もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら

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1人間七七四年
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら、その後の歴史はどうなってたか?  
悪ノリで語るスレです。

家康の二元統治?
日本人海外渡航禁止?
ま、ろくなことにはなってないと思いますがなるべく楽しくお願いします。


2人間七七四年:2012/02/11(土) 19:08:12.62 ID:9qgbkYpT
2世紀半ぐらいの間、平和を享受出来ると思う。
3人間七七四年:2012/02/11(土) 20:16:04.79 ID:QZSdHsh2
水戸の副将軍がドラマになったりするんじゃないかな
4人間七七四年:2012/02/11(土) 22:26:17.45 ID:opr/q3xk
>>1
あの布陣で東軍が勝つわけないだろ
IFスレにしたってもうちょっとありえそうなのにしろよ
5人間七七四年:2012/02/12(日) 00:29:25.19 ID:PD9sXphh
>>4
確かに。
午前中こそ互角に戦ってたものの午後になって毛利一族軍が山を下りて参戦したらとたんに劣勢になって包囲撃滅されてるもんな。
家康本陣前での毛利宰相秀元と本多忠勝の一騎打ちは本戦後半の名場面だよな。


6人間七七四年:2012/02/12(日) 00:44:03.04 ID:PD9sXphh
毛利一族は総大将の輝元はorzだったけど他の一族が優秀だったから救われたよね。
関ヶ原で陣頭指揮を執った秀元の采配は見事だったし、個人の武勲としては本多忠勝を討ち取ってる。
吉川広家の二股膏薬ぶりは実に秀逸。
ギリギリまで東軍の味方をして毛利一族を封じ込めてるフリをしながら、実は戦力の温存を図っていたという。
「調略、隆景の子かと覚えたり」
とまで評されたのも頷ける。
そして忘れちゃいけないのが大津城攻略部隊の小早川秀包。
大津城で立花宗茂と本丸一番乗りを争ったのみならず、関ヶ原に到着後小早川本家の陣に乗り込んで家康の目付を殺すシーンが痛快だ。


7人間七七四年:2012/02/12(日) 13:11:56.29 ID:vOTDad3G
そもそも、東軍が勝っただろ。
スレタイ間違えてる?
8 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/12(日) 17:30:02.08 ID:BBQEpp4C
>>7
ネタをネタと見抜けない人は来ないで下さいw
9人間七七四年:2012/02/12(日) 23:18:46.07 ID:BVKe08cj
あんまり1人で決める奴は嫌われるぞってばっちゃが
10人間七七四年:2012/02/12(日) 23:49:16.87 ID:pq+B23B0
>>5
おいおい
1日で決着するわけないだろ
11人間七七四年:2012/02/12(日) 23:55:52.31 ID:PD9sXphh
>>10
ああそうだった。
説明不足スマソ
関ヶ原での戦いは一日でカタがついたけど(包囲撃滅されたのは徳川家の旗本二世部隊)、その後に大垣城攻防戦があったんだっけ。

12人間七七四年:2012/02/13(月) 00:53:11.06 ID:34E76YcI
立花宗茂があまり活躍できなかったのが残念だよな
長政を討ち取ったくらい
13人間七七四年:2012/02/13(月) 01:19:50.73 ID:DjG67zKU
>>12
死ぬまで残念がってたらしいね。
「討ったが官兵衛の親父様なら三国一の大手柄なものを、甲州殿では並の手柄」
って。

だが一騎打ちのシーンはこれまた迫力がある。
14人間七七四年:2012/02/13(月) 01:49:18.29 ID:DjG67zKU
>>5
あれは戦う前の約束が実際に守られたという点で美しい。
勝った方は相手の息子を万石に取り立てるという約束をして、秀元は実際それを守ったからね。
戦後三河に隠れていた忠勝の子を探し出して本多平八郎元忠と名乗らせ三万石をもらえるように世話してやってる。
おまけに蜻蛉切と三国黒まで返してもらって、本多家としては言うことはなかったろう。
忠勝が勝っていても同じようになったとは思うが。


>>10
>>5>>11に補足させてもらうと、9月15日午後になって大津城攻略部隊が関ヶ原に到着→毛利一族軍下山して参戦→家康本陣総崩れ→小早川軍下山し西軍参戦
→東軍総崩れ→家康敗走→追撃戦→大垣籠城→家康脱出→家康濃尾国境で捕まる→西軍凱旋
な。
家康が捕まるまで大体三月かかってる。
15人間七七四年:2012/02/13(月) 02:56:56.13 ID:DjG67zKU
スマソ。
手元の資料が関ヶ原関係のものしかないんでその後のif展開が想像できん。
実家に帰れば慶長後期から18世紀の資料までいろいろあるんだが。

史実では家康は捕まった後高野山に送られて軟禁生活、徳川家は大減封だったが…やっぱ逆になるのかね。

16人間七七四年:2012/02/13(月) 06:08:16.81 ID:YCEAq60G
家康が天下とって秀吉が禁止したキリスト教解禁したり、朝鮮との国交回復させたり、遠くの国
とも貿易を盛んにおこなったりするんじゃないかな?
まあ治世が長く続けば彼の子孫が貿易制限したりしそうだけど。
17人間七七四年:2012/02/13(月) 07:20:48.14 ID:7D/4IX9d
秀忠の到着を待たずに決戦に踏み切るとは
普段慎重な家康らしからぬ判断だった。
18人間七七四年:2012/02/13(月) 11:10:39.17 ID:DjG67zKU
>>16
あのアホの秀忠ならやりかねん。
史実ではインド洋艦隊司令官として活躍した松平忠輝とかも飼い殺しにされそうだし。
豊臣家から引き継いだ名将たちも次々潰したんじゃないだろうか。
下手したらイスパニアに侵略されてるよ。

>>17
まあ、決戦の時点で秀忠はもう着きたくても着けないわけだが…。
そういや昨日の大河は秀忠が中山道で死ぬ回だったよな。
上田城を無視して行ったはいいが大雨と山道で立ち往生してるところを真田一族軍に後ろから襲われて川に落ちてあぼーん。
「未来永劫嘲りを受けようぞ」って確かに21世紀になっても笑われてるわ。
19人間七七四年:2012/02/13(月) 20:44:00.07 ID:34E76YcI
なにいってんだこいつ
20人間七七四年:2012/02/13(月) 23:07:49.74 ID:votZlT3q
>>1
懐かしいなー。乙

もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら
http://yomi.mobi/read.cgi/hobby8/hobby8_sengoku_1161313522

21人間七七四年:2012/02/13(月) 23:24:38.15 ID:DjG67zKU
>>20
よかったらもまいも参加すれ
22人間七七四年:2012/02/14(火) 00:50:46.06 ID:MTMrGIVA
普通に江戸が日本の首都になってたんじゃまいか?
23人間七七四年:2012/02/14(火) 00:53:15.19 ID:7DNWAYB/
>>22
江戸が首都とかwwwwww
あんな辺境、誰が行くんだよwwwwww
24人間七七四年:2012/02/14(火) 01:03:55.33 ID:MTMrGIVA
>>23
可能性として言っては見たがやっぱりありえねーよなwwwwww
吉幾三とかいうおっさんが歌ってたけど田んぼと畑しかないド田舎だし。
新幹線通ったのも80年代の終わりになってからだしなー。

25人間七七四年:2012/02/14(火) 01:40:56.04 ID:MTMrGIVA
>>19
きっと『その時歴史が動いた』見て来たにわかだよ。
関ヶ原の名場面を語りたくて仕方がないんだからそっとしといてやれよ。

26人間七七四年:2012/02/14(火) 06:06:52.11 ID:9tJYx1zI
京都以外が首都になるわけねーじゃん
江戸とか土人だらけだぞ
27人間七七四年:2012/02/14(火) 15:14:19.89 ID:YViABQPb
首都は大坂だろうが
28人間七七四年:2012/02/15(水) 00:15:10.39 ID:vj7+n3Da
>>17
あの時家康は御所柿だか鯛の天ぷらだかにあたって正常な判断力を失ってたという説がある。
他にも家康は既に死んでいて、関ヶ原の時は影武者が軍勢を指揮していたとか。

>>26
>>27
だよなwwwwwww
首都は大坂、最大の貿易港は神戸。これはもう小学生でも知ってる常識だよな。
江戸といえば、こないだやっと政令指定都市に昇格したばかりの田舎。

29人間七七四年:2012/02/15(水) 02:30:31.65 ID:ZmCXXX8w
>>1
多分一昨年の台湾問題では漁船を撃沈せずに船長を逮捕してしかも圧力に負けて 釈放とかしてそう

樺太や済州島でも相手にもっと付け込まれていたかも
30人間七七四年:2012/02/15(水) 03:07:58.56 ID:vj7+n3Da
>>29
ありえる。
外交に消極的な徳川家が長く統治してたら、日本の外交力はものすごく立ち遅れることになっただろうね。

下手したら樺太だけじゃなくて千島本島もロシアに奪われてたかもしれないぞ。
関ヶ原の論功行賞、あのとき三成が上杉家を札幌神指150万石に加増して蝦夷の守りにつけて内地化に成功してたから、さすがのスターリンも第二次大戦後千島本島を異民族の島と言い張ることはできなかった。

徳川家なら蝦夷ヶ島のままで放置して19世紀末にやっと函館に城を作るぐらいだろう。
上杉鷹山の時代にアラスカ探検隊を陸路で派遣するなんて壮挙はとてもできなかったに違いない。


31人間七七四年:2012/02/15(水) 03:26:31.05 ID:vj7+n3Da
江戸と言えば、秀忠の息子の長丸がトルコ人の格闘士をたくさん呼び寄せて御前試合をして楽しんだ経緯から今でもトルコ人が多いよね。
江戸名物の相撲はこのトルコ人の伝えたレスリングが改良されたものだってのは知ってたけど、トルコ人は19世紀にみんな帰国してしまったと思ってたからカルチャーショックだったよ。



32人間七七四年:2012/02/15(水) 09:54:15.85 ID:bD3VpBDw
>>22
長渕の名曲とんぼが死にたいくらい憧れた華の都大東京って歌詞になんのかよ
33人間七七四年:2012/02/15(水) 20:35:20.76 ID:ZjzR2yfX
九州から江戸に喜んで移住するってたとえIFでも想像つかんわw
34人間七七四年:2012/02/15(水) 23:52:55.76 ID:vj7+n3Da
>>33
俺もだよw
江戸よか仙台とかのほうがまだマシwwwwww
仙台はラテン文化が花開いてるからなwwww
35人間七七四年:2012/02/16(木) 01:19:47.46 ID:fmJ/8FWL
>>16
キリスト教解禁するかな?
家康は三河の一向一揆で手を焼いた経験があるからキリスト教は秀吉以上に弾圧するんじゃないかと。
家康が容認する気でも本多正信あたりが阻止するでしょ。
後継者の秀忠もその側近もキリスト教を容認するとは考えにくい。
過激な拷問とかやって宣教師や信者を殺しまくるんじゃないかと。

むしろ東軍が勝ってたら、キリスト教と結びつくのは豊臣家だと思う。
戦死する可能性もあるから微妙だけど、小西行長のルートでイエズス会と結びついて徳川に対抗したと思う。
秀頼に子供が多ければ、その中の一人をキリシタンに託して指導者にさせるぐらいのことはしたんじゃないかな。
住民全員キリシタンの天草とかに隠したらいくら伊賀者が優秀でもまず見つからないだろうし。

あと、キリシタンと結びつきそうなのは伊達政宗だね。
36人間七七四年:2012/02/16(木) 01:50:09.73 ID:fmJ/8FWL
>>2
それはないと思うぞ…。
家康が生きている間はともかく、死んだらまず兄弟間で内紛になる。
家康が関ヶ原時点で60歳。
秀吉が死んだのが62歳だからもう何時死んでもおかしくない。
おそらく65歳ぐらいで死ぬだろう。

家康の死後は秀忠と秀康・忠輝あたりが跡目を争って、徳川家をガタガタにしてしまうと思う。
政宗あたりはそうなるように仕向けるだろうし。

徳川家が将軍なり関白になるとしても、その支配力は限られたものになって合戦が絶えないだろうね。
つまり戦国の再来。
37人間七七四年:2012/02/16(木) 01:52:12.18 ID:fmJ/8FWL
>>12
そういやほかに討死した大名っていたっけ
38 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/16(木) 02:58:25.29 ID:DCBIAP4H
山内一豊の死に様はワロタ
日和見したあげく東軍を裏切ったのに毛利の猛攻の前に一撃で粉砕されてて
死の間際に「お味方でござる!お味方でござる!」て連呼してたらしいなww
39人間七七四年:2012/02/16(木) 03:41:42.71 ID:fmJ/8FWL
>>38
秀次事件で無傷で助かったもんだから三成にとっちめられてキツイ目にあわされた毛利一族からのウケが最悪だったもんな。

40人間七七四年:2012/02/17(金) 22:17:27.83 ID:7q6mMYFi
>>38
大河ドラマ『一字三星 毛利三代』でそれ見たわ。
清水宗治の息子の景治が首を取ってた。
景治役は植村喜八郎だった。

この時中村一忠と有馬則頼も死んでる。
41人間七七四年:2012/02/18(土) 00:23:48.03 ID:8Bu5AZcx
>>38
脇坂安治も結構(;´∀`)・・・いたいなぁ・・・だぞ。
戦場ではうまいこと小早川中納言(豊臣秀詮)について東軍に襲いかかったものの、このとき平野長泰を討ち取ってしまったのがまずかった。
戦後平野家の元家臣から東軍に内応の約束をする文書を送っていたことを告発されて改易の上切腹。

同じ小早川与力の諸勢でも小川祐忠は歴戦の古豪に相応しく敢闘して伊予十二万石、朝倉旧臣の出世頭赤座直保は大谷吉継の後を受けて越前敦賀五万石に出世してるのに。


42人間七七四年:2012/02/18(土) 01:01:22.42 ID:8Bu5AZcx
ところで賤ヶ岳七本槍の末路って、

福島正則…捕縛され八丈島に流罪
加藤清正…肥後で侵攻してきた二宮就辰率いる毛利軍と戦う、息子が西軍についていたので本領安堵
加藤嘉明…本戦で島左近に討ち取られる
脇坂安治…戦後裏切りがばれて改易切腹
片桐且元…開戦前に暗殺
糟屋武則…最初から西軍、戦後十二万石に加増
平野長泰…本戦で脇坂安治隊に攻められ討死

これでOk?
結構悲惨だね。
43人間七七四年:2012/02/18(土) 20:59:27.44 ID:drdKS2ot
福島は江戸春の陣に泳いで参戦しようとして流された挙げ句オランダ船に拾われて世界一周したらしいね
44人間七七四年:2012/02/18(土) 23:55:49.81 ID:8Bu5AZcx
>>43
崩壊寸前の明国に渡って各地で大暴れしたという説もある。
この時のエピソードが清代以降に改訂された西遊記にかなり取り入れられているらしい。
福島は秀吉の身内すなわち猿の一族というのが明国では広く知られていて、それで孫悟空と同一視・習合されたようだ。
向こうに渡った福島は斉天大聖の化身として、行くだけで悪党が逃げ出したり降伏してきたらしい。

45人間七七四年:2012/02/19(日) 20:09:08.93 ID:k68dHOh7
何言ってんだお前
講談はよそでやれ

福島はヨーロッパでレスラーになったんだよ
必殺技は桶屋バスター
46人間七七四年:2012/02/19(日) 22:09:50.44 ID:kj0/x6Y6
>>45
棺桶デスマッチを考案したとも言うな。
47人間七七四年:2012/02/19(日) 22:46:37.75 ID:kj0/x6Y6
福島レスラー説をちょっと調べてみた。
福島レスラー説はヨーロッパ特に中欧・北欧では広く信じられている。
ドイツ・オランダには直接の子孫を称するボッチャー(桶屋)家、カイパー家(同左)が実在。
世界ふしぎ発見で紹介されて家系図も出てきたけど、日本側に残ってるのと大体一致する。
素手で熊を退治したとか大蛇を締め殺したとかいう武勇伝も伝わっている。
スカンジナビアの方にも子孫を自称する家系がいくつもある。
彼らは共通して「ザンギ」「サンギ」という姓を名乗っているそうだ。
ロシア帝国時代にフィンランド大公の随員としてサンクトペテルブルクに行ってそのまま永住した子孫もいると聞く。
その後ロシア風にザンギエフと名乗るようになったらしい。
寛政年間の日露戦争でロシア側の陸軍司令官の一人として戦ったザンギエフ准将はこの四代後の子孫だという。

関白秀詮は福島の行方を相当気にかけていて、大々的な福島狩りを実行したけど見つからなかったとか、バチカン大使になった織田重治(三吉信秀の息子)が探索を命じられたことも日記に残されてるな。
48人間七七四年:2012/02/20(月) 01:34:13.09 ID:56N3sO47
>>44-47
まあまあ三人とも。明国説もレスラー説もどちらも有名な説だからな。
一番史実性が高いとされているのは脱出を図って(あるいは一緒に流されていた息子の正勝と甥の正之を脱出させるため囮となって)番兵に射殺されたというものだが。
春の陣の会戦直前、伊豆に二千石をもらっていた桜井佐吉が「勤め方がよくない」として改易になっている。
桜井が脱出を手引きし、失敗した可能性は高い。

>>45
桶屋バスターってのはBASARAの正則の技じゃねーか。
相手を逆さまに抱え上げた状態で、頭部から地面へ叩き付ける技だわな。
ブレーンバスターの原型だ。
ステージ3の賤ヶ嶽の合戦で中ボスの山路将監を刀も槍も使わず組打ちで倒すと以降使用可能になる。
ただしこの場合日本号を入手できなくなるので後々不利になるんだが…。

49人間七七四年:2012/02/20(月) 05:08:33.35 ID:0pdlvgxK
関ヶ原前日までに大津城攻めの決着がついたのが良かったな
宗茂なしじゃ流石に負けるだろ
50人間七七四年:2012/02/21(火) 01:17:11.92 ID:IE1pHD9h
>>49
歴史小説家とかにはその解釈で書いてる人が多いね。
大河ドラマ『一字三星 毛利三代』もそれっぽい。
大津城落城の回で城を落とした後兵を休ませるよう主張する毛利元康を説得して関ヶ原に急進させるシーンがあるほか、島津義弘に馬上から参戦を呼び掛けて戦闘に参加させる役回りも宗茂に振られてる。
極めつけが津川雅彦の家康が戦意喪失して撤退を決意するのは宗茂の旗印が見えた直後。
51人間七七四年:2012/02/24(金) 04:45:38.25 ID:llrzVMOY
織田一門も何気に働いてるぞ。
大谷隊で奮戦した信吉と長次の兄弟はもちろん、信高と信貞の二人も攪乱工作や織田系の大小名の切り崩しに大いに活躍してる。
52人間七七四年:2012/02/24(金) 04:59:10.06 ID:llrzVMOY
>>48
それ桶屋バスターじゃねーから。
BASARA全キャラでクリアしてから来い。

>>49
あれは運の要素もあるけどな。
美濃へ向かう徳川方の荷駄隊が道に迷って立ち往生していたのを見つけて積み荷のカルバリン砲を分捕ったのも大きいぞ。
で、その大砲をバンバン撃ち込んで城壁と言わず天守と言わずボコボコにしたから陥落が早かった。

宗茂は戦後筑後柳川45万石に加増だっけ?
大津城と本戦との活躍からするともっともらっても良さそうな気がするんだけど警戒されたかな?
小早川秀包が秀詮の持ってた小早川本家の名跡込みで筑前名島54万石、これもちょっと少ない気がする。

>>50
たわけうつけまぬけのフルコンボもこの直後だな。言われてたの誰だっけ。

53人間七七四年:2012/02/24(金) 05:07:14.87 ID:llrzVMOY
忘れてた。
無双の新作では福島の八丈島脱出もプレイすることができるらしい。
「八丈島より泳いで参った!」のセリフもばっちり収録で。
島から脱出して江戸にたどり着くまでにいろんな妖怪や悪党やイギリス人や豊臣大名と戦うんだが、何よりも強敵なのは海ステージでの潮の流れという。
ボタン連打が少しでも弱いと流されて>>44>>45が言ってるみたいなバッドエンドになる。

54人間七七四年:2012/02/24(金) 21:02:15.19 ID:iBfuRwyQ
大阪城攻城戦が見たかったよな
あんな巨大な城は落とせるのだろうか
55人間七七四年:2012/03/03(土) 16:08:54.21 ID:Mgjnjk8L
>>54
無理。
家康は城攻めが絶望的に下手。
56人間七七四年:2012/03/04(日) 01:07:14.96 ID:XXfISQ9S
マッカーサーも落とせなかった城だからな
57人間七七四年:2012/03/04(日) 01:19:51.19 ID:QrW8OKx/
>>56
明治時代の陸大での机上演習で祖父アーサー・マッカーサー将軍、攻略に失敗。
昭和17年サンフランシスコ条約締結(別名・日米軍事同盟、日米安保条約)の際に現地で行われた机上演習で孫のダグラス・マッカーサー元帥、攻略に失敗。
ダグラスの息子のアーサー・マッカーサー4世は大坂城の天守に登ったけど、それはミュージシャンとして来日してだから攻略はできてない。
今度孫のマッカーサー6世が来日して机上演習に挑戦するらしい。
本当に懲りない奴らだな。

58人間七七四年:2012/03/04(日) 01:46:55.81 ID:UR/H1r29
しかし家康って、関ヶ原から敗走する途中でも糞を漏らした事で、
「内大臣 東と西で 糞漏らし」
とか散々な言われようなんだよな。

普通敗者ってもう少し美化されるものなのに、
ここまで滑稽な逸話を後世に残した人も珍しいよな
59人間七七四年:2012/03/04(日) 02:50:23.72 ID:QrW8OKx/
>>53
つ【連射パッド】
128連射に設定すれば楽勝。

それより四面の真田信繁がどうしても倒せないんだが。
超必殺技の『真田日の本一の兵ぞ』食らうと一撃で体力全部持ってかれるし真田強すぎじゃね?

>>58
正露丸のCMに津川雅彦の家康出てたよな。
あとTOTOとかニッケンのレンタルトイレのCMとか。
糞をするところばかりCMにされている。
60人間七七四年:2012/03/06(火) 01:47:33.90 ID:ttFEIXF/
>>58
そりゃそうだ。
250万石の大封を預けた秀吉の信頼を裏切った最悪の裏切り者ってことで豊臣時代、家康の事跡は徹底的に破壊されたし演劇で家康を主人公にすることも禁止だった。
情けない姿で描くことは黙認、むしろ奨励されてたから情けない姿ばかり残ってる。
家康がボコボコにされるということで三方ヶ原の合戦は為政者側にも好まれて、『豊鏡』とか公式の歴史書でも度々大きく取り上げられてるし。
豊臣びいきの公家衆もあることないこと日記に書きまくったしね。

滑稽な姿ばかり残ってるのは当然の結果。



61人間七七四年:2012/03/07(水) 23:38:36.90 ID:Wc6mNpzP
史実の話ばっかしてないで、たまには東軍勝利後の妄想でもしようぜ。

家康って岡崎出身なんだから、秀吉に押し付けられた江戸なんか放棄して岡崎に帰還して
岡崎幕府を始めたりするんだろ。
62人間七七四年:2012/03/08(木) 01:16:38.54 ID:L5g2XUG8
>61
いや岡崎から駿河に拠点を移していたから駿府幕府になるんじゃね?
63人間七七四年:2012/03/08(木) 03:45:31.53 ID:SF15aq7t
意外と伏見城に入って室町16代将軍を継いだりして。
64人間七七四年:2012/03/09(金) 04:11:18.77 ID:GesA7+c1
>>61
ありえるぞ。
三河は足利庶流の筆頭・吉良氏の領地だったところ。
「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」って歌もあるし、吉良氏から継室をもらって室町幕府の継承を宣言するかも知れん。
こうなると信康が死んでるのが痛いね。
信康は今川の血を引いてるから、信康の正室に吉良氏の娘をもらえば不動の後継者ができる。
岡崎幕府の二代目は確実だっただろうなあ。
65人間七七四年:2012/03/10(土) 02:48:34.48 ID:KXA7/oGh
>>61
家康は強欲だから西軍についた大名をことごとく改易すると思われ。
そしてそれを自家の領地に加えて諸大名に吝嗇と言われる
66人間七七四年:2012/03/10(土) 13:49:52.59 ID:evLXeU2V
>>65
そんな事したらどの大名も徳川家への反旗を翻して徳川家あぼーんだな……ありえんだろ
67人間七七四年:2012/03/19(月) 15:44:07.86 ID:xrhd4C8A
大東亜戦争末期の伊勢湾上陸作戦でマッカーサー率いる連合軍100万が半月かかっても落とせなかった大坂城
後方撹乱により兵站を断たれた連合軍は脱走が相次ぎ崩壊していく
味方の巻き添えを恐れて空爆も出来ずそのままジリ貧となりトルーマン大統領は国民の支持を失って
講和を決意したことはあまりにも有名
68人間七七四年:2012/03/21(水) 23:36:01.98 ID:tcl/vnBT
シコシコキモチA
69人間七七四年:2012/03/22(木) 00:27:24.26 ID:nhA/61WL
>>60
最近になってようやく、隆慶一郎の
「影武者 豊臣秀吉」とかで家康が再評価されつつあるよね。

秀次事件の黒幕は、家康と本多正信による陰謀ってのが通説だけど、
あの小説だと石田三成が黒幕なんじゃないか?というのを匂わせていて中々読みごたえがあった。
70人間七七四年:2012/07/22(日) 05:45:21.67 ID:CYyz3Hix
>>52
山下真司の黒田長政。
調略失敗を咎められて見捨てられる。
で、宗茂と戦って討ち死に。

71人間七七四年:2012/07/22(日) 19:17:17.40 ID:/T4R/nFh
徳川って何ぞって思ったら羽柴秀康の実家か
72人間七七四年:2012/07/23(月) 01:54:15.63 ID:yTZbU9dE
>>70
あほーからたわけうつけまぬけ、とどめに蹴りまで食らって最後は討ち死にはちょっとかわいそうだったな。
黒田家は如水が西軍諸将の空き城に兵を入れて防衛に協力した功績(ついでに命懸けで家康をだました恰好になった長政の功績)で長政が家臣の娘に産ませた庶子が相続を認められてるし、島原の役で侵略してきたスペイン船を撃退した功績で12万石から24万石に加増されてる。
あれだと戦後すぐに滅んだように見えるよ…。

>>71
本人は徳川が実家と言われるのを嫌っていたらしいがな。
戦後大和大納言の爵位を継いで百万石をもらって、完全に豊臣一族になりきってたし。
息子の秀直の正室は豊臣秀頼の娘。
もはや秀吉の息子としか言えん。

73人間七七四年:2012/07/23(月) 18:39:57.80 ID:ykvqnTNx
秀康の秀頼への溺愛ぶりは異常
74人間七七四年:2012/07/24(火) 09:02:21.91 ID:GJc9dbnO
裏切り者って言えば増田長盛を忘れちゃいかんぞ。
大阪城内の情報を東軍に流して、大阪城内には偽情報流して輝元本隊の出陣を阻んでたのがばれて、面子を潰されたことに輝元激怒。
輝元にボコられた末あわや斬首も息子盛次の助命嘆願で高野山に配流になった。
輝元役の宇津井さんのあんなバイオレンスな姿は初めて見たぞw
75人間七七四年:2012/07/24(火) 21:50:41.42 ID:dlRXVpQp
>>74
あのシーンは本当に迫力があった。マジで血出てたし。
長盛配流、年寄職罷免、その上家老が三人腹を切って、越前北ノ庄8万石に減知の処分を受け入れてやっとお家存続。
増田はいいとこなしだったな。
かたや伏見城内の甲賀忍者を寝返らせて早期落城を達成した長束は20万石に加増、弟や庶子まで大名に出世してる。
水口城下で家康を襲った甲賀忍者も頭が一万石の大名に取り立てられて、下っ端も伏見城内から内応した奴含めて軒並み豊臣直参の忍びに出世。
この状況判断の差、手際の差、とても同じ近江衆とは思えん。

>>52
>小早川秀包が秀詮の持ってた小早川本家の名跡込みで筑前名島54万石、これもちょっと少ない気がする。
名目上はな。毛利本家とのバランスを考えて、加増高を抑えなきゃいけなかった。
しかし実際は名島は博多湊からのあがりもあるし、実高100万石とも言われる豊かな土地。
むしろ優遇。
宗茂の柳川45万石もそう。筑後は米どころ、特産品も多いし実高は表高の三倍近い。



76人間七七四年:2012/07/24(火) 22:33:22.64 ID:f14JM/9I
東北でもぞもぞして時勢を読み誤り
宇和島に転封のうえ減封された伊達政宗もワロスだな
77人間七七四年:2012/07/24(火) 22:55:50.50 ID:dlRXVpQp
>>76
宇和島転封まではな。実質は改易、息子秀宗に新知充行だったし宇和島入り早々、些細なことで難癖をつけられ隠居の上出家させられてるし。

だが政宗の本領発揮はむしろこの隠居後だ。
旧最上、伊達領合わせて120万石をもらった堀秀治がバカなのにつけこんでその足元で一揆を起こさせて改易に追い込み、政治工作の末結局秀吉に減封される前の72万石で仙台領主に復帰。
堀は哀れだよな。
一時は「これで景勝と同格になった!」と大喜びしてたら、まさかの急転直下。








78人間七七四年:2012/07/25(水) 03:13:08.05 ID:SzcihxME
長宗我部盛親もなかなか見事に立場を変えてるぞ。
戦前には家康にすり寄って、「信長の弟家康の許可を得て信康の信の字をもらう」という裏技で盛親の名前を信親に改名して家康派をアピールしておきながら、いざ戦となると無理矢理西軍に組み入れられた体を装って西軍に味方。
本戦では長束、安国寺と共に毛利軍の突撃に同調。
兄上とまで呼んでいた本多正純をズンバラリン。
そうしたかと思うと戦後は「恩義に報いて」家康の旧臣を召し抱えて卑劣漢の汚名を回避。
架空戦記ではぞんざいに扱われて出番がないまま改易になるパターンが多いけど、史実の長宗我部はほんとすげーな。
79人間七七四年:2012/07/26(木) 02:45:43.76 ID:U68/GKTp
何気に小早川秀秋の兄弟が全員大身大名に出世している件。
80人間七七四年:2012/07/26(木) 18:50:33.60 ID:sbLT9LiS
>>77
原田甲斐のせいで宇和島に逆戻りだけどな
81人間七七四年:2012/07/26(木) 21:03:21.52 ID:Ta1a2P0X
>>80
その反動かねえ
明治維新前の宇和島成敗の四境戦争での内線作戦は
藩祖政宗の真骨頂である蘆名殲滅を彷彿とさせる見事さ
それにひきかえ、勝者西軍は御先祖様に顔向けできんだら
特に、薩摩島津 安芸毛利 土佐長宗我部 肥後加藤は最悪
82人間七七四年:2012/07/27(金) 02:52:35.47 ID:I9rvshjG
せいしょこどんの手のひら返しすげぇよな。ちゃっかり小西追い出して肥後一国手に入れて

それに比べて、福島は豊家への忠誠は誰も疑ってないのに、けじめとらされたり
要領悪かったりで、相模に知行貰ったのに
上杉が勲功で越後復帰した後の会津に押し込められるという
83人間七七四年:2012/07/27(金) 19:45:19.45 ID:Jmqan/y5
>>80
あの一件は原田甲斐一人のせいにするのは酷ってもんだぞ。
政宗が秀頼の四男でキリシタンの首領の天四郎秀綱やらさらにイエズス会やらと手を組んでノビスパン貿易で財力を蓄えていたり、家康の下の息子たちを城持ちの客分として厚遇してたり、鎮守府将軍の位を勝手にもらったり…は政宗だからいいとして。
問題はその後で、下の息子たちや孫までが悪影響を受けて実力もないのにマネをした。
だから真田守信や大谷重政の大藩潰しのターゲットにされて、原田甲斐はそれに利用されたというだけの話。
84人間七七四年:2012/07/27(金) 20:56:26.04 ID:sNmCHRsN
真田も大身だったのに支藩作りすぎて
代を経るごとに影響力無くしていったから人のことは言えんがな
85人間七七四年:2012/07/27(金) 21:59:24.87 ID:Jmqan/y5
>>84
越後65万石が明治維新前には30万石だからな。改易・減転封以外では一番すごい減り方だ。
真田と伊達の支藩の数は狂歌に歌われてたな。
『近頃都に流行るもの 竹に雀に六文銭』って。あと『真田の家、左衛門大佐首を取り、左衛門小佐嫁を取り』ってのもある。
左衛門佐守信といえばそんな歌ができるくらい、側室と男子の数(ほぼ支藩の数と一致)でも有名だった。
他にも守信をネタにした歌は多い。
『嫁入りに 渡してやれと六文銭』これ以降三途の川の渡し賃がいつの間にか子宝祈願のお守りに変化しちまうし、三途の川の鬼が死人から取った六文銭を袋詰めにして子宝祈願のお守りとして売っている絵まで描かれる始末。
『葉武者より我もなりたや三途の川の渡し守 佐殿の御子をば渡して一身代』という歌もあった。こっちは作者が家康の子孫だ。
妊婦の腹に『真田左衛門佐』と書いて貼ると男子誕生間違いなし、という俗信もあった。
86人間七七四年:2012/07/28(土) 11:52:13.04 ID:2grjYuzP
真田は江戸の陣で大助幸昌が討死にしてなきゃ大身を維持出来てたかもね。

酒に酔ってる所を本多忠朝に急襲されたボンクラ扱いだけど、本当は女郎屋で遊んでた守信と薄田兼相が襲われるって聞いて助けに駆け付けようとしてやられたんだし。

守信が自分の恥を封印するために幸昌の不手際ってことにしたみたい。
87人間七七四年:2012/07/28(土) 19:54:00.98 ID:TkVgznnJ
亀レスだが
>>27>>28はアメリカの首都をニューヨーク、オーストラリアの首都をシドニーとか言っちゃうタイプだな。
大阪は最大都市だがあくまで「商都」、首都は陛下のおられる京都だぞ。
88人間七七四年:2012/07/28(土) 20:24:42.00 ID:VynVIrHu
>>87
いやいや、枢軸連合(UA)本部のある大阪は世界の首都やで!
89人間七七四年:2012/07/29(日) 03:25:33.42 ID:djwLnAAY
>>87
>>88
確かに世界の金融の中心ではあるわな。枢軸連合ってのはユダヤ・アラブと大阪商人が作った銀行の集合体だし。
カネの流れからしたら確かに世界の首都だわ。
ところで知ってるか?
ホワイトハウスの地下金庫には非常用のさらに非常用の金(GOLD)として独立戦争当時の関白がジョージ・ワシントンに融通した資金の一部が、今なお使われずに取っておかれてるらしい。
秀吉の作った分銅金がダース単位で眠ってるらしい。
90人間七七四年:2012/07/29(日) 05:00:46.94 ID:djwLnAAY
>>86
それは「影武者豊臣秀吉」の創作じゃないか?
ちょっと調べてみるわ。
91人間七七四年:2012/07/31(火) 01:49:24.69 ID:zwty7mZ6
>>86
おまいのそれは「影武者豊臣秀吉」の十六巻の話。
「徳川退治記」にある薄田と守信が傾奇者姿で楽師や女連れて城方をおちょくり、本多忠朝が激怒出陣した時の話が元ネタ。

92人間七七四年:2012/07/31(火) 02:07:24.08 ID:zwty7mZ6
忠朝隊を伏兵が包囲、ボコボコにした後で傾奇者姿の幸昌が城方に舞を披露、頭に来た忠朝が鉄砲で幸昌を撃ち、幸昌の装束が一部吹っ飛ぶ場面。
久しぶりに読んだけどええわー。原哲夫の漫画版は幸昌の表情もいい。幸昌が戦後すぐ死んだのは本当に悲しいよな。
93人間七七四年:2012/08/01(水) 12:29:00.28 ID:QG6kaLuM
伊達政宗が旧領回復のために神保隊を踏み潰して猛攻仕掛けたのはその次の日だっけ?
94人間七七四年:2012/08/01(水) 22:46:32.07 ID:u/IufW4V
吉川が弁当を食べ終わって
食後の運動行くかと突撃したのは
どの大河だっけ?
95人間七七四年:2012/08/02(木) 01:31:42.24 ID:9bVa5WSQ
>>93
次の日であってる。1624年3月某日。
だが突撃したのは政宗じゃなくて羽柴秀康に陣借りして参戦してた忠宗。
政宗は1615年に旧領を完全回復して、この時は大老格。石田重家や大谷大学が政宗に「戦功次第では宇和島24万石を忠宗に与える」と唆し、政宗に発破をかけられて突撃。
味方討ちの挙句城から狙撃されて討ち死に。結局もらえたのは一万石だけだったという。
96人間七七四年:2012/08/02(木) 02:20:07.30 ID:9bVa5WSQ
>>94
『黄金の日々』。確か7月上旬放送の回のどれか。
>>94の台詞のその後に『駆け回って腹がすいたら御所柿を取って腹を満たせい!夕餉は江戸の狸の味噌鍋じゃ!』と続く。
そのころ助佐は大津城攻防戦に巻き込まれて大砲操作要員として奮戦中。

97人間七七四年:2012/08/02(木) 14:10:22.15 ID:EgaDoKMo
>>96
死んだはずの善住坊が赤マフラー巻いて出てくるのは要らん演出だったな
98人間七七四年:2012/08/03(金) 10:22:27.56 ID:uML4QxzU
>>97
こっそり掘り出してやったんじゃねーかってにおわせるところでやめとけばよかったのに。
黄金の日々の唯一の汚点というか。

99人間七七四年:2012/08/03(金) 10:36:30.55 ID:uML4QxzU
>>93
神保はぼろぼろの状態で戦場を離脱してやっと助かって、秀頼に謁見して伊達の処罰を訴えたけど相手にならなくて、結局お情けの五千石加増で一万二千石の大名にしてもらっただけですまされちゃったんだよな。
で、そのことがずっと遺恨になってて、伊達騒動の時の上使には自分から志願して仙台まで城受け取りに行ったと。
費用全部持ち出しでとんでもない借金こさえたけど本人は満足だったらしい。
100人間七七四年:2012/08/03(金) 12:23:31.78 ID:7GC5h5Ax
秀頼は政宗と仲よかったからなぁ
懐柔のつもりか、ただ単に楽しみたかったのかは知らんが、毎晩のように秀頼招いて宴会やってたんだし。

その宴会ために莫大な借金こしらえて、政宗の死後、返済を請求された忠宗が「父個人の借金で当藩は無関係」って踏み倒したんだよな。
101人間七七四年:2012/08/03(金) 18:53:52.78 ID:6oBOWUca
忠宗?豊家から伊達宗家相続を認められ伊予に封ぜられた秀宗の
謀反人政宗は伊達家と一切関係なしという逆縁宣言と混同してないか?
102人間七七四年:2012/08/03(金) 19:16:16.32 ID:6Gx6cP8M
>>101
そういわないと伊達家断絶の危機だったしなぁ
実際には政宗・忠宗の助命嘆願に奔走した家族思いなのが秀宗公
103人間七七四年:2012/08/03(金) 23:17:48.73 ID:uML4QxzU
>>100
秀頼公を招いていたのはカムフラージュ。本当の目的は秀頼公の側近にいた前田利常と会うことだった。
利常は秀頼公の異母兄で、自分の息子を当主に立てて豊臣本家乗っ取りを企んでた。
政宗は利常の豊家乗っ取りに協力する見返りに秀宗を排除し、末子兵部の子忠宗を藩主にしようと陰謀を巡らせてた。
利常は最初から政宗をはめるつもりで接近したらしいけどな。
104人間七七四年:2012/08/03(金) 23:33:43.53 ID:uML4QxzU
>「父個人の借金で当藩は無関係」
言ったのは忠宗で合ってる。言ったのは伊達兵部家(政宗の養子になってたのが実家に戻された)として相模横浜十八万石(ただし実高は半分どころか1/3もない)に転封される前日。
踏み倒したんではなくて、もはや役に立たないノビスパンとの交易独占権を与えた。
ノビスパン陶器、トルコ石、オパール、香辛料なんかを安く買い叩いて高く売れるという、伊達家健在ならこれだけで十分借金のカタになる代物。

しかし商人ってのはすごいよな。
このあと62万石で仙台に入ってきた黒田長興にそのお墨付きを見せて結局特権を認めさせちゃったんだから。

105人間七七四年:2012/08/05(日) 03:59:18.70 ID:WKJY4+lR
そういや池田輝政はバリバリの東軍だったのに「家康の婿であるから舅を助けるのは当然」としてお咎めなし、本領安堵になってるね。
どんなコネを使ったんだろう。
106人間七七四年:2012/08/05(日) 09:04:01.07 ID:d5SzAVwQ
東軍で本領安堵されたのって黒田と池田だけだよね。
三成本陣をかすめて撤退した黒田の逃き口はみんなびびって追撃できなかったとか。ってか正面突破ぱねぇ。
107人間七七四年:2012/08/05(日) 13:41:12.72 ID:WKJY4+lR
>>106
黒田一成が大身の槍を振るって石田隊の前衛を退かせ、旗本隊が長政の子を守って通過、後藤基次が大音声を上げつつ向かってくる敵を次々文字通り叩き潰して殿を務めるくだりだな。
最後基次が撤退する時に三成に「我が黒田家の鉄砲隊はいかがでござったか」と聞いて三成が「卒の者多し、石の者を加えられよ」と丁寧に答えて返すところが実にいい。
108人間七七四年:2012/08/05(日) 14:24:57.91 ID:Rb3YVNDo
池田は南宮山の毛利や長宗我部が攻めかかってきた後、殿軍として見事な采配を見せて東西両軍から賞賛されてたからねぇ・・・
>>38で挙がってる山内一豊との対比もあって一層武名を高めた。

>家康の婿であるから舅を助けるのは当然
ってのは輝政や池田家の体面を慮っての建前で、福島正則とかの徹底抗戦論を抑えて大垣城を無血開城に導いたから。
109人間七七四年:2012/08/05(日) 14:36:35.18 ID:WKJY4+lR
長宗我部といえば、本戦での一斉突撃の時に仙石秀久をボコボコにしてるね。
陣を突き崩されて逃げる仙石に「またも逃げられるか仙石殿、此度は小倉への逃げ道はござらぬぞ!」って叫びながら追撃するところは凄まじい迫力だ。
信親について戸次川で戦った兵の生き残り「御渡河衆」の働きは「比類なし、前代未聞」とまで書かれるぐらい凄まじかったとか。
直接仙石に槍をつけたのも御渡河衆。

110人間七七四年:2012/08/05(日) 14:42:25.97 ID:WKJY4+lR
>大垣城を無血開城に導いた
一足先に逃げ出した家康の行方を問われて、どこまでも知らぬ存ぜぬで押し通したところも評価されてるね。
111人間七七四年:2012/08/06(月) 05:31:11.19 ID:9y2Z2MuC
>>108
織田秀信の岐阜城脱出を見逃したこともあるんじゃない?>輝政お咎めなしの理由

岐阜城が落ちた時、尾根伝いに逃げていく秀信と供周りの家臣の一行を輝政隊の物見が発見したけど、「あれしきの小勢何もできまい」「左衛門大夫殿の相手は治部でござろう」と追うのをやめさせている。
これもかなり効いてると思う。

112人間七七四年:2012/08/06(月) 19:49:37.44 ID:d8ec3x6v
そのせいで実は最初から巧妙に西軍の意を受けていたという説が絶えないのが池田
と言っても状況証拠しかなくて定説にはなりえず、上杉謙信女人説と同列だがね
113人間七七四年:2012/08/06(月) 23:12:38.19 ID:wlGL3Nsb
東軍勝ってれば京極ももう少し栄えてたのかな
太閤様に引き立てられた蛍大名なのに何故東軍についたのかも謎だが

大幅減封されながらも結局松の丸殿と初様のおかげで家残せたのに
余計に蛍蛍と揶揄された挙句にご乱心で取り潰しだしなあ・・・
114人間七七四年:2012/08/07(火) 00:35:52.58 ID:cKZNeDc5
伊達が直江の真似して伊達巻とかいう巻物に挑発書いて上杉に送った挙句に長谷堂で負けているんだよな
あのDQNは目立つことしか考えていないのかな。大幅減封された恨みを起爆剤に幕末に攘夷の中心となって明治維新を成し遂げたのも不思議だ。
115人間七七四年:2012/08/07(火) 00:55:02.97 ID:nKVZkX/K
>>113
多分かなり大事にされたんじゃない?
名族で優遇する価値はあるし、戦が強い家でもない。家康なら優遇して損はないと考えるだろう。
関東からも京からも遠い出雲隠岐あたりの故地を与えておけば土地の連中も喜んで従うだろうしいいことづくめ。
116人間七七四年:2012/08/07(火) 12:53:08.46 ID:nKVZkX/K
>>114
で、その伊達巻は戦後出家して秀忠の墓守になった榊原康政に添削されてボロカスに批判されたんだよな。
康政が添削した伊達巻の写しは現存し、原本共々重要文化財になってる。
保管してたのどこの博物館だっけ?
117人間七七四年:2012/08/08(水) 04:12:31.27 ID:zLcO/qS1
大谷吉継が丹後・若狭を加増で35万石ってのは多いの?少ないの?
118人間七七四年:2012/08/08(水) 04:27:19.83 ID:zLcO/qS1
>>113
まあ城を落とされて、一万石にまで減封されればストレスもたまるし誰でも乱心するだろ。
しかも改易・切腹を覚悟して腹を切る用意までしてたのに閨閥で助かったとあってはなおさらだ。

で、改易されてもそれで滅亡せずわずか数年でまたしても一族の娘を奥におさめて復活するのはさすが名族だわ。

話は変わるけど佐々木一族では朽木元綱が勢力を伸ばしたね。
嫡男が本家筋の高島氏の名跡を許されて京極と同格になったし、加増されて禄高も中堅大名と言えるレベルにまで上昇した。
119人間七七四年:2012/08/08(水) 07:34:53.09 ID:y3PimcEp
>>117
少なくはないけど、戦果に見あっているとは思えんな。
石田派が大きくなりすぎることを嫌った毛利や他の四奉行に抑えられたって説もあるけど、実際はどうなのやら。
120人間七七四年:2012/08/08(水) 13:15:10.14 ID:sOO53NxT
まあ大谷の場合は、「ライ病で殿の面目丸つぶれ」なんて丹後の領土の農民にまで言われて
嫌われているから、あまり大封も与えられないだろう。
この人、目立った悪政もないというか、むしろ善政を敷いていたた形跡があるのに可哀想だよね。

いっそ関ヶ原で西軍が破れ自刃でもしていたら、後世で義将とかもてはやされたのかも知れない。
121人間七七四年:2012/08/08(水) 13:47:15.88 ID:X4BTmBmu
東軍が勝ってたら悲劇の武将!大谷!みたいなお話とかできたろうに
病躯を押して不利な西軍の主将として活躍!
激戦の末壮絶な討ち死にみたいなシナリオありそう。
目が見えないから側近に手紙よんでもらったりしたりして
お涙頂戴の臭いドラマとか作れそうw

勝ったから単に普通の病気の人みたいになってしまったな
やっぱ判官びいきの日本人にはあわんな
122人間七七四年:2012/08/08(水) 19:09:17.60 ID:7TV831EW
結局、秀頼の極官って何だった?
太政大臣だったかな?
123人間七七四年:2012/08/08(水) 19:28:19.29 ID:+c/7FAsP
太政大臣は名誉職みたいなもんだし関白かな
どっちにしてもすぐに辞職してほとんどの期間は太閤様で過ごしたしあまり京都に居つかずに
大阪で武家政権として君臨してたしな
124人間七七四年:2012/08/08(水) 21:03:02.21 ID:bbVK63bL
秀頼は徳川成敗の際に征夷大将軍に任じられたのに
幕府開かずに長男秀光を関白に、庶子頼忠を将軍に推任して、太閤が文武両官に君臨する態勢を確立したからなぁ
太閤は関白譲位者の称号で官職としては令外官の内覧でしかないけど
内覧じゃ有り難み無い感じで、権威としての太閤で位人身を極めたと言っていいんじゃないかな
しかし鎌倉幕府から始まった征夷大将軍も大阪時代からは
播磨尾張長浜の三公方の持ち回りになって価値さがっちゃたよな
もし東軍が勝ってたら徳川の江戸幕府とかになってたのかな
125人間七七四年:2012/08/08(水) 21:28:22.26 ID:+c/7FAsP
ああ江戸かあ
さすがに大都市にはなれないだろうけど鎌倉みたいな渋い古都になっていたかもな
126人間七七四年:2012/08/09(木) 01:45:57.43 ID:ihk7L3eZ
>>120
その歌は領民ではなく、不都合あって(特権を取り上げられた)大谷家を逐電した新規召し抱えの家臣が歌ったもの。
そいつは京に出て千人切りをやらかして逃げ回ったもんで、大谷家の総力を挙げて追捕、磔にされた。
追跡には村人多数も手弁当で参加。吉継が嫌われてたなんてとんでもない。地元じゃ名君の第一に挙げられてる。
領民の誰かがもしこの歌を歌ってたら村人総出で叩き殺されるよ。

>あまり大封も与えられないだろう
奉行衆の中では三成の52万石に次いで多いわけだが…。
しかも丹後・若狭、越前いずれも港からの上りがあるから実際には表高より収入は多いぞ。

>>122
>>123
従一位関白太政大臣。1615年就任、1618年辞職な。すぐに辞職したのは太閤に大御所と同等の政治権力を付与するため。
あと称号として豊氏長者も忘れないでおきたい。
127人間七七四年:2012/08/09(木) 02:05:38.24 ID:ihk7L3eZ
>>124
播磨・近江・尾張は三執事だろ。播磨が池田、近江が石田、尾張に浅野。
将軍にはならんぞ。
将軍は三人じゃなくて五人。征討大将軍、征夷大将軍、輔国将軍、鎮国将軍、鎮守府将軍な。
征討大将軍が最高位で豊臣の嫡男か親王がなる。征夷大将軍は羽柴秀康の系統が世襲。鎮国将軍は宇喜多(児島)の、輔国将軍は前田の世襲。
鎮守府将軍は札幌神指の上杉と仙台時代の伊達。

確かに征夷大将軍の価値下がってる罠。

>>125
江戸は徳川の遺臣が一揆を起こすと大変だからと秀康の五男の直基が結城直基として42万石で入れられたんだっけ。
最初は江戸城代で、代替わりの時に正式に領地として拝領して42万石。









128人間七七四年:2012/08/09(木) 10:51:25.10 ID:Jnst0NbO
よく勉強しているな。
征討大将軍のみが軍権を握っていて征夷大将軍以下は名ばかりの名誉みたいな物だが。
実際、大阪末期の異国が来襲の時、諸将軍は何の役にも立たなかった。
秀頼は大阪政権に権力集中し過ぎちゃったね。
129人間七七四年:2012/08/09(木) 18:24:04.39 ID:i0OIlBzA
松野重元が地味に大名になってるのな。無骨者な感じがして好きだな。
この人。長生きしたし。
130人間七七四年:2012/08/09(木) 19:54:31.43 ID:k+xko1JI
そら年とっても主君相手にどんどん諫言する硬骨漢
でも豊家に対しての忠誠も本物
弓の名手で若手の信望を集めた人だからな
あの人の日記は武家の見本として俺らのじいさんくらいの時代の軍人はみんな読んでたそうな
131人間七七四年:2012/08/09(木) 23:24:55.29 ID:qEgmNYir
森忠政は関が原前に豊臣家に言いたい放題言って徳川についたの後悔しきれないよね
関が原までは行かなかったんだからあの憎まれ口が無ければ言い訳の仕様もあったろうに
132人間七七四年:2012/08/10(金) 01:03:21.11 ID:5vo0xPeC
>>128
ロシア対策で任命された上杉の鎮守府将軍を除けば、あとの将軍は支那対策(びびらせて襲って来れないようにするための称号)だから。
秀康の家の征夷大将軍は徳川遺臣の慰撫策でもある。だから征夷大将軍になる時は豊臣姓から源姓に一時改姓して任命される。
ちなみに常設の将軍はこの五人だが、支那の勢力が強くなると追加で鎮軍将軍が任命される。
任命されるのはだいたい立花・小早川。あと当主が秀元系の場合に限って毛利、同じく義弘系が当主の場合に限って島津も任じられる。

時代が下がると仙台の黒田(長興以降)、江戸の結城松平ら東国大名がアメリカ対策として提督の称号を与えられてこれに並ぶ。
で東国雄藩による維新への布石となるわけだが、これを語るのは脱線し過ぎだな。
133人間七七四年:2012/08/10(金) 01:41:59.96 ID:5vo0xPeC
>>130
重元の日記というと『松野物語』だな。
今でも士官学校の教科書に採用されてるぞ。
在日米軍初代総司令官ダグラス・マッカーサーも写本を持ち帰り、英訳されてウエストポイントでも使われてる。

>>131
まず秀吉在世中の7万石に戻された上で大阪屋敷で二年間謹慎させられ、それから改易、斬罪だからな。
しかも加増転封になった際に譲渡された蔵米の返納まで命じられてすっからかん。

小牧長久手での長可の討ち死に、忠誠心を考慮してほしいと一族が嘆願して、嫡子重政の助命だけは認められたけど、直参としての出仕は叶わず織田秀信に引き取られた。



134人間七七四年:2012/08/10(金) 02:15:12.75 ID:5vo0xPeC
>>106
>>107
>黒田の逃き口
このとき生き残った名のある侍二十四人が黒田二十四騎だっけ?違った?

>黒田一成が大身の槍を振るって石田隊の前衛を退かせ、旗本隊が長政の子を守って通過、後藤基次が大音声を上げつつ向かってくる敵を次々文字通り叩き潰して殿を務める
基次は立花宗茂の弟の高橋直次を討ち取り、一成は宗茂と槍を交えて長政の遺体を奪い返す功績を立てている。
135人間七七四年:2012/08/10(金) 15:58:32.20 ID:OQ3zvEtU
教科書通りの史実を話したってしょうがないだろ。
そろそろもし東軍が勝ったらって話しようぜ。

仮に東軍が勝っても徳川家は取り潰されただろうな。
家康は高齢だし秀頼成人前に病没するはず。
鎌倉辺りに幕府を開くとか予測があったが豊臣家の筆頭大老で終わるだろうね。

三成を滅ぼせても秀頼に刃を向けたらそれこそ福島、加藤、黒田、細川など豊臣恩顧の大名にフルボッコにされるだろうね。
136人間七七四年:2012/08/10(金) 15:59:01.84 ID:5vo0xPeC
>>129
田丸忠昌も忘れないでほしい。
小山評定で唯一西軍につくと言いきって帰国。
戦闘でも敢闘して秀頼直々に功を激賞された。
この人は男だよ。
137人間七七四年:2012/08/10(金) 16:24:30.82 ID:FYozV8V5
>>135
とりつぶしはないだろ

多分鎌倉公方のような地方政権みたくなってたと思う

上杉の謀反は本物だから改易されて伊達、最上あたりがほとんど分割して大大名。
そしてあの伊達の謀反監視役になってたんじゃ?
家康って生前は律義者で有名だったし豊家には逆らわなかっただろう

毛利は安国寺改易くらいかな?戦争にまけてもあの大国を解体するの無理だしw
138人間七七四年:2012/08/10(金) 19:43:36.80 ID:7EKK7zbR
どだい糞もらし徳川が勝つという妄想に無理がある
139人間七七四年:2012/08/10(金) 21:06:00.22 ID:T3vWHxFE
 西軍の中心になった石田三成には大きな謎があるんだよな。
徳川との関係
秀吉の死去を奉行間の取り決めを無視して誰より早く家康に知らせたのは
三成。
三成が七将に襲われたとき三成を助けたのが家康。
前田利長の家康暗殺を阻止しようと影から働きかけたという噂もあるな。

家康の息子秀康は三成からもらった剣を家宝にして「英雄から賜った」
とか松平の守護神だとか言ってたのは有名
あと秀頼の次男になる庶子頼忠は、三成の養女としか記述されてないが
家康の孫娘千姫だったという書簡が近年発見されてるよな。
なんで家康の孫娘を三成が養女にしてたのか?。
 秀忠の長男といわれる石田家臣の光家は石田姓を賜って三の文字を与えられ
三家という名になるとこだったという逸話もある。
自ら辞退して光の文字に変えたというし・・
同じく秀忠の次男とされる頼長は豊臣家に召しだされて大名に出世してる。
そういや松平忠輝を助命嘆願して、後に秀頼の傍において大名復帰の
きっかけまで作ってやってる。
関が原前から続く石田と徳川の関係は、なにげにミステリーな感じがする
んだよな。
140人間七七四年:2012/08/10(金) 23:51:43.36 ID:GxdbaKf4
>>138
言えてるw
だいたい関ヶ原の布陣図みたら家康が勝つのはあり得ないって素人でもわかるからな。
まあ仮想戦記的には美味しいネタなんだろうが…


それにしても秀忠に預けた主力を待って決戦に持ち込めばよかったものを、何を血迷って関ヶ原に飛び込んだのやら…そんなに吉川や小早川が味方に着くって確信があったのかね?
141人間七七四年:2012/08/11(土) 00:27:16.31 ID:RT4leW70
>>135
>徳川家は取り潰された
いや、取り潰しまではいかないだろう。
毛利・島津といった西国大名を解体するにはさすがの徳川でも相当の流血を避けられない。
毛利に対する処分は>>137も書いてるが、安国寺を改易・流罪、やったとして輝元の隠居がせいぜいだろう。
東北の動乱を防ぐためにも上杉の知行は半分以下には減らせない。
そうなると家康が死んだ時点で豊臣家に政権が戻ってくるのは明らか。
報復として「家康だから預けていた分150万石」を減らされて毛利・上杉と同格に落ちついたんじゃないかな。
秀忠は豊臣の一族同然、取り潰す理由はないし北条旧臣や風魔忍軍、武田旧臣といった連中を押さえておくには徳川の力は有効だし。
142人間七七四年:2012/08/11(土) 00:36:50.45 ID:RT4leW70
>>140
暗殺されかかった怒りで判断力が鈍ってたんじゃない?
小牧・長久手の池田恒興と一緒で。
143人間七七四年:2012/08/11(土) 00:47:36.13 ID:RT4leW70
ところで江戸に幕府云々と言ってる奴は江戸の水事情の悪さを知っているのだろうか?
結城松平氏が江戸城代で入部した当初は家康が作った水道もみんな壊されてたからろくな水がなくて、都市開発も全然進まなかった。
特に海に近いあたりはほとんど放置。
直基は「禄高は一万石でもよいから、まともな水が出る土地に領地がえしてもらえるよう頼んでほしい」って秀康や淀の方に泣きついている。
明治時代になってからも技術官僚たちが水道建設にさんざん苦労した。
とても政治の中心にはなりえねえよ。
人が住めないんだから。

144人間七七四年:2012/08/11(土) 07:40:50.99 ID:K7eKXR/R
九鬼の親父もすげえよな。守隆の助命に動こうと思えばできたろうに「孫次郎の代わりは数あれど、志摩を得るに今をおいてなし」で守隆完全見殺しだもんな

で戦後生まれた娘に「四万(しま)」と名付けるとか、アンタさすがやでぇ…

ここまで冷血ぶり発揮したのは実は守隆は嘉隆の種ではなく澄隆の実子だったんじゃないか?とする説があるけどどうなんかね
145人間七七四年:2012/08/11(土) 08:12:34.83 ID:/O07kDNa
>>143
うんうん、ないない。
仮に家康が幕府開くなら鎌倉だろうね。
まあ関ヶ原で勝った勢いで大阪攻めても寝返った豊臣恩顧大名と秀頼七手組、立花勢などに袋だたきだろうね。
146人間七七四年:2012/08/11(土) 09:16:04.03 ID:Yv5tGpoE
旧領取り返して岡崎幕府とかかもなwww

でもドイツ軍人にゲラゲラ笑われた関ヶ原の布陣じゃなぁ
147人間七七四年:2012/08/11(土) 10:22:15.85 ID:K7eKXR/R
>>146

>ドイツ軍人にゲラゲラと

ん?ドイツ軍人?何の話?関ヶ原の布陣見て笑ったのはクロパトキンでロシア帝国軍人だろ。

「なんですか、この布陣は。まるで撤退戦前提じゃないですか。迂回包囲殲滅を恐れて逃げ支度とか、噂にきいたサムライの武勇も大したことないですね」

って言われた話っしょ?
148人間七七四年:2012/08/11(土) 11:00:22.89 ID:cCRApawc
>>145
そういや幕府ひらいたら関白の権威と征夷大将軍の権威であらそうことになるのか

南北朝以来のグダグダが続いた可能性あるな
まあ講談のネタはふえただろうが寿司とか天ぷらの大阪庶民文化は生まれなかったかも知れんな・・
149人間七七四年:2012/08/11(土) 12:28:52.15 ID:/O07kDNa
>>148
南北朝、もしくは西と東で源平の対立みたいになっちゃうかもね。
でも仮に関ヶ原で勝つことが出来ても幕府を征夷大将軍に任免されるなんてないないww
150人間七七四年:2012/08/11(土) 12:37:45.21 ID:/O07kDNa
>>146
岡崎幕府、浜松幕府とか有り得るだろうね。
江戸は論外、駿府幕府なんて説があるがイジメられた人質暮らしの思い出の地で幕府開くとか有り得ないと思うな。

まぁ、仮に幕府開いても秀頼健在なんだからどこの大名も徳川家なんかに従わないっしょww

征夷大将軍の権威で大阪征伐なんて言い出したら全国の大名敵に回しちゃうよね。
151人間七七四年:2012/08/11(土) 13:33:42.34 ID:cCRApawc
>>149
えーでも諸侯筆頭だし
戦前の無法ぶりからいって禁止されてた新たな知行割りとかしそうじゃね?

まあ家康の性格からいって東国を味方で固めるのがせいぜいで西国の大大名には手出せないだろうけどw
152人間七七四年:2012/08/11(土) 13:39:40.57 ID:5DXJXLFz
小田原幕府は?

再建すれば固さだけなら天下の府城に相応しいだろ。
駿河を直轄地にして駿府で時間稼いでる間に、箱根の険や韮山城あたりで軍備を固めれば、北条時代の懸案だった西側からの守りも問題ない。
秀吉みたいに圧倒的物量で押してくる相手じゃなきゃ楽勝で防げるだろ。


まあそれ以前に関ヶ原でどうやって勝つかが一番の問題なんだが…
153人間七七四年:2012/08/11(土) 14:57:03.81 ID:/O07kDNa
>>152
小田原があったかw
それで間違いなさそうだな。
そうすると>>151が言うように後北条氏みたいに地方軍閥には成り得たかも知れないね。
でも仮に関ヶ原で勝って東国に政権作っても家康の歳じゃあと数年の命っしょ?日頃気をつけてる癖に案外食当たりとかツマラナイことでコロッと逝くかもよwさすがにそれはないかwww

グズの秀忠じゃやっぱり史実通り大幅減封の移封でしょww
秀頼は英邁な君主だし秀忠じゃ太刀打ちできないっしょ。

154人間七七四年:2012/08/11(土) 17:24:49.13 ID:pOR5jY53
まあでも徳川家が少し粘ったところでな・・・
「豊臣に暗君なし」は鉄板だから結局いつかは呑み込まれてしまうだけだ
155人間七七四年:2012/08/11(土) 19:24:27.62 ID:Yv5tGpoE
養子に出した羽柴秀康を戻して家督与えても浮田以上に秀頼の藩塀になるだけだな
上田で脱糞の秀忠みたいな暗愚が徳川継いでも家臣団が四分五裂するだけだし
それに妹思いの淀政所のおかげで助命された秀忠のことだから
結局、江経由で豊臣の傀儡だろう
156人間七七四年:2012/08/11(土) 20:00:50.91 ID:N6u/8JZd
そこで忠吉か忠輝ですよ。
忠吉なら羽柴秀康に劣らない英邁な武将だったみたいだし。直政なら舅の立場利用して徳川家を牛耳るような真似はしないだろう。
忠輝は舅が危険すぎるが、上杉を潰して後顧の憂いを無くす為の布石だと考えれば・・・
157人間七七四年:2012/08/11(土) 21:20:43.15 ID:q4QyVjJ7
秀忠昔は「蛍大名」とか言われて散々な評価だったけど
最近再評価されてるじゃん。
戦にはたしかに弱いけど幹部がほとんど戦死し、半分崩壊状態の家臣団をなんとかまとめ
奥さんのつてを最大限利用して、大名として生き残ったサバイバル能力は評価できる
上にはへつらう一方で家内の引き締め、粛清がひどかったのも不人気の理由だろうけど
158人間七七四年:2012/08/11(土) 21:29:11.20 ID:pOR5jY53
秀忠は穏和な顔して突如牙をむくという感じだよな
徳川が天下取っていたら意外と良い2代目になってたんじゃないか?
159人間七七四年:2012/08/11(土) 21:53:19.37 ID:RT4leW70
>>146
あれは秀忠軍の到着によって厚みを増して中央突破を図る陣形だからな。
秀忠が到着できなかった時点で大将首狙いのバクチに討って出るしかなくなった。

秀忠が信濃の川で三万の兵を失い溺れ死んだ時点で勝敗は決まっている。

>>155
淀の方が助命したのは本戦で宇喜多隊の捕虜になった松平忠吉な。
160人間七七四年:2012/08/11(土) 22:04:01.90 ID:RT4leW70
おっと途中送信してしまった。
で、忠吉は未亡人になった江と結婚させられ60万石で江戸城主になった。
このとき江戸中納言の爵位を継いでて、文書にもほとんどそれで出てくるから秀忠と誤認されるが、関ヶ原後の江戸中納言、徳川家当主は忠吉だぞ。
24年後に江戸の陣を起こすのも。

>上にはへつらう一方で家内の引き締め、粛清がひどかった
やったのはほとんど井伊直継。
戦死した直政や弟の直孝と違って陰湿残忍だった。
気に入らない家臣を「自分の子供がかわいいと思えない」と言う発言だけで切腹させたりしている。

ま、忠吉もいきなり小姓を手打ちにしたりしてるが言われてるほどじゃない。


161人間七七四年:2012/08/11(土) 22:32:22.46 ID:1EiZXOaA
もし仮に徳川政権が誕生してたら3代目の後継争いが恐ろしいことになりそうだなw
養子に出てた秀康が帰ってくるってだけでも怖すぎるw
秀康の子忠直と秀忠の竹千代、国千代兄弟、それに忠吉、忠輝も黙ってないだろうしちょっと予想がつかん
でも天下とって史実よりもさらにスケールアップした徳川家の内紛も見てみたいかもww
162人間七七四年:2012/08/11(土) 22:36:09.00 ID:RT4leW70
>>161
意表を突いて家康の一言で武田信吉に決定とかしたら…やっぱり血を見るか。
163人間七七四年:2012/08/12(日) 13:50:05.69 ID:eDjil/Id
徳川政権になったら家康側近の誰が最終的に生き残って誰が権力を握るのかも興味があるね。
本多正純はまだ若すぎるから論外として、大久保一族か酒井一族か。
それとも井伊直政か。

豊臣時代は奉行衆から頭一つ抜け出した石田と池田が三執事として最高権力を握ったわけだが。
164人間七七四年:2012/08/12(日) 14:10:12.76 ID:uwa9XbL/
質問良いかな?山名豊国が何であんなに優遇されて一国も与えられてるの?
家柄? 関ヶ原は東軍だったのに。謎すぎる。教えて下さい。
165人間七七四年:2012/08/12(日) 17:06:55.58 ID:yWczWzp7
スパイだったんでしょ?
166人間七七四年:2012/08/12(日) 21:37:58.76 ID:0UOQWhrF
東軍勝っていたら、真田昌幸は大変な事になってただろうな。秀忠支隊食い止めたのが西軍勝利への貢献大だから、
ありえんが家康本隊だけ勝ってたら、信繁共々どうやっても死罪は免れん。
なんぼ信之が忠勝の娘婿でも無理。
167人間七七四年:2012/08/13(月) 00:23:32.56 ID:x+4v6ZhC
>>164
同じ新田氏の名族で徳川家より家格が上だから。
山名氏は新田義重の三男の子孫、徳川氏は四男の子孫。
ゆえに山名を優遇しておけば徳川が謀反を起こして将軍になろうとしても家祖の兄弟順に由来する新田氏内部の序列が下位であることを却下できる。
だから因幡「守護」として、特に守護の名乗りも許されて優遇された。

さらに安全装置として元・但馬守護の山名宗家も身分上優遇され、因幡守護家が謀反を起こしても大丈夫なようになっている。
168人間七七四年:2012/08/13(月) 00:25:32.68 ID:sl+ymtUk
南軍は誰ですか?
169人間七七四年:2012/08/13(月) 00:40:58.64 ID:x+4v6ZhC
脱字:新田氏内部の序列が下位であることを
補完:新田氏内部の序列が下位であることを理由に

徳川屋敷からサイバー攻撃した抜け忍乙。

ちなみに羽柴秀康や生き残った江戸中納言家の謀反に対しても同様の安全策が取られてて、織田秀信の長男秀朝が信康の孫娘の娘と結婚させられ、徳川宗家の家督を継いで作州津山ほかで3万石をもらってる。
代々岡崎三郎の名前と武蔵大納言の爵位を継いで正三位に上り、秀康流の従三位、江戸中納言家諸流の従四位下より上。
もし秀康流や江戸中納言家の誰かが徳川宗家を名乗って謀反しても、それにダメ出しできる&その頭を押さえられる。

170人間七七四年:2012/08/13(月) 12:12:10.72 ID:TjwFobTh
なんか、話を膨らまさずに
それは違うこうだ!って息巻く奴がまざっててうざいな
171人間七七四年:2012/08/13(月) 22:05:30.10 ID:x+4v6ZhC
>>170
まあ夏休みだからな。
期末テストが終わったばかりの中学生が混じってるんだろ。
そうでなきゃどっかの大名屋敷から書きこんでる奴だ。
今年は四年に一度の正史の改訂年だからな。
みんな自分の家に都合のいい歴史を広めたいのさ。
グレーゾーンの部分を有利な記述にするために。
気にしたら負けだ。

ところで実際、>>161をどう思う?
俺は秀康が勝つと見てるね。そうでなきゃ、忠輝だろう。
他の連中とは味方にできる勢力が違い過ぎる。




172人間七七四年:2012/08/14(火) 06:55:32.57 ID:43WYWSVK
>>166
多分ものすごい殺され方すると思う。
市中引き回しの上打ち首とか、はりつけとか。

下手をすると信之や信尹も危ないんじゃない?
信之が秀忠軍についたこと自体秀忠足止めのための偽降って説もあるくらいだから。
173人間七七四年:2012/08/14(火) 07:30:27.44 ID:QoHnq8Qd
しかし秀康はなあ・・・関が原以降徳川どころか松平も結城も名乗りに使わずに公私共に生涯羽柴秀康で通した男だぞ
それも処世術ではなく嬉々として
父親は先の太閤様と養父の結城晴朝の二人とか堂々と言っちゃうし
皆から敬愛された好漢なのに実父にだけ冷たいよな

徳川の後継争いなんか自分から降りちゃわね?
174人間七七四年:2012/08/14(火) 08:04:50.99 ID:43WYWSVK
>>173
ありうるとすれば、他の兄弟や甥っ子たちに任せた場合秀頼を滅ぼしかねんと判断した場合だろうね。
その場合でも用が済めばすぐ返上すると思う。
175人間七七四年:2012/08/14(火) 14:58:09.01 ID:qpuLEr9J
>>173
そりゃ親父に冷遇されたからだろ
秀康が家康後継争いに介入するとしたら
全力で徳川抑えて秀頼に臣従させるためかな
太閤殿下養子大名や子飼いが支援するだろうから勝負にならんわ
176人間七七四年:2012/08/14(火) 20:39:35.09 ID:Ib2dEjUM
>>172
家康の執念深さと残虐性を見抜いていたからこそ
三成は「奴は豊臣家を潰しにくる」と諸大名に決起を呼び掛けまとめ挙げたわけだ。
スレタイに沿えば三成も負けてたら今の家康並みにボロカスに貶されてただろうなあ。
忍城攻めの話が家康の三方ヶ原並みの大失態に脚色されてただろうよ。
177人間七七四年:2012/08/14(火) 21:15:46.95 ID:aDrzN73e
その辺の捏造はありそうだな
三成が陰険な策謀家で幼い君主を操って成り代わろうとしたとか
淀君狙ってたとかあることないこと書かれそうだわw
178人間七七四年:2012/08/14(火) 21:36:51.62 ID:QoHnq8Qd
はあ?秀頼元服後すぐに髪下ろして北政所と秀吉の菩提弔った淀君がそんなことするわけないだろ?
北政所と淀君がいがみあったとか捏造されそうで怖いわ
179人間七七四年:2012/08/14(火) 21:52:29.87 ID:43WYWSVK
>>168
もしかして大和郡山城攻防戦でちょっとだけ出てきた後南朝軍と十津川郷士のこと言ってる?

>>177
秀頼自体三成の子であるとか、気に入らない武将を毒殺したとか。
糞もらしの家康の事だからクソにまつわる逸話もいれてくると思うぞ。
負けて逃げる途中で下痢になったとか…。

180人間七七四年:2012/08/14(火) 22:00:34.03 ID:43WYWSVK
>皆から敬愛された好漢なのに実父にだけ冷たいよな
その分は結城松平の創始者にさせられた直基が穴埋めしてる。
「徳川ゆかりの地を拝領したからには、家康こそ我が父」と言い切った。
で、飛び地の日光に表向きは別の神ということにしてこっそり家康を祀る社を建てた。
さすが秀康の子だよ。
181人間七七四年:2012/08/15(水) 03:04:10.04 ID:SG2lpZUz
>>178
ありもしない家臣団の派閥争いとかも創作されそうだ。
尾張派対近江派とか。
182人間七七四年:2012/08/15(水) 10:56:00.67 ID:BY1UbRSI
>>181
そんなんでいがみ合ってたら
播磨平定からの対毛利戦成り立たんだろ
それに長浜以後の
黒官や浮田や小早川どうなるんだ
尾張系・近江系・西国系の三国志でもやるつもりか
183人間七七四年:2012/08/15(水) 14:19:57.00 ID:wNTvyg8p
ただ西軍が勝ったおかげで三成が歴史書き換えてるかもだぜw
勝者によって歴史は描かれるからな
184人間七七四年:2012/08/15(水) 17:43:13.24 ID:BY1UbRSI
>>183
関東甲信駿遠三に残る徳川の悪政も作られたものかもな
小身の真田に二度、いや関ヶ原の秀忠と江戸の陣いれたら4度も突き崩されたとか
常識的にありえんし
三方原以降糞もらしすぎだし
今川に人質だされるときに攫われたり天ぷらくって死んだとか無茶苦茶すぎる
漫画なら編集者に破られるレベル
185人間七七四年:2012/08/15(水) 20:16:47.97 ID:siQbaXIT
家康はいい年こいて爪を噛むのが癖だったとかいうのは
絶対、豊臣史観のプロパガンダだと思う。
186人間七七四年:2012/08/16(木) 03:40:38.99 ID:K6tqoFwy
>>182
戦いが進むほどに内紛が増えていく。
ありえねー。

>>184
関東入国の時草木にいたるまでことごとく検地して石高を水増ししたとか、家臣が足りず足軽小者まで侍に取り立てて連れて行ったらこのにわか侍が悪さばかりして北条旧臣が一揆を起こしたとか。
このへん創作臭い。
187人間七七四年:2012/08/17(金) 03:11:29.36 ID:xYyfy1oQ
あれ?関ヶ原って東軍が勝ったんじゃ?
188人間七七四年:2012/08/17(金) 04:34:43.98 ID:SfxHIfv/
>>187
徳川屋敷から書き込み乙。
伊賀者も大変だな。
189人間七七四年:2012/08/17(金) 06:41:35.52 ID:czqursra
靖国では英霊が日本の為に戦ったというけど、何が日本の為、アジアの為だったのか見直さないといけない。
日本はNarutoのペインみたいなもの。次の未来の礎になった。
http://www.youtube.com/watch?v=7QQzmAQ7wEc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=rjthSfB1RF4
190人間七七四年:2012/08/17(金) 09:31:43.42 ID:Ud34r+3i
豊臣史観のプロバガンダを念頭に置いて考えると家康がドケチだったって話も、質実剛健を悪い方に誇張したとも考えられるな。
まあ信長同様ネーミングセンスが残念なのはガチだろうがw
191人間七七四年:2012/08/17(金) 14:22:26.34 ID:6gSCaDx6
>>181
それでも福島が東軍に付いたって事は
近江の三成と仲良くは無かったって事だろ

あれ?こいつ中立だったっけ?西軍?
192人間七七四年:2012/08/17(金) 16:45:51.76 ID:SfxHIfv/
>>191
東軍。
福島は三成と「だけ」は仲が悪かった。
これは派閥云々より性格の不一致のせい。

てか福島短気すぎ。




193人間七七四年:2012/08/17(金) 18:08:00.03 ID:9bdMLaDI
受験勉強で夏休みも満喫できず、2ちゃんに逃亡中なのだが、
俺はぜひ東軍に勝ってほしかった。
だって家康って、実子の秀康にすら「徳川」姓を与えなかったんだろ?
秀頼ってば天皇からもらった豊臣姓と、神太閤が造った羽柴姓をばら撒きすぎ。

「豊臣(石田)」「豊臣(大野)」「豊臣(前田)」「豊臣(毛利)」「豊臣(上杉)」「豊臣(宇喜多)」「豊臣(小西)」…
「羽柴(細川)」「羽柴(増田)」「羽柴(伊達)」「羽柴(加藤)」「羽柴(福島)」「羽柴(堀)」「羽柴(丹羽)」…
「木下(徳川)」「木下(大友)」「木下(大谷)」「木下(黒田)」「木下(織田)」「木下(森)」…
正直、覚えきれんよ。
194人間七七四年:2012/08/17(金) 18:35:20.49 ID:SfxHIfv/
>>193
東軍が勝ったら松平姓がばらまかれるだけだと思われw
で、識別できないから領地+爵位で呼ぶ。
下手するとさらにややこしいw

ところでその一覧、
「豊臣(羽柴秀康流)」
「豊臣(真田信繁流)」
「豊臣(大谷本家)」
「豊臣(毛利秀元流)」
「豊臣(小早川)」
「豊臣(立花)」
「豊臣(島津維新流)」

「羽柴(結城松平)」
「羽柴(徳川本家、信康の孫娘の血筋の本家)」
「羽柴(黒田、長政の異母弟の家系)」

このへんが抜けてるぞw
福島は正之系、木下(徳川)は石田家臣の徳川(松平説あり)光家の系統だな。

195人間七七四年:2012/08/17(金) 18:43:50.18 ID:SfxHIfv/
で、大垣落城の際に逃亡してその後ずっと行方不明の藤堂高虎のことは誰も語らないんでしょうか。
196人間七七四年:2012/08/18(土) 03:00:37.73 ID:Y8EsMM0x
>>192
いやいや、正則はじめ七将は家康に口先で踊らされただけのただの小物でしょ。
七将襲撃事件も家康がけしかけた自作自演だったじゃないか。
197人間七七四年:2012/08/18(土) 05:34:02.00 ID:z2Ehzc3G
>>196
コイツ・・・痛すぎる奴だな
もはや苦笑いするほかはない!w
>七将襲撃も家康がけしかけた自作自演 (爆笑)

まぁ今日は禿鼠秀吉の命日なのでお経百万遍でも唱えてあげなさいwww
198人間七七四年:2012/08/18(土) 10:37:11.29 ID:1lnIkmvX
江戸の陣以降、徳川の姓を公称する事がなくなってからの羽柴松平と木下松平の数は尋常じゃないから更にややこしい
豊家への貢献や官位石高の格では秀康流が第一等だけど
宗家襲名どころか松平のまの字も拒否する徹底ぶり
御奉行もあえて宗家の指名せずに徳川弱体策にその他の親族が1万〜5万国ぐらいで日本中にばらまいたし
太閤天神さんの御子孫より親藩多くて総石高も太閤直轄地より高いわどっちが勝ち組やて大阪商人がネタにしてたという文献もある
実高低いとこばっかで見栄だけ張ろうとして、更に自称本家宗家嫡流長者おおすぎて秀康が晩年に江戸の陣の時に密かに行った助命工作を悔いたとか
199人間七七四年:2012/08/18(土) 15:53:42.54 ID:UJU+FIey
>>198
結城松平を除くと羽柴松平の筆頭は征西将軍の忠輝流で26万石、その次は美濃高須と伊予西条(どっちも家康が高野山で儲けた庶子の流れ)の6万石。
ほか3万石、1万石級が20家以上。
木下松平は万石以下に多いね。

>宗家指名
一応信康の孫娘の家を官位上優遇してるけど、明確に宗家とは言ってないからね。
結城松平や忠輝流が官位で越したこともあるし。
200人間七七四年:2012/08/18(土) 19:39:52.82 ID:0UeXl6KQ
>>167

それは同じ新田氏内では納得で、正直多分その理由による厚遇だとは思うけれど、
源氏という血流から見れば佐竹っつう大物がいるっしょ。


藤堂さんについて言えば秀長に仕えてた時が一番幸せだったよねぇ…。結局、渡辺勘兵衛の口利きで増田家に2000石の捨扶持もらうんだが
201人間七七四年:2012/08/19(日) 15:48:33.33 ID:eMHd7A+b
>>198
忠輝というとインド洋艦隊司令官の忠輝だな。
木下松平は家康の直系以外が多いな。
十四松平だった?
家康の系統と豊田松平以外の三河の松平連中はほとんど木下松平になってるな。

>>200
子孫は建築家として直参に返り咲いたものの、知行は五千石止まりだったし、ほんと秀長時代が一番輝いてたよな、藤堂さん。



202人間七七四年:2012/08/19(日) 18:26:21.94 ID:0qT80MpX
地味な話だが、利休も関ヶ原のせいでワリ食った可能性あるよな。

生前犬猿の仲だった三成が政権中枢に長くいたせいで、利休流の茶はすっかり「なかった」ことに。

今現在も織部流、裏織部流、小堀流の三強だもんなー。千家流とか超マイナー過ぎて……。

関ヶ原で家康が勝ってればいまごろ千家流の天下だったろうに!

マイナー家元に習った者の負け犬の叫びw
203人間七七四年:2012/08/19(日) 20:41:04.01 ID:M56Mn1U3
まあ松平はどの家も豊臣家に忠実だったから良いんじゃないの
豊臣家が大政奉還した後も一緒に大財閥作ったりしてるんだし
204人間七七四年:2012/08/20(月) 00:14:13.91 ID:7+apmXeU
>>202
太閤様御家流も忘れちゃいけない。
黄金の茶室でたてる「ばさらの茶」は西洋人にも人気だ。

ところで利休流は海外では人気だよな。
清の順治帝や擁正帝は利休流の茶を学んで高弟に名を連ねているし、オスマン・トルコのスルタンの宮廷にもお抱え茶人として利休の子孫がいた。
イエズス会宣教師の中にも利休流の門人をキリシタンにして連れて帰り、バチカンに紹介した奴がいる。
一番人気があるのはフランスでだ。
ナポレオンの宮廷にも侘び茶様式の茶室があるし、怪盗ルパンにも茶の名人だという設定がある。
日本国内では>>202の言ってる通り全く人気がないがな…。

205人間七七四年:2012/08/20(月) 00:33:09.74 ID:7+apmXeU
>>203
豊国財閥初期の地味な中堅幹部には三河の松平者が多いよね。

長宗我部家臣の才谷梅太郎が興した才谷財閥にも松平の人間が地味な裏方仕事で活躍してるし。
206人間七七四年:2012/08/20(月) 12:31:23.42 ID:W5gezBDk
>>204

キリシタンに伝わった利休流というのは高山右近が伝えたやつで利休式右近流てやつだな。台子手前を奥義秘伝とするのと、椅子が前提な作法なので利休流とは似ても似つかぬものなんだが

清に伝わったとされるのは利休の高弟で刑死した山上宗次を流祖とする山上流だな。
なぜ山上流が、というと山上流は北条家に伝えたられたのだが、未遂に終わった第三次半島出兵の下準備として女真族に使いした北条家家臣から伝わったというのが通説。

オスマントルコに伝わった利休流は伊達の遣欧使節団に利休の次男が入ってそのままジェノバに残ったものが伝わったのである意味利休流の正統をくむもの
207人間七七四年:2012/08/20(月) 12:37:36.65 ID:xrVds0du
豊家によるイメージ戦略かもしれないけど、
木下松平とかの三河者全般に、米粒の数を数えて管理するのも苦にしない
(というか、むしろ嬉々として毎日数えている)イメージがあるよね。
おかげて地元の領主だった石川家が何か割りをくっている気がする。
うちは忠義より大義という、三河者には珍しい選択をした家系なのだが。
208人間七七四年:2012/08/20(月) 20:28:40.91 ID:I7cM4mkx
関ヶ原の戦いは、「平将門の乱」の繰り返し
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/39/266_1.html
日本の歴史は、「やらせ」の連続。
だから、歴史を学んでも、日本の本質の反対のことしか出てこない。
209人間七七四年:2012/08/20(月) 21:39:29.16 ID:yZ6pyhBW
>>203
明治維新前、雄藩の台頭に今太閤秀勝殿下が
大政奉還を受け入れつつ諸侯に版籍奉還を迫る離れ業にでたとき
一番積極的だったのが実は木下松平
表向きは逆賊として肘滅されるを大名として遇された恩に応うはこの時、と云うことだが
まぁ藩政がgdgdでたちゆかなかっただけなのが内実らしいが
210人間七七四年:2012/08/20(月) 23:49:17.72 ID:7+apmXeU
>>209
>藩政がgdgd
徳川系の大名はほとんどそうなってるね。
農本主義から抜け出せなくて、産業振興と言っても商品作物の開発と専売をやるのがせいぜい。
で、収益トントンになればいい方。
しかも禄高も大したことないから一度失敗すると二度目がもうない。
17世紀前半に早くも「某老病、嫡子病弱にて奉公に耐えず」と廃藩を申し出て出家遁世した松平定政の例とかあるし。



211人間七七四年:2012/08/21(火) 03:31:35.10 ID:Y9CcjHV5
>>206
>椅子が前提な作法なので利休流とは似ても似つかぬものなんだが
どこかのトンデモ本で明治直前のころの利休式右近流の作法の写真が「フリーメーソンの儀式」として紹介され、当のフリーメーソン自身に否定されたうえ、作者がと学会にボコボコに批判されてたことがあったっけな…。

>利休流は伊達の遣欧使節団に利休の次男が入ってそのままジェノバに残ったものが伝わった
千少庵ね。アフメト1世の穏健政策にも大きく影響を与えたらしいけど、だとしたら利休と同等に政治の世界で出世したことになる。すげー

>>209
>大政奉還を受け入れつつ諸侯に版籍奉還を迫る離れ業
これがきれいに決まって列侯会議、豊臣家は議長として実権を維持することに成功したんだよな。
まあ10年後に明治維新になって、華族令で大公爵に上げられる代わりに政権は失っちゃうんだけど。
212人間七七四年:2012/08/21(火) 05:24:11.56 ID:d5XvPEIC
>>211
西南戦争終わって「豊家は公家の筆頭にして歴とした武家の棟梁である、
騒乱の種尽き維新が完遂したからには五箇条の誓文に対し奉り文武百官に範を示さん」とか言って
さっさと下野しちゃたよな
ちゃっかり影響力残して政商としてのしていったけど
213人間七七四年:2012/08/21(火) 10:40:39.09 ID:Y9CcjHV5
>西南戦争
アメリカに沖縄取られそうになったあの戦いの事ね。
台南沖海戦、沖縄沖海戦に勝ってアメリカとの条約をまとめて、それで引退。
確かにきれいだったわー。
まあ制度疲労起こしてた旧体制に改革のしようがなくなってたのをうまいこと押し付けたという説もあるが。




>政商としてのしていった
その豊国財閥が豊家本体じゃなくて端末、いわば本家のダミー会社だというのがまたすごい。
当主は本家出の一門ではあるけど本家の当主にはなれない家格の出。

で、本家はしっかり黒幕に収まっているという。


214人間七七四年:2012/08/21(火) 10:47:40.63 ID:Y9CcjHV5
ところで一つ聞きたい。
京都の豊国神社に平清盛と織田信長が一緒に祀られているのは分かる。
で、何故家康の霊廟もあるんだろう?
しかも大老として祀られ扱われ方も大きい。
まあ統一戦の功労者であることは否定しないけど…何故?

これほんと、日本史最大の最大の謎だよな。
215人間七七四年:2012/08/21(火) 11:47:30.99 ID:F9rxcNHt
井沢の逆説の日本史13巻によると、「唐入りが成功したら日ノ本は(秀次じゃなくて)、家康が治める」っていう
約束があったという説は本当らしい。その証拠の一つとして豊国神社の霊廟の件を持ち出していた。
もっとも谷口とか小和田とか、織豊体制による統一期が専門の学者の多くは否定的だけどね。

まあ后太閤・東の方(千姫)の祖父ってのも大きいんじゃね?
あの女傑がいなかったら、本多や榊原が豊家の直参旗本として取り立てられることもなかっただろう。
216人間七七四年:2012/08/21(火) 20:53:38.44 ID:bATe/jwL
豊国神社に家康を祭るように働きかけたのは三成らしい。
千姫御輿入も逆賊徳川ではなく石田の養女扱いでされてるし、徳川系の庇護に
積極的だった。
その理由は、近年言われているのが大諸侯対策
つまり東国の上杉、西国の毛利、豊家御家門筆頭宇喜多の三大老への牽制
徳川の武力を豊臣の直轄軍として活用したいという狙いがあったといわれてる。
217人間七七四年:2012/08/22(水) 01:52:41.82 ID:pVINgrqP
>>215>>216
>本多や榊原が豊家の直参旗本
>徳川の武力を豊臣の直轄軍として活用したいという狙い
江戸の陣以降に創設された関白直属隊「旗本組」は見事に元徳川家臣ばかりだね。
本多、榊原、酒井、井伊、鳥居、大久保、安藤、成瀬と徳川重臣の子弟・親族がずらり。
禄高も軒並み千石以上で知行取りが多い。
徳川四天王の家系は大名並みに参勤交代もしている。

旗本組の頭になる家柄に今川、品川両氏がいることをのぞけば嫌がらせもされていない。

大諸侯対策で決まりだろうな。
関ヶ原後の論功行賞で恩賞どころか隠居させられて五大将軍にも漏れた毛利輝元は大いに不満で、毎年六月に「備中陣羽柴軍追撃の儀式」をやって豊臣への怒りを新たにしていたというし。
伊達騒動後には黒田が仙台62万石で入ったし、五代関白秀吉(二世)の時代以降になると江戸の結城松平も力をつけてきて42万石の表高に対して実高80万石と言われるまでに成長してて、東西どちらも危険度がアップしている。

札幌神指に移された上杉もロシアとの交易で力をつけていたしね。




218人間七七四年:2012/08/22(水) 11:20:20.72 ID:HENP0xfC
夏休みを利用して、行って来ましたわ〜、山田長政のジャワ城跡と高山右近のルソン城跡。
特にジャワ城跡は観光開発もされてなく、ジャングルと野面積みのギャップが萌える。
あの城跡の石、現地に適した大石が少なくて、日向や大隈から船で運んだって
現地の通訳が言っていたけど本当かね?

ルソン城は観光客向けに茶室の来栖庵まで再現されてて、日本語の案内もあって親切。

どちらも1700年代初頭までには独立しちゃったり、現地勢力に飲み込まれたりしたのが惜しいね。
日本東インド会社の面々がもう少ししっかり監督してれば、19世紀の西欧列強によるアジア進出時だって
実際とは違った展開があったかも。
219人間七七四年:2012/08/22(水) 14:41:27.63 ID:pVINgrqP
>>218
山田長政のジャワ城は現地で政争に負けて中央から左遷された後に作った城だから作りが荒いし、保存状態も悪いからあんまり中まで入らない方がいいぞ。
何箇所か崩落危険個所があってこないだも学生が落ちて死んでる。
あと、蛇とかも出るから。
        _..._
      ,:'"● >
      | <゚Д)  <全力で歓迎します。
      (ノ  ̄|)
  ∧..._...ノ    !
  !、___,,....イ
       U U

ルソン城の方は独立後に行政府として使われてたから整備がいい。
右近の茶室以外にも名所多いぞ。
納屋助左衛門邸や小西満所の教会は見てきたか?
220人間七七四年:2012/08/22(水) 23:42:57.07 ID:za0WDve9
備中陣羽柴軍追撃の儀式はよく言われてる話だよな。
嘘とも本当ともよくわからんが・・・
ただ、輝元隠居はしかたないだろ・・・
秀元との因縁もあったし
徳川征伐を強硬に主張するのはいいが、過剰に厳しい処罰を主張してたし
一説には一部家臣の東軍内通があったといううわさもありーの
元養子の秀元と吉川広家を小早川に続く独立格大名にするのにいちゃもんつけるわ
少々問題行動が多すぎた気がする。
221人間七七四年:2012/08/23(木) 00:31:30.07 ID:epbmlwB0
 宇和島成敗の先鋒命ぜられてボロ負けして毛利か
 周防出身ながら宇和島に召抱えられていた、後の兵部大臣の大村益次郎の
西洋銃陣にコテンパンにされて、君主がさっさと家臣見捨てて、伊予勝山城から
単独安芸に逃げ散り、片倉晋作に、祖先にわびて武辺を鍛えて弓矢を束ねて
掛かって参れ大笑いされた毛利か

222人間七七四年:2012/08/23(木) 02:59:57.50 ID:v1vx/PTI
>秀元と吉川広家を小早川に続く独立格大名にするのにいちゃもん
その挙句秀元に家督と所領全部を譲らされて、自分は御噺衆として5万石の捨扶持だけにされたうえ大坂に五年間も留め置かれたのは正に自業自得

結局秀元が安芸広島97万石、吉川広家が周防岩国36万石で独立。
その後息子の秀就が安芸の内10万石で支藩を立てたが宗家の地位は秀元流に取られーの、
脱藩し他藩に仕官する家臣がぞろぞろ、「安芸も飽きたり毛利者」と笑われーの。
で、離脱組を一番吸収したのが宇和島の伊達。片倉晋作の先祖も離脱組。
自業自得続きで徹底してるわ。
223人間七七四年:2012/08/23(木) 03:36:01.86 ID:v1vx/PTI
>徳川征伐を強硬に主張するのはいいが、過剰に厳しい処罰
徳川の処分は結局「本多正信父子が老耄の家康を唆して天下大乱を目論んだ」ということになって正信が打ち首、家康は高野山に流刑、秀忠は改易で秀忠長男に新知として武蔵江戸60万石で落ちついたけど、輝元は一族全員火炙りを主張したらしいな。
それで秀忠兄弟の助命に動いてた北政所と淀の方の怒りを買ったと。

ところで、江戸の陣を起こした徳川清康って、何者?
秀忠の隠し子説もあるが…。
224人間七七四年:2012/08/23(木) 03:53:02.79 ID:epbmlwB0
家康の誤記をそのまま流布したという話もあるな。

松平が大量に残ったし、それなりに功績のある家康に難癖つけて滅ぼしたのに気が引けたのか
石田が、誤記をそのままにして、架空の人物に悪名を全部漬け込んだとかいう
225人間七七四年:2012/08/23(木) 05:27:04.47 ID:v1vx/PTI
家康の隠し子だかが二代目家康を襲名したのだが、悪筆のため清康と読まれてしまいそのままになった説もあるな。
しかしこの徳川清康という人物、記録が破壊されてるからだろうが江戸の陣以前の経歴が一切不明。

一体どこで何をしてたんだろうね?


226人間七七四年:2012/08/24(金) 00:12:44.17 ID:P6sVPQF9
清康って誤記だったんかorz
家康か秀忠の子が家康の祖父・松平清康にあやかって名乗ったもんだと思ってたわ。

徳川清康の正体についてはけっこうトンデモ論が多いね。
生き延びてた信康だとか、徳川清康=天海=光秀はさすがに爆笑したわw
227人間七七四年:2012/08/24(金) 00:35:46.33 ID:wGFbxsoF
江戸の陣は秀頼の初陣になったわけだけど、江戸城に付け城を築いて一粒の米も入らないように包囲し、攻撃側は毎日宴会を開いたり国許から妻子を呼び寄せてこれ見よがしに談笑したり、秀吉の城攻めをスケールアップした戦い方をしてるんだよね。
で、決戦では「徳川ごときに甲冑は不要!」と言い放ったり。
秀頼の戦はほとんどこの一戦だけなんだけど、武将としての力量のすごさを感じるわ。
戦国時代まっただ中に生まれてたらどれだけの名将になってたのか…。
228人間七七四年:2012/08/24(金) 00:41:52.79 ID:wGFbxsoF
>>226
まともなところだと秀忠の子説、忠吉の子説、小笠原権之丞説なんかだね。
トンデモ説だと家康の影武者説、信康説、光秀説なんかがある。
微妙なところだと徳川家の侍の子、足軽の子が主家の名を名乗った説、貧農の子が家康子孫を詐称した説とか。

もし清康の正体を明かすことができたとしたら、文化勲章ものだな。
229人間七七四年:2012/08/24(金) 13:11:22.28 ID:wGFbxsoF
そういえば天海と崇伝の一対坊主は何でお咎めなしだったん?
天海は所領付きで寺もらったし、崇伝は豊臣家の政治顧問になってるし。


230人間七七四年:2012/08/24(金) 15:05:33.84 ID:R6rYtfRp
江戸の陣の契機となった増上寺の鐘の銘文「山河徳治」「君臣楽豊」、
あれは事前に片桐勝元と嵩伝が共謀して考え、秀忠と江をだましたって説があるよ。

天海に関しては怪しい説が多すぎてよくわからんね。
俺が好きなのは天海=津田信澄説だけど
231人間七七四年:2012/08/24(金) 15:41:34.89 ID:wGFbxsoF
>片桐勝元
江戸の陣三本の太刀の勝元か。片桐家中興の祖と言われる人物だね。
名前の読みが同じだから大河とかでは親父の且元と一緒にされてしまうことが多いけど。
僧侶上がりで文武両道、僧侶にも武将にも知己が多かったというから共謀説は大いにあり得る話だな。

>天海=津田信澄説
信澄の息子の昌澄が七手組の組頭の一人だからな。
信澄だとするとその辺の人脈で赦免を勝ちとったのかも知れん。
232人間七七四年:2012/08/24(金) 16:04:44.58 ID:wGFbxsoF
崇伝の子孫の一色は禅門方寺社奉行を独占してるが、やっぱり江戸の陣に功績があったんだろうな。
233人間七七四年:2012/08/24(金) 17:43:29.60 ID:na4NM+gp
>>231
七手組で思い出したんだが、青木一重って凄い大身になってるよね。
七手組一番の出世頭だね。元々は、家康の家臣だったみたいだけど
時を見るに敏な人だったんだろね。
234人間七七四年:2012/08/25(土) 00:00:49.79 ID:A/VJIs7f
>>233
七手組と黄母衣衆は大名候補生が集められるからな。大名出世した奴は多い。
だが国持大名まで行った奴となるとさすがに少ない。
ほんと政治センスも統治手腕も優れていんだと思う。


235人間七七四年:2012/08/25(土) 00:21:34.49 ID:A/VJIs7f
>徳川清康
家康の9男松平斬九郎説も忘れちゃいけない。
そう、あの「サムライスピリッツ斬九郎無双剣」のボスの斬九郎だよ。
江戸の陣直前に増上寺の鐘の銘文の件で陳弁に務めていた隠居の秀忠が急死したのは斬九郎が殺したのだという説がある。
で、秀忠一族を押し込めにして徳川清康を名乗り、江戸の陣を起こしたという。


236人間七七四年:2012/08/25(土) 22:29:57.10 ID:Qao6rJ9I
豊臣家は本当に子供の少ない家系で大政奉還まで直系で継承してれたのが奇跡みたいなもんだからなあ
初期に増えた一門の家系も一門内で養子を融通しあうのに精一杯で一門の藩は全然増えなかったし

結果的に松平や宇喜田が準一門みたいな感じで支えてたんだよね
237人間七七四年:2012/08/25(土) 23:03:31.36 ID:/QS9zSaH
そのうえ大諸侯が強かったからね。室町幕府みたいだ。
毛利(含む小早川)、上杉、宇喜多、島津、佐竹、
石田、長束、大谷、真田、小西、長曾我部、前田
ざっとこの十二家で『十二侯は天下の半分』
といわれるほどの総石高だったし。

豊臣家が枝葉が茂らないのと対照的に一門や譜代も充実してたし。
238人間七七四年:2012/08/26(日) 01:19:44.62 ID:vjkrJR+3
>>236
5代関白秀吉(二世)の時隆光という僧が豊臣家に子供が少ないのは秀次事件が原因だと説いて、秀次一族の大赦を行わせたのは有名な話だね。
秀次を豊国神社に祀り、一族家臣の子孫を復権させたのが効いたのかどうかは分からないけど、二世秀吉は豊臣本家の当主としては珍しく多くの子を持ったね。
ただ、分家として大政奉還まで残ったのは創設された八家中三好(関白家)と京極(同左)の二家だけ。
外孫(内孫説あり)を祖とする松殿家(関白家)まで入れても三家。確かに一門分家は増えてない。

宇喜多、松平は織豊時代の中期以降、宇喜多は児島大納言家(清華家、鎮国将軍家)として有力な藩屏だったけど、松平はそこまで役に立ってたかな?
秀康流、忠輝流それに結城松平は別として、他の松平一族と言ったらいわゆる忠臣はいても政治軍事で役に立った人物ってあんまりいなかったんじゃ?

政治軍事外交で役に立ってたのはむしろ織田一族じゃね?
バチカンに一番顔が利いたのは織田宗家だし。

239人間七七四年:2012/08/26(日) 13:28:54.69 ID:vjkrJR+3
>十二侯は天下の半分
その顔ぶれ、時代によっていろいろ変動があるよね。
五十万石格の尚氏(沖縄藩主、首里城主)が入ってるバージョンもあるし、他のバージョンでは木村や前野、加藤もランクインしてる。
240人間七七四年:2012/08/26(日) 13:44:41.76 ID:vjkrJR+3
ルソン独立前には右近系の高山氏が150万石で上杉に並んでたし、右近のライバルの中川氏も駿河三河遠江を領して60万石だったことがある。
固定して入ってるメンバーは政権中枢に食いこんでる面子だね。
石田は筆頭執事、大谷はその次席、長束は勘定方、小西は外事方のトップだ。

佐竹は秀康流の当主が幼少の時征夷大将軍を出す系統での優遇で合ってたっけ?
241人間七七四年:2012/08/26(日) 13:58:09.86 ID:TlubS4vM
結局宇喜田をはじめとした豊臣べったりの諸侯以外は浮き沈みが激しかったから大身諸侯は多くても強力な中央集権維持してこれたんだよな
代々の将軍が有力諸侯と衝突しては失敗して主導権握りきれなかった室町幕府とは力量の差があるよね

松平は逆に政権の中枢に出る人材出なかったからこそ旗本筆頭みたいな不思議な位置付けキープできたんじゃね?
どの時代でも太閤様の側衆に松平は最低一人は居たし
242人間七七四年:2012/08/26(日) 14:20:33.05 ID:vjkrJR+3
>>241
>豊臣べったりの諸侯以外は浮き沈みが激しかったから大身諸侯は多くても強力な中央集権維持してこれた
あと外征で反対勢力の不満をなだめられたのも大きいよな。
唐入りが失敗した後はルソン遠征、江戸の陣後にはバタビア遠征、その後はインドシナ遠征と大きな外征がいつの時代にもあったし。

243人間七七四年:2012/08/26(日) 15:40:38.16 ID:vjkrJR+3
>>241
「太閤様のお屋敷にゃ 石にお池に松の木に」って歌われてるくらいだからなー。
太閤側近の代名詞。
昭和の時代のアニメでも秀吉をイメージしたキャラクターの側には必ず「松平君」がいるくらいだし。
244人間七七四年:2012/08/26(日) 23:20:15.37 ID:E9GcTFk3
関東に利権持たない豊臣が長く政権持ったせいで、関東の環境整備が遅れまくり。

おかげで印旛沼干拓、利根川河道整理とかが昭和に入っても未整備事業…orz


ついでに奥州道中からも上州往還からも外されたわが街府中は寂れまくり。これでも武蔵国国府所在地だったんですがねぇ…
245人間七七四年:2012/08/27(月) 00:28:14.87 ID:X9XaDZe5
>>244
>印旛沼干拓、利根川河道整理
終戦直後の八条宮内閣の国土復興計画でやっと着手して、完成が昭和30年代後半だったっけ。
それまで南関東の冷遇され方は酷かったよな。
府中は刑務所まで誘致する羽目になるし、しかも「囚人が逃亡した場合山林に潜伏するなどしてすぐに確保できない」といって断られてる。

昭和62年に大河ドラマで「徳川家康」が放映されて江戸が注目されて、平成景気の余波で建設ラッシュになるまでは本当に悲惨だった。
246人間七七四年:2012/08/27(月) 01:16:30.37 ID:ReRYTHJi
>>245

関東冷遇の歴史

明治初期…整備事業が検討されるも「北海道開拓事業と両立困難」と判断され後回しに

明治中期…「今は軍備近代化を急ぐべし」と判断されry

大正時代…大震災復興予算がつくも、大恐慌で税収吹っ飛んだ余波を食らってry

昭和初期…満州開拓事業と両立困難と判断されry

戦中…本土防衛の観点から関東は未整備の方が望ましいと判断されry

北海道>軍備>恐慌対策>満州>(越えられない壁)>関東orz

一説によると平将門以来武家政権が関東に発したことを嫌った朝廷の意を汲んだ豊臣政権以来の言い伝えというが……
247人間七七四年:2012/08/27(月) 01:59:51.72 ID:X9XaDZe5
>北海道開拓事業
北海道というと樺太島とその付属の島だな。
千島本島(旧・蝦夷ヶ島)を中心とする北山道から明治初年に独立させられた。
当時ロシアがシベリア鉄道を延長しまくってシベリア開発を進めてたから早いうちに領土化しないと取られてしまう恐れがあったとはいえ、確保だけなら要塞一つと一個艦隊で可能な規模の地域だ。
関東開発と両立は十分可能だった。
それをやらせなかったのは自身を大政奉還に追い込んで政権をひっくりかえしかけた東国雄藩特に結城松平への豊臣の意趣返しと言われている。
豊臣一族の中でも特に結城松平の本家筋の秀康流当主羽柴春嶽の行った妨害は凄かった。
ロシアの脅威を訴える吉川藩士吉田寅次郎や伊藤俊助以下の門弟たちをスポンサードして徹底的にロシア脅威論を説かせ、本まで出させている。
そこまでやるかってレベルだ。
248人間七七四年:2012/08/27(月) 02:05:34.63 ID:X9XaDZe5
>平将門以来武家政権が関東に発したことを嫌った朝廷の意を汲んだ豊臣政権
そういえば時代劇で「関東を嫌っている」という設定の朝廷が出てくる時は秀吉とか豊臣の当主の役は必ず嶋田久作がやるよな。
あれは一体どういう意味があるんだろう。
249人間七七四年:2012/08/27(月) 10:04:05.22 ID:X9XaDZe5
ところで何気に大政奉還まで生き残った浅野はどうやって関ヶ原後を生き残ったんだろう?
250人間七七四年:2012/08/27(月) 14:46:24.21 ID:Jj3PjaMU
浅野? 北政所系の浅野って幕末まで続いててのか。地味すぎて知らなかったよ。
最初に>>249のスレを見たときは、あの不思議大名、浅井の書き間違いかと思った。
初代の浅井伊頼にいくつもの替え玉説があったり、淀殿晩年には江若丹但4国を領したのに、
その没後はいつの間にか織田家傍流の血筋に乗っ取られて、結局取り潰しにあったり、
今川了俊の再来と言われた立花家や、なぜか沿海州に進出した京極家並に波乱万丈だよね。
251人間七七四年:2012/08/27(月) 17:07:57.08 ID:czj+VWID
>>245
今でも府中番外地ってあるんか?
252人間七七四年:2012/08/27(月) 22:13:51.56 ID:JjFtpq8c
253人間七七四年:2012/08/28(火) 13:41:55.12 ID:CN1P7Fh6
平塚為広も語れよ
254人間七七四年:2012/08/28(火) 19:46:47.60 ID:O/D9ezU4
>>253
この人も凄い猛将で仁義のある人で好き。ただ、10万石で幕末で残ったのは凄いね。
平塚らいてうもお姫様だしね。
255人間七七四年:2012/08/29(水) 00:35:22.57 ID:/3PX023Q
>>248
嶋田が「東方物語」で関東破壊の魔人加藤保憲を演じてるからだろ。

>>249
浅野は一門ゆえということで甲斐府中20万石を没収され、代わりに常陸真壁5万石、下野真岡2万石の計7万石を与えられて存続。
その後宇都宮15万5,000石に加増されて執事に列した。
豆知識だが関ヶ原後の減封時帰農した一族の子孫から播州赤穂で製塩業を営んで成功した者が出ている。

浅井は有楽流の本家争いに巻き込まれたのが不運だった。
関ヶ原で石田隊に突きこんで捕まり、勇戦を評価され許されて黄母衣衆に取り立てられた長孝と、弟で嫡男の頼長、三男の俊長の家がいずれも本家を主張して譲らず、後ろ盾を得るためにいろんな大名家を次々巻き込んでいった時にやられてる。
で、織田の血を取りこんで家格を上げようとした重臣の策が裏目に出て乗っ取られ、改易。
でもより悲惨だったのは京極。
せっかく娘を秀頼の側室に差し出して大名に復活してたのに、浅井家中の混乱を仲裁し損ねて半知召し上げ。
沿海州に逃亡する羽目になった。

立花は八洲(やしま、高山国、今の台湾)経略で大活躍だったからな。
一時は領地が200万石近くにまで増えた。
今でも台湾の大貴族に立花家っているし、その呼ばれ方はまったく不足ない。
256人間七七四年:2012/08/29(水) 15:11:52.69 ID:/3PX023Q
>>254
平塚は大谷隊・小早川隊が家康本陣を突いた時先頭を切って突入したんだよな。
で、旗奉行の成瀬正一を討って家康の旗を奪った功績で10万石加増。
相方の戸田も家康の馬印を奪って、凱旋する時はこの二人が隊列の先頭を歩いた。

想像するだけで興奮するぜ。

257人間七七四年:2012/08/29(水) 17:36:10.36 ID:toLwX5eH
>>256

しかし十万石加増で与力→国持大名への出世とはいえ、
貰った国が伊豆というしょっぱさ……

戸田は戸田で上総半国(佐倉10万石)だしなー
258人間七七四年:2012/08/30(木) 02:05:57.52 ID:kGM7deXb
>>257
谷口とか小和田とかは豊臣は最初から江戸の陣を起こして徳川を潰すことを目論んでて、平塚と戸田を江戸攻めの先鋒にするため伊豆・上総に封じたという説を説いてるね。
表向き石高は10万石だけど蔵入地10万石超の代官を兼ねていて、実際の動員能力はその3倍近いとか。
駿河、遠江及び常陸、下総の大名配置を見ると明らかに対徳川の隊列になっているし。
259人間七七四年:2012/08/30(木) 12:42:53.29 ID:fm7fDD4k
大野治長はかわいそうだったな、家康の暗殺未遂の嫌疑をかけられて流された挙句
配流地の兼ね合いで東軍側について改易だろ
260人間七七四年:2012/08/30(木) 14:34:10.45 ID:kGM7deXb
>>259
東軍についたというよりは無理矢理東軍に組み込まれて出陣させられたわけだしなあ。
しかも長束の家康暗殺未遂の時に身代わりにされて殺されているし。
改易理由を戦前に死没で無嗣断絶としてもらえたのがせめてもの救いだよなあ。

そのおかげで弟二人が奮戦して大手柄を立てているのが何と言うべきか…。
261人間七七四年:2012/08/30(木) 14:37:41.09 ID:kGM7deXb
ちなみに長束の家康暗殺未遂というのは清州に刺客を送り込んで家康を殺そうとした時の方ね。
手近にいた大野が家康側近に突き飛ばされてあーら不思議、甲賀忍者の手裏剣の射線上に。
死に方といい惨すぎる。
262人間七七四年:2012/08/30(木) 15:08:49.06 ID:fL71KcdR
藤堂高虎は、捨扶持で5000石だっけか? 渡辺勘兵衛の計らいで。
当の渡辺勘兵衛は6万石の大名になったが、直ぐに家督を息子に
譲って隠居したけど。。。城下で百姓と一緒に畑を耕したって本当かな?
263人間七七四年:2012/08/30(木) 15:46:05.08 ID:kGM7deXb
>>262
藤堂は増田家の客分で二千石。
後、伏見城改築の時召し出されて直参に復帰、五千石。子孫は藤堂流築城術、造園術をもって豊臣家に仕えた。

勘兵衛さんは政治向きのことはあんまり好きじゃなかったらしいからね。
百姓と畑を耕したのは分からんけど、城下に隠居していたのは事実らしい。
その生活ぶりが質素だったことから豊臣直参の旗本になった三河者たちに共感されてたいそう慕われたらしい。
264人間七七四年:2012/08/30(木) 20:41:13.78 ID:lpmdRzcs
隣に住む大久保彦左衛門と西瓜の出来で喧嘩しとった講談があつたな。                                                           
審判役の一心太助がそのスイカを黒門市場で売りだして大儲けとかなんとか
265人間七七四年:2012/08/30(木) 23:28:32.58 ID:jh/Qf8OF
 実は大野生存説というとんでも説もあってだな・・

それはともかくこのスレの主旨にそうと、東軍が勝ってたら
家康とか三河武士どもは海外進出とかしそうにないから
日本列島だけに閉じこもって海禁とかやってそうな気がする。
 フットワークの軽い豊臣政権が続いたから
政治的敗者になった大諸侯や豪商ほか集団で海外県を開拓しまくり
後年の「日昇旗は常に日輪と共に」とかいわれる「日没なき大日本帝国」
の基礎ができたわけで。
 そのせいか海外雄飛ばかりに目が行って関東が永遠の片田舎になったわけだが。
266人間七七四年:2012/08/31(金) 00:27:01.32 ID:0otExQox
>関東が永遠の片田舎
1854年に来航したペリーが畑以外あまりにも何もないのに驚いて「日本のカンザス」と呼んだくらいの農業地帯だよな。
ペリーは日本といえば「百万の都会を複数有し、人口も極めて多い」とアナポリスで習ってきたもんで、関東の田舎ぶりに唖然としたんだって。


267人間七七四年:2012/08/31(金) 00:58:59.38 ID:9zcz5NrR
江戸の陣で豊臣本陣に突撃した真田信之が、講談の真田幸村の元ネタだっけ?
おかげで本家をついでいた信繁がえらい苦労したんだよね
268人間七七四年:2012/08/31(金) 01:14:50.63 ID:0otExQox
>信繁がえらい苦労した
真田軍団の陣立ても将の性格までみんな知ってるからな。
本陣前衛の信繁は打つ手打つ手を全て読まれ、承った十八段の構えの十五段まで突破されて一時は死を覚悟したらしい。
で、鎖を投げつけて絡め取り鉄砲で蜂の巣にするという方法でやっと仕留めた。
最後首を取られそうになっても足軽三人に組みつかれた状態で太刀をかざして向かってきたらしい。
その時の顔の恐ろしさは壮絶で、信繁が絵に描かせて若者に武士の最期を教育する教材にしたほどだったとか。

269人間七七四年:2012/08/31(金) 10:46:29.89 ID:qbylrf6k
秀頼本陣を突いて1人討ち取れれば勝ちだから信之も一か八かで賭けるわな
270人間七七四年:2012/08/31(金) 11:07:17.15 ID:0otExQox
>>269
信之はとにかく秀頼の首一点狙い。行軍の難所で秀頼を狙撃しようとしたり、陣所に放火しようとしたり、外人の傭兵を雇って大砲をぶちこんだり、秀頼が呼び寄せた役者にすり替わって暗殺しに行ったりとありとあらゆる手段を尽くしてる。
その上で最後の突撃だからこそ燃える。
映画「天と地と」で信之最後の突撃が映像化された時は泣いたわ。
271人間七七四年:2012/08/31(金) 12:05:44.03 ID:djLknjnZ
>>270
その信之の大活躍の影響で本多忠政が空気か無能扱いなのが多いのがかわいそうだな。
実際、信之は本多隊の副将格で真田の赤備えは本多隊2000の内の500だったが、忠政が信之の才を見込んで本多隊を全権委任したからこそ最後の、秀頼の首まであと一歩の猛攻につながったわけだし。
頑固な三河武士が姉婿とはいえ、主君のため御家のために外様に采配を預けるという決断をしたのはもっと評価されるべきだと思う。
272人間七七四年:2012/08/31(金) 12:23:35.78 ID:6tF8xvbl
信之信者うぜえ
父昌幸に見捨てられた嫡子じゃねえかよ
273人間七七四年:2012/08/31(金) 12:31:49.80 ID:Af3nMdeE
>>272 幸村信者のウザさは大坂時代中期以来の伝統だから仕方ないよ。
沼田十勇士だっけ? 関東の講談でかならずウケる奴。
まあ真田信之配下か本多忠政配下かわからんけど、「石川殿裏切りー」って吹いて周ったのは事実らしいが。
「伊達殿が佐竹陣に攻め入ったー」の方が信憑性あったんじゃないかとも思うけど。
274人間七七四年:2012/08/31(金) 15:24:46.09 ID:gRFJNPAL
>>258

それは豊臣政権中期以降流行った三島詣りと金山開発で平塚家が太った結果からみた結果論だね。

三島詣りも困窮した平塚家が仕掛けた御家繁栄の奇策だったし。逆に言えばそんな奇策仕掛けねばならないほど貧乏だった訳で。

確かに佐倉は地図上、里見・佐竹・徳川を監視する要所に思えるが、印旛沼と坂東太郎に挟まれた沼沢地だぜ?あそこ。

江戸が大都市とかならいいのだが、実際は南関東全体が僻地で佐倉なんかキングオブ僻地だろ
275人間七七四年:2012/08/31(金) 17:51:53.93 ID:0otExQox
>頑固な三河武士が姉婿とはいえ、主君のため御家のために外様に采配を預けるという決断
これは確かに見事な決断だね。大野治長あたりには絶対出来なかっただろう。
武勇も凄かったし。
本多が討ち取った豊臣直属の旗本の名前が「徳川退治記」に書かれているけどみんな大物ぞろい。
最後の突撃の時の兄上、お先に!の叫びは真田本家の将兵が50年後になっても思い出して夜中に跳び起きたぐらいだし。




276人間七七四年:2012/08/31(金) 18:36:51.84 ID:0otExQox
>>274
伊豆の三島、といえば「みしま」、と「さんとう」、の両方があるね。
「さんとう」、のほうは為朝、頼朝と北条時宗を祀る神社を伊豆大島を始めとする三つの島に建立したんだっけ?
あの世界遺産に認定された水上建築の大島神社。
277人間七七四年:2012/09/01(土) 04:21:55.11 ID:Qvj7jiN+
>>272
「真田家譜」では信之を「慶長五年上田ニテ討死」と書いてるね。それ以降の信之は真田を名乗る一介の素浪人扱いで全くスルー。

>>275
あまりの恐さに誰も本多の武装を覚えていなかったって逸話もあるね。
実際にはちゃんと記録に残されているけど。
信繁隊に軍監としてついていた後藤基次の子左門基則が>>270の信之の突撃の様子と一緒に記録している。

278人間七七四年:2012/09/01(土) 11:17:44.31 ID:kZOnkix9
>>261
マンガ読み過ぎ
279人間七七四年:2012/09/01(土) 15:08:13.11 ID:EhRBzScG
徳川討伐の頃までは三成が実権握ってたから血縁でも徳川方と目された人物への援助は危険視されてたんだよ・・・
秀頼が完全に政権掌握してからは寛大で開放的な性格の政権になったけどな
280人間七七四年:2012/09/01(土) 21:53:17.25 ID:Mpn7rVn2
当時の状況からしてしかたがなかったろうね。
実際のところ大規模なイベントや融和政策はとられてたともいわれてるけど。
どこぞの書物に戦後、北政所と淀殿、松の丸殿らがそろって豊国参拝
その際に諸侯連署で大規模な奉納際が催されたとあるが、顔ぶれは
石田三成、大谷吉継、長束、宇喜多、毛利といった西軍側
加藤清正、結城秀康、浅野、池田、黒田・・といった東軍じゃない?という顔ぶれ
前田利長、利政兄弟という中立なのまで参加している記述がある。

この奉納際の後、福島正則、徳川秀忠の助命とかが交付されてるし
黒田、加藤の減封存続だといった戦後の難題だった所領配置が片付いてる。
前田利長の隠居と利政相続とかもきまってたな。
石田がかなり積極的な旧徳川家臣団の雇用対策や旗本衆への起用をしたり
徳川庇護しだすのもこの後だったようだし。
281人間七七四年:2012/09/01(土) 22:30:35.27 ID:EhRBzScG
三成は意外と温情ある対処したりしてるんだけど、相手が勝手に三成を恐れて過剰な反応してた感じだよね
彼が執政やっていた時代は諸侯が三成恐れてピリピリした雰囲気なんだよな・・・

三成がそれを気に病んで、若い秀頼にめっちゃ慰められてたって噂は本当かもしれないね
代々の石田当主のピュアすぎる忠誠心考えると
282人間七七四年:2012/09/02(日) 01:01:13.04 ID:xph+NzaZ
>黒田、加藤の減封存続
黒田は如水の功績で12万石を一旦改易の上同じ石高で再封ということになったんでは?
減らされたのは一村だけ、しかも翌日には同じ石高の村を替地にもらってなかったっけ。

加藤嘉明は本戦戦死(島左近に討たれた)で一旦改易、平野長泰の旧領五千石を与えられて旗本になったでOK?
清正は息子が兵1000を率いて大津城攻撃部隊に入っていたのと、自領で戦っていたことから佐敷城を取り上げられただけで済んだんだよな。
後に小西が讃岐一国+天草8万石で45万石に転出すると、肥後一国54万石に加増されてる。
283人間七七四年:2012/09/02(日) 01:21:00.14 ID:xph+NzaZ
>福島正則、徳川秀忠の助命
福島は八丈島に流されて、甥の正之が相模に5千石を新たにもらった。
秀忠は信州の川で溺れて矢沢頼綱に生け捕られ、改易されて大坂に留め置かれたんだっけ?
284人間七七四年:2012/09/02(日) 14:22:32.89 ID:xph+NzaZ
戦後の所領配置では織田秀信の扱いが相当もめたらしいな。
関東に転封するか濃尾で加増するか。
結局福島正則の尾張清洲24万石を加増されて38万石で抑えられたけど。
やっぱり信長の直系は扱いにくかったんだなあ。
285人間七七四年:2012/09/02(日) 15:20:24.64 ID:CTSpJJi3
>>281
三成は元々法に厳格なだけで粛清やるようなタイプの人じゃないからね。
なんやかんやで結構助命してる人多いし。
286人間七七四年:2012/09/02(日) 15:58:57.40 ID:cCESLr1/
秀信自体は秀頼と仲良くて豊臣政権に協力的でも子孫まで同じかどうかはわからないからなあ
287人間七七四年:2012/09/02(日) 16:25:13.75 ID:JUSJOT2j
もしも東軍が勝ってたら・・・

西軍大将として石田三成あたりが処刑されてたかもしれん。
最期にまで腹の心配をして渡された干柿を食わないとか、
死の渕まで体をいとう真の武士を体現したかもしれん。
288人間七七四年:2012/09/02(日) 16:43:38.25 ID:eqA9gTQM
それって総見院殿、手ずから授けられた干し柿を押しいただいて
その戦から帰陣後に一族郎党に分けて食うたて話から?
参陣中に食べても良かったのだが腹を壊すと奉公に差し支えるとかなんとかで。
289人間七七四年:2012/09/02(日) 19:16:10.52 ID:a50hGzEn
三成、知行の半分で島左近雇って
関ヶ原の恩賞の加増も左近の功績だからとほとんどあげちゃったんだよね
家臣の石高の方がでかいとかいう大名、日本の歴史上で彼だけだよね
290人間七七四年:2012/09/02(日) 20:15:17.77 ID:H8ympi62
 どうも三成自身はストイックというか、「報酬と権力は反比例すべし」
という権禄分離主義だったようで、
奉行専制とかいわれる絶大な権力を振るう執政になる代わりに
 島左近に大きな知行あたえたほか、自分が抱えてた蒲生氏郷以来の武功家臣
とかたくさん旗本や豊家奉公衆へ引き上げたりしてる。
 病没する秀頼を前にして遺言として
「我が亡き後は我が家の者を極力遠ざけて重用してはならない。
人の上にあるものが情で公私混同すべきでない」として
島左近を独立大名にしたり、奉行時代に蓄えた蓄財を公儀に残らず上納したり
してる忠義の人だ。
嫡男石田重家は、その遺訓を守って公儀の役職にはついてなかったそうだけど・・
291人間七七四年:2012/09/03(月) 01:56:21.05 ID:PaTQwqL8
>>289
>左近の功績だからとほとんどあげちゃった
確かに左近の加増高は陪臣中では桁はずれだったけど、そこまではいってない。
三成の加増高が60万石で81万石。このうち左近がもらったのは15万石。
舞兵庫とかの重臣がもらったのを合計して14万石。
合計すると加増前の石田一族の禄高にほぼ等しくなるから翌誤解されるけどね。
左近にとってはむしろ独立大名、直参になったことのほうが大きい。

ちなみに肥前島原城は分家の島清正が七手組を経て12万石の大名に出世した時に建てたもの。
ルソン遠征のために築城したら却ってイスパニアに攻撃されて速攻で破壊されたけど。

292人間七七四年:2012/09/03(月) 02:49:45.02 ID:PaTQwqL8
>>290
>石田重家は、その遺訓を守って公儀の役職にはついてなかった
これは遺訓云々より重家は行政官としての能力はともかく政治家としては父に大きく劣っていたというのが大きい。
だから小姓から七手組最高位の大手口衆に入った後はずっと名誉職を歴任して執政にも執事にもならなかった。
遺訓は能力に欠ける重家を情けで重用しないようにするためのものだったという説もある。
重家の息子とか分家の杉山氏とかは政権に参与しているし。
293人間七七四年:2012/09/05(水) 00:00:21.09 ID:V6pTc6R3
助けてえ。
修学旅行で佐和山城に来たんだけど、道に迷っちゃったよう。
先生も他のみんなもどこに行ったか分からない…ここ広すぎるよ〜。
294人間七七四年:2012/09/07(金) 17:20:02.71 ID:zFQuXoWt
まあでも広いと言えば大阪城だな
秀吉の時代で既に大きかったのに秀頼以降着々と拡張していったからなあ
大名旗本の屋敷を郊外に移して二の丸三の丸拡張して政治機能拡大の繰り返し
295人間七七四年:2012/09/08(土) 09:53:35.02 ID:SYTlEbPQ
仕事の関係で関ヶ原町に住む事になった。
8000人しか住んでないのかよ!!w
296人間七七四年:2012/09/08(土) 16:29:01.50 ID:8akrvByi
関が原町は町の半分くらいは古戦場だから楽しそうじゃないか
西側なら西軍の陣地跡や秀秋討死にの地、東側なら東軍武将の討死に跡地があちこちに・・・
297人間七七四年:2012/09/08(土) 18:08:50.82 ID:sHlE4K7/
>>296
何か化けて出てきたら怖いじゃないか
298人間七七四年:2012/09/08(土) 18:57:11.36 ID:qSbKDTjc
関ヶ原といえば阿呆と馬鹿の分け目だわな。
299人間七七四年:2012/09/08(土) 19:19:29.81 ID:Trw5TCbY
味噌汁が濃いが薄いかの分け目位?
300人間七七四年:2012/09/08(土) 22:23:38.16 ID:8akrvByi
食い物の分け目は関が原じゃなくて天竜川じゃないか?
三河は松平系の小大名が多かったけど豊臣家べったりだったしな
301人間七七四年:2012/09/11(火) 17:57:03.85 ID:zStp90b1
壬申の乱時代からあの辺はまさに国の境目なんだろうね
電車で通ってもすごく気候かわるし
ところで正史ばっかり書くなよ
302人間七七四年:2012/09/11(火) 22:21:59.32 ID:kqaeqg0B
九州から西日本併呑しながら黒田如水が畿内に乱入してきたら天下取れたかな?
303人間七七四年:2012/09/11(火) 23:41:32.35 ID:Z8dOzR25
如水は息子がなあ・・・
吉川あたりをちゃんと調略出来ていたら勝敗の行方も長政の評価も逆転していたんだろうが
304人間七七四年:2012/09/12(水) 18:54:44.08 ID:/lM7kQdh
黒田の天下には毛利をどうするか問題だなぁ。味方につけるとして言うこと聞くかな。
小牧長久手みたくだらだら続けば九州平らげて四国は制せるな
それから海路で秀頼抑えたら歴史の逆転あったかもね。
九州の覇者になっただけでも黒田家は減封されなかった感じはするw
関が原敗戦時の言い訳が見事で小身として残ったし

ていうか東軍勝ってたら黒田家大大名になってたし第二の天下騒乱あったと思うんだがw
伊達あたりと組んで家康死んだ後、騒乱おこしてたんじゃ?
もしそうなら秀忠あたりではどうしようもなかったような。九州に黒田幕府成立か
胸熱
305人間七七四年:2012/09/12(水) 19:00:54.38 ID:Iln01UhO
関が原敗戦時の言い訳てどうだったつて?
母里と栗山が強談判で無理やりとしか思えないんだが・・
306人間七七四年:2012/09/12(水) 22:22:55.09 ID:dqrgBVDa
あれ?
関ヶ原って東軍が勝ったんじゃ?
307人間七七四年:2012/09/13(木) 12:22:48.22 ID:ApgFr3Bv
このスレ面白いが毎回真正ゲーム脳のキチガイが湧いてるよね。
こいつウゼェ PaTQwqL8
308人間七七四年:2012/09/13(木) 12:31:42.43 ID:NT09CR7A
まあ相手の訂正したり
「東軍が負けた」という周知の事実について長々語るのは良くない
309人間七七四年:2012/09/13(木) 23:18:18.13 ID:ZSy5cNGZ
>>304
毛利は一枚岩なのか分裂気味なのかイマイチよくわからんからなあ
輝様-秀就親子が余計なことして一枚岩の家に波風立ててただけかもしれないが

いっそ西軍負けて毛利家大減封とか食らってた方が二人とも大人しくなって
秀元に実質的な当主を持ってかれる羽目にはならなかったかも
310人間七七四年:2012/09/20(木) 09:47:04.89 ID:h/MbtMfK
「第3回関ケ原陣跡制覇ウォーキング」
◆期日 2012年9月23日(日)雨天決行
◆参加費 1,000円(当日受付の際お支払いください)
http://www.kanko-sekigahara.jp/event/walking3/index.html
311人間七七四年:2012/09/29(土) 22:15:22.30 ID:jpQQRplw
>>309
いやー、負けて減封されててもいろいろやらかすんじゃない?輝様-秀就親子。
特に秀就は微妙に関ヶ原を知ってるだけに将軍家に反抗的になりそう。
輝様は精々、備中陣羽柴軍追撃の儀式ならぬ関東征伐の可否の儀式やってウサばらしする程度だろうけど、秀就は下手したら反乱起こして取り潰しになると思う。
312人間七七四年:2012/09/29(土) 22:23:26.43 ID:jpQQRplw
>>304
黒田幕府なら近江じゃね?
九州は適当な一門に任せて如水は畿内に凱旋して近江にでかい城を作って開幕。
上でゲーム脳の厨房がこだわってる仙台城以上のでかい城を作ると思われ。




313人間七七四年:2012/09/30(日) 02:23:40.66 ID:GiThkIjh
>>296
黒田長政の墓は神社になってて壮観だよな。黒田二十四騎像が立ってるからすぐ分かる。
討死場所じゃないけど池田輝政陣所跡は>>102に書かれてる退却戦の見事さもあって人気の観光スポットだよな。

小早川秀秋の討死場所の近くには秀秋を討ち取った家康の目付奥平貞治の墓もある。
小早川の進軍を止められなかったのは無念だろうが、その忠義は敵ながらあっぱれ。
関ヶ原に行くことがあったらぜひ立ち寄ってみたい。
314人間七七四年:2012/09/30(日) 02:26:46.98 ID:GiThkIjh
すまん池田の退き口は>>108だった。
315都立聚楽第第一中学2年A組出席番号14番:2012/10/02(火) 02:35:35.83 ID:ecSQY5fN
助けてえ。
研修旅行の自由行動で江戸城を見にきたらバスに乗り遅れちゃったよう。
夕方日が落ちたらタクシーも走ってないし、そもそも人も歩いてないし…どうやってホテルまで帰ったらいいんだよー!
PaTQwqL8のアホ班長なら蘊蓄たれてないでちゃんと引率しろー!
316都立聚楽第第一中学2年A組出席番号14番:2012/10/02(火) 02:36:33.08 ID:ecSQY5fN
こんな田舎モウヤダ。
317人間七七四年:2012/10/04(木) 01:19:19.41 ID:SqTAsYs4
田舎田舎と言われる江戸県だが、実はそれなりに大きな城下町だった。
関が原後立てられた所謂江戸城ではなく、太田道灌が立てた旧江戸城跡を中心にした東京市は今でも地方都市としては大きい方だよ。

結局頓挫した明治時代の東日本副首都構想が成就してりゃ今頃大阪に張り合える大都市だったのかもしれないな。
318人間七七四年:2012/10/04(木) 02:25:58.94 ID:3FPMO86r
>>317
俺もそう思うわ。
70年代後半になって江戸市が急激に成長して抜かれたけど昭和40年代前半までは東京市の方が大きかったしね。
中身の充実度じゃ江戸は東京に全然及んでない。

あのちんぽで障子突き破った江戸市長とアカの教授が市長選やった時教授が勝ってたら今でも東京市の方が大きいよきっと。
319人間七七四年:2012/10/04(木) 09:50:48.61 ID:ncb6lnT1
あ、江戸市ってどっちのあたりだっけ
東多摩〜南武蔵?

江戸城中心の東京市がいわゆる武蔵だから・・・
320人間七七四年:2012/10/04(木) 21:00:36.43 ID:Y74yZ01C
大阪は米英の戦艦が総さらえして天保山沖から艦砲射撃で吹き飛ばしたしたけど・・
江戸はB29で丸焼きにされた・・。


どつちが悲惨なにゃろ。
321人間七七四年:2012/10/04(木) 21:07:38.75 ID:7Dh2qCgF
>>1
ちょっと設定に無理がありすぎないか?
本隊の秀忠軍団が到着する見込みがないのに寄せ集めの家康軍団だけで有利な陣地で待ち伏せしている西軍に勝てるわけない。

まあ僥倖が重なって家康が勝ったとしても、秀頼の調停で石田光成が隠居して終わりじゃない?

もし家康が豊臣家までも滅ぼしたら、江戸で徳川幕府w
今の日本の首都は江戸(EDO)w
沼地だらけの首都江戸。
江戸オリンピックとか考えられん。

322人間七七四年:2012/10/04(木) 21:15:47.61 ID:z25pC5Ru
・小早川が釜山城空けで領地召し上げられた件で徳川に恩が有るから、何をするか分からない
・吉川は西軍参謀陣の安国寺に敵愾心を抱いてて、何をするか分からない
・朽木は浅井朝倉一丸となって信長を討つべき時に日和った爺で、何をするか分からない

うん、徳川はこいつらに賭けるしかないね、博打だわ
323人間七七四年:2012/10/04(木) 21:34:13.97 ID:SOGUAZNF
>>319
大都会滋賀に住む俺から見るとホント関東ってド田舎に思える。
324人間七七四年:2012/10/04(木) 21:34:50.88 ID:3FPMO86r
>>317
>東京市は今でも地方都市としては大きい方
市民のカンパで市民球団が運営できるくらいのスケールはあるもんな。
まあさすがに本拠地の球場とかもしょぼくて、東京巨人軍じゃなくて平均身長ギリギリの小人軍だとよく揶揄されるけど。

>>319
そそ。そっちのほう。
関ヶ原後立てられた結城松平氏の江戸城、所謂結城江戸城が中心の新しいところ。
325人間七七四年:2012/10/05(金) 22:59:34.34 ID:jbT2ks7j
>>322
小早川は豊臣本家限定相続の条件で西軍確定
吉川は周防長門二国をもらう条件で西軍確定
朽木は高島氏の名跡と10万石をもらう条件で西軍確定

ひっくり返る余地がないんですが。
開始後10分で別室送りの限定ジャンケンですがな。
326人間七七四年:2012/10/05(金) 23:24:53.13 ID:jbT2ks7j
>>323
野菜がうまいよ〜。
空気がうまいよ〜。
人口密度低いから土地も安いよ〜。
江戸湾にはクジラも来るよ〜。

日光には猿もいるよ〜。ってか猿しかいないよ〜。
人間の嫁さん来てほしいな〜。
327人間七七四年:2012/10/05(金) 23:53:30.28 ID:eKQAt+mu
江戸市ってもうすぐ政令指定都市になるって聞いたけど、まだまだ先になりそうだなw

水運の都合や開発の期待から江戸県の県庁所在地になったけど、さっぱり開発が進まず沼ばっかりの二流地方都市だし…
川越や相模原と街道で繋がってる八王子の方がよっぽど都会に見えるわ。
328人間七七四年:2012/10/06(土) 00:45:49.05 ID:BS65rMSS
>>327
あれは二流なんてもんじゃない。四流。
一時期単身赴任で行ったことがあるけど、水のまずさが最悪。メチャクチャ塩素臭いしたまに塩味がする。
>>143で書かれてる結城直基のころから全然変わってないんじゃないかっていう。
沼が多すぎてまともに水道が敷設できないところとかもあって、農村地帯じゃ未だに井戸とボットン便所使ってる村とかもある
>>31の縁でやってくるトルコ人の農業研修生引き留めないと婿の来てすらない。

八王子はいいね。試衛館大学があって学園都市だし。

329人間七七四年:2012/10/06(土) 14:20:17.28 ID:1bMsg5aM
>>325
小早川秀秋は結局悲惨な末路を辿ったから妄想のネタになるのは仕方ないんじゃないかな
まあ小早川家自体は秀包が継いで豊臣の忠臣として名を馳せたから今から見ると小早川が裏切りとか嘘くささ感じちゃうけど
330人間七七四年:2012/10/06(土) 16:03:51.77 ID:BS65rMSS
>>329
突撃開始直後に奥平貞治だっけ?に刺されて馬から転落、後続に次々と踏まれて全身の骨がばらばら、ぐちゃぐちゃのどろどろ。
スプラッタすぎる。
331人間七七四年:2012/10/06(土) 19:34:47.57 ID:pYoJjTmj
そもそも、なんで敵軍の目付けなんかが居るの?
さらに松尾山に勝手に陣取ったんでしょ?

何がしたかったんだこの若武者は
332人間七七四年:2012/10/07(日) 00:56:35.79 ID:O0Y+lI37
>>323
なんで田舎の人間は、すぐ関東=江戸、埼玉、群馬県を想像するんだ?
古都鎌倉や川浜工業地帯を抱える神奈川は関東地方だぞ?
佐賀滋賀より遥かにでかいわ。
333人間七七四年:2012/10/07(日) 01:05:23.97 ID:5vXyVuPh
>>331
貞治は黄母衣衆五千石。関が原時点ではほとんど家康の家臣だったが、正式な所属は豊臣家の旗本。
おそらく与力かなんかの名目でついてたのに徳川家臣の奥平本家あたりから指令がきたんじゃね?
で、家康の目付に化けたと。
もしかすると内通説のある稲葉とか平岡あたりの重臣が引き入れたのかも試練。

あと松尾山に陣取ったのは毛利輝元の出馬の意志が薄いのを見て、敵に取られる前にと押さえたのが真相らしいよ。
「安芸中納言殿オソラク出馬アルマジ、松尾ノ山城関東方ニ渡シ給フナ」
という秀秋の言葉が松野主馬の日記にも残ってる。

334人間七七四年:2012/10/07(日) 01:31:01.76 ID:5vXyVuPh
>>332
神奈川藩主の後北条氏は豊臣末期に東国雄藩がこぞって反豊臣に回った時も豊臣に忠誠をつくしたからねー。優遇されてるよねー。
慶応明治年間の優遇っぷりは当時大坂に住んでたうちのひいじいちゃんがブチ切れて病院に運ばれたぐらい。

おかげで今じゃ横浜だけで人口が800万だ。

けど城の優美さでは完全西洋式の横浜城より滋賀の安土城(安土御所)のほうが勝ってるな。



335旅行者774號:2012/10/08(月) 01:32:54.41 ID:7R9rxC7L
>>329
小早川は豊臣の忠臣・名将の第一だよね。
一時は台湾に結構な領地を持ってたしジャワ・バタビア方面軍の司令官は秀包以降ずっと小早川。めちゃくちゃ信頼されてないとありえないわ。
植民地の住民にも愛されてたしマジすげー。
知ってるか?インドネシア語で日本人をオラン・ナジマンというのは秀包の領地の名島にちなんでいるそうだ。
ちなみに関東人(田舎者)の事はオラン・エドンというらしい。

…と、ジャカルタのナジマンホテルから書き込みしてみるテスツ。
明日はジャワ城を見に行くかな。

336人間七七四年:2012/10/09(火) 00:18:44.86 ID:uMF2nXG1
>>334
横浜城ってあれ城じゃなくて実際には、異国船対策の近代要塞だから仕方ない。
しかも艦砲射撃でズタボロにされて、跡地は殆ど市街地になってるから、今残ってるのは横浜奉行所を中心とした中心区画のみ。
榎本武揚が篭ってた頃はちゃんとした稜堡式要塞で六稜郭とも呼ばれてた。
337人間七七四年:2012/10/09(火) 00:36:45.48 ID:n1rw6E3k
>>336
城壁とかベトンの塊だもんな。風情もなにもあったもんじゃない。
内装まで見るとまた感想も違ってくるけど。

あと城跡で売ってるラムネ。あれが美味いんだよな。
榎本が籠ってた当時の味を再現したってやつ。
ロマンを感じるぜ。

338人間七七四年:2012/10/09(火) 19:21:30.99 ID:uMF2nXG1
台場砲台が幕末に解体されて無ければ政府軍艦隊は横浜城の砲撃なんて無理だったんだけどな
政府軍はこれ以上の予算増大に耐え切れず、停戦を余儀なくされてたかもしれん。
新鋭艦の甲鉄パクられた政府軍ナサケナス
339人間七七四年:2012/10/10(水) 00:48:24.74 ID:A7EulM6b
>>338
台場砲台が老朽化して解体され、横浜城自体も改築予定で防御力が低下していたからこそ大政新政府軍は挙兵したともいえるな。
横浜城を抜いて西に進軍できる千載一遇のチャンスでなければ輪王寺宮を推戴して大政新政府なんてのをでっちあげることはなかっただろう。
甲府ルートは近代要塞としての機能では横浜城以上の甲府城ががっちり押さえてるし、日本海側を通るとなれば諸侯中有数の加賀前田家の海軍を相手にする覚悟がいる。
東国雄藩とてもそこまでの戦力はない。
連中が西上するには海軍力・陸軍力どちらも中途半端の北条の神奈川藩を抜くしか選択はない。
奴らにとっては正に天の時と思えただろうね。





340人間七七四年:2012/10/10(水) 13:03:38.97 ID:A7EulM6b
>>327
雨が降ると道路が水没するところがある
夏は藪蚊が多い

江戸名物って他に何があったっけなあ
341人間七七四年:2012/10/10(水) 16:12:35.88 ID:XomAtVnN
>>340
魚がうまい
水には困らない

こんな感じか
水があっても低湿地だから収穫高はよろしくないが
342人間七七四年:2012/10/10(水) 20:49:56.18 ID:lM1msz6v
練馬って大根獲れるの?
343人間七七四年:2012/10/11(木) 00:51:37.65 ID:dBXuNyFi
>>341
水は飲み水としてはなんだけど、水道代がべらぼうに安くて風呂に困らないのは嬉しいな。

そういや江戸名物って、風呂も名物やん。
風呂に入れる香草とかの研究では江戸が一番だったと聞く。
浴槽の材質にもこだわったり、風呂にかける江戸人の情熱はすごいものがあるな。
今でも銭湯の数は日本一だし。
344人間七七四年:2012/10/11(木) 07:31:28.77 ID:7zu3zODc
お前ら史実を語りすぎ
345人間七七四年:2012/10/12(金) 00:05:50.29 ID:+6DCyPzd
>>339
北条は非積極的とは言えどう見ても倒幕派だから、あれワザとだろう。
実際、維新後に神奈川が東の果てなのに新政府から異様に厚遇されてる辺り、密約があったのかもしれん。



んなことやってたせいで、榎本率いる旧幕府軍に横浜城をかっぱらわれた訳だが
346人間七七四年:2012/10/12(金) 01:33:47.86 ID:BqBSJ2nI
>>345
豊臣公儀を幕府って表現してるってことは井沢の逆説を読んだなおまい。
確かに豊臣は征討大将軍の官職持ってて幕府開く資格はあるが…。

北条が誘いの隙を作る役を担ったってのには同意だな。禄高30万石なら爵位は伯爵がせいぜいのところを侯爵だし。
だが榎本と話をつけてなかったせいで城を追い出される羽目になったのは笑うしかない。
そのときの情けない姿をばっちり写真に取られているのも…。

しかし榎本氏って徳川が滅んだおかげで歴史に名を残したよね。
徳川が続いてたら精々下級旗本で終わってたんじゃない?


347人間七七四年:2012/10/12(金) 23:54:45.67 ID:+6DCyPzd
>>346
一部文書では幕府と呼ばれてるから、幕府でもある。
征夷大将軍が幕府を開くという概念自体が慣例だしね。
明治時代は、関白だと朝廷内乱になるからと関白ではなく旧幕府で統一されてた。
大正時代には関白に戻ってるけど
348人間七七四年:2012/10/13(土) 00:30:10.64 ID:RsulzgcS
>>328
試衛館大学といえば首都警の人材供給源だよな。卒業するとほとんどの奴がそのまま上洛して首都警に入隊する。
あそこは天然理心流の道場も併設されてて剣術がめちゃくちゃ強いんだ。
旧武田家臣の多摩の郷士クラスが入学する大学だから、馬術もすごい。

ガチで戦ったら近衛師団の精鋭でもヤバいって話だ。
349人間七七四年:2012/10/13(土) 07:17:03.37 ID:AeA2/dk5
そうは言っても近衛も七手組からの伝統を引き継ぐ最精鋭だからなあ
七手組筆頭を出した家はそれだけで名門とみなされるという
350人間七七四年:2012/10/13(土) 14:21:20.80 ID:RsulzgcS
>>349
七手組は豊臣時代直参番士の出世コースだったしね。
中級家臣は七手組入りできるかどうかでその後の出世が大きく左右されたという。
石田・池田・浅野・大谷といった名門以外で政所執事になるには七手組入りして黄母衣衆に進み、博多奉行、京都奉行を務めないと絶対なれなかったっていうし。
その下の政所所司、所司代も七手組経験者以外で就任した例は極めて少ない。

徳川が勝ってたらこの精鋭エリート部隊も役立たずの張り子の虎呼ばわりされてたのかなあ。
351人間七七四年:2012/10/14(日) 09:21:34.84 ID:DQdmonMm
旧近衛こと現第1師団は太平洋戦争中は何故か弱い扱いになってたな
「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊」
実際の戦績は悪くないんだが
352人間七七四年:2012/10/14(日) 12:09:00.08 ID:j62v74G3
>>351
皇室の女性すなわちお妃さま方、姫宮さま方の警備を担当してたのが近衛師団の連隊だったからでしょ。
戦争の一番激しい時期でも礼服着て劇場とかに同伴してたから役立たずの飾り人形呼ばわりされた。
実際には七手組の時代から400年近く内裏大番役を務めて信頼があったから任されてたんだが。

まあ、旧旗本組の徳川系軍人たちが先祖の汚名を晴らそうと張り切って、近衛に出番を回さないくらい活躍してたのも事実だが。
353人間七七四年:2012/10/14(日) 13:30:33.19 ID:DQdmonMm
>>352
全国から徴兵、志願を受けてるから維新直後はともかく、昭和にもなれば既に豊臣時代とは関係ない。

まぁ負けそうになると逃げるというのは、常識的にはともかく玉砕大好きな日本軍人からは認め難かったんだろうな。
354人間七七四年:2012/10/14(日) 13:57:12.42 ID:uko6zFlj
七手組は文武両道の代名詞、実力主義のシンボル的存在だったから憧れも強い反面やっかみも強かったんだろうなあ
でも秀頼公の改革以降国内随一の実力を維持しきったのは凄いよ
賤ヶ岳マラソンとか中国大返し駅伝とかは七手組の毎年の訓練行事が原型だろ?
軽装とはいえ武装して毎年あんな訓練してたんだからなあ
355人間七七四年:2012/10/14(日) 14:00:10.89 ID:j62v74G3
負けると分かってても突撃するのは徳川系の将校が率いてた場合だけっしょ。
そうでなかったら陸軍の最精鋭でも普通に逃げてるよ。
戦陣訓でも「退きて他日を期すを恥ずことなかれ。死して犬死の汚名を受けることなかれ」ってあるだろ。

まあ徳川が勝ち、閉鎖的な社会が続いていたら軍隊は兵站軽視、玉砕前提になってたかもしれないけど。
356人間七七四年:2012/10/14(日) 16:53:02.92 ID:DQdmonMm
ガダルカナルなんて飢餓で壊滅状態になって夜間に駆逐艦や潜水艦で撤退って有様だし
硫黄島は結局玉砕、沖縄は乗り上げた戦艦大和ごと玉砕、本土決戦時も天皇が止めるまで国ごと玉砕する勢いだった。
一時は朝敵認定まで受けながらうまく立ち回って存続した徳川氏が天下をとったらあんなザマにはならなかった筈

首都は流石にあんな僻地の関東は無理だから京都かなぁ・・・
357人間七七四年:2012/10/15(月) 01:11:51.83 ID:CXSJEjAH
>>354
いい意味での「貴族部隊」だったからね。七手組≒近衛。
士気は高いし気が大きくて平民の将校ではびびってできないことを平気でやってのける。
太平洋戦争時の将校には前田利貴大尉を筆頭に馬術や射撃、フェンシングとかでオリンピックに出てメダル取ったのが何人もいるし。
>>352が言ってる徳川系の将校との意地の張り合いもあったがとにかく士気が高かった。
ソロモン放棄後にマリアナの絶対国防圏で守り切って米軍を阻止したのも彼ら七手組系将校の働きが大きい。
ガダルカナルの空中補給を指揮し、撤退となった時には一兵も残さず収容した青木少将は青木一重の子孫。
パナマ運河爆撃の伊400部隊を指揮した潜水艦隊司令速水中将は言わずと知れた七手組筆頭の家柄だ。
358人間七七四年:2012/10/15(月) 01:59:36.80 ID:CXSJEjAH
海軍近衛艦隊の七手組系将校も書いちまったスマソ
359人間七七四年:2012/10/16(火) 02:53:15.31 ID:LrFrHH3L
>>346
榎本だけじゃなく福沢範も勝惟寅・義邦父子も徳川の下じゃ浮かび上がれなかっただろうね。
榎本は父の代にはわずか300石だったのが家督相続から十年経たずして10万石の大名出世。
勝小吉惟寅はもっと下で出仕時は40石。元徳川家臣しかも戦国時代以来の古参という、普通なら絶対冷や飯食いのところを1万2千石にまで加増されて陸軍奉行に出世。
息子の義邦は6万5千石に加増されて、海軍元帥にまで取り立てられてる。
福沢は大名にこそならなかったが大学総長を任された。
才能重視の豊臣家なればこそと思う。
360都立聚楽第第一中学2年A組出席番号14番:2012/10/17(水) 23:49:40.10 ID:90eLEX++
助けてえ。
博多市に神太閤様の事跡の見学に来たらまた迷子になっちゃったよう。
人口500万って絶対嘘だろー!!
これ絶対一千万以上いるよ―!

ぎゃああー、人波に流される―!
361人間七七四年:2012/10/18(木) 00:12:27.78 ID:h1VkLzEN
横浜圏や博多圏が京阪より大きくなるなんて思わなかったよ

関東平野って面積広くて、石高も結構高い上に
東京湾の水深も、大阪湾に比べて大型貿易船舶出入容易な深さだからさ・・・

あそこがお上に開発されまくってたら
まぁ江戸泥濘地帯は無理にしても、後北条氏以降の土地が発展していってさ、
人口一極集中のすげーくだらねー国になってたんじゃないかって恐怖するわ
362人間七七四年:2012/10/18(木) 01:52:31.68 ID:gov3AAWw
江戸泥濘地帯といえばウルトラクイズ国内第二次予選の泥んこクイズが名物
363人間七七四年:2012/10/19(金) 15:37:09.55 ID:/FwPnafU
>>361
博多は鎌倉以来の南アジア、東南アジアの窓口だし、横浜はアメリカ大陸の窓口。
大きくならないはずがないよ。

関東平野には関東ローム層とかがあるしあの武蔵野の原野は五百万石級の資本力と動員能力がないと開発は難しいだろう。
明治以降なら開発は可能かもしれないが、政府にはそこまでしてやる義理はないし。
くだらない国になる心配はないんじゃない?

関東の大名といえば、北条のほかは佐竹を防ぎきった戸田とか結城松平に攻められて藩主討死の平塚を除けばほとんど二度にわたって敵になった徳川をはじめとして「大政」新政府についた謀反人なわけだし。
364人間七七四年:2012/10/19(金) 15:41:54.74 ID:/FwPnafU
しかし佐竹はなんで反豊臣に回ったんだろう?
関ヶ原では西軍、20万石も加増されて75万石の大身にしてもらったのに。
将軍になれなかったのが不満だったのかな?
365人間七七四年:2012/10/19(金) 20:37:01.24 ID:8YALKDz5
誰だったか軍監で派遣された馬鹿がつまらいことをグダグダ上から目線で怒鳴り続けて
武士の一分でござるとたたっ斬られとるだろ。

それが原因。
366人間七七四年:2012/10/19(金) 23:51:24.38 ID:qpOWJ7NR
>>363
勝てば官軍
実際、冷遇されてた旧徳川系と伊達家が新政府軍の中心だったわけだし。
戦後、大身旗本の松平家が徳川公爵家に化けたのはやりすぎだと思う・・・・どんだけ徳川家に幻想抱いてんだ新政府はw
いっそ徳川幕府とでも名乗ればよかったのにww
367人間七七四年:2012/10/20(土) 03:02:56.15 ID:LvRJ8e6W
>>366
まあ、徳川の名跡だけでも立ててやっておかないとまた反乱を起こしかねないもの。
実際、結城松平が反乱に踏み切った原因の一つには度重なる徳川への改姓願いをことごとく却下され続けたからってのもあるし。
それに豊臣末期から明治初期は植民地獲得競争が再燃した時分、徳川系の勢力が列強と手を組んで内戦でも起こしたらシャレにならんし。
だから側衆で八千石だった松平七郎慶喜(徳川家達)を常識では考えられないぐらいの抜擢をして徳川公爵家を作った。

最初は旧江戸城も下賜される予定だったらしい。
予定日の半年前から沿道に徳川侍がずらりと並んで歓迎準備を整え出したから急きょ取りやめになったけど。
368人間七七四年:2012/10/21(日) 00:31:15.51 ID:XiVSXr0u
>>365
あー、江戸の陣の時些細な軍法違反を咎めて佐竹を出撃停止にして、手柄を立てる機会を奪っちゃったアレね。
しかも不満を言うと取り潰しまでほのめかした。
斬られて当然だわな。
369人間七七四年:2012/10/21(日) 01:20:40.47 ID:bwFXPfe+
>>367
ぶっちゃけて言うと
天皇担いでるのにこの上、松平家なんて担ぎだしても
徳川系以外には意味が無いどころか、徳川嫌いの中立大名が豊臣に靡きかねない悪手
370人間七七四年:2012/10/21(日) 02:16:48.13 ID:XiVSXr0u
>>369
だからいいんだろ?
天皇の名のもとに徳川が復活して徳川系はプライド満足( ゚Д゚)ウマー
豊臣は中立派を取りこんで( ゚Д゚)ウマー
日本全体としては内戦にならず(゚∀゚)=3ウマー!
371人間七七四年:2012/10/21(日) 02:36:24.09 ID:XiVSXr0u
しかし慶応明治は本当にややこしいな。
「大政新政府」と「慶応新政府」「明治新政府」と新政府が三つ、「列侯会議」と「諸侯会議」と会議が二つあって…。
372人間七七四年:2012/10/21(日) 08:14:55.22 ID:02A1N0Rm
それは孝明大帝と朝廷=関白家を軸に見れ!とあれほど日本史の時間に・・・。
373人間七七四年:2012/10/22(月) 22:18:18.56 ID:Iu+WC3Pq
前田家はなんだかんだで100万石維持したな、
こいつら世渡り上手いわ
374人間七七四年:2012/10/23(火) 21:34:01.03 ID:8hmL8KwY
>>371
大政新政府が睦仁親王(第122代明治天皇)を掲げる上杉東国諸侯連合。豊臣家が大政奉還したのがこっちだから大政新政府。
慶応新政府は薩長連合と二条家が第121代孝明天皇(慶応天皇)を祭りあげて大阪に攻め上って作ったから慶応新政府。
慶応末期にはこの2つで内戦かと思われた時期に、孝明天皇が突然死(暗殺臭い)して明治天皇が即位、有耶無耶になってできたのが明治新政府。

>>373
結局借金まみれで統治しきれなくなって廃藩置県前に返上したけどね・・・・
375人間七七四年:2012/10/23(火) 23:42:58.00 ID:EJA9AFPa
>>372
大帝を奉じた豊臣家が大帝に大政奉還して作ったのが「慶応新政府」。
こっちに参加した諸侯が「列侯会議」で、主要メンバーは宇和島を除く西国雄藩、島津、尚、加藤、立花、小早川、吉川、毛利(秀元流)、小西、長宗我部、宇喜多(児島)、前田、羽柴(秀康流)ら。
開国南進派の志士結社と、あとはロシア対策を任されてた上杉。
結城松平(徳川を称す)、伊達、佐竹、黒田(仙台)、北条?らが輪王寺宮を還俗させて陸運(むつとき)親王、大政天皇として推戴し東下して作ったのが大政新政府。参加した諸侯の議会が「諸侯会議」。
こっちは基本鎖国北進派(東アジア世界をまとめるために中国に出兵しよう派)。

明治新政府は1877年東西陣営の和睦が完成したのを機に孝明大帝が睦仁親王に譲位して発足したもの。

なるほど、俄然分かりやすくなったわ。

>>373
前田家は藩祖利政の嫡男直之が祖父譲りの財政家で、投資&資産運用がうまかったおかげでとてつもない金持ちだった。
その金を武器にいつの時代も最新式の海軍を維持してたし、朝廷への献金額も豊臣家に次いで多かった。
ガチで殴り合っても無傷で勝てる可能性はないし政治工作で潰そうとしても助けてくれる味方が大勢いてなかなか一筋縄ではいかない。
だから豊臣中期以降、家格を上昇させて自立する動きを見せても豊臣としても軽い警告以上のことはできなかった。
376人間七七四年:2012/10/24(水) 02:23:27.88 ID:5fl4SjSI
>>375
関ヶ原で明らかに東軍について減封になった黒田が仙台62万石をもらうまでの経緯を誰か知ってたら教えてくれ。
377人間七七四年:2012/10/27(土) 14:31:11.46 ID:A3ayw4g8
>>376
中津18万石→関ヶ原敗戦、母里と栗山が強談判し2万石減封ですむ→島原戦役でイスパニア相手に奮戦、島清正の島原城をもらい24万石に復活→伊達騒動後、西国でいたらんことしてる黒田を僻地に飛ばそうという目論みで仙台62万石に転封

以上三行
378人間七七四年:2012/10/27(土) 17:17:35.82 ID:rrTUSZ2z
>イスパニア相手に奮戦
キリスト教徒支援の為に参加はしてたけど、黒田が喧嘩売らなきゃ
そのまま撤退してただけのよーな・・・上陸部隊は100人もいないんだし
379人間七七四年:2012/10/28(日) 00:55:16.54 ID:xWbED/bK
>>378
そりゃ、総督が自分で上陸部隊連れて上がってきたら黒田じゃなくても攻撃するでしょ。
つかまえても殺しても大手柄なんだから。
黒田の加増は総督とっ捕まえて大坂に送ったから。

ってか総督日本人ナメすぎや
380人間七七四年:2012/10/28(日) 01:35:53.80 ID:WZ+NYRdn
黒田が余計なことするから豊臣とスペインが外交で苦労するハメになったんだけどな。
多分そのあと実質隔離な転封食らったのはこの時の恨み
381人間七七四年:2012/10/28(日) 03:17:27.49 ID:MYABKdcZ
>>380
しかし転んでもただでは起きずとっ捕まえたフォルモサ総督と個人的なパイプ作って南蛮貿易で儲けていたのはさすが黒田
382人間七七四年:2012/10/28(日) 21:23:38.41 ID:CIkWU3fV
けど、途中で落ち目になったスペイン捨ててイングランドに乗り換えやがったからなぁ、黒田。
おかげで産業革命にも軍事情勢にも乗り遅れずに済んだが。
ペリーが黒船4杯で来たとにゃこちらの方が新式軍艦で笑いものにして追い返した位に・・。
383人間七七四年:2012/10/29(月) 00:25:16.96 ID:guvnh7Uo
評価するならイギリスじゃないか?
当時対立していたアメリカのアジア進出を阻止するために
つい10年前にアヘン戦争で戦った日本相手に最新鋭艦を売っぱらうというあの外交手腕は今の日本にも見習って欲しいわ。
384人間七七四年:2012/10/29(月) 00:30:35.57 ID:accP2xf7
>>382
寝返りのうまさはほんと、伝統だよな。
スペイン見捨ててイングランドに乗り換えた次は仙台に飛ばされたを幸いに新大陸にも手を伸ばすし。
ペリーの時はその寝返りの連続でため込んだものが活きたと。
あれに豊臣にでかい貸しを作ったから、札幌から上杉が南下してきて挟み撃ちっていう土壇場で大政新政府見限って慶応新政府につくという寝返りも認められたんだろうな。
385人間七七四年:2012/10/30(火) 12:57:09.10 ID:eUZyvOUX
>>380
フォルモサ総督は3年も抑留されて、豊臣側のスペイン大使も厳重な監視下に置かれた。
誰にとってもいい迷惑だよな。

得をしたのは自分の屋敷を獄舎に提供した黒田ぐらい。
家臣の若手にスペイン語とラテンアメリカ事情を勉強させて、後々ラテンアメリカに食い込む下地を作った。

386人間七七四年:2012/10/30(火) 18:28:48.73 ID:xo65lC6Y
しかしまあ家康も人情の機微が判らんオッサンだよな。
あの福島正則に向かってたかだか千石の使番派遣して
「とっとと美濃表に出陣しろや。失敗しても骨は拾ってやる」とか言ったらそりゃあブチ切れるだろjk

もう少し知恵も舌も回るやついくらでもいたろうに…

文字通り首一つになって戻ってきた村越茂助ェ…
387人間七七四年:2012/10/30(火) 18:44:04.96 ID:49V8PZ6Q
あの時は正則も酒飲んでて間が悪かったというのもあるよ。
酔いがさめて家康の使いだったと聞いて真っ青になったそうだが、首を送り
返した後だったので、どうにもならない。
388人間七七四年:2012/10/30(火) 22:16:06.03 ID:/UaB85Xh
まあ結果的にここで村越を叩き斬ったおかげで「徳川に臣従したのではない」って言い訳が通って斬首は免れ、八丈島島流し、息子の忠勝(徳川秀忠小姓)が相模で500石の直参に残されて、今川家以来の福島の名跡は守られたわけだけど。
もし東軍が勝っていたらどうなっていたか。
八つ裂きじゃ済まなかったろうね。
389人間七七四年:2012/10/30(火) 22:49:45.31 ID:qtzZrLTo
>>386
茂助といえば、息子の吉勝が戦後石田三成に召し抱えられてるのはどういう縁故によるものなんだろう?
ってか、関ヶ原で戦った家康軍団の旗本二世部隊、ほとんど三成とか島左近の家臣になってるんですけど…。
390人間七七四年:2012/10/30(火) 22:56:49.72 ID:BcLCaoYr
>>386
首を届けた可児才蔵に太刀を与えて度量の広さを演出してるけど、帰った後で太刀を抜いて振り回して憂さ晴らしするようじゃあね…。

391人間七七四年:2012/10/31(水) 00:09:10.72 ID:bc5bWJ9P
>>389


信玄公以来の訴訟マニアの曲渕が佐和山の町奉行だぞ。
なんだってあるさ。
392人間七七四年:2012/10/31(水) 05:43:18.62 ID:J1JGs1Rm
>>389

俺の嫁さんの実家が村越家傍流なので、そこで聞いた話だが家康が「茂助があの口上をそのまま述べるとは思わなんだ。出した儂の手落ちだが、茂助も茂助だ」と言って徳川敗北の戦犯扱いされてかなり家中で肩身狭かったらしい

それを伝え聞いた田中吉政が三成に伝えて三成が豊臣直参として召し抱え直したたと伝わっている。

以来村越家と三河武士団との仲は極端に悪くなって、村越家では「三河松平の血を引く者、当家に入れるべからず、嫁ぐべからず」というのが家訓に。
俺も結婚前に「三河松平の血が入ってないかどうか」チェックされたしw
393人間七七四年:2012/10/31(水) 22:12:52.32 ID:eIRJz9wX
ある意味、勝利の一番の功労者かも知れんしなぁ。
394人間七七四年:2012/11/01(木) 07:43:52.96 ID:+wV2avuy
親子で別れて保険かけたのは真田だけじゃなくて九鬼さんとこもそうだったんだが、
ここは嘉隆が「守隆?何者でござる?」と助命に一切動かなかったことから「冷たい親父」と言われてきたが、
実は鳥羽・神島に設けた大篝火燈は守隆慰霊のためだったと伝わるんだよね。
表向きは入港の便をはからうため、とされて「日本初の常設灯台」と言われてるけどさ
395人間七七四年:2012/11/02(金) 01:27:20.58 ID:HDsQMsWT
一方相変わらず何も決まらず、何もしなかった北条家
396人間七七四年:2012/11/02(金) 07:22:44.49 ID:nXPt3N/K
北条家の力の源は血筋でも権威でもなく証文の山だったから、小田原ボッシュートされた時点でな

動きたくても動けなかったんだろ。
397人間七七四年:2012/11/03(土) 02:06:15.95 ID:y9B3vio4
そのおかげで中立と見なされて生き残ったのは皮肉すぎwwwww
398人間七七四年:2012/11/09(金) 01:42:45.12 ID:UO+m5IMk
>>386
西郷隆盛はこの事件を知ってたから、慶応戦争で大政新政府についた仙台黒田家を説得する使者に世良修蔵が決まりかけた時、「あんな小僧を出したら村越茂助の二の舞じゃ、おいにまかしとき」って言って自分で出て行ったんだよな。
399人間七七四年:2012/11/09(金) 21:50:49.29 ID:hMMDC169
戦国からは外れるけど世に言う松島会談だな。

血気にはやる黒田の「艦隊が跋扈する松島湾に武装を降ろした春日艦1隻で乗り込み中村半次郎を供に
大砲おろされて不貞腐れていた砲術士の東郷平八郎に「おはん、暇ならついておじゃっせ」と伝馬船を漕がせて
会談場に向かう話は有名だな。
400人間七七四年:2012/11/12(月) 00:17:35.13 ID:lAugZlG7
>>399
うむ。その後西郷が大老黒田一美と穏やかに話をつけ、慶応新政府側に帰順させたんだっけだな。
西郷が主役のドラマでは見せ場の一つだ。
で、これには後日談があって、この時供に連れて行かれた東郷はそのまま黒田の海軍操練所に預けられて、新式艦の動かし方、戦術と将官教育をみっちり仕込まれた。
西郷に諭されて残された世良はそれ以降西郷に傾倒して、ついには周防藩から初の総理大臣にまで上り詰めてる。
この出来事一つだけで10ぐらいのドラマの起点になってる。
401人間七七四年:2012/11/12(月) 06:58:35.76 ID:XB5cTNs1
スレタイと違う方向に行ってないか?????????
402人間七七四年:2012/11/12(月) 18:18:45.86 ID:MmU2cBGw
せっかく石田方についたというのに検地報告を過小申告してたのを咎められて領地ボッシュート。

後釜に入ってきたのはよりによってあの仙石!

こんな可哀想な長宗我部さん……なにがまずかったかねぇ…
403人間七七四年:2012/11/12(月) 19:20:49.56 ID:lAugZlG7
>>402
戦闘参加が最終盤になってからだったから、加増がしょぼくて家臣に十分報いられず、お家騒動が再燃した。
で、独立大名に取り立てられた津野親忠が本家の家督をも狙って活動開始、仙石と手を組んだ。
そして久武親直が不正を行っていると密告。

家中の問題を放置してたのが一番悪いという結論。
404人間七七四年:2012/11/12(月) 20:32:21.42 ID:GOIfLgM+
急な加増で家来不足におちいったゴンベ殿は、好都合とばかりに旧長宗我部家中を家来にした。
土地の事情に通じた新家来を使い、高地湾の干拓、高知平野の治水、新田開発を行い、産業の振興も奨励し、
いまだに土佐では名君と言われているが、実際のところは脳筋の使い方は脳筋にしかわからなない
といったところであろう。
405人間七七四年:2012/11/12(月) 20:48:00.46 ID:lAugZlG7
>>404
しかし、旧長宗我部家中をうまく使っていた仙石秀範の時代は良かったが、弟の忠政の子政俊が養子に入ると途端に旧長宗我部家中を差別しだして一揆を起こされてる。
しかも相撲興行にかこつけて呼び出され、投げ殺された挙句改易されてしまう始末。
で、土佐の新領主は津野が着任。
ゴンベ一族長宗我部というか津野一族にウマウマと利用されただけじゃねーかと。
406人間七七四年:2012/11/13(火) 00:18:26.18 ID:gJ2/yYDw
>>405
しかも長宗我部に復姓した津野親忠の子親興が家老に召し出したのが仙石秀範の息子長太郎ときたもんだ。
旨みは全部なくなった上に苦労だけ押しつけられとる…ゴンベさん哀れ
407人間七七四年:2012/11/13(火) 23:57:32.02 ID:KnhJ1JvV
>>404

仙石が家来不足だったのは急な加増の為じゃなくて、東軍に所属しながら石田方にいろいろ情報送ったり東軍の足を引っ張ることをしたりしたその生き方が当時の侍連中に嫌われただけ
408人間七七四年:2012/11/14(水) 18:41:13.50 ID:Nz12w4mG
>>405
投げ殺されるときの顛末は歌舞伎の「すまいて」っていう演目になって残ってるよな。
一回じゃなくて二回、三回と投げつけられて泣いて謝ってるのをさらに呼び戻しをかけるという惨さ。
どんだけ嫌われてるんだよって話だな。

>>406
秀範の系統は仙石家では例外的にまともだったからねえ。

>>407
仙石って、息子の忠政が関ヶ原で討死したのを公衆の面前で散々にけなして顰蹙買ったんだよな。
あまりの変節漢ぶりに結城秀康すら激怒して「斬首すべき」と言うし、息子の秀範は一時母方の野々村姓を名乗るわ、家中を退転する奴は出るわともう最悪。
受領名の『伯耆守』さえ豊臣時代を通じて嫌われて、名乗る奴が誰もいなくなるわと散々なことになったんだよな。
409人間七七四年:2012/11/14(水) 22:06:34.74 ID:ccYlEsLK
>>406,408
でも家老って言っても名ばかりだからねぇ・・・
「信親公の御首を贖うにはまだまだ御奉公が足りませぬぞ」なんて言われて次からつぎへと面倒な仕事や雑用を押し付けられてた。
410人間七七四年:2012/11/14(水) 23:42:45.83 ID:Nz12w4mG
>>409
もらった所領は「戸次領」、陣屋の所在地は「小倉村」と改名されて、徹底的に叩かれてる。
さらに庶子は強制的に「小倉」と改名させられている。
あまりのことに秀頼が隠居の親忠に苦言を呈したが、かえって苛めが陰湿化する始末。

しかも家老の仙石はまだいい。
上士に復活した長宗我部家中の下についた旧仙石家中は足軽扱いにされ、水飲み百姓にすら哀れまれるほど差別された。
一度悪さをすると延々祟るってな本当だな。
411人間七七四年:2012/11/15(木) 00:58:33.65 ID:pgmXiPEA
戸次川の合戦後
            ..∧_∧      戸次川の敗戦は四国勢が
            (-@∀@)     我の命をきかず独走した結果である。
         _φ 無⊂)_     討死は自業自得、
       /旦/三/ /|    拙者には何の咎もない。
     | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |    
     | .ヤンマガ .|/    
       仙石秀久



  ', ',   ヽ             |`ヽ、
  ', ',   ヽ       i 、  | `lヽヽ,         おのれよくも抜け抜けと…っ!
   ヘ ヘ    ヽ      l  〉.'´/ ノ: ヽヽ` ヽ、
    ヘ ヘ    ', , r   ,' /  / /: : : ', 〉::::::::::ヽ、    覚えていろよ、
     ヘ ヘ    r'./   l  //: : : : : l':::::::::::::::::.,    楽には殺さんぞ……
  ',、  | l    l/     .|//: : : : : : : .l::U::::::::::::::::',      _
   ',`ー'  |   /l    | l: : : : : : : : : : l ::::::::::::::::::::l  , r ' ´__.ヽ
   ',   .|   l l    ', l: : : : : : : : : ,'_:::::::::::::::::::::/ /´ /
    ゞ   |   l レl    ヽ、ソ`/l: : : ,'、ニニニニ// /   , ' -‐'/
    \ ミ    ´ |  _ ,   ' ,   |: , '   丿 ./ /, r ' ´_ /, -'‐一
     \ミ  丿ヽ'´ /   〉-‐' "  /::::::::.l//, r ' ´    /  /
  ,__, -‐─三 <´─>    `── 'ヽ::::::::::::/ / , -──'──- 、
  ',  __ "   ',  ヾ >     / , - ‐'´   |/ /- ' ´  ̄フ ̄ ̄フ
  `´  ヽ`〉- ,.',/─`     |'´ , ,// |, r ' _ , - ‐─'──'´/
    ,-一'─' _|      /| // / , r| , r'"l: : : : : `'ーl  / /
    ` ̄ ̄/    ヽ   /  | /: ://: ://: : ): ヽ、: : : : : :// |
           長宗我部元親
412人間七七四年:2012/11/15(木) 00:59:07.06 ID:pgmXiPEA
そして一世紀後…
  
  / / ヽ   /  ヽ \
    /|   丶 /   |
    L,-、   V i | ||
  ,-、ルーャ、\ |  /`Wv,-、      おい、貴様!
  |T1{  \丶レ|//~1//' 1     早く材木伐採して上洛しろ!!
  ヘr,| ' 、 。`,ルィ'。  / ノ/j/     関白殿下から内裏修築の用材を
  /ヾj  ゙⌒"ノ_ `⌒' //1      催促してきているぞ!!
  .γー、 fr-ーー1} ゙/||      
  `y' 7`Y-、` ̄' ; | /// /      
  { / / メ、 ー-タ/// /
  .> _,  / |ニニ/彳/  /
  |   ー' 、ノ ュr-゙ ゙̄   /
  `\_ /  | | N   /

    長宗我部上士


          ∧_∧
         ( @∀@;)  治水の難事業で財力も人力も限界なのに?
        ⊂    つヤットオワタヨ  
         人 ヽノ
    ε=ε= し(_)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        仙石子孫
413人間七七四年:2012/11/15(木) 00:59:52.55 ID:pgmXiPEA
          l      /    ヽ    /   ヽ \
          /     / l    ヽ /      |  \
| し な 間 〉 //  l_ , ‐、   ∨ i l  | |    \      は
| ら っ に |/ l ,-、,/レ‐r、ヽ  |   /`K ,-、 <   し
| ん て あ   / | l``i { ヽヽ l | / , '/',` //`|_/       や
| ぞ も わ    |> ヽl´、i '_   。`、llィ'。´ _/ /,) /\    ろ
| |   な   |`/\ヽ'_i ,.,.,.⌒´)_ `_⌒  /__/l  \       く
っ   |    く    |/ / l´,.-― 、l`ー一'_冫 /l l |   /   っ
!!!! |        \ ', /  /`7-、二´、,.| /// |   /
           lT´ {  /  /  ト、 |::| /// /  /    !!!!!
          l´ ヽ、 > ー    ,/ |ニ.ノ-' / / _
              i``` 、/ }    ',,,..'  |-'´,- '´     ̄/ ヽ∧  ____
           \/ ' \_  `´ノ7l´      /    // ヽ l ヽ
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                           ピュー
                   −=≡   Λ,,Λ 
                  −=≡   (;@∀@)   全速力で行かせていただきます!
                 −=≡   ⊂   o   
                  −=≡   (  ⌒)    
                   −=≡   c し'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
414人間七七四年:2012/11/15(木) 01:03:00.98 ID:pgmXiPEA
関ヶ原の戦いの後の1605年(慶長10年)、仙石秀久によって検地の不正を指摘された長宗我部氏は改易。
土佐には仙石が入封する。
が、悪政を敷いた結果長宗我部旧臣の一揆が勃発し仙石氏は改易。
長宗我部氏が土佐藩主に復帰する。
藩主となった津野親忠の子親興は仙石秀範の子長太郎を家老に取り立てたが、家中からは「信親公の仇」と憎まれ、酷使されたうえに冷遇されたという。
(以上>>411->>414『やる夫が才谷財閥を興すようです 外伝8』より引用)
415人間七七四年:2012/11/15(木) 03:53:06.32 ID:7IjRKJh4
二代目信親が京で開いていたいわゆる長曽我部学校の卒業生が幕閣に多かったのも見過ごせない。
416人間七七四年:2012/11/15(木) 22:46:08.25 ID:UcXM8t/D
長宗我部の郷士差別の酷さが維新の英雄龍馬を生み出したのは皮肉だよな。
417人間七七四年:2012/11/16(金) 02:26:21.80 ID:PiHmYy1K
>>415
盛親の子で織田秀信が烏帽子親になって元服した信親のとこだな。
谷氏と中島氏が教授を世襲してた。

>>416
上士でありながら蔑まれる旧仙石家中に親身に接し、ついには脱藩して海援隊を組織。
南洋開拓の先鞭をつけた坂本直方のことだな。
ちなみに弟の直柔が才谷財閥を作った才谷梅太郎。
418人間七七四年:2012/11/16(金) 19:34:08.67 ID:t2F2Hizb
才谷の坂本家も先祖はあの「主殺しの明智」だから気持ちは判っていたのでは。
明治になってからだが、商売の些かいが表沙汰になってあるところで
猿お方から「貴殿はさすがに、裏切りは巧い」と揶揄された時に
「それがなかったら貴方はここにはおられますまい」と切り返した位で。
419人間七七四年:2012/11/16(金) 20:57:29.64 ID:Mw4z+MRM
>>414

悪政ってもなー、検地しっかりしただけだし。「これじゃ領民餓えます」という訴えに、「これ食べればおk」とわざわざ小諸から持ってきた蕎麦植えること奨励したり、一概に悪政とは言えないんだが

「こんなもん食えるかー!」と領民の総反発招いて、たしか今でも高知じゃ蕎麦屋流行らないんでしょ?
420人間七七四年:2012/11/16(金) 21:52:44.65 ID:PiHmYy1K
>>419
そのしっかりした検地で摘発した不正というのがただでさえ貧しい(しかも政俊時代になって搾取され始めた)土佐人がやっと切り開いた新田だったりしたわけで、怨まれないわけがない。
蕎麦も地質水質その他の条件全く考えずに強制的に植えさせたもんだから失敗してろくなものができなかった、という事情もある。
しかも、何とか工夫してまともにできたのを仙石家中が強奪に近い形で持って行った。
で、失敗したろくに実が入ってないのを土佐人のところに恩着せがましく送りつけて、それが一揆の引き金になった。

蕎麦屋が流行らないのは長宗我部復活後、足軽扱いにされた仙石家中が蕎麦の実以外食べることを禁止されたから。
「ヘッツキのソバクイ」と言ったら、土佐では最低の男のこと。
つまり仙石家中同然のダメ人間で稼ぎが少ないという意味。
421人間七七四年:2012/11/17(土) 00:49:31.17 ID:9HFL+wwt
美濃の隣国信濃根生いの大名も悲喜こもごもだよなー

真田についてはもう書かれてるけど、諏訪、小笠原、村上の三人衆。

諏訪は本家が諏訪大祝捨てて徳川東遷に従ったのが運の尽、
小笠原は一旦徳川捨てて豊臣に臣従するも肝心の関ヶ原で対上杉軍に組み込まれて本家アボン(傍流の赤沢が継承)
結局上杉と縁深めてた村上だけが最終的に小倉12万石ゲットしたけどな
422人間七七四年:2012/11/17(土) 03:09:11.35 ID:HZe+6w89
豊臣15代覚えさせられたわー。
秀吉―秀頼―秀闇―秀ひも―ひも吉―秀罵詈―秀絶
いまでも結構ソラででてくるわ。
秀頼が悪い幼名で厄を避けた前例から独特な名前をつけたから覚えやすかった。
8代目は養子だから違うけど。吉乳だっけ、吉尻だっけ。
423人間七七四年:2012/11/17(土) 08:09:30.25 ID:/pmTHDxT
>>421
諏訪が徳川に組み込まれてなかったら諏訪大社は今よりもっと権威のある神社だったかもしれんね。

村上は、上杉一門の山浦を継いでたのに直江兼続が景勝の君主権の確立のために何かと難癖つけて力を削ごうとしてたからブチ切れて上杉家を飛び出したって話もある。
村上に復した後、景国だった名前を元の国清ではなく景清に変えてるから上杉家との親交は途絶えてなかったみたいだけどね。
424人間七七四年:2012/11/18(日) 00:31:23.19 ID:+TJ0JGRS
>>423
村上は兼続ではなくその弟の大国実頼と良くなかったという説もある。
で、豊臣直参の格式をもつ兼続が秀頼に願い出て大名取り立てになったという。
小倉12万石をもらったのは、確か息子の高国の代じゃなかったか?
秀頼が隠居して嫡男秀幸(幸は八条宮の通称から拝領)が継いだ後の話だ。
425人間七七四年:2012/11/18(日) 00:50:00.68 ID:+TJ0JGRS
小笠原は徳川系の小笠原氏が繁栄してるよねー。
家康の六男小笠原権之丞が1612年から秀頼に仕えて15万石。
秀幸(千姫の子)の代になってインド洋遠征軍の司令官の一人に抜擢。
弟の忠輝の下インド・ビルマの戦線で大活躍した。
子孫は海軍一筋で慶応明治昭和に至るまでずっと海軍将校の家柄、海軍の名家だ。
426人間七七四年:2012/11/18(日) 12:49:48.64 ID:RZjJtp25
>>425

15万石、でももらった領地ははるか南洋小笠原諸島だったというオチ…w

いくら徳川警戒でもそれはないだろ、という声が当時から言われてたな

琉球もらった亀井さんところは慈矩自らが望んだ(備中高松講和の際)という故事あったからいいにしても。
427人間七七四年:2012/11/18(日) 14:06:29.16 ID:HcLUb9Fv
歴史初心者なんですが、ちと知りたい事があります。
東軍の敗軍の将、徳川家康の最後の死に様はどんなんだったんですか?
友達に聞いても「そんな事も知らないのか」て顔されます。
誰か教えてください。
428人間七七四年:2012/11/18(日) 14:43:50.15 ID:wt/if4sT
太平洋戦争で天皇が消滅した理由は徳川にあるからな。
こいつら歴史で負け続けたからってあることないこと連合国にぶっち上げた。
本気にした連合国により天皇制は廃止。分断国家にならなかっただけいいけど。
429人間七七四年:2012/11/18(日) 18:29:41.53 ID:RZjJtp25
>>428

まったくこれだから上方者は困るぜー。
「平将門以来の天皇家に弓ひくもの」扱いして豊臣&上方公方のタッグでドンだけいじめてきたのか忘れたとは言わせねーぜ。
豊家蔵入地税収もよそでは秀頼時代に「五公五民」に改定したのに関東だけは「二公一民」据え置き。そのくせ関東の整備は明治までほっぽりだしてしかも北海道優先w

大正大震災なかったら未来永劫しなかったんぢゃね?疑惑すらw

大平洋戦争も豊家ゆかりの華族・軍閥・財閥がやらかしたことだろうがっ!まったくもう
430人間七七四年:2012/11/18(日) 20:46:54.02 ID:5BOGLx8E
あれ、京の都の御所におわすおかたはどなた?
ア○リカ大統領も○国の主席も毎年ご機嫌うかがいに来日するというのに。
431人間七七四年:2012/11/18(日) 20:58:00.03 ID:XmBl7M+M
>>427
諸説あるんだが、巷に流布してるのは鷹狩りをしようとして鷹につつきまわされて
沼に落ちたとか、鯛に食われたとか。
他には全裸少女にかこまれて腹上死とか、不老不死の薬を試して毒を飲んでしまったとか
関が原合戦で討ち死にしていて後は影武者だとか、そもそも生まれてなかったという説もある。
432人間七七四年:2012/11/18(日) 22:27:47.33 ID:+TJ0JGRS
>>429
>>430
>>428は架空戦記の世界から来たんだよ。相手にしない方がいい。
太平洋戦争が四分六の講和でまとまって、なんとか名目上だけでも敗戦を回避できたのは天皇陛下あってこそ。
そして講和が成ったおかげで、アメリカも日本の皇室制度を含めた国内構造には全く手をつけられなかった。
まあ、その代わりにあちこちでアメ公の戦争に付き合わされることになったがな。
433人間七七四年:2012/11/18(日) 22:47:06.02 ID:+TJ0JGRS
皇室といえば、最大の幸運は明治帝の御子がそろってご健康だったこと。
皇位を継いで大正天皇になられた第二皇子建宮敬仁親王はもちろん、第四皇子昭宮猷仁親王、第五皇子満宮輝仁親王のお二方が極めて健康で、お子も多かったから、皇位継承者は平成の今で八十人以上。
ほとんど英国王室並みの人数だ。
唯一お体が弱く一番お子の数が少なかった第三皇子明宮嘉仁親王ですら四人の親王に恵まれている。

八条天皇誠仁親王の弟で子だくさん・長命だった政仁親王の血が色濃く出てるな。
434人間七七四年:2012/11/18(日) 23:48:22.68 ID:RZjJtp25
関東者としては皇室関係の話はパスしたいな。聞いてもよくわかんねえし、背景解説されても関東者にとってはムカつくこと多いしw
435人間七七四年:2012/11/19(月) 01:09:23.84 ID:vqrTpnhP
>>433
大正天皇の最大の功績は摂政皇太子時代に朝鮮を突き放したこと。
清国が弱体化して朝鮮の独立運動家連中が日本にやって来た時、「悪友、親しむべからず」と断固として援助を拒否。
重臣連中が何を言っても耳を貸さず、援助も資金も何もやらずに追い返した。

一説によると文禄慶長の役の細かい記録を石田侯爵家が保管していたのを天皇に献上し、「関わるとろくなことになりません」と教えたのが英断をもたらしたらしい。
その後朝鮮はシナに飲みこまれて、シナ華北は朝鮮人どもの反乱と身の程知らずの要求のせいで永遠の貧乏国状態に。

あそこで突き放さなかったらと思うと寒気がするぜ。
大正天皇は偉大だが、その決断を導いた石田の家も凄い。
436人間七七四年:2012/11/19(月) 12:16:37.77 ID:l0p35+v1
ロジスティックを重視した戦略を立てるのは三成以来の石田家のお家芸だからな。
仮に石田家が歴史の表舞台から消えてたら、日本の軍事において
兵站の概念が軽視されて、無謀な海外進出を繰り返した挙げ句破滅だなんて未来も有り得たかもよ。
ちとオーバーな表現だが。
437人間七七四年:2012/11/19(月) 21:18:33.09 ID:vqrTpnhP
>>433
その嘉仁親王の第一皇子が「てっさの宮様」こと全国河豚料理協会会長の中川宮(久邇宮家の女王と結婚し久邇宮家の別称を名乗った)殿下だな。
フグ料理禁令を解くために総理大臣になった児玉源太郎ほかの長州人を引き連れて禁令の張本である豊臣大公を説得しに行った逸話はあまりにも有名。
それでも認めないので児玉にフグ刺身の大皿を、もう一人の従者にてっちりの土鍋を持たせて、自分はレシピ持参で大公の食卓に殴り込んで「中るか中らぬか食べてみよ」って言ったらさすがに大公も禁令解除に同意したという。
で、禁令解除の唯一の条件が「無毒のフグを作ること」だったのだが、宮は魚貝類の研究が趣味だったのでむしろ嬉々として研究に励んだという。
身分を隠して「竹山」と名乗り海軍の一大佐として南方にまで出張、二等駆逐艦の甲板に山ほどサバフグとドクサバフグを釣って比較スケッチを描いたりとかもしたらしい。

秀吉の負の遺産を消し去るために皇族が奮闘したお話でした。
438人間七七四年:2012/11/20(火) 02:26:19.87 ID:JczCRrNw
>>436
ありえる。将軍という将軍、みんな砂食いの加藤光泰みたいなのばかりになりそうだ。
上の方でも出てたけどガダルカナルとかは空中補給どころか、飢餓との戦いの戦場になることは請け合いだ。
米兵より腹いっぱい食ってる上官の方が憎くなる地獄絵図。
ところで加藤貞泰って関ヶ原敗戦後は改易、千石で旗本復帰で合ってたっけ?
嘉明のところもそうだけど清正系以外の加藤家は影が薄くって調べようにも資料が少なくてよく分からん。
439人間七七四年:2012/11/20(火) 02:34:47.00 ID:JczCRrNw
>>437
豊臣時代、武士はフグに中って死ぬと改易だったそうな。
幕末の海軍でもフグ中毒は完治した後重営倉。
ちょっとやりすぎだよな。
440人間七七四年:2012/11/20(火) 10:43:17.89 ID:66T1yDTb
>>439

幕末…?足利幕府が海軍持っていたとは初耳。
441人間七七四年:2012/11/21(水) 16:47:16.98 ID:RWc+09QW
>>427
マジレスすると秀頼が関白を退いて太閤になった後の1630年に許されて高野山から京都に移された。
で、官爵を旧に復して一万石の捨扶持を与えられ、京都に屋敷をもらって住んだ。
1635年、茶屋四郎次郎の別邸で発病して病死。
442人間七七四年:2012/11/22(木) 00:38:44.17 ID:RX8mOhpu
>>441
晩年はすっかり丸くなって風流を楽しんで暮らしたらしいな。
前田慶次と酒飲んで騒いだり盆踊りに参加したり。
「洛中屏風図」にも盆踊りに参加している家康が描かれている。

政治向きの相談に来る年寄衆なんかもいたらしいが、ぞんざいな対応で追い払ってたとか。
家中の掌握に悩む石田重家の子隼人正が相談しにいったら、ちんちん丸出しで奥から出てきて隼人が呆れたという話が伝わっている。
443人間七七四年:2012/11/23(金) 16:35:13.51 ID:bFNulylh
細川幽斎の嘆願で助命された細川忠興を揶揄するざれ歌

細川殿はたまなし越中 褌しめても 肝しまらぬ

は後世の作で当時流布したものではないそうだね。
石田襲撃七将って、それぞれどうなったかだれかまとめて
444人間七七四年:2012/11/24(土) 01:17:44.04 ID:EoCW3tix
>>443
こんなんでいい?


・福島正則…関ヶ原で東軍、八丈島に流罪。本来斬首のところ村越茂助を斬ったことで言い訳が立ち減刑

・加藤清正…関ヶ原で東軍?本領安堵(佐敷城を没収とも言われる)。在国しており二宮就辰麾下の毛利軍と戦っただけだったため「自領を防衛しただけ」との言い訳が立った。
息子が大坂で豊臣秀頼に近侍しておりこのことも赦免に繋がったと思われる。

・加藤嘉明…関ヶ原で東軍、本戦で島左近に討ち取られる。所領没収、嫡男に改めて一万石が下される。

・池田輝政…関ヶ原で東軍。撤退戦での見事な戦いぶりが評価され(輝政の母善応院が裏で動いたとも)本領安堵。岐阜城攻防戦で織田秀信を見逃したことなどから西軍の一員だったとの説がある。

・細川忠興…関ヶ原で東軍。細川幽斎の嘆願で助命される。九州の飛び地没収のうえ隠居を命じられ長男忠隆が後継。

・浅野幸長…関ヶ原で東軍。大垣籠城戦の際、高台院から説得されて城を脱出、帰参する。戦後は半知召し上げ。

・黒田長政…関ヶ原で東軍、本戦で立花宗茂に討ち取られる。如水が九州での大友との合戦を「領国防衛のため」と言い抜け、家老の母里と栗山が「長政は命をかけて家康を調略した」と強談判して二万石の減封ですむ。
家督は長政の子松寿が相続。
445人間七七四年:2012/11/24(土) 02:43:51.18 ID:PWq4i/H0
意外と赦されてる人多いね。
逆に西軍が負けてたら石田、大谷、宇喜多、小西、立花、上杉辺りは
確実に一族郎党滅ぼされてたろうな。
446人間七七四年:2012/11/24(土) 02:49:45.14 ID:EoCW3tix
>>445
この当時の豊臣家は譜代家臣団がまだ育ちきってないからね。
迂闊に厳罰にしたらそれこそ屋台骨が抜けて天井が落っこちるよ。

西軍が負けてたら主要大名は一族殲滅ってのは同感。上杉、立花をはじめ、どの家の滅亡も凄まじい合戦の果てになりそうだわー。
447人間七七四年:2012/11/25(日) 00:57:20.69 ID:JyCHQcxw
>>445
史実では帝政ロシアにウラジオストク港建設を再三躊躇わせた上杉。
唯一「最強の陸軍と海軍を併せ持った領主」と言われる上杉。
それが滅ぶとなれば関ヶ原をもう一回やるくらいの大戦になるだろうな。
そういや関ヶ原のきっかけって家康が言いがかり付けて始めた上杉征伐だったような?
448人間七七四年:2012/11/25(日) 02:11:24.62 ID:luq8dxKF
人が書いたことを「架空戦記」とか言ってスレを私物化するゴミが入る以上このスレの寿命も短いな
449人間七七四年:2012/11/25(日) 08:37:30.41 ID:G+VgpkZq
アカは赤化話スレでも立てればヨイアル、ヨロシ。
450人間七七四年:2012/11/25(日) 21:46:26.47 ID:EYy6RlUW
>>426
分家筋に南洋庁の長官がいたんだよな
アメリカ機動艦隊の艦影を迅速に発見できたから
小笠原徳川本家当主率いる艦隊が潰れずに済んだのは有名な話。
451人間七七四年:2012/11/26(月) 14:16:32.59 ID:QnfggI4i
俺青森県人だけど、徳川方が勝っていれば津軽が取り潰されて今の南部・津軽の対立はなかったんじゃないか、と思う反面、ちょっとそういう光景を想像出来ないね。うーん、どうなったんかな〜
452人間七七四年:2012/11/26(月) 19:41:02.63 ID:qRZaMr7v
>>450
ダンプ島の根拠地から輸送船その他足手まといをとっとと追い出し
航空隊と潜水艦で出迎え。

抜けf出した本隊は台風にまぎれて米機動部隊を壊滅させたんじゃないか。
453人間七七四年:2012/11/26(月) 20:08:22.39 ID:5izdkh/r
人が書いたことを「架空戦記」とか言ってスレを私物化するゴミが入る以上このスレの寿命も短いな
454人間七七四年:2012/11/26(月) 22:05:59.66 ID:N7fWDray
ここは「もし東軍が勝っていたら」の架空戦記のスレなのにね。
455人間七七四年:2012/11/26(月) 22:34:54.57 ID:zwbcTGbX
>>450
本家当主が小笠原権之丞中将で、分家が小笠原権兵衛(ごんのひょうえ)少将だったか。
分家の当主の方が年長なんだが、海軍士官学校時代のハッモックナンバーが下位だったため三年下の本家当主に出世で先を越され、南洋庁に転じたという。
本来なら仲が悪くなるところなんだろうが、意外と関係は良好だったとか。

>>452
太平洋戦争中期のトラック空襲迎撃だな。敵機動部隊の進撃情報をいち早くキャッチして艦隊に連絡、遭遇戦の形を避け島と艦隊の挟撃の形に持ち込んだ。
空母サラトガ撃沈はじめ多くの損害を与えた大勝利だ。
ブル・ハルゼイの息子ハルゼー3世戦死などアメリカ側に与えた衝撃は少なくなく、権兵衛は金鵄勲章を授与された。

>>451
どうだろう?
家康にあの津軽為信を改易できるか?
津軽家は仮にも近衛家一門だぞ。しかも本人は家康以上の腹黒策士ときている。
うまく立ち回って生き残ったと思われ。
下手すりゃ南部をハメて南部領を分捕りかねない。
456人間七七四年:2012/11/26(月) 22:54:46.22 ID:hma1LAxA
竹中重門の弟が竹中長門で、歌舞伎役者になって初代竹中直人を名乗って半兵衛重治を大活躍させたんだったか。
457人間七七四年:2012/11/27(火) 00:32:20.37 ID:2EZ2brQe
人が書いたことを「架空戦記」とか言ってスレを私物化するゴミが入る以上このスレの寿命も短いな
458人間七七四年:2012/11/27(火) 02:31:00.53 ID:9V9DRVms
>>456
兄の重門と二人揃って『重門長門』って言われた豊臣旗本の俊英だったんだよね。
どういうわけか傾き者になっちまって、さらに歌舞伎の世界に入った。その理由は今でも謎。
改易され、親戚一同呆れ果てて絶縁食らっても本人は平気な顔をしていたという。
で、名乗った屋号が松波屋。役者名が竹中吉助(きちすけ)。
直人は内裏に上がることを許された際に授かった名前で吉助を襲名して功績著しかった者だけに許される最高ランクのさらに一つ上の名跡だよね。
現在まで吉助は24人いるけど、竹中直人を名乗れたのは八人しかいない。
凄い名跡だよ。
>>408の『相撲いて』(すまいて)は二代目竹中直人の得意演目だったね。
459人間七七四年:2012/11/27(火) 04:07:34.66 ID:2EZ2brQe
人が書いたことを「架空戦記」とか言ってスレを私物化するゴミが入る以上このスレの寿命も短いな
460人間七七四年:2012/11/27(火) 19:28:22.48 ID:8hC4xl1c
>>455
初めは揉めていただけど、共通の師であった(大島丹羽氏当主)
丹羽若州が諭したことをきっかけに和解したはず。
丹羽は関ヶ原直後に丹波・丹後を加増されたと思ったらすぐ冷遇されたからな。

大幅減封前に分知・転封された伊豆の分家(三代目が御伽衆に→伊豆一国四郡を拝領)の方が
結局本家(若狭三郡に減封)より大きくなったのは皮肉だよな
三代目の次男から代々伊豆諸島の代官に補せられたのが大島丹羽氏の始まり。
461人間七七四年:2012/11/27(火) 22:45:17.10 ID:9V9DRVms
>>460
丹羽は織田の外戚だからな。力を持たせとくのは不味いんだろう。
徳川なら重用したかも知れんが。
伊豆一国四郡を拝領したのというと平塚が一時期美濃に栄転してた頃だな。
嫡男幼少でまた伊豆の辺地に戻されたけども。
あれって何の手柄で昇進したんだっけ?
大垣城主に栄転なんて並の手柄じゃありえんぞ。
462人間七七四年:2012/11/27(火) 23:13:18.76 ID:9V9DRVms
丹羽若州というと、陸軍の乃木希典(周防吉川藩士)と並ぶ軍人精神の体現者として名高いな。
どっちも実戦での指揮がまずく、前線の指揮官としては手柄はほとんどないが、教育者としては優秀で慕う人も多い。
どっちも階級は中佐どまりで退役時にやっと大佐になれた程度で、ついに将官にはなれなかったけど。

後に第二次世界大戦後、山下将軍が女子大の理事長に転じたのは乃木と丹羽の影響があったらしい。
463人間七七四年:2012/11/28(水) 00:16:41.16 ID:7ARt4aQs
人が書いたことを「架空戦記」とか言ってスレを私物化するゴミ=ID:9V9DRVmsが入る以上このスレの寿命も短いな
464人間七七四年:2012/11/28(水) 00:29:26.93 ID:PnwZMRPv
>>461
暫く三河で息を潜めていた脇坂安治が突如旧徳川勢(徳川宗家などは無関係)を集めて
三成ら新政権重鎮クラスの大半を暗殺、そのまま蜂起するという計画を察知して寸前で鎮圧した功だね。
京での馬揃えの最中に襲撃して、それと同時に関東で挙兵しようとしていたからな。

タイミングを合わせるために本隊に先行していた安治の使者を捕縛して情報を吐かせ、
直ぐに手勢を山中潜伏組と東海道警固組に別けて配置、東海道を南に逸れて伊豆の山道を潜行する東軍勢を迎撃した
もっとも、頼みの関八州勢と合流する前だったから戦闘自体は楽勝だったらしい
その後京に急使を立てると自らも馬揃え襲撃組を追撃、新政権配下と伊勢で挟み撃ちにして撃破。

ちなみにこの時の新政権手勢というのが丹羽長秀率いる若狭衆。
この縁があって丹羽は平塚旧領の伊豆を加増(後に分知し伊豆丹羽氏)、平塚は大垣城主に栄転
465人間七七四年:2012/11/28(水) 00:33:29.25 ID:dS4EQl4J
>>461

平塚家の大垣移転→元の伊豆へ、はちょうど大奥の絵島事件が起きているのでそれに絡んでなのではないか、と推測されとる。

当主幼少(平塚直広)なので直広本人の栄達とかではなさそうだが
466人間七七四年:2012/11/28(水) 00:54:30.27 ID:L9JrlLQe
>>464
寛永14年(1637年)の脇坂安信の乱だな。
鎮圧軍の主力が奉公衆(旗本最上位)の丹羽直政、丹羽長紹ら長秀の下の息子たち。
旧若狭衆は江戸の陣でも手柄を立てる機会が少なかったからこの時はめちゃくちゃ張り切ってたらしいな。

平塚為景(為広長男)が早死にしなければ、大垣城主28万石でそのまま続いたんだろうけどな。
その結果三島参りや金山開発で伊豆が発展することになったのは歴史の皮肉としかいいようがない。
467人間七七四年:2012/11/28(水) 00:59:13.39 ID:7ARt4aQs
人が書いたことを「架空戦記」とか言ってスレを私物化するゴミが入る以上このスレの寿命も短いな
468人間七七四年:2012/11/28(水) 01:05:59.67 ID:L9JrlLQe
>>465
絵島事件は『天草四郎スペシャル』の定番だわな。
在京していた直広が絵島が脇坂と連絡を取ったり浪人を京洛に引き入れたりといった動きを直広の家臣が掴んで手先を捕え、拷問の結果得られた関東で蜂起の動きありとの情報を直広が国許にいた隠居の父為景に知らせ、それが乱鎮圧のきっかけになった。
この直広の働きをそっくり天草四郎の手柄にしてる。

ところで絵島事件に関わってた兵法者の丸橋忠弥ってのは何者?
長宗我部盛親の子説が根強くあるんだが…。
469人間七七四年:2012/11/28(水) 01:30:45.02 ID:7ARt4aQs
人が書いたことを「架空戦記」とか言ってスレを私物化するゴミが入る以上このスレの寿命も短いな
470前田利政:2012/11/28(水) 05:22:06.29 ID:eNp4U26P
難しくてよくわかんない
471人間七七四年:2012/11/28(水) 21:33:17.38 ID:PnwZMRPv
この辺の伊豆国主の動き面白いな

初代 平塚為広
 関ヶ原における小早川秀秋暗殺、並びに脇坂隊との善戦による功により
 美濃一万五千石から伊豆一国四郡六万五千石に大加増
 脇坂安治の乱鎮圧の功により美濃大垣城主(四郡十三万石)に栄転

二代 丹羽長正
 脇坂安治の乱鎮圧の功により本領の若狭・丹波・丹後三国に加えて
 伊豆一国四郡七万石(為広の善政により同範囲で五千石増加)加増
 但し長正は韮山城代として入封、形式的には長重領
 平塚氏左遷の巻き添えで淡路国一国六万五千石に移封、
 但し減ったのは内高だけなので形式上は左遷に当たらないが丹羽減衰策の一つか

三代 平塚兵庫助(呼称については官職補任記録から推定、官名以外未詳)
 大垣城主平塚為景(為広嗣子)の夭折に伴い旧領伊豆七万石に減封されて家督相続
 この辺の事情は余り明らかでないが、兵庫助は平塚久賀(為広弟)からの養子との説がある
 ただ、丹羽の口添えもあって嗣子と公認され無事に平塚家は存続。
 この時に、改易を主張する若年寄長宗我部信親と御伽衆筆頭丹羽長重とが激しくやり合ったとの記録もある
 やはり脇坂の乱を裏で操作していたのは長宗我部であり、絵島事件(事実上脇坂の乱連座)で磔刑に処された
 丸橋忠弥の敵を討ちたかったのだろうかとも推測できる
 結局兵庫助は数年経たずに安房国一国四万五千石に減封される

四代 丹羽長正
 兵庫助の失脚に伴い丹羽氏が復帰
 この裏では丹羽と長宗我部との何らかの妥協が成立したとの見方もできる
 淡路在府時代に長秀が逝去したのをきっかけに、長正は正式に長重の本家からは分知・独立を
 果たしているためここに伊豆丹羽氏が成立する。
472人間七七四年:2012/11/29(木) 00:01:15.33 ID:wFsoJ7Jg
>>464,471です
ちょっと訂正
散々脇坂安治の乱って書いてるけど安治は>>41の通り改易の上切腹になってた
>>466が書いてくれたとおり正しくは三男の安信が蜂起したから「脇坂安信の乱」がFA
この時長男の安元と三男の安経は安治に連座して隠岐・佐渡に流されて二人とも刑死してる
それで唯一所在不明だったのが安信だった

それと、平塚兵庫助が平塚久賀からの養子と書いたけど、正確には久賀の息子からもらった養子だね
平塚関係は史料が少ないから上級旗本クラスだった息子の名前までは伝わってないみたいだけど
473人間七七四年:2012/11/29(木) 00:53:20.99 ID:Tvz/RbSZ
>>472
慶応戦争で結城松平に攻められて落城の時に資料がほとんど焼けてるからな。資料が少ないのは仕方がない。

安信はこの反乱以前はほとんど歴史の表舞台に出てこないし、官爵が安治と同じだから間違われやすい。
時代劇でも昔は素で間違えてる事が多かった。まあキニスンナ。
474人間七七四年:2012/11/29(木) 01:14:12.91 ID:UCiZtaTi
そういえばこの間「秋の国宝展」行ってきたけど、目玉はなんといっても「織田村正」だったな!

道具の目利きで知られた織田有楽秘蔵の村正は刀・槍共に流石のものだったぜ。

みんなも見た?
475人間七七四年:2012/11/29(木) 01:59:07.13 ID:Tvz/RbSZ
関ヶ原で石田隊に突きこんで捕まり、勇戦を評価され許されて黄母衣衆に取り立てられた長男・長孝が持ってたのが村正の良業物、有楽秘蔵の織田村正は最上大業物。
織田村正は有楽流家督の証。
476人間七七四年:2012/11/29(木) 11:23:34.33 ID:5nEj0bsG
>>451
徳川には為信三男がついてたし、津軽の本領は安堵されただろうな

むしろ、東軍についてた南部は加増されて移封されるかも
477人間七七四年:2012/11/30(金) 13:09:54.89 ID:tIYVc3Tr
>>476
南部は前田系列だからそれはないんじゃないか?
あそこは内政があんまり良くないからな…。
478人間七七四年:2012/11/30(金) 16:14:42.00 ID:rIZ30d2q
>>476
あるとしたら南部の甲斐国移転あたりか?元々甲斐国住民ではあったし。
あー東軍勝てば佐竹が潰れるから常陸も空くな。しかし常陸も名だたる貧乏所帯だからなー。

でもさ、石田方に早くから肩入れしてたのに、恩賞として示された上方移転(紀伊という話)を
「せっかくですが先祖代々の土地を離れるつもりはないし、恩賞目当てと思われては当方迷惑」って言い切る佐竹さんってかっこいいよな。損な生き方だけどw
479人間七七四年:2012/11/30(金) 23:57:46.32 ID:tIYVc3Tr
>>478
江戸の陣で大野治徳がいたらんことしなければこの古武士集団はずっと味方だったものを…。
誰があんな奴を軍監にしたんだ?
480人間七七四年:2012/12/01(土) 08:50:02.94 ID:BDcJykJ3
みんな出張っていて使える香具師がこいつしかおらんかった人材難。
なら、いっそ直江が手紙でも書いて、前田慶次あたりに持たせたほうがよほどマシやろに。
石田三成が手間を惜しんだばかりにあたら・・。
481人間七七四年:2012/12/02(日) 00:41:55.42 ID:JxJAiKlS
>>480
いっそ徳川旧臣から採用の村越吉勝を出した方がいい結果になったかも、だよな。
治徳がズンバラリンされたおかげで大野本家はまたも改易。
弟の治安は連座こそ免れたものの井伊直継を討ち取った手柄が帳消しに…加増間違いなしだったのに哀れ。
482人間七七四年:2012/12/02(日) 00:59:34.55 ID:w9rI53vA
関が原以後の北条家はうまく立ちまわったねぇ
徳川に吸収された旧家臣に何もさせない事で、豊臣に恩を売りつつ
徳川とも致命的な敵対は避けるというのは流石は名家というか。

お陰で小田原が帰って来たどころか念願の関東管領貰えたし
483人間七七四年:2012/12/02(日) 01:09:50.97 ID:JxJAiKlS
>>482
禄高は35万石でそれほど多くないがね。
関東管領といえば大きな謎がある。
関東管領はこのとき佐竹も同時に資格を与えられ、基本年長で官位が上の者がなると決められたはずなのに、このときは北条氏次がなっている。
しかも息子の北条氏時のときも佐竹を差し置いて就任している。
これってやっぱり秀次事件に巻き込まれた北条への詫びかねえ?
それとも成田局の政治力のゆえ?
484人間七七四年:2012/12/02(日) 02:52:34.20 ID:zs+3pXGX
↑3.5万石の間違いだろ。一万石から35倍とか有り得ないってw

北条カムバックと聞いて武蔵・相模の地侍、寺院連中は慌てて証文書き換え、隠匿に走っただろうことは想像できるねw
485人間七七四年:2012/12/02(日) 09:44:15.77 ID:JxJAiKlS
>>484
慶長15年発行の『武鑑』には国持大名の項目に「豊臣氏次 三十六万五千石」とある。
相模一国と武蔵の約1/3。

豊臣家の加増の仕方をなめちゃいけない。
七本槍の加藤清正は三千石から十九万六千石になってるぞ。
木村吉清は五千石から三十万石。
486人間七七四年:2012/12/02(日) 15:24:07.16 ID:w9rI53vA
>>484
地元への影響の強い北条家に恩を売って関東統治を
安定させようという目的だから小大名では意味が無い。
ついでに豊臣恩顧大名では統治能力か忠誠度どっちかが不安。
北条家なら積極的に関東外には出ないから安心って所だろう。

豊臣が関東に遷都でもしてれば直接目の届く範囲だからイランけどね
487人間七七四年:2012/12/02(日) 16:24:54.67 ID:RUUbSEbs
何架空戦記話してるんだよ、相模に戦後入ったのは上杉であって北条はあいも変わらず小大名だr
488人間七七四年:2012/12/02(日) 20:35:52.09 ID:w9rI53vA
また架空戦記君か
489人間七七四年:2012/12/02(日) 23:30:10.30 ID:gM8m6WdM
しかし関東鎮定の功績は江戸に入った大谷吉継をおいては語れないだろう。
「死ぬまでの暇つぶしよ」と言ったわりにはなかなかお迎えが来ず、
江戸は商業都市として恥ずかしくない域にまで発展するおまけもつく。
490人間七七四年:2012/12/03(月) 00:33:30.87 ID:hiZ2Jgjw
東京市は確かに地方都市としては発展したけど江戸県自体は・・・
神奈川のベットタウンにするにしても。交通網がな。

東京第二首都構想やら関東環状線構想と関東の開発計画が全部おジャンになってるのは
将門様の呪いか関西の差別か・・・
491人間七七四年:2012/12/03(月) 01:13:32.22 ID:PMyjX4ST
>>487
それも間違いではない。あまり知られていない事実をよく見つけてきたな。
北条氏次は秀次事件後仙台-会津と逃れて会津で上杉景勝の養子になって上杉景氏と名乗っていた時期がある。
さらに関ヶ原では北条旧臣と上杉軍から借りた兵で部隊を編成、この借りた兵の一部がそのまま北条に仕官している。こうした事情から一部の村などでは「上杉公入部」と伝わっている。
が、秀頼が召し出した際には氏次は北条に復姓している。
北条氏規、氏邦、氏勝の系統はこれ、小藩と言っていいのか?
氏規は最終的に氏直に約束されてた伯耆一国十六万石をもらうに至っている。
氏勝の系統も最初こそ一万五千石だが、最終的には五万五千石まで加増されているぞ。
492人間七七四年:2012/12/03(月) 01:28:38.92 ID:PMyjX4ST
>>489
隠居して白頭と名乗り、江戸六十万石に減封された徳川秀忠の政治顧問として江戸に入ったんだったな。
息子の大学吉勝が若狭と越後の一部で三十五万石、木下頼継が丹後十五万石を与えられて一族で52万石の大大名になったからもう思い残すことはないと。
で、元々折り合いの悪くなかった家康の息子を援助しに行ったと。
上方の進んだ建築技術が導入されて江戸の町は短期間に見違えるほど発展したらしい。
吉継が死んだ1615年には人口も1600年当時の三倍近くに増えていた。

が、その成果も江戸の陣で灰になってしまうわけだが…。
家康と吉継が作った水道が完全に破壊されてて、江戸に入った結城直基が頭を抱えたのは>>143にある通り。
で、今度は吉継の三男で旗本五千石の大谷泰重が新・江戸城の縄張りと城下町建設、旧江戸の再建に派遣されることになったと。
493人間七七四年:2012/12/03(月) 04:28:48.65 ID:fqvT2+fM
>>485

北条は足柄下一郡だけの3.5万石で間違いない。少なくとも慶長年間は。ただ相模旗頭としての役割はしょったから、いろんな与力大名付けられたのと
相模・武蔵内の豊家蔵入り地管理者(遠国奉行役:小田原奉行)を家柄奉行として任せられたので
そうした諸々の集計値が35万石。

っつうか武鑑の石高は「戦でどんだけの動員・指揮しなくてはならないか」っつう目安だから大名家に対する税金みたいなもんで、目端の利いた大名家は出来るだけ低く申告してたろ。

まあ長宗我部さんとこみたいにやりすぎて一時ボッシュートされるバカもどうかと思うがw
494人間七七四年:2012/12/03(月) 05:27:41.30 ID:PMyjX4ST
>>493
慶長10年版の『大名武鑑』も見たがやはり北条氏次は『羽柴北条少将 小田原城主 三十五万七千二十八石三斗』との記載だが…。
慶長8年の打ち出し検地では北条は52万石を打ち出して、三成に「再興したばかりで高い石高を打ち出すと軍役が重くなる。もう一度やり直して報告するように」と注意されてる。
北条への三成の私信と指導官派遣に関する公文書が残ってる。

もしよければおまいの読んだ資料を教えてくれ。
青山忠俊の『三河者語り』じゃないかと思うが違うか?
その本は当時から「北条憎し佐竹憎し秀康憎しでメチャクチャ書いてる」と評判の代物だぞ。
495人間七七四年:2012/12/03(月) 19:26:27.10 ID:hiZ2Jgjw
めちゃくちゃは言い過ぎだと思うが・・・
そもそも北条3.5万石のソースって何よ?
東京帝大出版の「萌える大名辞典! 第5版」には38万石ってあるし・・・
496人間七七四年:2012/12/03(月) 23:15:45.94 ID:fqvT2+fM
>>494-495

ん〜じゃあ手元に江戸の陣に関しての資料はあるかい?

あったらそこに北条家の出動人数士卒1200人てあるはず。(江戸之陣諸国陣触覚書)
もしかりに北条家実効支配地石高35万石だとしたら少なくとも7000人、いや一番近いところであることを考えれば1万は動員しなくてはならなかったはず。
現に土佐に国入りしたばかりの仙石家が32万石の家格で6500人動員してるんだし。
ところが北条家は1200人。で、特に問題視すらされてなく、江戸の陣では同じ相模内領してた酒井内膳家や小堀遠州家の指揮権預けられている。
497人間七七四年:2012/12/03(月) 23:22:50.41 ID:fqvT2+fM
>>473にも書いたけれども豊家は自家収入を各国に蔵入り地設定してそれを各家に管理委ねて代行収集させて金納さすことで収入得ていたのは周知の通り。

だから各地大名の表高と実高が全く違う家が出てきて、その代表的なのが相模の北条だったり、尾張・美濃の織田だったり、甲斐の丹羽だったりする。
筑前の黒田も事情は異なるが、表高と実高が違うということではいっしょだね。
498人間七七四年:2012/12/03(月) 23:50:04.26 ID:PMyjX4ST
>>496
慶長28年の『関東御陣陣立書』だと北条氏次は『羽柴相模少将 一万人』と記されているが。
大叔父の北条氏規が『北条美濃守 千二百人』で載っている。
『江戸之陣諸国陣触覚書』も豊臣分家京極関白家に保管されている原本には一万人とある。
秋の国宝展で実物を見たからな。
お前の『江戸之陣諸国陣触覚書』は多分大正年間の印刷版ではないかと思う。
499人間七七四年:2012/12/03(月) 23:58:25.38 ID:PMyjX4ST
>>497
この時期黒田は豊前16万石だが…。筑前は小早川秀包が一円支配で54万石で、黒田は飛び地すらないが?
もしかして徳川旗本出身の丹党中山氏流の黒田直定のことを言っているのか?
直定が筑前に所領をもらうのは江戸の陣の後だぞ。
甲斐の一色丹羽ってそんなに蔵入地預かってたか?
500人間七七四年:2012/12/04(火) 00:14:03.00 ID:2o6j3xXu
お前らどんだけ資料買ってんだよと。
時代劇専門チャンネルの『天草四郎天下御免!』見ようと思ってたのに見入っちまったじゃねーか。
501人間七七四年:2012/12/04(火) 00:40:58.93 ID:se+5g+6e
>>498

だから北条氏次の方は「相模国旗頭」としての人数だって。

関ヶ原で大谷家の与力大名で平塚だったり戸田だったりがいて大谷指揮下で出陣したのとおんなじ理屈だって。

北条家本体は1200人しか動員かけれなかった。

俺の地元は相模国の藤沢町だが、江ノ島弁財天に残る古文書にも「豊家相模国代官 羽柴(北条)氏次」の署名による諸役免除の書付が残っていることから相模支配は豊家代官としてで、自家支配地は足柄下郡一郡だけなのは間違いない。
502人間七七四年:2012/12/04(火) 01:28:01.64 ID:N7bipOM4
>だから北条氏次の方は「相模国旗頭」としての人数だって。
だからソースを示せちゅーに
大体、なんで家臣団や支配下豪族の分の兵力除外した兵力持ち出してるんだ
503人間七七四年:2012/12/04(火) 10:04:35.41 ID:2o6j3xXu
                  やぁ、簡単に兵役について
                   説明しても良いかな?

                     彡⌒ ミ   '^―υ
  良いけど  / ̄ヽ       ∩(´Д` ) (’J’ )
  手短にな ⊂ ̄ ̄ ̄⊃     ヽ | V | )  |  ∪ l
         ( ___`)∩       Y  人   ヽ  .ノ〜
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504人間七七四年:2012/12/04(火) 10:10:28.46 ID:2o6j3xXu
各村、兵役に人数出して。再興した後はじめての戦だから気合入れてね。
 年齢は15歳から45歳まで。
 道具持って来れない奴は道具支給すっから。
 体格の良い奴外してひ弱な奴をよこしたら、小代官斬首すっから。
 働いた奴には恩賞やるから頑張れ。
 〆切は11月末まで。村の連絡係に申告しておくのを忘れずに。
                         By 北条氏次
\______________  __________
                       ∨

                     彡⌒ ミ   '^―υ
          / ̄ヽ        (´Д` ) (’J’ )
    長ぇよ⊂ ̄ ̄ ̄⊃      ( | V | )  |  ∪ l
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この書状、相模国中に出てるんだがな。
505人間七七四年:2012/12/04(火) 15:05:00.80 ID:pUb1nfDl
西軍の武将を巨人軍の歴代監督に例えてください。
506人間七七四年:2012/12/05(水) 00:08:21.19 ID:EYTAjZOj
北条家にあてにされたのは寄せ集めの軍勢よりも
風魔衆への影響力と風魔の持つ聖剣風林火山だけどな。
507人間七七四年:2012/12/05(水) 00:44:25.88 ID:+wqPEVkB
>>504

その触れ書きさ、相模だけじゃなくて武蔵国内にも出回ってんだよねw

高幡不動院や高安寺、深大寺なんかで見つかってるよ。

良いんだろうか…
508人間七七四年:2012/12/05(水) 01:42:13.95 ID:McoOCas2
北条六代記にしか記述の無い風魔は創作だろう。
その後の北条家の家臣としても名前が出てこないし
風間出羽守を風魔だとするのは、名前が似てるだけで何の根拠もない。
風間出羽守、江戸の陣にも名前は出てくるけど前線配置だしな
509人間七七四年:2012/12/05(水) 02:47:00.46 ID:+wqPEVkB
忍者といえば、「豊臣は野伏りは使っても特定の忍者集団は使わなかった」という定説についてどう思う?
使わなかったわけがないと思うんだが。どうも権力層が大して変わってないせいか、この辺りの情報って隠されている気がする
510人間七七四年:2012/12/05(水) 03:10:01.68 ID:pfwyr+at
>>509
俗説だな。
豊臣家は秀吉時代から川並衆と並んで甲賀衆を召し抱えている。
大坂城、伏見城の山里曲輪の警備要員として「旗本武鑑」にも名前が載っている。
ちなみに風魔衆にも豊臣仕官説がある。
511人間七七四年:2012/12/05(水) 04:25:12.99 ID:+wqPEVkB
>>510

ああ伏見城攻防戦の時に手引きした連中ね。でもそれこそ「それまで甲賀衆が豊臣に使われてなかった」証拠じゃね?逆にさ。
だってその時の伏見城番は事実上徳川家の鳥居元忠でしょ?(名目上は木下勝俊だが逃亡)もし甲賀衆が豊臣に使われてたら真っ先に追い出すでしょ。んなもん。

川並衆は忍者集団だったのかね?少なくとも元締めの蜂須賀さんは先年の指輪物語ブームの時に「馳夫とは我等のことなり」って言ってたしwまあ境界線あいまいだけどさ。
512人間七七四年:2012/12/05(水) 23:53:41.45 ID:pfwyr+at
>>505
東京巨人軍の?
巨人じゃなくて小人軍といわれてる万年Bクラスたまに2位になるあの市民球団の?

いくら何でも失礼でしょ。
513人間七七四年:2012/12/06(木) 00:00:44.92 ID:McoOCas2
東京市をホームグラウンドにしてるのはヤクルトだボケ
巨人は江戸市

・・・ベイスターズ、ロッテ、西武と人口の割に球団多いな関東
514人間七七四年:2012/12/06(木) 00:31:32.82 ID:/ZuWntZD
>>513
横浜ベイスターズは水球、ロッテはカーリング、野球チームは西武だけぢゃねーかw
野球の関東東北のチームなら札幌ゴールデンランスか横浜トライフォースとかだろ。
515人間七七四年:2012/12/06(木) 00:45:32.06 ID:/ZuWntZD
しかし、関東ってのは田舎の割にプロスポーツのチームは多いんだな。
バスケットのベアーズキャニオン(埼玉)とかサッカーのレッズ(浦和)、大宮、横浜、鹿島、市原、柏。
江戸市は野球だけじゃなくてサッカーでも市民球団作ってたよな。

ほんとエネルギー有り余ってるわ…。
516人間七七四年:2012/12/06(木) 18:43:11.12 ID:tBSoUwVy
>>514
関東バカにしてんのか
ロッテはそうだったかもしれないがベイスターズはプロ野球チームだコンチクショウ
人工芝の横浜スタジアムで水球が出来るか!
517人間七七四年:2012/12/06(木) 21:51:24.18 ID:glT0c129
>>509
逆に秀吉自身が猿飛流忍術の使い手だったという説もああた
518人間七七四年:2012/12/07(金) 14:50:28.12 ID:o2q4rSax
>>516
すまんかった。
ウィキで調べたら両方あったわコレ。
野球のベイスターズはここ10年ぐらいずっとマイナーのベイ・リーグに甘んじてたから忘れてた。
今年ベイリーグ2位同点で来年、セ・リーグ昇格するんだっけ?


関東は都市開発は後回しだが、ガス抜きのスポーツ振興では優先されてるからな…江戸を除いてだが。
球団・スポーツ団体が多すぎて把握するのに一苦労だ。
プロレスの虎の穴とかも関東だし。
519人間七七四年:2012/12/08(土) 00:34:23.78 ID:92ScEjAp
>>518
東北地方辺りのど田舎県と比べりゃ人口密度も都市化率も遥かに上だぞ関東。
江戸や東京はなんだかんだ言っても政令指定都市で
茶畑しか無いと言われる埼玉だって南側は住宅地になってる。

まぁ・・・未だに群馬と千葉は北海道と一緒に人口密度を争ってるが・・・
520人間七七四年:2012/12/08(土) 14:39:17.58 ID:dnbFgl3Y
つーかなんで関東の片田舎が東の京などと名乗ってるんだ
傲慢すぎやしねえか
521人間七七四年:2012/12/08(土) 15:33:36.37 ID:92ScEjAp
明治時代に日露戦争で大量にせしめた賠償金使ってあそこに遷都する予定があったから。
昭和11年発行の『明治大遷都計画』によれば
「日本列島全体として見ると京都や大阪は西に偏ってるから東側の統制ができない。
故に、東側の何にもない場所に近代的な都市を建造し日本全土をあまねく統治する。」(意訳)


実際には予算がかかりすぎるから吹っ飛んだ。
522人間七七四年:2012/12/08(土) 21:24:40.51 ID:E2pI2GPU
>>512
そうだよ。読売ジャイアンツだよ!だから、石田三成と大谷吉継を歴代読売ジャイアンツの
監督に例えると誰に当てはまりますか(そう選んだ理由も付けて)?
523人間七七四年:2012/12/08(土) 21:29:50.14 ID:HRbIC1u4
三成公は広岡だろ
大谷公は王会長。


理由はわかるだろ。
524人間七七四年:2012/12/08(土) 21:36:27.33 ID:E2pI2GPU
>>523
大谷公は王会長のような派手さはないし、三成よりも年上、病気持ちで地味(良く言えばいぶし銀のようなタイプ)
だけど堅実かつ冷静な人で。三成が広岡なら吉継はだれがふさわしいと思う?
525人間七七四年:2012/12/09(日) 04:20:17.01 ID:KqErcyKA
>>521
まーその後すぐに大正大震災起きたから遷都しなくて正解ではあったけどね
526人間七七四年:2012/12/09(日) 07:42:43.64 ID:nusu/0oE
つーか、加州の国境問題で対米戦やる気マンマンだっただろ。

まぁこの前の戦争でカリフォルニア取られただけで済んだので良かったと
いって云う輩もおるが・。
527人間七七四年:2012/12/09(日) 12:58:52.87 ID:UeVAiVER
独立干渉戦争に干渉して分捕ったはいいが、
遠すぎて統治権なんてまともに行使出来てなかったじゃないか。
大体、あそこの州境紛争だって現地の野蛮人共が勝手にやってただけだし。

満州と朝鮮半島だって、独立という形で実質取られた。
こっちは今から考えると全く要らない子だけど
528人間七七四年:2012/12/09(日) 13:47:37.24 ID:8klwOO+2
>>526
独立戦争以来カリフォルニアに残ってた黒田の領主権が完全否定されたんだっけな。サンフランシスコ条約で。
仙台に飛ばされて以来営々と築き上げてきたものが消滅して黒田侯爵は涙目だったらしい。
当時の日記には涙と唇を噛み切った血がついてる。
おかげでそれまで日米両属の形で忠誠心を疑われ続けてたカリフォルニア人はバリバリのヤンキーになって「最もアメリカ人らしいアメリカ人」と言われてる。
その割に黒田ブランドを観光客誘致に使いまくってるけどな…。



>>527
日本から独立したのは遼東半島の遼東軍閥だろ?今の「東宋」。朝鮮半島は大正時代に突っぱねて以来ガン無視してたじゃないか。
奴らは国際社会で有利になるため日本から独立したと吹いているようだが。
シナ系軍閥からの独立と日本からの独立だと扱いが天と地ほど違うから。
529人間七七四年:2012/12/09(日) 14:07:43.91 ID:8klwOO+2
ちなみに、太平洋戦争の太平洋戦線で最も恐れられたのがカリフォルニア出身の日系人で構成された第442連隊。
ソロモン諸島で牟田口少将を戦死させたのを皮切りに、何人もの将官や高級将校を討ち取った。
陸軍の最も過激な将校ですら、この部隊の部隊旗を見たら逃げたという。
で、その部隊旗というのが日本号と大盃を持って、ウルトラクイズの帽子みたいなのを被った独立戦争当時のアメリカ兵という黒田節に題材を取ったもの。

おかげで立場が悪くなった黒田侯爵、重政流、長経流はじめ分家の各家や元家臣の将校たちに第442部隊の撃滅を厳命したとか。
結局後藤伯爵(基次流本家)が撃滅に成功して、本家の連中はどういう顔をしていいか分からなかったというオチがついた。
530人間七七四年:2012/12/09(日) 15:28:25.78 ID:rXlR/CWj
三成が広岡なら大谷は歴代読売ジャイアンツの監督の中で誰に当たる
(理由も書いて)?
531人間七七四年:2012/12/09(日) 18:19:52.41 ID:UeVAiVER
>>528
完全否定というか、カルフォルニア人がアメリカに併合されたくないから形式上日本領のまま残ってたのが
太平洋戦争で完全に崩壊しただけだべさ
黒田も名目上の統治権失ったくらいじゃそこまで悔しがらん
532人間七七四年:2012/12/09(日) 23:30:20.47 ID:8klwOO+2
>>531
ああ思い出した。
確かカリフォルニア侯国として国際連盟にも加盟してるわな。
元首黒田侯爵で。
で、その黒田が日本の天皇の臣下ということで間接的に日本領だったと。
まあ日本からの移民の供給が途切れて白人の入植を認めたらがしがし入植してきて、なし崩し的にアメリカの州と見なされる状態になってたが…。
533人間七七四年:2012/12/10(月) 01:01:05.17 ID:4EYlCwVl
そのせいでカルフォルニア州は今でも「好きなときに独立する権利」がある。
大統領選の度に、「日本領への復帰」がネタされるっていうw

初期には黒田も色々やってたけど、本土から遠すぎて統治しきれず
実際に統治してたのはカルフォルニア候国州知事っていうんだから
何のために出兵したのか分からんw
534人間七七四年:2012/12/10(月) 01:37:50.32 ID:YOTv0bqq
【ちょっとタンマ】

ノリで書くスレではあるけどさ、さすがに「関ヶ原の勝敗ひっくり返しただけ」で日本がアメリカ大陸進出できて植民も可能、とするのはノリが過ぎてると思う

当時日本が進出するとしたら広州から東南アジアにかけて、でしょ。
で、ちょっとしたら来る産業革命を日本が同時発生ないしは先行しなくては軍事的に立ち向かえないわけだし。
535人間七七四年:2012/12/10(月) 01:44:57.74 ID:NxcCCMzv
>>533
まあ、金山収入だけでも十分元は取れただろうがね。
一門による統治を代官統治に切り替えて最初に現地に派遣した家臣が大久保長安の息子大久保藤十郎と青山成国の子孫だったおかげで金鉱脈を発見できて、主家豊臣以上の黄金を蓄えられた。
豊臣時代末期にイギリスから最新式の軍艦を買え、さらにコピーを量産できたのはこの金山収入があったから。
現地のインディアンも金収入でウハウハ。
金が発見された1749年から約一世紀の間は日本人やインディアンが白人の奴隷を使っていたくらいだった。
独立戦争の際にはいわゆる「シメオン連隊」「ダミアン連隊」を派遣して独立軍を支援。
本国仙台からも義勇兵を送りこんで独立(というか金)を守った。

移民が途切れて白人が押し寄せたのは1840年代だな。
日米両属の形で自発的にアメリカ合衆国に参加して征服されることを回避したのはさすが黒田w
536人間七七四年:2012/12/10(月) 23:38:46.26 ID:To1UhxHb
>>525
東京は地震だけじゃなく、
大正までは度々利根川の洪水があったから、
当時の遷都は現実的には無理だっただろうね。
537人間七七四年:2012/12/11(火) 00:56:13.62 ID:EUwh/yRl
しかしお陰で大阪の都市計画はムッチャクチャ

ttp://img.blog.mian.cc/20120808_106.jpg


見ろよこの酷い有様
下品すぎる
538人間七七四年:2012/12/11(火) 01:58:19.85 ID:+qwwIp8A
既にODLあるのに、USJまで出来たもんな。集中しすぎ。
まあODLと言いつつ、所在は和歌山だけど。
539人間七七四年:2012/12/11(火) 03:15:33.00 ID:+qwwIp8A
あとさ、その写真の大阪城、なんかおかしくない?
本物はもっと黒っぽい気が…。
540人間七七四年:2012/12/11(火) 19:50:55.02 ID:EUwh/yRl
>>539
偶には大阪人だって掃除位するよw
541人間七七四年:2012/12/11(火) 19:56:02.90 ID:Vo8nwG/E
>>540

やっぱり、お城は金ぴかの清須城に限るな。
542人間七七四年:2012/12/12(水) 01:45:40.39 ID:tqJWasXZ
>>541
織田秀信の清州城か。
543人間七七四年:2012/12/12(水) 04:37:30.22 ID:tqJWasXZ
>>539
それ、ニュースステーションのOP画像だからw
CGで適当に作った奴。
544人間七七四年:2012/12/12(水) 08:31:28.48 ID:uR1Akf+n
石田三成、大谷吉継、小西行長、加藤清正、福島正則この5人をプロ野球の監督に
たとえると誰に当てはまりますか(理由もつけて)?
過去・現役監督でもOK)
545人間七七四年:2012/12/12(水) 18:38:02.65 ID:HxoQRIbw
>>543
あれ生中継だぞ?
546人間七七四年:2012/12/13(木) 21:10:40.82 ID:oJGe+frM
今年の年末関が原は東軍西軍どっちがかつかなあ
547人間七七四年:2012/12/16(日) 04:38:28.72 ID:wotOUCs+
>>545
香港からなんだったか、映画のセットから中継した時だなー。
ちなみに香港にはこのセットまだ現存しているそうな。
個人が所有してちゃんと手入れもされてる。
548人間七七四年:2012/12/16(日) 08:46:49.24 ID:tmIYirPl
それ、正確には道一本はさんだ、本土だおな。
バチモンテーマパークでも悪質なところだお。
549人間七七四年:2012/12/16(日) 14:02:26.25 ID:ji6LgfcO
あんな下品なテーマパークは中国にもねぇよw
550人間七七四年:2012/12/17(月) 00:06:50.54 ID:SWtHxF42
スレタイに沿うなら

仮に宗茂や秀包が関ヶ原に間に合わず、尚且つ南宮山の毛利勢が本当に家康に内通してたとする。
これなら三成や秀家達関ヶ原の主力部隊は壊滅に追い込める可能性はある。
だがしかしどうだろう?仮に関ヶ原で東軍が勝てたとしても
今度は大坂城で籠城してる輝元と恐らく合流するであろう
宗茂はじめ畿内に展開してる西軍を相手にしなきゃいけない。
関ヶ原で激戦を戦ったあとの東軍には少々きついだろう。
何より大坂城は秀頼がいるのだから当然あからさまに攻めるのは無理だ。
そうなると、家康は適当なとこで和睦を結ばざるを得ないのでは?
551人間七七四年:2012/12/17(月) 00:12:13.87 ID:yELA1SIg
西軍の実質的大将が嫌われ者の三成ってあたりが弱点じゃない?
一度大負けすると瓦解する可能性が東軍より強い
552人間七七四年:2012/12/17(月) 00:59:13.29 ID:SWtHxF42
三成が嫌われ者ってまた随分と飛躍してるな。
もしかして襲撃受けたことを指してるんだろうけど。
553人間七七四年:2012/12/17(月) 01:09:46.51 ID:YzioVkMi
>>548
勘違い日本を描いた映画、特にやくざ映画を撮る時は必ずそこ使ってるよな。
香港市国の連中の作る勘違い日本映画は馬鹿馬鹿しいけど面白いんだよな。
やくざと忍者をごっちゃにしてて、しかもそいつらがカンフー使ったり尻からマシンガン撃ったりするんだからひどい。
でも笑える。

ところで、この手の映画で忍者の名前が必ず「ハットリ」なのはやっぱりあれかね?
関ヶ原での徳川敗北後主家を退転して大陸に活動の舞台を移した(盗賊になった説あり)服部半蔵の影響かねえ?
香港市国の諜報部、大和山伊賀寺(半蔵が開祖と噂される)の修行僧出身者ばっかりという噂があるんだが。
554人間七七四年:2012/12/17(月) 01:12:47.77 ID:YzioVkMi
>>552
嫌っていたのは福島正則ぐらいだったと思うけど。
加藤清正は一時喧嘩してたというだけだし。
他の連中は福島に付き合ってただけなんじゃね?
555人間七七四年:2012/12/17(月) 19:50:27.71 ID:yELA1SIg
暗殺未遂まで起こしといて一時もヘッタクレもないだろう。
仲直りといっても東軍参加までしたのを助命されといて逆らうわけにもいかないだろうし。

最後まで逆らって討ち死にした福島が異常なだけじゃね?
556人間七七四年:2012/12/17(月) 21:52:23.02 ID:SWtHxF42
だからその一部の奴が逆恨みと目先の考えで暗殺未遂事件を
やらかしたのを取り上げて嫌われ者ってどうなん?って話。
557人間七七四年:2012/12/17(月) 22:23:47.91 ID:sq+fgp4f
>>550のあるように、東軍勝利の条件が、毛利家が総大将にも関わらず、戦場で全く働かないって奇跡に近い状況のみ。
勝負の帰趨を握ってる毛利家差し置いて、三成が実質的な大将だなんて、少し話が飛躍している。
558人間七七四年:2012/12/17(月) 22:26:10.54 ID:yELA1SIg
>>556
日本全土から嫌われてないと嫌われ者じゃないならともかく
豊臣恩顧の武将が7人って一部で済ませていい数じゃないだろ
559人間七七四年:2012/12/17(月) 23:07:30.44 ID:YzioVkMi
>>555
江戸夏の陣では八丈島から島抜けして参戦、挙句に討死して一族ことごとく改易とか…異常なんてもんじゃねーべ福島。
560人間七七四年:2012/12/18(火) 00:28:55.87 ID:IqFKxHvt
せっかく西軍総大将として勝利したのに、東軍にも内通してた事がバレた吉川騒動で加増されなかった輝元アホス
561人間七七四年:2012/12/18(火) 00:41:34.92 ID:6hjcEp1f
>>560
隠居させられて秀元に当主譲らされーの、
内通の疑いが出た吉川は周防長門二国をもらって独立しーの、
久留米小早川は筑前54万石で独立しーのとアホスの極みだわな。

執政の座も前田利政にかっさらわれて大坂に居場所なくなってもう悲惨すぎ。
562人間七七四年:2012/12/18(火) 07:19:40.35 ID:n9UmR88K
黒田長政が生きていて山田長政としてタイで活躍したというのは
ネタ半分としても広く流布してるよね

山田は黒田と無関係で、負けた徳川家臣が国外脱出して成功したひとですから。
テレビ番組でもちゃんとフォローしないからなぁ
563人間七七四年:2012/12/18(火) 13:42:26.71 ID:yHsnzo/H
>>557
三成は蘇秦のポジション。あくまでも仕掛け人だよね。

>>558
よく考えたら七人がかりで兵引き連れて襲撃したのに
あっさりターゲットに逃げられちゃうなんて間抜けじゃね?
まあそんな間抜けだから負け組になったんだろうけど。
564人間七七四年:2012/12/18(火) 20:47:55.97 ID:6hjcEp1f
>>562
徳川家臣の海外脱出って結構多いんだよな。
ざっと見ただけでも、華南に渡った服部半蔵、シャムに渡った山田長政、その他大勢。
有名どころはほか誰がいたかなー。
565人間七七四年:2012/12/19(水) 00:15:51.45 ID:ae+TnNJ5
>>563
東軍についたのも結局三成が西軍だからってどうしようもない理由なのが・・・
関が原でも、江戸の陣でもいいところなかったし・・・
566人間七七四年:2012/12/19(水) 01:02:49.04 ID:A+e0Ill2
しかもその動機が殆ど逆恨みというか八つ当たりに近いっていう。
567人間七七四年:2012/12/19(水) 07:37:52.00 ID:0tGO5Ny0
568人間七七四年:2012/12/21(金) 03:02:37.69 ID:o2971xqn
>>565
加藤と黒田は江戸の陣では先鋒を承って武功を立ててなかったっけ?
黒田を継いだ長政の子重政は徳川方の出城を次々落して「進撃速度が速すぎる」とたしなめられてるし、
清正の子清隆は江戸落城前日の戦いで松平忠吉を討ち取ってる。

加藤がこの手柄で肥後一国の領主に昇進したのはよく知られた話だと思ったけど。
江戸湾封鎖の功績で讃岐一国+αで40万石に加増された小西ともども、江戸の陣での大手柄。
569人間七七四年:2012/12/22(土) 19:17:34.79 ID:oNnpY/o4
>>568
あれは徳川方が戦線縮小の為に足止め以上の兵力を置いてなかったり
そもそも放棄されてたりした、関東より西に城を占領しただけ。(信忠書簡)

包囲戦中に本田忠勝にまとめて殺されかけて、安国寺恵瓊に救出されたり
無計画な進軍で食料が尽きて、無許可の略奪をして毛利輝元に怒られたり
朝鮮半島でなんで石田三成と仲が悪くなったかなんとなく想像できる。
570人間七七四年:2012/12/23(日) 02:49:15.54 ID:K4qGpY7b
>>569
本多忠朝は真田父子にこそ翻弄されたが、討死する最後の戦いでは「勢の使いよう、武者配り、さすがは忠勝の子にて候」と賞賛されたからな。
三成も真田信繁も討死を後々まで惜しんだほど。
清正の息子たちが殺されかけても不思議じゃない。
主計頭清隆(虎熊)、清宗(熊之助)、清広(虎藤)の三人の息子たちを次々と敗走させられて、清正も「生け捕りにした者には千石」と言って生け捕りにしようとしたとか。

黒田の食料が尽きたのは真田信之隊に輸送部隊を襲われたからだったか。
敵地からの略奪そのものよりも待ち伏せに遭って戦死者を出し、救援にやってきた毛利軍までボコボコにされたことで秀元が激怒して重政を斬るといきり立った。
同じ九州勢の小早川秀包が取りなして事なきを得たが。
571人間七七四年:2012/12/23(日) 03:14:52.67 ID:Lvw4pZ4q
大河ドラマ『徳川家康』で炎上する江戸城の中で本田忠勝VS真田親子の死闘〜家康自刃のクライマックスは感動したわぁ

先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ
572人間七七四年:2012/12/23(日) 03:36:11.06 ID:K4qGpY7b
>>571
>家康自刃のクライマックス
昭和62年の『徳川家康』で尾上辰之助(先々代)が演じた徳川清康の最期だな。
「来世でもまた、徳川の男として生まれようぞ」と言って首を切って自刃。
その直後に江戸城天守が爆発して天守を上って来ていた豊臣軍が吹っ飛ぶシーンの迫力はハリウッド映画以上だわ。

まあ、天守爆破以外は全部フィクションなんだけど。
いくら何でも清正まで爆死させちゃダメでしょう。
家康と長生き比べをすると言って家康が死ぬまで隠居せず「加藤の老公」とまで呼ばれた人を。

ところで、本多忠朝対真田父子の対決、何回かあるわけだがおまいはどれが一番好み?
俺は最終回二つ前での信繁の包囲網を超人的武勇を振るって脱出するところがいい。
最後力尽きて真田信之の息子たちに首を討たせるところも、泣かせる。
573人間七七四年:2012/12/23(日) 13:23:13.24 ID:Lvw4pZ4q
>>572
やっぱり最後の決着と時だとおもう
短く切った蜻蛉切りで、天守への階段に立ちふさがり
「西軍に雑兵は多けれど、侍は居らぬか」
574人間七七四年:2012/12/23(日) 16:48:04.88 ID:omofGOzX
もののふの 末期の務めは 花火とぞ 弾正内府 口揃えたり
<洛中の落書/細川藤孝から勧修寺晴豊への書簡より/『禅空日記』所収>
575人間七七四年:2012/12/24(月) 12:17:25.60 ID:6iky5tZ4
>>573
その後に「河内、ここらでよかろう」と言って真田信吉の介錯で切腹するんだよな。
で、史実では首を秀頼本陣に届けた信吉・信政の兄弟は信之と本多忠政の首実検にも駆り出されて惨いんだが、87年の徳川家康はきれいにまとめてたな。
576人間七七四年:2012/12/24(月) 21:52:34.41 ID:EBPITW/O
実質的西軍大将なのに毛利輝元の副官扱いだった三成の描写だけは何とかならんかったのか?
豊臣家の為に徳川を滅ぼす!とか中盤の黒幕っぷりとは裏腹に終盤は完全にモブ化
最終話に至っては「これで豊臣も安泰ぞ、ふははははは」の一回しか台詞がないのは酷いわ
577人間七七四年:2012/12/25(火) 15:04:15.31 ID:dOYhZ4W4
>>576
まああの大河は家康が主役なわけで…。
高野山に幽閉されてる家康のシーンと徳川関係者の表情を拾っていったら三成に割ける尺はほとんどないと思うぞ。
パッと見るだけでも、
・秀忠と江の遺髪を抱きしめて泣く千姫のシーン
・秀忠の遺児助命のために命を張る家康側室斎藤氏のシーン
・「もののふの定めか」と言って盃を重ねる秀康のシーン(清康の正体を知ってるかもしれんとにおわせる間を合わせるとさらに長くなる)
・「星が…眠りまする」「うむ」という五郎八姫と忠輝のシーン
・海外に目を向けていることを暗示する政宗のシーン

これだけあれば三成の出番なんて普通ないだろ…。
やってること事務処理だけなんだし。
578人間七七四年:2012/12/25(火) 21:36:52.78 ID:AduKmB8X
>>577
三成も派手さは全く無いけど、戦ってるんだぜ・・・
関が原では黒田が逃げた隙に、福島軍に横から突っ込んで敗走させた。
島津が家康に突撃かました時に徳川本陣主力を置さえてたのは三成軍。
(その後の追撃戦で黒田に逆襲食らったのはまあ仕方ない)
579人間七七四年:2012/12/26(水) 05:29:26.86 ID:U+i/nRuU
>>578
>島津が家康に突撃かました時に徳川本陣主力を置さえてたのは三成軍。
世に言う『島津の鎧通し』か。小早川軍毛利軍の突撃を何とか凌いで陣形を立て直しつつあった徳川軍の一番弱いところを一直線に抜けて行った一撃。
これで家康軍は致命傷を受けた。
島津豊久はこの時、家康に肉薄して兜の左角を切り落とされてる。
後年、すっかりただの風流ジジイと化した家康から角を返されて、返すいらぬでさんざん意地を張り合い、最後に太閤秀頼が仲裁に登場、豊久に新しい角、家康に角をつける兜を作って与えると裁定した…というのは講談の読み過ぎか。
追撃戦での黒田と石田の戦いといえば>>107に書かれてる「又兵衛口上の段」が有名だな。
580人間七七四年:2012/12/26(水) 05:34:50.09 ID:U+i/nRuU
訊くの忘れた。
この黒田の退き口の時、三成が又兵衛に陣羽織を脱いで投げ与え、又兵衛が槍で受け取って去って行くシーン。
これ『徳川家康』の何話だっけ?
録画するの忘れたか消したかして関ヶ原のところのビデオ手元にないんだわ。
581人間七七四年:2012/12/26(水) 21:37:42.79 ID:iqHJpK6p
秀康が出雲阿国と関係を持ったそうだけど
阿国はいわばハニートラップだったみたいだね。
やっぱ三成の壮大な戦略にのせられたのかね。
582人間七七四年:2012/12/27(木) 00:06:47.98 ID:fECDYRvG
三成は場当たり的に対処してばっかだから違うと思う。
でなきゃ5大老の時代に家康排除してるだろうし
583人間七七四年:2012/12/27(木) 04:46:27.98 ID:DUtTAfPF
>>578
関ヶ原じゃなくて江戸の陣のこと言ってるんでしょ。
つっても「事務処理だけ」ってのも正しくはないがな。
584人間七七四年:2012/12/27(木) 05:54:43.67 ID:DUtTAfPF
>>582
それが出来ればとっくにやってたよ。
当時家康は五大老でもぶっちぎりの石高と権力を持ってた上に
政権の中枢の一人とする秀吉の遺命もあったからいくら有能とはいえ
格下の奉行の一人に過ぎない三成には政治的にどうすることもできなかった。
実際、三成はあまりに家康の専横が酷いから一度は家康の暗殺を
計画したんだけどこの際に左近が「我が殿の慧眼、松永弾正や明智日向の如し」と要するに
「今、家康を殺したとこで松永久秀や明智光秀みたいになるのがオチですよw」
と皮肉たっぷりな諫言を行って三成を思い留まらせた。
結局自らが襲われながらも、家康討伐の大義名分が立つまで機を伺うしかなかったんだよ。
まあ、まさか家康が他の大老達に言いがかりつけて、挙げ句
上杉討伐だなんて「公儀を私物化する逆賊の私を討ってください」と
言わんばかりの自爆芸やらかすとは思わなかっただろうけどねw
585人間七七四年:2012/12/28(金) 02:07:22.40 ID:OEyOEPfr
>>583
・城を脱出した秀忠一族、清康与党の探索の指揮に自ら出向いて秀忠四男幸松丸(のち出家して宗亨禅師となる)を捕縛
・秀頼の代理として降伏してくる徳川家臣を引見、小物はその場で処分決定
・兵を率いて落ち武者と化した浪人衆を追捕
・江戸城下に臨時の奉行所設置、跋扈する盗賊の討伐
・破壊された水道の現場視察、修復工事の手配
・焼け出された百姓の収容と還住の手配
・神社仏閣の被害状況調査、戦死者の遺体の収容と供養の手配

どれも事務処理がつきものだけにそう表現したと思われ。
586人間七七四年:2012/12/28(金) 04:10:23.20 ID:3MwgkQYD
ていうか江戸の陣って関ヶ原
(というか一連の追撃戦含めて慶長の乱もしくは徳川家康の乱とでも言った方がいいのか?)
からどんくらい後だっけ?
三成ってパッパと豊臣政権の政治システム整えたらさっさと息子に家督譲って一線から引いたイメージあるんだが。
587人間七七四年:2012/12/28(金) 05:38:29.07 ID:OEyOEPfr
>>586
江戸の陣は1623-24年。
家臣の身分に下げられ西郷蔵人佐と名乗らされていた秀忠庶長子の長丸が秀忠の恭順路線に反発、秀忠を押し込めにして家督を奪い徳川清康を名乗って起こした。
叔父の松平忠吉や徳川一族の一部が同調したことから大乱になった。

うちの教授が調べたところによると三成は何度も隠居を願い出たんだが許されず、この当時も現役だったらしい。
1645年に90歳で亡くなる前年、千姫の子秀幸が太閤になった後やっと許されてる。
皇位継承問題とか国松丸秀勝の処遇問題とか、秀次一族の生き残りの復権とか厄介な政治問題は若い年寄衆ではどうにもならなくて三成が出ざるを得ず、隠居させるにさせられなかったと。
石田重家、大谷重政や徳川旧臣の板倉勝重・大河内信綱らを「頼りない」「知恵は切れるが軽い」「すでにしている決断を遅らせるのは時を失う」などと叱ったり批判しながら指導できる老人は三成ぐらいしかいなかった。
1634年には島原戦役で黒田がイスパニアのフォルモサ総督とっ捕まえて外交問題も発生したし。
588人間七七四年:2012/12/29(土) 00:44:12.83 ID:w1Db3wy+
三成は50の年に近江佐和山の所領と家臣を重家に譲り隠居。
京都郊外山科小栗栖の竹林に庵を構えて好きな学問三昧のつもり
だったんが。
そう思惑通りにはいかず、赤紙が届いて応召、近江坂本4万5千石で再度のご奉公になったんじゃろ・・。
589人間七七四年:2012/12/29(土) 02:15:28.48 ID:Z0xNlxsd
>>588
1615年の国松丸秀勝の処遇問題の時だったっけ。呼び戻されたの。
石田日向守の官途で復活して、「その官途は何とかならないんですか」と言った長宗我部信親(盛親、当時御伽衆一万石)に笑って「何の問題があろう」と返し、光秀の墓は整備するわ、「豊臣の家の守りに」と光秀の霊を祭る神社を建立したりもしてるよな。
えらく人が変わったな。
590人間七七四年:2012/12/29(土) 03:03:44.52 ID:Su5umAtj
そういう観点から三成=明智光秀の隠し子説なんて珍説もあるがさすがにねーよwって思った。
591人間七七四年:2012/12/29(土) 13:41:13.56 ID:Z0xNlxsd
清洲城の年末ライトアップ始まったよー…ちゃんと提灯でライトアップしてるのがいいねえ。
592人間七七四年:2012/12/30(日) 18:35:15.60 ID:FwfDChbt
当時家康は他の大名を圧倒する石高と軍事力を持ち
関ヶ原直前の時点では事実上の政権運営者で三成や秀家より
遥かに求心力がある武将だったから
家康が勝っていれば政権はむしろ史実より安定して
17世紀以降の日本は史実より遥かに発展していただろう。




っていう仮説を唱えた人の本を昔読んだことがある。
確か山岡なんとかって人だった。
593人間七七四年:2012/12/31(月) 16:59:52.84 ID:oHjZmR8u
>>592
無理。
政治家としての力量はあるんだろうが、徳川家の行政機構が未成熟過ぎる。
学研の歴史群像シリーズ『徳川家康〜天下を狙った海道一の弓取り〜』にも関ヶ原直前の徳川家の行政機構が載ってるが、お粗末というのもお粗末な代物だぞ。
しかも行政官が不足し過ぎ。
あれじゃ農政、農村支配はともかく都市の行政は絶対にやってけない。ましてや天下の統治など夢のまた夢。
594人間七七四年:2012/12/31(月) 22:46:37.96 ID:e4RtxUfT
そもそも豊臣における三成や吉継や長束達に相当するような敏腕官僚も居なかったしね。
家康とそれなりに親しかった浅野親子がいるが彼らだってどこまで協力するかわからないし。
595人間七七四年:2013/01/01(火) 00:28:49.53 ID:oQXzEBEX
>>594
経済官僚の不足は致命的だね。長束タイプの大蔵官僚の不在は一番致命的。浅野は官僚としての能力不足で失脚して家康に接近したようなものでしょ。
全面協力したとしてもあんまり力にならなかったと思う。
596人間七七四年:2013/01/01(火) 01:51:25.91 ID:oQXzEBEX
ファミ劇で『エイリアン対三河武士』(1974年、香港市国、R.ハットリ監督)やってるよー。
597人間七七四年:2013/01/03(木) 05:32:18.65 ID:x8MhmkNl
秀頼が光秀を祀ったり、弔うことを許したのは室町幕府の奉行衆や官僚層を取り込むためだったという説があるね。
北条が優遇されてるのもそういう意味があるらしい。
598人間七七四年:2013/01/03(木) 23:33:27.96 ID:GZLNQ78U
あけおめ

>>592
その求心力が関が原でいきなりgdgdになった理由は?
小牧・長久手で優勢勝ちに持ち込んだ家康とは比較にならないんだよな
599人間七七四年:2013/01/04(金) 02:06:57.27 ID:mnjfH8O1
期待した寝返りが不発だったのは求心力だけが原因じゃ無いし戦闘後半の寝返り無断撤退は寄り合い所帯である以上避け得ぬ事態だったろうし
言うほどgbgbじゃない
gbgbになっていくのは関ヶ原後だな
600人間七七四年:2013/01/04(金) 04:22:33.18 ID:7EE+vgmI
>>599
浅野が大垣城から脱出して豊臣に帰参するのとかそのいい例だよな。
この時点ですでに足元に火がついてた毛利輝元にも上から目線で物言われるようになるし、前田利長は母親のことも構わずに背くし、吉川・黒田に手紙出したら吉川はバカにした返事、黒田は「戦場でお会いいたそう」と敵対宣言。
関東では北条遺臣の一揆が多発。

晩年「戦国最後の生き残り」として尊敬を受けたのが信じられんくらいのgdgdっぷりだわ。
601人間七七四年:2013/01/04(金) 10:47:36.57 ID:mnjfH8O1
関東入りした氏盛とか氏長とかは分家筋とは言え旗印手に入れちゃったからなあ一気に広がったよな北条遺臣の乱は
602人間七七四年:2013/01/04(金) 16:39:54.32 ID:vmvmFsyf
>>600

黒田は長政が西軍切り崩しの走狗として駆け回っただけでも苦々しく思ってたのに、殿軍を任されたわけでもないのに捨て駒のように立花隊の前に放り出されて討死だからな。如水も頭に血が上ってたんだろう。

でも農民を掻き集めただけの軍で東九州を一瞬で制圧した手腕を見るとマジで家康に勝てそうに思えるから凄いわ。
603人間七七四年:2013/01/05(土) 03:29:50.84 ID:7EyeDdBi
>>601
さらに風魔衆が大暴れしてあちこち火をつけて回ったからなー。
武田信吉が殺され、江戸はもちろん本多や榊原の居城も焼かれ、蓄えられてた兵糧も黄金もみんな奪われた。
家康が大垣に籠城せざるを得なかったのもこの北条遺臣の一揆のため。

大垣の城の中でも旧今川家臣・武田家臣が切り崩しにあってかなりの数が脱落して、家康にとっては進むも地獄退くも地獄。
よくショック死しなかったなー。
604人間七七四年:2013/01/05(土) 14:14:51.16 ID:uKe4PRyT
まじで東軍が勝ってたらどうなってたんやろな…
605人間七七四年:2013/01/05(土) 23:22:11.24 ID:E1QMTdHc
>>600
あの頃には信玄や義元みたいな信長以前の世代の武将を
リアルタイムで知ってる人が他にもういなかったってだけじゃね?

>>604
家康が一時的に実権握るも結局寿命がきて、家康死後
徳川は失脚して史実通り豊臣政権が続くだけじゃね?
606人間七七四年:2013/01/05(土) 23:59:22.93 ID:jB3d2l2l
家康は生きてる間に何とか豊臣家を潰すんじゃないか?
豊臣家残して秀忠に政権パスとか最悪の展開にしかならなさそうだしそれこそあの手この手で潰しにかかるだろうさ
607人間七七四年:2013/01/06(日) 02:26:40.74 ID:hLvhKH+X
>>606
家康の寿命が保てばね。
家康の家系は殺されさえしなければ長生きの家系だから、あの手この手で潰せる可能性はなくもない。
可能性は低そうだけどね。
運悪く家康死亡の時点で豊臣家が潰れていなかったら…秀忠が丸めこまれてジ・エンドだろう。
ただの石高がでかいだけの田舎大名に転落だ。
608人間七七四年:2013/01/06(日) 22:39:21.22 ID:upHyaKH7
まぁ、秀忠無能だし
戦下手の三成相手ですら負けるだろうな・・・
609人間七七四年:2013/01/06(日) 23:22:53.90 ID:mWhwOUiN
三成は別に戦下手じゃないでしょ。本職が文官ってなだけで。
本当に戦下手だったら関ヶ原であんだけ集中攻撃食らった時に壊滅してるよ。

>>606
やろうとしても無理でしょ。
東軍の結成自体が豊臣の名を借りてようやっと成り立ったんだから
その豊臣を滅ぼそうとするなんて自殺行為もいいところ。
610人間七七四年:2013/01/06(日) 23:49:00.66 ID:Fivj+W7I
関ヶ原で勝って大坂の毛利を退かせば家康は単独政権運営者になる訳だから
後は論功勲章で西軍の領地に加え豊臣家の領地もばら蒔けば豊臣家はただの大名に逆戻り
後は幕府開いてしまえば良い
611人間七七四年:2013/01/07(月) 00:30:53.65 ID:LHCQgiEt
>>609
豊臣を滅ぼそうとしたらおそらく福島、加藤、あと状況次第では前田、秀康も敵に回るな。
まず天下を二分しての大戦になる。
決着まで家康の寿命はもたんだろう。
612人間七七四年:2013/01/07(月) 00:44:45.75 ID:fM7e7M6Z
毛利が引く理由がないんじゃね?
仮に三成が敗死しても、毛利軍がいる限り大阪城は落ちないし
そもそも大阪城を攻撃なんてした日にゃ大義が全部ぶっ飛ぶ
大名片っ端から離反しちまうぞ
613人間七七四年:2013/01/07(月) 01:45:29.90 ID:LHCQgiEt
>>612
攻撃するぞという構えを見せた時点でアウトでしょ。
ってか、大垣で浅野が離反した理由がまさにそれだったじゃない。
「大坂を攻め滅ぼし秀頼めの首を」って台詞が決め手になってぐらつき、北政所の手紙で離反。
意地になって残るのは福島(バカだけに非常に使いにくい)ぐらいだと思われ。
614人間七七四年:2013/01/07(月) 11:53:43.16 ID:fDO1+QzE
>>611
史実はそうなってるだろ。お前らはどこの歴史を勉強してきたんだよ。
大阪城の毛利は退去し、防長2カ国に減封されたのが真の歴史だ
>>613
ところがどっこい、浅野はりはんせずに紀伊の領地をもらってんだよ
それくらいわかれ
615人間七七四年:2013/01/07(月) 19:56:52.53 ID:fM7e7M6Z
どこかパラレルワールドから来た人がまた混じってるな
616人間七七四年:2013/01/07(月) 22:26:27.05 ID:fDO1+QzE
>>615
お前がパラレルワールドだろ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E9%95%B7%E6%94%BF#.E9.96.A2.E3.83.B6.E5.8E.9F.E3.81.AE.E6.88.A6.E3.81.84

これ見たら「浅野が豊富を攻めて紀伊に領地をもらったってのがすぐ確認できる事実」だ
にも関わらず豊富が勝ったとか架空戦記はいい加減にしておけ
617人間七七四年:2013/01/07(月) 22:29:15.17 ID:fDO1+QzE
豊富✗豊臣○
618人間七七四年:2013/01/07(月) 23:37:00.57 ID:LHCQgiEt
>>608
武将として勇猛果敢ではあったが、政治家としては家康の十分の一の才覚もないからな、秀忠。
60万石に減封された後は守りに入るばかりで反撃の態勢づくりさえできずじまい。
やっと意地を見せたと思ったらかえって警戒されて締め付けが強まる始末。

豊臣を滅ぼせなかった場合250万石の領地は家康の子で分割相続するよう命令されて勢力喪失ジ・エンドだろうし。
家康の幕府の二代将軍になったとしても一門との抗争で滅ぼされそうだな…。
619人間七七四年:2013/01/08(火) 02:45:49.18 ID:7U1dRku7
ところで…周防長門二国をもらった吉川と筑前一国をもらった小早川だが。
どっちも半西洋式城郭を築いているのはあれかね?
イスパニア対策でそう命令されたんだっけ?
620人間七七四年:2013/01/08(火) 03:11:17.07 ID:vgJj69Qu
というか、あの時代の西洋の要塞は外見は異なるように見えて
本質的な部分は日本の発想とそう変わらないからね。
まあ対策として実験的に築かれたんだろうね。
621人間七七四年:2013/01/08(火) 03:30:28.22 ID:7U1dRku7
やっぱりそれで良かったのか、サンキュー。
これで宿題もばっちりっと。
吉川の山口城、小早川の名島城と博多台場、おそらく今年の修学旅行で行くと思うんだけど、とにかく砲台が充実してるよな。
パンフの見取り図見ても砲台ばっかし描いてある。
毛利秀元の広島城もそう。
まるでハリネズミ。
622人間七七四年:2013/01/08(火) 03:45:23.70 ID:7U1dRku7
悪りぃ、もいっこ教えて。
オスマントルコにシメオン銃(国友銃の改良型、黒田の特産品)売って代わりに買ってたのって、馬と大砲でオッケー?
623人間七七四年:2013/01/10(木) 01:25:30.19 ID:7r0M49xP
>>619
小早川は長崎出島に完全西洋式の要塞も作ってるだろ。
どう見てもイスパニア対策でしかないと思うが。

山口・名島築城のこと調べるんだったらウィリアム・アダムズのことも書いとけ。
このおっさんが砲台建設とかに深く関わってるから。
624人間七七四年:2013/01/10(木) 20:00:07.23 ID:gqWOiZgZ
イスパニアを過大評価し過ぎだよなあの時代
まだ欧州勢力はアジアでそんなに強くないのに
625人間七七四年:2013/01/10(木) 20:25:46.75 ID:t+GEXxmq
まぁそれが元であの一時期の不幸な出来事があったにしろ日英同盟400年の始まりだからな。
運が良かったとしか言えないな。

もし産業革命に乗り遅れでもしていたら今頃は半島並の悲惨さだぞ。
626人間七七四年:2013/01/10(木) 21:37:38.84 ID:gqWOiZgZ
文革の民族浄化で朝鮮民族の5割が行方不明だとかガクブルすぎ
627人間七七四年:2013/01/11(金) 03:11:28.90 ID:75jmLkVw
>>625
東西同時産業革命を達成できたのはアダムズの子孫の功績が大きいよな。
イギリスに帰国したアダムスの娘スザンナの系統と日本に残った長男ジョセフの系統が連携したからこそできたことだ。
628人間七七四年:2013/01/11(金) 19:01:49.28 ID:F+QrFXos
あれ同盟国でかつ、利害関係のない遠隔地だから工業設備を買えただけだろう。
豊臣家が腐るほど金貯めこんでたのもあるけど
629人間七七四年:2013/01/12(土) 02:17:35.69 ID:PEKFOPKi
>>628
初期はな。
後半になるとノウハウだけ輸入して機械は自作したり、さらに後になると逆にイギリスに機械を輸出したりもしてるぞ。
しかし豊臣の金持ちぶりはすごいな。
大坂城下やあちこちの蔵入地に洋式工場群をポンポン作って、イギリス人が恐怖したとか。
しかも中期以降は公害対策とかも独自の創案でやっちまうし。
630人間七七四年:2013/01/12(土) 16:58:49.49 ID:QP3vDS1Z
明治維新後に東行した天皇がしばらく東京から戻って来なかったのは
関西の公害があまりに酷かったからとも言われてるね
631人間七七四年:2013/01/12(土) 18:05:18.64 ID:M8d/K/Qn
>>628

いやお互い利害関係ありまくりだわ。
カナダ西部の維持、黄河、長江流域の権益維持。
インドあたりならなんんとかなるが、どちらも欧州からでは
地球を一周せなならんm即座の対応するには遠すぎるからな。

まぁ、こちらもナポレオン戦争や第一次大戦と結構なおつきあいはさせられたが・・。
632人間七七四年:2013/01/12(土) 21:23:47.38 ID:QP3vDS1Z
>>631
日本も含めた列強が中国を自由に切り取り出したのは日清戦争前辺りで
維新前は清もしくは明がそこまで弱体化してないから利害関係にならない。

アジアの海上交易を支配してるのが日本で
アジア-ヨーロッパ航路を支配してるのはイギリスと住み分けは出来てる。
これが崩れるのは、豊臣家の利権の為に産業構造を変えられず
産業革命についていけなくなったあたりから
633人間七七四年:2013/01/12(土) 23:52:26.20 ID:PEKFOPKi
>>630
で、明治天皇が病弱な第三皇子の転地療養のために家康の江戸城跡に建てさせたのが千代田離宮か。
634人間七七四年:2013/01/13(日) 02:28:46.65 ID:oFW0JCMl
>>632
>これが崩れるのは、豊臣家の利権の為に産業構造を変えられず産業革命についていけなくなったあたりから
1810年代序盤生まれの豊臣の老公が君臨してた第一次大戦後のことだな。あれでだいぶ新しい産業や有望な学問の芽が摘まれてしまった。
上で出てたフグ料理禁止をなかなか解除しなかったのもその一例。

で、徳川系の馬鹿軍人や馬鹿活動家がやたら西洋を敵視してギスギスしてた。
帝政ロシアとの関係が良好でシベリアだとか沿海州に攻め入ることもできなかったから代わりにインド征服とか唱えてもう…。
そんなことやってるもんだから、世界初の単葉機開発の栄誉をアメリカのライト兄弟にさらわれちゃって。
以後日英同盟は崩れるわアメリカに南洋を徐々に浸食されるわと左前になっていくんだよなあ。
635人間七七四年:2013/01/13(日) 02:43:35.84 ID:oFW0JCMl
>>631
ナポレオン戦争ではトラファルガーの戦いでネルソン提督の身代わりに日本の連絡将校が死んでるんだよな。
信康の孫娘の子孫の徳川中佐。
ほかにも戦艦「陸奥」が火薬庫に直撃食らって撃沈。
「山城」「扶桑」が完全破壊。大破しのち処分された艦も10隻近い。
イギリスがアヘン戦争でやり合った後なのにさくっと黒田に最新鋭の戦艦売ったのはこのときの借りがあったかららしいな。

その代わり第一次大戦では近衛師団他二個師団をヨーロッパ派遣、新鋭艦隊の地中海進出と大盤振る舞いさせられたが…。
636人間七七四年:2013/01/13(日) 10:21:40.28 ID:yDFkF8N7
>>634
徳川系って言ったってなあ自称義直系、自称頼宣系って連中じゃん
秀康系は第一次大戦じゃ欧州で何人か死んでるし秀忠系は外交官としてイギリスの腹黒紳士と丁々発止のやりとりしてたし
637人間七七四年:2013/01/13(日) 14:35:28.78 ID:Xw/BeyU3
>>655

第一艦隊までもが遣欧艦隊に動員されとる。
ジェットランド沖で大海艦隊相手にT字戦法とってヒッパーの足止めに成功したが
金剛、霧島が轟沈、比叡と山城が廃艦にされとるぞ。
638人間七七四年:2013/01/14(月) 02:57:23.55 ID:n5ZuKIl/
>>636
馬鹿軍人は徳川の中でも末流の連中だわな。
明治大正になってから徳川の名乗りを認められた、豊臣時代は松平だった連中。

秀忠系というと、三男国松の系統、イギリス大使の織田長政が有名だな。
国松が織田秀則の娘をもらって織田を称して興した源姓織田家。

秀康系の軍人の方は多すぎて誰をあげていいか分からん。
17世紀後半から18世紀はじめの近代陸軍創設の時代以降、三男系四男系六男系、下の方の一族はほとんど陸軍に入って士官になってる。
第一次大戦のころになるとこの連中の子孫だとか、娘が嫁入りした家の子弟だとか、血筋の将校がたくさんいてもう…。

分かりやすいのは西部戦線で戦死した切込大佐ぐらいか。
初代が分家する時秀康流本家から切込正宗をもらって、そのまま家名にしたあの切込大佐。
639人間七七四年:2013/01/14(月) 03:25:12.34 ID:lKi9zrSy
人の主張を「架空戦記」などといい調子こいたゴミが謝罪するまで翌日からこのスレは
徹底的に荒らすことにする
640人間七七四年:2013/01/14(月) 03:26:36.57 ID:n5ZuKIl/
暇だから義直・頼宣系を調べてみたが…。

松平義直
美濃高須六万石、侍従、羽柴姓、羽柴高須侍従
柳生新陰流の達人、一族にも新陰流の高弟多数
堀尾吉晴から帯刀先生の称を譲られたので帯刀侍従の別名あり
18世紀前半、一族の学者松平求馬が「温治政要」を記した

松平頼宣
伊予西条六万石、侍従、羽柴姓、羽柴西条侍従
18世紀前半の一族松平頼方は優れた官僚、農政に手腕を振う
しかしこれを助けた陪臣大岡氏、陪々臣田沼氏が直参に取り立てられ手元から離される
以後は振るわず

これだけ目立たなかったり抑えられりゃ、ストレスもたまるわなー。
641人間七七四年:2013/01/14(月) 03:27:54.39 ID:lKi9zrSy
アカ野郎だのなんだのほざいてたがクズレベルの頭脳しかないんだろう
クズ野郎は氏ねばいい
642人間七七四年:2013/01/14(月) 03:30:09.59 ID:lKi9zrSy
>>640
それはどこの世界の架空歴史なのでしょうか
温治政要なんてどこの世界にもない歴史書ですが「病院」にあんたは行くべきなのでしょう
松平頼宣は羽柴なんてもらってませんが妄想はやめてくれませんか?
643人間七七四年:2013/01/14(月) 18:19:42.64 ID:xVXptCpA
雪で関東の鉄道止まったり遅れたり酷い有様だねぇ
644人間七七四年:2013/01/14(月) 22:05:25.35 ID:n5ZuKIl/
>>643
9時のニュースでやってたな。江戸県内のどこだったか、線路が凍結したらしい。
JR関東はJR各社の中でも酷い赤字会社だから線路凍結防止のために夜通し列車走らせたりできんだろうしなあ。
645人間七七四年:2013/01/14(月) 22:36:31.68 ID:xVXptCpA
JR関東? JR東日本ことけ?
南武線辺りの路線は関東でも黒字だけど
関東だけじゃ食ってけないぜよ・・・・
646人間七七四年:2013/01/14(月) 23:46:12.17 ID:lKi9zrSy
>>643
たしかに今日止まったがお前らはニートだから関係無さそうな
>644
江戸権ってどこなんだよ!東京都だろ
>>645
関東は日本最大だから普通に一番稼いでるよ
国鉄時代は赤字だったんだけど
647人間七七四年:2013/01/14(月) 23:51:31.09 ID:Fi+WRtKf
>>644
江戸者は未だに汽車とか言ってるから困る
そんな俺は試される大地
648人間七七四年:2013/01/14(月) 23:57:10.50 ID:lKi9zrSy
>>647
それは北海道とか青森あたりの方言だった気が
東京都民は電車と言うはず
649人間七七四年:2013/01/15(火) 00:03:04.83 ID:YMplUDIO
>>648
仰るとおりでございます
田舎者風情が調子に乗りました
ですが方言ではありません
650人間七七四年:2013/01/15(火) 00:21:51.49 ID:9hX3rYZY
>>645
会社分割の話は消えたのか…。
30年連続赤字の不採算地域だもんな、関東。
噂じゃ東日本の内部で派閥抗争に負けた奴が飛ばされる島流し先と化してて、士気が上がらないことおびただしいとか・・・。
651人間七七四年:2013/01/15(火) 00:48:16.84 ID:2VD94ZPX
>>650
不採算ってかドル箱だろ
赤字は四国とかのほうじゃね―の?
652人間七七四年:2013/01/15(火) 00:57:31.34 ID:9hX3rYZY
JR、暇だから調べてみた。
JR畿内…五畿内と兵庫、和歌山、岐阜の一部、福井、石川を管轄。別名本社。
JR中国…兵庫以外の中国地方を管轄。山陽本社は出世コース。
JR九州…九州・沖縄を管轄。出世コース。
JR四国…四国と淡路島が管轄。可もなく不可もなしコース。
JR東北…福島以北の東北地方と新潟、富山を管轄。本社仙台。まあ出世コース。黒田士族が多数就職している。カリフォルニア航路の客船を有する。金持ち。
JR北海…千島本島十二県を管轄。本社札幌神指。まあ出世コース。国鉄初期から上杉士族や帰化ロシア人が多く就職している。

JR東日本…東海・中部と関東地方を管轄。元々東海と関東の二つの会社があったが赤字続きの関東は1995年に東海に吸収合併。
東海本社は天国の東海コース(静岡、愛知支社に配属されれば都へ帰れる期待大)、関東本社は地獄の関東コース(まず帰洛不可能、出世は望めない)。

ひでえ…
653人間七七四年:2013/01/15(火) 01:19:03.09 ID:2VD94ZPX
>>652
それどこの情報なの?

これみたら普通に儲けてるんだけど捏造はやめてくれないですか?
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGD30070_Q2A130C1DT1000/

>売上高は微減の2兆5260億円と270億円上方修正した。
>主力の運輸業は通期で1%減収を見込むが、従来予想(2%減)と
>比べると減収幅は160億円少ない。昨年10月に開業した「ルミネ有楽町」などが寄与し、
>運輸業以外の事業もそれぞれ上方修正した。

とのことなので普通に優良企業で地獄でもなんでもなく
兆単位で稼いでる天国企業だと思うのですが
654人間七七四年:2013/01/15(火) 01:19:50.18 ID:2VD94ZPX
某アホ一人が頑張ってるようだが俺は数年粘着するつもりなので
早めに謝罪しろ
655人間七七四年:2013/01/15(火) 01:27:38.92 ID:9hX3rYZY
>>647
まあそれは仕方ないべ。観光用とはいえ、昭和60年までSLが現役だったからな。
甲子園で優勝した岩倉高校の上洛もSLだったし。
新幹線の導入も遅かった。
656人間七七四年:2013/01/15(火) 01:31:15.40 ID:2VD94ZPX
>>655
Slが現役なのは

>そして1975年12月14日、「さようならSL」のヘッドマークを掲げたC57 135による室蘭本線長万部駅 - 岩見沢駅間の225列車が運転され、蒸気機関車牽引の定期旅客列車は姿を消した

だと思うので昭和50年台だと思うのですが
657人間七七四年:2013/01/15(火) 17:34:37.52 ID:eHenkJfX
>>655
東急とか私鉄は最初から電化されてるし、関西中心にしか仕事してなかった国鉄の仕事が遅いだけだと思う。
つか新東京への新幹線開通は全国でも早い方だべ
単に太平洋沿いに東北まで通すとあそこ通るからだけど
658人間七七四年:2013/01/15(火) 19:37:44.89 ID:eSVzQ630
新東京どこかと思えば川越だろ昔の。
659人間七七四年:2013/01/16(水) 00:15:59.75 ID:jJQVeyXE
人口的に考えると新横浜だけで良かった気がしないでもない
建物だけは立派な東京駅にでも通せばよかったのに>新幹線
660人間七七四年:2013/01/16(水) 00:32:22.32 ID:5y/W5Ttf
>>658
新東京っつーたら町おこしで真っ赤なロボット作ったとこだべな。
エビ何とかってよう、車両基地の下からプールが割れて出てくるあれだべ。
主役は赤だどもおらあ黒いのとギンギラギンののほうがいいべ。

おらあ駅弁についてるちっこいプラモデル集めてるだ。
紫色のヘンテコなのは出ても捨てるけどな。
661人間七七四年:2013/01/16(水) 04:21:20.34 ID:G5BQAkK5
 
関ヶ原の戦いはヘイスティングズの戦いの
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/49/316.html
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/C2/10/20.html
ヘイスティングズの戦いは、天皇一族のイギリス征服完了の記念すべき戦いだった。
この時の征服王ウィリアム1世の皇帝即位を記念して、
明治天皇は、その800年後、1866年12月25日、天皇に即位。
その日は、くしくもクリスマスだった。
(仮説を含む)
662人間七七四年:2013/01/16(水) 05:08:40.63 ID:JfHBCA9V
>>659
東京駅に通さんと不便すぎるだろう
663人間七七四年:2013/01/20(日) 16:39:05.30 ID:cUyrI59H
あんな地盤のゆるい低湿地通すほうが間違いだわな。
664人間七七四年:2013/01/21(月) 23:37:11.42 ID:doiNFQ2N
煽った奴のせいでスレ壊滅

ちょろいもんだ
665人間七七四年:2013/01/23(水) 20:55:07.79 ID:CuQKpMqs
666人間七七四年:2013/01/26(土) 00:04:39.03 ID:8D8vcG9O
誰かJR東日本(関東本社)の新しい特急「あおい」の出発式?の写真撮った奴いる?仕事で見にいけなかった。
家康の子孫が甲冑姿で乗車したらしいんだけど…
667人間七七四年:2013/01/26(土) 00:05:38.11 ID:8D8vcG9O
>>657
関東の私鉄はほとんど黒田の資本が入ってるよな。
終戦時の黒田侯爵が目端が利いてて、金と油田で荒稼ぎした金を敗戦でカリフォルニア取り上げられる前に引き上げてて、それを関東の鉄道網整備に突っ込んだから。
668人間七七四年:2013/01/26(土) 01:54:36.16 ID:1eBlNwa0
それを鉄道省から天下って来て
殆ど分捕った強盗慶太マジ奸雄
戦国時代ならさぞや悪名を残したに違いない。
669人間七七四年:2013/01/26(土) 03:32:35.19 ID:8D8vcG9O
五島の資金の大半は徳川公爵家や徳川系の銀行家が出してたって噂だな。
まあその後、黒田資金を得た堤康次郎にリゾート開発戦争でボコボコに叩きのめされることになるわけだが。
670人間七七四年:2013/01/26(土) 04:09:33.31 ID:QtAjPYrW
さっさと徳川を見限った石川数正は利口だったな
子孫は冷遇されたようだが
671人間七七四年:2013/01/26(土) 04:51:40.23 ID:8D8vcG9O
>>680
子孫はずっと外交官畑を歩いたけど、ドイツ大使や東欧諸国の大使が極官でバチカン大使にもイギリス大使にもフランス大使にもなってないわな。
所詮は三河者ということだったのだろうか。
石高だけは倍増して20万石をもらってるけど。
672671:2013/01/26(土) 04:57:28.70 ID:8D8vcG9O
安価ミスった…
>>680→×
>>670→〇
673人間七七四年:2013/01/26(土) 17:04:46.22 ID:fe+VFN0l
>>640
こいつら、義直・頼宣の時代から仲が悪くて喧嘩ばかりして、関係者は仲裁するのに困ったらしい。
それでも元禄のころまでは伊達比べやったり相撲や闘犬で競ったり、屋敷や茶室、庭園の造営で競ってたぐらいだったんだが…。
求馬と頼方の時代になるといがみ合いがピークに達して家臣同士道で出会うと斬り合い・殴り合いがしょっちゅう発生。
手がつけられない有様だったとか。
しまいにゃ政策提言で両極端の政策を唱えて張り合うもんだからついに二人とも謹慎させられたとか。
674人間七七四年:2013/01/28(月) 19:07:52.88 ID:j+l/xPHM
>>670
一見冷遇されたように見えるのは豊臣生え抜きの外交官に三成が配慮した結果らしい。
675人間七七四年:2013/01/29(火) 20:03:53.58 ID:W+4jEnPH
三成に配慮という言葉は似合わないから
部下の誰かじゃないかなぁ
676人間七七四年:2013/02/21(木) 00:32:14.28 ID:DioyHYLR
そういえば、インドに渡った清正の子孫はどうなったんだっけ?
677人間七七四年:2013/02/22(金) 01:56:23.90 ID:Qzi6EIca
>>675
福原長堯が豊臣直系の連中とバランスを取るのにさんざん苦労していたらしいぞ。
678人間七七四年:2013/02/23(土) 17:48:03.03 ID:eSex8jfg
>>676
内乱中に敵陣に突入して壮絶に戦死、断絶
らしいと言うかなんというか
679人間七七四年:2013/02/24(日) 00:45:13.32 ID:eKA6r3gY
>>678
ダーラー・シコーとアウラングゼーブが戦った戦いだったっけ?
アウラングゼーブに斬りつけて駆け抜けていったところを敵の騎士に追いつかれて一騎打ちの末首を取られたんだよな。
結局アウラングゼーブは陣没、内乱の帰趨を決める一撃にはなったけど手柄を得るべき本人は死んでいたという…
680人間七七四年:2013/02/24(日) 15:13:32.99 ID:KW2fyzW/
>>679
中央に突入して散々暴れまわったけど本陣まで届かず包囲されて討ち死。
と言うのが実際っぽいけどねー

乱れた陣に突入されて後退も出来ずアウラングゼーブが討ち取られたから
功一等なのは間違いないだろうけど
681人間七七四年:2013/03/07(木) 00:51:35.51 ID:e+mEfQ3D
>>680
その後のことを考えると功一等と言うにはいささか躊躇われるなー。
結局アウラングゼーブとモラード・バクシュ、二人の武人の弟を失ったダーラー・シコーは軍事面でさんざん苦労することになったわけだから。
息子のスレイマン・シコーと孫のアウラングゼーブ二世が有能でなかったらイギリスに侵略されるのはもっと早かっただろう。

この二人の武術教師、軍事学の師も清正の子孫なんだよな。
サーモガルの戦いでアウラングゼーブの本陣で死んだ加藤光正の息子。
682人間七七四年:2013/03/08(金) 15:34:18.45 ID:85NPrHuc
加藤家はインド・ペルシア方面で活躍した人が多いね。
今インドでトラとか豹の保護区作ってる人も確か子孫だし。
683人間七七四年:2013/03/09(土) 02:34:29.80 ID:LhZoVg7z
>>636
松平容大だったっけ?
副官の近藤勇と秘書官の土方歳三と連れてロンドンに乗りこんで条件闘争やったの。

ほとんどタダ働きになるところを戦後のドイツ領分配とエチオピアに食い込むことを承知させたんだっけ?
684人間七七四年:2013/03/18(月) 01:35:12.97 ID:8wM2u6Z2
>>681
その縁か。インドの国旗に片鎌の槍が描かれているのは。
685人間七七四年:2013/03/25(月) 01:53:44.33 ID:+83TXXSs
みなさん紆余曲折の末再興した武田のことはスルーですかそうですか。
仁科が千島(蝦夷)で大身になっているのに…。
686人間七七四年:2013/03/25(月) 21:27:56.88 ID:lz8dO7Xb
名前だけ武田だしなぁ・・・
687人間七七四年:2013/03/27(水) 00:54:35.01 ID:ggOVhbTH
>>685
直江兼続が北の守りに是非に、と推して千北30万石に取り立てになった仁科盛信の息子のことか?
これはもう武田の再興と言うよりは仁科氏という別の大名というべきでは?
688人間七七四年:2013/03/28(木) 20:17:42.74 ID:xX3lCfEk
一応、武田の分家筋から嫁迎えたり取り繕ったから
武田と言えなくもないけど・・・

豊臣家が平氏って位、とってつけた感
689人間七七四年:2013/03/29(金) 02:06:41.57 ID:Gti6yCHt
>>688
しかしそんな武田でもロシア人は怖がったらしいな。
690人間七七四年:2013/03/30(土) 11:25:51.97 ID:rT8Ep+69
そりゃ露土戦争バラクラバで武田の騎兵隊がロシア軍の砲兵陣地占領した活躍は映画にもなってるぞな。
戦い済んで点呼で全滅状態。
「おたくとこもひどいもんですな」とニヤリとするサンドイッチ伯に一言。
「長篠に比べたら楽なもんですw」
691人間七七四年:2013/03/30(土) 22:31:42.79 ID:f5HlZHvj
>>690
北の守りを担う上杉、武田にはオスマントルコから輸入された種馬の優秀なのが回されていたからなー。
それを交配した馬をさらに信玄以来の技術で改良し続けて完全戦闘用の馬を作り上げた。
ただでさえ強い武田兵、そこへきて馬がいいんだもの。
いくらロシア人でもかなうわけがない。
692人間七七四年:2013/03/30(土) 23:06:10.33 ID:ut3X4G7n
>>690

それ、クリミヤ戦争。
伯爵もサンドイッチじゃなくてカーディガン。
どうでもいいけど。
693人間七七四年:2013/03/31(日) 17:13:30.24 ID:O2N3n/AG
>>692
映画はそうなってる。
史実性は気にすんな。

どうせ実際には被害多すぎて責任問題になってたのを
プロパガンダで一方的な勝利という事にしたんだから。
694人間七七四年:2013/04/01(月) 02:02:23.06 ID:sDP3huue
>>691
>>693
武田は騎馬隊以外に山岳戦部隊としての参戦でも戦果を挙げてるよね。対ロシア戦争。
ロシア語の単語でタッケドザーってのがあるんだが、これの語源は武田の蔑称「武田猿」らしいね。
山岳戦でさんざんに叩きのめされたロシア人が、武田の蔑称をそのまんまロシア語の単語に採用して鬱憤を晴らしたのが始まりだとか。
695人間七七四年:2013/04/14(日) 02:24:25.97 ID:DGK10vEo
武田はメキシコにも流れてなかった?
メキシコ軍騎兵隊の馬術は武田流って聞くけど。
696有閑調査隊:2013/04/14(日) 02:51:50.07 ID:Ei7/peRN
豊臣関白の内分け
・豊臣本家…八人
・三好家…二人
・京極家…四人
・松殿家…四人

これで合ってたっけ?
697人間七七四年:2013/04/23(火) 23:07:15.79 ID:CAWqj8YF
形だけ織田家いなかったか
698人間七七四年:2013/04/27(土) 01:32:42.65 ID:zWiR9Vhx
>>697
いたけど関白就任は慶応になってからだし、事実上関白家じゃなくて大臣家だね。
慶応以前は左大臣が極官だし。
699人間七七四年:2013/05/05(日) 02:16:49.42 ID:PlBewY8a
やっぱ東軍が勝ってたら福島正則は大加増か・・・
家康のことだからそのうち因縁つけられて改易されそうだが。
史実だと関ヶ原後に逃亡して後に捕縛されるがよりにもよって
石田に助命されたんだよな?家康に騙されただけで豊臣に対する忠誠心は偽り無いとか言って。
いくら戦後に近江・若狭87万石に大加増で大老兼豊臣政権執政に就任したからって余裕こきすぎだろ石田。
んで京に隠棲した福島に頭下げて仕官頼んだとか・・・一度自分を殺そうとした奴だぞw
唾を吐こうが殴ろうが頭下げ続ける石田に心動かされて自ら石田の家臣になったんだよな。
涙を流しながら、「殿の家臣として殿と豊臣家のために奉公いたす。」だっけか、大河のシーンにあったな。
石田だって豊臣にまた仕えてくれって頼んだだけで自分の家臣になれって頼んだわけじゃないのにな。
石田も福島も関ヶ原境にキャラ変わりすぎだろ。あ、福島って元からこんなんだっけか。
700人間七七四年:2013/05/05(日) 22:27:36.36 ID:4bJtavC8
福島正則は流刑されたはずだが・・・
じゃないと江戸の陣の泳げ福島君ネタがなりたたん
701レス代行、広告付きVer:2013/05/06(月) 17:19:07.67 ID:6Er1/vuP
>>699
その話治部能の「市松」から採用された話。大河「万成桐葉」の原作者は治部能通だからそこから持って来たんだろう。
「市松」は治部能の中でも17世紀後半になって作られたもので、三成美化が酷過ぎると当時から言われてたんだが…何故採用したんだろうな。

手元の『豊鑑』によると石田家臣になったのは養子の正之。本戦で宇喜多隊の捕虜になり、解放されたものの家康の娘婿ということで行き場がなくなってたのを救済したと聞く。
あるいは幼少だった嫡男市松を引き取って養育し、後相模500石で奉公衆に取り立てられるよう計らったとも言う。


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ある地域では、月に1回、その地域のパチンコ店と警察署と消防署で会合があります。
会合が終わったあとに警察と消防をソープランドに連れて行きます。
702人間七七四年:2013/05/06(月) 21:49:11.68 ID:ln4OdH/i
というかキチガイの正則が、頭下げられようが石田の下に付くとはとても思えん。
加賀藩主の前田利政が随分とりなしたようだけど・・・
703人間七七四年:2013/05/06(月) 22:40:31.52 ID:k6DWAZSw
>>699
その話治部能の「市松」から採用された話。大河「万成桐葉」の原作者は治部能通だからそこから持って来たんだろう。
「市松」は治部能の中でも17世紀後半になって作られたもので、三成美化が酷過ぎると当時から言われてたんだが…何故採用したんだろうな。

手元の『豊鑑』によると石田家臣になったのは養子の正之。本戦で宇喜多隊の捕虜になり、解放されたものの家康の娘婿ということで行き場がなくなってたのを救済したと聞く。
あるいは幼少だった嫡男市松を引き取って養育し、後相模500石で奉公衆に取り立てられるよう計らったとも言う。
704人間七七四年:2013/05/06(月) 23:19:48.33 ID:jr4aCJKN
>>701 >>703
石田の家臣になったのは正之だったか。
じゃあ結局正則ってどうなったんだっけ?
>>700にあるとおり流刑か?
話は変わるが、秀頼長女の奈阿姫って本人の希望で結婚せずに尼になったがよく秀頼も
こんなこと許したな。てか奈阿姫なにがあったんだ?
宇喜多とか毛利あたりと政略結婚させるのが普通だろうに。
705人間七七四年:2013/05/07(火) 00:28:13.77 ID:dCanV44U
>>704
流刑。戦前に村越茂助を斬ったことから「徳川に臣従したのではない」という弁明が認められた。
で八丈島に流された。
706人間七七四年:2013/05/07(火) 21:06:12.88 ID:OBR27OIC
徳川に臣従したのではない(三成が嫌いなだけだ!)

が本音な辺り狂ってる・・・
707人間七七四年:2013/05/08(水) 20:23:21.04 ID:4D1J6nh/
>>704
政略結婚させるはずだった相手が若死にして悲しんで出家。
相手は公家とも織田秀信の息子とも徳川秀忠の五男ともいう。
708人間七七四年:2013/05/10(金) 00:58:58.56 ID:SwqDnBzH
>>706
出発点は政治的な対立だったのに感情的に拗れた上に互いに歩み寄る事も無いまま更に拗れていった感じだしあの二人
正則を気違い扱いした奴を三成が説教する逸話があったり死に際して正則が正之に”石田“と豊家に尽くせと遺言を残してるあたり嫌いあっていても認めてはいたんだろうなあ
709人間七七四年:2013/05/10(金) 20:41:40.64 ID:hRFScKb7
左衛門太夫は八丈にいたのは3年ほど。
そのうち、呼び戻されておかか様に折檻されて
そのまま尾張中村の豊家伝来の田畑で農民暮らしだろ。
710人間七七四年:2013/05/16(木) 05:07:52.84 ID:GLs5HVRy
関ヶ原の戦いには「儀式戦」と「本戦」が、

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/45/299_1.html
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/C2/10/20.html

徳川家康は、もちろん日本とヨーロッパの時差と日付のずれを、
熟知していた。
(仮説を含む)
( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0103/31/205.html )
711人間七七四年:2013/05/23(木) 02:17:53.92 ID:/yJ5OY6z
>>709
その話知ってる。中中村村長口伝だね。
学会じゃ異端の説だけど地元じゃ史実扱いだよね。
左衛門大夫腰かけ石とか史跡も多いし第二次世界大戦までは市松田なんて地名もあったし。
712人間七七四年:2013/06/16(日) 09:12:08.27 ID:U7razV0w
>>699
福島が捕まって伏見城の門前に晒し者にされてるところを三成が下馬して陣羽織をかけてやったという逸話は有名だな。
713人間七七四年:2013/06/18(火) 20:54:41.69 ID:owKgqIUH
あれ?そういえば、日本号はどうなったっけ
714人間七七四年:2013/06/19(水) 00:26:16.80 ID:z26EgWxv
>>713
福島を捕えた明石全登隊士に奪われて、明石→宇喜多秀家→秀頼と献上されたとこまでは知ってるが…。
715人間七七四年:2013/06/19(水) 19:47:27.87 ID:E321b6La
秀頼の御前で黒田の母里太兵衛が見事飲み取ったんだよ。
リニア福岡駅の前の黒田節像知らんのか?


たhしかその時の大杯は尾張中村郷の市松の子孫が所有しとるはず・・。
716人間七七四年:2013/06/20(木) 00:08:41.05 ID:U806C8mT
リニア福岡駅の母里太兵衛像か。仙台行った時見たわ。
福島の嫡男で秀頼の小姓だった市松と母里太兵衛が飲み比べをやって、母里が勝って取ったんだっけ?
パンフに仙台は仙台市と福岡駅と、県庁所在地の地名と駅の名前が違ってる理由と一緒にエピ載ってたなー。
717人間七七四年:2013/06/20(木) 01:48:18.48 ID:U806C8mT
>>715
大杯のほうは『開運!!お宝鑑定団1989年新春スペシャル』にトップバッターで出てたよな。
当主の結婚式には必ず使ってるって言ってた虎ひげの子孫の人元気にしてるかなあ。
718人間七七四年:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:ovvYwHx3
>>717
来春知事選に出馬の予定。
719人間七七四年:2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN ID:WabQzBos
名前だけで政治家になる馬鹿はどうにかならんものか

羽柴秀吉とか
720人間七七四年:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:h2B7Iybu
島左近にしろ、前野の名跡を復活させた舞兵庫にしろ、西軍武将の家老級で独立大名に取り立てられてるのが多いよね。
これってやっぱり、大諸侯の勢力削減策だろうか?

宇喜多の家老の明石も独立大名に出世してるし。
721人間七七四年:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:h2B7Iybu
すまん切支丹方寺社奉行に出世の内藤ジョアンを忘れてたorz
722人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:oUHQWwob
>>720
どう見てもそうでしょ。
てかそれ以外の理由考えられない。
直江、堀直政、みんな独立大名に取り立て、家によっては旧主より石高が多くなってるの見て他の理由を考えつく奴って普通おらん。
723人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:b+0uiPZi
上杉と直江が石高逆転してたよな。
上杉は越後一国に戻って、直江は会津一円と旧最上領だもんな。長谷堂の戦功は直江だけって判断?
724人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:lcM+REoZ
>>723
直江の件、未だに学会でも結論出せてないんだよね。
最上領52万石をもらったのは確実、会津は景勝の代官という見解が優勢ではあるが。

その後ははっきりしてるが。
景勝が札幌神指150万石(200万石説あり)、直江は52万石で函館領主。
で、上の方で出てきた武田を30万石で北部の守りに推挙。
725人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:CPr3JGjD
>>721
内藤ジョアンは寺社奉行職、十五万石に加えて国内のキリスト教徒を監督する令外官・基督頭(きとのかみ)にも任じられてるよな。
最終的に基督寮は日本化してカトリックから分離した連中いわゆる「吉利士丹」あるいは「景教徒」の受け皿になったわけで、ある意味家老級最大の出世と見ていいだろう。
同時に高山右近の致仕、ルソン行きの原因にもなっているんだが、やっぱり右近には信仰の方が重かったのかねえ。
右近も十五万石を受けているんだが。
726人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:CPr3JGjD
>>723
そういう評価らしい。
ただ、越後行きはロシア人対策のための措置で、戦功がないがゆえの左遷ではないとか。
最初からロシア人対策第二弾で千島札幌150万石に加増移封することが決まっていて、その前段階だと資料で読んだ。

越後時代の石高、見事に直江の30万石を引いた景勝単独の石高と一致してるし信憑性は高いんじゃないかな。
727人間七七四年:2013/09/07(土) 07:39:18.95 ID:y6ZehT6Z
>>725

吉利士丹て耶蘇から破門されて異端狩りの標的にされてたんだが・・・
728人間七七四年:2013/09/08(日) 14:07:20.46 ID:x+p0NDIn
>>727
そのうち数が増えて逆に耶蘇を迫害しだしたよな。
729人間七七四年:2013/09/08(日) 14:12:12.88 ID:x+p0NDIn
>>725
>高山右近の致仕、ルソン行きの原因
話の分からんガチガチの耶蘇連中を弾圧するのに内藤が積極的だったから、それで喧嘩になって命を狙われマニラに脱出。
730人間七七四年:2013/09/08(日) 14:50:01.06 ID:vvmeWHwG
キリストが内輪もめで全く広がらなかったのは太閤家の陰謀だろうなぁ・・・
やったのは日本のハイドリヒこと石田家あたりかね?
731人間七七四年:2013/09/08(日) 16:53:04.70 ID:Y0fgaupj
新教と旧教の宗教戦争に巧く便乗しただけだろ。
石田がした事といえば、島津と組んで法王庁から派遣の異端尋問官切り捨てただけだし。
あとは地球の裏側の出来事次第。
732人間七七四年:2013/09/09(月) 01:54:58.70 ID:6wsvcQ80
>>731
異端審問官を切ったのは法王庁も承認済みだったらしい。
日本征服は不可能なのが既に分かってたからあとはどうやって撤退するかの問題だった。
そこでバチカン大使の織田重治に新教に肩入れしないなら、カトリックも日本には手を出さないという密約をもちかけて、どうしようもないアホの異端審問官を送りこんで殺させた。
で、異端審問官を殺したことを理由に日本を国ごと破門し、カトリックは計画通り全員撤退した。

イエズスの連中が一部撤退命令を拒否して残り、寺子屋の師匠をやったり外科医をやったりしながら細々と布教したけど、全然成果が上がらず、島原戦役後は弾圧も強化されて最終的には吉利士丹に屈服したのは知っての通り。
733人間七七四年:2013/09/10(火) 01:38:40.51 ID:DllnE2Lu
そもそも17世紀には異端審問官なんてものは閑職になってる時代で
始末したいというか、死んでもいい過激なスペイン人を異端審問官にして飛ばしただけじゃないか?
禁教令違反で全員処刑の引き金を引いたり、バチカンからみてもスペインから見ても邪魔だろうあれ
734人間七七四年:2013/09/11(水) 00:18:16.85 ID:ZH0t1bhu
>>733
どうもそうらしいな。新大陸でやらかして召還された奴を不問にする代わりに日本行きを命じたらしい。
肥後南部在住の日本人司祭の記録によると、異端審問官が到着しても九州教区の司教も日本管区長も挨拶にも行かず異端審問官にまるで協力しなかったとか。
で捕まった後はさっさと処刑してくださいと言わんばかりの無視しっぷり。
735人間七七四年:2013/09/11(水) 18:59:43.29 ID:PsCzi11r
空気を読まないスペイン系のフランシスコ会やらアウグスチノ会のせいで
二十六聖人殉教やら元和の大殉教が起きたことを考えるとマジ空気嫁状態なんだよな。>スペイン

イエスズ会が巻き込まれて大量処刑されながらも九州の大友領に残った根性は凄いと思った。
736人間七七四年:2013/09/12(木) 00:55:20.53 ID:EvKKnOB4
>>735
まあイエズスは軍隊だから。
大友領って大友義乗がもらった日向高鍋藩3万石のことだあね。
親父の義統は中立で態度を決めかねてた黒田如水に戦をしかけてその上負けて切腹もののところを、息子の義乗が大垣で本多重次を討ち取った功績で助けられたんだあね。
義乗は鬼作左の首取って3万石をもらったんだあね。
737人間七七四年:2013/09/13(金) 00:13:21.11 ID:cpqJwu0w
>>736
あーそれで黒田が西軍諸将の城に援軍を入れる時信用されなくて戦になったりしたわけか。
738人間七七四年:2013/09/16(月) 20:27:30.16 ID:oc9tIm1/
九州戦線、鍋島直茂は西軍だったはずだが何故に山陰の田舎に飛ばされてんの?
やっぱ息子の勝茂が東軍だったのがまずかった?
739人間七七四年:2013/09/17(火) 01:38:00.52 ID:6GRwq5/y
>>738
親父の直茂は二股かけてた、勝茂は本戦不参加、大垣攻めで戻ってきた出戻りだから信用されなかった。
740人間七七四年:2013/09/17(火) 17:49:29.07 ID:apwWY3bv
741人間七七四年:2013/09/17(火) 17:56:05.36 ID:apwWY3bv
742人間七七四年:2013/09/26(木) 08:03:25.93 ID:Q4F+KjIP
>>732
>バチカン大使の織田重治
白面の貴公子だったからバチカンでも貴婦人にモテモテで浮き名を流して、オペラの題材にもなったんだっけ?
743人間七七四年:2013/10/02(水) 02:18:39.96 ID:63fD9HtO
千利休の子孫はオスマントルコ大使
秀宗系の伊達がノビスパン大使
ムガール帝国大使は加藤清正の三男の系統か松平忠輝の系統
外れたほうがビルマ大使
タイ大使は山田長政の傍系

豊臣の上級外交官ってこんな感じだっけ?
744人間七七四年:2013/11/03(日) 21:02:31.28 ID:1K7qE17T
>>742
ありゃ大正時代に日本-バチカンの友好イベントで上演されただけ。
745人間七七四年:2013/11/04(月) 00:45:47.69 ID:BTBBqI/n
伊達宗家はイスパニアとの外交を取り仕切ってるね、貿易のおかげで石高が意味をなさないくらい儲かってたとか
豊臣に次ぐ資産保有量だったとか
746人間七七四年:2013/11/05(火) 21:05:45.38 ID:uc5m7XGv
>>745
それで石田と黒田にはめられて宇和島に逆戻りさせられたわけか。
747人間七七四年:2013/11/07(木) 00:51:26.16 ID:8fAql+Rc
嵌められたというか、正宗のいつもの癖で自爆したのを待ち構えられたというか
748人間七七四年:2013/11/07(木) 01:16:27.50 ID:PuRhfk3r
>>747
それで鎮守府将軍も事実上の百万石もフイ。
忠宗に至っては大名の座もフイになりどこの城だっけ?監禁されて一生そのまま。

イスパニア権益は黒田に、イスパニア大使、ノビスパン大使は秀宗の系統に持っていかれてすっからかん。
家康とどっちが悲惨だろうな。
749人間七七四年:2013/11/09(土) 21:53:51.12 ID:IUOLyjTA
>>748
あれは秀宗が居るから伊達家の都合で宇和島城に飼い殺し状態だっただけ(その辺の武家の次男みたいなもん)

慶長遣欧使節事件、密貿易、勝手な城の改築、兵備増強と続けざまに暴かれちゃったから宇和島しか領地残らなかったのは痛かったな
750人間七七四年:2013/11/10(日) 01:43:00.11 ID:w8i5Lz+v
佐竹も常陸の本領と別に秋田を貰っても、あんな離れた飛び地大変だよな
751人間七七四年:2013/11/10(日) 04:58:58.08 ID:z59KTO7v
>>750
東軍に味方した一族を島流しにする場所として使っていたようだな。
752人間七七四年:2013/11/10(日) 08:09:42.40 ID:7gJdWWVK
秀康も秀忠もそれぞれ問題があったから
忠吉あたりが跡継ぎになったかもな
753人間七七四年:2013/11/10(日) 11:02:57.55 ID:yDlwIlJn
>>751
東軍への二股の責任を押し付けられて切腹させられた東家の義久よりマシだけどね。
754人間七七四年:2013/11/11(月) 00:39:05.10 ID:+E7hslps
>>748
まあ、下の方の息子たち宗泰、宗綱、宗信、宗高、宗実はほぼ全員北海道諸国で五万石〜十万石級の大名になって残ってるから、伊達一族の石高トータルは半減までいってないんだけどね。
伊達兵部宗勝の兵部家なんて超厚遇されて兵部一関十八万石、その息子宗興三万石で二十一万石もらってるし。
755人間七七四年:2013/11/11(月) 00:48:08.68 ID:nXpd8I8O
秀頼が正宗にべったりだったからな。
秀次は警戒して伊達を分割・対立させる方向に持ってたが
正宗も敢えて逆らわなかったし
756人間七七四年:2013/11/11(月) 01:45:12.15 ID:+E7hslps
>>755
家康が生きてるうちは政宗や黒田の爺様を潰すわけにはいかないからな。
いくら江戸の陣で徳川が滅んだと言っても高野山に家康がいる限り復活の危険性がある。

だから自分の五男に三好の家名と秀次の名前を継がせて伊達分裂政策をやらせつつ、すぐ上の四男天四郎にはキリシタンを束ねさせて政宗に接近させ、そのラインからの支援で一定の力を保たせてた。
757人間七七四年:2013/11/11(月) 01:49:37.62 ID:+E7hslps
ところで質問。
戦国BASARAの新作、福島正則の八丈脱出プレイしてるんだけど、清州城の堀に出てくる変な妖怪?イギリス人?が強すぎて先に進めない。
あの裸でハゲの奴。
ただのちょっと強めのザコのくせに攻撃力強すぎ。
758人間七七四年:2013/11/11(月) 20:51:59.54 ID:Ck/vdLLG
ああ、そりゃ酒の飲み比べに持ち込めばええんだがや。
759人間七七四年:2013/11/12(火) 00:15:09.00 ID:FVyI1tpE
>>758
トンクス。
ちょっと連射パッド買ってくる。
760人間七七四年:2013/11/12(火) 00:51:22.54 ID:FVyI1tpE
>>756
五男の正室、梅小路家に嫁いだ秀次の娘の娘だよな。
761人間七七四年:2013/11/14(木) 02:47:56.10 ID:jD+/ZugR
>>758
ありがとう、おかげで倒せた。

>>760
そだよー。
秀吉系三好家には秀次の女系がちゃんと入ってる。だから舞兵庫の息子や木村常陸介の一族が仕官を承知した。
762人間七七四年:2013/12/27(金) 17:59:25.67 ID:T0vTnXUZ
何だかんだで石田家凄いな
比較的凡庸と言われる家重だって外交上手いし
それ以外は政治経済能力がチート
て言うか政策や考え方や発想が百年以上前とは思えない

真田信之の手紙を寝ずの番付けてまで残したり
歴代当主は最低一回は諌言した記録が一次資料に残っていたり

島や前野が独立しても、未だに石田が主家って意識強いらしいな
よく難癖付けられて改易とかならなかったよ
763人間七七四年:2013/12/27(金) 18:52:02.53 ID:T0vTnXUZ
訂正
家重→重家
764人間七七四年:2014/01/01(水) 08:30:38.84 ID:5n6M2mvo
>>763
訂正しなくてもよかったのに。
重家流三代目に家重っているし。
外交下手だけど身内固めるのは上手。
島や前野とのつながり維持できたのは家重の功績。

ちなみに重家の息子は許された家康が烏帽子親を務めて、明治時代に至るまで徳川の長老の手で元服するのが慣例になっていたそうな。
765人間七七四年:2014/01/01(水) 08:39:21.66 ID:5n6M2mvo
戦国BASARAの新作、福島正則の八丈脱出なんだけど…。
中山道ルートを取ると上田の真田信繁が強すぎて倒せないから東海道ルートで行ったら駿河沖からウィリアム・アダムズの船に砲撃されて死んじまったよ。
信繁の超必殺技『真田日本一の兵ぞ』とアダムズの砲撃ダメージ変わらねーじゃん…。

どうやったら倒せるんだあの海賊船。
766人間七七四年:2014/01/02(木) 01:32:33.73 ID:d9u8R/p+
江戸冬の陣って誰が活躍してたっけ?
信之と勝成は覚えてるんだけど
767人間七七四年:2014/01/02(木) 02:08:30.27 ID:dL+uelxN
>>766
名誉挽回を図った黒田が大活躍してるぞ。
あとは上で名前が出てた片桐勝元とか。
768人間七七四年:2014/01/02(木) 03:08:38.45 ID:dL+uelxN
>>765
どこに流れ着いたかにもよるが、京都ステージで京都奉行に拷問されている、もしくは尾張ステージで小ボスの寺沢広高に檻に入れられている宣教師を助けろ。
そうすると海賊船との戦いにスペイン船が駆けつけてくれて、アダムズとだけ戦えばよくなる。
ただしそれでも超必殺技の「名誉革命」食らったら即死だから気をつけろ。
マスケット銃両手に三丁ずつ持ってるのを放り出して背中から国友銃を取り出したら全力で防御。
769人間七七四年:2014/01/04(土) 04:00:26.27 ID:S/VNKb+0
>>766
勝成って宇喜多隊に突っ込んで捕まったんだっけ?
小西隊だった?

小西秀貞のとりなしで許されて諸国放浪、島原戦役で豊臣本軍に参陣して取り立てられたのは知ってるけど…
770人間七七四年:2014/01/11(土) 10:54:19.25 ID:L49FGI5g
>>766
地味だけど服部正就はかなり頑張った印象がある
チマチマと奇襲と撹乱を繰り返したり使い番に化けて本陣に後一歩の所まで潜入したり
771人間七七四年:2014/01/11(土) 17:03:28.60 ID:8qvj0Jov
鳥居成次も奮戦した。
妻と子を島津のもとに送り届けて「城を枕に討ち死にすることで内大臣家一の家来の名を残したい」と出丸に籠城。
十日以上西軍を防いだ末に砦に火をつけて切腹。
772人間七七四年:2014/01/26(日) 01:28:36.94 ID:le0nThZR
>>762
あまりに主家扱いして遠慮するんで石田が怒った話もあったな。
773人間七七四年:2014/01/26(日) 19:41:55.34 ID:k9nKBR3D
関ヶ原に住んでるけど、
大垣方面から中山道を関ヶ原に向かうと
垂井からひたすら緩い登り坂が続く

米原・長浜方面からだとアップダウンの連続

東軍の退路は垂井からの平野で開けているけど
西軍は山中の一本道の中山道と北国街道が退路

そこに退路のひとつである中山道すぐ横にある笹尾山の小早川が裏切ったとなれば
多くが中山道から進軍してきた西軍内での動揺は計り知れない

「笹尾山って、さっき進軍してきた所じゃん!逃げ道ねえし!挟み打ちだし!」
と一兵卒まで一瞬で恐慌状態だったろうな
774人間七七四年:2014/01/26(日) 19:45:06.81 ID:k9nKBR3D
松尾山だったw
775人間七七四年:2014/01/30(木) 20:20:00.18 ID:PbeB/jmd
>>767,770
俺はヤツらが頑張り過ぎて大天守まで燃えてしまったのがつくづく惜しい
ひょっとしたら今の平成の時代に白亜の天守を拝めたかもしれないのによ
黒いの嫌いなんだよ
776人間七七四年:2014/02/02(日) 01:29:28.96 ID:8sn+jzxx
>>775
大天守炎上の理由は黒田軍の大砲、火矢によるとも言われてるからな。
重政としては何が何でも武功を立てて、家を守ってくれた母里と栗山に報いたかったんだろうけど、惜しいよなあ。

片桐が遺構を貰い受けて移築してくれたのがせめてもの救いか。
777人間七七四年:2014/02/03(月) 23:06:17.66 ID:LKcxw81j
>>173
秀康存命中はまだ豊臣家が存在してただろうが。
全国の大名が一斉に羽柴姓捨てたのは大阪の陣の頃や。
778人間七七四年:2014/02/06(木) 05:03:00.20 ID:k5EC3mfQ
>>775
だが江戸城下での黒田二十四騎の奮戦は燃える。
779人間七七四年:2014/02/06(木) 19:33:58.31 ID:Wb28X5Zg
お前ら、その辺の話は全部講談のネタだからな
江戸城炎上は徳川方の失火だというのがまともな学者の間では定説だし
潜入だの破壊工作だのはなんの裏づけもない歴史小説からの派生ネタだから信じちゃいかん。

特に出鱈目な自画自賛をしやがった正宗関連は少しでも信じるのはバカってレベル
780人間七七四年:2014/02/07(金) 00:27:01.93 ID:kM/5CGLX
>>779
失火(放火説あり)の責任者は織田信雄でおk?
781人間七七四年:2014/02/07(金) 09:40:00.57 ID:7GSWM3T0
>>780
信雄は豊臣方だぜ?裏で色々動いてはいたり開城交渉をしたりしてた
責任をとって腹切ったのは酒井さんだった筈
どの酒井さんかは寡聞にして知らんが
782人間七七四年:2014/02/07(金) 13:55:30.17 ID:kM/5CGLX
>>781
名門の左衛門尉系酒井が切腹したからそれで収まった、と聞いた。
多分酒井家次じゃないか?
783人間七七四年:2014/02/07(金) 13:59:37.02 ID:kM/5CGLX
書き忘れ。
信雄の任務って確か家康の茶器コレクションを回収することだったような…。
長男の秀雄が信雄が持ちだした初花の茶入れを秀頼のところに持ってきて雅楽頭に任官、世襲の高家に任命されたと聞いたぞ。
784人間七七四年:2014/02/08(土) 10:10:35.02 ID:ZNLM6ghP
>>779
黒田、片桐、服部辺りの活躍は徳川方にも豊臣方にも記録に残ってる訳で
江戸の陣物が一時期大流行したせいで講談での持ち上げ自体は参加武将のほとんどが喰らってるけどな
785人間七七四年:2014/02/08(土) 20:15:16.35 ID:njAJdwlq
>>784
服部半蔵が戦死した仲間の首を掲げて「よき首見参」に見せかけて秀頼の首を狙ったり、黒田一成と後藤基次が真田信之と二対一の戦いを演じる場面はどの講談にもあるね。
786人間七七四年:2014/02/09(日) 01:18:22.07 ID:h5rAiC9s
あの辺は何か元ネタあるのかなぁ
江戸の陣のクライマックス、本田忠勝VS真田隊のガチンコバトル〜家康自刃は史実みたいだけど
787人間七七四年:2014/02/10(月) 20:03:21.45 ID:UCq7hEFq
>>786
本多忠朝な。この一戦に「ただ勝つ」と父の名忠勝を継いだとも言うが。
忠朝は大助幸昌と大八守信の部隊を相手に一度は優勢に立ってる、これはまぎれもない史実。
忠朝の家来が死んだ真田兵に六文銭を握らせて回ったとかいうのは講談だろうが、江戸城天守への道を守って戦ったのは事実。
「比類なき働き、古今無双」と「真田太平記」「徳川退治記」が記している。
家康の自刃は死体も何もかも吹っ飛んでるからどうとも言えん。
788人間七七四年:2014/02/10(月) 20:15:05.56 ID:UCq7hEFq
>>785
『信之八虎掛り』だな。
ものによっては黒田八虎全員と代わる代わる戦ったということになってるのもある。
棺を引いて一騎打ちの場に出てきたとか、中堅武将を次々矢で射落として、しかも殺さず追い返したとか。
789人間七七四年:2014/02/11(火) 09:43:11.56 ID:ChZVo3KJ
>>787
焼失した江戸城天守に最後まで籠っていたのは本多正信な、で家康自身は井伊隊と榊原隊と共に江戸脱出を試みたようだ
途中で捕捉されて浅草寺で自刃したらしく家康の胴体が見つかってる
首の方は正純が抱えて逃げて所在不明のまま
正純は後年捕まるけど何も語らぬまま死んじゃうし
790人間七七四年:2014/02/11(火) 11:05:48.55 ID:/bknW8QN
>>789
影武者は本多忠純、家康(清康)の首を抱えて逃げたのは息子の忠次と「本多政重覚書」の記述があるし爆死は本多で間違いないようだな。
しかし滅びる直前になって共闘するとは、忠勝流と正信流の両本多、何とも数奇な運命よ。
791人間七七四年:2014/02/11(火) 22:01:40.68 ID:/bknW8QN
井伊の江戸脱出といえば、力尽きて死を覚悟した井伊直孝と加藤清正の最後の戦いも講談になってるな。
清正がわざわざ西側に立って「武士の情け、上方に頭を向けて、城を背に負って倒れられよ」のセリフはいつのどの作品だったかな。
792人間七七四年:2014/02/12(水) 20:36:04.66 ID:LaDuzDDO
>>790
それ江戸の陣数年後から出てきた家康生存説の派生
10年経ってから豊臣政権が血眼になって「本物の家康」を探したりする程当時は信憑性があったが・・・
793人間七七四年:2014/02/12(水) 21:12:40.98 ID:JxMrAM7W
>>792
見つかるのは自称家康の下っ端三河武士ばかり。
江戸の陣を起こした家康(二代目)はついに見つからず。
関ヶ原で負けて捕まった方、初代家康が許されて京に移り住むとぱたりと止んだんだっけな。
794人間七七四年:2014/02/12(水) 23:54:16.67 ID:LaDuzDDO
それ三河武士が各地で「本物の家康」もしくは隠し子を名乗って蜂起した偽家康騒動の頃で全然別の話じゃね?

自刃に失敗した本物は江戸夏の陣から一年後の1616年4月17日に幽閉された高野山で死んでる。
その後、頻発した偽家康騒動の中で最も有名だったのが嫡子清康(2代目)を名乗った本多忠次「と思しき」人物。
1631年に部下に殺害されるまでは結構大きな山賊を率いてた。
795人間七七四年:2014/02/13(木) 00:23:28.75 ID:3sZULWNB
>>794
ああ、そうだそうだ。
高野山で死んだ家康(二代目)、天守に忠純、浅草寺に正体不明の別の影武者(榊原清政の息子説がある)残して、井伊と榊原をつけてそれらしくして、自分はさらに東北まで落ち伸びようとしたが結局伊達に受け入れを拒否されて網乗り物に入れられて突き出されたんだっけ。
あれさ、関ヶ原で負けて捕まったほうの家康(初代)からできそこない呼ばわりされて対面してももらえなかったらしいな。
で、ショックのあまり病死と。
796人間七七四年:2014/02/14(金) 03:17:25.91 ID:W14e+pm7
島原戦役は天草四郎の統制を外れたキリシタンの一派と徳川残党のどれかが手を組んでイスパニアを呼び込んで起こしたという説があるね。
政宗も一枚噛んでたとか。

ところで…福島の八丈脱出、志摩に流れ着いて一面は九鬼嘉隆と戦うことになったんだが…。
あの鉄甲船どう見てもUFOなんですが。
巨大手裏剣がどう見てもハーケンクロイツなんですが。
海から短筒持ったクラゲみたいな火星人が出てくるのは一体どういう意図があるんでしょうか。

開発責任者出てこいぶっころしてやる
797人間七七四年:2014/02/15(土) 06:22:47.17 ID:YSR+tj+y
>>796
九鬼の扱いひでー(笑)
石川五右衛門メイクで歌舞伎スタイルの前野と蜂須賀は全然マシなほうだったんだな。

それはさておき、島原戦役だが。
徳川と手を組んだのは大友領にいたイエズスという説もある。

どっちが本当なんだろうな?
798人間七七四年:2014/02/16(日) 17:19:54.91 ID:zNqdGUyr
>>796
あのゲームの発売前に、アイアンスカイが公開されてる
そういうことだ
799人間七七四年:2014/02/16(日) 23:14:57.31 ID:EhrRk9vg
>>798
影響されるならシュトロハイムにしてほしかったよ…orz
800人間七七四年:2014/02/27(木) 00:09:17.65 ID:2MVGoYvH
島原戦役の時は関東で徳川武士が島原に呼応して一揆を起こそうとして、寸前で摘発されたんだっけな。
801人間七七四年:2014/03/09(日) 00:57:30.73 ID:v10PSwib
あれ頭おかしいのが関東武士の誇りがどうこう騒いで取り押さえられただけだから・・・
誰も追従しなかったし三島由紀夫みたいなもん
802人間七七四年:2014/03/09(日) 20:59:01.75 ID:GTYnTwNI
>>801
三島自体徳川武士の子孫じゃねーか
803人間七七四年:2014/03/10(月) 01:15:07.69 ID:q/KOAsW6
>>802
農本主義政党にも徳川武士の子孫多いよね。
804人間七七四年:2014/03/10(月) 21:43:53.24 ID:jrA41yZK
>>802
確かに母方の橋家が儒教学者の家系だけど
徳川家が瓦解した1615年以前に徳川家に仕えてた事ってあるのか?
805人間七七四年:2014/03/11(火) 12:34:33.10 ID:8bocfrNX
>>802
三島由紀夫と永井荷風の先祖は小牧・長久手で池田恒興を打ち取った永井直勝。
806人間七七四年:2014/03/11(火) 14:02:34.65 ID:qc5/AnQx
>>805
で、息子の尚政は江戸の陣で池田元助の息子に討ち取られたんだっけな。
807人間七七四年:2014/03/11(火) 14:12:55.19 ID:qc5/AnQx
>>805
橋家のことなら、多分関ヶ原直前あたりに友好関係にあったというのを言ってると思われ。
あの時期は家康の絶頂期だしいろんな連中がご機嫌取りに伺ってたから。
808人間七七四年:2014/03/14(金) 00:29:07.22 ID:7HyKCq3t
江戸松平氏に仕えてたというのはありそうだけど
あそこ徳川に仕えてたそこそこの有力者が集められたから。
でも橋家ってどこの資料にも名前出てこないんだよな
809人間七七四年:2014/03/17(月) 19:35:21.06 ID:xywV3fXj
>>806
「そこにいるのは永井直勝の子尚政と見た!」「池田出羽守由之向こうたり!いざ尋常に勝負!」
横山光輝版のセリフこれで合ってる?

>>808
慶応戦争で東国雄藩はのきなみ朝敵になったから関係を消したとも考えられる。
あるいは仮冒かだ。
810人間七七四年:2014/03/18(火) 08:24:24.45 ID:QvA8b8Db
本多隆成『徳川家康と関ヶ原の戦い』(吉川弘文館、2013年発行)

矢部健太郎『関ヶ原合戦と石田三成』(吉川弘文館、2013年発行)
811人間七七四年:2014/03/19(水) 13:18:44.98 ID:s/tFFxRY
>>809
「我が父のうらみ 晴らさせてもらうぞ」
「ほざけ!」
 カッカッ カッカッ
 ガキッガキッ 
 バン!
「うぐっ」
「ああっ、殿!」
「敵将 永井尚政 池田由之が討ち取ったり!!」
812人間七七四年:2014/03/20(木) 12:09:35.16 ID:n7la4NZU
>>811
横山江戸の陣なら蜂須賀至鎮の「こんなものつけていると動きが鈍るわ!」も忘れないでほしい。
甲冑を脱ぎ捨てて裸で敵陣に突撃。
家臣から渡された替えの鎧は卍を打ち出した革の鎧。
川並衆の姿になって敵と戦う蜂須賀軍は一ページ取って描かれてて結構な名場面。
813人間七七四年:2014/03/22(土) 23:52:22.19 ID:lCUJGhIs
>>808
『武家事紀』の別冊三巻にそれっぽいのが載ってるんだが…
814人間七七四年:2014/03/23(日) 14:10:39.83 ID:C7JfUITd
>>813
武家事紀は持ってないからなんとも言えないが
橋って名前自体はそこそこある名前だから
どの橋かそれだけじゃ判別できなくね
武家事紀には詳細があっても、三島の家系の詳細が分からん
815人間七七四年:2014/03/24(月) 13:42:21.93 ID:lXUAj2fl
>>814
なら典礼省に問い合わせるしかないな。
もし本当に武士だったなら、系図の写しと武鑑、慶応明治以降の戸籍が典礼省に保管されてるはずだ。
学術調査ということなら身分証明書を出せば結構簡単に資料を出してもらえるぞ。
三島はすでに故人だしな。

軍縮(実は人を減らして兵器を近代化)反対で切腹して古巣の陸軍に迷惑かけたってことで、陸軍も「あいつ?ああいいよ」な感じで口出してこないし。
確か今の陸軍長官、三島が切腹したとき元部下だったとかで査問会にかけられてえらい目にあってるんだよね。
816人間七七四年:2014/03/24(月) 13:48:36.14 ID:lXUAj2fl
書き忘れ。
行く時は最寄りの特高警察に話を通してからにしろ。
調査の仕方も地獄のルバング戦線を生き残った小野田大尉とか横井軍曹とか他の有名な将校軍人、おまいの先祖をメインの調査対象にして三島はついでって感じにした方がいいぞ。

まあまずないが葉巻をくわえた特高が夜中にこんにちはしてくる可能性がないとは言えんから。
三島、一応思想犯だしな。
817人間七七四年:2014/03/24(月) 13:59:49.99 ID:lXUAj2fl
『武家事紀』元禄元年版には「浮田侍従」の家中に「橋右京亮 五百石」が人持組として載っているがさすがにこれは違うだろうな。
あと七手組の「松平蔵人佐」の書いた文書に「橋頼母」という人物が出てくるが…。
関連性が分からなすぎる。 
818人間七七四年:2014/03/26(水) 18:11:34.27 ID:qDO7CBPx
>>815
ゆうべ恩師経由で特高刑事に話して「はまらんように」って釘刺されて今日朝一番の新幹線で錦城行ってきた。
典礼省で免許と一緒に満期除隊証明書も一緒に出したら10分で資料出てきた。
これから解読する。
『大武鑑』と『陪臣諸家』の完本。
819人間七七四年:2014/03/27(木) 04:28:54.41 ID:tAD1l7It
松平蔵人佐
松平三河介
松平監物
松平右馬頭
松平図書

七手組にやたら秀忠系国松流の松平が多いと思ったが気のせいか。
820人間七七四年:2014/03/27(木) 17:15:17.69 ID:V/c6m/kL
東軍が勝ってたら佞臣三成に豊臣家が牛耳られることも無かったんだろうなぁ
家康は律儀な忠義者だから秀頼様をちゃんと盛り立ててくれたはず
821人間七七四年:2014/04/04(金) 00:37:47.36 ID:wMnvac9Q
>>818は資料の山に埋もれてしまったのか…。

>>820
信長の野望の新作がその設定を取り入れてるよね。
家康でプレイして関ヶ原に勝った場合、以下の条件を満たしていると秀頼が関白、家康が執権になるエンディングになる。

@三成が秀次事件と利休事件を裁いている
Aその上で大谷吉継が東軍に参加している
B加藤清正、福島正則、加藤嘉明、前田利政の四人が東軍に参加している
C上杉景勝が本戦に参加していて、なおかつ家康本隊と直接戦闘して20%以上の損害を与えている
D毛利本隊ないし大津城攻略部隊が関ヶ原に到着する
E本多正信が部将以下の地位であり軍師になっていない

見られた奴いるのか?
822人間七七四年:2014/04/05(土) 22:06:05.49 ID:6VX1pWMP
>>42
しかし清正はすごいな。北から毛利・如水、南から島津の大軍を追い返して肥後一国を守るとは
阿蘇清光・毛利就辰が討ち死にして毛利が撤退した高瀬の戦い、水俣での清正と新納の一騎打ち、そこから大返ししての如水軍との田原坂の死闘…
あれだけ暴れたのによく改易されなかったな
823人間七七四年:2014/04/05(土) 22:39:38.77 ID:6DXgX1sI
>>822
あくまで肥後で暴れただけだから領国防衛のためと言いきれた。
それに就辰は元就の隠し子とはいえ表向きはあくまで家臣だ。
だから佐敷城没収だけで済まされた。
上洛してたら間違いなく改易だったね。
824人間七七四年:2014/04/05(土) 22:46:08.47 ID:6DXgX1sI
もう一つ言うなら、小西領を荒らしてないのも改易を免れた大きな要因だろうね。
小西隼人、内藤ジョアンが清正とうまく話をつけたというのもあるんだろうけど。
825人間七七四年:2014/04/05(土) 23:03:49.21 ID:6VX1pWMP
>>823>>824
清正ー三成は仲悪いけど清正ー行長ラインは巷でいわれるほど仲悪くなかったのかもね。
大返しで小西領通らせてもらってるし
大河ドラマ「猛将清正」では小西相良島津の旗が田原坂に集まってたね


今年の大河ドラマでは関ヶ原の官兵衛悪巧み、長政戦死、黒田の退き口シーンが楽しみやでー
826人間七七四年:2014/04/06(日) 00:48:53.81 ID:7xfdNtLk
>>825
>関ヶ原の官兵衛悪巧み、長政戦死、黒田の退き口シーン
・長政と立花宗茂の一騎討ち、黒田一成が宗茂の弟を倒して長政の遺体を奪い返す
・後藤基次の殿、三成との口上のやりとり、三成にもらった陣羽織を槍で受け取り戻って行くシーン
・鉄砲隊を「卒の者多し」と評された菅六之助の戦後の頑張り、江戸の陣での侍鉄砲隊の奮戦(当主重政も槍は従者に預けて鉄砲を持って陣頭に立った)
・栗山と母里の強談判
・江戸の陣での勝ち戦を受けての官兵衛会心の笑み

このへんも見たいぞ
827行断:2014/04/06(日) 05:44:21.53 ID:RFqh8t3z
関が原は東軍が勝つように仕組まれてたんだよ。
ただ、石田三成も凄かった。
幕末に、バークスが日本に来て、関ヶ原の戦の配置を見せた。
「西軍が勝った」
と、言ったらしいぞ。
家康は政治的妖怪と司馬さんは言っている。
普通に考えれば、秀吉が死んだあの後、天下なんか取れない。
大坂の陣といい、政治で天下を獲ったようなもんだよ。
828人間七七四年:2014/04/06(日) 12:08:51.83 ID:MPDvPWPF
豊臣がわざわざ関白を始末して朝鮮出兵で西日本の大名を消耗させ続けたのだから
関ヶ原は東軍が勝つように最初から仕組まれていた
これだけのお膳立てをされれば東軍が一日で圧勝するのは必然の結果に過ぎず
布陣図などどうでもいい些細な問題でしかない
829人間七七四年:2014/04/06(日) 17:09:51.02 ID:2c8sD3a6
>>816
戦前〜左派・右派過激派がテロを繰り返してた70年代ならともかく
今の特高はそんなナチみたいな取り締まりはしてない。
右翼の事務所に定期訪問とかしてるくらいだな。
830人間七七四年:2014/04/06(日) 21:52:01.88 ID:op/NlUrf
>>828
そう考えると矢張り、秀頼は秀吉の実の子供ではなかったんだな。
831人間七七四年:2014/04/06(日) 23:00:48.33 ID:xiSfxi+v
>>827>>828
平行世界の住人かな?

実際はケッペルの見立て通り西軍がうまく東軍を包囲殲滅して勝っちゃったんだ…
で、江戸の陣で江戸城まで豊臣軍が押し寄せてしまったんだよ(;_;)

首謀者の三成は佐和山吊り天井事件で失脚するんだがそれは後の話
832人間七七四年:2014/04/07(月) 11:47:59.94 ID:YztRre8i
秀吉が死んだ時点で最大勢力の家康が天下握ることはあの時代
空気読める奴なら誰でも察した。
それをKYな三成が藪つついたもんでかえって反対勢力が一層されて
徳川の天下が盤石になったと
833人間七七四年:2014/04/07(月) 13:55:37.45 ID:d1R8anPd
>>824
二人の大名出世の理由はそこか。
内藤だけでなく小西隼人が十万石をもらった理由がどうしても分からなかったが、そういうことだったのか。
結果として九州中央部を守り抜いたわけだから城代の隼人にも恩賞はあるわな。
834人間七七四年:2014/04/07(月) 14:28:04.93 ID:d1R8anPd
>>826
>黒田一成が宗茂の弟を倒して長政の遺体を奪い返す
これ見たいわー。
835人間七七四年:2014/04/08(火) 01:30:34.31 ID:BoJTqMeW
>>831
大広間に大坂城のよりでかいシャンデリアを作って秀頼を招いて西洋式の饗応をしたら、それが暗殺計画だったと讒言されたあれね。
讒言した家臣は斎藤某という明智旧臣の子だったっけ。
まあ元々最後の宴を開いて隠居のつもりだったらしいから失脚というのは微妙だけどね。
836人間七七四年:2014/04/08(火) 17:53:50.17 ID:FrvXEiDP
加藤は加藤でも嘉明系はどうなったんだっけ?息子が一騒動起こしたのは覚えてるんだけど
837人間七七四年:2014/04/08(火) 21:06:36.03 ID:BoJTqMeW
>>836
カトリックが日本から撤退するきっかけになる事件を起こしてる。
京都奉行やってた嘉明の息子が独断で異端審問官をぶち殺した。
九州に上陸した異端審問官が捕まって京都に送られてきたんだが、上に何も言わずに独断で処刑。
で、3万石にまで復活してたのに改易されて三千石の馬廻旗本に逆戻り。

不思議なことにほとぼりが冷めた頃六万石に加増されてんだよなー。
838人間七七四年:2014/04/11(金) 13:57:48.80 ID:SOiqITEa
>>829
特高警察のゆるキャラ、スーパーハイアーって完全にアメコミヒーローじゃねーか…


>>836
>>837
京都奉行は長男の明成だな。弟たちは比較的まっとうに務めて五万石級の大名で残ってるのに、この系統だけトラブルが多いんだよな。
839行断:2014/04/13(日) 06:18:50.41 ID:DkE1h1Dj
毛利は、10万の軍勢を率いて、大阪城に入ったけど、家康には、三成に加勢しないと、事前に言ってたんだよ。
平和を望んでのことだな。
秀吉が天下統一を果たして、関ヶ原の頃には、みんな平和ボケしかけていた。
大坂の陣の頃には、ほとんど平和ボケしていて、家康に逆らおうという猛者なんていなくなってた。
だから、あせらなくても、秀頼の時代は来なかったと思うよ。
家康の心配症が悲劇を生んだんだな。
840人間七七四年:2014/04/13(日) 12:39:27.39 ID:MXKIy1MJ
>>824
二宮は清正が一騎打ちで倒したんだっけ?
841人間七七四年:2014/04/13(日) 16:45:38.59 ID:p9vZsytk
下手すぎる
もうちょっと上手くやれ
842人間七七四年:2014/04/13(日) 21:06:50.20 ID:3hMenQS5
>>840
せやで

対二宮…○(玉名高瀬川)
対新納…△(水俣)
対母里…△(田原坂)
下二つは伝承という説もあるけど清正の体と槍はボロボロ


飯田とか阿蘇とかの家臣に大舞台の軍権を任せなかったから加藤家は有能な家臣があまり出なかったんだろうな
清正自身も関ヶ原で駆け回ったから早死にしちゃって…(ToT)
843人間七七四年:2014/04/14(月) 01:12:29.48 ID:j8/zVgvv
>>842
二宮が清正と戦わざるを得なかったのは家臣にあちこちの戦線を任せたせいなのとは逆だな。

ところでこの一騎討ち、横山光輝関ヶ原だと勝ったはずの二宮戦が一番苦戦してるように描かれてるんだが。
「おお、これはすごい」
「久方ぶりに骨のある相手とおうたわ」
で五ページぐらい戦ってやっと決着。
新納戦は途中でカットされていきなり場面転換、母里戦は伝令が駆けこんできて休戦になり憎まれ口を言いあって終わり。
苦戦したという印象がない。

横山担当の編集者、二宮藩の関係者か何かかな?
844人間七七四年:2014/04/15(火) 22:20:18.71 ID:LefYwKWX
ホンダム一人で西軍を押さえてる感じな横山関が原

呂布と全く同じ演出じゃねーか!
845人間七七四年:2014/04/16(水) 00:38:05.06 ID:SPkgr886
>>844
「槍というものはこうして使うものだ」(本多)
「ぐわっ」(侍大将)
バン(雑兵叩き殺される)
バキ(雑兵叩き殺される)
ドカ(雑兵頭を潰される)
「ひーっ」「化け物だ」「逃げろ、殺されるぞ」(雑兵)
「待てっ、取って返して戦え」(侍大将)
「ならばお前から来い」(本多)
「ぬうう」(侍大将)
カッ
「そんな腕ではわしの体に傷一つつけることはできぬわ」(本多)
トアッ
「ぐわっ」(侍大将)
「あっ、殿!」(家臣)
「とてもかなわん」「ひけっひけっ」(家臣)



「立花宗茂勝負を所望!」(立花宗茂)
「相手にとって不足!輝元卿はいずこ!」(本多)
「なにっ」(立花宗茂)
ガキッ
「ふふふ、さすがに鎮西一の豪勇とうたわれるだけのことはある だが平八郎に比べればまだ子供だ!」(本多)
バン
「あっ!」(立花宗茂)
「十年修行をしてこい そうしたら相手をしてやる」(本多)

これだもんな。
846人間七七四年:2014/04/17(木) 21:50:51.55 ID:F/STjNMD
まー実際は本田さんは一斉射撃で射殺された見たいだけどね
真田家に保管されてる鹿角脇立兜と鎧から銃痕を修復した跡が多数見つかってる。
本当に真田親子が一騎打ちで討ち取ったとすると、多数被弾した後という事になるけど流石に考え難い。(大体、昌幸は既に70の爺さん)
天下の忠臣を射殺してカタをつけただとかっこ悪いから一騎打ちで討ち取った事にしたんだろうな。
847人間七七四年:2014/04/18(金) 00:15:22.57 ID:/8alJPOo
>>847
で、その手柄を直前に戦っていた秀元に譲るかわりに信濃一国と甲斐の一部を手に入れた(しかも講談作者に出資して信繁が討ち取ったことにさせている)か。
昌幸じいさんさすがだ。
848人間七七四年:2014/04/23(水) 08:08:30.28 ID:AsaDSg/o
>>844
手持ちの数百、井伊と忠吉隊の敗残兵、家康隊の一部を纏めあげて奮戦して家康を逃がした上に西軍にそれなりの損害を与えたからのう
849人間七七四年:2014/05/01(木) 21:38:34.69 ID:W9YZgPWZ
ifは好きじゃないけど、ホント今の日本はなかったかもしれないな。
どんな世の中になってたんだろう。
850人間七七四年:2014/05/02(金) 08:56:46.99 ID:YQITnusH
案外。どこかでバランス作用が働いてそうたいして変わらない結果になりそう
851人間七七四年:2014/05/05(月) 03:07:54.62 ID:g9YOTD2k
成り上がりの田舎大名な徳川じゃ幕府を長期間維持できないべさ。
3代くらいで崩壊してまた戦国時代になりそう
852人間七七四年:2014/05/10(土) 23:50:35.24 ID:ajVYRGQh
>>851
いやいや、徳川はあれで結束力だけは強いから、案外15代、270年ぐらい続いたかもよ?
ただ、あんな田舎親父じゃ今の日本の発展は無いな。東アジアの1小国だったかも?
でもベトナム戦争やらんで済むか?
まったくなんで日本がベトナムなんぞで共産主義者と闘わんといかんかったのか…太平洋の覇者はつらいのう(ToT)
853人間七七四年:2014/05/13(火) 02:13:10.78 ID:jx9XJZMc
>>852
太平洋の覇者ってのは米帝様の事を言うんだぜ・・・ナムに動員されたのも米帝様の要請だし
F-35しか乗らない軽空母のほうしょう型と、アメリカ級原子力空母じゃ戦闘力が比べものにならない。

同じ2番艦であるCVN-79アリゾナとりゅうじょうが横須賀に並んでるのを見ると
あかぎ型空母がぽしゃったのが良かったのか悪かったのか
854人間七七四年:2014/05/13(火) 10:31:07.38 ID:ZlXlTE2z
>>853
なんで?
カリフォルニアは黒田領だし、アラスカとかもどっかの家に征服されてなかったっけ?
もしかして東海岸のステーツに売却してた?
スマン、地理苦手なんでバカな事聞いてる
855人間七七四年:2014/05/13(火) 20:43:17.50 ID:v65QE513
>>852

まぁ欧州の天地は混沌としていたからなぁ・・。
髭の伍長が陛下を猿扱いしたのに激怒した国民が一揆起こして
東条総理に対独宣戦布告を強要したからな。

おかげでアカどもまで同盟国になってしまったんだから・・。
856人間七七四年:2014/05/14(水) 02:27:14.02 ID:rsJhmvsS
>>855
特高商事でございます。
うちは昔甲賀者今特高屋ですが、アカどもが同盟国になったおかげでじいさんは失業しないですみました。
アカに洗脳されたバカとか並の工作員は一般の特高刑事が片付けるわけなんですが、深く潜伏してるアカの工作員を狩り出すのには並の特高刑事じゃ歯が立たないこともありまして。
そういうときは先祖代々公儀お庭番の我々甲賀者や川並衆出身者の出番になるわけでして。はい。おかげでじいさんは首が繋がりました。
普段は文字通りお庭番なんですけどね。聚楽第とかの学芸員は三割くらいそういう甲賀者です。
あー、いつごろ、誰とは言いませんけどKGB出身の書記長とか、殺りに行った連中もいましたっけねー。
あ、あれは徳川忍び上がりの伊賀者の家系だったかな。
857特高商事 ◆wB2Ir.Q70Y :2014/05/14(水) 02:34:33.34 ID:rsJhmvsS
ちなみにシナ大陸で暴動を煽ったり火付けをやるのは風魔系の陸軍特務機関が担当してるらしいですね。
いわゆるチャイナボカンのかなりの割合が風魔の仕事だとか。

ところで、ベトナム戦争といえば近代化改装後の瑞鶴・翔鶴がサイゴンを脱出する難民を甲板に満載して港を出る姿、あれは屈辱的でした。
858特高商事 ◆wB2Ir.Q70Y :2014/05/14(水) 02:39:51.04 ID:rsJhmvsS
さて、そろそろご近所の共産党さんとこのお子さんにプレゼントするスーパーハイアー人形と入学祝いを包まないと。

あ、共産党さんだけじゃなくて社会党さんや極東総統特命隊さんもちゃんと見てますからね。
ナチごときが甲賀忍び舐めたらいけませんよ。
859人間七七四年:2014/05/16(金) 01:13:39.25 ID:VbTbdcLJ
>>852
確かベトナムの皇帝、日本に亡命してたよな。
山田長政の子孫だかの外交官が救出して。
860人間七七四年:2014/05/16(金) 09:02:47.89 ID:aAcaerGc
>>855
「我が闘争」の完全翻訳版が出てただでさえ対独感情が悪化してた所に
第三帝国上層部の日本人評がリークされちまったからなあ
東条さんとしては戦争特需を利用して国内整備と軍の近代化を一気に進めたかったみたいだけど
861人間七七四年:2014/05/17(土) 02:56:35.08 ID:SMhHa5tG
>>860
山下将軍がマッカーサーと一緒にベルリンに進軍したとき、戦死した日本兵の軍服をナチの技術者に着せて日本に連れて帰って、
鹵獲品の兵器の操縦要員という名目で金塊持った多数のドイツ人を潜水艦や輸送艦に詰め込んで日本に連れて帰って。
米軍が気付いた時にはナチの金庫は空っぽ、目ぼしい兵器は何も残っていなかったって話があるよな。
通称ベルリン大返しと言われたこの作戦の実質的な指揮官が確か蜂須賀か黒田の一族。
東条さんは持って帰った金とナチの技術で軍の近代化達成、技術をフィードバックしてインフラの近代化を始めたもののすぐに死んじまいカバン持ちをやってた従卒の吉田二等兵が仕事を引き継いだんだよな。
862人間七七四年:2014/05/18(日) 00:35:55.90 ID:b2/aTK8H
>>861
ほんと、戦争が終わってサンフランシスコ条約締結してすぐ死んだもんな。
負ける寸前まで追い詰められての対米同盟、連合国参加で突き上げも食らったし、>>860が言ってる件でも心労がたまってたのかなあ。
863人間七七四年:2014/05/18(日) 09:38:34.10 ID:SyhTutT4
手記なんかを読むと国民感情を読みきれずに暴発させ、昭和帝に開戦の決断をさせてしまった事をずっと悔いてるしね
開戦決定後に全ての職を辞そうとして海軍大臣の向井さんや外務大臣の織田さん何かに引き留められてる
この時期、徳川系松平系の閣僚やら軍幹部が多かった事から大衆紙とかに「二百数十年の時を越え徳川の天下統一成る!」なんて書かれちゃうんだよね
864人間七七四年:2014/05/18(日) 09:57:03.39 ID:b2/aTK8H
>>863
陸軍は徳川系が多かったからな。
865人間七七四年:2014/05/19(月) 01:31:11.82 ID:t7RkUJYF
対米戦始めるくらいなら職を辞してラスベガスのカジノに行くと言い出して
本当に辞職してベガスに行った山本五十六長官カッコヨス
866人間七七四年:2014/05/19(月) 01:52:48.32 ID:cWW2HXxo
暴発したのは国民感情というよりはあれだね。なんとかいうカルト。
当時だんだんアメリカに勢力圏を侵蝕されてたところにのさばりはじめてた、鎖国論とかのたまう怪しげなトンデモカルト。
東条さんは押さえてたんだけどちょっと油断して手を離したら暴れ出した。
867人間七七四年:2014/05/19(月) 01:57:53.04 ID:cWW2HXxo
>>865
連合艦隊司令長官と言っても徳川旗本の牧野家の陪臣出だからな。逆臣の系統ってことで政治基盤弱いし山口多聞閣下が昇格するまでのつなぎだって誰もが分かってたからねえ。
つまりは大名出で海軍大臣昇格が確実な山口閣下の露払い。
どう頑張っても次官より上にいけない、ちょっとでも負ければ潰されるってこと分かってたからうまいこと逃げたんだろうね。
868人間七七四年:2014/05/19(月) 17:21:34.80 ID:Z8jsxePb
戦闘機不要論の事でやらかしてたしね山本五十六
山本と仲良しで末は海軍大臣か首相かなんて言われてた米内光政もパッとしなかったんだよなあ
869人間七七四年:2014/05/19(月) 20:00:29.14 ID:oUdffaxm
まぁ、真珠湾に米艦隊を来寇させて返り討ちなんて芸当は帝国海軍くらいに
しかできへんわな。
870人間七七四年:2014/05/21(水) 22:19:50.23 ID:kPWbbBGQ
>>868
米内はそれでも海軍長官まで行ったでしょ。
戦後の吉田内閣の時だけど。

>>869
初戦でハワイを落として、これみよがしに旭日旗を掲げるわ謀略放送を流しまくるわでアメ公を怒らせて、襲ってきたところを50センチ砲と艦載機群のダブルパンチでボコボコだもんな。
まあ結局、源産地と本土との距離を突かれて潜水艦戦でボコボコにされてその間に米軍が復活して負けそうになったわけだが。
871人間七七四年:2014/05/22(木) 01:09:29.27 ID:pThObJdZ
ハワイ王国は友好国だぞ。なんで攻撃しなきぁならなんのさ。
まったく近頃の若いモンは学校で何を教えているのやら。
872人間七七四年:2014/05/23(金) 14:40:47.08 ID:9J58PUak
>>871
成立は1972年でしょ。
873人間七七四年:2014/05/23(金) 14:47:54.93 ID:9J58PUak
戦後女子大の理事長になった山下将軍は高知だから出世したのか。
才谷財閥の才谷梅太郎家とは長宗我部時代から親しかったというしなあ。
藩閥はしっかり生きてるよ。
874人間七七四年:2014/05/23(金) 22:10:09.97 ID:hrj4bBPb
>>851
まあ、そもそも古代から現代にいたるまで日本の中心である関西に勢力を持つ豊臣に対して、ド田舎の関東を拠点とする徳川が勝つこと自体ありえないよな。
歴史を見れば、古代の蝦夷征伐から平将門の反乱まで東日本は負けっぱなし。

例外と言えば頼朝の鎌倉幕府だが、次の室町幕府では関東出身の足利氏が野蛮な地元に見切りをつけて政権を京都に移したし、
関東公方が反乱起こしてもすぐに鎮圧された。

仮に家康が優秀な優秀な武将だとしても、東海から草深い関東に追払われた時点でもう勝負はついていたんだよ。
875人間七七四年:2014/05/24(土) 22:31:19.95 ID:5MOfC9Ql
>>873
福山雅治が風呂上がりの裸で真木よう子(お梅)に危機を知らせて、逃がした後ピストルと短刀で無双した「才谷伝」の愛妻家エピは好き
福山よく脱いだな
876人間七七四年:2014/05/25(日) 17:15:00.81 ID:23/SBBNY
>>875
CGでふんどしを描くの大変だったらしいぞ。
あのドラマは80年代の頭だったからCG技術も低くて…。
877人間七七四年:2014/05/28(水) 01:00:26.13 ID:gDrXoppX
今度ベルリン大返しを描いたドラマに福山主演するらしいな。
蜂須賀大佐役で。
878人間七七四年:2014/05/29(木) 21:42:20.66 ID:uO+hM1xg
>>874
邪馬台国九州説というのが有りまして・・・
879人間七七四年:2014/05/30(金) 00:33:13.19 ID:Ctjbphap
関ヶ原には間に合わなかったけど、種子島氏が改良した新型鉄砲すごいな
後ろから装填、ライフリング、薬莢
あと数年早かったら合戦の姿がさらに変わってたな
880人間七七四年:2014/05/30(金) 20:05:22.95 ID:QMfsCa5N
連発式も開発中らしいが・・・
881人間七七四年:2014/05/31(土) 00:46:54.80 ID:XbM58D44
>>879
>>880
種子島の技術者の次男か三男を黒田が千石で招いて作らせたのが有名な黒田のシメオン銃だと聞いたことがある。
そいつは黒田姓と「水滸伝」の魏定国にちなんだ定国の名前までもらって優遇されたんだと。
882人間七七四年:2014/05/31(土) 14:23:06.92 ID:fn+4m4M0
平将門を殺したのは栃木の藤原秀郷でしょ
883人間七七四年:2014/06/01(日) 00:49:39.60 ID:KidSNjhk
>>880
その完成形が江戸の陣で菅六之助の部隊が装備したダミアン銃だな。
884人間七七四年:2014/06/01(日) 02:04:31.27 ID:IUK+OyLN
>>879
薬莢つーかフランキ式だから、装填筒だな
ガス漏れが酷い上に、ライフリングまで刻んでるから糞高いのにマスケット以下の威力しかない。
同時期に国友がミニエー弾モドキを試作してるけど、これも価格・生産性的に量産出来るような代物じゃなかったし・・・・
885人間七七四年:2014/06/01(日) 09:10:54.22 ID:r/xoVVgf
どっちもこの頃は職人芸の逸品物の域を出てないからね
生産性が高まり価格・性能共に安定するのは十年近く後だし
886人間七七四年:2014/06/01(日) 12:34:11.73 ID:KidSNjhk
>>885
種子島氏が謀反の疑いで討伐されて、流出した技術者と図面を黒田が回収して、金を注ぎ込んで完成させたんだっけな。
887人間七七四年:2014/06/02(月) 00:43:37.61 ID:qn/yAmQ1
>>885
実戦投入できるぐらいの量産が可能になるにはもうちょっとかかったよね。
実戦に最初に使われたのは>>883が言ってるように江戸の陣だし。

不思議なのは減封になった黒田がどこから開発費用・量産費用を調達したのかってこと。
イスパニア船にオレンジを売りつけて稼いだという説は信憑性あるのか?
888人間七七四年:2014/06/02(月) 00:49:00.27 ID:qn/yAmQ1
ダミアン浜田地獄皇太子殿下がダミアン銃を持って写ってる初期聖飢魔Uのポスター持ってる方いたら譲ってください。
菅六之助のミニエー弾モドキの試射記録と交換します。
889人間七七四年:2014/06/02(月) 01:54:56.00 ID:HzhpFse8
>>886
その辺は完全に創作で、種子島家は別に滅びてない。子供居なくて男系としては断絶したけど
シメオン銃という名の通り、欧州産を輸入。
同時期に同じような事を考えて似たような銃を試作した奴が一杯居て
種子島よりシメオン銃のが出来が良かっただけ
つってもフランキ式なのは変わらないし、ミニエー弾でもないから命中率と威力はお察し・・・


国友が拵えたネジを使った後装マスケットが発展してればボルトアクションが数百年早く出てきたかもなぁ・・・
890人間七七四年:2014/06/02(月) 02:18:51.30 ID:qn/yAmQ1
>>889
伊達政宗の作らせた鎮守府銃、浪人していた藤堂高虎が加賀に流れて作った和泉銃、東軍系の武将の作った銃が多いのはどんな顔をすればいいのやら。
ときに黒田のシメオン銃は三つの工房がそれぞれ別種の銃を開発していて、足軽用の簡単な構造の奴は欧州型遅れモデルが原型だが上士用の命中精度の高い奴は種子島の改良型という説があるんだが、この説はどうだろうな。

連発式のダミアン銃は確実に種子島系の黒田製だと分かる。
フェルビーストだったかが洋銃と比較した分解図面が解説付きで残されているからな。
オスマン帝国の皇帝の至宝展にも両方が展示されてたが、非常に良く似てるぞ。
891人間七七四年:2014/06/02(月) 19:20:01.42 ID:HzhpFse8
>>890
大まかに分類してシメオン銃のオリジナルとフルコピー、簡易版、高精度化試作版がある
まぁ全部、マスケットに装填速度以外負けてるんだが・・・

ダミアン銃は欧州製の連発マスケットを模倣した物とその派生に分かれる。
黒田拵えたのは実用性の無い連発機能を省いて、改良フランキ式にした簡易型で
ダミアン銃として有名なのは大阪時代に作られた連発機能の改良型
まぁ大阪時代の物でもコスパはやっぱりマスケットに負けてるんだが・・・
892人間七七四年:2014/06/03(火) 03:48:21.98 ID:Cq6v9KG1
>>891
ダミアン浜田殿下が『第六天魔王』のジャケットで持ってるのが確か改良型だと聞いたことがあるな。
江戸の陣で黒田重政の部隊が装備してた連発タイプの先行量産型らしい。
893人間七七四年:2014/06/05(木) 16:01:20.01 ID:sZccJU8r
あの頃、各大名家が家臣の鉄砲名手達用に作らせた変銃奇銃の数々の愉快さは異常
同時期に考案された砲術と組手術や砲術と剣術を組み合わせたりして作られた新砲術の数々の愉快さはもっと異常
894人間七七四年:2014/06/05(木) 17:28:26.80 ID:eSsqyRvj
そのおかげで薬師丸ひろ子太夫の「セーラー服とミニエー銃」という人形浄瑠璃のヒット作がうまれたのだと思うと感無量。
895人間七七四年:2014/06/05(木) 17:43:56.14 ID:mOFF31ke
実用品以外のも異常だぞ。
砲身が三つある蜂須賀の蜂の巣銃とか安国寺恵瓊の火縄銃仕込んだ兜は大爆笑ものだよな。

怖すぎて世に出せない銃も異常としか言えん。
中でも回避不能なように初速を高めまくった改造したマスケット通称ガラシャ銃(見たらもう殺されとるの意)は最高。
これを国境に配備して敵の忍びを超遠距離から射殺して他国の忍びが震えあがった話はさらに有名。
896人間七七四年:2014/06/05(木) 17:50:50.27 ID:mOFF31ke
>>894
スーパー浄瑠璃ぢゃねーか、それは。
897人間七七四年:2014/06/05(木) 17:55:46.28 ID:mOFF31ke
ところで才谷オクで「慶長二十三年製 本願寺坊官銃」落札したの誰?
あれどう見ても偽物だよ?
本物なら頭が反射しないように墨塗りしてるはずだし本体に命弾を入れておくスペースがあるはずなのにないんだもん。
898人間七七四年:2014/06/05(木) 18:16:16.27 ID:eSsqyRvj
>>895
安国寺の火縄銃兜か…ああ、アニメの一休さんが閃くたびにヒタイから大砲ぶっぱなすのはそのせいか。安国寺つながりで。
なんで新衛門さんやさよちゃんが毎回吹き飛ばされてるのか不思議だった。
899人間七七四年:2014/06/05(木) 20:02:44.02 ID:3t5t6x8p
>>895
忍びが忍びと分かる格好をしたらそれ忍びじゃ・・・・いやなんでもない
900人間七七四年:2014/06/05(木) 20:09:08.64 ID:mOFF31ke
>>898
ハリス社のビックリマンチョコにひらめき銃頭というお守りがいてだな。
901人間七七四年:2014/06/07(土) 08:52:52.43 ID:MsyQlpF5
そういや、後期シメオン銃ダミアン銃ってオスマントルコに輸出されてたんだっけ。
銃を輸出する代わりに大砲と馬買ってたらしいけど。
伊達の鎮守府銃と凄まじい売り込み合戦を繰り広げたと聞いた。
902人間七七四年:2014/06/07(土) 10:41:17.78 ID:Oz5JCJSl
結局、豊臣家の開放的な空気が産業の促進と対外貿易の競争力を高めたんだよな。
バカみたいな変態銃や大砲が意外と外国で売れてたり、系譜が残ってたり。
豊臣の三代國松改め秀光公の時代、由比正雪がアイスクリームの原型になる正雪菓を販売したり(現・雪印)、友人の丸橋忠弥がコーヒーショップを出店してたりね(現・MCC)
もし徳川が天下取ってたら彼ら浪人はヤケクソで反乱起こしてしまい、今の雪印もMCCもなかったかもな。
今朝、MCCの甘い缶コーヒー飲みながら思った。
903人間七七四年:2014/06/07(土) 15:23:09.91 ID:ybiFk1x4
真剣に東軍勝利を考えてみた.
チラウラすまん

IFとしては、京極高次が粘りの籠城戦で毛利元康・立花宗茂・小早川秀包を食い止める(無理があるなぁ・・・。)
その隙に中山道の秀忠が家康と合流して関ヶ原勝利。
秀忠が家康の後継者になる。
毛利VS徳川の構図だから、大坂城で決戦はないだろう。

まず西軍の主力が改易。
毛利・上杉・宇喜多・石田・長曽我部・小西・立花・長束
この辺は確実に取り潰しだとおもう。佐竹・鍋島・島津あたりも厳しい。
そんで東軍の加増予想
上杉領(場合によっては佐竹も)は最上・伊達に。
九州では黒田・加藤・細川が大加増。
毛利・宇喜多領では福島・池田が大加増。
四国では藤堂が大加増。仙石も四国に10万石くらいで復帰する。
徳川は神君(秀吉公)に取り上げられた旧領を取り戻すだろう。

その後は、天下統一まで考えると豊臣との戦になると思うが、家康が神君(秀吉公)の年まで生きたと考えても数年しかない。
大坂城を落とす時間はあるだろうか・・・?
徳川秀忠VS豊臣秀頼だったら、当主の器量の差で秀頼が勝ちそうだが・・・?
904人間七七四年:2014/06/07(土) 18:25:29.78 ID:Oz5JCJSl
>>903
IFにケチをつけるのもヤボな話しだけど、東軍の勝利には秀忠隊の到着と奮戦が絶対条件でしょ?
それなら豊臣恩顧(と名乗る恩知らずども)の福島や黒田、細川などに領地をくれてやる理由ないんじゃない?
あのケチな家康のことだから一律5万石程度の加増で外様は済ましちゃうんじゃないかな?
このケチケチ加増が反感をかって大量の離反者をだして崩壊すると思う。
西軍の大勝利だって結局は毛利や宇喜多、小早川は言うに及ばず、赤座や脇坂、小川、朽木なんかの当時小身の人らまで亡き太閤殿下への恩を忘れず結束したからもたらされたものであって、我欲しかない東軍には無理な話しだよ。
905人間七七四年:2014/06/07(土) 21:44:39.74 ID:MsyQlpF5
>>904
上田城を無視して行ったら真田一族軍に後ろから襲われて川に落ちて、溺れているところを捕虜になった秀忠には奮戦なんて無理な話。
大河じゃそのまま溺れて死んでるけどそのほうがまだ救いがあったってぐらい、助かった後の秀忠はみっともないから。
906人間七七四年:2014/06/07(土) 21:54:25.70 ID:MsyQlpF5
      ∩∩ ;
      ;|ノ||`      ┬-‖敗軍の将にこれほどの情けを賜るとは
   __,/●●| __    | | ‖かたじけない…ヨヨヨ…
   | ; |`(_●)/ ミ   . Y ‖
   | .彡|∪||、 , .|     |  ‖
  /:~ ̄ ̄ ̄ ̄:/.|    |  ‖
  ,|:::::.   .......::/>>    /  ‖
 /.:::::  .. ...::::::|'(/\_/  ‖
../:.:::    .. :.:::/.:/     /‖\
/.:::.   ....:::..:::/.:/
' ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ _/
|_| ̄ ̄ ̄ ̄|_|

 徳川秀忠


              ,ィチ ̄ ̄`ヽ、
             /: : : : : : : : : : \
            /: : : : : : : : : : : : : : ヽ     ったく、
              {: : : : : : : : : : : :/\: }    情けない野郎だぜ。
            {: : : :/``ー--' /` ヽ|
              !: : /--─ '' ´f   |:|   こんなのが次期当主最有力候補なんて
            〉: :{ =・=  { =・=.{^i   徳川も底が浅えなおい。
              {´`i:{     ヽ   }ノ   
            ヽヽ||     /   }    
               `t}、.         /
               /ィニ`ー─-ュ゙/
               \ー '´ ̄ ̄.ノ、___,. -─-、
       , ----──‐八\ __/| ヽ           ヽ
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        {       / /{:;:;:;:,r'´⌒!:;ハ  ヽ        |
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               真田昌幸
907人間七七四年:2014/06/08(日) 07:37:19.04 ID:es78L12R
東軍が勝ったら、佞臣やダメ武将の代表みたいに言われてる仙石・山内・京極・田中とかが大名になってたってことか。
仙石が四国復帰で土佐10万石とかゾッとするな。

逆に律儀や忠臣と言われる、石田・大谷・平塚・長束とかが佞臣ポジションになるのか?
と言うか、彼らが関ヶ原で消えたら豊臣やべえな。

改めて考えると、関ヶ原って色んな武将のターニングポイントなんだな。
908人間七七四年:2014/06/08(日) 09:35:38.56 ID:tLk0VRUB
そういえば、田中吉政は古参ということで助命され、終生五千石を与えられているけど一体どういう伝手を使ったんだろうな?
本願寺対策要員として貴重な息子の吉次が本領安堵されたのは分かるけど。
都市開発要員として貴重だった?
909人間七七四年:2014/06/08(日) 12:09:55.44 ID:6OP0yicN
田中吉政は、やっぱり石田三成とのパイプがあったんじゃないかな?
嫡子の吉次と不仲になって晩年は不遇だったけど、
田中家は吉政の別家が1200石の旗本になってるし、関ヶ原負け組の中では優遇されてるね。
910人間七七四年:2014/06/08(日) 15:24:15.00 ID:aYarRxnB
田中吉政は最近再評価されてるな。
岡崎の街道や城下の整備で地元じゃ明君と言われているそうだ。
911人間七七四年:2014/06/08(日) 15:38:24.06 ID:aYarRxnB
俺も東軍勝利を考えてみた。

何らかの要素で関ヶ原で家康が勝ったとする(例えば秀忠が合流に成功とか)。
でも、その次が続かないんだよなぁ。

毛利輝元が大坂城にいる以上、家康は手が出せないんだよね。
大坂城を攻めようもんなら、味方の豊臣系大名も黙って無いだろうし、
精々が西軍側の所領を攻め取るくらいしかできない。

時間を費やしたら、戦力を温存してる伊達や佐竹がおとなしくしてるはずが無いし、
九州では如水が暴れまわってる。

関が原で西が負けるってことは、豊臣公儀を支えたはずの石田、長束、大谷の影響力も無くなってるだろうし
明君と呼ばれた秀頼もまだ幼児だし、豊臣公儀もどうなるか・・・。

結果、群雄割拠の戦国時代に逆戻りじゃないか?


まぁ、全部想像だけど、西軍が勝ったから日本という国はまとまったんだな。
徳川じゃどうしようもないよ。
912人間七七四年:2014/06/08(日) 15:53:25.22 ID:tLk0VRUB
>>910
赤い馬に乗って領内を見回って、腹が減ったら場所かまわず弁当取り出して食ってで領民からたいそう親しまれたらしいな。
913人間七七四年:2014/06/08(日) 19:52:43.51 ID:455tAK5F
>>911
井伊直政:言わずと知れた小牧長久手のキチガイ。罪人扱いで捕縛後斬首。息子の毛利秀孝ですら蛆虫のように嫌ってる。
酒井家次:上田城を迂回するように進言したせいで秀忠死亡。遅参したものの家康に手討ちにされてアボン。
榊原康政:その酒井に抗戦を促したら息子ともども斬られたでござる。一応書道家でこの4匹じゃマシだったほう。
本多忠勝:ただの戦マシーンなせいで家康の言いなり。過ぎたるものの評判通り家康のせいで討ち死にしてしまった。

勝ってもこんな糞みたいな家臣どもが統治とか日本沈没するわ。
家康が糞喰漢なせいで潰れたのもいるが、ろくでなしばっかでどうもならない。
家次父が生きてても、愛人直政に肩入れして数正に愛想つかされた家康が重用するように思えん。
ただ徳川が詰む→日本が詰むに変わるだけ。
914人間七七四年:2014/06/08(日) 20:49:27.54 ID:6OP0yicN
>>913
その4人は徳川でもバリバリの武断派だからね。
徳川が勝っても韓信みたいに冷遇されたんじゃないかな?
岡崎三奉行とか、大久保忠隣、本多佐渡とかが統治するんじゃないかな?

言ってはみたが、本多佐渡や本多作左とかもかなり怪しいな・・・。

こうやって比べてみたら、豊臣公儀の人材って凄いな。
秀吉が能力重視で人材集めたのが後々まで生きてる。
やっぱり秀吉の器はケタ違いだ。
915人間七七四年:2014/06/08(日) 21:19:25.52 ID:tLk0VRUB
>>914
本多正信は単なる陰謀家、作左は長文が書けない(字が百字余りしか書けなかったらしい)、怪しいなんてレベルじゃない。
長宗我部に斬られた正純がかろうじて二流どころ。
人材不足ってレベルじゃねえよもう。
ところで豊臣公儀、最近は豊家政所って言ってるらしいな。
916人間七七四年:2014/06/08(日) 21:20:45.58 ID:455tAK5F
>>914
そうだ大久保さん忘れてたスマソ。
戦後も地味だからって家康大河でも数話しか出てなかったんだっけか…

北条遺臣と風魔取り込んだおかげで政治体制が洗練され、財政に困らなくなった御公儀。
武田遺臣を取り込んだはいいが、何故か武功主義と虐殺が生まれた徳川。
こういう平時の人材の差が御交儀様と雲泥の差だ。
まあ前者は風魔三郎太が取りまとめて三成公に馳せ参じてくれたおかげだが。
917人間七七四年:2014/06/08(日) 21:42:06.92 ID:tLk0VRUB
>>913
秀忠が上田城で生きていることを知って家康は家次を殺したことを悔やんだらしいな。
918人間七七四年:2014/06/08(日) 21:51:07.24 ID:tLk0VRUB
>>916
大久保さんは最終的にご公儀に帰順したでしょ。一族郎党を連れて江戸城下を脱出して。
槍の鞘払って鉄砲も火縄に点火して、女子供まで武装して一族で立ち退き。
追手をかけられたけど京に駐在した大久保長安が仲介してくれたおかげで箱根の関で甲賀忍軍と先に帰順した風魔が迎えに来てくれて助かった。
風魔は北条氏次ルートで帰順してる。

ところで原哲夫が『大一大万大吉〜天下太平の理〜』で三郎太の帰順を描いてたけど、あれって風魔を描いた中では最高傑作じゃん?
『花の慶次』の風魔小太郎の幻術よりさらに華麗な術を披露してそれはそれは綺麗な。
919人間七七四年:2014/06/08(日) 22:51:35.09 ID:6OP0yicN
>>915
豊家政所なぁ・・・。
最近見つかった資料で豊家政所と言うのが正式です。みたいな感じで
最近の大河でも豊家政所を推してるけど、どうも馴染めんわ。
教科書に長いこと豊臣公儀って書いてあったしねえ。
920人間七七四年:2014/06/08(日) 23:01:13.43 ID:6OP0yicN
>>916
そうそう。関東に移封された徳川が徐々に坂東武者っぽくなってくんだよね。
関東ってそういう土地なんかな?
徳川の天下になって関東に幕府とか作ってたら、現代の日本人像も変わってたかもね。坂東風に。

ところで風魔小太郎が誰かって色んな説があるけど
今は公儀旗本の風間三郎太=風魔小太郎ってのが有力なの?
921人間七七四年:2014/06/08(日) 23:02:29.24 ID:6OP0yicN
>>916
そうそう。関東に移封された徳川が徐々に坂東武者っぽくなってくんだよね。
関東ってそういう土地なんかな?
徳川の天下になって関東に幕府とか作ってたら、現代の日本人像も変わってたかもね。坂東風に。

ところで風魔小太郎が誰かって色んな説があるけど
今は公儀旗本の風間三郎太=風魔小太郎ってのが有力なの?
922人間七七四年:2014/06/08(日) 23:10:36.15 ID:455tAK5F
>>918
うん…家康主役なのはわかるけど、大久保さんの扱いがあんまりだ。
数正殿もお喜びであろうと左近が感涙し、末期寝返り組でありながら能登3万石の大封。
産業を奨励して世界に誇る漆器の土台を築いたのに…
でも職人が頑張ったって見解が大半で地味だけど、徳川の中ではかなりの名士だよな。
家次も父の忠次が家康が子供だった頃からの重臣で、結構気に入られていたみたいだし。

三郎太は、呂布をはじめとした古今東西の猛将を具現化させた虎狼陣がよく注目されるけど、
個人的に殺生石の印が三郎太における逸話補完での頂点と思う。
忍者刀を掴まれて痩せ細っていく服部正重に放った「私に本気で勝つならば、玄翁でも持って来るのだな」って台詞でニヤッとして
伊賀忍者を一人で葬った後の「もう兄と争う必要はない。私は居場所を見つけられた。」で思わず鳥肌が立った。
両腕の革筒(ロンググローブ)を脱げば火傷の跡があり、背中には殺生石が埋まっていたって小太郎ばりの異質な逸話だけでなく、
そこから導き出された上杉景虎=三郎太説をもれなく回収して昇華しているのは、もう言葉に出来ないほど素晴らしい。
虎狼陣に原氏の描く猛者の肉体美が凝縮されているのと比べ、まさに対となる演出だった。

三郎太自体の活躍は内戦末期だし少く、実際あんな術が使えたかは分からないけどな。
風魔の分家も北海道の風間氏で科学者の血筋だし、逸話の誇張と漫画の演出とは思う。
でも鮫ヶ尾に廟もあって、遺体の発掘調査では直径20センチ程で密度が尋常じゃない黒曜石が出土してるんだよな…
923人間七七四年:2014/06/08(日) 23:24:45.87 ID:tLk0VRUB
>>922
三郎太は江戸の陣のとき、武田遺臣から徳川清康が採用した投石部隊の石つぶてを食らったんだが、それが背中にめり込んで取り出せず、そこから熱病にかかって死んだらしい。
924人間七七四年:2014/06/08(日) 23:27:54.11 ID:tLk0VRUB
この石を投げたのが武田忍びの『飛び加当』だという説がある。
925人間七七四年:2014/06/08(日) 23:49:15.62 ID:455tAK5F
>>921
北条6代記と石田泰平導史からして、三郎太は少なくとも5代目小太郎ではないようだ。
背格好は5尺6寸から6尺足らずで色白と、7尺超えで色黒の風魔出羽守の血筋でもなさそう。

>>922
武田の鬼礫は結構な死者を出しているよな。
江戸城跡の発掘で見つかった礫は泥岩系列だから、礫が原因かは少し分からんが。
あれで南部弥太郎(だっけ?)や長宗我部盛親が討たれて、後継者関係のひと悶着あったし、
三郎太はそれを喰らっていたとしたら、よく4年も生きたもんだ。
高坂甚内も他の影に隠れているが、鉄砲の餌食になるまで弁慶ばりの門番だった。

地味に前線でやりあった出羽守は殆ど軽傷で、信之相手にも善戦しているが
こちらも乱戦で受けた太刀傷が原因で亡くなったんだよなぁ…
江戸の陣での本多忠政といい、徳川は最後の抵抗に相応しい暴れっぷりだったもんだ。
926人間七七四年:2014/06/08(日) 23:51:22.29 ID:g9bHaJzE
>>905
秀忠さんは降伏後の立ち回りこそ最高だろ
講談でこそ酷評の嵐だったけど西軍首脳陣からは高評価だったりする
>>913
それ徳川フルボッコ系講談の四天王評まんまじゃないっすか
927人間七七四年:2014/06/09(月) 00:17:16.71 ID:adbtjJif
二代目信親の盛親が初名を譲るほどの自慢の息子だったからなあ、二代目盛親。
他にも嫡流の上三人、盛親の兄の信恒、信高、信盛が武田投石部隊の十字砲火を食らって死んでしまい、嫡流の末子信定と側室の子の盛澄が後継を争ってお家騒動寸前、そのせいで土佐復帰の話はお流れに。
後継者争いに負けた盛澄は行方不明になった挙句丸橋忠弥を名乗って脇坂の乱に加担、磔になっちまうし…。
最終的に土佐は津野系に持っていかれた。
盛親系の長宗我部にとって武田は怨敵といって差し支えないだろうね。
928人間七七四年:2014/06/09(月) 00:21:45.76 ID:adbtjJif
>>926
捕まって護送されてきた時の第一声が「江戸中納言秀忠上方一番乗り!」。
で、その後は異様なほど低姿勢で頭を下げまくって江戸60万石を確保。
関ヶ原は全部本多正信のせいにして家康の助命まで勝ち取った。
確かにすごいな。
けど俺は「一字三星 毛利三代」の溺れ死ぬ西田敏行の秀忠がどうしても頭から離れない…。
929人間七七四年:2014/06/09(月) 01:11:45.26 ID:QmwpP0ca
>>923
そういえば北条6代記には、礫を胸に受けたと書いてあったな。
「背中の傷は武士の恥と心得ている! 亡き氏康公よりの薫陶なり!」と三郎太が叫んだそうだ。
これが祟って死を招いたというのは同じだが、横浜所蔵院の鬼礫が三郎太の受けたものと伝わっていて、
黒曜石は礫とは別で、死後の供物か逸話のとおりの殺生石かに二分されているな。
なお、火傷と殺生石の逸話は慶長7年…1602年前後の氏次の言葉が元だ。
これは上杉景勝を焦らせるための創作とも言われているが、
江戸の陣の後に三郎太と景勝が二人のみで対談しており(2年後に三郎太が死去)、謎は深まるばかり…

>>927
おかげで真田も元は武田の従属下だったからって、肩身の狭い思いだ。
父の昌幸亡き後で苦労している信繁は、兄の不始末で伊予6万石に転封されただけでなく、
そこで長宗我部と河内北条との怨恨を収めるのに尽力するはめになっている。
仮に関ヶ原で東軍が勝ってても取り潰しだろうし、ホント苦労するポジションだわ。
その中でも御公儀体制が崩れるまで家名を守ったのは凄いが。

>>928
インフラ整備すら億劫だからって放ったりと、民や家臣から慕われてないからなぁ…
強きに媚び弱きを挫くって感じで、大名や御公儀からの評判はよかったけども、
降伏した生殺与奪の罪なき兵を殺し続けたっていうのがそこに入ると、ケツマン千代よろしく打ち首コース。
武士の誇りを捨ててもいいが、畜生になり下がってはいけないというのを感じる差だ。
930人間七七四年:2014/06/09(月) 01:27:47.73 ID:adbtjJif
>>929
伊予6万石になった信繁は叔父の信尹の息子じゃなかった?関ヶ原で徳川が崩壊したのち信尹が公儀に出仕して6千石。息子は七手組に配属されて期待され、信繁の名前をもらって、江戸の陣の戦功で家督相続を許され、二代目信親がもらうはずだった伊予6万石に加増された。
真田家に信繁って名前は多いから要注意だよ。
孫の代で出仕を許された信之の家系にも信繁っているし。
931人間七七四年:2014/06/09(月) 07:23:22.34 ID:C2Y1S0j8
そういや再来年の大河は真田幸村だね。
脚本の三谷幸喜は信之の名前を推したいらしいけど、いまだにヒストリアでも「江戸城に籠った幸村が〜」って放送してるし
NHKは信之にする気は無さそうだ。
この人はいつになったら本名で呼んでもらえるんだ
932人間七七四年:2014/06/09(月) 07:40:47.95 ID:ZNYmQY3T
スターリンだって本名じゃないんだし、いいんじゃない幸村で。
日本一の兵て呼ばれた異名なんだから、信之さんも気にしないでしょ。
それよか結城秀康だよ、かわいそうなの。
上杉と連合して東北諸大名をまとめて江戸を攻撃する一番手柄なのに、実父が天下の謀反人だった為に生涯遠慮して豊臣姓を名乗らなかったんだから。
おかげで宇喜多や小早川はおろか秀頼公まで遠慮して、行列の駕籠を絶対に秀康より前にださなかったて言うしね。
秀忠もそうだけど、親父がバカだと息子が苦労するね。
933人間七七四年:2014/06/09(月) 10:47:52.82 ID:adbtjJif
原哲夫の『大一大万大吉〜天下太平の理〜』にも秀康出てくるけど、線細すぎ。
『花の慶次』の人質時代の真田信繁と顔が同じ。
行列の駕籠を絶対に秀康より前に出さなかったのは「豊家の先駆けは秀康が承る」ってことで秀康の立場を強化するためとも言われてるな。
秀康の行列は平時の行列にあるまじき重武装が許されてるし。参勤交代に連発ダミアン銃部隊連れてきて大砲まで引いてきて許されるのは秀康だけだ。
934人間七七四年:2014/06/09(月) 10:54:20.05 ID:adbtjJif
江戸の陣の決着をつけたのが秀康隊の到着だったってことはよく知られてるが、それについて幽閉されてた秀忠が言ったセリフもよく知られてるな。
「過日の戦で兄に榊原式部と酒井をつけて中山道を進ませるべきであった。さすればお家はかかる憂き目は見なんだものを」
秀忠唯一の名言だわ。
935人間七七四年:2014/06/09(月) 11:23:02.39 ID:QmwpP0ca
>>930
てことは改易片割れの会津大宝寺家のほうが、幸村弟の信繁かよ。
しかもコッチも寛政中ごろに信繁いるし分かりづらい。
通字や偏諱が全然ないのはいいが、名前被り多いのはやっぱり厄介だわ。

>>932-933
結城は秀康も名軍師だし、孫の大納言(則元)は秀頼の娘婿になって活躍してるからな。
あの家康と血のつながりがあるとは思えないと公儀時代は評判だった。
対して嫡流の流れでは、公儀打倒派の信道ってバケモンを産んじまったせいで、
大正以降はやっぱり徳川だったと言わしめてしまったが。
936人間七七四年:2014/06/09(月) 12:07:25.28 ID:adbtjJif
>>935
会津大宝寺は信茂だが。寛政中ごろのも。
慶長期に新興公家から養子をもらって家格を上昇させた時に通字を氏から信に変えた。
で、信繁と名乗ろうとしたんだが三成に止められて信茂(のぶはる)と名乗った。
937人間七七四年:2014/06/09(月) 15:28:35.13 ID:C2Y1S0j8
>>932
たしかに秀康本人は大変だったろうし、苦労も多かったと思うが、
後世の俺らから見たらいいトコ取りだよね。この人。

天下人を養父に、反逆者を実父に。
本人も天下の勇将で、御手杵って専用武器まである。
義を貫いて実家を滅ぼしちゃうけど、幼い弟や甥の助命嘆願に成功して
・・・パーフェクトじゃん。

実の親父家康から疎まれて育って、養父の秀吉から才能を愛されるも怖れられ
・・・って育ちもドラマチックだし


関ヶ原も家康が上杉の抑えで、秀康が大将だったら・・・
938人間七七四年:2014/06/09(月) 16:36:03.53 ID:QmwpP0ca
>>937
まず井伊の突出は抑えられていただろうし、福島の離脱もなかった。
井伊は宇喜多への無茶な挑発を秀康が諫めていたら、切腹も許されただろうな。
でもあいつは狂犬だから、秀康無視とか謀殺とか企てていたかもしれん。

意見が相容れて手討ちされた康政親子の末路といい、粗暴な馬鹿どもが主導権握っていたせいで
東軍も瓦解したわけだから、奴らが秀康に大人しく従うか否かが分かれ目だろう。
秀忠も上田城の包囲に徹し、南下する上杉を伊達と家康で挟撃する…
これが上手くいっていたら、島津と一悶着あった長宗我部が裏切っていたかもな。
そうすると毛利を廃して山陽山陰欲しい宇喜多が裏切るだろうし、戦況が東軍に一気に傾く。
秀康が総指揮執ったら割とマジで危なかった。
939人間七七四年:2014/06/09(月) 18:06:45.04 ID:ZNYmQY3T
となるとアレだな。関ヶ原で西軍を勝たせたのは、秀康に菓子を送って昔のことを思い出させた北政所てことになるのかな。
あれで秀康は実父との対決を決断したんだよなぁ。
940人間七七四年:2014/06/09(月) 22:12:06.45 ID:QmwpP0ca
>>939
おかげで菓子=賄賂の隠語に使われるようになったがな。
戦い自体は大勝だったが、細川忠興の東軍行きの件といい開戦前はギリギリだった。
東軍寄りだった毛利の両川を引き止めた大谷の手腕も忘れてはいけない。

>>933
天下太平で思い出したが、あれは三成と秀康の体格は逆でいいよな。
三成はあんなケンシロウ体型じゃなかったのに盛りすぎ。
某無双で巨大軍配を振り回してるのは間違いなく原氏の影響だ。
941人間七七四年:2014/06/09(月) 22:27:52.34 ID:ZNYmQY3T
>>940
大谷吉継はもう時代劇の大スターだからさ、今さら語るのもなにかと思ってさ。ええ見てましたよ快傑白頭巾。
そういや大坂時代は越前でなにかの芝居が興行される時は、別になにも関係なくても輿にのって
「これはこれ、別段の用もなくまかりこしたる大谷吉継」
て決まり文句を言いながら大谷吉継に扮した役者が舞台にでてくるんだって。これがないと北陸じゃ客が入らなかったらしい。
忠臣蔵にもでてくるしね。
942人間七七四年:2014/06/09(月) 23:50:33.31 ID:C2Y1S0j8
>>939
秀康は本当に寧々さんを慕ってるよね。

後世の創作だとは思うけど、江戸の陣が終わった時の実質の大将が秀康で
秀康の下に諸侯が結集したのを見て、参謀で養父の結城晴朝が
「先君への恩返しは終わり候。今こそ御自身の運を開きたまえ」
と秀康に囁いたのを受けて
「お袋さまの恩がある」
と答えるシーン。

あれが好きなんだよなぁ。

秀康は羽柴姓に戻すけど、結城家は秀康五男の直基が継ぐし、
クロカンと違って結城晴朝が警戒されたとか聞かないし、
秀康も天下を取るチャンスがあったって言いたいだけの創作だとは思うけど
943人間七七四年:2014/06/10(火) 00:00:00.94 ID:QmwpP0ca
>>942
未だに結城秀康って名前のほうが知名度高いからな。
944人間七七四年:2014/06/10(火) 00:13:09.45 ID:n2JFM4bX
>>940
細川の東軍行きはガラシャ死亡との誤報のせいだっけ(実際は身代わりの侍女が死亡)。
あれで忠興が逆上して忠隆を廃嫡してしまい、忠隆と興秋の兄弟が西軍についたおかげで飛び地没収ですみ、かろうじて助かったが…。
忠利は討ち死にするわ忠興は「狂したるかと」まで言われるわ。かなり悲惨だわな。

三成については同感。
シンと戦ってた初期のケンシロウ並みだが、それでも盛りすぎ。
945人間七七四年:2014/06/10(火) 00:20:55.11 ID:n2JFM4bX
大谷については吉川を調略したのが大きいな。
広家本人を侍従から少将に昇進させ、広家の息子広正に豊臣姓と羽柴氏を賜るよう取り計らい、広家の娘を秀吉の養女として公家に嫁がせるという秀吉の遺言を偽造して輿入れを実行。
その効果があって広家は西軍に留まった。
946人間七七四年:2014/06/10(火) 00:29:07.96 ID:n2JFM4bX
>>942
結城晴朝は一番得をしているかもしれん。
直基が松平を称して江戸42万石で入ると、直基のかわりに秀頼の庶子を養子にもらって豊臣一門に列して優遇された。
豊姓に転じた後の結城氏は所領こそ18万石と少ないが、格式は国主並み。
晴朝本人も従三位参議に昇進してウハウハ。
947人間七七四年:2014/06/10(火) 01:36:10.01 ID:8UuQEZFl
>>942
それがどうも創作じゃないらしいんだ。
去年、結城家の倉から大量の文書が出てきてニュースになったの覚えてる?
その中に結城パパとの手紙が発見されて、江戸の陣での「お袋さまの恩」の言葉がはっきり書かれていたんだ。
どうも本人直筆に間違いないらしい。
それで今まで講談乙あつかいされてた結城絡みのオイシイ話しが、かなりの部分が事実ではないかと騒がれだしてる。
今年の8月に第一次報告が予定されてるから期待大だよ。
948人間七七四年:2014/06/10(火) 01:48:58.35 ID:n2JFM4bX
>>947
そのニュースって暮れの奴だよな?
結城の蔵の中に秀康の討逆徒元帥就任の事実の有無が分かる文書はあった?
949人間七七四年:2014/06/10(火) 01:55:01.65 ID:8UuQEZFl
>>948
あるんだけどまだ真偽不明らしい。

てかね、ほとんど間違いなく本物らしいのに、偉いジイサンが1人
「そんなことはありえん!」
て頑張っちゃってるんよ。
つくずく歴史学は老害がひどいと泣きたくなる。へたするとあのジイサンが死ぬまで認定されないかも?
950人間七七四年:2014/06/10(火) 02:33:56.61 ID:n2JFM4bX
なるほど、だとすると秀康が毛利輝元の備中陣羽柴軍追撃の儀式の真っ最中に討逆徒元帥名乗って現れて、輝元をさんざんにやり込めた話も事実の可能性が高くなったな。
951人間七七四年:2014/06/10(火) 09:22:28.24 ID:2+lN9UVF
>>950
時系列的には、追撃の儀の途中に江戸の陣が起きててもおかしくはない。
1621年の6〜7月に開戦が通説だが、石田泰平史では5月には前哨戦が始まっている。
でも5月中旬から10日にも渡る盛大なモンだったから前哨戦が本当だったら間に合わない。
両川も江戸の陣での加増は少なかったし、後に追撃の儀での物資無駄遣いを秀康に窘められている。

しかも毛利は井伊直孝を偏諱と一門入りさせて助命(毛利秀孝)したとこまではいいが、
下関の大火事で貿易が半月ストップした責任問われて取り潰されてるからな。
尾張毛利の義永が備3国と美作、喜多条遺児の虎真が安芸、石見、出雲に封ぜられて毛利姓を名乗り、
名前だけは残ったが、血筋は義永が吉川の娘娶ったくらいでほぼ別物に近い。

>>944
それだな。
ガラシャ自身は生き残って、キリシタン追放の先駆けの改姓令で玉子に戻って68まで生きてる。
興秋も晩年に明智姓が許された後のほうが有名かな。修理大夫も拝領して明智の汚名返上に尽力した。
東軍が勝ったり忠興が西軍付いていたら、未だに明智は悪人扱いだったのかも。
952人間七七四年:2014/06/10(火) 10:51:54.58 ID:n2JFM4bX
>>951
名古屋港の出火で取り潰された毛利秀頼系統の毛利と勘違いしてないか?
井伊直孝の遺児を引き受けたのは毛利秀頼の名跡を継いだ外曾孫だぞ。
あと江戸の陣は1624年、秀康の討逆徒元帥就任は陣後の1627年だが…。
手持ちの資料、良かったら教えてくれ。
953人間七七四年:2014/06/10(火) 11:21:42.96 ID:2+lN9UVF
>>952
○複写本
・豊臣公儀官職名鑑
・石田泰平史
・後北条六代記
・書士官樋口頼勝問答集
・上杉氏転封録
・結城秀康軍記
・毛利宗家盛衰記(宍戸久成著版)

○考古学本
・江戸湿地開拓は何故遅れた
・返り咲きの対蝶〜横浜北条氏と佐倉氏〜
・風魔三郎太〜名君の申し子〜
・中国動乱と顛末について
・九州三国志
・暴虐を極めし二十八愚衆

漫画、ゲームは脚色多いから除外した。
あと1627年に討逆徒元帥就任って、輝元が1625年に病死してるし辻褄合わなくないか?
二代目輝元も1614年だからまだ元服してなかったはず。
954人間七七四年:2014/06/10(火) 11:45:36.26 ID:2+lN9UVF
>>949
最近の若い学者のほうが、新説出たら正当性を積極的に考証していて好印象だ。
対蝶と三郎太の著者も昔はそのポジだったし、今も影響受けてる学者は少なくないはず。
955人間七七四年:2014/06/10(火) 20:47:07.94 ID:wbrz8Dz2
質問ですが、江戸に入った徳川(結城)家がやたら没落名家を抱えてるのは何故?
古河公方・今川(品川)・吉良・岩松・土岐・・・などなど
何かのコンプを狙ってる?

まぁ、おかげで現代に繋がる独特の江戸文化(坂東文化)が発展したのは知ってるけど、
まさか文化振興のために抱えたわけじゃなかろうし。
956人間七七四年:2014/06/10(火) 20:49:22.55 ID:8UuQEZFl
関ヶ原のときの福島正則と小早川秀秋の一騎討ちだって、藤堂や脇坂の文書が出てきたから事実と証明されたわけで、それまでは漫画の読みすぎ扱いだったしね。
957人間七七四年:2014/06/10(火) 23:12:04.20 ID:n2JFM4bX
>>953
やっぱりそのへんを読んでいたか。
・結城秀康軍記
・毛利宗家盛衰記(宍戸久成著版)
この二冊は偽書として有名だぞ。特に『毛利宗家盛衰記』の著者宍戸久成は毛利一門家老宍戸氏の本家筋を名乗っちゃいるが、実は安芸の貧農の倅。とんでもない偽物だ。
『毛利宗家盛衰記』の尾張毛利云々の記述は外人向けに捏造された話だ。
この久成、モロッコに渡って仕官しようとしたんだが、そのときに貧農の倅じゃ相手にされないんで血筋をこしらえた。
久成の尾張宍戸の一派が尾張毛利で、つまり自分は大国の主とその重臣家の本流であると。

安芸毛利の血筋は絶えたということにしたのは本国に照会されるのを防ぐためだったのだが、運悪くそこにマンショ小西とペトロ・カスイ・岐部が居合わせて対決させられ、安芸広島90万石で健在の秀元に照会されて全部ばれた。
で、日本に護送されて尾張の森という土地で土磔にされた。
輝元の死は1640年、1625年は隠居の年だよ。
江戸の陣の戦後処理をめぐって過激発言をし過ぎて謹慎を食らい、当主を秀元に譲らされた。
で、悔し紛れに水無月の祓にかこつけて備中陣羽柴軍追撃の儀式(実体は宴会)なんぞやってたら、討逆徒元帥の秀康がやってきて槍の舞を披露、大いに肝を冷やす羽目になったと。
追撃の儀を江戸の陣の最中のことにしてるのは『結城秀康軍記』はじめ結城系の史書ばかりだ。
江戸の陣ではむしろ秀康のほうが包囲戦の最中に秀吉を真似た派手な酒宴を張っている。

…キンドル版の『花の慶次』でフルカラーで描かれてるあれだよ。
山のフドウみたいな秀康と慶次と岩兵衛と捨丸(なぜか全員異様に若い)が大騒ぎして、大久保忠隣も石川康長も便乗。徳川兵が冷や汗垂らしながら見てるシーン。
958人間七七四年:2014/06/10(火) 23:21:30.92 ID:n2JFM4bX
>>955
公儀が推薦して抱えさせた。
ほっとくと徳川残党が抱え込んで「○○殿から征夷大将軍を譲られた」なんて言って反乱を起こすからまとめて監視させてる。
結城松平がこいつらを利用して反乱すれば結城松平潰しの口実にもなるし。

このうち土岐だけは後になるが、細川興秋が養子入りして六万石の大名に格上げされた。
三宅、四王天、御宿、溝尾といった明智侍をつけられて丹波に陣屋を構えた。
こっちも旧明智勢力の監視役だな。
959人間七七四年:2014/06/10(火) 23:25:52.97 ID:n2JFM4bX
>>956
小早川は家康の目付に刺されて負傷してたから、松野主馬が助太刀して福島に槍をつけさせたんだっけな。
で、福島はこの傷がたたって逃げ切れず捕縛と。
960人間七七四年:2014/06/10(火) 23:33:49.02 ID:2+lN9UVF
>>957
そうか…ROMったほうがいいのかね。

>>955
それくらい見繕っていかないといけないほど人材不足。
武辺者とはいえ四天王は族滅されてるし、徳川と縁あって有能な奴は独立した。
でも吉良吉賢が政務で敏腕を振るって江戸中興を支えてたりする。
土岐の末裔もWW2で千島を守り抜いた名将、土岐重盛だから大器晩成の人材登用だな。

今川と足利(後の雨宮)が寺社振興と蹴鞠の普及をして、僧兵の衰退に貢献している。
まあ、それが現代のサッカー帝国関東の基盤を築いたんだが。
961安城市里町いってみたい:2014/06/10(火) 23:37:22.99 ID:yjIYeVIn
(僕は今、細川幽斉先生について、初歩的な読書研究を進めておりまして…。)
962人間七七四年:2014/06/11(水) 00:03:28.61 ID:wIjX1EOf
『明日のナージャ』に出てくるケンノスケ・ツルギの正体が洋行中に行方不明になった織田宗家の若君という設定が出てきたのは第何シーズンだっけ?
963人間七七四年:2014/06/11(水) 00:07:17.80 ID:wIjX1EOf
>>957
久成と小西・岐部の対決は『コインブラ大学年鑑』の巻の二十六に書かれてるね。
当時ローマに行く途中だった原マルチノが記録係を務めて、ラテン語と日本語で記録した。
その写本が広島か仙台福岡のカテドラルに保管されてるはずだけど…どっちだったかなあ。
964人間七七四年:2014/06/11(水) 00:17:53.65 ID:wIjX1EOf
965人間七七四年:2014/06/11(水) 00:41:14.56 ID:taeISYUI
>>957
大一大万大吉じゃ細かったのに骨格から変わっとるがな<秀康

>>964

出来れば統一年表頼むわ
並行世界が混じり合ってパラド起きて世界線が共倒れしてまう
966人間七七四年:2014/06/11(水) 01:07:37.40 ID:2ojOlWQ3
>>965
年表作ると好き勝手言えなくなるからわしゃツラい。
967人間七七四年:2014/06/11(水) 01:16:21.60 ID:wIjX1EOf
>>965
それを言ったら、花の慶次じゃケンシロウ顔だったのに大一大万大吉じゃボーイ・ジョージそっくりに化けた慶次はどうなる。
968人間七七四年:2014/06/11(水) 07:29:09.13 ID:taeISYUI
>>966
ツラい言うても>>951からとか全否定ばっかで見てるだけで可哀想やん
ありゃ半ば村八分や打ち首獄門とそう変わらへん
969人間七七四年:2014/06/11(水) 09:13:57.38 ID:2ojOlWQ3
>>968
「他人が書いたことは否定しない」
「気に入らない場合は知らん顔して好きなこと書く」
「矛盾? なにそれおいしいの?」
でいいんじゃないかな?
公式年表は決めるだけでもめると思うよ。
970人間七七四年:2014/06/11(水) 12:18:00.65 ID:Q3Czfuqi
何か俺のせいで揉めてるみたいでスマン
取りあえず>>967が一番詳しくて古株っぽいから俺の意見なんざ消していいよ
971人間七七四年:2014/06/11(水) 18:45:29.53 ID:taeISYUI
こうして逸材がまた消えたと

そういや兵農分離のあとに家業制布いたせいでこういうふうに芽が摘まれたんだよな
寺子屋が出来たのも200年前くらいで一部の国のみだったし徳川治めてたらどうなったんだろ
大して変わらんかったのだろうか
972人間七七四年:2014/06/11(水) 20:15:09.80 ID:2ojOlWQ3
あんまり知られていないけど、徳川のタヌキってかなりの学問好きだったらしい。
この面では豊臣の天下より学問は普及してたかもしれん。
973人間七七四年:2014/06/11(水) 21:27:44.47 ID:wIjX1EOf
いやこっちのほうこそすまん。熱くなりすぎた。
974人間七七四年:2014/06/11(水) 21:58:52.17 ID:taeISYUI
>>972
そういえば欧州の革命ラッシュは学問と生活水準が向上したのが原因だったな
日本は地頭が元々いいわけだし学問が普及してたら同じようになっていたかもしれんな
でも生活水準改善できないから微妙か
975人間七七四年:2014/06/11(水) 23:19:47.98 ID:wIjX1EOf
全国の蔵入地に手習い所が設置されたのが島原戦役後、七手組など直参領に拡大されたのが1650年代、公儀と元の主人と両属する形になった家老の領地まで拡大したのが1660年代。
大名領に拡大したのは1700年代直前。
これは結構早いペースだが寺子屋すなわちセミナリヨ、コレジオを模した高等教育機関の創設にはさすがの豊臣も相当苦労したよな。
直接的に利益を生むもんじゃないから消極的な連中も多くて…。
当時の関白が責任者の大谷大学がやってきたのを見て学問所の名前を「大学」とつけてやっと軌道に乗ったのが1750年代後半。

>>974
長束家臣の何とかいう奴が翻訳したインド式の数学をヨーロッパに紹介したのがそもそもの始まりらしいぞ。
976人間七七四年:2014/06/11(水) 23:30:47.98 ID:wIjX1EOf
>>972
徳川は画一的で忠誠心の厚い秀才官僚を量産するために朱子学を好みそうだな。
豊臣はキリスト教国との対決を予期し唯才主義に傾いて陽明学を採用、知行合一、事上磨錬の癖のある人材を多く作ったが。
977人間七七四年:2014/06/11(水) 23:31:54.67 ID:2ojOlWQ3
>>974
豊臣政権には関ヶ原以来のエリート指向があると思うんだ。
結局、豊臣の家を護ったのは「多くの人々」じゃなくて、秀吉(というか北政所)の恩を忘れなかった一部の精鋭の死に物狂いの奮戦じゃない。
そりゃ犬百匹より狼一匹というふうになるよ。
幸いなのは北政所や淀の方の影響でよくある女性蔑視の思想が無かったことかな。
これが明治維新の立役者、奥羽越列藩同盟を結ばせた坂本乙女や、会津の逃げの幾松こと桂幾松を世にだす原因になる。
978人間七七四年:2014/06/11(水) 23:36:57.91 ID:wIjX1EOf
>>977
豊臣には代々の譜代家臣というのがいないからな。

列藩同盟の立役者乙女っていうと、才谷梅太郎の姉か。
陽明学者として各藩藩主に講じるほどの存在だったらしいな。
979人間七七四年:2014/06/11(水) 23:40:06.64 ID:wIjX1EOf
大政新政府が分裂して奥羽越列藩同盟ができ、明治新政府についてという一連の流れの決定打になった黒田の寝返り、これも仙台黒田の上層部が乙女と西郷と「朋友」関係にあったことが大きく影響しているらしいな。
980人間七七四年:2014/06/12(木) 01:49:13.35 ID:D/QF6tfg
>>978
才谷梅太郎なんてマニアックな名前よく知ってるなぁ。
さては2年前にライトノベル作家の司馬☆遼太郎が書いた「乙女がいく!」を読んだな。
日本最初の株式会社を作ったんだけど、岡田以蔵とアメリカ行ったきり帰ってこないもんだから、日本じゃあんまり有名じゃないんだよね。
981人間七七四年:2014/06/12(木) 02:04:21.78 ID:JzyO+rZn
>>980
一年の半分をカリフォルニアで過ごしていたこともあったらしいからな、梅太郎。
五十を越してからは土佐に帰ったらしいけど。
写真嫌いで写真もろくなのが残ってないし、最近は才谷財閥という名前は知っていても創始者の梅太郎は知らんって連中も増えてますますマイナーになっとる。
素浪人だと思われてた時代は好きだという奴も多かったんだが、土佐の長宗我部上士、一千石の物頭並という出自が解明されて以来人気がガタ落ち。
坂本竜馬直方の弟、犬に睾丸を噛まれて死にかけたこととどっかに養子に行ったことしか記録のない某って奴が梅太郎だったと知った時は俺もショックだった。
982人間七七四年:2014/06/12(木) 02:07:13.89 ID:JzyO+rZn
>>980
「乙女がいく!」の乙女と艦これの龍驤はツインテールキャラでは双璧だわ…
まな板キャラとしてもな…
983人間七七四年:2014/06/12(木) 06:53:58.49 ID:sFTKEwvs
>>941
遅レスすまぬ。

怪傑白頭巾!
昭和の頭のころに福井県で「弁慶の勧進帳」を上演したら
客が「なぜ大谷吉継がでないんだ!?」とブチ切れて収拾がつかなくなった挙句、
アドリブで義経と吉継が頼朝を懲らしめる話になったらしいな。

興行者が「勧進帳と白頭巾は時代が違う」って必死で説得したがダメだったらしい。
984人間七七四年:2014/06/12(木) 08:51:32.47 ID:D/QF6tfg
>>983
今でも福井TVでは番組製作の度に
「どこで大谷吉継を出すか?」
でわざわざ会議するんだと。

そういや大谷吉継といえばハンセン氏病だけど、日本じゃハンセン氏病患者イコール正義と友情の人というイメージが根強いため、嫌われもしなけりゃ隔離もされなかったんだよね。
ずっと後に日本に来て住み着いたシーボルト(戊辰戦争で名をはせるシーボルト・イネの父ちゃん)っていうドイツ人の地質学者が驚いて本国に手紙だしてるんだよ。
ヨーロッパじゃ伝染病だと思われてたから。
結局この手紙がきっかけで伝染病じゃないらしいと解って、治療もすすんだそうだ。
985人間七七四年:2014/06/12(木) 09:56:41.50 ID:CxF74eD2
>>977
おかげで欧米ではビックリしたらしいな、ここはアマゾネスの帝国かって。
初代首相で満州国女帝の伊東尋美しかり戦後まで女性が首相とか指導者職を歴任してたし。

ただ出生率が他国と比べてクソ低くなってしまったのがボディブローのように効いた。
本州四国以外は死守できずに降伏後は割譲の嵐だし、賠償金も未だに支払い切れていない。
徳川統治でもどうなってかは知らんが、幸いここは日本語通じるからよかったわ byベトナム領ヒラド日系3世
986人間七七四年:2014/06/12(木) 14:07:37.53 ID:JzyO+rZn
>>984
大抵の場合は語り部役で全編に登場させるということで手を打つらしいな。

1796年に特効薬を開発した医師、プロミンの発見者が共に大谷家の医師というのも運命を感じるよ。
987人間七七四年:2014/06/12(木) 14:09:24.63 ID:CxF74eD2
現代までで徳川が治めてたらどうなったか考えてみた。

女好きで衆道好きな家康だから居城になるであろう浜松駿府は歓楽街になる。
多分遊女や身請けはなくならずに衆道街も誕生していると思う。
男女の地位は今とは逆に男性主権社会が成立しているだろうが、
長じて現代の人口は今の4000万では収まらず、1億は突破することだろう。
もしかしたら維新前に資源奪取のために領土拡大の戦も起こしているかもしれない。

パチンコ、カジノのような娯楽のかわりに学問が発展して教養の水準が上がる。
むしろそうしないと武辺者ばっかの三河武士共じゃ治められない。
だから謀略家の正信を信用していたし、学問が好きな息子を特に大事にしてたんだろうな。
WW2はどうなるか分からん。あっさり連合国の条件呑んで同盟結んだかもな。
ヒラドをはじめとした九州と、露領エゾや西領ムツも日本のままかもしれないし、
ひょっとしたら地図から日本って消えてるかもしれない。
988人間七七四年:2014/06/12(木) 14:24:32.18 ID:JzyO+rZn
プロミン発見にしろ陽明学にしろ手習い所設立以前からの識字率の高さがあってこそ。
本多作左のような奴が多いであろう徳川には真似はできんな。

人口二億中、文盲率が0.0000%と小数点以下までゼロ、千島辺境のアラスカが見える島にまで中学・高校があるというのはなかなかできることじゃない。
内閣制度が成立した1770年代にはすでに現代まで続く教育制度の原型ができあがっている、なんてことは徳川の統治ではありえまい。
989人間七七四年:2014/06/12(木) 14:28:09.74 ID:JzyO+rZn
初代内閣(内閣制度成立当時は『内閣』が総理を指す単語)が石田傍系の杉山、その次が大谷系の大谷兵馬、三代目が松平の陪臣の田沼龍助というあたり、門閥の力を感じなくはないがな。
990人間七七四年:2014/06/12(木) 14:44:34.94 ID:CxF74eD2
>>988
戦国ブームの前に流行った緋色の艦隊ワールドだなぁ。
それを米帝に睨まれたからって、各メディアがこぞって戦国ブームを持ちあげたというのに。
世界中に喧嘩売って領土バラバラになった現状を省みろよ。
体に流れる日本の血が恥ずかしく思えるが親日派として忠告しとく。
991人間七七四年:2014/06/12(木) 14:51:58.42 ID:JzyO+rZn
さて、そろそろ新内閣の顔ぶれが全部出そろうが…。
今度の内閣は長束系、経済に強い連中を揃えて来るものと期待しているよ。

経済のさらなる発展は日本国民二億四千万全員の願いだからな。
992人間七七四年:2014/06/12(木) 14:55:31.97 ID:JzyO+rZn
軍務児玉(長府系)
内務後藤(宇和島系)
このへんは順当なところが来たな。
993人間七七四年:2014/06/12(木) 14:58:29.18 ID:CxF74eD2
文化や嗜好品の発展はすごいし、東亜東南亜の第二公用語のイルポン根付かせたのは感謝するが、
VR機器発達させて大東亜皇国や緋色の艦隊の世界を作ったのは頷けないな。
特亜分子量産されてアジアの評判落ちるしウチら日系も迷惑だわ。
994人間七七四年:2014/06/12(木) 15:05:51.92 ID:CxF74eD2
それとOTAKU文化をはじめとしたサブカルのメッカ自称してるが気をつけろ。
お前らが騒ぎすぎるせいで米軍基地がヒラド、オオスミ、ヒロマエに移転してるんだからな。
世界に誇る日本軍の実力を見せつけるチャンスって興奮して緋色ってるのかもしれんが。
995人間七七四年:2014/06/12(木) 19:40:25.02 ID:CxF74eD2
>>984
ハンセン病だけでなく、黄熱や結核やアレルギーの研究の発端となったのは日本の誇れるところだ。
戦後は米露英が日本の医学者をこぞって引き抜いただけのことはあるし、
彼らもビタミンや糖類の体系化や漢方を世界中に広げて功績をあげている。
996人間七七四年:2014/06/12(木) 23:35:23.02 ID:In1Tl2l1
また頭のおかしいのがわいているな。日本の人口は二億、分かり切った常識じゃないか。
ところで来年の大河は大谷吉継らしいね。
997人間七七四年:2014/06/12(木) 23:43:33.53 ID:CxF74eD2
>>996
馬鹿だなぁ…
女性蔑視がないかわりに出生率が下がってるのに2億なんてどうやってんだよ。
戦時中の現地住民凌辱によるハイチャクシ問題を認めるんなら、
世界中に散らばる日系集めりゃその位の数になるだろうがな。
でもハイチャクシ達は日本の血を憎んでるから人口カウントはしないほうがいいぞ。
大谷大河は特殊メイクの粋を集めるって宣言してるから見物ではあるが、
最近の若者向け題材の大谷は健常イケメンな見た目ばっかだし、反感持つ奴はいるだろうな。
998人間七七四年:2014/06/12(木) 23:59:30.06 ID:CxF74eD2
因みにハイチャクシは中国はじめアジア各国に沢山いるぞ。
DNA鑑定でも日本型遺伝子が8割方発見されてるし、つい最近国際人権団体に叩かれてる。
はっきり言って元日本領だった所領で騒いでる性奴隷化問題と比べちゃ桁違いだ。
こういうとこが貴族主義を貫いてきた国の名残なのかね。

1950年代に入植してきた当時の記録でも、高貴な生まれでなければ教育など受けることが出来ず、
あろうことか貧困地域では、女が生まれれば売りに出し、男が生まれれば山や海に捨てるって書かれている。
武家にあらずんば人にあらずって皮肉を地で行っていた事を隠すなよな。
教育の話だって実際に受けられた層以外は非人扱いだから数字はいいんだよ。
999人間七七四年:2014/06/13(金) 00:08:48.09 ID:nfP8QIgA
在日乙。早く帰国して兵役をつとめろ。
1000人間七七四年:2014/06/13(金) 00:09:40.13 ID:nfP8QIgA
1000成り瓢箪
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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