★[灯台の]上野千鶴子〔権威・権力〕★ 2

このエントリーをはてなブックマークに追加
788名無しさん@社会人
>ところがコネクショニズムの考え方では、思考のかなりの部分は非言語的な情報処理であり、
>符号やラベルのついていない『前・記号的表象(pre-symbolic representation)』の形成や変換であるとする。
>意識される思考過程というのは、ただたんに、ものごとの一貫性をチェックしたり、
>真実性を吟味したり、あるいは他人とコミュニケーションをもつために、
>人間が「わざわざする」言語化行為の結果であって、
>それはその場その場での行為を直接的には制御も支配もしていないということである。

>佐伯胖「思想の言葉」『思想』771号、1988年
789名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 05:18:00
384 :考える名無しさん :04/04/11 22:44
>>380
ソシュールまで言語論的転回に入れるんなら、
・オックスフォード日常言語学派(オースティン、サール)
・プラグマティズムの言語学(パース、ミード、モリス)
・ハーバーマス、アーペル、ガダマーあたり
は入らないのかな?

390 :考える名無しさん :04/04/11 23:48
>>384
>・オックスフォード日常言語学派(オースティン、サール)
一般に、言語論的展開と言うとき論理実証主義も日常言語学派も分析哲学のそれに含まれてんじゃないかな?
と言うか、そもそも分析哲学という呼び名自体日常言語学派((日常)言語の分析哲学)が語源だったはず。

「言語論的転回」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1068999993/l50
790名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 05:29:01
・・・これらはどれひとつとして、文や命題とも、また文や命題の間の推論関係とも、本質的な関係をもってはいない。
これまでの言語中心主義的な伝統的認知間は、いま、言語に根本的役割をいっさい認めない、まったく新しい脳中心主義的認知間を突きつけられているのである。

ポール・M・チャーチランド『認知哲学』431ページ
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4782801114/
791名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 05:45:55
142 名前: 研究する名無しさん 投稿日: 2005/04/27(水) 11:20:10

現象学や心の哲学がご専門の野家伸也さんによると
「認知科学の出現は現代哲学の歴史的展開における本質的な出来事である。
・・・いわゆる『言語論的転回』によってもたらされた言語分析的方法が、
認知科学と出会うことによってその本質的な限界を露呈」し、
「認知科学の展開は哲学に対してさまざまなインパクトを与えてきたが、
その中でも最も重要なものは、言語に対して正当な位置づけを与えることができるようになったということであろう。
言語の背後に心の認知機構があり、言語はその働きの一つの特例にすぎないということを確認するのに、
20世紀の哲学はずいぶん大きな廻り道(けっして無意味な廻り道ではないが)をしてきた」。
とのことです。
つまり野家さんは「言語は『それ以上背後にさかのぼりえないもの』であると主張してきた」、
「20世紀初頭の『言語論的転回』(the linguistic turn)と呼ばれる哲学方法論上の転換」(一部改変)を否定しているのです。

野家伸也「認知論的転回」『思想』916号、2000年
792名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 06:03:37
思考の言語仮説を拒否するということは、思考の媒体(medium)として統語論的表象を拒否することだ。
カミンズの提案がもし正しければ、思考の言語を拒否するより強い動機が与えられる。
言語が表象でないということと、認知は表象に対する操作であるということからは、言語は認知の媒体にはなれない、ということが帰結するからである。

戸田山和久「心は(どんな)コンピュータなのか」
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326199253/
793名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 06:14:51
ttp://t-office.raputax.com/2007/070108.html

何が言語だ、馬鹿野郎が。(ブログの人のことじゃないよ)
794名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 06:15:34
上野って、いわゆるサイエンス・ウォーズにはどんな発言してんの?
事情通の方、おせーてー。
795名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 10:48:50
サイエンスウォーズを理解するためには
まずその背景となったサイエンス・スタディーズを理解しなければならない。

サイエンス・スタディーズは、
科学史、科学哲学、科学社会学のそれぞれの要素を兼ね備えた、
それ自体が融合的で学際的な「現代科学論」だ。

サイエンス・ウォーズとは、
一言でいうならその「現代科学論者」と「科学者」の論争のこと。

この論争は科学技術者サイドが、
科学論者の相対主義的、反実在論的、非実証主義的傾向の強い議論に業を煮やし、
古典的な実在論や実証主義の規範の再確認を旗揚げしながら、
激しく反論した反抗とそれを取り巻く賛否両論のこと。
796名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 10:52:13
> 科学史、科学哲学、科学社会学のそれぞれの要素を兼ね備えた、
とりあえず、科学史は、やってないな。<上野
科学哲学は、定義がよく分からん。
科学社会学・・・?

素人な分野には、あまり口出さないかと思う。<上野
797名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 11:40:59
>>795
ありがと。ただそれは一般的な科学論とサイエンス・ウォーズの説明ですね。
私が特に知りたいのは、上野千鶴子氏が一連の騒動に何かコメントしてたら教えていただきたいのです。

>>796
>素人な分野には、あまり口出さないかと思う。<上野
そう? 自閉症とか、上にも出てきた慰安婦論争とか、ド素人丸出しだったんじゃない?
798名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 11:41:56
上野って、いわゆる言語論的転回にはどんな発言してんの?
事情通の方、おせーてー。
799名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 12:48:24
彼女、三浦展と対談してる。
800名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 12:51:21
>>799
書誌情報を教えてください。お願いします。
801名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 16:38:48
誰も教えてくんねーから自分で調べてみたよ、ったくよぉ。
で、上野によると、彼女が依拠する構築主義というのは、


 一章の野口裕二論文「臨床のナラティヴ」は、社会構成主義のわかりやすい入門となっている。
・・・・・・構築主義は論者によって定義がちがい、かつ用語法も異なるが、その間でゆるやかに共有されている前提を尊重して、
あえて論者のあいだでの用語の統一はおこなわなかった。
 野口論文が「ナラティヴ・セラピーの前提」として紹介している次の三つの命題は、そのまま構築主義の基本的な前提である。
 @現実は社会的に構成される。
 A現実は言語によって構成される。
 B言語は物語によって組織化される。
「世界が言葉で表現されているというよりも、言葉が世界を構成しているというべきであろう」という野口の前提は、
「言語論的転回」(注1)を経由したすべての研究者に共有されている了解である。

上野千鶴子「構築主義とは何か――あとがきに代えて」278ページ
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326652454/


というものなんだってさ。
802名無しさん@社会人:2007/05/16(水) 16:41:05
でね、その「言語論的転回」(注1)なんだけども、


「言語論的転回(linguistic turn)」とは、ウィーン学派のベルクマンによって命名されたもの。
一九六七年にローティによる『言語論的転回』という著書がある。ウィトゲンシュタインの影響のもとに、
意識が言語に先行するという「意識分析」から、言語が意識を構成するという「言説分析」への転換を果たした哲学的な思潮を言う。
言語に先立つ意識、さらに意識に先立つ主体そのものも否定する点で、近代のコギトの明証性をくつがえし、主客二元論を否定する。
構造言語学、言語哲学などの思潮のなかに位置づけられる。

上野千鶴子「構築主義とは何か――あとがきに代えて」300-301ページの注1の項目
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326652454/


という定義らしいね。