1 :
Benedict:
いろんなスレで宗教についてバラバラに議論がされているので、新しいスレを立てました。
宗教について、宗教と政治の関係について自由に書き込んでください。
このスレでは宗教に対して肯定的な意見・否定的な意見に関わらずどんどん書き込んでください。
また、日本の問題・外国の問題を問いません。
2 :
右や左の名無し様:03/11/07 13:13 ID:MnM2RFXq
宗教と言う言葉が、西洋の諸宗教を意識したものであるなら、仏教とかは
宗教というカテゴリにピッタリ収まるのかな。
つまり、宗教という言葉の明確な定義ってなんだ?
3 :
右や左の名無し様:03/11/07 14:56 ID:RTijEExy
神、仏など超自然的人間的存在を確信し、これを畏敬崇拝する行為と
心情。
てのが判例になっているね。
欧米の一神教なら厳格な政教分離は必須だろうが、日本みたいな曖昧
な国家ではそれほど厳格に解する必要は無いと思われ。
>>3 すぐこういうこと言うやつがいるからなぁ・・・。
一神教の日本人はどうするんだよ?
5 :
右や左の名無し様:03/11/07 17:34 ID:RTijEExy
>>4 政教分離の意味が解っているのか?
制度だぞ。制度。
>>5 わかってるよ。
「日本は宗教が曖昧な国家」という前提だと一神教信者の
日本人は切り捨てでしょ。それを言ってるの。
欧米は一神教、日本は曖昧、なんていう乱暴な一般化で
ものごとをくくろうとしちゃいかんでしょ。
7 :
右や左の名無し様:03/11/08 00:08 ID:qaAz2I3+
>>3 むしろ現状は逆だろ。欧米は比較的緩やかな政教分離になっているけど、日本は徹底した政教分離だぜ。現憲法上は。
>>7 今のインチキ憲法ではさうだが、神道に基づいた祭政一致制に魅力を感じる。
9 :
右や左の名無し様:03/11/08 00:17 ID:qaAz2I3+
>>8 あなたが魅力を感じるのは自由だけどね、問題は多くの国民がどう考えるかだよ。
尊皇攘夷さんより右よりだね、あなたは。
10 :
校長が強盗:03/11/08 00:18 ID:Gyxfwb0c
11 :
右や左の名無し様:03/11/08 00:35 ID:8X/BOlcw
天皇は、右翼屋さんだけで面倒をみればいいじゃないか。
天皇宗教法人化賛成。
そんなに崇拝したかったら、右翼だけでやって欲しい。
なんでこんなインチキ宗教に、毎年100億円もの補助金を
国から出さなければならないのか。
それが、”お布施”となれば、共産党も納得するであろう。
國民は初詣に行ったり七五三に行ったりして居るではないか。
それだけ神道が日本人の心に染みついてゐると云ふことだ。
13 :
右や左の名無し様:03/11/08 00:45 ID:8X/BOlcw
日本人だってクリスマスをするではないか?
かといって、クリスマスをお祝いしている人間が、
キリスト教徒というわけではないではないか。
右翼は思い込みが激しすぎる。周りはみな同胞と思われては困る。
色々な人種がいるということを、理解しなければならない。
それを理解していないから、右翼による朝鮮民族差別はなくならない。
イランみたいに宗教指導者が大統領の上に立つ「共和国」もあるし
ケースバイケース
一概にどの政体がいい、とは言えないと思うけどね。
ただ、日本国民が皇室制度を支持してるのは明らかだと思うよ
民主主義が否定されない限り、反対派は国外移住するしかないかも
>>13 しかし、日本人は神社に行く。切支丹の教會に行く日本人は
ごくわづかだ。
EU(欧州連合)も共通の価値観としてキリスト教を、って声が上がってるらしい。
アメリカだって大統領の宣誓が何に手を置いて行われるか考えれば明らか
政体から完全に宗教性を排除するなんて不可能じゃないかな
17 :
右や左の名無し様:03/11/08 00:56 ID:qaAz2I3+
>>15 では、その少数の日本人は切り捨てて良いということかな?無視して構わないと。
18 :
右や左の名無し様:03/11/08 01:02 ID:qaAz2I3+
>>16 EUの中にはトルコも入るんじゃないの?それに、フランスやドイツにも沢山イスラム教徒はいるし。
キリスト教を共通の価値観にするなんて無理でしょう。
>>18 トルコ加盟問題はまさにそれが原因ですったもんだしている。
トルコはNATO加盟国だけどEU加盟は果たしてなかったはず
キリスト教価値観をEU共通にっていうのはカトリックのポーランド、
スペインなどが主張しフランスは反対している。
20 :
右や左の名無し様:03/11/08 01:14 ID:Dry3/lzG
>>19 だから無理でしょう?それにキリスト教内部にもカトリック・プロテスタント・正教会など沢山の教派に分かれているんだよ。
>>20 宗派まで細かくしないよw
広義の意味でキリスト教的ヒューマニズムが西欧哲学の基盤みたいなもんでしょ
イスラム社会が、ごく一握りの超大金持ちと大多数の貧困層という社会的矛盾を
抱えてるのも宗教的価値観と無縁ではない。
「文明の対立」とまでいかなくても「現実」に目をつぶるのは不可能
22 :
右や左の名無し様:03/11/08 09:46 ID:2qOjIaWO
>>17 原理主義的になるのなら切り捨てて構わないと俺は思うけど?
23 :
右や左の名無し様:03/11/08 13:15 ID:DOiv59rD
この板のいろんなスレで政教分離に関する議論が行われているけど、おれは現憲法の徹底した政教分離原則はやはり良く考えられたものだなと思う。
>>15みたいなこと言う奴がいるから、益々そう思えてくる。
政教分離の最大の目的はそういったマイノリティーの信教の自由を守るために置かれた制度だからね。
よく、丁度阿呆さんがこの憲法は良くできていると言っているけど、20条はまさにその典型だね。少なくとも20条に関しては欧米各国の憲法よりもうまく出来ているんじゃないかな?
24 :
右や左の名無し様:03/11/08 13:30 ID:XiOtyBbl
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ソウカ コウメイ・・・これを何とかしないと政教分離にならんのでは?
26 :
右や左の名無し様:03/11/08 14:02 ID:I6VeCfEp
>>15 あなたたち右翼が「日本人」というときは、ほんとうの真実の
日本国民一億二千万全体を指してない。
あなたたちの価値観に沿った人たちしか頭にない。
そこが問題なんだよ。
ちなみに日本人のキリスト教徒は全体の1%しかいないけど、
それでも120万人くらいはいるってことだよ。
政令指定都市ひとつぶんの日本人を「日本人に入れない」って
いえるわけ?
だから、何のために政教分離をするのかと言う思想からから、語れよ。
政治思想板的に言うと、
1、判例および通説は信教の自由の制度的担保としている。
2、一般に宗教の自由は、内心の自由のひとつとされている。
3、政教分離の基本法における表現は、日本の憲法が非常に厳しい。
ここまでは芦部憲法でもそのようなことがかかれているから妥当と思えるがどうだ?
で、まず、1、の信教の自由の制度的担保としての政教分離というものは、理解ができる。
宗教と言うものの特質として、政治思想に無関係に、求心力を発揮すること、そして其の宗教
教義から政治思想に関して一定の絶対性がでてくることが、ある。
だから、政治思想のほう平静を保ちながら、ある宗教を国が国教として認め、其の宗教的な
儀式様式だけを国の基本と使用としても、其の宗教教義から導かれる政治思想に対して
まで、国がそれを認める結果となる。だから、宗教は、政治思想とかかわりのない場面に
おいても、国と切り離さなければならないと言う、信教の自由の担保的制度を、保有する
必要がある。
ではどのあたりまでの切り離しが限界かと言う議論である。
既に判決・通説でも示されているとおり、私学補助などは私学の平等性を優先し、宗教団体に
関わる私学も、そうでない私学と平等に補助をするべきという合意はある。
すなわち、宗教団体であるからと言う理由の切り離しは、他の団体との合理的差別理由が
ない限り、同様の扱いの範囲にとどめるべきである・・・宗教団体であることを理由としての
差別は許されないと理解すべきである。
そうすると、国教の禁止が限度じゃないの?他にどんな具体的事象を想定して議論しているのやら。
>>1は、其のあたりを説明できるなら、頼む。
28 :
右や左の名無し様:03/11/08 14:44 ID:DOiv59rD
>>27 確かFINE氏が貴殿との議論で言っていた思うが、例え国がある宗教を国教として特権を与えたり何らかの利益的供与を与えなくても、
国の儀式がある宗教の形式に則って行われた場合、それはやはり国がその宗教を正統な宗教と言うお墨付きを与えた事になり、その宗教を援助・助長する効果を発生させる事は否定できないであろう。
また国がある儀式を行う際にある宗教の形式に則って行い更にその宗教の聖職者をその儀式に招聘した場合、多少なりとも金銭的な支出を伴うであろう。
そうすると、国は精神的な面だけでなく経済的な面でもその宗教を援助した事になるであろう。これは、その宗教を信じないものや特にその宗教を嫌っているものにとって自分が支払った税金が使われる事は耐えられないということにならないだろうか。
このように考えてくると、国と宗教の関係は可能な限り分離すべきと言う結論になると思われるのだが、如何であろう。因みに私は
>>1ではないが。
>>28 極めてわかりやすいご質問だが、国において儀式儀礼が必要だと言う前提が、私には有る。
では儀礼儀式は、特定の宗教に関わらない方法で行うべきと言うとき、それは不可能でしょう。
関わらないと言うことは、特定宗教がお勧めする様式に従ってもダメだし、逆に特定宗教を
否定する様式もできないと言うことでしょう。無理だね。総ての宗教に無kんけいに儀式は
行えないでしょう。不可能なんだよねそれは。現実的に。
例えば神道仏教習合の形式によるけれども、どこの宗派にも寄らないし、否定もしない様式
と言うものは可能だ。事実フランスの元大統領の国葬はカトリックで行われているが、どの宗派
かは特定できない。この違いは分かる?
総ての宗教にニュートラルと言うのは、何もしない以外にありえない。でも儀式儀礼は必要。
どうする?あいふる!
国民において概ね合意されている儀礼的範囲・世俗化している形式によって行うしか
方法はないでしょう。特定宗派に寄らないけれども、まぁ回教とかキリスト教徒については
納得しがたいものがある、しかし日本で生活している中では許容できる限度の様式でしか
儀式はできないと考えているけど、どう?
実際最高裁判決では公が宮司による地鎮祭を行い其の費用を支出することは合憲とした。
ぎりぎりの線だとは思うけど、同じ事でしょう。
30 :
右や左の名無し様:03/11/08 15:53 ID:DOiv59rD
>>29 そうすると、やはり少数者は我慢せよということになるのであろうか?
政教分離を仮に制度的な保障と捉える考え方に立ったとしても、政教分離が国民の信教の自由を保障するためのものと言う面は否定できないのであるが、そしてその信教の自由とはマイノリティーの信教の自由を意味するのであるが。
なぜなら、多数者がその宗教の形式でやることが望ましくないと考えているのであれば、民主主義を採用する限り国はその国民の意思を尊重するからである。つまり、政教分離という原則は必要ないということになる。
しかし、政教分離という原則が敢えて憲法において規定されていると言う事は、そういう民主的な過程では反映し難い少数者の利益を守ろうという趣旨に出たものと考えられる。
それに宗教色のない儀式と言うのが全く想定できないわけではないし、憲法上規定のない宗教の形式に則った儀式と憲法上規定のある政教分離とどちらを優先させるかと言えば、やはり政教分離を徹底すべきという結論になるのが論理的帰結であろう。
>>30 >それに宗教色のない儀式と言うのが全く想定できないわけではないし、
想定できるなら、其の様式でやればいいと思います。
可能ですか、総ての宗教が納得する様式は・・・。それは、日本人一般において
宗教色がないと思える様式なだけでしょう。
それを許容できる限度と表現しているのですが・・・。
>>30 信教の自由を守ると言うことの意味を考えてください。
例えたった一人で信じている宗教でも(たぶん釈迦もイエスもムハンマドも始めは
一人でしょう)其の自由は尊重すると言うことです。
具体的には
1、信仰することを禁止されない。
2、信仰していることを告白させられない。(宗門改めなどをさせられない)
3、信仰する者たちによる団体を作ることを禁止されない。
4、信仰に基づく振る舞いを禁止されない。
と言うことで、そのうち4、については、公序良俗に反しない限りと言う限定がついている
わけですね。
では、国教を持っている国が、国民に上記を保証したとして、其の信仰を持つヒトタチに
おいて、何か不都合はありますか?ないということで、英国も国教がありますし、アフガンは
新憲法において回教を国教としようとしています。
で、宗教勢力的マイノリティの存在が否定されない社会においてもなお、結果として
特定宗教の様式を国の様式とすることの弊害は、実は信仰の自由の確保と言う表現より
言論の自由に対する弊害と言うべき内容です。英国は国教の持つ政治的理念の帰結と
基本法群にしめす政治理念が概ね一致しているのです。
貴殿がおっしゃっておられるのは、宗教的平穏と言う問題です。国民として義務を果たし
ていながら、信教の自由は確保されているものの、宗教的なことからくる不愉快な思い
・・・宗教的平穏を乱される・・・を国がしていいのかということです。
全員が納得できない以上、国民の多くが許容できる範囲(国民の多くが宗教的とまでは
いえないと思える範囲)を許容しなければ、国は儀式も何もできません。
33 :
右や左の名無し様:03/11/08 18:04 ID:+nyfgB56
>>32 結局貴殿は最後には「多数者」を持ち出してくるのか。
日本が欧米とは異なる、より踏み込んだ政教分離の原則を定めた意義と言うものを考える必要があるであろう。
欧米では、近代以降宗教が引き起こした戦争と言うのは殆ど無いのであるが、日本はまさに第2次大戦において宗教が戦争に国民を動員するお先棒を担いだ。
そういう歴史的背景・経緯が異なるのであるから、欧米とは異なるより厳格な政教分離を徹底するのが合理的なのである。
>>33 >日本はまさに第2次大戦において宗教が戦争に国民を動員するお先棒を担いだ。
うん、戦争遂行に協力したね。
今でも、英国も米国も、軍隊にはキリスト教聖職者を国費で派遣して、戦争に協力して
いるね。英国では国教が、戦争に協力している。回教もそうだね。
>欧米では、近代以降宗教が引き起こした戦争と言うのは殆ど無いのであるが、
そだね、それに引き換え日本は、お先棒を担いだ・・・。お先棒は欧米でも担いでいるよね。
日本でも宗教が起こした戦争と言うのは、近代以降ないよね。
ソすると君の趣旨をまとめると--------
日本が欧米とは異なるから、より踏み込んだ政教分離が必要。【なるほど】
欧米では、近代以降宗教が引き起こした戦争と言うのは殆ど無いのであるが
、日本にもない。【ほうほう、違わないんだ】
日本はまさに第2次大戦において宗教が戦争に国民を動員するお先棒を担いだ。
欧米でもそれは同じだったし、今でも変わらない。【なるほど、どこの国も変わらないよな】
そういう歴史的背景・経緯が異なるのであるから、欧米とは異なるより厳格な政教分離を
徹底するのが合理的なのである。 【はぁ?何が欧米と違うねん!?】
----------・・・はぁl・・・。
きみさぁ、日本語と歴史のお勉強をしましょうね。
ついでに言っとくけど、宗教(新党に限らず)は戦争に協力したけど、マスコミも、企業も
戦争には協力したよ。宗教だけ特別に協力したと言うことはない。
35 :
右や左の名無し様:03/11/08 18:47 ID:+nyfgB56
>>34 欧米で軍に聖職者を従軍させているのは、兵士たちの慰労のため即ち心理的カウンセラーとしての役割を期待しての事だ。決して、この戦争で死ねば英霊として神になれるとか神の国に行けるといった事を兵士たちに信じ込ませるためではない。
それに対して、国家神道はまさに国民に国のために戦争で勇ましく死ねば英霊になれる神になれると信じ込ませて国民を戦争に動員する役割を演じた。全く体質が異なるのであるが、どうお考えか。
英国で国教会が上記の意味以外で戦争に協力していると言う事実はない。
れれれのおぢさん、必死だなw
37 :
右や左の名無し様:03/11/08 19:05 ID:8XnT7c1n
>>35 国民を戦争に動員したのは、国だろ?
宗教は単に精神的支柱になっただけ。そして、愛国心・国への忠誠心という精神的支柱は
やはり、米国ではキリスト教にある。英国では国教。
死ねば靖国に祭祀され、英霊となって国が永久に顕彰するという神道の役割も
心理的な安らぎを与えるための宗教としての役割に過ぎない。
全く体質が異なると言う貴殿の思い込みは、史実とは異なることを、申し述べておく。
また、日本の仏教も協力し、キリスト教も協力した。
君、神道に対してのみ、一方的過ぎるでしょう。
しかも神道の国家管理は既にないがそれでも、宗教団体(それは神道のみでなく基督教
も仏教も)を他の団体(政治団体・マスコミ・企業・国の管理する法人など)と比較して
差別的に国から排除するかのような政教分離は、逆に憲法理念に反するんじゃないの?
39 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/08 19:17 ID:B9lcxmdM
>>32 れ氏
>信教の自由を守ると言うことの意味を考えてください。
信仰の自由というのはもっとシンプルな発想だよ。
「国家が個人の思想・信条に踏み込んで左右してはいけない」是だけ。
其の定義を脅かす、いかなる試みも許されないということ。
君が持ち出している1〜4の定義も全て上記の定義があってこそ成り立つ。
日本の憲法が取り分け政教分離規定に厳しい理由も此処にあるといえるだろう。
是が気に入らないのなら、合理的な理由を再定義し直して憲法改正をするしかない。
私は今の日本では、宗教への理解が低いので憲法改正は危険だと思うが。
>>39 >是が気に入らないのなら、合理的な理由を再定義し直して憲法改正をするしかない。
>私は今の日本では、宗教への理解が低いので憲法改正は危険だと思うが。
誰が気に入らないと言っているのか、私は知らないが、少なくとも私は気にいっているよ
信教の自由・内心の自由・思想信条の自由は・・・。
誰が憲法改正を望んでいるかは知らないけれども、私は憲法の改正において、
信教の自由・内心の自由・思想信条の自由は、そのまま残して欲しいと思うよ。
どなたかと勘違いしているよだね。
41 :
右や左の名無し様:03/11/08 20:07 ID:+nyfgB56
>>38 貴殿がおっしゃるとおり確かに戦争に協力したのは神道だけではなく、キリスト教など他の教派もしてしまった。それは否定できない。
しかし、少なくともキリスト教はその事実を受け止め、不十分ながらも謝罪もしている。詳しくは下のサイトを参照されたい。
だが、神道が戦争に協力したことを認め謝罪したなどと言うことは私は寡聞にして知らない。むしろ、靖国神社など次の来るべき戦争に備えて国との関わりを深める傾向がある。
やはり、そのあたりに両教団の大きな体質の違いを感じざるを得ない。
http://peace-appeal.fr.peter.t.nishiyama.catholic.ne.jp/sub3.html 貴殿の論理によると、キリスト教も謝罪する必要はなかったと言う事になるが、貴殿のその「寛容さ」には関心させられるところである。
42 :
右や左の名無し様:03/11/08 20:42 ID:/3e3oJg2
>>41 逆に神社遥拝、天皇写真遥拝をことわって弾圧された
インマヌエル教団という存在もあったしね。
大政翼賛会のように無理やりいろんな教派を統合して作られた
日本基督教団は、圧力に屈してしまったけど、それに属さないで
抵抗した教団・教派もあった。
つまり「キリスト教は国家神道を容認できる」は一般化され得ない。
43 :
MMMM:03/11/08 20:49 ID:lKN+gt3n
神道系の民間宗教たるおおもと、天理ほんみちは、
日本共産党、キリスト教灯台社らとともに、
さきの戦争で反対したぞ。天皇と神道は切り離して考えなければ。
キリスト教の換骨奪胎、キリスト教をマネして天皇をでっちあげた、
伝統宗教の天皇一神教への収奪をこくはつしなくちゃあ。
日本の伝統的宗教の可能性は、天皇とは無関係でありうるのだ!
おまえら、うぶすなのかみをこそたてまつれ!
44 :
右や左の名無し様:03/11/08 21:02 ID:+nyfgB56
45 :
MMMM:03/11/08 21:11 ID:???
国家神道は天皇擁護キリスト教とともにまともな宗教ではないからなあ。
権力によって強制されたものであるから、
そういう意味では、オウム真理教はただしく宗教。
46 :
右や左の名無し様:03/11/08 22:05 ID:6rQc6bMt
>>45 あちこちのスレで思い込みを叫んでばかりいずに論理的に君の意見を述べたまえ。
近代国家には、様々な宗教の上に「国民宗教」が欠かせないと思う
ヘーゲルもそう言ってるし
49 :
右や左の名無し様:03/11/09 04:34 ID:hfBmjeLK
>>40 >どなたかと勘違いしているよだね。
誰とだろ?保守考さんかな?
宗教は害毒。
日本人は人民による革命に晒されていないから
宗教の害毒性がわかっていない
日本はそうして宗教が世界に対して侵略戦争を仕掛けて中国に迷惑を掛けただろ。
いわばアジア太平洋戦争は当然の帰結であり
日本軍国主義はナチスをも操作してユダヤ人にも迷惑を掛けた。
反面ユダヤ人を解放したのはソビエトであった。
言って見れば日本という世界一バカで
ガキのままの劣等国に対しては、
特にマルクスの教えは正しかったと言える。
なのに一度もマルクスを実施していない。
今こそ社会主義の正しさが証明されるべきときだ。
50にマジレスする者は敗者
>>41 謝罪する必要があったというけれども、誰に?
国が戦争しているとき、それに協力することはいけないことだと言うなら、兵士の心の平安
のために、軍隊に聖職者を送りつづけるキリスト教・ユダヤ教は、反省していると言えるの
だろうか。
神道を特別に悪玉に仕立てるなら、政教分離は反省したキリスト教には適用しないと言う
のかな?
正義の戦争ならOKで、侵略戦争ならNGなのか?完全なる自衛戦争にさえ宗教は協力
するなと言う趣旨なのかな?
そして、宗教だけでなく、他の団体の責任についてはどうなん?少なくとも先の戦争に
協力したNHK・朝日新聞・国鉄・電信電話・兵器製造の企業群の、戦争協力に対する反省の
ソースも希望。そうしないと公平ではないよね。
君は次々に意見が破綻しているのに、其の総括もせず、次々に論点を提示する。
悪いが、私はそのようなイイカゲンな奴と、検証できる議論は不可能だと思っている。
ついては、まず、それ以前の発言に関する見解をのべ、また何がしか確認できるHN
を付けて、意見を開陳していただきたいと、お願いしておく。
54 :
MMMM:03/11/09 09:47 ID:???
端的に、論理的に意見書いてるんだけどね、おれ。えーと、
>>46さん、わたくしに対する「思い込み」っての、
認識に誤りがあるという批判であると理解した。
わたくしの書いてることで、事実に反してる点をご指摘ください。
55 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/09 10:21 ID:zt4t5M9E
>>40 れ氏
>少なくとも私は気にいっているよ
そう。では違憲判決も出ている玉串裁判の判例もあることだし、
天皇による神道儀式は止めるべきと認めるんだろうな。
良い心がけだ。
>>55 亀哲人氏
煽るにしても低レベル過ぎて、カワイソウになってくる。
地鎮祭が合憲であると言う判決を継承して、特定宗教の重要な宗教的行事に参加し
其の玉ぐし料などの支出を公が支払うことを、憲法違反とした、其の判決から、
>天皇による神道儀式は止めるべきと認めるんだろうな。
と言う貴殿は、オコチャマレベル。
しかし憲法議論について、きちんと筋道を立てて論旨を提示している私に対して
こんな煽りしかできないなんて、惨めな奴・・・。コテを使っているんだから、少しは自分を
大切にしなよ。
57 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/09 11:14 ID:zt4t5M9E
>>56 れ氏
>しかし憲法議論について、きちんと筋道を立てて論旨を提示している私に対して
どこが?
>>57 少し冷静になりな。スレに無関係にからむのは、みっともないよ。
59 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/09 11:29 ID:zt4t5M9E
>>58 れ氏
冷静なんですけど。
君が筋道を立てて論旨を提示していてると思いこんでいる様なので、
どこがと聞いてるだけ。私の設問に答えられないのかな?
60 :
保守を考える:03/11/09 11:42 ID:bpqIPFOm
【愛媛玉串料訴訟事件】(最大判 平成九年四月二日)
この事件の争点は
「公金による玉串料の奉納は、政教分離及び89条に反するのか?」
であり、神道儀式については
「 国家が宗教との関わりをもつ事を全く許さないとするものではなく、
宗教との関わりあいをもたらす行為の目的及び効果に鑑み、その関わりあいが
我が国の社会的・文化的諸条件に照らし、相当とされる限度を超えるものと
認められる場合には、これを許さないと解すべきである。・・・・以下略」
これを元に
鹿児島県知事、大嘗祭公費参列訴訟において、最高裁は政教分離に反しないと
合憲判決を出している。(平成十四年 七月十一日)
>>59 見苦しい限りです。少なくとも、私が書き込んである部分は特定できますよね。
れ ◆r0FmiN9ADk と名前欄に書いているところが、私の書き込んでいる部分です。
そして貴殿が
>君が筋道を立てて論旨を提示していてると思いこんでいる
と評価し、筋道を立てていないと判断するなら、当該レスの番号を提示し、筋立てとして
通っていないことを指摘いただければいいことです。
そうして冷静で検証可能な議論(私はそれが好ましい議論だと思っていますが)が進行
するのであって、
>>57、
>>59のような書き込みは、少なくともそのような議論のタシには
なりません。新たに立ったスレをそのようなレスで汚すことは、貴殿の品格を汚すことに
なります。どうかご自愛なさってくださいな。
62 :
保守を考える:03/11/09 12:00 ID:bpqIPFOm
>れ氏 (私的カキコ御免)
そう言えば『民族』の話は何処のスレでしたっけ?
一般的な定義を掲載しておいたんですけど・・・・。
やっぱり、いろんなとこにカキコするのは私には向いてないようです。
63 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/09 12:02 ID:zt4t5M9E
>>60 保守を考える氏
事実の羅列だけを提示しているのは、君のホームである存在意義の埒外という判断かな?
少し燃料投下をしたいのだが、私は玉串料裁判で注目しているのは、司法判断を決するのに
「15裁判官中、合憲としたのは2人だけだった。」という事実である。意見が分かれる
というのは当然あるわけで、判断する側に少数意見とはいえ多様な意見がある事を示している。
法治国家である以上は、司法判断には従わざる得ないが、不服申し立ても可能な制度なのであり
結審により一定の司法判断が下ったとはいえ、当然に今後も議論すべきであろう。
64 :
保守を考える:03/11/09 12:12 ID:bpqIPFOm
>>63 あのぉ〜、普通にレスの流れを読めば
>>55の
>では違憲判決も出ている玉串裁判の判例もあることだし、
>天皇による神道儀式は止めるべきと認めるんだろうな。
に対し
この事件の争点は
「公金による玉串料の奉納は、政教分離及び89条に反するのか?」
であり、と書いている通り、最高裁は、神道儀式に公的機関が関与しては
ならない。などと言ってはいないという、事実を教示しただけですが・・・。
まあ、このスレに根をおろすかどうかは、保留してるところです。
65 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/09 12:28 ID:zt4t5M9E
>>64 保守を考える氏
玉串料奉納が、公的機関の関与にならないと考えてるのかな?
儀式への関与とは如何なるものと捉えているのか不明。
ともかく真っ先にどうすればバカウヨ、右翼政治家の喧しい口を封じれるのか、それを考えろよ。
>>65 亀哲人氏
もう少し冷静に議論しなさい。人に質問する前に
>では違憲判決も出ている玉串裁判の判例もあることだし、
>天皇による神道儀式は止めるべきと認めるんだろうな。
について、筋道を立てて、まず貴殿が論理を展開すべきだ。
愛媛訴訟と天皇の神道儀式の間には、少なくとも字面として、飛躍がある。
69 :
保守を考える:03/11/09 12:49 ID:bpqIPFOm
>>65 え〜と、「公金の支出による儀式への関与」と「儀式そのものに対する、公的機関の関与」
を弁別して最高裁は結審したと、書いてある通り。
まあ、憲法なり財政なり、又は儀式及び神道という概念を思想的に教えて欲しいのであれば
存在意義スレにどうぞ。
>れ氏
>>66 どうも有難うございました。
では、中座させて頂きます。
70 :
保守を考える:03/11/09 12:52 ID:bpqIPFOm
つーか
>>60に書いてある通りだよ。
ちゃんと読んでね。
愛媛訴訟判決
http://page.freett.com/shikoku/tamagushi.htm 抜粋
憲法は、政教分離規定を設けるに当たり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の
非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものと解すべきである。
しかしながら、元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、
信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として
保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。
そして、国家が社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、
援助等の諸施策を実施するに当たって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れることは
できないから、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、
実際上不可能に近いものといわなければならない。
さらにまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理
な事態を生ずることを免れない。
これらの点にかんがみると、政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にも
おのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として
具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、
国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、
そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、
いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題とならざるを得ないのである。
(抜粋は以上)
したがって、この判決をまず、亀哲人は妥当と判断するのか、そうでないのかを表明
する必要がある。公的機関への関与だったとしてもやむをえない、持たざるをえない
事を前提とした、程度の問題を議論したいのか、それとも喪タ座ryを得ないという部分に
反論したいのか、でる。
72 :
右や左の名無し様:03/11/09 13:28 ID:Qw5oZKWX
>>53 れれれのおぢさんは、事あるごとに宗教とマスコミや企業と並列してどうして異なる扱いをするのかと主張するが、両者は全く異なるだろう。
宗教というものは人間の内面に関わる重要な問題で、人間の死生観・人生観をも左右する影響力を持っている。実際、自分の信仰を守るために命を投げ出すというような悲劇を人類は何度も経験している。
それに対して、企業は飽くまでも利益追求のみが目的で、人の内面とは関わっていない。マスコミもただ情報を伝えるのが主たる任務だ。両者の果たしている役割は全く異なっているといっていいだろう。
74 :
右や左の名無し様:03/11/09 13:31 ID:Qw5oZKWX
政治団体を忘れていた。政治団体も宗教ほどは人々の内面には関わっていないだろう。程度問題だが。
>>72 多少不親切だったので、ちゃんと書こうか。
戦争の反省と言う議論に対しては、マスコミや企業も同罪だろうと言う意味で書いている。
政治団体は、其の思想が、人間の内面に関わる重要な問題で、人間の死生観・人生観を
も左右する影響力を持っている。実際、自分の思想を守るために命を投げ出すというような
悲劇を人類は何度も経験している。
人の内面に関することなら、政治団体の思想も同等だろうと、私は思う。
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`) /⌒ヽ ちょっと選挙行ってきますね。日本が沈んじゃいますから・・・
| / / ´_ゝ`)
| /| | | / /⌒ヽ チャプッ
// | | | /| | / ´_ゝ`)
U .U // | | | / /⌒ヽ プクプクッ プクプクプク・・・・
U .U 二| /| |二-_ -_/_´_ゝ`)二- - /⌒ヽ= _ _ ッ・・・・・
 ̄- ̄- ̄ ─ ─  ̄-  ̄- ̄  ̄-
77 :
右や左の名無し様:03/11/09 13:36 ID:Qw5oZKWX
>>75 そう言われてみればそうですね。失礼しました。
78 :
右や左の名無し様:03/11/09 13:37 ID:nExYoi9I
さてと、今日の日課。
「女は人間じゃなくて家畜だよ。」
「女は人間じゃなくて家畜だよ。」
「女は人間じゃなくて家畜だよ。」
おわり。
>>64 そか?程度問題なら、宗教と言うカテゴリーで分別するのではなく、其の内面への
かかわり具合で分別する方法を考えるしかなくなる。当然だよな。
政治思想の中で極端な思想と、宗教中での平穏な宗派で、後者に制約が大きいなんて
まさか平等の精神から云えば、相当に問題でしょう。
しかしそれは思想信条の自由に関わるよね。亀てっチャンが云うように信仰の自由が
「国家が個人の思想・信条に踏み込んで左右してはいけない」是だけ。 (
>>39)なら、
政治団体と宗教団体で、どちらか一方に制約が多いと言う合理性は、其の部分
(内心に関わると言う部分)の議論としては、成立しないんじゃないの?
云っておくけど、私は宗教を特別に制約しなければならない理由と言うものを、既に
提示してある。しかしその理由は、貴殿の言う、内心に関わるかどうかなどではない。
(
>>27参照)
>>72 政治団体や宗教の影響を飛躍的に増大させる、って意味では
マスコミも宗教ほどではないにしてもかなり人間の内面に影響力持ってると思う。
П
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┏━━━━━┓
∫ / ̄ ̄ ̄/∫
| ̄ ̄.∫ ./ 統一 //∫ ̄ ̄|
 ̄ ̄∫/ 原理.// ∫ ̄ ̄
邪教徒の言うことに耳を貸してはいけません ∫=======. ′∫
平和は統一教会によってのみ達成できるのです.・・・ ┗━━━━━┛
さあ今こそ祈りましょうニダ・・・ | |
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Λ凸Λ ♀ ∧_∧ ∧_∧ ∩_∩ ∧_∧
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/( † つ //⊂ //⊂ //⊂ //⊂ )
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∠_(__)_)‖ゝ | ̄ ∧_∧ ∩_∩ ∧_∧ ∧_∧  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ .|
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| .文 鮮明 狂祖 | | ̄ ̄ //⊂ //⊂ //⊂ //⊂ )  ̄ ̄ ̄| ̄ |
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83 :
右や左の名無し様:03/11/09 19:31 ID:KtzrQCP2
/ ____ヽ /  ̄  ̄ \
| | /, −、, -、l /、 ヽ
| _| -| ・|< || |・ |―-、 |
, ―-、 (6 _ー っ-´、} q -´ 二 ヽ |
| -⊂) \ ヽ_  ̄ ̄ノノ ノ_ ー | |
| ̄ ̄|/ (_ ∧ ̄ / 、 \ \. ̄` | /
ヽ ` ,.|  ̄ | | O===== |
`− ´ | | _| / |
| (t ) / / |
「のび太君、しずかちゃんは創価って噂があるから
選挙の時は気をつけなよ」
「大丈夫だよ」
「しずかちゃん、合同結婚式にいくんだってさ。壷を買わないと不幸になるって言われたよ。
難民募金もさせられたよ。目が普通じゃなかった」
,-――-、 ___
{ , -_−_− / _ _ ヽ
.(6( /),(ヽ| / ,-(〃)bヾ)、l
/人 ー- ソヽ _ | /三 U |~ 三|_
/ / |  ̄_∧/ ヽ |(__.)―-、_|_つ_)
| | \/_/-、 / / /`ー--―-´ /
|-\ _|_ )_| / | // ̄( t ) ̄/
ヽ-| ̄| |_|_ / ,− | | ヽ二二/⌒l
/ l―┴、|__) | (__> -―(_ノ
/ `-―┘ / `- ´
/
「統一教会だったのか。」
84 :
Santi:03/11/10 04:17 ID:FuU20tyz
>>79 れれれのおじさん
>政治思想の中で極端な思想と、宗教中での平穏な宗派で、後者に制約が大きいなんて
まさか平等の精神から云えば、相当に問題でしょう。
ドイツなどでは共産主義やナチズムなどの極端な政治思想は禁止されている。その意味で貴殿の主張は正しい。
しかし、政治思想はまさに政治にコミットして政治理念を実現していく事を目的としているものであるから、政治との関わりを否定する事はその存在意義を否定する事だ。
だが、宗教は人々を精神的に救済して正しき道を教える役割を担っている。従って、宗教が政治に関わるのはやはりまずいと思われるのだが。
少なくともこの両者を同列に扱うのは適切ではないであろう。
>>84 でも宗教の害毒を正しく説くのは共産主義だろ。
今時共産主義はソ連だなんて流行らないんだよ。
共産主義、こそ見なおされるべきだ。
86 :
右や左の名無し様:03/11/10 09:23 ID:N9OOdelm
>>84 >だが、宗教は人々を精神的に救済して正しき道を教える役割を担っている。
考えようによっちゃあ政治だって同じことですよ。
宗教にしろ、政治思想にしろ、そこに排他的性質を持つのであれば、それは
制約されて然るべきだと思いますけどね。
例えば戦前の政府は「国の為に死すべき」とやっていた。
今の社民なんかは「奴隷になってでも戦わずに生きるべき」とやっている。
死生観に介入するのが宗教だとすれば、上みたいな例はどういう扱いになるんだろうか。
88 :
Santi:03/11/10 09:51 ID:D2V+z0mG
>>85 私は共産主義なんか賛美していない。
>>86 そういう面はあるが、一般的な面を論じている。
89 :
右や左の名無し様:03/11/10 10:06 ID:N9OOdelm
>>88 一般論として言っているようには見えないですよ。少なくとも>84のカキコについては。
>>84 一般論として
>宗教は人々を精神的に救済して正しき道を教える役割を担っている。
が正しいかと言えば、相当に疑義がある。
まず宗教が精神の救済を目的にしている・・・まぁこの場合は現世における、人間達の
精神の救済という意味だろう。
では、まず仏教から見てみようか。仏教は其の基礎的な考え方からいくと、煩悩を捨て
解脱することにより、四苦八苦から逃れられるとしているから、精神的救済を目的といえる。
ただ、現実には出家し修行しないとダメだとする宗派もあるから、すべての人の救済を
目的としているとはいえない場合も多々ある。
つぎに、回教はどうか、死後天国にいくために、信じ・戒律を守ると言うことだから、目的は
現世での心の平穏ではない。これはほぼ、キリスト教でも同じだろう。
ヒンヅー教は、なかなか一言では言い表せないが、子孫繁栄と輪廻転生の宗教と言える。
仏教の母体と言うこともできるから、精神的救済を目的とはいえる。
神道は、平安を其の最も高い価値とするから、心の平穏でもあろう。
どうも一神教は、魂の救済は目的にしていても、現世の人たちの心の平穏は目的に
していないんじゃないの?実際にヨシュアの大虐殺は彼らにとって好ましい出来事
なんだから。
正しい道を教えると言うことについてはどうかというと、宗教が、其の正しさを政治理念に
よって導き出すのではなく、だから、国と関わるべきでないことに、既に同意している。
>>27参照。同列に扱うべきでないから、選挙において自由民主党の政治理念によって、
国が運営されることに問題はないが、国教は、国民の総意があっても採用されるべきで
ないと申し上げている。同列に扱わないことに、同意だよ。
91 :
Santi:03/11/10 10:20 ID:D2V+z0mG
>>89 宗教について国との関わりを制約を課す事はむしろ私の主張するところだ。
それで、政治団体については、上で述べたようにドイツでは一定の規制が為されている。その規制が正しいかどうかは即断はできないが、場合によっては必要な場合もあるかもしれない。
しかし、政治団体がそもそも政治と関わる事を目的としている限り、国政との関わりを制限するのは宗教に比べれば限定されたものであるべきだろう。
>>90 キリスト者の立場から言って、れ氏の言うとおりです。
キリスト者の「救い」とは神の国に入ることであり、永遠の命を
得ることであって、現実社会において幸福感を持ったり
善人とされることは「目的」ではなく「結果」であり、また
外部からの評価にすぎません。
このへんの誤認は日本においては特に痛切に感じるところ
ではあります。
だからこそ新興系の宗教を名乗る営利団体がそれを利用
している面があると思います。
>>91 信仰の自由を守れば、政治と関わること「も」目的にしている宗教を、禁止できるわけもなく
また制約することもできないでしょ?
理屈としては、国というシステムにおいて、政治団体であろうが、宗教団体であろうが
(実はそういうわけ方自体が疑問なわけで、政治団体で宗教団体というのもありうるわけ
だが・・・実際に世界各国にもあるし、創価学会-公明党もそだ。)
国の制度として、固定的に関わることはできないわけで、本来的には民意を経由すれば
関わることができるわけだよ。国民主権ならば・・・。
しかし、国教と言うものは、政治思想に関する民意の把握と言うシステムを経由しないで
成立するもの、選挙の都度、国教をどれにするかなどの選択をするものではなく、もっと
恒久的なことだから、問題だと把握し国教を設けない旨、基本法に定めることは、合理的だ
と言う捉え方をしないと、思想信条の自由や、信教の自由との整合性は、取れなかろうと
思うよ。
94 :
右や左の名無し様:03/11/10 10:54 ID:N9OOdelm
>>91 >しかし、政治団体がそもそも政治と関わる事を目的としている限り、
>国政との関わりを制限するのは宗教に比べれば限定されたものであるべきだろう
その比較はあまり意味がありませんね。なぜなら制約を課す理由というのは
宗教とか政治思想とかの区別に拘らないからです。
95 :
尊皇攘夷:03/11/10 11:15 ID:???
宗教を批判していながら、宗教の非合理制や矛盾を攻撃するのは基本的におかしい。
宗教に合理性を求めていることになる。
思想信条、信教の自由を尊重するなら、宗教批判は現実社会に悪影響が出る場合に制限すべきでしょう。
小泉総理の靖国参拝を政教分離違反として個人で起こした裁判で確定したように、
実害のない請求などは認めるべきではないのです。
97 :
尊皇攘夷:03/11/10 11:28 ID:???
宗教とその土地の文化や気候風土は深く関係しています。
日本語と宗教も一体となっています。言霊信仰は日本語の中に今でも生きています。
宗教関係の言葉を使用せずに、日本語も成立しないし生活も不可能です。
政教分離も、実害のない場合には厳密に適用することは社会混乱を産んで争いを作ることになってしまうのだ。
争いをさけるための政教分離が、目的を忘れたことになってしまうのだ。
>>97 よくわかるのですが、問題はそれが「外から見た」場合だということ
なんですよね。
神道は内部的にも日本のローカル宗教という意識はあるかと
思いますが、キリスト教、イスラム教、仏教などはどちらかというと
世界宗教です。
宗教「学」的に見ればたとえばキリスト教もイスラエルの文化や
風土によってどうこう、という分析がされることは理解できますが、
キリスト教の信仰者の立場から見るとそれは全世界的に普遍で
あって、ローカルなものではない、ということになります。
ここの乖離が問題を複雑にしている面はあると思います。
99 :
Santi:03/11/10 12:06 ID:D2V+z0mG
>>93 私も、れれれのおぢさんのご意見とそれ程の隔たりは感じないのであるが、釈然とできない面を感じないでもない。
国教を定めないとするなら、問題となってくるのはやはり国の儀式が宗教の形式で行われる場合ということになってくると思うが。
国の儀式がある特定の宗教の形式に則って行われると、国がその宗教を援助・助長する効果があることは否定できないと思う。
そうすると、やはり他の宗教との間で不公平を生じる事になるし、無宗教や他の宗教を信じている人にとってはあまり愉快なことではないような気がするが。どうであろうか。私の考えはやや硬直しているであろうか。
>>99 国の儀式がある特定の宗教様式に従っているという
ことは、明文化された国教がなくてもデファクトスタンダード
としての暗黙の国教があるのと効果としては同じでは
ないか?ということだよね?
>>98 それは、少し違うように思われます。
キリスト教・回教は、その意味では世界宗教なのです。世界共通の理念を信じている
と言う意味です。世界の姿を示し、世界がどのように進むかを予言している。(預言者
を通じて・・・神から直接に、あるいは救世主から、あるいは大天使から)
ユダヤ教は、世界共通の理念ではありますが、世界人類が信仰すべき宗教であるとは
規定していない。(選民思想)
まぁ、海峡も、神の国に行きたくない人は、別にかまわないと言う姿勢はあります。
仏教は、四苦八苦からの解脱であり、まぁ日本の大乗の大乗以外においては、
出家し修行したものだけが解脱をえると言うことで、彼らから正しい道を教えていただ
いても解脱はできない。真理を彼らから知るために特定の人に解脱してもらおう、その
ために出家者に対して保護を行うと言う図式ですから、一般人は不変の真理を求める
と言うより、生活における有益な真理を得るということでしかありません。
(大乗の大乗は違いますよ)
神道は、生き方を規定するものではありません。どのように生きようともかまわないのです。
(戒律も、信者が信じるべき理念もない)志を実現しようとするとき(コトアゲし其の実現を
希求したとき)其の言霊の力を阻害するものを、静め、よき影響を与えるためにどうすれば
いいかという実践であり、八百万の神の良い影響を受けるための振舞い方の宗教です。
もちろん、平安を良き価値とはするのですが、あらぶるものを排除すると言うことではない。
平安に生きなさいとは命じていない。
結局生き方をすべての者に求めるのは、キリスト教徒と言うことになるかと思います。
そこが、問題を複雑化していると思うのですが・・・。
>>99-100 その辺の議論は、相当するべきだと思うよ。
国教の禁止と言う論理を確保するためには、単に基本法に国教の禁止規定を盛り込むだけで
いいのかということ。
ただ、それは、信仰上の心の平穏を乱すと言う批判とのバランスなんだと、
私は思っている。日本人が無宗教と感じる儀式形式に対して、ある信教の信徒が
それは私の宗教観から言えば許されないことだと感じたとき、どうするか、何を基準として
それをとりあげ、または我慢するべき限界の範囲内だと言うか、ということ。
中座します。
103 :
98:03/11/10 12:24 ID:???
>>101 いや、そのとおりだと思いますよ。
だからわたしはユダヤ教は含めませんでした。
ただ、ユダヤ教においても神が天地の創造者であり支配者
であるという部分があって、異邦人であっても神の支配下に
ある、という面もありますけどね。
神道においては生命の起源、宇宙の起源、人類の起源
という部分がありませんよね。外国人がなぜ存在するのか、
神道の神話からではわからない。そういう意味ではやはり
ローカルなものだなと思います。
>>103 結局は初代教皇がローマ市民であったことが、其の発端でしょうか。
ひとつには内心と公的個人(この表現は個の捉えかたという私の思想に基づいているので
ご容赦)の分別ができる宗教であることと、民族を超えた宗教であることを、パウロは示した
と言うことで、すべての人類が信仰すべきという感覚が生まれた、そう思えます。
先日も枢機卿に日本人が選ばれていましたが、確かに世界宗教ですね。
まぁ、神道でも大八島と言う国生みの神話はあるのですが、だから人はこうあるべきと言う
論理構成にはなっていない。人は神の末裔として存在し、黄泉の国で寿命をコトアゲした
ことに対抗して子供の誕生をコトアゲした。其のとき以降、人の寿命が定まったと言う神話
はありますが、キリスト教と同様に神の起源はかかれていないという把握が正しいかと
思います。多神教ですから天津神と関わり和した神は内部に取り込まれ、かかわりを未だ
もたない、あるいは和していない神が、外国に存在すると言う把握でしょう。
多神教はすべてローカルで、ヒンズー教は人口的には世界レベル(仏教徒より多い)です。
神道がローカルだから、日本人としては受け入れやすいのでしょう。
日本語はローカルだから、日本人には必要なのとおなじように、馴染むのでしょう。
無理に世界標準にすることもないし、日本人を棄てることはない。
宗教的には日本人は仏教と神道のバイリンガルであり、生活はクリスマスやハロウィンまで受け入れた、
マルチリンガル的な多宗教共存思考なのだ。
日本の独自制を否定しても無意味だ、国教に規定されなくても、神道的儀式や思考は日本人の大部分は持っている。
神道や天皇も大部分が自然に受け入れられているだろう。
106 :
右や左の名無し様:03/11/10 20:00 ID:4I9zMx24
>>105 > 宗教的には日本人は仏教と神道のバイリンガルであり、生活はクリスマスや
> ハロウィンまで受け入れた、
> マルチリンガル的な多宗教共存思考なのだ。
いや、だからそういう人が多数派だということはよくわかるんだよ。
でもそれで「日本人は」と一般化したうえで、そこから「だから
日本はこうであってよい」みたいな結論に結び付けてしまうと、
上記にあてはまらない、一神教(世界宗教)の真面目な信者さん
たちにとってはたいへんな苦しみを与えることになるんだ。
そこを忘れないでほしいなと、こういう一般化の言葉を聞くといつも
思うんだよ。
107 :
右や左の名無し様:03/11/10 20:02 ID:N9OOdelm
>>99 排他的にならなければ、国の儀式に特定の宗教を用いようと特に問題ないと思いますよ。
儀式の形式が自分の宗教、信条と違うから止めろというのは却って排他的ですね。
108 :
皆でコピペして広めなければ:03/11/10 20:28 ID:BnYYtuTW
109 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/10 20:32 ID:Q+wfIrqQ
れたんや保守考たんがこのスレに参加していることからもわかるとおり、
政教分離と天皇制支持は密接な関わりを持つ。これが理解できないと、なぜ
政教分離制度に、インチキ保守達が根強く反対するのか理解できん罠(藁
現在、天皇家は宗教的行事を私事(公式には)として行なっている。天皇は
税金で養われているから、天皇の宗教行事の費用は当然国の税金から支払われて
いるわけだ。天皇家の宗教行事は、私事として天皇自身と私的な使用人が
行なっている。しかし、その使用人の経費は宮内庁の管理の内廷費として計上され、
国庫から支出されている。天皇の私的使用人たる掌典、内掌典等の使用人は、
戦前は国家公務員であった。これを国家公務員のままとすることは、これらの職員が
天皇を補助して宗教行事を行う必要性があったためにマズかったわけだ。そこで、
一応は宮内庁から独立した天皇の私的使用人とした上で、天皇個人に対して支給
される内廷費で雇用することとした。いわば、掌典職等は宮内庁が天皇の宗教行為を
国費で行なうために雇ったアルバイトの職員だ罠。
しかし、内廷費を実質的に管理しているのが宮内庁であり、天皇が家業としての
宗教行事を行うことを前提とした上で内廷費を宮内庁に対して支出していることから
見ても、厳格に政教分離を考えれば憲法違反と考えざるをえない、グレーな政治制度
と考えるざるをえない。このような天皇制存続にかかわる部分があるから、ウヨや
インチキ保守は政教分離制度に神経質にならざるをえんわけだ(藁
ウヨやインチキ保守が政教分離制度にこだわるのは、ひとえに政教分離を免脱
するために、便宜的に国家から分離した天皇の宗教行事やそれを補佐する掌典職等
の制度を正当化する態度が透けて見える。彼らの基本方針としては、政教分離制度を
攻撃することによって、天皇制を防衛するとともに、できれば天皇の私的宗教行事を
公共のものとしたいんだろう。逆に言えば、天皇制さえ息の根を止めてしまえば、
政教分離問題はきれいさっぱり解決されるってこった(藁
110 :
右や左の名無し様:03/11/10 20:40 ID:N9OOdelm
>>109 長々と書いていますが、要するに天皇に金をだすのが嫌なわけですね。
111 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/10 20:53 ID:Q+wfIrqQ
裁判所のとる政教分離の解釈も、天皇が私事として行なっている宗教行事に
対する補助が可能かどうかと言う視点で見れば、その意図が理解できる罠(藁
厳格な分離や宗教行為自体への厳格な国費支出禁止を認めてしまうと、内廷費
経由で行なっている天皇の宗教行事目的の支出が問題になる可能性がでてくる。
これは税金によって、しかも完全なる宮内庁の管理で運営されている天皇制の維持
と言う点から言えば致命的なわけだ。
天皇家が私事として宗教行事を行うこと自体は、信教の自由と言う点から見て
問題はないが、もしそれが国家と密接な関係なもとに行なわれれば、政教分離違反
と考えざるをえん罠。現在の天皇家の運営は、天皇自身の意思ではなく、宮内庁
と言う国家組織が密接関与して行なわれており、私的な支出に関しても実際上は
宮内庁の管理下にある実情だ罠。
そのような現状のもとで行なわれる天皇家の宗教行事は、やはり宮内庁による
密接な関与なくしては成立しないものと考えるのが妥当な解釈と言うものであろう。
天皇家と宮内庁の私事における分離なくしては、厳密な意味での政教分離も不可能
と考えるのが妥当だ罠。天皇制存置を考えるなら、政教分離制度をなし崩しするより、
天皇家の私事における完全な国家からの独立を考えるのが、むしろ正道だと思うが。
政教分離制度は、特定団体から国家を防衛し、宗派による中央権力の分裂を
避けるための有効な政治技術だ罠。これを天皇制のためになし崩しにするのは
本末転倒だ罠。どう考えても盲腸にすぎない天皇制と政教分離制度をはかりに
かければ政教分離制度の方が重要であろう。現実的な選択を提案するのであれば、
政教分離制度をいじるのではなく、天皇制自体の国家からの独立性をむしろ認める
べきで、天皇家の宗教行事は私事として行えるようにすればよいだけの話だろ(藁
112 :
右や左の名無し様:03/11/10 21:10 ID:N9OOdelm
>>111 天皇が日本文化を担っていると考えれば、文化遺産を保護するようなものだと
思いますよ。考えようによってはですけど。
長々と書いていますが、実質、天皇に金をだすのがもったいないので、政教分離
という言葉を使って否定しているだけですよね。
政教分離という視点だけから考えるのは一面的過ぎると思います。
113 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/10 21:15 ID:Q+wfIrqQ
114 :
右や左の名無し様:03/11/10 21:16 ID:N9OOdelm
なんか言い訳っぽくなってしまいましたが、要するに言いたいことは
政教分離の使い方を間違ってるんじゃないかなってことです。
115 :
土塊 ◆en6InwmG0E :03/11/10 21:18 ID:N9OOdelm
それじゃあコテをつけます
>>113 結局、天皇に金を出したくないってだけですよね。
117 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/10 21:33 ID:Q+wfIrqQ
>>112 天皇家が国家から独立した生活をしているのではなく、事実上宮内庁によって
管理されている以上、そのような天皇家の行なう宗教行為は政教分離違反の
可能性が強いと俺は主張しているんだろ。
天皇家の行なう行事は公式には私事とされ、それを賄う費用も天皇に対する
個人的な支出である内廷費として支出されている。しかし、内廷費の事実上の
管理運営は宮内庁が行なっているわけで、である以上宮内庁の管理下において
支出され行なわれる天皇家の宗教行事は、政教分離違反と考えるのが自然だろう。
そもそも天皇家が特定の宗教行事を家業として行うことを国が公認し、
そのような個人・団体を行政組織が生活面で管理下において、予算措置をしたり
するのはやじゃり政教分離違反と考えるしかない。
天皇に金を出すのがもったいないと言うのではなく、国家が私的に行なわれる
べき天皇家の宗教行事に密接に関与すること自体が問題であると言っているのだ。
天皇制を存置した上で、宗教分離制度との並存を望むのであれば、天皇家の私事を
経済的なものも含めて、宮内庁から完全に分離するのが筋だろう。
文化的なものであろうとなかろうと、国家が特定思想を奉じる団体を差別的に
補助することは好ましいことではない。天皇に文化的な価値を認めるなら、
無形文化財や人間国宝に指定し、他の文化的存在と平等に遇するべきで、天皇だけ
特段な扱いをするのは平等原則に反するだろう。なにより特定個人の行なう私的な
宗教行事に国が密接な関係を持つことは、私的な宗教行為の公共化につながり
好ましいこととは言えん罠(藁
118 :
土塊 ◆en6InwmG0E :03/11/10 21:51 ID:N9OOdelm
>>117 結局いっていることは、「原則からいえばこうだ」っていうことだけですね。
天皇についての実質的問題は金に関することだけなんだから、やっぱり金を使うのが嫌なだけなんですよね。
僕も原理原則も大事だと思いますけど、それ以外のところにも目を向けてみてはどうですか。
119 :
土塊 ◆en6InwmG0E :03/11/10 22:10 ID:N9OOdelm
この問題に決着がつかないのは、二つの、異なる価値観が存在するからでしょうね。
一つは、原理原則を重視する視点、もう一つは歴史や文化、精神性を重視する視点。
この二つの価値観のどちらが妥当かというと、結局、主観的になってしまうので
延々とループしてしまうのでしょう。尤も、それを合意の上で議論しているのかもしれませんが。
120 :
右や左の名無し様:03/11/10 23:16 ID:B6t+xoct
宗教は子供の情操教育に効果大
素直で賢い子は、素朴で信心深い両親の愛情の下で育つのは世界共通らしい
121 :
保守を考える:03/11/10 23:47 ID:XbtGexIS
>>109 ん? 私はこのスレの参加をまだ『保留中』である。
天皇の宗教性について議論がしたいのであれば、存在意義スレに書けば宜しい。
まあ、折角だから少し書いておくか。
宮内庁は天皇及びその他皇室の性質に鑑み、その行為及び諸事務について適切な便宜を図り
もって、象徴であり世襲による天皇の地位を維持する為に存在する。
その詳細は当該スレで論じてやるが、結論を先にいえば
天皇とその宗教性は密接不可分であり、三種の神器に象徴される通り、この宗教性を分離すれば
それはもはや、天皇ではない。
しかしながら、天皇の宗教性が、なんら国民の実害に結びつかない以上、これを厳格に分離する
合理的理由は無い。
勿論、君は、有史以来、継承された日本という国家を破壊し、新たな国家を創設し
独裁者として振舞う願望があるのだから、それはそれで勝手にやりたまえ。
ただ、このスレは、天皇というカテゴリーをいったん離れて、宗教そのもの定義と
その思想的分類としての政治関与がどの範囲に於いて必要であるかを論じるべきで
いきなり天皇論では、スレ違いであるから、私はここで、天皇(制)について話したくはない。
>>121 > しかしながら、天皇の宗教性が、なんら国民の実害に結びつかない以上、
まるで天皇が國民に「害」を及ぼす可能性が、すこしは有るかのやうな
書き方ではないか。
123 :
保守を考える:03/11/11 00:08 ID:6oxbFuVO
>>122 ん?
天皇の宗教性及び、それに基づく行為が、国民に実害をもたらすのであれば
日本と同時平行的に天皇も滅びると考えているが、
有史以来そのような恐れは発生していない。
続きは存在意義スレでどうぞ。
>>123 > 有史以来そのような恐れは発生していない。
「神代以來」と書いて慾しいね
125 :
保守を考える:03/11/11 00:15 ID:6oxbFuVO
>>124 だから存在意義スレに来なさいな。
因みに私の理解だと、神代は神武天皇以前の話だよ。
>>125 存在意義スレとやらは、S−RAMだの、盧楽路@パルチザンだの、ぁゃιぃアズマ人だの、
文字通りあやしげな、左翼崩れどもの巣窟ではないか。
>皆様へ
天皇スレ乱立のこの死相板において、もちろん天皇と無関係に日本の宗教は語れない
けれども、天皇メインの議論は
【教えて】皇室の存在意義【下さい】part19
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1067659205/l50 あるいは、他のスレに移動してお願いしたい。
ここは純粋に「できれば靖国論争とも多少距離をおいた」、宗教と政治の関係についての
議論の場としていただけまいか。
実は何度か立てようとしたこともあるが、スレの保守に自信がなく、立てられなかった。
せっかく新しいスレが建ったので、そういう方向での議論の場にしませんか?
と言うことで「アズマタン」もその辺をわきまえた、煽りと踊りを楽しませるように。
で、>.102でも述べたけど「現状以上の政教分離に積極的な人」は、国の儀式とか
そういうものを排除しようとしていると考えていいのかな?
それなら、国における儀式の必要性に話題はシフトする。
いやちがう。宗教色のない儀式と言うのは存在する、と考えているなら、宗教色のない
儀式とはどのようなものかを議論することになる。
確かに「れ」の云うように、宗教的平穏を守ると言う国民の権利との兼ね合いだが、
現状はそれが守られていないとするなら、信教の自由の範囲と言う議論になる。
まぁ複合的議論とはなろうが、見解が聞ければうれしく思う。
なお、亀哲人は
>>71についてけ見解を述べるよう、お願いしておく。
129 :
右や左の名無し様:03/11/11 11:15 ID:kW9hWkoM
>>107 なんか根本的な勘違いをしているように見える。
> 自分の宗教、信条と違うから止めろ
と言ってる人はほぼ皆無だと思うし、仮にそうだと
したら「自分の宗教の形式でやれ」ということだから、
むしろ靖国公式参拝を支持する神道信者の立場になる。
国の儀式から宗教色を排除する、というのは「自分の信じる
宗教も含めて、どの宗教の形式も採用すべきでない」という
立場だから、ぜんぜん排他的でもなんでもないんだけど。
130 :
右や左の名無し様:03/11/11 11:20 ID:kW9hWkoM
>>128 自分は宗教色を「ある程度(だれもが納得できる程度に)」
排除した儀式は可能、という立場。
>130
早速の回答を感謝する。
「ある程度」と言うのが、なかなか難しいよね。
日本国の儀式なんだから、日本人の多くが無宗教と感じる様式でいいと私は思うんだが
そうすると、少数派を無視するのかと言う批判が出てくる。
ある程度が、国民の多くが世襲的と捉える・・・その意味では地鎮祭は限界ぎりぎり・・・
事とするなら、それは現在の判例および通説を信任すると言うことになろうけれども
、貴殿の表現は、どうもそうではないように思えるが、
許容限度(「ある程度」の限界)基準を、誰のどのような感情、あるいは客観的事象に
求めるのかと言うことなんだけれども、どう思う?
>>131の訂正
(私は誤字脱字が多いが、さすがにこれでは・・・。)
×ある程度が、国民の多くが「世襲的」と捉える・・・その意味では地鎮祭は限界ぎりぎり・・・
○ある程度が、国民の多くが「世俗的」と捉える・・・その意味では地鎮祭は限界ぎりぎり・・・
133 :
右や左の名無し様:03/11/11 12:14 ID:kW9hWkoM
>>131 なかなか具体的詳細的には説明しづらいんだよね、
こういう問題は。
自分個人の見解としては
1. ある特定の宗教の様式そのままのもの(地鎮祭はそういう意味
では神道形式と考えられるので×)
2. 他宗教の人間にとって重大な侵害となると思われるもの
(キリスト教信者を英霊として靖国に祀るのは自らを神とすることが
非常に大きな罪であるため、死者本人への背教の強制となるから×)
最低限これらは排除されないといけないと思う。
134 :
右や左の名無し様:03/11/11 12:17 ID:mtRSTXu1
>>129 信教の自由を侵害しているわけでもないのに、儀礼としての宗教にまで
いちゃもんをつけるのは十分排他的ですよ。無論、神道を強制したらそれは違憲だと思いますけど。
個人的には、儀式、儀礼に関して宗教色をなくすことは難しいと思っているので
そのあたり、もう少し寛容になってもいいと思いますね。
135 :
右や左の名無し様:03/11/11 12:25 ID:caauSa3c
>>134 >もう少し寛容になってもいいと思いますね。
これは、まさに最高裁の多数意見が言った事で、この見解が問題があるから政教分離の議論が続いている。
134の立場の人間は直ぐに少数者に「寛容」を求めるのであるが、むしろ「寛容」であるべきなのは多数者或いは国家の方なのではなかろうか。
136 :
右や左の名無し様:03/11/11 12:26 ID:kW9hWkoM
>>134 宗教を信仰と儀礼に明確に区分することはできないよ。
宗教において儀礼は信仰心の表現であり、表明なんだよ。
つまり儀礼の強制は他宗教の信者から見れば信仰の強制と
ほとんど同義。
あなたの言ってることは、戦時中の政府がキリスト教や仏教の
信者に対して神社参拝を強制したのと同じ論理なわけで、
それがいかにそれらの人たちに苦しみを与えたか、もう少し
想像力を働かせて考えてほしい。
「我慢しろ」というならそうするに足りるだけの価値があることを
論証してほしい。
加害側が被害側の立場を考慮することなく
「侵害していないからいいじゃないか」と言って
片付けようとするのはいかがなものか?
信仰心への侵害というのは被害側の信仰の立場
から見なければ理解できないと思うが。
というか
>>134は
>>129が
>>107に対して指摘したことに
ついて正面から答えていないんだが。
>>107が想定している政教分離厳密化論者の主張理由
が、そもそも実際のそれとは異なる、という指摘は素直に
認めるべきだと思うぞ。
140 :
Santi:03/11/11 12:36 ID:XLTeq5rT
結局、国の儀式を重んじたい立場と政教分離を徹底させたい立場との妥協の落としどころとして、いわゆる「目的効果基準」があると思います。一応アメリカの最高裁によって確定されてきた「目的効果基準」を掲げておきますので参考にしてください。
@当該行為の目的が宗教的意義を持つか。
Aその効果が宗教を援助・助長・促進または圧迫・干渉するものか。
B国の行為と宗教との間に過度の関わり合いがあるか。
この3つの要件のどれか一つにでも該当すれば「宗教的活動」となり違憲となると考えられています。
141 :
右や左の名無し様:03/11/11 12:40 ID:mtRSTXu1
>>135-138 つまり、「被害者」とやらの立場にしてみれば、自分たちの目の前に
自分の信仰する宗教以外が見えてしまうのが嫌だ、ということですよね。しかしそれは横暴ですよ。
ある程度はそれも分かりますが、度が過ぎると原理主義的になってしまうということも
「被害者」さんたちに分かってもらいたいところですね。
おい、左派ども、今回の選挙でお前らのダメダメぶりに心底失望したぞ!
公明が憲法に抵触した存在であることは今さらガタガタ言わなくても充分わかっている。
しかしだ、その公明の足元にも及ばないじゃないか、お前らは!
自民批判のお決まり路線ばっかりじゃなくて、
なんで、公明の政教一致を徹底攻撃して戦わなかったんだ!
もう、お前ら左派勢力は完全に用無しだな。
143 :
右や左の名無し様:03/11/11 13:00 ID:mtRSTXu1
>>139 >107は彼らの行動を分かりやすく言っただけです。
そうして上に述べたような「被害者」たちの主張を聞き入れれば、最終的には
彼らのために自治区でもつくってやらなくては治まらないでしょうね。
それに近い状態はすでにありますが。
>>141 ぜんぜん違う。
もう少しじっくり読み直してほしい。
145 :
右や左の名無し様:03/11/11 13:33 ID:kW9hWkoM
>>143 分かりやすく?
ぜんぜん違うことを言ってるのがほんとうに理解できないの?
国や自治体がそういった宗教的儀礼や行事を行うことの
是非について論じているのであって、他宗教が存在している
ことそのもの、他宗教の儀礼や行事そのものに反対している
わけではないでしょ?
おそらくあなた以外の人はここまで書かなくても理解できている
と思うけど。
146 :
右や左の名無し様:03/11/11 13:41 ID:kW9hWkoM
わかりやすく言うとたとえば靖国公式参拝に反対
しているキリスト教信者の人たちは、もし仮に
政府がキリスト教式で慰霊祭を行っても反対する。
つまり「自分たちの形式と違うから」反対なわけではない。
また、個人や任意団体が宗教儀礼を行うことにはまったく
反対はしないし、実際していない(企業の地鎮祭など)。
それが問題となるのは公共団体がそれをする、という一点
においてのみなわけ。
とても簡単なことだと思うんだけど。
147 :
右や左の名無し様:03/11/11 13:47 ID:mtRSTXu1
>>145 ではなぜ「被害者」たち、他の宗教者の話題を出したんですか?
宗教の儀礼そのものが関係ないなら、国がそのような儀礼を行うことによって
生じる実害を論じるべきだと思いますよ。
宗教的に問題なのか、政治の機能として問題なのか、そこをはっきりしないと
議論は噛み合いません。
一応自分の意見としては、宗教性を強制せず、また他の宗教を抑圧したりしないかぎり、
政治の機能として、このような儀礼は何も問題ないと思います。
148 :
右や左の名無し様:03/11/11 13:53 ID:kW9hWkoM
>>147 それは先にそちらが反対者の立場を誤った想像に基づいて
書いたからでしょ。
さらには「信教の自由を侵害するわけではない」とあなたが
書いたんでしょ。だから「こういうふうに侵害される人たちが
いることも理解すべき」という話になるでしょ?
> 宗教性を強制せず(中略)このような儀礼は何も問題
> ないと思います。
いや、だから現実に宗教性をもった儀礼を国や自治体、首相
が公式に行っているから問題になってるわけで。
まずこの問題の本質を理解するところから始めないと。
あ、それから
> 宗教の儀礼そのものが関係ないなら
こんなことを書いた覚えはないよ。
もう少し落ち着いて、頭を整理してほしい。
150 :
右や左の名無し様:03/11/11 14:21 ID:mtRSTXu1
>>148 確かに、問題の本質をはっきりさせないといけませんね。
宗教家にとって問題なのか、国家にとって問題なのか。
>>149 >他宗教が存在している
>ことそのもの、他宗教の儀礼や行事そのものに反対している
>わけではないでしょ?
このようにあったので、儀礼や行事そのものに反対しているのでないなら、
それらは関係ない、それとは別のところに問題がある、ということですよね。
151 :
右や左の名無し様:03/11/11 14:59 ID:kW9hWkoM
>>150 じゃあもう一度まとめ直すね。
問題となる対象:
国や地方自治体などの公共団体、首相、首長などの
公職・公務員によって、なんらかの(種類を問わず)宗教儀式
または宗教性を帯びた儀礼や式典が行われること。
(続く)
152 :
右や左の名無し様:03/11/11 15:00 ID:kW9hWkoM
(続き)
どう問題か:
1. 税などからその費用が出るため、その宗教以外の宗教の
信者にとっては他宗教儀礼の強制になる。
2. 公的存在が特定の宗教の儀礼に参加することにより、
国民・住民等を代表する意味を持ち、やはり他宗教儀礼への
参加の強制になる。
3. 慰霊、追悼などの場合、対象となる死者の生前の信仰に
反する取り扱いを受ける可能性がある。
ひとつ補足するなら、この問題は
「さまざまな思想・信条、信仰、宗教を持つ人たちが共に
暮らしている日本の国において、特定の人たちに信教の
自由の侵害となるような国や自治体等の行為には問題が
ある」
ということであって、「宗教家の問題か国家の問題か」
というような分け方をするような問題ではないと思う。
宗教の信者であっても日本国民であり、日本国民の権利と
しての信教の自由であり、それを公的機関が主体となって
侵害する問題について論じているわけ。
盛り上がっているときにすまないけれども、
「国が儀式を行うことでの、被害者の実害」と言うのは、具体的に何なのでしょうか。
私はそれを、「宗教的な平穏を乱されること」だと思っていますが、それ以外にあるのですか?
私が良く分からない部分を書きます。
特に
>>133の人に聞きたいのですが、他の方もお願いします。
信教の自由と言うものは、相手の信教の自由も認めなければならないのです。
と言うことは、例えば他人があなたの信仰と違うことを行うことは、許容すると言う態度です。
では、個人だけかと言うと、違います。デパートでクリスマス商戦を行うことも目には入りますが
許容しなければなりませんし、手と手を合わせて幸せ・お仏壇の長谷川のTVCMも許容します。
と言うことは基本的に他人が行う宗教的振る舞いに対して一定程度の許容というものは
公序良俗に反しない限り予定していると言うことです。
では、国の行為・行政の行為としての宗教的振る舞いについては、どのように考えるのかと
言う視点を持たないと、「私の宗教心に反する行為をおこなうことは、被害である」という
わけのわからないことになってしまいます
続きがあります。
>>154のつづき
国の行為と言うもの(儀式も含めて)が、其の目的として宗教の優遇・弾圧をすることは
憲法違反です。問題は、其の目的でない行為における振る舞いが、いずれかの宗教を
優遇し、あるいは抑制する意味を、宗教的に感じられるときに、どうかということです。
デパート・結婚式場・葬儀場で行われている行為を許容し、公が行う行為を許容でき
ない理由は何かと言えば、二つあるでしょう。
ひとつは、其の行為を自分が行っているに等しい、あるいは荷担しているに等しいと
感じる場合でしょう。もうひとつは、自分も公の一員であり、私に不快なことを公が行う
ことに対する不快感でしょう。
しかし、現実には自分の思い通りにいは行政も国も動かないことも許容しなければ
なりません。では、どのような場合に、それを許容しなければならないかと言えば
其の儀式や行為を行わないことによる国民の不利益と、許容する側の被害のバランス
と言うことになります。
いかがですか?
156 :
右や左の名無し様:03/11/11 15:22 ID:kW9hWkoM
>>154 「国や公共団体が国民や地方民を代表して公費によって
特定宗教儀礼を行うことは、自らもそれに間接的に参画
したことになるため、他宗教への参加を強制されたのと
同義になる」ということ。
たとえばあなたが断交している知り合いAがいたとして、
あなたとAの共通の知り合いBが、Aの結婚式に行って
あなたに断りなく勝手にあなたの名前も連名にした
ご祝儀を渡したらどう思うか、また、BがAの結婚式の
スピーチで「(あなたの名前)とわたしはたいへん喜んで
います」と勝手に言われたらどう思うか?そういうことです。
157 :
右や左の名無し様:03/11/11 15:33 ID:kW9hWkoM
>>155 > 私に不快なことを公が行う
「不快」というよりも、勝手に自らを背教者にされてしまうわけね。
背教者というのは「不快」どころのレベルではないよ。命そのもの
の否定なんだよ。
一般人の感覚にはないレベルで、たとえば連続強姦殺人犯の
濡れ衣を着せられて裁判で確定した、という状況よりもっとひどい。
158 :
Santi:03/11/11 15:37 ID:XLTeq5rT
>>154-155 貴殿のご意見の前半部分は概ね賛同できます。特に私人に関しての部分はそもそも問題にしていません。ただ、問題となるのは、
>其の儀式や行為を行わないことによる国民の不利益と、許容する側の被害のバランス
の部分だと思います。この視点を入れるとどうしても少数者の利益よりも多数者の利益を優先すべきという結論になりがちです。
バランスではなくて、少数者の利益を如何に尊重しつつ多数者の利益を実現していくべきかという視点が肝要でしょう。「政教分離」の趣旨はまさにそこにある筈だからです。
>>157 全然分からないんだが、国・行政が行う儀式に、参加することを強制される場面はないんだが
誰かがやっていることを放置するだけで、背教者にされてしまうわけなら、他人の信仰の自由
への侵害だろうね。よく読んでからレスいただきたいんだが・・・。
>158 Santi氏
>この視点を入れるとどうしても少数者の利益よりも多数者の利益を優先すべきという
>結論になりがちです。
>バランスではなくて、少数者の利益を如何に尊重しつつ多数者の利益を実現していく
>べきかという視点が肝要でしょう。「政教分離」の趣旨はまさにそこにある筈だからです。
だから何度も申し上げているとおり、可能な限りそうすべきと言うことに異論はないが
対立したときにどのような基準を持つかと言うことを申し述べているんです。
>少数者の利益を如何に尊重しつつ多数者の利益を実現していく
少数に利益を尊重すると、多数の利益である国や行政の行為ができないと言う場合に
どのような基準でそれを調整するのかと言う議論が、大切ですよ。
161 :
右や左の名無し様:03/11/11 15:51 ID:kW9hWkoM
>>159 いや、わかってるよ。
たとえばあなたがA県の住人でホゲ教信者とする。
A県の首長が新県庁舎の建設にあたって地鎮祭を行う。
そこで「A県」の名で神主に対して謝礼が支払われる。
この謝礼はA県の予算に含まれる公費から支出される。
つまりA県民であるあなたは、A県が地鎮祭を行い神主に寄付をするという行為に
参加したのと同じことになる。
しかしホゲ教において偶像崇拝は禁止されており、偶像を拝む他宗教への寄付は
偶像崇拝とみなされる。
つまりホゲ教信者であるあなたは県によって勝手に背教者にされてしまう。
162 :
右や左の名無し様:03/11/11 15:55 ID:kW9hWkoM
たとえば地鎮祭など、神主を呼ばなくても、お神酒を注がなくても、
「工事安全祈願式」とでもして、たとえば学校の入学式や卒業式
のように、まったく宗教性のない形で行うことは可能でしょ。
それがだれかの正当な権利を侵害していると言えるかな?
そんなことはないよね?
にもかかわらず、あえて(明らかに)神道の形式にのっとって行う、
という部分が他の宗教の信者の立場からすれば問題になってくるわけ。
163 :
右や左の名無し様:03/11/11 15:58 ID:mtRSTXu1
>れ氏
激しく同意します。全く持っておっしゃるとおり!
164 :
Santi:03/11/11 16:00 ID:XLTeq5rT
>>160 れれれのおぢさん
その基準のひとつの目安となるのが
>>140で私が挙げた目的効果基準だと思います。
貴殿は、この基準についてどのように考えられますか?ぜひご意見をお聞きしたいです。
>>161 そんなことを云ったら、私学補助も、文化財保護も、国民にとって有益なことは
何もできないでしょう。
はっきり云えば背教者とするのは宗教上の勝手ですが、国・国民としては、
「宗教上の平穏の侵害」のレベルで、許容していただくしかないかどうかは
事案によるとしか云いようがない。
>>162 地鎮祭を神道形式で行わないことによる工事関係者の不安が、結果的に
どのような影響を起こすかという、工事関係者の宗教的感情にもよるよね。
>>164 その(3)って、日本の政教分離に関する判例・通説だったっけ?
当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進
又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。
そして、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、
当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為
に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び
宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し
、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。
に(3)は入っていない(米国の基準じゃないかなぁ)
166 :
右や左の名無し様:03/11/11 16:31 ID:kW9hWkoM
>>165 > 地鎮祭を神道形式で行わないことによる
> 工事関係者の不安
それなら工事関係者のみで行うべきでは?
そこに自治体の代表が参加して、その費用や施設、
その他の便宜を図ったり支出をしたりすることは、
その自治体の人たちを代表して行うことになってしまう。
工事関係者の内的不安の解消が目的なら自治体が
参加する必要はないかと。
167 :
Santi:03/11/11 16:32 ID:XLTeq5rT
>>165 だから、アメリカの最高裁の基準って断りを入れていたと思うけど。日本の最高裁はアメリカよりもう少し緩やかな適用をしている。
ただ、日本の判例の基準に対しては非常に批判が強く近年の有力な見解は、このアメリカの基準を導入すべきというものになってきている。
しかし、いずれにしても絶対的な基準ではないから、もっとよりよい基準があればそちらを主張しても言いのであるが。
168 :
右や左の名無し様:03/11/11 16:37 ID:kW9hWkoM
> 有益なことは何もできない
は極論だと思うし
> 宗教上の平穏の侵害
は他者からの背教の強制によってすでに起きているんだよ。
たとえば公立学校の修学旅行で寺院に行くとする。
そこまでは○。しかし仏教徒以外の生徒に「仏像に手を
合わせなさい」と教師が指導したら×。
また、拝観料名目の支払いじたいを拒否する生徒については
入場しないことを許可すべき。
団体行動を名目に入場を強制したら×。
美術品・文化財として鑑賞するという立場で参加することも
できるし、そういう生徒がいてもいいけれど。
> れ氏
直接参加を強制されなくても、公共機関名や団体名での
代表参加は、国民の総意の代表とみなされることは否定
できないと思いますよ。
個別の宗教の教義として、という意味ではなく、客観的に
政治的立場から見ても、公の私人に対する宗教行為の
強制にあたるという解釈は成り立つのではないですか?
>>166 君の言っていることは妥当なようで、二つのおかしなところがある。
1、建築会社経由の費用支出なら認めるのか?・・・ようは見積り項目としてなら
地鎮祭費用はOK?
2、施主が行うところに意義があると言うのが一般的な地鎮祭なのだから、そんなことを
施主を無視して行うことで工事関係者の安心が得られるとは思えない場合は?。
私の云っていることは、地鎮祭と言う特定の行為に対しての問題ではない。
そのように感じる工事業者がいるとき、公共工事において工事現場の安全を確保する上で
施主の執り行う地鎮祭が必要と、建築現場で働く人が感じたとき、そして其の行為が
世俗化され、特定宗教・宗派を国が特別に優遇するとまでは、多くの国民にとって感じられ
ないときに、それでも工事の安全と言う其の公共工事にメリットがあると言うことと、少数の
宗教上の平穏を乱されることとのバランスの問題であって、一概に禁止しろと言うえるほど
の妥当性は、ないのではなかろうかと言うことだよ。
地鎮祭については「ぎりぎり」と私は申し述べているのだから、議論の筋を理解して
内容のあるレスを頼むよ。
171 :
右や左の名無し様:03/11/11 16:50 ID:kW9hWkoM
>>170 簡単に要点だけ言うと、「地鎮祭をやると安心だから
安全上必要な行為」というのは法の世界では有効では
ないでしょ?
法の世界では合理的客観性がない主観的事実は
判断の理由にならないから。
つまり「地鎮祭をやると安全である」という工事関係者の
単なる「信念」でしかないので、公費支出の必要性の
根拠にはできないよ。
まして他者の自由を侵害するとするならなおさらでしょ。
>>167 米国で確定しているが、日本では「否定されている」わけだから、
貴殿において、非常に批判が強いのは、特定思想に寄っている学説であることも予想
されるので、
>このアメリカの基準を導入すべきというものになってきている。
その理由を書き込んでいただければと思う。大体米国は過度の係わり合いを禁止しな
ければならない理由があるのだ。修正憲法で国教を禁止しているのみで、係わり合いを
禁止する基本法がない。だから、聖職者を国費で軍隊に送り込んでいるし、コインや便箋
に、神と言う文字・・・おそらくユダヤ教・キリスト教共通の神であって、アマテラスもシバ神も
含まれていないそれ・・・を公的に入れている。
独立宣言も修正された様子はない。
かかわりを禁止している前提の日本で(3)を基準とすることは論理的には矛盾であろう。
>>168 教育問題については、別にやろうよ。親権には宗教上の選択を親に委任する代理権も
当然にあるのだし、その辺とのかかわりとかヤマギシ・法輪光などにも関わるから
議論が拡散する。
それより、> 有益なことは何もできない は極論だと思うし
というなら、妥当な基準を示しなさいな。工事現場では大工も左官も働いているんだけれども
これも神道関係であると、イチャモンをつけることはできるよ。
各論ではなく総論としての基準を議論希望。
174 :
右や左の名無し様:03/11/11 16:55 ID:kW9hWkoM
> 特定宗教・宗派を国が特別に優遇するとまでは、
> 多くの国民にとって感じられない
というのは無宗教者の立場から見た場合だよね。
まあ、そう感じる、という事実は理解できるよ。
でもそれは日本国民にさまざまな宗教の信者が混在
しているという前提が抜けてるわけね。
通常、宗教学の立場から見てもかなり明確に神道色
の濃い儀式であることは間違いないんであって、世俗化
というけれどそれはあくまで「何も信じない人にとって」でしか
ないわけ。そこが大きな問題なんだよ。
>>169 私は、それを「信仰上の平穏を犯すこと」と捉えているんだよ。
現実の強制ではないが、私の代表が参加していることにおいて、あたかも
強制させられているような感情を抱くこと・・・信仰上の平穏が乱れる」。
そう捉えないと、では私学補助や、文化財保護、は税金を使っているのだから
強制であり、不当であると言う結論に達するでしょう。
176 :
右や左の名無し様:03/11/11 16:59 ID:kW9hWkoM
んで、さらにいえば
「信教の自由を侵害しているかどうか」を、無宗教者の立場を
メインにして判断しているところに大きな間違いがある、と思うわけ。
「信教の自由の侵害とはなにか」というとき、それを現実的に「被害」
と感じる立場の人を無視することはできないでしょ。
だけど前に書いてるように、それを判断する基準が日本国民の
多数派である無宗教者や多重宗教者の意識に基づいてるわけ。
だから認識がどうしてもズレてくるんじゃないかな、と思う。
177 :
Santi:03/11/11 17:00 ID:Yaj7yAVl
>>172 私はアメリカの基準をそのまま日本に導入せよといっている訳ではない。
ただ、現在の日本の最高裁の基準が余りにも緩やか過ぎて問題があるので、もう少し厳格な基準を設定すべきではないか、そしてその厳格な基準を設定する際にこのアメリカの基準が一つの目安になるのではないかということだ。
>>167での表現が適切ではなかった事は認めるが。
178 :
右や左の名無し様:03/11/11 17:01 ID:kW9hWkoM
>>175 表現として必ずしも適切とはいえないとは思うけど
言いたい内容としては理解が一致しているので
その点についてはそれでOK、自分としては。
>>172 アメリカはむしろ建国理念として中心となった人たちの
信仰が密接に関わっているからですよ。
日本には宗教的建国理念というのは基本的には
ないと思っていいでしょう。
180 :
右や左の名無し様:03/11/11 17:06 ID:kW9hWkoM
>>173 いや別に教育問題として限定的に取り上げたわけじゃなくて、
「公」と「私」と「強制」と「信教の自由」の関わりを、ひとつの例を
通して自分なりに説明したつもり。
まあ、それ以上深入りしたくなければ放置してもらってもいいけど。
>>174 >>176 其の自覚は、私にはある。無宗教と言う表現を除けばね。
だから、じゃぁ、どうやって其の少数の宗教的な感情を保護するのかと言う基準を
君が持っているのかと言うことだよ。
偶像を禁止する回教徒も、虫さえ自分の祖先の可能性から殺せないヒンヅー教徒
と、キリスト教各派と、仏教各派と、神道各派と、それ以外の様々な宗教感情と
そして無宗教でなければならないと確信する共産主義的感情と、宗教的ではあるが
無宗教だと思い込んでいる人の、すべての感情を納得させられる、政府の行為など
ありえないんだから、ではどうせ売ればいいのかという基準が、大切でしょうよ。
それを書かずに、単にあれもダメ・これもダメでは、議論にならないよ。
>>171 法の世界で有効でないと言う意味が、合理性をもたないという意味なら、
それはそれを不愉快と思うことも同じでしょう。
>>177 >現在の日本の最高裁の基準が余りにも緩やか過ぎて問題があるので、
この認識について、私は異論があるから、どんな問題があるのか提示を乞う。
しかも、(3)は論理構築において逆だからら、其のほう亜宵理由を書いて欲しい。
基本的に関わってよいが、角のかかわりはダメと言う論理構築は、宗教好意を広義
に捉えることになり、なんでも宗教だと言えば制限できることとなる危険があるよ。
>もう少し厳格な基準を設定すべきではないか、そしてその厳格な基準を設定する際に
>このアメリカの基準が一つの目安になるのではないかということだ。
だから、アメリカは国境禁止規定しかない国なんだから、目安になるどころか、
「憲法で政教分離を後退させて、運用で厳しくする」と言うことになろうと思うけど
どなの?
184 :
右や左の名無し様:03/11/11 19:56 ID:XItdRFhk
>>181 いや、もうすでにだいぶ前に書いたよ。^^;
つまり「特定の宗教の形式を取らない」ってこと。
明らかにある一つの(または複数に共通の)宗教に固有の
形式を用いないこと、だよ。
もちろん、宗教者や宗教団体に対してその業務たる宗教
行為を行わせることも。
牧師の山田一郎さん個人に私人として単なる司会者をして
もらうことは問題ないだろうけど、牧師として説教をしてください
という話になるとマズイ。
>>182 いや、「県が地鎮祭に参加する根拠」として工事関係者の
信じる「地鎮祭をやれば安心」ということを挙げることは
できない、ということ。
それに対して県が地鎮祭に参加することによってある人々が
信教の自由の侵害を受ける、というのは法的に根拠がある。
それは「宗教とは」という法的な解釈上の問題であって、
被害を感じる人たちがどう信じていてどう感じるか、によっている
ものではないから。
185 :
右や左の名無し様:03/11/11 20:00 ID:XItdRFhk
>>183 > >現在の日本の最高裁の基準が余りにも緩やか過ぎて問題があるので、
> この認識について、私は異論があるから、どんな問題があるのか提示を乞う。
横レスになるけど、自衛官合祀訴訟などはこれで遺族側にとって
致命的な苦痛を与えることを容認する判決が出てしまった。
常識的に考えてわかると思うけど、キリスト教信者の隊員が死んだ
ときにそれを隊が勝手に神道形式で祀る、ということは遺族にとっては
とても耐え切れない冒涜になる。
最高裁はそれを「違憲とはいえない」と判断してしまった。
これは明らかに裁判官の認識がおかしい、常識からズレていると思わずに
はいられない。
186 :
pax:03/11/11 20:02 ID:???
おっとうっかりしてた。
ID: XItdRFhk = ID: kW9hWkoM です。
自宅に帰ってきたので変わりました。
というか以後、捨てハンつけます。
>>183 れれれのおぢさん
>どんな問題があるのか提示を乞う。
>>165で貴殿が言っているように日本の最高裁は「当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。」という目的効果基準らしき「基準」を提示している。
殆ど基準と呼ぶに値するのか疑わしいぐらい曖昧な基準なのであるが、この見解だと本来の目的効果基準の@とAしか挙げておらず、
しかも本来の基準では@・A・Bのうち一つでも該当すれば即違憲になるのに、日本の最高裁の基準では@とAの両方が満たされて始めて違憲となるかのような判断をしている。
これでは、余りにも違憲となる範囲が小さくなりすぎてしまうであろう。
Bを基準に盛り込むかどうかはともかくとして、@かAのいずれかに少しでも該当すれば即違憲になるという基準にするべきであろう。
>「憲法で政教分離を後退させて、運用で厳しくする」と言うことになろうと思うけど
現行の政教分離規定を維持しつつ、運用面でも更に厳しくするということにすれば問題ないであろう。
188 :
Santi:03/11/12 00:21 ID:3oVJ6hVE
いずれにしても、政教分離を考える際にはそれによって侵害される少数者の宗教的心情を最大限配慮すべきであろう。
そのために、国の儀式が多少の変容を受ける事は止むを得ないであろう。
>>185 確かに、自衛官の妻はキリスト教信者ですが、
本人やその実親は妻のキリスト教信仰を快く思ってなかったのではなかったかな。
そう考えると、単に遺族と指す場合、
自衛官の親の考えなんかも考慮しなければならないのではありませんか。
記憶が曖昧なのですが、本人やその実親は神道形式で祭ることに賛成していたと思いますが。
そもそも亡き自衛官の父が県護国神社に合祀してほしいと希望し、
それを受けて、隊友会が護国神社と交渉して合祀申請を行ったんでそ。
185の事実認識はおかしいぞ。
自衛官本人がクリスチャンだったのかどうかは知らない。
ググっても見つけられなかった。
191 :
pax:03/11/12 11:19 ID:???
>>189-190 ご指摘ありがとう。事実関係を誤認していたかも知れない。
もう少しよく調べてみます。
ということで
>>185については保留ということにします。
192 :
Santi:03/11/12 12:52 ID:BoS2oW4+
>>189-190 この問題の本質は他の遺族が合祀を望んでいたかいなかったかにあるのではなく、国が一宗教団体に過ぎない護国神社への殉職自衛官の合祀に関わった事である。
そして、その国がそういった宗教活動を行った結果妻の信教の自由を侵害して裁判が提起されたのであるが、この問題は単なる遺族同士の争いと捉えてはならない。
>>192 そうは思わない、妻の我が儘。死亡した本人の意思を無視することは信教の自由の侵害。
194 :
pax:03/11/12 14:54 ID:???
>>193 両論あるとは思うけど、死者を埋葬し慰霊するという行為は
だれのためか、という考え方で違ってくると思う。
死者本人のため、ということならあなたの言うとおりだけど、
日本の法体系では「死者の人権」というのは認めていないと
考えられ、死者を埋葬慰霊することは遺族が自分たちのために
する行為であり、彼らが権利主体である、という考え方でないと
法律上の説明はつかない。
それはともかく、
>>192が言うようにこの問題の最大の焦点は
本人か遺族かではなく、国が関与することの是非だと思う。
儀式にはすべて宗教的な背景があるものだ。
国家が行う式典や儀式が、意味もなく形式が形作られているわけではない。
起工式や開通式なども、宗教的な意味があることであるがそのことを問題にすることはない。
地震災害や事故などの慰霊祭、追悼式典を自治体や公共団体がすることは騒動にならない。
葬祭を神式や仏式で進行して違憲裁判になどならない。
公的行事として特定宗派の儀式形態を採用しても、直ちに政教分離の原則に違反すると捉えるべきではない。
明確な被害が証明できないとしたら、許容範囲として認められるものだ。
>>192 その裁判で問題となる「国が関わったこと」とは具体的にどの部分のこと?
関わったことを違憲だと言う判決は無かったと思うよ。
>>195 少し思い込みが激しいように感じる。
> 起工式や開通式なども、宗教的な意味がある
具体的にどの宗教のどういう儀礼に基づいてるか
説明が可能かな?
> 慰霊祭、追悼式典を自治体や公共団体が
> することは騒動にならない。
明らかに特定の宗教の形式であれば反対が出る
こともあるよ。
> 捉えるべきではない。
個人的にそう思うというのはわかるが、単に「べき」だけで
なぜかが説明されないとだれも納得しないと思う。
198 :
pax:03/11/12 15:23 ID:???
ハンドル入れ忘れ。
>>197は自分です。
>>196 判決は合憲と出たが、いまだにその判決が正しかったのか
どうかで論争が続いている、という話。
国が関わったというのは国の機関である自衛隊が神道形式
による合祀を行った、という点。
199 :
195:03/11/12 16:07 ID:???
>>197 小泉総理の靖国参拝を政教分離の原則に違反してる、そのことによって精神的損害を受けたとして
個人が起こした裁判で、個人の損害を認めずに原告が敗訴、確定になったことを参考にしての意見です。
神道や道教、等の影響や土着の迷信なども、儀式に影響しているでしょう。
紅白の幕なども宗教からのものでしょう。橋や道路を渡ることも、浄めの儀式としてやっていますよ。
土地の神々に祈ることをして、建物や橋をつくるのでしょう。どこでもやっていることでしょう。
200 :
pax:03/11/12 17:03 ID:???
>>199 繰り返しになるけど「明らかにある特定の宗教の形式である」
という条件を(自分は)つけているので、単なる「こういう起源が
あって影響が認められる」というようなことはまったく問題にしていない。
オールオアナッシングのように、「特定の宗教の形式」を問題に
したらすべて宗教に由来するものを否定しているかのように故意に
曲解していては議論ができないよ。
靖国などはだれがどう見たって「神道」以外の何者でもないでしょ。
単なる慣習とか文化と呼べるほど日常化されてはいないよ。
皆、何か勘違い、思い違いをしていないか?
宗教と政治の間の問題は、宗教に対する政治の干渉では無く
その反対の、『政治に対する宗教の干渉』が大問題なのだ。
政治の源流は宗教に発するが、その頑迷さによって政治にとり
大いに困った存在となったことから、政治は宗教からの干渉を
排除しようと苦しんで来たし、未だにその排除は成就されていないのだ。
それどころか世界を見渡せば、ドップリと政治が宗教に浸り込んで
いるのが諸悪の根源なのだ。
単なる形式と化したものであっても、宗教に連なるものは政治としては
徹底して排除し続けなければ、何時又宗教からの干渉によって
政治が支配されないとも限らないのだ。
現在も尚、宗教に意義があるとすれば、有害な毒の強い宗教の悪影響から
大衆を護るために、ワクチンとして植えつける
無害化或いは低毒化された宗教だけであろう。
202 :
右や左の名無し様:03/11/12 19:17 ID:2v6d92ZL
203 :
189:03/11/12 23:45 ID:???
>>198 瑣末な点を取り上げるのかもしれませんが、
自衛隊は合祀してません。というより出来ません。
合祀をしたのは、護国神社です。
自衛隊(地連)は護国神社へ合祀するために必要な合祀申請に協力しただけです。
204 :
右や左の名無し様:03/11/13 04:10 ID:4Yl8URwO
>>201 >『政治に対する宗教の干渉』が大問題なのだ。
そうであれば、まさに公明党が政権に参加しているのは大問題じゃないか。
まず、自衛隊員合資問題は、判決において国が関わっていないと言う判断を示している。
したがってこのスレでの議論対象とならない。
不可解なのは、基準と言う言葉を持ち出すと、線引きを提示することである。
線引きにはその理由が必要で、理由なく線引き(宗教が特定されるかどうかなど)
を持ち出されても議論が進まないよ。
一例を出しておく。
以前他の話題にとき書いたのだが、ある武装グループが、東京全域を破壊する
爆弾を都庁に仕掛けたとする。そのとき都庁には売国大統領と、国連総長が来訪
していた。この危機を救ったのが15歳の外国人少年であったとする。
さてこの少年が母国で行う宗教的な葬儀(もちろん宗派も特定されている)に、
国および都は参加してよいものか・・・。
なお当該少年の親は、他の様式での葬儀およびそれに類する行為を、宗教上の理由から
一切止めてくれるように、要請している。
206 :
pax:03/11/13 10:01 ID:???
>>203 たとえばあなたが寺に依頼をしてあなたの親御さんを
葬ってもらったとして、それを「あなたが葬った」と言うのは
間違いで「寺が葬った」と言うべきだと考えるかな?
社長が口述したものを秘書がタイプした手紙は「秘書が
書いた手紙」と言うのと「社長が書いた手紙」と言うのと
どちらが正しい?
そういうことなんじゃないかと思う。
>>205 この件に関しては判決の妥当性そのものを論じているので
「こう判断されたから」というのは意味がないよ。
207 :
pax:03/11/13 10:09 ID:???
>>205 線引きではない「基準」とは?
その例はおかしなところがたくさんあるけど。
少年の親が自分の宗教以外の形式での葬儀を拒否しているなら、
母国においても国葬はできないでしょ。
親が「国葬をわたしの宗教の形式でやれ」と要求する権利はないんだから。
少年の親が個人で葬儀を行うなら、それは少年個人とその個人的知人との
私人関係におけるものだから、公人が参加する必要はない。
感謝や哀悼、遺憾の意を表したいなら葬儀以外の場、またはそのための
公的行事を別途行えばよい。
何も難しいことはないと思うんだが。
189=203です。
>>206 ちょっと違うなぁ。
そもそも自衛隊(地連)は合祀申請に「協力」したに過ぎないんだよ。
申請したのは隊友会(私的団体)。
その考えで行けば、葬ったのは隊友会(私的団体)。
これ最高裁民事判例集見たら分かるけど、判事事項に
「私的団体が護国神社に対し殉職自衛隊職員の合祀を申請する過程において」
とあるから、合祀申請をしたのは隊友会(私的団体)だよ。
ついでに、自衛隊(地連)職員の行った具体的行為は
「A総務課長(地連職員)において長崎県を除く九州各県の自衛隊地方連絡部の総務課長にあてて
各地の護国神社における殉職自衛隊職員の合祀状況を照会して、その回答をB会長(隊友会)に閲覧させ、
B会長の依頼によりC事務官(地連職員)において奉斎準則と県隊友会の募金趣意書とを起案し、
右趣意書を配布し、寄せられた募金を管理し、殉職者の遺族から合祀に必要な殉職者の除籍謄本及び
殉職証明書を取り寄せたにとどまるのであり、地連ないしその職員が直接県護国神社に対し合祀を働き掛けた事実はない」
以上は最高裁が認定した事実です(この判決は破棄自判)。
210 :
pax:03/11/13 11:35 ID:???
>>208-209 詳細な解説ありがとう。
感想としては、かなりきわどい線上というか、グレーゾーンというか、
微妙な感じがする。
もしこれが、自衛隊の組織としてはっきりと主体的に合祀に関わって
いたとしたら判決は違っていたと思う?
>>210 >感想としては、かなりきわどい線上というか、グレーゾーンというか、 微妙な感じがする。
そうかなぁ。
私の感想としては今までの判決(津地鎮祭)から比較するとこれくらいなら問題ないです。
単純な比較は妥当ではないかも知れませんが、津地鎮祭訴訟のように地方公共団体が宗教的儀式を
主催しても政教分離に反しないとしていることを考慮すると全く宗教的色彩のない地連の行為が
政教分離に反するとは思えません。
>もしこれが、自衛隊の組織としてはっきりと主体的に合祀に関わって
いたとしたら判決は違っていたと思う?
これについて意見がありますが後で述べます。
>>207 だから既に出ている目的効果「基準」のようなもの。目的効果基準は、その理由とともに
提示されている。
別に線引きとして、特定宗教の様式でないものならOKと言う基準でもいいんだけれども、
特定宗教様式がなぜダメなのか、どのような弊害があるのかと言うところを、書かないと
ダメ。
特定宗教様式は不可と言うことになれば具体的な弊害としては、
「翌年、其の様式を信仰教義とする宗教団体が発生したらどうするの?」
と言う問題がある。(初歩的なことだから、回答があるなら書いて。)
後段は、おかしなところは君の誤読だよ。母国での葬儀は国葬ではない。
そこに、世界各国の元首も顔尾を出すだろう。なぜなら、国連の総長と米国大統領の
命を救ったんだから。其のとき日本では、と知事も総理も、天皇も参加しない。
それでよいと言うなら、まぁ、大馬鹿やろうだね。
追悼のための行為を、其の父と少年が信仰する宗教に寄れば、其の宗教以外の
様式で行うことは禁止されている。もちろんそれは他者を強制できないから、国として
やってもいいんだけど、まぁ其の少年と父親の宗教的平穏は乱されるだろうね。
そして、世界各国から、東京都民数千万人を救った少年の葬儀に、日本は参加しない
こと・父の要請を無視して彼の信仰心に沿わない追悼行為を行ったことを、非難される
だろう。
しかし、議論のための議論じゃないんだから、事例の趣旨を理解して、適切にレスなさい。
自衛隊のケンは、国は無関係と言う判決が出ているんだから、関係が歩かないかは、
このスレでは議題とはならないだろう。
213 :
pax:03/11/13 16:09 ID:???
>>212 自分で自説にとって扱い易い例を挙げているから、
自説に沿って「ほら、こういうことになるじゃないか」みたいに書いてるけど、
それはあまり意味がないと思う。
他国がどうするかについては単なる憶測でしかないし、その家族がどう感じるかに
ついてもそう。そんな事例はかつてないからどうにでも言えてしまうよ。
(続く)
214 :
pax:03/11/13 16:10 ID:???
あなたの言い方だと、たとえば外国で日本人がテロリストの人質になっているから
それを救うために憲法で禁止されていても自衛隊がそこへ行ってテロリストと戦う
べきだ、みたいなことまで言えてしまうよ。
感情論ではなく是々非々で、認めるべきこととそうでないことを考えた
ほうがいいのでは?
215 :
考えない葦:03/11/13 16:15 ID:knEBS+Pb
さてこの少年が母国で行う宗教的な葬儀(もちろん宗派も特定されている)に、
>>205
>国および都は参加してよいものか・・・。
>なお当該少年の親は、他の様式での葬儀およびそれに類する行為を、宗教上の理由から
>一切止めてくれるように、要請している。
国は法人格だから国の代表者が出席できるかどうか、
少年の両親は自分の宗教で葬儀を行う、そういっているわけですね。
キミはキリスト教の信者の葬儀にイスラム教、仏教の信者は参列できない、また、参列した
ばあい、それぞれの宗教で葬儀するという前提でいるようだが、これは間違いです。いかな
る宗教であろうと敬虔に死者を悼み慰霊する行為を妨げるものではありません。十字をきら
なくても礼をするだけでもいいのです。慰霊というのはこころの問題であり、形式ではあり
ません。神道の葬儀にいっても榊を捧げるのに宗旨は関係ありません。
216 :
pax:03/11/13 16:17 ID:???
そもそも、国や自治体などの公共団体が、特定の宗教儀式や
宗教行事に主体として参加することを禁止する、というのが
どこでどう不都合なのか、どんな問題があるのか、れ氏の説明では
さっぱりわからない。
何が何でも公共団体が特定の宗教儀式に参加しなければ
いけないケースなど、想定できないと思うんだが。
一部国民の信教の自由を侵害してまでもそれを認めさせなければ
ならないほどの強烈な理由はぜんぜんないと思う。
【宗教と政治のかかわり】
参加される方は、始めのころからの書き込みを一読願う。
政治と宗教が関われないとするのは、全くナンセンスである。
1、宗教と関わらずして、政治はできないと言う事実は、最高裁判決でも明確である。
2、宗教団体のみを、他の団体(特に政治団体)と区別して扱う合理的理由は、国教の
禁止などの理由とはなっても、それ以上の差別に合理的理由はない。
基本的なことを書くよ。
宗教と国のかかわりで問題になるのは、其の宗教に関する【政治思想以外の部分】
・・・例えば教育であったり、文化財保護であったり、国としての儀式であったり、また
国としての統一儀式様式(国教)、単なる追悼と言う宗教的感情の表明、などなど・・・
で採用された、其の宗教的な事象が、「結果として其の政治思想」までを合わせて
承認していないにもかかわらず、(「政治思想に関する国民の承認」をえられていない
にも関わらず、)国において承認されたがごとく見えてしまうことの弊害。
がある。と言うことをまず認めよう。だから、恒久的な国教および、結果的に国教と同等の
「継続的な儀式様式の承認」=「儀式様式の理念を法律で定めること」は、禁止される
べきである。
しかし、拉致被害者家族が政治要求を出すように、団体と言うものは国に何らかの期待を
せざるをえないものであり、其の気体の実現は政治運動として発揮されるのであるから
宗教団体が政治運動を行うことも、合法であり、表現の自由・結社の自由・思想信条の
自由は確保されなければならないし、それは国民の承認と言うシステムにおいて判断
されればいいことである。
(儀式様式理念の固定化はダメだよ、一般の政治的主張は、である)
だから、儀式において、恒久的にある宗教の様式を採用することは禁止されるべきだし
また、ある宗教の様式でなくとも、様式理念を固定化する法律の制定は禁止しなければ
ならない。(これを国教の禁止および実質的な国教の禁止と私は考えている)
>>213 自分に不都合な事例に対応できないなら、どんな事例にも対応できて初めて、マトモな
基準だろうから、貴殿の想定の杜撰さを露呈しているに過ぎない。
テロリストと戦うべきだなんていっていない。妄想は止めなさい。
>>215 わたしは
法人格云々は別として、其の葬儀に参加し、哀悼の意と感謝の意を表するに、問題はない
と考えています。私は貴殿の意見趣旨に賛成ですよ。
彼の宗教心情に基づいた葬儀に、彼の宗教が、異教徒の参加を拒むものであった場合は
参加できないでしょうけれども、そうでない場合は国として感謝と哀悼の意をささげることに
何の問題もないでしょう。
219 :
pax:03/11/13 16:55 ID:???
ん〜、なんとなくすれ違ってる部分が見えてきた気がする。
一般人にとって「宗教」とは儀礼の形式であり人であり団体であり施設なわけだ。
そこが違うんだな。
宗教の本質とは信仰という内面の問題と、それを表明する手段としての儀礼なんだよね。
だから「宗教と関わる」というとき、たとえば文化財保護のようなことはあてはまらないのよ。
それは単に「ある施設の文化的価値を保全する」というだけのことで、そのことが信仰に関わって
くるわけではない。
(続く)
220 :
pax:03/11/13 16:56 ID:???
しかし国の代表者が何らかの宗教の慰霊祭や地鎮祭などに参加した場合、儀礼の形式そのものでは
なく、信仰の表明として何かを行うことになる、そこに問題の本質があるわけさ。
形式だけを切り取ればなんでもないただの習慣かも知れない。
しかしその状況、主催者や参加者の意識、という点で「信仰の表明」という前提になっているものに
参加するから問題になる。
(続く)
221 :
pax:03/11/13 16:57 ID:???
かくいう自分自身もキリスト者だが、祖父の神道式の葬儀や父の仏教式の葬儀にはどちらも参列した。
しかし求められた形式の礼拝はせず、自分の信仰に従った形で自分の死者への気持ちを表明した。
しかしもし自分が国の代表であったらそれすらもできなかっただろう。
222 :
pax:03/11/13 17:01 ID:???
>>218 対応できないなんて言ってないでしょ。
あなたが自分の主張に沿った想像(他国の代表はどうするか、とか
どのような反応をするか、とか)でストーリーを作ってるからおかしな
ことになる、ということ。
テロリストうんぬんは「基本原則を守ることより感情論を優先すべき」
というような話になっているから、そのまま延長したらそういうことにも
なってしまうよ、というだけ。
よくよく読んだらそんなヘンな勘違いはしないと思うんだけど。
223 :
pax:03/11/13 17:08 ID:???
連続になって申し訳ないけど、どうも理解されてないと思われる部分が
あるので書いておきたい。
たとえば首相が国の代表として仏教の葬式に出席する。
首相本人は仏教徒ではない。しかし「その場ではそうするものだ」という
つもりで焼香や礼拝をする。
その場合、確かに首相個人は信仰を表明したとは思っていないだろう。
しかし、その葬式の祭礼を執り行う僧侶は、焼香や礼拝やお布施という
行為は御仏への信仰の表明であると理解する。
なぜなら仏教という宗教がそういう前提で成り立っているから。
議論が進んでいるようですけどとりあえず。
>>210 >もしこれが、自衛隊の組織としてはっきりと主体的に合祀に関わって いたとしたら判決は違っていたと思う?
そもそも憲法上禁止される、国家及びその機関の行為は「宗教的活動」です。
これは憲法20条3項に書いてあります。ここのところは問題無いでしょう。
しかし、何が「宗教的活動」なのかと言えば明確ではありません。
私が見た限りでは、憲法の教科書にはあまり詳しく書かれていません。
これを憲法制定時における憲法制定議会の議論を見ると、
「宗教的活動」とはある特定の宗教、宗派を支援もしくは抑圧するものであると言っています。
この考えが妥当であるとしても、なお抽象的です。
そこで登場するのが「目的効果基準」です。これによってその行為が「宗教的活動」であるか否かを判断するのです。
憲法の条文を見ると、国家及びその機関が宗教的な儀式などを行うことを予定しています。
すなわち、憲法20条2項に参加を強制されないとあるからです。
もし宗教的な儀式を国家及びその機関が行えないとすれば、20条2項の規定は無意味です。
なぜなら、禁止される行為の参加強制なんぞ最初からありえないからです。
もっとも、20条2項の規定は私人について定めたもので、
3項は国家及びその機関について定めたものだという批判も考えられます。
しかし、20条2項の規定がなお信教の自由を規定したものだと理解されている以上、
その自由は「国家からの自由」であり、国家及びその機関は参加を強制できないと読むべきで、
つまり国家及びその機関は宗教的儀式を行えることを前提としているのです。
ところで上述の行為が「宗教的活動」に当たるのか否かについては「目的効果基準」で判断します。
この基準に沿ってとりあえず当てはめてみると、
まず「宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果に鑑み、
そのかかわり合いがわが国の社会的、文化的諸条件に照らし相当とされる限度」
を超えた場合に違憲となります。
これらを判断するために、外形的側面だけでなく、
当該行為の行われる場所、それに対する一般人の宗教評価、その行為を行う意図、
目的及び宗教的意識の有無と程度、その行為が一般人に与える評価などを
総合的に考慮し、社会的通念に従って判断しなければなりません。
上述の問題点だけでは判断は難しいですが、
一般人の宗教的評価として慰霊を行っているにすぎないこと、
その行為の意図は慰霊に過ぎず、殊更にその宗教の発展を意図していないこと、
どうして護国神社かと言えば、事件に沿って言えば遺族からの要望などが考えられましょうか。
宗教的意識は当然あるが、他の宗教を支援するもの、抑圧するものという程度ではないこと、
一般人に与える評価として、遺族からの要望を叶えるという点を考慮するならば必ずしも評価は高くないこと、
などが考えられます。
これらは「かかわり合いがわが国の社会的、文化的諸条件に照らし相当とされる限度」
を超えないものだと思いますので合憲だと思います。
先に述べたとおり、これだけで判断するのは難しいので、こういう感じという程度で留めておいてください。
227 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/13 20:44 ID:sFbdHFC9
>>225 >憲法の条文を見ると、国家及びその機関が宗教的な儀式などを行うことを予定
>しています。すなわち、憲法20条2項に参加を強制されないとあるからです。
>もし宗教的な儀式を国家及びその機関が行えないとすれば、20条2項の規定は
>無意味です。なぜなら、禁止される行為の参加強制なんぞ最初からありえないからです。
テーンーさ丸出しの見解だな。国家の行なう宗教行事は、強制性を必然的に
伴うものにならざるをえんだろ(藁
国家が自然人でない以上、自然人を機関として使わざるを得ない。そのような
国家機関たる公務員は、公人であると共に私人でもある。特定宗教を信仰する
公務員が、自分の信仰しない特定宗教の宗教行事を国家機関として行わざるを
得ない場合、それを行なわせることは強制と解釈せざるをえんだろ(藁
もし、国家が特定宗派に基く宗教的儀式を国家機関に行なわせるとすれば、
当然そこに儀式を執行させらる公務員に対する儀式の強要が伴わざるをえない。
国家機関に執行・参加させる宗教儀式は、必然的に強制性を伴うわけで、この
事実すら気がつかないから、政教分離について満足な主張ができないことになる。
自分のテーノーさを少しは恥じて政教分離の初歩から勉強しなおしてこいよ(藁
228 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/13 20:53 ID:sFbdHFC9
もし国家が強制性を伴わず宗教行事を行うとするなら、当然それは国民すべてに
対して妥当すべき問題で、国家機関としての公務員に対しても妥当するハズだ罠。
よってその論理で言えば、国家の行なう宗教儀式は、それを執り行う・若しくは
参加する予定の公務員がそれを望まない場合は、職務としての儀式参加の義務を
免じなければならなくなる(藁
これが下級の公務員であれば代わりの者に代替して職務をこなさせれば問題ないが、
総理大臣とか大臣とか、事務次官とか、他をもって代えがたい国家機関の場合は、
当然問題になる罠。要人の欠席は、儀式としての体裁を大幅に損なうことにも
なりかねないし、そのような圧力が望みもしない儀式への参加を強要する心理的
圧力になる場合もあろう。このようなことが積もり重なって、不和の種が国家機構に
撒かれる可能性も考えられる。
そのような自体はマズイから政教分離と言う制度が存在するわけで、「強制」の
問題を客体である国民にしか見ないリアリティーのなさにテーノーさ丸出しの
政教分離緩和派のバカさ加減が顕著に現れている罠(藁
229 :
右や左の名無し様:03/11/13 21:02 ID:I3iw6GAA
>>227 >特定宗教を信仰する 公務員が、自分の信仰しない特定宗教の宗教行事を国家機関として行わざるを
得ない場合、それを行なわせることは強制と解釈せざるをえんだろ
その場合って具体的に何?
参加したくなかったら参加しなければ良い。主催するのも同じ。
憲法に書いてある。
>>228 それじゃ総理大臣やその他、他をもって変え難い国家機関が
参加しなければならない宗教的儀式って具体的に何?
231 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/13 21:36 ID:QoxAK9jy
>>230 >それじゃ総理大臣やその他、他をもって変え難い国家機関が
>参加しなければならない宗教的儀式って具体的に何?
想像力のカケラもないアホだな(藁
例えば、真っ先に宗教儀式として位置づけられる儀式は、天皇に関するものだろう。
もし宗教儀式性を意識しなければ、葬儀や即位に関する儀式でマクを張ったりとか
姑息な手で行なっていたものが、一体のものとして行なえる。さらに宗教儀式性を
色濃くして行なうことも可能となるだろう。
そのような宗教儀式性を帯びた天皇の葬儀とか即位式に、総理大臣や大臣、公務員が
参加しないとどうなるね?想像力のないアホかね、お前さんは(藁
232 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/13 21:42 ID:QoxAK9jy
国家主催の宗教儀式というものは、それを行なう主体が国家ではなく
人格を持つ人間である以上、その者の信仰の自由の問題がからんで
くるから強制性をなんらかの形で帯びたものにしかなりえない(藁
国家主催の儀式がそれへの参加が自由だから強制を伴わないと
言うのは、それを主催する国家機関の信教の自由を無視する発想で
あるし、国家機関に就く者に宗教的選別を強いるものになりかねない。
このような点が、国家に宗教的な不和の種をまくから、国家の行為から
宗教性をなるべく排除しようとする趣旨なのに、それをまったく理解
していないと言うのは、政治的無知の一言に尽きる罠(藁
233 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/13 21:52 ID:QoxAK9jy
もし、国家による特定宗派に準拠した儀式を認めると、その反作用として政権に
関与する宗教勢力の交代に伴って国家主催の儀式がコロコロ変わることになる。
特定宗派の儀式が気にくわない勢力が政権をとれば、国家行事を信教の自由を理由に
ボイコット若しくは自派の信仰する儀式に改変すれば、国家に宗教的対立が生まれる
ことにもなりかねない。
そのような無用な対立、解決不能な宗教論争を回避するための政治技術として
政教分離制度はあるわけで、そこから国家行事は宗教的印象を万人に与えるもので
あってはならないと言う政教分離の精神が導かれることになる。「強制」が問題
なのではなく、宗教問題をめぐる解決不能な無用な問題を国家に持ち込ませて
国家を混乱させることを防止する智恵として政教分離制度は存在するわけで、
その合理性を認められるない輩は、人類の英知のなんたるかをしらん白痴だろ(藁
234 :
土塊 ◆en6InwmG0E :03/11/13 23:23 ID:xk0JiFvN
>ぁゃιぃアズマ人氏
えーと、要するに、将来バリバリのカトリック信者とかイスラム原理主義者
が総理大臣になる可能性があるから、その時のために政教分離しておけって
ことですよね。論旨でいえば。なんというか、本末転倒な考え方ですね。
>>231 >そのような宗教儀式性を帯びた天皇の葬儀とか即位式に、総理大臣や大臣、公務員が
参加しないとどうなるね?
さぁなんともならんのじゃないの。
どうして、総理大臣が参加する必要があるの?
いやなら行かなければいいじゃん。出なきゃ不都合でもあるのかね?
>>232 >それを主催する国家機関の信教の自由を無視する発想で
あるし、国家機関に就く者に宗教的選別を強いるものになりかねない
いや、だから行かなくてもと良いって言ってるじゃん。
>>233 >もし、国家による特定宗派に準拠した儀式を認めると、その反作用として政権に
関与する宗教勢力の交代に伴って国家主催の儀式がコロコロ変わることになる。
特定宗派の儀式のみで国家儀式を行うイギリスで、こんなことが起こった例は聞いたことないな。
考えすぎじゃないの?
236 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/14 06:25 ID:SJKYDXh6
>>235 謎 ◆fXf0/HfFdI氏
>特定宗派の儀式のみで国家儀式を行うイギリスで、こんなことが起こった例は聞いたことないな。
明確な王室国教の歴史があり、現在も国王が権能を有する英国と日本を同列には語れない。
日本は成文憲法ではっきりと政教分離規定を定義しており、不文憲法の英国と比較する事も
意味が無かろう。前説で「日本に於ける」とすればアズマ氏の発言は問題ない。
>>219-220 だから、それはおかしいと言っているんだけど、ループするから、もう一度だけ書くね。
文化財の保護に、信仰の表明を感じられない人もいれば、感じてしまう人もいると
言うことだよ。
すごく基本的なことだけれども、仏教の法隆寺を改修するということは、其の仏教施設を
国として保存する価値があると表明している。それを信仰の表明と感じないのは、日本人で
お寺が文化的に古いものであり、歴史的価値があるものだという、そもそもの文化的価値に
依存しているだけで、例えば回教徒にとっては、偶像崇拝の宗教施設を、私の支払った税金
で改修することに、宗教的平穏を乱されると言うことは、ありうるわけだよ。
あなたの価値観ではなく、すべての宗教的価値観を保護しようとすると、そうなるでしょう。
だから、一般国民の多くが納得する程度の特定宗教との切り離しと言うものが、妥当なわけで
偏狭な宗教的価値観によって、信仰上の平穏を乱されたと主張することは、其の政府行為の
重要性とのかかわりの中で、ときによって許容いただく限度と言う言葉で切り捨てることは
やむをえないと、覚悟しなければ、政治思想的には、議論が進まないと思うよ。
ただ、そえは政府が自由に許容される範囲を定めえはいけないから、基本法において、その
原価至るべき部分を定めると言うことだし、憲法で定まっていることはそういうことだと、
国が禁止されている宗教行為の定義を判決が示した。
238 :
pax:03/11/14 10:07 ID:???
>>237 だから根本的にすれ違ってるんだって。
それは法律上の宗教行為を定義するときに、どこまでを
扱うかという問題としていってるわけで、各宗教が何を
信仰の表明と受け取るかを言ってるわけではないよ。
国教を持つ原理主義の国ではなく、政教分離と信教の自由を
定めている日本の憲法や法律としてどうか、という話。
だからたとえ禁止されても仏像を破壊するイスラム原理主義者
はそもそも他者の信教の自由を侵害する思想なのだから、日本
においてそれを認める必要はない。よってあなたが挙げた例は
不適切なわけ。
239 :
pax:03/11/14 10:08 ID:???
つまりあなたはそのような極端な例を挙げて「なんでもかんでも
禁止したらたいへんだ」といい「だから国による儀礼祭礼くらいは
認めるべき」とつなげるからおかしい。
特定の宗教形式での儀礼祭礼は、前記の過程を経て考察
しても明らかに信仰の表明にあたる行為なわけで、それを
文化財保護と同列におくのは詭弁でしかない。
要は最終的に目指すべきは「だれも互いに宗教的信仰を侵害
されないこと」ではないの?そこで国家としての儀礼祭礼を優先
させる考え方はおかしいと思うのがあたりまえでしょ。
>>238-239 >つまりあなたはそのような極端な例を挙げて「なんでもかんでも
>禁止したらたいへんだ」といい「だから国による儀礼祭礼くらいは
>認めるべき」とつなげるからおかしい。
そんなことはいっていない。国政として国民の幸福への貢献と、個人の宗教的平穏へ
の侵害のバランスの問題だと、云っているんだよ。
無根拠に認める、と言っているように書かないでほしいなぁ。
先の外国人少年の国民的英雄厚意に関して言えば、彼の宗教での葬儀に参加し
其の場で感謝と哀悼の意を表することは、国民にとって必要なことであるから、其の宗教的
儀式に行政あるいは国が参加することによる、一部国民の宗教的平穏を乱すことも、許容の
限度とするほうが、はるかに妥当でしょう。
実際には、すくなことも国教とそれに類することを禁止すれば、国の信仰表明ではないのに、
それでも、一部の人が信仰の表明と思えてしまうだけ行為を、一律に禁止すると言うのは、
合理性がない。
国の行為の目的は、国民の財産生命を守りより幸福に国民がなるように活動すること、なん
だから、其の趣旨に沿って、かつ国は宗教的信仰を持ちませんと基本法で表明しているのに
それでも偏狭に、私の宗教的平穏が侵されるという主張に配慮すべき理由・・・弊害は、
具体的にどんなことなのか、さっぱり伝わってこないんだけど・・・。
241 :
pax:03/11/14 10:47 ID:???
>>240 > 彼の宗教での葬儀に参加し其の場で感謝と哀悼の意を
> 表することは、国民にとって必要なことであるから、
だからそうは思わないと言ってるわけで。
この部分だけでもかなり検証すべきポイントがあるでしょ?
1. 感謝と哀悼の意を表することは必要か(○)
2. それは葬儀の場であることが必要か(△)
3. 彼の宗教での葬儀の場であることが必要か(×)
()内の記号は私の考える基準での回答ね。
それぞれ必要十分条件なのかどうか、もっと細密に検証すべきであって、
最初から「それが必要なのだから」といきなり前提
条件にしてるから
意図的な結論誘導を感じるわけ。
それから、アズマタンの指摘と言うものはまさに妥当なんだよ。
多少の強制と言うものは発生すると観念しなければ、奇麗事でしかない。
たとえば、国会議長が其の政治思想に沿わない議決を採決し、内閣に採決を
上げなければならない。思想信条の自由を侵害されたと評価すれば、あほな訳だよ。
同様に、行政として必要なことを行うことで、公務員の信仰の自由が阻害されることも
ありうるわけで、合理的理由があるばあい、これは許容の限度内と捉えるしかない。
合理的理由なくそうされることは人権の侵害だけれども、国として必要なことを行うのが
公務員の氏名名わけで、それがイヤなら公務員にならなければ・・・総理大臣にならな
ければいい。法務大臣になれば、どんな人権はでも死刑執行を命じなければならない
ことも明白で、これも信教の自由を侵しているよね。大臣だけではなく国民の一部の・・・。
243 :
pax:03/11/14 10:52 ID:???
> 国の行為の目的は、〜なんだから、
だからこそ、国民の信教の自由を侵害してまでも
「国のために死んだ英雄」を宗教的に祀ってもいいとは
いえないんでしょ。
その英雄を祀る行為が国民の何を守ることになるわけ?
そっちのほうがよっぽどわからない。
優先順位からいえば信教の自由を守ることのほうが
優先度が高いと考えるのが当然でしょ。
>>241 だから事例は、「国として感謝と哀悼の意を表する必要があると判断できる場合に」
と言う意味だから、事例を変えてもいいんだよ。事例の示すところを読み取ってくれれ
ばいいことで・・・。
で、結論から言うと、事例を別として(事例におい貴殿がそう判断するなら)
1、2、3、ともに○という事態は、ありえないと言う論証がなければ、同じことでしょう。
全国民と、大多数の国家元首の命を同時に其の生命をかけて救った・・・でも、
2、3、に疑問なわけか?それなら、一般国民の大多数が○と感じている場合と言う
設問に切り替えようか。
245 :
pax:03/11/14 10:55 ID:???
>>242 だから、国家が死者を特定の宗教形式で祀ることが「なぜ必要なのか」の
論証をすっとばして「必要だから、侵害は許容される」と言われても
だれも納得しないでしょ?
ぜんぜんまったく金輪際そんな必要なんてないと思う。
単なるヒロイズム的「愛国心」とかそういう感情のためだとしたら馬鹿げてるよ。
>>243 少し腹が立ってきた。
>だからこそ、国民の信教の自由を侵害してまでも
>「国のために死んだ英雄」を宗教的に祀ってもいいとは
>いえないんでしょ。
君が恣意的に人の意見を誘導しているんだろう。
きちんとした議論態度を学びたまえ。
「宗教的に祀ってもいい」 なんてどこに書いてあるんだ?
彼の宗教による葬儀に参加することの妥当性を「のみ」論じているだろうが。
247 :
pax:03/11/14 11:00 ID:???
>>244 わからない人だなぁ・・・。
事態とか事例じゃなくて、一般論としてそんな必要性はない、
と言ってるんだよ。
そんな映画的ヒーローを宗教的儀礼で礼賛する義務ってのが
憲法や法律のどこから導き出されるわけ?
信教の自由の保証は憲法に明記されてることでしょ。ぜんぜん
レベルが違う問題じゃないの。
一般国民の大多数が、というのは結局は数の論理で原則は
無視してよい、という論理だし。
248 :
pax:03/11/14 11:02 ID:???
>>245 それは「祀ってる」のと同義でしょうが。
それをずっと言ってるんでしょうが。
>>247-248 だから、君が必要ないといっているだけで、多くの国民が必要と考えているときに
それでも、其の国民感情は無視してよい合理的理由は何七日と言う説明を求める。
>それは「祀ってる」のと同義でしょうが。
どうして祭祀の主体が国家名場合と、単なる其の英雄の個人的宗教の葬儀に参加することが
「同義」なんだか、さっぱりわからないなぁ。
そこには厳然たる違いがあるわけで、それを同義と感じるのは、貴殿あるいは一部の国民の
宗教的な感情でしかないわけだよ。
(国民全員にとって同義である、とまではいえない。)
それは、国の行為の必要性とか国民の要請とかそういったものと、其の宗教的感情との
バランスで判断されるもので、ある事象においては尊重すべきだろうし、事象によっては
我慢いただくしかない場合もあるでしょう。
なぜなら、「彼の信仰は、其の自由を確保されていて、個人として何の強制もされていない」
中での、単に強制的と「感じる」宗教心だろう。それを国民全員に強制する(必要と思われる
宗教儀式に、其の信仰表明を否定しながら国が参加することを、強制的に止めさせる)
までの重要な権利であると言う合理性は存在しない。
マァ、はっきり云えば、権利の乱用だね。
250 :
pax:03/11/14 11:31 ID:???
>>249 必要とする理由がないから、必要ない。
それで説明としてじゅうぶんだと思う。
少なくとも国民感情を個人の人権に優越させるべき
理由はまったくない。
251 :
pax:03/11/14 11:32 ID:???
じゃあ逆に今度はこちらから例を出そう。
左翼過激派グループが要人暗殺を計画しているのを察知した
イスラム原理主義の国際テロリストグループが、その過激派のアジトを
自爆テロによって破壊して要人暗殺を未然に防いだとする。
そのグループが主催する葬儀に国の代表が参加すべきか?
そんなことをしたらテロ支援国家の汚名を被るとは思わない?
pax氏は、宗教的被害は、どんな価値より優先されなければならない、宗教被害者真理教徒も
いうべき、非常に宗教的な心情の持ち主であるが、宗教的被害の範囲と言うものは
1、信教の自由が個人において確保され
2、団体としてお活動と宗教的振る舞いの自由が確保されている中で
3、かつ国が特定宗教を国教とせず、それに類する行為を行わないと定めている
中で、
それでも、宗教的感情による不愉快を国から与えられることを、含むのかということになり、
まさに、傷つけられた症候群と同じである。
先に申し述べたとおり、他者の彼を傷つける行為は容認されている。(デパートでの
クリスマス商戦も、町内のお祭りも・・・)。国だけはそれを絶対するな!というとき、
国民の大多数の要請を犠牲にするほどの強制力を持ちえるか・・・時と場合によると
私は思うし、場合によっては、多少は我慢しようよ、生死に関わるほどではないの
だから・・・と思う。
(生死にかかわるなら、国以外の人たちが行うクリスマス商戦もお祭りもも容認すべき
でないよね、という意味で、其の程度の国の行為なら・・・。)
>>251 汚名をきる・・・国民にとって不利益がある・・・参加しないことを検討するに値する。
外国人少年の場合、参加しないことで、世界各国からの非難の恐れがある・・・国民にとって
不利益がある・・・参加することを検討するに値する。
国民の利益を考える国家でありたいものだね。我々が作る国家は。
255 :
pax:03/11/14 12:04 ID:???
そして、「生死にかかわらない」と言うが、それは他者から見ての
ことであって、侵害される本人にとっては「生死以上の」問題
なわけ。そうでなければ宗教でもなんでもない。
つまりあなたのような意見は日本人には比較的多いことは理解
しているが、それは「宗教とはこのようなもの」と第三者が当事者
の意識を無視した定義をしようとすることが根底にある。
つまりそれを推し進めると「そんなものを信じるな。俺が定義する
このような宗教だけ信じろ」に行き着いてしまうわけ。
256 :
pax:03/11/14 12:07 ID:???
>>252 根本的に勘違いしていると思う。
なぜ「国は」行ってはならないかというと、国とは国民の総意に基づいて
動くものだからだよ。
私人間の問題は(クリスマス商戦等)各個人の信条によるものだから
互いに尊重するということで何ら問題ない。
隣の人がイスラム教徒であってもヒンズー教徒であってもぜんぜん問題に
しない。なぜなら「私が」そこに参加していないから。つまり侵害はまったくない。
しかし国がやるということは全国民、つまり「私も」やるということに他ならず、
だからこそ問題になる。
(順番逆になった。こっちが先
257 :
pax:03/11/14 12:12 ID:???
>>253 なぜ汚名を着るかといえば、そのグループの思想が、国家が
支援したり推奨したりするべきではないものだからでしょ?
であるなら、国家が特定の宗教を支援すべきでないという
前提を置くのであれば、同様にかの少年の例においても
回避すべきであるという結論になるじゃない。
つまりダブルスタンダードなんじゃないの?と言いたいわけ。
で、繰り返すけどその少年の葬儀に参加しなかったからと
いって国際的に非難される、というのはあなた自身の想像
の域を出ていないのは認めるよね?
外国の非難がそれを避けるべき理由になるのなら、
韓国や中国が非難する靖国公式参拝は止めるべき、
ということになるよなぁ。
>>257 そうだね。少年の例での「れ」の主張によれば「参加するだけで
支援するものではない」というんだから、オウムだろうがテロリストだろうが
「支援するものではない」と言って参加すべき、という話になる罠。
自己矛盾していることは確かだな。
>>259 宗教とは別のところで考えるということだと思いますよ。
261 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/14 12:33 ID:SJKYDXh6
>>249 >多くの国民が必要と考えているときに
>それでも、其の国民感情は無視してよい合理的理由は何七日と言う説明を求める。
其れは憲法理念に決まっている。原理原則と其の様なものだろう。
人心との整合性が取れなければ憲法を改正すればいいが、一時の感情に流される事も
危険な事だ。戦前の国体明徴運動などが好例だろう。だから憲法改正の敷居は高い。
262 :
pax:03/11/14 13:10 ID:???
>>252 > 宗教的被害は、どんな価値よりも優先されなければならない
前後するけど、だれもそんなことは言ってない。
信教の自由は憲法が保証する権利だから、それが他者の
憲法上の権利を侵害しない限りは最大限認められるべきな
わけで、だからその英雄の宗教的葬儀に国の代表が参加
することに反対することがだれのどんな憲法上の権利を侵害
しているのかを聞いてる。
他者の権利を侵害する場合まで認めるべきだとは思ってない。
なんかいやになるねぇ。
まず結論ありきだもんなぁ。
一般的に云うと、
>>261の亀哲人の論は、話にならない。
私は、今の憲法内のことを申し述べておる。馬鹿じゃないの?
>>262 もう君もループしちゃっているからいやになるけど、反対することは自由だよ。
反対する権利があると言うことは、一方に賛成する権利があると言うことで
いいのかな?
264 :
pax:03/11/14 15:56 ID:???
>>263 書き方が悪かった。書き直す。
「その英雄の宗教的葬儀に国の代表が参加【しないことが】
だれのどんな憲法上の権利を侵害しているのか」
と改めて聞きなおすのでよかったら答えて。
265 :
pax:03/11/14 16:02 ID:???
ついでに言うと「まず結論ありき」でもなんでもないよ。
憲法上の権利の相互保全という観点から見たら、いままで言ってきたような
ところを基準にするほかない、と言ってるわけであって。
こちらとしてはいつまでたっても憲法や法律に基づいた対抗権利というのが
示されないからそれ以上先に進むことができない。
ループするのはれ氏がただひたすら「必要な場合は」を繰り返すのみで、
どういう根拠によってなぜ必要となるのかまったく説明してくれないからだよ。
>264
別に誰の権利も侵害していない。
参加することも、参加しないことも、権利侵害ではなく国策として同等ではないの?
国民の公平な参加による自由な衆議の結論と言うものは、他者の権利を侵害しない限り
有効であるべきで、権利侵害がないなら、実行できる。
参加することでこうむる他宗教の人たちの精神的被害は、宗教の自由の侵害・・・権利
の侵害とまではいえない。
で
>「必要な場合は」を繰り返すのみで、 どういう根拠によってなぜ必要となるのかまったく
>説明してくれないからだよ。
事例を上げて十分説明しているよ。その事を行うほうが多くの国民の利益になる場合で
かつ被害の程度が、其の利益と比較して軽微と思われる場合だよ。
まず、国民の利益と言うのは、其の時々の政府の具体的事例によって異なるだろうけれども
政府に一定期間委任するという国民の付託があるわけだから、其の政府の判断と言うことで
いいだろう。
被害のほうは、具体的に述べているとおり、国以外の個人や団体が行うことで、一般的に
其のことにより重大な被害とまではいえないこと。
単純に言うと、国民の要請があることで、一般的に企業や団体が行っても、まぁおかしくない
程度のこと。・・・世俗化され、宗教的というほどに特定宗教を保護しあるいは抑制するとまでは
言えない程度のこと。・・・現在の法判断による判決および通説の範囲。
>>266 それ本気で言ってる?
国益の判断は政府任せにして、それで少しくらいの侵害が
あっても仕方ない、と言ってるようにしか読めないよ。
自分で書いていてものすごく危険な思想だと思わなかった?
268 :
pax:03/11/14 16:32 ID:???
参加しないことによる権利の侵害はないわけね?
となると参加することによる権利の侵害がもしあるなら、参加
することは認められない、ということでいいよね?
で、あなたはそんな侵害はない、と。
こちらは何度も繰り返すように、国の代表が参加するということは
国民全員が参加するのと同じだから、と説明したはず。
それを否定するなら、逆に国の代表が感謝や哀悼の意を表して
も、国民がそれを表したことにならないはず。というよりそもそも
それは「代表」とは言わない。違う?
(続く)
>>266 はじめからきちんと読んでくれれば、全然危険でないことが分かるよ。
信教の自由は守る。国として国教の禁止をきちんとやる。また恒久的な宗教様式とも
関わらないと言う中で、という原則を持った上で、それでもなお宗教的振る舞いを政府が
行う必要性が出てきた場合に、それでも宗教被害者真理教的に、あるいは傷つけられた
症候群を優先し、国益を優先させないほどの、重要な権利かといえば、違うでしょうと
言うこと。
コテハンは、遡って其の主張が読めるのだから、危険と思えるならどのあたりか
きちんと指定して書いてくれるか?
270 :
pax:03/11/14 16:37 ID:???
(続き)
代表というのはその組織なり集団なりの全員の統一した意志表示を
表すことになる。
これが企業なら、仏教信徒が神棚を拝むことを強制されたらそこを辞める
という選択もある。しかし国家の場合は国民を辞めるということはできない。
だれかが勝手にあなたの信条に反する行為についてあなたの名前を使って
行ったら、当然権利侵害だと思うでしょ?
首相が靖国神社で「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳したら、それは
「日本国民小泉純一郎以下一億二千万人」と書いたのと同じなんだよ。
>>268 ちがう。全員を代表するが、意見の相違はあるのが国民。
事実、共産主義者もいる中で、日本は自由主義経済国として振舞っている。
>>271 意見の問題じゃなくて意志表示としての行為の問題なのでは?
国を代表した行為というのは国民全体の行為とみなされるのは
あたりまえのことだと思うが。それに対する意見の違いは関係なしに。
多数派とか少数派とか関係なしに中立公正でなければ、
というのが政教分離の趣旨じゃないの?
273 :
右や左の名無し様:03/11/14 16:58 ID:KMQrzCyv
アメリカでは進化論だけしか教えない学校に対して、
一方的で不公正だとしてキリスト教団体が訴えて勝ち、
それ以後進化論と創造論両方を教えるようになった
ケースがある。
まあ、日本的感覚にどっぷり浸かった人には「そんなアホな」
と思うだろうけど、宗教に関する扱いってのは日本人が
思っているよりシビアかつ切実な問題ではある。
274 :
右や左の名無し様:03/11/14 17:12 ID:xfvel/BG
>>270 靖国の話題は避けようよ。
で、強制と言うのは妥当ではないわけで、国が其の行為を行うと、自分がそれを強制されたと
思うとすれば、それは神道的穢れの思想でしかない。強制されたのではないし、
それを強制的に認めさせたのではないけれども、自分も認めたかのごとき感情的不快感が
あると言うだけでしょう。
言葉にそういった強調があると、冷静な議論は望めないね。
現実の強制などないんだから、言葉を選んでほしいなぁ。
>>271 宗教的に中立ならば、人は平等であるともいえなくなるでしょうよ。
ヒンズー教に対して、中立ではないよね。
少しはじめのころから読み直してから、レスくれる。前提は書いてあるから・・・。
日本では、政府の宗教的行為で自分の信仰の自由が侵されたなんて思う奴は、
余程のキチか国家主義者なんだからほっとけばいいさ。
小泉総理の靖国参拝を訴えた裁判では馬鹿が敗訴しているしね。
日本人のいう「宗教」はもともとの意味の「宗教」とはかなり
違うんですよね。
まあいくら説明しても信じてない人にはわからないでしょうけど。
279 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/15 00:25 ID:UsaS6N2b
>>263 れ氏
>私は、今の憲法内のことを申し述べておる。馬鹿じゃないの?
この様な程度の低いレスしか返せないから、君は駄目なヤツなんだ。可哀想に。
憲法は恣意的に感情で運営されて良いわけがないだろう。何のための最高法規なのか
全く理解していない事を自分で証明してどうする。少しは頭を使い給え。
>靖国の話題は避けようよ。
不利なテーマは避けたいのかな?宗教と政治の関わりを論じているのに
避けて通れるテーマでは有るまい。自分に都合良く逃げ道を作っても、其れは
議論とは云わない。云いたいことだけを書き連ねる自慰行為に等しい。
>>279 横から失礼します。
靖国スレは他にも在るのだから、固有名詞としての靖国でなく、宗教という概念での議論がふさわしいのではないですか?
他の靖国スレの再現を望む人はいないと思います。
靖国関連の話題なら靖国スレに移行してやっていただけないでしょうか?
戦場はたくさん乱立としているのですから、こんな時こそ利用してください。
281 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/15 12:21 ID:UsaS6N2b
>>279 亀哲人氏
>憲法は恣意的に感情で運営されて良いわけがないだろう。
良いわけがないから、議論している。
存在しない「信教の自由の拡大解釈・・・国の行為によって宗教的平穏を乱されたという
宗教被害者真理教、傷つけられた症候群を下に、恣意的に政教分離を強化する意見は、
よろしくないと申し上げておる。
れ氏は国教には否定的のようですが、国教があっても国民の権利は政教分離で護ろうとしている国はあるでしょう。
日本の場合国教を持たない方がよい理由について教えて貰えませんか?
天皇制を持つと言うことは、国教としての皇室神道を認めることにはならないのでしょうか?
284 :
Santi:03/11/15 16:09 ID:1pORrcF7
>>282 れ氏
>信教の自由の拡大解釈・・・国の行為によって宗教的平穏を乱されたという
拡大解釈ではないと思うよ。むしろ信教の自由の本質的部分だと思う。
国は国民特に少数者の宗教的心情を最大限配慮すべきだと思うよ。
>宗教被害者真理教、傷つけられた症候群
こういうレッテル張りは良くないな。そんな事言い出したら、国を相手に被害を訴えて訴訟を起こす人みんなをそう呼ばなくてはいけなくなる。
285 :
保守を考える:03/11/15 16:11 ID:cxhO+AMb
ちょっと失礼
>>279 >云いたいことだけを書き連ねる自慰行為に等しい。
自分の事を棚に上げて言えた口か?
286 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/15 16:16 ID:UsaS6N2b
>>285 君も出張してきてまで、つまらん煽りを入れるのは止めたまえ。
本当に失礼だw
287 :
保守を考える:03/11/15 16:26 ID:cxhO+AMb
ありゃ?
スレを間違えた・・・・とほほほ・・・。
まあ、折角きたから、ちょっと書いておこう。
そもそも、人間が作る社会に於いては必然として「政治」が発生するが
それに伴い、「宗教」もまた発生する。
当然、政治・宗教の根源は、その地域による風土によって歴史的に変遷せざるを
得ないが、その有り様を考える事が、思想というものだろう。
確かに、宗教については、殊一神教に(まあ、基督教)よる政治関与の弊害から
その成果として、政教分離なる実定法を見出した。
問題は、宗教に基づかない、政治思想なるモノが、唯物論的考察以外可能なのかどうか?
勿論、日本に於いてが大前提であるが・・・。
慣習や習俗と化し、一つの伝統規範となっている、初詣〜大晦日までの年中行事を
政治から分離せよ。という思想は、はっきり言って、日本の為の思想ではない。
288 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/15 16:26 ID:UsaS6N2b
>>282 れ氏
>国の行為によって宗教的平穏を乱されたという
正に此の内容こそが政教分離規定の本質であろう。云いたい事を先にSanti 氏が
書いてしまっているが、国民にその様な苦痛を与えない為の回避的措置として
政教分離という概念がある。宗教は内的規範を逸脱してまで、政治にコミットしては
いけないと言う事だ。
289 :
保守を考える:03/11/15 16:27 ID:cxhO+AMb
>>286 おひおひ
それも、君が言えた口じゃあないよ。
291 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/15 17:43 ID:UsaS6N2b
>>290 れ氏
愛媛玉串料裁判の判例で云えば、私は違憲とする立場。
公金を支出している以上は正教分離規定に抵触すると思う。
>>291 亀哲人氏
私も違憲とする立場。
宗教上重要な儀式に対しての関与だから・・・。
しかし逃避していないで、きちんと回答したほうがいいと思うけど、マァどうも、貴殿の
スタイルのようだから、きちんと回答しないヒトとして、このスレでは扱いましょうかねぇ。
293 :
保守を考える:03/11/15 17:57 ID:cxhO+AMb
>>292 あの〜・・・・。
いつもソウなんですけど・・・・。
294 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/15 18:09 ID:UsaS6N2b
>>292 れ氏
>しかし逃避していないで、きちんと回答したほうがいいと思うけど、
すまんね、仕事の合間にロムってレスしているつもりなんだが、
つい見落とすケースもある。
>>290の様に指摘していただければ適時レスをする。
だが、君自身も天武天皇と道教の関係についてまともなレスを頂いていないと思うが?
天智天皇の話など持ち出して、私が提示した論旨からズレた論を述べてるね。
>>294 亀哲人氏
道鏡についての書き込みは、このスレでは関係ないだろう。もう少し、読んでいるヒトのことを
考えて、スレと無関係な書き込みはしないように。其の話をしたいなら、当該スレで書き込
めばいい。礼儀以前の問題だよ。
で、
>>71は最後のところで、誤字脱字があるから再度書くけど(陳謝)
愛媛訴訟判決文における地鎮祭訴訟で採用した、目的効果説の理由部分を抜粋した上で
したがって、この判決をまず、亀哲人は妥当と判断するのか、そうでないのかを表明
する必要がある。公的機関への関与だったとしてもやむをえない、関与せざるをえない
事を前提とした、「程度の問題」を議論したいのか、それとも「関与せざるをえない」 と
いう判決趣旨部分に 反論したいのか、である。
296 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/15 18:45 ID:UsaS6N2b
>>295 れ氏
ある程度の「儀式」として容認できる範囲で有れば、公的機関の関与は構わないだろう。
勿論其の線引きは難しいが、儀礼を「宗教的行為」として一切を排除するのは反対。
社会規範の中に宗教的な経緯による儀礼は当然有るわけだから、余程唯物論的な社会でも
無い限りは不可能だし、又無味乾燥なものになるといったマイナスの要素もある。
で、当該懸案については
>>292で申し述べている通り。
>>296 亀哲人氏
極めて妥当な判断であると思う。回答感謝。
で、
>>205で提示した事例を、多少分かりやすくして、再掲示し、貴殿の見解を乞う。
見解の確認ばかりで申し訳ない。
--------
一例を出しておく。
以前他の話題にとき書いたのだが、ある武装グループが、東京全域を破壊する
爆弾を都庁に仕掛けたとする。そのとき都庁には世界各国元首と、国連総長が来訪
していた。この危機を救ったのが15歳の外国人少年であったとする。
彼の機転により、爆破は避けられ、数千万の都民・日本国民と各国元首などの命が
救われたが、其の少年はそのために死亡した。
さてこの少年の父が母国で行う宗教的な葬儀(もちろん宗派も特定されている)に、
国および都は参加してよいものか・・・。(一応pax氏に敬意を表して、キリスト教とする)
なお当該少年の親は、他の様式での葬儀およびそれに類する行為を、宗教上の理由から
一切止めてくれるように、要請している。
-------------
私の見解は、其の父が許せば、天皇・総理大臣・都知事は其の葬儀に参列し、宗教的
振る舞いは行わず(十字を切ったりせず)、、真摯に献花し、追悼と感謝の言葉をささげる
べきと考える。
(天皇については、この際ここでは保留でかまわない、議論がずれるから)
>>292 れ氏
>すなわち、宗教団体であるからと言う理由の切り離しは、他の団体との合理的差別理由が
ない限り、同様の扱いの範囲にとどめるべきである・・・宗教団体であることを理由としての
差別は許されないと理解すべきである。
この立場と愛媛玉串料訴訟の多数意見を妥当とする立場とは矛盾するように思いますが。
あの事件において愛媛県は、靖国神社や護国神社以外の遺族慰謝に対しても公金を支出していますが。
例えば、千鳥ヶ淵戦没者墓苑の慰霊祭、全国戦没者追悼式など。
これらは無宗教ですが、これらへの公金支出は許されて、靖国神社や護国神社の慰霊祭への公金支出
は許されないとする合理的理由はなんですか?
>>298 謎氏
公金支出を理由として、とうがい違憲判決は出ていない。判決理由を解読すれば
1、公金支出をしているから当該宗教団体に関わった。
2、公金が玉ぐし料として支出されており、玉ぐし料の性格は、当該宗教団体の
宗教的意義が強い(世俗的でない)儀式への支出である。
結果として、極めて宗教的意義を持つ公金支出であったから、憲法違反と、判決理由は
述べているでしょう。宗教的意義が希薄な公金支出だったらどうかといえば、津市の
地鎮祭における公金支出は合憲としたのだから、そのようになる。
ここに合理的理由を私は見ているのだが、、、。
>>299 れ氏
レス有難うございます。
そもそも宗教的意義があるか無いかは「一般人の評価」を基準にして判断すべきではなでしょうか。
そう考えると、他の戦没者慰霊に対しても支出している本件の支出は、目的として世俗的なものと言えるのではないでしょうか。
分かりやすく言えば、宗教団体の行う儀式の宗教的意義が問題なのではなく、
「一般人の評価」から見て、国及びその機関の行為が宗教的意義を強く有するか否か
の問題なのではないでしょうか。
そうしないと、地鎮祭も宗教団体の宗教的意義の強い儀式だと思いますよ。
ちょっと補足。
あの判決の目的効果基準の適用に関して言えば、
厳格分離説に立つ論者の評価は必ずしも高くない。
むしろ、反対意見の方が高い。
目的効果基準の適用に限って言えば。結論の評価は別。
302 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/15 22:17 ID:2nkppQMa
>>242 >たとえば、国会議長が其の政治思想に沿わない議決を採決し、内閣に採決を
>上げなければならない。思想信条の自由を侵害されたと評価すれば、あほな訳だよ。
>同様に、行政として必要なことを行うことで、公務員の信仰の自由が阻害されることも
>ありうるわけで、合理的理由があるばあい、これは許容の限度内と捉えるしかない。
思想信条の自由ではなく、宗教問題だから問題になると考えるべきだろ。
宗教は、思想信条と異なりその確信は無根拠・不合理な信仰にあると考える
べきだろ。そのような無根拠・不合理さを基礎として信仰を、それを信仰しない
者に強要するのは、あきらかに合理性を欠くと考えるべきだ。
公務員が思想信条を制限され、自分の信じない思想信条に基く儀式を強要される
と言うことは(憲法擁護義務等)あり得ることではある。しかし、そのような
思想信条の自由の制限はあくまで最小限度の合理的なものに留められるとすべきで、
自由が完全でないからと言って、不完全性を楯にそれを拡大する態度は本末転倒だろ。
個人の思想信条の自由や信仰の自由は重要だからこそ、その制限範囲はなるべく
最小でなければならないわけで、制限する場合であっても合理性を持たなければ
ならないと考えるべきだろう(藁
不合理性をその核心に持つ宗教儀式を国家を導入し、それに基く儀式を公務員に
強要する行為は、どう考えても許容範囲を越えてるだろ。それに常識的に見て、
宗教の国家への介入を公認することは、国家に宗教間の対立を持ち込むことに
容易に繋がる。公共空間は人々の打算・妥協によって運営されるべきで、その意味で
不合理性を根本とする宗教の国家への介入は、妥協の困難性を国家に持ち込み国政の
混乱要因を増やすことに繋がる。そのようなことを避ける必要があるから
政教分離制度があり、国家行為に宗教性を持たさないようにしてるんだろ(藁
>>302 尤もな意見ですね。正論だと思います。
そこで一つ聞きたいんですが、なぜ今、その不合理な行為がある種の妥当性を
もって続けられているのだと思いますか。
304 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/15 23:35 ID:x7Sbgui+
>>304 ちょっとぐらいはいいじゃないですか
それではあらためて、
なぜ今、その不合理な行為がある種の妥当性をもって続けられているのだと思いますか。
306 :
ぁゃιぃアズマ人:03/11/16 00:03 ID:5RMbfOQo
>>305 名無しは俺の利益にならないから。俺はワガママなのだ(藁
不合理な政治と宗教の結びつきが切れないのは、それによって
利益を得る層が存在するからだろう。その層とは、一つには
政治を利益打算の場とみない原理主義的思考の者たちだ罠。
しかしもっとタチの悪い輩は、特定の宗教を売りにそれを
信ずる者におもねる衆愚主義者だろ。
政治に民衆の支持が必要である以上、民衆が特定宗教を政治に
反映することを望むことはあり得、それを利用する政治勢力が
存在することはあり得るわけだ。しかし、それは不合理性とか
宗教による無用な対立を合理的な打算妥協の場である国家に持ち込む
ことになりかねない。
続けられていることが必ずしも妥当性を持つこととは限らんだろ。
大なり小なり存在する宗教勢力による国家への関与・介入は、
妥協打算の場としての国家にとっての宿痾にすぎない。政教分離は、
この宿痾の発症を押さえるための対処療法だろ(藁
>>306 うーん、いいような悪いような、一応判断保留しときます。
論点があるとすれば、現実と理屈との整合性ですかね。
>>300 謎氏
おっしゃるとおり、一般人の感覚として、当該玉ぐし料支出における「宗教儀式」は
一般人にとって、世俗化された宗教儀式と評価するまでにはいたらないから、
憲法違反としている。(以下判決の其の武運の抜粋)
一般に、神社自体がその境内において挙行する恒例の重要な祭祀に際して右のような
玉串料等を奉納することは、建築主が主催して建築現場において土地の平安堅固、
工事の無事安全等を祈願するために行う儀式である起工式の場合とは異なり、
時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎない
ものになっているとまでは到底いうことができず、「一般人が」本件の玉串料等の奉納を
「社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いところである。」
そうであれば、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するものであるという
意識を大なり小なり持たざるを得ないのであり、・・・以下略「」は私が付けている
私も其の把握です。その意味で書いたのですが言葉足らずだったでしょうか?
>>302 アズマタン
再三ここで書いていることなんだが、
>宗教は、思想信条と異なりその確信は無根拠・不合理な信仰にあると考える
>べきだろ。そのような無根拠・不合理さを基礎として信仰を、それを信仰しない
>者に強要するのは、あきらかに合理性を欠くと考えるべきだ。
というのは、私はそう思わんのだよ。
思想信条であるという場面においては、宗教団体も国への何がしかの期待をもち
其の実現を図ることは禁止されてはならない。
一方、そういった政治思想的分野以外において、其の宗教的様式を容認することで
結果的に其の政治思想まで承認したかのような効果を与えてはならないけれども
政治思想が合理的で、宗教思想が不合理だという評価はしてはいけない。
其の最大の見本が貴殿の政治思想だろう。
貴殿においてそれは合理的かもしれないが、聞く我々にとって合理的ではない。
無根拠・不合理な信仰であると評価されやすい政治思想の持ち主が、それを
云うおかしさはおいておいて、
宗教理念は政治思想と分別して、特別に抑制しようとすることを容認すれば
貴殿の政治思想は、宗教であるという認定をすれば抑制されかねない。
せっかくの喧嘩相手を失うことは、私にとっても不幸だから、そのような危惧を
生じる思想は、容認しないことにする。罠
>>308 この判決の問題点は、結論を正当化するために目的効果基準を形式的にしか用いていないというところなのです。
つまり、宗教的儀式が宗教的意義を持つのは当然で、地鎮祭も多かれ少なかれそういうものです。
この判決は「その宗教儀式の」宗教的意義が希薄化していないと言っていますが、
目的効果基準は、「その行為者の」意図、目的などを外形的側面だけでなく
「主観的意図など」を総合的に考慮してそれが「宗教的活動」に当たるか否かを判断しているのです。
そこで、この場合の主観的意図は、他の戦没者の慰霊式に対する支出も行っていることも考慮すると
その意図は、戦没者の慰霊が目的であって、当該宗教団体を支援、助長するものとは言えないのです。
付け加えると、知事、職員の行動は、
「靖國神社についていえば、県東京事務所の職員が、例大祭等に際し、多くは事前に、
通常の封筒に入れて玉串料や献灯料を社務所に届けたものであり、知事や職員の参拝もなかった。
県護國神社についていえば、遺族会の要請により春と秋の彼岸に近接した日に行われる慰霊大祭に際し
知事が遺族会会長に対し供物料を支出した後、遺族会会長名義の供物料として奉納したものである」
地鎮祭の場合だと儀式を「市が主催した」のでその宗教儀式の宗教的意義を判断しなければなりませんが、
玉串料訴訟の場合は、「県は公金を支出した」に過ぎないのであって、
その儀式の宗教的意義を判断する必要はなく、行為そのものを総合的に判断すべきなのです。
>>310 謎氏
えー、靖国問題という議論にシフトしないにしても、当該判決に関する見解は避けら
れないので、靖国問題とは一線を画して回答することにします。
この判決の核は、「玉ぐし料」です。私は奉納したこと、慰霊追悼に対し何らかの
行為を地方公共団体がなしたことに対し、すべて違憲だとは判断していません。
判決は、玉ぐし料の性格を問題にしています。玉ぐし料という形でなくとも、慰霊追悼の
発露は可能なのであって、極めて神道的な行事に対する費用支出と捉えたのだと
思います。
宗教団体が行う慰霊追悼儀式にですから、当然其の行為は宗教的です。
其の儀式に費用支出しなくとも、宗教儀式以外の場面で多少の公金を支出し
其の慰霊追悼の気持ちをあらわすことも可能だったという評価なのでしょう。
反対意見を見ても、合憲とするより、違憲とする立場のヒトのほうが多いわけで
バランスが取れた判決と判断する程度の、最高裁に対する経緯を、私は持つべきと
考えます。
>>311 支出の名目は関係ありませんよ。
例えば、仏教葬儀の場合だと「香典」でしょう。
慰霊のために金銭を支出するということはよくあります。
この事件の無宗教の慰霊祭にも金銭を支出しています。
そういう名目にとらわれず、総合的に判断するべきだと私は言っているのです。
玉串料の性格について言えば、「香典」の場合と同様で
神道の儀式で拠出される金銭の名目に過ぎません。
問題はそう言った、儀式で拠出される金銭の性格ではなく、
その行為自体が、その宗教を支援、助長するか否かなのです。
他の儀式でその金銭の性格がなんであれ構わないと思います。
総合的に判断して問題無ければ。
>反対意見を見ても、合憲とするより、違憲とする立場のヒトのほうが多いわけで
バランスが取れた判決と判断する程度の、最高裁に対する経緯を、私は持つべきと
考えます。
反対意見は合憲ですよ。意見、補足意見のことでしょう。
この判決においては多数意見、補足意見、意見の各々には批判があります。
しかし、目的効果基準が妥当であるという前提に立つならば、
反対意見の目的効果基準の適用方法が正しいです。
ちなみに、多数意見や意見の批判は見たことはありますが、
反対意見の目的効果基準の適用に関して真っ向から否定するものを見たことがありません。
まぁ私の調査が足りないだけかもしれませんが。
以上の意見は私だけの意見ではありませんよ。
厳格分離説に立つ芦部教授も、多数意見に疑義を表明し(結論部分では評価おられるようですが)、
他方で反対意見の適用を評価しておられます。
このような立場の方は他の厳格分離説論者にもいますよ。
>>312 謎氏
貴殿の違憲として理解できるものはある。
しかし最高裁判決を妥当とすると、何か弊害があるのか・・・と思ってしまう。
玉ぐし料はダメだが、賽銭の類ならOKと、当該判決は云っている感じがするし・・・。
ちょっと訂正。
>厳格分離説に立つ芦部教授も、多数意見に疑義を表明し
この部分について、ちょっと勘違いしていましたようなのでこの部分は撤回いたします。
芦部教授は、この判決を妥当だと仰っているようです。
もっとも、今まで用いられてきた目的効果基準と必ずしも同じとは言えないとも仰っていますが。
まぁ他の方が疑義を表明しておられるのは確かです。
芦部教授の反対意見の評価
「憲法判断のあり方として、確立された先例があり、その先例に従って判断を下すという場合には、
先例を示した基準を係争の事件の具体的事実関係に適用し、結論を導き出すというのが筋ですから、
可部反対意見のアプローチは、裁判官の法解釈、憲法判断のあり方としてオーソドックスなもので、
さすが可部裁判官ならではの綿密な論理構成だと思います」
と仰っています。
ただし、その後に、機械法学に陥りやすいと問題点も合わせて指摘していますが。
>>314 謎氏
おっしゃることには、非常に合理性があり納得できるところです。
もし判決前であれば、それを私は支持するでしょう。
しかしながら、所詮、この玉ぐし料判決も、地鎮祭訴訟も、政教分離に外延
(私言うところのぎりぎりの線)です。
可部裁判官の主張と、判決の違いはやはり「玉ぐし料についての評価」でしょう。
前者は社会通念上の儀礼的なものであるという評価であり、後者は儀礼的とまで
はいえないという、一般人の心情の類推の程度でしかありません。
心情に対する評価の差なのであれば、当該判決における、違憲・合憲の判断は別として
その基準となった目的効果基準に対しては、妥当と評価しても良いと思われます。
其の一般人の心情の評価については最高裁判決を覆す手段をもちません。
議論すべきは、この目的効果説を妥当とした場合における、政治と宗教のかかわりであり
目的効果説を支持しながら、これ以上の政教分離を求めるという頓珍漢の人たちの
論理的矛盾でしょう。
316 :
Santi:03/11/16 17:36 ID:aRiw6abk
>>315 れ氏
>目的効果説を支持しながら、これ以上の政教分離を求めるという頓珍漢の人たちの論理的矛盾でしょう。
私のこと言っているのかな?
私は日本の最高裁の目的効果基準は支持していないよ。日本の最高裁の目的効果基準は緩やかすぎるからもう少し厳格な基準を導入すべきと言うのが私の主張だよ。
>>316 Santi氏
書いてあるとおりの意味であって、どなたかを特定して揶揄する場合、誰であるかはっきり
書くほうだから、貴殿が該当すれば貴殿も含めるし、該当しなければ貴殿は含まれない
だけである。
で、貴殿は目的効果説が穏やかであると述べているから、含まれない。
穏やかであることは日本の美徳のひとつだが、マァそれはいいとして、どんな弊害が
当該判決の目的効果説には内在しているのか、具体的に書いていただければ、議論が
スタートする。
なお、よろしければ、亀哲人氏への
>>297の事例にレスをいただけると、貴殿の立場が
私には理解しやすいので、お願いしたい。
>>315 >可部裁判官の主張と、判決の違いはやはり「玉ぐし料についての評価」でしょう。
前者は社会通念上の儀礼的なものであるという評価であり、後者は儀礼的とまで
はいえないという、一般人の心情の類推の程度でしかありません。
思うに、可部裁判官は、玉串料そのものを社会的儀礼とはしていませんよ。
その支出が少額だから社会的儀礼だとしているのです。
事例では、一回数万円程度の支出を何年間(何十年?)か継続して行われた。
継続的支出にしても、他の慰霊についても同様にやっているのでまぁ少額だから問題ないと思います。
それではどのくらいの支出が問題になるかと言えば、線引きは難しいですが、
変に高額(100万円とか)になったりしたら違憲の疑いが出てくるでしょうね。
>>318の
>変に高額(100万円とか)になったりしたら違憲の疑いが出てくるでしょうね。
は本件の玉串料に関しての事です。
他の支出については、その事例を考慮して判断せざるを得ません。
>>318-319 謎氏
それを含めての「玉ぐし料の評価」という意味ととってください。
一方は金額も其の評価に含め、一方は金額を含めた評価をしていない。
私は当該判決の目的効果説を妥当と申し述べており、当該判決自体が妥当とは
評価はしていない。それは、芦辺憲法において様々な判例を批判していることと同等
ではある。ただ、目的効果基準を是とするかどうかが、「本スレ議論の議題のひとつ」
であり、当該判決の玉ぐし料に関する評価は、スレの趣旨にはあまり重要ではない
と、考えておる。
321 :
右や左の名無し様:03/11/16 22:11 ID:JSsINFUF
322 :
S−RAM:03/11/16 22:55 ID:mbyKHhQ5
>>8 あなたがインチキだと思うなら、国籍を離脱してはどうですか?
日本国憲法は北朝鮮とは違い、国籍離脱の自由を制限していません。
ご自由に。
>>322 「日本から出〜て〜行〜け〜」なんて街宣右翼みたいなことを言うのはいかがなものかと。
しかし、人は親を選べないのと同様、生まれる国を選べない。
それゆえ諸外国の憲法にある、「市民の憲法への忠誠義務」と「国教」と「信教の自由」との関係をつきつめてゆくのも日本とは直接関係がなくとも、参考にはなるかも。
(無学ゆえに燃料投下くらいしかできない。恥ずかしい・・・)
>>317 れ氏
飽くまでも私の個人的な見解だけど、
>>297は何の問題も感じられない。ちょっと極端な状況設定だけれど。
一応、厳格な方の目的効果基準に当てはめても、首相や都知事は追悼目的で儀式に参加しているのであって宗教的意義を持っているとは考えにくいし、
特定の宗教を援助・助長或いは圧迫しているとは特に考えられないし、過度な関わりあいもないであろう。
よって合憲だと思うけど、何か問題ある?
>>297 れ氏
私も何も問題を感じない。
むしろ、総理大臣が仮にキリスト教徒であって、十字を切ったとしても問題はない。
それは慰霊が目的であるから。もちろん、金銭の支出も社会的儀礼の範囲内であれば問題ない。
まぁそこのところは、諸般の事情を考えてみないと明確に判断できませんが。
厳格分離に立つとこれは問題になるのかな?
>>326 謎氏
>厳格分離に立つとこれは問題になるのかな?
厳格分離の立場でも、適正な金額なら弔慰金を支払うのはOKじゃないですか。
ただ、十字を切るのはちょっと微妙ですね。一応総理大臣というのは国の代表として公的な立場で出席するのでしょうから。
>>324 Santi氏
>>326 謎氏
ご回答感謝。
では、なぜOKだといえるのかを検証したい。
おそらく、厳格な政教分離を望む人が、これをNGとする場合に考えられる論拠は
1、キリスト教の宗教儀式である葬儀に参加することは、他の其の宗教・宗派でない人の
宗教的平穏を侵害する。国の代表が行うという以上、国の一員として同宗教宗派における
宗教儀式に同意し、あるいは自身が参加したも同然だからである。
2、国と宗教のかかわりは、過去の反省を踏まえ、極めて厳格に抑制するべきもので
他に、感謝と追悼の意を表する方法がないわけではない。当該外国人少年が、他の形
での儀式を望んでいないならともかく、其の父の意向・要請だけでは、他に方法がないと
は言い切れない。もし少年も同様の宗教心を持っていることが推測できる場合でも
全く宗教的にならない方法で、感謝と哀悼の意を表することはできるし、他国の元首が
其の葬儀にほとんど参加したとしても、日本がそれに同調するべき理由はない。
3、葬儀参加を国が決定すれば、総理大臣ならびに閣僚を含める公務員に、其の葬儀への
参加を強制することになり、彼らの信教の自由を侵す(by アズマ)。
というところであろうか。
329 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/17 10:26 ID:QSCCUGR/
>>297 れ氏
亀レス申し訳ない。
当該事例で有れば問題ないと思う。見解は君と同様です。
哀悼と感謝の念を表明するという行為は、宗派を越えた行為であり
「頭を垂れて」死者への気持ちを表現する事も可能でしょう。
>>327 Santi氏
そのような宗教的行為は、他の宗教にも一般的にみられる行為(慰霊の行為)であり、
その行為によって、「具体的に」その宗教を支援、助長せしめるとは考えにくいように思われる。
つまり、そのような行為によって国とその宗教の結びつきを感じるというのは無理があるように思う。
私は国及びその機関が憲法上禁止されるのはあくまで「宗教的活動」であって、
その意味は、「積極的に特定宗教或いは宗派を援助または圧迫させるもの」だと思っている。
したがって、このような行為でない限り、公人の宗教的行為は許されると思う。
--------
一例を出しておく。
以前他の話題にとき書いたのだが、ある武装グループが、東京全域を破壊する
爆弾を都庁に仕掛けたとする。そのとき都庁には世界各国元首と、国連総長が来訪
していた。この危機を救ったのが15歳の外国人少年であったとする。
彼の機転により、爆破は避けられ、数千万の都民・日本国民と各国元首などの命が
救われたが、其の少年はそのために死亡した。
さてこの少年の父が母国で行う宗教的な葬儀(もちろん宗派も特定されている)に、
国および都は参加してよいものか・・・。(一応pax氏に敬意を表して、キリスト教とする)
なお当該少年の親は、他の様式での葬儀およびそれに類する行為を、宗教上の理由から
一切止めてくれるように、要請している。
-------------
という事例は、
1、其の少年に対し、国が感謝の意を表し哀悼の意を表するに、合理的理由がある。
2、其のことが国益にかなう。
3、国民の多くからの要請がある。
というところである。
そして「目的として、其のキリスト教を特段に優遇する意図はない」「効果として、其の宗教を
優遇すると国民が感じ、あるいは他の宗教を劣っていると感じさせることはない、単なる葬儀
(世俗化されている)行為である」といえるから、目的効果説によれば合憲だろうね。
つまり、
>>328に書いた論拠は、目的効果説においては通用しないと考えていい。
>>328 れ氏
思うところを述べて見ます。
1について
宗教的平穏とは、すなわち自衛官訴訟で問題となった「宗教的人格権」と同義だと考える。
そのように考えた場合、それは法的利益とは言い難いことは最高裁が既に示している。
社会における宗教的平穏は、各人の宗教的寛容によって守られるべきだと思う。
2について
過去の反省について思うところがあるが、話が反れる感があるので述べない。
簡単に述べるならば、過去の反省を前提として厳格な分離を導くのは妥当ではないと思う。
国家や公人の宗教的儀式への参列は目的効果基準によって違憲とならない限り認めて良いと思う。
また、その場合には自己の信仰に基づく形式で行ってもよい。
勿論、この場合に、その行為が宗教的活動か否かを目的効果基準によって判断すべきである。
3について
葬儀の参列を国家が決定するとは具体的にどういうことなのか必ずしも明確ではない。
国会における議決に基づく決定なのか閣議決定なのか。
仮に、両者を考えるにしても、それに法的拘束力を見出すことはできない。
なぜなら、公人についても信教の自由は認められるべきであるから。
仮に法的拘束力が認められるとするならば、信教の自由とそのような儀式への参列を比較衡量して、
後者の方が利益が高い場合だと判断されると思うが、そのような場合とは具体的には何かが明確ではないように思う。
>>333 >国会における議決に基づく決定なのか閣議決定なのか。
勿論、それ以外の場合も考えられる。
335 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/17 11:25 ID:QSCCUGR/
>>332 れ氏
政教分離の線引きは非常に微妙であり、難しい問題を包括している思うが
公的機関が受動的な関係性に置いては、其の目的の如何によるのではないだろうか。
主体的に能動的に宗教的な基盤をもって運営する場合は、大いに問題があるだろうが
(靖国神社による戦死者合祀など)受動的に「哀悼の意」を表明するという目的行為
であれば、宗教による違いを理由に儀式参加を否定することは実態社会と乖離する。
よって実態社会を鑑みれば、宗教と公的機関との接点を一切持たせないと云うのは
著しい実態社会との関係性を分離するものであり、現実に即した措置とは云えないだろう。
336 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/17 11:33 ID:QSCCUGR/
少しテーマから逸れるかも知れないが、最近中東地域からの移住者が増えた欧州で
宗教的戒律がいわゆる文化の慟哭として問題になっている事例がある。
ドイツの事例なのだが、女性教師がムスリムの戒律に則って、頭部にスカーフを巻いて
授業をしているとし、教育機関の管理者(地域行政か国家行政かは失念した。失礼。)が
スカーフを禁止する命令を出して、信仰の自由との兼ね合いで社会的問題になっている
という。此の事例を皆さんは、どの様に考えますか?
>>333 謎氏
1、について全く同意ですが、最高裁の其の判決は、国と個人の関係にまでは
言及しておらず、国や地方公共団体の宗教的行為も、其の必然性や目的・効果
を勘案し、同様に寛容を認めるべきかというと、そもそも、国に信教の自由はない
のだから、論理構成としては困難な部分があろうかと思います。
2、は、全くの同意で過去の評価というものは歴史が其の回答を賦与するもので、
事象に対する処置としては、過去の反省に基づくことは当然としても、合理性の範囲
を逸脱してまで、政教分離はできないと、私も思います。
3、は確かに重要な問題で、事例における天皇に関しての保留もその意味です。
天皇は対外的には国家そのものでしょうし、国会の議決ができるかというと、難しい
問題が出ます。国事に関する行為を国会議員が決定できるのかということにもなりますし
天皇が参加する意志をもち、(他国の国王の葬儀と同等に)内閣の助言と承認をもって
参加することになるでしょう。
個人の信教の自由と対立する行為ではあるが、天皇が出席するのに、拒否できるかという
問題になるが、公務員で代替がきかない人たちにおいては、そういった公務としての宗教
儀式を受け入れるべきみなすほうが妥当かもしれない。
>>335 亀哲人氏
そう考えてしまうと、受動的な玉ぐし料支出は合憲、となってしまわないか?
目的としては、戦没者之慰霊鎮魂なんだから。
>>336 結局国としての文化の共有からくる規範との対立だろ?
議会におけるマスク・帽子との兼ね合いにも関係するだろうが、国柄によって
(移民を受け入れる国かどうか、単一的民族国家かどうか、という意味の国柄によって)
妥当かどうかは変わるんじゃなかろうか。
339 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/17 17:14 ID:QSCCUGR/
>>338 れ氏
其の受動的接点に置いての線引き如何だと思う。是はあくまでも個人的見解だが、
玉串料の公金支出となれば宗教行事に対しての支出となる訳で、大きな問題がある。
>>339 亀哲人氏
宗教団体への公金支出が問題なら、地鎮祭も問題・・・。
宗教団体への公金が支出されない受動的な接点においての宗教行事への参加が
OKなら、公金支出のない靖国公式参拝はOKだという結論になるよ。
いや場所が問題というなら、少年の葬儀が教会だった場合はNGか?
そう考えると、確かに判断基準の曖昧さはあるものの、目的効果基準は良くできていると
私は思うけどな。
>>337 れ氏
>国や地方公共団体の宗教的行為も、其の必然性や目的・効果
を勘案し、同様に寛容を認めるべきかというと、そもそも、国に信教の自由はない
のだから、論理構成としては困難な部分があろうかと思います。
信教の自由を、信仰の自由、宗教的行為の自由、宗教的結社の自由に分ける(これは一般的な分類方法)
とすれば、信仰の自由と宗教的結社の自由は認められない。これは当然。政教分離規定があるから。
しかし、宗教的行為の自由に関して言えば、憲法上国家が行うことを予想していると思う。
私の考えは前に示した(
>>225)ので繰り返しません。
>公務員で代替がきかない人たちにおいては、
そういった公務としての宗教儀式を受け入れるべきみなすほうが妥当かもしれない。
文章が良く分からないので、判断しにくいですが(^^;
そもそも、公務として宗教儀式に参加しなければならない場合(法的拘束力を伴う)
とは具体的に何なのか良くわかりません。
そういう場合が現実的ありえるのでしょうか。
342 :
S−RAM:03/11/17 22:20 ID:Vd/rTE5t
>>323 出てゆけなんて、トンデモありません。
私は権力者でも、自分が権力者になった妄想を持つものでもありません。
ただ、日本国憲法がある以上、それが今現在改正されていない以上、どうしてもガマン
ならないなら、日本人国籍を棄てるって手もありますよ、と言っているだけです。
何一つとして、強制や脅迫を伴う発言ではありません。
>>341 謎氏
貴殿はそもそも人権というものが分かっていない。人権は国民に対して認められるもので国家に対して認められるものではない。
従って、人権の一つであるところの信教の自由が国に認められないのは当然の事だ。
344 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/17 22:56 ID:QSCCUGR/
>>340 れ氏
>宗教団体への公金が支出されない受動的な接点においての宗教行事への参加が
>OKなら、公金支出のない靖国公式参拝はOKだという結論になるよ。
>いや場所が問題というなら、少年の葬儀が教会だった場合はNGか?
先のレスで申し上げている通りなのだが、其の内容如何だと思う。目的・効果基準による
判断については私も賛成であり、アメリカ憲法判例で打ち出されたレーモンテストは、
日本では精神的自由権を軸に目的効果基準として司法判断の指針となっているが、
・行為の目的が世俗的で、かつ、・行為の効果が世俗的で、かつ、・行為と宗教の間に
過度の関わりがない場合に限り、合憲であるとする判断で良いのではないだろうか。
>>343 Santi氏
私は便宜的にそういう風に説明しただけです。
人権は、それが侵害されないよう担保するために憲法に書かれているものだと思います。
国家に信教の自由がないからといって、宗教的儀式が行えないということはないと思います。
そのように書いてあるなら格別、そう書いていませんから。
憲法の前提として、国家やその機関が宗教的儀式を行うことを予定しているという事を言っているに過ぎません。
これは私が憲法解釈によって示していますよ。
比較法的に言って、例えば、アメリカ憲法は修正第1条に国教禁止を規定していますが、
アーリントン墓地における戦没者慰霊祭はチャプレン(公金によって雇っている)を呼んで、キリスト教式で行われています。
これは国家に信教の自由があるから行えるのではなく、そういうものが無くとも国教禁止規定があっても
行えるという事を示唆しているものだと思います。
ちなみに、チャプレン制度は連邦裁判所において合憲だとされています。
346 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/17 23:58 ID:QSCCUGR/
>>345 謎氏
米国の政教分離規定の司法による解釈は「軟性憲法論」にシフトしている。
現状で云えば「国家の中立性」が主たる解釈基準であり、嘗ての「硬性憲法論」への
反省によるもの。日本のような「緩やかな解釈」を司法が一貫して支持している状況とは
司法判断が求める環境は幾分違うと云えるのではないか?
347 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/18 00:05 ID:/U3r78n2
>>345 謎氏 追記。
米国の有名な判例として1984年に、市が工費でキリスト生誕像、サンタの家、トナカイなど
の展示を講演で行うことが違憲か否かが争われたリンチ事件において、オコナー裁判官補足
意見に説かれたエンドースメントテストが有るが、これは「政教分離」の解釈として、
「国家と宗教の分離」より「国家の宗教的中立性」という意味合いに重きを持たせたものと
云われている。(宗教への便益の供与は中立であれば許されることになる。)
348 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/18 00:15 ID:/U3r78n2
連続レスで申し訳ないが、日本と米国とは事情や憲法の構造が違うことを云いたかった。
米国には日本国憲法の89条に相当する規定はない。
「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、
又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその
利用に供してはならない。」とする内容だが、この禁止規定は制定創案者によれば、
明らかに「国家神道による公的機関との接点」を禁止する事を想定しており、是まで行われた
様々な違憲裁判に於ける司法判断に対する問題点を残している。先に述べた、目的効果基準の
解釈に幅があり、司法判断が判例毎に差違があるために、統一した司法の見解が待たれる。
349 :
右や左の名無し様:03/11/18 00:24 ID:L0WzgWpr
>>346-348 亀哲人氏
>>346-347を統一的に理解するが、要するにアメリカではレモンテストに加えて
エンドースメントテストを用いているということを指摘しているのだと思うが、
アメリカ判例の現状では、1990年代に入り
レモンテスト、エンドースメントテスト共に形式的しか使われなくなったと聞く。
むしろ、そのような基準を使わず、具体的な事案に基づいて個別類型的に行われているらしい。
これは、1998年の論文(厳格分離説論者)のものであるが、また変わったという事も考えられるがどうか。
>日本と米国とは事情や憲法の構造が違うことを云いたかった。
米国には日本国憲法の89条に相当する規定はない。
私もそれを認める。しかし、そうであるならば、アメリカのレモンテストを使い厳格に適用すべきだという議論にはならないように思う。
この考えには、アメリカは規定していないが、日本では具体的に規定している。したがって、厳格に適用すべきだという批判が考えられる。
しかし、このような比較は賛成できない。あくまで日本の現状に則して適用すべきだと思う。
アメリカの宗教制度について言及したのは、一つの例にすぎない。
ただ、アメリカ判例を参考にすべきだという立場ならば、私が示した例も勿論参考にしなければならないと思う。
>目的効果基準の 解釈に幅があり、司法判断が判例毎に差違があるために、統一した司法の見解が待たれる。
このような批判は聞くがあまり当たっていないように思う。
司法判断が異なるのは事実認定が異なるからというのも考えられるからだ。
例えば、自衛官合祀訴訟の一審、二審は地連の行為を隊友会との共同の合祀申請行為だと認定し、
それをもって宗教的活動であるとしている。
一方、最高裁の事実認定は
>>209で示したとおり、地連の行為は「協力したに過ぎない」としている。
また、愛媛玉串料訴訟最高裁判決も、多数意見と反対意見では事実認定が異なっている。
つまり、事実認定が異なれば、同一の基準を適用したとしても異なる結論が出てくるのは当然なのである。
これは基準自体の問題ではなく、裁判所の事実認定の問題だと思う。
>>350の追加
>レモンテスト、エンドースメントテスト共に形式的しか使われなくなったと聞く。
明示的にも使われなくなったともある。
これは別の論文であるが(孫引き)、
「1990年代以降下された国教樹立禁止条項に関する5判決のうち、レモンテストを用いたのは2判決だけであり、
しかも具体的に適用したのは1つだけであるとして、今日、その『空洞化』を指摘するものもいる」
というのもある。
352 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/18 09:11 ID:/U3r78n2
>>350 謎氏
>あくまで日本の現状に則して適用すべきだと思う。
其の通り。そういった論旨で米国と日本の憲法構造の違い、司法環境の違いを
提示したつもり。米国の場合憲法による国教の禁止規定を司法は「宗教的中立」
として判断・判例を施行している。宗教の環境的な違いも勘案すべきだろう。
>これは基準自体の問題ではなく、裁判所の事実認定の問題だと思う。
解釈の幅とは事実認定の差違ではないか?差違が生じれば、自ずと認定基準への
基準値を厳密に規定しなくてはいけなくなるし、現実的な法の運用に影響が出よう。
特に日本では他国に比して司法と行政の繋がりが深く、法曹界からも其処を
問題視する意見も良く聞く。厳密な運用の是非はそういった三権の構造も視野に入れて
考えるべき問題を包含していると思うが。
【米国と日本の違い。】
もう一回書くけど、日本の目的効果基準にレモンテストによる「過度のかかわりを禁止する」
を加え、厳格な政教分離をはかる、というのは論理矛盾である。
米国は国教を禁止しているが、国と宗教のかかわりを禁止していない。
だから、「過度のかかわりはダメだよ」という基準を持つ。
日本は禁止している・・・「過度でも軽度でもかかわりはダメだよ」と、憲法で決めら
れている。だから、目的効果基準に「過度のかかわりはダメだよ」とは書けない。
日本の論理構成としては、国が関わることを禁止している「国が行う宗教行為」とい
うものを、限定的に捉える構成で許容しようとしているからである。
【国の宗教的行為を予定しているか】
>>353で述べたとおり、目的効果基準は国が行う宗教的行為(広義)の中で
憲法が禁止している宗教的行為を限定的に捉えることで、現実と憲法条文の
齟齬解消(ありていに言えば、実現不能な憲法条文を現実敵意解釈する)する
基準である。したがって、実質的には国の宗教的行為は予定しているといえる。
ようは、国が宗教的行為を行うことで、個人の信教の自由が阻害されることを防止し
また、結果として国が宗教的教義に基づく政治理念を承認したかのように認識され
、其のことにより、公平な衆議が阻害されることを防止する目的で、この基準がある。
したがって、一定の宗教的平穏阻害の許容(私の宗教と違う振る舞いを、私の代表が
行うことによる疎外感や不快感を我慢すべきとすること)は、どのような形であれ、
国民にもとめられることと理解する必要がある。あとは其の程度問題を、どのような基準で
NG/OKと判断するかということである。許容できるであろう期待は、国民同士において許容
できるのだから、国との関係でも許容できるであろうという風に考えれば、結局は
世俗化されたこと、一般の多くが、と国宗教的に変更していると思えないこと、結論的
には、多くの国民の意識と其のことを行う国益のバランスという結論に、なるんじゃないの
かなぁ。(多数決絶対主義者という批判もあるだろうけど、そういう意味ではないよね)
>>352 亀哲人氏
>解釈の幅とは事実認定の差違ではないか?
それではどういう場合に基準が問題になるのか指摘しておこう。
様々な事例が最高裁において、同一の基準を用いて合憲、違憲とされてきた。
これは基準自体が曖昧だから結果として結論が異なったのではない。
すなわち、事案が異なるから基準が同一であっても結論が異なるのである。
また、同一事案であっても事実認定が異なれば結論が異なるのも当然である。
基準自体が問題となるのは、同一の事案で同一の事実認定を行いながら、結論が異なる場合である。
この場合は物差しとしての体をなしていないからである。
このように、同一の事案で同一の事実認定を行いながら結論が異なるという事が、
目的効果基準を用いた訴訟で起こったといえば、最高裁へ行った事案では必ずしも起こっていないと思う。
もっとも、最高裁まで行った事案を全て検討した分けではないが、
もしこのような事態が起こったとすれば厳格分離論者からそのような指摘があると思うが、
そういう指摘は聞いたことがないから、起こってないのだと推測する。
事実認定について一審、二審、最高裁で差異が生じることは別に政教訴訟に限ったことではなく、
むしろ、良くあることだと思う。
かと言って、基準を厳格にすべきだとは思わないし、厳格にする理由にはならないと思う。
追加。連レスご免。
>特に日本では他国に比して司法と行政の繋がりが深く、法曹界からも其処を
問題視する意見も良く聞く。厳密な運用の是非はそういった三権の構造も視野に入れて
考えるべき問題を包含していると思うが。
この事から厳密に適用すべきだと結論づけるのはおかしいと思う。
その立法の目的や趣旨、立法者の意思や社会意識、その歴史的背景などを理由に
法を解釈するのが一般的な方法であると思う。
貴方の仰る事情から、厳格に適用すべきだと言うのは、法解釈として妥当ではないように思う。
357 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/18 12:44 ID:/U3r78n2
>>355>>356 謎氏
個別の判例によって争われる争点が異なることは勿論認識した上での意見なのだが
違憲裁判は特に司法側の判断が割れることが多く、ややもすれば判定する個人の見解に
左右される危険性もある。勿論この問題は違憲裁判に限った問題ではないが、
過去の判例を見ていくとそういった疑問を禁じ得ない。刑事裁判で有れば証拠物件の
多寡という物理的な判定材料による審理の差違は理解できるが、事実認定は明確で
憲法に鑑みた判断となると、殊の外司法判断者の法的解釈が入り込む余地もあると
思われ、争点の個別判例を包括する総合的基準は必要だろうと思う。
>この事から厳密に適用すべきだと結論づけるのはおかしいと思う。
少し誤解を招いているようなので申し訳ないのだが、「厳密に」というよりは「明確に」
と理解していただきたい。私は司法改革には、行政からの可能な限りの独立性が必要だと
思っている。この意見は賛否有ると思うが、最高裁とは別にドイツの憲法裁判所の様な
存在を持つべきであると考えている。
>>357 亀哲人氏
>「厳密に」というよりは「明確に」 と理解していただきたい。
最高裁の判決というものは、判例として後の裁判に反映されることはご承知のとおりです。
明確であることは、新たな事象に対応できにくいという欠点があります。
>行政からの可能な限りの独立性が必要だと
>思っている。この意見は賛否有ると思うが、最高裁とは別にドイツの憲法裁判所の様な
>存在を持つべきであると考えている。
行政と独立しながら、立法と対決し、国民と離反しない・・・ずいぶん難しいよね。
公正取引委員会だって、憲法議論的には、問題視されている部分があるが、司法という
強力な権力だから、逆に独走をどう防止するかのビジョンが示されないと、理解は得られ
ないんじゃないの?
ブンデスタークとブンデスラートにあたる日本の機関が内閣なら、妥当だけれども、行政との
距離は広がらないように思えるけど、どう?。
>>355 謎氏
しかし、日本の目的効果基準が曖昧であるというのは、法学界に於ける一般的な認識なのであるが、
そのように基準が曖昧だから、事実認定にぶれが生じるということは考えられないであろうか?
基準が明確なら、事件から事実認定のために抽出してくるべき事実が画一的になるので、常にいつでも誰が裁判官でも安定した事実認定が期待できると考えられる。
裁判官の恣意性をできるだけ排除し法的安定性を確保するためにも、基準はできる限り明確であるべきと思われる。
>>359 憲法第76条との関係もあるよね。憲法と法律以外に拘束されないという独立性を保つなら
判例というそれ以外の明確な基準を設けて、独立性に影響し良心のみによる判決を
阻害しかねないということも考えられるわけだが・・・。
○ 裁判官の職権行使の独立
憲法は,裁判官の職権行使の独立の原則を明らかにするとともに,裁判官の身分保障を
手厚いものとしている。このような憲法の規定は,他の公務員については見られない。
→ 裁判官は,独立して裁判権を行使し,その職務に関して他から干渉を受けることはなく,
他の公務員のように上命下服の関係はない。
* 憲法76条3項
すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ
拘束される。
* 裁判所法81条(監督権と裁判権との関係)
前条の(注:司法行政の)監督権は,裁判官の裁判権に影響を及ぼし,又はこれを制限
することはない。
>>359 Santi氏
>日本の目的効果基準が曖昧であるというのは、法学界に於ける一般的な認識なのであるが、
この認識は大分、変わってきてると思う。
現在の評価としては、例えば、ある学者は「(目的効果基準は)曖昧だとか批判されるが、
政教訴訟において判断できる程度には具体性を有する」と言っている。
また、目的効果基準が曖昧というが、他にも曖昧な基準は存在するし、
この目的効果基準のみ、その曖昧さを指摘するのは必ずしも妥当だとは思えない。
もっとも、どのようなことを考慮すべきかと言われれば、必ずしも決まっていないというのが現状である。
なぜなら、「〜等」諸般の事情を総合的に考慮して判断するのだから。
他に考慮要素を持ってくることも可能だとは思う。
>そのように基準が曖昧だから、事実認定にぶれが生じるということは考えられないであろうか?
事実認定が同一事例で異なるのは政教訴訟に限らない。
したがって、目的効果基準が曖昧だから事実認定がブレるという分けではないと思う。
>>357 亀哲人氏
レスが前後しましたが、
>ややもすれば判定する個人の見解に 左右される危険性もある。
れ氏が示しているように、裁判官は各々独立したかたちで裁判を行う。
従って、個人的な見解が裁判の理由に含まれることは当然である。
また、それで問題ないとも思う。
もっとも、
>争点の個別判例を包括する総合的基準は必要だろうと思う。
これは望ましいとは言えるが、そこまでする必要があるのかどうかは疑問である。
363 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/18 18:45 ID:/U3r78n2
>>358 れ氏
>明確であることは、新たな事象に対応できにくいという欠点があります。
この点は確かに悩ましい。司法判断は、かかる訴えに対応する形で審理をするという
構造からも受動的に成らざるえず、判例との関係を鑑みて判断するというものだから
どうしても個別事例に対して検証する事になる。そうすると、私が疑問視したいのは
先のも述べた包括的基準値という尺度を用いないとご都合主義に陥る危険性が有るのでは?
>行政と独立しながら、立法と対決し、国民と離反しない・・・ずいぶん難しいよね。
権力分権であるから、偏りは問題だしさりとて司法の権力が突出するのも問題がある。
フランスの事例だと大統領府と立法府、司法関係者でバランスを取って憲法裁判所の
審理裁判官を選出しているので、そういった方法も有るのではないだろうか。
364 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/18 18:52 ID:/U3r78n2
>>358 亀哲人氏
ブンデスタークとブンデスラートにあたる日本の機関が内閣なら、妥当だけれども、行政との
距離は広がらないように思えるけど、どう?。
366 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/18 21:49 ID:/U3r78n2
>>365 れ氏
申し訳ない。バレーボール観ながら夕食をとっていた。
ドイツのブンデスタークとブンデスラートが半分ずつ、3分の2の賛成により
連邦憲法裁判所の裁判官を選出するという制度は、日本に置き換えるとなると
衆参両院による選出、つまりは立法府による選出になるのではないだろうか。
日本の議院内閣制の組織を考えると内閣による選出でも妥当だろうとは思う。
ただ、ドイツは連邦憲法裁判所があり、具体的に権利を侵害された場合だけでなく
権利の侵害がない場合にも法律を違憲であると宣言することができる。更に
違憲立法審査権以外に政党の違憲を宣言したり、場合によっては連邦大統領まで
罷免できるなど強大な権限をもっています。裁判官は、連邦議会と連邦参議院の
選挙でそれぞれ8名ずつ合計16名が選出されることになっているが、この制度は
ナチスのような民選による独裁政治への歯止めの効果を期待してのものだろ。
此処までの強権は、日本の政治風土にはそぐわないとは思うが参考にする価値は
有るのではないか。
>>366 亀哲人氏
日本の政治風土にそぐわないというより、三権分立に矛盾する疑いが極めて強いのではないだろうか?
ドイツの場合は極めて民主的な手続きによりナチスを生み出させてしまったということに対する深い反省からこのような制度が採用されたのであるが、
そのような背景の無い日本では国民の理解は得難いだろう。特に、憲法学界が猛反対するのではないだろうか。
ただ、裁判官を議会が選出するようになっているということは、裁判官の選出に間接的ながら民意が反映することを配慮している事は伺えるが。
368 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/19 08:11 ID:M7YmQr63
>>367 Santi 氏
私が最も問題視したいのは、司法が行政の影響下になる現状なのだが
確かにドイツの場合は独自の歴史的経緯があるために単純に日本に適応される
というのは無理がある。逆に日本は行政と司法との接点が強く、行政訴訟への
障害となっているとの指摘も見受けられる。以下は国会法務委員会の質疑内容だが
参考になればと思い、掲出する。
法務委員会 2000年03月28日 判検交流の問題点
○福島瑞穂君
行政に出向した裁判官がその後行政部の裁判官になっているケースがかなりあります。
つまり、東京地方裁判所や大阪地方裁判所、横浜、浦和、京都、神戸、名古屋、それぞれの
裁判所は行政事件を扱う特別の行政部がありますけれども、そこの行政部の裁判官はかつて
行政庁に出向経験を有する人がかなり占めております。現在では三十四名中七人、去年は
三十四名中七人、平成十年度は三十七人中八人、平成九年度は三十五人中八人。
369 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/19 08:30 ID:M7YmQr63
>>367 Santi 氏 追記。
行政の影響下にあるということは、民選の内閣によるものというよりは
官僚組織との接点が強いという事。此処は誤解無きよう。
>>366 亀哲人氏
ブンデスタークとブンデスラート、ともに行政機関の代表者が構成しているんでしょう?。
何で、急に日本では議会になるのかなぁ。
で、議会選出の裁判官が、立法の違憲審査をするなら、余計危険じゃないのかなぁ。
意見の行政と、意見の立法、どちらの防止をまずしなければならないか、という究極の
選択では、違憲法律の防止が優先でしょうよ。
議会という民衆の熱狂や愚考が通用しやすい部分から、直接に裁判官を任命することは
法論理より、民衆の医師を優先させる、柔軟な法解釈を望むという姿勢につながるんだ
けれども、それでいいの?。
まぁ、プープルと言うのはそういうことだけどね・・・。
>各位へ
もし特段の議題がなければ、「国家神道への反省」という部分を検討してみたい。
玉ぐし料判決の
「国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によって異なるものがある
我が国では、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、
その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の
制限を伴っていたばかりでなく、
国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、
あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられた等のこともあって、
同憲法の下における信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかった。」
という部分の検証である。日本において米国や西欧諸国より厳しい政教分離が求められる
根拠はまさにここだろうから、どのように把握すべきなのか、検証したいという思いが
以前からある。どうもみんな曖昧に捉えているんではないのかなぁ。
>>371のつづき
とはいえ、私自身も曖昧である。ただ、どうも廃仏毀釈を国家命令だと思っている人がいたり
国は、立憲当時から神道を国の国教的立場に置こうとしていたという思い込みを持つ人が
いるが、どうも誤解のように思える。
実は戦争の反省、明治憲法期の反省というものは、政教分離と天皇制廃止では、解決でき
ない、自由主義・平等主義・人権主義の採用強化では、解決できないものがあるように
感じている。
ついては、誰かに書かせる燃料として、以下の事を主張したい。
1、廃仏毀釈は、大日本帝国の意図ではない。
2、国家神道が実質的国教の位置にあったという実体はない。
3、そもそも国家神道というものはない。
4、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、
その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の
制限を伴っていたのは、妥当である。
373 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/20 13:08 ID:gzVKaTVl
>>370 れ氏
連邦議会 Bundestag(ブンデスターク)と連邦参議院 Buedesrat(ブンデスラート)は
共に議会(立法府)のはず。其の機能としても行政ではないでしょう。
>>327のつづき
廃仏毀釈は、明治元年の明治元年(1868)の神仏分離令に其の端を発しているが
それは、仏教側の腐敗が原因である。
江戸時代寺請制度により檀家を寺院の経営基盤とした僧侶たちは、自宗の信仰はもとより、
教学や修行に対する厳しさをなくし、信仰抜きの民衆収奪に専念した。
江戸時代には、僧侶の生活の華美に対する批判が幕府内にあった。
寄付の制限、戒名料の制限、葬式費用の制限や、余りに古い祖先に関する供養
に対する費用請求の制限などが、幕府から出されている。
また、キリシタンではないことを証明し其の引き換えに過分な要求もあったらしい。
檀家制度は、民衆と寺院を固定化することで、寺院がわに非常に都合がよいわけで
このような仏教に対する批判がひとつあった。
だから、天皇は国の元首となるに際して、仏教と一線を画し、国の儀式は神道によると
定めるにいたったわけで、神道を特別に国家の思想とする意図は、立憲当時になかった
ことは、明治憲法の作成過程を見れば明白である。
375 :
pax:03/11/20 13:35 ID:???
国家神道というものはない、というのはどうかなぁ。
仏教徒やキリスト教徒にまで神社遥拝が強制されて、
拒否した人は特高警察で拷問されたんだよ?
>>373 亀哲人氏
立法府といったってドイツは連邦制なんだから・・・。
で、肝心なのは、
>>370の後段。そこに反応してくれ。スレタイに気をつけながら・・・。
>>375 いや、仏教やキリスト教においても、靖国神社への参拝が要請され、反すると
厳しい対応が行われたことは知っているし、それが妥当ということではない。
sかし、それは、国家神道からの要請なのか?
だとしたら、其の実体はどこに存在しているのかなぁ?国のどこかの役所が
国家神道の本部か?
国家神道って一体何?宗教?国の機関?イデオロギー?システム?
paxさん、最近「天皇制ってほんとうにひつようなんでしょうか?」というスレで、S-RAMがとんでもないこと言っているんだけど、あなたも奴に何か言ってやったらどう?
380 :
pax:03/11/20 14:24 ID:???
>>379 天皇問題はあんまり興味ないんだけど、いちおう見てみるね。
381 :
pax:03/11/20 14:28 ID:???
ちらっと読んでみたけど話の通じる相手じゃなさそうなので
スルーしたいなぁ、できれば。
>>381 そう?出来れば今晩も奴が続きをやるとしたら加勢して欲しいな。私はキリスト教に好意的だけど、そんなにキリスト教には詳しくないので。
あなた確かキリスト者だよね。専門家の人に加わって欲しいんだけど。まあ、無理強いはしないけどね。
また、奴が続けるとしたら私は頑張ってみるよ。
384 :
pax:03/11/20 14:44 ID:???
>>383 じゃあ取り合えず見るようにはするね。
んで事実関係とかで確かな証言が必要な場面があれば
それに絞ってレスするよ。
>みなさま
スレ違いの内容で申し訳ありません。
385 :
pax:03/11/20 14:47 ID:???
>>378 ごめん、見落としていた。
いまちょっと無理なんで、後ほど資料を探してみる。
口からでまかせを言ってるのではない、ということははっきり
申し上げておくよ。
少なくとも経験者から直接話を聞いてるし(それが嘘だろう
と言われたらそうでない証明をするのは難しいが)。
>>384 ありがとう。悪いね。私はあんな奴放っておけないから。
387 :
右や左の名無し様:03/11/20 15:07 ID:fr3r4YKt
>>377
>国家神道って一体何?宗教?国の機関?イデオロギー?システム?
天皇機関説によって国体、すなわち天皇制がゆらいだとみた皇国史観の東大教授
平泉が唱えた国体明徴声明が効果を発揮しなかったので、それを強化するために
祭祀(宗教)と政治と教育を一体化するために国家神道というものを作り上げた
のです。当時は左翼思想が流行し天皇制を批判する勢力もあったのです。のちに
5.15事件、2.26事件などが起こるが、その精神的柱になった北一輝も右
翼ではなく、天皇を利用した社会主義を目指していたのです。
要するに、天皇によって日本が統治されていることを国民に教育するために、国
家と神道を結びつけ、国家神道という新しい思想をつくりあげた、そういうこと
です。政教分離どころか政治と宗教を一致させて国論の統一をはかったのです。
>>387 ありがとう。でも一般的には、明治元年(1868)の神仏分離令に其の端を発している
としているようだけど、
1935/08/03政府、国体明徴声明では、67年の長期にわたって、国家神道はなく
1935年から1945年の終戦まで10年間、国家神道があったという把握でいいのかな?
まぁ、其の把握はそれでも有効だと思うし、現実に的確に対応しているから、ひとつの
見方とはいえるよね。
389 :
pax:03/11/20 15:18 ID:???
ああ、
>>377にも答えてないね。スマソ。
手元に資料がないので不確かな記憶に頼って書くけど
(後ほどまた改めて調べるけど)、神社参拝については何らかの
法律か政令か条例で義務化されたように記憶している。
つまり日本国が日本国民(臣民)に対して神社に参拝せよと命じ、
違反者は罰したということからも、国教を明確にしたと解釈される
のが妥当だろう。
そのときには「神社は宗教ではない」という理屈をもって政教分離に
反しないとされたわけだけれど、これは客観的に見ても強弁に
過ぎないと思うよ。
>>389 pax氏
急いでレスしなくとも、私はかまわないから(存在意義スレでは1ヶ月に一度のペースで
だーまつ殿下と議論しているから・・・)ソースや資料を確認の上で、再度書いていただ
ければ幸甚です。
なお、提示したサイトも、どうぞご参考に。貴殿がカトリックでないにしても
事実関係については参考になります。
【国体明徴運動】
どうも誤解している人が多いようなので、書いておくが、これは軍部の独走の始まり
という把握が正しいだろうし、議会(民衆)がそれを支持し、政府がイヤイヤ其の声明
をだしたというのが、史実である。
基本的にここでいう主権論争は、対外的に主権がどこにあるかという議論で
美濃部が、主権は国家にあり、国家機関である天皇がそれを表現する、という
天皇機関説を出し、それが、議会についての正統性も、政党政治の基礎とも
なっていた。考えてみれば、天皇に主権あらば、議会決定は常に天皇によって否定
できるのであって、卑しくも議員においては国体明徴は己の首をしめる声明である。
しかし、(私はこれこそ民衆の愚考たる議会制の欠点だと思うが)多数野党の政府
攻撃の道具としてこれが利用され、軍部圧力によって声明が出されてしまった、と
いうのが妥当な把握である。
>>387の書き込みでも、主語がない。政府がそのように画策した、あるいは天皇が
そのように図ったということではなく、軍部の自由にならない政府閣僚を攻撃する
目的・・・主語は軍部・・・で、そのような運動が起き、ここが軍部独走のスタートライン
ではあると思う。
>>372 れ氏
1、廃仏毀釈は、大日本帝国の意図ではないについて
廃仏稀釈を出したのは政府であるが、それが過激に行われた結果として、
政府は穏便にやるようにと通達を出している。確か、こんな感じだったと思う。
詳しくは葦津珍彦「国家神道とは何だったのか」参照。
以下、この本の言を参照した論を展開しますが、いちいち読みかえすのが
面倒なので覚えている限りで書きます。
勿論、この本に書いていないこともあります。
2、国家神道が実質的国教の位置にあったという実体はない。
当時の日本には「法律的に」国教が存在しないことは認められると思う。
ただ、実質的にも国教だと言うのにも相当な疑義があると思う。
すなわち、当時(1889年)に国教規定を有する国は憲法を持つ38ヶ国のうち20数ヶ国あること
(なお、国教規定を有する国には日本も含んでカウントされている。勿論、是にも疑義がある)、
従って、国教を持つは当時としてそれほど不思議ではないのにあえて持たなかったこと、
憲法義解には国教を明確に否定する旨が書いてあること、
憲法の制定過程で外国人助言者から国教制導入を助言されているが無視していること
等を考えてみると、少なくとも起草者たちは国教に否定的だったと思う。
その否定的だった国教をあえて実質的に持ってくることが良く分からない。
続き
3、そもそも国家神道というものはない。
少なくとも定義があいまいであるため、このように言えるかどうか分からない。
一応の定義は神道指令に書いてあり、それを参照するにしても誤解があるように思う。
4、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、
その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の
制限を伴っていたのは、妥当である。
現在の判例では、信教の自由が「公共の福祉」によって制限を受けることを認めている。
また、臣民の義務には所謂、神社参拝の義務ではなく、納税の義務など憲法に書かれている
範囲の義務である。現在でも、自分の信仰によって納税しないというは認められにくいと思う。
したがって、この規定は妥当だと思う。
話題になってるスレ見てきたけど、あそこまで伸びてると参加しにくいなぁ〜。
ちなみに、私、天皇制はさておき天皇や皇族方は結構好きです。
>>392 謎氏
よく言われる「国家の廃仏毀釈の命令により仏教が弾圧された。」は、どうも
事実ではないようなのですが、どのように其の運動を把握されているのでしょうか。
>>395 れ氏
詳しく勉強した分けではないので良く分かりませんが、
仏像を捨てたりしたのは、自発的であったり、仏教に敵意を持つ人たちがやったのだと思います。
政府が積極的に弾圧(仏像を捨てたり)したとは考えにくいですね。通達と矛盾しますし。
要するに一般人の「乗り換え」という風に解釈しています。
政府については、日露戦争における従軍宗教者は仏教が殆どだったことや
仏教者とつながりを持っていたことなどを考えると、仏教に対してはむしろ好意的だったんじゃないかな。
葦津珍彦が指摘していますが、薩摩は仏教嫌いが多く、長州は仏教に好意的だったようです。
397 :
右や左の名無し様:03/11/20 17:07 ID:cQaxJamW
ふーー
一日中2チャンやってる馬鹿がいるね。
このエネルギーはたいへんな浪費だよ。
もっと仕事や勉強に向けろよ。
>>396 謎氏
仏教界自体は、敵意をもたれる状況はあったと思います。
まぁ、檀家制度が、江戸時代は人別帖などと関り、幕府と非常に密接だった。
生類哀れみの令も、仏教から出た。天皇家も葬儀は仏教ですし、
護国仏教的な要素も多かったことは事実でしょうね。
だから、仏教勢力が民衆を簒奪しているという実体もあるっわけで、敵意は
もたれていたでしょう。だからといって、仏教を捨てたりはしない。
権力との結びつきに対して、批判があったと捉えるのが妥当でしょうか。
ただ、少し疑問なのは、神仏習合によって、寺院の神・神社の仏というものを
整理し、神社宮司を官職に迎えるにあたり、どの程度の考えが国側にあったか
ということです。
国の儀礼を神道に置くというのは、明治憲法制定において国教の禁止を人類の
獲得した普遍の真理として主張している中で、其の前から儀礼は神道を其の根拠
におくという動きがあった。事実神職を官僚に迎えている。このあたりが、どうも
よく理解しがたい部分ですが、どうお考えですか?
399 :
右や左の名無し様:03/11/20 19:31 ID:gGeuFsDm
>>398 れ氏
>権力との結びつきに対して、批判があったと捉えるのが妥当でしょうか。
そういう不満と神仏分離令が重なったのだと思います。
前述の「政府は穏便にやるようにと通達を出している」は、
穏便にやるようにではなく、犯罪としていますね。
>国の儀礼を神道に置くというのは、明治憲法制定において国教の禁止を人類の
獲得した普遍の真理として主張している中で、其の前から儀礼は神道を其の根拠
におくという動きがあった。
神道を国家の儀礼とすると前もって宣言したことと、
神道勢力が段々弱くなっていったこと(神道に好意的な薩摩派が減っていった)、
神道自体があまり使えなかったこと(西郷隆盛は神祇省を称して昼寝官役所と言っていた)
などの妥協として、神道は宗教ではないという論理を使ったのだと思います。
そもそも、神道が宗教に含まれるのか否かは(現在でも)議論の余地があることだったので
とりあえず神道は宗教ではないというスタンスを取ったのでしょう。
注意すべきは、この「神道は宗教にあらず」という論理は仏教側の論理を参考にしていることです。
政府はそういった「国家神道」には何もしていません。むしろ冷遇と言ったほうが良いかも知れません。
>事実神職を官僚に迎えている。
後に作られた宗教団体法では、仏教やキリスト教の代表者を勅任官待遇としています。
事実上の公務員です。
勿論、神社神官も公務員ですが、それは奏任官待遇に過ぎません。
位としては勅任官>奏任官です。
>>400 謎氏
ありがとうございます。
そうすると、
>>319で書いたあたりからの10〜15年が、問題だったということでしょうか。
結局は、日露戦争、日清戦争における西欧列強諸国の対応のひどさ(三国干渉など)
と国民の戦勝に対する見返りの期待、これが軍部を刺激し、というストーリーと考えれば
反省すべきは宗教とのかかわりではなく
軍部と政府のかかわりということになりますが・・・。
402 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/20 21:19 ID:gzVKaTVl
>>376 >で、肝心なのは、
>>370の後段。そこに反応してくれ。スレタイに気をつけながら・・・。
どうして医療が関係有るのかと、一瞬戸惑ったw
別に立法府のみで選任せよろ云ってる訳ではない。相互の適度な緊張関係は必要なのだから
「バランスを取って」と書いてる筈。また、ドイツに見習えとも云ってるのではなく
参考事例として掲出している。
れ氏はいつも誤字だらけ。
404 :
右や左の名無し様:03/11/20 22:23 ID:EbyAXS8n
先生の祖国同胞を助けるため
学会員は1日2回朝夕のお勤め
すなわちパチンコ屋通いを欠かさないようにしよう
405 :
pax:03/11/20 22:27 ID:???
406 :
pax:03/11/20 22:30 ID:???
もう一つ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~baptist/yanaihara.htm 1941年(昭和16)には治安維持法が65か条に拡大強化され、
「神宮もしくは皇室の尊厳を冒涜する」者は厳しく処罰されました。
国内や韓国において「神社参拝」[28]が強要され、神権天皇制、
国家神道体制にすこしでも添わない宗教や思想は弾圧の対象と
されました。この年、宗教関係の取り締まりは1010件に達した。
こうして12月8日、日本はついに太平洋戦争へ突入しました。
翌1942年(昭17)には日本ホ−リネス教会3派の内外134名の
牧師が一斉検挙、43年にはセブンスディアドベンチストが弾圧されました。
>>406 pax氏
私は、一般に知られるような宗教弾圧については否定的な見解を持っていますが、
少なくとも、信仰者が嫌うような宗教的圧迫程度ならあったと認識しています。
さて、貴方は、
>「神宮もしくは皇室の尊厳を冒涜する」者は厳しく処罰されました。
と仰っていますが、これは要するに「国体を否定し」という語と同義なのだと思います。
したがって、その目的は共産主義者の排除を目的としたものだと思います。
これは、別に勉強した分けではないのであくまで感想程度です。
>国内や韓国において「神社参拝」[28]が強要され、神権天皇制、
国家神道体制にすこしでも添わない宗教や思想は弾圧の対象と
されました。
神社参拝はとりあえず置いて、宗教弾圧についてですが、神権天皇制や國家神道体制
との関係では少々疑問があるところです。
例えば、美濃部達吉は戦後の憲法の教科書の中で、邪教を排除するのは国家の任務だとしています。
邪教とは、所謂、普通、一般に、認められていない宗教のことです。
その判別は常識という事になっています。当時の一流の法学者とてこの認識です。
また、このような宗教弾圧の処罰法令として「警察犯処罰令」というものがありますが、
これらの根拠は、要するに「非科学的邪教」を取り締まることであり、
国家神道や神権天皇制ではありません。
ちなみに、このような邪教、所謂、新興宗教問題は、戦後の憲法制定議会において議論されています。
これらの宗教に嵌る日本人(日本人はどうやら嵌りやすいらしいですが)をどうすべきか。
この対応に、議会は苦慮していたようです。まぁうろ覚えの記憶ですから、はっきり断言できませんが。
最後に、キリスト教の中には、宗教団体法の制定を喜んだ方々が多数おられますよ。
408 :
S−RAM:03/11/21 00:11 ID:T+SDswi8
>>404 金が余っている学会員はどんぞ、パチンコ逝って下さい。
409 :
S−RAM:03/11/21 00:15 ID:T+SDswi8
>>406 戦時中、及び日本の中世日本人は確かに、キリスト教徒を弾圧しかもねえ。
しかし、日本で殺されたキリスト教徒の数なんて、世界史上でキリスト教徒がキリスト教の旗の下で
殺した人数に比べれば可愛いもんだに。
まあ、虐殺した数だけが、全ての判断基準でもないが...
410 :
S−RAM:03/11/21 00:16 ID:T+SDswi8
>>paxさんへ
私あなた好きだよ、良いキャラクター出している。
是非常駐してくれ。
>>405-406 pax氏
えー
>>405はキリスト教徒の一人が、そう思っているというソースではありますが、
国家と宗教に関する事実のソース、ではないようです。
>>406においても、具体的に、いつ、だえが、どのような状況下で、
>>375の
>仏教徒やキリスト教徒にまで神社遥拝が強制されて、
>拒否した人は特高警察で拷問されたんだよ?
が証明されているのか、一読した限りでは、分かりません。できうれば、もう少し具体的に、
それを証明するソース部分をご教示願います。
で、「教団が国家と言う運命共同体を、イエスキリストを主と仰ぐ信共同体よりも
優先してしまったため」・・・これは、
>>406で紹介されたサイト内の記述で、戦後の反省の
一部ですが、妥当なのでしょうか。もちろんキリスト教信者にとっては妥当でしょう。
しかし、戦争遂行中の日本国、およびキリスト教を信じない異教徒にとって
国家共同体と、信教共同体が対立したときに、前者をないがしろにされては、生命財産の
危機が全員に降りかかります。信者は、その進行の結果ですから、神が与えた試練・法難
として、天国へのパスポートにもなるかもしれませんが、異教徒にとっては納得できません。
戦争遂行中、宗教ではないという『建前』によって、神社参拝をしたことは、国民であり信者
であるための、ぎりぎりの選択なのではありませんか?
問題は戦争であって、信教の自由の確保ではない・・・。
ちょっとついでに・・・。
天皇制ってほんとうにひつようなんでしょうか?
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1066145228/l50 の最後に、S-RAM氏、亀哲人氏、pax氏の、宗教論争がのっていて面白かったが、
まぁ、創価学会の批判だけは、一方的だよね。別に私は日蓮宗ではないけれども
(創価学会以外にも日蓮宗はある)、改宗を迫るというのは、日蓮宗の基礎教義
だ。南無妙法蓮華経を唯一最高の教と捉え(どうも理由は、女性差別がないから
という説もある)、このお経の名前(お題目)を唱え、これを広げていかなければ
ならないとしたのが、日蓮宗だから、お題目を唱える(ナンミョウホウレンゲキョウ
と、人に聞こえる大きな声で、太鼓などの鳴り物入りで)いうことは、他宗教を批判し
日蓮宗が唯一の正しいものであるという主張をしている。
真実を知った者は、無知のものに教えてあげるべきか、といえば正しいだろうが、
それはキリスト教徒も同じで、力づくでも真実を教えようとするのは、宗教の特質でもある。
地獄への道には、善意が引き詰められているし、善意だから怖いのは、双方とも同じ。
これに比較して唱名仏教たる「南無阿弥陀仏」は、自分に語りかけ、久遠浄土の仏陀
に語りかけるだけだから、人を改宗させる目的ではない。
マァ私に言わせれば、キリスト教も日蓮宗も、何ごとかの教義や契約を絶対と確信して
いる時点で、同じようなものであると、異教徒としてはおもうね。
それに引き換え神道は、何事も絶対的なものがなく、人間がこの世を動かすという
基本があり、私は好きではある。(所詮、それも同じようなものであるという自覚はあるよ。)
413 :
pax:03/11/21 10:59 ID:???
>>407 「神社を拝まない」ことが「神宮の尊厳を冒涜」に該当するとして
神社遥拝を拒否した牧師や信徒が特高に連れて行かれたと。
>>405-406はれ氏の要請に応じて「法律によって神社遥拝が強制され、
違反者は特高が取り締まった」事実があったかどうかの傍証として挙げた
もので、私の意見の表明ではないです。
>>409 それは事実だけど、それは「男が殺した人間の数のほうが女が殺した
数より多い」と同じような指摘だね。
>>410 そりゃどうも。(苦笑)
414 :
pax:03/11/21 11:02 ID:???
残りについてはかなりの長文になってしまって職場の環境からは
無理なので、また帰宅してから書くよ。
>>414 pax氏
丁重で冷静なレス感謝いたしております。
議論として私が重視しているのは、先の15年戦争遂行当時の状況としての宗教弾圧
は、思想弾圧的な傾向が強いということ(右翼部門も特高にはあった)が、一点。
では、それ以前の状況として、廃仏毀釈も含めt宗教への関与状況はどうだったのか
という点。この辺が重要ではないかなァと思います。明治憲法の評価も含めて。
この辺を整理し戦争遂行時の妥当な線と、平時の妥当な線というものを探らないと
「真の戦前の反省」というものはできないんじゃないかなぁ、と思っています。
明治憲法をひとくくりに悪玉に仕立ててきたのが、今までの思想界でしょうから、
少しそれを分析できるスレになればいいと、思います。
>>412 >キリスト教徒も同じで、力づくでも真実を教えようとする
こんな事実は少なくとも近代以降ではそれ程無いはずだ。むしろ日本の神道の方が朝鮮半島で、朝鮮人に対して神社信仰を強制した排他的な宗教なのではないかな?
いや、それどころか日本国内でもキリスト教徒や仏教徒に対して神社を参拝するように強要したよね。
まあ、神道だけを弁護するのは、やはり貴殿も自分の宗教こそが正しいとする点で喪家と同じだということだ。
>>416 私は神道は好きで「は」ある。所詮、それも、(日蓮宗や基督教信者と、)同じようなもの
であるという自覚はあるよ。
>>413 pax氏
具体的事例を挙げて頂ければ助かります。
私も、そんなに把握している分けではないので。
>>416 当時有名な神道家達は、朝鮮に併合反対、神社設立反対の運動を起こしていましたが何か?
419 :
pax:03/11/21 12:42 ID:???
>>418 いま長文書けないので簡単に。自分が聞いた経験談では、ある日教会に
特高警察が来て「貴様らは神社の前を通るときに拝礼しておるか?」と尋問され、
牧師が代表して「わたしたちは偶像崇拝を禁じられていますからそれはできません」
というと「貴様らは恐れ多くも天皇陛下に叛く輩である」と言われて連行され、
棒や素手で殴る蹴るの暴行を受けながら「キリストより天皇陛下が尊い」
「神社では拝礼する」といえと強要されたとか。
>>419 そういうことは戦前・戦中の日本では数限りなくあったと思うよ。恐らく貴殿が挙げた例は本当に氷山の一角に過ぎない。
やはり、国家神道の危険性は喪家以上だね。やはり、そういう実話を聞くと政教分離は可能な限り徹底すべきという気持ちは更に強まるね。
421 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 14:14 ID:GPuqL0c8
>>418 謎氏
Pax氏ではないので横レスで恐縮する。
参考になるかどうか、こんな事は有ったようだ。
森田豊熊牧師がスパイ容疑で逮捕されたのは一九四〇年九月のことでした。
ハンナ・リデルの遺志を継ぎ、救癩活動を地道に続けてきた回春病院
(聖公会の癩病院−熊本市竜田町)の院長エダ・ライトがスパイ容疑で
迫害を受けました。
特高や検事の取り調べは、改正されたばかりの治安維持法の「国体を否定すべき事項を
流布することを目的とする結社」に関係したということで被疑者を追及しています。
「天皇は現人神(あらびとがみ)か」「世界の創造主はエホバの神といっているが、
それは天照大神(あまてらすおおみかみ)ではないか」などと尋問され、
これを否定したと言って起訴されました。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kunimune/sub6.htm
422 :
†:03/11/21 14:35 ID:???
>>418 謎氏
>朝鮮に併合反対、神社設立反対の運動を起こしていましたが
いや、そういう特殊な事例を出されても困るんだけど。あくまでも一般論だよ。
現実に朝鮮半島で神社への参拝強制が行われた。その事だけで十分だろ。
>>420-422 うん、誰もそのような事象がなかったなんていうことは、主張していないわけだよね。
で、肝心なことは、具体例となると15年戦争当時に限定されてきて、しかし、
それが明治憲法期全体を通して行われてきたという、イメージを持っていることが
問題。だから、
>>420のような、ソースも出せないアホが、つまらないレスをする
ことになる。
考えてみなよ。そういった思想統制的なことは、国家的戦争遂行時においては
多少はやむをえないだろう。言い方を変えると、平時とは異なる。
>>422についても何の論証として十分だといっているかは知らないが、神社の
要請を受けて、国が神社参拝を国民に強制したという意味なら、多少は違うだ
ろうね。
そういった検証・・・をここではやりたいんだけども、まず、戦時の統制については
妥当性はないと思っているのかな、お三方は。
424 :
pax:03/11/21 14:58 ID:???
あ、帰ってからゆっくり調べて書こうと思ってたら
>>421で
かなり具体的なのが出てるね。
それと似たような話は複数の体験者から聞いたことがある。
日本イエス・キリスト教団の本田弘慈師は「天皇とキリスト、
どちらが偉いのか」と誘導尋問されて「そんな恐れ多いことは
いえません」と返して難を逃れたという話をよくされていた。
425 :
pax:03/11/21 15:03 ID:???
>>423 本気なのかどうか疑うなぁ。
ちゃんと全文読んだ?はっきり書いてあるけど、その宗教で
信じていることを否定するよう強要してるんだよ?
しかもそんなことが何の国益に資するのかも定かではない。
天地の創造者がアマテラスなんて笑わせる。古事記や
日本書紀のどこにそんなことが書いてあるんだか。
キリスト教の牧師、しかも反体制運動をしているわけでもない
人にそんなことを言わせるのが「戦争遂行のため止むを得ない」
と本気で思う?そりゃ相当な肩入れをしてないと言えないことだよ。
アメリカは戦争中に日系人を強制収容したことはあるが、
仏教徒やイスラム教徒を国の方針として国内で弾圧したことはないよ。
戦時だから仕方ない、というのは一般論としては言えないのでは?
427 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 15:14 ID:GPuqL0c8
>>423 れ氏
>考えてみなよ。そういった思想統制的なことは、国家的戦争遂行時においては
>多少はやむをえないだろう
此の発言は看過できないな。米国も太平洋戦争時の日系移民への弾圧政策を反省している。
昨今政治的テーマとして議論されている有事立法にしても、有事の際の国権と個人の自由との
線引きは重要なテーマになっているのは君も知っているはず。ましてや人の内面にまで
踏み込んで思想統制するというのは許されるべき事ではない。
>>425 pav氏
そうか?
>>411で書いた通り、宗教というのは国家共同体より、信教による信徒共同体
を優先するんだろ?
ここが議論の味噌なんだが、その前に、
>亀哲人氏 pax氏
15年戦争当時以外に、過酷な宗教弾圧の事例は、ないということでいいかな?
いわゆる特高ができる以前においては。
430 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 15:30 ID:GPuqL0c8
>>429 れ氏
寡聞にして知らないという面も有ろうが、いわゆる15年戦争以前はそういった面は
見受けられない。寧ろ明治維新以降は西欧化の影響もありキリスト教には寛容だったが
仏教は弾圧はなかったかも知れないが、冷遇されたという事は有ったようだね。
「神仏分離令」により神道と仏教を引き離し、仏教勢力の衰退を計り、廃仏毀釈運動が
全国的に広がった。
431 :
pax:03/11/21 15:35 ID:???
>>428 違う。
国家であれなんであれ、信仰を全うすることを阻害しようと
されても信仰を曲げてはならない、と信じているだけで、
共同体どうこうという話ではないよ。
432 :
pax:03/11/21 15:39 ID:???
>>429 帝国憲法制定以後は、そうだね。
維新直後はまだ切支丹邪宗門禁令が残っていて
拷問や刑死が続いていたからね。
>>430-431 亀哲人氏 pax氏
基本的に宗教というものが、国家共同体よりも信徒共同体を優先することは、当然である。
これがダメだといっているのではない。これも民意のひとつである。
ただ、国家対国家の総力戦において、米国が日系人の人権を侵害したことと、キリスト教徒
の日本における迫害は、当時としては同根じゃないの?
誰に対する忠誠心が根源にあるのかということだよね。毎度書くけどシュワ知事が大統領に
なれない理由は、彼が移民であるからだろ?今も米国においても、その国への忠誠心と
言うのは、それを宣誓しなければ、米国国籍は取得できないことでも明らかなとおり、
思想信条の自由とはまた別のものがある。
キリスト教徒に迫害が多い理由は、戦争相手国がキリスト教国だったから、だろう。
十字架を胸にした敵と、天皇の下の日本兵、あなたの銃口はどちらに向きますかという
不安が、国側になかったといえば、嘘だろうね。で、その不安は解消しないと
国としても、多くの国民としても、困るわけだが、だから、国体の維持は宗教ではない
という仏教回の思想が、引き受けられてきたということはあるんだろう。そういったこと
に一片の妥当性も見出せないなら、国家というものの捉え方が違うんだろうとは、思うよ。
>>430 亀哲人氏
>「神仏分離令」により神道と仏教を引き離し、仏教勢力の衰退を計り、廃仏毀釈運動が
>全国的に広がった。
これは議論が拡散するから保留。既に謎氏が書いている通り、国の弾圧ではないらしいが、
もう一回時を見てやろうよ。
435 :
pax:03/11/21 16:19 ID:???
>>433 違うと書いてるのになぁ・・・。
別に銃口を日本人に向けたりはしないよ。単に兵役拒否したり拷問を受けて
獄死したりするだけ。
日本=神道、アメリカ=キリスト教というような捉え方は一般人はするかも
知れないけど信者はしてないよ。
キリスト者であってもアメリカが攻めてきたらそれが「国家の敵」であることは同じ。
ただ相手がだれであろうと殺さないし、天皇を神と認めろだの神社を拝めだの
創造者がアマテラスと言えだの言われたら断るだけ。
要するに誤解に基づく恐怖心ってことだな。
違うといわれても、
>>406で、貴殿が示したサイト
http://www5b.biglobe.ne.jp/~baptist/yanaihara.htm 弾圧下のキリスト教会という部分で
1986年11月12日、第24回教団総会にて日本基督教団は後宮俊夫議長が
「謝罪と悔い改めの表明」を述べました。
その中で検挙に際して静観したのは「教団が国家と言う運命共同体を、イエスキリストを主
と仰ぐ信仰共同体よりも優先してしまったため」、
辞任の強要は「国家の主権をイエスキリストの主権の上に置いた措置」、
「これらのことはイエスは主であるとの告白がただ単に言葉の上だけで終わり、
国家権力に従って主の体なる教会の肢体を切り捨てたことである」、
「治安維持法の改正の危険性にも気づかず、
要するに「イエスは主である」との告白の不徹底さのゆえに、「国家権力」に追随してしまった。」
と総括し謝罪しました。
とかいてあるよ。
437 :
pax:03/11/21 16:36 ID:???
> 十字架を胸にした敵
このあたりに誤解の根源がありそう。
アメリカだからキリスト教、だから味方だ、とか、そんな考えを持った日本人の
キリスト者なんていないんだけどね。
私自身にもイスラムや仏教徒、ソウカの会員などの個人的な友人はいるし。
簡単に言えば信仰というのは国家という枠を「超越」しているわけであって
「否定」しているのでも「対立」しているのでもないよ。
ただ一部の極端なナショナリストが一方的に被害妄想的に「対立」と捉える
構図はあるんだろうけど。
438 :
pax:03/11/21 16:39 ID:???
>>436 それは「教団という実務的組織として」という文脈でしょ。
信者個人が自らの信仰として、という意味ではないよ。
そのへんを明確に分けて考えないと混同すると思うよ。
>>437-438 pax氏
いや、貴殿の言うことは理解しているよ。貴殿がプロテスタントであることぐらいは
分かるだけの知識もあるし、実際には米国の兵士に、聖職者を米国は同行させ
ている。
私の申し述べていることは、誤解だったとしても(まぁ、徴兵拒否の姿勢がある以上
純粋に誤解というよりも、その抑圧側の思いよりも程度が弱いだけだろうけど)
その弾圧を受けやすい状況は、実際にあるわけだし、カトリックにおいてはイタリア
が同盟国だったことも影響しているかどうか、バチカンからのお墨付きがあって、
ひどい(人身に関わるような)抑圧はなかったかもしれなが、プロテスタントにおいては
弾圧されやすい環境があるし、それは異教徒たる日本人にとっては、ある程度やむを
えない時代ではあったわけですよ。
理屈から云えば、日本国と基督を同等に扱う、徴兵を拒否するという思想は、すべての
プロテスタントに共通ではないでしょうし、また徴兵拒否は違法ですよね、当時は・・・。
弾圧した側の、その一片の妥当性は、認めてもいいでしょう、という程度です。
で、アマテラスが創造主であると言ったとしたら、それはまた、神道との対決ではなく
国共同体との対決だからでしょう。神道の何たるかを知らないんだから・・・。
440 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 17:10 ID:GPuqL0c8
>>433 れ氏
>そういったことに一片の妥当性も見出せないなら、国家というものの捉え方が違うんだろうとは、思うよ。
先にも書いたが米国は日系人への措置を過ちだと認め、謝罪し賠償金を払っている。
賢明な措置だろう。感情的な部分では、君の云うような感覚を持つことは充分考えられる。
問題は国家がそういった感情に流されて、国家ぐるみで弾圧する事だろう。
9.11からイラク戦争の流れがある中で、米国は国民感情として回教徒への心ない差別が
有ったと聞くが国家レベルでは回教徒を差別・弾圧する様な措置は取られていない。
民主義国家であるなら、そういった冷静な判断が必要だろうと思う。
>>434 了解。
>>440 亀哲人氏
イや違うでしょう。日系人の扱いがひどすぎたから、賠償したという論理であって
国への忠誠心への疑義を国が持つことの反省までは、米国はしていないよ。
その証拠が、国籍取得時の国家への忠誠の宣誓だし、シュワ知事が大統領に
なれない事実だ。
だから、私の申し述べていることは、そういうことで、扱いがひどかったということは
事実だし、反省すべきだけれども、国家に対する忠誠心に疑義を持つということまで
不当だった、反省すべきだったと、云えるのかということだよ。
442 :
pax:03/11/21 17:26 ID:???
>>441 それは事実関係の誤認がある。
日系人であっても国内で生まれたものは生まれながらに
米国籍を持っている。つまり国民であって移民ではない。
それら二世も収容所に送られたわけだよ。
決して「国に対する忠誠を疑った」からではない。その証拠に
志願して最前線で戦った二世もたくさんいたが、そのことで
強制収容を止めるということはなかった。
443 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 17:40 ID:GPuqL0c8
>>441 れ氏
Pax氏の事実関係の発言を受けつつ…
君の云う「国家への忠誠心」と宗教及び人種(民族)への差別・弾圧は別の問題。
米国の場合は移民の集合体だから、当然国家への忠誠心による確認は重要な国民認定の
懸案となろう。ただでさえ、現在もメキシコ国境からの人口流入、中南米からの移民は
多い。此だけ人口の流出入が多いとなると、「国家への忠誠心」を求めるのは当然。
アフリカや中東からの移民が増えている英国でも同様の措置が取られていると聞く。
>>442 pax氏
もしそうなら、なぜに収容所に入れられた?
第二次世界大戦中、12万313人の日系アメリカ人がアメリカ政府によって強制収容所に
送られた。かれらの大半は戦時転住局が管理する10ヶ所の強制収容所に入れられ、
のこりの人々は司法省やそのほかの政府機関が管理する収容所や拘置所に入れられた。
日米開戦の翌年1942年に、アメリカ西海岸とハワイの一部の地域にすむ日系アメリカ人
たちは、その7割がアメリカ生まれの二世で市民権を持っていたにもかかわらず、
強制的に立ち退きを命ぜられた。なんの補償も得られないまま、かれらは家や会社を安値
で売り渡さなければならず、中にはすべての財産を失ってしまった人もいた。
日系アメリカ人が国家の安全保障の脅威になるという口実のもと、フランクリン・ルーズ
ベルト大統領は大統領行政命令9066号に署名し、陸軍省に、地域を指定しその地域内の
いかなる人にも強制立ち退きを命じる権限をあたえてしまったのである。
それから40年後の1982年、「戦時市民転住収容に関する委員会」は、
「大統領行政命令9066号は軍事的必要性によって正当化できるものではない。
あらためて歴史的にその原因をさぐれば、それは人種差別であり、戦時ヒステリーであり、
政治指導者の失政であった」と、ようやく結論したのである。
戦時における国家の安全保障の脅威になるという口実のもとに行われたが、その口実が
不当だったのではなく、人種差別・戦時ヒステリーだったから謝罪したんだけれども、
国家の安全保障の脅威になるという口実のもと、妥当に行うことを、彼らは不当としてい
ない。その口実は、別に悪いことではない。実態が悪かったのだと、私も思う。
>>443 亀哲人氏
貴殿も国家への忠誠というファクターの合理性をご理解いただき、喜ばしい限りである。
弾圧の方法論的に不当であるが、その意図としての国家への忠誠心への疑義という
ものは、多少の妥当性もあるという結論ぐらいつけても良かろう?
446 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 18:04 ID:GPuqL0c8
>>445 れ氏
国家への忠誠心を求める方法論として弾圧があったのなら、君の云うとおり
方法論に間違いがある。忠誠心を求めるのは国家(しかも戦時下の)当然のことだから。
戦中の日本の問題は「内的な思想・信条」までも求めた事は大きな問題だと思う。
この実態は大いに反省すべきだろう。そういった根の深い問題があったと考えている。
447 :
保守を考える:03/11/21 18:18 ID:Fy3w5nBz
議論が「国家神道」の話になっているとは気が付きませんでした。
かの時代は、私としても非常に興味の尽きない時代ですので、
そろそろ私も腰をおろしてみましょうか。
で、
>>378で、れ氏が提示した↓
http://peace-appeal.fr.peter.t.nishiyama.catholic.ne.jp/senseki-index.htm このサイトは、いわゆる上智大学事件の顛末が論説してあり、
上記サイトにあるとおり、カトリックの東京大司教アレキシス・シャボンが
国家祭祀としての神社を、「非」宗教と認め、全国の関係学校に通達したところから
軍部を中心とした、国威発揚派へのお墨付きを与えてしまったのではなかろうか、と
考えられ、即ち昭和12年の内閣告諭である「国民精神総動員に関する件」〜
昭和15年施行の「宗教団体法」の運用であり、時の文部大臣、荒木貞夫が言った
「神社参拝を拒否する宗教団体、宗教教師はこの法にて取り締まれる。」である。
問題は、国家祭祀の神社(これを国家神道と揶揄しても良いが)を非宗教として
認めざるを得ない判断と空気が蔓延したのであり、確かに現在の価値判断に従えば
これは明白なる信教の自由に対する規制であり、旧憲法28条の死文化と言えるが
この辺りは、国家神道が何者であって、何に関与したのかの論証が必要であり
安直に結論を出すのはいささか気が引けるところではある。
>>447 保守考氏
ども。今、話題にしている部分と言うのは、まぁpax氏も亀てっチャンも、概ね、
宗教弾圧的な事象は、15年戦争当時(特高がで来きころから)と考えていいだろうという
ことは、合意できたわけですが、)その特高の行為というものに批判はあったにしろ
その動機である、国家安全に対する危惧というものまでを、否定はできないのではないか
という議論です。
日系人が収容所に入れられたことと同じ根っことして、国家の戦争において
それが全面戦争になろうとしているとき、国に対する忠誠心を確認し、あるいは疑わしい
国民を取り調べることはいけないことだとまでは、いえないように私は思いますが、
貴殿の見解をお願いしたい。
>>446 亀哲人氏
でな、貴殿の書き込みのは、大きな矛盾があるんよ(と、なごタン風)。
国家の忠誠心と言うのは内心の問題だよ。
キリスト教徒が、信仰と国家への忠誠心(市民としての義務)履行との対立を
感じたのは、初代教皇だが、そうやって調整する・・・内心は基督へ、外面は
市民の義務履行・・・と言うのも宗教的教義(カトリック)でしかないんよ。
それを前提にすると、何を反省すべきなのか、非常に難しいというか、核心
だよ。上記を前提に、どういった反省を展開するのか、書いてみてくれ。
>>412 れ氏
だいぶ前のレスに対する反論になってしまって申し訳ないが。
>創価学会の批判だけは、一方的だよね。
みんなが創価学会を批判するのは、国政に重要な影響を及ぼしてるから。つまり、沢山ある宗教団体のうちの単なる一つの教団ではないからだ。
教義の危険度から言えば、恐らくオウムの方が遥かに上だろうが、最早あまり誰も批判しない。
それは国政に対する影響力を全くといって良いほど持っていないから。そのあたりの事を理解する必要があるだろう。
神道もまた然り。神道も教義の危険性から言えばオウムより下だろう。にも関わらずみんなが問題にするのは戦前・戦後一貫して国政に関わってきたから。
この違いを十分理解した上での議論をして頂きたい。
451 :
保守を考える:03/11/21 19:19 ID:Fy3w5nBz
>れ氏
>>448 そもそも、特高及び警察機関が、いわゆる国家神道的思想でもって
各種、団体を検挙したのかどうかが、重要な論点であると思われますが
そのような、思想背景の下に検挙等の行為があったという史実をしりません。
また、国家神道の主体となる、神社(伊勢神宮等、国家祭祀としての神社)の神官
或いは、国家神道を説く教師が、国家権力(特高等)と結託して、排斥行為を働いた
という史実も知りません。
私としては、特高等の警察権力は、「警察犯処罰令」に基づいて忠実に職務を遂行しよう
としたのであって、公的に不純な動機から、いわゆる犯罪的に事を為したとは到底思えないのです。
警察犯処罰令には、
二条 左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ三十日未満ノ拘留又ハ二十円未満ノ科料ニ処ス
十六 人ヲ誑惑セシムベキ流言浮説又ハ虚報ヲ為シタル者
十七 妄ニ吉凶禍福ヲ説キ又ハ祈祷符呪等ヲ為シ、若シクハ守礼類ヲ授与シテ
人ヲ惑ハシタル者
十八 病者ニ対シテ禁厭・祈祷・符呪等ヲ為シ、又ハ神符・神水等ヲ与ヘ医療ヲ妨ゲル者
十九 濫ニ催眠術ヲ施シタル者
全く神道理念というより、宗教的とは真反対の啓蒙的合理主義に基づいて検挙していると
読み取れるのは言うまでもありません。
452 :
保守を考える:03/11/21 19:22 ID:Fy3w5nBz
それと、戦争遂行能力の発揮に伴う、規制の国家的関与は妥当である。
という事は、存在意義スレで、何度も説明していますので、それはもう宜しいかと
思います。
>>450 Santi氏
まぁ、私も公明党は嫌い。創価学会への勧誘は『祖父の遺言』で一蹴している。
だがね、他の宗教者を説得するというのは、彼らにとっては善意。真実を知らしめるという
善意だよね。その意味では、宗教というのは、みな同じ。あの場合、キリスト教批判について
批判が出ていたから、それは、神道・和の理念の日本において、他を攻撃するのは
美しくもないし、謙虚でもないけれども、公平性という視点から言えば、特に創価学会
だけが責められることでもなく、キリスト教でも、仏教でも、どの宗教でもマァ同じだろう
という指摘。
で、貴殿の
>神道もまた然り。神道も教義の危険性から言えばオウムより下だろう。にも関わら
>ずみんなが問題にするのは戦前・戦後一貫して国政に関わってきたから。
という認識も、相当に疑問がある私です。
>>415あたり以降を読んでいただき、議論に
ご参加いただければ、別にスレ進行に逆行しても、私はかまいません。
>451-452 保守考氏
どうも感謝します。私の立場は、戦前の反省を、国としてどう行うかという視点です。
そういった意味では、戦争遂行に伴う妥当な規制に、実体として批判が出ていますが
どうお考えか、その辺になると思います。
なんせ、国への忠誠心は内心の問題ですから・・・。
また明日。
かなり話が進んでいるようですが、私は基本的にれ氏と同意見です。
ただ、特高の人間の個人的な行きすぎがあったことは認めますよ。
それが国家的に行われたという点においては疑問があります。
>>422 国家神道というより日本人の意識の問題だと思いますよ。
神社に参拝するのは、よほど宗教的に潔癖ではない限り普通のことで
別に神社を信仰しているからという分けではないでしょう。
従って、国家神道と結びつけるのはどうかと。
>>450 Santi氏
>にも関わらずみんなが問題にするのは戦前・戦後一貫して国政に関わってきたから。
現在の神社関係者が、いわゆる戦前の国家神道の復活を目標としているというのは疑問です。
国家神道下の多数の神社・神官は劣悪な状態に置かれてましたから。
これは、左翼学者の村上重義氏も認めていることですよ。
457 :
保守を考える:03/11/21 21:35 ID:OYj4SJnz
>>454 戦前の反省というモノが、このスレでは、宗教と政治の関係においてどうか?という議論だと
考えますが、宗教の持つ、規範性は、ある時は個人に対して究極的な意味を与えたり
社会統合を促したり、またある時は、個人に反省の機会を与え、社会の変革を促したりという
機能があるでしょうし、ある者にとっては、近代化の浸透による世俗化によって、宗教そのものが
衰退していくだろうという予見を与えるのかもしれません。
しかしながら、現在に於いても、厳然と宗教は存在し尚その機能を発揮し続けています。
宗教を一方的に賞賛したり、或いは、一方的に侮蔑したりする感情論ではなく
宗教と政治のあり方を偏見に惑わされずに冷静に分析していくのが、反省と言えば反省かもしれません。
残念ながら、殊、神道の話になると、どうも、史実を離れた偏向、若しくは願望論で
戦前の神道を短絡的に否定したがる傾向がありますが、今一度、歴史的検証を踏まえた
神道論、ひいては、国家神道論を展開したいものです。
458 :
保守を考える:03/11/21 21:37 ID:OYj4SJnz
>>456 左翼学者の村上重義と、法学界の大御所、宮沢俊義は、この件では最大の牙城ですね。
459 :
みんな仲良くな:03/11/21 22:10 ID:CW3ZmjdS
あの時はどの宗教も立派だった。
創価学会災害対策本部
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/serial/chugai/html/0701/0126/07-01-26_12-17.html 「関西災害対策本部」では十九日までに中部、中国、四国など
近隣地域の学会組織から寄せられたものを含め、
飲料水(ペットボトル)二十二万本、おにぎり六十五万個、
パン五十万個、缶詰め三十一万個、携帯用カイロ三十五万個、
毛布、七万五千枚、卓上用コンロ三万五千個、紙おむつ四万人分など多数の救援物資を、
ヘリコプターのべ四機、トラックのべ千二百二十台、チャーター船のべ三十隻、
バイクのべ九百台、自転車のべ千三百五十台を使用して被災地に届けた。
こうした創価学会の救援活動は、国内の新聞・ラジオはもとより、
イギリス・フランスなど海外の新聞でも報じられている。
イギリスの夕刊紙『イブニング・スタンダード』は、創価学会の会館が被災した人々の避難所として使用されていることを十八日付で報道。
フランスの朝刊紙は十九日付で、「創価学会の方々が、見事な救援活動を組織していました」という被災者の声を伝えた。
献身的な救援活動を続けるメンバーの姿は、復旧へ向けて立ち上がった被災者の心に、確かな“勇気”と“希望”の炎を灯し始めたようだ。
=====================================
460 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 22:12 ID:GPuqL0c8
>>449 れ氏
なごみ風味は、君には似合わない…
内心の問題と一様に捉えるのは間違い。内心といっても幅がある。
私が思想信仰を強要する事に対して反省すべきと云っている意味は、
国家への忠誠心とは本質では被らない。そういった本質的に被らせずとも
可能な事柄をダブらせて一元化していることが戦時下の思想信仰弾圧の
問題であり、だからこそ日本国憲法では此を強く禁止している。
君の発言に沿った書き方をするのなら、核心とは内心の思想信仰と
国家への忠誠心を一元化していること。此を反省する必要があるという事だ。
>>453 れ氏
>キリスト教でも、仏教でも、どの宗教でもマァ同じだろう
少なくとも、現代においてキリスト教が他の宗教を喪家のように激しく攻撃しているという事実は無い。
むしろ、教皇庁は他の宗教との和解をどんどん進めている。一部の信徒からは「ちょっと和解しすぎではないの?」という声も出るぐらい。
それにキリスト教は何の宗教を信じているかを分け隔てせずに人々を助ける活動をしている。マザー・テレサなどが有名だろう。
神道のように、社会貢献を何もしない皇室の御用宗教と混同するのは事実認識も甚だしいのではないだろうか。
462 :
保守を考える:03/11/21 22:23 ID:OYj4SJnz
>>461 神道は社会貢献を何もしない皇室の御用宗教?
頭がど〜かしたんでないかい?
>>455 > 神社に参拝するのは、よほど宗教的に潔癖ではない限り普通のことで
それが本当ならわざわざ法律で強制までする必要はなかったことになるが?
矛盾してるんじゃないか?
>>455 > ただ、特高の人間の個人的な行きすぎがあったことは認めますよ。
これは企業ぐるみの犯罪が明るみに出たときに経営陣が
言う言葉とそっくりだね。
465 :
保守を考える:03/11/21 22:26 ID:OYj4SJnz
>>463 神社参拝を強制した「法律」をどうぞ、提示して下さい。
保守考は神道カルトだからまともに相手にしないほうが良いよ。
467 :
保守を考える:03/11/21 22:32 ID:OYj4SJnz
>>466 キミさあ〜、
>>457を読んで言ってるわけ?
第一、神道カルトって何だ?
で、私がそれだと、どう証明してくれるわけ?
なるほど・・・・イディオットか・・・ふー・・・。
>>457は君の個人的な主張に過ぎないよね。
>頭がど〜かしたんでないかい?
>なるほど・・・・イディオットか・・・ふー・・・。
こういう風に相手を感情的に侮辱するのがカルトの証さ。
違うというなら論理的に反論してみ。
神道が立てた病院とか老人ホームとか聞いた事ねえぜ。
469 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 22:42 ID:GPuqL0c8
>>463>>465 厳密に云えば法律で神道を強要してるという事ではないが、実態としてそうしていたとは
云えるんじゃないかな。1939年に宗教団体法を制定し、宗教団体は認可を受けなければ
ならない(三条・六条)認可の取り消しはその宗教団体の解散となる(五条)などにより
宗教団体を政府の監視下に置くことにし、いっそう宗教団体に対する弾圧を強めた。
1940年には政府は神武天皇即位皇紀二六〇〇年の奉祝運動を展開し、
「金鵄輝く日本の栄えある光身に受けて、・・・・・紀元は二六〇〇年」の奉祝歌を歌わせ、
紀元節を中心に大祝賀行事を開催するとともに、「天皇を神とする」国家神道の思想統一を
いっそう強め、各宗教団体にも「皇紀二千六百年奉祝行事」に取り組むことを強要した。
此は法律とその運用の合わせ技を用いて強要した事になると思う。
470 :
保守を考える:03/11/21 22:44 ID:OYj4SJnz
>>468 一体ナナシに変身して、何を感情的に煽っているのかね?
感情的に侮辱する=神道カルト
は、論理以前に、常識的に成立たない。
以上、反論、終わり。
>神道が立てた病院とか老人ホームとか聞いた事ねえぜ。
????
そもそも、宗教は概念であって、人じゃないからね。
基督教もそれはおんなじ。
で、何が言いたいの?
471 :
右や左の名無し様:03/11/21 22:49 ID:QzKusSxI
誰か浄土真宗の政党立てれ。
それがきっかけで多くの国民が信仰に目覚めるかもしれんし、
本当の「保守」が成立するはず。
473 :
保守を考える:03/11/21 22:54 ID:OYj4SJnz
>>469 だから、天皇は神じゃないって・・・・。
これは存在意義スレで散々言っているから割愛。
>各宗教団体にも「皇紀二千六百年奉祝行事」に取り組むことを強要した。
ことのソースと、
先に示した通り、国家の祭祀する神社は宗教では無い。と当の基督教が認め
それを全国に通達しているのだから、神道という宗教を強要したは、歴史事実を
飛躍解釈した結果に過ぎない。
宗教団体法は、神社参拝など規定していないし、法的根拠は、無い。
これは、法学的にも明らかである。これを併せ技などと解釈すると
それは、法学を超越している。とても、同意できない。
>>471 浄土真宗は基本的に反権力だよ。
それが「保守」になっては、親鸞さんや、蓮如さんに申し訳が立たない。
もっとも、権力に逆らってきたはずの日蓮さんの教え子が、
権力べったりになっている例もあるが・・・
>>465 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kunimune/sub6.htm ↑これは読んだ?
治安維持法の改正で
第七条 国体を否定しまたは神宮もしくは皇室の尊厳を冒涜すべき事項を
流布することを目的として結社を組織したる者または結社の役員その他
指導者たる任務に従事したる者は無期または四年以上の懲役に処し情
を知りて結社に加入したる者または結社の目的遂行の為にする行為を
為したる者は一年以上の有期懲役に処す。
第八条 前条の目的を以て集団を結成したる者または集団を指導したる者
は無期または三年以上の懲役に処し前条の目的を以て集団に参加した
る者または集団に関し前条の目的遂行の為にする行為を為したる者は
一年以上の有期懲役に処す。
となったので、これが神道の教義と相容れない教義を持つ宗教団体
や神社を遥拝しない個人や団体を取り締まる根拠になったんだけど。
実際にこの条項に対する違反で起訴された牧師もいるんだけど。
476 :
保守を考える:03/11/21 22:56 ID:OYj4SJnz
>>472 なんだかなぁ〜。
白痴クンはそんなに相手して欲しいのか?
寂しいんだったら、そう言え。
でも、キミは無礼だから、アッカンベー
>>476 >でも、キミは無礼だから、アッカンベー
どっちが無礼なんだか。
そう言いながら、反応してくれるからね、君は。他の人はスルーするよ。
でも、確かにちょっと失礼だったかもしれないから真面目に質問するよ。
神道系の病院とか社会福祉団体ってある?私は聞いた事無いんだけど、もしあったら教えて欲しいな。
478 :
保守を考える:03/11/21 23:03 ID:OYj4SJnz
>>475 改正治安維持法は65条、附則8項とあるが、どの文面も
>神道の教義と相容れない教義を持つ宗教団体
>や神社を遥拝しない個人や団体を取り締まる根拠
とはならない。
七条 国体を否定しまたは神宮もしくは皇室の尊厳を冒涜すべき事項を
流布することを目的として
とあるように、それを破壊する行為及び流布に対する規制法である。
そもそも、神道の教義って何だろう?
ところで、教派神道って知ってるかな?
479 :
保守を考える:03/11/21 23:04 ID:OYj4SJnz
>>451 >特高及び警察機関が、いわゆる国家神道的思想でもって
>各種、団体を検挙したのかどうか
このへんから検討するのが賢明。
宗教弾圧の主体は誰なのか?国家なのか国家の一機関なのかそれとも
国家をのっとったなにものかなのか。
宗教弾圧の客体は誰なのか?その嫌疑あるいは罪名は?起訴されたもののうち
有罪になったのは何パーセントくらい?
弾圧事件当時の共産党や特高はどんな位置付け?
その宗教弾圧に「GHQが国家神道と呼ぶもの」はいかなる関係があるのか?
481 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 23:10 ID:GPuqL0c8
>>473 >これは存在意義スレで散々言っているから割愛。
君が認めていないだけだから、此は私も割愛するか。此処で展開しても
恐らくは君は認めまい。
>それは、法学を超越している。とても、同意できない。
机上の空論で論じても意味がない。実態として有った事実で議論しなくては。
>>469を良く読んで欲しい。法的に神社参拝を規定して等とは書いていないから。
やっぱり保守考は神道カルト。なぜなら不親切だから。
483 :
右や左の名無し様:03/11/21 23:14 ID:iTCbBgiE
484 :
波木井坊竜尊@元自主憲職員 ◆IByKs72gR2 :03/11/21 23:19 ID:db8fOlH5
さとりんいい加減にしろよ。
485 :
保守を考える:03/11/21 23:21 ID:OYj4SJnz
>>480 では、論証してみて下さい。
>>481 まず、神について定義しないと。君はまだそれすら答えていない。(以降は存在意義スレで)
>法的に神社参拝を規定して等とは書いていないから。
ならば、
>>465に何も答えていない。これは是か否かの問題。
で、実態論として、
>各宗教団体にも「皇紀二千六百年奉祝行事」に取り組むことを強要した。
ことのソースと、
のソースを提示して貰いたいのだが・・・。
486 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 23:23 ID:GPuqL0c8
>>482 と云うよりは、あらゆる知識と論証を動員して是が非でも戦前に起きたことを認めたくない
という姿勢に見える。治安維持法や宗教団体法を運用して弾圧を加えた事実は動かせないんだが。
まあ、印象でコテを批判しても無意味だが。
487 :
保守を考える:03/11/21 23:23 ID:OYj4SJnz
>>482 もうこれで最後ナ。
不親切=神道カルト、は
論理以前に常識的に成立たない。
常識的に成立たない命題を、さも常識的に通用すると思い込んでいるキミは、
常識的に『カルト』であーる。
488 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 23:26 ID:GPuqL0c8
>>487 君は付き合いが良いな。もうスルーすると思ったけど。今度はもう少しハイレベルな議論をするつもりだから宜しく。
>>478 だからちゃんとリンク先読んでよ・・・。
単にキリスト教の牧師で何も悪いことしてない人が
キリスト教の教義がその条項にあてはまるとして起訴
されてんだってば、実際に。
>>486 オレもそう思った。全体的に言い逃れっぽい。
言うだけなら何とでも言えるわな。現実に起きたことから
目をそらしてごまかすな、って思ってしまうね。
492 :
保守を考える:03/11/21 23:36 ID:OYj4SJnz
>>488 それはソースとは言わない。
政府が皇紀二千六百年奉祝行事に取り組むことを強要したという
公文書を出してこソースというもんだろ。
なんで、自分が転載したベースを出してくるのかなあ?
被害者側の証言だじゃ、真実は見えないよ。
で、私が提示した警察犯処罰令に
日本燈台社は、アメリカに総本部を持つワッチタワー・バイブル・アンド・トラクト・ソサイエティの
日本支部として、明石順三が昭和二年(一九二七年)に結成したキリスト教再臨派の一教派です。
ワッチタワーの教義がめざしたものは、聖書の真理に対する直接的な信仰で、
「世界各国の政治機構も、既成のキリスト教団を含む社会制度も、悪魔が人類を宇宙の創造主である
エホバから離反させるためにつくられ利用されている悪魔の組織制度である」と主張し、
そしてこの悪魔の組織制度は「予定のときがきたときに週末を告げる。
そのときエホバの代理執行者であるイエス・キリストが再臨してハルマゲドンと呼ぶ
たたかいによって地上の悪魔の組織制度を一掃し、エホバの証者だけが生き残り、
神の国がつくられる」というのでした。
は、当時の価値観でモロに抵触しないかい?
戦前の公文書なんてネット上にあるわけないじゃん。
無理難題を言って「ほれみろないだろ」と勝ち誇りたいのが
みえみえ。ガキっぽいなぁ。
494 :
保守を考える:03/11/21 23:40 ID:OYj4SJnz
>チキンのナナシクンども
今日は閉店だから、又今度、遊んであげるよ。
495 :
右や左の名無し様:03/11/21 23:41 ID:OYj4SJnz
おひおひ、
ソース=ネットに落ちてるモノ
コーラ−が鼻から出てきたじゃないか!!!
笑わせすぎだそ!
保守考はいつも自分の知識を見せびらかして相手を翻弄するんだよ。全くペテン師だよな。
そして、相手を見下す事を生きがいにしている。
>>493 ネット上にあるものだけで済まそうとする方が物ぐさだと思う。
孫引きでもいいから、「戦前の公文書」とやらを探してきたら?
498 :
保守を考える:03/11/21 23:45 ID:TIrnOIN3
>亀哲人氏
あのさぁ〜。
私が書いた、
>>447を読んでいるのかね?
499 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 23:45 ID:GPuqL0c8
>>492 日本灯台社を出してきたかw
さすがに結構良い角度から突いてくる。君が提示した事例はかなり特殊。
此は取り締まられる側にも問題が大あり、突っ込まれやすい教義ではある。
だが其ればかりではあるまい。
500 :
保守を考える:03/11/21 23:48 ID:TIrnOIN3
スレタイと関係の無いカキコは極力控えましょう。
特に、負け犬の遠吠えはみっともないので、止めときましょう。
501 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/21 23:51 ID:GPuqL0c8
>>498 保守考氏
あのさぁ〜、読んでるんだよね。
君がそうしたいなら構わないけど、政教分離と明治憲法、
更には戦前の神道とカソリックをテーマに論旨展開するとなると専用スレで
一元テーマでやらないと無理だと思うよ。ただでさえ多くのテーマを包括する
内容なんだから。
502 :
保守を考える:03/11/21 23:51 ID:TIrnOIN3
>>499 今、議論している最大の問題点(私が来た理由)は、国家神道とういモノが
何者であって、それが、どう国政なり、民政に影響を与えたのか?
また、その妥当性は?
そもそも、その(神道の)教義とはなんぞや?
で、今現在、どのような問題提起があるのか?
ではないのかね?
503 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 00:06 ID:0DXnODRE
>>502 保守考氏
国家神道の研究では、宗教学者の村上重良氏が書き著した『岩波三部作』が有名で
影響力も大きい。村上氏の理解では、「宮中祭祀と神社神道の結合によって構成された
儀礼と制度の体系が「国家神道」であった。これを非宗教的な祭祀として、
諸宗教の上に立つものと位置づけたのが明治十五年の神官教導職分離による
「祭祀と宗教の分離」であって、ここに「国家神道」が成立した。近代日本国家は
終始一貫して「国家神道」にテコ入れし、国民の国家への忠誠と献身とを引き出す
道具として利用した」とするもの。此は「国家神道」を「神社神道」「皇室神道」
「国体の教義」の三者から形成されており、国家神道の下に教派神道や仏教、
キリスト教など他の宗教が従属し、その内実を満たす役割を果たしたとみて、
その総体を「国家神道体制」と名づけた。
やれやれ、産経つくる会の著作のコピペの張り合いは
今日もまた続いてゆく。
505 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 00:15 ID:0DXnODRE
>>502 保守考氏 続き。
但し村上氏の捉え方は戦後マルクス主義の影響や、神道に悪事を収斂させ過ぎている
きらいもあり、其処が批判の対象にもなっている。やや左側に偏っている。
一方阪本是丸氏の研究によれば、最初に神道イデオロギーで理論武装した権力者群がいて、
明確な計画や展望を持ち、それによって「国家神道」やその制度体系が作りだされたのでは
なく、さまざまな個人や勢力の思惑の相互作用によって、紆余曲折の末にそれらが一応の
形を整えたに過ぎないということである。全体的な構想が見えていたはずの井上毅らによる
「日本型政教分離」の構図も、議会による神道の待遇改善要求の声に押され、変更されている。
現在宗教学で一般的に云われている定義は「狭義性」と「広義性」の両面からの解釈の
必要性であり、おしなべて確立した教義を持つ「国家神道」なるものは無いと見られている。
>>447のソースを読むと、やはり国家神道の危険性を再認識せざるを得んな。
益々、政教分離の徹底は必要だという認識が深まった次第である。
507 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 00:23 ID:0DXnODRE
保守考氏
書いてみて矢張り無理だと思った。
国家神道の定義ですら
>>503>>505では足りない。
専用スレなりで集中して議論すべきテーマだな。
此処は戦前に他の宗教関係者がいかに弾圧されたかの論証のみに
特化した方が良い。
508 :
保守を考える:03/11/22 00:59 ID:PL37TxYI
>>503 上で、謎氏が、村上重義を出し、私は、それを拡大講釈したのが宮沢俊義と
して、二人を、この件の最大の牙城と評しておいた。
それにしても、意味が判らない言説が多い。以下に指摘しておく。
>「宮中祭祀と神社神道の結合によって構成された
>儀礼と制度の体系が「国家神道」であった
宮中祭祀と神社神道の結合によって生まれた、儀礼と制度の体系とは?
>諸宗教の上に立つものと位置づけたのが明治十五年の神官教導職分離による
>「祭祀と宗教の分離」であって、ここに「国家神道」が成立した。
神官・教導職分離令は、前年の神道内部に於ける、伊勢派と出雲派による
大国主神祭祀論争に端を発するものであって、国家神道設立が目的ではない。(それはさておいて)
つまり、神社神道と宮中祭祀を結合する目的ではないから、意味が解らない。
509 :
保守を考える:03/11/22 01:00 ID:PL37TxYI
>国民の国家への忠誠と献身とを引き出す道具として利用した」
神社神道と宮中祭祀の結合によって生まれた儀礼と制度及びその教義が不明であるから
到底理解は出来ない。
>此は「国家神道」を「神社神道」「皇室神道」
>「国体の教義」の三者から形成されており
国体の教義? 国体の本義の間違いか?
いずれにしても、国体の本義は昭和12年5月が初版であるし、
しかも販売しているし、その内容はとても国家神道の教義とはいえない。
また、時系列的にも矛盾が生じている。
>国家神道の下に教派神道や仏教、
>キリスト教など他の宗教が従属し、
全く法的根拠もなく、史実がない。
特に、浄土真宗(公爵大谷家)が納得するはずがない。
浄土真宗の教義には、「神を拝まず」があるし、大教院分離運動でも実際に反抗し
それが認められ、大教院も解体する。(明治5年〜8年)
510 :
保守を考える:03/11/22 01:02 ID:PL37TxYI
>>507 一応、書いたので、載せておく。
では、おやすみ。
511 :
保守を考える:03/11/22 01:05 ID:tTZ62yB1
512 :
保守を考える:03/11/22 01:10 ID:tTZ62yB1
>>509 訂正
公爵大谷家・・・・・×
伯爵大谷家・・・・・○
513 :
波木井坊竜尊@元自主憲職員 ◆IByKs72gR2 :03/11/22 01:19 ID:l7CB+vfG
保守を考えるさんは参考になりますね。
ところでそれ以前の水戸学をどう考えられどう評価されますか。
ちょっとお聞かせください。
保守考は知識のあることは事実だが、彼が吐く意見はかなり偏向している場合が多い。
515 :
保守を考える:03/11/22 09:53 ID:yRJKJq/H
>>513 >ところでそれ以前の水戸学をどう考えられどう評価されますか。
それ以前の「それ」が何を示しているのか判然としませんが、
水戸学についての話なら、このスレではなく、存在意義スレにどうぞ。
いっぱいレスがついているけど・・・
>亀哲人氏
>>460 別に一元化はしていないだろう。思い込みによるレスは、いちいち面倒だから、
事前に一元化しているのか?と確認する癖をつけるがよろしいとアドバイスしておく。
で、一元化しないにしてもだ、内心の自由というのは、内心でどのように思おうと自由で
あるとともに、どのような内心であるかを公表させられない自由でもある。
このことと、国家としての、国への忠誠心との兼ね合いをどう調整すべきかが、論理的に
曖昧のまま、戦前の反省はできないと、私は思う。
>>469 「強要したことになる」と「強要した」は、全然別のこと。言葉は、厳格に使おうよ。
こういったデリケートな事象の場合。
で、天皇が神という認識を持っていた人が存在するということと、国が天皇を神とした
、あるいは天皇自らが神として振舞った事象の証左なく、『、「天皇を神とする」国家
神道の思想統一』というような言葉を使うのは、正確な戦前の把握と、事実に基づい
た戦前への反省を阻害する害悪がある。
517 :
保守を考える:03/11/22 09:57 ID:yRJKJq/H
>>514 私の知識なぞ、CD一枚に対しても勝てやしない。
また、今使用しているこのオンボロPCのHDなぞは、私の知識の
何倍あろうか?0が幾つあっても足りん気が・・・・。
それにしても、キミは何か私に恨みがあるわけ。
えらく『偏向』しているけど。ついでに『偏狭』だし・・・・。
>>461 Santi氏
だから、そういう考えをもつのはかまわないけれども、ここは国と宗教のかかわりを議論する
ところだから、異教徒を批判したりすることも、そのことで、批判されえはならない、と
考えるべきだろう?
マザーテレサがすばらしいと思う人もいれば、池田大作がすばらしいと思う人もいる。
それは宗教なんだから、国とのかかわりとしては、同じレベルだろうとは思う。
神道が社会貢献しないというのは、単に貴殿の知識がないから、そう思えるだけだろうし
社会貢献を無私で行っているのであれば、社会貢献を評価されなくとも、喧伝されなく
とも文句はいわないことだ。文句を言うということは無私ではなく、何がしかの目的が
あろうと、うがった見方をされることを覚悟するべきだろうな。
それは、マザーテレサの望むところではないように、私には思えるが、いかに。
519 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 10:14 ID:0DXnODRE
>>516 れ氏
>思い込みによるレスは、いちいち面倒だから、
では、云い方を変えよう。同一化している、若しくは混同している。
>国家としての、国への忠誠心との兼ね合いをどう調整すべきかが
「愛国心教育」の是非を云う政治家が居るが、私は必要だと思っている。但し、政治家が
神道系支持宗教団体へのリップサービスとして発言しているような意味合いではなく、
自覚的に「日本人であること」「日本の特質」を意識付けする教育の必要性を感じる。
人間は他者との関係性で自己の立ち位置を確認するモノだが、日本人総体としての
立ち位置を確認する必要性からも、大切な教育となろう。
>全然別のこと。言葉は、厳格に使おうよ。
意識的に使い分けて居るんだが、君には理解できていないのかな?
520 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 10:16 ID:0DXnODRE
>>516 れ氏 追記。
幸い私は言霊信仰に毒されていない。言語は表現の為に用いる記号だと思っている。
文学・芸術は別。
521 :
保守を考える:03/11/22 10:26 ID:yRJKJq/H
>>519 >人間は他者との関係性で自己の立ち位置を確認するモノ
いいねぇ〜。
和辻哲郎の人間の学:間柄的存在論
を彷彿とさせる。
ただ、問題は、その日本人たるモノを『自覚的』に認識させる方法論ですな。
この件については、存在意義スレであやしい氏と議論した事があるが
具体的な日本人の定義からして難しいんだな。
存在意義スレでは、旧国籍法まで遡って、一応そこで中断してしまったのだけど
過去の私の結論としては、無自覚に共有出来る範囲が日本人の範囲と同義である。
なのだが・・・・スレ違いのネタだからここまで。
522 :
保守を考える:03/11/22 10:36 ID:yRJKJq/H
しかし、戦中は自覚的に日本人である事を植付けようとして
戦後民主主義教育に於いて、散々批判されているし、
それを踏まえての亀哲人のカキコなら、戦中の教育は別に間違っていなかった。
というのであろうか?
523 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 10:48 ID:0DXnODRE
>>522 保守考氏
>それを踏まえての亀哲人のカキコなら、戦中の教育は別に間違っていなかった。
民族的優越性を強調し、天皇の臣民としての認知付けを主眼に置いているという
意味合いでは適正な愛国新教育とは云えないと思う。民族的優越を植え付ける教育をして
「大東亜共栄」等と云ってみても、其れは他国の賛同は得られまい。
ただ、個人的な意見としては「大東亜共栄」という理念は間違っていないと思う。
問題はすり替えと植民地支配の道具にしてしまった事。日本が本気で「大東亜共栄」を
目指していたのなら、別な方法論が有ったはず。
524 :
保守を考える:03/11/22 10:57 ID:yRJKJq/H
スレ違いだから簡単に
民族的優越性をどの時点で強調し、教育したのか?
例えば、国定教科書に於いてそのような文言は見当たらないから
誰かの演説なり著書だと思われるが、具体例を挙げて欲しい。
また
日本が植民地支配の道具として大東亜共栄圏を構想したというが
全く歴史事実に反する。この言葉が始めてでたのは、1940年に於ける
松岡洋右外相の談話だが、当時の国策は東亜新秩序構想であって、植民地獲得
の為の構想ではない。そもそも植民地支配とはなんぞや?
525 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 11:44 ID:0DXnODRE
>>524 保守考氏
戦前の文部省が、1941年に発行した小学校二年生用の修身の教科書「ヨイコドモ」(下)
「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国」「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤク エライ国」
「ワガ日本ハ世界中デ、一番リッパナ国デス」「日本ノ国ハ、世界中デ一番タフトイ国デアル」
こういった修身教育で、子供達に民族的優越性を植え付けたという事です。
>そもそも植民地支配とはなんぞや?
第1次近衛文麿内閣は、「日満華(日本・満州・中華民国)による『東亜新秩序』建設」声明を出し、
第2次近衛内閣発足に伴い、昭和15年7月に決定された「基本国策要綱」(日本の国家プラン)で、
日満華に加え、東南アジアをも含む「大東亜共栄圏」構想が提唱された。
また、戦時中の昭和18(1943)年11月、東京で開催された「大東亜会議」に置いて為された
「大東亜宣言」が大東亜共栄圏の構想を担っている。
植民地支配という観点は「大東亜共栄圏構想」により幾分分かりにくいきらいがあるが、
日本の自作自演と云われている「廬溝橋事件」に端を発した「支那事変」等による傀儡国家である
満州国や、朝鮮併合、東南アジア各国の植民地支配を指す。
基本的なことを云うと、15年戦争以前に特段の宗教弾圧が見られないとするなら、
1、国家神道といわれるものの形成は、それより以前であれば、具体的事象として
何が問題だったといえるのか、ソースを上げて展開して欲しい。
2、いや、15年戦争当時のことが問題だというなら、それは、様々な法令において
問題なのだから、それと国家神道が、どのように関係あるのかを、明確にする
書き込みをすべきである。
で、国家神道とは、儀礼様式の規定だとするなら、その儀礼様式の規定が、15年
戦争当時の国策にどのように影響し、どのような問題点を生じたのか、はっきり
させるべき。
わたしは、明徴宣言から始まる軍部の暴走・・・戦争突入による、国家総動員的戦争が
宗教弾圧を生んだもので、それは方法論的にどうあるべきだったかを保留すれば、
国家への忠誠心の確認という面では妥当ではなかったのか、と思うものである。
527 :
保守を考える:03/11/22 12:27 ID:/M7L/8ao
>>525 どうして、このような飛躍解釈を平然とやってのけるのか、いつも不思議に思う。
例えば、民族的優越性を植え付けたというその教科書の内容に於いて、まず対象となる
外国名が出てこないところから、一体何の優越性なのか判断しようがない。
まして自国について述べているだけであって、民族云々と飛躍する事は出来ない。
さらに、かの教科書は初等科2学年用であって、それは台湾でも朝鮮でも使われている。
また、1941年が始めてなら、もう戦争中であり、その教科書で育った子供はその後
民族的優越性を持ったのであろうか?ただ単に日本が好きになったのなら解るが・・・
それと後段の植民地支配の説明は、その説明になっていない。
また、大東亜共栄圏構想を出して説明しようと試みて、
満州国・朝鮮併合を俎上にあげているが、全く時間感覚を喪失していると言わざるを得ない。
あと、瑣末なツッコミだが
>日本の自作自演と云われている「廬溝橋事件」に端を発した「支那事変」等による傀儡国家である
>満州国や、
自作自演と言っているのは中共側の言い分。
廬溝橋事件以前から、満州国はある。
>亀哲人氏
きみは、どうあるべきかについて抽象的で、過去の批判は、具体的だ。
たとえば、
>自覚的に「日本人であること」「日本の特質」を意識付けする教育の必要性を感じる。
といいながら
>こういった修身教育で、子供達に民族的優越性を植え付けたという事です。
と批判する。日本民族の優位性・優越性は、他国を侵略する動機となるほどの不当性
を持たない限り、また他国民には同等の別の視点での優位性、優越性があることを認
めさせながら、であれば、植え付けていいと思うし、貴殿もそれは望んでいるということ
だろ?だったら、修身教育において他国を誹謗し、あるいは他国の良い面を全く出して
いなければ問題だろうが、そうでなければ、多少の行き過ぎ(包括的に最も良い国と
していること)を除けば、強く批判されることでもなかろうと思うよ。(小2だし)
というより、具体的に
>自覚的に「日本人であること」「日本の特質」を意識付けする教育の必要性を感じる。
の手法・視点を明徴にしない限り、表面上の言説のようにしか、判断できない。
ありゃ、保守考氏とかぶった。
まぁ当然の批判ということだな、期せずして内容は一致しているから・・・。
『もう一回 確認』
15年戦争以前の大日本帝国において、国と宗教のかかわりについて、不当な事象は
あったかどうか・・・。
なければ、国家神道たるものは、それよりずーと前からあった儀式様式としての神道的
形式に過ぎないのであるから、当時として特段の問題はなかった、ということで、いいのか?
531 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 12:53 ID:0DXnODRE
>>527 保守考氏
認めたくないギミックとして、「このような飛躍解釈を平然とやってのけるのか、
いつも不思議に思う」という無思慮な発言をするのか、いつも不思議に思う。
>外国名が出てこないところから、一体何の優越性なのか判断しようがない。
「自分の国が世界で一番、其れは世界で一つの神の国だから」と教え込めば、
通常の認識力が備わっていれば、優越的感情を子供に植え付けると理解するはず。
その様に理解できない別な理由でもあるのだろうか?更に云えば、そういった
教育によって他のアジア民族への差別感情が萌芽したと見ても間違いではあるまい。
過日私は戦中派である父から戦前の教育について質問したことがあるが、子供達の間では
「チャンコロ」「チョン」という差別的な言動をごく当たり前にしていたという。
>ただ単に日本が好きになったのなら解るが・・・とは余りにも楽観的な解釈であろう。
幸か不幸か日本は1945年の終戦を経て(事例の小学2年生なら5年生)戦後教育に
移行している。この際の教育の混乱は良く伝え聞く処だが、そのまま戦中の修身教育が
続けられていたらどの様になったかという想像力を持ち合わせるべきだろう。
532 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 12:58 ID:0DXnODRE
>>528 れ氏
>きみは、どうあるべきかについて抽象的で、過去の批判は、具体的だ。
そりゃそうだ。過去は分かり易い事例に満ちている。
どうあるべきかについては膨大な検証が必要で、このBBSスレ一つで表現するのは不可能。
更に云えば、私は戦前の愛国教育をベースに考えている訳ではない。だから、
戦前の修身や教育勅語などと対置して発想する必然性があるとは考えていない。
検証する材料としての価値ならば、過去の事例は(現在の教育も含めて)資料にはなるだろう。
533 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 13:05 ID:0DXnODRE
保守考氏とれ氏に提案。
此処は「宗教と政治の関わりについて」考えるスレ。また、名無しも含めて
多様な意見の場でもあると、私は理解している。上で保守考氏はそのところに配慮して
発言しているフシもある。個人的には「教育」「宗教」というテーマで戦中を検証する
という議論は吝かではないが、矢張り他の住民への配慮も必要だろうと思う。
よって、此のスレで余り突っ込んだ長文での議論はそぐわないのではないかというのが
私の意見であるのだが、如何だろうか?
>>533 亀哲人氏
>よって、此のスレで余り突っ込んだ長文での議論はそぐわないのではないかというのが
>私の意見であるのだが、如何だろうか?
いや長文だろうが短文だろうが、突っ込んだ話をしないなら、単独で宗教と政治のスレの
存在意義がない。長文となるのは、概念や抽象的事象を、思い込みによって無根拠に
使用しているからそうなる。
例えば国家神道の影響で、とか国家神道教義を国民に強制し、などと書きながら、
では国家神道とはなんぞやと聞かれると、答えに詰まるようでは、真摯な議論に
なりえないだろう。
それなら、国家神道とはなんぞや、という議題で、まず議論し、双方の認識を概ね
一致させればいいわけで、そういった作業をせず、国家神道なる言葉を使うから
議論が錯綜し、そういったことを説明しながらの主張になるから、長文となってしまう。
本来議論というものは、共通に定義された用語というものが必要なんだが、それが
できていない。できていないのに、意味が曖昧なまま慣用句のように
「天皇を神とし」とか、「国家神道教義」とか、「国家神道による宗教弾圧」などと
使わなければ・・・使うときはきちんと過去のことは分かりやすい事例があるのであろう
からそれを明示しながら・・・問題は少ない。
長文スレで、p-20に迫る存在意義スレもある。
私としては、今まで慣用句的に使われてきた国家神道批判の実態が明らかになり
真に反省すべきはどこなのかが明確になるなら、短文だろうが長文だろうが、別に
かまわないけれども、スカスカの言い合いなら、参加をご遠慮し、書きたい事を書かせて
いただく。真剣な議論でなければ、かつきちんとした史実に基づく論理的なものでなければ
スレ存在意義もないし、読者を意識するなら、それを意識すべきだろうとは、私は思う。
・・・と長文で書いてみた。
>>532 亀哲人氏
>どうあるべきかについては膨大な検証が必要で、このBBSスレ一つで表現するのは不可能。
そりゃ言い訳だな。概略と核になる論理ぐらい示せるだろう。
>>531 亀哲人氏
その結論はすでに他スレでかいているが、
「戦前の教育を受けた人たちによって、戦後の復興は成された。」
だから、その教育に対する批判は、日本を愛する教育と、現代の愛せない教育の
どちらがいいか、議論の分かれるところであり、一方的に戦前教育が良くないとする
意見は、妥当とはいえない。
537 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 13:36 ID:0DXnODRE
>>534 れ氏
どうも理解が得られないようだが…
>>533で示した通りなので此のレスを最後に、此のテーマ(教育問題)は撤退する。
国家神道については
>>503>>504の保守考氏宛のレス参照のこと。 定義は難しいんだよ。
一言・一行では言い切れない。別に答えに詰まってる訳じゃない。強いていえば、
定まった説は今のところ無いと云えるが、実態としては影響力を持っていたという事。
>長文スレで、p-20に迫る存在意義スレもある。
もう少し物わかりを良くして貰いたいのだが、私は他の住人に配慮して提案している。
存在意義スレはそういった意味でスレの存在意義があると認めるが、全て同じである
必要はない。敷居を低くして間口の多い多様なレスにも意義はある、その様なスレも
必要。多分上の方で苦言を呈している名無しの住人にしてみれば、存在意義の展開を
此処にまで持ち込んでいるという違和感があるのでないかと想像するのだが。
538 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 13:41 ID:0DXnODRE
>>536 れ氏
一方的に戦前の教育が「悪」で戦後は「善」である何て日教組の様なことは、
私は云っていないよ。だから君の云う「妥当とは云えない」には私も賛同する。
私は大筋で云えば両方駄目だと思っているから。
539 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 13:44 ID:0DXnODRE
敢えて云えば、私が理想とするのは戦前回帰でもない戦後の無軌道な教育でもない、
第三の道を模索すべきといったところ。創造的な発想故モデルケースが無く、簡単に云うのは
難しい。だから、君が抽象的と批判的に感じるのかも知れない。
540 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 13:48 ID:0DXnODRE
連続レスで申し訳ないが一言。
私は自信のスタンスとして(間々ある脱線は良しとしても)、基本的にはスレタイを
尊重したいと考えている。だから余り突出した別テーマの展開が続くのを良しとしていない。
541 :
保守を考える:03/11/22 13:49 ID:/M7L/8ao
>>531 想像力は個人的願望による妄想に繋がるから気を付けた方がよい。
朝鮮人を差別したとあるが、確かにそのような事象は多々あったであろう。
その根本を、かの教科書ひいては、戦中の国家教育政策に当てはめるのは、大間違い。
と、言ってるのね。
先に書いた通り、かの教科書は、『朝鮮』でも、『台湾』でも使用されている。
一体、どうして、同じ国民教科書の基、修学した小2の坊や達が、一方的に
朝鮮人を差別する教育に繋がったと判断できるんだ?
個人的願望による妄想と言われないように気をつけて、論を進めて貰いたい。
542 :
保守を考える:03/11/22 13:51 ID:/M7L/8ao
>亀哲人氏
スレタイを意識し尊重しているのであれば
まずは
>>508-509 に答えるべきではないのかね?
543 :
保守を考える:03/11/22 13:56 ID:/M7L/8ao
それと、敷居が高い低いの基準がよう解らんが
ここは、曲りなりにも『思想板』である。
思想を探索する識者達は、決して大衆に阿ってはならない。
「曲学阿世の徒」と言われないように気を付けよう。
まあ、スレタイから乖離していく議論であるのならば、マナー違反の謗りを
甘んじて受ける必要はあるが・・・・。
>亀哲人氏
貴殿がスレタイに沿った議論をお望みなら
>>526 >>530 に答えていただけまいか。
545 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 13:58 ID:0DXnODRE
>>541 保守考氏
その根本を、かの教科書ひいては、戦中の国家教育政策に当てはめるのは、大間違い。
そうかな?日本人は神ノ国で、世界で一番と教育されれば併合された朝鮮・台湾に対して
優越的な意識になると考えても不思議じゃない。間違いとまで言い切れる根拠が有れば
別だが。
>かの教科書は、『朝鮮』でも、『台湾』でも使用されている。
其れこそ皇民化教育、同化政策の賜ではないね。
>個人的願望による妄想と言われないように気をつけて、論を進めて貰いたい。
そうならない為に、戦中教育を受けた父の話しを事例として出した。
生きた教材だからね。
>>537 亀哲人氏
>定まった説は今のところ無いと云えるが、実態としては影響力を持っていたという事。
というのが貴殿の本音なら、実態がどのようなもので、それはどの具体的事象から確認でき
またその実態が、どのような具体的な場面で影響していたとするのかを記述すべきである。
貴殿の記述は単に宗教的差別を並べているだけで、その差別と国家神道のかかわりに
関して、何の論証も上げず、単に思い込みと決め付けに終始しているとしか、私には思え
ない。
(私の思い違いなら、恐縮だがどのあたりにそれが書かれえいるかご教示賜りたい。)
547 :
保守を考える:03/11/22 14:09 ID:/M7L/8ao
>>545 だから何で、同じ教科書をの基、教育された小2の坊やが、一方的に
差別的感情若しくは、民族的優越性を持たねばならんわけ?
1930年(昭和5年)福岡県若松市の選挙ポスターにはハングルのルビが振ってある。
(朝日新聞2000年六月二日夕刊)
この候補者の名前は、舛添弥次郎(要一の父)
>其れこそ皇民化教育、同化政策の賜ではないね。
意味が解らん。
>そうならない為に、戦中教育を受けた父の話しを事例として出した。
君にしか通用しない根拠は、
個人的願望による妄想と言われてしまうから気を付けよう。
と言ってるのに・・・・。
548 :
保守を考える:03/11/22 14:11 ID:/M7L/8ao
>>545 さらに言えば、当時、朝鮮人には被選挙権もあったよ。
『朴春菊』という人物は二回ほど衆議院議院に当選している。
549 :
保守を考える:03/11/22 14:13 ID:/M7L/8ao
うわ〜・・・・
人名を打ち間違えた・・・。訂正します。
朴春菊・・・・・・×
朴春琴・・・・・・○
「唐入り」という言葉を知り、また現代の半島差別の心情(スレはいくつもあるよね)を
見る限り、日本が良い国だと教育したためというのは、全く論外である。
551 :
保守を考える:03/11/22 14:45 ID:/M7L/8ao
暇なので、もう一つツッコミをいれておくか
>>531 >過日私は戦中派である父から戦前の教育について質問したことがあるが、子供達の間では
>「チャンコロ」「チョン」という差別的な言動をごく当たり前にしていたという。
戦中派の父に『戦前の教育』について聞いた。
↓
?
↓
【結果】
「チャンコロ」「チョン」という差別的な言動をごく当たり前にしていたという。
こういう論述を『個人的願望による妄想』呼ぶ。
つまり、「?」につての記述がなく、いきなり結論に飛躍している。
これは論理ではない。
どうも、明治憲法期の批判の慣用句として
1、神道と国家が密接に連携した国家神道が宗教を弾圧し国教的に振舞った。
2、国家神道は戦争賛美と、侵略戦争の幇助を行った。
3、天皇は神としてあがめられ、神聖で不可侵な存在として規定され、それが国家神道の
の教義となり、国民に対し天皇への信仰を強要したのが国家神道である。
4、明治憲法は、信教の自由をうたいながらも実態として神道を他の宗教の上位に配し
国家神道はすべての宗教の上にたつものとしていた。
などが良く見られるが、これは総て「いんちき」ということで了解できるのか。
途中からの人は、はじめのころから見ていただければ、理解できると思うが、どうだろう。
こういったことは嘘で、15年戦争当時の、国家総動員的状況における、国への
忠誠心の問題が宗教の弾圧につながったし、国家神道は国家儀式の様式の定めで
しかなく、少なくとも、国家神道による宗教弾圧的の実体はない。
私はそう思っているが、何か異論があれば、ソースや論証を沿えてご提示いただきたい。
PAX氏・亀哲人氏以外の方、いかがであろうか。
553 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 15:21 ID:0DXnODRE
>>542 保守考氏
一つ断って置くが、私は村上の説を全面で支持しているわけではない。であるから、
阪本是丸も掲出した上で対置させ「国家神道」の宗教学の発言を俯瞰したいと試みている。
君が持ちかけた「もそも、その(神道の)教義とはなんぞや? 」という問いかけに対して、
現在宗教学で一応の支持を得ている村上を「マテリアル」として掲出している点を
理解して貰った上で議論したいと思う。また、本来なら神道を論じるとき神仏習合と
神仏判然令を視野に入れて論じるべきと思うが、れ氏の提案を受け入れ触れないで居た。
>宮中祭祀と神社神道の結合によって生まれた、儀礼と制度の体系とは?
此は村上の言だが、即位の礼において中国風の儀式を廃して「神道的要素だけを残す」
事によって(明治天皇の即位式は)日本の独自性を演出したとされる。そういった
儀礼を次第に体系化していったとするのが村上の主張だろうと思う。
その主張は、神社制度(神社神道)と宮中祭祀(皇室神道)、帝国憲法と教育勅語に
もとづく天皇制イデオロギーから構成されているとされた。
554 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 15:27 ID:0DXnODRE
>>551 保守考氏
相変わらず揚げ足取りがお好きなようだが、「これは論理ではない。」とは全く其の通り。
事実の提示であって、論理展開を試みているわけではない。君が指す「妄想」とは中間が
欠落している、だから恣意的に妄想して結論づけていると云うことなのだろうが、
中間を読み解く訓練をされたらどうか?出来るだけ長文を廃しようと云う試みをしている故
導く結論に「常識」を持ち込んでも「妄想」とナングセを付けられては無駄な長文のレスに
しかならず、BBSという場の空気も損ねかねない。論文じゃないんだから。
>>518 れ氏
>マザーテレサの望むところではないように、私には思えるが
私はマザーテレサではないから彼女がどのように望んでいるかは分からないし、当該団体の関係者でもないからどのように評価されようとも構わないのであるが、
私が客観的に第三者の立場で公平に見て、神道よりもキリスト教の方が社会貢献しているなと分析しただけの事である。
貴殿がどのように神道に偏向した価値観を持とうとも構わないのであるが、神道だけを賞賛するのはスレとしてバランスが悪いと思うので、
誰かが反論する必要があると思うのであるが、如何に。
556 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 15:33 ID:0DXnODRE
>>544 れ氏
既に私の見解は申し述べていると思っていたので回答要求は心外だが、
答えるなら「国家への忠誠心」を求めるという事自体は良しだろうが、
当時の国家の体制を考えれば、内心の思想信仰までも強要する手法は間違いだろう。
忠誠心は別の手法で行うべきであるというのが私の意見。
15年戦争以前に宗教的な不当な現象は有ったというのが私の見解。
神仏判然令が其れである。
557 :
保守を考える:03/11/22 15:45 ID:6cthk3tD
>>553 >一つ断って置くが、私は村上の説を全面で支持しているわけではない
ならば、村上の言説の内、妥当性があり、歴史事実だと判断するモノだけを
掲載すればよろしい。当方は、村上の言説を真っ向から否定しているので
今更、その材料を提示しなくても宜しい。
>>554 >教育によって他のアジア民族への差別感情が萌芽したと見ても間違いではあるまい。
は大間違い。と何度も言っている。その反証ではなかったの?で
>中間を読み解く訓練をされたらどうか?
私は、恣意的な個人的願望でもって妄想を働く事を潔しとしない性分であるので
不確かな推測で結論を言ったりしない。まして人の言説をや。
それと、長文が無駄になるかならないかは、筆者の資質であって、
それが、短文であろうと変わらない。(当たり前の話だ。)
さらに、ここは、『思想版』である。
何度も言わせないように。
瑣末な論述は、今後も容赦無く指摘させて頂く。あしからず。
558 :
右や左の名無し様:03/11/22 15:51 ID:9WIgtyPv
11月19日の聖教新聞1面広告欄。
ついに小林よしのりの
「ゴーマニズム宣言」の広告が掲載された。
どうやら、プロパに規制がかかった。
代行スレで、長文を頻繁に頼むのも気が引けるので、しばらく落ちる。
>>552 れ氏
1、神道と国家が密接に連携した国家神道が宗教を弾圧し国教的に振舞った。
国家が国家神道に特別な地位を与え、国家が他の宗教の信者に神社を参拝する事を強要したと言う事だろうな。
2、国家神道は戦争賛美と、侵略戦争の幇助を行った。
精神的な面で国民を侵略戦争に動員するのに国家神道が陰に陽に影響力を及ぼしたのは事実だろう。
3、天皇は神としてあがめられ、神聖で不可侵な存在として規定され、それが国家神道の教義となり、国民に対し天皇への信仰を強要したのが国家神道である。
これはどうだろうな。一応、その通りだという事にしておこう。
4、明治憲法は、信教の自由をうたいながらも実態として神道を他の宗教の上位に配し国家神道はすべての宗教の上にたつものとしていた。
神社の神官が国家公務員として遇されたと言う意味では、そう言えるであろう。
結局上の1〜4は、やや正確性を欠く部分があるとしても概ね正しいんじゃないだろうか。
>>560 Santi氏
既に総て否定するだの論証はあがっていて書き込んであると思う。
何か異論があれば、ソースや論証を沿えてご提示いただきたい。
単に宗教的差別を並べているだけで、その差別と国家神道のかかわりに
関して、何の論証も上げず、単に思い込みと決め付けに終始していると
批判されないように・・・。
562 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 17:12 ID:0DXnODRE
>>557 保守考氏
>当方は、村上の言説を真っ向から否定しているので
>今更、その材料を提示しなくても宜しい。
了解。今後は君の其のスタンスを前提としてレスをする。
>瑣末な論述は、今後も容赦無く指摘させて頂く。あしからず。
此は論者の姿勢や立ち位置で変わってくると思うが、
君がその様に感じ取るのなら指摘して貰って結構。
此方も中途半端な議論は避けたい。
563 :
右や左の名無し様:03/11/22 17:14 ID:iX/e7v4k
iii
>>555 Santi氏
印象批判は止めていただく。
>神道だけを賞賛するのは
をいつ書いたかレスNo.を提示し、どのように賛美したか、書いてもらおうか。
私は、私としては好きだが、同じようなものとしか、書いていないつもりだが
それをこのように曲解しているとしたら、読解力がないか、悪質な印象批判だよね。
>>556 亀哲人氏
>答えるなら「国家への忠誠心」を求めるという事自体は良しだろうが、
>当時の国家の体制を考えれば、内心の思想信仰までも強要する手法は間違いだろう。
論理矛盾と指摘済みであり、具体性のない記述に終始していて、何をどうやって
「国家への忠誠を確認する」というのか、明快な回答がない。
>15年戦争以前に宗教的な不当な現象は有ったというのが私の見解。
>神仏判然令が其れである。
>>374あたりに既に書いてあり、議論の俎上には上がっている。
>>396、
>>398、
>>400あたりの見解に、何らかの反応を書いてくれないかな?
>>560 Santi氏の主張の:無根拠は指摘しておこう。
>国家が国家神道に特別な地位を与え、国家が他の宗教の信者に神社を参拝する事を強要したと言う事だろうな。
国家が、国家神道に特別な地位を与えた・・・国家神道とは、特別な地位を与えられる機関
あるいは法人、団体であるというなら、具体的にどういった団体・機関が、どのような名称の『地位』
を与えたのか、書いていただこう。
そして、国家が他の宗教の信者に神社を参拝する事を強要したなら、当然に命令などが
残っているはずであり、国家への忠誠心を図るという意味での15年戦争内以外で、このような
事象があったというなら、きちんとソースを示して書き込むべきである。なお15年戦争内は、
国家総動員的戦争遂行のために、国家が国への忠誠心を図るという妥当性の中での
特高における行き過ぎがあったとしても、それに神道、あるいは国家神道とのかかわりを
明示するソースは提示されていない。
>精神的な面で国民を侵略戦争に動員するのに国家神道が陰に陽に影響力を及ぼしたのは事実だろう。
戦争に国民を動員する(徴兵)に際し、神道が影響した?神罰があるぞとか、赤紙に書いてあるのだろうか。
そして、侵略戦争という場合、具体的にどの戦争をさしているのかも明示いただきたい。
少なくとも米英との戦争は侵略戦争ではないが、日中戦争に置いての動員だろうか。
日中戦争動員に神道がどのような行為をもって協力したか、そのソースも頼む。
>これはどうだろうな。一応、その通りだという事にしておこう。
まさに、貴殿のイメージでの印象だけという部分を如実に証明して見せたな。
>神社の神官が国家公務員として遇されたと言う意味では、そう言えるであろう。
既に書かれているとおり、仏教・キリスト教においても公務員として処遇されているようだが
そうすると総ての宗教の上にたったということはどうして云えるのか、明快に書いてくれ。
れ氏へ
一応
>>564に対してだけ反論しておく。それ以外については少し待って欲しい。
私が不当な印象を持ったのだとしたら申し訳ない。
しかし、貴殿も他人にそのような印象をもたれるような記述をしたことには一定の責任は持つべきなのではないかな?
それに、仮に万が一私の印象が誤ったものだったとしても、それはこのように一度批判して貴殿が反論してこそ誤りだと判明するのであろうから。
>>560 Santi氏
>国家が国家神道に特別な地位を与え
良く分かりませんが具体的に何でしょうか。
宗教団体法においては、仏教、キリスト教、教派神道には宗教上の重要施設に対しては差し押さえが
禁止されています。また、免税の特権もありましたよ。これは特別な地位なのではありませんか。
このような権利が、国家神道にあったかと言えば、例えば、国家が国家神道系の神社に公金を
支出するという法律がありましたが、これは「衆議院」が法案を提出した上で成立しています。
しかも、政府はこの法案を5年近く無視していました。
加えて、国家神道は宗教活動が禁止されていました。
従って、戦場における従軍神官は認められていません。多数は仏教だったそうです。
従軍神官は昭和10年代に認められましたが、教派神道がごく少数行ったに過ぎません。
国家神道によって精神的にも支配したとするならば、なぜ国家神道系の神官を積極的に従軍
させなかったのでしょうか。疑問です。
ちなみに、従軍神官が認められるようになったのは、将兵達の要望が強かったからです。
>天皇は神としてあがめられ、神聖で不可侵な存在として規定され、
これは明治憲法3条の規定を指すのでしょうか。
この規定は、外国憲法の影響です。美濃部達吉がそう指摘しています。
君主無答責の規定に過ぎません。
>神社の神官が国家公務員として遇されたと言う意味では、そう言えるであろう。
これは既に
>>400で述べているので繰り返しませんが、補足すると、
当時の神官の状況は劣悪で、この点は殆ど異論がないものと思います。
村上氏や他の法学者の意見もこの点は一致しています。
>>567 Santi氏
だから、そういう印象を与えたというレス番号を指定してくれよ。
>>412のどこが神道賛美なのかさっぱり分からない
>>518?違うだろ?
>>453?別に賛美していないよね。
当然に、元ネタ、
>>461には神道を不当に貶める書き込みはあるが私が神道賛美した
という批判さえ書いていないことは確認の上での
>>555だろ?
賛美批判的な文章は
>>416だけと思うし、直下の>417で私が反論しているが
それも、
>>412の最後を繰り返しているだけだ。したがって
>貴殿が反論してこそ誤りだと判明するのであろうから。
という批判は、的をはずしていると、私は思うけれども、他に何か見落としもあろうか
とも思うから、レスNo.を提示しての指摘をお願いしている。
>>569 れ氏
私は
>>412から貴殿が神道を心酔していると受け取っている。
>>564で貴殿が否定したから一応取り消したつもりだが。
それから、かなりぐぐってみたのたが
>>378で貴殿が提示したソース以上のソースがなかなか見つからない。取り敢えず保留ということにして貰いたいのであるが。
571 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 20:24 ID:0DXnODRE
>>565 れ氏
>「国家の廃仏毀釈の命令により仏教が弾圧された。」は、どうも事実ではない
一つ明確にしなくてはいけないのは「廃仏毀釈」は国家が行ったという事ではなく、
「王政復古令」を受けて行われた神仏分離政策、具体的に云えば明治元年(1868)に
発せられた太政官布告によって(祇園社は須賀神社に、弁財天は厳島神社に強制的に改称
させられた等。)神武の昔に復古しようという理想を根底におき、祭政一致・神祗官再興が
計られた。廃仏毀釈とは此を受けて行われた運動体であるという事だ。廃仏毀釈令といった
明治政府の法令があった訳でも、同様の勅旨が発令されたという事ではない。
謎氏の発言では、仏教界で自主的に従ったかのような書き込みがあったが、此は認識不足。
実態としては多くの国宝級の仏像や教典などが喪失しており、此は梅原武なども指摘している。
神仏習合の神社や寺は勿論、純粋な仏教寺院ですら神社への改変を迫られている。
実際には明治政府の政策と其の方針に従って行われた「大政奉還の達」法令「神仏分離令」
等の方針が廃仏毀釈運動へと繋がったと見るのが、歴史的には大筋で正しいだろう。
572 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 20:34 ID:0DXnODRE
>>565 れ氏 続き。
廃寺・合寺には兵士まで派遣し、梵鐘や仏具など鉄砲製造のために没収、僧侶は帰農させた。
伊勢神領では明治天皇の伊勢神宮参拝が決定した明治2年までに、神領のなかの参道や仏像は
ことごとく取り払うよう仏教追放を命じ、196カ寺が廃寺されている。
以上のように明治4年ごろまでに遂行された神仏分離政策は、江戸時代に檀家制度・寺請制度を
もとに幕藩権力の一翼を担っていた仏教寺院に代わって、国家公認の宗教として神道を置き、
神社を“国家ノ宗祀”としての体裁を整えさせていった。それまで神社・神職は従属的地位に
おかれてきた仏教寺院に対して、廃仏毀釈として寺院の廃寺、仏像破壊まで発展。
伊勢神宮を天皇・国家の宗廟として位置づけ、神社は“国家ノ宗祀”とする神道国教化政策が
矢つぎばやに展開されていった。だが、廃仏毀釈には民衆の仏教寺院への反発もあり、
廃寺などが断行しえたが,それも強い抵抗に逢い1871年(明治4)ごろには挫折。後に
多くの寺院は再興されたという事だ。
此は謎氏も指摘していたと記憶してるが、神道と仏教の勢力争いの影響もある。
特に江戸期に幕府に厚遇されてきた仏教に対して、神道神官の反発が有った事も見逃せない。
573 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 20:42 ID:0DXnODRE
>>565 れ氏 続き。
廃仏毀釈が仏教に与えた衝撃は大きかった。しかし、出来たばかりの新政府が脆弱な
基盤のため、仏教界の協力を必要としていたことも事実である。両本願寺、特に西本願寺は
鳥羽伏見の戦いの前から朝廷に忠誠を誓い、鳥羽伏見の戦いの際には、御所猿ケ辻の警備を
命じられた。また、東本願寺は戦いの前に朝廷側についた。維新政府にとって両本願寺からの
莫大な献金はありがたかった。太政官が真宗各派にたいして廃仏の意志のないことを
明言したのである。真宗は神仏分離や寺領上知(じょうち)の影響を受けなかったただひとつの
宗教である。廃仏毀釈の吹き荒れた地方でも真宗の寺は抵抗した。
明治4年の欧米を訪問した岩倉使節団(写真)は、訪問する各国でキリスト教迫害について
抗議を受けた。明治政府は浦上キリシタンの弾圧を中止した。また、各宗派の上に立つという
神道はなくなり、明治15年に神官は葬儀に関与しないことになり、こういった影響もあり
神道非宗教説に立つ国家神道が成立したとも云われている。
>>518 れ氏
>マザーテレサがすばらしいと思う人もいれば、池田大作がすばらしいと思う人もいる。
そうだよな。確かに貴殿の言うとおりだ。
池田大作がすばらしいと思う人もいれば、天皇がすばらしいと思う人もいるし、麻原彰晃がすばらしいと思う人もいる。
まあ同根だよな。しかし、宗教とは困ったもんだよなこんな連中すらも良いと思わせてしまうのだから。
で、最悪なのがマルクスとやらのユダ!の末裔を信奉する連中ね。
太いめのチンポ学派にフェイクしても内実は同じ。
この人は生まれざりし方よかりしものを。
by Jesus Christ
>>575 はんきょー菌を振りまくな
みんなが迷惑するだろ!
577 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/22 23:19 ID:0DXnODRE
>>565 れ氏 続き。
神道は必然的な成り行きで国教になり、国家神道が出来上がったが、其の計画性に置いては、
明治四〜五年・明治十五・十七年の二つの宗教政策の変革を見ると、極端な変革であり
計画的というよりは状況に適応させたと見るべきだろう。神社の最高官庁を明治元年一月に
神祇事務課、二月には神祇事務局にしている。明治元年閏四月には神祇宮だったのが、
明治二年には新しい神祇宮、明治四年に神祇省、明治五年に教部省。其の際には仏教も
採り入れて他の宗教も管轄することになる。明治十年に教部省が廃止されて、内務省の
社寺局になり、この社寺局は明治三十三年に二つの局になっている。
移動が余りに多くて、またその官庁の位の変化も激しくて、とても計画的とは云えない。
国家神道が効果・効力を持つ条件として、1882年に宗教的側面と祭祀の分離が行われて、
宗教と祭祀を分離したのが一つ。もう一つはこの分離は本物ではなくて擬制で有った事。
完全に分離したのなら効果が上がらず、反対にあまりにも密接な関係が続くならば、
擬制を見抜かれ効果が上がらない。擬制と言ったのは最後まで府県社以下の民社も国家の
宗祀という性格をもっていたからこそと云える。説教が禁止されたとは言え、学校教育で
歴史の時間に、天照大神以降のものを歴史として覚えさせたのだから説教をしなくても
済むといった効果がある。こうして、巧妙な神道と天皇の刷り込みが行われた。
578 :
保守を考える:03/11/22 23:51 ID:NC1AUyMt
どうやら規制が解除されたようだ。と思ったら、もうこんな時間か・・・。
まあ、議論には直接関係ないが、小言を一つ。
>亀哲人
>>573 >明治4年の欧米を訪問した岩倉使節団(写真)は、訪問する各国でキリスト教迫害について
>抗議を受けた。
なんだ『(写真)』って????
どこぞのサイトの転載ならば、長文を写すのではなく、そのURLを示せば良いだろうに・・・。
そっちの方が手っ取り早いと思うが・・・。
さらに
>神道非宗教説に立つ国家神道が成立したとも云われている。
と
>>577 >神道は必然的な成り行きで国教になり、国家神道が出来上がったが、
の説明が全く為されていないのに、(特に国家神道というワード)
論を転載しても、議論は進まんと思うが・・・。
>>577 亀哲人氏
>擬制と言ったのは最後まで府県社以下の民社も国家の宗祀という性格をもっていたからこそと云える。
明治12年の太政官達では「府県社以下・・・身分取り扱いは一寺住職と同様たるべし」とされています。
また、公金によって神社を保護しようとする先に述べた法律(
>>568)では、府県社に対して、
「公金を支出することができる」としか規定されていません。
国家として、とても「国家の宗祀」として保護しているとは思えませんが。
580 :
右や左の名無し様:03/11/23 00:06 ID:6P4gyHOn
創価学会の機関紙聖教新聞にゴーマニズムの宣伝か。
学会勢力が、民族派にシフトを徐々に置くようになってきた現われだ。
大体、当時の状況として国教を持つことが普通だったのに、国教を宣言せずに神社行政を縮小して
国家と神社の結びつきを保とうとしたのかが良く分からないのだが。
582 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 00:14 ID:4sieEBCS
>>578 保守考氏
論旨のバランスを保つため引用部分も含め掲出した。
私の美意識。(余計なキャプションはご愛敬として呉れ)
>神道は必然的な成り行きで国教になり、国家神道が出来上がったが、
の説明が全く為されていないのに、(特に国家神道というワード)
君が何を求めているのか不明。説明の必要性と意図を示して呉れ。
583 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 00:22 ID:4sieEBCS
>>579 謎氏
明治政府が官社と民社という位置付けによって体系化を試みた「社格制度」と理解して欲しい。
伊勢を別格に官幣大社・宮幣中社・宮幣小社、国幣大社・中社・小社という格付けを
行っている。また、郷社定則が出来、それによって氏子と郷社との関係に関する詳細な
決まりを制定している。
584 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 00:35 ID:4sieEBCS
>>579 謎氏 続き
神道に関する最高官庁として明治政府は最初に神祇事務課を設立している。
政府には七つの課があって、その第一位を占めたのが神祇事務課。それは間もなく
局と改名されて神祇事務局になって、総裁局の後の第二位に位置付けられた。
明治二年の神祇官制度では、神祇宮は太政営と並んで最高の権威を占めた。その後
格下げになって神祇省を経て、教部省になった。明治政府は官庁だけではなく、
神社は明治四年には世襲制の社家を廃止して、神社には「国家の宗祀」という性格を
与え宗教とは分離させた。保護したという事ではなく、位置付けを示したと云う事。
>>526 れの主張は15年戦争時は問題があったが、それ以前は問題が無かったと言わんばかりの主張であるが、その15年戦争時内の問題を引き起こしたという問題がそれ以前からあったということは無いであろうか。
つまり、そのような問題を引き起こす原因がそれ以前からあったからこそそのような問題が起こったので、そういうことを許したという点でやはり問題があったということ。
>>570 Santi氏
私は特に神道に、心から酔っているつもりはない。仕事上リアリズムが必要なんで、
心から酔っていたら、飯が食えない。ただ、私が心酔しようと、全く本議論には、
無関係である。
私が、神道賛美を書いたかどうか、結局書いていない、あるいは、書いているという
確証はない、ということだろ?そうなら、私が神道賛美を書き込んだという批判は
取り消していいと思うが、マァ今後は、きちんとした評価に基づいて、書いていただくよう
要請しておく。
肝心なことは、「地獄への道には善意が敷き詰められている」ということである。
『日本人は、至誠は天に通じる』という宗教的感情がある。しかし、現実はそうではない。
『一生懸命、善意で何事かを行う、必死な行為』というものが、ときに、地獄に一直線である
ことを、仏教も、キリスト教も教えている。
我々は、経験則として、連合赤軍事件や、パレスチナ紛争、226事件、三島由紀夫の切腹
というようなことで、そのことを知っている。にもかかわらず、
奇妙なのは、戦前の国家の行為・神道の行為が、悪意に満ちていたという思い込みを
持っている人が多いということだ。侵略戦争・国家神道ぬ弾圧・天皇崇拝というとき、それが
国家あるいは為政者の悪意(民法上のそれではない)の存在を前提として、論理を展開し
ていないかという指摘である。それが、層化批判において、でていた。
創価学会のキリスト教批判も彼らにとっての真理を布教する善意の行為である。
イラク派兵も、彼らにとっての真理・民主主義布教のための善意の行為。
インカ文明や様々な文明を滅ぼし、キリスト教国家を樹立したのも彼らの善意。
ならば、当然に我々と同様の価値観を持っているであろう戦前の日本人が、その
必要性と、正しいであろうとの思い込みで行ったことではなかっただろうかと、疑義を
持たないか、私には奇妙である。貴殿のその正義感や実直態度は、戦前の日本人は
持っていなかったのだろうか。
日本の、その政策の必要性や思い込みの中の、どこに問題があったのか、それを探る
のが、私の本スレ参加意義であるが、貴殿はどうなの?悪意を暴くのが目的?
>亀哲人
力作感謝する。一点質問なのだが
>>577の冒頭
>神道は必然的な成り行きで国教になり、国家神道が出来上がったが、
の論証が何もない。
貴殿論旨に依れば、国家神道は明治四年以降であるようだが、神道を国教とする試み
というのは、いつ頃発生し、いつ頃国教になったという把握なのだろうか。
私に知る限りにおいて、これは存在意義スレでも申し述べたが、そして謎氏も
指摘している通り、「明治憲法制定におおける伊藤・井上の双方ともが、そして
君主論を日本に紹介した金子も、「人類が獲得した普遍の原則」として「国教の禁止」
を明言し(それは憲法制定の会議で)、ドイツ・イギリスの「国教制定のアドバイス」を
拒否しているという史実がある。
このこと、「神道は必然的な成り行きで国教になり、国家神道が出来上がったが、」
との整合性を時系列的に提示いただかないと、全くの妄想になるが、質問にお答え
願えるであろうか。憲法草案者の国における影響力をの継続を考えるとき、どうも
15年戦争当時に限定されるのではという、印象を、私は持つんだが・・・。
>>585 それを史実やソースに基づいて論証いただくのが、このスレの今のメインテーマである。
是非お願いする。
>>586 れ氏
やはり明治憲法上に政教分離規定が無かったのが最大の原因ではなかろうか。
また、信教の自由規定が「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限」りという限定が付けられていた事も原因の一つだろう。
そのため、明治憲法告文によって天皇の神格性が謳われていたことから天皇が神格化されて、いわゆる「神権天皇制」が確立され、
天皇の祖先たる「神々」を祀っている神社及びそれを奉ずる神道は他の宗教とは別格の扱いを受け、天皇を「神」として崇拝の対象とする精神的支柱を堅固なる物にするために、事実上国教としての特別の地位を与えられたのである。
このいわゆる国家神道による祭祀は国政の一翼を構成し、天皇はその祭主たる地位に君臨した。また、法律によって、神社・神宮に公法人としての地位が与えられ、
神職や神官には特別な公務員としての権限と身分が与えられて、他の宗教とは明らかに異なる扱いを受けてまた国民にも神社参拝が強要された。
また「神社は神道に非ず」という主張もされ、神社参拝を国民に強要しても国民の信教の自由を侵害したことにならないという論理がまかり通り、強度に国民の信教の自由が侵害された。
まあ、大体こういったところが現在の支配的な歴史認識であろう。かなり説得力のある妥当な見解だと思われるが。
このような歴史事実を踏まえているからこそ、現憲法を徹底した政教分離が定められたのであり、従って現憲法上の徹底した政教分離は今後も堅持する必要があり、むしろ更に政教分離は強化されていくべきものであろう。
>>589 Santi氏
>やはり明治憲法上に政教分離規定が無かったのが最大の原因ではなかろうか。
日本国憲法のような実現不可能の、解釈でしか実行できない政教分離規定は、
世界各国において、現代においても存在しえない(共産主義でない限り)のに、
当時において、あったほうが良いとは私には思えない。
私は、既に述べているが、目的効果説を支持するが、憲法の政教分離は条文どおりなら
実現不能という見解である。
>信教の自由規定が「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限」りという限定が
>付けられていた事も原因の一つだろう。
これは再三保守考氏が指摘している通り、全くのイイガカリである。
公序良俗に反しないこと(安寧秩序ヲ妨ケス)、刑法等にそむかない限り(臣民タルノ義務
二背カサル限」、自由ということである。それ以上の自由を国民が持ったら大変だ。
>そのため、明治憲法告文によって天皇の神格性が謳われていたことから天皇が神格化されて、
憲法が天皇を神格化した事実はない。このあたりは、天皇の神格性が謳われていたという部分
が実際にあるか検証する。具体的にどの部分が、神格性を表現しているというのだろうか。
別レスにて解説する。
>事実上国教としての特別の地位を与えられたのである。
>神職や神官には特別な公務員としての権限と身分が与えられて、他の宗教とは明らかに
>異なる扱いを受けてまた国民にも神社参拝が強要された。
ソースもなければ見解もない。いつ、どのような事象をして、そういえるのか
書いていただかなくては、貴殿の感想、思い込みと取るしかないけど、書く気ある?
マァ大体このスレの上のほうで否定されていて、説得力はないんだけど、きちんとソース
などを示して、反論すれば?
>>586 れ氏
>私が神道賛美を書き込んだという批判は取り消していいと思う
一応、私は
>>567で取り消した積りだが。では、再度取り消した事は確認しておく。
ただ、私は「貴殿が神道賛美を書き込んだ」とは言っていない筈だが、あくまでもそういう印象を受けたというだけだと思うが。
592 :
右や左の名無し様:03/11/23 11:37 ID:ZgH6wJM4
盗人猛々しいとはこのことか。。。。
>>599 Santi氏
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ
宝祚ヲ承継シ舊圖ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ
進運ニ膺リ人文ノ発達ニ随ヒ宜ク
皇祖皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ内八以テ
子孫ノ率由スル所ト為シ外八以テ臣民翼贊ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行
セシメ益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ
茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆
皇祖皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス
而シテ朕カ躬ニ逮テ時ト倶ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵ニ
皇祖皇宗及我カ皇考ノ威靈ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖皇宗及皇考ノ神祐ヲ祷リ併セテ朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ
此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ神靈此レヲ鑒ミタマヘ
これが、告文である。
どこに、明治天皇の神格化が表現されているのか、具体的に提示を願う。
提示できなければデマである。
明治憲法の草案におけるスタンスを一応書いておく。
五箇条のご誓文の、万機公論に決する等の、明治天皇の天地天命に誓った
それを現実のものにするためには、立憲ということが不可欠であった。
ドイツ・イギリスその他の国を数ヶ月以上にわたって見聞し、憲法学者の講義も
受けた結果として、西欧諸国の模倣でない、日本としての立憲が不可欠であると
草案者の多くは感じた。文章で多数残っているが、立憲の機軸が、
西欧においては「宗教なるもの」と理解したわけだ。
つづく
つづき
日本国における初めての立憲である。国民が納得し、その趣旨に沿って国を作り上げつことは
西欧列強に認められ、不平等条約などの是正が可能になるためには、不可欠であるという
時代だ。
その中で、「西欧列強の宗教なるもの」という機軸は、日本において何をして機軸といえるか
これがなれば、真の立憲ではなく、さすれば、立憲国家となりえない・・・五箇条のご誓文
の実現ができない。ということであるが、仏教も機軸たる思想・理念を持ちえず、葬式仏教・利権
をあさる状況だった。神道も祖先祭祀であって基軸となりえないと、憲法草案者は看破した。
また、再三書いているが「国境の禁止は人類が獲得した普遍の真理」として、そのように
立憲している。
機軸と言うのは、結局のところ「皇統」のみである。幕府を正統なものとしたのは天皇の権威であり
皇統・・・日本継続の象徴たるそれ・・・以外に、憲法を制定しそれを守るべき根拠たる機軸
=権威の根拠、を、日本は持っていなかった。だから、告文においては、
その皇統の継続が、立憲の根拠として表現されているのであり、少なくとも
「神格化」は、どこにも表現されていない。皇祖は神となっているが、天皇の神格化など
ありえようはずは明治憲法立憲の歴史事実からは、導けない。
ついでに書いておくが、
明治憲法の会議において、明治天皇はほとんどその会議に参加し、議長である
伊藤と再三対立している。伊藤は五箇条のご誓文を盾に、万機公論に決するとの
誓いは嘘なのか、任せられないのかという発言までしている。
金子の紹介した君主論は、好意的に受け入れられたという記録もある。
明治天皇の実子が死去した際も、会議を中座せず、会議が終わってから駆けつけ
たという逸話も残っている。
そうやって、国教や、仏教神道を機軸とした国体形成について否定的であった
明治憲法が、Santi氏あるいは亀哲人の申し述べのように、はじめから国家神道を国教
化したというのは、その草案者のその後の処遇や明治天皇の在位機関などからして
どう見ても整合性にかける、歴史的事実を知らないものの憶測としか思えないのである。
596 :
保守を考える:03/11/23 12:15 ID:ZgfvBn8I
>れ氏
>>594 皇祖については、後代において、天照大神と同義だと解釈する者も現れましたが
実は、その解釈は、憲法起草者、特に井上毅の真意を恣意的に変節しているものです。
つまり、憲法発布ノ勅語では
「 惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ・・・・」
とあるように、皇祖は明らかに『神武天皇』を指しています。
記紀に於いて、神代と神武以降の歴代天皇は明確に分離されていますので、
皇祖=神(天照大神)は成立ちません。
>>596 保守考氏
明治天皇の祖先の中には、神とされている存在もあるが
と表現を改めます。
>>590 れ氏
>日本国憲法のような実現不可能の、解釈でしか実行できない政教分離規定
何も日本国憲法上の政教分離規定を置く必要があったとまでは言っていない。
現憲法上の政教分離規定は国家神道が国政と深く関わって戦争に導いたという反省からより徹底した政教分離を置いたという事は既に議論したと思うが。
それと同等のものを明治憲法が持っていた必要は無いが、何らかの政教分離規定を置いておく必要はあったであろう。
>>594 >皇祖は神となっている
ということは、「神」であるところの皇祖の子孫である天皇は神であるという結論は容易に導かれうる。
つまり、憲法自身がそのように天皇の神格化の根拠となるような定めをしていた事が問題なのである。
599 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 13:20 ID:4sieEBCS
>>587 れ氏
論点は二点あるのだが、先ず一点は明治政府が動き出してからの憲法制定までの期間は
紆余曲折があり、混乱期であって政府内にも統一された意思決定が無かったこと。此は
新政府樹立時の主要なメンバーの主張の対立もあるし、対外的に見れば諸外国の関係性でも
混乱が見られる。(浦上のキリスト教徒弾圧事件と、岩倉使節団が受けた非難と其れに伴う
キリスト教への路線変更など)また、西南戦争のような大きな政変もあった。二点目は
そういった混乱期、神道国教化を押し進める勢力(元田永孚ら)と立憲君主制とする
主権国家論を標榜する勢力(伊藤、井上ら)のせめぎ合いがあった事を理解する必要が
あるだろう。明治3年の「大教宣布の詔」により神道の国教化、 天皇の神格化を目指したが
必ずしも明治政府は一枚岩ではなく上でも示した通り、「国教化」を政策的に進めたが
所轄官庁が激しく変遷するなどの混乱を経て曖昧なままに終戦を迎えたと捉えるのが
「国家神道」の姿ではないだろうか。だから明確な定義付けが出来にくい。国家神道という
表現も、一部では見られるが国家レベルで認識されていたということはなく、
GHQが占領政策で定義して位置付けていることがその事実を良く現しているのではないか?
因みに伊藤は有名な枢密院における演説で(1888年の憲法会議を始めた時に、枢密院で
基調演説を行ったもの)その中身は、憲法には精神的な基盤が必要である、西洋において
は宗教である、日本にはそういう基盤がない、神道を含めて全部弱すぎる、そうすると
日本において国家の基盤になりうるものは天皇しかない、と云っている。
れ氏へ。君の示した伊藤、井上、金子らの国教禁止のソースを示していただけると嬉しい。
>>598 Santi氏
>何らかの政教分離規定を置いておく必要はあったであろう。
当時の世界的認識として、政教分離規定を置くことにどれほど普遍性を持っていただろうか。
国教を持つ国が多数を占める状況においてね。
601 :
保守を考える:03/11/23 13:36 ID:TDAFPZRq
>>598 君はスレの流れを読んでいるのか?
それとも、読む力(読解力)が、足りないのか?(凡そ後者だと判断するが・・・。)
>国家神道が国政と深く関わって戦争に導いたという
という、歴史事実が全くないから、その事実を明らかにせよ。
>「神」であるところの皇祖の子孫である天皇は神であるという結論
はぁ〜・・・萎えるなあ・・・。
そういう短絡な教条的意見が出ないように
>>596で訂正したんだろ。
602 :
保守を考える:03/11/23 14:03 ID:TDAFPZRq
>亀哲人氏
>>599 凡そ、史実に基づいた書き込みなので、概ね同意するに吝かではないが
特に
>国家神道という
>表現も、一部では見られるが国家レベルで認識されていたということはなく、
>GHQが占領政策で定義して位置付けていることがその事実を良く現しているのではないか
一部に於いても、認める史料を知らないが、概ね宜しい。後は、このワードが
GHQの創作であることに気が付けば満点であるが。
ところで、疑問点がいくつか涌いたので、質問させていただく。
当時(明治3年)、宗教(Religion)なる概念が無いのに、
>「大教宣布の詔」により神道の国教化、 天皇の神格化を目指した
とあるが、これはどういう事か? 併せて大教宣布の詔の内容の解釈を提示して貰いたい。
次に
>神道国教化を押し進める勢力(元田永孚ら)
とあるが、具体的な活動を提示して貰いたい。
取り合えず、この2点を頼む。(URLの提示でも可だが、豚デモサイトは容赦されたい。)
603 :
保守を考える:03/11/23 14:07 ID:TDAFPZRq
>>599 >君の示した伊藤、井上、金子らの国教禁止のソースを示していただけると嬉しい。
私が変わりに提示しよう。
憲法義解。
>れ氏へ。君の示した伊藤、井上、金子らの国教禁止のソースを示していただけると嬉しい。
明治憲法の思想―日本の国柄とは何か PHP新書 八木 秀次 (著)
>>598 Santi氏
>何らかの政教分離規定を置いておく必要はあったであろう。
うーん、上で、謎塩保守考氏が書いているのだが、
まず第一点は、伊藤博文が「宗教なるもの」といっている通り、「宗教」という概念が
そもそもな以下、あるいは希薄な時代だ。
第二点は、未だ、ウィルスの存在すら知らない時代に、非科学とか家具を分離できるか
という視点がある。
第三点目には、世界各国においてそのような規定はないし、現代における政教分離規定
でさえ、玉ぐし料判決にあるように、戦前の反省とやらで、できているのであるから、
そのような反省というものをする必要性はない時代である。
>つまり、憲法自身がそのように天皇の神格化の根拠となるような定めをしていた事が
>問題なのである
???何が『問題』なの???日本人のなかに、神の末裔が天皇のみなら、天皇の神格化
による特殊な立場という批判もできるだろうけれども、平家子孫も、源氏子孫も、徳川の子孫も
豊臣の子孫も、また、菅原道真の子孫も、みんな神の末裔だろ?
何が問題なわけかな?
>>599 亀哲人氏
>先ず一点は明治政府が動き出してからの憲法制定までの期間は
>紆余曲折があり、混乱期であって政府内にも統一された意思決定が無かったこと。
混乱し意思決定がないのに、明治憲法が発布され、議会が開催された???
私には良くわからない認識なので、もう少し説明を頼む。
少なくとも国教の禁止においては、伊藤と井上は一致していたのだが・・・。
>>605は誤字脱字の『れ』にしてもひどい。訂正を以下に記述する。
そもそもないか、あるいは希薄な時代だ。
・・・謎氏と保守考氏が書いているのだが、
・・・非科学と非科学を分離できるか
申し訳ない。
607 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 14:47 ID:4sieEBCS
>>602 保守考氏
>「大教宣布の詔」により神道の国教化、 天皇の神格化を目指した とあるが、
>これはどういう事か? 併せて大教宣布の詔の内容の解釈を提示して貰いたい。
「大教宣布の詔」は実際には、神霊ヲ鎮祭スルノ詔と宣教使ヲ置クノ詔の二部構成になるもの
だが、祭政一致を標榜し神祇官による官庁を設けることで神道を国教として定着させることを
目的としたもの。王政復古に際して皇国思想を唱道した国学者、特に長谷川昭道の皇道主義の
思想およびその献策によるところが大きかったが、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈の運動と深い
関連をもっていたこともあり此は上手くいっていない。政策としては失敗と云えるかも知れない。
その後神祇官は神祇省に改められ、これを廃止して教部省がおかれた。更に教部省の設置によって
祭祀と宣教(教化活動)は分離され、祭祀は式部寮に移され、教部省はもっぱら教化活動を
行なう。神祇省の廃止とともに宣教使も廃止されたなど混乱が起きており、必ずしも国教政策が
明治政府として統一された政策方針では無いことを示している。
>神道国教化を押し進める勢力(元田永孚ら)とあるが、具体的な活動を提示して貰いたい。
元田永孚は朱子学を標榜した人物だが、帝国憲法・皇室典範の成案に参画し、「教育勅語」
草案者としても有名。代表的保守思想家で、天皇中心主義教育の基礎確立に尽したとされている。
608 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 15:10 ID:4sieEBCS
>>606 れ氏
先に示した「大教宣布の詔」以降の祭祀と宣教の変遷を見て頂きたい。
混乱のない方向付けがされているのなら、こういった変遷の流れはあり得ない。
西南戦争、岩倉使節団の米国の圧力によるキリスト教禁止の軟化策等
多大な混乱が見られる。そういった時期を経て何とか憲法制定にまで漕ぎ着けている。
609 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 15:14 ID:4sieEBCS
>>602 保守考氏 追記。
オマケだが、元田永孚は明治天皇との茶飲み友達でもあった。
610 :
保守を考える:03/11/23 16:00 ID:TDAFPZRq
>>607 質問に答えていない。もう一度聞くが
>祭政一致を標榜し神祇官による官庁を設けることで神道を国教として定着させることを
>目的としたもの。
「大教宣布の詔」のどの文言が(って数行しかないが)神道を国教として定着する事を
目的としたもの。と解釈出来るのか?「大教宣布の詔」の内容の解釈を示して貰いたい。
なんなら、原文を提示してあげるが、そこまでせねばならんのか?
次に
元田永孚の人物紹介など私には無意味。何を血迷っておるのだ。私は
「神道国教化を押し進める勢力(元田永孚ら)とあるが、具体的な活動を提示して貰いたい。」
と聞いているのである。
まさか?教育勅語や憲法及び皇室典範をもって、神道国教化を推し進めたと言うのではなかろうな?
それは豚デモになるからよした方がよい。
>>608 亀哲人氏
混乱?それは、ないわけではないのdが、貴殿が散々言う国家神道への流れという史実が
何にも出されていないよね。
基本的な流れというものを理解していれば、その混乱は「神道の国教化」とは無関係
であることが理解できると思うんだが、(マァどうしてもそう見ようとすれば、どんな事象でも
そう見えてしまうから、結局史実が大切だよね。)、その流れというものを書く。
江戸時代は、仏教と神道が並列して、神仏習合状況だった。
特に仏教において、利権を乱用するなどの、弊害が見られた。
国としての儀式様式として神道を選択し、その神道が国の権力をして宗教的に
優位にたつことを防止するため、公務員扱い年宗教活動を禁止した。
明治憲法は、国教というものを否定した。
日本の明治憲法の機軸は皇統にあるとした。
15年戦争以前は、宗教弾圧や差別などの、と件の事象はない。
国教化政策というものの存在ののソースがない。
国教として振舞ったというソースもない。
小学校などでの教育は、皇統というもの以外に憲法の機軸がない国における
民主主義的傾向のある憲法の定着のためには、当然の行為であり、
『天皇を尊敬させること』と『神道の国教化』は、全く別次元である。
天皇を尊敬することは、神道ではないからである。・・・わかる?
天皇崇拝は、神道ではないんだけど、、、。(米国は誤解していたよね)
612 :
保守を考える:03/11/23 16:08 ID:TDAFPZRq
>>608 >そういった時期を経て何とか憲法制定にまで漕ぎ着けている。
こういう言い回しが、君の駄目なところなのだよ。
「漕ぎ着けている。」というのならば、憲法制定は維新政府の
そもそもの政治目標であったと読み取れてしまう。
そんな馬鹿な話はない。
「自由民権運動」等を完全に失念している。
613 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 16:08 ID:4sieEBCS
>>610 保守考氏
相変わらず聞き方が高邁で気に入らないが、回答差し上げよう。(人に質問する態度ではないな)
君の思うとおりの回答になっているかどうか、当方としては計りかねるので悪しからず。
>原文を提示してあげるが、そこまでせねばならんのか?
原文は分かっているので不要。
人に質問ばかりしていないで、君の「大教宣布の詔」の解釈を示して呉れないか?
614 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 16:13 ID:4sieEBCS
>>612 >「漕ぎ着けている。」というのならば、憲法制定は維新政府の
> そもそもの政治目標であったと読み取れてしまう。
そういう自説に都合のいいような理解の仕方しかできないのが君の駄目なところと返しておこう。
更に言えば、
>>613にも書いたが質問を連ねて相手の失敗を探し出しては突っつこうとする
其の戦略は、君の最も駄目な所である事も付け加えておこう。
君は立場はあるが自立した意見がない。若しくは表明しようとしていない。
615 :
保守を考える:03/11/23 16:20 ID:TDAFPZRq
>>613 大教宣布の詔において、神道国教化を意図した文言は無い。
>>614 「漕ぎ着ける」
努力して(目標)に到達する。 by広辞苑
君の最も駄目な所は、言葉の意味を間違えて使用しているにも関わらず
そこを、親切心から指摘してあげているのに、
>そういう自説に都合のいいような理解の仕方
という、大法螺を吹く所だな。
忠告しておこう。
君は日本語を復習した方がよい。
616 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 16:21 ID:4sieEBCS
>>615 では 大教宣布の詔は何を目的としたものなのか、君の見解を聞きたい。
617 :
保守を考える:03/11/23 16:22 ID:TDAFPZRq
付け加えておこう。
国家神道などという無いモノを証明する手段は
「在る」と喚くモノの挙証したモノを検証するのが、最も効率がよい。
再度、聞こう。
国家神道とは何者であるのか?
618 :
波木井坊竜尊@元自主憲職員 ◆IByKs72gR2 :03/11/23 16:23 ID:C5l+fQ/5
それ以前に政教一致は悪いものなのかねえ・・・。
亀てっチャンが云ったことについて説明を求めている保守考氏に
>人に質問ばかりしていないで、君の「大教宣布の詔」の解釈を示して呉れないか?
って・・・。
朕恭しく惟るに天神天祖極を立て統を垂れ列聖相承け之れを継き之れを述へ祭政一致
億兆同心治教上に明かに風俗下に美なりし而して中世以降時汚隆あり道顕晦あり
今や天運循環百度維れ新なり宜しく治教を明らかにし以て惟神の道を宣揚すへきなり
因て宣教使に命し天下に布教す汝群臣衆庶其れ斯旨を体せよ
どこに
>神道を国教として定着させることを 目的としたもの。
と読めるところがあるのが、具体的に指し示してください。
自分が云ったのに、他の人に解釈を求めてどうするん?>亀てっチャン。
621 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 16:29 ID:4sieEBCS
>>615 私が言いたかった論旨を君が誤解しているか恣意的に曲解してるとしか思えないが
明治政府設立から憲法制定まで22年を要している。近代国家として捉えれば、
国家の基本法がないまま20年以上も経っているという事態を鑑みれば「漕ぎ着けている」
という書き方に何らの誤謬もないが?私が日本語を復讐する前に、君が適正な認識を
学ぶべきだろう。
622 :
保守を考える:03/11/23 16:31 ID:TDAFPZRq
>>616 朕恭惟
大祖創業崇敬
神明愛撫蒼生政一致所由来遠矣朕以寡弱夙承
聖緒日夜ジュツテキ懼天職之或虧乃祇鎮祭
天神地祇
八神曁
列皇神霊于神祇官以申孝敬庶幾使億兆有所矜式
とあるように、明治天皇が、祖宗及び八百万の神に対する畏敬の念と
その聖緒の体現に努める事を、表明したもの。
623 :
!:03/11/23 16:35 ID:iRiF4CK6
624 :
保守を考える:03/11/23 16:36 ID:TDAFPZRq
>>621 もっと私の意を体せよ。
現代の価値判断で当時を当てはめるのは、個人の願望的恣意及び妄想に繋がるから
排除した方がよい。
そういった、価値判断を排除出来ないから、無いモノ(国家神道)を在ると言ってしまうのだよ。
君は少しづつだが、史実に沿った論述を始めている。
期待しているからの苦言であることを、告白しておこう。
朕恭しく惟るに太祖創業神明を崇敬し蒼生を愛撫し祭政一致由て来る所遠し朕寡弱を以て
夙く聖緒を承け日夜**天職の或は欠けんことを懼る乃ち祇んで天神地祇八神曁び列皇の
神霊を神祇官に鎮祭し以て孝敬を申ふ庶幾くは億兆をして矜式する所あらしめん
*:「りっしんべん」に「朮」、「りっしんべん」に「昜」
と書こうとしたら、保守考氏が既に書いてしまった。
全くその保守考氏の把握が正しく、また、新たな時代における、仏教・神道の国家利用を
防止するために、様々なことが実行されているのであって、そういう背景を無視し
「字面に神・皇等に字があるから・・・という国語力で」
>>599のように
>明治3年の「大教宣布の詔」により神道の国教化、 天皇の神格化を目指したが
と書けば、当然に批判される。
626 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 16:47 ID:4sieEBCS
元田永孚の活動について(神道国教化を押し進める勢力として)
元田は王道論の立場から政教一致を考え徳治主義による政治形態を考えていた。
其れは「国憲大綱」(明治13年)と「国教論」(明治17年)にも具現化されている。
「国教論」では「天皇ハ全国ノ治者ノ権ヲ統フ」
「国教ハ仁義礼忠孝正直ヲ以テ主義トス各臣上下政憲法律比主義ヲ離ルルコトヲ得ス」
とあり、彼の儒教学者の立場からなる神道の国教化を目指した。明治天皇に近い元田を中心とする
「万機御親裁運動」 を押さえ込むべく、伊藤は明治12年に侍補職を廃止した。
627 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 16:50 ID:4sieEBCS
>>624 >無いモノ(国家神道)を在ると言ってしまうのだよ。
私は上でも申し述べている通りで、「国家神道」なるものは明確な基準として
存在していないとする立場。此処は誤解無きよう、申し述べておく。
明治初期の、いわゆる廃仏毀釈運動(国の施策ではない)の下となった、様々な
命令と言うのは、
五箇条の御誓文 (慶応4年3月14日)
一 広く会議を興こし、万機公論に決すべし。
一 上下心を一つにして盛んに経綸を行うべし。
一 官武一途庶民に至る迄、各々其の志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
我国未曾有の変革を為さんとし、朕、躬を以って衆に先んじ、天地神明に誓い、大いに
斯国是を定め、万民保全の道を立てんとす。衆亦此旨趣に基き協力努力せよ。
の『一 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。』に基づいているという解釈が
正しいと思う。仏教も神道も、それ以外の勢力も、様々なものが、天皇・朝廷の周辺にも
、江戸幕府・将軍の周囲に存在して、その権威が様々な影響力を持ち、弊害が山積していた
ことは、徳川慶喜の大政奉還までの歴史を見ると明らかだろうね。
事実、江戸・東京において政務を執り、後に東京を首都と定めるにあたって、奥向きはもち
ろん、神道・仏教に関わる様々な取り巻きも排除されている。
ここを理解しないで、そのころの宗教については語れないと、私は思う。
大日本帝國憲法 公布: 明治22年2月11日
>>626 亀哲人氏
>元田は王道論の立場から政教一致を考え徳治主義による政治形態を考えていた。
>其れは「国憲大綱」(明治13年)と「国教論」(明治17年)にも具現化されている。
明治憲法において否定されているということだよ。
630 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 17:03 ID:4sieEBCS
>>625 れ氏
私の記述の稚拙さも有ろうかと思うが、私の基本的な論旨は以下の通り。
・国家神道という確立した理念はない
・明治政府は一枚岩ではなく、主義主張を異にするせめぎ合いがあった
・上記の権力抗争の中心は伊藤・井上ら立憲派と元田ら天皇に近い親政派があった
・自由民権運動による違った動きもあった
・そうした多くの運動体の混乱が招いた結果が国体明徴運動と云える
631 :
保守を考える:03/11/23 17:11 ID:TDAFPZRq
>>626 だからそれは、君も引用している通り「万機御親裁運動」であって
神道国教化運動じゃないでしょう。
そもそも、ここで言う「教」は学問としての教であって、宗教としての教じゃないでしょうに。
即ち
>「国教ハ仁義礼忠孝正直ヲ以テ主義トス各臣上下政憲法律比主義ヲ離ルルコトヲ得ス」
から
>彼の儒教学者の立場からなる神道の国教化を目指した。
と読み説くのは不可能。寧ろ豚デモ論だぞ。
>>627 亀哲人氏
>私は上でも申し述べている通りで、「国家神道」なるものは明確な基準として
>存在していないとする立場。
でも何でもいいんだけれども、貴殿が
>>577で、
>神道は必然的な成り行きで国教になり、国家神道が出来上がったが、
と明言している以上、
>>599 神道の国教化
>>607 神道を国教として定着させることを
は「国家神道が出来上がった」という論証ではないの?
>>577を撤回していない以上、貴殿の思うところの『国家神道』は、神道の国教化
という意味だと思っていたが、明確な基準が存在しないの・・・。
意味不明である。神道の国教化は明治憲法制定で、否定されている。
明治憲法制定以前を持ち出してくるし、混乱しているのは、明治政府ではなく
貴殿なんじゃないの?
明治憲法は、国教を明確に否定している、ソースも示した。したがってそれ以前のことは
否定されたということ。了解いただいたかな?
そうすると神道の国教化によって完成する国家神道というものは、ない。OK?
633 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 17:15 ID:4sieEBCS
>>629 >明治憲法において否定されているということだよ。
そうとも言い切れない根の深さがある。元田の草案である「教育勅語」は井上の危惧にも
関わらず、山県らの強い希望に従って教化策の重要な担い手として天皇親政を意識付けし、
国体明徴運動における象徴的な存在となっており、完全に排斥され尽くしたとは言い難い。
634 :
保守を考える:03/11/23 17:17 ID:TDAFPZRq
>>627 だったら、もう少し気を遣って、「国家神道」なり「国(宗)教」なる言葉を
使用して貰いたい。
後は、互いの疑問点を消化できればよいのだが、
>>630 >そうした多くの運動体の混乱が招いた結果が国体明徴運動と云える
スレタイとの関係性から離れていく気がする。
寧ろ、存在意義スレで扱った方がよい。
635 :
保守を考える:03/11/23 17:19 ID:TDAFPZRq
ちょっと約束がるので、失礼させていただく。
>>630 亀哲人氏
>・明治政府は一枚岩ではなく、主義主張を異にするせめぎ合いがあった
>・上記の権力抗争の中心は伊藤・井上ら立憲派と元田ら天皇に近い親政派があった
・しかし大日本帝国憲法で、決着がついた・・・を忘れているよ。
貴殿申し述べが有効なら、明治憲法改定の案がGHQに提示されたから、日本は
天皇主権国家としての動きもあったわけだが、憲法の公布によっても決着がつかなかった
ということ?国としては決着がついたという捉え方が正しいよね。
大日本帝国憲法発布によって(天皇が公布した)、神道国教論はあったとしても否定された
ということだろ?
637 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 17:21 ID:4sieEBCS
>>633 亀哲人氏
>国体明徴運動における象徴的な存在となっており、完全に排斥され尽くしたとは言い難い。
まったく・・・国として決着がついた後まで、様々な思想信条が出るのは、
民主主義的傾向をもった明治憲法下において、当然である。
議論は、国家が何を望み、何をしようとしたかであって、そんなことを云い始めたら
共産主義を明治政府が求めていた、まで云えてしまうでしょうよ。アホラシイ
639 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 17:24 ID:4sieEBCS
保守考氏、逝っちゃったか…
後でも構わないので
>>631に対しての君のどう読み解くべきかの考えを提示して欲しい。
640 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 17:25 ID:4sieEBCS
>>638 >共産主義を明治政府が求めていた、まで云えてしまうでしょうよ。アホラシイ
極論を持ち出して比論を矮小化する手法は止めた方が良い。君のためにもならない。
>>640 亀哲人氏
極論の結論になるのは、貴殿の書き込みにその原因がある。
国として、大日本帝国憲法を発布して決着済みのことを
>国体明徴運動における象徴的な存在となっており、完全に排斥され尽くしたとは言い難い。
と書けば、貴殿の言い分は、諸説を完全に封じ込めない限りだめだと申し述べていること
となる。明治憲法は、民主主義的傾向をもつ憲法であるから、貴殿は不可能なことを求めて
いる。
議論すべきは市井にどのような議論があったかではなく、国がどのような立場を取ったのか
ということであろう。議論の筋道を提示し指摘したのに、そりゃ-ないよ。
642 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 17:48 ID:4sieEBCS
>>632 云い方が悪かった。
>>577は「神道は必然的成り行きで国教化され、国家神道と云われる原質を形成し
認知・教化された」に変える。明治憲法制定以前は廃仏毀釈運動や元田らの親政運動等の
過渡期として捉えたい。憲法制定時は伊藤や井上ら立憲派がイニシャティブを握り、
国教化は為されなかったのは事実。伊藤・井上らはバジョットの憲政論と天皇の権威を
結びつけた「日本型立憲君主制」を目指したものと理解できるが、元田らの天皇親政派が
完全に消滅していた訳ではなく、憲法制定以降も山県などの親政派による影響力が費えた
訳ではない。これらの事象が昭和の国体明徴運動など、立憲主義と対峙する形で現れた。
643 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 17:51 ID:4sieEBCS
>>641 >議論すべきは市井にどのような議論があったかではなく、国がどのような立場を取ったのか
国体明徴運動は天皇、帝国議会、軍、内閣に大きな影響を与えており市井の議論ではない。
また、元田は天皇側近であり「教育勅語」草案者。また、明治憲法制定のメンバーでもある。
644 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 18:07 ID:4sieEBCS
>>636 では、こうしよう。
・国家神道という確立した理念はない
・明治政府は一枚岩ではなく、主義主張を異にするせめぎ合いがあった
・上記の権力抗争の中心は伊藤・井上ら立憲派と元田ら天皇に近い親政派があった
・自由民権運動による違った動きもあった
・明治憲法制定により神道の国教化は認められず、一応の決着を見た
・しかし、そうした多くの運動体の混乱が後に招いた結果として国体明徴運動を誘引した
>>644 亀哲人氏
えー
>国家神道という確立した理念はない 。
一般には、国の儀式様式を担った神社神道を、国家神道と呼ぶ場合が多い。
(謎氏の把握はそういう把握だと思う。)で、これは国教化というものとは無関係で、
優遇もされていないし、特定の地位も与えられていない。
>しかし、そうした多くの運動体の混乱が後に招いた結果として国体明徴運動を誘引した
国体明徴運動というのは、神道の国教化とは、あまり関係ないんじゃないの?
この部分は、非常に飛躍しているよね。
だから、国体明徴運動というものを、どう貴殿が捉えているのか、神道とのかかわりで
書いていただかないと、わたしにはわからない。
『天皇を、国の元首として、絶対者と把握すること』と
『神道の国教化』というものは、対立する概念であることを知ろうよ。
神道においては、天照大神や一部の天皇を神格化はするけれども、現天皇を神格化する
という考えはない。皇国史観と呼ばれるものも、天皇が現人神であり神と同等であるという
把握をするのは、非常にレアケースで、基本的には神の末裔の一人で、皇統を維持し
国家を統治(統べ知らす・統べ治む)する存在であるという把握しかしない。
国家元首であり神の末裔だから尊敬し、敬意を払う存在ではあるけれども、現世における
絶対者という考えは、神道ではありえない。天壌無窮の神託を成したアマテラスでさえ
高天原の絶対者でもなく、また現世に絶対的な影響を与えられないことは、記紀で明白
なんだから、その末裔が絶対者という思想には、神道はならない。
その絶対者扱いと言うのは政治思想であって、神道ではないことは、理解したほうが良い。
>>646の補足。
天皇を神と見る・・・神道に関係する。
天皇を神と見て、絶対者であると把握する。・・・神道では絶対者がいないから矛盾である。
天皇を尊敬し、敬意を払う・・・神道としても妥当。神道を除外しても妥当。
天皇は元首であり、その主権は天皇にある・・・神道と無関係。
天皇が絶対的な権力者であるというのは政治イデオロギーで、神道と無関係。
天皇が神聖不可侵であるという、無答責条文は、政治イデオロギーであって、神道と無関係。
天皇を現人神と神道で把握したとしても、その結論は絶対権力者には落ち着かない。
648 :
保守を考える:03/11/23 21:17 ID:rBsMua4T
>>637 「国教ハ仁義礼忠孝正直ヲ以テ主義トス各臣上下政憲法律比主義ヲ離ルルコトヲ得ス」
へ?
これをどう読み説くか?だって?
別に難しい慣用句も漢語も使っていないし・・・。
そのまま、読んだ通りでないの?
649 :
保守を考える:03/11/23 21:20 ID:rBsMua4T
>れ氏
>>645-647 まあ、そういうことでしょうな。
国体明徴運動は宗教とは関係性が見当たらないし、スレ違いでしょう。
650 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 22:57 ID:4sieEBCS
>>645 >これは国教化というものとは無関係で、 優遇もされていないし、特定の地位も与えられていない。
かなり強引な結論付けであり、到底同意できない。伊勢神宮を頂点とした官弊社神道が、国から
国家祭祀として特権的地位を与えられた事により、事実上の国教的地位を占めていた点を無視している。
国教という明確な位置付けが無かったからと云って、与えられた「国教的地位」を無視する事は出来まい。
神仏分離令に見られるように、神祇官制度では、神祇宮は太政営と並んで最高の権威を占めた事例を見ても
明治憲法制定以前までは神道を国教的な地位に押し上げるべく、社格の制度化を試みている。
また、豊田武の1930年代に書いた『宗教制度史』には、国家神道という単語はある(稀な例ではある)。
子細に見ていけば、1882年に明治政府は神社神道を「国家の祭祀」として一般の宗教から切り離した。
いわゆる「祭祀と宗教の分離」を行い「神社神道は国家の祭祀であって宗教ではない」という名目を
打ち出しているが、後の教育勅語が思想的概念を担い民社により宗教的意識を教化したという分析もある。
>国体明徴運動というのは、神道の国教化とは、あまり関係ないんじゃないの?
此は確たる資料があるわけではないが、国体明徴運動を受けての「国体の本義」や
「教育勅語啓蒙パンフレット」を読む限りは、内容に其の因果関係が見受けられる。
「その根本に於ては、祭祀及び政治と一致するのであつて、即ち祭祀と政治と教育とは、夫々の働を
なしながら、その帰するところは全く一となる。」(国体の本義より抜粋)
私は大概二ヶ月毎に部屋のレイアウトを変更する。気分転換もあり作業効率が格段に向上する。
私にとって変化とはその規模がどうであれ未知への冒険だ!
変革者たるわが運動も常に前進している!
本日靖國神社で宮崎同志の入隊式が挙行、新たな血が凄烈息吹を与える!
変革維新の囁きを知覚できる能力は、変化と大ロマンへの執着心の中に宿るのだ!
ブッシュの飼犬に成り果て戦後価値観にしがみつく小泉に遠大な夢を見る脳味噌などあるまい!
アメリカ被れのポチは国家天下を論ずる前にまずは五反田の犬小屋を片付けてみろ!
名古屋意志の会
http://k.excite.co.jp/hp/u/ahoyama369/
652 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/23 23:50 ID:4sieEBCS
梅原武の教育勅語と元田永孚の評価
宗教教育はいわゆる国家主義教育、教育勅語が宗教教育の代用をした。これは戦前には
確かでありまして、奉安庫というのがあった。奉安庫は神社や寺院の代用品だと思いますが、
それが聖なるもの。そういう教育勅語を教えられて、教育勅語は修養の材料、修養の教科書、
修養の聖書だという教育でございます。教育勅語は明治の日本に確かに必要な、ある種の道徳を
与えているんですけれど、その思想はやはり折衷主義です。忠君愛国の思想を根幹にしました、
卑近な折衷主義であるように思われてしょうがないんです。これは元田永孚というのがつくった
んですけれど、明治20年代につくるんだったら、当時の明治時代の英知を結集できなかったか。
例えば福沢諭吉もいるし、幸田露伴もいるし、そういうすばらしい明治時代の人たちがいた。
こういう人たちの英知を結集して教育勅語をつくったならば、もっといいものができたはずだ。
そういう明治時代の人たちの知的レベルには到底及ばない。それを天皇の勅語として出したのは
必ずしもよいことではなかったと思うんです。
653 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/24 00:03 ID:fR0J3Xzz
梅原武の考える神道
神道というものは縄文の宗教で、人間が生きとし生けるものと共存していたので、スピノザの
汎神論につながるような、至るところに神を見るという思想だったと思うんです。ところが、
それが明治時代に、結局、国家主義に神道を改造した。それが靖国神道だったと思いますけどね。
こういう神道だということになると、国家主義にはプラスするけれど、精神の糧にならない。
そういう神道をもとに戻して、例えばうそを言うなと。うそを言うなというのは、神道の非常に
強いモラルなんです。夏目漱石の『坊っちゃん』というのを考えたときに、あそこにはっきりと
うそを言う人間ほど汚いものはなくて、清��―女中さんの名前が清ですが、清いということは
うそを言うなということです。神道という形が、ああいう形で残っていたんじゃないかと私は
思います。
654 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/24 00:58 ID:fR0J3Xzz
れ氏
明治政府が国の神道儀式を担った事と国教化が無関係と云うのなら、祭政一致の制に復する旨を
告示した、其の目的と意図は国教的地位を意図しないので有ればどの様なものだったのか
理由を明示すべき。また、神祇官制度を復活理由は何処に求められるのかも。
「祭政一致」と「国教化」には因果関係が見られるとするのが、一般的見解だが私もこの見解を
支持する。国体明徴運動以降の「国体の本義」には「祭祀及び政治と一致する」と明示されており
明治初期の「祭政一致」と意図するところが合致するのは偶然ではあるまい。残念ながら、
私は其れを時系列的に提示できないが、安易に「関係ない」と切り捨てて良いほど因果関係が
希薄とは考えられない。検証するに値するだけの類似性は見受けられる。
655 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/24 01:06 ID:fR0J3Xzz
藤井貞文 編 / 圭室文雄 校訂『社寺取調類纂 解説・収録目録』
明治維新政府は、明治元年早々に祭政一致の制に復する旨を告示し、神道国教化政策を明示した。
このため古代律令制に定められていた神祇官制度を復活してこれに当たらしめたが、その後の近代化、
富国強兵等の政策展開と相容れないところがあり、明治4年(1871年)には神祇省に改組、さらに翌年
教部省となり業務の多くを式部寮に移管した。後年さらに内務省も一部業務を管轄しつつ、国教化政策を
推進した。『社寺取調類纂』とは、社寺に関する行政事務を管轄したこれら省庁の資料の総称である。
ここに収められている資料の多くは、仏教保護政策から神道保護政策への転換期である明治3年から
10年頃に、これら省庁の命により府県からこれら官庁に提出されたものと考えられる。
資料目録を見ると、「○○宗本末寺号其外明細帳」という書類が多いことが分かるが、これにより
明治維新政府の国教化政策が地方末端にどのように浸透していったかが理解できよう。目録校訂者の
圭室文雄氏は「明治政府の法による宗教統制は、かなりの時間をかけなければ貫徹していかない様子を
示している」としている。
但し、この明細帳にしても全国から報告されたもの全てではないらしく、府県レベルではこの種の
資料がかなり多く死蔵されているものと推定する。それを考慮しても、この資料が明治初期における
明治維新政府の神道国教化政策、さらには宗教政策を研究するには不可欠のものであることには論を
待たないであろう。
亀哲人さん、すごいですね。どうやってこれだけの広範な知識を身に付けたのですか?
657 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/24 02:03 ID:fR0J3Xzz
「大教宣布の詔」に関する認識が気になったので少し調べた。
其の上で再度当該懸案の意図を再構築し、掲出したい。
「大教宣布の詔」を受けて神官の職制と社格の制定、あるいは神祇官の復興などの諸政策が
打出され、神社をはじめ有識者・僧侶が一体となり、神道の国民教化に務めた。
其れが大教宣布運動であり、神道の国教化政策としての色彩が強い運動体となった。開始されて
まもなく、大教院が開設され、ここに、「天御中主神、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、
神皇産霊神(かみむすびのかみ)、天照大神」の四柱の神が祀られた。全国の各県県庁所在地には
中教院が設けられ、その下には多くの小教院が全国神社社寺に置かれ、神官、僧侶、一般有志が
一体となっての大教院運動が行われた。しかし、ほどなく大教院は廃止となり、替わって
「神道事務局」が設立され、四柱の神がここに移されて、再び神道を中心とした国民教化活動が
展開されることとなった。これらの運動と変遷が、いわゆる「国家神道」と呼ばれる形質を
作りだした原型であろう。また、其の土台を担ったのが、幕末維新の尊皇攘夷主義の精神的支柱
とも云われる国学者平田篤胤の神道思想の体系化である。
>>652 >>653 「梅原武」とあるのは、梅原猛氏のことですか?
いろいろと詳しく教えていただき、ありがとうございます。
>>651 >アメリカ被れのポチは国家天下を論ずる前にまずは五反田の犬小屋を片付けてみろ!
永田町(官邸の近く)に新しい犬小屋(公邸)が完成したら、戻るそうです。
高級住宅地・東五反田の犬小屋は、永田町の古い小屋とは比べものにならない
くらい豪華なものだと吼えていました。ここはもともと、官僚のトップクラス
である内閣法制局長官の公邸だったのです。小泉よりは官僚のほうが、犬とし
ては高級種ということなのです。
このスレは、ちょっと日本の事ばかりで、
>>1の趣旨からたまには外国の事を書きます。
11世紀には、ヨーロッパの修道院には既に付属の病院があったそうです。
つまりキリスト教が社会に貢献する歴史は少なくとも既に1000年以上はあることになります。
しかし、日本神道にはそのような業績は全くありません。ですから、そういう役割を神道に求めるのは無理というものです。
やはり、日本神道は皇室の御用宗教に過ぎないということになりますね。
660 :
保守を考える:03/11/24 09:44 ID:D1flPROX
>>650 >伊勢神宮を頂点とした官弊社神道が、国から
>国家祭祀として特権的地位を与えられた事により、事実上の国教的地位を占めていた点を無視している。
「官幣社」とは、律令制以来、神祇官から幣帛を奉げられた神社の事をいい、
新たな官幣社は、宮内省から幣帛を奉げられた神社をいう。
即ち、伊勢神宮などは、有史以来の一等級の神社であり、明治政府の政策でそれが出現したというのは
間違い。まして、出雲大社(名の通り「大社」)はどうなるのか?
また、どうしても神道を「国教的地位」としたいようだが、明治憲法想定時に
国教の禁止が議論され、憲法義解によってそれが明確化されているのに、まだ言うのであれば
国教的地位として、どのような『教義』で、国民を教導したのかくらい書かんと駄目だぞ。
>後の教育勅語が思想的概念を担い民社により宗教的意識を教化したという分析もある。
ある。のはいいんだけれど、具体的にどの文言が宗教意識を教化したと、その人は言ってるわけ?
>「その根本に於ては、祭祀及び政治と一致するのであつて、即ち祭祀と政治と教育とは、夫々の働を
>なしながら、その帰するところは全く一となる。」(国体の本義より抜粋)
これがどう、神道の国教化に繋がるのか、意味が解らん。「特にその帰するところは全く一となる」の
帰するところとはなんぞや?
>亀哲人氏
当方も承知していることを並べられても・・・。
>>650 前段
>宗教的意識を教化したという分析もある。
分析もあるだけでしょう?「祭祀と宗教の分離」をおこなった。しかしそれがうまくいかなかった。
そういいたいなら、国は国教化しようとしていなかったのに、実態として国教的状況に
なってしまったということでしょ。
後段(
>>654への回答も同じ)
祭祀と宗教を分離し、祭祀と政治を一致させるなら、神道を国教にするという動きとは、正反対
でしょう。
662 :
保守を考える:03/11/24 10:02 ID:D1flPROX
>>652-653 それは、梅原猛がそう思っているのであって議論には、全く関係無い。
>>654 祭政一致の本質は、国家儀式としての、顕彰なり慰霊等、既に習俗と化している
ことから、その習律を整理しそれに則って神社等を宗祀したのであって
何かの宗教的教義を定め、国家国民を教導したという事はない。
確かに、大教院に於いて、国家としての祭祀に関する教義について議論があったが
先に示した通り、浄土真宗が猛反対して、大教院は解散する。
後に出来た、神道事務局内に於いても、伊勢派と出雲派が対立して、明治天皇に勅裁を
仰いでいる。そうして明治15年には、上級神主が布教や葬儀を行う事を禁止し、ここに
於いて、やっと宗教なる概念が持ち上がってくる。つまり、宗教としての神道は
いわゆる教派神道になり、国家祭祀としての神道は宗教ではない。という結論に達する。
また、既に明治4年には、神職の世襲を禁じており、そのような反発は後の教派神道側から
大きく取り上げられていた。
もう再三申し上げているのでイヤになるが
神道の宗教という側面と政治の 分離を、明治政府は意図していた。
しかし皇統を欽定憲法の根拠機軸としている以上、皇統の祭祀については、行う必要がある。
ここに祭祀と宗教を分離するという『国家の祭祀のみを担う神道』が、国として必要だった。
なぜなら、政教分離は、人類が獲得した普遍の原理であると、明治憲法草案者および、
その会議に参加していた明治天皇は考えていたからである。
だから、祭祀というものと、国体・政治の一致と言うのは「政教分離のための施策」であって、
国家神道の国教化という表現は、「国家の祭祀のみを行い宗教と分離した神道を、国の宗教
とする」という表現となり、日本語として成立しない。
で、祭祀を宗教ではないというところに、現代としてみれば、無理があるということになろう。
そしてその祭祀部分が、皇統だけではなく、靖国という部分にまで波及してきたことも含めて
確かに様々な問題の原点でもあろうとは思う。それを今後の議論の方向にしたいが
その前に、国家の意図と現実の方向の違いというものの、合意というか把握をしておかないと
その議論が不毛になる。
祭祀は宗教ではない、というのが明治政府の基本理念であり、それは明徴運動の際も
別段変化していなかったということを理解の上、亀哲人氏の書き込みを見れば、私や
保守考氏の述べている意味が、理解できるだろう。
結局のところ、欽定憲法、立憲の機軸というものの理解の問題ではあろう。
明治維新という運動は、立憲国家を目指していたのかどうか、と考えれば、
マァ違う(そういった意図をもっていたものは多数いただろうが・・・)と思う。
明治維新を革命と捉えたところで、立憲の必然性は出てこないという意味である。
民主主義的傾向をもった明治憲法を作り上げるという意図で、明治維新が行われた
ということではなく、列強と対等となるために、立憲が必要だったという歴史の流れ
である。だから、立憲の根拠たる機軸を、皇統としたということについて、歴史の
限界であり、必然であるとしたら、そのための祭祀の宗教からの分離という理念は
他の国家において国教の存在が一般のなかで、政教分離という斬新な試みであり
それは、日本の風土として、文化として、伝統として、歴史的に妥当性があることだった
そう把握し、当時として妥当であったことを、同意できるかどうか、ということが、基本と
してある。
同意できなければ、何を機軸に立憲するのが妥当なのか、その見解を述べる必要があろう。
665 :
保守を考える:03/11/24 10:37 ID:D1flPROX
>>655 これは、
http://www.wul.waseda.ac.jp/CLIB/MICRO/shaji.html を転載しただけなので、君の意見が書かれていない以上、レスは無用かと思われる。
まあ、簡単に言えば、この調査は氏子調べといって、全国にあまた有る、神社を
統計し整理するのが目的であり、その事は、現在の文化庁もしている事である。
当時の神社の総数は、明治12年から39年の間にやっと統計がとれ19万3千とのぼり
これら神社の統廃合の施策の為である。重要文化財としての考慮からも、必要な措置であり
妥当な施策であると考える。
>>657 それについては上で述べたから繰り返さないが
>国学者平田篤胤の神道思想の体系化である。
篤胤の目指したモノは、魂のアルケオロジーであって、神道云々に殊更拘ったわけではない。
まあ、彼は、一流の民族学者でもあるし、歴史学者でもあるが
一番注目するのは、「お化け」の研究だろうか。
まあ、平田篤胤の評価は、後代において恣意的に解釈され過ぎている弊害がある事は否めんが。
それと、平田学派で最も有名な苗木藩の青山景通がいるが、彼の藩こそ廃仏毀釈運動の最たる藩と
言われている。このような運動の行き過ぎから、明治四年三河大浜、信越地方で民衆が蜂起し
廃仏毀釈運動の沈静化が始まり、それに並行して平田学派も政界から追放されていく。
要するに、君の挙げている時期に、平田学派の影響、ましてその体系化なぞおきようがない。
>>657 亀哲人
まぁ明治初期の宗教政策を過大に評価しているみたいですけど、
その後、どうして国家神道を司る部署が、段々低い地位になっていったのでしょうか。
また、それ程明治の宗教政策に詳しいのでしたら、「神社改正の件」についても
ご存知だと思いますが、これについてはどう思いますか?
ちなみに「神社改正の件」とは、秘密文書(?)らしくて、結局廃案になったのですが、
これは神社を国家から切り離すことを企図しています。
また、これを基にした保存金制度も将来、神社を国から独立させることを企図していました。
↑「氏」が抜けていました。失礼。
668 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/24 11:27 ID:fR0J3Xzz
>>658 >「梅原武」とあるのは、梅原猛氏のことですか?
そうです、間違えました。申し訳ない。
>>659 キリスト教には「隣人愛=アガペー」が重要な教義として有ります。其れが、社会貢献や
他者救済といった概念を育て、ボランティアなどの活動の源泉になっています。
669 :
659:03/11/24 11:38 ID:???
>>668 亀哲人さん 返答ありがとう。スルーされたと思いました。
確かにそのあたりが、神道との大きい違いですね。
>>659 ななし君
については、私はスルーするよ。
社会貢献を行う宗教が、それなりに評価されることを否定しないけれども、
神道が、皇室の御用宗教という、Santi氏(
>>461)と同様の評価を、無根拠に書き込ん
でいる時点で、単なる煽りだからねぇ。
議論についていけず、無根拠な誹謗を行うことは、その、社会に貢献するキリスト教教義
に基づくと正しいことなんだろうか。他教を誹謗することを層化は批判されていたけど
やっぱりそういう批判をする人たちって、自分の都合だけなのだろうと、笑っておこう。
671 :
保守を考える:03/11/24 12:03 ID:psBJt8ZC
672 :
保守を考える:03/11/24 12:10 ID:psBJt8ZC
因みに上のサイトにある『済生勅語』とは、明治44年2月11日の
「施療済生ノ勅語」の事。
曰く
「 朕惟フニ世局ノ大勢ニ随ヒ国運ノ伸張ヲ要スルコト方ニ急ニシテ経済ノ状況漸ニ革マリ
人心動モスレハ其ノ帰向ヲ謬ラムトス政ヲ為ス者宜ク深ク此ニ鑒ミ倍々憂勤シテ
業ヲ勧メ教ヲ敦クシ以テ健全ノ発達ヲ遂ケシムヘシ
若夫レ無告ノ窮民ニシテ医薬給セス天寿ヲ終フルコト能ハサルハ
朕カ最軫念シテ措カサル所ナリ乃チ施薬救療以テ済生ノ道ヲ弘メムトス
茲ニ内帑ノ金ヲ出タシ其ノ資ニ充テシム卿克ク朕カ意ヲ体シ宜キニ随ヒ
之ヲ措置シ永ク衆庶ヲシテ頼ル所アラシメムコトヲ期セヨ 」
である。
673 :
保守を考える:03/11/24 12:33 ID:psBJt8ZC
>謎氏
>>666 亀哲人氏が、「神社改正の件」や「官国弊社保存金制度」を知っているのであれば
神道を国教化したなんて言わないでしょう。
674 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/24 12:38 ID:fR0J3Xzz
>>660 保守考氏
書き方が悪かったか。伊勢神宮は別格。だから明治に整備された「官幣社」の上に
格上の神社(別格官幣社)として位置付けられた。出雲大社は賛否有った様だが
「大社」として格付けされたはず。
>どうしても神道を「国教的地位」としたいようだが、
何度も書いていると思うが、明治憲法制定時までの期間、当初画策した国教としての試みは
とん挫している。大筋の流れで云えばこうなる。
・江戸幕府が厚遇した佛教に代わり、明治新政府は神道を国教にしようとし、
神仏分離令、神祇官制度による格付けと制度の整備を行った。
・廃仏毀釈などの混乱があり、また、仏教界からの反発の影響もあってめまぐるしい
制度や所轄官庁の変遷があった。
・明治憲法制定の必要性から制度や政教分離(制限付き)を打ち出し、其れは帝国憲法第28条
として結実した。だが、そうした中にも伊藤ら立憲派と元田永孚ら宮中勢力の政治への
介入運動(天皇親政運動)等対立抗争も有った事は見逃せない。
>亀哲人氏
だからさ〜、君の誤解は、欽定憲法の根拠機軸たる皇統の祭祀(それは伊勢神宮を
特別の神社であるとしたりすることなど)が、神道の国教化と捉えていることにあるという
ことだよ。
それは、神道の国教化ではなく、神道の宗教的部分を取り払った、祭祀の部分だけを
国として国体や政治と関連付けようとしているだけであって、政教分離の政策の
一環なんだよ。
貴殿にとっては、そういった神社特別扱いとか、祭祀は宗教かもしれないけど
それは、現代の視点で見ると、そうなだけということを、再三申し述べているから、
そこの見解を書かないと、ループに陥るよ。
676 :
保守を考える:03/11/24 12:52 ID:psBJt8ZC
677 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/24 12:55 ID:fR0J3Xzz
>>660 保守考氏
>具体的にどの文言が宗教意識を教化したと、その人は言ってるわけ?
どの文言という事は無かろう。成文全体として皇室神道とその末裔である天皇を敬えと
云っているのだから。「天照大神以来の天皇の御始祖たちが我が日本を建国」という
建国神話は思想的に神道であり、其の宗教心を育むことを意図している。
678 :
保守を考える:03/11/24 12:57 ID:psBJt8ZC
>>674 次に
>・江戸幕府が厚遇した佛教に代わり、明治新政府は神道を国教にしようとし、
> 神仏分離令、神祇官制度による格付けと制度の整備を行った。
何度も教えてあげているが、『宗教』なる概念が無い時代に、国教(国の宗教)とい
概念が生まれるわけがない。ここが解らんのでは話にならんぞ。
>・廃仏毀釈などの混乱があり、また、仏教界からの反発の影響もあってめまぐるしい
> 制度や所轄官庁の変遷があった。
「めまぐるしい」という形容詞が妥当かどうかは別として、まあ概ね宜しい。
>・明治憲法制定の必要性から制度や政教分離(制限付き)を打ち出し、其れは帝国憲法第28条
> として結実した。だが、そうした中にも伊藤ら立憲派と元田永孚ら宮中勢力の政治への
> 介入運動(天皇親政運動)等対立抗争も有った事は見逃せない。
繰り返すが、元田永孚は「国教」を国が教える学問、特に道徳面において強調したのであって
宗教を意識した「国教論」なぞ、記していない。
679 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/24 12:59 ID:fR0J3Xzz
>>675 云いたいことを冷静になってまとめて欲しい。
情動に駆られた書き方だと、此方も何が云いたいのか理解できん。
>>670-671 れ氏・保守考氏
取り敢えず返答頂いた事はありがとうと言っておきます。
>キリスト教教義に基づくと正しいことなんだろうか。
私は別にキリスト教徒ではないので必ずしもキリスト教の教義に従う必要は無いのですが、
それにしても私は神道の実態を述べただけなのに誹謗といわれるのは心外です。
保守考氏、
>>671の発見はヒットでしたね。
この前、Santi氏か誰かに求められて答えられなかったですよね。
しかし、それは神道の組織ではないような・・・
まあ、この辺で止めときます。
どうぞ、「私ではついていけないとやらのハイレベルな議論をお続けください。
>>673 保守考氏
>亀哲人氏が、「神社改正の件」や「官国弊社保存金制度」を知っているのであれば
神道を国教化したなんて言わないでしょう。
そう言われればそうですね。
で、亀哲人の見解について解説すると
>>650 >伊勢神宮を頂点とした官弊社神道
>与えられた「国教的地位」を無視する事は出来まい。
というのは、まさに、祭祀であって宗教神道ではない。
>1882年に明治政府は神社神道を「国家の祭祀」として一般の宗教から切り離した。
という記述が、貴殿誤解という私の判断の根拠なんだが、「一般宗教からの切り離し」
ではなく、「宗教としての神道から、祭祀を切り離した」ということなんだよ。
>「その根本に於ては、祭祀及び政治と一致するのであつて、即ち祭祀と政治と教育とは、夫々の働を
>なしながら、その帰するところは全く一となる。」
というのも、祭祀との一致を望んでいるのだから、宗教神道との一致ではない。
>>652も同様で
>宗教教育はいわゆる国家主義教育、教育勅語が宗教教育の代用をした。
というのは、皇統というものと、天皇は、明治憲法の根拠機軸であるし、国家元首なんだから
当然に尊敬され、経緯を払われるべき存在で、その根拠は皇統にあるということだから、
宗教神道を教育したという把握は、的をはずしているわけだよ、当時の思想からいえば。
現代の支店で言えば、宗教教育という表現があながち誤りであるとはいえないけれども・・・。
つづき
>>653の記述も、全く同じ誤解をしていて
>それが明治時代に、結局、国家主義に神道を改造した。それが靖国神道だったと
>思いますけどね。
というのは、まさにそのとおりなんだけれども、国家主義的浸透というのは、祭祀のための
神道であって、清いとかそういった宗教的部分を除外したものなんだから、
精神的な糧になるわけがない。
>>654はまさにその誤解の集大成で「祭政一致」を明治政府は目指していたという把握を、
私がしている。貴殿は、政教一致という把握をしている。まさに、祭祀と、宗教を分離した
明治政府の思想というものを理解していないのである。
>>655は、それが如実で
>明治元年早々に祭政一致の制に復する旨を告示し、神道国教化政策を明示した。
という、矛盾に満ちた表現を、そのまま納得している。
祭政一致こそ、神道国教化防止のための政策であるんだが。
684 :
保守を考える:03/11/24 13:08 ID:psBJt8ZC
>>677 おひおひ、皇室神道とその末裔である天皇を敬えと
どのように解釈できるのだ?
また、建国神話が、なんで宗教なのか、意味が解らん。
以下に教育勅語を掲載するので、当該箇所を、抜粋してくれたまえ。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ
此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ
博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ
世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ挙々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
>>680 >それにしても私は神道の実態を述べただけなのに誹謗といわれるのは心外です。
笑わせんなよ。神道の実態を知っているなら、せめて亀哲人氏のように、きちんと
論証をあげて書いてみろ。ななしのチキンを相手にしてやっただけありがたく思え!
とアズマ風に煽ってみる。
686 :
保守を考える:03/11/24 13:12 ID:psBJt8ZC
>>680 ボクちゃんは、自分が書いた文面と、私が書いた文面をよく見比べて
その、意図を理解出来るようになってから、私に噛み付いて下さい。
神道の歴史は、古代神道から、有史時代となるが、
日本に医療機関なるものが、史料として見出されるのは、飛鳥時代からである。
>>685 >相手にしてやっただけありがたく思え!
ありがとうございます。お二方とも本当に神道の虜なんですね。良く分かりました。
では、これからも時々神道の悪口を書かせて頂きますので、今日のような反応をお願い致します。
>日本に医療機関なるものが、史料として見出されるのは、飛鳥時代からである。
ヨーロッパには、ギリシャ時代からありましたよ。つまり紀元前から。
688 :
保守を考える:03/11/24 13:22 ID:psBJt8ZC
>>687 >お二方とも本当に神道の虜なんですね
なんで?
私は、仏教も基督教も等しく勉強しているが、ボクちゃんのように、知ったかぶりで
物事を決め付けたりはしないよ。
>ヨーロッパには、ギリシャ時代からありましたよ。つまり紀元前から
だから何?
689 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/24 13:25 ID:fR0J3Xzz
お相手いただいてる皆様へ。
よんどころのない要件がある中座します。
レスは後ほどまとめますので。
>>688 反応が速いですね。それが神道の虜である証拠ですよ。
そうでないなら、もっと冷静な対応が出来るでしょう。
現に亀哲人さんは冷静な対応でしたよね。この違いは何からくるんでしょう。
やっぱり保守考さんは、神道カルトなんですか?
691 :
保守を考える:03/11/24 13:31 ID:psBJt8ZC
>亀哲人氏
で、現代の視点から見た、政治・思想・宗教の相関性について
私は既に、
>>287で書いておいたから、もう一度参考にしてもらいたい。
今、議論しているのは、明治の時代に於いての視点であって、
現代的視点を排除しなければ、当時の本質は見えない。という事を
もう一度、ゆっておく。
692 :
保守を考える:03/11/24 13:34 ID:psBJt8ZC
>>690 >反応が速いですね。それが神道の虜である証拠ですよ。
反応が早い=神道の虜
とは、常識的にならない。
常識的にならない事、常識的に成立つと勘違いするものは
えてして、『カルト』である。
以上。
693 :
保守を考える:03/11/24 13:39 ID:psBJt8ZC
しかも、私は、議論を試みようと、レスを返しているのに
それに、反応出来ない、ボクちゃんは、いたって冷静ではない。
議論に関係のない、話は、これで最後にしたいが
ボクちゃんが、冷静だというのであれば、人のレスをよく読み
その、論旨について反応してもらいたい。
出来ないのであれば、「アスペルガー」と判定し、無視させていただく。
尚、議論に関係の無い、煽り等、荒らし行為は、当該板に於いて、通報しておく。
では。
まぁ、ななしの糞やろうが、単なる誹謗中傷を目途として書いていることは、明らかだから
私は今後無視します。
せっかくのスレが、議論もできない馬鹿に荒らされるのは、私は好まない。
しかし、Santi氏、貴殿と同じように述べるこのななし君に、何か感想はないかな?
695 :
マサカド:03/11/24 13:45 ID:zQ7neEO8
神道は社会貢献らしきものを行わないのは、神道の教義(?)によっているわけで
だから神道は「いわゆる宗教」ではなく「習俗」だ、という話もでてくるわけだよね。
毎年のお祭りによって地域内のコミュニケーションを円滑にしている、という
見方もあらあな。それに慈善事業をやるのが宗教の本質なら、非宗教的な
ボランティアに参加したほうが、宗派の対立など考えずともよく、よっぽど
効率的だ。慈善事業を宗教の本質と考えるなら、すべての宗教の不要性が闡明
されるだけだよ。(D−RAMの見解みたくなったな…)
696 :
保守を考える:03/11/24 13:47 ID:psBJt8ZC
>>694 なんだか、イケズな事を言っているような・・・・。(いかん、イカン。推理する意味がない。
という訳で、私も出掛けてきます。
697 :
マサカド:03/11/24 13:56 ID:zQ7neEO8
>>695 マサカド氏
いらっしゃい。えー、明治時代の神道について、ここまで議論できる場を設けていただいた
>>1 に感謝したい気持ちだ。それはそれとして、ユダ的アズマ主義者としては、
明治憲法の政教分離政策としての、祭祀と宗教の分離・・・神仏習合状況からの整理
祭政一致政策という、政教分離方法、という部分では、ご感想もあろうかと思うが・・・。
国家政策としてのそれが、確かに地域社会における自然的神社や鎮守の森を
変えてしまったという批判はあって、それはそれで、評価すべきだとは思うんだけど
どうかな?
699 :
マサカド:03/11/24 14:10 ID:zQ7neEO8
>>698 おじゃまするよ。
評価っつーと、近代以前の神道が近代国家の神道として再構築されたこと
を肯定的に評価すべきか、否定的に評価すべきかってことか?
俺の着目している点は、「国家神道」がその形成のはじめからしてキリスト教の
対立概念として想起されてきたという点なのだな。「国家皇室」対「基督教」は
井上哲治郎による論争や内村鑑三の不敬事件を思い起こせば常に緊張関係に
あったことは俺には自明に思える。なぜそのような緊張が存在したかの原因を
追求すれば、やはり日本とキリスト教が遭遇した時代にまで、記憶が遡っていく。
「国家神道」と「基督教」の関係を論ずるなら、近代以前も含めたタイムスパンで
論じたいところだ。さすがに聖徳太子とネストリウス派の関係を調べるところまで
遡るのはやりすぎだと思うけどな。
700 :
右や左の名無し様:03/11/24 14:17 ID:xR4yFI5g
>>699 横レスだけど、ちがうんじゃないかな。
キリスト教は外国の思想だという明確な意識があったから嫌ってただけで、
国家神道とはあまり関係ないように思える。
>>694 れ氏
お呼び?
確かにその名無しは少し無礼かもしれない。ただ、私もこの前「御用宗教」って言ってしまったからな。
あれは少し言い過ぎたかもしれない。取り消させてくれる?ちょっと反省しました。
ところで、私も神道については、それ程詳しいわけではないので、この問題については亀哲人氏の様な議論は出来ないと思う。
私は今はなごみ氏との議論で精一杯だから。また時々書き込むかもしれないけど、その時は宜しくね。
702 :
マサカド:03/11/24 14:20 ID:zQ7neEO8
>>700 外国の宗教だから嫌いって理屈はなりたたないよ。仏教だってもともと
外来宗教だけど、日本に定着しているし。キリスト教だってはいってきた
はじめは信者を大幅に増やしているし、権力者に保護されたりもしている。
703 :
右や左の名無し様:03/11/24 14:28 ID:xR4yFI5g
>>702 外国の宗教だからというよりは、敵国の思想だから、みたいな感じだったのでは?
704 :
マサカド:03/11/24 14:29 ID:zQ7neEO8
>>703 そういう指摘じゃあまりに具体性にかけるよ…なんか実例をだして論じてよ。
705 :
右や左の名無し様:03/11/24 14:41 ID:xR4yFI5g
>>704 実を言うとあまり詳しくないので詳細な具体例はだせないんだけど、
お雇い外国人に対する明治政府の態度なんか見てると、思いのほか
日本としての自立心が強かったりするので。条約改正交渉とかも
絡んでるでしょうし、キリスト教に厳しくても不思議はない。
>>704 マサカド氏
名無しさん、いなくなっちゃったみたいだから代わりに答えて良い?
日本の為政者にとって都合の悪い面がキリスト教の中にあったということが考えられるけど。
例えば、万人は神の前に平等なんていう考え方は男尊女卑等の日本の伝統的な考え方にそぐわなかったという可能性はあるよね。
707 :
マサカド:03/11/24 14:47 ID:zQ7neEO8
>>706 仏教はすべての生命の平等をうたっているから、人間中心主義的なキリスト教より
平等のレベルが強いという風にもいえるわ。仏教はキリスト教到来の時点で
すでに日本に宗教として定着していたことは明らかだから、キリスト教に
おける「平等」の観念が特に日本の伝統的な倫理観にそぐわなかったという
見方は俺はとらない。
>>707 マサカド氏
確かにそうなんだよね。ヨーロッパにも身分制はあったし。では何だろ?
709 :
マサカド:03/11/24 14:53 ID:zQ7neEO8
>>708 キリスト教がスペイン・ポルトガルの帝国主義のイデオロギーとして機能していたと
当時の支配者はみなしたからだろうな、おそらく。
>>707 マサカド氏
でも、良く考えてみたら、国家神道がキリスト教の対立概念として想起されたということは言い切れるの?
キリスト教と国家神道との対立はむしろ結果的・偶発的なものじゃないのかな。
>>709 マサカド氏
江戸時代の話していたのか?私は明治時代を想定していた。
>>699 国家神道(という宗教としての神道から祭祀という部分を抜きだしたもの)と、西欧列強の
国教的キリスト教(ドイツ・イギリスが黄色人種には立憲は不可能だと馬鹿にしたその
根拠でもあろうけれども)からくる、民衆の規範とも言うべき、古き良き法たる規範の
対立構造と言うのは、自明とは云いがたいと思うよ。
まぁ、それは別としても、
そもそも日本に入ってキリスト教というのは、カトリックで、それはフランシスコザビ
エルのような、非主流民族聖職者をして、プロテスタントに押されぎみのカトリックが
新たな信者獲得のために送り込まれたわけだろうから、基本的に教皇という権威と
天皇とも対立することは、自明といってもいいし、祭祀としての皇統尊重との
基本的対立塾と言うのは、あったろうね。
織田信長あたりも、知識や論理構成(合理性を求める)を、参考にしたという史実は
残っているんだろうけど、結局は教皇という権威がある以上、キリスト教を布教させる
ことはできなかったろうし、それは、天皇でなくとも、幕府としても認められない。
カトリックが為政者から嫌われるのは当然なわけで、じあぁ庶民としてはどうだったか
といえば、キリスト教を信じないまま亡くなった祖先との峻別に対する抵抗というものは
現実に合ったのと、神・創造主・造物主という概念が、相当に理解できにくいものだった
ことは、確かかもしれない。
713 :
マサカド:03/11/24 14:58 ID:zQ7neEO8
>>710 そのあたりは保守考さんや、れ氏にあらためて聞けばよろし。
憲法制定に深くかかわった伊藤博文も、欧米におけるキリスト教に相当する
ものが日本にはなく、伝統的な儒教や仏教もその任に堪え得ないから、皇室を
国家の中心に据えるべきだ、と議論しているわけだ。
>>713 マサカド氏
だけど、言い出したのは君だよ。まず、君が説明する必要があると思うけれど。
れ氏や保守考氏に任せるというのは、ちょっとね。
>>712 れ氏
戦国・江戸時代の歴史認識といてはそれで概ね正しいと思うけれど、明治時代についてはその説は成り立たないんじゃない?
なぜなら、明治時代以降特に戦時中にはプロテスタントも弾圧されたんだから。pax氏も言っていたように。
716 :
マサカド:03/11/24 15:12 ID:zQ7neEO8
>>712 ザビエルが「デウス」を訳するにあたって、「大日」と訳したので布教のときに
話がトンチンカンな方向へいったという笑い話を思い出すね。
>祭祀としての皇統尊重との基本的対立塾と言うのは、あったろうね。
仏教の僧侶とキリスト教の聖職者が論争したという記録はあるが
神主と聖職者が論争したという話しは聞いたことないから、対立が
あったとしても、潜在的なものであっただろうね。
祖先崇拝とキリスト教の対立については、遠藤周作の「沈黙」などで
描かれていた在りようを想起するな。秀吉は聚楽第を建造して皇室を顕揚したが
とくに神道を宗教として信仰していたという風にも思えない。まして信長は
無神論者であるから、「造物主」という概念自体鼻からせせら笑っただろうね。
717 :
マサカド:03/11/24 15:15 ID:zQ7neEO8
>>713 だから伊藤博文の議論を紹介しているじゃない。この議論を持ち出すのは
見当違いであるとも?伊藤がこういう議論をしたのは、単に伊藤の個人的な
趣味の問題にすぎず、偶然であるということか? そっちの方が信じられない。
718 :
マサカド:03/11/24 15:17 ID:zQ7neEO8
それに「憲法義解」などにおける詳しい議論を追うのは、俺より保守考氏の方が
適任ということだよ。俺の話はきわめて大まかだからな。
>>715 Santi氏
明治時代については、亀哲人氏との議論の中で、散々書いているから、そちらで確認
ください。
基本的には、神道から祭祀部分を分離することで、政教分離を図ったけれども、実質的に
天皇や政府の意向とは違う方向へと社会が回転し、国教的把握をされてしまった。
そして、そのことと祭祀の範囲が皇統以外の靖国の英霊という部分まで拡大し、
さらに、国家総動員的戦争という場面が重なって、様々な宗教への抑圧もあった
という把握をしているし、そのことについての評価というものはこの後の議論になろうけれども
その前に、亀てっチャンや貴殿において、政府の意思や国家の意思、明治憲法の理念と
いうものと、現実の動きというものの衆別についてある程度合意しないと、不毛な議論に
なるから、今はそこまで踏み込んでいない。
いずれにせよ、戦争当時については、あなたの銃はどっちを向くのかという確認とか、
そのような様々なファクターもあるから、別立てで考える必要はあるよ。
今は江戸から明治初期ということで、マサカド氏と話をしたいと、私は思う。
>>717 見当違いなんて言ってないじゃない。
ただ、私の認識は少し違って、伊藤博文が訪欧して向こうで各国の統治システムを見聞した時に、
国家に権威を与えているのはキリスト教だと感じたんじゃないかな。
それで、日本でキリスト教に該当するものが必要だと感じて、国家神道というものを作り上げたんじゃないかな?
異論があったら教えてよ。
>>716 マサカド氏
たしか、逆説で書いてあったが、「はじめに賢きものござる。賢きものは極楽。」
という訳が存在するらしい。漁民とのやり取りでかかれたものだそうだ。
神父が最も苦労したのは、死んだ私の祖父、あるいは、死んだ兄弟は救われ
ないのでしょうかという質問だそうだ。
天国に私だけ行くより、みんなとお墓に眠るほうを選択するという気持ちは、
理解できるよ。
>>719 れ氏
貴殿の意見にそれ程違和感は感じないよ。恐らく貴殿の言っている通りじゃないかな。
ところで、私もその江戸時代の話に参加しても良いのかな?よろしければ、参加させて欲しいな。
>Santi氏
どぞどぞ。いちいちことわる必要もないよ。
724 :
マサカド:03/11/24 15:30 ID:zQ7neEO8
>>720 いや、それで問題はない。しかしその解釈だと、なぜ明治の日本が国教をキリスト教と
しなかったのかという問題がでてくる。近代国家の範を欧米に求めるなら当然国教を
キリスト教にすべきという議論もあったわけだから。しかし明治の日本は国教を
キリスト教にはしなかった。これは「基督教」と「国家神道」が価値の体系として
互いに異なるもの、すなわち対立するものとして捉えられていたのでは…?
というのが俺の主張だ。
725 :
マサカド:03/11/24 15:35 ID:zQ7neEO8
>>721 うん、その話は俺も理解できるな。それが神道における価値観とキリスト教に
おける価値観の衝突の現れであると、解釈しようということだね。
ひとまず同意しておいてもいいかもしれない。
五箇条のご誓文にみられるように邪宗門の教えだからな。封建社会に
とって、平等という価値観はその根本を揺るがすものという捉え方を
されても仕方がない。しかも、スペイン-ポルトガルはトルデシリアス
条約で日本を分割統治することを策略していた。資本主義-帝国主義の
先兵として。
>>724 マサカド氏
日本がキリスト教を国教にするというのはあり得ないでしょ。必ずどこかで齟齬が生じる。国民の反発も招きうる。
むしろ、日本でキリスト教に対立するというより、それに相当するものとして国家神道を導入したということじゃないのかな?
ところで、れ氏が江戸時代の話がしたいそうだから、この話は取り敢えず棚上げにする?
728 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/24 15:43 ID:fR0J3Xzz
ちょっとだけ割り込みます。
明治政府が初めて発行した教科書はキリスト教の理念に基づくものです。
当初はキリスト教理念で近代国家を築こうとする意図があったと云われる査証として
良く引き合いに出される事例でもあります。その後はキリスト教理念は排除さて行きます。
では、また後ほど。
729 :
マサカド:03/11/24 15:44 ID:zQ7neEO8
>>727 価値観において対立するものと、ずっと見なされてきたことは明らかだよ。
何しろ二百年以上にわたって禁止され続けてきたのだから。
そうね、このあたりで棚上げにしとくのが無難かな。
>>725 考えてみれば、結構重要な部分で、明治憲法草案の際に、国教を持つべきという
英独憲法学者(実際にトルコなどでの立憲失敗の経緯を見ているその結論だろうが)
の助言を否定し、国教禁止は普遍の原理といっているんだから、何がしかの国教と
云うものを、神道あるは、仏教から立ち上げるという方法もあったわけだ。
しかし、それを否定した論理と言うのは「模倣でない立憲には、その国の歴史と伝統
の反映が不可欠」ということだから、そして「神道も仏教も歴史と伝統に根ざした機軸に
なりえない。」としている。
では、江戸時代の「宗教なるものの実態」はどのようなものかを探るのは、意義があるね。
それで、えーと、まぁ、ここでいう歴史と伝統に基づく機軸と言うのは、言い換えれば、
「国家理念を維持する規範」ということだったと思う。
そうすると、歴史や伝統に支えられ、国家を維持する際の国民的規範というものが、
江戸時代の仏教や神道に存在していたかというと、やっぱり存在していない。
お上のお触れは、何回出しても守られないものが多数あるが、他国から見れば
礼儀正しく、質素で、教養もあるし、勤勉な民族なんだが、それを支えているのは
どんな規範体系かというのが、伊藤にも井上にも分からなかったということだろうね。
731 :
マサカド:03/11/24 16:00 ID:zQ7neEO8
>江戸時代の「宗教なるものの実態」はどのようなものかを探るのは、意義があるね。
士大夫階級は専ら儒教の教養により、それ以外の階級は神仏混淆が宗教的崇拝の
実態であったろう、と俺は考えている。え〜〜、それではひとまずこの辺で。
>>731 え、ひとまず・・・。またね。
で、勝手に書き進めるけれども、国家の理念を維持する規範としての宗教として
神仏習合の宗教が、機能していないのに、なぜ日本人は、穏健で勤勉で、礼儀正しかったか
ということだけど、これは、儒教では説明しきれない。
誰か推論はある?
やあ、復活したよ。
>>732 ほぼ同意してもいいかな。
え〜ではまた。
>>732 れ氏
結局は国民性ということだと思うけど。
儒教以外に仏教とかその他の要素の影響もあるだろう。
あと、島国である事とか気候が比較的穏やかである事とかといった地理的な原因もあるんじゃないか?
だって、そうじゃないと日本人と中国人でどうしてこんなに性格が違うのかを説明できないよね。
>>734 Santi氏
それは天命思想で説明できると思うよ。
放伐あるいは禅譲という、不徳で政権が交代するという思想と、
儒教国家だから、科挙制度によって公吏となることが、民衆の最も望ましい地位となる以上
勤勉に農業や職人としての仕事を全うするということを、好ましいこととは、基本的には
考えない価値体系は、ある。(現実にすべての人がそうだということではなく、あくまで
価値体系の話だよ。)
736 :
右や左の名無し様:03/11/24 21:09 ID:77Kf4ObK
737 :
保守を考える:03/11/25 12:47 ID:eyyac/GX
>>737 お帰りなさい。食事にします?それとも、お風呂?
で、ちょっと書いたんだけれども、半島や大陸の諸国民との気風の差というものは、
天命思想の影響も大きいとは思うが、日本を覆っていた規範の元は何かといえば
結局は、和の理念だとか、日本仏教の理念だと思う。
まぁ、概ね、江戸時代の日本人の特徴を外国人が評価するに、
1、礼儀正しい
2、穏便である
3、勤勉である
の三つが挙げられようと思うが、その三つは概ね、怨霊信仰と穢れの思想と、もうひとつが
禅宗的日本仏教の自分のことは自分でするとか、至誠は天に通じる、あたりで説明できて
しまうようには思える。どうだろう。
つづけてかくと、
そのような規範という部分は、マァ現代の日本人にとっても、特異なこととは思っていない
から、見過ごされがちではあるが、そういった規範というものは存在していた。
しかしそれは、立憲の規範となるほどには体系化されていなかったんだろう。
体系化はされえいなかったけれども、その規範はキリスト教(特にカトリック)とは
対立しただろうし、その基調は、和の思想からに違いない。
伊藤や井上が拒否しようとしていた宗教なるものの実態というのは、生類哀れみ
の令に代表される、占いやご神託、籤や吉凶現象に基づく宗教的判断からくる、国政への
関与を、防止し、古い悪習を排除し万機公論に決することを実現しようとしていた、ということ
ではないかと思うわけで、実際に江戸時代においては朝廷周辺でも将軍周辺でも、相当に
祖先祭祀を担う側から、そのような影響力の行使は、あったと見ることはできるように思う。
740 :
保守を考える:03/11/25 18:33 ID:jpk+1Vo9
>れ氏
>>738-739 局部的に考察すれば、まあ、れ氏の仰るとおりです。
局部的にといいましたのは、日本に於いて、その思想なり規範の根源をなすものが
一つの理念なり、原理に求められるのかというと、何らかの経典等ではなく
日本人の精神の融通性ではないかと考えるのです。
と、いうのは、神道にしろ仏教にしろ、又は儒教にしろ、それらの混交を、
日本人精神というモノは受け入れ、発展・継承してきた。
もう少し言えば、それらに基づく学問に於いても、例えば、朱子学なり陽明学、古学
又は蘭学(洋学)さらには、国学、実学などなど、そういった精神(宗教なり思想哲学)的
土壌が、もともと日本精神には備わっており、それが江戸時代に開花したと捉えます。
そうなると、何故、明治当初の政府なり庶民が、基督教に対して警戒心を抱き
なかなか、受け入れ難いモノを感じざるを得なかったのか?
という疑問もおきましょうが、それはやはり禁教時代の影響が大きいと考えられます。
禁教にした理由は秀吉まで遡らなければなりませんから、省略しますが、
幕府の禁教政策を社寺統制により任せられた、各宗派の僧達は、庶民に対して
耶蘇を邪教として排斥する教えを説きました。それが200年以上続いたのですから
明治初頭に於いて、いきなり、その考え方が180度転換するなんて、まあ無理な話です。
741 :
右や左の名無し様:03/11/26 00:43 ID:cdXLouAG
>>740 保守考氏
最近、どうも、神道というものを考えるに、基本的な疑問というものが沸いています。
どうも、極端な言い方をしますと、輪の思想・理念というものの、霊的な部分を担うために
神社というものがあるのであって、神社ができることによって宗教的神道が形成された。
神道ありて、和の思想ありという順序ではないと、最近思えるのです。
まぁ当然に、民族宗教と、民族の根底的規範というものはリンクするのですが、そして
民族的規範が宗教に影響もするのですが、日本の場合、和の思想→神社→神道という
形成パターンではないのかと思えるのです。
そうすうと、和の思想に、キリスト教は全く当てはまらない。贖罪し救いを求めなければ
救われないわけですから、自分ひとり助かるような宗教というものが、基本的に受け入れ
にくい思想・価値観を、日本人は持っていて、その、日本独特の個人の把握、個人に
集であり、公が内在するという把握と、キリスト教は対立する。
ここに、日本が信教の自由を獲得した後も、キリスト教徒の人数が些少な理由と、思います。
>>742 れ氏
なるほど。逆に言えば日本には個人主義の思想はなかなか定着しにくい所以でもありますね。
ただ、どうなんでしょう。
私は人権とか個人主義というものに重きを置きたい。キリスト教が良いというよりもむしろそちらですね。
つまり人権尊重という理念が私にとっては大切で、
それでそれに親和性のあるキリスト教が私には魅力的に見えるといったほうがいいかもしれません。
まあ、貴殿が言うところの「和」というものの大切さも分かりますが、私は人権を重んじたいです。
>>743 Santi氏
個人主義について、少し見解を述べていただきたいね。
私は西欧基督教的個人主義は日本人にとって弊害はあっても、良いことは内容に思って
いる。人権については個人主義じゃなければ人権は確保できないというのも、おかしな
話なんだが、和と人権が対立しないということも、私は思っているから、
1、個人主義とはどのような主義なのか
2、和と人権はなぜ対立すると思えるのか
でも、書いてくれる?
お堅く考えずとも、日本にはキリスト教的価値観は変容して根付くさ。
中国の儒教や道教、元を正せばインド生まれの仏教だって日本の土着性とバランス取りながら
いちおうは根付いてるし〜、ある意味、時間が解決する部分もある。おれってば、楽観主義者
だから対立点をあげつらってもあんまし良いこと無いって考えだわさ。
仏教は日本に伝来して千年を越える歴史があるけど、キリスト教はほんのわずか。
>>744 れ氏
人権とは何か?個人主義とは何か?という問題は、実はそんなに簡単な問題では無いと思うが、
飽くまでも一般的な理解ということで述べさせてもらう。
個人主義とは、自己実現の価値と自己統治の価値とをその本質としているといわれている。
いささか教科書的な表現になって申し訳ないのであるが、自分は自分なりの価値判断に基づいて行動し、
また自己の判断であるべき自己の姿を決定するとでも言ったら良いのであろうか。
ただ、だからこそ自己には強い責任感が求められる。集団の中にいて集団の規範に従っていれば、何か問題が起きても責任は集団に希薄化されるのとは対照的である。
この自己の中に他者は入ってくる事は無い。ここが恐らく日本の和の精神からするとやや無味乾燥というか孤立感を感じさせる部分かもしれないが。
人権というものはこの自己実現と自己統治を実現する手段として想起されてきたものなのである。
ただ、私も必ずしも人権が和と対立するとは考えていない。これは勘違いしないで欲しい。
人権がより馴染みやすいのが個人主義だということである。
>>746 Santi氏
>まあ、貴殿が言うところの「和」というものの大切さも分かります「が」、私は人権を重んじたいです。
>ただ、私も必ずしも人権が和と対立するとは考えていない。これは勘違いしないで欲しい。
意味がわからん。
>だからこそ自己には強い(社会に対する?)責任感が求められる。
>この自己の中に他者は入ってくる事は無い。
これもよく意味がわからない。
>人権がより馴染みやすいのが個人主義だということである。
これも説明がないので分からない。人権がなじみにくいのは、一体何だといっているの?
>>747 れ氏
うまい説明になっていない事は私も自覚しているのであるが。
つまり、集団の一体性が重んじられる社会では人権を主張する事が疎んじられやすいということだ。
「和」というものは、個人が集団へ迎合することを要求される概念だと理解している。
そうするとどうしても、自己の価値を実現する事を目指す人権を主張する事はややもすると煙たがられる事になりがちだということだ。
個人主義というものは、絶対に侵害されない原理としての個人を想定すること
でしょう。そして、論理回帰に陥る社会契約説(他動的に決定されない自分が
契約したと確信すること)につながる。
じゃぁ、なぜ個人というものは「他者に決定されない」と確信できるのか、わたしには
全然理解できないんだが、環境も、慣習も、価値観も、能力も、全部自分とヒトとの間
で、決定されるのであって、かつヒトとの間で決定されるなら、時により合意なく決定され
るというのが現実でしょう。
だから、貴殿が日本国民である根拠は何?という質問にもつながる。
単に、神が創りたもうた人は、一人一人にその意味があるし、それはヒトと神との関り
によって自覚され、決定されるという、宗教概念でしかないと、私は思う。
それを擬制として認めるには、そう確信できる素地が無ければならないのであって、
それを確信できる素地というものは、それ以外の規範・価値観も伴っている。
いい所取りというのは、まさに弊害の源泉であることは自明だから、日本において
弊害があると、私はみなしているんだけど・・・。
>>748 Santi氏
>「和」というものは、個人が集団へ迎合することを要求される概念だと理解している。
違うということは、17条憲法において明確だよ。
>>749についてどう思う?
>>749 れ氏
人権とか個人主義という概念が日本において馴染みにくいという事は私も認めるところだ。
特に西欧と同様な精神的下地がないのだから西欧の概念がそのままでは馴染みにくいのはむしろ当然であろう。
また、場合によっては様々な衝突をもたらし得ることも否定はしない。
ただ、私は西欧起源ではあるが、この個人主義という発想は決して間違ってはいないと考えている。
日本においては個人主義が精神的風土に親和性が小さい事、弊害があることも承知の上でそう私は考えている。
「和」という理念もそれなりの正当性は持っていると思うし、魅力を感じない事も無い。
ただ、「和」にも個人主義と同じく弊害を持っているのではないか?
>>751 Santi氏
どうも誤解がひどいが、個人主義というものが、人が生まれながらに他者に決定されない
尊重されるべき(尊厳のある存在である)とするなら、そういった捉え方の素地が日本にない
ということは申し述べているが、人権が日本になじみにくいとは、私は申し述べていないし
人権という概念は、非常になじみやすいとも思うし、現実になじんであろうと評価している。
ただ、個人主義的人権思想というものはなじんでいないのであって、人が内心の自由や
思想信条の自由をもつことは、明治立憲以前から同意されていただろうし、自由民権
運動もあったわけだから、なじんでいるでしょう。
貴殿がなじんでいないと思い定める事象を提示すれば分かることだが、それは、個人主義に
立脚しているからの不満なのであって、社会にとって重要と思えるような人権意識の低さは
日本にはないと、私は思うよ。
しかし、どんどん話が拡散するし、亀てっチャンはいつもの通りちょっといなくなると
ずーと放置プレイだから、話を元に戻す。
で、ここまで確認できたことと言うのは、
1、外国少年の事例で理解した通り、国が特定宗教の儀式に参加することも、時に認める
場合がある。(宗教儀式への参加であるという理由だけで、国の行為を禁止はできない)
2、明治憲法は、政教分離政策として、宗教的神道から宗教部分を除外した神道を、国の
儀式祭祀などの様式として採用する方向で、基本的には政教分離思想だった。
3、戦前の真の反省は、明治憲法を悪玉とすることでは、できない。
4、戦前の真の反省は、国家神道の攻撃では、できない。
5、明治憲法および明治政府の意向は政教分離であって、国家神道の国教化というもので
はない。
このあたりについては合意が得られたようだが、もし違うなら、違うと表明いただくとして
では、どういった政治と宗教のかかわりが、戦前に事象として出てきて、どのようなことを
反省すべきかに議論が移ることを、私は望む。
754 :
保守を考える:03/11/27 18:22 ID:HNKUJkZ0
>れ氏
>>742 その辺の話は、
>>287にちょっと書いた通り、
宗教的古代神道と、政治的(神話に於ける)和の思想は、同時発生的だと捉えています。
下段の基督教云々の話は、確かに極端ですね。
というのは、基督教が伝来して400年以上が過ぎ、だいぶ、日本的基督教なるモノも
既に根付いていると思われます。
それは、三浦朱門など基督教徒の立場でありながら、
「天皇(日本の成立ち)」という書を上梓しているので参考にして下さい。
755 :
保守を考える:03/11/27 18:28 ID:HNKUJkZ0
それと
個人主義は人権思想という議論があるが
その人権とは、「人の権利」であって
「人間の権利」ではない。
又、個人主義を担保しているのは、衆議の結果による人権思想であって
その逆は成立たない。
衆議を担保しているのは、「和らか」なる思想である。
また、この事は、ラグビーでよく使われる金言があるので、思い出して貰いたい。
もう一言いうのであれば、このネタは、存在意義スレでしているので、重複カキコは
正直、タルイ。
>>754 保守考氏
了解します。当然に日本のキリスト教という、キリスト教教義は教義としてきちんと矛盾なく
信仰しながらも国家の形成という部分において、基督教的な「それ」でないものをベース
に構築されたもので、その伝統は承認するという姿勢が形成されれば、それはそれでいい
とは思います。
なぜなら、私の神道を好きではあるが、日本人の大多数と同じく「神道信者」ではない。
神道が担ってきた国民の共有する価値体系の合意形成を、正当に把握し、その価値
体系によって形成された、歴史的な伝統とか規範というものが、有機的に結びついている
中で、特に弊害のないものについて、その一部を除外したりすることの危険性というものを
私は理解しようとしてているということであるから、それが理解された形でのキリスト教徒
は、私と対立しないはずでしょう。
757 :
保守を考える:03/11/27 18:52 ID:HNKUJkZ0
>>756 そうですね。其処のところが、日本人のフレキシブルな面なんでしょう。
だから、古代に於いても律令を取り入れておいて、残虐な刑罰や宦官を置かなかった
事や、儒教が発展しても、日本人の儒家達は、天命思想だけは取り入れなかった。
儒家達の口癖として、「孟子は尊敬出来る偉人だが、易姓革命だけはケシカラン。」
そうして、今の日本に繋がってきたのです。
で、私も神道信者でもないし、また、基督排斥教徒でも、まして非宗教信者でもありません。
ここでも、日本人的平衡論者として、宗教と政治について考えて行きたいと
思ってましたが、これ以上は、存在意義スレの方でやりたいとも思っています。
もともと、「国家神道」に興味があって、このスレに来たのですから・・・・。
>>757 日本にも残虐な刑罰や拷問は結構あったでしょう。
>>757 保守考氏
いや、実はここからが議論の本筋でしょう。
政教分離としての国家神道の必要性というものは、江戸時代の宗教側からの国政への
関与を除去する意味では、不可欠だったということで、私は理解します。
しかし、pax氏・亀哲人氏・Santi氏も認めたとおり、国家として必要な儀礼としての、宗教的
行為はありうるわけです。これは否定できない。
しかし、それが、皇統の祭祀と、国家の戦争犠牲者祭祀という行為をもたらした。
ここに、その絶対性というか、批判を許さない存在というものが形成されてしまった。
こういう意味では、明徴宣言・15年戦争時期の国家神道の弊害というものは、実際に、国家
としてはあった。まぁ、私が最大の弊害と感じているのは、言葉としての
「英霊に申し訳が立たない」ということでの議論封殺ではなかったかと思うわけです。
当然に、侵略目的とか為政者あるいは軍部の野望という議論に賛同はできませんが、
しかしながらその弊害はあった。かように思っているわけですが、いかがでしょうか。
>>758 輸入しなかったという意味だろうから、誤解するな。
761 :
保守を考える:03/11/27 19:05 ID:HNKUJkZ0
>>758 私は、法家の商鞅等を念頭においているのだが・・・・。
日本の律令には、
鼻そぎの刑や牛引きの刑はない。
で、>刑罰や拷問は結構あったでしょう。
結構あったという具体的な刑等を、律令から抽出して下さい。
762 :
保守を考える:03/11/27 19:07 ID:HNKUJkZ0
ちょっと、ディナータイムなので中座させて戴きます。
763 :
保守を考える:03/11/27 20:59 ID:rwuoW2kF
>>759 その絶対性というものが、国政としての「政治」にどのような決定を与え、
それをして、政治と宗教との関わりとしての問題点をあげるのであれば
う〜ん・・・・。私には、判りません。
民主的レベルのでの政治性であれば、各種の標語、例えば
「欲しがりません、勝つまでは。」とか、「贅沢は敵だ。」などがありますが
別に宗教的でもありませんし、まして、間違っているとも思えません。
また、国政(軍事的)にコミットした、宗教的思想背景を考える時、
私は、神道よりも、日蓮宗の方をまず想念してしまいます。(昔、・・・氏も指摘していました)
例えば、石原莞爾・井上日照・北一輝又は磯辺浅一などが挙げられますが、これは
日蓮の「立正安国論」を分析する話になっていくのですけど、あんまり気が進みません。
ところで、靖国神社で思い出したのですが、参拝反対を唱える人たちは
歴代首相等の「アーリントン墓地」参拝(?)には賛成なのでしょうか?
あんまり騒がないようだけど・・・・。
特に、田中真紀子が外相の時、靖国参拝は政教分離違反だとして、参拝しない、と公言して
いたのに、彼女もアーリントン墓地を参拝してましたね。(あの時はさすがに、目が点になりましたけれど
>>713 返事がおくれましたねーおかえりんさい。
>憲法制定に深くかかわった伊藤博文も、欧米におけるキリスト教に相当する
>ものが日本にはなく、伝統的な儒教や仏教もその任に堪え得ないから、皇室を
>国家の中心に据えるべきだ
上記のような議論を憲法制定に関わった伊藤や井上が行っているという例証を
おこなっていただければ…ということです。
とりあえずれ氏の十七条憲法の解釈には異議を唱えておこうかな。れ氏が解釈の
根拠している井沢の文にも目をとおしていないから、不十分な論ではあるが。
十七条憲法においては、一神教と異なり絶対的・抽象的な理念をたてず、話し合い
中心で物事を解決していくべきというのが「和」であるという解釈についてね。
一条の「以和」は「無忤」と対句であるから、「和」と「無忤」は似た意味であると
推測できる。だから和の意は「無忤」と意味において矛盾しない「なかなおりする」
「したがう」という意に解する。「平和」「和睦」に使われている「和」と同じ
意味に解しておきたい。二条においては善悪の判断の基準を三寳におくという
条文であるから、この条文においては絶対的な基準をたてている。
765 :
右や左の名無し様:03/11/27 21:21 ID:rD549aDX
アーリントン墓地には特定の宗教性があるのですか?初歩的な質問ですが
それと田中真紀子を靖国神社で以前に見かけたことがあるし彼女は理論派とは思えません
ちょっとスレの流れからずれた書き込みだったかな…「和」についてのカキコは。
なんならスルーしてもオッケーですよ。>>れ氏。
>>765 アーリントン墓地は国立墓地として国家によって管理されている。埋葬式は埋葬希望者の
宗教・宗派に応じて行われる。もちろん無宗教の者には、その希望に沿った埋葬を行っている。
アーリントン墓地関係者は「ユダヤ・キリスト教的伝統の宗教だけでなく、
イスラム、仏教などによる埋葬にも応える」と語っている。ということらしいよ。
768 :
右や左の名無し様:03/11/27 22:36 ID:rD549aDX
>>767 レスありがとうございます。ならアーリントン墓地は政教分離には
違反しないし靖国神社とは同列に論じられないのでは?
>>768 論じられないね〜、おまいさんの言う通りだわ。
アーリントンで宗教式で埋葬されるシーン見て誤解してる香具師が居るんだろ。
正確には埋葬される当人かその遺族の宗派で式が行われるんだよね〜。
たまたま、合衆国にはプロテスタントが多いからそうなるけど、他の宗教式でも可能だから。
靖国神社は、もう疑いようのない神道式。比較して論じると面白いかもねぇ〜
770 :
保守を考える:03/11/27 23:43 ID:G1hCnUdq
>>マサカド氏
>>764 その話については、れ氏が
>>604に挙げた書が詳しいのでお奨めします。
>>770 PHP新書の八木 秀次 (著)か。
かなり思想的に偏向のある出版社と著者だな。
772 :
保守を考える:03/11/27 23:49 ID:G1hCnUdq
>>772 それだけではアーリントン墓地が宗教施設だという証にはならないな。
靖国神社が明らかに宗教施設なのとは対照的だ。
774 :
保守を考える:03/11/27 23:53 ID:G1hCnUdq
で、聞きたいのだが
>>767 >もちろん無宗教の者には、その希望に沿った埋葬を行っている。
具体的にどのような事例があるのかね?
第一、死者の希望をどうやって確かめるのかも、無理なんだけど。
ところで、気持ち悪い言い回しを止めて、宿題を済ませてはどうかな?
まあ、そのコテ判を続けるのなら、自由にするがよい。
775 :
保守を考える:03/11/27 23:54 ID:G1hCnUdq
>>771 偏向している理由を書いてから、ノウガキを垂れましょう。
>>773 君は英語が読めないの?
>>775 英語が読めないんじゃなくて、君の指摘が余りにも重箱の隅をつついているに過ぎないと言っているだけ。
777 :
保守を考える:03/11/27 23:58 ID:G1hCnUdq
>>769 しかし、南北戦争後のアメリカで、イスラム教やら仏教やら、
他宗教を意識してこの施設を創立したという、大笑いしたくなる話もして暮れたまえ。
ところで、私は、首相の靖国参拝も、伊勢神宮参拝も、違憲であると判断していない。
あっ!
最高裁の判断と同じだった。
>>777 違憲であるとは判断していないが合憲であるとも判断していない。
訴訟適格が無いという訴訟法上の問題でつき返されたに過ぎない。
相変わらずうまくごまかすね。w
779 :
保守を考える:03/11/28 00:07 ID:8wj5RYUV
>>776 何のために、URLを提示してやっているのか、良く考えましょう。
つまり、よく看板とその看板の位置を読めよ。
>>778 何をごまかし、相変わらずと言っているのやら。(ヤレヤレ・・・・。)
誰かがマトモニ、
>>763について答えたかい?
君が誤魔化してないなら答えられるだろうよ。(期待してないけど・・・。)
780 :
右や左の名無し様:03/11/28 00:08 ID:f8/d8cgM
>>772 靖国神社にはイスラム教徒やキリスト教徒は入れるの?それに国立なの?
以前キリスト教徒の遺族が靖国神社に祭られるのが嫌だから名前を
外す云々で争っていたけどアーリントン墓地ではそういうことは
起きてないんじゃないの?日本の特殊性と簡単に割り切れるのかな?
>>774 >具体的にどのような事例があるのかね?
さぁ〜、事例は知らないなぁ〜。
>第一、死者の希望をどうやって確かめるのかも、無理なんだけど。
「当人かその遺族の」って書いたよね。ちゃんと読んで欲しいわ。
それに、戦士なら生前に遺言を書く事も可能でしょ。
>ところで、気持ち悪い言い回しを止めて、宿題を済ませてはどうかな?
何のこと?
>他宗教を意識してこの施設を創立したという、大笑いしたくなる話もして暮れたまえ。
そんな史実にないこと書けないわ。
>>774 こんなの拾ってきたから、貼っておくわ。
国が戦没者をまつる例としては、アメリカのアーリントン墓地が有名ですが、ここは国立の
墓地です。軍人としての経歴をもつ人が埋葬される対象となります。宗教別になっていて、
その人の希望する宗教の区画に埋葬されます。日本の仏教や新宗教の区画もあります。
井上順孝 國學院大学教授
>>780 >以前キリスト教徒の遺族が靖国神社に祭られるのが嫌だから名前を 外す云々で争っていたけど
これのことだわな。
靖国神社法案が初めて国会に提出された一九六九年六月、キリスト教徒の遺族たちが
「キリスト者遺族の会」を結成した。八二年七月には北海道旭川市でキリスト教徒や仏教徒ら
約七〇人が日本遺族会系の組織から脱会し、「旭川平和遺族会」を設立、これにつづいて近くの
滝川市に支部が設立されたのをはじめ、八六年には神奈川県、岩手県、東京都で同様の組織の
結成をみた。
神道を日本の國教にすれば、全てうまくいくyo
785 :
保守を考える:03/11/28 06:51 ID:hgUDL7Cl
>>780 このレスは、
>>772の何に反応しているのか意味不明。
>>781 ―−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
774 :保守を考える :03/11/27 23:53 ID:G1hCnUdq
で、聞きたいのだが
>>767 >もちろん無宗教の者には、その希望に沿った埋葬を行っている。
具体的にどのような事例があるのかね?
781 :(○´ー`○)はカワイイ :03/11/28 00:54 ID:???
>>774 >具体的にどのような事例があるのかね?
さぁ〜、事例は知らないなぁ〜。
―−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
知らない事を断定して書くのは止めましょう。
知ったかぶりで書く奴とは議論にならない。
786 :
保守を考える:03/11/28 07:09 ID:hgUDL7Cl
>>786 >ただ、単に検索サイトからのコピペのみ繰り返す手法には
>もはや、閉口するしかなし。
事例は知らなかったから、識者の発言を拾って貼ったんだけど。
何か気にさわったかな〜
>知ったかぶりで書く奴とは議論にならない。
ふ〜ん、事実を認めたくないんだね〜
>これは、日本語的に「宗派」の間違いである。
>宗教と関係のない、埋葬・慰霊はありえない。
だから何?
感情的に噛みついてる香具師がいるので、ひとこと断りをいれるが、
オレがネタフリをしたことが気に入らないらしいいが、事実は認めようよ。
テーマとしてアーリントン墓地の国立埋葬地と靖国神社を比較して論じれば
面白いと、オレは言ってるだけなんだょ〜ん。そいで、事実を判断材料として
貼ったりしてるんだけど宗教と無関係なんてことを主張してもいないし、
このテーマは確か自民党も取り組んでるはずだよ〜
>>786 ちょっと変なコトに気が付いたから連続するが、ご勘弁を。
>そして、井上は宗教とは、関わりがない。と言っているが
言ってるのは「宗教とは関係ない」でしよ。どこ探しても「関わりない」とは書いてない。
「宗教とは関係ない」なら「どんな宗教・宗派でも宗教とは関係ない施設」といえるけど
「関わりない」だと「どんな宗教・宗派でも宗教とは関わりのない施設」となって
意味が全然違ってくるじゃん。言葉は大切にしようよ。
さらに言えば、井上氏が事例として出してる韓国の国立墓地のことで
アーリントン墓地のことじゃないよね〜
すまそ、このテーマは確か自民党も取り組んでるはずだよ〜
はちがうわ。
正確には内閣官房長官の私的懇親会
「追悼・平和祈念のために記念碑等施設の在り方を考える懇談会」
のことね。
もう一回お願いしておくが、アーリントン墓地を、他国の宗教と国とのかかわりという視点で
検討することは吝かではないし、意義もあることだと思うけれども、靖国との対比は、
無意味だし、靖国を批判し、あるいは擁護する議論が、ここのスレの目的ではない。
ここは、国と宗教のかかわりについて議論するところであるから、その国の宗教としての
ベースを無視して、他宗教での祭祀が靖国でできないなどという議論は、靖国スレで
やっていただきたい。
で、靖国神社と言うのは、井上や伊藤や金子が目指した、日本型の政教分離施設で
あるわけだよ。
神道の中から、その宗教部分(たとえば、ある事象を吉兆と見て、政策を行うとか、
ある事象を凶兆と見て政策を注視するとか言う部分)を排除し、国家儀礼としての
(例えば何回もこのスレで挙げている外国人少年の英雄駅行為をたたえ・感謝し
追悼するための国家としての儀礼と同様の動機での、皇統の祭祀と、英霊の祭祀)
神道様式の採用というものがあったわけだから、まずそこはスレを読めば理解できる
はずで、アーリントンとは全く違う理由で作られているということだ。
しかしながら、その国の共有される宗教様式で、国家が儀礼を行うことは必要だと
いう意味では「国立墓地」を、多くの国民の納得できる形状や環境で国で用意し
個人がそこに自由に埋葬できるようにし、また象徴的に無名戦士の墓を、国として
管理している、その動機と、靖国神社を作った動機というものは、国家としての儀礼
と言う意味では、同等とみなしていいでしょう。
>>791 >ここは、国と宗教のかかわりについて議論するところであるから
スレタイ尊重するなら、宗教と政治の関わりでしょ。細かいけど。
オレがネタフリした意図は「アーリントン墓地と靖国神社を比較して国立墓地を考える」
だから、それなら文句言わない?マスコミで伝え聞くところでは、靖国神社はアーリントン墓地と
同じ様なものだって論調の意見もあるから、対比して論じるのは面白いと思うけどね〜
>>793 君も分からない人だねー。
散々このスレでやっていることは、戦線の反省というものが政教分離の核に、ならなければ
ならないはずだし、まさに、玉ぐし料判決や、地鎮祭判決でも、日本の政教分離は、
国家神道の影響の反省に立って定められたものであるという把握でしょう。
ところが、じゃァ実際の国家神道の反省というもののが、正しく把握されているかといえば
ここに参加した人たちで分かる通り、明治政府の国家神道国教化だとか、廃仏毀釈が
国家政策だとか、史実に基づかない思い込みをしている。
そんな中で、戦前の反省というものをきちんとできていない、どころか、事実把握さえ
できていない中で、国立墓地について議論したって、ただの言い合いになるでしょう。
だから、きちんと、せめて事実把握だけでも合意した上でないと、政教分離のあるべき
姿が議論できないし、そういった議論をすっ飛ばして国立墓地について話し合ったところで
何の有効な議論もできないと、私は思うよ。
だから、そういう話がしたければすればいいけど、私は無駄な議論をする趣味はないし
政治思想板で、せっかく靖国というタイトルでないスレができたんだから、戦争被害者
の追悼とかそういった内容から離れた議論が、ここでは望ましいと、思っているんだが・・・。
戦没者之追悼問題だけが、政教分離の議論対象ではないでしょ。
ふ〜ん、レスの流れかぁ。それなら良いよ、別にやらなくても。
みょ〜に絡んできた香具師がいたから、やりたいのかなぁと思ったんだけど
別に住人が望まないならオレはやんなくてもいいし〜単なるネタフリだし〜
>>795 貴殿もあちらこちらで活躍されているようだし、別に国立墓地について議論するのは、
私も望むところだよ。ただ、それは、靖国との対比で行う気がないという意味だよ。
だから、少し上から読んでみれば分かるけれども、結局国が国家儀礼の施設として
靖国神社を設け、皇祖の祭祀も行ったというところに、問題があったわけだろ?
ならば、どうして、国立施設を作ろうという意図がもてるのか、私は全く得心がいかない。
>>796 >貴殿もあちらこちらで活躍されているようだし、
それほどのモノじゃないっス。
>どうして、国立施設を作ろうという意図がもてるのか、
国のために殉職したひとを国としてどの様に感謝するかってことじゃない?
そうなると靖国神社だけってのは選択肢が低いよねぇ〜
上の方でも例示したけど〜、キリスト教の人なんかは納得していないみただし。
可能性としてはイラクで死んじゃう人はいそうだよねぇ。
私のスレタイに関する回答というか考えは、以下のとおりです。
>>297の事例で分かるとおり、国としては、国家としての儀礼としての、宗教行為への参加
も含めて、政治が宗教に関わることを禁止することは不可能です。
しかし、国家神道という政教分離政策は、国家神道という、神道からその宗教的影響
である、ご託宣とか、籤による決定、吉兆・凶兆を見て政治政策を決定する、などを除外し
また、他宗教(特に仏教関係)が行ってきた、護国の祈りや、皇祖や徳川のその祭祀・供養
からくる、様々な国政に対する要求と、国家の保護等を排除しながら、国家儀礼をどう行うか
という問題もあるわけです。立憲の機軸を皇統におき、政教分離を行う、を持た
ないという明治憲法立憲の趣旨というものは、結果として、国家儀礼を、その宗教的理由からの
国政への関与を除外した神道に担わせるということを行った。
それが、結局は、国民の運動としての明徴運動や、英霊に申しわけがたたないという言葉
での議論封殺(これは、それ以外にも様々な国民的な価値体系の要素はあるけれども)を
生じ、結果として冷静な戦力分析とか、戦況分析やシミュレーションが判断俎上に上りにくく
壊滅的打撃をこうむったという戦争の反省をするならば、どう考えても、国家儀礼を国立施設
として持つことが、曽於戦前の反省に適うとは、私には思えない。
国と無関係の宗教団体や様々な団体が行う儀式に、国が儀礼を表明するという形式が
国家の宗教的中立性を確保する良い手段ではないか、そう私は思っています。
>>797 (○´ー`○)はカワイイ 氏
しかし、貴殿のHNは、どう略せばいいのだろう。「かわいい氏」か?「○カワ氏」か・・・?!。
で、
>>798にも書いたがそれとは別に、
国家が慰霊でも追悼でも行うということは、無宗教ということはありえない。
もちろん国立墓地なんだから、国家としては場所を提供するだけで、儀礼行為は
行わない、あるいは行うにしても極めて宗教色のない儀礼を行うけれども、メインは、場所の
提供という考え方もある。
しかし、日本の伝統的なことを云えば、亡くなった人は、家族とともに眠るという価値をもって
いる人が多数いるわけで、私人としては家族とともに家族の祭祀によって墓に埋葬される
けれども、国の儀礼としては、その国立墓地で行うという発想になりがちだよね。
問題は国としての儀礼をどう表現するかということなんだけれども、米国のように
個人単位で埋葬される伝統が、日本にはない。そういった中での国立墓地は、意味がない。
国立施設と言うのは、国家がその亡くなった方たちへの儀礼を示す場所ということになる。
ならば、国家神道と靖国神社という発想と、どう違うのか、私にはわからないなぁ。
>>799 HNは何でもいいょ〜ん。好きに読んでくだされ。
合衆国と日本は憲法の構造が違うから単純には比較できないんだけどぉ〜
日本は政教分離が厳しいと思うんだわ。もっと緩やかでいいというのが
オレの意見なんだよね〜。靖国無くせ何て暴論は無視するとして、緩やかな
政教分離も元で(これには憲法改正が必要だけど)靖国と並行して国立施設を
作ればいいんじゃな〜い?実態を見聞しなきゃわからないけど、「碑」を立てる
って選択肢もあるよね〜、これなら宗教の偏りを無くせるかも。
因みにアーリントンは認定するのは国だけど、選択は遺族に任せられている。
>>800 いや、今の政教分離の、学者の判断は、厳しすぎるんであって、実際の判決と言うのは
「宗教行為に深いかかわりを見出せる公金支出が違憲」なだけ。
で、碑をたてて宗教の偏りをなくすという発想は、明治政府の神道の中から、宗教的影響を
除外し、国家儀礼を行うという発想と、私はほとんど同じだと思うわけだよ。
国家の儀礼が、まさに自由な衆議を阻害することになるということは事実で、それが
明治憲法下での国家神道という無宗教様式の弊害だったわけだろうと思う。
じゃァ、儀礼は排除すべきであるという人もいる。(アズマタンはそういっている)
しかしそれは国民感情として納得させられない夢想でしかない。
そういう中での妥当な方法模索の方針は、外部で行っていることに、儀礼を示すという方向
がよいと、私は思う。
アーリントンだって、結局国民が祭祀を行い、国はそれに儀礼を示すという形でしょ?
>>801 何か縦横なテーマを絡めて書いてるから、意見が錯綜してる風に読めるんだけどぉ〜
ポイントは
●靖国神社は国家運営ではない宗教法人である。
●靖国に合祀されることを望む人もいるし望まない人もいる。望まないケースへの対処が必要。
●国家運営の慰霊碑が緩衝剤になるし、国立墓地という選択肢もある。
こんなところかな〜?
ところで国のために死んだ人に対するという問題は
国家と個人(あるいは国家と遺族)との関係でないの?
衆議とは関係ないとまでは言わないけど、希薄じゃない?
>>802 ○カワ氏
いや貴殿が、戦没者の追悼という部分において思考しているから、錯綜していると
見えるんだろうと思うけど、本来的に政教分離というものは、国教の禁止以上の
必要性というのはないはずなんだよね、民主主義理念に基づけば。
国教が禁止されているという米国において、過度に宗教に関わるべきでないという
レモンテストは、本来関わるという前提を元に、過度はダメだよという論理構成だよね。
で、民主主義国家のあり方というものが、その国の歴史や伝統によって形態を変える
ものなら、日本国としての信教の自由の確保の、制度的担保として政教分離規定という
ものを持つことは合理性がある範囲で、別に問題はないわけだ。
で、その政教分離規定は、戦前の国家神道の反省に基づくんだろうから、(そうでない
なら、そもそも、信教の自由と国教の禁止だけでいいはずだという前提があるわけだから)
国家神道への反省という形でしか、政教分離は合理性を持たないわけだろ?
国家神道の反省と言うのは、皇統や英霊への国家としての儀礼を、国家施設として
行うことで、批判的言論が封じられていったことに、その反省を見るべきで、他に国家神道
自身が、あるいは政府が、あるいは国が反省すべき事象というものはないと、私は思う。
そういう観点から考えてみると、儀礼だから、衆議との関連性は薄いという発想は
まさに国家神道の発想でしょ?
>>764 マサカド氏
和の思想については、私は井沢元彦を根拠とはしていない。
倭の起源については、井沢の論が、和←倭←輪・環で、説得力がある。
17条憲法の肝は、
「上和らぎ、下睦びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
『事理おのずから通ず。何事か成らざらん。』」
であり、お互いに和らぎ睦みて話し合えば、なんでも理にかなって、できないことはない
との確信を、第一条で示している部分である。17条でそれを補完している。
第二条の算法を敬う部分は、「何をもってか忤(まが)れるを直(ただ)さん。」と、
ひとは、はなはだ悪い人は少ないのだから、仏教の教えに基づいて「曲がりを正して」
いけば、悪い人は少なくなるという期待であり、人として生き方是正は仏教によると、
示している。
第三条は、国家運営に関する事項である。
第一条が社会における物事の決定のあり方、第二条は個人の生き方、第三条は
国政のあり方、ということと、思えるのだが、その中の社会のありかたの部分は
多くの国民にとっての価値体系の基準として
「何かを絶対にせず、双方が話し合い譲歩すれば、それが依りよい結果を生む」という
価値として、継続して共有されてきたのであって、無原則受け入れでありながら無原則
という事は変更しない・・・絶対性の否定であろうと、私は把握しています。
>>803 内容のほとんどは合意なんだけど〜二点だけ、意見を。
>レモンテストは、本来関わるという前提を元に、過度はダメだよという論理構成だよね。
これはその通りだけど、レモンテストは合衆国では司法判断が変容してるように思う。
日本はどうなんだろうね〜一応今出てる判例はレモンテストで裁いてるね。
>儀礼だから、衆議との関連性は薄いという発想は
う〜にゃ、逆を言いたかったんだよね〜
国家と個の関係性に力点を置いて考えた方が合理的ということ。
てことで、外出しま〜す。またね。
>>805 ○カワ氏
レモンテストの、「宗教と過度に関わってはならない」という部分は採用されていないよね、
日本の目的効果説は・・・。
国家と個の関係性に力点をおけば、国教禁止以上のなにも必要ないような・・。
横レスだけど、判例の変遷からすれば、目的効果基準をより厳格に適用しつつある、
つまり、レモンテスト的な運用がなされているともいえるよね。
>>807 何をして厳格と言うのか、私はわからないけれども、そして「しつつある」というのが
何をさしているか、分からないけれども、日本は宗教活動を国が行うことを禁止するという
実現不可能な条文だから
(3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。)
この、禁止されている宗教活動という範囲を、限定的に捉えるために、国的効果説がある。
だから、過度も何も、そもそもダメなんだけど、限定的に捉えるという趣旨の中での
過度ということだろう?
で、過度のかかわりというのは、一体どういうことをさすのか、その辺を具体的に提示し
ないで、過度はダメ過度はダメ、では、議論する価値もないようには思えるよ。
過度でないものの事例を私は
>>297に挙げているけど、そういった意味での過度なのかな?
809 :
保守を考える:03/11/28 17:55 ID:CCjpplVu
何やら、勘違いの甚だしい輩がいるようだ。
「アーリントン墓地」を最初に提起したのは私(
>>763)であって、
その私の感想そのものが、ネタフリなのだが、
その感慨に対する回答もせずして、自分がネタフリしたと喚くのであれば
それは、単なる論点のすり替え以外の何物でもない。
なるほど、私は、(○´ー`○)はカワイイ という輩の自慰行為の手伝いをさせられた
だけとなると、気持ち悪いので、けじめとして責任を果たしておこう。
>>769 キミが、根拠も持たず、感情的な妄想判断で
>もちろん無宗教の者には、その希望に沿った埋葬を行っている。
と言った事実は、当然、認めている。
>>これは、日本語的に「宗派」の間違いである。
>>宗教と関係のない、埋葬・慰霊はありえない。
>だから何?
これは、
>>769に対する反証である。会話の作法が解っていないらしい。
>>789 「関わり」: 関係。つながり。
「関係」 : あるものが、他のものと何らかの関わりをもつこと。
By広辞苑
言葉を大切に扱っていない(例えば
>>767など)輩に、
言葉を大切にしようよ。と言われる筋合いはない。
>>808 いやね、そもそも目的効果基準は緩い基準だったんだけど、
愛媛玉串、また仙台高裁での靖国訴訟の判決を読む限り、
厳格な適用をなそうとしている最高裁の意思が読み取れるってこと。
あてはめの部分や、参拝肯定派の意見等も考慮しているところがね。
それに、レモンテストの「過度の関わり合い」の基準は一つの基準に過ぎないけど。
つまり、関わり合いが過度か否かで決せられるわけではなく、
三つの基準のうち、ひとつでも該当すれば違憲ってことだから。
>>297についてはべき論であって、議論の前提たらないと思うけど。
811 :
保守を考える:03/11/28 18:09 ID:CCjpplVu
>>810 だから、聞きたいのは
レモンテストの一項目である
「その行為が、宗教との過度の関わり合いを促す」ものかどうかの
『基準』であり、それを具体的に提示して貰いたいと頼んでいるのです。
そもそも私が
>>807で「レモンテスト的な運用」と書いたのは。
レモンテスト=厳格な基準という発想からなんですが。
レモンテストの個々の基準の妥当性ついて論じられていたならば、議論の邪魔をして申し訳ないです。
まあ、「過度の関わり合い」といえるかについて言うならば、
津地鎮祭判例で挙げられている、宗教私立学校に対する助成、宗教的建築物保護等が、
過度の関わり合いでないものの例になると思いますが。
>>812 レス、サンクス。
基本的に日本の場合において、ひとつでも該当するならという基準としての、レモンテストの
「過度の係わり合い」という基準は、そういう論理構造になっていないから、使用できないと
いう前提があるわけだよ。だから、憲法20条をあえて、提示した。
宗教活動は全面禁止というのが、日本国憲法。
だから、宗教活動というものを限定的に捉えることで、この実行不可能な条文を実態に合わせる
解釈をしようということで、目的効果基準というものが、提示されたというところまでは、了解
できるかなぁ?
そうすると、「憲法第20条で云う宗教活動」というものの定義を、一般の言葉でいう宗教活動
ではなく、目的が云々・効果が云々・という基準で限定しようということだから、基本的にその
係わり合いが、目的および効果において云々、という論理構成をしている。
ここは理解できるでしょう?
そうすると過度のかかわりという発想の出番がないということ。厳格であるとかないとか以前に
過度であろうが、過度でなかろうが、目的と効果において判断しましょうというのが、日本の論理
構成なわけだよ。その目的と効果の判断基準の中には過度のかかわりが、目的を誤認させ、
あるいは目的を逸脱する効果が与えられるという発想はあるけれども、過度の関り単体としての
基準と言うのは、出番がないと考えなければ、論理構成として矛盾だよね。
>>71で、提示しているように、玉ぐし料判決・地鎮祭判決は一貫していて
>国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、
>そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、
>いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題とならざるを得ないのである。
としている。
で、
>国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教との
>かかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、
>そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を
>超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。
としているのが、目的効果説であって、単に宗教との過度の係わり合いを判定して
政教分離原則に反するか、反しないかを判定するということではない。
あくまで、「目的と効果にかんがみて」というのが目的効果基準であるという認識が
正解じゃないの?
>>770 紹介どうも、読んでみます。
>>804 十七条憲法においては善と悪が対立するものとして持ち出されており
それまでの倭国の伝統的な道徳観とは大きく異なった道徳観を打ち出した、という
ところを重視して解釈したいですね。この解釈を裏付ける十分な材料がまだ揃って
いないので、今は見通しを述べるだけですけれど。
靖国神社については宗教、政治、歴史解釈といろいろな問題が複雑に絡まり合っているから
論じるに当たっては問題を慎重に切り分ける必要があるが、それがまた難しい…
まず国立墓地とは何であるかと考えれば、それは国家が運営する戦没者の慰霊施設である。
ところで我らの日本国は軍隊を持っておらず、国際紛争を解決する手段としての戦争を
永久に放棄しているという建前だから、戦没者が生ずることも★建前上★ありえない。
であるから国立墓地は専ら戦没者の慰霊施設であるとすれば、そもそも国立墓地という
施設自体が★建前上★日本には必要でないということになる。靖国神社は過去においては
国家公認の慰霊施設であったが、現在では一宗教法人である。大日本帝国時代の戦争に
おける戦没者を追悼するための施設であり、現在の日本国家と制度において特別な関わりを
もっているわけではないが、日本国が大日本帝国から引き継いだ負債のひとつであるとも
考えられよう。将来において日本が正式に再軍備したときは、様々な宗派から中立的な
国立の慰霊施設をつくる必要もでるかもしれず、あるいは中立的な慰霊施設と靖国の
二本立てでいくという可能性も考えられる。要するにそれが靖国であるか否かにかかわらず
現在の日本国家において戦没者の慰霊施設が必要になるのは、正式な再軍備の後であろう。
相変わらず保守考は人を見下したような発言しか出来ねえんだな。
817 :
右や左の名無し様:03/11/28 22:43 ID:quOxtDO9
保守考さんは自分でアーリントン墓地の事を振っておきながら
それに関連した話をすると自分の話のその番号部分だけを取り上げて
関係ないレスだと言い放つ。確かに番号違いだったかもしれないが
それが重要な問題か?あなたの論旨全体を捉えて話をしている
>>806 れれちゃん
レモンテストを日本独自の司法判断としたモノが、目的効果基準だと思うんだけど〜
日本の各種判例からすると、目的効果基準は「政府と宗教が過渡のかかわり合いがないこと」は
取り入れていないよね〜。これは日本の憲法が、関わりを厳しく規定してるからと思われ。
政教分離の考え方は、「友好的分離」と「非友好的分離」に大別されてると言われてるねぇ。
前者は合衆国、後者はフランスが代表的な国と言われてるわな。この峻別の理由は、国民感情や
国情及びその歴史、憲法の規定によるものらしいよ〜ん。
>国家と個の関係性に力点をおけば、国教禁止以上のなにも必要ないような・・。
国の規定(憲法や各種法律)としてはそうだけどね〜、殉職した人、戦死した人に
国としてどうするかとなると話しは別ではないの?
見当違いの責任感で、自己弁護に必死な人がいるなぁ〜
>その私の感想そのものが、ネタフリなのだが、
まるで、元祖と本家を主張している饅頭屋のようだ。
>これは、
>>769に対する反証である。会話の作法が解っていないらしい。
反証として成立してない文章に対して、作法も何も無いが?
反証とは「相手の主張に証拠をあげて否定すること。反対の証拠。」若しくは
「推定規定について、推定事実に反する事実を証明すること。」だけど〜
おまいさんの文章は反対の証拠を提示してないし、反する事実も証明していないじゃん。
>宗教と関係のない、埋葬・慰霊はありえない。
という文面にも、ツッコミどころ満載なのを見逃してあげたのに〜
「だから何?」としか返せないわ。
>言葉を大切にしようよ。と言われる筋合いはない。
自分から言葉を大切にしていない事実を露出してど〜すんの〜
単語だけを国語辞書から抽出・引用して逃げて言いがかりを言いたいの〜?
単語ばっか使う頭の悪い小僧じゃないんだから、成文で考えればぁ〜?
> ところで、靖国神社で思い出したのですが、参拝反対を唱える人たちは
> 歴代首相等の「アーリントン墓地」参拝(?)には賛成なのでしょうか?
> あんまり騒がないようだけど・・・・。
普通に日本語を話す人がこの文章を読んだ場合、おおむね以下のような
意図で書かれたと解釈するのが一般的であろう。
「ある人々は靖国神社参拝に政教分離の立場から反対している。
しかし同じ首相が米国のアーリントン墓地で式典に参加することには
反対していない。(同じ宗教施設であるにも関わらず)それはおかしい
のではないか?」
つまり「宗教施設である」という点で靖国とアーリントン墓地は同じでは
ないか、ということを言っていると理解するのが妥当だろう。
しかしながら既にいくつかソースが示されているように、各個人の宗教が
考慮されない靖国と、考慮されるアーリントン墓地ではその意味が全く
違うわけで、上記のように「宗教施設」として同一視する考え方は、
政教分離を論じるという文脈においては正しくないのであるから、
発言者は潔く訂正すべきではないか。
821 :
保守を考える:03/11/29 07:20 ID:Kno2G7DT
>>816-817 どの部分がそうなの?
>>819 だから、証拠はあげてるのだが、勿論、成分でだが・・・・。
―−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
774 :保守を考える :03/11/27 23:53 ID:G1hCnUdq
で、聞きたいのだが
>>767 >もちろん無宗教の者には、その希望に沿った埋葬を行っている。
具体的にどのような事例があるのかね?
781 :(○´ー`○)はカワイイ :03/11/28 00:54 ID:???
>>774 >具体的にどのような事例があるのかね?
さぁ〜、事例は知らないなぁ〜。
―−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
つまり、事例も知らないのに、「もちろん」と使っている時点で、バカとしかいいようが
ないと・・・・。
822 :
保守を考える:03/11/29 07:52 ID:Kno2G7DT
>>820 何をどう訂正するのか、言ってる意味がよく解らないのだが
小泉首相は、靖国参拝において、神道儀礼に従ったことがないので
特定の宗教に基づいている訳ではない。
ただ、献花や礼、一回の拍手をしているが、アーリントン墓地に於いても、
献花、礼、黙祷を奉げている。どちらも、たぶんに、宗教的行為である。
>しかしながら既にいくつかソースが示されているように、各個人の宗教が
>考慮されない靖国と
どこにそのソースがあるの?
823 :
保守を考える:03/11/29 09:10 ID:ts+/n1EH
さすがに、 (○´ー`○)はカワイイ の自慰行為にはうんざりしているが
論旨に一貫性がない(=必死な所以)ので、軽く突っ込んでやるか。
>反証とは「相手の主張に証拠をあげて否定すること。反対の証拠。」若しくは
>「推定規定について、推定事実に反する事実を証明すること。」だけど〜
と、「反証」という単語に拘っておきながら
>単語だけを国語辞書から抽出・引用して逃げて言いがかりを言いたいの〜?
>単語ばっか使う頭の悪い小僧じゃないんだから、成文で考えればぁ〜?
総じて、このような言い回しをするところをして、『 必死 』と言うのであろう。
さて、次はどんな『必死』を提出してくれるのやら・・・・・。
>>818 ○カワ氏
前段はそういう把握でいいと思うよ〜ん。ただ、フランスの元大統領はカトリック形式で
「国葬」されている事実は、まさに国民感情や 国情及びその歴史と、無関係ではないねー。
国の儀礼と、憲法や各種法律による国政派閥だとしたのが、国家神道じゃないの?
>>815 マサカド氏
17条憲法については、楽しみにしているよ。
後段は、どうも私にはその峻別(建前としての戦没者)の必要性というのが分からない。
というのは、私は、各私団体の慰霊追悼行為(概ね宗教的といわれる行為)に対して
国が儀礼を行う方式が、最も合理的な戦前の反省にたった政教分離であろうと考えている
から、靖国神社という私団体の祭祀対象がいわゆる建前としての戦没者だったとしても
別にかまわないのであって、それ以外の実質的な戦後の戦没者に対しては、別の場所場面で
それが用意されればいいと、私は思っておる。
そう政府が意向を示せば、きちんとした場所場面は用意されるだろうから、代表的追悼施設が
靖国であろうと、そこにすべてを網羅しなければならないというような、信教の自由の侵害論は
本末転倒というべきである。
正式な再軍備の後でなければ建前上の戦没者ではないという論は宗教法人靖国神社
の論理であって、それはそれで信教の自由として尊重はするものの、国にとって儀礼を行う
対象が、建前上の戦没者に限定される理由は、特にないように思われる。
いちいち、些末なコトに揚げ足取りをして人を叩くのが趣味なのか、
議論とも呼べないくだらね〜駄文を書いてる香具師がいて、いや〜になるわ。
ど〜せ書くなら、もっとテーマを掘り下げるなりの有意義な話ししないとツマンネ。
この香具師が相変わらずそんな行為を続けるなら、以降はシカトするわ。
だ〜か〜ら〜、これで最後、ネ
ちった〜
>>820ちゃん見習えばぁ〜?彼は施設の立脚点が違うと書いてるじゃん。
それを、参拝者の行為に話しに持ってきて、論旨を思いっきりズラしてどぉ〜すんのよ。
おれが、おもいさんならこう書くネ。
施設における宗教の意味合いは違う。だが、参拝する際にはたぶんに宗教的行為に基づく
はずである。これは靖国神社でもアーリントン墓地でも同じであろう。
おれなら、
>>820ちゃんの意図を理解して「施設」と「行為」を鑑みた発言としては
成立するわな。尤も、それでも「施設」の違いに対しての反論にはなってないけどね〜
おまいさんもうんざりらしいから、揚げ足取りちゃん、これで最後ネ。
もっと〜、面白いレスきぼんぬ。
なんか、
>>826のところどころにタイプミスがちらほら。
すまそが、文脈で分かってね〜ぃ
>>824 れれちゃん
>ただ、フランスの元大統領はカトリック形式で
>「国葬」されている事実は、まさに国民感情や 国情及びその歴史と、無関係ではないねー。
ミッテランだっけ?フランスは宗教改革の際のプロテスタント弾圧の反省から、
政教分離規定が比較的厳格だとは言われてるね〜。それでも、憲法規定なんかは
日本よりは緩やかだよね〜。前にフランスの学者(名前失念、すまそ)が「日本は憲法の
規定が細かく、厳密すぎる。20条の3項目は削除した方がよい」みたいなこと言っていたけど
これは俺も賛成なんだよ〜ん。フランスは近年、中東からの移民が増えたために〜
イスラム教徒のための公立学校を作ったりしてるけど〜、こいつは日本じゃ不可能だわ。
まぁ、現状を考えればぁ〜、必要は無いかも知れないケド、理念としてはど〜なんだろ〜
国家神道については、定説がないよね〜。一般にはGHQが言い出したとするものが
概ねの合意だとは思うけどぉ〜、構造が複雑だから一言で言い切るのは難すぃ〜ス
>>826 ○カワ氏
誰に言っているかは知らないけど、
>>820の議論は、全く考慮に値しない比較論だと
私は思うよ。
>>828 ○カワ氏
>国家神道については、定説がないよね〜。一般にはGHQが言い出したとするものが
>概ねの合意だとは思うけどぉ〜、構造が複雑だから一言で言い切るのは難すぃ〜ス
一応結論は出しているよ。このスレでは・・・。
雑に概略を書くと、明治憲法における政教分離としての、神道の宗教的部分を除外した
国家儀礼のみを担う神道様式を称して、国家神道と、私は考えている。
>>830 れえちゃん
>一応結論は出しているよ。このスレでは・・・。
そ〜なんだぁ、まぁいずれにしても国家神道なるものは今は存在しないし〜
じゃ、それは置いておくとして〜、れれちゃんは憲法の規定はど〜思ってる?
「厳密すぎる。20条の3項目は削除した方がよい」てコトに関して。
レス先コテ名間違えたぁ〜
すまそ、
>>831はれれちゃん宛てっス
何か今日は調子わり〜。
>>831-832 ○カワ氏
私はいつも調子が悪い。
まぁ、実現不可能な文字面ではあるよね。
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、
国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
解釈次第なんだけれどもまず、宗教教育というのも引っかかる。日本人の宗教音痴は
学校教育に原因があるとは思う。せめて三大宗教とヒンズー教・神道についての
知識的なことは、宗教の平等性などといわないで教えないと害があるとは思う。
で、宗教的活動と言う表現が、国家の儀礼としての宗教的行為のすべてをも含むかの
ような表現は妥当とは思えないけれども、国教を禁止し、信教の自由の制度的担保たる
政教分離という趣旨に合致する条文は、必要なんじゃないの?
実際のことを言えば、条文が問題ではなく、実態的運用が妥当かどうかなんだけれども
はっきりと、「国民の信教の自由を阻害する宗教的活動」を禁止する、という表現が
現代の通説判例に合致しているだろうし、そこには異存はないよ。
>>833 れれちゃん
宗教についての教育がダメダメなのは全くその通りだわ。カルトに入っちゃう無警戒な人が
絶えない原因になってるという指摘もあるよね〜。どことは言わないけど〜、普通の仏教や
キリスト教を装って信者獲得するって手法は少なくないし〜、オレも学生時代に宗教書探しに
本屋へ逝ったとき勧誘されたけどぉ〜、知識が無くって無警戒で、関心有ると取り込まれるわ。
オレの場合「おつとい来やがれ〜」って追っ払ったけどね〜
宗教と教育を問題にする人は、私学助成金をよくマテリアルとして挙げてるケド、フランス
みたいに公立の特性宗教対象の学校作るってのは現実的措置だと思うんだわ。
運用で解釈をするというのは、ややもすれば恣意的な方向に陥る危険性もあるわけだし〜
>>826は保守考のことかな?俺はそう受け取った。
よくよく読むと変な条文だよね。
>第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、
>国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
本来の憲法というものから考えれば、宗教団体が特権を受けることを禁止するというのは
おかしいわけで、国が特権を与えるのを禁止すべきである。
また、宗教団体は、そもそも政治上の権力を有していないのであって、行使しようにも
行使できない。国が政治上の権力を行使するような特権を与えなければいいことだから、
その部分も可笑しな条文ではある。(国家神道を意識したんだろうけど・・・)
>2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない
マァこれは別にいいけど、正しくは参加することも強制されないけど、参加しないこと
も強制されないということだ。
>3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
これは宗教教育というものが、本来的には「特定宗教を教え込む」という意味で
作られたんだろうけど、運用としては、宗教に関する教育を一切避け、事実のみを
教科書に記載するということになっているから、なぜ、プロテスタントが発生したか
とか、シーア派の発生理由とか、回教徒ユダヤ教徒キリスト教の聖地がなぜ同じ
場所にあるかなど、教科書では、全く理解できない。学生にとって世界的常識を
教わらないことは不幸だよね。
837 :
保守を考える:03/11/29 15:09 ID:5bMDk1R8
しかし、私が提起した問題点に答えらず、議論?したいような事を言っているコテや
てんで話しにならんナナシ君を相手にするのは、相変わらず疲れる・・・(いつもの事だが
私は、政教分離(20条・89条)原則をして、首相の靖国参拝を否定出来るのならば
どのような理由から、アーリントン墓地への参拝?を肯定できるのか?
そこのところを、論理的に述べて欲しいと希望しているのであって
それが出来ないのであれば、素直に、出来ません。と言えば宜しい。
どこか、間違っているのかね?
>>837 だから、アーリントン墓地は宗教施設ではない・・・
839 :
保守を考える:03/11/29 15:28 ID:5bMDk1R8
>>838 墓地が宗教施設でなかったら、世界中に宗教施設は存在しないだろう。あほう!
あくまで、軍人の遺族にとっての宗教施設であって、国としては場所を提供しているだけ
といいたいなら、そうきちんと表現すべきである。
しかしその認識であるなら、また、靖国も国としては場所さえ提供していない。
保守考さん、れさんそろそろ新しいスレ立てないとまずいみたいですよ。
もうすぐ書けなくなるみたいです。
>>822 首相の行為じゃなくて施設として「宗教施設」なのかどうかについて
靖国とアーリントン墓地では違う、という点。
といえばわかると思うけど。
あなたは強情ではあるけど決して頭が悪いわけじゃないと思うし。
844 :
保守を考える:03/11/29 15:52 ID:5bMDk1R8
>>841 え?
私が立てねばならんのですか?
国家神道以外、あまり興味がないので、あなたに新スレはお願いしたいのですが。
>>842 私は、何度も述べている通り、宗教と政治は、完全に分離出来ない。でして
結論を言えば、どちらも別に問題は無い。と考えています。
で、提示していただいたサイトにもあるとおり、「宗教」そのものの意味を
考えないといけませんね。
845 :
保守を考える:03/11/29 15:54 ID:5bMDk1R8
>>843 強情とは失敬な。アーリントン墓地には、基督系の教会が5つもあるのに
宗教施設ではない。といったら、それこそ「強情」ではないのでしょうか?
保守考さん、新スレ立てましたよ。
847 :
保守を考える:03/11/29 16:04 ID:5bMDk1R8
どうも、お疲れ様です。
新スレは、必要なものが立てるということでいいだろうし、今回は私が立てるかもしれない。
アーリントンと靖国神社の対比が無意味なわけは、何回か申し述べてきた。
まず、日本では家族と一緒の墓に入るという伝統的気質があるから、国立墓地を
日本で作っても意味はない。
で、アーリントンはじめ米国の墓地は、基本的にはキリスト教徒やユダヤ教徒に
対応するように作られてはいる。昔からアズマたんが言うように、そのような墓苑を国が
所有し、国民のニーズに応じて利用させ、その管理を行うことに何の問題もない。
では、国としての軍人に対する儀礼という側面(これはこのスレでの重要な議題でしょう)
は、どうやっているかといえば、無名戦士の墓といわれるような象徴的なものに儀礼を
表現することで、国立墓地に埋葬されている軍人のほか、すべての軍人に儀礼を
表現しているということだろう。個々の宗教的な祭祀行為は、国としては行わず、その場所に
ある象徴的なものに儀礼をささげるということだろ?
靖国神社は、国の施設でさえない。米国と同等に、その祭祀は各遺族が行っている。
ただ、家族のもとに墓地があり、国が儀礼を表現する施設としては、国家管理のそれは
存在しないわけだ。だから、無名戦士の墓と靖国を対比するなら多少の合理性はあるし
遺族の各宗派での墓地と、アーリントン墓地の対比なら、理解もできようと思う。
いずれにしても、伝統・宗教観が全く異なる米国と比較することで、何がしかの有効な
結論を出せるとは到底思えないよ。