1 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 18:28:38 ID:3+1A5xjb
思いつきだ。後50億年は燃え続けるらしいんだが。
2 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 18:30:53 ID:lrhAlAGQ
2げとったり〜
3 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 18:35:30 ID:j4oeyBtd
植物および植物プランクトンがあぼん→(中略)→人間の食うもんがなくなる
その前に酸素が尽きるかも分からんが。
4 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 18:51:10 ID:8Ojl/qD3
太陽がいなくても阪神は大丈夫
5 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 19:14:27 ID:SgmPEi5G
地球はたちまち凍り付く。
花は枯れ、鳥は空を捨て、人は微笑み無くすだろう。
6 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 20:06:08 ID:yKjgrjfq
それなんてイーグルシャークパンサー?
7 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 21:31:54 ID:hmcap7aN
その前に太陽の爆発に巻き込まれて終わるわけだが
8 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 22:03:35 ID:JO9t+ftP
横浜太陽ホエールズ
9 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 22:10:47 ID:JO9t+ftP
千葉ロッテオリオンズ
10 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 22:35:41 ID:PqeBWBot
11 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 22:37:16 ID:ZewGlmmn
12 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 22:39:56 ID:uj/WjyoH
海は枯れ地は裂けあらゆる生命体が絶滅したかに見えた
だが・・・
人類は滅んでいなかった!!!
13 :
名無しSUN:2007/12/17(月) 23:23:30 ID:n0y99ukg
太陽が無くなるのは50億年後でしょ?
そこまで待たなくても、何度も氷河期が来るし
巨大隕石は衝突するわでとっくに人類は絶滅してると思うよ
14 :
名無しSUN:2007/12/18(火) 22:01:35 ID:3OJ9rQEx
>>12 それなんてYour Shock! 愛で空が落ちてくる?
15 :
名無しSUN:2007/12/20(木) 00:53:14 ID:iO4DlOQN
ソーラ湯沸し機の会社に金を返せと老人が騒ぎだす。
16 :
名無しSUN:2008/06/24(火) 07:14:19 ID:sQnSHMTp
ビニールハウスがあれば食べ物は問題ない
エネルギーは原子力がある
17 :
名無しSUN:2008/06/24(火) 10:32:54 ID:TtIt8U23
コンビニは24時間開いてるから太陽がなくなったくらいじゃあ大丈夫。
18 :
名無しSUN:2008/06/24(火) 17:07:34 ID:pU2LJYLB
ね 存 太 私 | | 平 地 い 照 創
♪ 在 陽 た |. | 和 球 る ら 価
な の ち | | の 全 よ し 学
の は | | 光 体 ! て 会
/ __ ,....、 | で を も
 ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ,ィ'エfr'乙ゝ、\_ _________
,, -―- 、 r'┴、,ニmヾニt )/
/;;;;;;;;ィヘ‐-ヽ ,r'{__n,/n )_j=/
/ l;;;;;;;/ n n l)/,-<⌒ヽ:`ー-':.:.r_)
. ///,:-;;(^' r‐ァ,ノ f三ヲ /ニ二´:.:.:」 〃
/ 'ァシ'> ,-゙'゙<ッ`,ゝ`=ぅ' ヽ-‐~'゙ ̄ヽ
, ィ'"l,´l ゙'ソl ( / ム/ / l
(::::::\L」イ┤__ヽ ゙'ー-ァ' /‐-、_ノ l
--‐`‐'''"゙| {~ヾ'っ ` ` ' ┴-- 、,,/ / l
19 :
名無しSUN:2008/06/24(火) 21:21:05 ID:TtIt8U23
学会員乙
20 :
名無しSUN:2008/06/24(火) 23:07:15 ID:nH9Ta+LD
>>14熱い心鎖で繋いでも今は無駄じゃなかったっけ?
21 :
機動刑事:2008/06/25(水) 02:45:45 ID:YVemXjo6
明日予報が もし嵐でも
俺が変えるさ 青空に
とらえた悪の ターゲット
逃がしはしない 行こうぜメゾン
ヘヴィメタルのボディの中に
流れる正義の 熱い血潮
君と同じさ 倒れる度に
強くなる この魂
wowowジバン
何故かSUNバルカンから連想されたwww
>>14 ×→Your SHOCK!
○→You are SHOCK!
22 :
GSP:2008/06/29(日) 00:45:05 ID:prOZw0gD
詳しくは、2005年12月号のニュートン。
23 :
名無しSUN:2008/06/29(日) 21:42:22 ID:D7vKekSm
>>1 テイルズオブ・ディステニーをやれ
太陽がなくなれば木々は枯れ始め人類は生息できなくなる
24 :
、ニネヴェ定数 :2008/06/29(日) 22:55:09 ID:K+xZZxOD
ニネヴェ定数
1852年
こうして大英博物館に持ち込まれた粘土板の中に、途方もなく巨大ないくつかの数字の記
されたものがあった――あるものは、何と桁数にして15桁、195兆9552億という数字だ
った。この数字はそれ以来、「ニネヴェ定数」と名づけられて久しく謎とされてきたが、これ
に興味を抱いたのが、アポロ計画にも参加した航空エンジニアのモーリス・シャトランだった。
1963年、シャトランはマヤの暦がヨーロッパのそれを凌ぐほど精密であったことを知り、マヤの高度な
数字とニネヴェの巨大数には何か関係があるのではないかと考えた。すぐに彼は、ニネヴェ定数
は見かけほど面妖でない事に気がついた。60の7乗×70という簡単な数で表すことが
できるのだ。
このような巨大な数と高度な数字を用いて、古代人は何をしていたのだろうか?アッシリアの文
明は、バビロニアを経由してシュメールまで遡るものだ。シュメールは極めて高度な天文学を有していた。
彼らは、金星や火星、木星と言った近い惑星のみならず、天王星や冥王星の公転周期まで
知っていたのだ。また、1日を24時間に分け、さらに分や秒と言う単位を作り出したの
も彼らである。
試みに、シャトランはニネヴェ定数を秒に置き換えてみた。するとこれは22億6800万日、
すなわち600万年以上に当たる。そしてこの数値は、春分点歳差に基づく「大年」とい
う単位に直すと、240大年にピタリと一致していたのである。
次にシャトランは、ニネヴェ定数とは占星学者やオカルティストの言う「太陽系の大定数」なのではない
かと考えた。「太陽系の大定数」というのは、太陽系のすべての天体(月を含む)の公転周
期の公倍数である。
NASAのコンピューターを用いて各惑星の周期を秒単位で計算してみると果たせるかな、そ
のすべてがニネヴェ定数の約数であることが判明した。すなわち、古代シュメール人は太陽系に関
して、少なくともアイザックニュートンに匹敵する知識を持っていた、ということになるのだ。
25 :
、ニネヴェ定数 :2008/06/29(日) 22:56:02 ID:K+xZZxOD
もしもシャトランが正しいなら、これはわれわれの仮説にとって、このうえなく強力な証拠と
なる。シュメール人が5000年以上も前にニネヴェ定数を知っていたのなら、科学の起源は現在
の常識よりも遥かに古いということになるのだ。
シャトランはさらに、ニネヴェ定数と、現代のセシウム時計が示す太陽年の数値のズレに気づいた-―そ
れは小数点以下第6位、1年当たり2000万分の1日という、わずかなものに過ぎなか
ったが-―ズレはズレだ。だが、すの謎はすぐに解決した。地球の好転速度が年々落ちている
ために、公転周期は毎年1600万分の一秒ずつ短くなっているのである。つまり、ニネヴェ
定数は、6万4800年前の精密な公転周期を示していたのだ――6万4800年前とい
えば、ちょうどクロマニオン人がヨーロッパに出現し始めたとされているころである。
シャトラン自身は古代宇宙人説を唱えており、この点に関してはなんともいえないのだが、こ
とニネヴェ定数に関する限り、彼の推論に穴を見出すことは困難である。そしてシャトランが正し
いなら、われわれの遠い祖先は、我々が想像するよりも遥かに洗練されていた知識を持っ
ていたということになるのだ。シャトランがはじめてマヤの巨大数のことを聞いたとき、彼はその
意味を正しく理解することができなかった。だが数年後、彼は、かつてマヤ文化の中心であ
ったグアテマラのクィリガの石碑に書かれた2つの巨大数に、重大な意味を見出した。そのひとつ
は9300万年、もうひとつは4億300万年を意味する数字だった。
彼はこれらの数値をニネヴァ定数で割ってみた――驚くべきことに、9300万年とはニネヴ
ェ定数のちょうど15倍、4億300万年とは65倍に当たっていた。
26 :
ミジンコ:2008/06/29(日) 22:59:10 ID:K+xZZxOD
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1206868737/91 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1206868737/89 ,. : '":::::::::::::::::::::::::::`゙'‐.、
,. '":::::::::::::::::::;:::::::::::::::::::::::::::`'.、
, " : : : : :::::/: ::/:::i:::::::::::::::::::::::: : :ヽ
. ,.'::,': :,' / : :,./ :.,'; : :i : : :.', : : : : : : :、゙,
,':;,'::;;,'::,'::::;/i:ll::.i !i:.:.',、'、::::',、;:::',::,:::,:::゙〈
. {:l !:;;,i::ハ:::;i !.i:::l l:!',:::'、'、'、::'、、;;;';;';;:';::::゙'、
. ',!,i:;;l.!:i '、::!-‐.'、!‐',ヾ、゙、''、ヾ'、ヾ;;;;;;;;;;:::::ヽ
〉:',;|::i:', ヘ:!,r '''‐` ゙' ':"`゙':、 ゙''i'、;;;::,:.:.゙,
/.:.::ヽ:ヾ、,r"!-‐'! .i.-'"! ゙i;./:::i::/.:.:::i
{:l::::::;:::::::゙、゙ l;:::;_! !:::_;i /::::::'':;;::::;}
',i_:;::;;;;;::::::ヽ ゙´ ,.';_..、,、-‐‐''
'、 ´ ヾ‐゙、ヽ . '',-‐"
``' 、. - ‐ ,. '
ヾ'-、 ,、‐;'
`i;;!.`゙''''''"´.i;;i
,i .i、
,、-'" ゙'-、
,.、- '" ,,_ _____,, `゙' ‐-- 、.
27 :
ミジンコ:2008/07/03(木) 19:05:03 ID:NB2iJZv3
これらの数値の持つ意味について考えてみよう。マヤは紀元前1000ごろに遡るといわれ
ている。マヤの知識はオルメカから受け継いだとされるが、オルメカといえば巨石人頭像で有名であ
る。これは、アフリカ人に似ているが、権威者の中には、これを中国人と考える人々もいる―
―「アジア伝播説」を裏付ける説だ。だがこのオルメカ人も、紀元前4000年以前といわれる
シュメール人とは、やはり年代がずれている。いったい、両者が接触下などということがありう
るのか?
シュメール人の起源は、いまもおようとして不明である。スティーブン・オッペンハイマーによれば、彼等
の多くは紀元前6000年の大洪水によって「スンダランド」を追われ、インダス渓谷に住み着き、
それからエジプト、シュメールへと移動してきたという。「アトランティスからスフィンクスへ」の中で、私はヴ
ェーダの聖歌の一つが、紀元前6000年を示している、と指摘した。
1980年代、ヴェーダ学者のディヴィッド・フローリーは、「リグ・ヴェーダ」の聖歌が海のイメージに
満ちていることを指摘した。このことは、彼等の出身が海洋文明にあることを示唆してい
ると思われる―-これは、アーリア人の源郷を中央ヨーロッパのどこかに求める定説とは完全に
矛盾する。彼はまた、聖歌の中で歌われる「祖先」が、大洪水を生き延びて海を越えてや
ってきたとされていることを指摘している。
フローリは、ヴェーダの聖歌の中にある天文学への言及を研究し、「おとめ座の夏至」が紀元前4000
年、「てんびん座の夏至」が紀元前6000年を指していると結論した。彼はまた、ヴェーダの
作者たちが歳差運動のことをよくしっていたとしてきしている。
28 :
ミジンコ:2008/07/03(木) 19:43:57 ID:NB2iJZv3
29 :
、:2008/07/03(木) 19:52:03 ID:NB2iJZv3
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/ruins/1139061564/49-53 デンデラ神殿とオリシスの墓、、、、、
通常、黄道12宮頭には2本の軸がある。南北の軸と東西の軸だ。そこで、このデンデラの2
重の宮図には、4本の軸があることになる。シュヴァレはこれをそれぞれA、B、C、Dと呼ん
でいる。さらにジョン・ラッシュは、そのほかに第5の軸Eを見出した。このE軸が、われわれ
の時代を指し示しているという。
私の求めに応じて、ジョン・ラッシュは自説を次のように説明してくれた。
デンデラ黄道12宮図の東西軸は、白羊宮を通過しているが、これは大体紀元前700年ごろで
ある。現存するデンデラの神殿はアウグストゥス(紀元前30年から紀元前14年)の頃に建てなお
されたもので、その原型は遥か以前に建てられたものだ。フランスの考古学者オーギュスト・マリエット
によれば、この神殿の基盤は通常よりも深く埋められていると言う。ルクソールやカルナックなどの
神殿が地面のすぐ上に建てられているのに、デンデラの基盤は地下20フィートまで沈んでいる
のだ!そして紀元前700年は、白羊宮時代のまん中ごろに当たっている。
デンデラ神殿は、もともと白羊宮の方向を基準に建てたのだろうか?いずれにせよ、白羊宮
から双魚宮への移行の時期に当たる紀元前120年には、デンデラ神殿は依然として改装中で
あった。
この黄道12宮図には、二つの極がある。ひとつはこぐま座、もうひとつは竜座だ。この
二つの極の意味は、言うまでもなく、地軸の傾きにある。天の北極は現在もなおこぐま座
にあるが、デンデラの図とは若干ズレている。これは地軸の摂動現象によるもので、これによ
って2万5920年周期の歳差運動が作り出される。デンデラの12宮図に二つの極が描かれて
いるのは、古代エジプト人がこの歳差運動を知っていたことを示している。
歳差運動は、紀元前134年ごろにギリシアの天文学者ヒッパルコスが発見したことになっている。
シュヴァレ・ド・リュビチュによれば、12宮図の外側に描かれた二つのヒエログリフを繋ぐ直線は双魚
宮と金牛宮の間を通過しており、これは紀元前4000年ごろの歳差の位置を示している。
30 :
、:2008/07/03(木) 20:01:29 ID:NB2iJZv3
31 :
、:2008/07/03(木) 20:02:32 ID:NB2iJZv3
つまりラッシュによれば、歳差運動はデンデラ神殿が改装される何千年も前から知られていた、
というのである。そして、もしシャトランの言うことが正しいとすれば、シュメール人もマヤ人も歳差
運動の周期を正確に知っていたと言うことになる(ニネヴェ定数はこの周期のきっかり240
倍に等しい)。マヤのクイリガで発見された二つの巨大数は、ニネヴェ定数の倍数でもあるのだ。
マヤの天文知識に関しては、ピーター・トムキンズが次のように述べている。
マヤ周期である94万2890日、すなわち2582年は、土星と木星の合周期の130倍、
海王星・天王星の合周期の15倍、木星・火星の合周期の1万555倍、火星・金星の合
周期の2284倍、金星・水星の合周期の6522倍、土星・火星の合周期の2720倍
である。この数を2倍した5163ねんは、土星・木星の合周期の260倍で、これはマヤ
の第2の暦の日の数と等しい。
さらにトムキンズによれば、古代エジプト、シュメール、テオティワカン、パレンケでは、地球の円周を基準とし
共通の単位が用いられていたと言う。それどころかシャトランは、「マヤ人は歳差運動のみならず、
天王星や海王星の存在も知っていた」とまで述べているのだ。
一体彼らは、西欧の文学者よりも何千年も前に、望遠鏡も使わず、どうやってそれらを発
見したのだろうか。
彼らはそれぞれの惑星の公転周期や合の周期を計算し、いくつかの等しい天文周期を発見
した。たとえば、金星の公転周期の65倍は104太陽年に等しく、かつ水星の公転周期
の327倍に等しい。彼らはまた、3万3968日の周期を用いて蝕を予想していた。こ
の周期は月歳差周期の5倍、93太陽年、196蝕、150太陰月に当たっている。また
マヤ人は、188万6040年の周期も知っており、これは木星と土星の合周期の260倍、
火星と木星の合周期の2310倍、地球と火星の合周期の2418倍、地球と金星の合周
期3230倍である。
32 :
、:2008/07/03(木) 20:03:55 ID:NB2iJZv3
マヤ専門家シルヴァヌス・グリスヲルド・モーレーは言う。
マヤ人はまた、0を発見するとともに、高度な位置天文学、暦、時間の計算術を持っていた。
彼らの天文知識は、古代エジプト人やバビロニア人のそれをも凌ぐものであった――にもかか
わらず、『彼らの文化的限界は、旧大陸における石器時代初期の水準と同等だった。』この
ことからして、われわれは彼らを、地球上で最も才気横溢たる原住民と呼ばねばならない。
『』内の記述は極めて重要である。グラム・ハンコックの『神々の指紋』によれば、マヤ人は高度な
天球図を作成していたにもかかわらず、実生活では車輪を知らなかったと言う。何百万と
言う数を操っていたにもかかわらず、一袋の穀物の重さも計る術を持たなかった。ハンコックに
よれば、その考えは単純だ――彼らはその天文知識どこか別のところ――すなわち、より
古い文明から受け継いだのだ。
だが実際には、マヤ人は車輪を知っていた。1940年代に、手足に4つの車輪をつけた犬
の玩具が発見されているのだ。これを発見したゴードン・エルコムは、これが同時期(およそ2
000年前)の中国の玩具に類似していることを指摘した。つまりマヤ人は、玩具には車輪
を用いていながら、これを乗り物に用いると言う考えには思い至らなかったらしいのだ。
あれほど複雑高度な暦の体系を用いていた民族が、である。シャトランは言う――。
マヤ人が何千年も前に独力で1474億2000日、などという日数計算を行っていたなど
と言うことは、われわれの想像を超えている。だが同じ数字を65分の1にして、日では
なく秒で表したものを、地球の反対側に居たシュメール人が用いていたのだ。『この事実は、マヤ
人とシュメール人が直接交流を持っていたか、あるいは共通の情報源を持っていたとしか考えら
れない。
33 :
、:2008/07/03(木) 20:07:40 ID:NB2iJZv3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1206868737/6-19 シュメール人はマヤ人よりも3000年も前に栄えたのであるから、「直接的交流」などあるはず
がない。つまり、両者は共通の情報源を持っていたのである。何千年にもわたる天の運行
を計算していた、古代の海洋文明と言う情報源を。
シャトランはフォン・デニケンと同様、彼らにこの知識を授けたのは太古に地球を訪れた宇宙人だと考
えている。だが、あえて宇宙人などを持ち出さなくても、高度な海洋文明の方がよほどあ
りうる話だろう。何しろ海洋文明であるからには、航海のために高度な天文知識は不可欠
なのだから。
1997年、ブローレス島(ジャワ島及びバリ島の東)の古代湖マタ・メンゲの湖底から、いくつかの
石器が発見された。その地層は80万年以上前のもので、すなわちホモ・エレクトゥスの時代だっ
た。このボローレス島は比較的小さな島で、古代人が発生し場所とは考えられない。古代人の
発生と言えば、近くにある遥かに大きな島であるジャワ島はジャワ原人の故郷だが、彼らはわ
れわれの最古の祖先、ホモ・エレクトゥスに属している。
ジャワ島からブローレス島にたどり着くには、この原始人たちは島から島へ、10マイル以上(約
16キロ)も航海したに違いない。さらに、かなり大きな集団で海を渡るという事実を成
し遂げたと言うことは、彼らは何らかの言語能力を持っていたと考えられる。
私はかつて、「世界犯罪史」(1983)という本を書いたが、この本の中で、1929年
の北京郊外の周口店での発見を論じている。それは14個に上るホモ・エレクトゥスの頭蓋骨で、
まるで脳みそをすくい取られたかのように、底面が切り取られていた。この北京原人は、
人食いだったのである。なぜなら彼らは、他の北京原人によって殺され(そして焼かれ食
われ)ていたからだ。およそ50万年に。
34 :
、:2008/07/03(木) 20:11:03 ID:NB2iJZv3
人食いという行為の目的が、純然たる栄養摂取に過ぎないことはめったにない。近年にお
いてすら、それはほとんどの場合、儀式的な意味合いを帯びている。敵を殺し、その肉を
食うことによって、その力や生命力を自分のものにできると言う信仰だ。北京原人は、何
もわざわざ同類を食わなくても、食い物は豊富にあった。よって、もしもその人食いが儀
式的なものであったのなら、彼らは何らかの言語を持っていたに違いない。言語のない儀
式など考えられないからである。
ホモエレクトゥスはわれわれの最古の祖先であり、46時中立って歩いていた最初の生物だ。脳
への血液供給のために心臓の機能は発達し、そのために脳は巨大化して知性が芽生えた。
その脳にもともと「言語基盤」が存在したと考えるのは理に適っている。
このことは、ブローレス島のホモ・エレクトゥスを考察する上で重要だ。知能の発達したチンパンジーでさ
え、筏を作って航海する事はできない。それは彼らに言語によるコミュニケーションが出来ないから
だ。つまり、いくら高度な知能であっても、彼らの脳には「言語基盤」がないのである。
ブローレス島のホモ・エレクトゥスは、何ゆえにジャワからブローレスを目指したのか?それはあらゆる生物
の基本的な欲求――縄張りだろう。生存競争が過酷になれば、家族を連れて他の場所へ移
動したくなるのは当然だ。
サイエンスライターのジョン・マクローンによれば、ホモ・エレクトゥスは160万年も前から火を使っていたと言
う。1970年代には、火の使用はたかだか4万年前に過ぎないと考えていたが、70年
代と80年代に、ケニアのクービ・フォラやチョソワニアで、ホモ・エレクトゥスによる焚き火の跡が発見された。
1999年、ミズーリ・コロンビア大学のラルフ・ローレットは、この焚き火跡から見つかったレンズ状の物
体が、野火ではなく焚き火によって作られたことを証明した。そして彼の同僚のランディー・
ベロモは、地磁気の研究を応用し、これらの焚き火場が多年にわたって用いられていたこと
を明らかにした。
ラトガーズ大学のブライアン・ルドウィッグも、4万個に上る石器を分析した結果、その中に160万
年前に作られたものがあるのを確認した。
35 :
、:2008/07/03(木) 20:14:54 ID:NB2iJZv3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E7%9F%B3%E7%90%83 コスタリカの石球群
このように、ホモ・エレクトゥスの知恵は非常に高く、言語能力まで備えていたことが明らかにな
りつつある。となれば、次に問題となるのは、果たして彼らは長距離の航海を行ったのか、
ということだ。直立の姿勢は水平線を眺めるのにちょうどいい。時間もたっぷりある――
50万年だ。これだけの時間があれば、島から島への短距離航海に始まって、やがて遠洋
に出る技術を身につけることは出来ないだろうか。もう一つ、足への興味を培うことも。
疑問はさらに続く。もしもわれわれの祖先が80万年も前に航海を開始していたのなら、
それから最初の文明を築くまでに79万2000年もかかったというのはどういうわけ
か?(確認されている最古の都市であるイェリコは、紀元前8000年に遡るとされる)――
その答は、つまり、そんなに長くはかからなかったということだ。
問題は、われわれが先史時代の文明の痕跡を見ても、それが何であるのかを確認できない、
ということである――たとえば、コスタ・リカの石球のように。そもそも、もしも文明が存在し
なかったのなら、長距離航海などするはずがない。たぶんハプグッドは正しく、やはり、1
0万年前に海洋文明はあったのだろう。
今から40万年前には、すでにホモ・サピエンスが出現していたが、彼らもまた、一般に考えら
れている以上の知性を持っていた。ナイジェル・コールダーは言う。
「タンザニアのイシミラから発掘された33万年前の石器をピアジェ検査(-−ピアジェはスイスの心理学者。
ピアジェ検査は、認知発達の理論から導かれる製作者の知性を推測するもの)にかけてみた
ところ、これを作ったものの知性は現代人に匹敵すると言うことが判明した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B3 イェリコ
36 :
、:2008/07/03(木) 20:16:56 ID:NB2iJZv3
「アトランティスからスフィンクスへ」で、私は次のように論じた――文明が極めて長い間、非常にゆっ
くりとしか発達しなかった理由は、ほとんどの人間がただ単に機械的に生きる傾向を持つ
体。それはつまり、毎日、毎年、同じことを繰り返そうとする傾向である。今日の世界に
も、大科学者や芸術家に匹敵する知性の持主が、多分何百万人もいるにちがない。だが彼
らは、日常の雑務以上のことをしようとしないために、その知性で名を挙げることがない
のである、と。
ブローレス島での発見があったのは、私がこれを書いた後のことである。かつての私は、言語
の発達はたかだかこの3万年」のことだろうと考えていた。だがこの発見によって、実際
には今から80万年も前に、集団で筏を作ることができるほどの言語が存在したことが示
されたのだ。
となれば――文明の歴史がたかだか1万年にすぎない、というのはいかにも奇妙である。
マヤの高度な数学・天文知識だけを取って見ても、そんなことが馬鹿げているのは明らかだ。
たとえシャトランのニネヴェ定数や、クイリガの二つの巨大数が何らかの間違いであったとしても、そ
れでもなお古代人の成し遂げた成果は、通常の理解を絶している。
この謎を解く論理的なこたえは、ただひとつしかない――文明は、われわれの考えている
よりも何千年、何万年も古いのである。
だがそれなら、その物的証拠は?より古い文明の異物は、何処にあるのか?
37 :
、:2008/07/03(木) 20:17:38 ID:NB2iJZv3
ジョン・アンソニー・ウェストとロバート・ショックが、スフィンクスは現代の常識よりも少なくとも2倍以上古い、
と主張したとき、ピラミッドの専門家たちはそのように反駁した。「両者を仲介する文明の証
拠を見せてみる」と。
だがそんな文明の痕跡は、砂漠の砂に埋もれているのだ。例えば、「オセイリオン」と呼ばれる奇
妙な巨石遺構が、セティ1世の神殿の下に埋もれているように。そしてこの神殿を構成する巨
石それ自体、およびそこに装飾が完全に欠落していることは、それがエジプト文明のより古
い段階と関係していることを示しているのだ。
またそれ以外にも、海中や、南極の氷の下に埋もれた証拠もあるだろう。ハプグッドの地図、
ニネヴェ定数、クイリガ数などの証拠を見れば、現在の歴史観に何か奇妙な誤りがあることを認
めざるを得ないだろう。だが、それらよりもさらに雄弁に、高度古代文明の存在を証明し
ているものがある。それは、ランド・フレマスが古代祭祀遺跡の研究の中で集めた証拠と、地球
上におけるそれらの位置そのものなのだ。
38 :
名無しSUN:2008/07/14(月) 15:24:02 ID:FmJ/7qc3
柏原芳恵ゴールドタイプいぼ付き
まで読んだ
39 :
、星々と神々について:2008/11/24(月) 16:29:57 ID:mCSL066q
40 :
、:2008/11/24(月) 16:35:19 ID:mCSL066q
1933年の夏、39歳のスコットランド人アレキサンダー・トムは、エプリデスにあるルイス島の北西、イースト・
ローグ湖に、自分のヨットの錨を下ろした。とむは、ヨットをこよなく愛する航空工学のエンジニア
だった。付が昇り、それを見上げる彼の目に、別名「スコットランドのストーン・ヘンジ」と呼ばれる、
カラニッシの直立石群の影が映った。
夕食の後、トムは石群まで歩いていき、両側に立ち並ぶ柱状の巨石を見ながら、南北に走る
線がまっすぐ北極星に向いている事に気づいた。しかし、この石群が立てられたとき(お
そらく大ピラミッド以前)、北極星は現在の位置になかった事も彼は知っていた。すると、
これを立てたものたちは、いったいどうやってこれほど正確に地理上の北を指す事をやっ
てのけたのか。ここカラニッシュで見られるような、信じられないほどの精度でこれをするには、
ただの推測ではダメだ。一つの方法は、つきの出と日没時の太陽の正確な位置を推測し、
その二点を結ぶ線を似等分する事だ。しかしこれは、両側の地平線が平らな平地で行われ
なければならない。いまひとつは、北極に近い星の位置を観測し、12時間後にそれを繰
り返し、その二点を結ぶ線を2等分すると言う方法だ。それが錘をつけた糸や、垂直に立
てた棒などを使う、信じがたいほど複雑な作業であることがトムには見て取れた。明らかに、
彼ら古代のエンジニアたちは、高度に発達した技術を持っていたのだ。
トムは、ほとんど知られないような他のストーン・サークルの調査を始めた。そして、自分の調査の
対象となっている人々は、自分と同じか、あるいはよりすぐれた知性の持ち主である事を
確信した。彼のこの考えをテーマにしたテレビ番組は、彼らを「古代のアインシュタインたち」と呼んだ。
41 :
名無しSUN: