1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
ドラマそのものの面白さより役者の魅力を重視する奴の特徴。
・物(=ドラマや映画、脚本、音楽等)のレベルより人間(=役者、歌手等)のレベルを見る自分が崇高な人間であると思い込んでおり、それに酔い痴れ、そうじゃない奴を見下している。
昔の欧州では声は人間が発する音で、インストは物から出る音の音楽だと言う理由で声楽が高尚で器楽は低俗な不良の音楽という考え方が強かった。こいつらの頭の中は中世の人間と同レベル。
脚本家や照明技師も人間でドラマや映画を創るのは人間だってことが分からない馬鹿が多い。
・何を言ったかよりも誰が言ったかを重んじる。
・自分が知らない物(人)はマイナーだと決め付ける。
・わがまま。
・穴だらけの論理を連発するのだが、決して屁理屈をこねているわけではない。そこが逆に痛かったりする。
・相手を無理矢理論破して自分の価値観を押し付けるしつこい奴が多い。
・自分と自分の身の回りの人間の常識を宇宙の常識と勘違いしている。
・前向きに後ろ向きなことを言うのでとてもタチが悪い。
・しつこい質問攻めが好きなくせに、質問の答えに対して文句を垂れてばかりいる。
・誘導尋問に引っ掛からない相手に対して逆ギレする。
・他人には「どうして?」「なんで?」を連発するのに、自分は「ノーリーズン」で済ます卑怯者が多い。
・理由の理由を訊いてくるのでウザい。
・自分の憶測と違う答えを嘘だと決め付ける。
・YESと答えてもNOと答えても反論してくる。
・役者の評論が好きなくせに華と存在感の違いも分からない。
久米宏がラジオ番組で日米のドラマの違いについて専門家と話してたんだが、
なるほどと思った。
日本は役者の人気が先にあって、脚本や演出の出来は二の次なのに対して、
アメリカは先に脚本があって、それにあった役者を人気の有無関係無しに当てていく。
だから面白い。
確かに無名で不細工な役者ばっかりだが、面白ければ何でも良い。
脚本と演出が良ければ、役者なんて演技下手、歌下手、ダンス下手、アクション下手、華無し、存在感無し、個性無し、カリスマ性無しの八重苦でも面白いドラマは作れる。
「役者は魅力的だけどつまらないドラマ」や「役者は魅力ないけど面白いドラマ」もあるわけでね。
「愛と青春の宝塚」は大根の藤原紀香が主役だけど面白かった。
「復讐するは我にあり」は大根の柳葉敏郎が主役だけど面白かった。
「ゾウのはな子」は大根の反町隆史が主役だけど面白かった。
「点と線」は大根のビートたけしが主役だけど面白かった。
「私が私であるために」は相沢咲姫楽っていう素人のニューハーフが主役だけど面白かった。
友近は、演技は上手いがコントはつまらない。
柳原可奈子は、演技は上手いがコントはつまらない。
ZOXY DOLLは、華があるが漫談はつまらない。
しずちゃんは、存在感があるが南海キャンディーズの漫才はつまらない。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力は抜群だが糞ミュージシャン。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力だけのミュージシャン。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力マニア、歌唱力オタク御用達のミュージシャン。
ドラマもお笑いや音楽と同じで、俳優の演技が上手いだけでは面白くない。
役者を見てドラマを観ずの現代の日本人。
昔の日本人も役者を見て芝居を観ずだった。
ttp://www.thirdstage.com/dsbt/trans93.htmlより抜粋 鴻上
文学がまずあって演劇にいった国と、
弁当ひろげてお気に入りの役者を観にいくことから演劇が定着した国との違いでしょうね。
「千本桜」でね、静御前が義経との別れの時にずーっと泣いているでしょ。
泣いているんですけど、突然、静御前がおどり出す(笑)。
で、イアホンガイド聞くと
「この場面では、静御前が微笑んでいる顔が見たいというお客さまの要望におこたえして、踊っています」っていう(笑)。
なんてファンキーな民族なんでしょう(笑)。
このいいかげんさはたいしたもんだと思いますよ。
僕が今まで書いてきた台本は、(自分の劇団の)役者のキャラクターと力量プラスそのひとつ上の事をそれぞれに要求してっていう作り方でして・・・
それは座付き作者の宿命だと思って僕はやってます。
でもね、僕の戯曲をほかのところでやってもらったのを見にいくと、「ああ、申し訳ないなあ」と思うんですよ。
この俳優さんだったらこういうふうに変えたら面白いのになあって思うことがよくある。
だから、今回のは普段やってるような「遊び」の部分は抑えざるをえないかもしれませんね。
長い間、ヨーロッパの音楽の中心は声楽でした。世俗音楽において楽器は
伴奏として早くから使われてはいましたが、歌うのや、踊るのは貴族や民衆
であっても、伴奏は楽士によって奏されることが多く、自らの楽しみのために
演奏をするアマチュア器楽奏者はあまりいませんでした。が、ルネッサンスの
人文主義者たちが神を恐れずに自分の感覚を信じたとき、「器楽=人間を
堕落させるもの」という伝統的なイメージは影を潜め、15世紀の終わり頃から
急激にアマチュア器楽奏者の数が増え始めます。人文主義者たちが自らの
手本としたプラトン、アリストテレスなどのギリシャの哲学者たちが、「器楽は
情操教育に欠かせない」として器楽を擁護していたことも器楽が人文主義者
に受け入れられた一因に違いありません。 賤しい職業音楽家の楽器は、高貴
な人たちにふさわしいように、そして演奏がより簡単になるように改良が加えら
れていき、ヴィオラ・ダ・ガンバやチェンバロ、リュートなどのアマチュア楽器が
誕生します。それに対して管楽器全般(トランペット、サクバット=トロンボーン、
コルネット=木管の多孔トランペット、ショーム=オーボエ)やフィードル=ヴァイ
オリンなどはプロフェッショナル音楽家のための楽器であり、プロがアマチュア
のための楽器を演奏することはあっても、アマチュア貴族がプロ楽器を演奏す
ることはありませんでした。16世紀中頃には楽器の一つでも演奏できることが
教養ある宮廷人としての条件の一つとなります。それとともに、楽器を巧みに
演奏することのできる楽士は貴族の教師として、また立派な教養人の一人と
して宮廷社会の中で確固たる地位を築きはじめます。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/18(火) 09:24:30
>・自分が知らない物(人)はマイナーだと決め付ける。
いるいる♪
板違いでは?
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/18(火) 15:59:34
>・自分が知らない物(人)はマイナーだと決め付ける。
↑柴田ですね。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/19(水) 14:23:26
・何を言ったかよりも誰が言ったかを重んじる。
・自分が知らない物(人)はマイナーだと決め付ける。
・他人には「どうして?」「なんで?」を連発するのに、自分は「ノーリーズン」で済ます卑怯者が多い。
この三つは大概の日本人の短所。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/22(土) 23:09:35
廃油宇宙
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/23(日) 15:09:19
オタクには内容より役者が大事
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/28(金) 09:15:51
ドラマは役所より内藤が大事
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/29(土) 03:52:21
>>主
演技力厨をスルー出来ない人ね
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/29(土) 08:39:40
日本のドラマは同じ俳優ばかり使い過ぎ。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/30(日) 10:36:31
上戸彩
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/03(木) 19:18:00
ジャニヲタ ハロヲタ
ドドダム
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 19:38:14
水戸黄門、必殺仕置人の内容を、現代劇版で作れないのが、辛いですね。
役者勝負にならざるを得ない。
「フィクションです」を付けても、許せないのでしょうか。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 20:42:46
>>24 今の時代は
難しいでしょうね!
逆に現代の話を
必殺で午後11時台
の放送なら可能かと!
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 20:47:12
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/08(火) 04:32:41
>>24 >必殺仕置人の内容を、現代劇版で
必殺仕置人の現代版は観たことないけど、必殺仕事人の現代版なら過去に放送された例がある。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/08(火) 08:59:32
>>24 何年か前に必殺仕置人の現代劇版みたいな2時間ドラマ放送したら苦情が殺到した。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/10(木) 02:04:35
香取慎吾みたいな格好良い両津勘吉は要らない。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/10(木) 21:53:40
現代劇版 水戸黄門のお銀役は、あの仕分け人似がいい。
もっとテレビ局は無名の俳優を使え。脚本に自信があるならなw
芸能事務所との癒着や客寄せパンダでつまらんアイドルとか起用せずにな
>>32 テレビ局に言わせれば視聴者がキャストでドラマを観るか観ないか決めるのが悪いのでは?
脚本が良ければ俳優が無名でも視聴率が高くなるようにならなければテレビ局は変わらない。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/11(金) 23:37:09
結局ミーハーな視聴者が悪いってことね。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/19(土) 00:17:29
テレビ局が変化を望まないってことね。
コンテンツづくりと放送チャネルの両者の顔を持っているので、
イノベーションへの貢献はできるはずなんだけど、
官僚と同じ発想なんよ。今のルールがオイシイのだろう。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/20(日) 05:19:28
作り手が王(内容)より飛車(俳優)を可愛がっている訳だ。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/21(月) 12:14:43
廃油宇宙が悪い。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/25(金) 17:25:05
ドラマ板が変だ。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/25(金) 21:21:38
>>33 4月期は、見る方がかしこくなりましたな。
内容メイン.テレ朝↑
タレントメイン.フジ↓
(KTVの火曜10時をのぞく)
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/26(土) 01:11:26
日本のドラマでもテレ朝とNHKはマシなの多いよね。
ドラマそのものの面白さより役者の魅力を重視する奴の特徴。
・物(=ドラマや映画、脚本、音楽等)のレベルより人間(=役者、歌手等)のレベルを見る自分が崇高な人間であると思い込んでおり、それに酔い痴れ、そうじゃない奴を見下している。
昔の欧州では声は人間が発する音で、インストは物から出る音の音楽だと言う理由で声楽が高尚で器楽は低俗な不良の音楽という考え方が強かった。こいつらの頭の中は中世の人間と同レベル。
脚本家や照明技師も人間でドラマや映画を創るのは人間だってことが分からない馬鹿が多い。
・何を言ったかよりも誰が言ったかを重んじる。
・一つの理由しか考えられなく、理由を決め付ける。
・自分が知らない物(人)はマイナーだと決め付ける。
・わがまま。
・穴だらけの論理を連発するのだが、決して屁理屈をこねているわけではない。そこが逆に痛かったりする。
・相手を無理矢理論破して自分の価値観を押し付けるしつこい奴が多い。
・自分と自分の身の回りの人間の常識を宇宙の常識と勘違いしている。
・前向きに後ろ向きなことを言うのでとてもタチが悪い。
・しつこい質問攻めが好きなくせに、質問の答えに対して文句を垂れてばかりいる。
・誘導尋問に引っ掛からない相手に対して逆ギレする。
・他人には「どうして?」「なんで?」を連発するのに、自分は「ノーリーズン」で済ます卑怯者が多い。
・理由の理由を訊いてくるのでウザい。
・自分の憶測と違う答えを嘘だと決め付ける。
・YESと答えてもNOと答えても反論してくる。
・役者の評論が好きなくせに華と存在感の違いも分からない。
久米宏がラジオ番組で日米のドラマの違いについて専門家と話してたんだが、
なるほどと思った。
日本は役者の人気が先にあって、脚本や演出の出来は二の次なのに対して、
アメリカは先に脚本があって、それにあった役者を人気の有無関係無しに当てていく。
だから面白い。
確かに無名で不細工な役者ばっかりだが、面白ければ何でも良い。
脚本と演出が良ければ、役者なんて演技下手、歌下手、ダンス下手、アクション下手、華無し、存在感無し、個性無し、カリスマ性無しの八重苦でも面白いドラマは作れる。
「役者は魅力的だけどつまらないドラマ」や「役者は魅力ないけど面白いドラマ」もあるわけでね。
「愛と青春の宝塚」は大根の藤原紀香が主役だけど面白かった。
「復讐するは我にあり」は大根の柳葉敏郎が主役だけど面白かった。
「ゾウのはな子」は大根の反町隆史が主役だけど面白かった。
「点と線」は大根のビートたけしが主役だけど面白かった。
「太陽は沈まない」は大根の滝沢秀明が主役だけど面白かった。
「私が私であるために」は相沢咲姫楽っていう素人のニューハーフが主役だけど面白かった。
友近は、演技は上手いがコントはつまらない。
柳原可奈子は、演技は上手いがコントはつまらない。
ZOXY DOLLは、華があるが漫談はつまらない。
しずちゃんは、存在感があるが南海キャンディーズの漫才はつまらない。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力は抜群だが糞ミュージシャン。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力だけのミュージシャン。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力マニア、歌唱力オタク御用達のミュージシャン。
ドラマもお笑いや音楽と同じで、俳優の演技が上手いだけでは面白くない。
役者を見てドラマを観ずの現代の日本人。
昔の日本人も役者を見て芝居を観ずだった。
ttp://www.thirdstage.com/dsbt/trans93.htmlより抜粋 鴻上
文学がまずあって演劇にいった国と、
弁当ひろげてお気に入りの役者を観にいくことから演劇が定着した国との違いでしょうね。
「千本桜」でね、静御前が義経との別れの時にずーっと泣いているでしょ。
泣いているんですけど、突然、静御前がおどり出す(笑)。
で、イアホンガイド聞くと
「この場面では、静御前が微笑んでいる顔が見たいというお客さまの要望におこたえして、踊っています」っていう(笑)。
なんてファンキーな民族なんでしょう(笑)。
このいいかげんさはたいしたもんだと思いますよ。
僕が今まで書いてきた台本は、(自分の劇団の)役者のキャラクターと力量プラスそのひとつ上の事をそれぞれに要求してっていう作り方でして・・・
それは座付き作者の宿命だと思って僕はやってます。
でもね、僕の戯曲をほかのところでやってもらったのを見にいくと、「ああ、申し訳ないなあ」と思うんですよ。
この俳優さんだったらこういうふうに変えたら面白いのになあって思うことがよくある。
だから、今回のは普段やってるような「遊び」の部分は抑えざるをえないかもしれませんね。
長い間、ヨーロッパの音楽の中心は声楽でした。世俗音楽において楽器は
伴奏として早くから使われてはいましたが、歌うのや、踊るのは貴族や民衆
であっても、伴奏は楽士によって奏されることが多く、自らの楽しみのために
演奏をするアマチュア器楽奏者はあまりいませんでした。が、ルネッサンスの
人文主義者たちが神を恐れずに自分の感覚を信じたとき、「器楽=人間を
堕落させるもの」という伝統的なイメージは影を潜め、15世紀の終わり頃から
急激にアマチュア器楽奏者の数が増え始めます。人文主義者たちが自らの
手本としたプラトン、アリストテレスなどのギリシャの哲学者たちが、「器楽は
情操教育に欠かせない」として器楽を擁護していたことも器楽が人文主義者
に受け入れられた一因に違いありません。 賤しい職業音楽家の楽器は、高貴
な人たちにふさわしいように、そして演奏がより簡単になるように改良が加えら
れていき、ヴィオラ・ダ・ガンバやチェンバロ、リュートなどのアマチュア楽器が
誕生します。それに対して管楽器全般(トランペット、サクバット=トロンボーン、
コルネット=木管の多孔トランペット、ショーム=オーボエ)やフィードル=ヴァイ
オリンなどはプロフェッショナル音楽家のための楽器であり、プロがアマチュア
のための楽器を演奏することはあっても、アマチュア貴族がプロ楽器を演奏す
ることはありませんでした。16世紀中頃には楽器の一つでも演奏できることが
教養ある宮廷人としての条件の一つとなります。それとともに、楽器を巧みに
演奏することのできる楽士は貴族の教師として、また立派な教養人の一人と
して宮廷社会の中で確固たる地位を築きはじめます。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 02:37:30
マングース
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/25(日) 14:47:37
俺は面白いドラマが見たいだけ。
魅力的な役者を見たいとか、上手い演技を見たいとは思わない。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/09(木) 13:37:00
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 02:05:42
必殺仕事人の現代版に近いドラマなら怨み屋本舗がそれだな
テレビ東京の深夜枠だったが傑作だと思うぞ
「愛と青春の宝塚」は大根の藤原紀香が主役だけど面白かった。
「復讐するは我にあり」は大根の柳葉敏郎が主役だけど面白かった。
「ゾウのはな子」は大根の反町隆史が主役だけど面白かった。
「点と線」は大根のビートたけしが主役だけど面白かった。
「太陽は沈まない」は大根の滝沢秀明が主役だけど面白かった。
「ビギナー」は大根のミムラが主役だけど面白かった。
「私が私であるために」は相沢咲姫楽っていう素人のニューハーフが主役だけど面白かった。
ドラマそのものの面白さより役者の魅力を重視する奴の特徴。
・物(=ドラマや映画、脚本、音楽等)のレベルより人間(=役者、歌手等)のレベルを見る自分が崇高な人間であると思い込んでおり、それに酔い痴れ、そうじゃない奴を見下している。
昔の欧州では声は人間が発する音で、インストは物から出る音の音楽だと言う理由で声楽が高尚で器楽は低俗な不良の音楽という考え方が強かった。こいつらの頭の中は中世の人間と同レベル。
脚本家や照明技師も人間でドラマや映画を創るのは人間だってことが分からない馬鹿が多い。
・何を言ったかよりも誰が言ったかを重んじる。
・一つの理由しか考えられなく、理由を決め付ける。
・自分が知らない物(人)はマイナーだと決め付ける。
・わがまま。
・穴だらけの論理を連発するのだが、決して屁理屈をこねているわけではない。そこが逆に痛かったりする。
・相手を無理矢理論破して自分の価値観を押し付けるしつこい奴が多い。
・自分と自分の身の回りの人間の常識を宇宙の常識と勘違いしている。
・前向きに後ろ向きなことを言うのでとてもタチが悪い。
・しつこい質問攻めが好きなくせに、質問の答えに対して文句を垂れてばかりいる。
・誘導尋問に引っ掛からない相手に対して逆ギレする。
・他人には「どうして?」「なんで?」を連発するのに、自分は「ノーリーズン」で済ます卑怯者が多い。
・理由の理由を訊いてくるのでウザい。
・自分の憶測と違う答えを嘘だと決め付ける。
・YESと答えてもNOと答えても反論してくる。
・役者の評論が好きなくせに華と存在感の違いも分からない。
久米宏がラジオ番組で日米のドラマの違いについて専門家と話してたんだが、
なるほどと思った。
日本は役者の人気が先にあって、脚本や演出の出来は二の次なのに対して、
アメリカは先に脚本があって、それにあった役者を人気の有無関係無しに当てていく。
だから面白い。
確かに無名で不細工な役者ばっかりだが、面白ければ何でも良い。
脚本と演出が良ければ、役者なんて演技下手、歌下手、ダンス下手、アクション下手、華無し、存在感無し、個性無し、カリスマ性無しの八重苦でも面白いドラマは作れる。
「役者は魅力的だけどつまらないドラマ」や「役者は魅力ないけど面白いドラマ」もあるわけでね。
「愛と青春の宝塚」は大根の藤原紀香が主役だけど面白かった。
「復讐するは我にあり」は大根の柳葉敏郎が主役だけど面白かった。
「ゾウのはな子」は大根の反町隆史が主役だけど面白かった。
「点と線」は大根のビートたけしが主役だけど面白かった。
「太陽は沈まない」は大根の滝沢秀明が主役だけど面白かった。
「ビギナー」は大根のミムラが主役だけど面白かった。
「私が私であるために」は相沢咲姫楽っていう素人のニューハーフが主役だけど面白かった。
友近は、演技は上手いがコントはつまらない。
柳原可奈子は、演技は上手いがコントはつまらない。
ZOXY DOLLは、華があるが漫談はつまらない。
しずちゃんは、存在感があるが南海キャンディーズの漫才はつまらない。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力は抜群だが糞ミュージシャン。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力だけのミュージシャン。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力マニア、歌唱力オタク御用達のミュージシャン。
ドラマもお笑いや音楽と同じで、俳優の演技が上手いだけでは面白くない。
長い間、ヨーロッパの音楽の中心は声楽でした。世俗音楽において楽器は
伴奏として早くから使われてはいましたが、歌うのや、踊るのは貴族や民衆
であっても、伴奏は楽士によって奏されることが多く、自らの楽しみのために
演奏をするアマチュア器楽奏者はあまりいませんでした。が、ルネッサンスの
人文主義者たちが神を恐れずに自分の感覚を信じたとき、「器楽=人間を
堕落させるもの」という伝統的なイメージは影を潜め、15世紀の終わり頃から
急激にアマチュア器楽奏者の数が増え始めます。人文主義者たちが自らの
手本としたプラトン、アリストテレスなどのギリシャの哲学者たちが、「器楽は
情操教育に欠かせない」として器楽を擁護していたことも器楽が人文主義者
に受け入れられた一因に違いありません。 賤しい職業音楽家の楽器は、高貴
な人たちにふさわしいように、そして演奏がより簡単になるように改良が加えら
れていき、ヴィオラ・ダ・ガンバやチェンバロ、リュートなどのアマチュア楽器が
誕生します。それに対して管楽器全般(トランペット、サクバット=トロンボーン、
コルネット=木管の多孔トランペット、ショーム=オーボエ)やフィードル=ヴァイ
オリンなどはプロフェッショナル音楽家のための楽器であり、プロがアマチュア
のための楽器を演奏することはあっても、アマチュア貴族がプロ楽器を演奏す
ることはありませんでした。16世紀中頃には楽器の一つでも演奏できることが
教養ある宮廷人としての条件の一つとなります。それとともに、楽器を巧みに
演奏することのできる楽士は貴族の教師として、また立派な教養人の一人と
して宮廷社会の中で確固たる地位を築きはじめます。
役者を見てドラマを観ずの現代の日本人。
昔の日本人も役者を見て芝居を観ずだった。
ttp://www.thirdstage.com/dsbt/trans93.htmlより抜粋 鴻上
文学がまずあって演劇にいった国と、
弁当ひろげてお気に入りの役者を観にいくことから演劇が定着した国との違いでしょうね。
「千本桜」でね、静御前が義経との別れの時にずーっと泣いているでしょ。
泣いているんですけど、突然、静御前がおどり出す(笑)。
で、イアホンガイド聞くと
「この場面では、静御前が微笑んでいる顔が見たいというお客さまの要望におこたえして、踊っています」っていう(笑)。
なんてファンキーな民族なんでしょう(笑)。
このいいかげんさはたいしたもんだと思いますよ。
僕が今まで書いてきた台本は、(自分の劇団の)役者のキャラクターと力量プラスそのひとつ上の事をそれぞれに要求してっていう作り方でして・・・
それは座付き作者の宿命だと思って僕はやってます。
でもね、僕の戯曲をほかのところでやってもらったのを見にいくと、「ああ、申し訳ないなあ」と思うんですよ。
この俳優さんだったらこういうふうに変えたら面白いのになあって思うことがよくある。
だから、今回のは普段やってるような「遊び」の部分は抑えざるをえないかもしれませんね。
ドラマそのものの面白さより役者の魅力を重視する奴の特徴。
・物(=ドラマや映画、脚本、音楽等)のレベルより人間(=役者、歌手等)のレベルを見る自分が崇高な人間であると思い込んでおり、それに酔い痴れ、そうじゃない奴を見下している。
昔の欧州では声は人間が発する音で、インストは物から出る音の音楽だと言う理由で声楽が高尚で器楽は低俗な不良の音楽という考え方が強かった。こいつらの頭の中は中世の人間と同レベル。
脚本家や照明技師も人間でドラマや映画を創るのは人間だってことが分からない馬鹿が多い。
・何を言ったかよりも誰が言ったかを重んじる。
・理由を決め付けるのが好き。
・自分が知らない物(人)はマイナーだと決め付ける。
・わがまま。
・穴だらけの論理を連発するのだが、決して屁理屈をこねているわけではない。そこが逆に痛かったりする。
・相手を無理矢理論破して自分の価値観を押し付けるしつこい奴が多い。
・自分と自分の身の回りの人間の常識を宇宙の常識と勘違いしている。
・前向きに後ろ向きなことを言うのでとてもタチが悪い。
・しつこい質問攻めが好きなくせに、質問の答えに対して文句を垂れてばかりいる。
・誘導尋問に引っ掛からない相手に対して逆ギレする。
・他人には「どうして?」「なんで?」を連発するのに、自分は「ノーリーズン」で済ます卑怯者が多い。
・理由の理由を訊いてくるのでウザい。
・自分の憶測と違う答えを嘘だと決め付ける。
・YESと答えてもNOと答えても反論してくる。
・役者の評論が好きなくせに華と存在感の違いも分からない。
久米宏がラジオ番組で日米のドラマの違いについて専門家と話してたんだが、
なるほどと思った。
日本は役者の人気が先にあって、脚本や演出の出来は二の次なのに対して、
アメリカは先に脚本があって、それにあった役者を人気の有無関係無しに当てていく。
だから面白い。
確かに無名で不細工な役者ばっかりだが、面白ければ何でも良い。
脚本と演出が良ければ、役者なんて演技下手、歌下手、ダンス下手、アクション下手、華無し、存在感無し、個性無し、カリスマ性無しの八重苦でも面白いドラマは作れる。
「役者は魅力的だけどつまらないドラマ」や「役者は魅力ないけど面白いドラマ」もあるわけでね。
「愛と青春の宝塚」は大根の藤原紀香が主役だけど面白かった。
「復讐するは我にあり」は大根の柳葉敏郎が主役だけど面白かった。
「ゾウのはな子」は大根の反町隆史が主役だけど面白かった。
「点と線」は大根のビートたけしが主役だけど面白かった。
「太陽は沈まない」は大根の滝沢秀明が主役だけど面白かった。
「ビギナー」は大根のミムラが主役だけど面白かった。
「私が私であるために」は相沢咲姫楽っていう素人のニューハーフが主役だけど面白かった。
友近は、演技は上手いがコントはつまらない。
柳原可奈子は、演技は上手いがコントはつまらない。
ZOXY DOLLは、華があるが漫談はつまらない。
しずちゃんは、存在感があるが南海キャンディーズの漫才はつまらない。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力は抜群だが糞ミュージシャン。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力だけのミュージシャン。
ケミストリーやマライア・キャリーは、歌唱力マニア、歌唱力オタク御用達のミュージシャン。
ドラマもお笑いや音楽と同じで、俳優の演技が上手いだけでは面白くない。
長い間、ヨーロッパの音楽の中心は声楽でした。世俗音楽において楽器は
伴奏として早くから使われてはいましたが、歌うのや、踊るのは貴族や民衆
であっても、伴奏は楽士によって奏されることが多く、自らの楽しみのために
演奏をするアマチュア器楽奏者はあまりいませんでした。が、ルネッサンスの
人文主義者たちが神を恐れずに自分の感覚を信じたとき、「器楽=人間を
堕落させるもの」という伝統的なイメージは影を潜め、15世紀の終わり頃から
急激にアマチュア器楽奏者の数が増え始めます。人文主義者たちが自らの
手本としたプラトン、アリストテレスなどのギリシャの哲学者たちが、「器楽は
情操教育に欠かせない」として器楽を擁護していたことも器楽が人文主義者
に受け入れられた一因に違いありません。 賤しい職業音楽家の楽器は、高貴
な人たちにふさわしいように、そして演奏がより簡単になるように改良が加えら
れていき、ヴィオラ・ダ・ガンバやチェンバロ、リュートなどのアマチュア楽器が
誕生します。それに対して管楽器全般(トランペット、サクバット=トロンボーン、
コルネット=木管の多孔トランペット、ショーム=オーボエ)やフィードル=ヴァイ
オリンなどはプロフェッショナル音楽家のための楽器であり、プロがアマチュア
のための楽器を演奏することはあっても、アマチュア貴族がプロ楽器を演奏す
ることはありませんでした。16世紀中頃には楽器の一つでも演奏できることが
教養ある宮廷人としての条件の一つとなります。それとともに、楽器を巧みに
演奏することのできる楽士は貴族の教師として、また立派な教養人の一人と
して宮廷社会の中で確固たる地位を築きはじめます。
役者を見てドラマを観ずの現代の日本人。
昔の日本人も役者を見て芝居を観ずだった。
ttp://www.thirdstage.com/dsbt/trans93.htmlより抜粋 鴻上
文学がまずあって演劇にいった国と、
弁当ひろげてお気に入りの役者を観にいくことから演劇が定着した国との違いでしょうね。
「千本桜」でね、静御前が義経との別れの時にずーっと泣いているでしょ。
泣いているんですけど、突然、静御前がおどり出す(笑)。
で、イアホンガイド聞くと
「この場面では、静御前が微笑んでいる顔が見たいというお客さまの要望におこたえして、踊っています」っていう(笑)。
なんてファンキーな民族なんでしょう(笑)。
このいいかげんさはたいしたもんだと思いますよ。
僕が今まで書いてきた台本は、(自分の劇団の)役者のキャラクターと力量プラスそのひとつ上の事をそれぞれに要求してっていう作り方でして・・・
それは座付き作者の宿命だと思って僕はやってます。
でもね、僕の戯曲をほかのところでやってもらったのを見にいくと、「ああ、申し訳ないなあ」と思うんですよ。
この俳優さんだったらこういうふうに変えたら面白いのになあって思うことがよくある。
だから、今回のは普段やってるような「遊び」の部分は抑えざるをえないかもしれませんね。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/02(木) 22:08:59
,
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 10:36:23.17
76 :
誘導:2011/03/17(木) 11:36:53.13
77 :
誘導: