【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ5 【壬辰倭乱】

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1人間七七四年
秀吉の朝鮮征伐を語るスレ

前スレ
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ5 【壬辰倭乱】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195992731/


関連スレ
【文禄】 秀吉の朝鮮征伐 【慶長】パート3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1263998705/
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その8
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1243771115/
秀吉の朝鮮征伐を明の観点からの考察
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1204276024/l50
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartY
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1257912644/
秀吉による朝鮮征伐に関する考察
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/war/1220349972/
2人間七七四年:2010/02/09(火) 21:18:09 ID:Xtao4cBL
一番乗り、加藤主計守清正!
3人間七七四年:2010/02/10(水) 05:55:16 ID:fKEf6WZi
>>2
主計「頭」な。
4人間七七四年:2010/02/10(水) 07:53:37 ID:9kSnmrAW
日本軍が連敗した戦役www
5人間七七四年:2010/02/10(水) 18:23:59 ID:jRJM68kG
【テンプレ1】
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった

【テンプレ2】
日本軍と明軍の主要な戦闘

1.祖承訓率いる明軍先鋒隊五千騎が平壌城を急襲   
  →小西行長の配下一万によって撃退される

2.李如松率いる明軍四万三千余が平壌を総攻撃  
  →小西行長とその配下一万五千はたまらず敗走、明軍は平壌城を奪還 
  
3.李如松は平壌城を落とした勢いに乗じてさらに南下。体勢を立て直した日本軍四万一千は漢城近郊で明軍二万と激突   
  →日本軍が数に劣る明軍を大破(碧蹄館の戦い)。

4.晋州城攻防戦(第二次)において、
明将劉テイ指揮下四万が普州城の救援に向かったとの
報を受け、立花宗茂と小早川秀包は兵四千を率いこれを迎撃   
  →日本軍が撃退に成功

5.明・朝鮮連合軍が守る黄石山城を日本軍が襲撃   
  →陥落

6.明・朝鮮連合軍が守る南原城を日本軍が襲撃   
  →陥落

7.稷山で解生率いる明軍先遣隊八千と黒田長政率いる五千の部隊が遭遇戦   
→一進一退の攻防の末、明軍は戦意を喪失。日本側に援軍が現れたのを機に撤退

8.楊鎬、麻貴率いる明軍四万四千と、朝鮮軍一万二千の連合軍が完成前の蔚山城を急襲(蔚山城の戦い)   
→加藤清正を指揮官とする篭城側一万が防戦、
その後日本軍一万二千が駆けつけ連合軍を大破
日本軍は敗走する連合軍を30里に渡って激しく追撃し、壊滅的な打撃を与えた

9.麻貴率いる明軍二万四千、 金応瑞率いる朝鮮軍五千五百の連合軍が再び蔚山城を襲撃(第二次蔚山城の戦い)    
→日本軍は防戦に徹し、これを退ける

10.董一元率いる明・朝鮮連合軍およそ三万七千(諸説あり)が泗川城を襲撃(泗川の戦い)
→島津義弘配下七千が城外へ打って出て連合軍壊滅(すげえ)

11.劉テイ率いる明軍二万二千、権慄率いる朝鮮軍六千、
陳リン率いる明水軍二万、李舜臣率いる朝鮮水軍七千からなる連合軍が順天城を襲撃(順天城の戦い)
→小西行長配下一万三千が防戦し、これを撃退

12.明・朝鮮連合水軍五百隻が島津水軍五百隻と激突(露梁海戦)
→双方に甚大な被害。しかし島津水軍は小西行長らを撤退させるという作戦目標を達成し、連合軍は明水軍副将のケ子龍、朝鮮水軍大将の李舜臣が戦死した
6人間七七四年:2010/02/10(水) 18:25:03 ID:jRJM68kG
7人間七七四年:2010/02/10(水) 18:45:37 ID:HQO9HzqW
?
8人間七七四年:2010/02/11(木) 19:31:35 ID:yeGZJ23B
9人間七七四年:2010/02/11(木) 20:12:42 ID:dPqnQ5R/
後先短いのに急いで出兵したからこんな結果になっちゃうんだよ
内治優先で50年後に秀頼の息子を総大将として、出兵してたら少しは違う結果になったんじゃないかと
10魔王:2010/02/11(木) 21:22:50 ID:Nu+lgJLA
まぁ明も朝鮮も雑魚だったからな
戦いは連戦連勝じゃった
11人間七七四年:2010/02/12(金) 20:57:59 ID:Qv57Nt9h
?
12人間七七四年:2010/02/13(土) 19:08:34 ID:4+/HkYeb
連戦連敗w
13人間七七四年:2010/02/14(日) 02:15:31 ID:zzpJCICg
あっちの教科書じゃ、日本の連戦連敗ってことになってるしな
連戦連敗の日本軍に国土が奥深くまで蹂躙されたというカオスな内容になってる
14人間七七四年:2010/02/14(日) 14:29:57 ID:O1rGDxUC
てか、この朝鮮出兵が無かったら
「サムライなんて実際は弱かったニダ」
って煽りで溢れてたんだろうなw

15人間七七四年:2010/02/14(日) 21:52:03 ID:pZ5fymGg
日本の教科書でも朝鮮の義兵によって侵略者である秀吉軍は苦戦し秀吉の死で撤退したとあるからな。
日本側の教科書でこの記述なんだから実質日本の、戦国時代のオールスターの負けということになるね
16人間七七四年:2010/02/16(火) 11:40:04 ID:CA5jq2tu
泗川の戦いの明軍の実数はどれくらいなんでしょうか?
島津隊は6000〜7000で確定してるみたいなんだけど、明軍は2万人説〜20万人説まで幅広い。
どっかのサイトで見た、総勢10万+αを3つに分けて3方同時攻撃したから、泗川方面に来たのは3万〜4万ってのが正しいような気がするんだけど、ある小説では明軍は兵力の分散は避けて泗川方面に一挙に殺到したとなってます。
どっちが正しいんでしょうか?
17人間七七四年:2010/02/16(火) 11:49:24 ID:g2b33kz0
軍事的常識でいえば三万までが適当な所
18人間七七四年:2010/02/16(火) 11:52:30 ID:CA5jq2tu
あと明軍の損害だけど島津報告では4万、明軍報告では8万となってる。
動員数より多い損害数を報告するのはおかしいので、明側の兵力は20万は多すぎるとしてもやっぱり10万人位いたんだろうか?
19人間七七四年:2010/02/16(火) 12:35:14 ID:g2b33kz0
中国人は負けを認めた時も大げさに書く
20人間七七四年:2010/02/16(火) 15:26:13 ID:r23S6Pcc
敵が強すぎただけで、司令官が無能だったわけじゃないって報告されるから?
「いやぁ、馬鹿と気違いには勝てないっすよぉ」
みたいな
それとも、給料のピンハネとか食糧の横流しがバレないように
「規定の人数を動員したけど死んじゃったって報告しようぜ」
って感じ?
21人間七七四年:2010/02/16(火) 15:47:54 ID:g2b33kz0
単に話を大きくしたいだけ
22人間七七四年:2010/02/16(火) 22:00:22 ID:FArU1Rha
20万人が殺到したとしても、実際に戦闘に参加できるのは数万だろうしな。
味方が前にぎゅうぎゅうなのに、攻めようが無い
23仙台藩百姓:2010/02/17(水) 07:57:04 ID:DtTnQUPx
中国も島津も伝統的に大法螺吹きだから二つ合わさって誇大表記が爆発したのだお( ^ω^)
24人間七七四年:2010/02/17(水) 08:05:20 ID:7lX2d6OQ
いい話スレか悪い話スレであったけど、「こんな大軍、後にも先にも見た事なかったなー」とかあったから、その後の関が原あたりの一方の動員数より多かったんじゃないとも思われるが実際はどーだろうね。
25月孔雀:2010/02/17(水) 08:16:09 ID:JIKGRD1m
中国は、山賊国家。
島津は、海賊国家。

こういう奴らのやること、信じられませんね。
26仙台藩百姓:2010/02/17(水) 10:41:30 ID:DtTnQUPx
島津が寡兵で勝ったとか吹き回っているのは南九州とか朝鮮とか情報が入りにくい場所ばかりだお( ^ω^)
他地域の勢力と戦った時は何故か普通にボロ負けするだけなのは不思議だお( ^ω^)
27人間七七四年:2010/02/17(水) 12:41:35 ID:rM+/yhr2
中国の教科書の日清戦争の黄海海戦の記述が
中国の勝利みたいに書いてあったのを思い出した。
28人間七七四年:2010/02/17(水) 19:27:45 ID:iX3ZtK/z
騒乱状態の明と日本の朝鮮半島での出来事なんてよくわからんからな
29!sengoku:2010/02/18(木) 16:44:32 ID:Gn3OZzcs
島津深追いして英雄李舜臣がぬっころされたからって嘆くなよ
亀甲船が本当にあったらよかったな
30人間七七四年:2010/02/18(木) 21:34:05 ID:LpkzCO27
しかし李舜臣が英雄でなければ戦国時代ヲタも困るという罠が待ち構えてるw
○○を討ち取ったで!という戦果が欲しいからね
31人間七七四年:2010/02/18(木) 21:53:50 ID:yRQ30P59
それはないな。(・∀・)

李舜臣を英雄にするために高々3万石の脇坂安治が日本を代表する戦国武将扱いだし、
逆に当の李舜臣は討ち取られたのではなく、たまたま運悪く流れ弾に当たっただけ〜と
言い張ってるし。w
32月孔雀:2010/02/18(木) 21:56:47 ID:FS6rgjQd
海戦の提督って、死んじゃった人じゃないんじゃないかな。
33人間七七四年:2010/02/19(金) 08:36:56 ID:XcnWVZ2D
朝鮮や中国のザコと戦って勝ったなんて自慢にすらならん。
薩摩隼人蛮族の島津の誇張癖も大陸ゆずり。
34人間七七四年:2010/02/22(月) 02:54:36 ID:I5rcGCo1
文禄の役の和睦交渉時
秀吉は途中で7箇条の要求を取り下げて和睦条件を
明との貿易再会と朝鮮からの人質要求に切り替えたってホント?
35人間七七四年:2010/02/22(月) 22:36:25 ID:vuXb7wKw
交渉担当者がその線で話を進めようとした
36人間七七四年:2010/02/24(水) 13:46:13 ID:qB0jWvrq
宗氏馬鹿なの死ぬの?
だよなぁ・・・学習能力無いのかしら
37人間七七四年:2010/02/24(水) 20:58:44 ID:YjBs1jDB
いまだに明がザコだったと思ってる人っているんだな・・・

>>30
明軍の副総兵を2人、参将を3人討ち取ってるから無問題
38人間七七四年:2010/02/25(木) 04:23:34 ID:thfTcP6l
>>35
なんか秀吉が状況を鑑みて1595年の5月22日に和睦条件を改めて出したと
書いてるとこがあったんだけど詳しい事知りませんかね?

あとこの交渉って小西や宗が嘘ばかりついて進めていた様ですけど
秀吉は交渉中はどの程度真実を報告されていたんでしょう?
39人間七七四年:2010/02/25(木) 16:02:22 ID:Jhg5t4fP
>>37
兵力数で劣るあまりやる気の無い侵攻軍すら抑えられないのは十分雑魚だと思う。
40人間七七四年:2010/02/25(木) 22:41:10 ID:pi6ntiWP
>>37
兵力数では日本軍の方がずっと多いけどね。
日本は文禄の役で15万8千、慶長の役では14万8千くらい。
明の兵力は文禄の役に5万、慶長の役に8万から10万くらい。
配下の朝鮮軍を含めたとしても、兵力は大差ない

あと、文禄で日本軍と戦った遼東方面軍は女真、モンゴル相手に連戦連勝
向かうところ敵なしと恐れられた精鋭軍団。

「馬の大きさはけしからず候。男もけしからず候。
上衆もけしからずおぢ被入候也。 日本にても、かほどの働は、
稀成よし、其沙汰候。何も武辺つよき唐人かと、上衆 も手ををかれ候也。」
『吉見家朝鮮陣日記』
41人間七七四年:2010/02/26(金) 07:33:19 ID:Hzj1SRm/
連戦連勝なら何で女真が独立してんだよw
42月孔雀:2010/02/26(金) 07:55:10 ID:SZdPwpfU
太閤さん、最近、出てこないね。。
43人間七七四年:2010/02/26(金) 09:25:08 ID:vfRcntag
その明軍の数のソースはどこから?
まあ日本軍も半数は前線に出て戦わない人足連中だしな。
44人間七七四年:2010/02/26(金) 18:01:22 ID:YwQ0A1Bh
>>40
その李家軍に勝った、小早川と立花は
もっと有名になってもいい筈なんだがなw
45人間七七四年:2010/02/27(土) 00:13:51 ID:XNQBs8q/
>>41
連戦連勝したのはヌルハチが女真族を結束させる前の話。
女真が勝てたのは、半島への出兵を含む「万暦の三征」で明が疲弊してたからだろ。

>>40
もっと有名になるべきだと思うし、なってほしいよw
加藤清正、立花宗茂、島津義弘あたりは半島で物凄い活躍してるのに
不当に評価が低い。理由は大暴れした相手が特定アジアだから。
あまりにも不憫・・・
46人間七七四年:2010/02/27(土) 09:35:47 ID:Lkb8IsEn
>>45
ヌルハチ以前の小部族に連戦連勝とか言われてもなw
47人間七七四年:2010/02/27(土) 20:29:26 ID:PnquVGWL
秀吉はあと5年生きてたら完全に植民地に出来たのにもったいない・・
48人間七七四年:2010/02/27(土) 22:42:46 ID:1/NEmg0J
元でも朝鮮制圧するのに30年かかってる。しかも朝鮮単体。

秀吉軍は明+朝鮮相手で7年。朝鮮単体なら1ヶ月ちょっとで攻略。
秀吉が生きてたらあと5年ほどで喰ってただろ。

1900年以前の戦争は時間かかるのよ。
49人間七七四年:2010/02/27(土) 23:04:39 ID:bnW8Oymz
秀吉が生きていたら明朝鮮連合軍に戦国オールスターズ(笑)は釜山まで追い詰められて全滅、その勢い駆って明朝鮮軍が九州になだれ込んできたかもしれんぞ。
50人間七七四年:2010/02/28(日) 01:19:52 ID:md34aC8y
1598年9月から10月の蔚山城、泗川城、順天城の3城同時攻撃に明朝鮮軍が全て失敗した後、
秀吉が死んでなかったら、日本軍がどうでたかってのは興味あるな。
慶長の役は小早川隆景がいないから、現場で全体をまとめられる武将に欠けるのがネックだが
51人間七七四年:2010/02/28(日) 20:12:04 ID:xj35LBZf
>>49
クソチョンの妄想はまったく現実味がないなw
52人間七七四年:2010/02/28(日) 21:14:20 ID:rDy/fWTW

【ついに正体をあらわした人類史上最悪のパワハラ朝鮮ナチス政権!】

「民主党、政権与党の力で長崎に不利益与えてやると『恫喝』…民主主義を否定する暴言、許せない」…長崎新聞
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1267080671/l50
「我々は政権与党。長崎県民が知事選でそういう選択するなら…民主党は長崎にそれなりの姿勢取る」と脅迫★9
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1266838942/l50
長崎県知事選で民主党候補が大敗…それでも小沢氏の参考人招致は拒否★5
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1266767370/l50
「在日参政権の反対派に圧力をかけよう」 民主党、韓国民団に呼びかけ…大阪★3
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1267216098/l50
53人間七七四年:2010/02/28(日) 21:35:17 ID:k0yNJE4b
陸軍
日本>朝鮮
水軍
朝鮮>日本

互角ってことだな
54人間七七四年:2010/02/28(日) 21:44:08 ID:xj35LBZf
思いっきり島津にボコられてイスンシン(笑)討ち取られてるのにw
55人間七七四年:2010/03/01(月) 00:49:03 ID:a4UytjgP
チョン水軍が日本水軍より強かったらそもそも半島に上陸できないんじゃないか?
56月孔雀:2010/03/01(月) 08:24:24 ID:nf8QrHxn
そうだね
57人間七七四年:2010/03/04(木) 08:43:12 ID:7A+3JD1y
悪天候や闇夜に紛れてコソコソ上陸したのだろう
58人間七七四年:2010/03/04(木) 10:54:21 ID:KWLXU+W/
それはそれで凄いww
59人間七七四年:2010/03/04(木) 13:02:27 ID:l7OMFY9q
火縄銃のどこが凄いって、補給にある
刀と槍で戦うなら食料現地調達で済むのだろうが
火縄銃となると勝手が違う、火薬から弾、火縄まで補給しなくちゃならない
一回の会戦で使う量は相当なものだろう、その補給たるや膨大になる
それを海峡を越えて補給できたんだから恐れ入るぞ
60人間七七四年:2010/03/05(金) 20:04:05 ID:UX8OWk4h
こそこそ上陸できる人数じゃねえよクソチョン
お前らメクラかよww
61人間七七四年:2010/03/06(土) 21:14:45 ID:pJDbQTMz
つうか冗談は抜きにして半島水軍は日本軍が上陸するとき何やってたんだよ
62人間七七四年:2010/03/06(土) 21:32:03 ID:5EuzRKFD
動員かかって無かったからしゃーない
63人間七七四年:2010/03/06(土) 22:00:33 ID:pJDbQTMz
んじゃあ日本軍が悠然と上陸するのを
指をくわえて見てたんだw
64人間七七四年:2010/03/07(日) 02:01:36 ID:l/89DBQu
普通敵軍が侵略してくるのを
「動因がかかってないから」とか言う理由で見てみぬふりするもんなのかね
65人間七七四年:2010/03/07(日) 02:17:05 ID:rSMbWIzx
文禄はともかく慶長はなんなのって話になるしなw
66人間七七四年:2010/03/07(日) 08:32:28 ID:64tEbqW2
見てみぬふりじゃなくて見てなかったのだから当然だろ
当時は軍船なんて僅かしかなかったし帆か手漕ぎなんだから瞬時に集結させるなんて出来るわけない
真珠湾の卑怯な奇襲と同じで宣戦布告なしでいきなり攻撃すりゃ上手くいくに決まってるわ
だから倭人が調子いいのはいつも「最初だけ」なんだよなw
67人間七七四年:2010/03/07(日) 14:36:28 ID:VKeycC6+
>>65
慶長はきっちり全力で先制攻撃してるだろーが
返り討ちで壊滅しとるけどさ
68人間七七四年:2010/03/07(日) 14:49:44 ID:RLmOvknJ
馬鹿? 当時の戦争でわざわざ宣戦布告なんてするヤツはいねーよ(・∀・)

ちなみに>>66の脳内では、悪逆卑劣な日本に宣戦布告なしの奇襲を受けたことに
なってるようだが、実際には朝鮮側も慶尚道各地に築城して武器を備えているわけだ。

しかし、小西軍の侵攻当日には、釜山の守備にあたっていた釜山倹使鄭撥は
押し寄せる日本船団を望見しながら、和平交渉に来たものと勝手に解釈して
防備を固めるという必要な措置を怠った(要するに水軍の出撃も命じなかった)という
バカっぷりだっただけだな。(出典は『懲録』)
6968:2010/03/07(日) 14:54:33 ID:RLmOvknJ
おっと訂正。出典は『懲録』じゃなくて『宣祖実録』だった。
70人間七七四年:2010/03/07(日) 17:41:05 ID:l/89DBQu
事前交渉が決裂してる時点で宣戦布告してるようなもんだしな
それともチョン側はそれすらも気づけない連中だったのか?
71人間七七四年:2010/03/08(月) 18:23:08 ID:vZ8p+1LQ
二大党派で争ってたからな。
一方が「日本が攻めてくる」と言えば、別な一方が「んな事ねーよ、この嘘つきめ」と反対の為の反対意見を出す。
王も纏める気が無いから中途半端な対応になる。
72人間七七四年:2010/03/08(月) 18:56:59 ID:PhJ0hGHO
チョンコが戦争に弱い理由がよくわかるなw
73人間七七四年:2010/03/08(月) 22:38:05 ID:LNdfRuQa
勝ってたのになんだかわからないうちに交渉失敗して
実入りもあまりなく終わったってのも日本らしいけどね。
朝鮮は内部で分裂、明もがたがただったのに最終的に撤退して終わりは
残念の一言。
74人間七七四年:2010/03/08(月) 22:54:00 ID:kGiJxCnC
まぁそれでも、撤退したのは事実
秀吉の死がどうたらなんてのは日本側の勝手な言い訳にすぎないわけで、結果的に逃げたことは負けを意味する
75人間七七四年:2010/03/08(月) 23:58:42 ID:1hmwqJvQ
国土を焦土化されて壊滅状態となった朝鮮こそが勝者ということか
76月孔雀:2010/03/09(火) 00:44:24 ID:UX4Aoo3M
そうらしい?
77人間七七四年:2010/03/09(火) 01:14:37 ID:AznvKmm8
戦闘には勝ったが戦争に負けたってことで不満はないよ
この後関が原なんだから、手一杯だよ
78人間七七四年:2010/03/09(火) 01:47:17 ID:iFNvqDbV
いつの時代も中国がいなけりゃゴミ以下だもんなチョン公は
79人間七七四年:2010/03/09(火) 05:35:19 ID:Wt3cRBsw
よく考えたらすぐ後に関が原で大軍動かしてるんだから
どんだけ余力あったんだよって話だよなww
80人間七七四年:2010/03/09(火) 11:33:24 ID:r491UWES
アメリカ人野球界(戦国武将)にとってメジャーリーグ(関ヶ原)>WBB(唐入り)みたいな感じかw
81人間七七四年:2010/03/09(火) 13:55:10 ID:AznvKmm8
でもその後、明が潰れたりしてるから、あっちにとっては大打撃だった
のじゃまいか? 戦史以上な負け戦だったかもよ
82人間七七四年:2010/03/09(火) 16:10:12 ID:Nfy8wSIY
一因ではあるが主原因ではないな
むしろ女真族すら主原因じゃない
83人間七七四年:2010/03/09(火) 18:10:36 ID:dbgmQRmF
>>80
ちょっと違うのがメジャー選抜(戦国武将)は日本韓国キューバ(明)より弱かったが
実際の戦国武将は明朝より強かった。
84人間七七四年:2010/03/09(火) 18:25:05 ID:AznvKmm8
万暦帝か、志賀直哉に万暦赤絵つう作品があって
それで万暦帝を意識しだしたのだが、たぶん朝鮮など
どうでもよかったに違いないよ
85人間七七四年:2010/03/09(火) 22:14:15 ID:Wt3cRBsw
ま、元寇にくらべたら遥かに余裕があった戦いだったんだろうね
86人間七七四年:2010/03/10(水) 00:15:51 ID:0cpbIvAi
いきなり本土決戦と攻め込まれる心配無しの外地での戦争じゃ、少なくとも後者に悲壮感は無いだろうね。
87人間七七四年:2010/03/10(水) 02:13:11 ID:pM7enLtK
チョンコが反撃に転じて九州に上陸してくる気配なんてカケラもなかったんだろうなあ
実際なかったしww
88人間七七四年:2010/03/10(水) 13:43:10 ID:hrVQwsvL
そら朝鮮じゃ無理
可能性があるのは明だけど、明もそんな余力はないし…



一方日本は関ヶ原で朝鮮侵攻をしのぐ大兵力を動員した
89人間七七四年:2010/03/10(水) 18:01:05 ID:Sd7AKIvk
その大兵力でも、朝鮮すら我が物にできず撤退したのが日本という現実
悲しいけどやはりアジアは明と朝鮮が軸という証だね。いくら戦乱で鍛えられたといっても、アリである日本は象である明には勝てない
90人間七七四年:2010/03/10(水) 18:05:00 ID:AWon6zdl
その明も異民族にあっさり滅亡させられたことを知ってて
あえてそんなことを言うとは
酷い奴だなw
91月孔雀:2010/03/10(水) 18:14:14 ID:uPrrOHar
明、すぐ、滅亡してますが? 金に征服された。

秀吉さんの出兵で、得をしたのは、満州民族と
朝鮮民族。

太閤さん、いますか?どう思います?
92人間七七四年:2010/03/10(水) 18:18:55 ID:SQuSKpHS
金のまえに反乱があるんだよ、金は落ちてきた餅を食べただけだよ
93人間七七四年:2010/03/10(水) 18:21:09 ID:AWon6zdl
反乱があるのは弱いからだよ
何処の国にだって内乱あるし
94人間七七四年:2010/03/10(水) 18:57:57 ID:Uq3IPPbi
>>89
つ日韓併合
95人間七七四年:2010/03/10(水) 20:33:53 ID:SQuSKpHS
内乱ったって万暦帝が悪いのだよ、例のごとく酒池肉林だからな
96人間七七四年:2010/03/10(水) 23:20:06 ID:z7y0HDz5
そんな明に勝てなかった倭人はウンコ以下ですねw
97人間七七四年:2010/03/11(木) 00:42:53 ID:iukxXhjR
ボコボコにされたのに反省がまったくないから
シナチョンは蹂躙され続けたんだろうね
98人間七七四年:2010/03/11(木) 02:52:00 ID:kiEMwK4p
民主党、朝鮮学校を一転して無償化へ
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1268239757/l50
99人間七七四年:2010/03/11(木) 14:29:06 ID:+Msk0JhO
なんでシナ豚ってあんなに戦争弱いんだ?
100人間七七四年:2010/03/11(木) 18:07:57 ID:xSNyC94G
弱くはないぜ。
弱かったらあんな大国を作って維持することはできない。
101人間七七四年:2010/03/11(木) 18:47:24 ID:TnOWVZzX
中央集権タイプの軍は大量動員かけやすいけど質や士気に難があり、封建制度の軍は逆の性質があるな
なので、支那みたいな前者タイプの国家だと軍の戦闘力≒将帥の質になりやすい
支那の兵法書なんか「こんな農民上がりのヘタレやチキン共を率いて戦わにゃならんのか」っていう当時の将軍の苦悩が垣間見れる
102人間七七四年:2010/03/11(木) 19:14:02 ID:+Msk0JhO
>>100
維持できてねーから年中異民族にレイプされつづけてたんじゃねーかよ
シナ豚www
103人間七七四年:2010/03/11(木) 20:51:44 ID:otSeh+7y
李如松の李家軍とかは子飼いの私兵軍団だから強かったんだろうな。
明は軍事面を各地の軍閥に頼っていた、とかwikiに書いてあった
104人間七七四年:2010/03/11(木) 21:29:32 ID:d3DNiLti
>>103
明に限った話しじゃないよ。
単純化すれば後漢末も清末も軍閥割拠という状況で大した違いは無いでしょ。
軍閥は支那の「骨」みたいなもんだ。
健康な時は外から「骨」は見えないが、老いたり重い病気にかかって肉が落ちれば外から透けて見える。
105人間七七四年:2010/03/11(木) 21:31:44 ID:25kjfcPr
もっとも子飼いの馬軍だけで突っ走って碧蹄館で
一気にショボーンしちまったが。
106人間七七四年:2010/03/11(木) 21:49:45 ID:nNom8eXm
あれは日本軍が壊乱しているという誤った情報によるものだからなぁ
歩兵主体なのにバラけて戦う当時の常識からすれば異常な日本軍をそう誤断したのは
無理も無いけど
107人間七七四年:2010/03/12(金) 14:35:20 ID:UPYTdZhO
仮にも国軍である明軍と、豪族の寄り合い所帯の日本軍の差だが
蛮族相手に経験豊富な筈の部隊がそんなこと言うのは完全な言い訳でしかない。
108人間七七四年:2010/03/12(金) 18:36:53 ID:JDHc9jQ4
明軍が1万9千だけだとしても、日本側も先鋒隊の約2万(上陸時の数だから実際は1割引くらいか?)
のだいたい同数で負けてるし、前哨戦では立花隊3千だけで約1万の明軍と渡りあってたからなあ・・・
109人間七七四年:2010/03/12(金) 19:40:50 ID:JOEqxy7+
泗川の戦いがすべてを物語ってるな
110人間七七四年:2010/03/12(金) 19:45:14 ID:fYSkWgHC
>>108
騎兵の優位が活かせない場所だからね
111人間七七四年:2010/03/12(金) 20:06:50 ID:JDHc9jQ4
朝鮮軍って道案内してなかったのかな?
1万くらいいたらしいが
112人間七七四年:2010/03/12(金) 20:41:29 ID:fYSkWgHC
碧蹄館は当時の幹線道路だから、追撃するつもりで行った明軍が
そこを通過するのは当然だからな
113人間七七四年:2010/03/12(金) 21:08:45 ID:N5py3/3Y
義兵の前にいつも惨敗する悪の日本軍
この構図は常に変わらないね
キムヨナへの中傷への報復行為も、義兵による運動といえる
114人間七七四年:2010/03/12(金) 21:16:18 ID:j8nh2ttu
朝鮮半島が大国の闘技場であることも不変である
115人間七七四年:2010/03/12(金) 21:17:37 ID:w80xu8+K
なるほど、義兵=テロリストということか。(・∀・)シカモDQN!!
116人間七七四年:2010/03/12(金) 21:22:55 ID:w80xu8+K
いまだにサーバーの場所も理解できず、
突然のFBIの登場にガクブルの朝鮮DQN義兵。(・∀・)

ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/korea/1265722063/626-627
117人間七七四年:2010/03/12(金) 21:24:41 ID:Ws8IPxVh
義兵っつーか、食い物目当ての山賊でしょ?
118人間七七四年:2010/03/12(金) 21:42:41 ID:j8nh2ttu
いや、当時の朝鮮ってそんなにグダグダな国ではなかったろうと思うよ。

むしろ当時は日本のほうが内戦に次ぐ内戦でグダグダな国だったわけだが。
119人間七七四年:2010/03/13(土) 00:56:39 ID:IYI+svDy
釣りならもうちょっと上手くやってもらわないと困る
120人間七七四年:2010/03/13(土) 01:25:01 ID:cbe8FUYh
それは史実だが。

当時朝鮮が内戦してたか?してないだろ。
日本は内戦してたよ。

史実だ。
121人間七七四年:2010/03/13(土) 01:45:11 ID:ttyacgr2
中国が古代ローマだとすると朝鮮はエジプト
日本はエチオピアくらいだろうさ
122人間七七四年:2010/03/13(土) 02:23:35 ID:IYI+svDy
釣りならもっと上手くやってくれって
123人間七七四年:2010/03/13(土) 03:15:53 ID:Jm7qc0OK
>>120
内戦も起こせないような惨状だったというのが正解だろ。同民族内で人口の半数を奴隷とし、
毎春飢餓が発生するような地上の楽園だったからな。

いわば、現在の金氏朝鮮みたいなもんだな。


>>121
まぁ、朝鮮をエジプトに喩えるのは、エジプトは古代ローマの属国という意味では正しいな。

124人間七七四年:2010/03/13(土) 05:23:18 ID:7gtLcROp
兵糧足りなけりゃ兵が略奪に走るのはどっちの国でもそう変わらない
朝鮮側視点から見れば、日本兵襲えば義兵で朝鮮の民衆襲えば山賊になるってだけ

明軍養う為に膨大な食料が必要だった事を考えると、まともに軍として統率出来る兵はそう多くはなかったろう
国家体制がどうとか内戦どうこうはあんまり関係ないよ
125人間七七四年:2010/03/13(土) 05:26:33 ID:7gtLcROp
3行目後半訂正
(朝鮮側には)まともに軍として〜
126人間七七四年:2010/03/13(土) 09:30:56 ID:5RUbd7MO
>>123
クレオパトラがカエサルの愛人やってたりしてたなw
127人間七七四年:2010/03/13(土) 09:54:04 ID:PkU1wRJr
当時の日本は中央集権じゃないんだから勝てる訳ないよ
あのドイツだって神聖ローマ帝国の頃は諸侯乱立状態で
隣国の兵隊に殺戮強姦され放題の状態だったし

戦術的には有利に進めても、諸侯にやる気がないから続かない。
被害も過剰報告して後ろに下がりたがる
そりゃ日本国内に火種がたくさんあるし
普通に益の無い対外戦争なんてやってる暇は無い
128月孔雀:2010/03/13(土) 10:30:01 ID:58qSd/pN
朝鮮と、韓国って、違うんか?

関東と関西くらいの違いでいい?

分断国家のほうがメリットもありそうだね。
129人間七七四年:2010/03/13(土) 11:44:48 ID:2h87ObSm
>>127
そんなの相手に苦戦した明&朝鮮ワロスwww


こうですかわかりません
130人間七七四年:2010/03/13(土) 12:03:45 ID:H2VR6tvE
文禄で和睦しなかったら、晋州城を落とした後、全羅道を攻略して明軍と決戦。
その後才北上し平城を再攻略、義州で朝鮮王捕らえて降伏させる。
慶長で秀吉が死ななかったら、蔚山城、泗川城、順天城の3城で撃退した後
反撃に転じ、じっくりと北上して漢城、平城と攻略して制圧。
ってなりそうではあったんだけどな。
131人間七七四年:2010/03/13(土) 12:32:06 ID:0GBrakTQ
そこまで前線将兵の士気が持つかという課題はあるな
132人間七七四年:2010/03/13(土) 12:40:15 ID:Jm7qc0OK
まぁ、慶長の役では、実際には実力行使で南部四道割譲という常識的な線で
行動予定だったしな。漢城は既に攻略目標になってないし。

半島北部については、あんな土地いらんわ!と文禄の役で実感したんだろうと思う。
133人間七七四年:2010/03/13(土) 19:36:34 ID:FeOTLbgP
>>129
君は頭が悪いな
動員された大名だって、国内での領地を経営していかなきゃならんから
いつまでも朝鮮みたいな不毛な土地で油売ってられないだろ?
134人間七七四年:2010/03/13(土) 20:31:27 ID:eTgEqiGR
何気に江戸時代中ずっと不平等な貿易で搾取しまくってたりしてな
あれだけフルボッコにして軍事力の差を見せ付けたんだからやらない方がおかしい
135人間七七四年:2010/03/13(土) 21:08:58 ID:ttyacgr2
植民地経営なんて割に合わないんだよ
朝鮮、台湾にどれだけ日本の税金を注ぎ込んだか
その分を北海道やら樺太、東北のインフラにまわしていたら
136人間七七四年:2010/03/13(土) 21:17:14 ID:cbe8FUYh
うん。
反日運動を押さえ込んでまで植民地を維持しても損失のほうが大きい。

特に朝鮮とか台湾とかは、ショボイショボイ土地だ。
137人間七七四年:2010/03/13(土) 21:29:00 ID:ttyacgr2
ドイツなんかアウトバーンとか造ってるのにな
今だって子供手当てとか、インフラにまわせよ、ほんと
ばかかと…
138人間七七四年:2010/03/13(土) 22:52:25 ID:aHMFTSpR
>>137
馬鹿はおまえだろ
139人間七七四年:2010/03/13(土) 23:07:35 ID:90eKhlUC
しょせん猿真似倭人じゃ上っ面をパクるだけが精一杯だからな
140人間七七四年:2010/03/13(土) 23:28:23 ID:sts+b+J7
何いってんだよゴミチョンww
いい加減日本にストーキングすんなや
141人間七七四年:2010/03/13(土) 23:31:23 ID:Jm7qc0OK
猿真似すら出来ず、国家破綻しかける度に
技術移転シル!技術移転シル!と泣き叫ぶ韓国人・・・(´・ω・`)カワイソス
142人間七七四年:2010/03/14(日) 15:25:53 ID:+esrDZIE
そういやチョンって対外戦争で勝ったこととかあんの?
143人間七七四年:2010/03/14(日) 15:49:50 ID:AnuNArw+
単独では大きな戦争で勝った事ないんじゃ?
大国と連合組んで勝ち組になったことなら何度かある。
144人間七七四年:2010/03/17(水) 01:13:03 ID:U/v5U1D/
>>142
高句麗が隋の遠征撃退してる
後は新羅が唐を半島から追い出してるのと、高麗が遼を撃退してるのぐらいかな
いずれも単独
145人間七七四年:2010/03/17(水) 01:16:25 ID:kgHG9ip7
高句麗はそもそも朝鮮半島の国家じゃないな。
146人間七七四年:2010/03/17(水) 17:13:36 ID:S9WlUoYW
あと3年ぐらい長生きしてれば朝鮮はなんとかなったかもしれんのに
明に入ってからのほうが楽だったりして
147人間七七四年:2010/03/17(水) 17:26:33 ID:mon1QO7A
ほとんど日本の西半分の勢力しか使ってないけど
秀吉はそのうち東日本の勢力もつぎ込むつもりだったんかな
148人間七七四年:2010/03/17(水) 17:44:49 ID:Hktwp6V7
占領と統治は全くの別物
149人間七七四年:2010/03/17(水) 18:33:16 ID:nIu+JI3n
いや、よく似た概念だとおもうが。

占領とは?
統治とは?
説明できるか?
150人間七七四年:2010/03/17(水) 19:06:35 ID:/zPkcoH7
占領→黒いオセロをみんな白に変えること
統治→黒も白もおもいのままにピンクに変えること
151人間七七四年:2010/03/20(土) 00:53:03 ID:7hFjXlM3
戦国時代の合戦は
なんでもありな戦いではなかった
足元を攻撃、狙うのは反則とか
背後から攻撃するのはなしとかね
武士で背中に切り傷があったら、お家断絶とか

秀吉の文禄・慶長の役とか
当時、アジア最強を誇った軍事力を擁しながら
海賊しか実戦経験のない朝鮮軍に結果負けた
殆ど実戦も知らない、軍の組織運用も知らない素人集団の朝鮮軍に対して
初期は圧倒して気散らしたが、「義兵」と呼ばれる民兵の組織が
ゲリラ戦法を行ったせいで日本軍は混乱した
援軍の明も、長い戦国時代を経験し職業軍人も多数いた日本軍の敵ではなかった
武器も日本は射程が長い狙撃用の火縄銃を常備
相手の主力、弓は120メートル程度の日本の弓の300メートル弓よりもショボイ武装
これ程、差があったにも関わらず
ルール無用のゲリラ戦法や日本の武士道のせいで負けた
152人間七七四年:2010/03/20(土) 01:00:56 ID:xGxuqmuD
最高にダサい負け方だなww
153人間七七四年:2010/03/20(土) 02:05:05 ID:kLjDQPLo
明は火縄銃をもちろん知っていたし、にもかかわらず
日本の銃を鳥撃ち銃だと馬鹿にしてたのじゃないの?
154人間七七四年:2010/03/20(土) 10:49:35 ID:/fEgFkaZ
チョンって民族として戦争弱いんじゃないか
戦争強かった時期とかあんの?
いつの時代も回りの国に媚びへつらって生きてる印象あるけど
155人間七七四年:2010/03/20(土) 11:26:07 ID:PTAtHGIf
ベトナム戦争の時のキルレートがアメリカ軍より高かったらしい。
156人間七七四年:2010/03/20(土) 11:30:51 ID:GIGMN2fB
>>151
容赦なく根絶やしにすれば良かったのにねw
157人間七七四年:2010/03/20(土) 11:56:48 ID:ZrE02ZZ8
>>151
明は騎馬民族相手に実戦経験あったでしょ
確か朝鮮もそうだったはずだけど
文明や文化の違いでお互い思うような戦争にならなかったみたいだけど
158人間七七四年:2010/03/20(土) 11:58:49 ID:/fEgFkaZ
>>155
メリケンのオマケで遊んでただけだろ
159人間七七四年:2010/03/20(土) 18:44:01 ID:kLjDQPLo
ベトナムで戦った全斗換と盧泰愚が報われることはないのかなあ
実戦経験に裏打ちされたクーデター、オリンピック
反対運動なんて屁でもなかったろうに
あの二人がいなかったらどうなっていたことか
全く理解してないばかんこくじん
まあ、ひとごととはいえないのかもな
160人間七七四年:2010/03/20(土) 19:59:32 ID:40UCJXcz
朝鮮出兵に対する賠償で対馬を差し出すべき
161人間七七四年:2010/03/20(土) 21:48:37 ID:6vskV2TG
>>151  
朝鮮軍に負けたって、お前アホか?
最初から最後まで日本軍に歯が立たず、
ボロ雑巾のように殲滅されてきたのが朝鮮軍。
国の英雄イスンシンも島津にぶっ殺されてるし。
かろうじて優位を保てたのは小規模な海戦くらいだろ。
162人間七七四年:2010/03/20(土) 23:42:01 ID:f29NBhYy
まあ、倭人の言う勝利とは逃走する事みたいだから
確かに倭が勝ってたんだろうね「笑」
163人間七七四年:2010/03/21(日) 04:41:47 ID:T3iZOGFI
明あっての朝鮮
明に守られなかった戦いは2ヶ月もたずに負けている
164人間七七四年:2010/03/21(日) 05:42:45 ID:9XAYomuP
ボコボコにされながら
勝ったニダ(キリッ
ってのは糞チョンの得意技じゃんw
165人間七七四年:2010/03/21(日) 14:08:54 ID:EKcRvNRh
朝鮮戦争での北朝鮮とかもそういう感じだよな。
一方的にボコボコにされてるだけなのに、なぜかB29をバタバタ打ち落としたとかいう伝説が生まれてる。

北朝鮮のおかげで少しは日本に特需がきたんだから別に日本はなんも損してないからいいんだが。
166人間七七四年:2010/03/21(日) 14:24:47 ID:ShKX0D+S
まぁ、B29がバタバタ堕ちてるというのは間違いでもない。
落としたのは中共のMigだけど。
167人間七七四年:2010/03/21(日) 14:31:04 ID:EKcRvNRh
大東亜戦争でB-29は延べ28558機出撃で喪失518機、
(史料によって違うが出撃毎重爆喪失率は日独ともに1.5%前後)
朝鮮戦争では延べ21000機出撃で喪失34機。

B-29が朝鮮戦争でそれほどMigの餌食になった事実はない。
168人間七七四年:2010/03/21(日) 14:41:03 ID:ShKX0D+S
それ延べ機数で見るから勘違いするんだろうけど、作戦行動半径が短い(北九州-半島北辺)から
やたら延べ出撃機数は多いけど、当時の保有戦力は最高時でも99機なので損耗率はかなり高いわけよ。

ちなみに戦闘機による損失は16機な。
169人間七七四年:2010/03/21(日) 15:03:37 ID:EKcRvNRh
勘違い?
なんも勘違いしてないとおもうが

延べ出撃機数でみるのが公平だろ
170人間七七四年:2010/03/21(日) 15:48:56 ID:EKcRvNRh
対独戦で米陸空軍は延べ1,693,565機の出撃で、戦死に負傷と行方不明加えて94,565人。
対日戦で米陸空軍は延べ669,235機の出撃で、戦死に負傷と行方不明加えて27,142人。
朝鮮戦争でFEAFは延べ720,980機の出撃で、戦死に負傷と行方不明加えて1,841人。
171人間七七四年:2010/03/21(日) 17:10:42 ID:ShKX0D+S
おいおい、反応がまるでどこぞのミンジョク的だな。

いくら延べ数を出したところで対Mig戦の実相は見えてこんよ。
朝鮮戦争のB29の出撃は地上軍直接支援の戦術爆撃と輸送路爆撃が多くを占め、
実際に中共空軍の迎撃を受けた半島北部への戦略爆撃(橋梁爆撃)の出撃機数は
限られる。
鴨緑江近辺はほぼ中国空軍の制空権下にあって、F84では太刀打ちできず損害が
多いため作戦が中止されたり、夜間に限定されたりということがあったワケだ。

F86配備後も、51年10月には、わずか一週間の間にそれまでの全損失と同数の5機を
1日で失ってたりする。
172人間七七四年:2010/03/21(日) 17:13:24 ID:ShKX0D+S
おっと訂正。

× 1日で失ってたりする。
○ 失ってたりする。
173人間七七四年:2010/03/21(日) 17:46:48 ID:bCRxeaZ8
おいおいさすがにここでチョンコ戦争について熱く語るなよw
174人間七七四年:2010/03/23(火) 18:52:50 ID:5kCe8jRv
板を間違えたのかと思ったw
175人間七七四年:2010/03/25(木) 23:49:28 ID:NZXIvgcP
クソチョン皆殺し万歳!!
176人間七七四年:2010/04/10(土) 06:52:41 ID:WznsKd4V
>>151
チョン乙。槍は突くものではなく、打ち降ろしたり足元を凪払えとされていたんだが・・・・
背後からの攻撃云々とか江戸の武士道で語るなや。刀だけしかないなら逃走も許されていた戦国時代の武士道と江戸時代の
武士道は全くの別物
177人間七七四年:2010/04/17(土) 14:51:46 ID:37eSPiyV
前スレを嘘レスで埋め立ててたID:DrrFeNMBは、嘘は百回言っても嘘のままという事実が分からないらしいw
178人間七七四年:2010/04/19(月) 18:18:08 ID:ceIi0Vny
何か新情報新発見でもない限り、唐入り関連スレはもぐら叩きくらいしかする事ないか。
179人間七七四年:2010/04/20(火) 19:21:49 ID:Q18LD0iY
つっても加藤小西小早川なんかは早い時期に家が潰れてるし
島津鍋島は明治の勝ち組、向こうの方は期待できずと、また極端だしなぁ

黒田細川あたりの未整理資料頼みくらいかね
180人間七七四年:2010/04/20(火) 20:36:51 ID:86dwPttl
>>179
立花家なんかも改易中に無くなった資料が多いだろうしな。
181人間七七四年:2010/04/23(金) 21:02:41 ID:C8jxwrhZ
文禄慶長の役で最大の資料喪失は大坂の役による豊臣家文書喪失
182人間七七四年:2010/04/23(金) 21:57:00 ID:aUwYBN1a
結構文書は残ってるのでは
183人間七七四年:2010/04/24(土) 03:34:28 ID:mbWS/T8A
>>182
どこにだよ。是非、教えてくれw
184人間七七四年:2010/04/24(土) 13:45:44 ID:d1Uqn8+Z
>>181
ものスゴイ量の史料や文化財が焼けてそうだよな
185人間七七四年:2010/04/25(日) 18:16:36 ID:tmz5qB51
戦場で何が起こっていたかは
各武将が前線から秀吉に宛てた報告に詳細に書かれていたはずだが
これら前線からの報告書は殆ど残っていない。理由は大坂の役による豊臣家滅亡と大坂城焼失

今残っている史料の多くは出征した各大名家に残るもので
前線からの報告を受けた秀吉が各武将に指示を与えた内容の書状が多いが
これは戦場で何が起こっていたかについては具体性が乏しい。

186人間七七四年:2010/04/26(月) 14:34:55 ID:NT74vezT
目的無く戦争を始めた秀吉に勝ち目はなかった

255 名前:マンセー名無しさん[sage] 投稿日:2010/04/26(月) 14:05:15 ID:INlKbkv2
>>248
ですなw>「伝承がある」という風に理解しておく
というか、朝鮮出兵の事に関してはいまいち良くわからないことが多いですな……
「朝鮮軍は李舜臣がいる間は強かったが、彼がやられたあとまたボロボロに負け始めた」という話を聞く事もありますけれど、秀吉があと10年生きてたら戦には勝てていたんでしょうかね?

256 名前:安崎ワンコー守 ◆Nyago/LmVE [sage] 投稿日:2010/04/26(月) 14:11:06 ID:ZG34xCNo
>>255
>秀吉があと10年生きてたら戦には
 まあ無理でしょ。
 そもそも「唐入り」してナニをどうするかという明確な目的もなく始めた戦争ですから、大名のモチベーションが維持できない(w
 そうなると戦費の調達が難しくなり、前線の維持もできなくなり、更にモチベーションが下がるというスパイラルに陥った可能性大。

257 名前:マンセー名無しさん[sage] 投稿日:2010/04/26(月) 14:28:18 ID:INlKbkv2
>>256
戦に参加させられた大名家は、みんな大変だったらしいですからねー>戦費の問題
戦を始めた理由としては「兵隊を減らす事を目的とした公共事業(天下を平定したあと、それまで家に置いていた兵隊をなんとかしなくちゃいけなかった)」という説もあるようですけど、秀吉は年食ってからそこまでモウロクしてたのか……
187人間七七四年:2010/04/26(月) 14:52:32 ID:NT74vezT
259 名前:安崎ワンコー守 ◆Nyago/LmVE [sage] 投稿日:2010/04/26(月) 14:37:19 ID:ZG34xCNo
>>258
 いや、そうなんだけど(w
 その「具体的な目標」が無かったでしょ。

 「百姓とサムライの分業化」をしたまでは良かったけど、戦が収まったせいで身分制度が固定化して下級武士の不満が溜まった。
 だもんで「戦」とそれにつきものの「恩賞」の両方を求めて唐入りするワケだけど、その「唐」の事情をロクに調べもせずに戦争をおっぱじめたってのは、無目的とあまり変わらん。

 これが「まず最初に朝鮮の南半分を占領して開墾」とかいう明確な目的があれば違っただろうけどね。


260 名前:( ´,,,,`)y─┛~~ ◆Tokurin8P2 [sage] 投稿日:2010/04/26(月) 14:40:25 ID:+GVIr14w
>>259
動機は間違ってないんだけど目標を間違ったんだよなぁ。
これが信長だったらもうちっと変わってたかもしれん。
阿鼻叫喚の展開になった可能性も高いw
188人間七七四年:2010/04/26(月) 15:01:35 ID:NT74vezT
263 名前:マンセー名無しさん[sage] 投稿日:2010/04/26(月) 14:54:25 ID:INlKbkv2
>>259
まあ、ある意味じゃあ今のアメリカに近かったのかもしれませんな>秀吉
(カーターの尻拭いという事情はあったにせよ無目的にイラク戦争に金をつぎ込んで、んでどこまでも泥沼化して……)

(というか村上水軍は済州島にも勢力を持っていたそうですけれど、信長だったらそういうとこから堅実に攻めていってたかな?)
189人間七七四年:2010/04/26(月) 15:46:26 ID:kSw8FAEr
>>186
>「朝鮮軍は李舜臣がいる間は強かったが
はいダウト。李舜臣がいる間も朝鮮軍の劣勢なまま。
登用序盤頃、一時的に海上補給に圧迫をかける事ができたくらいで、
すぐに日本軍に対応策を取られてからはロクな戦果を出せてない。
190人間七七四年:2010/04/27(火) 06:21:59 ID:1c5V6Fcq
>>189
水軍単独の能力など、たかが知れていたが。
確かに李のターンはあった。
1592年の5月6月7月の三ヶ月だけだな。
191人間七七四年:2010/04/27(火) 13:07:23 ID:7yoCwh7K
>>兵隊を減らす事を目的とした公共事業
これもダウトだな。兵士への俸禄確保の為に戦争する事はあっても、
せっかく動員した兵士の口減らしの為に戦争をする事はない
高校レベルの世界史でも勉強してれば、
国内統一した勢力が海外進出する傾向が高い事が常識だとわかるもんだが
経費削減なら漢の劉邦みたいに難癖つけて功臣を粛清する方向性に出るだろう
192人間七七四年:2010/04/27(火) 19:42:52 ID:PNjBkFGp
276 名前:新那智神社黒神主 ◆AOZAIN.UDM [sage] 投稿日:2010/04/27(火) 00:20:53 ID:h8hVAqCt
>>257
参加させられたってのも微妙なところすなあ、加藤清正辺りはノリノリで参加したってのもあるし。
(ただ、現地の土地があまりにもしょぼいので、後悔したという話も)
ただ、徳川家康・最上義光・伊達政宗などは反対ってか、乗り気でなかったっぽい。
東国大名のため実入りが無いってのが最大の理由でしょうけど。
家康が義光宛に「今回は俺も義光君も唐入りから外されたね。いや〜、ヨカッタヨカッタ」とか書いてるので、まあ、少なくともこの二人は乗り気でなかったんでしょう。

>>267
まったく関係ない話だが、砲術家の稲富祐直はものの見事に撃った鉄砲を外し、鉄砲の名人でもなんでもない人が見事命中させちゃったんで恥をかいたとか何とか。

277 名前:マンセー名無しさん[sage] 投稿日:2010/04/27(火) 05:12:46 ID:2ds+ROBd
>>276
「カネはかかるわあまり土地の実情を知らないわで今回はかなりギャンブル要素が強いけど、
秀吉公が『天才』である事に間違いはないわけだしそのままついていっても問題はなかろう」
(まあ、清正の場合は「秀吉大好き」というのがあったのかもしれませんけど)
朝鮮の戦にノリ気だった大名というのは、こんなような感じだったんじゃあないですかねぇ。

 家康と義光と政宗は揃いも揃って「秀次」の事で秀吉に不信感を持った方々ばかりなわけですし、
「秀吉公は、この戦でわしらの戦力を削る気じゃないか(当の豊臣家は、ほとんど金なんて使ってないし……あの人は、ホントちょっとおかしくなってるとしか思えん)」という気持ちもあったのではないかと

285 名前:新那智神社黒神主 ◆AOZAIN.UDM [sage] 投稿日:2010/04/27(火) 19:29:29 ID:h8hVAqCt
>>277
ただ、秀吉も唐入り決断の前までは「若い侍はみんな寺で修行させるか」とも言ってたそうですからねぇ。
武功を求める声があまりにでかすぎたんでは?
もちろん秀吉も乗っただろうけど。

しかしそれで考えると、こんなアブない連中の牙を抜ききった家光と綱吉マジパネェ。
193人間七七四年:2010/05/23(日) 23:26:46 ID:T7NYDxI6
『日本史』豊臣秀吉篇第三七章(第三部四八章)
「朝鮮に向けて出発したアゴスチイノが、ついで幾つかの城を攻撃し、大いに苦労して
軍勢をもってそれらを屈服せしめたこと、ならびにそこで彼が獲得した名誉について」
・双方とも大いに奮戦したが、朝鮮人は頭上に振り翳される日本人の太刀の威力に対抗できず、
ついに征服された。朝鮮人の側では約五千の兵が戦死し、日本人の側では二つの城塞
(の攻略に際して)百人近くの戦死者と四百人以上の負傷者を出した。

『日本史』豊臣秀吉篇第三八章(第三部四九章)
「アゴスチイノが朝鮮の都に入るに先立って生じたこと」
・だが日本軍はきわめて計画的に進出し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼(のよう)にして先を争って遁走した。
194人間七七四年:2010/06/01(火) 16:19:00 ID:kW/GW7tW
>>189
それこそダウトだろw
李瞬臣は日本側を何度も打ち破ったが、後世言われるような海上補給を立てる位置ではなく、侵攻する日本軍を迎え撃つ形の受動的な行動。
補給が滞ったのは、陸上と同じ民衆の自発的ゲリラが頻発したからだよ。
当時は補給線という概念自体(特に日本側には)あまりない。
195人間七七四年:2010/06/01(火) 16:40:53 ID:NkfCUV16
朝鮮民衆の自発的海上ゲリラスゴス

んなもんがあったなら世界の戦史上でも希有だなw
196人間七七四年:2010/06/01(火) 17:22:13 ID:OY3wQ500
>>195
別に稀有じゃないぞ。
軍艦と民間船の格差がありすぎる近代あたりと違って、そこらにある船で乗り付けて強奪、なんてそれこそ戦国の日本でも見られた現象だからな。
197人間七七四年:2010/06/01(火) 17:28:58 ID:k/QYlfT1
「国中へ人足・下人悉く越電せしめ罷り帰り候条、聞き立てはつけあげ申すべく候事」

戦争に嫌気が差して逃げ帰る連中が日本軍に多数いたけど。
こいつらも泳いでかえるわけにもいかないから船や物資を強奪してったんだろうな。
つうか複合的要素の結果と考えるほうが自然だ。
198人間七七四年:2010/06/01(火) 17:42:34 ID:yKBq2mMF
船といえど夜間は沿岸に停泊しとる訳だから、そこを狙う
だから陸上ゲリラだって船を襲ってくるんよ
当時は沿岸部の確保=制海権と言ってもいい

そんな訳でちょっとは権慄も評価してあげて下さい
199人間七七四年:2010/06/01(火) 17:50:49 ID:sr9n/1g5
そもそも当時は戦闘艦艇と輸送艦艇の厳密な区別はほとんどなかったからな。
戦闘での損失が輸送効率の低下に直結してても不思議じゃない。
まぁ当時の海運力で、継続的に大軍を養えというほうが土台無理だったんだろうが……。
200人間七七四年:2010/06/01(火) 18:07:50 ID:NkfCUV16
>>196
そういうのは、海賊であって自発的海上ゲリラとは言わないな。
201人間七七四年:2010/06/01(火) 18:24:38 ID:pz15RM2H
釜山やその近辺で行われた海戦や襲撃なんかは直接的に補給の邪魔になったんだろうし、
だからこそ海戦避けて沿岸に引っ込んで防衛する作戦を日本がとったんだろうが。国内の小田原戦役でさえ、余裕ぶって見せながら内実は飢餓と風土病に悩まされたぐらいだから、異国での長期在陣構想自体無謀だったんだろう。
202人間七七四年:2010/06/01(火) 18:33:06 ID:pz15RM2H
結局のところお決まりの略奪・現地調達に走らざるを得ない。
南部に引きこもって戦った末期戦でさえ日本軍は苦しんで、あまり縁がなかった麦にまで重税かけて飢えを凌いでいる。
速攻で政治的自壊に追い込めなかった時点で先はどのみちなさげ。
203人間七七四年:2010/06/02(水) 02:27:37 ID:4229h42U
20世紀に入っても米軍以外は現地調達が当たり前だった訳だが、
16世紀の軍に何を夢見てるんだ?
204人間七七四年:2010/06/02(水) 14:05:40 ID:ODFRipjU
>>203
別に20世紀の軍隊と比べてないだろう。
お決まりの、といってるわけだし。必死だなぁ……。

目先の戦闘は熱心でも、戦略や兵站や外交・占領地行政は国内戦気分でど下手、というのは日本人の宿業かもね。
昭和の時代までこの傾向だし。
205人間七七四年:2010/06/02(水) 14:09:28 ID:LDPufnCH
そうだね。日本人は反省しなければならないよね。
206人間七七四年:2010/06/02(水) 16:11:37 ID:de5o1NfV
日本人も軍備・用兵の問題点をちゃんと反省して再軍備・核武装し、
無礼で卑劣なシナチョンにヤキ入れなきゃならんよな
207人間七七四年:2010/06/02(水) 16:21:36 ID:ky1TyBxK
近代以前でも、

いわゆる身の回りの世話をする従者等、余剰人員を減らして食糧消費自体を抑える
支配した土地の有力者を懐柔し優遇して、あるいは現地の制度を温存して反感を抑える
屯田したりして、兵士自体が生産力を持つようにする

とかいろいろ負担を軽減する手段は洋の東西で施行されてきた。
まぁ、この戦役自体が秀吉の個人的妄想の産物だった以上、どの道その死後は続かなかっただろうけどね。
208人間七七四年:2010/06/03(木) 09:33:31 ID:+tsESsYF
秀吉の個人的妄想www
209人間七七四年:2010/06/03(木) 11:20:55 ID:F81Pm+Gs
ひどい
210人間七七四年:2010/06/03(木) 13:41:42 ID:NKoSoMvP
妄想だろ。
秀吉が死んだらやめたし、その後再開もしなかった。
当時の日本として必要性があったから戦になったわけじゃないし。
211人間七七四年:2010/06/03(木) 16:26:53 ID:lWwcOsoh
スペイン牽制とか軍事雇用確保とか大陸との貿易ルート確保とかいった必然性はあったろ
家康が明攻略の代案を用意してた&実行できた事の重要性を知っておくべき

・スペイン牽制…当時のスペインには明を攻略するだけの国力はなかったので、実際には取りこし苦労
・軍事雇用確保…大名家お取り潰しによる大量リストラ
・大陸との貿易ルート確保…琉球を仲介役とする
212人間七七四年:2010/06/03(木) 16:38:50 ID:sgMslqax
少し真面目に調査したり、新田開発とか対策をすれば何とかなるものだらけな気がする
わざわざ外征する必要があるのかなぁ
家康のは100%ブラフでしょう
213人間七七四年:2010/06/08(火) 22:04:31 ID:xLtfQm4B
何だかむしょうにイライラして来た。
日本人は秀吉の侵略行為に対してきちんと誠意ある謝罪をして欲しい。
友愛の朝日兄弟関係はその上に築かれるべきだ。
アムニダ。
214人間七七四年:2010/06/08(火) 22:24:01 ID:IS4SMo7j
>>213
流石にそれは七代前の遊び人の爺さんが騙し取られた土地を返せと同列の話だと思う
215人間七七四年:2010/06/08(火) 23:44:42 ID:AwjkecAJ
いや、土地取ってないしさw 

逆につい先日火事場泥棒的に土地かすめ取られてるわけなんだが。
216人間七七四年:2010/06/09(水) 00:15:41 ID:Ib4rXnAT
そもそも、元寇とか応永の外寇とか新羅寇とか、回数だけでいったら
日本が向こうから攻められた回数のほうがずっと多いんだがな。
217人間七七四年:2010/06/10(木) 22:00:32 ID:YgkWAupg
>>216
日本の万物の文明化はすべからく神の半島からもたらされましたことは真実です。
218人間七七四年:2010/06/10(木) 23:44:44 ID:YaBLFNqt
日本語でおk
219人間七七四年:2010/06/11(金) 21:49:15 ID:6hZQvigi
>>217
ID:gk
グレート・コリアの神略であることは明白です。
220人間七七四年:2010/06/17(木) 15:23:47 ID:3WGzYV0d
>>216
そういうところいうと、古代から日本がちょっかい出した数も総計されて…となるぞw
応永とかは倭寇対策だし。
221人間七七四年:2010/07/04(日) 04:30:11 ID:n1QOLghs
>>217
そりゃそうだろ。三国志は日本の戦国時代に関する文献が基になってるんだから。日本での人気の方が高くて当然なんだよ。
戦後の中国人ともなるとほとんどその価値を解かる者がいないみたいだね。
特に類似した記述が多いのが太閤記で、あれだけの巨人を一人の人物として描く事はよほど難しかったらしく秀吉の様々な要素が曹操・劉備・孔明に分配されている。
呉の孫堅・孫策は秀吉ではなく織田信長・信忠父子が基ではないかと言われるがもしそうならかなり誤った描写も多い。
まあこれは例によってお得意の劣化コピーって奴だろう。日本のパクリは何も中国だけってわけじゃないけどね
旧約聖書にも日本神話を基にした記述があるぐらいだし。
関羽なんか稀に韓国でも神のように崇めてる奴がいるそうだがモデルが誰なのか知ったらどうなっちゃうんだろうね。
きっと火病で卒倒してそのまま絶命しちゃうんじゃないかな。
222人間七七四年:2010/07/04(日) 04:44:38 ID:OQyTTdVB
>>221
なぜ今頃そんな何年も前のコピペを?
223人間七七四年:2010/07/20(火) 22:38:49 ID:Pn3Mj02c
>>220
倭寇は、倭人の元寇の時の高麗の狼藉への復讐だと
朝鮮人が記録に残してるぞ。
もともとは朝鮮人が悪い。
224人間七七四年:2010/07/24(土) 19:45:07 ID:+RzqQDLq
大坂夏の陣で豊臣軍が家康に負けた後、付近の住民が一斉に敗走する豊臣軍に襲いかかり、
略奪・強姦・虐殺・斬首とやりたい放題だった
圧制によって押さえつけるから、力を無くした時に報復される
225人間七七四年:2010/07/26(月) 21:37:16 ID:db5EMu4p
え?やりたい放題だったのは徳川の軍のほうじゃないのか?

大阪では、秀吉は太閤さんと呼ばれて親しまれ続けてると
聞いたんだが・・・・?
なにせ、大阪の象徴が負けるってのは、大阪の人間にとっても
気分の悪いことだったろうし。
当時から、天下の台所の大阪が、江戸に負けるなど・・・ってのは
あったんじゃないか。
226人間七七四年:2010/07/26(月) 22:41:52 ID:ACCooUVv
ま、大阪夏の陣図屏風なんかをみるとこうだよな〜


× 付近の住民が一斉に敗走する豊臣軍に襲いかかり、
  略奪・強姦・虐殺・斬首とやりたい放題だった

○ 徳川軍が一斉に敗走する豊臣軍や大阪町民に襲いかかり、
  略奪・強姦・虐殺・斬首とやりたい放題だった


227人間七七四年:2010/07/26(月) 22:50:23 ID:IjOvKjp3
>>226
何を見ているの?
対岸の民家から出てきた住民も略奪しているじゃん
228人間七七四年:2010/07/30(金) 19:10:39 ID:lF03Xs86
蔚山・シセン・順天の戦いで全力を挙げて豊臣軍を撃破しようとした明軍は
これらの戦いで敗北した後、どうしたのか気になる。運よく秀吉が死んだわけだけど
1守勢にまわる 2講和を模索する 3朝鮮半島の南部を放棄
の三つぐらいしか選択肢がなさそうだけど
229人間七七四年:2010/07/30(金) 19:27:33 ID:SeBePQFV
>>228
逆だろ。秀吉が死んで派遣軍が帰りそうだから出てきたんだ。
230人間七七四年:2010/07/30(金) 22:41:32 ID:rj2waZAq
http://wiki.wowkorea.jp/?word=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%3ATokugawa
このサイトでは
明軍は秀吉死去より以前から攻撃計画を進めているし
日本軍が撤収を始めるのも戦いが終わって10月になってから
従って三路の戦いが日本軍に対する追撃戦という認識は事実ではない
としているね
231人間七七四年:2010/08/08(日) 01:49:05 ID:UAN52ZEg
そもそも「征伐」というきちがいの言葉のスレタイが間違いの根源です。
正しく言いますのは「倭乱」か「侵略」。
232人間七七四年:2010/08/08(日) 14:53:58 ID:midp6wk8
>>ID:UAN52ZEg
これが朝鮮学校による洗脳の症状か
233人間七七四年:2010/08/09(月) 19:16:40 ID:9tJWYpkO
>>232
231は洗脳以前に情弱か池沼かゆとりなだけだろw
234人間七七四年:2010/08/09(月) 19:50:00 ID:cVCyuqyn
>>233
そんなはづはない
235人間七七四年:2010/08/10(火) 23:05:49 ID:wHslte+u
>>233
ぼくは惰でなく本格な神鮮民です。
日本語も可でありますが、魂は徳儒の半島に在ります。
警告したいところは、次にあなた侮蔑する書き込みしたら即通報。ぼく本気
236人間七七四年:2010/08/11(水) 09:07:15 ID:BNWGmRBc
>>235
「倭乱」というのが日本に対して侮辱と解らんのだったら話すだけの価値もないな
237人間七七四年:2010/08/19(木) 21:48:30 ID:k1iDqqB+
知ってる?朝鮮の童話で船から船にピョンピョンと
跳び移って大活躍する英雄の話。
元ネタはどっからパクったのかとwww
238人間七七四年:2010/08/20(金) 16:11:56 ID:4ZMXcgk9
あなた侮辱とかぼく本気とか完全にネタだろ。
夏休みの引き篭もりかまってチャン。
239人間七七四年:2010/08/20(金) 21:18:21 ID:hGM2EugG
竹筒に入れた糞尿を発射する「糞砲」 人糞を濾して1年掛けて腐らせた「金汁」 韓国の伝統的兵器
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news/1282305471/
240人間七七四年:2010/08/31(火) 15:44:47 ID:cYwkyQQt
ヒストリーチャンネルでやってた
まんが日本史では、秀吉は世界に名をあげる為に
朝鮮に侵略して、明と戦ったと言ってたがそうなん?
241人間七七四年:2010/09/05(日) 15:33:57 ID:9zdMDUS0
当時の女真と日本を比較して、


李如梅 「倭兵30人で女真1人に敵すべからず」

ということらしい。
242人間七七四年:2010/09/05(日) 16:14:42 ID:HzWjVgJY
個人戦において「倭兵三十人をもってしても、満兵一人に敵せざるなり」と言っているようだね

で、倭兵と満兵が個人戦やった記録ってある?
243人間七七四年:2010/09/05(日) 16:47:46 ID:dqEL5hJ7
タイマンがどうこうではなく
李如梅が両方と交戦した経験からそう感じたって事だろう。
あと30対1というのはいわゆる中国的な表現の一種だと思うよ。
244人間七七四年:2010/09/14(火) 19:49:53 ID:D0KD1tRa
>>241
ウィキペディアの李如梅にあるみたいだよ。

755 名無し三等兵 sage 2010/09/13(月) 06:18:38 ID:???
李如梅はサルフの戦いの直前に朝廷の者から日本兵と満州兵の強弱について聞かれて「倭兵は体躯倭少なれども、敏捷にして、鳥銃をよくす。ただし一人同志の戦いとなれば、倭兵三十人をもってしても、満兵一人に敵せざるなり」と回答している[3]。

3.^ 陸戦史研究普及会『陸戦史集5 明と清の大決戦(中国古戦史)』1967年
245人間七七四年:2010/09/27(月) 13:39:02 ID:Ti8rw/Ay
今は朝鮮征伐とはいわないのに、なんであえて朝鮮征伐にしてるの?
246人間七七四年:2010/09/27(月) 13:42:36 ID:uAXr3fnT
日明戦争か唐入りが正解だな。
247人間七七四年:2010/09/30(木) 19:27:34 ID:wj6aPDbV
>>244
一次史料ちゃうんかったんかいw
さすがウィキペwww
248人間七七四年:2010/09/30(木) 23:42:39 ID:8ijEzuTH
>>246
朝鮮倭乱が正解だよ。
249人間七七四年:2010/10/01(金) 12:13:21 ID:9YQSE35V
日本語でおk
250人間七七四年:2010/10/01(金) 22:39:42 ID:V24oGma6
中国では「万暦朝鮮戦争」らしいな
251人間七七四年:2010/10/02(土) 22:12:31 ID:e6soxeb8
これからスレタイを変更することを宣言します。
旧:【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ5 【壬辰倭乱】
新:【謝罪と賠償を要求する】 秀吉の朝鮮倭乱スレ5 【対馬は朝鮮固有の領土です】
252人間七七四年:2010/10/23(土) 23:58:56 ID:/0lK1v1L
抗日解放戦線、大勝利100周年!
まんせー!
M★A★N★S★Eー!!
253人間七七四年:2010/10/24(日) 16:07:54 ID:UCVatdSL
ここで優しい俺は「日韓併合でググれ池沼」と釣られてみる
254人間七七四年:2010/10/25(月) 14:53:05 ID:NC667ovq
一体どこのワールドカップだよwそれを言うなら韓国併合だろ
255人間七七四年:2010/11/24(水) 23:29:50 ID:ks6q6ANQ
>>243>>244
ソース
256人間七七四年:2010/11/27(土) 01:30:20 ID:y6L4i0Rw
>>255
ブルドッry
257人間七七四年:2010/12/27(月) 13:08:44 ID:jf4E9F6F
ところで朝鮮征伐やってなければ豊臣家はどうなってたろう
258人間七七四年:2010/12/27(月) 14:26:06 ID:3ZavpfyG
>>257
250年くらい続いてたマジで
259人間七七四年:2010/12/27(月) 16:55:10 ID:dOqY14s5
それはない。若い血縁は少ないわ子飼いの配下は少ないわ後見人は信用おけないわで後継問題が磐石じゃないから、
朝鮮征伐に関係なく、秀吉が死んだらそう遅くない内に騒乱は起きてたろう。
260人間七七四年:2010/12/28(火) 00:48:04 ID:yJCbSNSd
朝鮮征伐の失敗なんて些細な問題でしか無い
政権への影響では秀次粛清のが余程・・・
261人間七七四年:2010/12/28(火) 23:40:56 ID:r4qVU5WF
朝鮮征伐問題がベースにあって、その上で秀次粛清が発火点になったんだろ。
だから朝鮮征伐がなければ、粛清から豊臣家没落まであんなに早くはならなかっただろ。
262人間七七四年:2010/12/28(火) 23:59:35 ID:3VLPJXPM
ベースはどう考えても秀頼の誕生だろ。秀次は朝鮮征伐前にすでに関白を継いでたんだから。
263人間七七四年:2010/12/29(水) 03:42:57 ID:jBJckU6Q
だな。

そういや、徳川の御三家システムってけっこー豊臣が反面教師になってるのかもしれんね。
264人間七七四年:2010/12/29(水) 03:49:14 ID:jBJckU6Q
より正しくは御三家御三卿と言うべきかな。

まぁ、朝鮮出兵がなければ豊臣家臣団の分裂はあそこまではいかなかったかも知れないということはあるだろうが、
どのみち家康は仕掛けたわな。
265人間七七四年:2011/01/04(火) 20:52:52 ID:PJ0+R0rn
秀次という中継ぎが残ってれば仕掛ける隙もなかったろうになぁ
家臣団も秀吉が選んだエリートぞろいだし
266人間七七四年:2011/01/05(水) 05:01:37 ID:xsTuYXqh
>>261
関係ないでしょ?
契機は嫡子誕生なんだから。
267人間七七四年:2011/01/05(水) 19:36:08 ID:T+HvWyq5
>>260
秀吉が存命中に半島から撤収したのならまだしも、
秀吉が死んでから撤収したんだから、朝鮮征伐の失敗って言い方は間違い。
まあ対明事情がどうだろうが、後継問題にとっては些事って考え自体は同意だが
268人間七七四年:2011/01/09(日) 15:36:51 ID:iNpcDaZS
大大名で渡海してないのは、上杉と徳川、前田?
彼らの分の補給を確保できる見通しが立たなかったのかね
269人間七七四年:2011/01/09(日) 16:15:12 ID:a81FPY1A
東国軍は秀吉親征軍を形成するのが役割
唐入りならともかく朝鮮ごときには出せんよ。って言ってる間に秀吉しんじゃった。
270人間七七四年:2011/01/09(日) 21:32:29 ID:bJD24TiN
>>260
秀次事件で、豊臣家は多くの有力大名の恨みを買った
これが豊臣家崩壊の最大の原因だったとは思うけど
文禄慶長も影響は大きいよ、文治派と武断派の対立が決定的になった所

朝鮮出兵で全線で戦ってた大名はそれなりに被害を出してるはずなんだろうけど
関ヶ原じゃ東西に分かれて元気に大活躍だからね。

>>268
慶長では上杉は兵5千程度で渡海してる
同じく3千名程度で渡海した伊達(こちらは文禄のみ)と同じく戦闘は一切して無いけど

大大名〜中堅含めると蒲生、佐竹、最上、堀
て言うか東日本(中部地方含めそれより東)の大名は
伊達、上杉、甲斐の浅野、美濃の豊臣秀勝以外はほぼ不参加
西日本は豊臣家以外はフルで参加
271人間七七四年:2011/01/09(日) 21:33:48 ID:bJD24TiN
ああ、伊達は一応城攻めに出てたね
272人間七七四年:2011/01/12(水) 00:16:07 ID:g+ky5Wsl
わしは秀次事件より出兵失敗の方が影響が大きいと思うな。
文武の対立があそこまで無かったら、いかに家康でも豊臣内部の争いを
あんなに大きくできなかったような。
逆に、秀次事件がなくても出兵失敗だけで関が原はおきてたようにも思う。
273人間七七四年:2011/01/12(水) 16:04:37 ID:7BTWU5MJ
いや、秀次事件がなければ文武の対立激化は抑制されてたろう
ちょっと話がずれるけど、もし本能寺の変でも信忠が討ち死してなければ、
秀吉による織田家簒奪の可能性は大いに減少してたかも知れない
274人間七七四年:2011/01/12(水) 18:26:22 ID:xwxGbmJR
>>273
確かに、一発の危機と長い戦いとでは影響の仕方も違ってくるもんなぁ。
出兵の事後処理が決定的な要因にと家康に利用されたのが大きいから
出兵の方に比重を感じてしまう。

最近は信忠をやたら高く評価するのが多いけど、秀吉にかかったら
ちょっと役者が違う、とは思うな。
わしは、信忠が生きててもそんなに簡単に織田家をまとめて
そのまま三職就任なんてことにはならなかったと思うな。
もちろん未知数なんだけどね。
275人間七七四年:2011/01/12(水) 23:56:19 ID:odUhEJwB
簒奪の意味くらい理解して使えよ
276人間七七四年:2011/01/13(木) 00:16:51 ID:0rr31yq8
乗っ取り、ならおけ?
277人間七七四年:2011/01/13(木) 00:48:12 ID:KpOXPIWP
文武の対立もまとめる人間が居るだけでぜんぜん違うから
結局、秀次問題に帰結するだろう。秀長が長生きでもいいけど
278人間七七四年:2011/01/13(木) 10:56:42 ID:41NTbhNX
秀次事件だけ、出兵だけ、とした場合、後者のほうがより家康につけこまれやすかった
ようにも思うけどな。
秀次事件は純粋に豊臣内部の問題で、そこだけを抽出して家康がつけこむというのも
内政干渉というか大変だったような。

例えば、秀次事件だけだったら、石田三成襲撃とかはどうだったのかな。
279人間七七四年:2011/01/14(金) 00:57:59 ID:AXxeIo4c
秀次事件によって後継者が幼児一人という危機的状況になることに変わりないから
三成は秀頼様を傀儡にして豊臣を乗っ取ろうとしているなどいくらでも主張を作って襲撃できるでしょ
280人間七七四年:2011/01/14(金) 01:34:31 ID:AFQWKgqr
秀次事件だけだったら、三成はそこまで嫌われてたのかな。
秀次事件と三成豊臣乗っ取りとの関係がよくわからないな。
281人間七七四年:2011/01/14(金) 12:46:17 ID:ZDP/Dpfq
秀次が生きてれば三成が表にでて目立つこともなかったし
襲撃されるほど恨まれないんじゃないか?
282人間七七四年:2011/01/16(日) 02:07:27 ID:KjK2SZSN
まぁ秀次云々より先ずは秀吉の死だな
秀吉が家康並みに長生きしてたら時代は変わってただろうね。
慶長の役は文禄の役の反省から兵站重視で橋頭保を無数に築いて
ジワジワ戦線を押し上げる秀吉君得意の戦略に転換してるから

文禄の役で失った兵隊は5万超だと言われてるけど(殆どが凍死、餓死)
慶長の役では凍死、餓死が殆ど居ない分、戦死者は1〜2万程度に収まってる
明の援兵は10万を超え、文禄の役の何倍も激しい戦闘が繰り返されたにも関わらず

冬の在番武将も交代制で冬は戦線が手薄になるけど、倭城は難攻不落で一度も落ちなかったから
外郭が完成してない、未完成の蔚山倭城でも6万の明朝鮮連合軍を撃退してる
秀吉の寿命が延びてたら戦線がずいぶんと北の方まで伸びてたかもね。

283人間七七四年:2011/01/16(日) 16:28:21 ID:l2N1to7v
寿命だけでなくモーロクの問題もなんとかしなきゃ。秀吉がモーロクしてなきゃ1598年までに満州まで進軍できてた
ただ、当時の満州はどれだけ旨みのある地域だったのかも気になる
もし豊かさが半島と五十歩百歩レベルだったら、やっぱ秀吉の死後撤収してた可能性もあるし
284人間七七四年:2011/01/16(日) 23:16:29 ID:xQZvZ+Ix
>>282
凍死、餓死はほとんどなかったと思う。
「病死」だよ。
ちょっとした風邪でも、昔の人はすぐに死んでしまう。
285人間七七四年:2011/01/16(日) 23:20:10 ID:pZA+ywrP
>>284
子供はそうだろうけど、戦場に行くような成年男子はどうだったろうね。
もちろん過酷な環境の中だから大事にはなったかもしれないが、
死ぬ、とまで行くのはどうなんだろ。
286人間七七四年:2011/01/16(日) 23:32:17 ID:ldB41mMI
大陸の連中は大型攻城兵器持ってるけど、そういう兵器をもってしても
未完成の日本式の城が落ちなかってこと?
287人間七七四年:2011/01/17(月) 12:19:11 ID:pT88yHxv
>>282
慶長の役で日本軍が1〜2万も戦死するような戦いなんかあったか?
慶長の役でもっとも大規模な戦いとして三路の戦いがあるが、泗川、蔚山、順天
の日本軍はそれぞれ1万ほどしかいなかったのに、1〜2万も戦死者を出してたら
軍が崩壊してるじゃん。

288人間七七四年:2011/01/17(月) 19:14:07 ID:jdHcq+Ot
いくら日本軍が圧倒的に強いといっても10年未満での制圧は難しかった
289人間七七四年:2011/01/17(月) 19:21:15 ID:7H95B3nD
勝利は可能だが統治が無理だろう
広すぎる
290人間七七四年:2011/01/17(月) 21:05:42 ID:6IY3b1IU
統治するメリットない
291人間七七四年:2011/01/17(月) 21:56:10 ID:ns1DwUBB
>>285
明治の台湾征伐の状況を見れば分かる。
南方と北方の差はあるにせよ、
似たようなものだよ。
しかも時代は300年も遡る。
292人間七七四年:2011/01/17(月) 22:01:02 ID:ns1DwUBB
中世以前の大遠征が頓挫してしまうのは
そのような自然死(病死)による
戦力の漸減。
モンゴル帝国は特殊で、
戦争=生活のサイクルの中で樹立した。
清の中国制覇も数十年かけての大事業だったし、
内通もあっての成立。
293人間七七四年:2011/01/18(火) 08:22:16 ID:qLEmopK5
現代の近代兵器ばりばりのアメリカでもイラク統治は無理で撤退
294人間七七四年:2011/01/18(火) 12:52:46 ID:+d06AwZJ
その一方日本の自衛隊は感謝されていた
295人間七七四年:2011/01/18(火) 14:33:35 ID:pz1uKazQ
統治してないし
ただで道路作って水配って、さらに土地代払って、感謝されなきゃおかしい
296人間七七四年:2011/01/18(火) 19:49:18 ID:pXHIVsD7
ぶっちゃけた話、日帝による朝鮮併合がすんなりと行われたのは、朝鮮の人間、上から下まで「日本に併合された方が良い」と考えてそれに従ったからでしょ。
まあ、絶対に認めたくない人はいるだろうけど、それが現実だろう。
でなければ、ゲリラ戦等々で日帝の軍隊も追い出されていたかもしれん。
297人間七七四年:2011/01/18(火) 20:33:53 ID:Z+RE9wgf
>>296
秀吉がもっと上手にやれば成功してたって事か?
298人間七七四年:2011/01/18(火) 21:39:38 ID:pXHIVsD7
板違いの話で申し訳ない。
299人間七七四年:2011/01/19(水) 17:52:09 ID:BZfe1LKj
>>296
>日帝
これだけでお里が知れるなw
マジレスすると朝鮮より強い清に独力で勝った明治政府が朝鮮を武力制圧できない訳がない
オマエこそ話題逸らしにもなってない妄言吐いてないで現実を見ろw
それとスレタイに沿った話に戻すが朝鮮出兵での朝鮮単独での白星は皆無に等しく、
明の援軍が来るまでは連戦連敗だった訳だし
300人間七七四年:2011/01/21(金) 09:09:31 ID:UMzFKEet
朝鮮出兵の際に小西行長が朝鮮人の娘を連れ帰って、
キリスト教を教えて洗礼を受けさせたとwikiに出てた
文明未開の僻地の途上国の近代化に寄与するとは、
太閤秀吉殿下は何と慈悲深いお方であろうか・・・
301人間七七四年:2011/01/21(金) 23:51:47 ID:+Y1oT1yr
>>299
話の流れ的に「ゲリラ戦は厄介だ」という意味合いだったんだが。
どこで何やってたかなんて誰も知らない朝鮮の正規軍なんて最初から問題になってないよ。
302人間七七四年:2011/01/22(土) 01:43:42 ID:YEEtuGQh
>>300
朝鮮出兵ってキリシタン禁教令の後じゃなかったけ?
303人間七七四年:2011/01/23(日) 15:36:10 ID:1Syhfwhl
朝鮮じゃなく、蝦夷に侵攻していたら良かった
あそこならまず失敗する事は無いだろうし
304人間七七四年:2011/01/23(日) 15:47:10 ID:aOu9fMRz
ちゃんと地図くらいは読めるようになろう
蝦夷の先に中国は無い
305人間七七四年:2011/01/23(日) 15:57:51 ID:1Syhfwhl
あほか

蝦夷を制圧すれば北東ユーラシアへの道も開けるし、あの頃の北東ユーラシアにはイヌイットしか居ないから楽に制圧出来る
そして北東ユーラシアさえ制圧すればそこからヨーロッパにも中国にもアメリカ大陸にも攻め込む事が出来るんだよ
朝鮮の役の様な補給の心配も無いし、当時の日本の武力は世界一だから100年ぐらいかければ世界を征服する事すら出来た
まあ当然秀吉の存命中に中国を征服するのは無理だろうが
306人間七七四年:2011/01/23(日) 16:00:30 ID:1Syhfwhl
ついでに言うと、>>303では蝦夷を征服すれば中国征服も容易い何て一言も言ってないからな
朝鮮や中国の支配何て諦めて、蝦夷に矛先を向ければ後々大帝国を築き上げる事が出来たと言ってるんだよ
307人間七七四年:2011/01/23(日) 16:01:18 ID:uMNodImZ
もういっぺん地図見ようか
308人間七七四年:2011/01/23(日) 17:03:16 ID:7P3qOK/R
>>305の脳内には、シベリア横断補給路とかベーリング海峡越えアラスカ補給路とかといった
壮大な地図があるらしいのは良く判った。(・∀・)
309人間七七四年:2011/01/23(日) 17:17:24 ID:uMNodImZ
いや、地図を読むより前に、仮想戦記読むのをやめた方がいいな
310人間七七四年:2011/01/23(日) 18:12:29 ID:1Syhfwhl
頭悪すぎ

中国攻略の補給にはユーラシア北東に農耕地つくりゃ良いだけだろ
ロシアだってやってるんだから出来ない事は無い

また、そのころの北米はまだ大して白人に占領されてないから、西側から入れば苦もなく植民地に出来るし、現地で農耕すれば補給の心配などいらん
311人間七七四年:2011/01/23(日) 19:22:36 ID:nfEVDUke
なんか変なの湧いた?
312人間七七四年:2011/01/23(日) 19:41:03 ID:uMNodImZ
なぜここまで秀吉の行動を否定したいのか分からん
313人間七七四年:2011/01/23(日) 21:58:46 ID:dLaPo1yZ
朝鮮の寒さでさえキツかったのに
北東ユーラシアとかw
314人間七七四年:2011/01/23(日) 23:14:39 ID:ZSnPZxxt
ゲームならそういうのも楽なんだろうけどね。
315人間七七四年:2011/01/23(日) 23:34:22 ID:TzGtN5Nj
朝鮮なんて不毛の大地じゃなくて
台湾や蝦夷に軸足を持つってのは正解だったと思うけど
明国もベトナムや雲南の奥地を自国に取り込もうと執着してても
首都北京と目と鼻の先の朝鮮はガン無視だからね。
よほど旨味の無い土地と判断してたんだろうけど。

>>310
当時の北シベリアにいったい何を作るんだ、作れる作物なんて無いだろ。
18〜19世紀欧州屈指の陸軍国ロシアですら補給線が続かないで
清が混乱するまで東アジアでの領土の拡張は出来なかった。
316人間七七四年:2011/01/24(月) 00:56:15 ID:6jaf28Om
毛皮資源
317人間七七四年:2011/01/24(月) 00:59:44 ID:6jaf28Om
コサックは1636年にはオホーツク海に到達してるんだよな
318人間七七四年:2011/01/24(月) 02:31:52 ID:OnJ7MIwr
>>286
文禄慶長と通して放棄したってケースは除いて
立て籠もれば倭城は一度も陥落せず

そもそも、大名クラスで戦死は瀬戸内の海賊大名の来島だけ
朝鮮、明は指揮官がゴロゴロと死にまくってるけど

319人間七七四年:2011/01/24(月) 04:15:47 ID:VD6HsriX
函館のヴォーバン式要塞(改)・五稜郭は陥落させられたが、西南戦争で熊本城は落とせなかったわけで。
320人間七七四年:2011/01/24(月) 04:36:41 ID:sUmFTT84
また変なの湧いた?
321人間七七四年:2011/01/24(月) 04:44:48 ID:VD6HsriX
自分で書いてつっこみどころ多いなとは思ったがw、日本の城が火器類に強いってのは「戦争の世界史」でマクニールも指摘しているよ、と。
322人間七七四年:2011/01/24(月) 04:57:19 ID:sUmFTT84
それ以前に熊本城と五稜郭では城郭規模が段違い。

曲がりなりにも砲兵具備の近代軍制類似の新政府軍による、既に時代遅れで実戦経験もない
見よう見まねの西洋築城の小要塞の攻略と、大口径火器をほとんど持たなかった西郷軍による
大城郭攻略を単純比較すること自体が無謀。
323人間七七四年:2011/01/24(月) 05:14:40 ID:lxM9aWvE
秀吉の人気が落ちたのはここ20年。
いかにマスコミに朝鮮人が巣食っていて
影響力をもち、
それに愚民が惑わされていることか、
笑えて仕方ない。
324人間七七四年:2011/01/24(月) 09:09:47 ID:37Kdlzi2
>>323
単に「絵本太閤記」からの脱却が行なわれただけ
他の資料を見てみると「何だこいつは」という話が出てくるからなぁ
325人間七七四年:2011/01/24(月) 17:59:10 ID:y6BAtOv5
豊臣政権が綺麗に秀吉から後継者に引き継がれ、慶長の役を継続した場合どうなったかは非常に気になるなぁ
明・朝鮮側は三路の戦いで攻勢能力を事実上喪失したようだし
日本と言うか秀吉はさすがに朝鮮が、宗氏の属国では無いのは理解して
長期的にはともかく、近い将来の唐入りは不可能と悟り
朝鮮南部の割譲と日明間の公式交易+α位を条件に、講和交渉をする腹積もりだったみたいだし
秀吉と後継者の間でまともな引き継ぎが行われて
豊臣政権がこの条件で押せば、少なくとも明側は了承しそうだがどうなんだろ?
南部三道なら腰を据えて、豊臣政権の領土化に取り組めばなんとかなりそうだし
一番ヤバいのは女真による朝鮮侵入の頃だが
国境に日本式城郭による防衛ラインが出来れば、あの時期の女真の場合三路の戦いの再現になって突破は無理臭いからなぁ
326人間七七四年:2011/01/24(月) 18:39:01 ID:mQrB1axj
全羅・慶尚・忠清道で何石ぐらいの収益が見込めたのか
327人間七七四年:2011/01/24(月) 18:49:46 ID:KVLQplHq
そもそも対明戦争のついでで朝鮮出兵なだけなんじゃないのコレ?
土地に入ったらそもそもが不毛の土地臭いから統治自体は諦めただろうし
328人間七七四年:2011/01/24(月) 19:16:19 ID:SgNljB+1
そもそも朝鮮出兵自体が対明戦争の為の陸路確保でしかなったからなあ
だからこそ明も守りやすい半島で日本を封じ込めようと必死だったし、
もし半島突破されてたら少なくとも満州は取られてた事必至
329人間七七四年:2011/01/24(月) 19:27:45 ID:y6BAtOv5
>>326
朝鮮全体で人口1000万以下だから総石高もそれ以下なのは確か
どっかで当時の史料から石高の推測を見たけど何処だったかなぁ…

>>327-328
まったくもってその通りだが慶長の役に関しては
唐入りと言うより明側との講和条件を詰める条件闘争みたいな気配が濃厚だしなぁ
秀吉側が講和条件の一つとして朝鮮南部の割譲を出してたのは確かだし
日明交易と朝鮮南部の割譲を明側が認めたら慶長の役に関しては終結した可能性が高いと思うよ
330人間七七四年:2011/01/24(月) 19:31:48 ID:y6BAtOv5
後、満州確保は無理じゃないかなぁ?
あれ以降も継続的に大陸情勢に首を突っ込んで行ってたら
北アジアの何処かの勢力と仲良くなったり、親日派が出来たりしたかも知れないが
331人間七七四年:2011/01/24(月) 22:22:22 ID:yUPF3Qiy
幕末の苦労が少しは軽くなったかも
332人間七七四年:2011/01/24(月) 22:36:43 ID:mQrB1axj
唐入りつって対明戦争を標榜してる筈なのに
満州にまで喧嘩ふっかけて戦線ひろげてたら勝てるもんも勝てない
333人間七七四年:2011/01/28(金) 10:47:33 ID:QpU2KoZl
あと1,2年秀吉が生きていたら、慶長の役は秀吉の要求に明側が屈して終結した
可能性は高いね。三路での大敗により作戦の継続が不可能になっていた明側に
対して朝鮮南部にいた日本軍は在番の将兵だけで、慶長の役勃発時の兵力の半分
以上が本土にいたからね。これに軍事行動を起こさせなくても朝鮮南部に派遣
さえすれば、明側にとって想像以上の圧力になっていたことは間違いない。
334人間七七四年:2011/01/28(金) 20:03:06 ID:cYFce8fX
渡海の困難はあるんだろうが最初に明南部から上陸すれば良かったんじゃ無いか?
335人間七七四年:2011/01/28(金) 21:56:14 ID:78MvL7zy
>>333
朝鮮半島の南半分くらいは獲得できた?
336人間七七四年:2011/01/29(土) 08:48:52 ID:sgLuochD
半島なんていらねえよ
それより台湾フィリピン取ってりゃよかったんだ
337人間七七四年:2011/01/29(土) 16:06:50 ID:pEnkw955
>>334
それが出来なかったから、不効率な半島経由をせざるを得なかった。
実際、明出兵する前に秀吉がスペインに軍艦の大量購入を打診して駄目だった経緯があるしね。
338人間七七四年:2011/01/29(土) 17:02:50 ID:SIvuDejM
ねーよw

九州役当時に、大阪でガレオン船2隻のレンタルを打診しただけ。
339人間七七四年:2011/01/29(土) 17:05:51 ID:H+VgZcUE
内航船を造るのと、外航船を造るとではコストやら何や、別次元の話だからなぁ
340人間七七四年:2011/01/30(日) 09:09:48 ID:JZPrzSzQ
>>334
明は豊臣軍を倭寇の延長上と考えていたらしく
その沿岸部に多く兵を配置していた
341人間七七四年:2011/01/30(日) 20:03:11 ID:um1f1LIK
それは明無能すぎだわな
342人間七七四年:2011/01/31(月) 01:11:08 ID:RLHWGdWy
>>335
出来たんじゃね?
慶長の役は明から有利な講話条件を引き出す為の戦いみたいなもんだし
あの時点で明朝鮮側は消耗してたから、最低条件の公式の日明貿易再開と朝鮮南部割譲を認めてた可能性は高そう



外航船は日本国内でも1610年代になると朱印船用に和洋中折衷な感じのが作られたりして
造船能力が大分向上してたみたいね
朱印船も外国製が多かったみたいだけど、この頃には日本製も性能が向上してた様だし


秀吉が亡くなった時にせめて20歳前位の実の息子が居れば面白い事になってたかもね
343人間七七四年:2011/01/31(月) 19:01:34 ID:BqxP440P
つくづく秀次が・・・

いや秀長長生きのがいいけど
344人間七七四年:2011/02/02(水) 22:46:02 ID:memRg8tg
>>333
三路の戦いでの明、朝鮮軍の動員兵数は12万
一方日本側は蔚山の加藤が1万超、順天の小西が1万3千、四川の島津が7千の計3万
冬の在番の総兵数も九州勢の6万程度だったはず。

>>335
文禄の役の反省で慶長の役は海岸線に橋頭保を作りまくって
そこから網目状に補給路と倭城を作って恒久支配しつつ北進の戦略。

慶長の役1年目は秀吉の憤怒を抑えるために初撃で忠清道まで攻め込んで一応の仕置き完了
あとは計画通り沿岸部に引いて築城。翌年に大攻勢をかけようと思ってた矢先
秀吉が病死して、同時期に攻めてきた明朝鮮軍相手に三路の戦いにて大勝したって流れだから
秀吉が2,3年生きてたら、翌年の攻勢、翌々年の攻勢にて南部の確保は出来てたかもね。
ただ明が講和に応じたかは不明、メンツもあるし。
345人間七七四年:2011/02/03(木) 06:27:29 ID:okBttd3t
どうだろう?
ただ明朝鮮側も一時的に自分達の攻勢能力どころか
まともな継戦能力も怪しいレベルに落ち込んだのは、自覚してただろうし……
講話の機運は高まったかも?


条件が取り敢えず明との公式交易再開と朝鮮半島南部割譲
まぁ、微妙なラインだけど
ちなみに朝鮮半島南部の3道のみの場合
当時で人口が丁度100万人ずつ、計300万人は最低でも居た可能性は高く
石高は300万石はあった可能性が高いとか、どっかでみたが実際はどうなんだろ?
346人間七七四年:2011/02/03(木) 08:59:54 ID:9O8DgZ8S
300万石か。そこに置かれる大名は誰だろうな。清正とか?
347人間七七四年:2011/02/03(木) 15:58:57 ID:7p0rLT1g
慶長の役始まって以降で朝鮮半島南部の3道なり4道なりを確保するって言ってる記録ある?
348人間七七四年:2011/02/04(金) 15:35:16 ID:j4t548fj
慶長以降だと知らない。慶長以前であれば秀吉側が明側に出した手打ちの条件の一つに入れてたと思った
349人間七七四年:2011/02/06(日) 21:19:19 ID:m5nutsgr
>>345
資料が町々でこれが答えだ!ってのが無いけど。
日本もイモ類の普及で慶長時代で1200万人から江戸末で3千万超になった
(元禄期には3000万に達し、それから大きく人口は増えず)
朝鮮末の人口が1200〜1300万程度だし
イモ類が普及する前は500万程度を養える土地であったと思う。
確かに南部3道は朝鮮では唯一稲作の出来る農業に適した地域だけど
300万居たかは微妙かもしれない

>>346
朝鮮南部の支配が確立したらどうなってただろうね
通常考えたら功のあった西日本の武将就くだろうけど
いくら加増でも態々自分の領国を返上して情勢の悪い朝鮮に赴任するのは
あまりに酷な仕打ちともとれる。

350人間七七四年:2011/02/09(水) 14:47:59 ID:03wEYV9R
朝鮮南部を掌握したらその後に出来た清国と泥沼の戦になってたかもしれんよ。
連中の攻城の概念にない倭城は簡単には落ちないだろうけど
消耗戦挑まれたら随分苦戦すると思う

351人間七七四年:2011/02/09(水) 14:57:37 ID:MwmdjJ/x
女真族と共闘して明を滅ぼすの間違いだろ。
352人間七七四年:2011/02/09(水) 18:47:34 ID:Ef39/SL9
協力して明を滅ぼした後、友好関係を結べたら最高だな
353人間七七四年:2011/02/09(水) 22:10:03 ID:+GN/IH8g
秀吉は死後倅が家康にやられて
明は滅んで
朝鮮はボロボロで
なんかこう三方一両損できれいにまとまったってことで
354人間七七四年:2011/02/10(木) 10:58:36 ID:bfnpwRN0
その3つだと日本は家が滅んだってだけでどおって事ないな
その後は太平の世だし

大陸と比べると違い過ぎる
355人間七七四年:2011/02/12(土) 11:44:02 ID:qnl5Efj6
日本人はさぁ戦国武将(ドヤていう感じで自慢するけど実際はヌルハチに瞬殺されるレベルだろ
356人間七七四年:2011/02/12(土) 11:50:39 ID:gMiSCmYQ
残念ながら清に負けた事は御座いません。
357人間七七四年:2011/02/12(土) 13:45:58 ID:cSoyQAam
文禄慶長がなければ明は滅ばなかったのかな?
358人間七七四年:2011/02/12(土) 13:48:08 ID:gMiSCmYQ
普通に滅んでただろ。文禄慶長での軍事費など一要素にすぎん
359人間七七四年:2011/02/12(土) 15:33:32 ID:mu4MqqqM
>>357
結局は滅んでたろうけど、文禄慶長がなければ二十〜三十年は延命できてたと思う。
360人間七七四年:2011/02/12(土) 23:26:01 ID:xSa79kKh
しかしあの出兵がなければ日本の城とかの進歩が止まってただろうと思うと
そういう方面への影響は甚大だな
まぁ、結局その後の直接的な戦闘は関ヶ原関連、大坂の陣位で
1615年頃までに建造された、異常な程の戦闘力を有するであろう
城塞群はその大半が戦闘を経験しなかったが
361人間七七四年:2011/02/12(土) 23:58:27 ID:98tpww8J
>>360
>しかしあの出兵がなければ日本の城とかの進歩が止まってただろうと思うと
>そういう方面への影響は甚大だな

日本の築城技術に与えたというその甚大な影響とやらが、一体ナニなのかを
是非、教えてほしいものだが。(・∀・)


362人間七七四年:2011/02/13(日) 00:26:59 ID:4QQP7tck
>>361
おいおい冗談はやめろ
出兵がなければ大阪城は完成しなかった
363人間七七四年:2011/02/13(日) 00:40:35 ID:KMQYlDzz
>>362
日本の城の高石垣は、強制連行してきた朝鮮石工のギジュチュのおかげ。感謝シル!

                       ・・・くらい言う知恵もないのか。(・∀・)
364人間七七四年:2011/02/13(日) 00:52:34 ID:RdrXcQvf
>>361
後北条攻めでの山中城の例等(それ以前の織豊系の経験した合戦やらも含め)で、従来はあまり考えられなかった
かなりの損害を許容出来る歩兵強襲をされると
従来の城では持ち堪えられないのは明らかになり
その戦訓と織豊系の築城術を反映させた城を、実戦に投入出来た意義は大きかったんじゃないか?
そしてそれは明・朝鮮軍には有効に機能した訳だし
もっとも関ヶ原関連の攻城戦では幾つかの城が落城したけど
これで自分達の築城した城での攻守を経験出来た訳だし
関ヶ原後〜大坂の陣までの城を考える上で
織豊系の経験した後北条攻めまでの各種合戦→半島での対明・朝鮮戦→関ヶ原関連の攻城戦
での経験が与えた影響が大きいのは当然じゃないか?
しかも文禄・慶長がなかった場合
豊臣政権内での路線対立もどうなったかわからんし
織豊系の築城術、籠城、城攻めなんかにコンバット・プルーブンの機会を与えた意義は大きかっただろうし
半島と関ヶ原関連での経験が無い場合、少なくとも1615年までの
ああいう形になったかは疑問だしね
しかも倭城は数も多いから、参加武将達に直接築城に携わる経験を付与してるしね
黒田家なんかは結構な数の倭城築城に関わったお陰で
石垣積みの経験者を大量育成出来たようだし
彼等は福岡転封後の本城・支城群の構築に重大な役割を果たしてる
まぁ、文禄・慶長が無くてもなんらかの形で実戦を経験したかもしれんが
そこまでは俺が関知出来る事でも無い
関ヶ原後大坂の陣までの城が、この影響を受けてるのは事実でしょ?
365人間七七四年:2011/02/13(日) 01:13:09 ID:7UG1i+Zk
慶長の役以前以後の違いと
経験の有無による大名家の築城の違いを詳しくお願いします
366人間七七四年:2011/02/13(日) 01:19:56 ID:RdrXcQvf
>>365
なして慶長の役限定?
関ヶ原後の城は本城に当たる物に関しては明らかに巨大化してないか?
それに支城でも石垣の使用率が上がってるし
天守含めて鉄砲の使用や攻め手への火力発揮が
より有効になるように考慮されてるみたいだし
367人間七七四年:2011/02/13(日) 09:23:01 ID:7UG1i+Zk
文禄の役は倭城たいして作って無いから。
なんとなく進化してね?と言われてもピンときません。
368人間七七四年:2011/02/13(日) 13:31:11 ID:h69winbY
城の構造の変遷っていまいちよく分からん。
369人間七七四年:2011/02/13(日) 13:48:11 ID:KMQYlDzz
>>364
長々と書いてくれたけど、要は倭城の築城経験と守城経験で経験値上がったんじゃね?
というだけだよね。

築城に当たったのは主として帰国する中国・四国衆と上杉、伊達などの東国衆の一部で
新たに朝鮮や明の築城術を取り入れたわけでもなく技術的には国内の延長上のものだし、
守城戦を経験したのは在番の九州衆のうちの半数程。豊臣政権として総括しているわけでも無し、
なにがしかの戦訓があってもいずれもそれぞれの家中内にとどまるものであって、
日本の城の進歩に甚大な影響なんていうのは強弁過ぎだろ。
そんなにエポックメイキングな大きな影響があったのであれば、朝鮮出兵以前に築かれた城の
大改築があっても良さそうなモンだが、寡聞にして豊臣氏が大阪城を大規模修築したなんて言う話は
聞いたことがない。

築城技術的には、朝鮮出兵が無くとも、秀吉の死後は豊臣・徳川の対立の中で史実同様の
慶長の大城郭群が築かれたであろうことは自明だと思うが。

370人間七七四年:2011/02/13(日) 14:36:14 ID:KMQYlDzz
>>369に補足すれば、倭城じゃなく名護屋城普請が上方の築城技術の地方伝播に果たした影響は
それなりのものがあったとは思うが、既に大阪城、聚楽第等の事例や出兵開始後には伏見城があり、
仮に朝鮮出兵がなければ、後に徳川もやったような天下普請でのさらなる築城が行われただろうし
出兵の有無が決定的ではないと思うな。
371人間七七四年:2011/02/13(日) 15:36:01 ID:RdrXcQvf
>>367
異質な城塞・城郭を攻めた経験は全く約立たずって訳でなし
関ヶ原関連の攻城戦の経験も影響を与えてるよ

>>369-370
家中に止まったのはその通りだけど
様々な家に技術が伝播して
技術を有する人の量的拡大が図れたのは大きいかと

技術の上限とか大まかな方向性は、殆ど変わらなかった可能性も、確かに高いけど
後、唐入りとそれに付随する半島への派兵が無いなら
秀吉死後の豊臣政権の政局が、史実通りだったとは到底思えないけどね
あくまでも徳川にしても、豊臣政権の枠内で
その中で秀吉死後の政局に参画して、最終的にああなった訳だし
仮に秀次事件に近い形の事件があったとしても
唐入りが発生してない場合に、秀吉が中央で政務をほぼ掌握した状態で
あの手の事件が発生してたら、連座対象も変わった可能性が高いし
その後、再編された政権も史実の物と違う可能性も高い
徳川が豊臣政権内の重鎮になっても、結局政権内に留まったかもしれない
後、仮に関ヶ原に近い武力衝突があり
大局的な結果がほぼ同じだったとしても、個々の戦闘様相は違っていた可能性は高い
その後、更に史実に近い大名配置に何故かなったとしても
織豊系・徳川系のかなり高度な技術を要する城を築城出来る
技術を有する人材が量的に不足した可能性がある
そうなると結局個々城・築城術は違った物になるだろうし

大坂城はそもそも規模が規模だし
少なくとも広島城なんかは改修を受けてる
372人間七七四年:2011/02/13(日) 16:07:42 ID:7UG1i+Zk
だからどう影響してるか具体的に頼む
373人間七七四年:2011/02/13(日) 16:17:09 ID:4QQP7tck
重大な影響があったことを認めろ
374人間七七四年:2011/02/13(日) 20:18:43 ID:KMQYlDzz
>>371
>少なくとも広島城なんかは改修を受けてる

ん、福島時代の改修のことかな? あれは毛利時代の縄張りが
あまりに古式でシンプルなんで、本丸北東に外郭を増設したのが
主眼だろ。

お説に拠るなら、むしろ朝鮮出兵の主力だった毛利時代に
急遽改修していないと辻褄があわんと思うが、実際には毛利氏は
文禄年間に広島場の石垣工事は終了し、慶長年間は転封まで
ずっと建屋造作を続けてるな。
375374:2011/02/13(日) 20:22:05 ID:KMQYlDzz
おっとw

× 広島場
○ 広島城
376人間七七四年:2011/02/15(火) 13:16:15 ID:Pw7inTVo
確かに文禄、慶長の役で築城技術が向上したか?となると疑問符かもしれん。
一度も落城経験のないまま終わっちゃったし。
蔚山倭城にいたっては、油断中に強襲され外郭を突破されて
飢餓状態にありながら結局最後は援軍と連携して朝鮮明軍を大虐殺のコンボだし
377人間七七四年:2011/02/15(火) 13:20:02 ID:Pw7inTVo
そもそも明と朝鮮は大砲の火力で日本を上回ってたんだろ
大砲といえば城攻めには不可欠だが大砲は活躍しなかったの?
蔚山倭城の戦いも外郭を突破された時点で
篭城兵が大砲の集中砲火を浴びそうなもんだが
378人間七七四年:2011/02/15(火) 13:51:56 ID:x0Sekv77
>>377
明、朝鮮の旧式火砲より大口径の火縄銃の方が射程が長いから、そうそううかつに
射程内にまで近づけんでしょ。

こと大鉄砲クラスだと射程は数kmにおよんだらしいし、海戦では船の舷側ぶち抜いて
中の兵員を殺傷する威力があったから、守城戦でも効果的だったんではないかな。
379人間七七四年:2011/02/15(火) 15:31:54 ID:ldT9RDI+
大砲の類は城壁一重の朝鮮式城郭には効果絶大ではあるが、
堀と石垣土塁で防衛する倭城には効果は薄い。
文禄の役ではそのため平壌城等での抗戦をあきらめ漢城まで後退し、
漢城では城に籠らず討って出て勝利した。(碧蹄館の戦い)
慶長の役ではその教訓を生かし、現地にわざわざ日本式の城を構築し、
籠城により三路の戦い等で勝利した。という感じ。
380人間七七四年:2011/02/15(火) 22:16:19 ID:v2I0SaF7
>>377
蔚山本城に砲撃したが効果が上がらなかった。(宣祖実録蔚山戦記事より)
■試放大碗口, 則山坂峻高, 砲石有礙, 不能直衝, 終日不拔云。(※大碗口とは明・朝鮮軍が用いた臼砲の一種)
■天兵與我軍, 攻打 倭賊 内城, 城甚堅險, 大砲不能撞破。
■欲以大碗撞破, 而城高勢仰, 不得施技。
https://sites.google.com/site/woruzan/home/bunrokukeichou/keichou-no-eki/urusan-sen-eki
381人間七七四年:2011/02/17(木) 10:26:12 ID:fs3D2SOI
層塔型が広まったのは朝鮮役の為と言える
382 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2011/02/17(木) 22:55:26 ID:8zbvX8tH

    ジーッ
  ∧_∧ 
 <丶`Д´>/ ̄ ̄/ <………
 ( _つ_// LG /
  {二二} 三三}
    ̄ ̄ ̄ ̄"
   ↑
 カキコのレスを待つ


  ∧_∧ 
 <丶∩∩>/ ̄ ̄/ シク
 (  ノ ノ// LG /   シク
  {二二} 三三}
    ̄ ̄ ̄ ̄"
   ↑
 スルーされたらしい

383人間七七四年:2011/02/18(金) 22:32:28 ID:A/0bZTGO
>>380
感謝
384人間七七四年:2011/02/28(月) 22:25:49.19 ID:N6FvRon8
>>380
なるほど、とは思うけど。嘘史観をまるまる信じ込んでたのかもしれんが

当時の日本より進んでた朝鮮、明の大砲の類
その大砲をもってしても急造の倭城の攻略は不可能だった
で、明や朝鮮より遅れてる筈の日本の大砲でなぜ大坂の陣で大阪側を脅せたのか


385人間七七四年:2011/02/28(月) 22:37:45.66 ID:F1pkqbbb
大坂の陣じゃ新式のカルバリン砲やセーカー砲が使われたんだから
明軍が使った旧式のフランキ砲とは比較にならない
386人間七七四年:2011/02/28(月) 23:29:17.61 ID:LLM8VBgp
>>385
カルバリン(18ポンド)もセーカー(5ポンド)も船に搭載するための軽量砲
攻城砲であるカノン砲(42ポンド以上)と破壊力は比較にならんよ

つまるところ、東アジアで攻城砲が使われたことがなかったので、城郭の発達が止まってたわけで
倭軍も明もそこらの強さはよくわからないんじゃない?
387人間七七四年:2011/02/28(月) 23:34:26.30 ID:626alQ0U
>>386
いや、カルバリン砲というのは実に幅が広い名称で、イギリス商館の書類を見る限りでは
このカルバリン砲、「長い砲」程度の意味のようである
388人間七七四年:2011/03/01(火) 00:17:54.84 ID:BBLX9JLQ
http://www.youtube.com/watch?v=dPmSjV9GqBk

チョンコロ嫌いには
笑える動画
389人間七七四年:2011/03/01(火) 04:53:26.96 ID:6LBIxX06
>>387
それは9ポンド砲も含めて”カルバリン”って呼んでたのでは?(英国だと特に)

日本に来たのは艦載砲クラスだったわけで、
西欧の攻城戦に使われた大きさのは記録はなかったように思います
390人間七七四年:2011/03/01(火) 08:54:22.85 ID:Ncux9yIp
>>389
オランダからは絵図で注文された四・五貫目の大砲十二門が輸入されている
それに当時の日本で必要だったのは弾頭重量でなく、長射程ですし
391人間七七四年:2011/03/01(火) 20:13:47.47 ID:6LBIxX06
>>390
四五貫目というと33〜41ポンド、攻城砲としては威力が足りないのでは?(カルバリンの部類でないかと)

というか「大砲で城攻めする」という認識が日本になかったから長距離が優先されただけのような
逆に西欧では「大砲で城攻めをする」という革新で城作りも攻城戦もがらりと変わったわけで
大口径高威力の大砲を必要としなかったのは、日本に”大砲の使い方”がなかった証かと

つまりフランキでもカルバリンでも日本(もちろん明韓でも)では”宝の持ち腐れ”だったんですよ
これは軍隊として重大な欠陥かと
392人間七七四年:2011/03/01(火) 22:41:10.47 ID:cdeKKpvu
城壁崩しの大口径砲持ってきても城壁ねーもん
393人間七七四年:2011/03/02(水) 01:16:59.81 ID:/f7Vzpfj
日本の場合は木造建築の櫓や塀を破壊するのが目的なので
土塁や石垣などは当時の西洋の攻城砲でも破壊は不可能
394人間七七四年:2011/03/02(水) 02:45:48.03 ID:bEA2iKtw
施設の土台(石垣)を壊す必要はないのじゃ??
つか最大の問題点は、重要施設が”外から見えるところ”にあるので直接砲撃しやすいこと
たしかに土台は残るけど、その上の城郭は撃たれ放題、天守閣なんて良い目標
火災を起こしやすい木造施設に武器を蓄える櫓なんて、砲撃に対して無防備すぎる

つまり西欧では15世紀から”高さを低く(外から中が見えない)”する築城法が広まったけど
日本は16世紀でも”背が高い”縄張りだったので、西欧式の攻城戦には無力と見るべき
大阪の役とか徳川も自分で作った20数の鋳造砲で天守閣砲撃してるから、
もう少し豊臣ががんばれば日本も西洋式築城の時代が来たかも知れない……
395人間七七四年:2011/03/02(水) 03:19:15.28 ID:vrpjf/rj
明・朝鮮の陸軍はあまり大きな大砲は使っていない。
運搬が困難になるから。

それと倭城は純軍事的な要塞だから施設も殆ど軍事的なものばかり
それに比べて大坂城は豊臣家の宮殿でもあったわけで
装飾性や居住性が重視された御殿などの施設が多くあって
そのために被害が出やすかったのかもしれない。
396人間七七四年:2011/03/02(水) 03:31:09.55 ID:WjJRathZ
>>394
西洋式築城なんてのは、所詮火砲が発達途上で射程が数百メートル程度の
時代の徒花でしょ。

戊辰戦争では、五稜郭は長射程の艦砲にアウトレンジされてあっけなく終い。
むしろ会津鶴ヶ城の方がよほど善戦しているな。
397人間七七四年:2011/03/02(水) 08:09:11.71 ID:lTwaufKI
>>394
陣張りが防衛の根本であって
天守閣なんてだたの飾りだぞ
398人間七七四年:2011/03/02(水) 08:52:32.22 ID:/f7Vzpfj
当時の主力であった大鉄砲や大筒なら厚い土塀や太鼓塀で、十分抗堪できる
おそらく西洋の攻城砲でも遠距離なら、徳川家の天守(厚い欅材を鎧状に落としこむ)なら耐えられる
399人間七七四年:2011/03/02(水) 17:58:28.91 ID:vrpjf/rj
城の天守や櫓の壁は時代が下るにつれて耐弾性が増してる
大砲対策だろう
大坂城の天守は大坂の役時点では少し旧式な部類かも
400人間七七四年:2011/03/05(土) 10:43:56.22 ID:L1q7Wmr9
天守閣なんて相手を威嚇する為の見栄の象徴
派手な旗差、甲冑兜と変わらん

>>399
大坂城は1985年築、大坂の役ではもう築30年もたってたんだね
聚楽第、伏見、名護屋城と続く秀吉の建築の先駆け
こうやって考えると秀吉政権って金持ってたなって思うわ

401人間七七四年:2011/03/06(日) 10:03:59.53 ID:QWqwX/09
>>394
西南戦争についてお勉強して出直すこと

>>400
関ヶ原まで石見銀山などの鉱山を直轄支配していたのが大きいねい。
関ヶ原以降は徳川に支配権が移ったので、家康がとんでもない額の
遺産を残したわけで。
402人間七七四年:2011/03/06(日) 15:04:50.56 ID:4UMvOue3
>>401
元々西郷軍は小口径砲20門ほどしか持ってないし、鎮台砲兵の反撃喰らってるので
熊本城の攻防は参考にならんと思うぞ。
403人間七七四年:2011/03/06(日) 16:37:35.67 ID:QWqwX/09
>>402
上部構造は完全に飾りで、天守やら櫓やらが消失しようが関係ないという例にはなる。
404人間七七四年:2011/03/06(日) 16:52:01.87 ID:ONc9dTee
>>403
じゃぁ その飾りをわざわざ作った意味は?  
…結局 砲撃による攻城戦に対しての知識がなかった、って結論になりそうな
405人間七七四年:2011/03/06(日) 17:14:41.34 ID:QWqwX/09
>>404
城に軍事拠点の機能しかないと思っているの? いい加減にしとけ。
406人間七七四年:2011/03/06(日) 21:29:57.02 ID:ONc9dTee
>>405
具体的に 軍事拠点以外の機能 ってなに??
407人間七七四年:2011/03/06(日) 21:52:46.07 ID:LS5kTJIi
>>406
政庁、儀礼空間、居住空間、倉庫、権威の象徴
408人間七七四年:2011/03/06(日) 23:31:09.03 ID:pHMzsYxM
実際、天守はただの巨大倉庫だしなあ。もちろん権威の象徴としての役割も大きかったけど
これが焼失しても別に篭城方は困らない。プライドは傷つくかもしれんが
結局、天守やら櫓がなくなっても堀や石垣という骨格は残るのだから、城塞としては十分機能できる
409人間七七四年:2011/03/07(月) 00:27:45.50 ID:jtPdOyPJ
砲撃による攻城戦に対しての知識がなかったという証拠だな
410人間七七四年:2011/03/07(月) 03:08:21.33 ID:jRfMvCd+
ID:ONc9dTeeはシッタカ -> 一撃論破 -> 発狂の典型だな
411人間七七四年:2011/03/07(月) 05:52:16.66 ID:n53oE2K8
>>410
え?  ぼーと見てたけど>>394示す例を挙げてくれてたんじゃないの?? 
16世紀末(もしかすると近代まで)日本軍には致命的戦術的欠落がある、ってことを

「どうせ無くなっても問題ない」のに、わざわざ砲撃の目標になるものを作る、
戦闘になって”権威の象徴”が真っ先に攻撃の対象になるなんて、軍事的見地からどーなの?
(つか上部構造物が無くなっても戦える!、ってのはいいけど、そういう焼け野原になった時点で士気はどーなる?)
つか江戸時代になって財政負担理由で天守閣作らなくなったように、日本でも意味のなさに広まるけど
今は16世紀末の日本軍の城作りが砲撃を考慮してない(西欧と比較して遅れていた)てな話をしてるわけで

まぁ聚楽第とかあるけど、これはまた別の話(政治的意味合いの大きい宮殿)じゃん
つか平時の政治(居住)空間は天守じゃなくて麓の屋敷でやってたんじゃ???
412人間七七四年:2011/03/07(月) 08:34:46.82 ID:UIeOVCl4
砲撃の目標になるので国会議事堂は不要だな

と皮肉ろうとしたがマジ不要な気がしてきたw
413人間七七四年:2011/03/07(月) 09:08:26.47 ID:pYJ1Mb++
砲撃が一般的になった後に築城された城は
対砲撃防御も考慮されている
414人間七七四年:2011/03/07(月) 12:23:39.58 ID:UIeOVCl4
五稜郭あたりと比較してる悪寒
415人間七七四年:2011/03/07(月) 12:29:40.59 ID:pYJ1Mb++
いや、実際関ヶ原以降に築城された城の厚い土壁は当時の主力である
数十から百匁クラスの大鉄砲や大筒クラスならある程度は抗堪できる
416人間七七四年:2011/03/07(月) 15:12:39.74 ID:kqN/CJTp
一回どこかの雑誌で土壁や石垣の耐弾実験やってくれないかな
大筒、石火矢ぶっぱなして
417人間七七四年:2011/03/07(月) 18:17:49.04 ID:byAcwyVJ
>>411
そろそろ見苦しいぞ
418人間七七四年:2011/03/07(月) 18:53:37.67 ID:jtPdOyPJ
見苦しいのは日本軍の城作りが砲撃を考慮してないことを認めないお前らだろ
419人間七七四年:2011/03/07(月) 19:15:24.84 ID:QY/Bs405
戊辰役での鶴ヶ城の天守閣は、最新の西洋砲で滅多打ちにされても、
崩れても燃えてもいないからな〜
420人間七七四年:2011/03/07(月) 19:57:46.08 ID:pYJ1Mb++
>>418
そりゃ、太鼓塀や欅の防弾板、更には鉄張りという対砲撃の実例があるからな
421人間七七四年:2011/03/07(月) 21:20:05.29 ID:n53oE2K8
>>417
もう相手できなくなりました?
つか”軍事的見地”の話をしているので、政治的要素とか城に求めるのは評価の範疇外だと思いますけど……
西欧では要塞と宮殿はまったく別個のものになりましたしね(軍事効果とと政治のソレは両立できなくて)

>>419
当時の主力砲は四斤山砲(4kg=9ポンドくらい)、西欧で使われていた攻城砲クラス(40ポンド)は使用されていません
それですら鶴ヶ城ボコボコにされてますよ
http://miyakoweb-lj-hp.web.infoseek.co.jp/torist2/boshinsen.htm

だから、日本軍には”攻城砲”を使うtacticsがなかったんですよ(たぶん日露戦争まで)
「城攻めに大口径攻城砲を使う、使われる」そういう意識が生まれなかった
太鼓塀とか木製防弾施設とか40ポンドクラスの砲撃に耐えるシステムじゃないですよ……
422人間七七四年:2011/03/07(月) 21:25:05.67 ID:4+xW7Db2
マクニール著の「戦争の世界史」では、日本の城だけが東洋でほぼ唯一火砲に対する防御力を考慮して造られたと評価されている。
ど素人が山ほど妄想並べても専門家の一言には敵いませんね。
423人間七七四年:2011/03/07(月) 21:29:55.06 ID:jtPdOyPJ
>>422
その専門家が正しいことを書いているという根拠を出してもらえませんかねえ
424人間七七四年:2011/03/07(月) 21:31:21.16 ID:4+xW7Db2
ど素人の妄想が正しいという根拠は何?
425人間七七四年:2011/03/07(月) 21:42:53.95 ID:QY/Bs405
>>421
ホルホルしながら個人の趣味のWebページ揚げられてもな〜
しかも、ボコボコというところの天守閣の写真は無論承知で
>>419を書いたフツーによく知られたヤツだし。

で、攻城砲云々といったところで、じゃあ仮に戊辰役に外国軍が
参戦していたとしても、鶴ヶ城攻めに40ポンド攻城砲なんぞを
持ち出したかというと、限りなく疑問なんだけど。

国情・地勢を無視して、観念的に攻城戦を語っているだけにしか
思えないなぁ、っと。
426人間七七四年:2011/03/07(月) 21:52:38.76 ID:pYJ1Mb++
盆地の会津若松に重い攻城砲かぁ
それだけの人員と金と手間と時間を要するだろうね
先ず、道路を作る所から始めないといかんね
427人間七七四年:2011/03/07(月) 22:00:55.69 ID:n53oE2K8
…マクニールって……偉大な歴史家だけど軍事素人じゃん……

>>425
>鶴ヶ城攻めに40ポンド攻城砲なんぞを持ち出したかというと
そこですよ! いいたいこと!!

日本軍には要塞攻略に攻城戦持ち出す意識がなかった、ってところが、西欧のソレと比較して欠陥だ
…って最初から言ってたんですが、いつの間にかぼやけちゃって……
428人間七七四年:2011/03/07(月) 22:01:10.35 ID:UBmeeIVj
今年の大河ドラマではスルーかなコレ?
429人間七七四年:2011/03/07(月) 22:18:50.48 ID:pYJ1Mb++
430人間七七四年:2011/03/07(月) 22:36:59.97 ID:yQukjpZb
後詰めが居ない
戦意が低い
経験がない
統制を取る将がいない
首脳陣がヘタレしかいない



というか明はともかく朝鮮の大砲ってあったか?
431人間七七四年:2011/03/07(月) 22:37:54.89 ID:yQukjpZb
だぁ・・・安価抜けてるし
432人間七七四年:2011/03/07(月) 22:43:04.09 ID:pYJ1Mb++
>>430
水軍が持っているから、持っているでしょうね
433人間七七四年:2011/03/08(火) 08:12:07.45 ID:KHNJCeNc
水軍が持ってるというのも怪しい話な希ガス
無敵朝鮮水軍(笑)な話とよく一緒にでてくるが
434人間七七四年:2011/03/08(火) 09:11:06.87 ID:g9dU35v7
>>433
ちゃんと理由があって、接舷戦闘が得意な倭寇に対抗するために
遠距離からの攻撃で撃破する大砲の導入に熱心だったらしい
435人間七七四年:2011/03/08(火) 09:35:57.27 ID:AJW2iVH9
朝鮮だからと疑うのは良くない
疑う気持ちは分かるがw
436人間七七四年:2011/03/08(火) 09:58:54.10 ID:l9x7CwXM
>>434>>435
そのとうり
437人間七七四年:2011/03/08(火) 10:06:17.51 ID:UlYaPVSI
平和ボケボケの宮廷や陸軍とは違って水軍は倭寇に鍛えられてたからな
日中の海賊(当時は水軍と似たようなもの)と常時戦ってればそれなりの物になる
438人間七七四年:2011/03/08(火) 10:18:34.20 ID:l9x7CwXM
>>437
そのとうり
439人間七七四年:2011/03/08(火) 12:23:04.61 ID:s+YPedBE
>>433
中国に文禄慶長の役に対する興味が無いからいいものを
朝鮮側の言い分を聞いてると明軍なんて居たの?って話になる
怒ってもいいほど扱いが悪いよ。
日本のいわゆる戦後史観もそれに完全に追従しちゃってるし。

>>437
倭寇って普通に丘に上がって暴れまわってたよ
当時の南京の周辺都市も荒らされまわってたし
440人間七七四年:2011/03/08(火) 14:55:11.95 ID:l9x7CwXM
>>439
死ねよ
441人間七七四年:2011/03/08(火) 15:05:11.53 ID:V678CFzl
朝鮮水軍の行動のおおまかな流れをちょっとまとめてみたが、どうかな?

-----------------

◆文禄の役
緒戦で慶尚道水軍壊滅(主力は慶尚・全羅道に配備)
全羅道水軍は李舜臣の指揮下で頑張る
 海上移動中の日本軍小部隊を全羅道南岸各地で撃破 ←日本側補給線を遮断した伝説の元
 対水軍では藤堂高虎を撃破(玉浦海戦) ←兵力は朝鮮側が2倍以上?
        脇坂安治に完勝(閑山島海戦) ←兵力は朝鮮側が4倍以上?
        九鬼嘉隆・加藤嘉明とは引き分け(安骨浦海戦) ←兵力は朝鮮側が3倍以上?
 日本側補給拠点の釜山浦にも一度だけは侵攻
 その後日本側が沿岸域に城砦を築いて防備を固めると活動は低下

◆休戦

◆慶長の役
李舜臣命令不服従で失脚
緒戦で元均指揮下の慶尚道水軍、全羅道水軍ともほぼ壊滅(漆川梁海戦) ←兵力は日本側陸上分を合わせるとほぼ互角か
復帰した李舜臣が残存の12、3隻の主力艦の撤退戦に成功(鳴梁海戦) ←兵力は日本側が一部抽出のため不詳
再編
日本側の撤退(越冬のための戦線縮小)により全羅道南岸へ再進出
明水軍到着によりその指揮下に入り順天攻めに参加
順天救援の日本勢(島津基幹)を明水軍と共に迎撃(露梁海戦) ←兵力は明・朝鮮側が2倍以上?
 李舜臣ほか多数の幹部が戦死し出撃点まで押し戻されているため
 朝鮮水軍は大損害を受けた公算大であり、日本側が撤退に至ったのは
 主力の 明水軍の功績と思われる
442人間七七四年:2011/03/08(火) 17:41:43.97 ID:V678CFzl
>>441誤記訂正

× 海上移動中の日本軍小部隊を全羅道南岸各地で撃破 ←日本側補給線を遮断した伝説の元
○ 海上移動中の日本軍小部隊を慶尚道南岸各地で撃破 ←日本側補給線を遮断した伝説の元

443人間七七四年:2011/03/08(火) 20:10:35.96 ID:l2HkGOAv
>>429
15世紀半ば、スコットランドのジェームス二世がオランダ輸入の攻城砲(MonsMeg口径50cm)使ってましたよ
山国でも、ようは”やる気”しだい、ってことで 
444人間七七四年:2011/03/08(火) 20:32:43.73 ID:g9dU35v7
>>443
モンス・メグのあるエディンバラ城は海に面しているよ
445人間七七四年:2011/03/08(火) 23:35:22.88 ID:YN5UiGm4
>>441
>日本側が撤退に至ったのは主力の 明水軍の功績と思われる
まてww
撤退戦なんだから撤退するのは当たり前だろw
446人間七七四年:2011/03/09(水) 15:14:30.48 ID:ACXfr6My
撤退に関しては秀吉の死以外の理由が無い

にしても入植地でも欲してたのかね当時の秀吉政権は。
秀吉があと20年ほど長生きして慶長の役で大勝し、反撃の明軍も打ち破り
最終的に朝鮮全域を支配に組み込んだとしても

収穫も無い上に人口も減ってるしさ
加藤なり小西なり、あんな土地100万石とか貰っても実質荒れてて30万石分無い上に
軍役にもまともに応じない言葉の通じない連中を指揮なんて出来んし。
447人間七七四年:2011/03/09(水) 15:29:07.63 ID:hM66NkNF
だからインドまで征服するつもりだったんだって
朝鮮はただの通路
448441:2011/03/09(水) 15:41:03.60 ID:itG9xEpr
>>445
そのセンテンスでの”日本側”っつーのは、戦役全般ではなく
露梁海戦での島津基幹の順天救援軍のことだよ。

元々が、>>439を受けてまとめてみたものだし。
449人間七七四年:2011/03/09(水) 15:48:34.70 ID:ooUtB+sn
朝鮮は通路で明を征服してインドも支配下に・・・・・・
壮大すぎる青写真だな
450人間七七四年:2011/03/09(水) 20:16:30.90 ID:IJ2FhbgY
>>449
だからこそ晩年の秀吉はボケ老人とか誇大妄想狂とか評価されているわけで。
もっとも、慶長の役ではある程度現実路線に軌道修正して半島南部の恒久支配を
目指していたけど。

もちろん、国力と支配にかかるコストを考えれば、全く現実的じゃないけどね。
何度明軍を退けても、民衆がまったく服そうともしていないわけだし。

文禄の役の初期、民衆がこぞって寝返った際に統治を大失敗したのが…。
451人間七七四年:2011/03/09(水) 20:46:50.95 ID:oxvKqme4
>>449
天竺は勢いで言っただけだよw

>>450
>半島南部の恒久支配を 目指していたけど。
慶長の役も目的は明の征服が指令されている。半島南部の恒久支配は指令されていない。

>民衆がまったく服そうともしていないわけだし。
そうでもないよ。倭城周辺の朝鮮民衆は日本化が進んでいた。
452人間七七四年:2011/03/10(木) 10:00:43.34 ID:LEBuoJxZ
だから台湾にでも進んでおけば米も取れるし問題なかったんだよ
453人間七七四年:2011/03/10(木) 13:22:43.33 ID:1rkHP4Ur
当時の台湾ってどんな状態?
454人間七七四年:2011/03/10(木) 22:53:59.12 ID:y3vQXIU2
>>448
救援という目的果たしてるんだから、普通撤退すると思うが
455人間七七四年:2011/03/11(金) 00:47:24.75 ID:kHBztj6h
>>454
島津は小西の脱出を知った上で戦闘海域から撤退した訳じゃないから。
といっても実際には必要充分以上に戦っているわけで、結果オーライだった
訳だが。

そして、小西救援は自発的なものなので島津が多大の損害を払わないと
いけない義理もなかったけどね。
456人間七七四年:2011/03/11(金) 02:27:38.81 ID:A8/mGZr9
捕虜の明兵はどういう扱いだったんだろう?やっぱり、朝鮮人と変わらないかな。
457人間七七四年:2011/03/11(金) 12:21:15.86 ID:UegvWUID
>>455
救援じゃないならどういった目的の戦いだったのか?
458人間七七四年:2011/03/11(金) 13:44:12.89 ID:oi5MewXC
征韓録では李舜臣、ケ子龍を打ち取った上、小西の脱出を知って撤退したことになってる。
459人間七七四年:2011/03/11(金) 13:46:45.32 ID:kHBztj6h
これまで一応相手はしてみたが、ちょっと低レベル過ぎだろ・・・
460人間七七四年:2011/03/11(金) 13:53:26.90 ID:kHBztj6h
>>458
お、入れ違いでやっとまともなレスが。

『征韓録』は確かにそうなってるね。でも、征韓録の記事は後年の編纂だから
後に知り得た事実や明・朝鮮の史料をも含めて再構成されているのだろうと思う。
同時代史料には小西の脱出を知って撤退したとしているものはないのではないかな。

特にケ子龍の戦死の下りあたりは明史の記述の影響があるのではないかな?
461人間七七四年:2011/03/12(土) 01:31:58.72 ID:8Th6nXwM
>>455
まて
状況的を考えれば明水軍主力を誘引して小西を脱出させるのが目的だろ?
そうしたらある程度戦ったら引き上げるのは当たり前だ。
462人間七七四年:2011/03/12(土) 01:33:40.95 ID:Ej/gUhcF
>>461
屁理屈はもう聞き飽きた
これまで一応相手はしてみたが、ちょっと低レベル過ぎだろ・・・
463人間七七四年:2011/03/12(土) 01:35:09.98 ID:8Th6nXwM
何の資料も出してないのにレベルが低い宣言されても
正直、頭大丈夫か?としか・・・・
464人間七七四年:2011/03/12(土) 02:03:12.10 ID:6nXWe5u3
資料云々以前に、露梁海戦の経緯について最低限の知識さえもないのが
口出すなっつーことだな。
465人間七七四年:2011/03/12(土) 09:38:27.40 ID:WbyeR290
テスト
466人間七七四年:2011/03/12(土) 12:46:06.79 ID:8Th6nXwM
>>464
経緯って小西の撤退支援以外になんかあるのか?
戦闘の推移の話ならどっちもgdgd
467人間七七四年:2011/03/12(土) 14:52:40.90 ID:6nXWe5u3
>>466
戦闘の推移の話のどこがgdgdなのか、”資料”をあげて示せば相手してやるw
468人間七七四年:2011/03/12(土) 14:53:00.82 ID:6nXWe5u3
ところで、露梁海戦といえば、戦闘の推移以外にも疑問の一つに、小西の撤退ルートというのが
あるんだけど、猫島西水道から麗水海峡というのには異論はないのだろうと思うけれど、
その後の経路はどうなんだろう?

というのも、一般的には南海島の南を迂回してそのまま巨済島に、という外海ルートが
漠然と認識されているような気がするのだけれど(『日本戦史 朝鮮役』の付図は
麗水海峡までしか示されておらずその後の経路は不詳だが、例えば学研の
『歴史群像 文禄・慶長の役』では、本誌には日本戦史の図ををリメイクしたものが
載っているけれど、付録地図は小西の撤退路を外海ルートで示してある)、

しかし、『宇都宮高麗帰陣物語』には

 「敵唐人の船、なんはい(南海)に湊口海路を取切故に、松木瀬戸(麗水海峡)を外海に漕出、
  三十里を経て、一日半夜に廻り、なんはいの後ろより人を城中に入れて見れば、人四五十人有也。
  如何成しぞと、問ひ給へば、これは島津が候が、(以下 島津兵がそこに至った経緯)
  其時摂州(行長)船に乗せ、瀬戸まで続きたる向かいの唐島(巨済島)へ渡されける」

とあって、南海城を経由した(内海ルート)とも読める記述がある。もっともこれは”なんはいの後ろ”の
解釈によっては、外海側から島の南部を縦断して南海城の情況確認に人を出したものともとれるけれど、
三十里・一日半という記述からは実際に内海に入ったことを示しているようにも思われる。

また、この記述に拠れば小西は島津らと合流して初めて南海島へ取り残された島津兵収容の船を
出したのではなく、少なくとも一部の兵を乗せて合流していたということになるよね。

このあたりに一家言ある人がいれば是非。
469468:2011/03/12(土) 14:55:52.59 ID:6nXWe5u3
おっと、誤記

× なんはい(南海)に湊口海路を取切故に
○ なんはい(南海)の湊口海路を取切故に
470468:2011/03/12(土) 14:59:36.26 ID:6nXWe5u3
さらに脱字(汗

× これは島津が候が
○ これは島津がものにて候が
471人間七七四年:2011/03/12(土) 15:06:08.95 ID:Ej/gUhcF
ID:kHBztj6hに対する反論が低レベル過ぎて話にならない
472人間七七四年:2011/03/12(土) 19:19:01.93 ID:8Th6nXwM
あーはいはい
473人間七七四年:2011/03/13(日) 10:42:04.08 ID:vP95rKxY
2chでレベルが低いとか気持ち悪いのがいるな
474人間七七四年:2011/03/13(日) 12:39:04.41 ID:zPInfB+y
気持ち悪いというより痛い
475人間七七四年:2011/03/13(日) 14:27:07.34 ID:rZpip+B/
低レベル過ぎて話にならない(キリ
476人間七七四年:2011/03/14(月) 17:14:55.52 ID:7Lu42D6l
>>468
宇都宮国綱は完全に陸将で記述は伝聞(自分の兵を出したわけではない)だから、
ソレを元に内海にはいった判断は微妙な気がする……

で、おいらも露梁海戦はgdgdだったとおもうんだけど……
島津義弘の乗船が潮に流されて後落したり、樺山久高も船を座礁させてにげてる日本側と、
陳リンも突出しすぎて日本船に取り囲まれてたり、副将二人は死んじゃってる明朝鮮側と、
ただ潮に流されての遭遇時の混乱が最後まで続いたのを両陣営とも”海戦”と言い張ってるだけ、とも見とれるわけで
少なくとも開始前の日本海軍の誘い出し作戦と比較しても、戦闘時の指揮ぶりはgdgdだと思う
(陳リンの狙いは日本海軍で、確認できたら封鎖といて出撃、小西とか眼中になかったし)
477468:2011/03/15(火) 00:42:50.85 ID:/MpV372M
>>476
レスども。

つまるところ宇都宮高麗帰陣物語だけだでは材料不足というのは確かなんだけど、
小西の側からしても、わき目もふらず巨済島まで外海廻りで撤退したかというと、
やはり途中で情報収集はしようとしてるんではなかろうかと。

その際、全船団あげて南海城を経るというのはかなりの距離を再び西に戻る形になるので
それは疑問だけれど、私見としては、南海島を回り込んで本来の集結地であった昌善島の
東側を北上したんじゃないかと思うんですな。そして、その間に昌善島の南水道(帰陣物語にいう
”なんはいの後ろ”はあるいはこれ?)から早船を入れて南海城の状況を確認するくらいのことは
あってもよいか、と。そしてその後は、半島本土沿いの従来からの内海主用ルートを通って
巨済島までというのも充分ありえるような。


露梁海戦の推移は、結果だけ見れば混乱の極みだけれど、当初の陳?の意図と
戦闘の推移を地理的に勘案すればある程度実相は見えてくるような。

海峡を通過してくる日本船団を南北から挟撃というのが作戦の基本だけれど、実際には
南北同時ではなく、南側が先に仕掛けたというのは史料からも読みとれるし、これは
陸戦同様朝鮮水軍をまずぶつけて日本側兵力の漸減を謀る陳?の意図通りでもあったんだろうと
思われ。
しかし誤算だったのは、本来軍監あるいは督戦隊として朝鮮水軍につけられたはずのケ子龍が
意気軒昂で戦意旺盛なじっちゃんだったもので真っ先掛けて突進して戦死、そしてそれを
救おうとした李舜臣も銃傷を受け、戦闘の早い時点で両指揮官を失った明水軍先鋒・朝鮮水軍は
出撃地点(観音浦)まで壊走、島津先鋒はそれを追撃し、義弘本隊がそれに続こうとしたところで
北翼の明水軍本隊とぶつかったということなんじゃないかな。
朝鮮の史料から、露梁海戦は観音浦が主戦場であったかのように一般に解釈されているけれど、
主戦場はあくまで海峡口だったということは義弘の乗船が潮に引かれるといった記述からも
見て取れ、本隊同士では圧倒的に戦力差があるので、島津は激闘数刻の後に退かざるを得ず、
島津先鋒は明水軍本隊に後方を遮断される形で取り残される。で、やむを得ず樺島らは船を
捨て南海島に上陸、というのが私の解釈ですわ。
478人間七七四年:2011/03/15(火) 08:48:41.69 ID:S3HGx0Sl
劣勢の島津が中央突破で撤退計ったのに巻き込まれて討たれただけさじゃね?
伏せていた狙撃手に撃たれて意識不明とう
朝鮮側の記述みるに明らかに狙われてる
479人間七七四年:2011/03/15(火) 13:15:29.18 ID:N5J9rT+y
>>476
>(陳リンの狙いは日本海軍で、確認できたら封鎖といて出撃、小西とか眼中になかったし)

根拠は?
480人間七七四年:2011/03/16(水) 05:23:53.43 ID:Ej4G9wfZ
>>477
日本に戻る大方針が決まってた上に、撤退約束は合戦以前に日明間で成立していたわけで
撤退できる条件がそろったらまっすぐ退く、ってのは小西としては規定方針な気も
そのときによけいなことをするでしょうかねぇ

露梁海戦については、個人的には>>478と同じ意見ですね
明朝鮮軍が日本艦隊全滅を狙った作戦を立て誘導に成功し
実のところ、明朝鮮軍は樺島分隊を本隊から分断壊滅させているわけで
これはかなり狙ったとおりの状況で、他方先鋒が壊滅した、というのは……

殿軍の島津の旗艦が捕獲されそうになったのも現地の潮をよく知っていたからと思われ
それは戦終盤まで現地(朝鮮)軍の働きもかなりよかった結果、と判断すれば
そういう優位な状況で指揮官三名がやばくなる、というのは日本軍の”一当てして志気をくじいてから撤退”
…という方策にうっかり嵌ったからじゃないかな、と思います
(まぁコレの真偽は別にして責任を先鋒のケ子龍にすべて負わせるのは気の毒な気が……)


>>479
根拠もナニも書いたとおりの陳リンの動きがですが……
たぶん終戦が視野に入った時点で何らかの”功績”が欲しかった、と私は見ますね
(城落としても海将の功績にはならないから)
481人間七七四年:2011/03/16(水) 08:08:53.82 ID:egt6bu7r
敵艦隊出てきたら普通封鎖続けないべ
482人間七七四年:2011/03/16(水) 15:19:09.09 ID:Ej4G9wfZ
>>481
日本艦隊が出てくるように艦隊動かさずに圧力をかけたのは陳リンですよ
露梁海戦は、すくなくとも日本側が望んだ海戦ではなかったかと
483人間七七四年:2011/03/16(水) 16:46:56.98 ID:derfep9p
>>480
>撤退できる条件がそろったらまっすぐ退く、ってのは小西としては規定方針な気も
>そのときによけいなことをするでしょうかねぇ

小西は順天脱出時に、露梁が敵船に占拠されていることから救援軍が打ち負けたらしいことは
把握していても、味方がどこまで退いたかという具体的な状況は判っていないわけですよ。
そこで巨済島まで一目散に逃げたとして、もし島津らが南海城〜昌善島のラインで明軍と
対峙していたとしたら、小西ら順天五家は自分達を救いに来てくれた友軍を見捨てて遁走したことに
なるわけで、文禄の役での大友並みの大失態ですよ。だから帰陣物語にあるように南海城や、
また昌善島北の船溜まりの状況把握をしないわけがないと考えるけどね。

さらに順天からの脱出船団は六,七百艘とされているので在番人数からすれば一隻あたり
20人も乗っているかどうかの小船が大半だったと思われ、それで小島が点在するとはいえ
波の荒い外海寄りを退却したと考えるよりは、大きな島伝いに内海をいったと考える方が
妥当ではないかということもある。


あと個人的には、露梁海戦での朝鮮水軍の大奮闘というのは、主に後年李舜臣の顕彰のために
編纂された『李忠武公全書』に拠るところが大きいので、かなり眉唾な部分が多いと思ってますな。
陳リンが李舜臣の人物に心服し、海戦では互いに助け助けられ、李舜臣の死を知って天を仰いで
慟哭した、みたいな話は中国側の史料にはないので、多分に創作が入ってるんじゃ無かろうかと思う。
まぁ、信憑性は日本で言うところの軍記物みたいなもんでしょ。
484人間七七四年:2011/03/16(水) 16:52:58.40 ID:derfep9p
>>482
日本艦隊って、島津ら左軍諸将は船手でもなんでもないので、数日前までは
存在もしていなかったにわか水軍ですよ。

まぁ、寺沢は輸送担当なのでまともな警護船を持ってきていた可能性はあるけど
ほかの島津勢始めの乗船は荷船流用でしょ。義弘の乗船も帆の大きさの記述からは
それなりの大船だったとは思われるけれど、安宅や関船のような軍船だったとする
具体的な記録は無いんじゃないかな。
485人間七七四年:2011/03/16(水) 17:01:58.57 ID:bdBoxL8t
>>480
>根拠もナニも書いたとおりの陳リンの動きがですが……
具体的にどんな動き?

>(城落としても海将の功績にはならないから)
拠点攻略は十分功績になる。
沿岸拠点の攻略は近代海軍でさえ重要な任務。
486人間七七四年:2011/03/16(水) 17:03:35.81 ID:bdBoxL8t
>>482
>日本艦隊が出てくるように艦隊動かさずに圧力をかけたのは陳リンですよ
陳リンがかけた圧力について具体的に
487人間七七四年:2011/03/16(水) 18:50:11.08 ID:derfep9p
>>485
陳リンの小西に対する講和条件は、当初は順天城二の丸の引き渡しで、
最終的には南海城、瀬戸城の二城引き渡しで妥結してますな。
488人間七七四年:2011/03/16(水) 20:02:52.85 ID:bdBoxL8t
史料出して語って欲しいなあ
489人間七七四年:2011/03/16(水) 22:57:04.98 ID:KneI1A6R
…資料もナニも軍の動きの”解釈”の話で、新事実出してるわけではないですよ?
>>486
小西軍を拘束してかつ総攻撃もせずに封鎖を”圧力”と自分は見てますね
あからさまに交渉しながら攻撃を仕掛ける前例は、明は日本軍に対してあるわけで

>>487
城引き渡しが海将筆頭の功績となるのかどうか、そこらが海戦を望んだ動機なんじゃないかと
490人間七七四年:2011/03/16(水) 23:16:31.96 ID:L/Wgym//
>>483
>陳リンが李舜臣の人物に心服し、海戦では互いに助け助けられ、李舜臣の死を知って天を仰いで
>慟哭した、みたいな話は中国側の史料にはないので、多分に創作が入ってるんじゃ無かろうかと思う。

柳成龍の「懲ヒ録」にも書いてある話だし、結構信憑性があるのではと思うんだが
491人間七七四年:2011/03/17(木) 00:03:46.62 ID:derfep9p
>>490
まぁ、その辺の解釈はあくまで私の心証ですから。

でも『懲録』のソースはあくまで李舜臣の言い分だし、そして龍成龍は派閥のトップとして
子飼いの李舜臣を悪く書くはずもなく、また陳リンの立場としても絶えず賄をして立ててくれる
李舜臣を朝鮮朝廷に悪く言う必要もない、と。

朝鮮の将としてはかなり有能な人物だったとは思うけれど、聖将とか人格者といったあっちの
評価とは違って、李舜臣はけっこう出世欲や自己顕示欲が強くまた癇性で扱いにくい人物だった
ように思ってますね。
『乱中日記』をより見栄えよく書き直してみたり、また元均と不仲になったのもそもそもは李舜臣が
共同作戦の手柄を独り占めしようと謀ったことにあるようだし。
492人間七七四年:2011/03/17(木) 02:21:44.41 ID:iSW6MhD2
>>476 >(陳リンの狙いは日本海軍で、確認できたら封鎖といて出撃、小西とか眼中になかったし)
>>482 >日本艦隊が出てくるように艦隊動かさずに圧力をかけたのは陳リンですよ
>>489 >…資料もナニも軍の動きの”解釈”の話で
     >小西軍を拘束してかつ総攻撃もせずに封鎖を”圧力”と自分は見てますね

推測に基づいた”解釈”で、史料に書かれていることでは無かったわけね。
ならば断定的な書き方は避けるべきだし、その推測の根拠を最初から書くべきでしょ。

内容について言うと、この推測に基づいた”解釈”は当たってない。
というのは陳リンは小西と一旦和議を結んでいる。
もし陳リンが日本の救援艦隊が来航し、これを撃破することを狙っていたなら
和議など結ばす交戦姿勢を示し続けていなければならない。
総攻撃しなかったのも、以前の順天城攻略作戦で陸軍と共同で総攻撃したものの損害を出すだけで
敗退した経緯がある訳で、同じことを繰り返したところで同じ轍を踏むだけだったからでしょ。

結局、明・朝鮮水軍が小西の帰国阻止するために光陽湾を封鎖したことと
日本艦隊が出撃してきたため露梁で迎撃したこと以外は史料に示されていないってことだね。
493人間七七四年:2011/03/17(木) 09:07:08.62 ID:gAWjYQ8j
責任回避のために地の利を生かして圧倒的有利な状況で挑んだら力ずくでドローゲームに持ち込まれました
しかも包囲してた敵には逃げられた


結果みたらそう言う状況だよなこれ
494人間七七四年:2011/03/27(日) 01:01:58.08 ID:5rMlMjAH
「別の敵が来て」力ずくでドローゲームに持ち込まれました
だな
あと圧倒的とまで言えるかは知らん
495人間七七四年:2011/03/29(火) 23:40:13.36 ID:hKeiY2E5
目的は明の制圧だから当事者だろ
496人間七七四年:2011/03/29(火) 23:42:14.38 ID:hKeiY2E5
いえ、なんでもないです
497人間七七四年:2011/04/16(土) 23:00:41.02 ID:sPpD6Tel
文禄・慶長の役(壬辰倭乱)

日本・・・韓国が日本に併合されてから文禄・慶長の役という名称が一般に普及したのは事実だが、
最近は「朝鮮侵略」という名称も一般化していて韓国側の批判はあたらない。

韓国・・・国内問題のような名称を使っており、「豊臣政権が朝鮮に出兵した」など日本の侵略性が意図的に隠蔽されている日本の教科書がある。
こういう国粋主義的な表現は、昨今の日本の右傾化を助長させている。平和的な韓日関係の阻害である。

498人間七七四年:2011/04/16(土) 23:39:14.31 ID:za9YcmM+
どうでもいい


韓国なんて
499人間七七四年:2011/04/24(日) 22:09:03.29 ID:btwQGYHz
>>497
>韓国・・・国内問題のような名称を使っており

これって文禄・慶長の役のこと?
500人間七七四年:2011/04/25(月) 10:07:31.82 ID:tQVCLXXs
倭乱のことかぁー
501人間七七四年:2011/04/25(月) 22:49:00.05 ID:SCoX22HU
いっそ東アジア大戦争という呼称で統一しようぜ
502人間七七四年:2011/04/25(月) 23:31:55.44 ID:hpSClZmn
第五次(推定)日中戦争ではどうか
503人間七七四年:2011/04/29(金) 18:43:54.20 ID:mH6SIdH8
朝鮮半島で戦われた日明戦争という他ないわけだが。
504人間七七四年:2011/04/29(金) 19:46:10.30 ID:FkZ1stK0
朝鮮も少しは頑張ってるのに!!
とか思ったけど所詮は属国だから日明戦争で良いね
505人間七七四年:2011/04/29(金) 21:10:42.22 ID:tAjtG/BB
日明戦争の勝者は?
506人間七七四年:2011/04/30(土) 01:21:19.27 ID:Nh4dE9jC
日本→大陸進出失敗。政権転覆。
明→疲弊して女真に潰される。
朝鮮→貧しい国土が更に荒廃。
勝者はいない。
507人間七七四年:2011/04/30(土) 02:32:03.80 ID:cpVpJCPt
>>506
まぁ、三国の中では、その後300年政権を維持した李氏朝鮮は勝者、といっていいんじゃね。

もっとも、文化・経済とも停滞っつーか退行してるけどさ。
508人間七七四年:2011/05/08(日) 16:41:40.51 ID:SXJZ64zi
>>507
昔よく左翼人士が得意に「秀吉の蛮行のせいで明治時代まで朝鮮は立ち直れなった」
って馬鹿なこといってるが、50年100年ならまだ解るが
300年も衰退しっぱなしってそりゃ秀吉が原因じゃなく李氏朝鮮自体の無能が原因。

509人間七七四年:2011/05/09(月) 09:17:03.29 ID:XaUTt0AH
文禄の役での朝鮮の位置付けは「仮道入明」
すなわち明国までの通り道だろ。
1592年4月から1593年1月の明軍の本格介入まで
朝鮮でなにをしてたの?(笑)
朝鮮義兵が山や山城に立て篭もっただけの脅威
にもならない存在ならさっさと秀吉も渡海して
30万の大軍で明国へ攻め込めばよかったじゃん(笑)
510人間七七四年:2011/05/09(月) 14:44:30.86 ID:dRuqKjTy
>>509
大都会肥前名護屋で大消費しまくりのお祭り騒ぎを楽しんでた。
511人間七七四年:2011/05/12(木) 00:04:29.75 ID:H+KZKCtI
【対馬問題】 李承晩元大統領「対馬を返還せよ」日本に数十回要求〜米国で見つかったその根拠とは★3[05/10]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1305111471/l50

翌年の1949年1月8日、年頭記者会見でイ大統領はもう一度対馬返還問題を強力に提起する。
イ大統領は会見で「対日賠償問題は壬辰倭乱の時から起算しなければならない」として「対馬は
別個に扱わなければならないだろう」と発言した。彼は続けて「対馬が私たちの島ということは今
更言うまでもなく350年前、日本人たちがその島に侵入し、島民たちは民兵として日本人と戦った」
として「その歴史的証拠は島民たちがこれを記念するために対馬のあちこちに建設した石碑を日
本人たちが東京博物館に持って行って置いたことでも充分に知ることが出来るだろう」と説明した。

イ大統領は「この石碑も見てくるつもりだ。1870年代に対馬を不法に飲み込んだ日本はポツダム
宣言で不法に所有した領土を返還するといったので、私たちに戻さなければならない」と付け加え
た。これだけではなかった。

イ大統領はこの年12月31日、大統領年末記者会見で繰り返し「対馬は私たちの失地を回復する
ことだ。対馬問題は対日強化会の席上で解決できるし、日本人がいくら主張しても歴史は覆らな
いだろう」と強力に対馬領有権を主張した。

ソース:ニューデイリー(韓国語) イ・スンマン"対馬返還しなさい"日本に数十回要求
http://www.newdaily.co.kr/news/article.html?no=78393
512人間七七四年:2011/05/12(木) 00:05:35.51 ID:qXxfe5k5
【対馬問題】 日本に対馬返還を要求しよう〜歴史的に明らかな大韓民国領土、対馬[05/11]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1305115995/l50

さらに1592年、豊臣秀吉が朝鮮侵略のために作った八道全図は対馬を朝鮮領土と表示して、攻
撃対象に指摘した。これと共に日本歴史書物の塵袋と対馬歴史書物の「對州編年略」にも対馬が
朝鮮の土地という記録がある。ただし朝鮮が開花期と日帝強制占領期間を経て関心を示した時、
列強と手を握った日帝が1877年、対馬を長崎県に編入させたのだ。

1950年に入って3年で対馬が日本の土地という根拠を完成した日本の歴史歪曲能力は卓越して
いる。私たちもこれに対抗して歴史的に大韓民国領土という明らかな根拠を用意し、日本に対馬
を返還することを堂々と要求しなければならない。もう独島と対馬そのどちらの土地の一部も日本
に出してやることはできない。

ノ・ジンファン(安龍福財団理事長)
http://www.imaeil.com/news_img/2011/column/20110510_114034000.jpg
ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [寄稿]対馬返還を要求しよう
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=24019&yy=2011
513人間七七四年:2011/05/15(日) 01:13:32.36 ID:Ue1b3xJH
>>509
むしろ1年も経たないうちに国境付近まで侵攻できたことに驚くべき
一国攻め落すのに通常何年かかると思ってるんだ?
514人間七七四年:2011/05/15(日) 10:37:55.33 ID:0Ar0I+mz
そりゃろくに軍備もない所にいきなり襲いかかれば誰でもそうなるわな
韓国側が少し体勢立て直したらとたんに息詰まり押し返され始めたのが何よりもの証拠
しかも韓国側は訓練もされていない急造の部隊だった
515人間七七四年:2011/05/15(日) 12:59:12.23 ID:XacRXnkS
>>514
韓国? まーた時空が混乱してるのかw

しかも、亡国から救われたのは全部天朝様、天兵様のおかげだろ。
当時の朝鮮人は「再造之恩」と宗主国様に感謝感激雨霰だな。
516人間七七四年:2011/05/15(日) 13:20:15.15 ID:uirJF2AK
天朝様が略奪魔王だったけどなw
517人間七七四年:2011/05/15(日) 13:21:43.53 ID:X05f6L6F
日本軍が明の増援を警戒して拡大しすぎた戦線を整理した事は確定事項なのに、朝鮮軍が押し戻したというとかいう奴は初めて見たなwww
しかも李氏朝鮮を韓国ってどんだけ無知なんだよw
李氏朝鮮がそんな歴史の浅い名前で呼ぶなって怒るぞw
518人間七七四年:2011/05/15(日) 15:15:37.48 ID:0Ar0I+mz
アホか
韓民族の国なんだから韓国なんだよ
だったら

>拡大した戦線を整理した
一般的にこれを敗退と言う
倭軍が勝っただの強いだの言ってるのは捏造史を真に受けてるバカウヨぐらいだろ
水軍と義兵によって倭軍が連敗を続けた事は韓国では子供でも知っている
519人間七七四年:2011/05/15(日) 15:25:26.10 ID:XacRXnkS
>水軍と義兵によって倭軍が連敗を続けた事は韓国では子供でも知っている

捏造教育による国民総馬鹿自慢してどうするw
520人間七七四年:2011/05/15(日) 16:47:32.48 ID:IANyHntI
戦術的敗北はほとんど無いのに戦略的敗北してくんだよなー
それ以前の問題で国を滅ぼしかねなかった朝鮮には言われたくないが
521人間七七四年:2011/05/15(日) 17:37:24.34 ID:Ue1b3xJH
>>518
ほとんどの戦いで朝鮮軍は一方的に殲滅されてるわけだがw
義兵も李舜臣も結局は戦局を左右するような打撃を日本軍に与えていない
とりあえず祖国を救ってくれた明朝に土下座して感謝しとけ
522人間七七四年:2011/05/15(日) 18:32:57.34 ID:B2w5ShW1
かんこくwwwwwwwwww
じだいかんがえろwwwwwwwww
523人間七七四年:2011/05/15(日) 18:37:02.72 ID:X05f6L6F
南半分が北朝鮮への対抗意識だけで自称始めただけだから韓民族の歴史は数十年ということでwww

漢民族とかぶるから南朝鮮人以外じゃ誰もそう呼ばないけどな
524人間七七四年:2011/05/16(月) 11:12:36.13 ID:chy/EIP1
歴史の浅い国の名称を使い祖先を侮辱するかんこく
日本にはそんな真似畏れ多くてとてもとてもw
525人間七七四年:2011/05/16(月) 18:06:51.87 ID:SCxKvLMc
というか韓だと南半分しか領有の正当性がない名前なんだがいいのか?w
国名つけるときに大朝鮮民国にでもにしとけば後からおかしなことにならなかったのに


大が付くのがおかしいというのは置いといて
526人間七七四年:2011/05/16(月) 23:31:57.97 ID:WGIN9Hrb
じゃあ犬にしようぜ
527人間七七四年:2011/05/17(火) 09:16:05.05 ID:EnxEjtAA
>>525
統一したら改名するんだろw 何十年後か知らんけど
528人間七七四年:2011/05/17(火) 11:31:45.10 ID:m4JkOmSB
朝鮮国が出来たのは列島民がまだ野猿だった頃だからね
韓半島は歴史の厚みがちがう
529人間七七四年:2011/05/18(水) 10:06:12.55 ID:YdaQeOtW
前方後円墳の普及年代をみると有史以前から日本の勢力下だったようだが…
530人間七七四年:2011/05/18(水) 10:50:18.08 ID:t40lPFpo
まあ、スレででてきたかわ分からんけど
豚鈍賊は実際愚将だったらしいな    名前は豚 鈍 賊 これを逆にしてね



3回の攻撃→各攻撃とも総勢4000隻以上の船舶を一部しか打撃あたえられず、決定的な打撃はあたえられない、ドクトリン的には一切打撃なし
死に際っぷりは嘘、実際はkwskはしらんけど、船舶ごと沈んでる。トラファルガーぱくりやがって妄想(トラファルガーパクリやったのは日本海軍ではwともいわれる)
安宅船をぱくって亀甲 船作る
しかし、戦闘行動では、最初から最後までまったく打撃あたえられない、損耗が毎回3パーセントとかくらいまでしかあたえられない

陸では、日本は戦力の8〜9割が温存しまくって、2万くらいの島津、立花に敗退しまくる
いくら島津、立花、隼人が猛将といっても全戦力の数パーセントくらいである、島津、立花に敗退しまくるとかないだろう


日本だとろくに語られないくらいたいした戦争じゃないな
531人間七七四年:2011/05/18(水) 10:56:01.17 ID:t40lPFpo
ついでに文禄・慶長の役、前提状況がどうかとおもった。誰か編集しろよ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9


対馬住民が大量虐殺されて侵略されまくったんだろうが、対馬住民が漁船使って焼きまくらなかったら、とっくに虐殺されて全滅してたは
たとえばせいしゅう島なんか、自衛行動しなかったから、5〜15世紀で先住民ほぼ虐殺されて死にまくったんだよな。


そして、戦後として
日本はチョンテロリストに虐殺される事へった。チョンがびびりまくった。
清、ヌルハチですら恐れて、明が拒否していた経済活動ができるようになった。
清がびびりまくって、安全保障上やくにたった。

だよな。
また、前提条件に、14世紀に
日本攻撃するぞ、と恫喝
も書いておくべきだ



532人間七七四年:2011/05/30(月) 21:33:56.50 ID:lQ/KDfEA
【韓国】慶尚南道晋州市が開催 倭将の人形を抱いて投身…「自殺体験か、殉国体験か」 物議[05/30]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1306724582/l50


>論介(ノンゲ)が倭将を抱きしめて川に飛び込む

そもそも、これって捏造話でしょ。
533人間七七四年:2011/06/02(木) 17:41:46.96 ID:aSlpijhU
            , '´  ̄ ̄ ` 、
          i r-ー-┬-‐、i
           | |,,_   _,{|
          N| "゚'` {"゚`lリ
             ト.i   ,__''_  !
          /i/ l\ ー .イ|、
    ,.、-  ̄/  | l   ̄ / | |` ┬-、
    /  ヽ. /    ト-` 、ノ- |  l  l  ヽ.
  /    ∨     l   |!  |   `> |  i
  /     |`二^>  l.  |  | <__,|  |
_|      |.|-<    \ i / ,イ____!/ \
  .|     {.|  ` - 、 ,.---ァ^! |    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
__{   ___|└―ー/  ̄´ |ヽ |___ノ____________|
  }/ -= ヽ__ - 'ヽ   -‐ ,r'゙   l                  |
__f゙// ̄ ̄     _ -'     |_____ ,. -  ̄ \____|
  | |  -  ̄   /   |     _ | ̄ ̄ ̄ ̄ /       \  ̄|
___`\ __ /    _l - ̄  l___ /   , /     ヽi___.|
 ̄ ̄ ̄    |    _ 二 =〒  ̄  } ̄ /     l |      ! ̄ ̄|
_______l       -ヾ ̄  l/         l|       |___|
534人間七七四年:2011/06/03(金) 20:48:55.85 ID:MP8r0gPQ
ノンケで無いAAほ出してどうしなさいと
535人間七七四年:2011/06/04(土) 18:05:29.49 ID:VMnvkTr2
ノンゲでも食っちまう男だぜ
536人間七七四年:2011/06/17(金) 13:38:00.65 ID:FpQIpQfn
537人間七七四年:2011/06/17(金) 21:33:23.76 ID:Pwdl0flw
韓国って小さいのになんで「大韓民国」とか名乗ってんの?
大日本帝国のパクりだから?
538人間七七四年:2011/06/18(土) 00:01:40.10 ID:sxeLE48y
大日本帝国から「大韓帝国」をもらって独立してたからその名前を継承して「大韓民国」にしたってだけじゃね?
539人間七七四年:2011/06/18(土) 00:19:21.80 ID:qIowUeA/
でも国際的な認知は、”高麗民国”そして通称”南高麗”で
”大”は跡形もないけどな〜

それにしても、今どき国名に”大”とか自称でつけてんのは
南朝鮮だけじゃね? ハズカシー
540人間七七四年:2011/06/18(土) 06:01:50.99 ID:JOh4NkbW
>>537
なにいってだこいつ
日本もアメリカや中国から見れば小さいやん
541人間七七四年:2011/06/18(土) 12:37:36.80 ID:NaY6dfh2
ウィキの碧蹄館の戦いのページおかしくね?
なんで明軍の兵力が一万人になってるんだ?
542人間七七四年:2011/06/18(土) 16:22:38.11 ID:yW9XicRZ
実際は5万程だっけ?10万か?
543人間七七四年:2011/06/18(土) 17:58:05.96 ID:eb/yztdr
>>540
その論法だと大英帝國は小英帝國と名乗るハメになるが・・・
544人間七七四年:2011/06/18(土) 19:57:45.75 ID:82luN8+/
日本は大国だし強国でもあるから大を名乗る資格はある
国土国力卑小にして歴史も浅い韓国は何をもって大の字を使っているのか
単に国号に大をつける東アジアの伝統に従っただけか
545人間七七四年:2011/06/18(土) 22:15:01.65 ID:sxeLE48y
大韓帝国(日本命名)→<韓国が望み併合>→<敗戦後国連監視下>→大韓民国の流れっしょ
皇帝が大統領制になったから帝国が民国になっただけっしょ
546人間七七四年:2011/06/19(日) 00:45:17.51 ID:aC82Avc1
>>542
残念ながらはっきりした兵力はどの記録にも残っていない。
徳富蘇峰は「近世日本国民史」の中で「天野源右衛門覚書」「吉見家朝鮮陣日記」「毛利家記」
「懲ヒ録」「明史」「両朝平攘録」など日中韓三国の数々の資料に触れた上で、
明軍の兵力を二万内外と推定している

また「壬辰戦乱史」の著者である李烱錫も、
(明側の記録にあるように)明軍が僅か数千の軍勢で四万の日本軍と渡り合ったのは考えにくいとし、
明軍の投入兵力をやはり二万前後と推定している。
547人間七七四年:2011/06/19(日) 01:45:13.22 ID:aC82Avc1
お、ウィキの碧蹄館のページ、明軍の兵力が二万に戻ったぞ
もしかして>>546を見て変えたのか?
548人間七七四年:2011/06/24(金) 20:59:32.01 ID:sCOIczgE
世界史板の朝鮮征伐スレで、
物凄いのが暴れているなw
549人間七七四年:2011/06/24(金) 22:03:26.00 ID:f6FFQt29
豊臣秀吉の朝鮮征伐が成功してたら日本と韓国はどうなってたの?
http://hatsukari.2ch.net/test/read.cgi/news/1308916865/
550人間七七四年:2011/06/24(金) 23:39:04.37 ID:hhdRGCE2
>>548
あれは我が目を疑ってしまったw
世の中にはやっぱりキチガイがいるんだなw
551ひでーよし:2011/06/27(月) 08:38:06.96 ID:CTcltCec
井上泰至・金時徳「秀吉の対外戦争」(笠間書院)は、対談が目から鱗。
552人間七七四年:2011/06/28(火) 00:15:16.51 ID:/6f6qAOX
>>551
kwsk
553人間七七四年:2011/06/30(木) 09:34:34.76 ID:auPsJUuF
赤国(全羅道)不残悉一篇ニ成敗申付、青国(忠清道)其外之儀者、
可成程可相動事。『慶長二年二月二十一日付朱印状』
慶長の役の開戦前に立花家に与えた秀吉の命令書には全羅道の民衆を
皆殺しにしろとの命令がある。
これを現在の歴史学者達は文禄の役において全羅道の義兵闘争により
秀吉の戦略が瓦解したことに対する復讐だったと主張している。
554人間七七四年:2011/06/30(木) 14:16:54.74 ID:7jE7QeZ6
復讐の意味もあるけど
たんに感情的な復讐としか理解しないなら、それはバカ
555人間七七四年:2011/06/30(木) 14:35:00.06 ID:DYvp7M9t
一揆を見せしめに撫で斬りするのは以前から織豊の常套手段だろうに
556人間七七四年:2011/06/30(木) 15:45:47.62 ID:auPsJUuF
>>554
バカ?!
お前、なに生意気な口聞いてるんだ。(ビシ)
当時の李氏朝鮮の人口は5百万人以上いたんだ。
全国8道として一道平均63万人以上
その面積の大きさや南部にあることを考えると
全羅道だけで百万人前後はいただろう。
その全羅道の皆殺し命令がいかに異常かわかろう。
戦略的に考えても懐柔策をとる方が普通だ。
557人間七七四年:2011/06/30(木) 17:00:46.36 ID:+/DpNo/s
秀吉の朝鮮に対する認識は九州より小さい対馬か琉球程度と思ってたからだと思われ
558人間七七四年:2011/06/30(木) 17:18:33.14 ID:auPsJUuF
兵士が両軍合わせて20万くらいしか死んでないのに対し、民間人
(ほぼ朝鮮人)は全羅道・慶尚道を中心に一説によれば200万ちかく
が死亡しました
これはすさまじい数です。
正直きしめんもこの事実を知った時には戦慄しました。
ちなみに、そのように言える根拠は朝鮮の戸籍です。
戦国の世で荒れ放題の日本と違い、中国式の中央集権的な律令国家の
側面をもつ朝鮮では、戸籍によって人民が国に把握されていました。
その戸籍によると、戦前1030万近くいた人口は
戦後の調査では750万人近くにまで減っています。
http://apg.blog3.fc2.com/blog-entry-210.html
559人間七七四年:2011/06/30(木) 17:19:58.01 ID:RlYSHXZg
対馬か琉球程度の相手に十数万の軍を送る秀吉はチョー慎重居士だったわけだな。w
560人間七七四年:2011/06/30(木) 17:22:50.87 ID:+/DpNo/s
出兵は朝鮮が目的ではなかったし
561人間七七四年:2011/06/30(木) 17:24:01.41 ID:RlYSHXZg
>>558
>全羅道・慶尚道を中心に一説によれば200万ちかく
>が死亡しました

秀吉の根切り指令が完璧に実行された訳だな.。w

それでも、在住人口以上を虐殺した南京大虐殺には
まだ及ばないな。
562人間七七四年:2011/06/30(木) 18:00:31.78 ID:Gicmn8VX
>>557
対馬以下じゃねーか?
驚くべき事に朝鮮は対馬に負けたし

どうやれば負けられるのか理解に苦しむ
563人間七七四年:2011/06/30(木) 20:56:40.86 ID:gpyKog5k
朝鮮は通り道
564人間七七四年:2011/07/01(金) 09:05:20.78 ID:Uk//V9q5
>>558
ひでえ捏造だな
565人間七七四年:2011/07/01(金) 09:35:42.13 ID:NGdsrAZ6
>>554 ←こいつが生意気な口を利くので変な方向へ
話が進んだが、今回は、文禄の役に朝鮮全土で興った
義兵闘争の成果について説明したい。
朝鮮南部おいて日本軍相手に挙兵した義兵闘争の内、
日本軍の侵攻も再三撃退した全羅道の義兵闘争は大いに成功した。
ゲリラ戦なんだから日本軍が苦戦するのは当たり前だと考える向きが
あるが、それは鉄砲が普及した近世以降の話だ。
弓矢は素人には敷居の高い飛び道具だし、弩弓は籠城戦や暗殺用
実戦経験もなく軍事訓練も受けたことのない農民が使えるのは
石礫くらいだ。
それで日本軍を再三撃退し、慶長の役開戦前、太閤秀吉をして
赤国(全羅道)不残悉一篇ニ成敗申付と命令されたとこは朝鮮民兵
の面目やいかんせん。
566人間七七四年:2011/07/01(金) 11:21:51.00 ID:T7ygIssd
一部は明朝鮮軍をも襲ったけどな
567人間七七四年:2011/07/11(月) 19:10:57.47 ID:a+iSm9do
日本水軍<朝鮮水軍 なんか?
568人間七七四年:2011/07/11(月) 19:37:24.95 ID:v+v6Rvcl
日本水軍>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>朝鮮水軍
569人間七七四年:2011/07/12(火) 13:19:42.64 ID:9N3uT6gh
日本水軍が分が悪かったのは事実でしょ。日本水軍だけで朝鮮水軍に対抗できない
からこそ陸からの援護があったわけだし。
ただし、朝鮮水軍が日本の陸部隊が加われば、全く勝てなくなったのは事実だけど。
570人間七七四年:2011/07/12(火) 13:53:37.00 ID:ZrTGcuTf
>>569
実際の水軍同士の損失比で言えば朝鮮水軍の方がよほど分が悪かろう。

文禄緒戦で慶長道水軍ほぼ壊滅。
慶長緒戦で三道水軍ほぼ壊滅。

他方、日本水軍で被害甚大だったのは文禄の見乃梁での脇坂くらい。
安骨浦での九鬼、加藤はさしたる損害は受けてないと思われる。
韓国で大捷とされる鳴梁は実際には小競り合い。

結局のところ、朝鮮水軍優位ってのは、大方は文禄半ばの李舜臣による
沿岸移動中の水軍以外の日本側小部隊(当然大半が荷船)相手の
賊船ン百隻撞破焚滅!という水増し戦果によるものだろ。
571人間七七四年:2011/07/12(火) 18:04:44.19 ID:9N3uT6gh
どうなんだろうなぁ。全体で見ればそうかもしれんが、散々妨害されたのに
閑山島以降、5年近く日本側から朝鮮水軍に攻撃を仕掛けていないのはやはり
陸からの援護が見込めない水軍対水軍の出撃策を極度に嫌ったからじゃないか?

572人間七七四年:2011/07/12(火) 18:50:56.51 ID:sGbwddGH
チョンが逃げるからじゃね?
573人間七七四年:2011/07/12(火) 18:52:26.22 ID:H0PFxalb
休戦期だろ。
574人間七七四年:2011/07/12(火) 21:13:54.34 ID:ZrTGcuTf
>>571
>閑山島以降、5年近く日本側から朝鮮水軍に攻撃を仕掛けていないのはやはり

は?一体何を言ってるんだ。慶長では緒戦で元均水軍を殲滅して、その残存兵力を
まとめた李舜臣も西進する日本水軍が南岸から叩きだしてるだろ。その後、順天以東は
明水軍が出てくるまで朝鮮水軍を完全にシャットアウトしてるわけだが。
575人間七七四年:2011/07/13(水) 00:00:26.09 ID:4Lep0ahl
>>570
水増しもなにも水増ししたのは数百年後の南朝鮮人で
朝鮮水軍自体はそこまで水増ししてなくね?
576人間七七四年:2011/07/13(水) 03:22:12.71 ID:7VFLhBiX
>>575
んにゃ、李舜臣の戦果報告を積み上げると、ざっと数えても日本船を少なくとも
300隻以上は撞破焚滅したことになってるし。例えばしっぽを巻いて逃げ出した
釜山だけでも百隻撞破と主張してるから。

仮にこれが水増しではなく実数ならば、李舜臣は伝馬船のような端船も勘定してるか、
さもなくば本当に日本側の補給線を遮断したということに成っちゃうな(笑)。

ま、南朝鮮はさらにそれに数倍して水増ししてるのは確かだけど。
577人間七七四年:2011/07/13(水) 09:25:58.10 ID:+SVzcc75
古今東西、戦果確認は難しいものがありますし
士気向上の為に過大に見積もった可能性はあるね
578人間七七四年:2011/07/13(水) 19:04:08.12 ID:OOwLI2zI
戦果なんて古今東西水増されてるのが普通で
本来、自称の戦果記録より、もう一方の損害記録を重視するのが戦史の常識

ところが韓国では李舜臣の戦果について全て自称戦果を採用してるし
日本でもウリナラマンセーの大戦果がそのまま垂れ流しになってるのが現状
579人間七七四年:2011/07/14(木) 00:44:55.70 ID:sYA/GOcO
>>578
その辺、こと朝鮮役に関しては日本側の公式記録である
豊臣家の文書が丸焼けになったのは痛いよなぁ。
580人間七七四年:2011/07/14(木) 00:52:48.80 ID:YVrOUz4H
公式記録って当てになるのか?
なにしろ武将→大名→豊臣、と間接報告の間接報告だし・・・
581人間七七四年:2011/07/14(木) 01:20:15.50 ID:pitDV4c0
ある程度は妥協しないと、史料批判は必須だけど
全部信用出来んと言い出したら文献史学の前提が破綻する
582人間七七四年:2011/07/14(木) 03:08:00.50 ID:sYA/GOcO
>>580
>>581氏の言う史料批判以前の問題として、朝鮮役については日本側の相対するものがないので、
現状では>>578氏の言うとおり、朝鮮側の公式(朝鮮王朝実録)とか準公式(李忠武公全書みたいの)が
そのまま史実としてまかり通ってるってことだよ。
583人間七七四年:2011/07/14(木) 11:27:05.58 ID:R/XGHchM
秀吉が死んで、2年後に関ヶ原が起こる訳だが、
西軍、東軍、共に、疲弊している様子がない。
といことは、朝鮮出兵で、
ほとんど日本軍はひが被害がなかったということか?
584人間七七四年:2011/07/14(木) 11:44:46.53 ID:pJ77q0Va
>>583
むしろパワーアップしてるとしか思えない。
585人間七七四年:2011/07/14(木) 12:01:41.59 ID:35WWOMqq
織田信長に一国撫で切りにされた越前とか、その後国力が落ちたようには見えないしな。
後のナポレオン時代のフランスもそうだが、経済成長人口増大期でいくらでも補充が効いたんだろ。
586人間七七四年:2011/07/14(木) 23:05:13.92 ID:13LJfwiw
朝鮮の役で拡大化した軍が軍縮されずにそのまま残ってたからじゃないの?
587人間七七四年:2011/07/14(木) 23:17:08.53 ID:RAy4EvbV
そのぶん関が原の後の反動が凄そうw
588人間七七四年:2011/07/15(金) 00:12:28.33 ID:kXK/heo8
朝鮮の役で特別拡大してはいないし
関が原後に反動もない
589人間七七四年:2011/07/15(金) 00:24:46.53 ID:DgOMuHPc
大阪の役で、浪人だけで正規軍超える規模の人数あつまったじゃない?
関が原後のリストラはすごかったように見えるけど
590人間七七四年:2011/07/15(金) 00:33:55.16 ID:kXK/heo8
大阪の役の浪人は、ほとんど取り潰された大名の武士たちだよ
591人間七七四年:2011/07/15(金) 00:38:10.57 ID:kXK/heo8
そもそも関ヶ原後、平和な時代になったわけではなく
緊張の時代だった。
その証拠に現在残る城郭のほとんどは関ヶ原後に作られたもの
592人間七七四年:2011/07/15(金) 01:53:03.38 ID:2FV9bdt1
朝鮮に在陣した武将達は支配地域の朝鮮人をうまく統治できてたんだろうか。
出征した諸将は多少なりとも異民族統治の経験を積めたはずだが。
593人間七七四年:2011/07/15(金) 09:26:31.99 ID:P/Yl3HFk
名護屋城下がむちゃくちゃ栄えて
毎日が退屈しなかったって言うくらい活況だったって話だから
東から来た田舎者は抵抗感あるかも知れないが
瀬戸内海貿易やってたやつらにとっては半島なんて遠くはないし
中国の庶民が使ってた茶器ですらも
日本では名物になってたりするし
茶道の隆盛ぶりから陶工の技術がむちゃくちゃ欲しがってただろうし
朝鮮出兵はぶっちゃけ深刻なもんでも無いよな。
陶工の技術と言えば鍋島の伊万里焼なんか有名だけど
萩焼なんかも陶工の技術者を毛利が引っ張ってきたんかな〜。
島津も陶工を連れてきたんかな何焼?
豊臣武断派はもともと西国出身じゃないから陶工の価値が認識できず連れて来なかったんかね?
熊本藩になった細川あたりは連れてきてそうだが熊本って〜焼ってあったっけ?
594人間七七四年:2011/07/15(金) 12:51:09.52 ID:8pOVAKOn
とりあえず県北部にある荒尾とか南関に小代焼がある。
焼かせたのは加藤清正とも、細川忠利とも言われるが、どちらにしても朝鮮出兵以降だね。
まあ、熊本市内には清正が蔚山に陣取ったからとも、蔚山から連れて帰った人を住ませたからとも言われる蔚山町って地名があったりw
そしてその縁か、熊本市と蔚山市は姉妹都市w
595人間七七四年:2011/07/17(日) 10:28:56.71 ID:39kboqp6
なにげに松浦氏なんかも朝鮮出兵略奪で儲かってそう。
596人間七七四年:2011/07/17(日) 11:41:54.24 ID:Lw7gVm/Z
島津は薩摩焼
鍋島は有田焼
毛利は萩焼
松浦は平戸焼
寺沢は唐津焼
これらは藩の輸出特産品として
製造方法は軍事機密とされ
高額取引される商品になってる。

597人間七七四年:2011/07/17(日) 11:53:28.57 ID:baPoCWCb
軍事機密ってことは、軍事的にどういう利用をされたんでしょう?
598人間七七四年:2011/07/17(日) 12:01:33.11 ID:G51kriUs
磁器の生産技術を日本で持っていたのは18世紀まで鍋島藩と松浦藩だけ
伊万里港で纏めて荷詰めしていたから松浦の平戸焼(三川内焼)も伊万里焼の範疇に入れる時がある
599人間七七四年:2011/07/17(日) 12:31:52.91 ID:BFOR4bPY
陶磁器だけ見たら平和そうだけど、それを生産する窯炉は軍事転用可能な代物だからね
武器の生産能力にも直結する核心技術だから秘匿するのが常
600人間七七四年:2011/07/17(日) 13:26:10.91 ID:xW9Bj6Vg
窯炉をどう転用するんだろう

金属を溶解する炉とは異なるし
601人間七七四年:2011/07/17(日) 13:44:37.69 ID:39kboqp6
独占的に製造し他家に技術流出されないための戦略的輸出商品だろ。
602人間七七四年:2011/07/17(日) 13:47:58.34 ID:BFOR4bPY
物質を高温度に加熱するための装置の総称を窯炉で厳密な区分は日本にない
区別しだしたのは八幡製鉄所が出来た後の話
603人間七七四年:2011/07/17(日) 14:47:33.58 ID:WWwuZeqs
秀吉があと1年生きてたら獲ってたかもしれん
その後の歴史にとってはマイナスだったと思うけど
604人間七七四年:2011/07/17(日) 16:02:53.79 ID:xW9Bj6Vg
>>602
甑(キューポラ)は?
605人間七七四年:2011/07/17(日) 16:28:51.29 ID:Cm8zJX03
>>558
朝鮮に戦前1千万も人口居る訳ないだろ戦後の750万すら多過ぎ。

朝鮮の人口は江戸末期〜明治後半の時代で7〜800万程度で安定推移
これも後年広まった芋類の普及で人口が激増してる筈なので
(中国(清)も日本(江戸幕府)も1600〜1800年の間に芋類の普及で人口が倍増してる)
平和な時代に、芋類の普及してない朝鮮の地で、朝鮮の農耕技術で養える人口は精々400万程度
その多数が南部四道に集まってたと思うけど。
606人間七七四年:2011/07/17(日) 17:07:41.10 ID:Lw7gVm/Z
>>603
現在の日本の領域よりはデカイ固有領土を持ってた可能性が高い。
それどころかスペインやポルトガルを東アジア貿易から完全追放して
資源争奪戦争に参入し、イスラムの知識も貪欲に輸入し
産業革命への道を日本が切り開いていたかも知れない。
607人間七七四年:2011/07/17(日) 17:36:57.02 ID:Cm8zJX03
>>605に補足
当時の秀吉達が朝鮮は蜜の集まる約束の地みたいなのりで
1100万石の石高を要すると喧伝してたんだね。
で、勘違いした加藤や福島が朝鮮に言って絶望したってオチか

608人間七七四年:2011/07/17(日) 18:21:09.82 ID:EO/PALmq
中国人と朝鮮人を取り込むと日本人の足引っ張って自滅してたとおもうが
明治後でさえ国から選ばれたレベルの朝鮮留学生が学校の金盗んだりして大変だったのに
福沢諭吉はこれで朝鮮見放したというが
609人間七七四年:2011/07/17(日) 18:54:04.37 ID:Lw7gVm/Z
>>608
日本人は憐憫の情があるから統治が甘くなるだけ。
中国人や欧米人の支配のやり方を早い時期に学んでおくべきだった。
体で覚えさせる調教と奴隷を商品と意識する。
完全差別階層社会と大量殺戮。
異民族なんて狩りの対象として見るくらいドライ。
明治になってから学び始めたが
江戸時代を通じた儒教道徳の知識がアジア人同胞意識となり邪魔になった。
610人間七七四年:2011/07/18(月) 10:31:11.84 ID:247PXhTP
腐れ左翼日教組やチョンがまた活動してるようだな…
611人間七七四年:2011/07/18(月) 16:32:23.11 ID:rmdpFnY7
途上国や小国に対する韓国の態度を見てると
言っちゃなんだが、明治期からいままで
韓国を差別する側で良かったと心から思う

612人間七七四年:2011/07/18(月) 19:29:22.19 ID:B0XW34T6
朝鮮の調教の仕方は永久属国にしていた中国式を使うべきだった。
帝国は日本人と同化させようなどと理想を掲げて日本人と同格扱いしようなどと優しすぎた。
613人間七七四年:2011/07/18(月) 23:16:41.04 ID:IVONw7xG
>>612
でもあいつら宗主国が落ち目になるとすぐ調子に乗るからなぁ

関わらないのが一番だな
614人間七七四年:2011/07/19(火) 00:27:52.91 ID:lot6Vr+h
いまの半島みたいにチョン同士を争わせる統治をするべきだった。
615人間七七四年:2011/07/28(木) 00:36:34.98 ID:tzfPyYHF
>>612
ある意味凄いと思う
明の首都か南京から北京に変わって朝鮮は近くになったのに
最後まで自国の版図に組み込まなかったってね
遥か遠方の貴州や雲南を植民開拓し、朝鮮より遥かにやっかいだったろう
万里以北の荒れ地を自国に組み込んだのに
616人間七七四年:2011/07/28(木) 01:45:37.62 ID:VuyJD7tq
韓民族は精強だからね
中国やモンゴルでさえ攻めきれなくて版図に組み込むことを断念した
617人間七七四年:2011/07/28(木) 02:04:44.35 ID:qm2I24LA
>>616
プッ 元はフツーに北部と済州島を直轄地にしてるだろ。

そして中国は、朝鮮は直接治めるには割の合わない
不毛の地だということを、漢四郡以来経験的に理解
してるからな。
618人間七七四年:2011/07/28(木) 09:12:12.39 ID:d1w8mN4t
チョンが精強とかww
619人間七七四年:2011/07/28(木) 11:31:12.91 ID:vq/La7bF
元のフビライも韓民族と講話を結んだ時は
唐の太宗でさえ勝てなかった万里なる国が元のもとに訪れたのは天の助けだと狂喜したぐらいだからね
一方倭は国土は貧しく人民は卑劣な辺境の孤島なので無用だと言われたのであったw
620人間七七四年:2011/07/28(木) 11:39:52.32 ID:/R58OcOF
戦わず、負けた高麗
621人間七七四年:2011/07/28(木) 12:45:20.74 ID:vEjI0ej+
韓民族は成怯なんだな
622人間七七四年:2011/07/28(木) 15:05:29.64 ID:qO5eSWUh
元からしたら、直接統治するより毎年美女数千人献上させるほうが楽だったんだろ。
623人間七七四年:2011/07/28(木) 17:32:24.98 ID:/R58OcOF
しかも、成形美女。
624人間七七四年:2011/07/28(木) 17:37:05.93 ID:g/Rfhz0h
土地は貧しくブサキモで不潔な倭猿なんて統治する価値もないもんな
625人間七七四年:2011/07/28(木) 18:33:09.04 ID:/R58OcOF
>623
それは半島
626人間七七四年:2011/07/28(木) 18:42:32.96 ID:d1w8mN4t
なんかチョンが一人湧いてるな
モンゴル帝国に屈服した誇らしい高麗の話は元寇スレでどうぞw
627人間七七四年:2011/07/28(木) 21:32:46.04 ID:jeOb9p/m
たった一回しか外国に狙われた事がない魅力溢れる列島w
628人間七七四年:2011/07/28(木) 21:35:22.87 ID:YUooU+nU
たった1回? 元寇と幕末と現代で3回じゃね?
629人間七七四年:2011/07/28(木) 22:14:35.58 ID:d1w8mN4t
しかし、外国から狙われた回数で国の魅力が決まるっていうのも凄い理論だなw
頭のネジが何本かぶっ飛んでるのか?w
630人間七七四年:2011/07/28(木) 22:25:23.97 ID:mJtdiEEF
>>628
は?幕末と現代?
また猿の妄想がはじまったか
631人間七七四年:2011/07/28(木) 22:37:46.53 ID:tzfPyYHF
しかし不思議だよね。朝鮮の周辺の全ての民族が朝鮮を属国、奴隷国にした経験があるんだけど
周辺国で朝鮮を冷遇しなかったのは日本だけだよね。

やっぱり日本人って倭人って言われるように太古の昔より
人に委ねる=人を信用するお人よしの民族だったんだなって
朝鮮人にも大事な事柄を委ねてしまうお人よし民族だったんだなって思う

632人間七七四年:2011/07/28(木) 23:53:52.78 ID:0O5ge0vT
>>631
つうか、世界で一番朝鮮人に甘い民族だよ日本人は。
高麗青磁や李朝白磁から民芸品まで高く評価してやってるのは日本人だし
(中国人は鼻もひっかけないよ、属国の文化なんて頭から馬鹿にしてるから)
キムチだのビビンバだの朝鮮料理を喜んで食べるのも世界の中で日本人だけだ。
言論界から文化人までこれだけ韓国に肩入れして韓国の宣伝マン引き受ける奴が多いのも
世界広しといえども日本だけだよ。
633人間七七四年:2011/07/28(木) 23:58:07.35 ID:YUooU+nU
>>632
どんだけ見る目ないんだよ日本人w
634人間七七四年:2011/07/29(金) 10:50:59.63 ID:8AKSBcs2
ビビンバは混ぜなければ普通に旨い
635人間七七四年:2011/07/29(金) 11:14:39.44 ID:vpwBV4Y2
>>631
どこの国も韓民族の伝統文化を重んじて立ち入る事はなかったが
倭人は韓民族の文化を破壊しつくし、優れたものは全て奪い
歴史まで自分達に都合いいようにねじまげた
ナチですらここまで凶悪な行為はしてない
これが冷遇じゃないとか列島の猿はキチガイだわ
636人間七七四年:2011/07/29(金) 12:12:43.52 ID:RkY/n9ck
2ちゃんでは釣り師で済まされてるけど
韓国では本当に国を挙げて>>635のように国民を洗脳していて
韓国人は本気で>>635が真実だと信じ込んでいるんだよな・・・
おまけにそれを世界中に広めようと呼ばれてもいないのに宣伝活動に必死・・・
日本人が反論しないもんだから外国人もそうなんだと思ってしまう。
ネットではホロン部乙とか笑ってられるけど、奴らの反日ネガティブキャンペーンは
現実には笑って放置していられるレベルじゃないんだな。
637人間七七四年:2011/07/29(金) 12:29:37.71 ID:n20xVFhz
日帝の酷い捏造をしておいてよく他の国を嘘つき呼ばわりできるよな
日本人が嘘ばかりつくのは海外で有名なんだよ
638人間七七四年:2011/07/29(金) 12:30:13.54 ID:4IDgXID4
>>635
半島文化って強姦と強盗しかないだろ 破壊されて無いじゃんw
639人間七七四年:2011/07/29(金) 12:34:42.09 ID:2sIu1P+N
言ってるそばから嘘をつくバカ猿
640人間七七四年:2011/07/29(金) 12:43:37.35 ID:hK4Pm9L+
確かに韓国人は「中国人のパンツを穿いた猿」と呼ばれてるよな。
641人間七七四年:2011/07/29(金) 14:01:42.67 ID:Y+E28TeY
韓国や米国から猿扱いされオーストリアでは猿と人間の混血だと言われているアワレな列島w
642人間七七四年:2011/07/29(金) 14:30:12.18 ID:a8tm0Nvd
チョンの単発遠吠えが何度も続くのを見ると夏と実感するなw
643人間七七四年:2011/07/29(金) 14:59:57.44 ID:ds/bY0xp
バナナやるから涙ふけよw
がんばって保護動物に指定されれば虐められないかならな?な?w
644人間七七四年:2011/07/29(金) 15:57:25.87 ID:5QwdjdOE
朝鮮の水準は太古の昔から東アジア最低やぞ
なんで日本、中国と同列に語ろうとするのか
645人間七七四年:2011/07/29(金) 16:23:12.86 ID:YA0gEpvz
その韓国から文明を与えつずけられた倭国は世界最低水準というわけか!
646人間七七四年:2011/07/29(金) 17:36:59.17 ID:F4T26K/f
古墳の作り方教えて欲しいっていうから教えてやったのに...
647人間七七四年:2011/07/29(金) 18:02:54.88 ID:eiHCW/H7
韓国人の墓(古墳)はあんなに大きいのに倭人は墓すら残ってないという悲しさ
648人間七七四年:2011/07/29(金) 19:03:10.58 ID:TW3/YEa1
仁徳天皇陵
649人間七七四年:2011/07/29(金) 20:17:07.64 ID:hK4Pm9L+
>>647
一度祖国に帰って実際に見てこいよ。百済・新羅の王陵より
全羅道にある前方後円墳の方がデカイから。w

もっとも、その前方後円墳も日本の基準からすれば
地方豪族クラスのごく小さいものだけどな。
650人間七七四年:2011/07/29(金) 20:35:54.27 ID:5j9pVXJx
日本のより新しい古墳が無くて埋めなおした古墳がどうかした?
651人間七七四年:2011/07/29(金) 23:12:08.19 ID:cQCRxXzr
>>649
アホかw
列島の古墳のこといってるんだよ
列島古墳は韓国人の墓だろうがw
652人間七七四年:2011/07/29(金) 23:18:49.39 ID:TW3/YEa1
神武は韓国からやってきた???
653人間七七四年:2011/07/29(金) 23:20:16.42 ID:1ibbNr5q
天皇が韓国人であることがバレるのを恐れて仁徳天皇陵の調査を拒否しつずけてるのは有名な話しだな
ちなみに盗掘された刀剣を調査した結果韓国製であることが確認されている
654人間七七四年:2011/07/29(金) 23:50:57.25 ID:a8tm0Nvd
ノルマン朝のイギリス王室はフランス人と言い張るくらいの曲解だなw
655人間七七四年:2011/07/29(金) 23:59:48.02 ID:F4T26K/f
天皇が、韓国人だろうとなんだろうと、
朝鮮征伐で朝鮮兵がほとんど戦いもせず逃げ惑ったのは事実。
656人間七七四年:2011/07/30(土) 00:30:41.61 ID:kPEow0oZ
最近は気持ち悪い奴が増えたな
657人間七七四年:2011/07/30(土) 00:38:45.33 ID:2KA9WVRQ
>>651
たかだか60年の歴史しかない韓国人がどうしたって?w
658人間七七四年:2011/07/30(土) 00:40:28.36 ID:2KA9WVRQ
>>653
韓国製の刀剣って、自動車の板バネ叩いて延ばしたアレのことかよ。ww
659人間七七四年:2011/07/30(土) 00:55:55.51 ID:dM26Suo1
>>653
天皇家はエジプトの古代王朝とかと違って現在も存続してるんだから
墓荒らしを断るのは当たり前だろw
何言ってんだこいつw
660人間七七四年:2011/07/30(土) 03:04:31.13 ID:9DoZyhE2
>>657
59年しか歴史がない日本がなんだって?w
661人間七七四年:2011/07/30(土) 03:17:34.33 ID:lrJrTJDY
井沢氏も宮内庁が「天皇陵」の学術的調査を認めない本当の理由として
天皇陵を発掘すると天皇家と朝鮮半島の関係が明らかになり
天皇家の祖先が朝鮮半島から渡来したことの証拠が出てくる恐れがあるからと言っているね
662人間七七四年:2011/07/30(土) 03:26:14.87 ID:Xim58At0
>>658
倭国の鉄製武器や道具は、その原料となる鉄のほとんどが朝鮮半島からの輸入品
昔から良いものは韓国産でした、残念w
663人間七七四年:2011/07/30(土) 03:30:14.42 ID:7wUkihh/
>>639
おうおう強姦と強盗だけじゃ不満か?
そういえば死姦と犬食いも韓国起源の文化だったな
鬼畜といえば韓国!捏造と言えば韓国!
この分野で日本は勝てないよ これで満足?

>>661
そんなもの隠してないし公に埼玉の神社行ってるのに何いってんのww
その話が本当なら井沢は馬鹿か情弱だな

>>662 論外
664人間七七四年:2011/07/30(土) 11:23:54.83 ID:2KA9WVRQ
>>662
ソコは、お約束で下らない=百済ないの語源説話をぶつべき処だろ。w

歴史的には李氏朝鮮末と戦後との高々数十年しか存在してない国でしかない
韓国、韓国と池沼じゃねーの?

鉄産地としての南朝鮮は5世紀くらいまでは確かに価値があったが、日本国内で
自給するようになると急速に存在価値を失って結局放棄されたわな。


>>663
井沢は所詮作家でしかないから、知識が浅薄で自分の想像と思いこみだけで
発言するから(逆説シリーズとか)、まぁ馬鹿だろうな。
665人間七七四年:2011/07/30(土) 11:54:01.48 ID:KiYKNcvI
上で言われてる井沢の説は二十年も昔に発表したものだけど、今ではどんな考えになってるんだろうな?
666人間七七四年:2011/07/30(土) 12:38:56.81 ID:Kjwzv3hi
アホな釣り師相手に暇だなお前ら
667人間七七四年:2011/07/30(土) 12:43:59.96 ID:WdmJnoxQ
ネトウヨて反論できないと釣りとかネタとかいって逃走するよね
668人間七七四年:2011/07/30(土) 14:31:52.60 ID:dM26Suo1
>>661
なんか「エリア51にはUFOとエイリアンの死体が隠されている!」
とかと同レベルの与太話だなw
669人間七七四年:2011/07/30(土) 15:54:12.90 ID:G5r/WUKc
>>668
じゃあなんで調査を拒否するの?
670人間七七四年:2011/07/30(土) 16:22:05.64 ID:siX+RGIO
西暦600年くらいまで、韓と倭は同族だったから
天皇が韓国人という見方はできるかも・・・
671人間七七四年:2011/07/30(土) 16:27:46.00 ID:2KA9WVRQ
夏休みだねぇ・・・w
672人間七七四年:2011/07/30(土) 16:28:23.02 ID:tmMJeQDa
>>669
ふむ、あんたは自分の先祖の墓を、歴史の研究のためと言われれば
墓暴きされてもOKな人だということだね。
673人間七七四年:2011/07/30(土) 19:20:44.76 ID:iomRloZI
日本人の元は中国だから、天皇の祖先も中国から来たんだよ
その人達がこの日本列島に渡り日本人として暮らして来てる訳で、天皇は朝鮮人とか馬鹿な話だよ

ただの通り道に過ぎないのが朝鮮半島、それを朝鮮由来と言うのはチョンコによくある話(´・ω・`)
674人間七七四年:2011/07/30(土) 19:35:54.97 ID:iomRloZI
>>660
「日本」は7世紀からありますが何か(´・ω・`)
天皇はそれより古いっすよ
675人間七七四年:2011/07/30(土) 20:54:21.83 ID:R/k7o6Si
>>672
国の歴史に関わるほどの墓なら喜んで調査させるよ
自分の都合で重用な歴史を知るチャンスを潰すほど自分勝手じゃないんでね
676人間七七四年:2011/07/30(土) 20:57:58.71 ID:dM26Suo1
>>675
皇室の墓だぞ
お前みたいなチンカスの墓とは格が違うんだよw
677人間七七四年:2011/07/30(土) 20:58:59.98 ID:gd4zhJdu
だが問題は、今の天皇家ってのは
伝統とか格式とかそういうのが重要な箔付けになってるからな。
自分の意思だけではなく、周囲の親戚縁者全てを説得してまで、
というほどの強い意志で無いと中々難しいだろうよ。
678人間七七四年:2011/07/30(土) 21:04:01.48 ID:UK3cvXdu
>>676
いや、皇室の墓である証拠はなにもない
だから学者は調査するべきだと言っているのに宮内庁が必死に邪魔している
つまりよほど都合が悪いことがあるということだ
679人間七七四年:2011/07/30(土) 21:09:03.99 ID:dM26Suo1
>>678 こいつ頭大丈夫か?
680人間七七四年:2011/07/30(土) 21:12:00.55 ID:Qs55m7Dc
文化財に手を加えて価値を無くすのが一番問題
古墳は文化財

で、唐入りの話はどこへ?
681人間七七四年:2011/07/30(土) 22:10:27.67 ID:QWJK3cCi
手を加えて価値をなくす?
列島のバカ猿は調査もできないのかよw
682人間七七四年:2011/07/30(土) 22:43:06.42 ID:LKu68pfq
さて、そろそろスレタイ読もうか
683人間七七四年:2011/07/31(日) 00:13:27.27 ID:TTeGrHC9
もし秀吉が天皇が朝鮮系(俺自身はそう思ってはいないが)ということを知っていたら、何か違っていただろうか
仮定に仮定を重ねる話なのは分かっているが、スレタイに沿った話題が見つからなかったもので。
684人間七七四年:2011/07/31(日) 00:30:36.79 ID:NeZQiyMW
>>683
天皇家は秀吉に殲滅される。
なぜなら秀吉は、大明帝国の科挙の郷試落第生で日本に渡来して
織田信長に仕えた明国人だからな。



朝鮮の役当時の明国の資料に、そのことが書かれているそうだ。
685人間七七四年:2011/07/31(日) 00:42:01.80 ID:obaEzALe
歴史をする者、
その資料の名称を上げて示し、資料の妥当性を検討する必要があるだろう?
馬鹿でも無い限りそれくらいは分かるはずだ。
例えば韓国は古来から日本の犯罪者が流罪に処される場所であった、
という資料が当時の日本の資料に書かれているそうだ、
と俺が主張したとして、それを覆すのは面倒だろう?
686人間七七四年:2011/07/31(日) 00:49:14.74 ID:NeZQiyMW
>>685
歴史をする者、
その資料の名称を上げて示し、資料の妥当性を検討する必要があるだろう?
馬鹿でも無い限りそれくらいは分かるはずだ。

まず、その台詞を戦国オールスターズが、文禄慶長の役で朝鮮の精強なる
韓国兵に殲滅されたと誇らしげに言い張る在日に言って欲しいね。


奴に文献を提示させろよ。話はそれからだ!
687人間七七四年:2011/07/31(日) 01:03:42.53 ID:fiJBwLDq
>>686
先に自分が提示しろよ
これだから礼儀をしならい猿と外国人から軽蔑されるんだよ
688人間七七四年:2011/07/31(日) 02:15:53.51 ID:bFZfJwoE
外国人といってもチョンじゃな、何言われようがまったく気にならん
689人間七七四年:2011/07/31(日) 05:07:02.97 ID:SqwuZedH
全盛期でも宗氏に返り討ちでフルボッコにされる李氏朝鮮
690人間七七四年:2011/07/31(日) 10:43:57.18 ID:NeZQiyMW
>>687
まあ、稗史の秀吉中国人伝説なぞ妄説の類に過ぎないが
『明史』巻322・外国3「日本伝」より、豊臣秀吉の条を見て見れ。
少し原文をあげるので、日本語とハングルしか読めないのはわかるが
努力して読めよw。

秀吉の出自
日本故有王、其下称関白者最尊、時以山城州渠信長為之。
偶出猟、遇一人臥樹下。驚起衝突。執而詰之。自言「為平秀吉、薩摩州人之奴」。
雄健?捷、有口弁。信長ス之、令牧馬、名曰「木下人」。
後漸用事、為信長画策、奪並二十余州、遂為摂津鎮守大将。

秀吉の中国侵略計画始動
乃改元文禄、並欲侵中国、滅朝鮮而有之。召問故時汪直遺党、知唐人畏倭如虎、気益驕。
益大治兵甲、繕舟艦、与其下謀、入中国北京者用朝鮮人為導、入浙?沿海郡県者用唐人為導。
慮琉球洩其情、使毋入貢。

忠勇なる琉球の振る舞い、それに比べて朝鮮はw
同安人陳甲者、商於琉球。懼為中国害、与琉球長史鄭迥謀、因進貢請封之使、具以其情来告。
甲又旋故郷、陳其事於巡撫趙参魯。
参魯以聞、下兵部、部移咨朝鮮王。王但深辨嚮導之誣、亦不知其謀己也。

中略
中国軍奮戦するも敗北する。日明対戦は一勝一敗の五分、朝鮮軍は敵前逃亡か?影の形も無し
明年、如松師大捷於平壌、朝鮮所失四道並復。如松乗勝趨碧蹄館。敗而退師。

戦争終結後の評価 
然自関白侵東国、前後七載、喪師数十万、糜餉数百万、中朝与朝鮮迄無勝算。
至関白死、兵禍始休、諸倭亦皆退守島巣、東南稍有安枕之日矣。秀吉凡再伝而亡。

さて>>687
戦国オールスターズが全滅したという朝鮮側の資料の提示をして貰おうか!
691人間七七四年:2011/07/31(日) 12:48:49.65 ID:ykQoDJ04
中国史は嘘だと貶しておいて都合のいいときだけ中国の資料を提示する倭猿w
しかも一次史料じゃないしw
692人間七七四年:2011/07/31(日) 13:19:22.26 ID:obaEzALe
中国の資料が嘘なのではない。
日本の国内事情に関しては(当時敵国で情報入手に限界のある)中国の資料より、
日本の国内資料を付き合わせる方が正確であろう。
実際に戦闘した時の記録であれば、中国の資料もその分正確であろう。
という単純なる二段階の論法に過ぎないがな。
693人間七七四年:2011/07/31(日) 15:57:17.52 ID:NeZQiyMW
>>691
では、朝鮮の一次資料で、鬼上官加藤清正、小西行長、島津義弘、立花宗茂、宗義智
藤堂高虎、加藤嘉明、脇坂安治、石田三成が朝鮮軍に討ち取られたというものを出して
いただこうか。


694人間七七四年:2011/07/31(日) 17:33:54.03 ID:/nK7tNhA
そういえば「鬼」って単語は日本と中国朝鮮では意味が違うから
加藤清正の異名(鬼上官)は「お化け将軍」とか「幽霊将軍」って意味合いになるんだよね
695人間七七四年:2011/07/31(日) 18:28:33.36 ID:yLKtZhCx
資料やらなんやらはどうでもいいや
日本の焼き物が発展したからいいや
696人間七七四年:2011/07/31(日) 21:31:47.05 ID:NeZQiyMW
>>691
面白い資料を見つけたので紹介しよう。
どうやら売国奴の作ったものらしいな。
君の言う戦国オールスターズ殲滅の史実がかき消されているぞ。
こんな暴挙を許していて良いのかな?
今こそ、安重根の如き、義挙を売国奴に食らわせるべきじゃないかね。

李烱楊「壬辰戦乱史」とかいう偽書からの抜粋

▲露梁海戦(1598年)
 小西軍の封鎖を解きに来た島津水軍を明水軍・朝鮮水軍が迎撃、小西軍の脱出は成功した。
『日本水軍 : 明・朝鮮水軍』
 損失有名幹部 0 : 5
(●印は戦死幹部、主に李烱楊「壬辰戦乱史」より抜粋)

日本水軍 幹部損失 0
(大名)
 島津義弘、立花宗茂、高橋直次、宗義智、寺沢広高(正成)、
(島津家武将、[泗川城戦・露梁海戦より参照])
 伊集院忠真、寺山久兼、川上久智、川上忠実、樺山久高、北郷三久、
 新納忠増、川上忠兄、島津忠長、種子島久時、喜入忠政、
 三原重種、箕輪重長、伊勢貞昌、平田宗位、島津忠恒(後発)、

明水軍 幹部損失 2
 陳リン(総兵),
 ●テイ子龍(副総兵), 陳蠶(副総兵), 王元周(参将),
 許国威(遊撃), 李金(遊撃), 福日昇(遊撃), 梁天胤(遊撃),
 沈懋(遊撃), 馬文煥(遊撃), 張良相(遊撃),
 李天常(把総), 沈理(把総), ●陶明宰(中軍),

朝鮮水軍 幹部損失 4
 ●李舜臣(三道水軍統制使),
 李純信(慶尚右水使), 斐興立(慶尚道助防将), 禹致績(順天府使), 田鳳(長興府使),
 ●李英男(加星浦水僉使), 金応誠(弥助項僉使), 李暹(蛇渡僉水使),
 ●方徳龍(楽安郡守), 宣義卿(珍島郡守),
 ●高得蒋(興陽県監), 宋尚甫(康津県監), 柳[王行](海南県監),
 趙孝悦(康津浦万戸), 金声玉(蛇梁万戸), 朱義寿([++/斉]浦万戸),
 禹寿(安骨浦万戸), 蘇秀男(針浦万戸), 李廷彪(金甲島万戸),
 安以命(唐浦万戸), 鄭公清(助羅浦万戸),

697人間七七四年:2011/08/01(月) 15:16:13.92 ID:H3MRCZab
>>696
まぁ、その指揮官の戦死情況からしても、韓国で信じられている
ウリナラ大勝利!李舜臣提督は大敗した日本軍を追撃中に運悪く
流れ弾に当たって戦死、ってのと裏腹に、実際には先鋒を命じられた
朝鮮水軍は壊乱状態になって出撃点の観音浦まで逃げ戻ってるん
だろうな。
698758:2011/08/01(月) 18:13:09.99 ID:1atEAqVp
>>697
いや、この記録は韓国では偽書扱いだろ
>>691の学んだ史実では、慶長の役に参加した武将は、全部、韓国民兵に殺されたそうだ。
699人間七七四年:2011/08/01(月) 19:19:12.23 ID:ZyNHh5Hk
もうなにがなんだか
700人間七七四年:2011/08/02(火) 00:23:50.39 ID:fUGkQX4g
>>694
気味の悪い化物が正確な日本語訳じゃないか?
701人間七七四年:2011/08/02(火) 00:48:57.55 ID:3cDByf/x
鬼って尊敬、恐怖、力って意味もあるのだが・・・
非道な人物には絶対使わない言葉だよ
702人間七七四年:2011/08/02(火) 01:19:52.70 ID:cM3AIM5K
>>700
加藤清正の場合は、”幽霊”とか”死霊”が適当。
清正の冑が、朝鮮人には死者に被せる冠のように
見えたらしい。

>>701
それは日本での”鬼”の解釈だな。
703人間七七四年:2011/08/02(火) 01:39:06.07 ID:RgyrJ+4Y
大陸での鬼はこずるくて野蛮な化物というイメージ
まさに倭人にピッタリである
704人間七七四年:2011/08/02(火) 02:03:30.35 ID:cM3AIM5K
スゲー頭悪そうだな。>703
705758:2011/08/02(火) 06:06:46.88 ID:n8jTFpdz
>>703
朝鮮では、そうなんだ。さすが漢字を捨てた国。こりゃ中国が馬鹿にするのも無理ないな
706人間七七四年:2011/08/02(火) 09:19:07.98 ID:KZN6YsdR
>>705
いや、日本以上に漢字を使っていた頃の朝鮮や中国の「鬼」の定義なんだが・・・
707人間七七四年:2011/08/02(火) 11:56:06.09 ID:t57Y6/DK
>>703
お前のそれ、死霊・亡霊って意味の鬼と蔑視表現としての鬼が混ざってるだろ
熟語にすれば別々の意味なのに混同しすぎ
708人間七七四年:2011/08/02(火) 12:45:07.21 ID:P/ZIGtfJ
蔑視の表現で使ってるに決まってるだろ
敵のこと幽霊とかよんでも意味不明
709人間七七四年:2011/08/02(火) 13:12:44.97 ID:5xpewHR4
まぁ、野蛮だのこずるいだの化け物だのってのも敵から言われるなら褒め言葉と同じだな。
710人間七七四年:2011/08/02(火) 14:22:16.66 ID:wZBIlyz5
うんうん
倭人が野蛮でこずるいのはジジツだからね
711人間七七四年:2011/08/02(火) 14:24:40.24 ID:oPTRB3bB
内臓喰ってた薩摩人は日本人じゃないから一緒にすんな迷惑だ
712人間七七四年:2011/08/02(火) 14:25:43.00 ID:vgpZs20C
モツうまいやん
713人間七七四年:2011/08/02(火) 17:28:24.90 ID:EcXyIfpJ
>>172
お前は人間のモツを喰ったことあるのか・・・

ユッケで食中毒なんて貧弱な日本人と違って
熊本人の馬肉の刺身どころか
鹿児島人は鶏刺しと言って鳥肉さえ生で喰ってるらしいからな。
生肉食も穢れを嫌う中世日本人から異人扱いされエンガチョンの語源にもなっている。
日本でも韓国系の店では豚の刺身が喰えるそうだが
本場韓国の犬肉喰いや沖縄の山羊肉なんてのも薩摩の伝統料理みたいだからな。
714人間七七四年:2011/08/02(火) 18:33:22.11 ID:32RcUJi3
日本の総大将と呼ばれてた清正だから
鬼将軍は明でも強いイメージなんだろ
715人間七七四年:2011/08/02(火) 19:04:51.13 ID:cQHYIkmp
化物将軍とか無双チックな響きだな

連邦の白い悪魔とかの同類か
716人間七七四年:2011/08/02(火) 19:52:29.33 ID:W5bg6MUk
>>715
疫病神的な。
717人間七七四年:2011/08/02(火) 20:17:11.23 ID:SMOU4SPl
日本の総大将格は小早川隆景でしょ?
それ以外は認めないよ
718人間七七四年:2011/08/02(火) 20:24:59.47 ID:FBP7F3Ez
宇喜多秀家カワイソス(´・ω・`)
719人間七七四年:2011/08/02(火) 21:52:45.47 ID:dJHEuDyo
外国の鬼を分かりやすく言えばゴブリン
720人間七七四年:2011/08/02(火) 22:37:20.80 ID:rMv7dtW1
冷や飯食いの島津弟が涙
721人間七七四年:2011/08/03(水) 00:50:30.54 ID:2g67pRGg
列島ゴブリンw
確かに外国人から見た倭人のイメージにピッタリだw
722人間七七四年:2011/08/03(水) 07:18:36.95 ID:HtdyLjm6
>>721
倭  ゴブリン
鬼  ホブゴブリン(清正・義弘クラス)
倭酋 秀吉
723人間七七四年:2011/08/03(水) 07:30:55.29 ID:SdEnSDbc
ゴブリンって本来妖精のことなんだが。
君らRPG脳すぎ。
724人間七七四年:2011/08/03(水) 09:42:51.44 ID:Veq9RENR
なにいってんのこの馬鹿
本来もなにも妖精だろうが
725人間七七四年:2011/08/05(金) 13:16:14.69 ID:eYlI9vJL
チョン 畜生
726人間七七四年:2011/08/05(金) 14:40:38.19 ID:8Lw7kutL
ゴブリン列島
727人間七七四年:2011/08/05(金) 17:54:08.55 ID:zwYYKdCy
中国人から見ると朝鮮人はゴブリン以下の家畜かなにかかなぁ
728人間七七四年:2011/08/05(金) 19:34:10.15 ID:fFDpfToE
韓国の人気歌手DJ DOCが名前を変えて(百済)名義でリリースした韓国No.1ヒットソングfUCk zAPAN
音楽ランキング初登場2位。その後、韓国ヒットチャートナンバー1を獲得

俺 韓国人おい お前 I Love You と言ってみろ違う I Love You だお前は障害者か発音もできないのか?
おまえ本当に障害者か?元々お前の国が障害者なのか?糞日本野郎Japsさっさと殺しちまうか?兄さん?糞畜生このチンポほどの犬野郎たち

ジャップ!通りにはすっかり核合った爆弾たち広島bomb!長崎bomb!東京bomb!ジャパンbomb!ボン!ボン!ボン!ボム!ボン!ボン!
核ぶち込んでやるからな!核ぶち込んでやるからな!
http://www.youtube.com/watch?v=vVLOw55hWXo
729人間七七四年:2011/08/05(金) 19:44:07.00 ID:B54E21FY
>>728
つまんねーコピペ貼るな。
730人間七七四年:2011/08/05(金) 20:12:01.54 ID:zwYYKdCy
朝鮮人って何時迄経ってもレベル低いなぁ・・・
731人間七七四年:2011/08/06(土) 11:35:26.71 ID:mN1N4FXY
>>728
ここまで必死だと可哀想になってくるなw
732人間七七四年:2011/08/06(土) 11:48:07.86 ID:DxOoXYwW
結局秀吉の計画ってどんなものだったの?
初めは朝鮮を抜いて一気に明まで進むつもりだったのだろうか?
二回目の出兵では明らかに朝鮮の支配を目的にしてるよね
733人間七七四年:2011/08/06(土) 14:10:33.97 ID:GRe00mcl
韓国が外国貴賓を招いた会での事。
インターコンチネンタルホテル社長がビールの泡を見ながら『泡が原爆の煙のようだ。広島原子爆弾酒だ』と発言。
それを受けて盛り上がる韓国人達。
一人、険しい顔で屈辱に耐える駐韓大島日本大使。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/lite/archives/608900.html

「爆弾酒は一旦おいておいて、日本大使の表情を撮影です。 大島大使は 爆弾酒がお気に召さない表情。」 そんな彼に、ある爆弾酒の名前が・・
「ビールの泡がぱっとはじける模様があたかも、広島に原子爆弾が投下された時のキノコ雲がわき上がる様子に似ていま すね。 だから、原子爆弾酒とも言えます」
関連動画 sm3702028
734人間七七四年:2011/08/06(土) 20:17:46.55 ID:uO+cshlb
次に一番吹っ飛びそうなのはソウルなんだがなぁ・・・
735人間七七四年:2011/08/07(日) 15:18:02.55 ID:VBeifQ3K
二発も原爆落とされたのに、わずか三十年程で復興&高度成長できた日本と違って、
秀吉のせいで三百年も近代化できなかったと嘯く低脳国家じゃあ、
核弾頭一つ落とされただけで三千年は崩壊から立ち直れそうにもないな
736人間七七四年:2011/08/07(日) 20:13:35.83 ID:VsDf963c
まぁ朝鮮人じゃ人のせいにして
ホルホル世界に逃げ込む事しかできないだろ。
んなことばっかやってたら宗主国アメリカから見放されたが、次はまた中国かな?

いらねーよとか言われてるが
737人間七七四年:2011/08/08(月) 01:31:56.12 ID:dgpfNVZV
アホか
たかが原発二発と6年以上にわたる侵略を一緒にすんな
しかも列島はアメリカが対ソの拠点にしたから莫大な経済援助で復興させたが
韓半島は倭軍によって民衆が大勢虐殺され文化財や資料は燃やされ持ち去られ
技術者も大勢拉致されて焦土とかした
738人間七七四年:2011/08/08(月) 02:20:08.08 ID:a2+n7pAE
アホか。
内戦で日本の統治時代の反政府運動死傷者の数百倍に上る犠牲者を出し、
そして日本が整えたインフラもことごとくダメにした馬鹿で愚かなミンジョクが、
まがりなりにも先進国のまねごとが出来るのも、全て戦後六十年以上に渡る
日本の経済・技術援助のおかげ。
それなのに忘恩の愚民は、日本の領土を武力占領して、ウリナラ領土などと
ほざいている。

やはり、しつけの悪い犬(=韓国)は温情ではなく、棒で叩いて、自分の
分をわきまえさせないといけないよね。
739人間七七四年:2011/08/08(月) 15:36:10.81 ID:JwCBI75k
そういえば朝鮮役のとき、日本の武士がかぶっている面頬を見て
明人朝鮮人は「鬼面」と表現してるんだよね
向こうでの「鬼」は気味の悪い化け物、不吉な妖怪といったニュアンスが的確なんだろうか
あと「金仮面」「銀仮面」も向こうの記録にはよく出てくるから
金箔押・銀箔押の目の下頬(もしくは総面)を着用した武士が多かったのかな
740人間七七四年:2011/08/08(月) 16:09:47.53 ID:Vq0e+LXj
ルイス・フロイスも悪魔の面とか言っている
741人間七七四年:2011/08/08(月) 17:52:02.25 ID:d2FyiNsH
ダースベイダー
742人間七七四年:2011/08/08(月) 19:17:39.90 ID:KxPtmq3H
まぁ兜や面頬をゴツくデザインしてハッタリかますのはわりとある事だしね
そういやほぼ同じ時期にドイツあたりでも、わざとキモい面頬を被る傭兵とかいたような気がした
743人間七七四年:2011/08/08(月) 21:01:12.98 ID:j67NFXVP
Qさまで、李舜臣が日本水軍を撃破した武将として紹介されてたなww
744人間七七四年:2011/08/08(月) 23:15:03.29 ID:TNY/LzN+
李舜臣ってすぐに分かったけど、これは俺がおかしいのか
Qさまが甘すぎるのか
745人間七七四年:2011/08/08(月) 23:20:10.11 ID:a2+n7pAE
ま、今は日本の歴史教科書になぜか東郷平八郎をさしおいて
載ってるらしいからな。
746人間七七四年:2011/08/08(月) 23:31:02.73 ID:JwCBI75k
コラムに李舜臣を載せるくらいなら
その前に加藤清正とか小西行長を載せろっての
日本の歴史教科書だろうが
747人間七七四年:2011/08/09(火) 00:52:29.27 ID:uhztiizV
>>746
>日本の歴史教科書だろうが

黙って首を振る
748人間七七四年:2011/08/09(火) 01:54:55.74 ID:15x5ANqR
李舜臣は東郷がもっとも崇拝してきた人物だし当然の評価
東郷も李舜臣の戦いを学んだから活躍できた
李舜臣をさしおいて加藤とか小西とかマイナーな奴のせる意味がない
749人間七七四年:2011/08/09(火) 02:27:43.45 ID:v/clMCwO
>李舜臣は東郷がもっとも崇拝してきた人物

|∀・).。oO( それ、”東郷がそういったと韓国人が主張”している以外のソースは全くないけどなw
750人間七七四年:2011/08/09(火) 02:49:07.50 ID:ai9mk78k
なんとか朝鮮おだてて持ち上げてやろうと思ったけど歴史的偉人がまったくいなくて
困った東郷がナントカ搾り出したのがその小物なんだよな
751人間七七四年:2011/08/09(火) 06:19:50.27 ID:zyPWGANn
東郷が言ったと言うソースはまったくない捏造だからなあ。
752人間七七四年:2011/08/09(火) 08:55:59.92 ID:Srnc+0oc
李舜臣なんて細かく戦績を見れば、1592年5月〜7月までしか
日本軍に打撃与えてないんだけどぁ。過大評価そのものだわ
753人間七七四年:2011/08/09(火) 11:49:36.04 ID:Imsn+1bb
スクープ!緊急特集 韓国・鬱陵島レポート

http://www.youtube.com/watch?v=SWD81-c3Ys4
http://www.nicovideo.jp/watch/1312794689
754人間七七四年:2011/08/09(火) 12:13:50.94 ID:pkSTWqEl
東郷もいい迷惑だろうな
しかし実際にそれ以上の将軍って朝鮮にいたの
755人間七七四年:2011/08/09(火) 12:57:07.21 ID:xgDqp4ao
>>750
確かそのエピも、司馬遼太郎が何だかの小説で創作したフィクションのはず
756人間七七四年:2011/08/09(火) 15:38:54.96 ID:QtUnBUdt
>>748
加藤清正は主戦論者の筆頭、朝鮮の二王子を捕虜とし満州まで侵攻、
蔚山篭城戦を奇跡の勝利に導くなど文禄・慶長両役を戦いぬいた不敗の闘将である
その武威は明朝鮮の人から「鬼上官」と畏怖されるほどだった
小西行長は明との早期講和の道を模索し、沈惟敬と共謀して万暦帝や秀吉すら欺く
スケールのデカい外交で戦役を終わらせようとした傑物である

なるほど李舜臣は朝鮮においては英雄なのだろうが、所詮は小規模な局地戦に勝利したに過ぎず
清正、行長らに比べれば戦局に与えた影響は皆無と言わざるをえない
757人間七七四年:2011/08/09(火) 16:34:11.11 ID:6VT78WQr
韓国人が領土問題で何か言ってきたらこの動画見せて反論させて見ましょう

この人の動画を世界中の動画サイトに拡散するだけで、日本の立場理解してもらえるぞ
http://www.youtube.com/user/GloriousJapanForever

韓国に竹島を描いた古地図は存在するか: 日韓古地図の比較
http://www.youtube.com/watch?v=_w7wHekOQM8
韓国語バージョン
http://www.youtube.com/watch?v=P_hWLuCUvwY
英語バージョン
http://www.youtube.com/watch?v=H91QN6ho8jU
スペイン語バージョン
http://www.youtube.com/watch?v=2eHieSfEnPE



758人間七七四年:2011/08/09(火) 16:40:22.04 ID:0Wgh6G+/
しかし、法則発動。
朝鮮と関わったばかりに、秀吉死去。


どんな権力者も、企業も、国家も逃れられない絶対法則
 
        「朝鮮人と関わると破滅する」の絶対法則


秀吉も、モンゴル帝国も、大日本帝国も、フジテレビも、民主党も、etc・・・
759人間七七四年:2011/08/09(火) 16:44:30.24 ID:GgQJDh0V
>>756
行長が傑物とか初めて聞いた
760人間七七四年:2011/08/09(火) 17:35:20.68 ID:dJX87Ach
指揮したのは東郷でも戦術練ったのは秋山。彼が参考にしたのは李舜臣ではなく村上水軍の丁字戦法。
761人間七七四年:2011/08/09(火) 22:12:01.59 ID:uycWZb+H
>>760
いや、そもそも東郷は李舜臣の戦術なんて参考になぞしてないし。(ソース皆無)

なんか、韓国人の脳内では見乃梁の鶴翼の陣(実質は全軍挙げての寡勢タコ殴り)が
丁字戦法と同じに見えるらしいが。
762人間七七四年:2011/08/09(火) 23:44:51.31 ID:s4s1x7EN
東郷だけじゃなく他の将校達も必死に李舜臣に祈りを捧げていた
ネトウヨが必死に否定しても当時の日本人が李舜臣を崇拝していた事は変わらない
763人間七七四年:2011/08/10(水) 07:58:15.75 ID:XI6IDIii
>>762
だから東郷が崇拝云々はガセだってw
あと
>他の将校達も必死に李舜臣に祈りを捧げていた
これのソース頼むわw
764人間七七四年:2011/08/10(水) 16:28:11.06 ID:M/nRYb1m
朝鮮軍なら李舜臣より権慄の方が遥かに名将だと思うけどなぁ。
辛州山城の戦いで権慄は宇喜多秀家、石田三成、前野長康、吉川広家を
負傷させてる。雑魚揃いの朝鮮軍にしては抜群の功績。

ただ、辛州山城の戦い以降、権慄は日本軍に第二次晋州城攻防戦で敗戦し
巨済島海戦の大敗を招き、蔚山城でも順天城でも大敗してるんだよなぁ。
ここら辺も前半の一時期しか活躍できなかった李舜臣と被る。
765人間七七四年:2011/08/10(水) 23:35:41.08 ID:XI6IDIii
>>764
>宇喜多秀家、石田三成、前野長康、吉川広家
あんたら大将なんだから遠巻きにして指揮取れよと思ったわw
確かに権慄は六番隊の全羅道への侵攻を阻んだりもしてるし、
小粒ばかりの朝鮮軍中じゃ功績一番だろうな
「懲ヒ録」では臆病者として過小評価されてるのが不思議でならん
766人間七七四年:2011/08/11(木) 01:38:00.55 ID:o4TZ56+5
>>755
そうなのか
司馬遼太郎の影響ってものすごいんだな
767人間七七四年:2011/08/11(木) 02:25:45.18 ID:0QT1Hl86
朝鮮の役当時の日本勢の強さって何が原因?
戦闘経験豊富な明軍と比較しても強いと言うのが、よく分からないのだが。
768人間七七四年:2011/08/11(木) 03:40:22.62 ID:mhGYDaaC
明軍って経験豊富か?
歴史上、帝国末期の軍隊で強いのは記憶にないな。
しかも他国の防衛戦なんぞモチベーションが上がらなくて当然だと思うが。
769人間七七四年:2011/08/11(木) 08:14:28.98 ID:kmMNw9k1
鉄砲と継続して戦争が出来る資金力
そりゃ経験豊富すぎるのもデカイ要因だけど
経済の仕組みが戦争ありきになってた
770人間七七四年:2011/08/11(木) 08:33:03.04 ID:UB1qnbQl
>>767
日本人と中国人の差
771人間七七四年:2011/08/11(木) 08:36:38.71 ID:FDJT/oGt
できたばかりの政権なので財政基盤が健全ってのは大きいだろ
明なんて戦乱が財政崩壊と国内反乱を呼び込み滅亡へ突き進んでただけだし
772人間七七四年:2011/08/11(木) 09:09:18.75 ID:IFutxCHF
>>768
少なくとも朝鮮に来た明軍は、ずっと辺境で異民族相手に戦ってたし
直前にボバイの乱も鎮圧してる実戦経験豊富な精鋭だよ。
773人間七七四年:2011/08/11(木) 12:23:54.76 ID:vQs2Xb7q
明軍は疲弊してたのかもしれんね
本来なら日本軍は木っ端微塵に負けていたといえる。
774人間七七四年:2011/08/11(木) 13:53:20.21 ID:d4TRu7dE
>>767
同じ職業軍人でも、将校から兵卒までのほぼ全ての人材が、成人してから志願もしくは徴用される集権制兵士と、
下士官以上の人材が、ガキの頃から軍人としての英才教育を受けてきた封建制兵士とでは、平均値に差が出るのは当然でしょ
これが遊牧民族になると、兵卒ランクの兵士でも馬と弓のスキルは職業軍人並だし

>>773
ないない。朱元璋の時代に武力侵攻をちらつかせて日本を脅迫したのに、
懐良親王から「わが国には備えがあるから怖くない」と返答されてビビるヘタレだもん
もし明から武力侵攻しても九州勢に水際防御で完封されて、元寇の二の舞になるのが目に見えてたし
775人間七七四年:2011/08/11(木) 22:13:28.19 ID:r5iir2rS
李朝や明は成立してから200年をこえていて倭国の政権ならとっくに潰れてるレベル
しかも李朝は内部分裂していて衰退
明も皇帝が無能でぐだぐだになっていた
さらに李朝は常備軍をなるべく過ぎなくする方針たったからわすかに数万しかいなかった
明も衰退していてはじめは5万程度を送るのがやっとだった
そんな状態で倭軍は敗北したんだよ
倭軍が強いなんてことはありえない
776人間七七四年:2011/08/11(木) 22:20:38.86 ID:vQs2Xb7q
万暦の三征ってやつね。秀吉の唐入りってのは、明のピンチに付け入る作戦でもあったのかもしれんな。
こうして見ると余所の国と陸続きってのはデメリットでかいね。島国は海のお陰で他国の侵略から相当守られてるよ。
777人間七七四年:2011/08/11(木) 23:39:49.63 ID:c+EuLz+X
イギリスみたいに島国でも異民族に荒らされた例もあるからなあ
778人間七七四年:2011/08/12(金) 00:08:45.61 ID:tt3eJ7we
>>775
文禄の役の投入兵力って日本軍15万8千人に対して
朝鮮軍17万人に義兵2万人、それに明軍五万人だろ。普通に明朝連合軍の方が兵力多いじゃん
しかも日本軍にとっては四方が敵だらけの外征。こんな状態で朝鮮の統治に失敗したんだから
戦略が破綻するのは目に見えてるだろ
779人間七七四年:2011/08/12(金) 00:42:43.03 ID:fgHJNbYs
イギリスは侵略され過ぎだろ。
一番最初の先住民を征服したケルト人を支配したローマ人を駆逐したアングロ・サクソン人を征服したデンマーク人を征服したフランス人が今のイギリス人。
780人間七七四年:2011/08/12(金) 02:44:39.45 ID:XDAI3iSv
>>779
朝鮮の歴史も似た感じだが、何故朝鮮はイギリスにならなかったのだろう?
やはり、日本の侵略が特別だったのが原因だろうか
781人間七七四年:2011/08/12(金) 03:20:30.99 ID:f+Eej08p
>>780
思想の問題じゃね?
高麗時代なんて遼すら撃退してるのに北宋が南宋に移った際に
儒教に被れすぎて中華思想に侵されてからは鳴かず飛ばずじゃないか
782人間七七四年:2011/08/12(金) 05:11:40.03 ID:Lw0BcsT1
秀吉が長生きしてたら朝鮮南部の恒久支配が確定してたけどな
朝鮮北部は当時の装備の日本人には厳冬過ぎて不毛
783人間七七四年:2011/08/12(金) 08:07:51.71 ID:b3ov2nad
明国が文録で5万、慶長で10万しか動員出来なかったのは
朝鮮が痩せてたから
四川の反乱鎮圧には20万動員してる
代わりに朝鮮に来た連中は当時の中国のほぼオールスター
784人間七七四年:2011/08/12(金) 08:10:08.50 ID:1VU4DAeP
>>782
恒久支配してもメリット0だけどなw むしろ法則発動で日本が延々と不幸になりかねん
785人間七七四年:2011/08/12(金) 08:16:48.77 ID:XDAI3iSv
>>783
朝鮮が痩せてたから、動員が限られたなんて、日本の渡海数見たら言い訳に過ぎない。
786人間七七四年:2011/08/12(金) 10:53:13.00 ID:qrdJ/cKY
>>785
だから向こうで飢えたんだろ

何の知識もない状態で攻め込んだ日本と、属国に援軍だす明の差
787人間七七四年:2011/08/12(金) 12:36:17.87 ID:M+gwip+w
>>778
それは最終的な数
李朝は常備兵を10万人にする大増員計画があったが実行されなかった
武人は嫌われ遠ざけられてたし逆に東人派によって弱体化させられた
だから倭軍が上陸してから民衆から徴兵した
だからほとんどが素人兵だし無理に徴兵したから義兵よりも士気が低かった
倭軍は10数万の素人兵と明の5万の援軍に敗北したというのが現実
788人間七七四年:2011/08/12(金) 12:59:44.96 ID:f+Eej08p
>>787
明史でのその件に関する記載よろす
789人間七七四年:2011/08/13(土) 00:11:03.89 ID:A6JKIQ2m
>>787
柳成龍が「(朝鮮軍は)百人いても誰も兵の訓練方法を知らない」といってるように
大増員かけようが結果は日本軍との強弱は変わらんだろうね。

日本軍が上陸して撤退するまで7年間あって、そのうち3年間しか戦闘がなく、軍隊を
強化する期間はいくらでもあったにもかかわらず、慶長の役では明・朝鮮軍は文禄の役
に起きた戦闘以上に手痛い大敗を幾つも重ね「自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,
中朝與屬國迄無勝算」という状況まで追い詰めらてるわけ。幸運にも秀吉が死んで日本軍が
撤退するという奇跡が起きるまで状況を挽回することはできなかった
790人間七七四年:2011/08/13(土) 05:37:11.83 ID:oEFAodPk
おまけに日本軍の半数は小者、人夫、水夫などの非戦闘員。
791人間七七四年:2011/08/13(土) 09:15:07.19 ID:W+epfSrI
そりゃどこも一緒だ
792人間七七四年:2011/08/13(土) 10:46:28.13 ID:oEFAodPk
明・朝鮮軍は頭数以外に人民を大量動員して、輸送・土木作業などの
賦役を課しているわけだがw
793人間七七四年:2011/08/13(土) 22:24:47.44 ID:gzYBvh+c
>>787
とりあえずお前に軍事の知識がまったく無いことはよくわかったw
その明の援軍は救援要請を受けて朝鮮に赴いたわけだから、朝鮮王朝から全面的な後方支援を得られる上に義兵とやらに襲われる心配も無い
一方、侵略者である日本軍は半島では四面楚歌の状態で、半島全域の補給拠点に数百人ずつ守備兵力を割かなければならなかったため
実際には兵力的な優位性なんてそれほどなかった
平壌城の戦いの時なんか、一番隊のみで防戦にあたった日本軍に対し、明軍は総兵力の大半にあたる4万3千人を投入することができた
794人間七七四年:2011/08/14(日) 13:31:22.70 ID:37UvonfB
義兵ふくめても李朝軍と明軍の方が少ないし
ようするに倭人はバカだから兵力を分散させて括弧撃破されてことだろ
795人間七七四年:2011/08/14(日) 14:12:52.16 ID:XPT2h2Nt
バカは>>794だなw
戦線を縮小させたといっても、平壌以前も以降も主要な戦いではほとんど日本軍が勝ってるし
明軍も碧蹄館の大敗で戦意を喪失して講和策に方針転換してる
結局日本と明の間で講和交渉が行われて朝鮮は無視され、半島南岸部の領土は数年間日本に占領され続けることになったw
796人間七七四年:2011/08/14(日) 14:14:36.71 ID:XPT2h2Nt
大体、戦闘員の数じゃ明朝連合軍の方が勝ってたんじゃないか?
日本軍の場合動員定数に達していない部隊も多く、しかもそのうち半数近くが非戦闘員なんだからなw
797人間七七四年:2011/08/14(日) 14:24:28.59 ID:fQjVVqrg
>>794
どこで()撃破されたんだよwwww
798人間七七四年:2011/08/14(日) 15:30:06.11 ID:Hf+agOLf
朝鮮が雑魚であった事実は揺るぎない。
朝鮮人でする自覚している。認めたくないだけでさ。
799人間七七四年:2011/08/14(日) 15:36:09.47 ID:YEGatgDe
朝鮮の義民に屈した日本の侍。義民は竹やり。鉄砲や刀持ってて弱すぎるだろ。
800人間七七四年:2011/08/14(日) 15:38:40.65 ID:JsVzeP31
うそも100篇言えば真になるってか、彼の国の常套手段すぎるぞw
801人間七七四年:2011/08/14(日) 16:15:26.83 ID:l/HHNvzs
倭軍は指揮官も100人ぐらい戦死してるしな
大敗北だよ
802人間七七四年:2011/08/14(日) 17:19:20.94 ID:Hf+agOLf
秀吉軍が現地調達しようの無いくらい朝鮮から収奪して元気モリモリだった明軍は強かったよ。
803人間七七四年:2011/08/14(日) 21:06:29.84 ID:/PgKs6h1
>>801
ショックかもしれないが、日本で言う足軽は指揮官じゃないんだ……
804人間七七四年:2011/08/15(月) 09:55:41.65 ID:ASqPtxbL
倭って何よ。
ちゃんと日本っていう国号あるんだから!
っていうのはさておいて、日の丸とか立てていったのだろうか
805人間七七四年:2011/08/15(月) 15:35:01.31 ID:iEgoFmn+
【竹島問題】 南北が一つになる時「独島」も休める〜倭日本に戦争も辞さない覚悟を見せるべき[08/04]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1312469904/
806人間七七四年:2011/08/17(水) 15:17:28.01 ID:BHRzCGdB
>>803
足軽組頭も含めたら100人超えるかな
ただ、病死、凍死、餓死ふくむだけど

>>804
人に委ねると書いて倭人
お互いを信頼し合い、大事な事を委ねてしまう日本社会は
朝鮮、中国からしたらさぞかし愚か者の溢れる地に見えただろうと思う

807人間七七四年:2011/08/17(水) 19:17:54.51 ID:0R8xjQB+
まぁ壬申倭乱のときには竹島は朝鮮のものなんだけどね
808人間七七四年:2011/08/17(水) 19:57:21.00 ID:xUnU9JPi
朝鮮征伐当時、竹島とはウツリョウ島のことだからな。
現在の竹島は松島。
809人間七七四年:2011/08/17(水) 21:57:32.85 ID:KWvqSfBt
>>807
”壬辰”倭乱な。

漢字に弱いのは知ってるけど、強請集りネタの字くらいちゃんと把握しろよ。(・∀・)
810人間七七四年:2011/08/17(水) 22:34:50.08 ID:UKSwbxzF
そういや当時の朝鮮や明の文献見てると「倭将」を討ち取ったという話が定期的に出てくるな
陣羽織を着てたりして、身なりがちょっとでも立派な奴は全部「将」としてカウントしてたんだろうなw
811人間七七四年:2011/08/18(木) 08:37:48.18 ID:5JfJ+4m8
将でいいんじゃないの?
一介の兵卒クラスで立派な身なりのやつっているの?
812人間七七四年:2011/08/18(木) 09:10:31.98 ID:OOSlRiR/
それだと普通の武士もカウントされるのだが
813人間七七四年:2011/08/18(木) 14:35:34.95 ID:vwHeqZ27
倭軍は大名13人指揮官86人が戦死している
814人間七七四年:2011/08/18(木) 14:48:16.68 ID:viWOvCUj
>>812
鎧も着ず平服で戦ってた朝鮮兵からだと
当世具足を着て陣羽織を羽織った普通の武士でも
指揮官クラスに見えたんじゃなかろうか

>>813
よし、早速来島以外の戦死大名12名の名前を教えてくれw
あ、言っとくけど中川秀政は戦死じゃいからなw

815人間七七四年:2011/08/18(木) 15:09:59.53 ID:p6eo2ZTe
十時伝右衛門やそのクラスも朝鮮から見れば立派過ぎて大名に見えるんだろ
日本だと陪臣で小領主なんだがな。
816人間七七四年:2011/08/18(木) 23:31:01.76 ID:1W9uxwNl
朝鮮人よ、嘘ついてまでみっともないな…
虚しくならねぇの?
817人間七七四年:2011/08/19(金) 09:11:01.87 ID:v/vJnnHk
台湾だっけかのウィキで立花家の武将の
項目がやたら充実してたな
そりゃ明、朝鮮と将軍の何割かが討たれてるのに
日本側は海賊大名一人じゃね
818人間七七四年:2011/08/19(金) 11:51:42.04 ID:WWlfHKes
>>817
その台湾人なら昔、戦国板にも書きこみにきてたよ。
不自由な日本語でがんばって書いてたけど
レッテル貼り単発ID連投のキチガイどもが、
朝鮮での武功は捏造だって自演大量投下で
その人を攻撃して排除してしまった。
819人間七七四年:2011/08/19(金) 14:55:29.78 ID:F1WeVfF7
ザイニーは暇だなぁ
事実が変わるわけでもなし
820人間七七四年:2011/08/20(土) 17:34:52.76 ID:EeoVK3O5
★倭軍戦死大名★
来島通総 中川秀政 羽柴秀勝 加藤光泰 五島純玄 戸田勝隆 長谷川秀一 池田秀雄 牧村利貞 足利国朝 亀井茲矩 細川興元 波多 親

★倭軍戦死指揮官★
森村春 木村智清 黒田次郎兵衛 志佐純高 脇坂左兵衛 渡辺七右衛門 真鍋左馬允 日高喜 松浦源次郎 西村半右衛門 江口与左衛門 三浦左右衛門允
竹内吉兵衛 光富権助 小西ルイス 小西アントニオ 日比谷アゴスト 小野木又六 太田弾正 太田江十郎 青方新八 十時連久 池辺永晟 安東常久
小串成重 小野成幸 横山景義 山口与三右衛門 諸岡彦右衛門 永田源左衛門 横尾十五左衛門 中島九郎兵衛 納富六郎 武藤主嘉允 馬渡相右衛門
武藤新九郎 乙咸五兵衛 高木内蔵助 姉川平右衛門 水町平右衛門 鹿江太郎左衛門 公文六郎兵衛 緒方牛之介 明石与右衛門 戸崎彦右衛門尉
中屋善四郎 松井興之 柳生久三郎 得居通年 菅正蔭 菅達長 冷泉元満 阿曽沼元秀 都野家頼 原田信種 貴田統治 和田頼国 島津久保 原田宗時 戸沢光盛
色部長実 岡利勝 松浦定 伊東義賢 北郷忠虎 平田歳宗 伊勢貞真 島津朝久 島津忠辰 桑折政長 乃美宗勝 香宗我部親氏 伊与木国安 江原親次
明石右近 梶佐古道尋 加藤重正 吉見元頼 土持久綱 須佐美甚太郎 木付直清 江上家種 小原信忠 牧源之丞 深水頼蔵
821人間七七四年:2011/08/20(土) 18:07:10.66 ID:L/ZHr6xL
>小西アントニオ


ふざけてんのか
822人間七七四年:2011/08/20(土) 19:24:23.59 ID:H9f7PmgO
それキリシタン
823人間七七四年:2011/08/20(土) 19:38:08.64 ID:6n+vqjnQ
向こうでの病死どころか日本で病死したのまで含んでるとかスゲーなw
824人間七七四年:2011/08/20(土) 22:51:01.66 ID:9pUTvIWa
>>820
半分は龍造寺の家来じゃないか
それになんでうちの先祖の名前がないのか
825人間七七四年:2011/08/21(日) 06:30:05.88 ID:PocFa7A5
>>702
清正の場合は、日本軍で唯一、日本一の将(つまりは日本軍最強)と
呼ばれてたから明も清正を倒そうと主力を集めて
清正に総攻撃を仕掛けてる
何れにせよ、清正の鬼が仮にお化けとか幽霊の類だったとしても
最前線で戦っておきながら不死身で全く死なない清正は
あちら側から見たら一番厄介で、最強(最凶)には違いはないと思われる
826人間七七四年:2011/08/21(日) 23:16:50.64 ID:lrJvnRCs
>>820
どこから突っ込めばいいのかわからんが
とりあえず、その中で戦死大名と言えるのは来島通総ただ一人だぞw
827人間七七四年:2011/08/21(日) 23:34:59.87 ID:/cKrNZwF
>>820
長谷川秀一、羽柴秀勝 加藤光泰って、この三人、石田三成に毒殺されたんだろうがw
亀井茲矩(ハルヒが死ぬかよ。某関ヶ原戦線スレ見れw)
細川興元(おいおい三斎様の宿敵は不死身だぞw)

少しは勉強しろ。
828人間七七四年:2011/08/21(日) 23:43:43.65 ID:GGwsqybq
>>820
倭軍ボコボコだなw
829人間七七四年:2011/08/22(月) 00:27:49.36 ID:2vQuyJyA
…朝鮮側は戦になる前に逃げ出したほうが多いからな……
830人間七七四年:2011/08/22(月) 01:07:15.86 ID:Ack69eah
明軍に内通を疑われる程弱いってどれだけ弱ければそんなことになるんだろうな・・・
世界最弱で鳴らした伝統のイタリア軍ですら疑われた事がないのに・・・
831人間七七四年:2011/08/22(月) 01:47:58.94 ID:sCqsZh1w
西方の覇者の時代もあったイタリア(ローマだけど)と比べてもな
そんな時代が皆無だった朝鮮こそ真の最弱民族だろう
832人間七七四年:2011/08/22(月) 02:37:29.29 ID:4PlnBPMN
まぁ、東アジアでそこそこの国土・人口があって中原を一度も
制したことがないのは朝鮮くらいだしな。
833人間七七四年:2011/08/22(月) 03:34:44.95 ID:dGCfKtP7
日本も無いし
834人間七七四年:2011/08/22(月) 08:53:43.52 ID:yL7gTz5d
なんでつい最近を忘れるんだ?
835人間七七四年:2011/08/22(月) 11:59:10.22 ID:Y4l6P+60
>>820
たかだか数百石取りの家臣・陪臣を並べてごまかしてんじゃねえよw
三カ国の将軍クラスの戦死者を並べるとこうなるぞ
これが公平な比較っていうもんだw

★朝鮮軍の将軍クラス戦死者★
鄭撥、宋象賢、劉克良、鄭湛、高敬命、趙憲、鄭運、金時敏、沈岱、金千鎰、崔慶会、黄進、元均、李億祺、李福男、郭越、李舜臣

★明軍の将軍クラス戦死者★
載朝弁、史儒、廬継忠、楊万金、李寧(副総兵) 、李寧(参将)、廬徳功、ケ子龍

★日本軍の将軍クラス戦死者★
来島道総 ←こんだけw
836人間七七四年:2011/08/22(月) 13:48:52.26 ID:yL7gTz5d
大名と将って流石に違わないか?
体制が違う以上ある程度割りきって決めないと比較出来ないのは確かだが
837人間七七四年:2011/08/22(月) 16:56:28.06 ID:v4GakpW4
千人以上率いてたら、普通は将。
838人間七七四年:2011/08/22(月) 17:07:53.63 ID:2vQuyJyA
来島道総って舟手だけど600人しか率いてないぞ?
839人間七七四年:2011/08/22(月) 18:15:10.75 ID:Ack69eah
明・朝鮮の将は(一応)中央集権の役職でしかなくて
日本の将は基本的に領主だから比較がやや面倒だねぇ
軍の規模で比較するしかないかな?
840人間七七四年:2011/08/22(月) 18:30:00.87 ID:Y4l6P+60
>>836
確かに軍制からしてまるで違うから、単純な比較は無理だな
ただ明軍の遊撃、参将、副総兵、総兵はいずれも千人から数千人を率いる将だし
日本の小大名以上と考えていいと思う
一応>>835では遊撃以下の千総とか把総の戦死者は除いておいた

来島さんについては仮にも大名なんだし、将軍として扱うべきだと考える
841人間七七四年:2011/08/22(月) 19:42:19.60 ID:8tzudlJs
基本的な疑問だけど、瀬戸内海賊の船は、
今の手漕ぎボートの2-3倍程度の船で戦ってたんでしょ?
それが秀吉時代になっていきなり、朝鮮渡海の話が出てきて、
内海で活躍してた多くの海賊は大航海によく対応できたものだね
強大な対馬海流を突っ切って渡るって、冒険だと思うんだけどな...
842人間七七四年:2011/08/22(月) 19:44:49.24 ID:Pl+gLlJ4
名前が間違ってるのにサッパリ気付かれない通総さんカワイソス(´・ω・`)


で、将扱いでいいと思うけど、村上は本来は三家まとめて
一軍なのかも知らんね。

武吉がなんか秀吉に嫌われてたからな。
843人間七七四年:2011/08/22(月) 19:52:45.93 ID:Pl+gLlJ4
>>841
村上水軍も中核の将船には安宅や関船を使ってるよ。

それに小船といっても、小早は水夫合わせて二、三十人は乗り組んでるし、
対馬海峡は縄文の丸木船でも渡ってるんだから天候さえ見れば別に問題
ないっしょ。
844人間七七四年:2011/08/22(月) 20:10:43.13 ID:f62IE//o
スレタイ間違ってる
明征伐だろ
朝鮮は通り道
845人間七七四年:2011/08/22(月) 21:04:12.03 ID:Ack69eah
残念ながら朝鮮までしか征伐できなかったから朝鮮征伐でおk
満州國建国まで我慢汁
846人間七七四年:2011/08/22(月) 23:12:26.34 ID:t2QW1Tbk
>>835
倭軍の戦死者は大名の親類や重臣ばかり
李朝は軍人を嫌って遠ざけていたから彼らは自警団程度の権限しかなかった
とても将軍などと呼べるものではない
847人間七七四年:2011/08/22(月) 23:47:06.85 ID:Y4l6P+60
>>846
お前頭悪そうだな。
日本軍は世襲制の封建領主の混成軍だから、指揮官が大名の親類や家臣ばかりなのは当たり前なんだがw
あと自警団だろうがボランティアだろうが、王朝から任命されて数千人の兵を率いているのなら、
それは将軍なんじゃないか?w
848人間七七四年:2011/08/22(月) 23:52:16.23 ID:Y4l6P+60
そういや朝鮮軍って名将と名高かった申砬と李鎰の二人がいずれも敗れて自決してるし、
朝鮮史上最大の英雄である李舜臣も島津に討ち取られてるよな。雑魚すぎる
849人間七七四年:2011/08/23(火) 00:19:34.49 ID:8xKKnfcp
>>847
どうやって大名の家臣を避けて敵を討ち取るか・・・それが問題だなw
850人間七七四年:2011/08/23(火) 00:27:24.69 ID:UitJUC+d
苦労しながら工夫や小荷駄を狙い撃ちにする最強朝鮮軍であった
851人間七七四年:2011/08/23(火) 00:54:43.61 ID:Gvl9w9Ro
>>850
そこはバカにするところではない。
兵站の防備を軽視するのは、日本の悪い所。
852人間七七四年:2011/08/23(火) 01:01:53.24 ID:UitJUC+d
>>851
>>846から>>850までの流れを読んでから発言してくれ
853人間七七四年:2011/08/23(火) 01:36:17.32 ID:8xKKnfcp
>>851
兵站の防備を軽視したんじゃない


・・・・回す戦力がねぇんだよ!
854人間七七四年:2011/08/23(火) 08:23:45.31 ID:pF94h++U
家康とか渡海させれば良かった
855人間七七四年:2011/08/23(火) 12:51:02.46 ID:M47muu1p
んなことやって唐入り成功したら家康の影響力増大しちゃうじゃないの
856人間七七四年:2011/08/23(火) 15:03:25.03 ID:+dl2obPC
家康が秀吉を攻めて韓半島の倭軍を挟み撃ちにすればよかったのに
家康も倭猿討伐の時期がやや遅かったな
857人間七七四年:2011/08/23(火) 15:33:20.18 ID:HLt3z+/S
チョンは今も昔もその辺の石ころ以下の扱いなんだが、態度だけはデカイな
858人間七七四年:2011/08/23(火) 18:51:18.43 ID:8xKKnfcp
当時の家康程度で勝てると思ってる辺り無知だなw
859人間七七四年:2011/08/23(火) 21:40:02.38 ID:pF94h++U
秀吉が死ななかったら、どこまで進めたかな?
860人間七七四年:2011/08/23(火) 22:21:20.79 ID:hF2Cx+Kp
明軍が逃走して秀吉の要求に屈して勘合貿易で和議じゃね?三路で大敗した明軍が
本土の日本軍が上陸してきたら、まともに戦えるとは思えないけど
861人間七七四年:2011/08/23(火) 23:05:51.17 ID:pF94h++U
糞チョン半島は日本の領土?
862人間七七四年:2011/08/23(火) 23:47:32.49 ID:UitJUC+d
有利な講和を結んだら将兵を凱旋させて、半島は放棄したのではないか
863人間七七四年:2011/08/23(火) 23:58:35.88 ID:5DxQpafA
面子的に考えて明が講和に応じることってあるのかな?
朝鮮から敗走したとしても、一方的に勝利宣言してあとは無視を決め込むんじゃない?
864人間七七四年:2011/08/24(水) 00:09:34.08 ID:B20VlrOI
>>844
開国要求みたいなもんなんで征伐とはちょっと違う
軍事的なモノを伴った交渉だな
対等or有利な貿易を求めてたみたいだ
865人間七七四年:2011/08/24(水) 16:19:54.21 ID:HxlgzV/q
糞猿秀吉が生きてようが死んでようが結果はかわらんだろ
いつもの負けパターンだし
866人間七七四年:2011/08/24(水) 18:15:36.49 ID:P8ATpxmE
日本軍は勝てないけど負ける要因がないな・・・
明が更に増援を送るのはまず不可能だし、日本軍はやる気がない。
つまり見事なまでの膠着状態っていう。

朝鮮陸軍が水軍並に強ければジリジリ押し返すのも可能なんだが・・・
867人間七七四年:2011/08/24(水) 18:17:28.98 ID:FGXJx9H8
>水軍並みに強い

??
???!
868人間七七四年:2011/08/24(水) 19:13:22.25 ID:IBn4qEBc
>>866
朝鮮陸軍は強いとか弱いとか以前に大軍の編成さえ失敗しているし、補給にも失敗するので維持もできない。
せいぜい一方面三千前後の実施力。
869人間七七四年:2011/08/24(水) 19:21:44.99 ID:H9z40pZd
>>867
朝鮮水軍は文禄の役では慶尚道南岸から、慶長では
全羅道南岸からも駆逐されてるから”朝鮮水軍並み”の
陸軍じゃやっぱり駆逐されるだけだろ。
870人間七七四年:2011/08/24(水) 19:26:43.18 ID:P8ATpxmE
>>869
一度失ったら再建すら難しい海軍戦力と
基幹を失うことがまずありえない陸軍戦力を一緒にしちゃいかんよ
871人間七七四年:2011/08/24(水) 19:34:38.40 ID:B20VlrOI
>>870
問題ない、水軍と陸軍の差なんて秀吉連合軍の練度に比べれば誤差程度にすぎないから問題ない
872人間七七四年:2011/08/24(水) 20:10:20.78 ID:IBn4qEBc
>>870
頭数だけ揃えた低練度の朝鮮陸軍レベルを基幹戦力と呼ぶならそうかも知れんがな。
まがりなりにも正規戦力だった日本や明の陸軍と一緒にされることこそ、困るよ。
873人間七七四年:2011/08/24(水) 21:46:15.93 ID:H9z40pZd
>>870
>基幹を失うことがまずありえない陸軍戦力を一緒にしちゃいかんよ

ナニその妄想。朝鮮軍は負ける度に雲散霧消してただろ。w
874人間七七四年:2011/08/24(水) 22:07:55.61 ID:P8ATpxmE
>>872
話の流れをもう一度嫁
875人間七七四年:2011/08/24(水) 23:00:45.33 ID:LJ2W8Qe5
もし朝鮮半島が日本領になったら、清正や行長が配置されたのかな?
876人間七七四年:2011/08/25(木) 18:37:43.25 ID:Lhv7LhUg
功績のあった武将全てに割り振られただろ
あと、不参加大名も転封って形で領土の一部か全てを
朝鮮に移されてただろうね
877人間七七四年:2011/08/25(木) 19:16:41.21 ID:b2Q4l4dl
8.21フジテレビ包囲、TV放送の正常化を求める運動
http://www.youtube.com/watch?v=G2gSlYH5uPk
878人間七七四年:2011/08/25(木) 20:00:34.00 ID:NzW0HrN4
>>877
フジテレビとか関係ねえだろ
すっこんでろよ
879人間七七四年:2011/08/25(木) 23:50:33.20 ID:SQnSpFng
         ヽ:r‐'、  __
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       ,.イ  \.丶、`' .、,_`,.ィヽ、
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       富士手 禮備(?〜1621)
880人間七七四年:2011/08/26(金) 21:49:47.37 ID:ubKEPUZX
フジテレビのデモ見てきたけど凄い迫力だった
あれで6000らしいし(最終的に3万とかいう話しもあるが)
5万の軍勢とか半端ないだろうな
881人間七七四年:2011/08/26(金) 22:22:09.08 ID:NaU31IZ1
朝鮮出兵に参加したのは14万だっけ?
882人間七七四年:2011/08/26(金) 22:39:46.38 ID:hNcPmPki
お台場に駐屯している朝鮮軍を攻めるのに6000は少なすぎないか?
攻撃側3倍の原則は守れよ。
反撃で将が討ち取られるぞ。
883人間七七四年:2011/08/26(金) 22:46:07.35 ID:NaU31IZ1
6000いたら十分だろw
884人間七七四年:2011/08/26(金) 23:32:43.10 ID:SW11pHPZ
しかもこの6000は最小に見積もっての数字であり、これから増加していくからなあw
885人間七七四年:2011/08/27(土) 05:34:15.53 ID:xALIJHgB
相手の指揮官がイスンシン級だったら、
攻撃側3倍では足りず、さらにお台場までの海路、補給路を全て寸断され、
戦わずに殲滅されるかもな。

886人間七七四年:2011/08/27(土) 08:02:02.68 ID:ipdLlXPD
妄想乙
887人間七七四年:2011/08/27(土) 08:10:02.72 ID:QfdOZ6Cm
敵軍の数を正確に把握する物見ってのは難しい役目なんだろうなあ
888人間七七四年:2011/08/27(土) 09:28:31.57 ID:9/DIr7Ne
目線が同じだしね
だから旗の数を多くしたり、槍の先に光り物付けて数を多く見せた
889人間七七四年:2011/08/27(土) 10:39:24.94 ID:CLr2JnvN
>>885
海戦ならともかく、陸戦じゃ朝鮮軍なんて日本軍の倍の兵力があっても皆殺しにされるだろw
890人間七七四年:2011/08/27(土) 11:52:36.99 ID:cnz+/m1J
>>889
いや、実際には海戦も、李舜臣が兵力的に少なかったのやむを得なかった
鳴梁海戦のみで、あとはいずれも日本側の数倍の戦力で戦ってるわ。

ま、>885のような妄想は論外として、まずは手持ち兵力集中して、負ける要素を
減らすという点で賢い人物ではあったろう。最後には必要性のない戦を無理に
仕掛けて返り討ちにあったけどな。
891人間七七四年:2011/08/27(土) 12:18:07.73 ID:QfdOZ6Cm
李舜臣の最期だけは全く評価できないな、
アレでずいぶん株を落としてる。
892人間七七四年:2011/08/27(土) 14:44:13.03 ID:8YdGT48A
李舜臣なら1/3でも大丈夫そうに見える不思議
893人間七七四年:2011/08/27(土) 15:07:42.07 ID:wKMy6FoT
李舜臣なら3倍でも不安そうに見える不思議、の間違いだろ
894人間七七四年:2011/08/27(土) 15:47:09.80 ID:8YdGT48A
1/3だったら勝手に突っ込んできて自爆しそうじゃないか
だから安心なんだよ
895人間七七四年:2011/08/27(土) 18:07:57.78 ID:54EcWk8W
戦果らしい戦果がないのになぜか名将ってことになってるな李は
北の果てに逃げ込んでたのに何故か南方の日本軍の補給船団を攻撃したことになってたり

航空攻撃でもしたんだろうか
896人間七七四年:2011/08/27(土) 19:56:23.76 ID:Yc1d3TBo
亀甲船を水上艦だと思うから、再現した船が進水時に転覆するんだな。
逆に考えるんだ潜水船だと!
897人間七七四年:2011/08/27(土) 22:36:05.53 ID:Tq6NrhcD
亀甲船は最後まで日本の技術では真似できませんでしたね。
898人間七七四年:2011/08/27(土) 22:49:56.59 ID:eXZh1iW2
明朝鮮の船は砲撃戦仕様で装甲もそれに対応したものだったらしいが
対日本を考えた場合、大鉄砲や鉄砲から人員を守るほうが効果的だよね
なので(もし実在するなら)全体の装甲厚を落として防護面積を拡大した船じゃないかと思ってる
899人間七七四年:2011/08/27(土) 23:05:01.08 ID:Z/Aqlt6k
盲目船(銃撃防ぐ板装備)なら普通にあったよ

でも艦隊にするなら大安宅船とかのほうが、銃(砲)撃と進退自由だからいいんじゃない?
だいたい明艦隊が亀甲船採用してない、って時点で性能は……
900人間七七四年:2011/08/27(土) 23:06:36.58 ID:d1DZChmP
朝鮮水軍は倭寇や秀吉軍など日本の勢力としか対戦しないので砲撃戦など想定してない。
朝鮮船は構造的には和船と大差無い。竜骨やジャンクに見られる隔壁が無いので脆い。
松で建造していたので杉を使用していた和船より堅かったとは思う。
901人間七七四年:2011/08/28(日) 00:44:50.42 ID:TFzbxT0P
亀甲船は日本のふねじゃ
亀甲車の半水中仕様だぞ
902人間七七四年:2011/08/28(日) 01:09:12.12 ID:KnxU6ZKq
>>898
>装甲もそれに対応
リアル鉄甲船でも作る気かよw
903人間七七四年:2011/08/29(月) 21:51:09.92 ID:CnPva43G
>>900
船材自体は朝鮮船の方が堅かったかもしらんけど、大板づくりで外板が
片舷3枚乃至4枚(よほどの大船)で船梁(ビーム)も3乃至4段の日本船に対し
舷側版が十数枚の朝鮮船は、船梁もその数だけあるわけで、朝鮮船の
内部はジャングルジム状態で漏水個所だらけのすさまじいものだったと思うな。

”朝鮮の優秀な造船技術”というヨタがいまだにまかり通ってるが。

904人間七七四年:2011/08/29(月) 22:06:17.18 ID:MGN8LQKD
>>903
確か、朝鮮船はジャンクのように多数の梁を板状にして隔壁にしていた
905人間七七四年:2011/08/29(月) 22:15:04.44 ID:CnPva43G
>>904
あちゃらの朝鮮船の権威・金在瑾の著書によるとそうではないらしい。

まぁ、現物が残ってないので実際のところは判らんけど、当時の朝鮮船は南部の
船材産地(巨済島とか)は日本に押さえられているし、船材は可能な限りケチったと
考える方が妥当なような気がするけどね。
906人間七七四年:2011/08/29(月) 22:23:15.01 ID:rEsM3Wl8
>>904
朝鮮がジャンクと読んでしまった
あながち間違いじゃないから困る
907903:2011/08/30(火) 00:55:44.58 ID:ny3CziQi
訂正自己レス。

>舷側版が十数枚の朝鮮船

金在瑾の『亀船』を確認してみたら、舷側版が片舷7、8枚、底板が10枚ほどだった。
908人間七七四年:2011/08/30(火) 03:39:54.36 ID:9ZDdjaYm
日本船はポルトガル船の真似しなかったの?
技術水準が違いすぎて真似できなかった??
909人間七七四年:2011/08/30(火) 07:57:49.21 ID:hUKiH2sX
朱印船とかは帆とかに南蛮船の影響が見えるっていうね。
竜骨構造の船も作られてたって説もあるけど。

江戸時代に標準的な和船ばかりになったのは純粋に経済的問題。
和船は沿岸航海でとにかく荷物を運ぶ、って目的には合理的な構造だよ。
910人間七七四年:2011/08/30(火) 13:01:02.30 ID:ny3CziQi
>>908
技術水準が違いすぎるなんてこたぁないだろ。

船体についていえば言えば外板に強度を持たせる和船と、フレームが強度部材で
それに外板を貼り付ける西洋船とでは設計思想が全く違う。むしろ木工技術水準は
日本の方が上じゃないかな。

帆装では、和船が江戸時代に入って下桁がなくなったのは、あるいは西洋船の
影響なんでないかとも思うけど(正確なところはシラネ)、1枚帆で帆柱に上ることなく
上げ下げが可能でごく少数の人員で運用できる和船は、>909氏も言うように
内航船としては非常に合理的。
911人間七七四年:2011/08/30(火) 13:02:24.35 ID:ny3CziQi
>船体についていえば言えば

大事なことなので・・・じゃなく単なる校正ミス。^^;
912人間七七四年:2011/08/30(火) 14:04:04.73 ID:1VBKnmag
>>908
仙台藩が和船とスペイン船のハイブリッドであるサン・ファン・バウティスタ号を建造したよ
913人間七七四年:2011/08/31(水) 21:56:10.26 ID:cyuO+5gO
ハイブリッドってカッコイイな。
なんか電気で動いてます、みたいな?
914人間七七四年:2011/09/29(木) 20:58:16.35 ID:sDPFip/H
日本側も城攻めは結構苦戦してるよね
朝鮮の城って実際に堅城といって良かったの?
915人間七七四年:2011/09/29(木) 21:54:45.92 ID:l247pPqD
とりたてて堅城と言うほどではないのでは
晋州城や幸州山城の防衛成功は有名だけど
その他数え切れないほど朝鮮の城は陥落してるわけだし
916人間七七四年:2011/09/29(木) 22:08:03.08 ID:xCOFNUC4
大陸式の町をまるごと囲む城市は大規模になればなるほど、補充兵も物資もあるから
落としにくくなる。
ヨーロッパの戦場では数年間城塞都市を包囲するなんてザラだったし。
917人間七七四年:2011/09/29(木) 22:54:37.09 ID:24OudSt4
>>914
中国式の邑城は半日(釜山城等)から数日で落城。朝鮮式山城(幸州山城)や
その折衷形式(晋州城)には手こずったというところ。

でも、力押しで山城落とすのはどだい無理な話で、日本国内戦でも干殺しや
調略でしょ。
918人間七七四年:2011/09/30(金) 03:03:59.17 ID:ThLNPhk9
小規模な城相手に大兵力がいれば力押しで落とすのもよく見るな

>>916
それは外部からの補給が存在する場合だけじゃないか?
市民の数が多ければ多いほど消費は増える
919人間七七四年:2011/09/30(金) 23:53:22.93 ID:KFTD2Wxc
城塞都市は内部で生産できたりするからな
920人間七七四年:2011/10/01(土) 01:39:21.88 ID:ilAeRyP/
流石に食料は完全にまかない得ないだろう
コンスタンティノープル包囲戦でもジェノバ艦隊が食料を運び込んでるし
921人間七七四年:2011/10/01(土) 10:09:47.75 ID:UUbl8Pvs
欧州の長期籠城戦は必ず補給線が確保されているからな
孤立無援で何年も籠城は不可能
自活と言っても田畑は居住区の何倍もの面積必要だから、完全にまかなう面積作ると城壁が長くなりすぎて守り切れない
922人間七七四年:2011/10/01(土) 10:13:29.50 ID:u831K0+O
そりゃ食料は無理だ。レニングラードの命の道的なものが無いと
923人間七七四年:2011/10/04(火) 23:05:00.38 ID:Ow4ihpFP
924人間七七四年:2011/10/05(水) 06:39:28.75 ID:pGbb5yTw
>>923
それで再現とか言われてもなー(笑)

そういや、板屋船丸焼けはもう一昨々年になるのか。
ttp://www.dailian.co.kr/news/news_view.htm?id=129510
925人間七七四年:2011/10/05(水) 08:38:04.15 ID:7dw3rlh1
鳴梁海戦の意義が分からない馬鹿日本人たち. - 韓国の友達と感性を分かち合う楽しい世界!− GoKorea
http://www.gokorea.jp/trans_bulletin/forum_list_view.html?uid=10022&fid=10022&thread=1000000&idx=2&page=25&sort=&keyword=&tb=transCulture1
926人間七七四年:2011/10/05(水) 13:09:44.91 ID:DHjntNm+
ま、日本で歴史を語る際にドラマの映像をソースに挙げたりすりゃ
馬鹿扱いだよな。
927人間七七四年:2011/10/05(水) 21:10:41.62 ID:OCvBV56/
日本人も同レベルの馬鹿っぽい文章だな
928人間七七四年:2011/10/06(木) 01:53:44.59 ID:HE0G9d4r
『宣祖実録』に見る鳴梁海戦後、日本水軍が全羅道西岸に進出していた証拠
http://tokugawa-tokugawa.blogspot.com/2011/10/blog-post.html
929人間七七四年:2011/11/02(水) 19:35:53.03 ID:nOhdVGjd
なんで加藤清正は独断行動してしまったん?
930人間七七四年:2011/11/02(水) 21:08:35.28 ID:tWwIwxzG
加藤清正の独断行動って?
931人間七七四年:2011/11/03(木) 05:47:59.73 ID:i+I9EZS8
韓流より面白いwww

LAの地方紙に載ったアメリカ人の投稿
http://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/kiji/2ch/gookusa.html
*gookとは韓国人を指す用語*

断言するが、貴様らgook共は地球上で 最低の人種、
一番の人種差別民族だ。 醜く野蛮な犬喰いで平面顔の上に、見苦しくも
588層の化粧を塗りたくった貴様らgook共と比べると、
中国人は謙虚で、しかも自信たっぷりだ。犬喰いで平面顔で、しかも
ニンニク臭い口臭振りまいてる 野蛮人共と比べると、日本人ははるかに
親切でオープンな人々だ。 この醜い、目の切れ上がった、
他の人が口から戻したような物を食物にしてるgook共が!!!
貴様らgook共は不潔で、国全体が肥溜めみたいに臭うときてる。
日本に移る前、二年ばかりgookランドに棲んでいた。
はっきり言って、あれは人生最悪の二年間だった。
日本はまるで天国みたいにいいところだ。野蛮な貴様らの国と違って。
932人間七七四年:2011/11/03(木) 05:48:39.55 ID:i+I9EZS8
身体障害者や病人をまねた踊り、韓国の伝統芸能 病身舞(ピョンシンチム)
http://www.youtube.com/watch?v=i86fiRjvafk

明らかに弱者を馬鹿にしている悪習とされ
大日本帝国統治時代に朝鮮総督府がこれを咎めて廃止した
しかし日本敗戦後に再び復活した
933人間七七四年:2011/11/03(木) 05:49:10.47 ID:i+I9EZS8
934人間七七四年:2011/11/03(木) 08:29:12.08 ID:fdU2vzwa
グークってナム戦争の時にベトナム人をそう読んでたんじゃなかったか?
935人間七七四年:2011/11/03(木) 11:19:39.64 ID:z9clswhb
>>933
スレチだカス野郎
936人間七七四年:2011/11/03(木) 18:30:55.26 ID:VFPw4vCr
韓国面と戦いすぎた者は韓国面に落ちるというアレか・・・
哀れな
937人間七七四年:2011/11/03(木) 22:07:18.80 ID:NS/wKiCk
朝鮮人にしてみれば仲間が増えて嬉しいニダなんじゃないの?w
938人間七七四年:2011/11/04(金) 22:24:33.60 ID:E1a28q2v
チョンと戦う者は、その過程で自分自身もチョンになることのないように気をつけなくてはならない。
韓国面をのぞく時、韓国面もまたこちらをのぞいているのだ
939人間七七四年:2011/11/05(土) 18:50:15.81 ID:XFs3WbGR
「ウェーハッハッハ フォースの韓国面に逆らう事はできないニダ」
「エラ張りし者だったのに!」
940人間七七四年:2011/11/07(月) 13:31:00.14 ID:DyXrR2dR
思ったんだが、南原城の戦いで明軍が山城でなく平城に篭城したのは
その軍の編成に理由があるんじゃないだろうか
楊元が率いたのは遼東の騎兵三千で、平城に篭城すれば
騎兵の機動力を生かし城外に打って出て、遊撃戦を展開することもできる
実際に南原城が日本軍に包囲された後、楊元は一度騎兵を出撃させてるし
(すぐ包囲されそうになって城に逃げ戻ってるけど)。
そう考えれば山城へ篭るべき、という朝鮮側の献策を却下した
楊元の判断は間違ってなかったのではないだろうか
941人間七七四年:2011/11/07(月) 18:22:44.34 ID:qoyeffRz
そうだよ。
遼東・遼西あたりでは騎兵が主体で
平城を拠点に進退する。
騎馬のモンゴル人や女真人に対応するには
これで良かったんだろうけどな
942人間七七四年:2011/11/08(火) 19:59:17.77 ID:QwAnSZj8
>>940
山城など無い。大軍を中長期に留めるには生産力も備蓄も少なすぎなが朝鮮の大地なのだよ。
943人間七七四年:2011/11/08(火) 21:03:08.94 ID:apqPjTEG
>>942
いや、あるって・・・
944人間七七四年:2011/11/11(金) 06:54:33.82 ID:yjQV5V4s
>>943
ないよ。あっても500人程度が籠もれる(避難可能な?)城というか、山そのものだ。
明軍はまとまって駐屯できない。駐屯できても数不足で戦力にならないか、補給不足で維持できない。
945人間七七四年:2011/11/11(金) 11:20:56.97 ID:oWNCiR/C
幸州山城には2300人が篭城してるわけだが
大体作りが貧相だとしても山城であることに変わりは無いだろ
946人間七七四年:2011/11/11(金) 16:43:41.93 ID:t0JnA4D2
谷合いの水の手含めて稜線をぐるりと取り囲むのが
朝鮮式山城だから、大きいものは収容力はそれなりに
あるわな。ま、騎兵向きじゃないけど。

松山城の登り石垣が朝鮮の山城の影響と言われていて、
日本側の認識としてもそう馬鹿にしたモンではないのだろうと
思われ。
947人間七七四年:2011/11/11(金) 21:06:08.55 ID:7193p1I7
片っ端から落とされたところを見ると・・・

というか登り石垣は単純に通路を城壁にしただけじゃないか?
948人間七七四年:2011/11/12(土) 03:15:23.72 ID:u0/F8+5Z
>>947
片っ端から落ちたのは山城じゃなくて邑城だな。

線で守る登り石垣は、竪堀で横の移動を制限して攻勢正面を分断して点にするという
従来の日本式の築城思想からすればやはり異質だろ。

通路を石垣になんてのはあくまで単郭の大陸式だからこそであって、複郭の日本式では
本来そんな無駄なことはしない。
松山城のは、水の手を守る朝鮮式山城の縄張りを、船溜まり防衛に応用した朝鮮での
倭城のもののさらなる応用なんだろう。
彦根城のは天下普請だし、加藤嘉明や脇坂安治のような実戦経験のある築城主の
ものじゃないから、どこまでどう考えてるのかよーわからんけど。
949人間七七四年:2011/11/12(土) 05:01:01.99 ID:rvLb5sk9
>>945幸州山城は城ではなかったわけだが?
950人間七七四年:2011/11/12(土) 12:34:05.48 ID:uKaAKxe+
>>948
港に隣接して立てる場合は城の中に取り込む必要があるが
城の規模からして離れすぎてたから間を登り石垣にしただけだろ?

単郭と関係ないやん
951人間七七四年:2011/11/12(土) 15:31:16.41 ID:S3CNWqDU
>>950
何を言ってるのかマジで全く意味不明なんだが。
952人間七七四年:2011/11/12(土) 16:13:24.42 ID:+rGzGC4r
倭城の登り石垣のコンセプトは港湾部を石垣ラインで取り囲んで
山上の本城と港湾を一体化させ、補給の便を図ったもの

朝鮮式山城のコンセプトは山の稜線ラインを塁壁化し
内部空間を確保したもの

両者のコンセプトは違っている

また朝鮮には水営城という水軍用の沿岸部の城があるが
水軍用の城の割には港湾と城が切り離されていて
港湾部は無防備
同じ沿岸部の城でも倭城とはコンセプトが違っている

松山城の場合は麓の居館部分を山上の本城と一体化するために
石垣ラインで接続したもの。コンセプトとしては倭城の港湾を居館
に置き換えたものといっていい。

倭城も松山城も平地部分を取り込んでいるが
朝鮮式山城は平地部分を取り込んでいない。
953人間七七四年:2011/11/12(土) 16:43:56.80 ID:S3CNWqDU
朝鮮式山城は内部に平地というか、水源と居住空間となる窪地を
取り込んでいるわけだが。
954人間七七四年:2011/11/12(土) 17:37:19.75 ID:uKaAKxe+
そんな話はしてないと思うが
言っちゃ悪いが読解力に相当問題有ると思う。
あんまり説明うまい方じゃない俺のレスだけならともかく
955人間七七四年:2011/11/12(土) 18:05:18.83 ID:+rGzGC4r
>>953
朝鮮式山城が取り込んでいるのは谷
平地ではない
956人間七七四年:2011/11/12(土) 19:20:09.97 ID:S3CNWqDU
>>955
だから、その谷筋に降りる朝鮮山城の高石垣の城壁ラインが
登り石垣の原型だろ、ということだよ。

>>952では”山の稜線ラインを塁壁化”というだけでその点に
全く触れられていないが。
957人間七七四年:2011/11/12(土) 21:03:02.63 ID:uKaAKxe+
取り囲む様に配置するのと、線で結ぶのじゃえらい違いだが
958人間七七四年:2011/11/12(土) 21:25:33.31 ID:+rGzGC4r
朝鮮式山城は山が谷を取り囲んだ地形に築かれる
谷底の川が流れ出る箇所が開いているので
この部分を塞ぐために谷に下りてゆく塁壁が築かれるが
谷に下りてゆく塁壁も谷に下ってゆく稜線に沿って築かれている

倭城の登り石垣の場合は稜線とは無関係に築かれることが多く
コンセプトの違いがある
また倭城の登り石垣には日本式の横矢掛り構造が設けられいて
この点も朝鮮式山城とは異なっている。
http://www38.tok2.com/home/jyusyou/wajyou1.jpg
http://www38.tok2.com/home/jyusyou/wajyou2.jpg

倭城の登り石垣は本城と港湾を一体化する必要性があったから
設けられたのであり
朝鮮式山城の谷部を塞ぐ塁壁ラインとは存在意義からして異なる
単にどちらも低所と高所を繋ぐ塁壁ラインというだけでは
影響によるものとする根拠にはならない。
959人間七七四年:2011/11/12(土) 21:38:17.94 ID:+rGzGC4r
960人間七七四年:2011/11/12(土) 22:08:13.45 ID:+rGzGC4r
因みに
低所と高所を繋ぐ塁壁ラインなら世界中各所にあり、必要性があれば誰でも考えつくもの
つまり別の国の影響とかが無くても発生するもの
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ed/Castelo_dos_Mouros_-_Sintra_%28_Portugal_%292.jpg/235px-Castelo_dos_Mouros_-_Sintra_%28_Portugal_%292.jpg
961人間七七四年:2011/11/12(土) 22:14:15.04 ID:+rGzGC4r
962人間七七四年:2011/11/12(土) 22:20:43.53 ID:S3CNWqDU
なんかファビョンしてるな〜w

まともに対話は出来なさそうだ。
963人間七七四年:2011/11/12(土) 23:12:58.73 ID:+rGzGC4r
反論不能で逃亡準備に入った>>962
964人間七七四年:2011/11/12(土) 23:17:50.98 ID:uKaAKxe+
論理的な反論なしか・・・
在りし日のエンコリ韓国人と全く同じ行動とは・・・
965人間七七四年:2011/11/12(土) 23:23:27.57 ID:5AOuqvg6
ID:+rGzGC4rは何が言いたいの?
966人間七七四年:2011/11/13(日) 02:08:52.90 ID:j8T5Hkou
君には理解出来ないことじゃないかな
967人間七七四年:2011/11/13(日) 12:44:25.08 ID:nkWlC04I
>>965
低所と高所を繋ぐ塁壁ラインは世界中各所にあり誰でも考えつくもの。
登り石垣に朝鮮の影響なんて断じてあり得ない !(キリッ

                                      っしょ。




ちなみに朝鮮の山城と松山城を鳥瞰図で比べればこんな感じ。

朝鮮山城
http://pds14.egloos.com/pds/200902/12/92/a0111892_4993a4738b6a8.jpg
http://postfiles9.naver.net/data44/2009/5/1/8/dsc_6436_a1k1.jpg?type=w2
http://img.blog.yahoo.co.kr/ybi/1/f6/14/okokojs/folder/1369624/img_1369624_1436502_1?1222836030.jpg

松山城
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/7e/05c3cfbb6e0f078de48fd640daf1b9d9.jpg
http://www.geocities.co.jp/yogo139/sikoku/matuyamatyo.jpg
968人間七七四年:2011/11/13(日) 12:51:24.94 ID:ozaPouSN
で、どれが朝鮮役で南原城に代わって明軍が籠もれるような朝鮮山城だったの?
969人間七七四年:2011/11/13(日) 17:47:18.11 ID:j8T5Hkou
ありえないじゃなくてその根拠はないと言われてるのに何を煽ってんだこの子?
970人間七七四年:2011/11/13(日) 21:15:38.30 ID:8IhjnLYT
>>946
>松山城の登り石垣が朝鮮の山城の影響と言われていて、

>>948
>松山城のは、水の手を守る朝鮮式山城の縄張りを、船溜まり防衛に応用した朝鮮での
>倭城のもののさらなる応用なんだろう。

>>956
>だから、その谷筋に降りる朝鮮山城の高石垣の城壁ラインが
>登り石垣の原型だろ、ということだよ。


上で倭城の登り石垣が朝鮮山城の影響だと言ってるけど
結局、その根拠を何も説明してないんだな。
971人間七七四年:2011/11/13(日) 21:30:31.50 ID:nkWlC04I
>>969
昨日の韓国面コンビの片割れ?

ま、その根拠はない!(キリッ でも構わんけど、朝鮮山城の影響は研究者も認めているのに
それこそ相応の”根拠”を提示して異を唱えるならともかく、ネットで拾ってきた頓珍漢な画像を
並べたてて素人解釈タレてるだけじゃ、いくら学問板じゃなくても馬鹿扱いだろ。w

倭城研究の第一人者といえる黒田慶一氏は昨年の釜山支城の遺構発掘で次のように
新聞記事で述べてるし、やはり第一人者と目される三島正之氏は、一般向けのムック本である
学研の『歴史群像35 文禄・慶長の役』で、18年も前に倭城に対する朝鮮山城の影響について
示唆してるので、単なる一般の歴史好きの間でも無関係ではあり得ないというのは常識
レベルの話だと思うぞ。


倭城に登り石垣 韓国・釜山 2010.12.14 読売新聞

 豊臣秀吉の文禄・慶長の役で、日本軍が朝鮮半島に築いた城郭「倭城」のうち、
韓国・釜山にある最初期の城の遺構で、石垣を大幅に改修し、平地から丘陵部へと
斜面を登って続く「登り石垣」を採用していたことを、倭城に詳しい黒田慶一・大阪市
博物館協会主任学芸員が確認した。万里の長城など大陸の築城形式を受け継ぎ、
より堅固な城にするため設けたとみられる。専門家は「登り石垣の成立を考えるうえで
重要な発見」と注目している。
 登り石垣は、文禄の役が始まった1592年4月、日本側の侵攻拠点として築かれた
「子城台(チャソンデ)倭城」の南東部で昨年10月、韓国のウリ文化財研究院の発掘調査に
よって出土した。
 同城は丘陵部に築かれ、全体を別の石垣が囲んでいるが、登り石垣は城域の外側で、
城を囲む石垣と直交する形で約10メートルを確認。幅3・7〜4・5メートルで、大部分は
崩れていた。城を囲む石垣を越え、頂上の本丸まで斜面を駆け上がる形で結んで、守りを
強化したとみられる。
 下層に、南側の海に向かって延びる別の石垣の遺構が見つかっており、当初は丘陵南側に
あったとみられる港を守る形で石垣を設けていたが、翌年に丘陵を囲む石垣を築いたうえ、
登り石垣を設けたとみている。
 登り石垣は、城域に入り込んだ敵の撃退に威力を発揮したとみられ、ほかの倭城にも
残っているが、築造時期などは、よくわかっていなかった。国内では17世紀初めに造られた
松山城や彦根城などに残り、帰国した武将らが伝えた可能性が高い。
 倭城は、加藤清正が籠城した蔚山(ウルサン)倭城など韓国内で約30か所知られているが、
ほとんど発掘調査されておらず、韓国側の研究は進んでいない。
 現地を訪れて検討した黒田主任学芸員は「秀吉軍は異民族との戦いのため、より堅固な
要塞を必要とし、大陸の築造技術を採り入れて改修したのだろう。登り石垣がいつ頃、どの
ようにして成立したかがわかる」と話している。
972人間七七四年:2011/11/13(日) 21:44:54.62 ID:8IhjnLYT
>>971
結局、誰々が言ってるっていうだけで
論理的根拠が述べられていない訳だ。
973人間七七四年:2011/11/13(日) 23:19:19.60 ID:41lzsC/D
だったら何が「論理的根拠」になるんだ?
まあ登り石垣は国内ではごく一部の城にしか見られず
日本の多彩な築城技術のうちの一つに過ぎない
大陸の影響で出来たものだからといってそこまで気にすることはないぞ
974:2011/11/13(日) 23:58:13.14 ID:VabupYny
当時の武将は朝鮮の女とやりまくったんだろうなー
羨ましいな〜
あいつ等生意気だからキャンキャン言わせたいわ、はめて
975人間七七四年:2011/11/14(月) 00:04:36.23 ID:zZZLGbst
>>973
>だったら何が「論理的根拠」になるんだ?

ん?今まで何度も書いてるが>>952>>958>>959>>960>>961
書き込みちゃんと読んでる?
まあ、もう一回おさらいを兼ねて言ってあげるよ。

もし、倭城の登り石垣が朝鮮山城の影響によるものなら
両者は類似したものになるはずだが、実際のところ
朝鮮山城と倭城の登り石垣はコンセプトから異なっていて
構造も大きく異なる。そのことは既に何度も述べている。
塁壁ラインを築いて守るべき空間を防衛するのは
世界中の各所にあって、誰でも考えつくこと。
倭城の登り石垣も本城と港湾を一体化する必要性があったから
設けられたのであり、根拠なく朝鮮山城の影響を言うべきではない。


本来、倭城の登り石垣が朝鮮山城の影響説の論理的根拠を
述べなけりゃならないのは倭城の登り石垣が朝鮮山城の影響説
を唱える側にある。ところがその点を何も述べていない。

まともな論理的根拠なしに倭城の登り石垣が朝鮮山城の影響説
が唱えられてるなら、そんないい加減なことに疑問を持つのは
当然の事。根拠の無い説がまかり通るなら
あらゆる空想論が世にまかり通ってしまう。
976人間七七四年:2011/11/14(月) 07:53:55.75 ID:yPR3oycA
>>975
横から失礼。

コンセプトとか規模とか、それは単なる発展型だとも言えるぞ。
似たような発想はあっても、実物を見て日本でも採用ってのも、別に不自然でもない。

むしろ良いものは積極的に採用する姿勢が無ければ、戦国の世を生き抜くことは出来ない。
褒めるべきところだと思うがな。
977人間七七四年:2011/11/14(月) 12:19:23.20 ID:ZKrwNs2z
>>948
まだ粘着してるのかw

斜面を縦に走る石塁という防御施設の本質とは無関係な、コンセプトやら
城郭全体の形状が違うとかいう、自分のお粗末で見当違いの”でない根拠”しか
もう頭にないから全く理解してないようだが、とっくに>>948で根拠は述べてるだろ。

登り石垣はそれまでの日本の築城思想にはない異質なものだということだよ。
で、さらに加えれば生まれたのが朝鮮役という外征のなかであって、その場合、
アンタが>>960で主張するようにピコーンと天の啓示で思いついたと考えるより、
眼前で対峙する敵城に斜面を縦に走る石塁があるのだからそれを自軍でも
採用したと考える方が蓋然性が遙かに高いということだ。

それで納得行かないのなら、まぁ、する気はないだろうがw、>>958-961あたりの
幼稚な持論を添えて研究者に公開質問状でも送りつければいいんじゃね?
オレならそんな恥ずかしいことはとてもできんけどな。

 ピコーン
   \  __  /
   _ (m) _
      |ミ|
   /  .`´  \
ペペロという
新しいお菓子を思いついたニダ!
     ∧_∧ /←ポッキー
    <`∀´ ∩
    (つ  丿
    <__ ノ
      レ
978977:2011/11/14(月) 12:22:13.63 ID:ZKrwNs2z
うは、頭のアンカー間違えた。w

× >>948
○ >>975
979人間七七四年:2011/11/14(月) 20:19:37.14 ID:T2uOGETg
自分は粘着じゃないのかww
韓国面がどうとか煽り始めたことといい
なんで自分だけは正しいと思い込めるんだ?w
980人間七七四年:2011/11/14(月) 21:50:08.50 ID:muTepvNn
明軍がまとまって駐屯できる朝鮮山城はなかったんでしょ?
981人間七七四年:2011/11/14(月) 22:55:44.89 ID:SudicwyM
>>977
>とっくに>>948で根拠は述べてるだろ。

いや>>948は全くトンチンカン
線で守るのは日本式の築城思想に無かったとか話にならん
ふつーに日本の城でも線で守ってるわな
http://stat.ameba.jp/user_images/20110328/21/edo-sanpo/b5/42/j/o0500039511131092988.jpg
982人間七七四年:2011/11/14(月) 23:09:16.13 ID:ZQpeRedF
>>981
ほー、それのどこが斜面を縦に走る線で守ってるって?w
983人間七七四年:2011/11/14(月) 23:22:06.21 ID:SudicwyM
倭城の構成は有岡城の本城と城下町を一体化させた「惣構」の構造に近い
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_ac8/sengoku-neta/m_sougamae001.jpg

登り石垣を採用した倭城は本城が山上にあるため
惣構の塁壁ラインが傾斜しただけの話

今ここで「登り石垣」と言っているが
当時そのような呼び方は無かった。
当時何と呼ばれていたこというと「惣構」だった
「惣構」は何も朝鮮出兵で初めて採用されたわけではなく、以前からあったもの。
倭城の惣構構造は従来から日本にあたった惣構構造を朝鮮半島に持ち込んだものといえる。
984人間七七四年:2011/11/15(火) 00:01:50.56 ID:e+T668Pp
>>982

>>981 はあくまで>>948がトンチンカンであることを
示すために小田原を例に挙げて反論しのもの

これまで「倭城の登り石垣が朝鮮山城の影響説」はまともな根拠を
>>948も含めて)何も挙げてないと思ってた。
しかし、>>948が根拠だというので、
小田原を例に挙げて反論しただけのはなし。

結局、>>948がトンチンカンである以上
倭城の登り石垣が朝鮮山城の影響説の
根拠は何もないということになる。

根拠が何もない以上、倭城の登り石垣が朝鮮山城の影響説は
ただの妄想に過ぎないということだ。
985人間七七四年:2011/11/15(火) 00:15:16.43 ID:FhlAI4R6
妄想とまでは言わないが根拠は薄いな。
それを否定されただけで顔真っ赤にして煽る意味がわからん。
986人間七七四年:2011/11/15(火) 01:15:07.59 ID:dQ7iwkUr
俺も韓国面がどうのとかいう煽りは正直気持ち悪いが
登り石垣は大陸式城郭の影響という結論が妥当だと思うぞ
だって時期的にもそう考えるのが一番自然じゃん
987人間七七四年:2011/11/15(火) 01:17:43.94 ID:dQ7iwkUr
>>980
幸州山城でも黄石山城でも二千〜四千人が篭城できてるのに
明軍がまとまって駐屯できないと言い張る根拠がわからん
988人間七七四年:2011/11/15(火) 01:29:14.82 ID:FhlAI4R6
小規模な城で幅の広い場所を確保するための構造だから
単純に連郭の派生系じゃないか?
基本的に円で囲んでるだけの中国式城塞とは大分ちがわね?
989人間七七四年:2011/11/15(火) 04:32:31.06 ID:5QuPnSLD
>>983-984
とりあえず有岡城も>>982だな。
それに答えてから「トンチンカン」「根拠は何もない」「ただの妄想に過ぎない」の中傷にしないと。
990人間七七四年:2011/11/15(火) 05:39:11.30 ID:WaF7gCOo
>>987
両城ともに駐屯できてないでそ?
991人間七七四年:2011/11/15(火) 11:48:56.71 ID:dQ7iwkUr
できなかったのとしなかったのは別だろ
992人間七七四年:2011/11/15(火) 16:46:14.07 ID:Fc/ITQz6
朝鮮山城って七世紀の日本の朝鮮式山城からあまり発展してない様に見えるな、素人目にはさ。
993根拠がない登り石垣朝鮮山城の起源説
>>989
斜面を縦に走ってるかどうかは重要ではない。
重要なことは有岡城が登り石垣を持った倭城と同様に
惣構の塁壁ラインが本城に連結した同様の形態を持っているということ。

有岡城の場合は本城が平城だから塁壁ラインが斜面を登ってない。
倭城の場合は本城が山城だから塁壁ラインが斜面を登る。
ただそれだけのこと。
有岡城の本城が山城だったら有岡城の惣構も
山を登る形態になっていた。

即ち単に本城の立地による違いがあるだけであって
有岡城と倭城の間には本質的な違いはない。

反面、倭城と朝鮮山城の間には本質的な違いがあることは
今まで述べてきたとおり。