【疑問】スレ立てるまでもない質問11【戦国時代】

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1人間七七四年
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◇過去スレ
1 ttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150022967/
2 ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195567708/
3 ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234172504/
4 ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251802299/
5 ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1263114279/
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/
7 ttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296473917/
8 ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1311198199/
9 ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1327134476/
10 ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1347617351/
2人間七七四年:2013/03/02(土) 22:37:45.80 ID:KSWeWEe5
       士
     ∋≧≦∈  >>1
    ∠(・ω・ )ゝ こ、これは乙じゃなくて切腹なんだから
     / y/ ヽ  変な勘違いしないでよね!
    ━(m)⊂[_ノニニニニニニ ̄ ̄ >
     (ノノノ l l l )        >/
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  / /
               /  <___/|
               |______/
3人間七七四年:2013/03/04(月) 01:00:36.11 ID:8iIDRMal
保護age
4人間七七四年:2013/03/04(月) 05:53:17.89 ID:dvfroTSw
おはようございます。
小生恥ずかしながら学が無いので、将軍、武将、大名とかよく知りません。
お聞きしたいことは、そういう偉い人たちの中で、男色だったのは誰ですか?
5人間七七四年:2013/03/04(月) 14:11:55.93 ID:mLeiksjJ
心配するな! 俺も会った事は無いが
(末裔なら何人か会ってる)
上杉・武田・織田・長宗我部・大友とかはカマっぽいよなw
6人間七七四年:2013/03/05(火) 18:28:16.64 ID:RzdT8MA6
そう言えば、葉隠にも男色の心得ってのあるな
7人間七七四年:2013/03/05(火) 19:56:23.93 ID:znf1Rmj1
ホモの人たちの間では小太りやラガーメン体型が好まれるって聞くけど、
昔の日本の男色って流麗な美少年や美青年がもてたり、江戸時代には少年に女装させた風俗が流行ったりと、
今で言うところのニューハーフ趣味に近いかんじなんじゃないかという気がする。
8人間七七四年:2013/03/05(火) 21:43:12.75 ID:MxG5Gv/F
>少年に女装させた

薩摩では女装させた挙句皆で姫様のように奉仕するって聞いたことが
9人間七七四年:2013/03/06(水) 00:09:36.20 ID:ydGIfX9g
どこのフランス人捕虜だよ
10人間七七四年:2013/03/06(水) 14:22:59.39 ID:WjpTas9S
戦国時代にも、アナルセックスやフェラチオって概念あったのかな?
11人間七七四年:2013/03/06(水) 19:53:33.42 ID:g8iC+YuR
男色してたんだからアナルセックスは当然あっただろ
12人間七七四年:2013/03/06(水) 22:15:31.61 ID:WjpTas9S
だけど、コンドームの無い時代だぜ。じかに入れて中出しか?
13人間七七四年:2013/03/06(水) 22:32:36.79 ID:cEcaCZCt
フェラチオは鎌倉期の絵画史料に既に描かれている。
男同士の。
14人間七七四年:2013/03/07(木) 17:04:41.59 ID:ai/KSfDf
15人間七七四年:2013/03/07(木) 17:30:46.30 ID:URwNrBGI
糞野郎氏ね
16人間七七四年:2013/03/08(金) 08:23:19.37 ID:rwNYgGLH
戦国〜江戸初期くらいで「クラス全員、俺のヨメ(ある家の姉妹母娘など同時にモノにする)」を実行した人物はいますか?
また、それが当時の道徳としてどうか、周りからどう思われていたのでしょうか
豊臣秀次は信憑性が低いし劉禅タイプは相方に先立たれての再婚だから除外の方向で
17人間七七四年:2013/03/08(金) 11:56:56.09 ID:tGK6GpOu
ちょっと質問の意味が分かりません
18人間七七四年:2013/03/08(金) 15:01:56.09 ID:rwNYgGLH
>>17
@ ある家の姉妹(同一族の女性なら誰でも可)を二人以上同時に妻、あるいは側室にする
A 当時そういう行為は破廉恥と思われていたかどうか
B 豊臣秀次の親子丼は捏造の疑いがあり除外、また三国志だが劉禅の様に張飛の娘二人を妻にするも
  二人同時では無く、姉の方が死んでから妹を妻としたケースは除く
19人間七七四年:2013/03/08(金) 15:25:32.57 ID:tGK6GpOu
俗に言う親子丼、姉妹丼は秀次以外は聴いたことがないな
同一族なら信長の娘と姪の従姉妹3人を側室にした秀吉
20人間七七四年:2013/03/08(金) 17:06:11.99 ID:u5mY/Izy
マナカナ なら普通に抱きたいなw
21人間七七四年:2013/03/08(金) 20:59:54.91 ID:jxc0d+oT
側室は正確な記録自体少なさそうだしなー
22人間七七四年:2013/03/10(日) 13:10:09.33 ID:AAAscF8q
ふと思ったんだけど、戦国ブームらしいのに
戦国アニメって皆無だよな。

今世紀でもひょーげもんと、姫大名の以外にあったっけ?
23人間七七四年:2013/03/10(日) 13:35:52.10 ID:T/3iRVbA
姫大名ものはいくつかあるけど、おっさん祭りなのはへうげくらいだな
24人間七七四年:2013/03/10(日) 13:36:23.59 ID:T/3iRVbA
あ、そういえばバサラがあったな
25人間七七四年:2013/03/10(日) 16:22:18.34 ID:AAAscF8q
その辺って印象皆無だけど、
キャラと時代背景が戦国なだけの糞アニメじゃね?

前スレでも提起したけど、大河じゃやらなさそうな
中央に関わるマイナー大名とか
メジャー大名でも正史入れまくりのとかやったら
面白いんじゃないかと思うんだけどなぁ。
26人間七七四年:2013/03/10(日) 16:27:46.26 ID:AAAscF8q
真田信繁! とかもうタイトルだけで
変な脚色入れずにやってやるって、いい感じなんだが、、、w
侘びさびメインなひょーげもんが再放送されてるほどだから
充分視聴率稼げると思うのだが、、、。

大抵の戦国アニメが、個人的に興味薄い三国志や
いま総集編のキングダムとかより数段劣るの悲しい( ´△`)
27人間七七四年:2013/03/10(日) 20:39:15.29 ID:XoMicFPK
史実やリアルさを追求すれば物語的な面白さは減衰するし
それならアニメにする必要もなくなるからな
28人間七七四年:2013/03/10(日) 21:12:02.54 ID:UZvoW6jn
映像化は結果論としてだけで、
普通に紙媒体で新説取入れた脚色の少ない日本史があっても
良いんじゃないかなと思うのだ。

そしたら俺らは「(川中島で)聞いた事無いヤツが
突撃かよwwwてか信玄痩せ過ぎ!!」
とかまた違う面白さが出そうな気がするんだけどな。



実写よりもCGのが圧倒的に安いんじゃないの?
29人間七七四年:2013/03/10(日) 21:28:02.56 ID:aI7FMnLI
どうせなら主人公を一人に絞るよりも、オムニバス形式で主人公変えながら作って欲しい
そうすればマイナーな武将も出しやすいだろうしさ
30人間七七四年:2013/03/10(日) 21:34:22.22 ID:gqlcuOcH
そういうの求めてる人が少ないんだから仕方あんめい
31人間七七四年:2013/03/10(日) 21:36:57.29 ID:T/3iRVbA
>実写よりもCGのが圧倒的に安いんじゃないの?
CGパートの出来が散々な言われようなキングダムってアニメもありましてね…
まあモブをワラワラ動かす合戦シーンだとCGの方が向いてるのは確かだけど、
CG関係って実際に動かすのはともかく下準備に異常に時間が掛かるから、
1クールとか2クールだと逆に高く付きそう
32人間七七四年:2013/03/10(日) 22:27:28.29 ID:SsfVGo7Z
大河でもやってるけど水戸は幕府のためにいろいろ良いも悪いも口出してるけど
尾張、紀州は幕末にどれだけのことをやったのでしょうか?
長州を攻めた時や薩長が上京してきたときも京に近い二藩なのに名前聞かないし
戊辰戦争でも名前が出てこない。
軍を出したり、篭城したりと抵抗はしなかったのでしょうか?御三家ですよね。
33人間七七四年:2013/03/10(日) 22:33:34.13 ID:oTPXH8ik
他のスレで見た話では尾張の藩主は官軍に恭順して名古屋城とか尾張徳川家の家宝を保った名君だそうだ。
34人間七七四年:2013/03/10(日) 23:15:14.26 ID:gqlcuOcH
まぁスレ違いだし
35人間七七四年:2013/03/10(日) 23:41:07.08 ID:AvCw3dtV
>>32
紀州は坂本竜馬暗殺の黒幕
36人間七七四年:2013/03/10(日) 23:53:36.62 ID:ozCl1eoC
はいはいよかったね
37人間七七四年:2013/03/11(月) 11:56:20.78 ID:MRWh5ZE4
今日は仙台藩百姓の命日だけど遺体は見つかってるの?
38人間七七四年:2013/03/11(月) 11:58:52.32 ID:7kSXkyR1
>オムニバス形式で主人公変えながら作って欲しい
戦国時代を象徴するような用語(下克上とか?)のタイトルで
メインキャラが移り変わるのなら面白そうだな。
脚色皆無だから教育TVが放映してくれそうだ。

>CGパートの出来が散々な言われようなキングダムってアニメもありましてね…
そんなのがアニメを構成する極一部だって証明に
再放送や長ったらしい総集編あるほど高視聴率なワケだけどなw
39人間七七四年:2013/03/11(月) 12:12:55.06 ID:MRWh5ZE4
ヒステリーチャンネルでマンガ日本史やってるけど今、戦国時代で鉄砲の作り方とかわりと詳しくやってるw
40人間七七四年:2013/03/11(月) 13:08:50.58 ID:Nd2FOlfm
>32
大日本史を編纂して倒幕運動の原因になったり
徳川を恨んでる佐竹遺臣の再登用を許したり
反乱の芽を摘む義務のある親藩としてはクソすぎるよ>水戸藩
41人間七七四年:2013/03/11(月) 14:19:36.73 ID:w98PKMSm
はいはいスレ違い
42人間七七四年:2013/03/11(月) 14:44:50.86 ID:7kSXkyR1
過疎ってんだから少々板違いでも良いんだよボケ。


歴チャン羨ましいな。
漫画家のビジネスモデルとしては秀逸だと思ったのだが
その程度のスポンサーしか付かなかったのだろうか?
43記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】(1+0:8) :2013/03/11(月) 17:58:23.64 ID:4c+0Y2E8 BE:1710885555-2BP(333)
最近、仏教を勉強していて、浄土真宗のお経を実際に読んでみたらとても優れている教えだとわかりました。
それで、最近のウィキには、一向一揆は浄土真宗の勢力だとはっきり書いてあるので、
一向一揆と顕如に非常に興味があります。それらについて、何か知るのに良い本はあるでしょうか?
44人間七七四年:2013/03/11(月) 18:08:55.27 ID:sj+EKmuS
>>43
「一向一揆と石山合戦」 神田 千里
「宗教で読む戦国時代」 神田 千里
45記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(2+0:8) :2013/03/11(月) 18:56:47.43 ID:4c+0Y2E8 BE:2053062465-2BP(333)
>>44
ありがとうございます。しかし、解説を読むとちょっと期待とちがう気がしますね。
わたしの見解では、一向宗は、本当に「無量寿経」を信じ、来世、貴族に生まれ変わる、
さらにやがては極楽浄土に生まれ変わるという超楽観的宗教観をもった勢力ですねえ。
その狂信的な側面を知りたいです。
46人間七七四年:2013/03/11(月) 19:25:05.08 ID:vI4uipVW
>>45
つーか現在の研究では「一向一揆」というのは概念自体後世に作られたもの、
同時代では「一揆」「土一揆」としか表現されていない。
そもそもいわゆる「一向一揆」とは、非一向宗門徒も広く内包した、「非宗教的」一揆

「狂信的な宗教勢力」ってのは後世の空想にすぎんよ。
47人間七七四年:2013/03/11(月) 20:29:29.94 ID:xqUmEkqj
>>45
そもそもの話として、見解っていうのは多数の資料を検討した上で生まれるものであって、
先に見解があって、それに合致する資料を探すものではない。
やってることが無茶苦茶だっていうことは自覚しよう。
先入観を持って、それを補強する資料だけしか欲しがらない、というのはトンデモ理論の始まりだ。
48記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(7+0:8) :2013/03/11(月) 20:43:50.07 ID:4c+0Y2E8 BE:1094966944-2BP(333)
>>46 >>47 ご指導ありがとうございます。
参考までに聞きたいのですが、「無量寿経」を読んだことはありますか?
その内容を理解していますか? つまり、一向宗が信じていたお経を。
49人間七七四年:2013/03/11(月) 20:56:11.30 ID:w98PKMSm
宗教板で聞けば?
50人間七七四年:2013/03/11(月) 21:05:48.65 ID:lDgB1NlR
だめだこりゃw
51記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(4+2:8) :2013/03/11(月) 21:40:32.74 ID:4c+0Y2E8 BE:615919133-2BP(333)
わたしは「無量寿経」はよく知ってます。
これがその内容です。

仏教の極楽浄土とはどんなところか
http://ameblo.jp/tuorua9876/entry-11463023437.html
52人間七七四年:2013/03/12(火) 20:36:56.50 ID:fVUf3/WR
うふふふふ、戦国時代ヲタ、うふふふふ
53人間七七四年:2013/03/12(火) 22:27:45.07 ID:6R1Ujf+s
きんもーっ☆
54人間七七四年:2013/03/13(水) 10:39:56.19 ID:QL3c6gAn
家康が織田家の人質時代信長と仲良かったとか
尾張の兄 三河の弟 って呼び合ったとか
家康がのちに、つらい人質時代、織田家にいた時だけが唯一の救いだったと言った
とかってのは何かの文献に書いてあるんですか?

この手の質問はソースの信憑性の話題が出てきてしまうので
1そんな書物自体ない、テレビや漫画の完全な創作
2書物はあるが、三段撃ち同様、昔の小説とかにしか記述がない
3物語ではなく資料に記述がある

なのかが、知りたいです。
3の場合は、信頼できる資料か分かる場合は、それも教えていただけると助かります
55人間七七四年:2013/03/13(水) 12:13:13.53 ID:g/MEw4K2
そんな資料あるわけないじゃんかぉ( ^ω^)
そういう逸話の9割は軍記物や小説の創作じゃんかお( ^ω^)
56人間七七四年:2013/03/13(水) 12:33:24.31 ID:YuUuuyXl
尾張人質時代の確かな史料は無いな
河野藤右衛門に良くして貰った事が徳川実記に採用されてるくらいか
57人間七七四年:2013/03/13(水) 21:45:46.98 ID:bN0xenQz
織田信長以外にも朝廷か幕府によって包囲網を敷かれた戦国大名は居ますか?
58人間七七四年:2013/03/13(水) 21:47:45.32 ID:0L0QzLI5
>>57
朝廷がいつ包囲網作ったんだよ。陰謀史観は帰れ

幕府というか、将軍に包囲網作られたのなら細川政元とか三好長慶とかおる
59人間七七四年:2013/03/13(水) 21:53:21.43 ID:bN0xenQz
>>58
すみません。
朝廷か幕府に包囲網を敷かれた大名を知りたかっただけで、そんな陰謀史観とかよく分からないのは考えずに発言しました。
気分を害してしまったのならすみません。
織田信長を例に出したのは幕府に敷かれたので唯一知ってる大名だという意味で出しただけで、朝廷という言葉を先に出した事で誤解を与えてしまった事を深くお詫びします。
60人間七七四年:2013/03/13(水) 21:54:17.11 ID:Mi4mKWtt
あの包囲網も人為的に作り上げた組織ってわけでもないしな
61人間七七四年:2013/03/13(水) 21:58:44.39 ID:pyWhqpNZ
関東管領も幕府の一部と捕らえるなら、小田原北条氏も包囲網をしかれてる。
62人間七七四年:2013/03/13(水) 22:02:26.08 ID:PCFFGhOw
そういう包囲網って、アイツうぜーからみんなでやっちゃおうぜってのだからね
将軍もウザいと思って積極加担してるのか、担がれたのかの違いはあっても

で、大抵包囲網を敷かれたほうが勝ち残るという…
63人間七七四年:2013/03/13(水) 22:32:17.28 ID:0L0QzLI5
包囲網でぶっ潰されたのはいる。木沢長政とか。
あと三好三人衆は義昭を中心とした包囲網に潰されたといっていい。
64人間七七四年:2013/03/13(水) 22:53:00.75 ID:XlDT+/q5
でもやっぱ包囲網は突破された例のが多いかな
65人間七七四年:2013/03/13(水) 22:56:51.27 ID:G/tz2bj6
無線も無い時代では、内線の利がある
66人間七七四年:2013/03/14(木) 02:24:41.39 ID:qBtY33Rl
松永久秀は将軍暗殺に関与して何で報復されなかったの?
67人間七七四年:2013/03/14(木) 10:51:52.01 ID:mZIAuJ90
>>64
包囲網といっても、敵の敵は味方理論で集まったゆるい同盟群だから
織田・徳川・北条・伊達・芦名による武田上杉包囲網のように
包囲網の方が強大なら囲んだ側が勝つ、
弱者連合なら囲んだ側が結局は負けるというだけとも言える。

>>66
義昭は三好関係者は皆殺しと息巻いてたけど、
信長が取り成した。
68人間七七四年:2013/03/14(木) 21:14:02.05 ID:AhKQicwm
信長さん流石やな
69人間七七四年:2013/03/14(木) 21:17:19.99 ID:7q8hpfO6
つーか義昭がとりなした云々は俗説で、そもそも義昭を脱出させたのも、義昭を盟主にし信長を中心とした反三好同盟も
松永久秀の手によるもの、と見たほうがいい
70人間七七四年:2013/03/14(木) 22:04:38.09 ID:AhKQicwm
久秀さん流石やな
71人間七七四年:2013/03/14(木) 22:09:16.05 ID:t1rBu2xC
それは逆に久秀を過大に見すぎているような
72人間七七四年:2013/03/15(金) 07:01:34.12 ID:H58OyEj/
関ヶ原の西軍とか、本戦で大敗したのに
本拠地立退かなかった大名とか居るの?
73人間七七四年:2013/03/15(金) 13:21:19.56 ID:sDUo/7kO
有名所では島津
74人間七七四年:2013/03/15(金) 13:50:58.75 ID:Yrf1/BIQ
島津義弘は正確には大名ではないけどな
75人間七七四年:2013/03/15(金) 21:12:21.76 ID:poN+ketx
(ノ∀`)
76人間七七四年:2013/03/16(土) 02:29:54.30 ID:7RQYWTld
そう言えばそうだな。

無名どこでは誰?
77人間七七四年:2013/03/16(土) 10:41:54.83 ID:19chtbDV
関ヶ原本戦では居ないんじゃない。
他戦線ではそこそこ居るけど。
78人間七七四年:2013/03/16(土) 13:40:00.99 ID:d3TlG0zG
城跡って近所でもホイホイ見掛けるけど、
江戸以前は何千石程度から城主居たの?

常駐十数人の城持ち居そうで笑えるw
79人間七七四年:2013/03/16(土) 13:48:01.08 ID:vpIFQEus
>>78
城は戦術・戦略の目的上作るもの。何千石とかそう言う話じゃねえ。
近所にホイホイあるのはその地域がそれだけ過酷な戦乱にあったことの証拠
80人間七七四年:2013/03/16(土) 13:58:47.20 ID:jiZ5KV/t
戦国時代のほとんどの城(山城)は緊急時の防衛&避難施設なんです
なので村一つに城が一つついてても変では無いですし、そこに常駐もしてません

今現在の、城にいるお殿様のイメージが出来たのは一国一城令が施行されて城数が激減してからですね
81人間七七四年:2013/03/16(土) 14:02:44.90 ID:a+8GPYih
村の城(避難所)もあることは指摘されてるしね

一般人が思い描くような城(大名の居館兼政庁みたいなやつ)は、
全体の1%もあるかないかじゃないかなあ、と
82人間七七四年:2013/03/16(土) 15:06:30.06 ID:d3TlG0zG
じゃあ砦との違いは何なのさ?
83人間七七四年:2013/03/16(土) 15:14:58.34 ID:vpIFQEus
はっきり言えば呼び方が違うだけだ。
その辺の定義をきちんと出来たのは江戸時代になって。
84人間七七四年:2013/03/16(土) 15:29:40.42 ID:19chtbDV
城・砦・館などなどたいていの防御施設は全部城とも呼ばれていた時代だからね
85人間七七四年:2013/03/16(土) 16:27:56.03 ID:d3TlG0zG
東条城だったら何千石くらいだと思う?
//upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/a/a7/%E6%9D%B1%E6%9D%A1%E5%9F%8E.jpg
86人間七七四年:2013/03/16(土) 16:30:14.59 ID:03/cVcOY
>>85
城と所領はリンクしてないっつーの。
一概には言えない
87人間七七四年:2013/03/16(土) 16:34:09.87 ID:a+8GPYih
>>82
そもそもの意味としては、城は土から成るの形通り、土製の防御施設
砦は防御施設って意味と、「此」が「柴(サイ)」のことでつまり木製の防御施設を特にさすことがある

日本に入ってきて使用されていく段階で、そういった違いはなくなったけどね
88人間七七四年:2013/03/16(土) 18:18:30.27 ID:kAJl64/N
初めて聞いたな。古代中国で城と言ったら城邑(城市)の事で確かに版築で固めた土製だけど、
それじゃ木製の砦ってどんなのよ?
89人間七七四年:2013/03/16(土) 18:34:23.53 ID:e6FYphNF
古代の「城輪柵」ってのもあったよね
90人間七七四年:2013/03/16(土) 18:35:39.98 ID:vpIFQEus
>>88
土の壁か、木柵かの違いやろ
91人間七七四年:2013/03/16(土) 19:39:38.34 ID:a+8GPYih
>>88
念のため漢和辞典で調べた事柄なので、文句なら出版社へ
あと逆茂木とか柵とか木塀とか、木製の防御装置ってのは古今東西結構ある
また木製の防御施設となると、日本だと墨俣一夜城とかね

バリケードみたいな、
城ほど本格的じゃない急ごしらえの防御施設みたいな感じじゃないかな
92人間七七四年:2013/03/16(土) 22:06:13.89 ID:KzYCV9n+
前九年後三年とかだと、蝦夷側の防御施設は規模に関わらず砦や柵と呼ばれているのは何らかの差別意識が働いているのかな。
93人間七七四年:2013/03/16(土) 22:17:51.51 ID:rxBoEzg+
うーん
94人間七七四年:2013/03/17(日) 00:11:02.78 ID:gBtcxE7q
>>91
それはそういうのも有るだろうけど、古代中国で城と言ったら城壁に囲まれた都市の事で、
日本の城とは全く違うものだよ。そしてそういった都市の点々と散らばった集合体が国だ。

>>92
古代には朝廷側の施設も出羽柵とか岩船柵とか呼ばれている。柵と書いて「き」と読む。
城と書いても「き」と読んで元々は区別してなかったらしい。
95人間七七四年:2013/03/17(日) 22:28:54.89 ID:f/jGZ+dF
現在のOO市区は、OO藩領とほとんど一緒
みたいな小藩って無いの?
96人間七七四年:2013/03/17(日) 22:48:12.00 ID:nQ101DUH
あるとしか言いようが無いというか、藩は一万石からあるものですし
○○郡△△町というのが今も残ってますが、この郡というのが大体1万〜数万石(例外アリ)
なので、藩によっては△△町とほぼ同じと言える所もあります

実は藩領が一ヶ所にまとまっていない藩がほとんどで、大体の藩は全然別の地方に飛び地を持っていたりします
加えて同じ村に複数の藩が石高を持っているケースも普通にあったりと実態はかなり複雑です(小藩の場合は特に)
97人間七七四年:2013/03/17(日) 22:53:20.37 ID:f/jGZ+dF
あらゆる藩のウィキでそうなってるから質問したの。
小藩のが飛び地多いのは知らんかったw

先祖地残して、転封の時に最適化すりゃ良いのにな。
98人間七七四年:2013/03/17(日) 23:07:30.92 ID:nQ101DUH
そか、下手な講釈スマンかった
ちょっと今ははっきり答えられる資料が手元に無いんでどうともならんけど
”愛知県地名変遷”でググって出てくるサイトが愛知県内の分を見やすく絵図化されてるので見てみると良いと思う
99人間七七四年:2013/03/18(月) 09:46:32.37 ID:m5sSEaOP
そのうち探してみるよ有難う。
100人間七七四年:2013/03/20(水) 23:15:46.81 ID:YtO8qqun
うふふふふ、戦国時代ヲタ、うふふふふ
101人間七七四年:2013/03/21(木) 03:53:59.12 ID:xCFtWRXP
前から思ってたんだけど何故くすぐりてエロイのただくすぐてるだけなのに凄くエロく見えます考えたけどわかりません良いコメントください
102人間七七四年:2013/03/21(木) 03:55:36.62 ID:xCFtWRXP
それとくすぐりは命に関わるて本当ですか調べたけど正確な答えが無いので個々に来ました
103人間七七四年:2013/03/21(木) 04:00:22.82 ID:xCFtWRXP
すいません良く文章読んだらスレチでした本当にすいませんでした
104人間七七四年:2013/03/21(木) 04:40:21.70 ID:9lI9tm2I
よく考えたら政宗のどこが東北気質なんだ?w
105人間七七四年:2013/03/22(金) 03:54:38.60 ID:rPGCA6zv
大友宗麟と黒田官兵衛の辞世の句をご存じの方がおられましたら、教えていただけますとありがたいです。
>>303
男女交際の経験がほとんどないので推測です。

くすぐる方は、自分の手で相手を相手自身の抗えない不思議な感覚に陥らせることにより、 征服欲を満たされる。
または人間の作為のない、本能的な動作に本能が反応する。

ということなのでしょうかね?
しかしくすぐられる方は、相手と吉川夫妻クラスに仲良しでないと、
苦痛極まりないです。
106人間七七四年:2013/03/25(月) 23:51:56.02 ID:jtpa05ss
信長の資金力について質問

前テレビで信長は関所撤廃や楽市楽座とかで経済回して税収が凄かった
他の大名の収入源はほぼ年貢だけだけど信長は圧倒的な商人達からの税収
で資金力がほかの有力大名達の何倍もあって
そのおかげで高い鉄砲を何千丁も買えたって言ってたんだけど
具体的に信長って何倍ぐらい資金力あったんですか?
うろ覚えですがテレビの棒グラフの長さは上杉武田とかの何倍も長かったのは覚えてます

時代によって違うと思うので晩年、織田軍全盛期の資金力でお願いします
可能であれば、有力大名達と比べると○○の時は同じか下だったけど
○○からどんどん金持ちになって○○の全盛期で何倍
みたいに教えて頂けると嬉しいです

また、織田家自体がけっこう裕福で貧乏時代は無かった、と記憶しています
107人間七七四年:2013/03/25(月) 23:58:00.46 ID:WSOpR7a2
>>106
はっきり言うと信長は年貢がアホみたいに高くしかも軍役も重かった。
領民から徹底的に搾取して資金作ったのが信長だ。
だから一揆も頻発した
108人間七七四年:2013/03/26(火) 00:44:27.16 ID:yqyGSJK4
織田の収入は商業経済面が有名であまりしられていないが純粋石高も凄い。
尾張+美濃で100石オーバーで武田を凌駕し、伊勢攻略で150万石に達している。
これに伊勢湾貿易と京都での利権を合わせれば200万石に達す売る。
これに同盟国の徳川の勢力を加えれば全盛期の北条に匹敵する。
109人間七七四年:2013/03/26(火) 02:02:17.12 ID:vkWWKUPR
多くの作家は研究の進んだ石高の比較だけで勢威を語ろうとするけど貫高も重要。
たとえば織田氏を支えていたのはその石高収入だけでなく
荏胡麻油の専売を行なっていた津島油座の運上金や、
木曽川〜伊勢湾の交易の要衝である津島港から得られる関税によるところが大きいとか。
座の研究はほとんど手付かず、どのくらいの運上金があったのか等は不明ですが
朝廷に献金した4000貫という金額を工面した事がその裏付けになっているようです。
楽市楽座で社会悪のように言われている「座」ですが
織田氏を富ませたのは津島油座に他なりません。
110人間七七四年:2013/03/26(火) 02:15:21.99 ID:A+h3TMGj
濃尾平野が面積の割に収益のいいおいしい土地だったのもあるだろうけど、
交易・海運利権がなければいくら絞ってもあれほどの無茶はできないわな
111人間七七四年:2013/03/26(火) 12:13:50.86 ID:E65Z35eJ
上杉の経済力って凄いのにそれを圧倒的に凌駕する信長さん流石やな
112人間七七四年:2013/03/26(火) 17:04:59.90 ID:VkMVWap7
>>107
戦国時代の一揆を江戸時代のそれとごっちゃにしているね
113人間七七四年:2013/03/26(火) 17:11:49.17 ID:3LQCODuT
>>112
アホか。江戸時代の一揆は9割ただの条件闘争だ。未だに階級史観みたいな古い思想の持ち主か

信長に対しては地侍層も恐ろしい勢いで搾取されてるから江戸時代よりよほど必死だ
114人間七七四年:2013/03/26(火) 18:20:07.24 ID:VkMVWap7
戦国時代の一揆も条件闘争というか交渉手段という意味ではかわらないよ
あと一揆が頻発したというソースよろしく
115人間七七四年:2013/03/26(火) 18:29:46.90 ID:3LQCODuT
近江でも山城でも摂河泉でも越前でも、信長の進出した地域はみんな大規模な反信長一揆起こってるじゃん
116人間七七四年:2013/03/26(火) 18:36:15.36 ID:VkMVWap7
それが「搾取によるものだ」とするソースをお願いします
江戸時代ならともかく、一個の政治的集団でもあった一揆の蜂起は
必ずしも搾取に対する抵抗だけが理由ではありませんから

私が江戸時代とごっちゃにしていると言った理由がそれです
117人間七七四年:2013/03/26(火) 18:48:56.06 ID:IpqSO+4J
信長は配下になった国人地侍に過大な軍役を課しているんだから、その負担が領民に転嫁されるのは
当然のことで、信長支配地域の領民が過度な搾取を受けていた、と見るのが当然だと思うよ?
本願寺が信長と講話しても、荒木村重の反乱に摂津一向一揆が同調し続けたのは、信長からの過度な軍役負担に耐えかねたためだいう
見方が既に定説だし。明智光秀が本能寺の後、京の地子銭を真っ先に廃止したのも、それが京都市民の高負担の象徴と
捉えられていたためだしね(その証拠に秀吉もこれを引き継いでいる)

信長支配下の領民が非常に高い負担を求められていたというのは、否定出来ないよ。
118人間七七四年:2013/03/26(火) 19:06:01.99 ID:VkMVWap7
>本願寺が信長と講話しても、荒木村重の反乱に摂津一向一揆が同調し続けたのは
時系列を間違えてますよねこれ、どこの定説なんです?

ついでにいうと、京の地子銭って織田家の収入でもないんだけど
なんでこれが信長の搾取になるのやら
119人間七七四年:2013/03/27(水) 03:31:47.44 ID:fmiy7CXM
京の地子銭は信長の収入だぞ?
120人間七七四年:2013/03/27(水) 08:11:05.71 ID:+xJdl+x2
免除されていたのは秀吉の頃からだっけ?
121人間七七四年:2013/03/27(水) 13:30:17.21 ID:9mq7Q2vZ
信長が税を取り過ぎって話になってますが、税率が普通くらいの大名家って有名どころだとどこでしょう?
少ない部類に入る大名も一緒に教えてください。
122人間七七四年:2013/03/27(水) 14:08:57.13 ID:1wviyslR
そもそも戦国期の税率がきちんと分かってるのは北条ついで武田くらいですが?
123人間七七四年:2013/03/27(水) 14:11:43.74 ID:fmiy7CXM
織田は「3に2つ納める」って文書残ってたはず。つまり7公3民
124人間七七四年:2013/03/27(水) 14:40:30.38 ID:6kNeINrG
2公1民だろw
125人間七七四年:2013/03/27(水) 14:48:12.40 ID:zKB5jBeR
>>124
君は5公5民を1公1民と呼ぶのかw
126人間七七四年:2013/03/27(水) 15:11:59.50 ID:6kNeINrG
大間違い指摘されて、わざわざID変えてまで屁理屈言うなよ( ´,_ゝ`)
127人間七七四年:2013/03/27(水) 15:23:29.13 ID:zKB5jBeR
>>126
いやいや、何を勘違いしているのか知らんが、IDとか言われても困るしなあw
4公6民を2公3民とも呼ばんだろ?
128人間七七四年:2013/03/27(水) 15:28:52.04 ID:1wviyslR
取れてすら無いつまらん揚げ足取りに構わないように
129人間七七四年:2013/03/27(水) 16:36:48.02 ID:D86nENQR
素朴な疑問なんだけど、>>123で「3に2つ納める」を「7公3民」って書いてあるけど
6公4民じゃないの?
誰もそこに突っ込んでないから、そういう計算をするものなの?
130人間七七四年:2013/03/27(水) 18:43:06.43 ID:XRjsMayB
1÷3=0.66666666...
6割6分を四捨五入したら7割だから6公4民にはならんな。
131人間七七四年:2013/03/27(水) 18:45:53.99 ID:XRjsMayB
間違えた。
10÷3×2=6.6666...
これで6割6分だ。
132人間七七四年:2013/03/27(水) 19:34:40.55 ID:yS3qLmYv
誰が正しいのか分からん俺に、どいつが知ったかしてたのかで教えてくれ。
133人間七七四年:2013/03/27(水) 20:15:01.75 ID:KtqDZvBL
124
134人間七七四年:2013/03/27(水) 21:40:19.00 ID:Zoh/cbTt
>>124
           ,, -──- 、._
        .-"´         \.
        :/   _ノ    ヽ、_ ヽ.:
        :/   o゚((●)) ((●))゚oヽ:
      :|       (__人__)    |:
      :l        )  (      l:
      :` 、       `ー'     /:
       :, -‐ (_).        /
       :l_j_j_j と)丶─‐┬.''´
          :ヽ   :i |:
             :/  :⊂ノ|:
135人間七七四年:2013/03/28(木) 03:06:17.92 ID:+JFgIaD3
確か北条が五公五民だったよね
他のところの詳細がわからないから比較も難しいが、アホほど高いのかもわからぬのね
136人間七七四年:2013/03/28(木) 03:09:38.75 ID:x4m0oFo5
>>135
北条は4公6民。東海時代の家康が5公5民だった(関東移封後北条に合わせて4公6民に)
137人間七七四年:2013/03/28(木) 03:11:21.43 ID:+JFgIaD3
>>136
ああ、じゃあ俺が家康を六公四民と勘違いして覚えてたわけか。申し訳ない
138人間七七四年:2013/03/28(木) 09:52:12.41 ID:hGrJCJGG
つか一概に何公何民と言っても、検地の強度、年貢率以外の各税率、空除率などで
実際の負担はまったく変わってくるからな。
139人間七七四年:2013/03/28(木) 10:29:38.61 ID:dNGtpiSk
平地が多くて隠す田や副業が少ないからじゃね
本当は一番悲惨だったかも知れん>北条領民
140人間七七四年:2013/03/28(木) 10:39:34.56 ID:ntvJmr+a
一人あたりの収入が多ければもんだいないな
141人間七七四年:2013/03/28(木) 13:10:55.14 ID:IOAWkniE
ただ北条は税は三種だけで他の細々した税は取られないから税率は計りやすい
人頭税とか竈税とか囲炉裏税とか井戸税とかに種々に税をかけられてると、
どれだけ絞られてるのかさっぱりわからなくなるからね
142人間七七四年:2013/03/28(木) 13:19:37.70 ID:hGrJCJGG
北条はきっちり検地をして脱税を許さない体制だからそれ以上取ると取りすぎになる
逆に検地帳を見ると自己申告と未申告分が同じくらいあるのも普通みたいだから
検地をしてない緩々なところだとたとえ税率10公0民でも実質五公五民とかになるし
何公何民だけじゃ税制のキツイユルイは言えないんだよねぇ
143人間七七四年:2013/03/28(木) 17:01:10.06 ID:j3+edH9y
記録が充実している江戸時代の例だと、○公◆民とかよく言われるけど実際は幕府が天領でギリギリまで税を上げたのが30%台前半
これ以上は一揆だ強訴だ逃散だでまず徴税不可能になったそうだ
144人間七七四年:2013/03/28(木) 17:25:36.55 ID:MU/PQ13x
66.7%を勝手に70%にしちゃう低学歴ゆとりばっかwww
66.7%を勝手に70%にしちゃう低学歴ゆとりばっかwww

何なら俺が高学歴な証明出してやろうか( ´,_ゝ`)?
145人間七七四年:2013/03/28(木) 17:38:05.85 ID:IOAWkniE
高学歴なのはわかったから、空気読めよ
146人間七七四年:2013/03/28(木) 17:41:46.27 ID:x4m0oFo5
147人間七七四年:2013/03/28(木) 17:42:37.70 ID:x4m0oFo5
誤爆すまん
148人間七七四年:2013/03/28(木) 18:02:23.20 ID:MU/PQ13x
他領との比較性?での5公5民持出して
そもそも大間違いな7公3民を正当化とか
円周率が3なゆとりの、更に低学歴しか無いだろ?www

知的なこの板でここまでバカ居るとは思わんかったわ(′・_・`)
んで反論できないと例によって誹謗中傷だろ?
リアル負け組の思考パターンっていつも一緒<`ヘ´>
149人間七七四年:2013/03/28(木) 22:48:40.17 ID:LwHHUWDN
意味は同じだが石高少なそうだな
150人間七七四年:2013/03/28(木) 23:06:01.24 ID:hGrJCJGG
何かかわいそうだな
151人間七七四年:2013/03/28(木) 23:34:36.64 ID:LwHHUWDN
なんでこう、どうでもいいことに必死になるのかね。
152人間七七四年:2013/03/29(金) 00:26:14.08 ID:Ba20FQin
そうやって問題から逃げ続けた結果が
お前の底辺という立場なんだけどな( ´,_ゝ`)
153人間七七四年:2013/03/29(金) 01:08:12.20 ID:Epv4oh3c
で結局信長は民に重税を強いたの強いてないの?
154人間七七四年:2013/03/29(金) 01:11:34.32 ID:Ba20FQin
知らんけど、太守になっても最前線大好きな
信長が優しい層なんて無くないか?w
155人間七七四年:2013/03/29(金) 01:25:08.56 ID:rISh6hNs
春休みだねえ
156人間七七四年:2013/03/29(金) 08:48:17.30 ID:F3BzhcCJ
戦国時代にはロシアンルーレットみたいな危険な遊びはあったんでしょうか?
157人間七七四年:2013/03/29(金) 11:59:46.14 ID:bko1NMdO
朝廷や公家や幕府に献金するために大内義隆は領民に重税を民に課していたと言われている。
この税率は明らかになっていないがこれはまだ序の口だった。

大寧寺の変の後に陶隆房は増税した上に、駄別安堵料まで取り上げて水軍衆の離反を招き、
さらに毛利氏は炎上した山口復興のために増税し(離散が相次ぎ復興には失敗)、
関ヶ原後から幕末までは有名なリストラに加えて国内最悪水準の専売制&重税政策を行なっている。

西国はどんだけ重税地獄w
158人間七七四年:2013/03/29(金) 12:42:57.07 ID:U68Msi57
159人間七七四年:2013/03/29(金) 14:02:21.02 ID:YafQpg/B
さすがは薩摩や
160人間七七四年:2013/03/29(金) 21:00:07.93 ID:+8c4w1+g
映画 下天の城 で安土城を作るのに直径1,5m、長さ20mの木が必要で
樹齢千年の日本一の最大級ヒノキのご神木を使ったけど
安土城でそんなの必要なら
大阪城と江戸城立てる時って支柱とか大黒柱どうしたんですか?
また安土城以上のご神木探してきたんですか?
161人間七七四年:2013/03/29(金) 22:04:22.99 ID:zE2Fatuz
安土城は知らんが姫路城はご神木だな。
162人間七七四年:2013/03/31(日) 11:57:48.50 ID:V3KUKiS0
以下の質問は、調べきれてないバカの戯言かもしれませんので、
お気に障ったら申し訳ないんですが、ちょっと気になったので……(汗)

大坂の陣関係だったと思うんですが、誰か大坂方を見くびって痛い目に遭って
「スマソ,敵の統率力が一枚うわてですた」と言った逸話ありませんでしたか?
ぐぐたけど、用語にひねりが足りんのか見つけられません。

*長曾我部に
対しての上杉(佐竹かも)?あるいは、
*:毛利(勝利)に対しての伊達
だったような気がするんですが。

以上は誰と誰の戦闘の結果だったのか、詳しくご存じの方、よろしくお願いします……。  
163人間七七四年:2013/03/31(日) 12:01:01.54 ID:V3KUKiS0
あ、訂正しますごめんなさい。
最後から3行目

誤:勝利
正:勝永

orz... 失礼しました。
164人間七七四年:2013/03/31(日) 14:06:29.39 ID:sLrnEUAz
前田vs真田の話じゃないかな
苦戦続きだったけど老臣が「まだまだ激戦は続くのじゃ」とか言って撤退させた筈。
165人間七七四年:2013/03/31(日) 15:14:35.90 ID:V3KUKiS0
163です、レスくださった方ありがとうございます

言われてみればそうだったような覚えがあります f(^^;)
スレ汚し失礼いたしました。
166人間七七四年:2013/03/31(日) 22:12:54.26 ID:q2tTaApI
合戦で足軽等が死んだら、領主から恩給みたいなものが出たんですか?
167人間七七四年:2013/04/01(月) 12:11:12.12 ID:Xi7yyYiU
恩給って概念じゃなくて、手柄を立てたことによる家禄や扶持米が
その死んだ足軽の「家」に対して与えられることはあっただろうな。
168人間七七四年:2013/04/01(月) 13:00:14.71 ID:xYJec8ZS
凄い漠然とした質問申し訳ないんですけど
人生の全てを戦いに捧げた雄度MAXの戦士っていますか?

異論はあるでしょうが戦国時代って日本中の男達が覇を競って戦い合ったのに
有名な英雄って政治的経済的軍略的手腕の人達ばかりだし

そうじゃなくて若い時から戦場出まくって積極的に敵に斬り込んで首はねまくって
出世や恩賞じゃなくて強さを誇示、自慢するのが目的だったりで最強たらんとした戦士とかいませんか?
169人間七七四年:2013/04/01(月) 14:50:27.01 ID:ZwQ6qJlb
最終行を除けば、鬼武蔵なんかがそうかなー
いや武将としても凄いけど武士としても凄いというか狂気の域
170人間七七四年:2013/04/01(月) 15:33:04.80 ID:z+5EQJ/d
武蔵つながりで宮本武蔵もそんなだぞ。ただし戦場に出た時は出世が目的だったにもかかわらず
活躍出来なかった。その後の人生はひたすら戦って無敗を誇った。(自分ではそう書いてる)
171人間七七四年:2013/04/01(月) 17:38:37.44 ID:hsMe9rEP
本多忠勝も入れろよ。
172人間七七四年:2013/04/01(月) 18:00:29.17 ID:OCngkT6o
質問
wikiで情報得てるようなのも悪いと思うんだけど書籍とか持ってないから気になってる。
朝鮮出兵で日本軍が1町とか200Mくらいから火縄銃で撃ってきたとかあるけどさ、
流石にのぼうで出てきたような大きいのとか大筒じゃないと1町無理だと思うし200mなん
てそれこそ論外だと思うんだけど、2chのどっかで煤がたまらないようにライフリング刻んでた
ところもあったなんて聞いてよく分からないんだけど
ホントにそんな長距離から攻撃できたの?
173人間七七四年:2013/04/01(月) 18:30:09.14 ID:z+5EQJ/d
ライフリングの目的は弾丸を回転させる事で弾道を安定させて命中精度を上げる事じゃないのか。
174人間七七四年:2013/04/01(月) 18:37:01.10 ID:OCngkT6o
>>173
それもそうなんだけど煤が溝に集まって掃除する回数が減らすのがライフリングが刻まれた本来の目的だときいた。
175人間七七四年:2013/04/01(月) 18:59:10.09 ID:OCngkT6o
なんか自分で質問が変だと思ったので聞き方変えます。
1町とかの遠戦が戦国期に存在したか聞きたいんです。よろしくお願いします
176人間七七四年:2013/04/01(月) 19:11:38.92 ID:mvZbEfP1
江戸城や徳川大坂城で堀越しに撃ちあったらそれぐらいになるわな
177人間七七四年:2013/04/01(月) 20:11:14.67 ID:OCngkT6o
でもさそれって城の話じゃん?狭間筒のおかげだと思うんだよ 海戦や篭城用の狭間筒を野戦に投入し
たのかなとも考えたけど そういうことなんかなやっぱり 狙撃と大規模な運用どっちもされたって言うから
どっちの話かも調べてなかったし、自分でももうすこし調べてみます ありがとう
178人間七七四年:2013/04/01(月) 21:41:47.57 ID:JIg1SK3z
俺が聞いた話じゃ日本産の鉄砲は銃身が丈夫なんで火薬を倍詰めて発射できる=飛距離伸びる みたいな感じだったな
179人間七七四年:2013/04/01(月) 22:44:55.84 ID:OCngkT6o
ああーそういう話もあるのか
確かに日本は鍛造技術は高い国だったし他国に比べ多少多めに入れても
耐えられるようなのは出来たかも。
返答ありがとうです 
180人間七七四年:2013/04/02(火) 00:02:07.40 ID:XpjEbqu3
江戸時代だと鉄砲の訓練は
30m〜130m先の的を狙撃する弓の訓練ほぼ同じ感じの「的当」という訓練と
100〜200m先の林に幕を横に長く貼って集団で撃つ「町打」という訓練をしていたんだが
仮にそこまで飛ばないというのならそんな訓練する必要はないわな
181人間七七四年:2013/04/02(火) 02:43:18.04 ID:66gK04RD
へえ
一斉射撃と狙撃を使いわけてたのか
182人間七七四年:2013/04/02(火) 09:01:30.96 ID:FRUlymsM
>>168>>171
で思ったんだけど、本多忠勝は東日本最強とか言われているけど
西日本最強って言われている立花宗茂って個人的武勇とか強さ証明って何かあります?

あと本多忠勝って東日本最強じゃなくて戦国最強とも言われているけど
立花宗茂よりもちょっと上って事?
それとも戦国最強って言われてから同じくらい凄い立花宗茂が西日本に現れたから
東日本最強に格下げされたの?
183人間七七四年:2013/04/02(火) 09:13:37.90 ID:4w+VsHwU
徳川の話は誇張すごいからあてにすんな
真柄直隆の一騎打ちで家康に助けられて助かった程度の男が本多

真柄のが強い
184人間七七四年:2013/04/02(火) 10:00:56.67 ID:XpjEbqu3
>>182
立花宗茂西国無双の逸話も出典のよく分からない話しだし
仮に史実だとしても秀吉はよく言われるように人たらしの達人で
書状でその辺の土豪とかにも当国無双のあなたが味方付いて嬉しいとか
おべんちゃらを言いまくる人物だから、秀吉の人物評自体が当てにならない

>>168
武将は自分の家臣の面倒を見なければならないから
個人の信念だけで行動は出来ないしほとんど除外だろうな
領地を捨てた後の上泉信綱とかの剣豪が該当するんじゃないか
剣豪でも武蔵みたいに仕官目的も除外で
185人間七七四年:2013/04/02(火) 10:39:04.97 ID:eAiNTq0S
>>180
訓練内容よく知りませんでした、ありがとうございます
日本の鉄砲運用って面白いですね 武士も自分で撃ったり 
集団にせよ班ごとに恩賞を競うなんてこともあったとか聞いた事あるし
集団戦が確立される寸前のいいタイミングで入ってきたせいか
武士らしいいい味だした運用ですね
186人間七七四年:2013/04/02(火) 17:32:22.28 ID:rhBKMfs8
>>183
忠勝が凄く強い事になってるけど実際の功績見てみると猛将だとしても東日本最強は無いなって思うね。
徳川と武田は仕方ないにしてもちょっとマンセーされ過ぎ。
187人間七七四年:2013/04/02(火) 18:03:59.29 ID:FRUlymsM
調べても情報少ないけど183の真柄って人はそんなに強いんですか?
マイナーというか初耳の人だけど

あと個人の武勇がめちゃくちゃ強いなら、有名にならないのは主君が朝倉だから?
忠勝とか利家とか強さが有名な武将って主君が織田徳川とか有名家の家臣ですし
188人間七七四年:2013/04/02(火) 18:29:47.12 ID:66gK04RD
真柄なら信長の野望にも昔から出てるだろ
お前が知らないだけ
189人間七七四年:2013/04/02(火) 19:05:20.61 ID:6wLGqeFU
真柄がマイナー・・・ないな
190人間七七四年:2013/04/02(火) 20:49:21.88 ID:OoNFRE64
無双とかBASARAに出ない武将はマイナーでしょ?
191人間七七四年:2013/04/02(火) 22:41:10.84 ID:dR6BiSxI
真柄さん戦国大戦にはでてるけどな
192人間七七四年:2013/04/02(火) 22:50:29.79 ID:gKnAD0Y/
無双でもモブ武将だがちゃんと居るぞ
193人間七七四年:2013/04/02(火) 22:58:52.92 ID:qIU+4lmn
>>191
戦国大戦じゃ真柄兄>>>>>>忠勝だなw
下手すりゃ弟にも負けてんじゃね?
194人間七七四年:2013/04/03(水) 07:30:37.97 ID:cRHd0l3V
真柄が本多と互角に渡り合った話はあまり知られてないの?
確かにメジャーな武将では無いし漫画やドラマにも出番は少ないが。。
195人間七七四年:2013/04/03(水) 09:20:49.10 ID:IsPU1jvq
>>194
把握している分の真柄さん出演リスト(姉川合戦図で斬馬刀振り回している人)

信長のシェフ
一騎討ちで本多忠勝を圧倒し、家康に肉薄するも流れ矢に倒れる。

秀吉でゴザル
イカタコの被り物をした巨漢の武者。重装甲で銃弾をはじき返す。
196人間七七四年:2013/04/03(水) 10:07:16.53 ID:4yTrdslA
真柄さん流石やな
197人間七七四年:2013/04/03(水) 10:42:06.64 ID:MACWHC0D
>>194
知らなかった。出典はなんだろう
198人間七七四年:2013/04/03(水) 17:33:19.76 ID:k9dSrZmu
『信長の忍』にも確か真柄出てたと思う
最近は割りと知名度も上がってきてるんじゃない?
199人間七七四年:2013/04/03(水) 19:14:40.53 ID:/SJUFcnG
本人よりも太郎太刀のほうがもしかしたら有名かも
ベルセルクの主人公みたい
200人間七七四年:2013/04/04(木) 05:15:36.26 ID:BsyYsOaE
真柄が強いのは分かった
んで真柄より強い武将は居ないの?
201人間七七四年:2013/04/04(木) 09:59:17.70 ID:eVRMiWXk
真柄は戦国マニアは知ってるけど一般人や戦国好き程度は知らない感じじゃない?

少なくとも戦国ブームでやたら増えまくって戦国モチーフ漫画にはほぼ出ない
無双にもBASARAにも出ないしね

やたら増えた戦国モチーフ漫画
キャラ全員が武将の名前の学園物やギャグ漫画、異能力バトル物など
真柄はほぼ出ない、出しても読者が分からないと判断されたと思われる
202人間七七四年:2013/04/04(木) 15:10:02.15 ID:xtNCV/Sh
日テレで歴女特集したときは、辛坊治郎や羽鳥アナは大谷吉継すら知らんかったな
基準を一般人にまで落とすとそんなレベル
203人間七七四年:2013/04/05(金) 10:37:08.58 ID:DHqdj88l
勝手にランキング

学校で習うレベル 一般常識
豊臣秀吉 徳川家康 織田信長 明智光秀 武田信玄 上杉謙信 今川義元
朝倉&浅井 伊達政宗 北条家

有名戦国ゲームに出るレベル 知ってる人は知ってる
島津 大友 立花 長曾我部 毛利

有名武将の側近&優秀で有名 上に同じ
利家 勝家 光秀 蘭丸 清正 正則 三成 山本勘助

マニアなら知ってる 基本知られていない
真柄 高橋家 龍造寺 平手 上記有名武将の親や子供、兄弟
とか
204人間七七四年:2013/04/05(金) 12:00:41.97 ID:9AT+a9SH
一般レベルだと小和田が昔に知名度アンケート取ってたしか

本当に誰でも名前聞いたことがあるレベル
信長秀吉家康、信玄謙信のビック5+政宗

ずっと差が付いて教科書本文や創作で有名な一般常識レベル
家光秀忠三成光秀とか幸村蘭丸春日局天草四郎他
(だいぶ江戸時代人やん・・・)

毛利今川北条島津ですらマニアの部類だとか
205人間七七四年:2013/04/05(金) 12:16:53.79 ID:03SAKhgX
戦国ビギナーを自負しているオイラもマニアの仲間入りかぉ( ^ω^)
206人間七七四年:2013/04/05(金) 12:39:41.24 ID:Wl571Hyi
大河ドラマの題材になったかどうかで、かなり知名度に差が出てくるような気はする。
昔はかなり視聴率良かったわけだし。
正宗も渡辺謙のイメージが強いんじゃない?あれは視聴率良かったから。
207人間七七四年:2013/04/05(金) 15:45:12.30 ID:/I+6+gmj
>>168
水野勝成
208人間七七四年:2013/04/06(土) 06:47:27.56 ID:JNpwQyP5
太平の世をまたいでるせいか水野勝成をそんな目で見る事は出来ない
209人間七七四年:2013/04/06(土) 09:40:32.14 ID:Ne4U7bUU
水野勝成は年取ったら良君で譜代のご意見番格になったからな
210人間七七四年:2013/04/07(日) 18:33:47.15 ID:WEgCBbGA
ドラマを見ると、足軽とかの胴丸が黒一色とか赤一色だけど、
実際に部隊で色を統一してたの? というかわざわざ塗ってたの?
武田や井伊の赤備えって稀な例なんだよね?
211人間七七四年:2013/04/07(日) 18:47:05.99 ID:9cIqI/Tf
>>210
赤備えってのは「備」を構成するものが見な統一の軍装をしていること。
足軽の具足は基本戦国大名より貸し出されたものなので、量産効率から言っても同じようなものになる
212人間七七四年:2013/04/07(日) 18:50:58.00 ID:mIp5LsY9
時代や地域、大名にもよるけれど揃えるのは珍しくないかと
特に戦国末は足軽を組織的に大量動員かける為に御貸具足という、
大量生産された武具を大名が足軽の為に用意してたので、
むしろ規格を統一した方が楽だった

あとは、やはりどいつが敵でどいつが味方かはっきりさせる為に色や模様を指定する場合はよくある
213人間七七四年:2013/04/07(日) 20:58:12.98 ID:WEgCBbGA
足軽が付けてたのは貸し出された量産品だったのか。
ありがとう、視聴者が敵味方を区別しやすいようにやってた演出かと思ってた。
214人間七七四年:2013/04/07(日) 21:17:02.63 ID:4LNSsvjq
武具貸し出しだから敵にそのまま寝返られたりすると痛いんだよな
一揆鎮圧する為に農民に武器貸してやったらその農民達も一揆軍に合流したなんてアホみたいな事例もあるw
215人間七七四年:2013/04/08(月) 00:39:52.29 ID:56Cev7RR
戦国時代に御貸具足は実行されてなかったらしいけどな
216人間七七四年:2013/04/08(月) 07:29:14.57 ID:Cg7MyzF2
武具の貸出はあったらしけど戦死者からの剥ぎ取りは日常茶飯事だから
数度合戦すれば拾いものなどで武装はバラバラになってしまわないか?
217人間七七四年:2013/04/08(月) 07:31:43.97 ID:kIdZmlHW
何故その剥ぎ取った具足を自分が着ると思うのか?
売るんだよ
218人間七七四年:2013/04/08(月) 08:08:37.88 ID:DRk5+6lW
>>216
それは一部しか見てなさ過ぎ。
ちゃんと帰還した人らが返還する事を想定しようよ。
返して貰ったら後は大名がまた武具統一するだけ。
219人間七七四年:2013/04/08(月) 20:40:11.44 ID:OoOODWD4
貸出ってお金取るの? 無料で借りられるの?
220人間七七四年:2013/04/08(月) 20:49:13.03 ID:bhbwB6ao
無料
221人間七七四年:2013/04/09(火) 01:18:43.38 ID:m/Ni7VYw
シャンプーとかリンス無いから女の人は髪ボサボサの時代だったの?
222人間七七四年:2013/04/09(火) 01:41:34.37 ID:kR5qCBjX
椿油とかはあるでしょ
223人間七七四年:2013/04/09(火) 01:51:33.98 ID:xh904AMA
どっちかというと超しっとりな時代やね
224人間七七四年:2013/04/09(火) 19:11:43.16 ID:pAVSRcKw
>>221
ボサボサだし臭い
余談だが現代を生きてると想像し難いが近世になるまで衛生環境は極めて悪いので
人や動物の腐敗臭や糞尿の臭いが屋外でも充満しており現代人にはその場にいるのも辛いくらい臭い
田舎に限らず都市でもだ
225人間七七四年:2013/04/09(火) 21:09:48.21 ID:fWeHPQqz
学生時代に河川敷の清掃ボランディアに行った事あるが、
ホームレスが集団で住んでた場所の異臭は本気でヤバかった。
あの臭いが普通とか耐えられんw
226人間七七四年:2013/04/09(火) 21:21:02.39 ID:a///h2q9
宮本武蔵なんか数年間風呂に入ってなかったというから相当だろうなw
まあ武蔵は特殊だとしても、地方や農村なんかはやはりそういうのに近い状態だろうね
227人間七七四年:2013/04/09(火) 21:52:45.78 ID:kR5qCBjX
行水の文化はあるぞ
228人間七七四年:2013/04/09(火) 22:43:09.96 ID:xh904AMA
そんな日本を超清潔国家と言った宣教師たちはどうなるんだw
229人間七七四年:2013/04/10(水) 00:23:51.31 ID:r5UzF0mM
水は貴重だからな
230人間七七四年:2013/04/10(水) 00:27:51.91 ID:bxB8/pTa
欧州は更に汚かったんだろうなぁ
231人間七七四年:2013/04/10(水) 00:42:07.01 ID:ykHuOiap
ヨーロッパより水の貴重な中東はお風呂好き
どっちかというと経済的宗教的な理由やね
232人間七七四年:2013/04/10(水) 00:49:54.08 ID:ykHuOiap
>>224
適当なこと言わないの

>>228
宣教師が驚いてたからな。普通の道に死体や糞どころかゴミすら落ちてないってw
233人間七七四年:2013/04/10(水) 01:03:06.47 ID:zqVcEMY8
>>228
欧州の都市は下水も未整備で、窓から汚物を投げ捨てたりしてたそうな。
それに比べれば風呂に入らないくらい超清潔だろ。
江戸の街は究極のリサイクル社会で、街にゴミが捨てられるなんてこともなかった。
大小便すらそれなりの価格で引き取られて、郊外で肥料になってたし。
234人間七七四年:2013/04/10(水) 01:50:27.03 ID:cgWqnRSv
そういえば、蒲生風呂という話がありますが、
あの辺は現在のスタイルに近い風呂の普及の始まりなんでしょうかね
235人間七七四年:2013/04/10(水) 01:53:39.17 ID:A4sSkpRd
>>234
蒲生風呂が実際にあったとしても蒸し風呂。
蒸し風呂は焚く事自体がすごく金のかかるものだったので、
配下はそれに感動したんだよ。
236人間七七四年:2013/04/10(水) 02:01:27.30 ID:cgWqnRSv
>>235
なるほど、一瞬迷ったのですが蒸し風呂のほうですか
いずれにしても最高の慰労といっていいもののようですね
237人間七七四年:2013/04/10(水) 02:22:37.08 ID:bxB8/pTa
風呂・・・蒸すやつ
湯・・・どっぷり浸かるやつ

表現で区別はされてた
238人間七七四年:2013/04/10(水) 08:48:36.60 ID:Y8BxaIwD
スイマセン、質問があってレスしました

「1554年代で、だいたい「一つの村、国」の稲刈りの所要日数」って
どの位のものだったのでしょうか?
239人間七七四年:2013/04/11(木) 00:26:24.92 ID:Qm7gbzTS
大人一人が一日に手作業(稲を刈って干すまでの作業)でこなせる範囲は1反の半分の5畝。
江戸時代なら、平均的な村の村高が500石、人口は約400人。1反を1石と仮定する。
すると村人口の内5割の200人が関わったすれば、単純計算で5日で村中の稲を刈って干すことができることになる。
戦国時代なら労働人口も石高ももっと少ないんだろうけど、このあたりからなんとなく推測できるんじゃない?
240人間七七四年:2013/04/11(木) 03:50:24.54 ID:xQU6+9yd
藤堂高虎が長篠に参戦していた可能性はありますか
241人間七七四年:2013/04/11(木) 09:31:39.83 ID:5jjY2dIo
>>239
だいたい「1500年代の戦国時代の村人口」ってどの位なモノだったんですかね?

他に同年代の「京の都」、主要都市の人口とかって…
242人間七七四年:2013/04/11(木) 15:48:26.71 ID:k3Xpo/04
>>241
ここで石高と村数があるので割ってみると諸国のおおよその平均が出せるかと。
http://homepage3.nifty.com/ksatake/fkunu1.html
243人間七七四年:2013/04/11(木) 15:48:57.77 ID:k3Xpo/04
ああ、しまった。村石高に見えてた。
244人間七七四年:2013/04/11(木) 15:58:49.74 ID:ixNdSIcN
総人口が江戸時代中期の半分だから適当に村人口も半分ちょいくらいじゃね。
人畜改帳とか残ってるわけじゃないから確度のある史料も無いし
245人間七七四年:2013/04/11(木) 17:29:43.30 ID:9zKQX/vh
江戸初期には新田開発されまくって新しい村もボンボン出来てるし、
村当たりの人口は単純に半分とはいえないと思う
江戸時代中期の七割八割ってところじゃないかな
246人間七七四年:2013/04/11(木) 18:53:41.42 ID:5jjY2dIo
>>242
見てきたけど右端の実高ってホントに石高で見るの?
数字をまともに見たら陸奥の国の実高って「2900億」石になってるんだけど…(汗
247人間七七四年:2013/04/11(木) 19:13:04.75 ID:9zKQX/vh
「,」と「.」の区別はつけような
248人間七七四年:2013/04/11(木) 20:40:52.25 ID:5jjY2dIo
…ええと…すなわち?(汗
(すんません!マジわかんない…(汗…)
249人間七七四年:2013/04/11(木) 20:52:15.23 ID:9zKQX/vh
「,」は桁区切り、「.」は小数点
例えば1,000なら千、1.000なら一
250人間七七四年:2013/04/12(金) 09:10:41.31 ID:o7R+iXnS
ふっ、初級者向けか…
251人間七七四年:2013/04/12(金) 13:48:54.67 ID:I5DuEaiX
陸奥を陸前とか分けた内訳が知りたいなあ
252人間七七四年:2013/04/13(土) 00:07:13.15 ID:yXpQo9g2
福岡、佐賀で戦国時代に関するものが見られる資料館、城があったら教えて下さい。
甲冑、兜、刀なども含めて。
253人間七七四年:2013/04/13(土) 00:10:23.98 ID:qRBbOEcE
>>252
県立博物館や郷土資料館行きなされや
254人間七七四年:2013/04/13(土) 01:30:20.81 ID:xXhiY3lF
九州歴史資料館とか
255人間七七四年:2013/04/13(土) 01:58:49.23 ID:dtSbBKRQ
立花家資料館にも行こう
256人間七七四年:2013/04/17(水) 00:05:53.76 ID:GpKXFcdc
合戦中に一人の兵士が活躍してるのを見た、敵方の武将が名前を聞いてみると
その兵士は姓を与えられておらず、答えに窮すると
その主人が「自分の姓を名乗ることを許す」と言い
それを名乗って、敵味方問わず盛り上がった。

そんな感じのエピソードがあったと思うのですが
漫画?で見たのかよく思い出せないので
どなたか知っていたらお願いします。
257人間七七四年:2013/04/17(水) 00:47:04.23 ID:j9fGOizM
たぶん、ちょっといい話スレだろ
258人間七七四年:2013/04/17(水) 00:48:42.78 ID:bPm+4S+M
平野五右衛門さんですな
259人間七七四年:2013/04/19(金) 13:38:40.71 ID:3vkIGzjD
信玄の影武者は有名ですけど、どこの大名も影武者というのは用意してたんでしょうか?
260人間七七四年:2013/04/19(金) 14:00:18.56 ID:hF5ruCIo
そういう伝説は多いですが信頼性の高い史料には無いし
また史料に残る類の話でも無いので実際の所は分かりません。

それを踏まえた上で個人的な想像なのですが
影武者は運用が難しく、どうして必要でその時用意することはあっても
どの家でもとか常に用意しておくものとかでは無いと思います
261人間七七四年:2013/04/19(金) 14:25:39.97 ID:3vkIGzjD
>>260
迅速丁寧なレス有り難う御座います。
という事は漫画やドラマでよく見る影武者像は捨てた方が良さそうですね。
撤退する際に大将の鎧兜を拝借して身代わりになるような感じの即席影武者の方がメインなんですね。
262256:2013/04/19(金) 20:22:42.80 ID:Cgu+2m3h
>>257-258
大変遅くなってすみません、レスありがとうございます
モヤモヤしていたものが晴れました
263人間七七四年:2013/04/20(土) 16:10:36.54 ID:pi6golUf
てか旧来の信玄像や尊氏像って、
結局誰だったの?
264人間七七四年:2013/04/20(土) 16:18:51.66 ID:MiYgLxA0
>>263
いわゆる伝武田信玄像は畠山義続と、伝足利尊氏像は高師直、あるいは高一族の誰か、だと言われている
265人間七七四年:2013/04/21(日) 04:46:56.64 ID:4E2W/Xbh
南蛮貿易が始まってない事を前提の話ですが、時計の代わりにどうやって時刻を計ってたんですか?
丑の刻だとか何やらの刻やら概念があったように思いますが
266人間七七四年:2013/04/21(日) 05:13:29.92 ID:Q4fmg1Fn
日時計+腹時計の不定時法
267人間七七四年:2013/04/21(日) 11:46:56.22 ID:Q7gyI6Zm
>>265
時計自体は日宋貿易で入ってなかったか?

一流どころの寺には砂時計くらいあったんじゃね?
268人間七七四年:2013/04/21(日) 11:54:49.02 ID:Q4fmg1Fn
一流の寺や朝廷には香時計、蝋燭時計、水時計とか色々合ったが極一部
269人間七七四年:2013/04/21(日) 11:55:37.10 ID:0BxUDqg8
>>265
日本で最古とされる時計は660年に天智天皇(当時は中大兄皇子)が作らせた水時計であり、漏刻と呼ばれ、遣唐使によりもたらされたものだった[148]。
これはサイフォンの原理で複数の水槽をつなぎ、一定速度で水が溜まるように工夫されたものであった[149]。この装置は管の詰まり防止や
凍結防止などへの配慮、読み取った時刻の伝達などが必要であり、奈良時代頃には漏刻博士2名と守辰丁20名などで運営されていた[149]。

日本では長い間、水時計が使われ続け、1595年の羅葡日辞書にも「トケイ、ラウコク」の項がある[147]。なお、900年頃に日時計が使われていた
記録もある[147]。ただし、時代が下って戦乱の世になると、置時計である漏刻はあまり活用されず、日の出から日の入までを6等分した
不定期法が使われるようになり、時計を使う習慣はやや廃れた。(不定期法による時刻管理自体は昔から行われており、延喜式にも
記録がある[150]。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E8%A8%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E6.99.82.E8.A8.88.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2
270人間七七四年:2013/04/22(月) 12:34:17.68 ID:XhP7h85V
信野望とか太閤立志伝の主命で
「開墾」が有りますが
こういった内政主命ってだいたいリアルは
どの位の時間がかかったのでしょうか?
271人間七七四年:2013/04/22(月) 12:57:09.23 ID:flUe/IMf
開墾つっても、川の流れを変えたり埋め立てや土壌改善など大規模な土木事業を経た開墾事業と、
山林や草地や沼地なんかを切り開く開墾と、
荒地(耕作放棄地)を再開墾する場合があると思う
それぞれによって手間も金も違うからなんともかんとも

江戸時代だと新田開発の場合、
その新田にかかる年貢は三年だか五年だか免除だったはずだから、
安定収入を得るにはそのくらいかかったのかもね
272人間七七四年:2013/04/22(月) 19:52:58.13 ID:iiRlrdhY
川村重吉が仙台に施したようなのを連想してたわ
273人間七七四年:2013/04/22(月) 20:18:01.62 ID:SZjj+zeR
>>271
最近読んだ本で、北条氏政の時代も、新規開墾は5年免除だった。
274人間七七四年:2013/04/22(月) 20:20:25.00 ID:iiRlrdhY
農業は家庭菜園の知識程度で詳しくないけど荒地から育てたい作物に適した土壌改良をするには多くの堆肥が必要みたいですね。
ぐぐってみたら1反(1石の米が取れる面積≒1000〜1200平方メートル)に2トンも必要とか。
いまの知識があればチッソとリンとカリウムの補給が必要とかあるけど当時の人達はどうやってそれを調達していたんだろう?
たしか肥え溜で発酵させて堆肥に活用し始めたのはこの時代でしたっけ?それと腐葉土あたりに含まれているのかな。
275人間七七四年:2013/04/22(月) 20:27:04.19 ID:iiRlrdhY
自己解決
人糞に窒素・リン酸が、ヨモギなど草木灰にカリウムが含有されているみたいですね。
落ち葉と肥溜めで堆肥は事足りていたわけですな。昔の人の知恵は凄い。
276人間七七四年:2013/04/23(火) 08:40:12.86 ID:Pb5joDQa
戦国時代の大名は誰もが天下統一を目指したわけではないでしょうが、京都を支配に置きたいとか目指したいという願望を持つ大名は多かったのでしょうか?
277人間七七四年:2013/04/23(火) 09:20:49.85 ID:+Z7YXEOI
戦国板でやれよ
相変わらず史実厨はうざいな
278人間七七四年:2013/04/23(火) 10:01:46.52 ID:NhSapbmR
>新規開墾は5年免除〜

これは戦国時代、どこも共通でしたでしょうか?
とくに越前柴田軍領域の情報求む
279人間七七四年:2013/04/23(火) 10:07:17.13 ID:Q0u7CrDQ
280人間七七四年:2013/04/23(火) 10:37:05.28 ID:vSdWIl3M
>>278
共通じゃないよ。
上の人も書いてる通り開墾にもいろんなケースがあるから
ケースごとに免除期間も3〜10年or永代免除だったり
免除対象も年貢だったり賦役だったり
同一の大名でも年代によって免除条件が違ったり等等でケースバイケース
281人間七七四年:2013/04/23(火) 17:51:00.60 ID:61/DQr9G
戦国時代の街道について調べております。
良い地図、具体的にはどのあたりを通っていたのかが記載されている本はご存じありませんか?

結構、現代とはルートが違っていて、明治期に開削された峠道も多く、当時の様子が知りたく思います。
よろしくお願いします。
282人間七七四年:2013/04/23(火) 18:00:03.22 ID:sewJ/kWG
>>281
はっきり言うと戦国期の街道は殆どわかっていない。同じ名前でも江戸時代に大きく変わっている。
283人間七七四年:2013/04/23(火) 18:33:48.54 ID:mVpDAQ/m
戦国資料になんで軍記物が使われるんですか?

軍記物
戦争を題材にした歴史小説。ただしあくまで小説なので史実通りではない。

なのに信長の桶狭間が盆地だとか、鉄砲三段撃ちだとか軍記物の記述を教科書
や授業にに採用するとか。今の戦国漫画の内容が未来の教科書に載るようなもんじゃ……

戦国時代当時の資料は大半が焼けて無くなってて資料の多くは江戸時代の
軍記物って何かの本で読んだけど、資料が無いなら『詳細不明』なわけで
創作小説の内容を史実にするとか歴史家として良くないと思います
284人間七七四年:2013/04/23(火) 18:39:38.81 ID:gxsR3QPn
一般教養レベルならそれでいいから
285人間七七四年:2013/04/23(火) 19:21:37.80 ID:vSdWIl3M
軍記物は小説じゃないよ。
大体は家譜や家伝そのものかそれから派生したもので
その藩や家の公式記録だったりする
もちろん先祖を持ち上げるための粉飾や削除は当然あるし
家の伝えられた話がそもそも間違ってたとか史実と違う部分も多いけど
真実を伝えてる部分も多く資料価値が皆無とは言い過ぎ
一次資料だけじゃ断片的すぎるから、軍記や家譜と一時史料の両方を使い
補完しあって真実に近づけるのが現在の歴史研究の主流的手法

まぁ中には嘘ばっかなものあるし
さすがに講談物あたりになると完全に小説といってもいいから
難しい面もあるけど、そこを研究していくのが学問
286人間七七四年:2013/04/23(火) 19:34:25.42 ID:NhSapbmR
すいません
標準的米俵一つでどの位の重さ?
と言うか、その、こめ俵幾つで「1石」になりますでしょうか?
287人間七七四年:2013/04/23(火) 19:42:37.13 ID:sewJ/kWG
>>286
>戦国時代から江戸時代は時代・土地・保存法ごとに異なるが、概ね1俵は2斗から5斗の間を推移している。

>1石は下位単位では10斗にあたり、同じく100升、1,000合に相当する

1俵を4斗とするとおおよそ60キログラム
288人間七七四年:2013/04/23(火) 19:52:37.22 ID:Zc0/cTF9
軍記物でも同時代に書かれてるものもあるしな
289人間七七四年:2013/04/23(火) 20:35:34.17 ID:NhSapbmR
>>287
つまり「米俵が2、乃至3つで1石」と言う事ですね?
290人間七七四年:2013/04/24(水) 09:47:04.47 ID:gzf8q7CC
>>283
>なのに信長の桶狭間が盆地だとか、鉄砲三段撃ちだとか軍記物の記述を教科書
>や授業にに採用するとか。
そんな細かい事教科書に書いてあるか?授業に採用したのは教師が生徒の興味を惹こうとする努力だろ。
わかってやれ!
291人間七七四年:2013/04/24(水) 17:34:49.65 ID:JAZ6Tm3f
未だにその辺を史実であるかのように扱ってるのってNHKだけな気がする
292人間七七四年:2013/04/25(木) 11:53:18.38 ID:zaaMtuWZ
1554〜1580以降当時の船で各港(国内・外)でやはり船は
あたけ船、咳船・こばや、だったのでしょうか?
純粋な帆船って無かったのでしょうか?

それと阿竹船・咳船・こばやの詳細データ(搭載量・武装・総船員)
と三面図が有る処教えてください

・それと各港と、すい軍衆のカンケイ等
293人間七七四年:2013/04/25(木) 13:05:24.51 ID:suFCTaqU
南蛮人の船は九州までしか来てないので
歴史小説などでよく目にする堺に南蛮船が入港している挿絵は嘘なんだよな。
294人間七七四年:2013/04/25(木) 13:13:25.63 ID:gFh0H6AD
安宅船、関船、小早は軍船だから風上や風がなくても動けるように櫂併用だけど
商船の弁才船や二形船は帆船やね
295人間七七四年:2013/04/25(木) 16:55:45.82 ID:zaaMtuWZ
火縄銃って完全にばらしたら
「パーツ点数何点」
になりますかね?

あるTRPGで使ってみたいシチュが有りますので…
どうか宜しくお願いします。
296人間七七四年:2013/04/26(金) 09:33:32.55 ID:bHN/d7WW
城兵とかの勤務体系ってどうなってたの?

一生城内長屋暮らし2交代制とかじゃ無いよねw
297人間七七四年:2013/04/26(金) 10:03:20.00 ID:guINOens
家忠日記あたり見るに半月周期とかの短期参勤交代
在番して地元帰ってまた在番して〜
298人間七七四年:2013/04/27(土) 18:08:50.89 ID:yLvreFSC
硫黄 硝石 木炭、共に1トンづつあった…と仮定して
これから火薬を作ったら
どれだけ作れますか?
そして何がどれだけ余りますか?
299人間七七四年:2013/04/27(土) 18:21:57.48 ID:N+FLUHz7
黒色火薬でぐぐれ
300人間七七四年:2013/04/27(土) 19:24:14.45 ID:dU2dlSUi
明智光秀は民主主義的な思想があったのでしょうか?
301人間七七四年:2013/04/27(土) 19:40:47.38 ID:sFRyDN8d
無いな。
302人間七七四年:2013/04/27(土) 19:48:54.48 ID:DP5V7z/o
>>300
漫画と現実をごっちゃにするのはヤメレ
303人間七七四年:2013/04/27(土) 20:13:11.85 ID:dU2dlSUi
ごっちゃにしてはいないけど明智に関する資料が少ない中でそういう記述がある資料があるのかと思っただけですぉ( ^ω^)
304人間七七四年:2013/04/28(日) 12:28:43.92 ID:MKmnbVoE
>>298
1tだとめんどくさいんで1.5tで計算せてくれ

黒色火薬の比率は硝石:硫黄:木炭が75:10:15、つまり硝石がほとんど
逆に言えば1tの黒色火薬を作るのに硝石が750kg、硫黄が100kg、木炭が150kg必要になる
つまり、硝石1.5tあれば2tの黒色火薬が作れる
その時硫黄は200kg、木炭は300kgをそれぞれ消費しているので、
あまりは、硫黄1.3tと木炭1.2t
305人間七七四年:2013/04/29(月) 10:46:21.26 ID:+UM7lyYc
戦国時代とその後の江戸時代で
農具の変遷等を知りたいです

「簡単な効果で農業効率を劇的にあげる方法」は有りますでしょうか

戦国時代技術チート物を考察してます…
306人間七七四年:2013/04/29(月) 10:51:33.24 ID:iy/CcI45
千歯扱きの普及は江戸初期だっけ?
307人間七七四年:2013/04/29(月) 11:10:42.99 ID:xTzLI6pC
「鉄製」千歯扱きの普及なら江戸時代だな。
鋸鎌とか今でも見る農具の発達は江戸時代は主
戦国時代だと大ノコギリの普及でどこでも大きな板を作れるようになったとかはあるが
農具はどうだったかな
308人間七七四年:2013/04/30(火) 22:25:47.18 ID:gXGFLqyN
千歯扱きは江戸時代だな
備中鍬で開墾ウマーも江戸時代だしな

江戸時代はやっぱすげえ
309人間七七四年:2013/04/30(火) 22:47:55.19 ID:9uWGMIZW
てか平和が一番だな
310人間七七四年:2013/05/01(水) 01:17:31.26 ID:nn1ElgKs
戦国時代の富国強兵政策と農民の自立の流れがあってのものだけどな
戦国時代の農業だと木綿の国産化普及が鉄砲を超える外来由来物の一大革命だった。
311人間七七四年:2013/05/01(水) 09:23:44.20 ID:SJU53PW7
「戦国時代と江戸(明治)時代の農具・農法の違い」…つか、
「戦国時代に無くて、江戸(明治)時代にあった農具・農法」ってどんなのが有るの?
312人間七七四年:2013/05/01(水) 10:10:19.43 ID:Tj4DXDTz
ニガーの弥助についてkwsk教えてちょ(人∀・)
313人間七七四年:2013/05/01(水) 10:27:32.38 ID:CBqxpzgD
>>311
江戸時代に普及した農具だと千歯扱き、備中鍬、千石どおし、唐箕あたりじゃないかな
一つの工程にかかる手間がグッと減った

あとは金肥で痩せてる土地にブーストかけられるようになった
314人間七七四年:2013/05/01(水) 12:24:19.57 ID:SJU53PW7
「馬すき」って戦国にあった?
これも江戸の発明?
315人間七七四年:2013/05/01(水) 12:31:50.31 ID:nn1ElgKs
飛鳥時代からある。主に牛用だが
316人間七七四年:2013/05/01(水) 18:04:16.07 ID:SJU53PW7
>>306-314
これらを使って>>238-239の作業は
どのくらい違うのでしょうか?
317人間七七四年:2013/05/01(水) 20:00:40.50 ID:oEQNNApC
たぶん239は江戸時代基準だから使っての話で、使わないともっと掛かるんじゃないか。
でも干すまでだから唐箕とか千歯扱きとか関係ないね。そう見ていくと結局違わないな。
318人間七七四年:2013/05/01(水) 23:41:01.67 ID:QeAhPR5A
>>238-239は江戸時代の平均から出した数字上の話だから道具では変わらないはず。
ただ、実際には棚田みたいに斜面にあったり、家から遠い所に田があった場合、
刈った稲を運ぶのだって一日や二日かかる人もいただろうね。
そして水田と言っても、239は現代同様に乾田の話で、
湿田だったら田植えも稲刈りも、もっとずっと大変だったはず。
ちなみに西国は乾田が多く、東国は湿田が多かったらしいよ。
319人間七七四年:2013/05/02(木) 17:56:05.11 ID:yDjPulh2
転生・憑依物SSで
「現代人戦国・内政マニアが
「今河義元・武田信玄・上杉謙信・織田信長に憑依、
とりあえずこの4家で同盟(最初は3家、織田は後から)いろいろチート」を妄想し始めたのですが
当時の4家で信長秀吉家康が行った

・楽市楽座
・兵農分離
・(上にある様な)農具開発 等を行った際の
反動等ってどんな事が考えられますでしょうか?
またその際の対処療法はどの様にすれば宜しいでしょうか
320人間七七四年:2013/05/02(木) 18:03:22.00 ID:SmZCH6Gb
質問スレの範疇を超えてるんじゃねの
知ったか妄想レスくらいは付くだろうけど
321人間七七四年:2013/05/02(木) 18:13:41.34 ID:LgtnDX01
SSってショートショートか?
322人間七七四年:2013/05/02(木) 18:47:05.53 ID:y8zhog2N
例えば楽市楽座で反動があるかどうかって

・それで損害を受ける既得権益はあるか
・権益を誰が持っているのか、誰が利益を受けているか
・その権益はどのような正当性によって裏付けされているか

最低でもこの位は・・・強引に捏造でもしない限りはSSと言わず本一冊書けるな
323人間七七四年:2013/05/02(木) 18:52:52.85 ID:ousDbWyH
そもそも

・楽市楽座というが、座が一体どういうものかは未だにわかっていない
・信長は座の無いところは楽市楽座を認めただけで、座の存在した所ではむしろ座を保護した
・座が全廃され全国が楽市楽座状態になったのは家康が将軍に成ってから
・兵農分離は江戸時代、それも家光の頃にようやく起こった現象
324人間七七四年:2013/05/02(木) 19:02:28.47 ID:BLj5415K
なんで戦国大名が江戸時代初期のような大規模開墾を行わなかったかといえば、
開墾に振り向ける人材や資金を戦争に向けざるを得なかったからで、
実際に戦国時代が終わって人材や資金に余剰が出ればみんなやってる
それによって今までより多く生産された農作物の収穫作業はそれに比して大変になって、
そこを機械化しただけの話

つまり
・(上にある様な)農具開発
時代が求めてない
325人間七七四年:2013/05/04(土) 15:13:15.49 ID:SiDwMHKF
>>239
すいません
あまり戦国から離れる感じの質問になりますが
やはり同じ条件で「現代のコンバイン10〜50台&支援人員10〜20人」使った場合の速さは
どの位になりますでしょうか?
326人間七七四年:2013/05/04(土) 23:11:13.98 ID:i1SOR+Xn
一石=1反=10アールとすると500石は5000アール。
コンバインで10アール刈ったりする作業はだいたい30分。
単純計算でコンバイン一台で500石刈るのに250時間。
「現代のコンバイン10〜50台&支援人員10〜20人」なら一日あればできるんじゃない?

ちなみに下記サイトを参考にした。
http://shonai.zennoh-yamagata.or.jp/situmon/fqa/s_5.html
327人間七七四年:2013/05/04(土) 23:46:24.19 ID:Xxg0oLLy
>>319
経済政策に関しては交易ノウハウのある大内氏・細川氏とそれ以外では天地の差がある。
織田は経済政策に関しては撰銭令がザル法になって市中の統制が手に余ることを悟ると
自家の経済が守れれば良いという消極的な方針にシフトにしてる。
豊臣の経済政策は成功して徳川がダメにした結果
貫高経済が完全崩壊して石高経済に逆行したのは経済政策の拙さにほかならない。
328人間七七四年:2013/05/04(土) 23:53:47.33 ID:FpbL+zkr
>>327
> 石高経済に逆行

お前はどこでそんなSFをw
貫高のことも石高のことも、つーか歴史的過程すら一切理解してないだろw
ほんっとうにバカなんだな
329人間七七四年:2013/05/05(日) 00:08:21.51 ID:3ulgGG13
>>328
じゃあ説明してみ
330人間七七四年:2013/05/05(日) 00:29:18.33 ID:Q8UBk4O3
>>329
とりあえず吉川弘文館の『戦国の地域国家』あたりを読め。全部読め。そこでようやく基礎だ
331人間七七四年:2013/05/05(日) 00:40:17.62 ID:/Ak5qVAM
まぁ馬鹿にされてもしょうがないわ
332人間七七四年:2013/05/05(日) 11:35:13.12 ID:DTQEfdlg
石高制は戦国末期から織田家に限らず、進行してる事態だからな
例によって北条を例に上げれば、
納税は精銭100%のみ→鐚銭も一定の割合で入れてよし→一定の割合で現物納入もよし
って撰銭問題が悪化するごとに妥協してる

結局貫高制の崩壊は深刻な銭足らずが一因で、
それをある程度にせよ解決したのは豊臣政権、ではなく徳川政権
333人間七七四年:2013/05/05(日) 13:28:34.75 ID:3ulgGG13
>>330
つまり説明できないのね。その程度で知ったかぶりかw 日本銀行金融研究所の文献でも読めよw

銭不足は
東日本に貨幣経済が浸透して需要が高まったこと
そして唯一の供給源である大陸の通貨からの輸入が停止したこと
特に後者は倭寇壊滅で深刻化した。

んでそこでとった経済政策が鐚銭を鋳造して貨幣の絶対数を増やしたり、
明銭を基軸にしようとしたり曖昧だった鐚銭の価値を明確化するという愚策の数々なわけで
信用のない「銭」はゴミ同然。そんなゴミに無理やり信用をもたせようとした。

もともと百文や1貫文の束で決済していくらか鐚銭を混ぜてなあなあでやっていたのに
これは半分枚、これは4分の1枚となれば決済でもめて貨幣経済の後進地域しかうまくいくはずがない。
だから「宋銭」の以下の鐚銭は相手にされず兌換性の高く価値の安定した米(米座が価格を統制)や
貴金属が代替されるようになった。後の諸札も貴金属との兌換性の保証が信用の裏付けになっている。

いまの日本銀行券は日本銀行がその価値を保証している不換紙幣。(日銀法第四十八条)
日銀の負債であり資産に対する信用なわけで。
334人間七七四年:2013/05/05(日) 13:49:19.93 ID:Q8UBk4O3
>>333
君は30年くらい前の知識で止まってる
335人間七七四年:2013/05/05(日) 14:14:45.48 ID:z1SzEs6S
説明が無い以上、現時点ではID:3ulgGG13を支持する
336人間七七四年:2013/05/05(日) 14:26:51.75 ID:Q8UBk4O3
勘違いしているようだから言うが、こういうのは勝ち負けじゃないぞ、正しいか間違っているか、だ。
337人間七七四年:2013/05/05(日) 14:29:04.79 ID:cKbnmY1s
つまりお前が自分が正しい事を証明しろ。
338人間七七四年:2013/05/05(日) 14:35:06.42 ID:Q8UBk4O3
>>337
だからさっきあげた本を始めきちんと研究書を読め、と言っている。
極めて適切な回答だと思うが?

この程度の物も読めないんだったらそもそも歴史を勉強する気がないってことだし
339人間七七四年:2013/05/05(日) 14:38:42.58 ID:z1SzEs6S
要約ぐらい出来るだろ
本読め じゃ説明になってない
340人間七七四年:2013/05/05(日) 18:26:50.51 ID:fCg/HeNX
そうだな、煽った以上、要約ぐらいしてもらいたいな。
341人間七七四年:2013/05/05(日) 19:04:57.58 ID:26593gm7
『戦国の地域国家』の要約まだぁ〜?
342人間七七四年:2013/05/05(日) 19:47:00.22 ID:P2rXxaVq
>>332 >>333
石高制そのものは寛永通宝を発行してた江戸幕府も続けてたけど・・・
っていうか貫高制が廃れた理由は、貨幣が不足していたなんて
単純なものが原因じゃないんだけどね。
それこそ封建制度の継続とか様々な理由があって石高制に移行していったんだよ。
343人間七七四年:2013/05/05(日) 23:22:04.97 ID:dT03spWk
マル経の唯物史観だと商品貨幣への移行は退化になるけど
最近の流行りじゃ穀物に貨幣性をもたせるのは信用創造的で凄いとかそういう話になる
344人間七七四年:2013/05/06(月) 00:32:48.23 ID:pZRMsUYR
>>342
332だが、だから一因としか書いてないだろ、原因と踏み込んで書いてないのはそういうこと
あと江戸幕府が貫高制に戻さなかったのも否定してない

それと俺が否定したかったのは、327の最後の二行
徳川政権が戦国時代からの貫高→石高流れに乗っかって変えなかったのは事実だが
豊臣政権が正しいことしたのに徳川政権が全て悪いみたいなのがおかしいだろと
345人間七七四年:2013/05/06(月) 09:03:25.87 ID:kxP2U/jl
そもそもものすごく勘違いされているが、貫高制の段階ですでに貨幣価値との相対性は無くなっていて、
量的把握のためのただの数値に過ぎなくなっている
346人間七七四年:2013/05/06(月) 09:45:35.33 ID:KhS8Z6sD
だから一番最初に知ったか妄想レスが付くって忠告したのに
曖昧な質問は>>327みたいのが出てくるからめんどくさいんだよ
347人間七七四年:2013/05/06(月) 11:46:53.45 ID:EygghBAf
味噌・酒・塩や薪、魚介の量も一石…と
換算してたのでしょうか?
348人間七七四年:2013/05/06(月) 13:52:37.40 ID:VRfQYVs9
してないと思う
349人間七七四年:2013/05/06(月) 16:04:04.23 ID:UUWJ9I0P
>>345
ただそれでも徳川幕府は石高制(米本位)に拘り過ぎて
弱体化しちまったんだけどな。
350人間七七四年:2013/05/06(月) 16:07:07.76 ID:kxP2U/jl
昨今はむしろ、石高制のお陰で幕末開国した時に為替ショックが最小限に抑えられた、という研究結果が有る
351人間七七四年:2013/05/07(火) 02:58:29.94 ID:Z0nlOoQf
副次効果以前の結果論じゃん
352人間七七四年:2013/05/07(火) 17:39:50.63 ID:+4BhSw6V
>>319
1554年4月時でこの4家の戦力が合同したらかなりの戦力かな?
総兵力・総鉄砲数どんだけなんだろ?
353人間七七四年:2013/05/07(火) 17:42:30.94 ID:lMHrdYmr
>>351
そもそも開国しなきゃ石高制で経済自体はうまく回っていたんだから、
石高制が悪かったというのも結果論だぞ?
354人間七七四年:2013/05/07(火) 20:28:32.34 ID:V4cQtRhQ
家康の重農政策は最初は上手くいってたけど貨幣経済が浸透するにつれて
様々な歪みが出てきたからねえ。其処のところが重商政策を
採用した信長や秀吉に比べて経済オンチとか言われる所以だろうな
355人間七七四年:2013/05/07(火) 20:35:17.50 ID:k87/HpNS
信長や秀吉のどこが重商政策だよ?
既存の商業権益に寄生してただけじゃないか。
インフラまで含めて商業を活性化させたのは家康とそれ意向の徳川幕府だっつーの
356人間七七四年:2013/05/07(火) 20:44:40.34 ID:lMHrdYmr
つーかそもそもまともな経済政策自体、江戸幕府が出来てからようやく始まったようなもんだしなあ
357人間七七四年:2013/05/07(火) 21:54:24.79 ID:8ObHzcPq
適当な事を言う奴をいつまでも構いたいなら経済スレでどうだ?
ここ一応質問だから
358人間七七四年:2013/05/07(火) 22:22:30.15 ID:Z0nlOoQf
>>353
開国しなくても各藩の借金はかさんでたし、
米本位制の限界が来てたのは結果論じゃない
359人間七七四年:2013/05/08(水) 01:04:28.82 ID:Ny/Fc9Zc
大塩平八郎の乱で幕府の経済に限界がきてたのが露呈してしまった
360人間七七四年:2013/05/09(木) 16:46:50.69 ID:GEGt3+6e
大塩平八郎は松永弾正と同じ自爆した人だっけ
戦国の世ではなく太平の世にこんな人が現れたって事は色々末期だったんだろうね
361人間七七四年:2013/05/09(木) 17:38:01.25 ID:bbOC2IML
大阪の町奉行所の元与力だからね。末期だね。
362人間七七四年:2013/05/10(金) 01:05:27.48 ID:UOpVwURE
戦国時代からちょっと離れちゃうけど、幕末に幕府の経済が行き詰まったのって、諸々と
国内の状況が変わってきたから?
それとも、そもそも江戸幕府の経済運営に最初から欠陥があって、長く江戸時代が続いている
間にそれが蓄積されて行き詰まったの?
363人間七七四年:2013/05/10(金) 10:48:23.06 ID:+w/xDqSI
両方

まあ後者に何しては初期はイケイケドンドンで開発しまくったり、
産業起こしまくったりで別段問題もなかったんだけどね
364人間七七四年:2013/05/11(土) 05:46:16.28 ID:1MK/qNbO
特に米中心の制度を維持し続けることに無理があったんだろうね
江戸幕府は運の悪いことに小氷期と重なった挙句、金地金は戦国時代の鉱山はとっくに枯渇
とどめが開国で金銀比価の矛盾を突かれて金流出が加速(これは金本位制が破綻する黄金パターン)
365人間七七四年:2013/05/11(土) 11:55:28.33 ID:mgrmoaVb
やっぱり武士という無産階級を養い続けることに無理があったんかね。
減らそうとしても減らせないし。
武士の数は江戸時代を通じて一定だったのかな?
366人間七七四年:2013/05/11(土) 13:37:22.30 ID:o5oUD8WQ
初期の政策が完成されすぎて変革時を逸して動脈硬化で死亡
200年も経てばどんな完成度が高い政体でも時代に合わなくなるわな
367人間七七四年:2013/05/11(土) 13:38:22.63 ID:/+TgyIYB
むしろガンガン変わってるんだが幕府の形態は
368人間七七四年:2013/05/11(土) 13:52:57.60 ID:Q4OK+4hD
米で税金とって米で給料を支払うってところは変わってないだろ
369人間七七四年:2013/05/11(土) 13:57:08.58 ID:dB/Wc6ho
そこまで言ったら平安の昔から変ってない、とかなってしまうぞw
370人間七七四年:2013/05/11(土) 14:32:10.18 ID:Q4OK+4hD
税制面で見た場合、年貢、知行制をひっくり返したのが明治維新なんだよ
371人間七七四年:2013/05/11(土) 15:53:02.50 ID:eft+QHdP
米中心の幕府が市井の貨幣経済の発達についていけなくなったんだよね
372人間七七四年:2013/05/11(土) 15:57:43.36 ID:/+TgyIYB
市井は関係ない。欧米で勃興した新しい経済システムに対応できなかっただけ。
373人間七七四年:2013/05/11(土) 16:40:26.78 ID:1MK/qNbO
状況に応じて変えていったら欧米とかけ離れた制度になってたので、
開国で通貨危機に陥って破綻したって見方もある
374人間七七四年:2013/05/11(土) 17:31:31.95 ID:o5oUD8WQ
>>367
変わってないよ。何度かあった小改革も上っ面を変えたか失敗だし
375人間七七四年:2013/05/11(土) 20:28:16.68 ID:SLhT5eND
仮名って元服時に必ず名乗るものなの?
例えば徳川秀忠や豊臣秀頼は仮名が伝わってないけど、それぞれ次郎三郎秀忠、藤吉郎秀頼と名乗った可能性はある?
376人間七七四年:2013/05/11(土) 20:49:33.54 ID:o5oUD8WQ
通称は官位名の代わりだから元服と同時に本物の官位をもらえるなら
わざわざ通称の輩行名を名乗る必要はないだろう
377人間七七四年:2013/05/11(土) 22:23:54.13 ID:C2loQkpW
>>371
田沼路線が続いてたら貨幣経済と
封建制の融合という珍しい世の中になってたかもな。
378人間七七四年:2013/05/11(土) 22:28:38.22 ID:/+TgyIYB
>>377
> 田沼路線が続いてたら貨幣経済と

まだそんなデタラメ信じてるのか
379人間七七四年:2013/05/11(土) 22:43:58.14 ID:JDlurzSJ
>>372
吉宗の頃には既に貨幣経済に置いてけぼりになってたやん
380人間七七四年:2013/05/11(土) 22:46:48.84 ID:/+TgyIYB
>>379
それは現在経済の感覚であの時代を見るからだ。そもそも仕組みも意識も違う。
381人間七七四年:2013/05/11(土) 22:50:36.89 ID:Q4OK+4hD
他人のレスの否定ばかりじゃ同意出来ないな
382人間七七四年:2013/05/11(土) 22:52:44.33 ID:Q4OK+4hD
ID:Q8UBk4O3 と同じ人かな
383人間七七四年:2013/05/11(土) 22:53:40.03 ID:/Lu1uE87
>>377
ぶっちゃけ田沼関係なく改革は続いてるぞ
384人間七七四年:2013/05/12(日) 00:23:21.14 ID:8yiG+2o9
そろそろ日本史板に行け。くどすぎ
385人間七七四年:2013/05/12(日) 18:25:57.12 ID:uYhByyl0
京都に公家が居るイメージ強いんですけど他の場所にも住んでたりしたのでしょうか?
調べてたら伊東領が京都っぽかったとかは出てきたのですが答えは分かりませんでした。
386人間七七四年:2013/05/12(日) 21:38:23.29 ID:zvZrzOzR
もちろん住んでいます。大内義隆、朝倉義景といった
戦国大名は積極的に公家を受け入れていました。
387人間七七四年:2013/05/12(日) 22:10:32.18 ID:uYhByyl0
>>386
教えて下さってありがとうございます。
388人間七七四年:2013/05/13(月) 17:46:04.59 ID:VLDkTQ9S
明智光秀は本能寺の変後に北条、上杉、毛利、長宗我部、雜賀衆と同盟を結ぶ気はあったんでつか( ´・ω・)
389人間七七四年:2013/05/13(月) 17:51:44.16 ID:EVX2OC1n
>>388
それはゆくゆくはそうする可能性はあっただろうけど、あくまで畿内が平定できた上でだな
390人間七七四年:2013/05/13(月) 21:18:32.18 ID:HEmZpRHd
仮に明智光秀が山崎で勝利してたとしてもどう転べば大名として生き残れたのか絵が見えない・・・
391人間七七四年:2013/05/13(月) 22:30:23.05 ID:esEBXZob
義昭呼び戻して幕府再興させるべ
392人間七七四年:2013/05/13(月) 22:33:45.35 ID:eou17yyU
確かに一時的に秀吉に勝ったとしても、そのあとどうするつもりだったんだろうね。
年齢的にも50半ばなんだから、現役続けられてもせいぜい10年くらいだろうし。
393人間七七四年:2013/05/13(月) 22:38:45.05 ID:RUfMUVWb
>>389
センゴクの話も強ち間違っていない説なんでつね(´・ω・)
394人間七七四年:2013/05/13(月) 22:39:39.62 ID:eQ0WnzH4
>>390
山崎で勝利すれば、様子見をしていた勢力の大部分が光秀の勢力に合流するだろうから、
それで京都を中心として安定した勢力になれば、あとは何とかなるでしょ。
無理ゲーから高難易度に変わる程度だろうけど。
395人間七七四年:2013/05/13(月) 22:43:05.82 ID:RUfMUVWb
裏切る時は誰かと内通するのが普通だと思うんだけど光秀クラスの武将だと
自分からそういう話を持ちかける事は困難だったん(´・ω・)
396人間七七四年:2013/05/13(月) 22:47:37.41 ID:eQ0WnzH4
>>395
謀反の動機とか謎に包まれてる部分が多いから、何ともいえない。
事前の根回しはほとんどしてなかったみたいだし、謀反の後にどういう構想を
持っていたのかもわからないし、そもそも計画的だったのかすらもわからない。
「その場の思いつきで謀反した」っていう説も十分説得力を持っちゃってるのよ。
397人間七七四年:2013/05/13(月) 23:23:18.60 ID:8Vz4dI8a
>>395
信長と信忠が軍団も率いず同じ町に居たってこと自体が
光秀には僥倖だったのかもしれん。
398人間七七四年:2013/05/14(火) 01:32:31.09 ID:1S5tXbp8
2000の精鋭馬廻率いてたわけで十分重警固なんだがな
中国出兵が控えていたからそれだけ揃っていたけど
少数で動く事が多い信長にしてみれば珍しいこと
そもそも自分の領内の最深部にいるときも
常に万の軍勢を身近に置いておく大名なんて誰もいないし
べつに僥倖でもなんでもない
399人間七七四年:2013/05/14(火) 03:58:43.62 ID:bu9tdL0Z
ただ明智も近隣で援軍のためにそれなりの軍勢を使える状態だから、クーデタを起こすには十分
たまたま普段よりも多かったところで誤差レベル。「殺るなら今」ってくらいのタイミングだった
400人間七七四年:2013/05/14(火) 10:05:00.91 ID:fH4Oz3Mf
>>394
それで日和見連中がついたとしても、「安定した勢力」には到底ならないと思う
401人間七七四年:2013/05/14(火) 10:25:18.45 ID:VnXdVqK5
織田軍団自体も謀反続きなほど
安定勢力じゃ無かっただろw


> 2000の精鋭馬廻率いてたわけで十分重警固なんだがな
それ本能寺周辺に居たのか?
402人間七七四年:2013/05/15(水) 02:18:20.21 ID:w48EL+FO
しょっちゅう京都安土間の移動のために明智領や管轄内を僅かな供回りでうろついてたからな
本気で殺そうと思えばいつでも殺せた
403人間七七四年:2013/05/15(水) 02:41:28.46 ID:mspmL5VB
殺したところで直ぐに逆襲されるだろ
本能寺の時は秀吉が異常だっただけで
404人間七七四年:2013/05/15(水) 11:56:21.66 ID:zwbXy28X
普通に考えてあの大返しは想定外だわな
ハイリスクハイリターンだし
405人間七七四年:2013/05/15(水) 23:28:49.02 ID:KGP+alpq
裏切りや鞍替えが当たり前な戦国時代において、松平家臣団いわゆる三河武士が
松平家に対して並々ならない忠誠を誓っていたのはなぜなんでしょうか?
家康が人質時代にも帰りを待って、今川家に搾取されている状態でも蓄財していたらしいし。
406人間七七四年:2013/05/15(水) 23:44:06.99 ID:1GA0Oylg
裏切りも鞍替えもあったし、三河武士ってイメージは誇張されてる気がするけどなー。
今川時代も、出て行かなかった人に他に選択肢があったのかどうなのか。
407人間七七四年:2013/05/16(木) 00:02:51.95 ID:3+A7RRLw
今川を潰したときなんかは、駿河で武田と敵対して、武田の懐柔工作で部下が裏切りそうになってヤバかったから撤退したとも聞いた。
408人間七七四年:2013/05/16(木) 00:48:47.42 ID:910VgNv3
>>405
並々ならない忠誠って何が根拠?
三河一向一揆で裏切りまくりやし
出奔者もそれなりにいるし、最大の重臣は秀吉に付いちゃうし
多少結束の硬いところがあったとしても常識の範囲くらいじゃないの
409人間七七四年:2013/05/16(木) 03:02:13.13 ID:FtW8w3df
徳川は誇張と嘘が多いからなぁ
410人間七七四年:2013/05/16(木) 10:25:09.47 ID:3kz4XljY
じゃあ洒落たトヨタ車挙げてみたら?
少なくとも大半が三河武士気質な
面白みのない車両とは思うけどなぁ。

挙げられなかったら「現代でも三河武士気質」って事だな(;¬_¬)
411人間七七四年:2013/05/17(金) 09:52:45.01 ID:xrGch/ye
ちょっと前にも真柄に勝てなかった本多プギャーm9(^Д^)だったよな
一般人〜戦国初心者の間じゃ家康は神格視されてんだろう
大恩ある今川を裏切った事を冷遇されただの何だの嘘八百信じてる家康厨もそうだが
412人間七七四年:2013/05/17(金) 10:12:31.38 ID:1UkJq9TE
と信長ヒイキなのも知らんド初心者w
413人間七七四年:2013/05/17(金) 10:19:24.48 ID:AihySbmQ
本多の一騎打ちも信頼できる史料じゃないし
信じてるなら神格化家康と同レベルだろ
414人間七七四年:2013/05/17(金) 11:39:30.01 ID:ZMjDX/SL
話しをぶった切りますがすみません。
伏兵を仕込むと動物の鳴き声が消えて仕込みに気付く等があるようですが、実際にこういう状況を見て看破した武将は居るのでしょうか?
居ればその武将の名前を知りたいので教えて下さい。
415人間七七四年:2013/05/17(金) 16:41:44.88 ID:0rUT/xxE
東北・九州の20万石よりも、
畿内の10万石のが良い
とかって一般論なの?
416人間七七四年:2013/05/17(金) 17:19:09.89 ID:AihySbmQ
豊臣時代や江戸時代ならそういう風潮もあったな
年貢を大坂京江戸に送って金に換えるのも輸送費が莫大に掛かるし参勤交代も大変
老中になる者も江戸近辺に領地があるものが多かったりで
政治的経済的に中央に近い方が利点が多かった
2倍差は流石にどうかと思うし、戦国時代でも地方立国を目指してた所は
また別の理論があるだろうけど
417人間七七四年:2013/05/17(金) 21:14:33.46 ID:ye9ZIsYg
ケースバイケース。戸沢氏のように関東から
東北に戻りたがって、それが聞き入れられたって例もある。
418人間七七四年:2013/05/18(土) 04:49:17.75 ID:ujceF/Yl
状況によって大いに変わる部分ではある
安土桃山時代なら畿内に近いほうが、江戸時代なら江戸とのラインも加わるという感じ
政権からも遠ざかる上面倒な役目でもあるし、その場所を安定させるための負担もある

もっとも、海運の便がよい上名目よりも実入りが多いって場所も稀にあったりする
419人間七七四年:2013/05/19(日) 09:52:50.22 ID:MiPcKDmc
恋愛結婚をした武将がそこそこ居るのをwikiで知りましたが秀吉とか鍋島とか配下の将だけでした。
大名が恋愛結婚した事例は無いのでしょうか?
420人間七七四年:2013/05/19(日) 12:14:17.69 ID:ApGBaV8o
伊達晴宗は娘の移動中に略奪して身ごもらせる暴挙をしたな。
421人間七七四年:2013/05/22(水) 10:55:25.97 ID:USPlhWpt
輝元は恋愛とは少し違うか
ただ恋心を実らせたという感じではある
422人間七七四年:2013/05/22(水) 12:41:43.00 ID:Kca/FiF0
輝元の場合はロリを執拗に追い回し
その口封じに叔父が殺人まで引き起こすキチガイ毛利一家
423名無しに人種はない@実況はサッカーch:2013/05/25(土) 08:13:16.91 ID:6hUcZ0Dw
俺らって戦国時代の武将と会話できるの?

日本最古の録音テープで110年ぐらい前の日本語聞いたことあるけどたいして
変わらんかったけど
424人間七七四年:2013/05/25(土) 08:35:03.41 ID:Ycb3aXgg
今は使われていない言い回しや単語があるので100%理解するのは難しいと思う
雑兵物語は江戸初期の庶民の話し言葉で書かれてるけど、解説なしだと解らない部分がある
425人間七七四年:2013/05/25(土) 12:07:47.38 ID:X6mPtA6Q
少なくとも島事義弘とは会話できそうにない、二重の意味で。
426人間七七四年:2013/05/25(土) 12:34:00.13 ID:wNGKtmvx
薩摩弁は太平洋戦争で暗号として使われたくらいだからなw
もっとも武士同士なら武士言葉使えるから意思疎通は普通に出来るが
427人間七七四年:2013/05/25(土) 13:21:41.19 ID:b7nBoNWo
「ゐ」や「ゑ」は今と発音がちょっと違ってたようだから、違和感はあるかもね。
戦国時代より昔だと、「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」と発音してたとか。
428人間七七四年:2013/05/25(土) 13:26:50.44 ID:otca3Bid
んで関が原西軍で、減俸無かったのって島津家だけなの?
東北地方とか地味に居そうなのに、、、
429人間七七四年:2013/05/25(土) 13:37:00.67 ID:fZvsLzt7
カタカナとなる言葉を別の言葉に置き換える際に苦労すると思う。
過去に意識してそんな遊びした事あるが適切な言葉に置き換えれたか怪しい。
それが戦国時代の人の人にとって適切かは更に怪しい。

「今は充電期間だ」みたいな意味での充電なんて言葉は日本語だけど本当に通じるのやらとか悩んだw
430人間七七四年:2013/05/25(土) 14:27:12.39 ID:wNGKtmvx
>>428
関ヶ原で西軍に付いたのは義弘な
領土安堵されたのは西軍からの参加要請を蹴り続けた義久忠恒

んで西軍で領土安堵されたのは田辺城攻撃隊や美濃勢など結構居る
431人間七七四年:2013/05/25(土) 14:44:39.86 ID:WefcJGVz
島津に関してはややこしいけど、秀吉の時代に島津義久が冷遇され義弘が島津の主導権を握っていたのを、
関ヶ原で再び義久系が握り返したという、内部抗争が有ったりする。
義弘は事実上島津宗家から独立していたという話も。
432人間七七四年:2013/05/25(土) 16:50:04.97 ID:eY+b/F/O
>>429
「充電期間」は充電池が出来て以降の言葉だから通じないと断言出来る。
433人間七七四年:2013/05/25(土) 17:21:46.08 ID:y+nLu+TU
「素晴らしい」って言葉も、江戸時代は「ひどい」とかマイナスイメージを指す言葉だったらしいし
434人間七七四年:2013/05/25(土) 19:03:47.39 ID:FKx2ht4R
>>432
代わりとなる言葉を答えよ(5点)
435名無しに人種はない@実況はサッカーch:2013/05/25(土) 19:15:49.13 ID:6hUcZ0Dw
>>424-433 サンクス
436人間七七四年:2013/05/25(土) 21:16:18.09 ID:AGKn47sZ
>んで西軍で領土安堵されたのは田辺城攻撃隊や美濃勢など結構居る
大戦が起きた時には、
・心服してる方に付いて
・戦ってるフリだけしとく
がセオリーだなw

真田みたいに長男次男で敵味方とか
武士として卑怯だろ!!
437人間七七四年:2013/05/26(日) 01:38:14.34 ID:t5HZp3Do
>>436
保元の乱の時の源氏も長男の義朝一族とそれ以外の親兄弟に別れてただろ。

>>434
「休養」で良いんじゃねーの。あるいは「養生」の方が良いかもしれん。

>>433
「凄まじい」ではなかろうか。
438人間七七四年:2013/05/26(日) 02:24:50.80 ID:lA+CkCKz
充電の代わりは雌伏の気もするがこれは学のある人じゃないと言えなさそう
439人間七七四年:2013/05/26(日) 02:49:41.27 ID:t5HZp3Do
「雌伏」は「忍従」に近いイメージで「充電」とはちょっとズレてる気がするけど、どうかな?
440人間七七四年:2013/05/26(日) 13:03:17.16 ID:G3iCDRy4
>保元の乱の時の源氏も長男の義朝一族とそれ以外の親兄弟に別れてただろ。
でもそれやった近吾は狂死したんだっけ(′・_・`)?
441人間七七四年:2013/05/26(日) 14:25:27.42 ID:t5HZp3Do
それは関ヶ原の時の小早川秀秋の事か?流石に判りにくかったぞ。

保元の乱は平清盛の時代だから板違いだけど、河内源氏の棟梁の源義朝は親である源為義や
弟たちと袂を分かって戦った。真田に例えると真田信之が義朝で真田昌幸が為義、真田幸村(信繁)が
鎮西八郎為朝か?
442人間七七四年:2013/05/26(日) 22:19:04.57 ID:F/+t9HCe
疑問があるのですが、下記のシーンってよくありますよね?

斥候「○○軍が攻めてきます」
殿「何!!?で、兵力は?」
斥候「○万です!」

↑ 戦国時代はどうやって兵力を計算したのでしょうか?

例えば、1日の駅乗客数やデパート利用者数を数えるなど大変なプロジェクトで、
我々現代人で、現代機器を使ってもそう簡単にはできることではありません。
小早川の1万5千の兵力もよく数えたなってところです。
なので、どうやったか不思議です。
443人間七七四年:2013/05/26(日) 22:30:07.00 ID:zUSlV+Tv
>>442
斥候が報告する軍勢の数はぶっちゃけ見た目。
444人間七七四年:2013/05/26(日) 22:37:37.81 ID:jFpDo5kk
目視で見当つけたり、炊飯の煙から推測したり、陣に潜入して聞いてきたり、
誰それが来てるから大体これ位だなとか、果ては大将が直接見に行ったり

それだけやっても数を間違えるとかザラ
記録に残ってる軍勢の数も基本信用出来ないと思っていいです
445人間七七四年:2013/05/26(日) 23:03:34.72 ID:v9kHAi99
>>442
見た目。
敵軍の恐怖心にとらわれてると数を多めに見積もりやすい、とかあったらしい
446人間七七四年:2013/05/26(日) 23:36:10.45 ID:axd4jN+i
>>442
まず百人ぐらいの集団を把握して
それが何個あるか、みたいな数え方だと何かで読んだ
447人間七七四年:2013/05/27(月) 00:35:30.59 ID:HTBPF3WR
何千人もの軍勢が行軍できる街道は限られているから
昵懇にしている街道沿いの宿泊施設に問い合わせたりする。
448人間七七四年:2013/05/27(月) 00:43:46.31 ID:Qyp7J9gO
>>446
野鳥とか数える時はそういう感じだな。
449人間七七四年:2013/05/27(月) 18:16:10.36 ID:qJMuobX0
関が原で一門が敵味方に分かれた
大大名って居たっけ?

大大名こそ分かれるべきだと想うのだが、、、
450人間七七四年:2013/05/27(月) 18:26:22.27 ID:PqjcO/n8
島津は事実上分裂していたとされる
あと前田も兄弟でそれぞれ微妙な立ち位置を
451人間七七四年:2013/05/27(月) 20:23:06.26 ID:SHclFyyC
九鬼氏が親子で東西に分かれてたねー。
あとは、息子がいつのまにか西軍側についてた鍋島さんや
息子が東軍で頑張っちゃった黒田さん、
親子で東西どっちに付くか揉めて何にもできなかった佐竹さんとか・・・
452人間七七四年:2013/05/27(月) 22:01:15.57 ID:ctiphhlu
>>443−448 サンクス
炊飯の煙の数で計算は確かに信憑性はありますね 
孔明も孫ピンも炊飯の数を調整してで兵力を多く見せたり、小さく見せたりしてましたから
でも、素早く知らせないといけないので、見た目が一般的なのかなあ どうも有難うございます。
453人間七七四年:2013/05/28(火) 04:54:28.83 ID:CooZEoff
>>449
ある意味毛利
454人間七七四年:2013/05/28(火) 11:15:12.76 ID:8yhHNKan
忍者というのはなりたくてなれるものだったりするんですか?
隠れ里とかよく聞きますしなるにしても難しいてしょうか?
455人間七七四年:2013/05/28(火) 11:25:09.84 ID:3gxPaSa/
当時の忍者はちょいと特殊技能に優れた地侍の集団でして
この集団は地縁血縁で結ばれた集団なので、
そこにぱっと入っていくのは難しいでしょう
456人間七七四年:2013/05/28(火) 12:10:19.59 ID:NL44dUxg
そもそも「忍者」なんていう特定の職種や階層があったわけではない
457人間七七四年:2013/05/28(火) 19:05:20.25 ID:ANFQZJll
武士や僧侶や農民も敵国に入って、道を調べたり噂話をながしたりしてたけど、
そういうのを専門に請け負うのが忍者って言われてる個人ないし組織の総称って感じでいいのかな?
458人間七七四年:2013/05/28(火) 20:03:38.33 ID:ECb+KBKX
「忍者」という呼称は江戸時代以降で当時はつかわれていなかった。
概念こそあったが「すっぱ」「乱破」「草」とか言われていた。
「忍者」という言葉が広まったのは仕事にあぶれた連中の広報活動ではないかと思う。
459人間七七四年:2013/05/28(火) 20:06:07.91 ID:NL44dUxg
戦国期から、乱破、草、軒猿などとともに、しのび(忍)という言葉はあり、江戸期にも使われたが、
「忍者」は明治の講談で広まった言葉だな
460人間七七四年:2013/05/28(火) 21:30:39.46 ID:BDrwPRQ+
山田風太郎がアップを始めたようです
461人間七七四年:2013/05/30(木) 18:53:36.75 ID:b6KnCwpS
「城」滞在中に「奇襲」攻撃された大名とかって居ないの?

本能寺の城版みたいなのw
462人間七七四年:2013/05/30(木) 19:10:36.61 ID:vj+curA9
斎藤龍興
463人間七七四年:2013/05/30(木) 19:10:48.21 ID:mfYPus1T
>>461
なんぼでもあるだろ。連歌をやりに遊びに行ったふりをして那古野城攻め取った織田信秀とか、正月に芸人に化けて月山富田城に侵入して
攻め取った尼子経久とか、それこそ岐阜城を謀略で攻め取った竹中半兵衛とか。
464人間七七四年:2013/05/30(木) 20:11:13.71 ID:b6KnCwpS
そう言われればそうだったw

大名の居城ですらそれなら、僻地の城なんて
気付いたら城主の首獲られてたとか山ほどありそうだけど
城主の与力みたいな兵ってどうして襲撃察知してたんかな?
465人間七七四年:2013/05/31(金) 08:14:36.99 ID:FhPGRSaJ
少人数ならその場で対応できるし
中規模なら、兵を召集したりしてるあたりで動向がつかめる。
敵に対する備えはしてるだろうけど
こわいのはやっぱりだまし討ちみたいなもんだろうなぁ。
ただ、実際はやるほうだって命がけだから
ゲームみたいにそんな簡単にひんぱんには起きないだろうけどね。
466人間七七四年:2013/05/31(金) 23:31:52.29 ID:i7rNf+DI
秀忠って何で中山道通らなきゃ成らなかったの?

秀頼出陣→即決戦なら待てなかったの?
467人間七七四年:2013/06/01(土) 00:21:59.20 ID:Du3OPM+H
>>466
何を待つのか判らんが、中山道を通ったのは家康の指示。
468人間七七四年:2013/06/01(土) 00:56:57.15 ID:SApfr/7g
>>466
西軍の逆侵攻を防ぐためとか、
後方確保のために信州を抑えるためとか、
当時の交通事情から、東海道が混雑するのを避けるためとか、
いろいろ説はあるな
469人間七七四年:2013/06/01(土) 13:06:18.24 ID:Gh5PD6NS
豊臣の小田原攻めってどういう講和条件?だったのですか?
ホイホイ偽の条件につられてだまされて滅亡のイメージあるのですが
470人間七七四年:2013/06/01(土) 14:38:10.56 ID:w3mg0lFT
関八州古戦録や北条記だと
相模伊豆+上野か武蔵安堵のはずが騙されたとなってるが
実際の所は、氏直が切腹するから城兵助命よろ。ってのしか分からん
471人間七七四年:2013/06/01(土) 16:34:20.77 ID:hUU6RPH9
戦の戦死者の大半が同士討ちだったって本当ですか?
関ヶ原もそんな感じだったらおもろいなあー
472人間七七四年:2013/06/01(土) 17:09:49.34 ID:hDy1tABV
そんな統計は存在しない。想像か妄想
473人間七七四年:2013/06/01(土) 22:32:31.69 ID:Du3OPM+H
>>469
小田原城の守りの堅さを頼んで徹底抗戦しようとしてたんだから
そんな甘い条件で許される訳が無かろう。
474人間七七四年:2013/06/01(土) 22:37:56.61 ID:hDy1tABV
そもそも北条の本拠である伊豆が、小田原役の真っ最中に早くも家康に与えられ、
家康がさくさく支配を浸透させていったため伊豆系家臣の動揺が激しく、もう交戦できる状況ではなかった
475人間七七四年:2013/06/01(土) 23:20:56.50 ID:MMgzljby
北条が粘りに粘り続けていれば、一度は従った各地の大名も反乱して戦国時代続いたかもしれないのになー
476人間七七四年:2013/06/01(土) 23:25:03.15 ID:w3mg0lFT
無理
477人間七七四年:2013/06/02(日) 16:21:34.10 ID:PEblRomM
>>468
キワモノの真田に何かされると思ったら
軽挙に過ぎると思うのだが、、、
家康公は旗本だけで戦うつもりだったのだろうか?
478人間七七四年:2013/06/02(日) 16:42:12.78 ID:BOcLgSyh
真田を過大評価しすぎ
479人間七七四年:2013/06/02(日) 18:08:27.02 ID:141xhQrY
朝鮮出兵についてソースによって情報バラバラなんでどうして日本が勝てなかったのか教えてください
結構日本勝ってる印象強いんで

マイナス情報
日本軍は民衆にも苦戦した 秀吉は朝鮮にボロ負けした
当時の日本は朝鮮にも負けるぐらい弱かった 武将の力なんてそんなもん
補給が断たれて負けた

プラス情報
戦争経験、鉄砲の数、兵の質が日本のが上で連戦連勝
清正や小西がソウルやピョンヤンまであっさり進行したり王子を人質にしたり簡単に朝鮮半島中を圧倒した
朝鮮軍が弱過ぎて進軍が速すぎたので補給線が伸びて補給が困難になった
島津義弘や立花宗茂は数倍の敵も撃退し朝鮮軍を恐れさせた
補給に困ったのは最初だけ、その後は補給作戦を行って問題は解消された

授業では明軍の援軍が来て、当時から人口の多かった中国だけに援軍の数
も多くて兵数の差で圧されたって習ったような気がするんだけど、本当にそれだけ?
プラス情報見る限り当時の日本武将達の無双状態に見えるんだけど
秀吉が死んだから中止、引き分けにしただけで、続いてたら日本勝ってたとかではないの?
480人間七七四年:2013/06/02(日) 19:06:49.33 ID:DhlvnRVM
当時の秀吉が、現場の武将達が勝利条件を何処に設定していたか
まずはそこから見ないと、何故勝てなかったかなんてわかりませんよ
そこを考えつつ、上記の情報を時系列で並べ直してみたらどうでしょうか
481人間七七四年:2013/06/02(日) 22:34:59.99 ID:V/y7oWqB
「唐入り」とも言うように本来は明との戦争も視野に入れた戦役だったんじゃないかね
実際そのようになって、長期戦の様相を呈してきたわけで
もしも仮に秀吉が後5年生きていて戦闘が続いたとした場合、明本土が戦場になったかもしれないが、
長期間に及ぶ戦闘で逆に国内が不穏になる可能性もある
482人間七七四年:2013/06/02(日) 23:34:59.51 ID:y2Q/MWzO
>>479
軍隊を打ち破るのと、そこを占領できるってのは別物なのよ。
軍事の視点でいえばプラス情報、占領・統治の視点ではマイナス情報って感じかな。

今でいうと、イラクとアメリカの関係に近いかな。
アメリカは圧倒的な軍事力であっさりイラク軍を打ち破ったけど、その後の統治には
非常に苦労した。
その辺の図式を日本と朝鮮に当てはめて想像してみると理解しやすいんじゃないかと。

日中戦争の日本と中国の関係にも似てるかな。
連戦連勝で中国中で勝ちまくったけど、占領には至らなかった。

で、朝鮮出兵は明への侵攻のための手段であって、朝鮮占領が目的ではないから
秀吉が死去した時点で放棄して日本に帰ってきた、と。
483人間七七四年:2013/06/03(月) 11:47:39.46 ID:Y8GBlwUl
中国の歴史書の明史には7年の間に10万の将兵を失い100万の兵糧を消費
したが明と朝鮮に勝算は無く、ただ秀吉が死んだ事で戦争は終結したって
書いてあるらしいから、占領はできなかったけど、少なくとも戦国時代の
日本軍の戦闘力が凄かったのは確かみたいだね

清正とか小西って人心掌握術微妙だったのかな、現地の民を味方に出来なかった
のはつらい。今の政治家達潰して日本がより良い生活提供しますよって、宣伝できれば良かった
484人間七七四年:2013/06/03(月) 12:07:21.46 ID:KIEO8Uv/
マンガ日本史ではチョソ達は最初日本軍を解放軍だと思って歓迎したけど侵略者だと分かって抗戦するようになったって言ってたw
この話が本当なら解放軍として立ち回っていれば唐入りも出来た?
先発隊が武功挙げるために我先にと突撃したからどうにならんかったけど
485人間七七四年:2013/06/03(月) 19:21:46.57 ID:a4RuEUS7
>>484
やっぱ海を越えた補給に無理があって、前線部隊は現地で兵糧の徴発とかしちゃったそうな。
そりゃ侵略者になっちゃうよな。
486人間七七四年:2013/06/03(月) 22:42:31.73 ID:fMR0cLoV
というか、物資を現地調達するのは常套手段で、予定通りなのだが朝鮮半島は貧しくて調達出来なかった。
そのために占領地を維持するどころではなく、いったん沿岸部まで退いた。
その後は海を越えて補給するのがちょっとつらいけど、なんとかなった。それでも最終的には秀吉が死んで
取りやめとなった。
487人間七七四年:2013/06/04(火) 10:27:19.00 ID:oSGqT2aK
思ったんだけどさ、朝鮮無視して最初から明と戦っていれば問題なかったんじゃない?
だって朝鮮軍が弱すぎたり貧しすぎたりするのが問題だし、侵略価値なさそうだし
488人間七七四年:2013/06/04(火) 10:29:24.72 ID:oSGqT2aK
まぁ遠いけど、対馬経由で朝鮮行く方が近いし、長崎から直接明まで行ける
ような長距離船を作る技術日本にあったか微妙だけど
それこそ宣教師から学んで教えてもらって建造とかすればよかったかもね
489人間七七四年:2013/06/04(火) 12:17:58.27 ID:eOiJbmVP
東シナ海渡海なんて簡単なモンじゃないし
台風シーズンは渡海軍を完全孤立させとく気か
490人間七七四年:2013/06/06(木) 16:49:40.07 ID:D8lQYunB
戦国時代の柴田が国主時の福井北の庄
(別にここだけ…とは言いませんが)での

当時の塩の生産?量とかってどんなものだったんでしょうか?
491人間七七四年:2013/06/07(金) 10:19:07.89 ID:qmkv4esh
細川政元が北陸へ旅した時だったかな?越後に塩田が多かったと記録されているね。
それと会津は塩不足で温泉から塩を抽出してたというね。
492人間七七四年:2013/06/07(金) 11:39:04.73 ID:EuDxLF/i
敦賀若狭方面だけど、福井県史だとこんな感じみたい。
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T3/T3-3-01-04-04-01.htm
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/zusetsu/zusetsuframe.html

福井県は県史を見やすい形で公開してくれていていいよね。
493人間七七四年:2013/06/07(金) 15:23:08.56 ID:f6dC3Vib
遅レスですいませんが
硝石で質問あります


そもそも「硝石」って自然界にある物質(鉱石?鉱物?)なんでしょうか?
それとも科学的な「人の手に拠ることが必要な物質」なのでしょうか?
どうか分りやすくお願いします。
494人間七七四年:2013/06/07(金) 16:29:22.71 ID:9NOimaRp
硝石は乾燥地帯でないと自然に出てこない。日本の気候じゃ人為的にしないと無理
今では肥料などへの大きな供給源としてチリの砂漠でとれる「チリ硝石」というものがある
一般的には生物由来のものとされてるね
495人間七七四年:2013/06/07(金) 17:39:36.30 ID:ZXHXyDdY
>>493
質問する前に、まずはWikipediaあたりを調べてからの方がいいよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%9D%E7%9F%B3

質問するより早いし、質問された事以外の情報も手に入る。
ネットの情報の正確性は云々されるけど、信頼性は2ちゃんねるで質問しても高くなる訳じゃないし。
496人間七七四年:2013/06/07(金) 20:21:56.46 ID:sVgKc4Yf
今日のアスペルガーだが=ID:qmkv4esh

【親父】長尾為景【強い】
ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156602220/359

織田信長は過大評価されすぎ12
ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1360651236/698

【吉川】毛利一族を語る【小早川】
ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152171027/910

【疑問】スレ立てるまでもない質問11【戦国時代】
ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1362228842/491

上杉謙信は戦国最強【信玄,信長,氏康,盛氏を圧倒】
ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1334873788/975

問題ばかり起こしている荒らしなので関わらないようにしましょう!
497人間七七四年:2013/06/07(金) 22:21:19.31 ID:mQ4Z290Q
>>491
熱塩(あつしお)温泉だね。会津は内陸だからな。
498人間七七四年:2013/06/08(土) 08:15:07.17 ID:SDmwr7Hr
487〜 の流れ見て思ったんだけど

確か伊達政宗ってスペインまで行ける長距離大型船作ったよね?
伊達家に作れるなら豊臣家にも作れたんじゃないの?
それなら対馬経由しなくてもいきなり中国責められた気がする
499人間七七四年:2013/06/08(土) 09:07:24.05 ID:uMSorWbD
伊達が作れたと言うより、幕府がアダムスから得た設計ノウハウを持っていて、
家康が厚遇していたアダムスと対立していたスペインのビスカイノをウザがって早く追放同然に帰国させたい家康が
政宗に無理やり大金浪費させるために作らせただけ。
なので設計など主要業務はすべて幕府から派遣されてきた奉行がやってて、伊達には技術移転してない。
500人間七七四年:2013/06/08(土) 09:48:13.01 ID:SDmwr7Hr
つまり持ってたのは江戸幕府、家康だから秀吉時代、豊臣政権は海外に行ける
長距離大型船は作れなかったわけか
秀吉バテレン追放したけど、そもそも西洋から東南アジア経由で日本まで
来たキリシタン達の力を借りればもっと簡単にアジア征服できたかもね

たらればやIFは喋っても仕方ないけど、仏教儒教圏の中国で布教活動許す
からって条件でキリシタン達に全面協力仰げば長距離船や火薬、大筒バンバン
手に入って史実よりはアジア征服計画うまくいったかもしれん
501人間七七四年:2013/06/08(土) 10:04:43.75 ID:uMSorWbD
信長にはそういう思考はなく皆殺しの撫で切りや根切りや磔など残虐な極刑による地域消滅政策。
秀吉は農村の生産力確保維持政策が基本にある
(生産力・経済の概念は遠征補給兵站思想と、重商主義的な朝鮮出兵ビジョンが視野にあるから)
そのため島津に対して豊後の民を返還しろと命じたり、
宣教師に奴隷売買すんなや!と激怒し、宣教師が苦し紛れに
日本人が売るからポルトガル人が買うだけで私たちは苦しく思ってたと釈明していたり
キリシタン禁止理由として「本願寺一向宗のように国を奪い戦を起こすようにする企みがあり
しかも本願寺は百姓を惑わしたが、キリシタンはさらに悪質で領主層を惑わす。
秀吉が給付した領地の主人は変更することはあるが、其の地の農民の移動はない。
それなのにキリシタン大名が秀吉の許可も得ずに領地の寺社を勝手に燃やしたり略奪するのは許されない。
宣教師の企みを喝破できたのは日本の中でいまはまだ私だけだ」と言っている。
信長のようにただ単に興味本位で珍しい新しい物好きで宣教師を厚遇してるバカとは違う。
502人間七七四年:2013/06/08(土) 10:13:29.27 ID:uMSorWbD
ちなみに、その地の農民の移動はないってのは兵農分離により、
農民はその土地を耕すことに集中させるため&あくまで領地と民は豊臣政権のもので領主は豊臣政権の行政機関なので転封ありということ。
これにより恩賞を得て領地をもらいたい専属兵による遠方への出陣が可能になった。
503人間七七四年:2013/06/08(土) 10:13:57.05 ID:ue4NTSVU
だがさんはしゃぎすぎ

>>500
極東キリスト勢力って非力な貧乏所帯だからそんな影響力も実行力も無いよ
だから領主に取り入ってその力を利用しようと必死だったんだが
それはそれで時間が掛かる話しだし
504人間七七四年:2013/06/08(土) 10:17:23.76 ID:5c6AlZXN
この時代、多くの人は土地と深く結び付いていた。農兵に関してはそういう方向性に向かってるみたいだが、家臣もだいたい同じなんだよね。先祖伝来の土地と不可分の関係にあった。

加増されても遠国に追いやられるくらいなら、いっそ謀叛してやろうかというのがこの時代の保守性。それをどうやって流動的なものに変えて行けるかが、信長の思考の中心だったと思う。

信玄もあと十年長生きしたらと言われるけど、あと十年長生きしてたらそういう人の流動性という問題に突き当たざるをえなかった。
譜代の臣を甲斐の周辺国ならともかく、国境を二つも三つも越えた先に封じられたか?
信玄はそこまで行く前に死に、謙信も結局その問題から逃げたと思う。

天下統一って一口に言っても誰でも持ってたビジョンではないんだよね。



どうやって中世を超克するか?
というのは信長だけじゃなく、謙信や信玄も考えていたと思うんだよね。残念ながら二人ともその解答を出す前に死んだ。

彼らを支えていた保守的な力というのは、やっぱり彼らを利用して既得権を保とうと働いていたわけで、彼らが長生きしてたら必ずその層を後ろ盾にしてる限界にぶち合ったってたと思う。

上洛まではいい。その先例えば九州遠征に参陣して一年も二年も本領を留守にする小山田や穴山や木曾を想像するのはとても難しいことだ。

解決策は大きく二つしかないと思う。これを力によって取り潰すか、あるいは一国に封じて、拙案>>10で言うところの国主(従属大名)に格上げすること。在地性の非常に強い国人土豪の立場からの脱皮を促すわけだ。
駿河一国に封じられ、大名格に転身した穴山が九州征伐に参加する姿はなんとか想像できると俺は思うんだよ。
505人間七七四年:2013/06/08(土) 10:22:16.23 ID:uMSorWbD
アホか。長崎を宣教師に献上したりと着々と西九州はキリシタン化してたのも知らんとは。
黒田官兵衛なんて小早川隆景にキリシタンになるように説得してるし。
当時の豊臣政権内は蒲生氏郷などキリシタン化が着々と進んでいたわ。
506人間七七四年:2013/06/08(土) 10:33:17.54 ID:qUnDHS2C
別に信長かがばうわけじゃないが
キリシタンの布教を許したのは旧式の仏教に対する
イヤガラセで、自分が無事統一できたら秀吉のように
禁止してたとしても普通。
どころか今までのように不要になったら抹殺してたかもしれない。
秀吉は信長の反面教師の側面もあるから
禁止令出したのも信長のそういった作戦を受け継いでいる
とまでは言わないが、大陸出兵が元は信長アイデアの継承
というのなら十分に禁止令も信長の延長上にある
と小説一本ぐらいなら書けるだろう。
507人間七七四年:2013/06/08(土) 10:46:33.29 ID:uMSorWbD
ププププw
キチガイの得意技w
秀吉のアイデアは全て信長の脳内で考案されていたに違いないwww
はいはい脳疾患アホ乙
508人間七七四年:2013/06/08(土) 10:59:44.69 ID:mBxZczhC
>>504
>拙案>>10で言うところの

どんな案かなと実際に>>10を見たら、内容にワラタww
509人間七七四年:2013/06/08(土) 13:37:07.84 ID:v0P6Fww6
天軍戦国史の2番煎じ的SSを構想中なんですが

「新興大学(少林寺拳法部・自動車部・男子女子剣道部・工学部・医学部・農業部・大学事務職員、
計およそ7十数名)、
付属高校の一部(漢文学同好会・茶道部・薙刀部←すべて女子のみ20名)」
そして隣接していた「イオンモール」(銃砲店(べネリ50丁、弾薬数万発・本屋丸善・大型ドラッグストア・
ドラッグストア併設の診療所・屋上で大、中、小型農機フェア・大型日曜品店・駐車時用併設のガソリンスタンド
大型農業品店・大型スーパー、そして倉庫ブロックに各店の大量追加在庫、
そして駐車場に多数の車両、及び駐車場の一角が舗装工事の為、重機・大型トラック数台)、

イオン関連は「診療所の女医(28)と看護婦(妹)」、「銃砲店のお爺さん(元陸自、67歳)と孫娘(中3、ジュニア射撃で県トップ)」、
「農機メーカーの指導員数名」「舗装工事の工務店の重機オペレーターの兄ちゃんs十数名」
のみで他の人員は「何故か居なかった」で
510人間七七四年:2013/06/08(土) 13:42:01.67 ID:v0P6Fww6
509続き

これを踏まえて
「4月から田畑を休ませず農業作物取れ高チート」を
大量かつ効率よい作物ってなにが宜しいのでしょうか?
511人間七七四年:2013/06/08(土) 17:11:02.25 ID:ue4NTSVU
512人間七七四年:2013/06/08(土) 17:33:11.26 ID:9ZHXoHN+
>>510
素人考えだがサツマイモ、ジャガイモだな、夏に向けてトマトとトウモロコシも。
『田畑を休ませず』なら肥料を使いつつ輪作で凌ぐ。
考えてみると新大陸の作物がいかに世界を変えたか分る。
513人間七七四年:2013/06/08(土) 19:44:57.14 ID:suFcqL+6
干ばつや水害に強い品種を持ってったことにしちゃうとか
514人間七七四年:2013/06/08(土) 20:00:22.94 ID:v0P6Fww6
509-510です
農業品店には「ありとあらゆる」種が有ると言う事で
515人間七七四年:2013/06/08(土) 22:12:22.73 ID:UabMN9NL
>>514
農業板とかで聞け。戦国時代関係ないし。
516人間七七四年:2013/06/08(土) 22:25:43.60 ID:FzTPF1/h
>>500
>秀吉バテレン追放したけど、そもそも西洋から東南アジア経由で日本まで
>来たキリシタン達の力を借りればもっと簡単にアジア征服できたかもね

対外戦争のノウハウがないから無理。アジアは割と早くから
民族や国家の枠組みが出来あがってるし傀儡政権を作らない限り、
統治は不可能だが当時はそんな発想はどこにもない。
517人間七七四年:2013/06/09(日) 00:13:14.42 ID:yH+koL/g
今は割に合わないのでやらないけど、当時は二期作・二毛作はよくあったことだよ
後は調べればいい
518人間七七四年:2013/06/09(日) 00:41:07.76 ID:UQFhqy10
>>510
コメだよコメ
小麦だの芋だの豆だの食べてる所は
水田が作れないから仕方なくそれらを食ってたレベルのチート作物
栄養価や収穫量や水田なら連作障害がないなど総合力としては正にチート
話のネタにならない?んなこた知らね
519人間七七四年:2013/06/09(日) 00:46:11.04 ID:UQFhqy10
ただし玄米な。白米は炭水化物以外の栄養のあるところほとんど削いじゃった姿だから
520人間七七四年:2013/06/09(日) 00:58:05.39 ID:s/5MtaDD
つぶのまんまうんこにでちゃう
521人間七七四年:2013/06/09(日) 01:11:01.31 ID:xx+fmN93
歴史好き的なAKBの選挙結果はどんななの?

九州勢が突撃して来たから、
統制取れない関東勢大敗って感じ?
522人間七七四年:2013/06/09(日) 01:19:58.89 ID:UQFhqy10
あれ九州勢どころか中華からも突撃来てるらしいじゃんwそれどころじゃないんじゃねw
まぁAKBなんてとことんどうでもいい
523人間七七四年:2013/06/09(日) 05:32:10.87 ID:94KbTvmz
>>500
東南アジア行くのに大型ガレオン船などいらない
様々な国に日本村があったのは紛れも無い事実なんだし
524人間七七四年:2013/06/09(日) 08:37:13.06 ID:3rjfxF8g
戦国時代は疫病の流行って無かったんだろうか。
また後醍醐や弟の怨霊や祟りを極度に恐れた尊氏だったが、
怨霊信仰は下克上時代の戦国時代にはもう廃れていたのだろうか。
元就が陶の怨霊封じをしたらしいが。
実際、怨霊信仰こそが下克上抑制と天皇制存続の秩序維持に役だっていたはず。
まあ他にも五穀豊穣やら各種行事儀礼のノウハウも武家にはないってこともあるが、室町幕府初期は荘園収入が途絶えてほとんど朝廷はやってなかったし。
幕府も資金不足で援助もあまりなく行事をやるための資金工面が難航を極めた。
また室町幕府は第二次大規模造営時代とされ100メートルを超える大塔まで義満は建造して自分の権力を誇示していた。
しかし落雷で消失した際に、塔上にあやかしがいたと噂され大天狗による仕業とまことしやかに語られた。
そういった恐れ文化はいつ消えたのだろう。
また義持時代の大飢饉による大量餓死を鎮魂する行為が盆踊りに発展したりとその手の祀りも戦国時代には資金面からも難しくなったのだろうか?
525人間七七四年:2013/06/09(日) 08:46:46.36 ID:0qqwd0kU
独り言はチラシの裏に・・・。
526人間七七四年:2013/06/09(日) 10:25:45.45 ID:l0mLCkc0
天軍戦国史とかくだらんSSの話題を書くなよ
527人間七七四年:2013/06/09(日) 13:16:34.82 ID:6EVtfvkh
>>524
流行病の類はワクチンなどの治療法が確立するまでは定期的に流行してきた。
さらに当時は麻疹、天然痘に加え梅毒が入ってきたからな。
528人間七七四年:2013/06/10(月) 12:59:10.24 ID:hLZOGY1f
そもそも硝石って「金属?」「物質?」「鉱物?(鉱石?)」?
ウィキ見ても小難しくて良く判んない…

どうか馬鹿にも判り易くお願いします。…(泣
529人間七七四年:2013/06/10(月) 15:55:51.99 ID:64Dqs/rX
そら硝酸塩ってことよ。その辺は化学の話になるからまた別のところのほうが詳しいだろうけど
530人間七七四年:2013/06/10(月) 17:10:56.81 ID:hLZOGY1f
…つまり「塩」の兄弟みたいなもの…と理解してイイんですね?(ここ重要



(…オリジナル呪文で《塩作成》から派生した呪文を独自作成出来るな…、ルール的に…
これで《硫黄作成》と《燃料作成/TL7》(木材を木炭化)で、やっと魔術師一人火薬工場化が可能になる…くくく…)
531人間七七四年:2013/06/10(月) 17:28:40.37 ID:jNHnWmd2
何のルールかは知らんが硝酸塩を塩の同類として扱うには相応の《化学知識》が必要じゃないか
少なくとも大学の理学部化学科修了程度の

まぁ便所の土から煮出す方法だと海水から塩作るのと大して変わらんかもしれないけど
そこら辺の方法が確立するのは戦国時代よりもかなり後なんで、後は相応の板でよろしく
532人間七七四年:2013/06/10(月) 17:38:32.33 ID:gOq1FwJe
毛利元就の書状に、硝石作りの人間がこっちに来るから相応にもてなすように、というものが残っている。
元就の時代には硝石製造者の集団が土地から土地に移動して硝石作りをしていたらしい
533人間七七四年:2013/06/10(月) 19:50:13.09 ID:Wa7n11n/
何の本か記憶が定かで無いんだけど、毛利家は西国なのに鉄砲技術が遅れてたって読んだことあるな
534人間七七四年:2013/06/10(月) 20:09:31.70 ID:gAMyDIcq
>>530
戦国時代関係ないじゃん。化学板で聞けよ。
535人間七七四年:2013/06/10(月) 20:19:50.92 ID:5OBp0Ykc
まぁぼちぼちウザがられてるから、ここを都合良く使うのはもうやめたほうがいいな
536人間七七四年:2013/06/10(月) 22:13:41.16 ID:+WgTbvLC
>>530
ググったら硝石は硝酸カリウム(KNO3)らしいので食塩(NaCl)とはかなり違う。
そもそも《塩作成》の呪文は無くて、食塩は海水などから天日干しにしたり煮詰めたりして取り出す物だ。
537人間七七四年:2013/06/11(火) 05:21:11.61 ID:2qlEUDuS
絵札(カードゲーム)の質問をしたいのですが、ウィキペディアの花札記事に

>天正時代(1573〜91)にはすでに国産のかるたが作られており、当時の札が一枚だけ現存する。
>時の為政者がカードゲーム禁止令を出すと、その禁止令を逃れるためにデザインを変えるといういたちごっこもあいまって、様々なデザインの札がつくられた。
>そして「花札」もその流れの中から誕生する。

と書いてあったのですが、なぜカードゲームは禁止されたんでしょうか?
南蛮渡来品は遊ぶなという事ですか?
この為政者は明確には誰で、発案者は誰なのかも分かれば嬉しいです。
538人間七七四年:2013/06/11(火) 10:26:07.32 ID:d8j50HFf
博打の道具だから博打を禁止するついでに道具も禁止したということで
トランプ花札自体に禁止されるような事柄は無いかな
最初に禁じたのはウィキペに長宗我部元親とある
それ以降のことは江戸時代になるので該当板で聞くといい
539人間七七四年:2013/06/11(火) 14:10:00.64 ID:Gr6E0nDM
>>538
職場のPCからなのでID違いますがレス有難う御座います
博打が禁止にされたついでに道具が禁止されただけなんですね
長宗我部元親が禁止した事も教えて下さって有難う御座います
キーワードのおかげでとても探しやすくなりました
540人間七七四年:2013/06/11(火) 18:23:58.10 ID:G4JW3p0r
太閤立志伝でチンチロリンとか居酒屋でやってたけど本当は駄目だったのか…
541人間七七四年:2013/06/12(水) 10:24:26.05 ID:R/3G+ywk
http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param
村の人口って、だいたい
「石(村)高=人口 → 年貢を払っている人たち=農民≒統治大名政府の保護下にある人達」
と理解していいのでしょうか?

それと福井の方に聞きたいのですが
天正三年の柴田統治下の
・「北の庄の町」って今のどの辺りの事でしょうか?
・飯塚町(アピタ福井店付近)、
 福井工業大学一帯付近(北は福井アカデミアホテルと横のグランド全部、西東南は福井工業大学敷地全部)付近の
 村って何処でしょうか?
542人間七七四年:2013/06/12(水) 13:02:21.41 ID:Eefo6xGJ
>>540
何かの本で読んだところでは、陣中で賭博に熱中して武器や鎧まで巻き上げられる兵が結構いて、
中にはふんどし一丁で合戦に参加して、見事手柄をあげた人もいたとか。
だから、戦国時代に関しては陣中の風紀粛正って感じで、平時は特にとがめられなかったんじゃないかな。
543人間七七四年:2013/06/12(水) 20:05:50.43 ID:QIkZTqjT
>>541
上段は細かく言えば長くなるけど大体ならそんな感じの認識でいい
544人間七七四年:2013/06/19(水) 09:28:30.12 ID:+zZr47e4
知人の又聞きで
大豊作でコメが余るとこれまた一揆がおこる…とききました

貧乏職無し食い物無しじゃないのに何でまた?

そこら辺意味と理解が出来ません

どうか分りやすくご教授下さい。
545人間七七四年:2013/06/19(水) 10:28:13.16 ID:h/6Imka1
税を金で払う社会ならあり得るけど、戦国時代の豊作貧乏は聞いた事がないな
546人間七七四年:2013/06/19(水) 11:20:00.50 ID:1q4R9iDu
鎌倉から戦国くらいまでは銭納も多かったらしいからじゃない?
換金するのも農民だし。
547人間七七四年:2013/06/19(水) 13:20:17.35 ID:Pu4s9htp
伊達政宗の遣欧使節団ってガレオン船作って、渡海したのはわかりますが
当時の日本に航海術ってあったのでしょうか?
宣教師が教えたのか、難破船の白人が操船したの?
ガレオン船造れて外洋航海してるって後々徳川の脅威にもなりそうなので。
548人間七七四年:2013/06/19(水) 13:46:13.29 ID:h/6Imka1
>>546
具体例あるの?
549人間七七四年:2013/06/19(水) 14:28:42.34 ID:V61RexCj
>>548
北条氏とか

>>547
日本最初のガレオン船サン・ブエナ・ベントゥーラ号の航海士は漂着したドン・ロドリゴの一行
遣欧使節団の航海士はスペインから派遣された船長
航海術自体は三浦按針から教授されていて持っていただろう

仙台のサン・フアン・バウティスタ号は伊達政宗が金と場所と人夫を提供したけど
実際に作ったのは幕府の船奉行と船大工なので
技術移転についてはさほど心配は無いかと
ただし幕府がさらっとコピー出来た事から、建造はそれほど難しいものではなく
大大名が本気で作ろうとすれば、いずれは作れただろうね
550人間七七四年:2013/06/19(水) 14:42:48.91 ID:mmKw7AyP
>>541
北の庄城址で検索すればだいたい感じが掴めるとは思うけど
足羽川を天然の要害として利用して今のJR福井駅南端からほど近いその周辺じゃないかな
昔、住んでた頃の記憶によると北の庄城址から西に向けて九十九橋辺りまでが
やたらと古めかしくて由緒ありそうな古くからの商店なんかが多く建ち並んでたような記憶があるけど

飯塚町、工大付近の村ってどこでしょうか?って聞かれてもちょっと質問の意味が…?
あの辺は朝倉氏時代からどちらかといえば古い時代に枝分かれした朝倉の遠い血縁衆とか足羽郡司管轄の辺境だったので
大きな村落があったのかと問われればどうなのかな?としか返答出来ないよ
551人間七七四年:2013/06/19(水) 14:44:11.44 ID:ekR53tg+
>>547
朱印船貿易の時にはフィリピン辺りまで日本船が行ってるので航海術もそれなりにあったろう。
しかし太平洋を横断するとなるとそれとは難易度が違う気もするので技術指導もあったんじゃね。
552人間七七四年:2013/06/19(水) 14:45:46.45 ID:h/6Imka1
>>549
いや、豊作貧乏で一揆までいった例よ
553人間七七四年:2013/06/19(水) 15:03:14.75 ID:4HTuCJtZ
米は備蓄できるから余ったら一揆というのは
確かにわからんな。
財産の奪い合いと言うのなら一揆ではないだろうし
備蓄分の重要度はよくわかってるだろうし。
554人間七七四年:2013/06/19(水) 18:25:16.20 ID:+zZr47e4
>>550
>大きな村落があったのか?
はい、そうです。
イオン近辺にネームドの村とかの情報が知りたかったんです。
このあたりって当時の柴田勝家直轄だったんでしょうか?

>今のJR福井駅南端からほど近いその周辺じゃないかな?
昔、住んでた頃の記憶によると北の庄城址から西に向けて九十九橋辺りまでが
やたらと古めかしくて由緒ありそうな古くからの商店なんかが多く建ち並んでたような記憶があるけど

これも凄くサンクスでした。
…よかった… 福井工業大学に近くなかった…。
555人間七七四年:2013/06/19(水) 22:36:06.61 ID:+zZr47e4
天正三年当時って北海道って誰かの領土になってたの?
所謂勢力的無人地帯ってありましたか?
556人間七七四年:2013/06/19(水) 22:59:32.55 ID:ekR53tg+
基本的にアイヌの土地だ。
557人間七七四年:2013/06/19(水) 23:13:49.53 ID:V61RexCj
南端の沿岸部を安東氏配下の蠣崎氏をはじめとする道南十二館がもってた以外は
全部アイヌの地か未開地だな
558人間七七四年:2013/06/20(木) 08:52:21.70 ID:HfEWrJYV
>557
南端の沿岸部を安東氏配下の蠣崎氏をはじめとする道南十二館がもってた〜
そこら辺細かくどうか詳しく

つまり言い換えたら
北海道に行く手段、アイヌたちとの友好等、そこら辺しっかりしたら…つか
考えなければ
上陸&占有しても安東氏配下の蠣崎氏とは別に衝突等は無い…ですか?
559人間七七四年:2013/06/20(木) 09:19:10.67 ID:FjtI2Bw4
何を聞きたいかよく分からない
また仮想戦記なら答えたくない
560人間七七四年:2013/06/20(木) 15:08:04.85 ID:k3NZZe5c
アイヌって日本語しゃべれたん?
561人間七七四年:2013/06/20(木) 15:17:59.81 ID:Sgal6QJ2
アイヌと倭人は古代から交易してるから
通訳できる人はいたんだろう
562人間七七四年:2013/06/20(木) 16:40:29.02 ID:X2ZJf9Mg
>>558
蠣崎氏は江戸時代の松前藩の事。蠣崎氏が沿岸部を押さえてるから本土からは上陸出来ない。
蠣崎氏はアイヌを支配してた。アイヌとの北方貿易が主な産業なので、そこにちょっかい出せば戦になる。
563人間七七四年:2013/06/20(木) 17:06:25.44 ID:9uUKA6jw
アイヌの文化レベルって縄文人くらい?
564人間七七四年:2013/06/22(土) 01:21:18.61 ID:/GGGoqYQ
江戸時代になってもアイヌ人が津軽藩や南部藩に赴くことは
普通にあった。その道中に多少の米や鉄製品、
木綿といった物を手に入れること自体はある程度黙認されてたっぽい。
565人間七七四年:2013/06/22(土) 23:52:33.48 ID:YdPSq6QS
元就が戦回数200回以上ってあったのですがこれってどうやって調べたのでしょうか?
本人が過去の戦績語ったかんじの資料があったのかそれとも研究者が合戦全て数えたかんじなのですか?
566人間七七四年:2013/06/22(土) 23:59:06.98 ID:5fqohn1H
軍記物の記述じゃないの。
567人間七七四年:2013/06/23(日) 01:48:51.98 ID:hGLWZKv7
どういう数え方なのかよく知らないけれど、200はいくらなんでも物理的に無理がある
ただ多方面で展開していたから「関与した」だとそのくらいになるんじゃないの
568人間七七四年:2013/06/23(日) 17:27:04.60 ID:So+65c4r
為影が個人合戦回数160〜で最高だったんじゃなかったか
569人間七七四年:2013/06/23(日) 20:10:17.76 ID:/irA/gh9
旗本8万騎って幕末何してたの?
徳川将軍家の激減後の石高ってどんなもんなの?
570人間七七四年:2013/06/23(日) 20:11:31.53 ID:M1SLh0cy
板の範疇じゃない
571人間七七四年:2013/06/23(日) 20:14:49.77 ID:C2MQo52C
【戦国時代】
572人間七七四年:2013/06/23(日) 22:09:51.46 ID:ZQ2+jc7E
戦国時代の戦闘法について教えて下さい。
あと、初期と後期でも違うと思うもですが、
その転機も教えて下さい。
573人間七七四年:2013/06/23(日) 22:19:19.67 ID:C2MQo52C
>>572
何を聞きたいのか漠然としすぎだろ。どういう状況の戦闘について聞きたいんだ?
574人間七七四年:2013/06/23(日) 22:56:18.62 ID:/irA/gh9
>>569 分からないならそう言えw
575572:2013/06/23(日) 23:42:39.04 ID:ZQ2+jc7E
>>573                                                       すいません。野戦の時集団戦法かと、合戦の流れについて教えてください。
576人間七七四年:2013/06/24(月) 01:26:00.35 ID:XkT6l7pg
農民は誰に年貢を納めるんですか?
577人間七七四年:2013/06/24(月) 12:57:38.91 ID:RWF15QBA
上に似た様な事言ってる人が
いた様な気がするけど取りあえず私も質問

「不作だと普通物凄く大変」なのはわかるけど
『大豊作過ぎる』のもヤバいのでしょうか?

例えば詳細は省きますが
「戦国時代に現代人の人達が色々テコ入れして
反収1石〜1.3石の所に

現代米(3石?)、ジャガイモ(反収約3t)・玉ねぎ(反収約5t)で
「これで餓えから解放だ!」と喜んでたら
知人から「…それは不味い…」と渋面されました

どういう風に不味いんでしょうか?
578人間七七四年:2013/06/24(月) 13:18:18.50 ID:y60YlJTQ
その知人に訊けばいいじゃん?
そいつがどういう意味で言ったのかなんて知るわけないよ
579人間七七四年:2013/06/24(月) 13:21:44.41 ID:JVPCxOpk
地域や時期で事情が違ってくるけどその収入増が全部農民のものになる訳でもなし
徴税権を持つ領主(国人)の力が増して他の勢力への侵攻という結果になるでしょうな
580人間七七四年:2013/06/25(火) 05:26:52.04 ID:2IxbKTCL
あまり親しく無い間柄で身分が対等の人にはどういう風に相手を呼ぶのが正しいのでしょうか?
苗字、名前、官位の名前、二つ名、そのほか、どちらが優先される傾向なのか教えて下さい。
581人間七七四年:2013/06/25(火) 08:50:07.72 ID:s/YIGMCg
国人が上位権力(戦国大名)に従属したら年貢徴収権はなくなるんでしょうか?
582人間七七四年:2013/06/25(火) 09:14:43.46 ID:GYR/jync
>577
その知人に聞いたら
「農民に銭が払えなくなる…(汗」と言ってました

これって初めて聞いたけど

超大豊作で領主も民もハッピー!…て訳じゃないの?
俺はてっきり民は〈税を取られた後の自分の手持ちの作物を食べたり監禁したりする…ってイメージだったんだけど
実際は違うんですか?
天文3年頃の福井のイメージ常識をお願いします
583人間七七四年:2013/06/25(火) 09:33:11.84 ID:qyekM8h+
大豊作だと作物が値崩れして地域経済が崩壊するとか?
江戸時代みたいに幕府の援助は期待でき無し
584人間七七四年:2013/06/25(火) 11:50:28.81 ID:0x6fxQUE
>>580
基本的に官位

>>581
従属の程度によるけど
戦国時代ぐらいだと大体残ってる
585人間七七四年:2013/06/25(火) 12:05:03.92 ID:ZbW4+g5f
>>580
基本的には官職で呼びます。
正式な官職を持たなくても主君に許可されれば何ちゃって官職(受領名)を名乗れ呼ばれます。
上総守、修理亮、等
それも無ければ仮名 (通称)で呼びます
太郎、権六郎、等。また官職風の仮名の百官名・東百官もあります。内膳、鵜殿、等
また出家してれば法名、身分のあるものなら居城名で呼ばれたりします。

本来の名前である諱は部下に対してでもめったに使いません
586人間七七四年:2013/06/25(火) 12:12:55.40 ID:ZbW4+g5f
>>581
年貢徴収権のある土地を大名に保障される代わりに大名に対して軍役賦役を勤めるのが
御恩と奉公で中世武士の主従関係の基本構成なので年貢は取られません
ただし元来守護に収める棟別銭、段銭、国益賦役などは大名に徴収権が移行します
587人間七七四年:2013/06/25(火) 12:22:12.15 ID:ZbW4+g5f
>>582
戦国時代は慢性的に銭不足なので大豊作で銭が高騰(というか銭自体が無い)すれば
貫高制で銭納の地域だと年貢が払えなくなるが
大名も馬鹿じゃないから一時的にも物納を認めればいいだけかと
588人間七七四年:2013/06/25(火) 15:27:35.29 ID:GYR/jync
>>587
と言う事は別段
「常識外れの超豊作」だからって
、いきなり社会秩序、即崩壊…」って事にならないですよね?
そしたらどの位の物納とかになるんだろ?…


それと戦国時代のポギゃブラで聞きたい事があります

手品とかを手妻(てづま?)とか聞いたことがありますが
魔法・魔術みたいな「超常能力」みたいなものを何と言っていたんでしょうか?
589人間七七四年:2013/06/25(火) 18:38:00.03 ID:34bgnf8m
「放下」「呪術」「幻術」とはウィキにあるね。
鬼とか化とか怪とかそういう単語と共に
用いられる感じかな。
590人間七七四年:2013/06/25(火) 19:01:59.89 ID:uY3pEEHB
「法力」とか
591人間七七四年:2013/06/26(水) 00:47:09.61 ID:WwDmIeHz
>>585
レス有難うございます
本来の名前は部下にでも使わないというのにもびっくりしました
そのミドルネームみたいなものの名称も今回は知れたので嬉しい限りです
教えて下さって有難う御座いました!
592人間七七四年:2013/06/26(水) 00:59:02.18 ID:IXqcakfT
>>591
横レスですが、本来の名前は諱(いみな=忌み名)と言って、これを呼ぶのは大変失礼な行為となります。
593人間七七四年:2013/06/26(水) 08:48:44.13 ID:AWBtpp0w
>>592
更に横レスですが、だから合戦では敵の下の名前を呼んだりするんですかね?
594人間七七四年:2013/06/26(水) 16:25:02.60 ID:IXqcakfT
どうだろうなぁ。挑発する為にって事はあるかも。
595人間七七四年:2013/06/26(水) 19:56:56.06 ID:J7yDhKBR
「信長め、やりおるわい」
「あそこに見えるのは光秀の軍勢ぞ!」
「秀吉と仲たがいしておる勝家の軍勢なぞ恐るるに足らん」

記号として使ってるだけで深い意味は無さそうだが
596人間七七四年:2013/06/26(水) 20:30:27.03 ID:Qz1QND3+
安土城の防衛能力ってどんなかんじなんですか?
山城系では岐阜城より上なのでしょうか?
なんで大坂城や小田原みたいに平地で掘で固めた城にしなかったのでしょうか?
597人間七七四年:2013/06/26(水) 20:48:07.20 ID:uiONzrgf
城としての防御力はクズみたいなもんだな。縄張りで言えば同時代でも遅れたものだし、規模も小さいし。
山城大好きな信長の保守性が表現された城
598人間七七四年:2013/06/26(水) 21:36:14.30 ID:M+EdVr7D
>>593
面と向かって諱を使うのが失礼に当たるわけで
敵に対しては礼儀を気にする必要がないので諱を使っても問題はないのです

>>596
安土城はあるいみランドマークタワーなので遠くからでも威容が見えるようにしたかったので
山の上に立てるという選択になったと思われます
要塞としての機能は二の次で、とりあえず高ければ高い方がよかった城です
599人間七七四年:2013/06/26(水) 21:38:53.19 ID:tSLvIleb
諱というと、家臣が日記などで主君の諱を呼び捨てにするのは、一種の尊敬表現だったらしい。
会社の社員が自分の会社の社長を社外の人に呼び捨てで話すのと似たような感じで。

諱の使い方は色々と複雑だ
600人間七七四年:2013/06/26(水) 23:51:59.02 ID:J7yDhKBR
日記が現存してる武将は武田家の駒井氏と島津家の上井氏しか知らないなぁ
公家の日記は誰かのが現存してたと思うが
601人間七七四年:2013/06/26(水) 23:57:02.29 ID:M+EdVr7D
武家はあと家忠日記とか梅津日記とか
僧侶や公家のはたくさんある
602人間七七四年:2013/06/26(水) 23:57:26.20 ID:bnt0Lp8Z
松平家忠「忘れないでくれ……政治的な価値はあまりないがな!」
603人間七七四年:2013/06/27(木) 10:04:51.74 ID:hYEt5SRf
>戦国時代は慢性的に銭不足なので大豊作で銭が高騰(というか銭自体が無い)すれば
貫高制で銭納の地域だと年貢が払えなくなるが
大名も馬鹿じゃないから一時的にも物納を認めればいいだけかと

…そもそも戦国時代の貨幣発行、つまり造幣局見たいなのってどうやってたの?
今更気付いたけど…

各大名家とかで違ってたの?
そこら辺どうか詳しく

豊作させてもこれでは…判らん…orz
604人間七七四年:2013/06/27(木) 10:30:41.35 ID:D2ZTBZoD
>>603
> …そもそも戦国時代の貨幣発行、つまり造幣局見たいなのってどうやってたの?

ほとんど守護大名や民間が中国から輸入。一部民間で鋳造してるのも居た。
しかし銭の価値が安定せず、その価値を保証する強力な政府もなかったため積極的に銭を作ろうという勢力はなかった
605人間七七四年:2013/06/27(木) 11:53:14.90 ID:hYEt5SRf
そしたら銭の価値って一体?…って事に…
物々交換のの方が判りやすい様な気が…
606人間七七四年:2013/06/27(木) 12:43:28.74 ID:J0JU4XwH
物々交換では膨大な輸送費がかかります。
近代は人力馬力が基本なので遠隔地に米を輸送して
着いた時には全部食い尽くしてたじゃ困りますよね。
607人間七七四年:2013/06/27(木) 12:46:00.21 ID:J0JU4XwH
訂正
>近代はまでは人力馬力が基本なので遠隔地に米を輸送して
608人間七七四年:2013/06/27(木) 13:57:42.19 ID:hYEt5SRf
>中国から輸入。一部民間で鋳造
ここら辺の事情を詳しく
609人間七七四年:2013/06/27(木) 15:07:06.27 ID:lEL+O8Sd
>>608
授業で習わなかったか?
610人間七七四年:2013/06/27(木) 16:12:20.57 ID:hYEt5SRf
すまん!当時は華々しい猛々しい戦関連と戦争関連以外は
マジでアウトオブ意識の外だった…

内政に興味出たのは数年前なんだ(汗
611人間七七四年:2013/06/27(木) 20:42:11.87 ID:pkWMzHtQ
戦国までには膨大な銭が輸入されている。
現在発掘されたのでもそろそろ
300万枚を越えてるぐらい。
清盛以降400年ぐらいはあるし
累計でどのぐらい入ってきてたかは
そりゃすさまじい数だろう。
中国の発行部数がざっとわかるから
そこからの推定もできるしね。
しかしザックザク発掘されるというのも
これはこれで面白い話なんだよなぁ。
612人間七七四年:2013/06/27(木) 20:43:38.98 ID:R4O/3136
大半は捨てられたビタ銭だろうけどね
613人間七七四年:2013/06/27(木) 20:51:08.83 ID:eRqHUo+8
江戸時代になると逆に寛永通宝が中国に輸出されたりと
貨幣の歴史ってのは意外と面白い
614人間七七四年:2013/06/27(木) 20:55:07.48 ID:kLYhroop
技術が上がって銅の産出量が増えたからとか
615人間七七四年:2013/06/27(木) 22:28:51.54 ID:KuYXySJx
>>599

日記じゃないけど、「信長公記」なんてのは、もと主君の諱を文字にすることで敬意を表している?
616人間七七四年:2013/06/27(木) 22:35:21.84 ID:J0JU4XwH
>>612
実は結構良品。大体は忘れ去られたタンス預金と言われてる

>>615
歴史上の人物・偉人は諱で呼ばれるもの
信長公記は何度か改訂されていて「上様」「信長公」「信長」と表現が変わってる
簡単に言えば生々しい記憶から徐々に歴史になってく段階を見れるわけやね
617人間七七四年:2013/06/27(木) 22:39:29.96 ID:D2ZTBZoD
>>615
>>616
いや、信長公記の最も古い版では、最初”信長”と表記されたのが、天正になって参議になったあたりから
”信長様””上様”に変わる。
官位が上がり一定以上に偉くなると、表記の上でもこのように変わるものだったらしい。
618人間七七四年:2013/06/27(木) 22:44:53.71 ID:J0JU4XwH
同じ版の中で変わってるわけね勉強になった
親分から公儀になって呼び名が変わった的なか
619人間七七四年:2013/06/27(木) 22:49:52.71 ID:bIKQlIHi
家忠日記なんかじゃ信長が「上様」で家康は「家康」の時期もあったような
620人間七七四年:2013/06/27(木) 22:56:06.18 ID:D2ZTBZoD
>>619
”家康”も尊敬表現だからね。
その家忠日記も、家康が参議、権中納言になったあたりで”家康様””上様”に変わる。
このあたりは本当に官位によって変化するものだったらしい。
621人間七七四年:2013/06/27(木) 22:59:02.76 ID:J0JU4XwH
家忠日記だと直接の上司の家康嫡男信康も信康表記やね
622人間七七四年:2013/06/28(金) 10:35:50.68 ID:QNd5x2gB
初期はビタ銭も多いけど、途中から日本に
輸出するために作ったような貨幣もあって
そういうのは結構キレイなのも多い。
全国まんべんなく道の端から甕が
出てきたり、埋めたまま忘れられたらしくて
流通量もあったろうがやはり普及に関しては
面白い点もままありそう。

信長公記は秀吉の時代なってから
編纂されたものなのでそのあたりは
注意がいるね。
家忠日記みたいにリアルで書かれたものは
呼称の変化が参考になるけど
公記は書かれた時期との兼ね合いもまた
検討材料になる。
例えば「御動座」とか動詞?にも変化が
見られてこういうのも金子あたりの
今の公記調査で詳しく本になるんじゃないかな。
623人間七七四年:2013/06/28(金) 14:51:37.28 ID:+EVLD2MP
豊作と銭関連ですが
「常識外れの豊作」になっても「大した混乱に成らない」と言う結論でオッケー?
(領主の対処法に関して聞きたいです)
領主との謁見(出来た…と仮定して)の時に
「鉄材」「銅材」「硫黄」をトン単位で
「どうぞお納めください…」って
銭の資金援助より聞く物でしょうか?
624人間七七四年:2013/06/28(金) 23:39:55.47 ID:lPY+1JwZ
京都を取れば天下に近いという話はよく聞きます。
ここから漠然とした質問となるのですが、京都以外でも立地的に抑えた方が良いと呼ばれた街はありますか?
港がある○○の国だとか商業が発展してる△△や人口の多い□□みたいな感じの情報ありましたら教えて下さい。
625人間七七四年:2013/06/28(金) 23:43:36.84 ID:WzbYBEfU
それはどの地域の戦国大名を想定するかで違ってくる

全国的な意味での拠点地域というのは確かにあるが、それは天下をとってしまえば後でどうとでもなるものだし
626人間七七四年:2013/06/28(金) 23:55:00.66 ID:Ya7uVJni
>>624
交通と流通の要所
京周辺なら瀬戸内航路の起点の堺・大阪、琵琶湖水運と街道の交わる大津・坂本、
日本海航路終点の敦賀・小浜とか
627人間七七四年:2013/06/29(土) 00:11:40.07 ID:Si3ae9lt
>>625
確かにその通りですね
その地方にとっての要となる場所も知りたかったので漠然とした質問となりました
すみません

>>626
回答有難うございます
やはり京都を擁してるだけに近畿が特に重要な場所なんですね
628人間七七四年:2013/06/29(土) 00:29:24.34 ID:e/1w/IY6
>>627
伊達政宗が参考になるだろう。畿内を押さえて朝廷工作によって関白となった秀吉の惣無事令を無視して
東北の要地である会津を取ったけど、命令無視で秀吉に怒られて取り上げられてしまった。
629人間七七四年:2013/06/29(土) 00:55:08.70 ID:K2g9GWNi
海運・陸運の要衝といえる場所はそれぞれの地域に存在していて、
尾張でいうと熱田(今は埋め立てでずいぶん内陸になってるけど)がそうだったようで
630人間七七四年:2013/06/29(土) 08:24:03.23 ID:3Pz7h8M4
冗談でよく言うのだけど
尾張は天下人は出してるけど
幕府が置かれたり皇族が一瞬でも
住んだり、そういう要所には一度も
なってないんだよね。
美濃では東西のでっかい戦いが
起きてるし東西の真ん中で
山海の珍味にも恵まれてるし
どうして急所にならなかったのだろう。
今でもリニアがとまらないとか・・
631人間七七四年:2013/06/29(土) 08:39:17.69 ID:e/1w/IY6
関ヶ原の辺りには古代には不破の関という関所があった。それより東が関東なんだって。(へー)
壬申の乱の時はまだ不破の関は無かったけど、不破の辺りを制圧した大海人皇子が東海道・東山道の
兵を集めて勝利した。やっぱり美濃が要所という事なんでしょう。
632人間七七四年:2013/06/29(土) 10:08:17.03 ID:k3itWsAe
便乗質問
当時の関東は相当ド田舎だったらしいけど、関東の要所って言うとどこになるんですか?
やっぱ山内上杉が収めてた辺り?
633人間七七四年:2013/06/29(土) 10:56:11.78 ID:qO0oVrF4
江戸
634人間七七四年:2013/06/29(土) 10:57:44.41 ID:di6oFuBX
以前TV番組で本能寺の変直前に明智光秀が山奥の戦の神様に願掛けに行ったというのがありました。所在地と名前がわかる方いましたら教え下さい。お願いします。
635人間七七四年:2013/06/29(土) 11:13:17.99 ID:U9qvyZyB
愛宕山愛宕神社勝軍地蔵(信長公記)
636人間七七四年:2013/06/29(土) 17:04:55.08 ID:di6oFuBX
635さん、ありがとうございます。
637人間七七四年:2013/06/29(土) 23:20:10.72 ID:bi2QgUQM
>>633
江戸は家康が転封されてからだろ
638人間七七四年:2013/06/29(土) 23:25:20.44 ID:brPAjE56
>>637
都市として大発展を遂げるのは家康以降だけど戦略上の要地という点では
関東の内陸水系と江戸湾海上路を結ぶ結節点として昔から価値の高い土地だったの
639人間七七四年:2013/06/30(日) 03:01:15.44 ID:1llmNNbF
太田道灌が江戸城を拠点としたのはそれなりの理由がある訳か。
640人間七七四年:2013/06/30(日) 09:18:19.31 ID:rwF+DQ2a
品川や浅草は当時もそれなりに栄えていたしド田舎と言うのは誇張
現在に比べて田舎と言うなら日本全国同様
641人間七七四年:2013/06/30(日) 10:45:53.28 ID:KO2zpIA8
利根川と荒川が合流してた関宿城の辺りが経済的には発展していたから、小田原北条氏と古河公方陣営で関宿城を巡って長期戦が行われている。
あと小田原北条氏が江戸城を取ってから東京湾沿岸地域の緊張が高まって、小弓公方や里見、真里谷武田などとの関係が急速に悪化している。
642人間七七四年:2013/06/30(日) 12:39:10.33 ID:W4MkKgMc
江戸周辺は大湿原地帯で交通の便が悪かった。
そのため東海道ルート自体も
三浦半島から房総へ渡る船舶ルートが多用され
武蔵を経由するルートは発展しなかった。
ゆえに頼朝時代にも埋め立て事業をやっていたのだが、
北条はそういうことやらんかったから発展しなかった。
ただ伸びしろ余力はあったので、徳川が土木に力を入れると飛躍的な発展ができた。
当時の中心地は鎌倉から、中仙道や越後への道を押さえた関東管領上杉のいた上野国に移っており
これ対抗するために関宿経済圏を利用した古河公方が並立する形になった。
このような状況で扇谷上杉が衰退していく中では江戸周辺への投資など望むべくも無かった。
643人間七七四年:2013/06/30(日) 13:14:00.69 ID:EYiJ9s/T
>>630
交通の要所は戦乱に巻き込まれやすいからって聞いたことがある。
誰だって戦乱が多発しやすい所に投資はしたくないからじゃない。
644人間七七四年:2013/07/01(月) 16:38:39.10 ID:vo46sLZv
>>643
でしょな。最前線よりは遠いところに
本拠地置くのは普通ですもんね。
だから織田家が京〜美濃〜尾張あたりを
本拠にして東西を分断させてしまえば
にゃ古屋が一回ぐらいは首都機能持てたかなとは
思ったりね。そしてそのまま現代になれば、と。
645人間七七四年:2013/07/01(月) 17:34:54.33 ID:wV7FAtkA
>>642
それに加えて伊勢湾交通商業圏と関東圏の接続の悪さに遠州灘がある。
海底が複雑で海流の合流点になっている。
そのため風が必要なのだが、いつ都合がいい風が来るとも限らず
しかも風待ちの入り江もまったくないときてる。
これが関東を自立気味にしている。
もちろん通行がぜんぜんできないと言うわけでなく
商業上においてコストとリスクが上がるだけ。
それと北条早雲が大津波被害を利用して伊豆を占拠したように
この時期の駿河湾の商業船は壊滅的な被害を受けていたようだ。
まぁ軍事に関わる舟に関してはあまり関係なかったようだけど。
>>630
関が原が行われたって言っても、もともと美濃へちゃんと輝元が援軍を出して死守できていれば
西軍の伊勢攻略軍が長島を攻略して、家康が来援する前に美濃と伊勢の西軍で
尾張にいた武断派を挟撃して破滅させることも可能だったからねぇ。。
それに江戸幕府では紀州と尾張からしか将軍が選ばれない仕組みになっていたが、
いつも紀州から将軍が選ばれていたのは、幕臣が尾張の影響をうけることを恐れていたからだし、
常に尾張は幕府にライバル心をもっていたが、幕府も尾張と事を構えることを恐れていた。
そもそも秀吉が家康を転封され、その家康が天下を得たから関東が栄えるようになっただけだし。
646人間七七四年:2013/07/02(火) 23:05:27.01 ID:MBKyTyKr
>>630
濃尾平野は広く豊かな土地だけど水害が多いからな。
宝暦治水事件が最も有名だけど、それ以前から洪水被害が多い。
まともな治水政策が行われるようになったのは明治以降。
647人間七七四年:2013/07/02(火) 23:35:31.29 ID:Asl9T1gw
水害は関東や江戸も多いな。坂東太郎ちゃんいるし
648人間七七四年:2013/07/02(火) 23:48:57.53 ID:6Dz6uyOP
江戸の下町は埋め立て地だからな。
649人間七七四年:2013/07/03(水) 00:30:41.01 ID:D180IlzQ
なんせ日本は細長く当時の交通通信事情から
京に本拠地おいて関東に代理人おいて遠隔操作か
関東に本拠地おいて京に代理人おいて遠隔操作かの
東西分割統治が中世では基本であり
尾張は真ん中過ぎるのが逆に首都になれなかった最大の要因
650人間七七四年:2013/07/03(水) 12:18:16.57 ID:KS2htism
坂東太郎
筑紫二郎
四国三郎
この辺の川は暴れ川でしょっちゅう洪水を起こしていた
そのために強国が生まれない反面、
河川通商交通の収益から都市国家的な小勢力が分立できる経済的な背景もあり
小国人がたんまりいた。
特に北関東や筑後十五城と呼ばれた国人領主が顕著な例である。

ちなみに濃尾の水害なんて名古屋からはほとんど関係ないレベル。
名古屋が首都にならなかったのもたまたま。尾張藩なんて強力だったから幕府から警戒されまくりだし。
651人間七七四年:2013/07/03(水) 20:36:00.63 ID:4hsCvANX
そのころの性倫理感も面白い
処女なんて全然問題にしてなかったし戦に敗れた大名の奥方
なんて平気で戦勝側の武将の妻になってたりする。
実にアッケラカンと割り切っていたし、武将の妻も夫に先立たれて以後
何度も離婚結婚を繰り返していたりするんだね。
652人間七七四年:2013/07/03(水) 20:52:17.30 ID:uxLfpW13
江戸時代の後半まで
混浴とか輪姦…、いや、この場合乱交か…(よく奥地の村とかでのアレな)
とにかくエロな事に関してはかなりうらやましい感じだったと聞いている

幕末であの糞ハリスが要らん事する前まではな…
ヒュースケン事件で、ヒュースケン本人で無くこの糞時事かミンチグチャミソになってりゃ良かったんだ…
…いや、ローマ時代にあいつさえ要らん宗教…(バチカンの超常能力野郎に襲撃されましたw
653人間七七四年:2013/07/04(木) 00:53:57.22 ID:oLzfjuvC
性に奔放なら何故女歌舞伎や若衆歌舞伎を規制したんですかね?
654人間七七四年:2013/07/04(木) 02:21:05.05 ID:kEIDwvDi
民心が奔放であっても御上はそれをそのまま放置するわけにはいかない。
混浴禁止令も何度も出ている。守られなかったけど。
655人間七七四年:2013/07/04(木) 10:54:20.16 ID:9G8lPEZd
現代だと博打や売春は刑罰の対照だけど
風俗もパチもあるし博打の最大の胴元は国
完全に禁止するつもりは無いけど歯止めをかけるための法律ってのは
何時の時代もあるってことやね
656人間七七四年:2013/07/04(木) 13:55:20.10 ID:dRC11Xus
戦国時代〜江戸時代末期まで近親相姦って武家社会で普通だったんですか?
なにかで信長と市は出来てた?ほど仲が良かったとか、三姉妹は信長の娘だとか
誠しやかな話有ったので。

藩の殿様がたまに、バカ殿もこの影響だったのでしょうか?
657人間七七四年:2013/07/04(木) 14:06:06.29 ID:xxoO8j47
兄弟の子供、つまり甥や姪との結婚ならあるけど
兄弟姉妹は無いよ
658人間七七四年:2013/07/04(木) 14:15:33.47 ID:PXfRM+t1
流石に実の(義理はOK)兄弟姉妹で夫婦になるのを容認してなかった
あのヨタ話は市は信長の妹ではなく従妹だった、という説が下敷きなんだから
あと足利将軍家と日野家の蜜月もあてにならん、精々義教〜義向のラインまで
659人間七七四年:2013/07/04(木) 18:18:53.82 ID:1CrJ4ujL
当時でもいとこ同士なら十分にありうるということは下敷きとして考えたほうがいいのでしょうね
660人間七七四年:2013/07/04(木) 18:50:06.20 ID:9G8lPEZd
当時は叔父姪、叔母甥まではOKだったが、
それ以上、例えば異母兄妹でもダメ。
661人間七七四年:2013/07/05(金) 07:25:18.73 ID:7mzbpgAB
有名どころで、北条、島津、武田だっけ?
淀と秀頼の禁断の愛があったらいいなー
662人間七七四年:2013/07/05(金) 11:04:12.63 ID:rVSaasCh
上にある豊作の話だけど
領主的には豊作だと嬉しい訳?
それとも困る訳?

異常気象で大不作よりはマシと思うのだけど…
663人間七七四年:2013/07/05(金) 15:04:51.53 ID:H/budlZr
困る理由なんか無いよ
664人間七七四年:2013/07/05(金) 19:51:21.67 ID:gvqyPdWa
小氷期の始まりが戦国時代を招いたとも言われてるし
飢饉が多発した時代で豊作を困る大名はいないと思う
665人間七七四年:2013/07/06(土) 10:31:57.32 ID:O5y4qXJk
>>651
一回嫁いで、子どもを産んでたら
子どもを産める女ってことで、むしろ評価が上がることも多かったらしい。
666人間七七四年:2013/07/06(土) 11:22:47.58 ID:ZVoRCR2+
そもそも豊作なんてあったのかい?
戦乱で刈り取られたり、放火させられたりで
報復合戦だったり、水路をめぐって争ったりしてんじゃん。
豊作で困るなんて米相場に利害ある人以外に考えられないな。
667人間七七四年:2013/07/06(土) 14:00:57.31 ID:fZnXLS3Z
>>665
家康なんて後家しか娶らなかったもんね
668人間七七四年:2013/07/06(土) 17:48:40.65 ID:cvPIbDVF
城とかも質問していいのかな?
江戸時代の城ではなくて、室町の時代の城や街などの跡が残っているところを知りませんか?
一乗谷城に行ったときの衝撃が忘れられない。
あそこまで立派なのは残っていないと思うけれど、
似たような場所を探しています。
どなかた教えてください
669人間七七四年:2013/07/06(土) 17:54:27.55 ID:ZVoRCR2+
一乗谷は信長が地上から完全消滅させたからな・・・・
670人間七七四年:2013/07/06(土) 18:03:18.07 ID:ARBe2bS+
>>668
山口
671人間七七四年:2013/07/06(土) 19:54:02.50 ID:cvPIbDVF
>>670
山口のどこですか?
できれば中部関東辺りがいいのですが・・・
672人間七七四年:2013/07/06(土) 20:11:39.72 ID:ARBe2bS+
>>671
山口市。大内時代がよく保存されている
673人間七七四年:2013/07/06(土) 20:19:59.98 ID:t7H/GeBc
中部地方だと岐阜県飛騨市の「江馬氏館」が復元されているそ
674人間七七四年:2013/07/06(土) 20:36:01.80 ID:cvPIbDVF
>>672
>>673
ありがとうございます!
675人間七七四年:2013/07/07(日) 11:03:53.52 ID:1wk/siVM
信長は大量の鉄砲を保有してたと言いますが
当時主な鉄の産地は敵対してた毛利領内ですよね?
毛利は何故、塩止めのような政策をとらなかったのでしょうか?
676人間七七四年:2013/07/07(日) 11:29:54.53 ID:j5pI0zBJ
毛利氏は大名権力の弱い政体なので強権的な禁輸が不可能だったことと
九州関東も大きな産地でありシナからの輸入や
塩と違ってリサイクルできるので古鉄など
競合相手も多かったので有効打にならないと思われます
677人間七七四年:2013/07/07(日) 12:06:20.61 ID:fpYsqFXl
実際のところ商業流通を統制できるほどの巨大権力を手に入れられたのは秀吉から。
それ以前に商業流通を統御できた大名はいない。
678人間七七四年:2013/07/07(日) 13:02:31.29 ID:j5pI0zBJ
今川北条氏の塩止めは一次史料で裏付けられた史実ですよ
武田今川北条氏については流通規制に関する史料は他にも複数あります
679人間七七四年:2013/07/07(日) 13:23:18.12 ID:RZKEtRTs
>>678
そりゃ今川と毛利じゃ領国に対する支配の歴史と浸透が段違い
それに今川の塩止めも結局他方面からの輸入で効果なかったし

国単位で流通に介入することは可能でも、それが地方や列島規模で
コントロールできるかとなると話は別でしょうしね

極論すれば、経済流通に対する規制は室町の頃から幕府も守護大名も出しまくっている
でもそれが実際にどこまで実効があったかというとね
680人間七七四年:2013/07/07(日) 14:04:24.57 ID:j5pI0zBJ
塩止めを例に出されてる問いで、
列島規模のコントロールが出て来る理屈が分かりかねます
681人間七七四年:2013/07/07(日) 17:35:05.19 ID:1LGx7Lp/
すげーな、戦国時代って日本人の奴隷貿易全盛期じゃん
朱印状か〜、マリア教の人間奴隷貿易がメインで戦国時代って
存在したのかもな_φ( ̄ー ̄ )
全てはコンスタンティンの陥落から始まってるね
んんん〜、日本人を人と見ないやつらがそういやいたな(u_u)
682人間七七四年:2013/07/07(日) 17:37:13.39 ID:1LGx7Lp/
笑かすwww
歴史は繰り返すかw
同じ日本人の中にやたらそういうのいなかったっけ?
683人間七七四年:2013/07/07(日) 17:38:25.14 ID:1LGx7Lp/
後醍醐帝か〜、ルーツがみえてくんね
684人間七七四年:2013/07/07(日) 17:40:51.68 ID:fpYsqFXl
常識的に考えて今川領で塩を売るな令が出たところで
武田領で塩の需要があり、塩の生産業者は売れなければ生活が破綻するとなると
じゃあ尾張へ迂回してでも販売しようと考えるし
越後や越中の商人は良い商機がやってきたので値上げして売ろうと考えるだろ。
流通網の統制などそうそうできるもんじゃない。
685人間七七四年:2013/07/07(日) 17:41:46.45 ID:1LGx7Lp/
なんだ今の紛争の元って伴天連のコンスタンティン見殺し以来のなんだな
その後の発展は歴史の通り_φ( ̄ー ̄ )
686人間七七四年:2013/07/07(日) 17:56:03.07 ID:+kuujsUc
元々経済封鎖なんて現代でもボディーブロー程度の効果だし
武田領内の相場や物価を混乱させられたら儲けもの程度でしょ
687人間七七四年:2013/07/07(日) 18:10:02.09 ID:HzGBltjW
>>675 「何で毛利は鉄の流通止めなかったの?」

>>676 「@禁輸なんて強権発動できるほど領内の支配力がないよ」
     「Aあったとしても他の産地からの供給も多いので意味ないよ」

>>677 「そうだね、(全国規模の)商業流通の統制は秀吉以降だもんね」…Aに注目した676の肯定と情報の追加

>>678 「今川北条が塩止めしてるよ。他にも流通規制の資料はあるよ」…@の文脈からの677に対する指摘

>>679 「T:もちろん、今川と毛利では領内の支配力が違うから流通規制はできるね」…@の文脈から678を肯定
     「U:でも全国規模での流通規制は出来てないでしょう?」…Aの文脈から他国経由の供給を止められなかったことを指摘

>>680 「塩止めはできたっていってるのになんで全国レベルの流通規制の話になるの?」
      →679「だって対織田の鉄流通規制は毛利単独では効果がないって話をしてるんでしょ?」…Aに注目してやり取りを解釈
        680「流通規制できるくらい領内支配力の強い大名がいたかどうかって話じゃないの?」…@に注目してやり取りを解釈


俺はこう読んでる
688人間七七四年:2013/07/07(日) 21:55:10.15 ID:BgglHA2u
ここまで読んだ
689人間七七四年:2013/07/09(火) 08:24:18.34 ID:eS9G8rXe
>>681
奴隷貿易をしてたのは島津。
やってたかやってなかったか怪しくグレーゾーンなのが龍造寺。
奴隷貿易に間接的にかかわってたのは織田。
690人間七七四年:2013/07/09(火) 23:19:00.28 ID:D8+N21ml
だがさんうざいっすよ
691人間七七四年:2013/07/12(金) 16:05:32.64 ID:gzYMeDEj
火縄銃の生産ってどの位の工数が掛かったのでしょうか?
「○○人の鍛冶職人が○○日(時間?)で○丁」とかで
692人間七七四年:2013/07/13(土) 13:43:33.89 ID:wngESCa9
城持ち大名って100ちょっとしか居ないと思うけど
100選に入ってない居城ってどんなのがあるの?

苗木城以外で教えて!
693人間七七四年:2013/07/13(土) 14:02:58.38 ID:iTz/O4QU
100選には沖縄の城(グスク)とか北海道のチャシが入っているので認識が根本的に間違っています。
694人間七七四年:2013/07/13(土) 14:06:09.41 ID:Rh4aUWCP
教えろと言われても100城くらいあるけど
695人間七七四年:2013/07/13(土) 14:55:25.33 ID:5Gws/2E1
大名って定義によるなあ
国人領主クラスまで含むと相当あるし、
国持大名クラスだと百未満になるし

関東だけみても宇都宮(宇都宮城)、那須(烏山城)、佐野(佐野城)、結城(結城城)、
小山(小山城)、小田(小田城)、古河公方足利(古河城)、里見(館山城)、三浦(三崎城)などなどがあるしね
696人間七七四年:2013/07/13(土) 19:35:24.93 ID:RqqjDCgM
>>691
工数や品質管理といった概念がない時代に
そんな記録があるわけがない。
697人間七七四年:2013/07/13(土) 19:53:01.94 ID:QlA+4fEe
もっと単純な矢はどうなんだろ。一日何本くらい作れるのか興味ある
698人間七七四年:2013/07/13(土) 21:23:13.13 ID:Rh4aUWCP
>>696
何を言ってるかよくわかんないけど製法は伝わってるから工数は当然わかってるよ
699人間七七四年:2013/07/13(土) 22:03:23.36 ID:RqqjDCgM
>>698
だったら691に教えてやればいいのに。
700人間七七四年:2013/07/14(日) 08:07:15.33 ID:G5YI9FFh
戦国時代の軍船、すなわち
安宅船、関船・小早等のスペック等を知りたいです
出来れば三面図っぽいのも有ると大変有難いのですが…
701人間七七四年:2013/07/14(日) 09:54:22.93 ID:+V/dlpKJ
三国志みたいな日本の戦国時代の小説(通史)があったら教えてください
702人間七七四年:2013/07/14(日) 10:09:57.57 ID:X88UD+yJ
北条滅んでそのまた滅んでなりは豊臣せきちゅう景虎
ってような歌があったと思うけどなんて歌かわかりますかね?
703人間七七四年:2013/07/14(日) 10:13:22.41 ID:WhEImBz4
山岡荘八でも読め
704人間七七四年:2013/07/14(日) 11:33:04.45 ID:jFg8jGbs
>>695
館山城は行ってた
小山・古河城行ってみたいよありがとう!!

伊勢尾張三河でも小姫路以外あれば教えて欲しい!!
705人間七七四年:2013/07/14(日) 11:41:54.08 ID:WhEImBz4
古河城はなんにもないよ
一度は行ってみるのもいいだろうけど期待するとガッカリする
706人間七七四年:2013/07/14(日) 11:42:25.88 ID:E6ZzLhIp
吉田城、田原城、西尾城、七州城、亀山城、桑名城、神戸城とか
707人間七七四年:2013/07/14(日) 11:45:36.56 ID:lK0ElBHH
>>701
日本外史でも読んどけ
708人間七七四年:2013/07/14(日) 11:46:29.02 ID:E6ZzLhIp
古河城址は本当に何にも無いよなw
709人間七七四年:2013/07/14(日) 11:48:28.81 ID:lK0ElBHH
710人間七七四年:2013/07/14(日) 11:58:15.01 ID:WhEImBz4
>>709
これ探すのに炎天下の下を延々と歩いたw
まー博物館やら古河総合公園の公方館やら頼政神社やら、それなりに見る所はあるけど。
711人間七七四年:2013/07/14(日) 12:05:54.82 ID:gXlePDoL
古河城はようつべの動画を見ると見所紹介されてて行きたくなるな。
紹介に出てくる石垣とか見てみたいわ。
712人間七七四年:2013/07/14(日) 12:41:37.83 ID:+V/dlpKJ
>>707
三国志正史じゃなくて三国志演義みたいな本のことですよ
713人間七七四年:2013/07/14(日) 12:48:30.43 ID:Okurw3kD
正直、戦国通史を小説でって思いつかない
もともと初期ははぶられがちだしねえ
(語られるとしても北条早雲絡みとかで)
714人間七七四年:2013/07/14(日) 12:48:34.14 ID:Dnx6dOk1
>>712
小瀬甫庵の信長記や太閤記から始まってえほん太閤記なんか有名所だと思うけど
715人間七七四年:2013/07/14(日) 12:50:48.16 ID:lK0ElBHH
>>712
太平後記という軍記物がだいたい戦国の始めから終わりまでを網羅している
716人間七七四年:2013/07/14(日) 22:11:49.38 ID:NmMeKOKT
先祖代々の屋敷があったという今は畑の所で、一分金か一朱金を3枚見つけたんですけど、自分の物にして売ったりしても良いんですか?
717人間七七四年:2013/07/14(日) 22:23:35.31 ID:lK0ElBHH
>>716
一応警察に届けて相談した方がいいぞ。あと親戚とかの間の面倒臭いことにならんようにしとけ
718人間七七四年:2013/07/14(日) 22:53:44.37 ID:NmMeKOKT
>>717
ありがとうございます。
今、現場調査とかなったら困るので、野菜を収穫してからにします
719人間七七四年:2013/07/15(月) 17:24:08.81 ID:5YUZbrEz
先祖の土地かつ今は自分の土地なら面倒なことにはならんよ。
なるとしたらたしかに親戚関係だなw
あ、野菜の収穫手伝おうか?変なとこも掘っちゃうかもだけど?
720人間七七四年:2013/07/15(月) 20:57:48.47 ID:e+gubMZL
>>706
趣味合いそうだから、東条城以外で東海〜関東のお勧め城教えて。

てか亀山城、丹波のと間違って天守潰したって
どういう事だよwww
721人間七七四年:2013/07/15(月) 21:05:26.84 ID:aaErvi+S
そのぐらいなら届けた方がかえって面倒。
状態が悪いと何百円程度かもしれないし
とりあえず金銭的価値次第。
自分で調査するのなら親戚には「費用は自分もちだった」
ということを明確にしておけばいい。
これもよほどのモノが出てこない限り問題なし。
722人間七七四年:2013/07/15(月) 21:06:01.33 ID:oWhbnNWM
>>720
関東なら八王子の滝山城と、埼玉の鉢形城は行ったほうがいい。最近整備されて見やすくなったし。
723人間七七四年:2013/07/15(月) 21:50:29.58 ID:ewIuF+QV
関東で再現城郭なら逆井城とかいいと思うんだが
724人間七七四年:2013/07/16(火) 12:01:55.73 ID:VaneZFqP
>>723
車で行く以外の方法があまりに不便すぎる。なんとかして欲しいよな。
725人間七七四年:2013/07/16(火) 23:33:35.21 ID:A0PWjar+
良さそうなのになぁ。


>>722
復元とか気にしないけど、何も無いのはちょっと、、、
726人間七七四年:2013/07/17(水) 00:23:37.61 ID:Lw5QGMr0
八王子といえば、八王子城とかどうよ
御主殿廻りだけなら曳橋とか虎口とか建造物(再現含む)もあるし雰囲気ある
そこだけだとすぐ見終わってしまうのと、それ以上を見ようとすると山登りになってしまうけども
727人間七七四年:2013/07/17(水) 00:57:52.92 ID:z3n2vlhG
お前ら、間違って天守潰された
伊勢亀山城には興味なしか、、、
728人間七七四年:2013/07/20(土) 11:52:06.38 ID:7uag9YXE
質問です。日本の中世・戦国時代に西洋みたいな全身金属鎧が無かったのは何故でしょう?
金属資源が乏しかったからとかでしょうか?
729人間七七四年:2013/07/20(土) 12:00:01.36 ID:4mRIlYVz
>>728
日本の鎧は金属製だっつーの。以上。
730人間七七四年:2013/07/20(土) 15:30:49.25 ID:IeZMaNMR
>>728
日本の鎧は動き易さの為に金属の小札を組紐で威して作るんですよ。
731人間七七四年:2013/07/20(土) 18:32:41.27 ID:8h7niw66
上杉祭りで上杉鉄砲隊の空砲演舞見たことあるのだが
普通の火縄じゃなく竹くらいの太さでした、ユウチューブで検索すれば見れます
あまり聞かない上杉で、あのくらいなら鉄砲隊有名な織田、島津などは
もっとすごい鉄砲使ってたってことでしょうか?
732人間七七四年:2013/07/20(土) 19:16:27.33 ID:xeHs5YyO
>>728
温暖湿潤な日本であんなの着たら、蒸し上がって戦えねーよ
胴や兜、手甲などの要所要所は堅牢に作るけど、基本的に機動性や通気性重視
日本の気候や地形に最適化したのが日本の具足って訳だ

>>731
多分抱えの大筒って言われる奴で、30貫目以上の大鉄砲とおもわれる
迫力あるから見世物としては最適だよね
733人間七七四年:2013/07/20(土) 20:14:11.95 ID:nPILvMoj
ヨーロッパ人も気候地形が日本に近い東南アジアに来たらあのロボットみたいな鎧は着ないし


抱え大筒は江戸時代に起こった曲芸みたいなもので実用性は正直ないそうだ
734人間七七四年:2013/07/20(土) 23:27:32.27 ID:BUdN2uRg
>>728
プレートアーマーが流行ったのはヨーロッパだけ
735人間七七四年:2013/07/21(日) 10:04:05.99 ID:MnHX4XFP
質問です

前にテレビで、秀吉の部下が東南アジアに行って、その土地の領主になって
東南アジアに第二の日本を作ろうとしたけど、色々あって結局日本に帰って
来た、って武将がいたはずなんだけど
なんて名前の武将で、東南アジアのどこに行ったんだっけ?
736人間七七四年:2013/07/21(日) 10:08:51.77 ID:V+koQII7
>>735
亀井茲矩の事か?琉球守やら台州守称して艦隊で遠征しようとしたがいろいろあって断念
737人間七七四年:2013/07/21(日) 10:20:48.75 ID:MnHX4XFP
>>736
いや違う
前に見た戦国番組だからややうろ覚えだけど、琉球じゃなくて完全に東南アジア

もう少し詳しく書くと
戦国時代の武将。
たぶん秀吉の命令、もしくは信長の命令で東南アジアへ行く
そこで地元民をまとめて狭い地域だが領主になった。
しばらくの間、地元民を統治して上手くやる。
このまま領土を拡大して東南アジアにもう一つの日本を作ろう計画。
その後、確か秀吉が死んで日本が乱れて、その関係で日本に帰国。
今でも現地にはその名残が残っていたり地元民は、確か知られている、とか。

こんな感じだったと思う
738人間七七四年:2013/07/21(日) 10:22:30.65 ID:qDPc+c6m
山田長政?
739人間七七四年:2013/07/21(日) 10:32:10.69 ID:wOIb9GWn
山田長政だろうが秀吉の命令ではないし、向こうで死んだから帰ってもこなかった。
740人間七七四年:2013/07/22(月) 03:43:11.95 ID:cAa0hK25
>>737
じゃあ呂宋助左衛門?
741人間七七四年:2013/07/22(月) 04:47:33.01 ID:YXuJ9p4I
ただの記憶違いだろ
742人間七七四年:2013/07/22(月) 13:16:10.46 ID:dklfq8RA
たぶん山田長政の事かもしれません
細かい部分は私の記憶違いかと
ありがとうございました
743人間七七四年:2013/07/22(月) 18:08:02.97 ID:sZGDRbWz
昔の人が書いたものじゃなくて現代の作家が書いた三国志演義みたいな日本の戦国時代の小説教えてください
744人間七七四年:2013/07/22(月) 18:10:31.81 ID:irfFttyt
>>743
それこそ山岡荘八の徳川家康だろ
745人間七七四年:2013/07/22(月) 18:11:13.84 ID:hnugIViA
>>743
無いです
山岡荘八でも読んでろ
746人間七七四年:2013/07/22(月) 19:30:56.43 ID:sZGDRbWz
>>744>>745
それだと織田信長なり徳川家康なり個人の伝記になっちゃうんです。
三国志みたいに戦国時代全体の小説が読みたいんです。
747人間七七四年:2013/07/22(月) 19:34:25.78 ID:irfFttyt
三国志演義って劉備一派の物語やん
748人間七七四年:2013/07/22(月) 19:37:03.47 ID:kVD+1rMT
>>746
じゃあ無い
諦めろ
749人間七七四年:2013/07/22(月) 20:35:55.43 ID:+FFbEO8I
>>743
戦国時代じゃないけど太平記はそうだぞ。しかも面白いぞ
750人間七七四年:2013/07/22(月) 20:41:14.03 ID:DynzVbcC
>>746
日本外史の現代語訳でも読んだらいいんじゃない?
751人間七七四年:2013/07/22(月) 22:48:21.89 ID:sZGDRbWz
>>750
昔の人が書いたものの現代語訳は読みづらいので現代の人が書いたものがいいんです
752人間七七四年:2013/07/22(月) 22:53:28.65 ID:kVD+1rMT
何回質問したところで無いものは出てこないよ
753人間七七四年:2013/07/22(月) 22:53:47.98 ID:N6aBlTuM
川平慈英で再生されたわ
754人間七七四年:2013/07/23(火) 03:20:05.61 ID:0vgMorYq
全部なんて物語の焦点がぼけてよう書けん
755人間七七四年:2013/07/23(火) 03:50:03.45 ID:T1y/lDMN
風雲児たちが終わったら、みなもと太郎に書いてもらえ。
756人間七七四年:2013/07/23(火) 10:56:52.95 ID:EInYRUeu
吉川英治の三国志みたいな戦国時代の本を教えてください!
757人間七七四年:2013/07/23(火) 11:05:18.74 ID:Foyd7oxS
ありません
758人間七七四年:2013/07/23(火) 11:10:38.37 ID:YqYVaAe6
三国志大好き!
一番好きな小説です!
759人間七七四年:2013/07/23(火) 11:13:58.62 ID:Ctti6iUD
秀吉の生涯についての本でよくね。
もっとも日本のアチコチを実際に見て回ってたの秀吉がダントツでしょ。
秀吉政権の人材で見た場合はほぼ全国を見て把握してるはず。
760人間七七四年:2013/07/23(火) 13:26:32.80 ID:+rbTLFh7
漫画、夢幻の如くを読んで質問
信長が世界征服するために用意した戦力

兵士:西日本から40万、東日本から30万、合計70万(小田原攻めの三倍以上)
鉄砲:27万丁、弾と火薬、三千万発分
米:五万俵
これって可能?
前に見た戦国本だと戦国日本の最大兵数は50万
関ヶ原時はどこの大名も兵数の四割分の鉄砲は持ってた、だから日本全体だと20万丁?


あと別な質問、日本の最大兵士動員数、日本の全戦力をかけた大戦から考えると
小田原攻め:豊臣22万北条5万6千不参加の伊達軍およそ2万5千:計30万1千
朝鮮征伐 :一回目16万、二回目14万 :計30万
関ヶ原  :東7万4千、西8万4千   :計15万8千
大阪冬の陣:徳川20万、豊臣10万   :計30万
大阪夏の陣:徳川15万5千、豊臣7万8千:計23万3千

上記の通り最大動員数は30万っぽいんだけど、そうなると関ヶ原がたったの
半分しか参戦してないし、大阪の陣は夏が冬より7万も減ってるんだけど
この二つってどうしてこれしか兵士動員できなかったんですか?
761人間七七四年:2013/07/23(火) 13:51:21.01 ID:IPPpJj8p
豊臣方は小田原合戦時の陣立書で全国から215000も動因してる上にこれに佐竹結城里見宇都宮など反北条軍2万
が加わるから235000。
それに対し北条は毛利家文書の北条家人数覚書でわずか34500。
秀吉書状で2、3万。
享禄以来年代記による豊臣方は兵力29万で、那須記や榊原の書状だと他の史料だと50万と書いてるのもあるくらい。
実際米20万石金数万両も用意しておきながら豊臣方の物資は不足気味だったらしいのでそのくらいいてもおかしくない

朝鮮出兵は確か陣立書から30万近く動員してたはず。

関が原の合戦も石田三成人数書立や慶長見聞集で畿内方面の西軍だけで18万もいるから
東軍も含めた全体では50万〜70万くらいは余裕でいるだろ
762人間七七四年:2013/07/23(火) 13:55:48.60 ID:6kpgGee2
信長も多聞院日記天正5年2/13条で信忠信雄信孝を始め分国中の兵力かき集めて15万余騎もの
大軍を河内に集めてるのがわかる
763人間七七四年:2013/07/23(火) 13:56:56.72 ID:EInYRUeu
三国志みたいな戦国時代の本がないという人にお聞きします。
じゃあどうやって戦国時代全体を覚えればいいのですか?
三国志全体だったら三国志の本を読むだけでいいのに。
764人間七七四年:2013/07/23(火) 14:04:16.37 ID:YqYVaAe6
夏だな…
765人間七七四年:2013/07/23(火) 16:13:17.81 ID:EX0LfXnz
>>760
豊臣氏の軍役を元に細かいことを抜かして計算すると
日本国正規軍総戦力約110万。鉄砲22万丁。
運用できるかは別として兵は集めれはする鉄砲は難しい

関ヶ原は豊臣政権内の突発的な内戦であり総力戦ではない
大坂の陣は所詮一大名相手だから総力戦ではない
冬夏の差は戦域規模の差
766人間七七四年:2013/07/23(火) 16:17:58.15 ID:EX0LfXnz
>>763
信長秀吉家康の本だけで戦国後期の本筋は十分分かるし
前半や地方はまた別の本を読めばいいだけ
767人間七七四年:2013/07/23(火) 17:03:49.57 ID:Ctti6iUD
>>762
それ兼見卿記には10万余とか書いていてかなりいい加減。
しかもそれ以前には海戦で毛利に負けて石山本願寺に兵糧入れられたり
それ以後にはて手取川で上杉軍に追い払われていたりと
織田がもっとも劣勢で丹波の赤鬼さえ討伐できない有様。
それでそんなに動員できるわけがない。
そもそもl越前一揆を平定したあとに、越前衆をも動員してやっと3万の軍を動かしていたのは
信長公記に記していることでもわかる。
公家の日記には織田の戦時広報活動の影響を受けていることが多く
ほとんど信用できない。
768人間七七四年:2013/07/23(火) 17:12:52.34 ID:kWuP5Ma4
>>767
お前の妄想には興味ありません。日記は一次資料で、信長公記みたいな
デタラメ軍記よりも遥かに信憑性高い。これはアンチ織田派の人により実証された見解です。
公記は一次資料じゃねぇって戦国スレで散々わめいていたの誰だよアホ
769人間七七四年:2013/07/23(火) 17:30:25.39 ID:Ctti6iUD
いやいやそんだけ兵力あれば赤鬼を血祭りにできるし、
その結果、翌年の別所の謀反とかもありえないだろ。
だいたい謙信粉砕して越後まで攻め込めるだろ。
中国戦線に増援して本願寺支援のために
毛利が占拠してる各港湾も奪い取って本願寺への支援港を潰せるし
どんだけ兵力の余裕があんだって話だし、
それだけの兵力がありながら紀州と雑賀衆を屈服できずに
結果、別所や荒木の謀反を呼び込むとかありえない。
これじゃ信長が無能丸出しになっちまう。
770人間七七四年:2013/07/23(火) 17:35:49.72 ID:Ctti6iUD
天正5年〜天正6年の謙信・赤鬼の相次ぐ死去くらいって
織田が元亀4年の信玄上洛戦と同等か、それ以上に大苦戦してるんだぞ。
それでそんだけの兵力的余裕はないよ。
日記には長篠で勝頼を討ち取ったとか平気でデタラメを聞いたままに書いてるくらいだし。
771人間七七四年:2013/07/23(火) 17:39:30.79 ID:kWuP5Ma4
そりゃ簡単。織田は西は播磨方面北は丹波越前加賀
東は美濃飛騨と広範な版図を有するため、一箇所に兵を集中できないから、でFA
ゲームじゃあるまいし
複数に戦線があるのに一箇所に全ての兵集中とかできるわけねーしな
大体織田の国力でいえば15万くらい余裕だろうし
772人間七七四年:2013/07/23(火) 17:54:13.41 ID:EX0LfXnz
だがさんはめんどくさいなぁ
773人間七七四年:2013/07/23(火) 19:02:20.89 ID:Ctti6iUD
京を支配してる織田の一方的な軍事プロパガンダを聞いて
それを公家が日記に記入してる証拠として
叡山焼討ちで言継卿記が伝聞から3000〜4000人殺されたと驚いているのを
年代記抄節はおよそ1600余人と誇張に惑わされずに冷静に書いてるし、
兵力に関しては過大に吹聴してるのを聞いて書いたものより、
むしろ公記の方が正確。公記の兵力数は朝倉方などの記述と近い場合なども多い。
本願寺攻めに失敗し5月の原田(塙)戦死したあとの信長出陣で勝ったと宣伝してるが
(天王寺の戦い・・・公記には数千挺の鉄砲に狙撃される中を信長が突撃して大勝利したとデタラメを吐く)
5/11勧修寺晴豊らが戦勝祝賀の勅使として摂津国へ下向するやウソ戦果と捏造戦況がバレて
相当な危機感を持った朝廷で12日夜からさっそく朝廷で右大将出陣御祈祷が一週間に渡り開始される始末だし
(同時期の柴田書状には能登・加賀・越中を織田が平均したとデタラメを吐いてる)
姉川の戦いでの言継卿記でも浅井討ち死に、その他8000討ち取りとか書いてる。
また越前以下9600討ち取り(公記ですら浅井の死者1100と書いてるのにw)
そんなに討ち取ったのなら志賀の陣のような体たらくにならんだろう。
長篠の戦いでも大げさな戦果な上に、勝頼も死んだとか書いてるのが信長。
長篠の戦いの信長による戦果捏造宣伝工作
5/26信長書状には「数万を討取った。勝頼の死体も河に漂ってるだろう」などと
誇張しまくりを書いていて5/21の戦い当日付の兼見卿記にも信長が一戦に及んで
数千騎を討死させたと書いてる(騎馬武者だけで数千もいたのかすら怪しいデッチあげぶりw)
つか、こりゃあ武田大騎馬軍団だなw 実際の武田軍の損害については
実際に鉄砲衆を調達してから長篠に従軍した大和国の筒井衆が無事に大和国へ帰り着いた
5/27に記された大和興福寺の多聞院日記の千人ぐらい討死が比較的正しいだろう。
(それですら筒井勢が武勇自慢の宣伝をしている可能性がある。
と言うのも、そんなに圧勝してるなら天正10年の武田征伐を恐れた大和衆が
甲斐国越後国衆弓矢天下一之軍士などと不安を訴えたりするだろうか)
5/24に兼見卿記が記す、光秀と会談した際に聞いた長篠の戦いの話では
「ことごとく討ち果たした」に表現が大幅に後退している。
ちなみに6/13の謙信への信長書状では嘘がすぐバレると思ってか
「数知らず」と書いて討取り数を明言しなくなっている。
さらに家康が駿州へ軍事行動をしていることに触れた後に織田軍は兵糧がまだできてない間は軍を出せないので
(6月の時点では米が尽きていて収穫期の)来たる秋まで動けないと書いている。
織田軍は兵農分離どころか、思いっきり農業スケジュールに左右されている
徳川軍よりも遥かに後進的で古い軍隊組織体制なのがわかる。
家康の知恩院宛て6/22書状でも武田之家討ち果たし候様子を聞いたようですね
などと書いていて討取り数にまったく触れていない。
実は虚報ばかりで討ち取り数すら明言できないのが戦後の織田w
実際にはそんなに討ち取られていない可能性が高い。
774人間七七四年:2013/07/23(火) 21:28:07.85 ID:wUsLz8M2
聞いても居ないのに、読まれない長文書くバカw

せめて10行でまとめろよ。
775人間七七四年:2013/07/24(水) 09:35:41.24 ID:HOlAKFDY
あり得ない誇張をして対外宣伝する時は、
自軍が最も苦戦している時を現している虚言だろう。
776人間七七四年:2013/07/24(水) 10:20:22.56 ID:G0JmLchP
秀吉は毎回デタラメハッタリ誇大喧伝を常時行ってたので毎回最も苦戦してたって事だな
777人間七七四年:2013/07/24(水) 12:29:44.90 ID:bKZMUs0F
>>776
それ全部、家康方の吹聴してた捏造戦果。
期待していた北条からの援軍が¥への一縷の望みが絶えてしまった家康が苦戦していたがゆえに、誇張戦果もネタに
長宗我部に秀吉の背後を突いてもらいたかったと言う事情による必要性によるもの。
小早川隆景も情報元を尾張の犬山の高尾又兵衛尉なる者が昨日やってきた時に聞いた「世上如風聞」と書いてるし
家康側は風聞工作をやっていたんだろうね。
むしろ顕如はのち落ち着いた後に情報収集の結果として正確な数字を書きいれてる。
実際、一万討死なんて非現実的過ぎるアホな数字だよな。 いかに家康らが不利な状況だったかがわかる
必死な政略的宣伝工作かがわかる。しかも不必要なまでにしつこく長期間にわたり吹聴して、
あとになっていろいろな情報を知った結果訂正した
顕如日記の3000討死ってのが現実的だろうね。
伝聞による初期情報ってのはそのまま信じない方がいい。
1万討死は確かに現実的な数字じゃないよね。
当時の家康は長宗我部が秀吉の背後を突いてくれないと
八方塞りで敗北必死だったから誇張宣伝を繰り返して長宗我部に決起を促していた。
しかし長宗我部は逆に秀吉の要請で毛利の侵攻が開始される始末。
そうなると家康は北条が援軍に来るなんて非現実的なことを言って
友軍の離反を繋ぎ止めてるが、もちろん秀吉は佐竹を使って北条を牽制してるし
新発田との争いを止めさせた上杉も参戦してきたから家康は完全に追い詰められてた。
そもそも20万人が戦った関が原の戦いですら
旧日本軍参謀本部が日本戦史・関原役において討死数を8000人としているわけだし。
一次史料である9月20日付の近衛前久書状では関が原では4,000〜5,000人としている。
1万人討ち死になんて当時の物理的能力限界を超えた南京大虐殺並みの捏造妄想。
柴田を滅ぼすに至った賤ヶ岳の戦いですら、
5/15付け秀吉→小早川書状で討ち取り5000って書いてる。
万の討ち取りなんて現実的に考えて非現実だわ
778人間七七四年:2013/07/24(水) 12:37:35.96 ID:G0JmLchP
秀吉側に都合いい戦果だけ史実扱いして
圧倒的に多くの史書に残ってる戦果だけ捏造とか妄想も大概にしとけこのボケ
加筆ミエミエの真横の己後の沙汰は三千計死と云々
これのどこが正確な情報収集なんだ糞カスが
長久手の戦いの戦死者は2万くらいだろ
織田・徳川方は最初は1万と書いてたけど後に正確な情報収集の結果2万におちついた
だからこそ8倍ほどもの圧倒的兵力がありながら眼前の織田方を叩き潰せず1年無駄にした

つーか京以西は完全に秀吉側の情報のがいきやすいんだから
家康の誇大喧伝の結果とか馬鹿かと

顕如が正確な情報収集してたなんて史料は存在しない
アンチ徳川馬鹿の堀ですら「その後の沙汰」を噂と訳しているし
つーか京以西は秀吉の捏造戦果情報の歪曲フィルターの情報地域なんだから
徳川織田方戦果が過小に見積もられるのは当然のこと
顕如の日記ですら当初の情報では1万としてるし
他の資料でもことごとく1万か多くて2万なんだからそっちが正しいと馬鹿でもわかる
大体記録でも史料はある事柄が起こった時代が近い史料・近い現場にいた人が書いた資料ほど信憑性が高いとされるのに
なぜか伝聞レベルの顕如日記の「後の沙汰」が他諸々の史料の情報より優先って馬鹿かと
○長久手合戦の戦死者は1万人以上
4/9織田信雄書状 一万人 4/10家康書状一万人 4/11家康書状一万人 4/13北条氏政・氏直書状1万人 5/2小早川隆景書状一万人余り
5/3織田信雄書状一万五千人 5/7織田信純書状一万人 家忠日記1万五千余り 顕如日記1万人余り イエズス会年報1万人
フロイス日本史一万人 当代記2万人 池田家履歴略記・兼山記2万人
戦死者池田親子・森長可・木下祐久利ただ兄弟白井藤丸蟹江勘衛門大村定平
佐藤又座衛門鯨藤治今井長可今井長三郎秋田伝十郎生駒半座衛門香西又市
梶田喜八朗吉田甚内川越次郎河合助之丞岡田善衛門今鵜善衛門村岡十内長谷川伝三郎
森鳥八蔵片山喜平次阿部弥一衛門秋田嘉兵衛片桐与三郎梶浦兵七朗竹村小平太
また長久手合戦参加者の家記・家譜・合戦記なども全て1万人かそれ以上としてる 3000人としてるのはない。
アンチ徳川のアホ堀によれば顕如日記のその後の噂では3000人というのが正しいそうだが文中に書かずに真横に書いてる時点で書き足してるのがミエミエ
ちなみに家康が諸大名あてではなく身内にあてた書状や敵対勢力の毛利方の書状でも一万人戦死とでており
3000といってるのは顕如日記の「その後の沙汰(噂)」という所のみ

京の公家日記とか秀吉の捏造歪曲フィルターをかかった情報とかがそのまま伝わって公家日記に間違った情報がかかれてたりするけど
小牧長久手の敗報は秀吉のハッタリ誇大喧伝をもってしても打ち消せないほど衝撃的だったらしく京で騒動が数日間続き当合戦で1万人以上戦死したとの報が各公家日記に書かれてる
さらに秀吉の同盟者の毛利方の武将の書状にも1万人以上戦死の情報が書かれておりその他も悉く戦死したと伝わってるから秀吉の捏造をもってしても打ち消せないほど長久手の敗戦
の痛手はひどかったんだろうね 何せあの135000の規格外の兵力をもってしてわずか17000ほどの信雄家康と均衡状態どころか浜田長久保蟹江前田下市場神戸など奪回されたりしてるんだから
779人間七七四年:2013/07/24(水) 12:38:23.28 ID:G0JmLchP
イエズス会年報とかフロイスの日本史とかも秀吉の下記のようなデタラメハッタリ誇大喧伝を間にうけて事実かのように書いてるけど
そんな秀吉マンセー軍記ですら小牧長久手の秀吉方戦死者は1万人とかいてるからね
秀吉は敗戦後諸大名にあてて負けはしたもののほんのさわりにもならないとか堅固に意思を固め、家康を討伐してやるとか書いてるけど
そんなハッタリを以ってしても覆い隠せないほど小牧長久手の敗戦のダメージは大きかったんだろ。普通に135000対16000なら半月くらいで決着がついてもいい兵力差だからな

尾張表で過半は存分に任せられ(秀吉の思うように)候⇒実際は犬山城主が伊勢に出ており
留守なのを居留守泥棒的に池田・森が奪っただけ
和泉で根来・雑賀・玉木・湯川その他一揆3万の砦を岸和田船番者が切かかり首5000討ち取り
敵城を残る所なく乗っ取り紀州表まで攻め込んだ⇒3万も集まるはずもなく
しかも紀州一揆はこの後も健在。実際は攻めて来たのを撃退しただけ
伊賀伊勢を平定した⇒戸木も長島も桑名も浜田もしっかり残ってるのに平定w
尾張の過半を平定した⇒まだ北部で足止め。過半はおろか4分の一も制覇できていないw
日付不明
秀吉⇒大御ちさま
加賀の井で池田の弔い合戦で歴々10人ばかり討ち取った⇒死んだのは2人だけwww(家忠日記、細川家記その他合戦参加者の家記・家譜・合戦記)
小坂なんて書状でもしっかり生きてるのが確認できるしそれ以外のやつもほとんど織田信雄分限帳で生きてるのがわかるのにwww
小牧表で10町・15町に陣を張り野戦を挑んだが家康が小牧山から一切出ない
→小牧山は普請も施されていない無防備な陣(三河物語他)
周辺をガチガチに秀吉方砦で固めて野戦するのにこの上ない環境
それで野戦を挑んで1万人戦死して大敗したのに家康が取り合わないって…
付け城を三箇所申し付けた→あれ?あなた4/8丹羽宛で小牧周辺をガチガチに砦普請で囲ったっていってましたね。なぜ今更付け城の話を????
加賀野井城で大将分采女後藤・楠・峰・千草・あげき・小坂・林・加藤・渡辺といった大将分10人討ち取った
→千草・加藤など一部除いて皆生還しています(家忠日記・兼山記・細川家記・織田信雄分限帳など)
伊勢一国平定した→間宮の反撃にあって苦戦し戸木も相変わらず陥落せずw長島・桑名・浜田はいうに及ばず…
4月13日に犬山城を攻め崩した(笑)w→いやはやこれは笑うしかないw3月上旬に留守居兵ろくにいなく、陥落した犬山を4月ってw
家康が小牧に陣を張ったので数度に及び合戦を挑もうとしたが取り合わなかったので仕方なく尾口・羽黒・楽田という3箇所に
付城を築き2万を入れおいた→無防備な小牧山に対して7倍もの圧倒的兵力差を生かして周辺ガチガチに砦で固めて短期決戦挑んだら1万人も戦死者出す大敗。
なのに家康が取り合わなかったから仕方なく砦普請して軍勢をいれおいたって…
加賀の井で大将分10人討ち取り→2人を除いて生き残ってる

尾張東方3郡西方2郡がこちらの物になり、2郡のみ残す所になった→犬山と楽田、加賀の井、奥等西部・北部の一部を攻め取っただけ
で尾張の大部分w これが本当なら防衛どころじゃないw
木曽川を切りかけ長島・清洲辺りを悉く洪水で溢れさせ、侍、土民・百姓まで餓死させ
家康はなすすべなくなる→そんな芸当ができるならマジシャンwギャグがすぎるだろwwしかし秀吉はこれをあたかも真実のように一日今の躰と在ると語るw
9/8秀吉→丹羽、前田  9/9秀吉→あて先不明
信雄御料人・家康総領子、石川実子、織田長益、滝川雄利実子を出し尾張において
懇望してきたが許さなかった→織田信雄の主張によれば間逆で秀吉が懇望してきたが
断ったといってるがどちらが正しいんですかね
で、 11/11織田信雄が懇望してきたので結ばれた 11/13 家康が懇望してきたので同意してやった
なぜ9月時点での懇望を断ったのに11月では容認
明らかにデタラメ
780人間七七四年:2013/07/24(水) 12:39:25.05 ID:G0JmLchP
むしろそのくらいじゃないと説明つかないわな
何せこの後は8倍もの圧倒的兵力差で一進一退。長久手会戦後
4/10家康→蘆田時直 森・池田など大将分10人余り以下一万余り打ち果たし候
          羽柴軍を根切りにする事は眼前、上洛までまですぐだ
4/11秀吉→伊藤・谷ら 大浦城の加勢を命じる
4/12秀吉→秀勝 池尻・大浦・政道の定番・普請を命じる
秀吉→あて先不明 木造表の砦普請を命じる
    →伊木・河合・津田・富田・八重羽 今尾・楽田・小口などの普請を命じるなど
完全に持久戦の態勢に入っている
4/12松井→紹安 一戦に池田親子・森・木下兄弟討ち死に、秀次・堀も敗走、その他緒卒は大方打たれ申し候
4/12信雄→吉村氏吉 前日の高洲口で砦三つ追い払い首数多討ち取る旨を賞する
4/18小笠原→犬飼 羽柴軍敗北まで程あるまじく候
4/21信雄→吉村 今尾へ池田輝政に秀吉の軍勢が加わり打ち出し、脇田をせめてきたが剰数多手負い死人が出た
4/23熊谷信直→隆通 去13日羽柴方衆合戦候て数多討ち取られた
播磨三木より元清の注進では羽柴方の衆徒は残さず討ち取られた
5/2信雄→不破広綱 今朝秀次がその表で相働き、数刻戦ったが堅固に防戦して撃退した
5/3信雄→香宗我部 羽柴が大河を越えて犬山まで入ったので討ち取る事は掌の内だったが
美濃に逃げていったので本意を逃した。敵は大利を逃がし逃散した。伊勢・美濃両方で差し合い切り上げるつもりだ
5/3酒井→大槻 当方で出馬し合戦に及び2万余り討ち取った。敵は正体がなく一昨日一日に退散した
5/5蜂須賀正勝 美濃岐阜に納馬した。秀包が長々と在陣、別段変わった様子はない。安国寺・林も今参陣したので
近日討ち入るつもりだ
5/5織田信雄 家康は一昨日先勢本多忠勝に鉄砲衆を連れて荻原まで差しよこされた
5/5家康→小浜・間宮 伊勢の生津・村松で敵を数多討ち取った旨の注進のこと、比類ない事である
各高名の者共この内に申すべく候
5/5 家康→藤方 この表で敵が敗軍し構えを切る所、土手を築く
敵を討ちもらしたのは無念だが方々へ調策を練っているので上洛まで程なくである
5/6 秀吉→小将・南禅寺 近日開陣する予定である
5/7 織田信純→香芸 1日に秀吉が陣所を払い、敗北の体にて退却した
家康は年月を経て在陣せられ、討ち果たすつもりだ
先月9日岩崎口において一戦に及び池田・森その他随一の者共一万余り討ち取った
このほうの本意がなるまで程ない状態である
5/16 本多→蘆田時直 丹波での出兵に対する兵糧支援を述べる

上記のように秀吉は持久戦に入り膠着状態
家康を避けるように木曽川筋の数城を圧倒的大軍でこれみよがしに攻めるばかり
いかに信雄・家康に対して怖がってたかわかる
羽柴秀吉訓戒書でも秀次に対して木下兄弟戦死と残りの連中も戦死して残るものなしで大変不便
これ以上自分の面目を失わせたら手打ちにいたすとか書いて怒りをぶつけてるし
滝川の時といい秀吉が自分に100%責任があるのに部下に押し付けるのはまあいつもの事だが。
こんだけ大軍で信雄・家康を攻められず尾張半分すら切り取れなかったんだから
781人間七七四年:2013/07/24(水) 12:40:58.64 ID:G0JmLchP
4/10家康→蘆田時直 森・池田など大将分10人余り以下一万余り打ち果たし候
          羽柴軍を根切りにする事は眼前、上洛までまですぐだ
4/11秀吉→伊藤・谷ら 大浦城の加勢を命じる
4/12秀吉→秀勝 池尻・大浦・政道の定番・普請を命じる
秀吉→あて先不明 木造表の砦普請を命じる
秀吉→伊木・河合・津田・富田・八重羽 今尾・楽田・小口などの普請を命じる
完全に持久戦の態勢に入っている
4/12秀吉→八重羽・富田・津田 木造の城がいまだ落ちず小島と相談して砦を4つ設けるよう指示
田丸・榊原・小島に申し付けるよう指示したので相談するように指示
4/12秀吉→榊原・小島・田丸 木造の砦は2箇所は小島、一箇所は田丸、一回書は榊原が申し付けるよう指示
各自相談し城中の者を一人も逃さないよう普請を堅固に申し付ける事を指示
4/12松井→紹安 一戦に池田親子・森・木下兄弟討ち死に、秀次・堀も敗走、その他緒卒は大方打たれ申し候
4/12信雄→吉村氏吉 前日の高洲口で砦三つ追い払い首数多討ち取る旨を賞する
4/18小笠原→犬飼 羽柴軍敗北まで程あるまじく候
4/21信雄→吉村 今尾へ池田輝政に秀吉の軍勢が加わり打ち出し、脇田をせめてきたが敵に数多手負い死人が出た
4/23信雄→吉村 今尾口へ秀吉方兵力が出撃してきた旨を了承 吉村へ必ず加勢を申し付ける旨を伝える
4/23熊谷信直→隆通 去13日羽柴方衆合戦候て数多討ち取られた
播磨三木より元清の注進では羽柴方の衆徒は残さず討ち取られた
5/2信雄→不破広綱 今朝秀次がその表で相働き、数刻戦ったが堅固に防戦して撃退した
5/3信雄→香宗我部 羽柴が大河を越えて犬山まで入ったので討ち取る事は掌の内だったが
美濃に逃げていったので本意を逃した。敵は大利を逃がし逃散した。伊勢・美濃両方で差し合い切り上げるつもりだ
信雄→吉村 秀吉が其の表(松ノ木)出兵してきたため信雄より加勢を使わす事を約束。伊勢方面の事を申し付けるため
本日(5/3)信雄が小牧より長島へ帰った事を伝える
5/3酒井→大槻 当方で出馬し合戦に及び2万余り討ち取った。敵は正体がなく一昨日一日に退散した
5/5蜂須賀正勝 美濃岐阜に納馬した。秀包が長々と在陣、別段変わった様子はない。安国寺・林も今参陣したので
近日討ち入るつもりだ
5/5織田信雄 家康は一昨日先勢本多忠勝に鉄砲衆を連れて荻原まで差しよこされた
5/5家康→小浜・間宮 伊勢の生津・村松で敵を数多討ち取った旨の注進のこと、比類ない事である
各高名の者共この内に申すべく候
5/5 家康→藤方 この表で敵が敗軍し構えを切る所、土手を築く
敵を討ちもらしたのは無念だが方々へ調策を練っているので上洛まで程なくである
5/5 信雄→吉村 松ノ木の加勢と防衛について詳細に命じる
5/6 秀吉→小将・南禅寺 近日開陣する予定である
5/7 織田信純→香芸 1日に秀吉が陣所を払い、敗北の体にて退却した
家康は年月を経て在陣せられ、討ち果たすつもりだ
先月9日岩崎口において一戦に及び池田・森その他随一の者共一万余り討ち取った
このほうの本意がなるまで程ない状態である
782人間七七四年:2013/07/24(水) 12:44:57.85 ID:G0JmLchP
秀吉側に都合いい戦果だけ史実扱いして
圧倒的に多くの史書に残ってる戦果だけ捏造とか妄想も大概にしとけこのボケ
加筆ミエミエの真横の己後の沙汰は三千計死と云々
これのどこが正確な情報収集なんだ糞カスが
>>いかに家康らが不利な状況だったかがわかる
>>必死な政略的宣伝工作かがわかる。
なら佐竹その他書状でデタラメハッタリ誇大喧伝まで書き入れまくってる秀吉はめちゃめちゃ不利な状況だったってことだな
顕如日記の数はただ秀吉が敗北をひたかくしにしたから
異常に少なく見積もられてるだけだろ
実際諸大名あてに大した事はないだのなんだのいいつくろってたしな
長久手の戦いの戦死者は2万くらいだろ
織田・徳川方は最初は1万と書いてたけど後に正確な情報収集の結果2万におちついた
だからこそ8倍ほどもの圧倒的兵力がありながら眼前の織田方を叩き潰せず1年無駄にした
つーか京以西は完全に秀吉側の情報のがいきやすいんだから
家康の誇大喧伝の結果とか馬鹿かと
顕如が正確な情報収集してたなんて史料は存在しない
アンチ徳川馬鹿の堀ですら「その後の沙汰」を噂と訳しているし
つーか京以西は秀吉の捏造戦果情報の歪曲フィルターの情報地域なんだから
徳川織田方戦果が過小に見積もられるのは当然のこと
顕如の日記ですら当初の情報では1万としてるし
他の資料でもことごとく1万か多くて2万なんだからそっちが正しいと馬鹿でもわかる
>>実際、一万討死なんて非現実的過ぎるアホな数字だよな。いかに家康らが不利な状況だったかがわかる 必死な政略的宣伝工作かがわかる。
>>しかも不必要なまでにしつこく長期間にわたり吹聴して同盟諸将に繰り返し書き送って決起を呼びかけ秀吉の背後を襲うように言ってるからな。
圧倒的大軍がありながらわずか7分の1程度の柵もめぐらされていない無防備な徳川陣を攻めきれず
上杉や毛利宇喜多に必死に援軍要請しまくって佐竹毛利その他大名宛に基地外ハッタリ誇大喧伝書くまくったんだから
いかに秀吉がボロクズレベルの雑魚で追い込まれていたか「わかる」
1万も戦死したのに諸大名あてに大したことないだのほんのさわりにもならないだの必死に言いつくろって過小喧伝
してたからいかに必死で政略的誇大喧伝か「わかる」
大体記録でも史料はある事柄が起こった時代が近い史料・近い現場にいた人が書いた資料ほど信憑性が高いとされるのに
なぜか伝聞レベルの顕如日記の「後の沙汰」が他諸々の史料の情報より優先って馬鹿かと
>>当時の家康は長宗我部が秀吉の背後を突いてくれないと八方塞りで敗北必死だったから誇張宣伝を繰り返して長宗我部に決起を促していた。
>>しかし長宗我部は逆に秀吉の要請で毛利の侵攻が開始される始末。
>>そうなると家康は北条が援軍に来るなんて非現実的なことを言って
>>友軍の離反を繋ぎ止めてるが、もちろん秀吉は佐竹を使って北条を牽制してるし
>>新発田との争いを止めさせた上杉も参戦してきたから家康は完全に追い詰められてた。
圧倒的大軍がありながらわずか8分の1程度の柵もめぐらされていない無防備な徳川陣を攻めきれず
上杉や毛利宇喜多に必死に援軍要請しまくって佐竹毛利その他大名宛に基地外ハッタリ誇大喧伝書くまくったんだから
いかに秀吉がボロクズレベルの雑魚で追い込まれていたか「わかる」
1万も戦死したのに諸大名あてに大したことないだのほんのさわりにもならないだの必死に言いつくろって過小喧伝
してたからいかに必死で政略的誇大喧伝か「わかる」
秀吉は佐竹や毛利にデタラメばかり書いて必死に友軍離反をつなぎとめる事に必死だったのが「わかる」
783人間七七四年:2013/07/24(水) 12:46:05.55 ID:G0JmLchP
家康なんか天正11年からの特政連発&木曽小笠原真田石川水野の離反と天正大地震の影響で
領内めちゃめちゃになったせいで従わざるをえなくなっただけだからなあ
しかもそんな状況で秀吉は母と妹人質にださなきゃならないほどヘタレぶりだったし。
まあ毎度の事だけど
秀吉なんて運だけで天下取ったようなもんだからな
織田家臣だから当主の能力&恵まれた運や状況で織田家が膨張して
大きく勢力拡張
山名&荒木&尼子残党&毛利の中途半端な介入でぐちゃぐちゃになってた播磨に運よく派遣されて
戦わずして味方が多く集まって信長が光秀に殺されて光秀が主殺しの汚名負ったから味方が多くあつまっただけ
毛利宇喜多上杉大友佐竹なども味方で対柴田戦でも勝家が雪に閉ざされて動けず佐々も対上杉で動けず
勝豊と勝家が不仲で信雄と信孝が不仲で稲葉が味方で前田や金森不破が戦の途中で兵を引いたから勝てただけ

○長久手合戦の戦死者は1万人以上
4/9織田信雄書状 一万人
4/10家康書状一万人
4/11家康書状一万人
4/13北条氏政・氏直書状1万人
5/2小早川隆景書状一万人余り
5/3織田信雄書状一万五千人
5/7織田信純書状一万人
家忠日記1万五千余り
顕如日記1万人余り
イエズス会年報1万人
フロイス日本史一万人
当代記2万人
池田家履歴略記・兼山記2万人
戦死者池田親子・森長可・木下祐久利ただ兄弟白井藤丸蟹江勘衛門大村定平
佐藤又座衛門鯨藤治今井長可今井長三郎秋田伝十郎生駒半座衛門香西又市
梶田喜八朗吉田甚内川越次郎河合助之丞岡田善衛門今鵜善衛門村岡十内長谷川伝三郎
森鳥八蔵片山喜平次阿部弥一衛門秋田嘉兵衛片桐与三郎梶浦兵七朗竹村小平太

また長久手合戦参加者の家記・家譜・合戦記なども全て1万人かそれ以上としてる
3000人としてるのはない。
アンチ徳川のアホ堀によれば顕如日記のその後の噂では3000人というのが正しいそうだが
文中に書かずに真横に書いてる時点で書き足してるのがミエミエ
ちなみに
家康が諸大名あてではなく身内にあてた書状や敵対勢力の毛利方の書状でも一万人戦死とでており
3000といってるのは顕如日記の「その後の沙汰(噂)」という所のみ
784人間七七四年:2013/07/24(水) 12:48:35.24 ID:HewGARqh
だがコピペは透明NGで快適
785人間七七四年:2013/07/24(水) 12:53:57.10 ID:G0JmLchP
>>秀吉によってどんどん領地を奪われ
尾張の木曽川筋をチョコっと攻め取っただけでガンガンとか言われても
>>三河の竜門寺によれば三河渥美郡も過重な陣賦役のために在地社会が激しく荒廃し疲弊
会戦当初から徳政連発と貧国のために窮困状態
小牧長久手の戦いの時はむしろ大方の兵力は北条の変心と上杉の信濃出兵のため残されており
さらに夏には少ない兵力の半分を返している家忠日記当代記
>>当時の家康は長宗我部が秀吉の背後を突いてくれないと八方塞りで敗北必死だったから誇張宣伝を繰り返して長宗我部に決起
圧倒的大軍がありながらわずか7分の1程度の柵もめぐらされていない無防備な徳川陣を攻めきれず
上杉や毛利宇喜多に必死に援軍要請しまくって佐竹毛利その他大名宛に基地外ハッタリ誇大喧伝書くまくったんだから
いかに秀吉がボロクズレベルの雑魚で追い込まれていたか「わかる」
1万も戦死したのに諸大名あてに大したことないだのほんのさわりにもならないだの必死に言いつくろって過小喧伝
してたからいかに必死で政略的誇大喧伝か「わかる」
>>家康は北条が援軍に来るなんて非現実的なことを言って友軍の離反を繋ぎ止
秀吉は佐竹や毛利にデタラメばかり書いて必死に友軍離反をつなぎとめる事に必死だったのが「わかる」
>>20万人が戦った関が原の戦いですら旧日本軍参謀本部が日本戦史・関原役において討死数を8000人
全く違う戦いあげて根拠にするとか意味不明 ただ逃散兵が多かっただけだろ
>>一次史料である9月20日付の近衛前久書状では4,000〜5,000人としている。顕如日記の3000討死ってのが現実的
顕如日記は秀吉の過小歪曲フィルターがかかった捏造情報があとからもとらされただけ
>>家康の策源地である三河からして完全に崩壊してるのが現実だし三河渥美郡にある常光寺の日記
>>4/17には本拠地三河の渥美まで秀吉が派遣した100隻の軍船で襲撃
織田徳川羽柴の書状にも見られないような局地戦と家康も無視している状況あげられて三河
が崩壊とか馬鹿ですか? むしろこの戦いでも攻略失敗なんだから秀吉の負け
秀吉側に都合いい戦果だけ史実扱いして 圧倒的に多くの史書に残ってる戦果だけ捏造とか妄想も大概にしとけこのボケ
加筆ミエミエの真横の己後の沙汰は三千計死と云々 これのどこが正確な情報収集なんだ糞カスが
>>いかに家康らが不利な状況だったかがわかる 必死な政略的宣伝工作
なら佐竹その他書状でデタラメハッタリ誇大喧伝まで書き入れまくってる秀吉はめちゃめちゃ不利な状況だったってことだな
顕如日記の数はただ秀吉が敗北をひたかくしにしたから 異常に少なく見積もられてるだけだろ
実際諸大名あてに大した事はないだのなんだのいいつくろってたしな 長久手の戦いの戦死者は2万くらいだろ
織田・徳川方は最初は1万と書いてたけど後に正確な情報収集の結果2万におちついた
だからこそ8倍ほどもの圧倒的兵力がありながら眼前の織田方を叩き潰せず1年無駄にした
つーか京以西は完全に秀吉側の情報のがいきやすいんだから 家康の誇大喧伝の結果とか馬鹿かと 顕如が正確な情報収集してたなんて史料は存在しない
アンチ徳川馬鹿の堀ですら「その後の沙汰」を噂と訳しているし つーか京以西は秀吉の捏造戦果情報の歪曲フィルターの情報地域なんだから 徳川織田方戦果が過小に見積もられるのは当然のこと
顕如の日記ですら当初の情報では1万としてるし 他の資料でもことごとく1万か多くて2万なんだからそっちが正しいと馬鹿でもわかる
>>一万討死なんて非現実的過ぎるアホな数字だよな。いかに家康らが不利な状況だったかがわかる必死な政略的宣伝工作
>>不必要なまでにしつこく長期間にわたり吹聴して同盟諸将に繰り返し書き送って決起を呼びかけ秀吉の背後を襲うように言
圧倒的大軍がありながらわずか7分の1程度の柵もめぐらされていない無防備な徳川陣を攻めきれず
上杉や毛利宇喜多に必死に援軍要請しまくって佐竹毛利その他大名宛に基地外ハッタリ誇大喧伝書くまくったんだから
いかに秀吉がボロクズレベルの雑魚で追い込まれていたか「わかる」
1万も戦死したのに諸大名あてに大したことないだのほんのさわりにもならないだの必死に言いつくろって過小喧伝
してたからいかに必死で政略的誇大喧伝か「わかる」
大体記録でも史料はある事柄が起こった時代が近い史料・近い現場にいた人が書いた資料ほど信憑性が高いとされるのに
なぜか伝聞レベルの顕如日記の「後の沙汰」が他諸々の史料の情報より優先って馬鹿かと
786人間七七四年:2013/07/24(水) 12:56:27.28 ID:G0JmLchP
3/25 大久保→皆川 3/17に濃州口との境目である羽黒において池田・森の守る出構を撃破した事を報じる
4/20 秀吉→上部 秀吉が在陣する尾張方面では、普請など堅固に申し付けている旨を報ずる
5/16 本多→蘆田時直 丹波での出兵に対する兵糧支援を述べる
6/2信雄→吉村 松ノ木への玉薬を送付
6/7秀吉→前田 尾張河波を敵城を全て攻略する意思である旨を報じる
6/12信雄→寺西・橋本・吉村 敵(秀吉方)が松ノ木近辺に陣取った旨を了承
6/13信雄→橋本・寺西・吉村 秀吉方を撃退した旨を了承 其の城について油断なく注意するよう指示
6/13家康→信雄 昨晩秀吉方が松ノ木へ攻撃してきたが撃退した旨の注進に対して賞する
6/16信雄→橋本寺西吉村 秀吉方の様子に関する報告について了承 松ノ木についていろいろな点で注意するよう指示
6/20信雄→吉村 今尾へ秀吉方兵力が少々出てきたため松ノ木への加勢を要請を承諾しやがて遣わす事を報じる
6/20家忠日記 秀吉方楽田に向かい放火する
6/28家忠日記 楽田へ小牧衆(小牧城に在陣している家康方兵力)が物見に出かけ秀吉方と交戦した
7/7秀吉→小野木・大塩・津田・富田 神戸城の守備について滝川益重を派遣する事を報ずる
7/7秀吉→一柳 蟹江落城により、蟹江に対する秀吉方拠点として神戸城に秀吉から軍勢を派遣することを報ずる
7/7蜂須賀→南条元続 秀吉方諸将は尾濃境目の城に在陣している。数日中に秀吉が伊勢へ出兵する旨を伝える
7/9秀吉→分部 神戸方面へ敵(信雄方兵力)が出兵してきた旨を了承
安濃津・上野城に敵が出兵してきたら秀吉が出兵して討ち果たす事を伝える
上記のように秀吉は持久戦に入り膠着状態
家康を避けるように木曽川筋の数城を圧倒的大軍でこれみよがしに攻めるばかり
いかに信雄・家康に対して怖がってたかわかる
羽柴秀吉訓戒書でも秀次に対して木下兄弟戦死と残りの連中も戦死して残るものなしで大変不便
これ以上自分の面目を失わせたら手打ちにいたすとか書いて怒りをぶつけてるし
滝川の時といい秀吉が自分に100%責任があるのに部下に押し付けるのはまあいつもの事だが。
こんだけ大軍で信雄・家康を攻められず尾張半分すら切り取れなかったんだから
ちなみに尾張松ノ木近辺の諸将は会戦当初から去就が微妙で
終盤になってから劣勢になりまくって裏切り続出といった流れではない
3/16信雄→吉村 松ノ木近辺の者が羽柴方についたとの報に接し兵糧等の支給を約束
3/18秀吉→尾張石田の毛利広盛で毛利秀頼に同調して内応した事を賞賛
美濃でも去就が定かでなかった池田・森が羽柴方について信雄は留守同然だった犬山城に襲撃を食らう
伊勢でも神戸・関・信包など地元諸将は多く羽柴方についたため&池田らに対応するため徳川が尾張方面に転進したおかげで
楽に侵攻できただけ 家康は3/1松平親宅に蔵役・酒役免除 3/3徳川家康定書 で三・遠両国で徳政 家忠日記3/4で三河・遠州徳政入、
信雄も3/17 尾張聖徳寺および寺内町の年貢諸役免除、違乱煩いを停止
3/25家康→尾張熱田の加藤景延らに信雄の了承の上で徳政免除を認めると
圧倒的不利な状況の下での会戦をしており 現に夏に半分兵を帰し一万足らずしかいなかった。
んで結局1年一杯使っても上記の城は攻略ならず。寝返りだらけでガタガタだった信雄領国を
8倍もの圧倒的大軍で攻め込んで結局尾張半分すら切り取れなかったのが秀吉
787人間七七四年:2013/07/24(水) 14:02:08.09 ID:wEe3yzj1
まーた在日が発狂しとるのか。
参院選でストレス溜まってるからって荒らすなよ。
788人間七七四年:2013/07/25(木) 07:19:50.96 ID:7v8v35D1
なんなのこの在日チョン。
ついに素人の質問スレまで爆撃荒らしかよ。
789人間七七四年:2013/07/25(木) 07:33:47.14 ID:3IIEf/D5
いくら秀吉ディスっても朝鮮が攻められた事実は覆らんのになぁ
790人間七七四年:2013/07/25(木) 09:56:14.02 ID:5D3pb/kR
家康関連スレはまったくの無傷で荒れてないもんな。
豊臣政権に関しては徹底的なアンチをムキになってやるくせに。
さすがキムチは工作好きだなw
791人間七七四年:2013/07/25(木) 10:18:31.38 ID:XRapz33+
戦国時代は基本無職がいなかったって本当?
どこの勢力も一人でも多く兵士が欲しいから男はどこでも足軽として
雇ってくれたから、盗賊がいなくて治安が良くて女性の一人旅ができる
珍しいぐらいの平和国家だったって戦国本で読んだんだけど
そのわりには山本勘助とか、士官先探す浪人の話ってあるよね

あれは大名家や待遇をえり好みしただけで、実際は男が『兵隊にしてください』
って言ったらどこでもウェルカムだったの?
792人間七七四年:2013/07/25(木) 10:55:30.87 ID:++CW38Ni
大名や領主が兵や人を集めるときに村ごとに人数を割当るけど、
そんときに「必ず村内の人間を出せ!」って言ってる。
裏を返せば、村人は危険を避けるため、
曲者とか流れ者を金で雇って人数合わせしてたってこと。
そういう意味じゃ糊口をしのぐぐらいならできたんじゃない?
793人間七七四年:2013/07/26(金) 20:05:52.24 ID:4MCCjLi9
北条の甲斐姫の祖母は、信長の叔母ってどっかで聞いた事あるんだけど
確認しようと思ってぐぐっても、それっぽい情報がでてこない


だれかなにか知ってますか?
794人間七七四年:2013/07/26(金) 20:21:47.82 ID:m5+3ePQR
ここできくべきかどうかは知らんが、切腹する時横に一文字書くだけじゃなく
鳩尾から臍まで十文字にやる方法もあるってきいたがどうやるんだ?
一文字書いて抜いて、もう一回鳩尾に指し直すの?
それとも抜かずに4の字書いて切りさくの?
795793:2013/07/26(金) 20:38:54.25 ID:4MCCjLi9
>>794
たぶん戦国時代の切腹方法の事だと思います。
横山光輝先生の描いた戦国漫画での解説。

腹を横一文字に斬り、首をはねられ介錯をしてもらうのは江戸時代になってからで
戦国時代の切腹は腹を十字に斬り、それから右乳首の下を刺すという大変苦しいものだった

だそうです
漫画の中で柴田勝家が腹を十文字に裂いて内臓を引きずり出し
「これが猛将柴田のハラワタじゃー!」
と敵に見せ付けてから胸を刺し死ぬ場面が描かれていた気がします
796793:2013/07/26(金) 21:46:43.22 ID:4MCCjLi9
甲斐姫の祖母は信長の叔母、について補足です

http://matome.naver.jp/odai/2129490896939955401

で、『戦国時代は、女性の武将もいた?』の覧に

甲斐姫の祖母:織田信長の叔母

とあります。でもその甲斐姫の祖母は誰なのか、信長の父母どっちの叔母なのかわかりません
797人間七七四年:2013/07/26(金) 23:15:40.67 ID:eV9a+Rs4
>>796
これは書き間違いで
本来「おつやの方:織田信長の叔母。」とするべき所が下にある「妙印尼:甲斐姫の祖母」と混じっちゃってるだけでは?
798人間七七四年:2013/07/27(土) 11:44:29.62 ID:O4bTmSth
戦国時代に手に入れた国を奴隷化、搾取、弾圧ってありましたか?

大陸の戦争は侵略した国は属国または植民地。搾取し民は奴隷か冷遇して自国を栄えさせる
自国の宗教をおしつけて地元の宗教を弾圧する
宗教を強制しないチンギスハンは寛大だと高評価
侵略地の民を自国の民と同じに扱うと→素晴らしい賢王
でも領土を拡大した戦国大名ってたくさんいるけど、属国とか奴隷化とか聞かないし
仏教も色々宗派あるけど、自国の宗派を強制したとも聞きません

自国と属国に分かれ自国の為に属国を犠牲にするのが大陸
全て自国として見て平等に扱うのが日本
ってイメージがあるけど、実際は日本でも属国、奴隷、搾取、弾圧は普通にありましたか?
799人間七七四年:2013/07/27(土) 12:14:15.10 ID:1dmCtmCl
>>798
搾取、弾圧は信長がやってた。
属国というならまだマシで、根切りによる女子供までくまなく捜索し大虐殺することを一国平均と信長は呼んで奨励していた。

奴隷は東シナ海海賊文化圏にいた島津がやってた。
弾圧搾取も島津は島々でやってたね。
800人間七七四年:2013/07/27(土) 12:23:24.41 ID:MbCsF4HX
武田が占領した時期の駿河は搾取されすぎて恐ろしく疲弊したらしい
801人間七七四年:2013/07/27(土) 12:24:13.64 ID:TK4sLSeM
だがさんがレス付け始めたから触るなよ
またコピペ爆撃されるで
802人間七七四年:2013/07/27(土) 12:37:13.98 ID:1dmCtmCl
>>800
1570年1月の駿河西部制圧後の信玄は
内政に集中していて
1572年10月の西上作戦まで
大規模出兵は一切やってないから、
それ以前の例年の頻繁な出兵は無し。
だから兵糧にはまったく心配ない。

一段が500文というのは荘園の基準貫高であり
北条も今川も一段が500文だったので
遠江〜関東に渡って共通した荘園の統一基準。
しかし武田が駿河を領有すると荘園システムの再編成を開始。
一段を田畑の内容の吟味を通じて
500文・400文・300文の三等級にすることで
税負担を軽減した。これはその後、徳川に引き継がれていく。
また武田が統治政策として一斉に発給する公文書と言う形式も
七か条の定書などの例を見れば徳川が継承しているのがわかる。
武田の統治ノウハウが徳川の地方支配として継承されている点からも
武田家臣団&給人の優秀性が見て取れる。
803人間七七四年:2013/07/27(土) 13:00:54.63 ID:XqsOsed9
>>799
信長の場合は既得権益層の解体が目的だな。
島津が日本人を奴隷として海外に売ってたのは有名だけど、大友とか大内とか毛利も海外に売ってたりすんの?
804人間七七四年:2013/07/27(土) 13:13:04.18 ID:1dmCtmCl
>>既得権益層の解体
はっ?そんなことしてねーよ。
自分に屈するか屈しないかでしか人をはかれないのが信長
805人間七七四年:2013/07/27(土) 13:14:09.27 ID:3//A3WeD
秀吉も検地の時にいろいろやってるね、弾圧の根切りも

信長も秀吉もやろうとしたことは既存の構造を変えようとしたことだから
どうしたってそういう抵抗を排除するのに避けられない道だったんだろうねえ
806人間七七四年:2013/07/27(土) 13:46:01.76 ID:21Vmcl8M
>>805
バカ政宗が騙して煽ったからな。
807798:2013/07/27(土) 20:59:28.57 ID:O4bTmSth
>>799 >>803
島津が奴隷を売っていた、という話ですが
それは島津家が自国薩摩以外で占領した南九州の領民をさらって
奴隷として海外に売り飛ばした、という意味ですか?
それとも戦場で捕まえた敵兵や罪人を売り飛ばしたという意味ですか?

あと確認ですが、信長や秀吉の根切り、それは差別による罪もない人々の虐殺ですか?
(自国尾張や美濃の人間じゃない、という理由だけで殺す民族人種差別的な内容)
それとも反乱、一揆、反信長勢力だった、無礼を働いた、などの理由あっての虐殺ですか?
808人間七七四年:2013/07/27(土) 22:49:32.01 ID:3//A3WeD
>>807
>信長や秀吉の根切り
基本的には反乱、敵に対するものだねえ
809人間七七四年:2013/07/27(土) 22:57:14.61 ID:XqsOsed9
>>807
自分の家で奴隷として作業させたり、海外に売ってお金にするために、
肥後とかの領民を拉致しに軍事行動してた。
810798:2013/07/27(土) 23:54:24.35 ID:O4bTmSth
ありがとうございます

結果としては、大陸と違って宗教強制、人種民族差別、弾圧、搾取、奴隷化は無し
搾取
大戦前に必要に応じて重税課す事はあっても、自国は普通で占領国にだけ重税を
課して自国の私腹を肥やす、ということはしない
弾圧
民族差別ではなく、敵国同様に反勢力であれば信長、秀吉は皆殺しにした
奴隷
島津氏が限定的に行っていた

>>799によると島津は島々から搾取してたようですし、なんか薩摩だけ大陸的ですね
あと暴君で有名な信長、秀吉でようやく反乱起こしたら皆殺し決行
日本て平和だなぁ、と思います(薩摩の島津を除く)
811798:2013/07/27(土) 23:56:24.80 ID:O4bTmSth
ありがとうございます

結果としては、大陸と違って宗教強制、人種民族差別、弾圧、搾取、奴隷化は無し
搾取
大戦前に必要に応じて重税課す事はあっても、自国は普通で占領国にだけ重税を
課して自国の私腹を肥やす、ということはしない
弾圧
民族差別ではなく、敵国同様に反勢力であれば信長、秀吉は皆殺しにした
奴隷
島津氏が限定的に行っていた

>>799によると島津は島々から搾取してたようですし、なんか薩摩だけ大陸的ですね
あと暴君で有名な信長、秀吉個人がようやく反乱起こしたら皆殺し決行
日本て平和だなぁ、と思います(薩摩の島津を除く)
812798:2013/07/28(日) 00:02:36.20 ID:QT8/wc17
すいません、間違えて二回投稿してしまいました

でもこういう大陸と日本の差ですが、これって一応はみんな同じ日本人として
認識してて大陸の『北の蛮族』とか『異民族』みたいな感覚が薄いからでしょうか?
それともただの日本の民族性?
813人間七七四年:2013/07/28(日) 01:53:26.96 ID:r/gKVTGY
日本は戦いは全部内戦だから。
戦国時代はちょっと様子か違って来て地域国家が成立し国同士の戦いに近くなり
ちょこっと大陸っぽくなったが、ちょこっとの段階で乱世終了
814人間七七四年:2013/07/28(日) 10:36:53.76 ID:h29zUtGt
NHKのタイムスクープハンターって番組は
あんまり脚色無さそうに見えるのですが
平均的な史実に近いと思って良いの?
815人間七七四年:2013/07/28(日) 13:13:38.17 ID:8T4pa3zH
>>814
史実ではなく、歴史資料や研究を元に構成された創作
816人間七七四年:2013/07/28(日) 13:46:01.68 ID:6SOkJLLD
豆知識
鎌倉時代後期以降の人身売買は最低価格が2貫文だったと磯貝氏が指摘してる。
実際、借金苦から子供を売る習慣を宣教師があり得ないと驚いているが、
2貫文で売れるなら止むを得ず売り、
残された家族を養うのも止むを得ないかも。
またキリスト教徒同士では敗者であっても奴隷に出来ない代わりに
イスラム教信者は奴隷にできるため、
奴隷狩りが戦の目的となる場合もある。
日本人は宗教による差別が存在しない代わりに日本人同胞を奴隷にできる一方、養子にしたり、
奴隷が得た物は奴隷の所有物に見做されるなど恩情的奴隷制度であった。
しかし九州南部を中心に倭寇文化圏は残虐な扱いを奴隷にしていたり、
しばしば奴隷獲得のために戦を惹き起こしている。
まったく蛮族と言う他はない。
ポルトガル商人は酷い扱いを受ける日本人や朝鮮人奴隷を買うことで、
待遇をよくしてやったと開き直ることができたのは、
恩情的奴隷制度の無い島津を代表とする九州倭寇文化圏の習慣を悪用したからである。
島津は豊後進攻で拉致し肥後に連行した奴隷の量が多過ぎて、それ以前に肥後で略奪しまくっていた理由により
肥後が史上最大の飢餓地獄にしてしまったほどの賊っぷり。
817人間七七四年:2013/07/28(日) 14:15:42.72 ID:6SOkJLLD
信長は神仏の使いである鹿の大量虐殺による寺社への挑発・荘園の略奪・惣村強制没収略奪・京での略奪放火恐喝大虐殺・強制労働と相次ぐ臨時の税賦課
上限の設けられない軍役・軍役がない時は軍道作りを強制される。また子供が遊ぶことも禁止された。
これらに従わない場合は弾圧で村や都市ごと焦土にする(信長のこのやりかたを一国亡国と呼ばれ批判された)
信長体制とは無政治無内政体制ともいうべきもので、とても国家の体を為してない
単なるあらっぽい下克上大名のレベルからの昇華は認められない。
それに家臣団編成、軍役賦課・軍事力編成がなされていないからこそ生じた問題であろう。
それを武篇道の督励で対応しただけの蒙昧ぶりが信長。
信長自身が武篇道に邁進して土地支配制度と知行制の整備を怠ってきたことに
原因があるのであって、逆に信長の限界を示すべきものとみるべきであろう。
信長は分国法すら作る知識も能力も無かった。
また甲州の治水技術は関東開発に役に立ったが織田は治水をやらないために後世に残る織田治水などは一切残らなかった。

秀吉が治水をしているのも田畑開発、水害防止、大坂から京への海上経済通商政策を理解しているから。
兵農分離の先駆けは天正13年卯月22日付けの秀吉朱印状が嚆矢。
紀州の雑賀・根来を討ったときに刀狩りを命じていて
その際に頭領の者を選んで皆殺し、平百姓は許すと書いていて
明確に兵と農を区別して国人指導層を殺し、武器を没収して完全な農民にしている。
これにより専業武士と農民が区分けされ秩序が生まれ国内は安定を迎えた。
信長にはそういう思考はなく皆殺しの撫で切りや根切りや磔など残虐な極刑による地域消滅政策。
秀吉は農村の生産力確保維持政策が基本にある。
秀吉の平和安定のための物流革命と言えば、信長死ぬや早くも
天正10年10月には京の出入口に設けられていた関所を廃止し(禁裏領率分関)、
信長のやり方の否定を開始し、次々と経済振興策を繰り出し始め、
ついには「公家武家地下商人に至っては諸役を止め、座を破らる。
これに依りて悦ぶ者多く悲しむ者少なし」などと秀吉の政策は激賞され、
「日本国の諸役、京のみいり(関銭)、兵庫の関、津々役儀かくのごとく往古より有り来る役さへあがり候処」と宣言し昔からあり続けた税の免除を開始。
「日本国諸役悉く上げ申し候処」
関所や港で商品にかける役銭をはじめとして日本国中のすべての役の賦課権を没収するまでに至り、空前の活況を示した。
信長のもとで関所や座の組合が経済活動を押さえ付けていたが(薄と言う公家が牛にまで税を賦課していたのも秀吉が完全廃止した)
これにより自由往来と自由通商が可能となり瀬戸内海から伏見〜京への河川流通網整備のため大河治水が開始された。
これが桃山文化と呼ばれ日本各地で城下町が整備され、
日本史史上最も派手で豪勢な時代と言われている。秀吉の下、インフラ整備と経済活況化への資本投入による民心安定策である。
さらに秀吉は太閤検地と身分法令において人口戸籍まで作らせて言わば国政調査をしている。
例えば伊達が朝鮮出兵で飛ばされている間を狙って石田豊前守にやらさせたりしてる。
また朝鮮出兵は看羊録によれば国内で変事を起こさせないように兵を消耗させ
戦国の気風がある荒々しい武将どもの内乱意識を消す戦後処理を謀る意図があったとする。
また土木工事も諸大名の経済力を奪い取ると同時にインフラ整備と経済活性政策であった。
818人間七七四年:2013/07/28(日) 14:18:15.46 ID:6SOkJLLD
秀吉は全国統一の度量衡の統一、税や法の平等を施行し、
それに反して挙兵するものは朝廷から認められた公儀政権として警察権を行使し
下克上的機運や中間搾取層の排除による既得権益の一掃と豊臣政権による官僚制を志向した。
秀吉は帝国主義・重商主義の世界史的な流れを理解し
大陸進出により、日本が強国で植民地化が不可能だと悟らせた。
看羊録には、秀吉の朝鮮出兵は諸大名の力を削いで
戦乱や領地を望む心を奪うためと書いている。
戦国の機運を終わらせるためには強権発動も必要なのだろう。
〜キリシタンはさらに悪質で領主層を惑わす〜と秀吉は書状に書いている。
秀吉が給付した領地の主人は変更することはあるが、其の地の農民の移動はない。
それなのにキリシタン大名が秀吉の許可も得ずに領地の寺社を勝手に燃やしたり略奪するのは許されない。
宣教師の企みを喝破できたのは日本の中でいまはまだ私だけだ」と言っている。
信長のようにただ単に興味本位で珍しい新しい物好きで宣教師を厚遇してるバカとは違う。
また高山右近が高槻に続き転封先の明石で寺社を破壊してたのを施薬院全宗が秀吉にチクったことで
激怒した秀吉が博多でポルトガル人の奴隷売買を糾弾したり、
牛馬は人間に仕え有益な動物なのになぜ食べるのか?と言ってたが、
(秀吉の基本思考・・・ポルトガル船でも純粋な交易のためなら寄港するのも問題なし、
秀吉から2000貫以上を給付される者がキリスト門徒になる場合は自分の許可を得よ。
それ以下の者の場合、日本の宗派は八宗あるが、キリスト教が加わり九宗になっても大して変わらんから
信教の自由は保障し何を信じようが構わない。但し、秀吉から給地を与えられた者が、権力を以って
庶民にキリスト教信者になることを強制したら罰する。)
小田原城を降伏に追い込み奥州仕置きをしようとする秀吉は
天正18年8/10に関東にも刀狩り令をだし、その中において
人を売買することを禁止し、天正16年以来で人を売買した者は
すべて返却するように命じ、売る者も買う者も処罰すると宣言している。
このことから高利貸しが政権運営する北条が滅亡するまで頻繁に奴隷売買をしていたことがわかる。
信長のような蒙昧暗愚の暴君と秀吉の差は天地の開きがある。
重商主義的・帝国主義的な植民地化がすでにフィリピンにまで押し寄せている中で
秀吉のみがキリシタンの野望を喝破し、逆に朝鮮への遠征を行うことで
日本の武威を知らしめ、陶工などを連れ帰り現在に至る名産品を生む。
秀吉は明確に日本人民の安全を謀り世界に対する武力誇示と同時に
国内混乱要因の武士層のストレスを解消させる政策を実行(神風連の乱や西南戦争を見れば明治政府の武士への扱いの苦心もわかる)
819人間七七四年:2013/07/28(日) 14:57:41.49 ID:6SOkJLLD
資金面から見てみよう。
永禄11年11月上洛するやさっそく
石山本願寺に礼銭五千貫を恐喝
法隆寺に防築銭千貫余を恐喝
永禄12年2月
堺の代表10人中8人を
自刃に追い込み二万貫の矢銭を恐喝。
尼崎は矢銭拒否により全焼略奪。
8月の織田による山名祐豊の但馬攻略後に
祐豊は堺の金融業者の渡辺宗陽を頼って今井宗久を紹介され
今井宗久が祐豊に年利40%で1000貫文を貸付け
それを信長への礼金として但馬復帰を許してもらってる。
信長が永禄12年からの恐喝集金システムでバブリーだったのも
志賀の陣での敗北までに浪費しまくって全部使ってしまったのだろう。
信長がやたら強気に出て、本願寺まで敵に回してしまったのも
あまりの想像を絶した大集金で舞い上がってマトモな判断力を失っていたのだろう。
永禄13年4月改め元亀元年4月に改元。
朝廷からの荘園返還要求から逃げまくる信長
比叡山の荘園横領しまくりの信長による元亀2年9月比叡山焼き討ち略奪。
元亀3年に奈良内銀子320枚・興福寺銀子100枚・東大寺銀子50枚を上納
しかし金が尽きたのか12月にも再度の要求があり成身院に銀子100枚上納の記録が残ってる。
この年は大和で地震もおきていて大和亡国と呼ばれた。
元亀4年に天皇から乱妨狼藉の禁止・禁中御警固を命じられていたのに
まずは小手調べで賀茂〜嵯峨まで燃やして恐喝し銀棒300(それぞれ重さ43匁)
恐ろしくなった上京が払った銀1300枚の受け取り拒否した上で上京を焼き討ち略奪。
(信長に金を渡しに行く際に織田軍に略奪され、改めて高利貸しから借金して信長に渡すなど酷い状態になったりした)
御所への延焼の恐れが出てきて天皇も逃亡準備。桂川が死体で埋め尽くされる大虐殺開始。
下京恐喝(銀800枚)で金品を集める。
しかしあっちゃこっちゃ延焼しまくりで火だけは統御できない。
織田軍は常に金欠だったんだろうな(ちなみにこれ以前にも京で略奪をやって織田軍と徳川軍が
略奪品を巡り衝突し織田軍が敗北している)
越前加賀で虐殺略奪大会したあとに前田や不破や佐々に越前の寺社領は
先祖の織田神社以外はすべて没収とかやってるし
宗麟とかは商人から借金したりしてるけど
信長の場合は武力をチラつかせて上納を要求する恐喝型だしな。 完全に893
しかしもう恐喝できる相手すらいなくなり
みんな貧民だらけになってしまう現実・・・北朝鮮的織田統治下全員貧困化政策。
820人間七七四年:2013/07/28(日) 20:08:41.58 ID:32uvjsTN
清州会議後の領地配分を図解した地図はどこかにありますか?
821人間七七四年:2013/07/28(日) 22:47:34.38 ID:2F/QFcqr
>>814
大正時代だったかのテニスの話は見たでしょうか?
他の教師が邪魔をしてくるのは有ったろうけど、
近所の農家の娘を偽装して試合に出す脚本の必要が
何処に有ったのかと残念に思っています。

江戸時代のモノマネ芸の話だって無理にドラマ的な展開にしない方が
ドキュメンタリーぽくて良いのに。
822人間七七四年:2013/07/29(月) 02:42:34.18 ID:QZapEWA2
「で、あるか」という言葉が織田信長が口癖だったんですか?
823人間七七四年:2013/07/29(月) 03:01:14.79 ID:0GtTZfFT
創作です
824人間七七四年:2013/07/29(月) 09:53:08.59 ID:KPxTgQFy
「是非に及ばず」も?


>大正時代だったかのテニスの話は見たでしょうか?
ごめん、面白そうなのしか見ないw
825人間七七四年:2013/07/29(月) 10:35:28.97 ID:GcFUEDU/
>>824
信長公記に出てるけど「誰が聞いたねん」って話だしなあ。
あとついでに言うと「是非に及ばず」は、「ごちゃごちゃ言ってねえで応戦しろ!」という意味だとされる。
826人間七七四年:2013/07/29(月) 11:22:47.13 ID:0GtTZfFT
ソースは本能寺から逃げれた女房衆の証言やね
827人間七七四年:2013/07/29(月) 16:06:28.23 ID:oQaorLut
>>826
えっ?大田はそんなこと言ってないけど???
828人間七七四年:2013/07/29(月) 16:18:13.72 ID:eJ0espSs
今夜BSプレで独眼流政宗がやるぞ!
tv.yahoo.co.jp/program/74623188/

最晩年じゃつまらないだろうけどなw
829人間七七四年:2013/07/29(月) 17:59:15.24 ID:ayzcvpnQ
弓矢の射程が60m、火縄銃の射程が100mってよく言うけど
弓矢を水平じゃなくて斜めに放って、いわゆる矢の雨を降らせる
ようにすると、何メートルぐらい先まで届くの?
830人間七七四年:2013/07/29(月) 18:48:55.84 ID:ayzcvpnQ
っていう事は○○城が焼け落ちた、とかいうのは門壊したり、ハシゴで城内
に入ってから火矢を建物にうちこんだり、たいまつで火つけてるの?
831人間七七四年:2013/07/29(月) 18:49:55.04 ID:ayzcvpnQ
すいません
>>830
は間違えました。誤爆です。
832人間七七四年:2013/07/29(月) 19:01:43.36 ID:GcFUEDU/
>>829
単純に射手の練度、能力による。
戦国当時の遠距離武器の評価としては

練達の弓兵の弓>>鉄砲>>>素人の弓

こんなかんじだったらしい
833人間七七四年:2013/07/29(月) 19:11:49.20 ID:0GtTZfFT
>>827
池田家本
834人間七七四年:2013/07/29(月) 19:39:49.96 ID:0GtTZfFT
>>829
曲射ではだいたい250mくらいと言われています。
非実戦型遠距離用の矢を使えばもっと飛びますが
ついでに和弓の射程は直射100mチョイで曲射はあまりやらなかったそうです
835人間七七四年:2013/07/29(月) 23:53:58.20 ID:UiEfN8q1
>>823
「で、あるか」が後世の創作だという証拠はどこにあるのですか?
本当は「で、あるか」と言っていたのではないのですか?
836人間七七四年:2013/07/30(火) 00:06:45.53 ID:BAWQs/8e
>>835
信長関係の史料で「デアルカ」が出てくるのは、信長公記の斎藤道三との対面の場面

「又是も知らぬほかにて御座候を、堀田道空さしより、是れぞ山城殿にて御座候と申す時、であるかと仰せられ候て」

ここだけだぞ。これを強引に拡大解釈して口癖にしてるのが昨今の作家やゲームだ
837人間七七四年:2013/07/30(火) 09:01:24.95 ID:fRi7i905
戦国時代の軍船でアタケ船、関船、コバヤと呼ばれる艦種が有りますが
これらは何時頃初登場したのでしょうか?

それ以前の戦闘艦はどの様な物だったのでしょうか?
838人間七七四年:2013/07/30(火) 09:48:19.40 ID:YL0p6vwm
牛さんはその場にいなかったことを
いたように書くけど、これは聞き書きであって
信憑性が高い、というように今は判断してる。

だから、本能時最後の是非に〜は当然信長周辺の
女房集からの聞き書きだろう、というような解釈。

この妥当性に踏み込むと、桶狭間自体がどこまで史実かどうかも
不明確になってくる。かなり細かい描写が多いけど、聞き書きである以上は
誇張や勘違いもあるだろう。それを全て真実としての正面攻撃、迂回作戦
とかの研究が多いから、根本的にそこまでつっこむか、の話になる。

また、首巻自体の信憑性、という問題もあって
このあたりは専門家もあまりつっこまないようだけどね。
839人間七七四年:2013/07/30(火) 11:23:41.77 ID:hLk578s2
池田本の時点で首巻はもう完成していたの?
池田本にさらに後から追加されてるんじゃないか?
なんせ池田本は大田本人が池田に金を積まれて
池田が参加してない戦にも参加したように書いたり
池田マンセーで書き換えたもんだからな。
840人間七七四年:2013/07/30(火) 12:35:26.83 ID:Lwide2xG
>>834
ていう事は、矢の雨を降らせれば、火縄銃の射程の外から一方的に鉄砲隊倒せるって事?

前、中世の戦いは両陣が進行、矢の射程に入ったら互いに矢を放ちあって
先頭の槍舞台が衝突したら槍と刀の戦いになる。
でも火縄銃の方が射程があるから、鉄砲隊を持つと先に一方的に攻撃できる
って読んだけど、実際は矢の雨降らせたほうがいいの?
841人間七七四年:2013/07/30(火) 13:06:45.05 ID:+pzgYlSB
曲射は直接狙うわけではないので命中精度が著しく悪く
密集陣形を取らない日本においては使う意味があまりありません
また、射程は火縄銃の方が曲射より長いです
842人間七七四年:2013/07/30(火) 13:43:39.04 ID:Lwide2xG
火縄銃が人を殺せる有効射程は100メートル、単純飛距離は200mぐらい
飛ぶけど、殺傷能力が無いから意味が無いって戦国本で読んだけど違うんですか?
843人間七七四年:2013/07/30(火) 14:32:12.18 ID:mTk8PgXd
ttp://paomaru.dousetsu.com/file/06_kousatu_002.html

これが正しいかどうか、俺には判断出来ない。
844人間七七四年:2013/07/30(火) 18:59:25.45 ID:+pzgYlSB
>>842
その有効射程100mってのは動く的(人馬)を狙って命中が期待できる
いわゆる狙撃の有効射程であって弾幕を張る運用においての有効射程はもっと長いです。
2匁半の小口径火縄銃で現代の9パラ拳銃、10匁目火縄銃の最大装薬だとショットガンくらいのエネルギーがあるわけで
いくら滑空砲で丸弾といえども100m超えたら人を殺傷できないほど減衰するわけではありません
845人間七七四年:2013/07/30(火) 19:48:28.15 ID:01UGwgTN
アスペルガーだがとは?

だがの信条
 嘘も言い続ければ本当になる

生息地
 HOST:ntaich063200.aich.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
 愛知県安城市
 これによりSubと同一人物であることが判明

レスの特徴
 @織田信長や織田家を蔑むレス
 A武田信玄や武田家を讃えるレス
 B協調性の無い自己顕示の強いレス
 Cスレを荒らすための煽り挑発が著しいレス
 D「織田厨」という言葉を連呼するレス
 E自作自演一人芝居しているレス
 F嘘と偽りによる妄想レスでソースは一切無し

レスの戦術
 かまってちゃんのため相手をしてくれる人をコピペ爆撃で燻り出し発見次第にスレ荒らしを展開

戦国板三大事件
 上洛スレ64の自演自爆事件
 64検証スレの歴史改変事件
 歴ゲー板の創造・天道の屈辱

信野暮の武将FILEから戦国時代の知識を獲得
だがの主観により事実を捻じ曲げて覚えたため日本の教科書を排撃
平日休日関係なく24時間2chに常駐して見えない敵と永遠に戦い続ける



今日のアスペルガーだが
自演ID爆撃活動記録一覧

 ID:Obs9ybc0
 0時〜1時と13時〜18時
 ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130730/T2JzOXliYzA.html

 ID:hLk578s2
 11時〜12時
 ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130730/aExrNTc4czI.html
846人間七七四年:2013/07/30(火) 21:19:04.82 ID:MfrwczKg
>>844
黒色火薬を使った火縄銃では、
発射する度に猛烈な煙が発生するので弾幕射撃は不可能
847人間七七四年:2013/07/30(火) 21:36:40.71 ID:+pzgYlSB
弾幕射撃じゃ語弊がありますね。斉射にしておきましょうか。
848人間七七四年:2013/07/31(水) 05:45:37.41 ID:O3nJMIQH
上杉謙信と直江兼続がホモの関係だったという話は本当ですか?
849人間七七四年:2013/07/31(水) 06:00:36.54 ID:Xmr6R8Xo
直接会った可能性は低いと考えられています。
850人間七七四年:2013/07/31(水) 10:43:33.03 ID:da2QGqkp
矢の戦術はものすごく発達してる。
集中して打ち込むのとか
広く数で迎撃して近寄らせないとか
距離も含めてそれが戦の技量になってくる。
鉄砲はそれと違って確実な殺傷力と距離が
段違いだから矢とは根本的に使用法や
効果が違うってことね。
851人間七七四年:2013/07/31(水) 10:47:48.96 ID:da2QGqkp
>>839
首巻の信憑性というのは
牛さん自身の筆跡の物が見つかってない
というのが大きな根拠になってる。
細かい書き換えはあるだろうが
根本的に時系列のミスとか
いかにもっぽい創作が感じられて
例え牛さん自身の物が見つかっても
結構危ないような感じはする。
今金子たちがその細かい部分を
調査してるけどそういやそろそろ
研究本が出る頃かな。
852人間七七四年:2013/07/31(水) 16:52:28.50 ID:FFWZMqHW
>>851
信長学のリンクが消滅したが、まだなんか継続してんのか?
まぁ観光集客目的の信長マンセーの無駄遣いの金の垂れ流しを
岐阜と教育委員会がやめるわけもないか。
仙台の政宗マンセーと同じくらい醜いな。
だいたい政宗は米沢人だし、信長は名古屋人なのに
プライドより侵略者を讃えて金出すとか先祖は憤死ものw
853人間七七四年:2013/07/31(水) 19:04:55.07 ID:JY6h03Dw
>>799
>>809
島津家が他国の人間をさらって奴隷にしたり、奴隷売買したり、島々から搾取
していたというは話について

島津といえば有名な島津義弘
部下を大事にして、愛妻家で人情味あふれる人で、敵にも優しく朝鮮の役の後は
敵の為の供養塔を建てたのに、なんか残念

それとも義弘の優しさは身内と戦場の敵限定で、他国の領民はどうでもいいって性格だったのか
義弘個人は奴隷や搾取嫌だったけど、島津家当主の兄ちゃん家久が奴隷や搾取やってたのかな?
義弘って次男坊であくまで家久の部下だし
854人間七七四年:2013/07/31(水) 19:53:09.24 ID:oDLgKgll
>>853
いや、人を攫って下人にするとか、売り払うってのは島津だけじゃなくて本州の大名家でも普通にあるよ。
ただ海外に売るには販路が必要だから本州では見られないし、島津は史料が残ってるってことだろ。
それと人情とか愛ってのは別の次元の話だろ。
855人間七七四年:2013/07/31(水) 19:55:50.94 ID:FFWZMqHW
一方、大友宗麟は病院や学校を作り、家族のいない子供を救ったりしていた。
856人間七七四年:2013/07/31(水) 20:08:22.04 ID:OBsPpYjG
なおそれを利用できるのはキリスト教徒だけだった模様
857人間七七四年:2013/07/31(水) 20:30:41.59 ID:kYQBX/gt
あんまりだがさんを構うな。いつくぞ
858人間七七四年:2013/07/31(水) 20:37:18.88 ID:Dyck2I0d
>>856
捏造乙w
そんな条件はない。
859人間七七四年:2013/08/01(木) 09:15:21.90 ID:aopSPRHm
>>855
島津家久「全て略奪してから燃やして、人は奴隷として順次肥後へ連行してやったけどなw」
860人間七七四年:2013/08/01(木) 13:40:08.62 ID:4HHSArgA
861人間七七四年:2013/08/02(金) 10:07:40.55 ID:J+SbMvJ0
>>852
へ〜、発掘はいい成果があがってるから継続
してたと思ったけど、来年の予算とかはいつごろ
決まるンかな。
862人間七七四年:2013/08/02(金) 11:18:09.41 ID:ixlb79rX
職業について質問なんだけど確か金鉱脈とか地下資源探す人いたよね?
名前なんだっけ?

横山光輝の武田信玄で
「こちら○○をする男で甲斐の領内に金鉱脈をみつけたようです」
ってのあったんだけどなんて職業だっけ?

あとこの時代の地下資源を見つけるってどうやってんの?
山から流れる川に砂金混じってたらその山に金鉱脈あるとも聞くけど山なんて
だだっ広い場所のどこ掘れば鉱脈に当るかなんてどうやってわかるの?
863人間七七四年:2013/08/02(金) 11:28:19.28 ID:IjZlvyYa
一般的には山師。武田なら金堀衆ってとこだけど
864人間七七四年:2013/08/02(金) 14:27:44.49 ID:lrIcBv3h
山師は此処と思って掘ってもなかなか当たらないから、投機話で人を騙す詐欺師の代名詞でもある。
865人間七七四年:2013/08/02(金) 18:30:22.28 ID:J+SbMvJ0
金が流れてこない場所見つけて
こっから下だろう、ぐらいまでは
想定つけるけどそっからはイチバチだわな。
うちの実家のそばに大戦中に掘った穴は
残ってるけどね。
結局出なかったとか。
866人間七七四年:2013/08/03(土) 03:02:03.92 ID:SAbgGRW6
信康が生きていればこの年で合戦にでることもあるまいに
と言った家康の話と、大久保忠隣が他幕臣が他の人物を押す中秀忠を推挙した話はどこを探せば出てきますか?
後者は台徳院御實に載っているらしいのですが、何時頃の話かが分かりません
申し訳ありませんが、よろしくお願いします
867人間七七四年:2013/08/04(日) 20:20:33.16 ID:BI/t/bRa
別のサイトで見たんですが
日本 人口2200万人 武士200万人

戦国時代の日本の総戦力が資料によって50万〜100万ぐらいですが
兵の9割は農民からの徴兵だから武士は5万〜10万
武士が200万人もいるのに全体の5%以下しか戦争に参加しないなんて
当時の武士ってほとんどが文官、事務職で槍持って戦う人のが方が稀有だったんですか?
868人間七七四年:2013/08/04(日) 20:55:05.00 ID:ERqtdR/S
>>867
武士200万人ってのは江戸になって身分が固定されてからの数字ですね
しかも武家社会に属している層の総数ですから、女子供に老人も入っての数字です
また戦国時代には半農半武士な層が相当数おり、9割の中に彼らも入っています
江戸時代になって彼らの多くも武士層に属しています
869人間七七四年:2013/08/05(月) 03:03:47.83 ID:Zp3Lqxi0
姓名を持っていた人間がそれだけいただけじゃね
元か現貴族と武士しか名字持ってなかったんだし
870人間七七四年:2013/08/05(月) 03:29:36.67 ID:7stZUwmT
よく意味がわからんが幕府は人口調査してる
871人間七七四年:2013/08/05(月) 08:20:04.96 ID:AAR15pjY
>>867
そもそも徴兵って……
872人間七七四年:2013/08/05(月) 20:40:35.14 ID:g2pblCB6
地主家系だから農民なはずだけど
除籍簿には苗字書いてあるぞ!!
873人間七七四年:2013/08/05(月) 20:56:02.05 ID:oN/CGxmi
地主の場合は元々半分武士で半分農民だったものが豊臣時代から江戸時代の頃に
武士を選ばずに帰農した者も居る。その場合はそれ以前から苗字を持っている。
江戸時代の間は使えなかったけど。
874人間七七四年:2013/08/05(月) 21:05:53.35 ID:lT1U2Z29
現在の研究では江戸時代はむしろ庶民に苗字が定着した時代だとされている。
ほとんどの人間に「隠し姓」が存在し、しかも墓にはその隠し姓を使って『○○家の墓』が出現・定着した。
875人間七七四年:2013/08/05(月) 21:55:45.79 ID:oN/CGxmi
ホントかなぁ。明治になって全員苗字が必要となった時に和尚さんに付けてもらった珍名さんとか
村中同じ苗字とか、そんな例がある訳だが。
876人間七七四年:2013/08/05(月) 22:00:30.80 ID:lT1U2Z29
>>875
そういうのは明治後、後世に作られた伝説にすぎない。
近世に苗字が広く行き渡ったのは寺請証文や墓碑の研究からしっかり明らかになってる。
877人間七七四年:2013/08/05(月) 22:18:36.07 ID:oN/CGxmi
だって実際に集落全体が同じ苗字とか、和尚さんがネタに困って大根さんとか牛蒡さんとか
付けてるのにか。
878人間七七四年:2013/08/05(月) 22:19:39.98 ID:lT1U2Z29
>>877
それは先にその苗字があって後にそれへの理屈付けがされたんだよ
879人間七七四年:2013/08/05(月) 22:40:08.51 ID:+elgWaHU
>>874で自分で「ほとんど」て書いてんだから、苗字が本当になかった人たちもいるってことじゃないの?
880人間七七四年:2013/08/05(月) 22:44:03.36 ID:7stZUwmT
中世までは農民は村規模の大きな集団じゃなければ生き残れなかった
簡単に言えば村が家みたいなものだったから
村名が苗字みたいなものだった訳で
江戸時代は生産力が飛躍的に増大して小集団が協力すれば生活でき
小回りのきく家族一族で行動することが多くなったので
農民も家を意識するようになって苗字を付け始め
本百姓なら大抵は非公式ながら苗字を持つようになった
蛇足ながらもっと豊かになった現代はもっと少数集団の核家族が基本になってると

んで本百姓は苗字を使うようになったがそれに従属してる小作人水呑み百姓は
主人の家の名前が集団の標識でありまだ苗字を使うことは稀だった
主家の苗字をもらったり坊さんに付けてもらったのは主にこの層やね(明治新姓)
881人間七七四年:2013/08/05(月) 22:45:34.65 ID:lT1U2Z29
>>880
だからそれはもう遅れた古い認識。信長が三段打ちやったとか言ってるのと一緒。

近世に殆どの日本人は姓を持っていたことは既に実証的研究で確認されている。
882人間七七四年:2013/08/05(月) 22:50:24.36 ID:7stZUwmT
ああそうなの?うちは庄屋だけど苗字分けたけどなぁ

ついでに三段撃ちが無かった説も古いで
883人間七七四年:2013/08/05(月) 22:52:09.75 ID:+elgWaHU
「ほとんど」てことは、苗字が無かった人もいたんでそ?
884人間七七四年:2013/08/06(火) 10:37:53.00 ID:faYWWkZF
除籍簿って公式記録に苗字があれば
代々かなりの富農って事で良いよね?

まぁ番付け載ってた家系だけどw
885人間七七四年:2013/08/06(火) 11:54:31.54 ID:s4sY8Ke7
苗字を持っていたけど明治に入ってそれを採用しなかった、ってケースは稀にあるようで
886人間七七四年:2013/08/06(火) 13:45:32.88 ID:cMw+2BbA
屋号と名字がごちゃ混ぜだ菜
887人間七七四年:2013/08/06(火) 14:39:03.91 ID:YkoKY1bt
土地に縛られない専業傭兵主体だからこそ尾張は弱兵と言われたんだよ。
分の悪い戦いに運命共同体的な意識で参加しなくていいのが銭で雇われた兵なんだし。
信長の采配能力の問題じゃなく軍隊の性格の問題だから仕方ないだろ。
888人間七七四年:2013/08/06(火) 15:05:25.98 ID:sTHhUR39
>>887
> 土地に縛られない専業傭兵主体だからこそ尾張は弱兵と言われたんだよ。

尾張に限らずどこでも傭兵はたくさん使っとるで。
つーか少なくとも史料上尾張と他の地域の兵員構成に違いは無い。

傭兵だから云々ってのは、司馬遼太郎あたりが言い出したデマカセにすぎんよ。
889人間七七四年:2013/08/06(火) 15:07:34.41 ID:bZOukQzd
だがさんに構っちゃう残念な人ですか。しかも誤爆に
890人間七七四年:2013/08/06(火) 15:39:59.60 ID:YkoKY1bt
>>888
史料って?
どんな?
891人間七七四年:2013/08/06(火) 15:44:12.46 ID:sTHhUR39
>>890
着到状とか軍役状とか。
まあ織田の軍隊が他と違うとかいうのは、ただのファンタジーだな
892人間七七四年:2013/08/06(火) 15:56:50.85 ID:YkoKY1bt
>着到状とか軍役状とか

何という本で確認できますか?
直接史料を原文で確認したいのですが。
893人間七七四年:2013/08/06(火) 16:14:10.38 ID:vsphjN3+
信長の軍制が他と変わらない、って話なら、『戦国の軍隊』あたり読めばいいと思うぞ
894人間七七四年:2013/08/06(火) 16:31:51.50 ID:YkoKY1bt
>>893
いえ、>>391に出てる、着到状とか軍役状を確認したいのですが、何の本で確認できますか?
895人間七七四年:2013/08/06(火) 21:56:07.09 ID:BRFMG9J2
信玄は富士山の入山料を徴収していたようですがどれくらいの代金でどれくらいの収入になったんでつか( ´・ω・)?
896人間七七四年:2013/08/07(水) 00:25:39.56 ID:abQVIVmh
山役銭として今川氏は244文、武田氏の時代に移ってからは122文徴収してたみたい。
人数はわからないけど、神社に寄進とか再建の援助とかもしてたみたいだし、
維持管理費の足し程度だったんじゃないのかなー
897人間七七四年:2013/08/07(水) 10:23:36.38 ID:heBeK0Ay
>>896
きっちり半額にしたんだな
898人間七七四年:2013/08/07(水) 11:36:52.90 ID:OZ/YZ1t0
帰りも122文取るとか。無いかw
899人間七七四年:2013/08/07(水) 11:55:04.07 ID:OjlgZcGv
農民は基本は米で年貢を納めると思うのですが金銭も可能だったんですかね?
野菜とか特産品とか
900人間七七四年:2013/08/07(水) 12:10:19.37 ID:OZ/YZ1t0
どっちかと言うと年貢は金銭で払うものだったのが銭不足で米の物納になった流れ
家や地域で大きく違うけど
901人間七七四年:2013/08/07(水) 13:04:58.61 ID:B3MrNcnm
信長の金の財力=最強軍の情報だけどこれ本当?

凄い金があったから
徴兵じゃなくて職業軍人雇いまくった。一年中軍事訓練させられるから強い。
良い装備を整えられた。
築城しまくった。

これが本当だとして、装備って銃だけのこと?
それとも質のいい槍や鎧、弓を全員分買い与えたりした?
信長は従来の槍をさらに長くした長槍を作ったらしいけど、この槍って織田家
が費用出して雑兵達にタダであげたの? それとも買うのを強制したの?

あとそんなに金あったならお金で敵軍の幹部を買収とかしなかったの?
902人間七七四年:2013/08/07(水) 13:21:15.07 ID:992Xohdi


以上
903人間七七四年:2013/08/07(水) 15:00:17.46 ID:WVNwzxQ4
財力が他の追随を許さぬくらい隔絶して日本一だったのは事実。
しかし傭兵は細川と筒井が堺で調達してきた鉄砲隊くらいで(武士は槍働きで目立つ功を立てたい)
職業軍人と傭兵なんてもんは存在しない。
装備にしても織田家は本人の努力で調達するもので、前田利家や佐久間信盛など蓄財ケチが織田家では一般的な常識。
なので、その配下のものが本来、利家らが負担しなければならない負担が押付けられる形になった。
これは兵数にも表れ、蓄財のために指揮官級の者がケチるため兵力不足のまま配下が突撃することが一般的。
そのかわり配下の者達には侵略地や占領地では女子供を問わず殺戮し、金・米など生活物質を略奪・強奪が奨励されていた。
この織田のやり方を一国平均・一国亡国と呼んで諸国の国人達や寺社や公家が恐れていた。

池上裕子著「織豊政権と江戸幕府」より
>
> 「(佐久間盛信への)折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、
> 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは
> 各自に任されていた。
> これは鎌倉・室町期の武士たちの有り方と類似で、北条・武田らが所領貫高に比例して
> 軍役数を決定した方法といちじるしい対照を成す。
> 従って武篇道と戦果が問題となる。
>
> (中略)
>
> 信長は信盛親子に続いて、家老の林通勝(秀貞)、安藤守就親子、丹羽右近も追放した。
> それは信長の権力強化の表れのようにも見える。これをもって中世の武家権力と違って、
> 信長が家臣の所領に対し干渉しているとか、領域統治能力を問うているとかと評価して、
> 信長の権力は新しいとみる見方もあるがいかがであろうか。
>
> 信長は家臣を大名に任じて分国を統治させ、各方面ごとの総大将を任命して統一戦争を
> 戦っていかなければならない。
> 拡大する家臣団と支配領域に対応した家臣団編成、軍役賦課・軍事力編成が
> なされていないからこそ生じた問題であろう。
> それを武篇道の督励で対応しようとしたのが追放策であろう。
> それは、信長自身が武篇道に邁進して土地支配制度と知行制の整備を怠ってきたことに
> 原因があるのであって、逆に信長の限界を示すべきものとみるべきであろう。
>
> この問題の解決は秀吉の課題となる。
904人間七七四年:2013/08/07(水) 15:17:23.38 ID:WVNwzxQ4
易林本の節用集を読むと尾張国は肥沃(地厚土肥)な大上国と記されており、
その富裕な農業生産力や畿内への地理的な近さを背景にして朝廷を支えていた尾張は、昔から畿内覇権に関与してる。
継体天皇、大海人皇子は、尾張氏のバックアップが決定打とか言われてるし、
邪馬台国のライバル、狗奴国が尾張にあったという説まである。
尾張三河は頼朝、尊氏、家康を支えた重臣をたんまり輩出してるからな地力がある土地なんだよな。
岡崎城に隣接してる資料館では三河武士が鎌倉幕府も足利幕府も江戸幕府も作ったと書いてるよ。

看羊録によると尾張国は地が厚く、土地が肥えていて
種を蒔くだけで放置してても1000倍を得ることができ
里の多さでも日本国でも抜群に優れており大上国であると尾張国のチートぶりを超絶賛!
(ちなみに三河国は土の層が浅く一尺ばかりしかないので五穀があまり熟さないので下下の小国と書いているので
信玄が三河占領に興味が無かった理由もわかる)

信秀は天文10年(1541年)、伊勢神宮遷宮の際、材木や銭七百貫文を献上だけでなく
朝廷に献金した金額ランキング
1 織田信秀 四十万疋 天文十二年(1543) 内裏修理
2 大内義隆 二十一.四万疋 天文四年(1535) 即位費
3 大内義隆 十万疋 天文六年(1537) 不明
4 三好長慶 六万疋 弘治三年(1557) 大葬費
5 今川義元 五万疋 天文十二年(1543) 内裏修理
ぶっちぎりのトップは信長の父親である織田信秀で、
彼は何と「ライバル」である今川義元の10倍近い金額を献金しています。
さらに中国や朝鮮と貿易して本拠地の山口が今京都と呼ばれたほど栄えていた大内をも上回り
畿内や摂津・播磨や阿波・讃岐・大阪湾貿易を支配していた三好長慶よりも裕福だったのが尾張国です。

三好長慶が在世中の時にすでに朝廷は超金満織田家を頼り、
三好に内密で使者を送って上洛を促すくらい織田家は朝廷に覚えめでたかったからなー。
朝臣の立入宗継が三好や松永はほしいままに振舞ってると激怒し、
万里小路惟房も三好や松永は大したことでもないのに大騒ぎして嫌がらせするが、
君の御為に私たちは何度でも憂き目に合うのも覚悟のうちだと言って、
三好らに内緒で永禄5年11/9付けで、女房奉書を出して宗継に信長の清州へ伝えて、
皇太子元服費用と禁裏修理と御料所回復の要求をして上洛支援している。
どんだけたんまり財力あんだよ織田家。
905人間七七四年:2013/08/07(水) 15:18:31.11 ID:WVNwzxQ4
一揆の者で降伏してきたヤツらもことごとく首を切れ。
昨日は洪水で動けないとの由だったが水も引いて動けるようになっただろ。
念を入れて残らず討ち果たすことに専念せよ。
それをやった上で隙が生まれたら俺のところへ来い。
今後のことを申し聞かせてやろう。前回の書に書いたように越前豊原に着いた。
その意に成るようにいたせ。天正3年8/29の滝川宛の信長書状。
(この厳命書状は織田家臣団で回し読みされたので、原本書状がボロボロになっている)
越前大虐殺のためにやってきた信長。 降伏した者もみんな殺せと命じている。
そして一寸の休息も許さず、すぐ働け、達成したらすぐ俺のトコへ来い
新たな命令を伝えるとせっかちに命令している。
まさに絶対暴君にして部下を過労に追い立てる姿が見える。
この遠征が終わるや、光秀は新たな丹波戦線に派遣され
そこで敗北して戻るや、すぐ摂津戦線に派遣され病になりながら
本願寺に破れて天王寺籠城をしている。そして毛利が織田に攻撃を開始し木津川口で織田は大敗する。
(織田家臣の悲惨さは失明になる可能性のある眼病になる武将が多く、それでも外交や戦場で働いてることだ)

池上裕子氏 〜信長は人的破壊者〜
信長は多くの人を殺害した。そして「鬱憤を散じた」というのである。
異常に感じるほど残忍なやりかたが多かった。それでも敵対者は次々と現れ必死に戦った。
戦功を積み重ねても、謀反の心を持たなくても信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない
不安定な状況に家臣たちは置かれていた。 一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣には
より強い不安感があった。独断専行的で、合議の仕組みもなく 弁明・弁護の場も与えられず
家臣に連帯がなく孤立的で、信長への絶対服従で成り立っている体制が
家臣の将来への不安感を強め、謀反を生むのである。
領域支配には譜代と家長権を振るえる子供や弟の登用が中心になる。
自分のそばにいて手足のごとく動き、あるいは自分の意を体して各地に赴く者たちも譜代であった。
信長の政権の基盤は一門・譜代にあった。
長住は信長の怒りを買って越中を追われ、二度と戻ることはなかった。 もう用済みだったのである。
一度でも失敗すれば、それを理由に存在を否定される。そのようにして国人層の多くが命脈を絶たれた。
906人間七七四年:2013/08/07(水) 15:43:03.11 ID:QOI18/NT
>>904
最後だけどたしかにあの時期は4000貫と2000貫で織田が他を圧倒しているものの
織田はあの年間に官位取得のために1回こっきりだったのに対して
大内は継続的に何度も献金したという違いがあるので
トータルで見れば大内のほうが桁違いに多いし、
たかだか伊勢湾権益の織田ごときが大陸権益を抑える大内を凌駕することはあるまい
907人間七七四年:2013/08/07(水) 15:59:40.59 ID:OZ/YZ1t0
だがのゴミ長文読むとか物好きやねw
908人間七七四年:2013/08/07(水) 19:08:31.02 ID:wpN7M4vA
>>903
つまりケチな家臣達による自前調達のため、兵力不足・ショボイ武器しかなかったのに
畿内で斉藤・浅井・朝倉・北畠・本願寺・波多野・松永・別所・荒木・武田・上杉・六角・三好・足利などを
次々に滅ぼした信長や織田軍はめちゃくちゃ強い武将ばかりだったって事か。




【織田信長が戦って滅ぼした主な相手】

斎藤龍興          →美濃60万石
朝倉義景          →越前60万石
三好義継          →阿波讃岐摂津に約50万石
北畠具教(お家完全に乗っ取り)→南伊勢40万石
六角義賢(+浅井長政)    →足して近江ほぼ全域60万石
武田勝頼          →甲斐全部と信濃上野駿河一部、約90万石

【武田信玄が戦って滅ぼした主な相手】

諏訪頼重          
高遠頼継
村上義清
大井貞隆
小笠原長時
笠原清繁        →  全て足して約40万石
今川氏真        →  遠江一部、駿河で約40万石、しかも追い詰めたのは家康w
909人間七七四年:2013/08/07(水) 20:03:07.83 ID:3a+d9Wvb
>>906
大内は何年にどのくらいの金額をどういう用途で献金したのか列挙してませんよ?
早くソースください。
そもそも大内は騎下の毛利とか国人達から金を出させてたりしてるんだが。
そこは黙殺するの?
信秀は伊勢神宮とかにも献金してるんだが、大内は?
910人間七七四年:2013/08/07(水) 23:07:14.37 ID:NnkCfC5u
アスペルガーだがとは?

だがの信条
 嘘も言い続ければ本当になる

生息地
 HOST:ntaich063200.aich.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
 愛知県安城市
 これによりSubと同一人物であることが判明

レスの特徴
 @織田信長や織田家を蔑むレス
 A武田信玄や武田家を讃えるレス
 B協調性の無い自己顕示の強いレス
 Cスレを荒らすための煽り挑発が著しいレス
 D「織田厨」という言葉を連呼するレス
 E自作自演一人芝居しているレス
 F嘘と偽りによる妄想レスでソースは一切無し

レスの戦術
 かまってちゃんのため相手をしてくれる人をコピペ爆撃で燻り出し発見次第にスレ荒らしを展開

戦国板三大事件
 上洛スレ64の自演自爆事件
 64検証スレの歴史改変事件
 歴ゲー板の創造・天道の屈辱

信野暮の武将FILEから戦国時代の知識を獲得
だがの主観により事実を捻じ曲げて覚えたため日本の教科書を排撃
平日休日関係なく24時間2chに常駐して見えない敵と永遠に戦い続ける



見てのとおりアスペルガーだがは人の説明は最初から聞く耳を持っていません
かまってくれるなら上から目線の煽り口調で徹底的にスレを荒らしてきます
このようなキチガイはスルーするのが得策
荒らしを諭そうとして荒らしになってしまう前に気づけ
911人間七七四年:2013/08/07(水) 23:15:46.37 ID:NnkCfC5u
今日のアスペルガーだが

WVNwzxQ4
 ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130807/V1ZOd3p4UTQ.html

3a+d9Wvb(19時以降)
 ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130807/M2ErZDlXdmI.html
912人間七七四年:2013/08/08(木) 09:25:37.90 ID:QKrJmXXM
>>908
指揮するやつはことごとく超馬鹿だが
一兵卒レベルになるとむちゃくちゃ優秀って言う大東亜戦争における大日本帝国の軍隊と同じだな。
913人間七七四年:2013/08/08(木) 16:17:01.68 ID:4t/msI12
武田源氏の系譜について。甲斐武田が嫡流というのは有名ですが
南北朝の騒乱で甲斐武田が滅んで、安芸武田から甲斐に嫡男を送り込まれたと聞きました。
ってことは厳密に言えば安芸のほうが嫡流ってことでしょうか?
914人間七七四年:2013/08/08(木) 16:25:44.92 ID:7GlxOcNG
>>913
違う。南北朝の時安芸守護だった武田信武が甲斐に入国したが、甲斐守護は嫡男の信成が継承し、
安芸守護職は次男の氏信が継いだ。つまりこの時点で安芸守護のほうが傍流になっている。
915人間七七四年:2013/08/08(木) 16:30:04.25 ID:4t/msI12
>>914
ありがとうございます。
血統のルーツは無視してそれ以降の兄弟の序列で判断しちゃっていいわけですね。
916人間七七四年:2013/08/08(木) 16:33:28.31 ID:7GlxOcNG
>>915
そもそも甲斐武田氏の本流は、信武の信時流だったのが、鎌倉期に北条得宗家と結びついた庶流の石和流武田氏に
守護の座を乗っ取られた形にあった。なので実際には本卦還りといったほうがいい。
917人間七七四年:2013/08/08(木) 16:37:43.33 ID:4t/msI12
>>916
なんと甲斐守護の石和流のほうが庶流だったんですか!
何世代も後になって甲斐源氏嫡流が甲斐に返り咲くとは歴史って面白いですね。
918人間七七四年:2013/08/08(木) 18:32:35.53 ID:I2PPGTn9
@戦国ってなんで天才軍師いないかまたはマイナーなの?
A全盛期だと戦国最強の軍事力を持ったのってどこ?

@三国だったら孔明、キョウイ、シュウユ、リクソン、シバイ、ジュンイク、チンキュウ
って軍師に事欠かないけどけど日本の戦国時代で有名な軍師なんて竹中と黒田ぐらい
軍略が有名な人は信玄とか謙信とか元就とか総大将が軍師兼任してるの多すぎる気がする

A総大将や軍師の軍略、外交力とか無視して純粋な軍事力
兵の動員数や騎馬隊、鉄砲、大筒の数とか兵と兵器の物量、特別質の高い兵士団
特殊部隊なの持っていればそれも考慮して、純粋な武力、軍事力が高い最強の軍隊ってどこ?

天下統一してると日本中の兵を動員できちゃうから、秀吉軍は北条攻めの前
家康軍は北条攻めの時、信長軍は本能寺の変直前と武田軍と戦ってた頃
つまり信長包囲網を作られた時の二種類で答えてもらえると助かります

本能寺の変直前の信長軍が最強だけど、包囲網中のと比較すると家康軍のが強い
とか
919人間七七四年:2013/08/08(木) 18:53:25.77 ID:RR7BTIUR
戦国時代の軍隊は合議制と言われているので三国演義的な軍師はいません。
竹中と黒田も天才軍師ではありません。
言い換えれば参加武将全員が軍師(参謀)です

軍隊の強さはその例の中では単純に兵の最も多い小田原直前の豊臣になります
920人間七七四年:2013/08/08(木) 19:03:11.03 ID:a9yASSRm
史実では秀吉なんて235000も全国からかき集めて小田原1000や忍城韮山城数百にボッコボコに蹴散らされ
前田重臣、一柳、堀尾の嫡男・平岩弟が戦死するなどゴミっぷりを発揮してたし
佐竹宇都宮結城連合と上杉真田依田ら北国勢が北条方兵力の集中した松井田、八王子、鉢方、など要衝の城を落としてくれたから
優勢になっただけだし
寝返った皆川やら松田やら大道寺やら逃亡した氏勝やら抗戦意欲0ですらこんな敢闘したんだから
北条軍が主戦派和平派で割れずちゃんと結束して反抗できてたら豊臣軍は瞬殺されてたのは間違いない

どうみても北条>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉
921人間七七四年:2013/08/08(木) 19:04:08.95 ID:FLhaMDKa
小田原合戦時の陣立書で全国から215000も動因してる上にこれに佐竹結城里見宇都宮など反北条軍2万
が加わるから235000。
それに対し北条は毛利家文書の北条家人数覚書でわずか34500。
秀吉書状で2、3万。
兵力比7.5〜11倍もあるんだから勝って当たり前

そんな戦闘で一柳や堀尾の子が戦死し、韮山500や忍城1000に大苦戦し
小田原1000程度に手も足も出なかったのが秀吉。
はっきりいって勝てたのは家康や上杉・真田・依田、佐竹・宇都宮などが味方で
北条方兵力の集中した上野・下総・北武蔵の諸城を落としてくれたおかげ。
享禄以来年代記による豊臣方は兵力29万で、他の史料だと50万と書いてるのもあるくらい。
普通に34500の北条が勝てるわけがないのは算術ができる人間ならわかる
そんな半月くらいで終わってもおかしくない兵力差で豊臣は一柳や堀尾の嫡男、前田重臣、平岩弟や依田が戦死し、氏家も負傷。
韮山500や忍城1000では豊臣は苦戦しまくり小田原1000程度に手も足も出なかったのが現実
922人間七七四年:2013/08/08(木) 19:06:05.40 ID:FLhaMDKa
普通に史実の戦績で本多500>>>>>秀吉軍20000(小牧長久手時の後詰妨害の攻防)
織田徳川16000〜17000>>>>>>秀吉軍100000(決戦しかけたら1万人戦死の大敗)
滝川6000〜8000>>>>>>>秀吉軍60000(天正11年の伊勢の攻防、ゲリラ戦で苦しめられまくり7月まで篭城、柴田・信孝の降伏で勝ち目なく降っただけ)
だから滝川破った氏直は秀吉の20倍くらいの戦闘力はあるだろうな

事実小田原合戦で235000対34500の普通なら半月くらいで瞬殺されて終わりそうな兵力比で
一柳・堀尾嫡男・前田重臣が戦死するなど苦戦しまくり忍城1000や小田原1000に手も足もでなかったし

秀吉なんて235000も全国からかき集めて小田原1000や忍城韮山城数百にボッコボコに蹴散らされ
前田重臣、一柳、堀尾の嫡男・平岩弟が戦死するなどゴミっぷりを発揮してたし
佐竹宇都宮結城連合と上杉真田依田ら北国勢が北条方兵力の集中した松井田、八王子、鉢方、など要衝の城を落としてくれたから
優勢になっただけだし
氏直が2倍程度の兵力で瞬殺した滝川(6000そこそこ)に5〜6万で挑んでゲリラ戦で苦しめられ蹴散らされてたし

神流川の戦いはガチンコ決戦だね。
合戦の最中寝返りが出たとか講談にしかないデタラメだし
上野国衆勢はむしろ緒戦で敢闘して氏邦勢を撃退してる
本戦で氏直の偽退却戦術にかかって滝川軍18000のうち6000も戦死し重臣もことごとく死ぬなど
決定的に戦術で負けただけ。ようは実力で勝負がついただけの戦。
あと信長が死んでボロボロになったのではなく
元々弱くてボロボロになっただけ。
森なんか本能寺前ですら四面楚歌状態の上杉に長沼攻防で敗北してるし
信玄横死後、斉藤道三・義龍横死後でも
美濃信濃甲斐遠州は草刈場にならなかったのに
信長横死したら甲斐信濃上野は大混乱で徳川上杉北条の独壇場。
いかに織田が雑魚だったかわかる事例

北条>>>>>織田

秀吉なんて235000も全国からかき集めて小田原1000や忍城韮山城数百にボッコボコに蹴散らされ
前田重臣、一柳、堀尾の嫡男・平岩弟が戦死するなどゴミっぷりを発揮してたし
佐竹宇都宮結城連合と上杉真田依田ら北国勢が北条方兵力の集中した松井田、八王子、鉢方、など要衝の城を落としてくれたから
優勢になっただけだし
氏直が2倍程度の兵力で瞬殺した滝川(6000そこそこ)に5〜6万で挑んでゲリラ戦で苦しめられ蹴散らされてたし

むしろ織田がやった戦なんて火事場泥棒しかねーじゃん
美濃を斉藤の幼君&混乱&分裂で寝返りばかりなのを火事場泥棒したら負けまくり
動乱でぐちゃぐちゃになった畿内を浅井や徳川や足利義昭の力を頼って火事場泥棒したはいいが
その後信玄に負けまくり滅亡寸前
伊勢でも分裂状態の北畠を無理矢理乗っ取ったりしたしたはいいが大河内城や長島一揆に負けまくり
しまいには御館の乱や新発田の乱で極度まで疲弊した上杉を45000の大軍&神保・佐々・長など地元諸侯派遣しまくり
火事場泥棒しようとしたら越中中部〜魚津・松倉の短い区間で天正8年から2年も立ち往生するなど大苦戦。
まともにガチンコで切り取った土地なんかねーだろ

信玄横死後、斉藤道三・義龍横死後でも
美濃信濃甲斐遠州は草刈場にならなかったのに
信長横死したら甲斐信濃上野は大混乱で徳川上杉北条の独壇場。
いかに織田が雑魚だったかわかる事例
923人間七七四年:2013/08/08(木) 19:07:01.09 ID:FLhaMDKa
信長や秀吉は畿内・美濃に大苦戦。
家康は瞬殺した。
その家康は諏訪高島で北条相手に敗走。

秀吉は信雄相手に7倍以上の圧倒的兵力で1万人以上ぶち殺された。
氏直は信雄より遥かに勝る家康相手に諏訪高島・乙骨で勝利し、全体でも引き分けした。

秀吉は6万の大軍を伊勢で滝川に蹴散らされまくり大苦戦。
北条は滝川を瞬殺した。

豊臣家は家康に滅ぼされて滅亡
北条家は江戸期も存続。旧臣らは家康配下で重宝され、統治システムも豊臣ではなく北条家の物が受け継がれた

小田原合戦時の陣立書で全国から215000も動因してる上にこれに佐竹結城里見宇都宮など反北条軍2万
が加わるから235000。
それに対し北条は毛利家文書の北条家人数覚書でわずか34500。
秀吉書状で2、3万。
兵力比7.5〜11倍もあるんだから勝って当たり前

そんな戦闘で一柳や堀尾の子、前田重臣が戦死し、氏家行継負傷。韮山500に大苦戦し
小田原1000程度や忍1000に手も足も出なかったのが秀吉。
はっきりいって勝てたのは家康や上杉・真田・依田、佐竹・宇都宮などが味方だったおかげ。

しかも北条側は主戦派抗戦派割れるなど戦意0で松田大道寺皆川北条氏勝など寝返り・抗戦意思なしで降伏する者ばかりの戦意0の状況

北条>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉

小田原合戦時の陣立書で全国から215000も動因してる上にこれに佐竹結城里見宇都宮など反北条軍2万
が加わるから235000。
それに対し北条は毛利家文書の北条家人数覚書でわずか34500。
秀吉書状で2、3万。
兵力比7.5〜11倍もあるんだから勝って当たり前

そんな戦闘で一柳や堀尾の子、前田重臣が戦死し、氏家行継負傷。韮山500に大苦戦し
小田原1000程度や忍1000に手も足も出なかったのが秀吉。
はっきりいって勝てたのは家康や上杉・真田・依田、佐竹・宇都宮などが味方だったおかげ。

しかも北条側は主戦派抗戦派割れるなど戦意0で松田大道寺皆川北条氏勝など寝返り・抗戦意思なしで降伏する者ばかりの戦意0の状況

北条>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉

享禄以来年代記によれば豊臣軍は29万。また榊原書状や那須記など50万の大軍。
にもかかわらず忍小田原韮山など1000〜500そこそこの拠点も落とせず
兵站維持できるギリギリのところまで追い込まれた雑魚豊臣軍

秀吉は伊勢で滝川に蹴散らされまくる(3/4柴田→填島書状、滝川事書本多氏論文)
北条は滝川を瞬殺。6000戦死の壊滅的大勝

豊臣家は家康に滅ぼされて滅亡
北条家が江戸期も存続

北条>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉
924人間七七四年:2013/08/08(木) 19:07:56.48 ID:FLhaMDKa
織田が死なせた武将達一覧

赤瀬清六、佐々隼人正、千秋四郎、山口取手介、
土方彦三郎、織田信益、岩室長門守、梶川平左衛門、山県源内、
宇野弥七、朝日孫八郎、波多野弥三、近松豊前、神戸伯耆、
神戸市介、野村越中、森可成、織田九郎信治、青地茂綱、
尾藤源内、尾藤又八、道家清十郎、道家助十郎、織田信興、
坂井政尚、浦野源八親子、氏家ト全、平手汎秀、長谷川橋介、
佐脇藤八、山口飛騨、加藤弥三郎、林新次郎、賀藤次郎左衛門、
前波吉継、織田信広、織田秀成、織田信成、織田仙丸、
織田又六郎、織田信次、織田信方、織田信直、織田久三郎、
織田清長、原田直政、塙喜三郎、塙小七郎、蓑浦無右衛門、
丹羽小四郎、万見重元、織田信家、真鍋七五三兵衛、沼野伊賀、
沼野伝内、野口、小畑、宮崎鎌大夫、宮崎鹿目介、
矢代勝介、伴太郎左衛門、伴正林、
村田吉五、森乱丸、森力丸、森坊丸、小河愛平、
高橋虎松、金森義入、菅屋角蔵、魚住勝七、武田喜太郎、
大塚又一郎、狩野叉九郎、薄田与五郎、今川孫二郎、落合小八郎、
伊藤彦作、久々利亀、種田亀、山口弥太郎、飯河宮松、
祖父江孫、柏原鍋兄弟、針阿弥、平尾久助、大塚孫三、
湯浅甚介、小倉松寿、湯浅甚助、小倉松寿、津田又十郎、
津田源三郎、津田勘七、津田九郎二郎、津田小藤次、菅屋九右衛門、
菅屋勝次郎、猪子兵介、村井春長軒、村井清次、村井作右衛門、
服部小藤太、永井新太郎、野々村三十郎、篠川兵庫頭、下石彦右衛門、
下方弥三郎、春日源八郎、団平八、桜木伝七、寺田善右衛門、
塙伝三郎、種村彦次郎、毛利新介、毛利岩、斎藤新五、
坂井越中、赤座七郎右衛門、桑原助六、桑原九蔵、逆川甚五郎、
山口小弁、河野善四郎、村瀬虎、佐々清蔵、福富平左衛門、
小沢六郎三郎、土方次郎兵衛、石田孫左衛門、宮田彦次郎、浅井清蔵、
高橋藤、小河源四郎、神戸二郎作、大脇喜八、犬飼孫三、
石黒彦二郎、越智小十郎、平野新左衛門、平野勘右衛門、水野宗介、
井上又蔵、松野平介、飯尾毛介、賀藤辰、山口半四郎、
竹中彦八郎、河崎与介、村井新右衛門、服部六兵衛、水野九蔵
925人間七七四年:2013/08/08(木) 19:08:03.90 ID:Qd6x0mWt
あぁ昔は中国史にハマッてた時あったな。いま考えると無駄なことに熱中してたわ
中国の話はほとんど講談と誇張でできていて
ほとんど作り話で一次史料による考察がないアホ話。
特に個人がすごく感じるのも列伝のせいだろうな。
脚色されたお話くらいに思っておけよ。
焚書坑儒されて、ロクに一次史料もないだけでなく
捏造歪曲で全王朝を否定する歴史なんて学ぶ価値ねぇよ。
926人間七七四年:2013/08/08(木) 19:10:13.98 ID:Qd6x0mWt
>>920
下記から出てくんなよ在日キチガイ織田チョン
【みんなの】だがを見守るスレ【アイドル?】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1340075105/l50
927人間七七四年:2013/08/08(木) 19:13:57.28 ID:a47J/KvE
常識的に考えて関が原の時の西軍が畿内方面だけで18万もいる規格外の大軍だし最も強いのは明白
928918:2013/08/08(木) 20:10:37.12 ID:I2PPGTn9
では信長、秀吉、家康を除いた大名で一番軍事力を持っていたのはどこでしょうか?

小田原攻め、関ヶ原、大阪の陣の時のは除いてください
929人間七七四年:2013/08/08(木) 21:35:26.39 ID:aN7Ls/UK
普通に考えて小田原攻め前の後北条氏でしょう。
島津、毛利、徳川を凌ぐ200万石の大大名ですから。
930人間七七四年:2013/08/08(木) 23:04:27.87 ID:boBLV866
上杉謙信が小田原攻めた時って凄くなかったか?
931人間七七四年:2013/08/08(木) 23:10:53.95 ID:0YDCCE9p
>>928
私もaN7Ls/UK氏と同じく北条氏だと思います。
北条氏>毛利氏>三好氏…の順が妥当ですね。
細川氏や大内氏の石高も高いけど一番の軍事力かは疑問。
932人間七七四年:2013/08/08(木) 23:15:05.11 ID:0YDCCE9p
>>930
小田原攻め時の長尾氏は連合・合力と考えた方が無難と思いますよ。
里見氏や太田氏が長尾氏の家臣となったわけではないので。
933人間七七四年:2013/08/08(木) 23:32:29.92 ID:0YDCCE9p
今日のアスペルガーだが

>>920-926は自演IDなので注意
920の a9yASSRm は他スレで織田厨を連呼連投レスの大爆撃を展開しています。
926の Qd6x0mWt も他スレでa9yASSRmと同じことをやっています。
確認は下記のURLを参照。

ZcJHpEuF
 ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130808/WmNKSHBFdUY.html
a9yASSRm
 ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130808/YTl5QVNTUm0.html
FLhaMDKa
 ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130808/RkxoYU1ES2E.html
BrVIRXXn
 ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130808/QnJWSVJYWG4.html
EGW3kDnh
 ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130808/RUdXM2tEbmg.html
Qd6x0mWt
 ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130808/UWQ2eDBtV3Q.html
934人間七七四年:2013/08/09(金) 08:32:04.44 ID:hHQjqeF8
大友家の全盛期ってどうなの?
確か島津との戦いで五万の兵士投入できたし、宣教師通じて鉄砲と大筒たくさん
持ってたよね?
兵士数多くないのにそれを打ち破った島津は余程兵士一人一人が強いのか
釣り野伏とかの軍略が凄いのかはわかりませんが
935人間七七四年:2013/08/09(金) 08:33:26.00 ID:bnUnt1oH
>>934
・島津も兵士多かった
・当時鉄砲や大筒はそこまで決定的な戦力ではない
936人間七七四年:2013/08/09(金) 09:01:34.65 ID:1SllKjrB
島津は水俣城攻防戦で115000の大軍動員して攻囲してるからな。
志賀やら甲斐やら相良やらに負けまくり30年かけてもろくに侵攻できなかった雑魚だし
大友戦でも田原らの退却と大友軍の自壊のあった耳川では勝ったけどそれ以外の地点の戦闘ではまけまくってたし
937人間七七四年:2013/08/09(金) 10:09:26.53 ID:mXlb6OFS
>>936
島津って略奪目的の人たちが率先して参加してるから
他大名の軍とはまったく違う。
しかも略奪に満足すると奪ったものや人を引き連れて
無許可に各々の判断で帰国するから兵ですらない。
これは宣教師がそう書いてる。
はっきりいって野盗の群れ。
この性格のために肥後国で略奪がおこりまくり食料事情悪化
肥後国衆は島津に従うのを拒否。
そのため、豊後進攻には肥後国衆はまったく従わないことで、
豊後への義理立てしてる。
(島津に騙され過半の領地を併合された相良は除く)
そして豊後から肥後へ拉致してきた奴隷があまりに多くて
(参加した島津の民が略奪したら勝手に帰るので家久はボロボロになり、
義弘が降将から新たに人質を取って、裏切り続出の歯止めをしようとするのを
人質から島津軍の内情がばれたら破滅だと絶望してる)
奴隷売買が追いつかず肥後が大飢餓地獄になってしまった。
秀吉の南下軍がきた時に秋月へ島津が援軍を出せなかったのも
肥後が島津に従ってないから。
>>934
耳川の戦いの一次史料には兵数がわかるものはまったく無いよ。
938人間七七四年:2013/08/09(金) 12:01:34.69 ID:+FiW0Uxe
>里見氏や太田氏が長尾氏の家臣となったわけではないので。
確かに>>928 の除外で連合軍不可は分かるけど
家臣かどうかって何で変わるのだ?
939人間七七四年:2013/08/09(金) 12:07:05.22 ID:bnUnt1oH
>>938
所領安堵を受けているかどうか
940人間七七四年:2013/08/10(土) 15:51:05.85 ID:iIM6Y2v1
薩摩はものすごい貧しくて略奪を生業としないと生きていけないって宣教師が書いてるくらいだから犯罪行為は仕方がないだろ!
まあ島津義久の回りは献上された食べ物とかであふれてたって話だけど。
つか僧に支配されていた国主とも書いてるな。
941人間七七四年:2013/08/11(日) 04:43:49.18 ID:UhDguSLw
ポルトガル商人「島津の奴隷に対する態度があまりに酷いから、彼らを助けるつもりで奴隷を買っただけなんだけど」
こんな開き直りが出来るほど島津のやり方はひどかった。
ちなみに島津は海上や中国大陸沿岸域でも倭寇に偽装し略奪行為をしていたので、
奴隷商品は日本人だけじゃなかった。
また幕府の船なども事故に見せかけて略奪したりしていた。
日本文化圏と言うより東シナ海文化圏に属していたので、
日本語が通じず秀吉政権は通訳を必要とした。
942人間七七四年:2013/08/11(日) 15:17:22.29 ID:AC6SGBVG
徳川の息子たちを評価した言葉に
東照公(家康)の公達あまたおはしましける中に。岡崎三郎君(松平信康)はじめ、越前黄門(結城秀康)、薩摩中将(松平忠吉)等は、おづれも父君の神武の御性を稟させられ。
御武功雄略おおしく世にいちじるしかりし中に。
独り台徳院(秀忠)殿には、御幼齢より仁孝恭謙の徳備はらせ給ひ。
何事も父君の御庭訓をかしこみ守らせられ。
萬ず御旨に露違はせ給はで。いささかも縦覗の御挙動おはしまさざりき
という言葉があるらしいのですが、徳川実記のどのあたりの言葉でしょうか?
943人間七七四年:2013/08/11(日) 23:20:37.11 ID:70d/HCNY
>>942
近代デジタルライブラリーで自力で確認してくればいいんじゃないかな
944人間七七四年:2013/08/12(月) 00:34:46.66 ID:LpXLXq/y
>>942
ああ、こんなのあったのか、知らなかったです
ありがとうございました
945人間七七四年:2013/08/12(月) 01:49:04.71 ID:LpXLXq/y
946人間七七四年:2013/08/13(火) 13:56:19.12 ID:MO+tHtzS
.
「織田信長の比叡山焼き討ち」についてですが、
それほど大規模なものではなかった、という説がありますね?

大規模な焼き討ちの遺構が発見されなかったとか、
当時 山上には殿舎があまり残ってはいなかったとか

やや興ざめしてしまうようなことなのですが、どんなものでしょう?

信長公記や
当時の公家の日記には、大変に大規模なものであったように書かれておりますが、
あれらは すべて 揃いも揃って ウソを書いたということなのでしょうか?
特に、信長公記の記述が誇大気味ですね?
ウソを書く理由とは?
947人間七七四年:2013/08/13(火) 14:17:18.19 ID:+g9VnJM/
自分に逆らうものはこうなるという恐怖戦術

しかし何を以って大規模小規模と呼ぶかは認識次第だと思うぞ?
少なくとも大虐殺だったことは間違いない
948人間七七四年:2013/08/13(火) 15:09:06.83 ID:OPxrwQ5F
作者の太田が坂本〜比叡山の戦いに参加していない可能性
人づての又聞きや帰還兵の自慢話をそのまま載せてしまったというのは?
949人間七七四年:2013/08/13(火) 15:30:09.97 ID:+g9VnJM/
つか信長公記なんて基本織田の大本営発表集だし
950人間七七四年:2013/08/13(火) 16:31:41.97 ID:cBsTiumP
>>946
お前マルチポスト禁止だぞ。
日本史板とかにも貼ってるだろ・・・・
951人間七七四年:2013/08/13(火) 16:33:57.82 ID:MO+tHtzS
僧や女子供を数百人も殺せば、大虐殺か?
坂本周辺のみで放火や殺害が行われた、という説もある

信長公記の言うように、
数千人が殺されて、全山が紅蓮の炎に包まれた、というのは 限りなく ??????
952人間七七四年:2013/08/13(火) 18:43:17.18 ID:HIS3TJvh
当時は戦果を誇大に流布することが普通。なので話半分に。
また実数が判明することもほぼ無い。だから突っ込みもほどほどに。
歴史を語る鉄則みたいなもんだ。
953人間七七四年:2013/08/13(火) 21:47:17.94 ID:V7UcWFXc
「大規模でない」というのは最近?の発掘で
焼け跡が意外と少なかった、というところからきてますね。
建物も全部燃えたみたいに言うけど案外
部分的な燃え方で残ったんではないか、ということ。

ただこれと規模はまた別の話で貴重なお宝は
かなり消失してるし、また持ち出して残ってるのもあるから
そのぐらいの余裕はあったという感じで。

それと、京都からは山ごしに燃え上がるのが見えただろうから
その公家さんの記述は確かに「大規模」に記述してもおかしくはないでしょね。
「全山」というのもあながちおおげさではないし、それと実際の消失規模は
また違う話でしょう。

昔の公家さんなんて焚き火ぐらいしか知らないだろうし
そりゃ神仏を恐れぬ所業で恐ろしかったことでしょうね。
そういうのも含めて大げさな表現になってもこれまた普通。

だから日記も公記もどっちもウソとかまちがってる
と言う話ではないだろうし、この事件は「規模」でかたるよりは
「やっちまった〜」という心理的大規模な事件という
文脈でとらえないと正確な判断はできないというかね。
954人間七七四年:2013/08/13(火) 21:50:23.05 ID:+g9VnJM/
宣教師の記録も壊滅扱いしとるがな
955人間七七四年:2013/08/14(水) 06:52:26.50 ID:48iY9kNB
そそ、だから伝聞では「壊滅」以上なんだよね。
ちなみに、宣教師の訳文は、最近専門研究会では
あまりでてこないね。
このあたりが悩ましいとこだけど
とりあえず、信長の焼き討ちは
「それ自体」がありえないことで
そのあたりをよく考えて得て欲しいと思う。

あと、叡山攻撃は信長が「初」ではない。
義教もやってる。

夏休みの宿題としては、かなりいいセンいってるぉ。
956人間七七四年:2013/08/14(水) 09:09:53.02 ID:UKwTmW8F
ただ、政治的に叡山を封じ込めることに成功したのは、信長の焼き討ちが初と言える
逆に言うと、それ以前の義教の焼き討ちなんかは政治戦略的には失敗に終わったとも
(焼くこと自体が目的な訳ないのだからね)
957人間七七四年:2013/08/14(水) 09:35:56.24 ID:TdjXKN36
>>956
義教も政元も生きてる間は比叡山を押さえ込んでいる。
比叡山が復活するのは彼らの死後だ。
その意味では信長も一緒。信長が死んでたちまち比叡山は再興した。
958人間七七四年:2013/08/14(水) 11:04:18.88 ID:UKwTmW8F
>>957
少し異なる
義教や政元は軍事力で焼き討ちし押さえつけたので生前はおとなしくしていたが死後にさっさと元通りになった
一方信長のケースは焼き討ちの後に所領や諸権利を剥奪没収して、政治勢力としての叡山を解体・消失させた
なので信長の死後に生き延びた僧侶たちは叡山に戻ったが、それは単に「山に人がいる」というだけの状態で
武家政権としての信長の後継者である秀吉に働きかけ、赦免と復興の許可を得てようやく
政治・寺社勢力としての「比叡山」が再興できた
959人間七七四年:2013/08/14(水) 11:18:16.00 ID:TdjXKN36
>>958
しかしその程度しか違いがないよ。権力の側(この場合は秀吉)も積極的に比叡山復興を働きかけてる。
960人間七七四年:2013/08/14(水) 11:29:05.11 ID:UKwTmW8F
政治制度的には大きな違いなんだけどね
これようするに、武家とは本来無関係だった古代からの大寺社がその独立性を解体されて
復活するにも存続するにも「武家政権の許可」が必要になったということですから
961人間七七四年:2013/08/14(水) 11:31:36.12 ID:UKwTmW8F
いうなれば、古代から中世まで続いてきた聖域が解体され
「聖」が「俗」に政治的には従属するようになったその始まりですから
962人間七七四年:2013/08/14(水) 11:34:06.32 ID:GY03XMFq
天皇が横領した比叡山の領地を返すように命じたのに無視した挙げ句に比叡山焼き討ちしたからな

信長は悪行の限りを尽くし松永久秀討伐ついでに奈良でも脅迫し
奈良内銀子320枚・興福寺銀子100枚・東大寺銀子50枚を上納させてるほど。
この年の奈良は年初から頻発する大地震で天下人民多く死に五穀不熟の風聞は京に届いたほどに大和は荒廃。
南都北嶺を滅ぼすってのもまず1571年9月比叡山焼き討ち
(仏法破滅不可説不可説・王法可有如何事哉と嘆く)
に続くこの南都での脅迫に続く話で
(比叡山焼き討ちを知ってる大和衆は織田軍を無法第一之衆と持っての他の大騒ぎになるくらい不安がった)
その後、さらに上京焼き討ちにつながる暴虐なわけだ。
ちなみに奈良に対しては12月にも再度の要求があったようで成身院が銀子100枚上納
1568年に天皇から乱妨狼藉の禁止・禁中御警固を命じられていたのに大盗賊集団に成り下がる織田www
上京焼き討ちで類火が禁裏の近くまで広がり、無礼にも信長は天皇に対して万が一の時は吉田山へ逃げろとか言ってる。
「南都滅亡&北嶺滅亡すると王城に災いが発生するって話だけど?」の解釈は以下が正当。
信長「すでに奈良も比叡山もボロボロにしてるから王城にも災い発生するよね?(つーか焼き討ちするしw)」
吉田「そんな話にソースありません」
信長「えっ奇特な解答w(ガチに災い来るんだけどwww)」
上記の話でも兼見は信長の悪意ある発言を察して王城の不滅を信長に強く主張している。

明智から金を貰った吉田兼見は言うに及ばず本能寺の後に信孝から追手を派遣され嵯峨に逃亡し
隠れていた近衛や勧修寺入道(孫娘が誠仁妃)も怪しいんだよな。その二人の安否を心配した誠仁

正親町天皇の儲君誠仁親王の元服の際に信長はなんとワザと鐚銭ばかりを集めてきて
これ見よがしに献上したので朝廷の者たちが憤り非難した。

吉田兼見は本能寺の変を偏神慮と言っている。まさに天皇の叡慮である。
11月本能寺への関与を疑われ逃亡していた前久が榊原康政に
京の情勢は内輪之申事共と信長殺害を織田家臣の内輪揉めと発言
興福寺だかも信長死んだ途端に葬儀すらやらずに領地分捕りに熱心とかこれじゃダメ過ぎだろ…
などと呆れ果ててるから織田なんて家臣謀反で遅かれ早かれ崩壊予定だった。
勧修寺晴豊の書いた晴豊公記には、
嵯峨野に逃げた近衛前久と勧修寺尹豊を非據の罪状で信孝が討ち取りに来たがうまく逃げることができたと書いてある。
非據とはやってはならないあり得ないことという意味。
しかしのち近衛の非據は隠蔽され逃げ隠れたのは信長を弔う為の行為に捏造された。
天皇は天正九年九月六日に信玄が甲斐に招聘していた快川紹喜に
国師号下賜を決定した。
「朕は遥かに和尚の道風を聞き及んで感動したので特別に大通智勝国師の号を与える」
信長が翌年に和尚を火あぶりの刑で処刑。
二ヶ月後に本能寺の変で信長は天誅されたのであった
快川紹喜と同族の土岐氏である光秀が吉田神社の支持を得て謀反した
963人間七七四年:2013/08/14(水) 11:35:04.75 ID:GY03XMFq
比叡山も荘園の奪回を期待して信長を後援してるし
(しかし約束は果たされず元亀元年10/26正親町天皇が信長に荘園を延暦寺に返せと命じてるがやはり無視)
比叡山座主覚恕法親王は正親町天皇の弟で延暦寺炎上後は洛中曼殊院や禁中に滞在して
比叡山再興を掲げる信玄の権僧正任官の斡旋活動をして信玄も僧正号宣下のお礼状を元亀3年10/3に出している。
信長追討綸旨発給の衝撃・・・・本人が関わる綸旨・宣旨を纏めていた勧修寺晴豊の旧蔵記録には
蔵人頭左中弁勧修寺晴豊→四辻大納言李遠宛て元亀3年9/20付書状
今度叡山炎上のこと、非常に嘆かわしく思っていたところ、法性院僧正が再び叡山を隆盛させるべく
入洛を計画しているとのことを聞き及びました。
叡山復興によって朝家の盛興するべく忠勤を励むとのこと。使者として直接談じ合ってくるように。
蔵人頭左中弁勧修寺晴豊→恵林寺(武田氏菩提寺)・長禅寺(信玄生母墓所)宛て元亀3年9/20付書状
あなたたちの寺を天皇の勅願所に決めましたので、宜しく国家安全と長久を祈り奉ってください。
これにより天皇は信長に与えた決勝綸旨を破棄し、将軍義昭に呼応する信玄の官軍認定をしたのである。
このことで物資と人の両面で困窮し追い詰められた朝敵信長の自暴自棄の報復が
御所まで類炎するのも辞さない上京焼き討ちによる公家・寺社への乱暴狼藉である。
謙信→長景連宛て元亀4年3/19付け書状を読むと
謙信も信長へ叡山再興をするように約束すれば信玄の大義名分が立たなくなると諭し
朝敵信長がそれを承諾しているのがわかるように、朝敵信長は比叡山の報復圧力に土下座しているのがわかる。
このように官軍武田軍が威風堂々と徳川・織田連合軍を瞬殺して上洛を目指していたのがわかる。

元亀4年1/11に僧正法性院信玄→将軍足利義昭側近上野中務大夫(秀政)宛てで
朝敵信長追討を受けた信玄は
義兵を起こし大軍が靡かせ発向し家康の大半の要害を破却したと宣言し、
信長・家康ら逆党を誅伐し天下を静謐にすると言上してる。
そして叡山での乱逆や、他者を軽んじ公家や寺社の人々を侮り、放言の数々
洛中洛外を徘徊しみだりに徳分の課役をして砂金財宝を横領しまくり、
朝倉と信長を和睦させたかたじけない天皇の勅命とそれに類する複数の起請文を捧げたのを
破って延暦寺を壊滅させるなど悪逆無道を為すなど5か条に渡って
信長の大罪を弾劾し讒巨乱国を救うと誓っている。
その檄文を将軍から入手した天皇は日本を救う救世主に感動して、
信玄の大義名分を筆写し醍醐寺理性院に納めて祈願したほど。
いかに信長が悪逆無道だったかがわかる。
醍醐寺理性院に残る天皇の写の日付は1/11だが、甲陽軍鑑では1/7とされている。
実際に書かれたのは1/7で出されたのが1/11なのかも知れない。
その後、信長は比叡山座主を厚遇し、まったく人気がなく洛中で孤立した信長は公家に領地やるから直接俺に仕えるよう命じ、
孤立させた天皇には譲位を求めるようになる。

勧修寺と近衛と吉田神社は信玄の遺志を継いだのだろう。
信玄が掲げた正義の戦いの威力と影響力を恐れた信長は、
信玄死後に比叡山復興と公家などの荘園返却などを強制させ、
信玄はその最後の戦いでの目的を達成している。
言わば死んだ信玄が生きる信長を走らせたのだ。
天皇家を守護した源氏武田が天皇を守護してきたのを勧修寺らは知っていた。
そして武田滅亡は信長討滅のスイッチとなり、信忠もなぜか予定を変更して京に来ると言う謀略に引っかかったのだ

後陽成天皇の弟で正親町天皇養子になった良恕法親王が延暦寺の座主になってるのも、
後陽成天皇の妹が西本願寺の良如の妻になってるのも知らんのが織田チョンだからね。

信長の御勘気をこうむっていた教如を顕如が義絶していたが
本能寺の変の20日後にはさっそく天皇が
待ってましたとばかりに教如を赦免するように顕如を諭してる。
日本において天皇は神のように崇められているって宣教師も書いてる。その宣教師を厚遇する背教者信長

家康の時だって比叡山は形骸化なんてしてねーよアホ。天台座主は相変わらず天皇の息子の尭然法親王だしよ。
比叡山の天皇家の断絶化は信長すら諦めて厚遇政策に切り替えてんのも知らんらしいなwww
尊純法親王は日光山法務を兼帯してるし日光東照宮の営繕やってんだぞw
現代ですら末寺数は寺数4200寺
信者数300万人以上なんだが。
964人間七七四年:2013/08/14(水) 11:36:08.52 ID:TdjXKN36
そもそも現在、中世の大寺社、特に室町期のそれがが政治的に独立していたのか、という面で大いに議論があるわけで。
その議論はあまりに型にはまった近世観でしか無いと思う。
965人間七七四年:2013/08/14(水) 11:42:01.90 ID:UKwTmW8F
>>964
現代の言葉で独立とイメージされるほどには独立性はなかったでしょうね
しかし中世には間違いなく、俗世権力からは独立したある一面を持っていたことも確かです
そして戦国後期から江戸初期にかけて、武家政権(俗世権力)がそうした面を解体して
吸収していったのも
もちろん全ての独立性を剥奪できたなんてことはなく、寺社はある程度の独立性を保持しながら
明治を迎えるわけですが
966人間七七四年:2013/08/14(水) 11:50:46.31 ID:TdjXKN36
>>965
なので、織豊期が、寺社の自力救済という面で過渡期であったことは確かだとは思うけど、
信長の比叡山焼き討ちが前の2者と比べて画期があったのか、という判断は慎重にした方がいいと思うよ。

寺社の変質はもっと長いスパンで考えたほうが自然だと思う。
967人間七七四年:2013/08/14(水) 11:59:54.83 ID:UKwTmW8F
>>966
>寺社の変質はもっと長いスパンで考えたほうが自然だと思う
ええ、同意します
ただ自分としては、中世的アジールの解体と近世的寺社への変容は
歴史的にも大きな変質の一つだと思います
そしてその方向へと変質させていく流れを決める諸々の事象の中で
「最初の成功例の一つ」が信長の叡山焼き討ちだっと考えます

この過渡期の時代には、他にも目立たないけど成功した例や、
逆に失敗した例も他にたくさんあるのでしょうが
968人間七七四年:2013/08/14(水) 12:05:04.64 ID:GY03XMFq
寺社は幕府と共存して民衆統治システムとして機能してるから
武家が独立性を剥奪なんてことは言えない。
むしろ宗教による一揆の恐怖を武家はよく知っていて
共存する道を選んだのが江戸時代だろ。
天皇や朝廷や公家なんかもそう。対立ではなく共存。
どっちが勝者とか敗者の関係ではない。
969人間七七四年:2013/08/14(水) 12:13:49.59 ID:nsGe281h
言葉遊びだな
970人間七七四年:2013/08/14(水) 12:16:00.88 ID:nsGe281h
つかだがかよ。はいNG
971人間七七四年:2013/08/14(水) 12:16:09.98 ID:UKwTmW8F
>>968
共存はしているけど、同時にどちらが主導権を持つかという争いは常にありましたよ
ヨーロッパにおける聖俗の争いと同じことです

たしかに「独立を剥奪」という言葉は俗世権力側の見方が強すぎでしたね
そこは訂正しましょう
972人間七七四年:2013/08/14(水) 12:32:13.58 ID:GY03XMFq
平家物語や信長公記などでもそうで、自己正当化をはかる武家側から寺社の悪事が喧伝されて
寺社は欲深く悪い勢力だなどと貶められているが
寺社側は反論しようとしないから悪い印象をもたれ俗世権力側が正義のような贔屓思考がおこる。
973人間七七四年:2013/08/14(水) 12:46:09.34 ID:UKwTmW8F
>>972
前半はともかく後半はちょっと
日本だけでなくどの国も文明も、文化事業というのは基本的に宗教勢力が担う
(ことが多い、もしくは担った時代が長く続いた)

なので、この手の自己正当化の宣伝文書というのは宗教側のものが
圧倒的に多くかつ残りやすい(保存・管理の技術も宗教側が持っていたからなおさら)
974人間七七四年:2013/08/14(水) 14:55:06.11 ID:viefBOfr
軍記類は発信力あるからね。
自社は自慰だけで喧伝力が不足してる。
975人間七七四年:2013/08/14(水) 15:28:16.83 ID:UKwTmW8F
>>974
逆、逆
中世までは宗教側が圧倒的に上
日本では江戸になって文化の担い手が武士や町民になり宗教側の情報配信力が(それ以前と比べて)弱まったから
結果的に武士側の主張が強く広まってそれが明治以降にも影響を与え続けた
976人間七七四年:2013/08/14(水) 17:24:34.28 ID:2ZlqxqtM
質問です
戦国時代の武士の具足鎧、足軽の具足で
散弾銃(猟銃、或いはべネリ12レベルの軍用散弾銃)は
どの位防げれるでしょうか?
977人間七七四年:2013/08/14(水) 17:58:56.06 ID:xkghBZe+
火縄銃の検証映像なら見たことあるけど武具では防げなかった
978人間七七四年:2013/08/14(水) 18:31:07.86 ID:nsGe281h
当時の甲冑は装甲厚2mmの鋼だから防げないわな
979人間七七四年:2013/08/14(水) 22:33:05.72 ID:nLL7cHjK
火縄銃程度の鉄砲ですら武具では防ぎきれんよ。
対鉄砲の防御手段として考案された竹束でも
至近距離では完全に防ぎきれなかったというし。
980人間七七四年:2013/08/14(水) 23:13:52.70 ID:SSGwoMvO
アンチ織田の人がよく引用して書いてるけど、池上裕子氏ってそんなにいいの?
自分だってすべてに目を通したわけじゃないけど
ロクな著書が無いんじゃないかと思っているんだが。

私自身は黒田氏の飢饉対策説派であるため信長の貨幣経済政策の是非はあまり興味ないが、
「日本の歴史 15織豊政権と江戸幕府」とか 信長の貨幣政策のとことか余りな内容に絶句した覚えがある。

良書としてはどんなのがあります?
981人間七七四年:2013/08/15(木) 08:49:23.41 ID:jwSEdnZT
>>980
ゆうこりんは、最新のインタビューで「権力者は嫌い」
と言ってるし推して知るべし。
黒田とかもだけど東の研究者は「相対化」
とか言う感じで妙に「村人が大名をつくった」みたいな
論調で、いまだに人民史観丸出しなのはかなり
違和感がある。その東の専門家の中でもまた
論が別れてるわけだけど。
良書ってのはなんのことかな?
982人間七七四年:2013/08/15(木) 09:05:19.12 ID:ofFD2n9Z
「相対化」ってのは、織豊が他の戦国大名と違って先進的だったとか革新的だったとか根拠のない大嘘やで、
思い込みばかりで冷静に史料を検討して比較しない研究はクソやで
あと近世の成果を結果から織豊の時代に遡及させるような考えは本末転倒や

って、至極まっとうな態度で研究し直そうぜ、って話なんだが
983人間七七四年:2013/08/15(木) 09:17:50.63 ID:w3DwkFGJ
>>981

>最新のインタビューで「権力者は嫌い」と言ってるし推して知るべし。

具体的に池上氏の著書の中の主張のどのあたりがおかしいと思いますか?

>黒田とかもだけど東の研究者は「相対化」とか言う感じで妙に「村人が大名をつくった」みたいな
>論調で、いまだに人民史観丸出しなのはかなり 違和感がある。

比較議論をする上で相対化は必要な事だし村人による大名と人民史観は間違っているのですか?
984人間七七四年:2013/08/15(木) 11:34:06.09 ID:qRLsuVSl
むしろ信長を盲目マンセーしてる本しかない現状で
中立性をもってまともに信長論を書いているのは池上くらいだろう。
黒田は北条マンセーで手段選ばないやつだから話にならない。
985人間七七四年:2013/08/15(木) 11:40:17.32 ID:w3DwkFGJ
池上氏の論文は、史料解釈の是非はともかくとして一次資料をちゃんと読んでる点では
史料無視して講談とか軍記メインで本を出すような小和田とかに比べたら遥かにマシだと思うが。
一応他の研究者の論文の引用としてかなり多く引用されるのが池上の本なわけだし
村井良介氏の最近の権力構造論の本でも池上氏の説(東国西国の構造の違いなど)を学会での多数派として
引用されてるし
986人間七七四年:2013/08/15(木) 11:49:10.50 ID:AQ/TsiTo
織豊政権と江戸幕府持ってるけど別に悪い本じゃないだろ
扱ってる範囲が広いから解釈や内容が薄いところもそれなりにあるけどしゃーない
小和田さんはいっぱい本出して専門分野以外はゴミ本ばかりだけど
そういうスタンスで割り切ってやってるからな。専門分野以外は付き合わなければいいだけ
987人間七七四年:2013/08/15(木) 11:57:47.02 ID:qRLsuVSl
小和田は歴史好き素人の大衆向けの本と学術本で
内容を使い分けてるから経済面で賢いと思うが。
NHKの歴史ものゲストでは前者の立ち位置で歴史好きの層を
厚くするよう広報やってるようなところもあるしな。
988人間七七四年:2013/08/15(木) 12:28:40.78 ID:w3DwkFGJ
小和田の学術本でまともな本なんてあるの?
秀吉の天下統一戦争とかよんだけどほとんど軍記講談引用ばっかで糞みたいな内容だったの思い出したけど
989人間七七四年:2013/08/15(木) 16:06:44.28 ID:HTcBSRNm
戦争の日本史シリーズがそもそも素人大衆向けなんだが…
990人間七七四年:2013/08/15(木) 16:09:50.31 ID:xI+1plVr
小和田は専門の今川研究医以外は見る必要ない
991人間七七四年:2013/08/15(木) 16:42:14.62 ID:qRLsuVSl
小和田の黒田官兵衛の本はそこそこ良かった。
992人間七七四年:2013/08/15(木) 23:35:26.07 ID:REZqMFI4
次スレならオイラが立てるぉ( ^ω^)
993人間七七四年:2013/08/15(木) 23:37:58.83 ID:REZqMFI4
次スレ立てたぉ( ^ω^)

【疑問】スレ立てるまでもない質問12【戦国時代】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1376577423/
994人間七七四年:2013/08/15(木) 23:44:49.35 ID:ofFD2n9Z
>>993
ありがとう
995人間七七四年:2013/08/16(金) 00:00:24.80 ID:fhCL2t8K
おつです
996人間七七四年:2013/08/16(金) 11:03:53.65 ID:8jq+kyaS
    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ! これで終わりなんてヤダヤダ!
       `ヽ_つ ⊂ノ
              ジタバタ
997人間七七四年:2013/08/16(金) 11:29:41.28 ID:lBc0JS+X
>>807
【敵中突破】素晴らしい薩摩文化【宝暦治水】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1365404087/l50
998人間七七四年:2013/08/16(金) 12:11:10.10 ID:3zq9Nny2
穴山梅雪
999人間七七四年:2013/08/16(金) 19:03:13.04 ID:3DP15BLl
>>993
スレたて乙!
1000人間七七四年:2013/08/16(金) 19:18:25.48 ID:K9UbnIKB
俺が1000getだぜ!
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
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