宗教と政治の関わりについてPart4

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1右や左の名無し様
前スレ容量オーバーにつき新スレ立てます。

前スレのアドレス
宗教と政治の関わりについてpart1:
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1068170639/150
宗教と政治の関わりについてpart2:
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1070089253/l50
○†● 政治と宗教の関わりについて ●⊥○Part-3:
http://tmp3.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1081580231/
宗教と政治の関わりについてPart3
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1088695511/

前スレまでの議論で、現行の厳格な政教分離は全く妥当で、むしろ更に徹底すべきという結論が概ね出たように思われますが、ループも結構なので更なる議論を続けてください。
宗教と政治に関わる問題であればどんな問題でも結構ですので、活発な議論を期待します。
2右や左の名無し様:04/10/29 21:36:04 ID:YkACPgFi
今だ!2ゲットオォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄       (´´
     ∧∧   )      (´⌒(´
  ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
        ̄ ̄  (´⌒(´⌒;;
      ズザーーーーーッ
3右や左の名無し様:04/10/29 21:50:03 ID:???
確かに日本と同じく厳格な政教分離を採用している米国では宗教団体が特定の候補者を名指しで支持することはできないみたいだな。
神社本庁や創価学会といった宗教団体が選挙でフル活動する日本とはえらい違いだ。
まだまだ、政教分離を強化すべき余地はありそうだな。
4右や左の名無し様:04/10/30 02:36:34 ID:???
現状はとても政教分離などと言える状態ではないよ。
政治は無定見に宗教ベッタリと言えるほどだ。
憲法に二重に違反してまで宗教系の私学にタップリ国庫援助しているのだからな。
5Santi ◆R3KhrW2i86 :04/10/30 12:06:12 ID:???
前スレ>>622
>他者の宗教行為を容認しなければ、信教の自由保障は成立しない
 これは明らかに間違い。他者が「宗教行為」と称してある行為を行い或いはそれが
本当に宗教行為だったとしても、自己の信仰活動を妨害したり信仰心を阻害したよう
な場合には、十分信教の自由侵害を構成するのであって、その場合には「他者の宗教
行為を容認」せずに不法行為としてその排除を求められるのでなければ、信教の自由
保障は全うされているとはいうことができないであろう。ましてや、その宗教行為と
称する妨害行為が国家によってなされるのであれば、その違法性は深刻なのであって、
そのような行為は容認されないと考えるべきであろう。
6右や左の名無し様:04/10/30 23:12:10 ID:H+fK+YI3
>>4
でも、宗教系だからという理由で私学助成を止めたら今度は平等権侵害になる可能性があるからな。
その限りでは政教分離も緩和せざるを得ないのでは?
7れ ◆r0FmiN9ADk :04/10/31 11:30:23 ID:o7sDB71J
どうしようか迷っていたが、一応前スレへの回答はしておかないと
せっかくコテをつけてくれた「秋雨氏」に申し訳ないから、レスします。

http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1088695511/628へのレス
一段目:そういうことだよ。だから慮ることはできないといっているわけだ。
 信教の自由の侵害は慮るべきであるけれども、それ以外の精神的被害を
 慮るということは、すべての人に公平にはならない。
二段目:書いている通り「霊に向かって誓い祈っているところ」

>総理に全国民の代表としての側面がある以上、参拝した時点で非神道信者の信教の自由を
>侵害している。
だから、何度も其れは侵害していないと判決されている。で、あなたがどうしても侵害だと
いうのなら、もう少し具体的に侵害の事実を構成する論理を提示しなければならない。
はっきり言えば「非神道で、別の宗教信者」なら、「異教徒が無駄なことをやっている」と
評価するしかないと思うよ。

で、最後の部分で目的効果説における政教分離の位置付けに貴殿がコミットしているなら
「参拝での宗教的被害」に言及すること自体矛盾だということは、理解できていないよう
だね。
8右や左の名無し様:04/10/31 11:38:44 ID:???
>>5はスルーか?
9秋雨:04/10/31 12:39:40 ID:???
>>7
>信教の自由の侵害は慮るべきであるけれども、それ以外の精神的被害を
>慮るということは、すべての人に公平にはならない。

この回答を検討すると、「特定宗教Aの宗教施設に国民を代表する性格を有する
首相が参拝」(前スレ577)する行為は、信教の自由の侵害であって、「それ以外の
精神的被害」には当たらない。R氏の自由侵害も同様。
どちらも侵害として慮るべきこと。

そもそも、今回のあなたの回答は、R氏の主張が他者の信教の自由を侵害して
いる点を認めた上での発言なのかな?

>二段目:書いている通り「霊に向かって誓い祈っているところ」

霊という概念は神道固有のものではない。これだけでは根拠にならない。

>はっきり言えば「非神道で、別の宗教信者」なら、「異教徒が無駄なことを
>やっている」と評価するしかないと思うよ。

政教分離の問題を持ち出すまでもなく、公務中に無駄なことをしている、という
ことは、公人を非難するに十分な理由ですね。侵害の事実については、首相が
非神道信者の代表者でもある点を再三指摘しています。

最後の段落は意味不明。私の理解が至らない点をご指摘くださるのであれば、
もう少し詳しい説明を望みます。
10れ ◆r0FmiN9ADk :04/10/31 12:49:35 ID:???
>>9
全然違うでしょう。自由侵害であると把握するとそうなる=自由侵害と把握する
ことはできないって言っているんだけど。

固有のものではないが、其の被とは日本で其れを行っているから「神道形式だ」
と感じたわけだ。別に其の人がそう感じることに理屈などない。
で、そう感じる人がいたとしても別に普通のことだし、だからといって
「自由侵害だ」ということはできない。其れは書く判例で述べられている通りだ
ろう。

無駄な事だと誰かが思った≠無駄なこと

>もう少し詳しい説明を望みます。
前スレで散々書きましたが、「目的効果説」は「禁止される国の宗教行為」の判定基準
であり「国が信教の自由を侵害する行為」の判定基準ではありません。

で、質問にも答えてください。
だから、何度も其れは侵害していないと判決されている。で、あなたがどうしても侵害だと
いうのなら、もう少し具体的に侵害の事実を構成する論理を提示しなければならない。
(二回目)
11秋雨:04/10/31 13:27:37 ID:???
>>10
>其の被とは日本で其れを行っているから「神道形式だ」と感じたわけだ。

つまり単なる憶測ですね。神道、仏教その他日本に存在する宗教についての
知見に基づく分析の結果ではない。論拠になるとは思えませんが。

>無駄な事だと誰かが思った≠無駄なこと

そして、有益なことだと誰かが思った≠有益なこと、でもあります。

国益に関連して亡くなった方に対し、何らかの形で謝意を示すことは
政治的に有益です。これは信仰する宗教の違いを超えて認められるで
しょう。ただし、それが神道形式で行われる点に益を見出すのは、
神道信者のみです。

>もう少し具体的に侵害の事実を構成する論理を提示しなければならない。
>(二回目)

またですか。首相は仏教徒国民の代表者でもあり、公務の一環として
参拝するということは、彼らの信仰に沿わない、或いは反する行為を、
彼らの名代として行うことなるからですよ。当然、仏教徒に限らず、
宗教法人靖国神社を除く全ての宗教の信仰者について、同じことが言えます。

ところで、反論するのであれば、その論の欠陥なり矛盾点なりを突くのが普通
ですが、あなたは提示しろ提示しろと繰り返すばかりですね。
繰り返す意図がわかりません。
12れ ◆r0FmiN9ADk :04/10/31 13:49:46 ID:???
>>11
だから、「論拠になるとは思えませんが。」ということに同意していますよ。
したがって、首相が参拝するなどの宗教行為を国が行うことで「侵害される」
とあなたが感じていることも、同様じゃないんですか?といっているわけです。

で、
>ただし、それが神道形式で行われる点に益を見出すのは、神道信者のみです。
というのは明らかに誤りなわけで、事実私は神道信者ではないが「有益」
だと思っていますし、ほかにも事例はたくさんありますよ。
で、そんなことはどうでもいいのです。

まぁもう一回書きますが(PART1-2で議論済み)以下のような行為を行うとき、
あなたは同じことが言えますか?
『テロリストの都庁に爆弾を仕掛け、関東一円を破壊しようとしていた。都内で
は各国首脳や国連事務総長などが参集している。外国人の少年が、来日中に
それを英雄的行為で防止し、爆破は免れたが、其の少年はその時死亡した。
遺体は故郷に返され、彼の父が執り行う基督教(カトリック)の葬儀に、
世界各国の元首とともにわが国の総理・首相も参列した。彼の父は世界各国に
たいして、他の宗教的儀式などを開かぬよう要請していた。』
どなの?基督教徒以外にとって有益ではないと?

続きます。
13れ ◆r0FmiN9ADk :04/10/31 14:08:29 ID:???
>首相は仏教徒国民の代表者でもあり、公務の一環として
>参拝するということは、彼らの信仰に沿わない、或いは反する行為を、
>彼らの名代として行うことなるからですよ。当然、仏教徒に限らず、
>宗教法人靖国神社を除く全ての宗教の信仰者について、同じことが言えます。

これを「具体的な侵害の事実を構成する論理」に対しての回答であると思うところが
そもそもびっくりするぐらいなのです。

首相の信教の自由の侵害であるなら、単純に代行させれば良いということです。
で、なぜ同じことになるのかがさっぱりわからない上に、具体的に何も侵害を
構成する論理がかかれていないから、反論しようにもできるわけないでしょう。

だれの、どのような権利を誰がどのように侵害するのか・・・を書いてください。
其れが「侵害の構成」です。そして其の政府の行為と、侵害の因果関係をからる
のが論理です。
判決判例で人権侵害ではないとされているわけで、あなたは銅考えるのかを示さ
ないと反論どころか議論にならないではなりませんか。
14右や左の名無し様:04/10/31 17:08:36 ID:???
>>12
>基督教徒以外にとって有益ではないと?
何の益を問うているのだろうね。
少年の行為?
だとすればその行為は有害かも知れない。
各国首脳とされる者や国連事務総長と言われる者が善とは断定できない。
たとえ、国の過半を占める勢力の代表だったとしてもな。
過半を占めることが善を指し示す訳でもないからな。
関東一円を破壊することこそが善であり正義であるかも知れない。

しかし、関東一円を破壊できるようなエネルギー源ってどんなものよ。
そんなもの仕掛けられても分からない何も出来ない、都庁の警備や警察、入管
自衛隊など日本セキュリティ担当部門、各国のセキュリティ担当部門
全員切腹ものだぁ。そんな無能共は死んだ方が有益だぁ。
15れ ◆r0FmiN9ADk :04/10/31 17:37:23 ID:???
まぁ馬鹿はすっこんでてほしいなぁ。
16秋雨:04/10/31 18:04:42 ID:???
>>13
>首相の信教の自由の侵害であるなら、単純に代行させれば良いということです。

あなたに話がさっぱり通じない理由がここでわかりました。首相個人の信教の自由を問題
にしていると解釈していたんですね。それは違いますよ。

侵害する者:首相
侵害される者:靖国神社以外の宗教を信仰する者
侵害される権利:信教の自由。故人の追悼に際して適用する宗教様式・施設として、強制的
に神道・靖国神社が選択される点で。首相には宗教的指導者としての権限は与えられてい
ない。

英雄的な少年についてですが、ここまで非現実的で特殊な状況を挙げられても困りますね。
例外的な状況には例外的な対処が求められます。検討する意味がないですね。
17右や左の名無し様:04/10/31 18:13:29 ID:???
馬鹿には説明もできないほどの馬鹿
18れ ◆r0FmiN9ADk :04/10/31 18:22:22 ID:???
>>16
いや別に勘違いしていないよ。すべての可能性を述べてみただけだよ。

侵害する者:普通は「国」じゃないの?

で、そういう把握なら、判決判例と異なるわけだが、判決判例の
「信教の自由の内容」と貴殿の其の理屈は違うわけ?それなら、信教の自由の
内容把握から書き始めてくれ。
そうではなく「国の行為についての把握」が違うというなら、判決判例の把握と
どう違うかから書き始めてくれ。・・・どうぞ

非現実的で特殊???PART1-2の参加者は、ちゃんと回答していたよ。
なぜなら論理的に思考している人は、こういう単純な事例には回答できるからだよ。
19右や左の名無し様:04/10/31 21:35:50 ID:???
>>17
バカにバカと言われたからといって気にする必要ないじゃん。
どっちが本当のバカかみんな分かってるって。
20右や左の名無し様:04/10/31 23:09:09 ID:???
>>18
国は何もしませんよ。
21秋雨:04/11/01 09:40:16 ID:???
>>18
>どう違うかから書き始めてくれ。・・・どうぞ

お尋ねの趣旨が不明ですが、>>16の「侵害される権利」について「信教の自由」補足すれば
足りるでしょう。

国民には信教の自由が認められている。自分の名の元において行われる宗教行為に代理人が出席
するのであれば、その代理人に対し、自身が帰依する宗教を正しく表明するように要求する権利
も有することを意味する。自分が望む施設で、自分が望む様式で行為をなすことを要求する権利
ということ。

首相が公人として靖国に参拝するということは、全国民の代表として参拝することを意味する。
公式参拝を見る国民もそのような意味の行為であると受け取るからこそ、公式参拝支持者は
それを支持し、反対者は反対する。

公式参拝は、非靖国信仰者の意に反した施設で、意に反した宗教行為を代理人が行っていること
になる。尚、私人として参拝する場合はこの限りではない。

>非現実的で特殊???PART1-2の参加者は、ちゃんと回答していたよ。
>なぜなら論理的に思考している人は、こういう単純な事例には回答できるからだよ。

非現実的で特殊ですよ。外国人少年が自らの命を犠牲にして世界の要人を含む関東圏の人間を
救出する。単に実現の可能性が極めて低いだけでなく、あまりにドラマ性がありすぎです。仮
に実現すれば極めて強い政治的なインパクトをもたらすでしょう。原則論を振りかざしていては
とても対処しきれないほど非現実的です。

他方、このスレで扱っているのは今のところ原則論の範疇であるはずです。例えば公式参拝は毎年
問題になることであって、原則論で是非を問うべき問題です。

このような状況にあっても、あくまで原則論を振りかざすべきだ、そういいたいのですか?
それとも、こうした非常時における対処を論じたい、そういうことですか?
22れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/01 10:42:20 ID:???
>>21
前段:だから、「そんな侵害などありません」と判決されている。其の判決に対して
 あなたは、どう論理を展開するのかと聞いている。
後段:あるときは原則論(前段もそうだよね)あるときは違うという、ずいぶん身勝
 手な論理構成ですね。あなたの基本的なスタンスを聞いているのですよ。
 santi氏・亀鉄人氏などは問題ないと回答し、アズマ氏などはNGであると明確の自分の
 思想の立脚点を提示して延べましたよ。
 で、自分の思想や論理の立脚点と其れから導かれる結論を示せない人が「政治思想板」
 で何を使用としているのか・・・良くわからん人ですね。政治板ではなく政治思想板
 ですから・・・ヨロピク。
23右や左の名無し様:04/11/02 02:55:14 ID:???
405 :世界@名無史さん :04/11/01 20:32:13
週刊宝石見た?

どうやら人質事件やこの前自衛隊基地に砲弾くらわされた事件の原因は、

自衛隊が現地の住民と交流を深めようとしてねぶた祭りなんかやっちゃたかららしいんですよ。

ようするに、日本の感覚だと単なる楽しいお祭りでしかないねぶたも、

イスラム教徒の目から見ると「イスラムの土地で異教の布教活動をしやがった」

イラクの子供たちを誘えば、「異教徒が子供を拉致して怪しげなカルト教義で洗脳した」

というふうに映るようなんですよ。
24右や左の名無し様:04/11/03 22:27:03 ID:???
>>23
何となく、その問題ではイスラム教徒の発想の方がご尤ものような気がする。
日本人はそういうことに関して無頓着過ぎるよな。
25右や左の名無し様:04/11/03 22:44:47 ID:???
日本の良き伝統を示し、後進の地を教化し
悪しき旧弊から脱却させようという素晴らしい自衛隊の活動だ罠。
一世紀も昔に明治天皇もそう仰せだな。
日本の美風は、「斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」とな。
この有難い御教えを理解できない野蛮人共は殲滅するしか道はなかろうぜ。
26右や左の名無し様:04/11/03 23:07:07 ID:???
しかし、多神教徒も十分「偏狭で排他的」だな。
まさに>>25のような発想が世界に戦争をもたらすのであろう。
27右や左の名無し様:04/11/04 00:45:30 ID:???
Gloria in excelsis Deo,et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
Laudamus te,benedicimus te,adoramus te,glorificamus te.
Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam.
Domine Deus,Rex coelestis,Deus,Pater omnipotens.
Domine Fili unigenite,Jesu Christe.
Domine Deus,Agnus Dei,Filius Patris.
Qui tollis peccata mundi,miserere nobis.
Qui tollis peccata mundi,suscipe deprecationem nostram.
Qui sedes ad dexteram Patris,Miserere nobis.
Quoniam tu solus sanctus,tu solus Dominus,tu solus altissimus.
Jesu Christe,cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris.Amen.
28秋雨:04/11/04 02:16:55 ID:???
>>22
前段:首相が非神道信仰者の代理人としての性格も有する点を見落としている、ということ。

後段:一箇所に仕掛けただけで半径100km以上の地域を破壊する爆弾。阻止したのは警
官でも自衛官でもガードマンでもなく、一般成人ですらなく、何故か少年。

これらの要素は政治思想を論じる上で無用でしょう。何か意味があるのなら説明を。次の問
程度で十分だと思いますが。

(改題)日本国内において、外国要人を含む多数の命を救うため、一人の外国人が自らの命
を犠牲にした。彼の親族の要望によりキリスト教に則った葬儀が営まれた。また、他の宗教的
儀式は行わないようにとの要望もなされた。葬儀には外国要人と共に日本の首相も参列した。
首相の参列は非キリスト教徒にも有益か?

>>10「国益に関連して亡くなった方に対し、何らかの形で謝意を示すことは政治的に有益です。」
しかし、非キリスト教徒には、キリスト教形式であることに益はありません。同じですね。

そうそう、私からも聞きたいなあ。前スレ622辺りから誤魔化されているものねw

・追悼が宗教行為であると考えられる理由は何か?さしたる根拠がなくそう感じた外国人がいる
ってだけの話?

・「国が「あらゆる」宗教と関わる必要性は、中立性維持の条件ではない罠。」ってこれは何の冗談?
関わりをもてない宗教の信者から見れば、どう見たって中立にはならないけど。
29れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/04 09:47:09 ID:???
>>28
>首相が非神道信仰者の代理人としての性格も有する点を見落としている、ということ。
だから、国民を代表するという意味は「抽象的国民の代表」であって、共産主義者も代表
しているから、自由主義を標榜するのは思想信条の自由にあたるのかと、何度も聞いてい
る。まぁ、宗教に関連して言うなら「法隆寺の改修」に予算を割くのは「仏教との一部や
基督教徒の信教の自由を侵害するのか?

馬鹿馬鹿しくて話にならないなぁ。

>非キリスト教徒には、キリスト教形式であることに益はありません。同じですね。
ん?益が無いだけなの?基督教徒以外の信教の自由は侵害されないのかね。
首相が非基督教信仰者の代理人としての性格も有する点を見落としている、ということに
ならないかね。

馬鹿馬鹿しくて話にならないなぁ。

質問一段目:何の話しをしているかわかっている?わかっていないんだろうね。
 もう一回説明してあげるよ。靖国参拝が「特定の国民の信教の自由を侵害する」という
 考え方なら「献花も、武道館参拝も同列だろう。」といっている。
質問二段目:国として中立であると考えられれば十分なんだよ。それは前スレでも言って
 いる通り「宗教法人であることの認証」や「市街化調整区域における宗教施設の建築」でも
 当然に理解されるように「政治上の合理的理由があれば」十分で、「あらゆる宗教」に
 科唐らなければならないわけではないだろうよ。

馬鹿馬鹿しくて話にならないなぁ。
30れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/04 11:05:06 ID:???
というか、まぁ散々前スレで議論してきたことの繰り返しである。

例えば「今朝の米国大統領の勝利宣言」においてブッシュは最後に
合衆国とその国民に「神のご加護がありますように」といっている。この「神」は
明らかに天照大神ではなく「基督教の神」である。
このことが「米国民の信教の自由を侵害するのか?」といえばNoだろうことは明らかだ。

じゃぁ、日本国総理大臣が靖国に参拝したからといって「誰かの信教の自由を侵害するのか」
といえば、先般の福岡地裁判決「でさえ」信教の自由侵害は「無い」と判決し、その結果
さまざまな宗教家や在日朝鮮人などの「原告」は、傍論の「政教分離違反であるという内容」
をうけ「われわれの主張趣旨に沿ったものであり、ほぼ全面勝訴だ」と判断し、その判断を
「受け入れている」ことはニュースになったことから知っているだろう。
まさに、この福岡地裁の判事は「公的参拝である」と認定した上で「侵害は無い」と判決した
わけで、秋雨氏などがなんと言おうと、「よっぽどに靖国参拝を否定したい判事」であっても
信教の自由侵害は認めることができないのである。

信教の自由は「他者が宗教的行為を行い、其れは自己の宗教観からすれば許しがたいこと」で
あっても其れを容認する前提で保証されているからである。
そこに「他者が一般国民であれ国であれ」その違いは設けることはできない。
なぜなら「人権享有主体の宗教的行為」と「非人権享有主体の宗教的行為」の侵害の効果は
「侵害されたとする当人」にとって、何ら変わらないからである。
つまり、宗教的行為が他者に何らかの強制を内包していれば、それは侵害であり、内包して
いなければ「侵害ではない」。
31右や左の名無し様:04/11/04 13:00:49 ID:???
誤った見解を何度繰り返しても正しい見解とはならないはずだが・・・
まぁしかし、そんな都合のいい前提があるとするならば、
何故被告小泉及び国が主張しないのか?
裁判所も同様の論理を採用しているとは思えないのだが、前提らしい。
32れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/04 13:22:24 ID:???
>>31
違うというなら、どう違うのか説明せいよ。(できないんじゃないの?)

>何故被告小泉及び国が主張しないのか?
していると思うけど、判決文も読んでいないのかな?

基本的に間違っている人は「政教分離違反行為」≠「人権侵害行為」という
当然の前提を理解していないわけだ。そういう部分は前スレでやっているが・・・。
頭の悪い人権派は「国と個人の関係性に基づいて判断される人権侵害」と
「国の行為の客観的事実だけで判断される政教分離」の区別さえできないでいる。
人権とは「すべての個人が享有している」わけで、たった一人への人権の侵害も
許され無いわけだし、しかし侵害されていない人は侵害を訴えられない項目な
わけだから「具体的な個人と国との間で発生する」問題でしょう。

で、政教分離というのは「国の禁止される宗教行為」というものが存在している
わけで「国の行為の客観的事実だけ」で違憲と判断されるものだから、人権侵害の
基本的なロジックと乖離しているんだよ。わかる?

都合が良いも悪いも、人権とはそういうものでしょうよ。

つづく
33れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/04 13:35:14 ID:???
つづき

人権派諸氏は政教分離に反する国の行為について、どう考えているかということなん
だよね。

例えば、風速60m/秒に耐えられる家屋があったとすると、風速10m/秒の風が6回どころか
10万回あたったとしても家屋は倒壊しない。
雨水なら「継続反復して同じところに水滴があたれば」石に穴があく。
しかし、其れは「同じところで無ければ」、穴があく(侵害)にはならんでしょうよ。
まぁ、他のたとえで言えば雨漏りだね。一回の雨漏りなら家屋に致命的な打撃は与えない
(強烈なら与えるが其れは侵害だから責任は明確でしょう)けれども「継続的な雨漏り」
なら「同じところが常に濡れている」ことで、家屋に致命的な損傷を与えかねない。

かといって、雨が降ることは防止できない。雨漏りじゃなくても結露で湿気があれば同じ
ことはおきうるわけで、同じところが常に濡れていることが問題なんだろう?
其れが結果的に「心理的な圧迫などで自由な選択を国民ができない」ことにつながるんなら
「継続的に同じところ・・・」を防止することが「信教の自由の保障を制度的に保証するに
足りる事だろうよ。「継続的に固定化しないこと」が重要であることは自明だと思うがナァ。
34ぁゃιぃアズマ人:04/11/04 18:02:18 ID:???
>>30
>例えば「今朝の米国大統領の勝利宣言」においてブッシュは最後に
>合衆国とその国民に「神のご加護がありますように」といっている。

 あいかわらずバカなことを逝っとる。私的な選挙活動で宗教的発言を
行おうがそれは政教分離問題とは関係がない。政教分離は、制度としての
国家機関が国家の行為として宗教的行為を行うことを禁止するである。
大統領であっても私人として宗教活動を行なうのは自由だ(藁

 アメリカの大統領選挙を見てもわかるように、宗教やモラルが政治選択に
意味を持つのはバカげている。政治は価値観や利害の異なる者同士が
利益配分とか打算に基いた駆け引きをする場だ。妥協なき価値観の押し付け
合いの場であってはならない。宗教心やモラルで政治的色分けがされる
のであれば、対立する者同士の妥協は困難と言うべきだ。そのような
剥き出しの価値観の対立を政治の場から排除する一つの方便が政教分離制度
と言うべきだ。
 堕胎とか同性結婚の是非にみるように、政治的価値選択の前提としてモラルとか
宗教心が存在することは認めざるをえない。しかし、政治の場に妥協困難な
価値観対立を持ち込むのは、結局のところ政治的妥協を困難にするだけだ。
政治に剥き出しの価値観を持ち込むなとは言わないが、自治体とか民衆に
より近いレベルの政治に限定し、国家レベルでは宗教色・イデオロギー色は
排除すべきだ。フリーな堕胎や宗教が好きなヤシらは、好きな者同士かたまって
理想郷をつくり国家には介入するなと言いたい。政治に宗教やイデオロギーを
持ち込むバカの国政参加権は剥奪すべきだ罠(藁
35れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/04 19:00:47 ID:???
>私的な選挙活動
意味わからん。
勝利宣言は大統領としての公的なものだと位置付けられているわけだが。



36Santi ◆R3KhrW2i86 :04/11/05 01:44:36 ID:???
>>29
「靖国参拝」と「献花」は性質が全く異なる行為だろうよ。特定の宗教団体のシンボ
ルを公然と破壊するような行為と、花を公然と引き裂く行為が全く異なる性質を持っ
ているのと同じように。
>>30
>信教の自由は「他者が宗教的行為を行い、其れは自己の宗教観からすれば許しがたいこ
>と」であっても其れを容認する前提で保証されているからである。
この人はまだ理解できていないんだな。信教の自由保障を全うしようとすれば、他
者とりわけ国家による侵害行為は、例えそれがその他者にとっての「宗教行為」であ
っても、当然にそれを「容認」せず排除を求め、損害が発生している場合は損害賠償
が求められなければならない。もちろん、信教の自由保障も無制限ではないから、「宗
教行為」の名の下に他者の人権を侵害することは許されるものではないわけであるが、
しかしそのことは自己の信教の自由を侵害するような他者の「宗教行為」を「容認」
しなければならないと言った義務が信教の自由保障に伴っていることを意味するもの
ではないし、ましてやそれを前提とするものでもない。
また前述の通り、強制が何ら伴わなくとも個人の信教の自由を侵害する場合は十分
あるのであって、「強制があるか否か」ということが「信教の自由を侵害するかどうか」
を判別するメルクマールとは全くなりえないのである。
>「他者が一般国民であれ国であれ」その違いは設けることはできない。
 全く違う。一般私人は各自それぞれに信教の自由が保障されているわけであるから、
私人間においては各自の信教の自由を互いに侵害することがないように調整する必要
があるわけであるが、国家には言うまでもなく信教の自由は保障されておらず、従っ
て国民の信教の自由を侵害しないように振舞う義務を一方的に負っているだけであっ
て、そこには調整という観点は存在しない。よって、国民の信教の自由に対する脅威
を可及的に完全排除するために、国家が一切の宗教的行為を行うことを禁じられても
何ら不都合は生じず、また宗教団体との関わりも他の人権を侵害することにならない
限り出来るだけ絶つべきだという事になる。
37右や左の名無し様:04/11/05 02:56:45 ID:???
>>32
人権条項と制度的保障についての基本的理解については争いはないでしょ。
ただ、君がそれを説明するのに持ち出す前提がおかしいと言ってるんだが・・・
そんな都合のいい前提は、判決のどの部分にあるのかい?
38れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/05 09:43:10 ID:???
>>37
いや、違うならどういう論理で「人権侵害なし」とされているのか説明してよ。
39れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/05 10:50:59 ID:???
というか、>>37「あたり」は、まさに人権オンチである。
どうせ具体的に論理など展開しないんだろうから、少し書いておく。

福岡地裁判決の論旨まとめ(By共産党なら、文句はないだろう?)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-08/03_01.html

 一、被告小泉純一郎は、本件参拝に際し、公用車を使用し、秘書官を随行させ、「内閣総理大臣小
泉純一郎」と記帳し、「献花内閣総理大臣小泉純一郎」との名札を付した献花をし、参拝後に内閣総
理大臣である小泉純一郎が参拝した旨述べており、本件参拝は、行為の外形において、内閣総理大臣
の職務の執行と認め得るものというべきであるから、国家賠償法一条一項の「職務を行うについて」
に当たる。

 二、本件参拝は、神道の教義を広め、春秋の例大祭や合祀(ごうし)祭等の儀式行事を行い、拝殿
、本殿等の礼拝施設を備える宗教法人である靖国神社において、内閣総理大臣によりなされたもので
あり、その行為の行われた場所、その行為に対する一般人の宗教的評価、行為者の意図、目的、行為
の一般人に与える効果、影響等諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断すると、憲法二
○条三項によって禁止されている宗教的活動に当たり、同条項に反する。

 三、本件参拝は、原告らに対して信教を理由として不利益な取り扱いをしたり、心理的強制を含む
宗教上の強制や制止をするものではないから、原告らの信教の自由を侵害したものとはいえない。ま
た、原告らの主張する宗教的人格権や平和的生存権等は、憲法上の人権と認めることはできない。

 四、原告らの主張する人格的利益は、憲法上の人権といえないものとしても、一般論として不法行
為による被侵害利益たり得ないと解することはできない。しかしながら、本件参拝により原告らが不
安感、憤り、危惧(きぐ)感等を抱いたとしても、その行為の性質上、これにより賠償の対象となり
得るような法的利益の侵害があったものということはできず、本件参拝について不法行為の成立を認
めることはできない。
40れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/05 11:03:28 ID:???
で、人権の侵害については上記、三、四 である。

公式参拝では有るが「原告らに対して信教を理由として不利益な取り扱いをしたり、心理的強制
を含む 宗教上の強制や制止をするものではないから、原告らの信教の自由を侵害したものとはい
えない。」と明確である。
「本件参拝により原告らが不 安感、憤り、危惧(きぐ)感等を抱いた」としても
「その行為の性質上」不法行為の成立を認めることはできない。、といっているのである。

つまり、
1、公式参拝であることを認定した上で、かつ国の宗教的活動に当たると認定したうえで
2、原告らが不 安感、憤り、危惧(きぐ)感等を抱き精神的な被害があったとしても
3、信教を理由として不利益な取り扱いをしたり、心理的強制を含む 宗教上の強制や制止をする
  ものでない限り
4、人権の侵害にはあたらない。
ということを福岡地裁の判事はDQNながら言っているのである。はっきり言って、この判事ほどに
政教分離を厳しく判断する人は稀である。その判事でさえ「人権侵害にはあたらない」というほど
に、きわめて当然のことが、上記1〜4である。

こういう当然至極のことを何時までもゴネテいるのでは、議論において無視され
あるいはDQN扱いされても仕方がないんじゃないの?
41れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/05 11:13:11 ID:???
ついでに、「宗教的人格権」について議論したいなら、人権板でやってくれ。
ここの「宗教と政治のかかわりについて」というスレタイからは乖離する。

人権派で政教分離に厳しい判事でさえ認めないそういう人格的権利があるという前提の
議論は、このスレでは行うことはできない。人権スレや他の場所で十分にご活躍をいた
だきたい。ガムバッテくらさい。

で、ここは、蒸気のような信教の自由の把握に基づいて議論を進める必要がある。
つまり、「国の宗教活動は信教を理由として不利益な取り扱いをしたり、心理的強制を含
む 宗教上の強制や制止をするものでない限り人権の侵害にはあたらない。」という判決判
例通説に基づく議論である。
42秋雨:04/11/05 11:31:29 ID:???
>>29
共産主義者の思想信条の自由は、自由主義者の権利と全く同様に、国会議員の選挙権と
して行使できますがな。政治の代表を選挙で決める。宗教代表者ではないですな。

法隆寺については世界文化遺産でもありますな。文化遺産としての側面を無視しますか?

>どなの?基督教徒以外にとって有益ではないと?

この質問にはお答えしましたよw

>もう一回説明してあげるよ。靖国参拝が「特定の国民の信教の自由を侵害する」という
>考え方なら「献花も、武道館参拝も同列だろう。」といっている。

「もう一回?」知り合いの外国人がどうこうっていう説得力のないあれ?たわごとは何回
言ってもたわごと。花を献ずると何故神道になるのですか?武道館は神道の宗教施設
ですか?あなた自身が紹介したサイトの写真でいえば、例えばどこが神道固有ですか?

>国として中立であると考えられれば十分なんだよ。

そこまでいうなら、「国として中立であると考えられ」る宗教・宗派の組み合わせを具体的に
挙げてごらん。

まさか、思想の問題だから実現性は問題にならない、なんて言い出さないよねw
43れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/05 11:54:37 ID:???
>>42
共産主義者が「自由主義にコミットする国家」で思想信条の自由を行使できる、なら
神道信者以外が「神道教義にコミットする国家」で信教の自由を行使できる、でしょ?

世界遺産等合理的でかつ国民のニーズがあれば、「法隆寺という宗教施設」と、国が
係っても無問題でしょう?OKだね?

>そこまでいうなら、「国として中立であると考えられ」る宗教・宗派の組み合わせを
>具体的に挙げてごらん。
「国民のニーズ」という基準を言っているんですけど・・・。

で、>>39-40にきちんと書いておいたけど、そこまでは了解できる?
44秋雨:04/11/05 12:21:52 ID:???
>で、>>39-40にきちんと書いておいたけど、そこまでは了解できる?

やはり代理人としての視点が欠落していることが確認できましたが。
45秋雨:04/11/05 12:26:51 ID:???
>共産主義者が「自由主義にコミットする国家」で思想信条の自由を行使できる、なら
>神道信者以外が「神道教義にコミットする国家」で信教の自由を行使できる、でしょ?

話をすりかえないように。首相は国民の政治的選択の結果として選出されている。
間接的ながら。宗教的な選択の結果ではない。
46れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/05 12:27:43 ID:???
>>44
議論する気がないなら、略。

代理人なんて概念がないから「人権侵害ではない」と判決されている。
47れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/05 12:32:18 ID:???
>>45
摩り替えているのはあなたかと。
>話をすりかえないように。首相は国民の政治的選択の結果として選出されている。
>間接的ながら。宗教的な選択の結果ではない。
宗教的選択であるかどうかなど関係ない・・・というかそんな分別などできないで
しょう。(米国大統領選挙における支持者の多くは保守的基督教徒だね。)

そもそも、靖国参拝にしても追悼式典にしても「宗教的行為」ではあるが「宗教的教義」
に基づいた必然性を動機とはしていないわけで、其れを同列に扱っていること自体が
すり替えでしょう。というか、仮に宗教的教義の基づくものであったとしても「人権の
侵害」にはなりえないことは、すでに示した。

>>46一行目に戻る。
48Santi ◆R3KhrW2i86 :04/11/05 12:38:15 ID:utclYmBu
どうしても、れ氏は裁判所の判断に基づいてしか議論が出来ないようだ。裁判所の判
断は当然の事ながら一つの判断であるが、それを「唯一の真理」だと信じ切ってそれ
以外の議論を受け付けないというのは、およそ論理的な議論を行おうとする人間の態
度ではないだろう。裁判所の判断が正しくて、それ以外の見解が間違っていると言う
なら、そのことについて論証するべきであって、無批判に裁判所の判断を所与の事
実・唯一の真理という権威主義的な前提に立って議論するのでは、妥当な結論は得ら
れないであろう。
>この判事ほどに政教分離を厳しく判断する人は稀である。(>>40
などというのも所詮主観的な感想に過ぎないし、何ら合理的な根拠の存在するもので
はない。裁判所の判断に乗っからないと議論が出来ないというなら、そのように明言
すべきだし、自分はそれが絶対的に正しいと信じ切っているのならそう表明すべきだろ。
その判決にしても、
>原告らが不安感、憤り、危惧(きぐ)感等を抱いたとしても、その行為の性質上、
>これにより賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったものということは
>できず(>>39
といっているのみであって、政教分離の妥当性を議論するうえで、信教の自由の保障
をより確実にするためにはどうすべきか、という検証を行うためには、そのような不
安感や憤りといったものも考慮に入れる必要があることを排除しているものではない。
49れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/05 13:08:29 ID:???
>>48
別に判決判例通説が真理であるとはいっていない。其れが一般的な人権の理解だと
いっている。政教分離を語るスレで一般的な人権概念を共有してなければ議論にな
らない。

一般的でないというなら、何らかの判例を例示して反論すること。
一般的でない人権概念を主張したいなら板違い。
どちらもしなければ放置。(何回もレスしていて哀れだから一回だけかまってやる)
50れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/05 13:43:01 ID:oWcoVhmW
というか、もう疲れたよ。>>39-40の信教の自由の把握というのは、きわめて基本的
な常識。政教分離を語る上で、少なくとも理解しておくべきこと。

ホトンドの政教分離に関する議論は、まさに「この理解」を前提としているわけで
福岡地裁の原告らでさえ「宗教的人格権」という新しい人権概念を認めさせること
がこれからの課題で、その部分以外については「ほぼ原告の主張に沿っている」と
してこの判決を受け入れている。
で、日本の政教分離は、そういう新しい人権は考慮されないで成立している。

つまり前に戻るけれども、そういう人格権に基づく「精神的被害」は(新しい)人権
という概念・・・国と個人の関係性に基づく判断・・・で対処すべきであり、国の
行為の客観的事実だけで判断する「政教分離規定」とは一線を画するものであることは
彼ら「宗教的人格権」を主張するものにとっても「当然の帰結」である。

つまり「宗教的人格権という新しい人権」が認められる余地というものが有るという
ことについて考慮に値するけれども、それは「人権スレ」のお題ということ。
政教分離はそのような、宗教的人格権を守るための制度とは別の問題だという理解を
その靖国参拝阻止運動家の人たちから、学びなよ、ね?人権オンチ君たち。
51右や左の名無し様:04/11/05 13:53:23 ID:HADkqPFr
人権侵害のない制度的保障違反はあるし

違憲だから、やっちゃあいけないんだよ。
52右や左の名無し様:04/11/05 15:38:38 ID:???
>>39
>神道の教義を広め
というが有りもしない教義は広められないのにな。

>心理的強制を含む
>宗教上の強制や制止をするものではない
死人に口無し。死後どう取り扱われようと憲法の関知する所ではない、ってことな。
本人ではない遺族は、他から死者をどう取り扱われようと文句は言えない、ってな。
言い換えれば、生きている者が死者の祭祀を行うことは何の意味もない、となる。

>宗教的人格権や平和的生存権等は、憲法上の人権と認めることはできない。
宗教に関して、人権なんて認めネェヨ、戦争ではシッカリ戦えヨ
戦わずに生きようなんて勝手なこと抜かすなヨ、ってサ。

>不安感、憤り、危惧(きぐ)感等を抱いたとしても、その行為の性質上、これにより賠償の対象となり
>得るような法的利益の侵害があったものということはできず
宗教なんてものは、実力をもって推進或いは弾圧しない限り
どこまで強制しようが弾圧しようがお構い無しなのだ、とサ。

>憲法二○条三項によって禁止されている宗教的活動に当たり、同条項に反する。
なんてことを言いながら、宗教の存在を政治的には全く認めていないのだからな。

>この判事ほどに
>政教分離を厳しく判断する人
ではなくて、政教分離の意味を全く理解していない人、だろうが。


>共産党なら、文句はないだろう?
反逆、弾圧、暴力などは片鱗も無く、和だけしか存在しないとする
主義者の言うことだから、半値八掛け二割引した上で
眉に唾でも付けてから聞いた方が賢いというものだ罠。
53れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/05 18:21:37 ID:???
>>51
無論おっしゃる通りかと。詳しくは前スレを・・・。

>>52
ハイハイ、毎度ご苦労様です。
54右や左の名無し様:04/11/05 18:37:19 ID:???
イエイエ、どう致しまして。
55ぁゃιぃアズマ人:04/11/05 20:42:32 ID:???
>>35

 選挙活動は国家としての行為かね?個人が公的地位を背景に私的に行う行為は、
国家としての行為ではあるまい。大統領に当選した者が勝利宣言を行う行為は、
公的地位を背景にした私的行為だろ(藁
 大統領の職務としての言動が、特定の宗派の宗教を支持・援助するものであれば、
やはり政教分離違反と評価すべきだ。ただ大統領が選挙活動などの職務外の
行為において宗教的言動を行おうが、職務外の行為なのだから自由だ。
 公人の宗教的・党派的な言動は、基本的に職務外で行われるのが望ましい。
もし公人が職務と密接不可分に宗教的・党派的言動を行うなら、民衆は
宗教性や党派性までも含めて公人を選ばなければならなくなる。しかし、
政治家や公人は、宗教性や党派性まで含めて選ぶべきものなのか?
政治が妥協の場であり、剥き出しの価値観のぶつかり合いの場でないなら、
そうではないと言うべきだろう。俺は、宗教性や党派性に引きずられて
政治的選択をすることには反対だ(藁
56秋雨:04/11/06 00:24:55 ID:???
>>46
>代理人なんて概念がないから「人権侵害ではない」と判決されている。

私は「見落としている」と再三言っています。「見落としている」例をいくら並べたところで
何の反論にもならないんですがね。

でも、あなたがそこまでは議論できないということなので、私の主張についてはこれ以上
検討するのはやめておきましょう。そうなるとあなたの意見を一方的に評価するばかりに
なるので少々気が引けますが、当然あなたは気にしませんね。

あなたの主張の検討に戻るけど、

>>43
>「国民のニーズ」という基準を言っているんですけど・・・。

国民のニーズだかあなたの妄想だかわかりませんが、さっさと具体例を示しましょうよ。
首相等が、全ての宗教の施設ではなく、一部の宗教の施設を訪れるだけであっても、
「国として中立であると考えられ」るような状態をつくりだすことができる、とあなたはしつこく
主張していますね。あなたの妄想の産物ではないのであれば、その際に訪れるべき
宗教施設の組み合わせが1パターンぐらいは例示できるはずです。

ひとつも例示しないくせに、できるできると繰り返すのは見苦しいですよ。
57Santi ◆R3KhrW2i86 :04/11/06 00:47:57 ID:???
しかし、れ氏はどうして判決文を自己完結したものと捉えようとするかな。判決文
と言うものは、基本的には提起された事案についての解決とその解決をするために必
要な論理構成を提示するのみなのであって、信教の自由や政教分離に関して包括的に
論証し説明するようなものでは全くないのだがな。
その福岡地裁の判決に対しては、信教の自由が侵害されると考えられる場合が極め
て限定しすぎているという学説からの批判が強いことは以前にも言ったが、仮にその
判決が妥当だとしても、その判決において
>原告らに対して信教を理由として不利益な取り扱いをしたり、心理的強制を含む宗
>教上の強制や制止をするものではないから、原告らの信教の自由を侵害したものと
>はいえない。(>>39
と言っているのは、何度も言うとおり訴訟において不法行為を構成して国家に賠償を
させるに相応しいほどの明白な信教の自由侵害いわば「狭義」の信教の自由侵害がな
いといっているに過ぎないのであって、政教分離を徹底させることにより実現しよう
としているものは、そのような明白な侵害のみならずより間接的・潜在的な信教の自
由に対する侵害いわば「広義」の信教の自由侵害をも排除して、より信教の自由保障
を確実なものにしようと言う意図の下にあると考えるのが相当であろう。例えば、国
家は国民に対して特定の宗教(仮にY教とする。以下同じ。)の施設に参拝することを
直接的に強要はしないが、国家がY教を国家公認の宗教とすることによって、右翼団
体などの民間の団体がY教の信者ではない者に対してY教の施設などに参拝するよう
に圧力をかけて事実上Y教の施設に参拝せざるを得なくなるなどといったことにより
事実上間接的に国民の信教の自由が侵害される、といった事態をも生じさせないよう
にしたということである。
 つまり、それが侵害された場合に不法行為を構成して賠償の対象となる「信教の自
由」と日本の厳格な政教分離が保障しようとしている「信教の自由」は同一のもので
はないと言うことになるのだろう。
58右や左の名無し様:04/11/06 02:29:49 ID:???
>>39
君はいつも問題をすり替えるねぇ。

>信教の自由は「他者が宗教的行為を行い、其れは自己の宗教観からすれば許しがたいこと」で
>あっても其れを容認する前提で保証されているからである。
>そこに「他者が一般国民であれ国であれ」その違いは設けることはできない。
これはどこに行ったの・・・
信教の自由の性格について、判例はこんなこと言ってるのかい?と聞いているわけだよ。
仮に最高裁がこのような見解を採用しているとしたら、
政教分離条項は実質骨抜きだよね、だからこだわってるわけだが。
聞かれてもいない一般的な知識について繰り返しても意味がないなあ。
59れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/06 09:57:57 ID:???
>>55
いや独立宣言にも神の名は有るし、硬貨紙幣にも有るんだが。

>>56
いあや君一人の脳内「代理人概念」なら、もう少しきちんと論理立てて
説明しないと付き合えないよ。
「代理人なら思想信条の自由との関係はどうなるの?」と聞いているジャン。
なんで、信教の自由の場面でだけ「代理人たる概念」が出てくるわけ?

>あなたの妄想の産物ではないのであれば、その際に訪れるべき
>宗教施設の組み合わせが1パターンぐらいは例示できるはずです。
?「中立の概念」についての議論でしょう?
「特定に偏らない=中立」であるならば、
「宗派宗教の教義うんぬんに無関係」に参加する儀式を抽出すれば「宗教に中立」
に他ならないでしょうよ。具体的事例として「文化的遺産の補修などにおける
国としての振る舞い」をあげているのですが、意味がわかりませんか?

>>57
放置

>>58
>仮に最高裁がこのような見解を採用しているとしたら、
>政教分離条項は実質骨抜きだよね、だからこだわってるわけだが。
骨なんか抜かれないんだって。というか「信教の自由の制度的保証」の意味が
わかっていないでしょう。
上段の引用が正当だからこそ、福岡地裁でも「信教の自由の侵害はない」と
判決されたんだろうよ。「自己の宗教観からすれば許しがたいという被害」というのは
彼ら原告団言うところの「宗教的人格権」に分類されるものでしょ?
何処にい行ったといわれても、何処にも行っていないわけで>>39-40はまさに
その説明そのもの(ビンゴ・ジャストど真ん中」の説明でしょうよ。

60れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/06 10:30:04 ID:???
まぁ、「人権オンチの多いことこの上ない」罠。
61右や左の名無し様:04/11/06 11:05:19 ID:???
自分が一番「人権オンチ(なんだそりゃ?)」だということに気付かないのだから重症だ。
62右や左の名無し様:04/11/06 11:15:53 ID:l+lIlpeu
れはね、一度ひらめいた言葉が気に入った場合、バカの一つ覚えみたいに繰り返し使う癖があるんだよ。
恐らく言語能力に問題を抱えていると思われ。
63秋雨:04/11/06 11:26:35 ID:???
>>59
>「代理人なら思想信条の自由との関係はどうなるの?」と聞いているジャン。

この件についてあなたは議論しないのでしょう?議論しない方にわざわざ説明しませんよ。

>「宗派宗教の教義うんぬんに無関係」に参加する儀式を抽出すれば「宗教に中立」に
>他ならないでしょうよ。

だから、例えばどのように抽出されるのかと再三聞いているんじゃないですか。教義に
無関係であっても、抽出する以上、なんらかの選択基準を設けることに必ずなりますね。
「宗派宗教の教義うんぬんに無関係」では、単に教義を選択基準に用いないと言っている
だけで、どんな選択基準なのかさっぱりわからないんですが。まさかと思いますが、
サイコロでも振って決めるといいたいのですか?

選択基準を示さない。実例も示さない。これでは絵に描いた餅ですね。
第三者に同意を求めても誰も同意できませんよ。
64れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/06 12:00:45 ID:???
>>63
検証できる根拠も提示しないで、ただ【代理概念がある】とだけいっているわけで
議論に値しないのは、当然でしょう。検証可能なその代理概念の内容を、まず提示
しなけりゃ、議論にならないと申しあげている。其れを提示しないのはあなたの勝
手で、私としては提示するなら、そしてここのスレタイに合致する内容なら、当然
議論しますよ。

後段:書いてある通り。何らかの選択基準とは単純な話で「戦没者追悼式典」に
参加する動機というものがある。「広島の平和式典」に参加する動機がある。
「靖国に参拝する動機がある」、他の宗教団体の催す儀式に参加する動機がある
わけで、其れは個別に違うでしょうよ。
「宗教団体と係る動機」でも「宗教と中立に係る動機」でもないわけで、
「全国の戦争被害者を追悼する」という動機での参加に国民のニーズがあれば
参加すればいいし、「原子爆弾の被害者を追悼する動機」に国民のニーズがあれば
当然に参加すればいい事で、それが「仏教界としても戦没者の供養を行う」ので
あれば必要に応じて参加すればいいし「基督教としても行う」のであれば参加すれ
ば良いということが、まさに中立でしょう。其れは宗教だから排除するわけでもな
いし、宗教だから参加するものでもない。つまり「文化遺産に対する補助」とか
「私学に対する補助」と同じ事で「宗教にこだわらずやれば中立である」とは言え
るでしょうよ。
65れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/06 12:05:36 ID:???
というか、選択基準は国民のニーズであると書いているのに
>選択基準を示さない。
などという。
議論をしようという姿勢がなく、印象批判に陥っている>>61-62
同列に扱ってほしいなら別だが、そうでないなら、もう少し言葉は選んだ
ほうが「まともな人」に見えるよ・・・とアドバイスしておくよ。

というかその代理概念というものを検証可能な程度に提示してくれよ。
66右や左の名無し様:04/11/06 13:40:53 ID:???
>>64
国民のニーズ?
国民の総意によるニーズとしては存在しない。
国民のニーズだと言う誰かのニードが存在するだけである。
67れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/06 14:07:17 ID:???
>>66
総意によるニーズなど検討しなくとも文化財の保護はできる。
一定数のニーズ(複数のニード)があれば可能なことだ罠。
68れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/06 15:41:08 ID:???
アズマタンへのソース・・・。

米国紙幣の一部http://naguraka.fc2web.com/museum/gaikoku/usa/100/index.htm
「IN GOD WE TRUST」の文字がある。この「GOD」はアマテラスでも
なければ誰でもない基督教における「GOD」である。
「われわれは神の加護を信じる」とでも訳すんだろう。1
957年以降に発行されたものには必ず印刷してあるぜ。
69右や左の名無し様:04/11/06 16:03:15 ID:???
国民のニードなど存在しなくても文化財(文化財に限らないのだが)の
保護も破壊も可能だ罠。
1以上のニードがあれば何でも出来る罠。日本型民主主義なら。
70れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/06 16:22:27 ID:???
>>69
何時まで・・・くだらない・・・。
国民のニーズ=民意=民意を受けた政府の判断、あるいは国民の代表たる国会での予算承認
ということに他ならないだろうよ。

71れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/07 13:48:12 ID:???
秋雨氏が言っている【代表】という考え方の馬鹿馬鹿しさを、一応・・・。
秋雨氏は「宗教的人格権」のことを言っているのである。つまり
「私の代表たる総理大臣」が「私の宗教心と異なる宗教行為を行うこと」で、「私に精神
的な被害がある。」といっているのである。では「行わないことの被害はどうか。
無論「作為と不作為」の違いはあるが「宗教的な作為・不作為による精神的被害」という
視点で言えば対等な被害ではあろう。作為は容認できないが、不作為は容認できるという
議論はありえるが「精神的被害の有無」という点では対等ということである。

では、「なにごとかの中止」は、作為であるか不作為であるか・・・ということである。
「初めからやっていないことを今後もやらない」なら不作為であろうが「今まで継続したこと
を中止する」というのは作為である。(中止行動は積極的な行為である)
つまり、彼の論による代表者の宗教行為に関する行為は、継続すれば神道信者以外の宗教的人
格権を侵害し、中止すれば神道信者の宗教的人格権を侵害するということになる。
まぁ、反論として、禁止されている行為の中止は原状への回復で、作為ではないとも言えるが
それにしても、日本政府としては戦前から継続されていることであるという主張に対して
さまざまな議論を呼び(国家体制の変遷は宗教とは無関係に発生したものであり考慮に値する
とかしないとか)、結論を得ることは困難であろう。

他にも、では宗教行為との認定は何処が線引きなのか、そして、宗教行為にあたらない行為
における侵害というものをどう捉えるのかなど、問題山積である。
もっとも、そんな検討などしなくとも「国民の代表は国会議員であり総理大臣は行政府の長で
しかない。」とか「国民の意思を代表するのであって、国民ここを代表しない。」とか言う反
論にも回答すべきだし、なかなか其の代表概念たる主張を、納得させるのは難しいだろうなぁ。

それ以前に、政教分離規定という国家の客観的行為だけで判断する必然性が、その
代表概念に基づく宗教的人格権においてあるのかどうかさえ、何も語っていないから、議論に
値するだけのものを書いてくれないと、漠然曖昧模糊ではなしにならん。

72秋雨:04/11/08 01:18:50 ID:???
>>65
>というか、選択基準は国民のニーズであると書いているのに
>>選択基準を示さない。
>などという。

私が具体的な基準を求めていることはいくらあなたでも理解できるだろうに。「国民のニーズ」
が具体的ですか?あなたは国会議員が国民の代表として「国民のニーズ」を判断するといい
たいのでしょう。では、議員が「国民のニーズ」の有無を判断する際の基準について述べるべ
きですね。

一人でも国民です。しかしあなたは一方で全ての宗教儀式に参加する必要はないと言って
いる。あなたのいう「国民のニーズ」として認められる場合と、認められない場合があるはず
です。

「国民のニーズ」としての認定基準と、それに沿って認定される儀式等の例を挙げてください。
靖国を挙げたいのはわかっていますから、他の例を希望します。
73れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/08 09:36:03 ID:???
>>72
書いてある。仏教界が行えば其れに、基督教が行えばそれにと・・・。
きみさぁ自己の主張が破綻しているのに、書いてあることを何度も質問して
どうするのさ。

ある一つの目的で、国はそういう儀式に参加するわけではない。
国の命令によって戦地に赴きなくなった方に不戦を誓い慰霊追悼する目的で、
靖国に参拝することもあるだろうし、仏教界(まぁ現実には二つ以上の供養形式に
なることは目に見えているわけだが)が、果たしてどのような供養対象を設定する
野かは知らないが「WW2の死者全般を供養する」とか「千鳥が淵墓苑の祭祀対象者を
供養する」などなら、国民のニーズはあると判断できるでしょうよ。
沖縄では「沖縄戦でなくなった肩を追悼する式典」が有れば参加すれば良いし、
広島・長崎の原爆被災者の式典にも参加する。全国戦没者追悼式典にも・・・。

宗教・非宗教に係らず(宗教であるかどうかを考慮することなく)ニーズに合わせて
といっているでしょうよ。
74れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/08 09:54:40 ID:???
で、
>一人でも国民です。
とかいっているわけで、民主主義オンチでもあるわけですなぁ。

たった一人の国民のことでも慮らなければならない範囲というものが、まさに人権
其のものでしょうよ。人権だからこそ、たった一人でも人権侵害を理由に国に、
行為の停止を求める訴訟を起こせるわけです。たった一人の人命(生存権)を守る
ために、国は他国の宗教指導者たちに人質解放についての行動をお願いする。

一方、文化財の保護という側面で、たった一人が信仰し伝統だと思っているだけでは
其の予算は取られないし、私学に公平に補助をする中で其の私学に宗教教育を行う
学校が入っているとしても予算はつけられるが、オウムやヤマギシの私学には予算は
つかない。はっきり言えばこういうことは「国民の代表である議員による決定」ある
いは「国民の代表たる国会議員の互選によって選出され一定範囲の行政を国民から
信認されている政府の判断」で行われることである。

つまり「たったひりの国民を慮れ」という秋雨氏の主張は、其のことが人権であると
いう前提にたたなければ主張できないのであって、>>71でもあげているようにまた
>>39-40でも書いている通り、そのような宗教的に許せないと思う被害は宗教的人格権
とも言うべきもので、いまだ認めるに値するとは言いがたいし、矛盾が内包している。

政教分離とは、「国民の代表が決定できる国の行為」について、制約を課すものであ
って、けして人権を直接保障するためのものではない。
もう十分に説明は尽くしたと思うが、まだこういうワカランヒトがいるのは、
コマッタワン!ワン!。
75Santi ◆R3KhrW2i86 :04/11/08 12:34:42 ID:???
しかし、れれれのおぢさんは全くしょうがないなあ。判例が「一般的な人権概念(>>49)」なんて提示していないでしょう。あくまで、首相の靖国参拝が原告の信教の自由を不
法行為を構成して損害賠償を認めるに値するほどには侵害していないと言っているだ
けで、信教の自由と政教分離の関係を包括的・網羅的に説明しているものではないだ
ろう。だいたい、そもそもこの議論はれれれのおぢさんが津地鎮祭事件の判決での政
教分離の説明が「論理的飛躍があって納得できるようでイマイチ納得できない。誰か
エロい人説明してクリクリ」というある意味いささか情けない問題提起から始まった
のだから、判例を離れて議論しなけりゃならないことは当然だろ。だって、判決文内
では論理的に繋がっていないのだから(恐らく裁判官の脳内では繋がっているのだろう
が)。にも拘らず、「判例を例示して反論」とは┐('〜`;)┌
76れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/08 12:50:34 ID:kQ/vSb9j
>>75
判決判例通説と違うことを言いたいならせめて議論できる程度の「書き込み」を求める。
君の「○○ではない。○○の危険性がある。」は、信教の自由と政教分離の関係を包括
的・網羅的に説明しているものではない。



     包括的網羅的説明をしてください。




あちこちの都合のよいコピペを羅列したって、ちっとも包括的ではないし
貴殿はそんな【判決判例通説と異なるという表明の上で今まで、個の政教分離について】、
どこかに何か書いているのか?書いているなら、レス番号を提示してください。
77れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/08 13:12:58 ID:???
ちなみに私は「政教分離」が「信教の自由の直接的保証ではない」というロジック
にまで、疑問を呈していない。
すなわち「信教の自由という人権」あるいは「宗教的人格権という人権」を直接
保証するのであれば「個人と国の関係性にもとづく個別保障」というロジックで
まさに民主主義国家における基本的人権尊重の基本的な考え方であり、政教分離
のような「国の行為の客観的判断」だけで、人権の保障を行うという、まさに、
個人主義に基づかない考え方には誤りである。

>>39-40におけるロジックこそが憲法の、信教の自由保障と政教分離の関係性であ
ることを提示しているのであって、そもそも人権オンチでない限り、普通に当然
に理解される「人権保障のあり方と政教分離」を説明しているにすぎない。

大局的な基本が出来ていないヒトだけが、政教分離は宗教的人格権を守るため
に存在するなどという、ワケワカメの議論に終始する。
はっきり言えば、そんなことはここで議論する必要性もないほどに幼稚な発想で、
福岡地裁の原告や判事でさえ理解しているこの基本を、いまだ理解できる能力がな
いなら・・・以下略。
78Santi ◆R3KhrW2i86 :04/11/09 01:34:47 ID:???
>>76
あなたが何を以って通説だとしているのかサパーリ分からないし、>>39-40で「信教
の自由保障と政教分離の関係性であることを提示している」と断言するあなたの感覚
にはほとほと「感心」させられるのだが。とりあえず、現在の通説的な理解を以下に
簡単に述べておく(というか以前にも書いたことだが)。

1.信教の自由には内心面における信仰の自由、行動面における信仰活動の自由・布
教の自由・宗教的結社の自由更に宗教教育の自由、信仰を理由とした差別を受けない
自由などがある。
2.政教分離とは、制度的保障であり国家の非宗教性或いは宗教的に中立であること
を定めることにより、以って国民の信教の自由保障を更に確実にするという効果をも
たらすものである。
3.判例が、ある宗教を信じる又は信じないことや儀式に参加する又はしないことを
強制したり、信仰を理由として不利益な取り扱いが行われた場合にのみ信教の自由侵
害を構成するとしているのは、やや狭きに失する。「静謐な宗教的環境の下で信仰活動
を行う利益」も法的保護に値する利益と認めるべき。

学者によりやや言い回しが異なるということはありえるだろうが、大体こういったと
ころだろう。で、何度も言っている通り、あなたがいうところの>>39-40にある福岡
地裁の判決は、「首相の靖国参拝は憲法20条3項には違反するが、原告の信教の自由
は侵害しない」ということを言っているだけで、政教分離や信教の自由の本質や両者
の関係を何も説明するものではない(尤も、その判旨に必ずしも反対だというわけで
はないが)。むしろ、判例が政教分離と信教の自由の関係について踏み込んだ説明をし
ているのは津地鎮祭事件だろう。
2にあるとおり、政教分離は個人の信教の自由そのものを直接的に保障するものでは
ないが、国家と宗教との関係を完全に断ち切ることによって、その結果個人の信教の
自由の保障をより確実にしようとするものである。ただ、完全に断ち切ると不都合を
生じる場合もあるから、政教分離の本質部分を失わない限りで緩和する論理として
「目的効果基準」があるということである。
79右や左の名無し様:04/11/09 03:42:26 ID:???
れ氏は、宗教的人格権が憲法上認められないという理由と、
自衛官合祀訴訟での宗教的静謐権が認められなかった理由を混同しとるわけだな。
両者の理由付けを比較検討すれば、いずれが人権オンチかよく分かると思うけどね・・・
まあ、私人間で政教分離違反を観念できる方だからしょうがないかと思うが(これでバレバレでしょ)。
80秋雨:04/11/09 09:02:49 ID:???
>>73
>書いてある。仏教界が行えば其れに、基督教が行えばそれにと・・・。

こんなのは具体的に書いたうちに入りませんよ。今回は具体例が少しだけ書いてあったのが
幸いですが、自覚はないかもしれませんね。「WW2の死者全般を供養する」「千鳥が淵墓苑
の祭祀対象者を供養する」「沖縄戦でなくなった肩を追悼する」といった目的であれば認めら
れる、ですか。

ほとんどどんな団体でも申請できそうな目的ですな。この程度の名目を申請すれば、その団体
の性格に関わらず、指定した日に指定した施設に首相等が来てくれると。まるで宅配ピザのよう
な気軽さですね。こんなのが実現したら首相も大変でしょうなあ。特に終戦記念日のスケジュー
ルは殺人的でしょうな。

目的とするのは太平洋戦争だけなのか、それ以前の戦争も含むのか、含むとしたら、どこまで
含むのか、この辺も疑問ですが、また「国民のニーズ」なる得体の知れない基準を持ち出して
ふんぞり返るでしょうから、聞くのはやめておきましょう。

>>74
>>72「一人でも国民です。」から始まる段落は、どの程度の規模の団体からであれば、「国民
のニーズ」として認められるのか?といった意味。個人でもいいのか、数百人規模か、数万人
規模か。主催団体の構成人数は問題にしないのか。

ここでは、「たったひりの国民を慮れ」なんてことは、あまり気にしていないので念のため。
81れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/09 09:19:51 ID:???
>>78
1、2、3、からは、政教分離をより厳しくという包括的な結論じゃなく
3、の人権保障をより強化すると言う結論になる・・・と言うことはわかるかな?


で、早く、包括的網羅的説明をしてください。


津市の判決判例では「もっと厳しい政教分離判断」などしていない(w当然だが)わけで
貴殿主張の「包括的網羅的説明」には何もなっていない罠。

早く頼むよ、「厳しい政教分離と人権の関係性」を・・・。

具体的に言えば【宗教的中立性を確保する】ことがどのようなロジックで「信教の自由保
障をより確かなものにするか・・・」と言う説明だよ。
もう少し言えば、貴殿が言う○○の危険性と言うものの具体的な侵害にいたる経緯や侵害さ
れる内容と、それが、宗教的人格権などの権利を認めることでは保証し得ない理由だよ。
ついでに、作為と不作為の関係性も貴殿が説明してくれないかなぁ。


>>80
自説を説明せず、子供じみたことを言っていてもねぇ。
82れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/09 16:55:51 ID:???
>>80
国民のニーズ=国民の代表者である国会議員の決定による予算付け、あるいは国民の代表者
である国会議員の互選によって選ばれた総理が組織した内閣において一定範囲でまかされて
いる判断・・・のことだと言っても意味がわからないなら・・・略。

83秋雨:04/11/10 01:17:30 ID:???
>>82
あのですねえ…

予算配分等の政治的な判断は、国民に代わって政治を行う者として選出された議員がして
当然の行為でしょう。そのつもりで国民も選択しているし、議員は選択されているわけで。

しかしですね、政教分離の原則の元で選択された議員は、国民の宗教行為を代行すること
まで求められていないと考えるべきでしょうよ。それは個々の国民が自身の信条に基づいて
なすべき行為であってね。

要するに、そんな判断は越権行為。そんなものいくら挙げたって無意味ですよ。
84右や左の名無し様:04/11/11 01:22:37 ID:KR3iJYfr
キリストが再臨して、教会を訪れました。

キリスト「最近、お仕事の方はどうですか?」
教会の偉い人「はっ、私の仕事は全世界の人間を主の前に
ひざまづかせることです」
キリスト「そうですか…。でも、あれですね。こういうことは
強制するとかいうことは良くないですね。
っていうか、あなたは、私の教えを理解しようと一生懸命になりすぎて、
私が教えたことと、まぎゃくのことをしようとしてるのですね。
私は愛せよと言ったのに、なぜあなたは憎むことに夢中なのですか?」
教会の偉い人「あぁ、もう、それは…。もちろん。そういうことで。」
キリスト「私は気分を害しました。もう帰ります。」

と言われて、主は見えなくなってしまいました。
85れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/11 09:23:46 ID:???
>>83
なんか回廊を巡っているようで・・・。
86右や左の名無し様:04/11/11 10:22:07 ID:???
>>83
行政府に所属する者(首相等)がどういう行事に出席するかというのは、行政裁量の問題なのである。
但し、行政裁量といっても無制限ではなく、当然憲法の規定による制限を受けるわけで、そのレベルで
20条3項というのが問題となるのである。行政裁量を発動する際に「国民のニーズ」を考慮すること
自体はおかしくはない。もちろん、国民のニーズがあるからといってやって良いとは必ずしも言えない
のは当然のこと。

20条3項の趣旨を「国家の宗教的中立性(「無宗教性」ではなく)の維持」のみと捉えた場合、理論的には
れ氏の言うような方法もあり得るとは思うが、実際問題としては実行不可能ではないのか。
87れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/11 12:26:42 ID:???
>>86
良くわかんない。実際問題不可能だと言う場合に「宗教儀式に参加するなどの行為」
と言うものを先鋭化しているからだと思うなぁ。(推測だが)

判決判例における、憲法で禁止する宗教行為と言うものは、儀式に参加する云々」も
内包はしているが、それに限定せず、目的と効果を元に判断するわけでしょ。

其の中で「宗教的中立性」というものを見据えているわけだが、その切り口の問題
だよね。国家が宗教的中立性を求められる理由は二つあって、一つは民意の検証を得ない
価値序列の採用の問題(散々言っているが、儀式様式には価値序列が内包している
わけで、其の価値序列が儀式内部にとどまるかどうかと言うことである。)と、
もう一つは心理的誘導(強制・圧迫と言うほどの強さはないものの、集団の多くが是として
いることでの選択肢の狭窄)と思う。
其れは日本国が「神道的な価値序列だけに基づいて社会秩序を構成し維持継続された」
わけでもないし、宗教なるものが複層的に(つまりは日常的に生活に密着した宗教戒律に
よるのではなく、其の時々に応じて神道と仏教などを使い分けると言うように)存在する
中で、ある特定宗教(仏教であれ神道であれ)の価値序列が「儀式における建前」を超えて
政策や国家運営の基礎的価値になることは「よろしくない」と言うこと。

だから、日本の風土的伝統的な振る舞いである「他人様が主催し執り行う儀式への参加する
場合の常識」として、相手の価値序列を、其の儀式内の建前として受け入れ参加する・・・
なら、別に問題はないわけで、其の中で「宗教儀式だけを特化せず」、宗教施設への補助
が文化的遺産の保存と言う目的において行われるなら、宗教・非宗教にこだわる必要がない
ことと同様に、戦没者あるいは戦争被害者への追悼なり敬意なりの儀礼と言う意味で、
宗教・非宗教に係らず宗教に固定化することなくニーズに応じて参加すれば、無問題でしょ。
8886:04/11/11 17:45:33 ID:???
>>87
>実際問題不可能だと言う場合に「宗教儀式に参加するなどの行為」
>と言うものを先鋭化しているからだと思うなぁ。(推測だが)
いや、そういう方法を採るとした場合に、申込があった全団体の儀式に出席しなければならない
ことになり、実務上収拾がつかなくなるということ(それに儀式以外のスケジュールをこなさない
といけないわけだし)。あるいは、一部の団体だけだということにすると、どういう基準で選別
するかが問題になるわけだし。

もしその方法を実行したら、靖国神社の特殊性を希薄化することになるわけで、靖国を特別に思う人たち
にはある意味不都合な事態が生じるかもしれない(苦笑)。
89れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/11 18:17:14 ID:???
>>88
>申込があった全団体の儀式に出席しなければならない
>ことになり、実務上収拾がつかなくなるということ(それに儀式以外のスケジュールをこなさない
>といけないわけだし)。あるいは、一部の団体だけだということにすると、どういう基準で選別
>するかが問題になるわけだし。
「宗教儀式に参加するなどの行為」と言うものを先鋭化しているよねw。

国は、宗教儀式に参加するという動機はないわけですよ。わかります?
国は戦争被害者や戦没者に儀礼を尽くすと言う動機はあるわけです。わかりますよね。
だから宗教団体から儀式への参加要請があったからと言って、必ずしも参加する必要性はないよね。
基準は「国民のニーズだ」と言っているでしょ。で、8月15日にこだわる理由もないよね。

参加する必然性については、別に其の主催団体の意図と、国民のニーズが一致すれば参加すれば
良いわけだし、電報だけとか、職員が大臣の言葉を代読するとか、地方公共団体の仕事だとか
さまざまに検討すればいいことで、そういう検討において「宗教団体だから」というロジックを
除外すればいいことでしょうよ。

あなたの言っていることは「すべての宗教文化遺産を申請に応じてすべて予算化しなければなら
ない」といっていることと同じで、全く考慮に値しないよね。
「文化財の保護」なら「宗教団体に係っていようといまいと」そういうことを考慮しないで必要な
範囲で、できる限度で保護を予算化し行うわけでしょ?。
同じように「戦争被害者や戦没者への国家儀礼」ということは「宗教団体に係っていようといま
いと」そういうことを考慮しないで、必要な範囲で、できる限度で儀礼を尽くせば良いでしょうよ。
90れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/11 18:28:27 ID:???
というか、宗教を特化する必要など国家に置いてないわけだから、
靖国の特殊性など、別に考慮する必要はないでしょうよ。

特殊性が有るとしたら、玉ぐし料判決でも認めている県民のニーズはある
と言う特殊性だよね。民主主義国家において、特段に人権の侵害もないのに
国民のニーズに応えないほうが、問題でしょうよ。
国の主人公は「プロ市民ではなく、特殊な信仰者でもなく、一般国民である」!!!。
そういう意味で初めから民意との調整が必要だわさと言っているわけで、
民意を優先できないのは、人権など国家の理念と対立する場合でしょうよ。
政教分離は国家理念であると私は認めるけど(明治立憲における理念だし)
それは、宗教的中立性の確保と言う意味であって、宗教に不可触ではない罠。
中立性を確保できるなら、民意に従えばいいことで、国がそういう儀礼を尽くす
儀式を主催したり、儀礼を尽くす施設を保有することは、中立性を確保できないわけで
NGだが、さまざまな団体が行う儀式に公平に儀礼を尽くすことは、中立性を
阻害しないだろうよ、さ、ね!。
・・・米国はそう考えているよね。さまざまな移民が存在する中で宗教的中立性と
国のアイデンティティたる「自由と正義信仰」との関連においては・・・。
91右や左の名無し様:04/11/11 19:16:17 ID:???
>宗教的中立性の確保と言う意味であって
触ってしまったら客観的な中立性の確保は不可能。

>米国はそう考えている
考えていない。
92れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/11 20:26:47 ID:???
>>91
穢れの思想ですな。触ったら中立性が侵される・・・十分触っていますよ、私学補助でも
文化遺産の保護でも、宗教法人の認可でも、宗教施設の建築許可でも・・・。
93右や左の名無し様:04/11/12 03:44:05 ID:???
私学の補助はすでに憲法違反行為。
文化遺産の保護は物体の保護でしかない。所有者だからといってそれを
破壊することはできない。
認可を受けなければ宗教法人を作れず、宗教施設だからといって
勝手に建築することも出来ない。
触れないのではなく、宗教などと云うものは政治によって
支配される存在でしかないことの証明。
信教は自由であっても、国家の下で宗教に自由ではないと云うだけのこと。
国家は宗教を管理監督しなければならないのであって
国家が宗教に迎合したり、指図されることがあってはいけないのでつ。
94れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/12 09:48:37 ID:???
>>93
毎度ご苦労様です。
95右や左の名無し様:04/11/12 21:24:16 ID:???
69 :カトリック信者 :04/11/07 22:11:09 ID:fO4EEOu2
『寛容』というのは、他人に対して寛容であるということです。今日は神社に、
明日はお寺に、そして次の日は教会に祈りに行くという人のことを、迷っている
人、また自分の宗教心を真剣に考えていない人、あるいは矛盾をおかしている人
と言えますが、決して寛容な人とは言えません。
人間は「一定の立場をとらない限り、寛容というものはありえないのです。」
一言で言えば、自分の考えが正しく、相手の考えが間違っている事を確信しながら、
なおかつその相手の考えを『尊重』することが、寛容の本質です。

ホセ・ヨンパルト神父著 『カトリックとプロテスタント』より抜粋。
96右や左の名無し様:04/11/13 01:23:06 ID:???
しかし、れはじめ神道教徒・天皇教徒は、むしろマイノリティーの権利保護に積極的なはずだがな。
連中は自分たちがマジョリティーだと信じて止まないらしいが、世界的に見れば圧倒的マイノリティーだ。
もし将来国際的な政体ができたとしたら、奴らこそマイノリティーの権利保護を訴えなければならなくなるのにな。
97れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/13 09:29:58 ID:???
>>96
マイノリティの保護は、政教分離と無関係。それは、宗教的人格権とやらの、人権の問題だ罠。

で、世界を視野に入れれば、おそらくヒンズー教が最大数だろう。
ヒンズー教と日本神道は極めて親和性があるし、仏教とも近い。

というか何事か信仰するものにとって「少数者である」ことは、べつに
マイナスでもなんでもないだろう。と言うより「真実を知る者」としての
アドバンテージを感じているんじゃないか?少数宗教信者は・・・。

もっとも、神道「教徒」、「天皇教徒」という宗教信者が存在すると言う話は
聞いたことがないし、見たコトもないけどな。
まぁそういう妄想を感じる人の私に対する批評が、マトモではないことは自明だな。
98右や左の名無し様:04/11/13 12:42:58 ID:???
>>97
ここは別に政教分離の話をするスレではなく、宗教と政治の関わりについての問題を扱うわけだろ?
公権力とマイノリティーな宗教の持つ権利との関係はまさにこのスレのストライクゾーンに入る問題だろうが。

ヒンドゥー教と神道はかなり違うと思うが。
いや、教義が似ているかどうかという問題じゃなくて、勢力の大きさの問題だよ。
例えば、ヒンドゥー教や仏教等は保護するが、神道は勢力も小さいし邪教だから禁止するなんてことが多数決で決定された時どうするの、ということ。
マイノリティーの権利を保護することは大事だと思うけどな。
それとも、自分たちは少数だが正しい宗教を信じているのだから、禁止されても隠れキリシタンみたいにやっていけば十分アドバンテージを感じてやっていけるから大丈夫だ、とでもいうのか?
99れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/13 18:04:54 ID:???
>>98
ん?人権問題なら、人権スレでやれば?
ここでやっても別に私はどうでもいいけど、私が参加する動機は持ち合わせていない。
どうぞご存分にすれ違いにならない程度にやれば?

別に勢力が少なくても、信教の自由さえ保障されていれば無問題だと思うし
「信仰の禁止」は多数決だろうと人権侵害だから出来ないでしょ。
其の程度で十分で、別に宗教的人格権まで必要だとは思わないだけで・・・。

というか、「他者が行う宗教行為で傷つけられた」と言う発想自体が、そもそも
???で、「異教徒が無駄なことをやっている」と感じても「傷つけられた」
とは感じないはずだろうよ。どういうロジックなら宗教的な【傷つけられた被害】
が発生する余地が有るわけ?

仏教徒なら、「悪人が救われるのは当然で、ましてや善人は当然救われる」とか
「悟りの道は一本ではない」はずで、異教徒ならなおさら救われるとしなければ
ならんはずの他力本願思想が、自己の信仰と違うことをする人たちに怒りそれを
止めさせようとする拘りを煩悩となぜしないのかサパーリ分からん。
基督教ならば「神道的儀式」は異教徒の無駄な行為でしかないだろう。
無論回教においても同様に考えるだろうなぁ。ヒンズー教徒はわからんが・・・。
100右や左の名無し様:04/11/13 23:42:07 ID:???
>>99
前段:人権スレなんて存在しないじゃないか。当該スレを立ててから言えつーの。
中段:その信教の自由保障をどうするかが議題でしょ。信教の自由が保障されているという前提で議論されても・・・
後段:それは、それぞれ各個人の心情の問題であって、理屈じゃない。
最後段:「無駄な行為」ではなくて、罪でしょうが。異教の神を拝むことは。
101れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/14 09:26:58 ID:???
>>100
前段:やりたい人が立てなさい。甘えるでない。最も人権板があるんだから
 そこの「スレ」でやるほうが好ましいとは思うなぁ。
中段:直接保障は人権問題。「制度的保障」はここ。
後段:個人の心情じゃなくて国からの被害じゃないの?
最終段:別に小泉と言う他人が拝んでいることが、本人の罪になるわけがない。
 というか、其れこそ個人の「実体のない心情」に過ぎないだろうよ。

と言うか回廊に突入しているから、これまで。
102Santi ◆R3KhrW2i86 :04/11/16 01:58:34 ID:???
この人(>>101)はまだ人権というものが理解できていないんだな。
人権はそもそも国家による恣意的な権力行使から市民の利益を守るために主張されるようになったもの。
そして信教の自由は、市民が宗教活動を行うことに対して国家による干渉を受けない権利なのである。
従って、信教の自由はまさにこのスレのスレタイであるところの「宗教と政治の関わり」を規律するものと考えられよう。
103右や左の名無し様:04/11/16 04:03:39 ID:???
>マイノリティの保護は、政教分離と無関係。それは、宗教的人格権とやらの、人権の問題だ罠。

この発言は凄いな、驚きを超えて感動してしまった。
104れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/16 16:19:05 ID:???
>>102
イヤ、だから、別に勝手にやればよかろうよ。
私に依存しないで・・・。
105右や左の名無し様:04/11/18 01:26:42 ID:???
>>102
ついでに質問、スレの流れからは離れるけど。
今日的な宗教と政治の関わり方の問題は、国家と個人の関係というよりも
宗教団体の内部問題に国家がどこまで関われるかだと思うんだけど。
ライフスペースしかり、「最高ですかー」のおじさんしかり、
信者は財産のみならず生命まで失っている事例があるわけでしょ。
また、オウムのように社会の安全も脅かす団体に育った事例もあるわけで・・・
だとしても、国家は事後的にしか関わる事ができないのか、
あくまで宗教団体の高度の自立性を保障すべきなのか、このへんはどう思いますか?
良識派と思われるsantiさんに聞いてみたいんだけど。
106Santi ◆R3KhrW2i86 :04/11/18 14:58:36 ID:???
>>105
私は「良識派」ではないと思いますが。多分に「独自の」主張をしているだけです。

基本的には、宗教団体の高度の自立性は維持されるべきだというのが、私のスタンス。
ただ、社会というか当該宗教団体の外部に何らかの重大な危険をその宗教団体が及
ぼすことが明白でかつそれが間近に差し迫っている場合には、その宗教団体を監視し、
当該団体が実際に行動に移す前にそういう兆候を察知した場合には、立ち入り調査し
摘発することも許されるだろう。内乱予備罪や殺人予備罪を処罰する規定があるから
ね。その限りでは、事前の取り締まりも可能でしょう。
問題となってくるのは、その宗教団体内部で行われる法令違反に対して国家がどの
ように関わることが可能であるか。先日も、ある宗教団体が「修行」と称して女性信
者に暴行を加え死なせるという事件があったようだが、このような深刻な事件に発展
するまで国家は関与できないのか。まず、信者が脱会を望んでいるにも拘らず、監禁
して帰宅することを許さないとか、更には信者の自宅にまで教団関係者がやってきて
彼を教団施設に連れ戻すために拉致するなんて場合には、国家が関わることは当然可
能だろう。限界事例になるのは、信者がその教団内に留まることを希望している(そ
して通常はかかる「修行」を行うことにも同意している)場合に、その信者に対して
「修行」などの名目で暴行がなされるなどの法令違反の疑いがある行為が行われてい
るなどといったときに国家が関われるかであろうが、このような場合には、人が死に
至る或いは重大な傷害を負うに至ることが十分に考えられるような危険な行為が行わ
れているような場合でない限り、基本的に国家は関与すべきではないと考えるべきだろ
う。教団の信教の自由そして信者個人の信教の自由及び自己決定を最大限尊重すべき
だからであります。
107右や左の名無し様:04/11/18 17:43:45 ID:???
>>106
「良識派」という言葉が適当でなかったようですが、他意はないので。
また、「自立」でなく「自律」でしたね、すいません。

個人・団体の信教の自由を保障するために、団体の自律性も高度に保障されるべきという
通説的発想は理解できるのですが、今日的にも通用するのかというのが私の問題意識です。
高度の自律性が保障された由縁は、過去の経験則に基づくものですが、
自律性が保障されていることに基づく種々の弊害も既に蓄積されているとは思うのですが、
そのような弊害に古典的な解釈だけでは・・・と思うんですよ。
信者の自己決定を尊重するとしても、団体内部での地位・環境が対当であることが
前提となると思いますが、それが宗教団体において望めるのか。
自己決定を根拠にかえって無理を強いる結果となってはいないかとも思うのですが。
108Santi ◆R3KhrW2i86 :04/11/19 00:40:06 ID:???
>>107
「良識派」のことは気にしていないので、どうぞお気になさらずに。ただ何となく
座りが悪いなあと感じただけなので。

>自己決定を根拠にかえって無理を強いる結果となってはいないかとも思うのですが。
具体的にどういう状況をお考えで?>>106でも述べたとおり、信者が望まないのに
教団側が強引に監禁したり拉致した場合には、国家は関与して刑事摘発することも可
能だと考えられるし、逆に信者がその教団内に留まることを望んでいるのに、国家が
無理に脱会させるのはやはり問題があるでしょう。信者に入信・脱会の自由が与えら
れている限り、教団と信者との関わりは自律的な教団内部の規定にできるだけ委ねる
べきだろうし。
例えば、信者が洗脳されていてカルト教団に入信しているような状況で、彼を教団
から救出したいと家族や友人などが思っているような場合に、国家が関与すべきだと
いったことなのでしょうか?
109右や左の名無し様:04/11/19 08:47:08 ID:???
>>108
私が考えている事例は、信者の決定が自由意思に基づくものか疑わしい場合と、
自由意志が認められるとしても、教団内部の規定が社会的に逸脱しているか否か
判別しがたいグレーゾーンの場合です。
前者は、自由意志は結局は内心の問題なので客観的判断がなされにくい事。
後者は、結局は事が起こってから出ないと対処できないという問題があるわけですよね。

国家権力から劣位的な団体・個人の保護することは、憲法の基本的な発想だと思いますが、
団体と個人の関係(あくまで私人の問題ではありますが)も同様な発想が今日では必要かと。
同様の問題を宗教団体ではなく、単なる法人に置き換えてみるとわかり易いと思うのですが。
110Santi ◆R3KhrW2i86 :04/11/20 01:14:46 ID:???
>>109
>信者の決定が自由意思に基づくものか疑わしい場合
 人間の意思決定において完全な彼の自由意志に基づいて決定がなされるという場合
はむしろ稀有でしょう。人間は多かれ少なかれ彼の持つ既成の価値観に基づいて意思
決定を行うのであって、そこに宗教的な教義に基づく意思決定が行われていても止む
を得ないと考えるべきだろう。
>社会的に逸脱しているか否か判別しがたいグレーゾーンの場合
 そういう場合は、まさに宗教団体の自律性に委ねるべきでしょう。例えば、国家の
法秩序に明白に違反するような内容の教義をある教団が唱えているといったような場
合には、国家がその教団に対してクレームを付けたり、更には監視の対象にしたりす
るといったことが許される場合もあるだろうが、そこまでは至らない場合で単に倫理
的・道徳的に社会の常識と異なるといったような曖昧な場合にまで、国家が口出しす
るのを許すべきではないでしょう。それを許せば、国家に宗教弾圧をするための口実
を与えることにもなりかねませんから。
>単なる法人に置き換えて
 単なる法人(例えば会社)と宗教団体を同等に扱うべきではないだろう。確かに会
社に対しては国家が積極的に関与し、場合によってはその活動を規制して、市民や社
会の利益を害さないように国家は配慮する必要があるだろうが、宗教団体はその特殊
性から会社等とは異なる一定の自律性を認める必要があると思われます。
111右や左の名無し様:04/11/21 20:04:42 ID:???
>>110
あくまで古典的な解釈を堅持すべきということですね。
私は宗教団体の自律性は究極的には個人の信教の自由の保障のためであって、
団体の利益が個人の利益に優先してはならないと思うんですよ。
確かにこのような発想は国家による過剰な監視・規制を招く恐れもありますが、
今後宗教団体に対する弾圧が行われるとすれば、個人保護を理由とするでしょう。
(個人情報保護等の法案のいわゆる隠れた意図なんかが参考になるかと。)
とすれば、政府お得意の論点摺り替えの先取りとして、個人保護の観点から
の規制について考えてみるってのもいいんではないかと思っているんですが。
再三のレスどうもです、では。
112Santi ◆R3KhrW2i86 :04/11/22 00:45:05 ID:???
>>111
>団体の利益が個人の利益に優先してはならないと思うんですよ。
 しかし、宗教団体の場合に信者個人の自由を優先させるわけには行かないでしょう。
確かに、一般市民社会における会社などの通常の団体と個人との関わりでは、団体の
利益を優先させるべきではなく個人(労働者や消費者等)の保護を図るべきでしょう。
しかし宗教団体というのはトップに教祖が君臨し教義の解釈権も彼若しくは組織内に
おいて一定以上に地位にある者が掌握しているのが通常でしょうし、それを否定すれ
ばそもそも宗教団体として成り立たないということにもなりかねないでしょう。そも
そも自立した個人が自由な立場で自由意志に基づいて行動するという近代市民社会の
構造とは相容れないものが宗教団体内部にはあったりするわけで。こういう事情を勘
案すると、宗教の存在を否定して無宗教国家を標榜するのならば話は別ですが、その
存在を容認し信教の自由を保障する限りは、信者個人に入信・脱会の自由があり、明
白に国家の法秩序に反するようなことが団体内部において行われているというような
場合でもない限りは、宗教団体の持つ自律性は最大限尊重されるべきだと思われますが。

>個人保護の観点からの規制について考えてみる
 例えばどのようなものをお考えで?個人保護といっても、その当人の意思に反して
まで行うのは自由保障と却って矛盾するでしょう。また、その「個人の意志」が彼の
真に自由な価値判断に基づいてなされた場合ではなく、宗教団体による洗脳の結果と
してなされた場合には、国家がパターナリスティックな介入をしても構わない、とい
ったように限定したとしても、その「個人の意思」が洗脳の結果であるかどうかを判
定するのは極めて困難でしょうし。
113右や左の名無し様:04/11/23 00:21:23 ID:???
>>112
うーむ、個人保護の美名の下に宗教団体が過剰な監視・監督をされないように、
国民の側から適切な個人保護を考えてみましょう、って事がいいたいんですけどね。
論争をするつもりはなく、単にsantiさんの問題意識を質問の形で聞きたかったので、
あくまで古典的な解釈を堅持するというお答えをいただければそれでオッケーなんですが。
ただ、前段って通説的な解釈からちょっと外れませんかね。
114右や左の名無し様:04/11/23 08:17:49 ID:HHvJ0ppu
大聖人直結http://nichirenscoffeehouse.net/Gohonzon/SGI-Nichikan_Gohonzon1.jpg御本尊への報恩感謝
日蓮大聖人は広宣流布と各人の一生成仏のために御本尊を顕してくださいました。そのことに深く報恩感謝申し上げ、御本尊根本の信心を誓います。
次に、大聖人の説かれた妙法を弘め、人々を正しく仏道に導くために尽力された日興(にっこう)上人・日目(にちもく)上人に報恩の心で感謝します。
115右や左の名無し様:04/11/24 12:38:54 ID:???
宗教が法人となると各種特典がある。
法人となるには教義の内容が法律に触れないかとか公正な審査がある。
教祖を信じるかどうかは個人の自由。
自由が犯されているかどうかの判断は司法機関に委ねられる。
マインドコントロールは犯罪では無いが洗脳は犯罪。
116れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/26 17:33:30 ID:???
さて・・・と、宗教的人格権の話題も誰もしないようなので、先に進むことに。

玉ぐし料の判決文は、http://page.freett.com/shikoku/tamagushi.htm である。

「憲法は、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き右のような種々の弊害を生じたこと
にかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、更にその保障を一層確実な
ものとするため、政教分離規定を設けるに至ったのである。
元来、我が国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであ
って、このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由
を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結び付きをも排除するため、
政教分離規定を設ける必要性が大であった。」

と政教分離規定の必要性を述べている。前スレでも言ったが、ここを検討しなくてはなら
ない。
「元来、我が国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであ
って、」とはいかなる事象を表現しているかと言えば「多元的である」「重層的である」か
らして、「いくつもの宗教宗派がある」ということ以外に「重層的」つまり一人あるいは
一つの家族が、時に仏式の葬式を行い時に神式の儀式を行い・・・と言うような事象をさして
いるのであろう。で、「このような宗教事情においては」信教の自由の無条件保証では足り
ない・・・国と宗教のいかなる結びつきも排除する必要がある・・・と言う意味はどのあた
りにあるかという考察である。

117れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/26 17:44:01 ID:???
いくつ者宗教宗派が混在すると言う社会において望まれる政教分離の形式と言うのは
「国教の禁止」であると、直接的に導かれるものである。
つまり「国教」とはその国の人々の大多数が信仰している宗教で、かつ国のアイデン
ティティに直結しているものであろうから、多元的な宗教事情の国において、国教禁止
は当然至極であることは、言うまでもなく自明であろう。

で、そこに重層的という要素が加わると、国教の禁止より「ロジック的には」厳しい
「国と宗教のいかなる結びつきをも排除する」という必要性が、どうやって導かれるの
だろうか・・・という疑問が有る。
重層的な状況と言うのは、言い方を変えれば「特段に宗教的なこだわりが薄い」という
ことである。仏教徒が神社でお参りをすることは宗教的なロジックから言えばありえな
いわけで、その意味で「信者性が薄い」というか「厳しい戒律を遵守する傾向が薄い」
と言うことができるわけで、にもかかわらず、ロジック的に厳しい政教分離が必要で
あると、この判決は導いているものである。

はっきりいうとここは飛躍ではあろう。
推論するに「あまり、厳しい宗教的検討をなさずに、宗教的儀式に参加する傾向がある
から、逆に、厳しく政教分離をしないと誘導されやすいだろう。」というロジック
なのかなぁ?と思える程度である。
118れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/26 18:01:07 ID:???
しかしながら、個人の人権が無制限に保障される中で、国民の意思によって
行われる「必要性のある儀式」が、誘導を、図らずも伴ったからと言って、
其れが禁止されなければならないのか・・・と言えば疑問である。

また逆に、現代の政教分離の目的効果説は「宗教的でない」という判断・・・
其れは本来国や司法が判断することではなく、個人の内心によるものであるはずで
あるが・・・を、国が目的と効果によって判断し、最終的には司法が其れを確認する
という、いささか逆の方向性が出てくるのである。
つまり、そもそも国家神道は「世俗的で宗教とまでは呼べない代物」であった儀礼
様式を定めたものであり、それがのちに国体の本義などで「現人神」などの概念に
より曲がっていったものであって、そういう「世俗的であって非宗教である」という
確定は、結果的に「第二の悪しき国家神道」を生み出すことにならないのか、という
疑念がある。

無論、国家としての儀礼は必要で、儀式は何がしかの序列を内包するから、宗教的で
あることは間違いない。また儀式は恒久化する傾向にもある。恒久化すると言う事は
より宗教的になっていくと言うことである。なぜならそこに、継続しなければならな
いと言う意識が強化され、儀式形態の意義が付加されつづけるからである。

繰り返すが、政治と宗教においてもっとも軽快しなければならないことは「固定化」
である。宗教とは固定化であるといって差し支えないではないか。
仏教界・基督教界の協力も得て、靖国にも仏教界の儀式にも基督教界の儀式にも参加
すると言う形式で、戦没者等に儀礼を捧げる形式のほうが「固定化」を避けられると
私は思う次第である。
119リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/26 18:48:08 ID:???
>無論、国家としての儀礼は必要で、儀式は何がしかの序列を内包するから、宗教的で
>あることは間違いない。

慣例と信仰を混同している。
 デュルケムによると、あらゆる宗教思想に共通する基本要素は「聖と俗」の分離である。
つまり、世界は「聖」(sacre')と「俗」(profane) というふたつの領域からなると考えられているという。
当然「聖」に宗教の本質がある。そして「聖」とは社会の象徴的表現だというのが、デュルケムの主張だった。
つまり宗教とは、ある「聖なるもの」に関連した信念と実践のシステムであって、
それを支持する人びとを単一の共同体へと統合するものだとした。
ttp://archive.honya.co.jp/contents/knomura/lec/lec59.html
120右や左の名無し様:04/11/27 01:45:58 ID:???
>>116 そのリンクは見られないようだが。
121れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/27 10:15:24 ID:???
>>119
其れは政治技術的な分別であって、本質的ではない。

そう考える人もいるだろうね・・・以上でも以下でもない。
122リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/27 16:12:11 ID:???
>>120
失礼

一方、フランスの社会学者デュルケムは、宗教現象の原点を「聖」つまり「聖なるもの」においている。

 デュルケムによると、あらゆる宗教思想に共通する基本要素は「聖と俗」の分離である。
つまり、世界は「聖」(sacre)と「俗」(profane)というふたつの領域からなると考えられているという。
当然「聖」に宗教の本質がある。そして「聖」とは社会の象徴的表現だというのが、デュルケムの主張だった。
つまり宗教とは、ある「聖なるもの」に関連した信念と実践の体系であって、
それを支持する人びとを単一の共同体へと統合するものだとした。

 ここでいう「聖なるもの」は、たとえば、特定の山であったり、人体の一部であったり、
ある動物であったり、ことばであったり、あらゆるものが「聖なるもの」たりうる。
ひとたびなにかが「聖なるもの」になると、今度はすべてのことがらがそこから説明され理由づけされる。
これが宗教だというのである。
つまり、人間が経験したことや行為したことについて「これはいったいどういうことなのだ」という疑問に対する
社会サイドの解答が宗教なのである▼3。
つまり宗教は「究極的意味」を人間たちにあたえてくれるのだ。

 この考え方によると、社会主義ですら一種の宗教ということになるし、
また、たんに「宗教は社会現象である」ばかりか「社会は宗教現象である」とまでいえてしまう。
そういう意味で非常にラディカルな考え方であって、このあたりが現代社会学で再評価されているゆえんだろう。
ttp://www.socius.jp/lec/17.html
123れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/28 12:55:39 ID:???
だから、社会学においてそのように分別し得ると言う以上の
なにもでもないわけで、慣例と信仰を混同しているのではなく

「社会学的把握」と「法律的把握」をあなたが混同しているのである。

というか宗教とは何かと言う定義が様々ある中で
「 一般的には、超人間的及び超自然的な聖なる世界を想起し、それら人生観
世界観を、信仰し、それを中核とした象徴的な体系を指していうのであろうか。」
というパートUNo.9の保守考氏の定義を、私は支持するけどね。で
宗教とは世俗から生まれたものであると言う事実を確認するなら、宗教を「聖と俗」
に分ける試みが、社会秩序構築の中で失敗に終わるのは、自明だろうよ。

というか宗教であるとか、宗教でないというのは各個人の心の中にあるわけで
多様でしょう。何らかの価値序列があれば「宗教的」と感じる人間はいるわけで
儀式儀礼は、少なからず「誰かにとって」宗教的では有ろうよ。
社会学なり法学において「宗教と非宗教を分別する」ということ自体が、問題があ
るわけで、そこについて記述しているわけだが・・・。



124リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/28 14:07:22 ID:???
>>123
> というか宗教であるとか、宗教でないというのは各個人の心の中にあるわけで
だからこそ。

>無論、国家としての儀礼は必要で、儀式は何がしかの序列を内包するから、宗教的で
>あることは間違いない。また儀式は恒久化する傾向にもある。恒久化すると言う事は
>より宗教的になっていくと言うことである。
とはなっても其れが宗教として確立する事は無いってこと。
また、国家としての儀礼が宗教性を帯びていると非難されたとしても
あくまで政教分離であり断絶では無い。
125れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/28 17:52:50 ID:???
>>124
私は宗教的であるとしか言っていないわけで、貴殿の脳内の「宗教としての確立」
など考慮する必要はない罠。
別に政教分離は「宗教として確立された其れ」に限定するものではないのだから・・・。
126リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/29 02:51:00 ID:???
>>125
>別に政教分離は「宗教として確立された其れ」に限定するものではないのだから・・・。
そうでなくても国と宗教のいかなる「結びつき」も排除する必要がある・・・という政教分離では無い訳で
儀式は何がしかの序列を内包するから、宗教的であることは間違いないが
それは只の慣例であり個人の心の中の問題であり別に国と宗教が結びついている訳ではない。
これ以上の国と宗教性の関係の排除は政教断絶。
127れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/29 11:42:51 ID:???
>>126
それは「宗教として確立されていなければ」というロジックでは、だめジャン。
それじゃ政教分離は「宗教として確立されたモノ・・・つまり団体」と政治の
結びつきの排除と言うことになり「私学補助」が出来なくなるでしょうよ。

国と宗教性の関係の排除は政教断絶という貴殿の主張に異論はないが、それを
「宗教として確立しているか」の基準で排除しようとすることが論理的に整合
性を有しない。」ということだよ。君、政教分離に議論にも向いていないんじ
ゃないの?
128リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/29 18:40:40 ID:???
>>127
憲法第19条(思想・良心の自由)
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
儀式は何がしかの序列を内包するから、宗教的に見えるが只の慣例。
個人の心の中の問題は国と宗教が結びついている訳ではない。
又、国家としての儀礼を守る事を信仰する宗教団体がいても
それが国家としての儀礼を通して国政に関する権限を持つ訳では無い。

第20条(信教の自由、政教分離)
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
129れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/30 10:31:23 ID:???
>>128
まぁもう少し判決判例をよく読むことから始めなさいな。
130右や左の名無し様:04/12/01 23:59:00 ID:???
この書き込みはこちらにも貼っておく必要があるな。

492 :右や左の名無し様 :04/11/29 22:34:30 ID:???
一つの学説として、宇宙は最初は存在せず、時間も空間も物質も全くない「無の状態
」にあったものがトンネル効果と呼ばれる現象によってあるとき突然出現したという
理論が発表されています。これは漠然と文学的・哲学的にそういう空想を述べたもの
ではなく、現在人類が知るもっとも精密な理論である相対性理論と量子力学を結びつ
けた理論でありまして、無から誕生したばかりの宇宙のサイズを具体的に計算し、そ
の後の時間発展を数式で明らかにしたのです。このような領域になりますと、科学は
宗教と共通した様相を呈してきます。とくに宇宙が無から創生されたことが本当だと
しますと聖書の創造説と大変似てくるわけです。
http://www1.ocn.ne.jp/~inri/souzou.htm
131れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/02 17:48:13 ID:???
コピペに反応するのもなんだが、
その
>現在人類が知るもっとも精密な理論である相対性理論と量子力学を結びつ
>けた理論でありまして
というのは違うわけで、
http://www.kek.jp/kids/class/cosmos/bigbang.html
でかかれている通り、ビックバンに相対性理論は適用されない。
「 まず、アインシュタインの一般相対論で言う時空の概念が適用できるの
は、ビッグバンから、時刻 10-44秒後、温度10+32度以降のこと」なわけですなぁ。
というか、星の赤色偏光から相対性理論を使って、ビックバンの時期を推定する
ということは当然あるわけだが、「無の状態から生まれた」ことは、相対性論理で
は説明がつかない・・・というより「アインシュタインが最も嫌った確率論」でな
いと説明不能なわけだ。

で、現代ではトンネル効果により物質が出現したのではなく「確率の揺らぎ」から
ビックバンが起きたと考えることが一般であり、「無」は「様々なものがプラスマ
イナスでつりあっているからプラスしか感知できない我々にとっての無」に過ぎな
いとされている。

で、そこここで確率論的な決定がされているところから、曼荼羅あるいは多神教の
イメージが強い。唯一神であるクリエーターの神の一撃は、ビックバンでも否定さ
れてしまった。
どうもナザレの大工の息子より、釈迦族の王子のほうが、宇宙に関する思索は
的確かもしれないなぁ。
132右や左の名無し様:04/12/02 22:27:15 ID:???
おりは、2chに巣食っている得体の知れないコテのいうことよりも、大阪大学教授のいう事に一票入れるね。
「学者に権威があるのは当然のことだろ」ってか。誰か言っていたよな。
133右や左の名無し様:04/12/02 23:47:19 ID:???
>>131
>で、そこここで確率論的な決定がされているところから、曼荼羅あるいは多神教の
>イメージが強い。
この最後の結論部分がそれまでの部分と論理的に繋がらないから、単なる妄想であると評価できる。
134れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/03 09:54:14 ID:???
>>132-133
何度も紹介しているが「物理学と神」という本の受け売りだから。

http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001503.html
135右や左の名無し様:04/12/03 23:00:25 ID:DC8aCNdt
136れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/04 10:44:13 ID:???
少し「神とは何ぞや」という話を・・・。ホトンドは>>134に書いてある本の受け売りに
私の勝手な解釈を付け加えたものだが・・・。

「何らかの影響を直接現実社会に与える、超越的な存在」というイメージを「神」と
とりあえずしておこう。
無論、人心も現実社会に存在するわけだが、人心に影響を与えるだけなら、現実社会に
おいて「直接」は影響はないわけだから、ムハンマドやキリストや釈迦は神ではない
としておく。

しかしながらには現実社会は法則がある。重力に逆らうことは出来ないし、光は一定の
速度があり、化学反応は有り・・・。法則とは一般化され、誰にも何処においてでも
適用されるものである。この法則を神が創ったと考えることは誤りのようだ。
この法則の由来は、ビッグバンの規模にあるわけで、ビッグバンの規模が芳醇な無の確
率的揺らぎを契機として決定されてしまった以上、そこに神を感じることは出来ない。
確率的揺らぎこそ神であるとするなら、ありとあらゆる三つ以上の物体が相互に関係す
る運動は確率論的揺らぎが介在しているから、八百万の神々を納得するしかない。
完成された(とはいえ拡大しつづけているが)宇宙の姿こそ神であると考えると、
宇宙は入れ子構造になっており、その入れ子の構造の姿こそ曼荼羅と一致する。
いずれにしても、一神教は出番がないのである。

考えてみれば、「超越的と思える事象」は「有り難い(確率的に希少)事象」である。
137れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/04 11:02:37 ID:???
つづき

つまり、神の意識として重要な「奇跡」とは確率的に希少なことの総称
であり「有り難くも、カシコキ事象である」と考えるしかない。
少なくとも「未だに神が一般法則に介在した証拠、あるいは形跡」は発見
されていないわけで、物理学者の神の介在の証拠を求めるための、「奇跡とも
思える事象に関する科学的検証=神の介在でないことの実証=実証不可能である
という結論を得る事での神の存在証明」は続けられるのであろう。

結局、神とは「人心に影響するもの」であるとしなければならず、つまり、
「超越的な何かの確信」をもとに「人心に影響を与えるもの」が「維持され、広め
ようとする振る舞いを行う体系として存在するもの」が宗教であろう。
一言で言えば、宗教とは「超越を意識して人の振る舞いに影響する思想的体系」で
あるということである。
138右や左の名無し様:04/12/04 21:50:18 ID:???
極めて偏向した書物の内容に妄想と個人的願望を加えたものを垂れ流されてもどうしようもないのだが。
チラシの裏にでも書いとけば?
139右や左の名無し様:04/12/04 22:11:09 ID:???
どう中立的に考えても、れの戯言よりも↓の方が説得力があるよな。

492 :右や左の名無し様 :04/11/29 22:34:30 ID:???
一つの学説として、宇宙は最初は存在せず、時間も空間も物質も全くない「無の状態
」にあったものがトンネル効果と呼ばれる現象によってあるとき突然出現したという
理論が発表されています。これは漠然と文学的・哲学的にそういう空想を述べたもの
ではなく、現在人類が知るもっとも精密な理論である相対性理論と量子力学を結びつ
けた理論でありまして、無から誕生したばかりの宇宙のサイズを具体的に計算し、そ
の後の時間発展を数式で明らかにしたのです。このような領域になりますと、科学は
宗教と共通した様相を呈してきます。とくに宇宙が無から創生されたことが本当だと
しますと聖書の創造説と大変似てくるわけです。
http://www1.ocn.ne.jp/~inri/souzou.htm
140れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/05 09:43:29 ID:???
トンネル効果って・・・。そうすると無の状態じゃないジャン。
時間も空間も物質も全くない「無の状態」・・・て言っているのに。

トンネル効果というのは、そもそも存在する粒子の波としての性質が
粒子としての性質からすればエネルギー的に限界があるはずの場所を
超える場合があり、それを言うのだから・・・。
141れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/05 13:52:58 ID:???
ついでにビッグバンと聖書の創造説

【聖書】
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
以下略

天地が創造されるはるか以前に光は有った訳で・・・。
ビッグバンから10万年後に、陽子と電子は結合して中性の水素原子を形成し、
宇宙は光に対して透明になったわけで、その後に第一世代の星が誕生するシナリオ
が認知されているのであるから、天地の前に光ありはある。
ビッグバンは、聖書を否定することになる。
142れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/05 17:56:00 ID:LPL+ZKpC
つづき
まぁ、天地を創造し、天地に光をもたららした記述であるという反論もあろうが
「初めに」天地を作られたのなら、すでにビッグバンは終わっているのである。

この場合、「初め」が神にとって・・・なら、ビッグバンはそれ以前なのだから
地球の領域にしか神はいないということになる。

「地球にとって初めて」であって、神にとって「初めてではない」という意味で
あるなら、、聖書のこの記述は「無から勇を生じさせたという記録」にはあたらな
いということになる。

いずれにしても「宇宙が無から創生されたことが本当だとしますと聖書の創造説と
大変似てくるわけです。」は全くの間違いで「聖書の創造説と全然似ていない」こ
とは間違いなかろう。



143右や左の名無し様:04/12/05 21:59:14 ID:???
こいつは一体何をそんなに必死になっているんだ?
そこまでして>>139の内容を否定したいのか?
思い込みもここまでくると一種の「宗教」だな。
144大日本報靖會 ◆lZCvso1D7U :04/12/05 22:07:04 ID:???
もともと政治なんて宗教から生まれたものだ。
つまり政治は宗教の一種なのだから、「政教分離」なんて
机上の空論だ。
145右や左の名無し様:04/12/05 22:53:54 ID:???
>>143
まあ、そういう面はあるだろうな。
現代の物理学といえども所詮は人間が作り出したもの。
どんなに実証的なデータに基づいた理論だといったところで、それらを統合し組織化させるのは人間の知性に拠らざるを得ない。
人間の知性という極めて限られた乏しい英知で分かっていることというのは神の次元から言えば、高が知れているだろう。
その程度のものに過ぎない現代の物理学で得られた宇宙に関する知識が仮に多神教的な世界観に近いものだとするならば、そのことはむしろ多神教がまさに人間が作り出したものに過ぎないのだということを示していると見ることができよう。
賢明な科学者であれば、現代の科学的知識というものは依然発展途上にあり、今後更なる研究を必要としているのであるから、現在の研究成果を以って「宇宙の真理が分かった」などという愚かな発想はしないだろう。
そういう発想をするのは現代の科学的研究成果を自分の信仰内容と何とかこじつけて結び付けようとする輩だと認定してよいのでは。
オウムはまさにそういう集団だったわけだし。
146右や左の名無し様:04/12/05 23:08:27 ID:???
>>145
なるほど、胸のつかえが降りた気がするよ。サンクス。
現代の科学で全てを判断するのは間違いってことだよね?
考えてみりゃ当然で、宇宙の起源なんてことはまだ分からないことだらけなんだろうね。
物理学の研究成果でわかっていることの更にその上に真理が存在する可能性もあるわけじゃん。
147右や左の名無し様:04/12/05 23:52:46 ID:???
>>146
そういうこと。
>>139のような学説もあるぐらいだから、現代の物理学が想定する宇宙が多神教的かどうかですら争いがあるわけだ。
もし仮にそれが正しいとしても、人間が観測可能な範囲での話で、神の領域は更にその上にあって人間には観測不可能なのかもしれないし。
148右や左の名無し様:04/12/06 02:12:54 ID:???
>>142
「天地を創造された」ということで、全宇宙の創造とその後の地球の創造について述べているのだろう。
「光」は「昼」と呼ぶとしているわけだから、明らかに地球についてのことだろう。
ビッグバンとは何の関係もないのでは?
149右や左の名無し様:04/12/07 07:54:56 ID:/OWAhSJx
150右や左の名無し様:04/12/07 08:21:28 ID:60WM1TKy
>141
あのさ、ヘブライズムでは最初にまず結論を述べて、改めて物語りを
綴るということをするだよね。だから、天地創造と光の創造を時系列
に記しているととる必要はないんですよ。

それに「天と地」というのも、ヘブライで「全部」っていう表現。

151れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/07 09:45:07 ID:???
>>150
>それに「天と地」というのも、ヘブライで「全部」っていう表現。
としても
 初めに、神は天地(全部)を創造された。
 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
なんだから、地より、水よりも光のほうが時系列的に遅い誕生でしょう。

で、無論そういうご都合的解釈(時系列無視)を取らないと、創世記 1:1-23と
創世記 2:4b-22aの時系列的矛盾さえ解決できない。(佐倉さんのHP)

動植物と人間の創造の順序も、そういうことになるのかな?そうすると、人間中心
主義さえ崩れるんじゃないかと危惧するんだけど・・・。
152右や左の名無し様:04/12/07 10:33:50 ID:???
あのね、聖書を文言どおり厳密に解釈するのは「原理主義」といってキリスト教の中のほんの一部の勢力に過ぎないの。
とりわけ旧約はEpicとしての性質が強いし。
しかし何だその「佐倉さんのHP」というのは?
そんな聖書の内容を誹謗中傷するためのサイトがあるのか?
異教徒からはほとんど相手にされていない「記紀」などと違って、聖書は異教徒にとってはどうしても否定したくなるような余りにも偉大な書物なんだなあ。
153れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/07 11:42:34 ID:???
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/index.html
のことだよ。元信者らしい。

物理学的把握と聖書が違うといっているわけで、違っているからどうとも
言っていない。しかし基督教徒は「いわゆる解釈」は別として、
「聖書にかかれていることが真実である」と確信することが「基本原則」
であり、解釈的に「厳密であるかどうか」が原理主義者と一般信者の
違いだろう。

時系列としての矛盾を放置して、いったい何を「天地創造」の真実だと
一般的な基督教徒は確信しているのか、興味はあるわけだが、貴殿は
答えてくれるのか?
154右や左の名無し様:04/12/07 15:07:35 ID:???
神が転地を創造したということ
ソレハソレデ結構だが、神はいったい何によって
また何のために創られたのだ。
混沌があったというが、混沌は何時何処からやってきたのだろう。
神と混沌は何れが先に存在したのだろう。
神もまた混沌の一部ではないのか。
神が先に存在し、ものの弾みで混沌に出会い
混沌から天地を創造したというのは実に阿呆らしい考え方だ。
天地は神の暇潰しのための手遊びに過ぎないもので
何の意味も無い存在だ。
創造するのは勝手だが何一つ管理が出来ていない。
神ってのは完全な無能者だな。
神も混沌の一部なら、天地の創造は神の勝手な
自己宣伝であって、天地の管理者では無い訳だ。
管理者でも無く、その能力も無い癖にデカイ面をし過ぎると思うぞ。
神を崇め讃える人間というのも神と同じく無意味な
泡沫の存在だな。泡沫は泡沫らしく
適当に漂っているだけで十分ではないか。
155右や左の名無し様:04/12/08 02:40:40 ID:17mlB4Wy
“思考停止”という言葉を流行らしたのは創価学会だよね。
功徳と仏罰:紙切れに向かって唱題すると非科学的な奇跡が起きて願いが叶ったりするという
考え方.つまり,破門されたカルト教団がコピーした偽造本尊を拝むことによって,超自然的な
御利益があると考える。世の中が悪いのは誰々のせいと言い募りその悪人さえいなくなれば
世の中は良くなるという勧善懲悪。この仏罰妄想の前には現状分析など跡形もなく吹っ飛ぶ。
たとえば,何か不可解なことが起るたびに「これは本尊の功徳に違いない」などと考える
ことがそうなのであるが,これは一種の思考停止である.分からないことがあればなんでも
信仰のせいにすると,複雑な物事を簡単に説明できるから便利で、心理的にも安定する。
そうすることで分かることも永遠に分からなくなる。知性・教養が乏しいくせに、世の動きに
ついていっぱしの意見を言ってみたい生意気な連中が創価学会員の主体。
この連中はレッテル貼るのが得意なだけ。
156右や左の名無し様:04/12/08 03:09:15 ID:???
>>151
だから、「光」というのは「昼」のことなんだろ?
だったら地球ができてから後に決まっているじゃないか。
宇宙空間には「昼」とか「夜」なんてものは存在しないからな。

それと、「人間中心主義」の根拠は創世記1.28の「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」という文言だろうが。
別に前後関係は関係ないだろう。
157れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/08 17:10:04 ID:???
>>156
前段は、私がそうだといっているわけで、私がそうだといっていることを、
そういわれても、「輪つぃはそう思っているし書いている」としか言いようが
ないわな。(>>130がおかしいと私は言っていて、あなたは>>130がおかし
いといっているわけだが、一致していないのか?)

後段:矛盾しなければ、別にかまわん。

時系列としての矛盾を放置して、いったい何を「天地創造」の真実だと
一般的な基督教徒は確信しているのか、興味はあるわけだが、貴殿は
答えてくれるのか?

158右や左の名無し様:04/12/13 02:35:39 ID:???
誰がどう読んでも、>>130に書いてあることは妥当で、れの言っていることが的外れであることは明らかなのだが。
159れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/13 10:05:51 ID:???
まぁ、詭弁の代表だな。「誰がどう読んでも」・・・。
160或る右や左の名無し様:04/12/15 01:15:57 ID:???
活発な議論は終わってしまったようですな。

しかし、件の地裁判決のインパクトも小泉首相のゴリ押しで薄れた感がありますな。
靖国が国内問題でないとの認識が国民世論として高まったなら、
司法はどういう態度をとるんでしょうねえ・・・
161れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/15 09:44:58 ID:???
いや、民意に左右されず法律のみを根拠に判断するのが司法であるべきで
社会状況とか国民の意識は「事実認定」としては考慮されますが、それに
よって司法が「態度」を変化させたらダメでしょ。変化することがあると
考えること自体が、
司法を政治的な目的で利用しようとする「件の原告」や「件の判事」の
マインドと一致していますな。
162右や左の名無し様:04/12/17 02:46:49 ID:???
神道って、身内に不幸があった人を「穢れている」として「神域」内への立ち入りを拒むんでしょ。
そういう人たちこそ、宗教の助けを必要としているのにね。
やっぱり神道って人々の役に立たない宗教なんだね。
163右や左の名無し様:04/12/17 12:17:53 ID:???
>>162
だから、神道は所詮政府の御用宗教に過ぎないっていっているじゃん。
人生の悩みに苦悩する個人を助けるなんて発想はもともと神道にはないんだから。
てか、「個人」という概念自体が神道には存在しないし。
神道に期待しちゃダメっしょ。
164れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/17 12:41:24 ID:???
>>162
というか、穢れは祓える訳で、穢れを払う所作は神道でしょうな。
神域が公共の場である以上、其の公共性を維持するために忌避は存在する。
貴殿の結婚式に、葬式から直行した人がいたら、何らかの所作で其のことを
断ち切る振る舞いを要求するでしょ。
逆にそういう公共性を考えないんだったら、それはそれで、「人々」のことを
考えない宗教だ罠。
165右や左の名無し様:04/12/20 04:32:08 ID:???
>>164
>断ち切る振る舞いを要求するでしょ。
そういう神道的・日本的な発想が不当だと言っているのに、その発想が正当だという前提で反論されても全然有効な反論とはなってはいないんだけど。
自分の大切な人の冥福を祈るために葬儀に参列したら「穢れる」ってどういうこと?といっているのであるから。
そういう発想は故人に対して余りにも無礼だし、個人を重んじずむしろ君が言うように「公共性」をやたらに重視しすぎる発想だ罠。
そんな宗教はやはり現代では無用の長物では?というか、反社会的ですらあるだろ。

因みに俺が結婚式をするときには、祝福さえしてくれるのならば、葬式から直行でやってきた人でも、死刑執行をまさに行った直後の刑務官でさえも歓迎だがな。
166或る右や左の名無し様 :04/12/20 10:15:47 ID:???
>>161
レス内容には概ね賛成といったとこだけど(司法の二面性ってご存じ?)。
しかし、あれだけ「民意」を強調されてたあなたが・・・


167れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/21 10:35:26 ID:???
>>165
宗教を「不当だと」行っている時点で、其れは単なる感情だから、感情に
反論しても「有効な反論」にならないだろう。貴殿の感情でしかないなら、
有効かどうかは貴殿の感情による判断なんだから。

で、科学が発達した現代で、貴殿が其の最終行のように言えるということは
科学が未発達な社会においては、単純に科学を信仰しているからとしか
評価されないわけで、では科学は万能ですべてを明らかにしているかどうか
といえば違うのだから、各自が信じるように行動し、其れは各自の自己責任だ
罠。しかしながら、公共の場である神域においては、他者を巻き込むのだから
「公共の場での振る舞い、所作の作法」は、必要だろうよ。

貴殿が結婚式に誰が着てもかまわないと思うのはかってだが、婚姻相手や其の
両親・親族、あるいは参加する友人知人仕事仲間などを考慮しても尚、彼らに
おいての何かしらの不安を、貴殿の科学信仰が万全に説得できるわけもないだ
ろうよ。

地鎮祭を執り行うことは非常に多くあるわけで、それは住宅建築に多くの人が
関わり、其のすべての安全を祈願すればこそ、施主は行なうわけでしょ。
168リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/12/25 14:21:23 ID:???
>>165
>そういう発想は故人に対して余りにも無礼だし、個人を重んじずむしろ君が言うように「公共性」をやたらに重視しすぎる発想だ罠。
>そんな宗教はやはり現代では無用の長物では?というか、反社会的ですらあるだろ。

笑った

公共=社会

だよ

信仰とは例えば稲作の場合不手際で枯らしてしまても稲の生育過程を経験的な前提として知っていれば
自業自得と言う事で納得可能だけど
稲刈り前の嵐や干ばつ、病害虫の発生は納得不能な、経験的前提を欠いたものとして現れる。
前提を欠いた偶発性は不作の精神的ショックを収拾不能にしてしまい
今まで一生懸命働き経験値を高める事に豊作と言う形で意味を見い出していたのに
自然の脅威の前では意味がないという形で精神を不安定にする。
そういった偶発性を祟りや天罰や神が定めた事といった形で受け入れ可能なものに意味加工し
それに合意して信頼した様な気になった上で祈祷やお祈りやお供えと言う形で
精神を安定化させる社会的装置が宗教であり信仰。
こういったものは近代化による暗闇や天災に対する恐怖が減少した事によって消滅し
現代では慣習として残っているだけだけどやっぱり予想外の悲劇とか恐いでしょ。
その恐怖を「穢れ」と表現したのが日本の文化。

まあ、気休めを非科学的だとか差別だとか批判してもしょうもないんじゃないの?
169れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/25 15:36:23 ID:???
まぁ、相当に違う罠。w
170リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/12/25 16:07:10 ID:???
まあ
>精神を安定化させる社会的装置が宗教であり信仰
ではなく
宗教や信仰の社会的装置としての役割の一つだな。
171れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/25 16:46:41 ID:???
>>170
穢れではないし・・・。
で、元々わが国の宗教は、現代的な意味での宗教でもないし信仰でもない。
世俗の日常を送る上での、必要な振る舞い所作様式であり、蓄積された知的情報
に関する説明という側面が重要なんだよ。
まぁ「酒造」を想像すると分かるんだが、未だに解明されていない細菌類の振る
舞いを利用しての酒造は、其の所作・身なり・身体や道具や原料の清めは、マニ
ュアルとも言うべきもので「精神領域」の問題ではない罠。
172右や左の名無し様:04/12/26 02:04:16 ID:???
人の死後に霊なる存在が残留する。
祈りを通じて生者の意志を霊に伝達することができる。
死者の霊は名簿を納めた施設を中心としてこの世に止まる。

このような要素は、「世俗の日常を送る上での、必要な振る舞い所作様式」としては全く
関係ないな。「蓄積された知的情報に関する説明」でもない。

まんま宗教だわな。
173右や左の名無し様:04/12/26 11:26:43 ID:???
>>171
>で、元々わが国の宗教は、現代的な意味での宗教でもないし信仰でもない。
>世俗の日常を送る上での、必要な振る舞い所作様式であり、蓄積された知的情報
>に関する説明という側面が重要なんだよ。

>>168
>こういったものは近代化による暗闇や天災に対する恐怖が減少した事によって消滅し
>現代では慣習として残っているだけだけどやっぱり予想外の悲劇とか恐いでしょ。
174れ ◆r0FmiN9ADk :04/12/26 11:40:43 ID:???
>>172-173
「で、【 元 々 】わが国の宗教は」・・・と書いている。

元々の状況に関する把握が間違っている、と指摘をしている。
現代的には宗教であるし、精神領域の問題に決まっている。
175右や左の名無し様:04/12/29 04:22:21 ID:???
>>167
はあ?「感情論」もダメだし、科学的にモノを考えるのもダメ?なんじゃそりゃ?要するにとにかく神道を批判するなということね。
どうも最近「感情論だー」と言えば何でも議論が回避できると思い込んでいる人がいるようだが、それは議論から逃げているとしか見えないよ。

>貴殿が結婚式に誰が着てもかまわないと思うのはかってだが
だから、俺の意見を書いたまでだが、何か?
もちろん俺は独裁者じゃないから、他の人と話し合って最終的には決めるがね。
ただそういう迷信は不合理だと言っているだけ。
いや、科学的に不合理だということだけじゃなくて無礼だよな。
自分の親しい人の葬式に参列したら「穢れる」だの「結婚式に来るな」だのいう宗教は。
現在は「個人」というものを重んじる「社会」なわけ、分かる?
君が言うような「公共性」が「個人」よりも優越するとは捉えない「社会」なわけさ。
その辺がわかっていない香具師が多すぎるんだよね。
176右や左の名無し様:05/01/03 00:32:27 ID:???
神道の神というのは人殺しをする神だよな。
もちろん靖国に神として祀られている戦犯のこともそうだが、それ以上に神道は自然崇拝だそうだからな。
今回のインド洋の災害の例を挙げるまでも無く、自然ほど人を殺すものはないからな。
そんな自然を神として崇拝する神道は悪魔崇拝にも近いといってもいいだろ。
177右や左の名無し様:05/01/05 12:33:59 ID:???
>>176
神道の神は基本的に叩神だよね。
178れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/05 12:43:27 ID:???
>>175
はぁ?不当という言葉の意味を知らないだけかと。

で、貴殿がどう考えて結婚式をやるかは自由だよ。好きにしなさいな。
私の言っていることは、結婚式にしても神社という公的領域にしても
多くの人が集う場所において、様々な考え方があるわけで、そういう人たち
を貴殿は考慮していないということ。
様々な考え方がある。だから公的領域においては常識的な振舞い方という
ものがある。個人領域において何をしようが其れは自由ですよ。
あなたは自分の結婚式を自分の私的領域と捉え、経験のある私は、私と妻の
結婚式は、双方の親族や友人などを包括する公的領域と捉えているだけ。

そもそも、社会に対して婚姻を公表しお祝いを受ける儀式である結婚式が
個人を優先する社会においてなぜ必要なのよ。祝ってほしい人がいるなら
個人として家庭に招けば済むことジャン。其れをなぜ結婚式(披露宴)という
形式にするの?社会に対する何らかの意思の発信がそこにはあるんだろうよ。
個人と社会の関係性というのは、個人の価値観に帰結しないべさ。
179れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/05 14:11:51 ID:???
>>176
アフォやね、其の論法ではその「自然自体」を創造した「神」が最も人を殺していること
になる罠。
180右や左の名無し様:05/01/05 22:53:07 ID:54Eb9DAL
>>179
それだと、自然を想像した「神」を信仰している香具師に対してしか有効な反論にはならねえな。
181右や左の名無し様:05/01/05 23:09:53 ID:???
一般人が結婚式に招待するのは個人的な縁故がある者。
全くない者は招かないし、招かれないもの。
こうした者に対する意思表示=結婚式が、社会に対する意思表示かねえ。
ちと実態から乖離しているよーな気がするなあ。

社会に対する意思表示は、婚姻届が担っている役割ではないかねえ。
182右や左の名無し様:05/01/06 04:48:14 ID:???
神を侮辱した者が惨たらしく死に地獄に墜ちますように
( ̄人 ̄)
183右や左の名無し様:05/01/06 05:57:22 ID:???
日本に宗教的文化が薄いのはサムライ中心の時代があったからだろ?
信長は延暦寺焼き討ちとかを散々やって、宗教権力者を極端に弾圧してたしなw
日本の文化は「宗教」というものに縛られない非常に良い文化だなw
毎日何回もどっか向いてしゃがんだり、断食だの、肌を見せないだのなんてやってらんないっつーの・・・^^;
184れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/06 09:34:34 ID:???
>>181
おいおい、社会とは「個人的な縁故がある他人」および集団の総称と概念するの
が普通だろう。
185れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/06 09:42:01 ID:???
>>183
日本の場合は「宗教」じゃなくて「信心」である。宗教という概念は明治以降である。
なお、信長の宗教権力者の弾圧は、武装した権力者であったからこその弾圧であり
宗教であるが故の弾圧ではない。
日本人が最も間違えやすい部分である。当時弾圧された宗教団体は、武装し、勝手に
関所を作って通行料を取り、領地を持ちそこの農民から私税を搾取し・・・という
集団なんだから、天下を統一し平安を国にもたらすためには、弾圧は不可欠なことだ
ったわけだが、どうも「無抵抗平和主義が宗教だ」と勘違いする人が多い。
186右や左の名無し様:05/01/06 15:52:06 ID:???
島原の乱なんて露骨な宗教弾圧じゃん

神道の神は、ようするに自分に従属しない者を抹殺する征服の神だよ
記紀神話なんてのはまさにその征服の過程を描いているわけで。
そんな調子で古代には熊襲や蝦夷、近代には琉球やアイヌ、
さらには朝鮮・台湾と征服戦争を仕掛けていき、自らを祭る社を建てさせた。

モンゴルに征服されることで逆に中央アジアに広まっていったイスラムや
征服者が去った後も変わらず新大陸で信仰されているキリスト教なんかとは
実に対照的だね
187リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :05/01/06 16:33:06 ID:???
>>186
>島原の乱なんて露骨な宗教弾圧じゃん
いくら叩神とは言っても神道とは関係ないこと。
188れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/06 16:51:40 ID:???
>>158
おいおい、ポルトガルとスペインの世界をニ分割にしての征服圏を、当時のキリスト教
(カトリック)は設定し、日本はポルトガル征服圏であったことは知っているのか?
其の半世紀ほど前に黄金の国ジパングを目指し、アメリカ大陸をインドと勘違いした
大間抜けのコロンブスは、原住民を見て「彼らやよき基督教徒になり我々のよき使用
人になるであろう」と感想を本国に送っていることは知っているのか?
米国が完全に原住民を排除し、南米の破壊された文明を見ても尚、織田信長や秀吉、
そして徳川幕府は「キリシタン弾圧をするべきでなかった」などといえるのか?

戦国時代のイエズス会の日本巡管区長ガスパル・コエリヨは「(フェリペ)国王陛下の
援助で日本六十六国すべてが改宗すれば、フェリペ国王は日本人のように好戦的で怜悧
な兵隊をえて、一層容易に中国征服を成就することができるであろう」と軍隊の派遣を
要請しているが、知っているか?
189右や左の名無し様:05/01/06 22:50:59 ID:???
>>188
>世界をニ分割にして
両国が衝突しないように活動範囲を定めたというだけの事だろ?ま、妥当な措置だろうな。

>アメリカ大陸をインドと勘違いした大間抜け
だったら、ヨーロッパ人がやってきた時点でもなお地球が球体であることすら知らなかった日本人はもっと大間抜けだろ。
まぁ、朝鮮半島からやってきた香具師をもって「天孫(wが降臨(ワラしたんだ」なんてことにする荒唐無稽なDQN宗教が支配していた国なんだから無理もないが。

>織田信長や秀吉、そして徳川幕府は「キリシタン弾圧をするべきでなかった」などといえるのか?
ん?織田信長はキリシタン迫害をしなかったはずだが・・・
帝国主義国家による野望と無辜な一般信徒を殺戮することとは全く別次元の問題だろ。
米国には現在でも原住民は住んでいるし、むしろ日本のアイヌや琉球よりも現在は豊かな生活をしているだろう。
また、文明が滅びるのは歴史上珍しいことではあるまい。
南米の問題だけを取り上げるのはフェアではないぞ。

>要請している
布教をより効果的に行うための助力を得んがための口実として言ったまでのことだろ。
というか、信頼の置けるソースを示せ。
190右や左の名無し様:05/01/07 10:11:25 ID:???
>>189
これじゃねえの?

ポルトガルとスペインは半世紀ほど遅れて戦国時代の日本にやってきた。イエズス会の日本巡管区長
ガスパル・コエリヨは「(フェリペ)国王陛下の援助で日本六十六国すべてが改宗すれば、
フェリペ国王は日本人のように好戦的で怜悧な兵隊をえて、一層容易に中国征服を成就することが
できるであろう」と軍隊の派遣を要請しているが、
http://www.j-world.com/usr/sakura/essay/indio_dance.html

PCプログラマーのサイト
191れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/07 12:52:08 ID:???
>>189
おいおい、布教が衝突して何が問題だ?そこに利権や支配や搾取などがあるか
らに違いなかろう。何が「妥当な処置」だ?マヌケ!
荒唐無稽な天皇渡来人説を未だ信じているアホがそういうことをいうというこ
とも良くわかった。(渡来人説の荒唐無稽なことは既に他スレで散々論証して
いるから省略・・・すれ違いだしナァ)

>帝国主義国家による野望と無辜な一般信徒を殺戮することとは全く別次元の問題だろ。
意味がわからんが、基督教徒とて無辜の神との虐殺はやっているだろうよ。
で、南米において其れがなかったというのか?(爆笑)

>米国には現在でも原住民は住んでいるし、むしろ日本のアイヌや琉球よりも現在は
>豊かな生活をしているだろう。
ふぁぁぁぁ?豊かな生活をさせれば文化破壊も強制改宗も正当化されるのかね。
それなら、ただの政府の使いに対して国王が跪いてお迎えをさするような状況で
かつ極めて貧しかった大韓帝国の併合も正当化されるわけだ。おまえ馬鹿だろう。

>信頼の置けるソースを示せ。
>>190に書いてあるが、彼はもと基督教徒である。この記述は『十六・七世紀イエズス
会日本報告集』に基づいているという確認ぐらいはしている。というか結構有名なこと
だし、いろんな書籍に登場しお手居る部分でしょ。

>布教をより効果的に行うための助力を得んがための口実として言ったまでのことだろ。
いや・・・だから・・・口実になると考えている時点で既に・・・。マヌケだなぁ。

きみさぁ、もう少し基督教徒の当時の状況について知識を持ったほうが良いよ。
192右や左の名無し様:05/01/08 22:55:45 ID:???
>>191
>そこに利権や支配や搾取などがあるから
それとキリスト教は何の関係もないだろ。
帝国主義国家による植民地支配における問題をキリスト教の問題に混同するな。ヴォケ!

>意味がわからん
お前がバカなのは良く分かったが、日本におけるキリスト教徒殺戮を南米における帝国主義国家による苛烈な支配という事実によって正当化することはできん、ということぐらいを理解する脳は持っているはずだ。

>豊かな生活をさせれば文化破壊も強制改宗も正当化されるのかね。
アフォ!誰がそんなこといった。現代においては社会的な扱いは改善されていると言っているのだ。

>口実になると考えている時点
俺が考えているのではなくて、当時の宣教師たちが考えていたのではないかと言うことだろうが。読解力零なのだな、お前って。
193れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/09 14:53:17 ID:???
>>192
>それとキリスト教は何の関係もないだろ。
いや、、、だから、無関係という貴殿の推測について、何の根拠もないでしょう。
いいから、当時のキリスト教・カトリックの状況について勉強しろよ。

私の読解力がないのではなく、貴殿の見解が、キリスト教に関する基礎知識と
乖離しているんだよ。詳しく説明する義理は私にはないし、貴殿の無根拠な推測に
いちいち付き合う義理もない。

で、
>日本におけるキリスト教徒殺戮
彼らは基督教徒だから殺戮されたのではなく、反乱したから鎮圧され、徹底抗戦を
基督教徒側が貫いたから殺されたわけだ。
キリスト教がなぜ迫害されたかといえば、海外勢力による支配(南米うのように)の
意図が、布教する宣教師にあったからに他ならず、其れは既にソースを示している。
島原の乱以降に残った隠れキリシタンの状況というものを知っているか?
彼らが、真にキリスト教に目覚め信徒となっていて、其の民衆信者の意思が徹底抗戦
であったのかといえば違う罠。其の証拠に天草などの隠れキリシタンの信仰状況は、
キリスト教カトリックからかけ離れ、基督教徒は呼べない状況でしょうよ。
未だ信仰の堵についたばかりで、乱により指導者を無くした結果、そうなったわけだ。
そういう知識はあるのか?

貴殿の推測には何の根拠も示されていない。バカハスクエネーナー
194れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/09 16:45:08 ID:???
まぁ基督教徒(カトリック信者)自身が様々に悩んでいるわけで、
(参考
http://peace-appeal.fr.peter.t.nishiyama.catholic.ne.jp/2004_2_11_tennousei_kouenkai.pdf
の35ページの質問あたり・・・PDF)

其れを無関係という馬鹿はもっと勉強すべきだよね。
上記ウェブサイトはhttp://peace-appeal.fr.peter.t.nishiyama.catholic.ne.jp/index.html
で、そのINDEXに飛べば、イロイロとカトリックとしての考え方が出ている。
わたしは意見には賛同できないが、この人の「過去と真摯に向き合う姿勢」には好感を
おぼえている。
195リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :05/01/09 23:21:39 ID:???
>>193
>キリスト教がなぜ迫害されたかといえば、海外勢力による支配(南米うのように)の
>意図が、布教する宣教師にあったからに他ならず、

その程度では迫害されない。
キリスト教の驚異的な浸透度と体制をひっくり返すような教義があったからこそ迫害された。
196右や左の名無し様:05/01/11 03:09:25 ID:???
>>193
>反乱したから鎮圧
「島原の乱」の事か?あれは領主による圧政に苦しむ農民達が立ち上がって起こした実質的には農民一揆だろ。
ただその主要メンバーがキリスト教徒だったと言うだけのこと。
一揆を起こしたことを口実に全信徒を虐殺する行為を正当化するというのは、やはり正気の沙汰じゃない。

>徹底抗戦を基督教徒側が貫いた
相変わらず悪意に基づく偏見と思い込みに満ちているな。
日本において殉教した多くのキリスト教徒は無抵抗なままに、為政者による残虐な殺戮を甘んじて受けたというのが実情だろう。

>海外勢力による支配(南米うのように)の意図が、布教する宣教師にあったから
宣教師にそのような意図はほとんど無かっただろう。
主にカトリックの宣教師たちが世界に宣教の手を広げたのは、ヨーロッパで宗教改革が起こって欧州のほぼ全土がプロテスタントに染まってしまいかねない状況になったから(その後カトリック側の巻き返しがあったが)、
それに対する打開策のひとつとして、もはや現状以上の勢力拡大が望めないヨーロッパではなく新天地で教えを広めようとしたことに起源があるなんてことは常識だろ。
あくまで布教そのものが目的で、領土的野心はなかったと見るべきだろう。
実際、ポルトガルはアジアにおいて確かに交易の拠点となるような港湾都市のゴアやマカオは領有したが、内陸地帯には支配領域を広げてはいない。
むしろアジアにおいて広大な植民地獲得競争に奔走したのは、イギリスやオランダなどのプロテスタント国だろ。

また南米においても、宣教師たちはスペインなどの帝国主義王国による苛烈な植民地支配に対して、むしろ原住民の側に立って抗議し批判するような活動も行い、本国にもその状況を伝えるための書簡も多数送付したらしい。
197右や左の名無し様:05/01/11 03:20:36 ID:???
>>194
いや、キリスト教徒がそのような過去の歴史に対して反省し苦悩しているなんてことは知っているよ。
お前なんかに言われなくてもね。教皇庁の公式な文書でもそのような表明が為されているし。

でも、そういったキリスト教徒たちが宗教的な良心に基づいて過去を反省し悔い改め悔悟して、外部からの批判に対して有効な批判をしないことに乗じて根拠のない誹謗中傷を行い、
しかもあろうことか過去に対して全く無反省な神道の擁護にそういう連中が狂奔し、神道を正当化するのに利用しているのを見るに付け、これは放置するべきではないだろうと思うのは当然のことだろう。
198右や左の名無し様:05/01/11 07:43:34 ID:ow1by5rL
>>196
そういえば、カトリックの宗主国は最終的に人種融合の方向へと進んだけど、
プロテスタントの宗主国は人種隔離政策をとった。というのを聞いた事がある。
オランダのアパルトヘイトは有名だが、
インドもイギリス人達が現地人と文化融合しようとしなかったし、
アメリカも人種隔離政策が現代まで続き、
あるアメリカの黒人が隣のメキシコにいったら貧しい黒人も貧しい白人も平等に同じレストランで
飯を食っているのをみて驚いたそうだ。
199右や左の名無し様:05/01/11 08:20:13 ID:YW5SsZOn
>>188
徳川はキリシタンだけでなくいろんな宗教を弾圧していたから。
そして宗教を自分の支配下においた。それ以前の仏教も神道も
キリスト教徒のようなあからさまな迫害はないにせよ、かなり
変容させられたとなんかで読んだよ。
徳川は支配する為に何が必要なのかをよく知っていたのだろう。
しかし以前から続いていた伝統を破壊されるほうはたまったも
のではないと思う。

キリシタンに関しては微妙。
イエズス会の宣教師も大名達が権力闘争に明け暮れていること
や武器を買う為の都合のいい存在と自分達がみなされているこ
とに困惑していた。しかし事実そういう手引きもしていた宣教
師もいたわけで、まったく無垢ともいえないと思う。
織田信長は宣教師達を利用していたし、当時の大名も、都合が
悪くなれば、切り離すような合理主義だったと思う。その点では
したたかだし、ほんとの意味でのキリシタンは貧しい人々で、
そういう人達がいつもしわ寄せを食うことになるんだろう。
だから支配者階級的な視点と民衆的視点では評価も分かれる。
宣教師にも個々に考えが違う。南米のやり方に批判的だった
宣教師もいた。中国へ宣教したマテオ・リッチなどのように
苦悩を抱えていたのもいる。

日本の戦時下のクリスチャンもかなり弾圧された。
奄美・沖縄のカトリックはそこが軍事拠点だった為に陸軍から
迫害された。軍に煽られた島民のいじめによって子供が死んでい
る。酷いのは当時の新聞社がこの迫害に加担したことだ。プロテ
スタントの一部の人々も兵役拒否、天皇崇拝の否定の思想でかな
り投獄されたらしい。
しかし軍部の中央では、実はそのような迫害には批判的だったが、
末端ではそういう先走った事が多数みられたらしい。
200れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/11 11:07:18 ID:???
>>196
一段目:意味が不明。農民一揆なら徹底抗戦に陥らないだろうよ。というか島原、天草
において農民の割合はどのくらい板と思う?きみ、島原・天草に一度行ってごらん。

二段目
>日本において殉教した多くのキリスト教徒は無抵抗なままに、為政者による残虐な
>殺戮を甘んじて受けたというのが実情だろう。
島原の乱の犠牲者は、無抵抗ではなかった。無知は悲しいねぇ。

三段目:布教が目的なら、分割合意など必要ない罠。物を知らないのもいいかげんに。

四段目:貴殿の記述は「らしい」とか「だろう」とか言う憶測と無知に基づいているね。
既にソースを私は示していて、其の史実と貴殿の言説は矛盾している。
南米やフィリピンの歴史でも読めばいいし、プロテスタント国に領土野心があって、
カトリックに領土野心がないというのは、バチカンと国王の関係性さえご存知ない
妄言と片付けて、問題ない罠。

>>197
誹謗などしていない。事実は事実として受け止めなければ、真の反省など出来ない。
貴殿が史実やソースを挙げられない時点で、全然ダメでしょう。
201れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/11 11:31:22 ID:???
>>199
戦時中の基督教徒については、私は少し違う見解である。
先に紹介した西山氏の記述にもあるように、基督教徒側は「戦争に積極的に協力した」
わけである(「我が国は皇室を宗家とし 、天皇を中心と仰ぎ奉る君臣一体の一大
家族国家であり、忠孝一本の道理をもって国民道徳の要諦とすることはここに改めて言
ふまでもない……此の任務を完了し得て初めて善誠なる日本天主公教の信徒と称すべき
である」などととうの基督教徒が信者に説明している) が、米英が相手国である。
基督教徒の軍人は、「十字架を胸にしたキリスト教信者である米英兵と異教徒である
日本兵のどちらに銃口を向けるのか」という基本的な疑義はある罠。
それは、国の存亡を賭けた戦争において、奇麗事では済まされない重要な問題だと
私は思う。

で、基督教徒の反省?が其れを如実に示している。彼らは「戦争に反対しなかったこと」
「戦争に協力したこと」を反省しているのである。
つまり、本来のカトリックは、15年戦争当時であっても「戦争に協力せず反対すべきだ
った」と「反省している」のであるから、少なくとも「国家存亡の危機において、国が
滅亡しようともかまわず反対すべきだ」という思想を本質的に持っているのであり、
其れは「銃口はこっちには向かないけれども、相手にも向かない」ということである。
そのような思想が、国の存亡の危機に際して犬歯の対象となることぐらいは当時の状況
としては当然でしょう。
202れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/11 11:47:59 ID:???
訂正
犬歯→監視

ついでに、そもそもカトリックにおいて、信教の自由が容認されたのは
一体いつなのか調べてみると良い。
信教の自由に基づいて、カトリックになった者を擁護する気持ちはわからないで
もない。しかし当のカトリックおよびカトリックの国が信教の自由を容認したのは
いったいいつなのかな?そもそも、聖書の自由解釈さえ認めないのがカトリックで
ある。(其れに対する抵抗がプロテスタントである。)
つまりバチカンを頂点とし、彼らの聖書解釈権を絶対としてきたカトリックが、
1965年(昭和40年)までは「信教の自由を認めていない」という事実も加味して考
えれば、国体明徴運動以降のカトリックは、其の当時の神道を批判できる立場どこ
ろか同じ穴の狢・・・なうえに「国の独立の維持」に対して本質的に無頓着である
分だけ、私には「弾圧された被害者」とは評価できない。
203れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/11 12:51:01 ID:???
まぁ、宗教家が「戦争に反対する」ことは当然にあるが、宗教なら戦争に反対する
ものだと考えるのは過ちであり、「戦国時代の仏教」も「島原の乱」の基督教徒も
武装した勢力であり、ナポレオンはバチカンに認められた皇帝である。

モーゼは初めて十戒を手にしたとき、其の石板で3000人の信徒を殺しているし、
西岸に居住していた、何の罪もない異教徒は、子供間で殺し尽くされ、其の指揮者は
基督教徒から褒め称えられている。
創価学会を見ればわかる通り、日蓮の教えをゆがめるものは地獄に落ちるとののしら
れる。S-RAMタンではないが、宗教とはそういう側面を併せ持つものである。
キリスト教も『愛と平和の宗教』ではないし、それは仏教・ヒンズー教・神道・回教と
て同じであり、彼らもまた、殺人をなし、異教徒を迫害し、領土欲を持ち、またはそ
れに積極的に協力し、あるいは容認してきたたという、同じ穴の狢である。

他スレでも書いてきたが、第二次世界大戦以降に、徐々に基本的人権は整備されてき
たわけで、奴隷禁止や信教の自由について世界がコミットし始めたのは、戦後である。
宗教への迫害も、奴隷制度も身分制も、其れは時代の限界として捉える中で過去の
反省として持つべきであり、わが国の状況方と比べてきわめて劣っていたかのような
評価は間違っている。
204右や左の名無し様:05/01/11 13:20:45 ID:YWZwk/mA
>>201
奄美大島の歴史を読むといいと思うよ。
205れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/11 13:42:04 ID:???
>>204
ん、様々な歴史があるわけで、しかしながら、「基督教徒だから迫害した」という
明白なものはあるの?
「基督教徒」は「監視され敵視される合理的理由」はあったわけで、其れは日系米国人
にたいする米国政府の其れと同じ動機でしょう。
私はそこを度外視することに、問題を提起しているのであって、聖堂の日の丸で
書かれている「ような」事があったことは事実であろうが、
http://www3.synapse.ne.jp/manga/ikedakenorekishi.htm
でかかれているようなことが、一方的なことであって、それがカトリック国でも
戦争遂行のためであれば行なわれているだろうし、事実プロテスタント中心の米
国では日系米国人に対して迫害したわけでしょ。

基督教徒だから迫害されたのではなく、基督教徒であるがゆえに国の存亡の戦いにおいて
其れを疎外し、国の独立維持に支障が生じる恐れがあるから迫害されたということ。
其れが良いことかといえば違うだろうけれども、国の独立が国民の幸福に寄与すると
するならば(私はそう考えるから)、必ずしもそこまで批判されるほどのことでもない。

一言で言えば、プロテスタントもカトリックも同じようなことをやっている時代であっ
て、其れは国の独立維持とか言うこととの関係性で妥当性が語られなければならん、時代
の限界であろう思う次第である。

206れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/11 13:44:32 ID:???
というか、国体明徴運動以降の、いわゆる国体の本義にかかれているような国家神道を
批判するなら、同様の基準で他宗教も批判しないと、ダブスタだろうということである。

わたしは、いわゆる其の頃の国家神道も非難するし、同様にキリスト教カトリックの当
時の戦争協力も、同等に非難する。
キリスト教がいい子で、神道が悪玉という史観は、ダブスタであり無知である。
207右や左の名無し様:05/01/11 13:47:09 ID:HoTEdXZq
>>202
アメリカに住んでる親戚がいるが、
アメリカにはとんでもないカルトなプロテスタント教会が沢山あるらしいよ。
もしかしたら、自由な解釈を認めないのも賢明な選択なのかもしれない。
行きすぎる奴がいるときにブレーキをかけられない。
しかし「自由である」と言った以上、自由にさせないとまずい。
「行き過ぎだ」と言った時点で 自由を認めていないことになるのではないか?

ふと、その一節を読んでそう思った。
カトリックの人は本当にみんなそんなに原理主義的なのか?
映画とか文学を読んでいても、そう見えないんだが。
むしろアメリカのプロテスタントのほうがすごいのがいる気がする。
特に最近のアメリカは。
学校に圧力をかけて進化論を教えないとか聞いたよ。
解釈に不自由なカトリックの人のほうがスタンスが自由で、
解釈に自由なプロテスタントのほうがスタンスが不自由に見える。
だから上のようなことも考えてみたんだけど。ほんとはどうなの?
208れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/11 14:38:43 ID:???
>>207
んー、宗教って元々そのようなものでしょ。
というか信じている人にとっては、「信仰・宗教」ではなく「真理・真実」なわけでしょ。
で、その「自分が知っている真理や真実」を他人に知らしめ、説得し、時には強制しても
それに目覚めさせることは、彼らにとっては「正義」なんだよね。
「地獄への道には善意が敷き詰められている」というけれども、進化論を教えない
のも、奄美の軍人が基督教徒を迫害したのも、モーゼが3000人殺したのも、自爆テロも
みんな、彼等なりの「善意」なわけです。

自由で民主的で平等な社会を輸出しようとしている米国にも、その意味で善意による正義
がある。つまり、善意とか正義というものは「個々の観念」なんだから、そこを基準として
価値序列を語ることは意味がないんですよ。
民主主義だって、具集政治というか民衆の熱狂や蒙昧によって、過ちを犯すだろうし、
自由にも限界はある。平等なんかも「機会の平等」は結局「配分を得る機会が、自分の所
有する能力にゆだねられる」だけで、別に配分が平等なわけでもないし、じゃぁ機会が平
等というときの、ゆだねられる能力というのは結局、生来の力であり、其れの平等ではな
いわけで、努力の差が生来的な力と無関係でないことは、障害者のことを考えればわかる。

つまり価値序列(思想)なんてものは、最終的に情緒から来る許容される条件(前提)に
もとづいているわけで、米国人はそこに「フェア」とか「正義」が優先されるし、日本人
は其れよりも「平安」が優先されやすいわけで、そういう差異が「個人レベルだけでなく
民族とか国とか言うレベルでの差異だと気づかない限り」ダメだと私は思う。
自然は、其れこそ自然に地域的な差異(地形や地勢、天候・機構、人種など)があるわけで
自然に生まれた人が、同様に差異があることは自明であり、其れを平坦で均一な人間と見
るところから間違いは発生するように思うなぁ。
209右や左の名無し様:05/01/11 20:20:44 ID:???
>>キリスト教がいい子で、神道が悪玉という史観は、ダブスタであり無知である。
でも教会は懺悔したけど、靖国はじめとする神道側はいまだに
大東亜戦争は聖戦だったとか、天皇陛下マンセーとか言ってるけど???

210右や左の名無し様:05/01/11 22:58:29 ID:???
>>200
>農民の割合はどのくらい板と思う?
「農民」はまずかったな。「領民」に変更。すまそ。領民が生活に窮乏しているのを見かねて立ち上がったというのが実情だろう。
>島原の乱の犠牲者
アフォ!日本において、為政者によって虐殺されたキリスト教徒は島原の乱の関係者だけじゃねえだろ。
>布教が目的なら、分割合意など必要ない罠。
バカじゃねーの?国策と宣教師の動機を混同するなと言っている。
>バチカンと国王の関係性
バチカンが各国の国王に呼びかけて世界侵略を命じたとでも?それこそ無知だ罠。
>事実は事実として受け止めなければ、
事実は事実として受け止めた上での反論を展開しているだけだが。
211右や左の名無し様:05/01/12 01:49:09 ID:???
>「我が国は皇室を宗家とし 、天皇を中心と仰ぎ奉る君臣一体の一大家族国家であり、
>忠孝一本の道理をもって国民道徳の要諦とすることはここに改めて言ふまでもない…
>…此の任務を完了し得て初めて善誠なる日本天主公教の信徒と称すべきである」
>などととうの基督教徒が信者に説明している

これキリスト教思想かあ?
せいぜいキリスト教に影響を受けた神道系新興宗教の思想ってところだろ。
212右や左の名無し様:05/01/12 02:26:35 ID:???
>キリスト教も『愛と平和の宗教』ではないし、それは仏教・ヒンズー教・神道・回教と
>て同じであり、彼らもまた、殺人をなし、異教徒を迫害し、領土欲を持ち、またはそ
>れに積極的に協力し、あるいは容認してきたたという、同じ穴の狢である。(>>203

>本来のカトリックは、15年戦争当時であっても「戦争に協力せず反対すべきだ
>った」と「反省している」のであるから、少なくとも「国家存亡の危機において、国が
>滅亡しようともかまわず反対すべきだ」という思想を本質的に持っている(>>201

>わたしは、いわゆる其の頃の国家神道も非難するし、同様にキリスト教カトリックの当
>時の戦争協力も、同等に非難する。(>>206

何だ?これらは本当に同じ人が書いたことなのか?
「キリスト教を何とかして批判したい」という感情が先走って必死に書いているから矛盾しまくりだな。(w
213右や左の名無し様:05/01/12 02:48:58 ID:???
>>212
全くだね。「批判のための批判」をしているという感じだな。これではS−RAMと同レベルじゃねえか。
214Santi ◆R3KhrW2i86 :05/01/12 03:29:50 ID:???
>>203
やれやれ、また性懲りもなくキリスト教批判が始まったか・・・
>奴隷禁止や信教の自由について世界がコミットし始めたのは、戦後である。
「世界が」なんて留保をつけて逃亡経路を予め用意しているということか。w
「逃亡先」が見えているから無駄骨に終わる可能性が高いが一応念の為に書いておくと、
信教の自由は米国においては1776年(日本では田沼意次の時代!)には既にヴァージニア権利章典で明文規定が置かれているし、
奴隷禁止については英国における1833年(日本では天保の大飢饉のあった年)の奴隷制廃止法から既に取り組みが始まっている。
215れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/12 09:37:33 ID:???
>>209
>大東亜戦争は聖戦だったとか///
ソースは?

>>210
だから、島原の乱は違うだろ?で、後どんな事象をしてそういっているの?
でさぁ、バチカンが呼びかけたなんてことはいっていないわけで、バチカンが世界
分割を認めた意味は、貴殿の言っているような「布教の分担」ではないと言ってい
るんだよ。はっきりとソースを出して説明しているのに、貴殿は何の根拠も示して
いないねぇ。

>>221
いや、事実だよ。先に紹介した西山氏のサイトからの引用である。

>>212
意味不明。戦争に反対することが正義であるという前提を除外すればわかるだろう。
戦争を行ない虐殺を行なったという事実と、日本の戦争に絶対反対すべきだったという
反省を出した事実から導かれるカトリックに本質は、当然ながら「信仰」だよ。
信仰に基づく殺人と、信仰に基づかない殺人の違いに他ならない。
こういうところを理解できないならば、議論は無理だろうし、宗教問題を語れるレベ
ルに達していない証拠だろう。

>>214
だから、それは世界でコミットされていないだろうよ。事実の表現のしかたの問題だ罠。
今年から辛らつになっているから、気をつけろよ。人権真理教のお馬鹿が出る幕がある
かどうか、よくかんがえて・・・な。
216右や左の名無し様:05/01/12 13:30:28 ID:???
>>214
予想通りのレスで無駄骨に終わったね
217右や左の名無し様:05/01/12 21:41:16 ID:???
>>大東亜戦争は聖戦だったとか///
>ソースは?

・・・ってあんた靖国にかかわる憂国の士の間では常識でしょ!?
まあ、ひとつだけわかりやすい例をあげると
>金沢市護国神社境内に建つ「大東亜聖戦大碑」前でこの四日に
>行われた第二回「大東亜聖戦祭」。来賓としてあいさつするのは、
>「新ゴーマニズム宣言」でおなじみの漫画家・小林よしのり氏。
>先の大戦で、祖国のために犠牲になった御霊(みたま)を慰霊する
>祭典とあって、言葉にも自然と力が入る。(以下略)
218右や左の名無し様:05/01/12 22:39:14 ID:???
>>205
>国の独立維持に支障が生じる恐れがあるから迫害されたということ。
>其れが良いことかといえば違うだろうけれども、国の独立が国民の幸福に寄与すると
>するならば(私はそう考えるから)、必ずしもそこまで批判されるほどのことでもない。

こいつ真性のバカだな。国家防衛目的の戦争遂行のために必要だという口実さえあれば何をやっても止むを得ないこと、とでも言う気なのだろうか?
idiotを通り越してcrazyだぞ。
国家を防衛するために行う戦争遂行のために必要でさえあれば、ホロコーストも原爆投下も都市無差別絨毯爆撃も捕虜虐待も強制連行強制労働も構わないとでも言うのか?
常識はずれも程々にしろよ。

それに国家の存立目的が国民の幸福であるとしておきながら、国民であるキリスト教徒を迫害するというのは背理だろ。
全く論理的にモノが考えられないバカなんだな。
あのフセインですらキリスト教国と戦争する場合でも自国民のキリスト教徒を虐殺するなんてことはしなかったぞ。
バカな上に、残酷ときている。救いようがないな。
219れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/13 09:27:38 ID:???
>>217
「神道側」に小林義則が入るわけか。爆笑・・・
>靖国はじめとする神道側はいまだに
>大東亜戦争は聖戦だったとか、天皇陛下マンセーとか言ってるけど???
のソースたりえない記述である。

>>218
おいおい誤読もたいがいにしておけよ。
国家防衛が、国民の幸福に寄与することは事実で、何でも許されるものではないとい
うことは同意するが、だからといって「基督教徒が迫害された」という事実が
「基督教徒であるがゆえに」迫害されたのか、「国の枠組みの維持のために迫害され
たのか」の検証は必要だろうといっているのだよ。誤読や妄想に基づく非難は見苦し
いなぁ。(まぁ、自分の馬鹿を晒したければかまわんが・・・)
オウムが現在、国によって監視されているのは、「オウム信者であるがゆえに」では
なく「破壊活動防止にため」だろうよ。
じゃぁ、わが国の基督教徒への迫害が、どちらの動機によるものなのかを検証もせず
宗教弾圧であると言うのはおかしい。少なくとも、戦国時代の信長と対立した
仏教徒も、島原の乱の基督教徒も、15年戦争当時の一部基督教徒も、奄美のキリスト
教も、「キリスト教であるが故の迫害」とは必ずしも言えない社会状況が存在したと
いう事実がある。
貴殿の言い分は、国の枠組みの維持と信教の自由とでは、かなわず後者が優先されな
ければならないと言っているように思えるが、そうなのか?其の信教所自由を認めて
いないのがカトリックであったわけだが、武力によってでも改宗させようとしていた
彼らへの対抗を貴殿は批判するわけか?
220右や左の名無し様:05/01/13 09:41:57 ID:???
>>219
決定的に欠落しているのは、迫害される側が「個人にある」という眼差しだろうな。
オウム云々なんて事例を対置させるのは余り意味がないんだよ
何故ならオウムは国に迫害されたのではなく、違法活動によって裁かれてるだけだからな
戦中のクリスチャンはそれこそ信仰を理由に脅され拷問を受け、殺されてるって事実に対して
国家の方針に沿わないからなんて理由でそうするのは間違いだ、ってことなんだ
だからこそカソリックもそうした過去に対して間違いを認めて反省を表明している。
だいたいが国の枠組み維持のためなら人を殺して良いという言い訳は通用しないということさ
221れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/13 10:37:06 ID:???
>>220
>戦中のクリスチャンはそれこそ信仰を理由に脅され拷問を受け、
>殺されてるって事実に対して
其の検証が必要だといっているわけで、その根拠たる事象を提示しようよ。

基本的なことを言えば、「基督教徒である」という事実は「基督教徒である敵兵」と
「異教徒である自国の兵士」のどちらに銃口を向けるのかという、国にとっての疑義
はあるし、それは合理的理由。
国家存亡の危機に際して、敵兵に寄与する行為を行なう危険性がある集団は、それが
信仰に基づこうと、思想に基づこうと、国民の新体制名や財産を保護し、国という
枠組みを守る義務のある行政府としては、監視し、時には行動を抑制することは、当然
な行為。

だれも、口実にすれば許されるとはいっていないわけで、国の方針に添わないことが
国の存亡に関わるなら、間違いではないし、カトリックが反省している内容が
「何が何でも戦争に反対すべきだった」ならば、国の存亡においても戦争はすべきで
ないという「旧社会党並」の無責任で、国民の生命や個人の尊厳を守るための戦いさえ
認めないのだから、彼らこそ間違い。そんな本質があるのであれば、其の一歩先は
「戦争阻止のための行動」がよそされ、其れは利敵行為として国民の幸福を阻害するこ
となんだから、彼等カトリックへの抑圧は正解という結論になるでしょう。
というか、国の枠組みの維持のためには、人を殺してもいい場合があると考えなければ
個人の尊厳など守れないでしょうよ。(大韓帝国の併合は正当だというのなら、そして
併合への抵抗運動が不当だというなら別ですけど・・・。)
222右や左の名無し様:05/01/13 10:48:54 ID:???
>>221
>其の検証が必要だといっているわけで、その根拠たる事象を提示しようよ。
誰かもレスしてたけどさ、奄美大島の歴史をひもときゃ分かるとおもうけど?

>国民の新体制名や財産を保護し、国という
>枠組みを守る義務のある行政府としては、監視し、時には行動を抑制することは、当然
>な行為。
そんなことは拷問、殺害して良いという言い訳にはまったくならないんだよ。
きみがいう理由が根拠であるなら方法はいくらでもあるんだからさ

>彼等カトリックへの抑圧は正解という結論になるでしょう。
結局はここにいきつくわけだ。100歩ゆずって活動を制限するなり組織を解体するとかなら
まだましだけど抑圧が正解なんていってる人間に個人の眼差しを理解させるってのは無理か?
223れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/13 10:53:29 ID:???
まぁいい機会だから書いておくが「個人の尊厳」というのは「社会活動」の中で
尊重されなければならない、という事実がある。
「社会活動」は「社会秩序」に基づいているわけで、社会秩序は国家権力によって
維持され、其の社会の構成員がコミットすることで構築され改変されるわけである。
つまり「個人の尊厳の尊重」は「国という枠組みが存在しない限り」実行されないこと
であり、国への侵略は、当該国民の個人の尊厳を侵害するから、よろしくない行為な
のである。

「大韓帝国の併合」が失敗だったということを私は認めている。
大韓帝国が中国の完全なる属国として、朝鮮民族としてのアイデンティティが破壊され
民族への侵略が予想され、かつ其れがわが国の防衛にきわめて重要な危機を伴うから、
そこに関与しようとする国策は誤りではないにしろ、「大きく異なる価値序列を有する
彼等」を「併合し、同じ国民として扱う」という判断は誤りであった。
彼らのアイデンティティを破壊する行為である併合は、彼らの経済的な幸福や、属国扱
いを受け搾取簒奪されていた状況の改善ということで、彼らに寄与はしたものの、彼ら
の個人としての尊厳は、違う社会規範・価値観の中では尊重されないからである。

つまり、国という枠組みの破壊は、「個人の尊厳」を破壊する行為である。
この認識がない『個人主義者』は似非である。
224れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/13 10:55:18 ID:???
>>222
一段目:既に反論済みで説明になっていない。
二段目:拷問や殺害の具体例を出せないでいるのは貴殿でしょ?
三段目:>>223参照。貴殿は似非だね。
225右や左の名無し様:05/01/13 11:04:57 ID:???
>>224
すまんね、IEの調子が悪くてソースがかき出せない。
だからといって奄美大島でクリスチャンが虐殺された歴史が消え去るわけじゃない
結局はあれだ、君は弾圧をよしとしてるわけだ
226れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/13 11:18:38 ID:???
>>225
奄美での歴史は消えないし、カトリックの虐殺の歴史も消えない。
貴殿はカトリックは反省したといい、其れを評価した。
それでも、カトリックが戦争遂行に協力し、其の後に、「個人の尊厳を守るための自衛
戦争さえ反対すべきだ」と反省した歴史も消えない。

私は弾圧は良しとしている。(無論極めて限定的に、個人の尊厳を守るための自衛戦争
などにおける国の枠組みを維持するための宗教や思想に対する弾圧だけだが・・・。)
当然にオウム真理教への弾圧も良しとしている。

貴殿は、他国に侵略され、国民がアイデンティティを失うことが確実で、個人の尊
厳など尊重されない事態になる恐れがあったとしても、弾圧はイクナイ!と言うんだね。
旧社会党の無責任言霊信仰的非武装中立論と同じ思考があるということだな。

227れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/13 17:49:53 ID:???
というか、2chに書き込めて、「ソースがかき出せない。」という状況など
あるのかいな。良くわからん・・・。
228右や左の名無し様:05/01/13 22:01:58 ID:???
れにとっての国が天皇が治めたもう衆議による和の王国であるように
「国の枠組み」という言葉自体が主観的で相対的なものだろ。
例えば層化にとっての国は池田大作が治め法華経を万人が信ずる
民衆立の戒壇のある霊山浄土だ。国の枠組みのために弾圧してもOK
という側の枠組みなんて弾圧される側から見れば地獄のような国だろう。
229右や左の名無し様:05/01/13 22:18:15 ID:???
>>靖国はじめとする神道側はいまだに
>>大東亜戦争は聖戦だったとか、天皇陛下マンセーとか言ってるけど???

そうそう確かにソースはない。ないないあるわけない。
したがって大東亜戦争はやはり侵略戦争だったし、英霊も天皇陛下のために
戦ったわけではないということだから、靖国に祀られる資格ナシ!
これでOKだね?へりくつ保守おやじのれタン!
(参考)
「聖戦:宗教的に神聖とみなされる目的のために戦われる戦争。
 また、正義の戦い。」(大辞林)
230右や左の名無し様:05/01/13 23:21:00 ID:???
>>226
奄美大島のソースがやっとつながったんで

>1934(s.9)頃から軍部の要塞が古仁屋で重要性を増し教会弾圧・信者に対する嫌がらせ・脅迫・
>直接的な暴力行為が日増に過激化し大島高女の閉鎖廃校、シスター全員の引揚となる。
>S.9.10月4、5日「カトリック教徒啓導」の名目で笠蔵陸軍大佐、と角和陸軍少佐が各町村を巡り
>国防思想講演を開き地元の青年団、在卿軍人などを扇動し、計画的に教会攻撃、信徒の脅迫を行い、
>大熊教会、秋名教会で破壊事件等が次々に起こり、カトリック征伐の大命を出す。
>思うに奄美は迫害が激しかったのは古仁屋に軍の要塞軍基地があったこと笠蔵大佐、角和将佐など
>軍部のエリート連中が居たこと、鹿児島朝日新聞他、2紙の新聞があって本土に逐次反愛国主義地の
>報道がなされたこと、天皇教の実験台となったこと、信者をスパイ容疑をかけ銃殺の順位も決めていた。
http://www3.synapse.ne.jp/manga/ikedakenorekishi.htm

>>227
>というか、2chに書き込めて、「ソースがかき出せない。」という状況など
>あるのかいな。良くわからん・・・。
2ちゃんは専用ビュアーを使ってるからね、通常のURAはIEを使っている。
まあ、君が知らないあるいは違った環境もあるってことだよ
この違いに着目できないところが君の限界かもね、弾圧しても良いという認識に通じる
ものを感じるよね。まあ、余談だけど、さ

まあ、オレ自身は、国の方針と考えが違うと弾圧されてもかまわないなんて考え方をしなくていい
人間で良かったと思うよ。
231れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/14 10:09:53 ID:???
>>228
ん?現実的なものだろう。
>>229
馬鹿馬鹿しい。
>>230
其のソースは既に私が>>205で提示している。(爆

二段目:ソースがウェブサイトに限られるという貴殿の発想に限界があるんじゃないの?
最下段:妄想によるレッテル張りは見苦しい。
232右や左の名無し様:05/01/14 10:22:09 ID:???
>>231
>其のソースは既に私が>>205で提示している。(爆
あっ、そう
じゃわかってるわけだ、ソース求める必要もないよね
>最下段:妄想によるレッテル張りは見苦しい。
このことば、そっくり君にかえすよ
>貴殿は似非だね。
>旧社会党の無責任言霊信仰的非武装中立論と同じ思考があるということだな。
233れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/14 10:41:22 ID:???
>>232
ソースにならないでしょう。一方的な言い分がソースになるの?誰が書いているン?

従軍慰安婦であったという女性の証言が、検証されないまま証拠になるかどうか
ということと同じレベルだ罠。
234右や左の名無し様:05/01/14 21:23:21 ID:???
>>「神道側」に小林義則が入るわけか。爆笑・・・

217が言ってるのは石川県護国神社のことだが、
その神社は神道側ではないのか?

あと、神社側が天皇マンセーなのは神社本庁や伊勢神宮のHPを
見るまでもなく常識中の常識だろう。こういったものにまでソースを
逐一提示しないと「れ」は話が理解できないのか??(ソース病?)
235れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/15 09:38:16 ID:???
>>234
天皇が神道の神官の最高権威であることは、別に其のとおりだし、
歴史的な天皇という「神々を認定し位を授ける」立場であったことは事実だから
各神社が天皇に宗教的敬意を払うことは、別に何の問題もない罠。
で、「聖戦祭」は神社主催ではないし、護国神社が其の目的から兵士への顕彰を
行なうことで「慰霊する」という宗教的行為はあるだろう。
しかし、神社が、大東亜戦争は聖戦だったと「主張している」のか、宗教的な
事由によって、祭神にたいして顕彰している行為の一環のかは、まさに其の記述
ではわからないわけで「政治的主張である」と言えるほどに明確なソースになっ
ていない上>>217では参加者の主張がメインになっている。

その程度のソースしかないのなら、「神社は大東亜戦争は聖戦だといっている」
などと表現できるほどでもないし、議論の中で言えば、「モーゼの、信者3000人
虐殺」も「西岸での多くの村落への女子供や家畜までの大量虐殺」も反省してい
ない基督教との対比で、キリスト教は反省しているんなどといっている時点で
無知蒙昧だわさ。

236れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/15 11:21:00 ID:???
誤解を招くといけないので言っておくが「反省していない」という表現は
「反省しなければならない」という意味を含めてのものではない。

宗教と生死観は密接な関係を持つものだが「人を殺すことは一律に悪いことだ」
とする宗教は、さほど、ない。

一神教においては「神が命じる・神が求める」ことは、やらないほうが悪いのであって
真美の命令や求めに応じて、真摯に其の行為(例えば虐殺)を行なえば「賞賛」される。
仏教においてはどうだろう。仏教は、「他者を殺すこと」は基本的には求めていない。
ただ、「不惜身命」というように「飢えた動物の前に其の体を与える」ことは、賞賛さ
れる場合があるほか、一部宗派では「仏罰」が想定され、または「法力」で仏難を排除
することが、結果として殺人を伴うことは、否定されない場合もある。
ヒンズー教もまた、血統承継が時に人の死よりも優位になる場合があるし、輪廻転生を
信じる場合、餓死よりも昆虫や動物の生を優先させることがある。まぁシバ神という
殺戮の神もいるわけだから、「ヒトを殺すことが一律に悪いこと」とはしないだろう。
神道においても、ヒトを殺すことは悪いと一律には否定されない。

さて、では「神が殺人を命じた場合」に「人は従わなければならない」という宗教は、
どれだろう。神道においてそのような神・人の関係はない。ヒンズー教は多様でわから
ない。仏教において、仏が其れを命じることは、本質的にはありえない。(オウムも仏
教だといえば其の通りではあるが・・・。)一神教は其のような神身の命令を、人は聞かなけ
ればならないという関係性が、本質的に存在する。
237右や左の名無し様:05/01/16 00:22:22 ID:???
>>219
>どちらの動機によるものなのかを検証もせず宗教弾圧であると言うのはおかしい。
どちらの動機でも「宗教弾圧」だよ。
弾圧の動機が例えば「宗教の教義上の問題」であろうが、「戦争遂行のための治安維持など何らかの世俗的な理由」であろうが、何ら具体的な犯罪を犯してもいないのにある特定の宗教の信者や団体を弾圧すれば「宗教弾圧」になる。
238右や左の名無し様:05/01/16 00:36:55 ID:???
>>236
>神道においてそのような神・人の関係はない。
それは逆に言えば、人間が自分の判断で人を殺すことを何ら制止することはないことを示しているよな。
つまり、一神教においては「神が人を殺せと命じた時『だけ』」に限定され、むしろそうでない限りは少なくともキリスト教においては(つまり新約の時代においては)「敵を愛せ」と神は人に命じており、
また神は「ひとり子を世に与えるほどに人を愛している」のだから神が「人を殺せ」と命じることはそもそもありえないのであり、実際には人を殺すことが正当化されることはないことになる。

それに対して神道においては、神の命令に従う必要がない、というより神は人に語りかけることすらないから、いつでもどこでも誰でも人を殺すことが可能だという事になる。
かように、神の命令に従う義務というものを想定しない宗教は極めて危険なのである。
239右や左の名無し様:05/01/16 00:44:45 ID:???
>>226
>「個人の尊厳を守るための自衛戦争さえ反対すべきだ」と反省した
ん?そんなことしたのか?
あくまで日本が行った侵略戦争に加担したことを反省しているんじゃないのか?
240右や左の名無し様:05/01/16 02:57:34 ID:???
>>235
>「モーゼの、信者3000人
>虐殺」も「西岸での多くの村落への女子供や家畜までの大量虐殺」も反省してい
>ない基督教
そんな事実はないだろ。仮にあったとしても、それらは「神の命令」に基づいてなされたことであって、反省云々の問題ではないでしょうよ。
241れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/16 09:29:44 ID:???
>>237
其れは言葉遊びに過ぎない。その意味で言えば「妥当な宗教弾圧」「合理的に許される
宗教弾圧」というものがあるという定義で議論すれば良いし、私は其れでかまわない。
国の行為の妥当性という議論の中で、治安維持のために行なう宗教に対する強い抑制や
制限などを『宗教弾圧」と呼ぶなら、『妥当な宗教弾圧』です。
>>238
あなたの主張からすると、「指示命令」だけが人をして「殺人の抑制」となり得ると
いう結論に至りますが、現実には「道義」「慣習」「同じ人間からの圧力」「タブー」
なども其の動機になります。
事実、日本ではおそらく世界で最初に死刑制度を廃止し、軍隊を廃止し、人を殺す武器
を一般が持たない制度が確立していますよね。
>>239
ソースを示して其れを論証してください。
>>240
すぐ下に>>236さえも読めないのですか?反省していないし、反省する必要も、彼らに
おいてないでしょう事は書いてありますが・・・。
で、そんな事実があったかどうかといえば、其れらしき事はあったでしょうし、其れ
よりも重要なことは「聖書にかかれていることは真実である」と考えるカトリック教徒
にとって、「其れは事実で疑いようがないこと」と信じられているわけです。
彼らにとっては事実であり、あなたの言うように神に命じられたことですから、
反省などする必要もない。
で、逆に日本の戦争には反対しなかったことを反省している。西岸での行為は侵略であり
虐殺です。これを反省せず日本の戦争は侵略だからといって反省する。
つまり彼らにとっては神がすべてであり、日本という国よりも重要なのです。
だからこそそこに「国の存亡を賭けた戦いにおいて国が基督教徒を監視し、あるいは抑
制し制限するのは合理的理由がある当然のことですね。
242右や左の名無し様:05/01/21 02:10:07 ID:???
>>241
>「道義」「慣習」「同じ人間からの圧力」「タブー」など
それは宗教じゃない罠。もちろんそういう世俗的な縛りによって人間の行動に一定の制限を課されうることは否定していないだろ。
あくまでも「宗教として」人間の行動に対する制約原理として機能しうるかどうかという点を問題にしている。
243右や左の名無し様:05/01/21 02:18:09 ID:???
>>241
>西岸での行為は侵略
神の命令に基づいて行っているのだから、「侵略」とはいえないだろう。
神が世界を支配しているのだから、むしろ「神の領域内」での「制裁行動」ともいえる。

>神がすべてであり、日本という国よりも重要
神に従うことと、国を重んじることは必ずしも矛盾しない。
むしろ教会は信徒に対して各国家の世俗的権力による支配には服するように命じているのだから、神による命令によって信徒の国家に対する忠誠は強まる場合もある。
244右や左の名無し様:05/01/21 02:20:58 ID:???
逆に言えば、神道は信者に対してそういう縛りを全く掛けないから、神道教徒は自分の勝手な判断で行動し、挙句の果てには「天誅」などという名目を勝手に使って国家の法を無視し、犯罪行為を行っているのが一般的である。
245右や左の名無し様:05/01/21 09:00:47 ID:wL8D08+k
246れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/21 09:48:06 ID:???
>>242
意味不明、貴殿の元々の主張は
「神の命令に従う義務というものを想定しない宗教は極めて危険なのである。」(>>238
であり、其れは間違っていると、私は言っている。
神の命令に従う義務がなくとも、当該宗教から派生する、道義・慣習・圧力・タブーが存
在すれば、危険ではない。それはわが国の史実が証明している。

>>243
だから、彼らにとって侵略ではなく、しかしながら信仰を別とすれば侵略に他ならない。
必ずしも矛盾しないが、実際に彼等カトリックは、日本の戦争と西岸の侵略について
矛盾しているではないか。
強まる場合というのは戦中のカトリックであり、其れも間違いのない事実だけれども、少
なくとも彼らの本質は、矛盾すれば神につく。

>>244
「神道教徒」などという実体のないコトバでレッテルを貼ろうとしている以上、単なる無
知か、あるいはヴォケであるから、議論をするに値しない。
247ご意見番:05/01/21 17:23:03 ID:+G0iDSeX
宗教は人間が創ったものである。
神がいるならスマトラ沖地震は起こらない。
248右や左の名無し様:05/01/23 01:52:44 ID:???
>>246
>当該宗教から派生する、道義・慣習・圧力・タブーが存在すれば、危険ではない。
だったら、そういう宗教が存在する国においては、刑罰によって規範遵守を強制する必要もないし、国家が権力行使して治安維持に当たる必要もないという結論になりかねない罠。
道義や慣習などといったものは曖昧で抽象的だし、まただからこそ人々の自由を不当に侵害する危険性すらも存在するといえる。
人間が遵守すべき明確な規範を神がはっきりと定めれば、人々が何を守りさえすれば罪とならず断罪されないかがはっきりして自由な行動をする可能性を保障するし、また遵守する義務を課すことによって秩序維持も可能となる。
逆に、そういう面を有しない宗教は人間に自由を提供するという点でも、また秩序を維持するという点でも全く無力といって構わないのでは。
249右や左の名無し様:05/01/23 02:17:06 ID:???
>>246
>矛盾すれば神につく。
それはキリスト教徒に限らないかと。
だからこそ、西欧においては「王権神授説」などによって国王の権力を基礎付けようとしたし、日本においても天皇を神格化して国家の権力を正統化させようとしたのだろう。
人々が自分達の利益確保を実現するために人為的に編み出した一つの擬制に過ぎない「国家」だけでは、国民の「自発的」な従属を得るには無力すぎるのだろう。
従って、国民を効率よく統治するためには、むしろ「国家」の側が少なくとも「神」に矛盾しないように、できれば「神」に適うように振舞う必要があるといえよう。

>実際に彼等カトリックは、日本の戦争と西岸の侵略について矛盾している
だから、彼らの価値基準に基づけば、日本の戦争はれっきとした「侵略」であり、「西岸」は「侵略ではなく、むしろ正しい神による征伐」ということになり、一方は糾弾し他方にはしなくても矛盾はしていないのである。
それを矛盾していると見ることは可能であろうが、それも同様に彼らとは「別の価値基準」に基づいた判断に過ぎないのであって、異なるのは「判断の基礎を成している価値基準が別である」という点だけなのである。
250右や左の名無し様:05/01/23 02:22:25 ID:???
>>246
>レッテルを貼ろうとしている
レッテルではなくて、実際にそうだろうが。w
某会社社長が首相の「靖国神社の参拝」に対して懸念を表明しただけで、彼の自宅に火炎瓶を投げ入れたり銃弾を送りつけたりしている連中がいることは知らないわけではあるまい?

まあ、「神道教徒」と言う言葉が気に入らないなら、「神道を重んじているような連中」と言い換えてもいいが。
251れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/23 10:13:45 ID:???
>>248
規範と、規範の根拠とは違う話である。バカダネー

>>249
>それはキリスト教徒に限らないかと。
おっしゃるとおりかと。「王権神授説」は王家の正統性付与だけじゃないんだよ。
カトリックが供給する「善政の規範を統治側に義務付け、そう機能した」という側面
も理解すべきだな。

で、話しているのは「神の命令」と「わが国という枠組みの維持」が対立する危険性が
あるわけで、その状況下において、国は国民の幸福に寄与するために、そのような神を
信仰する団体や信徒を、管理する義務がある・・・ということだよ。

>>250
馬鹿な行動は、彼が馬鹿だであることに起因するわけで、宗教に起因するわけではない。
であるから、基督教徒も、仏教徒も、回教徒も、無神論者も、火炎瓶や銃弾を用いて、馬鹿な
攻撃を行なう。そこを理解できない貴殿も・・・略w
252右や左の名無し様:05/01/23 11:03:18 ID:???
>馬鹿な行動は、彼が馬鹿だであることに起因するわけで、宗教に起因するわけではない。
これを読んで何かに似てるなぁ〜、と思ったら
全米ライフル協会の言い分とおんなじだ!
253右や左の名無し様:05/01/24 10:59:40 ID:6xOUgQPZ
創価&公明
http://yy21.kakiko.com/bifidus/

なるほど・・・・・・
254れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/24 18:22:52 ID:???
>>252
「銃が人を殺すんじゃない。人が人を殺すんだ。なぜ銃を持ってちゃいけないんだ」
という映画スターの言い分のことか?これと
「馬鹿な行動は、彼が馬鹿だであることに起因するわけで、宗教に起因するわけではない。 」
は意味が全然違うだろうよ。

銃は規制できるが、馬鹿も宗教も規制できない罠。
もっとも、銃の所有と携帯は憲法で認める権利(これも人権?)なんだから、
規制できないというなら、似ているような意味になるかもしれないが・・・。
255右や左の名無し様:05/01/24 22:30:45 ID:???
とりあえず、これまでのれれれのおぢさんの主張を纏めると、
1.神道は信者に対して規範の遵守を命じないし、それどころかそもそも規範を
提示しないから、殺人やテロ行為に対して規範的な障碍をもたらさないし、更に
は信徒に自由な解釈を認めるために、そういう反社会的な行為に対して積極的な
動機付けさえ与えてしまう恐れすらあり、少なくともキリスト教などの他の宗教
と比較すると極めて危険かつ野蛮な宗教であるということができる。
2.神道は人々が遵守すべき客観的な規範を明示せず、また規範の遵守も義務付
けないから、社会の秩序維持に神道は全く役に立たない無用の長物であり、また
反面で明確な規範を持っていないくせに突然「天誅」などと叫んで人々に罰を与
えてくる恐れがあるから、人々を萎縮させ自由に行動できるようにすることもしない。
3.神道は結局のところ、為政者の勝手な解釈を許してしまう危険性を包含して
おり、為政者による民衆支配の道具になる存在であって、まさに為政者にとって
の「御用宗教」に過ぎないのである。
4.また神道は、知人の葬式に出席した者は「穢れている」などとして失礼にも
排除する反面で、戦争で多くの人々を殺傷した戦犯やキリシタンなどの無辜な一
般市民を殺戮した残虐な為政者を神として祀るという、重大な矛盾を内包している宗教なのである。
ということになると思うが、それで構わないのだろうか?
256右や左の名無し様:05/01/25 00:01:35 ID:???
>>251
>国は国民の幸福に寄与するために
だから、そこが大きな矛盾なんだよ。
「幸福」なんてものは、例えばある人にとっては会社に尽くして企業戦士として一生過ごすのが「幸福」だと感じる人もいれば、別の人はそれはまさに地獄でありむしろ自由に世界を放浪するような人生が「幸福」だと感じるといった風に一人一人違うのであって、
国が国民に「幸福」なるものを押し付けるのは、丁度戦前の日本において「天皇のために死ぬのが『幸福』だ」と信じ込ませたように、結局圧政を敷く全体主義国家なのだよ。
むしろ逆に国は国民が自由に自分なりの「幸福」を追い求められるように必要な条件整備を行うのが役割なのであって、ある国民にとって特定の神を信じることが「幸福」なのであれば、それを最大限尊重すべきだろ。

>基督教徒も、仏教徒も、回教徒も、無神論者も、
問題の主眼はそこじゃなくて、そういう「馬鹿な行動」を直接的に抑止する機能を神道は有していないということ。
しかしキリスト教徒や仏教徒が、ある特定の発言をしたということを理由に火炎瓶を投入したり、銃弾を送りつけたりしたなんて話は聞いたことがないが。
ほとんど、火炎瓶や銃弾といえば神道教徒の専売特許だろ。w
257れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/25 10:07:28 ID:???
>>255
馬鹿馬鹿しい。

脳が腐っている上に、歴史と宗教について無知なんだろうね。気の毒だなぁ。

>>256
前段:個々で言う国民の幸福とは「国という枠組みが崩壊した国から侵略されることを
防ぐと言うことである。まぁ特殊な一部国民以外は「侵略されること」を
幸福とは思わない。・・・そういう意味以外にないとわかっているような部分でパッチ
ワーク的に言葉を抜き出さないと、反論できないわけ?

後段:直接は抑止できてないじゃん。キリスト教も回教も仏教も。権威がだめと言えば
抑止され得ると言うことに過ぎない。
で、特定の発言をして火炎瓶を投げつけたり、パイプ爆弾を用いるのは、新左翼と
呼ばれた極左の伝統だよ。知らないの?wこどもだねぇ。
銃弾は、基督教徒たる米国人の伝統だ罠。極右はやはり日本刀かドス(顔が見える)が
伝統ではあるだろうな。何かを言った相手にVXガスを浴びせたのは仏教徒だな。
キリスト教の、正義と自由の国アメリカには「銃を所有し携帯する権利」があるんだろ?
人権として。事実として我が国のほうがはるかに平安と言うものは意識されてきたでし
ょう。そもそも新党は平安を祈ると言うのが基本にはなっているわけだから・・・。
258れ ◆r0FmiN9ADk :05/01/25 10:09:11 ID:???
訂正

前段:ここで言う国民の幸福とは「国という枠組みが崩壊し、他国から侵略されることを

ょう。そもそも神道は平安を祈ると言うのが基本にはなっているわけだから・・・。
259右や左の名無し様:05/02/02 01:22:54 ID:???
Gloria in excelsis Deo, et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
Laudamus te, benedicimus te, adoramus te, glorificamus te.
Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam.
Domine Deus, Rex coelestis, Deus, Pater omnipotens.
Domine Fili unigenite, Jesu Christe.
Domine Deus, Agnus Dei, Filius Patris.
Qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
Qui tollis peccata mundi, suscipe deprecationem nostram.
Qui sedes ad dexteram Patris, Miserere nobis.
Quoniam tu solus sanctus, tu solus Dominus, tu solus altissimus.
Jesu Christe, cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris. Amen.
260Luca ◆DyhaFWpT7s :05/02/07 13:31:21 ID:???
しかし、ここまでの議論を読んでいると、信者に自由な解釈を認めるという神道の体質はやはり問題だなと感じざるを得ない。
しかも更に性質が悪いことに、その神道的な悪しき発想を法規範の分野にまで連中は持ち込もうとする。
だから「解釈改憲は問題は無い。むしろそれは日本の伝統なのだから尊重すべき」といったような妄言が出てくるのだろう。
261れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/07 14:20:44 ID:???
>>260
プロテスタントに自由な解釈権はないのですか?
262Luca ◆DyhaFWpT7s :05/02/08 02:07:23 ID:???
>>261
プロテスタントは、カトリックが従来取り入れてきた「伝承」や「異教的な風習」を排除して、「聖書により忠実であるべき」という運動なわけで。
そもそも「聖書」という絶対的な根本規範があるという点で、そのようなものが「全く無い」神道とは180゜違うでしょうよ。
263れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/08 20:07:28 ID:???
>>262
神道にそのようなものがないんだったら、解釈のしようがない罠。ばか?
>信者に自由な解釈を認めるという神道の体質
もなにも、教義・経典があるから、解釈が必要なわけで、其れがないんなら
解釈の必要性がない。www

で、「ローマ教皇を頂点とした聖書の解釈権」をプロテスタントは排除した。
これが事実であって、結果、カトリックの神父などが、解釈権の行使として
やっていた「伝承」や「異教的な風習」が排除されたんだよ。
分かるかなぁ〜〜〜。

プロテスタント運動以前は聖書に忠実であるも何も、聖書は民衆において読むこ
とさえ出来ないものだったわけで、
其れまでの聖書は、そもそも皆が読める言語で書いてさえなかった(それは、
今でもコーランが翻訳されにくいことと同じ理由だよ)し、配布もされてい
ない。神父以上の人だけが見ることが出来、彼らの解釈で信者に説明する、
そういうものだったのさネ。で、印刷技術の発展とともに、プロテスタントは
聖書を配り、また翻訳して、各自が読んだ上で、それに忠実であろうとした。
そういう理解がないと、まぁ解釈権の議論は無理じゃないの?

264Luca ◆DyhaFWpT7s :05/02/09 00:47:27 ID:???
>>263
>教義・経典があるから
だから教義・経典はあるだろうよ。それがなかったら宗教とはいえん罠。
問題としているのは、信者が遵守しなければならないような規範・戒律が存在するかどうかということ。

>結果として「伝承」や「異教的な風習」が排除されたんだよ。
本末転倒。プロテスタントは別に「教皇から解釈権を奪うこと」自体を目的とした運動ではない。
聖書には根拠がないにも拘らず教会が従来慣習として行ってきたような悪弊を改め、より聖書に忠実であるべきだと主張して始められた運動である。


>皆が読める言語で書いてさえなかった
聖書に忠実であるかどうかと言うことと、皆が読めるかどうかということは別問題だろ。
聖書を皆が読めるようになった現代でさえ、カトリック教会においては聖書の解釈権は教皇庁が掌握しているし、聖書に直接的な根拠のない伝承や慣習を保持しているのだから。
265れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/09 13:25:36 ID:???
>>264
>だから教義・経典はあるだろうよ。
具体的に何?名称を明確に。

>自体を目的とした運動ではない。
ばかだなぁ、聖書に忠実であるためには、聖書を読み「解釈する」必要がある。
聖書に忠実であるとか忠実でないという判断こそ「解釈権」だよ。
君宗教議論に向いていない罠。

>聖書に忠実であるかどうかと言うことと、皆が読めるかどうかということは別問題だろ。
いまでこそカトリックも聖書を配布しているが、其れはプロテスタントの行為だったわけ
ですよ。で、解釈はイロイロあるさ。聖書の範疇も宗派によって異なるんだよ、知ってい
る?で、プロテスタント以前は、解釈権の最高権威はローマ教皇であり、最下位は神父でしか
ないわけだ。なぜなら「信者」は読むことも見ることも出来ない代物だからだよ。
見たこともない、神父からしか聴いたこともない人が、どうやって聖書に忠実になれるんだ
よ。大爆笑だね、貴殿の言い分は。
>聖書に忠実であるかどうかと言うことと、皆が読めるかどうかということは別問題だろ。
ああ笑わせてもらった。読みもしないで忠実でであることがどうやって可能なのか、
説明してくれるか?www
266Luca ◆DyhaFWpT7s :05/02/10 01:54:16 ID:???
>>265
教会が聖書の解釈権を独占している若しくは聖職者エリートしか聖書が読めないなら聖書に忠実であることは一切なく、一般信徒が聖書を読むことができさえすれば必ず聖書に忠実であるとでも思い込んでいるのか?
繰り返すが、プロテスタント運動の主たる動機は「教皇庁からの解釈権の剥奪」ではなく、「異教的な要素や悪弊を排除して聖書に忠実で純粋な信仰に立ち帰ること」だよ。
ルターらが当初目指したことも、「新しい独自の教会の樹立」ではなく、あくまで「教会の刷新」だったからな。

>「解釈権」だよ。
「解釈権」がなくても事実上解釈することはできる罠。
ただ、その解釈が異端として排除されるか、或いは「正統性」を付与されるかという点が「解釈権」の問題になるわけで。

>プロテスタント以前は、解釈権の最高権威はローマ教皇であり、最下位は神父でしか
>ないわけだ。なぜなら「信者」は読むことも見ることも出来ない代物だからだよ。
今でもカトリック教会において解釈権を掌握しているのは、教皇をトップとする教皇庁だがね。
しかし、だからといって現在のカトリック信者が聖書を読むことも見ることもできないかといったら、違う罠。
267れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/10 13:32:43 ID:???
>>266
>だから教義・経典はあるだろうよ。
具体的に何?名称を明確に。 (二回目)

>一般信徒が聖書を読むことができさえすれば必ず聖書に忠実であるとでも思い込んでいるのか?
君、論理的思考の素養がないねぇ。
読めなきゃ忠実であると彼らが判断することことは不可能だといっているだけ。

>「解釈権」がなくても事実上解釈することはできる罠。
はぁ?話しにならない。「権」という意味を考えろ。

最下段は、当スレ二段目に戻る。

無理なことに口を突っ込まないほうがいいと思うよ。w
268右や左の名無し様:05/02/11 09:03:51 ID:???
経典はともかく教義=神道のお約束ってのは存在するわな。
誰かさんが説明してるしw
269れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/11 12:52:00 ID:???
>>268
お約束とか基本的な理念とかそういうものはある罠。
ただそれは、そもそも多神教においては、その各々の神々との関係で
変化するもので「一体的な解釈」というのはない。
(共通するのは、多神であることを承認するということぐらいでしょう。)
「ニ礼ニ拍手一礼」さえも共通ではない。誰が神であるかの認定も、天皇は
関与しない。

解釈権を行使する教義というものはないんじゃないの?

お約束もみんなで作っていくもので「その神々ごと」に違ってしかるべきな
んだから・・・。無論天皇家が祭祀している神々については、天皇家が振る
舞いや所作や考え方を設定するよね。でもそれはその神々についての限定的
なことで、神道に関する解釈権と言うことではない。
270右や左の名無し様:05/02/14 01:02:52 ID:???
>>267
横レスすみませんが。愚見を簡潔に。

>具体的に何?名称を明確に。
土地によって話が全く違ってたりもする。
当然統一した教義は存在しない。
国家神道も神道の一つの型であって、神社神道とは違う。
国家神道以後は日本書紀や古事記がバイブル的役割を果たしてるけど、
実は統一した信仰は最初から存在してなかったりもする。
色んな氏族の信仰が並存していてややこしい。
そこがユダヤ系宗教(実際はどうか知らんけど)と全く異なるところ。
色んな精霊信仰・先祖信仰・シャーマニズムが神道という枠の中にあるって感じ。

でも、源はひとつというところもあって
単純に西洋人的価値観においての多神教といえるのかといえば難しい。
西洋の価値観が全く通用しないややこしい宗教。

といったところでしょうか。
271れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/14 09:41:26 ID:???
>>270
まぁ、安易に国家神道などとかくと、またぞろ、議論勃発となるかもしれないが
まぁそれはそれでいいんじゃない。
天皇に教義解釈権があるわけでもなく、皆が、その各々の神々との関係性で、振る
舞いやタブーや所作を決定付けるということである。
つまり解釈権を行使する対象としての神道教義いうものは存在しない。

具体例を出せば、「出雲大社」においては、オオクニヌシに正対して拝礼は行な
っていないし、注連縄も逆方向で、本来的に縁起の悪い「4(シ)」礼が振る舞
いが定められている。神無月には出雲地方は「神有り月」であるが、神無月に出
雲に集まらない神々も、一部存在する。

で、源は別々である。其れを調和させているのが天皇という霊的権威であり、その
調和は各々の神々の調和ではなく、民衆側を調和させているのである。
多神であることを知らしめ、各々の神々を尊重すべき対象として理解することの
必要性を共有することが天皇の権威によって成されてきたということである。
272右や左の名無し様:05/02/17 15:36:06 ID:???
◆ インターネットで潰す創価学会 第3弾 ◆
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1105069559/l50
273Luca ◆DyhaFWpT7s :05/02/20 00:19:48 ID:???
>>267
まぁ、神道が明確な教義すら持ち合わせていないようないい加減な宗教だ、というあなたの意見には同意するよ。
やはり、日本において人権や個人の尊重・法治主義といった理念を定着させる上で最大の阻害要因となっているのが神道であることは明白だな。

>彼らが判断することことは不可能
だから、どうして信者の判断が正しいと言い切れるのか?
結局のところ、純粋に聖書に忠実な解釈を採るにしても、或いは旧来の伝統や慣習をも温存した解釈を採るにしても、専門知識のある聖職者エリートの判断に拠らざるを得ないだろ。
274れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/20 09:22:06 ID:???
>>273
明確な狭義がない≠いい加減

>だから、どうして信者の判断が正しいと言い切れるのか?
おまえ馬鹿か?「誰が」正しい・忠実である、と「判断するのか」と言う問題だろうが。

「カトリックは、忠実でない解釈をしている」という判断は、バチカンの判断じゃない。

>専門知識のある聖職者エリートの判断に拠らざるを得ないだろ。
まさか「牧師」を「解釈権のある聖職者」と言っているのか?無知は哀れ。
275Luca ◆DyhaFWpT7s :05/02/21 03:34:17 ID:???
>>274
>明確な狭義がない≠いい加減
神道は、明確な教義もないし、信者が遵守すべきだとする規範もないのだから、結局民衆を支配するために都合のいい解釈を権力者がすることを許してしまう「いい加減な宗教」だと十分言えるだろうよ。

>「誰が」正しい・忠実である、と「判断するのか」と言う問題
だから、一般信徒が行う必要はないだろうということ。
実際、宗教改革を先導したのはルターなどの専門知識のあるエリートだっただろ。

>「牧師」を「解釈権のある聖職者」と言っているのか?
信者を導く指導者だと言っているのだが。
276右や左の名無し様:05/02/21 05:38:25 ID:yk4oE3an
なんだ聖職者エリートって創価か?
277右や左の名無し様:05/02/21 08:53:32 ID:???
神道に明確な教義がないのは当然で、古代の土俗信仰に仏教や道教、儒教などを取り入れて
体系化してきたものだからじゃないだろうか。歴史的に見ると、神道は外来宗教と習合したり
分離したりして発展してきておりいわばその柔軟性が特徴。これは閉じた日本だけの土着宗教という
特性だから可能だったのだろう。キリスト教やイスラム教、仏教の様な世界宗教ではこうはいかない。

現実的に見れば神道が日本の為政者によって民衆支配を企てたといえるものは、平安期の延喜式と
明治期の大教宣布の詔だろう。後者は紆余曲折を経て結局は失敗している。仏教側を取り込んだ事と
神官を世襲禁止の公務員の様な存在に位置づけする事への反発もあったからだ。
結果として、政府は神道に説教と葬儀を禁止し一般宗教と分離した存在として位置づけた。
これが一層神道と世俗の乖離をもたらし、宗教としての曖昧さを加速させた遠因となった。

もう一つ重要な出来事は戦後の国内での人的流動だろう。経済成長に伴い産業構造が変化すると
農村部からこぞって都市部に人口が集中し、核家族化が加速した事で共同体の核となった「氏神」
の存在は希薄となり信仰宗教が隆盛した。新たな生活スタイルが旧態の宗教を凌駕したのだ。
278れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/21 09:33:36 ID:???
>>275
遵守すべき規範がないのに、民衆支配に利用できると言う発想がそもそも
ワケワカメ。頭悪すぎ。

>だから、一般信徒が行う必要はないだろうということ。
一般信徒が行なう必要性を認めないなら
プロテスタントはなぜ、必死に「聖書の配布」を行なったんだ?

>信者を導く指導者だと言っているのだが。
まぁ、無知も体外に出しなさい・・・いや、たいがいにしなさい。
「解釈権」がないのにどうやって「指導」できるんだよ。

キリスト教と言うものの理解がないのでどうにもこうにも、教えてやること
鹿で着ないわけだが、基督教徒は「聖書は真実」であり「絶対のもの」である。
しかしながら、回教と比較すれば「神の手によってでもなく、大天使からの直接
の言説でもなく、救世主たる基督の手によるものではない」ぶんだけ「解釈」に
幅がである。信徒を導くためには「解釈」が必要であり、神父(司祭)はバチカ
ンを頂点とする組織の一員である。牧師は違うだろう。誰によって彼は牧師にな
るのか調べてみんさい。
279右や左の名無し様:05/02/21 13:39:48 ID:???
というかさ、下らない神道に関する議論をいつまでしているの?
神道に関しては↓これで決着が付いているから、もういいじゃん。w

1.神道は信者に対して規範の遵守を命じないし、それどころかそもそも規範を
提示しないから、殺人やテロ行為に対して規範的な障碍をもたらさないし、更に
は信徒に自由な解釈を認めるために、そういう反社会的な行為に対して積極的な
動機付けさえ与えてしまう恐れすらあり、少なくともキリスト教などの他の宗教
と比較すると極めて危険かつ野蛮な宗教であるということができる。

2.神道は人々が遵守すべき客観的な規範を明示せず、また規範の遵守も義務付
けないから、社会の秩序維持に神道は全く役に立たない無用の長物であり、また
反面で明確な規範を持っていないくせに突然「天誅」などと叫んで人々に罰を与
えてくる恐れがあるから、人々を萎縮させ自由に行動できるようにすることもしない。

3.神道は結局のところ、為政者の勝手な解釈を許してしまう危険性を包含して
おり、為政者による民衆支配の道具になる存在であって、まさに為政者にとって
の「御用宗教」に過ぎないのである。

4.また神道は、知人の葬式に出席した者は「穢れている」などとして失礼にも
排除する反面で、戦争で多くの人々を殺傷した戦犯やキリシタンなどの無辜な一
般市民を殺戮した残虐な為政者を神として祀るという、重大な矛盾を内包している宗教なのである。
280右や左の名無し様:05/02/21 13:52:05 ID:???
>>278
>遵守すべき規範がないのに、民衆支配に利用できると言う発想がそもそも
>ワケワカメ。
遵守すべき明示された規範が無い方が遥かに民衆支配の道具として効果的。
規範など勝手に作って押し付ければよいのだからな。
規範があると称する宗教も最初は誰かによって押し付けられ
その後の誰かの都合に従う解釈という強制を押し付けられているに
過ぎない。どのような規範を創出しようが新たな解釈を付け加えようが
それは権力者の自由だ。神や仏自身が立ち現れてそれは間違っているぞ
などといって罰を与えられる心配など全く無いのだからな。
281れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/21 15:43:28 ID:???
>>280
何かしらの宗教に「遵守すべき規範がない」けれども「信者はあると誤解している」
ならば可能だけれども、神道は「多神である」からこそ「共通規範がない」わけで、
共通する認識は「多神であることの承認」なんだから、誤解しないでしょう。
全体で共有する規範はないが各神々ごとに規範はあるわけだから。

というか戦前の国民も、天皇や靖国に接しているときは、それに従順だけれども
他の神社に出向けば違うことをやる(出雲の例は出したよね)し、基督教徒は
結局バチカンに対して確認をしているじゃない。仏教も同じだよね。仏教の宗派の
トップが了解承認して初めて国に協調しているよ。

妄想が過ぎると言うか、実際には一神教のほうがはるかにそういうことをやってき
たわけでしょう。一つしかないんだから、権力者はその根っこを握れば良い。
バチカンあるいは回教では宗教指導者(=教義解釈権者)。
現実と異なる妄想を、単なる無知な想像で書き立てるのは、お行儀が悪い上に、あな
たの品性まで・・・リャク www
282れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/21 19:02:45 ID:???
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1107216293/151
に提示してある明治立憲における「起案ノ大綱」での神道の評価は

「~道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すと雖、宗ヘとして人心を歸向せしむるの力に乏し。」

である。「民衆支配の道具」にはならないと伊藤博文は評価し、立憲の大綱が考えられた。
いいかげん「神道憎しの悪玉論妄想」は、止めたほうがよい。
283右や左の名無し様:05/02/21 23:58:15 ID:???
なんかの本に、
神道の教義は清潔にすること、ただそれだけだ
とあったけど、それほんと?
284れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/22 09:28:20 ID:???
>>283
「だけ」というのもなんだけれども「所作も含めて清浄を求める」というのは
事実でしょ。最近もウィルスも知らなかった時代だから。

というか元々神道のひとつの思想である「穢れと清め」は我が国の温暖な気候と
それから水資源の豊富さが無関係ではないと思えるのだが、短絡的に言えば
「衛生観念」について「神々の振る舞いではなく、穢れと言う概念」で説明してきた
ことはあると思うよ。で、神聖なる神々の前で、穢れていることはよろしくないと言う
発想から、清潔にするというより清浄にするということが求められたんでしょうね。

285リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :05/02/23 19:35:19 ID:+nPebtrR
>>284
>というか元々神道のひとつの思想である「穢れと清め」は我が国の温暖な気候と
>それから水資源の豊富さが無関係ではないと思えるのだが、
インド系の人種の作法で東南アジア系のエミシやハヤトには無い。
286リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :05/02/23 19:51:29 ID:+nPebtrR
物凄い疑問なんだが「れ」は網野善彦のどの本を読んだんだ?
今、「日本とは何か」を読んでいるがお前の考えとは全く違う物だぞ。
287右や左の名無し様:05/02/23 21:02:00 ID:gE6wot1M
「暗殺未遂、背後に共産圏」ローマ法王が新著で示唆
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050223i512.htm
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は23日発売された新著「記憶とアイデンティティー」の中で、81年の法王自身に対する
暗殺未遂事件について、犯人のトルコ人服役囚が「雇われた」と言及して、単独犯行説を否定した。
また、「20世紀に現れた、ごう慢なイデオロギーの最後のあがきの一つ」だったと述べ、当時のソ連・東欧の共産圏諸
国が背後で関与していたことを示唆した。

↑左翼ってさぁ、ローマ法王を殺そうとしたりするんだね。
日本じゃ天皇を狙うし、人類社会の敵だね。ジョンイルをはじめとして。
288右や左の名無し様:05/02/24 00:55:17 ID:???
>物凄い疑問なんだが「れ」は網野善彦のどの本を読んだんだ?
れたんは大して読んでないでしょ
予想として精々1〜2冊。その中で自分に都合がいい部分だけを抜き出して
「網野さんは〜」なんて引用している。
網野史観はれたんには一生理解できないと思うよ。
289れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/24 09:25:45 ID:???
>>285-286
>インド系の人種の作法で東南アジア系のエミシやハヤトには無い。
なにも、必ず同一の作法が生まれるなどとは妄想しておらんよ。常識でしょう。

>今、「日本とは何か」を読んでいるがお前の考えとは全く違う物だぞ。
ある本を読んだということと、主義主張が異なると言うことの、関連が
わからない。学術的書物の読み方として、著者の主張の部分と、研究により
証明された史実の部分との分別が出来ないのは、哀れだねぇ。

其れだけを読んでいるわけではないから、全体的な把握と言うものが、例えば
網野氏の著書に出てくる「研究によって分かった史実」とどう関連するか、
著者の全体的な把握や評価が、他の書物の史実や主義主張と対立するかどう
か等を検討し、自身の判断をする。
私はアミノ酸(w)の著書を良く引用するが、それは右よりの人の著書を引用すれば
「誰が書いたか」を論う馬鹿が出てきて、うっとうしいからに過ぎない。
290右や左の名無し様:05/02/24 10:25:09 ID:5n4uLGed
ケガレは関西と朝鮮の伝統。
だから関西と朝鮮には被差別部落が多い。
291れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/24 10:45:20 ID:???
>>290
んー半島にもそういう差別が皆無ではないらしいが、極めて稀と言うか
そのような事象であると思っていたが、半島に多いという確証が分かる
資料はあるのかな?
西日本と東日本の文化やタブーの違いは、上にある網野さんの研究でも証
明されていて、部落差別と呼ばれる事象は西日本において顕著であると言う
部分は同意だが・・・。
292右や左の名無し様:05/02/24 12:24:58 ID:5n4uLGed
朝鮮の件は言語学、民俗学的な調査がこれからの課題だとの事。
後、網野史感では関西と言うより九州北部から近畿地方は
現在の日本の中で特異な文化圏という感じ。
南から大まかに隼人、大和、関東、夷という別々の文化圏がある
と考えるのが妥当。
現に江戸時代末期の九州には間引きした子供を食べるという風習があったが
大和には理解しがたい事だろう。
293れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/24 12:30:45 ID:???
294れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/24 12:40:54 ID:???
>>293はミス。スマソ

>>292

>>290 の「だから関西と朝鮮には被差別部落が多い。」という記述の
「朝鮮」については「言語学、民俗学的な調査がこれからの課題だとの事。」
ということね。了解。

で、異なる文化があった(過去形)と言うことは事実だろうし、現代においても
地域ごとの違いはあるのもまた事実だね。
間引きした子供を食べるとか、切り刻ざむという風習があったというのは間違いな
いだろうし 、其れはそれで理解可能な振る舞いでしょう。
おそらく食べるのは「体内に戻す」とか「生命の再生」が動機だろうし、切り刻む
のは「其の胎児のままでの再生防止」が動機でしょう。
そういう、民族とか地域における文化やタブーなどを、個々に承認しつつ、統治に
影響ある部分について共通規範を作っていく場合、この世は多神であるという認識
を共有する手法は良好な結果を(一神教よりは)もたらす罠。

295右や左の名無し様:05/02/24 13:11:56 ID:5n4uLGed
文化は関西を中心にまとまっていったわけだが
政治的なシステムは関東を中心にまとまっていないか?
296れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/24 13:14:01 ID:???
>>295
時代によるでしょう。飛鳥は政治的な中心地でもありましたし・・・。
297右や左の名無し様:05/02/24 13:39:27 ID:5n4uLGed
南北朝以降から政治的なシステムは関東を中心にまとまっていない?
後、ケガレは全国的な文化では無いという事じゃないの?
298れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/24 14:20:30 ID:???
>>297
其の中心と言う内容は「文化的な傾向」とか言う視点(切り口)を言っているの?

で「穢れ」と言うのは神道的な衛生観念の思想が発端でしょう。
「穢れ」と言う思想自体の全国的な規模での存在は、単純に言えば、農耕作や酒作り
における振る舞いとしても存在するし、まぁ端的には神社仏閣における振る舞い
と言うレベルで存在はする罠。
無論、武家と言うのはそもそもが穢れた職能なんだから、それをして東国に穢れの
思想がないといわれれば、思想はあるとしか言いようがない。
というか曖昧模糊としているから。いろいろ想像してレスしているが、其れは其れ
でつらいものがあるから、貴方の考えと其の論述を多少なりとも披露すればいいの
にと思ったりしている。
299右や左の名無し様:05/02/24 14:51:05 ID:5n4uLGed
日本の場合政治的なシステムは文化的な傾向より技術的な傾向が強いのでは?
というのが私の考え。
武士の捉え方も東西でかなり違わないかな?
300右や左の名無し様:05/02/24 15:35:11 ID:5n4uLGed
ケガレは日本的な神道だけでなく中央アジア的な衛生観念でしょ。
301右や左の名無し様:05/02/24 15:57:00 ID:???
>>299
>武士の捉え方も東西でかなり違わないかな?
鎌倉幕府は東国武士団が中心だからね。
源氏の頼朝を北条氏らが担いだものだ。
西国で貴族化した平氏のアンチテーゼって意味では
東西の対立という図式も成り立つね。
302れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/24 17:22:12 ID:???
>>299
いや貴方の質問趣旨を聞いているのにさらに質問されても、私はどうしていいやら・・・。

>>301
>東西の対立という図式も成り立つね。
というか源氏・平家と言う権威の根源は朝廷でしょう。武家と貴族の対立はつまり
穢れの思想ですよ。
303右や左の名無し様:05/02/25 04:11:48 ID:???
>>302
ちょっと誤読してない?
鎌倉幕府成立というのは源氏の大将(もちろん皇族の家系だから権威の源泉だよ)を担いだ
東国武士団が西国を中心にした平氏から覇権を奪ったということ言ってるんだ。
平氏が貴族化して堕落したというのは良く言われてることで(おごれる平氏久しからずや)
武士でありながら貴族的になったという意味なんだよね。
304れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/25 10:25:08 ID:???
>>303
誤読していない。今話題にしている「東西の文化の違い」と「東国武士・西国武士」
の対比は、必ずしもリンクしていないと言うことを言っているだけ。
305右や左の名無し様:05/02/25 10:28:03 ID:???
>>304
ああ、やっぱり誤読してるw
リンクしてないってのは君の思い込み以外の理由があるかい?
306れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/25 12:24:35 ID:???
>>305
源氏・平家と言う権威の根源は朝廷
307れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/25 12:36:48 ID:???
源氏の発祥:814年の臣籍降下(嵯峨天皇の皇子皇女32人)
平家の発祥:825年の臣籍降下(桓武天皇の孫王曽孫王)
以降、臣籍降下は源平の姓を名乗るが、10世紀以降、平氏での臣籍降下は途絶え
源氏のみとなる。
(当時の皇室の拡大による経済負担の軽減方法は、寺院のヘッドとするか臣籍降下)

つまり源平は天皇家の子孫であって、文化的には同一。
根源的なタブーとか祭祀にかかる東西の違い(網野さんが言っている、珊瑚の胎盤の
処理とか、歯の処置や、埋葬方法の違いなどに証明される東西の異文化の存在)と
源平の違いは、リンクしていない罠。
308右や左の名無し様:05/02/25 16:10:27 ID:w6NuvZIl
少年のなんとなく人を殺してしまう様な凶悪犯罪が
西側で多いのは何故だろう?
309右や左の名無し様:05/02/25 17:43:19 ID:???
源氏と平氏はどちらが東でどちらが西ということはないらしいよ。
関東にも平氏はいたわけだし。
310右や左の名無し様:05/02/25 18:30:56 ID:???
なんか、誤読したまま変な話題になってるなぁ。
源氏平氏が東西に別れてるなんて誰も言ってないよ。
平将門だって元を正せば平氏だね。だけど東国に土着して坂東武士になってる。
東国と西国の文化の違いは網野善彦も指摘してるとおり、明らかな違いがある。
東国武士団に頼朝が担がれたってのは疑いようがないでしょ。
311れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/25 18:40:04 ID:???
>>310
>源氏平氏が東西に別れてるなんて誰も言ってないよ。
貴方かどうかは分かりませんが、
>西国で貴族化した平氏のアンチテーゼって意味では
>東西の対立という図式も成り立つね。
と言っている人はいるわけですが。

平家も源氏も発祥は天皇家だから、彼らの文化は違わないわけです。
で、もちろん東国武士と西国武士はいたわけで、その彼らが網野氏の言う
東西の文化の違いの担い手かと言うと、なかなかそうともいえないわけで
(無論その東国文化圏の住人からも武士は発生してはいたでしょうが)
なぜなら、歴史的に言えば「朝廷から派遣された受領など」が、領地に残って
武士団を形成した場合も相当に多いからです。(確かマサカドもそういう出自
でしょう)

東西文化を語るに、そのような意味で武士は適当ではないと言うことです。
もっと根源的土着的な相違と言うものがある。
312れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/25 18:57:20 ID:???
で、頼朝も(当然だ罠w)、北条氏(伊勢説が正しければ)も将門も、全部出自は
西でしょう。

で、新田足利・武田・佐竹・平賀・南部・小笠原・松前・柳沢・土岐・太田・池田・浅野
渡辺・松浦(アヤヤw)・佐々木・六角・京極・尼子・黒田・名和・赤松・白川などが
源氏の流れを組むとされる武士(つまり天皇の子孫)です。したがって彼らの文化的根源は
西のそれであると言うことになります。
(祭祀やタブーと言う最も変わりにくい文化は継承されると考えるほうが妥当ですね)
で、これに地域名(姓ではなく苗字)を名乗った源氏が山ほどある。


313リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :05/02/26 02:08:14 ID:G085a0mT
なんか話がずれている
>>299
>日本の場合政治的なシステムは文化的な傾向より技術的な傾向が強いのでは?
>というのが私の考え。
>武士の捉え方も東西でかなり違わないかな?

文化では無く政治的なシステムの差異の話だったはず。
西国では職能民は神仏の権威を背景に特権を保証しているのに対し
東国では将軍家や守護などによって特権を保証されている。
西国では武士を職能民として捕らえているが
東国では将軍家に名簿を捧げて御家人となった者の軍役として武士がいる。
314れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/26 09:19:09 ID:???
>>313
いや、だから、武家の棟梁と言うかヘッドに立つのがすべて天皇家の子孫であるにも
係らず、そのような違いが生じたと言う仮説を提示するなら、その要因を挙げないと
何とも言いようがない上に、宗教とのかかわりをどう説明しようとするのか、
サパーリわからん罠。
315右や左の名無し様:05/02/26 10:10:44 ID:xAlmaiWG
臣籍降下によって神仏の権威から切り放されたのでは?
だから百性に対して実力主義的な傾向が強いのでは?
316れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/26 10:51:40 ID:???
そもそも、武家と言う日本独特のものというのは「穢れの思想」と無関係
ではない。

武家の特殊性:国の軍隊ではないが、国からの命令で動く公的な存在である。

穢れの思想がない国では「国軍、皇帝・王に帰属する軍隊」となるわけだが、
我が国ではそのような地位が平安時代には廃止されている。
言霊信仰と穢れの思想がその動機だろう。
しかしながら現実には軍事力は必要(元寇など)である。現実と言うのは信仰を
超える。(当然だ罠、信仰によって排除されても現実的に必要なら排除できない)

例えば、人を殺すと祟られると言う信仰があるとして、戦国時代において
そんな信仰は現実の中で否定される。信仰にとって最も不都合なことは「現実」
による否定なのである。であるがゆえにインチキ宗教は「死後の世界」を語る。
曰く「地獄に落ちる」「前世の因縁」である。(証明不可能である)
すぐに消え行く宗教は近い将来を予言する。(検証されて否定される)

一方、勝負事というのは「偶然」に頼るところがある。そこに神仏に頼る心境が
発生する。多神である我が国において武家の神々も容認され、天皇の権威で位置
付けられる。多神であるがゆえに多様なグループが統治できると言うことだな。
317右や左の名無し様:05/02/26 12:25:00 ID:xAlmaiWG
つまり、時代が進むにつれて政治に対する宗教の影響力が
少なくなり現実主義になっていく訳だ。
318右や左の名無し様:05/02/26 12:33:01 ID:???
れたんのインチキ宗教の話しで思い出すのは
レーガンの奥さんが夢中になった占い師のことだな。
319れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/26 12:36:13 ID:???
>>317
どうだろうねぇ。宗教側もそれなりに現実に対応してくるわけだから
(カトリックなんか、そでしょ?)一概には言えないかと。

というか、混乱・乱世は宗教界においても混乱、乱世であると言うことで
新たな宗教・宗派の発生や勢力の変化は生むだろうね。
で、平和になれば、また違う形になる(江戸時代はずいぶんに民衆搾取の
集団ではあった罠)。

宗教の発生は相当に遡る歴史はあるわけで「体系化」はすすむが
現実の中で修正変化し残ったものは、影響力が軽減されるどころか・・・。
米国のブッシュ支持層なんかモロ宗教でしょう。
現実と対応させながら推論しないと・・・。
320右や左の名無し様:05/02/26 16:17:18 ID:xAlmaiWG
ところで「すめらぎ」と「おおきみ」の違いってなんだろう?
321れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/26 16:27:00 ID:???
>>320
「すめらぎ」ってたしか「澄んでいる」という語源じゃなかったか?
以前は「統べる」という説が強かったが、今の学説はそうなっているだろう。
オオキミ(オホキミ)は単純に「大君」という意味じゃないの?
322国家や天皇ごとき卑しいものを立ち入らせてどうするんだ:05/02/26 17:29:08 ID:IBFwAN39
羽仁五郎議員(歴史学者)が、議会での発言において、
神がかり的な教育勅語の奉読風景を思い起こさせつつ、「この(教育勅語の)ため、国民があることを正しいことであるか、
間違ったことであるか…自分で判断する習慣を失うことが非常に有害であった」と批判したことは注目される。
http://zenkyoto68.tripod.com/kyoikucyokugo01.htm
彼がそれについて、ある高校で講演した際、「羽仁先生は教育勅語は非常に有害なものであったといわれるけれども、
あれに書いてあることは、兄弟は仲良くしろ、父母は大事にしろ、夫婦は愛し合えということだし、
少しも間違っていないじゃありませんか」という質問を、ある教師が寄せたという。

これに対して、羽仁は、相手が数学の先生であったので、
「それじゃあなたは『朕思うに三角形の内角の和は二直角である』というふうになってもいいんだね」と尋ねたという。
「それはちょっと違う」と口ごもったところへ、羽仁は次のように答えたという。

三角形の内角の和が二直角というのはたしかに正しい。
しかし、その上に『朕思うに』がつくと問題は別になってしまう。
『父母に孝に、夫婦相和し、朋友相信じ…』というのは、三角形の内角の和は二直角というのと同じようなものだ。
そして、これらの道徳を守れと天皇が命令しているのだ。(和仁廉夫『歴史教科書とナショナリズム』)  
 教育勅語は、天皇(朕)が国民に対して「我が臣民」「なんじ臣民」「朕の忠良の臣民」などと臣民の語を繰り返し、
天皇が一方的に命令する形式をとっている。
天皇を神とし、国民はそれに仕える「臣民」に位置づけられ、「兄弟・夫婦は仲良くする」ことまで天皇が命じるものである。
これは確かに、先の衆議院決議や羽仁五郎がいうように、
国民の基本的人権を侵害し、主権在民の原則に反するものであろう。

国家や天皇ごとき卑しいものを自分の中に平気で立ち入らせてどうするんだ。
市民なら、誇りを持て、ひとりで立って歩けよ。
323右や左の名無し様:05/02/26 19:29:29 ID:z7euf1R2
(`´)
それは朝起き会(実践倫理宏正会)の教義と同じことだから、この会友に聞いてみよう。
324れ ◆r0FmiN9ADk :05/02/26 19:55:37 ID:???
と言うかコピペには反応するのはカコワルイ
325Luca ◆DyhaFWpT7s :05/03/02 01:43:36 ID:???
>>278
>遵守すべき規範がないのに、民衆支配に利用できる
 正統性を付与することはできるだろうよ。
>プロテスタントはなぜ、必死に「聖書の配布」を行なったんだ?
 教会の権威に対して民衆の支持で対抗しようとしたためだろ。
>「解釈権」がないのにどうやって「指導」できるんだよ。
 一定の「解釈権」はあっただろうよ。よく日本人が誤解に陥りやすい点なのだが、
プロテスタントも一般民衆に対して完全に自由な解釈をすることを認めたわけではな
いよ。実際、ルターは「再洗礼派」などの過激な一派には反対する態度を示している
し、ルター派の教義を記した書物も発行して信徒に配布している。
326れ ◆r0FmiN9ADk :05/03/02 12:21:29 ID:???
>>325
>正統性を付与することはできるだろうよ。
 ???「何の」正統性を「誰が」「どのような手法で」「誰に」付与することが
 親等の宗教的権威に可能だと言っているん?
 で、カトリックは君主に正当性を付与してきたわけだが、その比較をしてみなさい。
>教会の権威に対して民衆の支持で対抗しようとしたためだろ。
 だから、なぜ、聖書を配布すれば民衆がプロテスタントを支持するんだよ。
 各信者が聖書を読んで各自が聖書を解釈するからだろう。頭悪すぎ。
>一定の「解釈権」はあっただろうよ。
 はぁ?教義を示したり、一定の教義解釈を書物にすることと、解釈権がどう関係あ
 るのかね。「解釈権」とは強制力なんだよ。プロテスタントが「教義解釈」を行い
 その解釈に基づいた何事かを強制した事実もないだろうし、強制できる組織などない
 だろうよ。牧師と言うのは誰かを頂点にした上意下達の組織の一員じゃないんだから。
 (あるならだしてみんしゃい)無知は惨めだね。

というかもう止めたほうがいいよ。史実も示さない貴方の空想に付き合っても意味
ないし。
327Luca ◆DyhaFWpT7s :05/03/04 03:16:22 ID:???
>>326
>親等の宗教的権威に可能だと言っているん?
天皇を神格化して統治権の総覧者として君臨させることだろう。

>各信者が聖書を読んで各自が聖書を解釈するからだろう。
「解釈」と「解釈権」を区別しろと言ったのはあなただろ。
解釈を事実上することができても、「解釈権」は一般民衆は持っていない。

>「解釈権」とは強制力なんだよ。
強制力なんてカトリック教会にもないよ。w
解釈権というのは、何が正当な教会の教義に採用するかを定めることができる権能のことだろうが。
328れ ◆r0FmiN9ADk :05/03/04 12:31:12 ID:???
>>321
正確に回答しようよ。
>天皇を神格化して統治権の総覧者として君臨させることだろう。
???「何の」正統性を「誰が」「どのような手法で」「誰に」付与することが
 神道の宗教的権威に可能だと言っているん?

解答欄・・・コピペし()内に回答を書き込み投稿すること。
(     )の正統性を(    )が(        )のような手法で
(     )に付与することが神道の宗教的権威者に可能である。

>解釈を事実上することができても、「解釈権」は一般民衆は持っていない。
カトリックの解釈権を奪うことに他ならないだろうよ。
カトリックと異なる解釈を容認しても、基督教徒であることを否定されない

>強制力なんてカトリック教会にもないよ。w
カノッサの屈辱さえも知らないのか。ポッカーン・・・
ある教義解釈を絶対のものとする権能のことだろうよ。宗教なんだから絶対性を
持つんだよ。(こんなことまで説明させるナや)ある狭義解釈に基づいた振る舞いを
信者が否定すれば、基督教徒ではないとされることがある。
これを強制力と言わずに、なんと言うんだね。パー?w
329れ ◆r0FmiN9ADk :05/03/05 10:30:00 ID:???
というか

「~道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すと雖、宗ヘとして人心を歸向せしむるの力に乏し。」
と明治立憲に際して、草案者の一人である伊藤博文が言っているにも関わらず
>>282にソース)

神道の権威者に、天皇を神格化して統治権の総覧者として君臨させることが可能
とか言う馬鹿には、どんな史実や証拠を出しても説得不可能なんだろうと思う罠。

330Luca ◆DyhaFWpT7s :05/03/09 00:28:36 ID:???
>>328-329
伊藤博文が馬のことを鹿だと言えば、貴殿は鹿だと思い込むのか?

>コピペし()内に回答を書き込み投稿すること。
何であなたの言うとおりに回答せねばならんのよ?

>カトリックと異なる解釈を容認しても、基督教徒であることを否定されない
ん?彼らが教会から破門されたことを知らないとでも?
で、独自の教会を組織した後もカトリック側と激しい抗争を繰り広げたことも知らないと?

>カノッサの屈辱
だから、それはキリスト教徒ではないとされると大いなる社会的不利益を被るという背景があったればこその事件だろ。
つまりそれは多分に世俗的な問題ということ。
もしそういう不利益が全くないならば、キリスト教の教義に従いたくない者が教会を破門されても痛くも痒くもないだろうし、というよりそういう者はキリスト教徒にならないだろうよ。
331右や左の名無し様:05/03/09 11:26:53 ID:27pxdqEk
>>329
結局何が力を持っていたかというと
「日露戦争の勝利という奇跡は天皇のお陰」
というプロパガンダであって宗教の力じゃないんだよね。
332右や左の名無し様:05/03/09 11:42:28 ID:???
カノッサの屈辱ってのは多分に政治問題であって宗教問題ではないからねえ。
政教分離がなされていない時代のできごとだけに宗教的な意味合いもなくはないけど。
ローマ教皇に破門されてカトリックと対立したあげくに国教会つくっちゃった
イギリス国王の例もあるけどこれなんかも表向きは離婚を認める認めないって
教義による対立に見えるけど、実際は結婚相手が教皇の親戚だったなんてオチだよねえ。
333れ ◆r0FmiN9ADk :05/03/09 12:10:35 ID:???
>>330
草案者の評価が、何の反証もなく馬に見える人とは議論は不可能だわな。

私は反証もなく「馬」という人の言説よりは「専門家で当事者」かつ、「草案を
提示し憲法内容を議論する場において発せられた発言」で、他の傍証も
多々あっての「鹿だ」という判断のほうを、とりあえず信じます。
その馬鹿みたいな
>伊藤博文が馬のことを鹿だと言えば、貴殿は鹿だと思い込むのか?
等としか言えない人の馬という判断が妥当と思えるほど、馬鹿ではありません。

>何であなたの言うとおりに回答せねばならんのよ?
回答不能ならばそういえば良いのに・・・。義務でないこともわからず2chにいるの?
なんか哀れすぎ。

>キリスト教徒ではないとされると大いなる社会的不利益を被るという
だからカトリックの強制力になるんだけど・・・。カトリックの強制力が発揮されたんでしょ?
政治問題・世俗問題で・・・。アンタが言っていることは、政治世俗での強制力が、カトリックに
あったということそのものじゃないか。

>>331
へー?ソースは?
334右や左の名無し様:05/03/09 13:44:43 ID:27pxdqEk
あら、違ったの?
天皇のカリスマ性が「確実に定着」したのは日露戦争以降でしょ?
335れ ◆r0FmiN9ADk :05/03/09 16:26:27 ID:???
>>334
へー?ソースは?
336右や左の名無し様:05/03/09 16:36:01 ID:27pxdqEk
ネェネェどうなの?
337右や左の名無し様:05/03/10 14:50:39 ID:af9gbiSE
当時は報道も教育もほとんどプロパガンダでしょ。
338れ ◆r0FmiN9ADk :05/03/10 14:51:55 ID:???
339右や左の名無し様:05/03/10 14:56:01 ID:???
>>334
なかなか笑えるギャグだな。

340右や左の名無し様:05/03/10 16:09:48 ID:hUkhRo0W
勝共連合(統一協会)の朝鮮人どもが日本の右翼になりすまして半島を煽る

半島人が「差別されますたキャンペーン」開始=「謝罪と賠償しる」と大騒ぎ

日本の政治家が半島に金を払う(実は最初からマッチポンプで自民党の筋書き通り
在日に買収された政治家=勝共の売国右翼の懐に偽右翼活動の見返りとして何億も入る)
341リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :05/03/12 00:50:39 ID:Fbts8frN
>>338
皇国史観
342れ ◆r0FmiN9ADk :05/03/12 09:19:03 ID:???
343右や左の名無し様:05/03/12 10:16:37 ID:???
>>335
小室直樹 『日本国民に告ぐ』より抜粋
効果の薄かった天皇PR
「天皇」は東京(江戸)においては不人気
江戸市民:江戸→東京にも不満 「明治」を“治まるメイ”などと揶揄
天長節にも国旗掲げず (ドイツ人医師ベルツあきれる)

日清戦争の勝利で天皇は「神」となった
日本の伝統的中国崇拝信条  その中国を破る
豊太閤もなしえなかった偉業  天皇と天皇の軍隊のカリスマは沖天する
「なにが王冠を与えるか。戦場の勝利である」 (ヴォルテール)
「ここに至って、国家秩序の中核自体を、同時に精神的機軸とする方向において収拾されることになった」
(丸山真男 『日本の思想』 岩波新書)

「先方が国富み兵強ければ、此方には大和魂と天佑がある。日本は神国だ。いざという場合になれば、奇跡的の
勝利を得て見せよう、という愛国的信仰から発した勇気だった」(生方敏郎著 『明治大正見聞史』)

神国・日本の誕生
日本は神国だから神風が吹いたのだ。元寇のときに吹いた神風が、もう一度(一度目は、日清戦争の勝利)思い出された。
「日本は神国」 → 「日本は神国だから、神は奇跡によって、日本を助ける」という形で再々確認される
   ↓
天皇の陸海軍の奇跡 → 天皇が現人神である証(皇祖・天照大神の嫡孫)

一部尊皇家だけのものであった尊皇思想は全国民にゆきわたる
天皇は深く人心に浸潤・・・原始キリスト教における「ひたすらの帰依」を連想
日露戦争の奇跡 → 天皇経のもとに国民を再統一
344れ ◆r0FmiN9ADk :05/03/12 11:37:56 ID:???
天皇のカリスマが増大した・・・と言うことではないかと。

金甌無欠の日本と言う根拠にはなった。まぁ其れが明徴運動へニ発展していくわけだが
そこには、日露戦争による勝利の「結果」が最も重要でしょう。
というか宗教的カリスマが・・・と言う論旨でもないし、政治と宗教と言うお題において
何を言いたいにかわからなくはある。
345右や左の名無し様:05/03/12 12:08:43 ID:???
>>244
小室直樹にきいてみれば?
346右や左の名無し様:05/03/12 12:09:11 ID:???
まちがった344だった
すまそ
347れ ◆r0FmiN9ADk :05/03/12 12:22:26 ID:???
小室に聞いても、このスレとの関係はワカ欄だろう。w あふぉか
348右や左の名無し様:05/03/12 12:52:04 ID:???
>>347
じゃ、ヴォケたまま
わからないでいればいいじゃん。
349れ ◆r0FmiN9ADk :05/03/12 16:13:34 ID:???
┐(´ー`)┌
350右や左の名無し様:05/03/14 01:59:04 ID:???

昭和天皇に進講していた右翼学者は、「天皇は戦争に負けたことがないから偉大なのだ」
「かつて戦争に敗北したことがないことが天皇の徳を証明しているのだ」と昭和天皇に教えていた。

具體的には明治天皇のことだね。明治天皇以前に戦争指揮した天皇は、遥か古代にしかいないから。

で、昭和天皇は大東亜戦争ボロ負けにボロ負けしたから、この右翼学者の理屈でいくと、
天皇としての徳が昭和天皇にはなかったことになる。

明治天皇を伊藤博文が大衆に宣伝するまでは、天皇なんて一部の学者以外日本人の関心の外だった。

日本に膨大な信徒を持つ浄土真宗の現在の法王が誰だろうが、関心ないでしょ? それと同じ。
351右や左の名無し様:05/03/14 03:39:01 ID:???
>>344
>日露戦争による勝利の「結果」
勝利なんかしていないのだがね。幸いにも仲裁して貰い痛み分けに持ち込めただけ。
それを勝った、勝ったと吹聴しておきながら賠償金を取れなかったから
(痛み分けでは取れる訳がないのだが)以後煽った国民を
押さえ込むことが出来なくなり(勝ったというのは嘘でしたと白状もできない屁たれだな)
以後ズルズルと第二次大戦敗戦まで、実現不可能な戦線拡大指向をやめられなく
なってしまったのだな。
一度嘘をつくと、次々に嘘を付き続けなければならない、という典型だな。
352Luca ◆DyhaFWpT7s :05/03/17 04:22:20 ID:???
>>333
>「専門家で当事者」
いやだから、「偉い人」が言っているのだから信じるというのでは議論にならんで賞。
で、実際に天皇は現人神として神格化され、強大な権力をふるうという現実を生起したわけだから。
いわば歴史が彼の言を覆したといっても過言ではないだろう。

>政治世俗での強制力が、カトリックにあった
そんなのだったらプロテスタントにもあっただろう。
353れ ◆r0FmiN9ADk :05/03/17 09:46:07 ID:???
>>352
ん?
>実際に天皇は現人神として神格化され、強大な権力をふるうという現実を生起したわけだから。

実際に天皇は「誰によって」現人神として神格化され、「どのような」権力を「誰に」振るうという
現実が「いつ」詳記したのか書いてくれ。
 

解答欄・・・コピペし()内に回答を書き込み投稿すること。
実際に天皇は(   )に現人神として神格化され、(   )という権力を、(   )に
振るうという現実が(   )年に生起した。

>そんなのだったらプロテスタントにもあっただろう。
具体的にどのような事象を指しているのか記述してくれ。
354Luca ◆DyhaFWpT7s :2005/03/23(水) 04:10:00 ID:???
>>353
>コピペし()内に回答を書き込み投稿すること。
だから、何であなたの指示通りにレスしなきゃならんのよ?(2回目)

>具体的
いくらなんでも、クロムウェルぐらい知っているだろ。
355右や左の名無し様:2005/03/23(水) 07:58:27 ID:???
回答形式を限定して精神的に優位に立とうとする。
相変わらず幼稚な人だw
356亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :2005/03/23(水) 09:20:24 ID:oZR2Gl/b
神格化された存在でなければ、戦後になってわざわざ人間宣言などする必要も
なかったろう。

五箇条のご誓文
「1.知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ 」
大日本帝国憲法第3条
「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」
林陸軍相「国体明徴の訓示」
「万世一系の天皇かしこくも現人神(あらひとがみ)として
国家統治の主体におわすこと疑いを容れず」
国体の本義
「は、皇祖皇宗の御心のまにく我が国を統治し給ふ現御神であらせられる」

天皇=現人神が強調されたのは、満州事変以降。
357れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/23(水) 09:55:42 ID:???
>>354=356

実際に天皇は「誰によって」現人神として神格化され、「どのような」権力を「誰に」振るうという
現実が「いつ」生起したのか書いてくれ。 (二回目)

※解答欄・・・以下をコピペし()内に回答を書き込み投稿すること。
実際に天皇は(   )に現人神として神格化され、(   )という権力を、(   )に
振るうという現実が(   )年に生起した。

具体性のない議論は無意味だし、回答形式を指定していると入っても、これが網羅
され、()内が埋められる記述なら、別に形式には拘っていない。(当然である)
しかし貴殿らとの議論の経験から、こういう質問形式を提示している。()内の全部に
回答する必要が議論継続において当然だ。
自己の主張について具体的な事例を挙げられないのであれば、妄想に過ぎない
と評価されても文句は言えまいよ。
妄想を吐き散らすのは議論じゃないから、わたしには興味がない。

358亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :2005/03/23(水) 10:09:41 ID:oZR2Gl/b
いつ
五箇条のご誓文発布時、国体の本義配布時、国体明徴運動時、その他

だれが
其の創案者や運動推進者

どのように
五箇条のご誓文発布、国体の本義配布、国体明徴運動、その他

しかし、設問が無意味だと何故気が付かないのだろう?
359れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/23(水) 13:07:15 ID:???
※解答欄・・・以下をコピペし()内に回答を書き込み投稿すること。
実際に天皇は(其の創案者や運動推進者 )に現人神として神格化され、(   )という権力を、
(   )に 振るうという現実が(五箇条のご誓文発布時、国体の本義配布時、国体明徴運動時、
その他)に生起した。

()が埋まっていない上、五箇条のご誓文から明徴運動まで何年あると思っているのやら
わからんが、五箇条のご誓文に絞って言うと「創案者や運動推進者」とはいったい
誰をさすのか具体的に書けよ。
というか天皇を現人神として神格化することのできる人間って、いったい誰だ?
誰が創案したんだ?誰が運動推進したのやら・・・。w

「回答できないことは無意味」と貴殿が思うのは勝手だがね。w
360れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/23(水) 13:25:54 ID:???
まぁ「五箇条のご誓文」について説明しておく。

よっぽどの馬鹿でもない限り、これを「神格化され、強大な権力をふるう根拠」とする
香具師はいない。

「掛巻も畏こき天神地祇の大前に今年三月十四日を生日の足日と撰定めて禰宜申さく」
天津神と国津神に申し上げると始まる。
「今日の誓約に違はむ者は天神地祇の倏忽に刑罰給はむ物ぞと皇神等の前に誓の
吉詞申給はくと白す」
と誓約を破れば、天津神国津神の刑罰が与えられてもやむなしと言い、
「衆亦此旨趣ニ基キ協心努力セヨ」
と結んでいる。天皇ご自身のご誓文(お誓いになった文書)である。絶対性を持つ天皇を
演出したかったら「天津神どころか国津神にまで頭をたれて誓う姿」など公表するのは
逆効果です罠。www

現人神であるかどうかにっついては言及しないが、少なくとも絶対性を持つ支配者としての
態度でないことは明々白々である。
現人神とされたのは明徴運動以降であり、それよりはるか以前のご誓文を持ち出す
ところが苦しいし、亀ちゃんはずいぶん以前この件逃亡した実績があるじゃない。
(何なら過去ログ持っているから、多少書き込もうか?w)
361れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/23(水) 15:22:35 ID:???
宗教と政治の関わりについて
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1068170639/689

 689 名前: 亀哲人 ◆Y/iFN9LABc 投稿日: 03/11/24 13:25 ID:fR0J3Xzz
 お相手いただいてる皆様へ。
 よんどころのない要件がある中座します。
 レスは後ほどまとめますので。

で、次スレまでお出ましなし。
次スレで
 283 名前: れ ◆r0FmiN9ADk 投稿日: 03/12/20 17:31 ID:Mmvuo3yV
 しかし、前スレで、後でまとめてレスすると約束した亀哲人は、
 どうも帰還しているらしいのだが、何もレスがこない。
 哲人、哲人早く来い。ビューンと飛んでく哲人・・・・。
 テツー!カムバック!!!
と書いても反応無し。年が明けて、中座からは2ヵ月半以上たって

 367 名前: 亀哲人 ◆Y/iFN9LABc [sage] 投稿日: 04/02/12 12:10 ID:???
で「信教の自由とか、おフランスのことについて発言。

だから、このスレで亀と議論しても、都合が悪くなれば逃亡するという実績が
あるから、あまり乗り気にはなれないし、議論相手たり得ないわけだが。
362亀哲人 ◆zquEKp2gmY :2005/03/23(水) 16:57:50 ID:???
乗り気がしないのならレスしなければ良いのに。
莫迦ではなかろうか?
363右や左の名無し様:2005/03/24(木) 00:16:21 ID:???
国津神であれ神は神。人ではない。
頭を垂れたからといって人間に対する天皇の絶対性を否定する材料にはならないだろう。

何を笑っているんだか皆目見当がつかない。
364れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/24(木) 09:27:04 ID:???
>>363
ん?五箇条のご誓文を見ればわかるが、(というか馬鹿馬鹿しいぐらい当然だが)

「全てのことはみんなで公に話し合って決めます。その誓いを破ったら、神様に
罰を与えられてもかまいません。」という主体が、みんなに対して絶対性を持つ
根拠と考える>>363や亀哲人の脳内は、どうなっているんだろう・・・???w

悪いが説明してくれないか?
365右や左の名無し様:2005/03/24(木) 22:58:34 ID:???
>>364
>絶対性を持つ天皇を演出したかったら「天津神どころか国津神にまで頭をたれて誓う姿」
>など公表するのは逆効果です罠。www

国津神であれ神は神。人ではない。
頭を垂れたからといって人間に対する天皇の絶対性を否定する材料にはならないだろう。

何を笑っているんだか皆目見当がつかない。

こう書けば、「みんなに対して絶対性を持つ根拠と考える」などと言っていないことは
わかるかな?

ついでに、何がwwwなのか説明してくれないか?
素朴に疑問なだけだから、無理に答えなくてもいいけどね。
多分、脊髄反射的な無意味な笑いでしょう。
366れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/25(金) 09:40:15 ID:???
>>365
いや、「みんなに対して絶対性を持つ根拠と考える」という内容のレスを
している人に私はレスをし、ソノ話をしている。
貴殿が「みんなに対して絶対性を持つ根拠と考えるなどと言っていない」ならば、
貴殿は、「人間に対する天皇の絶対性」の根拠として「五箇条のご誓文」は無関係
という意味だろうから、別に貴方と意見は対立していない。

で、何を言いたいの?
367右や左の名無し様:2005/03/25(金) 17:43:55 ID:???
宗教法人法で宗教法人の政治関与を禁止すりゃいいんだよ。
違反したら教団解散。
本当は宗教自体認めないほうがいいんだけどね。この世の存在論なんて全部大嘘だし。
もっとも、そうなるとハイデガーとかも禁止しなきゃならんけど。
368Luca ◆DyhaFWpT7s :2005/03/26(土) 01:21:45 ID:???
>>360
>少なくとも絶対性を持つ支配者としての態度でないことは明々白々である。
神による権威を笠に着て民衆に対して絶対的な権力者として振舞うことは十分可能だ。
「天皇が行う支配は神に対する誓いに基づくものなのだから、これに逆らうことは神に逆らうことを意味する」といった具合にね。
369右や左の名無し様:2005/03/26(土) 02:33:34 ID:???
結局のところ、「当時」五箇条のご誓文を援用して
天皇の絶対性・神格化を否定した解釈があったかにつきると思うけど、そんな事実ってあるの?
370れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/26(土) 09:22:07 ID:???
>>368
質問に答えようともしないやしが何を書いても説得力はない。

>>369
だからソノ前に、当時天皇の絶対性神格化を示す資料があるのかと聞きたい。

そもそもないんじゃないの?上のほうのバカの脳内以外には。

なんかあるんだったらご提示いただきたいものだ。パートワンから、
一切出ていないんだけど・・・。(出ているというなら、具体的に示していた
だければ結構である)
371亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :2005/03/26(土) 09:43:33 ID:???
>>370
>>360
>現人神とされたのは明徴運動以降であり、
是は何だろう?
372れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/26(土) 10:09:25 ID:???
>>371
其の当時とは五箇条のご誓文の当時のことだが、キミ、明徴運動が明治
だとでも思っているの?ww

>だからソノ前に、「当時」天皇の絶対性神格化を示す資料があるのかと聞きたい。
よ書いてあるんだが、バカなの?
373亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :2005/03/26(土) 11:23:36 ID:???
五箇条のご誓文
「1.知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ 」
此の文面は天皇の権威があってこそ成立するのだが。
又、明治政府は皇祖神の子孫たる天皇だからこそ権威であると云う姿勢であるから
尊皇を唱え其の文脈で国造りをしようと企てた帰結点にご誓文がある。
374れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/26(土) 13:30:21 ID:???
>>373
権威がある≠絶対性を持つ支配者である
375れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/26(土) 14:11:13 ID:???
> Lucaタンへ

まぁ、存在意義スレで書いておいたが、マトモな議論態度というものを習得しよう。
>何であなたの言うとおりに回答せねばならんのよ?
というのは勝手だが、ある事実認識への言及に対する具体的な内容の確認に
さえ回答できないということは、そもそもの其の事象言及自体がいいかげんか
あるいは貴殿が何の根拠もなく言及したかのどちらかだろう。

違うなら解答すればよいことだし、書き方がおかしかったら変更すればいいし
あるいは、発言そのものを取り下げることも可能だろう。

言ったことについて、相手が納得するかどうかは別として、回答をするという
のは「事象に関する言及の具体的内容の質問」については当然なわけで
其れすら放置しているなら、私と貴方の間の「議論」というか言葉のやり取りを
貴殿が放棄しているということになる。

議論放棄した相手を、当方が放置するのは当然至極で、放棄したり逃亡したコテが
相手にされると思っている其の甘えは、棄てたほうがよいと思うよ。
ま、貴殿がなんと書くのか予想はつくけれども、いずれにしても「主張の内容」
が相反しようと「議論態度に敬意を持たれる」ための最低限の作法はもったら?
376右や左の名無し様:2005/03/26(土) 14:58:46 ID:???
>>370
結局そういう事実はなかったってことなのかな?議論の一部だけズームアップして申し訳ないけど。
実際にそのような事実があれば歴史的意義からして凄い資料・事実となると思うけど。
377れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/26(土) 15:14:30 ID:???
>>376
ん?聞かれている意味がわからないんだけれども「万機公論に決する」という
この五箇条のご誓文から、議会開設の詔が発せられ、其れが、大日本帝国憲法の
基礎となったことは、公文書で確認できる。
「全てのことを公論で決すると宣言する絶対権力者」というものがいるんかい!
という普通に疑問は起きる。w

明治政府というもの(つまり憲法発布前の統治機構」の正統性は、究極的には
明治維新という運動。其の明治維新の結果として五箇条のご誓文が出された。
天皇をして統治の根拠とするという意味で天皇のの権威はある。其れすらない
のであれば明治政府自体の権力の根拠さえ喪失する。(無政府状態だな)

で、もう一つは明治憲法は漸進主義的なものであるということが重要で、それは
民度との関係から来る時代の限界である。封建社会で法治主義でさえない国が
ある日突然「民主主義国家」にはなれない。その意味で「民衆の蒙昧や熱狂に対する
対抗処置」も設けないと、国自体が崩壊してしまう(列強の脅威も存在していた)
それが、現代の民主主義から見れば欠陥とも言うべきものを内包する原因だが、
無理なものは無理。

で事実、天皇は立憲君主として振る舞い、基本的に絶対君主として振舞っていない。
これは事実でしょう。
378れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/26(土) 15:23:16 ID:???
で、こんなことは常識の範囲であり、歴史的意義からして凄い資料・事実となる
わけがない。w

で、国体明徴運動というのが15年戦争時期から発生したわけだが、其れは戦時に
おける、しかも国家存亡を賭けた戦争において、戦争に勝利せんがための熱狂が
生んだものであって、天皇の意思ではない。(勅撰議員が追放されているという
一つだけ見ても理解可能だろう)
この明徴運動から国体の本義が出される経過を見るに、政府は消極的であったこ
とも事実だが、出されたものは「天皇は現人神」であり「金甌無欠で負けること
などない日本」という像が描かれている。

戦時とはいえ、まさに明治憲法の理念さえゆがめる状況である。
この状況が、明治の始めから一貫していたなんていう印象は、全く誤り
ですよ。お馬鹿の人が散々書いて破綻している状況は、このスレの過去ログを見れば
理解できると思うよ。そもそも廃仏毀釈から頓珍漢なことを言う人が多いわけだから。
後は過去ログ見るなりしてくれると助かる。(繰り返すのはかったるい)
でなければ、田原の「日本の戦争」あたりぐらい読んでからご質問いただければ・・・。
379右や左の名無し様:2005/03/26(土) 15:44:24 ID:???
>>377-378
長文レスご苦労様だけど、えらく外れてないかな?

あなたがご誓文から絶対性を感じないのは後付けの理由でしょ。
当時あなたと同様の解釈がなされていたという事実・資料が知りたいのだが...
まあ、色んな意味を込めて「凄い」云々と表現しているんだけどね。
380れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/26(土) 16:45:22 ID:???
>>379
後付けという意味がわからない。当時私と同様の解釈というのがどういう意味で
言っているかわからないし、そもそも貴方の其の言い方というのは
「天皇が絶対権力者である」という解釈がそもそもあった・・・という思い込みと
いうか前提に基づいているんじゃない?

で、其れは明らかに間違いな訳で、五箇条のご誓文の後、多数の「憲法草案」が
出ていることも常識。私擬憲法は、坂本竜馬の船中八策(1867)から元老院の日
本国憲按(一次二次)など、中江兆民の国会論も含めて100近くが出されていた
わけでしょう? で、其の中身を見ると、天皇を永世立憲君主としたり、国会
を天皇・上下院としてみたり、連邦制をとしたり、天皇有責条項が入っていたりと
様々ですよ。

自由民権運動があり民選議会設置論等の動きがあり、議会開設の詔が出たことも
史実だね。後付けも糞も、当時の歴史を知っているなら、その後過剰のご誓文が
出るあたりにおいて・・・というか立憲までの間において「天皇が絶対者である」
ということは全く共有されていなかったことは常識的なことですが・・・。
381れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/26(土) 16:51:17 ID:???
で、ついでに

制憲権力者という意味の絶対者であるということなら、其れは其れで議論の対象
にはなるんだけれども、制憲権力者が制憲意向も絶対権力者であるとはいえない
わけで、其の議論はあまり意味がないんと違うか?とも言っておこうかい。

いずれにしても憲法を発布する権威ではあったわけで、其れを否定することはない
けれども、統治の絶対権力者であるという意味とは全く違うしねぇ。

で、貴殿(>>379)は何が言いたいの?
382Luca ◆DyhaFWpT7s :2005/03/27(日) 00:59:34 ID:???
>>375
いや、だからね、天皇がどのように神格化されていったかということについての歴史的経過を細かく分析する必要はないんよ。
(そういう議論に付き合おうと思えばできるだろうけど、大して興味ないし。)
とにかく、神道の下においても支配者たる天皇が現人神として神格化され宗教的権威を付与されえた、という事実だけが確認できているのならばそれでいいのだが。
383れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/27(日) 09:56:22 ID:???
>>382
いや、そういう事実の提示が出来ていないのは貴殿だから・・・。

具体的に提示できない「事実」というものがあるのかね。(大爆笑)
もう一度聞くよ

>支配者たる天皇が現人神として神格化され宗教的権威を付与されえた

以下をコピペして()内を埋めるかあるいは、この全てに回答する貴殿独自の
見解を述べてください。

(いつから)(具体的にどの手続きで)支配者になった天皇が、(誰の)
(どのような手続きで)(いつ)現人神として神格化され
(いつ)(誰の手によって)(どういう手続きで)宗教的権威を(誰・何から)
付与されえたのか
384れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/27(日) 10:38:20 ID:???
天皇が宗教的権威であるということは歴史的事実である。
天皇であるがゆえに宗教的権威を獲得するものであり、付与されるものではない。
天皇の宗教的権威は二つの側面がある。
一つは「我が国を生んだ神々」に連なる天津神を祭祀するという側面である。
もう一点は「多神であること」を認めるという側面である。

この宗教的権威が「統治」とどう関わっているかという考察は必要であるが、
其の前に事実伊藤博文が言ったように、明治維新から立憲までの間
「宗教なるもの」と表現している通り宗教という概念さえない時代である。
そして「祖先を祭祀する」という機能しかなく「国の機軸となり得ない」と
明治天皇も参加する憲法制定の会議場で正式に述べている事実がある。そして
其のことについての異論は出ていないのである。

では、明治維新において天皇が担ぎ出された理由は何か、それは「大政奉還」
という言葉に代表される通りではあるが、大政が奉還されば必ず、天皇の統治に
なるとも言えないのである。
事実、徳川慶喜は大政を奉還し、其の上で統治に関するイニシアチブを得ようと
したわけだし、徳川を討つ勅命が出なければ(というかもう少し遅ければ)
そうなっていただろう可能性も相当ある。
つまり「王政復古・天皇親政」は規定路線ではなかった、ということをまず理解
しなければならない。

で、立憲の会議においても「天皇は国会の【承認】をへて立法権を行使する」と
いう案も相当有力であったわけで、五箇条のご誓文を出す時期において
既に絶対権力者であったなどという妄言は、極めて馬鹿馬鹿しいというしかない。

ではいつ頃そのような存在と定義されたのかといえば、敗戦以降ではないかw
少なくとも明徴運動以降の状況が、其れに近いのではないかと、歴史から判断
されよう。
385Luca ◆DyhaFWpT7s :2005/03/27(日) 14:41:13 ID:???
>>383
というかさ、「神道の下においても支配者たる天皇が現人神として神格化され宗教的権威を付与され」たのでないなら、現憲法の立法者があそこまで徹底して政教分離を厳格なものにする必要はなかっただろう。
天皇が現人神として神格化され、そのもとであのような戦争がもたらされ、また市民の権利が著しく侵害されるという社会状況が現出したからこそ、厳格な政教分離を取り入れ、また天皇の政治的権限を完全に奪い去ることにした、なんてことは常識だろ。
386れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/27(日) 15:36:23 ID:???
>>385
戦後のGHQの思惑など、どうでもいいと思うけど。事実、行き過ぎの政教分離を
緩和する意見も、現代の立法者から出てはいるし。

キミの常識はGHQの思惑を基礎としているんだね。www

387Luca ◆DyhaFWpT7s :2005/03/27(日) 18:26:56 ID:???
>>386
>GHQの思惑
仮にそうだとしても、GHQ・連合国が自国の安全を守るために必死で「日本が周辺
国を侵略して回るようなDQN軍事国家に二度となることがないようにするためには
どうすればいいか」ということを考えた上での認識であって、単なる根拠のない思い
込みではあるまい。
ましてやそれは、単なる「GHQの思惑」に留まらず一般的な常識だろ。「大日本帝
国は、畏くも皇祖天照大神の肇め給うた国であって、その神裔にあらせられる万世一
系の天皇が、皇祖の神勅のまにまに、悠遠の古より無窮にしろしめ給う。これ万邦無
比の我が国体である。(中略)歴代の天皇は常に皇祖と御一体にあらせられ、現御神と
して神ながら御代しろしめし、・・・」(「神社本義」)として、当時の日本政府・神祗
院でさえも認めているじゃないか。

>行き過ぎの政教分離を緩和する意見
それは一部の凝り固まった保守派だけの意見に過ぎないだろ。それも、「首相の靖国
神社参拝の容認を視野に「国などの地鎮祭関与や玉ぐし料の公金支出は、特定の宗教
を援助するものではなく社会的儀礼や習俗的行事の範囲内」との立場を打ち出した。」
といった程度であって、まさか政教分離を放棄して国家と宗教の関わりを全面に認め
ようなどといった主張ではあるまい。
388れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/27(日) 19:28:40 ID:???
>>387
では、GHQの草案者たちが「日本の戦前について」よく理解していたという根拠を
述べてください。
「戦前に対する無理解・・・貴殿ほどではないにしても」があるなら、よ〜く
考えても期待した結果は得られないのだから。

で「当時」というのはいつのこと?

>それは一部の凝り固まった保守派だけの意見に過ぎないだろ。
はぁ?憲法草案を作る人間で国民の審判を受けている人たちを「凝り固まった香具師」
と評価し、「占領当地のために来た」我が国の国民を東京大空襲や原爆で大量虐殺した
米国人は、「凝り固まっていない正義の人」と無根拠に評価するんだね?w

貴方何処の国の人?国会議員からそういう意見が出ているという事実ぐらい
真摯に受け止めようや。GHQマンセーの馬鹿じゃないんだろ?
389Luca ◆DyhaFWpT7s :2005/03/27(日) 23:06:03 ID:???
>>388
>戦前に対する無理解・・・貴殿ほどではないにしても
 どうみても無理解なのはあなたの方だろ。というより、ただ認めたくないというだ
けのことか?
 GHQの認識というより、上で取り上げた「神社本義」での日本政府・神祇院の評価
もまさにそうだろ。「神道の下において、天皇が現人神として神格化されて君臨し、統
治権を総攬した。」という点では、両者の認識は基本的に一致している。ただ、それを
改革すべきと考えていたか、維持すべきと考えていたかという点だけがGHQと神祇院
との見解の違いなわけで。
>貴方何処の国の人?
 何か勘違いしているだろ。日本人の主張であろうが、外国人の主張であろうが、正
しいものは正しい、誤っているものは誤っていると認める必要があるというだけの事
だが。そんな基本的なこともわかっていないから「デン・・・(ry
>国会議員からそういう意見が出ているという事実
 そのこと自体は認めているだろ。ただその意見は妥当ではないと言っているだけで。
それにその「凝り固まった保守派」でさえ、戦前のような政教一致状態に再び戻そう
などという主張をする人はあまりいないしね。
390右や左の名無し様:2005/03/28(月) 10:48:29 ID:???
1,慰霊という行為は国家の行事から切り離せない。 2,慰霊という行為そのものが宗教的行為である。 3,慰霊という行為を無宗教設備と行為では実行できないオカルト行為。
4,1,2,3を考えると慰霊という行為を行うにはその国にメジャーな宗教形式でやるのが自然である。

5,慰霊の対象は生前、靖国で合おうと約束していた。 6,5を考えると靖国以外で慰霊行為は慰霊の対象者への冒涜であり、死者の人権!を踏みにじるものである。

事後法で過去の死者を愚弄する行為はいいかげん慎みたまえ!そのことで問題ならその問題を正面から背負い、反論もしよう
もちろん、中国韓国の主張のほうが間違っているし、追求事項もあるので、まったく問題ない。問題があるとすれば、こんなこともわからない
そのときの世論追従者はいいかげん目を覚まし反省しろ
反日日本人、ことなかれ主義の日本人であろう。ことなかれ主義が結果として事が多かったこの問題の対応と結果は、そいつらが責任をとるべきだ。
中国韓国のいうままに
391れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/28(月) 12:38:25 ID:???
>>389
「どう見ても」は詭弁の見本。

>日本政府・神祇院の評価
だからいつの時点での話しか特定してくれよ。

>日本人の主張であろうが、外国人の主張であろうが、正しいものは正しい、
だからそれは日本の戦前を理解しているかどうかに係っているだろう。
無理解だったら正しい結論は出せない罠。

>ただその意見は妥当ではないと言っているだけで。
戦前に戻すことが妥当ではないことと、現憲法調査会などの見解が、どこで
関連するのかサッパリわからん。

そろそろ貴殿の具体性の無い観念論に付き合う気力もうせて来た。
392れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/28(月) 13:21:28 ID:???
つづき

面倒だから先に書いておく。

神祇院(じんぎいん)は、日本の国家機関の一つ。内務省の外局。現在は存在しない。
昭和初期の神祇官復興運動を受けて、1940年(昭和15年)の皇紀2600年記念に際して設置された。
特に目立った成果を挙げないまま、戦後の神道指令を受けて、1946年(昭和21年)2月2日に
廃止された。

昭和15年といえば、まさに15年戦争の真っ只中。
こういう時期出されたものは、国体の本義(昭和12年)・明徴運動以降において、
天皇を現人神としている思想に合致していて当然。そのような事実があったことは
私も認めてはいる。
で、誰も其の頃に戻りたいなんて事は言ってはいないんだが・・・。

言っていることは(というかもう疲れたけれども)明徴運動以降は国家存亡の戦争
という事象が関係し、戦前、あるいは明治憲法期というもの「全般」を評価するに
値しないといいつづけているんだが、結局貴殿が出せるのは明徴運動以降の事象だけ
なんだね。

393れ ◆r0FmiN9ADk :2005/03/28(月) 17:08:22 ID:???
まぁついでに書いておくが、私は

1、日本民族が生き残ること
2、日本国が継続すること
3、日本国が伝統や文化や其の独自の価値観を維持すること
4、国民の法の元の平等や自由に振舞う正当な権利が保障されること
というような優先順位をもっているから、15年戦争という国家存亡の危機にあたって
人権が保障されにくい状況、ましてや政教分離(直接人権を保障しない)に反するの
状況などがあったとしても、やむをえないと考えている。

無論 Luca のように、4が最優先という御仁は「国家存亡の危機にあたっても人権尊重
が最優先課題で、そのために国が滅んでもよい。」と考えているんだから、
全く合致点が見出せないことは自明である。

まぁ国が滅んでもかまわないと考えているから、国民を大量虐殺した米国軍を
自由と民主主義をもたらした正義の人と評価するんだろうが、まぁ基地外に
近い感性であるといっておこう。

それとも原爆投下・東京大空襲などは「米国の間違いだ・許されない行為だ」ぐらいは
認めるんか?それなら、前言(上記)は取り消してもよいけどね。
394右や左の名無し様:2005/03/28(月) 19:50:51 ID:???
> 無論 Luca のように、4が最優先という御仁は「国家存亡の危機にあたっても人権尊重
> が最優先課題で、そのために国が滅んでもよい。」と考えているんだから、
> 全く合致点が見出せないことは自明である。

横レスだが、この理解はおかしいだろう。
いわゆる人権屋とて、保障の前提を根底から覆す主張はしないだろう。
反人権論者(モデル的にあえてこう呼ぶが)は、
人権の保障は利己的な個人主義に結びつくと主張するが、
それは反人権論者の方が戦後民主主義的な間違った人権理解に陥っていると思うが...。

しかし、ご誓文の話はどこへいったのか?
395右や左の名無し様:2005/03/29(火) 01:56:13 ID:???
>>393
>1、日本民族が生き残ること
>2、日本国が継続すること
>3、日本国が伝統や文化や其の独自の価値観を維持すること
>4、国民の法の元の平等や自由に振舞う正当な権利が保障されること
日本民族(そんなものがあるとして)が生き残ったところで
2〜4は何も存続する保証はない。
伝統や文化や其の独自の価値観を共有していると『感じる』人間の集団を
指して民族と言うのだろう、多分な。
その集団が存在すれば国など不要なのだな。
ユダヤ人は国など無くても民族を自覚し(民族だと妄想し)
テロによってナチス風味の国家を再建国した訳だ。
中国はその有史以来連綿と国家は継続しているが、国家を牛耳る
民族(と称されるもの)は流転しているな。
アメリカは4を保障しているが(表向きの話では)1も3も存在しない。
3があるとすれば自身の全てが正義であり、他の全てをこの正義の前に
平伏恭順させることを唯一の価値感としていると言えるだろう。
国家など無くても人の集団は内部に法を持つが、平等や自由に振舞う権利
など保障しない。
自然発生的な集団であれ、国家であれ、法というのは本来
平等や自由に振舞うことを保障するためのものではなく
集団を維持するために平等や自由に振舞うことを制限するために設けるものだ。
1〜4を声高に叫ぶような者に碌な者はおらんな。
言えることは、国家さえ維持できれば国家(と称するもの)の力で
1、3、4は好きなように構築できるものさ。
396Luca ◆DyhaFWpT7s :2005/03/29(火) 02:16:27 ID:???
>>391
>天皇を現人神としている思想に合致していて当然。そのような事実があったことは
>私も認めてはいる。
そうすると、「~道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すと雖、宗ヘとして人心を歸向せし
むるの力に乏し。」とした伊藤博文の認識は間違いで、実際に天皇は神格化され現人神
として君臨し、統治権の総覧者としての地位を強固にするための権威付けを行うとい
う役回りを神道はした、ということを認めているというわけだな?だったら、今まで
の議論は何だったんよ?
>明治憲法期というもの「全般」を評価する
 そんなことはそもそも論点じゃないだろ。
397Luca ◆DyhaFWpT7s :2005/03/29(火) 02:19:17 ID:???
>>392
それがこのスレのスレタイ「宗教と政治の関わりについて」と何か関係するのか?でも一応答えておくか。
まずは私なりの優先順位を付けておく。
1.「全ての人」が人間たるに相応しい生活を送れること。
2.1の目的を達成するために、「全ての人」が個人として最大限尊重され、自己の能力を
最大限発揮して自己実現が図れるような社会状況を実現すること。
3.2を実現するため必要な権利保障を「全ての人」に対して十分行うこと。
4.1〜3の目的達成に貢献する限りで国家の存在を認め、かかる国家の存続を許す。
5.伝統や文化の維持は、1〜3に矛盾しない限りで、個人が各自の判断で行うのに委ね
る。また、外国の伝統や文化の流入も積極的に容認し、日本古来の伝統といえども1〜3に
矛盾するような悪しきものは切り捨てる。
ま、私はこういう立場に立脚して議論を展開している。こうやって見ると意外に「人権保障」は3つ目なんだな。
398Luca ◆DyhaFWpT7s
>>393
397も>>393宛てね。すまそ。

>「国家存亡の危機にあたっても人権尊重が最優先課題で、そのために国が滅んでもよい。」と考えている
 そんなことは考えておらん。もう何度も同じことを書いていてたるいのだが、国家
が個人の権利保障に役立つ限りは、その国家の存続を否定しなきゃならん理由は無い
し、そういう人権保障という目的を十分果たしている国家を維持するためであれば、
国民がその目的達成のために必要最小限度の権利制限を甘受することも止むを得ない
ということだ。但し、「国家存亡の危機」であろうが何であろうが、精神的自由とりわけ
「信教の自由」のような極めて重要な権利を(いわゆる調整原理であるところの「公
共の福祉」による制限を越えて)侵害するようなことは許されてはならない。ま、制
限することが許されるのは財産権や営業の自由・居住移転の自由などの精神的自由以
外の権利に限られるだろうな。
また、国家が個人の権利保障を怠る場合には国家の権利行使に対して抵抗する権利
が市民にはあるし、更には国家が積極的に個人の権利を著しく侵害する場合には、国
家を作り変えて新しい良い国家を作る権利が市民にはあると言わねばならぬ。

>国民を大量虐殺
 はあ?米軍は大量虐殺なんてやっとらんだろ。むしろ沖縄での戦いで一般市民に自
決を強要して多くの自国民を死なせたのは日本軍の方だろ。