情過多にならずに
>さらっとかつユーモラスに流せるので、そこは評価したい。
>飲んでいるのはサッポロ・オーガニック100。あまり甘くなく香りもないが、
>スムーズさはピカイチな、いちおうピルスナー。微妙だが、風呂上りには合う
>ような。
・・・という文章が、かちゅ〜しゃのkakikomi.txtに残っているのだが、このスレ
はもちろん、壁内の巡回先のどこにも見当たらない。泥酔していたので、
着弾確認せずに眠ってしまったのでこのザマ。どこかに誤爆していたら、
何卒ご容赦下さい・・・
新潟県の上越市から安塚町、松代町を越え、車で十日町市を目指したこと
がある。
谷筋に素晴らしい棚田が続き、どこまで登っても林の陰に人家の気配が
消えない。道はやがて尾根近くを斜めに走っていくが、沢水さえ引けないその
路傍にも、天水を利用した水田が静かに水を湛えて田植えを待っていた。
ttp://w3land.mlit.go.jp/Air/photo100/76/ccb-76-3/c16/ccb-76-3_c16_7.jpg 灌漑なしの、雪融け水と雨だけに頼る水田耕作がどんなに大変か、少しでも
稲作に触れたことのある人なら想像できると思う。しかもその田は不定形で、
コンバインや田植機が使えないことは明白だった。
本当に頼りないほど小さなその水田で、泥と戦いながら秋の実りを目指す
農家の労苦と情熱について、助手席の上司とあれこれ思うところを述べ合った
ことを憶えている。
上司はこんなことをいっていた。こういうところで米を作る人が、本物の百姓
(俺ら田舎の農家は、「百姓」ということばに何ら差別的なニュアンスを含めず
に、自称として使う)なんだろうな、と。風景とあいまって、忘れられないことば
となっている。
小千谷市をはじめとする地域で罹災された皆様に、心よりお見舞い申し上げ
ます。
道路が寸断されて、空からのアクセスしかない地区では、不安もひとしおか
と思います。早く余震が収まって、道路の復興が一日も早くなされるよう、
またそれによって物資の輸送がスムーズになり、暖かい食事を十分に摂れる
ようになりますよう、東北の空の下より祈念しております。
仕事は最後から2つ目の峠を、家業の方はすべての峠を、無事に越えた、と
思う。
お疲れ様でした、と自分の影に声をかける。
さて秋を満喫するぞ。明日は職場の連中と出かけてきます。このご時勢に
いいのかな、と思いつつも、紅葉を肴にした酒の誘惑に勝てませんでした。
川面から眺める木々はようやく色づき始めていたが、見頃になるまでもう
1週間ぐらいはあったかもしれない。でも船頭のしゃべりがなかなか自虐?
が利いていて笑わせてもらったし、水が澄んでいて泳ぐ魚の背がよく見えた
し、緑褐色の山肌もそれなりに綺麗だった。
行ってよかったと心から思います。久しぶりに皆でわいわい、も楽しかったし。
ただ、酔いを醒まされることもあった。知り合いが不倫や浮気を裏でこそこそ
やる分にはなんとも思わないが、そういう関係があるにせよないにせよ、
異性の既婚者同士がぴったり寄り添って行動しているのを見ていると、何だか
薄墨でも脳内に塗られたようなどんよりした気持ちに落ち込んでしまう。
潔癖過ぎるのかもしれないが。
いや、潔癖過ぎるのではなく、俺がHなだけ、いつもの妄想し過ぎなのかも。
まあ忘れましょう。
しかし川下りって面白いなあ。川舟への乗船は実に20年振りぐらいなのだが、
子供の頃より今の方が楽しめているような気がした。今度は他所でも乗って
みよう。目指せ木曽川!
香田さんを殺した人々。
残虐な行為を繰り返し、「彼らの脳内における反イスラーム勢力に属する
人々」から、より多くの憎悪を引き出そうとする人々。
自分たちに向けられる憎悪が根深く強いほど、自分たちの敵、つまりアメリカ
や同盟国・西欧的価値観で行動する個人などに対して、自分たちが持ち続け
ている憎悪の根深さと強さが証明されると思っている人々。
「そうだ俺たちは残虐だ、こんな非人間的なことをしてもまだまだ満足できない
ほど、俺たちはお前たちを憎んでいるのだ。わかるか、自分を獣にしても足り
ないほどの憎しみというものが?」と、思っているのではないか。
出発点が「憎悪」であり、手段が「憎悪の拡大」。では目的は何なのだろうか。
全イスラーム圏からの非ムスリムの撤退と交流のシャットアウト?
そんなことができっこないことは、彼ら自身もわかっているんじゃないだろうか。
単に自分の持っているルサンチマンだけで動いてしまっている、もはや憎悪
のためだけに憎悪を増大させているように、俺には見えてしかたがないの
だが。
>>118 URLがこのスレになってるので、誤爆はしてないと思います。
多分、エラーが出たりして、このスレに反映はされなかったけど、
kakikomi.txtには記録されていたということじゃないかと。
鯖が重かったり、不安定だったりした頃のkakikomi.txt見ると、
同じレスが幾つも記録されてました。
>125
誤爆じゃなくても、kakikomi.txtに残ることがあるんですね。
あの後、自分が書き込んだ履歴が残っている全てのスレをチェックしました
が、見つけることができなかったので。安心しました、ありがとうございました。
誤爆は、100カキコに1回程度やってしまいます。板違いの誤爆が多く、
真面目な議論スレに「馬肉って美味いよな〜」などと投下してしまい、スレ
の進行を止めてしまったり、なんてことが何度もあります。いやはや。
なお、私はかちゅ〜しゃからの乗り換え組ですが、その動作の軽快さにも感動します。
OpenJane、評判いいですよね。検索機能にも優れているようだし、移行を
検討しようかな。
あまり便利なツールに慣れてしまうと、一層2chに依存してしまうんじゃないか
という恐怖心もあり、IEからかちゅ〜しゃへの移行に2年かかりましたが、
2ch暦3年にしてだんだん距離感を掴みつつあるので、また新しいステップ
に登ってもよいかな、と。
>>127 それでも誤爆するときはしちゃうんですけどね...
>>130 手が痙攣してませんか。30代でそれは早いですよ。
>>131 Janeだと「スレ欄と違う××に書きこみしますがいいですか?」って警告が出ますが
さくっと「はい」をクリックしちゃうんです...
押した瞬間に「しまったあ」と思うんですけどね。
>>132 ああ、ヒューマンエラーと。UIの欠陥ですなあ。
あ、キーボードではなくてマウス操作ですか。それはUIの問題ではないです…。
純粋に自分自身の欠陥なわけで...
反射神経が優れていると言いましょうよ。
UIってなんだろうと思い、ぐぐってみた。
User Interface のことで、
>ユーザインターフェースとはコンピュータと人間がやり取りをする部分、方法
>のことです。
>アイコンなどを使ってコンピュータとやり取りをする方法をGUI(グラフィカル
>ユーザインターフェース)といいます。
>GUIが使われていない時代のコンピュータとのやり取りは、キーボードによる
>文字入力で行いました。これはCUI(キャラクタユーザインターフェース)と
>いいます。
おお、勉強になりました、ありがとう >133さん!
>132
ゲームでよくやります。マウス左連続クリックしてて、大事な装備を捨てて
しまったり、説得中の相手をに切りかかってしまったりしますね。
なんというか・・・左クリック連打って、気持ちよくないですか?部下や後輩の
質問に、質問自体か終わる前に先読みして答えてしまうような、ちょっと意地
悪な喜びを感じるときが、自分にはあります(念のため。リアルでは、後輩の
質問にはちゃんと最後まで聞いてます。10回に9回は・・・。駄目な先輩です)。
OpenJaneについて、ちょこちょこ調べている。一番気になるのは、これまで
かちゅ〜しゃに溜め込んできた大量の過去スレを、Janeにすんなりと
移行できるかどうか。
●を持っていても過去ログが見られないことがある。一方で、過去スレ群を
見るためだけにかちゅを残しておくのも、意味がないように感じるのだ。
もうちょっと時間をかけてから、天秤に乗せてみましょう。
なんだこりゃ、てにおはが滅茶苦茶だな。まあいつものことだが。
そんなに酔ってないと思うんだが、寝ます。おやすみなさい。
>141のメアリーさん
そのレスを見て、先程OpenJaneDoeのダウンロードに踏み切りました。ありが
とうございます!
開いて見てみると、一見かちゅとそっくりと思いきや、設定画面は複雑っすね。
そこは●の設定だけして閉じ、現在はレス表示枠を同時に複数開く方法を
探索中です。普段4〜5レスを同時に開いて行ったり来たりしているので。
今後、使用に関する最低限の知識を身につけるまで、多分2週間ぐらいは
かかると思いますので、気長に見守ってやって下さい。「操作方法の確認」
とか「初期設定」とかが大の苦手、というか大嫌いで、もう少し「やる気」が
貯まらないと本格的に取り組めないと思いますので・・・
・・・しかし読み込み軽いですねこれ。いやー助かりました。
今月後半に関東を回る仕事が入った。それが終了する26日の午後から、
28日にかけて、少しその辺をぶらぶらすることにした。
いつもの上野登山やCD屋巡りは今回は控える。鎌倉をじっくり見て回るか、
レンタカーを借りて自分の名字の地を巡ってくるか、どちらかを実施予定。
泊まりは都内か横浜あたりになりそうだが、折角の行楽シーズンだし、
日中はなるべく坂東の秋を堪能してこようと思います。
体重が再び70kgに迫る現状を打開するべく、間食・夜食断ちを実施中。
夜9時以降、甘味を求めてイラつく脳を鎮めるべく、キシリトールガムを
噛み続けている。禁煙のときもこのガムにはお世話になったが、ご存知の
通り腹がゆるくなるのが難点。温い緑茶で中和?できるか実験しているが、
結構いいようだ。
最近走ってなかったし、家業も一段落したので、また走ろうかな。
おやすみなさい。
今日から冬に備えた「雪囲い」の家への取り付け作業を開始。午後4時頃今日
の分の作業を終え、部屋に戻って冷やした緑茶を飲んでいたら、なんだか急に
腹痛が。痛むあたりに手をあてると、驚くほど冷たい。
作業中、太る前に買ったスリムな(かつて俺のウェストは73cmだった。・・・いや
ちょっと嘘。太る直前の2年程は、76cmだった)作業服を着ていたのだが、腹が
窮屈になっているので、上着のボタンを外して前を開いた状態で3時間ほど屋外
で過ごした。これがいけなかったらしい。すぐシャツを着替え、炬燵に潜り、腹を
赤外線で温め続けて20分ほどじっとしていると、痛みは治まった。
夕飯はリンゴ1個だけで済ませた。腹そのものはとても減っているが、リンゴで
さえ胃袋に違和感を与えたので、これ以上は我慢している。金曜日の夜にちょっと
外で飲み過ぎたのも悪影響を与えているような気がするが・・・
ショーロのCDを何枚か買った他は、新しい音楽にチャレンジしていない。昔
聴いていたザ・ポリスやジャパンなどを引っ張り出してきてかける程度。
ジャパンは、正直いってノスタルジアで聴いているだけだが、ポリスはいまだに
新しい発見がある。自分にとっては。音に隙間が開いていてどこか未完成性?
を感じさせるのが楽しいし、スティングが前にやっていたという前衛ジャズの味
なのか、感情を廃した抽象的なメロディラインが時々現れるのも好きだ。
訂正
上レス最後から2行
旧 スティングが前にやっていたという前衛ジャズの味 なのか、感情を
廃した抽象的なメロディラインが時々現れるのも好きだ。
新 スティングがポリス結成前に取り組んでいたというジャズロックの味
なのか、感情を排した抽象的なメロディラインが時々現れるのも好きだ。
誤字はいつものことだが、「廃」と「排」が微妙に方向性が同じような字
なので、一応訂正しておこう。
彼らに"King of Pain"(『シンクロニシティ』所収)という曲があるが、この曲
のメロディの展開なんかが、俺には抽象的(ここでこのような形容を用いる
のには気が引けるのだが、他に上手い言葉が見つからないので)に聴こえる。
非常にメランコリックにつくられらた歌詞と音を持ちつつ、この曲にどこか
醒めているような手触りがあるのは、このメロディのせいのように思う。
ちなみに、ポリスはリアルタイムで聴いていたわけではない。自分が洋楽を
本格的に聴き始めたのは1985年だが、ポリスは前年に活動休止している。
88年ごろに学校の先輩にジャパンやサイケデリック・ファーズなどとともに
紹介されて知ったもの。
83〜84年頃は、まだ喜多郎や松武秀樹などのシンセサイザーものや、
軽めのクラシックなんかを聴いていたような記憶がある。
話題の『電車男』を、書店でぱらぱらめくってみた。AAもばっちり載っていて、
まとめサイトを単にプリントアウトしたような雰囲気。
まとめサイトを読んだ直後の、疲労感と自虐欲がない交ぜになった気持ちは、
蘇らなかった。
中に再生ザラ紙を使っていたのは、ちょっと評価したい。
冷たい雨があがり、空気が恐ろしく澄んでいる。10km向こうの踏切を過ぎる
列車の音が聴こえる。
おやすみなさい。
パチンコパチンコ パチンコに行くのさ
パチンコパチンコ パチンコに行くのさ
仕事終わって 今日もパチンコ
※憂歌団 パチンコ〜ランランブルースより
いやパチンコ行ったことないんですけどね。この歌のやけくそっぷりが
大好きです。自分の場合は2ch〜2ch〜かな。かなりカッコ悪いがな。
夜食・間食抜きは効果覿面!10日で1kg痩せた。忘年会シーズンが始まる
まで、落とせるだけ落としてしまおう。
NHK総合でガムランを流している。バリのガムランは旋律の上下動が激しく、
BGMには向かないような。ジャワの宮廷ガムランとかならわかるが。
でも、1992年以来久しぶりに演奏風景をじっくり見られて嬉しい。
あたしゃ昨日(今日?)の深夜は、総合ではなしに教育のほうでサンダーバードを見てました。
ありゃ童心に還りますよ、なかなかいいもんだ!
特にフッドはいかす!
今度は12/5にやるらしいので、今から楽しみです。
♪サンダーーバードーー
>>152 実はサンダーバードって、きちんと1話通して見たことがないんです。来月
(泥酔してなかったら)見てみましょう。
ちょっとぐぐったらフッドって敵役?なんでしょうか。敵役が魅力的な作品は
締まりますよね。
ちょっと系統が違うかもですが、スタートレックは結構好きです。やっぱり
スポック博士!世間て非論理的だよなー・・・と彼に一番感情移入してました。
いや別に俺が論理的な人間なわけではないんですが。
今から関東に遠征。ばたばたと北関東を駆け抜けた後、26日は藤沢泊、
翌日江ノ電沿線〜鎌倉をじっくり見てきます。27日は入谷泊、翌日は
前スレで紹介してもらった浅草の蕎麦屋を探索する予定。
向こうにいる数少ない友人たちに連絡がつかん。いい加減携帯持てよ。
ちょっと寂しいが、でもまあ一人飲みも乙なもんだし、ふらっとしますか。
では、気をつけて行ってきます。
あぁ、いやいや、サンダーバードは酔っ払いの戯言でございまして、
適当にあしらっていただければと。
いや、ホント、申し訳ない・・・
しかし、フッドはなかなかの悪役ですよ。
やつはある意味真の’漢’です。
普通なら手下がやるようなことまで自分でやるんですもん。
・・・つーか奴は手下何人いるのかねぇ?常勤はいないんじゃないか・・・
あと、「論理的な人間」よりも、あたしゃ「論理的思考能力を持った人間」のほうが
人間としては上だろう、と思いますよ。
少なくとも現時点では。
それでいいんじゃないですかねぇ?
>155
時給800円の爆弾魔とか日給7千円の誘拐犯を使いこなし、ちゃんと雇用
保険も掛けてあげてる悪役・・・かっこよ過ぎです。
1.「論理的な人間」
=いかなる時でも一貫した「論理」に従った行動しかしない人
2.「論理的思考能力を持った人間」
=論理的に思考した方がいい状況下では、効率的に論理に則った思考を
展開することができるが、そうでない状況下では感情あるいは感性ある
いは本能に従って行動することをためらわない人
という理解でいいでしょうか?確かに、後者がはるかに充実した生を送ること
ができると思います。
ただ、自分の心のどこかに、1のように生きたい、機械のような融通の利かなさ
によって周囲を傷つけても、完結した「論理」に従った生を送ってみたいという
欲望が存在することにも、気づいています。新々宗教にはまる人たちや思想的
極右・極左の人たちは、男性に強く現れると思われるこうした内面の声に耳を
傾け過ぎてしまったんじゃないかと思うことがありますね。
スポック博士は、人類と接するときはちゃんと非論理的な考え方を許容して
いるので、1というより2なのかもしれませんが。やっぱり好きだなあこのキャラ。
初雪の中、今日は全身筋肉痛のまま外回り。寒かった・・・
さて、関東ツアーについて、順を追って。
26日の午後2時ごろ、北関東某所で仕事から解放され、タクシーでレンタカー
会社へ。トヨタBbを借りて、一路霞ヶ浦に向け出発。
こちらでも紅葉は終わりかけで、途中筑波山を見上げながら走行。地図で見る
と1000mもない山なんだが、すっくと立ち上がった姿はかなり高く感じる。
坂東武者の荒ぶる姿というよりは、侍女を従えた、優美だが一旦怒ると手の
つけられない勢家の娘といった印象を受けた。いや勝手な印象すまない。
途中、小田城跡に寄る。中世常陸の名門・小田氏が拠点を置き、北畠親房が
南北朝の騒乱の中『神皇正統記』を書き始めた場所でもある。実際行ってみる
と、堀を何重にも巡らしているとはいえ、全くの平城であることに驚いた。本丸
跡だけがやや小高くなっており、周囲は発掘後に芝を貼ったのか、低い草が
まばらに生えているだけの広場と、堀跡の水田が入り組んでいるだけ。土塁跡
は見つけられなかった(堀切・土塁好きなので残念)。しばし本丸跡にたたずん
で感慨に浸る。
再び車に乗り込み、今回の目的地、某氏の墓を目指す。しかし小田城跡で
時間を食い過ぎ、どんどん日が傾いていく。目的地はネットでは大字しかわか
らず、なかなかピンポイントで場所を特定することができない。城跡の一角に
あるというその墓を、「城跡≒丘の上だから目立つだろう」とばかり思ってきた
ので、役所などから現地情報を仕入れるのを怠っていたのだ。小田城の例から
して、まっ平らな場所にあることも考慮に入れなければならない。
住宅地と水田、丘と平地が複雑に入り組んだそのあたりでは、地元人に尋ね
ないと探索は不可能と判断し、何軒かの酒屋やコンビニに入って店員に尋ね
てみるが、全員が全員「自分らは新住民なので、この辺のことはよく知らないん
です」。話を聞くと、丘の上を通る国道・県道沿いや枝道沿いの住宅地は新開
地で、他市や他県からの移住者が多いのだという。「下に行って聞いてみて
下さい」との声に、お礼代わりのフリスクやガムを買って感謝し、坂を下る。
薄暗くなってきた中、ようやくたどり着いたスパーでも、「そんな古い墓なんて
聞いたことない」とのこと。諦めて帰ろうとしたら、事務所に通じるドアから、
ボーズ頭のお兄さんが「おつかれ〜」とぬっと姿を現した。
と、レジのおばちゃん(美人)が今気付いたように、「そういえば○○くんは
この辺の人だよね。ねえ××氏の墓なんて知ってる?」と水を向ける。俺も
ウェブサイトのプリントアウトを見せて、こんなところなんですが・・・と最後の
望みを託すと、意外にあっさりと返事。「知ってますよ」。
狂喜して地図を取り出す俺を遮り、彼は冷静に、「いや物凄くわかりづらい
所にあります。地元民じゃないと辿り着けないと思いますから、案内しま
しょうか?」と続けた。興奮のあまり支離滅裂な謝辞を口にする俺を制して、
あくまで冷静に「またここに戻ってきてもらえますよね?」。もちろんです
と即諾し、助手席に乗り込んでもらって出発した。
車中で、彼に向け、一応何の目的でそこに向かうかを話す。その墓に眠って
いる人物が、少なくとも、俺の姓を俺の地元に持ち込んだ人物の、非常に
近い親族に当たること。一族はこの土地で、少なくとも300年間暮らして
いたこと。その珍しく、ちょっとばかりユーモラスな姓のおかげで、初対面
の人との話題の種に事欠かずに済むだけでなく、「自分とは誰で、どこから
来たのか」について幼い頃から考えるようになったこと。ネットでこの場所
を知って以来8年間、ずっとここに来たいと思い続けてきたこと。などなど。
彼はふんふんと聞いていて、こう言った。「なんだか嬉しいですね、そういった
思いをこの土地に抱いていてくれたことが」。
それはこっちの台詞だ。400年も前に切れたはずの繋がりだけを頼りに、
無遠慮にやってきた俺みたいな奴の思い込みを、肯定してくれたことが、
何より嬉しい。
確かにわかりづらい所に、その墓はあった。細い路地を何度も曲がって辿り
着いたのは、線路と住宅に挟まれてぽっかりと空いた空間に広がる水田、
そこに浮かぶように立っている木が数本と、石造りの台の上に並んだ、
五輪塔3基。
目を凝らして説明板を読む。自分の姓と同じ、大きな文字が目に飛び込んで
くる。間違いなく、目指していたのはここだった。
やや雑草が伸びているが、ちょっと前に草刈を行った跡のある敷地に入り、
塔の前に立つ。五輪の塔には漢字はおろか、種子(梵字)も見つけること
はできなかった。すでに街灯がともる時間帯。
自分と同じ姓を持つ人が、400年前に亡くなり、ここに眠っている。
感動とか大げさな言葉は似合わない、胸がじんわりと温かくなるような
感覚が訪れてきた。現代まで続いたこの名字を、古代から連綿と保って
くれてありがとう、という気持ち。血はつながってないかもしれないが、
確かにここに自分の断片があると感じる。自然に手が合わさった。
史料によるとあまりよい亡くなり方ではなかったようだが、墓のたたず
まいは落ち着いていて、地元の人々に長い間大切にしてもらってきた
様子が伺えた。
連れてきてもらった彼曰く、現在は近くの寺の住職が管理してくれて
いるという。本当にありがたい。
墓の前にたたずんだのは、5分くらいだった。もっといてもいいですよ、
と連れてきてもらった彼は言うが、コンビニでのバイトが終わったばかり
と思われる彼にも悪いし、本格的に暗くなってきて辺りがよく見えなくなって
きていた。
店に戻り、対応してもらった皆さん向けに缶コーヒーを買って、そのまま
渡して頭を下げ、再び車に乗り込む。件のボーズ頭の彼が、俺の持って
いる地図に今回行ったポイントを書き入れながら、「詳しい話を聞きたかった
ら寺に来ればいいですよ、住職は親切な方ですから」、と相変わらず冷静
に教えてくれた。
また来ます、今度は時間に余裕を持って、と告げ、店を後にしたのは、17時を
過ぎていたと思う。
そのまま市街地に入り、車を返す。2時間以上列車を乗り継ぎ、藤沢市へ。
横浜から呼んだ学生時代の友人と合流し、1時ぐらいまで痛飲(ry。
ちょっと中断。続きは明日以降。
墓まで案内してくれた彼の名前か、スパーの住所を聞いておくべきだった
なあ。まあ3年以内にもう一度行くので、そのときにゆっくりお礼をしようと思う。
おやすみなさい。
関東ツアーの続き。
2日目、27日。ガンガン痛む頭を落ち着けるため熱いシャワーをしばらく
浴び、ホテルを出たのは10時過ぎ。江ノ電に乗車し、照葉樹の多さと太平洋
の波の荒さに衝撃を受けながら長谷駅で下車。大仏を見た後引き返し、由比
ガ浜を歩き、若宮大路から鶴岡八幡宮、源頼朝及び大江広元の墓、建長寺、
天園ハイキングコース(迷い込んだ)、明月院(紫陽花寺)、円覚寺、東慶寺
(縁切寺)、と歩き倒した。10kmぐらいは歩いたんじゃないだろうか。
本当は極楽寺や国宝館、高時自刃やぐらなど、もっと見て回りたかったのだ
が、まあ無理せず進めてよかったと思っている。また来れると思うし。
由比ガ浜では、上天気のもと、男女サーファー達が百人以上、短い間隔で
押し寄せる波に立ち向かっていた。1333年、新田義貞が鎌倉幕府軍の最終
防衛圏を突破した因縁の地を見たいと思い、冬寂びた海岸をイメージして
赴いたのだが、思わぬ光景を目の当たりにしてちょっと呆然としてしまった。
よく考えて見れば、ここも湘南海岸の一部なんだよな。
ギャラリーはほとんどおらず、犬の散歩や日向ぼっこ以外でそこにいたの
は、俺ぐらいなものだった。
それでもウェットスーツに身を包んだサーファー達は、皆一人で、黙々と波と
格闘していた。夏のような華やかさは一切ない、本気の世界。入念に準備
体操を終え、周囲に一顧だに呉れずにボードを脇に抱えてざっざっと海に
入っていく様からは、一騎駆けで敵に立ち向かう鎌倉武士のような、決然と
したものを感じた(妄想し過ぎ)。
建長寺の裏山からハイキングコースに迷い込んでしまい、何とか抜け出して
今泉台の住宅地に降り立った時は途方に暮れた。見た感じ、本当に何の変哲
もない「高台の住宅街」で、近くに名刹があるような雰囲気は全くない。ここから
明月院までどのくらいかかるのやら・・・と落ち込みつつ、一応立っている
道案内の看板に従って、汗だくのまま住宅街の片隅にある坂を下り始めた。
少し下りると、急に勾配がきつくなり、道の両側に立つ住宅もそれにつれて
様変わりしていった。狭い入り口から階段を10mは下ったところにある家
や、坂の下側に入り口があって階段状に上に延びている家。道より下に玄関
がある家の、屋根の上に乗っかった格好のケーキ屋(喫茶室でいただいた
チーズケーキは絶品だった。いい値段だったが)。谷の中腹を削るように降り
ていく道の両側のわずかなスペースに、見本のように様々な形態の建物が
並んでいる。目を上げると、まだ葉をつけた落葉樹と照葉樹が入り混じった
鬱蒼とした林と、背景には抜けるような青空。
そんな雰囲気の中、和装の女性に2度ほどすれ違った。一人は濃紺の地に
薄緑・ピンクの草花模様の振袖。もう一人は黒地に青灰色の波を控えめに
立たせた留袖。2人とも草履履きながら、すたすたと早足で坂を登って行った。
近くにお茶かお花の教室でもあったのかもしれないが、この深山にひどく
場違いなようにも思え、落ち着かない気分になった。
なんだか不思議なところに来たなあと思っていると、今度は子供たちの歌声
が聴こえてきた。と思いつつ角を曲がると、観光客の行きかう姿が目に飛び
込んできた。ようやく明月院の入り口に辿りついたらしい。今泉台から距離に
して1kmぐらい、時間にして15分ほど(ケーキを食べた時間を除く)の間の話。
明月院に入ってすぐの所に北条時頼(幕府執権)の墓があるのだが、その
真後ろの建物の2階で、唱歌の練習?が行われていた。小規模な託児所な
のか、それとも普通の民家で、その家の子供たちに個人教師がついている
のかは不明だったが。廻国伝説のある時頼が、学齢前の子供たちの歌声を
聞きながら眠っているという格好になっているのは、なんだかほほえましかった。
今回寄った4寺の印象としては、野郎が行くなら建長寺、女性が行くなら明月
院・東慶寺、男女一緒に楽しめるのは円覚寺か、と感じた。円覚寺は、山門
や洪鐘(大きな梵鐘。大檀那は崇演=北条貞時。ちなみにこの鐘の弟分が
青森県弘前市にあり、中世北奥史に貴重な手がかりを提供している)などの
力強い造作を味わうだけでなく、中国風の丸い大窓から薄茶と茶菓子をいた
だきながら庭園を眺めることができたり、洪鐘脇の弁天堂茶屋から北鎌倉を
一望したりもできる。鎌倉にデートに行く人がいたら、参考にして下さい。
俺はいつもの調子で一人で回ったのだが、男一人で見て回ってる人は、土曜
日だったせいもあるのか、非常に少なかったように思う。ツアー客1/4、家族
連れ1/4、カップル1/4、女性2人連れ1/6、残りが男単独と女単独で、単独
行動する男性はほぼ例外なくヲタ系の臭いがした(一番臭ってたのは俺
だろうがな。汗だくだったので、別の意味での臭いもしてたかも)。
東慶寺を拝観し終えたのは午後4時ぐらいだったが、足がもう休みたがって
いたので、年齢を感じながら鎌倉観光終了。荷物を藤沢まで取りにいき、JR
と地下鉄を乗り次いで上野から北へ、入谷到着。
ホテルでシャワー後しばらく足を休ませ、一旦外出して麻婆定食をいただき、
再びホテルに戻り、テレビを流しつつガイドブックを開いてその日見た場所の
反芻を済ませたのち、10時前に就寝。こんなに早く寝たのは数ヶ月ぶり。
28日も10時近くになって出発、神田神保町へ到着して軽く腹ごしらえ。日曜
なので半分くらいしか古本屋は空いていないのだが、それでも2時間彷徨し、
近藤仁之「スペイン・ユダヤ民族史」、桜井英治・中西聡編.「新体系日本史12
流通経済史」、インドネシアの全国地図などを、結局すべて新刊書店で購入。
昼を過ぎて浅草に向かい、浅草寺の裏手で蕎麦屋探し。前スレでメアリー
さんが教えてくれた、「伝法院通りの某天麩羅屋と同じ名前」というヒントだけ
を頼りに歩き回ること10分程度で、意外に早く発見!・・・はしたが、「定休日」
の表示が。
店の構えは控えめで、季節感のある植え込みも好感が持てる。観光スポット
からはかなり距離があるので、静かに蕎麦の味を堪能できそうだ。場所は
憶えたので、また今度。
しかし、名古屋の喫茶マウンテン(月曜休)の時といい、定休日を確かめない
で行ってしまう迂闊さ、何とかならんのか。
結局、近くの特徴のない蕎麦屋で天ざるを掻き込み、その辺りの街並みを
味わいながら隅田川まで歩き、川越しにアサヒビールビルの炎とも人魂とも
う・・ともつかない物体を眺めながら地下鉄に吸い込まれて、上野へ。
全席予約制の某新幹線の乗車時間まで1時間半ほどあったので、行かない
つもりだった上野の山に、やはり登ることにした。時間を考えて、都立美術館
の「フィレンツェ展」を見に行く。国立博物館の「中国国宝展」だと、時間内に
戻ってこれるか自信がなかったから。
ポスターに、16世紀初頭によく描かれた、人物の横顔の絵が使用されていた
ので、その辺を期待。あの完全に横向きの顔群、潔い感じがして好きなのだ。
・・・と、タブロー中心なのかと想像して行ったが、そうではなかった。ルネサンス
前後の総合的なアートの展示をテーマにしていて、ストロツィ宮の設計に
利用した建築模型(模型の前でいちゃいちゃしていたカップルに、よっぽど
足払いをかけようかと思ったのは秘密だ)や医学書など、個人的には面白い
ものを見ることができた。医学書はアラブ世界の医学者アッラーズィーや
イブン=シーナーの著作のラテン語訳本で、彩色挿絵付き。特に青絵具の
発色の鮮やかさが目に焼きついている。
帰りは特に何事もなく帰還。雪になるかもしれないとのことだったが、道路は
乾いていて一安心。家に着いたのは9時半頃だった。
相変わらず長い・・・。スレタイに免じてお許し下さい。
でも今回、鎌倉で、初めて自分以外の誰かと来てみたいと思えてきた。
これって、自分が成長している(三十路の台詞じゃないが)って思っていいん
だろうか。嬉しかったのは事実です。
なーんだその辺まで来たならうちんとこの店、来てくれても
良かったのに。。。って、教えてなかったかな???
レス読んでて、チーズケーキ食べたくなった。。。
>>174 お店の場所は、(素面の時は)教わってなかったと思います。すみません、気
が向いたら(もう一度?)教えて下さい。腹空かして行きますので。
向こうでは神谷バーの前を通りかかったのですが、その日のうちに車を運転
しなければいけなかったので、素通りせざるを得なくて残念。鎌倉行きを日曜
にして、下町探索を土曜日にしておけばよかったのかもしれません。
ちなみに、チーズケーキを食べたのは多分ここです。自分が食べたのは写真
のケーキではなくて、日替わりのレアチーズケーキでしたが、自然な柑橘系の
香りがして、本当に美味かったです。
ttp://www.jalan.net/kanko/SPT_176085.html
『ペルナンブーコ弦楽器工場』というタイトルのCDを発見。すぐ注文。
こういうアルバムタイトルなんだかよくわからない名前が付いているのは
大好きだ。アーティストはブラジル北東部のショーロ畑の人らしく、リオとは
違う雰囲気のショーロを演るらしい。
同じブラジルでも、リオやサンパウロのある中南部と、ペルナンブーコ州や
バイーア州などの北東部では、音楽面ほか民俗的に違いがある。北東部
はボルトガルによって最初に植民地化され、移入された黒人奴隷の一部
が逃亡して奥地に独立共同体を設立したこともあるなど、アフリカ的要素
が濃い地域だ。カポエイラの本場だ、といえばピンと来る人もいるかも。
この土地の音楽にはそれほど詳しくないが、ちょっと聴いただけでも、リオ
にはない泥臭さと重いリズムが印象に残る。それらの要素を血肉にした
アーティストたちが、西洋風の軽さが身上のショーロをどのように演奏する
のか、楽しみだ。
さっき、とてもきれいな虹が、それも二重にかかっていた。
下の方は両側の端が地面に達した、完全な形。色も濃く、10色ぐらいあるよう
に見えた。上の方は薄く、長さは1/3ぐらいだったが、日光の強弱に従って長く・
濃くなったり薄く・短くなったりするのも面白かった。
デジカメで撮ったのだが、こういうとき自サイトがあればなあとしみじみ思う。
ただしうちのデジカメは解像度が低いので、ぼんやりとしたものにしかなら
ないのだが。自サイト立ち上げるのなら、デジカメも買い換えないといけない
かな、あるいは最近の携帯は画質もいいらしいのでそっちにしようかな、と
検討中。
ここに懺悔する。
1 昨日の夜、後輩たちと飲んだ後一人で寄った小さな店で、大盛り上がりで
カラオケ合戦をやっていたどこかの職場の皆さんに対して、勝手に手拍子を
添えたり「うまいぞヒューヒュー」と囃したりしてしまった。非常にキモかったと
思う。酔っぱらって判断力がなくなっていたのだ。懺悔いたします。
2 そうしていると、20代後半に見えるきれいな女性が俺に近づいてきて、
「私のこと憶えてますか?数年前の某イベントでご一緒した、某教室の生徒
だったんですけど・・・」と話しかけてくれたのだが、その人以外の生徒さん
たちはほぼ全員憶えていたのに彼女だけ憶えておらず、しかもそのことを
素直に口にしてしまった。嘘でもいいから「もちろん憶えてます!!ついでに
独身ですか?独身でしたらメルアド教えて下さい!!」っていうべきだった。
酔っぱらって判断力がなくなっていたのだ。心より懺悔いたします。
3 その後、彼女としばらく話をしてようやく盛り上がってきたとき、呼んでいた
代行運転業者が到着した。業者ぐらいキャンセルして、彼女ともっと話をして
メルアドゲット(しつこい)すればよかったのに、無理やり話を切り上げて
帰ってしまった。酔っぱらって判断力がなくなっていたのだ。失礼過ぎる。
謹んで懺悔いたします。
4 20分ぐらい彼女と話をし、彼女の名前を何度も教えてもらった(ような気
がする)のに、一晩寝て起きたらきれいさっぱり忘れていた。彼女が独身か
どうかも何度も訊ねた(ような気がする)のに、憶えていない。彼女がカラオケ
しまくってたグループの一員だったのか、別のグループの客だったのかもさっ
ぱり。某イベントのパンフレットが残ってないか家捜ししたが、それも見当たら
ない。
酔っぱらって判断力・・・じゃなくて記憶力までなくなっていたのだ。全身全霊
で懺悔いたします。
まてよ、これ夢じゃないか?全然具体的なこと憶えてないし、ストーリーが
自分に都合良過ぎるし、喪男板の妄想スレにこういうのありそうだし、朝方
眠り浅かったから、これ夢だな。何だよ早く気づけよな、余計な心配したじゃ
ねえか・・・
ってことにして逃避したい今日この頃・・・
風呂に入ってさっぱりしてから上の書き込みを読んだら・・・書き込み自体が
気持ち悪いっすね。喪オサーンの自意識過剰振りが臭います。反省。
キリンラガーを牛筋煮込みでいただいている。
届いた
>>176を何度か聴いたが、さわやか杉。地元のリズムを取り入れたり
してはいるが、基本はわりと演者の個性に依存したストリングスアンサンブル
で、パーカッションがおとなしいし、粋さを求めたつもりなのか、60年代の
「前衛」の匂いさえする。正直、あまり好みとはいえないなあ。
>>105は好みだったが。パート1よりくつろいだ感じで、名人芸的な緊張感は
ないが気持ちよく聴ける出来だと思う。
積読を消費し、2chをひととおり巡回したら、もうこんな時間。
天気が良かったので出かけようかとも思ったが、出かけると無駄金を使い
そうなので、やめといた。
ボーナスでプリンタを買う予定。2年間年賀状を出すのをサボったので、
忘れられないうちに再度繋がりをつけたい人にだけでも出そうかなと。
ごめんなさい、愚痴らせて下さい。
日本史板では、東北地方のどこかが話題になっているスレには、いつも
「東北人は野蛮人で低脳。東北は常に敗者だったので、語るに足る歴史
なんかない」と繰り返す変な人たちが粘着し、スレを枯らしてしまっていた。
しかし、俺が巡回している2つの東北関連スレには、原史料をきちんと読ん
で解釈できる人が常駐しているが、ソースを明示した長文カキコが多い
雰囲気が近寄りがたいのか、その手の人たちはこれまで絡んでこなかった。
ところが昨日から、それっぽい人が絡み始めている。というか、史料からの
原文の直接連続投下に難癖をつけた人がいたのを見て、トラブルの匂いを
嗅ぎつけたようなのだ。
これまでの例からして、下手に対応すると粘着される。擁護レスをすでに
つけてしまったが、失敗だった。これ以上の書き込みはしない方がいい。
ああ、どうして何かに対するアンチの人は、粘着度が高いんだろうか。
何もできないのが悔しいですが、ここはじっと我慢します。
>>185 せめてこちらがほろ酔い程度だったら、と悔やまれてなりません。
10時過ぎてもほろ酔いでいられるように、ガンガン飲みたいという欲望を
抑え切れる自制心と、元気な肝臓によるアルコールの分解力とを身につけ
なければ・・・!
でも、ハジけていたからこそ彼女が興味を持ってくれたのかもしれず、その
辺は微妙ですね。
冷え込んで来ている。風も強い。明日は積もるかもしれない。
おやすみなさい。
坂本龍一『音楽図鑑』を聴いている。
1984年にリリースされたこのアルバムを、発売後まもなくアナログ盤で購入
した。アナログプレイヤーが随分前に壊れてしまったので、それからずっと
テープで聴いているのだが、テープ自体が伸びてきているのか、徐々に音が
歪みつつある。
YMOが散開してから、ビル・ラズウェルと組んだり、映画音楽を大々的に手が
けたりするようになる間の、何年かの狭間にこの作品は発表されている。
YMOでの諸作品や、YMO結成直前に発表した『千のナイフ』の匂いを残し
つつ、より簡明でクリアな音がいきいきと歩き回っている。くつろいだ中に、
いたずら心が随所に顔を覗かせる。
YMO時代から溜め込んできた、やりたくてもできなかったことなどを一気に
放出したような、「吹っ切れ感」さえ感じるのはうがち過ぎだろうか。
アルバム冒頭の「チベタン・ダンス」には、カヤグム(伽耶琴)やテグム(横笛)
などの朝鮮半島の伝統楽器を模した音が登場するが、もともとこの曲には
「コリアン・ダンス」というタイトルがついていたらしい。メロディや構成には半島
の伝統音楽の反映は見られないが、カヤグムの弾く音をうまく使って跳ねた
リズムを作り出しているあたり、面白い。
坂本はこの後、もっと直接的な形で世界各地の民族/民俗音楽を取り入れた
大掛かりなサウンドを志向するようになるが、この時期の控えめかつ力の抜け
たアレンジの方が、成功しているように自分には感じられる。
よーく見ると山下達郎や伊藤銀次も参加しているこのアルバム、70年代の
邦楽界の人脈が現れてきて楽しい。まあその辺は長くなりそうなのでやめとき
ますが。
クリスマス恒例の献血に行ってきた。
庶務の連中、夏なんかは俺が黙ってると動員かけないくせに、この時期は
毎年欠かさず電話してくる。まあ確かに、多少体力が消耗していても何の
問題もないクリスマスなのは事実なんだがなフハハ。
で、献血車の小さな画面で『天使にラブソングを』(白人の修道女たちが
ウーピー・ゴールドバーグの指揮でゴスペルを熱唱するコメディ映画)を視な
がら成分献血を開始し15分後。看護師が「あれ、おかしいな・・・」を連発し
始めた。血小板を採取して血管に戻す血が、途中から戻っていかなくなった
という。
俺もなんだか腕に圧迫感を感じ、腕を見ると、刺さった針の上方がぽっこり
と膨らんでいる。すわ内出血かという話になり、すぐさま献血は中止されて
しまった。
1日以上経った今もまだ少し腕が膨らんでいるのだが、看護師が心配した
ような痺れや患部の着色はない。多少圧迫感は残っていて、痛みはないの
だが、何が理由なのかは知っておきたいような気もする。
こんなことで忙しい中病院にいくのも馬鹿らしいし、なんだかもやもやした
ものを残したままになりそうだ。
もしかして、これも歳のせ(ry
〇
曰 ∧ ウイー
| | λ=λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ__ヽ(〃`ー´)_ < なにがクリスマスだ畜生〜
||欄||/ .| ¢、 \__________
_ ||村||| | .  ̄丶.)
\ ||黒||L二⊃ . ̄ ̄ ̄ ̄\
||\`~~´ (ζ◇.ζ) \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| ||
七面鳥が売り切れだったので、比内地鶏の燻製を大量に買い込み、ホウレン
ソウとタマネギと一緒に塩コショウで炒め、シャンパンで美味しくいただいて
おります。
飲み友達どもは残業やら彼女やらと予定があるらしく、今年も一人のイヴで
ございますことよ。BGMは『アンダルスの庭』。
「男性がある年齢に達すると、幼少の頃食べた味付けを求めるようになる」と
いう説がまことしやかに流れているようだが、どうも同意できない。
先日の飲み会でたまたま「おふくろの味」が話題になったのだが、その「おふ
くろの味」を再び常食したいか、という質問に対して、俺の周囲の30代以上の
男性では、俺を含めて半数弱がノーを突きつけたのだ。
高度経済成長以前ならともかく、今では成人後に各地で様々な料理に接する
機会が増えている。結果、「おふくろの味」付け以上に美味しく感じ、かつ常食
しても飽きない味付けに他所で出会う可能性は大きく上がっているように思う。
さらに俺自身についていえば、そもそもうちのおふくろは一切料理をしなかった
ので、常食していたのは祖母の料理だった。野菜と山菜を中心とし、何でも
砂糖醤油で煮しめてしまうこの地域の調理法は、給食や下宿のバラエティに
富んだメニューと比較するとどうしても見劣りがした(おばあさんごめんなさい。
もちろん感謝はしているのですが)。
高校の下宿で洋食、学生時代の食堂で関西風だしの旨さに開眼してしまって
から幾星霜。砂糖醤油オンリーの世界には、正直戻れない。子供の頃食べた
味付けに近づきたいどころか、むしろ遠ざかりたいとすら思ってしまっている。
ローテーションで夕食に登場した塩鮭とニシンとハタハタも、積極的に食べたい
食材ではなくなってしまった。
・・・てなことを喋っていると、横からしゃしゃり出てきた既婚女性がひとこと。
「男が食事のことにごちゃごちゃいうな。出されたものを黙って食え!(意訳)」
そのとおりですな。
いや、洗い物ぐらいならしますよ。あと、時々コチュジャンや豆鼓を使った
炒め物を作ることも許してほしいんですがね・・・
24日から25日にかけて、壁でも他所でも、あまりレスが伸びなかったように
感じた。23時ごろ、妙に重かった気がするのだが、もしかして『天空の城
ラピュタ『を見た喪男・毒男たちが実況あたりに殺到していたのだろうか?
ともあれ、このスレをご覧いただいてる皆さん、メリークリスマス!
もう26日なんですけどね・・・。
>>71 亀レスですが、『はらいそ』が復刻発売されるそうです。
・発売日 2005年3月24日
・発売元 ソニーミュージック
・タイトル はらいそ
・アーティスト 細野晴臣&イエロー・マジック・バンド
・品番 MHCL-509
・詳細
ttp://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/ymo/ の下段
ちなみに俺は、同時に発売される坂本龍一&カクトウギセッション『サマー・ナー
ヴス』を買います。坂本と山下達郎や吉田美奈子などが絡んだらどんな音に
なるのか、今から楽しみです。
買うCDあれば、売り払うCDあり・・・
計21枚を売ることにした。本は34冊。すべてブックオフと北東北チェーンの
中古屋に持ち込む予定。ヤフーオークションなんかを利用すれば少しは高く
売れると思うが、梱包と発送の手間を考えると選ぶ気になれない。
まあこれまでお疲れ様でした、新しい持ち主にかわいがって貰いなさい、とダン
ボールに詰まったそれらに向かって念を送る。
一昨日プリンタを買ってきたが、セッティングする気力が湧かないので放置中。
何に対してもそうなんだが、「設定」という作業が大嫌いなのだ。「必要性」に迫
られてようやく重い腰を上げるのがパターンになっている。今年もおそらく、
大晦日になってから慌てて梱包を解き、賀状を印刷するために嫌々設定作業
を始めることになるような予感がする。予感って自分のことなんだけどね。
スマトラ沖地震、報道では津波被害、特に日本人を含む観光客の行方不明者
が大きく取り上げられているが、揺れによって多くの建物が崩壊したスマトラ島
北部の被害状況も個人的には気になる。
最も震源に近いアチェ地方(ナングロアチェ・ダルサラム州)では1976年から
独立運動が続いていて、停戦への試みはことごとく失敗している。インドネシア
で、というより東南アジアでもっとも厳格にイスラーム法を遵守するアチェ人は、
13世紀に独自の国家を形成してからジャワやスマトラ南部とは別の道を歩ん
できた。オランダの植民地支配にも、またアチェ人が「不信心者」として見下し
ているジャワ人・スンダ人を中心としたインドネシア政府の支配にも、激烈な
抵抗を繰り広げてきた歴史がある。
>>196 なんかもの凄いBOXセットが出るってのは新聞で見ましたが…
この再発ラッシュは知りませんでした。情報ありがとうございます。
いつかアマンゾのマーケット・プレイスに出ないかなーと思ってました。
「音楽図鑑」「未来派野郎」など、当時はハマりました。今聴くことは
ほとんどありませんが、音楽だけでなく色んなことを教えてもらった
気がします。「未来派」とか分かりもしないのに本読んだり。
|ω・)っ旦 よいお年を
>>200 俺もイタリア未来派に触れたのはあのアルバムが初めてでした。未来派、ボッ
チョーニの絵画なんかをコミカルだなあと思って眺めていた記憶があります。その
後坂本と村上龍との対談集まで買ったりしましたが、どこまで理解できてたのか・・・
坂本は『未来派野郎』以降は非常にコンセプチュアルなアルバム作りをするように
なり、『音楽図鑑』や『千のナイフ』のような闊達さがなくなってきたので、自分も
気持ちがだんだん離れていきました。それでも『ビューティ』あたりまではついて
いってたんですが、『ビューティ』で安里屋ユンタをアレンジしたのを聴いて、細野
晴臣と同じこと今頃やってやがる、しかも細野より面白くないし・・・と思い、正直
それ以降は彼のアルバムを買うことをやめてしまっています。
『千のナイフ』と『音楽図鑑』は今でも繰り返し聴いています。この2枚には、「開か
れた自閉」という矛盾した形容をしたくなる、匂いがあるような気がします。
よいお年をお迎え下さい。ちょっと早いですが恭喜發財、万事如意!
あと忘れてました。200getおめ!
太平洋側の皆さん、降雪、大変ですね。
積雪の中を歩くときは、足首の蹴りを最小限にし、膝で脛以下を持ち上げる
ようにし、膝を曲げたまま足裏全体で着地するようにすることをお奨めします。
ASIMOなど人型ロボットの歩き方みたいな感じで。
また、靴の甲の部分を汚してもかまわない場合は、すり足で歩くと転びにくく
なります。ひも状のものを靴に巻きつけるのも手っ取り早い滑り止めになります。
今夜からは、こちらで降り出すようです。覚悟しないと。
今年を振り返って・・。
ダイエットは足踏み状態(本日68kg、正月から2kgしか減ってない)、仕事は
新しい分野への進出は成功したが継続事業はぱっとしなかった。ネットへの
依存は強まり、飲み会に誘われる頻度も減ったが、知り合いは同業や地域外
に大きく増えた。生まれてはじめてオフ会にも出たし(その節はお世話になり
ました)。
古い友人との付き合いはそこそこ、これまでどおりだった。残念ながら一人
亡くなってしまったが。
あまりぱっとしないな。ただ、精神的なエネルギーの発生量が3年ぶりぐらいに
ようやく上向いてきているような兆しを、確かに感じる。来年環境が変わりそう
なのを見越してか、自分の中で確かに動くものがあるのがわかる。
ようやく前向きになってきたこの精神状態を、来年も維持し、さらにふくらませて
いきたい。
Moet & Chandon Brut Imperial 美味い。
さすがにドンペリには手が出なかったが・・・
シャンパンに開眼した2004年末。
雪かきしながら、昇る朝日を拝ませてもらいました。
明けましておめでとうございます。今年もお世話になりますが、よろしくお願い
申し上げます。ご覧の皆様に幸運が訪れますよう!
あけましておめでとうです。。。
シャンパンやワインってはまってはいけない世界な気がして。。。w
(あっという間に破産してしまいそう。。。)
>>206 今年もよろしくお願いいたしますよ。
シャンパンは上限5000円を厳守してます。行きつけの酒屋が1000〜3000円
台でいろいろ取り揃えてるので、活用させてもらってる感じ。
フランス以外の発泡ワインにも手を出すことを検討中。ずっと昔"メッテルニヒ"
をプレゼントしたことがあったのですが、自分でも飲んでみたい。
ワインは、レストランで飲むくらいかな。いつもハウスワインです。
今年もウィーンフィルのニューイヤーコンサートを楽しみにしていたわけだが・・・
ラ、ラ、ラデツキー行進曲がなしですと!マゼール正気か!!
スマトラ沖地震などがあったので遠慮したとのことだが。
被災者に遠慮するのと、被災者が元気の出る曲を演奏するのと、どっちがいい
んだろうかね。わからんけどさ。
自粛するぐらいなら、収益金を寄付とかした方がよかったんじゃないだろうか。
いや、全てはぬくぬくと正月を過ごせる人間の驕りかもしれませんがね・・・
最後の『美しき青きドナウ』でまあまあ満足はしたがな。
先日NHK実況板で、フレディ・マーキュリーの出自について質問があったの
だが、「東アフリカ生まれのインド人。母親はゾロアスター教徒」などうろ覚え
なことを反射的に書き込んでしまった。あそこはレスの流れが速いので、
ぐぐって確認しているうちに次スレに移ってしまったりするのだ。今日になって
なんとなく心配になり、確認してみたら、ゾロアスター教徒なのは母親だけで
なく父親もだということがわかり、ちょっとショック。あのときの書き込み見た人、
ごめんなさい。
ついでにパールシーについていろいろ調べてみた。パールシーとはインド
在住のゾロアスター教徒の呼び名で、もともと"ペルシア人"という意味。実際
にパールシーは10世紀頃にペルシアからインド世界に移住してきた人々の
末裔だ。インドのムンバイ周辺に約9万、パキスタンに5千、スリランカに5百、
イギリスや新大陸にも数万人が暮らしている。商工業や金融に大きな力を
持っていて、インド最大の財閥・ターターのオーナー一族もパールシーだ。
ほおお。
・・・とまあここまではいいが、長年の誤解に気づかされてしまった。
インドの以前の首相で豪腕を振るったインディラ・ガンディーは、インド独立の
父であるマハトマ・ガンディーの娘か姪だとずっと思っていたんだが、全然
違うということに今日気づいた。インディラ・ガンディーはマハトマの娘じゃなく
て、マハトマの同志でインド初代首相のジャワハルラル・ネルーの娘だったのだ。
じゃあなんでインディラ・"ガンディー"なのかというと、恋愛結婚の相手が
フェローズ・ガンディーというパールシーの政治活動家だったからだ、というの
だ。旦那の姓だったわけだ。ちなみにフェローズとマハトマ("Maha Tma"とは
「偉大な魂」という尊称で、本名はシリ・モハンダス・カラムチャンド・ガンディー。
藩王国の宰相の家系で、本人はあまり敬虔ではなかったようだが一応ヒン
ドゥー教徒)は全く血縁はないのだそうだ。知らなかったなあ・・・
パールシーは、ヴァルナ(いわゆる4姓。広義のカースト)ではヴァイシャ
(庶民:上から3番目)にあたるが、ネルー家はヒンドゥー教徒のバラモン
(僧侶:最上位)だ。父親のネルーは「異教徒の平民に娘はやれない」とこの
結婚に大反対したが、マハトマがカップルと頑固親父の間に入って親父を
説得し、納得させたのだとか。
ネルーは以前からマハトマのカースト廃止論に賛成していたくせに、娘の件
でこのていたらくだったことで、様々な出版物やサイトで非難を浴びている
ようだ。もっとも、カーストのことは口実で、単にフェローズとうまが合わなかっ
ただけなのかもしれないが(注:俺の憶測で根拠なし)。実際、フェローズは
結婚後十数年でインディラと別居し、ネルー家を出てしまっているし。
話がどんどんずれてしまったが、実は俺はフレディ・マーキュリー絡みのCD
を一つも持っていない。どちらかというと、フレディといえばクイーンより「魁!
クロマティ高校」の方を先に思い浮かべてしまう。お粗末。
さらにずらすと、クロ高では林田のファンです。とっさに足し算ができないこと
に非常に親近感を覚えるので・・・
今日はこの冬初めての雪降ろし。去年屋根から落ちたので、今年は滑り
やすい所では片膝をつくなど不必要なほど慎重に行った結果、非常によい
運動になった。太ももがつりそうだ・・・
吉兆宝山、もうじき空くな。次は麦にしようか。
1000埋め荒らし跳梁中だね。なにもここでやらなくても。
まあやめろっていってもやめないだろうからいうが、もっとレススピードの速い
ところでやった方がスリルがあっていいんじゃないのかね。どうよ。
さて、明日から仕事です。そろそろ引継ぎの準備もしないとな。
噂で終わっちゃうかもしれんが。異動の話。
小さい事務所もいろんなことができて楽しいのだが、また本社でわいわい
ガヤガヤしたい気持ちが強くなってきてる。自分の仕事に周囲から突っ込み
が入ってほしいし、俺も周囲の仕事に突っ込みを入れたい。
自分がやっていることに直接関係ない、責任のない人の話が聞きたいんだ
よね。そういう奴が案外人の仕事の全体像を的確に把握していて、核心を
突いてきたりすることがある。少人数だと関係者ばかりで、そういうことが
ないので。
背筋ピンと伸ばして、まずは昨年の後始末から行きますか。
おやすみなさい。
帰ってきたら風呂のボイラーの調子が悪いので、温泉に行ってきた。
一番近い温泉まで車で10分。次が20分。30分圏内にあと3つある。
ちなみに一番近い銭湯まで30分かかる。そりゃあ温泉選ぶだろっていう話。
洗い場で体を洗った後、浴槽→サウナ→冷水シャワー→浴槽→露天風呂
→サウナ→ぬる目シャワーと、滝のように大汗をかきながら堪能した。
帰ってきてまたスパークリングワイン三昧。今日はフィタ・アズール(ポルト
ガル)。製造会社はBorges社というところだが、アルゼンチンの作家ボルヘス
と綴りが同じなのにワラタ。ボルヘス本人が、遠祖がホルトガルの出であることを
指摘していたことを思い出した。
味は、辛めで香りが柔らかく、そのわりにキレがいいように感じる。これで1300
円は安いのではないかな。
『美しき星座/14世紀の前衛チコーニア』(演奏:マーラ・プニカ、ERATO)を
聴いている。
トランペットやフルートなどによる伴奏の上で、3つから4つの声部がそれ
ぞれ独立した旋律を歌い上げる。いわゆるポリフォニー形式だ。各旋律は
しばしば歌詞も別々で、極端にいえば3人が別々の歌を同時に歌っている
状態。ただし、小節の終わりと始めには全部の声部が声を揃えて古雅な和声
を響かせる。ただしよく聴くと、主旋律的に扱われているものが漠然とだが
あり、従的な方の旋律は、小刻みに揺れたりころころと転がったり、装飾的な
効果をもたらす。
そうしているかと思うと急に主と従が入れ替わったりして油断できない。
この曲群が作曲されたのはローマ、パドヴァ、ヴェネツィアで、1390〜1410頃
のことだが、この頃の音楽としては驚くほど明るく、伸びやかな感じを受ける。
14世紀の南フランスや北フランスの宮廷音楽のCDも持っているが、これら
には各旋律が張り合う様に絡み合い、テンポもめまぐるしく変化し、精緻だが
くすんだような、ほの暗い曲が収録されている。これらに比べると、風通しの
よい、ある意味近世的な響きを持っているような気がする。
ヨハンネス・チコーニアは14〜15世紀初頭にイタリアで活躍した作曲家だ
が、生まれ育ったのはフランドル地方(フランダース地方ともいう。現在の
ベルギー及び北フランスの一部)。チコーニアの死後あたりから、フランドル
人音楽家はブルゴーニュ公の宮廷で活躍し、「ブルゴーニュ楽派」の有力な
担い手となった。15世紀中葉からの150年間は、イタリアの有力な都市の
教会がこぞってフランドル人を音楽家として雇い、フランドル風の音楽を
スタンダードとし、地元音楽家さえそれを模倣した。この頃になると、立派に
「フランドル楽派」(別名ネーデルラント楽派)と呼ばれるようになる。ルネサン
スはイタリアで始まったとよくいわれるが、音楽においてはまったく正しくない
表現だ。
当時のフランドルはイタリア北〜中部と並ぶヨーロッパ経済の一大拠点で、
イギリスから輸入した羊毛を毛織物に加工して販売し巨利を博していた(ネロ
とパトラッシュも、もう500年早く生まれていれば腹いっぱい食えたかもしれな
い)。ここでフランス各地やイギリス(百年戦争中、イギリス宮廷がフランス
北部やフランドルに渡ってきて、何年も滞在した)などの音楽が出会い、
混じりあって洗練され、優美な音楽が生まれたのだ。チコーニアは時代的に
早いのと、フランドルの音楽にローマやヴェネツィアのシンプルな風合いを
取り入れて独特な響きを持った音楽を展開したので、通常ブルゴーニュ楽派
にもフランドル楽派にも含めないことが多いが、偉大な先駆者であることには
間違いない。
バロック初期以前の欧州古典音楽である「古楽」という分野が日本のクラ
シック好きの間にも浸透してきたのは、そんなに古い話ではないと思う。しか
し、英仏西を中心とした古楽演奏集団の叢生と活躍により、音盤の発表され
るスピードはどんどん速くなっているような気がする。15年ぐらい前にクラ
ヲタに向かって「バッハ以前とドビュッシー以降が好き」というとへそ曲がり
扱いされたものだが、今では普通に受け入れられるのがちょっと嬉しい。
学校で教える西洋古典音楽といえば、まず9世紀ごろに完成したグレゴリオ
聖歌、次がいきなり17世紀バロックに飛んでしまうことが多い。間が800年
ぐらい飛ばされているのだが、それはそれで理由がある。
バロック音楽は、前代までの音楽の基盤であるポリフォニーからホモフォニー
(ひとつの主旋律+和声)への転換を果たした時期で、その後の古典派や
ロマン派(モーツァルト、ベートーベン、ブラームスとかメジャーどころ)と直接
関係があるのはここからであるためだ。
様々な旋律が絡み合うポリフォニーは、ホモフォニーに慣れた耳にはまとまり
なく聴こえるし、はたまた複雑過ぎて付いていきづらいかもしれない。チコー
ニアはまだいいが、その前世代のアルス・スブティリオル(「精緻な音楽」の
意)の音楽では、各旋律に主も従もなく、蛇のように絡まりあってどこまでも
進行するので、初めて聴くと気味悪がる人までいる。取っ付きにくい上に、
それ以降の音楽の展開にあまり関係ないように聴こえる(厳密にいえばそんな
ことはないんだが、一聴してそう感じられてもしょうがないし、確かに関係は
薄い)とすれば、教科書から外したくなる気持ちもわからんでもない。
グレゴリオ聖歌はモノフォニー(単旋律で、和声はなし)だが、これはこれで
シンプルなのでとっつきやすい。よってポリフォニー主体の時代だけが避けら
れるわけだ。
しかしいったん頭を切り替えて、バロック以降の西洋音楽から耳を切り離して
聴いてみると、精密な旋律の相互作用や深い精神性、遊び心に満ちた構造
に気づくと思う。9〜11世紀はほとんど記録が残っていないし、もちろん12〜
16世紀の500年間にも様々な変化があったわけだが、それぞれの時代や
地域に特色があり、教会/世俗音楽の違い、そもそもポリフォニックでない
楽曲も多数存在することもあいまって、多様な音楽世界が広がっていること
は事実だ。俺の印象だと、地の果てだと思ってた山(バロック)の向こうに、
以外にも豊かな土地が広がってたという感じだった。
初めて古楽に触れる方には、チコーニアもいいのだが、思い切って時代を
下らせて、バロックの直前であるルネサンス期のイギリス音楽あたりから入る
のをお奨めする。ジョン・ダウランドの器楽曲やトマス・タリスの合唱曲など。
「ビートルズ以前のイギリスは音楽不毛の地」なんていう奴がいるが、大嘘だ。
14世紀と16〜17世紀初頭の2回、大陸にも影響を与えた沸騰期があり、
ダウランドらはその時期の作曲家。これ以上なくメランコリックな旋律や音色
は、落ち込んでいるときに聴くと苦甘い自己憐憫にどっぷりと浸ることができる。
と、こう書くと自虐的に聞こえるかもしれないが、純粋に響きが綺麗なので
落ち込んでないときでも楽しく聴けるのでご安心を。
物凄い勢いで雪が降っている。明日は早起きして雪かきしないと。汗をかく
ので、風呂も沸かしておく必要がある。
調子に乗ってスパークリングワインを飲みまくっていたら、いつのまにか
体重が70kgに戻っていた。
昨年末の夜食断ちや肉食・晩酌抑制の反動で、肉系のつまみを食いまくった
つけが一気に押し寄せてきた感じ。本当に意志が弱い。
新年会も一段落したし、9時以降の絶食を再開しよう。ジョギングの再開や
夕食断ちも検討中。いよいよ荒療治が必要か・・・。
おやすみなさい。
,i`'ー‐'\ ぬいぐるみやフィギュアなどを
,.-∠,,,、 `' /~‐-、, 集める趣味はないし、ひとつも
._ ,/ ,,.-''",、=-,`'ー-、 \ 持ってないが、NHKニュース10の
/ ``'_」``ヽー‐'i''ー-<''ー'',.r'"<-‐''"'、 天気予報に登場する冬将軍の
./ /``''7ー--、\ `''‐-"/,,....-┬'''"'、 '、 ぬいぐるみが発売されたら、思
./ / .| i''ー-、,,,,ヽ ̄ ̄/,,,...,,,、、 | .'、 '、 わず買ってしまいそうだ・・・
/ / r、|. ヽ、,_●ノ ヽ、,_●ノ |/i '、 '、 NHK遊び過ぎ。
./ / ,,ヽ`ヽ、,,___,/-,-,-\,___,,,.-'",ノ_ .'、 '、 昨日は米露に将軍の兄弟が
ヽ,/_ >、 ,/ .ヽ、 ,イ '、,,..ゝ いることが発覚し、実況板で
.`''ー-| `'ー--‐‐'',,.--、_`'ー--‐''" |,,.-‐''" は2分で150レスぐらいキター
└───、 '" `'.,r──‐┘ レスがついていた。
>>227 昔、隠し板時代の実況板の某スレで大人気でした、冬将軍。
当時は2分で150なんて考えられなかったなぁ...
>>228 NHK実況はそれほど進行が速くないと思うんですが、このときは1秒に2〜3
レスづつ付いてました。
NHKは絶対狙ってると思います。何を狙ってるのかは不明ですが。人気が
出るのも頷けますよね。
当時人気だった天気予報キャラクタで
雷坊や(だったかな)というのもいたような気がします。
今見て驚いたんですが、実況系の板って26もあるんですか!
最初のが隠し扱いで実験運用されはじめたのが壁設立と同時期でしたから
四年足らずでこんなに増殖...
調子に乗って小笠原高気圧子ちゃんとか出てきませんかね。
もちろん萌えキャラで。
ヤン坊マー坊なんかも、なんとか仲間に入れてあげてもらえませんかねぇ・・・
あと、小林旭もできればひとつ・・・
>>230 実況板ってそんなに昔からあるんですね。始めて知りました。
自分が行きだしたのはここ2ヶ月ほどなんですが、いわゆる掲示板とも
チャットとも違う、書き捨てに近いんですがなんとなく場の連帯感も湧く妙な
空間ですね。
板にもよりますが、差別的・政治思想的な書き込みが少なくて、皆くつろいで
(でもキーを打つ手はせわなしく)書き込んでいるような雰囲気も好きです。
>>231 ニュースに登場する高気圧たちは、顔色が違うだけで皆同じ中性的な真ん丸
フェイスで、迫力に欠けますからねえ。個人的には高気圧子ちゃんは、
NHK的に問題ない程度にセクシーなビキニのお嬢さんでお願いしたいです。
冬将軍とのインパクトバランスを取るためにも(言い訳)。
>>232 燃える男〜の〜 赤〜いトラクタ〜〜
うちのはイセキです。しかも青い。いやそうじゃなくて・・・
ヤン坊マー坊は、天気予報キャラとしては冬将軍の大先輩ですから、どーん
と構えていてほしいです。
そういえば、この板には小林旭ファンが何人かいたような・・・?
先日飲んだスパークリングワイン"Fita Azul"の産地である北ポルトガルの
山間部に、約500年間ユダヤ教の信仰を隠し続けてきた人々が今でも住ん
でいるということを知った。アマゾンで本を取り寄せて読んでいる。
ちなみに先日も書いたが、フィタ・アズールの販売元はボルジェス(Borges)
社という、北ポルトガルのオポルトにある会社。で、俺の数少ない好きな作家
であるホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luiz Borges)は、母方の祖先がキリ
スト教に改宗したポルトガルのユダヤ教徒で、親族に他にもユダヤ人がおり、
何よりその作品にユダヤ教のモチーフが頻繁に登場する。
なんだか様々な線が繋がりそうな雰囲気。少し時間をかけて調べてみよう。
238 :
壁に耳あり、障子にメアリーさん:05/01/15 12:37:04
上げられた。夢の着底まであと30スレぐらいまでいってたのだが・・・
age野郎(女郎?)は100近いスレを上げていたが、なぜか「松武秀樹」とひと
こと書き込んでるのがいくつかあった。
このスレの上の方でも書いたが、昔彼のアルバム"Logic System"を愛聴
していた人間としてはなんだか落ち着かない気分になる。
今日は2回目の屋根の雪降ろし。気温が上がると滑りやすくなるので、日が
昇って十分に明るくなるのとともに開始したが、ぐんぐん気温が上がり、去年
落ちたあたりを降ろす頃には普通に滑る状態になっていた。またもや片膝
ついての作業。
今年はもう一回は降ろさなければならなくなりそうな予感。1冬に3度の雪
降ろしは、10年ぶりぐらいだろうか。
240 :
かまぼこ ◆u2MANKOJrs :05/01/16 07:08:27
角松敏生
浅倉大介
そうか、ageられたと嘆くより、シャッフルされてどうなるか分からないという
スリルを楽しむべきなんだ!
さすが壁、みんな覚悟と余裕が豊かだな。
今日1日はずっと家で読書。夕方野菜と牛肉のトマト煮を作って食い、また
「隠れユダヤ教徒」についての読書。最近ネットというか2chばかりだったので、
反省を込めて。
自分は、なんでこういう「潜む人々」に惹かれるんだろうか。近所にいくつか
隠れキリシタンの遺物や殉教地があるせいもあるだろうが、それだけでは
ないような気がする。
危険を冒してまで護持し続けたくなるほどの魅力的な何かを、その人々が
持っていることに対する、単純かつ思いやりのない憧れだろうか。
それとも、何かを隠して生きることによって、自分たちを他者と違う特別な存在
として位置づけることができるから、もっというと自分たちを「純粋で精神的に
優れた存在」として見やすくすることへの羨望だろうか。
いずれにせよ、無責任かつ自分勝手な憧れでしかないということは分かって
いるつもりだけどね。
1995年1月17日、6時20分頃に目を覚ましてなんとなくテレビをつけると、
どこかの空撮映像が映し出されていた。白っぽい煙が5〜6箇所から細長く
真っ直ぐに上がっていた。あの時間はまだ火が回っていなかったのだろう。
被害の輪郭がわかってきたのは、それから数時間後のことだ。
見渡す限りぶっ倒れている高速道路の映像を見せつけられるまで、あの街
で起こっていたことについて外から想像することは、誰もできなかったろう。
少なくとも俺はできなかった。関東大震災などから得ていた大災害のイメージ
など、全く役に立たなかった。力の顕現の前で茫然とするだけだった。
被災者の人たちが荒れも自棄になりもせず、助け合いながら避難生活を
過ごし、やがて復興に取り掛かる様子を見て、心底凄いと思った。ああいう
場でモラルを保って冷静に行動していることを海外のメディアが驚きを持って
報道していたが、多くの日本人も同じ心境だったと思う。
その翌年の夏に伊丹のあたりを通ったが、所々に建設中のビルが目立った
ものの、街路のどこにも瓦礫ひとつ落ちていなかったのは意外だった。
阪神淡路の底力、日本の底力を目の当たりにしたような気がした。
10年、もういわれ慣れてうっとうしいだけかもしれませんが、大変だったと
思います。本当にお疲れ様でした。新潟やスマトラに当時の教訓やノウハウ
が生かされているのを見るのは、どんな気持ちなんでしょうか。
震災関連ニュースに混じり、中国の趙紫陽(なぜか一発変換できる)元首相
が亡くなったという記事があった。
1989年の6月。真っ青な空と水餃子とブラウン管の向こうのウイグル人の若者
を思い出す。
・・・が、昔話2連発はやめよう。
おやすみなさい。
土日、前に住んだことのある街に行くことになった。
同じ東北とは思えないほど、めったに雪の降らない街。そこでの冬は、
信じられないないほど快適だった。今は魚が美味い時期。たらふく食って
こよう。
太ってから始めて顔を出すのだが、驚くだろうな。太ったという事実は
話してはいるんだが。
数日来、俺がこれまで各地の結婚披露宴で貰ってきた赤ワインを、ひたすら
消費中。主に国産の赤で、酸っぱくて渋みの薄いのが多い。
その辺になんだか飽きてきたので、酒屋で安かったハンガリーワイン :
エグリ ビカヴェール を喰らっている。濃くてピリッとした辛みがある。よく本や
サイトで見る「スパイシー」ってこの感覚のことなんだろうか?
溜まった仕事を片付け、明日の協議の準備をしてたら、こんな時間に。
土日の疲れも取れてないのに、まいったね。
深夜残業時は2chを覗く癖がついてしまった。どころか某板に書き込んだり。
バレないはずだが、なんとなく心配だ。
寝ます。おやすみなさい。
会社でネットワークを利用するときは、通信内容が傍受されてると思った方がいいかもしれません。
基本的に、どこにアクセスしたかとか、(暗号化していなければ) メールの内容とか、全ての通信を感知できます。
特に、システム情報みたいな部門があって、専属のネットワーク管理者がいるような場合には、
気をつけたほうがいいでしょう。
>>249 ご心配ありがとうございます。本社と事務所を繋いでいるネットワークの端末
はさすがに怖かったので、そっちとは繋がっていないPCで2chを覗いて
ました。
そのPCは他2台+OA機器数台と小規模LANを形成していますが、そちら
の方の管理担当は俺ということになっています。俺にはネットワークの知識が
ほとんどないので、実際は出入りの業者に任せきりですが。トラブルがない
ので業者を呼ぶこともありませんでしたが、業者が何かの拍子に呼ばれたら、
俺の悪事が暴露される・・・かもしれません。気をつけます。
土日は雪の降らない街で快適に・・・過ごせなかった。
いつもの年なら褐色の冬寂びた風景が広がるあの街で、屋根にも路肩にも
真っ白な雪が積もっていた。訊けば一週間前に大雪が降り、それから全く
融けないとのこと。めったにないことで、向こうの連中も驚いていた。今年は
全国的に寒いんだなあ、と実感。
一緒に行った奴が魚介を全く食べられないとのことで、居酒屋チェーンでの
夕食〜酒となったのが少し残念だったが、昔の仲間とも飲めたし、久し振りに
街並みを眺められたのでまあ満足。
>>237については、Borges一族とマラーノ(15〜17世紀にキリスト教に改宗
した/させられたユダヤ人とその子孫)とのつながりを辿ってみたが、今の
ところあまり収穫はない。彼のカバラ(ユダヤ教の内部の神秘主義思想)
趣味は、祖先への意識だけでなく、スペイン滞在時の友人たちからの影響の
方が大きそうな感じだった。
それより、副産物として知った歌『ドナドナ』の来歴の方が面白かった。
この歌、てっきり東欧あたりの貧乏人を歌った童謡だと思っていた。ところが
この曲はアメリカで作曲され、ユダヤ人向けミュージカルの挿入歌として初演
されたのだそうだ。
いわれてみれば、ベラルーシのユダヤ人社会を舞台にした『屋根の上の
ヴァイオリン弾き』の挿入歌『サンライズ・サンセット』に雰囲気が似てなくも
ない。
『ドナドナ』の歌詞となる詩『仔牛』がいつごろ書かれたのかはネットでは十分
に確認できなかったのだが、ミュージカル"Esterke"の初演は1940年なので、
それ以前であることは間違いない。ということは、一部のサイトで書かれて
いるような、トラックや貨車に押し込められて絶滅収容所(稼動し始めるのは
42年から)に送られるユダヤ人達の姿を意識してこの詞が書かれたという
意見は、ちょっと想像過多のようだ。
しかし、38年に反ユダヤ暴動「水晶の夜」が起き、40年にはワルシャワの
ユダヤ人のゲットーへの強制移住が行われている。そういった時代の雰囲気
によって、親などから聞かされていたであろうポグロム(ユダヤ人虐殺。直近
のものとしてはツァイトリンの生まれる11年前に帝政ロシア領一帯で起きて
いる)の情景についての記憶を呼び覚まされたのかもしれない。
不安は現実のものとなる。『ドナドナ』がニューヨークの劇場に流れてから2年
後、アーロン・ツァイトリンの父親で思想家・カバラ研究家のヒレル・ツァイト
リンが、トレブリンカ絶滅収容所に移送される途中に殺害される。
イスラエル国歌もそうであるように、アシュケナジム(ユダヤ人の一系統。
中東欧に多く、イスラエル国民の半数以上、アメリカのユダヤ人の大部分を
占める)の音楽はマイナーコードの曲が多い。しかし、この曲に宿る悲壮さ
は、救いのない歌詞にあると思う。その歌詞が、迫害されたユダヤ人の運命
によって裏打ちされていたとは、ちょっとショックだった。
なお、この「ドナドナ(dona dona)」ということばが、ヘブライ語の「アドナイ
(adonai; わが主よ)」に由来するという説を、日本のいくつかのサイトで
目にした。
その説を唱えているのは小岸昭というマラーノ研究家で、先日俺が読んだ、
ポルトガルの隠れユダヤ教徒のことを書いた本「十字架とダビデの星」の
著者でもある。しかし、上のサイトにあるように、原詩である『仔牛』ではdana
danaと書かれていることは間違いないので、どうやら小岸氏の深読みという
のが真相のようだ。
この人はもともと独文学者で、スペイン語もヘブライ語も不得手のようなの
で、著書は慎重に読む必要がありそう。
作曲者で黒海沿岸の街・オデッサ生まれのシャローム・セクンダ(Shalom
Secunda)は、その姓から察するに、おそらくイベリア半島を追われたユダヤ
人の子孫である系統、つまりセファルディムであろうと思われる。ただ、日本
語サイトを読む限りでは、オデッサのユダヤ人社会はアシュケナジム色が
強かったようだし、彼の本格的な音楽教育はアメリカで行われたようなので、
『ドナドナ』のメロディからスペインの残照を探すのは難しいと思われる。
またまた話が飛ぶが、オデッサという街を調べたくなった。こんな小説もある
ようだし。
ttp://www.age.ne.jp/x/kanya/bbl-ode.htm
猛吹雪の中、接触事故。大事には至らなかったが、こちらの車のヘッド
ライトの透明プラスチックの覆いが破損し、向こうの社用車のバンパーが
少しへこんでしまった。
向こうの車が事務所から道路に出る際、頭を出した状態でじっとしていたが、
左方向から来る車がないことを確認したのか、右方向を確認せず(おそらく)
急に勢いよく発進した。右方向から迫っていた俺はブレーキを踏んだのだが、
路面がつるつるでスリップし、スーッ、ゴン、とぶつかってしまった。
仕事に間に合うように急いでいて、ついついスピードを出し過ぎたのか。
一昨年その辺で飛び出し車両にぶつけられたことがあるので、気をつけて
いたつもりだったが・・・いかんなあ・・・
海より深く反省しつつ、寝ます。おやすみなさい。
× 一昨年その辺で飛び出し車両にぶつけられたことがあるので
○ 一昨年その辺で、飛び出してきた車両に後ろからぶつけられたことが
あるので
今回の接触事故の相手は車両保険に加入していないようだ。保険屋に
交渉を一任しているが、妥結まではもう少しかかりそう。
俺が教えた住所から電話番号を割り出したらしく、固定電話にTelがあった。
携帯番号しか教えてないのに。田舎では、ちょっとしたヒントで身元が丸裸
になる。気をつけないと。
このスレも、見る奴が見れば、俺だってすぐ特定できるんだよな・・・
でもそれを気にしすぎて隠し事ばかりにしてしまったら、俺が面白くない。
ううむ。
1年ぐらい前に毒男さんスレで紹介されていた、牛乳焼酎「牧場の夢」を
飲んでいる。
牛乳の香りより吟醸香の方が強い。さて、本当に髪にいいのか・・・
BGMはセロニアス・モンク『ブリリアント・コーナーズ』。今ベムシャ・スウィング
が流れている。
この冬3回目の屋根の雪降ろし。3回も降ろしたのは4〜5年ぶりか。1月末
からずっと真冬日続きだったので、雪が締まっていなくて軽く、比較的作業は
楽だった。
その後ふと思い立って高速に乗り、某市のタワレコに。最近CDをネットで
買ってばかりだったので、CDショップで「一本釣り」をする感覚を味わいたく
なったのだ。
て、オシビサの"Osibisa""Woyaya"、安東ウメ子『イフンケ』、曲集"Afrikan
Chill"を購入。投売り籠に入っていた880円のアフリカン・チルが一番
よかった。『イフンケ』は、いじりすぎなような・・・
ショップで実際にアルバムを手に取って得られる情報は、多くの点でネットに
劣るが、絶対的に優位な点が1つだけある。参加ミュージシャンの名前が
全員クレジットされていることだ。
ネットの紹介文だと、メインアーティストの他にゲストとして紹介されている人
が2〜3人載っているだけだが、実際にCDを手にとって裏側を覗き込めば、
全てのパートの担当者が掲載されている。ひとつのグループだけの手による
アルバムよりも、普段別々に活動しているミュージシャンが組んで録音された
作品を買うことが多い俺にとっては、なるべく多くの参加ミュージシャンの名前
を把握することが内容の推測の精度を高めることになる。
メインアーティストが俺の全く知らない人だった場合、サポートメンバーに
知っている人がいて、その人が純然たるスタジオミュージシャンでなくてソロ
活動もしている場合などは、中身に関する大きなヒントになる。これが嬉しい。
オシビサ関係サイトをネットで洗っていた。Osibisaは70年代にロンドンで結成
され活躍したファンクバンドで、リーダーほか数人の西アフリカ人がメンバーに
おり、アフリカ色の強いサウンドが特徴とされる。昨日買ったファースト・セカン
ドアルバム(2in1CD)を聴いてみると、アフリカによくある6/8拍子を取り入れ
たり、正統的ファンクというよりプログレみたいな展開をたどる曲もある。ちょっ
といろんなことをし過ぎているきらいもあるが、時期が下るに従いもっと練れて
くるらしいので、少ししたらもっと後のものも聴いてみようと思う。
それにしても、この人たちのサウンドによく似た曲を、80年代の西アフリカ
各地で見つけることができる。推測だが、西アフリカで親しまれ影響を与えた
度合いでいえば、ナイジェリアで活動していたフェラ・クティを凌いでいるような
気がする。
リンガラ語は、コンゴ川周辺の複数の言語が混合してできたリンガ・フランカ
(異なる言語の話者が意思疎通を図るために用いられる「共通語」。商業取引
などでの必要性から発生することが多い)から出発し、今ではコンゴの公用語
のひとつに数えられている言語。この言語を母語とする人々も、都市化に
よって出身部族とのつながりが絶たれたキンシャサ人を中心に数百万人に
達する。ブラックアフリカ全体で最も売れている非欧米音楽「ルンバ・コンゴレ」
も、ほとんどリンガラ語で歌われる。そのせいで、自分としてはリンガラ語に
オサレで軟派なイメージを持っていたのだ。
むくつけきプロレスファンが、猪木の登場により、リンガラ語を腹の底から
叫んでいるということになる。なんだかとっても不思議な感じを受けるのだ。
まあ俺もすぐ慣れると思うが。
俺はてっきり、「ボンバイエ」ということばはブラジル起源だと思っていた。猪木
が10代の頃ブラジルに住んでいたことは知っていたので、
・イタリア語で「爆弾」=bomba ※昔スキー選手でA.Bombaという人がいた
→多分ポルトガル語でも爆弾=bomba
→ブラジル特有の理由で、bombaにyeがくっついた ※多分囃し言葉?
→Inoki Bombaye = 猪木、爆発しろ!!という意味
と勝手に想像していたのだ。しかも根拠もないのに結構本気で信じていた。
人に訊かれたら、臆面もなくこの説をくっちゃべっていただろう。危ないところ
だった・・・
関係ないが、
>>262 ×Afrikan ○ African 厨房以下だ!
また間違い。
>>267で、昔いたのはA.Tombaという選手で、その人のあだ名
がBomba(爆弾野郎)だった、というのが正しい。
最近ボロボロです。頭にきたので、チャーハン作ってきます。
アルベルト・トンバですね。
愛称はトンバ・ラ・ボンバ。
まさしく爆弾のような滑りで人気でしたが
オリンピック会場に彼女を連れて自家用ヘリで乗り付けて顰蹙を買ったり
行状面でも爆弾野郎でした。
今は何してるんだろう...
>269
ぐぐったところ、98年に完全にスキー界から引退したあと、2000年に映画に
主演したらしいです。大コケだったとか・・・
香水なんかも出してたらしいですし、芸能人崩れみたいなポジションにいるの
でしょうか。早く飽きて、後進の指導をしてほしい気もします。
85〜90年頃の大回転は面白かったですよね。ジラルデリ、ツルブリッゲン、
オーモット、トンバ・・・あくの強い連中がひしめいてました。
自分は見るの専門で、スキー場にはとんと行きませんでした。授業以外は。
卵チャーハンは美味くできた。具は挽肉、タマネギ、ピーマン。塩と中華だし
で味付けし、オイスターソースをひとかけ。
ジラルデリの顔写真入りトレーナー
まだ実家にあるような気がする...
本社の意向と客の意向なら、客の意向を優先したい。そりゃ本社からは
睨まれるが、客が逃げて売り上げが減るよりまし。
・・・というのは半分言い訳で、単に親しい奴とあまり親しくない奴から同時に
何かを頼まれると、後者を優先してしまう癖があるからだ。
親しい奴になら迷惑かけても許してくれるだろう、それよりあまり親しくない
奴に嫌われて、わずかばかりの親しさまで失いたくない、という心情から。
その結果、顔見知りが物凄く増えるのに対し、強い信頼関係で結ばれた
人はなかなかできないような気がする。
ということに、今頃気付いた。遅いっての。
外は終日吹雪。遅く起きてバクミゴレン(インドネシアの焼きそば。乾麺と
ソースのセットが酒屋で売られていた)を作って食べたが、ソースが甘過ぎて
いまいち。その後2chの30代板にレスをつけたり、スペイン諸古都のアラブ
語名を調べたりしてるうちにこんな時間。
エキサイトでスペイン語の翻訳ページも作ってほしい・・・
>275
おおこれは!ありがとうございました。いろんな言語がそろってますな。
何語か判然としないサイトに飛ばされることが多い身にとっては、判別機能
が泣かせます。
今DVDを買ってきた黒澤明『七人の侍』を見終わった。
書きたいこと、触れたいこと、関連して調べたいことが腹の中でたぎっている。
少し落ち着いてからまとめて書きます。
こういう、ひとつのプロジェクトを複数人で完遂させるストーリー、大好物なん
だよなあ・・・
『七人の侍』について。
実は、これまでこの映画を見るのを延ばし続けてきたのには理由がある。
学生時代に、たまにはクロサワ映画でも見ようかなと思ってレンタルビデオ屋
に行った時、日本史専攻の友人がこんなことをいっていたのが頭に引っか
かっていたからだ。「『七人の侍』では、舞台だけが戦国で、侍も農民も江戸
時代以降のあり方で描かれてる。なんだかちぐはぐで、俺は途中で飽きた」
彼は多分、映画の中の農民が戦闘経験を持たず、刀も帯びていず、壮年の
村長もいない(長老はいたが)ことに違和感を感じたのだろう。乙名百姓と
侍がまだ分化しておらず、一般男子もたいていは安い刀を差していた戦国
期の農民の様相と映画の中の風景は大きく異なる。もっとも、『七人の侍』は
娯楽映画であり、再現映画ではないのだから、そんな揚げ足取りをしても
意味がないのだが。
まあ彼は悪くない。まずかったのは俺が誤解した内容だ。彼の「武士も農民も
江戸時代以降のあり方」ということばから、典型的なテレビ時代劇のような
ものをイメージしてしまったのだ。「プライドが高く求道的で憐み深い侍」が
「貧しく虐げられているが善良で正直な百姓」を守るために立ち上がり、見事
敵を討ち果たし、かっこよく去る、というストーリーを想像してしまったのだ。
なので、そんな単純な活劇なんてテレビで見ておけばいい話で、わざわざ
ビデオ借りてまで見る価値ねーよな、と勝手に解釈し、その時は『羅生門』を
選択してしまった。
失敗だった。『羅生門』もまあ面白かったが、今ではもう京マチ子の妖艶さしか
記憶に残っていない。『七人』の方が俺には合っていた・・・
――ここからは、ネタバレ出まくりになります。『七人の侍』をまだ見たことが
なく、かつ後日見る意志のある方は注意して下さい ――
実際見てみると、この映画に登場する百姓たちは、はっきりと自律的な行動
主体として描かれており、雇った侍に対する偏見・反感・衝突も盛り沢山。
百姓と侍は、「飯を腹いっぱい食わせる」という契約によって結びつけられた、
全く対等の立場にある。両者は、村の防衛・野武士の殲滅という目標に
向かっていがみ合ったりしながらも突き進んでいく。大きな犠牲を払って。そし
て、両者の間に大きな壁を残しながら(絶妙な位置で跳ね回る菊千代はもう
いない)別れを予感させるシーンで終幕する。
立場や所持する技能などが違う人々が一緒になって大きなプロジェクトを遂行
する物語では、その「違い」が大きければ大きいほど、葛藤も、心が通じ合った
時の喜びも、大きいものになる。『七人』の中では、一同が数十秒にわたり
大笑いをするシーンが何度か登場するが、それはその「通じ合ったこと」の
視覚的な表現だったと思う。
この映画の百姓は、実にずるく、無責任で、嘘つきだ。農民を悪く書くのは
差別だと決め付ける風潮が、特に戦後の「進歩的」な人々の間にあったと思う
が、この映画の百姓たちの振る舞いは気持ちがいいぐらいエゴに満ちている。
これが、勘兵衛を代表とする侍たちの、禁欲的な様子と、「『抑圧』とはなにか」
ということに対する無知とを際立たせる。これは推測だが、百姓と侍の相違を
大きくし、かつ村の防衛という「みんなの目標」に向かう過程での百姓の変化
ぶりをわかりやすくするために、意図的にこんな風に描いたんではないかと
思った。
まあしかし、リアル百姓であり、リアル百姓に取り巻かれて生活している俺に
いわせれば、あれは必ずしも誇張ってわけでもないんですがねフフフ・・・
物語の中で一番楽しんで眺めたのは、久蔵の変容だ。
勘兵衛は、最初から最後まで一貫した落ち着きを持っている。彼の忠実な
弟分である七郎次も同じ。利吉は女房の呪縛から解き放たれて本来の姿に
戻ったかのようだ。菊千代は、無駄な荒々しさがだんだん抜けてきて好漢に
なっていくが、人のよさは天性のものだ。
しかし、久蔵だけは、登場時の求道的な潔癖さ、他者に対する冷ややかな
視線をどんどん捨てて変わっていく。女房が亡くなったショックで死に場所を
探す利吉の心をいち早く見抜くところ。疲れきった百姓達を笑わそうとする
ところ(失敗するが)。剣術マシーンのような彼が、周囲の人々の苦衷を無視
しきれなくなり、徐々に人間的になっていく様子が、俺にはとても好きだ。また
その彼に、虫のような死を準備する脚本家達の神経にも、脱帽する。
直前レス7行目 ×女房が亡くなったショックで死に場所を
○女房が亡くなったショックと、自分のせいで平八を死な
せてしまったせいで死に場所を
野武士の山塞を久蔵・平八・菊千代・利吉で奇襲する場面では、利吉の妻の
表情の変遷が、都合3度も克明に映し出される。
斜めに入り込む朝の光の中、豪華な綾錦に囲まれ、陶然としたような、気だる
げな様子から始まる。火事に気付いた驚きの表情、そこから徐々に顎を引い
て浮かべる微笑みの凄愴さ。その後に訪れる利吉との再会シーンでは、
かつて引き裂かれた夫に向かってほとんど恐怖に近い叫びを上げる。ひとの
心理の動きが最も直接的に表現しているようでいて、いくらでも異なった解釈
ができそうな、印象深い一幕だ。
2chを含むいくつかのサイトで、「利吉の女房が火の中に取って返した(自殺し
た)のは、野武士に汚された自分を利吉に見せたくなかったから」という解釈を
眼にした。その解釈には、男性の女性に対する「清くあってほしい」という願望
が投影され過ぎているように感じられる。
俺はこう推測する。彼女は山塞につれてこられて以来、自分の置かれた状態
について考えるのをやめ、精神の内郭の隔離場にその悲惨さを封じ込め、
「現実」に紗をかけた上で、思いのほか頭目に大事にされる生活に慣れて
いったかもしれない。
しかし自分の出自を否応なしに突きつける利吉と向き合い、ヴェールが剥ぎ
取られてむき出しの「現実」と対峙しなければならなくなった時、隔離場から
あふれ出した大量の「悲惨さ」に、もはや精神が耐えられなかったためでは
ないか。彼女にとって利吉は「現実」の象徴である、と考えると、彼女の利吉に
向ける視線に思慕の念がほとんど感じられず(「予告編」では少し感じられ
たが)、驚愕と恐怖に占められているように見えることが説明できると思うの
だが。
・・・ここまで書いて思ったが、映画の中の女性の心理を分析する気力がある
のなら、現実の女性の心理をもっと真剣に推し量るべきだよな。ああ何やって
るんだろ。
――妄想及びネタバレ終わり――
ズーダダ ズーダダ ズダーダズダズダという「野武士のテーマ」、個人的には
雅楽の『蘭陵王』の陵王乱声を思い出す。リズムパターンは違うが。
作曲家の早坂文雄の、映画音楽以外の曲を1曲だけ持っているが、雅楽の
右方と左方のスタイルをそのまま名前にした『右方の舞と左方の舞』というタイ
トルがついている。『七人』の各テーマよりはずっと洗練され、展開も色彩豊か
だが、リズムの重さやミニマルさ加減は共通しているように感じた。
『七人』については、こんなもんでしょうかな。
牛乳焼酎、やっぱり吟醸香強過ぎ。3杯以上は飲めないな。
14日には、職場の女性職員一同からと、自分から・・・の計2つのチョコを
いただいた。貰った方はロイズというところのもので、新人の子が札幌に
いたことがある関係で入手したらしい。訊くと東苗穂に本店があるのだとか。
東区はきわめて庶民的な匂いのする場所だが、そこから勝負を始めたと
聞き、ちょっと応援したくなった。俺も元東区民だしな。
自分で買ったのは、いつもの抹茶トリュフ。
では、おやすみなさい。
まだ春ではないと思うが(暦上は別として)、何だか眠くて、2日間で25時間
ぐらい眠ってしまった。そのせいか2日間休んだ感覚がない。今、まだ土曜
の夜のような感じだ。
年とともに睡眠時間は減ってきていて、平日は5時間ぐらい、休日でも7時間
ぐらいなのだが、時々このように長く寝ることがある。長く寝たからといって、
格別頭がすっきりするわけでもない。ボーっとしたり、前頭葉が痛んだりする
こともある。体は楽になっているのがわかるが。
何かの本で、「ストレス解消のための長眠」というのがあると読んだことが
ある。他の手段でストレス解消を十分にしていない場合、最後の手段として
脳が睡眠に走るのだ、と。
そんなにストレスが溜まっているようには思えないんだがな。まあ何にせよ、
これまでの人生で、「寝付けない」ということだけは全くない脳をもらったこと
には感謝しなければなるまい。
打ち捨てられたようなスレで音浪さんのレスを見つけました。
あそこはもともと銀次さんの秘密スレだったような...
>288
見つかりましたか。キモいといわれそうですが、なんかいじりたくなったもの
ですから。キャラとしてのジサクジエンが好きなのもあります。
1が銀次さんとは・・・彼もなんだか年齢不詳ですね。夜桜スレは定期的に
覗いています。
銀次さんは色々な名前使いますからね。
でもトリップは同じだからわかりやすい♪
今見てきたら、確かにシルバートリップでした。全く気付いてませんでした。
トリップは普段のものと同じままで、HNを変えてみるとどんな気持ちになるん
だろう。
・・・とふと思って実験。
よりによってそんな脂っこいHNを...
悪くないな。
もらい物の文旦、甘くてかすかに苦味もあり、美味しかった。
グレープフルーツ並に安ければ常食するんだが。
聴いているのはトゥマニ・ジャバテwithバラケ・シソコ"New Ancient Strings"。
西アフリカのマンデ語系の人々の楽器・コラ奏者2人のセッションの録音。
トゥマニは他ジャンルのミュージシャンとのコラボ録音が多いが、この人の
本領は独奏や地元楽器との合奏であるとの情報を得てこのアルバムを
買ってみた。大正解。
異種格闘技戦ではややもすると響き過ぎ、場合によっては軽薄な印象さえ
与えるコラだが、トゥマニたちはこのアルバムでは、必要以上に弦を響かせ
ずにトチトチと引っ掻くように演奏する。個人的にはこのぐらいのバランスが
心地いい。
うわっ老猿さん登場してましたか!
たまたま目に入ったものを、なるべく作為を加えずHNにしてみました。
前から思ってたんですが、老猿さんのHNの由来はどのようなものなんで
しょう?
ロウサルA重油だそうです。
ロウサルって低硫黄分ってことかな?(必死にぐぐった)
仕事がらみだったのかあ。教えてくれてありがとうございます。
真似して俺も仕事がらみにしてみた。
そういえば、毒男さんが前にHN募集して1レスごとにつけて遊んでたな。
これ面白い。
>>296さんの言う通り、ロウサルA重油からとりました。
たまたまはじめて壁にきた頃仕事で扱ってたので。
今考えたら面白みのないHNだなぁ...
いえいえ、深山の岩上に端然と佇む姿が目に浮かぶような、趣のあるHN
だと思ってます。こんな感じで↓
ttp://www.china-world.info/cgi-bin/photo.cgi?109&h 高村光雲のは生気あり過ぎで、個人的にはちょっとイメージが違うような
感じがします。
安ワインの産地・フランス南部ラングドックはリムー産の発泡ワイン、
"L'Exception D'Aimery"、気に入った。シャンパンとは全然違う飲み物。
濃厚で甘口。「古式製法(Methode Ancestrale)」とかで、糖分を添加せず、
1次醗酵してるワインを冷やして醗酵を休ませ、そのまま瓶に詰めて醗酵を
再スタートさせるんだそうだ。
と読んでもよくわからんが、鈍い舌の俺でも、フルーティなんていうこじゃれ
た表現を使いたくなるほど、ぶどうの香りがはっきりしている。
もう少し甘さを抑えてもよかったが、とにかくいい買い物だった。
ということで300get遠慮なくどうぞ。
>>299 おぉぉ中国!五千年の歴史と雄大な自然!
こんな景色を生で見てみたいもんです。
石北峠の景色もここまで雄大じゃないです。
遠慮なく300ゲト
石北峠・・・ついに行かずに北海道を去ってしまいました。下(道路or鉄路)を
通って網走方面に行く機会ができるのはいつの日か。
黄山、行きたいですが、その前に寄りたい所が山ほどある中国。さて行けるか
どうか。
行きたいところは沢山あるのに、人生は短し、金も時間も少なし。はてさて。
今最も行きたいところは、ハルビン、上ノ国、コルドバ、京都、呼子、etc.
>>299 それ、このまえTBSの世界遺産でやってましたが
あんなところでもちゃんと雨が降るってことに驚きました。
いやまあ、よく考えてみると当たり前なんですが・・・
風化の影響がどのくらいあるのか分かりませんが、
それこそ玄宗皇帝のころからあったりするものなんでしょうかね。
学生時代や、今でも仕事で出会うことがある自称「故郷喪失者」には、よく
怒られたものだ。「帰るところがあるのに、それがうっとうしいなんて、贅沢
にもほどがある。その幸運に感謝しなくてはいけない。お前には、拠って立つ
一所がある。それがどんなに幸せなことが、どれだけ精神の平衡に役立って
いるか、それをよく考えろ」
多分彼ら・彼女らのいう通りだ。俺は甘ちゃんで、現状をきちんと認識して
いないのだろう。
しかし、どこかに旅立つ時のあの気持ち、16歳の時に始めて家を出て、30km
離れた下宿の厄介になった時の浮き立つような気分、上司にちょっと遠くで
しばらく頑張って来いといわれた時に鼻腔の奥に漂った焦げ臭いような
ひりひりした匂いに偽りはなかったと思う。
これ以上は愚痴になるのでやめます。
おやすみなさい。
うわっ毒男さん登場!
黄山、あの断崖絶壁具合からすると、多分数万年単位の時間をかけて
でき上がったんじゃないかと推測します。玄宗と同時代の李白が何回か
登ってたと思います。いつもの調子で大げさな(褒め言葉)詩を書いていた
んじゃなかったかな。
送温処子帰黄山白鵝峰旧居 李白
黄山四千仞 黄山四千仞
三十二蓮峰 三十二蓮峰
丹崖夾石柱 丹崖石柱を夾み
??金芙蓉 カンタン金芙蓉
伊昔昇絶頂 それ昔絶頂に昇り
下窺天目松 下に窺ふ天目の松
仙人煉玉処 仙人玉を煉る処
羽化留余蹤 羽化余蹤を留む
(後略)
うう、虎の巻『李白 詩と心象』が山に埋もれて見つからない・・・
ネットのコピペで許して下さい。すみません。
あっという間に2月。今年ももうひと月過ぎてしまった。まだまだ底冷えが
続いてるし、積雪も順調に増えて140cmに迫り・・・
違う。3月だ。
3月なのに、風景的には2月10日頃って感じだ。道端のちょっとした空き地
には4m近い雪山が聳え立ち、職場のある街の各所にははるかに高く大きな
「丘」が着々と高さを増している。捨て場のない雪を積み上げているのだが、
全くあの巨大な「冷気」を何かに役立てられないかと思う。
『李白 詩と心象』は見つかったが、黄山にかかわる詩は載っていなかった。
ううむ。
板対抗トーナメントが始まっている。前回同様ゆったり観戦、気が向いたら
象に乗って突撃しようと思っている。
おやすみなさい。
だめだ。VIPPER風にいえば、書き込みのクオリティが低過ぎ。
みんなすみません。おやすみなさい。
ちょっと亀レスっぽいですが、黒澤監督の映画。
「七人の侍」もいいですが「生きる」もいいですよ。
まぁ「七人の侍」と比べると非常に地味なところがありまして、途中で眠くなる人もいますんで、
かなり好みの分かれる映画ではあると思いますが。
ただ、好きな人は本当に「黒澤映画のNo.1はこれだ」と言うくらいの人もいますので、バクチで
見てみるのもありかな、と。
私なんぞ、ビデオ買っちゃいましたもん(w
今は「天国と地獄」見たいんですけどねぇ・・・レンタルしてるところがないんですよねぇ・・・
もう洋画ばっかりで・・・
邦画にも、新しいものに限らなければ面白いものは結構あるんだけどねぇ・・・
あと、"世界ふしぎ発見"で見た九寨溝(きゅうさいこう)には、死ぬまでに一度いってみたい。
>310
九寨溝は俺もテレビで見たことがあります。繁るみどりの木々の根元を
澄んだ水がどうどうと流れる様子は、神秘性よりも、若々しさ、朗らかさを
感じた記憶があります。
映画は最近はめったに見ないのですが(最も近い映画館まで40km)、たまに
DVDを買っています。今うちにあるのは、『マルコムX』、タルコフスキー
『鏡』、『アンナと王様』、『2001年宇宙の旅』、ミュージッククリップ『サリフ・
ケイタ』、それにこの前買った『七人の侍』ぐらいかな。
『生きる』、機会を捉えて見てみます。
>>278の友人も奨めていたのを思い
出しました。『旅芸人の記録』『無防備都市』と並ぶ、次回候補として。
うちの田舎も、割結構洋画は豊富なんですが(キアロスタミやアンゲロプロス
まで沢山置いてある)、邦画はホラー関係ばかりで、品揃え薄いですね。
どうなんだろう、自分にとって完全に遠い世界の話、とても身近な話、どちら
も、今の邦画にはないような気がします。って偏見かな?
安発泡ワイン一人がぶ飲み大会もそろそろ飽きてきた。というか飽きないと
体・財布双方とも大変なことになりそうなので、昨日からヘルシア緑茶進行。
いやヘルシア緑茶も決して安くはないんだが、苦味が強いのでがぶ飲み
せずに済むので、結果的には助かっているような気がする。
たまにお客さんに褒められると、嬉しいもんだ。もうそれだけで文句なしに
上機嫌になってしまうのは、単純な証拠です、はい。
年度末に向けて、また仕事が溜まってきた。異動の準備にも全く取り掛かれ
ない。外は吹雪。3月になると毎年訪れる、「昔のことばかり思い出す病」も
発病している。
・・・と、こんな中なのだが、というかこんな中だからこそ、明日は(今日は)
仙台に出かけようと思っている。
読みかけの『プラートの商人』(15世紀イタリアの商人の残した帳簿・書簡の
解説本)を読んじまおうとも考えたのだが、じっとしてると「昔のことばかり
思い出す病」のせいで感傷的な気分に浸されてしまうので、ここで気持ちに
風穴をあけないと。
毒男さんの件はびっくりしたが、また壁に来てほしいなあ。
もちろん忙しくなるだろうから、リアルを大事にしてほしいが、余力ができれば
是非にと。
おやすみなさい。
仕事が立て込んでいるので何度か飲み会を断っていたら、「なんだかお前も
つまんない奴になったな」だそうだ。
BaaaaaaaaaaaaaaaaagaNgaaaaaaaaaaaaaaaaaayoooooooooooooooa!
ちょっとすっきりした。
スペインの武勲詩『エル・シドの歌』に登場するアベンガルボーンという
名脇役にモデルがいないかどうか調べているんだが、日本語サイトや
英語サイトではほとんど何の情報も得られなかった。
スペイン語サイトでは200ぐらいヒットするが、それもAbenGalbon(oの上に´)、
AbenGalvon、AvenGalvon、BenGalbon、BenGalvonなどをあわせてようやく
そのぐらい。大部分は物語の登場人物紹介で、少し使えそうなのが彼の
居城があったとされるモリーナ・デ・アラゴン町の郷土史のサイトだが、
・・・読めない。機械翻訳でも全然歯が立たない。
仕方ないので、フレッチャーの研究本をAmazonで発注。
ちなみに物語中のアベンガルボーンは、主人公エル・シドから自分の妻子の
護衛を任されるなど、シドと強い信頼関係で結ばれたムスリム領主。義侠心に
富んだ様子が何度か描写されている。宗教を越えた合従連衡が当たり前の
中世イベリアでも、キリスト教徒がこんなにムスリムを好意的に描いている
のはあまりないんじゃないだろうか。
ガキの頃、アカレンジャーよりアオレンジャーが好きだったのだが、いまだに
主役より硬骨の脇役に興味を惹かれる癖が治っていないようだな。
朝からの頭痛に耐えかねて薬を飲み、夕方からうたた寝をしてしまった。
めったに薬を飲まないので、たまに飲めば効く効く。こりゃ寝れないなしばらく。
頭がぼうっとして、重めの本を開いてもスムーズに意味を追えない。
ネットに没入しても、画像の多いサイトを覗いていると目の奥が鈍く痛む。
もうこうなったら、中学や高校や大学の卒業直後の春休みに感じたもやもや
した情調が蘇って自分を飲み込もうとする、この時期恒例の脳内内戦の
敵側に、素直に征服されてみよう。
ラベルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』なぞをかけて、思い切りメランコリック
に沈み込んでやるぞハハ・・・ハァ。
>>314 「つまんないやつになったな」なんて言われた場合は、「おい小僧、だったらおもしろい誘い方
してみな」と返すと良いでしょう。
で、面白い誘い方が出来た時は仕事をサボっていってあげましょう。
これで完璧!
あと、赤影より白影ですよ。
いや、関係ねぇか。
>317
「今隣のテーブルで八百屋とスイカ農家が『スイカは野菜か果物か』で
論争してて凄いことになっちゃってるから来いよ」
あるいは、
「店員が『ご注文のタラちりで〜す』ってフグちり置いてったから今すぐ来い」
といわれれば、飛んで行きます。
すっごいかわいい子が俺らのグループに合流したから来い、とかいう
常套句にはもう騙されないだけの耐性がついていますので、ひとひねりが
ほしい所ですね。
赤影・白影って忍者映画ですよね(ぐぐりました)。白影はどんな役回り
なんでしょう?青影もいるようですが・・・?
こんな深夜に某板にスレ立てて、寝ます。今度こそ伸びてくれればいいな。
おやすみなさい。
おお、おととい立てたスレ、もう40レス以上付いてるじゃないか!
もう一人歩きしてると思っていいな。久し振りに安定したスレ立てができて
嬉しい。
人事異動で、本社に戻ることが正式に決定した。
離任する前に、いくつかの懸案を処理しておかなければいけない。
さあ、明日からもうひと踏ん張り。
おやすみなさい。
全くスペイン語を解さない人間がスペイン語サイトでスペインの地方史を
調べる時の効率的なやり方
1 ブラウザを4つ立ち上げる
2 i) Google espan~a
ii)
>>275の各国語翻訳サイト(トマトさんに感謝。助かってます)
iii) Exciteの英日翻訳サイト
iv) 全欧地名検索サイト
ttp://www.multimap.com/ をそれぞれ開く
3 西日辞書を準備する
4 i)で調べたい事項を検索し、出てきたスペイン語の文章をii)で英訳、
それをiii)で日本語訳する。こうすることにより、スペイン語→日本語の
直接翻訳よりはるかに正確に訳すことができる。
5 日本語訳に意味の通らない部分があった場合、原文と英訳を見比べ、
誤訳していそうなスペイン語の単語を見つけ、辞書で意味を確認する。
6 細かい知名に関しては、iv)の地名検索サイトで位置を確認する。
試行錯誤の結果辿り着いた方法。これで75%ぐらいの正確さで意味を
取れてると思う。
玄海島にも雪が降っているのだろうか。こちらは大雪。
冬の地震は、避難生活が大変だと思います。一日も早い余震の終息と
復興がなされますよう。
某板の人気トーナメントに一喜一憂してるうちにこんな時間か。
1次予選突破、よかったよかった。
おやすみなさい。
やることはいっぱいあるんだが、まあ今日ぐらい逃避させてくれ。
・・・と、一日ネットやら本やらでアベンガルボーン(
>>314参照)を追っかけて
いた。モデルと思われる人物の断片がいくつも浮かび上がってくるが、複数の
史料からの引用と思われるものがばらばらに登場するだけで、統一的な像を
結ぶまでには至っていない。
主役たるエル・シド(Cid。シッドあるいはシードと表記することもあるが、面倒
なのでこのスレではシドに統一したい)の史実の動向と物語中の姿とを比較
することにより、11世紀の戦国イベリアにおけるキリスト教徒小貴族の行動スタ
イルと12世紀のキリスト教徒民衆の願望との距離をあぶり出すことができる。
同じように、イスラム小領主アベンガルボーン(のモデルであるIbn Galbunある
いはIbn Kanhon)の史実の動向と、物語中の誇り高い、しかしエル・シドに無言
の服従を誓わざるを得ない姿を比較してみたいのだ。
サラゴーサ、トレド、バレンシア、カスティリャなどの強国に挟まれた狭く痩せた
土地で、彼(のモデル)がどのように生き残り策を展開して行ったか、もう少し
調べてみようと思っている。
職場の机の引越しは月曜日。残務処理はもう2週間ほど、新しい仕事と平行
してやらなければならないようだ。ふう。
机の引越しじゃなくて、住んでる部屋の引越しをまたしたいもんだ。最後に
引っ越したのは6年前。これまでの引越し数、9回。住んだ部屋は、生家の部屋
を除くと、6部屋になる。
新しい部屋に荷物を入れ終わり、手伝ってくれた連中と外で飲んで酔っ払い、
ダンボールが山積みの部屋に戻って布団だけを出して寝る。カーテンをまだ
張ってない場合は、夜空が見えることがある。いろいろな物音に耳を澄まし、
星を見上げて布団の中でもぞもぞしている時に心の中に湧き上がっている、
新しい生活への期待感をまた味わいたい。
部屋の周りを今日はこの通り、明日は1本隣の通り、と変えて散策し、コンビニ、
スーパー、蕎麦屋、喫茶店、公園、トマソン物件などを探して回るのも楽しい。
新しい何かが見つかるたびに、自分の資産が増えたような、何かを征服した
ような妙な達成感があったりする。まあ俺にはあった。
次に引っ越すためには、ある条件をクリアしなければならないんだが、そろそろ
本腰を入れなければならないかな。
今聴いているのはYoyo Honey "VoodooSoul"。アルバムタイトルのおどろ
おどろしさ(ヴードゥーといっても願掛け程度の呪術も含むので、そんなに
びびる必要はないんだが)に似合わず、なめらかなソウルっぽいハウス?
(すまん、その辺のジャンル分けについての知識がないのでかなり適当・・・)
感傷的になり過ぎないストリングと、重く緩いビートの上に、抑制を効かせた
女性ヴォーカルが淡々と歌い流す。色合いに特徴はないが、起毛技術が
極上のビロードの布地を撫でているような心地よさがある。
イマヌエル・ショニワとアニタ・ジャレットの2人ユニットで、アニタはもともと
ハウス系?グループのPressure Dropのヴォーカル、ショニワもDJなど
独自の活動をしているようだ。元スタイル・カウンシルのミック・タルボットも
参加している、イギリス録音。92年のこの作品のリリース後6年ぐらい新曲を
出さなかったようだが、このアルバムのうち数曲がリミックスされたようだ。
今はどうしているのか、ネットでも確認できず。
90年代前半のある3月末、札幌を離れてこっちに戻る直前に、小さな中古
CD屋で買ったものだ。これを聴いていると当時の気持ちの動きが思い出される
ので、純粋に音楽としてだけ楽しむことが、自分にとってはまだ難しい1枚。
残務処理が終わらない〜
せっかく本社に戻ったのだか・・・
でも本社は相変わらず官僚的で、いらいらする。手続きがどうの、上司の
顔色がどうの・・・。上に上手く説明できれば、客が困っててもOKな世界。
おめえら誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ!!
アンダルス関係の本を買いまくったおかげで、しばらくCDを買う余裕がない、
かも。
>>196の『サマー・ナーヴス』は買ったが、練れていない実験的レゲエ
で、正直拍子抜け。
>>326 本社が相変わらず官能的、と読んでしまいました。
どんな会社だ。
1Fに行けばお客様サービス係の20代女性がわんさかいるんですが、
オッサンから見ると若過ぎて、官能的とまではいかないような・・・。
官能的ということばに滅びの匂いを感じるようでは、俺も健康的とはいえないの
かもしれません。ううむ。
20代なら守備範囲内です。
官能のかほり漂うよい職場ですね。
>>329 16歳から46歳まで幅広い守備範囲を誇る俺には勝てませんよ(ニヤリ
いや、守備範囲ばかり広くて、肝心の打球が届かないわけですが・・・
というより、俺そもそも守備についてるのか?
これまで2chで在日認定10回以上。
今回、初めてプロ市民認定を受けました。
若造に何を言われようが、1989年の思い出を捨て去るつもりはない。
江沢民の『愛国=反日』教育を受けた中国の20代ばかりが、中国人ではない。
それを想起してほしい。
仕事の質が一変。客と業者との間に入って調整する胃の痛さはなくなったが、
業者を指揮して、一方的にどんどん方針を指示して行かなければならなく
なった。その影響か、思考の質にも変化の兆し。
さて、俺はどこに行くのだろう。
おやすみなさい。
街も深い眠りに入り
今日もまた 一日が終わろうとしています
昼の明かりも闇に消え
夜の息遣いだけが聞こえてくるようです
それぞれの想いをのせて過ぎていく
このひととき
今日一日のエピローグ
クロスオーバー・イレブン
(NHK-FM『クロスオーバー・イレブン』オープニングナレーション
1980年4月〜1991年3月)
身体は疲れないが、脳が疲れる・・・
追いまくられて、法螺吹きまくって、ぼろ雑巾状態。
と、逃避したい、過去に。
ベトナムビール"333"、青島やビンタンとは全然違う、甘口ですっきりした味。
カシューナッツと合う。今度まとめ買いしよう。
>>331 津嘉山正種さん、いいお声でしたよね。
寅さんシリーズに何度か脇役で出演されてて、結構意外でした。
|ω・)っ旦 逃避…してみたいですな。
>>333 津嘉山さんといえば、最近でも「普段は頼れるが、土壇場で保身に走り
主人公を裏切る上司」的な役を好演しているのを見かけたことがありました。
演じ切るというより、存在感のある俳優さんと思っています。寅さんシリーズ
に・・・どんな役で出てたんでしょうか。
クロスオーバー・イレブンは、中高時代の教科書でした、といえば少し
大げさですが。楽曲もさることながら、大人の翳りや苦味、意外なガキっぽさ
に触れられる数少ない機会だったように思います。
昨日今日で、稲の種蒔きを終えた。苗箱に土を入れ、種を蒔き、水をかけ、
覆土するところまでは機械でできるが、それをビニールハウスまで運んで
敷き詰める作業は人力。1kg体重が減った。
まあジンギスカンとビールですぐに元通りになるだろうがな。ただ今67kg。
かつて2ch内で『(笑)』の意味でよく使われていた、語尾につける"w"を、最近
見かけなくなった。
見かけないどころか、複数の板で「キモい」「スカしてる」などという評価を
受けているのを何度も目撃した。ヘタレな俺は、1年ぐらい前から使用を
やめてしまっている。
しかし、今にして思えばあれは便利だった。自虐表現や照れ隠しに、あれほど
使い勝手がいい表現を、俺はいまだに知らない。
自虐表現をキモいと感じるということは、自信たっぷりな表現・態度を良しと
するということか・・・と思いきや、強気を匂わせる書き込みにはこれまで通り
反発レスがつく。自分の立ち位置にこだわらない、率直で小細工のない書き
込みが好まれるようになってきているのか、と分析。
それじゃ他の掲示板群と変わらないじゃねえの。正直寂しいが、逆らう度胸も
なし。ううむ。
337 :
壁に耳あり、障子にメアリーさん:2005/04/25(月) 19:06:00
228 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2005/03/22(火) 09:33:40
このまえ彼氏(物凄く真面目で頭が固い)と大喧嘩をしてしまい、
家に帰ってからもずっとメールで口論が続いていたとき
相手がとうとうキレて
「僕はもう君を敵としかみれない。僕は敵には容赦しないからそのつもりで。
パソコン初心者であまりネットをしない君には解らないかもしれないけど
ネットの世界は怖いって知ってる?日本で一番有名な掲示板サイトに君の住所から電話番号まで
全部晒したらどうなると思う?随時人が見ているから君の情報が広まる速さは普通じゃないよ。
その掲示板を見る人の中には性格の悪い人や危険な思想や専門知識を持った人が
たくさん居る。ただじゃすまないと思うけどね」
というメールを送ってきやがったので、
「うはwwwwwwwwwwwっうぇうぇwwwwww
ただじゃすまないとかテラワロスwwwwwwwwww」
と返信しておいた。返事はまだ、ない。
考えてみれば、wはvipはじめ各所で現役だったな。ちょっと形が違うが
(vipperのは全角のwで、必ず複数用いられる。「うはwwwおkwww」の
影響下に成立した表現方法だからか?)。
ワラタ・ワロタも、vipperがワロスやテラワロスにアレンジし、それが再び2ch全域に
広まろうとしている。「おもすれー」などの言い回しにも、何だか懐かしい
匂いがする。vipperってどんな人々なんだろうか。意外にオッサンも
多かったりするんだろうか。
今年の桜は開花から4日ぐらいでもう満開に達し、5日目には花びらを落とし
始めている。なんともせっかちだな。
去年のことがあり、桜を見ても素直に綺麗だとは思えない。代わりに、桜と
ほぼ同時に咲いた(例年では5日程度桜より早く咲く)木蓮を愛でることに
します。遠目で。
天気が良過ぎてビニールハウスの中の温度が上がり過ぎ、植えたばかりの
菊の苗を枯らしてしまったりと、今年も慌しいGW。
春の空 見上げて思った 私の小ささを
と森山直太朗が壮健美茶のCMで歌っている。
でもなんだか、違和感を感じる。「私」が「小さい」ということに。
いやもちろん、俺ってでっかい人間だ〜などと自己認識しているわけでは
ない。身体、器・度量、構想力、知識、ケツの穴に至るまで、ものすごく
ちっさい人間です、俺。
でも、「私」というものに関しては、感覚的に、小さいと思えないのだ。
どうやら俺は、自分が少しでも関わった物事に対して、一方的に「『私』認定」
してしまう癖があるようだ。
今視界の内にある、本棚の本やCD棚のCDも、「私」の構成要素。
昔住んでいた札幌の街も、今調べているアル・アンダルス世界も、「私」の
構成要素。
けさ菊畑で見上げた春の空も、俺が見たというだけで、「私」の構成要素。
・・・と、 感 じ て しまう。
今椅子に座って思いを巡らせているこの頭の中よりも、左手脇に積んでいる
安達かおり『イスラム・スペインとモサラベ』やはっぴいえんど『風街ろまん』
の方が、「私度」が高いとさえ感じられる。
この頭の中や思考というものよりも、そこに収まったものたちに実体がある。
思考は、いうなればワープロソフト。個々のファイルこそが実体。という感覚
がある。
我ながら変な感じ方だが、高校生ぐらいからずっとこういった感覚を持ち
続けている。俺に勝手に「『私』認定」された物事(人も含む)からすると
いい迷惑かもしれないが、普段はそんなことを外でいいふらしたりはして
いないので、勘弁してもらいたい。
ああ、感覚とか感じとかしか表現できないのがもどかしい。どうでもいい話
でした。
しばらく晴天が続いたせいで、農作業は捗ったが、顔や腕は真っ黒というか
真っ赤に。あと数日はひりひりするだろう。
桜ももう散って、ようやく新緑の季節。
ドビュッシーの『忘れられたアリエッタ』とキリンまろやか酵母で筋肉の
軋みをほぐせるかどうか実験中。
毎年のことだが、ゴールデンウィークが終わるとひどく疲れが溜まっている。
農作業と仕事で。完全休日は昨日1日だけ。
でもいいのだ。今年はこれまでとは比較にならないほど、ウィークデイの
休暇が取りやすい環境にある。そこで来月下旬、1週間ぐらいひとりで
北海道をうろついてくることにした。
旅程は組み立て中。
初日(移動日) あえて青函トンネルを潜って函館市へ
2日目 函館市、松前町、上ノ国町etc.
その直後かワンクッション置いて 丸2日間 札幌市 ・・・ここまで決定。
これにレンタカーでの積丹巡り、旭川市周辺、いっそ飛んでトドワラ、などの
組み合わせと取捨選択を行う。
・・・と生来グータラな自分を追い込んでみる。今月の半ばまでには組んじまわ
ないとな。
旭山動物園おすすめですよ
>>346 仏閣や遺跡、美術館なんかはひとりでも平気で入ってるんですが、動物園・
水族館・遊園地はちょっとひとりでは勇気が出ないかも・・・
演出が素晴らしいと評判ですよね >>旭山動物園
旭川では、神居古潭と市街地ぶらぶら+飲み屋で一杯を想定しております。
そのほか、ベタですが美瑛にも足を伸ばしたいですね。
6月下旬の美瑛なら、うまくいけば早咲きのラベンダーに逢えるかもしれませんね。
7月2日から札幌の芸術の森でイサム・ノグチ展をやるそうなんですが
こちらは日程的に難しそうですね。
7月2日なら、ぎりぎり北海道にいるかもしれません。情報ありがとうござい
ました。
元東区民としては、東区が世界に誇る?ノグチ設計のモエレ沼公園ともども
是非行きたいところです。公園の方は今回は行けないと思いますが・・・
モエレ沼、GWに行って来ましたよ。
あれはいい公園ですね。無駄にだだっ広くて。
モエレ沼、自分は工事中の状態を遠望したことがあるのみです。ようやく
完成したんでしょうか。
公園は、巨木が生い茂ってるか、広大な芝生か、あるいはその両方が
備わってるべきと思ってます。東区には原生木をそのまま残したような
公園がいくつかあって(数ha程度の小さな奴でしたが)、よく木陰で昼寝
してました。
6月最終週に仕事が入ったため、北海道行きは7月上旬に順延。
道南巡りに予想外に時間がかかりそうで、旅程は大幅見直し中。函館〜
松前〜上ノ国〜函館で2日消費しそう。ううむ・・・
モエレ、まだ完成してないようですが
ガラスのピラミッドは出来たので、主要部分は一段落といったところでしょうか。
函館は時間かけてみるにはいいところと思いますよ。
温泉もあるし。
歓送迎会シーズンはGW前に終わっているにもかかわらず、今週は
なんだか飲み会が多かった。よって今日は休肝日。
すいません嘘をつきました。イタリアの安発泡ワイン、プロセッコ・ディ・
ヴァルドッビアデーネ(Valdo社)を、鱈の塩焼きに山椒を振りかけたので
飲んでます。千円程度だが、甘く澄んだいい香りがする。もうシャンパン
なんて飲めません。
>>352 函館では、かつて改装工事中で拝観できなかったハリストス正教会と、
志海苔館跡と、市立図書館(いやその、中世蝦夷地史関係の本をコピー
してこようかなと・・・)に行く予定です。いやもっと見るところが沢山あるのは
重々承知なんですが、上ノ国に時間がかかりそうなので、あまりゆっくり
できないかなと。
上ノ国では1日かけて4つの館跡をバス+徒歩で回るか、勝山館跡だけ
半日で済ませるか。館跡といっても、復元されてるわけでもなく、ただの丘
なんですがね。
うちのさなえLovery東北スペシャル(田植機の機種名)、今年は快調に動いて
いる。あと2時間ぐらいで田植が終わりそう。
去年はドロノキの綿毛が飛ぶ中での作業だったが、今年のドロノキはようやく
若葉を開きかけたところ。昨年より半月ぐらい、平年からでも1週間は生育が
遅れているようだ。
まあ先週から気温も平年並みに戻ったことだし、今後安定して気温が上昇
してくれることを期待し、田植は平年と同じタイミングで行った。これが吉と
出るか凶と出るか・・・
北海道ツアーでは、7月6日(水)〜8日(金)に道央に滞在の方向でほぼ決定。
その間、老猿さんのぎっしり詰まった夜の予定に空きがあり、かつお許しが
出れば、焼酎か発泡ワインでも持って旭川まで駆けつけたいと思ってますが・・・
老猿さんどうでしょう?
ちなみに週の前半は道南を、中盤は積丹付近を車でぶらぶらすることに
なりそうです。
スレタイに反し、最近長文を書いてないな。
読んでいるものは最近は歴史ものばっかりで、CDもめっきり買ってない
ので、書きたいこと=歴史関係=興味のない人にはとことん興味ない話題
と考えてしまい、どうもキーを打つ手が進まないのだ。
しばらくこの状況が続きそう。
>>356 一日くらいならなんとか予定あけますよw
金曜は無理かも、ですが
>>358 おおありがとうございます!
あくまでも水曜(6日)か木曜(7日)に空きがあれば、ですので、ご無理は
なさらぬようお願いいたしますが、正直楽しみです。
詳しい話は、期日が迫ってきたら捨てアド晒しますので、その時に。
昔の友人たちはほとんど関東以西に出て行ったし、札幌に残っている数少ない
知り合いとはここ数年連絡を取ってなかった(俺の側が不精をしているうちに
音信不通に)。今年は久し振りに年賀状を出し、夏頃行く予定であることは
知らせてある。もう少ししたら詳しい日程を知らせ、まだ相手してくれるなら
一緒に飲みたいと思っている。
住まいを移して今年で11年。最後に出張で行ってからでも7年経っている。
随分様変わりしている様子が伝わってきているので、ちょっと見てこようかなと。
自分が住んでいた辺りもうろつきたいし。
学校から歩いていける距離に大部分の学生が住んでいたので、行動範囲は
あまり広くなかった。訊ねる部屋も、買い物も、飲むのも、大体直径2kmの
円内に入っていた。逆にいえば、その狭い範囲の中のどんな通りにも、
何がしかの記憶がまとわりついている。あのエリアと、そこから少しだけ外れた
自分の住処の近辺を、ゆっくり時間をかけて歩いてきたい。
まだあの街に気持ちを残している部分が、自分の中にある。あの街と、学生
生活そのものに。起きたい時に起き、食いたい時に食い、友達の部屋で酒を
酌み交わす。人の匂いをいっぱいに嗅ぎながら地下鉄に乗って、あるいは車に
気をつけながら自転車で、CD屋や本屋やギャラリーに出かけていく。そういう
生活が、まだ自分の中で過去になっていない。10年以上経っているのに。
過去を遠景として遠ざけることを拒んでいるのは、自分自身なのではないかと、
最近は考えている。
休日にふと目を覚ましたとき、まだ自分がそういった生活の中にいるような
感覚に囚われる。少ししてそうではないことに気付かされ、落差から悲しみが
生まれる。それを何百回も繰り返す、不毛さ。
根は削がれているのに枯れ切ってもいないような中途半端な感情に、どこかで
区切りをつけ、埋葬する必要性を感じている。(この年でこんなことを書いては
笑われそうだが)そうしないと、自分は心の底から「大人」になり切れないような
気がしている。
自分が住んでいた頃の、いや心の底ではいまだに住んでいるあの街の細かな
姿を、焼き付ける。こちらに戻って目覚めた時、まだあの街にいるんだなんて
勘違いしないように、記憶の中の街との差異を際立たせるために、詳細に、
深く焼き付ける。
そして戻った時、あの街からの遠さを実感できるようになっていたら、安心だ。
一度の訪札で整理ができるとは思っていませんが、そのきっかけにできないか
と、少し期待しています。
>>365 ×自分が住んでいた頃の、いや心の底ではいまだに住んでいるあの街の
細かな姿を、
○自分が住んでいた、いや心の底ではいまだに住んでいるあの街の、
現在の細かな姿を、
今日は県庁所在地で買い物。CD3枚(西アフリカのトゥアレグ族出身の
グループTinariwenのファーストアルバム。アルフォンソ10世『聖母マリアの
カンティガ集』(演奏はモロッコ系伝統楽器中心)。エリザベス女王時代の
劇場・街頭音楽集)に、ふと思い立ってファッション誌なぞを数年ぶりに購入。
載っている服は高くて買う気がしないが、いろいろ勉強になる。
では、おやすみなさい。
北海道行きが駄目になるかも。仕事が入りそう・・・
老猿さん本当にすみません、ちょっと無理かもしれません。
せっかく承諾していただいた(承諾に追い込んだ)飲みですが、今回は
見送らせていただけないでしょうか。
この埋め合わせはいつか必ずいたしますので。
うーん、残念ですが...
縁あらばまたいつか。
>>368 北海道ならぬ愛知へ行けと、上からいわれているんです。それを7月11日
以降に設定することができれば、予定通り海峡を渡れるんですが。
さてどうなるか。一応宿は取ったままにしています。
ここ最近毎日のように会議会議。でも堂々巡りの会議や担当案に同意する
会議だけではなく、一から新しいことを組み上げていく話し合いもあるので、
それほどストレスは溜まっていない。疲れはしたが。ふう。
聴いているのはずっと
>>366の「聖母マリアのカンティガ集」。特に第200番
『聖母マリアよ、私は祈った』を繰り返し聴いている。
この歌集は、カスティリャ王兼レオン王アルフォンソ10世(1221-1284)が
自ら蒐集したといわれている。カスティリャやレオンをはじめ、アラゴン、
フランス、イタリアなどの外国産の曲も含む、400曲以上にのぼる大部で、
全曲を収めたCDはいまだに発売されていない。
>>366も18曲だけを収め
ているに過ぎない。
13世紀以前に民衆の間で流布した、貧しい者・弱い者に対して聖母が起こ
した奇跡を描いた歌が大部分を占める。と書くといじらしいほど敬虔な歌詞
のオンパレードと思われそうだが、後半に行くほどどんどん俗味が増してくる。
聖母マリアよ、私は祈った
今祈っている、これからも祈り続けるだろう
この世に生まれた尊敬すべき男たちの中から
彼女は私に目をかけて下さった
・・・
彼女は優れた民を私に引き合わせ
私が君臨し 王となることを助けて下さった
・・・
彼女は私を引き上げ その度量の広さをもって
貧しい私に富を与えて下さったので
私は彼女のためにできる限り歌うだろう
彼女は死と苦悩という危険から私を救い出して下さった
全ての強き男たちよ知るがよい 私は彼女のために死ぬだろう
・・・
(原詞はガリシア語。上は英語からの重訳かついい加減な意訳)
200番はアルフォンソ自身か、いずれかの時代の王の作詞である可能性が
高そうだ(個人的感想。ソースなし)。拭えない高慢さと自己陶酔が鼻につく
が、俺には不快感よりおかしさの方がより強く感じられる。「裕福にして
くれたから、お返しに賛歌をたくさん歌います」なんて、「お願いをかなえて
くれたら土地を寄進します」という中世日本の寺社への願文の思考パターンと
ほとんど同じ現金さだ。
こんな歌詞が、とても淡々とした、少し寂しげな旋律に乗っているのも
不思議だ。楽しげなメロディが悲しい物語とともに演奏されている曲も少なく
ない。ただし、「楽しげ」とか「寂しげ」といった俺の印象自体が、調性の誕生
以降に培われた感覚によるものである以上、当時の人にも同じく感じられた
かは証明しようがない。俺には寂しげに聴こえても、当時の人には高慢で
雄々しく、歌詞とぴったりに感じられたのかもしれない。また、同じく寂しげに
感じられたが、「偉そうな歌詞+寂しげな旋律」を意図的に組み合わせ、
その妙を楽しんだのかもしれない。
北海道行きは、どうやら大丈夫そうだ。明日確定する。
北海道から戻ったら、少しおいて東海地方に飛ぶことになる。寒かったり
熱かったりするだろうから、体調管理だけはしっかりしておかないと。
西日本の空梅雨が報道されているが(お見舞い申し上げます)、こちらでも
めっきり雨が降っていない。
降っていないのだが、湿度は非常に高い。朝晩はもちろん、日中の気温の
高い時間帯でも、水蒸気による薄いもやが常にたちこめている。
こういう天気は、農作物につく病気や害虫の活動には最適だ。案の定、
うちの畑でもアブラムシが繁殖しまくっている。奴らは単性生殖するので、
あっという間に列全体に広がってしまうからたちが悪い。うちの菊は食用で
はなく観賞用なので、回数を気にせずどんどん消毒していいのだが、農薬
も決して安くはないので「どんどん」とまではできない。
雨が降らないなら降らないなりに、こうカラッとした上天気になってくれない
もんかねえ。窓を開けて空気を入れ替えるように、外の空気もどっかに追い
出してやりたい。
確定ですか。
6〜7で稚内出張なので7日夜なら空いています、というか
空けておきます♪
>>375 ¡うわっ老猿さんすみません、飲んだくれてる場合じゃなかった!
いやはやありがとうございます。早速旭川に宿を取りました。
捨てアドを晒しますので、面倒をおかけいたしますがご連絡下さい。
楽しみにしています!
遅くなりましたがメール発信しました。
楽しみにしてますよん♪
老猿さん、ありがとうございます。 今松前でホトメを見れない状態なので、5日までお待ち願えませんでしょうか。 すみません。
昨日は函館の旧市街を歩き倒し、今日は志苔館址など史跡を数ヶ所。 SapporoClassicをカクテキと潮騒を肴にいただいております。
了解です。
さてどこに行って何を飲みましょうか♪
昨夜はすっかりご馳走になってしまいました...
ありがとうございます。
後半は多少記憶が途切れているんですがw
楽しかったです。
>>382 記憶飛ばしは俺も同じです、というかそれ以上ですのでご安心を。
お世話になりました。楽しいお酒でした。
老猿さんはどこまでもジェントルマンでしたよ。俺と1歳しか違わないというの
が信じられない若さでした・・・
ようやくうちにたどり着き、旅の垢を落としてたらこんな時間に。
旅行中のことはおいおい書いていきます。
お休みなさい。
>>383 お互い記憶がないのに楽しかったって言うのもおかしな話ですがw
持ってきていただいたお酒、本当においしかったです。
銘柄はもう忘れちゃいましたけど。
>>384 いやほら、何話したのか憶えてないけど、楽しいという精神状態が数時間
続いたなあという余韻が翌朝も残ってることってあるじゃないですか。
前半は憶えてますよ。キター君の天才性についての話とか、おおむらさんを
筆頭とする壁の古参の方々の話とかね。
酒は、「爛漫」の古酒でした。お話したように、蔵元がものすごく甘い酒を造る
所なので、気に入っていただけるか心配だったんですが、安心しました。
旅行中は、全く音楽に触れなかったが、今日はずっと、旭川のCD屋で買った
アイヴズとヴィラ=ロボスを交互に聴いている。買うときは全く意識していな
かったが、この2人、年代的にほとんど同じなんだよな。
旅行は前半がドライブ+丘登り、後半が都市の観察+夜は酒盛りといった
感じで進んだが、ドライブ中もラジオさえ聴かなかった。風景や料理を堪能
していたので、聴覚に対する欲望が抑制されていたのかもしれない。
道南の海沿いを、函館〜旧戸井町〜引き返して上磯〜木古内〜松前〜
上ノ国〜江差〜乙部〜熊石〜八雲〜長万部〜黒松内〜泊〜神恵内〜
古平〜余市〜小樽〜札幌と、3日かけて走った。そのほとんどは海岸に
沿っていて、断崖を縫うように走る区間、段丘上をすいすいと進む区間、
ちょっとした河口平野を渡る区間と変化に富んだものだった。
中でも印象に残っているのは、函館から木古内までと、上ノ国から熊石に
かけての、海岸段丘を登ったり降りたりしながら進むコースだ。
海岸沿いの、数十メートルの奥行きしかないごく狭い平地に人家がびっしりと
貼り付いている。しかし、段丘を登ると、全く対照的な世界、広大な草原が
姿を現すのだ。風が強いせいか、木が生えている場所はこの区間では
少なく、所々に様々のかたちと大きさの畑があるぐらいで、ずっと内陸の
山地まで平原は波打ちながら続いていく。
俺が高台を目指して(館の岬が館跡なら、岬のある半島の狭くなったところに
堀切の跡があるはずなので、それを確かめに)進んでいると、そのトラクターが
作業を終えて道路に出てきた。一本道なので当然すれ違うことになる・・・はず
が、すれ違えない。トラクターのハロー(歯。回転して土を砕く部分)の幅が
道路の幅に比して広過ぎるのだ。半分以下の幅に折り畳んだドライブハロー
なのに、うちで使ってる本州仕様のハローの1.5倍はある。
2台はスピードを落とさずに近づいてくる。先を走っている方のオペレーターは、
坊主頭の若者らしい。逆光で分からなかった顔が、だんだん見えてくる。
おそらく22〜3歳、困った様子も怒っている様子も、申し訳なさそうな様子も
ない、ひどく静かな表情をしていた。追走する方は、多分父親だろう、
60がらみの精悍な容貌が見えた。
多分こちらの表情(なぜか、ぎこちなく笑っていたような気がする)が伝わる
距離まで近づいてから、俺は我に返ってバック運転を開始した。幸い100m
ぐらい進んだところに別の畑の進入路が口を開けていたので、そこに車の
尻を突っ込んだ。
その前を、相変わらずスピードを全く変えずに、2台はその行動に一糸の
乱れもなく、通り過ぎていった。息子の方は一瞥もくれず、父親の方は
わずかにこちらに視線を向け、深々と会釈して。
今でも、息子(多分)の静かな、確信に満ちた顔が印象に残っている。
自分のやるべきことはわかっている、それを効率よく遂行するだけ、といった
ような。
そしてそのやり方について、自分がよく知っているということを知っているような。
『Ambarvalia』より 旅人 西脇 順三郎
汝カンシャク持ちの旅人よ
汝の糞は流れて ヒベルニヤの海
北海 アトランチス 地中海を汚した
汝は汝の村へ帰れ
郷里の崖を祝福せよ
その裸の土は汝の夜明だ
あけびの実は汝の霊魂の如く
夏中ぶらさがつている
壁に来て3度目の7月。
雨が野草の生育を助けている。1週間で空き地が沸騰していた。
函館市街のどんづまり、外人墓地を過ぎたあたりから、下に降りる急な坂を
発見。鎌倉の時を思い出し、降りてみると案外早く着底。
下は漁師町だった。海岸に平行して伸びる細い路地の両側に、魚網を干した
家々が連なっている。通りにはしばしば長椅子が置かれていて、漁を終えた
おっさんやおばさんたちが午後のけだるい時間をぼーっと、あるいはゆるゆると
会話しながら過ごしていた。
猫が多い。俺が2mぐらいまで近づいても逃げない。逃げないどころか、
寝そべったままでこちらをちらちら盗み見ている度胸のある奴(単に怠惰な
だけかも)もいる。緊張感なし。
500mぐらいだったであろうその通りで、見かけた猫は実に6匹に及んだ。
新鮮な雑魚や加工品の切れっぱしなどをたらふく食べているだろうこの猫
たち、しかし不思議と皆スマートだった。やはり青魚は食べても太らないの
だろうか。
北海道のことも書き切れていないのに、今度は西へ。
行って参ります。
テレビドラマの『電車男』第2話を所々見ていた。まとめサイトを読んだ時
ほどではないが、首の後ろに変な汗をかいてしまった。あそこまで主人公の
行動をギャグっぽく描く必要があるのか、個人的には首を傾げたが、ネットの
向こうの毒男etc.連中の活躍には正直心温まった。そうか、ああいう風に
描写されるわけやね。
せっかく飛騨に行ったのに、肉嫌いな偉いさんのおかげで飛騨牛を堪能する
ことができなかった。川魚なんぞどうでもいい、俺に肉を食わせろ!!
我慢できず、帰りにスーパーで飛d・・・オージービーフを買って食らいついた。
また太る。
飛騨古川は風情のある街だった。高山の方が有名と思うが、こちらもなかなか。
双方電車で20分ほどで行き来できるので、高山観光に行くことがあれば、
飛騨市にも寄ってみてはいかがかな。
おやすみなさい。
夏の納涼イベントの手伝いで、炎天下からさっきまで。浴衣姿の女性たちが
楽しそうに闊歩する中、その邪魔にならないように隅っこを汗だくで走り回る
一日。
なにやら俺の人生の縮図のような・・・
いやちょっと弱気になってるな。
老猿さんと飲んだ時の話。
旭川の某ホテルのロビーに、老猿さんはかっちりとしたスーツ姿で登場。
畏れ多くも、迎えに来ていただいたのだ(ありがとうございました)。事前に
服装についての連絡があったのですぐわかったが、それがなかったら
気付けたかどうか自信がない。俺と1歳しか違わないとは思えない、オッサン
特有のくたびれ・弛み・脂っぽさがない、さわやかな男性がそこにいた。
並んで店まで歩いていったが、風景的には「叔父と甥」という感じでは
なかっただろうか、というとちょっといい過ぎだろうか。
居酒屋でしばらく飲んだのだが、俺の癖で話題をころころと変えてしまい、
壁についてもっとじっくりと話せばよかったというのが今になっての反省点だ。
ただ、しばらくROMっていたが1000行ったのを機に見失ってしまった人の
新スレを教えてもらったりなど、俺の側は沢山教えてもらった。また、壁内で
特に注目しているスレ・人が大体かぶっているようだったことには、安心?した。
なかでも老猿さんが熱っぽく語ったのは、上にも書いたがキター君の凄さだ。
議論を根本からひっくり返してしまう発想力、AAを育ててしまう構想力、さらに
登場時点からレス内容が成長しつづけていること、どれをとっても素晴らしい
と、もうべた褒め。壁と壁住人が心底好きなんだなあと感じた。
2軒目・・・に行きましたよね?あれ行ってなかったっけ?行ったとしても
どんな店だったか全く憶えていないんですが(ごめんなさい)、でもなんとなく
楽しかったという感情の断片が残っています。
・・・とそんなこんなで、12時前にお開き。俺は2日連続、老猿さんは3日連続の
飲みだったし、なにより俺が泥酔して迷惑をかけるのを恐れた(いやすでに
泥酔していたのかもしれないが)ので、まだまだこれからという時間にホテル
までまた送ってもらった。
老猿さん、本当にお世話になりました。そしてありがとうございました。
ここまで書いて、なぜ老猿さんの髪の毛に言及しないのか?と首をひねって
いるあなた。世間とはそんなに甘いものではありません。教えてほしかったら、
俺に飛騨牛か但馬牛か松坂牛か神戸牛か前沢牛のヒレ肉を最低1kgは
送ってもらわないとね。ってしつこいっすね。
それでは300を遠慮なくどうぞ↓
300ゲト
2軒目は韓国料理店でしたよ♪
すっかりご馳走になってしまってこちらこそ恐縮でした。
叔父と甥は言い過ぎかとw
って400じゃないですかw
ほんとだ400だ。素で間違えました。
起床時間と就眠時間がずたずたになる時期が到来。
これからお盆までスタミナを付けないと、ということにして中華料理屋に
行ったら、頼んでないチャーハンとわかめスープが出て来た。
後で聞いたら、注文した豚肉ピーマン炒めを「豚肉ピーマン炒め定食」と
勘違いしたらしい。他にジャジャ麺とワンタンスープも頼んでいたんだがな。
でもまあ美味しそうだったので突っ返さずに食べた結果、腹が割れそうに。
10時間経った今でも腹部の膨満感が消えない。
何だか最近食い物の話ばかりしているような・・・
きーぼーどのうえにはっぽうわいんをこぼしたひのよくじついこう、すぺーす
きーがはんのうしなくなってしまった。かんじへんかんができない。
けいたいでかきこむのはしんどいので、しばらくROMにてっしている。が、
そろそろがまんできなくなってきたので、しゅうあけにきーぼーどをしゅうりに
だそうとおもっている。
・・・かきこみをながめると、きもちわるいぶんめんだ。おっさんはむりしてでも
かんじをたようすべきといういけんにもいちりあるとかんじる。
スペースの替わりに「変換」キーを押してみるとか
>>404 へんかんきーをたたいてみたら、すぺーすきー・むへんかんきーとともに、
みごとにむはんのうでした。とほほ。
ぶんしょうがかけないじょうたいになったとたんにかきたくなるってのは、
てすときかんちゅうにみょうにどくしょよくがわいてくるみたいなもんなんで
しょうかね。
あしたしゅうりにだします・・・
2chも、もうそろそろ潮時かな。
どこを向いても、嫌韓、嫌中、嫌東北の嵐。ハーフスレにまで、嫌混血厨が
粘着してやがる。
厨には世界史板で慣れてるはずだったが・・・ なんだか、辛いよ。
なんだか、リアルの方が優しいような気がしてきた。
飲み過ぎかな。
夏ですが、私の出入りしているOS板、昔のPC板あたりはえらく静かなもんですよ。
本当に静かなのか、自分が厨慣れし過ぎてるのかは判断しづらいところですがw
普段はスルーするようにしています。嫌いなものを嫌いという権利は誰にでも
ありますから。
でも、スルーしても、書き込みから漂う「憎悪」が、いつのまにかタバコの
ヤニのように自分にもこびり付いて、蓄積されるような気がするんです。
そのヤニが皮膚炎を起こすような感じで、勝手に消耗してしまいます。
おそらく実体験に基づかないであろう、観念的に○○が嫌いという思いは、
観念的であるがゆえにどこまでも高まっていくような気がします。
でもまあ、高かろうが低かろうが、関係ない俺が横で見てるだけなのに
消耗してしまうというのは、俺が2chに向いていない証拠なんじゃないかと。
典型的な認知的誤謬ですよ。
知識構造がそうなっているために、人間はステレオタイプから逃れることはできませんがね。
個の集まりである組織は総体をもって何をか語ることはできないにもかかわらず、
我々がそれを極度に単純化してしまうのは、如何ともしがたい宿命ですかな。
それを解決してくれるのはそれ自体の認知と視野と拡充に尽きる気もします。
それですら不足であるのですが。抽象派の画家の絵はよく分かりませんな。
↑意味不明だゴルァ
>>409-410 個の集合体としての組織・集団を単純化し、単体として「評価」すること、
そしてその「評価」から「感情」が生み出されること自体は、まあしょうがない
かなと思います。抽象化によって切り捨てられる多様性や細部は、まったく
もったいないでんすが、それでも一定の抽象化なしに、認識ということは
できないと考えています。
ただ2chでは(いやよそでも過去にもよくある話なのかもしれませんが)、
「感情」が一人歩きし始め、それが「評価」を作り出すような逆転現象が
起こっていて、さらに、自分好みの「評価」を組み上げるために、「情報」を
意図的に取捨選択して提示するようになっているように思います。そして
収集された画一的な情報が盲信され、「評価」を生み出し、「感情」を強化
する。この繰り返しで、「感情」がどこまでも高まっていくように、自分には
見えます。
わかりにくい抽象派というと、カンディンスキーやミロあたりでしょうか?
自分がずっと追いかけている、アル=アンダルスと夷嶋(蝦夷地)の中世に
は共通する点があると思っている。
ひとまとまりの領域の中に、2つ以上の異なる文化を持つ人々が存在して
いたこと。それぞれの文化の間の大きな対立構造がありながらも、文化を
越えた合従連衡が珍しくないこと。時代が下るにつれて片方のもう片方に
対する軍事的な優位が増大し続けること。遠隔地交易の結節点のひとつと
なり、富が蓄積されたこと。外部からの干渉が頻繁に繰り返されること。
「異なる者同士が共存する」ということが意識されないほどの多様性を
持っているわけでもなく、共存することが不自然と見なされる均質な世界と
も違う、きわめて動態的な社会。そしてその様相は、行きつ戻りつしながら、
ゆっくりと、しかしはっきりと他者の拒絶、不寛容、憎悪へと傾斜していく。
そして最終的に、異なる人々の混住状態が消滅し、追放や制度的な苛斂
誅求の開始など、悲劇的な結末を迎える。アンダルスにおいては、16〜17
世紀における改宗イスラム教徒・ユダヤ教徒の完全追放。夷嶋において
は、1669年に勃発したシャクシャインの戦いが象徴的だ。
近世に至るまで、数百年の長きにわたって続いたこの「共存」と相互依存の
システムはどのようなものだったのか、そしてそれがどのように変容し、
不寛容に至ったのか。不寛容や憎悪の発生は、共存システム自体にその
芽があったのか。自分の興味は、そういう面にも向かっているのでは
ないかと考えている。
>>411 単純化というのは不正確な表現でした。
あれは単にステレオタイプの特徴の一つを述べただけでして、
ある集団の大半がある特徴をもっているとき、
その集団の全てがその特徴をもっているかのように判断してしまう、というのがありまして。
私が唯一気がかりなのは、あなたが集団 (ここでは2ch) の総体を判断するとき、
この点で単純化されていることを認知機構の名のもとに正当化しているのか、
それとも認識はしているが当座の議論として細部を保留しているだけなのか、
あるいは気づいていないのか、のうちのどれなのかということだったのです。
是非とも2番目であってもらいたいと。
ただそれだけ (議論に対する姿勢、つまり議論の枠組みとしてのメタ議論) で、
議論の中身に文句をつけているわけではないのです。
>>414 形而上だけあって下らないよ、わろすわろす
また余計なことを書いてしまったorz
このスレからも去ることにします…
>>414-416 うわっちょっと待って下さい、去らないで下さい!
すみません、外泊したりで、しばらくここ覗いてなかったので・・・
「単純化」に対する
>>409での指摘が、嫌悪感に動かされている人々に向けて
ではなく、俺自身に向けられていることに全く気付いてないあたり、自分は
本当に傲慢でした。反省。
上でも少し書いたのですが、認知(これって心理学用語ですよね?)や
議論をスムーズに行うために捨象される「細部」を忘れているわけでは
ありません。
議論をするときは、最初にことばや概念のすり合わせを行う必要上、
ものごとのある程度の単純化・ステレオタイプ化を行わないとスムーズに
進まないので、必要に応じてやむを得ず単純化を行う、といった風に
考えています。そちらの例に当てはめると、2番目に当たると思います。
そして、議論を行っている双方において問題のものごとに対する共通認識が
できあがった後は、再び細部に関する検討や印象の披露が行われる、
という順番かと。
ただ、自分が「類型化の快楽」に溺れることがあるという自覚もあります。
トータルとしてステレオタイプ化してしまうときもそうですが、ひとつの集団
のさまざまな構成要素を3〜4つの類型に当てはめることを、当てはまら
なかった部分を切り捨ててしまいながら、しばしば喜んでやっているような
気がします。その過程で、あるいは議論の中で意図的に捨て去って、
あとからも再登場させずにしてしまった「細部」に対して、仰る通り、もっと
大事にしてあげて、かつ供養してあげなくてはいけないかもしれませんね。
話を勝手に戻して恐縮ですが、2chねらーの全員が、
>>408で述べたような
人々だとは、全く思ってはいないんです。特に何のアンチでもない人が
大部分、残りも「人はどうであれ、自分は○○が嫌い」といったような、
他者の価値観を否定しない程度の嫌悪感の持ち主であり、俺が苦手な、
「自分の価値観に異議を唱えるものを徹底的に潰そうとする人たち」は
多分一握り、声が大きいだけで割合としてはそれほど多くないと思っています。
そういった人たちの中でもさらに、場所をわきまえずに主義主張を繰り返す
輩がいます。いわゆる『厨』と呼ばれている人々です。この人々に対して
最も有効とされている方策がここでは「スルー」であり、自分もその流儀に
倣ってきたわけです。
しかし、行為としてのスルー(レスを付けない)はできても、心のどこかに
わずかづつですが引っかかりが残り、そこに苦さが蓄積されていくのを
感じるようになってきました。つまり、自分は精神面でのスルー(相手の
書きこみから何も受け取らない)がきちんとできない人間なのだな、と。
彼らの意見に腹が立つのではないのです(立つこともたまにありますが)。
叩きに見せる執拗さと粘着性、自分の意見と異なる者を「在日」「プロ市民」
というカテゴリに一方的に封じ込めることによる「聞く耳の持たなさ」。
そういった行為に、単なる鬱懐晴らし以上の情念を感じてしまいます。
これに触れ続けることが、ちょっとしんどくなってきたのです。2chに向いて
いないというのは、そういう意味、あくまで自分自身の資質の問題として
書きました。
まあ、しんどいなりに、もう少しうろうろします。
毎年恒例、高校の友人たちとの泊まり飲み。同期の一人が1歳の長男を
連れて来たが、こっちが笑顔だと向こうもニコーと笑い返す。かわいい。
客観的に見て、甥姪や他人の子供をかわいがる独身はイタいという意見を
よく聞くが、まあかわいいんだからしょうがない。
損得抜きで微笑みかけてくれる人なんて、自分にはなかなかいないから
なあ。自分も同じなわけだが。まあ許して下さいよ。
スプマンテ(イタリアの発泡ワイン)、フェラーリの辛口を、ビターチョコで
いただきながら、トンコリ(樺太アイヌの弦楽器)奏者OKIの"Kamuy Kor
Nupurpe"を聴いております。伝統音楽にこだわらず、好き勝手やってる
様子が好印象。
35人中34人を男性が占める(ことになるらしい)部署への転属が決定。
気楽でいいといえばいいんだが、なんだかなあ。
仕事も家業も一段落。ようやく夜更かしができる状況に。
本格的に鳴き始めた虫の声を、しばらく聴いていよう。
写真集を買ってきた。もちろん長身美尻・・・ではなく、こんなの。
ttp://book.japandesign.ne.jp/w-book/050126-2.html 窓を通すと、眺めている自分が風景に取り込まれず、対峙できていると
感じられる(本当はそんなことはないんだが)。ダイナミックに、あるいは
ゆるやかに流れる事象を、外部から虫のように観察しているような気になる
のは、ちょっと楽しい。
根っからの田舎者なので、人造物に覆いつくされた光景を見るとわくわくする
というのもあるしね。学生時代を思い出す。
きっぱりと断言できますが、アイドル以外の写真集を買ったことがありません。
そこに出ているのは、オフィスビルから見たアサヒビール本社でしょうか。
一瞬なんだかわかりませんね...
おねえさん系の写真集といえば、学生時代は鷲尾いさ子とか持ってたなあ。
「鉄骨飲料」という飲み物のCMでの素っ頓狂な歌声と振り付けを見て、
ファンになった覚えがあります。今ではお母さん役だもんねえ。
>424のリンク先は、おそらくマンションの寝室から見たアサヒビール本社だと
思います。画像の下の方でこんもりとしているのは、実は布団なんです。
朝晩あの金ぴかの妙な造形を眺めながら送る生活・・・どうなんだろう。
写真集には、他にも東京タワーや東京ドームなどの構築物、駅のホームや
高速道路、歩道橋などの絶えず人や車が行きかう場所などが窓によって
切り取られて載せられています。
(;´Q`) うんこビルですね
本当はビールの泡らしいけど、やっぱりうんこ
お通じの良くなりそうな居住環境ですね。
お姉さん系の写真集、結婚するときにかなり処分しましたが
あれとあれだけはとってあります。
>427
今後あのビルを見てもアサヒビールを想像することはなくなるでしょう。
もううんこにしか見えない・・・どうしてくれるんすかマッタク!
あの界隈、川向こうから眺めたことが何度かあるのみです。来月上京する
際に、時間があればぶらついてこようかなと。
>428
食欲減退でダイエットにもよさそうですね。でもすぐ見慣れてくるとは思い
ますが。
おねえさんといえば、学生の頃帰省列車の中で読んだ雑誌が時々部屋から
出てくるのですが、スレンダーな井川遥が表紙を飾っていたりしていて、
なかなか面白いです。
さっきから探してるんですが、また見えなくなってしまいました済みません。
井川遥のは、確か98年頃のサンデー毎日だったと思います。って全然
学生時代じゃないですね。
90年の太陽や95年のアサヒパソコンなら見つかりましたが・・・
昨日夕方、5km先のコンビニに行くべく車を走らせていたときのこと。
車体後半部の下の方から、何かが外れるようなカチリという音がしたと
思うと、これまでのブーンという排気音とは違う、バババという騒々しい音が
車内にあふれてきた。
ふた昔前ぐらいのヤンキー車からしてた爆音とは、音量に違いはあるものの
性質的には同じ音。マフラーに穴が開いたのではないかと気付いたのは、
3〜4分経ってからのことだった。
走行に支障はないし、爆音ってほど大きな音でもないので、近所迷惑では
ないと思うのだが、大事を取って今日の仙台行きは中止。
これ見に行きたかったんだが、来週の土日は色々あって遠出は無理だ。
諦めるしかないようだな。残念。
ttp://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/monthly/index.html#tokubetuten
マフラーに穴が開いたのではなく、排気管がマフラーから外れかかって
いた。とほほ。
走行距離13万キロ、搭乗年数7年(自分が乗るようになってからで7年。
平成7年車を中古で購入)。それなりにメンテはしている。
エンジンはまだまだ快調だし、馬力も衰えていない。しかし今冬の事故
あたりから、燃費がどんどん悪くなってきているのを感じもしている。
修理してもう少し乗るか、買い替えか、今週中に結論を出すことにしよう。
まだ雨は降っていないが、夜に入って気温が上がってきている。
まだあんなに離れているのに。台風の、風を送り出す力の強さがわかる。
九州、四国をはじめとする西日本の方々のご無事を祈っております。
こちらでも、果樹農家が枝の補強を始めています。うちの菊は大丈夫
だろうか。
おやすみなさい。
>>432 たまたま同日、開催場所の前を通りましたが、
とんでもない混み具合でした
会期末近くでも、やはり土日は人出が多いですね
>435
次の(会期中最後の)土日は選挙ですしね。駆け込み客が少し早めに殺到
したのでしょうか。
無着・世親立像を見るのを楽しみにしていました。もう悔しいので、いずれ
数年以内に奈良まで行って見てこようかなと思っています。仏像もさること
ながら、寺のくせに大和守護職まで務めた興福寺のたたずまいも確認したい
ですし。
なお、実現していれば、今回が初めての仙台市博物館観覧でした。次回の
円空仏展ではぜひお邪魔したいです。
飲み会大杉
しかし、26人全員男性ばっかりの宴席はなかなか壮観だな。
おやすみなさい。
来月、学生時代の先輩に誘われて南関東に行くついでに、前泊してライブで
も聴きに行こうと検索。ファンファーレ・チォカリーアが来ることを知った。
ttp://www.saf.or.jp/performance/geijyutu/05_17.html 滑り込みセーフでチケットを入手。コンサートホールというよりビアホールとか
で聴いてみたい人達なんだが、わがままはいうまい。
Fanfare Ciocarlia、自分はPiranhaから2001年に出た"Radio Pascani"1枚しか
持っていないが、アルバムは全部で4枚出しているようだ。彼らの曲は、最近
も情報番組なんかで耳にした。レコードを早回しにしたような速いテンポで
演奏される曲調が、何かを急いでやっている映像のBGMとして向いているん
だろう。
2002年頃にワールドミュージック好きの間でちょっとしたブームになったこの
グループ、とにかく演奏スピードが速い。全曲アホみたいに速いというわけで
はないんだが、曲によっては本当に、みんな尻に火がついているんじゃない
かと思うぐらい、速い。ドサ回りで飯を食う以上、速弾きを含む技巧で聴衆を
湧かせることをよしとする発想があるのは当然であり、注目されたのもその辺
からだと思う。
ただ、個人的には速さより、ロマ(ジプシー)風のかげりのある旋律をブラスで
やってしまうことによって発生する、明るいのか暗いのかよく分からない
ニュートラルな色調が好きで聴いている。正直にいって、初めて聴いた時に
真っ先に思い浮かんだのは、「故伊丹十三監督がまた映画を撮ったなら、
この人達をサントラのために招いたんじゃないだろうか」という妄想だった。
テンポの比較的ゆっくりした曲には、ペーソスと言い切ってしまうほどでは
ないが、何かそれに似たようなものが漂っている感じも受ける。
彼らについては上のサイトでも紹介があるが、自称「音楽をやるには最適な
地の果て」であるゼチェ・プラジニ村在住のロマのおっさんブラスバンド。この
村はルーマニアの北東部、モルダヴィア地方のさらに端っこにある。ちなみに
すぐ近くの国境を越えれば、マイヤヒーでおなじみのオゾンのメンバーの
出身国であるモルドバ共和国。
西欧やポーランド・チェコ・ハンガリーなどのジプシーは弦楽器中心の
アンサンブルを組むことがほとんどだし、東欧でも主流は弦楽器だ。しかし、
彼らの出身地であるモルダヴィアをはじめ、モルドバ、ブルガリアやマケドニア
などではブラスバンドが珍しくない。
ファンファーレ・チォカリーアの発掘者兼マネージャーの言によれば、ドイツ系
やハンガリー系の移民がブラスバンドをモルダヴィアに持ち込んだとのことだ。
しかし、これではドイツ系・ハンガリー系が少ないのにモルダヴィアに近い
スタイルのブラスバンドが存在するブルガリアやマケドニアの事例の説明が
できない。やはり通説に従って、トルコ軍楽隊の影響下にこれら地域での
ブラスバンド文化が成立したと考えた方がいいと個人的には思う。
ただ、メヘテルハーネ(トルコ軍楽)が戦意高揚と敵をビビらすためのもので
あるのに対し(トルコ軍に攻囲されたウィーン市民は、スルタンの親衛隊の
演奏が聴こえてくると震え上がったという話が残っている)、現在のバルカン
諸国でのブラスバンドの機能は、結婚式をはじめとする冠婚葬祭の場での
BGM演奏だ。状況に合わせ、客が泣きたい時は泣ける曲、踊りたい時は
踊れる曲といった風に、その場に音楽を提供し続けてきたのだろう。もちろん
リクエストにも応えるし、時代時代の流行歌も取り入れながら演奏してきた。
80年代後半に西側でランバダが流行ったとき、彼らもラジオでそれを聴き、
必死にコピーしたんだそうだ。もちろんコピー後は、彼ら風に畳み掛けるような
ランバダに変貌を遂げているわけだが。
さて来月の演奏では、何か日本の曲を披露してくれるかもしれない。個人的に
は八木節とか「美しき天然」あたりを演ってほしいなあ。
休みが続くと、いつのまにか1日26時間ペースになってしまう。
この時間でも眠くないのはまずいよな。身体は疲れているんだが・・・
春雨食べて、なんとか眠気を誘ってみて、寝ます。
おやすみなさい。
急激な温度変化に耐えられず、風邪ひいてしまった。
関節に違和感があり、痰も絡む。熱が上がる予感がする。
皆さん外に出る時は、一枚多めに着て行きましょう。
おやすみなさい。
NHK天気予報に、例の冬将軍アニメが今秋初登場。実況板ではキターレスが
1分間に40以上もついていた。相変わらず大人気だ。
明治ショパンをつまみにGreen Point(オーストラリアの安発泡ワイン)を飲り
ながら、ガムランを聴いている。どうせならショパンを聴けよという突っ込みは
勘弁。ショパンは1枚、甘々の夜想曲集しか持ってないし、チョコ食いながら
ノクターンでは虫歯になりそうだ。
ガムランは、スマルプグリンガン形式のもの(『輝きのスマル・プグリンガン〜
グヌン・ジャティのレゴン・ラッサム』 King Record)。日本で耳にする機会の
多いゴン・クビャール形式のようなダイナミックさはないものの、艶っぽいのに
鋭く、テンポが急激かつ頻繁に変化することで、後頭部の筋肉に絶えず力が
入ったり弛緩したりさせられるところが魅力だ。
レゴンとは、バリダンスをやっている人ならご存知と思うが、女性2人か3人で
踊る舞踊のスタイルをいう。このCDのメインはこの舞踊劇の伴奏で、聴く
ほどに舞踊そのものを見たいという欲望が高まるという厄介な作品だ。
数年前にNHK教育でダイジェストを流したことはあったんだが、うちのテレビは
音が悪いし、第一はしょりすぎで到底満足のいくものではなかった。DVDが
出てないか探してみるべきかもしれない。どうせならバリに見に行けばという
お勧めも、勘弁。金がない。
ただ、ガムランは一度生で聴くべきだと思う。なぜなら、非常に豊かな高次
倍音(バリ人はこれを「シュル・・・」という擬音で表すらしい。別のCDの解説に
あった)と、銅琴を銅製のハンマーで叩くときのチッというアタック音を、耳に
することができるからだ。13年ぐらい前に聴いた音を、今でもありありと
思い出せる。
そんなのどんな音楽だって生の方がいいに決まってるだろ、という意見にも、
もう一回勘弁。伝統音楽系なら同意しますがね。
>>444 冬将軍キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!は
たぶんかつて実況板の名物だった手嶋スレが発祥だと思います。
当時の実況板は人がいなくて静かだったなぁ。
現行のユニクロCMがホーミーですね。。。
>>447 手嶋支局長って、今は日本に戻ってるんでしたっけ?
湾岸戦争のときから9.11テロ、イラク戦争までずっとワシントン支局長
でしたよね。アメリカで大事件があるたびに数週間毎日、しかも1日に
十何回もレポートを送る彼の顔を見ていると、いったい今年は何年で、
今は何時だっけと不安になることがありました。
実況諸板は、いつのまにか2ch屈指の人口を誇るようになりましたね。
自分もNHK実況での北見市最高気温当て競争を楽しみにするように
なっています。
>>448 早速探してみたら・・・2chのCM板で見つけました。これですね。
ttp://www.uniqlo.com/check/cm/ この兄さんの力みがいいですね。あっさりと倍音を出せる名人にはない
味があるような気がします。
俺はといえば、あんまり上達していません。倍音部分の声量が相変わらず
問題ですし、なかなか低めの倍音を出せない。もう一回きちんとしたサイトか
本を読む必要がありそうです。ところでお久し振りですね。
それにしても、なんでカシミア(インド・パキスタンにまたがるカシミール
地方がちょっと前までの主産地)なのにホーミーなんだろうと思っていたら、
モンゴルや中国でカシミアヤギの飼育が盛んになってるのだとか。
商魂に脱帽。
>>449 手嶋さんは、海老沢一派と目されていたためか会長交代時に
事実上の降格処分を受け、これを不服として退職されたようです。
どこかで大学教授になってるんじゃなかったかな...
>>451-452 辞めるんじゃないかという話は聞いていましたが、本当に辞めたんですね。
情報ありがとうございました。
でも、同じ業界一筋もいいんですが、そうやって立場を変えて、自分が吸収
してきたことをいったん整理・抽象化して、それをまた人に(論文というかたち
や教育というかたちで)返すというのも楽しそうです。
もちろん手嶋さんの場合は学問的に価値のある論文を仕上げるためであって、
単なる自分の楽しみのためだけではないでしょうけどね。
俺もちょくちょくいろんな会社や組織に出向しているんですが、学校に戻った
ことはないなあ。教育とのかかわりというと、学生の卒論に協力したことが
あるくらいでしょうか。
訂正
>>449 手嶋さん、湾岸戦争時はまだ支局長ではありませんでした。
ごめんなさい。
稲刈りは今週中旬には終わる予定。で、土曜からの3連休は関東。先輩の
作品とチォカリーアのライブの他、諸事情により主に小田急沿線を徘徊します。
前スレで紹介いただいた浅草の蕎麦屋やうんこビル!界隈、行きたかったん
ですが、また次回、月曜以外で自主的に動ける時間の取れる時にお邪魔
いたします。
チォカリーアのライブは楽しかった。メンバーに女性ダンサーがいることを
今回初めて知ってびっくりしたが、ベリーダンスとフラメンコの両方の要素が
垣間見えるダンスは妖艶で、『007のテーマ』で踊ったのはなかなかの見もの
だった。後で調べて、彼女がタラフ・ドゥ・ハイドゥークスの名物爺さん・ニコラエ
(故人)の孫だと知り、2度びっくり。
で、正直一番面白かったのは、ライブが終わった後のロビーで演った数曲。
やっぱり客席から見上げる人達じゃないと感じた。といっても自分の席は
天井桟敷みたいなところだったが。
ジョイントした渋さ知らズは、勢いのあるサウンドは気に入ったんだが、暗黒
舞踏みたいな白塗りの人達や50年代風女性ダンサーは正直邪魔に感じた。
チォカリーアとの共演では、渋さの指揮者?が仕切り過ぎで冗長になって
いたのが残念。全体的には十分満足のいく出来でしたが。
見に行った展覧会などについては、また後日。
おやすみなさい。
なぜチョカルリーア(レコード会社や出版社による表記の仕方である『チォカ
リーア』にわざとらしさを感じるので、今後はこのスレではこの表記にしたい)
のダンサーはよくて、渋さのダンサーは邪魔に感じたか。
一言でいえば、音楽と対等に渡り合う気概がダンサーにあるかどうか、かつ
そのもくろみが結果的に成功しているかどうか、で自分は判断しているような
気がする。渋さのダンサーは「バックグラウンドダンサー」でしかないように、
自分には感じられた。
渋さ知らズとしては、音楽・ダンス&舞踏・舞台セットを全て含めた「ショー」を
演じているという認識でいるのだろう。そうだとすると、メインを引き立てる
ための要素のひとつとして、メインと切り結ぶとか物騒なことを考えないで
淡々と踊っていても全然問題ないわけだ。チョカルリーアだって、アウレリア
のダンスをショーの一要素と割り切っているのかもしれない。ロマである彼ら・
彼女らの生業を考えると特に。
だから、総合芸術としてのショーにおいて、「諸要素の関係性の整合性」や
「諸要素が同居することで発生する異化作用や相乗効果」を重視する人は、
渋さのようなステージを見ても違和感を感じないと思う。俺のように、「諸要素
が互いを刺激し合うことによるヒートアップ」「諸要素が同居することで発生
する、諸要素そのものの変容」を重視する人間にとっては、渋さのサウンドが
あれだけ熱かったのにもかかわらず、散漫な印象を拭えなかったんじゃない
だろうか。隣の席の人も、しきりに首をひねっていた。
>>440で「チョカルリーアのメンバーの住まいのあるゼチェ・プラジニ村は
モルダヴィア地方の端っこにあり、すぐ近くにモルドバとの国境がある」と
書いたが、間違いでした。モルダヴィアの中北部で、国境までは数十キロあり
ました。会場の廊下に村の紹介パネルと写真が展示していたので判明しま
した。すみません・・・
他に、プラート美術展とイスラム美術展にも行ってきた。
前者は、イタリア・トスカーナの小都市プラートの所蔵品を中心としたもの。
ttp://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index6.html フラ・フィリッポ・リッピの『身につけた聖帯を使徒トマスに授ける聖母』を堪能
できたし、
>>313で触れた『プラートの商人』(3月から全然読んでない)の
主人公、フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニの肖像画が見れたのは
儲けものだった。真っ赤な長衣に同じく真っ赤な帽子、鋭い眼光、充実感の
ある顎。一代でのし上がったやり手ぶりよりも、目的のためには手段を選ばな
そうな厳しさと一途さが描写されているように感じた。
それにしても、東郷美術館に行ってセザンヌもゴッホもゴーギャンも見ないで
帰ってきてしまったが(東郷青児だけは見ざるを得ない仕様になっている)、
よかったのか?
イスラム美術展は、砧公園の中にある世田谷美術館での開催。
ttp://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html アンダルス産の象牙の小箱3点やオスマン朝の簡素な渦巻文様の陶器が
印象に残っている。オスマン朝時代のアナトリアの職人は、延々と続くアラベ
スク模様だけでなく、余白を生かした、妙に極東的な感性の作品を残すことが
あるが、その佳品にお目にかかれたわけだ。また、ビロードを巡る、
イタリアがオスマン朝の真似をして製作開始
→ オスマン朝側の職人がイタリアの様式を模倣
→ やがてオスマン朝側で独自の様式が育つ
といった相互作用を分かりやすく展示していたのはありがたかった。
ここの併設しているレストランで、今回の企画展の期間中にマグリブ風?
エジプト風?羊の煮込み料理を出していることをネットで見つけ、楽しみに
していた。が、行く直前にうっかり忘れて釜揚うどんを腹が裂けるほど食べて
しまって、満腹のあまりあきらめざるを得なかったのが返す返すも残念。
代わりに、泊まった安ホテルの近所にあったチュニジア料理店で食べようと
入ってみたが、何も考えずにお任せコースにしたら、メインは・・・羊肉の・・・
キッシュだと?ふざけるな!俺は肉塊に喰らいつきたいんだ!俺に肉を食わ
せろ!
・・・いや、メニューを十分確認しなかった俺が100%悪いんですけどね。
ほら、イスラム圏の料理のメインならどっかで羊の肉塊出てくるだろ、と
その程度の認識。甘かった。あの辺は農業国だし、フランス料理の影響も
強いんだった・・・
チョカルリーアのライブ会場で買ったDVDで、映画『ラッチョ・ドローム』を
繰り返し見ている。
これは今年一番のいい買い物だった。正直、ライブの記憶が褪せるほど。
『ブルース・ブラザーズ』におけるアレサ・フランクリン以上に、この映画の
タラフ・ドゥ・ハイドゥークス(タラフル・ハイドゥチロル)がかっこいい。って
比べるのも変な話だが。
ライブ前、プロジェクターの調子の悪さにこぼしながらも、おっとりした調子で
この映画を紹介してくれたピーター・バラカンに感謝しなくては。
前スレを読み返し、思い立って澁澤龍彦『裸婦の中の裸婦』を注文。
一緒にカルデア教会の典礼歌集のCDも注文。東京で買ってきた、
グレゴリオ聖歌と並行して存在していた様々な地域の聖歌を集めた
"Chant Wars"というCDが面白かったので、ちょっとその源流に近いと
思われる中東の音も聴いておきたいと思ったので。
もう一回寝ます。おやすみなさい。
学生時代の友人が本を出したとのこと。早速注文。
仕事と子育てを両立させながら、その上で翻訳を手がけたのだそうだ。
すごいよなあ。
ふらふら漂いつつ、もう11月がすぐそこだ。
じっと留まって、何かかっちりしたものを築き上げることがプライベートで
必要なのに、それをしない自分。仕事でそういった構築系?の業務が
増えたこの春から、私的な時間には約束やルーティンを避けて、
「とにかくその瞬間瞬間の思念に従った小旅行」ばかり繰り返している。
まあ前からだが、頻度がぐっと増えたような気がする。
一人旅ばかりしていると、人に合わせるってことができなくなりそうで、
ちょっと怖い。今日も雨の中古い砦を這い登って蕎麦を喰い、2chを
さまよって1日が終わった。
昨日、半仕事半プライベートの外出。奥羽山脈の中腹あたり、紅葉が
最盛期だった。
紅葉がきれいだと思えるようになったのは、30代に入ってからだ。
それまでは、吹雪の後の白い清浄な光景や、圧伏されそうな真夏の
日差しの強さを、美しいと感じるのみ。春秋ってのはなんだか中途半端な
気がして、それに、生命の匂い、生々しさが、どうにも苦手だった。
・・・というのは正しくない。15歳の秋の日記に、「最近景色によく感動する」と
はっきり書いている。
誰かに、自分という人間がいることに気付いてほしい、振り向いてほしい。
誰かを思って胸を熱くしてみたい。そういった願望、欲動を、自分も素直に
抱いていいんだと思えた時期だからこそ、気恥ずかしいばかりに色を競う
紅葉の山々に「感動」できていたんだろうと思う。
今は少し違う。今はもっと覚めた目で、一本一本の木々の色づき方を観察
するような分析的な目つきで山を眺めている。しかし、数年前までのような、
「ひっそりと地味な焦茶で散りやがれ、この目立ちたがり屋が」といった
ひがみ根性は薄れてきているのを感じる。
この変化、自分の感情が開かれてきたと喜んでいいんだろうか。それとも、
自分への諦観が意識のうちに上ってきたせいなのだろうか。
某ソーシャルネットに、今更ながら参加。友人や趣味から遡って様々な
個人や集まりを覗いたり、システムを確認したり、しばらくさまよっていた。
自分の足跡が訪問先に残り、自分のページを見に来た人の履歴も残る。
逆に、自分がどのページを見に行ったのかを確認するためには、記憶に
頼るしかない。一方的なブックマークはできない。掲示板よりは、随分
リアルに近いと感じた。
得られる情報は、音楽に関しては2chその他の掲示板以上に広範囲。
これは嬉しい。しかし歴史、こと中世史に関しては不満が残った。
自分としては、あそこは旧友たちとの連絡場兼音楽情報の収集場として
使っていくことになりそうだ。これ以上PCの前にいる時間が増えるのも
避けたいしな。
おやすみなさい。
お客さんの家で、カベルネ・ソーヴィニヨン(赤ワインの原料となるぶどうの
品種のひとつ)の生絞りジュースを飲ませてもらった。
生食用のぶどうから作ったジュースとの一番の違いは、しっかりとした渋み。
このタンニンのせいで、非常に甘いジュースなのに飲み飽きない。ごく少量
しか製造しておらず、しかも高く売れる首都圏にほぼ全量出荷しているため、
地元で味わえるのは自家消費用分のおすそ分けぐらいなものらしい。
次の製造予定は未定とのこと。運がよかった。
今月は書いてないな・・・
>467で書いたのと裏腹に、毎晩某ネットか飲み会か、という過ごし方を
してしまったからなあ。
と留守がちにしていると、めでたいことがあったり。お幸せに。
来月早々、また南関東へ。今度は仕事。日曜の夜だけ一人になるのだが、
さてトルコ料理でも食いに行くかな。
トルコ料理も食ったし、国会図書館で念願の『イブン・ファドラーンのヴォルガ・
ブルガール旅行記』やイブン・ジュバイルの旅行記の各一部を入手できた
(現在郵送待ち)。でも、もっと時間を有効に使えば、いろんな所に行けた
ような気がするな。
おやすみなさい。
「イブン・ファドラン」と聞いて"プラネテス"を連想してしまいました。
なんかドップリつかっちゃってるなぁ・・・まぁ面白かったからねぇ。
国会図書館って、確か4Fか5Fか、その辺に食堂があったんですよね。
結局あそこで飯食ったこと一度もなかったなぁ・・・
まぁ貧乏だったからねぇ・・・結構安かったとは記憶してるんだけども。
>>471 お久し振りです。
国会図書館、旧館の2階?に食堂があり、先日は急いでカツカレーを
掻き込みました。運ばれてきてから2分ぐらいで食べたと思います。いや、
仕事の合間のわずかな時間がもったいなくて。
値段は・・・印象に残ってないということは、まあ特別高くもなかったのだと
思います。
イブン・ファドラーンが『プラテネス』に登場しているというのは、よく覗いて
いるサイトで紹介されていたのですが、どんな登場の仕方なのか、まだ
確認していませんでした。そのサイトでも、「見てのお楽しみ」とばかり。
どうなんでしょう、宇宙を舞台としたマンガに登場するとなると、過去の
代表的な「探検家」の一人として挙げられてるんでしょうか?
あるいは、キリスト教受容以前のロシア人がいかに「粗野」な生活を送って
いたかを示す資料として挙げられてるとか?確か登場人物にロシア人が
いたような・・・
気温が高く、屋根のトタンは雪融け水でずるずる滑る状態で、あえて雪降ろし。
明日仕事なので、今日しかなかったのだ。
屋根の所々に取り付けてある滑り止めに軸足を乗せ、身体をひねった状態で
スコップやスノーダンプを振るい続けて通算5時間あまり。普段使わない
側筋を酷使。明日・あさっての筋肉痛がありありと想像できる。
しかし、何で12月の中旬に雪降ろしをしなければならないんだ。
おやすみなさい。
積読消化のクリスマスイヴが終了。メリークリスマス!
昨日・今日と、ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生』を読んでいた。最近は
断片的な史料を追っかけていることが多かったので、こういう文明論的な
「大きな話」を述べる本を読むと、とても読みやすい反面、史料の選択に
恣意はないのかとか不安が募る(いや、ないわけがないのだが)。
読んだ内容を十分に消化するには時間が掛かりそうだが、とりあえずは
初期中世の概略書として楽しませてもらった。西ローマ帝国滅亡から
シャルルマーニュ戴冠までの間の西欧史なんて、めったにお目にかかれ
ない環境にいるからなあ。
年賀状かかなきゃな。
おやすみなさい。
結局雪かき以外は家から一歩も出ないで過ごしてしまったこの3連休・・・
といいつつ年賀状すら書いてない・・・
ピレンヌの次はハスキンズ→スケート観戦と・・・
座りっぱなしで尻が痛い・・・
ということで、もう大晦日。今日は2日かかった雪降ろしの疲れを癒すべく
昼までごろごろ、昼から掃除、外出して酒など買い込み、7時ぐらいから
飲み始めて今に至る。
職場が2度も変わり、環境もがらりと変わった。久し振りに営業から解放され、
座って電話やメールに追われる日々。出張も、県外に出ることがぐっと多く
なった。
個人的に北海道に行ったり東京に先輩の晴姿を見に行ったりしたのを加える
と、移動距離では、今年はこれまでになく長かったように思う。昨年までの
停滞が嘘のような、めまぐるしい日々だった。
交友関係では、あまり冒険しなかったな。先日こっそり合コンに出たが、
その場の雰囲気をつかむことができないまま睡魔に勝てずに途中退席
という、相手にあまりにも失礼なことをする有様。ダメダメだな・・・
本は歴史関係ばかり、CDは古楽かコラ関係ばかり買っていたような気が
する。仕事環境が新しいことばかりだったせいか、趣味環境でもあまり冒険
しなかった。ただし、特定の分野を深く掘り下げることができたし、逆に
その理解の裏付けを欲してピレンヌや中世史事典などをあたったことにより、
より大きな構造をなんとなく感じ取れたように思う。
全体的に、もっと度胸が欲しかった。てな感じでしょうか。まあ度胸が足りない
のはいつものことなんだけどね。
年越し蕎麦茹でてきたら、2006年スレが埋まってる・・・
改めまして、明けましておめでとうございます。
またしばらくここでくだを巻きますので、何卒ご容赦を。本年もよろしく
お願い申し上げます。
失敗
今度はどうかな?
>>鞭さん
こちらこそよろしく。今年は仕事での関東行きが増えそうなので、時間を
見つけてぜひ飲みましょう!
今度はちゃんとペースを抑えて飲みますので・・・で、できるだろうか・・・
あけましておめでとうございます
今年も覗かせていただきます。楽しみにしてますよ
|ω・)っ旦
>>|ω・)さん
宜しくお願いいたします。そちらのスレでのつぶやき(時々叫び?)、
俺も楽しみにしています。
吹雪が数日振りにやってきた。明日はまた早起きかな。
さて仕事だ。朝からいきなり偉い人達と会議。行きたくねえ・・・
おやすみなさい。
一人で、地元のイタリアンレストランで飯を食ってきた。
一人客がほとんど見られないこういった店で一人で食事をする行為
(旅行・出張先でを除く)を、20代からずっと封印してきていた。これを
1度でもやってしまうと、すぐ慣れて当たり前のように(給料日あたり
では)行くようになるのは目に見えている。そうすると、「こじゃれた店に
行きたいが一人では気後れ→女性に声をかけて一緒に行く→自分を
恋愛に追い込む」というコンボを実施することができにくくなる。まあ
実際はそんなコンボ、20代中盤以降一度もやってないんだが、黙って
いると一人上手にますます磨きがかかると思っていたわけだ。
でも、もうやってしまったのはしょうがない。
新書を片手に、サラダ、ニョッキとラムの香草焼を貪り食う。会話のない
状態だとどうしても速く食べてしまい、次の料理が運ばれてくるまで
間が大きく空いてしまうのは、出張先での経験などで分かっていた。
大正解。
なぜ行ってしまったのか。理由は2つあるような気がする。
ひとつは、禁煙(卒煙?)によって味覚が鋭敏になり、おいしいものを
食べたいという欲求がこれまでより強くなってきていること。もうひとつ
は、友人が一昨年亡くなったことで、それほど自分を追い込まなくても
他人を求める気持ちが出てきていること。ではないかなと・・・
ってなんだか他人事のように書いているが、今日本屋の帰りにいつもの
ラーメン屋やコンビニではなく、特に何の脈絡もなくこの店が脳裏に
浮かび、しかも封印のことをほとんど思い出さなかったからなあ。
味の方は、香草焼がもっとスパイシーでニョッキが塩分控えめなら
よかったんだが、大体及第点。また足を運ぶと思います。
あけましておめでとうございまーす!
('':::;,,, , ̄, ̄ ̄/ノ ̄ ̄ ̄ ̄~
('':::,,,(:::,, '';;;,,, _ッ( l l)
('';;;:: ,, ('':::,,,''' 三 三三(⌒~ __ノ
('';;::  ̄ ̄ ズサ――、
γ⌒ヽ
(:::::::::::::::) おめでとう2006年!
(,, `ー´) 。 毛虫には冬はきついでしょう・・・
/ (ミつ⌒゚。゚´. あたたかくしてお過ごし下さい!
. (,,,,,,,,(_。⌒_)´ iニi、
⌒⌒`⌒ ``´ (_・_・)
⌒´` ⌒⌒`⌒
昨日からひどい熱で、みかんと味噌汁しか食べられない。布団蒸しの結果
熱は大体下がったが、まだ寒気が残っていし、関節が痛む。
急に温かくなったせいではないかと思う。皆さんも体調管理は気をつけて
下さい。
昨日から17〜18時間ぐらいは寝ていると思うのだが、まだ眠い。
脳が痛まないとよいが・・・
上の番組で細野晴臣と対談しているのは、当時NHKのディレクターだった
吉成真由美という人で、CG界で先駆的なことを散々やった挙句にMITに
入学、ノーベル化学賞の利根川進と結婚して、現在はボストンで認知
心理学や脳生理学に基づいた著書をものしたり、メディア論の翻訳をしたり
しているという、面白い経歴の持ち主。
ネットで調べると、若い頃にこの人をアイドル視していたというオッサン研究者
たちのつぶやきが何件かひっかかってきて、ちょっと笑える。いやでも、
気持ちはわかるなあ。ここまで理路整然と話をして、なおかつニューエイジの
暗黒面に堕ちてしまわない女性って、自分の周りには全くいないから。
それにしても、70年代後半から80年代前半の匂いがする番組だなあと、
しみじみしてしまった。小難しいことをわざと(略し過ぎなくらいに)わかり
やすく、それもギャグめかして説明するというのを、当時はあちこちで見か
けたような記憶がある。
( ´_ゝ`)ノ 本筋はずして恐縮ですが、しつもんです。
「ニューエイジの暗黒面」ってどんな感じなのですか?
>>492 暗黒面=何にもこだわらないことにこだわり過ぎ、一回転して非常に
教条的になり、「既存価値観の否定・破壊」に妙に価値を見出して
しまうこと
とでもいいましょうか・・・
ニューエイジの人達は絶対者への服従を拒否して、大いなる交通空間
みたいなものに自分を没入させることを志向しています。そこから自我の
解放とかチャネリングみたいな発想が出てくるんだと思いますが、いつの
まにかその「空間」に繋がれる人・事物と繋がれない人・事物を分けて
考え、後者を蔑視し、自分は常に繋がれるために自分を「清浄」にして
おかなければならないと思いつめることになる人がいるように思います。
そのことがニューエイジ運動自体から発生するのか、そうじゃなくて誤解
からなのかはわかりませんが。
育ち盛りの子供に減農薬野菜ばかり食べさせて、動物タンパクをあまり
与えないようなタイプの人を知っています。なんというか、「自分は大きな
存在に連なる『精神的に高次な人間』であり、覚醒した人間である。
あなたの尺度で私を測らないでほしい」といった感じで、非常に攻撃的
かつ自己防衛的なんですよね。
うわっ私怨丸出し!
( ´_ゝ`) ふむふむ、少し考えたことを書かせて頂きたく。
思うに、こういう「一回転」現象は、内容と形式のズレという形をとります。
あらゆる規範、あるべき状態、目的を棄てる、という内容を指すにも関わらず、
形式上は「目的の破棄」事態が目的視される、というズレです。
目的論を採る限りで、目的に照らして見えてくる現状の不本意さは、
その目的が到達可能であるかに思われる場合は「努力」や「希望」を、
到達不可能であるかに思われる場合は「絶望」や「倦怠」を呼び覚まします。
選良には絶望と努力を重ねて到達できる、という教養小説みたいです。
このとき、目的を棄てることは、単純に目的を諦めることに思われますが、
実はここで「一回転」のワナが現れる。
悲しげな諦念は、形式上の目的が残ったままなので、
棄てる努力を延々と続けねばならない、ということが伴ってしまう。
必然的に現れる、裏返しの教養小説、ということでしょうか。
( ´_ゝ`) 思うに、音浪さんの知人の女性の方が示す攻撃性は、
自分の築いた教養小説、目的に照らして他人を裁くことだとしたら、
自己防衛性のほうは、努力しても努力しても満足できないことへの哀しみ、
あるいは憎しみと裏表なのではないか、とむにゃむにゃ考えていました。
自分を裁いているのかもしれませんね、その方。
スレタイに勇を鼓されて好き勝手にだらだら書いてしまいました、ご容赦…
ニューエイジの暗黒面。油っけの無い髪の毛に手染めの服を着て、
妙に目がキラキラしている女性、というのが勝手に脳裏に浮かびました。
自分が好きでやってる分にはいいんですが、人に恐怖感を与えて
威圧するのはイクナイ!ですね。怪しげな占いとか心商売みたいに。
|ω・)っd■ ←とか言いつつ民族風な服、小物好き
>>495-496 長文感謝!スレタイの割に最近自分でも短文が多いので、嬉しいです。
自分を裁いている、ですか。確かに彼女、自分で自分を「高める」ことが
十分できていないことに腹立ちを覚えているように見えますね。
人間を縛る固定した規範への反感がニューエイジの基盤だと思いますが、
それが「いま・ここ」そのものへの反感と否定にすり替わっているように見え
ます。飛び出してヒッピーのようにコミューンを作ってしまうこともなく、
自分の周囲を自分の考え通りに変えていこうともしない場合、忌み嫌う
考え方に取り巻かれている現状に甘んじている自分を責めるしかない。
もっと独善的になった方がいいように思うんですがね。とにかくニュー
エイジ好きの人達は、欲望を解放しなくちゃというわりには、「人間は、完全
に解放しても人に迷惑をかけない程度の欲望しか持ってはいけない」と、
妙に潔癖です。
>>497 そういうタイプの人って、きらきらニコニコしながら、びっくりするほど冷酷な
ことを言いますからねえ・・・
民族音楽好きにも、ニューエイジ的な考え方を持ってる人が少なくありま
せん。民族音楽=論理に毒されていない感性の音楽=「大いなる意志」に
近い音楽、みたいな連想ゲームで気に入っているみたいですが、バリの
ガムランのあの精緻な構成のどこが非論理的なのか、問い詰めたくなります。
それにしても、「裏返しの教養小説」という表現、面白いですね。
奇想譚的な小説しか読んでこなかった自分がどこまで理解しているか
あまり自信がないんですがねフハハ。
2度目の出向時代の仲間たちと飲んできて、この時間。
おやすみなさい。
失敗した!
自分でキリ番を取ってしまった!
うわあすまん・・・
寝る
アレックス・ヘイリー『ルーツ』を読み返している。
テレビドラマ版をDVDで買って見たが、原作と違う部分がかなりあったので、
確認したくなったためだ。ドラマは人物の書き込みに力が入っているのと
アフリカを生きる力の根源として理想化して描いているために、話の流れが
明確でわかりやすい。しかし、原作から入った(しかも正直アフリカびいきな)
自分としては、突っ込みたいところが色々ある。
そのうちまた長々と書くと思います。
『ルーツ』について。
18世紀、西アフリカのガンビア川流域で奴隷商人に捕まったマンディンカ人
(おそらくマリンケ人)クンタ・キンテは、奴隷船でアメリカに送られ、ヴァージ
ニアの農園で使役されることになる。以後、その家系は自らの出自とマン
ディンカ語のいくつかの単語を伝承しながら過酷な境遇を耐え抜き、世紀を
重ね、解放のときを迎える。20世紀に入り、その子孫アレックス・ヘイリーが
祖先の道を辿ろうと思い立ち、・・・といった、ノンフィクション寄りの物語だ。
ヘイリーの小説は1965年に発表されてベストセラーになり、77年には
テレビドラマ化されて、全米で視聴率51.6%を記録する怪物作品となった。
日本でも、80年前後だったと思うがNHKで放映され、自分も見た記憶が
かすかにある。現代教養文庫から出ていた翻訳を買って読んでから十数年、
1度だけレンタルで駆け足でしか見ることができなかったドラマ版を、今年に
なってようやくDVDでじっくりと鑑賞することができた。
原作とテレビドラマとの間にはたくさんの改変がある。長大な原作の4/5を
全12回に収めるためのエピソードの省略はもちろん、登場人物の削除・追加、
複数人物の役割統合が中心だが、中には人物の役割や言動がまったく差し
替えられているケースもある。
中でもキッジー(ドラマ字幕では「キジー」。Kizzy)の物語中における存在感は、
原作とは比較にならないほど大きい。クンタ・キンテとチキンジョージという、
原作の2大キャラクターを繋ぐ役割を控えめに果たしているに過ぎなかった
彼女は、ドラマでは伊達男と熱烈な恋愛をしながらも精神のありようの違いを
理由に決別を告げ、自由なアフリカ人の末裔としての矜持を息子に叩き込む。
誇り高いが人間的な弱さを併せ持った非常に魅力的な人物像が彫琢され、
彼女に与えられた。人間における「心の持ちよう」「自己と他者との関係性に
関する、自己内における位置づけ」の形成と伝承について女性が担っている
役割の大きさを考えると、原作での彼女の扱いは不当に低いといっていい
ものであり、この改変は大きな成功を収めていると個人的には思う。
しかし自分が最も気になったのは、彼女の人物像の拡大・深化よりもむしろ、
ドラマでも小説でもほんの数分・数ページしか登場しない、別の人物の言動
の大幅な変容だ。
クンタ・キンテが新大陸で出会った数少ないアフリカ出身者に、アカン人
ボーテン・ベディアコ(ドラマ字幕では「ボテン・ボディアコ」。Boteng Bediako)
がいる。彼が演奏する太鼓の音色にクンタは引き寄せられ、彼と対面する。
彼との出会いが、娘であるキジーに自分たちの出自やマンディンカの言葉を
伝えようというクンタの決心に対して大きな影響を与えていることは、話の
前後の脈絡から言って間違いない。
ここまではドラマでも小説でも同じだ。しかし、彼はどう登場し、クンタに他に
何と語りかけたか?
原作におけるベディアコはひょうたん製の小型の太鼓クワ・クワを操り、大勢
の聴衆の前で、マンドリンや牛骨の拍子木などと合奏しているところをクンタ
に発見される。後日クンタは彼のもとを訪れるが、そのとき彼はかつて
「アカンの王の使者」だったと打ち明ける。王を取り巻く人々が触れる器物に
託されたメッセージを、彼はクンタの前で披露する。曰く、生卵を握るように
慎重であれ、亀のように忍耐強くあれ、亀の堅い甲羅は蜂の針も通さない―。
北米におけるアフリカ諸族の動向についての話の後、彼はクンタに子孫を
残すよう奨め、短い会見を終える。彼が体現するのは、アフリカが育み、経験
によって深められた知恵だ。「一生のうちで、その一夜ほど彼(クンタ)に
とって意味深い夜はなかった」とヘイリーが述べるこの夜の情景を、自分も
とても気に入っている。
一方ドラマの方のベディアコは、屋敷から離れた森の中でただ一人、胴締め
太鼓をひっそりと叩いている。自分がアフリカ的な要素を持っていることを
白人に知られ警戒されることが理由であることがほのめかされているが、
それだけでなく、アメリカ生まれの黒人たちからも自分のアフリカ性を引き
離そうとしているようにも見える。自らの出自・文化を伝承するべきだとの
自説を披露した後、彼は今度は「自分は北部に逃げる。お前はついてくるか」、
とクンタを凝視し、逃亡に誘う。後日、実際に彼はクンタの農場近くに現れ、
太鼓の音でクンタの決心を促すことになる。
慎重さを訴える小説版の彼と全く異なる、眼光鋭い人物がそこにいる。逃亡に
関することに限ってみると、ベディアコの発言はまったく正反対のものに
なっているとよいと思われる。
さらに、クンタの人生のステージにおける、ベディアコとの出会いのタイミング
が決定的に異なる。原作では、まだクンタがベルとの結婚を考え始める前に
ベディアコと出会う設定になっている。このため、クンタが結婚を真剣に
考えるようになったのは、ベディアコの発言がきっかけとなっているという
構造になっている。クンタは、アメリカに根を下ろしながらもアフリカ人たろうと
する難しい選択をするが、それを後押ししたのがベディアコというわけだ。
しかしドラマでは、クンタがベディアコと出会ったのは結婚後のことである。
ベルは既に妊娠していて、逃亡を奨めるベディアコの誘いに心ひかれる
クンタを必死につなぎ止めようとする。ベディアコは、ここでは最終的なクンタ
の選択を撹乱する存在として現れることになる。
以上をまとめると次のようなものとなる。
1.小説におけるベディアコ
・体現するもの 知恵
・望ましい生き方 慎重であること、子孫を残すこと
・クンタの反応 知らず知らずのうちに、その後の人生の指針としている
2.ドラマにおけるベディアコ
・体現するもの 自由
・望ましい生き方 逃亡すること、理念としての伝統を保持すること
・クンタの反応 憧れを込めて同意するが、結果的に違う道を行く
この違いはどこから来るのか。それは、2つの作品における「アフリカ」観の
違いに由来するのではないかと考えている。
ドラマでは、小説に描かれているような奴隷制や飢饉など、アフリカの負の
部分はほとんど描かれておらず、アフリカは徹底して自由の大地として描か
れている。ドラマにおいてクンタは繰り返し「自分はマンディンカの戦士だ」と
主張するが、このことは、「戦士であるということは、共同体の利益のために
戦う義務を持つことであり、共同体の正規の成員たる自由人であることと
イコールである。自分は自由人で、誰にも何をも強制される立場の人間では
なかったのだ」というアピールとして位置付けられていると読める
(※注
>>516後段 参照)。
ドラマでの「アフリカ」とは、自由の淵源であり、自由を手に入れるために必要
な勇気を奮い立たせてくれる存在でもある。ベディアコの人物像は、そう
いった理想化されたアフリカのイメージから導き出され、このドラマ内に
おける『アフリカの原理』、つまり不羈独立の精神の象徴として描かれている
とすると説明がしやすい。
小説におけるアフリカはもっと複雑だ。ニオ・ボトは自らが奴隷であること及び
その経緯について語り、クンタは奴隷船の中での隣人が非ムスリムだった
ことに幻滅を感じる。一方でマリンケの英雄スンジャータの説話や動物寓話
が登場し、豊かな物語世界の存在も示唆されている。また、成年として認め
られるための訓練の中で学んだことや、両親・兄弟たちとの日常の中で得た
ものが新大陸に渡っても生かされているシーンを目にすることができる。
小説での「アフリカ」は、多様性と血脈、それに何より知恵の大地である。小説
におけるベディアコの人物像と極めて近くないだろうか。
自分はこのドラマが制作されることになった経緯や、スタッフの抱いていた
考え方をよく知らない(事実の叙述ではなく、参加したスタッフの思いなど
微妙なニュアンスを含む英文を機械翻訳で読むのには限界がある。英語が
読めないとこういう時面倒だ)。しかし、このドラマに明確なメッセージが込め
られていることは、観さえすれば誰でもわかると思う。黒人たちの受けてきた
苦難が耐え難いほど深かったこと、手に入れた自由がかけがえのないもの
であること、最後に自分たちの存在に誇りを持つべきであること、この3つ。
公民権運動の結果さまざまな権利を獲得・回復したものの、まだまだ差別が
残り自分たちの心の中にも不安が渦巻いていたであろう1977年の黒人たち、
またそういった黒人たちとどう向き合えばいいかおろおろしていた白人たちに
対しても、上記のようなメッセージを送る必要を、スタッフは感じたのではない
だろうか。それも、思い切りわかりやすく伝える必要を。
そういった構造をもつドラマを作成する場合、闇が深いほど、日向は明るく
しなければならない。求める自由の輝きや失われた自由の光、双方ともに
強いものにした方が、苦難の深さをくっきりと顕すことができる。そして、
べディアコによる光(逃亡)についていくことをあえて拒んだクンタが体現する、
アメリカお得意の「家族の絆を大事にすることの大切さ」をも、十分な重みを
持って描き出すことが可能になる。結果、「自由の大地」としてのアフリカが、
原作以上に理想的な土地にならざるを得なくなる。ドラマにおけるアフリカの
理想化は、こういったところから発生したのではないだろうか。
なお、アレックス・ヘイリーが調査した結果を根幹とし、学問的な成果や
想像力を駆使して肉付けをして仕上げられた原作には、そこまでの配慮は
必要ない。とはいっても、マルコムXの評伝をものしたヘイリーの書いたもの
にバイアスがかかっていないわけもない。特に、アフリカにおける奴隷狩りの
ほとんどが黒人自身の手で、それも小説やドラマのような白人に使役される
黒人の手ではなく、海岸部の黒人国家が自分たち自身の判断で兵士を派遣
して行っていたことについて、彼はこの作品ではまったく触れていない。
ただまあ、その辺に突っ込むとまた別の話になってしまうので、今回はやめ
ておく。
しかし、18世紀前後のアメリカの歴史を扱ったドラマや映画において、あれ
だけ英国支配への抵抗運動や独立戦争が「他人事」然として描かれた例は
なかったのではないだろうか。逆にそれが、黒人がいかに制度や権利の
制定の現場から締め出されてきたかを如実に示している。その辺も面白く
観させてもらった。
※
>>510注
クンタの出身地ジュフレ村及びその近隣において、史実として、戦士=
自由人だったかどうかははなはだ疑問である。19世紀以前のマリンケや
バンバラには奴隷兵がいたことが記録に残っている。
訂正
>>503 8行目 ×1965年
○1976年
65年に出たのは、ヘイリーによる『マルコムX自伝』。
あーすっきりしたー
2ch海外テレビ板にも、ルーツスレがあった。これを読んで、成年後のクンタ・
キンテ役の俳優やベル役の女優をどこかで見たことがあるような気がした
わけが分かった。エディ・マーフィー主演『星の王子ニューヨークへ行く』に
2人とも出てたのか。しかもこの映画では、主役のアフリカ人がニューヨーカー
に「あのクンタ・キンテかい」と呼ばれるシーンもあった。
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/tv2/1020583787/ このスレをはじめとする多くのサイトでは、ルーツ・ドラマ版の日本での放送は
テレビ朝日が行ったと書かれている。しかし、俺の住んでいる地域では、当時
テレ朝系のテレビ局の電波は受信できなかった。ずっとNHK教育で放送した
もんだと思っていたのだが。
俺の見た闘鶏シーンや幌馬車隊のシーンはなんだったのか?「海外ドキュ
メンタリー」か何かの番組で、ドラマの一部を紹介したのを見たのだろうか?
忙しいといつもする妄想。
死ぬ直前に自分の意識をウェブに全て移し替え、体の方は深山で熊にでも
食わせる。あとはあちこちのコンピュータに「自分」のデータをこっそり隠し、
ネットの中で「生きていく」。ウェブサイトはもちろん、テレビや無線傍受、
ライブカメラなどにアクセスして、ひたすら世の中を「見る」。世界の変遷を、
ただひたすら見つめ続ける意識体として、何千年も存在し続ける。
神になりたいわけではない。誰かに自分の影響力を行使したいという願望は
全くない。逆に、完全に受け身な存在でありたい、そういう存在になるという
ことに逃げ込みたい、というだけ。煮詰まってるな・・・
去年の9月に早川文庫で出た「ディアスポラ」というSFが
それに近い感じです。
まだ未読なんですが...
『ディアスポラ』、検索してみると相当難解な作品らしいですね。「小説の
体裁をなしていない」というコメントがあったのを見つけて、購入を
決意しました。
架空の本の書評とか、小説の体裁をなしていない創作が好物なので。
『ディアスポラ』は肉体を離れる人が多数になってしまった世界が舞台の
ようですが、もしそうなったとしたら、自分は逆に肉体にこだわってしまうかも
しれません。天邪鬼なせいもあるのですが、どちらかというと、どこかに
潜みたい、潜んで他者からは見つからないままに、外界の事象を無責任に
眺めていたいという願望が強いのです。
物理的に「見えない」のではなく、「見えるが誰だかわからない」状態でも
いいです。生きるために仕事をして誰かと恒常的な関係を保つことをしなくて
よい状態になり、さすらい続ける。つまり、体が一切老化せず、かつ永遠に
命を繋ぐだけの資産を持つか、食事さえ不要な不老不死の体を持つか。
・・・こうやって活字にすると、単なる逃避だってことがよく分かります。
昨日は仕事が終わってから、誘われて近くの酒蔵を見学してきた。
小さいが最近元気な蔵。白衣に着替え、地元出身の杜氏の解説を聞き
ながら、まずは水を味わい、寝かせた酒を少し味見し、米麹の作成過程を
確認。その後いよいよ発酵の各段階の生酒をいただく。中期頃のものに
ピリッとした酸味があるのは炭酸ガスが溶け込んでいるせいだそうで、
発泡ワインやシードルを常飲している自分にはおいしく感じられたが、
日本酒党の人たちの口には合わなかったようだ。
その後、応接スペースにて目の前で調理された肴の美味いこと。生姜の
利いたとんぶり入り肉団子、濃厚な粕汁、鶏肉の酒粕漬け焼きなど、その
まま居酒屋が開けそうな味だった。
こんなに至れり尽くせりだとは思わなかった。こりゃあワイン蔵や焼酎蔵も
見に行かなきゃなあ。
>>521 そこで購入を決意ですか、いやはや。
それって誉め言葉なんですかね、本気でけなしてるんですかね。
架空の書評では、スタニスワフ・レムの「完全な真空」を読んで
いつかこれを越える架空書評を書いてやる、と
そんなふうに考えていた頃もありました。
あれはおもしろかったなぁ。
>>523 「小説の体裁をなしていない」というコメントは、amazonのレビュアーが
「巷の声」の引用として書いてました。ちなみにレビュアー本人は5点満点を
あげてましたが。
『完全な真空』、あれおもしろいですよね。自分の存在を裏付ける出来事を
執拗に遡っていく「生の不可能性について」「予知の不可能性について」では
笑かしてもらいました。ボルヘスやエーコの架空書評(中には「1分の1地図」
とか「5万リラ紙幣」とかの書評?もあったりする)、清水義範の偽受験
テクニックとかもお気に入りです。
出かけなきゃと思いつつ部屋でだらだら、結局着替えて外出したのは
夕方6時半を過ぎていた。案の定、どの床屋も美容室も閉店後。車の
オイル交換を済ませ、酒とつまみを買って9時前に帰宅。
ウィークデイに仕事で人と喋りまくっているせいか、週末には口を動かしたく
なくなる。ますます一人行動に拍車がかかりそうだ。
アスパラガス農家やスイカ農家が数日前に畑に撒いた灰や肥料の上に、
真っ白な新雪が積もっている。雪面を黒くすることによって熱の吸収を促進
し、雪融けを早めようという農家の努力の大半が、これで水の泡ならぬ
雪の下に。
今年の冬将軍は往生際が悪い。白鳥と一緒にさっさとバイカルの北に帰って
ほしいもんだ。
ただ、生ぬるくて湿って有機物が分解する匂いを含む風が吹かないことで、
毎年3月恒例の「過去のことばかり思い出す病」が発症しないことには
助かっている。おかげで集中して残業できる・・・
ようやく帰ってきて、雑味の多いシードルでヒヨコ豆のカレーを流し込んでいる
ところ。
生ぬるくないどころか、今日も猛吹雪。出勤して年度末の残務処理を
しようと思っていたが、面倒になって今日も部屋でぐだぐだ。
かつての飲み仲間(先輩)が結婚するとのこと。相手の写真を見せて
もらったが、小柄でかわいい。聞くと、紹介されて2ヶ月で婚約を決め、
しかもなんと11歳も年下だとか。
喜んだり嫉妬したりする前に、何だか不安になってしまった。まあ俺が
心配してもどうしようもないのだが。というか人のことはこの際どうでも
いいっつの。
今冬場ダケド異例ノ人事異動オネガイシマス!
ホールニウツシテ オネガイ!
ttp://image.blog.livedoor.jp/kanopanda/imgs/a/c/ac6fa53d.mov とせっかちなお願いをしていたわけではないのだが、希望調査に「いずれ
移ってみたい」とやんわりと書いておいた部署への異動が決定した。
別に過去ニ前例ノナイ下田調理長のいじめにあったわけではない。営業や
経理を含め、今の分野の仕事を7年やってきたので、そろそろ別の分野にも
手を出してみたいと思ったからだ。
それにしても、丸1年で職場の引越しが2回。前の職場の仕事の引継ぎも
完全には終わっていないのに、またか。しばらくまたばたばたしそうだ。
自分としても、希望はしたものの、転属してわずか半年でまた動くとは全く
予想していなかったので戸惑いもある。また、しかし、国の新政策のおかげで
どたばたが続く現職場の人達に申し訳ない気持ちもある。正直、裏切り者
扱いしてくる同僚もいる。 ううむ・・・
でもまあ、就職以来初めて、一般のお客さんと向き合わなくてもよくなったこと
で、淋しい反面肩の荷が下りたような安堵感があるのも事実。
>>519-521 「ディアスポラ」・・・ヘブライ語でしたっけ?
離散ですよね?
ユダヤっぽいお話でしょうか?
興味を引かれるタイトルだなぁ・・・
「見る」ために「生きる」、仙人ぽい印象を受けました。
私も仙人になりたいなぁと思ったりします。
自分の中にある、人間的な"食欲"や"性欲"を一切絶って。
洋の東西を問わず、そういう人はいたのかもしれませんね。
>>531 ご無沙汰しておりました。
diasporaは古典ギリシア語起源ですね。もともとは「(種を)まく」という意味
だったのですが、「種をまき散らす」→「ユダヤ人の離散・拡散」→
「民族集団の一部または全部が本拠地を離れて散らばり住むこと」と
いう具合に意味合いが拡大してきていることばです。
小説?『ディアスポラ』は、まだ数十ページしか読んでいませんが、
ユダヤ人が直接出てくる様子は今のところないようです。ディアスポラと
いうことばの意味で上に挙げたうち、一番最後のものの意味合いで
使われているようです・・・読み進むうちに変わってくるかもしれませんが。
仙人になりたいです。ただ、疲れたときには枯れた仙人になりたいのですが、
余裕が出てくると久米の仙人が脳裏に浮かぶのには困ったもんです。
ようやく仕事の引継ぎが(大体)終了し、少し余裕が出てきたところ。
遠出して何かうまいものでも食いに行きたい気もするが、諸事情のため
それも自粛している。家業が本格化する今月末まで、積読消化と参り
ますかな。
シードル/サイダー(甘味炭酸水ではなく、発泡リンゴ酒の方)をよく飲んで
いるというと、あんな甘くて弱いジュースみたいなのよく飲めるなあと
返されることが多い。確かにアルコール度数が10度を越えるものはまず
ないし、イギリスなんかだとサイダーはガキ向けの酒という認識をされて
いるという話も聞いたことがある。でもまあ、自分としてはシードルや
ヴィーニョ・ヴェルデ(若摘みぶどうで作ったポルトガル北部のワイン)に
しっかり残っているリンゴ酸の鋭い酸味が好きなので、気にせず飲っている。
今ではこの辺でも、国産・輸入物とも入手できるようになった。普段は
ブルターニュ産の1本400円の奴を飲んでいるが、やや甘過ぎるし、
りんごの皮や芯ごと絞っているのか、雑味が多い。時折ニッカシードル
(dry)を飲むが、正直これはレベルが高いと思う。もう少し安くて甘味を
抑えてくれたら常飲するのだが。関東出張の際は、ノルマンディ産の
辛い奴をまとめ買いし、ニッカシードルと自分でブレンドして飲んでいる。
シードルも地酒やワインと同じように地方の小銘柄なんかが沢山あるん
だろうなあと思うと、旅行がてら飲みに行きたくなる。といっても、サイダー
(イギリス)、シードル(フランス北部)、シードラ(スペインの北岸)、
サガルドア(仏・西のバスク地方)、アプフェルヴァイン(独語圏)、どれを
飲みに行けばいいやら・・・
テレビでやってるベルリンフィルの野外コンサート(フレンチナイト)、
『ボレロ』がかかったらお客さんがノリノリに。この曲、日本人でも好きな人
多いよなあ。
全く関係ないが、今年の8月から9月にかけて、仕事の研修のため奈良に
滞在することになりそうだ。今から休日にどこを見て回るか、何を食うか
調べておかないとな。
おやすみなさい。
古楽ばっかり聴いてるのも精神衛生上どうなのかと思い、Jazztronikを
買ってみた。なんとなくUFOを思い出す。稲の種蒔き・苗箱運びによる
ひどい筋肉痛がほぐれるような気もする。なかなかいいじゃないの。
総菜屋で買ってきたモンゴウイカとパプリカの炒め物とともに、いいちこの
お湯割を。今日は寒い。
俺の上司は次長課長
正確には、元上司が次長兼課長
さてGW突入だが、
昨日午前 重度の二日酔で起き上がれず
同午後 杭打ち(菊畑の準備)
本日午前 職場の勉強会
同午後 杭打ち
明日 仕事(多分20時頃まで)
明後日 仕事(〃)
清々しい・・・
後半は1日ぐらいきちんと休みたいが。
>>537でクラブジャズ?を久し振りに聴いたことで、CD棚からそっち系の
ものを掘り出してみた。日本人DJによるBlue Noteレーベル開設60周年
記念のコンピレーション('95年)なんてのが出てきて驚く。Kyoto Jazz Massive
とか聴いていたんだなあ。
耳がまだ柔らかい年齢のうちにジャイルズ・ピータースンが仕掛けた
「踊れるジャズ」やアシッドジャズに出会った俺らの世代には、ジャズに
対して構えずに済む、気軽さがあるような気がする。時々欲しくなる音だ。
ttp://www.geocities.jp/navisoneraria/ng.html から勝手に転載
「本当にこの下にカリダースが憩うてゐるのか」
「もしあのキュレーネの人、アリンマースの息子のことなら、いかにも
この下に」
「じゃあカリダースよ、あの世はどうだ」
「ひどい暗ささ」
「それで甦りというのは」
「嘘さ」
「プルートーンは」
「作り事さ、みんな無くなるのだ。これが君たちにいふ僕の本当の話
なんだが、もし面白いことを聞きたければ言ふがね、冥土じゃあ大きな牛が
二束三文だ」
上の墓碑銘は、カリダースのためにカリマコス Kallimachos,Callimachusと
いう人が作ったものだ。
もともとの銘文はヘレニズム期のギリシア語で書かれている。ネットで
見つけた英訳では、最後の方が「冥土じゃあ俺は大きな牛なのさ」となって
いたが、どちらが正しいのかは不明だ。今研究者による邦訳が載っている
とおぼしき本を注文中。
しかし、こういう皮肉の利いた文句を墓に刻ませたカリダースがどんな人
だったのかも気になるが、もっと気になったのは、作者の名前の方。
カリマコスというと、古代のアレキサンドリア図書館の館長あるいは蔵書
管理の責任者を務め、世界最古の蔵書目録である「ピナケス」120巻を
まとめた人だ。上のサイトに載っている生没年も同じだから、墓碑銘の作者
と館長が同じ人物であることは間違いない。
何だかおもしろそうだ。また少し調べてみるかな。
ディアスポラ、週末にやっと読了しました。
一読ではよくわからない部分が多かったあたりは
やはり小説の体裁をなしていない、と揶揄される所以でしょうか。
ただ、ハードSFのひとつの到達点であることは間違いないです。
個人的な感想としては「最新ハードSF版ソラリス」
あるいは「ハードSF版なんとなくクリスタル」といった印象。
>>543 自分はといえば、ぜんぜん進んでいません・・・
また
>>542関係やアンダルス関係で色々買い込んでいるので・・・
田植終了。今年は比較的順調に進行し、約2日で済んだ。
全ての木々が芽吹き、新緑の季節です。
御無沙汰しております。。。
たしか音浪さんジョギングしてたかと思うのですが、
今も継続してますか???
>>545 こちらこそご無沙汰でした。
ジョギング?えっ何のことですか?
・・・いやすみません。正直、2004年初夏以降全く走っていません。
昨年トライした9時以降の絶食も2ヶ月持たず。ここ1ヶ月は仕事で屋外を
歩くことが多くなったので、体重は減少傾向にあるものの、いまだ66kg
あります。断煙前の58kgまで、あと8kg。
キュレネー人カリマコス(カッリマコスと表記されることもある)について。
調べてみると、この人は図書館での蔵書管理の傍ら800作以上にのぼる
著作をものした詩人/文学者だった。というより詩作の巧みさで名を馳せた
ことで王室の目に止まり、アレクサンドリア図書館に招聘されたとか。彼を
「図書館長」としているサイトと、館長であった証拠がないとする本やサイトが
並立しているのもおもしろい。図書館に関わる確かな記録には、彼は
「宮廷の若い男」としてしか登場しないらしい。ただし、推定50万冊分の蔵書
目録というより蔵書案内(価値の高い本については、その冒頭の1行が
載せてあった)を責任編集しているところを見ると、図書館内で相当重要な
位置にいたことは間違いないだろう。
彼は『イーリアス(トロイ戦争を叙述した長編詩)』や『オデュッセイアー』の
ような雄渾かつ長大な叙事詩を尊ぶ古典ギリシアの伝統に異を唱え、
身近な題材と先行作品に対する知識のほのめかしを盛り込んだ短文での
詩作を好んだ。「洗練」「彫啄」「統一」がモットーだったとか。そうかと思うと、
文学論はもちろん、各地の珍しい自然現象や景観などを集めた『驚異譚』を
書いたり、方言や風習を記したりなど、博物学的あるいは百科全書的な
志向のあるところも見せている。図書館に勤めているのだから当たり前と
いえば当たり前なのだが。
研究・創作三昧だったのはカリマコスだけではなく、図書館員は図書館関係
用務以外に研究や教育活動を行うのが普通だったらしい。同時代の図書
館長エラトステネスは地球の円周を計算しているし、喧嘩別れした弟子で
図書館長になったロードスのアポロニオスは長編叙事詩『アルゴナウティカ』
を残している。先輩職員にはエウクレイデス(ユークリッド)もいる。
カリマコスは酒好きかつ皮肉好きだったようで、
>>541の墓碑銘に登場する
カリダースはピュタゴラス教団に所属していたらしい。ピュタゴラス教団は、
数学者として知られているピタゴラスの創始とされる宗教団体だが、死後の
生まれ変わりを唱えていた。そんな人の墓に蘇りが嘘だとか死んだらみんな
なくなるんだとか刻んでいるあたり、遺族からクレームが来なかったのか
心配になるほどだ。カリマコスの故郷キュレネーは今のリビア東部に位置
するギリシア人の植民市で、この頃この街では美食や贅沢やその他の
具体的な快楽を追及することを是とする思想(キュレネー派)が芽生えている。
彼が実際にどのような思想信条を持っていたのかは調べがつかなかったが、
そういう雰囲気の中で育った彼にしてみれば、来世のことに思いわずらう
なんて馬鹿らしいと思ったのかもしれない。
ちなみに、
>>541の訳文は、呉茂一の訳(『ギリシア叙情詩選』岩波文庫)と
大部分同じだった。
上レス下から2行目
×叙情詩選
○抒情詩選
地場産ブドウを使ったスパークリングワインが来月から発売されるとのことで、
発表会に顔を出してきた。ドイツで主に栽培されているリースリングを使って
いるのだが、コクはあるもののあまり酸味が感じられなかったのが残念。
でも販売されたら買おうかなと思っている。地場びいきというより、地場農家
に儲かって欲しいので。
551 :
壁に耳あり、障子にメアリーさん:2006/05/30(火) 06:49:36
>>546 あら残念です。。。
いえね、「ジョギングのおかげで○kgも減っちゃいましたよー。」
なーんて嬉しい悲鳴レスをちょっぴり期待してみたのですが。。。w
週末は出かけてたのでちょっとお休みでしたが、本日より
ジョギング+ウォーキング再開です。。。
目標値まであと4〜5kgといったところなのですが。。。ナカナカ ススマナイ...
農繁期になって夜間まで作業がある状態になったら、走る気持ちが
萎えてしまった・・・というのが言い訳なんですがねフハハ。
今の自分の体重減少は、仕事で1日中現場を歩き回っているせいだと
思います。以前安住っちさんが言ってたように、ウォーキングって
有効なんだなあと認識を改めました。
それにしてもジョギングとウォーキング双方やるっていうのは大変なんじゃ
ないでしょうか。くれぐれも無理せず、着実に減らしていきましょう!
仕事も家業もとりあえず山を越し、久方ぶりに何もしない週末。家から
一歩も出ずにゆっくりした。まあゆっくりしたといっても、ずっとネットを
やっていたのだから、眼はかなり疲れたが。
2chやmixiをやるようになってから、本当に小説や漫画を読まなくなったし、
ゲームもあまりやらなくなった。もともと自分には強い「事実志向」があり、
創作よりも実際にあった出来事の方に目が向いてしまう。2chの大部分は
創作と紙一重のはったりや嘘でできているわけだが、それも含めて市井の
人々の肉声が聞けることが、自分の何かを満たしてくれるのだと思う。
2chは本音のメディアなんて言い回しももう古びて久しいが、どこかで
まだそれを信じているのかな。
今の職場には同年代の既婚女性が多いのだが、口をそろえて「あんたは
他人に興味がなさそうに見える」という。決してそんなことはないんだが、
面と向かってその人の考えを聞いても、人はすぐには本音を明らかに
しないだろうという思い込みが、確かに自分にはある。自分が他人に
本音を直接打ち明けられるほど相手に信頼されていない、といつも自分
自身を決め付けているから。
直接人の本音を聞けないので、ネットで聞いた気になっている、とすれば、
随分こっけいなことをしているなあと思う。
人が増えるとそれだけで本音が言いづらくなるもんなんじゃなかろうか・・・とか、
ふと思ったりしますよ。
ネットでも、リアルでも。
たいていの人間は、知り合いであろうがなかろうが、無条件に叩かれるのは
こわい、そんなリスクは負いたくない、と思うものでしょうから。
どこぞの弁護士さんが"コメントスクラム"なんて言葉をおつくりになられてましたが、
どこぞの社会学者さんが"沈黙の螺旋"なんて言葉をつくったように記憶しています。
「人が増えて2chはつまらなくなった」と、それこそ昔(?)から言われてますが
その場に参加する人口とその流れが、その場に変質をもたらすことは
どんな場においても、しばしばあることなんでしょう。
確かに昔のネットはもっとエキセントリック(死語?)なところがあったかなぁ。
今じゃ「アングラ」なんて死語って感じだもんねぇ。
それも、きっと人が少なかったからなんですよ。
ホント、ちょっと前まではネットにつなぐだけでオタク扱いする奴もザラにいたしねぇ。
しかしまぁオタク扱いされてた頃の方が遠慮なく変人であることができて楽だった、
なんてのもいるんじゃなかろうか。
・・・なんか愚痴っぽくなっちゃったな。
サッカーワールドカップのベスト4が出揃ったが、欧州以外のチームが残って
いないのはちょっと残念。日本の敗戦後はガーナ、ブラジルと応援してきたの
だが。あとは特に贔屓のチームを決めないで、ゆるゆると見物しようかな。
聴いているのはガーナ人E.T.メンサーの"Day By Day"。アルバムはメンサー
名義になっているが、正確にはE.T.Mensah and the Tempos Dance Bandの
1950〜60年代の録音を集めたものだ。
ガーナが英領ケープコースト植民地と呼ばれていた1920年代、首都アクラ
に黒人エリート向けのナイトクラブが建ち始める。そこでは船員たちが
大西洋の向こうのジャマイカから伝えたゴンベイ、リベリアのクル人から
伝わったパームワインミュージックのギターサウンドなどに伝統音楽の要素
を取り入れた楽曲が演奏され、やがてそれらが混じりあって40年代頃に
「ハイライフ」という形式が誕生する。高級な生活を送る人々がを相手に
するので"Highlife"なわけだが、実際は田舎の楽団のもっと泥臭いサウンド
もハイライフと呼ばれた。沖縄の照屋林助のように寸劇と組み合わされて
演奏されることも多かったこちらは、ギター中心のサウンドなので「ギター
バンド・ハイライフ」と呼ばれ、ゴスペルの影響を受けながらも現在まで生き
残っている。
一方で、第2次大戦が始まるとゴールドコースト植民地にもイギリス軍が
大規模に増派され、軍人たちが無聊を慰めるためにナイトクラブで自ら
楽器を演奏することが増えた。ミュージシャンが足りない分は地元バンド
から引き抜いて対応したため、地元ミュージシャンもロンドンで流行していた
スウィングジャズやカリプソなどのカリブ音楽などに触れて大いに啓発
されるところがあったらしい。アクラの学校のブラスバンド部出身で、長じて
兄と一緒にダンスバンドをやっていたメンサーも、このときスコットランド人
の主催するバンドに移籍し、カリプソやキューバ音楽などを積極的に吸収
している。
やがて戦争が終結すると、イギリス人たちはどんどん本国に帰ってしまい、
バンドがガラガラになってしまう。そこをさらに地元ミュージシャンで埋め、
やがて地元人100%だがサウンドはジャズ・カリブ風の色を強く残すバンド
が出来上がる。メンサーが47年に加入したテンポスはそんなバンドだった。
彼はロンドンに滞在経験のあるメンバーらとともに、伝統音楽から取り入れたらしい裏打ち3拍(ウン ウカッ ウカッ ウカッ)に滑らかなメロディと
アドリブを絡め、抑制の効いた上品さとノリやすさを両立させたスタイルを
編み出した。これが上述のダンスバンド・ハイライフで、50年代に入る頃
までには大人気となり、ウフルやボビー・ベンソンなど追随者を多数生み
出しただけでなく、英領ナイジェリアやシエラレオネ、仏領コートジボアール
やギニアなどにも演奏旅行を繰り返して、各地のポップスに大きな影響を
与えることとなった。ナイジェリア人のフェラ・クティも、若い頃はハイライフを
聴いていたことを明言している。
60〜70年代のコンゴ(旧ザイール)音楽の隆盛や80年代のセネガル・
ギニア・マリ音楽の世界進出の陰に隠れてあまり話題にならないこの
スタイル、もう少し注目されてもいいように思うのだが。
まあそんなことは置いといても、シンプルな裏打ち3拍が気持ちよく響き、
分厚過ぎないホーンと凝り過ぎないアドリブが清涼感のあるあっけらかんと
したハイライフは、夏に聴くのにはぴったりな形式だと思う。メンサーの"Day
By Day"や、これ以前の録音を中心とした"All For You"にはカリプソ形式や
サンバ!形式、伝統音楽の曲も含まれているが、個人的にはやっぱりハイ
ライフの曲が気に入っている。歌詞は英語、トウィ(アカン諸語のひとつで、
アシャンティの人々の言語)、ファンティ(アカン諸語のひとつ)、ガ(アクラ
近郊に多い)語を中心にエウェ、スペイン語まであり、ラブソングをはじめと
してガーナ独立をことほぐ歌、周辺諸国との連帯を歌う歌からお茶や
新聞のコマーシャルソングまで幅広いのはアフリカデハヨクアルコト。カリブ
でもよくあるけどね。
>>556 かつての2chねら〜には、「俺たちは、少なくともネットの中では既存の
モラルから自由に振舞っていいんだ」という選民意識と、それを踏まえた
偽悪趣味?があったように思います。自分はそれにやや距離を置きながらも
楽しく観察していました。しかしこれだけ人が多くなり、「嘘を嘘と見抜けない
人(この言い回しも目にしなくなりましたが)」が増えてしまうと、偽悪的な
書き込みが本気に取られてしまう恐れがあるので、自主規制をせざるを
得なくなる。これが残念なんですよね。
自分は97年からネットに繋いでいますが、その当時の評価は「お前
むっつりスケベだったのか」でした。自分の周りでは、ネット=Hサイトという
図式が出来上がっていたので・・・いやむっつりスケベなのは否定しま
せんが・・・
久し振りに長文書いたら、改行ミスやら消去漏れやら・・・
何卒ご容赦を。
雨で作業もないので、出かけてこようかな。最近仕事も現場が多く、
市街地に顔を出してないし。
しかも間違ってる・・・
>>558 1行目
×ケープコースト植民地
○ゴールドコースト植民地
ケープコーストはガーナ西部の港町だ。もうダメダメだな・・・
敕勒歌 北朝齊民歌 斛律金漢訳 『樂府詩集』より
敕勒川 敕勒の平原
陰山下 陰山のふもと
天似穹廬 天はテントの円屋根のように
籠蓋四野 大地を覆っている
天蒼蒼 空はあおあおとし
野茫茫 野は茫々と広い
風吹草低見牛羊 風が吹き、草がなびくと牛や羊が見えてきた
7月。昨日から今日の日暮れまでは天気がよかったが、さっきから雨が降り
出した。
昨日、ドライブがてら某所の遺跡見学会に行ってきた。
うちから1時間ぐらいの、県庁所在地の近く。見学者は100人ぐらいで、
50歳以上の郷土史好き・考古学好きの一般客が8割。残りは俺ぐらいから
もっと若い男女だったが、ほぼ全員が他所の発掘関係者だったと思う。
遺跡は奈良〜平安期の城柵跡で、広大な遺跡の一部が当時の地面まで
掘り下げられ、道路・側溝・柵列・住宅・工房などの跡がくぼみとなって観察
できるようになっていた。それらの遺構を前にして、発掘事務所の職員の
説明(発掘の苦労話を含む)を聞きながら、1時間弱。「酒所」と墨で書いて
ある土器が出土した話には熱が入り、「出土した日の晩は嬉しくて思い切り
飲んじまいました」という彼の話にうんうんとうなずく客多数(含む俺)。
一般客が対象なので、所々笑わせながらわかりやすく話すことを心がけて
いるように感じた。
出土物の展示テントへ移動すると、前述の30代軍団が土器片を手に
取って「これは○○遺跡の土器に似てますよね、ほら底径が小さくてここの
立ち上がりが・・・」とはじめた。俺にはほとんど見取れない土器の微妙な
違いが決め手になるようで、やはり文献屋とは全く違うスキルが必要な
仕事なんだなあと感心。一方「酒所」と書かれた土師器は水に入れて
見やすくしてあり、傍らに崩し字の例を挙げたペーパーが張ってあって、
気合の入り方にまた感心。しかし自分が一番気になったのは、この辺では
珍しい緑釉陶器片が展示してあったこと。↓下に緑釉陶器の例を挙げるが、
展示してあったのはこれよりずっと緑色が濃く、素地が非常に薄い、
かなりの良品だ。デジカメを忘れたのが悔やまれる。
ttp://www.city.okayama.okayama.jp/kyouiku/maibun/ippin/syuzouhin31.html
全体的にもう少し詳細に説明してほしかった気もするが、炎天下かつ
高齢者が多かったのでしょうがないのかもしれない。そのうちメールで質問
でもしてみようかな。
明日は早い。おやすみなさい。
今年は蛍をまだ見ていない。裸で外で涼みたくなるほど、夜の気温が
高くないからだ。
体は楽でいいが、なんだか「夏」って感じがしない。農作物にも悪影響が
出ている。こうカアッと来ないもんかねえ。
>>565の歌について。
「北朝斉民歌」とあるように、この風景画のような漢詩は狭義の「詩」では
なく、6世紀中期の中国北部の民衆に歌い継がれていた歌の歌詞だ。
ただし、その時点での歌詞は、>>に書いたような漢語ではなく、鮮卑
(せんぴ)語という、トルコ語系ともモンゴル語系ともツングース語系とも
いわれる言語だった。
この歌が歌われた6世紀の中国北部には、鮮卑人や匈奴人をはじめとする
さまざまな種族に属する人々が北や西からやってきて住み付き、漢人と
入り混じって暮らしていた。そういった状態はもう400年以上続いていた。
胡とか北族などと呼ばれたこの人達が移住してきたきっかけは様々だ。
内紛で故郷を追われて漢朝の庇護下に甘んじざるを得なかった者、
『三国志演義』でおなじみの曹操が進めた政策により移民してきた者、漢人
同士が殺し合っている華北を搾り取れるだけ搾り取ろうとして侵入してきた
者。彼らは304年以来漢人に従属するのをやめ、五胡十六国と呼ばれる
たくさんの国家を建設して逆に漢人を支配下に置き、439年に鮮卑人の
拓跋氏を皇帝に戴く北魏によって統一されたのちもずっと華北で暮らして
きた。
鮮卑人はもともと剽悍な遊牧民族だったのだが、6世紀のこのころになると
柔然という別の種族に故郷の草原地帯を占領されており、もう漢土で生きて
いくしか道が残されていなかった。ほとんどの者はとっくの昔に遊牧を
捨てて軍務や農耕で生計を立てている。政策的な漢化が行われたせいも
あり、漢人にちょっとだけコンプレックスを持ちながらも、自分たちと漢人を
区別しようとする意識はどんどん薄くなっていったと思われるが、遊牧民と
しての生活を懐かしむ気持ちは保持していたらしい。
一方で、漢人や匈奴人など、華北に住む諸民族も鮮卑の文化や言語の
影響下にあった。こういった相互影響は、一般人と別の戸籍に登録され
国内各地に駐屯させられていた軍人たちに濃厚で、この歌が歌われた
時代から数十年後に唐をうち立てた李淵のように、漢人なのに「大野
(だいや)」という鮮卑姓を持ち、母親が独孤(どっこ)氏という鮮卑化した
匈奴人の出身なんていう者も珍しくなかった。
北魏や、それが分裂してできた東魏・西魏、さらにそれを乗っ取った北斉・
北周の軍人社会には、その先祖が遊牧民であるか漢人であるかに係らず、
遊牧生活に心を寄せる気分が存在していたようなのだ。
そんな北魏の軍人社会に、歴史上のある場面で『敕勒歌』を歌い上げ、この
歌が書物に掲載されるきっかけをつくった斛律金(こくりつきん、西暦488〜
567)という人物が登場する。
「斛律」が姓で「金」が名前のこの人は、姓からわかるように漢人ではないし、
遊牧民であることを捨てた鮮卑人や匈奴人でもない。彼は「敕勒(ちょくろく)」
という、6世紀当時の現役遊牧民の王族の出身だった。敕勒は古くは丁零
(ていれい)・狄歴(てきれき)・高車(こうしゃ)、後世には鉄勒(てつろく)・
突厥(とっけつ)などと呼ばれた集団の流れに属するが、それらの呼称が
高車以外全て"turk"の音訳であることでわかるように、現在中国新疆から
トルコ共和国にまで広がっているトルコ諸語の祖語の話し手たちでもある。
彼は最初、春から夏にかけてゴビ砂漠の北の草原地帯で自分の部族を
率い、秋〜冬だけ黄河沿いの北魏宮廷に出仕する立場にあった。渡り鳥の
ようなので「雁臣」とも呼ばれたらしい。しかし、北魏国内の軍人たちが
起こした反乱に巻き込まれて彼の部衆は離散、彼は自分と同じような
出自を持つ奚(契胡・稽胡とも呼ぶ)の爾朱栄を頼る。そこでの同僚たちと
チームを組んでその後の動乱を乗り切り、やがて北魏が分裂してできた
東魏の事実上のナンバー2として、事実上のナンバー1である高歓(本人は
鮮卑化した漢人と称していたが、実際は漢化した鮮卑人だったらしい)を
支える身分にまで登りつめた。
戦場では兵士たちが軍営を設置するまで決して休みを取らなかったり、
読み書きができないのに故実に詳しかったりという彼のエピソードを見ると、
必要なことを淡々とこなす思いやりあふれる人物像が浮かび上がる。
高歓は華北の再統一を自分の生きている間になしとげたかったのか、
西魏軍と何度も戦火を交えている。不利な戦況でも退却を拒み、斛律金の
説得でようやく軍を引き上げるなんてこともあった。
人口も国力も少ないが国内を強力にまとめ上げた西魏がどちらかといえば
優勢だった。546年に玉壁というところで行われた戦いでも、大軍を繰り
出したにもかかわらず東魏側の戦況は思わしくなかった。大きな損害を
出しての撤退の途中、高歓は矢に当たって重症を負う。
陣営に動揺が走るのを見た高歓は斛律金に対し、兵士に『敕勒歌』を
歌わせるように命じた。60歳を越えた斛律金が進み出て、大声で、
鮮卑語で、遊牧の風景を歌い上げる。音頭を取る老将軍が他ならぬ
敕勒人であり、歌詞の風景の中で生まれ育った人物であることは、おそらく
兵士たちも知っていただろう。また、自分たちの祖先の多くも、彼や歌詞の
世界の住人と同じように、馬の上とテントの中で生涯を送ったであろう
ことも脳裏にあったのではないだろうか。数万の兵士たちが彼の歌声に
和し、声を上げることで大いに元気付けられたという。高歓自身も涙を流し
ながら鮮卑語で唱和したとある。
いくつかの本やサイトには、斛律金が『敕勒歌』を北斉語(漢語)に訳したと
書かれている。彼は文字が書けないはずなので、訳すとすれば上記の
戦場で、鮮卑語の後に漢語でも歌ったのかもしれない(注:俺の妄想)。
兵士には鮮卑語を知らない漢人や他民族も混じっていただろうから、
ありえない話ではないような。
現場仕事が終わった。デスクワークも溜めずに毎日残業して片付けて
いたおかげで、少し余裕が生まれている。こんな状態は4年振りぐらい
だろうか。
家業も、第1の波が過ぎ去った。
来月早々に関西に旅立つのだが、それまで少しゆっくりさせて下さい。
何気なく窓を開けたら、外の方が除湿中の室内より涼しくなっていた。
秋の空気がすぐそこに。
奈良行きも目の前だが、準備はあまり進んでいない。家業が再び忙しく
なり、深夜作業が続いたので、太陽が上がっているうちはぐうたらに過ごす
休日。
窓から青空を見上げていると、「無為の楽しさ」みたいなものに耽溺して
いた高校1年の夏休みを思い出す。みんな青春をエンジョイ(死語)して
いるのに俺は無駄に過ごしてるぜ!贅沢だぜ!みたいな変な開き直りと
いうかひねくれというか、自己憐憫による陶酔というか、そういった気分に
ひたっていた。
今でも、あまりに天気がいいと、ふっと一人になりたくなることがある。
人には「逆だろ」と笑われるんだが。
では1ヶ月ほど留守にします。
関西生活を満喫できるといいなあ。
帰ってきたら、いきなり家業が佳境を迎えているわ、仕事では次の
現場のコーディネートしなきゃいけないわ、車がついにお陀仏になるわ
(1ヶ月留守にしている間にラジエーターに穴が開き、ブレーキからも
異音がするようになっていた)・・・。
今日は県庁所在地まで中古車を見に行ったが、気に入るものは
なかった。車をネットで買うのには抵抗がある。新車を買おうか検討中。
関西生活、もっと積極的に外出すればよかったとやや反省しているが、
研修仲間と飲んだくれていたおかげで色々おもしろい話を聞けたので、
よしとしよう。
戻って参りました。
( ´_ゝ`) おかえりなせえ。晩夏の奈良は如何でした?