1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 17:46:55.14 ID:PelM2gz3
最近の大河では三成は秀吉の腰巾着みたいになってるけど
実際はあんなんでもなかったんだろ?
3 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 20:28:26.16 ID:4OkkVmU2
さあ?
4 :
人間七七四年:2011/07/04(月) 20:48:21.90 ID:fU/aIRPn
>>1 スレ立て乙です!
今年の大河の三成は ひ ど い
5 :
人間七七四年:2011/07/05(火) 08:46:32.46 ID:HAfOAUXz
お馬鹿な婦女子が脚本してる時点でおわってる
6 :
人間七七四年:2011/07/05(火) 08:52:25.93 ID:4izue16U
お江の家康の聖人君子ぷりと、三成の小物っぷりには、困ったものだ
____
/ \
. / _ノ ヽ、_\
/ (● ) (● ) \
| //////(__人__)/// |
>>1 乙キュン!
\ /
/ \
| ,― 、,―、 |
\  ̄ ̄ (⌒⌒)  ̄ /
 ̄ ̄\\//
8 :
人間七七四年:2011/07/06(水) 13:16:42.12 ID:K4RgsKOZ
三成、頭が切れすぎて、武闘派に嫌われたんだろうな。
9 :
人間七七四年:2011/07/06(水) 13:34:07.07 ID:sy8RmdmD
本当の意味で全国統治を試みたのが
豊臣政権だから反発も多かった。
秀吉が死んで幼君になったら反発から引っくり返されたのが
時代の選択となってしまった。
まぁ北政所か淀に北条政子のような才覚があればまた違ったんだろうが。
せめて上杉清子くらいの力で実家を強化してればな。
この場合は浅野家あたりを。
渋川幸子あたりなら関が原後でさえも
家康と組んで秀頼を守りきりそうだ。
10 :
人間七七四年:2011/07/06(水) 13:46:41.94 ID:K4RgsKOZ
北政所は家康が手込めにしたからな〜
11 :
人間七七四年:2011/07/06(水) 21:59:43.19 ID:w97zWVcR
三成の「へいくゎい」は、漢字で書くと 平 壊
礼儀作法を守らず無遠慮な様子を指すけど、こう書くと
なぜか平和な人間関係が音を立てて壊れてゆく迫力が感じられる
12 :
人間七七四年:2011/07/06(水) 22:27:13.58 ID:vpXxcmh0
>>2 腰巾着とは違うだろ。
寺で秀吉に拾われた時からずっと己の利を捨てて秀吉に尽くしてた。
13 :
人間七七四年:2011/07/06(水) 23:30:32.81 ID:hZt3jJA9
いや
>>2は三成が46時中、影のように秀吉に付き添ってるという意味で言ってるんだろ
14 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 00:36:26.78 ID:XbJkCyXQ
ふつう「腰巾着」は悪い意味でしか使わないと思う
15 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 20:17:43.49 ID:CLu1FUwC
へいくわぃ→ 平 壊 →平 壌
16 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 23:50:51.60 ID:Wy7zEqfk
腰巾着とはただヘコヘコして取り入ろうとする輩の事を言うからな。
17 :
人間七七四年:2011/07/08(金) 07:32:31.97 ID:6cZc69Hs
でも今の大河みてたらそんな感じだよ
18 :
人間七七四年:2011/07/08(金) 08:23:46.56 ID:42sKNV2Q
脚本家が馬鹿だから仕方ない
19 :
人間七七四年:2011/07/08(金) 16:32:49.67 ID:wB6XCEaT
しかし、晩年の秀吉の狂いっぷりだけはあんまりかわりないなw
20 :
人間七七四年:2011/07/08(金) 23:52:16.96 ID:UJ1WktIC
はじめはいかにも小物だった大河三成も
急に暗黒面に堕ち、利休に嫉妬し讒言、秀吉に足蹴にされ、
保身のために朝鮮への出兵を進言するまでに成長しました
これから秀次切腹や関ヶ原をひかえて、三成はどうなってゆくのでしょうか
もう希望は捨てて、これまでの大河で一番残念な三成を目指すべき
21 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 02:24:02.63 ID:H7lU4tHU
おーい、やけくそになるなよw
22 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 09:03:05.60 ID:CdRcHPCK
実際の三成は腰巾着とまでは行かなくても
秀吉に始終付き添う執事的な人物だったのでは?
23 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 16:34:59.81 ID:SK9Y2eKa
そりゃ秀吉に拾われた三成の境遇を考えれば秀吉様にとことん尽くそうという気持ちになるだろう。
24 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 17:56:32.38 ID:/wW1oDve
別に不幸な境遇から拾われたわけでもなんでもないんだがw
25 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 18:16:16.31 ID:YxHUpe3x
不幸って面から見ると清正や正則が妥当だな、もし秀吉に呼び寄せられなかったら早い時期に首と胴が泣き別れしてただろうw
26 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 22:04:42.29 ID:mbiRlAm/
>>25 それは無能で讒言だけが取り柄の石田だとしっくりくる
奴みたいな小物は首と胴はおろか、四肢が分離していただろうね
27 :
人間七七四年:2011/07/10(日) 17:56:43.28 ID:NotbLPH6
清正や正則は秀吉に呼び寄せられなかった方が幸せな人生を歩めただろう
というか秀吉の子飼いの大多数に当てはまってしまうことだが
28 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 06:39:54.33 ID:2rq3Zwho
>>26 無能ておめーよりは遥かに有能だよ
コンピューター並みの頭脳で天下を切り盛りした男だぞ
29 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 06:53:12.83 ID:E0xiiuFb
確かにコンピューター並の頭脳で敵を作って命を狙われてたな
30 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 07:50:51.78 ID:2rq3Zwho
↑元はと言えば秀吉が全て悪い
三成は被害者
31 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 11:28:41.17 ID:zwzPUPHr
空気を読まない松平信綱みたいなもんか
32 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 12:26:17.42 ID:4RgRiytD
>>27 波乱の人生を送った分こうして語り継がれて名を残してる訳だし、
彼らとしては悔いはないんじゃないかと思うけどな…
三成が奉行辞任+佐和山蟄居になった時そのまま大人しくしてれば
穏やかに長生き出来たんじゃないかと考えてしまうことがある
まあそんなタマならそもそも隠居させられたりしないだろうが。
33 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 13:30:37.51 ID:2rq3Zwho
三成と家康は実は縁戚関係があるので本音は双方とも対立したくなかった
家康としては政治をきりもみした三成を引き抜きたかったと思うがそうは行かなかったのが実情か
もし三成がほいほい家康に従っていれば家康政権の中で政治をきりもみした可能性もあるが
それだけに残念な部分も
ちなみに福島加藤は天下とってしまえば後は用済み
34 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 14:46:04.83 ID:q9HLy4Ac
縁戚関係!?
どういうことだよ
35 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 16:13:34.86 ID:SthF9jHZ
>>34 家康に嫁いだ妹の朝日と秀忠に嫁いだ江は秀吉の養女だろうが
36 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 16:31:28.74 ID:2rq3Zwho
三成の娘と家康の側室にして最愛の女性あ茶の局の兄の息子が恋愛結婚している(政略では無いと思うが)
因みにあ茶の局の兄とその息子は三成の家臣
関ヶ原の戦いで兄は戦死したもののその息子と三成の娘は生き残りそのまま人生を全うした
一説によると後で創設された尾張徳川家の家臣に入り込んだらしい
それどころかその血筋は尾張徳川家と縁戚関係になり後の徳川宗春はなんと三成の子孫にあたるというらしい
因みにその宗春は徳川将軍に徹底的に挑戦した挙げ句最後は幽閉されて人生を終えた(尾張徳川家は紀州に乗っ取られる)人物、歴史は繰り返す(笑)
とにかく徳川家康にとってあ茶の局は実質的正室も同然で彼女の願いを聞けないわけは無いという事
もちろんその事実は公表されるはずはなかった
なにしろ石田三成といえばは徳川の世では史上最大にして最悪の極悪人
その三成の血筋を分家とは言え自分の血筋に入れるなんて公表できるはずはないわな
ま、詳しくは知らないがクグレカス
37 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 16:35:34.92 ID:2rq3Zwho
↑結局本音と建て前は違うという事
三成家康ともに本音は戦いたくなかったが
一説によると三成は周囲からそそのかされて(直江、毛利グループ、大谷、宇喜多等)決起に踏み切ったという説も考えられる
38 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 16:53:05.78 ID:ayxjPuBr
>>29 しかし豊臣の治世で私怨で兵を起こして
豊臣政権奉行の三成の命を狙うって非常識極まりないなぁ
徳川幕府なら問答無用で全員お家取り潰し&切腹もんだろ
39 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 17:09:22.41 ID:2rq3Zwho
↑ま、三成も石田家は存続でも奉行職は引退、家督は息子に譲らさせられて出家させられただろうな
もちろん加藤福島らは全て切腹&おとり潰し
もしあの時、それを実行してれば家康は天下取れたか微妙だが(三成は出家したから何も起こせないとして)
40 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 18:35:36.25 ID:HBaxYzfz
阿茶は最も「信頼された」側室だろうが、最愛かと言うとちょっと違う気がする。
一般的に家康最愛の側室と言えば西郷局(秀忠母)か、晩年のお気に入り・最年少のお六じゃないかな。
まぁ、三成血縁のお振の方が家光の側室だったりするし、周囲が思うほど徳川家内で三成への遺恨はないのは確かかもね。
41 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 18:42:22.42 ID:2rq3Zwho
建て前と本音の違いね
三成を容認すると徳川政権そのものを否定する事になるし
42 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 22:10:11.90 ID:1pGo3n9K
>>36 阿茶局じゃなく茶阿局のほうだろ
もちろん最も信頼されたのは阿茶局の方
それに仕えたのは松平忠輝
血縁があるのかと言われてるのはこの山田某じゃなくて岡重政の方だよ
この岡の孫娘が家光の側室になり娘を産んで
後に尾張家の当主の正室となり子を産んでその子孫が宗春
でも三成と血縁があるのかどうかわからないのが現状じゃない
この孫娘が本当に三成の血を引いているか確証もないし
三成オタの人が勝手に騒いでるだけじゃない
43 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 23:03:57.75 ID:2rq3Zwho
でも仮に宗春が三成の子孫ならなんという歴史の皮肉だな
44 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 23:05:05.21 ID:sGbwddGH
宗春と三成、仲が悪そうw
45 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 23:05:17.70 ID:ddKGqzV6
三河武士団なら本多正信より、好印象をもたれただろうな。
法令順守の石頭だが、少なくと腸腐れとか算盤上手のおべっか野郎とは違うと。
彦左衛門なら、戦では、さほどのものではないが、骨の硬い公正無私な算盤方
で、働き者と評したかもしれない。
46 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 23:12:47.08 ID:zwzPUPHr
本多正信はおべっか野郎では先ずないと思うが
47 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 23:13:26.95 ID:2rq3Zwho
頭脳明晰に加え度胸満点(その分横着)
そのくせ義理と人情(一部には)にあつい
現代の政治家にはいないな
これだけの人材は
頭脳明晰でも度胸なかったり
度胸あっても馬鹿とかそんな奴ばっかり
石田三成なら近年のどの総理より働くと思う(ただ在日やアメリカに毒を盛られる可能性あり)
48 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 23:23:34.26 ID:sGbwddGH
三成は政治家というより高級官僚じゃね?
49 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 23:24:35.43 ID:sGbwddGH
事業しわけでレンホーだまらせてくれそうw
50 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 23:38:31.82 ID:ddKGqzV6
>>46 すまん言葉足らずだった。
本多正信は腸腐れ(榊原さんの口癖)、佐渡の腰抜け(本田さんの口癖)でしたね。
彦左衛門の当今、出世する武士の条件と混ざっちまった。
>>49 むしろレンホーに入れ知恵して、自分の省庁の省益を守るために他の省庁を仕分けさせる人
ただし自分の省庁の仕分けは、自分で完璧に行ってる人でもある。
51 :
人間七七四年:2011/07/19(火) 19:34:04.60 ID:COF3ku9d
>>50 > ただし自分の省庁の仕分けは、自分で完璧に行ってる人でもある。
無い無いそれは無いw
三成は身内や味方に甘いし、抜け穴やごまかしも平気でする人間だ。
52 :
人間七七四年:2011/07/19(火) 21:03:33.04 ID:vbmd5+vb
またまたアンチがわいとるな
53 :
人間七七四年:2011/07/20(水) 16:24:06.62 ID:DySY15Kb
>>51 まるで目の前で三成を見てきたみたいな言い様だなw
お前の間違った知識からくる妄想で人格を断ずるなよw
54 :
人間七七四年:2011/07/21(木) 06:47:26.98 ID:cll4VyAe
↑
同感
石田三成の地元の者だが地元だからこそ三成のいい逸話が口伝で伝わってきている(江戸時代は石田悪人、徳川正義という事しか言えない時代、北朝鮮かい)
家臣との絆、大名としての人道的な領国経営など数々の良い逸話が残されてる
どんだけ井伊が石田を貶めても影で石田は慕われてきたというわけ
もっと色々勉強してきた方がいい
世の中的には石田悪人の方が都合がいい立場の連中が多いのは確かだけど
55 :
人間七七四年:2011/07/21(木) 08:37:44.01 ID:Av95Pps4
石田三成の地元ってことは長浜?
あそこは彦根藩領ではないよね?
それに、自分は代々の彦根市民だけど、井伊家が特に三成を貶めていたようには感じないなぁ。
(もちろん、徳川幕府譜代筆頭の家柄なのでマンセーすることはないだろうけど)
何代目かの藩主が、三成の記録みたいなのまとめてなかったっけ?
56 :
人間七七四年:2011/07/21(木) 11:14:43.83 ID:b9Uno/8+
三成の担当した九州の太閤検地なんて、最近の研究結果では、その生産量を表したものですらなく、
現実には年貢の基準値にすらなっておらず、ただ軍役基準としてのみの数字でしか、しかも
軍役基準としても実態から遊離したものであった。
(松下志朗氏、中野等氏らの研究による)
これは畿内はもちろん、東海や関東とも著しい対象を示す。
こういう事を主導した三成がどういう人間だったか、良くみえてくる話だ。
57 :
人間七七四年:2011/07/21(木) 11:34:08.77 ID:vHCnjWK7
東海や関東は徳川家がアレしているから
58 :
人間七七四年:2011/07/22(金) 18:41:17.82 ID:9PiLNETg
九州のどこの大名領の検地と
関東や東北の誰の検地と比較してんのか
明示してくれないと何ともいえない。
59 :
人間七七四年:2011/07/22(金) 19:22:38.99 ID:QDWUTPQT
>>58 研究者の名前出てるんだからその論文読めばよかろうよ。
60 :
人間七七四年:2011/07/23(土) 10:16:53.00 ID:7aD6Tl2v
ハァ?正気かw
説明責任はそっちだろうがボケ
61 :
人間七七四年:2011/07/23(土) 14:11:29.30 ID:nN3LquzL
読んでないから説明できないなら書くなよ…
62 :
人間七七四年:2011/07/23(土) 14:34:53.79 ID:oYRh3Jq3
63 :
人間七七四年:2011/07/23(土) 20:00:30.01 ID:kj04oJ+E
堺や太一の三成は良かった
64 :
人間七七四年:2011/07/24(日) 17:50:41.42 ID:YQgdnG1x
65 :
人間七七四年:2011/07/24(日) 23:02:36.48 ID:5BCPpHWT
>>63 「歴史からの発想」読んだ?
義の人とか変に美化しないとこはいいな。
66 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 04:20:13.10 ID:xook9ZPX
BS−TBSのTHEナンバー2 〜歴史を動かした影の主役たち〜で
忍城攻めやってたよ
堤防がきれたのは、想定外の大雨と
堤防築いた百姓の手抜き工事という説を採ってた
ここで運悪く失敗したことが戦下手の評価を定着させてしまい
関ヶ原の結果に影響与えたと解説されてた
67 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 05:49:18.20 ID:Hybs5d0B
↑百姓は北条の回し者
北条は安い年貢しかとらず善政をしいたので百姓たちは北条を慕っていた
いくら金やっても彼らが北条を裏切るはずはない
68 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 07:56:19.63 ID:Ot4/FnIC
それに三成は気づかなかったのかな?
69 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 10:31:15.10 ID:lD8x2lvT
成田氏は北条を快く思ってないから
成田領の民は成田氏のために頑張ったんであって
成田領の民は悪党北条のために頑張ったわけでは無い
それは成田だけで無く由良氏など北関東の者達はみんなそうだ。
70 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 12:00:36.31 ID:i6WwGKpT
71 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 13:28:30.49 ID:bE4QyERV
>>70 その前に北条の善政を否定するソースを出してくれ
72 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 14:13:25.65 ID:lD8x2lvT
北条は民を苦しめる鬼高利貸しだったじゃん
さらに敵から民を守らないどころか
治水すらやらないクズじゃん。
しかも最後はガキから老人まで動員を強要して豊臣軍の殺戮大会に貢献したキチガイ
73 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 14:37:10.15 ID:0/qYNJ8B
>>72 またおまえか。どこにでも涌いてくるな。ゴキブリかよ。
早くカウンセラーに治療受けてこい。
74 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 15:08:42.94 ID:i6WwGKpT
信玄に始まる甲州流防河法・甲州流河除法は
幕府の関東郡代として関東全域開発をした
伊奈忠次に受け継がれる。北条の関東開発はデタラメです
75 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 20:54:24.84 ID:Hybs5d0B
北条の事は詳しく知らないけど初代早雲は民を味方につけるため善政をしいたという事は知ってる
それから100年以上後の世界の事はしらん
76 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 22:00:34.83 ID:lD8x2lvT
大地震と津波が頻発していた時期を狙って襲撃した悪党が早雲
77 :
人間七七四年:2011/07/27(水) 02:54:29.81 ID:rbiU0ltx
北条は、あれだけの大勢力になったのに、それに相応しい
大義名分がないように思うが、よく人が付いてきたな
78 :
人間七七四年:2011/07/27(水) 04:25:16.29 ID:og18UMDt
↑家臣との絆の深さはすごかったらしい
ちなみに早雲には7人くらい仲間がいて先に誰かが大名になったらほかの者は家来になってその男を支えてほしいと誓いあっていたらしい
また足利茶々丸を討ち滅ぼした後、領民に善政をしき支持を得た
こうして徐々にながら領地を拡大していった
79 :
人間七七四年:2011/07/27(水) 06:58:38.37 ID:STZYp9aJ
グダグダで誰か何とかしてくれ、という時勢にはまったのかもしれない
80 :
人間七七四年:2011/07/27(水) 07:03:12.98 ID:og18UMDt
ていうか三成のスレが北条のスレにすり替わってしまった
81 :
人間七七四年:2011/07/27(水) 07:04:29.72 ID:og18UMDt
今でも小田原で北条祭りを盛大に行われてる事を考えれば北条の政治は良かったんじゃないかな
82 :
人間七七四年:2011/07/27(水) 11:24:55.80 ID:1F4uHtCH
関東主戦場で長尾景春や長尾能景や長尾為景が上杉軍とガチで戦いまくってた間に
北条は辺境でこそ泥の火事場泥棒をやってただけじゃん。
しかも能景が川越や平塚まで侵攻して扇谷上杉を降伏させた時は
早雲はビビッて伊豆まで逃走してるし
氏綱は為景にビビッて絵画を贈ったら為景に「気にいらねー絵だな」って言われるわ
武田信虎からは鷹を2羽略奪され
そのうち悪い方1羽「いらねー」って返されたが
のちに「やっぱ返却した方がよく思えてきたから交換してくれ」とか言われほどナメられてるし。
そもそも両上杉を衰退弱体化させたのは越後府内長尾家や上野白井長尾家の活躍であって北条なんて敗北続きの上杉の味方をやってた側だしな。
83 :
人間七七四年:2011/07/27(水) 16:45:43.67 ID:ti07AVoX
>>78 >>先に誰かが大名になったらほかの者は家来になってその男を支えてほしいと
講談話だろ。そもそも早雲の姉妹が今川家正室だから
そのツテで今川客将待遇になってんだから、誰かが先も何もないだろ。
>>81 観光収入のために利用してるだけで慕われているなんて
小田原市の広報にすら書かれてないぞ。
84 :
人間七七四年:2011/07/27(水) 17:12:08.94 ID:BH09dtBe
>>83 > 観光収入のために利用してるだけで慕われているなんて
> 小田原市の広報にすら書かれてないぞ。
お前の頭のおかしさはよく解ってるからそんなに自慢するな。
あとスレタイを読む努力をして欲しい。読めないんだろうけど。
85 :
人間七七四年:2011/07/28(木) 03:16:04.20 ID:/XcDw6TB
たしかに忍城で成功してたら
三成の評価変わってただろうな
歴史も変わっていたかも
86 :
人間七七四年:2011/07/29(金) 07:53:11.94 ID:h8K3OCPj
島国で良いと世界で悪く
島国で悪いと世界で良く、世界で良いと島国が参って島国で良くなる事が結構多い
島国ではよく通用するのだろうけど、世界では全然通用しないだろう
島国一人ぼっち
世界から総スカンを食らう
87 :
人間七七四年:2011/07/29(金) 07:53:40.01 ID:h8K3OCPj
島国のフザケトボケ平気なのを注意すべき
88 :
人間七七四年:2011/08/18(木) 14:55:29.21 ID:0s/707uV
石田三成しね
みつにゃんストラップ買ってきたぉ( ^ω^)
90 :
人間七七四年:2011/08/21(日) 18:27:51.95 ID:oQnltLwf
91 :
人間七七四年:2011/09/12(月) 01:51:11.63 ID:0UTp4P17
徳川家康が憎くてたまらないんだけどそういう奴いる?
滋賀県民で歴史好きてのもあるが・・・
92 :
人間七七四年:2011/09/12(月) 01:54:57.20 ID:vGGWbGV7
93 :
人間七七四年:2011/09/12(月) 07:41:12.53 ID:1hdZ2Oak
愛知県民の自演うざ
狼で引っかかってホスト晒してバレてんのにまだやるか
94 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 01:48:41.38 ID:F3v0uPbJ
三成の大河ドラマやらないかな
95 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 06:24:15.56 ID:rCaPK+dF
↑
島や渡辺を部下にした時のエピソードや大谷直江佐竹との友情や大垣から短時間で大返しのエピソードとかそして関ヶ原決戦
さらに捕縛後に福島小早川を罵倒した勝ち気ぶりとか大河ドラマの主役として面白いと思う
少なくとも前田山内江直江よりは大河ドラマにふさわしいと思う
とくに江なんか何をしてたの?て感じだし
96 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 07:51:04.41 ID:U/J5LQOs
史実どおりでも魅力的だと思うけど、一般ウケするか?
それと地元はちゃんとプッシュしてくれるのか?
97 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 08:29:03.97 ID:ou+7DuPN
彦根は性懲りもなく井伊直弼で大河誘致中だからまずない。
あるとしたら、長浜市だろうけど、江をやったばかりだし、厳しいだろうな。
98 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 08:56:53.84 ID:CU1mitK6
江程度で大河の主役になれるのなら、清正でも十分に可能だろう
滋賀県と熊本県が後押ししてくれるよ
99 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 10:04:35.18 ID:kiUb2plN
>>94 レンタルビデオで借りられるから、加藤剛が主演のドラマ見てみろ。
100 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 18:51:48.42 ID:rmUgHvKt
>>97 えらく渋い人物を押してるなw 好きだけど無理だろ
101 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 23:57:47.91 ID:jtz8n9RJ
>>100 大河ドラマの第1作が井伊直弼主人公の「花の生涯」
なんだけど、映像もわずかしか残っていないし、リメイクという可能性もなきにしもあらず・・・かなあ
102 :
人間七七四年:2011/09/14(水) 19:07:02.38 ID:KWcFvIQP
↑映画桜田門外の変を見たがどうみても悪役だよね
天皇の許しも得ず開国を断行しそれに反対する連中を根こそぎ弾圧
水戸の老公は謹慎で済ませたが弱い立場の人間は平気で虫けらのごとく処刑
とくに吉田松陰は遠島という判決なのに勝手に死刑執行してしまった
あんな奴殺されて当然だし全く同情しない
ちなみに俺は滋賀県民
滋賀県民からも罵倒されるてすごいよね
103 :
人間七七四年:2011/09/14(水) 19:13:58.93 ID:KWcFvIQP
>>97 彦根城内のなんとか櫓で関ヶ原関係の展覧会をやっていた
井伊家の鎧ははほとんど隅っこ
石田三成と島左近メイン
売りは石田三成か島左近のコスプレをただでできるというすんごい事やったいる
石田三成万歳的展覧会だったぞ
そろそろ彦根も石田三成を押しにかかっているって感じか
井伊家の威光も衰えつつあるな
そのうち長浜や米原だけでなく弘前、彦根と石田三成プッシュにかかると思う
井伊家哀れ(直政ってだれそれだし直弼は極悪人、その直弼の息子は幕府の裏切り者、どうしょうもないね)
104 :
人間七七四年:2011/09/14(水) 19:21:20.89 ID:CSImiJDU
石田光成主人公にしてもほとんどが朝鮮の話になって面白くないだろ
江の方がよっぽどいいよ
105 :
人間七七四年:2011/09/14(水) 19:33:15.61 ID:1ok2QbQc
>>104 利休切腹に秀次事件や7将襲撃の発端になった慶長の役での戦奉行の報告も全部秀吉が入れてやった事なのにすべて治部殿が悪い事になってるからな
ゴロツキ上がりの清正や正則はこれが原因だろうし、これに細川忠興は秀次と利休が付いて、共通するのが朝鮮の件での逆恨み
豊臣恩顧には治部殿や西軍の一部を覗いてまともなのが居なかったというべきか
106 :
人間七七四年:2011/09/14(水) 20:43:47.63 ID:KWcFvIQP
↑
まともな意見ありがとう
それにしても秀吉の身内て弟以外はゴミくずばっかり
浅野も木下もへたれだしな
秀次はそこそこの人材だが秀頼が生まれた後秀吉を暗殺して後継者になろうとしたしクーデターも企んだのは周知の事実
身の程知らずだよな
まして加藤福島は本来大名になれる器でないし
結局加藤福島双方ともおとり潰し
加藤福島が三成と手を組んで家康に対抗すれば家康は出だしできなかったのにね
107 :
人間七七四年:2011/09/15(木) 11:56:43.42 ID:wFMJi8If
108 :
人間七七四年:2011/09/15(木) 12:48:57.83 ID:2h2Sz9xz
ゆるキャラの人気・知名度では井伊(ひこにゃん)の圧勝だなぁ
(てか、いしだみつにゃんとか完全にひこにゃんのパクリだし)
彦根の観光資源を支えているのは彦根城とひこにゃんだし、
彦根市が井伊を捨てることはないと思う
三成は長浜市が頑張ればよい
109 :
人間七七四年:2011/09/15(木) 14:10:13.35 ID:giOoa9F9
彦根市はどう考えたって井伊家とひこにゃん推しだよ
三成を押す気があるならもっと佐和山をどうにかしてるよ
本屋で彦根市の観光ガイド立ち読みしたら佐和山の項に石田三成のイの字もなく
駅の裏手だから迷ったらこの山を目印に歩こう、なんて書かれてたわい
110 :
人間七七四年:2011/09/15(木) 15:20:01.64 ID:LWpc1h9i
111 :
人間七七四年:2011/09/15(木) 19:11:37.72 ID:K+ZLV8K8
ひこにゃんは井伊というより可愛いからね
井伊が人気あるならひこにゃん以外の井伊グッズもうれてるはずだろ
しかし現実はほとんど売れていない
石田グッズはけっこううれてるのにね
それと彦根市は最近石田に目覚めた感じ
三成イレブンという(期間限定だけど)展示館もやってるし彦根城内では関ヶ原展示館もやっている
三成メイン
井伊はすっかり存在感無いしね
井伊13代?まとめてかかっても石田三成に及ばない
悲しいな井伊
112 :
人間七七四年:2011/09/15(木) 19:21:36.40 ID:dU1XZi6f
大河のスレでも一人で三成マンセーしていた人かw
キモイわ
彦根で井伊の存在感がないとか笑わせるわ
ソースを出せよw
113 :
人間七七四年:2011/09/15(木) 19:27:27.91 ID:wFMJi8If
>>111 ひこにゃんは井伊グッズとしても買っていくんだよ
井伊の赤備えを身に纏っているのだしね
彦根城内は普段は勿論井伊家がメインだし期間限定の展示にドヤ顔されても…
114 :
人間七七四年:2011/09/15(木) 19:35:20.42 ID:giOoa9F9
>110
検定の過去問見たら相当難しいね
地元ネタ多いしw
115 :
人間七七四年:2011/09/15(木) 21:52:43.56 ID:zOY/2/Ab
佐和山と石田三成に関しては実験的な感じがするね、彦根市。
116 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 01:30:02.44 ID:pe1ISVJ7
彦根市は長年井伊家当主が市長を勤め牛耳ってたようなところ
現在も井伊が市政に影響を与えてるのは間違いない
本来は縁故関係など関係ない彦根城博物館の名誉館長に井伊家当主直岳(婿養子、直岳は芸名)をつかせる公私混合ぶり
石田三成はなるべくスルーして井伊万歳と行きたいところだが全国的な知名度は石田三成がはるかに上
それが現実
彦根市もそれに応じないわけにはいかない
もし石田三成大河なら手のひら返すごとく石田万歳て事になるだろうが期間限定だろうけど
しかし彦根市て遠くの高松と仲良くして近隣の長浜にケンカ売っとるんかい
117 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 01:34:23.59 ID:pe1ISVJ7
>>114 以前佐和山山麓でクイズ大会を開催
俺も参加して連戦連勝
残り4人まで行ったけどそれまでの石田関係から一転井伊関係の問題でつまずき惜しくも優勝を逃した
ちなみに優勝なら3万円
二位はなしというシビアなクイズ大会だったけど
あれ以来さらに井伊憎しが増幅されていった(石田クイズなのになぜ井伊が)
118 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 08:33:23.17 ID:tWTjKkBe
石田より天才・黒田官兵衛の方が先に大河になるのは間違いない
そうなると、石田は官兵衛の才を妬んで隠居に追い込んだ悪者扱い
てか、実際そうだろうな
福島や加藤はともかく、黒田に恨まれるのは当然の報い
119 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 08:34:16.91 ID:xV1ivA63
大河にするなら司馬の関が原』で
120 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 08:45:45.56 ID:gbt7T7tp
あの三成も自分の理想と現実が滑りまくっていたけどな
121 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 10:44:19.64 ID:niBUV51f
旧家が幅利かせてて地元民にとっちゃウザいんだろうけどどこの田舎も似たようなもんだ
122 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 17:10:48.20 ID:pe1ISVJ7
黒田は豊臣家の側近として五奉行筆頭にさせるべきだったかも
もちろん石田三成とタッグ組ませてね
石田三成が黒田を追いやったといくより秀吉が黒田を恐れて遠ざけたのが真相で石田三成は関係ないだろ
悪い事は全て石田に背負わせるんかい
123 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 17:41:11.55 ID:pe1ISVJ7
もし石田三成でなく黒田なら家康は全く手を出せなかっただろうな
それどころか家康こそ世の中を乱す悪として滅ぼしてそう
濡れ衣を着せてな
足利義満が力をつけた大内、山名を叩きつぶし勢力を縮小させたように
あえて敵にまわし福岡県に遠ざけた秀吉のミス
それにしても黒田孝高と石田三成の陰険策謀家コンビの秀吉死後の働きを見たかった
124 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 18:31:42.70 ID:6FW1JaRe
> それにしても黒田孝高と石田三成の陰険策謀家コンビの秀吉死後の働きを見たかった
それでも最終的には如水が豊臣家をないがしろにするだろう
何しろあの秀吉が尤も恐れた男だからな
125 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 19:14:26.26 ID:hrNF4Fum
家康に対抗するには石高が足りなすぎる、時期的に取り潰しになった大和豊臣家の70万石をどちらかに加増したとしても半分にも満たない
126 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 20:05:02.08 ID:xV1ivA63
適当に大大名つぶす
127 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 20:05:19.60 ID:pe1ISVJ7
ぶっちゃけ石田加藤福島あたりを独立した大名にさせず豊臣家旗本にしとけば良かったんじゃね?
その上で権力をもたせれば良かった
豊臣家の繁栄=自分自身の繁栄なら豊臣をないがしろにはできないだろう
とくに石田三成は知恵が回るから豊臣350万石(豊臣の石高は250万にも及ばないが石田らを独立させなければ350万にはなる)の力をフルに使い毛利上杉などをこき使って徳川をむりやり滅ぼすもしくはその力を30万石まで縮小させて豊臣秀頼を専制将軍にさせるだろ
128 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 20:08:12.30 ID:pe1ISVJ7
秀吉の晩年を見るとわざと家康に天下を取らせようとしたにしか見えない
本当に馬鹿としかいいようがない
本来石田は影で暗躍するのがベストなのに彼が表にでざるを得ない状況にしてしまったからな
129 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 21:27:39.81 ID:nEexnePg
夏休みって終わったよな?
130 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 22:53:49.68 ID:xV1ivA63
三成が200万石の大大名なら
131 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 00:26:42.48 ID:zdZTsT61
132 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 12:10:43.17 ID:GlhzuRYs
>>105 >全部秀吉が入れてやった事なのにすべて治部殿が悪い事になってるからな
それは当然だろ
秀吉は豊臣政権において神様のようなものだから一切の責任など取らない
秀吉の失敗は全て側近たる三成の失敗になる
武断派大名の三成への非難は豊臣政権の構造上当然の行動であり何の問題もない
後は豊臣家が三成をクビにするだけで解決する問題だったのにグズグズしていたため家康に手柄を取られたのが致命傷だった
三成を斬首刑にするという簡単なことを怠っただけで天下を失ったのだから実にもったいない
133 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 12:27:23.80 ID:OEb5EPDL
>>132 その論理なら朝鮮の件で加藤清正は秀吉に斬首されててもおかしくなかった訳だが
秀吉と豊臣政権の様々な問題で三成にすべて押し付けるのは無理があり過ぎるばかりか筋と道理が通らない
134 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 12:28:01.58 ID:ou94vQdq
一度、秀吉から100万石位貰えそうだったのに
秀吉の側から離れたくないから近江くれ!とか言ったんでしょ?
こいつほんとうに大局観に欠けたバカだよね。
こいつが100万石持ってれば家康なんかぶっちぎってたのに。
135 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 12:52:29.72 ID:KEaE+Ujx
100万石程度では家康の相手にならんのは
毛利と上杉のへタレぶりで証明済み
136 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 12:58:24.39 ID:OEb5EPDL
>>134 それ佐和山の時の話と遺老物語とごっちゃになってないか増田長盛と三成が秀吉と止めともない話してたときに秀吉が
お前らに2人に100万石ずつやるが受けるか?って聞いてお戯れをと返したらわしはやると言ったらやると言われて色々考えて辞退すると言うと
カタブツめ、わしの好意を受けられぬとはつまらん、ご好意を受けらない訳ではなく過ぎたる御沙汰にてと、どちらかかが断って
もう1人が、お言葉はありがたくお受けいたしますがこの場は我ら3人だけなので、日を改めて正式の場にてご沙汰をいただければ承りますと答え
秀吉がならば正式に沙汰するので待っておれと言ったが、間もなく秀吉は病倒れて正式な沙汰はなかったっていうのが後者
137 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 13:06:21.90 ID:OEb5EPDL
>>135 もし遺老物語の内容が真実で正式な沙汰が下ってれば、増田長盛と三成で200万石になり関八州250万の徳川家康に十分対抗出来たことになる
138 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 14:05:30.83 ID:YkJH6cyO
朝鮮で頑張っていた我らをさしおいて何の功績も無い(思い込み)二人が百万石など許せんと史実以上の恨みの的になってフルボッコって展開の方もあり得るが
百万石を運営するには大量の将が必要になるそうなれば内部でgbgbになって史実みたいな一致協力して奮戦って展開にならないかもしれない
139 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 14:36:17.20 ID:ESzAMD0f
ていうかその二百万石はどこから捻出するんだい
140 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 14:43:44.62 ID:OEb5EPDL
>>139 秀吉が何処を知行するつもりだったかなんて解らないが、想定するとしたら簡単なのは徳川を取り潰すか朝鮮に出兵してる何処か
適当な理由つけて領地没収改易、高山右近や佐々成政の前例もあるし天下人の命令には誰も逆らえない
141 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 14:58:18.47 ID:swo5RDpj
徳川を取り潰すのが簡単、ってアンタ・・。
142 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 15:06:27.35 ID:OEb5EPDL
>>141 あの時代なんて意外に多い、気に入るか気に入らないかだけとかその最たるのが秀吉な訳だが
だから別に起こってても不思議ではないし、ましてや秀吉が実行して徳川が抗えば史実より早く関ヶ原と同等の規模の戦が
東海道の何処かで起こってたと思うとそれはそれで面白い
143 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 15:28:01.98 ID:YkJH6cyO
半島に戦線を抱えた状態で内乱になったら豊臣政権が崩壊しかねない事位は晩年の秀吉でも判断つくだろ
徳川がよほどのヘマでもしないかぎり家康の居る徳川を削ったり潰したりという選択肢は無い
家康が早くに死んだら知らんが
144 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 15:28:25.86 ID:xZFN7AiX
百万石もらってたら渡辺勘兵衛も…
前から思ってたけど渡辺勘兵衛の逸話と左近の逸話似てるね
どちらかが元ネタなのかどちらも本当なのか
145 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 15:52:55.26 ID:ESzAMD0f
>>143 家康と同じ領地をもっていた北条が秀吉にあっさり降参したことを考えると簡単に滅ぼせるだろ
茶々の妹の嫁ぎ先なので30万石くらいは残してやるけどな
146 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 16:52:44.23 ID:YkJH6cyO
豊臣による天下統一に抗う北条と豊臣政権下で重きをなす徳川
目に見える失敗をおかした北条と秀吉が死ぬまで従順を演じた徳川
全国に総動員をかけられた北条征伐と既に半島に大軍を送ってる徳川征伐
状況は全く違う簡単になどと言える状況じゃない
石田と長束だけで徳川を征伐できる訳もなく外様の動員は必須しかし二人に百万石を与えてしまえば外様への恩賞なぞほとんどできず史実以上の不満が貯まるだけ
豊臣政権の寿命を短くする事はあっても延命する事は無い
147 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 17:37:46.30 ID:swo5RDpj
つか、本当にそんな簡単なら、
>>145みたいなゲーム脳が講釈垂れるまでもなく、滅ぼしてるってのw
148 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 18:35:03.55 ID:uHDOCtNK
まあ小早川の裏切りがなく、吉川が家康の背後から襲っておれば
家康は打ち首だもんな
戦の勝敗は兵力だけで決まらんのよ
149 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 18:54:56.69 ID:y8tleuT6
小早川のたらればを持ち出すなら、秀忠が間に合うことも考慮する必要がある。
ていうか、それ以前に小早川だの吉川だのって持ち出すのがゲーム脳っていうんだろ?
戦争は数。圧倒的な兵力の前に冷静沈着かつ戦意を失わない化け物が、この世界に何人いるだろう?
150 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 19:38:08.36 ID:ESzAMD0f
それを言うたら立花などの大津城攻撃隊の関ヶ原到着の方が近いぜ
151 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 19:42:42.16 ID:ESzAMD0f
いずれにしても家康は大阪城入城するまで冷や汗の連続だろう
なにしろ豊臣恩顧大名頼りの戦いだからな
もし毛利が大阪城籠城なら万に一つも勝ち目なかったし
もし豊臣家そのものが西軍支持を大々的に表明してれば家康も唖然としていただろうな
いくら家老の片桐を買収してたとはいえ
獅子身中の虫だな片桐
152 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 20:09:22.46 ID:swo5RDpj
豊臣家中の抗争という構造にしたくて、恩顧を利用しただけだっての。
輝元の大坂城退去回答は、関ヶ原本戦から7日後。
あっと言う間で、冷や汗かく暇もない。
153 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 20:11:10.50 ID:Vd6Hr0hJ
もしも、しか語れない惨めさ
154 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 20:12:52.39 ID:YkJH6cyO
>>151 関ヶ原と大坂の陣がゴッチャだなアンタ
関ヶ原の時は片桐さんは大津攻めに参加中だぜ?
155 :
キツネのレックス:2011/09/17(土) 20:40:07.57 ID:K+HCYyu1
156 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:01:20.22 ID:ESzAMD0f
>>154 片桐は豊臣家の家老で西軍からの戦費要求を無視して一銭もださなかったはずだ
もし大津攻めに参加してたらおとりつぶしにあってたはずだ
色々は説があるがな
157 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:07:50.96 ID:ESzAMD0f
>>152 肝心な徳川軍の関ヶ原での無様さと来たら、、、笑いの域
唯一井伊の活躍が光るがそれにしても井伊直政自身が島津の追跡で逆に討ち死(死亡は数年後)する有り様
息子に預けた本軍は少数精鋭の真田にかんぷなきまで叩きのめされ本戦に遅参するゴミっぷり
北条攻め以来戦いから遠ざかっていたとはいえ無様すぎる
もし徳川単体だけならカす扱いされて滅亡していただろう
158 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:15:02.21 ID:Vd6Hr0hJ
>>157 徳川軍として戦ったわけじゃないからな
あくまでも東軍の指揮を取っていたのが家康で井伊や忠勝は東軍の軍艦だった
そして東軍が半日で圧勝した
それが全て
159 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:15:19.06 ID:ccoQJHoK
うーむ
やはり関が原と大阪の役の区別がついてないと見える
160 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:21:48.18 ID:Vd6Hr0hJ
軍艦→軍監
161 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:25:58.03 ID:DD66vKg8
昌幸を「卑怯者」と評したてマジトリア?
162 :
キツネのレックス:2011/09/17(土) 21:28:07.70 ID:K+HCYyu1
まあでも片桐さんが関ヶ原において大活躍したのは事実だろ。
秀頼が出陣したら徳川は完全に終わってたんだし、悪まで家臣と家臣の戦ということに固執した理由はなんだろね
ってか輝元も追い出したのはこいつじゃないか
163 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:34:31.32 ID:ESzAMD0f
片桐こそ獅子身中の虫
いくら大名にしてもらえなかったからって
164 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:45:43.37 ID:swo5RDpj
家康存命中に天下人になろうとすれば、豊臣政権と相対するよりも、
そっくり盗んだ方が効率が良い。
政権内で権力の極大化を図って、最後に禅譲を受ければよい。
(豊臣家は滅びを選んだが)
進んで謀反人の汚名を被る必要もないし、下手に長期化して
全国規模の泥沼化に転じたら、元も子もない。
165 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:48:46.00 ID:5y2cR0Gr
>>156 おいおい、片桐が家老になったのは関ヶ原後だぞ。
そもそも関ヶ原前までは豊臣政権=豊臣家だったわけで、
だからこそ五奉行と五大老がお互いに自らを「年寄り」=「家老」
と言っていたわけなんだけど。
166 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:51:32.91 ID:xjMpocXQ
戦費要求拒否もどの史料をもとにした話なんだか。
葵三代とは言わんでほしいな
167 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 22:56:58.64 ID:ESzAMD0f
ていうか片桐てわかりにくい人物だよな
7本槍の落ちこぼれで
たしか7本槍で大名にすらなれなかったのはこいつと平野と後名前忘れた奴だけだったよね
それにしてもただちょっと戦場で活躍しただけで7本槍と持ち上げてもらったのに結局豊臣を裏切らなかったって一人だけだったっけ
たくっ誰のおかげで大名になれたと思ってるのかな
家康の家来なら百姓上がりではせいぜい旗本どまりなのにね
168 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 22:58:25.98 ID:YkJH6cyO
片桐さんは徳川への権力移行の中で豊臣家を生き残らせるべく足掻いてただけなのに・・・
護ろうとした豊臣家に切り捨てられたり獅子身中の虫だの奸臣だの言われたり報われお人だ
169 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 23:03:42.15 ID:ESzAMD0f
何度も言うが秀吉は天下とる器でなかったね
信長こそ天下人にふさわしかった
秀吉には子供がいなかったし
晩年に生まれたけど怪しいし
石田はともかく加藤福島金吾みたいなチンピラを大名にさせざるを得なかった人材不足もあるし
せめて弟が秀吉より長生きしてればね
三成の件があるけど家康も本多正信という超嫌われ者がいるし巨大な組織を運営するにはああいう人材も必要
むしろ福島加藤みたいなチンピラを大名にしたのは致命的だったな
つくづく信長の死は痛い
170 :
キツネのレックス:2011/09/17(土) 23:05:18.61 ID:K+HCYyu1
じゃあ聞くが、関ヶ原において家康に上杉攻めを命じたのは誰よ。
171 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 23:09:47.82 ID:YkJH6cyO
誰が命じたとか言うものでは無く豊臣政権内で決まった事
三成が輝元や秀家引っ張りだして半ばクーデター的にひっくり返したけど
172 :
キツネのレックス:2011/09/17(土) 23:13:45.72 ID:K+HCYyu1
>>171 その豊臣政権内とは?
五大老は家康しか大坂にはいなかったはずだし、
三成もいない。誰が決めたんだ
173 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 23:22:27.34 ID:YkJH6cyO
ぶっちゃけるまでも無いが家康とそのシンパ
自作自演と言えばそうかもな
家康は伏見に残って政権運営を半ば任されていたからそれを最大限利用した訳だ
174 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 00:37:36.24 ID:i/02/Bmh
大まかに言えば家康のクーデターだな
秀吉は別に家康に政治を全て預けると約束していないし
175 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 00:39:43.22 ID:i/02/Bmh
>>172 何年か前、オリックスのGMを勤めてる中村がその権利を使って自ら監督に就任したって話しに似ているね
176 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 00:46:20.00 ID:guVhlgPX
>>169 三成のような傲慢な人間を政治に関わせた事の方がよっぽど致命的じゃね
だいたい他の四奉行は三成みたいに恨まれたわけじゃない所を見ると
こいつ自身が問題のある性格だったんだろう
それと本多正信は三成みたいに大禄をもらうことなく少ない石高で甘んじている
その結果正信は同僚の恨みを逸らし粛清されることなく生涯を終えている
正信と三成では正信の方が遥かに格上だろう
177 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 01:10:54.00 ID:i/02/Bmh
↑遥かに格上って(笑)
石田三成嫌いだろうけど言葉選ぼうよ
だいたい石田三成は各地方の検地で升や尺の長さを統一したり戦場におけるプロデューサーを勤めたり数多くの(陰謀も含め)仕事をこなしたほどの人物だ
しかも関ヶ原までプロデュース
たった四十一歳の生涯でだ
ちなみに俺も今年11月で41歳
ついに三成公と同じ年になってしまった
感慨深いものがあるが、、、
41歳の時点での本多は三成より格上とは言えないだろ
178 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 01:14:35.54 ID:i/02/Bmh
>>176 三成がどうのこうので倒れる政権を作った秀吉が悪い
石田三成がもし家康の家来なら思う存分働いただろう
家康もできれば三成を味方にしたかったと思う
ま三成の主君への忠義を考えたら万に一つでも味方につくはずは無いとわかりきっていただろうがな
179 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 01:15:03.52 ID:h0i8irpG
180 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 01:18:17.24 ID:i/02/Bmh
>>176 家康が存命だったから襲撃されなかっただけだろう
それと三成の例があるから井伊ら諸将がうかつに襲撃できなかっただけ
おそらく家康から加藤らは罪を問わなかったがおまえらはもしなんかしたら容赦ないぞと脅した節がある
181 :
キツネのレックス:2011/09/18(日) 01:21:17.39 ID:9FZT7MPf
>>177も花王デモの総大将を務めればいいのに
1800の軍勢を率いて死ねたら本望でしょう
182 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 02:36:21.85 ID:bnuVNpzn
>>177 あはっ、2ちゃんでこういう自己紹介しちゃう人嫌いじゃないわw
毎日ageで出没して熱弁奮っているアナタの一連の書き込み読んだけど
徳川好きの三成嫌いの私でもなんか憎めないのよねw
ちょっと可哀想で・・・
まあ、マターリ仲良くしましょうよ
183 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 02:39:05.59 ID:ONMbOdD1
三成に主君への忠義があったら関ヶ原なんか起こさないよ。
身の丈を自覚していない三成の暴挙が豊臣家の寿命を縮めただけ。
41歳で社会人してたら、そのくらい普通わかるだろ?
184 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 05:03:16.66 ID:i/02/Bmh
>>181 花王のデモ率いた人どうなったの?
まさか
185 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 05:11:37.95 ID:i/02/Bmh
>>183 あの時点でなら家康に勝てる可能性は十分にあっただろう
毛利も自分に味方しなければどうなるかわからない状況だから必ず戦ってくれると思うし家康についた豊臣恩顧大名も寝返る可能性大
何もせずに家康に政権を乗っ取られる位なら立ち上がるのは当然のなりゆき
三成がしなくても誰かが立ち上がったと思う
ただ残念ながら豊臣家の中に男はいなかったという事
ただ嫌われ役の石田三成が表に出ざる得なかったのは不幸だったかも
大阪の陣の淀殿の決断より遥かにまし
186 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 08:50:55.80 ID:j3yXo1rP
三成の挙兵は自身の復権と家康の失脚を狙った私欲だろ?そりゃ何割かは豊臣への忠義もあったろうが
187 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 09:03:54.18 ID:cCvLinOE
>>172 政権の意思決定としては前田(徳川)と五奉行の承諾が必要になるが、
この時既に前田は大老職を奪われており、
五奉行の内諸大名の取次である三人の内、浅野・石田も職を失している。
結果、家康の決定を増田が承諾するという形で「豊臣政権の決定」とした。
188 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 09:27:42.72 ID:Zticm/Na
>>186 誰もが家康にケンカ売るなんて身の程知らずめと思っていたし
その家康を倒したらどうなるか、自分は復権どころか…
という私利私欲が無かったなんて言い切れんな
189 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 09:32:54.95 ID:C3ay+Jj9
秀吉でさえ長久手で家康の強さや怖さを見せつけられているから
穏便懐柔に終始していたのにな
190 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 09:47:34.40 ID:cCvLinOE
>>189 未だにそんな事本気で言ってる奴がいるんだな。
こいつは「戦が強いから〜」だなんて判断で本気で戦争すると思ってる?
当時、紀州・北国・四国と敵に囲まれ、尚且つ北関東と九州から必死の救援要請が来てた。
特に九州は時間が無く、長引かせるわけにはいかないから取り敢えず
東からの脅威を取り除くために懐柔策を取ったんだよ。
家康は休戦後はもちろん、臣従後も特に秀吉臣下としての行動を取って来なかったが、
九州征伐が終わると一気に平身低頭秀吉に従うようになる。
北条との同盟を完全に反故にしてね。
これは西側を完全に制圧した秀吉には北条と同盟関係にあっても
到底敵わないと家康本人が認識したからに他ならない。
191 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 09:53:47.03 ID:C3ay+Jj9
>>190 は?秀吉が徳川と云うものをどう思っていたかの話をしてるんだがw
192 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 10:13:45.78 ID:cCvLinOE
>>191 小牧・長久手は単純に長引いてしまった事による計画の変更があった、という事で
「家康が強かったから」休戦したわけでも、強引に臣従させたわけでも
無かったって話なんだけど理解できなかったのかな?
更に言えば旧北条領を与えたのも、交渉・合戦で一番の働きをしたからで、
秀次事件後に大老奉行制を敷いた際に重職に置いたのもそういった経緯から。
家康が今置かれている立場を良く理解して、最善の行動を取って来たからこそ
勝ち得た立場であって、たかだか局地戦の結果で得られるような物じゃない。
193 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 10:19:15.14 ID:C3ay+Jj9
>>192 話が理解できていないのはどっちだ?
「強引に臣従させたわけでも無かった」って
朝日を離縁させてまで家康の嫁にさせたり大政所を人質に出したり
要は穏便懐柔じゃんか
194 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 10:28:06.49 ID:cCvLinOE
>>193 あのさぁ、いくらなんでももうちょっとまともに読んでからレスしようよ。
一体どう読めば「強引に臣従させていない」って言ってるように思うんだか。
「強引に臣従させた」理由が「家康が強かったから」だなんて理由じゃなく、
一刻も早く周囲の状況を安定させて、
九州への救援をしなければならなかったからだって言ってんの。
195 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 10:36:52.67 ID:C3ay+Jj9
>>194 バカか?
いつまでも臣従しない家康に兵をあげるぞと脅しを掛ければ済む事を
(すぐに倒せる相手だと思うならな)
しないであの手この手で懐柔政策に励んでいる惨めさをみれば一目瞭然だ
196 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 10:44:15.54 ID:cCvLinOE
>>195 家康は北条とも同盟結んでるんだよ?
ゲームじゃあるまいし、そんなに簡単に片付くわけないだろ。
もうちょっと全体の状況を理解するようにしなよ。
197 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 10:46:47.84 ID:C3ay+Jj9
198 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 10:54:37.77 ID:c3Wb1h1M
>>151 >なにしろ豊臣恩顧大名頼りの戦いだからな
豊臣恩顧といっても大半は織田恩顧や地方大名だったのが秀吉が権力を握ったためすり寄っただけでしかない
そんな寄らば大樹の陰な連中を勝手に豊臣恩顧と呼んで豊臣に尽くしてくれると期待している三成たちがバカなんだよ
むしろ豊臣恩顧という考えが三成たちに現実を見えなくさせ豊臣を滅亡に追いやった原因といっても過言ではない
199 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 10:56:11.07 ID:cCvLinOE
>>197 そう。家康個人がどうだとかって理由じゃないって事ね。
勢力として東は徳川・北条・伊達という大勢力が残ってる。
先ず、東を抑えておいてから、西側の脅威を取り払った方が良いってのは誰でも分かるよね。
200 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 10:57:31.21 ID:C3ay+Jj9
>>199 人の話が理解出来ない事はよくわかったw
201 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 11:15:11.03 ID:d40+376D
だから、秀吉は家康を脅威と思っていた、と言う事でしょ?
>>189は正しいと思うけど。
キミも自分でも言ってるじゃない。
>東からの脅威を取り除くために懐柔策を取ったんだよ。(
>>190)
>勢力として東は徳川・北条・伊達という大勢力が残ってる。(
>>199)
202 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 11:19:14.82 ID:cCvLinOE
>>200 悔しいのかもしれないけど、一応レスするのなら本論ついて話さないとね。
お前が言いたいのは「家康がが強かったから」秀吉が懐柔策を取ったって事だろ?
俺が言いたいのは、急いで九州の救援に行かなければいけなかったからって事。
>>194を見てこれは理解出来たんだよね?
もちろん、脅せば直ぐに済んだ可能性も無い訳じゃない。
ただ、背後には北条も居る訳で、交渉が拗れたらそれこそ時間がかかる。
西側さえ片付いてしまえば後はどうにでもなるのだから、強硬に出るよりも遥かに効率が良い。
そこには現実的な戦況の判断があるだけで、
家康個人の力量だとか小牧・長久手の結果がどうとかは関係ない。
203 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 11:24:04.20 ID:d40+376D
家康個人の力量なんて、誰も言っていない気が・・・。
秀吉だって個人の話をしてるわけじゃないでしょうに。
204 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 11:26:34.38 ID:C3ay+Jj9
>>202 あのさぁ、簡単な事なわけよ
秀吉が家康に何も強さや怖さを感じてなかったとでも?
そしてそれが懐柔政策に走らせた要因にもなったなんてことは容易に想像付くだろ?
>家康個人の力量だとか小牧・長久手の結果がどうとかは関係ない。
何を持ってしてそこまで言い切れるんだよ
お前は秀吉か?
205 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 11:41:22.95 ID:NQgN2Q85
関ヶ原西軍勝利スレでやれ
206 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 11:43:18.02 ID:cCvLinOE
>>204 無理をして臣従させたって所だけを見てしまうと、
家康を倒すのは難しいと思ったから、って考えてしまうんだろうね。
ただ、九州や北関東の情勢を見れば、無理にでも潜在的敵対勢力の脅威を
取り除き、最優先で処理をしなければいけない問題があるって事が分かる。
これは相手が徳川でなくても同じ事。
なのにそれを無理矢理家康の力量と関連付けるのはあまりに無理がる。
207 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 11:48:37.53 ID:C3ay+Jj9
>>206 相手が徳川でなくても朝日を離縁させ嫁に出し、大政所を人質に出すという事だな
208 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 11:58:49.56 ID:cCvLinOE
209 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 12:02:41.28 ID:C3ay+Jj9
>>208 秀吉はそんなに大した男じゃなかったって事を言いたいわけだね
210 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 12:08:36.91 ID:C3ay+Jj9
そして相手が徳川でなくても上洛を出迎えて頭を下げるわけだ
211 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 12:08:42.12 ID:cCvLinOE
>>209 無理をしてでも優先させなければいけない状況だったって事ね。
家康以外に人質を出すと大した男じゃないとか意味が分からないけど。
212 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 12:13:36.35 ID:C3ay+Jj9
213 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 12:25:12.08 ID:Zticm/Na
>>211 優先とか少しでも早くとか言ってるけど
どの位の期間、家康が上洛を拒み続けたと思ってんの?
朝日と婚姻関係にあった男に変わりにどのくらいの石高を与えると言ってると思ってんの?
214 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 12:45:20.03 ID:cCvLinOE
>>212 状況として最優先で行わなければいけない事があり、
その障害になっている直ぐ近くの脅威を取り除かなくてはいけなかった。
その為にはある程度の無理も必要だったって事。
それが家康なのか他の誰かなのかは関係無い。
ずっと同じ事を言ってるんだけど、理解出来ないのかな?
> 自分のレスもう一度しっかり読んでみろ
ただレスを返せば満足ならそれでも良いけど、こんなレスはあまりに不毛だぞ。
>>213 一年間ってのは結果的に秀吉の想定よりも交渉に時間は掛かったのだとは思うが、
それでも大勢力2つ(3つ)を戦争で屈服させるよりは遥かに短かっただろうね。
朝日の前夫に5万石云々ってのはあんまり信憑性がないけど、
それとこの話とはあんまり関係ないね。
215 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 12:56:35.30 ID:cCvLinOE
つーか、最初から交渉の期間が分かっていて交渉始める訳じゃないから、
実際に掛かった期間がどれくらいだったかはあんまり意味が無いけどね。
216 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 13:06:19.94 ID:C3ay+Jj9
>>214 「秀吉が家康に何も強さや怖さを感じてなかったとでも?」
まずは、これに関しての回答を聞こうか
そして実質的に天下を取ったと言われている秀吉が
武力駆使ではなく屈辱的な懐柔政策で従わせなければならないような相手が
そして徳川でなくても懐柔政策をし散々待たされた挙句の上洛に
自ら出迎え頭を下げなけらばならないような相手が
他にもいたというわけだろ?
195 :人間七七四年:2011/09/18(日) 10:36:52.67 ID:C3ay+Jj9
>>194 バカか?
いつまでも臣従しない家康に兵をあげるぞと脅しを掛ければ済む事を
(すぐに倒せる相手だと思うならな)
しないであの手この手で懐柔政策に励んでいる惨めさをみれば一目瞭然だ
196 :人間七七四年:2011/09/18(日) 10:44:15.54 ID:cCvLinOE
>>195 家康は北条とも同盟結んでるんだよ?
ゲームじゃあるまいし、そんなに簡単に片付くわけないだろ。
もうちょっと全体の状況を理解するようにしなよ。
217 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 13:07:34.20 ID:C3ay+Jj9
206 :人間七七四年:2011/09/18(日) 11:43:18.02 ID:cCvLinOE
>>204 無理をして臣従させたって所だけを見てしまうと、
家康を倒すのは難しいと思ったから、って考えてしまうんだろうね。
ただ、九州や北関東の情勢を見れば、無理にでも潜在的敵対勢力の脅威を
取り除き、最優先で処理をしなければいけない問題があるって事が分かる。
これは相手が徳川でなくても同じ事。
なのにそれを無理矢理家康の力量と関連付けるのはあまりに無理がる。
218 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 13:15:33.93 ID:C3ay+Jj9
だから、
「秀吉はそんなに大した男じゃなかったって事を言いたいわけだね」としたわけだ
219 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 13:49:11.84 ID:d40+376D
そもそも、秀吉にとってなぜ北関東や九州が最優先事項になるのかね?
普通に考えれば、『直ぐ近くの脅威』(
>>214)が最優先じゃないの?
その手法が和睦と考える方が自然でしょ。
自分の足元も覚束ないのに、その先の先が優先とか、ちとオカシイ。
220 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 18:41:18.46 ID:j3yXo1rP
九州は大友の状況を考えれば優先順位では上位だろ
221 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 22:51:56.79 ID:d40+376D
まず自分の事。当り前の話。
222 :
人間七七四年:2011/09/18(日) 23:08:40.29 ID:mvJoJrV5
居丈高な奴と不勉強な奴の論争か
不毛不毛
223 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 01:11:14.78 ID:60vtq8yS
↑その両方を兼ね備えた馬鹿
224 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 02:38:23.72 ID:ItsgglU3
家康は強いが叩き潰せない相手でもない
でも戦は時間と金と労力がかかる
とにかく天下統一が最優先
その時々の相手と自分の力量も含めて、秀吉なりに計算して段取りしたんでしょうよ
225 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 04:15:46.57 ID:y8zzZjyM
天下統一の後、朝鮮なんか無視してフィリピン台湾あたりを攻めてたら日本は今頃大国として君臨してたかも
フィリピンなんか今頃普通に日本語が公用語だと思うんだけどな
戦争しないから正義とかはちょっと違うと思う
なおフィリピンあたりを攻めればヨーロッパと戦う事になるが軽くひねれるハズだ
226 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 08:19:14.37 ID:4FYQt6fz
光成が逃走に成功して大阪でもうもう一戦してほしかった。
227 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 08:51:27.13 ID:XXeUpUzw
毛利が古今未曾有のボンクラなので無理
228 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 08:58:56.34 ID:sQMdHlD4
>>224 要は
>>189って事だな
秀吉は戦として家康に負けて勝ったことがないし
秀吉でさえずっと厚遇しなければならなかった家康に
三成ごときがケンカをふっかけるとか馬鹿なことをしたとしか
229 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 09:05:39.65 ID:XXeUpUzw
230 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 09:07:53.67 ID:0XhiTc0Z
信雄がだらしなかったからだろ
豊臣VS徳川では徳川が勝っていたんじゃない?
231 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 09:16:12.80 ID:sQMdHlD4
アホなブログを平気で貼ってて恥ずかしくないか?
232 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 09:39:13.62 ID:oudZWJPH
信雄が講和した時点で戦の大義名分が無くなったからだろ
233 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 19:50:32.28 ID:D6zxuAKv
あれ?
最優先事項があったから、家康との和睦を急いだとか言ってた人がいたけど。
今度は、急ぐ理由がない、とか。
いったいどっちなわけw
234 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 20:08:50.97 ID:99jXDuh2
どっちが先に人質を出したか
それで分かるだろうがボケ!!!
235 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 20:16:46.13 ID:bIKtrAGy
>>234 秀康は双方が自身に有利な解釈をしていたけど
236 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 20:28:15.93 ID:KgV8549W
常識的に先に人質を出した方が負けだろ
237 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 20:30:43.38 ID:V8lMLWH1
>>216 > 「秀吉が家康に何も強さや怖さを感じてなかったとでも?」
> まずは、これに関しての回答を聞こうか
個人的には合戦で苦戦する度にいちいち強さだの恐怖だの感じていたらやってられないと思うが、
思っていたかどうかなんて分かるわきゃ無いわな。
ここで俺が言ってたのはあくまで、無理をしてでもあのタイミングで家康を
臣従させる必要があった理由についてだ。
他にきちんとした理由があるのに何故無理矢理家康が強かったからだの怖かったから
だの非論理的な理由付けをしたがるのか理解出来ない。
>>219 和睦はとっくに成ってるんだけど。秀康が人質になって。
当然秀吉が在国していれば家康が攻めてくるような事は無い。
あくまで秀吉が国を空けてしまった場合の危険を回避する為の措置。
大友は現実的に追い詰められているのだから、何を優先すべきかは明らかだと思うけど。
238 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 20:36:05.04 ID:qCyxSQut
これ以降の論戦は家康スレなり小牧長久手スレでやってください
239 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 20:40:01.11 ID:bIKtrAGy
三成は自分の味方以外の評価が最悪な人なんですわな
240 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 20:48:32.69 ID:D6zxuAKv
>>237 >>219は時系列の話をしてるんじゃないよ。
秀吉にとって、
・足元の家康対応
・遠方の大友救援
どちらが優先事項かという事。
無論、天下統一という大前段の目標を踏まえた上でね。
241 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 20:49:24.07 ID:+YdK6RE9
242 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 20:58:14.65 ID:0XhiTc0Z
意外に一番評価していたのは家康だったりして
243 :
人間七七四年:2011/09/19(月) 22:34:52.04 ID:bIKtrAGy
家康は秀吉以上に官僚の特性を理解していたからな
だからこそ秀吉の下では大きな権力を振るっていたが、
家康の下にいたら「只の官僚」になってしまうことを三成は
恐れたのかもしれない
244 :
人間七七四年:2011/09/20(火) 05:38:28.44 ID:Yz191Z3W
>>242 そういう事
本来は加藤らより石田を取り込みたかったが豊臣信者だし嫌われ者だから敵に回した方が得策と考えたんだろうけど、、、
関ヶ原後、自害せず生きたまま捕らえられた事を知った家康は(さすが日本の政治を行った男だ、恥でない)という事を言ったくらい
大名にしてもらったのに平気で裏切る加藤福島脇坂あたりの不忠者には呆れているだろうな
彼らのおかげで天下とれたのだが
245 :
人間七七四年:2011/09/20(火) 07:29:35.99 ID:6jtc1uQL
まあ味方についたといっても
家康はそういう人物を最後まで信頼する事はなかったからな
246 :
人間七七四年:2011/09/20(火) 12:02:24.48 ID:XcAPPEDE
逆に三成は信頼しすぎているというべきなのか
関ヶ原でも味方大名が内通しないかどうかの目付をまったくつけないでフリーパス状態にしているんだよな
吉川・小早川・果ては脇坂まで内通したくなる動機はともかく手段としてそれを繰り返しながら関ヶ原まで辿り着けた最大の理由は
三成に監視されているという心配がまったくなかったからであるのは間違いない
いつ誰がどこで裏切るか分からない戦国の真っ只中を生きていた家康と違い
秀吉という絶対的権威の下で育った三成は戦で寝返りを警戒する必要性がまったくない環境しか経験していなかったのが大きいだろう
247 :
人間七七四年:2011/09/20(火) 20:53:16.83 ID:IlqbkH7V
>>244 加藤等より石田を取込みたかったという根拠は何?
一次史料とは言わないからさ。
ちなみに、家康は加藤福島を豊臣忠義の武将として評価してるよ。
忠義が過ぎて逆に豊臣に害を成した、とまで言ってる(事になっている)。
248 :
人間七七四年:2011/09/21(水) 04:24:54.12 ID:VnWnd+jv
自分に天下とらせてくれたんだから誉めとかなあかんだろが(笑)
取り込みたかったという根拠ははっきり言って無いが江戸時代の制度として石田時代の制度とかなり共通している
なんの事はない
石田の政策をぱくっただけ
所詮三河の田舎侍どもがオリジナルの制度を考えられるはずは無い
それにしても石田加藤福島がもし初めから家康の家来なら重用されたのは三成だけと思う
ただし重用されても石高は5万石程度だと思うけどな
加藤福島らは侍大将が関の山
心底から見下していただろうな
こんな馬鹿どもを大名にさせるなんて秀吉はよほど人材がいなかったのかと
ただ三成には一目置いていたはずだ
249 :
人間七七四年:2011/09/21(水) 16:47:20.60 ID:4YcT0oRx
三成にとっては内府を倒すより加藤福島と仲直りする方が難しそう
250 :
人間七七四年:2011/09/21(水) 16:51:26.40 ID:2r8it4i3
石田時代とか石田の政策とかまるで豊臣政権の良い部分は全て三成の手柄みたいな言い方だな
そのくせ失敗した部分は全て三成以外の責任にしてしまう
おそらく三成本人もそういう振る舞いをしていたんだろう
手柄は独り占め・責任は現場に擦り付けでは蛇蝎のごとく嫌われたのも無理はない
251 :
人間七七四年:2011/09/21(水) 19:15:10.01 ID:iUozT6gL
福島はともかくとして、加藤清正が馬鹿だとはとてもじゃないが思えないが。
勇猛なら猪突猛進馬鹿だという評価なのかね?
息子や孫は確かに評価はよろしくないようだが。
ま、スレチだし人それぞれだしな。
252 :
人間七七四年:2011/09/21(水) 19:55:42.89 ID:UhzlpCBU
>>251 福島や加藤は今の基準に当てはめるとヤクザ相手でもやり過ぎるようなチンピラって見方だな義理や面子が何より大事で
全てに気付いた時には時すでに遅しのパターン
253 :
人間七七四年:2011/09/21(水) 20:18:22.38 ID:0isWWvoj
三成が余計な邪魔をしただけ。
豊臣滅亡の原因は、窓際に追いやられた三成の一発逆転狙い。
254 :
人間七七四年:2011/09/21(水) 20:39:53.39 ID:UhzlpCBU
>>253 徳川家康って腹黒狸が居れば致し方なし、婚姻にしても血判誓紙を忘れてただからな本来なら隠居レベル
前田利家が死んでなければそうなってるだろう、上杉攻めにしても帰れと勧めながらいい加減な報告進言で説明に来い
これ見てて座視したり、それでも徳川に付いた莫迦共は豊臣家に対する獅子身中の虫であり不忠者
255 :
人間七七四年:2011/09/21(水) 23:04:09.04 ID:JM2oV5Ba
上杉ってどれだけ戦う気があったんだ?
256 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 01:54:10.54 ID:Vvr3UHim
257 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 04:23:37.55 ID:G/ZriNWW
258 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 07:27:32.80 ID:XoR1AD/7
そうやって互いにバイアスのかかった見方しか出来ないから和解できずに潰し合い豊臣家の寿命を縮めたんだろうな
259 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 07:39:40.89 ID:yPQSH/T0
>>254 勘違いされがちだが前田利家は三成の味方をしたわけじゃない
死ぬ間際に家康に対面した時も逸話にある様なやり取りは無く
息子と前田家の将来を託しただけだったという
260 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 07:45:35.64 ID:d2j5QgNi
>>252 なるほど、豊臣にはチンピラと嫌われ者しかいなかったわけか
けど嫌われ者よりチンピラの方に付きたいな
261 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 09:00:39.60 ID:PhWsnRKn
チンピラに嫌われてる人はいい人ではないか
262 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 09:16:44.53 ID:d2j5QgNi
チンピラ以外にも嫌われてるだろ
263 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 17:58:28.17 ID:G/ZriNWW
よく三成は嫌われてるとか言われてるが本当にそうだったのか
戦に負けたから人格がどうのこうのじゃないのかな?
島ほどの男が惚れ込んだほどの男だよ
また北斗の拳の作者が日本一の武士の評価する直江兼継が石田三成と親友だった事実はどうなの?て感じ
秀吉を非難したいけど恩人だから無理
代わりに石田三成をスケープゴートしただけじゃんって感覚なのかいな
いずれにしても加藤福島など恐竜みたいな連中だな
264 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 18:54:54.03 ID:o6ktjhl+
日本一の武士がどの言葉にかかってるのかよく分からんが
直江兼続さんはぶっちゃけかなりの変人だよな
よく友人として上げられるけど石田ー直江間の私的な手紙って残ってるんだっけ?
265 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 19:33:07.24 ID:rewZTO0G
ない
石田と直江に謀議があったなんてのは完全に後世の創作
266 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 20:08:47.30 ID:eIB2hPA4
三成と直江が親友だったなんて某大河の作り話を本気にしてんの?
直江は関ヶ原では上杉家の事だけしか考えてないし
大坂では徳川に義有りで豊臣を滅ぼすのに一役買った男だよ
267 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 20:32:03.04 ID:G/ZriNWW
>>265 罪が及ぶ事を恐れて完全に焼却したんじゃない?
真田しか手紙を残してないところを見ると真田以外は徹底的に石田三成に関するものは焼却したのが実状
家康の息子秀康が三成の刀を残してるがそれは秀康が石田三成と仲良かったのと家康の息子だからもってても罪が及ばないだけ
真田がもっていたのは真田自体が石田三成の親戚で家族同然だったからにほかならない
石田三成嫌いでしられてる信幸も実は三成好き
せめて三成の手紙だけは後世に伝えようと寝ずの番を置いてその手紙を残したというほどだ
三成が全く手紙を書かなかったのは大嘘
268 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 20:36:28.88 ID:G/ZriNWW
>>266 関ヶ原での石田方への非協力ぶりに嫌気さして豊臣を見限ったという事
石田三成のいない豊臣などどうでも良かったのかも
お家大事という事もあるが
269 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 20:39:04.57 ID:eIB2hPA4
妄想もここまでくると呆れる
270 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 20:56:22.96 ID:o6ktjhl+
やっぱ直江との仲が窺い知れる物証はさっぱり無いよな?
まあ直江家が断絶してるから、最初から無かったのか途中で処分したのかすら不明だけど
271 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 21:46:05.72 ID:G/ZriNWW
全て処分したんじゃ無いの?
石田は滅び徳川様の世
石田関連の物がほとんど残ってないところを見るとな
そういえばベトナムの政府関係者が言っていた(歴史は勝利者によって作られる)
この言葉が全てだ
残念ながらな
272 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 21:52:22.65 ID:PRD3/1Fp
関ヶ原のとき、親友らしい大谷吉継に「お前は人望がない」って言われてなかったっけ?
それとも、都合の悪いことは全て「後世の創作」で済ませるのか?
273 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 21:53:11.94 ID:YY+PuJYK
274 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 22:45:12.28 ID:XoR1AD/7
直江と三成、互いの立場を考えれば全く交遊が無かったって事はあり得まい
関ヶ原での挟撃策は後世の創作だろうが
275 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 23:29:14.35 ID:yPQSH/T0
根拠のない親友という妄想はいくない
276 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 01:26:13.93 ID:APu3fFbM
石田と直江が親友でなければ豊臣は上杉に領土を加増するはずは無い
それどころかなんやかんや理由をつけて領土半減しかねなかったのにね
石田が豊臣に説得した以外理由は考えられない
その恩に報いただけだ
創作とか、、開いた口がふさがらない
ただ石田は敗者なので石田三成との関係する全ての記録を抹消したに過ぎない
ついでに直江家も断絶してるし上杉も血筋が途絶え徳川譜代吉良に乗っ取られてるし
そういう状況で石田三成関連を残せるはずは無い
よく記録がなかったからそういうのはなかったとか言うが勝者に抹消されたに過ぎない
秀康が三成の遺刀を残してるけど家康の息子だから堂々と残せたが外様ならそれだけで改易の対象ですよ
277 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 01:34:44.13 ID:APu3fFbM
嘘で塗り固めて成立した徳川幕府の事だ
正義(かどうかはしらんが)の旗を上げて挙兵した三成を徹底的に貶めるのは徳川幕府の常套手段だ
その一方で三成の血筋を徳川に受け入れるとか
本音と建て前は違うようだけどね
いずれにしても記録とか手紙などの物が残っていないからそういう事実はなかったと決めつけるのはいかがか
今の日本自体も石田三成のごとく史実をねつ造されて一方的に悪役にされてるのと同じ事
いい加減目をさませ
278 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 06:43:49.43 ID:3JAgn774
直江とは妄想親友アピで子飼い連中や秀吉まで貶めて三成マンセーとか
目を覚ました方がいいのはオマエの方だ
キモヲタがwwwww
279 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 06:58:32.75 ID:/5OCvVb/
>>276 そんな個人的理由で加増転封されるわきゃねえだろバカか?
蒲生が死んだからかわりに北と家康に対する抑えとして配置したに過ぎん
280 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 07:02:00.32 ID:50f8UqMk
都合の悪いことは全部他人のせいだの記録が抹消されただけだの
三成ヲタが三成同様毛嫌いされるのがよくわかるな
281 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 08:16:47.89 ID:7QzjfLbQ
史料を出せ
282 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 08:41:42.16 ID:Er46AJAw
もう読む気がしねえ
ここ数日の流れを三行ぐらいでまとめてくれ
283 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 09:32:59.66 ID:/5OCvVb/
信者も
アンチも
極端
284 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 09:49:28.18 ID:SSDpDBMR
昨日、BSプレミアで歴女がたくさん出て、
関ヶ原で西軍を勝たせるとかの番組やってたけど、
何か痛そうな女が多かった
285 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 11:47:38.87 ID:WtCtt9Ai
関ヶ原直前の石田と直江の書状なんて何通も残ってるぞ。
そもそも、上杉を秀吉に従わせるように交渉を行ったのが石田の最初の大仕事。
これに成功し、そのまま取次として上杉と深く関わるようになる。
石田は北条との融和路線を何とかして破棄し、上杉を関東取次にさせたかったわけだけど、
(北条の言い分が通る前に逸早く上洛して、北条の悪行を秀吉に伝えろと宇都宮に迫ってる)
折角、融和路線から一転名胡桃城事件で北条討伐となったのに
横から出てきた家康においしい所を掻っ攫われてしまったってのが、因縁の始まりだな。
ただ、上杉の取次という立場はその後も継続し、
毛利や島津らと同様に同国内の中央集権化を推し進めて来た。
彼らにとって石田=豊臣政権であり、石田がいなければ改革がままならないばかりか、
自らの国内での立場も危うくなってしまう。
逆に石田の立場が強くなれば、自国の改革も進み豊臣政権内での地位も向上する。
石田は景勝や直江、義弘、輝元と非常に親密だったが、
それは好きだの嫌いだのなんていう幼稚な話じゃなく、お互いの利害が一致していたという事。
286 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 16:22:25.81 ID:zhxFYi1N
>>285 何で石田=豊臣政権なんだ?
彼らからして見れば秀吉=豊臣政権だろ
石田はあくまで取次にすぎない
石田がいなければ他の人間が取次になるだけ
それに何で国内での立場が危うくなるんだ
豊臣家に対して変な行動しないかぎり大丈夫だろ
そもそも毛利や上杉が五大老になったのは
それまでの豊臣家への貢献によるものであって
石田は関係ないだろ
287 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 17:47:37.93 ID:nCGXXiFD
家康隠居状態の秀忠幕府じゃなくて
秀吉がアレやろうと言えば通用するし、明らかに秀吉=豊臣政権だわな
そりゃ報告時の石高の鯖読みはしてたらしいが、全大名を巻き込んだ朝鮮征伐を三成が主導したわけじゃないし
288 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 17:55:03.07 ID:QqYo4+Nd
> 家康隠居状態の秀忠幕府じゃなくて
実権は全部家康が握ってた
現に大御所様と全国の大名から恐れられた
289 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 17:57:46.88 ID:nCGXXiFD
うん。だから家康と秀忠を引き合いに出した。
秀忠って事実上のトップでしょ? でも実権なんてあんまない。
対して秀吉は事実上のトップでありながら、実権バリバリ。
あーでも秀吉も太閤になってるから俺の言い分破綻してるな
290 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 21:18:12.28 ID:HnE3kib8
>>285 石田=豊臣政権とか石田がいなければ改革がままならないとか石田厨の脳味噌は腐ってんじゃないの
別に石田がある日突然病気で死んでも豊臣政権は困らないから
いくら秀吉から重宝されようが石田はあくまでも代えのきく官僚の一人でしかない
291 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 22:54:56.58 ID:7QzjfLbQ
三成の代役は存在しない
292 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 23:28:19.88 ID:CuvseMOF
島津曰く肝心要の人だっけか
293 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 00:07:46.76 ID:ibbLCrd6
まあ少し前までは歴史にあんまり興味のない世間一般人の三成評価っていうかイメージは酷いもんだったからな
明智光秀や今川義元なんかもその類か・・
好きなら2ちゃんといえども過大評価?で名誉挽回してあげたくなる気持ちは分かる
人気漫画等を描ける才能があれば一番なんだけどね
井上雄彦の今川義元伝とか見てみたいw
294 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 00:17:25.64 ID:7w8MkBh2
いや加藤剛主演の『関ヶ原』の三成は忠義の士だったよ
295 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 00:24:50.64 ID:4uW52ktn
三成の能力はずいぶん再評価されてるが
同時に人としての問題が浮き彫りになってる
296 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 00:36:03.00 ID:ibbLCrd6
>>294 うん、あの司馬さんの小説がじわじわ効いてきたんだと思う
完全に自分の憶測だけど原哲夫もあの小説なりDVDなり見たんじゃないかって気がする
297 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 00:46:11.37 ID:4uW52ktn
俺も司馬遼太郎の「関ヶ原」で見方変わった1人だ
まあ今詠むとなんてことないんだが、当時の価値観で司馬氏ほどの作家が三成を主役にしたことに意義がある
298 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 01:01:22.21 ID:/479qDmj
シバリョは秀吉好きの豊臣好きだから必然だろ
299 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 01:02:51.65 ID:AN/ho3AU
司馬史観ならぬ司馬私観…
300 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 08:10:09.89 ID:goWCMkXw
三成史観
301 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 19:56:44.61 ID:L8RjZbUN
>>291 代役が存在しないというのは秀長くらいの存在じゃないとダメ
三成くらいなら別にいなくたって豊臣政権の体制に変化はない
三成はあくまで奉行の中で能力があったという程度に過ぎない
302 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 20:46:31.75 ID:Z1RQzfJk
秀長の代わりに三成が豊臣政権の柱石となったわけで他に誰も居なかったんだろ適任が
303 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 21:15:32.83 ID:goWCMkXw
能力は三成のが上だったと思う。人格は・・・
304 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 21:22:02.88 ID:brYaEPxv
秀長の代わりになったのは隆景とか利家であって三成なんかじゃなくね?
305 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 21:33:14.88 ID:Z1RQzfJk
>>304 表向きの面はそうかもしれないが実務取り仕切らせるには危険すぎてやるかだな内幕完全に晒すわけだし
それなら内府の専横も史実より速かっただろうしなぁ5大老5奉行の合議制が始まってから動き出した所を見ると
306 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 23:12:33.31 ID:eU/KF7Kk
三成ってそんなに豊臣政権を仕切ってたか?
家康の井伊直政のようなイメージないんだけどな
307 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 01:31:43.68 ID:F3IGkehC
>>133 その前に秀吉を騙して明と講和しようとした小西と石田が斬首だよ
秀吉を騙すとかマジでこのクズは売国奴だな
308 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 06:02:58.33 ID:888wR5Kx
↑
朝鮮人は大嫌いだけどあの判断は正解
むしろ秀吉が狂っていたとしか言いようがない
売国奴とかってアホかい
ただ日本が今も一億総右翼の国なら石田三成は極悪人扱いされきちがい秀吉加藤は英雄扱いされてたかと思うと複雑
昔の日本を否定してるわけでは無いけどね
309 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 06:12:44.00 ID:888wR5Kx
あの時点で大陸支配はあきらめ秀吉自身が諸大名に謝罪すれば豊臣政権は続いたかも知れない
秀吉自身が加藤福島脇坂あたりに徳川に味方せず石田三成らと協力して政権を(加藤も奉行に加える)運営させればさすがの家康も何もできなかったはずだ
さらに黒田を九州に遠ざけず奉行に加えれば安泰だった
これならいかに秀頼が仮に無能であったとしても豊臣政権はしばらく続いたかも知れない
310 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 12:07:51.03 ID:F3IGkehC
>>308 アフォか
何がアレで正解だ
普通、あんな売国行為、晒し首どころじゃすまされねぇよ
しかもそれのせいで第二次朝鮮征伐もやる羽目になったし
馬鹿が適当に擁護すんじゃねぇよ
無理あるぞ
311 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 12:35:32.64 ID:d4a909B5
唐入り(朝鮮征伐など色々呼び方があるが、その当時はそう呼んでいた)は
やっぱり誰かがそれを強く進言とかしたのかね?
312 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 13:18:24.24 ID:hV6eCV7l
>>311 唐入については明確に秀吉の責任
無教養故の愚行といえる
313 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 16:41:20.75 ID:F3IGkehC
アフォ過ぎて話にならんクズを擁護すると盲目になってマジで気持ち悪いな
そんな寝言は講和交渉に成功した人間に対して言う事だろ?
失敗して、秀吉大激怒させ、周りに迷惑をかけたんだから確実にクズだなコイツは
石田原理主義みたいな糞信者以外はみんなコイツをクズと思ってるから
314 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 20:52:41.40 ID:888wR5Kx
↑
悲しくない自分
315 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 20:54:53.13 ID:888wR5Kx
自分が一番くず
みんな思ってるよ
316 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 21:01:43.56 ID:888wR5Kx
>>310
やるはめになった←意味わかんねえ
石田三成がどう知恵を出そうと和平などありえなかった
秀吉があれだから
やるはめってどうしても避けられないわ
さすがに秀吉も激怒したが石田小西には何の処罰も与えなかったという事は容認したって事
それでも朝鮮征伐はやめられずという感じだろ
石田三成をどうしても悪人にしたいからってナショナルイズムを持ち出すなや
317 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 21:16:23.51 ID:F3IGkehC
>>316 頭に蛆でも沸いてんか?このクズ?
石田原理主義の教義だと石田のやる事は全て正義で絶対!!
マジで基地害だな
普通は止められねぇんだったら最初からでしゃばんなって話だろう
大体、石田らのせいで明に体勢を整えられ、日本の押せ押せムードに水を差したんだからな
あと、石田と小西が処罰されなかったのは
全ての責任を向こう押し付けたからだよ
口先だけの小物だよこのクズは
318 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 21:19:24.24 ID:F3IGkehC
石田と石田原理主義者は人間のクズで
この地球上で生きる資格無し
319 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 21:41:20.61 ID:Teof79i5
逆に黒田や加藤は処罰されてるしな
320 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 04:59:40.69 ID:vGSkmvWO
↑
頭でも湧いてるの?
つまらないナショナルイズム持ち出すな
仮にあのまま攻めこんで明まで占領できたと思っているんかい
俺は愛国主義者だがあの時代の日本では大陸を征服するなんてあり得ないわ
第一軍の大将だった小西が撤退しかないと判断したんだろ
加藤ら戦争屋とは違い三成らは目先より全体を見てるからそういう判断をしただけの事
島津攻めの時ですら決して余裕綽々ではなかった事を考えたら撤退は仕方ない
321 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 05:02:45.44 ID:vGSkmvWO
>>317
加藤清正のした事は全て素晴らしいという思考の持ち主ですな
加藤清正原理主義者
322 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 07:47:35.78 ID:dg47rPot
加藤清正は石田とは評価のベクトルが違うんで、
石田原理主義者程清正が正義だとは主張しませんよw
寧ろ石田と加藤を同じベクトルで石田を評価してるならそれは石田が無能だと言う証拠
323 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 07:50:53.86 ID:dg47rPot
加藤が評価されてるのは、石田の様な政略だけじゃなく、知勇剛健万能的に優れている所。
石田と加藤を同じベクトルで比べる事は無理ですよ
324 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 07:57:35.48 ID:dg47rPot
石田原理主義だと石田の行動全てが正しい
加藤だと実績のみの評価
そもそも比べるベクトルが違うんですね
325 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 08:11:08.75 ID:dg47rPot
>>320 何故わざわざこの日本で自らを愛国主義者と当たり前の主張をするの?
反日売国奴の石田の行動を少しでも正当化する為に愛国主義者と言ったの?
326 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 08:18:47.15 ID:dg47rPot
ごますりだけでのし上がった石田と
形ある者を残し、知勇剛健万能を実証した加藤清正。
評価のベクトルの違う加藤を貶しても、石田の評価は微塵足りとも上がりません
327 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 08:23:43.14 ID:dg47rPot
>>320 松下イズムw
加藤には【ナショナリズム】は有りますが、石田にはどちらもないですねw
328 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 08:27:12.57 ID:dg47rPot
秀吉を騙すくらい朝飯前の石田と秀吉を信じた加藤
329 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 08:31:25.38 ID:dg47rPot
蒲生や利休、秀次粛清も、全て石田が秀吉を騙して仕組んだ事ですね
だって秀吉を騙すのなんて朝飯前ですもんね
330 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 08:35:27.12 ID:dg47rPot
関ヶ原を見ても二枚舌のスキルだけは素晴らしいですね
でもそれだけ
二枚舌だけじゃ誰も信じません
石田の本心を見抜いている者には利かなかったのがその証拠
331 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 08:42:31.45 ID:dg47rPot
評価しても突っ込み所満載の石田と、直接的な評価の加藤。
石田程度じゃ、実績ある加藤を貶すのは到底無理な話ですね
332 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 08:51:20.84 ID:dg47rPot
無知で馬鹿な者程、石田を評価する
それも過大に
石田の周りで起きた事と結果を時系列で冷静に分析すれば、石田を正当化する理由など皆無
だというのが分かるのにも関わらず
333 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 08:56:26.43 ID:dg47rPot
石田の評価すべき点と、そうでない点をきっちり評価したら
職業ごますり。
それだけに尽きる
ごますりを評価する事に対しては別に否定しないけど、有能かどうかと聞かれれば首を傾げるしかない
334 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 09:05:04.83 ID:dg47rPot
人として見たら醜い心の集合体なのが石田
良くも悪くも人間らしいのが加藤
335 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 09:11:45.94 ID:dg47rPot
石田原理主義以外の石田ファンには痛烈なレスが連続して辛いけど、それは仕方ないよ。
結果が全てだし
寧ろ自分は、石田を評価してるんだよ
汚くてずる賢くてごますりの石田を
336 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 09:26:53.39 ID:dg47rPot
石田は今も昔も嫌われる存在
仕方ない。
事実だし
石田を評価する。そんな世界はパラレルワールドにすらないよ
337 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 09:39:42.04 ID:IUtrZD5N
三成に小早川の裏切りで漸く勝てた家康は
よっぽど無能だったんだね。
338 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 09:44:32.91 ID:TqlBvwjk
また一人バカが湧いてきたよ
339 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 10:19:26.93 ID:A3vw969q
結局このスレには三成検定受ける人いる?人集まるんだろうか
わざわざ行く程の石田ファンじゃないけど、会場増やしたのに人が集まらなかったら悲しいな
340 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 11:14:44.19 ID:/Ug+3Mb8
>>337 裏切りではなくて元々東軍に付きたかったのを三成が脅して嫌々西軍にしていただけでしょ
東軍の小山評定のように家康に味方したければ江戸にいっていいよと最初から言っておけばすむ話だった
341 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 17:48:35.05 ID:Lqlg1AOT
三成「君達はいつもそうだね。事実をありのままに伝えたら決まって同じ反応をする。わけがわからないよ。」
342 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 19:11:08.78 ID:TqlBvwjk
>>340 そんな器量、三成になんてあるわけないじゃん
加藤福島の気持ちがよくわかるわ
343 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 20:49:16.07 ID:vGSkmvWO
同じ人間が書いてるのかと疑いたくなるアホな文章
悲しくないかな自分
熊本か名古屋の人間か知らないけどいい加減やめたら?
いくら石田三成をおとしめても人気が上がっていくのは止められないよ
ま加藤なんざドラマではほとんど出てこないのでひねくれるのはわかるけどね
344 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 23:44:00.06 ID:MJMxx1S5
アイドルの人気比べじゃあるまいし、そんなこと考えてる
>>343が哀れでならない
345 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 00:15:10.40 ID:UYXMzrKx
このように、事実よりもドラマに影響されるのが石田原理主義
幼稚な人間に好かれる、それだけで石田の底の浅さを伺い知る事が出来ますね
346 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 00:19:24.85 ID:m5atpQNi
ゲーム脳っつうか、ゲームキャラの石田に侵されてんだろうな
347 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 04:20:31.77 ID:NGRPHQ3C
最近また石田三成アンチが石田三成を貶めるため沸いとるな気持ち悪い
しかも売国奴とか言うてナショナルイズムまで持ち出して、、
いけいけどんどんの日本軍の勢いを止めたとかいう意見があったがあいた口がふさがらん
加藤らが独断で次々に戦線を拡大したため兵糧が寸断、さらにチョンのゲリラ攻撃(それに加え日本軍にやるくらいならという理由で自ら街を焼き払うとか)、さらに明が大軍をもって参戦、戦い続けるのは不可能だったから講和に踏み切っただけ
全て石田三成を貶めたいだけの幼稚な人間ですな
石田を叩く前に色々彼の事を調べな
348 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 07:38:25.19 ID:FPycp9Gg
>>340 無理やり仲間に入れておいて「裏切られた!」はギャグだよなー
監視つけとけよ
349 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 09:24:23.72 ID:nMGAtgHR
そこが頭でっかち(掛詞)なんだろうw
350 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 12:46:34.77 ID:UYXMzrKx
>最近また石田三成アンチが石田三成を貶めるため沸いとるな気持ち悪い
アナタが一番気持ち悪いのは分かりますね
>しかも売国奴とか言うてナショナルイズムまで持ち出して、、
実際、石田は売国奴だし、あとナショナルイズムってなんだい?
>いけいけどんどんの日本軍の勢いを止めたとかいう意見があったがあいた口がふさがらん
日本軍は連戦連勝なんですね残念
>加藤らが独断で次々に戦線を拡大したため兵糧が寸断、さらにチョンのゲリラ攻撃(それに加え日本軍にやるくらいならという理由で自ら街を焼き払うとか)、さらに明が大軍をもって参戦、戦い続けるのは不可能だったから講和に踏み切っただけ
唐入りのルートを探るが独断って、独断独善は石田の専売特許ですよ
兵糧寸断て何?勝ってるのにどうやったらなるの?
そんな史料あったら見せて
あと奴隷チョンは解放してくれた日本軍に動向してるんだなコレが
慶長の役ですら完璧に明の大軍を殲滅撃退してるし。
>全て石田三成を貶めたいだけの幼稚な人間ですな
何故事実を指摘したら幼稚になるの?
幼稚なのはアナタの脳内だけで十分でしたね
>石田を叩く前に色々彼の事を調べな
調べれば調べる程ボロが出てくるんですね残念ながらw
351 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 14:16:23.54 ID:hHjrneVk
352 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 14:33:37.95 ID:UYXMzrKx
反論出来なくなると人格攻撃
テンプレ通りの最低な人間のやる事ですね
石田同様、小物過ぎて虚しくなります残念
353 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 14:49:28.38 ID:M3MzBub6
毎回思うけど嫌いなのによく来るなw
そうじゃなくても治部以外の話が多いスレなのに
354 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 16:01:01.55 ID:I2UX++PQ
何の史料だ?
355 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 16:54:07.55 ID:UYXMzrKx
>>354 加藤のせいで兵糧寸断したという史料ですよ
売国奴石田が秀吉を欺いた欺瞞外交は史料にありますが
356 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 17:53:54.18 ID:AdZhxiOH
熊本はド田舎だから加藤清正を持ち上げるくらいしか自慢出来る物無いもんね
357 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 18:48:28.57 ID:UYXMzrKx
反論出来ないと、人気がどうとか地域がどうとか
幼稚だからこそ、このような発想しか思い浮かばないんですね
哀れですね
石田原理主義。
そんな哀れな人間が最後にすがり付くのが石田というしょうもない人間
お互いしょうもなく最低だから引かれ合うんでしょうねw
358 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 22:59:51.34 ID:TuZZm+Sq
横からですが・・・
いやいや、加藤も石田も最低どころかどちらも優秀な人物だと思いますよ!
身一つから、万の数の人間を使う立場に上りつめたわけですから。
とりあえず加藤(武断派代表)と石田(吏僚派代表)は対照的な人物(と推定されます)。
信者同士、相対評価で上げ下げし合ってるのを見てるのものどかな感じで面白い。
私は加藤石田両方好きですけどねw
359 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 23:34:43.74 ID:M3MzBub6
他のスレと比べても人を引きつける力はあるな
良くも悪くも
360 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 00:18:11.67 ID:R8Y8D3PQ
前田利家存命中は加藤石田同じ陣営だったのにね
361 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 01:04:00.09 ID:WSGJKyEY
晩年の前田利家は覚醒してた
362 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 01:22:37.24 ID:PODiTDTZ
>>360 むしろ、加藤福島が別陣営である事に意味がある。
363 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 06:27:25.51 ID:1nopCQwW
>>359 三成には人を引きつける力は皆無だけどな
364 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 06:30:02.48 ID:BNH305jt
>>363 西軍に味方した諸将は武士の鑑、東軍に味方したのは欲に狂った不忠者
365 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 09:13:04.07 ID:DZDyqpAu
>>364 無理やり西軍にされた連中がかなりいるんですが…
366 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 09:57:26.18 ID:f7ptgfJc
石田に外様が多く付いた事をみれば
この人が優秀だったことがわかる。
むしろ、人を引きつける魅力は有る方でしょ。
反目してるのは自分の無能を棚上げし
妬み嫉みを抱く馬鹿ばっか。
そいつらが家康に札束で横面叩かれて
主家を見捨て我欲に走ったというに
なぜ、三成が叩かれるのか理解不能。
徳川史観に騙され続けてるアホが
いまだに生存しているのはお笑い。
367 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 10:06:06.47 ID:xmvN8H88
>>366 司馬私観どころかゲーム私観かw
多くの外様が「石田」に付いたとか笑わせる
それと石田が餌を何も与えてないと思ってんの?
368 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 10:12:25.71 ID:KJsDvxMg
もう許してやれよ
無能嫌われ者三成崇拝者=ニートなんだから
369 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 10:56:34.47 ID:1+KVxncC
682 名前:人間七七四年 :2011/09/28(水) 10:51:29.48 ID:f7ptgfJc
>家康の天下取りは我々現代人に多くのことを教えてくれる。
無能でも運と悪意があれば天下をとれるかもしれない。
>幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
強い相手にはひたすら土下座
>武田信玄との対戦。
無能丸出し
>小牧・長久手での熟練した軍略。
たまたま油断して寝ていた弱い相手に不意打ち→これが野戦の名手な ら信長秀吉は神
>豊臣政権下での着実な勢力伸張。
実際何もしていない。悪運のみ。しいて言えば怖い秀吉の顔色を伺い 北条を見捨てる律儀物。
>そして文句なしの関が原での勝利。
根回ししまくったのに紙一重の大苦戦。
>天領400万石の圧倒的な徳川幕府。
今までの土下座人生からの反発、弱い物イジメへと豹変。
>天下泰平250年。
まさに閉ざされた日本の暗黒期
>江戸は世界最大の都市の一つとなった。
徳川がいなけりゃ、もっと栄えた。
>東京が首都となったのも、家康が始原。
秀吉のおかげ
>死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。
土下座してれば、いつかは僕も、ニートの憧れ
何
>>350の猿真似してんの?www
370 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 11:01:56.57 ID:KJsDvxMg
371 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 11:37:22.92 ID:yuKYLAqA
>>366 外様をどう定義しているかは知らないが、政権運営に一切関与しない&子飼い取立てではないという条件だと
石田について真面目に戦った外様なんて真田・立花くらいか
でもこいつらも場合によっては子飼い扱いされているし
島津は伏見入城を拒否されて西軍に組み込まれたただけで関ヶ原でも石田と揉めていたから違うだろう
もしかして石田について真面目に活動した外様なんて実はいないんじゃないか?
372 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 13:30:17.68 ID:4fMbyDRR
忘れ去られている武将と比べてもいい扱いだな
最近じゃゲーム等で若い人にも馴染みがある
373 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 15:27:27.43 ID:f7ptgfJc
普通の頭なら外様と子飼いの線引きくらいできると思うが?
それと真面目に活動とか言ってる時点でダメだね。
無理やり組み込まれたとか言ってるヤツも同じ。
要は西軍として旗を揚げさせたことが最重要。
一旦旗を揚げたらどうなるかの当事者認識は
おまえらの妄想と違うんだよ。
上杉と謀り毛利を総帥として大坂まで引きずり出し
数では東軍を凌ぐほどの兵を集めた手腕こそ
評価されるべきところなのに。
当の家康が評価してんのにおまえらアホだけがずれた視点で
物言ってるだけ。
374 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 16:00:10.04 ID:WSGJKyEY
上杉と謀ってたという証拠はないのよね。実は。
上杉と石田の文書のやり取りは現在、石田が挙兵してからのしか確認されていない
真田昌幸に「なんでもっと早く誘ってくれなかったんだボケカス」と言われる石田
このように、西軍挙兵までは徹底した機密保持をしており、石田三成を評価するならそこだろう
小説ならば「上杉(てか直江)が京都にいたときに石田と謀ってた」と書けるけどさ
だったら上杉さん、意地でも関東に攻めてるよね
北の方に行っちゃって、西軍の援護全くして無いじゃん
375 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 16:10:34.35 ID:ZoJ6whVf
もし石田と共謀はなかったとしたらなんで家康と戦う為、領内守備強化をしたのだろうか?
そこがさっぱり分からんのだが
376 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 16:21:41.86 ID:xxOMN+zF
石田の戦での功績って
無意味な戦いをして半日も経たずに大敗した以外に何かあるかな
377 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 16:45:21.75 ID:li223YaW
石田三成の復元した顔みたけどキモかったー
何あの化物…
378 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 17:02:33.08 ID:4e0muxkp
ちょっと琵琶湖一周で2日放置しといたらこの有り様
なんか気持ち悪いな
379 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 17:33:58.57 ID:f7ptgfJc
前田の前例が有り、家康が火を点けまくっているという時期に
上杉と謀り事はなかったと考える方が不自然。
380 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 18:14:55.12 ID:IArBNC1c
>>373 大軍集めたって言ったってなあ
内部の統制が効かずgbgbになった挙句裏切りを出して負けてちゃな
家康が評価してたのは行政家としての手腕であって煽動家としてじゃないべ
381 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 19:28:20.57 ID:yuKYLAqA
家康が評価したというのは小説の類の創作話であって
史実として家康が評価していたなんて証拠があるわけではないのだが
382 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 19:31:07.34 ID:c/uPCGQS
>>377 三成はイケメンじゃないの?
ショボーン(´Д`)
383 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 19:35:59.53 ID:DZDyqpAu
家康がやはり処刑前の三成に会った際、「このように戦に敗れることは、古今良くあることで少しも恥では無い」といった。
家康も「三成はさすがに大将の道を知るものだ。平宗盛などとは大いに異なる」と嘆じた(『常山紀談』)
384 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 19:43:16.81 ID:aPqSOg0w
385 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 19:57:35.22 ID:DVqKw6Vr
反論出来ないと、カトーガー、トクガワシカンガーと喚き散らさないと評価出来ない人間が石田ですね
386 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 20:04:32.58 ID:yuKYLAqA
>>383 常山紀談は関ヶ原から150年以上後に創られたものだぞ
同時代の信頼に足る一次資料に家康が評価してたなんて記述があるわけではない
もっとも戦国時代の逸話なんて後世の創作が大半だからそういう縛りを付けちゃうと無味乾燥な話しかなくなってしまうけど
387 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 22:08:29.95 ID:WSGJKyEY
だいたい、敗将を目の前にして罵るなんて、家康のイメージダウンでしかない
三成を誉める展開にすることで家康の器量の大きさを強調、としか俺には思えないが
しょせん家康神話作りのダシでしかないのに、真に受けちゃう人って
388 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 22:51:04.05 ID:WBCeZd97
徳川の捏造だな
389 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 23:01:08.14 ID:DZDyqpAu
常山紀談の作者は岡山藩の儒学者ですが
390 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 23:08:30.88 ID:WSGJKyEY
常山紀談で書いてあるから事実(キリ
なんて阿呆がいるなんて、釣りだと思ひたい
391 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 23:39:53.83 ID:DZDyqpAu
そういうのがあるというだけなんだがね
392 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 00:09:07.24 ID:3k/DCKY+
涙は拭けよ
393 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 03:31:42.71 ID:DvEjIVHh
いずれにしても家康には信長秀吉などのカリスマは感じられない
番長の金魚のふんのごとくついて行ったら気づいたら大勢力に成長
秀吉が急に生意気になったので潰しに行ったらとてもかないそうに無かったので再びパシリに
秀吉が馬鹿になったのをいいことに再び野望をもったら加藤らがホイホイ付いてきたので天下を狙いにいったら取れちゃったって感じか
後醍醐天皇と同じレベルにしか見えない
394 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 03:34:58.49 ID:DvEjIVHh
>>386 武田上杉の一騎打ちなんか実際あったの?って感じだしね
ある程度は事実だがけっこう尾ひれついたりしてると思う
家康のウンコもらし事件は真実
395 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 04:25:40.43 ID:3k/DCKY+
信長のカリスマとは恐怖。だから何度も裏切られ挙句殺されるバカ
秀吉のカリスマとは金。だから死んだらほとんどの大名「ハイ、サイナラ」
396 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 07:10:14.62 ID:MPp3pv1A
清正公に政治で負けて豊臣政権から追放された雑魚でしょコイツはw
そして家康公に何度も土下座して命乞いして助けてもらったにも関わらず、
自らの野望のために命の恩人である家康公に反逆する始末。
口だけだから当然、最後はみんなに見捨てられてざまぁないなw
まっ因果応報って感じだなw
世間では家康公や清正公は全国でも偉大なのに、
コイツはみんなに迷惑をかけ混乱に陥れた大罪人。
大罪人であるコイツを崇拝する糞共は、犯罪者や、その予備軍だろうなw
397 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 07:22:05.04 ID:VV4JNsBW
コイツの子孫は奇跡的に助けられ幕府によくして貰ってるのだから
家康に感謝しなきゃな
これが信長や秀吉だったら一族諸共、磔の上、串刺しだっただろうな
398 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 11:02:37.85 ID:dCJlpbAD
>>395 一番迷惑なのは秀吉死後の豊臣家の連中が秀吉は金に代えられない物凄い恩義を与えたと本気で勘違いしていること
だから金の切れ目が縁の切れ目でサヨナラしようとしても延々と付きまとって
太閤の素晴らしい恩義に報いろと平然と言ってくる
それでも散々甘い汁を吸った連中に言うならまだしも朝鮮でボロボロにこき使った連中にも無思慮に言うからたちが悪い
織田や徳川の場合はそういう未練がましい強請りがないから権力がなくなっても残しておける余地があるが
豊臣は滅びるまで言い続けるから諸大名にとっても滅ぼすしか選択肢がないんだよね
399 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 19:53:09.08 ID:Bc7RkMCl
秀信みたいに小大名で満足すれば良かったのに
400 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 23:23:43.56 ID:DvEjIVHh
>>396 加藤を評価してるのは熊本の田舎もんと名古屋の一部だけ
ちなみに長浜の豊国神社では加藤の銅像があるが加藤を誉めている人間にあった事は一度もない
ちなみに中学一年の時、祭りの時、7本槍の行進で加藤役を演じた事があるがそんな俺でも加藤は好きになれん
所詮はグレン隊
ちなみに長浜でも昔は石田三成は人気なかったが今では英雄扱い
彦根でもそうなりつつある
妬むなよ加藤厨
401 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 23:36:38.10 ID:37f5g6AC
長浜って割と昔からひっそりと三成慕ってたのかと思ってたわ
402 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 23:48:25.24 ID:M0fkeNQf
歴史は勝者の立場で語られる。
原爆投下もアメリカの立場からすれば戦争を終結させる(これ以上損害を出さない)ための手段として肯定している。
少なくとも大戦直後では世界的に肯定していた。
しかし敗れた日本人には昔も今もそんな感覚はない。
三成が英雄扱いされるようになってきたのは、歴史研究が進んで偏った見方が修正されつつあるからだろう。
三成の大義と家康の大義を比べてもどうしようもないが、家康の大義を肯定する立場で固定された歴史を、違う視点で冷静に見つめなおすべきだよ。
403 :
人間七七四年:2011/09/29(木) 23:58:28.76 ID:75QPeP5R
英雄ではないと思うケドね。
過度に持ち上げるのはどうだろ。
豊臣に尽くした忠臣であることは間違いない。
404 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 00:02:59.51 ID:ShlnNErS
>>402 家康のやった行為を現代に当てはめると会社乗っ取って、軒皆連れて新会社立ち上げて乗っ取った会社潰して自殺させたって感じか
今なら相当な非難受けるだろうな
405 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 00:04:08.62 ID:oD2tb7Qu
人生は長いわけで、歴史を知ってるわれらは、1つの行動でその人の評価にしてしまいがち
石田三成も加藤清正も、年齢を重ねるごとに違った面を見せているので俺には面白いけどな
>>400 長浜近郊は三成の地元。近年ようやく評価されつつある三成は人気が出て当然
清正は江戸時代以降出生地尾張でも人気が高く、熊本は当然で、清正の死後改易された先の山形鶴岡でも人気が高い
2人は仲悪かったんだから片方を贔屓すれば片方は当然人気なかろう
キミの意見は幼稚すぎる
406 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 00:20:24.09 ID:HA+yzFAj
>>404 家康の功績は戦争のない江戸時代の基礎を作ったってことだけ
それまでの行為は裏切りが多くて褒められたものではないな
407 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 04:09:29.88 ID:8t0TlwKJ
石田三成はブサイク過ぎる
408 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 06:23:57.99 ID:qiXI0Cxq
加藤福島らの三成襲撃事件はあまりにも幼稚で馬鹿すぎる
それ以前に三成らが家康を暗殺しょうとしたとあるというが家康側のでっち上げ説もあるしいずれにしても加藤らの行動はほめられたものでは無い
それにしてもあえて家康に飛び込んだ石田の判断はすごいと思う
黒幕の元へあえて飛び込むとは勇気のある行動だな
加藤らよりはるかに男らしい
島や大谷や直江、津軽らが惚れ込むのも頷ける
にしても気にいらんのがその後の処置
三成隠居は当然として加藤らの処罰無しは有り得ない
両者とも切腹でもおかしくない
忠臣蔵を見る限りね
409 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 06:31:44.31 ID:t7BGt5Hg
三成襲撃が成功してたら、関ヶ原は起きなかったし、
徳川の急速な強大化も有り得なかった。
豊臣家にとっては、三成に死んでもらった方が、後に生き残れた。
加藤福島の方法はともかく、狙いは正解。
所詮、家康の手の平の上、って事だね。
410 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 06:55:03.79 ID:wUlJ2D6R
>>408 島は当時の三成からすりゃ破格で無理やりに雇われ
大谷も三成の性質は気に入らなかったが明日をも知れぬ身だからこそ
大海に挑むなどバカな事を仕出かそうとする三成についたに過ぎない
そもそも直江が三成に惚れ込むなんてなんの根拠もないのだが
411 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 07:08:59.14 ID:3AtIEFir
>>408 都合の悪い事には一切答えず、詭弁で論点をはぐらかして無理矢理石田を肯定とは惨めだね。
厚顔無恥とはこういう事。
もう無理だよ。クズである君の叫びは一銭の価値すらない。
君がどう足掻いても、現実を直視しない限り、君も石田もクズである事には変わりない。
いや、石田は最初からクズだったか。
現実はゲームやドラマみたいに理想だけでは語れないからね。
君が史実を冒涜して作られた人気に踊らされた哀れな情弱で、そこから君の理想の石田像を作り悦に浸るのは勝手だけど、現実はそう甘くない。
人は似たような環境や境遇の対象に自己を置き換え投影するきらいがあるけど、君は同じクズである石田に自己を投影してるね。
だから石田が否定されれば、自分の存在を否定されたと過剰に反応して、クズらしく短絡的で幼稚な一面がレスを見ても分かる。
仮に石田の評価が見直されても(史実を改竄して美化でもしない限り有り得ないけど)、人間のクズである君がこの社会で評価される事は不可能だよ。
君が人生を詰んでる事には変わりはない。
自覚の無い人間に言っても時間の無駄だけど、史実を無視して、石田みたいなクズに心酔してる時点で君の人生は終わり。
412 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 07:24:43.48 ID:ShlnNErS
極端なヤツだな、非の打ち所が無い完璧な人間が世の中に居るはずも無く誰にも多少の非はある
だがな、結果として天下取り人の道に劣り臣下の道理をも踏み外した徳川家康に真っ向から対抗した点だけ見ても評価するべきところはある
413 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 07:39:00.47 ID:wUlJ2D6R
あの状態で豊臣政権が続くと思ってる方がおめでたい
戦国を揉まれた力のある男が後の天下を目指さないで何とする
時勢や空気の読めない三成はそれに手を貸したってやつだ
これで万が一にでも徳川を倒せば三成が野心を剥き出しにしてくるだろうよ
それこそ世の中は終わりだ
414 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 07:44:39.91 ID:aUrRcZAI
復元像見た?
見かけもそうだが、性格も最悪
あんな男に何が出来るんだよ
今までは秀吉がいたからいいものの、どの大名も付いていかんて
戦国時代再びだよ
415 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 08:35:20.22 ID:wUlJ2D6R
どちらにせよ単なる茶坊主だったのを秀吉に取り立てられ大名にしてもらった三成と違い
家康に秀吉亡き世の豊臣家にまで義理を果たさなければならんような道理もない
416 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 08:39:26.74 ID:ShlnNErS
>>415 頭おかしいとしか言いようが無いな完全に狂ってる、なら臣従せず敵対して後北条家のように滅亡してればよかったんだ
417 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 08:56:29.34 ID:VjcaMWz4
なるだけ勝てる状況を作り出してから戦うのは当たり前
負けると分かっていながら戦うのは確かにパッと見はかっこいいがよほどの理由でも無い限り家を破滅させ家臣や家族を路頭に迷わす愚行だわな
418 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 09:21:35.71 ID:VHihcuKn
>>416 狂ってるとか馬鹿か
現代の価値観で物を語るなよ
419 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 09:43:20.62 ID:l/jrVj65
妄想乙
420 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 11:40:11.79 ID:l/jrVj65
卑怯とか理不尽とか汚いとか臭いとかは
寧ろ誉め言葉だぞ。
家康からそれを取ったら
ただのジジイだろ。
421 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 15:20:14.06 ID:yV8hZh0/
汚い臭いは三成じゃん
あれは絶対に歯周病だね
422 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 15:31:13.21 ID:As2yFWjU
秀吉も三成に会ったのが運の尽きだな
身の程知らずの告げ口屋で、内部であんなに揉める原因を作るは失策はするわでな
423 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 15:40:57.85 ID:8jwwmUol
昔は歯を磨く習慣もにく歯周病を治す事も不可能だったから
強烈な口臭に相当悩まされたと思われ
それに関して何か記録が残ってないかな
真田幸村が歯が全部抜けたという手紙ぐらいか?
424 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 19:48:05.10 ID:qiXI0Cxq
相変わらず三成批判してる連中がいるね
三成に遥かに及ばない能力の連中がこんなスレで愚痴りまくり
虚しくないかな
ちなみに長浜市では今度は市をあげて三成大河に動きだしたらしい
隣の米原も三成贔屓だし青森も動けば決まりだな
彦根も井伊の妨害も虚しく石田三成に動きつつあるしね
一方で加藤大河の可能性は0%も同然
残念ながらNHKがチョンに乗っ取っられてる現実を考えればね
チョン成敗しか取り柄ないからな加藤
425 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 20:01:57.60 ID:zuCWiFVg
三成主役の大河、あるとしたら10年は先だよ
あと彦根を一々巻き込むな
426 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 20:23:40.04 ID:qiXI0Cxq
最近彦根でも石田三成押しを感じる
ちなみにこの前、彦根城内で石田三成のカッコして写真とる(無料)イベントがあったので石田三成にとって扮してきた
ほかにも三成イレブン(期間限定)という博物館もやってるし
また数年前はほとんど誰もきてない(自分以外は)佐和山城にも最近では必ず登山客に出くわすしね
哀れ井伊
427 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 20:54:51.98 ID:wUlJ2D6R
428 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 22:32:30.37 ID:31X6L+rm
バカ毛利がすべて悪い
輝元のせいで三成の戦略は崩壊した
429 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 22:45:44.15 ID:K+lZMTK1
三成オタって、単に三成を持ち上げるだけならまだしも、一々他武将を貶めないと気がすまないんだね
三成と同じで性格悪そう
井伊は三成なんかの後釜で彦根に入らされて気の毒
井伊家は石田なんか足元にも及ばない名家だし、直政は大政所をメロメロにした超イケメン
430 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 22:46:08.60 ID:k87xVSV5
馬鹿を信頼するのが悪い
431 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 23:49:40.21 ID:IukgtN3r
>>429 豊臣贔屓の司馬遼太郎をして
「直政の人柄にはどこか、のちの英国貴族のような気配がある」と評しているからな
色々問題有りの三成と比べるのもおこがましいね
432 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 23:50:09.39 ID:31X6L+rm
チョン毛利厨相変らず必死過ぎワロタ
433 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 00:16:00.62 ID:r4gmXqi/
石田も井伊もどちらも嫌いだから、どうでもいいんだけど
ささいなことで部下を殺しまくるのは、それはそれで問題ありだろ<直政
上には弱く、下には強くでるタイプというかな
434 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 00:16:20.31 ID:dEUBUEwt
そもそも輝元に命令する権限も無いわけで
権力に関しては、秀吉あっての三成だからな
435 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 00:17:47.58 ID:dEUBUEwt
>>433 直政は上に対しても同僚に対しても容赦ない人だけどな
436 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 00:21:28.76 ID:r4gmXqi/
容赦なくても、同僚や上司を殺してないだろ?
自分も首が飛ぶか、腹切らざるをえないわけで
殺しても安全な部下だけ殺すっていうのはな・・
437 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 00:26:23.02 ID:8UzJIx6D
>>436 部下には自分と同じような奉公振りを求めて厳しくなるのだろうが
自分自身に一番厳しい人だからなぁ
つか、誰のスレだよw
438 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 00:33:25.48 ID:mF2rx99Y
19万石で250万石に挑んだ志には動かされる。無謀といえば無謀だが勝算はあった
439 :
431:2011/10/01(土) 00:35:31.58 ID:tBNh2uV6
>>436 一応、司馬はその本の中で
「刑罰を多様しつつも、陰湿な性格や行動がなく
そのため畏怖されても嫌われることがなかった」としているんで
440 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 00:50:37.14 ID:eV4CU2li
>>435 家康以外には結構容赦ないよな
けど他の大名とも懇意で助命嘆願に奔走したりしてるからな
ところで三成はどういう所が嫌われたんだ?
441 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 00:54:01.25 ID:dEUBUEwt
>>436 漫画と同じ感覚で考えてるんじゃ話にならんわな
もちっと勉強しろよw
442 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 00:54:44.85 ID:n6Gacbos
>>438 関ヶ原に居なかった別働隊入れると東軍の倍くらいになるからな見切りつけさせて本体に合流させとけば
小早川脇坂朽木の裏切りあっても勝ってたかもな立花宗茂とか4万の規模だし
443 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 01:03:22.25 ID:8UzJIx6D
戦には駆け引きが大事だな
444 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 01:10:46.35 ID:lPaBnpEr
英国貴族の気配って一応司馬なりの褒め言葉なんだろうが、
なんかある意味司馬の欧米コンプみたいなものも感じるな。
その文脈の前後を読んでみないと分からないが。
ま、スレチだからこの辺で。
445 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 01:18:13.73 ID:eV4CU2li
>>444 身柄を預かる事になった死刑囚の石田三成に対する対応など
446 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 01:19:45.52 ID:eV4CU2li
ググッたら出てきた
447 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 02:46:03.24 ID:lPaBnpEr
>>445 英国紳士という意味か。
それなら今でも普遍的に使われている言葉だな。
サンクス。
448 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 08:34:46.61 ID:UGUswN+E
前々から指摘されてるが
三成の中傷してんのは
毛利厨だけ。
輝元が自分の我欲で
領土拡大を図ってたからな。
そもそも立花らの戦力が大津釘付けになったのも
領土拡大を図って各地に兵を分散させた為に
輝元の手勢が無くなり
大津に駐留していた毛利軍の増援ができないまま大津が東軍化してしまった。
毛利が大津を占領しようとして失敗しただけ。
四国どころか九州の毛利(森氏)や伊勢も毛利領にしようとして兵力分散の愚を犯しまくり
しかも当分は家康は西上できずに江戸にいるから
其の隙に火事場泥棒して領土拡大しようと楽観視してたら
家康が一気にやってきて
毛利に方針が皆無でパニックになって動けず傍観の無能を晒し
領土拡大どころか大減封の昏迷ぶり。
結局、抗戦派だった元康や秀包を関が原後に殺してまで家康に媚びた愚か者毛利。
449 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 08:44:12.71 ID:wXAGSjz9
たまに立花とか合流できてたら・合流後なら勝てたのにとかあるけどその場合秀忠の方も
合流するんじゃないの?
450 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 09:38:43.76 ID:UGUswN+E
毛利が大津占領継続に失敗したどころか東軍化させていなければ
毛利元康指揮下(秀包や宗茂ら)は関が原当日に間に合うが
秀忠は間に合わない。
大津の件は毛利最大の大失策。
451 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 09:50:54.88 ID:/bpszAdS
そしたら東軍だって徳川本隊到着まで待ったんじゃないか
452 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 11:28:17.68 ID:jljYKYAU
その毛利を総大将に頂いた判断ミスは三成に帰結するな。
他に適任がいないなら、決起しなければいい。
所詮は政権中枢への復帰を図った個人的動機。
453 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 12:13:55.67 ID:gHZU+TeT
七将の襲撃で家康に大坂城を掌握され
毛利は屈服し輝元は涙が出ると悔しがっているし
会津征伐を前に輝元は本国に帰りながら
家康が江戸へ行くと事前準備がないと不可能な早さで
輝元は大坂に入っているから
実際の首謀者は大老の毛利であるのは間違いないし
総大将が輝元になってるのもシナリオ通り。
そもそも毛利がいなければ三成単独では伏見城すら落とせなかったのは明白だしな
454 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 14:01:22.49 ID:RpIur9CW
まあ大坂の陣で事実上の総大将である秀頼が大坂城から一歩も出てこず負けてるから
関ヶ原に行かなかった輝元の腰抜けぶりは責められんわな
455 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 18:38:25.15 ID:bKzUpCoA
そもそも
関ヶ原での決戦は大垣城の連中が勝手に決めたことだろ
大坂城の輝元や大津攻めをしていた部隊には知らされてないんだろう
それなのに腰抜けだの遅れただのおかしくないか
456 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 18:53:57.69 ID:mF2rx99Y
家康が思ったよりも早く到着したのも誤算
457 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 19:19:23.55 ID:c37FDLtg
勝手も何も家康がやって来たんだから
大垣への後詰めに来た毛利軍と三成ら首脳が合流するのは当たり前じゃねぇか
458 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 21:24:53.82 ID:dEUBUEwt
どこで戦うのかは相手もいることだし流動的だが
福島ら東軍が清須に入った時点で関ヶ原〜大垣あたりに絞ったと思う
松尾山に大掛かりな堀跡や城郭建築跡が残ってるし
関ヶ原には毛利本軍や立花らが入る予定だったんじゃないかな
459 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 22:29:08.14 ID:mF2rx99Y
輝元の代わりが秀秋だったからね
460 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 00:27:31.83 ID:e8jG5ILp
>>458 ていうか定説
昔から松尾山は城があったところだしあらかじめ用意をしていた
本来そこにTERUが入るところだったんだが小早川が強引に留守番隊を追い出して入ってしまったいきさつがある
したがって当初から小早川が裏切るのではとささやかれていた
461 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 01:04:05.13 ID:458K8UAb
松尾山に輝元が入る予定なんてただの妄想で
一次史料にないし
秀秋が強引に松尾山に布陣した話も捏造だらけの軍記家譜にしか登場しない。
また毛利厨の我田引水で
毛利は悪くないどころか被害者主張を懲りずに主張して
三成と秀吉が全て悪いと懲りずに主張を繰り返すつもりかwww
さすがチョン州人だな。
よほど朝鮮出兵を恨んているようだな。
462 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 02:22:55.31 ID:/pH/ZDRB
>>461 長州山口ではないが、広島の゛普通゛の「毛利厨」は(広島に福島厨、浅野厨はほとんどいない)、
関ヶ原に関しては輝元の総大将にふさわしくない存在感を嘆いてはいても、
だからといってそれを秀吉や三成のせいにはしてはいないと思う。
普通に家康は輝元の勝てる相手ではなかったという結果を受け入れているだけ。
広島の゛普通゛の「毛利厨」が誇りに思ってるのは元就や元春、隆景世代までであり、
輝元世代からは山口に移って行ったということもあって、
秀包等例外はあるかもしれないがそこまで関心はない。
現在の広島では広島城を築城したのが輝元だと知っている一般人はあまりいないし、
輝元自体、ほとんど知られてないかもしれないくらいだ。
輝元は豊臣五大老、約十年も広島城に在住してたのにも拘わらずだ。
広島で毛利といえば元就、そして三人の子供達。
山口の実情やコアな「毛利厨」に関してはよく知らないけどな。
一応「毛利厨」にも色々あるということで。
463 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 05:04:42.90 ID:zhh2AyKn
松尾山に入る予定のあった将なんて、輝元でも秀頼でも三成でも秀家でもいいよ別に
秀秋じゃなかったのは、その日のうちに西軍が動いたことでわかるだろ
464 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 08:15:18.69 ID:puUUNT7y
その日のうちに動いた?なんの話してんだ?
秀秋が松尾山に布陣したことで西軍は混乱期した事実はない。
予定の行動だっただけだろう。
家康がやってきたから
三成が予定戦場の関が原まで後退し
後詰めの毛利や吉川や小早川らと合流しただけの話だろ
465 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 11:59:03.01 ID:zhh2AyKn
毛利吉川は合流どころか蚊帳の外に置かれたわけだが・・
お宅の論理で言うなら、予定の行動だったという事実も無い。
466 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 18:59:34.32 ID:C9Oq+awY
毛利が蚊帳の外ってw
東軍の西上の急報に接して
毛利軍は伊勢から急いで大垣の後詰めで南宮山に布陣して
家康迎撃の守備固めをしてるし
それに合流するために三成は織田信高・伊藤盛正・岸田忠氏・秀頼騎下の黄母衆・島勝猛・蒲生郷舎らを率いて大垣から夜間に関が原にやってきたんじゃねぇか。
それを蚊帳の外なんて主張するのはキチガイにも程があるわ。
さすが毛利厨ってのは毛利は悪くない。すべて三成が悪い主張をするためなら歪曲捏造の限りを尽くすんだなw
467 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 21:17:31.05 ID:YzXLyFH5
毛利厨とやらに恨みでもあるの?
まぁ落ち着きなよw
468 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 21:18:30.63 ID:zhh2AyKn
無駄な文章省くと、「毛利が大垣の後詰で南宮山に布陣して、それに合流するために三成達が関ヶ原に行った」
おかしな話だ
自分で「大垣の後詰めで南宮山に布陣」してと書いてるのに、なんで関ヶ原で合流なんだよw
作戦としては、大垣で合流してんだよ
南宮山は関ヶ原決戦にはなんの利点も無い位置だ。地図ぐらい見ろ
469 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 22:05:08.79 ID:B3K/tGDr
南宮山は関が原にも大垣にも睨みが効く絶好の布陣地だろ。
しかも佐和山へ進軍する東軍の背後を封鎖する戦略位置。
そして関が原本戦でも
毛利軍が構想通りに下山し東軍背後を突けば
西軍圧勝のシナリオなのはバカでも理解できる。
大垣からの三成の撤も
毛利が呼応し東軍の背後を閉じる作戦計画通りの行動だろ。
470 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 23:06:41.53 ID:oHNjpq0Q
南宮山からは関ヶ原の状況は見えないんじゃなかったけ?
そもそも前日に雨が降っておりそのため霧がかなり濃くて
とても下山できるような状況じゃない
それに押さえの兵も置いてあるから簡単に突破なんてできんだろ
こんなんで西軍圧勝のシナリオなんて言えないだろ
それに毛利が呼応て元々大垣の後詰めでいたのに
関ヶ原で戦うなんて想定してないだろう
実際に広家は三成たちの関ヶ原の移動に対して困惑し
東軍に敵対することはないが味方することも出来ないといっている
471 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 23:36:35.50 ID:zhh2AyKn
>>469は山ってのを全方向に見れたり登り降りできたりすると思ってるんだろ
472 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 01:18:46.16 ID:YV2Jpi3x
簡単に登り降りが出来ないのは同意だが、
さすがに戦況の推移ぐらいは物見を密にして随時把握してたんじゃないか?
霧が晴れなかった時間帯は別として。
近接した平地で十万近い軍勢がワーワーやりあってる銃声とかが聞こえてる状況だから気にならないわけはない。
473 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 07:28:04.65 ID:Ajt017hl
三成が関が原に移動したから困惑し東軍に味方出来ないが
上記の話は完全に時系列を無視して恣意的に捏造してるね。
しかも毛利の布陣位置は近江への街道を制する戦略位置にいながら
困惑も何もないだろう?
関が原一帯に西軍が布陣しておきながら
三成が来たら困惑とかどんだけ毛利は無能揃いだw
しかも戦闘開始しお家の大事にも物見も出さずに戦況把握もしない子供の使いレベルの素人集団の軍隊ゴッコ遊びかよ毛利軍はw
474 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 07:36:54.10 ID:myU9a7Qx
毛利スレでどうぞ。
475 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 10:13:14.44 ID:DQknrApu
毛利が無能だから秀吉は安心して中国大返しができたわけで
戦況把握もしない子供の使いレベルの素人集団の軍隊ゴッコ遊びであることは三成も18年前から知っていた
そんな連中に頼らないと戦が出来なかった時点で敗北は決まっていたんだよ
476 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 11:03:47.26 ID:8rwm3B2M
そんな毛利家が尼子と大内が居た中国地方制覇したのはミステリーだな
とは言っても元就や元春が生きてた頃はって言われるとそれまでだが隆景涙目だな
477 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 15:34:53.88 ID:zyabBTjZ
>>476 元春って大返しの時は生きてたろ?
まあ、それがどうした?って程度だが
478 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 16:27:58.41 ID:FXhcqZaS
南宮山なんてあんな高い山に布陣している時点でやる気無しって解るよな。
その南宮山を本当に当てにしたかどうか知らないが
関ヶ原で封鎖する作戦って三成の献策なのか?
大垣を抑えている点、地の利で西軍有利なんだから
わざわざ出ていく事ないのに。
関ヶ原を抜けて佐和山を突くなんて
東軍はそれこそ追撃してくださいって言ってるようなもん。
479 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 17:45:23.29 ID:m55dTMVz
南宮山のてっぺんに布陣してると誤認してる時点でアホ無知決定w
さらに家康が関が原に向かったあとも大垣城の周囲には東軍の抑えが貼りついてるのも知らないとみえる。
家康を追撃できるのはまさに毛利軍だけだから
大垣での孤立を回避すべく、
三成や宇喜多や島津らは陣地構築した関が原予定戦場に向かっただけ。
そもそも当初の家康は大垣を水攻めで包囲予定だったわけで
当然、三成らも大垣が水攻めの弱点があるのは知ってただろう。
当然、戦場は関が原になるのは双方とも認識してたはずだ。
家康も大津城を一刻も早く救援したかっただろうし。
480 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 17:54:27.73 ID:YV2Jpi3x
西軍主力は大谷以外不眠不休で移動、砦構築で決戦だったというのもなにげに痛いな。
気が張り詰めてるといってもやっぱり頭も身体も疲労困憊だったろう。
東軍は昨夜は一応わずかな時間とはいえ休んでるからな。
481 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 20:43:05.13 ID:0ZFWl53n
西軍が構築されたとされる土塁群は史実おいて戦場となった地域よりも後方にあって戦闘においては
なんの役にも立たなかった
482 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 21:42:40.84 ID:M5Z8Tw+n
それより関ヶ原に陣城を築くなりするのが一番良かったんじゃないか
必ずそこを通って来るんだから
483 :
忍法帖【Lv=13,xxxPT】 :2011/10/03(月) 22:05:00.05 ID:H+Obwc8R
484 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 01:13:25.88 ID:hu7ZjD3D
>>479 てっぺんじゃないよ。まさか南宮山の陣跡がどういう場所にあったか知らないで書き込んでないよね
アホ無知って、自己紹介しなくても良いよ
抑えって、そりゃ毛利以外(大垣城衆・長曽我部・長束ら)は敵だから当然だ
全部まとめて毛利が仕切ってたとか思ってる?
まあ大垣の水攻めとか、本気で考えてる奴じゃしょうがないか・・w
485 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 08:07:43.73 ID:rBAFi2mC
↑長宗我部
486 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 10:38:42.84 ID:bHfJtT45
テレビで南宮山の状況を実地検証してたな。
その時も確かに高くて大軍が下山していたら
間に合わなかったとしていた。
487 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 10:46:36.75 ID:s8m1/X+N
>>470 デタラメ過ぎ。そもそも時系列を完全に無視してるし
吉川→井伊らへの書状は三成が関が原へ移動前の話だし
光成氏曰く、その申し出が家康を関が原へ引きずり出した
吉川の策謀の可能性も指摘してる
(それまでの吉川は黒田への東軍内応話をずっとシカトしてきたため)
毛利が困惑したと言うのもあなたの妄想でしかない。
>>475 挙兵の首謀者は
>>453の言うように輝元と安国寺だろう。
佐和山蟄居中の三成にはあれほどの大戦力は揃えられない。
(毛利からの申し出に家康の横暴を止められるチャンスは今回しかないと三成も思っただろう。)
また目付けの職務であった以上はその職責から武断派を中心
嫌われているのは当たり前で、朝鮮出兵組の毛利を総大将にするのは悪くない。
事実、土壇場で毛利がヘタレなければ西軍が勝っていた。
488 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 10:51:46.62 ID:s8m1/X+N
>>478 「あんな高い山に布陣」と書いておきながら指摘されると
>>484のような言い訳すんだなwワロタw
さらに水攻めの意向は家康本人が書状に書いてるが、一次史料を否定すんのかw
三成が大垣を出たのは当然の成り行きで
大垣はその後、下記のように孤立して関が原との連絡すら取れなくなった。
大垣城北方より西回りに曽根城→大将水野勝成、西尾光教、津軽為信(大垣攻め主力)
赤坂宿→堀尾忠氏、中村一栄。岡山陣所→誰がいたかわからん。
長松城→一柳直盛。金谷河原→誰がいたかわからん。
岐阜との連結のため南方に松ノ木城→徳永寿昌&今尾城→市橋長勝
大垣と家康陣を結ぶ中間の垂井宿に対毛利用の池田輝政
>>480 大急ぎで西上した東軍の方が疲弊してる。そこを突いて島津らは夜襲するように勧めたわけだが。
>>481>>482 関が原戦場の主要部分なんて完全に備えは破却されてるだろう。
山上とか多少、メイン街道沿いから離れた辺鄙なトコしか遺構なんて残らん。
489 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 13:08:47.49 ID:bHfJtT45
490 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 13:22:20.78 ID:s8m1/X+N
テレビの話なんてくだらん。
吉川陣地跡の位置でも見てこいよ。
そしたらわかるよ。
491 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 13:26:44.33 ID:rBAFi2mC
結局三成は毛利徳川の間に入った翻弄されたって事だ
毛利はもしあのまま徳川が上杉を滅ぼしたら次に狙うは毛利と見抜いていたから謹慎中の三成をそそのかして決戦にもっていった
天下を取るかどうかは別として室町時代の大内山名あたりの存在として天下に口だせる存在になれると思っていただろうし
ただあまりにも豊臣がやる気なかったから(西軍に一銭も軍資金を出さないなんて考えられない)土壇場でやる気なくなったてところか
492 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 13:54:38.97 ID:tuI2y95P
> 毛利はもしあのまま徳川が上杉を滅ぼしたら次に狙うは毛利と見抜いていたから謹慎中の三成をそそのかして決戦にもっていった
輝元の馬鹿殿にそこまで知恵があるとは到底思えないが・・・
493 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 14:12:30.73 ID:bHfJtT45
>>490 くだらんとか見たらわかるとか
ウダウダ言い訳してないで
解るように説明してくれよ。
明らかに下山に時間がかかると解説していた。
吉川陣所って一番下じゃないの。
494 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 15:13:55.23 ID:/aAWeikt
495 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 16:07:41.26 ID:j+/GTNJb
南宮山(400m)の嶺の一つの朝倉山(300m)の開削地に布陣してんだから100mラインだろう。
周囲が40mくらいの海抜地域。
ちなみに山城は平均で300前後だから
取り立てて高い山頂への布陣ではない。
一般的常識の範囲内。
特に下山が遅れるような険しく複雑な山でもない。
三成はこたびのような時こそ吝嗇しないで金をつかうようにとアドバイスしてるだけで
実際には大坂から金額は分からないが出ていただろう。
一方の家康は会津征伐目的の金を利用してる。
輝元が出陣しない理由は
家康到着を知らせる書状が東軍に奪われ届かなかったとされる。
大津城が東軍化してからの書状往来に支障が出ていたのだろう。
ただ毛利元康隊(宗茂や秀包ら九州組基幹)が最後の戦力で輝元自身がもう兵力がないと言ってるから
出陣したくとも兵力が無かったのが現実だろう。
496 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 17:18:59.32 ID:bHfJtT45
オマエ等が無知で嘘つきなのはよくわかった。
南宮山毛利秀元陣所古址は404mの展望台付近でほぽ山頂とかわらない。
単純下山でも1時間前後は要する。
100mの土手から一斉に駆け下りてくる程度を想像してるんだろうな。
あたかも見てきたかのように
恥ずかしい人達だな。
497 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 18:33:55.67 ID:hzXrTQsH
毛利秀元、吉川、長束、安国寺、大坂方弓鉄砲頭らは南宮山の下の岡が鼻に布陣してたんだが。
ちなみに長宗我部は南宮山の東南の嶺の栗原山。
これは白峰旬も指摘してる。
君の意見は誰の意見かな?
498 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 20:27:55.74 ID:rBAFi2mC
以前南宮山登りに行ったが左折した経験あり
499 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 22:09:21.36 ID:bo5ScEeC
>>487 あの話は三成が関が原へ移動した後に黒田たちとやり取りしてるんだが
それに9月14日に人質を出して不戦の協定を結んでいるのに
その翌日に戦うなんて想定してないだろ
この不戦の協定は関が原でのことじゃないんだし
だからこそ敵対することはないが味方することもないと
中途半端な対応をするしかなかった
500 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 22:30:24.85 ID:B07j62eE
>>497 横レスで悪いんだが。
毛利秀元陣所古址の所在で十分だろ。世間もそれで認知している。
そうではないと言うのなら、それこそ一次史料によって、
毛利秀元の正しい布陣位置を示すべきでは?
白峰旬は指摘ではなく、触れてるだけだよ。
岡が鼻布陣の根拠たる史料の明示は全くない。
キミが白峰に変わって提示してみなよw
しかも一方で、南宮山布陣(高所の布陣)に対する
三成の不信感を肯定している。矛盾だよね。
501 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 23:37:08.37 ID:hu7ZjD3D
>>488 >水攻めの意向は家康本人が書状に書いてるが、一次史料を否定すんのか
大名の、他家宛の手紙の内容を鵜呑みにしちゃう大馬鹿者乙。
とりあえず水攻めのやり方、特に費用、建築時間などを聞きたいですな
502 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 00:07:01.49 ID:ja8fHijh
>>487 >挙兵の首謀者は
>>453の言うように輝元と安国寺だろう。
>佐和山蟄居中の三成にはあれほどの大戦力は揃えられない。
ナニこの根拠、ワロタw
まぁアンチ三成にとっては、三成が首謀ではなくただのカス、
ということで、ある意味心地良くはあるがww
503 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 00:14:57.29 ID:rlO9UkPx
>>497 岡ヶ鼻に布陣してたのは安国寺と長束だけだろ。
またウソついてるよ
504 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 00:27:56.70 ID:/AU3yx2x
関ヶ原スレはどこ行った?
ないならやっぱり立てるべき。
三成スレはなぜかいつでも途中から関ヶ原スレになってしまう
505 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 01:14:59.63 ID:ja8fHijh
原因は
>>448。
毛利厨を連呼しているところから、SUB確定。
506 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 08:06:30.10 ID:ME40zgiB
岡が鼻に秀元らが布陣してたのは白峰の妄想じゃなく田中吉政の田中興廃記などにも載ってるよ。
でさ、南宮山てっぺんに秀元が布陣したなんて本こそ見たことないんだが。
507 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 11:07:57.73 ID:l92RR7yx
>>499 三成が関が原へ移動後の黒田と吉川による「東軍に味方できないって話」ってのは何に載ってる逸話?
9/14の書状だと「家康に御忠節を極めたら初めて家康のお墨付きを取ってやろう」と
本多と井伊が書いてるだけでその際に人質を毛利が出したことも書いてないが。
しかも上記文面の後に「付、御分国の事、申すに及ばず、相違あるまじき」と後から誰かが付け足していて、明らかに本領安堵について触れられてない怪しい書状だし。
>>毛利秀元陣所古址
ただの言い伝えの鵜呑みレベルなんじゃ・・・
508 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 11:33:03.73 ID:7Jt9u5Hr
田中興廃記なんて後世編纂もんですが。
岡ヶ鼻なら吉川勢より南東に下った所で
吉川陣との位置関係がおかしいですね。
毛利秀元陣所古址はてっぺんから北に少し下がった所です。
遺構もありますが。
509 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 18:06:50.61 ID:eB1cWsKw
その南宮山の遺構とやらもいつ誰が作ったものかもわからないシロモノなんだが‥
信長時代の遺構とも言われてるし。
510 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 18:26:18.55 ID:DG1Gollq
>信長時代の遺構とも言われてるし。
え?初耳だけど
誰が信長時代の遺構と主張しているの?
研究会の調査結果で毛利勢が築いたという調査結果あるんだが、
それを否定する調査をいつ誰がして、どこに発表したのかKwsk
511 :
人間七七四年:2011/10/06(木) 00:30:23.41 ID:5VQLgMGl
そもそも、南宮山てっぺんに布陣したなんて誰も言ってないんだよね。
>>479が勝手に捻じ曲げただけ。
白峰氏の名前をドヤ顔で登場させたかと思えば、次は田中興廃記とはw
偉そうにデタラメ吐いて、ホントに恥ずかしい奴ww
512 :
人間七七四年:2011/10/06(木) 03:52:41.88 ID:5RvYtDYZ
>>479がバカなのは総意ってことで。ついでに
>>509も。同一人物かも
南宮山の秀元本陣は、小さい。とても万を超える兵が入れる規模じゃない。
山腹にも毛利兵がいたはず。
田中興廃記の作者はその辺を勘違いして秀元もいると思って書いたんだろう。
513 :
人間七七四年:2011/10/06(木) 08:15:31.10 ID:W91ALo90
研究会って誰が責任者なの?どんな史料的裏付けあって断定したの?
松尾山が富島氏築城→信長→浅井氏が本格築城→信長が不破氏を配置。
浅井氏離反時に南宮山を含めて信長が付城を築いたとされてるでしょ。
家康の大垣水攻め方針も、保科正光が大垣のような小城ごときに2万の大軍が籠城してる。
と言っており兵糧問題が遠からず起きる状況であり
さらに福島らが大垣を包囲体制を敷いてるとの報告も家康は貰ってる。
大垣は海抜が低く非常に水が豊かな湿田地帯だったから
水都と呼ばれたから水攻めは非常に現実的な話なわけだが。
家康本人も表明したように三成を水攻めで降伏させるのが早く決着がつくし宣伝効果も充分なセレモニーに見え諸大名への誇示になると考えたんだろう。
三成も小城に2万を入れたまま水攻めで孤立したら南宮山の毛利と孤立する備中高松での秀吉の水攻め同様の事態になるのが予想できたから関が原へ移動したんだろう。
備中高松でのことは三成も毛利もよく知ってたはずだ。
家康にしたら水攻め包囲しつつ秀忠と合流し
武断派を先方として佐和山へ進軍するのが理想だろう。
514 :
人間七七四年:2011/10/06(木) 11:04:24.49 ID:ODGKCwbm
秀元が南宮山の麓に布陣していたと言い張ってる人ですね。
まだ山頂に布陣の方が余程マシですね。
吉川広家の陣が妨げで秀元が動けなかった。
広家の南方の稜線に布陣していたと言えますね。
秀元が安国寺や長束らの辺りに布陣していたのなら
広家の陣は妨げにならず兵を動かすことができます。
つまり、秀元は広家よりも先に下山していた。
若しくは、最初から南宮山には登っていなかった。
だから毛利秀元陣所古址はウソ。
遺構は信長のものと言いたい訳ですね。
で、いきなり南宮山から話題を変える訳ですか?
515 :
人間七七四年:2011/10/06(木) 14:36:34.87 ID:5RvYtDYZ
>浅井氏離反時に南宮山を含めて信長が付城を築いたとされてるでしょ。
まずこれが初耳っすね。誰が言ってるのか教えてちょ
松尾山の城も付城じゃなく、街道の確保を目的としたものです。
てか「付城」の意味知らないんですね。浅井離反の後に築いた付城と言うことは、小谷など浅井の城に対してですね
既出のように、南宮山の陣跡は大垣方面のみ向いており、大垣城の付城なら意味をなします。
浅井氏が大垣を持っていたことあったのでしょうか・・
大垣周辺が湿田地帯で、揖斐川もあるので水攻めも・・という発想は出てくるでしょう。
で、水攻めってのは即効完成するものでしょうか?
堤防を築くための材料調達、費用は誰がどうするの・・既に用意してた?・・家康さんっパねぇっす
さらに完成までに相当時間要しますが、その間、南宮山の毛利軍はなにしてるんでしょうね。
彼らが東軍に寝返ってなければ妨害するでしょ。関ヶ原と違って目の前で起こってることを傍観は出来ないw
備中高松とは状況がまるで違う、一緒にすんな
516 :
人間七七四年:2011/10/06(木) 20:51:05.27 ID:1SMJkAxP
>>513 ねぇねぇ。そんなに史実性にこだわってるのに、
どうして田中興廃記を堂々と論拠になんかしてるの?(
>>506)
キミにそんな事を尋ねる資格は全くないと思うんだけど。
517 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 01:13:20.37 ID:j8QdFvp4
史料との整合性が無く、自分に都合の良い解釈をし、
人には息をするかの如くウソをつくと言いながら
矛盾をツッコまれて逃走するパターンを繰り返す
"だが" という愚か者が他スレに出没していたな。
518 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 01:30:39.78 ID:GjMAoKUc
いや。ここでバカなレスを繰り返してる複数IDは、SUBだよ。
519 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 03:59:54.41 ID:yJRZ2NTG
毎回、会話を成立させる自演お疲れ。自演で多数派を装ったり
不利になると自分に反する意見をすべてサブ扱いしてレッテル貼る手法は感心できないな。
田中興廃記の文献史料に出てるし、白峰氏は何を読んで書いたか分からんが
岡の鼻と書いてる以上は君の意見よりは信憑性あるよ。
研究会なんてデッチあげてるけど、秀元陣跡なんてお墨付きを与えてる組織なんて無いから。
考古学では秀元陣跡と称する場所からは戦国末期から慶長期を通しての
技巧ある遺構なんて一切、発見されてないし、
南宮山419mのような400m級に迫る山岳への土塀や堀切は
南北朝期からの遺構ですら多くない(例・竹田城353m・置塩城349m)
高すぎると指摘されてきた岐阜城でさえ328m(ロープウェイで登れるね)
岐阜城が廃城になったのも高すぎる点も要因になったとされる。
ちなみにいくつもの郭がある(枡形虎口・馬出し・横矢の遺構あり)松尾山は292m。
監視のための物見程度の規模ならともかく400mで造成し篭城体制を取るなんて非現実的で
朝霧が出てるような状態じゃ夏場でさえ山頂では凍死するから。
ましてあの狭い秀元陣跡と称する場所に15000もの大人数が篭ること自体も非現実的。
さらに広家が進軍の邪魔をした・宰相様の弁当などは逸話であり一次史料には無い。
また濃江の境目として浅井と織田で争奪してたエリアなのも事実。
さらに永禄6年の信長による伊勢侵攻では楠城(神戸家の山路弾正が守将)に苦戦する中で
西濃の氏家・安藤・稲葉が叛旗を翻した為に滝川を残して撤退してる。
520 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 05:39:55.49 ID:bsrGHk5+
定説を覆うにはそれ相応の史料を複数そろえて適合させることが必要だが、
>田中興廃記の文献史料に出てるし、白峰氏は何を読んで書いたか分からんが
>岡の鼻と書いてる以上は君の意見よりは信憑性あるよ。
これで済ませるのはいい加減すぎるし危険な考えだ。お前の言う「お墨付き」ってこいつだけかよw
毛利軍が伊勢から南宮山に布陣したのが9月7日。そんな技巧的な遺構作ってる間もないし
それだけ高地で平坦地も狭いのだから虎口や馬出しなんてまず必要ないだろ
だいたい陣跡が小さい指摘は
>>512でされてるのに今さら偉そうに語るなよw
そっちの解釈の方が自然だ
下3行はもはや言うべきこともあるまい。例えから仕手関係ねぇww
それこそ浅井や織田がが南宮山に陣布いたという一次史料(お墨付き)でも見つけてこい
521 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 10:09:15.99 ID:LAz8yM3S
>>519 そもそも白峰旬引っ張り出したのはキミだよね?(
>>497)
>毛利秀元、吉川、長束、安国寺、大坂方弓鉄砲頭らは南宮山の下の岡が鼻に布陣してたんだが。
>ちなみに長宗我部は南宮山の東南の嶺の栗原山。
>これは白峰旬も指摘してる。
まず、キミが出典を明らかにしたら?
それを読んで、キミのデタラメを検証する人もいると思うよww
ちなみに、私はこの文章とほとんど同じ内容のものを知ってるけどね。
そもそも秀元の布陣位置に疑問を呈しているものを見たことがない。
白峰旬も、その著書の布陣図では通説通りの布陣位置を図示してるよ。
関ヶ原研究の書で、キミの主張を採用してる研究者の著書を教えてくれよ。
522 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 11:07:48.04 ID:gbLgZ01E
川中島で妻女山に1ヶ月近く布陣していた上杉軍は
全員凍死していたってことか?
野営も知らないヤツがいるよ。
だいたい秀元の岡ケ鼻布陣図なんか逆に見たことないよ。
南宮山はそもそも大垣城との連携の位置取り場所で
陣地戦を想定する場合なら有利で安全な高所に
本陣を敷くのは定石。
仮に岡ケ鼻布陣なら、立花と大坂籠城まで進言している
戦意旺盛な秀元がどうして動かなかったのか説明してほしいね。
東軍の移動も黙って見ていたと?
523 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 11:13:55.67 ID:n1mPO3pH
400メートルで夜間に毛利軍が凍死しまくって関が原に介入出来なかった。
つまり400メートルに布陣なんていかにも机上の空論。
15000もいながら1週間でロクな備えも山上に作れないので15000を配置する開削地すらできず
しかもそんな狭いトコに15000を奴隷船のように詰め込んだ為に
秀元陣はロクに糞尿15000人分の腐臭で衛生面も大変で
400メートルまで15000の食糧を運び入れる苦労は深大な負担で
食事の取れない兵までいた。
そんなバカな主張する研究会って誰が責任者だよ…
400メートル布陣なんてバカバカしいわ。
524 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 11:35:59.89 ID:n1mPO3pH
妻女山w
西条山が正式名で
江戸時代に宛て字解釈で無理やり妻女山のことだと
なんら根拠なく決めただけだから。
まさに生兵法の空論。
実際に布陣したら凍死するから。
525 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 11:43:09.73 ID:LAz8yM3S
話を逸さなくていいから、キミと同じ主張の研究者を教えてくれよ。
秀元の布陣が岡が鼻だよ主張している研究者。
キミの妄想はよくわかったから、これに明確に答えてくれ。
526 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 11:55:17.88 ID:n1mPO3pH
秀元陣跡とお墨付きを与えている研究会の首班は誰だか教えろよw
527 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 12:03:38.81 ID:n1mPO3pH
それと秀元が大坂城で抗戦を主張したとするデタラメまで書いて必死すぎワロタw
一次史料にそんなこと出てきませんが。
528 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 12:10:01.34 ID:LAz8yM3S
南宮山布陣は定説で常識。
小和田、笠谷にしろ、関ヶ原研究でこれを前提にしていないものってある?
キミが、これを覆す主張をしている以上、その根拠を示すべきだよね。
キミの
>>526のレスによって、話が議論のための議論に変質したわけで。
残念だが、そのレスでは南宮山布陣を覆す事は出来ないよ。
繰り返すが、南宮山布陣は定説で常識だから、これを
キミが覆せない以上、議論の目的は十分果たしたよw
529 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 12:25:25.50 ID:y+JUYRJg
>>526 織豊期城郭研究会でググるといいぞw
ついでに秀元陣所に15000って何?山頂ってよくわからん事書いてるし
>その南宮山の遺構とやらもいつ誰が作ったものかもわからないシロモノなんだが‥
>信長時代の遺構とも言われてるし。
これを証明するのを出してねw
530 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 12:42:15.71 ID:n1mPO3pH
織豊城郭研究会とか名前だしてアホくさっw
既視感が凄まじいなw
どうせ以前みたいに中井均の論文と主張して
実は軍記講談準拠の大衆向け歴史群像の記事を論文だと捏造した時と同じような主張すんだろw
531 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 12:49:29.34 ID:y+JUYRJg
遺構調査して縄張り図までだしてる研究会のを否定するのは勝手だが、
お前の妄想を肯定するものがなにもないぞw
532 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 12:53:13.00 ID:LAz8yM3S
キミは提示すら出来ないじゃないw
自分の妄想が100%根拠だもんね。
おバカさんなキミにもわかるように教えてあげるけど、
最早、キミは自説の正当性を証明していない事に気づいてる?
自説はどっかに消えちゃって、定説に食ってかかってるだけ。
議論が成立していない事に気づいてる?
こちらの立場としては、単にキミに付き合ってあげてるだけなんだよww
533 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 12:54:31.68 ID:LAz8yM3S
534 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 12:57:06.72 ID:y+JUYRJg
織豊城郭という研究誌を問い合わせて買うといいぞ
それで
>>523にある
>15000もいながら1週間でロクな備えも山上に作れないので15000を配置する開削地すらできず
>しかもそんな狭いトコに15000を奴隷船のように詰め込んだ為に
>秀元陣はロクに糞尿15000人分の腐臭で衛生面も大変で
>400メートルまで15000の食糧を運び入れる苦労は深大な負担で
>食事の取れない兵までいた。
これを証明してよねw
秀元陣城は南宮山の麓、安国寺や吉川などの陣所は南宮山にすらないのに、
15000が山上にいたとか言ってるんだしw
535 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 12:57:42.35 ID:D8HGGXWS
15000人も山頂に布陣してたって考えてる奴は
お子ちゃま並みの知能
536 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 13:03:44.10 ID:LAz8yM3S
>>534 キミの妄想根拠をこちらが証明するの?
なんで?www
筋論で言えば、キミが岡が鼻布陣を証明する義務があるんけど。
ホントにバカだなぁ、SUBはww
537 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 13:34:17.53 ID:LAz8yM3S
>>534 SUBのレスと勘違いしました、本当にゴメンナサイ。
538 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 13:48:08.54 ID:gbLgZ01E
>南宮山(400m)の嶺の一つの朝倉山(300m)の開削地に布陣してんだから
>100mラインだろう。
>周囲が40mくらいの海抜地域。
>ちなみに山城は平均で300前後だから
>取り立てて高い山頂への布陣ではない。
と最初の方では
>>495で言っておきながら
論破されると麓とか凍死するとかに方向転換ですか?
で妻女山の名称で話ごまかさないで
上杉は1ヶ月近くも同じ標高400m付近にいてて凍死しなかったんだよ。
松尾山も約300mだが100mの差程度で平気なのか?
そもそも南宮山が関係ないなら
なんであんな所に布陣する必要があるんだ?
539 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 17:43:56.63 ID:r0motI9+
琵琶湖があるから周辺地は夏でも深夜早朝はかなり寒いの知らんの?
バーベキューした琵琶湖から多少離れた場所に駐車したことあるが
真夏の低地ですら車内で寝てたらあまりに寒くて寒くて未明には目が覚めたぞ。
それにシャクナゲは1000mの高所に自生する高山植物だけど
標高400mの近江日野町などにも群生するほどの低温地域だよ。
朝霧が発生するのは秋から春先で、夜間にかなりの冷え込みが条件になる。
10/21(慶長5年9/15)と言えば当時の人は現代の防寒具を持たないので
400m前後で居住してたらガチに凍死するはず。
寒気を無視して講談で言われている場所である妻女山に布陣したとは信じられないのは同意。
啄木鳥戦法の話も信じられんしな。
で、その織豊城郭研究会の誰が南宮山の秀元陣地跡をどういう理由で支持してんの?
具体的主張が見えてこないんだが、有耶無耶にして誤魔化してんの?
懲りずに再度さしたる理由もなく松尾山本陣が輝元と秀頼が入る予定だったのは確実とか断定しちゃうわけ?
ほんとトンデモが好きな人だなぁ。ただ単に毛利元康らが松尾山へ入る予定だったのが大津攻防戦が長引き
入れなくなったから、急遽、小早川が入っただけに過ぎないでしょ。
伊勢攻めに向かった秀元が援軍要請した時も輝元が
「元康の軍しかもうないから無理。いずれ九州からも兵が来る(秀包・宗茂・筑紫など)だろう」
などと言っていて、もう大坂城の毛利軍は底を尽いてるから輝元が兵を連れて松尾山に布陣なんて不可能。
そういや以前は前田が西軍に間接的に加担してたのを必死に否定してた粘着自演のヤツだろ?
そもそも安東宛の榊原書状で家康弾劾の内府たがい条を出した時期に
「上方で石田と大谷が別心したので大坂の淀・三奉行・利長が家康に早く上洛するように伝えてきた」
と書いており、淀や利長も三奉行同様に、「石田と大谷だけが挙兵した」と家康を騙すのに参画してんだよね。
この書状のせいで家康は大坂情勢を軽く見て誤判断をしてるうちに伏見城が落ち、
大津から佐和山への連絡線が確立してしまう。
540 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 18:00:25.05 ID:gbLgZ01E
松尾山まだ〜
琵琶湖でバーベキューには糞ワロタ。
じゃあ、浅井朝倉も比叡山で凍死してたんだろうな。
賤ヶ岳は凍死続出か?
近江での山間対陣例なんかいっぱいあるぞ。
だいたい野営の準備も無しに軍勢が転戦するなんて思ってるのか?
541 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 18:34:02.63 ID:y+JUYRJg
>>539 >で、その織豊城郭研究会の誰が南宮山の秀元陣地跡をどういう理由で支持してんの?
>具体的主張が見えてこないんだが、有耶無耶にして誤魔化してんの?
誰がって、研究会で遺構調査してるんだから個人じゃないんだけどw
理由も曲輪や堀切から織豊後期に作られたと断定してますが
で
>>509や
>>513の主張を肯定する根拠の提示はまだ?
信長時代の遺構と主張している人いるんだろ?どこに発表しているの?
有耶無耶にして誤魔化してんの?
542 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 18:43:13.10 ID:8k6HyL9K
なんか、SUBが哀れになってきた。
自説である岡が鼻布陣の根拠が提示出来ないのに、
一体何がしたいんだろう?w
定説の布陣位置を否定する根拠がバーベキューってのもなぁ・・・。
543 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 18:49:42.75 ID:r0motI9+
>>540 柴田が5月(天正11年3月)以降に布陣した北方の場所は海抜290m
秀吉は南東に位置して海抜320mの位置に布陣。
まぁ物見が主任務で実際の秀吉本陣はすぐ後ろに位置する平地で
海抜110mにある木ノ本駅の辺りだろうけど。
中間に布陣した中川が海抜250m前後。
賤ヶ岳の西や南の海抜400mクラスは戦場にすらなってない。
実戦において400mの壁は戦闘行動に、もはや向いてないんだよ。
朝倉や浅井が籠城し9/30(元亀2年9/12)に信長が焼き討ちした比叡山は
そもそも大伽藍の寺院群や宿坊もあるし、もともとそういう施設が備わってる場所と一緒にできんよ。
>>541 有耶無耶にしてんじゃんwだから誰が、どこを見て、どういう理由で織豊後期だと断定してんのよ?
まったく内容皆無。断定してるほどなんだから早く誰の何と言う論文名なのか早く教えて欲しいんだが。
鳥取砂丘を見に行った帰りの夜に琵琶湖でバーベキューしたんだよ。
544 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 19:30:45.71 ID:y+JUYRJg
>>543 全然有耶無耶にしてないけど?こっちは血球会や雑誌名まで出してるんだけどさw
しかも遺構調査の結果だから論文ではないけど?縄張り図製作して発表だけどw
で理由も書いてるし、曲輪や堀切からと書いてるじゃん
こんなの詳しく知りたければ、図説で見るしかないから研究誌まで教えてあげたんだが
で、お前はいつになったら答えるの?早く教えて欲しいんだがwww
後ごまかそうとしてるから指摘するとだね
>>543の
>柴田が5月(天正11年3月)以降に布陣した北方の場所は海抜290m
最初の玄蕃尾城は標高459mで冬の余呉湖の雪深さしれば、こいつに言わせると凍死どころじゃないけどねwww
一時期、長浜に住んでたんであの周辺完璧にわかるわw
545 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 19:36:54.71 ID:uK1A+LKo
岐阜地方気象台のWEBによると、関ヶ原町の10月21日の平均最低気温は11.2度(過去30年間の平均値)。
関ヶ原町の測定地点の標高は130m。
一般に、標高が100m上がると、気温は0.6度下がる(湿度によって異なる)。
ということは、400m地点の最低気温は9〜10度程度と思われる。
記録によれば、合戦前夜は雨で、早朝には霧が盆地を覆い尽くしたとのこと(つまり風がない)。
決してよくはないけど、低体温症での死者が続出するような気象条件ではない。
栄養失調や極度の疲労状態にある兵士なら死ぬかもしれないって程度。
山での低体温症による死亡については、数年前に起きたトムラウシ山遭難事件を総括した
『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』(山と渓谷社)が詳しい。
546 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 20:36:51.36 ID:r0motI9+
アホだなあ。
凍死の条件は体温が25度以下になると確実性が非常に高くなるのも知らんとは…
それに戦国時代は寒冷期
義持時代からすでに長雨など天候不順が始まっている。
現在の気温は全く参考にならんよ。
547 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 22:56:54.76 ID:qzZy2ziP
>>546 でも、結局あなたの主張には史料的な根拠も、同様の主張をしている研究者も
いないんですよね?妄想と断定出来るレベルです。
私東北に住んでますけど、一般に体温が25度を下回る環境って異常な環境ですよ。
余程特殊な状況に身を置かない限り、そんな体温にはなりません。
逆に、25℃を下回らなくても凍死するケースはありますけどね。
548 :
人間七七四年:2011/10/07(金) 23:34:13.17 ID:bsrGHk5+
いや〜スレ伸びてますなあ
俺も今日書いといてなんだが、もはや石田三成全く関係なくね?w
549 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 00:27:36.65 ID:1sZaYPCW
SUBが絡むと必ずこうなるんだよね。
話逸らすからさ。
550 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 02:14:53.35 ID:I/L7tAlw
>>548 石田から関ヶ原決戦除けば、単なる優秀な吏僚派武将の域を出ないからな。
仕方ないと言える。
関ヶ原敗戦あってこその三成人気。
その敗戦のキーマンが毛利家一族だから。
まあそろそろ違う流れを見たいのは同意w
551 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 07:22:03.50 ID:SbvaTaOI
>>546 おおかた「凍死」をwikiででも調べたんだろうが……。
何も理解できていないようだね。
体温がそれほど低くなる状況っていうのは、どんな状況だよ。
10月末の美濃で凍死者続出なら、冬の東北や北陸での合戦は両軍全滅だな。
552 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 08:18:59.82 ID:gu6mD+M0
SUBが田中興廃記をソースに出した時点で、議論はとっくに詰んでる。(
>>506)
ここは三成スレ。いい加減飽きたから消えてくれ。
553 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 12:34:29.44 ID:t9oxuY8t
>>539で話題変更の種を蒔いてる人がいるのに執拗に粘着するのは君じゃないか。
君が多数派工作自演した後に話題変えたいだけだろ。
単発自演で多数派工作の上に会話を成立させて
さらに議論ではなくレッテル貼りの人格中傷攻撃。
さらにもうこの話題の話はやるな!と牽制を入れるのは
自分が不利なのを自覚してるからに他ならないよね。
関が原研究では両公儀を提唱した笠谷氏と白峰は両巨頭みたいなもんだし
白峰が岡の鼻に布陣と書いてる本には
布谷氏の論文(2005年)や光成氏の著(2009年)も取り上げるなどして
2011年3/22出版と最新研究であるのにそれを絶対に認めない態度。
遺構調査でなんで秀元陣だと断定できるのか不可思議この上ない。
秀元と刻まれた御椀でも出土されたのかね?
玄蕃尾城は北国街道と刀根峠の監視用のものだし、
野営の陣ではなく防寒のために比叡山同様に家屋があるだろ・・・
しかも玄蕃尾城は中尾山(439m)の北方に位置する開削地(内中尾山)にあるので
玄蕃尾城には内中尾山城の別名もあり内中尾山(玄蕃尾城)自体も439mも無いし、
そもそも某HPからパクってきたんだろう中尾山459mなんて間違ってるから。
(戦域外の南の峰の行市山660mから北方へ向かって山峰の高さが段々低くなってきてる稜線地域)
それと柴田が移動してきて最初期に着陣したのが玄蕃尾城であり
野戦のために布陣したのは堂木山周辺地域なのも知らんのか?
だからその周囲で一番高い堂木山周辺で一番高い場所を選んで290mに布陣と書いたわけだが。
それと濡れた衣服による気化熱で体温が奪われるなどで
夏場や日常的な市街地でも死亡事故が起こるのに
寒冷曝露の夜営で偶発性低体温症により戦闘不能兵のリスクを犯してまで
わざわざ400m夜営布陣するだろうか?
救急の仕方に心得が無ければ低体温症で死ぬなんてことは普通にある。
この時期ですら普通に屋内でも布団の中で寝ずに
敷布程度で寝たら深夜18℃の横浜だって深夜から未明にはあまりの寒さで目が覚めるレベルだ。
554 :
553:2011/10/08(土) 12:41:23.00 ID:t9oxuY8t
訂正
×
>>539で話題変更の種を蒔いてる人がいるのに執拗に粘着するのは君じゃないか
○
>>513で話題変更の種を蒔いてる人がいるのに
>>514で>>いきなり南宮山から話題を変える訳ですか?
と話題を戻そうとするなど執拗に粘着するのは君じゃないか。
555 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 15:21:13.28 ID:C0+Iwe7N
執拗に粘着してんのは在日毛利厨の自演。
とにかく三成や秀吉が全て悪い。
毛利は被害者だって言う捏造歪曲史観を自演で垂れ流す狂人。
300レス前後から関が原スレと同じような秀吉や三成中傷をジワジワ再開し始めたから
こんな流れになった。
毛利厨くんは三成が少しでも評価されるのが気に入らない。
この粘着くんがいなくなれば平和になる。
556 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 15:31:38.85 ID:UeqckMhT
>白峰が岡の鼻に布陣と書いてる本には
>布谷氏の論文(2005年)や光成氏の著(2009年)も取り上げるなどして
>2011年3/22出版と最新研究であるのにそれを絶対に認めない態度。
ちなみに聞くが、
・白峰が岡の鼻に布陣と書いてる本の著者とタイトル
・布谷氏の論文のタイトルと掲載誌
・光成氏の著書
是非書いてね
それと、
>野営の陣ではなく防寒のために比叡山同様に家屋があるだろ・・・
縄張り図あるから、どこに家屋あったのか証明してねw
屋外に兵士いたら凍死するから、もちろん全兵士収容可能な家屋が数ヶ所あるんだろ?
557 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 15:37:51.10 ID:C0+Iwe7N
秀元陣跡には礎石も柱穴の遺構もないから
家屋なんてありませんが。
そもそも該当地があまりに狭過ぎて15000なんて数を収容できません。
558 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 15:51:30.81 ID:C0+Iwe7N
玄蕃尾に限らず
城なのに家屋がまったく無かったり
兵を城域の庄屋や民家に収容できないなんて話があるのかねぇ?
柴田直卒でどの程度引き連れたのか知らんけど
別に山上に籠城するのが目的でも無かったし。
559 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 16:20:36.04 ID:AxQBe/wX
毛利軍15000全員が同じところにいないといけない決まりもない
関ヶ原本戦で、家康軍全員が桃配山にいたわけじゃないだろ?
本陣にいたのはあくまで司令部で、そこの兵は直属の部隊だけ
560 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 16:45:05.71 ID:BmlHsla+
>>553 多数派工作ってww
キミの主張(秀元岡が鼻布陣)を支持するバカなんかいないから、当然多数になるよね。
で、結局キミの論拠となる史料と、キミと同じ主張の研究者を教えてくれよ。
キミが定説(南宮山布陣)を覆そうとする以上、これはマナーだ。
それと、白峰の当該著書も教えて欲しい。すぐに岡が鼻布陣の記載部分を検証するから。
どう主張しているのか楽しみだ。
561 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 16:50:56.17 ID:BmlHsla+
>>553 >>560だけど。
ゴメン、ゴメンw
キミの論拠のとなる史料は、田中興廃記だったね。
一次史料ではなく、後年編纂の。
だから、この議論はキミの妄想という事で終わってるんだった。
で、キミはなんの話をしてるんだっけ?ww
562 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 15:18:00.75 ID:0Vz3yvYa
なんで白峰の著書を教えてくれないんだろ?
それくらいはスグ出来るだろうに。
検証されちゃマズイ理由でもあるのか?w
563 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 18:59:06.10 ID:KmXqjglS
つうかそんな関が原研究の初歩すら読んだことない時点で
対等の議論ができるわけもない。
さすが秀吉と三成の中傷悪口ばかりやってる毛利厨は無知だな。
564 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 21:25:02.69 ID:hDBPmzx3
白峰の研究すなわち関が原研究の初歩
( ゚д゚)ポカーン
565 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 21:44:55.92 ID:0Vz3yvYa
ここまで言われてまだ白峰の著書を出さず、あげく
>>563。
出したら、自分の出鱈目が公に晒されるもんね。
結局Subってこの程度。
566 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 22:22:16.28 ID:szDjO7ag
567 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 22:34:21.30 ID:hDBPmzx3
IDも論点も変えて必死だな
568 :
人間七七四年:2011/10/09(日) 22:35:44.16 ID:0Vz3yvYa
ID変えて、あからさまに話逸らすなよww
クソワロタwww
569 :
人間七七四年:2011/10/10(月) 12:01:48.95 ID:KRT8qh7H
subって、捏造してはいつも逃げ廻るよなぁ
570 :
人間七七四年:2011/10/10(月) 16:59:41.19 ID:9292VdDU
関が原本を一切読んでないwiki先生とネットサーフィンだけが武器の在日毛利厨のクレクレ君ぶり哀れwww
571 :
人間七七四年:2011/10/10(月) 17:50:32.27 ID:Ao5p6W2d
さすがにダサいぞsub、そこまでにしとけ
572 :
人間七七四年:2011/10/10(月) 19:27:04.44 ID:KodqtGRu
根拠提示求められて、はぐらかして逃げてるのを、
クレクレ君というヤツ初めて見た
573 :
人間七七四年:2011/10/10(月) 19:37:25.93 ID:0ZtArT5C
はぐらかせてさえいないね。
純粋に逃亡。
574 :
人間七七四年:2011/10/10(月) 23:14:05.37 ID:vR78fGeS
反論に在日とか使った瞬間に終わりだよな
ここまで醜態曝け出しちゃあ、もうこの板で書き込まない方がいい
ROMって勉強しなさい
575 :
人間七七四年:2011/10/11(火) 14:17:19.93 ID:HrRDQDqK
本も読まずに三成批判キャンペーンばかりやってたのかw
無知すぎる毛利厨w
576 :
人間七七四年:2011/10/11(火) 14:47:17.35 ID:6WqlojQZ
Subの脳内の妄想本は他人は読めないからなwww
577 :
人間七七四年:2011/10/11(火) 16:29:25.46 ID:jAU3wkfo
日付変わるごとに1回ずつ無意味な悪口を書くだけになってしまったようで
578 :
566:2011/10/11(火) 19:39:59.58 ID:b16Ak0VH
なんでもいいが
逃げてないで俺の質問に答えろよ。
579 :
人間七七四年:2011/10/11(火) 20:53:38.91 ID:DEizOftE
とりあえず、逃げてるのはSUBだからなぁ。
キミの話はその後にしてもらえる?ww
580 :
人間七七四年:2011/10/11(火) 21:32:38.22 ID:67kZl1ny
関ヶ原は毎年行ってる
地元も同然だな
笹尾山で野宿した経験あるな
ここで三成公がいたと思うと胸熱、、、
581 :
556:2011/10/11(火) 23:19:35.77 ID:Ka2bUVFf
そうそう、逃げてないで
>>556に答えるだけでいいのに
582 :
人間七七四年:2011/10/12(水) 01:10:31.43 ID:OdWgwuT9
Subの自演って本当にわかりやすい。
真正のバカなんだな。
583 :
人間七七四年:2011/10/12(水) 07:32:27.89 ID:tIpNP4L1
>>581 つか、それ答えたら白峰の著書教えてくれるの?
ここまで引っ張られて、かなり興味が沸いたもんで。
584 :
人間七七四年:2011/10/12(水) 22:47:42.31 ID:DtQAe8xr
585 :
人間七七四年:2011/10/12(水) 23:38:34.62 ID:x8wzYjdX
議論はとっくに詰んでるんだから、このネタはもういいでしょ?
著書にしたって、
>>553の情報で十分限定出来るよ。
読めばデタラメは確認出来るし、自ら開示しない時点で白状してるのと同じ。
負け犬の遠吠えに付き合う必要はないって。
586 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 08:50:41.58 ID:mhrpnH3D
本すら読んでない無知ぶりを晒す恥ずかしやさ。
そんな状態でなんで議論に参加したのか…
バカってやっぱり行動が理解できないな。
587 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 09:55:20.18 ID:vnNPXwxu
信長の野望・覇王伝武将ファイルより
石田三成評
・小賢しい吏僚
・狸親父とあだなされる徳川家康が好きだという人はいるだろうが、その敵手の石田三成を好きな人はほとんどいない。
・寺小姓時代、将来の主君・秀吉にアメリカン、ブレンド、エスプレッソの如く3度も茶を出してきた小賢しさ。
・何となくひね媚びていて如何にも器の小さい小細工大好き野郎。
・虎の衣を借る狐。
・人望は全くない。
・心から支持する者は1人も居ない。
三成の総評
「限りなく正しく、限りなく下らない。全くつまらぬ男もいたものである。」
覇王伝武将ファイル、近所のブックオフにて500円前後で販売中
588 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 10:40:00.08 ID:vnNPXwxu
589 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 11:21:44.28 ID:iHeQkVhk
晒してやるw
383:人間七七四年 10/11(火) 19:01 HrRDQDqK
秀頼に仕えていた捏造信長公記の著者で有名な売筆家太田牛一の太閤軍記
天皇の諒闇中に狩りをした秀次を激しく批判する京童の落首を引用
そこから殺生関白と秀次が呼ばれるが、そもそも上記の話は捏造。
ウソまで作り出して秀頼の統治を正当化するキチガイ
川角太閤記では秀次が讒言を受けたと記述する。
川角太閤記
田中吉政に仕えた川角三郎右衛門が当時の武士から聞いた話をまとめた「聞書」である。
証言が収録されたものには明智光秀の旧臣でその後前田利長に仕えた山崎長門守や、
豊臣秀次の馬廻であった林亀之助などがおり、
本能寺の変や豊臣秀次事件などに関する史料としてしばしば引用される。
285:人間七七四年 10/11(火) 18:13 HrRDQDqK
光成氏が笠谷氏の論を紹介しながら七将襲撃の状況を説明していて
三成は逃げずに伏見の自邸、おそらく伏見城内の治部少丸曲輪に入って
小西と寺沢を輝元に遣わして、
輝元による家康への反攻を促してる。
小西や寺沢は大坂はすでに家康方によって出入りを禁じられ
支配されてると輝元に伝えたらしく
大谷も三成に加担するのはよくないが下屋敷へ下がるのもよく無いから兵を揃えて家康と対峙するのがよいと言ってる。
伏見には三成のほかに増田・前田玄以も籠城して家康と対峙しており
結局、三成と増田がこの対立を毛利と上杉に委ねることとして
三成のみの処分で解決するが(増田もただではすまないでしょうとも)
三成がショボーンしてる書状を安国寺から渡されたようで
それを読んだ輝元が涙が出るほど悔しがってる。
590 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 16:01:04.06 ID:6t0FUYi0
>588
ひどい書かれようで笑ってしまったw
今みたいに人気が出る前は小説とかでもそんな感じだったよな
591 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 16:24:53.42 ID:FAs398sY
>>アメリカン、ブレンド、エスプレッソの如く3度も茶を出してきた小賢しさ。
>>何となくひね媚びていて如何にも器の小さい小細工大好き野郎。
むしろ文章から三成への歪んだ愛情を感じるんだがw
少なくとも筆者がノリノリで書いていたことは確実だな
592 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 18:38:28.59 ID:ngNyDN9F
司馬遼太郎の家康みたいな評だな
593 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 22:51:47.72 ID:1jRWmYV4
三成=東条英機
594 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 00:48:32.17 ID:pB8o3+PF
太平記巻十七に敦賀越えの箇所がありますが、
新田勢の内、河野、土居、得能らが凍死し、千葉介が遭難しかけてます(笑
旧暦の十月でこの有様
595 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 01:46:01.02 ID:GpMyikFO
敦賀って余呉より更に北にあって、日本海側の気候だぞ?
596 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 02:03:07.61 ID:oj/rtG4M
まだ言ってるのかww
話が変わったんだから、引っ込んでりゃいいのに。
SUBは余程悔しいんだな〜。
597 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 06:29:54.30 ID:IG0fqsDI
>>591 2chならともかく武将ファイルで書くような文章で無いな
著者の知的水準を疑いたくなる
598 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 08:39:40.00 ID:qrIMDmrD
>>595 また知らないのにいい加減な思いつきでケチつけるとか…
敦賀越えの道中で凍傷にかかり
弓も太刀も持てず300人が土に腰刀を立てて伏して自害は
比叡山を出発し道中で凍傷にかかり余呉のすぐ西にあたる近江塩津で敵に発見された時だ。
また千葉軍500も戦闘不能になっており自害を決意したが降伏勧告を受けいれてる。
凍傷になるリスクとはこういう軍隊崩壊を意味すると言いたかっただけ。
599 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 10:55:01.38 ID:9UcmzWLV
600 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 13:24:51.44 ID:8hb1b1SZ
>>598 行軍中に凍傷になるって
余程天候が悪かったとしか考えられない。
近江でこれなら北国ではどうなるの?
例外出して何が言いたいのかサッパリですな。
601 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 14:16:25.84 ID:Z624/8Dc
>>600 あまり近江を舐めないほうがいい、米原や長浜でも雪降ると北国並になる
602 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 15:10:00.99 ID:5HKpSQCu
大将格の人間は凍死してない。薄着の兵が凍死したとは書いてある。
河野らが死んだのは凍死ではなく、追っ手に囲まれての自害。
なお、凍傷により弓も刀も使えなくなったという記述はある。
それは
>>598の言うとおり。
ただ、これは新暦11月27日の話で、現場は琵琶湖北岸の山岳地帯。
雪が降って、薄着の者が凍傷を負ったり凍死したりというのは、まあ不思議な話じゃない。
しかも太平記には、この年は例年よりも冬の訪れが早かったという記述すらある。
さて、関ヶ原の合戦は新暦10月21日。同じような事態に陥りますかね?
というか、琵琶湖北岸の気象と、伊吹山系の東側の関ヶ原の気象を一緒に語っても仕方ないよね。
さらにいうと、最初は「凍死」って言ってたのに、今度は「凍傷」ですか?
603 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 15:46:48.97 ID:l2VILSXZ
>>599 あの金槌の柄みたいな頭をした出っ歯のどこをどうとったらこうなるんだろ
604 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 16:21:32.19 ID:Z624/8Dc
>>603 リアルに見てきたのかお前は?今年何歳なんだよ?w
605 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 16:49:41.68 ID:l2VILSXZ
残念なことに発掘された骨から証明されてるぞ
606 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 17:12:18.86 ID:ybiw8SkT
三成の墓と遺骨の話は少し前にいい話スレで出てたね
>599
商売とは言えコーエー手の平返しすぎww
武将ファイル書いたライターは今の状況をどう思ってんだろ
607 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 18:19:25.78 ID:8knof/SM
>>601 かなり寒いよね。新幹線に乗ってても名古屋や岐阜羽島では天候良いのに
岐阜と滋賀県境あたりがいきなり大雪積もってたりしてビビる。
>>602 まだ尊氏らが生きている時は本格的な寒冷化の時期ではないよ。
足利義持の時代から天候不順になり寒冷化していき飢饉が頻発するからね。
それと北国下向勢凍死の事と言うタイトルの巻だから
凍死がかなり出てるというのも間違いじゃない。
また薄着なんて記述は無いし甲冑を着てるのがわかる。
凍死寸前で馬も兵も凍えて自由が利かない残りの生き残りが自害しただけ。
おそらく河野・土居・徳能も凍死または自害のどちらか。
凍傷壊滅の原因は万路越(峰山トンネル)って言う476mと493mの峰と峰の間の道を通過
もしくはその少し上の奥琵琶トンネル(393mと436mの峰と峰の間)の間の
400m級の通路で凍傷にかかってるはずで、やはり家屋設備の無い400mは死亡フラグだろうね。
それと
>>595の>>敦賀って余呉より更に北にあって、日本海側の気候
と言うのはあきらかに間違いで、近江塩津への道中だから敦賀なんて地理すらわかってない。
(そもそも上空で雪が生成されても当日の上昇気流を無視する重さにならないと降雪しない)
シャクナゲは1000mの高所に自生する高山植物だけど
琵琶湖東下に位置する標高400mの近江日野町などにも群生するほどの低温地域だし
朝霧が発生するのは秋から春先で、湿度の高さと夜間にかなりの冷え込みが条件になるし
関が原前夜は雨天だし(空気が乾燥してると熱が奪われ雪になり、湿ってると雨になる)
関が原前日の深夜もかなり冷え込んでいたはずだし、
湖近郊で伊吹山・霊仙山・養老山らに囲まれた関が原盆地の方がかえって朝方の冷え込みはきつい。
(琵琶湖は湖陸風が発生し放射冷却が妨げられるが、逆に山に囲まれた地では冷気が溜まり
冷気湖となり放射冷却が促進され温度低下が激しくなるが、昼夜の温度差が激しくなることで
山谷で綺麗な紅葉が見れたり朝霧が発生し易くなる)
608 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 19:28:48.80 ID:8knof/SM
>>589 信長公記の首巻は特に信憑性がかなり疑われてる。
(若い時の信長について書かれており
桶狭間の戦いも収録。しかし今川方にしか感状がない)
長篠の戦いに参加してない池田を参加したように捏造したり。
同じ著者の太田の太閤軍記や関が原軍記はデタラメ過ぎて誰も引用しない。
田中吉政は良質な歴史記述家をお抱えしてたようだね。
光成氏の奥羽の関が原の記述も面白いよね。
>>606 コーエーの著作物なんて所詮ゲーム脳が出発点。
三成憎しの個人的感情で書いてる偏った
実につまらん著者なんだろ。
まるで彦根市の人間みたいだw
609 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 20:33:19.59 ID:5HKpSQCu
わかったわかった。
江北の11/27と関ヶ原の10/21の気象条件が同等なんだろ。お前の頭の中では、な。
いちいち反論するのもあほらしいわ。
それより早く毛利の南宮山布陣を覆す文献名を出してよ。
610 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 21:21:38.76 ID:zQaHncTv
>>609 長慶宣明暦に従うと
1599年閏3月追加
1600年追加無し
1601年閏11月追加
1602年追加無し
1603年追加無し
1604年閏8月追加
因みに1336年は閏月で一月余分に追加だろよ…
611 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 23:27:23.39 ID:IG0fqsDI
>>608 彦根市民は三成公は好きだよ
三成グッズも売れてるしね
井伊なんかひこにゃん関連しか売れてないけどね
ただ彦根市は昔から井伊とその家臣の子孫が強い影響力をもってるから三成万歳とは行かなかったけど近年は情勢が変わりつつある
三成イレブンといい(笑)
もはや石田三成抜きで彦根を語れなくなったのは事実
直弼なんざどう持ち上げても石田三成になれるはずないのに無駄な抵抗はやめな井伊とその一味
612 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 23:30:24.29 ID:IG0fqsDI
>>607 以前正月に長浜から名古屋まで往復サイクリングしたけど帰りの関ヶ原で大雪にあいさんざんな目にあった
よく帰れたもんだ
613 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 23:51:52.06 ID:5HKpSQCu
>>610 ん、閏月で一月余分なら、旧暦10/11は新暦では12月下旬なのでは…。
と思ったけど、よくよく調べてみたら、1336年の旧暦10/11は新暦だと11/14なんだね。
なにはともあれ、ご指摘ありがとう。
まあだからと言って、関ヶ原の合戦当日に、関ヶ原周辺の山々に雪が積もっていたとかいう
記述が史書にあるわけじゃないしねえ・・・。
614 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 23:55:00.53 ID:SEVeDsUq
関ヶ原近隣で大雪で『さんざん』?
当方転勤族なので、大垣近隣に住んでた事があるけどね。
申し訳ないが、どれだけ凄かろうと北国・雪国の人間に言わせれば笑止だね。
雪が日常的でない人間にとっては、その程度で『さんざん』なんだよ。
その程度で凍死云々言うなら、北陸・東北では戦国が成立しないわ。
615 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 23:55:12.01 ID:l2VILSXZ
またいつものキモイage馬鹿四十路童貞三成厨が現れたよw
616 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 23:59:01.59 ID:Be3dTJQC
すぐ判るよな
617 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 00:08:27.39 ID:jk8+6NYG
>>607 で、史料添付で説明してくれない?
あと、白峰の著書ね。
北国の人間が寒冷に耐性があるのと同様、
寒冷期なら当時の人間にも耐性があると言えるよな。
現代人の体質をそのまま当てはめるほうが強引。
お前さんと同じ切り口だぞ。
618 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 00:14:20.34 ID:I4LKETZn
>>615 石田同様気持ち悪いよな
なんかいろいろ必死過ぎて痛々しいわ
619 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 00:31:37.63 ID:Lom8xaOh
変な人が来たw
620 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 01:02:56.97 ID:kpdiNtzk
彦根で石田グッズ買う大半は観光で外部から来た歴女達だと思うケドね
石田が好きってより、単純に金になるから押してる連中も多いだろう
まぁ、ひこにゃんも同じだろうけど
あと、井伊家は彦根のイメージが確かに強いが、直政に関してはあくまでも遠州の人ってかんじ
621 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 01:03:46.05 ID:Qkl1UDSl
>>618 お互い様だろ(笑)
ま君らがどう石田三成公を貶めても三成が見直されてる状況に変わりは無いけどな
吉田松陰を個人的な理由で虫けらのごとく処刑(本当は遠島)した直弼の評価は覆らないけどな
622 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 01:24:31.48 ID:AN3pRPsH
石田厨ってこんなんばっかかw
誰かを貶めなければ石田を上げられないんだな
さすが嫌われ者の石田三成()
623 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 01:31:45.64 ID:X1BCkiC1
後世の作り話を取り除くと、石田三成という人間は、
・秀吉の側近で大きな権力を握っていた
・福島正則や加藤清正といった豊臣家生え抜きの武将たちから猛烈な反発を受けていた。
・秀吉死後、毛利などと結び家康に対抗した
・関ヶ原で敗戦して捕らえられ、斬首された。
くらいのことしか解らない。
性格がわかるような話も一切伝わっていない。実は謎の人物。
624 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 01:32:08.47 ID:n8H4R6Oi
石田三成公とかきんもー☆
625 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 01:34:16.39 ID:n8H4R6Oi
>>623 細川忠興からは同じ空気を吸うのも嫌なくらい嫌われていた
626 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 01:53:08.00 ID:dqyiJ3Wd
黒田孝高とは早々に九州征伐あたりから険悪になってる
三成の「へいくゎい」って、具体的にはこんな感じ
秀吉の九州征伐の高城攻囲戦の作戦会議。戦う相手は島津さん。
あくまで黒田さんから見た三成。ソースは『九州記』『黒田家譜』にある逸話
627 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 01:53:54.36 ID:dqyiJ3Wd
黒田長政「オレ伏兵したいので、場所探しに偵察に行きます!」
蜂須賀家政「ま、いいんじゃないかと。でも無茶するなよ」(ちょっと心配)
石田三成「その作戦、反対!長政君には無理」(いきなりダメ出し)←へいくぁい発動
黒田孝高(ムカッ)「いいから行ってこい、長政!」
三成(ムカッ)「!」
628 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 01:54:45.79 ID:dqyiJ3Wd
長政、偵察→伏兵→敵と遭遇→敗走
三成「長政君、さっきから逃げてばっかりなんですけど?」(冷笑)←へいくぁい発動
孝高「ああ、そうですか。そう見えますか」(棒読み)
で、いろいろあって、長政が5倍の敵を破って勝った。
(長政を心配した孝高と家政が、陰でこっそり手助けしたりしたのは
三成には秘密だ)
629 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 01:55:17.13 ID:dqyiJ3Wd
孝高「ははは。わざと敗走して釣りだす作戦、大成功!
石田殿が殿軍をつとめるときは、うちの長政を 手 本 にするといいですよ!」
三成「!」(ムカムカッ)
なんというか、石田も黒田もすごく大人げない…
こういう対立がつもりつもって、慶長の役での「三成待たせて、囲碁うってました!」につながる
630 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 02:03:41.68 ID:kpdiNtzk
>>625 忠興さんは最愛の奥さんを三成のせいで亡くしちゃったようなもんだし、
大嫌いな柿を嫌みのように贈られるし、
敬愛する利休は殺されるわで、
まぁ嫌って当然ですわな
631 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 09:10:28.37 ID:yAzSeTQT
>>285にも書かれてるが
関ケ原の首謀者は
明らかに輝元だし、
七将襲撃で敗北した輝元。
秀吉の遺命で上杉が家康と婚姻の約束して事が大きく発展しないようにした上で
上杉が毛利と協力して三成の処分だけで事を納めるよいに家康と妥協したが、
悔しくて仕方が無い輝元はチャンスを待っていた。
それと三成の職務上、嫌われるのは仕方ないけどな。
それに七将襲撃も三成だけが糾弾されたわけじゃなく
増田なども標的にされてたしな。
この時点ですでに家康がシナリオ描いてて
これと同時に大坂城が家康に支配され
伏見の治部郭で奉行衆が籠城して対抗してるが、
大坂城がすでに家康の手に落ちたし、
伏見でも劣勢で、この時点ですでに毛利と奉行衆側が敗北してたと言ってよく、
輝元は家康に対して父のように思いますって土下座状態で面目丸潰れ。
その後も書状で胸糞悪いと輝元は書いて機嫌が悪かったりしてるし。
会津討伐に家康が出発した時に輝元が安国寺を使って隠居していた三成を誘ったのは間違いない。
関ケ原までに毛利は各地に兵力を分散して占領し増田などから不興を買ったり
毛利は領土拡大にやたら熱心で、
逆に兵力が足らなくなり毛利の大津城占領軍が
大津謀反を防げなかっり
毛利だけでの伊勢占領にこだわり奉行とトラブルやってるから東軍に岐阜を落とされる時間的猶予を与えてる。
そもそも毛利は明らかに家康は江戸からこっちに来ないとタカをくくって伊勢でモタモタやってたし、
家康が来ないから領土をたんまり拡大させようと野心満々。
領土拡大をしようとしてない西軍諸将からしたら
輝元が幼君秀頼をダシに使って専横していたようにしかみえない。
632 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 12:19:14.54 ID:/kWVxieN
いや輝元は安国寺にかつがれただけ
その証拠に輝元の首は刎ねられずに
安国寺の首は刎ねられただろ
633 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 12:25:33.03 ID:/6nZCdd7
三成が首謀者でないとしたら、その存在価値って何なんだろうな。
ただのカスだな。哀れ。
634 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 12:34:11.38 ID:HgBDEKk5
>>632 輝元に関しては吉川広家の奔走により黒田親子、福島正則が強力な助命活動を行なっている。
家康はこの両家の顔を立てたのと、事態の早期収集の為に毛利は減封ですまされた。
本来総大将であった毛利の処分を行わないために、関ヶ原は石田、安国寺、小西がやったこと、と
矮小化されたんだよ。
635 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 13:25:09.16 ID:a9VfnoJC
毛利各城から人質取った上で徳川家臣が接収の上、
死ぬ気で輝元本人が島津攻め先鋒を勤めるように命令が出たから
減封で済んだだけだよ。
吉川は全く関係ないし、
黒田如水が強欲丸出しだったから
島津攻めと言いつつも、
如水→北九州
清正→肥後全土+筑後
の領土要求を拒否するために毛利を利用しようとしただけ。
島津が生き残れたのもその為。
636 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 13:29:26.50 ID:KGx7VkSL
>>630 いや、忠興は柿は大好物だったんだよ
問題は生まれも育ちも悪い三成の気遣いの出来ない礼に欠いた行いのせい
自分の事をよく思っていない相手を招待しておきながら自分は遅刻してきて
挨拶も詫びの人事もなく、まあ柿食えだ
文化人で茶の道を心得た忠興からすりゃ、この下賤者が!という感じだったんだろう
637 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 14:11:50.52 ID:HgBDEKk5
>>635 どっちにせよ三成が毛利を処分しないためのスケープゴートだったことには同意なわけね?
638 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 14:32:27.72 ID:/6nZCdd7
三成は好きじゃないけど、輝元の首謀者はない。
時系列で考えれば、具体化するのは三成の決起が初動。
これが輝元の指示だという証跡があれば別だけどね。
639 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 14:58:43.87 ID:7nTT7abw
時系列から輝元首謀者説が出てきてるわけでしょ
国元での動員、上坂とかみると
640 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 15:31:25.89 ID:/6nZCdd7
>>639 それは関ヶ原ありきの導きだよ。
三成が決起しなくとも、『国元での動員、上坂』によって
毛利が反旗を翻したと立証出来るかい?
三成の決起は、毛利の旗幟に関わらず起こされたものだ。
そうではないと言うのであれば、輝元の指示だという証跡が必要。
641 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 16:29:31.39 ID:DxeJ7cPu
>>640 三成単独挙兵しても
大坂どころか伏見も落とせない。
それに三成より秀家の方が先に挙兵してる。
そもそも前田、淀、奉行があまりに速やかに輝元を受け入れ過ぎ。
彼らのウソに騙された家康が
三成と大谷が首謀者だと誤認して楽観視してたら失敗したのが家康
642 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 16:40:58.78 ID:/6nZCdd7
>>641 >三成単独挙兵しても大坂どころか伏見も落とせない。
だからこそ、何らかの下準備があったろう事は予想がつく。
三成が首謀という事と矛盾はしない。
でも、イコール輝元が首謀という根拠には全くならない。
三成挙兵は、7月11日だよね。
これより前に、秀家が家康に対して反旗を翻してるの?
東下の出兵準備を曲解して挙兵とか言い出さないでね。
643 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 18:05:13.93 ID:v0rXKmjM
また毛利厨が暴れてんのかw
あのね、少しぐらい関が原に関する本くらい読めよカス。
wikiとネットサーフィンと思いつきで書いてるのバレバレなんだよ。
秀家が東下の下準備とか言い出して超笑えるんだけどw
あのな、輝元が在国してて、家康が会津へ出発すると
大坂は大老不在になってしまうことから
秀家は会津へ行かずに在京なんだよ。
秀家の代わりに会津へ行ったのは詮家なんだよ。
ちなみに毛利は吉川と安国寺が会津へ従軍予定。
7/5の豊国神社参拝での武運長久を秀家が行ったことに関しても
肝心の詮家が出発した後にそれをやるのはおかしいとされ、
しかも家康が介入した宇喜多騒動の主役の1人の詮家を会津へ派兵したのは
西軍挙兵において家中で邪魔になるであろう詮家の弊害を恐れ
事実上、秀家による家康の下への放逐行為であると考えられてんだよ。
そして秀家は大谷と親しいので、大谷の決起も
秀家の士気の高さに引っ張られたとされてる。
6/16の家康出立直前の6/8〜10頃に輝元は領国へ向け出立
6/17日夜に広島に着いているわけだが、7/2に家康が江戸城着を経て
7/12付け三奉行の輝元への上坂要請文が
7/15に輝元の元に到着した可能性が高く、
待ち構えていたように即日のうちに輝元は
家中を率いて広島から船を出したと考えられ
7/17夜には秀元が大坂西の丸を占拠してしまうなど
迅速に家康のいた場所が制圧されてる。
明らかに出兵の準備のために帰国してたとしか思われないわけで
輝元は6月の時点で家康を油断させるために領国へ帰ってるとされる。
そして七将襲撃の時に輝元ー三成ラインが敗北した原因である
家康側による大坂占領と伏見城の治部少丸包囲と
真逆の行動を開始するなど戦訓を生かしている。
ちなみに7/19秀忠が江戸より会津へ出陣。7/21家康が江戸から会津へ出陣。
644 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 18:15:05.43 ID:/6nZCdd7
発狂したい気持ちはわかるが、
三成の挙兵前に、秀家が家康に対し反旗を翻した証跡は?
また、三成が輝元の指示で挙兵した証跡もな。
全てオマエさんの推定・妄想ばかりだよな。
〜とされてる、って表現が多いけど、出典を明らかにしろよ。
645 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 19:53:50.25 ID:DxeJ7cPu
6月にすでに輝元が反家康挙兵準備で帰国したのは明らかじゃん。
佐和山城で隠居して孤立していた三成に何が出来んだよ。
七将襲撃後に輝元が悔しくて泣いたり胸糞悪いと言っていて
家康への敵愾心が書状にも吐露されてるぐらいなんだし。
家康としては輝元を屈服され親子の契りをしたから
前田利長屈服、上杉屈服拒否で征伐で天下盗み完了予定だったんだよな。
秀家があんだけ戦意あったのも
上杉滅亡したら秀家が家康の最後のターゲットにされ屈辱的土下座しか道が無いから。
屈辱した輝元にしたら
上杉を巻き込んで雪辱できる最後のチャンスなんだよな。
家康も武門としての親子の誓いをしたほどの輝元が反旗するのは予想外だったから
なかなか信用しなかった。
646 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 20:18:02.61 ID:/6nZCdd7
別に短編小説は読みたくないんだよ。
家康に対する敵愾心・感情を露わにしたからといって、
輝元が首謀者である根拠にはならないだろ?
一方で三成挙兵から西軍が構成されていく過程を考えれば、
三成首謀に矛盾はない。
違うというなら、輝元から三成への挙兵指示の証跡を見せろ、と言っている。
647 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 20:22:27.30 ID:DxeJ7cPu
三成首謀説なんて直江とセットの偽書状が発祥なんだがw
648 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 20:26:44.77 ID:X1BCkiC1
>>646 西軍の形成は毛利輝元の大阪入城からであって、三成はその露払いでしか無いわけだが
649 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 20:38:15.30 ID:/6nZCdd7
>>647 輝元首謀説なんて、史料でも見たことないし、文献を読んだこともないんだがw
で、輝元首謀の発祥文献を教えてくれよw
650 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 20:40:15.67 ID:X1BCkiC1
総大将の毛利輝元が首謀者じゃなくて、誰が首謀者なんだよw
東軍の首謀者は家康ではない、ということを証明しろと言ってるのと同じだぞ、お前の言ってるのはw
651 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 20:53:42.41 ID:/6nZCdd7
>>650 そりゃそうだ。仰るとおり。
だから、輝元を首謀者(陰謀を企てた中心者)とした史料なり研究者を
教えてくれ、と言っている。
652 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 20:56:29.72 ID:/6nZCdd7
↑ちなみに、当方が読んだ書籍は、全て三成が首謀者なんだよね。
653 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 21:04:21.70 ID:Keb5ROT/
7月11日を起点にするなら大谷さんも首謀者かいな
654 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 22:00:56.19 ID:DxeJ7cPu
>>652 漫画読んでるだけだろw
徳川史観が流布した最初のネタとして
三成首謀説は大老にもなった若狭酒井忠勝が主導して造られた東国太平記が
三成と兼続の陰謀話の証拠として登場させたのが発端だからw
それには現在では偽書状認定されている原書が存在しない書状が記載されてる。
6/20三成→兼続書状
7/14三成→兼続書状がそれ。
これはのちに続武者物語にも転載され一般化され根付いたもの。
三成と直江がすべて悪いと汚名を着せられたことと、
陰徳太平記を書いた岩国藩の香川景継が、
吉川家の意向を受けて、
関ケ原軍記大成などの軍記類に偽書状を元ネタに吉川の主張を隠密裏に盛り込む活動をして毛利は被害者ぶった史観を作りあげただけ。
655 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 23:01:23.37 ID:/6nZCdd7
>>654 いいからさ、輝元首謀の史料出しなよ。
それを主張している書籍でもいいよ。
通説を否定する以上、まずは自説の論拠を提示するのがマナーでしょ。
君の主張が通説だというのなら、史料なり、文献を出せるでしょ。
いつも同じパターンだよね。少しは学習したら?
656 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 00:24:56.11 ID:FDe567iK
wikiの知識しか無い毛利厨相変わらず痛いなあ。
状況証拠で外堀を完全に埋められて
いつもの如くケチをつけて無駄に喚くだけで憐れだな。
657 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 00:35:40.41 ID:BfQR5dsj
えらい自演の嵐だな
658 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 01:13:28.04 ID:tdjgGz7q
>>656 またしても史料を出せず、負け犬の遠吠えか。
お約束のパターンだな〜。
次は、史料のあるネタで頼むよ。
瞬殺じゃ面白くないしね。
659 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 07:13:14.97 ID:c6Czw1C2
輝元が諸大名に西軍に加担するように催促する手紙とか残ってるのか?
660 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 09:02:25.36 ID:tD1wHVfy
>>659 あるよ。
輝元は西軍に入らなかった
清正とかにも勧誘してるよ。
>>654 野心家に描かれた直江も被害者だよな〜
戦後になって直江も汚名が晴れたと思ったらクソ大河ドラマでw
661 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 09:09:49.31 ID:/e7hZAYJ
>>660 領国内の至る所に陣地を構築しておいて
野心はなかったとか
アホと違うかお前
死ねよボケ!!!!
662 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 12:47:42.45 ID:V3Tkw5bE
この場合野心は直江ではなく景勝にあったというべきだろう
663 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 13:14:26.18 ID:1jl+/a2q
>>643 6/16の家康出立直前の6/8〜10頃に輝元は領国へ向け出立
宇喜多騒動の主役の1人の詮家を秀家が家康の下への放逐行為
明らかに家康に対して叛意ありありだよね。
それには同意するよ。
それでさ、6月中に輝と秀家が決起計画を立ててるとすると
>>654が指摘する偽書状も一定の信憑性が出てくるのが歴史研究も面白さw
偽書状って6/20付けで三成は輝元と秀家は味方だって書いてるんだよね。
こうなると輝元・秀家・直江・三成の共同謀議が成立しちゃう。
偽書状だとする最大の根拠が輝元と秀家はまだ参画してないとするここだからね。
あとは直江の性格からそんなことやるはずないって意見が登場しちゃうしw
もちろん家康の動きや三成の動きを正確に日付を書いて直江に報告してるのとか
明らかに後世の人が知ってて書いてるっぽいし、
「兼々之調略任存分 天之与令祝著候」なんて文はいかにも厨弐病っぽくて如何わしい。
それどころか7/14付けでは越後は上杉にやるとか、
わざわざ三成が越後遺民一揆メンバーの名前を書いたりと非常に臭い。
でも一定の説得力が付随しちゃうんだよねw
664 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 13:37:31.52 ID:5NAkxVor
現代人は三成のような忠誠心を持つ人が少ない
665 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 14:14:27.60 ID:5R43WZ/Q
666 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 20:44:45.76 ID:tauknxb+
>>664 ていうか「徳川が権力握ったら俺終わりやん」という危機感持ったに過ぎない
667 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 21:28:37.51 ID:jK2WAwv6
>>666 ていうか清正に出世争いで負けた感が強い
ある種クーデターやで
668 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 21:29:36.52 ID:2hYl3SOQ
669 :
人間七七四年:2011/10/17(月) 12:45:53.68 ID:MCpolQAQ
>>666 七将クーデターによる三成の佐和山蟄居で
すでに三成の政治生命は終わってた。
清正と競争などしてないし、勝ち負けの判定すら不明。
むしろ三成の方が出世してると思うが。
670 :
人間七七四年:2011/10/17(月) 15:56:43.33 ID:JOJZrQd7
西軍の旗揚げたのは家康や清正らも意外だったんじゃね
政治生命終わってたのなら、なおさら
671 :
人間七七四年:2011/10/17(月) 16:43:14.53 ID:ZUYs4MMG
まあ本来は利家がやらなきゃならんかった事だからな。
秀家も利家の先鋒を務めたいと申し出て利家が喜んだって話もあるし。
だが肝心な時にヘタレたのが利家。
それをやろうとしたが見事に失敗したのが輝元。
一方で保身を考える輝元では
all or nothingの家康の肝の座りぶりには勝てんわな。
672 :
人間七七四年:2011/10/17(月) 19:32:14.50 ID:SSbJsGfa
秀吉は大名との対面でも、家康・利家・政宗・秀家・輝元らと秀元を同席させて大名との謁見までやってたくらい秀元の地位が高かった。
元清の息子秀元の父の遺領の相続に対して
家康が強力に後援してて、秀吉の遺令と称して隆景遺領問題とも絡めて
元清遺領問題と輝元に子ができたので、
輝元の養子の秀元の別家創設問題を(秀長の娘が正室)持ち出した。
家康に操られた秀元は強圧的に輝元に要求し、
家康の毛利内での相続問題と奉行を伏見で包囲し大坂占拠など 矢継ぎ早に毛利を追い込んだ。
そこに家康と領地をより多く奪おうとする自立を狙う秀元の連携が見え隠れしてて、輝元は元康と相談したりしてる。
家康側は「長門と周防の一部(吉川領でもある出雲+伯耆+隠岐の合計石高分+周防元清遺領)と安芸・備後の元清遺領を
秀元に配分するべきだとして譲らず、福原が秀元に諫言したり秀元が周防の国人に騒ぎを起させて恫喝してる。
家康は秀元を利用して着々と毛利内の分断を図っていて、輝元は家康に対して怒り狂ってるのが見える。
そこで家康への対抗から輝元領の減少を食い止めるべく奉行と輝元による運命共同体の姿があるんだよね。
会津征伐ってのは家康の内紛を誘う上杉弱体化分断工作がうまくいかなかったから実力行使に出ただけ。
クーデター側は反家康側内がどんどん分断化や協調体制の各個撃破されていくのを見ているはずなんだよ。
輝元は完全に家康に追い詰められていた。
北条改易の時に関東国人を解体してからおよそ10年が経ち
徳川旧領からの領地代えによる家臣の土地からの分離により
官僚化と中央集権が簡単に確立してしまった徳川内部への分断化工作は難しく
豊臣型が介入による反撃ができないところに反家康側の弱さがあった。
そして会津転封から間もない上杉の内治の効果が現れる前に潰しておく必要もあった。
673 :
人間七七四年:2011/10/17(月) 20:57:57.21 ID:Hjo+0d0B
まずは何を言いたいのか、一言で頼む。
674 :
人間七七四年:2011/10/17(月) 22:32:28.97 ID:nJMt1Kwp
>>673 ぼくのかんがえたさいきょうせきがはらぜんし
675 :
人間七七四年:2011/10/18(火) 08:11:04.04 ID:yyXQ/cJY
>>672 家康は前田から人質とって屈服させ
宇喜多騒動、毛利解体と他の大老を次々と追い詰めたからね。
最後の仕上げが上杉征伐。
輝元は遺領問題で
天下の人々はどうおもうだろうか?と毛利の外聞を気にしてる。
家康や秀元によって恥をかかされたと認識してるから、
輝元も上杉征伐を最後のチャンスと思ったんだろうね。
ただ秀元も広家もみんなアホ過ぎた。
まあこの辺りは元春や隆景や元清らの自立化と他大名との自立的交際が原因だから
輝元の指導力だけが原因では無いが。
676 :
人間七七四年:2011/10/18(火) 11:49:43.68 ID:3GXrupqa
677 :
人間七七四年:2011/10/18(火) 11:50:22.38 ID:Qr1uVJaz
輝元からしたら
隆景が生きていた時期に較べて
毛利の威望が家康によって地に落とされて
悔しくて仕方がない
そんな精神状態だっただろね。
家康が大坂を離れて会津へ行くなんて機会を
望んでも得られない、またとないチャンス。
奉行達が必死になって家康の会津征伐に反対してたのも
あるいは、輝元の挙兵準備で帰国したのを知ってたのかも。
678 :
人間七七四年:2011/10/18(火) 13:45:31.15 ID:ox6xKPq8
三成の息子は秀頼に仕えていたから
三成自身は蟄居でも
ぜんぜん構わないだろうけど、
輝元は家康に屈するのが
我慢できないだろう。
なんせ豊臣政権って毛利の協力で完成したって思いがあるのに
後から参加した家康に屈するとかあり得んもん。
679 :
人間七七四年:2011/10/18(火) 13:47:23.03 ID:MVwaKoV2
だから自作自演するのならせめて文体変えろよ。
680 :
人間七七四年:2011/10/18(火) 22:50:33.46 ID:JZkJdCqo
文体もそうだが、主張の底流が全て同じ。
681 :
人間七七四年:2011/10/18(火) 23:13:46.08 ID:NRWSxFvI
まっ、
長曽我部や島津が秀吉に降伏したのと
同じことを輝元はやったまで。
あやうく北条みたいに滅亡寸前になったけど。
682 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 02:35:40.27 ID:TaohGxbP
戦国武将にヒロイズムを求めてる人には受入れ難いだろうな、輝元は。
683 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 03:10:18.21 ID:dtKtHBiT
すっかり毛利輝元スレに・・
684 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 07:39:19.12 ID:ObzsHXHe
輝元が本当の総大将だったのか
それとも担ぎ上げられただけにすぎなかったのかでは
戦いの様相が全然違ってくるからな
685 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 08:00:00.29 ID:0xb46DuS
輝元はあまりに迅速に広島から大坂に入り過ぎ。
淀や利長や三奉行が
家康宛に「三成と大谷が謀反したから早く上洛して討つように」ってウソを吐いてるから家康も三成が首謀者だと誤認し楽観して大失敗したが、
こういう流れもあり
三成が首謀者に誤解されがち。
686 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 08:39:51.17 ID:+V7yKFhq
首謀者は三成、吉継、安国寺だろ 一応
総大将は輝元だけど
三成は関ヶ原起こさなかった方が、間違いなく良かったな
687 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 09:52:57.42 ID:0xb46DuS
三成首謀者誤認させてるのは
毛利謹製の捏造ストーリー
陰徳太平記だな。
三成や増田を始皇帝死後の
趙高のように増長したとかしょーもない史記テイストで書いてるし。
大老たちは秀頼様に忠節を尽したとか書いてるくせに、
関ヶ原の記述は一切書かないし、
そのくせ関ヶ原を視野に入れての言い訳のために宗茂と正則の両者による鴻門の会和睦斡旋と言う真偽不詳のエピまで挿入し広家は長政と親しいアピール挿入してウザい。
江戸から動けなかった家康が、
とうぶんこっちに来ないと判断した伊勢にいた広家が
再三に渡る黒田親子の書状をシカトしまくってた理由がわからんじゃん。
しかも長政書状を偽造してまで、広家が毛利を救った捏造ストーリーまで世間に定着させるのに成功してるし。
あからさまに毛利の捏造ストーリーが信じられ、
長州藩士の逆恨みの250年の原動力になってる。
688 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 12:20:22.63 ID:kT5f19GW
そう考えれば広家の250年後を見越したシナリオと言えなくもないが
鳥羽伏見なんか紙一重の勝利だし
結局、戦は士気が不可欠って事だ
689 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 17:48:08.56 ID:6Q1lqIw5
毛利史観がクソなのは
宦官趙高と一緒に神君にケンカを売った輝元になる自爆ぶりw
それとも、三成「輝元殿はこれを鹿と馬のどちらに見えるかな?」とか言われて騙されたのかなw
690 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 18:08:08.93 ID:IbdZyL3a
歴史は勝者の側にとって都合のいいように作られるのは先の戦争の結果見ても明らかだろ今さら何いってるのやら
691 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 21:16:58.97 ID:gHDB1rxn
毛利批判したいなら、毛利のスレに行けばいいのに。
毛利首謀とかもどうでもいいよ。ヨタ話には興味ないよ。
本当に自演がウザイ。いつやめてくれるんだろうか。
692 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 22:13:34.29 ID:BVnRTZmR
前のスレから永遠ループで、毛利、毛利、南宮山ばっかり繰り返してるやつ
ないなら関ヶ原スレを自分で立てろ
そして、続きはそこでやれ
ス レ 違 い
693 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 22:18:56.81 ID:hdeoeDgd
>>690 関ヶ原の戦後処理において
三成をスケープゴートにして解決して輝元は生き永らえたと言える。
694 :
人間七七四年:2011/10/19(水) 22:28:00.17 ID:NIXPpWUZ
まあ戦後は毛利家にとっては輝元は一切関ヶ原には関わりがなかった事にしておけば
幕府に目に付けられる事なく、安泰だからな
695 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 00:49:06.25 ID:znMOwdKS
>>692 三成のネタがないせいだろう。ある意味三成のせいとも言える
お前が流れを変えてくれ
696 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 00:56:03.01 ID:r0AikSQy
あれだけ大厳封うけても立ち上がらないわ、吉川広家も罰しなかったもんな
あそこで毛利がブチギレて徳川を糾弾して挙兵してたら豊臣恩顧も巻き込んでどう転んだか分からない状況になってたかもしれないのに
697 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 01:03:43.43 ID:znMOwdKS
早く領国に帰りたかったんじゃないかと
大坂で頑張ってるのはいいけど領国ないがしろ状態じゃ意味ないべ
698 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 02:05:46.29 ID:/U4cL4zJ
>>695 なきゃないで、無理に作る必要もない。
自分の妄想を押し付けてくる自演がウザイだけ。
699 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 02:39:17.74 ID:2Qk9YAQk
>>696 周辺諸国が大喜びで広島攻めこむな。毛利はあっという間に滅びただろうさ。
というか「豊臣恩顧」なんて言ってる所を見ると、お前はまだ西軍が「豊臣派」とか思ってるのか。
度し難いな。
700 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 08:09:23.12 ID:G5zxedZK
三成憎しの武断派は
三成が死んだら
どう転ぶかわからんからな。
輝元が大坂城に籠城する限り負けない。
やりようはいくらでもあった。
秀家を大坂に収容すれば、なおさら良い。
>>699 村上水軍による制海権があるから周辺に脅威はない。
それに利長や淀は、
三成と大谷が挙兵したが大坂は大丈夫などと
家康にウソをついて騙してる間に、
伏見城を落とすなど
完全に淀は家康の敵だったわけだが。
701 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 08:19:31.90 ID:+Nvhz0LL
篭城すれば勝てた!
702 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 08:56:51.42 ID:1o3syWAH
講談じゃ無いんだから三成憎しだけで行動してるわけ無いだろ?
それに関ヶ原後、お前の言う武断派は大坂まで攻めよせて毛利から秀頼を救うべしなんて言ったなんて話も有るわけだが?
これ以上は輝元大坂籠城スレを上げるなり新たに立てるなりしてそこでやれ
703 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 09:53:41.18 ID:3KPfBWB1
599 名前:人間七七四年 :2011/10/20(木) 09:03:50.04 ID:G5zxedZK
家康はチョン並みの人格w
秀吉と三成は何も悪くないw正義に生きる清廉潔白な男ww
悪いのは家康福島加藤輝元www
だとさ
704 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 10:01:41.08 ID:wahuLs/f
秀吉×三成の薄い本でも作ってろw
705 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 10:54:19.56 ID:nW1aLcXL
三成はよくやったよ
秀吉はカス
706 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 11:25:08.68 ID:G5zxedZK
>>703 秀吉の墓を家康が破壊した件についてスレにレスしただけじゃん。
さすがチョンは粘着ストーカーだから執拗に追跡調査してくるんだなキモッ
707 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 11:46:13.54 ID:YZH3JtFv
さすがカルト教団の三成厨だなキモッ
708 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 11:50:41.11 ID:YZH3JtFv
>>704 禿鼠と木槌頭の出っ歯なんて需要がないだろ
改変誰オマゲームじゃないんだから
709 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 17:07:27.54 ID:CcYwNV4A
710 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 17:08:43.92 ID:CcYwNV4A
711 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 20:58:45.98 ID:Tb71/n5S
んなわけあるか。
三成の決起が輝元の指示だと証明出来るか?
無論、一次史料で証明しろ。
712 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 21:29:59.45 ID:I53OHqDT
だから輝元が首謀者であるという史料は悉く毛利家が焼却したって
713 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 22:06:19.28 ID:zyT9ZYcJ
史料が存在しないのなら、輝元が首謀者という証明もできない
そういう場合、ふつう推定無罪になるんじゃないの?
じゃないと、どんな陰謀論でも許されちゃうよ
逆に「三成に都合のいい史料は、悉く徳川家が焼却したので残ってない」
って言われたらどうよ?
714 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 22:15:17.52 ID:znMOwdKS
あらなんとも都合のいい反論
715 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 22:16:28.05 ID:znMOwdKS
716 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 22:17:30.39 ID:zyT9ZYcJ
な、そう思うだろ?
輝元首謀者説でも何でもいいけど、史料の裏づけがなきゃ
「あらなんとも都合のいい妄想」でおわりだよ
717 :
人間七七四年:2011/10/20(木) 23:16:19.59 ID:hrTroGFK
佐和山に蟄居して出られない三成に何ができんだよ。
そんなやつが、最近うちのすぐ横を進軍しまくりの徳川うざいから討つわって言ってくらいで
誰も付いてくるわけないだろ。
しかもみんな聞いて即決とかあり得ないわ
718 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 00:23:08.79 ID:o7/BNFwZ
そもそも三成のガキが秀頼に仕えるのを
家康は許可してるし、
三成が政権復帰したいなんて思わせる
一次史料も存在しない。
三成は無理して挙兵するだけの動機はないんだよね。
失脚した時も、
全ては輝元に任せるって投げたから
輝元が上杉と組んで家康と折衝して
三成蟄居する代わりに三成の息子の大坂出仕で妥協したんだし、
三成も納得して佐和山に蟄居したんだから。
それを悔しいと泣いたのが輝元だし。
719 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 00:23:49.78 ID:lv8N3FY9
そのまま蟄居していればいいのに家康が出かけた途端に大坂に舞い戻って
他の奉行・大老が霞むほど目立ちまくって大将気取りの振る舞いを見せれば
東軍大名は三成が叛乱を起こしたと考えるのも当然だろう
実際の首謀者が誰であろうとも三成が一見して首謀者に見えるほど目立っていたのは間違いない
720 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 00:39:49.18 ID:0bvzdUjY
721 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 00:59:41.68 ID:CFDsc5ml
毛利輝元との絡みは今後の研究待ちなとこもある。
ただ三成は安国寺とは密接に関わってるからなぁ
輝元が安国寺使って三成を引き寄せたのか、あるいは逆か
どちらにしろ挙兵後の行動見れば計画的なのはわかるし、機内でそれを立てるのは毛利じゃ無理だね
722 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 01:12:48.44 ID:Pj8iUX3u
>>717 何が出来るんだよ、って実際に挙兵したじゃん。
これが三成の意思でなく、輝元首謀による指示と言うなら、
その証跡を出せ、って話。
723 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 01:28:15.09 ID:o7/BNFwZ
>>719 挙兵後もあんまり目立ってないとおもうが。
輝元が家康がいた大坂西の丸を占有してるし、
大兵力を操れるから、
どの戦線でも派手に動いてるのは
やたら好戦的な毛利軍だし。
西軍主力も毛利が主力の伊勢攻略軍たし。
724 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 07:07:29.24 ID:0Qg37/zw
>>717 政治的な行動を制限されたから鬼の居ぬまに軍事力での復権を図った訳で
725 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 07:25:47.52 ID:MuHcnPvp
それをクーデターと言います。
726 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 08:05:18.31 ID:0Y50Kg8U
2.26事件を思い出す
727 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 09:02:51.83 ID:0Qg37/zw
>>725 三成の挙兵自体は間違いようもなくクーデターさ
その後、毛利や宇喜多らと結びついた事で単純にクーデターで片付けられなくなるけど
728 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 09:20:58.37 ID:1hIQiFjh
>>724 三成のそういう意思は一次史料から見つからない。
それに安国寺と三成が策謀したが、
輝元は知らずに騙されたと書く広家書状も、
後日書かれた偽書状で、
三成が全て悪いとするシナリオを吉川が捏造してるだけ。
広家は安国寺がむちゃくちゃ嫌いで、
会津征伐従軍でも安国寺と一緒に行きたくないから
出陣をワザと遅らせたほど。
吉川は安国寺をスケープゴートにして
毛利を助けたのは広家とする捏造をしてる。
729 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 12:23:21.78 ID:0jjSR6LI
家康も輝元の責任を問わないと言ってたのに
輝元が首謀者として
確かな証拠があるから、
輝元の責任を取らせるし、
毛利改易にするって言ってるし、
あきらかに輝元は首謀者。
上杉と対立を続けていた家康が島津攻めを
考え始めたから
輝元を先陣にするために、
出家を条件に助命することに変更しただけ。
730 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 12:32:34.80 ID:CFDsc5ml
>>728 そこもどうなんだろうね。
広家と安国寺の関係も結構捏造されてるとこあるんじゃないかと
そのほうが毛利にとって都合いいしね
>三成のそういう意思は一次史料から見つからない
結局誰がクーデターやるべって意思持ってたかは、わかりません
てことですかな
731 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 12:47:39.23 ID:0jjSR6LI
そもそも何にも知らされずに輝元は大坂に入っただけとか
あんだけ段取りよく広島からやる気マンマンに速攻で
大坂に入った輝元が、
安国寺に騙され何にも知らなかったとする方がおかしい。
数万の兵力が即日広島から出港とか思い付きで動かせるわけがない。
732 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 13:58:55.22 ID:lGjBBHpz
そもそも毛利の動員体制はお世辞にも近代化(近世化)されてはいなからな。
上杉征伐の軍勢にしては余りにも多すぎる。
よほど前から、三成のクーデターを前提に動員を進行していたのだろう。
733 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 16:22:30.87 ID:CFDsc5ml
毛利の積極的関与は疑うことなかろう。四国にも兵出して東軍側とごちゃつきあるし
それを「輝元が首謀して三成らを誘ってコト起こしたか」と思うか「三成らが首謀して輝元を誘って・・」かで分かれてるわけだ
734 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 21:31:04.19 ID:qcCzwYC3
積極的に関与=首謀者の図式は成立しないでしょ。
首謀者の意味がボヤけ始めてる。
推測を一切排除して考えればよい。
三成の決起が初動であり、三奉行の推戴で輝元は大坂城に入城。
戦後、三成は首謀者として斬首。
別に輝元が首謀者でも良いのだが、それを裏付ける史料が
提示出来ないのなら、ただの妄想としか言えない。
735 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 23:20:22.43 ID:I9uOv+jd
少なくとも安国寺が三成を訪ねているし、
安国寺が勝手にやったことだと広家が言って言い訳してるから、
表面的には首謀者は安国寺で、
彼によりけしかけられた三成は教唆されたと言える。
しかし安国寺が独断なら、
輝元とその側近などの首脳部を騙し通すのは絶対無理だな。
状況的には隆景が生きていた時に比べたら転落激しいから
輝元は面目丸潰れだもんな。
秀吉死んだ時も、
東の取次ぎが家康
西の取次ぎが輝元
と同格だったから、
忸怩たる思いがあって、
会津征伐を計画する家康を横目に、
輝元は挙兵準備のために広島に帰ったのだろう。
毛利軍は秀吉から動員が遅過ぎると怒りを買ったくらいの古い仕組みだから、
準備期間がないと挙兵できない。
736 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 23:43:41.63 ID:qcCzwYC3
>>735 いや、だから君の推測は抜きにしてくれ。
>彼によりけしかけられた三成は教唆されたと言える。
>しかし安国寺が独断なら、輝元とその側近などの首脳部を騙し通すのは絶対無理だな。
>輝元は面目丸潰れだもんな。
>忸怩たる思いがあって、
>輝元は挙兵準備のために広島に帰ったのだろう。
737 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 23:44:06.31 ID:lGjBBHpz
毛利の後ろ盾がなければ三成がいくら家康を糾弾してクーデター起こしても、成功するわけがないんだから、
毛利からの働きかけがあって初めて三成は行動を起こしたと考えるべきだろう。
つまり、あのクーデターの主体はあくまで毛利ということだ。
というか、毛利の主導ではないという意見だと、三成は無謀で先の見えない行動をするような
バカだということになり、三成の能力をむしろ低く見る行為だと思うが。
三成が毛利を巻き込んだのだ、という考えも一緒。三成主導では不確定要素が大きすぎる。
三成は毛利に対する指導権なんて一切持っていないのだから。
そんな状況でうかうかと動くバカだと言うのか、三成は。
738 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 23:44:06.28 ID:Ra4fTCBe
なんで輝元はちんたらして関ヶ原に参加しなかったの
739 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 23:48:50.02 ID:lGjBBHpz
>>738 岐阜上洛城の後大坂城内の東軍派の動きが活発になり、下手に大坂城内の毛利軍を動かせない状況になっていた。
740 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 23:57:40.30 ID:qcCzwYC3
>>737 人によって三成の評価はもちろん異なるが。
この際、豊臣家のために云々は置いといて。
三成評価の真骨頂は、出資者を募って打倒家康のファンドを作りあげた事だ。
毛利は大口出資者。最後は儲からないと思ったから、損切りで手仕舞いにしたのさ。
首謀者=企画立案者は大身でなくても構わないという事ね。
741 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:02:35.67 ID:XBAPHSBI
結局淀君が素直に三成支持しちゃえば勝てたんだよね
加藤とか福島みたいなバカを味方につけて
742 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:04:17.98 ID:Yz4O80b5
毛利の後ろ盾を見込めた上で挙兵と考えれば石田が首謀者でもおかしくはないよね
毛利が主体っつったって、毛利だけじゃ対抗できないんだぜ
743 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:07:18.10 ID:gGU0OzuJ
寧ろ、三成が首謀者じゃないとすれば、三成の価値はゼロ。
昨今の三成の評価は全くもって無価値。
744 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:08:34.61 ID:XBAPHSBI
三成以外、率先して大将もしくは家康対抗の戦略を担えるだけの人材残せなかった時点で秀吉の負けかな
745 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:10:11.18 ID:UJy/5S3i
無理無理、福島と加藤は朝鮮の件で治部殿に逆恨み抱いてるから秀吉に逆らうこととも知らずに
結果として清正が死んだら福島は豊臣家見捨て滅亡させたのが証拠、ホント秀吉は人を見る目がない
746 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:14:00.54 ID:gGU0OzuJ
小説とかマンガの話?
747 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:14:10.49 ID:W0fGyrr3
>>739 最近はそれも否定されてきてんだよね。
そもそも七将襲撃の時に、
三成だけでなく、奉行みんなが伏見で籠城していたこと。
家康と毛利と上杉で、
三成蟄居と三成の息子の秀頼出仕と
輝元が家康を親と思う誓いを立てて話しを付けた時、
輝元は悔しくて涙が出るとか
考えるだけで胸糞悪いと書いてるが、
実は三成蟄居だけで済まず、
七将が収まらないので増田もタダで済まないだろうと書いている。
大坂城の増田が三成に非協力的とする見方が崩れる。
さらに三成の挙兵をひそかに家康に報せたとする話も、
淀や利長や奉行が、
三成が挙兵したとして、
家康に輝元や秀家らの挙兵を隠蔽し、
家康に反乱の過小評価の誤判断を誘い
伏見城攻略による大坂〜大津〜佐和山の接続達成の時間的余裕を与えた。
また大津の毛利軍の増援要請に、
輝元はもう余剰戦力ないから無理と答えていて、
九州兵(立花や秀包)を率いた元康隊が最後の兵力だったので、
実は出陣するにも輝元にはもう兵力が無かった。
そして元康隊はもともと松尾山に入る予定が、
大津駐留の毛利軍の不手際で、
大津城が東軍化してしまい、
大坂の輝元には兵力もないので、
大津攻略に元康隊が転用された。
748 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:20:39.72 ID:gGU0OzuJ
↑
この内容は
>>739へのレスになってるのか?
対応してるのは一行目だけな気がする。
749 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:31:52.68 ID:W0fGyrr3
つまり輝元こそ1番の怨恨を家康に抱いており、
三成は息子の秀頼出仕がかなったので隠居を受け入れて佐和山に行っちゃった。
秀家にも次は自分がターゲットだと意識していた(利家贔屓で家康とまったく交際して来なかった)
また淀や利長も消極的ながら協力して家康を騙している。
反家康で大坂方が意思統一ができたので、
大坂の占拠が可能なので三成を呼んで、
万が一のときは全ての責任を取る意思のある三成が彼らには必要だった。
輝元が首謀者として挙兵準備の調略を開始したからこそ
家康が秀頼を見捨てて会津へ行くと不測の事態になるから延期しろと
奉行達が再三に渡り上杉討伐の諫言をしていた。
しかし家康が出発したことで奉行らも腹を決めた。
750 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:54:30.47 ID:Yz4O80b5
小説作れよ
751 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 09:04:08.91 ID:bXFb96j3
七将襲撃の時に
大谷は輝元に「三成には加担しないように無益です。
ただ、だからといって上屋敷からは撤退せずに家康に対抗し人数合わせするべき」と言われてるし、
輝元は挽回のために山名禅高や西笑を利用して水面下で調略をするという安国寺の策を元康に話ししてる。
人望がない三成が首謀者は考えられず誰も呼応しないのは七将襲撃で露呈してる。
大谷と協調する輝元が首謀者。
ただ輝元は秀頼様の為と言えば
清正や蜂須賀は西軍として挙兵してくれると誤認してたっぽい。
本来の計算では、九州や四国は
彼らの協力で掌握できたと考えていたっぽい。
如水も毛利の取次ぎだから味方になると計算していたかも知れない。
七将襲撃の背後に復権を狙う如水が首謀者とする説もあり、
そうだとすると輝元は如水をも誤認していたと考えられる。
752 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 09:17:41.67 ID:bXFb96j3
秀吉があと一年延命し、
計画通りに福島、石田、増田が朝鮮出兵に同陣し
協力して侵攻していたら、
七将襲撃や小山会議での徳川派の団結が無かったかも知れない。
753 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 11:38:03.84 ID:Aq6meTQN
IFにIFを重ねりゃ何だって主張できるわな。気持ち悪い。
754 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 14:49:13.45 ID:EvZRFR7A
755 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 14:50:39.48 ID:vf/GmiUl
家康の会津征伐を奉行達が諫言したが、
家康が強行した時に
長束が水口城で家康暗殺を謀った噂があったのが6月中旬だから、
輝元が広島に帰るや
かなり不穏になるんだよね。
何らかの謀議があったからこそ不穏な情勢だし、長束が疑われた。
しかし三成はなんら意思表示も相変わらずない。
そもそも安国寺、三成、大谷の密謀と輝元騙されたことを書く広家書状は後日に書かれた捏造書状なんでデッチあげ。
三成は輝元や奉行らに誘われるまで
実はなんら動いてない。
三成が自分の復権のため挙兵とか完全にif妄想レベル。
そういや伊勢は敵がいないと(無人)毛利がダラダラやってたら、
会津陣から急いで帰ってきた
富田、分部、古田らが籠城して苦戦するわ、
増援の秀元はさらに遅れまくった挙げ句に、
広家の姉妹を娶っていた益田とケンカを始め
伊勢から大坂の輝元に連絡が入り
輝元から伊勢へ
そんなことやってる場合じゃないだろ!って
書状が届いていて、
秀元と広家の不仲ぶりが現れてんだよね。
もっとも家康と組んだ秀元が、
別家創設で輝元から毛利領の1/4獲得を狙っていた(出雲や石見なので吉川は長門へ飛ばされる)
こういう状況から仲が悪くなっていた。
その後の交渉で出雲から長門や周防や父の遺領に変更になりながら、やむなく妥結した。
会津征伐後に家康により、
秀元別家創設を実行する約束になっており、
また上杉滅亡後に家康の秀元厚遇と輝元の冷遇が予見され
輝元には絶対に容認できず首謀したのだろう。
756 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 16:34:10.76 ID:7C1fu4/z
つまらない男がいたものだ
757 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 18:34:22.88 ID:EvZRFR7A
結局史料ナシの妄想止まりか。
758 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 18:38:27.09 ID:NlIjlBET
輝元が首謀しようが統率する能力も戦場に立つ度胸もないからな
祖父と叔父達が努力して築いた領地と名声を盾に大将という名目を手に入れ
危険な戦場には他の連中を行かせて自分は楽して権力を握ろうとした
だから東軍が大坂に来て自分のいる場所が戦場になりそうになると一目散に逃げ出した
三成にしても輝元は兵集めには役立つが統率して進軍する際には輝元など糞の役にも立たないため
嫌われているのを承知で前線に行って自分で諸大名を管理せざるを得なくなり西軍の瓦解に繋がった
759 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 20:39:32.58 ID:8Q4zD1gS
死人に口無しだからな。
命乞いした輝元によって安国寺や三成が全て悪いことにされた。
元就の曾孫の佐野道可を大坂籠城に参加させながら
露見しそうになったら自刃させ、
約束を反故にした挙句に息子達まで皆殺しして口封じしたくらいの男だからな。
760 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 21:38:50.46 ID:sqk7nSg3
輝元の息子の母親は元々人妻
輝元が気にいって家来にその旦那を殺させ自分の側室にして産ませたのであった
ショックに陥ったその側室は結局長生きできず早死
自分の手は一切汚さずおいしいところわもっていく人物だとは聞いていたが、、、
それにしてももし西軍が勝っていたら当然自分が総大将づらしてあれこれ口だすんだろうな
そういう能力は0に近いけれどね
761 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 22:57:07.95 ID:Yz4O80b5
首謀者ってのは、単に兵を挙げるだけじゃなくてその後の展開−
宣戦布告から畿内や濃尾一帯の占領その過程など考えてるってことだと思ってるんだが、
三成派は当然そこまで考えてると思うんだ
毛利だったら?そこまで考えていたのかなってか考えられたのかな
輝元ってそんな凄い人だっけ。畿内・濃尾一帯の地理に絶対疎いよね。周りにもいない
他の奉行?長束や増田の仕業ならこれは評価がまるで変わるがw
まさか「兵は俺が挙げる。三成君は俺の名前使っていいからその後よろしく」ってわけじゃあるまい
762 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 23:21:14.23 ID:8Q4zD1gS
美濃は最初から西軍だし、
尾張侵攻も毛利主力の伊勢攻略軍による北上だよ。
しかも伊勢を毛利が占領する意思を輝元は表しており、
増田が何を言おうが関係ないとまで言って野心を露わにしてる。
輝元は幼君秀頼を利用して専制独裁をしていて、
三成はそれを追認する機関でしかないのが実態。
763 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 00:13:27.04 ID:5pPeuP8/
ぶっちゃけ三成が首謀したとする一次史料も
状況証拠も動機も無いのが実態なんだな。
764 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 01:26:17.24 ID:bYQsiBDJ
おいおい、アホな事言ってんなよw
最初に、挙兵したのは三成だろーが。
最後に、主犯として斬首になったのも三成。
他に首謀者がいるとか言ってるアホがいるが、
それを示す史料を全く出せないじゃんw
行間を推測して主張してるだけ。小説家と同じ作業だろ。
765 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 02:53:04.39 ID:7nhOm9O6
>>760 それって古老物語に書かれている話だけど
書かれたのは江戸時代だぞ
この話が本当だとする一次資料とかあるのか
だいたい毛利家が一番多くの兵を出してるのだから
あれこれ口だすのは当然だろ
766 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 04:06:10.74 ID:j8gtmRM/
>>765 むしろその事件を否定してる学者を一度たりとも見た事がないから
誰が否定してるのか教えてくれ。
最近だと2009年にも
光成氏がそれを史実として説明し、
佐野道可の例と並んで
輝元が自らの保身や欲望の為に
家臣を切り捨てる狡猾の代表例として
挙げてるわけだが。
767 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 06:49:36.79 ID:p5rbtLAh
輝元て大阪の陣の時も家臣の一人に兵をつけ兵糧もつけて豊臣につけたのに豊臣が滅亡するとその家臣親子を処刑させるという非道を行っている
家臣をただ単に駒としてしか思っていない冷酷な男だな
祖父の元就もあの世でなげいているかもな
768 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 06:50:16.23 ID:p5rbtLAh
輝元て大阪の陣の時も家臣の一人に兵をつけ兵糧もつけて豊臣につけたのに豊臣が滅亡するとその家臣親子を処刑させるという非道を行っている
家臣をただ単に駒としてしか思っていない冷酷な男だな
祖父の元就もあの世でなげいているかもな
769 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 08:14:32.64 ID:3t3d8ccg
>>768 謀略の塊のような元就ほどでもないよ
まさかお前大河をそのまま信じてるんじゃないだろうね
770 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 11:01:20.04 ID:++kEuGxq
>>766 それは話のすり替え。
学者がいようといまいと、一次史料でない事は事実だ。
それを根拠にしている以上、君の主張は史実性に乏しい。
いつも相手には一次史料を要求しているキミなのに、非常に笑えるw
というか。学者の話をするなら、君と同様の主張を唱えている学者
はいるのかい?輝元首謀説とやらのw
771 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 11:11:08.85 ID:7bQ/wnp3
三成首謀者は無いな。
輝元が首謀してる。
そもそも三奉行、淀、利長が家康に通報する時に輝元の挙兵を隠して三成、大谷が首謀として、
家康を誤認させてるのが原因。
その裏で三奉行は輝元を大坂に呼んでるし、待ってましたとばかりに
輝元も大軍でやってきていて、
家康に隠蔽している輝元軍を主力に伏見城攻略と瀬田大橋の無傷占領を成功させてる。
伏見城攻略に成功していた頃の如水も、
長政と違って輝元の大坂入りを歓迎する書状を送り去就に悩んでるのがわかるし、
その頃の三成は7月27日にはまだ佐和山城で
7月末に陥落した伏見城にいて、
内府たがい条にも三成は署名してないし、
真田などに最初に書状を出してるのも大谷。
つうか首謀者が大垣の最前線8/10にすでに出向するわけがない。
大坂城で幼君を擁する輝元と増田が首謀者。
そして秀頼様から曲者とされた細川改易や
秀頼様から大友に豊後を拝領
などと秀頼を操っており、
首謀者輝元が公儀になっている。
しかも輝元は島津忠恒には、
国中の兵を連れて上洛したら玉薬や兵糧は公儀が出すと言っていて
大坂の台所事情まで自由にできる様になってる。
完全に輝元だけがお得な状況。
772 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 11:27:59.87 ID:7bQ/wnp3
だいたい三成▶増田▶輝元と取り次いでいるように見える。
直接、三成は輝元に意見が言えない。
三成は単なる前線指揮官の駒の1人にすぎない。
伊勢攻略軍と違って、
兵力も不足しており、
岐阜城への援軍も小規模だったくらい。
773 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 11:34:29.88 ID:++kEuGxq
もう三文小説はいいよ。南宮山布陣の件と同じ。
史料要求からは長文小説で誤魔化し逃げ続ける。
本当にダサい奴だな。
774 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 12:32:39.31 ID:lSjAncLt
へ
775 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 13:33:39.41 ID:/Hpu7vLj
wikiを呼んで古老物語が出典と喚いてるだけだろ?
別に君が史料をぜんぶ読んだけど
無かったってわけでもないのに
なんでそんなに自信マンマンに否定できんの?
じゃあ、杉元宣が死んだ理由はなんだと言うの?
無理やり離縁させられたから二ノ丸殿は萩行きを拒んで杉の墓があった周防から出ようとしなかった
萩市史にちゃんと明記されてるんじゃないのかね?
776 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 14:27:22.50 ID:l2w/icME
>>771 まず首謀者≠総大将だからな
内府ちがひ状々に名前が無い?五奉行の内の三奉行の連名で出した書状に当時、奉行でも何でもない三成の名前が無いのは当たり前だろ
また西軍内部で一番の石高と兵力と地位を持つ毛利が総大将として主導権を握るのも当たり前
首謀者だからといって西軍を自由に動かせる訳じゃない
777 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 15:11:35.00 ID:/Hpu7vLj
>>776 じゃあ、やっぱり三成が首謀者とする証拠は一切ないじゃねぇかw
778 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 15:42:40.66 ID:++kEuGxq
>>775 日本語がおかしいぞ。まぁ落ち着けよ。
話を逸らそうとしてもダメ。
三成の決起が毛利の意思で行われたという証跡を出せば終わるだろ?
簡単な話だ。出せないなら、君の主張は史実行間の推測に過ぎない。
>>777 >>771の自演だと思うが一応。
三成が首謀者ではないから、毛利が首謀者という事にはならんよ。
で、三成首謀は定説だろ。文献、書籍の類では大前提だ。
キミの大好きな白峰も、三成を前線指揮官の一人等とはしていないぞ。
779 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 15:55:04.30 ID:/Hpu7vLj
また読まずにネットで調べて書いてるな。
白峰は誰が首謀者かについての論考自体やってない。
白峰は公儀としての輝元と三成連合軍と
徒党の大将家康主導軍
この対立軸に簡略化して論述してるに過ぎない。
780 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 16:02:18.06 ID:++kEuGxq
鬼の首を取ったようで笑えるw
>>778をよく読めって。
>三成を前線指揮官の一人等とはしていないぞ。
>>778に対する提示ね。
その勢いで、南宮山の件についても回答して欲しいところだw(
>>560)
781 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 16:03:17.21 ID:++kEuGxq
782 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 16:13:22.94 ID:/Hpu7vLj
完全に無知を晒してるなw
君は輝元を取り巻く政治状況も
三成がほとんど挙兵に絡む史料がないことなど、
全く知らないから
もう具体的反論がまったく出来ずに
ケチつけて中傷するしか手段が無かったよね。
そもそもいろいろと具体的に輝元の政治状況が書かれて議論が、
盛り上がっていたが、
君は無知だから付いて来れずに自演だ自演だと
自分の無知を恥としないで、
醜いたっらなかったな。
あれだけ議論された輝元が追い詰められていく過程について
本気でソースが無い妄想だと思いたいのかw
無知どころかバカで可哀想なやつw
783 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 16:30:46.18 ID:uY12O8IV
あんまり毛利ゴキをいじめるなおw
そいつネットの知識で書いてるだけだから
載ってない内容を書かれると途端に火病を起こして
ソースは?ソースは?とか、
妄想だろとか小説だろとか自演で
必死に劣勢を挽回しようとして
カキコミしてくる基地害だからw
関が原IFスレではネットの知識だけでも
ちょっと人名を挙げれば誤魔化せるからエラそうに語ってるけど
実はほとんど知らないで書いてるの丸分かりだからwww
ひたすら毛利は被害者で石田が全部悪いと主張しまくるクズwww
784 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 16:39:00.36 ID:/Hpu7vLj
あぁこいつ毛利厨だったのか。
道理で執拗に粘着してくるわけだ。
785 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 16:51:23.23 ID:uY12O8IV
その在日毛利ゴキはいろんなスレで
発狂してソース要求しまくる糞で
自分が要求されても一切出してきた試しがないクズ。
しかもこちらが過去にソースを何度も出してきても
それで素直に納得せずに超曲解したり、
こちらの主張をパクって内容を摩り替えたり
いつの間にか自分の意見のように語り出すキチガイ。
論破された内容を黙殺スルーして違う話に摩り替えるなんて
日常茶飯事の戦国板最凶のクズ。
どうせ心の底まで腐ってるチョン毛利ゴキにソース出しても無駄だから
ソースはわざと出さない作戦に変更してるんだわw
とりあえず逃亡した小早川隆景 VS 直江兼続 Prat2スレに戻って来いよw
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1295864542/l50
786 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 16:52:16.35 ID:7nhOm9O6
>>775 >無理やり離縁させられたから二ノ丸殿は萩行きを拒んで杉の墓があった周防から出ようとしなかった
萩市史にちゃんと明記されてるんじゃないのかね?
無理やり離縁させられたのに子供三人も作るのかね
それに萩行きをしなかったのはまだ城が完成してなかったからだろう
そもそもこの問題となっている杉元宣は初名は長相と言われている
父元相が最初は隆相と名乗っており大内義隆から一字をもらっているところを見ると
当然長相の長は主君の大内義長からもらってるのがわかる
そうなるとおかしなことになる
1557年に大内義長は死んでおりこれまでに元服してなくてはおかしいことになり
そうすると杉元宣はだいたい1540年ぐらいに生まれたことになる
こうなってくるとおかしなことがわかってくるだろう
二ノ丸殿は1572年生まれと杉元宣とは30近く離れている
いくら輝元の行動に快く思わないとしても、輝元より年長の男に嫁がせたりするものだろうか?
それと古老物語の文によく広島の名が出てくるけど
広島の地名が生まれてくる前の出来事なのに出てくるのはおかしなことではないのか
787 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 16:55:20.57 ID:++kEuGxq
で、結局史料で説明出来ないわけね。
本当にいつもいつも長文お疲れさまです。
キミが費やすエネルギーを考えたら、気の毒で仕方ないよ。
ちなみに、当方立場は石田首謀者の名誉を擁護する立場。
三成は好きじゃないけどね。
788 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 17:48:01.32 ID:uY12O8IV
789 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 18:20:18.86 ID:++kEuGxq
毛利首謀説に裏付けがあるのだろうか?w
790 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 18:29:20.88 ID:/Hpu7vLj
広島の地名が天正末期には使われていたと言われているのも知らんのか。
791 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 20:06:43.66 ID:Kp3F4kfI
subはまた恥の上塗りしてるのか、マゾだな
792 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 21:13:52.98 ID:RxZup7HB
ネット検索で簡単に全文読める古老物語のおかげで
熟読してから強気に出たら
完全論破されたでござる。
とりあえず黙殺スルーして無かったことにしてみたでござる。
by鼻毛毛利厨
793 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 23:40:52.04 ID:a+nLvSSn
それって、キミの得意技じゃないの?w
対論を自演して、自分で論破、勝利宣言。
毛利首謀者説の史料出せないからって、それは酷いなぁ〜w
794 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 23:44:26.72 ID:a+nLvSSn
795 :
人間七七四年:2011/10/24(月) 15:32:56.93 ID:HVaK2yjG
裏付けも何も総大将が首謀者じゃなければ誰が首謀者というのかw
と言うか、関ヶ原の三成は残ってる書状見ても、あくまで大阪城の総司令部に「要請」「要望」をする立場で、
一度も「命令」を発したことはないぞ。
そして「命令」「司令」は毛利輝元から出ている。
三成が首謀者として命令、司令を出したという史料こそ、存在するのなら見たいものだw
796 :
人間七七四年:2011/10/24(月) 15:50:53.49 ID:UPzooOuK
> と言うか、関ヶ原の三成は残ってる書状見ても、あくまで大阪城の総司令部に「要請」「要望」をする立場で、
毛利について言及している書状は一通もないぞ(笑)
797 :
人間七七四年:2011/10/24(月) 20:50:40.99 ID:RQ0KuoyA
>>795 とりあえず、首謀者の意味調べろや。
総大将である必要は全くないんだけど。
798 :
人間七七四年:2011/10/24(月) 21:07:25.07 ID:p8CcFOeb
信長は上洛を首謀したが総大将は足利義昭だったし山崎の合戦を首謀した秀吉は信孝を総大将に担ぎ上げた
首謀者と総大将が=である必要は無い
799 :
人間七七四年:2011/10/24(月) 21:56:37.30 ID:4PEb3lDP
>>798 > 信長は上洛を首謀したが総大将は足利義昭だったし山崎の合戦を首謀した秀吉は信孝を総大将に担ぎ上げた
信長や秀吉には首謀者たる実力も実態もあったからそれが出来たが、三成にそんなものは欠片もないだろうに。
800 :
人間七七四年:2011/10/24(月) 22:49:32.09 ID:RQ0KuoyA
そういうのを後だしジャンケンと言うんだよ
いずれにしろ、首謀者が総大将でなくてはならない決まりなんてないし。
801 :
人間七七四年:2011/10/24(月) 23:14:57.37 ID:4PEb3lDP
だから三成が何を「首謀」したのかはっきりしてないのだが?
大坂城内の主導権は毛利が完全に握ってて、三成の行動は、その幕僚の範疇を超えてはいない。
豊臣政権の主導権を毛利に渡す事を三成が首謀した、と言いたいのだろうか?
802 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 00:45:36.60 ID:CmGVFcGl
あのさ、南宮山布陣で妄想主張してた時と同じだけどさ。
定説の三成首謀を否定も、オマエさんの主張が正しくなるわけではないは理解出来る?
三成首謀を否定する前に、毛利首謀を史料で説明しろってコトよ。
説明しにくいなら、同様の主張をする研究者の著書でもいいってば。
何度も言わせんな、アホがw
803 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 01:05:40.06 ID:i09ka/Oz
>>788 杉長相が杉元宣でなかったら杉元宣はいったい何者なんだよ
それについて何も書いてないのにどこが裏づけのあることしか書かんだよ
それにwikiの丸パクリとかいってるわりに
おまえはwikiにも書かれてる二の丸強奪を信じるのかよ
804 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 03:05:35.12 ID:Y3/J1ux9
もし西軍大勝でも数年後再び戦乱がありそうな感じだな
徳川前田伊達は弱体化したとしても
今度は上杉毛利石田宇喜多あたりが台頭してな
秀頼のようなボンボンではおさめきれないかも
ただTERUもボンボンだから何ができるのか疑わしい
ただ祖父から受け継いだのはズル賢いところだけだな
805 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 08:05:05.33 ID:rXp3516N
806 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 08:32:50.85 ID:I2UYoMDy
>>801 何を?家康討伐だろ?しかし総大将として事を動かすだけの石高も地位も無かったから毛利とか宇喜多とかを引っ張りだした訳で
807 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 09:57:20.83 ID:tGuRkaFQ
808 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 14:40:42.19 ID:a0c973IU
三成と直江が首謀者とか
秀秋は前々から家康に内通してたから
裏切りではないとか
吉川はずっと家康寄りだったとか
毛利、吉川、上杉、小早川が
存続するようになったことで、
話が作られてるからね。
毛利存続は島津征伐の先鋒になるのが前提の話で、
吉川が自分の安堵領地を犠牲にしたのはウソだし、
上杉存続は、家康が和睦を提案してきたからで直江の罪など微塵も感じられない。
秀秋の話も一次史料に無い話だらけで、
しかも徹底的に史料が消されまくってて不明に近い。
関ヶ原の戦いは幕藩体制維持のために必要な捏造をしている。
809 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 19:16:39.26 ID:TsZDbvvC
関が原はその後250年にわたる体制維持に関わってるわけだし
最も為政者たちに都合がよい歪曲は為されてるのは当然だろうね。
死人に口なしで、三成や直江が全て悪いの結果ありきで創作されてる。
直江の名誉回復もあくまで米沢止まりに過ぎず
戦後になって上杉研究の人たちによって
声高で出版弁護されて
ここ数年でやっと世間に周知されてきたくらいだからな。
講談小説じゃいまだに直江と三成首謀の話が登場するからな。
小早川だって藩成立時の元々は家康に内通していたストーリーが作られ裏切り者としては記述されてなかった。
しかし小早川改易からしばらく経つとヘタレ卑怯者のイメージが登場したり、吉継の幽霊に悩まされたとか、チンコが潰されて死んだとか言われるようになってる。
秀秋の後も小早川が養子で延命して藩があれば擁護もされただろうが。
三成は擁護されることなく、嫌われ者だったイメージを植えつけられ、首謀者として仕立て上げられたといえる。
810 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 21:08:24.51 ID:M0uArBEQ
笠谷和比古は、三成の個人的な挑戦=反家康闘争をもって関ヶ原の第一段階としているが?
輝元はあくまで推戴された総大将であり、これを三成の戦略プランとしている。
輝元の積極的関与は認めるも、その首謀的役割については微塵も言及していない。
もちろん、全てを鵜呑みにするつもりはないが、少なくとも関ヶ原研究の第一人者が
三成を西軍の中核として捉えている。
講談や小説で片付けられない話だと思うが。
811 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 21:23:15.36 ID:MVAZ4tEI
笠谷は2000年で時が止まってて古いからな。
二重公儀が賛同を得て
いまも引用されるが、
そこまでのもので終わったから。
812 :
人間七七四年:2011/10/25(火) 21:32:01.23 ID:M0uArBEQ
では、新しいのは誰か?
その新しい研究者が輝元の首謀的役割を解説しているのか?
参考にしたいので教えて欲しい。
813 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 01:01:05.21 ID:oSqKS928
そんな研究者いないから無理
814 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 08:46:48.32 ID:+ViNphed
結局、一次史料には
三成が首謀した証拠は一切ないわけか。
毛利家に取っては、
輝が騙されていただけで、
三成が首謀者だとわかる書状があれば、
家康に弁明できるはずだが、
そんなもんはなく、
輝が首謀者の証拠があったから家康は責任を問う姿勢を示したわけか。
すると、そもそも家康が安堵のウソで輝を騙して
大坂城を手に入れたのではなく、
毛利が家康を詐術にかけて責任逃れをしようとして見事にバレただけか。
長州藩士も家康に騙されたと恨み辛みでテロリストになっていったわけか。
815 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 09:07:32.25 ID:2QIMi11c
また逃げてやんのw
816 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 17:17:33.06 ID:AClQ2MqD
いずれにしても毛利視点の関ヶ原は描かれる事は永久にない
ドラマになるはずは無い
さんざん苦労してまちにまった末、天下を取りにいった家康
家康の野望をくじき豊臣の天下を守るために動いた三成
この二人のそれぞれの視点ならいいドラマを作れるが毛利視点では
単なるお馬鹿さんじゃねえかおまえら
て感じにしか思えないからな
817 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 17:27:11.07 ID:xsMFpwuL
いま、史料読んできたら
ほんとに三成が主導したような史料が
まったくなかったからビビったw
無意識下の洗脳って怖いわ。
いままで、そこら辺はスルーで疑問にすら思わんかった。
818 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 17:43:54.19 ID:AClQ2MqD
昔から疑問を感じていた
なぜ三成が挙兵を決めた途端巨大な西軍が結成されたのか?
石田主体にしては不自然だった
肝心な豊臣は徳川にとりこまれ中立だったし
ただ単に徳川対毛利上杉の対決のはずが石田らだけ滅亡
なんとも切ない戦いだったな
それにしても祖父の100分の1も能力が無いのかあの孫は
819 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 18:03:35.84 ID:xsMFpwuL
孫って誰???
820 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 18:13:04.63 ID:xsMFpwuL
あぁ輝元のことか。
まぁ真の巨悪は罰されず、
生贄が泥をかぶるのはよくあることじゃない?
徳川や毛利は江戸期を通じて
庶民に三成を判官贔屓させない為に策を弄したんだろうね。
821 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 19:19:28.31 ID:AClQ2MqD
三成が明治になっても名誉回復しなかった理由がわかったな
名誉回復したのは太平洋戦争が終わってからだしな
あの太平洋戦争で長州出身者らが
力を失った事を考えれば偶然とは思えない
ちなみに薩摩の西郷は三成を絶賛し最大限の評価をしていた
やはり男は違うよな
822 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 19:33:52.77 ID:LI7vIwzM
西郷の三成評って?
823 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 19:51:28.52 ID:8UNY9sfc
確かに義経や正成みたいなイメージが三成に付いたら嫌だろうね。
徹底的に三成に同情票が集まらないように関ヶ原軍記が編集されたと言える。
824 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 20:02:25.95 ID:LvJoxCgf
三成が首謀した史料はない=実は首謀者は毛利輝元だった
こんな図式がまかり通るなら苦労はない
俺は本当の歴史知ってんだよ的な自己満足にすぎん
825 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 20:20:24.95 ID:0rIQB5pP
まあ三成が首謀したという史料もない以上、三成首謀説も妄想にすぎないんだけどね
826 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:13:26.89 ID:AClQ2MqD
>>822 西郷は石田三成はあの大大名家康に敢然と立ち向かい東西決戦まで持ち込んだ事を賞賛する漢詩を残してる
827 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:20:39.17 ID:aisgmDqY
まぁなんでもいいけど、毛利首謀説は妄想って事でいいのね?w
828 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:23:21.92 ID:8UNY9sfc
輝元には動機があるじゃん。
829 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:25:54.83 ID:aisgmDqY
三成には動機があるじゃん。
830 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:26:18.83 ID:0rIQB5pP
毛利輝元が総大将であり、三成の傀儡でも何でもなく、三成には事態を主導する力量が無い以上、
輝元が首謀者と考えたほうがより自然だろ。
つーか三成が首謀者とするとなにもかも不自然になることくらい解るだろうに。
三成を首謀者というのは、例えば応仁の乱で西軍の首謀者を山名宗全ではなく畠山義就だとするようなものだ。
三成は巨大な勢力である毛利の下で動く小勢力の一つにすぎん
831 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:33:32.58 ID:8UNY9sfc
>>829 ないだろ。
息子が秀頼に仕えるのを家康から許可してもらって
佐和山城に引退生活してたのを
輝元に引っ張り出されただけだろ。
832 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:33:55.40 ID:aisgmDqY
>>830 自然なら、なぜ輝元首謀が定説になっていない?
輝元首謀を唱える研究者がほとんど皆無であり、三成を首謀者としている?
833 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:35:41.13 ID:aisgmDqY
834 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:41:08.28 ID:0rIQB5pP
>>832 江戸期以来の三成首謀が定着しただけだろ。
関ヶ原が政治的な全体像まで含めてきちんと研究されるようになったのはここ10年くらいだぞ?
835 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:42:15.99 ID:8UNY9sfc
>>833 輝元が三成の息子のことに言及してるし、
三成の隠居先の佐和山城まで安国寺が行ってんだろ。
836 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:46:30.22 ID:aisgmDqY
ここ10年でも、三成首謀者が主流ですが。
輝元首謀を主張してる研究者って誰だよ?w
837 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:50:52.26 ID:0rIQB5pP
>>836 すまんがここ10年くらいの著作や論文で、三成首謀を主張している研究者を先ず教えてくれ。
838 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:51:17.01 ID:aisgmDqY
>>835 安国寺が毛利の意思を三成に指示した証跡は?
839 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 21:52:14.51 ID:aisgmDqY
>>837 答えてもいいが、こちらが答えたら、そちらも答えるな?
840 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 22:11:51.95 ID:8qiV3mT+
不毛な関ヶ原永遠ループにうんざりしている第三者が通りますよ
予想では、光成準治の『関ヶ原前夜―西軍大名たちの戦い』あたりを挙げて
くるとみたが、どうよ?
あの本は別に毛利輝元首謀説ではなく、吉川の書状に関しても偽装と
断定せず(状況証拠だけで決定的に証明する史料がないから)
あくまで可能性として示唆するにとどめてるんだけどね
841 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 22:16:18.39 ID:aisgmDqY
自演バレバレだぞ。
普通はこのタイミングで入ってこねーよww
842 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 22:22:20.73 ID:LvJoxCgf
三成首謀説に証拠がないから輝元でしたっていうのは突拍子過ぎてるんだよ
証拠証拠言うんなら輝元がやってた証拠示せという話
843 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 22:54:32.68 ID:py0epBdf
輝元は悔しくて泣いたり、
胸糞悪いと書いて
家康への憤りを表してるし、
さらに秀元の別家創設で家康から介入されたりと、
屈辱感にみちてるから、
家康への反撃の機会を待っていたんだから、
輝元が首謀者だと考えるのが自然だな
844 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 23:04:17.91 ID:LvJoxCgf
その程度の妄想なら三成でも秀家でも十分成り立つ
証拠示せってば
845 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 23:06:25.47 ID:aisgmDqY
またID変えたのか。
所詮、そんな事しなきゃ主張出来ない程度の内容なんだろ?
オイオイ、個人的な怨恨が理由なのかよww
そんな主張をする研究者はさらに絞られそうだな〜。
846 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 23:06:55.97 ID:py0epBdf
秀頼に仕える息子に石田の家督を譲り隠居。
べつに佐和山城の減封や改易もなし。
なんら不満なんて無いだろ。
847 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 23:09:57.53 ID:aisgmDqY
>>846 なんでオマエが三成の気持ちを理解できるんだよw
不満かもしれないだろーが。何で言い切れる?
848 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 23:20:51.04 ID:LvJoxCgf
py0epBdfは、信玄のifスレで「書状にこう書いてあるからそうする目的がハッキリしてる」とか鵜呑みにしちゃう子だから仕方ない
初心やね
849 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 23:32:35.13 ID:py0epBdf
>>847 不満があるような一次史料が一切ないから言い切れる。
850 :
人間七七四年:2011/10/26(水) 23:53:51.01 ID:aisgmDqY
>>849 世の中には、不満を口にしないタイプの人が存在しますが?
851 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 02:33:09.17 ID:KpMv6YXa
襲われた側なのに奉行職を解かれ謹慎隠居させられなのに襲った側には何の罰も無い
こんな状況で何の不満も抱かないような奴なら大谷を引き込んで挙兵し関ヶ原なんてせずに命令通り息子を上杉征伐に従軍させてるだろ
852 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 05:13:11.94 ID:VsDR4/h1
上杉や真田らに送る書状はなんで三成がやってんのよ
作戦面は三成や大谷に任せっきりじゃん
輝元さん首謀者のくせになにしてんの?
853 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 06:46:24.56 ID:I/7SBUM8
結局歴史はどうにでも書き換えができるということ
ちなみに三成が伏見城まで逃げ込んで家康に助けてもらったのはあまりに有名だがそれすら三成をおとしめるための作り話という説まである
三成が家康の圧力で一時大阪から退いたのが事実という説がな
こないだやってた島左近の番組で言ってた
死者に鞭を打つ姑息な徳川ならありえる話だ
854 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 07:36:51.89 ID:HDCf64pN
勝者による歴史改ざんはよく使われるフレーズだけど、
それは正しい史実を示せて初めて使える言葉だ。
でなきゃ、それがデタラメかどうかどうやって判断するんだ?
デタラメだというのがデタラメの可能性だってある。
855 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 08:45:45.67 ID:bKdnFyHg
>>840 その本は輝元首謀者じゃないかね?と主張してるぜ。
以前このスレに書かれていた
家康の会津征伐を前に、
広島に帰ったのは、
家康を油断させる為では?と書いてるし、
広島から数万を率いて
有り得ない早さで大坂に
輝元が入った日程表も、
この本に書いてある内容。
それらの内容を妄想だろと反論してる無知なバカがwikiとネット検索だけで粘着してくる
ゴキブリ毛利厨w
10年前の笠谷の時代には
まだ
>>817のように、
それ自体がまだ疑問符として認識されてない。
そういう事すら知らないのはゴキブリ毛利厨が
笠谷の本も読んでないから。
ネットで笠谷の主張を調べ拾ってるだけに過ぎんからヌケヌケと書いてるが失笑ものw
関ヶ原ifスレでは著者名を挙げてシッタカする虚勢が通用してるようだが、
ifスレだから介入せず放任してやってるだけで、
ここでそれは通用せんよ。
三成と直江首謀→三成首謀→三成と輝元首謀→輝元首謀と
だんだんと三成の関ヶ原での権力が疑問視されてきてるのが流れだ。
856 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 09:04:47.20 ID:bKdnFyHg
>>850 結局、反論不能だから、お前の願望妄想を元にケチをつけるだけか。
>>851 七将襲撃の時点で、
大谷が輝元に、三成に加担するのは無益とアドバイスしてるように、
三成と大谷が親しかったとする話しには疑問がある。
大谷は秀家と親しかったし、
その秀家の挙兵時期も含めると、
大谷は三成から誘われたのではなく、
むしろ大谷が輝元や秀家を結びつけ三成を誘ったとみるべき。
秀頼付きの三成の息子が
なんで秀頼が出陣しないのに上杉征伐に行くんだよ?
>>852 真田昌幸に最初に書状を送ったのは大谷だし、
1番最初に大名に配られた内府たがい条には
三成の名前は無い。
>>853 そのとおり。
三成が家康の邸に逃げこんだ話は一次史料には存在を裏付けるものは一切ない。
>>854 一次史料のみを根拠にするのが
1番史実に近い結果が得られる。
そんだけの話。
857 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 11:00:21.94 ID:bKU8NUwT
そもそも三成って挙兵後に、
秀頼に会ってないどころか、
大坂城にすら入ったことないでしょ…
輝元に邪魔されてねーか?
858 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 14:09:57.34 ID:IyYCxBUF
859 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 14:55:27.34 ID:yzKQrdHa
だって三成は最後まで、
大垣から佐和山周辺にしか影響力を及ぼせてないじゃん。
そんなしょぼい総大将なんてありえん
860 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 16:03:40.64 ID:GLqwgTYU
>>855 悪いとは言ってない
馬鹿にしてるだけ
馬鹿にされたくなかったら、もっと経験を積んでください
本やネットで知識を漁るだけじゃなく、現場を体験してから口を聞いてください
861 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 16:34:07.31 ID:VsDR4/h1
>>856 そりゃ大谷が真田と血縁関係あるからだろ。その後三成が送ってるしどの道、毛利は関係してないじゃん
反論になってないよ
862 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 20:05:50.18 ID:sITwputI
三成と大谷を前面に出して
家康を騙した西軍が挙兵後に、
越前に向った大谷の代わりに
美濃滞在してる三成が、
真田に書状出してるだけじゃんよ…
863 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 21:30:11.84 ID:I/7SBUM8
三成も真田と血縁関係だよ
三成の息子と幸村はいとこだし
864 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 22:53:10.29 ID:GMNFontS
>>855 >その本は輝元首謀者じゃないかね?
>家康を油断させる為では?
これは主張とは言わねーよ。作者自身も疑問を呈してるだけだろ。
関ヶ原の首謀者が誰だと述べてるのか、正確に書けよ。
白峰の時みたいに、適当言うんじゃねーぞw
>三成と直江首謀→三成首謀→三成と輝元首謀→輝元首謀
こんな流れ聞いた事ないですけど。
どこで流れてるのか教えてよ。あー、笑えるw
865 :
人間七七四年:2011/10/28(金) 02:26:08.59 ID:Abh5vgF1
>>862 味方にするのに自分は一切表に出さず、大谷や「蟄居中の」三成に任せるんだ・・・
輝元さんはなんで後方に隠れる必要あんの?
てか三成らをコキ使えるほど偉いの?家康だって福島ら持て余してたのに
866 :
人間七七四年:2011/10/28(金) 11:41:27.06 ID:tkeeF3j2
そもそも関ヶ原は本来なら、家康の西上を確認した時点で毛利輝元が出馬し、しかもあの
松尾山城に入るはずだった。
ところが西軍は家康の動向を全く把握できず、9月14日になって家康が赤坂で旗印を上げて驚愕するような体たらく。
しかも家康の着陣誇示と連動して小早川秀秋が寝返り松尾山城を占領。
ここで西軍は後方の通路を塞がれ完全に詰んだ。
15日の合戦はセレモニーにすぎない。
輝元が出陣する間もなく西軍は壊滅した。
輝元は表に出なかったのではなく、出る機会を逸しただけの話。
867 :
人間七七四年:2011/10/28(金) 16:32:52.16 ID:Abh5vgF1
それは三成が首謀者でも成り立つよね
868 :
人間七七四年:2011/10/28(金) 21:41:55.16 ID:Wqg9uI3R
>>821 西郷は加藤清正公には勝てないと泣きべそかいたけどなw
清正>西郷>三成
869 :
人間七七四年:2011/10/28(金) 21:53:05.98 ID:tkeeF3j2
>>867 そういう変な水掛け論に巻き込まないでくれ、迷惑だ。
870 :
人間七七四年:2011/10/28(金) 22:38:13.18 ID:lk3TGIxs
水掛論なのか?
>>866が、輝元首謀の根拠を示してるとは全く思えないんだけど。
871 :
人間七七四年:2011/10/28(金) 22:50:33.87 ID:tkeeF3j2
誰が首謀とか言ってないだろ。輝元は、残っている記録などから見るとそういう方針だったと考えられる、
といっているだけだ。
どっちが首謀とかそんなものはどうでもいいんだよ俺は。くだらない。
872 :
人間七七四年:2011/10/28(金) 23:52:44.17 ID:Abh5vgF1
なるほど、じゃあ首謀がどっちかとか抜きにして
>>866に反論してみるよ
出る機会逸したというけど、だとしたら相当悠長だな、と
家康は1ヶ月以上動いてないのになにしてたんだと
なんで受動的なんだ?三成ら先行部隊が尾張まで来てるのに何故来ない?
家康関係なく動くべきだろ
逸したんじゃなくて、そもそも出る気がなかった又はずっと迷ってた
そう考えるね
873 :
人間七七四年:2011/10/29(土) 01:07:44.77 ID:9Qm7ZXcp
大阪城が総司令部である以上、家康の存在が確認できないうちからホイホイ動けるわけ無いだろ。
アホかお前は
874 :
人間七七四年:2011/10/29(土) 02:10:28.45 ID:4Gztb/an
結局
西軍の総大将毛利輝元
東軍の総大将徳川家康
こういう図式で考えれば東軍圧勝は当然か
小大名ながら智と力をどっちも備えた石田三成島左近の最強コンビで最強大名徳川家康に挑むシュチュエーションは好きだけどね
かすテルりんでは
875 :
人間七七四年:2011/10/29(土) 02:36:36.69 ID:vHVxH/8a
東軍が圧勝したのは
本来なら
西軍の総大将毛利輝元
東軍の総大将徳川家康
のはずが関ヶ原本戦の時は
三成が西軍の総大将みたいになっちまったからだろ
西軍の武将たちが三成のために行動するわけない
だいたい三成がやった計略なんてほとんど成功してないじゃん
とても智を備えたとはいえない
876 :
人間七七四年:2011/10/29(土) 03:40:37.27 ID:vt6QYJJE
内容は全然圧勝じゃないけどな
裏切り傍観が頼りの薄氷を踏む勝利
裏方後方支援の経験が主で、指揮を執った忍城では運悪く失敗し
戦下手の評が定着した19万石の隠居武将じゃどうしようもない
やる気も能力もない毛利しか対抗馬がいない時点でオワットル
877 :
人間七七四年:2011/10/29(土) 08:31:19.33 ID:YwZbvL0q
家康関ヶ原圧勝と描くこと自体が、
捏造だからな。
白峰すらもそれは指摘してること。
家康西上前の毛利は、
秀頼を傀儡にして、
増田らの意見を無視し、
毛利領を飛躍的に拡大させている。
輝元は当分の間は、
家康西上は無理と計算し、
その間に毛利領を出来る限り拡大させる一方で、
三成には援軍を割かず、
三成の勢力拡大は阻止してる。
増田や三成ら奉行は兵力を持つ輝元に依存していただけに過ぎない。
三成が首謀者なんて話は
最初から成立しない捏造。
878 :
人間七七四年:2011/10/29(土) 15:15:01.46 ID:9NCFAWf8
それは西軍の主導権を毛利が握ってたって話であって毛利が西軍の首謀者かどうかは解らんだろ
その話から推理できるのは混乱に乗じて毛利領拡大を首謀したのが輝元だろうって事
879 :
人間七七四年:2011/10/29(土) 16:23:32.57 ID:Wx48pjzs
>>873 8月中江戸にいたやん
1ヶ月以上ずっとわかんねってか?家康はその間隠密行動してないぞ
バカかお前は
880 :
人間七七四年:2011/10/29(土) 16:53:37.99 ID:ok09g4Kw
>>877 とりあえずオマエは、
>>864に回答してからにしろや。
毛利首謀で粘着してるのオマエだけだからスグわかるw
881 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 00:52:38.32 ID:q4OFcguq
Sabは研究者の主張を改竄するから、鵜呑みにしない方が良い
結論から言うと、
>>855の話はデタラメ。
輝元が首謀者だなんて主張していない。
882 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 12:20:24.11 ID:M9rkxTUH
>>881 いま書店なんだが、
該当ページは何ページなんだい?
見てみるわ。
883 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 12:49:11.40 ID:7fvyxZO/
毛利輝元がもう少しましな人物だったら、西軍も簡単には負けなかっただろう
結果的に輝元よりましな三成が実質大将に繰り上がっただけだ
884 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 12:52:54.67 ID:Yo2NUXt8
主張していないんだから、教えようがないな。
というか自演バレバレですけどw
普通は、
>>855に主張しているページを教えてもらうだろ?バカだなぁ。
ちなみに、57ページに、
『輝元が謀議当初からこの決起に直接関与したことを立証する史料は見当たらない。』
と一次史料がない事を明言してるけどね。
885 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 14:10:29.39 ID:/e54Ibvv
輝元首謀説終了のお知らせ
886 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 18:54:01.03 ID:sv9CwYCt
三成はスケープゴートされていたのではというのは何年も前から知っていたけどね
887 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 20:10:09.63 ID:W4B9liVC
脳内リセット入りま〜す
888 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 20:10:28.17 ID:Yo2NUXt8
実際に首謀者だからスケープゴートには当たらない。
889 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 23:35:30.85 ID:8j65At7l
毛利輝元は凡庸な大名で軍事面は吉川広家に外交面は安国寺が担当してた。
輝元は三成に「西軍勝利の暁には筆頭大老に推挙する」と言われて勇んで
上京したに過ぎない。
吉川広家は家康に内応して東軍勝利後の毛利家所領の安堵と引き換えに西軍へ加担しないことを
約束していた。
890 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 23:46:26.83 ID:8j65At7l
>>876 三成は太閤晩年に北九州に100万石の領地替えの話が出た時に辞退している。
三成に家康に対抗できる力を付けさせようとの配慮だったなのかもしれない。
19万石では動員兵力も知れている。
100万石あれば3万ぐらい動員出来ていたかもしれないので三成本隊だけで
小早川秀秋部隊を壊滅させることも出来た。
891 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 00:32:45.50 ID:94C3SEvc
小早川35万石の領地を没収して三成に渡すという話がいつから100万石の領地替えになっているんだ?
石高の水増しにも程があるだろw
892 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 00:41:11.76 ID:MieqfexH
その話自体本当なのかな
だとすれば秀吉は三成を遠ざけようとしてたともとれる
893 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 09:51:26.30 ID:dHmnQGAs
>>889 なんか、三成が輝元を筆頭家老に推挙すると言われて喜ぶってのもおかしな話だな。
奉行職も解かれた三成に何の権限があったんだろう?
三成ごときに100万石の大老の輝元がそそのかされるものかな?
やっぱ輝元首謀説の方がしっくりくるわ。
894 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 13:21:22.80 ID:f3yx1lsg
輝元が首謀者ならもう少しやる気だして戦闘に参加していただろ
こいつはトップとしてはどっちつかずの本当にクズ
895 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 17:29:03.33 ID:npjyO3qz
もういいかげんにしてくれないかこのループ
896 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 20:46:50.17 ID:778XWlH6
三成は大坂城にすら入ってないんだから
三成が首謀者なわけがないし、
三成挙兵したら直後に大兵力が事前準備もなく集結とかありえない。
そもそも会津征伐出発で、家康以下が次々と蟄居中で監視が付いてる近江佐和山を通過してる最中に、
綿密な挙兵に至る謀議ができるわけがない。
897 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 21:16:48.10 ID:vwn7r2R/
はいはい、終わり終わり。
史料もなけりゃ、主張する研究者もいない。
著者の主張を捻じ曲げたのもバレて、大好きな毛利厨に惨敗。
毛利首謀者説はもう終了したんですよ。
続けたかったら、自分で別スレ立てなよ。
898 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 21:17:59.55 ID:qGqI1k/U
>>896 家康の狙いは豊臣家を二分して反三成派のリーダーとして勝利した後に徳川の世を作るのが
ねらいかと。一回の合戦でそれを成し遂げるための舞台が関が原だとすれば
三成挙兵は家康にとっては願っていたことでもあり、挙兵の邪魔立てをするはずもないのでは。
899 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 21:22:05.53 ID:778XWlH6
家康がワザと隙を作って挙兵を促したなんて
作り話なのに何言ってんだ…
900 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 22:06:06.48 ID:Xtk0Dpwf
まだ恥されしてんのかsubは
901 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 22:13:57.63 ID:qGqI1k/U
>>899 確かに作り話の域は出ないけど、存命中に天下を獲るには大戦しか無いと思うわけだ。
敗者の領地を味方の大名に分け与えて恩を売る。
謀反の疑いをかけて前田や上杉をなびかせても秀吉手飼いの大名を切り崩さないと
政権の座は奪えないわけだし。
902 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 22:42:58.04 ID:778XWlH6
七将クーデターで大坂城まで家康は占拠してるから、
秀吉子飼いをすでに手なづけてるし、
蔵入地を勝手に差配して親徳川大名に与えてるわけだが。
家康とその徒党によら
上杉潰したら
もはや家康に異議を唱えられる者はいなくなるから、
座して滅びるよりまだ勝てる可能性があるうちにと挙兵したのが輝元。
家康は輝元が父と敬う誓いをしてたから油断してた。
七将クーデターで屈服した奉行らも、
輝元が決起するなら勝てる可能性が生じるから呼応したにすぎない。
903 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 22:51:27.76 ID:MieqfexH
なんか理由がおかしいな。家康は輝元を信じたんなら、上杉潰しの後は毛利も座して滅びるってのはなんでさ
家康政権が嫌なら、関ヶ原の後大坂を無血開城したのはなぜだぜ?
歴史事実は大幅に厳封されてまで生き残ろうとしたのに
その心変わりはなにが理由なのか教えてくれ
904 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 23:58:25.10 ID:corcM2ju
ただのヘタレだからだろ
隙あれば天下とりたかったけど無理だから家だけは取らないで
905 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 00:05:24.56 ID:yaYPKS/m
>>902 まずは、クーデターの意味を調べる事をお勧めする。
キミの言う意味のわからんクーデターは成功したようだが、
三成の権力は、七将の誰が手に入れたんだ?
わけがわからんが、家康が手に入れたのなら、家康のクーデターだろ。
しかし家康は既に最高権力者。格下相手のクーデターとか意味わからんw
この場合は、ただの政敵の追放しか該当しないぞ。
906 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 09:23:37.97 ID:Fa8w0h5R
不利だからって言葉の定義で絡むとかw
ついに枝葉末節でケチを付けてきたよw
一般的に七将クーデターと一言書けば、どの事件を指すか理解できる言葉じゃねぇか。
今までその言葉はこのスレで普通に使用されてきてたが、
まったくケチつけて絡まれてないことからも、
認知されてきた言葉だ。
それに軍事力を実際に行使したのは七将であり家康じゃない。
毛利は東国取次ぎの家康に並び立つ大名として、
西国取次ぎだし、上杉と協調して家康と対峙してきた。
伊予や筑後にも家臣筋の所領を持ち、
家康死後に毛利が勢いを盛り返すのは明らかなのに、
毛利の無力化を家康がやらないわけが無い。
唇滅びて歯寒しというように
上杉は唇であり、毛利は歯の関係。
合従することで家康から身を守れるのであり
単独になれば報復が待ってるのは当たり前。
無血開城したのは、全ての責任を三成に押し付けて自分は騙された被害者の論法で、
所領安堵してもらえるとバカ丸出しの甘い観測をして長曾我部や上杉を見捨てたから。
しかしそんな捏造話なんて家康が信じるわけもなく、
輝元の責任を追求するし、
毛利も改易すると言われたわけだ。
しかし島津や上杉が東西で降伏しないため、
島津を毛利先鋒で秀忠を派遣し、
上杉には家康が征伐に行くことになり、
毛利は運良く助かった。
結局、家康が上杉に和睦を提案したことで交渉が始まり
すでに大坂城が家康のものになり、
公儀のために上杉が戦う理屈も成立しなくなり、
会津を攻めるなら受けて立つと主張していたが、
その家康が和睦提案してきたので和睦を受け入れただけの話。
907 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 13:11:43.51 ID:EzJ0R27E
でも間違いだろ?
これ以上恥かかなくて良かったね
908 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 13:16:42.95 ID:Go0qZC29
座して滅びるなら、とか幼稚な理屈つけといて無血開城の理由はほぼ定説通りなのかよw
909 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 13:49:28.43 ID:htXFxo1x
輝元の優柔不断さが豊臣を滅ぼしたんだ
910 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 14:52:05.35 ID:sHg2rf6V
秀吉の無能さが響いたんだろ
最前線指揮官程度の器しかない秀吉w
911 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 15:51:28.48 ID:Go0qZC29
まあ豊臣がどうなろうと毛利にとっちゃ知ったことではないがな
輝元首謀説なんか唱えてる輩も、まさか豊臣のために立ち上がったとは思っていまい
912 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 16:56:35.05 ID:Jwu8NIn+
>>910 そんな男がなんで百姓から天下人になれたわけ?
913 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 17:36:27.70 ID:ikTj9v/t
「その本は輝元首謀者じゃないかね? 」と書いたのを読んで
>>864で君は思いつきレスしてたから無視してたが、
俺は反語のつもりで「?」と書いたんだが
漢文など読んだこともない君には所詮理解できなかったかw
>>881>>882>>884 やっと本を購入したのかw無職だと痛い出費だね。
しかし購入した途端の日曜日の真昼間から見事に会話を成立させて必死な自演w
つうか金の夜からずっと自演して遊びにも行かないのかよw
しかし自分の都合がいい部分だけ切り抜いて転記は関心できないなw
その文の前後にはこう書いてある。
「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
その理由として
>>643の内容を書いて証明して見せているわけだ。
君はなんで恣意的に文章を切り貼りしてんだい?
しかもちゃんと全部読んでないのがモロバレwですね。
914 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 21:13:10.74 ID:JkinF8+X
>>913 Sabは本当にしつこいなぁ。
もう言い訳オンパレードで苦笑せざるを得ないな。
× 「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い。」
○ 「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高いのではなかろうか。」
(これこそ正に都合の良い切り抜きのお手本)
○ 「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
(これは正しく転記している)
で、この両文のどこが輝元首謀者の主張になってるの?
輝元の直接関与を推測しているだけの文章だろ。加えて、
『輝元が謀議当初からこの決起に直接関与したことを立証する史料は見当たらない。』(
>>884)
この著書においても、三成首謀はベースになっている。
輝元が関与する時期について、従来の通説に異を唱えているだけ。
違うというなら、三成首謀を否定し輝元首謀を主張している箇所を教えてくれよ。
まぁ、クーデターの意味すらわからん奴には理解できないかな。
915 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 23:55:22.85 ID:4O7RGLQ2
輝元首謀だと、挙兵から開戦当日の吉川・安国時との行動がバラバラで一貫性がまったくないのよね。
家康に戦を仕掛けるからには綿密に計画を練るんじゃないのか。
916 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 00:03:38.68 ID:nj3BMl7a
>>643 なるほど。やはり輝元首謀者は間違いない。
明らかに輝元は挙兵準備を以前からやってるな。
917 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 00:32:42.46 ID:RO8j6WMQ
なるほどw
918 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 01:22:18.80 ID:S7eZUr9+
これほど情け無い自演はなかなか見れんなw
919 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 03:09:55.43 ID:qR5sNHYY
輝元首謀だと
こいつは精神分裂症か
痴呆症の
相当なアホ大名ということになってしまうぞ
920 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 06:59:16.58 ID:wwMUsiOM
巨人原監督の息子はかなりのボンボンで現在プーターローという噂だし長島の息子は二人ともあんなんだし野村の息子は人間的にはいい奴だけど大成しなかったし
親父がすごいと息子はまたは孫は、、、
輝元もそんな感じかな無能のくせにプライド高くて殿様特権で略奪婚、、、
知り合いになりたくないタイプだな(笑)
921 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 08:34:54.45 ID:RoKb08WA
三成が首謀してたとする一次史料を出せ要求から
ここまでひたすら逃げ回ってる件w
922 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 09:36:46.95 ID:GBdTMBA8
通説批判をする側に証明責任があるのは当然。
毛利首謀の史料を出すのが先。
923 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 09:44:58.71 ID:RoKb08WA
輝元首謀者とする動機や傍証がたくさん挙げられてきてるじゃんw
三成が首謀者とする動機も傍証すらも一切挙げずにひたすら逃げ回ってるのがお前w
924 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 09:59:19.51 ID:0BMrDLTI
毛利首謀なら 小早川にもっと工作するだろ
925 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 10:41:09.76 ID:wKCoZT5r
ID:nj3BMl7aとID:RoKb08WAはこれからもID変えて人の話も聞かず毛利首謀と喚くよ
926 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 10:43:51.18 ID:FNj7+jam
大阪夏の陣の不手際など輝元は人間として小者すぎて首謀できる器ではない
毛利方で首謀できるとしたら安国寺のみである
石田光成はツンデレ忠臣キャラでひっくり返って人気になったが、輝元が人気武将になることはないだろう
927 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 10:51:44.48 ID:FNj7+jam
928 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 12:36:29.02 ID:RoKb08WA
論破されて反論に窮したからって、
相手を自演だ自演だと喚いて逃げ回るのは、
いくらなんでも情けなさ過ぎだよ。
929 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 12:46:09.68 ID:wKCoZT5r
>輝元首謀者とする動機や傍証がたくさん挙げられてきてる
動機はお前の妄想、傍証もお前の都合に合わせた解釈
輝元が首謀してたとする一次史料を出せよ
他のスレでもお前は自分のソースは一切出せてないよね、さあ出してごらん
930 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 12:59:55.73 ID:RoKb08WA
質問に質問で返す卑怯者www
しかも妄想ではなく、
光成氏の書いてる話だし。
それをお前は都合が悪いから、曲解して妄想だと恣意的に解釈してるだけだろw
931 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 13:12:17.74 ID:wKCoZT5r
光成が信用できるソースなのか。詰んだな。
932 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 16:12:53.48 ID:N9xN1IG1
まっ実際、三成が首謀者とする一次史料や状況証拠や傍証がまったく存在してないのは事実だし、
輝元が首謀者とした方が自然だろう。
だいたい18万石の三成にしてみたら
減封もなく、あくまで隠居で(蟄居扱いにはなってない)
嫡男が秀頼に奉公ともなれば悪くない処遇だし。
三成自身に権力への執着や豊臣守護の強い意志も、
淀殿への恋慕も一次史料からまったく窺えない完全な作り話だし。
933 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 17:29:05.04 ID:IR/JPGpX
結局アレだろ?三成も輝元も首謀者かもしれないしそうじゃないかもしれないって事だろ?
どっちかがズバッと一次史料を出せばおさまる話なのにどっちも相手に先に出せとかただ不毛な言い合いを続けたいだけにしか見えん
934 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 17:55:37.56 ID:N9xN1IG1
いや三成にはまったく証拠が無い。
しかし
>>643のように輝元には事前準備をしていなければ
不可能な行動をしてる。
6月には輝元は蜂起の決意してるとしか思えず、
7月頭には秀家も決意してるが
三成の決意は7月中旬。
しかも安国寺と三成の佐和山の7月の謀議も吉川の捏造書状。
直江と三成の6月の謀議書状も捏造書状。
完全に三成を戦犯に押し付ける歪曲が行われている。
935 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 20:09:08.69 ID:d5YNpjsP
だからね、
三成は秀頼様に会ってないどころか、大坂にすら入ってないのに
首謀者なわけがない。
936 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 21:05:15.07 ID:LOMm8yKV
総大将では無いし、長束・増田が秀頼から委任状を受領すれば済む話。
三成は佐和山に隠居した時点で奉行職も解かれているから秀頼に謁見した
ところで意味が無い。
三成蜂起が毛利や宇喜多より後でも、裏工作に精を出していたらそれも
不思議では無い。
937 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 21:11:33.73 ID:WDP4u8V1
>>934>>935 百歩譲り、輝元が事前準備していたとして、
なんでそれが首謀者の根拠にはなるの?
西軍関与の時期が早かった、という証明にしかならんだろ。
反家康決起の企画立案が輝元であるという疎明には全くならない。
938 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 22:56:25.67 ID:wbn1o+bk
939 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 23:33:42.75 ID:WDP4u8V1
これでアホが消えてくれる。
940 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 00:46:03.30 ID:gTtxgkyY
関ヶ原の時に5門の大砲用意したみたいだけど鉛玉飛ばしてた当時の大砲が野戦で活かせたんだろうか
941 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 08:47:13.84 ID:Azm10TuO
>>936 >>937 苦しい言い訳だなw
お前の書いた内容には、
なんら傍証も根拠も実例も一緒に書いておらず、
あくまでもお前が「思った」レベル以下の内容であり、
他人を説得するだけの最低限の内容すら書かれてない。
それどころか、いま思いついた程度の、
あえて今更読むまでもない駄文に過ぎない。
942 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 11:08:49.73 ID:xN47iqbv
それ、自分の事か?
反論出来ないという事で終了ね。
943 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 11:27:48.80 ID:D2GfYfi4
>>942 いい加減逃げ続けてないで、
三成首謀者の論拠としての一次史料を出せよ。
>>936 委任状を受領したと言う一次史料は?
それとも委任状って君の願望妄想?
三成が裏工作していたとする一次史料は?
それとも裏工作してたとするのは君の願望妄想?
>>937 輝元よりも早い段階から事前準備していた人物は誰だと主張するの?
その人物が事前準備していたとする一次史料による傍証なり根拠は?
それとも君の願望妄想による架空人物かい?
一番最初に輝元が事前準備していたのなら、やはり輝元が首謀者でしょ。
944 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 12:03:50.38 ID:yjxX2zY8
945 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 12:10:20.86 ID:qlhj7D0h
別スレ立ったのに。Sabはほとんど病気だな。
三成の挙兵が関ヶ原(反家康)の具体的な初動だからだよ。
仮に、西軍が誰も三成に味方しなかったとしても、
つまり三成単独挙兵でも、反家康軍事行動は成立するからさ。
それを否定出来るとすれば、三成に対し別途指示がある場合だ。
だから、(三成に対する)輝元の指示を史料を出せ、と一番最初に言ったんだが。
レス遡ればわかるだろ?(
>>640)
推測に推測を重ねた妄想はキミじゃないか?w
一次史料一次史料言うクセに、自分は特別扱いかい?
・事前準備していた(推測)
事前準備をしていたら首謀者になる、とかナンセンス過ぎる。
実際に蜂起していたのならわかるがね。
・輝元は蜂起の決意(w)をしていた(推測)
・秀家は蜂起の決意(w)をしていた(推測)
何より三成首謀者は不動の定説。識者でこれを前提にしていない人など見た事ないね。
キミの敬愛する光成さんも、三成首謀がベースでしょ。読んでるならわかるはず。
946 :
945:2011/11/03(木) 12:13:39.91 ID:qlhj7D0h
そうだね。
Sab氏続けたかったら、別スレに続けなよ。
今日は暇だから付き合ってあげるよw
947 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 12:36:47.81 ID:D2GfYfi4
>>945 三成の挙兵ですぐ輝元が大兵を率いて大坂入城できるのかね?
しかも大兵の船舶まで準備せずにいきなり
物凄い速さで大坂についてるのは光成氏も指摘してる。
輝元が三成に指示も何も三成からして
三成→増田へ書状→増田から輝元へとやり取りしていて
輝元に直接書状を出せない立場なのが三成だから
そんなもん元からあるわけないだろ。
輝元・秀家の事前準備についてはちゃんと
>>643で傍証が出てるし
輝元の挙兵への動機についても政治的状況や感情吐露の書状を紹介してる。
しかし君が主張する三成については傍証ひとつまったく出さずに逃亡を続けてるのが現実。
いまもそう。質問には肉付きある論拠すら皆無の屁理屈をこね回した逆質問で逃亡をはかってる。
そもそも光成氏は挙兵前の三成についてはなんら言及してない。
しかも続けて光成氏は下記のように書いているわけだ。
「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
その理由として
>>643の内容を書いて証明して見せているわけだ。
これでも輝元首謀を主張してないと強弁するならお前は完全に文盲かキチガイw
>>914を今はじめて読ませてもらったが「高い。」 と「高いのではなかろうか。」で編集だと?
このどうでもいい細かい部分で切り抜きの手本とか書いてんのワロタw
転記めんどくさいからパパっと入力してただけでそんなトコまで気にして転記してねーよw
つうか下記の文章を意識的に削除して転記してる極悪さこそが、まさに切り抜きの手本だろw
「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
948 :
945:2011/11/03(木) 12:52:04.64 ID:qlhj7D0h
長文お疲れ様。まぁ落ち着けよ。
長々と述べてるけど、いずれも『首謀者』の根拠にはなってないなぁ。
事前準備してたのかもしれないね。でも、『首謀者』の根拠にはなってないなぁ。
光成氏は、三成は首謀者でなく輝元が首謀者だと主張しているかい?そんな主張は全くしていないわけだ。
論点をしっかり捉えないとダメだよ。
キミは、本当に語彙力が不足してるね。
屁理屈とは第三者に理解出来ない理屈を言うんだよ。
至ってシンプルな論拠でしょ?推測はゼロだよ。
・三成の挙兵が関ヶ原の具体的初動。
・三成単独挙兵でも反家康軍事行動は成立。
・三成に対する他大名からの挙兵指示の史料なし。
・ほとんど大多数の識者は、三成首謀者が前提。
949 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 12:57:49.37 ID:D2GfYfi4
>>948 お前もう逃げることのみに特化したかwしかし無茶苦茶だなw
いいから三成が首謀者とする根拠か傍証を早く提示しろよ。
三成首謀者とする根拠はすべて後世の作り話だと散々説明したろうがw
950 :
945:2011/11/03(木) 13:06:32.48 ID:qlhj7D0h
三成首謀者の根拠は提示してるけど。推測はゼロ。
・三成の挙兵が関ヶ原の具体的初動。
・三成単独挙兵でも反家康軍事行動は成立。
・三成に対する他大名からの挙兵指示の史料なし。
・ほとんど大多数の識者は、三成首謀者が前提。
で、次は輝元首謀者の根拠を提示してね。
事前準備云々については、西軍参加の時期の話であって、
『首謀者』の根拠にはならないからね。何度も言うけど念のため。
とりあえず
>>949で繋いで、後で長文を落としてくるいつものパターンだね。
出来れば、別スレに落としてくれるかな。スレ違いは周りに迷惑だし。
951 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 13:10:24.07 ID:D2GfYfi4
>>950 >>三成首謀者の根拠は提示してるけど。
えっ?どこに???
952 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 13:12:14.10 ID:qlhj7D0h
ははは、まぁそれならそれでいいよ、うん。
953 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 13:13:23.54 ID:Azm10TuO
>>950 三成は魔法使いだと主張してるのか?
はやく根拠書けよ。
954 :
945:2011/11/03(木) 13:19:19.62 ID:qlhj7D0h
わかった。
輝元首謀者の根拠を書きたくないんでしょ?
推測しか書けないから、仕方ないとは思うけどね。
だからと言って、
>>951>>953は大人げないと思うよ。
955 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 14:25:45.74 ID:jj47VLFL
どうやら三成首謀者説には
一切証拠なしで議論終了のようだね。
956 :
945:2011/11/03(木) 14:35:08.21 ID:qlhj7D0h
相変わらずわかり易い自演だな〜。
どう見ても、キミが反論出来ない状況にしか見えないと思うよ。
まぁ、読み手第三者に任せるけどw
とりあえず、時効の中断ということかな?
ゆっくり長文を作成してくださいなw
957 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 14:39:22.93 ID:f15krJgX
958 :
945:2011/11/03(木) 14:45:51.68 ID:qlhj7D0h
Sab氏には適いませんけどね。
もう終わりにしたいならそれでもいいよ。
そんなレスしか返って来ないところを見ると、弾切れみたいだからさ。
弱い者イジメしたいわけじゃないし。
959 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 15:04:57.69 ID:mKgus6kI
次スレは普通の石田スレと西軍首謀者議論スレで分けてくれ
960 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 15:39:50.20 ID:YKuJvjYG
961 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 15:49:11.98 ID:RGDutUd3
前田・上杉の次は自分たちと予測できれば、輝元・秀家の戦準備がスムーズでも
納得できる。西軍の統率は元から取れてないので先に蜂起した大名が首謀者とかは
当てはまらないのでは。
962 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 16:41:08.69 ID:qlhj7D0h
前田、上杉と来れば次は自分達というのは、確かに予想出来る。
でも絶対ではない。加えて、対応の選択肢が戦に限定されるわけではない。
前田みたいに頭下げりゃ、本領安堵される可能性も高い。
>先に蜂起した大名が首謀者とかは当てはまらないのでは。
だから、他の2つで根拠を補完してるんだね。
・三成単独挙兵でも反家康軍事行動は成立。
・三成に対する他大名からの挙兵指示の史料なし。
で、キミがSabでないなら、別スレに書き込むのが正解。
963 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 16:58:16.09 ID:8SJaDDdY
このqlhj7D0hってヤツは何なんだ?
ずっと常駐して思い付きを垂れ流してるアホは。
ソースも一次史料もなんら具体例も欠如したまま
根拠
などと公然と自慰してる狂人は…
964 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 17:14:27.05 ID:qlhj7D0h
思いつき?
ほとんど当たり前の常識だと思うが。
その当たり前に敢えて挑んでるのがキミじゃないのか?>Sab
>ソースも一次史料もなんら具体例も欠如したまま
それを論破出来ないキミはなんなのかとw
そもそも三成首謀者は不動の定説だからね。
キミの敬愛する光成氏も、三成首謀者を否定していないだろ?
965 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 19:18:20.60 ID:D2GfYfi4
>>964 お前さ、実は三成について実はまったく知らんだろw
いままでのレスにおいて三成についての内容について
一切、触れてないもんなーwww
光成氏はそもそも西軍挙兵以前の三成について一切触れてないのだから
そもそも三成首謀うんぬん以前の話だと指摘したろうが。
その上で輝元について
>>643の内容を書いて
>>913の結果を導き出している。
そしてお前は三成首謀者とするソースを一切提示せずにひたすら逃亡を繰り返している。
それが厳然たる事実だ。いい加減に認めろよ。
966 :
945:2011/11/03(木) 19:40:48.27 ID:qlhj7D0h
キミの言うとおりに根拠を出しただろ?(
>>943>>949)
それを覆せなくなってから、ソース要求にシフトするのは如何なもんかね?w
今度はキミがこちらの要求に応える番じゃないか?(
>>945)
キミが輝元首謀の史料を出せないことを誤魔化しえるようにしか見えないけど。
>>951以降、本論に踏み込んだレスはゼロだね。
事実、
>>965は光成氏の著書の話だ。まぁ、一応これにも回答しとくけど。
>光成氏はそもそも西軍挙兵以前の三成について一切触れてないのだから
本気で言ってる?それとも本当は読んでいないのか?
秀吉の死後から、七将襲撃、佐和山引退まで触れてるぞ。
しかも氏の結論は
>>913なんかじゃないぞw
967 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 20:10:19.96 ID:8SJaDDdY
>>966 社会に出て仕事しないと親が泣くぞ。
つうかお前一度たりとも根拠なんて出してないクセに…
頭が本格的に壊れてるだろ…
968 :
945:2011/11/03(木) 20:28:50.23 ID:qlhj7D0h
969 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 20:37:35.74 ID:8SJaDDdY
>>968 それのどこが根拠なんだよwww脳内妄想の顛末だろw
しかもなんら顛末に至る過程も説明もなく意味わからん結果?顛末?のようなもんを唐突に箇条書きして、
そこに一次史料どころか、傍証一つ書かないという…
脳内妄想の顛末だか結果を書いただけで、
論拠自体全く書いてねーだろがw
970 :
945:2011/11/03(木) 20:50:40.12 ID:qlhj7D0h
妄想?
いずれも史実として、普遍性高く認知されてるものだが。
推測はいれてないぞ。
否定できるものなら、否定してみなよw
で、結局キミは輝元首謀の史料を出すのか?出さないのか?
それだけでも回答してくれないか?w
971 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 20:57:46.00 ID:xN47iqbv
史料出さないまま、1000まで逃げる。
かけてもいい。
972 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 21:20:24.29 ID:cuJv0Wbs
973 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 22:40:57.46 ID:tY9sFtwR
いや石田スレ10は別なんじゃねえの
974 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 00:29:48.39 ID:/sJ6Hqpx
同意
975 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 09:24:57.61 ID:+m0ENwRm
どっちもうぜえw
976 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 10:00:26.20 ID:ULnQVOGu
865:人間七七四年 10/19(水) 09:33 0xb46DuS [sage]
陰徳太平記は
正則を酒狂いで家臣を自刃させたりする愛を知らない大工の子と書いてたり、
天野の武勇を聞いて宗茂が召し抱えた後に、
正則が天野を召し抱えようとして
宗茂に先約ありと聞いて遺恨に持ち、
朝鮮陣で何かと正反対の意見を吐き険悪だから
広家と長政が酒席に読呼んで和解を斡旋したが、
武勇の家臣ときた宗茂と1人で来た正則。
酒の肴に宗茂が踊りながら正則の前に来たので、
鴻門の会のようになり
険悪になったが広家と長政がうまく収めたとか、
秀吉死後に三成や増田が増長し
始皇帝死後の趙高のようだと書いたり
真偽不詳の嘘話多過ぎ。
しかも肝心な関ヶ原は書いてないから
そんな悪評の三成と輝元が組んだり、
自称名将の広家が関ヶ原で下手うって、
長政偽書状まで偽造して
広家のおかげで毛利が存続できたストーリーを作ったのかわからん。
そのくせ、やたら長政と親しいアピールがウザい。
江戸で動けなかった家康…黒田親子の家康へ協力しろ書状を再三にわたり無視してただろ伊勢にいた広家…
977 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 10:06:29.52 ID:ULnQVOGu
たしかに陰徳太平記でも
輝元を擁護するために秦を滅ぼした元凶の趙高を持ち出してまで、
必死に三成が悪人だと印象付けたい意図が
毛利側にはあったのがわかる。
何としてでも三成が首謀者だと誤認させたい意思をひしひしと感じざるを得ない。
978 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 12:54:13.60 ID:/kH+hJel
三成が首謀者だっていう一次史料が無いどころか
首謀者と思われるような傍証も感情の吐露も三成にはまったくない。
しかも蟄居ではなく、隠居で減封も改易もなく
家督譲渡された息子は秀頼に仕えることが許され、
秀次事件に連座した前野長康や
前田と家康暗殺を企てたとして甲斐の領地と家督を息子に譲り
武蔵府中に出て監視され謹慎させられた浅野長政よりも
かなり罪が軽かった。
979 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 14:03:33.18 ID:1Uzz6K2O
25 :人間七七四年:2011/11/04(金) 11:57:06.55 ID:/kH+hJel
三成が首謀者だっていう一次史料が無いどころか
首謀者と思われるような傍証も感情の吐露も三成にはまったくない。
しかも蟄居ではなく、隠居で減封も改易もなく
家督譲渡された息子は秀頼に仕えることが許され、
秀次事件に連座した前野長康や
前田と家康暗殺を企てたとして甲斐の領地と家督を息子に譲り
武蔵府中に出て監視され謹慎させられた浅野長政よりも
かなり罪が軽かった。
980 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 16:27:06.32 ID:/kH+hJel
>>966 だから根拠や理由やソース提出欠如で前後の説明もなく漠然と意味不明な箇条書き。
しかもその箇条書きにはその結論へ至るに足る推移も材料もなし。
はっきり言って書いてる内容はどこの何を指してるのかもわからず
あんたが日本語が理解できてるのかさえ疑問。
お前秀吉や三成を貶しまくりに必死すぎw
実は日本人じゃないだろwそれに屁理屈だらけのDQN。
そういや
>>788で決定的論破した時も気持ち悪い粘着ぶりだったよなw
>>七将襲撃、佐和山引退まで触れてるぞ
慶長5年6月・7月の挙兵への道を語ってるはずなのに
都合が悪いから一年以上前の利家死去の時点まで戻すのかwww
>>643>>645>>672>>675>>751>>755>>762>>856を読めば
挙兵に及ぶ輝元がいかに家康に対して敵愾心を持っていたがわかる。
三成首謀者とするデッチ上げは
>>654のように最初は直江を絡めていた偽書状からスタート。
その後に毛利や吉川の捏造でさらに話を盛ってるから、三成首謀が盲信されてきただけ。
981 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 18:02:14.10 ID:Lh2637ol
>>979 三成が挙兵して欲しかったのであえてそういうようにした節がある
逆に長政は三成と手を組む可能性を無くすため厳重監視したのだろう
982 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 18:18:36.37 ID:/kH+hJel
あえてそうした?そんなことはないでしょ。
上杉と毛利が家康と調停の交渉した結果に過ぎない。
むしろ輝元と上杉が家康との交渉において三成の処遇を佐和山に隠居程度で軟着陸させる妥協を成さしめただろう。
なんせ増田の処分についても七将が要求している中で
三成の処分を軽くすることは家康としても難しかっただろうし。
また長政の息子幸長は親家康なんだから、三成と組む可能性もまったくない。
(池田輝政は家康の婿であり、輝政の姉妹は浅野幸長の妻)
いや三成はどのような処罰になろうとも
輝元や景勝に一任すると言っていて
別段、政治に執着してるわけでもなく、
不満を抱いてるわけでもない。
前野長康や浅野長政の失脚を見てれば
いつ政争の舞台から失脚しようが浮沈の覚悟もあって当然だろうね。
輝元のように家康にしてやられ、
悔しくて涙が出るとか、胸糞悪いなんて未練たらたらで憤ってる姿は三成にはない。
983 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 20:45:00.66 ID:/TIjTRaB
首謀者の輝元が保身に走った結果、
三成が首謀者に見えるように歪曲されただけだな。
984 :
945:2011/11/04(金) 21:16:26.78 ID:8FSaWsLx
仕事から帰って見れば、随分と連投・長文が続いているねぇ。
>>980 論点をボカすつもりはないので、こちらにアンカがついてるものだけ。
三成首謀者の根拠を繰り返すけど、
・三成の挙兵が関ヶ原の具体的初動。
・三成単独挙兵でも反家康軍事行動は成立。
・三成に対する他大名からの挙兵指示の史料なし。
・ほとんど大多数の識者は、三成首謀者が前提。
本当に理解出来ない?光成の著書を読んでるんだろ?
まさか関ヶ原を一から説明しなきゃいけない初心者でもあるまいに。
相応のレベルはある事を前提にしているんだが、もう少し砕いた方がいいのか?
そこまでレベルが低いなら、毛利首謀者を主張しても仕方ないと諦めるよ。
>慶長5年6月・7月の挙兵への道を語ってるはずなのに
>>965からは全くそんな事読み取れないが。慶長5年6月・7月と条件設定した
レスが他にあるのか?是非教えてくれ。
で、直近の質問(
>>970)の回答を頼む。
連投・長文で誤魔化したい、と認識してよいのか?w
985 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 21:43:12.76 ID:/sJ6Hqpx
ワタシ、ニホンゴワカリマセーン、と同じ。
内容に踏み込みたくないだけ。
986 :
945:2011/11/04(金) 21:51:28.83 ID:8FSaWsLx
いや、実際便利だね。
何言ってるか意味不明、って言ってれば議論しなくていいんだから。
後は、連投・長文・自演で言いたい事言って終わり。
自分が不利な時に非常に有効な手段だw
987 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:03:15.08 ID:/TIjTRaB
>>986 だったらもっと詳細に説明しろよ。
しょーじき何を言いたいのかわからんぜ。
なにも元にその断片的な箇条書きを書いてるのか、
思考の過程と、思考の推移における材料となった史料を明示してもらいたいな。。
それと断片的箇条書きに捕捉説明が必要。
あなたの書いた箇条書きには絶対的情報量が致命的に欠落していて、
言わば自慰同然。
988 :
945:2011/11/04(金) 22:06:34.92 ID:8FSaWsLx
>>987 その前に、
>>970に回答してもらえるか?
理解出来る出来ないはともかく、そちらの要求には応えた。
次は、こちらの要求に応えるのが筋。
当たり前の話。
989 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:07:12.48 ID:pOM6V5+o
990 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:09:56.11 ID:/TIjTRaB
>>988 はあ?なに言ってんだ?
あんた日本語通じない在日か?
結局、三成首謀者の根拠も傍証もまったくないから逃げてるだけじゃん。
991 :
945:2011/11/04(金) 22:10:49.47 ID:8FSaWsLx
>>990 なるほどね。結局そうやって1000まで逃亡か、
Sabらしいや。
992 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:16:30.18 ID:pOM6V5+o
993 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:17:40.32 ID:/sJ6Hqpx
だから、かけてもいい、って言ったじゃん。
994 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:18:54.29 ID:2C8SelJN
誰彼構わずsabとか決め付けてくる馬鹿は、
自分の意見が間違ってようが関係なく私怨で粘着を続けるキチガイだから
議論するだけ無駄なんだな。
995 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:22:40.14 ID:8FSaWsLx
この後に及んで、またID変えてるww
おいおい。
三成首謀者を否定する史料、文献、書籍、研究者、識者って存在するの?
あるなら教えてくれよw
間違えてるのは、どう考えてもオマエさんww
996 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:29:11.04 ID:GP31FK5U
つか三成首謀者と主張してる人は、
三成について全然知らないから、
なに一つとして三成について
内容ある書き込み自体一切レスしてないのが現実だし。
997 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:36:36.49 ID:8FSaWsLx
もうID変えなくっていいってばw
残念だけど、内容ある書き込みに至らないんだよ、キミ相手だと。
推測に推測を重ねる妄想が基本だからね。ツッコミどころ満載。
または、光成の著書をそのままトレースしたものばかり。
光成は三成首謀者がベースなのに。曲解だらけで笑わせてもらったよ。
ついでに、キミに私怨なんてないよ。論破されたことないから。
998 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:46:28.21 ID:GP31FK5U
もう俺もSUBかw
そこまで言うなら
君が三成について説明したレス番を教えて欲しいな。
三成のこと絶対知らんわあんた。
三成の子が津軽で生き延びて代々家老になってたりしてんのも、
三成が首謀者じゃないから
幕府から追求されなかったし、
津軽にもお咎めがなかった。
999 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:47:17.88 ID:8FSaWsLx
今回もこちらの要求(
>>970)に応えられなかった、という事で終了でしょ?
もう十分満足ですw
1000 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 22:49:32.19 ID:8FSaWsLx
>>998 逆に、知らないと断言しちゃう方が不思議だよ。
こんなビッグネームを知らない、とかw
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
---‐ヽ -' / 〃ィ ヾ'‐,--
/ | |iゝr;ァ--‐''" 〃/./ l | 戦国時代(仮)@2ch掲示板
./ | | ',ヾ゙ / / / / l
http://hobby9.2ch.net/sengoku/