【次郎右衛門】戦国時代の剣豪 三人目【金左衛門】

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1人間七七四年
戦国時代の剣豪について語るスレ
時代は多少ズレるのは許容範囲だけど、
最強論はスレ違い
2人間七七四年:2009/12/05(土) 11:54:55 ID:V8Jm7IDJ
裏柳生も禁止
3人間七七四年:2009/12/05(土) 12:06:34 ID:VgQTyLl5
上泉四天王(上泉伊勢守信綱(源五郎、秀綱)1508-1577の代表的門下)
・羽田源太郎
・疋田豊五郎(文五郎・景兼・景忠?小伯・虎伯・栖雲斎)1527?-1605?
      {疋田陰流(後継者である山田浮月斎が称す)}
・神後藤三郎(宗治・伊豆守・鈴木移柏・意伯)
      {神後流}
・奥平孫次郎(定国・奥山公重・休賀斎)1526-1602
      {神影流(奥山流は本人以外が称す)}
・丸目蔵人佐(長恵・徹斎)1540-1629
      {タイ捨流}
その他の信綱の弟子たち
・宝蔵院胤栄 1521-1607
      {宝蔵院流槍術}
・柳生石舟斎(宗巌、又左衛門)1527-1606
      {新陰流道統継承者。四天王に匹敵する重要人物。無刀取を考案}
・上泉主水正憲元
      {会津一刀流。信綱の弟説あり。上杉景勝に仕官し、関ヶ原時に戦死←の経歴は、信綱の孫である泰綱とする説あり。}
・上泉秀綱(伊勢守、秀胤?)1530-1564
      {信綱の実子。上泉流軍法を伝承。北条家に仕官。国府台合戦で致命傷を負い、死去。子は泰綱(-1600)}
・上泉秀胤(常陸介)
      {信綱の養子。長子秀綱没後に迎えられた。上泉軍法と新陰流を伝承。子は義胤(1592-1672)}
・狭川甲斐守助貞
      {狭川新陰流。柳生宗矩から学んだという狭川助直との関係性が要検討}
・野中新蔵成常
      {新神影一円流}
・松田織部之助(清栄)
      {新影幕屋流}{曾孫が福井藩に道統を残す。その伝承者は横山記章。後は横山家が伝える}
・駒川改心(太郎左衛紋尉国吉)
      {駒川改心流総合武術}
・羽賀井一心斎(芳賀平馬、浅右衛門)1553?-
      {羽賀井流}
・磯端伴蔵(秀国)
      {磯端神陰流。経歴と実在性が謎}
4人間七七四年:2009/12/05(土) 12:08:47 ID:VgQTyLl5
●疋田栖雲斎の系譜
山田勝興(浮月斎)
      {疋田栖雲斎の弟子、自流を疋田陰流と称す}

●奥山休賀斎の系譜
奥平信昌(貞昌、九八郎)1555-1615
      {休賀斎の族弟であり、早期の弟子。徳川家康に仕え、家康に指南役として休賀斎を斡旋した。後に家康の娘婿になる}
徳川家康(次郎三郎、松平元信、元康)1543-1616
      {姉川の合戦で活躍した奥平貞昌の剣技に強い興味を持ち、その師である休賀斎を招く。8年間に亘って指南を受ける}
小笠原金左衛門(長治、源信斎)1570または74-1644?
      {真新陰流を称す。大陸に渡って修行し、八寸の延金を考案}
神谷丈左衛門(真光、伝心斎、幼名は幸之助)1582-1663
      {源信斎の弟子。道統を継承し、新陰直心流を称す}
高橋真翁斎(重治)
      {伝心斎の道統継承者。直心正統流を称し、直心影流に繋がる}
針ヶ谷夕雲(正成、五右衛門?五郎右衛門?)
      {源信斎の弟子。秘技・八寸の延金を伝授された。無住心剣流を興す}

●丸目徹斎の系譜
立花宗茂(高橋統虎)1567-1643
      {数奇な人生を歩んだ勇将。1596年にタイ捨流免許皆伝。抜刀術隋変流を興す。弓術にも長け、日置流などの免許を得る}
東郷重位(藤兵衛、弥十郎)1561-1643
      {タイ捨流を修行。しかし後に天真正自顕流に出会い、これを元にした示現流を興すことになる。
       タイ捨の流儀はあまり反映されなかったらしい}
奥山左衛門太夫忠信
      {徹斎の高弟。心貫流を興す}
永山大学入道信樂
      {奥山から五代目の道統。心貫流から信抜流(居合)に改める}
5人間七七四年:2009/12/05(土) 12:12:27 ID:VgQTyLl5
●柳生石舟斎の系譜
柳生宗章(五郎右衛門)1566-1603
      {石舟斎の四男。米子藩の中村一忠に仕えるが、重臣間の騒動に巻き込まれる。敵兵17ないし18名を斬りつつ討死}
柳生宗矩(但馬守)1571-1646
      {石舟斎の五男。剣術史上の最重要人物の一人}
柳生四天王(宗矩の高弟代表格とされるが、実際は兄弟弟子。いずれも柳生家家臣)
・木村助九郎(友重、矩泰)1585-1654
・庄田喜左衛門(教高)
      {庄田心流}
  市輔 {庄田の弟子中、抜きん出た実力を持っていた。庄田との勝負に完敗してショックを受け、刀を置く。
      その後は槍の名手となる数奇な運命を辿る}
・出淵孫兵衛(平右衛門または平八?)
・村田与三
      {和歌山藩の徳川頼宣に仕える}
・狭川助直(新左衛門または新三郎。甲斐守)
      {四天王に入るべきか不明瞭。天和三年、仙台の伊達綱村に招かれて師範に就任。
       松島の瑞巌寺にて天嶺和尚と会談中に雀が飛び込み、雀を傷つけることなく扇子で抑えた}
小栗仁右衛門(正信)1589-1661
      {徳川家臣旗本の子で、小姓として家康に近侍した経歴あり。石舟斎に学ぶ。
       関ヶ原、大坂の陣といった実戦に参加した経験から組討重視の小栗流を興し、土佐山内藩に伝える}
金春七郎(氏勝)1576-1610
      {金春流能楽宗家八郎安照の子。能好きな柳生家とは家ぐるみの交流があり、石舟斎から新陰流を学んで免許皆伝。
       他に胤栄から宝蔵院流槍術、穴沢浄見から新当流長刀術、上田吉之丞から大坪流馬術を学び、印可を得た異能の人物}
柳生三厳(十兵衛)1607-1650
      {宗矩の長男。徳川家光に近侍していたが1623年に不興を買って退任。そこから十余年間の動向が不明。
       ゆえに自由に弄り易く、多くのフィクションで主人公にされる}
柳生友矩(左門、刑部)1612-1639
      {宗矩の次男。三巌・宗冬の異母兄弟。家光に寵愛された美男子とされ、謎の夭逝を遂げる}
柳生宗冬(又十郎)1613?-1675
      {宗矩の三男。徳川家綱の指南役。あまり強くはないとの評}
柳生兵庫助(利厳、如雲斎)1579-1650
      {石舟斎の嫡孫。加藤清正に仕えたが、不祥事を起こし出奔。後、尾張藩指南役に就任}
高田三之丞 
      {兵庫助の高弟。上泉義胤が尾張指南役に推薦される際、試験相手を務めた}
柳生連也斎(厳包)1625-1694
      {兵庫助の子。柳生一族最強とも言われる。生涯童貞}
6人間七七四年:2009/12/05(土) 12:13:34 ID:VgQTyLl5
●野中新蔵の系譜
野中新蔵(成常)
      {上泉信綱の弟子。新神影一円流を興す}
野中権内玄慶
      {新蔵から新神影一円流道統を継承}
福井兵右衛門(嘉平、川上善太夫)1702-1782
      {野中権内の弟子。神道無念流を興す}
戸ヶ崎熊太郎(暉芳)1744-1809
      {兵右衛門の弟子。神道無念流を継承する}
大橋虎吉 
      {暉芳の門人。農民出身。仇討ちを成功させ、注目される}
岡田十松(吉利)
      {暉芳の弟子。胤芳に流派を伝えた。道場「撃剣館」を設立}
戸ヶ崎熊太郎(胤芳)1772-1818
      {二代目熊太郎。暉芳の子息。岡田十松に鍛えられた}
鈴木斧八郎(重明)
      {十松吉利の弟子。鈴木派無念流を興す}
斎藤弥九郎(善道)1798-1871
      {十松吉利の弟子。道場「練兵館」を設立}
木村定次郎
      {胤芳の弟子。芳栄に流派を伝えた}
戸ヶ崎熊太郎(芳栄)1805-1865
      {三代目熊太郎。胤芳の子息。木村定次郎に鍛えられた}
斎藤弥九郎(龍善、新太郎)-1888
      {二代目弥九郎。新たな場所に、焼失した練兵館を再建}
岡田十松(吉貞)
      {二代目十松}
岡田十松(利章)
      {三代目十松。この代の撃剣館門人に永倉新八がいたと思われる}
桂小五郎(木戸孝允)1833-1877
      {練兵館塾頭を務めた人物中、有名人の代表格}
渡邊昇(武常、東民、其鳳)1838-1913
      {練兵館塾頭を務めた人物中、有名人の代表格。桂小五郎と併せて練兵館の双璧と評される)
永倉新八(載之、杉村義衛)1839-1915
      {新撰組幹部を務めた人物。撃剣館で学んだ}
7人間七七四年:2009/12/05(土) 12:14:30 ID:VgQTyLl5
●針ヶ谷夕雲の系譜(無住心剣流系)
小田切一雲(空純)
      {夕雲の弟子。夕雲と三度相抜けした}
高田源左衛門(能種)
      {一雲の弟子。神之信影流を興す}
山森喜兵衛(俊勝)
      {高田源左衛門の弟子。神之信影流道統継承者}
真理谷円四郎(義旭。初名、山名勝之助)
      {一雲の弟子で、一雲に勝った。千回に及ぶ他流試合で勝ち続けたという}
井鳥巨雲
      {一雲の弟子。以前に天真正伝神道流の分派・弘流を修行しており、これと混ぜた雲弘流を興す}

●東郷重位の系譜(示現流系)
重位の五高弟
・長谷場伝兵衛
      {初期の弟子}
・篠原伝内
      {初期の弟子}
・大野正右衛門
      {中期の弟子}
・児玉筑後守
      {中期の弟子}
・薬丸兼陳(刑部左衛門、如水)1607-1689
      {後期の弟子。この子孫が伝えた流儀が、後に薬丸示現流へと派生する}
8人間七七四年:2009/12/05(土) 12:25:38 ID:VgQTyLl5
新陰流とその流れが入っている流儀以外は、未だ纏めている最中でござる
御容赦
9人間七七四年:2009/12/06(日) 11:09:42 ID:7JmpdUEd
素晴らしい頑張ってくれ
10人間七七四年:2009/12/06(日) 22:01:38 ID:QgffvcBj
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/comic/1259670174/l50

368 名前: 名無しんぼ@お腹いっぱい [sage] 投稿日: 2009/12/06(日) 19:07:21 ID:LJxvX7/hO
槍や薙刀よりも間違いないなく剣が強い。
薙刀で全国3位の奴とやったけど、瞬殺してやったから。
足を警戒して平正眼で構えて出小手の要領で薙刀をはたいて面で余裕だよ。
槍も殺傷能力高そうだけど、あれはあくまて槍襖的な使い方しないとダメ。
あくまで戦(主に対騎馬)の武器だよ。タイマンには不向き。
11人間七七四年:2009/12/06(日) 23:45:22 ID:ekcgNu25
>>10
そっちじゃイマイチ。これを貼りな。

993 :人間七七四年:2009/12/06(日) 21:32:15 ID:4l/W2DqT
なぜあの時代に剣術が流行ったんだろう。こう言っちゃ何だが戦では役に立たない
だろう。弓や槍のほうがずっと実用的だったろうに。
12人間七七四年:2009/12/07(月) 01:14:31 ID:4+psAuwS
では、弓と槍が合体した筈槍が最も実用的ということで。
13人間七七四年:2009/12/07(月) 01:44:20 ID:8t3Xd/0a
>>1
乙でござる
14人間七七四年:2009/12/07(月) 05:14:04 ID:aQx/K5FL
前スレ993だけど、刀は近距離/個人戦闘用武器で拳銃と同じ。あくまで最後の
護身用。清正だの正則だの、戦が強かったと言われる武将はみな槍遣い。なのに
なぜ流行ったの?
雑兵でなく総大将向きの武芸だからかえって流行ったのかな?
15人間七七四年:2009/12/07(月) 08:03:53 ID:BVdMG5iu
個人戦闘用とか護身用とか戦さでは役に立たないとか一方的に決め付けているが、

『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述
「其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。
小口へ相働留守のこやこやへ乱れ入り、思程支度仕候て、それより川を越し多芸山・北伊勢口へちりちりに罷退き、大坂へ迯入るなり」

刀ばかりの一揆衆に織田家の者はじめ、多数が殺された例もある。腰に差して持ち歩ける程度のもので
使いようによっては槍とも渡りあえ、いざとなればこれだけの働きができる。少なくとも当時の人間は
護身等に限定しては考えなかったようだよ。


『一五五七年十月二十八日(弘治三年十月七日)付、パードレ・ガスパル・ビレラが平戸より
インドおよびヨーロッパの耶蘇会のパードレおよびイルマン等に贈りし書翰』
「市民は叛逆者が自邸或は田野において攻撃を受くるを見物す。双方まづ矢を放ち、更に近づきて
槍を用ひ、最後に剣を交ふ」

戦さにおける刀剣の使用は宣教師も見ている。
16人間七七四年:2009/12/07(月) 09:41:26 ID:7KuLHW7M
槍を持ってる場合でも狭い場所など状況が変わるから、
携帯性やその他諸々考えて刀を帯刀するのが現実的だったんじゃないかな?

刀を帯刀する事が多ければ、自ずと扱い方を上手に使える剣術を学ぼうと考えるのは当然だろうし。
17人間七七四年:2009/12/07(月) 09:42:23 ID:aQx/K5FL
>>15
なら戦国時代に抜刀隊ってあったの?弓隊、槍隊、騎馬隊、鉄砲隊、つぶて打ち隊
は聞いたが抜刀隊は聞いたことないんだが…
18人間七七四年:2009/12/07(月) 10:12:10 ID:OeBwVQPn
そりゃ戦闘要員なら全員刀持ってるしw
あんたのいう槍の得意な武将だって腰に差してるよ。
19人間七七四年:2009/12/07(月) 10:29:12 ID:LySdLjYq
=゚ω゚) 刀のみの専門部隊はたぶん無かったと思うが、臨時に編成されたとは思う。
窪田説では田宮も刀部隊作ってたらしい。

騎馬隊なども必ずしも専門部隊ではなく、戦況での臨時編成が多いね。
前スレでも書いた気がするが雑兵物語などに騎馬での抜刀突撃など書かれてる。

まあ、合戦図など見ればわかるが、刀剣はふつうに使ってるよ。
さらにもっと遡れば源平の頃は騎馬刀剣がメインだわな。
20人間七七四年:2009/12/07(月) 11:50:03 ID:aQx/K5FL
戦術として有効ならば、剣豪ばかり集めた抜刀隊があってもいいんじゃないの?
21人間七七四年:2009/12/07(月) 12:21:18 ID:NJHNy6Lb
>剣豪ばかり集めた抜刀隊があってもいいんじゃないの?

なんか漫画の見すぎだねこの人。漫画板から来たの?
ちなみに大太刀から発展した長巻を持たせた部隊ならあったよ。
22人間七七四年:2009/12/07(月) 12:36:46 ID:PUKvmcYZ
こんな感じか

平安中期まで、直刀:突く
平安後期から、湾刀:騎馬戦で扱いやすい
・・京八流・鹿島七流の登場
平安後期〜鎌倉、太刀:騎馬戦で敵の大鎧を断ち切る肉厚の刀
室町時代
・・中条・陰・神道流の登場
戦国中期まで、槍・野太刀
戦国後期から、打刀:戦法が変化、最終的に白兵戦が雌雄を決するようになったため
          生き残るための剣技を磨く必要が生じた。

「敵をすべてなで斬りにせよ!」というのが勝ちを確信した大将の言葉だな。
23人間七七四年:2009/12/07(月) 12:43:29 ID:NJHNy6Lb
流行した理由だが、戦場に立つ誰にでも使う機会や可能性があったからだと思う。
長柄が折れ矢が尽きたとき、あるいは敵の肉薄を許したとき刀の使い方を
知っているか否かで生存率はまったく変わってくる。


弓の巧者が剣術の巧者でもあった例。

『信長公記』浮野合戦の事
「信長の御小姓衆佐脇藤八走り懸かり、林が頸をうたんとするところを
居ながら大刀を抜き持ち、佐脇藤八が左の肘を小手くはへに打ち落す。
かかり向かって、終に頸を取る。林弥七郎、弓と太刀との働き
比類なき仕立てなり」

24人間七七四年:2009/12/07(月) 13:01:02 ID:4QlokwBM
>>20
朝倉だと大太刀を持たせた力士隊があるけどな。
弓と槍は相容れないからそれぞれの部隊が必要になるが、
刀は当然どの武器とも併用できるわけで、わざわざ近接戦闘のみに
特化した部隊を最初から用意する必要はあんまりないわな。
25人間七七四年:2009/12/07(月) 13:24:21 ID:KGiciC7v
槍を日頃常に持ち歩くのは厳しいけど刀は出来るしなー。
26人間七七四年:2009/12/07(月) 13:28:08 ID:aQx/K5FL
>>24
つまり刀は特科部隊のない補助的兵器ってことでは?

>>21
反語とか皮肉ってわかる?頭悪い?
27人間七七四年:2009/12/07(月) 13:56:03 ID:jlZA9NcG
>>26
すまんが頭悪いので反語としても何が言いたいのかよくわからん。
刀はサブウェポンなのに何故流行ったのか?と言いたいのかな?よくわからん。
28人間七七四年:2009/12/07(月) 14:32:30 ID:OeBwVQPn
それが反語だという意味ワカリマセンw

刀の携行性を犠牲にして打撃力を強化すれば大太刀や長巻の類になり
それらの専門部隊はいるという話も出てるしなあ。
29人間七七四年:2009/12/07(月) 15:52:50 ID:aQx/K5FL
>>28
大太刀や長巻の流派とか剣豪とか聞いたことないんだが?いるの?
30人間七七四年:2009/12/07(月) 16:21:07 ID:x8teioxP
何を決めつけようとしてるのか分からないな・・
今の兵士の戦場での主武器が小銃であっても
決して拳銃はいらないと言う様な事では無いだろうに。

31人間七七四年:2009/12/07(月) 16:37:37 ID:jlZA9NcG
>>29
>長巻の流派
あんたが聞いた事無いだけだよ。
ためしに柄太刀でぐぐってみ。古書店に出てる新心流長巻の免許が見れるよ。
形名に馬刃刀とかあるみたいな。ちなみに柄太刀って長巻の別名な。

一応薙刀の流派って事になってるけど肥後古流長刀は刃四尺、柄四尺のほとんど長巻的な形状の薙刀を使うし、林崎新夢想流は三尺三寸で柄一尺以上の打刀を使います。
32人間七七四年:2009/12/07(月) 17:06:16 ID:x8teioxP
真柄っちや薬丸どんなんかは大太刀の剣豪なんじゃないか
長巻だと武蔵坊とか・・戦国じゃないけど
33人間七七四年:2009/12/07(月) 18:35:00 ID:aQx/K5FL
>>30
もちろんその通り。刀が要らないはずはないよね。
ただ、このスレに巣くってる「剣術最強!」みたいな厨が気にくわないんで
ちょっと煽ってみた。案の定長巻とか持ち出して、太刀が主武器たり得ない
ことを自分で認めて自爆してくれたし。
34人間七七四年:2009/12/07(月) 18:56:40 ID:jlZA9NcG
>>33
今のスレと前スレ見たけど、
「剣術最強!」
的な事を言ってる人いないけど???
35人間七七四年:2009/12/07(月) 19:17:08 ID:stGK79Xv
剣術最強?どこにいるのそんなの?
刀が実用的でないとか言ってる変なのがいるからみんな反論してるだけで
誰も剣術最強論を打ち出した人なんていないんだけど?
36人間七七四年:2009/12/07(月) 19:53:37 ID:stGK79Xv
>993 :人間七七四年:2009/12/06(日) 21:32:15 ID:4l/W2DqT
>なぜあの時代に剣術が流行ったんだろう。こう言っちゃ何だが戦では役に立たない
>だろう。弓や槍のほうがずっと実用的だったろうに。

>994 :人間七七四年:2009/12/06(日) 21:35:30 ID:s+08IpD0
>あの時代っていつだよ

>995 :人間七七四年:2009/12/06(日) 21:53:47 ID:QgffvcBj
>http://changi.2ch.net/test/read.cgi/comic/1259670174/l50

>368 名前: 名無しんぼ@お腹いっぱい [sage] 投稿日: 2009/12/06(日) 19:07:21 ID:LJxvX7/hO
>槍や薙刀よりも間違いないなく剣が強い。
>薙刀で全国3位の奴とやったけど、瞬殺してやったから。
>足を警戒して平正眼で構えて出小手の要領で薙刀をはたいて面で余裕だよ。
>槍も殺傷能力高そうだけど、あれはあくまて槍襖的な使い方しないとダメ。
>あくまで戦(主に対騎馬)の武器だよ。タイマンには不向き。



前スレのこれか?お前がカキコしてからコピペされてるじゃないか。
37人間七七四年:2009/12/07(月) 21:51:12 ID:KFIFmRjH
刀の携行性を犠牲にして威力を追求すれば大太刀になるし、
大太刀の取り回しをよくしようとすれば中巻野太刀や長巻になる。

長巻術なら新当流や荒木流などに伝えられているぞ。
38人間七七四年:2009/12/07(月) 23:54:04 ID:OJ9c7c1s
>>33
「〜が強い」だなんてのは状況によって違ってくるわけで、一概に言えるわけが無い。
「戦国時代の主力武器は刀だ」なんて言ってる奴も見受けられないしな。
当然遠中距離での戦闘後に近接戦闘に至るわけで、最初から近接戦闘専門の部隊を
用意する必要があるわけもないのに、その事ばかり論っても意味が無い事くらい理解したら?
39人間七七四年:2009/12/08(火) 00:06:05 ID:hhImsWgz
ヤンマガ作品のスレから来てるってことはセンゴクで色々刷り込まれた人
なのかね?センゴクか何かで聞きかじった知識と脳内イメージだけで
語られても困るわ。
40人間七七四年:2009/12/08(火) 00:52:21 ID:qgVRcs5q
>>38
同意だね
武器も色々状況も色々・・・感動した!
41人間七七四年:2009/12/08(火) 07:35:26 ID:o7YTBSXQ
まだ漫画厨がウロウロしてんのか?
42人間七七四年:2009/12/08(火) 08:24:41 ID:jhFSPyNr
事実として戦国末頃から各地に剣術を含めた武芸者がたくさんいたわけで、武芸者の中でも剣術が一番流派も人数も多いわけじゃん。
理由は実用性から文化的なものまで色々考えられるけど、剣術にある種の必要性があったから広がったわけじゃないの?
43人間七七四年:2009/12/08(火) 08:36:22 ID:jhFSPyNr
個人的には江戸になるまでは、身分にかかわらず戦の時も日常もほぼ常に携帯してる武器だったから日本の武芸の基準になったんだろうな、と思うけど。
実際、ほとんどの武器流派で対剣術の形が主体になってるしな。
例外は弓や槍くらいかな。槍にもほぼかならず太刀合があったけど、基本的に戦場の武器だから槍合の方が主体だよな。

だから香取鹿島に始まって上泉にしろ一刀斎にしろ槍と剣の両方を伝えてるみたいな。香取なんか江戸時代には槍で有名だったみたいだし、元々は槍術が主体だったんじゃないか?て説があるくらい。
44人間七七四年:2009/12/08(火) 09:44:22 ID:0GiS+ObT
最初に基本として剣を修めると他の武器にもシフトしやすいが
長柄武器専門から剣に移行するのはそれより手間がかかるとは聞いたことがある。
誰の発言かは忘れた。
45人間七七四年:2009/12/08(火) 10:32:41 ID:jhFSPyNr
長物と剣は結構技術が違うな。たしかに。

でも武器全般を考えると刀はかなり特殊なんだよな。柄が短いのに両手で使うように出来てるし。

槍や薙刀、棒から三道具、鎖物まで長物の操法はそれなりに共通してるし、小刀、十手なんかの小道具は体術系で共通してるし。
刀だけが少し仲間外れなんだよな。一刀流も新陰流も古い形は長物に近い気がするけど。
46人間七七四年:2009/12/08(火) 11:57:49 ID:V54NwLJC
ト伝百首を見ても、弓や槍についても言及してるし、
武蔵や宗矩の伝書でも槍や長刀についての言及がある。
忠明や兵庫助も槍・長刀に絡むエピソードがあるし、
少なくとも、戦国時代を知っている武芸者にとっては、
剣以外の武器も一通り使える方が標準だったんだろうな。
その上で、一番扱いやすい獲物として剣がピックアップされたんじゃないだろうか。

剣や剣術が武士の象徴として特別な存在となっていくのは、
長い江戸時代の存在があってこそだろうな。
47人間七七四年:2009/12/08(火) 12:09:08 ID:jhFSPyNr
江戸以前、武士の象徴は槍と弓馬だよな。
明治までは槍術も剣に劣らず盛んで、防具試合が盛んになったのは槍の方が早いって話もあるくらいなんだよね

やっぱ長すぎるから明治以降は没落したのかな…
いまでも試合盛んにやってるのって広島の富田流の佐分利流槍と愛知の貫流だけだよなあ。
昭和半ばまで鳥取に疋田新陰流槍術と薙刀が残ってたらしいのに、いまは薙刀しか残ってないらしい…
48人間七七四年:2009/12/08(火) 12:15:37 ID:Lr+3C992
小野次郎右衛門と近い年代の剣豪から見繕い、
小笠原金左衛門を採択したのは、左右の衛門で対になるからと考えたのだけど。
序盤のリストはテンプレのつもりじゃなくて、ネタ振り兼参考資料ということで、自分のメモ帳からコピペ。
元々がテンプレ用に作ったものじゃないため、時代区分を考慮に入っていなくてダラダラと続いていたから、
直心影流系の部分をバッサリ切った(個人的には男谷精一郎が好きなので、泣く泣く)。
神道無念流系で幕末人物まで載せてしまったのはミス。編集し忘れた。

手入れして、今後テンプレ化してもいいし、
再利用してくれなくても、どっちでもいいです。
49人間七七四年:2009/12/08(火) 12:23:10 ID:P+txn5Bt
>>48

おいとわしや・・・
50人間七七四年:2009/12/08(火) 16:39:57 ID:tVhgknqm
>>47
槍術などの長柄物の武術が廃れたのは、やっぱ携帯性の悪さが原因なのかもね
西欧だと小銃の高性能化や銃剣の発明でパイクや両手剣が廃れたけど、
それでもサーベルはしばらくは存命したし、現代でもフェンシング競技の一つになってるしね

あー、でもそれだと、日本での薙刀や中国での長兵器の武術が今でも活動してる理由にはならないか、うーん
51人間七七四年:2009/12/08(火) 17:21:05 ID:V54NwLJC
>>50
日本や中国の場合、
江戸幕府や清といった長期安定政権の存在が大きいんじゃないか?

西欧の場合、地域内で国同士が頻繁に戦争を繰り返していたから、
実戦で不利な武器や技術は廃れていったけど、
政権の確立後、武器や技術の革新が必要になる程の戦争がなかったから、
「戦の時のための技術」として19世紀まで生き残り続けたとか。

それ以降は、それだけ長く生き残ったことで伝統芸能化して、
そっちの面で生き残れるようになった、というのはどうだろう。
52人間七七四年:2009/12/08(火) 20:00:46 ID:AOUMeUuf
当初外国流の銃剣術を導入したがうまくいかず、槍術を応用した
国産銃剣術を作り上げたという経緯があるし、槍術は
近代においても死んだわけじゃないさ。
53人間七七四年:2009/12/08(火) 20:21:22 ID:c0rKKNk0
俺の私見だが民族性の違いの気もするな勿論一概には言えないが
日本はより深く技術を突きつめて余分なものは削り
西欧はより有効な武器を場面に合わせて・・みたいに感じる
中国はその中間かな?変な武器多いし・・
54人間七七四年:2009/12/08(火) 20:30:12 ID:TnhL0Ien
柳生宗厳は合戦で活躍した感状が残ってるみたいね。松永久秀からの感状で
槍で数人を負傷させ首級を打ち取ったものをほめた内容。
しかしその2年後落馬して重体になって興福寺の僧たちに嘲笑されるというw
55人間七七四年:2009/12/08(火) 20:39:35 ID:Lr+3C992
ドイツ〜ベルギーやオランダあたりでは槍術が盛んだけど
それも近代に入ってかららしい
56人間七七四年:2009/12/08(火) 20:48:39 ID:AOUMeUuf
音に聞くスイスのハルベルトやパイクはいらなくなるとあっさり廃れたのかね?
57人間七七四年:2009/12/08(火) 20:49:39 ID:AOUMeUuf
というか日本と同様に銃剣に吸収というべきか。
58人間七七四年:2009/12/08(火) 22:08:18 ID:jVtNSXss
=゚ω゚) うん。たしかパイク兵や槍類はマスケット時代までは
銃隊の補助に居たが、それ以降は銃剣に吸収されてたと思う。
まあ、銃剣とはそれほどの大発明なんだな。

スイス時代はまだ装備がバラバラで特定戦術が
確立されていなかったとか聞いた事が有る。
それもドイツのランツクネヒトとかに吸収されたんじゃまいか?

まあ、変な話だが西欧では銃が発達して戦場での重装備の甲冑が廃れ
剣技が発達したという説も有る。
んで、塹壕戦の頃になるとスコップとか使われたりして(笑)
59人間七七四年:2009/12/08(火) 23:23:38 ID:ZJu2snPk
銃の尺だけで見ると、槍術よりも杖術の方が
応用効くんじゃないかって印象があるんだけど、
杖術は銃剣術に影響を与えてるのかな?
60人間七七四年:2009/12/08(火) 23:28:20 ID:ZJu2snPk
あ、応用が効くんじゃないかってのは、
銃剣術に対して、ってことで。

戦前の銃剣術の元になったのは
宝蔵院流や佐分利流あたりが挙げられてるけど、
一応、当初は西洋式のものが導入されていたんだね。
和洋のいいところを掛け合せたものだったんだろうか?
61人間七七四年:2009/12/09(水) 00:03:51 ID:VoOUFQor
>>59
「突けば槍 払えば薙刀 持たば太刀」と応用範囲が広くて攻撃が多彩だから、逆に突き中心の銃剣術には
向かないのではないかな?

なんか銃剣道に興味が出てきた。九櫻は銃剣道用品も作ってるんだね。
http://kakaku.ecnavi.jp/item_info/20834119180183.html
http://tozando.net/shopdetail/008007000002/order/
62人間七七四年:2009/12/09(水) 00:31:34 ID:dI4AJt/q
フランス式銃剣術採用

槍術家「西洋銃剣術がなんぼのもんじゃ!」

銃剣で西洋銃剣術VS槍術

槍術家圧勝
槍術をもとに日本の銃剣術を創作


と聞いてますが。
そもそもフランス式の銃剣術が下がってはいけない、とか色々制約のあるスポーツ的なものだったとかいう話ですが。
63人間七七四年:2009/12/09(水) 00:42:50 ID:CPv6lEOK
>>59
棒と杖術を嗜んだことがあるけど、持ち方(手の向き)が違うんで全く応用は利かないと断言できる。
64人間七七四年:2009/12/09(水) 00:56:30 ID:dI4AJt/q
>>63
杖も棒もだいたいの流派は逆手順手両方使うから応用きくと思うけど…
逆手だけの流派ですかね?
棒術をやりこんでたから軍隊の銃剣術未経験で優秀な成績とった古流の先生(故人)知ってるよ。
65人間七七四年:2009/12/09(水) 01:05:57 ID:CPv6lEOK
>>64
槍と同じ持ち方で棒術の基本的な動作であるシゴキって出来るの?
他の流派はよく知らないけど、突く際にだけ槍の様な動作になるってだけじゃないのか?
それ自体も両手でしっかり持って突く銃剣とは大きく違うと思うけど。
66人間七七四年:2009/12/09(水) 01:45:17 ID:dI4AJt/q
しごき、て滑らし打ち(突き)でしょ?逆手順手どちらでもできるし、槍の基本はしごいて突きだよ。
棒や杖の巻き落としとかは槍と一種だし、槍にも前後を返して石突で打つ技あるよ。宝蔵院流のでかい槍でやってたよ(笑)

銃剣も昔は滑らし突きが許されたらしいけど、いまの競技ルールじゃ禁止らしい。何故?
67人間七七四年:2009/12/09(水) 01:58:07 ID:CPv6lEOK
>>66
えーと、棒術のシゴキってのは突きではなくて打ち付ける打撃の際に行う動作のことなんだけど・・・
槍を石突で突く場合でも逆手にはしないはずだけど・・・
念のために書いておくけど、あなたのいう逆手というのは両手の親指が向かい合ってる状態のことだよね?
68人間七七四年:2009/12/09(水) 02:14:46 ID:dI4AJt/q
逆手はそれでオケ。
すまん、習った流派だとしごきにあたる言葉を滑らす動作なら突きにも打ちにも使ったからそのつもりで書いた。
槍の打ち込みもしごいてると思うけど。特に短い槍。
69人間七七四年:2009/12/09(水) 02:19:47 ID:dI4AJt/q
もしかしてあなたのとこだと逆手で滑らし打ちする事のみをしごきと言うのかな?なら突きが主体の槍や銃剣じゃ逆手をまず使わないから応用しにくいか。
うちは棒術でも逆手順手両方使う流派だったから銃剣に応用できるし、実際先輩で銃剣に応用してる人がいたんだわ。
70人間七七四年:2009/12/09(水) 02:20:47 ID:dI4AJt/q
しかし書いててなんだが、歴史板じゃない話題だなw
71人間七七四年:2009/12/09(水) 02:29:05 ID:kYwBD5Sg
理解出来たのならやめれ・・
72人間七七四年:2009/12/09(水) 07:45:39 ID:QYyhGwAi
>>70
武板の話題だよ。
73人間七七四年:2009/12/09(水) 18:07:52 ID:dI4AJt/q
お詫びを兼ねてネタ振り
小笠原玄信が唐土で身に付けてた寸の延金、卜伝一の太刀と並んで正体不明の業で、一説には乳切木みたいな隠し武器だとかいう説まである。
ところが直心陰流の伝承だと棒や槍の滑らし打ちを刀でやって間合いを狂わすような技らしい。要は虎眼流流れは実在したッ!
74人間七七四年:2009/12/09(水) 18:41:44 ID:ByYtmKtS
既出。

直心影流男谷派の野見テイ(金是)次郎系統な。山田次朗吉系が伝えた話は聞かない。
興味があれば石垣安造『直心影流奥義伝開』を読むといいよ。
きっと山田次朗吉が嫌いになる。
75人間七七四年:2009/12/09(水) 18:42:16 ID:gLzIlSBU
な、なん(ry

人によってはアレかもしれんが、個人的にそういう話は嬉しいんだぜ。
漫画で出てきた技で、実は実在流派の特定の技法が元になってる技って他にあるんだろうか。
76人間七七四年:2009/12/09(水) 18:44:37 ID:ByYtmKtS
もっとも、石垣さんの癖があって独善的過ぎる文章のせいで石垣さんのことも嫌いになるかもねw
77人間七七四年:2009/12/09(水) 18:50:33 ID:dI4AJt/q
武田惣角が当時子供だった佐川幸義に見せた『直心陰流の極意』ってのも似たような技だったちゅう話もあるよ。
普通の直心陰流の技と全然違った、というやつ。
78人間七七四年:2009/12/09(水) 18:52:36 ID:ToB+ooFb
白井亨は八寸の延金を会得する為に両肩の骨を砕いたなんて話しも聞く
とすれば武器や技では無く身体の扱い方と言う可能性も有ると思う。
例えば唐武術の通背法とか伸肩法みたいなものとか・・
ま、伝承がバラバラで要は謎のままだのう。
79人間七七四年:2009/12/09(水) 19:01:29 ID:dI4AJt/q
白井亨の八寸の延金は自分で編み出した技に八寸の延金と名付けたんじゃなかった?てことは八寸の延金がどんな風な技かわかってたのかね?

なんとなく田宮流の「柄に八寸の徳」とかと同じ間合い関係の技術かな?て気はするけど。

ところで小笠原玄信は弟子たちも有名だけど、神後伊豆守は本人は有名だけどなんか弟子はぱっとしないね。
80人間七七四年:2009/12/09(水) 20:00:29 ID:y5LSiO5t
そういや小笠原長治の話題になると、こまめにいちゃもんつけに来るのがいたけど、
あれってなんなの? 小笠原を持ち上げるアホとかなんとか、意味不明のことを喚く奴。
小笠原は当時の人々に認められた一角の剣客と認めてはいけない宗教でもあるのかいな。
81人間七七四年:2009/12/09(水) 20:08:25 ID:p9pZKFRJ
>>77
直心影流自体に長沼派・藤川派・男谷派とあって、そのうちの男谷派がさらに
二派に分かれているから、もう色々あってもおかしくないんじゃない?

柄八寸といえば似たような技名に新当流の「束に八寸の利有る事」があるけど
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7036731(の4分40秒あたり)
こんな技。
82人間七七四年:2009/12/09(水) 21:48:59 ID:bRoST4vg
>>80
蒸し返すな、といいたいが確かにアレはおかしかったな。
玄信斎が八寸の延金で疋田に勝ったという逸話や、その際に上泉を凌ぐと評されたことが
気に入らなかったらしいから、疋田や上泉贔屓の人なんではないの?
83人間七七四年:2009/12/09(水) 23:11:17 ID:cn/74w6s
>>75
>漫画で出てきた技で、実は実在流派の特定の技法が元になってる技って他にあるんだろうか。
少なくとも複数の漫画家とかラノベ作家が、手っ取り早いネタ元として戸部新十郎の「兵法秘伝考」購入してるらしいw
あまり漫画とかラノベには興味ないが、探せばいろいろありそうな気はする。
84人間七七四年:2009/12/09(水) 23:16:53 ID:dI4AJt/q
最近の漫画で剣術とか剣豪出て来るものあるか?あまり思い付かん。
いまマガジンでやってる我間乱は剣豪ものとして見るとひどいなw作者時代劇とか剣術に興味無さそうw
85人間七七四年:2009/12/09(水) 23:40:28 ID:nVtwS8o7
バガボンドがあるな。
あとAZUMIとICHI。
ちなみにバガボンドスレの荒れっぷりは異常。
作者が無駄に対立軸を作ったせいで石舟斎と一刀斎のそれぞれに信者がついて罵倒合戦。
86人間七七四年:2009/12/10(木) 00:34:12 ID:ML+LIRi5
>>84
隻眼獣ミツヨシ完結編
87人間七七四年:2009/12/10(木) 00:39:17 ID:7r7ZnKLe
シグルイシグルイ
88人間七七四年:2009/12/10(木) 01:06:38 ID:5vlWb5XD
>>73
平上さんの本読んだ?
なんとなくだけどw
89人間七七四年:2009/12/10(木) 01:38:06 ID:DkNhn4dp
読んだw
平上さん真面目にやってるのか、ふざけてるのか知らんが変な人だなw

ちなみにそれ以外のルートでも似た話を聞いた。なんか史料あるのかね?
ちなみに信憑性は保証しないw
90人間七七四年:2009/12/10(木) 02:13:39 ID:CE4CMhFh
すっかり気違いに乗っ取られたな・・まあもった方かな
ノシ
91人間七七四年:2009/12/10(木) 03:00:56 ID:DkNhn4dp
そいじゃ既知外は消えるぜ(^-^)/~
92人間七七四年:2009/12/10(木) 20:41:27 ID:ShevFNbV
>>89
平上さんもソースは前述の『直心影流奥義伝開』だよ。「曲尺(八寸の延金のこと」は
それまでは公開していなかったが十五代野見テイ次郎からは公開するようになったと
書いている。ま、引用されている伝書には具体的な動作は書かれていないので
野見テイ次郎から始めた可能性がないとも言い切れないな。

石垣さんのテストによると、手の内さえしっかりさせれば通常と遜色ない程度に
据物斬りはできたのこと。
93人間七七四年:2009/12/10(木) 23:25:15 ID:aDLKRC0R
その極意伝開だと他の直心免許者である斎藤明信の伝書でも
柄の滑らしが書いて無いから次郎吉が勘違いしたんだという理屈なんだが
はたしてそうなのかな?

やはり石垣さんに都合のいい書き方に感じるね。
94人間七七四年:2009/12/11(金) 00:52:12 ID:KvU4xn+v
流派の当主なり師範なりが書けば、
どうしたって「我が仏尊し」になるのは避けられないしねえ。
ある程度割引いて読むしかないんだろうね。
95人間七七四年:2009/12/11(金) 01:10:38 ID:JuBpdtfu
祖父の石垣甲龍斎も直心影流の著書を出してるんだな。
八寸の延金が書いてあるかどうか気になるところだ。
96人間七七四年:2009/12/11(金) 12:09:41 ID:Ciwyge66
八寸の延金って中国武術の歩法かも。

相手の間合いにスッと入る感じの。
97人間七七四年:2009/12/11(金) 13:18:52 ID:vsuKuxJX
そんなの日本の武術にふつうに有る。
98人間七七四年:2009/12/11(金) 15:07:10 ID:Ciwyge66
>>97

それは知ってるよ。

だから日本の剣術の歩法に慣れた剣士の拍子を外すような歩法だったのでは?

八寸の延金。
99人間七七四年:2009/12/11(金) 15:58:11 ID:HCglCklB
日本の刀術を相手にしたとき剣では遠すぎ、槍では遅すぎとか
むしろ間合いで苦戦している国の軍隊があったけど、その国の武術って
そのころどの程度発達してたんだ?
100人間七七四年:2009/12/11(金) 17:26:18 ID:Ro4iwATF
他の国や地域とそんなに差はなかったんじゃないかな?
ただ、中国などの職業軍人はいくら訓練積んでるといっても成人してから志願なのに対し、
当時の日本の武士は幼年期から修練してる生涯軍人で年季や根性が違うからね
101人間七七四年:2009/12/11(金) 21:05:19 ID:JAZ2y5Ea
水滸伝読んでると、やっぱ職業武術はいたんじゃないかな?とは思うな。
半分ゴロツキなんだろうけどw
102人間七七四年:2009/12/12(土) 08:01:47 ID:fsG6gEcF
中国に行っていたという経歴を逆手にとったハッタリじゃないのかな?
103人間七七四年:2009/12/12(土) 11:36:48 ID:cOnj9XMU
『八寸の延金』って
大まかに分けて
・武器説
・技術説
・ハッタリ説

が有るよね。
中国へ渡り、身に付けたみたいな。
104人間七七四年:2009/12/12(土) 12:02:07 ID:hYCBaEzo
小笠原玄信の弟子で名前が残ってる人物って紙谷伝心と針ヶ谷夕雲なんだけど、二人とも八寸の延金を破ったという伝承があんだよねw
しかも二人とも文には疎かったそうで、一説には文盲だったとか。

小笠原の道場って下級武士かゴロツキか、てのが多かったのかね?たしかに唐帰りの秘術を身に着けた!と言えば宣伝効果は抜群だったろうね。結局弟子も師匠を真似て、師匠を当て馬扱いにしてるけどw
105人間七七四年:2009/12/12(土) 12:43:26 ID:asQJ5kpi
張良の子孫から学んだということは兵法・軍配法なのかも
柳生家に対する対抗心から
でもそれだと立ち会って破られてた話に合わないな
そもそも中国へ渡ったのかも不明だが
自身の道統こそ真の新陰流であるという思いから
新陰の流儀の源流を遡って陰流の愛洲移香斎に準えて
自身が編み出した技術は中国へ渡って体得したという話を考えたかな
106人間七七四年:2009/12/12(土) 12:48:19 ID:TY0qa9C0
小笠原系は杉本備前守を流祖にしてますが。
107人間七七四年:2009/12/12(土) 12:54:35 ID:asQJ5kpi
ありゃ、新陰流系統の流派じゃなかったのか無知でスマソ
108人間七七四年:2009/12/12(土) 13:10:55 ID:hYCBaEzo
小笠原系でも杉本備前を祖としてるのは山田、長沼の直心影流だけ。
紙谷伝心斎の真新陰流は祖を新陰流として杉本備前は出てこないし、針ヶ谷夕雲系にも出てこない。
たぶん山田さんか長沼さんが上泉が松本備前からも習った、という話から系図を作ったか、松本系の新當流を取り入れたんじゃないかね?
109人間七七四年:2009/12/12(土) 13:15:43 ID:cOnj9XMU
上泉伊勢守→奥山休賀斎→小笠原源信斎だから新陰流ではアルよ。
110人間七七四年:2009/12/12(土) 13:20:31 ID:hYCBaEzo
針ヶ谷夕雲も最初は新陰流と名乗ってたみたいだし、たぶん小笠原も紙谷も自分は上泉の新陰流の系統、と思ってたんじゃないかな。
111人間七七四年:2009/12/12(土) 13:30:30 ID:u1JFULgy
>>104
伝心斎の方は文盲じゃない
112人間七七四年:2009/12/12(土) 13:56:29 ID:IuryTOb/
神谷伝心斎から分かれた直心とは別の「神陰流」の流祖も
杉本さんになってます。
113人間七七四年:2009/12/12(土) 14:13:41 ID:hYCBaEzo
>>112
その神陰流って直心陰からわかれ神陰流じゃなくて?
どこの流派ですか?

>>111
「伝心斎は文章を書かなかったので弟子達が師匠の言葉をまとめて伝書を作った」
という事が長沼家の文書の中に残ってるんだわ。
114人間七七四年:2009/12/12(土) 14:32:05 ID:IuryTOb/
>>85
平上さんの『秘伝剣術極意刀術』の75ページに伝書の写真が載ってます。
115人間七七四年:2009/12/12(土) 14:38:21 ID:IuryTOb/
>>110
初代が杉本、二代目が上泉なので、流祖が杉本であることと上泉系は矛盾しない。
116人間七七四年:2009/12/12(土) 14:40:07 ID:IuryTOb/
>>114>>113へのレスです
117人間七七四年:2009/12/12(土) 14:40:22 ID:asQJ5kpi
書かないだけで書けないかは判らないけど
それだと伝心斎は免状とかどうやってだしたんだろう?
118人間七七四年:2009/12/12(土) 14:51:35 ID:hYCBaEzo
>>114
ども。近所の古本屋にあった気がするんでみときますw

>>115
たぶん松本備前も上泉の師匠の一人の可能性がある、程度の認識が新陰流一般の認識じゃないですかね?
上泉の直筆には「陰流より奇妙を抽出して云々」「他流を認めず」とか書いてるし、
新陰流では遣太刀は新陰流、討太刀は神道流、とされてて他流より新陰が上、としているのに、上泉が神道流系を強調していたとも思えませんわ。
だから小笠原や紙谷、針谷も特に神道流系とは認識してなかったと思う。弟子たちにもシンカゲ流を名乗ってるのはいるけど、鹿島云々と言ってる系統は直心陰だけだし。
それにほかの文献だと杉本じゃなくて松本だから怪しい。
山田一風斎とか長沼家あたりの文書に国学とか神道にはまった形跡はないのかしらん?

>>117
代筆じゃないですかね?たまに伝書の代筆がありまっせ。
119人間七七四年:2009/12/12(土) 15:28:39 ID:IuryTOb/
>>118
『夕雲流剣術書』は未読ですか?
120人間七七四年:2009/12/12(土) 15:45:41 ID:hYCBaEzo
まだ原文は読んでないけど内容は少しだけ知ってる。
鹿島の事書いてあるの?
121人間七七四年:2009/12/12(土) 15:53:17 ID:cOnj9XMU
真新陰流とか神陰流とか新影流とか…
122人間七七四年:2009/12/12(土) 16:06:15 ID:IuryTOb/
「鹿島の生れに上泉伊勢と云ふ者有て、兵法中興の名人なり」
「初は神刀流なれども、所得の事ありて神陰と流の名を改めて」
「さて神刀流より上泉伊勢といふ者も、抜け出て名誉をあらはし
流の名を改て神陰流とて世間へ弘む」


内容の正否はともかく、こうした伝承があったのは事実。
123人間七七四年:2009/12/12(土) 16:20:21 ID:hYCBaEzo
>>122
しんとう流を上泉が学んだのは自分で書いてるじゃん。ほかにも念流とかも名前を出してる。
ただ、だれから習ったかは不明だし、新當流は全国的に広まってたらからだれから学んだとしてもおかしくない。

小笠原系で直心陰だけ杉本の名前出して鹿島を強調してるから、山田親子の創作じゃあるまいか?と思うわけですよ
124人間七七四年:2009/12/12(土) 16:31:35 ID:IuryTOb/
神道流も学んだ、ではなく、同じ小笠原系統で陰流について触れずに
神道流系としているのを参考として出したんですけど。

長沼家を経由しない神谷伝心斎からの神陰流のことはすでに出てますし、
なんで山田・長沼親子捏造にこだわるんですか?
125人間七七四年:2009/12/12(土) 18:52:40 ID:cOnj9XMU
関係者居るのかな?
126人間七七四年:2009/12/12(土) 19:42:57 ID:3QOWV2Py
それにしても小笠原玄信斎と直心影流はよく台風の目になるなwww
関係者って、直心関係者か?あるいは最近平上さんの話題が良く出るから、
平上さんの関係者かもw

山田親子の創作ってこだわってる人は、要は『夕雲流剣術書』も『秘伝剣術・極意刀術』も
見たことないからからそれしか思いつきようがなかっただけだろ。
127人間七七四年:2009/12/12(土) 21:33:31 ID:hYCBaEzo
>>126
小笠原はネタになりやすいからね。
別に拘ってるわけではなく、夕雲流剣術書の内容と平上さんの本の伝書見て無いから、なんとも言えない。
なんで山田親子が変えたんじゃないかな?と書いたかというと、高橋→山田一風斎への直心流の伝書では鹿島神伝とか杉本備前とか一切書かれてないんだわ。
ところが国郷の出した伝書は今の鹿島神伝〜と同じになってる。他の内容は直心流と大体一緒なんだけどね。
128人間七七四年:2009/12/12(土) 21:46:54 ID:3QOWV2Py
その直心の伝書は『日本武道全集』の7巻で見たのかな?
同じ巻に『夕雲流剣術書』が載ってるよ。
129人間七七四年:2009/12/12(土) 22:07:03 ID:hYCBaEzo
直心流の伝書は違うやつで。
全集ある場所も知ってるしまた調べてみますわ
130人間七七四年:2009/12/12(土) 22:46:49 ID:LW5/gegT
ゲームの『剣豪』って出来はどうですか?実名の剣豪が出ているようですが。
131人間七七四年:2009/12/13(日) 01:07:14 ID:XgoyCN+8
稽古シーンは笑えます
132人間七七四年:2009/12/13(日) 18:17:04 ID:/oOBGs0w
>>130
キャラがブサイク
実在剣豪の選定が微妙
設定・シナリオが強引
133人間七七四年:2009/12/13(日) 19:11:37 ID:O0uR9rxB
クソゲーの予感w
134人間七七四年:2009/12/13(日) 22:23:53 ID:6acB9K+G
太閤立志伝Xの剣豪編面白かった。

柳生石舟斎で酒場の用心棒やったり、仕官しちゃったり、他の剣豪に闘いを挑んだり…
135人間七七四年:2009/12/13(日) 23:22:28 ID:1EJFXHJT
剣豪といえば、このレビューが面白かった
これだけ見るとゲームも面白そうに見えるんだよなあ
ttp://internet.kill.jp/wiki/index.php?%A5%B2%A1%BC%A5%E0%2F%B7%F5%B9%EB3%2F%B7%F5%B9%EB%C6%FC%B5%AD%2F2005-07

立志伝レビューだとこの辺が面白かった
ttp://www.geocities.jp/choutekitouvegahp050420/colamu06.html
136人間七七四年:2009/12/13(日) 23:34:00 ID:2HrC+9+7
まあ山田風太郎の小説でも読んでるのが一番いいじゃない
史実の剣術なんて地味の一言に尽きるわけだし
137人間七七四年:2009/12/14(月) 02:01:18 ID:0AAp0qSI
真壁氏幹ってオヤジの久幹と混同されている部分が多いね。
道無は久幹の法名なのに氏幹のことを道無と書いている人が意外といる。
138人間七七四年:2009/12/14(月) 12:16:04 ID:SpmrDBQd
平氏の嫡流の一族(真壁氏)が源氏の嫡流の一族(佐竹氏)に仕えてたなんて、時勢とは言え感慨深いなぁ
139人間七七四年:2009/12/14(月) 12:33:32 ID:2cf3iHWF
>>138
いやいや、源平合戦時代もトップは源氏だが配下の半数以上は平氏。
結果平氏が鎌倉幕府を乗っ取ったんだし。
140人間七七四年:2009/12/14(月) 19:57:07 ID:suqZ4MC9
つか、どこがどう感慨深く感じたのかわからん
141人間七七四年:2009/12/15(火) 01:53:42 ID:SaaY44TJ
このゲームだと馬のスピードに乗せた槍の突きがかなり威力ある
http://www.geocities.jp/choutekitouvegahp050420/colamu06.html
142人間七七四年:2009/12/15(火) 01:54:26 ID:SaaY44TJ
間違えた、こっちね
http://www.youtube.com/watch?v=ehpNcnRahLY
143人間七七四年:2009/12/15(火) 17:52:27 ID:60oTF/ly
前後左右の敵を一度に相手できれば、あとは何人いても同じだ、みたいな訓話とか、
猫の妙術とかの逸話とかが一刀流にあるけど、あれってどの本に載ってたっけ?
「一刀流極意」でよかったんだろうか?
144人間七七四年:2009/12/15(火) 20:22:53 ID:Xfu3n/LQ
>>141
>>142
誤爆、か?でもだとしたら普通は1回で気づくよな。
145人間七七四年:2009/12/16(水) 23:29:52 ID:11FIvlBa
ハニーとラップにひっかかっても大丈夫の一刀流
146人間七七四年:2009/12/17(木) 19:44:31 ID:8i0Td1si
引っかかっている時点で一刀斎先生って粗忽だよね。
人間らしいとも言える。
147人間七七四年:2009/12/18(金) 01:18:42 ID:db/wc5wH
兵法者としては微妙だけど、
それを補ってあまりあるくらい剣士として一流だったんだろうな。
148人間七七四年:2009/12/18(金) 11:15:21 ID:oRdC3fB9
まあ、もし一刀斎がト伝の息子だったら勘当されてたろうなw
あの状況で生き残れたのは運が良かっただけだよ。

戦場で討ち死にするのは恥ではないけど、ケンカで死にかけるのは恥だな。
いくら強くても一軍の将から見れば匹夫の剣に見られる。
149人間七七四年:2009/12/18(金) 14:09:51 ID:B1ugBM16
疋田より小野のほうが明らかに匹夫なのに将軍家指南役w
150人間七七四年:2009/12/18(金) 15:46:18 ID:VsR7Fuvd
細川のとのさまの方が剣に対して理解があったからねえ。宮本武蔵もきてるし
151人間七七四年:2009/12/18(金) 16:15:57 ID:NizUSz1i
剣客が細川家に関わって命を落とすフラグも有名だけどな
152人間七七四年:2009/12/18(金) 21:11:44 ID:Sy5GPWKW
>>150
疋田のほうから将軍家指南役を断ったかのような言い方だね。
153人間七七四年:2009/12/19(土) 13:56:45 ID:9tjsDmKf
一つの太刀の死亡フラグたるや
154人間七七四年:2009/12/20(日) 15:52:08 ID:JfoNT+XR
戦国頃の剣豪で悲劇的というか気の毒な最後を遂げたのは大体この辺か。
多いような少ないような。

足利義輝(討死)
北畠具教(暗殺)
斉藤伝鬼坊(暗殺)
柳生宗章(討死)
善鬼(決闘の末敗死?暗殺?)
諸岡一羽(病死)
岩間小熊(暗殺)
佐々木小次郎(決闘の末敗死?暗殺?)
松田織部(暗殺)

柳生宗章は自ら望んだ合戦での討死だから違うような気もするけど。
155人間七七四年:2009/12/20(日) 16:13:51 ID:V44W5Fkb
上泉主水(愛の兜を被った人のヘボ采配により戦死)
156人間七七四年:2009/12/20(日) 18:55:35 ID:yjVa5FlU
松山大吉も挙げといてくれ

細川家に招聘されたことで、始末される結果になった
細川家が直接手を下したことの明らかさ具合では、佐々木小次郎をも上回る悲惨さ
157人間七七四年:2009/12/20(日) 21:39:38 ID:BIyIuTu3
本当に気の毒なのは兎角、根岸兎角。

常盤橋の決闘では川に放り投げられ、何もかも失って逃れた先で病死するという悲劇。
誰だって瀕死の師匠の看病なんかしたくないんだから仕方あるまいにw
158人間七七四年:2009/12/20(日) 22:01:15 ID:V44W5Fkb
何もかも失って?
159人間七七四年:2009/12/20(日) 22:04:52 ID:yjVa5FlU
逃げた先で結構恵まれた生活してたんじゃなかったか
160人間七七四年:2009/12/20(日) 23:09:25 ID:BIyIuTu3
>>158
弟子も道場も名誉までも失ってるよw
161人間七七四年:2009/12/20(日) 23:21:08 ID:V44W5Fkb
だが微塵流は失われなかったようだが?
162人間七七四年:2009/12/20(日) 23:25:59 ID:BIyIuTu3
決闘に敗れて木っ端微塵
163人間七七四年:2009/12/21(月) 00:35:44 ID:kSv59HBQ
負けたあと、弟子が岩間小熊を殺してるし、
微塵流も逃げた先の沼田藩で残ってるから
そっちで再起できたわけだしなあ。

気の毒は気の毒だけど
せいぜい会社が潰れた元社長が地方で再起業したくらいじゃないの?
少なくとも悲劇って感じはしない。
164人間七七四年:2009/12/21(月) 00:55:45 ID:M1ZRRk3r
名古屋藩にも微塵流棒術が伝わってなかったか?俺も小熊の方が
よほど悲惨だと思うがね。

泥之助もこんなアホな死に方をしたという伝承がある。
http://www.ibaraki-isuzu.co.jp/mukashibanashi/2007-03/index.html
165人間七七四年:2009/12/21(月) 01:21:17 ID:NCGso1Jb
やっぱ
あいつ負けてんだぜプギャギャwww
とか陰口叩かれてたのかな
166人間七七四年:2009/12/21(月) 08:18:29 ID:U0qBjZ/B
こっぱ微塵になっても大丈夫な微塵流。

たしか信田なんとかって名前を変えて西に行ったんだよね?しぶといw
そういや前、古武道関係のサイト見てたら佐渡島に微塵流が昭和半ばだか昭和末まで残ってたとか書いてあったよ。トキかよw
167鹿島アントラーズ:2009/12/21(月) 12:40:23 ID:+XsZsk9D
現在鹿島では塚原卜伝の居城跡を発掘中。
168人間七七四年:2009/12/21(月) 14:02:43 ID:X8Ss9qaf
樋口又七郎定次がなあ、
ある日ぶらりと旅立って、それっきり消息不明。
道中で事故死したかもしれず、とにかくどんな最期だったのか、全く判らん。
判らんことが悲劇的じゃなかろうか。

変名を用い、別人に成り済まして、
得体がしれないが滅法強いおっさんとして活躍…
なんてフィクションにすると面白い(?)かもしれないが…
169人間七七四年:2009/12/21(月) 15:19:09 ID:rpRa7Y8g
少し時代が後になるけど、深尾角馬と和田平助も悲惨な末路だな。
自業自得といえばそれまでだが。

もっとも、毎晩親父に寝込みを襲われて衰弱した末、狂死した
和田の息子が一番気の毒かもしれんが。
170人間七七四年:2009/12/21(月) 23:42:48 ID:DEACG1FU
>>163
沼田で微塵流を普及させたのは兎角の弟子(孫弟子)ね
流派が残せたら気の毒ではないという基準なら>>154の一羽も伝鬼坊も該当しないねw

>>164
臭し目的の亀の伝承は置いておくとして、病死が気の毒の基準なら剣豪は気の毒だらけだねw
171人間七七四年:2009/12/21(月) 23:46:28 ID:CI5dglv1
流祖の最後があれでも後まで残った流派って結構多いのかしら
172人間七七四年:2009/12/22(火) 00:00:55 ID:ZqnQaeZP
立身三京則正公も若くして病没したけど、弟子によって現代にも流派は伝わっている
173人間七七四年:2009/12/22(火) 03:26:15 ID:ksGPVaaa
>>168
行方知れずというと、一刀斎や神後伊豆守もそうだね。
放浪の身とはいえ、名を上げた剣豪の最後が不明というのは
ちょっとロマンがあるな。
174人間七七四年:2009/12/22(火) 08:20:04 ID:JJEr+A0r
>>176
つまり暗殺された挙げ句自流も残せなかった小熊がもっとも悲惨なわけだな。
175人間七七四年:2009/12/22(火) 11:47:15 ID:uRJYCE6Y
やはり裏切ったというか、義理を欠いているのが大きいな>兎角
小熊や泥之助が最後まで残った上に、その小熊に負けてるから、
末路が気の毒でも、自業自得感がある。
176人間七七四年:2009/12/22(火) 21:25:56 ID:JJEr+A0r
黒田家に仕え、辞してからも合力金を受ける生活がそんなに気の毒なのかな?
177人間七七四年:2009/12/22(火) 22:00:52 ID:ZqnQaeZP
川に落とされ江戸を追われ落ち延びた先で病没ってのが一番ダサいなw
まだ敵討ちされた方が剣豪らしい最後だろ
178人間七七四年:2009/12/22(火) 22:06:07 ID:QBoP+Zre
兵法的には死なないで生きてたほうがいいのではないだろうか
179人間七七四年:2009/12/22(火) 22:13:38 ID:ZqnQaeZP
再起できたらそうだね
できなければただの生き恥
180人間七七四年:2009/12/23(水) 19:27:20 ID:dy34paPh
試合に負けた二流兵法者にしては幸せな人生だったろう。
181人間七七四年:2009/12/23(水) 21:00:19 ID:F00LB/3O
師匠の敵討ちを果たした二流武芸者は名誉を勝ち得て幸せそう
182人間七七四年:2009/12/23(水) 21:15:41 ID:dy34paPh
???

殺されて不名誉な死に方するんだよ。
183人間七七四年:2009/12/23(水) 21:25:08 ID:F00LB/3O
不名誉か?w
184人間七七四年:2009/12/23(水) 21:33:15 ID:dy34paPh
弟子にしたはずの連中に騙し討ちされるのが名誉で幸せだと考えるのですね。
185人間七七四年:2009/12/23(水) 21:37:14 ID:F00LB/3O
弟子にしたというより道場を乗っ取ったが正解だろ
まっ、暗殺の動機はどうあれ小熊の最後をを武芸者として不様と思う奴は少ないけどなw
186人間七七四年:2009/12/23(水) 23:45:11 ID:LRrYxbL2
しんじゃだめだよ
187人間七七四年:2009/12/24(木) 09:18:16 ID:iRSZkpGy
それも風呂場で騙し討ちされるなんて名前の上がる死に方じゃないもんなあ
188人間七七四年:2009/12/24(木) 09:44:20 ID:Huwxs/u/
武蔵「だから風呂なんて入らないほうがいい」
189仙台藩百姓:2009/12/24(木) 12:15:02 ID:2YTEGGZh
源義朝や太田道灌なども風呂場で殺されているし危険な場所だおね( ^ω^)
でもそれを恐れて汚い格好でうろついているようでは侍大将にはなれないお( ^ω^)
190人間七七四年:2009/12/24(木) 17:14:10 ID:3IXLVoA2
空鈍流の成り立ちについて、不明瞭な点が…

一雲の弟子中、最も実力があると思われる真理谷円四郎に無住心剣流の道統を継がせよう動きに
他の弟子である戸川玄蕃らが猛反対し、流派名を空鈍流に改めることで収拾した…
と聞いたのだけど、どういうこと?

戸川等の反発分子から流派名を改めたのか、
それとも圧力かけられて、師匠である一雲の段階から改名したのか。
後者だとすると、一雲は無住心剣流として長いことやってきたけど、晩年は空鈍流となった(ただし中身は同じ)
と解釈できることになる。

結局無住心剣流の名跡を継いだ円四郎は、こと強さに関しては申し分ないはずだけど
他の門弟からは継承者と認めてもらえないとは、人格的に問題でもあったのか… まあそれはどうでもいいけど
191人間七七四年:2009/12/24(木) 21:02:16 ID:qrP0LboH
>>187
いかに剣豪でも騙まし討ちでは対処できないもんなぁ
それに比べて一対一で川に投げ落とされるとか惨めすぎw
192人間七七四年:2009/12/24(木) 22:08:10 ID:WrSo5mHE
騙まし討ちされながら切り抜けてなおかつ形作っちゃう
いっとうさいせんせいぱねえ
193人間七七四年:2009/12/25(金) 23:26:58 ID:lc0/DN9d
集団での騙まし討ちや不意打ちは新撰組の常套手段でもあったわけだから
暗殺ではよくあることw
194人間七七四年:2009/12/26(土) 11:50:16 ID:Ee0TsBk/
だからこそ暴れ馬がつないであれば素直に遠回りするような用心深さが重要なわけだな
195人間七七四年:2009/12/26(土) 12:47:56 ID:PK85pwoe
>>190
相ヌケが究極の姿なのに、師匠相手に2回も勝っちゃいけないでしょ。
一門からは実力は認められているのに、摂理を欠いた人間と思われたんだろう。
大人気無いと。
196人間七七四年:2009/12/27(日) 16:53:17 ID:pfaBQ/Wn
摂理?
197人間七七四年:2009/12/27(日) 23:45:25 ID:mIaPx79u
他の弟子も混乱したんじゃね?
相抜けを提唱した本人が、自分に勝った奴を後継者に据えようとするって、
他の弟子からすれば「じゃあ師匠が今まで言ってたのはなんだったのか?」だろうし。
とりあえず別流派ってことにすれば、一応形はつく・・・とか。
198人間七七四年:2009/12/29(火) 19:43:18 ID:+0pmiSK+
んで、空鈍流の祖は誰なん?
199人間七七四年:2009/12/29(火) 21:45:47 ID:A+k0YhWC
片桐空鈍
200人間七七四年:2009/12/30(水) 12:50:31 ID:lNw6aF/m
空鈍の弟子じゃなく、空鈍自身が自流派を改名した?
201人間七七四年:2009/12/30(水) 22:39:26 ID:unx40ID3
一雲が空鈍なのは確定なの?
202人間七七四年:2009/12/31(木) 14:09:42 ID:/EocJ3n8
又聞きだったのだが、
宮本武蔵が無流派だったとか
丸目長恵が武蔵に勝ったことがあるとか、
そういった荒唐無稽な話をネット上で散見して首をかしげていた。

どうやら、それらの出典元と思われるモノに行き当たった。
『龍が如く 見参!』というアドベンチャーゲームが、それだった。
このゲームオリジナルの設定を真に受けた者がいるようだ。
他にも同様の設定を置いたフィクションがあるのかもしれない(未確認)。
が、このゲームは人気シリーズなだけにプレイ人口は多いはずで、
ネット上でひけらかして恥をかく者が多少はいたとしても仕方なかろう。
203人間七七四年:2009/12/31(木) 17:01:40 ID:umvvatvy
そんなもん吉川武蔵の影響と比べたら屁でもないだろ
沢庵和尚の紹介で「武蔵の師匠」って言ってる奴は未だに多いしな

あと影響でかそうなのといえば子連れ狼の裏柳生か
204人間七七四年:2009/12/31(木) 19:03:07 ID:i/By9nvt
裏柳生はもうよせwww
205人間七七四年:2010/01/02(土) 12:59:32 ID:TGmX9Rvk
片桐食ううどん
206人間七七四年:2010/01/02(土) 16:02:23 ID:Bsqzs59g
テレ東の裏柳生始まったぞ
207人間七七四年:2010/01/02(土) 16:46:34 ID:6oFi6pJp
江戸初期の剣豪物に家光を登場させるのはともかく、
出雲の阿国を絡ませるのもテンプレートみたいなものか?
208人間七七四年:2010/01/03(日) 13:26:51 ID:uKsnF/vF
>>206
裏柳生は出てないんじゃないか。
あれは、柳生一門と疋田陰流残党との戦い。それにプラスアルファといったところか。
どっちにしろ、史実ではない。小説をテレビ化したもの。
209人間七七四年:2010/01/03(日) 14:26:32 ID:SqivclCy
浦柳生ならば出てた

しかし他流試合無敵の三之丞があの扱いとは、おいたわしや。
210人間七七四年:2010/01/03(日) 16:32:35 ID:AF2y+HgD
『柳生武芸帳』てのはテレビ東京の持ちネタなのか?
原作小説があるのかと思ったが、よくわからん
211人間七七四年:2010/01/03(日) 17:06:13 ID:Flqas60R
五味っちのです
本人も書いててなんだかよくわからなくなったらしいです
212人間七七四年:2010/01/03(日) 19:03:15 ID:AF2y+HgD
>>211
thx
芥川賞作家による週刊誌連載だったのか
書き進める最中に新たなネタを発掘して、ごちゃごちゃになって行ったりして
213人間七七四年:2010/01/04(月) 11:16:34 ID:8x6DPuej
原作の小説ともまた全然違うけど。
214人間七七四年:2010/01/05(火) 17:56:18 ID:2aYjL2ux
いつも思うんだが、どうしてこのスレで小野忠明の評価は低いんだ?
幕末最大の流派になって、現代剣道の元にもなった一刀流の大成者だぞ。
柳生なんか幕末には衰退しきってるのに、なんでこんなに信者が多いんだか・・・
ま、こういうこと書いたらすぐキモイ反論が飛んで来るんだろうけどなw
215人間七七四年:2010/01/05(火) 18:17:00 ID:iPLgMQ+n
柳生より小説とか漫画で活躍しないからでしょ。
216人間七七四年:2010/01/05(火) 18:22:08 ID:vlVSOIir
つ知名度
217人間七七四年:2010/01/05(火) 18:58:32 ID:IeXiUgrq
>小野忠明の評価は低い

一体どこを見ているのか、謎すぎてキモい言い掛かり
218人間七七四年:2010/01/05(火) 19:19:47 ID:2aYjL2ux
>>217
これのことだよ。
お前こそスレ読んでから書けよw

>149 :人間七七四年:2009/12/18(金) 14:09:51 ID:B1ugBM16
>疋田より小野のほうが明らかに匹夫なのに将軍家指南役w
219人間七七四年:2010/01/05(火) 19:27:23 ID:iPLgMQ+n
1レスだけかいw

匹夫とかも柳生を持ち上げるただの作り話でしょーが。
220人間七七四年:2010/01/05(火) 20:01:34 ID:Hv8SPO+r
>>218
それのどこをどう読めば評価が低いという意味になるのだ?

疋田には、上(羽柴秀次)からの命令を断ってまで無益な闘いを避けた逸話があって、
さらには徳川家指南役への推挙を「匹夫の剣」という理由で却下された逸話もある。
疋田が匹夫なのではなく、疋田が研究していた技が、身分が低い兵卒のための技法だったという意味だが。

小野には周辺との衝突が絶えず、手合わせの相手を再起不能になるまで叩きのめしたという逸話がある。
人格的には、人の上に立つ器ではないことを示す。
すなわち徳川家の禄を食んでいても品性は伴っていない”匹夫”と認識されたことは事実。

これらの逸話は普通のスレ住人ならば周知の事実であり、それを踏まえれば
徳川家指南役就任の可否を対比させた皮肉として>>149が成り立つ。
ただし両者における匹夫の意味合いは異なるが。

その皮肉には、剣技の優劣を含んだ意は全くない。
従って小野忠明の評価が低いという事実は存在しない。
>>149の皮肉が読解できなかったとしたら、それはお前が無知であるか、無能であるかのどちらかだからだ。
さらには>>214に記した、もう一つの捏造内容である柳生信者が多いという前提は、>>149とは関係しないな。
くだらない言い掛かりだと指摘されて、反論にもならない反論を引っ張り出すのが見苦しい。
小野忠明を崇拝するスレを自分で立てて仕切るか、とっとと切腹でもすればいい。
お前は当スレに来る必要なし。
221人間七七四年:2010/01/05(火) 20:25:21 ID:iPLgMQ+n
柳生の三学は禅語から取った太刀名だけど疋田の三学の太刀名は兵法書から引用してる。

そういう意味じゃ疋田は戦時の剣かもなw
222人間七七四年:2010/01/05(火) 20:29:43 ID:HHxZ2gRM
そもそも剣術家、武道家としての評価を示すのに「匹夫」とか言ってる時点で日本語の不自由な人
223人間七七四年:2010/01/05(火) 21:37:43 ID:OQHc979c
=゚ω゚) まあ、水戸では逆に柳生の小滝より一刀流の伊藤の評価が高い。
これはひとえに忠一が篤実な剣豪で、小滝が技量抜群だが粗暴な剣士だったからだ、にゃ。

実力的にはどちらも怪物的に強いのだが・・・なあ。
224人間七七四年:2010/01/06(水) 14:48:12 ID:zwi7lD7o
講談ネタとしては、
血の気の多い豪傑が痛快に暴れる方がウケを狙いやすい
225人間七七四年:2010/01/07(木) 14:02:07 ID:f9oqeujH
小笠原先生に並んでスレタイに挙がるほどの優遇っぷりなのに評価低いなんて難癖
マジありえんわ
226人間七七四年:2010/01/07(木) 14:19:16 ID:mQ/4SX2J
せん・・・せい・・・
227人間七七四年:2010/01/07(木) 14:26:44 ID:oa8BLtwi
それは
228人間七七四年:2010/01/07(木) 20:19:19 ID:Z/0GABk8
大変な栄誉です…
229人間七七四年:2010/01/07(木) 22:56:16 ID:1WAMn+Z9
>>224
=゚ω゚) いや、そうでもござらんよ。
むしろ伊藤忠一が無手勝流で一人も傷つけずに勝って行くのは
ほとんどト伝の講談の世界っす。
230人間七七四年:2010/01/07(木) 23:30:06 ID:uO1dz/C5
確か講談みたいに馬を遠回りして避けたりしたんだよな。
231人間七七四年:2010/01/08(金) 07:53:08 ID:Xi72MGLv
小笠原先生も小野さんも、強烈なアンチがいたり狂信者がいたり大変ですね。
232人間七七四年:2010/01/08(金) 08:20:43 ID:unQykdYD
きょくたんですね
233人間七七四年:2010/01/08(金) 09:03:57 ID:2Q16tkSV
講談や逸話と史実の区別が若干ついてない人間はいるみたいだけど、信者やアンチはいないように見えますが。

ところで諸岡一羽の弟子の小太刀半七ってなんか逸話あるの?天然理心流の元になった鹿島神道流って小太刀半七の系統みたいなんだが。
234人間七七四年:2010/01/08(金) 16:05:02 ID:unQykdYD
ぐぐってでてくるやつ
235人間七七四年:2010/01/08(金) 17:45:51 ID:HQzBGhjj
上泉四天王に柳生宗巌が入らないのが不思議だった。
疋田・奥平・柳生は生没年が極めて近い「同年代」で、
はっきりとは判らないものの、疋田とのコンビが多い神後もおそらく同年代だろう。
世代が一回り下る丸目が四天王に収まるのが、なんともバランス悪く見える。
まあ丸目が上泉の指導を受けたのはかなり若年だったため、
受講時期としては、実年齢ほどの大きな差はないけど。

しかしながら四天王とされる疋田・神後・奥平・丸目には共通点がある。
彼らはいずれも、上泉の回国修行の供をしたことがある。
この点が、後世の人々によって四天王として選出された背景になったのだろうか。
他の名を残した高弟にも回国修行の供をした者はいそうで、個人的に根拠は薄いと思うが。
236人間七七四年:2010/01/08(金) 18:27:32 ID:2Q16tkSV
柳生より疋田たちのほうがずっと先輩だからじゃね?
そもそも柳生とあった時にはみんな独立できる状態でしょ?
237人間七七四年:2010/01/08(金) 19:40:24 ID:qH+NFZMH
またその話か。
238人間七七四年:2010/01/08(金) 19:43:30 ID:4kh5Nl3u
なんかおかしなのも増えてきたしなあ。3スレ目ともなれば仕方ないか。
239人間七七四年:2010/01/09(土) 00:11:58 ID:Bg0C5duC
>>233
ちょっと上に何か勘違いした小野信者いるだろ
240人間七七四年:2010/01/09(土) 20:49:50 ID:cOwWgIWe
このスレを牛耳ってる奴は>>235系統の話が出ると237-239的に潰しにかかる。
やっぱこのスレ‘やる夫柳生スレ’なのかな・・・
241人間七七四年:2010/01/09(土) 20:56:28 ID:4ufbBmVM
KYで失礼!
今マスコミの偏向報道、捏造が問題になっています!

みなさんの好きな芸能人、スポーツ選手だけでなく、
政治、社会にまで及びます。

ミコスマでは、マスゴミが必死に隠してきた
タブーを暴露しています!

おもしろいのでぜひアクセスを!
http://mikosuma.com/toriaezu/
242人間七七四年:2010/01/09(土) 21:27:28 ID:dlJydwGP
牛耳るとか言われてもよくわからんが裏柳生くんはそういうスレから流れてきたのか。
243人間七七四年:2010/01/10(日) 14:07:24 ID:5XzKh2vx
えーと、ここは剣豪に関する総合スレでいいのですよね?
戦国時代から江戸前期にかけて数多いる剣豪なら、誰を話題にしてもOK?

小野忠明 だ け を称えるスレかと思った
244人間七七四年:2010/01/10(日) 22:03:06 ID:Nm33FXol
>>240
やる夫柳生スレなんて存在すら知らんかったしぐぐっても過去ログ多すぎてわからん。
どの辺りが共通点あると感じたのか教えてもらえるか?
245人間七七四年:2010/01/11(月) 00:21:23 ID:NGx7f4VC
>>243
小野っちきらいなの
246人間七七四年:2010/01/11(月) 00:54:30 ID:6i4Uldx7
どちらかというか小野さんとか小野っちとか書く人がイヤですね。
247人間七七四年:2010/01/11(月) 11:54:25 ID:SjkAAhKb
Oh,No!
248人間七七四年:2010/01/11(月) 12:08:54 ID:RtvzpqO1
この流れ嫌いじゃない
249人間七七四年:2010/01/11(月) 13:07:01 ID:3rdGoTSs
斧さん
250人間七七四年:2010/01/12(火) 04:30:33 ID:HzPhM1Hf
最近の深甚流ってどうなの
確か復元だったと思ったけど

自分で言ってなんだけど
どうなのって質問はどうだろうか
当時から知ってる奴がいたら恐い
251人間七七四年:2010/01/12(火) 08:03:56 ID:dRpGlEGH
深甚流は石川出身の無刀流の先生(深甚流経験者)やら、旧藩士に習った人やらから習って、残ってた形を集めて文献調べて復元したもんです。
完全に文献から再現したものじゃなくて、実際に少し実技伝わってたし、復元されたのももう随分昔だよん

詳しくは剣豪草深甚四郎を読め
252人間七七四年:2010/01/12(火) 10:24:47 ID:mpDhM3wI
奥書付きのト伝百首が全文収録されてる本ってあったっけ?
253人間七七四年:2010/01/12(火) 15:40:17 ID:HzPhM1Hf
>>251
ありがとう
254人間七七四年:2010/01/12(火) 21:49:03 ID:q27lRmEs
>>252
今村嘉雄・編『武道歌撰集(上)』(第一書房)にあるよ。
あとは『日本武道全集2』にもなかったっけ?
255人間七七四年:2010/01/13(水) 10:26:40 ID:IhGZrW+p
>>254
ありがとう。
しかし、ぐぐってみたけど両方とも流石に高いね。
古本屋だと日本武道大系は別巻共12冊揃で85000円か・・・
歌撰集に至ってはamazonじゃ取り扱ってないし。
これは国会図書館頼みしかないか
256人間七七四年:2010/01/13(水) 10:32:07 ID:IhGZrW+p
打ち間違えた。
「体系」じゃなくて「全集」の方か。

・・・それでも剣術を紹介した1・2は1冊2万オーバーかあ。
どっちにしても高いねえ。ものを考えたら仕方ないけど。
257人間七七四年:2010/01/13(水) 17:15:07 ID:tUhCf7sC
筑波から出てる武道伝集古本屋に頼んだ時は請求書を見て泣きそうになった。
百科事典みたいのって高いし、古書ならなおさら
涙を呑んで棒茄子頼み。
258人間七七四年:2010/01/13(水) 17:46:48 ID:vhHhpdQq
おれコピーしてだいたいもってる。ヒントはWEBCAT
259人間七七四年:2010/01/13(水) 19:53:57 ID:SJf1LIlP
>>256
国会図書館の前に、東京23区内だと杉並中央図書館に両方あるよ(武道全集は3巻のみ)。
中野区中央図書館だと武道全集は全部あったはず。
この辺に住んでた俺が言うので間違いない。
都内の図書館でお探しならまずこちらオススメ。
http://metro.tokyo.opac.jp/

ま、うちの県の中央図書館にもあるし、地方でも古い図書館ならあるのではないかな?
260人間七七四年:2010/01/13(水) 21:12:15 ID:IhGZrW+p
>>259
これはありがたい!
うちからだと杉並区より国会図書館の方が近いんだけど、
教えてくれたサイトで調べたら、日本武道全集と武道歌撰集が南千住図書館にもあるのがわかったよ。
今度行ってみる。
261人間七七四年:2010/01/13(水) 22:06:16 ID:SJf1LIlP
>>260
お役に立てて何より。そこの図書館だと後は『新編武術叢書』もあるね。
武芸小伝や撃剣叢談が読めるよ。
262人間七七四年:2010/01/14(木) 07:28:04 ID:d43R05Nx
雲弘流のどこかで見られないですかね
古武道演武大会のdvdしかないかしらん
263人間七七四年:2010/01/14(木) 07:57:52 ID:pyM7wYiD
自分で撮影した演武会のビデオもってるが。しかしうpする気も時間も無い。
見た形は細い木刀使ってシンプルな形だよ。一本目は双方歩みよって敵八相から打ち込み、仕太刀は片手八相(片手上段?)から体捌きと同時に打ち込む技。無住心剣の逸話と同じ片手太刀。
無住心剣もあんな稽古したのかな?
264人間七七四年:2010/01/14(木) 12:34:39 ID:4ycvn5/Y
資料そのものじゃないけど、CiNii(論文検索ナビゲータ)も結構オススメ。
資料の検索にも使える時があるし、たまに面白い論文も出てくる。
http://ci.nii.ac.jp/
「剣術」で検索かけてみると、色々出てくるよ。
265人間七七四年:2010/01/14(木) 16:19:17 ID:QylKmouU
そうか、個人撮影って手があったか
BABの高いのと個人の両方から当たってみます
266人間七七四年:2010/01/14(木) 20:23:14 ID:pDEJeGOI
空鈍流は現存してないですか?
267人間七七四年:2010/01/15(金) 08:57:10 ID:cWJAvSgU
>>265
どこに住んでるか知らないけど、来月の日本武道館の古武道大会に雲弘流でるから見に来れば?
268人間七七四年:2010/01/15(金) 20:35:42 ID:Ll5R/Il3
>>267
まじかい!
ありがたや
269人間七七四年:2010/01/17(日) 13:31:15 ID:9lPKzL06
夕雲のあの逸話は史実ではなかった!(と言う者もいる)

893 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/01/12(火) 19:59:02
江戸時代初期あたりの人物だった気がするのですが、
剣の道に迷っていたところ、坊さんのアドバイスを受け
新たな境地を開いた剣豪って誰ですか?

894 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/01/12(火) 20:09:41
>>893
そんなのは作り事。史実では無い。

895 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 20:11:54
誰の話だ?

896 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 20:15:38
針ヶ谷夕雲のことじゃないの?
アドバイスくれた坊さんは虎白和尚と言うらしい

他にも似たような経歴のある剣豪がいるのかな…

897 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 20:18:17
ああ、史実では無いと断言されてるのか…
夕雲の逸話も作り事だったのか

じゃあワカンネ

898 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/01/12(火) 20:35:36
それでした!針ヶ谷夕雲!
言われてみて、小笠原源信斎の関係者だったことを思い出しました

でも坊さんから心的な支えを貰ったという話はフィクションだったんすか
どこからそんな話が創られたのか、調べてみます
270人間七七四年:2010/01/17(日) 14:39:45 ID:ZTccYAZT
つじげったん
271人間七七四年:2010/01/17(日) 17:54:14 ID:y97/3LlU
ろくなソースもないのに断言されるとかえって信用できない。
272人間七七四年:2010/01/18(月) 18:50:21 ID:X9nZG8JF
寺社で瞑想・参禅したと伝えられる剣豪は枚挙に暇がないほど
それらが全て架空だとするのには無理がある
特に夕雲の場合は僧侶との交流があったという話になっていて、具体的なのだが

柳生但馬守も沢庵和尚と交流があって、剣に悩んだかは知らないが
息子の教育に関する悩みで叱咤されたような話を聞いたような気がする
虚構の可能性はゼロではないが
273人間七七四年:2010/01/18(月) 19:38:04 ID:UXGH9a+2
『夕雲流剣術書』は一雲が師匠のことを書いた箇所に関しては一応信頼できそうだけどな。

>>272
そういう内容の手紙残ってなかったっけ?

274人間七七四年:2010/01/18(月) 20:00:49 ID:yu78IrYS
>>272
不動智神妙録の後書だな>但馬守への叱咤
275人間七七四年:2010/01/18(月) 20:52:34 ID:C4pl+6mv
父を悩ます不良息子
転じて民衆のヒーローとなる
276人間七七四年:2010/01/18(月) 22:36:03 ID:t2iIMf8s
今で言ったらエリート官僚の息子が不良になったようなもんだしなあ。
親父が苦労人だったりするところがまたなんとも。

というか十兵衛もちょっと違えば旗本奴になってたかもな。
277人間七七四年:2010/01/19(火) 18:36:26 ID:Y4a0IBuw
戦国時代の四国に剣豪っていたっけ?
278人間七七四年:2010/01/19(火) 21:22:59 ID:jYcpOrgY
土佐の卜伝w
279人間七七四年:2010/01/19(火) 22:34:08 ID:LXNh/77y
280人間七七四年:2010/01/20(水) 09:19:21 ID:vxUm7fQx
亀レスだが天然理心流は小太刀半七ではなく土師泥之助の系統。
泥之助の弟子は徳川家に仕えようと静岡方面に行ってる者もいるから辻褄はあうな
281人間七七四年:2010/01/24(日) 19:41:52 ID:Ci8LDNpL
柳生宗巌が新陰流と出会う前、畿内屈指の遣い手と評されていたのは
中条流などの剣術を修めていたからだけど、
その中条流を教えた師がトダ(富田?)一刀斎。
このトダ一刀斎は、鐘捲自斎…ということはないか…

自斎の生没年は不詳だけど、活動時期からすれば宗巌の長男ほどの年代だろう。
わずかに歳下ならともかく、大きく歳下の者に師事するのは不自然。
中条流の富田ファミリーには、印可級の遣い手に「トダ一刀斎」の号を使う者が多数いたのだろうか。
自斎よりも一回り以上上の世代にも、同じような号を用いた別人がいた可能性を念頭に置いておこう。
282人間七七四年:2010/01/24(日) 22:57:29 ID:28tZ0sJi
=゚ω゚) 石舟斎の師は戸田一刀斎と神取新十郎だったかな?
疋田門下にも戸田新八郎というのがいたらしいが・・・
283人間七七四年:2010/01/25(月) 14:08:17 ID:kzOaCF9o
紛らわしい名前

上泉伊勢守秀綱

新陰流開祖も、その実子も、
伊勢守という官位名・秀綱という諱を使用していた時期があり、非常に紛らわしい。
特に断りがなければ、重要性からして父を指すものとさせてもらう。
また、父を指す場合は、最晩年の諱である信綱を用いる方が望ましいかもしれない。
信綱であれば息子を指すことはないため、使い分けになる。

柳生但馬守

父・宗巌、五男・宗矩ともに但馬守の官位名を称す。
諱が世間一般によく知られていることから、諱で使い分ければ良いものと思われる。
特に断りがなければ、浸透具合からして息子を指すものとさてもらう。
父の方は、号である石舟斎もよく認知されているため、この号を使うという手もある。

一刀斎

様々な時代に多数の一刀斎が存在する。
伊東一刀斎を指して用いられている場合が多目だとは思われるが、
一刀流とは無関係な一刀斎もいて、注意を要する。
284人間七七四年:2010/01/25(月) 15:07:45 ID:fjakW61z
うろおぼえなんだけど、石舟斎って念流も学んでなかったっけ?
どこかで読んだような気もするんだが、さっぱり思い出せん。
伊勢守と混同してるだけかもしれないけど。

>>283
「小野次郎右衛門」も、代々の名前になってるね。
大抵は忠明のことだけど、たまに忠常だったりする。
あと、尾張柳生の兵庫助と連也が、両方「兵助」とも呼ばれるのもあるね。

ちなみに、一刀斎ならぬ二刀斎っているのな。
戦国の人じゃないけど。
285人間七七四年:2010/01/25(月) 19:23:11 ID:VuJtO5AM
=゚ω゚) 竹内流も藤一郎藤十郎を代々継ぐね。
まぎらわしさでは宮本武蔵守や富田セイゲンもなかなか。
武蔵と言えば上泉武蔵守信綱でもOKだと思われ。
286人間七七四年:2010/01/25(月) 19:50:40 ID:C8nz1Roa
江戸後期の剣客を調べていたら、
いつのまにか大石進親子の情報が混じって
収拾がつかなくなったことがある…
287人間七七四年:2010/01/25(月) 22:46:04 ID:zcR77pP1
卜伝も二代目卜伝がいたとかの説もあるな。
真壁氏幹も親父の久幹(暗礫軒道無)と混同されてる部分多し。
288人間七七四年:2010/01/26(火) 13:19:29 ID:lm9YPVwp
江戸中期以降の話になるけど、
神道無念流の中枢には襲名が多くてややこしいなあ。
>>6をぱっと見たところ、戸ヶ崎熊太郎、岡田十松、斎藤弥九郎が複数だ
289人間七七四年:2010/01/26(火) 17:12:07 ID:tGCkm+Vr
>>286
=゚ω゚) 植木屋は試合で殺しちゃったってホント?
290人間七七四年:2010/01/29(金) 20:17:41 ID:3uj4hVE3
291人間七七四年:2010/02/01(月) 13:42:47 ID:yAMuYlL2
胤栄のことを調べていたら、弟子のナンバー1に金春七郎を挙げる記述が出てきた。
七郎に続いて、中村市右衛門と高田又兵衛が並ぶ。
どうやら金春七郎は、ただいろいろな武術を習ったというだけではなくて、
それぞれの武術においてもしっかり達人の域に達していたようだ。
若死にしたことが本当に惜しい。

歳の近い柳生宗矩に連れられ、一緒になって押し掛け能を舞う…
金春流能楽宗家と組んだ宗矩の株も上がる…
面白い絵図が空想できるところだったのだが
292人間七七四年:2010/02/01(月) 14:43:24 ID:UbfuYNVR
穴澤流薙刀の七郎宛て伝書も現存していたような。

室町の十兵衛と慶安の十兵衛が入れ代わったりしなければ
七郎も死なずに済んだのに残念なことだ。
293人間七七四年:2010/02/01(月) 15:05:03 ID:yAMuYlL2
なにかと思ったら、山田風太郎『柳生十兵衛死す』ネタかw

ある意味で面白そうだから、機会があったら読んでみるわ
294人間七七四年:2010/02/02(火) 14:09:35 ID:3jz8610v
岩波の兵法家伝書についてる新陰流目録も金春七郎宛だしな。
隆慶の夜叉神の翁が絶筆なのが惜しまれる。
295人間七七四年:2010/02/04(木) 20:32:21 ID:otfxKBJY
高田又兵衛といったら
宮本武蔵が戦った対戦相手の中でホントに強かった奴ツートップ
高田又兵衛と夢想権之助で当たり前に鉄板扱いなんだが
これを最初にいいただしたのは誰なんだろう。
296人間七七四年:2010/02/06(土) 18:59:42 ID:9Kq53Xu1
佐々木小次郎という人についてはどこまで明らかになってますか?
297人間七七四年:2010/02/07(日) 10:08:20 ID:etGTiJHK
佐々木姓は狂言ネタで
古い文献では津田小次郎だったり上田宗入だったりする程度しか
明らかではない。
298人間七七四年:2010/02/07(日) 23:54:04 ID:48Cft0/y
武蔵モノの狂言なんてある?
299人間七七四年:2010/02/08(月) 21:17:47 ID:ubMZmHjZ
花筏巌流島は浄瑠璃だっけ?
300人間七七四年:2010/02/09(火) 03:49:59 ID:ep45tZwb
敵討ち巌流島くらいしかしらん
301人間七七四年:2010/02/10(水) 11:32:48 ID:6IXOrR71
ttp://www.pref.nara.jp/bunkaz/shinshitei/h17/5ken_H17.pdf

金春家は伝統ある家系だけに先祖の関係書類の保管もしっかりしていて、
資料としての価値も高いのだろう。
ついでにムニムニ発行の書簡も一緒に存在情報が開示されてるが、
これは近隣の生駒山宝山寺の所蔵であって、金春家とは直接関係ないらしい。
302人間七七四年:2010/02/11(木) 01:01:54 ID:KE5n+vzC
せっかく雲弘流出るって教えてもらったのに
今日まで普通に忘れてしまっていた…
仕事も片付けてたのに…あがががが…
303人間七七四年:2010/02/11(木) 14:42:54 ID:IBb/TTQf
俺も今年行けなかった・・・(ノД`)
残念。

ところで話変わるけど、剣豪の中で弓や鉄砲も達者な人いたっけ?
槍や薙刀なんかは使える剣士は結構いたみたいだけど、
そういえば剣士が弓使う話ってあんまり聞かないなあ、と。
逆に星野勘左衛門と相撲取りの逸話みたいなのはあるけど。
304人間七七四年:2010/02/11(木) 16:07:08 ID:pBenfXdg
=゚ω゚) 弓ならふつうやってたと思われ。ト伝百首とかにも有る。
まあそういうのは流儀の表芸でも併伝でも無く、たしなみ程度だと思うが。

剣道家なら内藤高治は弓術師範の市毛家の生まれだわな。
博道さんもシュミで引いてて弓との他流試合のさいに
呼吸が読めて役に立ったと言ってたらしいから
矢留めの技が有る流儀なら少しはやってたかもね。

記憶書きなので違ってるかもしれんが武蔵もゴン助相手に揚弓?を棒代わりに
遣って対抗してた気がするので弓も使えた・・・かもしれん。
305人間七七四年:2010/02/11(木) 17:07:34 ID:5oGxb5Md
内藤正成? 武芸者として生きた人じゃないが。
槍も達人だったが、弓に関しては神業とまで言われた。

高木清秀とか六角義賢とか花房正幸とか立花宗茂とか今川氏真とか、
弓「も」よくできたというと、むしろ武将として活動していた人物が浮かぶ。

剣豪≒兵法者 とする前提で、プロの兵法者と言える人物に一宮随波斎。
この随波斎は、剣の技量は不明だが、弓は達人だった。
306人間七七四年:2010/02/11(木) 20:31:55 ID:3RpqOchL
家康なんか武芸は何でもできた印象だな。
剣術はもちろん鉄砲も70になっても鳥を落とせる腕前だし、
弓も『信長公記』だったか騎射で敵を仕留めた話があったはず。
307人間七七四年:2010/02/13(土) 03:47:13 ID:R01ipV0N
武蔵は手裏剣の達人
308人間七七四年:2010/02/15(月) 18:36:00 ID:vosj0pX1
江戸初期当時の記録では、柳生と小野だと小野の方が人気があった、というコメを
別のスレで見たんだが、それって実際に出典があるんだろうか?

似たような話で、昔、剣豪のムック本だかなにかで、小野忠明について
「笑うとえくぼが出て親しみやすい」「柳生と比べて身分が下だから庶民に人気があった」とか
そんな文を見たこともあって気になってたんだが、どうなんだろう。
実紀や当の一刀流の記録を読む限り、人気があるようには思えないんだが。

それとも、その辺り以外に忠明について記された当時の記録ってあったのかな?
309人間七七四年:2010/02/15(月) 19:46:08 ID:cGl2BDue
「威張り散らすんで皆に嫌われてた」

ってのなら見たことあるが
310人間七七四年:2010/02/15(月) 19:47:52 ID:/c0JJ+yk
剣豪ムック本か。出典が明らかならいいけど妄想書き散らしたのとか中にはあるからね。
311人間七七四年:2010/02/15(月) 23:37:11 ID:Z+G7gUHK
キチガイのイメージならある
312人間七七四年:2010/02/16(火) 10:58:53 ID:o/Gx9jsy
>>309
これか。

 かたがた武功に誇り
 同僚を軽侮し
 常に大言を吐きゆえに
 衆人かたむけにくまぬ者なし

これは忠明が亡くなった時の実紀の記述だな。
前置きで剣の達者であることとか上田城七本槍のことも書いてあるけど、
死んだ際の最終的な人物評がこれだから、当時の記録で人気があったってのはガセだろ。
そもそも、江戸初期当時で実紀と三祖伝以外に忠明への記述がある書なんてあるのか?
313人間七七四年:2010/02/17(水) 23:35:03 ID:cc59qSI+
忠明の子孫の小野次郎右衛門の評価とか混ぜ込んだのかな?
314人間七七四年:2010/02/18(木) 18:48:15 ID:REI4bt9R
剣士として腕は立ったのは確かだし、
現代剣道も小野派一刀流の分派みたいなものなんだから、
剣士としてはそれで十分だと思うけどねぇ。
当時の武士は全員似たようなものなんだから、
忠明だけがグダグダ言われる筋合いはないと思うんだけど。
315人間七七四年:2010/02/18(木) 19:29:36 ID:7qwNRPx6
柳生の陰謀じゃあああああ
316人間七七四年:2010/02/18(木) 19:45:46 ID:REI4bt9R
別に陰謀とかそんなこと言わないけどさ。
でもなんで柳生と比べてマイナーなんだろうねぇ。
幕末以降は明らかに一刀流>柳生だったし、
維新の功労者にも一刀流の人間がたくさんいたんだから、
もっと日が当たってもおかしくないと思うんだけど。
317人間七七四年:2010/02/18(木) 19:56:16 ID:Aq+UtnKT
>当時の武士は全員似たようなものなんだから、
>忠明だけがグダグダ言われる筋合いはないと思うんだけど。

つまり並外れて人間的な評判が悪かったってことだな。
318人間七七四年:2010/02/18(木) 20:07:40 ID:REI4bt9R
うーん・・・別に辻斬りをしたとか、無抵抗の相手を殺したとか、
そういうわけでもないのに、なんでそこまで言われるんだろうねぇ。
多少は乱暴かもしれないけど、見方を変えれば武芸者らしい武勇伝ばかりなのに。
319人間七七四年:2010/02/18(木) 20:09:09 ID:Aq+UtnKT
あんたがいつもの小野贔屓の人だということだけは理解したよ。
320人間七七四年:2010/02/18(木) 20:11:05 ID:7qwNRPx6
そしていつも叩く人も出てくるという流れ
321人間七七四年:2010/02/18(木) 20:30:39 ID:REI4bt9R
あんなのと一緒にされるとさすがにちょっと。
当時随一の剣士なんだから、一般的な知名度は低めでも、それなりにファンだっているよ。
中には変なのもいるかもしれないけど。

これは不思議なんだけど、剣道ってなんで一刀流の技だけじゃなくて歴史も教えないんだろうね。
祖流派の立役者なんだから、剣道やってるなら一刀斎や忠明くらいは普通に知っておいてほしい。
322人間七七四年:2010/02/18(木) 20:48:07 ID:7qwNRPx6
別に技教えてないけども
323人間七七四年:2010/02/18(木) 20:52:18 ID:Sx+x7imI
剣道は一刀流じゃなくて、幕末明治以降の流派共通の撃剣技術がもとになってるよ。影響で言ったら直心陰や鏡新明智流なんかの影響もでかいだろ。

話はずれるけど近代剣道の大家の出身流派はかなりバラエティにとんでるよ。
324人間七七四年:2010/02/18(木) 21:13:20 ID:REI4bt9R
その共通の技術の結晶になった剣道型は一刀形が主体じゃん。
最初の直心影の影響が強かった奴が反対が強くてボツになった後、
二回目のは主査5人のうち、3人まで一刀流が入った上でやっとまとまったんだし。

それに武徳会自体、一刀流派が最大勢力だったしねぇ。
325人間七七四年:2010/02/18(木) 22:43:10 ID:rw5aUS+f
>>当時の武士は全員似たようなもの
どこソースか不明
全員似たようなものとか、まさかカブキ者や浮浪牢人を基準にしてるわけじゃあるまいな

>>324
その一刀流自体、すでに他流との混合である事実
北辰一刀流だって北辰夢想流との混合
中西派一刀流の起爆剤になった竹刀での実践稽古は元は陰流が導入したもの
忠明の影響なんかいくらか知れない

そもそも技術や技法は時代が降るごとに改良が加えられるものだし、今の剣道なんてそれこそ試合メインで形なんて昇段審査くらいにしか使わん
幕末の隆盛もあくまで当時の人間の功績であって、忠明の力や功績はあくまで同時代からでしか測れない
まあ一刀流>柳生だの、流派の優劣がどうとか絶対測れもしないようなものを無理矢理都合よく線引きしようとしてる時点で、価値観や見識なんて知れたモンだが
326人間七七四年:2010/02/18(木) 23:12:58 ID:7geqgzW0
>北辰一刀流だって北辰夢想流との混合
中西派一刀流の起爆剤になった竹刀での実践稽古は元は陰流が導入したもの
^^・・・
327人間七七四年:2010/02/18(木) 23:18:30 ID:Sx+x7imI
剣道形には一ツ勝も地生も無いし鬼小手も使わないじゃん。構えも一刀流とは違うし。
流派の差より撃剣での共通点をまとめたんじゃないのかねー。同じ小野直系の一刀流でも無刀流と梶派と中西派じゃ全然形が違うぞw
328人間七七四年:2010/02/18(木) 23:20:17 ID:Sx+x7imI
剣道形には一ツ勝も地生も無いし鬼小手も使わないじゃん。構えも一刀流とは違うし。
流派の差より撃剣での共通点をまとめたんじゃないのかねー。
329人間七七四年:2010/02/18(木) 23:22:37 ID:Sx+x7imI
間違えたw

形は全然違うけど構えは一緒だし。日本剣道形とは全然違うぞ。だ
330人間七七四年:2010/02/18(木) 23:59:30 ID:U05kA7pC
というか、>>308は、
ムックに書いてある説の論拠はどこだろう、と尋ねただけなのに、
なんでID:REI4bt9Rは小野忠明は評価されるべき、一刀流最高!なんて話をしだしたんだろうね。
変なの。
331人間七七四年:2010/02/19(金) 00:10:05 ID:NQmBTgLH
一刀流で一番貢献度高いの
ぶっちゃけ中西子武だし
332人間七七四年:2010/02/19(金) 00:20:35 ID:pEhpcHY9
中西で防具竹刀打ちを取り入れなかったらこんなに広まらなかっただろね
たぶん新陰系の天下だったよ。直心、神道無念、加藤田、大石、幕末の有名流派てほとんど新陰系だしね。心形刀と柳剛流一応。
333人間七七四年:2010/02/19(金) 00:26:32 ID:00Ou9q4f
なまじ相役だったせいで、しょっちゅう絡まれる柳生はいい迷惑だな。
つーか、忠明が紹介される時、柳生の話が出てこない方が珍しいし。

「将軍家指南役は柳生だけではなく、小野も…」
「実は小野忠明は、柳生と仕合して勝ったことが…」
「柳生と違い、将軍すら容赦なく打ち据えたので出世できず…」

いい加減、小野は柳生離れすればいいのに。
334人間七七四年:2010/02/19(金) 00:57:22 ID:Zhqxiry0
新陰系ってまた枠組みが雑だな
335人間七七四年:2010/02/19(金) 01:06:05 ID:Za/09h5X
>>332
防具取り入れたから広まったって(生き残ったというか)
のはどこも当てはまるでしょ

なんかみんな小野厨叩くために無茶苦茶になってンなw
336人間七七四年:2010/02/19(金) 01:11:01 ID:MQHHtxz6
一刀流好きとしていつもこの流れにはもやもやさせられる。
武板だとこういう流れにはならないんだけどな
337人間七七四年:2010/02/19(金) 01:14:45 ID:46RsX7D1
>>335
だから立役者というならあくまでそれを取り入れた人間のが適切で、必ずしも古流の開祖じゃないよ、と
むちゃくちゃと言うなら、剣道と絡めて小野忠明をマンセーする方が無理やりだ
一流派を建てた功績だけ評価してりゃいい
338人間七七四年:2010/02/19(金) 02:00:18 ID:00Ou9q4f
つーか、なんで一刀斎じゃなくて忠明なんだろうな。

>>336
武板は流派別に細分化されてるからな。
代わりに何処の板も内ゲバが酷いけど。
一刀流だと龍馬伝絡みで荒れてるスレがあるし。
339人間七七四年:2010/02/19(金) 07:41:23 ID:JBKM4N7R
変に伸びてると思ったらいつもの小野さんマンセー君が来てたのかwww
340人間七七四年:2010/02/19(金) 11:31:39 ID:46RsX7D1
一刀斎というなら鐘巻自斎、いや、それを言うなら富田勢源、いやいや、それを言うなら……
で、ループになる罠
341人間七七四年:2010/02/19(金) 11:42:06 ID:L4jji8KX
小野厨といえば、スレチだがへうげスレにもそれっぽいのがいたよ。
柳生より強いから出して柳生を倒してほしいとか言ってた。

あと、漫画つながりで言えば、バガボンドスレで一刀斎厨が暴れた時、
スレが荒れに荒れて、隔離板ができる始末だったなあ。
そっちでも今回の小野厨みたいなこと言って一刀流マンセーしてる奴がいたし・・・。

何か変な奴が湧く理由でもあるのかね?
342人間七七四年:2010/02/19(金) 12:55:13 ID:pEhpcHY9
柳生と違って剣一筋な感じがするからじゃないの?

カネマキ自斎と伊藤一刀斎なんかよくわからん人物だよな。
外他一刀斎景久(御子神助四郎の外也流と古藤田の一刀流)の師匠は外他道宗で、伊藤一刀斎景久(小野さんの一刀流)の師匠はカネマキ自斎なんでしょ?
外他道宗=カネマキ自斎らしいね。で、カネマキって山崎家の文献によると中条流三家(富田、印巻、山崎)の一つらしいから、一刀斎は名門だよな。
343人間七七四年:2010/02/19(金) 13:37:47 ID:opNqd74/
>>341
新陰厨だらけで鬱憤が溜まるんだろう
344人間七七四年:2010/02/19(金) 13:46:23 ID:9D9jD5XS
>>333
まあ、似たようなことは思った。
小野の話題を振るためには、
柳生を引き合いに出さないと、語ることもできないのかと。
345人間七七四年:2010/02/19(金) 13:59:57 ID:2iVl/S6j
つうか同じ人でしょ
346人間七七四年:2010/02/19(金) 14:13:25 ID:r/WCNJsC
だろうね
347人間七七四年:2010/02/19(金) 14:18:48 ID:opNqd74/
なんでもいいけど
たまには念流のことも思い出してください・・・
348人間七七四年:2010/02/19(金) 14:49:34 ID:r/WCNJsC
一刀流も念流の子孫だけどな
349人間七七四年:2010/02/19(金) 15:18:01 ID:Za/09h5X
遠縁の親戚レベル
350人間七七四年:2010/02/19(金) 16:04:35 ID:ext32TNT
有名税とはいえ柳生も大変だな
351人間七七四年:2010/02/19(金) 18:41:01 ID:46RsX7D1
忠明の弟子は柳生と武蔵に勝ったと言ってるけど
武蔵と柳生の弟子は忠明を相手にしてない件について
352人間七七四年:2010/02/19(金) 19:17:13 ID:opNqd74/
しつこ
353人間七七四年:2010/02/19(金) 19:34:37 ID:5RYAWwDq
人間的に問題があると史料に書かれた者をそう評価して何が悪いんだろう。
354人間七七四年:2010/02/19(金) 19:48:13 ID:2iVl/S6j
まぁ、そういう流れではなかったけどね

つかあれだね、小野厨は荒れると消えるね。
ID変えて叩き側になってたりしてねw
355人間七七四年:2010/02/19(金) 19:53:59 ID:5RYAWwDq
>>314から流れがおかしくなったから突っ込んだまでだが。
ところで、そういうアンタが実は小野厨だったりしてなw
356人間七七四年:2010/02/19(金) 20:04:13 ID:2iVl/S6j
>>355
え…やめろよ…
お前だろ・・・
357人間七七四年:2010/02/19(金) 20:06:55 ID:Za/09h5X
病原菌か
358人間七七四年:2010/02/19(金) 21:06:57 ID:L4jji8KX
居残られてもウザいし、さっさと消えてくれるに越したことないなあ。
まあ、1匹だけみたいだし、フルボッコの気配が出たから逃げたんじゃないの。
359人間七七四年:2010/02/19(金) 23:53:34 ID:jbHeV2IG
つーか武蔵スレでも似たようなこと言ってるのが湧いてるな。
スレからスレに感染ってるのか?
次はどこに湧くのやら。
360人間七七四年:2010/02/20(土) 00:06:46 ID:3Zkhpbkc
バガボンドのスレで
「忠明が宗矩を薪で倒して指南役に推挙されたのは歴史的事実!」
って言ってたアホが居たな。
それじゃ順序逆になるだろ
361人間七七四年:2010/02/20(土) 00:17:45 ID:995/UfwP
いつまでやるのそれ
362人間七七四年:2010/02/20(土) 00:46:35 ID:/Phntt+c
もういいだろ。
別に小野を擁護するわけじゃないけど、一般論として
必要以上に叩いたり、逆に褒め過ぎたりしたら、
言ってる事が間違ってなくても、周りから見たらウザく感じるもんだよ。

そろそろ別の話しようぜ。
363人間七七四年:2010/02/20(土) 00:59:21 ID:995/UfwP
あ、じゃあ
塚原卜伝を大河へって書いた
ステッカー張ったトラックを見たんだけど
何かそういう運動あるの
364人間七七四年:2010/02/20(土) 01:29:46 ID:/Phntt+c
お、ナイスネタ振り。
それってこれかな?

「剣聖・塚原卜伝」をNHK大河ドラマに!
ttp://www.city.kashima.ibaraki.jp/info/detail.php?no=3391

鹿島市の商工観光課が運動してるらしい。
実際、宗矩(春の坂道)、武蔵(MUSASHI)、新撰組(新撰組!)はそれぞれ主役になったし、
今やってる龍馬伝で一刀流(北辰だけど)も脚光浴びてるだけに、
ト伝クラスなら大河希望の運動くらいあってもおかしくないよな。

個人的にはそれならいっそ足利義輝大河化はどうだろうと思うんだがw
365人間七七四年:2010/02/20(土) 02:04:22 ID:995/UfwP
ジャニ−ズとかでやるんだろうと思うと…
つうか卜伝だれがやんだよと
366人間七七四年:2010/02/20(土) 03:00:20 ID:ayati6zb
>>364
義輝やんねえかなw
剣豪総出演でさ。ラストシーンとか盛り上がると思うんだが。
367人間七七四年:2010/02/20(土) 07:56:16 ID:HZ6x9/JF
去年鹿島に行ったらパンフの表紙に書かれてたよ。
368人間七七四年:2010/02/20(土) 09:04:32 ID:haXBgUZ2
やっぱりここは柳生スレ。
それなりに詳しい柳生粘着の書き込みがほとんど。
小野忠明を持ち上げるといつもの叩き
369人間七七四年:2010/02/20(土) 12:14:43 ID:QFW9qjHk
まあ小野厨は、ふつうに荒らしだろ。
資料を出すわけでもなく、技法を検証するわけでもなく、ただただ忠明マンセーだしな。

以前日本史板で小野忠明最強の「ウスノロ金玉武士」ってやつが荒らし回って
スレが2つくらい荒らされたのを思い出したが、同一犯人だろうか?

一刀流の研究や議論はぜひやりたいが根拠の無いマンセーは多少荒れても叩くべきだと思う。
370人間七七四年:2010/02/20(土) 17:03:40 ID:yt3QKRiM
蒸し返すなよ…。
何のためにネタ振ってもらったと思ってんだ。

粘着とかくだらない思い込み書いてないで、
論拠があるなら反論なりフォローなりすればいいだろ。
それでまともな話になるなら、別に誰も叩きゃしないよ。

柳生の話がそれなりに見えたり、論拠ありの反論が出やすいのは、
なんだかんだで当時の剣豪の中では史料が多いからだよ。
そういう意味では他の剣豪は史料が少なかったり、
あっても信憑性が薄かったりして、どうしても検証しつつの話になるし、
ここはそういう話ができるスレでもあるから皆来てるのに、
それを無視してマンセーしてりゃ叩かれるのも当然だろ。
371人間七七四年:2010/02/20(土) 18:56:31 ID:7gteaj7+
小野ネタでも構わないところだが、
いちいち「柳生よりも」「柳生なんかより」などと冠するのがいて、
その語り口が鬱陶しいんだよ
372人間七七四年:2010/02/20(土) 21:22:30 ID:995/UfwP
一刀流好きな俺も厨の語り口はうざいと思うけど
引っ張りすぎじゃない
って何回このやり取りすんだよw
373人間七七四年:2010/02/20(土) 23:56:54 ID:yt3QKRiM
>>368みたいな蒸し返すバカがいるからだろ。
せっかくト伝大河化運動とかネタ振ってくれたのに…。
もうやめろよ。
374人間七七四年:2010/02/21(日) 00:36:01 ID:maUXnlth
実際今の若い人の卜伝の認知度ってどのくらいだろう?
375人間七七四年:2010/02/21(日) 01:27:03 ID:iHxL59zj
「老剣豪」といえばト伝、という印象があるけど、
最近だとあんまりドラマや小説に出てこないし、厳しそうかなあ。
あの頃だと伊勢守と双璧と言うか、歳上の分、先輩格って感じなのに。

というか、剣豪自体の認知度もどうなんだろうな。
人によっては竜馬とか吉宗とかも剣豪と思われてるような気が・・・。
376人間七七四年:2010/02/21(日) 02:48:57 ID:lXI4YMat
ト伝の大河って言うと若い頃からやらなきゃいけないだろうから、正直ドラマ性に欠けるかと
ト伝は主人公の師匠的な立ち位置で使うべき剣豪だろ
377人間七七四年:2010/02/21(日) 12:37:31 ID:d6fR4d8h
足利義輝ならドラマになり易いかのう
憲法から京流を、ト伝から新当流を、信綱から新陰流を学び、
その壮絶な死に際には、剣豪らしい抵抗振りで暴れたあたりが
378人間七七四年:2010/02/21(日) 12:54:47 ID:gQa3VdzO
義輝だけだと弱いかもね。
流行りは戦国末期以降だから、義輝・義栄・義昭の三代だと良いんじゃない?
379人間七七四年:2010/02/21(日) 13:30:56 ID:jHbZZbHV
>>377
もう将軍のコネで全部の剣豪と会えばええんや
380人間七七四年:2010/02/21(日) 15:50:19 ID:iHxL59zj
三代にすると、ラストが義昭が追放されて終了になりそうだし、
ここは「剣豪将軍義輝」原作で大河ドラマ化って感じはどうかな。
ドラマオリジナルパートで他の剣豪を招いたり会ったりする話を追加すれば、
大体の剣豪は出せそうだよなあ。

伝鬼坊が京に上った時、義輝と会ってなかったかな?と思ったけど、
義輝が死んだのは1565年、その頃だとまだ10歳か。ちょっと厳しいな。
でも、目明きの頃の富田勢源とか出せるかもしれないか。
381人間七七四年:2010/02/21(日) 15:54:33 ID:d6fR4d8h
大河は厳しいかぁ
4〜6時間枠くらいでちょうどよさそう
382人間七七四年:2010/02/21(日) 16:04:35 ID:lXI4YMat
富田勢源は盲目だからこそカッコいいんだろ
383人間七七四年:2010/02/22(月) 01:42:07 ID:aw988qYR
夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ
夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ
夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ
夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ
みたいな終わりだったら泣く
384人間七七四年:2010/02/22(月) 02:51:02 ID:DBG8g2Pe
むしろ御所炎上での戦いだし、転生する方じゃね?勿論初代の。
そんでボンバーマンがジュリー風になったりとか。

でも真面目な話、フィクションなしでこれだけ派手なラストを迎える人物も珍しいよなあ。
どうせここから更にフィクションやるなら、ト伝&伊勢守の剣聖コンビが、
剣豪1個分隊(ト伝が雲林院、諸岡、真壁、林崎、斉藤、伊勢守が疋田、神後、奥山、丸目、柳生)引き連れて大暴れ、
間際で救出に登場、とかやったらどうかね?
385人間七七四年:2010/02/22(月) 11:00:48 ID:fxn1uKo8
そこまでやったらもう寛永御前試合の世界だな
386人間七七四年:2010/02/22(月) 11:06:20 ID:la8F56OY
夢のオールスター
387人間七七四年:2010/02/22(月) 12:51:07 ID:tnI0HD5e
もうそこまでやるなら、冨田勢源&富田の三家に一刀斎、親父の方の憲法と無二斎、胤栄も足して、本当のオールスターにする方が景気がいいなw
いっそ果心居士とか忍者連中も足してもいいかも。
もう大河通り越して、完全に東映系の時代伝奇アクション映画の世界だがw

しかし、史実を踏まえて考えても、義輝の場合、ト伝、伊勢守、丸目は確定、吉岡も十分あり得るだろうし、
疋田、神後あたりも伊勢守と一緒に拝謁してる可能性もないとは言い切れないことを考えると、
剣豪と縁がある将軍としては、義輝と家光が質量ともにツートップってところか。
388人間七七四年:2010/02/22(月) 14:56:21 ID:eNku1RbT
テレ東のお正月時代劇になるわ
389人間七七四年:2010/02/22(月) 15:05:05 ID:la8F56OY
そこまでやったとしても、おちゃらけ具合は
数年前の武蔵物大河ドラマの足許にも及ばないという事実
390人間七七四年:2010/02/22(月) 18:10:43 ID:g2sxWtAF
いいじゃないか、もう

三人衆「ゲヘへへへ。ここまでですな、足利殿」
義輝「ぬう……」
「待てーい!」
三人衆「なっ何奴!」
ト伝「如何に戦国の世といえど!」
上泉「こともあろうに将軍弑逆などという蛮行、見過ごすわけには行かん!」
義輝「せっ、師匠!」

こんくらいやっちゃっても
391人間七七四年:2010/02/22(月) 18:21:10 ID:450HLzal
それ見るわwwwww
392人間七七四年:2010/02/22(月) 18:24:48 ID:lCMqt+sL
リアル戦国無双ktkr
393人間七七四年:2010/02/22(月) 19:18:31 ID:fxn1uKo8
歴史変わるじゃん
394人間七七四年:2010/02/23(火) 02:39:40 ID:EjOUWASB
そこはそれ、なんとか助け出されたけどもう足利幕府に限界を感じて、
足利義輝は生死不明として、一回の牢人になって生きていくんだよ。

あとはもう好き勝手にやらかしてOKだ。
395人間七七四年:2010/02/23(火) 03:04:40 ID:EGCm1aqx
外国へ行って歴史上の人物になってもいいな
396人間七七四年:2010/02/23(火) 13:22:57 ID:y6k/H0bT
つまり「剣豪将軍さすらい旅 南海の血闘」というわけだな。
ああますます大河から離れていく。

書いてて思ったが、戦国〜江戸初期の間で東南アジア方面に出た人間の中に剣士っていたのかね?
中国方面だと小笠原源信斎と、あと剣士そのものじゃないけど渡辺幸庵もいるが。
397人間七七四年:2010/02/23(火) 23:59:01 ID:Ys1Sdk1M
渡辺幸庵か。
そもそも駿河大納言忠長付だった渡辺茂と本当に同一人物なのか?
398人間七七四年:2010/02/24(水) 12:18:05 ID:pcDx8Z0X
ホラ話だよって前提なのに、いちいち整合性を分析する必要はないだろ
399人間七七四年:2010/02/24(水) 20:41:37 ID:VuhlKQDp
130歳ってのを鵜呑みにするのは流石になあ・・・。
ただ、仮に自称だとすると、なんで幸庵が渡辺茂と同一人物を名乗ったのかわかんねえんだよな。

ちなみに長寿といえば、長谷川英信もかなり長生きしたらしいんだよな。
118歳ってのが本当なら、武芸者ではぶっちぎりで一位だな。
400人間七七四年:2010/02/24(水) 21:01:45 ID:aUxzhUGH
そりゃ128歳ですと自称したら70そこそこにしか見えませんねと突っ込まれたから、
昔の人物の経歴を騙って裏付けっぽく装ったのだろう
401人間七七四年:2010/02/24(水) 22:30:41 ID:dWjSFnI+
幸庵の新陰流門人ってのはどのくらいの信憑性があるんだろう?
402人間七七四年:2010/02/24(水) 23:49:10 ID:UHh7qiEW
渡辺茂の経歴を見ると、忠長の傅育役で万石以上の家の当主だしねえ。
格で言えば譜代大名格なのに、このクラスの奴が単身浪人して密航するとか、
正直、信憑性があるとは言いづらいな。

ぶっちゃけ、武蔵と宗矩の比較の逸話がなかったら、
普通にほら吹き爺呼ばわりされて終わりなんじゃないか?
403人間七七四年:2010/02/25(木) 00:34:04 ID:4vyQaGnK
渡辺幸庵から派生した〜とか名乗ってる流派あるのかな
404人間七七四年:2010/02/25(木) 15:13:10 ID:3MYRZHXy
>>401
0パーセントくらいはあるかな
405人間七七四年:2010/02/26(金) 00:25:02 ID:aY7CoXMF
「新陰流の確率は0パーセントとレスされるが、このスレでは小数点以下を切り捨てているため、実際は小数点以下の確率で新陰流である。」
406人間七七四年:2010/02/26(金) 01:53:27 ID:BSiFbvid
止めろ……これ以上源氏の話をするな
407人間七七四年:2010/02/26(金) 19:28:55 ID:tuSDuLVa
>>402
今ひとつ、言っていることがわからないのだが…
逸話の有無に関係なく、普通にほら吹き爺呼ばわりされてるでしょ?

”逸話があるからほら吹き呼ばわりされていない”かのような文意に読めるぞ?
408人間七七四年:2010/02/26(金) 23:56:24 ID:B4q+kRUQ
>>407
>”逸話があるからほら吹き呼ばわりされていない”かのような文意に読めるぞ?

それで合ってるよ。

幸庵の話が引用される時、大抵の場合、
「この時点で120歳といい、信じがたいが、嘘とも言い切れず・・・」という前置きの後、
「この幸庵の証言によると”武蔵は柳生但馬守より井目も強し”といい・・・」と流れて、
「だから武蔵はすごかったのだ」の結論になるパターンが多いだろ。

この紹介の仕方だと、ある程度、幸庵の発言に信憑性を認めてないと話が成り立たないし、
その信憑性を担保するのは「武蔵はすごい」という結論のある話の存在であり、
そして、そこで幸庵の発言が引用されるのは、この井目の逸話があるからだから、
この逸話の存在が、幸庵に信憑性を持たせている、
あるいは持っているかのように扱われる論拠になっているのでは、という話。

無論、真に幸庵自身や、その発言に「信憑性がある」かどうかは別の話だし、
「だから幸庵絡みの話は全部本当、幸庵はホラ吹きじゃない」というわけでもない。
この逸話が紹介される時に限定して、ということ。

長い上にややこしいな。すまん。
できれば幸庵のことはちゃんと調べた上で再検討したいんだが、
なにかいい資料はないものかな。
409人間七七四年:2010/02/27(土) 08:53:03 ID:TfiB7DE1
>>364
塚原卜伝って
年くって仙人化して
自分が死んだ後に生まれた宮本武蔵をなべのふたで撃破したとか
そういうイメージしか湧かないんだよなあ。

大河の主役だったら
まだ上泉信綱の方が見込みあるんじゃね?
410人間七七四年:2010/02/27(土) 10:14:17 ID:2xMQotJD
幸庵の話を、もしかしたら全くの嘘じゃないかもしれないという前提で振ったとしたら、
ネタでそう言っているだけだ。

「本当にあった怖い話」を、
実話であるかのようなフリをして語るのと同じ方向性のネタ。
411人間七七四年:2010/02/28(日) 22:04:04 ID:Nz03H8u9
実際、「剣豪」と呼ばれる人間の多くは、同時代の有名人とやってないよな
というか、流名かけて立ち会っちゃったら負けた方は厳流さんみたいに廃れるのが普通だし
それ以前に概ね死ぬし
例え立ち合っていたとしても、その多くの有名人は現代には残らないわけだ

新陰流みたいに弟子になってから流派を広めていくケースは別として
石舟斎だって弟子入りして柳生流兵法を開かずに負けっぱなしだったら
「太祖上泉は柳生某という近畿の強い剣豪と戦いました」って弟子が伝記で語るだけの人物で終わっていただろ
412人間七七四年:2010/03/01(月) 03:28:14 ID:oItyevVD
負けたけど伝わる天流って珍しいよな
413人間七七四年:2010/03/01(月) 04:33:14 ID:LfccmCa/
天流は試合で負けたっていうより暗殺に近いけどね
414人間七七四年:2010/03/01(月) 11:38:17 ID:XzgJT2XY
近いというより暗殺そのものだろあれ。
伝鬼坊自身にも覚悟はあっただろうけど、
さすがにあそこまでやられるとは思っていなかった、ということかもしれないが。

逆に考えると、
囲みを作って、遠間から弓を打ちかけるくらいしないと勝ち目がないほど
伝鬼坊が強かった、といえるのかもしれん。
あんなのやられたら誰でも死ぬだろ。
415人間七七四年:2010/03/01(月) 15:38:12 ID:LfccmCa/
>>414
武蔵は生き残ったらしいよ
416人間七七四年:2010/03/03(水) 19:19:48 ID:hKldcS5j
伝鬼房は真壁不動堂での病死説もあるんだよな。

ちなみに真壁氏幹の弟子である桜井霞之助が伝鬼房に決闘で殺されたことが
真壁一派による報復の原因とされるけど、実際は霞之助が尼崎に移住して
伝鬼房の死後も生存していたのは史料でも子孫の過去帳でも確認できるよ。
417人間七七四年:2010/03/03(水) 20:39:41 ID:sR1sodOF
>>411
まあそうだなあ
富田勢源が眼を患ってから試合し打ち負かした相手が、梅津某とだけで
飯篠に学んだという話以外、名前も経歴もわからん
どのくらい強かったのかも闇の中
418人間七七四年:2010/03/03(水) 23:28:23 ID:Z4Q/Jt/H
一刀斎だって倒した相手は富田流の高弟と言う触れ込みの富田一放と
全く経歴不明の唐人くらいしかいないしな

しかも富田一放も実際にはどういう人物だったのかよくわからん
武蔵の殺したって言う新当流の有馬喜兵衛と大して変わらんだろ
419人間七七四年:2010/03/03(水) 23:51:14 ID:bINgx2Bs
戸部新十郎の作品だと富田流の最終兵器扱いだったな>富田一放
名人越後の縁者って設定だったけど、実際はどうだったのかね。
420人間七七四年:2010/03/04(木) 00:35:34 ID:d2E9SIR5
同時代の有名人と戦っていない、戦った相手は無名ばかり、とは宮本武蔵を批判する時によく使われる定型詩だが、
冷静に考えると武蔵くらい他流の氏素性のはっきりした人間との絡みの逸話が残ってる人間の方が、逆に珍しい
と言うのもどっかに仕えてない限り公的な史料に載る機会はどうしたって少なくなるし、
そういう奴らすら自流関係以外の対戦経歴は殆どわからないんだから、剣豪と言われる人間の戦績が不明瞭なのは当然っちゃ当然の事象
421人間七七四年:2010/03/04(木) 03:21:07 ID:+5AmDncQ
破る→殺す
   →弟子にする→弟子が有名になる→ウマー
422人間七七四年:2010/03/04(木) 13:31:03 ID:X4FCRAYP
× 宮本武蔵を批判する時によく使われる定型詩
○ 他の剣豪を知りもしないのに宮本武蔵が最強と持ち上げる痛い輩を批判する時に使われることもある定型句
423人間七七四年:2010/03/04(木) 14:57:35 ID:yfxBzuNP
>>421
上泉は本当に上手くやってんだよなーそれ考えると
>>422
ちょっと剣豪についてかじったにわかが武蔵や十兵衛のような有名所を貶して識者を気取って見たい時に使う定型詩

だろ
424人間七七四年:2010/03/04(木) 15:11:52 ID:d2E9SIR5
中条流の有名人って記述の良くわからない人間が多い気がする
富田重政は戦で大活躍したみたいだが、決闘とか御前試合とかやってたんだろうか
425人間七七四年:2010/03/04(木) 15:13:53 ID:d2E9SIR5
中条流系の有名人って記述の良くわからない人間が多い気がする
富田重政は戦で大活躍したみたいだが、決闘とか御前試合とかやってたんだろうか
426人間七七四年:2010/03/04(木) 15:36:03 ID:X4FCRAYP
あやうく決闘するはめになりかけた話なら伝わってるねえ

家光が、自分が抱える柳生宗矩と、前田家が抱える富田重政とを対決させる話を持ちかけた
大大名とはいえども外様であって、徳川将軍家に対してあまり強いことは言えない前田家としては断りきれず、
重政もやむをえず旅の支度を始めた
老境に差し掛かった重政に対し、一回り若い宗矩は男盛りと言えて、体力的にはハンデがあったかもなあ
出立の直前、家光からの使者が早馬で、試合は取り止めになったことを伝えに来た
名人のどちらかでも怪我をさせるようなことになっては惜しいと、家光が思い直したらしい

もし実現していたら? とIFを想像してしまうようなネタだけど、
従属的外様大名お抱えの者が将軍家お抱えの者を倒すわけにはいかないだろ、政治的に考えて
どうせ公平な試合にはならなかっただろう
427人間七七四年:2010/03/04(木) 15:39:52 ID:d2E9SIR5
秀忠よろしく、殿様は剣豪同士戦わせるの好きだわなあ
カブトムシの如く戦わせようとするよね
428人間七七四年:2010/03/04(木) 16:17:56 ID:X4FCRAYP
徳川秀忠については堅物すぎて、剣豪を戦わせたとは聞かないなぁ
羽柴秀次なら、戦わせようとしたような話があるけど
429人間七七四年:2010/03/04(木) 19:00:02 ID:X4FCRAYP
しかし秀次の評判はすこぶる悪いし、家光だって評判が良いとは言えない
決闘命令を撤回した家光はまだしもだが(秀次ほどの悪評ではない)

興味本位で配下剣客を戦わせたら、権力者の沽券にかかわる

寛永御前試合と言うが、元は代表的流派の妙技を家光が見物しただけじゃないかと推量
後世の人々が、だったらあの流派の人も登場させよう、これも入れようなどと追加して、
世代がばらばらすぎてナンセンスとしか言い様がないオールスター振りになったんじゃなかろうか
難波一藤斎勝利の判定を不服として、敗者の関係者が異議申し立てをしたなんて話は後付けぽいしな
勝敗を競うようなものじゃないだろと
430人間七七四年:2010/03/04(木) 19:07:44 ID:d2E9SIR5
>>428
柳生と小野の逸話でよく見るが
431人間七七四年:2010/03/05(金) 00:51:11 ID:rCm3Lwly
時代的に勝った負けたで洒落にならない感がある
432人間七七四年:2010/03/05(金) 01:56:15 ID:mOgcdWQ2
現代でもプロスポーツの勝敗にはいろんな意味で人生かかってる
アマでもそうかもな、プライド的な意味で

この当時はそれプラス、ナチュラルに命がかかるし
433人間七七四年:2010/03/10(水) 22:49:14 ID:lt70T8dM
武蔵の絵って国宝だっけ?
強くて芸術の才能もあって社会的ステータスもあり、晩年は300石も合力米でもらって楽隠居
普通にチートだなコイツ
434人間七七四年:2010/03/10(水) 23:10:08 ID:42zz5Q4Z
本人は到底満足してないからな。むしろ不幸というか失意の人生。
435人間七七四年:2010/03/11(木) 00:38:19 ID:TFdpWhnf
そうか?
割と思うように生きて往生した印象がある>武蔵
キーは武蔵に世俗的な意味での功名心があったかどうかかな。
436人間七七四年:2010/03/11(木) 03:45:03 ID:DYSMccSm
仕官条件の要求見るに無かったとはとても思えん。
細川の殿様の所に落ち着いた頃は満足してたんじゃないかな。先に死なれて偏屈になった時期もあるみたいだが。
437人間七七四年:2010/03/11(木) 04:13:11 ID:xtLMpCoo
仕官条件の要件って、1000石の知行吹っ掛けたとか、そういうのか?
所詮一次資料のない「逸話」だろ?
伊織の仕官の時には武蔵は自身が仕官を断る代わりに推挙してる
で、元は出自のよくわからない伊織がいきなり近習だぜ。
功名心があったならどうとでも出来たろうよ
438人間七七四年:2010/03/11(木) 11:54:54 ID:+vqEGAwM
武蔵がなぜ仕官しなかったのかについて
江戸時代中期以降の人々も興味を抱いたようで、
その答えの一つとして創り上げたのが、
要求条件と提示条件の不一致
439人間七七四年:2010/03/11(木) 12:39:50 ID:OIt4QA+c
あの話もなあ・・・これといった功績のない武蔵が
いきなり3000石を要求するとか無茶もいいとこだろ。
武蔵は武芸者としては優れた人物だっただろうけど、
武士として見れば、あくまで一介の牢人だしな。

3000石ってのも同じ頃の宗矩にあわせただけじゃねえの。
あっちは別に指南役だけで3000石取ってるわけでもないのに。
440人間七七四年:2010/03/11(木) 13:23:23 ID:k3cIqPGm
>>433
国宝ちゃうわ
素人じゃないが、超一流の画家というわけでもないぞ
441人間七七四年:2010/03/11(木) 16:18:29 ID:xtLMpCoo
>>440
重要文化財に指定されてるものがあるのは事実だよ
でも国宝だったかは知らないな
世界遺産の東寺の国宝指定されている観智院客殿には宮本武蔵の絵が二点描かれているけど
それ込みで言うなら確かに武蔵の絵も国宝だが
442人間七七四年:2010/03/11(木) 17:18:23 ID:DYSMccSm
今で言う重要文化財って、何割かは1950年の文化財保護法の時に国宝から指定変えされたもんじゃないっけ
それまでは有形文化財はぜんぶ国宝(旧国宝)って呼ばれてたとか何とか
まあ武蔵ので重文があるのかは俺は知らんが
443人間七七四年:2010/03/11(木) 19:47:19 ID:RKaXUBIO
444人間七七四年:2010/03/11(木) 20:17:22 ID:Rprx0lvo
勝海舟は若い頃を振り返って、自分は武術の稽古ばかりしていたよと言っていたが、
その一方で他の若者には、多才な人間になることを奨励している。
海舟が傾倒した柳生宗矩は政務もできたし、能楽にも精通してたことが影響しているだろうか。
他にも丸目蔵人佐は書・楽曲・和歌、宮本武蔵は絵画・彫刻、金春氏勝は能楽(てか本業だが)、
友松為庵は医学、小田切一雲も医学、岩間小熊は道場横取りと、
なかなかにマルチな才覚を発揮した剣客も、探せば出てくるわな。
445人間七七四年:2010/03/11(木) 20:34:59 ID:PTQcg8rK
不二心流開祖は農業指導、鉄人二刀流青木金家は鍔師、心形刀流は殿様がいるな。
446人間七七四年:2010/03/11(木) 21:00:58 ID:xtLMpCoo
旧国宝と新国宝? だっけ
それまで全部国宝と呼ばれていた重要文化財の中から、特に文化的価値が高いと判断されたものが「新国宝」として格上げされたんだっけか
国宝って絵とか書だけじゃなくて古墳とかの建造物とかもまじってるからなあ
それだけで芸術的な価値を判断する事は出来ないね、学術的重要性の高さは疑うべくも無いが

あ、でも美術工芸品部門とか建造物部門とか、そういう感じの分け方はあったよね、確か
447人間七七四年:2010/03/11(木) 22:20:40 ID:0KpDZVGZ
=゚ω゚) ああ、武蔵の書画なら江戸でもマニアが居たみたいだよ。
渡辺華山も武蔵の絵を買って喜んで自分で箱書き書いたらしい。
それが例の「枯木鳴鵙図」だべさ。

>>444
渡辺華山(神道無念流):絵師、政治家、蘭学者
448人間七七四年:2010/03/11(木) 22:32:37 ID:x1mR/Pxw
平井八郎兵衛って人は地蔵斬り以外に何かエピソードありますか?
449人間七七四年:2010/03/11(木) 23:16:36 ID:xtLMpCoo
>>447
もともと古美術商に並んでいたうちの一品だったらしいね
華山がそれを発見して評価したことによって武蔵芸術の人気が高まったという
ちなみに彼も金子金陵の師事を受け、人物画を中心に多くの作品を残している芸術家であり、見る目は確か
450人間七七四年:2010/03/13(土) 21:46:36 ID:T8IgvlsC
宮本武蔵が武芸者相手に二刀を研究している噂を聞いた神谷が意識して、
師匠の小笠原が二刀を持って相手してやったって話、どうも怪しく感じる。
当時、他所の武芸者の噂などいちいち意識する必要があったのか…
武蔵が有名になった後の時代に創られた話じゃないのかなーと。

それに小笠原が武蔵の二刀の使い方をどこまで知っていたというのか、
両者に接点があった話すら知られていないゆえに、武蔵の技とは全く別物だった可能性も。
小笠原の経歴からして、中華武術の双剣が混じってたりして。
作家によっては大陸に渡る前からルソンへ渡航してたことにしてるのもいるくらいで、
カリの技術が混じっていてもおかしくない(信憑性はないよ)
451人間七七四年:2010/03/13(土) 22:14:23 ID:LeSj/Dw2
その前に倭寇の二刀流は?
452人間七七四年:2010/03/13(土) 22:51:20 ID:Q5sbf1Oh
そもそも天正の頃のシントウ流伝書や陰流伝書に二刀が出て来るし、若干後の中条流系の伝書にも二刀はあるから二刀は普通にあったんだと思う。
453人間七七四年:2010/03/14(日) 04:21:20 ID:ZTkY5Tfw
まあおんなじ二刀流だし有名人並べりゃハクが付くんじゃね的な
454人間七七四年:2010/03/14(日) 16:56:53 ID:BCSPOK3T
>>452
だから武蔵がわざわざ試行錯誤した二刀と、既存の二刀とは違うんでないの?
455人間七七四年:2010/03/14(日) 17:33:23 ID:8IO3moHZ
そりゃ流派によってみんな工夫するから違うでしょ
456人間七七四年:2010/03/14(日) 20:06:21 ID:BCSPOK3T
結論(たぶん)
源信斎の二刀は、武蔵の二刀とは別物
当然、神谷が模擬試合で源信斎の二刀を破ったからといって、武蔵の二刀に通用するかどうかは別問題
源信斎もそんなことは判ってただろう
神谷に付き合ってやった動機は、悶々としていた様子だったから、気晴らしさせてやった?
457人間七七四年:2010/03/14(日) 20:44:55 ID:8IO3moHZ
ただの逸話だと思いますが
458人間七七四年:2010/03/14(日) 21:38:20 ID:/zHUe8aQ
神谷が小笠原に二刀の稽古をしたという程度の事実が人の口を経るうちに
同時代の武蔵と関連付けられて伝えられるようになったということかもね。
459人間七七四年:2010/03/14(日) 23:49:09 ID:8IO3moHZ
新陰流には二刀があるから稽古はしたんじゃないですかね。
源信斎も神谷も有名だったから、
同じく有名な武蔵を意識していたに違いない→対策を考えたに違いない
とか想像して話作ったんでないかい?
460人間七七四年:2010/03/15(月) 00:07:17 ID:C4zRiRAi
>>458だけど神谷が師匠みたいに書いちゃってたのを
今さら気付いたw

ところでこのエピソードの出典って何だっけ?
461人間七七四年:2010/03/15(月) 17:33:56 ID:F79pT7XT
まあ眉に唾つけて聞いておくんなせえ

源信斎は武蔵のことを高く評価していたという話がある(怪しいけど)。
仮に本当の話だったとしたら、どこかで武蔵と面識を持ち、その技を見たこともあったのだろう。
源信斎も(東アジア範囲で)放浪者みたいな人だったから、日本のどこで会ったことにしてもいいが。
で、愛弟子である神谷に「おぬしと同年代に、宮本武蔵という凄い剣士がおるぞ。おぬしも負けてはいられないな」
などと煽っていた。
源信斎は源信斎で、以前見た武蔵の二刀の型を忘れないよう、時折、復唱するがごとく演舞していた。
神谷はその物真似二刀を観察し、破る方策を考え出した。
そこで神谷はついに「武蔵の二刀だって破ってみせます」と言い出す。
源信斎、「武蔵は強いぞ。そんなことを言うとは、慢心ではないのか」と咎める。
で、立ち合ってみて、神谷が源信斎の物真似二刀を破ってしまう。
源信斎、「見事だ。それなら武蔵にも勝てるかもだ」(あくまで断言はしない)

とまあ、源信斎が二刀で神谷の相手をした話と、源信斎が武蔵の力量を買っていた話とを繋ぐ妄想をしてみた。
武蔵ファンにしてみれば「あの源信斎に認められていた武蔵スゲー」となって胸がすくし、
神谷もフォローされてる。別に源信斎の人物評価が普段は辛いというわけではないが(数千人単位の門弟抱えた人だけに)。
武蔵と神谷の両者を立てていて、誰かを扱き下ろすようなことはないから、これらの逸話は好印象だ。
462人間七七四年:2010/03/16(火) 15:02:50 ID:qof2ctwK
柳生を扱き下ろすことで成り立つ小野の逸話は印象が悪いとな?
463人間七七四年:2010/03/16(火) 15:50:37 ID:XNuff2Xs
>>462
良いと思ってる奴いるのかね?
464人間七七四年:2010/03/16(火) 18:01:26 ID:ebAHB5HJ
この間、新しく出てた剣豪本を立ち読みしたら
忠明が十兵衛に勝った逸話が史実扱いで紹介されてたな。
嘘も百回言えば本当になるってこういうことかと思った。
465人間七七四年:2010/03/16(火) 20:34:21 ID:up6yTdb0
綿谷氏の著作って文庫化とかされてないのかねえ。
どうせ新しい情報なんて滅多には増えないし、ライトな剣豪本より
氏の著作の方が余程入門篇としても適切だと思うんだけど。
466人間七七四年:2010/03/16(火) 23:55:54 ID:RSm/Qu0g
確かになあ。
ヒドイのになると、参考資料が全部二次三次の資料だけで、史料がひとつもない、なんてのがあったし。
あんまりアレなんで、何処の馬鹿が書いたのかと思ったら、著者の肩書きが大学教授だったんで呆れたよ。
467人間七七四年:2010/03/17(水) 21:08:19 ID:BKc80VQm
初心者向けの紹介本なんざもういらんわ。
それより伝書や本朝武芸小伝あたりの古典をまとめた奴を文庫で出してくれ。
手元にほしいけど高いんだよ・・・
468人間七七四年:2010/03/17(水) 22:13:39 ID:M/FWieKh
牧ナントカとかいう作家?の人がよく出してたな。
それぞれの剣豪のプロフィールやエピソードの出典を出さない、史料を明らかにしない本は
入門本としてもむしろ有害じゃないかな?
469人間七七四年:2010/03/17(水) 23:01:39 ID:gyBl495s
牧さんの本はひどかったな。最近はましになったのかな
470人間七七四年:2010/03/17(水) 23:02:23 ID:EBEcycMA
出典をきちんと書くと、自分の妄想を盛り込めなくなるから嫌がる奴もいるのかもねw
471人間七七四年:2010/03/18(木) 13:40:00 ID:zLNdvxJv
柳生清厳が戦死した島原鎮圧戦だが、誰の隊に属したのか調べようかと思ったら暗礁があった。
石谷貞清に頼み込んで松倉右近の隊に加えてもらった… って、松倉右近て誰よ?
島原で暴政を布いた松倉勝家が、戦国時代の有名武将だった祖父と同じく「右近」の名を
持っていたのかと疑ったが、確認とれず。
そもそも江戸に職場があった石谷に頼んだのに、九州大名の隊に入るのは不自然。
鎮圧軍第一陣総大将の板倉重昌(やはり江戸勤務)に石谷が同行していたから、
清厳は板倉の隊に加わったのではないか?
板倉部隊に関してなら、石谷の発言権も及ぶ。
ただし板倉重昌も、右近という名前を持っていたか、確認はとれない。
しかし板倉隊は一揆軍に壊滅的打撃を受けており、状況的にここで清厳も討死したと考えやすい。
「松倉隊に加わった」は、「板倉隊に加わった」の誤記じゃなかろうか。
472人間七七四年:2010/03/18(木) 14:11:42 ID:P83/AG8Z
手元に資料がないからうろおぼえだけど、
死亡した日付は元旦じゃなかったっけ?>清厳
板倉重昌が討ち死にした時の突撃で清厳も死んだんじゃないだろうか。
473人間七七四年:2010/03/18(木) 17:05:26 ID:zLNdvxJv
情報THX。
清厳が没した日付までは掴んでなかったけど、一月一日だったなら
ますます板倉の隊だったことになりますな。
その時点では松倉は出動していなかったから。
板倉重昌には宇右衛門という名前があったらしいけど、
右近という情報はどこから湧いたのかまだ判らん。

板倉では大名に舐められて一揆勢に負けると分析した宗矩が、撤回を進言したのは
かなり土壇場になってからのようで、実際に改令が間に合ってない。
甥の息子が参戦することを知って、私情を挟んで進言という挙に出たのだろうか。
そこは妄想の余地なのだが。
474人間七七四年:2010/03/19(金) 01:33:04 ID:CZOaYruA
帰って資料探してみたら、「正傳新陰流」に清厳の遺書が載ってたわ。
それによると、この遺書は寛永十五年の元旦、突撃前にしたためたもので、
その文中に『石谷十蔵殿ヲ頼、板倉右近手に加り・・・』とある。
清厳の家来のうち、一人がこの遺書を兵庫助利厳のところに届けたそうな。
475人間七七四年:2010/03/19(金) 12:28:50 ID:SALQeUTv
板倉隊で確定ぽいね
清厳が連れていった家来は
郎党(戦闘員)が二名、非戦闘員の世話係が二名の計四名で、
郎党二名と非戦闘員一名が戦没したはず
槍持ち一人が生還してるんで、遺書を届けたのはその槍持ちだろう
476人間七七四年:2010/03/20(土) 00:31:46 ID:ZkuO+ic9
死亡率高すぎだろ…('A`)
477人間七七四年:2010/03/20(土) 12:56:18 ID:4Q9C+WDV
板倉隊は”全滅”と言われているくらいだからなあ
大将の板倉重昌も討死
将校の石谷貞清も重傷…

その後の一揆勢の全滅振りの方が、実数的には凄まじいけど

柳生権平は槍で奮闘
高田又兵衛は槍で功績
宮本武蔵も槍を持って行ったんだろうか
担架が活躍したようだが
478人間七七四年:2010/03/21(日) 15:05:51 ID:xi+a6yFy
念阿弥慈恩(慈音、相馬四郎義元)1351-1448?
      {念流開祖。鞍馬寺で稽古した話からは京流の系譜にあると考えられる}
念流十四哲(慈恩の高弟。坂東の八名、京の六名と伝承さる)
・赤松三首座(慈三)
      {慈恩の実弟。念首座流を開く。首座流も、この系譜}
  小笠原甲明{三首座の弟子。この後三代に渡って小笠原姓の者が念流を伝え、友松氏宗を経て樋口家に伝承さる}
・樋口兼重(太郎)
      {義仲四天王・樋口兼光の子孫。伊那に居住し、慈恩に師事}
・中条長秀(兵庫頭)-1384
      {十四哲の一人とされるが、慈恩よりもかなり年長とみられ、慈恩の師匠に学んだとする説もある
       家伝の中条流平法と念流を合わせ、中条流を創始}
樋口定次(又七郎)1554-1600?
      {樋口兼重の子孫。一族が上州に移住した頃、家伝が念流であったところが流行の新刀流に替わり、失伝
       (柏原肥前守盛重に学んだ天真正伝香取神道流だったとする具体情報あり)
       先祖が念流正統継承者の一人だったことを惜しんでいたところ、偶然に友松偽庵氏宗と出会い、弟子入り
       家伝の念流復興を果たす。後、馬庭念流と呼ばれることになる}
479人間七七四年:2010/03/21(日) 15:06:59 ID:xi+a6yFy
●中条長秀の系譜
甲斐広景(豊前守)
      {中条の弟子}
大橋高能(勘解由左衛門)
      {甲斐の弟子}
富田家長(九郎左衛門)
      {大橋の弟子}
富田景重(治部左衛門)
      {富田家長の子}
富田勢源(五郎左衛門、戸田晴眼、勢厳)1523-
      {富田景重の子。中条流が爆発的に普及する契機になった名人。晩年には視力が衰えてしまう
       槍、薙刀まで扱う総合武術だが、勢源個人は特に小太刀術を極めた}
中堀玄清(=富田牛生?←未確定情報。読みはゲンセイ/ギュウセイか?)
      {勢源の一門とされる。越前朝倉家に仕えた、槍の達人}
 内海重次(左門)
      {内海流槍術開祖。勢源に槍を学んだ中堀玄清を師匠とすると伝わる}
 佐分利重隆(猪之助)
      {佐分利流槍術開祖。富田牛生を師匠とし、同門に打身佐内(内海左門?)がいたと伝わる}
富田景政 -1593
      {勢源の弟。視力を失った兄から家督を譲られる。朝倉家の没落後、前田家に仕える
       有名な弟子を多数輩出した}
富田重政(越後守)1554-1625
      {景政の弟子にして娘婿。出自は山崎家。通り名は「名人越後」}
富田三家(景政の代表的な高弟三人。宗家継承者である重政は含まない)
・山崎景成(左近将監、左近)
      {富田重政の実兄。父は兵左衛門。徳川秀忠に出仕。伊東一刀斎の師匠と推測する異説もあり}
・鐘捲自斎(通家、外他一刀斎、外田一刀斎)
      {景政の兄である勢源に師事したとも}
  伊東一刀斎(景久、前原弥五郎、戸田一刀斎、伊藤一刀斎)1550または1560?-
      {数々の伝説が残る謎の剣豪。師匠と目される鐘捲自斎の別名と紛らわしく、伝承が混同される}
  佐々木厳流(小次郎?)
      {宮本武蔵が命懸けの決闘を行なった最後の相手のモデルと目される
       小次郎のモデルは他にもいて、二人分がミックスだれたとする説もある}
・長谷川宗喜(六左衛門)
      {関白・羽柴秀次に招かれたことがある。秀次は、指南役の疋田豊五郎との対戦を企図したが、実現せず}
480人間七七四年:2010/03/21(日) 15:08:13 ID:xi+a6yFy
●伊東一刀斎の系譜
古藤田俊直(唯心、勘解由左衛門)
      {伊東一刀斎の在地弟子で、旅には同道せず。唯心一刀流(古藤田一刀流)の開祖)
小野忠明(次郎右衛門、神子上典膳)1569-1628
      {安房里見家に仕えた神子上家の出自。伊東一刀斎の旅に同道
       1593年、江戸にて徳川将軍家付指南役に就任。強さを示す伝承と気の荒さを示す伝承を多数残す}
善鬼
      {典膳の兄弟子で、一刀斎の旅に同道。後継者決定の際、典膳に斬られたとされるが、その見解はまちまち}
伊藤忠也(典膳)1602-1649
      {忠明の子。一説に弟。忠明の師匠の愛刀と姓を受け継ぐことになる。一刀流忠也派(伊藤派)として分派}
小野忠常(次郎右衛門、助九郎)1608-1666
      {忠明の子。将軍家指南役。一刀流小野派の道統が固まり、これを継ぐ。宗家は次郎右衛門を襲名することになる
       三代忠於(養子?)、四代忠一と続く}
溝口正勝(新五左衛門)
      {忠也の弟子。この弟子の一部が溝口派を名乗る}
逸見義年(太四郎)
      {甲斐武田氏の傍流の家系。桜井五助長政から溝口派を学び、甲源一刀流を開く}
逸見長英(小源太、宗家継承時に太四郎の名も襲名)1818-1881
      {義年の曾孫で、甲源一刀流を代表する達人の一人}
比留間与八
      {義年の門人で甲源一刀流を代表する達人の一人。子孫からも同流の達人を輩出}
津軽信寿(土佐守)
      {津軽藩主。小野忠於の門人で、忠一に宗家と認められる。これにより、小野派の江戸における影響力が後退}
中西子定(忠太)
      {小野忠一(忠於にも?)に学ぶ。小野家の影響力が衰えてからは、中西家の一刀流が主流とみなされることになる}
481人間七七四年:2010/03/21(日) 15:09:00 ID:xi+a6yFy
●中西派の系譜
中西子武(忠蔵)
      {子定の子。竹刀稽古を導入し、一刀流志望者は中西派に殺到することになる}
中西子啓(忠太)1755-1801
      {子武の子。一門が大いに賑わう}
浅利義信(又七、又七郎)1778-1853
      {子啓の高弟。浅利道場を開設した}
中西道場の三羽烏
・寺田宗有(五右衛門、五郎右衛門、天真翁)1745-1825
      {竹刀稽古よりも形稽古に拘った頑固者。子定、子武に学ぶが、竹刀稽古が合わず、脱退。平常無敵流など多数の武術を学ぶ
       後、藩命により、子啓の代となっていた中西道場に復帰。子啓の急死により、若年の子正を後見する。天真一刀流を開く}
・高柳利辰(又四郎、義正)1808?-
      {若くして師範代になっていた天才型剣士。「音無の剣」の異名をもつ。大石進といい勝負をしたとも}
・白井亨(義謙、鳩洲)1783-1843
      {機迅流を見限り、中西道場に入門。子啓没後は道場を去り、自得した八寸の延金を用いつつ修行の旅を行なう
       一時岡山藩に道場を与えられたが、江戸に戻る。歳の離れた兄弟子筋の寺田に、老いによる不安を訴えたところ、咎められる
       実際に寺田と立ち合うと気迫に圧倒され、改心。寺田に入門する。後、天真一刀流を継ぐ。さらに天真伝兵法を開く
       針ヶ谷夕雲に傾倒。夕雲が師・源信斎から授かった八寸の延金にも只ならぬ関心があった。大石進に唯一勝った江戸剣客とも}
中西子正(忠兵衛)1785-
      {子啓の子。若くして父の急死に遭うが、寺田らの活動により、道場はむしろ繁栄した}
浅利義明(又七郎)1822-1894
      {子正の実子で、浅利義信の養子に入っていた。千葉周作出奔により、浅利道場を継ぐ。山岡鉄舟が畏怖した話で有名}
千葉周作(成政)1793?-1856
      {義信の門人。義信の娘婿となり、浅利道場を継ぐ身になるはずだったが、剣の内容について対立を生じ、出奔
       北辰一刀流を開く。上野で馬庭念流派閥と揉めたりした後、江戸に玄武館を開設。稽古の合理化により人気を博す
       大石進対策として巨大な鍔を盾にする竹刀を用い、引き分けに持ち込んだ話が知られる}
482人間七七四年:2010/03/21(日) 19:52:20 ID:xi+a6yFy
●桃井春蔵の系譜
桃井直由(初代春蔵、八郎左衛門)1724-1774
      {戸田流を柱に、一刀流、柳生流などを取り入れ、鏡新明智流を開く
       道場「士学館」を開設するが、優秀な剣士はなかなか育たなかった}
桃井直正(四代目春蔵、甚助)1825-1885
      {三代目春蔵の門人で、傑出した剣才から婿養子に迎えられる
      直正の代において士学館は繁栄し、江戸市中の他の大道場に並ぶほどの人気になる}
483人間七七四年:2010/03/21(日) 23:42:54 ID:YLKg/wLw
なんだなんだいったい
484人間七七四年:2010/03/21(日) 23:46:41 ID:9lTCqjjG
正直ここでやるべきことではない気がする。
485人間七七四年:2010/03/22(月) 07:53:56 ID:iTnq0agN
また小野厨か
486人間七七四年:2010/03/22(月) 13:42:38 ID:OJ28e96U
またその流れにしたいのか
487人間七七四年:2010/03/22(月) 18:37:45 ID:NIXIUoJo
テンプレはいらんと思うけどな。
書き込む人は剣術者の名前や系譜くらい知っているだろうし、
そういうのは個人サイトでやればいいこと。
488人間七七四年:2010/03/22(月) 18:47:10 ID:Vc9DhTNd
小野忠明と柳生宗矩しか知らない人も書き込んでるけどね
489人間七七四年:2010/03/22(月) 20:37:06 ID:OJ28e96U
名人越後が好きです
490人間七七四年:2010/03/22(月) 21:57:03 ID:Vc9DhTNd
足利義輝が、教授してくれた塚原と上泉には特に感激して剣聖の称号を贈ったけど、
剣仏とか剣仙とか呼ばれた剣客っていないの? 巷の他称でも、自称でもいいけど
491人間七七四年:2010/03/23(火) 18:34:20 ID:lBpNl8Kn
俺が勝手に称号贈ってやるよ

参禅から相抜けの境地に開眼した夕雲が剣仏、
言うことが難しすぎて浮世離れした円四郎が剣仙でどうだ

ド派手な二人に挟まれた位置にいながらも、両者の理解者である一雲て、
地味に凄いのかもと思ってしまった
492人間七七四年:2010/03/23(火) 18:55:40 ID:1oJffhFF
すいません。
今度「武術叢書(武術双書)」を買おうかと思ったものの
版によって載っている情報が違うという話もあり、
どの版を買えばいいか迷っています。
どれが一番良いか、ご存知の方おられませんか?
493人間七七四年:2010/03/23(火) 19:18:48 ID:HPG9m+iD
また無住心剣厨か
494人間七七四年:2010/03/23(火) 22:03:24 ID:yHEfZ0qj
なんでも厨つければいいと思いやがってからに
495人間七七四年:2010/03/23(火) 23:10:52 ID:D0ywq1Y2
>>492
ttp://hiki.cre.jp/MartialArts/?SinpenBujutuSousyo

ここによると
>内容リストを比較すると、新編のほうは一部(五輪書?とか秘伝書の一部とか)を抜いてあるみたいですね。
らしいから、旧編の増補版が一番情報量があるんじゃないか?
496人間七七四年:2010/03/24(水) 17:54:23 ID:gtp+fq4e
武術叢書のうち、何を読みたいかによる。
「本朝武芸小伝」「撃剣叢談」が気になるのなら、それはどの版にも載ってるはずから、あとは値段と相談かなあ。

ちなみに自分は新編増補版を買った。
旧版と違うと言っても五輪書が抜けてる程度らしいし、それなら別にいらんと思ったので。
497人間七七四年:2010/03/24(水) 23:12:38 ID:d7N1crwQ
聖っつうのは中国流の表現で最高級の讃辞やねんな
498人間七七四年:2010/03/25(木) 00:19:30 ID:Al5kHWOU
>>495-496
ありがとうございます。
抜けているのが五輪書だけなら、確かに気にするほどでもないのかも。
新版だと現代語訳もついてるそうですし、そちらの方向で探してみます。
499人間七七四年:2010/03/25(木) 13:29:40 ID:sZwtJVIz
金春氏勝が武芸書の執筆に取り掛かって未完のまま亡くなったそうですが、
未完でも収録されてる書籍はありませんか?
500フィクション厨:2010/03/26(金) 14:10:40 ID:1tcIqOlS
史料厨からすると荒唐無稽なネタ振られて困惑することもあるだろうから、
とりあえず創り話の出典元が判明したものの一部を晒してやるよ

・柳生三厳は信条の違いから、父宗矩と決裂した
  深作欣二「柳生一族の陰謀」

・柳生家は裏社会の実行部隊として、裏柳生なる組織を抱える
  小池一夫「子連れ狼」

・宮本武蔵は吉岡兄弟を打ち倒し、吉岡一門を滅ぼした
  宮本伊織「小倉碑文」

・吉岡兄弟は宮本武蔵に打ち勝ち、武蔵は逃亡した
  福住道祐「吉岡伝」

・竹村武蔵を柳生但馬守と較べてみると、碁でいえば井目も強い
・竹村武蔵(別時代の架空の人物)は生涯沐浴することがなかった
  杉本義隣「渡辺幸庵対話記」

・竹村武蔵とは宮本武蔵の別名であり、同一人物
  綿谷雪「考証武芸者列伝」

・宮本武蔵は村上吉之丞との対戦を組まれたが、恐れて逃亡した
  源徳修「撃剣叢談」

・宮本武蔵は同時代の一流の武芸者と戦ったことがないから、強かった証拠はない
  直木三十五、菊池寛との争点から

・沢庵和尚は宮本武蔵の心の師
  吉川英治「宮本武蔵」

・宮本武蔵は丸目長惠に挑み、あしらわれる
  小山勝清「それからの武蔵」

・宮本武蔵は雇用条件が高望みだったため、仕官できなかった
  司馬遼太郎「真説宮本武蔵」

・柳生石舟斎と伊東一刀斎という、世代が異なり、接点も無い二人を並べ称す
  井上雄彦「バガボンド」
501人間七七四年:2010/03/26(金) 16:50:13 ID:cdKsNTT+
>>498
新編は五輪書以外にも不動智、剣法夕雲先生相伝、柳生流新秘抄、剣放が抜けてる。
あと、新編のは現代語訳じゃなくて読み下し文な。
だから読みやすさは新編の方が上といえば上だけど、
資料性という意味では旧編の方がいい。
それに、原文だってそんなにややこしくないし。

資料性重視なら八幡書店から出た旧編の復刻版か、名著刊行会から出てる双書、
読みやすさ優先なら解説も入ってる新編増補版がいいと思う。
502人間七七四年:2010/03/26(金) 19:46:35 ID:Z2KqMQy9
>>499

http://74.125.153.132/search?q=cache%3AVU37ki7ZkeMJ%3Awww.pref.nara.jp%2Fbunkaz%2
Fshinshitei%2Fh17%2F5ken_H17.pdf+%E9%87%91%E6%98%A5%E5%AE%B6+%E4%BC%9D%E6%9B%B8&hl=ja&gl=jp

元のファイルがないようなのでキャッシュだけど、金春家武芸関係資料。

一、兵法目録(その1) 慶長七年 金春氏勝筆
1巻
一、兵法目録(その2) 慶長七年 金春氏勝筆
1巻

年号を考えると↓で見ることができる「兵法傳授事目録 慶長七年 氏勝筆」と
「鎗術傳書 慶長七年九月 氏勝筆」の二つが上の氏勝筆の目録なのかもしれない。
http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y01/heihousyo/
503人間七七四年:2010/03/27(土) 18:18:07 ID:JDx0iHHr
>>303
亀だが、土子泥之助、小笠原源信斎
土子は妖怪みたいな大亀を弓で射殺した話があって、
小笠原は弓も達人だったという記述をブログ上で見かけた
信用できるだけのウラは取れていない

土子の話は最初から胡散臭いし、
小笠原は親戚が礼射を含む小笠原流の宗家だったことからの連想かもしれん
504人間七七四年:2010/03/29(月) 11:29:38 ID:+M0jgOxf
雲林院光秀の人物紹介に
信長公記には本能寺の変の頃、安土城に置かれた将に雲林院出羽守の名がある
なんて引用されてことがあるけど、これは別人の記事じゃないですかねー

当時安土城に詰めてたのは雲林院出羽守慶四郎祐基であって、
雲林院出羽守弥四郎光秀とは違うのでは?
505人間七七四年:2010/03/31(水) 17:24:21 ID:xOFPWO2F
>>280
静岡方面ていうか、遠州横須賀に水谷八弥が来て、指南役に就いたって話?
逆に、常州の道場を水谷に任せ、土子が横須賀に来たという話もあるね。
後者は「土子の流儀が伝えられた」を拡大解釈した結果の間違いじゃないかと思うけど。

そこ、横須賀はおそらく、小笠原源信斎の生地のごく近くですわ。
遠州小笠原氏の政治的拠点が浅名、軍事的拠点が高天神城で、
源信斎が生まれたのはそのどちらかだろうけど、横須賀は両地の中間にありやす。
506人間七七四年:2010/04/01(木) 12:33:51 ID:a6Zz9ydW
話題がマイナーというか、細かくなりすぎだな
507人間七七四年:2010/04/01(木) 16:30:53 ID:rNxvjAxr
別にいいんじゃね。
こんな話題を書けるスレ、そうそうないわけだし、
知ってる人が居れば答えも返ってきてるしさ。
というか、時代を問わず、剣士剣術全般の話ができるスレってあったっけ?
武板あたり?
508人間七七四年:2010/04/01(木) 19:54:03 ID:wUawJ29B
武板にはいまは剣術全般扱うのは実践交流メインの剣術居合スレと変なやつが定期的に現れる居合総合スレしかない。
新陰や無外、ジゲンの流派スレもあるけど内部抗争が酷いな
509人間七七四年:2010/04/02(金) 06:53:23 ID:vpZCI3g2
時代が時代なら結論は果し合いで決めようぜレベル
510人間七七四年:2010/04/02(金) 20:29:52 ID:kgs2xqCI
水谷八弥って、小説「駿河城御前試合」で、
天下御免の卑劣漢として脚色されたキャラの元になった剣客か。
フィクションとは言え、モデルが明らかな実在人物を
著しく悪い方向へ弄るってのはいいのかなぁ。
武蔵もののフィクションでも、モデルが実在する吉岡兄弟なんかは
良きライバルとして演出してるだろうに。
511人間七七四年:2010/04/02(金) 21:44:51 ID:8baW82gy
そんなんいくらでもあるべ
宗矩とか
512人間七七四年:2010/04/02(金) 23:28:58 ID:XQWjjjf+
宗矩の場合は高評価の裏返しだからなあ。
ビルゲイツとかタイガーウッズが叩かれるのと似たようなもんだろ。
水谷の場合とは少し違う気がする。
513人間七七四年:2010/04/05(月) 19:12:24 ID:HzWNszw9
ttp://www.kashimashindenjikishinkageryu.com/souden.html

内容に間違いがあっても、そのまま伝えてきたんだな
514人間七七四年:2010/04/06(火) 12:15:46 ID:YBOG0dJt
調べた限りでは、雲林院祐基と雲林院光秀とは別人。

祐基は織田信包に抵抗して敗れた結果、没落して、安土へと押し付けられてた。
本能寺の変後、織田関係者を渡り歩いた末、秀吉に微禄で召抱えられるという下っ端扱い。
ただし、兄とされる(長野)工藤藤定は、塚原卜伝ともいい勝負をしたとされるほどの剛勇なため、
弟である雲林院祐基も個人戦的には只者ではなかった可能性がないこともない。

光秀は雲林院家没落後、柳生の庄に匿ってもらったり、九州に渡って大友家の師範に召抱えられるという、
武芸者らしい経歴になっている。こちらはれっきとした剣豪だ。
Wiki等で光秀の項目に、安土城の士官として雲林院出羽守の名があるという引用があるなら、
それは祐基との混同だろう。
515人間七七四年:2010/04/06(火) 12:45:01 ID:YBOG0dJt
>>513
奥山休賀斎の経歴引用で「三河の奥山明神に云々」と書かれたものが多くて訝っていたが、
もしかして直心影流の伝が元ネタかいな。奥山明神は遠江だ。三河じゃない。
どこかのブログで遠江の水窪町のことと説明してあったものもあるが、それも違う。
水窪町は、奥山氏という氏族の領地だったため、奥山郷とも呼ばれた。
引佐町の井伊谷の近場が正しい。紛らわしいが、異なる場所だ。

奥平氏拠点の一つである長篠から緩い峠を一つ越え、歩いて通えるような場所だ。
馬を使えば、長篠から奥山明神まで毎日稽古に通うことも可能。
奥平九八郎は、そうやって族兄休賀斎から指導を受けたと推量できる。
浜松城移住後の家康への指導に通うことも可能な場所でもある。
516人間七七四年:2010/04/07(水) 13:37:41 ID:CzJuGOUC
うーむ、雲林院息子は正式に柳生流を学んだから、柳生の関係者だったのは当然だが
雲林院父も柳生の庄に絡んでいたのか…
疋田と技を教え合ったとかいう話もあるくらいだから、
お家が没落する前から柳生にコネがあったとも考えられるな

田舎なのに、柳生の庄に武芸者ホイホイを設置すれば、
戦国末期の武芸者の1割以上が捕獲できそうだ
517人間七七四年:2010/04/07(水) 21:10:40 ID:ReEEW5aC
すると、雲林院光成が宗矩の門下に入ったのは、親父の代からの縁ということになるのかな?
宗矩から細川家に宛てた推挙状でも光秀のことも含めて賞賛しているし、
結構古くからの縁になるわけか>柳生と雲林院
妄想だが、柳生と雲林院を結んだ縁は
石舟斎と光秀の新当流つながりだった、とか。

ところで気になったんだが、
光成って大和郡山で松平忠明に仕えてるわけだけど、
荒木又右衛門とも縁があった可能性はないだろうか?
518人間七七四年:2010/04/07(水) 23:23:17 ID:BcKgkVDY
又右衛門が松平家に仕官した時期にもよるんじゃね。
寛永四年頃に本多家を出て、暫く浪人したあと松平家に仕えてるから、
それまでの間、松平家に光成が残っていたら縁があったかも。

しかし、光成を褒める宗矩の書状、相当絶賛してるよな。
一応身内とはいえ、仮にも将軍家指南役が自分以外の武芸者を
ここまで褒めることは体面に関わったりしないのかね。
519人間七七四年:2010/04/08(木) 01:27:21 ID:eoGnmPbv
そういやBJで宗矩の漫画始まったな。
520人間七七四年:2010/04/08(木) 13:19:03 ID:5SME6JSY
>>518
推挙の紹介状なんて大体ベタ褒めするもんだろ。変に抑えて書く方が不自然。
「将軍家指南の自分が推挙する程の武芸者」だからこそ褒めちぎってるんじゃね?
無論、前提として、褒め言葉に負けないだけの実力があるのを知った上での言葉だろうけど。
521人間七七四年:2010/04/08(木) 14:43:48 ID:efBSkGAd
雲林院家が没落し、当主祐基が織田家の閑職に回されたのが1580年。
なにしろ微禄だから一族全体を養うことは不可能であり、光秀は祐基と別れ、柳生へ行った。
柳生家としては武術の達人は大歓迎だし、かつての師範・疋田豊五郎の友人ともなれば断る理由はない。
光成が生まれたのは1581年。光秀が身重の妻とはぐれたのでなければ、光成が生まれた地は柳生だったのだろう。
あーもう、もしかして光成は、生まれた時から柳生関係者?w
光成は、歳が近い庄田教高(推定)などと共に幼少時を過ごしたが、
1585年、羽柴秀長の検地が入り、今度は柳生家が没落。
路頭に迷うことになった光秀は、妻子を連れて九州へ向かい、大友家で働いた。
大友家に出仕した時期が判らないが、1586年までのうちなら、島津の大攻勢で大変な苦難の時期だった。
1587年以降であれば安定していたところだ。

と妄想してみた

522人間七七四年:2010/04/08(木) 16:40:07 ID:efBSkGAd
光成について、島原の乱では石谷貞清を見舞った理由が、
遠祖が同じ二階堂氏であることであるかのような記述があるが、なんなんだ?

藤原南家 − 二階堂氏 − 石谷氏
藤原南家 − 工藤氏 − 雲林院氏 という流れであって、
雲林院氏の先祖が二階堂氏であるかのような書き方は不正確。

第一、9世紀も遡ると共通の先祖があることが、一体どれだけの動機になるというのか。
大事なことは、石谷が柳生家と親しい友人だったことだろう。
だから病み上がりの柳生清厳が参戦させてくれと石谷に頼んだのだし、石谷も断われなかった。
柳生家の友人なら、雲林院にとっても他人事ではない。
柳生一族は人脈を広げることに積極的な面もあったからな。歳暮なんてとても活発だ。
523人間七七四年:2010/04/08(木) 20:15:54 ID:5SME6JSY
そういえば弥四郎光成も島原に参陣していたか。

甥の嫡男が参陣していることを知った宗矩が、
信頼出来る光成に様子を見てきて貰った(あるいは尾張に戻るよう説得を頼んだ)んじゃないかとか、
仮に光成が柳生庄生まれだったとしたら、宗矩や利厳と幼馴染なんじゃないかとか、
俺も妄想を広げてみるw
524人間七七四年:2010/04/10(土) 15:17:28 ID:NJUKRuKM
=゚ω゚) へえ、面白いね。工藤って長野なん?
そういや昔噺に長野五郎衛門と宮本武蔵のEPが有ったが、その因縁じゃろうか?
村田弥三の弟子のようだが博の伝系?


>>503、505
=゚ω゚) 亀退治の話は昔の小説にも出てくるな。タイトルは忘れた。
そういや化け亀の甲羅が有ったのが相模かどっかだった気がしたが
水谷つながりかな?記憶書きスマソ


>>522 >歳暮なんてとても活発だ。

=゚ω゚) ああ、外様は旗本が相手をしないと幕府情報が伝わらないんだわ。
だからどの大名も心安き旗本との付き合いを大事にするし
旗本衆も貴重な外様情報を得る事ができる。
525人間七七四年:2010/04/10(土) 17:06:14 ID:Tjg+j4LY
弓で思い出した
ちとローカルだが、弓が達者だった武芸者、那須清忠
鳥取藩、?-1664
ttp://db.pref.tottori.jp/HomePerson.nsf/DataPersonView/CFE9824EBF8369744925700000120BA0?OpenDocument

様々な武術を習得したけど、上の那須さんからは居合を習った武芸者に深尾角馬
鳥取藩、1631-1682
こっちの方が有名だな。小説の主人公にもなった
ttp://db.pref.tottori.jp/HomePerson.nsf/DataPersonView/10952B4E28A7778F492570000012984A?OpenDocument
526人間七七四年:2010/04/10(土) 17:13:57 ID:Tjg+j4LY
補足
那須清忠は家次流居合の二代目

深尾角馬は雖井蛙流開祖
角馬は弓の達人というわけじゃないけど、那須さんの関係者なのでついでに
527人間七七四年:2010/04/11(日) 10:30:44 ID:fduLBoKK
>>515
休賀斎が棲んだ場所が引佐の奥山ってのは確定なん?

あの辺は地質が石灰質なのか、セメントメーカーと洞窟がやたらと多い
邪魔されずに瞑想でもするにはいいかもしれないけど
528人間七七四年:2010/04/11(日) 17:46:35 ID:u0ecjtUq
>>513
間違いというかジロキチさんの拵えた伝説が大分入ってないかな?
529人間七七四年:2010/04/12(月) 12:35:28 ID:nyVCyc7r
信綱から更に遡って、その師を断定するってのは無茶だよなあ
百歩譲って信綱の師を一名だけ選抜するとしたら、
信綱の流派名にも影響を与えた愛洲移香斎を挙げる方が相応しいだろうに
陰流を柱にしたということは、信綱先生の意思表示でもあるし
疋田の系列では愛洲の名を引っ張ってる
他の系列ではどうだろう?
直心影流が備前守を持ち出すのが特異に見える
530人間七七四年:2010/04/14(水) 12:15:12 ID:tAbiBmzV
小笠原源信斎のプロフィールのところで、
三州高天神の城主云々のところは突っ込むまでもないのか。
武田と徳川の争奪戦の的になった高天神城は、遠州。
有名すぎて、間違えるはずはないのだが…
531人間七七四年:2010/04/14(水) 18:27:51 ID:68zPDb2+
かつてはこんなスレもあったのね
http://www.unkar.org/read/hobby10.2ch.net/sengoku/1201125775

何の脈絡もなく、小笠原源信斎の話題になるといちゃもんつけに来る変な奴がいたけど、
どうやら向こうのスレと間違え続けて、こっちに投書してたようだな
小笠原や奥山を知らなかったニワカ野郎が、指摘を受けて火病ってたんだ…
532人間七七四年:2010/04/14(水) 20:56:16 ID:E8FdkQM+
いえ、柳生の陰謀です
533人間七七四年:2010/04/14(水) 23:16:12 ID:NkXJyVc+
他流試合禁止だから仕合しない、とはいうけど
不意打ちでもなんでもいいから宗矩を倒して名を上げよう、と考えた奴いなかったのかな。
負けても政治的に対処されるから・・・とかよく言うけど、殺して首取れば済む話だし。
534人間七七四年:2010/04/14(水) 23:25:05 ID:WZBlWoLB
そりゃただの犯罪者じゃないか(笑)
535人間七七四年:2010/04/14(水) 23:38:58 ID:NkXJyVc+
いや、それなりに名が上がってたり、既に仕官してる奴ならともかく、
もう仕官の望みも何もなくて、とにかく武芸者としての面目さえ立てられれば死んでもいい!みたいな奴が
一人くらいいなかったのかなー、と思ってさ。
どうせ殺るならトップを殺ろう!とか。

・・・犯罪者というよりただのキチガイだなこれ。
536人間七七四年:2010/04/15(木) 09:59:52 ID:rr71LwQV
普通の道場主じゃないんだから無理じゃね
537人間七七四年:2010/04/15(木) 12:05:38 ID:QDM6R8Yv
どこの馬の骨とも知れぬが、後世の者が勝手に剣聖と呼ぶことは可能

ttp://s8.kcn-tv.ne.jp/users/narusetomi/kengou.html
538人間七七四年:2010/04/15(木) 13:21:37 ID:qyjcztho
宗矩以前に、なんで秀吉や家康は暗殺されなかったのか、みたいな話にも繋がるな。
北条攻めの時の北条家や、大坂の陣の時の豊臣家とかなんかだと、
状況はずっと切実で、形振りかまってられなかっただろうし、
鉄砲玉送り込む程度で暗殺できるならとっくにやってるだろ。
それができなかったのか失敗したのかわからんが、似たような理屈で無理だったんじゃないか。
539人間七七四年:2010/04/15(木) 15:41:29 ID:4goGjtak
偉い人でめもまだ写真も無くて顔知られてないから、鉄砲玉に暗殺はされにくいだろ
540人間七七四年:2010/04/15(木) 15:54:28 ID:OfJt08Tj
二桁以下のわずかな手勢の奇襲で暗殺された将軍ってば源実朝、足利義教、足利義輝の他に誰かいるかな?
こうした暗殺の成功例を調べていけば何か見えるかも知れない
541人間七七四年:2010/04/15(木) 20:09:35 ID:/Vjw4qXo
>>540
義輝は二桁どこじゃねえだろ
542人間七七四年:2010/04/19(月) 20:14:49 ID:4Q8z5vy+
新陰流は正統についての話がよく出るけど、新当流はその辺、どうなんだろ。
ト伝の後裔についても今ひとつよくわからないんだが。
543人間七七四年:2010/04/20(火) 07:18:26 ID:6SscIt6e
卜伝実家の吉川家が代々伝承してるじゃない
544人間七七四年:2010/04/20(火) 07:21:30 ID:6SscIt6e
新当流は広がりすぎて室町末には剣術のスタンダードになってたし、目録みるとだいたいどこも同じで新陰より派による変化が少ないんじゃないかな。
545人間七七四年:2010/04/26(月) 04:01:02 ID:qMfbxOwx
今ある卜伝流って元々の卜伝流なのかな
変質したとかのレベルなのかなあれ
546人間七七四年:2010/04/27(火) 12:38:23 ID:HdjX3cNc
>>537
そのブログの主旨としては、得体の知れない丸目信久なる人物を剣聖と呼ぶなってことなのはわかるが…

柳生石舟斎と丸目長惠と宮本武蔵という時代が異なる者を
わざわざ”ほぼ”同じ時代に〜とこじつける意図がわからんな
547人間七七四年:2010/04/27(火) 23:45:55 ID:TkXpvydg
「剣聖」って言葉自体、定義があいまいなんだよな。
明治以降の方が却ってごろごろ出てる気がするけど。
剣豪でも名剣士でもいいじゃねーか。
548人間七七四年:2010/04/28(水) 06:01:56 ID:Dap7Wijf
ある時代に喜ばれる性質の人につける称号ぽい気がする。
549人間七七四年:2010/04/28(水) 18:41:26 ID:JAuEm5az
要は
「ポジティブな意味での剣名をあげた」
ってことだろ。実際の心根とかはおいといて。
550人間七七四年:2010/04/28(水) 20:49:55 ID:GyI0ZHby
単に普通の剣豪より格上っぽい雰囲気が出したい時に使われるだけじゃないの。
史実で何やったかとかあんまり関係なしに、創作上のイメージでつけられることもあるしさ。
551人間七七四年:2010/04/28(水) 21:31:33 ID:Dap7Wijf
おしゃれな名誉称号だと思う
552人間七七四年:2010/04/29(木) 16:01:44 ID:Y6vfJG0w
宝蔵院にて
胤栄があるとき、寺男に扮した怪しい男を捕まえた
そいつの正体は、伝書を盗もうとしていた穴沢浄元だった


すげー嘘臭い話だな
553人間七七四年:2010/04/30(金) 20:18:59 ID:/dcxB8/H
北畠具教って上泉の弟子?卜伝?
足利義輝は上泉と卜伝両方かかわりあったの?
554人間七七四年:2010/04/30(金) 20:29:19 ID:ceThFIyP
北畠殿は卜伝の弟子と言える関係で、「一の太刀」を授かったことがはっきりしている。
上泉に関わったことも本当で、宝蔵院と柳生を訪問するよう上泉に薦めた。
上泉の弟子になったかというと、どうもそうとは言えない。

足利殿は、上泉と卜伝、両方と関係がある。
どちらからも指導を受けた。卜伝先生の方が先だけどね。
北畠殿とは違い、「一の太刀」を授かったかどうかは不明瞭。でも可能性はある。
555人間七七四年:2010/04/30(金) 20:42:44 ID:/dcxB8/H
おお、ありがとうございます
556仙台藩百姓:2010/04/30(金) 23:25:14 ID:Sf7joQux
一の太刀って唯授一人じゃないのかお( ^ω^)
北畠具教が伝授されたなら他にはいないはずだお
それとも一国唯心なのだろうか
557人間七七四年:2010/05/01(土) 00:32:59 ID:wc/Wwmo8
それが今の卜伝流だと思うとちょっともわっとなる
558人間七七四年:2010/05/01(土) 04:39:47 ID:otAYhVu8
上泉の実力って実際よくわからん
石舟斎らと戦ったのは弟子になる前とは言っても、彼ら弟子が有名になったからこそ評価されてるって側面は当然あって、
結局身内褒めであることには変わりないでしょ。他流の試合と言うわけじゃないんだから。
むろん、北畠や足利に招かれて、信玄も惜しんだ人物だから弱いわけが無いし、非名人説を唱える気は全くない。
ただ神格化がいき過ぎているような嫌いもあるのは事実ではなかろうか。そんなに他流との立ち合いの記録もあるわけじゃないよね?
559人間七七四年:2010/05/01(土) 05:49:28 ID:K/n/NkQ2
かなり早々に神格化してもらってるよね
下手こいた話って聞いたことない。
まぁ、活躍からしてそうなっておかしくないんだけども
560人間七七四年:2010/05/01(土) 14:04:52 ID:8idr/+bU
>一の太刀って唯授一人じゃないのかお( ^ω^)
違う。何かと勘違いしておられる様子


某 「上泉信綱、宮本武蔵、長沼国郷、彼らは実績に不相応な過大評価を受けている」
直木三十五「ちょっとマテ、上泉信綱が過大評価ってことはないだろ。いくらでも反証してやんよ」


と、直木に噛み付かれるようなことを記述したのは誰だったかな…
561人間七七四年:2010/05/01(土) 14:11:53 ID:PdoHLb07
>下手こいた話って聞いたことない
だからこそ揚げ足取られる事も粗探しされる事もなく、早く神格化されたのかも知れないなぁ。
562人間七七四年:2010/05/01(土) 15:38:33 ID:/RMA3Mmg
ていうか、現状下手こいたって話も無いなら、何言ってもいちゃもんにしかならんわな
563人間七七四年:2010/05/01(土) 16:00:14 ID:wc/Wwmo8
実際に下手こいたかどうかは別としても
どんな奴でも後世で変な話つけられることもあるわけだし
そういうのが全然ない。
強いかどうかよりこっちのほうが気になるわ。
時代的に叩きにくかったのかな
564人間七七四年:2010/05/01(土) 16:09:31 ID:K/n/NkQ2
卜伝は引き分けた話もあるけど
やっぱり弟子が一流コースだからな上泉は
565人間七七四年:2010/05/01(土) 17:02:41 ID:otAYhVu8
>>弟子が一流コースだからな上泉は
流派の隆盛と言う意味ではな
ただそいつらも特に目立った他流試合の記録があるわけではないんだよな。
566人間七七四年:2010/05/01(土) 17:44:06 ID:8idr/+bU
丸目長恵がせっかく京で「兵法天下一」を掲げて挑戦者を募集したのに
誰にも相手にされなかったのがもの悲しいね
567人間七七四年:2010/05/01(土) 18:03:06 ID:wc/Wwmo8
あの話は悲しい
568人間七七四年:2010/05/02(日) 00:33:58 ID:BlZDpjid
時代のせいなのか
実力が知れ渡ってるせいなのか
キチガイ扱いされていたのか
569人間七七四年:2010/05/02(日) 05:59:37 ID:s21d0lOm
オバマに会談してもらえなかった鳩山みたいなのねん
570人間七七四年:2010/05/02(日) 07:05:32 ID:X/veEEkO
そもそも本人からして戦場で強かった上に武田にスカウトまでされてしかも蹴るとかしてるからな(疑問視はあるみたいだが)
571人間七七四年:2010/05/02(日) 11:22:38 ID:skYLXqDz
>>566
実力が知れ渡ってるからか、この行為自体誰かへの挑発だったとか。
まぁその時の兵法界のトレンドがつかめないから何ともいえないが、強いからビビッて誰も行かなかったのが自然な見方だろう。
572人間七七四年:2010/05/02(日) 21:17:42 ID:PbmUV3Og
小笠原長治が立ち合いをしまくった相手のほとんどが他流じゃなくて同流だったのは、
名を上げることが目的じゃなく、
新陰流継承者たちの中での自分のポジションを確かめたかったのではないか

疋田景兼「ああ、上手いね、君は。わしより上手い。かつての上泉師匠よりも上かもな」
柳生宗矩「あーすごいねー。あんたは達人だよー(棒)」

結構ウザがられたかもな


スマン、勝手な妄想だ
573人間七七四年:2010/05/02(日) 23:27:21 ID:BlZDpjid
ひでえwww
574人間七七四年:2010/05/02(日) 23:45:23 ID:s21d0lOm
>>571
でも実際には戦ってない罠
戦っても無いのに旗あげたから見込まれて云々って話もよくわかんね
当時そんな旗挙げて威張ってたDQNなんて腐るほどいたんじゃね?
575人間七七四年:2010/05/03(月) 00:22:24 ID:apkLfdIL
そういうのと同じに見られたと考えると悲しい
もっとアピールしようがなかったのか
576人間七七四年:2010/05/03(月) 00:25:10 ID:HvOMcKrV
まあ実際にそうだしな。
こう言っちゃなんだが、戦ってもいないのに「それは相手が逃げたからだ」と解釈する論法は
忠昭のホラ吹きと大差ない
>>563の意見が一番真に迫ってると思う。
今でも雰囲気的に、上泉はなんか叩きにくい。だから必然的に礼賛ばかりになる
大流派の総帥ってのは確かだけどさ
個人として抜きんでてるかどうかって言ったら、語る人間の好みがあるでしょ、やっぱ。
577人間七七四年:2010/05/03(月) 00:27:48 ID:HvOMcKrV
>>575
一人くらいノしてたら見られ方もガラッと変わったんだろうけどな
まあ身内以外で有名人vs有名人って構図も裏取れるのは殆ど無いからなあ
578人間七七四年:2010/05/03(月) 00:51:31 ID:tG6oekWw
>>574
腐るほどいたかどうか知らないけど、弱かったら出来ないよな。
少なくとも同門に自分より強い奴がいたら言わないだろうし。
高札立てられて申し出ない強ぶり武芸者の化けの皮はがしとか、マジで自分より強い奴と戦いたかったとか。
まぁ負ける気がしなかったのは間違いないだろう。
579人間七七四年:2010/05/03(月) 03:07:16 ID:HvOMcKrV
>>578
まあそうかもしんないけど
タイ捨流の丸目蔵人佐ともあろう者を、実績や根拠の無い希望的観測でしか弁護できないってのは、
なんか悲しいなあ。
580人間七七四年:2010/05/03(月) 03:19:47 ID:wzg5Ibzy
忠昭って誰
ホラ吹きとか悪意ありすぎ
おそらく小野忠明だろうけど
581人間七七四年:2010/05/03(月) 03:22:55 ID:HvOMcKrV
>>580
失礼
582人間七七四年:2010/05/03(月) 03:35:58 ID:apkLfdIL
しかし、丸目はまだ成功したほうなんだろうな
結局流派は今もあるんだし
583人間七七四年:2010/05/03(月) 03:45:16 ID:HvOMcKrV
>>582
それはそうだろうね。
自流を掲げて後世に残らなかった達人は何人いるだろうか。
立ち合いで死亡した名の無い天才や当時の強豪だって、きっと何人もいたんだろうな
584人間七七四年:2010/05/03(月) 14:06:13 ID:HRMqvNcx
佐々木小次郎も武蔵打ち殺してたら今も名前が残ってたのかな
それでも武蔵的な人は有名なままで
佐々木小次郎的な人は謎の人になっていたのか!
ってこんなん読んだことあるな
585人間七七四年:2010/05/03(月) 17:33:34 ID:8WK0hF9h
有名になったかどうかは勝敗とは別に、
武蔵ネタの講談の類が異常に創られたからだな

勝敗が逆だったとしても、話として採り上げられなければそれまでや
586人間七七四年:2010/05/03(月) 23:31:37 ID:HvOMcKrV
>>585
武蔵は本朝武芸小伝でも扱いがでかいし、
存命中から烏丸光広や林羅山らが武蔵の絵に賛を付けたりしてるから
当時や近い時代からすでにかなり有名だったはずだよ
587仙台藩百姓:2010/05/04(火) 08:11:56 ID:MTJrrYH5
武蔵は武将になれるような才能は無かったけど
芸術家としては天才的だから御用絵師にでもなればよかったのだお( ^ω^)
588人間七七四年:2010/05/04(火) 12:06:00 ID:TDP9l0fI
>>586は反論のつもりなのかな
話が全く噛み合ってないのだが…
589人間七七四年:2010/05/04(火) 13:19:33 ID:gYYq+Tof
>>587
顔文字は武蔵の話だとちょくちょく出現するな
政治に関わる武将とそうでない芸能の人間としての評価って全く別もんだと思うがね
>>588
何が?
武蔵は門外漢にも広く知られてたってことだろ
590人間七七四年:2010/05/04(火) 13:29:44 ID:TDP9l0fI
そのレス先にどこに、武蔵は有名じゃなかったかのような書き方がしてあるって?
591人間七七四年:2010/05/04(火) 13:34:31 ID:gYYq+Tof
>>590
「有名になったのは武蔵ネタの講談が異常に作られたからだ」

「生きてる当時から有名だったんじゃないの?」

こう言う事
なんか変か?
592人間七七四年:2010/05/04(火) 13:42:59 ID:TDP9l0fI
思いっきりおかしいが

賛を付けられたのは絵画の評価をそれなりに得たということ

決闘で負けたら有名にならなかったかどうかという話題と関係ない
593人間七七四年:2010/05/04(火) 15:12:26 ID:gYYq+Tof
>>592
知識人を引合いに出したのが変だと言いたいのかい?
林羅山の場合、武蔵の著作のほかにも別の新免玄信像にも賛を寄せていて、
こっちは
「剣客・新免玄信、一手ごとに一刀を持ち、称して曰く、「二刀一流」。その撃つところ、また指すところ、縦横抑揚、屈伸曲直、心に得、手に応じ、撃てば則ち摧く、攻れば則ち敗る。謂ふべし、「一剣は二刀に勝たず」と。まことに是、妄にあらず、幻にあらず」
とあり、兵法者としての腕前だ。
少なくとも、武蔵が兵法者として門外の人間にも広く知られていた一つの判断材料だと思うが?

>>決闘で負けたら有名にならなかったかどうかという話題と関係ない
実際にはわかんないだろう。それは。残ったかもしれないし、残らなかったかもしれない
もし舟島で死んでたら伊織は小笠原家に仕えて無いし、五輪書も書かなかっただろうから、今よりはずっと認知度は低いだろう
が、勝敗はどうあれ吉岡との逸話が腐るほど残っているからもわかるように、舟島以前からある程度有名だったのは確からしいから、残ったかもしれない。
まあ吉岡の話の内で、どれが武蔵生前の話でどれが死後作られた話なのかはわからんが何とも言えんがな
わかるのは存命当時から有名だった、と言う事だけだろう。
594人間七七四年:2010/05/04(火) 15:17:41 ID:gYYq+Tof
>>592
少なくとも>>586っていうのは>>585の、逆説的に講談の影響だけで存命時は全く名が無かったかのように取られかねない書き方への釘刺しであって
>>584の話とはまた別の話
595人間七七四年:2010/05/04(火) 16:42:09 ID:vvoL5/f2
その賛は絵画の解説文だwwww

で、それがどうしたの?
講談等に採り上げられなくても、現状と同じように有名だったはずだと言いたいの?

あんたのやっていることは、
世間的に、100万円以上の財産を持っているから金持ちだの
10億円以上の財産があって金持ちだと言うんだよといった基準の定義が曖昧な点に付け込んで、
「彼は5円持っているから金持ちだ。金が無いということはない」と
論点のズレた難癖をつけているのと同じなんだよ。
596人間七七四年:2010/05/04(火) 16:56:04 ID:Y/KtLtjN
オレの身の回り十四人に尋ねたところ、上泉信綱を知っていたのは二人だったが、
宮本武蔵を知っていたのは全員だった
はっきり言って、宮本武蔵の認知度は異常だと思う

しかしその異常さは、講談などのフィクションの影響などでは、絶対にないよ
証明はID:gYYq+Tofがしてくれる
597人間七七四年:2010/05/04(火) 17:32:32 ID:gYYq+Tof
>>595
意味がわからん。
なんで俺の例で武蔵が「5円以上の金を持っている金持ち」になるんだ?
そっちの方が極端だし、難癖だろう。
草を生やすような奴、むやみに煽ってくるような奴とは疲れるからあまり言葉を交わしたくは無いんだが。

>>講談等に採り上げられなくても、現状と同じように有名だったはずだと言いたいの?
そうは言っていない。
ただ敵討巌流島という歌舞伎が作られたのは、ようはそれだけ巌流島が有名だったから。
武蔵死後20年後の説話の海上物語でも武蔵の名はあるし、他流の口伝にもその名が見られる
かなり早い時期から武蔵の認知度は高かったという事。
そもそも小笠原忠真や本多忠刻に自分の息子を推挙できる時点で馬の骨であるわけがない。

武蔵の講談があった場合と無かった場合でどれくらい認知度に差が出たかと言うのを論ずるのは、所詮憶測の域を出ない。
巌流島で敗れていたら小次郎と武蔵の現代の認知は全く逆だったのか、それとも変わらなかったのかもわからん
ただ、武蔵の名声って言うのは後世、異常に氾濫した講談のせいで、本人の名声の影響は全く無いんだよ、とも聞こえかねない主張に関しては、
それは違うだろ、と言ってるだけ。
598人間七七四年:2010/05/04(火) 17:35:50 ID:gYYq+Tof
>>595
>>その賛は絵画の解説文だwwww
そもそも武蔵が武芸者として認知されていないなら、
こういう賛は付かないし、兵法家・武蔵を描いた武蔵像も存在しないよね?

そういう事を言ってるの。
599人間七七四年:2010/05/04(火) 17:39:24 ID:yHB/KrE7
>うちの田舎のジジババに聞くと
土地柄もあってか上泉を知ってる人が少し
名人達人の話になると卜伝か武蔵が凄い出てくる。
吉川英治効果は凄え
卜伝はなんなんじゃろ
600人間七七四年:2010/05/04(火) 18:11:34 ID:gTjBwTrf
おいお前ら誰か今の状況産業で頼む
601人間七七四年:2010/05/04(火) 18:51:06 ID:bSEeu4K1
詭弁ばかりで見苦しいけど、
簡単に言えば、

>ただ、武蔵の名声って言うのは後世、異常に氾濫した講談のせいで、本人の名声の影響は全く無いんだよ、とも聞こえかねない主張

という根拠の無い拡大解釈を押し付けて、それは違うだろといちゃもんを付けている状況
そこにいちゃもんを付ける必要性は不明
602人間七七四年:2010/05/04(火) 19:52:25 ID:gYYq+Tof
>>601
詭弁呼ばわりに見苦しい、ねえ。
ずいぶん攻撃的な口調が好き、あるいは一言何がしか添えないと気が済まない性格みたいだが

名声の根源を「武蔵ネタの講談の類」とした意見に、別に名声の根拠はそこだけじゃないだろう、と新たに意見を加えた事に対して
>根拠の無い拡大解釈
と言う事は、別に武蔵が生前、有名じゃなかったという趣旨で言ったわけではない、と
つまり「武蔵は生前から高名だった」と言う解釈はここでは共通認識、と見做して良いわけね?
つまり「彼は5円持っているから金持ちだ。金が無いということはない、と言う水増しの難癖」では無いというわけだ。
それさえ明らかにされれば、俺が論ずる所は特には無い
補足的な説明を長々と続けて失礼した。
本来の議論に戻りましょう。
603人間七七四年:2010/05/04(火) 20:34:45 ID:IYurbLBk
>>600
武蔵について

1人が「武蔵は歴史的に見てもいろんな意味ですごい人物」と言い、
もう1人が「所詮講談話で、真実味なんか一欠片もネーヨ、バーヤバーヤ」と、
他の者を巻き込んで大荒れ。

という所。
604人間七七四年:2010/05/04(火) 21:21:23 ID:gTjBwTrf
>>603
へえん。煽りあいしてる時点であんま見る気しなくなってた、ありがとう
605人間七七四年:2010/05/04(火) 21:26:27 ID:ewdGBYyM
なにせこのスレの住人は柳生以外は嫌いだから柳生一族以外は否定されるゼw
606人間七七四年:2010/05/04(火) 23:22:37 ID:yHB/KrE7
はいはい柳生一族の陰謀柳生一族の陰謀
607人間七七四年:2010/05/04(火) 23:58:28 ID:IYurbLBk
武蔵は、そりゃ人物としての業績は残ってるし、ちゃんと文献もあるんだろ?
(漏れはあまり知らんが)

でも、2刀流だか、巌流佐々木を「敗れたり〜」だか、櫂を削って作った木刀で一撃だか、
講談話もあるだろう。

1人が上の話を「武蔵はすごい」といい、
もう1人が上の話を知らず、下の話のみで「バーヤ」と言った。

どう考えても「もう1人」の方がおかしいとしか言い様が無いんだけどな。
608585:2010/05/05(水) 12:36:12 ID:xaqjtkTJ
なんか俺のいない間に混乱してたみたいだな

>>586
そんなことは知っています
知っている上で、講談の後押しがなければ当時の知名度具合のままか、
あるいは忘れられた存在になっていったかも知れないと想定して発言したまでです

武蔵が生きていた当時よりも、後世において知名度が跳ね上がったと判断した
(演目数自体が増えたことを踏まえて)上で、その原因は講談のようなフィクションの類によるもの
と考えたんです

当時であっても違った意味で有名だったことを指摘するのは筋違いなので(剣豪ファンなら知ってて当然のこと)、
後世における極端なまでのメジャー化は講談とは無関係であることを示す情報を示してください
そうすれば自分の考えを修正できるので
609人間七七四年:2010/05/05(水) 16:55:35 ID:k8rqSoaB
>>604
騙されるなよ
>>603が言っていることはまるっきりデタラメ
両者ともそんな主旨の発言はしていないぞ
610人間七七四年:2010/05/05(水) 17:03:34 ID:VLyu3vum
なんだかんだで武蔵の影響はでかいなぁ
611人間七七四年:2010/05/05(水) 18:47:40 ID:6fHMCYTc
まず俺も若干の誤解を与えたようなのでそれを解いておきたいが、
>>武蔵が生きていた当時よりも、後世において知名度が跳ね上がったと判断した
事そのものを否定する意思は無い。

ただ武蔵は生前から一流人士、譜代、外様を問わず多数の大名家と幅広いコミュニティを形成していた人間
例えば三木之助は武蔵が忠政に推挙したことで忠刻の小姓になったが、彼は元々、水野勝成の武者奉行の子
水野の家臣から養子を取り、さらにそれを大名の嫡男の小姓というエリートコースに乗っける事が出来たことからも、武蔵の社会的信用性が窺える
また羅山文集では新免玄信像の賛を依頼したのは石川左京と言う人物らしいが、彼は武公伝によると武蔵の門弟である旗本の武士
別の見地では本多甲斐守書状に書かれた本多家重臣の中に石川左京と言う名があるから、武蔵と本多家の縁を考えて、こいつの事じゃねーか、という説もあるが。
つまり、小次郎や吉岡、高田又兵衛に夢想権之助らとの決闘話やその真偽はともかく、
武蔵は存命時からそれだけ多くの人間に知られていて、また社会的にも高名な名前を持っていたと、そういう事を言いたいわけね。

で、このあたりを含めると、 仮に武蔵モノの講談等が無くても、少なくとも武蔵の名が失伝するような事は無かっただろうと思う
敵討巌流島が1737年、浄瑠璃の花筏巌流島が確か1746年くらいだが、それ以前に書かれた本朝武芸小伝でもすでに取り上げられているから。

で、>後世における極端なまでのメジャー化は講談とは無関係である
かどうかと言うと、それは難しい
そもそも俺はそういう事は言って無いんだが、
例えば吉岡武蔵の効果はかなり大きいだろうけど、直木と菊池の武蔵論争はこれより以前の話だし、
武蔵の代表的な歌舞伎とか講談作品が作られるより以前から、武蔵に関して纏められた伝記等はあった。
数あるフィクションが武蔵の知名度をより高めたという話なら、それはその通りだろう。
だが<当時の知名度具合のまま>という、その元々の知名度ってのがどんなもんかは、今となっては判断がつかない。
そもそも、元々の認知度が低けりゃ講談が作られたりしないからよ。ひょっとしたら死後じゃなくて、生前からすでに講談話が作られていたかもしれない

わかる事は吉川武蔵が書かれる前からすでに武蔵の評価はインフレしてたって事と、
経歴を見るに、当時からかなり高名で、社会的認知度の高い人物だった、と言う事だけ。
それ以上の事は何とも断言できん。

言わせてもらうなら、「講談が無かった仮定」を論ずる事が、そもそもナンセンスってことかな。
だって現代に伝わる代表的な演目等が作られる以前から日夏繁高が取り上げて編纂してた有名人で、他にも個人伝記がたくさんあるし、他人の逸話にも名前が出てくるくらいだ
鵜之真似でも宗矩との絡みがあるし、神谷丈左衛門の二刀流の話、忠明や権之助、村上吉之丞の話にも武蔵の名前は出てくる
それだけ有名な人物だったからこそ、講談が作られる下地になったわけで。
逆に講談で取り上げられて有名になったから、そういう逸話が作られた、という可能性も否めん。
言って見れば卵が先か、鶏が先か、みたいなもんで、そういう仮定の話は不可能だ。
612人間七七四年:2010/05/05(水) 19:18:30 ID:k8rqSoaB
余計な口を挟まなければよかっただけのことですね
613人間七七四年:2010/05/05(水) 19:34:53 ID:I29PO/b6
夕雲が無住心剣流を開いたきっかけは、腕を怪我したことと関係あるの?
614人間七七四年:2010/05/06(木) 10:57:08 ID:iuc4kyDs
生前の武蔵の有名具合がどんなだったかを披露したければ、自分でネタ振ってやればいいこと
>>585に対してアンカーを引くことじゃない

>「講談が無かった仮定」を論ずる事が、そもそもナンセンスってこと
こんな答えは有り得ない

「武蔵がこれほど有名になった原因に講談の影響がある」前提に対し、
・異論がある → 論拠を示す
・異論がない → 過ちを認め、発言を撤回する

たったこれだけのこと
日本人ならできるよな?
615人間七七四年:2010/05/06(木) 12:00:09 ID:QykDqRii
猿飛佐助や田宮坊太郎のような架空の人物でも充分に有名になっているのもフィクションによるものではない
616人間七七四年:2010/05/06(木) 12:23:57 ID:QykDqRii
こう言っておいてなんだけど、
ペンのコイン抜けは超能力かトリックか。トリックで同じことができるからトリックである、の類で裏付けてやるよ

武蔵と近い時代に生きた和田隆正は、史実への登場頻度、お武家との関与、影響力ともに武蔵に極めて近い
しかし隆正は特に講談などのフィクションで扱われることはなかった
にもかかわらず現在、武蔵と同程度に人口に膾炙している

したがって、たとえフィクション抜きでも、武蔵は有名になった

はい論破
617人間七七四年:2010/05/06(木) 15:00:10 ID:dRZElJlF
「宮本武蔵は講談がなければ忘れられていたか、それとも残ったのか」という議論なんだから、
生前の事績に触れることは別に論点から乖離してるとは思わないが。
当事者同士なのか第三者なのか知らんけど、「謝罪と〜を要求する!」って半島人みたいなこと言うなよ。
どんなに有意義な話でもそれだけで一気に程度が低く見える。
618人間七七四年:2010/05/06(木) 18:18:09 ID:n0B+DvHU
ttp://blog.trancebudo.com/2007/12/post-16.html

無住心剣流を持ち上げたいにしては、全く知られていないというのがなんだかな
それなりに知名度あるはずだけど
619人間七七四年:2010/05/06(木) 18:32:48 ID:n0B+DvHU
ぐだぐだ言ってばかりで要領を得ないから、マニュアル化してやっただけだろっていう
620人間七七四年:2010/05/06(木) 20:46:35 ID:zpkG5LPn
マニュアル化(笑)
無駄無駄。
ID:gYYq+Tofの流れからわざと論点ずらしをやっていたのかと思ったけど、
おそらくそうではなかった。

>「武蔵がこれほど有名になった原因に講談の影響がある」前提
これだけ単純化されても、

>「宮本武蔵は講談がなければ忘れられていたか、それとも残ったのか」という議論
に摩り替わるんだから、
これはもう論点を把握する能力に障害を負っているとしか言い様がない。

相手にするだけ資源の無駄。
621人間七七四年:2010/05/06(木) 21:04:09 ID:hGPhvNNS
とりあえず資源の無駄って日本語がおかしい件
基本的に煽り始めるほうが余裕の無い方って相場は決まってるが

>「武蔵がこれほど有名になった原因に講談の影響がある」前提
これって既に言及されてないか?
言葉尻に噛み付いてぐだぐだ俺論理で混ぜっ返す方が混乱の元だろう
622人間七七四年:2010/05/07(金) 22:37:30 ID:FjelYat5
規制に巻き込まれている間は見てなかったが
凄いスレになったなw
623人間七七四年:2010/05/08(土) 13:22:48 ID:Cp95VsIK
仮説:巌流が決闘にひきずり出された理由

忠利が細川家当主を務める一方、建前は隠居した父幽斎は藩政に強い影響力を持ち続けていた時期。
藩内は忠利派と幽斎派に分かれ、派閥間に緊張が続いていた。

忠利「あのDQN親父め、よくも我が派閥の師範である大吉を殺してくれたな。
   報復に親父の派閥の師範、巌流を殺すように仕向ける方法はねーかなぁ。
   誰か決闘で確実に勝てそうな剣客を探そうか」

松山大吉を殺された憂さ晴らし…というか、やられたらやりかえせ精神。
既に誰かしらが提唱していると思うが…
624人間七七四年:2010/05/08(土) 17:04:18 ID:VBZ5qJFz
原田夢果さんだっけかな。
小次郎は有力豪族・佐々木氏の出身だったという説もある。
625人間七七四年:2010/05/08(土) 17:17:04 ID:Cp95VsIK
お、松山大吉暗殺からの連鎖説、本当にあんの?
626人間七七四年:2010/05/09(日) 12:31:25 ID:HvGvKsL+
幽斎?三斎だろ
627人間七七四年:2010/05/09(日) 13:41:27 ID:o/YWyS2q
よし、この時間帯なら騎乗位派の志士らは徘徊しておらぬな・・・
628人間七七四年:2010/05/09(日) 13:42:11 ID:o/YWyS2q
恥ずかしい誤爆をしてしまった・・・_| ̄|○
629人間七七四年:2010/05/09(日) 14:16:04 ID:WXF2lDWD
なんのスレだよwww
630人間七七四年:2010/05/09(日) 14:56:58 ID:bNiR6SEJ
スマン、三斎だった

言い出してナンだが、この仮説の弱い点は、
巌流が三斎派の立場にあったとする裏付けがないと成り立たないこと
あと、大吉暗殺と舟島決闘の時系列関係がはっきりしないこと
631人間七七四年:2010/05/10(月) 14:58:30 ID:adc9P1lV
というか、慶長年代だとまだ忠利は当主になってないな。

そもそも三斎と忠利って不仲だったか?
幽斎と三斎の不仲と混同されてるんじゃないの。
632人間七七四年:2010/05/10(月) 16:34:46 ID:4f5Tg+bl
親父とは表立って喧嘩してない代わりに、
かなりストレスを溜め込んでるな
633人間七七四年:2010/05/10(月) 19:51:24 ID:LeQ0sSmB
小笠原源信斎(真新陰流)┳神谷伝心斎(新陰直心流)━高橋真翁斎(直心正統流)━山田一風斎(直心影流)━
              ┗針ヶ谷夕雲(無住心剣流)┳小田切一雲┳真理谷義旭(後継者なし)
                         ┃     ┗高田能種(神之信影流)━山森俊勝
                         ┗片岡伊兵衛━中村権内━加藤田新作(神蔭流)━

無住心剣流は全く新しい流派という人がいるけど、そこから派生した流派には
また「シンカゲ」が戻っている。無住心剣流の思想・精神面は新機軸だけど、
技術面はシンカゲのものだったのかな
634人間七七四年:2010/05/10(月) 19:53:27 ID:LeQ0sSmB
小笠原源信斎(真新陰流)┳神谷伝心斎(新陰直心流)━高橋真翁斎(直心正統流)━山田一風斎(直心影流)━
                 ┗針ヶ谷夕雲(無住心剣流)┳小田切一雲┳真理谷義旭(後継者なし)
                          ┃      ┗高田能種(神之信影流)━山森俊勝
                          ┗片岡伊兵衛━中村権内━加藤田新作(神蔭流)━

ズレた
635人間七七四年:2010/05/10(月) 19:54:49 ID:LeQ0sSmB
小笠原源信斎(真新陰流)┳神谷伝心斎(新陰直心流)━高橋真翁斎(直心正統流)━山田一風斎(直心影流)━
                 ┗針ヶ谷夕雲(無住心剣流)┳小田切一雲┳真理谷義旭(後継者なし)
                                  ┃        ┗高田能種(神之信影流)━山森俊勝
                                  ┗片岡伊兵衛━中村権内━加藤田新作(神蔭流)━
636人間七七四年:2010/05/10(月) 19:59:53 ID:wHtxZyKh
だれに頼まれてもいないのに貼るなよ
637人間七七四年:2010/05/10(月) 20:15:44 ID:m3H5y0aY
真理谷は三代続いてるそうだよ。子孫もいるみたいだぞ。
半分黙殺されてた真理谷円四郎を有名にした甲野善紀の剣の精神史に詳しいぞ。
638人間七七四年:2010/05/10(月) 20:19:41 ID:LeQ0sSmB
そうなん? 流派がひっそり続いたの?

で、技術面はやっぱシンカゲなん?
639人間七七四年:2010/05/10(月) 20:55:57 ID:m3H5y0aY
片手上段から打ち込むだけだったらしいけど、実際はどうだったんだろ?
同系統の熊本の雲弘流は幕末明治まで八相からの相討の稽古を重視したらしいよ。組型見たけど八相や片手八相?から若干体を捌きつつ相討ち気味に打ち込んだりツキ入れる技法が多かった。
体捌しつつ打つのがちょっと新陰流に似てた。
640人間七七四年:2010/05/11(火) 01:13:17 ID:9wMSv0iq
針ケ谷夕雲は弟子には普通、新陰流教えていて
その中で見込みのある高弟にだけ無住心剣を教えていたって
なんかの本で読んだなぁ
641人間七七四年:2010/05/12(水) 22:18:59 ID:k3t/Z+cU
そのなんかの本が何なのか教えてくれよ
642人間七七四年:2010/05/12(水) 23:51:23 ID:EDqcGxcO
無住心剣の奥義を得た者が四人いたらしいけど
一雲以外の三人って誰なのかな?
643人間七七四年:2010/05/13(木) 22:18:16 ID:WnlXR7vH
また出所不明の話か?
644人間七七四年:2010/05/13(木) 23:02:22 ID:lHwJGmxQ
夕雲は千四五百人弟子がいたとされ
新陰流の免許を八十三人もの弟子に与えていたにもかかわらず
畜生兵法から抜け出た「上則之弟子」わずか十三人
645人間七七四年:2010/05/14(金) 07:56:25 ID:axLbL5EB
現代武道でも入門して初段になるのは数人に一人以下だしね。三段四段まで行くのはさらに数分の一だけだよ。
江戸でそこそこ有名だったから入門者も多かったんだろ?十三人も認める弟子がいるんだから大したものだよ。新陰の免状受けた6人に一人くらいだから甘くなかったら普通じゃない?免許乱発しなかったって事だよ
646人間七七四年:2010/05/14(金) 08:01:38 ID:icnZCGsc
例の相抜け思想に賛同しないと畜生兵法のままってことだろ。
647人間七七四年:2010/05/16(日) 19:19:07 ID:/j75OfDV
無住心剣から相抜けを抜いたら、ただの新陰流じゃ?
648人間七七四年:2010/05/19(水) 17:19:52 ID:WfTp1Y6X
三間さんて新しい境地を開くのに二十年も瞑想してたのか?
649人間七七四年:2010/05/20(木) 14:47:20 ID:IS84YCXq
剣術修行を始めてから二十年目に大悟したということであって、
瞑想二十年という意味じゃないと思う
650人間七七四年:2010/05/25(火) 04:10:26 ID:R8FyZP4k
剣術に禅とか相抜けとか言う方がおかしい。
所詮人斬りの術、殺してナンボよ。
651人間七七四年:2010/05/25(火) 07:47:02 ID:7sdUulb2
人殺しの術とか中二みたいな事言ってたら誰も習ってくれないんだよね♪
652人間七七四年:2010/05/25(火) 11:14:07 ID:zbQpIELX
まあ、当時は、現代と比べれば、一応実用の術でもあったわけだしなあ。
「なんにせよ剣術は人斬りの術である」というのは、割とどこの伝書でも書いてるし。

でも、肝心なのは、「その人殺しの技を得て何をするのよ?」というところだったわけで、
斬ることそのものが目的になってるようなのは、まあ、ぶっちゃけ狂人だわな。
伝書でも、大抵上の前置きの後で、「しかしながら云々」と
「何のために剣術を修めるのか」について書いてるし。
653人間七七四年:2010/05/25(火) 16:57:59 ID:ZkEbcxsv
>>650
単純に殺法なら剣より槍、槍より弓、弓より銃でございます。

てえか所詮人殺し技なんてことは、>>650のウン十倍剣について考えた奴が気付いてないわけ無いだろ。
654人間七七四年:2010/05/25(火) 19:16:28 ID:fDcOLjMl
軍忠状のアレは受傷率であって死因じゃないよ。

鑓や銃などとは違い、肌身離さず持ち歩けて合戦で役に立つのが刀。
色々な局面で一番つぶしが利くスキルなんだろうね。
655人間七七四年:2010/05/25(火) 23:04:52 ID:zbQpIELX
戦国当時なら、そうやって功を立てるための技術として剣術が成立していたわけだけど、
江戸時代は、基本、戦自体がないからなあ。
使う機会自体が殆どないんじゃ、そりゃ悩むよ。

まあ、ここで悩んだというか、平時の剣の価値について思索したからこそ、
銃と砲が戦場の主役になった後でも、
剣術は芸道として生き残れるだけの下地を持てたわけで、
それなりに意味はあったと思うけどな。
656人間七七四年:2010/05/25(火) 23:53:55 ID:7sdUulb2
実は江戸時代でも身分や時と場合によっては剣術による実戦があったり。
657人間七七四年:2010/05/25(火) 23:55:26 ID:/EZfbOOi
俺は空手やってるが実生活に役立てられるかとか武の在り様がどうだかなんて全く考えて無いぞ。
あくまで「空手」をやっている。そういうもんだろ
競馬は元々は軍馬の養成が目的だし、サッカー(フットボール)だって兵士の身体を鍛える為のものだったけど
いまはそれそのものがジャンルとして完結しているだろ
戦争上手くなるためにサッカーするやつはいねー、皆サッカー上手くなるためにサッカーやってる

武芸が武芸として独立した頃から、すべからくそういうもんだっただろうよ、きっと
特に江戸時代の中期なんて今より平和なんだから。
武道と言うものはその時からすでにそういう高い次元の世界で語られるものだったと思う

658人間七七四年:2010/05/26(水) 00:13:01 ID:LRqutXhq
私はあくまで実戦に役立てるために骨法を学んでいます。
659人間七七四年:2010/05/26(水) 00:32:57 ID:OI1yrfe3
=゚ω゚) ん〜いや、江戸期は今より物騒だったと思うよ。
まあ、国家の中枢である江戸城内や旗本の屋敷で殺人や刃傷が
起こっているのは現代ではちょっと考えられないよ。
まあ、ナイフよりでかい武器持っているから当然つーかw

屋外でも角ごとに辻番所の有る江戸市中を出れば追剥とかふつうに出たし
流民、無宿の犯罪予備軍も多かった(時期や地域によるけどね)

あと、物騒になっていた原因のひとつに知行地や寺社荘園などは
政府もやたらに手が出せない事もある。
そういう地域は農民、郷士などは護身のために自然と武装する。
だから上州では念流や法神流などが地域で残されたし、タマの百姓も浪士になる。
棒の手も各地に多いね。
660人間七七四年:2010/05/26(水) 01:25:14 ID:7yh6UHPS
だから戦国⇒江戸期は。その実戦術⇒芸道への過渡期だったんじゃね?

>競馬は元々は軍馬の養成が目的だし、サッカー(フットボール)だって兵士の身体を鍛える為のものだったけど
>いまはそれそのものがジャンルとして完結しているだろ
661人間七七四年:2010/05/26(水) 02:12:43 ID:L3GkVhLE
その辺の価値観を剣術で天下に広めたのはやっぱ宗矩の功績がデカいってことになるのかね
662人間七七四年:2010/05/26(水) 02:20:33 ID:lQ2PvGht
だがしかし相変わらず切り合いはあったし、えらい侍は切り合わなくても下級の捕方やら武士以下の警察組織には真剣勝負が結構あったわけで。
663人間七七四年:2010/05/26(水) 02:53:27 ID:lQ2PvGht
そもそも理論はゆっくり武芸に関して考えれば自ずから発展するから武蔵も五輪書にまとめたんだろな。
円明流の時点でも相当理論的だし。

宗矩は表現が禅やらからの引用なだけで純粋な技術論だし、理倒れになるのはもっと後かな
664人間七七四年:2010/05/26(水) 03:04:49 ID:Vd7qJRSq
>>659
今の日本の方がどう考えても危険だな
そこらじゅうで通り魔や強盗が出るし、人死にも頻繁
日本人だけでもそうなのに素性のわからない不法滞在の外国人もいる
元厚生事務次官の山口氏夫妻が自宅で殺害された事件は記憶に新しい。
今の世の中、政治テロは日本においても全く他人事ではないよ。
警察が機能してる日本だから感覚がマヒしてるもかもしれんが、安全ってのは空気みたいにあるわけじゃないんだよ

蘊蓄も結構だが、一般常識くらいは納めておいた方が良い。
普通の感覚なら
>現代ではちょっと考えられないよ
なんて能天気な発言は出ないだろ。
665人間七七四年:2010/05/26(水) 07:25:39 ID:lQ2PvGht
戦後から昭和半ばの殺人や犯罪数に比べたら、今はめちゃくちゃ治安いいぞー

江戸時代は治安がいいったってだれでも武器携帯してもいい時代だしな。喧嘩で武器が出る可能性も高かったみたいだし。
666人間七七四年:2010/05/26(水) 10:50:45 ID:fYE9TnnU
江戸時代は犯罪率が低くて現代より安全だ(キリッ



川に不審死体がゴロゴロ浮いててもスルーされる時代のどこが安全なんだよww
667人間七七四年:2010/05/26(水) 17:58:45 ID:TGnelUH5
あんだけ毎週悪党退治してるのに犯罪が減る気配が無いところから推察すれば
江戸時代は暗黒時代といえよう
668人間七七四年:2010/05/26(水) 18:41:09 ID:XjGGoHq1
ドラマの主人公はエスパーだから、ごく稀な犯罪を狙い撃つように遭遇するのよ
669人間七七四年:2010/05/26(水) 21:58:59 ID:OI1yrfe3
=゚ω゚) ああ、ゴルゴムのしわざだね。
まあ、江戸期も長いし国によって治安も違うから一概には言えんが
ふつうに屋敷や役所に武器持って歩いても良い時代だから
大事件は起きるしささいな喧嘩でも死傷者が出たね。
有名なのがモミの木は残ったや田沼だね。
まあ、現代は武器の規制が厳しいからまだマシな方だよ。


>川に不審死体がゴロゴロ浮いててもスルーされる時代

=゚ω゚) 江戸ならまず番所が発見するわな(数が多いので)。
その後、遺体に関して名乗り出る者が無ければ
「棄てよ」との正式な命がくだるそうな。
670人間七七四年:2010/05/26(水) 22:20:50 ID:cC9A+4oI
>>666
クメールルージュ時代のカンボジアの話は関係ないだろ。
671人間七七四年:2010/05/26(水) 22:51:11 ID:JWqyhyry
辻斬り禁止令なんてもんが出ること自体、安全でない証拠だろ。
かぶき者とか旗本奴なんてのもいたし、武士自体のDQN率もハンパないしな。
それを武勇伝呼ばわりする連中もいるのも余計に駄目度を上げてるし。
672人間七七四年:2010/05/26(水) 23:09:50 ID:fYE9TnnU
>>669
水死体の話は『大江戸死体考』に載ってた

あとこれとか
ttp://www.geocities.jp/huckbeinboxer/s05.html
 江戸時代、自殺や心中による水死者の数は多かった。
役人の数から言っても全ての水死者を検死することは不可能だった。
死体を調べる検使は町奉行の同心が担当。彼等は町地の水辺に流れ着いた死体を検死した。
海川を流れる死体はそのままにされた。汐入や川、池などの水死体は報告しなくてもよいことになっていた。
汐入では水死体を突き流し、それでも流れていかない時、若しくは再び流れついた場合のみ目付に報告することになっていた。
673人間七七四年:2010/05/26(水) 23:49:51 ID:7yh6UHPS
>>671
別に武士に限った話じゃないと思う。
幡随長兵衛みたいな町人奴もいたんだから当時の気質自体が荒かったんだろうね。
腕自慢の乱暴者同士がぶつかれば血を見る喧嘩も起きただろうと。
当時の武芸者でも色々逸話もあるし物騒だよ。
674人間七七四年:2010/05/27(木) 00:21:47 ID:sd9IchHu
まあ行方不明者や詐欺被害者が相当数上る今も安全だとは言えないわけだけど、色んな意味で
中学生が普通に人を殺して暴力団入るような所はいつの時代もさして変わらんのだなあと思う
DQN行為を武勇伝にする阿呆はどこの世界にも居るだろ
自衛隊解体やら警官の武装を解けという連中は平和ボケもいいところだよ
もっと規制きつくても良いと思うくらい
>>665
それを言ったら、基本的に安定期の方が治安が良いに決まってるだろ
生活水準も低いし
675人間七七四年:2010/05/27(木) 01:48:18 ID:oLBAOmoi
現代は通信が発達しているからニュース見てると
そこかしこで犯罪が起こっているような錯覚をすることはあるかもな
676人間七七四年:2010/05/27(木) 02:56:51 ID:unsh9LWF
朝から晩まで同じ事件の話だからな
実際はもう長いこと低いまま維持されている
677人間七七四年:2010/05/27(木) 17:00:41 ID:09VEvI25
>>671>>673
そういや綱吉の出した「生類憐みの令」も綱吉個人のオカルト目的の他にも、
こうした血の気の多いDQN共を黙らせる目的もあったのでは?って説もあるね。
678人間七七四年:2010/05/27(木) 23:48:43 ID:HHRC38t3
この時期の武芸者で喧嘩っ早いDQNといえば忠明だけど、
面白いのは、忠明を「賞賛する為の逸話」として上がるのが、
他家の家臣の腕を叩き折って不具にしたとか、街中で腕自慢をしてた武芸者をぶっ殺したとか、
剣術の稽古には罪人を斬るのが一番と言ったとか、そんな話ばっかりってことだな。

これは、そういう血の気が多くて喧嘩っ早い事を是とする気風が
武士の間では根深かったってことの論拠の一つになるかも。
679人間七七四年:2010/05/31(月) 01:16:28 ID:miNzsltc
新陰マンセー忠明しねがスタート
680人間七七四年:2010/05/31(月) 17:44:24 ID:5vHtAm9v
しんいん?ちゅうめい?
681人間七七四年:2010/05/31(月) 19:15:33 ID:rc/hARDt
忠明超カッケー(棒
682人間七七四年:2010/06/01(火) 00:08:04 ID:1/VE/kcZ
つーか忠明個人をDQNと言われただけで新陰マンセーとか被害妄想乙
683人間七七四年:2010/06/01(火) 02:16:08 ID:JKwgXUOP
スルーしろよお前ら
反応すんな

しかしまあ、DQNはともかく、
夕雲でも昔は刃挽きの刀をわざわざ持ってかぶき者ぶってた逸話があるから
特定個人の気質とかでは無く、武士全般にそういう気質があったというのは確かにありそうかな。
684人間七七四年:2010/06/01(火) 03:00:33 ID:4acse9Bg
どうしても夕雲流の話がしたいんだね
685人間七七四年:2010/06/01(火) 21:35:46 ID:8BUOxNbG
結局一番強いのは誰。
武蔵坊弁慶なんじゃねーか。
686人間七七四年:2010/06/01(火) 22:27:57 ID:IjKyrNh+
最強論はスレ違い
687人間七七四年:2010/06/05(土) 00:02:56 ID:Pusi6VlX
夢想権之助が松林蝙也斎を弟子にしたのって武蔵と戦った後なのかな、前なのかな。
688人間七七四年:2010/06/05(土) 00:39:46 ID:RNRUUVUH
夢想権助と松林左馬介の師弟関係が本当かどうかは別として
松林左馬介と宮本武蔵は十歳くらいしか年が離れてない。
左馬介は嘘かまことか15歳である境地に達していたらしいから、もし師弟関係があったとしても権助が関東にいた時の弟子だろうから武蔵と戦う前じゃないかね?
689人間七七四年:2010/06/05(土) 11:25:13 ID:ajofbUvx
http://www.youtube.com/watch?v=LEOmFhuuHJg&feature=related

これって鹿島新当流じゃないよね?
690人間七七四年:2010/06/05(土) 11:45:30 ID:RNRUUVUH
国井善弥の鹿島神流に見えますけど上手くないですね。
新當流の抜刀術とは違うね。
691人間七七四年:2010/06/05(土) 11:49:17 ID:RNRUUVUH
692人間七七四年:2010/06/05(土) 11:59:37 ID:ajofbUvx
ありがとう。
This is not "Iaijutsu Kashima Shinto Ryu", is a very bad version of Kashima-Shinryu? batto-jutsu.
という評価は適切なわけねw

鹿島新当流を海外で教えている話とか聞かないしな。
693人間七七四年:2010/06/05(土) 12:12:07 ID:RNRUUVUH
鹿島新當流は香取神道流より地味だからねえw
新陰や一刀流が広まるまで日本中で流行ってた流派だから、もうちょい広まっていいと思うけどな。
694人間七七四年:2010/06/05(土) 15:37:27 ID:1ENJt3rG
>>687
・夢想権之助が松林左馬之介を弟子にした
 …トンデモ説。外部の者が、流派名から連想しただけ?
  夢想願立自身が「権之助が師であった」と伝承しない限り、信じるに値しない
・夢想権之助が武蔵と戦った時期
 …不詳。1617〜1626年頃の間と推測されるが、幅がありすぎ
  この期間の前半は武蔵が関東(上総)に住んでいたが、試合はしていなかったらしい
  この期間の後半は武蔵が山陽に戻って武芸者としての活動を再開(?)したが、権之助も西国を旅していた
  山陽で対戦した可能性の方が、関東での戦った可能性よりは高い
  1626年頃以降は、武蔵が九州に行ってしまう

つーても、質問前提が無茶だからなぁ
695人間七七四年:2010/06/05(土) 17:34:43 ID:RNRUUVUH
権助側にも左馬側にも師弟関係の資料なんか無いよな?誰が言い出したんだろ?

夢想願立と神道夢想流、古い目録比べても全然共通点無いんだがなあ…
願立はたしかに新當流(天流?)あたりの影響はありそうだけど…かなり独特だよな。
696人間七七四年:2010/06/05(土) 23:11:48 ID:1GxVPv6m
=゚ω゚) ゴンと左馬が師弟なのは信州の『朝陽館漫筆』が元ネタらしいっす。

証言者は文化5年に新当流槍術家の畑太左衛門と言う人が
西村四左衛門(後の松林左馬介)が夢想権助なる者より幻術などを
学んだと言われたとか。
信州にも松林左馬介の弟子や孫弟子も居たらしい。

さて、真実やいかに?
697人間七七四年:2010/06/06(日) 02:42:24 ID:WyYy21Sd
師弟関係があったとすれば、夢想が松代に立ち寄った可能性が高いが、彼の足跡も今ひとつわからん
つーか胡散臭いと言えば、浅間山に一人?で籠って14、5歳にして流派開眼ってのがまず胡散臭い
698人間七七四年:2010/06/06(日) 11:57:21 ID:A3eVyy7G
有名大名に埋もれたまま、散って行った
たくさんの小大名達にロマンを感じるなら、、、


もしも小大名だったら、、、【和気藹々1】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1273053429/l50
699人間七七四年:2010/06/06(日) 17:03:58 ID:Bfp9tauX
>>696
畑さんの妄想ですか
700人間七七四年:2010/06/06(日) 19:36:19 ID:PkWYlAmM
最近の俺の体験。
爺さんが皮膚炎に傷薬を塗って、あまり効かないようだとボヤいていた。
それは薬が違うと指摘したら、爺さんは、裂傷には良く効いたすごい薬だぞと能書きを語り始めて
うんざりするハメになった。
なんか既視感を覚えたと思ったら、このスレで宮本武蔵が講談で有名になった前提に対して
生前の事跡を挙げるというトンチンカンな難癖をつけた馬鹿がいたのを見たからだった。
知識があっても正しい使い方が出来ない典型だったからな。
自分では有意義な話だと思い込んでいるところなんて、まさに「すごい薬」だと主張する爺さんと同じで
なんかおかしな方向に思考が嵌まり込んでいることが自覚できない状況に陥ったのだろう。
701人間七七四年:2010/06/06(日) 21:27:05 ID:WyYy21Sd
>>700
お前めんどくせえ奴だな
わざわざ荒れそうな話題を蒸し返すなんぞ意図して荒らそうとしてるとしか思えん
そういう奴を馬鹿という、普通は
702人間七七四年:2010/06/06(日) 21:54:55 ID:5oIXZb9v
コミュ力が足らんのだろう
1ヶ月以上も前の事にいつまで粘着してるんだか
703人間七七四年:2010/06/07(月) 07:40:38 ID:sg0Kgb9I
コミュ力の問題というか、よっぽど悔しい思いをしたんだろうねw
704人間七七四年:2010/06/07(月) 08:29:45 ID:Tg7tSt6M
信州に左馬の弟子や孫弟子がいてもおかしくないよな。四、五十代まで信州にいたんだっけ?
しかし幻術ってw
権助は権助でも別人?権助も得たいの知れない人物だし幻術くらいできたのかね?
705人間七七四年:2010/06/07(月) 17:00:05 ID:ScAtr2yW
>>701-702
全然違う。件の馬鹿にも同類が実在することを教えてやることで、生きる希望を持たせてやった。
恥かしい奴ではあったが、何も自害するほどのことではないだろう。
スレ上では反省が見られず、奴が学習して改めない限り、またいつしか荒らしに湧きかねない。
これを機会に、奴には立派に更生したもらいたいものだ。
人一人が救われることを思えば、月単位の変遷など屁でもない。

>>703
主客転倒しますな。まずは読解力を身に付けような。
706人間七七四年:2010/06/07(月) 17:11:29 ID:nyIws2r+
>>704
割りと早い時期から関東で活動して、剣名が上がっていったと記憶。
二十代半ばには既に関東に移住してたんじゃないかな。

関東での活動期間、知名度の上昇具合が、ちょうど夕雲と被ってしたはず。
夕雲と絡んだ話があれば面白いかもしれない。
707人間七七四年:2010/06/07(月) 17:21:34 ID:nyIws2r+
そうそう、左馬の怪しい身体能力のことを、インド武術に比定する見解を見かけたことがある。
中華武術に伝わって「軽功」になったアレ。武侠小説では大袈裟に書かれてしまっているが。
いずれにせよ、軽功の類を一般人が見たら、幻術に思えるかもしれん。
悲しいかな、夢想権之助に幻術ぽい話は無理だが。
信州出身だった加藤段蔵の弟子から教わった話になった方が、まだしも説得力がある。
708人間七七四年:2010/06/07(月) 17:56:41 ID:Tg7tSt6M
身が軽い武芸者ならたくさんいるから左馬をわざわざ軽功と比べなくてもw

関口柔心に張り合ってたらしい剛身の人とか屋敷の壁を飛び越えたらしいし、四心琢磨流の足立平陸は物凄い足が速かったとか、昭和の石尊真石流の修行者はトンボ返りして天井を蹴り破ったりとか色々あるよ
709人間七七四年:2010/06/07(月) 18:26:42 ID:nyIws2r+
それがインドにはもっと沢山あるのよ
身体能力の修行法を突き詰めたら、結局のところ大陸の武術先進国と同様の境地に達したのではないかという見解だった
710人間七七四年:2010/06/07(月) 18:38:29 ID:pLD6AKoo
武術先進国にはどんな体術や修行法があったのですか?
711人間七七四年:2010/06/07(月) 18:55:29 ID:NPX3BFCl
そういや忍術に伝わってる体術関係の実態や信憑性はどんなモンだったんだろうね?
712人間七七四年:2010/06/07(月) 19:12:40 ID:iMQ/y3Y/
>>705
病院入れとは言わないから、半年romれ。
>>711
末次選手の活躍でナンバ走りとか注目されてるし、全くのウソってわけじゃないんだろうけど。
一日で200里走った忍者の話とかは普通の感覚だと誇張と映るがな
サイヤ人かよ
713人間七七四年:2010/06/07(月) 20:16:45 ID:VXVjjkmF
確信犯だろ、相手にすんなよ
714人間七七四年:2010/06/07(月) 20:38:52 ID:k9kMyl5p
>>712
昭和のマタギの人で似たような話は見たこと有る。詳細な距離はちょっと忘れたが。
他にも超人的な話が沢山載ってた。

公民館の図書室にあった本に書いてあったからまた機会があったら見てくる。
715人間七七四年:2010/06/07(月) 21:26:43 ID:Tg7tSt6M
インド武術でもカラリなんかはそんなに遡れない。歴史長いし戦乱も多かったから武術自体は古くからあるだろうけど。

マタギの逸話、現代でも山仕事してるおじいさんなんかは山道あるくのは速いよ。でも百メートル走が速い訳じゃない。インドや中国日本の武術家の逸話もそれと一緒じゃないか?

パルクールなんか忍者か軽功そのものだよ
716人間七七四年:2010/06/08(火) 00:01:21 ID:wO6uQwOm
先進国ってのはインド武術が中国拳法やムエタイの元になったってことを言ってるのかな?
それのルーツ自体アレクサンドロスの征服でもたらされたヘレニズム文化に遡る説もあるくらいだし、
日本の戦国時代頃に先進国と言えるほどの武術文化は花開いていたの?
717人間七七四年:2010/06/08(火) 00:12:21 ID:nOtYnNiW
江戸初期くらいからの武術文化は凄く洗練されてるように感じるけどね
それ以前は相手の足もとにスライディングしながら切りつけるとか、大道芸みたいな技が伝わってるよな

……あれ、時期は戦国期以前であってたっけ?
718人間七七四年:2010/06/08(火) 00:54:43 ID:mZnQT9wf
=゚ω゚) ふっ。甘いな皆の衆。
カラリなんぞ骨法のホリエモンがすでに戦っている。
顔面噛み付きインデックス攻撃で勝利だ!


>>716
=゚ω゚) 個人的に思うに平安〜鎌倉期には実戦のコツみたいな
あるていどの刀術スタイルはできていたと思う。義経の兵法とかね。
たしか慈恩が若いころ学んだのが18流派ぐらいだったとおもたが・・・


>>699
=゚ω゚) 武芸に妄想とオカルトは憑き物じゃ!
719人間七七四年:2010/06/08(火) 07:13:22 ID:OK4UgXCm
>>717
なんかわかりにくい表現しちゃったようなのでちょっと訂正。

・日本の戦国時代頃に先進国と言えるほどの武術文化は花開いていたの?
                   ↓
・日本の戦国時代頃のインドに先進国と言えるほどの武術文化は花開いていたの?
720人間七七四年:2010/06/08(火) 07:49:06 ID:exXojNss
武術なんて基礎的な物は国が成立してればある程度のはどの国にもあったと思うよ。○○家の剣術、てレベルならフィリピンなんかにも結構昔からあったみたいだし。ただしっかりシステム化した流派とか門派となるとなかなか無いかもしれないけど。
個人的にはインド武術が中国とかに直接影響を与えたとは思えない。せいぜい文献的なものとか人を介しても微々たるもんだろ。
ムエタイやらシラット、アーニスとか東南アジアの武術もどちらかと言うと泰族はそもそも中国南部の民族だし、フィリピン、インドネシアの武術は華僑なんかの中国武術の影響が大きいよ。
ヨーロッパのインド武術の研究者の論文によるとカラリなんかが今の形式に成立した時代はそんなに昔じゃないみたい。日本の色んな剣術流派とたいして変わらないよ。
721人間七七四年:2010/06/08(火) 16:45:44 ID:9szZ+uku
>>719
うむ、花開いていたの定義がはっきりしないけど、
武術が体系付けられ、アマチュアも道場で習うことが可能になったり(これはもっと前からか?)
個人的武芸を用いて代理決闘を戦うことを生業とするプロが成立したり
それらの武術体系を総括してカラリと呼ばれるようになった時期が、
日本の戦国時代に近い
722人間七七四年:2010/06/08(火) 17:53:36 ID:C0kOyjHM
ヨーロッパでもフェンシングや他の武術の指導・教育システムが作られはじめたのも16世紀頃からだし、
中国拳法の大半は技法が現代に近い形になったのも18〜19世紀くらいだし、それくらいの成熟期間は必要って事かな
723人間七七四年:2010/06/08(火) 20:24:09 ID:No/PhFVi
>>696
野史俗史の類でよければ、柳生が宮本武蔵の弟子だったというブッとんだ話もありになってしまうよ
和田烏江『異説まちまち』という小話集だけど
資料価値は皆無で、ばかばかしい裏話の蒐集といった具合
724人間七七四年:2010/06/08(火) 21:14:30 ID:wZ/ZtC42
>>723
柳生ってどの柳生?
725人間七七四年:2010/06/08(火) 22:08:35 ID:nOtYnNiW
十兵衛の事か?
武蔵じゃなくて忠明じゃないかな

そういう話があるの?
726人間七七四年:2010/06/08(火) 22:57:26 ID:4OdVegXl
宗矩だな。
「柳生但馬守は宮本武蔵が弟子也」とかいう話だったはず。
なんでこんな話が出たのかは知らんが、
要は「○○は柳生但馬守よりすごい」のバリエーションだろ。
727人間七七四年:2010/06/09(水) 00:07:24 ID:CJI9Xgm8
そうした逸話や講談ネタを統合するとこうなるわけだな。

宮本武蔵>柳生宗矩>嫉妬して宗矩の屋敷に乗り込んだ塚原卜伝>鍋蓋であっさり防がれた武蔵>柳生宗矩>塚原卜伝>宮本武蔵
728人間七七四年:2010/06/09(水) 01:38:30 ID:INDT3qZu
無限ループw
729人間七七四年:2010/06/09(水) 07:54:15 ID:3Bv5sqIa
>>721

>それらの武術体系を総括してカラリと呼ばれるようになった時期が、
>日本の戦国時代に近い

それって武術先進国なのかな?
730人間七七四年:2010/06/09(水) 08:23:37 ID:INDT3qZu
インドが武術先進国なら16世紀の日本も先進国じゃあるまいか
731人間七七四年:2010/06/09(水) 08:35:20 ID:wQmO7tcY
>>727
塚原卜伝じゃなくて丸目蔵人でしょ
732人間七七四年:2010/06/09(水) 08:48:05 ID:3Bv5sqIa
>>731
塚原卜伝であってる。『撃剣叢談』より。
733人間七七四年:2010/06/09(水) 10:18:17 ID:BzRkzjko
武蔵は宗矩に勝ち宗矩は卜伝に勝ち卜伝は武蔵に勝つ、じゃんけんの変種が出来そうだ。
734人間七七四年:2010/06/09(水) 12:12:34 ID:wQmO7tcY
>>732
たしかに鍋蓋講談は卜伝vs武蔵だけど、宗矩の屋敷に押しかけは丸目だよね
735人間七七四年:2010/06/09(水) 12:22:28 ID:3Bv5sqIa
>>734
宗矩の屋敷に押しかけてきた卜伝に「あんたは名人かも知れんがわしは一万石の大名じゃ」って威張る話があるのよ。
736人間七七四年:2010/06/09(水) 12:51:50 ID:FAFMUMm2
そういや宗矩と武蔵だと「鵜之真似」にも逸話があったな。
「そなたの剣の境地は?」と問われて、
「電光石火の如く」と答えた武蔵を、
宗矩が「まだまだ修行不足」と挑戦を退けた後、
逆に武蔵に問い返されて、自分の境地を「春風の如く」と返した話。
737人間七七四年:2010/06/09(水) 14:54:28 ID:buaUJ2tV
読み返してもよくわからないのだけど、
講談などのフィクションによって後世に爆発的に有名になった説に、
生存当時に関係者の間で記録が残っていたことが、どう絡んでくるの?
宮本武蔵と同程度の事跡が残っている武芸者ならいくらでもいるのに
738人間七七四年:2010/06/09(水) 15:02:56 ID:IuOxmyKr
>>737
関係ない話
事跡の量と質で言ったら、服部藤次兵衛なんて武蔵以上に人口に膾炙していなければならんがな
739人間七七四年:2010/06/09(水) 16:58:44 ID:AfgMb6n9
服部藤次兵衛なんてそんなにたくさん事績残ってるか?
神後宗治の弟子時代の事績くらいしかわからないんじゃないの
740人間七七四年:2010/06/09(水) 19:03:18 ID:VI9pBQjw
剣豪逸話シリーズは同じネタで人物取替えバージョンがあるからややこしいね
741人間七七四年:2010/06/09(水) 19:53:28 ID:h5/Q6qC+
>>739
柳生宗矩が服部の剣は神技だからと家光に紹介して、
服部が家光に剣技の講釈をしたくらいだから、
かなり上流の武家に関与していたと見てもいいだろう
742人間七七四年:2010/06/10(木) 00:11:38 ID:ik0wtGQ9
有名になる鍵は決闘の逸話の多さじゃねえかな
剣豪って多くの場合ちゃんとした立ち合いの記録残ってないし
武蔵とかは多くの他流仕合をやった足跡があるから、それを元ネタにした決闘の逸話や伝説も作りやすかったんじゃないの
荒木又衛門だって、実際にあった鍵谷の辻の仇討ちを元ネタに、後世では36人斬りって話になったんだし
743人間七七四年:2010/06/10(木) 00:44:06 ID:gALXoCZE
>>741
そりゃ新陰流だったからじゃないのか。
744人間七七四年:2010/06/10(木) 00:47:21 ID:gALXoCZE
途中で送っちゃった

>>741
そりゃ新陰流だったから、宗矩に推挙されたってだけじゃないのか。
他に武家との関わり合いのあったエピソードも吟味しないと、それだけじゃ上流階級と付き合ってたかどうかの決め手にはならないだろう。
745人間七七四年:2010/06/10(木) 06:37:37 ID:irtOWB1l
柳生ってホントに人気だな w
746人間七七四年:2010/06/10(木) 12:37:33 ID:uNDpC7pq
陰謀だよ!
747人間七七四年:2010/06/10(木) 13:17:04 ID:13HF+agy
残ってる当時の史料の数では柳生というか宗矩がダントツだから
こういう話はしやすいのは確かだな。
ろくな裏づけもない話だとgdgdになるしさ。
748人間七七四年:2010/06/10(木) 13:19:03 ID:T7j5Ea1o
>宗矩

ろくな裏づけもない話に引っ張り出される率もダントツじゃないか?
749人間七七四年:2010/06/10(木) 13:30:36 ID:gALXoCZE
宗矩、武蔵は他の人の武勇伝によく登場するよね
750人間七七四年:2010/06/10(木) 15:23:34 ID:wfYIZo6m
田宮坊太郎の話なんて、よく作ったもんだよ
父の仇は藩の武術師範を務めるほどだから、それなりに強い!
どのくらい強いかというと、全国規模で見渡せば、掃いて捨てるほどいる!
仇討ちを成し遂げるために入門した先は、柳生宗冬!
ずいぶん控え目な強さ設定だぁ
751人間七七四年:2010/06/10(木) 16:19:14 ID:gALXoCZE
宗冬は萌えキャラ
752人間七七四年:2010/06/10(木) 21:11:49 ID:PweGJHxV
逸話の引き合いに出されるのも人気の指標の一つだよ
それだけ宗矩も人気者と言えるんじゃないか
もしかしたら小笠原先生に次ぐ人気かもしれん
753人間七七四年:2010/06/10(木) 22:39:10 ID:13HF+agy
戦前だと宗冬の方が十兵衛より人気あったらしいな。
「柳生二蓋笠」なんて講談もあるし。
754人間七七四年:2010/06/10(木) 23:37:41 ID:QYagVz9h
宗矩=竹脇無我のイメージ拭いきれんw
755人間七七四年:2010/06/11(金) 17:35:48 ID:To7YtjCL
剣士としてはともかく、武士としては宗冬の方が十兵衛より上だろう。
一度は旗本に落ちた柳生家を、大名に復活させたのだから。
756人間七七四年:2010/06/12(土) 01:59:42 ID:2i0PyLC4
=゚ω゚) そういやつげ義春の剣心一路つーマンガも飛騨守が
剣豪役で出てくるなたしか。
違ったらスマソ。
757人間七七四年:2010/06/12(土) 22:02:49 ID:n+yihOVx
十兵衛は人間以外のモノと戦ってるイメージしかないな
758人間七七四年:2010/06/13(日) 02:23:35 ID:Kr6QUG3U
wakaru
759人間七七四年:2010/06/13(日) 02:29:32 ID:zq7ABDYz
ケンイシカワが悪いw
760人間七七四年:2010/06/14(月) 22:06:09 ID:xVATg4dE
長野無楽斎て、上州豪族連合盟主・長野業正の縁者らしいが…
どういう続柄なのか不明瞭

没落後も上泉家との関係が続いていたのかな
上泉秀胤が息子に新陰流は授けずに、代わりに無楽流を習わせたあたり、関係があったような気がするけど
その頃には井伊直政が長野一族を探し出して、復興していたか
761人間七七四年:2010/06/16(水) 13:48:00 ID:2wwlHC5A
=゚ω゚) たしか井伊の兵には武田遺臣と箕輪衆がおったと思う。
つか箕輪にも赴任してなかったかね>井伊さん

=゚ω゚) あれ?伊井だっけ?
まあいいや。
762人間七七四年:2010/06/16(水) 14:09:07 ID:O3Kn09bb
【審議中】

         <⌒/ヽ-、___
        <⌒/ヽ-、___/
      <⌒/ヽ-、___/
     <⌒/ヽ-、___/
   <⌒/ヽ-、___/
  <⌒/ヽ-、___/
/<_/____/
763人間七七四年:2010/06/17(木) 09:35:12 ID:9Is/jDE5
質問です。雑誌などで有名な古武道の達人が著書で↓のような薀蓄を披露していました。ただ、私が人から
聞いた新撰組の話とは何か違う気がするんですが、どうも自信がありません。私はうろ覚えですし、古武道の達人が
堂々と間違った話を披露するわけがないと思いますけど、念のため調べていただけますか?

あと、江戸時代の竹刀というのは三尺よりも大分短かったのでしょうか?併せてお願いします。


堀辺正史×谷川貞治『日本人よ、グレイシー柔術に学べ!武道と他流試合』(ベースボールマガジン社)

P195
堀辺:たとえば近藤勇(新撰組)が主宰していた試衛館という道場は、道場破りの撃退を請け負いする
道場として有名だったのです。ある道場に道場破りが来たとしますね。その道場破りに来られた先生が
試衛館に「頼みます」と使いを走らせるわけです。それで「いくらだ」「よし、受けよう」ということで代役を務めて、
道場破りを撃退する。そういうことをやっていたから、新撰組は強かったんですよ。

P162
堀辺:九州に柳川藩という藩があって、そこに大石進という剣豪がいた。この剣豪が九州から江戸まで
道場破りに行くんですが、どの名門道場もすべて破られてしまう。なぜかというと、この大石進は三尺の長さの
竹刀、しかもその先に鉛を入れて闘っていたからなんです。竹刀そのものに仕掛けがあった。
764人間七七四年:2010/06/17(木) 11:13:24 ID:I+71egwN
ホリベさんは古武道の達人じゃないよw
大東流とか武田流やら中国武術空手剣道から骨法を捏造しただけ。

江戸時代の竹刀は流儀によりけり。柳剛や大石神影みたいに長刀を使う流儀は長い竹刀を使う傾向があった。江戸末の講武所では一応規定の長さがあったけど、町道場や他藩には関係なかったし。
765人間七七四年:2010/06/17(木) 11:17:33 ID:I+71egwN
試衛館の逸話は逆じゃね?
大石神影は実力を認められていろんな藩で採用されてるし、現在も戦前も大石神影じゃそんな竹刀は使ってないしそんな逸話もない。そもそもそんな仕掛けくらいで勝てるのか?
766人間七七四年:2010/06/17(木) 12:51:10 ID:v2xgMrIO
試衛館は逆だな。
試合だと今ひとつ勝てないから、道場破りが来た時は
斎藤弥九郎の練兵館に人をやって、代理を呼んできたと言われているな。

大石進の長竹刀は有名だけど、前提条件としての
大石が当時としてはかなりの巨体だから、竹刀も長くなったとか、
元々は槍の使い手で、それ故の突き技を活かすためとか、
その辺りを無視するのはどうなんだろうな。

というか、鉛入り竹刀とか初耳だぞ。
いい加減だな、この堀辺って人。
767人間七七四年:2010/06/17(木) 15:32:06 ID:SFVFMORs
いいかげんな人なんでしょうか?では

P163
・実際、幕末になって柳川藩は三尺の真剣を使って実戦で闘っているんですが、
新撰組などに全く歯が立たなかったんです。


という話についてはどうでしょうか?
768人間七七四年:2010/06/17(木) 15:41:04 ID:I+71egwN
ホリベさん、自分に都合の良いことを適当に言う人だからなあ(笑)
ホリベさんを信じる必要無いけど、長刀が流行ったり、室内や狭いところで長刀が使いにくいから短い刀が流行ったりはしたみたい。

柳川藩に関してはそんな記録あるのか?実地じゃどこの流派もそんなに変わらないと思うけど。
769人間七七四年:2010/06/17(木) 15:41:30 ID:XUhUiGiC
一体なんの話?
新撰組”など”と柳川藩とが合戦したとでも言うのか?
770人間七七四年:2010/06/17(木) 15:54:58 ID:SFVFMORs
いや、そう書いてあるだけなのでよくわかりません。それと

>なぜかというと、この大石進は三尺の長さの竹刀

とあるのですけど、現在の小学生のサイズより短くないですか?
http://www.budogu.jp/goods-sinai/sinai.html

本当に長かったのでしょうか?それともこの先生がいいかげんなんでしょうか?

771人間七七四年:2010/06/17(木) 16:18:10 ID:XUhUiGiC
「大石の長竹刀」なら五尺以上なのだが(五尺四寸とも)

大石が江戸道場を荒らした少し後の時代に、
幕府講武所のリーダー男谷精一郎が規格化した竹刀長の上限が三尺八寸
このサイズであっても、それまでの竹刀の標準よりも長い
772人間七七四年:2010/06/17(木) 16:23:19 ID:v2xgMrIO
大石の竹刀の尺は刀身部分のみ。現代の竹刀の尺は全長だろ。
当時、刀の尺を語る時、柄も含めることはほとんどないしな。
それに、この頃の真剣の刀身は定寸といって、
大体二尺二寸〜三寸程度に規定されていた。
それと比較すればやはり長い。

あと、当時の日本人の平均身長は、現代人よりかなり低いことを踏まえておいてくれ。
773人間七七四年:2010/06/17(木) 16:26:57 ID:I+71egwN
大石神影流は三尺ちょっとの長刀を使ったらしいし、竹刀も長いものを使ったみたいだよ。
ホリベさんの三尺ってなは刃部分のはなしじゃないか?wホリベさん適当だなあ
だから全長は四尺何寸かの竹刀だと思うよ
774人間七七四年:2010/06/17(木) 16:35:18 ID:I+71egwN
江戸じゃ常寸が守られていたけど、地方じゃ江戸末でも二尺七、八寸の刀を指しても良かったみたいだよ。
江戸でも平山子龍とかその門弟が三尺以上の刀を指してたしね
775人間七七四年:2010/06/17(木) 16:39:29 ID:SFVFMORs
ではもうひとついいですか?

明治以前は自流内での試合がなかったというのは本当ですか?
「型稽古に終始し」「すべて約束稽古の範囲内」というのは道場内では竹刀で自由に打ち合ったり
しなかったということなのでしょうか?それともこれもいいかげんなのでしょうか?

P35
堀辺:つまり、殺し合いをしていたわけですから、競技化はできなかった。だから、道場内では柔術にしても
すべて型稽古しかなかったのです。自分たちの流派内でやる試合、つまり「自流試合」は存在していなく、
試合システムというのがなかった。すべて約束稽古の範囲内でやっていたのです。こうして内部では
型稽古に終始し、他の流派とやるときは殺し合いの他流試合をやる。これが第一期の他流試合の姿だった。
谷川:それが明治以降、スポーツ化していくんですね。
堀辺:他流試合が禁止されたことで、自流試合が急速に発展していくのですが、そのきっかけを作ったのは
嘉納乱取りの試合です。そして、空手も右に習えして、自流試合全盛の時代になった。
776人間七七四年:2010/06/17(木) 16:48:32 ID:XUhUiGiC
型稽古を墨守する流派もあったけど、打ち合い稽古も盛んだった
明治以前は型稽古が全てであるかのような言い方だとすると、それは言いすぎ

スポーツ的な打ち合い稽古は江戸初期には登場していた様子で、
神谷伝心斎が「他流では打ち合い稽古してるところがあるけど、ウチは型稽古だよ」と言及してた
皮肉なことに、神谷の後継者である高橋真翁斎によって、
打ち合い稽古が格段に進歩することになるけど
777人間七七四年:2010/06/17(木) 16:52:36 ID:SFVFMORs
すみません。本文では「柔術にしても、剣術にしてもすべて型稽古しかなかったのです」となってます。
失礼しました。
778人間七七四年:2010/06/17(木) 17:10:48 ID:v2xgMrIO
直心影流と中西派一刀流の隆盛を丸ごと無視するような発言だな>型稽古だけ
打ち込み稽古用に防具を考案されたこともスルーか。

その本って全部こんな調子なのか?
779人間七七四年:2010/06/17(木) 19:09:41 ID:I+71egwN
>>775
少なくとも江戸初期に剣術や相撲から生まれた良移心当流、起倒流系の流派は形が少なくて、形も半分乱取のような形式だったよ。それに相撲はみんなやったから相撲が乱取の代わりになってた。
江戸も後期になれば乱取、寝技が盛んになってきた事が記録に残ってる。
大体、講道館自体最初は柔術の乱取形式をそのまま踏襲してたし、他流試合してるじゃないか(笑) ホリベさんほんとに自分に都合いいように話してるな(笑)
780人間七七四年:2010/06/18(金) 06:53:09 ID:8eu70TKX
ttp://www.geocities.jp/themusasi2de/bukou/b204.html

>しかも、かの疋田豊五郎が雲林院弥四郎入道(光秀)に提出した起請文なるものがあるそうだ。
>そうすると、疋田豊五郎は雲林院光秀に新当流を学んだということになり、これはいささか眉に
>唾してかからざるをえない。

あの起請文って信憑性怪しいんですか?
781人間七七四年:2010/06/18(金) 07:14:15 ID:dnCXtVH9
どーなんだろーね?
疋田さんは新陰以外に念流の小太刀も教えてるから、新当流も習っててもおかしくないとは思うけど。文書が本物か偽物かはまた別の問題だしね。
782人間七七四年:2010/06/18(金) 15:29:15 ID:/6ch+qbn
いや別に、今のところ怪しい点は無いと思うが。疑う根拠すら示してないわな、その文は。
疋田は雲林院と付き合いが無かったことを証明する文献が新たに発見されでもすれば、
怪しい話になってくることになるけど。

考えるに、その筆者は、「疋田=上泉から新陰流を学び、伝えた」という
表向きのことで頭が一杯になってしまったんじゃないか。
それで、疋田の師匠が新当流の雲林院だとすると、矛盾が生じるからおかしいと思うに至ったとか。
他流のいいところを取り入れて工夫を重ねていたという側面が普通にあることに気付けば、
なにもおかしいことはないことは明らかなのだが。

柳生兵庫助だって祖父”だけ”から武術を学んだというわけではなく、
新当流の槍術・長刀術を穴沢浄見の弟子筋から学んでいたり、
わざわざ九州まで出向いて疋田から非柳生系の新陰の流儀を学んだりしてた。
それでも柳生兵庫助と言えば、柳生新陰の柱には違いない。
かといって、兵庫助が新当流を学んだとするのはおかしいと言う者がいたとすれば、
そんなことを言う方がおかしいことになる。
783人間七七四年:2010/06/18(金) 17:43:33 ID:EmM6qbip
伊勢守だって陰流だけじゃなくて念流や新当流を学んだことを明記してるしな。
というかこの時期、複数の流派を修めるのは別に珍しくもないだろ。
宝蔵院胤栄なんか師事した武芸者が40人以上だって言うし。
784人間七七四年:2010/06/18(金) 19:32:12 ID:8eu70TKX
ありがとうございます。当時は他流を修めることが珍しくなかったんですね。

ここ読む限り、子孫の人が偽造とかはなさそうですね。
http://www6.plala.or.jp/tokio/shintouryuu.html
785人間七七四年:2010/06/18(金) 21:19:25 ID:aDEbmn5v
つか、門外不出ってものを何百年も律儀に守り続けるってことがあるんだね。
うちだったら速攻で開けるw
786人間七七四年:2010/06/18(金) 22:16:27 ID:0w+68i7a
おれもあけてしまいそうだ
787人間七七四年:2010/06/18(金) 23:17:10 ID:aDEbmn5v
卜伝といえば実らなさそうな大河ドラマキャンペーンだが一応ドラマ実現とは
別方向で成果があったようだ。

塚原館跡から大きな水槽のような遺構発掘 茨城
2010.6.8 03:06
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/ibaraki/100608/ibr1006080307002-n1.htm


つか、13日に説明会っていうけどこの日は奉納演武見に鹿島行ってたんだよねw
知ってたらこっちにも回ったのに。
788人間七七四年:2010/06/19(土) 01:03:59 ID:9a/RX1Oi
ト伝ってドラマ性のある剣豪じゃないと思う
立ち合った相手もよくわかんねえし
789人間七七四年:2010/06/19(土) 07:37:20 ID:CsQifJha
武蔵はドラマチックだし、立ち会った人物もわかるからな。
たとえば上に出ている雲林院弥四郎の息子である光成にも完勝している。


ってあくまで『二天記』という信憑性に乏しい文献によればだけど。
790人間七七四年:2010/06/19(土) 13:34:12 ID:9a/RX1Oi
ドラマや小説の元ネタになるのに信憑性なんてさして関係ないのさ
そもそも創作の世界を作る事が目的だし
三国志モノとかだと、多くの作品のモデルは史料出典ですら無く、小説の演義だし

あれ? でもそれを言ったら、
信憑性は皆無ながら柳生一族をフルボッコにし、武蔵を倒した逸話を持つ忠明さんの空気具合って一体……
791人間七七四年:2010/06/19(土) 14:09:11 ID:EFGES6JC
信憑性の有り無しの前に、ありそう・なさそうみたいな認識が入るとか
792人間七七四年:2010/06/19(土) 14:13:41 ID:fpVvh/Xq
信憑性とか実際ありなしもまぁ目をつぶろう
もう少しチャンバラや合戦の描写をがんばって欲しいと思うのは私だけでいい
793人間七七四年:2010/06/19(土) 23:30:37 ID:CsQifJha
まずはテーマ曲に「チャンバーラ、チャンバーラ」ってフレーズを入れてみてはどうだろう?
794人間七七四年:2010/06/20(日) 00:15:50 ID:sEW/rWtV
七ツ星一刀流とか銀河一刀流とか、創作の世界じゃ一刀流が人気だよな。
795人間七七四年:2010/06/20(日) 00:17:59 ID:sEW/rWtV
http://homepage2.nifty.com/seikendo/p_g_b_sayamagenri.jpg

この人も多分上泉伊勢守とは関係ない。
796人間七七四年:2010/06/20(日) 06:44:49 ID:/3IBvm+A
佐山はリアルファイトの実績は皆無だよね。
柔道家とのエキシビジョンマッチをユーチューブで視たけど明らかに負けてる。
まあ体格差はあったけど。
797人間七七四年:2010/06/20(日) 08:57:25 ID:hkE3eZ26
なんか刀持ち慣れてねーなw
中学の頃やってたという柔道とか高校レスリングの試合で勝ったことはあるでしょうねw
798人間七七四年:2010/06/23(水) 21:48:00 ID:NFERUvoR
キャラの名前にもよく使われるよね>一刀
拝一刀もそうだし、恋姫無双の主人公もそれだった。
799人間七七四年:2010/06/24(木) 00:55:16 ID:OX8SwUtq
佐山って初代タイガーマスクじゃ内科!
800人間七七四年:2010/06/25(金) 19:38:10 ID:0LGCAPNk
剣豪全盛期とはいつなのだろう
801人間七七四年:2010/06/25(金) 21:46:58 ID:e6qwvfyV
戦国〜江戸初期と幕末だろ

個々の剣豪の全盛期がいつかってのなら、それは人によるとしか。
でも、剣豪とまで呼ばれる達人だと、年老いても強いってエピソードが多いな。
802人間七七四年:2010/06/25(金) 22:35:24 ID:G4rqnzvY
=゚ω゚) じじいの斎藤一は空き缶を突き抜いて伝説を作った。
803人間七七四年:2010/06/25(金) 23:51:22 ID:adK6R7uY
技術的な問題を考えると30手前くらいじゃねーか
だけど、ガチンコの打ち合いによる体力勝負はともかく、身体の使い方の理合や技術は50過ぎても進歩するって、さる糸東流の達人が仰っていたよ
804人間七七四年:2010/06/26(土) 03:05:58 ID:Etkv69jq
現代の剣道も高段者の爺さん普通に強いんだっけ
805人間七七四年:2010/06/26(土) 05:33:18 ID:Pb9drk1f
30前後の世代が強いよ
806人間七七四年:2010/06/26(土) 06:48:29 ID:R/Xo5v3S
じじいもやたらに強いよ
807人間七七四年:2010/06/26(土) 08:26:15 ID:jdZYdDjJ
=゚ω゚) 持田、中倉クラスになると、じじいになってもかなり強かったらしね。
まあ、もともと強いからだけど。

たぶんようつべさがせば、若い連中を手玉に取ってる動画が落ちてると思う。

博道のじじいなんか、さらに強かったらしいが。
808人間七七四年:2010/06/26(土) 14:12:45 ID:Fns1Yn0u
その辺は剣に限らない普遍的な武術のテーマだよな>年食ったら弱くなる
剣術でその辺の逸話が多いのは白井亨か。
809人間七七四年:2010/06/26(土) 17:17:38 ID:4ctB0Yh7
格闘技の方だと、寝技・グラウンド系は経験がモノをいう世界なので、
こと寝技に関しては立ち技・投げの強い若者さえも次々と押さえ込む老齢柔道家の話はちょくちょく聞くね
810人間七七四年:2010/06/28(月) 21:57:29 ID:/dXUFx82
でも戦国時代の剣豪って、イメージ的には年寄りが多いんだよな。
ト伝も伊勢守も大体イメージは爺さんだし。
811人間七七四年:2010/06/28(月) 22:08:53 ID:6rNeVTCm
そういわれれば、宗矩とか武蔵はそんなに歳食ったイメージ無いね、個人的に
宗矩はせいぜい壮年、武蔵は青年って感じ
812人間七七四年:2010/06/28(月) 22:50:11 ID:OUO2WF5T
「石舟斎」みたいに出家名で言われるとジジイって感じはする。
一刀斎もジジイって感じがするな。

武蔵も「武蔵玄信」だったらジジイイメージ全開だろう。
813人間七七四年:2010/06/28(月) 23:18:21 ID:6rNeVTCm
ああ、それもわかる気はするな
「新免武蔵守」とかね
814人間七七四年:2010/06/28(月) 23:31:37 ID:3CjWtYKd
なるほど。
そういえば同じ斎でも、連也斎だと青年の印象なんだよな。

というか、なんで若い頃から連也って呼ばれるようになったんだろ。
連也斎って剃髪後の号だよな?
815人間七七四年:2010/06/28(月) 23:55:32 ID:p0U/cHUf
最強の童貞
816人間七七四年:2010/06/29(火) 00:50:39 ID:zGesCN5r
名前のイメージは重要。

立花宗茂も「宗茂」は最晩年のジジイの時の名前だが、
あの名前でも少年時から使ってても可笑しそうに見えないから困る。
817人間七七四年:2010/06/29(火) 17:16:11 ID:LiXn2HuR
連也がもし子供を作ってたら尾張柳生家ってどうなったんだろうな。
嫡流の血脈を伝える利方系と新陰流の道統を伝える連也系の2つに分かれたんだろうか。
818人間七七四年:2010/06/29(火) 23:14:30 ID:zGesCN5r
織田の様に「宗家の血脈を残すための措置」ということにはなるだろう品。
兄貴の利方の子孫がやばけりゃこちらから養子でも出すとか。
819人間七七四年:2010/06/30(水) 14:11:58 ID:XocauSQZ
=゚ω゚) 柳生藤一郎と藤十郎に分ければおk

まあ、尾州公が宗家だから問答無用だが。
820人間七七四年:2010/07/02(金) 18:20:46 ID:WXPw6Sb9
剣豪の史的評価をするのは大体学者や研究者、後は小説家だけど
現代のそういう研究者や評論家って大半は、肝心の武術は素人だからなあ
所詮、武芸武道に触れた事の無い連中が評価なんか出来るのかね、事績を辿るだけならともかく
まあ歴史学の知識に乏しい武道家が史的評価を探っても、それはそれで正確とは言えないんだろうけど
821人間七七四年:2010/07/02(金) 18:27:48 ID:YmdtXBz8
大永四(1524)年の鹿島関連文書に卜伝の名前が出てくるので
延徳元(1489)年出生だとすると意外と若いときから名乗っていた
ことになるね。
822人間七七四年:2010/07/08(木) 23:06:09 ID:4nqRC4e3
>>820
出来る人は出来るし、出来ない人は出来ない。
要は肩書きじゃ無くて、発表されたもので判断するのが良いと思う。
823人間七七四年:2010/07/13(火) 15:38:36 ID:ufej5Q7q
>>820

国務大臣で哲学博士でもあった一刀流の笹森順造宗家が書いた『一刀流極意』は
最高に信頼できるということでよろしいか?
824人間七七四年:2010/07/13(火) 20:10:51 ID:0v4yWAV7
そもそも>>820は「史的評価」をどういう意味で使ってるんだ?
何が言いたいのかわからん。
825人間七七四年:2010/07/14(水) 22:12:29 ID:9b9XnxNm
『一刀流極意』はドコまでが相伝の内容でどっからが本人の意見なのかあいまいだよな。
特に思想の部分は牧師さんのバイアスが掛かってて解りづらい。
826人間七七四年:2010/07/15(木) 12:06:01 ID:+44fptqK
その辺は割り引いて見るしかないんじゃないの。
実際、逸話とかは伝書そのままの引用じゃなく、いくつかの逸話の紹介って形だし>一刀流極意
当事者というか利害関係者が書く以上、客観性を期待するのは野暮だろ。
827人間七七四年:2010/07/16(金) 23:50:40 ID:sS1bRJEm
http://koppo.jp/budo/index.html

こ、これは…香取神道流の笹隠れの構え!
ということはあの構えは大伴古麻呂の時代からあったのか。
828人間七七四年:2010/07/17(土) 18:19:32 ID:TshLiidw
>>826
でも神の栄光とか言われると萎えるよやっぱ。
『一刀流兵法』もそうだけど自分の思想に替えたいなら、
笹森派なり高野派なり名乗って欲しいよ。
寺田や山岡がした様にさ。
「流儀」ってそういう部分も大事でしょ。
829人間七七四年:2010/07/17(土) 20:02:02 ID:bwG11XKK
>>820
その剣豪と手合わせできるのならともかく、
事績をたどるしか方法が無いのに何を言ってるんだ。
今に伝わる技術も、時代ごとに洗練されて来ている可能性があるのに。
830人間七七四年:2010/07/18(日) 11:13:17 ID:ECXGBsby
まあ微妙だねぇ、洗練された技術と言うのも。
ミスター・パーフェクトと呼ばれる技術が、素人まがいのドツキ合いに
敗れる可能性もある。
831人間七七四年:2010/07/18(日) 14:39:16 ID:GgQWpW9w
幕末は結構それが顕著だったみたいだな。

理論的に合撃打ちはすごい技だが、果たしてアレを実戦で使えるかどうか?
832人間七七四年:2010/07/18(日) 21:12:09 ID:R4pha87u
なんかみんな造詣が深いな〜
833人間七七四年:2010/07/20(火) 12:21:02 ID:Vdhy+unS
小調子でも合撃はできるよ
むしろ真剣より竹刀の方が難しいかもね
834人間七七四年:2010/07/20(火) 17:10:25 ID:rOHo6J0N
>>830-831
例えて言えば高度な技法ってF1マシンみたいなモン?
速度だけなら最速だけど、はたしてそのマシンを乗りこなせるのか&舗装済み路面にも対応できるのか?みたいな
835人間七七四年:2010/07/20(火) 20:45:56 ID:ftaqd/t7
F1マシンはレースに特化してる分、
それ以外の場面ではデメリットが目立つ・・・というところかな。
使おうと思えば使えるけど、他の車使った方が楽だろ、みたいな。
戦場で無理に刀使わなくても銃でいいだろと。
836人間七七四年:2010/07/20(火) 23:39:12 ID:FFviHPAx
その刀と刀で戦った場合に「合撃打ち」という高度かつギリギリの見切りが
必要な技を理屈どおりにつかえるかという話なわけで。
837人間七七四年:2010/07/20(火) 23:40:52 ID:Vdhy+unS
>>834
いや、例えもなにも実話だよ。
Mrパーフェクトと呼ばれる王者アーネスト・ホーストが(笑)
838人間七七四年:2010/07/20(火) 23:44:55 ID:FFviHPAx
ホーストがそう呼ばれてる頃は既にK1転向前のシュルトに実質判定負けするような
試合をしていたよ。うまくはあったが完璧な必殺技を持った選手って感じじゃないな。
どっちかというと格闘技とかではイマイチ特長のない、そつのない選手を「パーフェクト」とか
呼んじゃう傾向があるよね。
839人間七七四年:2010/07/21(水) 00:02:11 ID:twzo9Cvr
>>837
アホか。サップとやった時は下り坂も下り坂だろ
キャリア晩年の桑田さんみたいなもん
ピークの時に戦ったシカティックを素人というならお前は素人確定
840人間七七四年:2010/08/04(水) 06:56:39 ID:RtCjeyOi
>>514
>ただし、兄とされる(長野)工藤藤定は、塚原卜伝ともいい勝負をしたとされ
>るほどの剛勇なため、

亀ですが、この話何に載ってたんですか?
卜伝にそんな試合話があったとは、初めて聞いた…。
841人間七七四年:2010/08/10(火) 20:13:44 ID:85p+Np2q
卜伝さんはいろんな人に利用されてるからな。
草深甚四郎とかも卜伝先生と戦ったことになってるし。
842人間七七四年:2010/08/21(土) 19:34:19 ID:LOeqypys
>>838
格闘技で特徴無く勝てるなら逆にすごいよ。
なんとなく勝てるなら名人レベル。
843人間七七四年:2010/09/26(日) 17:47:48 ID:IA8arJr1
>>840
伊勢軍記

卜伝の試合話を期待していたようだけど、残念ながら卜伝側の話じゃなくて、
北勢地方の諸有力者側(工藤藤定は、その一人)の話

それに試合というほど勝敗を競うようなものでもなく、
兵法者が売り込んで回っていたから手合わせをしてみた程度のこと
結局、卜伝の正式な弟子になったのは藤定本人でもなくて、その親族(甥?)だったけど
844人間七七四年:2010/09/26(日) 18:01:01 ID:IA8arJr1
>>700
あんたのやってることも大して変わらんのではないですか?
相手の理解力の乏しさに返す返す腹を立てたようだけど、
その爺さんと当スレでボケた輩とは別人でしょうに
異なる事例を並び立てる点で、件の輩と何ら変わりなし行為でしょうよ

で、そもそもあんたが腹を立てた輩ですが、
もしかすると、「有名」の意味を勘違いしてるんじゃないですかね
不特定多数の人々に認知されることを有名というのに、
件の輩はなにっひとつ不特定多数に認知された事例を挙げることなく、
特定少数が知っていたと事例を並び立てるだけに終始して、
それをもって有名だったと言い張ってるわけですよ

有名とは何かを理解していなければ、かように寝ぼけた子供のような行動も有り得るでしょう
845人間七七四年:2010/09/27(月) 20:14:43 ID:6gANA5Lp
>>844
うーむ、どうなんだろ? それだけで済むようなものでもない気がするが…

困惑した様子の質問者に対し、人口に膾炙していたか否かを基準として関係ないと回答しておいたのだが、
その際に反証として服部藤次兵衛に触れておいた。
武蔵以上に社会的重要性が大きな武士に知られていながらも、世間的にはほとんど知られていない例であり、
君の言うところの「特定少数に認知されていたに過ぎない」≠有名 を実証するに絶好だったからね。
しかしながらそれに対して例の奴は、服部は新陰流だったからだろと、全くもって話にならない茶々を入れた。
服部が家光と面識を持てた理由なんぞ問題ではなく、面識を持ったという事実と、
だからといって服部が有名になったわけではない事実が論旨であるにもかかわらず、
くだらない論旨の摩り替えをやってのけてくれたよ。前から論旨の摩り替えが指摘されていたと思うが、
知性ある者がする所業ではないことが確定した。
自分にとって都合がいいように情報を選別し、事実を捻じ曲げているようにしか見えない。

思うに、例の奴は武蔵のことしかロクに知らなくて(服部のことは事実知らなかった)、
武蔵だけが特別だと考える余り、特定の人物に認知されていたという情報をひけらかしたくてウズウズしていたのではないか。
それで論旨とは全く無関係ながら、チラシの裏に書くべきことをアンカー引いてまでひけらかしに来たのでなかろうか。
846人間七七四年:2010/09/28(火) 15:47:50 ID:xym+TaPf
井の中の武蔵厨バロス
…とでも言わせたいつもりなのかよ!

別に難しく考えるようなものでもなくて、単純にアレは、
「ジョン・レノンは音楽の活動で有名になった」という話があれば
伯母夫妻はジョンが音楽に興味を持つ前から彼のことを知っていたよプギャー
と話の腰を折り、
「鈴木一朗は野球の活躍で有名になった」という話題があれば
担任教諭は学業優秀な優等生として一朗を認知していて、野球の活躍と無関係に知っていたよpgr
としゃしゃり出る、
そんな性質が身についているだけだろ
847人間七七四年:2010/10/03(日) 14:47:43 ID:nDscdb7C
この人ってwikipediaの剣術関係でスパム的に自説をゴリ押ししてる人だよね。

http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20101001ddlk08040072000c.html

 これに対し同会は8月、「何らかの形で佐竹氏を取り上げるべきだ」と県に要望書を提出し、
茨城での復権を目指している。同会ブログでは、佐竹親子が甲の前立てに毛虫を選んだ理由を問うなど
計10問の「ご当地検定」を掲載。10月16日午前10時には、佐竹一族をまつる正宗寺(常陸太田市)で解答を発表し、
現地に来た人には同市内に残る史跡を案内するツアーも企画中だ。同会顧問、橋本菊月斎さん(67)は
「義重を茨城ゆかりの人物として定着させるため『ゆるキャラ』化して発信するなど取り組みを広げていきたい」と語った。【高橋慶浩】
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20101001ddlk08040072000c.html
848人間七七四年:2010/10/03(日) 14:52:57 ID:nDscdb7C
http://blogs.yahoo.co.jp/yamabuki517/MYBLOG/yblog.html

ついでに見てきたが佐竹をダシにして愛洲小七郎を売り出す気満々だね。
849人間七七四年:2010/10/05(火) 14:43:17 ID:ulxMKxuV
これは酷いw
ぜひユルキャラで売り出して欲しいな。
しかし菊月サイさんまだ編集してるけど文章下手で何を主張したいのかわからん。
850人間七七四年:2010/10/06(水) 10:30:18 ID:MLf2abA3
ふーん…
ID:gYYq+Tofは無能で、その言ってることが的外れなことは解ったけど、
それらに便乗して正しい方の主張をおちょくってた連中って一体なんなのさ?
851人間七七四年:2010/10/06(水) 10:54:24 ID:iKj8usHG
つ「下には下がいる」
852人間七七四年:2010/10/13(水) 04:11:33 ID:5xQ8TDKS
下というなら、id遡るのも面倒くさいような前の話をおもちゃにしてるお前らが一等下等だよ
853人間七七四年:2010/10/13(水) 20:30:52 ID:+04bX1Tj
これは…
論点を読めなかったことは学習障害を抱えていることが原因(アスペルガーか?)であって、
責められるようなことではないけど、
失礼な態度をとったことは謝っておいた方がいいんじゃない?

それができないと>>852のような人間のクズになってしまうよ
854人間七七四年:2010/10/13(水) 21:12:38 ID:C96JCBFZ
別に謝ってくれなくてもいいよ
論旨を誤認していたことを理解してくれればそれでいい
そこが理解できないままだと、あまりにも惨めすぎる
855人間七七四年:2010/11/05(金) 01:21:19 ID:Vldfc9Hb
江戸時代に東軍流は全国に広まり24分派60支流にまでなった東軍流が完全に空気なのは何で?
資料が少なすぎるのか
856人間七七四年:2010/11/06(土) 15:12:19 ID:2CYlZxq4
弱いから
857人間七七四年:2010/11/06(土) 15:37:38 ID:LhqxXXD/
弱いのに全国に広まり24分派60支流にまでなったのか。もしそうならばその秘密を知りたいよ。
858人間七七四年:2010/11/06(土) 16:29:50 ID:2Sqx8DdV
プロレス団体みたいなもんだろう
859人間七七四年:2010/11/06(土) 16:42:55 ID:2CYlZxq4
>>857
弱いからこそ敷居が低かったんだろう
860人間七七四年:2010/11/06(土) 16:44:04 ID:LhqxXXD/
つまり普及した剣術は弱いということか。勉強になるな。
861人間七七四年:2010/11/06(土) 23:27:09 ID:9nmLcrC+
門下生に大した奴がいないかったんじゃないか
大勢の雑魚よりも逸話の残る剣豪のいる流派の方が格上に見られるのは仕方がない
862人間七七四年:2010/11/08(月) 23:28:21 ID:7qLJ/+gG
剣豪の逸話って奴も眉唾だけどね
863人間七七四年:2010/11/10(水) 16:46:52 ID:mheJep7i
東軍流が無名なのは、単に明治以降に取り上げる作家がいなかったからじゃないか。
地元の剣道を明治から昭和にかけて引っ張ってた先生は地元の藩の元指南役から東軍流習って免許皆伝だったよ。
864人間七七四年:2010/11/10(水) 16:52:14 ID:F5u2e+XM
じゃあ現宗家の川崎耕一氏が誰かいい作家に頼んで一本書いてもらえばいいと思う。
865人間七七四年:2010/11/10(水) 18:09:09 ID:mheJep7i
今はマンガのほうがいいだろ
青い鳥はだめだったが
866人間七七四年:2010/11/10(水) 20:00:23 ID:2ogXRR4u
=゚ω゚) かおるちゃん♀がダメでも加来さん♂が居るだろ。>青い鳥
867人間七七四年:2010/11/10(水) 20:01:55 ID:F5u2e+XM
川崎耕一宗家も加来さんに頼めばいいのに。
868人間七七四年:2010/11/12(金) 09:49:24 ID:acRZKgAQ
かおるちゃんと加来さんと川崎宗家が協力すればマンガ原作書けるんじゃね?
869人間七七四年:2010/11/12(金) 10:16:38 ID:Jt8XQmtS
はやく川崎宗家に加来さんへの連絡方法を教えてあげないと
870人間七七四年:2010/11/12(金) 22:43:19 ID:RoA1M+Q2
おいおいマジでやる気なのか?
そうれはそれで面白いだろうが
871人間七七四年:2010/11/12(金) 22:47:20 ID:Jt8XQmtS
いや、でも武術家の川崎宗家はきっとウソばかり書き散らす作家なんか好きじゃないんじゃないかな?
加来さんはいい作家だけど、川崎宗家とうまくやれるかどうか心配だ。
872人間七七四年:2010/11/12(金) 23:03:52 ID:BhfxK9r7
>>868
=゚ω゚) おお、それは盲点だった。
こうなったら加来さんとかおるちゃんの2人1体で合作だ!
でも主人公はタイ捨流だったりするが。
873人間七七四年:2010/11/13(土) 17:13:04 ID:Q/gzT7rJ
藤沢とか池波の小説を読んでいると東軍流=噛ませ犬のイメージが強すぎて困る
874人間七七四年:2010/11/13(土) 17:34:31 ID:H0J4NQcK
東軍流で主役になるというと赤穂浪士くらいしかないけど、なんか堀ベエの念流の方がインパクト
あるんだよな。

こうなったら東軍流の川崎宗家に小説家になってもらうしかないな。
875人間七七四年:2010/11/13(土) 17:45:51 ID:tSSjSbvD
無茶言うなw
876人間七七四年:2010/11/13(土) 17:47:29 ID:H0J4NQcK
いや、欲しいのはそういう突込みじゃないんだ。
「川崎耕一」でぐぐってくれ。
877人間七七四年:2010/11/14(日) 17:54:04 ID:qnXDVcw7
川崎宗家さんすでに本出しまくってるんですね
なぜ東軍流に触れないのかは気になるところです
878人間七七四年:2010/11/14(日) 20:03:18 ID:CvMTqDB5
=゚ω゚) そりゃ青い鳥がな・・・うぐっ!?
879人間七七四年:2010/11/14(日) 22:02:48 ID:j/z9Z9TS
流祖である鍵之助さんと姓が一緒だけどやっぱ子孫なのかな?
880人間七七四年:2010/12/13(月) 17:08:15 ID:dkhoJKuG
"武蔵が逃げ出した"村上吉之丞って南條の小説だと松山の二階堂流から分派した別の二階堂流に属するっていう話だけど、これは創作なのかな
881人間七七四年:2010/12/14(火) 19:03:23 ID:Vos8plRp
村上は松山の直接の弟子だべ
分派というわけではないが…
皆伝でもない(奥義を教わる前に松山が死んでしまった)から、
松山の流儀そのまま継承したというわけにもいかない

分派に属するというより、
”松山の流儀は絶えたものの、村上が亜流の祖になった”という解釈なら成り立つ
882人間七七四年:2010/12/14(火) 23:12:34 ID:g2hSHeon
「流名が偶然同じであったため、上記松山主水の事蹟と村上の
それとがしばしば混同されているが、両派は全く別のものである」
(駿河城御前試合)

だとさ。ちなみに村上の流派は松山分派ではなく木曾庄九郎の源流からの分かれたものとのこと。
撃剣叢談以外のソースが南條にあったのかは分からないけど、まぁありえない話でもなさそう
883人間七七四年:2010/12/19(日) 21:33:54 ID:sXPzfL4f
介護放棄て、そこまで責められにゃならんことか
884人間七七四年:2011/01/23(日) 03:31:03 ID:d9q2VIW5
そう言われると世知辛えな
885人間七七四年:2011/01/29(土) 12:06:49 ID:obGFsrsm
樋口定次が行方不明にされている件ですが、
旅に出た年のうちに暗殺されたようです

道場を継いでいた弟が、仇討ちに行ってはならないと門下に釘を刺したと、
どこかで読みました

身内の知らないところで、知らないうちに殺されてしまったということは、
すなわちその死に方や状況が判明せず、これを行方不明と言ったのかな?
とりあえず反証がなければ、暗殺されたということで決着してるはずです
886人間七七四年:2011/03/16(水) 22:10:15.54 ID:zBhcYYLj
過疎ってるね
柳生贔屓のヌシはどこ行った?
887人間七七四年:2011/03/20(日) 13:15:43.07 ID:Zp+V8a6K
井の中の武蔵厨のおかげでスレが死んでしまい、もう見捨てられたよ
888人間七七四年:2011/03/21(月) 12:26:11.07 ID:gWae3Mfq
武蔵厨であることが悪いんじゃねーよ
そもそも武蔵厨なのかどうかも判然としない

文意を読めない学習障害を抱えた奴が、
脈絡の無い知ったかぶりをしたのが災厄だったんだぞ
早い段階で「関係ない」と指摘されたのに、
間違いを認めずに強情に粘着しやがるから、
それでスレが壊れた
889人間七七四年:2011/03/21(月) 13:40:42.00 ID:UJwdRZVF
テキトーにスルーしちゃえばいいのに(笑)
それに今は書き放題だよ。
890人間七七四年:2011/03/21(月) 13:44:00.22 ID:ls3gkJNz
そんなに言ってることが筋違いだったかなあと見返してみたが…

ごめんなさい、擁護し様のない頓珍漢でした
891人間七七四年:2011/03/30(水) 17:52:46.32 ID:ROP+qABN
やっぱこのスレは2〜3人のスレだったんだね
892人間七七四年:2011/05/26(木) 10:46:54.96 ID:eBoZXjSn
奥山は上泉に一年で印可を受けたとあるけどこれってけっこう早いよね
奥山は上泉に会う以前にも何か剣術習ってたのかな
893人間七七四年:2011/07/02(土) 14:36:37.03 ID:cmScJyzY
祝・卜伝BS時代劇化。津本作品は敬遠してるがこの原作はどうだい?


NHKBS:卜伝時代劇制作へ 戦国期の剣聖、地元鹿嶋の活動実る /茨城

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110702-00000097-mailo-l08
894人間七七四年:2011/07/03(日) 22:49:17.52 ID:4crOAVGd
ト伝の時代劇、面白いのか?
上泉信綱の方が面白そう
895人間七七四年:2011/07/06(水) 15:47:18.83 ID:3/mn89vJ
>>892
北海道生まれで、物心つくかつかない頃からスキーのジャンプで遊んでいた少年が、
中学生になったら全日本トップレベルだった、というようなことだろう。
奥山は剣技については既に達人クラスで、心の修行に一年ほど必要だったんだな、
・・・と適当に書いてみた
896人間七七四年:2011/07/07(木) 02:46:22.23 ID:xfx0wsB2
>>895
そういうことかもしれませんね
武士の家なら中条さんとこみたいに
家伝の武芸がそれなりにあった
可能性もあるでしょうし
897人間七七四年:2011/07/07(木) 23:57:38.00 ID:Qg38gGXl
流儀の差でそれまで修めてきた武術と違うところがあったから、そこを改めるまで一年、というのが妥当じゃないかな
武道だとおおむねの動きは同じでも、他流派に転向するとちょっと違ったりするし
898人間七七四年:2011/07/08(金) 00:31:49.61 ID:GpuX0wOx
石舟斎も伊勢守に弟子入りして二年後に一国一人の印可貰ってるから、
ベースができてると早く済むってことなんだろうな。
新陰流の前に新当流か中条流修めてたっていうし。
899人間七七四年:2011/07/25(月) 22:17:24.67 ID:r//or4FL
新影流自体が当然のことながら、当時だと新しい流派なわけで
中条流だの新当流だの家伝の平方だのをおさめているってのは
まああるでしょうね
で、あたらしい流派だからこそ
「知られていない」技術を求めて弟子入りする剣士達が
意伯虎伯以外の高弟となっていったわけか
900人間七七四年:2011/09/23(金) 15:59:44.74 ID:JhZBSYVq
NHKBSプレミアム
「塚原ト伝」

これまでテレビ番組であまり語られる事の無かった戦国時代の剣豪、塚原ト伝。
そんな塚原右衛門(後のト伝)の生涯を描いた歴史ドラマがいよいよ放送。
この番組ではその魅力をたっぷりとお伝えします。

NHKBSプレミアム9月25日(日)18:45〜19:15
901人間七七四年:2011/09/23(金) 17:24:05.04 ID:B+6CXLLk
卜伝の後
神道流系はパッとしないね
強い人はいたんだろうけど
902人間七七四年:2011/10/01(土) 18:38:28.69 ID:AYo2biqs
塚原ト伝役が堺雅人って完全にミスキャスト
903人間七七四年:2011/10/02(日) 20:08:31.80 ID:nxdnT140
ヤング卜伝は鬱になりようが無いくらいはっちゃけてる気がするw
宮崎あおいのリアルつれの方が鬱になってそうだな・・・
904人間七七四年:2011/10/02(日) 20:27:23.77 ID:lOYUDStY
卜伝ってああいう空中戦とかとは縁遠いイメージなんだがw
そういう意味で色々楽しみになってきたw
905人間七七四年:2012/01/30(月) 02:53:42.25 ID:yD6D62m4
上泉先生のドラマ化まーだー
906人間七七四年:2012/01/30(月) 05:13:41.32 ID:zr/OgNdl
戦国武将好きに読んで欲しいコント

http://jisatsusitaiyo.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-28de.html
907人間七七四年:2012/03/13(火) 22:34:21.40 ID:lskFXV7e
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
908人間七七四年:2012/04/19(木) 22:06:13.12 ID:WLrAguPk
hosyu
909人間七七四年:2012/04/19(木) 22:58:41.08 ID:uW1iixOk
>902
また、思春期っていうか、アムロ化しそうな朴伝だよな
大河ドラマの直江、近藤みたいに情けない男になりそうだ・・
910人間七七四年:2012/04/27(金) 04:50:49.04 ID:4SlGgHqo
こんなものを見つけた。


  秘伝・一の太刀を編み出す
      【松本 尚勝】
 秘伝を伝授↓        師弟(?)
      塚原 安幹      →→→→上泉 信綱
 養子にする↓秘伝を伝授 ↑       │
      塚原 ト伝→→→→↑ ̄ ̄ ̄ ̄弟子 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
秘伝を伝授 │              │      │     │      │        │
【北畠 具教】 ̄ ̄ ̄ ̄│      神後 宗治 疋田 景兼 丸目 長恵 柳生 宗厳   奥山 公重
伊勢国司    足利 義輝      神後流  疋田流   タイ捨流 柳生新陰流   奥山流
                           指南↓          息子│      指南↓   
                            豊臣秀次        柳生 宗矩    徳川 家康
                                          指南↓ 
   中条流                                   徳川 秀忠
  富田 勢源            
    │                         飯篠 長威斎
  鐘巻 自斎→↓弟子(?)               神道流
   鐘巻流  ↓                       U
    │  佐々木 小次郎                 U
 伊東 一刀斎                   ─────────────
    │                      │       │         │
──弟子──────          諸岡 一羽  斎藤 伝鬼坊   真壁 氏幹
    │         │          一羽流     天流       霞流
  小野 忠明   古藤田 俊直        │
 小野派一刀流 唯心一刀流      ─────
指南役↓                 │       │
  徳川 秀忠            岩間 小熊  根岸 兎角
                             微塵流 
911人間七七四年:2012/06/11(月) 12:38:52.15 ID:89TO3bpe
小野次郎右衛門忠明の元和〜寛永年間の平時の役職について
誰か御存じではありませんか?

二代目の忠常が御書院番→小普請だってのは
調べて分かったんですが…

912人間七七四年:2012/07/26(木) 01:07:08.29 ID:TiVm8OHd
普段の役職は弓持頭だったみたい>忠明
で、大坂の陣の後、同僚と揉めて閉門食らった時、
指南役ごと役職を解かれてそれっきりらしい。
913人間七七四年:2012/07/29(日) 00:55:27.47 ID:vLllR9x7
>912
閉門って50日くらいで解けたんでしょ
その後役職解かれたかどうか言及されてたっけ?
914人間七七四年:2012/08/07(火) 00:23:19.08 ID:Rr5Emm62
>>913
その辺、記録がなくてさっぱりわからん。
実紀でも閉門騒ぎの次に言及された話が訃報の記録だしな。
そこで役職について言及がないから復職はしてなさそうと思ったんだが。
案外、閉門をきっかけに忠常に家督を譲って隠居したとか。
915人間七七四年:2012/08/08(水) 02:24:19.39 ID:eQAuC++Q
当時の閉門後の扱いの記録とか見れば
一般的な処遇がわかるんだろうけどな
916人間七七四年:2012/11/18(日) 21:44:59.78 ID:2cFIL+VY
917人間七七四年:2012/11/19(月) 02:18:27.66 ID:WUDZ6wT4
>>913
閉門を食らうと役職も解任はセットなんだよ。
で、それ以降、とりたてて功が無かったから役職が付かなかった、それだけ。

一応小野忠明自体人間性にちょいとばかり問題あったそうだから、
周りが止めたんじゃね?「あいつちょっとDQN入ってるからその役職に付けるのはちょっと・・・」とか。
918人間七七四年:2012/11/20(火) 00:49:24.00 ID:PTFXOVG2
なんか殺伐としたエピソードばかり付きまとう御仁だけど
少しはいい話はないのかよ?
919人間七七四年:2012/11/20(火) 05:31:03.22 ID:fEpD3TWQ
近世初期までの武芸者なんてキチガイでなんぼだわ。柳生宗矩みたいな円熟した性格のほうが異常
920人間七七四年:2012/11/20(火) 12:41:21.49 ID:YxnPluhj
パパと息子達は基地外寄りだのに
本当に宗矩でよかった
921人間七七四年:2012/11/20(火) 19:29:51.11 ID:spY1OVW6
だけどキチガイだから宗矩とか富田越後みたいな高禄に預かれなかったんだろ。
実力は確かだけどザ・匹夫って感じの人だな。
922人間七七四年:2012/11/20(火) 20:10:57.66 ID:pijfCUmG
>>920
石舟斎はまともだし、十兵衛も社会人として問題はあるけど基地寄りって程の事はしてないと思う

>>921
600石って十分凄いし、それ以上は性格でどうこうなる壁でもないでしょ
923人間七七四年:2012/11/20(火) 20:50:00.21 ID:jifxPRkU
>>922
いややっぱり性格じゃないかなw
http://homepage2.nifty.com/pfruit/mimi/01/01004.htm
924人間七七四年:2012/11/20(火) 20:55:24.29 ID:pijfCUmG
仮に忠明の性格が丸くても宗矩クラスの行政能力(+運)が無いと万石にはなれないよ
925人間七七四年:2012/11/20(火) 23:56:15.72 ID:OBm+68WF
本当に上様は一刀流の修行に専念したんですか?
926人間七七四年:2012/11/21(水) 00:53:30.23 ID:Qw3mctoi
どこまでを修行と言うかにもよるが、
基本将軍とかの剣術はあくまで「稽古」止まりで、悪く言えば「趣味」の範囲を出ない。

今の24時間で当てはめれば一日1〜2時間程度が良い所でしょ。
それ以上やれば本来の仕事にも影響出るし、
気が乗らなければ取りやめもOK。
その程度だって。

それでも印可貰える家康も大概だけど。
927人間七七四年:2012/11/21(水) 01:24:34.26 ID:wb3CcEOy
家康とか秀忠の若い頃とか戦乱の世だからまた別だろ
928人間七七四年:2012/11/21(水) 01:30:55.85 ID:8R6QHaa0
将軍でガチでやってたっぽいのは足利義輝か
家光も宗矩周りの記録によると、若いころは相当に打ち込んでたようだが

宗矩が「これ以上は将軍には不要ですって」って感じるくらいに
929人間七七四年:2012/11/22(木) 04:30:34.77 ID:l6lIsYhF
>>921
名人戦で大活躍してるから…
930人間七七四年:2012/11/22(木) 20:36:44.72 ID:PfdUGDmM
名人戦って何?
931人間七七四年:2012/11/23(金) 02:15:25.52 ID:4chcgO8T
戦じゃないの
932人間七七四年:2012/11/23(金) 17:45:54.48 ID:p+6VYwKz
なるほど
933人間七七四年:2012/11/24(土) 11:57:01.57 ID:zschStkl
>>1-8
新當流の流れ

1.愛洲移香斎久忠
2.愛洲元香齋小七郎
3.上泉伊勢守
同疋田文五郎
同塚原前土佐守



(柳生は百姓の一族で
疋田に偽新當流(偽影流)を教わり免許もらえず目録止まり。)
934人間七七四年:2012/11/24(土) 12:47:46.25 ID:cck8FuL0
そういう小説があるの?
935人間七七四年:2012/11/24(土) 13:33:39.11 ID:5lzeU6F1
>>934
刀商人の丁稚をやってるジキチンくんには触れないで下さい。
新陰流スレで暴れたり、刃物板で隔離されてるメタボ中年が
正体ですんで。

【ジキシン】斬れ味隔離スレ〜影ノ弐〜【刀剣】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/knife/1346777303/
936人間七七四年:2012/11/24(土) 14:57:25.21 ID:BHcZ7OB5
>>11
>993 :人間七七四年:2009/12/06(日) 21:32:15 ID:4l/W2DqT
なぜあの時代に剣術が流行ったんだろう。こう言っちゃ何だが戦では役に立たない
だろう。弓や槍のほうがずっと実用的だったろうに。


剣術は、間合いが自在で一対一なら最強だからですよ。
あと、神事だった神道流が、
愛洲移香斎久忠の代から
新當流(影流)として公開されたのが大きい。

なお、あくまで「影流」ね。
北方ユーラシア無文字文明の聖方位思想と天地創造神話を
歪んで部分的に盗みとった支那の「太極思想」や「陰陽思想」とは関係なく、
「影流」は「神道」の流れをくんだもの(「神道流」)だから。

>>14
>前スレ993だけど、刀は近距離/個人戦闘用武器で拳銃と同じ。あくまで最後の
護身用。

新當流(もともとは神道流)と言う剣術が最強の護身術だからじゃないの?
もし護身術にしかならないとしても(俺はそうは思わないけど)。

長命を心の底から望んだ徳川家康も新當流の免許まで行っているし。

なお、柳生新陰流は間諜用「偽将軍家指南役」だったし。
だから柳生一族はに名を覗いて皆斬殺されている。
なぜなら、スパイで剣術が弱いから。
柳生新陰流はとんでもなく強かった疋田文五郎が創作したなんちゃって最強剣術。
新当流免許以外にはその弱さが見破れないほどの細工の凝りよう。

>>15
>刀ばかりの一揆衆に織田家の者はじめ、多数が殺された例もある。腰に差して持ち歩ける程度のもので
使いようによっては槍とも渡りあえ、いざとなればこれだけの働きができる。

剣術は、強く、かつ汎用性が高い。

>>16
強い剣術が存在しないと成立しない仮定だよね?

>刀を帯刀する事が多ければ、自ずと扱い方を上手に使える剣術を学ぼうと考えるのは当然だろうし。

そこに現れたのがオープン・アーキテクチャとしての神道流改め新當流。
江戸初期の諸藩の多くと幕府は新當流が御用剣術。

柳生新陰流は、「将軍家指南役」というキャッチフレーズのすっぱのスパイ。

>>17
皆帯刀しているから、皆抜刀隊であるし、だから特に抜刀隊というのはいない。

>>19
>さらにもっと遡れば源平の頃は騎馬刀剣がメインだわな。
そうそう。

>>20
>戦術として有効ならば、剣豪ばかり集めた抜刀隊があってもいいんじゃないの?

剣豪というのは教えを請う相手であって、遣う者ではない。新當流剣術家=神主だし
937人間七七四年:2012/11/24(土) 18:14:13.57 ID:cck8FuL0
>>936
石舟斎が新富流免許持ちの家康に無刀取りきめたって事は
柳生新陰流>新富流って事か

疋田から教わった何ちゃって最強剣術を真の最強剣術まで昇華させたんだな
938人間七七四年:2012/11/25(日) 16:27:26.10 ID:jVdNnQXj
>>937
しかも上泉に対しても無刀取り決めてるんじゃなかったっけ?
939人間七七四年:2012/11/25(日) 18:16:55.64 ID:GjxC0Aa9
>>938
そっちは尾張柳生の伝承にしかない話だから信頼性は微妙
940人間七七四年:2012/11/25(日) 23:13:35.25 ID:jVdNnQXj
兵庫が爺さんを持ち上げたくてちょっと吹いちゃったってこと?
941人間七七四年:2012/11/25(日) 23:45:59.87 ID:jOG+a1gQ
いやそら、無刀取りを含めた「新陰流」の正統を継がせるんだから
「ちゃんとできるかどうか」のテスト位するだろ

超本気のマジ勝負中に決めて勝った、みたいな感じとは限るまい
942人間七七四年:2012/11/26(月) 00:27:56.81 ID:RXYGpRKr
家康相手のときもそんな感じのプロレスか。
943人間七七四年:2012/11/26(月) 01:12:37.51 ID:4fpo84Rw
>>941
そもそも
「石舟斎が正統後継者に選ばれました(+その正統は尾張柳生が引き継ぎました)」
って話自体が疋田や丸目等他派には無い尾張柳生の伝承の中だけの話だし
尾張柳生が正統としてそいつらに特別視されてた様子も全く無かったりで
結構微妙な話だと思う

もちろん他派にとって都合が悪い話だから黙殺された可能性も無くは無いけど
944人間七七四年:2012/11/26(月) 09:02:00.40 ID:0z04qsnj
正統ってのは原文ではどんな表現で書いてあるの?
945人間七七四年:2012/11/26(月) 18:48:54.60 ID:59bxXfME
>>943
正統の後継宣言が勝手なもので、ほかに正統がいるんなら名乗りを上げるだろうし喧嘩にもなると思うよ
弟子としては後輩の柳生が言うなら尚更
946人間七七四年:2012/11/26(月) 19:55:15.26 ID:4fpo84Rw
仮に柳生が勝手に正統って名乗ってたとしても他に正統はいないと思う
947人間七七四年:2012/11/27(火) 01:16:10.81 ID:G99cZ5oO
気になるんだけど、江戸柳生はうちこそが新陰流の正統!とか言ってたのかね
言ってないなら、新陰流の正統が争点なら尾張柳生に行くのが筋じゃないの。
948人間七七四年:2012/11/27(火) 08:57:06.36 ID:dEQ7CNdu
そろそろ尾張が正統宣言やってる文献出してよ。
949人間七七四年:2012/11/27(火) 12:27:21.55 ID:u902y7tw
本当は子孫が勝手に正統名乗ってるだけで文献なんて最初からねーんじゃねーのw
950人間七七四年:2012/11/27(火) 17:39:51.27 ID:oMWoRZCe
子孫が名乗るにはそれなりの正当性があると思われ
951人間七七四年:2012/11/27(火) 19:17:35.43 ID:0KD2OwaZ
>>947
江戸の方は家格でダンチだからそこまでやいのやいの言わないんじゃない?
952人間七七四年:2012/11/27(火) 19:20:23.09 ID:fev+p/gj
>>950
上泉の子孫でもない奴が文献無しで上泉の正統名乗っても対外的な正当性はないだろ
953人間七七四年:2012/11/27(火) 21:05:22.02 ID:0KD2OwaZ
とはいえ4代は徳川家なわけで、もうここまで来ると既成事実化してるな
954人間七七四年:2012/11/28(水) 11:50:22.75 ID:0nLOHhFF
尾張が露骨に正統を主張しだしたのって正伝新陰流からじゃないの?
戦後なら江戸の柳生家は消滅同然だから文句も出なかっただろうし。
955人間七七四年:2012/11/28(水) 12:47:59.02 ID:5llgsfKd
宗家みたいな概念は江戸時代にはなかったの?
956人間七七四年:2012/11/28(水) 21:01:16.38 ID:0nLOHhFF
概念自体はあったと思うけど、今思われてるほど絶対性があったかというと微妙かな。
腕がありゃ新流派を立ち上げたっていいし、実際、流派は山ほどあったわけだし。
957人間七七四年:2012/11/28(水) 23:30:27.21 ID:Vbo8duhX
率いるべき一門なり道場なりを相続させる必要があるんだったら
弟子の中から“一人だけ”を後継者に指定する理由もわかるけど
上泉の場合何が目的でわざわざ一人を正統に指定するのか想像できない。

それに生涯に渡って技術が進歩し続けたせいで
弟子入り時期によって教えられる内容自体が違うらしいのに“一番正しい後継者”とか決めれるのか?
958人間七七四年:2012/11/29(木) 03:09:07.02 ID:LdbYrdtX
上泉は柳生庄没説もあるしな
無刀取りを技術として確立できたのが柳生だけだったんじゃねーの? 他は出来るけど指導出来ないとか

あとまあ、本流を残したいって気持ちは自然なもんだと思うよ
その点だと弟子の中でも領地持ちの柳生はポイント高い
959人間七七四年:2012/11/29(木) 18:45:26.84 ID:p9SSrrdR
柳生を正統、疋田・丸目・奥山・神後伊豆等を傍流に位置付ける意図なんかがあったら
(そんな事してどんないいことがあるのかよくわからないけど)
上泉はそのように世間に喧伝するなり明白に文書に残すと思う
960人間七七四年:2012/11/29(木) 19:48:34.31 ID:LdbYrdtX
どんないいことがって、そら上泉さんも人間なんだから、
自分の流派が隆盛したり剣名が高まると嬉しいくらいの欲はあるだろうよ。剣聖っつったって
961人間七七四年:2012/11/29(木) 21:03:38.71 ID:p9SSrrdR
この時点でどの弟子の系統が後世に残れるかわかんないのに
各々超一流の弟子を、たった一人の本流とそれ以外の傍流と差別化する事が流派の隆盛に役に立つの?
962人間七七四年:2012/11/29(木) 21:11:54.68 ID:ToCHR2aG
一刀流の善鬼なんてのも本当にいたのかねえ?
小野より兄弟子の古藤田の系統にはそんな話も存在も伝わってないでしょ?
本当に一刀斎が小野を正統後継者にしたのかどうか?
963人間七七四年:2012/11/29(木) 21:19:50.28 ID:LdbYrdtX
>わかんないのに

だから、この時点だと「流派を盛り立てて継承する」能力で言えば柳生がトップだろ。領地持ちだし
それにまあ、柳生の主張する「無刀取りの体系化」が出来たのが本当に柳生だけなら、決まりみたいなもんじゃね
無刀取りについては宗矩が玉栄拾遺でやったとあったり、兵法家伝書に書いてるらしいから、伝えることはしたんだろうし
964人間七七四年:2012/11/30(金) 10:57:00.78 ID:8iK3lRD7
ぶっちゃけ、当の尾張柳生以外、正統としている伝書とかないから、自分で言ってるだけなんだろうな。
要は「うちの方が江戸柳生より上なんだ」って言いたいだけだろ、あれ。

ま、あれだけ家格と流派の規模と名声で差が付いたら、それくらい言わんと気持ち的にやってられんのかもしれんが。
965人間七七四年:2012/11/30(金) 11:57:44.65 ID:mSfTHODU
>>964
その正統としている伝書って何という題ですか?
966人間七七四年:2012/11/30(金) 12:02:20.17 ID:61L0ggps
>>33
「長巻も三尺刀も日本刀。」
967人間七七四年:2012/11/30(金) 12:42:43.22 ID:ynuKLa7O
>>965
逸話としての初出は正伝新陰流見たらさすがに載せてるんじゃないの?
題名がついてる伝書ではないかもしれないけど。
あと尾張の後継者が新陰流継承する時の文書は上泉から数えて何世って数え方になってるらしいから
そっちが最古で尾張柳生家的には根拠になってるんだと思う。


でも上泉が疋田とかを傍流に追いやってまで
柳生だけを正統にする事が流派の発展の促進になると本気で思ってたなら
石舟斎に渡した印可にそう書かない訳ないと思うんだよな
口頭で言うだけじゃなくてさ。
968人間七七四年:2012/11/30(金) 14:42:07.06 ID:8iK3lRD7
>>965
明確に書いてる程でもないけど、
尾張柳生の正統性を主張してる伝書としては、
柳生厳延(兵庫助の孫)が書いた「新陰流縁起」が一番古いかな。

あからさまに明言し出したのは正傳新陰流からだと思う。
書かれたのは戦後で、出版されてるから、伝書とは言いづらいけど。
969人間七七四年:2012/11/30(金) 15:05:20.84 ID:8iK3lRD7
尾張柳生家が言う通り、最初から新陰流の正統なるものが存在して、
それに大きい価値があったなら、江戸柳生家や他の伊勢守の弟子筋が黙ってるわけがないと思う。
そもそも石舟斎にしても、現役の将軍家指南である宗矩を差し置いて、浪人の兵庫助に継がせるとは考えづらい。
悪くしたら「お前は家康公に対し、腕の劣る者を推挙したのか?」と突っ込まれるかもしれないわけだし。

少なくとも、石舟斎の時点では、新陰流の正統なんてのはなかったか、
あっても「将軍家指南役」の看板と比べたら、扱いが軽いものだったんじゃないかな。
代々続いたことで、尾張柳生家の中で「うちこそが正統!」って意識が出来てきて、
幕府が潰れて、江戸柳生家も剣から手を引いたも同然になったから、誰憚らずに言うようになったと。
970人間七七四年:2012/11/30(金) 18:43:06.35 ID:ynuKLa7O
自分も当時の正統が家督や将軍家指南に比べたら世間的に比べたら
そんな価値が高くかった気がする。
ただ石舟斎―兵庫介の系譜は上泉―石舟斎の系譜よりは事実の可能性は高いと思うよ
(宗矩と兵庫の腕前の優劣とは別の次元で)
971人間七七四年:2012/11/30(金) 19:17:40.27 ID:mSfTHODU
>>968
>「新陰流縁起」

「柳生新陰流縁起」のことだよね?そこから具体的に原文出してもらうと助かる。
疋田に関して「是ハ遣形心持、後大ニ違申候」とかあるのは別に
正しいのは柳生という意識で書かれたものではないとわかるし
他に「丸目の蔵人」「香坂要」にも免をくれ申候とはあるけど
それらに比べて柳生が正統に位置するという情報はないし。
一読してどこのことをいいたいのかちょっとわからん。
972人間七七四年:2012/11/30(金) 19:30:44.87 ID:13/DkPK8
仮に不満があっても、とてもじゃないが他の新陰流が徳川家の御流儀に文句なんて言えたもんじゃなかったと思うけどね
973人間七七四年:2012/11/30(金) 19:39:40.06 ID:13/DkPK8
上泉が石舟斎に送ったという影目録4巻がマジで当時からのものであるとはっきりすりゃ話は早いけどな
それを代々尾張が伝えてたわけだし
974人間七七四年:2012/11/30(金) 21:20:44.21 ID:8iK3lRD7
>>971
>「柳生新陰流縁起」のことだよね?

そうそう。
今、出先でしか2chに繋げられんので、現テキストを抜粋できんのが申し訳ないが、
「石舟斎から兵庫助へ一切が伝えられ、その中には江戸の柳生家にも無い伝がある」という感じの箇所があったはず。

その意味では、これは柳生が新陰の正統を継いだというより、
尾張が江戸よりも石舟斎の伝をより深く受け継いでいる、という面の方が強いけど
こういう意識が代を重ねるに経て、正統を主張する土台になったと考えられるんじゃないかなと。
975人間七七四年:2012/11/30(金) 21:40:51.25 ID:eW/wkHJF
・石舟斎ニ能似申候故、如雲ニハ不残伝ヘ申候。其身より兵法上達可仕とて秘蔵がり申候。


これか?かなり>>974のニュアンスとは違うけど他に該当箇所がない。
976人間七七四年:2012/12/05(水) 19:29:58.87 ID:+nwo5jI1
剣豪知名度ランキング ttp://togetter.com/li/416823

面白いけど色々微妙だな・・・。
腐寄りの票だけ外せないものかな
977人間七七四年:2012/12/05(水) 22:34:37.84 ID:793CyK+g
知名度となればしょうがないべ
978人間七七四年:2012/12/06(木) 19:48:21.39 ID:mdiptaD7
下手に貢献度や強さでランク付けするより、機械的なヒット数で比較する方が揉めずに済むもんな。
開祖・宗家の人間だけに限定すれば、それなりに見られる気もするし
遊びとして見れば悪くはないかな
979人間七七四年:2012/12/06(木) 22:56:18.74 ID:2Pfp2KrJ
結局兵庫介が柳生やら新陰流やらの正統を継いだってのは子孫のでっち上げなの?
980人間七七四年:2012/12/07(金) 00:32:37.82 ID:ka04Fz9B
知らんよ。資料が柳生のしかないんだから
否定するにも否定する決定的な資料もないしね
981人間七七四年:2012/12/07(金) 14:50:34.38 ID:Pu/KcUoP
弟子の誰かが意図的に創作したというよりも
「石舟斎は兵庫介には全ての技を教えた」という文が
後になってできた流派の長は一人だけの正統後継者を決めるものという考え方と結び付いて
「兵庫介以外には全てを教えていない」→「つまり石舟斎は兵庫介だけを後継者に選んだ」
という風に解釈されたんだと思う
痕跡はないが
982人間七七四年:2012/12/08(土) 09:26:12.91 ID:uKQXSvsB
>>980
正当継いだなんて文献は柳生のすらないの間違いだろw
983人間七七四年:2012/12/08(土) 13:03:59.67 ID:9zp0zjHH
兵庫助以外にしか全てを教えてないとも書いてないよね。
時期により教えた内容は違う場合はそもそも正統があるのかと。たぶん柳生庄の石舟斎の門下はそのまま宗矩や十兵衛の門弟になったんでしょ?
984人間七七四年:2012/12/08(土) 13:15:49.09 ID:Y0zJe4nN
そもそも全てを伝えられた=正統後継者なら
ごく短期間しか上泉に師事できてない石舟斎が上泉の後継者にはならないでしょ
985人間七七四年:2012/12/08(土) 14:34:23.35 ID:wuMJg3oJ
>>73
「八寸の延金」は実在します。
現代にまでかろうじてのこっております。

仔細は福岡県直心影流秋吉道場にて。
986人間七七四年:2012/12/08(土) 14:37:11.13 ID:wuMJg3oJ
>>75
あります。

「片目正眼崩し」、「円月殺法」など。

これ、すべて実在せし直心影流の技にて。
これを知らざる直心影流は偽にございます。
987人間七七四年:2012/12/08(土) 14:38:52.87 ID:wuMJg3oJ
>>78-79
「八寸の延金」は愛洲移香斎久忠様の技ですよ?
988人間七七四年:2012/12/08(土) 14:46:03.43 ID:wuMJg3oJ
>>81
直心影流の祖は影流コト神道流改め新當流ですので
八寸の延金が新當流にあるのは当たり前でございます。

>>82
影流コト新當流の三代である疋田文五郎や上泉伊勢守が、
下の代の小笠原玄信斎長治に、
影流の秘技である八寸の延金で負けるはずがありません。

八寸の延金の遣い手としても疋田文五郎のほうがはるかに強いです。
989人間七七四年:2012/12/08(土) 14:51:27.10 ID:wuMJg3oJ
>>92
直心影流の手の内の作り方は速いですが秘伝ですので
門外漢がそうそう出来るものではありません。
990人間七七四年:2012/12/08(土) 15:16:12.77 ID:wuMJg3oJ
>>81
それは八寸の延金ではございません。

>>108
本は嘘を吐くためにまことを混ぜるのです。

直心影流の祖は神谷伝心斎真光様です。
991人間七七四年:2012/12/08(土) 17:26:27.69 ID:wuMJg3oJ
>>214
現代剣道の元になったのは直心影流ですよ。

>>235
柳生は新當流の目録までで印可をもらっていません。

疋田・神後・丸目・奥平は直伝を受け強かった愛弟子。
柳生は弱かった門外漢。

単にその違いです。

>>250
直伝を受け継いできていない流派の復元などしてはなりません。
992人間七七四年:2012/12/08(土) 22:18:06.55 ID:4tQix4XY
影流君ここにまで…
993人間七七四年:2012/12/08(土) 23:13:23.59 ID:uKQXSvsB
あちこちの刀とか剣豪スレで秋吉商店の宣伝やってるね。
994人間七七四年:2012/12/08(土) 23:17:40.88 ID:KLF5cKwu
>>984
そこそこ長いこといなかったか?
京に呼ばれるまで柳生庄に一年近くいた計算じゃね?
京の後にも寄ってるし、柳生庄没説もあるし
995人間七七四年:2012/12/08(土) 23:46:09.14 ID:uKQXSvsB
何を根拠にしたどういう計算なのか具体的に書いてくれると参考になるが。
996人間七七四年:2012/12/08(土) 23:54:00.23 ID:Y0zJe4nN
いや修行期間一年は短い方だと思うよ

それに柳生の庄で死んだはずの年より後の年に
上泉が息子の法事をした記録が残ってるらしいから
柳生の庄没説は正統性を上げるための創作の可能性のが高いんじゃない?
997人間七七四年:2012/12/09(日) 01:46:29.35 ID:Jybe4bBM
そら一から教えるならそうだが、石舟斉は一応その時点でそれなりの剣客ではあったわけだしな>期間

>>995
立会いしたのが1963年で、その後柳生庄に逗留して1965年4月に印可状与えてる
印可状自体は実物が残ってるはず
998人間七七四年:2012/12/09(日) 11:37:20.15 ID:m/RF+1Tf
石舟斎が上泉の新陰流に自分なりの改善も加えた超一流の剣豪であった事確かだけど
生涯技術進歩してた上泉が死ぬ10年も前の一年間師事しただけの石舟斎が
他の高弟と比較して「上泉の全てを受け継いだ」弟子とは言えないと思うな
999人間七七四年:2012/12/09(日) 22:02:17.99 ID:fhpz59bf
結局後世の人間があれこれ言ってただけだったと。
1000人間七七四年:2012/12/09(日) 22:03:26.14 ID:fhpz59bf
というわけで最強の剣豪は根岸兎角に決定しました。
10011001
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