阿含宗HPを語る2001

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54キンダ0ガ0テン
>48
伝統、法統がチベットやスリランカに残っていたという
ことでしょうね。

法脈継承の歩み
http://www.agon.org/jp_html/history/hisphoto.html
55キンダ0ガ0テン :2000/09/14(木) 10:51
>北伝仏教(大衆部)の継承

>1970年11月 小田慈舟大僧正より広島県の御自坊・城福寺にて
>「如意宝珠法」を伝授される。1972年-1973年小田慈舟大僧正より、
>京都道場にて、「金剛界法・胎蔵界法」の奥伝を伝授される。

56ハエたたき :2000/09/14(木) 12:21
>大乗仏教という呼び方は、大衆部の人々が自分たちを大乗と称し、
>上座部の人々を小乗と呼んで自らを正当化するために広めた呼称で、
>学問上、いまは廃されています。

【部派仏教】ぶはぶっきょう
ゴータマ_ブッダ《仏陀(ブツダ)》入滅(ニユウメツ)後100年ごろ、仏教教団は教義の解釈などを
めぐって、ブッダ以下の伝統をそのまま守ろうとする保守的な《上座部(ジヨウザブ)》と進
歩的・自由主義的な《大衆部(ダイシユブ)》とに分裂し、この両派よりさらに多くの部派が
分派した。これらの諸派が分立した時代の仏教を総称して、明治以降の学界で〈部派仏
教〉と呼ぶようになったもので、古い文献に出てくる名称ではない。
57ハエたたき :2000/09/14(木) 12:24
【大乗仏教】だいじょうぶっきょう
西暦紀元前後からインドに興った仏教の革新運動のこと。
ゴータマ_ブッダ(釈尊)滅後まもなく、出家の仏教者たちは遍歴の生活をやめ、次第に僧
院に定住し、王族や豪商たちの経済的援助のもとに学問と瞑想に専心するようになった。
この初期の出家仏教は多くの学派に分れていたので部派仏教と呼ばれる。
出家の仏教者には僧院に住む声聞(シヨウモン)(仏弟子の意)と1人で山野に修行する独覚(ドツカ
ク)〔縁覚(エンガク)ともいう〕とがあったが、ともに阿羅漢(アラカン)という聖者になることを
最高の理想としていた。
これに対し、革新仏教の信者たちは仏陀となることを理想とし、みずからを菩薩《仏陀の
さとりを求める有情(ウジヨウ)》と呼んだ。

紀元前5世紀あるいは前4世紀にゴータマ・ブッダが死去したとき、その遺体の火葬、遺
骨の採集、遺骨を納めるストゥーパ(塔)の建設と供養はすべて在家の信者によって行われ、
出家の仏弟子たちはこれに関与しなかった。
このストゥーパに集まり、これを崇拝した在家者たちがしだいに教団を形成し、部派仏教
の教義を借用し、やがて指導者層には出家となる者も出てきた。
小乗教徒は、ゴータマ・ブッダの逝去から遠い未来に弥勒(ミロク)が成仏するまでの間は仏
陀は存在しないと考えていたが、大乗教徒は現在にも十方の世界に無数の仏陀が存在する
ことを信じて、いわば信仰の仏教を発展させた。
彼らはこれらの十方諸仏に向かって、自己の罪を懺悔し、教化を請い《勧請(カンジヨウ)》、
諸仏やその仏弟子・信者たちの善行を讃歎して喜び《随喜》、自他の善行の功徳を諸仏に
ささげる《廻向(エコウ)》という新たな儀礼をも作り出し、さらに独創的な空(クウ)の思想を
も展開した。
58ハエたたき :2000/09/14(木) 12:24
>>55-56

大衆部も上座部も共に部派(小乗)仏教で、大乗ではありません。
明らかな間違いです。
59名無しさん :2000/09/14(木) 12:32
>58
>55.56って何?
60名無しさん :2000/09/14(木) 12:37
61名無しさん :2000/09/14(木) 12:39
60続き。
>インドの仏教は、一般に13世紀初頭に衰滅したと記されてきた。
>確かに、完膚無きまでにイスラム教徒の進軍の前に、為す術もなく
>寺院は破壊され、僧侶や仏教徒たちの多くが殺され、仏像は壊され
>てしまった。土地を離れず改宗した者たちも大勢いただろう。しか
>し、その陰で、信ずるものを心に秘め、それが故に住み慣れた土地
>を捨て逃れゆく者たちもあった。当時仏教の最後の砦となっていた
>ベンガルの地は後期密教がその主流であったといわれる。そのため、
>多くの人たちは北へ進みチベット、ネパールへ難を逃れたであろう。
>が、ここで私が述べようとする今日もなおベンガルの地で仏教徒と
>して生き続けている人々の祖先はその遥か以前から更に東へビルマ
>国境へと逃れていった人たちである。

 
62名無しさん :2000/09/14(木) 12:41
ハエさんは、話題について行けてないようだけど、
インドで仏教が滅亡したのは13世紀初頭。後期
密教の時代にまで下るわけです。
63名無しさん :2000/09/14(木) 12:45
ハエさん、60のHPのような生きた資料だと書いていただいても
良いんだけど、学校時代のテキストや辞書のような、カビの生えた
資料を長文丸写しするのは止めてね。自分の言葉で語りなさいよ。

専門分野のHPも見るんだけど、学生とか初心者、また馬鹿なやつ
ほど教科書丸写しするんだよね。

お勉強は一人でしてね。ここは論点だけ書けば良いのよ!!!
64ハエたたき :2000/09/14(木) 12:45
http://www.agon.org/jp_html/history/hisphoto.html
>大乗仏教という呼び方は、大衆部の人々が自分たちを大乗と称し、
>上座部の人々を小乗と呼んで自らを正当化するために広めた呼称で、
>学問上、いまは廃されています。

阿含宗のHPのウソ・間違いを親切に教えてあげているんです。
65名無しさん :2000/09/14(木) 12:48
60続き
>彼らは自らを今日のビハール州ガンジス河中流域に住んでいたかつ
>てのマガダ国の末裔であると信じている。西域からの異教徒の侵入
>は既に8世紀ごろから頻発していたため、争いを好まない彼らは東部
>へ避難。その頃カルカッタの町はなく、北へ回ってアッサムやマニプ
>ールを通ってビルマ国境のチッタゴン丘陵部やビルマのアラカン地方
>に逃れたと言われている。

8世紀ごろから、異教徒の侵入が始まったわけだ。
66名無しさん :2000/09/14(木) 13:01
60続き
>歴史を書き記す習慣の無かったインドにあっては、その後どの
>ように彼らが暮らしていたかを物語ることは容易ではない。唯一
>の史料といえるものは中国からインドに渡った法顕や玄奘といった
>中国人僧侶の旅行記に記されていることから推察する他はない。
>7世紀にインドを訪れた玄奘によれば、ガンジス河河口東ベンガル
>の地には、伽藍30僧2000人上座部の法を学んでいると記して
>いるから仏教が盛んに行われていたことを伺わせている。

玄奘三蔵がインドに行ったのが7世紀。その頃にはまだインドは仏教
の時代であった。
だから、イスラムによって滅ぼされたインドの仏教は、玄奘が中国に
持ちかえった仏教徒同じだったわけだ。
67名無しさん :2000/09/14(木) 13:05
だから、インド仏教が「いわゆる小乗仏教」だったから荒廃して
しまったというのは間違い。

インドで滅びた仏教は「玄奘が中国に持ちかえった仏教だった」。

あのインド人が、一時は、法華経信仰、阿弥陀信仰をしていたわ
けだね。インド人も「なむあみだぶつ、なむみょうほうれん。。」て
やっていたんだろうか。
68名無しさん :2000/09/14(木) 13:10
ハエさん、言葉尻はいいから(言葉には定義の違いもあるんだから)
大筋、本筋を追って語ってね。

(ハエ次の発言予想)
>インド人も「なむあみだぶつ、なむみょうほうれん。。」て
>やっていたんだろうか。
インドには念仏は、、唱題は、、って話になるんでしょう??

こういうのは軽く書いているんだからね。そうかなと思ってにっこり
するのが教養ある人。

69名無しさん :2000/09/14(木) 13:15
ハエさんね、それと、研究者の立場というのは山ほどあって、
一つのことでも、何年も何十年も議論が続いたりするんだから、
自分のガッコのテキストやノートが真理だと思ったらだめだよ。

研究には「事実」というものはないの。さまざまな立場があって
、その立脚点どうしがせめぎあって、最後には定説になる。
定説になったからといって事実でもない。高校生の教科書ていどで
ほぼ確立した定説に近いもの何だよ。

自分のガッコのテキストを丸写しして、それを「規範」のように
思っているのは、恥ずかしいことだよ。
70ハエたたき :2000/09/14(木) 13:18
>>56-57 は、

阿含宗のホームページにも文章を引用されている、中村元博士らの編集による岩波仏教辞
典の引用です。
いいかげんなものではありません。
71ハエたたき :2000/09/14(木) 13:30
インド仏教

インドは仏教の故郷である.
そこで仏教は_釈尊による開教(紀元前5世紀ごろ)以来,千七百年に及ぶ展開を見たが,1
3世紀初頭にイスラム軍の進撃のもとにベンガル地方の拠点寺院が破壊されて,一時その
幕を閉じた.
ただし,カシミール,ネパール,東ベンガルなどの周辺地域にはその後も存続して,今日
に至っている.
近代に入って,スリランカから大菩提会の運動による再輸入があり,その影響下に,社会
運動の一環としてのいわゆる不可触民の集団入信があり,さらに,チベット流民の受け入
れによる_チベット仏教,日本山妙法寺による布教なども加わって,現在インド共和国に
は400万近くの仏教徒がいる.
72ハエたたき :2000/09/14(木) 13:31
インド仏教(歴史)

13世紀に至るまでのインド仏教の歴史は,
1)初期または_原始仏教の時代(開教から教団の分裂まで,約100年間),
2)_部派仏教の成立(前3世紀ごろ以降),
3)_大乗仏教の興起(前1世紀ごろ),
4)_密教の成立(7世紀以降),
をもってその画期とする.
ただし,大乗仏教の成立以後も,部派の教団は存続し,その教理の確立・展開を見た.
さらに密教も,その萌芽は大乗仏典中に見られるし,教義確立後も大乗の_中観派と密接な交渉がある.
要するに後期には部派の教団と大乗の学派と密教の運動団体とが重層的に共存していた.
73ハエたたき :2000/09/14(木) 13:31
インド仏教(伝播)

地理的に,釈尊時代の仏教はマガダ・コーサラの2国を中心とするガンジス河中流域を範
囲としたが,その後百年の間に西はアヴァンティ地方,北はマトゥラー地方に拠点をもつ
に至り,アショーカ王(_阿育王)の時代以降,南はランカー島(スリランカ),北はガンダ
ーラに及び,後者からさらにアフガニスタン,中央アジアへも進出した.
また5,6世紀以降は,インド人の入植とともに東南アジア諸地域にもひろがった.
しかし,_イスラム教の浸透とともに多くの地域で消滅し,わずかにスリランカに拠点を
もつ_上座部の教団だけが残って,現在の_南方仏教となった.
74名無しさん :2000/09/14(木) 13:42
ハエたたきさん、60のHPみてごらんなさい。
>60
>インド仏教徒の歩み
http://www3.justnet.ne.jp/~zen-you/pada/bengal1.htm

>昭和61年(1986) 高野山金剛峰寺にて得度式を受け、僧名全雄を授かる
>昭和62年(1987) 高野山専修学院入学、授戒、四度加行成満
>昭和63年(1988) 高野山専修学院卒業

この人は阿含宗の僧侶じゃないよ。こういうすばらしいHPを見ると、本当にハエ
たたきというにせ坊主の存在が恥ずかしくなるよね。
私達はね、信仰心のないにせ坊主からなど、何事も学ぶ気持ちはないの。

あなたは、存在自体が恥ずかしいものなの。60のHPの僧侶の爪の垢
でも飲みなさい。

75名無しさん :2000/09/14(木) 13:50
>60には
上座部仏教における葬式の話題が載っている。
だれか、テラワーダでは葬式はしないと言ってなかったかしら?
知らないから反論できなかったけど、おかしいと思ったよ。
76ハエたたき :2000/09/14(木) 13:54
インド仏教(ヒンドゥー教の影響)

出家者の教団を主体とする部派の仏教の世間超越的性格に比し,在家の運動に端を発した大乗や密教は,元来インド社会にあって_ヒンドゥー教と交渉が多く,その影響もうけやすかったためと思われる.インド仏教の盛時は前3世紀から後3世紀にかけてで,以後はヒンドゥー教の盛行に伴ってしだいに衰えを見せた.それでも,グプタ朝からハルシャ王の時代(7世紀)までは仏教が優勢で,外教との間の論争も盛んに行われ,そのため,論理学を発達させ,それがまた,ヒンドゥー系の諸学者に大きな影響を与えている.

======================================

私は単に中村元博士の教えを紹介して、HPの間違いを教えてあげているんです。
感謝されても、恨まれるようなことはしていないと思いますよ。
別に批判もしていないでしょう?明らかな間違いなのですから。
77名無しさん :2000/09/14(木) 13:55
60続き。
宗派は異なる。教えも異なる。高野山の修行はちゃんとやり
遂げておられるが、南方仏教修行も3年で止められたみたいだ。

立場は違うが、このような僧侶は尊敬できるし。すがすがしい。
こころに仏陀への信仰があるからだよね。
78名無しさん :2000/09/14(木) 14:01
ハエたたきさん、あんたは本当に馬鹿だね。馬鹿馬鹿しいからほっておくと
「答えられない」と思うみたい。自分の馬鹿な発言がわからないの?
79名無しさん :2000/09/14(木) 14:02
それじゃあ付き合ってあげるから、逃げたらだめだよ。
80名無しさん :2000/09/14(木) 14:05
阿含宗では、仏陀の滅後100年くらいまでを、仏陀の教えの時期
と位置付けている。
81名無しさん :2000/09/14(木) 14:07
>56
>入滅(ニユウメツ)後100年ごろ、仏教教団は教義の解釈などを
>めぐって、ブッダ以下の伝統をそのまま守ろうとする保守的な《上座部(ジヨウザブ)》と進
>歩的・自由主義的な《大衆部(ダイシユブ)》とに分裂し

上座部と大衆部に分裂したんでしょう?
82名無しさん :2000/09/14(木) 14:10
>56
>両派よりさらに多くの部派が
>分派した。これらの諸派が分立した時代の仏教を総称して、
>明治以降の学界で〈部派仏
>教〉と呼ぶようになったもので、古い文献に出てくる名称ではない。

この各派、入り乱れた状態を部派仏教と、明治以後の学会では総称した。

83名無しさん :2000/09/14(木) 14:11
>56
部派仏教ができたから、上座部と大衆部が消滅したと
どこかに書いてある??
84名無しさん :2000/09/14(木) 14:13
上座部と大衆部が統一吸収されて、部派仏教になったと
どこかに書いてあるかと聞いているの。
85ハエたたき :2000/09/14(木) 14:17
>>64

http://www.agon.org/jp_html/history/hisphoto.html
>大乗仏教という呼び方は、大衆部の人々が自分たちを大乗と称し、
>上座部の人々を小乗と呼んで自らを正当化するために広めた呼称で、
>学問上、いまは廃されています。

>>58
大衆部も上座部も共に部派(小乗)仏教で、大乗ではありません。
明らかな間違いです。

本部のHP作成者に教えてあげなさい、感謝されても、叱られることはないと思いますよ。
86名無しさん :2000/09/14(木) 14:19
( )の人達は、自らを大乗と名乗り、上座部の人達を小乗と貶めた。
87名無しさん :2000/09/14(木) 14:22
ハエたたき、86の括弧の中に単語を入れなさいよ。

部派仏教ができて、上座部、大衆部が消滅したとは
どこにも書いていないでしょう?

この各派、入り乱れた状態を部派仏教と、明治以後の
学会では総称した。

部派仏教の中には上座部も大衆部もあり、どちらも
存続し続けた。
88名無しさん :2000/09/14(木) 14:26
>85
>部派(小乗)仏教

なんて言葉はどこにもないでしょう。
大乗ができるまで小乗なんてないんだから。

部派仏教=上座部+大衆部。
大衆部が自らを大乗と名乗り、上座部を小乗と貶めたの。
89名無しさん :2000/09/14(木) 14:27
ハエたたき、86の括弧を埋めてね。
90名無しさん :2000/09/14(木) 14:38
>大衆部も上座部も共に部派(小乗)仏教で、大乗ではありません。
>明らかな間違いです。

この文章が間違っている。大乗という呼称ができるまでは大乗も
小乗もなかった。
書きなおし。

>大衆部も上座部も共に部派仏教で、大乗ではありません。小乗でもありません。
このうちの大衆部の人達が自らを大乗と名乗り、上座部を小乗と貶めたのです。
91ハエたたき :2000/09/14(木) 14:41
>>85

お願いだから
http://www.agon.org/jp_html/history/hisphoto.html
を見てください。

>大乗仏教という呼び方は、大衆部の人々が自分たちを大乗と称し、
>上座部の人々を小乗と呼んで自らを正当化するために広めた呼称で、
>学問上、いまは廃されています。

って書いてあるでしょう?
大衆部も上座部も共に部派(小乗)仏教で、大乗ではないから、阿含宗のHPの記述が明らかな間違いだと教えてあげているんです。
92ハエたたき :2000/09/14(木) 14:47
http://www.agon.org/jp_html/history/hisphoto.html

したがって、仏教の流れという図も明らかな間違いです。

よーちえんさんが、頑張れば頑張るほど、阿含宗が恥をかきます。
本部へ電話して確認して貰ってください。
本部が、ハエたたきが間違いで、阿含宗HPが正しいと言われれば、それ以上どうしようもありませんから、私は黙ります。
93名無しさん :2000/09/14(木) 14:51
>92
ハエたたき、つべこべ言わずに括弧を埋めなさいよ。

>( )の人達は、自らを大乗と名乗り、上座部の人達を小乗と貶めた。


94名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 15:05
よーちオバサン、またハエたたきさんを支離滅裂攻撃してますね。
自分のほうが知識がなくて書いてるくせに、
馬鹿を連発して、つべこべ言わずとか、ほんとうに品性下劣な人だ。
先月、先達からこういう言葉使いをしないように
注意されたばかりなのに、阿含宗いても因縁て切れないねえ。
95ハエたたき :2000/09/14(木) 15:08
>( )の人達は、自らを大乗と名乗り、上座部の人達を小乗と貶めた。

大乗とは、あらゆる衆生を乗せてさとりに導く大きな乗物(教え)の意味で、対立すること
となった部派仏教=上座部・大衆部・説一切有部の側を小乗と貶称(ヘンシヨウ)したのです。

96ハエたたき :2000/09/14(木) 15:15
部派仏教(大衆部の分派)
北伝によれば,上座部と大衆部とに根本分裂したのち,100年後に大衆部から〈一説部(イツ
セツブ)〉,〈説出世部(セツシユツセブ)〉,〈鶏胤部(ケイインブ)〉の3部派が分派し,ついで〈多
聞部(タモンブ)〉,〈説仮部(セツケブ)〉が分派し,最後に〈制多山部(セイタセンブ)〉,〈西山住
部(セイセンジユウブ)〉,〈北山住部(ホクセンジユウブ)〉が分派して,大衆部系は本末合せて9部派
となった。

部派仏教(上座部の分派)
上座部の系統は根本分裂の後,ブッダの入滅後300年の初めに〈説一切有部(セツイツサイウブ)〉,
〈雪山部(セツセンブ)〉の2部が分派し,さらに説一切有部から〈犢子部(トクシブ)〉が,犢子
部から〈法上部(ホウジヨウブ)〉,〈賢冑部(ケンチユウブ)〉,〈正量部(シヨウリヨウブ)〉,〈密林山
部(ミツリンセンブ)の4部派が分出した.また,説一切有部からは〈化地部(ケジブ)〉が,化地
部から〈法蔵部(ホウゾウブ)〉が分出した.ブッダの入滅後300年の末に説一切有部から〈飲
光部(オンコウブ)〉が,同じく400年に〈_経量部(キヨウリヨウブ)〉が派出して上座部系は合わせて
11部となり,大衆部系の9部と合計して,北伝仏教の伝統では〈小乗(シヨウジヨウ)二十部〉
と呼んだ.

部派仏教(南伝による分派)
南伝によれば,大衆部から鶏胤部がまず分派して,それより多聞部と説仮部が分派し,同
じく大衆部から一説部・制多山部が分派した.
上座部からは化地部と犢子部が派出し,前者からは説一切有部→飲光部→説転部(セツテンブ)
(p:Sa_kantika)→経量部の系統と法蔵部が,犢子部からは法上部・賢冑部・密林山部・
正量部が分派したとされる.
これらの諸部派のうちで,実際に特に有力であったのは説一切有部であり,大衆部系部派
にはブッダ観などで大乗仏教の先駆思想と見られる教義を説くものもある.
97名無しさん :2000/09/14(木) 15:18
>95
それじゃあ、あんたの答え。

>(大乗)の人達は、自らを大乗と名乗り、上座部の人達を小乗と貶めた。

起源を聞いているんでしょうが!

98名無しさん :2000/09/14(木) 15:21
>96
>大衆部系部派
>にはブッダ観などで大乗仏教の先駆思想と見られる教義を説くものもある.

ほら、起源がだんだんわかってきたね。上座部からは大乗はできてないの。


99名無しさん :2000/09/14(木) 15:27
>94さん
私はキンダーガーデンではないよ。
100名無しさん :2000/09/14(木) 15:27
>94さん、
99に間違いがあります。指摘してください。
101ハエたたき :2000/09/14(木) 15:32
【部派仏教】
仏滅後百年頃、仏教教団は進歩的な大衆部と保守的な上座部とに分裂し、その後数百年の間に約20派となった。
これら諸派の仏教を部派仏教という。
大乗の立場からは小乗として批判された。
現在の南伝仏教は部派仏教の一つである上座部の流れを汲む。

【大乗仏教】
紀元前後頃からインドに起った改革派の仏教。
従来の部派仏教が出家者中心・自利中心であったのを小乗仏教として批判し、それに対し、自分たちを菩薩と呼び利他中心の立場をとった。

【小乗】
〔仏〕(梵語 h〓nay〓na  劣った乗物の意) 衆生済度を忘れて自己の解脱だけを求める
声聞や縁覚の立場を、大乗の立場から批判的に名づけたもの。小乗仏教。
102名無しさん :2000/09/14(木) 15:33
>94さん、答えです。
キンダーガーテンね。
辞書で調べたら、やっぱり幼稚園さんが正しかったようだ。
103ハエたたき :2000/09/14(木) 15:37
>>56-57 >>71-73 >>76 >>96 >>101

よーちえんさんは、私が大嫌いなようだけど、
あなたに代わって色々調べてUPしてあげているんですから、
すごく親切だと思います。
104ハエたたき :2000/09/14(木) 15:40
>>101 の引用は広辞苑です。
仏教学辞典を引くまでもないような常識的なことでした。
105名無しさん :2000/09/14(木) 15:47
>101
また主語が無いでしょう。

>自分たちを菩薩と呼び利他中心の立場をとった。

自分達って誰なの?
106名無しさん :2000/09/14(木) 15:47
>101
大衆部の流れをくむ人達でしょう?
107名無しさん :2000/09/14(木) 15:50
上座部から大乗仏教は出ないのだから、上座部以外から出るしか
ないよね。
誰が経典を作ったのか?というのが問題なんでしょう?上座部の
人達がにせ経典を作ったの?
108名無しさん :2000/09/14(木) 15:52
>101
しかし、広辞苑が主語をぼかすんだね。
どこからどのようにしてあの大乗経典群が出現したのか?
謎だね。ハエさんは学者でもないのに知っているらしい。
109名無しさん :2000/09/14(木) 15:54
>101
はっきり分かるのは、上座部以外の人達ということだろう。
上座部以外の人達=大衆部、もしくは路傍の人。
路傍の人なら、完璧なにせ経典だね。
110名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 16:01
>106
>大衆部の流れをくむ人達でしょう?

オバサンは大衆部から大乗仏教が出てきたから、
したがって大衆部は大乗仏教だと言いたいのですか。
これでは子供も孫も同一人物だと言っているようなものです。
原始仏教も部派仏教も大乗仏教も一つの流れの中から
出てきたのだから、全部同じだということになる。

阿含宗HPが書いている
「大衆部の人々が自分たちを大乗と称し」
という説を唱えている学者の本を引用して
オバサンが学問的な根拠を示してはどうですか。
111ハエたたき :2000/09/14(木) 16:03
>>56-57 の続きになります。

大乗仏教(大乗経典の成立)

紀元後1世紀以降に般若経・維摩経・法華経・華厳経・無量寿経等の大乗経典(第1期な
いし初期大乗経典)が編集され,3世紀には竜樹が中論等を著して空の思想体系化に努め,
4世紀には勝鬘経・涅槃経などの如来蔵経典および解深密経・大乗阿毘達磨経の阿頼耶識
(アラヤシキ)経典(第2期ないし中期大乗経典)が編集された.
5世紀には無着・世親によって瑜伽行派が生まれ,中観派と対立したが,経典としては如
来蔵と阿頼耶識との統合をはかった楞迦経や大乗密厳経(第3期ないし後期大乗経典)が編
集された.
6世紀ころから密教化も進み,7世紀には大日経・金剛頂経などが作られ,金剛乗が成立
した.
ただし金剛乗は,自らを大乗と区別する意識をももっていた.
また本来は小乗の一学派であった経量部は,インド仏教の後期には大乗の一学派とみなさ
れるようにもなった.

>>71-73 >>76 >>96 >>101 も参考にしてください。