1 :
右や左の名無し様:
個人の自由が最大限に尊重される社会。
現在国家の行っている公共事業や公共サービスのほとんどが、市場を通じて効率的に提供されるようになる。
よって、官公庁は大幅に縮小。族議員も消滅。
ゆえに税金は最少。さらには法律も最少に。
そんな自由な社会の可能性を論じましょう。
まずは国土と産業を縮小し、小さな国にすべき
中国韓国に生産は任せて
日本はもっと歴史を反省して生きるべき
3 :
右や左の名無し様:03/01/18 13:14 ID:Zkb6ktG7
5 :
右や左の名無し様:03/01/18 13:26 ID:jTGbHn4a
>まずは国土と産業を縮小し、小さな国にすべき
縮小するのは政府の権限です。それに伴い役所の規模も縮小されるでしょうが。
>中国韓国に生産は任せて
民間のイニシアチブに任せます。
そうすればどちらの国民も最大の経済的利益をえられるでしょう。
>日本はもっと歴史を反省して生きるべき
歴史をどう認識するかは個人の自由です。
6 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/18 13:30 ID:0s94Cn/h
よくできますが、凪ぐ続きしませんね。
ところで、公共財や公共サービス--警察や消防、その他社会的インフラ
は、民間に任せ得ないものもあると思いますが。
7 :
1:03/01/18 14:10 ID:jTGbHn4a
>>6 そういったものについては国家が行うしかないのかもしれません。
ここらへんについての見解はリバタリアニズムの中でも分かれているようです。
警察については、コミュニティーで自警団を結成して代替できるかもしれません。
あるいは、一人一人が警備保障会社と契約するか。
国防はさすがに無理かな。
大金持ちがどれだけの規模の私設軍隊を持ったとしても一国の軍隊には敵わないでしょうから。
>よくできますが、凪ぐ続きしませんね。
今は国家が大きな権限を持っていることが常識なので、あまり現実味が無いのでしょう。
どうか想像力を逞しくしてください。
そして、国家に寄生する様々なステークホルダーによって
我々の自由と財産が不当に侵害されていることに思いをめぐらしてください。
8 :
右や左の名無し様:03/01/18 14:32 ID:K5DNzJ0L
とりあえず、累進課税は廃止。
平等という一つの任意に選ばれたイデオロギーを
強制するのはおかしい。
>>6 言ってることは分かる。現制度に矛盾があるのも分かる
しかし、本当に可能なのか?
国家というものは対外的にも影響が大きい。対内的な問題だけで権力を否定良いものだろうか?
国家権力を否定するのは、国民が本気で賛成すれば意外に簡単だろう。
でも、賛成する人は実際には少ないと思う。
国民がヘタレってのもあるが、国家権力ってのはそんなに簡単な問題で説明できないものだ。
むしろ、現制度のまま国民レベルで正当な権利として国家権力の暴走を監視することが当然でなければ、民主主義国家とは言えないだろう。
自由主義はその先だ、日本の民度はそこまで達していない。
10 :
右や左の名無し様:03/01/18 19:11 ID:jTGbHn4a
>>8 同感です。
それに替わる税制としては、シンプルに全商品同率の消費税のみとするのが良いのではないでしょうか。
享受した財やサービスに応じて公共サービスを消費したのだと見なせるからです。
また、単純な税制は、国民が納得するためと役人の数を減らすためにも有効だと考えられます。
財政学を勉強されている方の意見が聞きたいところです。
11 :
山崎渉:03/01/20 13:40 ID:???
(^^;
12 :
1:03/01/20 17:42 ID:PW++eanw
>>9 リバタリアニズムにも様々な考えがありますが、
私は最小国家論に共感を持っています。
最小国家論は、国防、治安維持、司法については国家権力を認めるので、
アナーキズムとは対立する立場です。
逆に、福祉や産業助成を国家が行うことは認めません。
それは長期的に見れば非効率であり、また、一部の権益集団の専横を招くと考えられるからです。
公教育についても、大学の独立行政法人化のように漸次民営化の方向に進めて行くべきだと考えています。
金融政策の是非については、ただ今勉強中なので保留いたします。
13 :
民主主義者:03/01/20 19:13 ID:j0nq8Su3
リバタリアニズムを正当化したいならまず
「個人の自由は神聖にして不可侵の価値である」というイデオロギー或いは信仰を全国民に強制し続けなければならない
なぜなら誰でも自分の自由は大切だと実感できるが他人の自由を大切だと実感できないからな
勢い何らかの理(共通認識)に基づく規範をが必要になってくるし それ無しには全国民の思想をそのように統括し続けるのは難しかろう
でき得るとすれば国民同士による相互監視と密告の奨励かなw
で 国家運営の根本に何らかの共通認識を据えるとすればそれは一体どんなものになるのだろうかという疑念がわくぞ
やっぱり人間は創造主に作られた被創造物であり生まれながらに云々…ってやつですかw
14 :
右や左の名無し様:03/01/20 19:18 ID:vAJi4T+R
なんでそういう理屈になるんだ?
リバータリアニズムはアナキズムとは違う。
特定のイデオロギーを強制することはリバータリアニズム
から最も遠い。
警察も軍隊も認められるのだから、思想の統一などしなくても
法を執行することはできる。
なんか見当違いだぞ。
15 :
右や左の名無し様:03/01/20 19:21 ID:p15bkTAU
16 :
民主主義者:03/01/20 19:21 ID:j0nq8Su3
>>14 最小の政府が民主制であるとの仮定で話をするが
個人の自由を国民の多数が必要としなくなったらどうすんのさ
暴力装置は国家システムが握っているのだろ?個人の自由という価値を保つためにはクーデターが必要になるじゃん
17 :
右や左の名無し様:03/01/20 19:53 ID:vAJi4T+R
なんでそういうことになる?
リバータリアニズムの政府は立憲制だ。国民の多数であっても、個人の自由を
法の限界を越えて侵犯することはできないよ。
かりにも「民主主義者」を名乗ってるんだろ?その「民主主義」は立憲制抜きの
ものなのか?だったら、それはここでいうリバータリアニズムとは全く違ったもの
だとしかいえん。
18 :
右や左の名無し様:03/01/20 20:05 ID:Jq12u8fo
1へ
「貧乏人は死ね政策」のこと?
19 :
右や左の名無し様:03/01/20 20:10 ID:mnWVjn/a
リバータリアニズム=夜警国家
そういうこと?
20 :
革命的愛国者:03/01/20 20:10 ID:P0mDRQxz
サッチャー政権が生んだ負の遺産を忘れてはならない。
「小さな政府」によって、所得、生活レベル、教育の差は目も当てられないほどになってしまったのだぞ。
弱者とは、本人の責任よりもむしろ社会の構造が作り出すのだ。
21 :
民主主義者:03/01/20 20:13 ID:j0nq8Su3
なるほど
国民の意思は憲法に制限されるわけだね
そこでは憲法を改めるにあたってどのような手続きを踏む必要があるんだい?
それによって君の理想とするリバタリアニズムへのオレの対応も変わってくる
オレは
>>13で
>で 国家運営の根本に何らかの共通認識を据えるとすればそれは一体どんなものになるのだろうかという疑念がわくぞ
>やっぱり人間は創造主に作られた被創造物であり生まれながらに云々…ってやつですかw
こういう質問を発したが リバタリアニズムを支える規範を知りたかったわけだよ
個人の自由最大限尊重と聞くと うっかり一神教――特にプロテスタンティズムを連想してしまうものだからね
先入観抜きで議論したいから 是非答えてもらいたい
22 :
民主主義者:03/01/20 20:54 ID:j0nq8Su3
正直言ってオレはリバタリアニズムが実現すると民主主義は維持できないと考えている
まず国家の意味が完全なる強者でない者同士の相互扶助にあると認識しているからだ
国家システムは調整機関だね 調整機関が福祉教育から撤退してしまえば
年寄りや子供は国家という市民社会の恩恵を失ってしまうわけだから
つまるところすべての人間はよりローカルな共同体への依存を深めることになる
このことがより深刻な事態を生み出す 大雑把に言って民度の低下だな
民度低下によるローカルの対立は最も懸念すべき事案だろう(国家という幻想的共同体――ゲマインシャフト的意味が崩壊するってことだよ)
流通も生産もすべて市場に任せているわけだからそこに敵対的恣意が潜り込むことも想像に難くないし
それぞれの地域は自給自足できるほど都合よく出来ていないしな(で ゲゼルシャフト的意味も崩壊する)
23 :
右や左の名無し様:03/01/20 22:04 ID:vAJi4T+R
>>21 なんだかよくわからないんだが、憲法は国民の意思で改正できるんだから、結局
国民が決めちゃえばなんでもできるだろ、というようなことがいいたいのか?
それだったら、「法の支配」「立憲制」っていう概念をよく本で読んでくれ、としか
いえないなあ。もちろん、喝采で強引に憲法を改正するとか、革命をやるとか、
そういうことにしちゃえば、それを「法によって阻止する」ことはできない。
ただ、法の支配や立憲制は、権力への制約を無にするようなことを正統なもの
としては認めない、としかいえない。
言っちゃ悪いが、立憲制の趣旨を理解してないのであれば、「民主主義」とか
いう言葉を簡単に使ってもらいたくないんだが。
完全な自由経済のもとでは勝者と敗者の格差が広がり、
世代交代につれて機会の不平等はどんどん拡大するだろう。
要するに、最初の段階で誰もが与えられているはずの自由を享受できる者と
できない者が生じてくるわけで、これは公正とはけしていえない。
だから、少なくともロールズが言った意味での機会均等原理は、ラディカルな
リバタリアン社会の中でも採用されるべきだと思う。
25 :
右や左の名無し様:03/01/20 22:37 ID:XB7xhkvi
―横レス―
>>23 >言っちゃ悪いが、立憲制の趣旨を理解してないのであれば、「民主主義」とか
>いう言葉を簡単に使ってもらいたくないんだが。
立憲制・法の支配と民主主義(民主政)は元来別個のもの。
それどころか、対立すらありうる。
民主政は、統治の方法に過ぎない。
立憲制は、恣意的な人の支配を退ける(それが君主の独断であろうと、
人民の総意であろうと)システムだ。
それをもって予見可能性を最大化し、人々の自由な行動を尊重しようとするのだ。
したがって、真のリバータリアンは、民主政・君主政の議論については、興味をしめさない。
どんな政体であろうと、自由が守られていなければならない、と主張するからだ。
どんな政体であろうと、恣意的な財の収奪や、財の再分配を認めないのだ。
>>25 それは、民主的であればどのような決定も可能であるという合意主義
に対する批判の文脈で使われるものであって、
君主制も許容可能であるという文脈で使われることではないぞ。
27 :
右や左の名無し様:03/01/20 22:51 ID:XB7xhkvi
>>24 >最初の段階で誰もが与えられているはずの自由を享受できる者と
>できない者が生じてくるわけで、これは公正とはけしていえない。
これは、リバータリアニズム批判としてよく見る典型的な意見だ。
しかし、この意見には決定的な誤りがある。
それは、「自由」という言葉の濫用だ。
自由権とは、「妨害排除請求権」のことである。
その意味で自由は、貧者であろうと、富者であろうと、公正に享受できる。
(例を挙げると、「結婚する自由」というのは、「結婚するのを国家から
邪魔されない」ことを意味する。決して、「具体的に○○さんと結婚できる」こと
ではない。職業選択、営業、財産権、思想、表現、信教・・・など、いずれの
自由も、前者の意味で使うのが普通でしょう)
それを、
>>24のように「貧者に<実質的な>自由がない」とか言うのは、
貧者(=多数者=大衆)の嫉妬心を屁理屈で理論武装した悪質なレトリックに過ぎぬ。
>>24の意見に共感する者は、「自由」という言葉を再定義せねばならぬ。
それをしなければ、「公平に自由が与えられない」というのは、
「嫉妬の心情告白」にしかならない。
人間は、最初の段階では、「自由」をみんな与えられているのだ。
28 :
右や左の名無し様:03/01/20 22:53 ID:XB7xhkvi
>>26 「君主制を許容」した覚えはないが。
リバータリアンと民主主義者は対立することを指摘しただけだ。
29 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/20 22:56 ID:r39VoQP4
>>27 >自由は、貧者であろうと、富者であろうと、公正に享受できる。
経済的・社会的自由を広く万人に提供する手段としては、今のところ
政府によってのほうが、効率的かもしれないと思ったりもします。
30 :
右や左の名無し様:03/01/20 23:06 ID:XB7xhkvi
>>29 >経済的・社会的自由を広く万人に提供する手段としては、今のところ
>政府によってのほうが、効率的かもしれないと思ったりもします。
これも、「自由」の言葉の濫用。
あなたのいう、「経済的・社会的自由」とはなんだ?
具体的な所得、金、財産か?それが、濫用だというのだ。
「自由=妨害排除請求権」を提供するのは、国家に決まっている。
だって、自由を妨害する主体は、国家なのだから。
国家が提供する自由とは、「〜〜について、国家は邪魔しない」
を言う意味だ。
この意味の自由は、「貧者にも富者にも万人に享受されている」ではないか。
なぜ、富者の財産権を、多数の貧者が収奪する所得再分配・社会保険制度といった
義賊のようなシステムが、道徳的に許容されうるのか、
リバタリアンはそこを問うているのだ。
31 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/20 23:18 ID:r39VoQP4
>>30 >だって、自由を妨害する主体は、国家なのだから。
そうでしょうか?
国家だけではなく、特定の集団や個人も、私の自由や奪うことは
ありうるでしょう。
32 :
右や左の名無し様:03/01/20 23:27 ID:XB7xhkvi
>>21 >>やっぱり人間は創造主に作られた被創造物であり生まれながらに云々…ってやつですかw
>こういう質問を発したが リバタリアニズムを支える規範を知りたかったわけだよ
>個人の自由最大限尊重と聞くと うっかり一神教――特にプロテスタンティズムを連想してしまうものだからね
そのような人間観にたつリバタリアンもいるが、全員がそうというわけではない。
「最小国家論者」は、「人間は創造主に云々・・・」という人間観には立たない。
最小国家論の人間観は、
「人間(ある特定の個人)は立派か(理性的・道徳的か)どうか、だれにもわからない」、だ。
その人間について、誰にもわからないが、しかし、自分のことは、
他の誰よりも、相対的に自分がよく知っている。
自分が立派になれるかどうか、どういう生き方がいいのか、誰にもわからないが、
他のだれよりも、自分がもっともそれに関心がある。
だから、何人も、自分を市場社会で実験できなければならない。
自分の実験を、妨害されるべきない。それが、「自由」だし、
その意味での自由が尊重される社会を目指すのが、リバタリアニズムなのだ。
>>30 自由主義が消極的自由つまり「国家からの自由」から始まったことは
否定しないし、僕もその主張を大いに支持するところである。
しかし、実態としての自由を許容できない層は確実に存在する。
貧者の子として生まれたというだけで、教育を受ける権利が享受できないことを
貧者の嫉妬であると切り捨てる社会がリバタリアンの社会であるとすれば、
僕はそのような社会は許容することはできない。それぞれの善の構想の
追求のためには、単にそれが妨げられないというだけでなく、
全員が同じ機会が与えられるべきであるという理念が自由権の拡大を歴史的に促している。
もちろん、原理原則なしの自由権の拡大は許されない。
ロールズは自由原理>機会均等原理>格差原理の順で社会的な自由は認められるべきだとする。
少なくとも社会的格差の増大は「閉じた社会」につながり、
それはリバタリアン社会の対極に位置するところのオーソリテリアンの
社会と実質的に同じものになってしまうだろうが。
35 :
右や左の名無し様:03/01/20 23:42 ID:ohmoBTpD
「作られた秩序」である社会民主主義的秩序(混合経済体制)は官僚主義的行政国家であり、
また社会主義的秩序(計画経済)は設計主義として唾棄すべき対象である。
「作られた秩序」ではなく「自生的な秩序」をこそ重視し、
「市場経済」(正確には或る種限定合理性的認識に立つ過程としての市場理解)や
「法の支配」(法律ではない点に注意)に社会を委ねるべきである。
36 :
右や左の名無し様:03/01/20 23:48 ID:XB7xhkvi
>>31 あなたの行動を具体的に「妨害」する個人・集団がありうる?
それは、「拉致して行動の自由を奪う」
「殺して行動の自由を奪う」ってことですか。
それは、ありうるでしょう。犯罪者ですが。
すこし、説明不足でした。
でもその指摘が、
<「自由=妨害排除請求権」を提供するのは、国家に決まっている。>
を覆したことにはならない。
@ある集団が、「あなたを拉致しない」からといって、
その集団が、「あなたの行動の自由を保障している」
を言うことにはならないでしょ?
Aそれに、
>>30では、
>国家が提供する自由とは、「〜〜について、国家は邪魔しない」
>を言う意味だ。
と明確に述べている。
>>27からの文脈で、「国家が保障する自由とはなにか」の話をしていたのだよ。
ちなみに、最小国家論者でも、
「ある人の行動が他害に及べば、その間の調整をはかるのは、国家の仕事だ」
というだろう。
37 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/20 23:55 ID:r39VoQP4
>>36 正直どうでもいいのですが、要するに私のいいたいことは、
世の中は私と国家の関係だけでなく、他のさまざまな集団や
個人との関係の上になりたっており、そこになんらかの権力や
資源の差が生じ、個人の身体や財産がおびやかされることも
あるのだから、そこを調整するシステムとして国家を役割を
考えることも、現実的だと言うことではないんでしょうか。
そして一方で、国民にとって国家の権力の横暴を防止するために
憲法があると・・・
38 :
右や左の名無し様:03/01/21 00:04 ID:/vWsvkw0
>>37 その、「権力や資源の差」と「個人の身体や財産がおびやかされること」の間には
ちょっと距離がないですか?
権力や資源の差そのものが、「個人の身体や財産をおびやかすこと」になるか
どうかはちょっと検討が必要なのではないかと。
39 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 00:10 ID:tXVuCITV
>>38 「〜こともある」といっていますし、また歴史的にみれば
権力や資源の差は、抑圧する者と抑圧される者をわかつ
もっとも大きな要素でしょう。
40 :
右や左の名無し様:03/01/21 00:11 ID:Y/J4z2Y4
>>33 >実態としての自由を許容できない層は確実に存在する。
だからその「自由」っていうのが言葉の濫用なんだよ。
まあ、でも、それが「貧者の嫉妬」であることを認めているようだから、
この点はもうこれ以上追求しない。
>貧者の子として生まれたというだけで、教育を受ける権利が享受できないことを
>貧者の嫉妬であると切り捨てる社会がリバタリアンの社会であるとすれば、
>僕はそのような社会は許容することはできない。
この見解についての私の見解はこうだ。
@貧者の層に、義賊国家が富者から収奪した金を与えることが、
なぜ許容できるのかという理屈は、基本的にはわからない。
しかし、どうしても必要だと思える場合でも、慎重に決せねばならない。
Aリバタリアンでも、義務教育段階までの教育は、国家が保障すべきであると
いう立場はありうる。(
>>35で引用されているハイエクでも、
ごくごく最低限の所得保障は認めている。しかし、これを権利だ、
とまでは言っておらず、政策的に許容できるというだが。)
なぜなら、最低限の教育を、全国民が受けることは、
「公共財」としての価値がある。たとえば、みんなが同じ言葉を話すことは、
誰にとっても利益になることで、社会全体の利益になり、
決して一部の者の利益とは言えず、したがって、義務教育の提供が
「義賊的」とはいえない。
Bしかし、貧者の大学進学の費用を国家が出すことには反対だ。
大学進学は、個人の市場での価値を高める投資活動であったり、
自分の知的好奇心の満足を得るためのものであるから、
それは公共財とはいえず、私的財であり、国家が負担すべき費用ではない。
貧者は、個人でローンを組むなりして進学すべきである。
Cしたがって、貧者への教育援助は、義務教育段階でとどまるべきである。
41 :
右や左の名無し様:03/01/21 00:22 ID:/vWsvkw0
>>39 そこはあいまいにするべきではないでしょう。
権力や資源の差そのものが抑圧を生むのだといってしまえば、
それは社会主義の方向にどんどん近づいちゃいますよ。
42 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 00:29 ID:tXVuCITV
>>41 だからこそ、法にのっとった諸権利の確立や、税や社会保障制度
による財の再分配と社会的・経済的な保障、教育による個人の
能力の育成と自己実現の促進、などを通して、権力や資源の差が、
直接的な抑圧状況を生まないようなしくみをつくっているのでは
ないかと思いますが。
43 :
右や左の名無し様:03/01/21 00:32 ID:Y/J4z2Y4
>>37 >世の中は私と国家の関係だけでなく、他のさまざまな集団や
>個人との関係の上になりたっておりそこになんらかの権力や
>資源の差が生じ、個人の身体や財産がおびやかされることもある
言いたいことはわかるのだが、国家権力と社会的権力は比較にならない。
社会的権力なんて、
「あなた(がた)と私は財産面で差があるから、わたしは〜〜せざるを得ない」
という状態にすぎない。
国家権力は違う。強力な強制力、暴力装置を持っている。
また、強者と弱者が市場で競争し、弱者が敗れるということと、
国家が強制力をもって一方的に財産を奪うことのどちらが非合理か、
非道徳的か、これをリバタリアニズムは鋭くしてきしているのだ。
「自由の侵害」、「財産の収奪」というのは、強制力をもってなされるもの、
例えば、徴税や、刑の執行に使われるべき言葉だ、と私は思う。
また、社会的権力が国家の暴走(ナチや、共産化など)の
歯止めの役目にもなることは、政治学者ならだれでも知っていることだ。
「社会的権力を抑制するための国家権力の発動」という発想には、
到底賛成できない。
44 :
右や左の名無し様:03/01/21 00:36 ID:/vWsvkw0
>>42 まだあいまいだとおもいます。
「格差そのもの」が抑圧になるのか?わたしはそうではないとおもいます。
「このような格差は、それ自体抑圧となる」というような格差があるのなら、
そうした格差をなくそうとすることにリバタリアンといえど賛成するかも
しれません。
しかし「格差が抑圧をうみかねない」というようなあいまいなことでは、
格差の解消を理由にいくらでも個人に対してパターナリスティックな
干渉を行う可能性を排除できないことになってしまいます。
その理屈では、福祉国家どころか社会主義すら排除されません。
45 :
右や左の名無し様:03/01/21 00:43 ID:Y/J4z2Y4
>>44 >>44 同意。そのとおり。
社会的強者の抑圧なんて、たかが知れている。
それが恐ろしくなるのは、国家権力と結びついたときなのだ。
あいまいな理屈に、国家権力発動の契機を与えてきたから、
経済は疲弊してきた。
また、そのような論法を取り入れた国は、ハイエクが指摘したように、
行政過剰肥大・管理国家という「隷従への道」を突き進むだろう。
46 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 00:59 ID:tXVuCITV
>>43 >言いたいことはわかるのだが、国家権力と社会的権力は比較にならない。
こういう比較は、いささか単純で意味をなさないと思いますが。
確かに国家権力は大きいけれども、それ以外の権力が無視できる
ほど小さいかというと、まったく違うでしょう。
大きな権力装置さえなくしてしまえば、「自由」になるというリクツ
であれば、それは頭の悪い社会主義思想と変わるところがないのでは
ないでしょうか?
それに、国家の権力があるからなくすというのではなく、国家の
権力をコントロールできるようにすることが重要でしょう。
むしろ、あなたは国家や政府をあたかも人間を抑圧する
権力装置とだけしか見ていないのではないでしょうか?
47 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 01:04 ID:tXVuCITV
>>44 >しかし「格差が抑圧をうみかねない」というようなあいまいな
>ことでは、格差の解消を理由にいくらでも個人に対してパター
>ナリスティックな干渉を行う可能性を排除できないことに
>なってしまいます。
いや、実際に歴史的におこってきたことの多くは、権力や資源の格差に
基づく抑圧だったと思いますが。
だからこそ、私が上でのべたようなしくみを近代社会をつくりあげて
きたのでは?
問題は、国家権力に対するコントロール権を国民が握ることで
あって、国家権力を排除することではないでしょう。
>>40 敢えて言うなら、原初状態という装置を仮定することで導いた「正義」
の概念によって、富の再分配や社会保障は正当化される。もちろん、
そこには過度の自由の制限につながらないための原理原則が必要。
(「正義の二原則」)リベラリズムとリバタリアニズムの違いって、
結局公正の線引きをどこに引くかどうかだと思うけどね。
ちなみに、
http://www.self-gov.org/quiz.htmlのテストでは、
どうやら漏れはリバタリアンらしいw。
>問題は、国家権力に対するコントロール権を国民が握ることで
>あって、国家権力を排除することではないでしょう。
・・・という問題でもないんだなあ。
民主的であれば権力が正当化されるわけでもない。
まあ、わかっているとは思いますが。
50 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 01:38 ID:tXVuCITV
>>49 私は「権力」それ自体を、良い・悪いと評価するのは、
あまり意味がないと思います。
交通違反者を取り締まったり、脱税をおこなった企業に
対して追徴金を課したりするのも、「権力」といえるで
しょうが、重要なのはそうした権力が、誰によって、
誰のために、どのような手段で、何を根拠に、行使
されるかということであって、その意味で、
上記の例のような国家権力の行使は容認される
わけですから。
そして最も重要なことは、国民がそうした国家権力の
行使が仮に間違っていると考えるのであれば、正す手段が
あるということです。
51 :
民主主義者:03/01/21 01:45 ID:w0ZEyAZO
>>23 憲法改正の手続きを問うた意味は後半の文脈へ繋がるわけだよ
リバタリアニズムの掲げる憲法は単なる社会契約なのかそれとも絶対の教義を記してあるものなのか?
どうやら君も気づいたと思うけど民主主義を維持しつつリバタリアニズムを堅守したければ
>>13のようなイデオロギーの押し付けが必要になってくるわけだよ ゆえに個人の自由を最大限に尊重した民主主義など論理的にありえない となる
>>32 >「人間(ある特定の個人)は立派か(理性的・道徳的か)どうか、だれにもわからない」
リバタリアンの人間観がそうならば民主主義者のオレよりもずいぶん性善説に傾いているな
オレだけでなく民主主義の脆さを実感しているものならば
「人間には教育を施さなければ理性的にも考えられないし道徳的にも行動できない」と考えているはずさ
そもそもリバタリアンが理を追求したり他人の行動に道徳を求めたりするものなのかにすらオレは疑念を抱かざるを得ないな
君が述べるように自由が理性の開放を意味しないという前提に立てば それは自然状態を意味する古典的自由とは対立する概念でしかないわけだからね
52 :
右や左の名無し様:03/01/21 18:19 ID:HAqsESa9
53 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/21 18:22 ID:HAqsESa9
54 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/21 18:34 ID:HAqsESa9
>>46(茶々)
>確かに国家権力は大きいけれども、それ以外の権力が無視できる
>ほど小さいかというと、まったく違うでしょう。
わたしは、そう思っているよ。
多くの人々が、市場におおいに不信感を表明し、国家に信頼を置く
理由がわからない。
>大きな権力装置さえなくしてしまえば、「自由」になるというリクツ
>であれば、それは頭の悪い社会主義思想と変わるところがないのでは
>ないでしょうか?
社会主義は、市場を権力装置と見て、人民統治の国家を信頼したのだ。
リバタリアンの発想とは、全く正反対のものだ。
したがって、上の指摘は、的外である。
しかも、リバタリアンは、「国家をなくせ」という主張なんてしていない。
「国家の役割を抜本的に減らし、市場をもっと信頼しろ」といっているのだ。
といっても、リバタリアンは市場万能論やアナーキズムではない。
市場では供給されない(されにくい)ものの提供は、国家の仕事だ。
市場における公平で予見可能なルール作り、公共財の提供、
取引の安全を守る警察と軍隊などは、国家の仕事である。
それ以外の国家の活動を根源的に否定するのが、最小国家論なのだ。
55 :
リバタリアン@最小国家論者 :03/01/21 18:52 ID:HAqsESa9
>>46-47、
>>50 >それに、国家の権力があるからなくすというのではなく、国家の
>権力をコントロールできるようにすることが重要でしょう。
>問題は、国家権力に対するコントロール権を国民が握ることで
>あって、国家権力を排除することではないでしょう。
>そして最も重要なことは、国民がそうした国家権力の
>行使が仮に間違っていると考えるのであれば、正す手段が
>あるということです。
じゃあ聞くが、「国民の意思」ってなんだ?「国民の意思」とは「多数決」のことか?
あなたの言う、「国民が、国家権力をコントロールできる国」で、
一国民である私が、「社会保障制度(とくに社会保険)で、財を強制的に収奪するという
国家権力行使は間違っている」という意思を持ったとき、国家権力を正す手段があるのか?
国家権力を制限できるのか?
そうはなるまい。国民が、国家権力をコントロールしている以上、
私の意志は「全体の利益」の前に屈服せざるを得ないであろう。
国家権力発動の正当性の有無は、「民主的か否か」では決してない。
「一般的・抽象的な法(法律じゃないよ、念のため)に基づいた国家権力の発動か否か」であるべきだ。
56 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/21 19:03 ID:HAqsESa9
>>51 あなたは、自由の系譜が大陸合理論的な社会契約論
(ロック、ルソーなど)しかないとお考えなのだろう。
だから、そんな素っ頓狂なことを言っているのだろう。
英米的、経験論的な人間観から発した自由の系譜(アダム=スミスなど)
もあるのだよ。
立憲主義と、特定のイデオロギーとは関係ないのだ。
また、
>>25でも指摘したが、リバタリアンは政体論に興味を示さない。
リバタリアニズムとは、
「いかなる政体であれ、恣意的な権力発動(それが民主的であっても)
は許されない」、という立場なのだ。
57 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/21 19:27 ID:HAqsESa9
>>51 >リバタリアンの人間観がそうならば民主主義者のオレよりもずいぶん性善説に傾いているな
???なぜそうなる?「人間が性善か、性悪かなんて、わからない。
そして、それに最も関心があるのは自分だ。だから、実験するのを邪魔するな。
それが自由というものだ」といっているのだ。それが「ずいぶん性善」なのか?
>「人間には教育を施さなければ理性的にも考えられないし道徳的にも行動できない」
それは、リバタリアンの人間観とは違う。リバタリアンの人間観・教育観は、
「人間は、自由に自分を実験して見なければ、理性的かどうかはわからない。
どのような教育を受ければいいか、受けてみなければわからない。でも、自分(年少者の場合は、親が妥当か)が一番そのことに関心があり、真剣に考えられるはずであるから、学校の選択権は尊重されるべきだ。」というものだ。
国家が、特定のイデオロギーを押し付けてくることを、最も嫌うのだ。
58 :
右や左の名無し様:03/01/21 19:28 ID:HAqsESa9
(続き)
>そもそもリバタリアンが理を追求したり他人の行動に道徳を求めたりするものなのかにすらオレ>は疑念を抱かざるを得ないな
リバタリアンはそんなことをしない。 パターナリスティックな干渉を、リバタリアンは嫌うのだ。
人の自由な行動が他害に及べば、国家が正義の回復をすれば足りる。
>君が述べるように自由が理性の開放を意味しないという前提に立てば それは自然状態を意
>味する古典的自由とは対立する概念でしかないわけだからね
たしかに、ルソーの言う「自由」とは異なるかもね。経験論的な自由論だから。
リバタリアンが言う「自由」はただひとつ。「妨害排除請求」のみを意味している。(
>>27で既に書いた)
59 :
民主主義者:03/01/21 21:33 ID:Ul+J9D2k
According to your answers, your political philosophy is centrist.
どうやらオレは中庸らしいな
>>55 全体よりも誰かの私を優先させるべしとする根拠は? オレに言わせればそんなもの存在しないね
極端な例 私最優先の親が赤ん坊の養育を放棄したら人類滅亡だよw 親は子供を必ず養育しなければならないという法でもあれば話は別だが
それに関連して一般的抽象的法とは何を指すのかはっきりして欲しいな
それは私の衝動を満たすための手段追求より上位に据えられるものなのかね
かつ それがリバタリアン流に従ってパターナリスティックなもので無いとすれば
いったいなんだ?
>>56-58 政府が民主的手法に拠って成るものでなくとも自由を妨害さえしなければ良いと読めるな
オレとしては民主的手法以外で成立した暴力装置占有機関など認めたくないけどね
さしあたって機関が君の言うところの一般的抽象的法を遵守しなかった場合
再構成させる為の主体はどこに据えるべきとするの?
>>52 私の理想は、言うならば「開かれた社会」なので、その意味では
リバタリアニズムの考え方に一定の敬意は表するが、一方で
「子供が東大に通っている親の年収は平均よりもかなり高い」という
データなんかをみると、全面的に賛成しかねるといったところです。
61 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/21 22:09 ID:HAqsESa9
>>59 >全体よりも誰かの私を優先させるべしとする根拠は?
だ〜か〜ら〜、「私のことは、誰もわからない。でも、自分が一番関心が
あり、自分のことを真剣に考えられるからだ。」をいってるじゃない。
何回もw。(
>>57)
>私最優先の親が赤ん坊の養育を放棄したら人類滅亡だよw
それは、「他害」に及んでいるでしょ?w
そういう時は、国家が刑事的に罰するなり、
民事的に正義を回復するなりすればよいのだ。この点も、
>>58で述べた。
>一般的抽象的法とは何を指すのかはっきりして欲しいな
「一般的抽象的な法」とは、「誰も知らない将来の出来事に対して、
無名の(特定されない)人々全員みんなに等しく適用される法」である。
これは、「法の支配」の大原則で、遡及処罰の禁止などの規定にあらわれている。
法がこの要件を満たしていれば、人々は、何をして良いか、何をしてはならないか、
予見可能になり、自由な行動がとれるのだ。
したがって、一般的抽象的な法によって、人は保護領域を保障され、人はその範囲内
(例えば他害に及ばない範囲内)で自由な行動ができる。
具体的に、だれそれの利益を侵害したから、ペナルティーを受ける、というのは、リバタリアンでも
許容するだろう。リバタリアンが嫌うのは、他害に及んでいない行動にたいして
(たとえば同性愛とか、一人きりのポルノ鑑賞とか、思想とか、飲酒とか)、
「社会全体の道徳秩序」、「社会公共の利益」、「あなた自身のため
(パターナリスティックな理由)」等のあいまいな理由よって、
わたしの自由が奪われることである。
62 :
右や左の名無し様:03/01/21 22:13 ID:HAqsESa9
>>61のつづき
>政府が民主的手法に拠って成るものでなくとも自由を妨害さえしなければ良いと読めるな
そうですね。そういう意味です。民主的かどうかに、私は興味を持ちません。
>オレとしては民主的手法以外で成立した暴力装置占有機関など認めたくないけどね
それは、「立場の違い」としか言いようがないね。
あなたは「民主主義者」なんだし。w
私の理想を言えば、民主政でも君主政でも、貴族政でもない、混合政体が好ましいと考えている。
権力分立の原理も、民主主義とは関係なく、自由主義の文脈で出てきた思想だから。
>再構成させる為の主体はどこに据えるべきとするの?
私は、法は「作るもの」ではなく、「現れるもの、発見されるもの」と
考えている。民主的プロセスでつくった法より、コモン・ローのほうが
私の好みに合うね。
>>61で述べられていることは、「善よりも正の優越」といって、
リバタリアンに限らず自由主義において一般的な原則となっているのでつ。
64 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 22:18 ID:hDvl51yk
>>54 >市場では供給されない(されにくい)ものの提供は、国家の仕事だ。
>市場における公平で予見可能なルール作り、公共財の提供、取引の
>安全を守る警察と軍隊などは、国家の仕事である。
>それ以外の国家の活動を根源的に否定するのが、最小国家論なのだ。
理念的に否定して見せるよりは、経済学的に市場でおこなった
方がより効率的であるということを論証するほうが説得的であると
思いますよ。
65 :
リバタリアン@最小国家論者 :03/01/21 22:24 ID:HAqsESa9
>>63 そうですね。
リバタリアンと、ロールズ、ドゥオーキンなどのリベラリストと、
おりあえる部分が大きい。
「精神的自由権」に関しては、ほとんど見解が一致するのではなかろうか。
「経済的自由権」について、見解の相違があるのだな。たぶん。
66 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 22:28 ID:hDvl51yk
>>55 >一国民である私が、「社会保障制度(とくに社会保険)で、
>財を強制的に収奪するという国家権力行使は間違っている」
>という意思を持ったとき、国家権力を正す手段がある のか?
>国家権力を制限できるのか?
その理念の妥当性はさておき、その理念を多くの国民が支持し、
政治的な力として集約されていけば、法や制度のあり方を変える
ことも可能でしょう。
そもそも、そういう可能性がなければ、リバタリアニズムなど、
万に一つも実現することはないと思いますが。
67 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/21 22:30 ID:HAqsESa9
>>64 なるほど。それもそうですね。
経済学的な論議にうつるわけですか。
それもいいかも知れませんね。
茶々さんは、リバタリアニズムに否定的だと御見受けしますが、
経済学では、ケインズ流の修正資本主義経済学を支持しているのでしょうか?
68 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 22:39 ID:hDvl51yk
>>67 私は特定の派を支持する/しないと言えるほどに、深い経済学的な
知識を持っているわけではありません。しかし、経済学的な議論が
なくてもよしとするほど、理解がないわけでもありません。
69 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/21 22:45 ID:HAqsESa9
>>66 >政治的な力として集約されていけば、法や制度のあり方を変える
>ことも可能でしょう。
これは、典型的な多数者の支配する数の政治ではないか。
多数者の貧者に財を収奪され、少数者(富者)の権利は保障されない。
民主政のもっとも醜悪な部分を肯定されるのか。
民意という「数の力」の根拠のみで、「なぜ、私の財が収奪されるか」という
「理」に基づいた根拠のない国家権力の発動は恐ろしいと、わたしは考える。
私が、「混合政体が好ましい」と前述したのは、そういう意味だ。
「民主主義と自由主義は対立の契機も持つ」のだ。
>そもそも、そういう可能性がなければ、リバタリアニズムなど、
>万に一つも実現することはないと思いますが。
なるほど、それもそうですね。
しかし、世の中は、リバタリアンが望む方向(所得再分配の軽減、
福祉見直し、医療費引き上げ等)にすすんでいます。
あながち、「万に一つも実現しない」ともいえないんじゃないのかな。
そして、実際の政治が数のみで動いていないことの証左でもあるのです。
70 :
1:03/01/21 22:51 ID:IV/+7HK1
リバタリアニズムの課題が色々と見えてきました。
民主制との対立、最小国家の憲法(法の支配)のありかた、どこまでを政府の提供する公共財・サービスと認めるか、
経済格差の拡大、これらはどれも難問であり、またリバタリアニズムが受け入れられない理由だと思います。
とりあえず、経済的格差の拡大の是非について
貧困層と富裕層の間の所得や財産などの格差が10倍であろうと、
100倍になろうと1000倍になろうと10000倍になろうとも、
そのことを理由に特別に高い税金を富裕層に課すことは財産権の不当な侵害であると考えます。
経済的格差の拡大が、必ず貧困層の絶対的困窮化につながるわけではないのです。
むしろ、資本の蓄積は新しい産業の育成や技術革新を促すので、
労働者としても消費者としても全ての国民が恩恵を受けられると考えます。
71 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 22:53 ID:hDvl51yk
>>69 >「なぜ、私の財が収奪されるか」という 「理」に基づいた根拠のない
>国家権力の発動は恐ろしいと、わたしは考える。
あなたも公共サービスすべてを否定しているわけではないのだから、
それがよってたつ税というしくみを、根底から否定できるのか疑問
ですが。
72 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/21 22:59 ID:HAqsESa9
>>60 >「子供が東大に通っている親の年収は平均よりもかなり高い」という
>データなんかをみると、全面的に賛成しかねるといったところです。
なるほど。でも、ちょっと考えてほしいんだけど、
「貧者の子どもも、富者の子どもと同じ割合で東大にいかせるべきだ」
という理念の下に、貧者に援助するのは、はたして、暴力装置たる国家の役割
としていいのだろうか。
その理念のために、誰かを犠牲にしてもいいのだろうか。
国家が義賊のようなことをしていいのだろうか
上記の理念を持った富者が、「自発的に」寄付や慈善事業をするのはいいんだけどね。
むりやり国家によって、福祉や慈善を強制されるという、福祉国家論には
到底納得できないんだよね。
73 :
右や左の名無し様:03/01/21 23:00 ID:/vWsvkw0
ああ、レスがたくさん・・・。
>>51 「イデオロギーの押し付け」とかいうのはよくわからない。
もちろん、リバタリアンといえども、契約自由の原則に反する場合もないではない。
例えば「奴隷契約を認めるかどうか」という問題を取り上げれば、そういう契約を
認めないリバタリアンはありうる。
しかし、それは個人の自由選択権の保障のためであり、パターナリスティックな
理由からではない。
リバタリアンは、個人の自由選択権は最大限保障されるべきだという前提にたつ
から、たとえ集合的決定であっても、その原則が侵犯されることは認めない。
それを「イデオロギーの押し付け」と表現することは自由だが、パターナリスティック
なイデオロギーの押し付けと、個人の自由を守ることを公理とすることを同一レベル
で考えられてもねえ。
それに、後半の
>「人間には教育を施さなければ理性的にも考えられないし道徳的にも行動できない」と考えているはずさ
だけど、それこそ、えらく「性善説」というか「楽観論」なんじゃないの?
だって、そのような思想は、「人間に対して施すべき正しい教育なるものがただ一つ存在し、少なくとも
社会の誰かはそれを知っているはずだ」ということをあらかじめ前提してるわけだろ?
でも、そんな前提はどっから導かれるのかな?
74 :
右や左の名無し様:03/01/21 23:02 ID:/vWsvkw0
>>71 別にリバタリアンは、公共サービスすべてを否定はしないし、税制度も否定しないでしょ?
ただ、累進課税はおそらく否定するだろうし、国防や法執行以外の公共サービスが
ほんとうに「公共的」であるかどうかについては、多分に疑問とするだろうけど。
75 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/21 23:07 ID:HAqsESa9
>>71 >税というしくみを、根底から否定できるのか疑問ですが。
いつ私が否定しましたか?公共財の提供等のための徴税は認めます。
しかし、多数の人の利益のために、一部の人の利益を侵害して
いい理由がわからないのです。
徴税は不特定で無名の人々から一般的に幅広く、等しく行われ、
かつ、国家行政による利益は、不特定の無名の人々に、一般的に
幅ひろく、等しく享受できなければなりません。
そのような税のあり方が「法の支配」に適合的だと思います。
そのいみで、最小国家論者は、「福祉国家論」に反対しているのです。
76 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/21 23:12 ID:HAqsESa9
>>ALL
>>48のテスト、結構面白いと思うよ。
「むっちょ」さんと私「リバタリアン@最小国家論者」はリバタリアン、
そして「民主主義者」さんは中庸とでました。
みなさんの政策嗜好は、どれなんでしょうか、教えてほしいです。
77 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 23:18 ID:hDvl51yk
>>75 累進課税については、税のありかたとして議論がわかれるところですが、
累進課税を廃止すれば、リバタリアンとしては、あとは公共の財や
サービスをめぐる経済学的な効率性の問題ということになるのでしょうか?
78 :
リバタリアン@最小国家論者 :03/01/21 23:30 ID:HAqsESa9
>累進課税を廃止すれば、リバタリアンとしては、あとは公共の財や
>サービスをめぐる経済学的な効率性の問題ということになるのでしょうか?
累進課税をやめても、まだ、強制的な社会保険制度の廃止、社会福祉の廃止、
公的扶助の廃止など、課題は山積みだな。(この部分は、「大幅削減」でもよしとしよう。)
そのほか、社会権規定の廃止、労働市場の国家による需給調整(労働者保護法制)の廃止とかも課題だな。
それから「公共財」の厳格かつ明確な定義をし、最小国家を形成し、市場の効率を最大限に引き伸ばした
社会にすべきだろう。
あと、「経済的効率性」というのは、リバタリアニズムという思想を支える
根拠の一つでしかないことをお忘れなく。
79 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 23:37 ID:hDvl51yk
>>78 いまいち理解できないのですが、ごくわずかな公共サービスを
のぞいてそれ以外は、すべて市場にまかせたほうが効率的だと
いうことがリバタリアニズムの主張なのでしょうか(どうも
違うみたいですが)?
それとも理念的に国家の干渉を、その経済的効率性のいかんに
かかわらず排除することが重要ということなのでしょうか?
80 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 23:38 ID:hDvl51yk
【訂正】
排除することが重要ということなのでしょうか?
↓
排除しなければならないということなのでしょうか?
81 :
右や左の名無し様:03/01/21 23:40 ID:/vWsvkw0
>>79 効率的かどうかよりも、「公共的理由」に基づかない公金支出は、
「個人の権利を侵害している」ということでせう。
82 :
民主主義者:03/01/21 23:41 ID:Ul+J9D2k
どうもリバタリアンというのはのらくらしてやりにくいなあ
>>61 全体の利益と私の利益を比較した場合に私を優先させなければならないとする根拠を問うているんだよ
民主主義国家においては絶対の何か(人権とか)を仮定しそれ以外の何か(利益とか)については何らかの保障を調整機関が行うに過ぎず――結局全体の利益を優先しているわけだが
リバタリアニズムでは国防治安などの例外を定めた上で私の利益を優先させるわけだろ
無力な赤ん坊を放置することは「他を害する」行為だそうだが 福祉を廃止し弱者を放置することは「他を害する」に当たらないとするダブルスタンダードを正当化してみて欲しいな
私の視点で眺めれば赤ん坊もそこらの弱者も所詮他である存在に変わりないじゃん それなのに赤ん坊を放置したときに限り断罪されたのでは筋が通らないだろ
ひょっとしたら国家が行使する司法的暴力の根拠にパターナリスティックな規範であるところの「孝」でも入り込んでいるのではないかと勘繰ってしまうね
>民主的プロセスでつくった法より、コモン・ローのほうが
>私の好みに合うね。
コモンロウに対する評価は措くとして オレは暴力占有機関が暴走した場合の担保が知りたいんだよ
具体的には誰が暴力占有機関の責任者を任命するかってことだな
レフト−リベラルだそうです(笑 そのまんま。
>>48
84 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/21 23:49 ID:HAqsESa9
>>79 >ごくわずかな公共サービスをのぞいてそれ以外は、すべて市場にまかせたほうが効率的だと
>いうことがリバタリアニズムの主張なのでしょうか。
そのとおりです。違うことはないです。
>それとも理念的に国家の干渉を、その経済的効率性のいかんに
>かかわらず排除することが重要ということなのでしょうか?
それは少し違う。たしかに、リバタリアンの理念は、
「他害に及ばない経済的自由権・精神的自由権の、国家による侵害は、
ゆるされるべきではない。各人の自由は最大化すべきだ。そして
福祉国家論は、国家を肥大化させ(行政国家ね)、国民の自由をうばう」
というものです。
それを支える論拠のひとつとして、「市場に任せたほうが効率的だ」
というものがあるのです。
「市場に任せたほうが効率的だ」という主張のみが、
リバタリアニズムの主張のすべてではないということが言いたかったのです。
(
>>78を自分で読み返してみると、なるほど、
説明不足で、少し日本語が不自由でした。スマソ)
85 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 23:50 ID:hDvl51yk
>>81 >効率的かどうかよりも、「公共的理由」に基づかない公金支出は、
>「個人の権利を侵害している」ということでせう。
公共事業など無駄な支出が問題になっていることは確かですが、
だからといって公共サービスすべからくなくせばよいというもの
ではないでしょう。
と、ここで「リバタリアンは公共サービスすべてに反対していない」
という反論がきそうですね。
ですから、リバタリアニズムが描く理想的な社会像をもっと
具体的に述べてほしいと思います。
時に現在のアメリカのような政治経済体制を言っているようでもあり、
もっとラディカルな社会を言ってるようでもあり、いまいち明確な像が
見えてきません。
86 :
右や左の名無し様:03/01/21 23:53 ID:/vWsvkw0
>>82 あいかわらず「なんだかよくわからない」。
まず「全体の利益」とは何だ?何を全体の利益(自分としては「公共の利益」といった方が
いいとおもうが)とするかという基準がはっきりしないのに、そういうことばを振り回されても
困る。
赤ん坊は一人前の市民ではないので、親に保護する義務がある。このような義務を
親に対して課すことは、赤ん坊が自立できない存在だということから「公共的に必要」だと
認められる。
しかし、自分で自分を保護できる立場にある市民が、大金持ちよりも貧しい状態にあったと
して、その格差を埋めるために公金を支出することは「公共的に必要」だろうか?
この二つの例を同じものとして扱うことはできない。まず「弱者」の基準をはっきりさせなくて
は議論にならないよ。
それから「司法的暴力」って何だ?法に基礎づけられた実力行使は、そういう呼び方で
呼ぶわけにはいかないとおもうが?
だいたい「民主主義者」を名乗っているが、その「民主主義」とはどういう意味で使ってるのか、
ぜひ知りたいもんだ。
ちなみに
>>48のテストをやってみた結果は「中庸派」。しかも、やや「右派保守主義」より(爆)。
87 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/21 23:56 ID:hDvl51yk
>>84 > そのとおりです。違うことはないです。
では、やはり経済的な議論が必要だと思いますよ。
リバタリアニズムに対して、理念的にどうこう言う以前に、
すべからく市場にまかせたほうが効率的だという主張は、
現実問題として、疑わしいと思うものですから。
88 :
民主主義者:03/01/21 23:56 ID:Ul+J9D2k
>>73 自由を最大限尊重しなければならないとする思想の裏には何らかの規範があるのでは?と考えたのだよ
とすれば規範が何れかの文化をバックグランドにしているものと仮定して何らかの善を想定しているはずだと踏んでいるのだがね
今のところ尻尾を出さないようだ
「人間に対して施すべき正しい教育なるものがただ一つ存在し、少なくとも
社会の誰かはそれを知っているはずだ」という前提は人間が文明を発展させることが出来たという事実に基づいて所有しているよ
もし人間が誰も理性を持っておらず道徳を知らないなら文明を維持できるはず無いからな
89 :
右や左の名無し様:03/01/22 00:00 ID:lmR2nSjv
90 :
右や左の名無し様:03/01/22 00:07 ID:lmR2nSjv
>>88 >という前提は人間が文明を発展させることが出来たという事実に基づいて所有しているよ
そうかな?人間の歴史において、過去に善とされたもの、道徳的に正当化されたものが
「実は間違っていた」ということは無数にあった。
「正しい教育がただ一つ存在する」かどうかはわからないね。
またある個人にとって「なにがよいことか」を、本人以外の人間が決めることができるの?
さらに、理性と道徳の名において、ロベスピエールはああいうことをやったということも、
お忘れなく。
91 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/22 00:09 ID:flPd7Xyb
>>85 これを読んで、茶々さんに逆に聞きたいことができてしまいました。
失礼ですが、あなたは、「公共財」「公共サービス」「公共事業」「公共投資」の
使い分けはできていますか。これは経済学・財政学の基本だと思うのですが。
この区別ができないと、私が書いた見解を読んでも、本当に混乱すると思います。
まあでも、厳密に使用している人も今や少数ですから、
あなたの責に帰すべき問題でもなさそうですな。ごくごく、簡単に説明します。
「公共財」:非排他性、非競合性をもつ財。これの必要性は、アダムスミスも説いていた。
法執行、警察、軍事、など。
「公共投資」:ケインズ経済学で出てきたもの。国家が投資することで、
有効需要が増えるという理屈。不況時の緊急対策として有効とされた。
「公共事業」:ケインズ経済学と民主政が合体した、土木国家・日本の典型。
有権者は公共事業をもとめて投票し、政府は、不況でなくても
無駄な土木工事を推進してきた。
最小国家論者は、「公共財」の提供のみ、認める立場。
あと、蛇足ですが、「すべからく」の意味を辞書で調べたほうが良いと思います。
「すべからく」は、「すべて」という意味ではないですよ。
「すべからく〜すべし」という呼応表現でなければ意味は通じません。
92 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/22 00:17 ID:UJqMyfOm
>>91 公共財と公共サービスに関しておおよその理解はしていますが、
ご指摘、ありがとうございます。
して、経済学的な議論として、公共事業が特定集団の既得権益として
働いてきたという面もあったということであって、共事業そのものが
「ムダ」ということではないと思いますが?
93 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/22 00:19 ID:UJqMyfOm
【訂正】
共事業そのものが→公共事業そのものが
94 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/22 00:29 ID:flPd7Xyb
>>「民主主義者」
>コモンロウに対する評価は措くとして オレは暴力占有機関が暴走した場合の担保が知りたいんだよ
>具体的には誰が暴力占有機関の責任者を任命するかってことだな
国家が暴走しないように、リバタリアンは国家権力を最小化し、市場を強くしよう主張しているのだろうが。
民主主義を掲げた国家でも暴走する。だから、いかなる政体であれ、
国家権力を制限しよう、人の支配をなくそうとしているのだよ。
「暴力装置の責任者」?
政体論にリバタリアンは興味を示さないということを、まだわからないか。
あえて言えば、権力の集中(それが民主集中でも、君主専制でも)を防ぎ、
権力をできるだけ分立させようとするのだよ。「混合政体論が好ましい」
と前述したのは、その意味だ。
自由の淵源は大陸合理主義的なもののみならず、英米流のそれも
あることも、そろそろ理解できてほしいな。
リバタリアニズムが英米で盛んなのも、決して偶然ではない。
一神教的な強烈なイデオロギーなどなくても、自由の根拠付けは可能だ。
それは、
>>61でも述べた。
>「貧者の子どもも、富者の子どもと同じ割合で東大にいかせるべきだ」
そうではなくて、富者と貧者でまずスタートラインが異なるのは公正ではないということね。
観念的な話になってしまうが、富者の子供として生まれるか貧者の子供として生まれるかは
自分ではどうすることもできない、しいていえば幸運によるものだろう。
生まれついての幸運によって機会の不平等が生まれるのは望ましくない。
才能よいう自然的な差はともかく、富者の子と貧者の子の差は人為的なものなのだから、
人為的にその機会を是正していくことは重要だと思う。
ところで、リバタリアンって確か相続税100%なんだっけ。
96 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/22 00:46 ID:flPd7Xyb
>>92 いいえ、無駄だし、非道徳的だし、非効率だと思いますよ。
正確に言えば、「公共事業」−「公共財」の部分は。
その根拠を挙げます。ちなみに、何度も言うが、「公共財」の提供は認めていますよ。
@それは、民間でも供給可能である。
(市場ができることを国家が奪うのは自由な社会とはいえない)
Aそれどころか、民間のほうが効率的である。(この論証は、あなたの言うとおり、
経済学的論証が不可欠でしょうね。しかも、事例ごとに個別に。)
B特定業者の既得権益になりがちであり、官民の癒着をうむ。その結果、族議員がでる。
C市場の公平な競争を阻害する。
D民主政における公共投資は、やめるのが困難である。
なぜなら、議員は政府とのパイプを強調し、公共事業を投票誘因にする。
有権者のほうも「地元活性化」の名目で「公共事業」を期待して投票する。
一度始まった公共投資関係部署の官僚は既得権益を守ろうとする。
そこで、アイアン=トライアングルができあがる。
E好況時にも続く非効率な公共事業のせいで、財政の均衡は崩れ、いずれ、
破綻する。(このことは、福祉国家論者、ケインズですら警戒していた。)
97 :
民主主義者:03/01/22 01:10 ID:Ycf++RKY
>>94 私のみを根拠とする自由を肯定すれば福祉を必要とする者(子供や年寄りつまるところ国民全員)のローカルな共同体への依存度が深まり
しまいに国家のゲゼルシャフト的意味も崩壊し結果文明の衰退を招くという懸念がオレのリバタリアニズムに対する理由であることはすでに述べたが
それにしても理解に苦しむ点はリバタリアンが国防と治安を国家システムに預けてしまうところだよ
国防治安維持を成し得る機能を個人で持ち得ないからといって暴力占有機関を設立してしまえば
リバタリアンは只管にそれが「一般的抽象的な法」を踏みにじらないよう祈るしか道は残されていないわけだからな
>>95 リバタリアンが福祉の廃止を主張する以上その辺の論点は意味を成さないだろうな
貧乏人の子供の教育は切り捨てるほうが効率的だからな――民度命の民主主義者とはその辺も対立するわけだよ
98 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/22 01:25 ID:UJqMyfOm
>>96 >@それは、民間でも供給可能である。
公共事業の対象となるものは、さまざまですが、公道や河川、
上下水道の整備など、公共財的なものへの支出もあるわけですから、
これらをすべて民間がやれるわけではないと思いますが?
>B特定業者の既得権益になりがちであり、官民の癒着をうむ。
必ずしもすべての公共事業が、そうした癒着構造を生んできた
わけではないでしょう。こうしたことは、公共事業そのものの
本質的な欠陥ではなく、その意思決定や実施プロセスにおける
問題なのであって、だからこそ、情報公開などの行政改革が
おこなわれているわけでしょう。そうした措置においても、
本質的に解決不能と考えているのでしょうか?とすれば、その
根拠はなんでしょうか?
>C市場の公平な競争を阻害する。
確かに、民間に任せることができる部分については、ゆだねたほうが
よいかもしれませんが、公共事業のすべてが民間でおこなうことが
できる/おこなおうとするインセンティブが働くようなものでは
ないでしょう。一面的だと思われます。
>D民主政における公共投資は、やめるのが困難である。
何を根拠に言っているのでしょうか?
今日、公共事業に関しては、社会的に厳しい監督の目があるし、
現に、ダムや干拓などの例に見るように、地域への公共事業
にも地域住民の反対が寄せられています。
>E好況時にも続く非効率な公共事業のせいで、財政の均衡は崩れ、
>いずれ、破綻する。
もちろん、公共事業のあり方を見直すことは必要ですが、
上で述べたように、それは行政上の意思決定に関わる問題
であって、公共事業の本質的な欠陥ではありません。
99 :
ぽか〜んと傍観者:03/01/22 08:12 ID:+9L8D1WP
おじゃまします。とても興味をもって議論を拝見させていただいてます。
リバタリアン@最小国家論者 様
できましたら、リバタリアニズムに関する基本文献をお教えください。
むっちょ@かわうそ 様
できましたら、ロールズに関する基本文献をお教えください。
以前「正義論」を購入したのですが、歯が立ちませんでした。いい解説書は無いでしょうか。
100 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/22 20:09 ID:Sa18uJbx
>>97 >国防治安維持を成し得る機能を個人で持ち得ないからといって暴力占有機関を設立してしまえば
>リバタリアンは只管にそれが「一般的抽象的な法」を踏みにじらないよう祈るしか道は残されていないわけだからな
う〜ん、
>>94で書いたことを、正確に理解できていないようです。順を追って説明しましょう。
まず、「暴力機関を設立してしまえば」という発想から、リバタリアンは疑義を呈する。
国家形成の契機を社会契約に求める、あなたのような大陸合理主義とは観点を異にするのだよ。
国家は、「自生的秩序」としておのずから発生し存在する。なにも、大勢の人々が社会契約を結んでできたものではない。
社会契約なんて、フィクションにすぎない。このことに多くの言辞は必要あるまい。
(民主主義者を名乗るあなたには受け入れがたい真実かも知れぬが。)
101 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/22 20:10 ID:Sa18uJbx
(続き)
そして、ルール(法律ではない)は作るものではなく「あらわれるもの」だ。
(その意味で、成分憲法よりコモンロウのほうが私の好みに合うと、前述したのだ。
思うに、法律の上にある「上位の法・ルール」の形成は、そもそも多数決でなされるべきではない。)
「法は抽象的一般的であらねばならぬ」というルールは、長い歴史と伝統の中で、
経験的に、あらわれてきた。しかし、歴史上、「人の支配」がなされ、予見不可能な不自由な社会になるることもあった。
そこで、法の支配をまもるためには、「国家権力は分散させるべし」というルールがあらわれたのだ。
(権力は一極集中すべきではないというルールの淵源は、ローマ時代までさかのぼることができる。それが、前述の混合政体論だ。)
このようにして、国家のありようは歴史と伝統の中で順々と形作られてきたのだ。
「暴力機関が暴走せずに、ルールを守るための担保」をあなたは聞きたがるが、
それには何度も答えている。
権力を分散させることである。そのルールはある人が計画して作るのではなく歴史と伝統の中で、経験的におのずから発生してくるのだ。
102 :
むっちょ@かわうそ:03/01/22 20:20 ID:AOQEkzRQ
>>99 「現代思想の冒険者たち」シリーズのロールズなんてどうよ。
103 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/22 20:21 ID:Sa18uJbx
>>97 >民度命の民主主義者とはその辺も対立するわけだよ
これについては異論はない。リバタリアンと民主主義は対立の契機を持つ。
いや、あなたの意見をよんでいると、「善よりも正の優越」という公理をも否定しているように見受けられるから、
リバタリアニズムどころか、リベラリズムとも対立しそうだな。
104 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/22 20:27 ID:Sa18uJbx
>>98 >公共事業の対象となるものは、さまざまですが、公道や河川、
>上下水道の整備など、公共財的なものへの支出もあるわけですから、
>これらをすべて民間がやれるわけではないと思いますが?
わたしは明確に
>>96で、
((( 「公共事業」−「公共財」の部分の国家財政の支出は、 )))
不合理だし、無駄だし、非道徳的だ、と述べているではないか。
あなたが例に挙げた公道、河川、上下水道は、すべて非排他性、非競合性をみたす
明白な「公共財」ではないですか。
「公共財の提供は、国家の仕事である」と、
>>91で述べた。
「公共事業−公共財」の部分で、ぜひとも国家がやらねばならぬという例を、
理由を付して述べてくれないと、リバタリアンへの否定にはなりえない。
105 :
リバタリアン@最小国家論者 :03/01/22 20:49 ID:Sa18uJbx
>>98 >公共事業の すべてが 民間でおこなうことが
>できる/おこなおうとするインセンティブが働くようなものでは
>ないでしょう。一面的だと思われます。
これが、「最小国家論」への批判たりえないことは、
>>104ですでに述べた。
「すべて」否定しているのではないのだよ。公共財の提供は認めるのだ。
106 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/22 20:51 ID:Sa18uJbx
>>98 >今日、公共事業に関しては、社会的に厳しい監督の目があるし、
>現に、ダムや干拓などの例に見るように、地域への公共事業
>にも地域住民の反対が寄せられています。
ほほう、じゃあ聞くが、なぜ、公共事業(ダムや干拓等も含めて)推進派の議員は当
選するのだ。有権者の多数が地域への利益誘導を支持しているからではないか。
「反対の声」は、あらゆる政策に存在するさ。当たり前じゃん、そんなの。
そして、「反対の声」があるにもかかわらず、公共事業推進派は当選するのでしょ?
それが、「D民主政における公共投資は、やめるのが困難である」の根拠だよ。
地域住民も、民主プロセスで公共事業の反対を実現できないからこそ、
直接的な圧力行動を採るんでしょうに。
107 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/22 21:55 ID:Sa18uJbx
>>99 リバタリアニズムにも、いろんな立場がある。
底が浅いが、広くリバタリアニズム全体を扱っていて読みやすいのが
森村進「自由はどこまで可能か」(講談社現代新書)
D・ボウツ「リバータリアニズム入門」(洋泉社)
N・P・バリー「自由の正当性 古典的自由主義とリバタリアニズム」等。
上側の、森村の本は、では、トゥクビル、ヒューム、スミスらの政治経済哲学を評価するリバタリアンである、「最小国家論」は、批判的に取り扱っている。(第七章)
最小国家論の古典としては、フリードマン「資本主義と自由」
ハイエク「隷従への道」「法と立法と自由」など。
最近、ハイエクが結構おもしろいと思っている。
経済の議論で読みやすいものは、間宮陽介「ケインズとハイエク」(中公新書)
ベッカー夫妻「ベッカー教授の経済学ではこう考える」(東洋経済新報社)
そのほかにも、ハイエクの研究書は結構多数出ているようだ。
http://search.shopping.yahoo.co.jp/search/books?p=%A5%CF%A5%A4%A5%A8%A5%AF
108 :
...:03/01/22 22:14 ID:QkTDFq5M
オバタリアニスムをリバイバルしてどうするんですか?
109 :
ぽか〜んと傍観者:03/01/22 22:48 ID:Dbh2okqs
むっちょ@かわうそ様、ありがとうございます。
「現代思想の冒険者たち」シリーズのもの、探してみます。
リバタリアン@最小国家論者様、ありがとうございます。
森村進氏のものは、積読したまま紛失しましたので再購入します。
(「つんどく」が、普通に積読に変換したのが愉快)
まず、ハイエクから入ろうと思います。
「隷従への道」と「法と立法と自由」は、題名からだけでも購買意欲をそそられます。
ご教示、本当にありがとうございました。
110 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/23 00:20 ID:0Ck6uMsE
>>104 >あなたが例に挙げた公道、河川、上下水道は、すべて非排他性、
>非競合性をみたす明白な「公共財」ではないですか。
>「公共財の提供は、国家の仕事である」と、
>>91で述べた。
>「公共事業−公共財」の部分で、ぜひとも国家がやらねばならぬという例を、
>理由を付して述べてくれないと、リバタリアンへの否定にはなりえない。
前半と後半の流れがおかしいと思いますが、まあそれはおいておくとして、
あなたは自分で言っていることがよくわかっていないのではないでしょうか?
あなたは、公共事業の非効率性のひとつとして、官民癒着という問題を
あげていたわけですが、公共財であっても、そうした問題がおこらない
保障はなく、むしろ「道路族」などが見られるように、公共財においても、
そうした構造的腐敗があったわけでしょう。
公共財はリバタリアンとしても否定するものではないというのは、
わかりますが、公共財においても上記のような問題はおこりうるし、
実際、これまでもおこってきたという点を、どう考えているのでしょうか?
111 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/23 00:26 ID:0Ck6uMsE
>>106 >ほほう、じゃあ聞くが、なぜ、公共事業(ダムや干拓等も含めて)
>推進派の議員は当選するのだ。
必ず当選しているのでしょうか?
長野県知事はどうでしたか?徳島県知事はどうでしたか?
何を根拠に一般化しているのでしょうか?
>>110 思うに、−はマイナスで、公共財という要素を抜いた公共事業というつもりで
使っているのだが、茶々氏が−を関連づけの意味として誤解してしまっているので、
かみ合わないのではないかと勝手に思ってみたり。
113 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/23 00:33 ID:0Ck6uMsE
>>112 ああ、マイナスですか。ありがとうございます。
それで文章の流れが一貫したものであることを理解できました。
が、しかし、それでも、リバタリアンが公共事業を否定する根拠と
する官民癒着と言う問題に関して、公共財においても例外でない
ということをどう考えているのか、依然として疑問ですが。
去年同じようなの見たような
個人と公共事業に関係はあるのかどうか
政府を一般の会社と同じように考えれば
公共事業を特別視することはいかがなものか?
115 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/23 19:29 ID:ju79yi1V
>>111 わたしが書いた、「推進派が当選しているのはなぜだ」に答え、
例外的二つの事例(徳島県・長野県)をもってきましたね。まあ、たしかに、
いつも公共事業推進派が当選するのではないですね。
まあ、それはいいでしょう。そこは、あなたの言うとおりでしょう。
「反対派より、推進派が多数当選するのはなぜだ」と言ったほうがよかったかな、
なーんて思っています。(言葉足らずだった・・・)
じゃあ、これはどう考える?
あなたは、以前わたしが出した命題
「民主政における公共投資は、やめるのが困難である」
が根拠のないことだといいましたね。(
>>98)
今回あなたがだしてきた例外的事例「徳島県と長野県」は、
わたしの上記命題を補強する格好の事例になってるんだよ。
田中知事は圧倒的多数で当選しました。公共事業(ダム)の見直しを掲げて。
(それのみが彼の当選の理由だったとは言いがたいですが、まあ、それは置くとしましょう)
「困難である」という命題の反証には「容易である」という事例をもってこなければ
反証になりませんね。
さて、長野県、徳島県では「容易に」公共事業の見直しがすすんだでしょうか。
昨年の、あの県議会の不信任〜再当選の騒ぎを見てるとそうはいえませんね?
(国政の場における小泉もそうですね。)
容易に、スムーズに、見直しが進んだでしょうか。
スムーズに、用意に族議員や官吏たちが知事の言うことをきいて
きたでしょうか。
知事は容易に、
>>96のDで述べたアイアントライアングルをぶち壊せたでしょうか。
116 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/23 20:01 ID:ju79yi1V
>>茶々
わたしが104で書いた、
で、ぜひとも国家がやらねばならぬという例を、
理由を付して述べてくれないと、リバタリアンの否定にはなりえない。
への答はないの?
(むっちょ様、ご指摘ありがとう。−(マイナス)が、解かりにくいですね。
茶々殿はさぞかし、
>>104を呼んで、「素っ頓狂なことを言うやつだ」
と思たことでしょうね。)
あと、茶々殿は
>>98で
>確かに、民間に任せることができる部分については、ゆだねたほうがよい
と述べていますが、これをいってしまうと、わたしの意見と、なんら対立しませんよ。
「民間で供給できないもの=非競合性、非排除性を満たすもの」
っていうのが「公共財」なんだから。
117 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/23 20:07 ID:ju79yi1V
>>116 すまん、訂正する。
>わたしが104で書いた、
>で、ぜひとも国家がやらねばならぬという例を、
>理由を付して述べてくれないと、リバタリアンの否定にはなりえない。
>への答はないの?
↓
わたしが104で書いた、
「公共事業−公共財」の部分で、ぜひとも国家がやらねばならぬという例を、
理由を付して述べてくれないと、リバタリアンの否定にはなりえない。
への答はないの?
118 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/23 20:19 ID:ju79yi1V
>>114 >政府を一般の会社と同じように考えれば
おいおい、「一般の会社」は、税金なんかとらんでしょうに。
会社の事業展開の金を人々から強制的に取り立てるような会社がどこにある?
会社が何かに投資する資金を、強制的に収奪して集める会社がどこにある?
しかも、その事業展開や投資の失敗のツケを他人にまわしつつ存続している
「一般の会社」がどこにある?
どうして会社と国家を同視できる?
夜警国家・・・?
120 :
119:03/01/23 20:22 ID:???
ちなみに
>>48のテストは英語だったのでヴァカの漏れには読めませんですた。
121 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/23 20:40 ID:ju79yi1V
>>茶々
>官民癒着と言う問題に関して、公共財においても例外でない
>ということをどう考えているのか
癒着の契機がゼロだとはいえず、そこはあなたの言うとおりだが、
最小国家になると癒着が桁違いに減ることはたしかだと思うよ。
最小国家になると、国の仕事が減り、したがって官の権限が大幅に減る。
政治家や官吏に接待をしても、最小国家の仕事は最小限度に抑えられて
おり、国に仕事をもらおうとたくらむ企業はあてが外れるからだ。
もし、多くの企業が国に仕事をもらおうと期待するなら、
わずかな公共財の仕事をもらうために、過当な接待競争をせねばならない。
しかも、コソコソと(違法だからね)。それならば、マーケットでの
公正な競争のほうが合理的だと判断するのではないか。
利潤の追求を目的とする企業は、当てが外れる不合理な投資活動(癒着や接待)は
避けようとするだろう。
(現実には「経済人」ではない企業もありうるから、ゼロになる、とは言わぬが。)
122 :
民主主義者:03/01/23 22:39 ID:Ozh0jh8D
>>100-101 >国家は、「自生的秩序」としておのずから発生し存在する。
これこそがリバタリアニズムの一番胡散臭いところだよ
それがその通りであるならば「自生的秩序」を志向しない人間は自然には発生しないという結論が導き出されるのではないか?
君が提唱するリバタリアニズム社会が実現した場合 治安や国防を必要とする理由が見当たらなくなるぞ
>社会契約なんて、フィクションにすぎない。
社会契約という観念がフィクションであっても契約事項が国民のコモンセンスと合致していれば問題ではない
コモンセンスが是とするものはそれこそ国民が受け継いできた文化と伝統が生んだ規範に沿ったものであってコモンロウと呼んで差し支えあるまい
コモンロウを明文化したものが社会契約とすれば国家の行動指針を明文化しないとする君の主張に利点は無いだろ
>「暴力機関が暴走せずに、ルールを守るための担保」〜権力を分散させることである。
軍隊にしろ警察にしろシステムとして見るならば命令系統が分散されていては機能的ではあるまい てゆうか機能しないw
123 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/23 22:48 ID:0Ck6uMsE
>>115 >「困難である」という命題の反証には「容易である」という事例をもって
>こなければ反証になりませんね。
あなたは反証とはどういうことかわかっているのでしょうか?
反証とは、簡単に言うと、あるひとつの主張(仮説)に対して、その
主張(仮説)に沿わない証拠を提示することを言います。
あなたの「民主政における公共投資は、やめるのが困難である」というのは、
つまり公共投資が「一般的」にそうであるという主張ですから、私はその主張に
対して反証するには「「一般的」そうである」とは言えない、ということを
根拠をもって提示すればよいわけです。
「民主政における公共投資は、やめるのが容易である」ということを証明
することではありません。
そもそも、個別的なことがらを検討せずに「困難である」「容易である」と
主張することは、なんら意味をなさないでしょう。
>さて、長野県、徳島県では「容易に」公共事業の見直しがすすんだでしょうか。
>スムーズに、用意に族議員や官吏たちが知事の言うことをきいてきたでしょうか。
あなたは当初は、地域住民による地元権益の期待から公共事業推進派の議員に投票
して公共事業が誘致される構造は、それが抱える本質的な問題であるというような
ことを述べて、公共事業の非効率性を主張していましたよ。
それが今度は、公共事業に反対する人間が知事や議員となっても、公共事業の
見直しは、反対派のせいで、なかなか進まないということを主張しているので
しょうか?
いずれにしろ、長野県では田中知事が再選されて、ダム建設がとりやめになり、
また他の自治体でもさまざまな公共事業が取りやめになった事実があるのです
から、公共事業に関して、「本質的」に官民癒着の構造をもっているとか、
やめることができないとは言えませんよ。
124 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/23 23:29 ID:0Ck6uMsE
>>117 社会保障政策や経済・産業政策は、非競合性・非排除性という
公共財の概念にあてはまるものではないでしょうが、そうした
分野への政府予算の支出は、国の社会的・経済的活力を促す
重要な役割でしょう(もちろん、なんでもよいというわけではなく、
その「内容」が重要なのは言うまでもありませんが)。
例えば、少子化対策ひとつとっても、安心して預けられる
安い託児所の整備や、育児休業取得者への給付などは
民間企業ではできないことでしょう。
また、ナノテクやバイオは、国の将来の技術力と経済発展に
関わる重要な分野である以上、助成金などにより、そうした
産業を支援することも、政府の役割のひとつでしょう。
また、例えば、循環型社会に向けた環境対策も、社会全体を
包括的に見据えて計画・実施されるべきものなわけですから、
政府の役割として重要でしょう。
公共財でなくとも、社会の利益や発展の観点からおこなわれる
必要があるものが存在しているわけですから、公共財以外への
公共投資はすべて民間に任せればよいというわけではないでしょう。
125 :
右や左の名無し様:03/01/23 23:48 ID:IJ3qXAaK
>>122 >「自生的秩序」を志向しない人間は自然には発生
>しないという結論が導き出されるのではないか?
なんでそういうことになる?わけわからん。
リバタリアンのいう「自生的秩序」は、ホッブズ的な状況からでも導出できる。
社会契約のプロセス抜きでな。
秩序を志向しない人間も、結局秩序に服すようになるということだ。
ノージックでも読んだほうがいいぞ。
だいたい、リバタリアンの社会においても人間は、常に利己的なものだし、
法のないところでは契約は守られない。
だから、治安や国防はリバタリアンの社会においても絶対必要になる。
>コモンロウを明文化したものが社会契約とすれば国家の行動指針を明文化
>しないとする君の主張に利点は無いだろ
これもなんだか変だな。社会契約の原理とコモン・ローの原理の基本的な違い
がわかってないように見えるが?
>軍隊にしろ警察にしろシステムとして見るならば命令系統が分散されていては
>機能的ではあるまい てゆうか機能しないw
んなこと、誰も言ってないでしょ?権力分立とそれに基づくシビリアンコントロール
の下に、実力組織をおくということ。だいたい、軍隊と警察が別々の組織になっている
のはなぜか、わかってる?
というか、自分のいってる「民主主義者」って意味をいい加減にはっきりさせたほうが
いいよ。民度がどうとか、なんかあまりにも言葉を恣意的に使ってるような気がするが。
126 :
右や左の名無し様:03/01/23 23:49 ID:xgYaIGHZ
小さい政府賛成。年金廃止。
127 :
右や左の名無し様:03/01/23 23:56 ID:IJ3qXAaK
>>124 その例は一部おかしい。
社会保障や産業政策が「国の社会的・経済的活力を促す」ことの
論証がない。
託児所の整備は企業でやってるところはいくらでもある。また、夜の
仕事のおねえさんのための深夜託児所は、ほとんど私設のものばかり。
ナノテクやバイオは、本来、投資価値に応じて民間投資に基づいて研究
されるべきもの。だいたい、特定の産業分野が将来必ず有望になるなんて
政府にわかるだろうか?(例:巨額の投資が一向に成果を生まない高速
増殖炉開発)
環境対策は、これこそ公共財の重要な一部を構成するものだから、政府の
責任。しかし、これは公共財だからやるわけであって、他の理由からではない。
それらの例では、公共財でなくても公金支出が必要だということを論証できる
ものにはなっていないのでは?
128 :
民主主義者:03/01/24 00:52 ID:cvjHsfBa
>>125 国家が自然発生するとみなす点で近代文明を馬鹿にしすぎだと思うね
価値観が異なる人間同士が協力できる器として国家をみなせば
私の自由を最大限まで拡大するリバタリアニズムはそれが生み出し得るものと同等の文明を維持できない
実際リバタリアンは福祉を廃止しようなどと馬鹿なことを言っているではないか
それが社会のローカライズを促し(てゆうか強制だな)すべての地域が平等な条件に無い以上
国力の低下や社会のゲゼルシャフト的意味の崩壊を招くと言っているのに理解しないしな
>社会契約の原理とコモンローの原理
すごく丁寧に説明してあると思うけどね
民主主義国家において社会契約の原理は国民が是とするものであること
コモンロウの原理は経験に則って客観的に正しいと認められたものであること
この二つが同じとまでは言わなくとも国民の判断が文化が育んだ規範によるなら大して違わないと言っているんだよ
だいたいだね リバタリアンが私を根拠とする自由を最大限に活かすことのみを目論むなら
新たなコモンロウを発見し普遍的に適用させる主体はどこにおくわけ?リバタリアンにとって国家の主権は自分にあるとは限らないんだろ?
>権力分立とそれに基づくシビリアンコントロール
>の下に、実力組織をおくということ。
議会制民主主義におけるシビリアンコントロールとどう違うんだよ
てゆうかリバタリアンが想定するシビリアンは何者だ?国民の代表じゃないんだろ
129 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/24 01:09 ID:ahPylZCg
>>127 >託児所の整備は企業でやってるところはいくらでもある。
>また、夜の仕事のおねえさんのための深夜託児所は、ほとんど
>私設のものばかり。
私は「安心して預けられる」と限定的な言い方をしているように、
単に「ある」というだけではなく、経済性や安全性・利便性の面
からの質の高い託児所の必要性を述べています。
また私設の託児所は無認可のものが多く、それゆえに児童虐待などの
問題も起きています(もちろん、私設基準が厳しいことから無認可が
横行しているという面もありますが)。
単に利用できるというだけでなく、安全衛生面で一定の基準を満たす
ことが必要なわけですから、無認可の私設の託児所が、すべての
ニーズに対応できるわけではないでしょう。
少子高齢化とは社会的問題である以上、社会的視点からの
対策が必要なのであり、実際に、厚生労働省が待機児童ゼロ作戦として
保育所の増設などをおこなっているわけです。
>ナノテクやバイオは、本来、投資価値に応じて民間投資に基づいて
>研究されるべきもの。だいたい、特定の産業分野が将来必ず有望
>になるなんて政府にわかるだろうか?
100%確実かどうかはともかくとして、企業関係者や有識者による
委員会や研究会を通して検討されており、実際のそうした成長性が
見込まれるからこそ、産業政策が主張されていますよ。
またこれまで鉄鋼や自動車、電機などの重化学工業分野で
減税措置や開発助成が産業政策としておこなわれてきたわけで、
だからこそ、こうした産業が伸びたと言う状況もあるわけです。
産業政策に関しては経済産業省のホームページを見ればたくさん
説明されていますよ。
http://www.meti.go.jp/
130 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/24 01:22 ID:ahPylZCg
>>127 >環境対策は、これこそ公共財の重要な一部を構成するものだから、
>政府の責任。しかし、これは公共財だからやるわけであって、
>他の理由からではない。
「環境」は公共財だからといっても、クリーンなゴミ処分場や
自然エネルギーを利用した発電所、リサイクル処理場などは
厳密な意味での公共財ではありません。また、環境庁が
低公害車の開発・普及をおこなっておりますが、その事業自体を
公共財とみなすことはできません。
もちろん、私は非排除性・非競合性という公共財の定義にかかわらず、
これらに関してその公益性を認めるものですが、公共財だけにしか公共
投資をおこなうべきでないというのは、無理があるでしょう。
そもそも公共財であれば公共事業おこなうというのであれば、
癒着構造が問題になっている道路建設や灌漑事業などは
それこそ公共事業にふさわしい公共財の最たるものでしょう。
これらは何の問題もないのでしょうか?
131 :
右や左の名無し様:03/01/24 02:01 ID:G5biNJ7r
>>128 国家が自然発生するというのは、リバタリアンのフィクションだけど、
それだったら社会契約だって同じ。要は、社会契約が「合意」を仮構しなければ
ならないのに対して、リバタリアンはそのような仮構をしなくても、秩序の発生を
説明できるところが違う。
いったい「社会契約」が何のために持ち出された、どういう理屈かということを
わかっていってるのかなあ?
「同等の文明」だとか「国力」だとか、非常にあいまいな言葉を平気で使っている
ところも、すごく気になるし。
>民主主義国家において社会契約の原理は国民が是とするものであること
それはだいぶ違うんじゃないの?ちゃんと政治思想の本をあたって、「社会契約」
の説明をよく読んだほうがいいとおもうよ。社会契約の原理とコモン・ローの原理
の違いも全くわかってないみたいだし。
>新たなコモンロウを発見し普遍的に適用させる主体はどこにおくわけ?
この部分を読むと、コモン・ローの概念を理解しているかどうかも怪しい。
132 :
右や左の名無し様:03/01/24 02:01 ID:G5biNJ7r
>議会制民主主義におけるシビリアンコントロールとどう違うんだよ
>てゆうかリバタリアンが想定するシビリアンは何者だ?国民の代表じゃないんだろ
リベラルデモクラシーの下でのシビリアンコントロールとの比較で言えば、もちろん
同じもの。リバタリアンでも、リベラルデモクラシーでも、「法が実力をコントロールする」
という発想は同じだからね。
何回もいうけど、民主主義と名乗ってるけど、それってリベラルデモクラシーのこと?
それとも何か別のもの?どうも前者じゃないみたいだね。そういうところをはっきりさせて
から議論にかからないと、議論が混乱する元だとおもうけどね。
133 :
右や左の名無し様:03/01/24 02:09 ID:G5biNJ7r
>>129 託児所が、子供を安全に取り扱わなければならないというのは、
「法」の範疇の問題なので、私設の託児所であっても、子供をどうにでも
してよいことにはならない。
また託児所の負担については、市場の需給状態によって決められるべき
ものだとおもうけど、なぜそこに補助金を投入する公共的な理由があると
みなせるのかということがよくわからない。
経済産業省は産業政策をやるのが仕事なので、当然そのような政策を
擁護するはず。しかし、これまで日本の行ってきた産業政策なるものが
どの程度成功してきたかということになると、実際非常に怪しいといわざるを
えない。
例えば昭和30年代くらいまで、政府は日本の自動車産業には比較優位を
獲得できる可能性が乏しいと見なしていたし、コンピュータ、ネットワークの
分野にしても、「ニューメディア」構想しかり、第五世代コンピュータ構想しかり、
政府が音頭をとってやったものはあまり成果を出しているとはいえない。
そこでいわれていることは、日本政府の産業政策が成功してきたことの証拠
にはなっていない。
134 :
右や左の名無し様:03/01/24 02:49 ID:G5biNJ7r
>>130 政府が環境政策における特定の施策(低公害車開発への補助金とか)に公金を
出すことは、確かにリバタリアン的政策とはいえない。
で、リバタリアン的な立場からは、政府は
環境税とか、環境基準の設定とか、望ましい環境の基準をつくってそのルールを
執行すべきであり、具体的な環境保護の手段の決定に深く関わるべきではない
とおもう。
政府が特定の環境保護手段に金を出すことがありうるとすれば、「市場の失敗」
分野(外部経済、外部不経済があるようなもの)に限られるべきだと思う。
政府は例えば炭酸ガスや、有害物質の排出基準だけを定めるべきで、その上で、
原子力にするか、火力にするか、ほかのエネルギーにするかは市場に決めさせるべき。
問題は「公共財でないものに、公益性があり、かつそれは政府支出によってまか
なわれるべきだ」ということをどうやって客観的に示せるのかということだとおもう。
道路建設や灌漑事業については、それを一様に公共財と見なすことはできない(鳥取
の道路は、北海道の住民にとって非競合的だとはいえない)ので、リバタリアンは、その
建設に対しても厳重に審査を行うことになるとおもう。私見では、国家が負担すべき公共財
と見なせるのは、二ケタ国道くらいなもので、三ケタ国道とか、いわんや高速道路網計画
などは、もはや日本国家全体において公益的と見なすことはできないとおもう。
>>127 >その例は一部おかしい。
>社会保障や産業政策が「国の社会的・経済的活力を促す」ことの論証がない。
横レスだが、そんなにおかしくないと思うぞ。
例えば戦後サラリーマンが安心して働いて来られたのは年金制度と終身雇用のおかげだろう。
2回のオイルショックで首切りもあって社会問題化したけど、一時的なものだった。
だが今は?年金制度が破綻して、終身雇用でなくなりつつある今は?
制度運用に失敗したから悪いってんじゃないよ。制度が有効でないと分かった時の国民の動揺と活力の低下は?
明らかに国全体の活力に連関してると思うがな。尤も活力というのは表現として適当でないかも知れんが。
また産業政策について言えば、各種優遇政策・規制が産業の発展を促進してきたことは事実だ。
古い時代でもそうだし(明治の国営産業は殆ど失敗だったが、払い下げから各種工業が勃興した)、
戦後でも航空産業にせよ運輸・エネルギー産業にせよ、或いは一般的な不況時の金融政策とかね。
今は上手く逝ってないけど、過去の長期的な産業政策は上手く逝っていたじゃない。
逆にもし、効率の名の下に完全に市場に任せるというなら、全ての掛け金は胴元のアメリカに吸い上げられてしまうという罠。
省略されちゃったか。
しかし公を最小に、私を最大限にして、経済活動を市場に任せるということは、
資源の配分が非常に偏るということに他ならん。
まあ、現状でも金やエネルギーや食い物はアメリカに偏在しているわけだが、
要はそれが極限まで推し進められるってことだろ。
でもそれは全ての人間が人間らしく生きる権利があるという人権思想においても、
或いは一般的道徳的な規範においても、飢餓を気の毒に感じる感情においても
資源の偏った分配から社会の不安定が生まれるという政治的観点からも、
受け入れることの出来ないものだ。
>>135 そうかな?
年金制度も終身雇用も、「それがなかったら、日本の経済成長はより低くなっていたはずだ」
という証拠が提示されていない。戦前には、そうした制度はなかったわけだが、そのために
勤労意欲がいまより低かったという証拠もない。
産業政策に関しても、何も証拠もないのに「事実だ」などといってもらっては困る。
金融政策を産業政策といっしょにしてるところも、どうかと思うし。
航空産業は一貫して国家の保護の下におかれていたが、あれを産業政策の「成功例」として
見なせるかな?だいぶ疑問だと思うが。
ともあれ、日本の産業政策の有効性については、肯定否定含めてさまざまな学問的な
議論があるし、それを踏まえて論じないとしょうがない。
>>136 資源の分配が「偏る」というのは何を基準にしていってるのかな?
それに、国際市場では所得再分配はほとんど行われていない
わけだから、かりにアメリカに富が偏在していたとしても、そのことを
所得再分配で修正することはほぼできない。
人間らしく生きるということの意味はあいまいで、ただちに所得再分配
を肯定する論拠にはなりえない。また、飢餓を気の毒に感じるなら、
そう感じる人が資金を拠出すべきで、むりやり金を吸い上げて飢餓を
救済することが正当化されるかどうかは疑問だ(現に、国際社会では
そうしたことは否定されている)。資源の偏った分配から社会の不安定
が生まれるという説はほんとかどうかわからないし(今まで、資源分配が
偏っていなかった社会がどこにあったか?)、どの程度の所得分配の
状況が社会を安定させるかという基準もわからない。
139 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/24 18:35 ID:3pbkJ99o
あら・・。結構レスがいっぱいになってますな。
茶々さんや民主主義者さんのわたしへのレスは、
他のリバタリアン(勝手な推測ですが)が答えてくれたようで・・・。
「民主主義者」に関しては、他の人がしてくれたレス以上に
付け加えることはないね。
茶々さんが問われた「公共財提供と官民癒着」も、
>>134と
>>121以上に付け加えることはないわな。
あ、一つあった。
>>123 「一般的に・・・」とか「本質的な」なんて、書いたかなぁ?
まあいいや。「行間を読んだ、かつ、そう読ませた責はわたしにある」と
まで、大幅に譲ることにしましょう。
なんだか、言葉遊びの観を呈してきたな・・・。
最後に言葉遊びついでに・・・。
>反証とは、簡単に言うと、あるひとつの主張(仮説)に対して、その
>主張(仮説)に沿わない証拠を提示することを言います。
わたしが「公共事業をやめることはできない」と書いたならば、
あなたの出した長野・徳島は「主張に沿わない証拠」足り得るが、
「〜〜はむずかしい」に対しては、「主張に沿わない証拠」足りえるのかな。
わたしが、あなたの立場なら、こう反論したけどね。
「<困難>かどうかはあなたの主観。客観的議論(間主観的でもいいんだが)
に値せず、反証可能でもない。よってそれは命題とは言えない」と。
こう言われるだろうな・・とか懼れながら書いたのに、全く違う批判
だったw。
140 :
リバタリアン@最小国家論者 :03/01/24 18:44 ID:3pbkJ99o
富の偏在については、
>>70で、>>1がリバタリアンの主張を述べているな。
わたしもこれを肯定する。
>>70は、「財産権侵害」という義務論的根拠ものべたが、
わたしは後半の「富の蓄積と技術革新」という帰結論的根拠を特に支持したい。
マーケットは、公共財等の例外を除き、資源分配の最適なメカニズムである。
>>137 じゃ、リバタリアニズムの社会において、社会的弱者がどうなるのか、
めてさまざまな学問的な議論を踏まえて具体的に君が例示してくれよ。
例えば重度の障害者は今生活保護を受けているわけだが、
リバタリアニズムの社会で彼らは生きていけるのかね?
>>132 僕は「彼」のことを昔から知ってるんだけど、
彼のいう民主主義とは古代ギリシア・ローマ型の
最高善への収束を目的とする参加型民主主義だと思えばわかりやすいと思う。
143 :
リバタリアン@最小国家論者 :03/01/24 19:16 ID:3pbkJ99o
環境対策に関しては、
>>134様とほぼ同じ立場だ。
>政府が特定の環境保護手段に金を出すことがありうるとすれば、「市場の失敗」
>分野(外部経済、外部不経済があるようなもの)に限られるべきだと思う。
リバタリアンとして、上にさらに付け加えるとすれば、これだ。
「できる限り、外部不経済の内部化をして、それでも外部不経済がある、
というものに限って公金支出すべきだ。」
「外部不経済の内部化」の手法は、
@排出権取引
A自然環境にも私有財産制を徹底し、
環境破壊という不法行為の損害賠償請求には、
無過失責任制をとる。
(自然環境破壊は私有財産制の不徹底の故に生ず、
というリバタリアン的認識による。)
等が考えられる。
環境対策にはぜひ市場原理を組み込み、私法的に処理されるのが好ましい。
また、環境問題といえども、公金支出の要件は厳密であればあるほうがよい。
国家監視型(公法型)の環境対策は、そのコスト(いわばエージェンシーコスト)が
馬鹿にならないからだ。そのコスト負担は税金だし。
144 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/24 19:26 ID:3pbkJ99o
>>142 ・・・・!そうだったの。
義務論的論拠をはじめのほうで何度も確かめようとしたのはそのためか。
道理であわぬはずだ。
最小国家論者は国民主権などイデオロギーに過ぎぬことを知っているし、
義務論より帰結論(功利主義)のほうに親和的だからな。
145 :
民主主義者:03/01/24 19:49 ID:ZldHjkHt
>>131 >秩序の発生を
>説明できるところが違う。
生き物が共同体を営むなら秩序は発生するさ サル山でもねw
>いったい「社会契約」が何のために持ち出された、どういう理屈かということを
>わかっていってるのかなあ?
社会契約の意味が知りたいのか原理が知りたいのかはっきりしろ
意味ならば国民が国家を成し協力して社会を築くためのお約束だし
社会契約をフィクションとして国家理念とするなら少なくともその主権者が是と認めなければならない
主権者が是とするものを国家の方向性とする原理が社会契約の根本だ
146 :
民主主義者:03/01/24 19:50 ID:ZldHjkHt
145の続きで
>>131 >「文明」だとか「国力」だとか
辞書引けyo
>コモン・ローの概念を理解しているかどうかも怪しい。
コモンロウの原理が知りたいのか概念が知りたいのかはっきりしろ
概念なら誰かが作成していない つまり慣習法(自然法)のことで
原理なら客観的に正しいと認められたものであらねばならん
147 :
民主主義者:03/01/24 20:13 ID:ZldHjkHt
経済についてもリバタリアンに質問がある
リバタリアンは国家が方針として自由貿易を推進するも保護貿易を推進するも「他の国を害しない限り」
まったく自由とするのか?
148 :
右や左の名無し様:03/01/25 10:26 ID:78xRo97m
>>142 ああ、なるほど。それでわかった。
それじゃロベスピエールみたいなことをいうのも当然だし、
自由にあまり関心をもってないのも当然だ。
>>145 政治思想の教科書を読めば、社会契約とは権力を樹立するための契約で
あって、社会の構成員全員が参加し、全員一致かつ一回限りのものであると
書いてあるはずだ。
「国家の方向性」を定めるようなものではないし、そもそも仮構であって実体
的な「契約」ではないんだ。国家をつくるための契約であって、国家をどうするか
ということについての契約でもないし。だから、
>>122にあるような、「コモンロウ
を明文化したものが社会契約」などという言い方は、社会契約概念の本質を
理解しないものだといってるんだけどね。
>>147 特定の産業を保護するための「保護貿易政策」はリバタリアンの認めるところ
ではないだろう。
149 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/25 11:05 ID:qGxxY2zR
>>140 どの程度までの経済格差をリバタリアンが容認「しない」のか、
よくわかりませんが(というより基本的に自由な経済取引に
基づく経済格差は容認するという立場だと思いますが)、
貧困層が拡大した情況で、
>>70の
>むしろ、資本の蓄積は新しい産業の育成や技術革新を促すので、
>労働者としても消費者としても全ての国民が恩恵を受けられると
>考えます。
のようなことは、ありえないでしょう。
民間投資や民間消費が低下するのに、どうして新しい産業が発展し、
経済が成長するのでしょうか?、
150 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/25 11:16 ID:qGxxY2zR
私は基本的に、市場機能のプラス面もマイナス面も認めた上で、
政府がしたほうがよいこと、民間がしたほうがよいこと、その他の
中間集団がしたほうがよいことがあると考えるわけで、リバタリアンの
ように、市場機能の全面肯定(必ずしも100%とは言わないでしょうが)
には懐疑的です。
が、ここまで見てきて、どうも依然として、リバタリアンの描く自由の
具体的有り方というのがはっきりしてきません。
ということで、もっと具体的に以下の3点に関して、リバタリアンの
立場をお聞かせください。
1.著作権について
2.相続税について
3.障害者福祉について
151 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/25 11:28 ID:qGxxY2zR
【149の訂正・補足】
「民間投資や民間消費」→「民間消費」
厳密には貧困層の拡大は、民間消費の問題で、民間投資の現象は
その結果およびその理由なので。
「経済が成長」
>>70は直接経済が成長するとは言っていませんが、「新しい産業の育成」
や「技術革新」は、基本的に良好な需要の伸びや高い労働者の質に下支え
された経済状況のもとで可能になるわけですから、貧困層の増大は、
そうした条件を著しく欠くものです。
152 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/25 12:17 ID:yBArW8xd
>>145 あいかわらず、なんだかなぁ、と思うな、君の文章は。
>国民が国家を成し協力して社会を築く
>主権者が是とするものを国家の方向性とする原理が社会契約の根本だ
君のいう国家は、まるで一つの神秘的な共同体のようだ。
個々人の意思は多様で、利己的で、不合理だからこそ、法があるんじゃないのかね。
さらに、社会には様々な個別多様な共同体が存在し、その利害対立があるから法があるんじゃないのかね。
また、「主権者が是とする」でいうところの、主権者ってどんなイメージなんだ?
有権者団のことか? それとも、有効な手続きを経た代表者のことか?
昔、フランスで「プープル主権か、ナシオン主権か」なーんて不毛な議論があったが、
ちなみに、君はどっちなんだね。
>>147 リバタリアンは、国家の市場への介入を嫌う。
だから、「国家が方針として・・・・」という発想はない。
当然自由貿易。
また、貿易が「他害」にあたることを想定しているのだろうか、この文章は。
リバタリアンは、貿易(というより、市場取引)が、マイナスサムゲームや
ゼロサムゲームではなく、プラスサムゲームであることを知っている。
ルールに沿った市場取引は「他害」とはならない。
他害になるのは、一方的な収奪、詐欺取引等、ゼロサムゲームになったときだ。
153 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/25 12:51 ID:yBArW8xd
>>149 わたしは、あなたの、「貧困層の拡大」という言葉が気になる。
例えば、(A・B・C・D)の三者の原初状態の富の配分が
( 2 ・ 4 ・ 4 ・ 3)だったとする。(状態T)
このとき、相対的な富者が二人、貧者が一人乃至二人
それが産業革命等で社会全体の富がふえ、
( 2 ・ 24 ・ 6 ・ 4)となったとき、(状態U)
このとき、相対的富者が一人、貧者が一人乃至三人。
これを、「貧富の差が広がった、そして、貧困層が増えた。
だから、是正すべきだ」と評価するのか、
それとも、「全体の富の量が増加して、だれも損をしていない。」
と評価するのか。
わたしは後者の評価だ。
市場取引はプラスサムゲームであるから、片一方が富を収奪
されるということはないと思う。
「貧困層が増える」というタームは、相対的なものを言うのだ。
実際の歴史の中でもそうだ。
職業選択の自由がない時代の、昔の最下層の人々と、
職業選択の自由を保障されてからの最下層の人々の生活を比べると、
けっして、「絶対的に貧困になった。」とはいえないはずだ。
富者との差が開いただけなのだ。
わたしは、「分配すべき」、という正当化理由がわからない。
わたしには、ただの嫉妬に映る。
ちなみに、BがAから富を収奪(又は詐欺取引)して、
(1・5・4・3)の状態になったときは、法の執行で、
国家が正義の回復をなすべきだと思う。
また、技術革新や新しい産業は状態Uを是正して、
(9・9・9・9)の状態にしたときより、
状態Uのままにしておいたほうが、起こりやすいと思し、実際の歴史も
そうだった。
154 :
cdd:03/01/25 12:53 ID:???
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155 :
リバタリアン@最小国家論者 :03/01/25 13:24 ID:yBArW8xd
それにしても、あれだな。
「富の再分配を、なぜ正当化できる?国家の義賊行為をなぜ正当化できる」
という問を以前からわたしは発し続けてきたわけだが、
だれも有効な答を出していないようだ。
出てきたのは、貧者への同情か、貧富の差即悪という観念的な反発くらいだった。
貧者を救うべきだ、という意見があるものは、どうぞ、
自分の財を削って援助してやればよい。そういう人を、わたしは尊敬する。
なぜ、国家という暴力装置を使って、その道徳的感情を、他人に強制できるのか?
自分は貧者に寄付してるわけでもないくせに。
そういう人の「道徳性」は、逆に疑われるだろう。
他人に、「(相対的な)貧者を救え」という主張を強制できることを、
正面から正当化できる者はいないのか?
>>150 問3 に対するスタンスは以上だ。
障害者に福祉を、と思うなら、そう思う人が身銭を切ればよい。
なぜ、身銭を切れ、と他者に強制できるんだ?
問2.相続税については、リバタリアンのなかでも評価が分かれている。
もう少し、考えを整理せねばならない。
問1.については、そもそも「情報」というものが、
所有権の対象足りうるか、というところにわたしは疑義を持っている。
(例えば、情報を人に譲渡しても、同じものが手元に残っている。つまり、
つまり、占有できない。また、所有と使用が分離している。等)
したがって、スマヌが、この問は「解からない。」
思うに、時代の流れは、思想が追いつけるスピードを越えてしまっている。
156 :
右や左の名無し様:03/01/25 13:43 ID:zYrnkebl
>リバタリアン@最小国家論者様
すいません。
ちょっと、質問なんですけどリバタリアニズムの実現は実際には可能だと思われますでしょうか?
お話を伺っていると何となく多数決では負けてしまいそうな気がしたもので。
例えば、リバタリアンの立候補者が有権者に向かって演説するとき、どの様な内容になると推測されますか?
157 :
右や左の名無し様:03/01/25 14:10 ID:zYrnkebl
>>155 >「富の再分配を、なぜ正当化できる?国家の義賊行為をなぜ正当化できる」
私が考えますに・・・。
一つには感情の問題ではないでしょうか?
あるいは、イデオロギー、又は価値観と言い換える事もできると思いますが。
援助交際を営む少女に何が悪いのか?
と開き直られると最終的には、兎に角いかんからいかん。
と、なってしまうのではないでしょうか?
無論、個々人の問題ではありますが。
後は効用の問題ではないでしょうか?
例えば、お金持ちはできれば現状を維持したいと強く望むと思われますが、
貧乏な人はそれほど執着しないのではないかと考えます。
で、あればシステムの効用はお金持ちの時には大であり、そうでなければ小だと思います。
で、効用が大きい人がそれだけ維持費を多く払う事になっているのかな、と。
きっと、お笑いになると思うので何でこんな事を考えたかを言いますと、
私は現在の福祉制度は旧共産主義国に対抗してできた側面があったのではないかと考えたからです。
>>155 たとえば、前にも書いたけど教育の問題。
「学歴」という要素が社会の富裕層と貧困層を区分するひとつの指標になっているのは事実だろう。
このまま、高等教育を受けられるのは金持ちだけという状況が続けば、社会階層は固定化してしまう。
つまり、実質的な貴族階級が誕生するわけだ。こうした社会の流動化が失われてしまうことは、
道徳的判断の問題ではなく、公正の原理からいって是とすべきか否かということだろう。
また、貨幣経済に組み込まれることによって、相対的には裕福になっても絶対的には貧しくなった
という事例は資本主義の拡大の歴史の中ではよく見られる。ウォーラーステインによれば、
世界資本主義システムの内部では「絶対的な」貧困層と富裕層の割合は変わっていないという。
なぜならば、世界資本主義システムはその周辺部を次々と貧困層として取り込むことによって
発展してきたシステムだからだ。だから、自由経済が絶対的な貧困層を減らすかどうかは
もう少し検証が必要だと思う。
159 :
右や左の名無し様:03/01/25 17:28 ID:78xRo97m
>>158 教育については、機会の基礎的条件をなすものだから、リバタリアンの
基準を厳密に適用することを多少猶予した方がいいかもしれない。
しかし、その場合も、基本的には本人の自助努力があることが前提であり、
さらに、可能な限り公金支出は市場メカニズムを活用することが望ましい
とおもう。
具体的には、バウチャー制と、成績による奨学金だ。
後半の話はちょっとどうかな。ウォーラスタインの話は、検証なしでそのまま
事実として受け取るわけにはいかない。リベラルの立場に立つとしても、
あれをそのまま認めていいのか?といいたい。
160 :
右や左の名無し様:03/01/25 17:34 ID:78xRo97m
>>156 基本的にはやはり「減税」「小さな政府」じゃないだろうか。
可能な限り税金をとらない政府という理念は、有権者にも
それなりの訴求力があると思うけど。
>>157 前半の部分は、「正当化」の理由にはなってない。
後半の部分は、累進税制の正当化理由としてある程度説得力がある
と思う。しかし、そこで公共的に維持されるべきシステムとは何かという
ことは考えてみる価値がある。例えば、福祉制度はお金持ちにとっても
維持しなければならない制度だろうか?単に貧乏人が金持ちから、
財をむしりとるための道具になっていないだろうか?
161 :
右や左の名無し様:03/01/25 17:41 ID:sLY8AzN/
162 :
むっちょ@かわうそ:03/01/25 17:45 ID:xteAaxrD
>>159 >具体的には、バウチャー制と、成績による奨学金だ。
まあ、同意。
ウォーラーステインは好きだけど、別に信じているわけではない。
ただ、一方にこういう指摘もありますよと。
163 :
民主主義者:03/01/25 19:09 ID:LyEr+wlc
>>148 >社会契約とは権力を樹立するための契約で
>あって、社会の構成員全員が参加し、全員一致かつ一回限りのものであると
>書いてあるはずだ。
>「保護貿易政策」はリバタリアンの認めるところ
>ではないだろう。
いいや ちがうね
自然に任せれば家族 実感できる利益を頼るにしても地域程度しか共同体を築くことの出来ない人間が
国家という擬似(主観によるなら幻想の)共同体を築くため必要とされるものが「社会(いろいろな単位を指すが最大で国家)契約(約束事)」だよ
>「保護貿易政策」はリバタリアンの認めるところ
>ではないだろう。
リバタリアンが認めようと認めまいと
とある国がと他国と自由貿易或いは保護貿易を相互にするという契約を結ぶ自由はあるべきなんだよ
根拠としては20世紀に入って比較消費生産説の絶対性が否定されたという事だ
私の自由を他を害さない限り絶対とするリバタリアンが保護貿易を認めないという根拠はあるまい
164 :
民主主義者:03/01/25 19:10 ID:LyEr+wlc
>>152 >個々人の意思は多様で、利己的で、不合理だからこそ、法があるんじゃないのかね。
だから約束事をコモンロウの発見などに任せず明文化せよといっているのだよ
コモンロウ自体絶対の法則が客観的に存在するはずだという仮定的存在だろ
誰が客観的に正しいと断ずるかも明確じゃないし
新たなコモンロウを発見した上で普遍に適用させるための主体も設定しない
これでは国家運営をコモンロウにゆだねよという主張は到底受け入れられないな
例えば自由貿易しか認めないくせにルールに沿った市場取引は他を害しないとする主張からして出鱈目だしなw
ついでに国民国家の主権者は国民(ネイション)だろ
165 :
民主主義者:03/01/25 19:17 ID:LyEr+wlc
>>155 >「富の再分配を、なぜ正当化できる?国家の義賊行為をなぜ正当化できる」
この問いに答えるにはまず
福祉の廃止のもたらす社会のローカライズが国家のゲゼルシャフト意味の無化を強制する
という事態をリバタリアンがどう阻止するのか説明してもらわなければな
もしリバタリアンが「そんなの知らん」と答えるなら オレは野蛮なリバタリアンを否定し続けねばならない
166 :
右や左の名無し様:03/01/25 20:20 ID:78xRo97m
>>163 >いいや ちがうね
こんなことをいわれてもどうしようもない。「社会契約」の意味は、ホッブズ以来の契約論者
の議論から客観的に決まっているのであり、それを勝手に変えられても困る(w。
まあ、ちゃんと教科書から勉強しなおしたほうがいいとおもう。
>リバタリアンが認めようと認めまいと
別にいかなる立場によっても保護貿易政策は許されないなどとはいってない。
リバタリアンの立場に立てば、特定産業保護のための関税政策は許されない
ことになるといっただけ。
>20世紀に入って比較消費生産説の絶対性が否定されたという
意味不明。
167 :
民主主義者:03/01/25 20:41 ID:LyEr+wlc
>>148 >社会契約とは権力を樹立するための契約で
>あって、社会の構成員全員が参加し、全員一致かつ一回限りのものであると
>書いてあるはずだ。
じゃあ聞くがどこの教科書にこんなことが書いてあるのかね?
>>166 >「社会契約」の意味は、ホッブズ以来の契約論者
>の議論から客観的に決まっているのであり
客観的に決まるものは定義だろ? 日常的に詭弁を使っているとこんな風にぼろがでるw
168 :
民主主義者:03/01/25 20:42 ID:LyEr+wlc
>>166 >リバタリアンの立場に立てば、特定産業保護のための関税政策は許されない
社会がリバタリアニズムを肯定するか否かの議論ではないのか?
>意味不明。
自由貿易がいかなるリバタリアンの利益にかなうとは限らないといってるんだよ
169 :
右や左の名無し様:03/01/25 21:59 ID:Ww75XtAV
プ
170 :
民主主義者:03/01/25 22:02 ID:LyEr+wlc
うろ憶えスマソ
>>163の比較生産消費説ってのは比較生産費説の間違い
ちょっと解説すると これは自由貿易をすればすべての国が
今より経済的に利を得ることはあっても損はしないとする理論
これが普遍的なものでなく特定の条件下でしか当てはまらないことは
前世紀になってようやく「発見」された つまりコモンロウの地位を追い落とされたわけだな
171 :
156:03/01/25 22:11 ID:w/0MrniH
>>160 お答えいただきまして有り難う御座います。
ただ、
>>157の前半について申し上げますと、正当化にはなっていないかもしれませんが、
今現在を説明するには役立つと思うのです。
昔、経済の発展には徳が必要だ、と言った人がいたとか。
ある種の共有された価値観は社会的インフラではないでしょうか?
それがなければ公共といった概念は中々難しいのではないかと思うのです。
M .ウェーバーなども念頭に浮かんでおりますがどんなもんでしょうか?
>そこで公共的に維持されるべきシステムとは何かという
>ことは考えてみる価値がある。例えば、福祉制度はお金持ちにとっても
>維持しなければならない制度だろうか?
あと、この様なご指摘をいただいた訳でありますが、
これは個々人の社会システムに関する効用に差がある以上、ある程度無視、
つまり、一様にやらなければ仕方が無い様な気がします。
例えば、福祉制度に関しては仰る通りですが、ならば国防に関してはどうか?
と、いう問題にも突き当たります。
極端な話、もし、私の月給が500円であるならば私にとってこの社会は守るに足るものであるのかどうか?
と、疑問に思わざる得ないと思うのです。
で、あるならば守るべき物がある者のみが勝手にやればよい、とはならないでしょうか?
しかし、財産が100億円あれば、何としても守らなくてはならない、と考えると思うのです。
この手のバリエーションは無数にあるわけでして、つまり、限が無いのではないかと。
実際問題としてシステムを維持するにはそれぞれの忍耐、許容といったものは絶対条件に
なると思うのです。
172 :
a:03/01/25 22:18 ID:KDItgl2S
173 :
156:03/01/25 23:05 ID:w/0MrniH
スレの内容とはちょっと外れますがm(。。)m
雑誌や本などでたまにリバタリアンと思しき論者の文章を拝見することがあります。
その論調のベースになっているのは大抵、日米の比較の上において、です。
内容は大体、ご想像の通り。(累進課税に対する強烈な批判など)
アメリカに比べて日本はよろしくない。
まるで、社会主義のようではないか。
との指摘がなされて論を締めくくるのが一つのパターンであるようです。
私はいつも、あんまり頭の良くない意見・・・と、言うか感想を持ってしまうのですが、
では、アメリカにいったらよいのでは?
と、思ってしまう訳です。
つまり、移動の自由があるのにそれを使用せず、
現状に甘んじている人がもし、いるとすれば、
それは、つまり権利の放棄だと思うのです。
権利を行使した人は米に行ってしまう訳で、
つまり、わが国においてはその種の不満は生まれない!?
てな事を考えた訳ですがやっぱり変ですね。ハイ
箸休めでした。
議論の続きをどうぞ。
174 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 01:17 ID:wtdM9HXN
わたしの、
>>155の問いかけに、お答えどうも、ありがとうございます。
どうやら財の強制的再分配が「嫉妬」=感情問題であることを率直に認めたのは
>>157様だけだったようだ。
後半の、「共産主義への対抗」というのは、そうかもしれぬな、
と思う部分があります。マルクス、エンゲルスの言うとおり、
「共産主義という妖怪が跋扈していた」時代だからね。
また当時、ケインズの政策が成功したかに見えてしまったところも、福祉政策誘発の
遠因かも知れぬな。
175 :
右や左の名無し様:03/01/26 01:26 ID:v6FWQn91
経済学方面ではリバタリアニズムと親和性の強い
新古典派はケインジアンとの論争で常に敗北してますが、何か?
そもそもケインズvsハイエクの親分同士の対決で負けたんだから
もうどうしようもない。
176 :
右や左の名無し様:03/01/26 01:40 ID:wtdM9HXN
>>むっちょ様(
>>158)への意見5つ
@教育に関しては、私見は以前に述べたとおりだ。
「貧者にも高等教育を!」と思う者が「自発的に(これが大事な要素だと思う)」
援助すべきではないか?
A「社会階層の固定→貴族階級の誕生」にも、疑義がある。
あたなもリベラリスト(ロールズだったっけ)なら、国家と社会の峻別くらいできていようと思う。
貴族は社会階層ではなく、国家階級だ。
社会階層は、国家がきめた階級ほどに、悪とはいえないし、国家がきめた階級ほどに固定的でもない。
「社会階層の打破のために国家介入を認める」という理屈を
ひとたび認めてしまうと、ラディカルな集産主義体制(国家社会主義、共産主義)
の正当化の余地をあたえてしまうのではないか。
B「社会階層の固定が悪だ」という主張に、仮に同意したとしても、
「財産を強制的に奪われる」ことの正当化論拠としては弱すぎるのではないか。
なぜ、「いったん国家が金を集め、それを分配する」というプロセスを踏まねばならぬのかの説明がないからだ。
リバタリアンとしては、最大限譲歩しても、
「恵まれないものを援助した者には減税措置を採る」など、
財産を支出する側の自発性を少しでも残すべきではないか、と思う。
ただ、義務教育段階は、高度の外部効果を持つが故に、義務制・無償制が
あっても良いと思う。ただ、その「無償」のあり方は、市場原理を導入したバウチャー制が望ましい。
C私見によれば、高等教育には、「バウチャー」すらも好ましくない。
高等教育は、自分のための私的投資活動であるから、
それに他者が援助を強制されるいわれはない。
仮に譲歩したとしても、国家に許されるのは、前述の「援助の誘導」までである。また、「公正の原理」を持ち出したが、
D「分配」という概念に「公正」というものがありうるのかどうか、再考をお願いする。
「公正」とは、正義の女神の天秤のイメージをさすはずだ。
例えば、二人の者の間に、債務不履行がないか、不法行為がないか、
三者以上の間に、ひらかれた競争が行われているか、など、
「交換の正義」に言及するときのタームのはずではないか。
177 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 01:47 ID:wtdM9HXN
↑
>>176について。
すまぬ。名前入れるの忘れた。
それと、Dの位置を間違えた。
Dまた、「公正の・・・・・
が正しい位置。
178 :
リバタリアン@最小国家論者 :03/01/26 01:59 ID:wtdM9HXN
>>むっちょ様
ウォーラーステインについては、考えを留保したい。
あなたの言うとおり、「そのまま信じるわけにはいかない」
ことも多いからだ。
彼は「周辺から中央への富の収奪」という主張をしているわけだが、
彼が言及した例の一つである帝国主義時代については、そりゃそうかもな、とも思うのだ。
なぜなら、そもそも異国間取引に交換の正義が守られているかどうかもあやしい時代だからだ。
かといって、彼に対する正面きっての検討及び批判は、
今のわたしの能力を超えている。
179 :
リバタリアン@最小国家論者 :03/01/26 02:46 ID:wtdM9HXN
>>民主主義者
>例えば自由貿易しか認めないくせにルールに沿った市場取引は他を害しないとする主張からして出鱈目だしな
わたしが、「財の交換は、プラスサムゲームだ」といったことの、意味を理解して、書いてますか。
あと、リバタリアンの言う自由は妨害排除請求をいい、
個人の自由を述べているのであって、国家のそれではないことも理解してないようですし。
>福祉の廃止のもたらす社会のローカライズが国家のゲゼルシャフト意味の無化を強制する
>という事態をリバタリアンがどう阻止するのか説明してもらわなければな
以前から、これを問い続け、話がかみ合わないようなので、
あなたとわたしの明確な立場の違いを明らかにしておきましょう。
リバタリアンとあなたは、よって立つパラダイムから異なるために、これは、
リバタリアンへの問として成立しないのです。順を追って言うと、(続く)
180 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 02:48 ID:wtdM9HXN
@リバタリアンは、国家と社会を峻別する。国家と社会は同じではない。というより、
全く違うものである。
A社会は、多様な個々人、集団、共同体からなる。一元的な国民、市民、などは実体的には存在しない。
個々の個人、集団、共同体は、実に多用で、ばらばらに、不合理、利己的に行動するが、その結果、
個人や各集団、共同体が意図しない、自生的に秩序が発生する。
(いわゆる、神の見えざる手。競争市場での価格決定を想起すればよい。)
B国家は実体として存在せず、各種の機関、公務員をすかして見る対象物である。
言い換えれば、「法=ルール」そのものが国家である。国家は擬人化すべきではない。
社会の自生的秩序を尊重し、統治客体の自由を最大化する法は、
特定の個々人、各集団、各共同体を名宛人にしない、抽象的一般的なルールであるべきである。
なぜなら、その法によって統治客体は、予見可能性ができ、自由に行動できる。
また、統治主体が、どの共同体にも属すことがないように、権力分立や、法の支配が最重要視される。
(続く)
181 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 02:49 ID:wtdM9HXN
Cしたがって、国家はひとつの共同体ではありえないし、そうあるべきではない。
多様な共同体をこえた、一般的抽象的なルールなのだ。
Dしたがって、リバタリアンは、中間集団を解体し、
国家という擬似共同体へと収斂させる、ラディカルな社会契約説を「危険」と認識する。
さて、「国家のゲゼルシャフト的意味の解体云々」は、そもそも
リバタリアンの批判として、同じ土俵で議論できる問題ではないよね。
「パラダイムが違う」ことの意味が理解できたでしょうか。
あなたの長らくの問へのわたしの答は、こうだ。
「国家にゲゼルシャフト的意味など、そもそも期待していない。」
182 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 03:13 ID:wtdM9HXN
付け加える。
E多様な個人や共同体のネットワークシステムからなる社会の動き・自生的秩序は
そもそも人間には予測不可能である。
現代の国家は、「市場の失敗」を過大に敵視して、予測不可能なことを、
予測したり、調整しようとしてきた。
その結果、「政府の失敗」が頻繁に生じたり、行政が肥大化したり、
国家の管理体制はますます強化される一方である。
管理するためには、「閉じたシステム」でなければならないからだ。
こうして、現代国家では、自由(妨害排除)は奪われていくのだ。
もう一度、「見えざる手」の威力を見直そう、というのがリバタリアンの基調にある。
183 :
右や左の名無し様:03/01/26 04:04 ID:36ORfpLd
184 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 11:42 ID:Lir5LbMw
>>153 >市場取引はプラスサムゲームであるから、片一方が富を収奪
>されるということはないと思う。
個別の取引と市場における全体としての市場経済活動を混同していますよ。
各経済主体は競争しシェアを争っており、需要は有限なわけですから、
競争にともない、勝者と敗者が出てくることもあります。
あなたの言っているのは、取引がおこなわれる経済主体間のことであって、
競争状態にある経済主体間のことではありません。
そもそも、市場がすべてプラスサムゲームだったら、倒産なんか存在しまんよ。
また、貧困層の拡大に関するあなたの理解も適当ではありません。
物価水準の変動が考察にいれられていないし、貧困とは生活水準
によって計られるものです(もっとも、センのようにそれだけでは
なくケーパビリティという観点からも貧困をとらえるようになって
きていますが)。
例えば、昭和40年ごろは大卒初任給は3万円でしたが、今、3万円の
では暮らしていくことはとうていできません。当時の給料10万円では、
高給とりでしょうが、今ではそうではないことは周知の事実だと思います。
単に個人の「数字」が大きくなったから、貧困ではなくなったと言うのは、
まったくの無根拠です。
今のホームレスだって3万円は持っているかもしれませんが、昔の
大卒初任給並みだ、ということに意味はありますか?
貧困は相対的なものだというのは、もちろんその通りだと思いますが、
であれば、生活水準などを含めて、経済格差をとらえるべきでしょう。
185 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 11:55 ID:Lir5LbMw
>>150 1.著作権について
>については、そもそも「情報」というものが、所有権の対象足りうる
>か、というところにわたしは疑義を持っている。 (例えば、情報を
>人に譲渡しても、同じものが手元に残っている。つまり、占有でき
>ない。また、所有と使用が分離している。等)
>したがって、スマヌが、この問は「解からない。」
>思うに、時代の流れは、思想が追いつけるスピードを越えて
>しまっている。
2.相続税について
>相続税については、リバタリアンのなかでも評価が分かれている。
>もう少し、考えを整理せねばならない。
リバタリアン同士でも、きちっとした結論が出ていないのはわかりますが
あなた自身の考えとして、どうあるべきか聞かせてほしいと思います。
正直、威勢のよいことを言う割に、著作権や相続税など、非常に重要
な要素に関しては明確な判断を保留するという態度は、ちょっと拍子
抜けの感があります。
186 :
\:03/01/26 12:04 ID:iyndDvKE
187 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 12:09 ID:Lir5LbMw
上記レスの返事先を間違えていました。相手は
>>155です。
>問3 に対するスタンスは以上だ。
>障害者に福祉を、と思うなら、そう思う人が身銭を切ればよい。
>なぜ、身銭を切れ、と他者に強制できるんだ?
簡単に言えば、自由や平等や公正という理念に基づき、
社会的弱者に対する財の再分配が正当化されている
わけでしょう。
あなたがこれらの理念を否定したいというのはわかりますが、
正直、障害者福祉に対するあなたの考えを見る限り、あなたの
描く「自由な社会」は、私にとってまったく魅力的ではありません。
だれにでも障害者になる可能性はあるし、また障害者の身内を持つ
可能性もあるなかで、社会的・経済的サポートし、容認する環境
がなければ、結果的には、障害者の存在そのものを拒否する社会
にほかならないでしょう。
それだけではなく、リスクを誰もとりたがらず、自己中心的な活動
のみが、正当化される社会になるのではないでしょうか?
188 :
右や左の名無し様:03/01/26 13:17 ID:2kopF4eP
>>167 なんだか、いい加減にしろといいたくなってきたが…。
>じゃあ聞くがどこの教科書にこんなことが書いてあるのかね?
古いところで、有賀、阿部、斉藤「政治─個人と統合」第二版、東大出版会、1994、
それから出たばっかりだが、飯島昇蔵「社会契約」、東大出版会、2001。
というか、ホッブズもルソーも読んだことないのか?
>客観的に決まるものは定義だろ? 日常的に詭弁を使っているとこんな風にぼろがでるw
何をいってるのか、よくわからないけど、通常の定義とまったく違った意味でジャーゴンを
勝手に使うことは学問の世界では普通許されないよ。
>>170 >ちょっと解説すると これは自由貿易をすればすべての国が
>今より経済的に利を得ることはあっても損はしないとする理論
>これが普遍的なものでなく特定の条件下でしか当てはまらないことは
>前世紀になってようやく「発見」された つまりコモンロウの地位を追い落とされたわけだな
189 :
右や左の名無し様:03/01/26 13:18 ID:2kopF4eP
比較生産費説の意義をこの程度にしか理解していないのでは、ボケたことをいう
のも当然だと思うが、それなら貿易の利益が発生しない状況を定式化してもらおうか。
これはリバタリアンの議論に待つまでもないが、国内の特定の生産者の利益を保護政策
によって守るということは、その財、サービスの広範な購買者全体に高い価格を強制する
不利益を及ぼしていることになる。したがって、「特定産業を保護するための保護貿易政策」
の妥当性は否定される。ただし、国家安全保障上の理由などの、他の政治的理由によって、
共同体全体の利益を守るために発動される保護貿易政策まで否定されるかどうかは、
リバタリアンの立場に立ってもいちがいにはいえないということだ。
あと、最後の一行は「コモン・ロー」の概念を理解してないことを丸出しにしてるぞ。
190 :
右や左の名無し様:03/01/26 13:34 ID:2kopF4eP
こっちに勝手にレスしていいのかどうかわからないけど…。
>>184 「貧困層の拡大」については、実質所得水準で100年前とか50年前に比べて
下がってるところって、どこ?
>>153の例でいう「絶対的な」は、名目所得ではなく、
当然実質所得でいってると考えるべきだろう。
>>187 その「自由や平等や公正という理念に基づき」再分配が正当化されるという
主張はあまりにも大雑把すぎる。その主張では、社会主義とリベラリズムの
区別もできなくなってしまう。
本人の責任によって生じたのではない(この基準を実際にあてはめるのには相当の
問題があるけど)障害によって生じた不利益を補填することは、リバタリアニズムの
立場を少し弱めることで可能だとおもう。しかし、「社会的弱者」全体に対する再分配
が正当化されるかどうかは疑問だし(「弱者だから」保護すべきだという理由付けは
認めがたい)、弱者に対してどの程度の再分配が認められるかも議論の対象になりうる。
現在の日本のように、再分配に対する歯止めがかかりにくいシステムは、容易に富者
や将来世代への付け回しに簡単に頼るような結果を生みやすい。
191 :
右や左の名無し様:03/01/26 13:52 ID:2kopF4eP
>>171 現在の再分配制度の背景にある価値観を「徳」「一種の社会的インフラ」と見なして
いいかどうかは、疑問だと思う。というか、リバタリアンはそのような考え方自体に
異議申し立てを行い、新しい概念を提示しているので、そういうものをそのままに
受け入れるわけにはいかない。
>極端な話、もし、私の月給が500円であるならば私にとってこの社会は守るに
>足るものであるのかどうか? と、疑問に思わざる得ないと思うのです。
まさに自殺しようとしている人間は別として、普通は「自己の身体の安全、自由」は
誰にとっても守るべき価値ではないだろうか。そうであるならば、安全と自由を保障する
法秩序を守るための国防、治安サービスの意義は、貧者にとってさえ否定はできない
のではないかとおもうけど。ホームレスだって、そのへんのDQN中学生に殺されても
かまわないとはおもってないだろう。
>>173 箸休めということなので、マジレスもどうかとはおもうけど、
組織(社会を含む)に不満を持ったとき、「忠誠(黙っている)」「主張」「退出」のいずれの
行動をとるかどうかは、まさに個人の選択の問題。もちろん「退出(この場合は移住)」も
アリだが、そのコストが高い場合、「主張(リバタリアン的な社会に変える)」という選択肢
に訴えることも同じく合理的であると思う。
192 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 15:21 ID:zusnJVth
>>184 >各経済主体は競争しシェアを争っており、需要は有限なわけですから、
>競争にともない、勝者と敗者が出てくることもあります。
それがどうしたというのだ。リバタリアンはこう考える。
交換の正義が守られている状態で、自由に行動した者は、その結果についての責任を、
本人が取るべきだ。勝者と敗者がでても、それは個々人の自由な行動の結果だから
自分で責任を取るべきである。
自らが職業を選択し、適性のない仕事を選び、市場で利益を得ることができなかった
として、それを、なぜ他者が助けることを強制されねばならぬのだ。
その仕事が儲からないなら、職を変えればよいのだ。
>>184の後半の指摘については、
>>190様が答えてくれているようだ。
まあ、付け加えることはないわな。
193 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 15:48 ID:zusnJVth
>それだけではなく、リスクを誰もとりたがらず、自己中心的な活動
>のみが、正当化される社会になるのではないでしょうか?
これは意味不明。
リバタリアニズムの社会では自己中心的な行動の結果責任は
自分が取らねばならぬのだから、あまりに身勝手・無謀な行動は慎むようになるだろう。
また、リバタリアンは、利他的な行動をなんら否定しない。
「利他を、国家に強制されること」を否定するのだ。
弱者の救済をすべきというたちばなら、どうぞ、本人が寄付すればよい。
「リスクを誰もとりたがらず、自己中心的な活動のみが、正当化される社会」
これは、福祉国家そのものではないか。
例えば、中流層が貧者を見て同情したとき、福祉国家論者はこういうだろう。
「国家は何をしている。国家はこの貧者を助けられるよう、福祉を充実すべきだ。」
そういいつつ、自分が貧者に直接寄付する行動はとらず、国家の福祉施策の不備を攻め立てる。
そして、福祉施策のコストは、自分が積極的に負担しようとするわけではなく、
富者から取り立てようとするのだ。
リバタリアニズムの社会では、貧者に同情した中流階層は、
自分の身銭を切って寄付するだろう。
どちらが、「自己中心的な行動が正当化されている」のだ?
また、事故や障害などのリスク回避の願望の成就は、何も国家に頼らなくても、
民間の保険方式でいけるんじゃないのかな。
「自分がこの先、障害者になるかもしれない、障害者の子どもが
生まれるかもしれない。」と思う人は、自分で保険をかけておけば足りるの
ではないか。
どう考えても、本人の責に帰すべきことではない不利益の補填という問題
(例えば、保険をかけていない親から生まれた障害児の教育、捨て子、等)
に関しては、
>>190様の後半部分に同意する。
>>176 うーん。はじめからチャンスを人よりもはるかに多く与えられたものが、
自分の富に対して「当然の権利だ!」と主張することは、(貧者が「貧者にも
大学教育を受ける機会を与えるべきである」と主張することが「貧者の嫉妬」ならば、)
「富者の奢り」だと思う。機会均等に徹底的にこだわることによって初めて所有権
が絶対的に正当化されることになるのだろう。
>「社会階層の打破のために国家介入を認める」
そんなことはいっていない。わかってるとは思うけど。
>公正
ロールズがいう公正の正義とは、「原初状態」(今日はみなさんに社会の仕組みを
つくってもらいます。好きに作ってくれてかまいませんが、あなたがたはその社会ができると
同時に死に、作られた社会に生まれ変わることになっています。さーどうぞ。)という
状況を仮定し、そこから導き出される原理のことを公正の正義と呼んでいる。
(これだけ見ると恣意的っぽいが、まあ論証過程をすっとばしてるので)
僕はリバタリアンに関しては敬意をおきつつ、やはりその原理的な自由の解釈には
危惧を感じざるを得ないわけ。アイザイア・バーリンが述べたように、自由も平等も
昔からずっと人間が追い求めた価値であることに変わりはない。ただし、それは
究極的には両立しないのであって、ラディカルなリバタリアンのように、ある一定の
方向への「最終的解決」を信じているとしたら、それは本当にマルクス主義者なんかと
変わらなくなってしまうと思う。
「〜あるいは、自らの方法によって何をなすべきか、何であるべきかについて何の疑いも
容れない明確で揺るぎのない確信に到達した人々―こういう人々は幸せである。このような
人々について、私に言えることは次のことだけである。独断のこのような安らぎのベッド
にいこえる人々は、自分から近視眼にかかっており、自己満足はできても人間的であるとは
何のことかについては理解できないであろうと。」(「理想の追求」アイザイア・バーリンより)
196 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 16:56 ID:zusnJVth
>>194 「高等教育の機会均等」を厳密に言えば、
「高等教育を受けられる資格の請求権」にとどまるんじゃないのかな。
この意味の請求権は、貧者にも平等に配分されている。
実際の金銭的問題は、民間のローンや、
企業の奨学金等でやれば、わざわざ国家の「財の分配の暴力」に
頼らなくても良いような気もするのだが・・・。
(あ、なんか、こういう議論を以前にもした気がする。ループだな
>>30 >>33 >>40 >>48の。)
あなたとわたしの主たる対立点は、おそらく、規範論的相違ではなく、
「高等教育修了資格という地位」
がひらかれているか閉じられているかという、認識上の見解の相違だろう。
(もっとも、わたしがリバタリアンである以上、ロールズ的規範論
そのものへの疑義はあるのだが。とくに、ロールズが想定した
原初状態における人間像についてはな。)
197 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 17:12 ID:zusnJVth
>>197 あなたは、「自由と平等は、究極的には両立しない。」
ことを、直視して、それでも、両方を追及できないか、
という姿勢は、わたしは評価しているつもりだ。
(だから、ドゥオーキンではなく、ロールズに共感しているのだろう。)
ただ、世にはびこる民主主義者や福祉国家論者は、
「自由と平等の対立」を無視、軽視し、もしくはごまかそうとしてきた。
いわく、「民主主義は自由と平等を体現する」とか、「福祉国家は、
万人の<実質的自由>を保障する。」云々。
わたしは、思想を語るものは、このようなごまかしを入れるべきではない
と考えている。
バーリンの言辞「独断という安らぎのベッド」は、上記の
思想的に怠惰な輩に向けられるべき言葉だ、とわたしは考えている。
198 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 17:28 ID:Lir5LbMw
>>190 >その「自由や平等や公正という理念に基づき」再分配が正当化
>されるという主張はあまりにも大雑把すぎる。その主張では、
>社会主義とリベラリズムの区別もできなくなってしまう。
基本的にこうした理念に沿いながら、どこに重心をおくかという
ことがそれぞれの政治体制の相違としてあらわれるわけでしょう。
したがって、大雑把というのは確かにそうですが、要は、
こうした理念は、究極的には価値観や信念の問題なわけ
ですから、経済学的議論を除けば実際のところ、社会的に
好ましいかどうかの問いになるわけでしょう。
その点で、社会的弱者に対する公的支援の必要性を認めない、
リバタリアニズムの主張は、私にとってまったく魅力的な
社会ではありません。
199 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 17:31 ID:zusnJVth
>>185 >正直、威勢のよいことを言う割に、著作権や相続税など、非常に重要
>な要素に関しては明確な判断を保留するという態度は、ちょっと拍子
>抜けの感があります。
そういわれても困るあ・・・(汗。 たしかに「重要」なんだけどね。
わたしは、解からないこと(解かったつもりにすらなっていないこと)を、
わかったふりをして議論を展開するほどの蛮勇は持ち合わせていないw。
「威勢のいいこと」を、今まで言ってきた自覚もないしネ。。。。
「相続」については、自分の意見があるにはあるのだが、根拠がまだあいまいなのだ。
リバタリアンの中でも、賛否両論あり、その両方に共感できてしまうのだ。
考えが整理できたら、いずれ、明らかにしたいと思っている。
「著作権」については、「相続」の問題のように「迷っている」のではない。
それ以前に、本当に、「わからない」のだ。堪忍やで。
「そもそも情報は、所有権の対象になるの?」という疑問がその中核だ。
これに対する答がわからない以上、議論を展開できない。
「情報が所有権の対象足りうるか」の議論は、スレ違いだしナ。だから、避けた。
あなたが、詳しいのなら、著作権についてのあなたの見解を、ぜひ御教授願いたい。
200 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 17:31 ID:Lir5LbMw
>>192 >それがどうしたというのだ。リバタリアンはこう考える。
私はあなたの以下の主張が「事実として」まちがいであることを
述べていますよ。「それがどうした」というのは反論にはなりえて
いませんよ。
>市場取引はプラスサムゲームであるから、片一方が富を収奪
>されるということはないと思う。
201 :
リバタリアン@最小国家論者 :03/01/26 17:43 ID:zusnJVth
>>200 「それがどうした」というわたしの評価は、
「勝者と敗者がでる」に向けられています。
(
>>192を参照のこと)
「競争主体間はプラスサムではない」という指摘に関しては、
当初から、「市場 取引 は・・・」とわたしは明確に述べているからねぇ。
あなたも、「取引がおこなわれる経済主体間の関係は」プラスサムであることを
>>184で認めておられるんじゃないの?
>>153は、
「市場取引は、一方が他方の富を収奪することではない」ということを
述べたんだよ。
202 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 17:55 ID:Lir5LbMw
>>193 >リバタリアニズムの社会では自己中心的な行動の結果責任は
>自分が取らねばならぬのだから、あまりに身勝手・無謀な行動は
>慎むようになるだろう。
「セーフティーネット」に関する経済学的な議論では、
失敗しても払えきれないほどの過重な損失をカバーし、
やり直すチャンスがあるからこそ、人々が活発な社会活動を
おこなうことができるとされています。
例えば、自動車保険がなければ、誰も自動車に乗ろうとしないだろうし、
医療保険がなければ、病院にいかなくてすむように、怪我や病気に
なるような活動は慎むでしょう。
あなたは身勝手・無謀な行動は慎むと言いますが、各所保険がなければ
必然的に、身勝手・無謀でなくとも、不確実性が大きい行為は回避され
るわけです。
こうした各個人の活動の萎縮は、ひいては、社会全体の経済活動の
萎縮をもたらします。
あなたは民間の保険でやればいいのではないかと言いますが、
これも経済学的議論であるように、逆選択やモラルハザート、
情報の非対称性、そして確率は少ないものの、発生した場合の
リスクは非常に大きい場合などは、民間の保険が成立しえません。
203 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 18:03 ID:zusnJVth
>>184に関して、
>>192で「付け加えることはない」とのべたが、
やっぱり、あった。
わたしの、
>>153の、
>職業選択の自由がない時代の、昔の最下層の人々と、
>職業選択の自由を保障されてからの最下層の人々の生活を比べると、
>けっして、「絶対的に貧困になった。」とはいえないはずだ。
をうけて、なぜ「昭和40年」の例がでてくるのかが、
はなはだ疑問だったんだよ。
あとひとつ。あなたは、わたしがまえまえから発している疑問、
「義賊国家の正当性論拠」について、何一つ正面から答えることをしていない。
あいまいな概念を振り回すか(この指摘は、すでに
>>190様がしている)、
「魅力的ではない」という雑感を述べただけである。
唯一根拠らしいものは、「誰でも障害者になりうる」かな。
これへの解は、
>>193の第三段落目で述べた。
204 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 18:04 ID:Lir5LbMw
>>193 >そういいつつ、自分が貧者に直接寄付する行動はとらず、
>国家の福祉施策の不備を攻め立てる。そして、福祉施策
>のコストは、自分が積極的に負担しようとするわけではなく、
>富者から取り立てようとするのだ。
現時点では、社会福祉は、税収によってまかなわれているわけですから、
予算配分やアウトプットに問題があるとみなされれば、まず政府への
批判となるのは常識的にみて、当たり前のことでしょう。
あなた社会福祉政策自体が問題だというのはまあ、わかりますが、
上記のことはそれ以前の、事実の論理的関係性の問題であって、
直接的に「自己中心的」と批判するような事例ではないでしょう。
205 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 18:14 ID:Lir5LbMw
>>203 >あとひとつ。あなたは、わたしがまえまえから発している疑問、
>「義賊国家の正当性論拠」について、何一つ正面から答えること
>をしていない。
私は前にも述べたように、究極的には価値観や信念の問題であり、
それを基礎付けることよりも(そもそもそうしたことができるほど
私に知識はありませんが)、現実に社会的に望ましい価値として
受け入れられていることを踏まえた上で(もちろん細部には、細かい
違いや矛盾はありますが)、リバタリアンの描く「自由な社会」が
それと異なるものだということを指摘しています。
206 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 18:18 ID:zusnJVth
>>202 「明白に、民間の保険が成立しないときのみ、国家が保険業務をする」
というまで、厳密に審査した上でなら、
リバタリアンにも賛同の余地はあるがな。
ちなみに、自動車も医療も、民間でできると思う。
また、「やり直せるチャンス」というのも、どこまで認められるべきかが疑問だ。
「事業に失敗しても、国が助けてくれる」という体制こそ、
モラルハザードを引き起こすと思うがな。
207 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 18:22 ID:zusnJVth
>>205 >究極的には価値観や信念の問題であり、
>それを基礎付けることよりも
あなたの議論は信条告白でしかしないということを、認めるわけですか?
>現実に社会的に望ましい価値として
>受け入れられていることを踏まえた上で
こういうのを、「結論先取り」という。
208 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 18:25 ID:Lir5LbMw
>>199 相続税も特許権に関してあなた自身の、思考中でもよいでの
考えを聞きたかったのですが、しかたがありません。
では、以下の3点についてのリバタリアン(あるいはあなたの)
考え方を聞かせてください。
1.カルテルについて
2.関税について
3.雇用と労働法について(労働法で何をどこまで規制するかということ)
209 :
右や左の名無し様:03/01/26 18:29 ID:3TDADV9G
25歳。
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210 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 18:32 ID:Lir5LbMw
>>207 >あなたの議論は信条告白でしかしないということを、認める
>わけですか?
現時点の私には、これらの理念を基礎付けるにたる説明をすることは
できないので、私としては、そうです。
が、リバタリアン(あるいはあなた)の経済に関する主張が、
かなり問題か、あるいは、曖昧であるということは、これまでも
指摘してきたとおりです。
211 :
右や左の名無し様:03/01/26 18:47 ID:v6FWQn91
>>205 保守主義者の唱える、曖昧模糊にして
わけわかめな社会観と大差ないですな。
212 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 18:51 ID:zusnJVth
>>208 1.カルテル
自由な競争、交換を促すために、「契約の自由」があるわけだから、
その自由は、自由を制限するための契約を締結する自由を含まない、と思う。
独占は、「自発的な」交換を制限するので、自由競争の対立する。
よって、私的独占は、法的規制に服すべきだ、と考える。
(もっとも、これ以上に、公的独占や、国家の援助による独占
のほうが私的独占よりも悪だと考える。)
2.関税などの保護貿易施策は、特定業者への援助になるので、好ましくない。
(前にこれは出たような気がするが・・・)
(あと、付け加えるならば、国際経済分野の議論は、わたしは得意ではない
法の支配が、そもそも確立しているかが非常に疑わしいからだ。)
3.私的自治にまかせるべき。
憲法の労働権規定を廃止し、契約の自由・結社の自由に一本化すべき。
労働者保護法制は、「一般的抽象的ルール」という法の支配の破壊だ。
なかでも「最低賃金法」は国家による労働市場の操作で、
もっとも好ましくない。
213 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 19:01 ID:Lir5LbMw
>>212 雇用・労働に関して、あなたは使用者と雇用者が、「現実」においても
対等の立場だと考えているのでしょうか?
また、現在、解雇や賃金不払いなどの問題が数多く、おこっていますが、
これらが生じる原因はいったい何なのでしょうか?
法的規制も何もない状況で、こうした問題は消えるでしょうか?
214 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 19:09 ID:zusnJVth
>>210 リバタリアンの経済に関する主張があいまいになるのは、
ある意味、当然かもしれぬ。
何度か述べたが、「市場や社会の動きは、個人には、予測不可能」なのだ。
計画主義・設計主義者国家が無理に予測しようとしたから、
「政府の失敗」が起こるのだ。リバタリアンは、「政府の失敗」をもっとも敵視する。
それは、消極的に避けられた失敗だからだ。
リバタリアンは、すべての社会的事象が合理的に説明できるとは考えない、
「反合理主義」である。
正義は社会については語れない、語れるのは個人についてなのだ。
経済の議論が確固たるものであることが求められるのは、
国家に市場を統制しようとする、または社会について正義を語ろうとする
計画主義者(たとえば、あなた)のほうなのだ。
215 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 19:12 ID:Lir5LbMw
>>214 >国家に市場を統制しようとする、または社会について正義を
>語ろうとする計画主義者(たとえば、あなた)のほうなのだ。
私が「計画主義者」でしたら、ほとんどの経済学者も「計画主義者」
ですよ。
216 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 19:20 ID:zusnJVth
>>213 賃金不払いは、リバタリアンでも問題視する。当然だ。
「交換の正義」が守られていない。
企業には、債務不履行責任を追求して、私法的に正義の回復が図られるべき。
解雇は、契約自由にのっとっているかぎり、認められる。
逆に、「彼を雇え」と企業に強制することは、企業の自由を侵害しているからだ。
ただし、「終身雇用する」という特約が雇用契約に組み込まれていた場合は
その限りではない。
>>215 そうですね。リバタリアンは、思想的には圧倒的に少数者だ。
217 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 19:29 ID:Lir5LbMw
>>216 賃金不払いに関する法的規制は認めるということですね。
ところで、解雇に関してあなたの言う「契約自由」とは何でしょう。
現在でも、法的には使用者と雇用者は「法的には」、対等の立場から、
契約をおこなうものですよ。
また、再度聞きますが、使用者と雇用者は現実的に対等の立場でしょうか?
218 :
右や左の名無し様:03/01/26 19:54 ID:m+OWMa2M
いきなりですみませんが
ベンサムの思想を日本語で知るにはどの本がお勧めでしょうか?
219 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/26 21:11 ID:zusnJVth
>>217 >ところで、解雇に関してあなたの言う「契約自由」とは何でしょう。
契約の自由とは、「契約を締結すること/しないこと」を他者から強制されないこと。
脅迫や詐欺による契約は、「自由な契約」とは言えない。
>現在でも、法的には使用者と雇用者は「法的には」、対等の立場から、
>契約をおこなうものですよ。
>使用者と雇用者は現実的に対等の立場でしょうか?
現実にも、契約締結そのものは対等じゃないのかな。
(ただし、詐欺や脅迫による契約締結等、例外的状況を除く。)
どちらも、「締結する/しない」を強制されず、自由に決定できるのだから。
契約の自由そのものは、労使双方に平等に配分されている。
あなたは多分「労使の契約は対等ではない」といいたいのでしょうが、
それは、「労働契約内容決定をめぐる、交渉能力が違う。」というのが正確でしょう。
リバタリアン的には、能力のちがいは、国家介入の正当性たりえないといえ、問題とは認識していない。
労使双方は、その契約が気に入らなければ締結しない自由を持っているのだから。
220 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 22:56 ID:Lir5LbMw
>>219 >リバタリアン的には、能力のちがいは、国家介入の正当性たり
>えないといえ、問題とは認識していない。
個人の交渉能力以前に、雇用される側と雇用する側とのあいだには、
社会的・経済的な力の構造的な格差があります。
簡単に言えば、労働者は、自らの生産手段をもたないわけですから、
職を失えば、明日の生活にも困ってくるわけです。一方、企業に
とっては、完全雇用が達成されていない限り、その労働者の代わりは
労働市場に存在し(内部労働市場にも)、また資産を持っているわけ
だから、その人間を雇用しなくても、いきなり食うに困るということ
はないわけです。
このように、労使間には契約の初期条件が異なるため、最低賃金や
各種雇用・労働条件を法的に制限を設けることで、雇用される側の
一方的な賃金や労働条件の切り下げを防いでいるわけです。
これは雇用・労働に関する常識的な範囲の知識だと思いますよ。
221 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/26 23:09 ID:Lir5LbMw
ちなみに個々の労働者の力は弱いからこそ、労働組合をつくるなど
して、企業と拮抗する力を獲得しようとするのであって、もともとから
企業と労働者が実質的にも対等な条件で労働契約を結べるのであれば、
団結権や団体交渉権などはいりませんよ。
222 :
右や左の名無し様:03/01/27 21:45 ID:oF0pk3xc
あれ?チャット状態になっていたのか…。
>>195 まあ、半ばは同意。わたし自身、リバタリアンと胸張っていえるわけでもないし。
(
>>48のテストでも中道派だと)
しかしあまりにも自由に対する感覚の鈍い日本では、リバタリアンの思想は
とてもいい薬になるとおもふ。現にこのスレでのリバタリアンの批判者のうち、
「リベラル」といいきれるのはあなただけで、他の人はそもそも自由を重んじる
という意味でのリベラルとはいえない。単に折衷論者か、超越的な徳の尊重
を訴える「開かれた社会の敵」、あとは「嫉妬する弱者」なんかだし。
バーリンの引用は勉強になった。わたしは昔読まされたルークス「カリタ教授
の奇妙なユートピア探検」なんかを思い出したが。
>>198 あなたの考えは「自由や平等や公正」がごちゃごちゃになっていて、一貫した
理念というものがない。「究極的には価値観や信念の問題」というが、そのレベル
をつきつめた上で、どこまで合意を得ることができるかを考えるのが「政治思想」
だろ?価値観の問題、で片付けてちゃ議論も何もない。
「社会的弱者に対する公的支援が必要」だというが、その考えはあまりにも自由
を守るための配慮を欠いている。弱者が嫉妬に駆られて、強者を抑圧する悪しき
民主政は、古典古代の昔から人間の脅威だったろ?「その場その場で適当に
判断すればいい」では自由が守れるわけがない。
223 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/27 22:53 ID:gdjdhRA2
>>222 >あなたの考えは「自由や平等や公正」がごちゃごちゃになっていて、
>一貫した理念というものがない。
私は、これらを混同しているわけではなく、前にも述べたように、
近代社会はこうした理念を、どこに重心を置くかは異なりつつも、
基本的に追求してきており、すでに数多くの人間が、これらの理念を
基礎付けようとするこころみをおこなっています。
また、現在でも、こうした理念の両立性は常に議論になっているところです。
私はこうした理念をあらためて説明したり基礎付けたりする知識はあり
ませんが、その政治理論をうんぬんする以前に、リバタリアンがよって
たつ社会・経済学的な議論には、単純な一般化や理解不足が含まれて
いることを述べています。
>「社会的弱者に対する公的支援が必要」だというが、その考えはあまりにも
>自由を守るための配慮を欠いている。
どのように「自由」を守るための配慮を欠いているのでしょうか?
>弱者が嫉妬に駆られて、強者を抑圧する悪しき民主政は、古典古代の
>昔から人間の脅威だったろ?
「弱者」「強者」とは、具体的にどのようなことを言っている
のでしょうか?抑圧することのできる権力をもってなお
依然として「弱者」である関係とはいったいどのようなものでしょうか?
224 :
右や左の名無し様:03/01/27 23:00 ID:/ApdpluE
>>222 >弱者が嫉妬に駆られて、強者を抑圧する悪しき
>民主政は、古典古代の昔から人間の脅威だったろ
実は一番よく理解できないのはここの部分なんですよね。
常に攻撃を受けていると考えている?
一般には馴染みのない思考形態だと思いますね。
例えば、私、
>>157で、
>一つには感情の問題ではないでしょうか?
>あるいは、イデオロギー、又は価値観と言い換える事もできると思いますが。
>援助交際を営む少女に何が悪いのか?
>と開き直られると最終的には、兎に角いかんからいかん。
>と、なってしまうのではないでしょうか?
と、発言したのですが、これは例えば正義であるとか、良心であるとか、或いは責任感であるとか。
そういった諸々の曖昧な、しかし、大勢が共有する価値観が現代社会の根源にある。
という事を、貞操観念を例に挙げて指摘してみたつもりです。
しかし、
>>174のリバタリアン@最小国家論者様の解釈では、
>どうやら財の強制的再分配が「嫉妬」=感情問題であることを率直に認めたのは
>
>>157様だけだったようだ。
と、なっています。
(私の文章がまずい事はさて置き)やはり、リバタリアンとは価値観に断絶があると言わざる得ません。
キーワードは「嫉妬」のようですが(
>>222様もリバタリアン@最小国家論者 も嫉妬の事をおっしゃっていたので)
(と、いうか理論の中核をなしている感じがしています。>嫉妬により自由が抑圧されている)
何故、「嫉妬」だと感じるのかがわからない。
私、社会に出てから、もう、割と長く過しているのですが、嫉妬している人にも嫉妬されている人にも出会った記憶がないもので。
と、いうか、システムに関心を持つ社会人自体、希少種だったりして。(私もあんまり・・・)
て、実も蓋もない話はゆっちゃいけなわね。m(..)m
225 :
224:03/01/27 23:18 ID:/ApdpluE
実際、健康保険も歯医者以外ほとんど使った事がありませんしね。
年金も今や危うい、というのは常識です。
福祉制度の恩恵という観点ではほとんどの人は赤字なのでは?
しかし、だから制度自体を無くすべきだと主張する人にはあった事がないですね。
失業保険が一番良い例だと思います。
一生、使うことは無いかもしれませんがしかし、いざというときには頼りにしてます。
「施し」ではなく「保険」という解釈が一般的なのでは?
大きな意味では生活保護などもその範疇に含まれると思います。
226 :
右や左の名無し様:03/01/27 23:31 ID:oF0pk3xc
>>223 >私は、これらを混同しているわけではなく、前にも述べたように、
>近代社会はこうした理念を、どこに重心を置くかは異なりつつも、
>基本的に追求してきており
わたしのいっていることは、それらの価値をどのような優先順位、あるいは構成に
おいて追求するのかという問題。例えばロールズだって、正義の二原理にきちんと
優先順位をつけることによって、「どの価値にどのようなウェイトをおくか」という問い
にはっきり答えてるでしょ。
はっきりいって、あなたの論理では、「社会的弱者を助けるという名目があれば
富者からいくらでも税金を取ってかまわない」ということになりかねない。自由を守る
ための基準というものが見当たらないということをいっている。そんなことはいってない
というかも知れないが、実際にあなたのいっていることは、「社会的弱者を守れ」という
以上の内容がない。
ここでいう弱者と強者とは、とりあえず財産を持つものと持たないもの、と考えて頂いて
けっこう。
227 :
右や左の名無し様:03/01/27 23:36 ID:oF0pk3xc
>>224 一般になじみがないかどうかは知らないが、「多数の専制」こそ警戒すべきだという
考えは、ギリシャの昔からヨーロッパの思想において繰り返し問題とされている。
ソクラテスがなぜ死ななければならなかったか、知ってるでしょ?
「嫉妬」というのは、財政の裏づけのない状態で、常に福祉の拡大を求める世論が
まさにそれにあたるでしょ?共産党の選挙スローガンは、それを最もロコツに示して
いるけど、要は豊かな者から税金を取れ、それを貧しいものにわけろ、なぜなら
貧しいものは困っているからだ、というような思考形態。
228 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/27 23:39 ID:gdjdhRA2
>>226 >そんなことはいってないというかも知れないが、実際にあなたの
>いっていることは、「社会的弱者を守れ」という以上の内容がない。
私は社会的弱者に対する社会的・経済的支援は、ひいては社会全体の
利益になるということを述べています。
私は、政治理論には疎い分、経済学的な観点から主張しているの
であり、リバタリアンが、その政治理論以前に、経済的な認識において、
非常に問題を抱えていると思われる以上、私の述べていることにも、
一定の有効性があると考えます。
ではあなたに聞きますが、あなたは使用者と雇用者は「現実に」
おいて対等だと考えているのでしょうか?
229 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/27 23:44 ID:gdjdhRA2
>>227 >「多数の専制」
リバタリアンの描く社会においても、これはありえないわけでは
ないと思いますが?
230 :
右や左の名無し様:03/01/27 23:51 ID:oF0pk3xc
>>228 その考えは実際には「社会主義」と変わるところがない。社会的弱者だから
支援すべきだ、というが、どのような意味での「弱者」だから、どこまでは支援せよ
という限界を何も決めずに、ただ弱者を助けよ、というのでは、究極的には私有財産
制を認めない論理と選ぶところがない。
その意味で、あなたの考えには自由の尊重に対する配慮が見当たらない。
社会的にどのような価値を尊重して制度を設計すべきかという問題は経済学の
上でも重大な問題であって、「政治理論に疎い分、経済学的な観点から」という
ような言明はいい訳にはならない。
労働関係の規制については、わたしはもう一人のリバタリアン氏とは見解が違う。
全く規制のない状態では、使用者と被雇用者が公正な条件で市場競争ができる
とはいえない。従って、競争の公正さを達成するための規制には正当化の余地が
あると考える。
231 :
右や左の名無し様:03/01/27 23:52 ID:oF0pk3xc
232 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/28 00:00 ID:57Xdecy5
>>227 あと、ついでにあなたが、著作権や相続税に関して、どのように考えて
いるかも聞かせてください。
>「嫉妬」というのは、財政の裏づけのない状態で、常に福祉の拡大を求める世論が
>まさにそれにあたるでしょ?
そこだけは論証無しに決め付けてもOKなんだね。
234 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/28 00:05 ID:57Xdecy5
>>230 >どのような意味での「弱者」だから、どこまでは支援せよ
>という限界を何も決めずに、ただ弱者を助けよ、というのでは、
>究極的には私有財産制を認めない論理と選ぶところがない。
誰もそんなことは言っていませんよ。
センの議論にあるように個々人の潜在能力を最大限に発揮できるような
機会を提供することが望ましいのであって、一律にすべてを決められる
わけではありません。
>労働関係の規制については、わたしはもう一人のリバタリアン氏
>とは見解が違う。全く規制のない状態では、使用者と被雇用者が
>公正な条件で市場競争ができるとはいえない。従って、競争の
>公正さを達成するための規制には正当化の余地があると考える。
私もこれは同意するところです。
ところで、では、あなたは「どのような」点で、現在の雇用・労働に
関する規制をなくしたほうがよいと考えているのでしょうか?
リバタリアンの描く労働市場のあり方も、現在と変わりありませんか?
235 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/28 00:15 ID:57Xdecy5
>>231 基本的にリバタリアンでも民主主義に基づく、政治体制を
否定したわけではないでしょう。
よって、「多数の専制」や衆愚政治に陥ることもなきにしもあらずです。
236 :
右や左の名無し様:03/01/28 00:17 ID:942J5lsR
>>234 ちょっと自分の仕事に戻らなきゃいけないのと、労働関係の論点についてはちょっと
考えてから応答したいので、申し訳ないけど、また明日、ということで。
それから、相続税に関しては、原則廃止すべきだと考える。正しい方法によって(法に
違反しない方法で)手に入れた財産を自由に処分することは、財産権の一部を構成する
と考えるので、相続に特別に高い税を課すことは望ましくない。
著作権に関しては、どのようなことを論点として考えているのかがわかると、答えやすい
と思うんだけど…。
237 :
右や左の名無し様:03/01/28 00:19 ID:D0AGThYn
>>227 単に必要な事を政府が行っているだけではないかと。
例えば若者の雇用拡充についてはどう思いますか?
就職できない、あるいはアルバイトの職にある彼等は社会的には弱者と呼べるかもしれません。
しかし、放っておいたらその内、システムにとって致命傷になりませんでしょうか?
中高年の雇用にしても彼等の収入をまったく絶ってしまえば、それは一つの家庭の危機に繋がります。
それは多くの人達に価値観の変容を迫ると同時に、即、消費の減退に繋がるでしょう。
と、いうか現在既にその傾向をみる事ができます。
それは結局は
>>227様の仰るところの強者をも疲弊させることでしょう。
餌がなくてはライオンも生きられないのですよ。
238 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/28 00:37 ID:57Xdecy5
>>236 リバタリアンのひとり、森村進氏は死者には自然権たる所有権が
ない以上、生前の贈与は認めても、死後の相続は認めないと言う
立場のようです(この場合、予想される当然の帰結として、
生前での贈与が圧倒的多数になり、相続税を払う人間はほとんど
いなくなるわけですが)。
彼の主張に関してはどう考えますか?
239 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/28 00:53 ID:57Xdecy5
もうひとつ、リバタリアンに聞きたいのですが、リバタリアンは
基本的に、市場活動を規制するものに対しては否定的であり、
各個人の意志と行動をできるだけ尊重すべきということですが、
いくらかの人間が「自主的に」集まったコミュニティにおいて、
そのなかで、自治政府を設け、市場活動を規制する状況は、
「規制」の対象となるのでしょうか?
240 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/28 01:11 ID:57Xdecy5
つまり、もっとわかりすく別なふうに言うと、リバタリアンの主張する
社会がいつの日か実現するとして、その際に、私は、私の意志で自分の
自由の条件を決められるのだろうかということ。
もっと言うと、私がリバタリアン的な社会を望まなければ、そうした
社会とは異なる社会が確保されうるのかということですね。
この点でいけば、私はリバタリアン的な社会を日本のどこか、
あるいは世界のどこかにあってもよいと思います(移動の
自由は物理的に制限されていますが)。
リバタリアン的社会を望む人は、そこに行くことができるし、
望まなければ行かなくても良い。
私はリバタリアンが、自分たちの望む社会――政府の力が
ミニマムの独立国家――を実現するにたる空間を求めると
いうことにはあってもよいかなと思います。
241 :
hl:03/01/28 01:22 ID:???
242 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/28 20:55 ID:MjRcNsRh
>>茶々
労働問題の話にいく前に、あなたは、基本的に、リバタリアニズムを曲解している(したがっている?)。
リバタリアニズムは自由権(妨害・強制の排除を請求する権利)を、最大限尊重する。
@「自由な社会」には、結社の自由がある。労働組合結成をなんら、妨げない。
もっとも、使用者も使用者団体(組合)を結成できるけどね。
団体交渉も、ストライキも、労使双方に認められていれば、公正な法として、認められる。
(ちなみに、現行法では争議権は労使双方に認められている。)
A同様に、リバタリアニズム国家は、結社の自由を尊重するので、互助を必要とする人たちが集まって
コミュニティーを作っていることを、なんら妨害はしない。
国家がなんらかの介入をするとすれば、
「ある者がそのコミュニティーを脱退したいにもかかわらず、むりやり、コミュニティー側が妨害したとき」
であろう。(この場合の「国家介入」とは、脱退希望者の提訴をうけた裁判所による法適用・法執行であろうか。)
「大きな政府」は、互助のシステムに、入りたくないものも強制加入させるものだから、
リバタリアンは反発するのだ。
何度も言っているが、リバタリアンは、強制をもっとも嫌う。思想・信条等の精神的自由権でも、
財産権等の経済的自由権でもだ。
243 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/28 20:56 ID:MjRcNsRh
(続き)
Bなぜ、新しい「自治政府」を、という発想に出るのか。なぜ「結社」ではだめなのかの理由がわからない。
「新自治政府で経済を規制」などという、いわば「望まないものへの強制」という要素を、
なぜ取り入れたがるのか、それが解からない。
あなたの「自由の信条」なるものは、他害の上に成り立つのか?
この「自由」が、用語の濫用であることはずいぶん前に述べた。
(「自治政府」という、擬似国家を国家内に形成すれば、脱退の自由は
「結社」に比して格段に制約されるだろう。ロシア時代末期に形成された各ソヴィエト、
また、日本の田舎に形成された「オウム擬似かつ自治の国家」の例を見れば予想がつこう)
互助や共同購入、相互福祉等、「政府」をつくらなくてもできるだろう。
(「経済を規制」というのが、結社における年会費や、共同購入という程度のことを、大げさに
言っただけ、というならわかるのだが。)
自由が認められた社会で、なぜ「自治政府」という発想が必要なのか、理解に苦しむ。
244 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/28 21:23 ID:MjRcNsRh
>>229 >>235 >リバタリアンの描く社会においても、これ(多数者の専制)はありえないわけでは
>ないと思いますが?
これは、はっきり答えられる。
「リバタリアンの描く社会では、それはありえない。」
このスレでわたしは何度も述べてきた。
「小さな政府」、「権力分立」、「法の支配」、「立憲主義」
これらの確立こそが、重要だと。
リバタリアンにとって、統治の最重要概念がなかでも、「法の支配」と
「権力分立」だ。
さて、「多数者の専制」と、上の四つの概念を両立させてみよ。
(法の支配の「法」は法律じゃないぞ、念のため。)
それができれば、
>>229でのあなたの意見を認めよう。
リバタリアンは、君主専制であろうが、民主専制であろうが、
国家による自由の侵害に異議を唱えるのだ。
>基本的にリバタリアンでも民主主義に基づく、政治体制を
>否定したわけではないでしょう。
否定はしないが、「民主主義が政治のやり方(方法)のひとつにすぎず、
実態的価値をもたない。(その意味で、わたしは民主政といっている。
デモクラシーは、民主主義ではなく、民主政の訳がただしい。)」
ということを、リバタリアンは知っている。
民主政に対するわたしの見解はこうだ。
「民主政は、法の支配と権力分立がなされている限りで、
許容される政体である」
245 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/28 21:51 ID:MjRcNsRh
総じて、リバタリアンは、「なぜ」という問に、価値観だ!という
強引な答はしない。具体的に、「わたしの○○の自由がうばわれるからだ」
という。
しかし、計画主義者・集産主義者の答は強引だ。
いわく、理念、いわく、価値観。社会的弱者がかわいそうだという感情。
いつか、あなたもお世話になるかも、という、曖昧な根拠のお節介(パターナリズム)。
つまり信条告白と結論先取りしかないのだ。
(あなたがそういう価値観を持つなら、あなたが助けよ。自腹を切って。)
自分の「理念」や「価値観」で、他人の自由を奪うのだ。
あげくに、「価値観の断絶
>>224」だと・・。
はあ、ずいぶん前から、わたしは、
「なぜ、自由をうばうことが正当化できるのか」という問に、
正しく答えられたものはいないようだ。
(なお、自由の重要性は、一神教的イデオロギー無しで説明できることを、
すでに述べている。
>>32、
>>57)
>>244 リバタリアンにとって、(普通「国家への自由」と呼ばれる)参政権は
どのような位置付けなのよ。リバタリアンが「憲法制定権力」とか、
「国民主権」という概念に疑いを持っているのはわかるが。
247 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/28 21:57 ID:MjRcNsRh
>>245 訂正 スマヌ。
>はあ、ずいぶん前から、わたしは、
>「なぜ、自由をうばうことが正当化できるのか」という問に、
↓
ずいぶん前からの、
「なぜ、自由をうばうことが正当化できるのか」というわたしの問に、
248 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/28 22:02 ID:MjRcNsRh
>>246 ちなみに、リバタリアン的には、
「国家への自由」というのも、「自由」の語の濫用。
まあ、これは説明の必要はないと思うが。
正確には、「参政権」とは
「選挙人資格を国家(地方自治体含む)に請求する権利」であって、
自由とは関係がない。
したがって、リバタリアンにとって、最重要な概念とはいえない。
リバタリアンの中で、「重要だ」という人も、二次的なものだろう。
>>248 「権利」というのは、どういう概念?
それは人間に平等に与えられているものなのか、
それともギリシア以来の、義務を果たした者のみに与えられる権利なのか。
250 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/28 22:25 ID:MjRcNsRh
>>220-221 @典型的な労働従属化論だ。昭和40年代の教科書かね、これは。
労働者にも自己決定能力があることをしらない論調だな。
今や、労働法学でさえも、労働者従属論は批判対象になっているはずだが。
労働者も、会社を選べるし、労働形態について、幅広い選択権を持っている。
(「正社員か、フリーターか」から、「職種」、「業種」、「給料」、「時間制」まで、募集に応じるかどうか)
労働契約を締結するか否かの選択権は持っているのだ。
その会社に入ったのは自分の自由な意思決定(誰からも強制されたわけではない)でしょうに。
A商品市場の場合は「供給側(企業側ね)の利益のために、国家がある商品の最低限の値段をきめる」ことを、君は
おそらく容認しないだろう。しかし、翻って、労働市場に限ってそれを認めようとするんだな。
非常に恣意的だ。それに、「最低賃金法」などの市場操作が、賃金の下方硬直性を招き、完全雇用を妨げているとの
指摘もある。そもそも、完全雇用など、国家の計画では無理だ。
(共産国やナチといったオーソリティアン国家のような、暴力的な介入をしない限り。)
そして、今の日本でも、労働市場に介入しているにもかかわらず、当然、完全雇用は実現していない。
B「自由な社会」には、結社の自由がある。労働組合結成をなんら、妨げない。(これは既に述べた。
>>242)
労働組合運動については、市場の抑制がかかるから、リバタリアンはそんなに警戒していない。
251 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/28 22:26 ID:MjRcNsRh
続き
Cなぜ、労働問題に、生産手段の「もてるもの」と「もたざるもの」の関係が出るのか。
それは、マルクスが生きていたころの、「プロレタリア」と「ブルジョワ」の関係でしょうに。
労働問題は、「使用者」と「労働者」の関係でしょ?
所有と経営の分離が進んだ今、使用者とブルジョワ理論上、全く違う。
Dあなたは、「一方的な切り下げ、解雇」を例に出しますが、「一方的な切り下げ、解雇はできない」旨の特約を
結んでおけば済む話では?労働者個人の交渉能力が足りないんだったら、あなたの言うとおり、「集団で交渉」
すればいいんでしょ?それでも、企業が賃金切り下げや解雇を行えば、リバタリアニズム社会でも、
裁判所により、契約履行を強制できる。
Eあなたに決定的に欠けているのは、「自由侵害の論拠」だけではない。
なぜ「結果の平等」を志向するのか、という論拠付けだ。
252 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/28 22:48 ID:MjRcNsRh
>>249 >「権利」というのは、どういう概念?
これを短く述べるのは困難だが・・・。その前に。
>それは人間に平等に与えられているものなのか、
>それともギリシア以来の、義務を果たした者のみに与えられる権利なのか
これは、「概念」を説明したものではないことはわかるよね?
この二者択一に答えるほどの蛮勇を、わたしは持ち合わせていない。
今すぐに、答えるとなると、不正確かもしれんが・・・
「Xが、Yに対して、〜A〜ができる。
このとき、Xの主張には正しい根拠(right)がある。
かつ、Yは明確な対象である。
かつ、〜A〜の内包と外延が明確である
かつ、X以外が、〜A〜について、干渉できない」
このとき、「XはYに、〜A〜できる」権利がある。
っていうのは、どう? 以下、言い訳。
(権利の種類は多いから・・・特権も入れるのかな?)
(どういう権利をいれても、一応当てはまると思うが・・・)
(不備があったら指摘願う。また、もっと簡単に定式化できれば、
それもご教授願う。)
(「正しい根拠」とはなにか、というのは、それこそ、よって立つ思想的立場に
よって大きく異なる。自然権論者ならば、自然法というだろう。
また、意思や利益にもとめる見解もあろう。法実証主義者は、実定法だというだろう。)
>>252 いや・・・質問が悪かったようです。ごめんなさい。
単に、リバタリアンは君主制や貴族制を参政権の侵害と
考えるかどうかということです。
254 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/28 23:06 ID:MjRcNsRh
>>253 参政権は自由権じゃないから、リバタリアン的には、
あまんまり・・・。
君主や貴族が、選挙人資格の請求を却下したら、それは侵害になるんじゃないかな。
単に、君主がいる、貴族がいる、では、厳密には侵害といえないんじゃない?
ところで、この議論、リバタリアンとどう関係あるの?
(前に、混合政体がよい、見たいなことを書いたが。その関係?)
(ちなみに、そこで言う貴族・君主とは、古代ローマの、本来のイメージで
あり、中世や現在のように、世襲とは限らない。)
255 :
俺様:03/01/28 23:12 ID:???
>>リバタリアン@最小国家論者
日本人は自分にとって心地よく、いいとこ取りできる政体を望む悪い癖があるからなぁ。
原理的に言えば、リバタリズムに賛成できるのだが、リバタリズムを導入しても
都合の悪い所では、リバタリズムを遵守しない人間が出てきそうで、積極的には
支持できないな…俺様は。
256 :
俺様:03/01/28 23:17 ID:???
リバタニズムじゃなくてリバタリアニズムだねごめん。
>>254 いや、漏れはリベラリストなので、
自由主義社会の政治体制として君主制も許容されるという考えには
違和感があるというだけ。
258 :
俺様:03/01/28 23:52 ID:???
>>257 俺様はリベラリストよりリバタリアンに共感を覚える。
何でか自分でもわからんのだが……。
259 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/29 00:11 ID:8JHJzw7Z
>>243 >「新自治政府で経済を規制」などという、いわば「望まないもの
>への強制」という要素を、なぜ取り入れたがるのか、それが解
>からない。
誰も「望まないものへの強制」などと言っていませんよ。
私が言っているのは、個人の自由を多少犠牲にしてでも、
社会的・経済的平等性を重んじる社会を「望む人」がいる
ならば、リバタリアンは、それを認めるのかということです。
たとえ、あなたがそうした社会のありようをよく思わなかろうと。
> 自由が認められた社会で、なぜ「自治政府」という発想が
>必要なのか、理解に苦しむ。
言ってみれば、自由に至上価値を置かない「自由」は
認められるのか、ということかもしれません。
>>258 まあ、一貫性はあるでしょ。
それに、リバタリアンには(事の当否はともかく)
目指すべき明確なヴィジョンがある。(リベラリストにもまあ
ヴィジョンがないわけではないが、それ自体としてひとつの
社会を提唱できるのはリバタリアンの強みだよね。)
261 :
俺様:03/01/29 00:17 ID:???
>>260 リベラリストの長所であり、弱点でもあるわけなんだけど、
より制約の少ない自由を遠望しながらも、結果的にヒエラルキーを
否定しきれない。
リベラリストの限界とも言い換えられるかもしれないけどね。
262 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/29 00:44 ID:8JHJzw7Z
>>250 >労働者にも自己決定能力があることをしらない論調だな。
>今や、労働法学でさえも、労働者従属論は批判対象になって
>いるはずだが。労働者も、会社を選べるし、労働形態について、
>幅広い選択権を持っている。(「正社員か、フリーターか」から、
>「職種」、「業種」、「給料」、「時間制」まで、募集に応じるか
>どうか)労働契約を締結するか否かの選択権は持っているのだ。
>その会社に入ったのは自分の自由な意思決定(誰からも強制された
>わけではない)でしょうに。
問題は、労働市場における、自己決定能力のおよぶ範囲が
限定的だということであって、あなたのような労働市場に
関する上記の理解は端的に間違っています。
労働者は、労働市場においては、ほとんど労働条件を決定する力を
持たず、あくまでも会社側の雇用の意志を受けて、労働契約を
結ぶか結ばないか、決定できるのみです。
これをもって、あなたは労働市場において使用者と雇用者が
「対等」だと述べたいのでしょうか?
交渉を通じて、賃金や労働条件の向上をはかることも可能ですが、
基本的に、企業が求める能力や技能を持っている人間が少ない場合や、
労働力の需要が、その供給を上回わっている場合を除いて、
上記のようなことは、なかなかおこりうるものではありません。
あなたは、盛んに市場機能の優位性を唱えますが、残念なことに、
労働市場に関する認識は、およそ現実とはかけ離れています。
労働法の教科書にしても、労働経済学の教科書にしても
そういうことを述べて両者を「対等」しているものはありません。
263 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/29 00:50 ID:8JHJzw7Z
>>242 >@「自由な社会」には、結社の自由がある。労働組合結成をなんら、
>妨げない。
私が述べているのは、使用者と雇用者は現実において「対等」な
条件にあるとわけではないからこそ、集団的な交渉が法的に
認められているのだということであって、リバタリアンの社会において
労働組合は認められないのは問題だとか言っているわけではありません。
264 :
俺様:03/01/29 00:55 ID:???
>>262 ??雇用者が雇いたくない自由を制限された場合、
それは、雇用者にとっての自由にはならないぞ?
国家社会主義か共産主義でもない限り「対等」というものは
担保され得ないと思うのだが……。
リバタリアリズムは「対等」を担保するものではないのではないかい?
そもそも、「企業が求める能力や技能を持っていない人間」を
助ける必要性を俺様は感じない。
265 :
俺様:03/01/29 00:57 ID:???
またやった。。。リバタリアリズム=リバタリアニズム
266 :
茶々:03/01/29 01:36 ID:8JHJzw7Z
>>250 >商品市場の場合は「供給側(企業側ね)の利益のために、国家が
>ある商品の最低限の値段をきめる」ことを、君はおそらく容認
>しないだろう。しかし、翻って、労働市場に限ってそれを認め
>ようとするんだな。
商品と労働力は異なるものです。後者は人格と不可分なゆえ、単純に
両者を同じとすることはできません。
また、最低賃金法がなくなっても、労働者は生活するにたる最低限の
賃金を求めるわけですから賃金が下方硬直的であることには変わり
ありません。
> 非常に恣意的だ。それに、「最低賃金法」などの市場操作が、
>賃金の下方硬直性を招き、完全雇用を妨げているとの指摘もある。
>そもそも、完全雇用など、国家の計画では無理だ。
市場メカニズムによる賃金の弾力的な調整と完全雇用を想定したのは、
新古典派です。しかしながら、現実には市場における需給調整は円滑に
働かずおこったのが、1930年代の大恐慌です。
実質賃金が下がっても不況は深刻化しています。
267 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/29 01:46 ID:8JHJzw7Z
>>264 対等と言うのは、別に雇用者に雇用を強制することではありませんよ。
>そもそも、「企業が求める能力や技能を持っていない人間」を
>助ける必要性を俺様は感じない。
別に求めていない人間を採用しろといっているのではありません。
一般的な技能や能力であれば、労働力は代替可能であり、その点で、
個人は賃金や労働条件に対して交渉できる余地は少ないと言うことです。
268 :
俺様:03/01/29 01:57 ID:???
>>267 そこは、バッサリ切っていい問題ではないのではないかい?
先に書いたように、日本にリバタリアニズムを入れることを支持してない
俺様だから、ハッキリと明言することは不可能なんだが、
交渉できる余地が少ないことを理由に、保障を求めることは、
やはり、他からの搾取にあたるわけで、自由とは対極にある事柄だと
思うのだが……。
(極論を言うと、個人が事業を起こす自由で代替可能ではないか?と)
すまん、この問題では俺様は無知すぎる。
よくわからん文書になってることを先に謝っとく。
269 :
俺様:03/01/29 02:03 ID:???
今日は寝る……
270 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/29 02:12 ID:8JHJzw7Z
>>268 リバタリアンのなかでも、労働市場に関する認識は若干、差があるよう
ですが、基本的に、労使間の非対称的という認識があるからこそ、
労基法や労働組合法があるのであって、労働者と使用者が等しく、
契約において相手選択や内容、手段に関する自由を有している
わけではありません。これは労働法の教科書の最初に出てくる、
超基礎的なことです。
271 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/29 02:18 ID:8JHJzw7Z
まあ、いずれにしろ、私がリバタリアンに聞きたいのは、
繰り返すようですが――リバタリアン的な市場メカニズムに
重きをおいた社会を望まない人々が、彼らが望む独自の社会
(例えば福祉国家)をつくることを認めるか、ということです。
272 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/31 18:04 ID:+veH/bTC
>>271 あなたも、誰かと同様、国家と社会の峻別もできていないようだ。
あなたの問に、
>>242-243 以上に、言うことはないな。
ものすごく、解かりやすく、同じことを言ってあげよう。
市場メカニズムに不信感をもち、
互助や福祉を望むものが多数いれば、「結社」でも、共同体でも作ればよい。
リバタリアニズム国家は、自由や多様性を最大限尊重するから、
なんら、妨げることはないだろう。
それにしても、「国家をつくる」という発想が理解しかねる、という問にはなんら
答えていないな、君は。
「互助や福祉を共同でやっていこう」という人々が集まって共同体を作れば、
それが「国家」なのか?
もしそういう認識なら、もう少し勉強してくださいね。
273 :
リバタリアン@最小国家論者 :03/01/31 18:45 ID:+veH/bTC
>>茶々
私に、「労働法の教科書とは違う。超基礎的なことがわかっていない」
と、御憤慨のようですが・・。
あのねぇ。リバタリアンは、「労働法の成立」自体、法の支配の崩壊とみなしているの。
つまり、敵視してるわけね。簡単に言うと。
「労働者の団結権」なんていわずに、「あらゆる人の結社の自由」でよい、と。
「労働者の団体交渉権」ではなく、「あらゆる人の、契約の自由」でよい。
私が、労働法の理念と違うことを言うのは当たり前でしょ。
あなたの労働者保護の正当化論拠は、「労使は対等でない」ということの一辺倒。
私がかねてから問うているのは、
「なぜ労使が、契約の自由(強制されない)においてのみならず、
契約交渉能力上も、対等でなければならないのか。
労使は、自由において対等であれば良いではないか」ということだ。
それには、答えてないよね。君は。
それと、わたしは、「現在労使対等だ」、なんていってませんよ。
労使とも、自由をもっている、それで充分じゃないか、ってことを言ってるんだよ。
あと、リバタリアンは新古典派じゃないよ、厳密に言うと。
ケインジアンが勝手に、「親和的」と思っているだけ。
まあ、リバタリアンも、福祉国家論者とナチスやレーニンは、「親和的」だと思ってるけどね。
274 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/31 18:52 ID:+veH/bTC
>>266 >商品と労働力は異なるものです。後者は人格と不可分なゆえ、単純に
>両者を同じとすることはできません。
リバタリアンの中には、「私の財産は、私の人格と不可分だ」
という人もいるよ。労働力だけに認めるのかい?人格との不可分性を。
もっとも、「人格」なんていう漠然としたものに
根拠を求めるリバタリアンとは、最小国家論者は一線を画しているが。
ちなみに、わたしは、労働力も商品だと思っている。
275 :
リバタリアン@最小国家論者:03/01/31 19:03 ID:+veH/bTC
>>270 >労働者と使用者が等しく、
>契約において相手選択や内容、手段に関する自由を有している
>わけではありません。
労働者は、労働契約で、相手を選択する自由はある。
だって、採用募集に応じるかどうかの自由はあるでしょ?
そして、内容が気に入らなければその会社に就職しない自由はあるでしょ。
強制労働させられるわけじゃないでしょ。
「内容、手段に関する自由」?
これは、多分自由という言葉を曲解している。
労使の、交渉能力が違うというのと、「自由の配分が不公平だ」というのは、
全く違う次元だ。
これは、能力の差であって、「自由」の語で語りうる問題ではない。
わたしは、「労使が等しくあらねばならぬ」という、君の意見の論拠がわからない。
またこれも、「現在の理念が正しいと言うことを前提にする」とかいった、
結論先取りの、ただの感想文なのか?
276 :
民主主義者:03/01/31 20:31 ID:QwM1918d
オレの使っていたプロバイダーが漸く規制解除されたので遅レス
>>179-182 国家は社会として見るべきでないとの意見だな
自然状態 つまり人の実感に任せていたら地域社会以上のものを築くのは難しかろう
しかし人が文明を発展維持させたければ国家という実感範囲外の観念を社会単位とみなす必要があるのだ
国家の意味を解体しておいてそれの賜物である国家システムからさらに構成要素の一部だけ抽出するのは無理があるだろ?
君は最小国家を主張するが社会が実感範囲にとどまるならリバタリアンが外的世界であるとみなさない範囲にコモンロウの徹底することすらおぼつかないぞ
例えば 何を持って「他害」とするかですら文化どころかそれぞれの人によって異なる
277 :
民主主義者:03/01/31 20:38 ID:QwM1918d
同じく遅レス
>>188 君の言う教科書の社会契約に関する定義について
「社会の構成員全員が参加し」
という点だが社会契約が結ばれるという実体は無くフィクションであると知っているならこんな要素は客観的でない
「全員一致かつ一回限りのものである」
これはホッブズの定義だろ 彼は専制君主制を支持しているからこんなことを言い出したのであって
民主主義者にはこんな定義は意味を持たない なぜならば民主主義社会において自然権の保証は国民自体が行わなければならないのだから社会契約の不変性が国民の自然権を脅かす事態を招いた場合この定義にこだわり続ければ主権の絶対性の根拠も揺らいでしまうからな
民主主義者ならば社会契約の不変か国民主権かを選ばせれば 国民主権をとるのだ
>>189 自由貿易が必ずしも双方に利益をもたらす代物でないことは理解しているだろうな?
ならばむしろ自由貿易によって双方が損をしない状況の方がより限定的な事も知っておくべきだね
「貿易の利益が発生しない状況を」との質問だが逆に双方が損をしない状況なら箇条書きにしてやろう
1 扱われる品の価格の変動が穏やかであること
2 扱われる品の生産性が大量生産により向上するものでないこと
3 扱われる品を生産する行為自体が他の経済要素に影響しないこ
278 :
右や左の名無し様:03/01/31 21:52 ID:kf25KK5d
>>277 アホか。ルソー読んだことも無いのか?
おまけにその自由貿易批判は笑わせるなよ。
「分業の利益」ってことを知らないのか。
そんなに貿易がイヤなら、北朝鮮のまねでもしてろ(笑。
279 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/31 22:39 ID:pD32xWgG
>>272 >互助や福祉を望むものが多数いれば、「結社」でも、共同体でも
>作ればよい。リバタリアニズム国家は、自由や多様性を最大限尊重
>するから、なんら、妨げることはないだろう。
別に細かい国家の定義をどうこういうつもりはありませんが、
要するに、リバタリアン的な社会を望まない人は、そういう
社会を選択できるわけですか?前提条件として。
だとしたら、リバタリアンとしては、世の中をリバタリアン的な
社会にすべきだと言うよりも、リバタリアン的社会を望む人は、それを
つくることができ、そこで生活できるようにすべきだと言うことでは
ないでしょうか?
私もそれだったら大いに賛成するところです。
280 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/31 22:49 ID:pD32xWgG
>>272 >それにしても、「国家をつくる」という発想が理解しかねる、
>という問にはなんら答えていないな、君は。
理解しかねる以前に、国家を望む人がいるのであれば、
物理的に可能で、他人に強制しない限り、リバタリアニズムの
観点からは認められるものではないのでしょうか?
あなたがたとえ国家というものに激しい拒否観をいだいているとしても、
他人がそうしたものを望むことをあれこれ批判する根拠はないような
気がしますが?リバタリアンであるあなたにとって。
それとも、リバタリアニズムとはすべての人に「リバタリアン的自由」を
強制する考えなのでしょうか?
281 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/31 23:32 ID:pD32xWgG
>>273 >それと、わたしは、「現在労使対等だ」、なんていってませんよ。
>労使とも、自由をもっている、それで充分じゃないか、ってことを
>言ってるんだよ。
まあ、「自由」といっても大きな差があるんですが・・・
いずれにしろ、あなたがそれでいいというなら、いいんじゃないですか?
そういう社会を望む人がいるのならば、それもいいかと思います。
私は今の社会が完璧だというつもりはありませんし、この社会を
望まない人は、自らが望む社会をつくることができる余地が
あってもいいと思います(ただし、構成員がその社会を望まなくなれば、
出ることもできるという自由が保障されるかぎりで)。
あなたの市場メカニズムの理解はかなり難ありで、およそ
まともな経済的議論をふまえたものではありませんが、それでも
あなたがそういう社会を同じような考えを持つ人とつくり、生活したい
と考えるならば、私もそうした主張や運動は支持するところです。
私はこの社会は単純に市場メカニズムにまかせただけでは
うまくいくとは思わないし、あなたが曖昧だとして批判する
平等や公正や自由の理念も、私が明確に言語化したり基礎付けたり
できなくても、私にとって、望ましく追求すべきものだと思います。
これはあくまでも私の信条に関わることですが、だからといってあなたが
私の望む(そしてその程度の差こそあれ、多くの人が望む)この社会を、
強引に変えたりすることは問題だと思うし、あなたの掲げるリバタリア
ニズムの根本の精神にも反しているように考えます。
282 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/01/31 23:40 ID:pD32xWgG
実際にリバタリアン的社会がどこかにできたとしたら、
正直、面白い考察対象となると思います。
もし、その社会が経済的にうまくいき、かつ、多くの
人にとって望ましいと映れば、どんどん人が流入し、
その社会も発展していくことでしょう。
実際問題として、リバタリアン的社会(国家)を実現するには、
こういうプロセスを踏む以外にありえないでしょうね。
あるいは、世界同時リバタリアン革命という方向もありますが。。。
283 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/02/01 00:16 ID:Fq7SS90w
>>273 >あなたの労働者保護の正当化論拠は、「労使は対等でない」ということの一辺倒。
ああ、ついでに言っておきますと、私は、労使間の対等であると
いうようなあなたの主張に対して、それは違うと言っているのであって、別に正当化うんぬんのレベルの話ではありません(幸いにして、上の
レスではそういうことは言っていないというようなので、まあいい
ですが)。
>>274 >リバタリアンの中には、「私の財産は、私の人格と不可分だ」
>という人もいるよ。労働力だけに認めるのかい?人格との不可分性を。
まあ、私の「人格」という書き方が、ちょっと足りなかったかもしれま
せんが、基本的に使用者に提供される労働力は、商品と違って、
個人と切り離されて存在しえないという実態的なことを述べて
いるので会って、単なる法的な次元での労働力の「人格性」を
問題としているわけではありません。
エーリッヒ・フロムが指摘している通り、思想なき自由、自己確立性なき自由は、
民衆に耐えがたい孤独と絶望を強い、結果として絶対権威への帰属を渇望するようになります。
絶対的権威に従属することにより人生の意味と心の安定、および多数派因子であることの優越感を得ようとするのです。
285 :
リバタリアン@最小国家論者:03/02/03 21:00 ID:367U5/sy
>>279 >別に細かい国家の定義をどうこういうつもりはありませんが、
>要するに、リバタリアン的な社会を望まない人は、そういう
>社会を選択できるわけですか?前提条件として。
何度も言っている。同じ意思を持つものが共同体なり結社なりを形成する
ことを、なんら妨げない、と。何回聞けば気が済むの?
国家と社会が違うことも、もう、わかったのかな?
>だとしたら、リバタリアンとしては、世の中をリバタリアン的な
>社会にすべきだと言うよりも、リバタリアン的社会を望む人は、それを
>つくることができ、そこで生活できるようにすべきだと言うことでは
>ないでしょうか?
はぁ。思想の話が、いつの間にか、運動論になっちゃってるような。。。
どうしたものかねぇ。シミン運動のアドバイザーになっちゃったのかい?
まあ、その議論に乗るとしたら、君の言うのもいいかもかもしれんな。
現実的には、国家の市場介入を全廃した経済特区をつくり、
成功を見せ付ける、というのは一つの手でもあるわな。
286 :
俺様:03/02/03 21:22 ID:???
>>285 ちょっと聞いてみたかったんだけど、リバタリアニズムの最も弱い所って、
富の一極集中を防げなくなる可能性が高いってことじゃない?
富の一極集中は、つまるところ経済の停滞につながるような気もするのだけど……。
的外れな質問だったらごめんよ。
287 :
リバタリアン@最小国家論者:03/02/03 21:26 ID:367U5/sy
>>280 >国家を望む人がいるのであれば、
>物理的に可能で、他人に強制しない限り、リバタリアニズムの
>観点からは認められるものではないのでしょうか?
リバタリアニズムとアナーキズムの差異も理解不能か?
あと、有史以来、他者への強制無しに新しく形成された「国家」があったのか。
まあ、国家と社会を同視してしまうあなたには、難しい質問だったかもね。
>あなたがたとえ国家というものに激しい拒否観をいだいているとしても、
また、感情の問題に還元しようとするのかね。
>他人がそうしたものを望むことをあれこれ批判する根拠はないような
>気がしますが?リバタリアンであるあなたにとって。
はあ。あのね、何度も言ってるけどね。やさしく書くからよく読むんだよ。
福祉国家は、他者が他者の自発性なく強制的に財を収奪する。その非道徳性を批判しているんだよ。
福祉をしたい人が身銭を切って福祉をすることや、互助や福祉を求める人たちが共同体なり結社なりを形成することを、なんらとがめない、と。
従って、「他人が福祉をのぞむこと」を批判しているんじゃないんだよ。
自らが正しいと信じる理念のために、他者の財を収奪していることを批判してるの。
(わかった?)
>それとも、リバタリアニズムとはすべての人に「リバタリアン的自由」を
>強制する考えなのでしょうか?
はあ?「リバタリアン的自由」ってなんだよw。私は、自由を妨害排除請求だといった。
「妨害排除請求をすべての人に強制する」?????
あなたの文章にはロジックがない。
288 :
リバタリアン@最小国家論者:03/02/03 21:57 ID:367U5/sy
>>281 >まあ、「自由」といっても大きな差があるんですが・・・
「自由」に差が出るというのは不正確。
自由を行使する、能力に差があるのだ。
「結婚の自由」はだれでも平等に有するが、実際に結婚できるかは、本人の能力。
それと同じことだ。(これも、以前書いたんだがな)
>この社会を
>望まない人は、自らが望む社会をつくることができる余地が
>あってもいいと思います(ただし、構成員がその社会を望まなくなれば、
>出ることもできるという自由が保障されるかぎりで)。
この部分に、なんら、異論はない。っていうか、
括弧書きの部分は私の言っているままじゃん。(
>>242のA)
社会をつくることを、なんら批判してないじゃない。
互助を、「国家」を経由して、望まないものも含めたすべての者に強制使用とするのをわたしは一貫して批判している。
289 :
リバタリアン@最小国家論者:03/02/03 21:58 ID:367U5/sy
>>281 >あなたの市場メカニズムの理解はかなり難ありで、およそ
>まともな経済的議論をふまえたものではありませんが、
まあ、たしかに、君の習得した福祉国家論的経済学とは無縁の思想的位置にわたしはいる。
もしかして、経済学は一つの源流しかない。経済史学は一本の道筋しかない、とお考えなのか?
まあ、わたしは、好き嫌いでいうと、シカゴ学派が好きで、ケインジアンが嫌いかな。
(もっとも、今の日本の公共事業は、ケインズが想定しているものをはるかに上回っていることも、知っているかな?)
また、シカゴ学派や欧米のリバタリアンでなくとも、市場の優位性くらい、日本の学者も
述べていると思うがな。(例えば、井堀利宏、根井雅弘、竹内靖雄、八代尚宏、など)
>私はこの社会は単純に市場メカニズムにまかせただけでは
>うまくいくとは思わない
わたしがいつ、市場メカニズムにまかせる「だけ」でいいなんていいました?
わたしが市場万能論者ではないことは、前々からいっている。
(公共財の提供をみとめる、という話、もう忘れたのか?)
290 :
リバタリアン@最小国家論者:03/02/03 22:02 ID:367U5/sy
>>281 >平等や公正や自由の理念も、私が明確に言語化したり基礎付けたり
>できなくても、私にとって、望ましく追求すべきものだと思います。
また、信条告白か?
>あなたが
>私の望む(そしてその程度の差こそあれ、多くの人が望む)この社会を、
>強引に変えたりすることは問題だと思うし、あなたの掲げるリバタリア
>ニズムの根本の精神にも反しているように考えます。
あらら・・・。
社会を変えようではない。福祉「国家」は不当だ。「国家」を最小にしよう、といってるんだよ。
社会は自生的に、自律的に、国家の介入を最小限にとどめようというのが、わたしの持論だ。
自生的・自律的な社会を、国家権力で変えようというのが、福祉国家論ではないか。
なにを、どう読み間違えたら、こんな文章が書けるのか?
また、「リバタリアニズムの根本理念」をどうとらえたら、こんな素っ頓狂なことをいえるのかね。
リバタリアニズムは、「わたしの、妨害を排除する請求権としての自由を尊重せよ」というものだ。
わたしが、いつ、他者の妨害をしましたか?あなたの思想信条を妨害しましたか?
口をふさぎましたか?手を縛りましたか?
いつ、わたしが「強引に社会を変えよう」と言ったのか?
思想信条、言論等の自由は、思想の自由市場に任せようという発想だ。
そこんとこ、解かってる?
わたしは、思想の自由市場の一員として、あなたの意見に異議申し立てしているだけだ。
291 :
民主主義者:03/02/03 22:07 ID:5x4T4wMS
>>278 てゆうかオレ結構ルソー好きなんだけどね 全面的に賛成はしないだけでな
で オレは自由貿易を批判しているんじゃないぞ
それが一方的な富の収奪に繋がる可能性を秘めているという事実を指摘しているのだ
貿易が嫌だとも言っていないw
リバタリアンの主張を退け保護貿易を採る自由が無ければならないとする根拠として自由貿易が双方を利する条件が限定的だと言っているんだよ
功利的なリバタリアンだったら理解できてもおかしくないだろうに
292 :
リバタリアン@最小国家論者:03/02/03 22:19 ID:367U5/sy
>>283 >私は、労使間の対等であると
>いうようなあなたの主張に対して、それは違うと言っているのであって、
あなたは、実に「行間を読む」のが好きなようだ。
いつ、労使が対等だ、といいました?
この論議がでたはじめの、わたしのレス(
>>212 >>219)
を読めば、「労使は対等だ」と言っていないことは明瞭なんだがな。
ここで述べられていることを平明に言い換えれば、
「対等か否か」という問いかけは実に曖昧でナンセンスだ。
自由と能力を分けて考えよ。さすれば、労使に契約の自由は平等に配分されていて、
労使の交渉能力は違うということが解かるはずだ。
そして、リバタリアンとして興味を持つのは「自由」だから、
能力のちがいは問題とは思わない。
ということを述べたのだ。
「労使対等であるかのようなこと」を、いつ述べたんだろうね。わたしは。
>別に正当化うんぬんのレベルの話ではありません
そして、君は「労使は交渉能力の面でも対等であるべきこと」
の正当化はせずに、こう言って逃げるのね。
293 :
リバタリアン@最小国家論者:03/02/03 23:43 ID:367U5/sy
>>286 「富の偏在」へのリバタリアンの考え方は、
>>1が
>>70で述べている。
また、わたしは、「貧富の差の拡大」について、
同じようなことを、
>>153で述べた。
また、自発的競争を阻害し、非効率をもたらす独占については、
>>212で述べた。
294 :
リバタリアン@最小国家論者:03/02/03 23:46 ID:367U5/sy
>>茶々
どうも、君の、思想的立場や、バックボーンがはっきりしない。
自分でも、解かっていない節もあるし・・・。
>>48のテストを試しにやってみてはくれぬか。
295 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/02/03 23:56 ID:kfKLh+1c
>>285 >まあ、その議論に乗るとしたら、君の言うのもいいかもかもしれんな。
>現実的には、国家の市場介入を全廃した経済特区をつくり、
>成功を見せ付ける、というのは一つの手でもあるわな。
よかったじゃないですか。
ぜひがんばってリバタリアン的社会をつくってください。
私は遠慮しときますが。
296 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/02/04 00:58 ID:uxcT64pW
>>289 >わたしがいつ、市場メカニズムにまかせる「だけ」でいいなんて
>いいました?わたしが市場万能論者ではないことは、前々から
>いっている。(公共財の提供をみとめる、という話、もう忘れたのか?)
あなたがリバタリアニズム的観点から、社会保障制度や政府の
財政・金融政策を否定する点は、一般的議論からすれば
いわゆる「市場主義」と呼ばれるものです。
もちろん、これらが市場メカニズムに100%まかせたほうが
よいという主張ではないということは、私も以前に踏まえて
いるとおりですが、相対的に見て、あなたの主張は、市場メカニズム
の調整機能に重心を起き、財の再分配などの根本的に理念を否定する
点で、従来の経済学のフレームからはかなり特異な位置にいます。
>また、シカゴ学派や欧米のリバタリアンでなくとも、市場の優位性
>くらい、日本の学者も述べていると思うがな。(例えば、井堀利宏、
>根井雅弘、竹内靖雄、八代尚宏、など)
というより、あなたはこれらの人の本を本当に読んだのでしょうか?
根井雅弘は、「市場主義」を歓迎するなんてことはしてないし、
むしろまったくの逆です。講談社現代新書の『21世紀の経済学
――市場主義を超えて』の152-153ページに何とかかれているか
一度読みましょう。井堀利宏も公共財政学で、あなたの言うような、
市場の優位性を説くものではありません。八代尚宏も労働市場に
おける規制緩和を唱えていますが、雇用保険や職業紹介などの
政府の役割を否定しているわけではありません。
ちゃんと読んで引用しましょう。
297 :
茶々 ◆NdXA4pMuL2 :03/02/04 00:59 ID:uxcT64pW
【訂正】
財の再分配などの根本的に理念を
↓
財の再分配などの理念を根本的に
299 :
老子 ◆XWDmS1aNM6 :03/02/20 05:19 ID:xWxt1UW7
300 :
右や左の名無し様:03/02/20 05:50 ID:7VNGnO/7
「富(財)の再分配」という言葉は、真面目な理念ではないよ。
「再分配」という言葉には相当の毒がある。
今更の「再分配=正義」論には鼻白む。
301 :
右や左の名無し様:03/02/20 06:27 ID:7VNGnO/7
「富・財・所得の再分配」とは、
社会的敗者の生活権を保障するための手段であって自己目的ではない。
「金持ちから金をとりあげ、貧乏人が好きに使ってよい」
という意味では決してない。
再配分が正義であるかどうかは、
「金が正しく使われるかどうか」のみで決まる。
つまり政府が不効率だと所得分配の正当性は脆い。
302 :
老子 ◆XWDmS1aNM6 :03/02/20 07:22 ID:xWxt1UW7
118 :無党派さん :03/01/01 23:13 ID:2/rvqLtT
>>117 >リバータリアンが国民全体の一定の割合を占めるようになれば
>リバータリアン政治家も出現する可能性はあるよ。
>完全なる自由放任主義は不可能かもしれないが
>リバータリアン志向の政治家の出現はきっとそんなに遠くないはず。
アメリカには多少いるぞよ。リバタリアン政治家。
先の中間選挙で,テキサスでは共和党ロン・ポールが,民主党の挑戦者を破って,
投票の68.05%で米下院(地区14)のための再選に容易に勝った。1988年には,ポール
がリバタリアン党からの大統領候補だった。 というか市長,市議会,保安官に多少い
るぞリバタリアン。テレビCMでも選挙キャンペーンやってるし。
というか,リバタリアニズム運動はアメリカ的なので世界の自由人がみんなアメリカに
集まってやったほうが良いじゃろ。ワシは日本でリバタリアニズム主張するでなくて
アメリカの自由化推進運動応援する。
303 :
右や左の名無し様:03/03/03 05:30 ID:/AcVaDpd
ロン・ポール大統領選挙キャンペーン早くも展開中!
http://www.paul2004.com/ 馬鹿ブッシュを打ち倒せ!ロンちゃんは愛国法(Patriot Act)を撤廃するぞ!
小ブッシュと違って戦争にも反対だ!ブッシュが大統領になるよりポールがなったほうが良い。
それが自由主義だ!とても自由だ!自由の女神も微笑まれる。
304 :
右や左の名無し様:03/03/21 01:13 ID:z/L3C71o
サヨ消すほうが先
305 :
武装中立:03/03/21 02:59 ID:PGcu39xy
>>304 まあ、少なくとも君はリバタリアンではないということだね。
僕としてはリバタリズムの問題点は労使問題を解決できるかということにあると思う。
従来の市場原理主義者=保守主義者はサッチャーのように労働運動は力でねじ伏せたが、リバタリアンがそれをすることはできない。
資本主義の発達は大企業を作り出す。そして、その巨大な企業が国家経済の基幹となる。その企業のいくつかが危機に陥った場合、国家の危機も同時に訪れるようになるのだ。
企業の危機の中には当然労働争議も含まれる。
例えばある日、何かのきっかけでゼネストが起きた時、そしてその指導者が市場主義を否定した場合、リバタリズムとは相対する、例えばスターリン主義者であった場合、「自由」を防衛できるのだろうか。
駄文で、おまけに学の無さを露呈するような内容ですみません。
>>305 市場原理主義者=保守主義者ってスゲー妄想だな
307 :
コミュニタリアン:03/04/11 02:52 ID:WsT7Haml
リバータリアニズムを賛美するなら、日本でもやっとまともなコミュニタリアンが
あらわれたのを知ってるか。
ちょっとまだマイナーだけど、青木孝平の『コミュニタリアニズムへ』という
社会評論社から去年でた本は、マルクスを柄谷のようなアソシエーショニストとしてでなく、
コミュニタリアンとして読むというのだから驚く。
ロールズ以後のリベラルやノージック以後のリバタリアンは、この本で完全に終わった。
嘘だと思うなら、読んで反論してみろ。リバタリアンの「負荷なき自我」の自由なんていうのは、
アメリカのイラク侵攻なみの普遍主義的個人主義の強制という言語矛盾でしかない。
308 :
りばっち:03/04/13 08:10 ID:EQhWeUvH
>>307 じゃ、わたしの読解に間違いがないか、まずあなたの青木本の「まとめ」を
お願いいたします。
309 :
コミュニタリアン:03/04/13 10:47 ID:5F+OznUM
やはり青木本の最大の成果は、リベラリズムやリバータリアニズムが前提とする
自己所有権の主体を、資本主義という関係性が構成したイデオロギーとして
その逆立ちを批判したことでしょう。
これまで科学主義の代表とされてきた宇野経済学をあえて倫理学的に読んで、
リベラル批判に逆用したところも面白い。だから宇野理論であっても
「宇野派」ではない。東大宇野派の山口のように人間の意思から始まる原理論は
しょせんリベラリズムと同根だ。柄谷のカント的マルクス理解もそうだ。
あと、家族の理解がおもしろい。ふつうマルクス系は、フェミに賛成し
家族の個人主義を賛美するが、青木は、反対にインセストタブーを評価して
個人の自由意志で決定できない部分として家族を考えてる。
自由な個人の社会契約といううリバタリアンの理念が資本主義市場原理主義の
フィクションであることを完全に理論化しているといえるだろう。
ところで、りばっちさんの青木本の読解も教えてください。
リバタリアニズムって、無政府主義・アナキズムのことだろ。
石川三四郎って無政府主義者は、晩年は天皇陛下マンセーだったな。
無政府主義者は結局は愛国者に説得される運命にある。
>>310 その石川三四郎という人のことはよく知らないが、
政府=天皇or民族or国と決まっているわけではないから、
政府の権力を否定しつつ天皇の権威を認めることが、本人の中で矛盾しない場合もあるだろう。
313 :
コミュニタリアン:03/04/16 11:10 ID:9AIJeLZ9
<<307<<308
りばっちさんは、どこへ消えたのかな。
やっと、この板で本格的なリバタリアンvs コミュニタリアン論争が
できるのかな、と楽しみにしていたのに。
crusadeさん、自分の板に人をつれていかないでください。
ここで議論しよう。
314 :
山崎渉:03/04/19 22:47 ID:???
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
>>315 もともと福祉国家批判の文脈で出てきた思想だから保守派が使ってる事もあるけど、アナキズムとの親和性は高いべさ。
ていうかむしろ保守主義とはあんまり関係ないような。。。
317 :
右や左の名無し様:03/04/29 20:53 ID:BWt51ytX
>>313 リバータリアニズム国家の中でコミュニタリアンは特に問題なく生きていけるのではないだろうか。
というのは、仮に宗教や地縁、血縁の共同体に引き篭もって生活する連中がいたとしても国家は干渉しないだろうから。
国防や治安維持やその他最低限のインフラ整備のための税金さえ払えば、あとは放置するだろう。
318 :
コミュニタリアン:03/04/29 23:06 ID:UjVAwgxr
リバータリアニズムは、たんに国家の中立性を説くものではなく、
むしろ市場を介して共同体を解体しようと志向する
それは、最終的に近代国家の基盤であるネーション=ステイトの一体性と
共存不可能にならざるをえないだろう。
たとえば最近の夫婦別姓論にみられるように、
個人の自由意志による選択という「負荷なき自我」の自由それ自体が
市場のイデオロギーであり、共同体を否定する。
個人の自己決定ー自己所有権それ自体が、
コミュニタリアニズムを否定している。リバータリアニズムは、
耳ざわりはよいが、じつは自由な個人主義を全ての人に強制する。
アメリカのイラク侵略は、自由の名のもとに、
イスラムの伝統文化を全否定しようとしているではないか。
>>318 アメリカのイラク侵攻はリバタリアニズムからは正当化できないのでは?
国家の権限の強化、増税、若者の死をもたらす戦争に対して、リバタリアンは基本的に反対の立場を取るはず。
イラクが独裁体制であろうが、民主化しようが、原始時代に戻ろうが、自国の政府にどうこうしろとは言わない。
320 :
コミュニタリアン:03/04/29 23:22 ID:UjVAwgxr
>>309のつづき。リバタリアンは、個人の自由意志にもとづくものなら、
インセストも認めるというのか。最近のリバは、夫婦別姓だけでなく
同性同士の結婚も認めるらしいが、自己決定すれば、親子同士や兄弟同士の
結婚も自由か。生命の誕生や終わり、性関係など、個人の自由意志では
どうにもならない、人間存在に対する関係性ー共同体の負荷を認めるのが
コミュニタリアンであり、国家の中立性そのものを否定し、個人にはどうにもならない
伝統文化による絆を肯定するのが、コミュニタリアンだ。だから
コミュニタリアンは、リベラル国家では生きていけないのだ。
321 :
bloom:03/04/29 23:25 ID:BocJigsh
322 :
コミュニタリアン:03/04/29 23:34 ID:UjVAwgxr
>319
リバタリアニズムは、最終的にアメリカ一国にとどまり得ない。
それは、自由の性格上、民族国家の枠を超えて、
一方で、人間のアトム化を志向し、
他方で、自由の世界化を志向する。
ノージックもロスバードもフリードマンも、リバタリアニズムが
普遍主義的志向をもたざるを得ないことを認めている。
彼らは、イラクもイランも北朝鮮の体制も肯定しないはずだ。
>>320 >リバタリアンは、個人の自由意志にもとづくものなら、
>インセストも認めるというのか。
少なくとも政府は近親結婚だろうが同性結婚だろうが禁止しないだろう。
しかし、そういった連中に対してこちらがどのような態度を取るかも自由なのだから、
おそらく一般の社会常識から逸脱した人間は何らかの制裁は受けるだろう。
あるグループに対する憎悪団体を作ることも禁止されないだろうし。KKKのような。
コミュニタリアンは、自分達の共通善を犯すメンバーに対して、
村八分にするなり追放するなりといった対応を取ることによって共同体を維持していくことはできると思う。
>>323補足
KKK”のような”憎悪団体を作ることは禁じられないが、
KKKがやっている(と思われている)リンチなどは認められない。
地域一帯の白人商店主が結束して、例えば、黒人には絶対に商品を売らない、
というようなことをすることは認められる。
325 :
コミュニタリアン:03/04/30 00:27 ID:anfR/TW5
認めるとか認めないとか、どうやって区分するのか。
誰かの自由は、常にその他の不自由に支えられている。
けっきょく国家の絶対的な中立とか自由至上主義とかいうものは、
市場経済による共同体の解体を前提にしなければなりたたない。
マルクスは、これを「資本の文明化作用」と呼んだが、
コミュニタリアンは、この作用そのものに抗することを宣言する。
KKKを認めるかどうかはどうでもよいことだ。
そのような個人の選択の自由そのものが、共同体の共通善から遊離した
資本主義あるいは市場という化け物のうみだしたイデオロギーなのだ。
私は、
個人が契約によって社会や国家をつくるのではなく、
共同体の存在が人をコミュニタリアンにし、
市場の蔓延が人をリバータリアンにすると言いたいのです。
>>325 コミュニタリアンの政治的主張、というか政府の役割はどのようなものでしょうか?
例えばリバタリアニズムの一種の最小国家論は、
個人の身体・財産に対する侵害を防ぐ目的での国防・治安維持と、
財産上の権利に関する紛争を解決するための司法を除いて政府は何もせず、
ある道徳的・経済的目的を実現するための法律は認めないとしています。
コミュニタリアンは、国家が伝統なりなんなりの共通善に基づく目的を実現するために
徴税や立法を行うことを認める立場を取るのでしょうか?
しかし、そうすると、国家共同体によって家族や親類や近隣といった中間的な共同体が抑圧されることになりそうですが。
327 :
コミュニタリアン:03/04/30 01:24 ID:anfR/TW5
コミュニタリアンといってもいろいろです。
たとえばサンデルやテイラーは、共同体の絆を引き裂いたものとして、
市場経済の蔓延とともに官僚制国家ないし福祉国家のパターナリズムを
挙げています。国家や企業のようなのようなアソシエーショナルな組織を
肯定的に評価するコミュニタリアンはほとんどいません。
最近はエッチオーニのような、政治的コミュニタリアンもいますが
それでも国家に共通善を期待することには懐疑的なようです。
リバタリアンのような社会契約論をそもそも否定するのが大前提ですから
個々人のつくる市民社会(じつは市場社会)と国家を分離する二元論が
成り立たないのです。
個人が自由意志の集合としてアソシエーション(国家)をつくるという社会観そのものを
疑ったらどうでしょう。
このあたりは、じつは、上の方で書いた青木本の受け売りなんで、
詳しくはそちらを参照ください。
328 :
動画直リン:03/04/30 01:25 ID:CnmExfKC
329 :
右や左の名無し様:03/05/05 02:20 ID:2SHn/cvw
漏れ好みのスレが。
自由主義はいいですね。
開かれた自己実現の可能性-他人に危害を加えない限り、弁護士を自称しようが医者を自称しようが売春婦になろうが神父になろうが国は文句を言わない。
フェアな競争-ようするに、その仕事を一番上手くできる人がその仕事につくってこと。
平和主義-なんで漏れor漏れの息子が外国の戦場に行かなければならない?
age
332 :
オッパイパイ@リバタリアン ◆RehsZ5Lx8A :03/06/04 00:55 ID:WgM/aJf0
日本だと佐伯啓思のように
コミュ二タリアニズムを国家主義に読み替える動きが盛んだけど、
アメリカのコミュにタリアンはむしろ反国家主義に近い。
個人より大きくて国家より小さい中間共同体を重視しようというのが
彼らの主張でしょう。
ただこうした議論を日本にそのまま輸入しても、
同質性の高い日本社会では井上達夫の言うように
単なる抑圧として働く可能性のほうが強いと思う。
333 :
オッパイパイ@リバタリアン ◆RehsZ5Lx8A :03/06/04 01:12 ID:WgM/aJf0
よくリバタリアニズムは市場万能論だと批判されるがこれは間違い。
リバタリアンの多くは自発的な社会主義共同体の建設を認めている。
例えばノージックのメタ・ユートピア。
ここからリバタリアニズムが重視する自由といのが
経済的領域での自由というより
むしろ私生活の領域でのそれであることがわかる。
334 :
オッパイパイ@リバタリアン ◆RehsZ5Lx8A :03/06/04 01:16 ID:WgM/aJf0
個人的にはリバタリアニズムの弱点は、
私的な権力関係(幼児虐待やドメスティック・バイオレンス)に
どう対処していくかだと思う。
>>333 それなら、笠井潔の「国家民営化論」という駄本は、リバリアニズムに
基づいている訳ではないのだな。
336 :
オッパイパイ ◆RehsZ5Lx8A :03/06/04 10:53 ID:pfW8keGU
>>335 たしか、笠井潔は、その本のなかで
アナルコ・キャピタリストを自任してたと思うけど
正統的なアナルコ・キャピタリスト(ロスバードやフリードマン)とは
かなり異なってるように見受けられる。
337 :
Novice Liberal:03/06/06 22:21 ID:zHOaFa84
今の日本の自由主義者で、「これだ!」って人がいたら教えていただけないかな。できれば著作も。
それにしても日本は古典的自由主義ってのは勢力弱いように感じる。
だいたいがレフト・リベラルか伝統主義者になって、
相互扶助だの共同体への献身だのを押し付けてくる。お節介焼きな国民性なのかな?
338 :
右や左の名無し様:03/06/07 00:45 ID:s0l8IsCS
339 :
右や左の名無し様:03/06/07 00:49 ID:s0l8IsCS
340 :
右や左の名無し様:03/06/07 00:54 ID:4omov5Ca