阿含宗HPを語る2001

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56ハエたたき
>大乗仏教という呼び方は、大衆部の人々が自分たちを大乗と称し、
>上座部の人々を小乗と呼んで自らを正当化するために広めた呼称で、
>学問上、いまは廃されています。

【部派仏教】ぶはぶっきょう
ゴータマ_ブッダ《仏陀(ブツダ)》入滅(ニユウメツ)後100年ごろ、仏教教団は教義の解釈などを
めぐって、ブッダ以下の伝統をそのまま守ろうとする保守的な《上座部(ジヨウザブ)》と進
歩的・自由主義的な《大衆部(ダイシユブ)》とに分裂し、この両派よりさらに多くの部派が
分派した。これらの諸派が分立した時代の仏教を総称して、明治以降の学界で〈部派仏
教〉と呼ぶようになったもので、古い文献に出てくる名称ではない。
57ハエたたき :2000/09/14(木) 12:24
【大乗仏教】だいじょうぶっきょう
西暦紀元前後からインドに興った仏教の革新運動のこと。
ゴータマ_ブッダ(釈尊)滅後まもなく、出家の仏教者たちは遍歴の生活をやめ、次第に僧
院に定住し、王族や豪商たちの経済的援助のもとに学問と瞑想に専心するようになった。
この初期の出家仏教は多くの学派に分れていたので部派仏教と呼ばれる。
出家の仏教者には僧院に住む声聞(シヨウモン)(仏弟子の意)と1人で山野に修行する独覚(ドツカ
ク)〔縁覚(エンガク)ともいう〕とがあったが、ともに阿羅漢(アラカン)という聖者になることを
最高の理想としていた。
これに対し、革新仏教の信者たちは仏陀となることを理想とし、みずからを菩薩《仏陀の
さとりを求める有情(ウジヨウ)》と呼んだ。

紀元前5世紀あるいは前4世紀にゴータマ・ブッダが死去したとき、その遺体の火葬、遺
骨の採集、遺骨を納めるストゥーパ(塔)の建設と供養はすべて在家の信者によって行われ、
出家の仏弟子たちはこれに関与しなかった。
このストゥーパに集まり、これを崇拝した在家者たちがしだいに教団を形成し、部派仏教
の教義を借用し、やがて指導者層には出家となる者も出てきた。
小乗教徒は、ゴータマ・ブッダの逝去から遠い未来に弥勒(ミロク)が成仏するまでの間は仏
陀は存在しないと考えていたが、大乗教徒は現在にも十方の世界に無数の仏陀が存在する
ことを信じて、いわば信仰の仏教を発展させた。
彼らはこれらの十方諸仏に向かって、自己の罪を懺悔し、教化を請い《勧請(カンジヨウ)》、
諸仏やその仏弟子・信者たちの善行を讃歎して喜び《随喜》、自他の善行の功徳を諸仏に
ささげる《廻向(エコウ)》という新たな儀礼をも作り出し、さらに独創的な空(クウ)の思想を
も展開した。