戦国ちょっといい話13

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1人間七七四年
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話12
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249094475/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話12
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249078576/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2009/09/03(木) 23:00:23 ID:VwJV3ltb
 \\''| ''フ    --、  七_  l__ゝ ー|ー l 丶丶
 //⊥(_i  (ノ _) (乂 )  __)  9  ヽ_ノ

                            ,. -─- 、
                ,. -─- 、       l  感  l
               l  感  l         ヽ、 謝 ノ
               ヽ、謝 ノ       /   \
     ____         /   \      |      |
   /       \       |      |     ,、/> ̄ ̄ ̄´,. -─- 、
  /          ヽ      ̄_| |_ ̄   /  く       l   感   l
 l             l   __\/___ 厶- ''´       ヽ、謝 ノ
 l     >>1   l  | r‐───‐┐|    ,、       /   \
. ヽ、         , '  | |  >>1乙  || /└──┐ |     |
   ヽ、 様  /   |│       |│ \┌──┘   ̄ ̄ ̄
.   /      \   佝ニニニニニニ..」    `      ,. -─- 、
.  /r────‐、ヽ/r r r r r r r r/   ____    l  感  l
 │l スレ立て || r r r rュ r r /     \  く   ヽ、 謝 ノ
 │|          |│========"        ヽヘ. \  /   \
 └─────‐┘                  \ > |____|

3人間七七四年:2009/09/03(木) 23:13:59 ID:c/qmHBXR
  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ >>1乙である
  (:::::::::::::::)
   しωJ
4人間七七四年:2009/09/04(金) 00:31:31 ID:0/umWpdQ
>>1大儀であった 好きなおにぎりをとっていくがよいぞ

  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                      ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 大腸菌 こんぶ クロロホルム 豚インフル オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          砒素 唐辛子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 とりかぶと
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鮭 御玉杓子  鳩山弟  サリン 鳩サブレ 石見銀山  鳩山兄 鮭ハラミ
           ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、  ,.-、、  
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  
         マムシ ウラン    河豚     毛虫  唐揚げ
5人間七七四年:2009/09/04(金) 00:33:25 ID:V/CYUo3e
>>4
それがし鮭と鮭ハラミを所望いたす。ではいただきます!
6人間七七四年:2009/09/04(金) 00:47:29 ID:V/CYUo3e
鮭を食べていたら前スレ1000とりそこねたでござる!! む、無念_| ̄|○
7人間七七四年:2009/09/04(金) 00:50:54 ID:oGMHBq3a
>>1
    
    ∧__∧
    (´・ω・`)  乙でござる
   .ノ^ yヽ、   当家に来て内職を手伝っても構わぬ
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l |
"""~""""""~"""~"""~"""~""""""~"""~"""~"""~""""""~"
8人間七七四年:2009/09/04(金) 00:59:15 ID:PMn/3CmW
慶長五年九月。そう、関ヶ原の最中である。

美濃の国人馬渕兵左衛門は西軍に通じ、安八郡曾根にあった、東軍方の西尾光教の城を
焼こうとしたが、この計画が事前に漏れる。
彼は西尾方の追っ手に追われ、瀬古村へと逃げ入った。

この時、この村の名主、宇野右近衛門の家に、西尾光教の姉、綾野と言う女性が
尋ねて来ている事を知る。
馬渕は名主の家に走り入ると、この綾野を捕まえ刃物を押し立てる。
ようやく追いついた追っ手に馬渕は叫ぶ

「近づくな!近づくとこの女の命はないぞ!」

人質になっているのは主君の姉である。何か過ちがあってはと、追っ手達は名主の家を
取り囲むだけで、どうにも手出しが出来なかった。
この時である

名主、宇野の妻が、取り囲んでいるものたちを押しのけ、一人家の中に入っていった!
彼女は厳しい顔で馬渕に問う

「あなたはどこの誰で、その人質にしている方がどこの姫君か知っておられるのですか!?」

馬渕。この妻女の迫力に押され
「わ、わしは久呂村の馬渕兵左衛門と申すものである!
西尾殿の家臣、馬渕権右衛門はわしの一族であれば、彼に相談すべき事があって
曾根に行ったのに、なにやら誤解を受け理不尽に追われる羽目になり、是非なく
このような仕儀となったのだ!」

すると宇野の妻女、今度はにっこりと
「ならばあなたは、西尾殿に恨みがあるわけではないのですね?
ましてそちらの姫様に遺恨などあるわけがない。
では、そのご一族である権右衛門殿をお呼びしましょう。」

と、急いで馬渕権右衛門を呼び出した。
権右衛門が到着すると、兵左衛門は先の説明をし、自分の無実を訴える。
そこで権右衛門が付いて行って、西尾光教に兵左衛門の事を弁解しよう、と言う事になった。

「ところで」

ここで妻女は言う
「西尾殿にご弁解をなさるのに、殿の姉上を人質にしているのはいかがかと思いますよ?
むしろこの姫君の口から、弁解の言葉を言ってもらってはいかがでしょうか?」

「そ、それもそうだな。」

『かかった!』

兵左衛門もその気になり、彼女をを解放、綾野殿は妻女と供に無事、曾根の城へと
戻った。

この事に人々は、「宇野の妻女がいなかったらどうなっていた事だろう。」と、彼女を
称えぬ者はいなかったと言う。

さて、馬渕兵左衛門だが、権右衛門に伴われ曽根の城にやってきたところを捕らえられ、
拷問により罪を認め、打ち首となったそうである。

美濃に伝わる、戦国の女ネゴシエーターのお話
9人間七七四年:2009/09/04(金) 02:51:57 ID:aCranBoS
関ヶ原のとき西尾光教といえば、大谷吉継からの西軍への勧誘を断ったため
怒った吉継に曽根が焼かれた、って話があるよな。この後焼かれたんかな。
10人間七七四年:2009/09/04(金) 05:00:28 ID:LG8E748V
>>1
11人間七七四年:2009/09/04(金) 10:04:53 ID:8pKaCeOL
>>1 乙
>>3 股間は隠しましょう・・・
>>4 民主党政権が成立して、またまともなおにぎりが2つほど消えたおメーテル
>>8 すげーな こんなのがうようよしていたから大坂の陣では阿茶局が交渉に座っても誰も変に思わなかったわけだ
12人間七七四年:2009/09/04(金) 12:02:36 ID:OSeOB1pg
ところで前スレの最後の方に何か鬼武蔵のいい話っぽいのが幾つか出てたようなんだが…暑さで亡霊でも見たのかな俺…
13人間七七四年:2009/09/04(金) 12:05:04 ID:l8joj+E1
「ないたあかおに」のことですか
14人間七七四年:2009/09/04(金) 14:12:30 ID:gXv4flaf
しかし、鬼武蔵がヒャッハーキャラなのに美丈夫だとしたら、なんか
それこそ花の慶次とかに出てきそうだね。
鬼武蔵に限らないけど、タイムマシンがあればちょびっとだけ
戦国時代を高みの見物させていただきたい・・・
15人間七七四年:2009/09/04(金) 14:32:05 ID:qpbX7wTl
乱丸の兄貴なんだから美形な可能性も高い気もするな
つか武将クラスの武士だと美男美女選び放題で美形の比率が高くなってたりしないかな
織田一族は美形揃いとか良く聞くし
松平一族では余り聞かないけど
16人間七七四年:2009/09/04(金) 14:34:50 ID:ARTXdRdN
政略結婚が主だから顔なんて選んでられない。
17人間七七四年:2009/09/04(金) 14:42:37 ID:qpbX7wTl
政略結婚相手もそういう血が集まった名門だから結局みたいに
18人間七七四年:2009/09/04(金) 14:46:35 ID:gXv4flaf
まあ、美人じゃない家系もあるだろうけどね。
そういうの、今の時代と変わらないところもあるんだろうなぁ
あと、乱丸は別に美形って記録はなかったような?
19人間七七四年:2009/09/04(金) 14:55:22 ID:qpbX7wTl
>>18
>まあ、美人じゃない家系もあるだろうけどね。
おっと、熊谷さんちの悪口は

>あと、乱丸は別に美形って記録はなかったような?
そうなん?信長のお気に入り=美形だと思い込んでた
20人間七七四年:2009/09/04(金) 15:55:35 ID:cC1566MR
鬼武蔵は大男なイメージあるが小柄の可能性が高いらしい
21人間七七四年:2009/09/04(金) 19:36:08 ID:wbpf1QLf
小柄で美形でヒャッハーとか、すげぇマニア属性だなw
22人間七七四年:2009/09/04(金) 19:55:15 ID:PMn/3CmW
信長と蛇

織田信長は、16歳で父の後を継いだ。

この時信長は、一匹の蛇を握り締めて家臣たちの前に現れた。
家臣たちが何事かと表情を変えると、信長はこの蛇を見せながら言った

「蛇と言うものは大小にかかわらず、人に毒をなすものである。
なのに多くの者達は、大蛇を恐れ小蛇は侮る。
家臣も年上の君主は敬っても、幼君は蔑ろにするものなのであろう。」

これに左右の者達は、黙り込んでしまったそうだ。
23人間七七四年:2009/09/04(金) 20:16:53 ID:ocPYP7o4
帰蝶「うちのパパに言いつけてやろっと」
24人間七七四年:2009/09/04(金) 21:21:40 ID:AOJnsv94
>>20
武蔵は、骨太で体が大きく、同僚とトラブル起こすとよく書いてるじゃん
25人間七七四年:2009/09/04(金) 22:01:32 ID:QUUPx7t8
>>24
だが残ってる鎧が案外小さめ

まぁ、結局よく分からん。
26人間七七四年:2009/09/04(金) 22:07:45 ID:tMsDCP2K
>>22
現状を良く理解してるなぁ
16なのに
27人間七七四年:2009/09/04(金) 22:23:54 ID:EVyxNNU+
しつこいようだけど、真田・伊達ってどこが良いの?
28人間七七四年:2009/09/04(金) 22:30:53 ID:j85WRkzk
解る人には解るどこか
29人間七七四年:2009/09/04(金) 22:34:35 ID:ekoc9ybk
んな事言ってる時点でこのスレ見る資格ないから黙って10年ROMってな
30人間七七四年:2009/09/04(金) 22:44:39 ID:cxmIp8j0
スルーしろよ
31人間七七四年:2009/09/04(金) 23:00:40 ID:VFipWdfn
細川家をたらし込んだ美僧・宗圓

ある日の細川家一族会議でのこと
細川幽斎「と言った次第で蒲生家より浪人になった者がおるんだがどうするものか?」
玉甫紹j「この者、武芸に秀で母は細川一門の出にある となれば我らの縁者である」
細川忠興「当家と蒲生家とのパイプ役となるべく、僧として当家で囲うのが良かろう」
宗圓は幼少の頃に忠興らと面識があり蒲生家に仕えるまでは細川家と親しかった。

宗圓の美しさは世間に知れており、「宗圓たんハァハァ… まるで美女のようなお姿…」
忠興の命を破り度々仏寺に出入りする下臣らを忠興は叱咤し時には切った。

禁じを破ったのが、他でもない忠興の父・細川幽斎に叔父・玉甫紹jらであったからだ。
侍女や下臣ならまだしも親父達が文化人だからと称して宗圓を細川家に度々招くので
老若男女が一目見ようと訪れ細川家の風紀は乱れまくり忠興の悩みの種であった。

忠興「宗圓かつては公卿とも付合い上臈女房とも浮名が絶えず…最悪下手をすれば玉子とて…!」
若き頃から馴染みの宗圓を自ら処罰するべく風紀委員会・会長忠興ついに行動に出る!

忠興「(#゚Д゚)宗圓ちょっと出てこいやコラ!風紀委員会の者だコラ!」
宗圓「(#゚Д゚)てめぇ人の姿に化けた九尾の狐だろ!ケツに九つの尻尾生えてるだろ正体あらわせ!」
宗圓「言いがかりにも程がござります…( ゚д゚ )あいにくそれがし女子に化けた者にあらず…」
忠興「(#゚Д゚)仏門に仕える癖に日頃から艶事絶えず、疑いが晴れるまで大徳寺にて謹慎処分とする!」

宗圓「ボソッ…(それがし元々大徳寺にて仏門に仕える者に御座います…それでは意味がまったく…
   それ以前に忠興殿なんでそんな回りくどい言い方を…?!)」

忠興「ボソボソ…(それは俺が一番判ってるよ!むしろお前の方が見世物扱いにさぞ迷惑してるだろ… 
   それにお前の妹は豊臣秀長の養女 つまり大・和・大・納・言の愛娘なの!
   お前に下手な事したら細川家が豊臣家に睨まれてやばいの!察してくれよ!)」
宗圓「ははぁ!それがし、これより九尾の疑い晴らすため暫く謹慎(休養)させて頂く!(ウヒョー♪)」

この後に宗圓は豊臣秀長の養女・於岩の嫁ぎ先森家に行き森家の内外政を取り仕切る
今度ばかりは宗圓が森家の家柄にやられ森家の家臣に恥じぬヒャッハーな死に様であった。

宗圓死後、大徳寺で葬儀の際細川家から送られた法語「ある時は、太平の曲を唱い、花に座し、
月に酔い、ある時は三尺の剣を引っさげて去往自在、ことの逆と順を商量すべくもない青年」
この葬儀は他でもない忠興が和尚である叔父と共に取り行ってくれたのだ。

細川の美僧・宗圓「名古屋山三郎ノ墓 本名:織田九右衛門」として細川の地で今も眠る。
32人間七七四年:2009/09/04(金) 23:36:42 ID:PJsaOrvm
森家は問題のある人たちの隔離所か何かか
33人間七七四年:2009/09/04(金) 23:38:56 ID:QUUPx7t8
しかしまぁどんだけイケメンだったのやら
34人間七七四年:2009/09/04(金) 23:46:09 ID:ASuz0ptw
>>22
これ今の時代でも同じ事が言えるよね
>>31
それの一番良い話 極楽の世でくらい静かに眠れるよう
名古屋山三の死後、一般参拝者は墓に滅多に入れず
歴代和尚が400年間もの間安らかに眠らせてやった事

幕末どころか昭和の文化人まで墓があるのは凄いわ
35人間七七四年:2009/09/05(土) 01:38:24 ID:XScR7vFI
>宗圓「(#゚Д゚)てめぇ人の姿に化けた九尾の狐だろ!ケツに九つの尻尾生えてるだろ正体あらわせ!」
これぎゃくでない?
36人間七七四年:2009/09/05(土) 02:25:44 ID:VTiMjCx1
>>32
蒲生再生工場ならぬ森隔離施設かw

どこの武将にもありがちな話だが嫁於岩が輿入れする時
忠政は結納前に一目見たいと籠を覗きに行ったらしいぞ

ここまでは他の武将の輿入れ話とは何も変わらんが忠政の場合は
はるか格上の豊臣氏からの嫁…最悪縁談を蹴られたら流石にマズい…
と思った主君思いの家臣が死に物狂いで止めに入ったら
忠政はそんな優しい家臣達をぶっ倒して見に行ったと地元じゃ言われてるぜ
37人間七七四年:2009/09/05(土) 02:38:11 ID:PPPyb2Js
忠政もその時バツイチだったはずなんだが落ち着きが無いなw
38人間七七四年:2009/09/05(土) 03:03:53 ID:xAk4GIrD
>>33
細川贔屓だから俺は細川家で歌われた歌等でしか知らないけど氏郷時代に
有名になったらしいから蒲生家に詳しい人たちのがその容貌詳しいんじゃなかろうか
(資料が残ってたらの話だが)
>>34
歌舞伎生誕四百周年とかで初めて参拝出来たけどそういう経緯があったのか。

名古屋と同じ敷地に出雲の阿国の墓があるんだが俺にはそれがどうにも納得出来ん
ケチを付ける訳じゃないが、仮にいくら芸能人として細川家から支援を受けてたとしても
「織田一族の歴々の墓」と細川家にとってかなり重要な場所なのに出雲の阿国が
同じ敷地内で供養されてるは当時の風習からしたらあまりに不自然過ぎる。

しかも供養されてる人たちは生前に細川家と約束した織田氏の家族のものたち
でもちゃんと当時の資料から出雲の阿国の法名が残ってるから余計に判らん。
歌舞伎を知らんから判らんのだけど出雲の阿国も織田の血統だったりするんだろうか
39人間七七四年:2009/09/05(土) 03:22:23 ID:VTiMjCx1
>>37
だがちょっと待ってほしい。

於岩は>>31にも出てる美男山三の実の妹 山三を小柄にして
更に女らしくさせて豊臣家で気品と教養を学んだ娘だ
バツイチ忠政と言え落ち着けと言うのが無理だったのかも知れぬw
40人間七七四年:2009/09/05(土) 10:36:34 ID:kF6VgM1H
>>8
一族の権右衛門さんはどうなったの?
41人間七七四年:2009/09/05(土) 20:33:30 ID:GquDts4A
真田信之は良妻・小松の死後も妻から伝えられた三河武士流の倹約生活を続け、
松代移封時には数十万両の蓄財があったという。

「しかし、殿の暮らしぶりと言えば趣味らしい趣味も無く、あまりにも無味乾燥。
せめて鳥など飼われて、お慰みにされてはいかがでしょう?」
ある近習の進言を受けた信之は、さっそく人の背丈ほどもある籠を作らせ、進言した近習に
「中に入って、壊れないか試してみよ。」と命じた。

「どれどれ…あー殿、これは大丈夫、壊れそうもありませんぞ。」  ガシャン!
「と、殿!?なぜ鍵をかけて…!」
「わしが良いと言うまで、入っていろ。」
はて、何ぞ不始末でも仕出かしたかとも思ったが、昼食には豪華な膳を与えられたので
罰というわけでも無さそうである。

そのまま近習が籠から出される事なく日は暮れ、夕食にもまた美味珍味が出された後で、
信之がやって来た。
「どうだ?籠に入っていれば、黙っていても旨い物が食える。結構なものだろう?」
「…籠から出たいばかりで、美食も味がしませぬ。苦しいばかりで、楽しくありませぬ…」
「そうだろう。その苦しみを知ったなら、出よ。」

涙を流して籠から出た近習に、信之は
「今、お前は籠の中は苦しいと言ったが、人も鳥も同じ生き物、苦しみは一緒であろう。
鳥にとっては、籠の中で食うに困らぬのと、自由に山野を行くのと、どちらが幸せかな?
それを思うと、わしは鳥を飼う事を慰みには出来ぬな。しかし、お前の忠心は有難く思う。」

そう言って、近習に褒美として金子を与えた。
その後、真田家の侍で鳥獣を飼う者はいなくなったという。
42人間七七四年:2009/09/05(土) 20:44:46 ID:yogbLziP
似た話を池波正太郎の小説で読んだな
その時は信之では無かったが
43人間七七四年:2009/09/05(土) 21:04:47 ID:Pa5zWv2R
池波は信之が気に入ってるみたいだったから引用したのかもしれんね
44人間七七四年:2009/09/05(土) 21:34:43 ID:ZrtLWYk1
やっぱ兄ちゃんはいい人だ・・・
45人間七七四年:2009/09/05(土) 22:42:42 ID:sNv06Hun
真田の立場が籠の中の鳥みたいなもんだからなあ
感じるところがあったのかもしれんね
46人間七七四年:2009/09/05(土) 22:53:18 ID:GUDHuem6
池波さんが引用してるのは後の松代藩に移ってからの真田家を舞台にした小説だな
いい話に終わらないで、頭で考えた理屈だけで家臣にこういう仕打ちをする若い藩主に
主人公が危うさを感じるという筋立てで、より深い話だなと思った
47人間七七四年:2009/09/05(土) 23:12:13 ID:yG11w/Ok
先祖代々松代藩の百姓の血筋の者としては真田さんの話が出るとなんか嬉しい
48人間七七四年:2009/09/05(土) 23:39:49 ID:o8uaJvyq
俺が始めて真田家のお兄ちゃんを知ったのも池波先生の小説だったな
時代劇ではメジャーな小説家で信之に関わる話も結構書いてるのになんでお兄ちゃんいつまでもマイナー武将な扱いなんだろう
49人間七七四年:2009/09/05(土) 23:47:56 ID:ZrtLWYk1
最初は信玄とか秀吉とか、幸村とかよく語られる目立つ奴らが好きだったけど
だんだんとじみーーな信之とか信繁とか秀長のほうがすきになってしまったなぁ俺は
50人間七七四年:2009/09/05(土) 23:52:58 ID:SX7BEDRc
まとめの人気投票、その真田さんのお兄ちゃんが3位で、得票数も3桁行ってるw
51人間七七四年:2009/09/05(土) 23:55:57 ID:PPPyb2Js
投票してみたけどあれ10分おきに何回でも投票できるんじゃ意味なくね?
52人間七七四年:2009/09/05(土) 23:57:59 ID:/WmmrlGi
そういうシステムなのか…
まぁ集計の時に重複は除外するんじゃね?
53人間七七四年:2009/09/06(日) 00:00:05 ID:1xjCPoIP
いや、同じ武将に何回でも投票できるし反映されてる
54人間七七四年:2009/09/06(日) 00:51:21 ID:EwtcI+TK
>>53
だってそういう遊びに使うツールだから
深く考えるなよw
55人間七七四年:2009/09/06(日) 03:02:18 ID:DcHTnncZ
>>41
小便大便はどうしたんだろ
56人間七七四年:2009/09/06(日) 06:19:33 ID:GId9lnKa
>>48
お兄ちゃんがマイナーなんじゃなくて
比較される昌幸、幸村が派手でメジャー過ぎるんだ

むしろ幸村人気に引っ張られて「徳川方についた兄がいた」程度には知れ渡ってるはず
一部で大人気な鬼武蔵さんや家久(悪)さんよりは有名なんじゃねえかな
57人間七七四年:2009/09/06(日) 06:21:24 ID:rjuNsDLa
>>45
キャッチミー・イフ・ユー・キャン? と言って戯れていたら

しっかり者の女房殿に締め上げられて両手両足を鎖に繋がれていたでござるの巻
58人間七七四年:2009/09/06(日) 12:24:46 ID:D7/dYyYa
鬼武蔵もここ以外じゃ蘭丸の兄ちゃん程度の認識だもんな
59人間七七四年:2009/09/06(日) 12:53:34 ID:kCY4EcIp
後は小牧長久手の戦いで負けた大名だな。
それも池田に後塵をはいしている。
60人間七七四年:2009/09/06(日) 13:03:27 ID:eAqqTGm1
"森長可"でぐぐると、検索キーワードに"DQN"が出てくるのはお前らのせいか?
61人間七七四年:2009/09/06(日) 13:04:28 ID:AG1rMrTh
サーセン
62人間七七四年:2009/09/06(日) 13:19:24 ID:kCY4EcIp
      DQN
つーか、猛勇な点を除いて見てみると戦歴は普通の大名のような・・・。
親父や弟の方が戦歴は上じゃね?(若い頃死んだという点が大きいのだろうし)
63人間七七四年:2009/09/06(日) 13:44:44 ID:1xjCPoIP
忠政は無いわw

まともに戦場に出た回数は多分、両手で収まる程度。
64人間七七四年:2009/09/06(日) 13:48:57 ID:/z/lvNdB
長可に関しては、同時代的な評価では、猛将としてかなり名前が通っていた事は確かだし、
信長から、次世代の織田家の武力をになう存在として認識されてた事も間違いないでしょうね。
65人間七七四年:2009/09/06(日) 16:48:20 ID:5NgWI8W7
一般にはあまり馴染みはないよね。山内一豊のような作られた美談もないから誰も注目しない。
個人的にも光栄系の評価では激しく微妙なお人だから、2ちゃんが注目しなければ全く気にしなかったと思う。
66人間七七四年:2009/09/06(日) 17:00:44 ID:LQwUEpgz
>光栄系の評価
太閤立志伝Xが好きだったけど、やはり「蘭丸の兄」程度の認識しかなかったw
その程度の能力だったし。
イベコンの歴史系イベントでも、どっかの城主にでも任命されれば「おやっ?」とでも思ったかも知れないけどスルーされてたもんなあw
67人間七七四年:2009/09/06(日) 18:11:58 ID:gt9h3gdF
芳春院こと前田利家の正室まつが徳川家康の人質として江戸にいたことは良く知られている
さて、上杉討伐の途上で石田三成が挙兵し、各地で戦乱が始まっていたがその最中、8月26日に
まつに近侍していた村井長頼は当時、江戸にいた家康から書状をもらっている

以下、原書そのままで記す
「今度は、ひせん殿(肥前守利長)、かつ(加賀)之国之内、大しようしおもて(大聖寺表)へ、御はたらき、
御てから之やうす申来、ちうせつと存候、一入――まんそく無申計候、此上はほつこく(北国)之儀、きり
取に進し候、此よしはういん(芳春院)殿へ、よく心得御申候て可申給候、其方も長々御くろうと存候、や
がて上方きりなひけ、ほうしゆいん殿御むかいまいうせ申へく候、めてたくかくし
  八月廿六日
      村井ふんこ(豊後守長頼)殿
                                               大ふ(内府)(家康)在御判
尚々われら、ひさ――ふみかき申さす候へ共、まんそく申事候問、直筆にて申入候、以上        」

宛先は村井長頼宛だが、ひらがなの多用や直筆であることからまつに宛てたのは間違いないと思われる
同じく、浅野長政にも浅野幸長の岐阜城攻めを賞する直筆の書状を送っている(こちらは漢字主体)
細かい気配りや、子を思いやる親の心情を想った文など、「人間」家康を窺わせる文章
68人間七七四年:2009/09/06(日) 18:27:10 ID:eAqqTGm1
さすがは後家スキー
後家への気配りはお手の物だな

それにしても、村井ふんこ殿か〜
そこまでひらがなにしなくても
69人間七七四年:2009/09/06(日) 22:53:58 ID:L7vCZTju
豊臣秀吉 祝事の恩義

まだ木下藤吉郎だった時代 永禄四年八月
母の反対を押しのけて来た十四歳の娘(後の北政所)と結婚をする
婚礼は足軽弓組の浅野長勝の住まいで行われたが質素なものだった

ただ単に貧乏だったからでなく、花嫁の親の反対を押し切っての
婚儀だったのであまり公には出来ない事もあって少数の客人を招いて行われた。

媒酌人(仲立人)は前田利家と信長の従兄名古屋因幡守によって行われたが
藤吉郎まさか織田方から公に媒酌(仲立ち)をしてくれる人が居るとは思ってなかったので
これに感激して前田利家と名古屋因幡守には恩義を忘れなかった。

織田信包が蟄居した時名古屋因幡守も伊勢に移って暮らしていたが本人も亡くなる
今こそ恩義をと思った秀吉は名古屋因幡守の妻養雲院と
六人の子供たちを特例で憂慮し京都で何不自由無い生活を送らせた。

長女は金森出雲守の妻へ 長男千丸は美男と言われたが十九で病死
二男は幼い頃に蒲生氏郷に見染められて連れられて行ってしまった 
次女は秀吉の厚い支援もあり豊臣家入りへ 三女四女は後に森家家臣の妻へ 
とそれぞれ残るが詳細はあまり判らない。

養雲院は信長の姪で美しかったらしく秀吉の好みそうな未亡人だが
北政所お墨付きの援助であまり色狂いを感じさせない秀吉のいい話。
70人間七七四年:2009/09/06(日) 23:12:24 ID:/lM+AlcT
山三郎の親爺の話か
71人間七七四年:2009/09/06(日) 23:13:47 ID:1xjCPoIP
三女=森家家老、小沢彦八の妻。(小沢は石切場の喧嘩で各務元峯に殺される)
四女=森家家老、各務藤兵衛の妻。(藤兵衛は各務元峯の弟)

補足
72人間七七四年:2009/09/06(日) 23:40:48 ID:95K51uNZ
>>70
これ親父か爺ちゃんなのか?

じゃぁ山三に茶道や花道に歌の学ばせたのって織田有楽斎じゃなくて
秀吉側か細川幽斎仕込みなのか…ずっと有楽斎仕込みかと思ってたわ
73人間七七四年:2009/09/07(月) 01:11:26 ID:vsLy8lvR
天正15年(1587)、佐々成政が肥後を拝領後、検地の強行から起こった、いわゆる
肥後国人一揆。
山鹿の城には一揆勢の、有動入道が籠っていた。
これに対し佐々は、山鹿の近辺に付城を築き、そこに家臣、三田村正左衛門を置いた。

この城に兵糧を入れるため、毛利家より安国寺恵瓊を大将として部隊が派遣されたのだが、
一揆勢は”うちのごか”と言う所から人数を出し妨害、これにより兵糧入れに何度も失敗した。

さて、それにより新たに兵糧入れを命ぜられたのが立花宗茂である。

宗茂は考えた。『毛利の兵糧入れは、兵士を先に立て、兵糧を運ぶ人夫を後方に配置
しているために、敵に隊尾に付かれると、これを払う事ができないのだ。』

そこで宗茂は兵士と兵糧持ちを、一列づつ交互に置いた。
これにより敵が出て来ても即座に対応ができ、一揆勢を追い払い無事、兵糧を城に
入れることができた。この時は宗茂自身も槍を持って戦い、また、この時立花家にいた
例の安田作兵衛も大暴れしたそうだ。
この働きにより宗茂は、豊臣秀吉よりじきじきの感状を与えられている。


さてさて、その兵糧を入れた帰りの事。

一揆の軍勢は道路を封鎖し、伏兵を置いて立花勢を待ち構えていた。
軍中で『本道を通るか、別道にするか、』との議論になったが、宗茂は「本道を行く!」
と、理由を言わないまま決定した。

その道は堀切が作られ待伏せが置かれ、立花軍がこの道を通れば、たちまち襲い掛かって
血を吸わんと、牙を剥いている態であった。

が、立花軍突如方向を変え、この街道沿いの一揆勢の出城に攻めかかる。
この城を落とすと、そこに籠っていた人々を人質として先頭に立て、さらに街道沿いに点在する城に
次々と攻め寄せる。

地元民の同盟である一揆は、仲間を人質にしている立花軍を、うかつに攻める事も出来ず、
このため九つの城が、瞬く間に落城したと言う。

この立花宗茂の活躍を、豊臣秀吉は「九州の逸物」と、大いに褒め称えたと言う事である。
74人間七七四年:2009/09/07(月) 09:31:59 ID:/gt3EMpM
何時の時代も創意工夫出来る人ってのは強いんだな
75人間七七四年:2009/09/07(月) 09:32:41 ID:oiCgkx49
>>72
名古屋因幡守=山三郎の父親

>>73
乙。

あれ? 鬼武蔵と似たようなことやってるけど印象がぜんぜん違うぞ?w
76人間七七四年:2009/09/07(月) 11:52:57 ID:OxShXTQB
>>73
種無しなのにイチモツとか皮肉か?
77人間七七四年:2009/09/07(月) 13:44:51 ID:g3IF0tSu
>そこで宗茂は兵士と兵糧持ちを、一列づつ交互に置いた。

これもうっかり失敗すると「戦闘部隊と輜重とを混在させるなど愚の骨頂」と言われかねないな
78人間七七四年:2009/09/07(月) 15:06:12 ID:qcCrDLvQ
兵力を2分して輜重を真ん中に置けばいいんじゃないか?
79人間七七四年:2009/09/07(月) 15:43:28 ID:PS/eLw50
鬼武蔵なら、人質ごと皆殺しにしてそうだがな。
80人間七七四年:2009/09/07(月) 17:20:33 ID:BjIkmGXS
>>77>>78
おれもそう思ったんだが改めて考えてみると、弓矢による放物状の攻撃を
想定すると、被害が一点に集中しない分、宗茂のやり方のほうがいいのかも
とも思った。
81人間七七四年:2009/09/07(月) 18:15:00 ID:/gt3EMpM
大きな敵とぶつかったら混乱しそうだけど一揆勢だしなぁ
82人間七七四年:2009/09/07(月) 18:22:07 ID:Lesk3gCJ
細切れにされるわけだから、各部隊長が優れていればこその作戦だろうね
83人間七七四年:2009/09/07(月) 19:05:11 ID:CHqamaeY
>>72
有楽説は織田のみで生まれた人物に仕立て上げたい小説なんかの影響
天才みたい言われてるが実際は物心ついた頃から京流剣術・槍術を学んだ達人
豊臣氏、細川氏に近い人物で茶は氏郷に器量を見出された人物


この時代の一揆鎮圧って今の暴動とは違って洒落にならんしなぁ
下手に皆殺しにしたら次の一揆が恐ろしい事になりそうだし
武将達は相当作戦会議練ったのかなぁ
84人間七七四年:2009/09/07(月) 19:09:49 ID:78/uK7oA
お百姓さんは虐げられたかよわい存在
そう思っていた時期が俺にもありました
85人間七七四年:2009/09/07(月) 22:44:17 ID:uy8VseCt
肥後国人一揆は西国諸大名により鎮定され、首謀者の一人である隈部親永の一族は
立花宗茂の預かりとなり、柳川に軟禁された。
天正16年(1588)5月、秀吉は隈部一族の処刑を宗茂に命じたが、宗茂は隈部一族のうち
一名だけは、どうしても殺したくなかった。 隈部筑後入道善良である。

実は善良は元修行僧であり、親永に見込まれて家臣となり、隈部の姓まで与えられた程の
男で、しかも実兄・新田掃部介は宗茂に仕えていた。
宗茂は掃部介を通じて善良に家臣になるよう打診したが、善良は
「尊敬していた兄上が、宗茂殿の命とはいえ、このような不義を勧めに来ること自体を
無念に思います!」と、毅然として断った。

「止むを得まい。隈部の者どもを、最高の礼をもって討て。」宗茂は隈部一族を『放し討ち』
で討ち果たすことにした。
これは罪人に武器を持たせ広場に解き放って討つというもので、罪人に抵抗できる態勢を
とらせる、名誉の『果し合い』であった。

5月26日、柳川城三の丸広場に集められた隈部一族12人は、立花の重臣・十時摂津が
率いる同じく12人と対峙した。立花側の12人には善良の兄・掃部介もいた。
隈部一族は、長である親永こそ老齢と長い軟禁による衰えからか早々に討たれたが、
その子・親泰らは果敢に応戦した。
特に善良は凄まじく、包囲を物ともせず一気に広場を駆け抜け、本丸へ通じる黒門の前の
橋まで来ると、角櫓から見守っていた宗茂に一礼したまま棒立ちになった。
名誉の死に場所を与えてくれた宗茂に感謝を表し、観念して討たれる姿勢を示したのだ。

これに感じ入った宗茂は善良の捕縛を命じ、討ち手の一人・原尻宮内が善良の背後に
回りこんだが、
「情けなやッ!!」叫んだ善良の太刀が一閃し、原尻の右腕を斬った。代わって他の者が
包囲するのを見た善良は、
「今は主君の最後を見届けたので、悔いは無い。この筑後入道の最期を見よ!!」
と言ってみずからの太刀を胸に突き立て、散った。

隈部一族の他の者も全て討ち取られたが、『鎮西一』と言われた立花の侍も一人が死亡、
残りの11人全員が手傷を負うという有様だった。
宗茂も隈部の武勇に驚嘆した。「これは処刑でも果し合いでもない、戦だ!」
立花家ではこの決闘を『黒門の戦い』と呼び、永く伝えるようになった。

二階堂と並んでノブヤボのアレな顔グラばかりが有名な隈部さん家の、意外な武勇伝。
86人間七七四年:2009/09/07(月) 22:56:10 ID:QrLTCjd3
>>85
切なくも良き話なりけり…
87人間七七四年:2009/09/07(月) 23:04:23 ID:P4UadMsk
     ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、
    /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
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.  ,';/              ヽ;;;;;;;l
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  | '|.    /   、       |;/ ィ |
  | |    (    )       .ソ /ノj
  ヽ |    _,ニ ニ,,,,,_       ソ./
   `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、     '' /
.   ',   :i゙''''''''''`l'  `    ,‐'"
    ヽ.   L__」      /
     ヽ.  -、、、、 '    /|
.     ハ        /  |、
    /|ヽヽ、___,,,,、 '    l ',
   ノ. | ヽ          / |`ー-、
88人間七七四年:2009/09/07(月) 23:06:10 ID:fzUUcRfX
やめろw
89人間七七四年:2009/09/07(月) 23:10:54 ID:CHqamaeY
>>87
これのイメージ強すぎるw
90人間七七四年:2009/09/07(月) 23:11:38 ID:laIN3cHL
>>85
いい話のはずなのに
12人の>>87が次々と討たれる光景が浮かんでしまうw
91人間七七四年:2009/09/07(月) 23:18:41 ID:WAkCo4w0
宗茂がかっこよすぎるだけにシュールだからやめれw>>90
92人間七七四年:2009/09/07(月) 23:30:47 ID:xRDpOgCp
>>85
凄く良い話ではあるんだけど、
見方を変えると自分と隈部達の名誉の為に、
自分の配下に不必要な犠牲を強いた話でもあるよな
とても宗茂っぽい逸話じゃあるけど
93人間七七四年:2009/09/07(月) 23:40:05 ID:vAk8fhrl
  ,r';;r"            |;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;
 ,';;/             /;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;
 l;;'            /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;
. ,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;iソノ
ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
 l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、l
 | `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;;;;;;;;/ l |
. ,' U/   、 U      |;;;;;;;;;;;;;ノヽ'/  
. l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ  
 ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /         某の、某の良い話は何処にやあらん……。
  ', i、-----.、       `''"i`'''l
.  ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\        ,'  ト、,
   ヽ ヽ〈    i|          Vi゙、
    ゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
.    ',.' ,  ̄ , '    ノ  /./    ヽ,
.     ヽ.  ̄´   / ,、 ' /     / \
     ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙     /
,、 - '''´  |  ヽヽ /,、ィ     /
94人間七七四年:2009/09/07(月) 23:46:08 ID:QrLTCjd3
>>93
あんたは息子が頭首になって
なにもせず勝ち組じゃないかw
95人間七七四年:2009/09/07(月) 23:46:29 ID:6eANoMnY
>>85
こういう散っていく話は、切なくも清々しさを感じるね…
96人間七七四年:2009/09/07(月) 23:48:29 ID:vsLy8lvR
97人間七七四年:2009/09/08(火) 00:28:48 ID:eIafOAOZ
>>96
政宗ってどこ攻めてもたいてい血縁がいるからたまらんよね
98人間七七四年:2009/09/08(火) 00:34:13 ID:ZAuj58r4
伊達家は稙宗の代からの婚姻外交考えると政宗の代にはそこかしこに遠い親戚が点在してるんじゃないのかw
99人間七七四年:2009/09/08(火) 00:40:12 ID:52io2bPI
あの若さで東北を席巻した政宗、とはよく言うけどピンチのときは
ママやおばさんがアシストしたからね。
あのダイナミックな血縁関係、ぶっちゃければじいさんの絶倫ぶりに
かなり助けられているなw
100人間七七四年:2009/09/08(火) 02:34:41 ID:EZcN6MgH
名古屋山三郎の出自

>>69に便乗させてもらうが、名古屋山三郎の父名古屋因幡守高久は
信長の主君筋の斯波氏(尾張足利家)と別流の清和源氏の名門嫡流。
足利将軍家、室町将軍家と同族だから例え織田家代表だとしても
そんな高い格式の人が来たら秀吉じゃなくても普通驚くか小便漏らす。

名古屋因幡守高久の先祖は幕府軍の大将として盟友・足利尊氏と共に
北条・細川・今川を率いて戦った事もある。(名越高家は剣術と槍術の達人)

清和源氏の血を取り込む(大義名分の)為に織田家と一族統合されてるが
織田の血を引いてようが足利氏・北条氏・細川氏・今川氏・武田氏・最上氏は
絶対養う程の芸術家一族の家柄(残念ながら戦国後期では殆ど壊滅状態だが...)

能楽・狂言・猿楽の時代から出てくる「名古屋高家(名越高家)」や「名古屋尾張守」は
山三郎の事じゃなくて、その人たちの直系の末裔が名古屋山三郎(現在では混ざっちゃってるが...)
山三郎は将軍家(天皇家)、織田家の血を引いてる自覚がないのか、ほいほい遊びに行っちゃう奴だが

名古屋高久と近い人物は皆、"傾奇者"と言われてる(信長・利家・山三郎etc.)
尾張の気風がそうさせたのか、高久が伊勢で南蛮貿易してたから珍品が多かったのか
古来からの伝統品を持ってたからなのか全部が混ぜ合わさった形でなったのか不明だが

歌舞伎で名古屋山三郎を主人公にのし上げたのが、
個人的なファンだったのか面識があったのか判らないが出雲阿国

"室町幕府名越高家のご息女、織田信長様の血筋も引かれる"
"室町幕府高家、即ち足利将軍家の縁類で、名越高家の嫡流" (名越 名児耶 名護屋 名古屋とも書く) 

父高久は名古屋家直流嫡男 妻を織田家から貰う
母養雲院は"織田刑部大輔"(信包の息子)の娘 父方が名越家の者
病弱だった長男の死後、山三郎が名古屋家の家督を継ぐ
"をせん"を除いて最終的に三人も正室に入れた森家は実は何気に凄い一族。

ソース「名越家先祖由来書」「森家家臣各務氏覚書」
101人間七七四年:2009/09/08(火) 02:59:27 ID:1A68QoIV
慶次郎もそうだったんだろうか
102人間七七四年:2009/09/08(火) 03:35:42 ID:dlyLSIKZ
>>100
なんか読みにくいが、名越って北条の庶流じゃないの?ってつっこみは野暮なのか?
103人間七七四年:2009/09/08(火) 04:03:30 ID:EZcN6MgH
>>102
読み辛い文章になっちゃって申し訳ない。 
そのまま現地に残ったのが名越流北条氏で名越の地から
尾張の那古野の地に移ったのが名越家みたいです。

遠祖が一緒なだけで勿論、北条であってます。(途中で別れた家みたいです)
104人間七七四年:2009/09/08(火) 04:06:12 ID:ZRgqCN4y
鎌倉末期あたりの北条氏って異常に肥大化してるよね。大族にもほどがある。
105人間七七四年:2009/09/08(火) 04:10:29 ID:1A68QoIV
ググったら加賀藩名越家の出らしいから名越尾張氏か
孫の代じゃ前田家と主従逆転してるのか?
106人間七七四年:2009/09/08(火) 04:30:49 ID:1A68QoIV
>>105
自己補足 前田家の書物に名古屋隼人ってのが三千石で仕えてる

北条は東国領地だけでどんだけいるんだ?
107人間七七四年:2009/09/08(火) 05:56:18 ID:w7CpY8Vz
北条氏がどんだけ分裂したかなんて専用スレか系図がないと無理だぜ
胡散臭い家系じゃなくて正当な家系だけでも多すぎて
むしろ系図があったほうが判り辛いやも知れん

尾張守護斯波氏と関係が深いのと加賀藩主因幡守敦順と
将軍足利義輝と信長の謁見を執り行ったと名古屋家は
正当な資料と出典があるだけまだいい

北条一族のカオスさを語りたければ鎌倉から語らんと無理
108人間七七四年:2009/09/08(火) 09:33:49 ID:+wXNX27I
>>104
それが南北朝期に消滅して、諸流が細々と残るだけになるのだから、怖い。
しかも、滅ぼした新田氏もそうなっちゃうし。
109人間七七四年:2009/09/08(火) 10:00:03 ID:yn6ZicS3
>>97-98
よくネタにされる義光は母方の伯父だし、石川昭光は父方の叔父だし、二階堂も叔母が嫁いでる
佐竹も従兄弟だったり、芦名もなんやかんやで血量ながれてるし、大崎や岩城なんかも…
確か岩城はもしかしたら伊達宗家をついでいたかもしれないしで…

天文の乱は身内同士のちょっとはっちゃけたお付き合いというのが一般的な見方らしいw
110人間七七四年:2009/09/08(火) 11:38:04 ID:ZRgqCN4y
そういえばこんな話もあったな

蘆名盛隆御台「政宗を信用しない理由」・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2162.html
111人間七七四年:2009/09/08(火) 13:55:49 ID:F6jEnbB6
後北条氏と名古屋氏はどっちが北条氏の系譜としては嫡流に近いんだろうか。
112人間七七四年:2009/09/08(火) 14:10:27 ID:ZRgqCN4y
>>111
後北条氏は伊勢氏だから、執権北条氏とはぜんぜん関係ない。
繋がりがあるとすればどちらも伊勢平氏、ってくらい。
113人間七七四年:2009/09/08(火) 14:53:33 ID:eIafOAOZ
事の発端であろう畠山義継の不始末がすっぽり抜け落ちてるところが素敵だぜ伯母上
大内・畠山が嫁の実家を攻めたのが原因ですよねー
114人間七七四年:2009/09/08(火) 20:12:45 ID:n/HSDy6P
そういえば七本槍の中にも北条の末裔がいた気がするけど
115人間七七四年:2009/09/08(火) 23:26:34 ID:w7CpY8Vz
>>111
後北条氏は桓武平氏伊勢氏流の一族
名越氏は後北条氏とは別に幕府領を預かってるから
尾張斯波氏と共に尾張に移った一派と見た方が近い

要するに戦国期まで行くと比べるのが難しいくらい別流に隔たれた一族

>>114
平野長泰か!
116人間七七四年:2009/09/09(水) 00:47:02 ID:cYTVgbHA
>>115
大丈夫だ、源氏も平氏もさかのぼれば桓武天皇w

いや、何が大丈夫かは大丈夫じゃないかもしれないが、とりあえずは大丈夫
117人間七七四年:2009/09/09(水) 01:00:15 ID:Ds+Vd2jc
>>116
戦国とは桁が一つ…そこまで遡ったら戦国まで残った名門一族の出は
全員家族で大団円っていう長い前振りのいい話だなw
118人間七七四年:2009/09/09(水) 01:38:49 ID:L8ABGV4S
身内の喧嘩でございましたかw
119人間七七四年:2009/09/09(水) 01:51:59 ID:IhZxHOyy
俺のちっぽけな頭だったら

ラスボスも家格ある人に来てもらえて相当嬉しかったんだね
で終わる所が、北条の系譜から最終的に桓武天皇まで出てきてワロタw
確かに戦国は壮大な家族内抗争だわ
120人間七七四年:2009/09/09(水) 02:01:13 ID:HG2BZ8s9
鬼武蔵「人類!」
まーくん「皆!」
三歳「家族!」
悪久「ですよね!」
121人間七七四年:2009/09/09(水) 02:05:50 ID:P2GEu52/
実季「ボクは俘囚の血だもんねー、実季ちゃん」
仏像「ソウダネサネスエクン」
122人間七七四年:2009/09/09(水) 03:22:54 ID:O+b8dcat
>>100
歴史上の人物と自分の家を繋ぎたいというのはわかるが
足利斯波と北条名越を親戚にするのはどうなんだろうかw?
斯波の初代家氏のかーちゃんは名越ではあるが・・・

普通に北条自慢じゃあかんかった?やっぱ清和源氏の方がカッケーのか?
123人間七七四年:2009/09/09(水) 05:23:46 ID:tpbRqi9a
小田原討伐が始まり
秀吉は京を発って東海道を下り始めた。
その頃出羽角館戸沢家の若き当主であった盛安には先見の明があった。
彼は東北の大名としてはいち早く小田原討伐への参加を決め、
わずか9騎ながら秀吉の元に参陣するため、
日本海から海路を通り京を目指していた。
まあ当然、彼が京に到着する頃には、
秀吉は既に京を発って随分経っていたものだから、
盛安は今度は大急ぎで東海道を行き秀吉を追いかけた。

ところが馬を飛ばしハイペースで進む彼の前に東海道一の難所が牙を剥く。
「箱根の山は馬でも越すが、越すに越せれぬ大井川」
である。

秀吉はどうやらこの先の島田で陣を構えているらしい。
ところが秀吉が川を渡ってから盛安が到着するまでの間に、
このあたりでは大雨が降っていて、大井川は増水し、
とんでもない濁流となって盛安の目の前に立ちふさがっていた。

しかし戸沢家の家運を背負って立つ盛安の熱い気概は、
そんな一級河川の濁流を前にして臆するようなものではなかった。
124人間七七四年:2009/09/09(水) 05:25:21 ID:tpbRqi9a
数刻後、
夜もとっぷりと更けた島田の秀吉の陣に
たった今、着陣したのでお目通りを請いたいという若武者が現れた。
頭の先から爪先まで具足ごとびしょぬれの若武者は、
秀吉の前に通されると、こう名乗りを上げた

「出羽は角館の住人、戸沢九郎盛安。
此度の戦に是非とも馳せ参じんと
大井川を泳いで参った!」

秀吉はなんで出羽の住人がわざわざ大井川を越えてくるのかと不思議に思ったが
大いに驚き、またそんな盛安の行動を褒めたという。

ただそんな無茶をしたせいか、
盛安は小田原の陣中で24歳という若さで病没することになる。
泳いで参るのも大変なのだ。
125人間七七四年:2009/09/09(水) 05:52:13 ID:cYTVgbHA
>>124
秀家「・・・」
126人間七七四年:2009/09/09(水) 07:12:38 ID:xxVtoMtb
夜叉九郎、蒲生氏郷らが生きていたら関が原はどうなってたんだろうか。
127人間七七四年:2009/09/09(水) 08:29:07 ID:9RxH8Q8w
盛安の跡を継いだ彼の弟も朝鮮出兵の最中にあっけなく病死しちゃったそうだし、
蒲柳の質だったんだろうか戸沢兄弟
128人間七七四年:2009/09/09(水) 09:48:39 ID:YiKn97Cq
さすがに関ヶ原の結果をどうこう出来るほどの身代じゃないでしょ盛安ちゃんは
蒲生氏郷が生きてると石田家に人材が流れないだろうから西軍が悲惨なことに・・・
129人間七七四年:2009/09/09(水) 11:42:08 ID:xDxuQe3Y
前から気になってたけど秀家の泳いで参るネタって元の話あるの?
検索しても2ちゃんねるのスレしか引っかからないけど。
130人間七七四年:2009/09/09(水) 11:44:06 ID:quERoLRW
ない
131人間七七四年:2009/09/09(水) 11:44:58 ID:pw+kqJLO
>>129
宇喜多秀家【うきたひでいえ】
備前の戦国大名「宇喜多秀家」のAA。
父直家の急死により7歳で家督を継ぎ、当時織田信長の中国方面軍の司令官だった
羽柴(豊臣)秀吉の養子になる。その後、秀吉が天下を取るとその配下として活躍し、
備前、美作、備中東部を治める大大名となり、20代で豊臣五大老の一人となる。
関ヶ原の戦いでは西軍の副将格として奮戦するが敗れ、3年の逃亡生活の末
徳川家康に捕まり八丈島に流され、その後50年あまりの余生をそこで過ごした。
余りにイケメンな肖像画、熱血漢なのに微妙に漂うへタレ臭から人気が高く、
戦国時代板でスレが1001に到達すると登場する。
ちなみに台詞の「泳いでいけ」とは、大坂の陣スレで
「宇喜多秀家が大坂方の大将だったらよかったのに」「八丈島から泳いで来いってか!」
という流れから誕生したコピペが元ネタ。

ttp://riceballman.fc2web.com/AA-Illust/Data/Hideie.html
132人間七七四年:2009/09/09(水) 11:54:29 ID:VViDKU9k
>>122
そりゃまあ、やっぱ、将軍家である清和源氏と比べたら、
北条がいくら銘家といっても執権止まりだしって事では。
133人間七七四年:2009/09/09(水) 12:37:49 ID:xDxuQe3Y
>>131
ありがとう。
なんかいい話があると思ってたよ。
134人間七七四年:2009/09/09(水) 12:44:36 ID:qkx3VZ+d
源平交代思想と言うのが有って、源氏→平氏→源氏→平氏と、
時の政権を交代で担うと言う思想が有った…
従って足利氏(源氏)の次は織田氏って事で信長は平氏を
自称したらしい…かなり嘘っぽいけど。
まあ、戦国期は平氏=負け組ってイメージがあったから、
本当の末裔じゃなければ、平氏を自称した家は少ないよ。
135人間七七四年:2009/09/09(水) 12:52:31 ID:ngT2Mmum
>>123
どうでもいいことではあるんだが、
一級河川ってのは川幅などの川の規模をあらわす言葉じゃないぞ。
日本人の生活や活動に関わる重要度の指針。
確かに大井川は一級河川だけど、反対に小川みたいな一級河川だってあるしね。
136人間七七四年:2009/09/09(水) 12:54:50 ID:q0v1zkSj
>>123は大きな川だから一級河川なんて一言も言ってないんだがな
137人間七七四年:2009/09/09(水) 12:56:06 ID:OqUPKvpc
>>136
最後の行見てみ
138人間七七四年:2009/09/09(水) 12:57:32 ID:q0v1zkSj
>>137
当然みたけど?
139人間七七四年:2009/09/09(水) 13:04:44 ID:pw+kqJLO
>そんな一級河川の濁流を前にして臆するようなものではなかった
>そんな一級河川の濁流を前にして臆するようなものではなかった
>そんな一級河川の濁流を前にして臆するようなものではなかった
140人間七七四年:2009/09/09(水) 13:07:49 ID:HIjoqfJV
>そんな一級河川の濁流を前にして臆するようなものではなかった

一級品に、みたいにもとれるね確かに
141人間七七四年:2009/09/09(水) 13:08:22 ID:ngT2Mmum
>>138
本文中に、修飾語をいちいち懇切丁寧に言い訳がましく解説する奴が居たらお目にかかりたい。
142人間七七四年:2009/09/09(水) 13:09:11 ID:J0o8z9rP
そろそろ皆まとめて悪い話スレに行け
143人間七七四年:2009/09/09(水) 13:17:36 ID:0J4FOnn1
一級河川大井川が濁流になることについてなにか問題が?(´・ω・`)

まあ>>135には>>123が大きさを強調して一級河川と書いたように見えたんだろうし
そういう見方ができないわけじゃないけど「一級河川の名に相応しい凄まじい濁流」
とでも書いてない限り指摘するほどのもんじゃないよね
144人間七七四年:2009/09/09(水) 13:19:38 ID:HIjoqfJV
スレ汚ししてすみませんでした!!

次のよいお話どうぞ!
145人間七七四年:2009/09/09(水) 13:20:03 ID:lDQ2A3Mo
なあ、おまえら一旦落ち着いてかんがえてみろ

そんなあーだこーだ言うほどのネタじゃないだろ?
146人間七七四年:2009/09/09(水) 13:24:55 ID:quERoLRW
一級河川と書かれると、うちの裏の小川も一級河川なんで逆にしょぼく感じるw
147人間七七四年:2009/09/09(水) 13:26:53 ID:HIjoqfJV
どなたか、河に関するお話で言いのないですかね・・・
いっそ革でもいい・・・
148人間七七四年:2009/09/09(水) 13:27:36 ID:quERoLRW
あ、終わったネタなのね。空気読めなくてスマン候。
149人間七七四年:2009/09/09(水) 13:27:47 ID:q0v1zkSj
濁流=大きな川なんだろうな。この人達は
引き篭もりで実際の川を見たこと無いのかもしれないが
150人間七七四年:2009/09/09(水) 13:27:56 ID:hH4l7SzP
みんな、これでも食って落ち着きなはれ

  ∧ ∧    
 ( ´・ω・)                                       ○ 
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、       ,.-、   .,.⊥、 
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■) 
       梅干  高菜 大腸菌 こんぶ クロロホルム 豚インフル オプーナ 
          ,.-、   ,.-、      ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、 
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■) 
          砒素 唐辛子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 とりかぶと 
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、     ,.-、  ,.-、 
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■) 
      鮭 御玉杓子  鳩山弟  サリン 鳩サブレ 石見銀山  鳩山兄 鮭ハラミ 
           ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、  ,.-、、   
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)   
         マムシ ウラン    河豚     毛虫  唐揚げ
151人間七七四年:2009/09/09(水) 13:37:45 ID:J0o8z9rP
>>150
ほんと順調に可食物が減ってる…
一つ頂きますね つ【ちりめんじゃこ】
152人間七七四年:2009/09/09(水) 13:38:27 ID:YmCR1zen
話の本筋に関係ない、瑣末なことに噛み付いて
自分の知識をひけらかしたい人間は何処にでも居る
153人間七七四年:2009/09/09(水) 13:40:46 ID:SsWmRsdc
川といえば、第何次かの川中島合戦のときに、謙信が対岸の信玄を襲撃しようと
増水している犀川を渡ろうとして、慌てて従った兵士ともども水に流されて危うく溺れ死ぬところだった。
これを聞いた信玄が「あいつ戦は強いけどバカだからなあ」と言った。

って話があったな。悪い話向けだがw
154人間七七四年:2009/09/09(水) 13:41:36 ID:uujJD6KU
島原の乱の時、総攻撃直前に到着した
水野勝成麾下の部隊ではあったが
陣の後ろに着陣した際、それはそれで
その陣中では周りに迷惑がかかるほど、麾下の兵達が五月蠅かった。

前の方の陣にいた小笠原の家中からも
「日向守殿って、今も良将として評判が良いけど
あの陣の騒々しさは感心できんな、夜討ちされたら
あんな連中、兵としては使えなくて駄目じゃね?」

と、ボロクソに言われてたそうな

その時、島原の乱に来ていた宮本武蔵は
この話を聞き、

「俺は、かつて日向守殿の家中だった事もあるし
(大阪の陣の時、武蔵は勝成嫡男の水野勝俊の守護について戦ってる)、
あのお方の軍立はよく知ってるが
あのお方は、凡人の考えなどでは推し量れない大将だ
各々方の評判で語れる様な日向守殿ではないよ」

と語ったそうな。

で、実際はと言うと、総攻撃になった際、水野勝成の部隊(実際の指揮は勝俊)は
最後列に居たのに、いつの間にか有馬康純と本丸の一番乗りを争ってたと言う。

後に日向守様が、隠居をした際、自画自賛で語ったお話
155人間七七四年:2009/09/09(水) 13:42:35 ID:HIjoqfJV
>>153
き…気合で渡ろうとしたんすね。

明智さんは渡りきったんだっけ。
156人間七七四年:2009/09/09(水) 13:49:58 ID:SsWmRsdc
>>154
こうか!

         ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
         (.有馬康純 ァァフ|          あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
          |i i|    }! }} //|
         |l、{   j} /,,ィ//|       『水野隊は最後列にいたはずなのに
        i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ        気がついたら俺らと一番乗り争いをしていた』
        |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |
       /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人        な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
     /'   ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ        おれも何がおこっているのかわからなかった
    ,゙  / )ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉
     |/_/  ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ        頭がどうにかなりそうだった…
    // 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
   /'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐  \    超スピードだとか催眠術だとかかぶき大名だとか
   / //   广¨´  /'   /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ    そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
  ノ ' /  ノ:::::`ー-、___/::::://       ヽ  }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...       イ  もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
157人間七七四年:2009/09/09(水) 15:18:31 ID:BgOhvdWi
AAとかいらないから
他所でやってくれ
158人間七七四年:2009/09/09(水) 16:13:54 ID:bcrlrTJE
おいおい、こんな定番ネタまで目くじら立てる必要も無いだろ
159人間七七四年:2009/09/09(水) 16:41:32 ID:2c2/JmW6
>>147


布橋伝説

1573年の冬、三方ヶ原の合戦で武田軍に大敗した家康は、浜松城へ向け逃げ帰った。
浜松城で留守居していた酒井忠次は、武田軍の追撃をかわすため、浜松付近の犀ヶ崖で、一計を案じた。
その計略とは、雪の降る中に白い布で犀ヶ崖に「偽物の橋」を架け、付近で野営中だった武田軍を夜襲するというもの。
そして、徳川軍の夜襲でパニックに陥った武田軍を布橋に追い込んで、崖に谷底へ追い落とし浜松城を包囲させるのを
諦めさせたという。

浜松市内の「布橋」の地名はこの伝説に由来する。
160人間七七四年:2009/09/09(水) 17:03:44 ID:CJ3YaFqN
ほう、空城の計だけじゃなくちゃんと色々やってたのね
161人間七七四年:2009/09/09(水) 18:09:39 ID:OqUPKvpc
>>147
大航海時代、日本にも数々の舶来品がもたらされた
鉄砲、煙草、甲冑、洋酒…
その中に一つの工芸品があった
応帝亜(インデア)革と呼ばれたインド産の装飾革で日本にはない華麗な装飾だったようだ

この舶来の装飾革に刺激を受けて甲州の革職人達が擬して造った革を
インド伝来の意味で印伝(傳)と称した(正式名称:甲州印傳)
印伝はその後革に漆付けを行うようになり
その独特のなめし技術、染め技術、色漆は江戸を通して愛され
「東海道中膝栗毛」にも記述があるという

現代でもその技術は残り山梨県の伝統工芸品として指定され
今でもバッグや財布として販売されている


微妙に戦国時代から外れてる気がする上に
ちゃんと調べたわけではないから間違いがあるかも知れん
印伝の財布は持ってるけど
162人間七七四年:2009/09/09(水) 19:53:50 ID:xDxuQe3Y
>>159
合戦由来の地名って結構多いな。三方ヶ原の合戦の敗走時に家康が小豆餅屋
で餅を食い逃げしたのが由来でその地区を小豆餅になった話とか。
163人間七七四年:2009/09/09(水) 19:59:12 ID:xQsVskGX
>>162
やはり宣伝になるからでしょう
「ここは普通の村です」「ここはただの村です」「ここは小さな村です」
といわれるより
「ここは昔家康が〜」の方が覚えがいい
164人間七七四年:2009/09/09(水) 21:38:10 ID:Ak+6tef3
戦国時代のじゃないけど、
停戦の誓紙を交わしたから誓紙橋とか、
敗戦した夫の自害に絶望した夫人が乳飲み子と一緒に入水自殺したから児泉とか、
そんな地名なら地元にあるなあ。
165人間七七四年:2009/09/09(水) 21:40:52 ID:yyaZpBc7
>>153
SENGOKUで謙信が豪雪の中、単騎出撃して
木に激突して昏倒したまま部下に連れて帰られた話思い出したw
166人間七七四年:2009/09/09(水) 22:06:33 ID:ywSu4LZc
武芸大好きな家康は、小野忠明に武芸を披露されたが、そのときは特に召抱えることはなかった。

失意の忠明は」そのまま江戸に住んでいたが、ある時、具合が悪く寝込んでいるときに、近所で人を傷つけて立てこもった修験者がいると聞いて、病を押して取り押さえに向かった。
しかし、体調の悪さが響いて、忠明は立てこもり犯に押されまくり、溝に落ちてあわや殺されそうになる。そのとき、倒れざまにはなった一刀が立てこもり犯の腕を切断し、なんとか助かった。

ところが、この話を聞いた家康は、すぐさま忠明を召抱える。
何で最初のとき召抱えなかったのかと不思議がる家臣に、家康は、
「最初、忠明の術を見たとき、あまりに人間離れしていて、妖術を使っているのか、天狗でも憑いているのかと思った。
今回、危なかったと聞いて、初めて人間の技であるとわかった。」
と述べたという。

レベルを落としてやっと評価された、小野忠明のすごすぎる話
167人間七七四年:2009/09/09(水) 22:14:46 ID:5m7nbHeS
>>162
それって茶店ババア?
168人間七七四年:2009/09/09(水) 22:18:35 ID:kIw/7nsH
確認するまでもなく定番ネタじゃんw
169人間七七四年:2009/09/09(水) 23:32:19 ID:seKkSzNk
>>166
異能者嫌いも信玄から学んだのか・・
170人間七七四年:2009/09/09(水) 23:36:19 ID:53kjVKsD
信玄だったら殺してんじゃね?
171人間七七四年:2009/09/10(木) 00:14:51 ID:nIYWrcHs
天正十年三月、織田信忠率いる軍勢の前に甲斐の武田軍団は崩れ
当主勝頼は妻や嫡男信勝と共に自害した

それから数日経った頃、八王子城の城主大石氏照のもとに
甲斐から高貴な身分と思われる美しい女性が逃げてきたという知らせが届いた
さては勝頼に嫁いだ妹が落ち延びることができたのかと
氏照は喜んでその一行を訪ねたのだが、そこに居たのは氏照の妹ではなく
勝頼の妹でかつては織田信忠の婚約者であった松姫であった

いかにも取るものもとりあえず、命からがら逃げてきた様子の松姫は
氏照に兄盛信の高遠の顛末と恐らくもう勝頼も北条夫人も
助からないであろうことを伝えると泣き崩れたという

既に頼れる人もいない哀れな姫の境遇に同情した氏照は
松姫を妹の代わりに思い匿うことを快く引き受けた

そうして身を隠していた松姫のもとへかつての家臣から
「信忠様があなたに会いたがっている」という知らせが届いた
意を決し、信忠に会いにゆくことを決めた松姫はそれを氏照に知らせた
知らせを聞いて我がことのように喜んだ氏照は
支度を整えたり万が一のため護衛を付けてやったりして送り出したのだった
松姫の一行は上野原という所で織田信忠の迎えを待った

ところが迎えはなかなかやってこない
やがて松姫の元には迎えの代わりに京から本能寺の変の知らせが届いたのだった

その後松姫は出家し氏照からの支援を受けて
勝頼の娘と盛信の娘と小山田信繁の娘を立派に育てた

しかしそんな平和もそう長くは続かなかった
秀吉の小田原征伐が起こり、北条家が滅んでしまったのだ
松姫たちを支援をしてくれた氏照も敗戦の後責を取って果ててしまった
混乱の中、松姫は今度は寺で読み書きを教え、蚕を育て織物をして暮らしたということだ
172人間七七四年:2009/09/10(木) 00:35:42 ID:Pj3U0Sxg
>>171
波乱の人生か
松姫は何を思って、一生を終えたんだろうな
173人間七七四年:2009/09/10(木) 00:43:18 ID:FCbR3QDy
>171
いい話だけど悲しいな…
174人間七七四年:2009/09/10(木) 00:56:09 ID:fsh2zyGD
源平交替といえば明治維新の雄藩に平氏いたかなあ。

毛利→大江氏
島津→源氏? 藤原?
土佐山内→藤原氏
佐賀鍋島→藤原氏?
宇和島伊達→藤原氏
越前松平→源氏
175人間七七四年:2009/09/10(木) 00:59:48 ID:dZF+e8nD
松姫は八王子の千人同心に大事にされたらしいね
176人間七七四年:2009/09/10(木) 01:20:51 ID:WRC9NkLo
>>174
建武の新政と同じでノーカウントだろ
平氏の名門が共産党書記長に就任したときに象徴天皇制が倒れる
177人間七七四年:2009/09/10(木) 01:23:45 ID:nNQLXLhX
いい話だが既出
178人間七七四年:2009/09/10(木) 02:12:04 ID:WPsz9OwG
>>161
確か弥二喜多が三島の宿で護摩の灰にあって旅費を亡くした時に、
持っていた印伝の巾着を売ってなんとか駿府までたどり着く話だよね。

それにしても
内陸のイメージが強い甲州に海外由来の物産が根付いていたことに吃驚。
179人間七七四年:2009/09/10(木) 02:25:45 ID:mcTPnbxJ
>>178
まあ甲州じゃ金山でも、海外由来の灰吹法使ってましたしね。
あと武田氏の下で甲冑などに使う革製品の加工も盛んだったから、そういう部分も
あったのでしょうね。
180人間七七四年:2009/09/10(木) 02:43:45 ID:hQHShL1r
松永弾正の死に際といえばもちろん爆死である。
しかし実はもう一つ、こんな話がある。

弾正「実はワシ、切腹することになっちゃった」
家臣「殿、…無念でございます」
弾正「うむ。ところで、これから灸を据えてくれ。ツボというツボ全部くまなく据えるようにな」
家臣「は? 何故でございましょう」
弾正「いやワシ、ほら中風だからさ。切腹してるときに発作起したらみっともないからなー。武士として最期くらいはビシッと決めないとな」
家臣「は、はぁ…」



弾正「おー、おかげですこぶる調子が良い。じゃ、そういうことで。えいや!えいや! …っぐふ」
松永弾正はこうして腹を十文字に捌いて見事に果てたそうな。
181人間七七四年:2009/09/10(木) 07:38:58 ID:szVVcP6X
弾正の生き様こそまさに武士らしい武士だよなー
いつだって下克上狙い、たとえ負けて頭を下げても腹の中では次の謀反の計画を練ってるぜ
182人間七七四年:2009/09/10(木) 08:46:26 ID:cj+qhnHy
>>180
お灸にしろ爆死にしろ梟雄なりの美学を感じるな
183人間七七四年:2009/09/10(木) 09:50:05 ID:I6Pc3AZ5
ツボに火をつけるついでにカマにも火をつけたのかと思った
184人間七七四年:2009/09/10(木) 09:51:47 ID:ERao4kPv
>>181
後藤又兵衛は武士らしいんかな。
185人間七七四年:2009/09/10(木) 12:00:01 ID:Xow+N70F
>>162
この茶店婆の話、何度見ても噴出してしまう。
創作とかってわかってても笑っちゃうのあるよね。
186人間七七四年:2009/09/10(木) 12:45:26 ID:juXKqqh2
>>181
つ{『武士道』新渡戸稲造著}
187人間七七四年:2009/09/10(木) 14:05:04 ID:FJkpo3lK
>>186
武士道は江戸時代の理念じゃないの?

じじい曰く「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」
188人間七七四年:2009/09/10(木) 14:30:41 ID:N6PhBLUd
戦国では戦国の江戸では江戸の武士道
189人間七七四年:2009/09/10(木) 15:10:43 ID:mdMsqSgg
でも基本的には同じじゃない?江戸期になって更に厳格になっただけで・・
実際当時でも「梟雄」やら「表裏比興の者」なんて褒め言葉じゃないし
190人間七七四年:2009/09/10(木) 15:35:19 ID:hQHShL1r
いや、かなり違う。
江戸時代には主君が主君であるのに正統性だけあれば十分で、
家臣はどんな主君であっても忠節を尽くさなければならない。
戦国時代には主君が主君であるのに正統性だけでは不十分で、
家臣に主君としての何かを示し続ける必要があって、
それが認められてはじめて家臣の忠誠を得られる。
191人間七七四年:2009/09/10(木) 16:23:29 ID:juXKqqh2
戦国時代は管仲言うところの「君 君たらざれば、臣 臣たらず」
江戸時代は孔子言うところの「君 君たらざれども、臣 臣たり」
という考え方。
でも、戦国時代の武士全てが管仲のような思想だったわけもなく、
立花道雪らのように忠義を貫くをよしとしていた武士も数多いるわけで、
必ずしも管仲の考え方が一般的というわけでもない。
しかし、江戸期になると徳川政権という絶対主権下においては
管仲のような思想は非常に危険であるため、
「君 君たらず、臣 臣たらざるは乱の本なり」という考え方が当然と
されるようになって、武士の価値観がこれに一般化され武士道が確立する

だから戦国時代に於ける武士の価値観はそれぞれバラバラで、
>>181の言う武士らしい武士とは>>181の抱く理想に他ならないんだね
192人間七七四年:2009/09/10(木) 16:29:14 ID:0MlBPF8r
>>180
やはり大河ドラマの主役にするべき人物じゃのう
193人間七七四年:2009/09/10(木) 16:32:36 ID:6CLpKbQo
他人の感想にここまで噛み付いて自分の知識ひけらかしたいのかよw
つかごく常識の一般論だし
ホントこのスレそういう奴多いなw
194人間七七四年:2009/09/10(木) 16:50:26 ID:m/lNbJo+
>>191
宗麟が茫然として竹竿担いで街をうろついても私はその後をついて行くし
それについて特に不満にも思わない…とか
それは押しこめようよ…みたいなことを言ったらしいというのには笑った<立花道雪
195人間七七四年:2009/09/10(木) 18:28:46 ID:tRd+bmso
イナゾーとかギャグで言ってんだろw

ゆとり酷使様にはかなわんな。
196人間七七四年:2009/09/10(木) 18:35:15 ID:nne7+d2g
知識自慢はほどほどにして欲しいね。

綱吉の話題の時とかもそうだけどいちいちスレの流れが脇道に入る。
197人間七七四年:2009/09/10(木) 18:35:42 ID:vJJ8pBDk
>>192
井上靖の平蜘蛛の釜をベースに大河ドラマ化してほしい気持ちもあるが、
昨今の脚本家にかかると、やばいからな。
悪の足利幕府を滅ぼし、三好家を支えた忠臣、領土には善政を敷き、
信長に屈することを良しとしなかった、正義のヒーロー。
とかなったら目も当てられん。
198人間七七四年:2009/09/10(木) 18:38:06 ID:bAs7IhJ9
    @∧_∧
    リ(゚ー゚*)
     /ヽ//ヽ     みなのもの、これでも食べて落ち着くのじゃ…
   ヘ/ // (7丶
  || | ̄ ̄/ |
  || Г ̄| 丶
   レ| | ̄ ̄\※\          
  / ⊥_|\※ \_ノ   ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、     ,.-、   
 / <っノ\_丶 ※ )  (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)   
/ ※ /    ̄ ̄ ̄   毒    毒    毒    毒     毒      毒
   義 姫    
          ,.-、   ,.-、      ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
           毒    麦       毒      毒    毒    素    毒
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、     ,.-、  ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      毒    毒     毒     毒     妻    毒     毒   毒
199人間七七四年:2009/09/10(木) 18:41:03 ID:SG9/+t46
>>198
ありがたく頂きます
つ 【麦】
200人間七七四年:2009/09/10(木) 19:02:16 ID:r/CFfyl2
>>196
>>193=>>181のいうとおり一般論なら知識自慢でもない気が・・・

て、蒸し返してスミマセン。
>>198
私も頂きます。
つ【素】
201人間七七四年:2009/09/10(木) 19:06:16 ID:EL5Y9Ygf
>>200
ID:r/CFfyl2=ID:juXKqqh2の余計な指摘こそ要らないからw
みっともないからもう黙っとけw
202人間七七四年:2009/09/10(木) 19:16:35 ID:NgN4q5a0
>>181
信長の人使いの荒さに、もうついて行けないと、やけになった部分もあるらしい
203人間七七四年:2009/09/10(木) 19:26:55 ID:i1vP8WFC
織田家は現代でいうところの外資系だったのか?
204人間七七四年:2009/09/10(木) 19:36:45 ID:vS5AVhiw
他にも使える人間はいるからさ
もう(人生)辞めてくんない?
205人間七七四年:2009/09/10(木) 19:39:02 ID:JwKfzbDA
すこし前の一級河川といい何なんだか
話が広がるのはいいが一々重箱の隅つつくようなマネはやめて欲しいな
206人間七七四年:2009/09/10(木) 19:48:35 ID:04wihfo2
まあ、今日のところは黄金伝説でも見てのんびりしようぜ。
草薙君が戦国時代の生活を再現してるってさ。
207人間七七四年:2009/09/10(木) 19:48:57 ID:OH3ahUww
>>198
ありがたく戴きましょう
つ【妻】
208人間七七四年:2009/09/10(木) 20:11:21 ID:9NuiQVE+
リクエストしていいかな。
隠れた名将や、名臣、一般市民あたりで。
209人間七七四年:2009/09/10(木) 20:11:40 ID:96B2sw8g
>>208
実はそれが一番の毒だったりする罠
210人間七七四年:2009/09/10(木) 20:27:54 ID:NtntkKjI
>>207
TERU自重
211人間七七四年:2009/09/10(木) 20:44:20 ID:/1vnnYdY
>>210
輝宗か輝元かどっちだよ
212人間七七四年:2009/09/10(木) 20:49:37 ID:SG9/+t46
>>211
義輝さんに決まってるだろう
偏諱的に考えて
213人間七七四年:2009/09/10(木) 20:49:37 ID:OP/ju5W1
>>211
分かり切った事聞くなよ
このスレで輝宗がそういうキャラ扱いされたことなんてないだろ
214人間七七四年:2009/09/10(木) 20:50:52 ID:Cyz8E8Z3
>>208
そんなの鳥居勝商に決まってんじゃん。
足軽でしょ。
215人間七七四年:2009/09/10(木) 20:54:36 ID:UUkgo8np
>>211
伊達家で唯一の常識人の輝宗さんがそんな事する訳ないじゃん
216人間七七四年:2009/09/10(木) 20:58:46 ID:m/lNbJo+
>>211本人にギャグの説明をさせるのはあまりに哀れ
ここは拙者が武士の情けでヒント:輝宗の妻は…とでも言った方がよいのだろうか
それともみんな全部ネタで言ってるの?影が薄いって言いたいの?ひどくね?
217人間七七四年:2009/09/10(木) 20:58:55 ID:1nWAFtsi
ばっか義姫の握った妻おにぎりを輝宗が食べるってことは今夜はokって夫婦の合図だろうが…
218人間七七四年:2009/09/10(木) 21:05:46 ID:TqhGguBd
>>217
なるほどw

話が変わって申し訳ないんだけど

先日岩国に行ったら、今ちょうど吉川資料館に
吉川元春の ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-810.html
の手紙が展示されてた。
で、こんな感じのお説教が2m越えの長さで書かれていたんだが
所々に「この事については直接話そうと思うので今度あって話しましょう」
と、お父さんのお説教タイム宣言が・・・
これだけ書いてまだ足りないのかよ!どんだけ駄目息子なんだよ!
と思っていたら広家さんだったんですね。びっくり。

ところでこの時代の手紙って通常どれくらいの長さなのかな?
人や内容にも依ると思うけど目安ってあります?
219人間七七四年:2009/09/10(木) 21:06:00 ID:OP/ju5W1
>>216
そういうのいいから
220人間七七四年:2009/09/10(木) 21:13:53 ID:hQHShL1r
>>218
上はメートル単位で、下は「火の用心 おせんなかすな 馬肥やせ」って落差だからなw
221人間七七四年:2009/09/10(木) 21:31:37 ID:TqhGguBd
ありがと!

そう言われると凄い落差だなw
メートル単位の手紙魔って結構いるんですかね。すごいな・・
一緒に展示してあった元就の側室にあてた手紙はA4サイズくらだったと思う。
「今度かな文字の練習をしてあなたに手紙を送るね。そうしたら心のうちを教えてね」
みたいな内容だったような・・
222人間七七四年:2009/09/10(木) 21:39:50 ID:mcYsEpnn
純粋な事務・伝達文書とかは、ほんと必要な事しか書いてないからねぇ
身内に当てた文章だと結構妙な事書いてたりもするけど
223人間七七四年:2009/09/10(木) 21:44:52 ID:04wihfo2
「急用である。落ち着いて書け。」って祐筆に言った人も居るくらいだしね。
急用だからこそ正確に、簡潔に伝えなきゃいけないんだろうし
224人間七七四年:2009/09/10(木) 21:51:44 ID:lrvqVhPk
>>202
どっちかってーと、謀反直前の松永は、干されていたんじゃないのってくらいの扱いのような
225 :2009/09/10(木) 22:03:07 ID:TqhGguBd
>>222 >>223
伝達文書は簡潔・正確に。は今も昔も一緒なんですねぇ
226人間七七四年:2009/09/10(木) 22:09:29 ID:nne7+d2g
鬼武蔵は急用で書状を書かなきゃいかん時の為に矢立(携帯用の筆記用具)を常に携帯していたらしい。

急用で書かなきゃいけない用事を作るのも自分だけど。
227人間七七四年:2009/09/10(木) 22:11:28 ID:5m5/q1iS
その辺りは出来る人間なんだな鬼武蔵
228人間七七四年:2009/09/10(木) 22:35:31 ID:T71NYJex
>>217
義光「な、なんだと、くぅっ……ハァハァ」
229人間七七四年:2009/09/10(木) 22:36:23 ID:s9vnl7G9
おっと、墨を忘れたな・・・
乾けば黒になるあれでいいか
230人間七七四年:2009/09/10(木) 22:59:23 ID:Z9puWcgy
手紙を書くためにヒャッハーしてたんですね、わかります
231人間七七四年:2009/09/10(木) 23:01:46 ID:MroECZfm
>>206
裸踊りの報いか、かなり酷い目に遭ってた気がする
232人間七七四年:2009/09/10(木) 23:01:46 ID:CEuE4stg
おにむさしさんからのぶながさまにおてがみついた

「きょうも1000にんやりました」
「きょうはたかとおじょうでちのうみをつくりました」
233人間七七四年:2009/09/11(金) 01:46:39 ID:NNJnWkta
>>226
筆ペン紹介したらビビるだろうな
234人間七七四年:2009/09/11(金) 06:23:25 ID:viAdGB7z
いい話スレでも悪い話スレでも鬼武蔵は人気だなぁw
235人間七七四年:2009/09/11(金) 08:34:11 ID:Zoa7YuUd
236人間七七四年:2009/09/11(金) 11:26:12 ID:ZSwzemck
ある時のこと、武田信玄は自らの像を作らせこれを枠に入れ、三河、遠江、美濃の宿を経由して、
上方へと送るように、と命じた。

何故このようなことをするのかと尋ねられると、信玄曰く

「三遠濃において、武田の武威を恐れその言う事を聞く地域では、あの像を尊んで運ぶだろう。
が、信長、あるいは家康に随身している地域ならば、像をたちまち討ち捨てるだろう。

武田の威風がどこまで届いているか、それを確かめるためなのだ。」

信玄の、ちょっとした勢力圏調査方法。
237人間七七四年:2009/09/11(金) 13:39:39 ID:jeFHW63G
>>235
(ブラクラ的な意味で)怖くて踏めない。
なにか一筆入れてくれよ。
238人間七七四年:2009/09/11(金) 13:44:58 ID:gkLA1cmw
>>237
鳩山婦人の電波ネタ
239人間七七四年:2009/09/11(金) 13:55:00 ID:ckZKOTGy
>>233
森「いいの持ってるな。もっと作れよ。金山名物で売り出すから」
>>233「せ、製造法は解りかねます・・・」
森「なんだこの役立たず。しねっ」
240人間七七四年:2009/09/11(金) 13:58:54 ID:tk5+i9x/
>>233
スレチだが江戸時代に筆ペンに近いものはあったらしい
筆の軸の中に綿詰めて墨汁を充填する形のものが
241人間七七四年:2009/09/11(金) 14:02:35 ID:Q4zhzQUv
信玄と謙信の二者会談

謙信「そろそろ・・・」
信玄「・・・・・・・・・・」
242人間七七四年:2009/09/11(金) 14:15:53 ID:Sqr7QNn3
>>240
へえ。まあそうだなぁ、今と違って墨に筆って面倒だもんなあ
243人間七七四年:2009/09/11(金) 16:46:33 ID:ebtBSDoD
(●∀゚)「エンピツ使えばいいじゃねえかエンピツw」
244人間七七四年:2009/09/11(金) 17:52:18 ID:gkLA1cmw
兼続「これだから田舎侍は。これからは印刷です(キリッ」
245人間七七四年:2009/09/11(金) 18:01:09 ID:0JAPHYLn
家康さんだっけ、日本で一番最初に鉛筆使ったのは
246人間七七四年:2009/09/11(金) 18:10:11 ID:0JAPHYLn
wikipediaによると政宗も使ってたのか。
家康鉛筆:神君的便利文房具
政宗鉛筆:傾奇的ファッションアイテム
みたいに感じるのは偏見でしょうか。
247人間七七四年:2009/09/11(金) 18:12:26 ID:ARwsKf6k
偏見です
248人間七七四年:2009/09/11(金) 18:13:44 ID:6mc8nUKa
土佐一条氏が津野氏を討ち、高岡郡を統一した頃の話。

高岡に住む一人の猟師が、鉄砲を持って山に出かけた。
あちこち獲物を探して歩き回っていると、熊の親子を見つけた。
親熊が大きな石を持ち上げ、仔熊がその下にいる虫をあさっている。

早速木陰から鉄砲を構えた猟師だが、わずかに距離がある。
はて、当てられるか、と悩んでいると、今度は間近に猪が現れた。
猟師、これならば、と猪に発砲した。
が、猪は死ななかった。
手負いの猪は狂ったように暴れまわる。
そして、石を支えていた親熊も、鉄砲の轟音に驚いた。
親熊は石から手を離してしまい、哀れ、仔熊は押し潰されて死んでしまった。

さて、子の死を見た親熊、暴れ狂う猪が原因かと怒り、これに躍りかかった。
一方の猪も痛みに我を忘れ、熊へと突進する。
二頭の獣は争い続け、やがて衰弱して共倒れしてしまった。
隠れて見ていた猟師は労せず二頭の獲物を手に入れた。

帰宅した猟師、やってきた友達に獲物を見せて言った。
「いやいや、こんな身にも御所(一条)と同じ幸福が訪れたわ」
どういう意味か、と問う友達に猟師は説明した。
「もともと高岡は、津野殿と戸波殿が覇を競っておった
ところが両者あい争ううちに、御所が横からやってきて、双方の領地を手に入れた
今や、高岡はことごとく御所のものじゃ
熊と猪の争いで利を得た俺も、御所と同じ幸福にあったということじゃないか」
猟師はそう言い、おおいに笑ったということである
249人間七七四年:2009/09/11(金) 18:38:36 ID:gDzhcA0k
なんだろう、何故か素直にいい話とは思えない・・・
250人間七七四年:2009/09/11(金) 19:08:53 ID:Y6FfoxGR
お前は現代の人間で動物に対する同情心があるからだろ
でも戦国時代であってもこの手の狩りは猟師も命がけだろ
この場合でも猪や熊が猟師に向かってくる可能性もあった
そんなことになったら再装填も厳しかっただろう
捕食関係がはっきりしている現代とはまた立場が違うんだぜ
251人間七七四年:2009/09/11(金) 19:14:54 ID:D2YrGNIE
いや、土佐一条氏の末路の話だろう
252人間七七四年:2009/09/11(金) 20:47:31 ID:ebtBSDoD
上の手紙の長さの話で思い出した話。
ガイシュツだったらすまん。


伊達政宗さんが浅野弾正長政さんにお手紙書いた。
目測を誤ったのか書くこと多すぎたのかなんかスペースが足りない。
徐々に文字が小さくなったけどまだ足りない。
結果、花押がちっちゃくなっちゃった。

「追伸。
スペースなくって花押がいつもよりちっちゃくなったんだけど、
別に偽物じゃなくて本物だから、その辺疑わないでね!」

政宗の辞書に書き直すという文字はない。
253人間七七四年:2009/09/11(金) 20:59:38 ID:ebtBSDoD
思いっきり間違った_| ̄|○
浅野弾正長政×
浅野弾正長吉○
254人間七七四年:2009/09/11(金) 21:05:46 ID:Y6FfoxGR
習字の時間に良く書けた奴に名前入れたら後ろが詰まってしまって
結局名前が上手く書けた別の奴を提出したのを思い出した
255人間七七四年:2009/09/11(金) 21:21:41 ID:Ji9UqI/M
>>252
それって、例の絶縁状の手紙かw
256人間七七四年:2009/09/11(金) 21:27:08 ID:Ji9UqI/M
257人間七七四年:2009/09/11(金) 21:41:23 ID:VnbvKbL7
1604年、熱海温泉で湯治中の家康のもとに、吉川広家が病気で寝込んでいる旨の報告が届いた。
早速家康は見舞いの品を送る。

「殿ー、上様よりお見舞いの品が届きました。」
「(まさか自家製の薬じゃないだろうな。)わかった、ここに持ってきてくれ。」
「無理です。」
「へ。」

家康からの見舞い品は、熱海温泉の湯5桶であった。
258人間七七四年:2009/09/11(金) 21:44:44 ID:ebtBSDoD
>>255
天正19年の手紙なので違います。
絶縁状は慶長元年だったかな。
資料が手元にないので内容までは思い出せない・・・
259人間七七四年:2009/09/11(金) 21:45:05 ID:ZSwzemck
>>257
さすが天下人だな。
まさに天下人のお見舞いだわw
260人間七七四年:2009/09/11(金) 21:46:35 ID:CC8/bKm0
すっかり冷めてそうだ
暖めなおしたかな?
261人間七七四年:2009/09/11(金) 21:51:37 ID:KvMTOAvv
5桶ってどんくらいだろう
262人間七七四年:2009/09/11(金) 21:56:43 ID:sLng6yD0
飲む用じゃないのか?
263人間七七四年:2009/09/11(金) 22:07:46 ID:Y6FfoxGR
5桶もか?
ってか日本に飲泉の伝統あったっけ?
264人間七七四年:2009/09/11(金) 22:09:28 ID:Drfsoufp
何日がかりの距離だったんだろう
お湯でも腐るぞ
265人間七七四年:2009/09/11(金) 22:11:25 ID:6mc8nUKa
たぶん温めなおして入るんじゃないかな
温泉の薬効を期待して運ばせるってのは、他の人もやっていた気がする
266人間七七四年:2009/09/11(金) 22:15:56 ID:CC8/bKm0
効能を調べてみた
前提となる熱海温泉が二つあるが静岡のでいいのかな?

熱海温泉(静岡県):塩化物泉
浴用:きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
飲用:慢性消化器病(胃腸病,肝臓病)・慢性便秘

もう一つ磐梯熱海温泉ってのがあるみたいでそっちも1189年と歴史が深いね
そっちはアルカリ性単純泉(単純温泉)で打ち身、神経痛、皮膚病、飲用は不明
267人間七七四年:2009/09/11(金) 22:18:45 ID:sLng6yD0
>>263
wikiでは「古くから」とあるが
どんだけ古くからなのかは知らないw
西日本が多いっぽいね。
ウチらの県も西だけど飲泉多いみたい。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%B2%E6%B3%89
268人間七七四年:2009/09/11(金) 22:20:36 ID:ZSwzemck
温泉の成分を取り出し入浴剤にした「湯の花」は、
1660年代には既に商品として流通しているね。
269人間七七四年:2009/09/11(金) 22:25:16 ID:Y6FfoxGR
>>267
ほー、一つ知識を得たぞ
d
270人間七七四年:2009/09/11(金) 22:55:57 ID:UkIB86ik
天道の公式サイト見たら忠恒がいてビックリしたぜ
271人間七七四年:2009/09/11(金) 23:05:51 ID:T4cZPfkJ
天道は革新よりつまんなくなっててがっかりだぜ
272人間七七四年:2009/09/11(金) 23:26:23 ID:Y6FfoxGR
流れ無視でそんな話題するお前らに幻滅だぜ
273人間七七四年:2009/09/11(金) 23:34:48 ID:ZSwzemck
天道の公式サイトの本多忠勝の解説に、昔自分がここに投下した逸話と同じものが書かれていたで
ちょっと嬉しかったのだぜ。
274人間七七四年:2009/09/12(土) 00:18:46 ID:Dp+7oEK/
>>252
まーくんがおじさんにあてた不良化レターもPS部分がキツキツで、
しかも「書き忘れたけどよぉ」みたいなかんじで現物見ると笑えるw
そのくせ家臣に「こういうふくさ買ってこい」というただのお買い物メモは無駄に達筆w
275人間七七四年:2009/09/12(土) 00:34:59 ID:N1xu4RBp
>>266
静岡のほうだよ。
ちなみに家康は広家は伏見にいると思って荷車で東海道経由で送ったら
国許に帰っていたので周防まで船で届けたとか。
さすがにお湯が腐ってそう。

>>272
幻滅という文字見て思い出したけど北条時代は熱海も伊東も幻庵の領地なんだよな。
この人は箱根権現社別当もやっているから、南関東の温泉独占状態。
そりゃ健康で長生きもするわな。
276人間七七四年:2009/09/12(土) 00:40:22 ID:wOfHcRTg
>232
返書「まっことに気を散じ候」アースッキリシター NADEGIRIヒャッハー!!
277人間七七四年:2009/09/12(土) 00:49:53 ID:3t9ai995
日本語で桶
278人間七七四年:2009/09/12(土) 01:19:57 ID:HYMmo1Cv
お湯が静止状態なら腐るだろうけど、荷馬やら馬車やらでバシャバシャと揺らしていったら、
そう簡単に腐らんでしょ。

船だと、何ヶ月単位で水の供給が受けられないんだし。
279人間七七四年:2009/09/12(土) 01:25:51 ID:EjvCHf+m
バシャバシャ揺らしてたら腐りにくいってどんな理論なんだ?
280人間七七四年:2009/09/12(土) 01:41:01 ID:HYMmo1Cv
281人間七七四年:2009/09/12(土) 01:56:01 ID:nOvr/i3A
>>280d
勉強になった
282人間七七四年:2009/09/12(土) 02:31:11 ID:a+LT0xNZ
でも空気を入れてやればやるほど、
菌自体は元気になって増えるよな
283人間七七四年:2009/09/12(土) 02:35:25 ID:JNFZ6HBH
有馬だっけ
内裏に運んで天皇が浸かってなかったっけ
284 :2009/09/12(土) 09:38:26 ID:1MgZGc+2
そういえばどっかで読んだ気がする程度の記憶なんだけど
江戸時代に江戸の銭湯がどこぞの温泉の湯を持ってきて使ってたような。
285人間七七四年:2009/09/12(土) 10:39:57 ID:+6Gok7qn
貴人が入浴した残り湯は万病に効くなんていう俗説もあるくらいだから、
もしかしたら神君が浸かった残り湯を運んできたのかもしれません。
286人間七七四年:2009/09/12(土) 11:05:29 ID:p9yOLngW
>>266
磐梯熱海温泉は飲める(温泉神社源泉引湯のみ)
ぬる湯だから夏はおすすめである
287人間七七四年:2009/09/12(土) 12:39:08 ID:cSsJAlzG
>>285
俗説っつーか、平成のこの世にどこぞの宗教団体でもやってたがなw
288人間七七四年:2009/09/12(土) 12:42:00 ID:KwSI6kcu
>>285
美人が入浴した残り湯なら万病に効かなくても飲みたいだろ?
289人間七七四年:2009/09/12(土) 13:13:27 ID:8gNtgxW+
こういうお見舞いに湯を送るってのは、今の温泉のもとを送るのとは感覚的にも違うんだろうな・・・
290人間七七四年:2009/09/12(土) 14:30:46 ID:8vIoumr7
>>288
↓以下、どの有名人なら飲みたいかを語るスレになりました。

俺は小倉優子と、石原さとみかな。
291人間七七四年:2009/09/12(土) 15:12:53 ID:Xyv+ugs7
>>290
お玉に決まっておろうが・・・
292人間七七四年:2009/09/12(土) 16:20:13 ID:cg47rb/5
万千代でお願いします
293人間七七四年:2009/09/12(土) 16:25:53 ID:vKiMQbck
酒の席でコリン星人の馬鹿声延々聞かされ続けるのって苦痛だな…
294人間七七四年:2009/09/12(土) 16:31:30 ID:tkS4qPLM
>>290
私は下賎の者ですが、
ちらりと覗き見る事ができたガラシャ様が忘れられませんので、
宜しくお願い申し上げます
295人間七七四年:2009/09/12(土) 16:55:26 ID:4p4dhqtE
拙者は巴御前が…
296291:2009/09/12(土) 17:04:42 ID:Xyv+ugs7
>>294よ願いをかなえてやろう
儂の屋敷に来るが良いぞ・・・
297かような意見もありますぞ:2009/09/12(土) 19:07:12 ID:xhBNABjt
武田信繁
「たとえ、どのように親しい交際をしている者でも、淫乱な雑談をしてはならぬ。
もしも、他の者からそんな話をしかけられることがあったならば、こっそりと立ち去るがよい。
古い言葉にも、思うことを全部口にしては笑いの種となる。とある。」
298人間七七四年:2009/09/12(土) 19:26:38 ID:j9bb5RrK
お義…
299人間七七四年:2009/09/12(土) 19:35:57 ID:nLyciz8F
伝説の美少年誕生の瞬間

この子の人生は蒲生氏郷が狂わせたと言っても過言ではない
氏郷が将兵の観閲を行ったおりに見物人の中に
ひと際、見目麗しい光を放つ子がいた。

氏郷はその場で速攻この子を嫁に貰うと決め家臣たちにすぐに探させた。

もちろん一般人との縁談なんてあまり頂けるものではない
が、氏郷かなり本気らしく家臣の一部もその子を見ていて納得し
周囲の人々に特徴を話すとすぐにどこに住む子か判った。

氏郷とうとうその子の居場所を見つけて追い詰めた
そこは京の都の建仁寺・西来院 やっと見つけた
が、そこに住んでた当の子は女の子じゃなく男の子。

でも、氏郷が本当にびっくりしたのはこの子が織田家の子供でかなり気が強い。
信長公が幼いころはこんな感じだったのかな?と氏郷もついつい笑みをこぼす。
これは運命だから連れてくしかないと半分誘拐まがいに連れて行って大変可愛がった。

少し時がたつと、この子ガチで戦場で暴れまわる、今でいうとDQNな子
なんでも一番が良いとはいえ氏郷親衛隊なのに真っ先に特攻しまくる
特攻気質な氏郷様を抑えるのが本来のお仕事なのに。

何もしてなくても目立つのに派手物好きでよく目立つ
ついたあだ名が一番槍、男も女もわらわら寄ってくる。

15になる時には槍でこいつの右に出る奴はいねぇ
と言われる程までの氏郷自慢の美少年に仕上がった。

女踊りに神楽歌、絶世の舞太夫に世間の誰しもがこれを歌う
「槍師 槍師は多けれど 名古屋山三は一の槍」

※都の人々の間では地元の英雄を連れさらった的にうたわれてしまうが
京都建仁寺では母が山三郎は次男なので縁族にあたる
蒲生家で大事にして貰えるよう氏郷に託した とちゃんと残る。
300人間七七四年:2009/09/12(土) 19:59:55 ID:7R8dZ+Wi
まーくんが九戸の乱で蒲生を出し抜こうとした時「うはっwこれはチートw」
って言ったくらいだからどんな容姿だったんやら
301人間七七四年:2009/09/12(土) 20:20:54 ID:c5JkR3I9
>>300
違う形の逸話かも知れんけどそれは九州の時の福島正則で
政宗は九戸政実の時活躍を褒めたんじゃなかったなかったっけ?
天下三美の浅香庄次郎も連隊させてるから十分チートだとは思うけど
302人間七七四年:2009/09/12(土) 20:23:07 ID:I+ZWcShl
名古屋山三郎って、その有名さ、容姿、槍働きのわりに、死に際の石高って
5000石だったんだよなぁ。
303人間七七四年:2009/09/12(土) 20:33:25 ID:G7ny2ckS
昨日パタリロ読んでたせいで美少年と聞くとあんなイメージに
304人間七七四年:2009/09/12(土) 20:34:09 ID:fp+v2Bsm
5000石って大変なモンなんだけどな。たかがとか思ってんの?
305人間七七四年:2009/09/12(土) 20:38:37 ID:G5fEj6RR
名古屋山三郎はその逸話を見ると、演芸はともかく、武士としては、部隊指揮や行政をするわけでもなく
ほとんど槍働き一本だったようだから、個人的武勇だけで5000石は、むしろ破格と言っていいと思う。
306人間七七四年:2009/09/12(土) 20:48:46 ID:GdYEGBO5
山三は元々相手をもてなす外交政策担当なのに戦闘に出てくるのがそもそもおかしい

確か蒲生家でも5000石勤め、森家の最後のあたりだと5300石あたり
槍働きでこれは十分だと思うが、殆ど化粧料として使ってたんじゃ?
確か歴代主君より派手な格好や槍刀の許可を主君から石高代わりに貰ってはず

戦国無双にも甲斐姫・清正と一緒に3人並んだモデリングデータあったから次回あたりくるんじゃ
307人間七七四年:2009/09/12(土) 20:55:22 ID:W3T8TEcv
井戸「ライバルなのに俺の強さがぜんぜん認知されてない・・・名古屋氏ね」
308人間七七四年:2009/09/12(土) 21:03:38 ID:fp+v2Bsm
>>306
化粧料?
309人間七七四年:2009/09/12(土) 21:10:30 ID:lZiPQMCE
>>308
自分や家来衆の見栄えをよくし、外交を恙無く行うための接待費と思った方がいいかな?
現代でも、ピシッとしたスーツにのりの利いたシャツ、綺麗な革靴を揃えるってなると結構かかるでしょ。
そういった身分費用と思えばいいよ。
310人間七七四年:2009/09/12(土) 21:11:31 ID:GdYEGBO5
>>308
化粧料と言うと意味合い変わってくるからちょっと変でしたね
そういう許可を褒美代わりに貰ってたんじゃ?って話です。
井戸宇右衛門が主君より派手な山三の持ち物を投げ捨てて喧嘩してる
>>307
井戸はマジで哀れだと思う。
何言っても忠政から「※ただしイケメンに限る」って返事かえってくるし
山三と天下二分した不破万作に名前乗っ取られて井戸本人空気だし
311人間七七四年:2009/09/12(土) 21:12:20 ID:cg47rb/5
ここって名古屋山三郎とか戦国美少年の好きな人多いな
戦国板に出入りしてるだけあって、そういう趣味になるのかな?
俺はちょっと勘弁したいわ
312人間七七四年:2009/09/12(土) 21:15:08 ID:lZiPQMCE
>>311
眉目秀麗であればどうしたって恋の鞘当が始まるでしょ。
そういったところから人間性が垣間見える逸話が出てくるわけで。
313人間七七四年:2009/09/12(土) 21:16:01 ID:G5fEj6RR
>>311
この当時の「美少年」は、現代的な意味で捉えてはいけない。
むしろ「美丈夫」と表現したほうがいいかも。
314人間七七四年:2009/09/12(土) 21:23:53 ID:2CPkg1Kh
最近山三郎大杉&食いつき杉だからだろ…
315人間七七四年:2009/09/12(土) 21:26:01 ID:W3T8TEcv
山三郎は確かに最近、登場頻度が高いなw
316人間七七四年:2009/09/12(土) 21:26:14 ID:G5fEj6RR
>>314
メジャー武将の逸話はもう、あらから出ちゃったからでしょw
名古屋は比較的逸話の豊富な人だし。
317人間七七四年:2009/09/12(土) 21:26:46 ID:ig1jq0gu
でしょでしょ
318人間七七四年:2009/09/12(土) 21:41:36 ID:7R8dZ+Wi
話題が出尽くしてマイナー所に移ってるのもあるけど
俺なんて全く関係知らずに秀吉と名古屋因幡守の話書いちゃったし

気分悪く思った人がいたなら悪かった
319人間七七四年:2009/09/12(土) 21:43:02 ID:s7S2ikNq
本当にまとめが平成の名将言行録かってくらいのボリュームになってるからな
まだまとめに名前のない(戦国板的に)メジャーな大名とかっていうと誰がいるかな
パッと見気がついたとこだと北信愛とか北条綱成とか居ないな里見も義弘しかいない
320人間七七四年:2009/09/12(土) 21:48:27 ID:yN9o+aW1
うーん…
一色、姉小路?
東北と四国も政宗と長宗我部が引っ張ってるけど他が少なめ
321人間七七四年:2009/09/12(土) 21:54:45 ID:GdYEGBO5
まとめサイトだけで戦国逸話本出せそうなくらいあるからなw

名古屋山三自体逸話の多い人物だが本人まだ2・3個しか出てないし
間接的に出てくるくらい武将話が濃くなってきてる証拠だろ

他で言うと四国・琉球・北海道勢だな日本に含めて良いかどうか難しい所もあるが
322人間七七四年:2009/09/12(土) 22:05:44 ID:4JsSTyC6
北陸もちょっと少ない気がする
前田家関係者だけで逸話の半分超えてる現状なので他の北陸の武将も知りたいなー

メジャーな大名でも
大友宗麟は意外と少ない気がする
フロイス神父の日本史から持ってくればネタ盛りだくさんだと思う

鍋島直茂・勝茂親子も葉隠れとかに言行録がもっといっぱいあった気がする

そして昨日唐入り関係のスレ見て興味持って検索したんだけど
宗義智の項目がないのに初めて気づいた
323人間七七四年:2009/09/12(土) 22:11:03 ID:tnArwO0s
>>321
せめて四国は日本に含めてくれw
324人間七七四年:2009/09/12(土) 22:11:14 ID:cg47rb/5
>>318
ごめん、別に気分が悪くなったわけじゃないよ
山三郎が嫌いなわけでもないし
325人間七七四年:2009/09/12(土) 22:35:40 ID:Dm1+TV1f
しかしまあここの住人はどういうところからソース持ってきてるのかね?
いつも脱帽するわ

地元の図書館、資料館とかにも逸話が埋もれてるんだろうか
326人間七七四年:2009/09/12(土) 22:42:21 ID:CP5hl7uD
>>325
住んでる地域の地誌とか郷土史関係とか結構色々載ってるよ
江戸まで家が残ってるとこなら自家の歴史をまとめたものとかあるし
327人間七七四年:2009/09/12(土) 22:43:36 ID:yN9o+aW1
>>322
北陸は越後が入らない狭義の分類だから面積も狭い
越後入れると多分それなりになるはず
328人間七七四年:2009/09/12(土) 22:46:23 ID:yN9o+aW1
>>326
うちの地元は郷土史覗いてもほとんど無いわ
資料や逸話が残ってるかどうかは場所によるだろうね
329人間七七四年:2009/09/12(土) 22:48:28 ID:GdYEGBO5
>>323
すまん四国は当時でも日ノ本国に違いないなw

江戸記の逸話集の記述から持ってきてる奴が多いと思う
ソースなんていらないと言うと大げさだが逸話・伝承レベルで良いのに
ソースをすぐに挙げれる奴ばっかだから(書きこんだ本人に関わらず住人も)

図書館どころか意外と危ないところにまで足を突っ込んでる奴も複数いるんじゃと思ってしまう
330人間七七四年:2009/09/12(土) 23:55:38 ID:HmxaSt83
(´・ω・) 四国カワイソス
331人間七七四年:2009/09/12(土) 23:58:19 ID:CP5hl7uD
四百年経ってこれじゃあ元親が草葉の陰で泣いてるかもなw
332人間七七四年:2009/09/13(日) 00:11:31 ID:X4TvLSMW
 【審議中】
    ∧,,∧  ∧,,∧
 ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )   < 四国は日本国だよな?
| U (  ´・) (・`  ) と ノ     < いや本州と繋がってないし外国じゃね?
 u-u (l    ) (   ノu-u
     `u-u'. `u-u'
333人間七七四年:2009/09/13(日) 00:32:13 ID:am9urXtr
四国のネタは長宗我部が大勢を占めるからなぁ
三好はほとんど近畿だし、来島関係を含めても河野は地味だし、一条家は早々と追い出されてるし
334人間七七四年:2009/09/13(日) 00:34:23 ID:GWn/j0Z5
>>332
お前らは集団で私を怒らせよってからに…
その内県立図書館で蜂須賀様の逸話でも見つけて目にもの見せてくれるわ!
というわけで図書館にそれっぽい本がいっぱいあるでよー
読みやすい最近の本でもいいしその巻末の参考資料であたりつけてもいいし
335人間七七四年:2009/09/13(日) 00:36:07 ID:bz4U44av
スレ住民の四国の有志はいないのか
こんど四国行ったときにでも図書館にでも行ってみるか
336人間七七四年:2009/09/13(日) 00:37:57 ID:D3rIz3S8
戦国初期の四国は、三好も含めて細川被官の天下なんだけど、正直なにをやっていたのか
よくわからないんだよねー。

明応の政権以降、四国の細川領から主だった人間がみんな畿内の戦いに動員されてたせい
なんだろうけど。
337人間七七四年:2009/09/13(日) 00:39:09 ID:YWwZFBYi
うーん半分軍記の創作みたいなやつがネタもとで良ければ明日にでも投下するよ<四国の話
俺、今川さまのお膝元出身だけど……
338人間七七四年:2009/09/13(日) 00:41:02 ID:BkoB4PNt
金子元宅とか勇将もいるんだけど、なかなか逸話が出てこないね四国勢
339人間七七四年:2009/09/13(日) 00:42:28 ID:WkLTOJSW
四国に限らず、三好は天下人になっていたというのに、歴史的資料が少ないんだよねい。
340人間七七四年:2009/09/13(日) 01:40:55 ID:r12bSB4f
戦国時代タイムアップのお知らせ(秀吉)が来るまで、四国独自勢力ってひょっとして外部の軍勢と戦った事がないんと違うか。
100年戦争でのブリテン島並みに影が薄いのもやむをえない気がしてくる
341人間七七四年:2009/09/13(日) 01:48:05 ID:i/OcvtfU
>334
蜂須賀の殿さんが美人に見初められておしかけニョーボ…って話は昔話で聞いた。

いや東四国出身なんでw
342人間七七四年:2009/09/13(日) 01:48:06 ID:5wr5DNHs
四国なら海賊とか海の逸話とかありそうなんだがなあ。
343人間七七四年:2009/09/13(日) 01:49:36 ID:i/OcvtfU
>342リアル陸上のベルリン世界選手権・槍投げ3位銅メダル獲得の村上さんとか?

生名島って因島のすぐ手前だけど弓削とかとひっくるめて伊予水軍の領域だったんだよね
344人間七七四年:2009/09/13(日) 02:12:02 ID:x5UdnZOb
村上水軍の根拠地ってか島は確か今無人なんだっけ?
栄枯盛衰とはいうが…
345人間七七四年:2009/09/13(日) 02:24:43 ID:X7N93jfy
四国の武将

徳島県 三好氏 大西氏  佐藤氏  (阿波)足利氏  新開氏
     一宮氏 海部氏  仁宇氏  阿佐氏

香川県 十河氏 香川氏  安富氏  香西氏 羽床氏
     寒川氏 奈良氏  由佐氏

愛媛県 西園寺氏 河野氏 土居(河野系)氏 土居(穂積系)氏 久留島氏
     能島村上氏  宇都宮氏 大三島大祝氏 重見氏 大野氏 忽那氏
     二神氏 金子氏  石川氏

高知県 長曽我部氏  安芸氏 本山氏  香宗我部氏  一条氏
     大平氏 津野氏  吉良氏  山田氏  豊永氏  片岡氏
346人間七七四年:2009/09/13(日) 02:25:58 ID:X7N93jfy
http://www2.harimaya.com/sengoku/bk_south.html

ここからのコピペです
伊予が多いですね
347人間七七四年:2009/09/13(日) 02:36:51 ID:QeH1xEpR
村上の連中は秀吉に追い出されたろ

来島は自分から陸にあがってる
能島は小早川に従うも元吉だっけ?戦死で断絶じゃなかった?
因島も小早川経由で毛利についてたと思うけど


塩飽の連中はどうなったんだったかな
348人間七七四年:2009/09/13(日) 02:51:28 ID:JoUvlw6g
十河一存が讃岐国池内城の寒川元政を攻めた時のこと。
ある日、一存は近習の鴨部源次が落ち着かない様子でいるのに気づいた。

「そうか…お前の兄は、寒川の家臣だったな。かつての主君や家族に弓は引けまい。
よし、ここで暇乞いをくれてやる。兄と馬を並べて戦場に立て。」
「お言葉ですが殿、私は二心など持っておりません。疑われるのは心外にござる!」
「お前の忠義は知っておる。が、あえて言う。実家に戻り遠慮なく、わしに掛かって参れ。」

感激した源次は、「一存様に太刀打ちするは、必ずや我ら兄弟なり。」と誓いを立て、
一存もこれを喜んで、別れの盃を与えて名残を惜しみつつ、源次を去らせた。

数日後、果たして源次とその兄・神内左衛門が士卒五十人ばかりを従え、一存の本隊へ
真一文字に襲い掛かり、左衛門の槍が一存の左腕を貫いた。
「殿!!」
家臣団の悲痛な叫びもどこへやら、一存は太刀で左衛門の槍を切り折り、返す刀で
左衛門を討ち果たした。
鴨部源次は三人を切り倒し、七、八人に手傷を負わせる活躍を見せ、討ち死にした。

一存は普段と変わらぬ挙動で帰陣した。
「はて、深手を負われたと聞いたが、ご無事だったようだな。」
家臣たちは胸を撫で下ろしたが、しばらく後、一存と湯治に行った家臣は仰天した。
一存の左腕に、生々しく槍の貫通した傷跡が残っていたからだ。
「と、殿!その傷はいったい……」
「ああ、これか?戦の最中に騒ぐわけにもいかんので、塩をすり込んで消毒し、藤ヅルを
巻いて血止めしておいたのよ。」

敵に優位を与え、重傷に平然とする豪胆さに、人は彼を「鬼十河」と呼ぶようになった。
349人間七七四年:2009/09/13(日) 03:33:28 ID:wwdkFitz
鬼だけど普通にいい主君だしかっこいい…
350人間七七四年:2009/09/13(日) 03:52:17 ID:jM56fVvM
近習使って、近習兄をこっちに引き込もうと考えないのは鬼の鬼たる所以か。
351人間七七四年:2009/09/13(日) 04:59:21 ID:743z4B06
四国のエピソードが少ないのは仕方ないよ。
戦国中期まで、紙が無く引き伸ばしたうどんを代用していたから、
ゴキブリ等に食べられて資料の欠落喪失が甚だしい。
352長可:2009/09/13(日) 07:03:05 ID:tzT3tSHC
>>345
なにか?
353人間七七四年:2009/09/13(日) 08:04:15 ID:l/sCoR6d
>>351
ゴキブリ等に食べられる前に…

  く  さ  る
354人間七七四年:2009/09/13(日) 08:16:56 ID:yaiYf0hl
>>353
ちょw
茹でる事前提かよ
355人間七七四年:2009/09/13(日) 08:19:46 ID:QeH1xEpR
干しちゃえば長期保存は可能でしょ
356人間七七四年:2009/09/13(日) 09:15:16 ID:t9J44QyZ
紙が貴重だってのはわかるが幾らなんでもうどんってw
読まずに食べるとかリアル山羊の手紙じゃないか
つーか冗談だよな?
357人間七七四年:2009/09/13(日) 09:33:40 ID:bG9HaH5I
うどん職人が作ったうどん生地に空から降ってきたとても綺麗な命の星が落ち命が宿って誕生した四国の覇者、長宗我部元親
その事はあまり知られていない…
358人間七七四年:2009/09/13(日) 09:39:37 ID:D3rIz3S8
とりあえず四国における讃岐うどんの出現は、江戸期の元禄時代なw

長宗我部さんたちはうどんを食ったことがないか、食ったとしても秀吉に降伏した後
京都で始めて、だっただろう。
359人間七七四年:2009/09/13(日) 09:48:58 ID:zQQdvakO
>>357
さすが蓬莱宮のかんてんと言われることはある
360人間七七四年:2009/09/13(日) 09:52:55 ID:iirgn29n
武田信玄の陣中食「ほうとう」が、旧武田家臣団によって三河徳川家に伝えられた。
それが名古屋名物となっている奇食「味噌煮込みうどん」。
だったらなんで江戸には伝わらなかったんだ?という疑問は置いといて。
四国の大名なら、これ位のエピは欲しかった・・・
361人間七七四年:2009/09/13(日) 10:01:14 ID:zQQdvakO
味噌煮込みうどんって寄食だったのか・・・
愛知県民だからただのみそ味のうどんだとおもってた
362人間七七四年:2009/09/13(日) 10:06:13 ID:am9urXtr
>>360
豆味噌が伝わらなかったんじゃね? 味噌煮込みはあの豆味噌じゃないと
363人間七七四年:2009/09/13(日) 10:18:31 ID:am9urXtr
>>361
一般的にうどん・そば・そうめん=醤油だからなぁ
364人間七七四年:2009/09/13(日) 10:37:51 ID:x5UdnZOb
>>347
いや、かつては栄えただろうに今では一っ子一人いないってのは淋しさを感じる
365人間七七四年:2009/09/13(日) 11:53:34 ID:D3rIz3S8
戦国初期の名将として有名な、美濃の斉藤妙椿。彼は常に頭巾をつけていたが、
頭巾の裏に、用心のためとして鉄を張っていた。

「頭巾と言うのは頭を暖めるためのものなのに、かえって冷やすとはどうなんだ?」

世の人々はこのように言い合い、これは妙椿の耳にも入ったが、それを聞いても、
妙椿は、ただほくそ笑むばかりであった。

さて、ある時の事。人々が集まり、
『兜の重さは何百目ほどが良いか?』と言う事について議論していた。
この時妙椿が

「何百目の鉢は、これこれの時間かぶり続けても疲れを覚えることは無い。
また、何百目の鉢であれば、これをかぶったままこれだけの距離の道を移動しても
大丈夫だ。」

と、実に仔細に解説した。

人々は「何故あなたはそのようなことを知っているのですか?」と尋ねると、

「いやとよ、頭巾に張る鉄の重さで、常日ごろからそれを計っているのさ。
『武士の物具は平日無事のときに身に適う如く作るべし』って、これは私の先祖、
鎮守府将軍藤原利仁の遺戒でね、それを実践しているのさ。」

斉藤妙椿、常在戦地の心がけであった。
366人間七七四年:2009/09/13(日) 12:13:11 ID:dU817lbf
首が鍛えられて太くなってそうだな
367 :2009/09/13(日) 13:32:23 ID:r0KlIGqm
>>363
味噌ラーメンあるから味噌煮込みうどんもありかと思ってたよ。
ちょっとイレギュラーな気はしてたけど
三河人だが普段の食卓には上った記憶がないんだけど名古屋は普通に食べるの?

あと余談だが
八丁味噌は三河の岡崎なんだけど
全国的に八丁味噌=名古屋(尾張)の認識が広がっているため
岡崎の味噌業者さんたちがびきびきしていたりする。
(商標登録でもめてた)
368人間七七四年:2009/09/13(日) 13:37:44 ID:/Z5jX5tg
味噌ラーメン自体邪道だと思います。
俺は好きだけど。
369人間七七四年:2009/09/13(日) 14:04:52 ID:DflokL77
水戸黄門「北海道の味噌ラーメンは旨かったなぁ」
370人間七七四年:2009/09/13(日) 14:43:36 ID:t9J44QyZ
鹿介「尼子SAIKO!味噌SAIKO!YAH!」
371人間七七四年:2009/09/13(日) 15:03:41 ID:rnv73Bci
家康「これは味噌じゃ」
372人間七七四年:2009/09/13(日) 15:30:58 ID:zQQdvakO
>>367
食べるときもあるよ
でも味噌煮込みようの麺を買ってくるが
普通のうどんの麺だと味が染みすぎて味噌味が強すぎるんじゃないかな
373人間七七四年:2009/09/13(日) 15:54:15 ID:A93g4jzz
>>364
のちの鉄ゲタである
374人間七七四年:2009/09/13(日) 16:10:43 ID:nTZQSObi
名古屋人って味噌好きだよね
俺、味噌カツだけはちょっと…
375人間七七四年:2009/09/13(日) 16:15:28 ID:5v7CdGBH
小腹が空いたので小ネタ(?)

大友宗麟「パードレ殿、もうすぐ復活祭ですな。当日、信者達で食べるにふさわしい
お国の食い物などはありませんかな?」
ガスパル・ヴィレラ「ソウデスネ、私の故郷デハ『パエリア』ヲ食ベテイマシタ。
米トサフラン、イロンナ具材ヲ炊キ込ンダゴ飯デス。キット日本人モ気ニ入リマス。」
宗麟「ふむ、さふらんとやらはクチナシで代用するとして…作らせてみるか。」

宗麟「・・・どう?」
ヴィレラ「・・・ナンカ違ウ気ガシマスガ、オイシイデス。」
という訳で出来たパエリアもどき『黄飯』、のちに臼杵の領主となった稲葉氏が赤飯の
代わりに奨励し、豊後の地に広まったという。

◎材料(3〜4人分)
米・・・3合  豆腐・・・半〜一丁  大根・・・300〜600g(豆腐・大根はお好みの分量で)

ニンジン・・・100g  ゴボウ・・・70g  ネギ・・・1本  エソ・・・中サイズ1尾
(エソなんか売ってねえという山国の方は白身魚で代用してください。キス・アジ推奨)

サラダ油・・・大さじ1  日本酒・・・大さじ1  しょう油・・・大さじ2  クチナシの実・・・3個
(クチナシは大手スーパーで買えます、ヘタすりゃ粉末で売ってます)

◎黄飯の作り方
1、クチナシを砕いてゆるま湯100ccにつけ、汁を作る(山吹色に染まるくらいつける)
2、できた汁と適量の水で米を炊く。

◎かやくの作り方
1、豆腐に重しを乗せ、水気を切る
2、ゴボウを細くそぎ、水につけてアク抜きする
3、魚を焼いて、身を良くほぐす
4、厚手のナベ等で拍子切りにした大根・ニンジンを炒め、さらにゴボウと豆腐を
ほぐしながら入れ、炒める。
5、魚とブツ切りにしたネギ、調味料を入れ、フタをして煮込んで出来上がり。

黄飯とかやくを別々に食べても良し、かやくを黄飯にぶっかけ、かき込むも良し。
金とヒマのある方、夕飯にでもドゾー
376人間七七四年:2009/09/13(日) 16:21:05 ID:D3rIz3S8
>>375
ホントにサフランライスに見える。
たいしたもんだなあ
http://www.pref.oita.jp/10500/postcard/usuki/chubu_07/ouhan.JPG
377人間七七四年:2009/09/13(日) 16:21:14 ID:f5Mbhd6r
ポルトガルやスペインの一部ではかなり本格的に米を食うから
今でも病気の時は塩入れた粥とか食うらしい
フロイスなんかも体壊したときはそれ食ってたりするんだよな
378人間七七四年:2009/09/13(日) 16:43:29 ID:WkLTOJSW
ちなみに、イベリア半島の米食はイスラム支配の影響だったりする。
379人間七七四年:2009/09/13(日) 16:54:02 ID:x5UdnZOb
クチナシなんて使った事ねぇ…
近所のスーパーで売ってるかな?
380人間七七四年:2009/09/13(日) 17:01:24 ID:D3rIz3S8
>>379
クチナシの実は、キントンを黄色く染めるのに使われているようだ

http://item.rakuten.co.jp/e-sbfoods/89094/
http://www.rakuten.co.jp/e-trend/486112/486828/501689/557450/#697767

大きめのスーパーなら売っているかな?
381人間七七四年:2009/09/13(日) 17:03:41 ID:x5UdnZOb
あー、なんかシナモンの棚にあった気がするな
ちょっと探してみるわ
d
382人間七七四年:2009/09/13(日) 17:11:03 ID:rM/O4ano
>>348
久ちゃん「おや、その腕の治療には温泉がよろしいでしょうな。あ、馬は葦毛はやめなされ」
383人間七七四年:2009/09/13(日) 17:23:48 ID:uE/tKlCk
>>374
そんなに味噌好きでもないぞ。どちらかというと普段はソースだ。
でも味噌カツはうまい。
384人間七七四年:2009/09/13(日) 18:25:24 ID:vABAo2tN
権現様の焼味噌をうどんに入れて煮込むわけか。
385人間七七四年:2009/09/13(日) 19:03:58 ID:zQQdvakO
食い物で下品なこというのヤメロ
386人間七七四年:2009/09/13(日) 19:54:12 ID:YWwZFBYi
天正二年、四国統一を目指す長宗我部元親は三間大森の国人で西園寺家の家臣、土居清良の城、岡本城を攻めようとしていた
土居清良は当時の土佐の国人としては珍しいくらいのインテリで、農業書の著者としても知られているが
三間大森は狭い小さな国であり、土佐の一条の侵略からいつもギリギリで国土を守っている有り様であった

圧倒的に数に勝る長宗我部軍は、まず岡本城に忍びを放ち、城内の様子を探らせた
「どうやら城内はみな前線に集中していて前線以外は手薄な様子」
報告を受け、元親は本隊の進軍を止めると、夜を待って少数の精鋭部隊を岡本城に送った
だてに四国を蹂躙してきたわけではない長宗我部軍の精鋭たちである。
その圧倒的力を前に、岡本城はあっという間に制圧されてしまうのだった

岡本城が落ちたという報告を清良は大森城で受ける
深夜の闇の中、大森城からも岡本城の火が見えた
家臣たちは当然慌てたが、清良は全く動じずに物見のものを呼ぶと
「それで、長宗我部本隊は今はどこにいる?」
と聞いた
「三間川の下流におるようです」
387人間七七四年:2009/09/13(日) 19:56:21 ID:YWwZFBYi
「そうか、ならば着くのは明け方あたりか……よし、出陣じゃ!全員出るぞ、
奴らがことだ、おそらく今岡本城内では祝いの宴の最中じゃろう
本隊が到着する前に岡本城を取り戻す
静かにやるぞ、気付かれぬように行け」

元々地の利は土居軍にある。
清良たちは闇に紛れて岡本城に着くと、祝い酒に酔いつぶれた長宗我部の兵たちを片っ端から討ち取った
そして城を奪還した清良は長宗我部軍の旗を上げたまま、夜が明けて長宗我部本隊が到着するのを待ち構えた

やがて到着した長宗我部軍は、岡本城に長宗我部の旗が上がっているのを見て、すっかり油断して近寄ってきた
その時を待っていた清良は、自慢の鉄砲隊に命じる
「撃てええ!」
数百の鉄砲が長宗我部軍を一斉に攻撃し、ほんの一刻も過ぎた頃には、長宗我部軍は大壊走していた。
その様を大笑しながら眺め、清良は岡本城の旗を土居軍のものへと変えたのだった。
この戦いで家老・久武親信を討ち取られた元親は、怒り心頭で何度も三間を攻めたが、
約30回におよぶ戦いのうち、一度も清良に勝つことが出来なかった

元親を苦しめた土居清良の武名は当時よく知られ、小早川隆景をして
「清良を5カ国の大将にすれば必ず天下を統一する」
といわしめたという。

まあ大半は軍記の記述なんで怪しいかもしれませんが
農業指導に力を入れた清良はその後も土地の人々に慕われ、
現在でも彼を祭った神社が大切にされているそうです
388人間七七四年:2009/09/13(日) 20:53:54 ID:x5UdnZOb
判官贔屓じゃないけど小さな勢力が大きな勢力を打ち破る話ってのはやっぱり気分が良いな
389人間七七四年:2009/09/13(日) 21:06:14 ID:RD/5xSXu
>>383
それは絶対ウソ。ヒント:つけて味噌、かけて味噌


大河見てて思ったけど、
逆賊にされた時点で、義に暑いはずの上杉は負けじゃなかったの?
390人間七七四年:2009/09/13(日) 21:19:03 ID:iirgn29n
>>386-387
清良を「きよら」と呼んで妙に萌える名前だと思ってしまった・・・

391 :2009/09/13(日) 21:33:30 ID:r0KlIGqm
あれ、もう一人オレがいるぞ
392人間七七四年:2009/09/13(日) 21:33:38 ID:MfgZ4juo
隆景から高評価とかすげーな
出身と名字からすると宗珊さんの同族かな?
393人間七七四年:2009/09/13(日) 21:51:23 ID:YWwZFBYi
>>392
違うみたい
ただ幼少時に大友氏に一族を討ち取られて
一条家の土居家を頼ったことはあるらしい
なんだか複雑なんで土佐に詳しくない駿河人の俺にはよくわからんが

でも土佐の土居さんはすごい人多いよな
394人間七七四年:2009/09/13(日) 22:41:24 ID:sNUjH/MB
>>386-387
この戦も色んな種類があるよな
長宗我部側の指揮官が久武さんだったり、大きな戦役の一部だったり
また城ではなく隘路に引き寄せて鉄砲で仕留めたという話も

それくらい衝撃的な戦だったのかもね
395人間七七四年:2009/09/13(日) 22:48:32 ID:sNUjH/MB
あ、ついでに質問
元の軍記では天正2年と記されてたんですか?
396人間七七四年:2009/09/13(日) 22:56:48 ID:YWwZFBYi
>>395
うん
ただ明らかに長篠を意識した記述だと
俺は思った
そのまま書いたけど
397人間七七四年:2009/09/13(日) 23:07:09 ID:sNUjH/MB
>>396
感謝
伊予侵攻より数年早いのはなんでだろうと思ってたけど、
なるほど、長篠を意識したってのはそれっぽい話だ
天正2年だとまだ安芸氏の残党と戦ってる頃だしね
398人間七七四年:2009/09/13(日) 23:26:14 ID:zQQdvakO
吉川弘文館の西国の戦国合戦だと天正7年の出来事になっているな
根拠は知らん
399人間七七四年:2009/09/13(日) 23:28:51 ID:avWYXPq4
>>388
「土佐の」とあるから、三間大森ってどこだ?と思ったら、一時期一条氏の元にいただけで、
守ったのは伊予だったんだね。(ぎりぎり四万十川流域ではあるが)
400399:2009/09/13(日) 23:29:38 ID:avWYXPq4
>>387 ですた、スマソ
401人間七七四年:2009/09/13(日) 23:50:18 ID:YWwZFBYi
>>399
ごめん伊予だった
一応国人としては伊予の人だなこれ
西園寺に従ってるし
ただ一時的に一条家にいたりして難しいんだ
402人間七七四年:2009/09/14(月) 07:29:13 ID:Quyivk8a
>>357-358
昔はいまの「すいとん」みたいな団子状や平べったい餅状のモノだったってね。

・・・・・・唐から弘法大師が持って帰ったという眉唾創世伝説が
(讃岐では何かあると御大師さんか平賀源内先生、あと国司だった菅公=天神様の御恩がデフォw)
403人間七七四年:2009/09/14(月) 08:48:51 ID:lmGUfOcK
>>402
えー!
大陸帰りの空海がうどんを日本に伝えたってのは信憑性薄いの?
今までその説を疑うことなく信じてたよ。
404人間七七四年:2009/09/14(月) 11:21:13 ID:8frzhnln
>>403
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%93#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
空海に関してはあくまで伝説扱い。
405人間七七四年:2009/09/14(月) 12:00:09 ID:rD8NfB1w
リアル話ですまん。

>403-404
ただ歴史的にオリエントから中央アジアを経て、中国から日本へ
小麦を練った麺やパンの原型が持ち込まれたってのは確実っぽい。時期はともかくwうぇ
「さぬきうどんのルーツを探る」研究かなんかに便乗して
地元鉄道・バス会社や地元自治体・商工会のえらいさんがなんとかスタンを見て回ってたよ
406人間七七四年:2009/09/14(月) 12:07:50 ID:Ukjqws9Y
そんな旅する金あるなら水を何とかしろよw
って作左が言ってたでごさる
407人間七七四年:2009/09/14(月) 14:11:22 ID:X+qUTejv
無ければ奪うまで・・・と鬼十河が言ってました
408人間七七四年:2009/09/14(月) 17:40:46 ID:0D8apnLA
鬼吉川の烏帽子

応仁の乱の凄まじい武勇により「鬼吉川」と、また、体中戦傷だらけだったことから「まな板吉川」、との
異名を天下に轟かせた吉川経基。彼が京にあったときのこと

ある時内裏の内から塀の上に、烏帽子が一つ、ひょこひょこと動いているのが見えた。
内裏の塀は相当の高さがある

「さては不敬にも、内裏の前で乗馬しているものがいるな!」

近衛の者達が怒り、懲らしめてやろうと内裏から外に出る。
が、そこには馬に乗るものはおらず、数人の下僕を従えた徒歩の、見上げるような巨躯の侍がいた。
彼こそ、吉川経基であった。
経基はその長身ゆえに、烏帽子が内裏の塀の上にまで出てしまったのである。

経基の武勇を知っているものが、内裏にこの事を報告すると、時の帝は大いに興に思い、
経基を呼んで、彼の風貌を寿ぎ、盃酒を与えた。

ところがこの時どうしたことか、上のほうから一匹の大きな蜘蛛が盃の上に落ちてきた。
しかし経基

「蜘蛛に驚いてこの盃を頂かぬは武士の恥である」

と、蜘蛛ごとそれを、平然と飲み込んだと言う事である。

戦国早初期の「鬼」のお話。
409人間七七四年:2009/09/14(月) 18:16:12 ID:RgkST94r
まぁ!食いしん坊さんね。
410人間七七四年:2009/09/14(月) 18:59:42 ID:fq59GODa
>>408
やる夫元就?
411人間七七四年:2009/09/14(月) 20:15:36 ID:BZliFWlG
まな板と聞いて貧乳な吉川タソを思い浮かべた
412人間七七四年:2009/09/14(月) 21:17:39 ID:3aMMlUJR
十河一存とうどんの話が出ていたので、その養子存保が酷い目にあった話とうどんの関係。

その1
十河一存のあとを継ぎ、東四国における三好氏の勢力回復に努める存保であったが、長宗我部氏の勢いにはとてもかなわず、阿波勝瑞城を放棄し、讃岐虎丸城に移る。
秀吉に救援を依頼するも柴田勝家と一触即発状態の秀吉はそれほど戦力を割けるはずもなく、既に淡路に派遣していた勢力を派遣するにとどまった。
この軍勢の指揮官が仙石秀久。
突撃しか出来ないことで有名な秀久にしては珍しく、伏兵を置いて、進軍してくる長宗我部勢に奇襲をかけることに成功する。

しかし、兵力の計算が出来ていないあたりさすが秀久というべきか、深追いしすぎた結果、数に勝る長宗我部軍からの大反撃にあい、幟まで奪われるという大敗退。
秀久はその後、淡路へ逃げ帰り、制海権維持にのみ努める結果に。
役立たずを送られただけの十河氏は四国での勢力を失い、秀吉を頼って大阪へ逃れる羽目に。

続く
413人間七七四年:2009/09/14(月) 21:32:56 ID:3aMMlUJR
その2

その後、なんやかやあって秀吉の九州征伐。
そう有名な戸次川の戦い。
仙石秀久が大敗を喫した例のあれである。
で、書こうとしたら、すでにまとめスレにあった。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-73.html

十河存保が仙石秀久に繰り返し酷い目にあった話というか、十河氏と長宗我部氏との奇妙な因縁というか。

さて、このままだと悪い話なので、うどんと結びつけてちょっといいかもしれない話。

前段の引田の戦い。
仙石軍が配した伏兵部隊の一部隊長を任されたのが、森権平。
当時、わずか18歳。
秀久の通称、権兵衛と名前が似ていたことから特別に目をかけられていたといわれており、この戦いでも奮戦する。
長宗我部軍の反攻にあい、逃走する仙石軍の殿をつとめるも、奮戦むなしく討ち取られることになる。
権平の戦いぶりと若くして死んだことを哀れんだ地元の人たちは彼を祀る祠を建てる。
非常に足が大きかったということで、足の神様として香川県東部では知られており、今も大きな草鞋が祀られている。
さらにこの権平の名を冠したうどん店も営まれ、香川県東随一の人気店となっている。

と、むりやりうどんと結び付けてみたが、どう考えてもいい話じゃないな・・・。
スマン。
414人間七七四年:2009/09/14(月) 21:45:26 ID:71Xw8oBh
>>387
この辺に仕事で行ってたことある。
旧 三間町、今は合併して宇和島市の一部

土居中(どいなか)という地名がある。

415人間七七四年:2009/09/14(月) 22:07:32 ID:5PB1mHPh
……ド田舎というアクセントで読んでしまう
地元の方すみません
416人間七七四年:2009/09/14(月) 22:25:04 ID:5PB1mHPh
そういえば今見ていたらこんな話があった
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2371.html
こちらだと天正七年の出来事になっているね
長宗我部にとっては結構痛い敗北だったんだ
「夏草の賦」で読んだ覚えがないのがなんだか残念
417人間七七四年:2009/09/14(月) 23:26:42 ID:Q8uQsZmS
夏草の賦を読み返してみたら岡本城の記載は5行のみで
久武内蔵助は討死ではなく重傷になっていた

その前後のエピソードにものすごーくあっさり
418人間七七四年:2009/09/14(月) 23:54:25 ID:HTk7N7Ub
>>415
鬼十河にあやかり髪を十河額にしたら許す
419人間七七四年:2009/09/15(火) 00:02:23 ID:klaKSxsB
>>418
> 十河額(そごうびたい)
>
> 前額から頭の中央にかけて月代(さかやき)を、四角に大きく剃り込むもの

ファンキーにもほどがあるな。
420人間七七四年:2009/09/15(火) 07:28:53 ID:suIwK1zd
>>416
討ち死にした久武内蔵助は伊予軍代、南予方面の最高責任者だからねー
阿波、讃岐の制圧を急ぎたい元親にとっては、背後を任せられる貴重な人物だったわけで
421人間七七四年:2009/09/15(火) 11:22:08 ID:9WP15cYX
弟者が早逝してなきゃねぇ
422人間七七四年:2009/09/15(火) 12:20:46 ID:gDzeYt2Y
>>417
やはり主人公サイドに都合悪い記述はあっさりするのは世の常w
423人間七七四年:2009/09/15(火) 13:43:20 ID:kJABe3gc
>>408
まな板と聞いて貧ny・・・傷だらけって事ね
424人間七七四年:2009/09/15(火) 15:48:16 ID:1tT5f1Zg
>>421
ああ元親実弟の吉良さんか。

久武「弟」なら長宗我部改易後もしぶとく生き延び細川さん斎に仕えてたから一瞬?ハテナだったわ。
425人間七七四年:2009/09/15(火) 17:57:22 ID:ah9FCQZA
>>418
鶴瓶の髪型それだよなw
426人間七七四年:2009/09/15(火) 19:00:37 ID:R9wO3NpF
「譲れないもの」

戦国の生き残りも少なくなってきた頃、家綱が11歳で4代将軍を継いだ。
で、御三家の一人水戸光圀が諸侯の前で大見得を切った。
( ゚Д゚)「もし謀反を企む奴がいたら、幼君が継承したばかりの今こそ絶好のチャンス!
だがしかし!!そんな奴はこの光圀が一番槍となって叩き潰す!!
この中にいたらかかってこい!!」
無論、名乗りでる奴なんていない。と思ったら一人の大名が立ち上がった。
 ∧_∧ 
(´∀`#)(びきびき)
井伊直孝である。幕府の重鎮にして、数少ない戦国生き残りの武功派であった。
普段は口数少なく、人格者でもある彼が本気で怒ってた。
(;゚Д゚)「(え?なんで?)」
 ∧_∧ 
(´∀`#)「あのさ、徳川の一番槍は家康様の頃から井伊家って決まってんだけど?
あんたがいつ家康様に一番槍命じられたんだよ!?」
Σ(゚Д゚,,)「(そこかよ!)」

武士として絶対に譲れないものがある。直孝の・・・いい話だよね?



427人間七七四年:2009/09/15(火) 19:52:22 ID:zwCGjaNB
中二的にはそこで「わしも謀反は許さんぞー!」「おお」
なんだろうけど、これはめんどくさい味が出てて良い話だw
428人間七七四年:2009/09/15(火) 20:54:53 ID:Te+Uayyy
歯の神様

この話にも出ている
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2769.html
水野勝成のかつての主家の姫であり、勝成と結婚後
その後は、彼女の侍女のお登久が、勝成嫡男勝俊を生んでしまったけれど
それでも正室と同じ扱いをされたお柵の方

実は彼女は生涯歯の痛み
つまりは虫歯に悩まされていた。

それは結果的には彼女の命を奪う病となり
死の間際、彼女は遺言を残した。

「私は生涯この病により苦しみました、
その痛みは言葉に言い尽くせなく耐え難いものでした。
ですので、私の死後、歯の痛みで悩んでいる者が
私のお墓で祈願をすれば、その痛みを取り除いてあげましょう」

彼女は、こう言い残し亡くなったのだという。

その後、旅をしていた実誉と言うお坊さんが、
旅先の福山に滞在中、歯痛でどうしようもなくなり、土地の噂で
上の話を聞き、藁にもすがる思いで、彼女のお墓の前で祈った。
そうしたら歯の痛みが止まり、たちまち回復したという。

お坊さんはこの出来事に感動し
彼女の墓所の土を貰い受け、江戸の善長寺に持ち込み祀ったのだという。

後に、歯痛の神や歯神として、この話は各地に広まり
江戸時代、善長寺は信仰を集めたという。
429人間七七四年:2009/09/15(火) 21:09:59 ID:9g27LnlJ
>>418-419
後世、流行ったんだよね十河額
430人間七七四年:2009/09/15(火) 21:21:24 ID:Te+Uayyy
>>428
すいません、最後の行ですけど

×江戸時代、善長寺は信仰を集めたという。
○江戸時代、彼女は歯神「おさんの方」として信仰を集めたという。

に修正お願いします。
調べてみたら、そのお寺以外でも信仰されてたようで
431人間七七四年:2009/09/15(火) 21:23:12 ID:/1DLcE88
いい人だなあ
432人間七七四年:2009/09/15(火) 22:07:21 ID:ZFMPPllo
>431
ほんとだ
そんな人だから子供産まなくても正室として扱われたのかもな
433人間七七四年:2009/09/15(火) 22:28:22 ID:P6u6Cy93
真の大和撫子だな
なんつーか色々な逸話見てたら今も昔も女は変わらん気がしてきた
434人間七七四年:2009/09/15(火) 22:44:33 ID:klaKSxsB
長宗我部鞍

大阪夏の陣で、豊臣家は滅亡。
豊臣についた長宗我部盛親は落ち延びたものの、京の八幡の葦原に潜んでいたところを、
蜂須賀家の家臣・長坂七郎左衛門に見つかり、捕縛。六条河原で打ち首となった。

さて、大阪城より盛親に付き従っていたものの中に、中内と言う侍がいたのだが、
この中内、盛親の斬首の後、蜂須賀家に仕えた。

中内は盛親から生前、一つの鞍を直々に頂いており、彼はこの鞍を家宝として、
蜂須賀家に仕えた後も非常に大切にしていた。
そしてこの鞍には何故か、「中内以外のものが使うと、必ず落馬する」と言う、
不思議な言い伝えがあった。

この事は、いつしか蜂須賀家中にも知れ渡り、一部の者達が
「そんな馬鹿なことはあるはずは無い、われわれが証明しよう」と、中内よりその鞍を借り受け、
これをつけた馬に乗ってみることにした。

最初の一人は馬に鞍を置くなり落馬した。

「こ、これは馬の気性が荒かったので、初めてつける鞍に興奮したためだ!」

もう一人が、今度は非常におとなしい馬を連れてきた。今度は素直に鞍をつけられた、
これなら安心と、この馬に乗った所、あにはからんや、
三丁も走らないうちにまたもや落馬した。

人々は不思議なことだと話し合い、いつしかその鞍は、「長宗我部鞍」と、呼ばれるように
なったと言う事である。

そんな、今も徳島に伝わるお話。
435 :2009/09/15(火) 22:46:06 ID:gQho86qI
こういう話は和むよね
436人間七七四年:2009/09/15(火) 22:58:46 ID:KJzhm4Wx
437人間七七四年:2009/09/15(火) 23:38:36 ID:klaKSxsB
>>436
まさか民話ベースのお話まで既出だとは…orz

た、多少角度の番う話としてお楽しみください。
438人間七七四年:2009/09/15(火) 23:44:05 ID:+MjMu+bG
得意げに既出じゃねーよ。まとめは、まとめで勝手にやってろや
439人間七七四年:2009/09/15(火) 23:59:09 ID:2ODgdHSm
>>438
まとめにあるってことは、ここの過去スレにに既に書き込まれていたってことだよ。
そう言う意味で既出。

まあこのスレももう13だから、初期から常駐している人間ですら、最初の頃の逸話とか
よっぽどインパクトのあるもの以外は忘れているだろうけどw
440人間七七四年:2009/09/16(水) 00:12:44 ID:36Tqmbzl
瓦剥がせー
銃構えー!
撃ち方よーい!

インパクトってのはこういうことですか
441人間七七四年:2009/09/16(水) 00:14:57 ID:nV04fcJM
>>439
そんなことはいちいち説明されなくてもわかるわ低脳
ネタにいちいちケチ付けにくるなって言ってるんだよ
442人間七七四年:2009/09/16(水) 00:30:07 ID:GI3cWIci
>>441
だよな。いちいち既出既出レスするやつの気が知れんわ
443土井利勝:2009/09/16(水) 01:00:08 ID:Oych8oCG
>>436-442
まあまあ皆様気をなだめられて
某と一献いかがかな?
444人間七七四年:2009/09/16(水) 01:01:03 ID:qZiK2++J
何もそんな言い方しなくても…
ネタにケチつけている訳ではないと思うし
既出レスがウザイと思うのなら、NGワードにでも入れておけばいい

445人間七七四年:2009/09/16(水) 01:02:12 ID:yhhR7GrF
まとめはまとめってのはその通りなんだが既出レスはあった方が良いな
テンプレにもネタかぶりを確認してくれって書いてあるし
446人間七七四年:2009/09/16(水) 01:08:37 ID:O9EQzEHa
既出でもいいだろ
ネタ被りしないように全部チェックすることなんて不可能だし
そんなこと気にしてたらスレが停滞しそう
447人間七七四年:2009/09/16(水) 01:12:11 ID:poAdxNfI
でも同じネタが2つあったら、まとめ管理人さんが困りそうだね
448人間七七四年:2009/09/16(水) 01:21:11 ID:dARnN8s1
なんでこっちがそんなこと考えてやらなきゃならんのだ?
まとめるのは勝手にやってることだから、これからも好きにやればいい
449人間七七四年:2009/09/16(水) 01:28:32 ID:fR4mg7Yd
オカルト板の某スレみたいに出版でもするつもりなのかね
450人間七七四年:2009/09/16(水) 01:29:08 ID:1v6PubAu
書籍化とか前言ってたんじゃねぇのあれ以来まとめとか見てないけど
451人間七七四年:2009/09/16(水) 01:31:07 ID:nDmnjwrw
なんだこの流れ
いきなりお客さんみたいのが増えたのか?
452人間七七四年:2009/09/16(水) 01:33:48 ID:yhhR7GrF
>>448
持ちつ持たれつの関係だから
実際過去の逸話見れるのはありがたいだろ?
>>450
その話はとっくに流れてる
ってか本にする事で管理人が儲けようと企んでるんじゃないかってのが
当時湧いてたけど同人って儲かるモンじゃないしそもそも文字だけの戦国ってジャンルで売れるかw
下衆の勘繰りってもんだ
453人間七七四年:2009/09/16(水) 01:34:04 ID:jCwKIiZ1
>>448
まとめの人のコトは考えなくてもいいが
普通に読んでる人のコトは考えろ
これ前も読んだなって気分になったらお前も嫌だろ、読む方として

投下する人は読む人より偉いって思い始めたらお終いだぞ
職人は謙虚でないと
454人間七七四年:2009/09/16(水) 01:36:14 ID:87DQ02x0
過去スレ見れるし
まとめてやってるんだから既出が無い様に気をつけろみたいな態度をとられても
455人間七七四年:2009/09/16(水) 01:37:49 ID:zVpaANkR
>>453
こいつはとんだ乞食が現れたもんだwww
456人間七七四年:2009/09/16(水) 01:39:21 ID:jCwKIiZ1
>>455
乞食じゃなく、投下している側の基本的な心構えだよ
俺はいつも気をつけている。投下してもレス付かないと寂しいしな
一人でも二人でも多く楽しんで貰う為に最低限の努力はするものさ
457人間七七四年:2009/09/16(水) 01:39:31 ID:yhhR7GrF
>>454
過去スレそのまま保存してあっても武将ごとにカテゴリ分けされてるわけじゃないからな
>まとめてやってるんだから既出が無い様に気をつけろみたいな態度をとられても
誰がそんな態度とってるんだよ…
被害妄想もいいとこだろ

ってか誰が得するんだこの流れ
458人間七七四年:2009/09/16(水) 01:40:15 ID:CbcOPe67
逸話投稿している人間からすると、既出の指摘は別にうざくないよー。
個人的にはむしろありがたい。
むしろこう言うことでスレの空気が悪くなることのほうが辛いw;

てなわけで逸話投下



文禄四年(159)蒲生氏郷が死去したときの事。

蒲生家家臣、曾根孫四郎は、まだ幼少のときに父が死んだにもかかわらず、氏郷が
その本録をそのまま孫四郎に継がせてくれた事を、大いに恩に思っており、
氏郷の死に際し、殉死を心に決めていた。

が、親類や友人達がこれに気づき、彼を押しとどめ、刀脇差を取り上げ、孫四郎が
うかつな事をしないよう、見張りまでつけて監視させた。

ある夜、見張りが寝ているのを見た孫四郎は、この見張りの脇差を奪い、
そのままもろ肌脱いで腹に突き立てようとした。

この時は見張りの者が間一髪これに気づき、孫四郎に取り付いて脇差を奪い、
事無きを得た。

さて、氏郷亡き後、幼い秀行の補佐として、蒲生家を差配していたのは蒲生郷安であったが、
この夜の騒ぎを聞いた郷安は、急いで孫四郎の屋敷へ向かい、彼に切々と説いた。

「孫四郎、そなたが幼い時に、父の本録をそのまま与えられたことを恩に思う事、それは
当然であろう。が、蒲生の家中には、先君より、お前と同じような恩を受けた人々が多くいる。
お前が心のままに死ねば、その人々の立場はどうなるであろう?

どうかその事を考え、殉死を思いとどまってほしい。」


このような説得により、孫四郎はついに殉死を諦めた。

が、世間とは勝手なもので、孫四郎が殉死を止めたと知るや、とたんに家中の多くの者が、
彼をあざ笑い始めた

『命令や道理がどうであれ、一度決めた切腹を、人に説得されて
止めるなどと言う事があるだろうか?

彼の父曾根内匠は武田信玄の下で、なかなかの武士だったそうだが、
孫四郎は、それには遥かに及ばぬ腑抜け者よ!』

そのように口々に孫四郎を、そして切腹を止めさせた蒲生郷安をも嘲った。

が、蒲生郷安はなおも孫四郎を弁護した
彼は会う人事にこう語った

「孫四郎が殉死を思いとどまったことが、武士の面目に瑕のつく事なのなら、
先君の恩を受けながら、殉死すら考えなかった我々は、一体何なのだ!?」

これに、やがて家中の者達から、曾根孫四郎を嘲笑う声は聞こえなくなった、
との事である。

そんな、氏郷死後の蒲生家のひとコマ。
459人間七七四年:2009/09/16(水) 01:41:52 ID:yhhR7GrF
>>455
ネタを投稿してくれる人は重んずるべきだろうが尊大になることを許すかどうかは別問題
460人間七七四年:2009/09/16(水) 01:43:54 ID:bvxjA9bE
尊大って・・かつてそんな人いたかよ
461人間七七四年:2009/09/16(水) 01:47:32 ID:yhhR7GrF
>>458
口だけならなんとでもいえるよな
行動に移せる人はそれだけでも十分立派だよ

>>460
455がまさにそれだろ
逸話を投稿すらしてないのに455のような台詞吐けるならただの恥知らずだな
462人間七七四年:2009/09/16(水) 01:47:44 ID:Ya4n+bso
まあ投下する人は一応
登場する人間や関連語句をまとめの検索機能で検索すべきだとは思う
伊達やラスボスみたいに量が多くても他の語句で検索すれば
重複が見つからないってことはそうはない
俺は投下する時はそれやってからネタをまとめてる

ただしちょっと前に投下されてた松姫の話みたいに、
細部が既出のものより詳細に書かれていたり、
違うエピソードが挟みこまれている場合なんかは異説として読めるし
ほとんど一緒じゃねーか!というもの以外は
そう目くじらたてるほどのものでもねーんじゃとは思う
いや既出でもそんなに目くじらたてなくていいんじゃねーかとも思うけどね
悪意があってやってるわけじゃないんだしな
まとめに掲載するかしないかは管理人さんの判断でいいと思うし
463人間七七四年:2009/09/16(水) 01:48:03 ID:3zqzTm3y
>>458
阿部一族といいこういう殉死の話はつらい話が多いね
当時の武士は面目を大事にするし
孫四郎が認められるようになったのも普段の働きのおかげだろうなあ

ところで蒲生家は蒲生姓多すぎww
464人間七七四年:2009/09/16(水) 01:51:59 ID:15AQ0F8g
まとめは好きでやってるんだろうからこちらが過度に気にすることはないよ
多少の既出でも良くあることだから、それほど気にすることでもない
465人間七七四年:2009/09/16(水) 01:52:57 ID:dx5v0fzC
たかが>>453程度のことで、乞食呼ばわりするぐらい謙虚な>>455
466人間七七四年:2009/09/16(水) 01:54:13 ID:hgb37eL/
自治厨みたいなのが出てくると途端に荒れる法則
467人間七七四年:2009/09/16(水) 01:57:18 ID:BOi1N9fg
まあ重複が嫌っていうなら直接まとめサイトでやってほしいな
投稿する人も「楽しませなきゃ」なんて気負わないで気楽に投稿してほしいわ
468人間七七四年:2009/09/16(水) 01:59:05 ID:s7ufvGvU
分単位でレスの応酬してるのにIDはばらばら
平日の深夜にこんなに人がいるわけねーだろw
469人間七七四年:2009/09/16(水) 02:00:04 ID:ibLrnXAv
スレが13も続けば被るエピソードも出てくるでしょ
同じエピソードでも書く人によって切り口は違うわけだしいいんじゃないのか
470人間七七四年:2009/09/16(水) 02:02:24 ID:yhhR7GrF
個人的には二番煎じはやりたくないな
出来れば知らせて欲しい
スレ的にも重複を気にしなくなって同じ話が何度も出るのは健全とは思えないし
471人間七七四年:2009/09/16(水) 02:05:02 ID:CbcOPe67
>>469
最初のいい話スレが立ったのが2007年の02月23日か。2年以上もよく続いているもんだw
472人間七七四年:2009/09/16(水) 02:05:02 ID:s7ufvGvU
>>458
自殺しようとしてる人間を思いとどまらせた郷安も中々の人物だな…
凡人には出来ん
473人間七七四年:2009/09/16(水) 02:08:31 ID:ibLrnXAv
>>471
まあすごいことだよなw
474人間七七四年:2009/09/16(水) 02:14:07 ID:9ux8Nceh
>>470
志が高いのはいい事だが他の人にまで強制はやめてな
475人間七七四年:2009/09/16(水) 02:25:05 ID:yhhR7GrF
>>468の言うとおり1人がID変えてレスしてんのかな〜?
同じIDから返答ないし

>>474
俺自身は既出を指摘した事も指摘された事もないけど
いい話スレの三代目(悪いスレは二代目)から>>1のテンプレにネタかぶりの件が記載されてるし
10スレ以上続いて来たスレのルールを曲げるにはそれなりの理由が必要だと思うんだが
既出の指摘によってスレが得られるものはなんなの?デメリットは俺が示したけどメリットは良く判らない

流れ的にまとめ管理人への私怨の臭いがしてやな感じがして個人的に不快ってのがあるけど
メリットがあるなら変えても良いんじゃない?
476人間七七四年:2009/09/16(水) 02:29:13 ID:xdMKpkVI
>>466
荒れる法則 で市松を思い浮かべてしまった
477人間七七四年:2009/09/16(水) 02:37:49 ID:yhhR7GrF
×既出の指摘によってスレが得られるものはなんなの?
○既出の指摘を禁止する事よってスレが得られるものはなんなの?

ってか事実上既出の指摘の禁止なんて不可能だと思うんだ…
このスレに限らずどのスレでもそんなレスあるだろ
スレ住人全員に自制を求めても不特定多数の人間が入り乱れる中で徹底するのは不可能
このスレはネタを投稿する限られた人間がいないとほとんど話題が広がらないんだから
その限られた投稿主さえ徹底すれば本人も周りも不快にならないし荒れる要因にもならないと思うんだが…
478人間七七四年:2009/09/16(水) 02:38:32 ID:s4ve/Bjs
痛々しい人が約一名
関係者かな?
479人間七七四年:2009/09/16(水) 02:40:37 ID:yhhR7GrF
>>478
そりゃここでレスしてるんだからスレの関係者ですが?
480人間七七四年:2009/09/16(水) 02:41:45 ID:s6bCrSAX
ちょっとした逸話を書き込んでみる。


天正10年の、信長の有名な、甲斐征伐の帰りの富士遊覧。
初めて富士を見た信長は、それはそれは大喜びではしゃいだそうなのだが、
ふと、こんな言葉を漏らした

「富士山は本当に大きいけど、斎藤利三の奴はこれを見ても、『あんなものはまだまだ小そうござる』、
なんて言うだろうなー。」

斎藤利三、信長も呆れさせるほど、スケールの大きな男であった。
(老人雑話)
481人間七七四年:2009/09/16(水) 02:46:30 ID:s7ufvGvU
富士すら小さいとなると世界を求めていくしかないなw
日本に収まらぬ器の男、斎藤利三
482人間七七四年:2009/09/16(水) 02:51:29 ID:3zqzTm3y
>>480
その勢いで光秀に「織田家の下で落ち着くなんて小さいですぞ」とか煽ったのかなw
483人間七七四年:2009/09/16(水) 03:56:23 ID:jCwKIiZ1
天才丸の幼名で有名?な蠣崎慶広の下積み時代のお話でも


お人形遊び実季ちゃんのパパ愛季さんが健在の頃のお話。
この頃は蠣崎さんは安東家の一家臣に過ぎない。戦があれば従い、無くても近従すること甚だ多し。

天正十一年、比内地方を治める浅利勝頼と愛季さんが和睦することになった。
……のは勝頼だけで、愛季さんはこの機会に勝頼を暗殺しちまおうと考えた。

そんなこともつゆ知らず勝頼がのこのこ檜山にやってきた。
愛季の配下である深持季総が勝頼に酒を盛り、飲めや飲めやと進めるわけであるが
この男、何度も手柄を立てた大剛の者。

どうみても刺客です本当にありがとうございました

刹那! 季総は太刀を抜いて勝頼に襲いかかった!

が!
勝頼、咄嗟に自分の太刀を持ち、柄で受けとめた。ナニソレカッコイイ
さらに太刀を抜き、季総の剣戟を払いながら座敷を立って飛び去る勝頼。
伊達にその武勇を北奥羽に鳴らした男ではなかったのである。

慶広は勝頼が飛び移った次の間に控えていたからこれは大変である。
それでも慶広、臆することなく咄嗟に太刀を抜き、勝頼の股を切り落とした。
さらに倒れる勝頼を冷静に討ち取り、暗殺を成功させたのである。


これには愛季さんも大喜びですぐさま褒美に檜山郡領地を切り分ける程。
手紙には「もう二、三日も顔を見てないので寂しい」とか「もう兄弟のうち誰か一人ここに住んじゃってもいいんじゃない?」
とか書き出すぐらいなお気に入りとなったのでした。


そんな蠣崎慶広の(度胸の)いい話






だがしかし、その慶広が湊合戦の時は自分をスルーして大名として独立したときの実季の気持ちを考えると……
484人間七七四年:2009/09/16(水) 04:22:31 ID:QbNSykkZ
重複避けてると、だんだんこういう話になっていっちゃうか。
485人間七七四年:2009/09/16(水) 05:58:23 ID:jCwKIiZ1
ではベタないい話を書きましょう
丁度まとめにもない出羽小野寺氏の




ヘタレやらお馬鹿やら言われる小野寺義道……がまだ家督を継いでおらず、小野寺景道の時代
景道は国元を嫡子である義道にまかせ、上洛した。
留守を預かった義道、気負う所でもあったのか由利十二党に人質を要求した
ある時は最上に付き、ある時は大宝寺に付き、またある時は小野寺に付き、またまたある時は安東に付く由利十二党
頭の痛い存在であることには違いはない。
由利十二党も正面から小野寺と戦うことも出来ず、素直に人質を出した。

しかしこんな強引な事をされて気分のいい者はいない。
そうでなくてもあまり人気のない小野寺、由利十二党らは安東氏に親戚を持つ者も多い

と、これをどこからか伝え聞いたのは小野寺の人質になっている由利十二党の一つ、石沢氏の母である。
このオカン、大した肝っ玉というか烈女だった。
自分が邪魔ならと、とっとと自害してしまったのだ。
だがそれだけではない。
このオカン

 他 の 人 質 も 一 緒 に 自 害 さ せ た の で あ る 

集団自殺のさきがけとでも言うべきか……
とはいえ、一緒に死んだのは皆男子であるのがせめてもの良心だろうか。
幼女だった矢島、下村、玉前の人質はこの集団自殺に巻き込まれずに済んだ。

こうなってはもう由利十二党も戦うしかない。背後の安全と援助を安東氏に頼み、義道と一戦交えた。

義道は数で勝りながら伏兵に引っ掛かって負けた。

由利勢の勝利である。

がしかし、こうなった以上戦国の習いとして人質は殺されるだろう。
まして負けて気の立っている小野寺勢は殺せ!殺せ!ムードだった。
だが義道

「元々人質を取ったのは彼らに心変わりせず小野寺の味方で居て欲しいからだった
 だがどうだ? 人質をとったところで彼らは私の敵になったではないか
 もはや人質などとは意味のないもの。三人の幼女はちゃんと送り届けてやれ
 その上でもう一度由利に攻め込み堂々と勝とうではないか」

と家臣の日野内匠と奥山八郎に人質の幼女を矢島氏らに送り返したのである。

これに感激した矢島、下村、玉前氏は以降、由利十二党の中で小野寺派となるのだった。
486人間七七四年:2009/09/16(水) 07:08:45 ID:yhhR7GrF
>>485
はた迷惑なオカンだなおい…
まぁそれは別として義道カッコイイ!
487人間七七四年:2009/09/16(水) 07:18:42 ID:jCwKIiZ1
もいっこオマケに妖怪退治のお話


なんやかんやで比内を手に入れた安東実季、この地を弟である実泰に与えた。
この比内の地は陸中、羽後、津軽の三方に通じる要所であるため、南北朝のころからずっと争乱の地である。
特に陸中に根を張る南部氏は何度も攻め入り、支配したり手放したりを繰り返した。

そこで安東実季、南部信直は境界の平穏を得る為、実泰に信直の娘を娶せることになった。

その南部のお姫様、ある日湯殿に入って沐浴をしていると何やら視線を感じる……
ふと窓の外を見ると……

凄まじい形相の鬼が覗いていた!!

ただでさえ覗きである。そのうえ妖怪変化の類である。
女性には言語に絶する状況であろう。
しかしこの姫さま、慌てず騒がず、灯をもって湯殿を後にした。

だがやはり恐ろしかったのであろうか、気味が悪かったのであろうか、それとも慎み深かったのか
このことを人に話す事はなかった。

それに調子を良くしたかこの妖怪変化、覗く、覗く、姫様を存分にストーキング!!!

堪らず姫様は旦那に泣きついた。
旦那である実泰、何とも不思議なこととも思うし、何より自分の妻をそんな目に会わせている妖がいるならば不届き千万である。
実泰は絹の着物の裏に一尺八寸の来国後の刀を隠し、なんと女装をして湯殿に向かったのである。

さて妖怪変化は今日も今日とて姫さまの裸を覗いてやろうと姿を現した。

ホントに出たぞと実泰は妻の姿でその妖を盗み見れば、確かにこの世のものとは思えぬ形相、身の丈も六尺余り。
さりとてここで怯んでは男が廃る。新婚ホヤホヤの夫はするりするりと刀を抜き、妖怪変化の眉間をテイ!と打ち抜いた。
これは手応えありと相手が倒れたを見、実泰は「妖怪を討留めたり!蝋燭を出せ!」と叫んだ。
そして近習が集まって灯で妖怪を照らしてみればそこに居たのは何年生きたとも分からぬ程の古狸であった。
……狸とはこれまたベタな。


ともあれ思慮深い南部の姫さまと逞しい安東の御曹司の(格好)いい話





















が、その年に姫様が病で亡くなり、後追うように実泰も病死していたりする
これが呪いなら途端に古狸の(往生際の)悪い話になってしまう……
488人間七七四年:2009/09/16(水) 08:41:08 ID:xTMsUV0X
ID:jCwKIiZ1
面白かったよ。でもちゃんと寝ないと体に障るぞ。
489人間七七四年:2009/09/16(水) 08:53:23 ID:TbaUqmLe
東北の姫は美人
小松だったら自分で仕留めそうだな
490人間七七四年:2009/09/16(水) 09:09:48 ID:zPLB4x2s
>>485
それより時代は下って慶弔^h^h慶長の頃、集団人質自殺は某DQNのところ以外では発生しなかったw
491人間七七四年:2009/09/16(水) 13:20:40 ID:uSgI47jb
>>483
勝頼って名前は縁起が悪そうだな・・・
492人間七七四年:2009/09/16(水) 14:01:17 ID:1h8K2S5C
知恵伊豆シリーズその1
これは家綱が将軍だった時の話。ある日家綱は小姓に「この部屋の壁をすぐに白壁にしろ!」
と命じた。しかしその部屋はかなりの広さだったので、小姓は「すぐには無理です。時間がかかります。」と答えた。
しかし、家綱は納得しない。困り果てた小姓達の前に信綱が通りかかった。そこで小姓達は信綱にどうすれば良いか相談した。
話を聞いた信綱は家綱に「では、私がすぐに白壁にしてあげましょう!」と答えると、小姓達に大量の白い紙と糊を用意させ、
その白紙を壁に糊を使ってペタペタと貼り付けてあっという間に白壁にしてしまった。これに家綱も満足し、
周りの者も「流石は知恵伊豆」と褒め称えたという。 長文すみません。     
493人間七七四年:2009/09/16(水) 14:45:06 ID:1h8K2S5C
知恵伊豆シリーズその2
ある日家綱は江戸城の庭を散策していた際、とても巨大な岩を見つけた。家綱はどうにもこの岩が気に入らないらしく
小姓達に「すぐにこの岩をどかせ!」と命じた。しかし、どかすとなると城の壁の一部を壊さなければならない。それくらい大きな岩だった。
小姓達もその様に説明したがやはり家綱は納得しない。またも困り果てた小姓達の前に信綱が現れた。そこで小姓達は再び信綱に相談した。
すると家綱は信綱に「信綱、何とかしろ!」と命じた。これに信綱「上様、これ程の岩をどかすとなると人手も費用も掛かります。なので無理です。諦めて下さい。」と
と答えた。この返答に家綱も不満だったが「知恵伊豆でも無理なのか・・・・」とおとなしく引き下がった。後にこの話を聞いた土井利勝は「岩を動かすのが無理なら、岩の前に穴を掘り、そこに埋めてしまえばよかったのでは?」
と信綱に尋ねた。すると信綱、「私もその事には気づいていた。しかし、そうしてしまうと上様は何でも自分の思い通りなると考えてしまう。将軍にも出来ない事はある、という事を教えるためにあえてそのままにしたのだ。」
答えた。これを聞いた利勝は「流石は知恵伊豆」と感心したという。幼い将軍にわがままは良くないと言う事を教えた信綱のちょっといい話。
長文失礼。
494人間七七四年:2009/09/16(水) 15:19:05 ID:YR4ym4VS
土井?
495人間七七四年:2009/09/16(水) 16:06:14 ID:Lwz/vNvZ
家綱ワガママすぎるだろw
496人間七七四年:2009/09/16(水) 17:19:10 ID:G/3nIS8m
>>493
白壁の件で、解決した伊豆に利勝が「我儘を通すな」って怒られていたような・・・?
497496:2009/09/16(水) 17:24:24 ID:G/3nIS8m
ごめん、よく読んだら文章が逆だ。
伊豆が利勝に怒られたってことです。
498人間七七四年:2009/09/16(水) 18:38:30 ID:hJ5Z9kw0
何か一休さんとんち話のよーな。
499人間七七四年:2009/09/16(水) 19:39:06 ID:TbaUqmLe
家綱「知恵話の次は脳筋話が聞きたい!」
500人間七七四年:2009/09/16(水) 19:45:42 ID:HgyYuww6
武田信玄の死は遺言で隠されたが、どこから漏れたのか
実は死んでいるという噂が広まっていた。隣国の北条も例外ではない。
そこで北条氏政は板部岡江雪斎を病気の見舞いとして甲府に
つかわし、真偽を確かめようとした。

勝頼はあせった。死んでる信玄に会わせられるはずがない。そこで…

勝頼「叔父さん、出番ですよ!」

叔父の信廉を偽信玄にしたのである。偽信玄は江雪斎に挨拶した。

偽信玄「やあ、こんばんわ」
江雪斎(暗くてよく見えないけど信玄だな。やっぱり噂だったのか)

すっかり騙された江雪斎は

江雪斎「信玄は生きてます」

と伝えてしまったという。
501人間七七四年:2009/09/16(水) 20:24:39 ID:bvxjA9bE
このスレ的には伊豆って言えば信綱じゃあなくって信之だろうが。
502人間七七四年:2009/09/16(水) 21:33:12 ID:0gRrxVxf
「元祖ゴルゴ」

暗殺と言えば宇喜多。直家と言えば暗殺。
その宇喜多直家の家臣に遠藤又次郎秀清という男がいた。
元は名も無き流れ者だったが、鉄砲の腕を買われて召抱えられていた。
その又次郎に命令が下る。「三村家親」の暗殺であった。
三村家親は当時毛利家の傘下にあったが、事実上備中一国を支配する大名であり、直家の強敵であった。
又次郎は弟とともに、この困難な任務に挑む。
敵陣のど真ん中に潜入して大将を暗殺するのだ。成功率は低く、成功しても生きては帰れないだろう。
彼は「残された家族を頼みます」と直家に条件をつけ、承諾させている。
そして三村家が美作興善寺で軍議を開いている陣中に潜入。
夜間に短筒という悪条件の中、見事にワンショットキル!
しかも無傷で生還した。
ミッションコンプリート!

直家も喜び、彼には千石の褒章と浮田姓が許され、後に「家」の片諱も受けた。浮田河内守家久である。
戦国武将の銃殺では三好義賢が最初の犠牲者だが、彼は流れ弾に当たっている。
戦国ヒットマンとしては織田信長を狙った杉谷善住坊が有名だが、彼はこれより好条件下で失敗している。
それに又次郎のヒットの方が4年早い。彼こそが日本史上初のヒットマンなのだ。
直家の「暗殺」という手段は、こういう持ち駒を揃え、時と状況に応じて使い分けた故の成功率なのである。
と書くと、なんとなくいい話に・・・ならんか。
503人間七七四年:2009/09/16(水) 21:50:59 ID:mQwkUA1r
>>502
乙。
茶でも飲め。
504人間七七四年:2009/09/16(水) 21:52:28 ID:4zidM6qP
>>504
仕事を完璧にこなした「いい」話じゃないか
505utareyowaidesu:2009/09/16(水) 22:20:18 ID:2XxdTIFp
ロム専でしたが 勇気振り絞って初投稿
某総本山監修の小説からの引用なのと その本 手許になくて記憶をたよりに書き込みです ソースなど ご容赦を

慶長4年 家康が政略結婚をしたなかに 蜂須賀家がある
妻になるのは 小笠原秀政の娘で 名前は氏姫
彼女は法華宗の熱心な信者でした
家康の養女となって嫁ぐ時に 家康とお目見えがあり 彼女は こう言った
お養父さま お嫁入りの祝いに おねだりがあるの^−^ニコ」
「はて?嫁入り道具に欲しいものがあるのか?(金は出さんぞ)」
「嫁入り道具なんていりません。蜂須賀の家の宗旨は臨済宗だけど
 姫は法華宗に帰依してるの
 だから お嫁に行っても信仰を続けて良いという お許しが欲しいの」
氏姫 このとき まだ10歳前後
「ははは(それならタダだな)それは 結構なことだ いいよ〜」
「お養父さま 姫は真剣なの 言葉だけじゃイヤ!一筆書いて!祐筆じゃイヤよ!直筆ね^−^」
「あ・・うん OK〜( ̄∀ ̄*)Oo。(ハキハキして賢い〜〜4・5年すればストライクゾーン萌え)」
家康のハァトをつかみ お嫁いり 夫の至鎮にも 最初の挨拶で「自分の信仰は・・・」とやった
名君 至鎮は用意周到な氏姫に むしろ興を覚え 夫婦仲は睦まじく 子宝にも恵まれた
夫妻の触りといえば 時折 姫が法華信仰への改宗を勧めるくらいであったろう
が、幸せは長く続かず 元和6年(1620年)に 元々病弱だった 夫は35歳の若さで死去する
名君の若すぎる死は 家中で惜しまれ そのあまりだろうか 
あろうことか氏姫が幕府の以降で夫を暗殺したのではないかという 心無い中傷・ウワサがたった
嫁でありながら 蜂須賀の宗旨に逆らい 法華信仰を続ける彼女に対し「家康の養女」を鼻にかけていると 反感を買われてもいたようだ
子供は まだ9歳 お家存続のピンチに 氏姫は 歎いてなどいられない
無事 子供が跡目を継げるように 土井利勝に会う決意をした

アポまで時間かかるかと思いきや 思いのほか早く会えた上に 利勝は こう言った
「貴女様のことは 神君から聞いております 真筆を渡したが齟齬があるといけないので 良きように計らえとの お言葉でしたよ」
(ええ?お養父さまが?そういえば嫁いでからも 折々に手紙を出してた・・・私を覚えてくださってたのね。゜゜(´□`。)°゜。)
引き続き土井が言った
「政治向きのことは 今すぐ お返事はしかねますが 神君のお言葉を違えるような事態には ならないと思いますれば ご安堵ください」

家康からの一筆(氏姫が嫁ぎ先「蜂須賀家」で信仰を続けていいよ)が どの程度の効力を発揮したかは 判らないが
とにかく 長男は無事 家督を継ぐの認められた

氏姫は 自ら積極的に動くことによって悪評を跳ね除けたのだ
彼女に感謝した蜂須賀家は 彼女の領地に建立された法華宗の寺院(正法寺)を手厚く保護したそうだ


猛者ぞろいの このスレの住人には 物足りないと思いますが
氏姫が まだ出てなかったようなので やってみました(;;)


506utareyowaidesu:2009/09/16(水) 22:27:54 ID:2XxdTIFp
き 緊張して間違えた
>以降×
>意向

あと土井利勝かどうか自信ない( ̄ー ̄A 汗フキフキ

し・失礼しましたm(_ _)m
507人間七七四年:2009/09/16(水) 22:34:27 ID:CbcOPe67
>>505
いやあ面白かった。養女も含めて、家康の娘さんたちは強いねえ。いかにも戦国の姫だ。
そういえば確か真田さんのところの小松姫も、家康の養女として真田家に入ったんだよね。
508人間七七四年:2009/09/16(水) 22:36:51 ID:3zqzTm3y
養女とか含めたら家康ホントに子沢山だなあ
509utareyowaidesu:2009/09/16(水) 22:37:07 ID:2XxdTIFp
レス ありがとうございます

もうちょっと詳しく出来れば良かったですが 力不足ですいません^^;

良くも悪くも戦国の女性は強いですね
510utareyowaidesu:2009/09/16(水) 22:42:50 ID:2XxdTIFp
神君のお声がかりで 減封 転封なしは 結構あるけど

女性に対して言葉で 多少でも効力あったのは 珍しいと思ったので投下しました

長文 読んでいただいて感謝です^−^
511人間七七四年:2009/09/16(水) 23:07:05 ID:3zqzTm3y
>>491
黒田秀忠
武田信長

既視感を覚えるような名前の武将っているよね
512人間七七四年:2009/09/16(水) 23:11:23 ID:GK3gB1qz
神君最強のよ う じ ょ は有馬豊氏だっけ?
513人間七七四年:2009/09/16(水) 23:18:33 ID:ou9fZe1f
氏姫かあ
以前支配者の三好長治が熱烈法華経信者で
真言宗王国の阿波でお寺まるっと宗旨替え強制騒動から
内乱起こった阿波でまた熱烈に法華経信仰したから
蜂須賀家中が恐怖したそうで…
化粧料は村ごと貫徹したみたいですが
514人間七七四年:2009/09/16(水) 23:21:49 ID:CbcOPe67
>>511
木沢長政
浅井長政
浅野長政
黒田長政
池田長政
山田長政
織田長政 『呼んだ?』
515人間七七四年:2009/09/16(水) 23:29:26 ID:3zqzTm3y
>>514
早川長政さんも仲間に入れてやってくだしあ
516人間七七四年:2009/09/16(水) 23:30:22 ID:BjQU7Li2
木造長政さんも入れてもらえたら…
517人間七七四年:2009/09/16(水) 23:36:48 ID:pJU90PiG
丹羽長政「うちの倅の五郎左は元気でやってますか?」
518人間七七四年:2009/09/16(水) 23:41:21 ID:CbcOPe67
戦国の長政さんだけで野球チームの作れることはわかった。
ナガマサーズか…。
519人間七七四年:2009/09/17(木) 00:00:03 ID:Mqw+K8N7
字面もいいし、音もいいし、はやった名前だったんだろうね
520人間七七四年:2009/09/17(木) 00:07:12 ID:RfsTfiOh
>>519
太郎が一番はやったと思われる
521人間七七四年:2009/09/17(木) 00:07:40 ID:7He4g88W
長政がこんなに多いとは
信勝忠義あたりの組み合わせが多いと思ったが
522人間七七四年:2009/09/17(木) 00:09:21 ID:bT6yJ46Q
逆にオンリーワンとかDQNネームとか難読だとどんなのがあるかな?
523人間七七四年:2009/09/17(木) 00:13:32 ID:9gBAZk+X
>>522
最上義光
義光で「よしあき」とは普通読まない
524人間七七四年:2009/09/17(木) 00:26:44 ID:cKAZQ+ZI
>>505
蜂須賀氏はもともと三河門徒という説があって、浄土真宗寺院を三河→播州龍野→阿波と連れて行ってるんだよな。
で、阿波に落ち着いた際に
「大名が門徒は拙くない?」
って理由で今の菩提寺(興源寺)を建立してる。
525人間七七四年:2009/09/17(木) 00:42:33 ID:E1VLmhnO
使ってる漢字は簡単なのに初見で正確に読めるはまずいない全登さん
526人間七七四年:2009/09/17(木) 00:45:37 ID:mCbyuC3+
>>525
たけのり、ぜんとう、てるずみ、なりとよ

正解はどれだったんだろう
527人間七七四年:2009/09/17(木) 00:51:30 ID:E1VLmhnO
いろんな読み方が伝わってるんだー
少なくともその中で普通に漢字から読めるのは「ぜんとう」だけだなw
528人間七七四年:2009/09/17(木) 00:57:18 ID:GjBOGk4y
たけのりだと思ってた
529人間七七四年:2009/09/17(木) 01:05:58 ID:A5haHXzW
信長の息子の幼名とか
530人間七七四年:2009/09/17(木) 01:07:45 ID:JieVke+w
十河存保も読めなかったな
最初にみたとき「と…が、…わぞん、…ほ?」ってなった
531人間七七四年:2009/09/17(木) 01:16:36 ID:mCbyuC3+
>>529
奇妙もアレだけど「人」は吹いたなwさすがに
532人間七七四年:2009/09/17(木) 01:19:47 ID:x1DxnQMc
伊達五郎八
533人間七七四年:2009/09/17(木) 01:33:19 ID:yVpyvjG5
斉藤道三の「虎の巻」

兵法書の六韜のうち「虎韜」はその極意といわれ、虎の巻の由来でもある。
しかし、斉藤道三が肌身離さず持っていたのはこの「虎韜」ではなく、
「武韜」であった。
この「武韜」は字に反して謀略に関する巻である。
曰く、

一、相手の歓心を買い、意を迎えて逆らわないこと。
二、主の信頼する側近に近づき、仲たがいさせること。
三、賄賂を周囲に渡して、仲良くなること。
四、酒色におぼれさせること。
五、忠臣を主から遠ざけること。




(原文はこちら、http://kanbun.info/shibu02/rikutou15.html


道三は表裏に謀略をめぐらし、最終的に美濃守護の土岐頼芸を追放して
美濃を手に入れることになるが、
この「武韜」を自らの「虎の巻」として大事にしたという。

道三の(国盗りにおいて学問が役に立った)いい話。
534人間七七四年:2009/09/17(木) 01:35:05 ID:bjAJwB8I
>>530
俺は「とがわぞんぽう」と読んでたなあ。
535人間七七四年:2009/09/17(木) 01:39:44 ID:mvCMuDWO
ほ、北信愛・・・
536人間七七四年:2009/09/17(木) 06:27:32 ID:pn19NlLH
兵法書はあれは今すぐ発禁処分にすべきだな
読んだ後に権謀術数どころか暗殺に対して抵抗がなくなる
537人間七七四年:2009/09/17(木) 10:21:14 ID:8BqIS6dK
>>522
DQN四天王の一人・島津忠恒は「しまづただつね」じゃなくて「しまづただかつ」らしい。
そうルビの振ってある本を読んだことある(タイトルは失念)
あと、家老の一人である島津忠長は「しまづただなが」じゃなくて「しまづただたけ」
これは地元の郷土誌に載っていたのを見たことがある。
ちなみに先祖と子孫で名前のかぶり率の非常に高い島津家だが、
わたしが資料を見た限りでは「忠恒」はDQNただ一人のようだ。これはやはり(以下友愛されました

まあ一番スゴイのは未だに読み方のはっきりしない
・明石全登
・滝川一益
あたりかなw
538人間七七四年:2009/09/17(木) 10:38:03 ID:0f3JwTql
明石全登の「てるずみ」は、「登」は「澄」の誤字だったのが、そのまま定着してしまったのでは?という意見があった。

資料的な根拠はない意見だけど、これは納得したなあ。
5393:2009/09/17(木) 11:12:19 ID:FCDHUL1X
無腰の秀吉

慶長元年(1596)上方を襲った大地震の後、家康の勧めにしたがって秀吉は
御所見舞いの行列を仕立てた。
秀吉「久しく刀を帯なんだゆえ腰が重うて耐えれんわ。だれぞも余の刀を持って
くれるものはおらんか?」
すぐ家康は家臣の井伊直政に命じて秀吉の愛刀を預からせた。駕籠に乗りかけた
秀吉が、ふと家康の傍に控えた本多忠勝の精悍な風貌を見て顔を上げた。
秀吉「その方、いまこそ無腰の余を討つ好機と思うたであろう。その方に刀を
渡せばさぞ面白くなったであろうに」
大胆極まる秀吉の言葉に忠勝は顔を赤くして俯いてしまった。


540人間七七四年:2009/09/17(木) 11:24:48 ID:FzuEpt6r
明石 掃部頭 全登(あかし・かもんのすけ・たけのり)じゃないの?
541人間七七四年:2009/09/17(木) 11:28:31 ID:LHnOgfMQ
作左「拙者がそのような卑怯な振る舞いをするとお思いか!
    酷い侮辱にて、今すぐにでも、殿下の刀をもって切腹s(云々かんぬん」
542人間七七四年:2009/09/17(木) 11:57:17 ID:yLPxJeH1
>>540
証明できるものがないってのが現状。

最上義光や山内一豊みたいに自筆の読みがある場合は確報なんだけどね。
ただその場合でも徳川慶喜みたいに「けいき」って本来の読まれ方とは違う読みを気に入って使用するケースもあるからなあ。
根本的な事だけど、案外わかっていない問題。
543人間七七四年:2009/09/17(木) 12:37:13 ID:ncjySqxF
>>539
新納さんにも似たようなことやってるよね。
相手のタイプ別に恐怖心を植え付ける方法が身に付いてるんだろうな。
544人間七七四年:2009/09/17(木) 12:49:54 ID:rqRo20h1
諱の読み方って、けっこう適当だからねえ。

織田信雄は「のぶかつ」でも「のぶお」でも正解だし。
その父親の信長も公家になってるから、公の場で諱を言うときには
「ノブナガコウ」じゃなくて「シンチョーコー」と呼んだと思われる。
545人間七七四年:2009/09/17(木) 12:55:18 ID:LHnOgfMQ
カエサルがシーザーでセザールでチェーザレみたいなもんか
ちがうか
546人間七七四年:2009/09/17(木) 13:13:43 ID:RfsTfiOh
>>541
いや、あんたキャンプファイアーの前科あるし…

539は、織部が太刀持ちやったらすり替わってるんだろうなぁ・・・w
547人間七七四年:2009/09/17(木) 13:20:59 ID:mgEU/1gK
「信雄」の読みはフロイスだかがローマ字で書いてたからわかったんだっけ。
548人間七七四年:2009/09/17(木) 17:47:25 ID:uyyxmw3c
三好長慶なんかも「ながよし」だったり「ちょうけい」だったりするな
549人間七七四年:2009/09/17(木) 19:02:45 ID:vFg6X9Ag
諱を音読みするのは有職読みっつーて読みが分からないのとは意味合いが違う
550人間七七四年:2009/09/17(木) 19:07:42 ID:EUuyyyoa
うちの先祖もWikipediaなんかだと訓読みだけど、身内じゃ音読みで伝わってるからなあ。
551人間七七四年:2009/09/17(木) 19:09:13 ID:MueMAeX2
紀州熊野の山中に住む男が自分の親を殺した。この男は

男「あいつはいつもわがままばかり言うから殺した。
  家中の者も皆困っていたのだ。俺は何も悪い事はしていない」

と悪びれる様子もなく、役人が親の尊さを説いても聞く耳を持たなかった。
これを知った徳川頼宣は

頼宣「山中といっても、わしの城からそんなに遠いわけではない。
   犬畜生でも親の尊さがわかるのに、こんな者が出てきてしまったのは

   わしの政道が行き届いていないのだろう。これは恥ずべき事だ。
   このような者はすぐに処罰せずに、罪の重さを教えてやらねばならぬ」

と言って儒学者の李海渓に命じて、男に孝経を説明させた。
それから3年後……男はすっかり改心した。

男「孝経の教えがよくわかりました。一刻も早く処罰して下さい」
頼宣「本人が罪を認めたのならば、法に従って処罰するほかあるまい」

その後、頼宣は

父母に孝をつくし、法に従い、人には慎み深く、驕らず、仕事に励み、
正直な心を忘れないよう、いつも心掛けよ。

と自ら書き、領内の人々全てに伝えるよう指示したという。
552人間七七四年:2009/09/17(木) 19:13:30 ID:8BqIS6dK
ちょっとまった 今>>550が聞き捨てならないことを

>>551
李海渓の根気づよーい話とも言えそうだな
しかし「紀州山中の山の中に住む男」が漢文を理解できたというのは・・・まあゲスな勘ぐりはやめておくかw
553人間七七四年:2009/09/17(木) 19:20:10 ID:Dw16b2fq
由来や家柄などを表す字こそが重要で読みはどうでもよかったんだね
554人間七七四年:2009/09/17(木) 19:24:52 ID:LHnOgfMQ
信長公記は「しんちょうこうき」と読むみたいなもんでそ
本来の読みは「のぶなが」だけど、音読みにすることで敬意をあらわす
なんで音読みが敬意につながるかは知らないけど
555人間七七四年:2009/09/17(木) 19:57:27 ID:m8xoyWdX
>>553
当て字で、字のほうがガシガシ変わる例も多いんだよなぁ。
山本勘助だったり菅介だったり。
556人間七七四年:2009/09/17(木) 20:40:32 ID:pduj5umf
島津義弘が一時期名乗っていた「義珍」も読めなかったなぁ。
「珍」って今ではなかなか名前に使われないよね。
557人間七七四年:2009/09/17(木) 20:52:53 ID:jTo3XcMe
男塾名物・義呂珍!
558人間七七四年:2009/09/17(木) 20:57:45 ID:HaqNojm2
よしちんw
559人間七七四年:2009/09/17(木) 21:14:18 ID:1l8Y3Fb5
>>539
相手の心の中まで見透かす全盛期の秀吉さんマジぱねぇ
560人間七七四年:2009/09/17(木) 21:21:05 ID:JieVke+w
>542
徳川慶喜は「とんいちさん」と読んでしまう俺ガイル
561人間七七四年:2009/09/17(木) 22:27:31 ID:NLGRVu47
あまり、取り上げられない男「丹波の赤鬼」赤井直正


直正は赤井時家の次男として生まれ、荻野氏に養子として迎えられて荻野姓を名乗った。
直正は青年期に、実家赤井氏と国人武士の後押しを得て、養父であり叔父にあたる荻野伊予守を殺し黒井城主となった。
永禄八年(1565)八月、赤井一族は丹波守護代内藤宗勝と「和久郷」において合戦におよんだ。
戦いは赤井氏の大勝利で、内藤宗勝は戦没し、壊滅した内藤勢は辛うじて貞勝らを擁して鬼ケ城に脱出した。
しかし、雪崩をうって赤井勢に走った横山・奈賀山・和久・桐村・牧氏らの「天田郡馬廻衆」が鬼ケ城を攻めたて、ついに貞勝を討ち取った。
「和久郷の決戦」と呼ばれるこの戦いは、守護代内藤宗勝と新興の赤井(荻野)直正とが、丹波の覇権を争った大きな合戦で、丹波の国人・土豪にとっても一つの転機となった。
以後、天田郡全域はほぼ赤井氏の傘下に入り、内藤氏の勢力は大きく後退することになり、丹波は三好氏の分国を離脱した。
かくして、赤井直正は丹波黒井城にあって武威を隣国に振るうようになった。
天正年間(1573〜)にいたり、全国制覇を目指す織田信長の勢力が丹波にも伸びてきた。
天正三年(1575)、信長は部将の明智光秀に命じて丹波経略を開始した。
そもそも丹波の国衆たちは、永禄十一年(1568)に織田信長が足利義昭を奉じて上洛したとき、旗頭の波多野氏をはじめとして信長の軍門に降った。
ところが、その後信長と将軍義昭とが対立するようになると、丹波国衆は義昭に味方したのであった。
丹波国衆の姿勢に怒った信長は、明智光秀に丹波経略を命じたのであった。
562人間七七四年:2009/09/17(木) 22:29:24 ID:NLGRVu47
丹波国は山陰・西国の喉元にあたる要地であり、信長にしても丹波を平定することは急を要した。
その野望の前に立ちはだかる赤井一族、波多野一統らの丹波の諸勢力を降すために、明智光秀を主将とし細川藤孝を副将とする織田軍は、ぞくぞくと丹波へと出撃してきた。
かくして、天正三年(1575)から七年にかけて、物量にものをいわせる織田方と、がっちりと手を結んで反織田に燃える丹波勢との間で、いくたびかの激戦が繰り広げられた。
しかし、丹波の諸城は相次いで潰え、天正六年、赤井氏の大黒柱である直正が病死してしまった。直正死後は弟の幸家が直正の子直義を後見して城を固め、織田軍と対峙した。
波多野氏の拠る八上城を包囲した光秀は、兵糧攻めにすると摂津方面へと転戦していった。翌天正七年、丹波に入った光秀は多紀郡と氷上郡の境にある鐘が坂の金山に城を築き、多紀・氷上の連絡を断った。
そして、六月、飢餓状態に陥った八上城が落城、波多野氏は滅亡した。こうして八上城包囲軍が赤井氏攻撃軍と合流、赤井方の高見・稲継城が攻略され、織田勢は黒井城に殺到した。
すでに孤立無縁となっていた黒井城は、天正七年八月九日、ついに落城した。
563人間七七四年:2009/09/17(木) 22:36:28 ID:NLGRVu47
死の直前、単独で勧降に訪れた脇坂安治の態度に感心し、貂(テン)の皮で作った槍の鞘を彼に贈った。
安治はこれを持ち帰り、以後「貂の皮」は脇坂家の家宝となったという説がある。

ちなみに、元フロボクサーの赤井秀和「浪速のロッキー」は子孫にあたる。
564人間七七四年:2009/09/17(木) 22:54:19 ID:nNX0Qt8d
今の今まで「ぶたいち」さんだと思ってたw
565人間七七四年:2009/09/17(木) 22:55:52 ID:yLPxJeH1
>>560
>とんいちさん
読み方とかではなくて、ただのあだ名じゃねーかw
まあ、さすが生類憐みの令を無視して牛を食った光圀公の子孫だけの事はあるね。
肉食の系譜。
566人間七七四年:2009/09/17(木) 23:05:20 ID:rgSygu9H
他スレで「外他流」を「ほかほか流」と読んでいたぞ
567人間七七四年:2009/09/17(木) 23:10:35 ID:2vm9Fm5T
>>563
この人、光秀を二度も破ったんだよな
生涯三度(赤井直正×2、秀吉)しか負けなかった光秀に・・・
568人間七七四年:2009/09/17(木) 23:13:22 ID:2vm9Fm5T
>>563
ちにみに赤井秀和×→赤井英和ですよ
569人間七七四年:2009/09/17(木) 23:15:31 ID:2vm9Fm5T
>>563
ちなみに
×赤井秀和→○赤井英和ですよ
570人間七七四年:2009/09/17(木) 23:39:56 ID:g/dPUD9p
九州の陸戦型モンスターの話。

和仁親宗(わに・ちかむね)。
肥後玉名郡田中城主・和仁親続の三男。兄に和仁勘解由親実、弾正親範がいる。

身の丈七尺六寸(228cm)、顔は真っ赤で目は光り輝き、手足は熊のように力強く、
その上動作は機敏で早い。その風貌から「人鬼」(じんき)と呼ばれた。

まーあれだ、北斗の拳のデビルリバースをイメージしてもらえれば。

人鬼の母は、大友宗麟から賜った外国の女性であったと言われる。
彼女は、「私が死んだら海の見える山の頂に葬ってほしい」と遺言を残したため、
望みの場所に葬られた。

佐々成政の検地強行に抵抗した肥後国人一揆で、兄たちと共に居城に籠城。
約二ヶ月抵抗したのち落城し討死したとされるが、別の史料では生死不明
となっている。

原文:
『人鬼親宗は数千の敵に取りかこまれ、手元に進む者共を拾四五人切り伏せ
三十騎ばかりに手を負せ、追散し追散しはげしき手並に恐れけん。
近寄る者もなき故にゆうゆうとして唯一人城の東北山中に馳け登るとぞ見えけるが、
生死は更に知れざりけり。』

また別の説では、母の眠る山の頂に登り、そこで自害したという。
571人間七七四年:2009/09/17(木) 23:48:49 ID:0sf1TNtR
>>570
シグルイに出てきそうだなw
572人間七七四年:2009/09/17(木) 23:50:14 ID:XkRUslHr
>>552
李海渓が読み聞かせて説明したんだろう。
男が自分で読んだわけじゃない。
573人間七七四年:2009/09/18(金) 00:06:05 ID:McH/eZLs
>>539
  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ どうでもよいが>>3はワシじゃぞ
  (:::::::::::::::)
   しωJ
574人間七七四年:2009/09/18(金) 01:03:16 ID:Q/w8O9qQ
>>570
よっぽどインパクトのある外貌の人だったのかね
しかし、デビルリバースって年代が・・w
575人間七七四年:2009/09/18(金) 01:34:11 ID:DQbcF328
また出たと坊主びっくり貂の皮のアレはこのとき赤鬼さんからもらったのが由来だったのか
576人間七七四年:2009/09/18(金) 02:57:57 ID:dCsn+FGw
本庄正宗


天正16年(1588年)8月、出羽庄内の支配をめぐって、最上義光と、上杉景勝の援助の元
本庄繁長、武藤義勝の連合軍が戦った、十五里ヶ原の戦い

数に劣る最上軍はじりじりと追い詰められ、今やその利を失いつつあった。

最上の陣将、田川郡大浦の城主、東禅寺勝正は、その兄義長を討たれ、
さらに自軍の部隊長、草岡虎之介を、敵将本庄繁長に直々に討たれると言う
屈辱を味わった。

東禅寺勝正はかねてより勇義の士として知られており、この屈辱に報いんと、
兜首一つを掲げ、越後勢を装い、本庄の陣へと入り込んで大声で言う

「私は越後黒川の者である!今日の合戦で敵の旗頭を討ち取った!」

そしてその首を持って、実検のため本庄繁長の前へと出る。この時、叫んだ

「東禅寺右馬頭(勝正)の首を見よ!」

手に持った首を繁長に投げつけると、同時に日ごろより刺している正宗の刀で
抜き打ちにした!

彼の刀は本庄繁長の明珍の兜を頭から耳元まで切り裂いた!
が、繁長の体には届いていない。
勝正は組み討ちにせんとしたが、繁長も武勇を謳われた男である。
逆に勝正を取り押さえ、ついにその首を上げた。

繁長は東禅寺勝正の首を、このときの刀を添えて実検にかけたが、
後に刀は繁長に下げ渡される。

その後、この本庄繁長は豊臣政権より一揆扇動の罪を問われ、景勝の下から
牢人するのであるが、この時貧窮に陥り、あの東禅寺勝正の正宗を、本阿弥光悦に
取り持って貰い、金百枚で徳川家康に譲り渡した。

その後、この刀は紀伊徳川家へと伝わり、「本庄正宗」と呼ばれ、大いに珍重された
そうである。

出羽十五里ヶ原の戦い、名刀「本庄正宗」由来のお話。
577人間七七四年:2009/09/18(金) 03:20:56 ID:PvwDcjTw
悪い話スレの車善七の話といい某サイトのパクリ?
578人間七七四年:2009/09/18(金) 10:32:11 ID:8dX0U7Jo
>>576
今、新潟の村上で第二の天地人と題して本庄繁長展やってるんだよな
連休に行ってみたいけど遠い
579人間七七四年:2009/09/18(金) 10:38:46 ID:dCsn+FGw
>>577
どこのサイトのことを言っているのか知らんが、俺のは関ヶ原軍記大全の記事を元に
書いたものだが?

>>578
そんなことやってるんだ!いいなあ。
関ヶ原の後徹底抗戦を掲げる直江に対し、和平を主張したのが本庄だけど、
大河のほうはどうなることやらw
580人間七七四年:2009/09/18(金) 16:56:32 ID:mnNsPERb
>>554
現在の人でも「相乗効果」を「シナジー効果」と外来語で言ったりする人がいるように
音読みカッケーみたいな風潮があったんでしょうか?
581人間七七四年:2009/09/18(金) 16:57:16 ID:W2ON0xZ6
ああ、本庄正宗が流れるのは、繁長が流浪したからなのか・・
波乱万丈だなあ、彼も
582人間七七四年:2009/09/18(金) 17:12:23 ID:3pgFmtSp
>>580
発想的には逆ですかね
音読みがカッコイイから!ではなく、諱を直接呼ぶ事が不敬であるため、です。
583utareyowaidesu:2009/09/18(金) 18:59:15 ID:wWx90RiN
>582

それとは違うけど 加藤嘉明は よしあきら と よしあき と 二通り読み方ある

で どっちでも正解で

加藤嘉明がいた 伊予では 嘉明を よしあきら と読む地方だったそうだ

自分で完成は出来なかったけど 松山城の築城での治水工事に 地元では感謝してたらしい

「おらが殿の自慢」をしているうちに 名前の読み方も伝わったって 何かで読んだ

しかし 名前の読み方だけが 伝わるって・・・さすが地味な方の加藤さんだ・・・

いい話か どうか あれだけど よっぽど地元民は感謝してたんだなぁ と思った

ちなみに 自分は よしあきら と読むのが好きだ

584人間七七四年:2009/09/18(金) 19:03:36 ID:1imZPC+/
NG
585人間七七四年:2009/09/18(金) 19:24:07 ID:ZmD/kGLn
>>583
悪い話のほうでもそうだけど、とりまsageようぜ
586utareyowaidesu:2009/09/18(金) 19:43:24 ID:q4sD9S8T
ごめんなさい〜〜すいません やっぱ やり方わかりません



ロム専に戻りますm(_ _)m
587人間七七四年:2009/09/18(金) 19:49:08 ID:ZmD/kGLn
>>586
他のレスのメール欄に注目、ってかsageっていれればいいだけ
別に非難してるわけではないんだぜー
588utareyowaidesu:2009/09/18(金) 19:54:23 ID:q4sD9S8T

こう?

掲示板 書き込み 初めてなんで・・・
589人間七七四年:2009/09/18(金) 19:56:47 ID:AY+rJFvk
そうそう
590utareyowaidesu:2009/09/18(金) 20:00:19 ID:q4sD9S8T
\(////▽////)ノやっとわかった〜〜

>>589

っていう風には どうやるんですか?

お手数かけて すいません(;;)
591人間七七四年:2009/09/18(金) 20:02:48 ID:/SkS0dGD
>>588
sageもだけど2chを利用する前にルールは学んでおこうぜ。
http://info.2ch.net/guide/faq.html
592人間七七四年:2009/09/18(金) 20:06:49 ID:AY+rJFvk
初心者板もあるよ
http://gimpo.2ch.net/qa/
593utareyowaidesu:2009/09/18(金) 20:10:20 ID:q4sD9S8T
ありがとうございます

ちゃんと勉強してから また改めます

本当にありがとうございました^^
594人間七七四年:2009/09/18(金) 20:13:00 ID:Rpj5mgUt
age、sageなんかいちいち言う必要ないだろ
595人間七七四年:2009/09/18(金) 20:21:26 ID:Cl9rb4Cv
age sageもちゃんと分からずに2chをやるのはお勧めしない
入り口にちゃんとそういったページがあるんだし

あと普通の掲示板じゃないからコテハンもいらん
596人間七七四年:2009/09/18(金) 20:26:23 ID:Xlmm9E6k
ここage、sageの規定無いよな
素人っぽい奴見つけるとすぐ上から目線で絡んでいくのが2chの悪い癖だ
597人間七七四年:2009/09/18(金) 20:49:01 ID:1imZPC+/
無意味な改行して無駄にスペース取るのはどこでもネチケット違反だろ
598人間七七四年:2009/09/18(金) 21:04:36 ID:j25bEpb2
また自治厨か
599人間七七四年:2009/09/18(金) 21:07:46 ID:Xlmm9E6k
違反って程の物でもない
600人間七七四年:2009/09/18(金) 21:16:23 ID:dCsn+FGw
愚痴より逸話を書き込もう


天正19年(1591年)、千利休は秀吉の勘気を受け、堺に蟄居。そして切腹をおおせつかる。

その蟄居した先から、弟子の一人でもある松井康之に出した、利休最後の手紙より


『わざわざ飛脚まで出していただき、過分至極な事です。
富左殿と柘左殿ご両人がお使いとして、堺まで罷り下れとの仰せの御諚でしたので
昨夜俄かに下る事となりました。

それにつけても、細川忠興様と古田織部様が、私を淀まで見送っていただいているのを、
船本で見つけたときは、本当に驚きました。

かたじけなく思っている。どうか、そうお伝えください。

恐惶謹言

松井康之殿へ                 宗易 』

秀吉ににらまれることも恐れない、細川忠興と古田織部の、師弟の恩を忘れないお話。
601人間七七四年:2009/09/18(金) 23:08:22 ID:ZwmZJ2x2
島津義久と義弘は年が近い(2歳差)ことから、よく一緒に祖父忠良の教えを受けていた。
あるとき、幼い二人が合戦の秘訣を忠良に尋ねたところ、忠良は二人に別々の答えを与えた。
義久に対しては
「戦において、大将というのは常に堂々と構えて居らねばならぬ。
 目先の事にとらわれて狼狽したり、軽率な振る舞いを起こさぬ事が勝利を得る秘訣である」
義弘に対しては
「戦において、重要なのは最後の最後に勝利を得ることである。
 それを思えば、序盤の不利を憂えてはならぬ。また、序盤が優勢であるからと決して油断してはならぬ」

二人の適性を見抜いた上でこう答えたのか、
それとも将来の家中における役割を考えた上で言ったのかは分からないが
後の兄弟の役割分担を考えると興味深い教えではある。

忠良お爺ちゃんの英才教育の一コマ。
602人間七七四年:2009/09/18(金) 23:22:24 ID:oM7pSg/s
義久は関ヶ原後の政治で、義弘は木崎原の戦い以後の釣り野伏せで言われたことを体現している気がするな
603人間七七四年:2009/09/18(金) 23:46:50 ID:/C7Dm/Cv
>569
GJだけど「フロボクサー」はいいのか?w
604人間七七四年:2009/09/18(金) 23:47:17 ID:R/fFjXMl
足利義政は紅葉狩りに出かけたとき側近に

「紅葉は輝くほど美しいのに人々の生活が悲惨なのは
なぜだろう。税を課しすぎたのだろうか」

と言ったという。義政の以外な一面を示す逸話。
605人間七七四年:2009/09/19(土) 00:09:18 ID:OAVaETaA
義政「よし、人々の暮らしを良くするために一念発起するぞ!
銀閣寺を作って信仰心を深めるのだ。これで生活が良くなるに違いない。」
606人間七七四年:2009/09/19(土) 00:35:52 ID:/DKJxTdF
義政って日本で一番最初に公文書に
フェラチオされた人って記載されたんだっけ
小姓に。
607人間七七四年:2009/09/19(土) 00:47:56 ID:l9ProbwW
>>605
それが正解だから
608人間七七四年:2009/09/19(土) 01:10:01 ID:bnVe2B4m
>>607
マジで!?
足利将軍家て変人揃いだね
609人間七七四年:2009/09/19(土) 01:17:23 ID:iAylXPkg
義政って愛される暗君だよなぁ
610人間七七四年:2009/09/19(土) 01:18:32 ID:ZNzTh+tz
愛される暗君ワロタw
なんだこのかつてない矛盾を孕んだ存在はww
611人間七七四年:2009/09/19(土) 01:21:49 ID:bnVe2B4m
蹴鞠王 今川氏真様とか
612人間七七四年:2009/09/19(土) 01:23:49 ID:+fryNzjJ
ほら、あれだよ、ダメな子ほど可愛いって言う…
613人間七七四年:2009/09/19(土) 01:24:52 ID:OAVaETaA
>>609
うむ
義政には心から同情するよ
俺だって、今から将軍やれとか言われたら絶対ヤダw
614人間七七四年:2009/09/19(土) 06:08:57 ID:tFN2fZKk
>>570
地元(旧三加和町)だと秀吉に抵抗した最後の武将と持ち上げられてるんだよね。
615人間七七四年:2009/09/19(土) 06:48:08 ID:O6q4MkI1
>>606
すげえスレ違いな疑問なんだけど、当時そういう行為ってなんて呼んでたのか気になるんだがw
616人間七七四年:2009/09/19(土) 06:58:40 ID:h82SS9je
いまでも残ってるじゃん



あれは江戸時代からかな?
617人間七七四年:2009/09/19(土) 07:29:52 ID:T0LcpO6w
>>615
四十八手なら「雁が首」
618人間七七四年:2009/09/19(土) 07:56:22 ID:FlbD3Acj
>>617
そっちの四十八手は相撲の四十八手の成立後、真似して強引に四十八組み合わせて作ったから戦国時代には無いと思うんだが
619人間七七四年:2009/09/19(土) 13:50:06 ID:DrkORJ6T
>>615
 明治期の文献に「口取り」とか「吸茎」ってのがあるらしいがそれ以前は分らん
620人間七七四年:2009/09/19(土) 13:55:46 ID:/9Iu9FQG
「口取り」というのは、そのままゴックンという意味にも使われているようだ
621人間七七四年:2009/09/19(土) 14:12:50 ID:iAylXPkg
戦国ちょっとエロい話スレでも立てたら盛り上がりそうだね。
622人間七七四年:2009/09/19(土) 14:13:58 ID:9YHcOYaZ
松永先生の独壇場になってしまう
623人間七七四年:2009/09/19(土) 14:18:05 ID:nLT1WOTk
無毛の少女ハァハァさんとか
家臣の妻は最高だよ!
だよねー!

の人たちとかが対抗してくれるさ
624人間七七四年:2009/09/19(土) 15:09:47 ID:+fryNzjJ
エロイかどうかは別にして、
50や60過ぎても子作りに励んだ武将も居たんだよね。
まあ子を残すのも武将のお仕事。エロイかどうかは別にして…
625人間七七四年:2009/09/19(土) 15:25:18 ID:OAVaETaA
エロ方面でのちょっといい話ってないの?
「歴史は夜作られる」っていうくらいだ。もっと逸話があってもいいと思うのだが。
626人間七七四年:2009/09/19(土) 16:23:55 ID:PXTkEaoo
48手編纂前から、名前があったという可能性もあると思う
627人間七七四年:2009/09/19(土) 17:14:53 ID:MDUelSzD
まぁ、話がエロいかどうかは別として、
そういうスレはpink鯖のどこかに立てた方が
いいと思うんだ。
628人間七七四年:2009/09/19(土) 19:56:54 ID:2dBFl5jQ
子作りは悪久みたいに悪い話なら沢山あるんだけどねぇ。
629人間七七四年:2009/09/19(土) 21:03:55 ID:bnVe2B4m
逆さ水松の伝説

天文17年(1548)勝山の城代だった南条広継の妻は、蠣崎季広の長女であった。
しかし女では家督をつげないのを無念に思っていた。

そこで、娘婿の基広(季広の従兄弟)に家を継がせようとし、
基広をそそのかして季広を殺害しようとした。
しかし基広は季広の命を受けた長門広益に討たれてしまった。

広継の妻は、今度は自分の夫に家督を継がせたいと考え、
実弟の舜広(季広の長男)と明石元広(季広の次男)を毒殺した。
たが、そのことが露顕して広継の妻は自害させられた。

夫の広継も当然追及を受けたが、広継は固く身の潔白を誓い、
礼服に身を固め棺に入り、自ら命を絶った。
その時、一本の水松を棺の上に逆さにいけさせ
「水松が根付いたら身に悪心ない証であり、
三年たっても遺骸が腐っていなかったら、
それこそ潔白のあかしである」と遺言し、
節を抜いた青竹で呼吸しながら鉦を鳴らし経文を読誦した。

鉦の音と読経の声は三週間も続いたという。
三年たってその水松が成長し、さかさオンコ(逆水松)になったという。

※オンコは常緑樹のイチイのアイヌ語
630人間七七四年:2009/09/19(土) 23:16:32 ID:XjtLj7ma
この話どっかで見たことあると思ったらニコニコ大百科か

天才丸も相当苦労しただろうなこの件で
631人間七七四年:2009/09/20(日) 00:46:56 ID:voUQWG0n
おいおまいら
http://www.okayama-cci.or.jp/ukita/
こんなイベントがあるぞw
愛されてるなw
632人間七七四年:2009/09/20(日) 00:53:13 ID:juMrQOUV
>>631
リンク先見てきた。

>主 催:うきうきクラブ
>※うきうきクラブは宇喜多直家・秀家父子の偉業を称え、その功績を広めることを目的にしています。
この部分に吹いたのは俺だけか…?
633人間七七四年:2009/09/20(日) 01:03:56 ID:HfjGM5at
>>632
・・・特技暗殺なんて広めてよろしいのかしら
634人間七七四年:2009/09/20(日) 01:05:16 ID:8Ipt9JHP
もはや覚悟の上だろう。

男らしい団体じゃないか。
635人間七七四年:2009/09/20(日) 03:24:25 ID:cFRSGRcr
参加者が当日泳いで集合するのなら認める。
さもなくば看板倒れだな>うきうきクラブ
636人間七七四年:2009/09/20(日) 05:55:21 ID:fbIGV0rt
途中休憩でお茶会開きましょう
637人間七七四年:2009/09/20(日) 06:43:56 ID:wlEoAWBt
とうぜん、うっきー君もいるんだろうな
638人間七七四年:2009/09/20(日) 10:19:00 ID:/MaxifmN
宇喜多と宇喜多でうきうきクラブかw
最初わからんかったw
639人間七七四年:2009/09/20(日) 12:15:59 ID:89ic6UwA
まとめにも載ってるけど、秀吉の船が座礁して毛利秀元が助けたっていう逸話だけど、
実際どういう状況だったのかな

座礁後に責任者の明石与次兵衛が切腹して、細川忠興が布刈に追悼の塔を建てたのは
事実のようだけど、
>よく見ると、裸のまま手に刀をぶら下げた秀吉が岩に乗っていた。
↑この部分はどう考えても後世の脚色な気がする


実際は座礁と同時に救助されて、大事には至らなかったって感じなのかな?
640人間七七四年:2009/09/20(日) 17:46:32 ID:OXziN8G6
時の権力者が裸で刀もって岩の上に立ってるなんてマンガ過ぎるもんなw

「船が沈没して危うく死ぬところじゃったわ、わははは」
「さすが秀吉様だぜ…」
「ああ、俺らならとっくに海の底でおだぶつだ」
641人間七七四年:2009/09/20(日) 18:49:09 ID:qAAc0AnZ
文明10年(1478年)4月、太田道灌は武蔵国の小机城(神奈川県横浜市)を包囲した。
小机城は堅城として知られており、兵の中には不安を覚える者もいた。
これに対して道灌は、

「小机は先ず手習いのはじめにて、いろはにほへとちりぢりになる」

という戯れ歌を作って兵たちに歌わせた。
士気を鼓舞された兵たちは数十日の包囲の後、これを攻め落とした。

「太田家記」より。
642人間七七四年:2009/09/20(日) 18:53:35 ID:YAGREETr
>>641
道灌の逸話はどれもこれも、嫌味なまでに学識や才覚をひけらかしている感じなのが面白い。
そりゃあ主君からも嫌われるよ、と思うw
643人間七七四年:2009/09/20(日) 18:53:45 ID:8Ipt9JHP
小机城って夜に行くと室町〜戦国時代の人間とおぼしき幽霊が出る心霊スポットらしい
644人間七七四年:2009/09/20(日) 21:12:12 ID:X2vlmm8N
なんで歌を歌うと士気が上がるのか
645人間七七四年:2009/09/20(日) 21:24:23 ID:AiBXE3/y
@歌に集中することで雑念が取り払われる
A皆で歌う事で連帯する
B声を出す事で生理的に云々
646人間七七四年:2009/09/20(日) 21:31:56 ID:u8hjKRpB
>>645
(4)合体したり必殺技が出せる
647人間七七四年:2009/09/20(日) 21:50:31 ID:+bFPSVma
小机城心霊スポット化で思い出したが夏場江頭が八王子城跡に行った際写真にオーブが写ってたんだよな
その後に行ったホ○サウナの方が怖かったらしいが

チラ裏失礼
648人間七七四年:2009/09/20(日) 22:47:41 ID:xAt+xSOE
397 おさかなくわえた名無しさん 2008/12/28(日) 16:30:12 ID:iaslKt/j
武者鎧が好きで金貯めて買った。付属品含めて20万也
んで届いた日の夜にすぐ装備。カッコヨスw
装着具合を確かめるために散歩してたら悪ガキ連中がタムロしてるのに出くわした。
周りは元は城の鬱蒼とした森で外灯の下にぽつんと鎧武者一人。
悪ガキ連中ダッシュダッシュ猛ダッシュwww一人など腰砕けて匍匐前進w
雰囲気を出しつつゆっくりと腰砕けに近付くと小便漏らして気絶したw
その後、あの森には落ち武者が出ると噂になったのは言うまでもない
今は反省してる
649人間七七四年:2009/09/20(日) 22:48:05 ID:gYbO/g7b
「弱き者達」

池田盛周は弱小の国人領主であり、最終的に最上義光に仕えている。
戦場では勇敢に戦い、国人達につきものの寝返りもやらなかった。
周辺の有力者達の間で苦労を重ねたせいか、農民達にも情け深い男だったという。
やがて秀吉が天下を手中に治め、太閤検地が開始された。
歴史的にはそれなりの意義もあるのだが、農民達には大増税である。
天正18年(1590年)、検地に反抗する百姓達が土一揆を起こすと、
彼らに共感した盛周は加勢。が、最初から勝ち目は無かった。

お尋ね者となった彼は、同じく最上に臣従している鮭延秀綱のもとに逃れた。
秀綱は彼を匿い抜いた。彼もまた弱小領主の悲哀を味わっており、盛周の行動に共感したのだ。
やがて秀綱は天下に逆らった悪役と開き直り自らを「悪次郎」と名乗る。
秀綱もまた民政には力を注いでおり、感謝した住民達はその地名を「悪次郎」に変えたという。
明治以降、「悪次郎」の地名は良くないので変えるように政府の役人から指導があったが、住民は地名を変えようとせず守り抜き、
延長4kmにわたり築かれた堰(悪次郎堰)とともに今も真室川北西の小叉川流域に存在するという。

後に盛周は帰農。秀綱は最上騒動で追放されたのち、土井利勝に5千石で拾われた。
秀綱はその所領を全部家臣に与え、自分は彼らの元で順番に養ってもらったという。
650人間七七四年:2009/09/20(日) 22:53:19 ID:YAGREETr
> 秀綱はその所領を全部家臣に与え、自分は彼らの元で順番に養ってもらったという。

なんつーか、色々と面白い人だな。
こう言う人間を抱える土井利勝も面白いw
651人間七七四年:2009/09/20(日) 22:57:13 ID:wU12OUhU
>>649
まとめスレにあった(気がする)、悪次郎の詳細だね
こういう、昔からの地名って何かしら由来があるから
守っていかないと、と個人的に思う
652人間七七四年:2009/09/21(月) 00:07:43 ID:clje8+Gt
>>649
実際は五千石の知行を、秀綱がついてきた連中にわけあたえた、ほうが
真実に近いというな。

>>615
笛を吹くとかそういう呼び方もある。
呼び方はどうあれ、パイズリにしろそういうのにしろ、昔からあった。
653人間七七四年:2009/09/21(月) 00:08:41 ID:clje8+Gt
>>649
連続スマン。悪次郎は秀綱じゃなくて池田さんのあだ名じゃなかったっけなー。
654人間七七四年:2009/09/21(月) 05:59:14 ID:/mD0MwID
>>649
乙。だが「悪次郎」は池田盛周の異名だ。
655649:2009/09/21(月) 09:20:02 ID:h+0G290e
すまん。俺のカン違いだった。
悪次郎のエピは盛周のエピだったわ。
656人間七七四年:2009/09/21(月) 10:41:30 ID:0LD2o7bJ
こんなものが!w



戦国の貴公子
  宇喜多秀家☆フェス
 
〜 宇喜☆宇喜フェスティバル 〜

   戦国時代、備前を統一した宇喜多直家。26歳で豊臣政権の五大老に任じられた
 貴公子の秀家。
  岡山市の発展の礎を築いた宇喜多父子について学ぶとともに、戦国武将について、
 おもしろく学び、楽しく語り、そしてわいわい交流する集いを開催します。
      戦国武将が好きな皆さん、「いざ、出陣〜!!」

 ○と き  平成21年11月21日(土) 午後1時から午後4時

 ○ところ  岡山城天守閣前広場(雨の場合は、不明門)
       (岡山市北区丸の内2−3−1)
http://www.okayama-cci.or.jp/ukita/


宇喜☆宇喜ってw
657人間七七四年:2009/09/21(月) 10:42:13 ID:0LD2o7bJ
ごめんなさい>>656は誤爆です…orz
658人間七七四年:2009/09/21(月) 11:15:15 ID:xvWZBhTx
これは罠に違いない…!
659人間七七四年:2009/09/21(月) 11:16:08 ID:hbmLY2kA
茶会もあって毒を盛られるんだろ
660人間七七四年:2009/09/21(月) 11:20:18 ID:7EnO0vEv
兄弟でも防弾チョッキなきゃ会うきしねーとか、突然の呼び出しで俺オワタかもとか
浮き浮きすることばかりですね
661人間七七四年:2009/09/21(月) 13:13:45 ID:GbXwSnrJ
>>639-640

太閤「いや、龍神を切り殺しに行こうと飛び込もうとした所だったんだけど
   秀元ちゃんが通りかかって
   竜神の落ち度を許せるのは殿下しかいないでしょうって言うから
   機嫌を治して帰ってきたの」
662人間七七四年:2009/09/21(月) 18:17:58 ID:AA8Nh8ei
>>660
あれは、いざというときは兄上の盾になるためにという心構えだと信じてます
663人間七七四年:2009/09/21(月) 19:30:25 ID:5YuurYxb
信長、秀吉に仕え、名人久太郎と呼ばれた堀秀政と、その従兄弟で、秀政、および
その子の秀治を良く支え、天下三家老の一人とされた堀直政。
彼らが世に出るまでには、このような事があったそうだ。

ある時織田信長が狩りに出た先で喉の渇きを覚え、近くにあった民家に水を求めた。
その家から出てきた老女は、わざわざ真新しい茶碗に水を満たして信長に差し出した。

この心遣いに信長は感じ入り、「何か望む事は無いか?何であってもかなえて取らすぞ?」
と、声をかけた。

老女はこれに
「この婆には、二人の男子が降りましたが、先ごろ二人とも亡くなってしまいました。
その兄弟それぞれの子供が、今は形見としてここに居ります。
二人とも男子です。願わくば、彼らを召して下されませんでしょうか?」

信長はその願いを聞き入れ、二人の少年に扶持を与えた。
この二人の少年こそ、後の堀秀政、堀直政であった。


さて、このようにして織田家に仕えた秀政、直政であったが、その初陣を前にしてお互いに話し合った。

「おおよそ、小身の者が大身なるためには、自分を補佐する、信頼のおける家臣が必要なのだと思う。
どうだろう?明日の初陣で先に功を上げた方を主人としてこれに仕え、
協力して堀家を再興しようじゃないか?」

二人は功約束し、翌日の合戦、秀政が高名を立て、信長から直々に、お褒めの声をかけられた。
この時秀政は前日の、二人の約束のことを信長に語った。これには信長、実に感心し

「お前達はまだ若年だと言うのに、その心がけは実に殊勝である。」

と、直政が秀政の臣となることを許したそうである。


そんな、堀家創生の頃のお話。
664人間七七四年:2009/09/21(月) 19:44:34 ID:1wQiFs33
ああ……なんてピュアな、初陣のいい話
665人間七七四年:2009/09/21(月) 19:45:41 ID:g2aF+R3G
今川氏真は、水に恵まれぬ棚草地方(菊川市)へ溜め池と用水路を築いたことから
棚草城跡の山上の今川氏宮という祠に土木・用水の神として祀られており、
毎年四月十三日に祭典が行われている。
666人間七七四年:2009/09/21(月) 20:23:05 ID:qEi+G157
堀さんのお二人若き日から只者じゃなさ過ぎるな…
667人間七七四年:2009/09/21(月) 20:43:48 ID:DbEQ5oMp
>>663
堀直政の父、堀秀重は関が原後も生きているのに…
668人間七七四年:2009/09/21(月) 21:16:52 ID:5YuurYxb
>>667
そこはまあ、逸話ですのでどうか。もしくは信長の同情を買うばあさんの巧みな策略。
669人間七七四年:2009/09/21(月) 21:52:18 ID:9xS4Yoyk
ばあさんとしては孫の売込みに成功
孫としては立身出世の機会ゲット
信長としては有能な臣下ゲット

誰も損してないしな。
死んだことにされた親を除いて…w
670人間七七四年:2009/09/21(月) 21:57:08 ID:F2kYX7cw
ほ、ほら現代だって親戚殺して忌引取るリーマンとかあるじゃんw
671人間七七四年:2009/09/21(月) 22:03:12 ID:JIoRIkMC
>>668のレスで
いいおばあさんのイメージが強欲ばあさんのイメージになってしまったよw
672人間七七四年:2009/09/21(月) 22:16:34 ID:AA8Nh8ei
>>670
8月と12月に急に増えるんだよなw
673人間七七四年:2009/09/21(月) 22:27:47 ID:DbEQ5oMp
うげ、ミスった。堀秀重は堀秀政の父。堀直正の父は奥田直純。

>>668
ばあさんの策略のほうがいいですねいw
674人間七七四年:2009/09/22(火) 00:20:36 ID:e1epylCk
ばあさん 「 計 画 通 り ! 」(例のAAで)
675人間七七四年:2009/09/22(火) 01:59:23 ID:hLLmGgoJ
信長はばあさんも共に召抱えるべきだったなw
676人間七七四年:2009/09/22(火) 04:29:55 ID:ub75mzJW
いつの世もババアの権謀術数は異常だな
孫を仕えさせたり、後の天下人に糞漏らさせたり、皺の数だけ策がある
このスレも女が多いみたいだから見習うべき
677人間七七四年:2009/09/22(火) 05:08:13 ID:FKX/W62t
皺の数だけ策がある

良い言葉だwww
678人間七七四年:2009/09/22(火) 07:53:19 ID:mhzjRuyM
おまけに餅泥棒の馬に追いついたりも出来るしな
ババア最強
679人間七七四年:2009/09/22(火) 10:25:46 ID:Byyr3Iy4
>>678
俺は何気にこの逸話が
都市伝説「ターボばあちゃん」の原型ではないかと考えている
680人間七七四年:2009/09/22(火) 10:29:04 ID:ltk+/XrD
焼味噌を漏らすほどの恐怖であろうな。
681人間七七四年:2009/09/22(火) 10:42:21 ID:33fL58Ey
みんな焼き味噌の話好きだなー
まあ、数少ない家康の笑える話だから仕方ないけど
家康はいい逸話(後世の創作含む)が多いけど、笑える話は少ないからな
682人間七七四年:2009/09/22(火) 11:06:37 ID:W9XYQ16F
家久(笑)は笑えない逸話が多くて多くて
683人間七七四年:2009/09/22(火) 11:10:22 ID:W9XYQ16F
ギャー、悪って入れようとしたのに間違えt


fyiyfe5vx
684人間七七四年:2009/09/22(火) 11:14:32 ID:CPHAK3qd
新ジャンル
笑武蔵、笑美濃、井伊の赤笑、笑日向
685人間七七四年:2009/09/22(火) 11:15:59 ID:KisgUXn2
>>682-684
お前ら今ならまだ切腹で許されるぞ…
686人間七七四年:2009/09/22(火) 11:39:42 ID:WnG1OqDm
上杉謙信の家臣に、廉将監と言う者がいた。

ある時、この将監の嫡子、甚四郎が罪を得、死罪にされた。
謙信は将監の元に使いを出し、甚四郎の罪を詳しく説明し、父母への憐れみまで表明した。
将監は、一旦は君命を畏まり、奥へと下がった。が、再び戻って来ると、
長刀を構えて使者に立ちふさがった。

「私は謙信公にも、そしてもちろん、使者であるあなた方にも恨みは無い!
ただ、子を思う心が私を狂わせたのだ!」

そのように叫ぶとたちまち、二人の使者を切り伏せた。

この騒ぎに、近隣の者達が集まり謙信の使者を殺した廉家を攻撃、
将監と手向かいした廉家の者達は皆殺しにされたが、攻め手にも30名の死傷者が出るという
大きな惨事となった。
が、この報告を受けた謙信は、怒る事は無かった。

「ただ一人の男子を失って、気がふれてしまったのか。不憫なことではないか。」

そうして、残された廉の妻と娘を厚く扶助した。
時の人はこの、謙信の仁心を、深くたたえたと言うことである。
687人間七七四年:2009/09/22(火) 12:29:42 ID:buAoYiy9
韓信あたりから「婦人の仁」とか言われちゃいそうだな
688人間七七四年:2009/09/22(火) 13:02:46 ID:3hqeg35A
>>686
家中の死傷者「えっ!?いい話!?」
689人間七七四年:2009/09/22(火) 13:46:10 ID:33fL58Ey
謙信の仁心かあ
必要以上に多くの人が死んだわけで、これらの人の遺族にもちゃんとフォローしたのだろうか

上杉謙信の基準不明確な寛容さが、かえって裏切りとか謀反とかを招いてるような気がする
690人間七七四年:2009/09/22(火) 14:35:48 ID:Bec5LwSh
子作り本能が欠落してて親の感情なんて分からんけど回りの目が気になるからそれっぽい事したらみんな引いた

泣けるお(´:ω;`)
691人間七七四年:2009/09/22(火) 15:59:15 ID:q9wz+Kbu
廉?
692人間七七四年:2009/09/22(火) 17:32:57 ID:32LybbpJ
まとめに無かったので・・・
「冷泉隆豊」

彼の主君はアッー!に生き、アッー!に滅んだ大名大内義隆である。
彼もその相手の一人と言われるが、他にもお気に入りの重臣達がいた。
陶隆房と相良武任である。やっかいな事にこの二人は家中の武断派と文治派を代表していた。
両者は大内家の実権を争い、ついに陶の謀反に発展した。
隆豊は、かねてから両者の関係修復に心を砕き、同時に主君にも諫言を何度もやっている。
また陶の性格を警戒し、暗殺を進言していたが却下されている。
しかし彼の予想は的中。人望の無い義隆からは、次々に家臣が離反していく。
そんな中、隆豊はあくまで忠義を尽くして戦うが、多勢に無勢で勝負は見えていた。ついに義隆は切腹する。
この時隆豊は「これより殿が切腹される。攻撃を控えよ」と寄せ手に要請。
さすがに旧主である。寄せ手もこれに応じて攻撃を停止した。
義隆の介錯をつとめ、首級を渡さぬよう遺骸を焼却した隆豊は、圧倒的な敵軍に飛び込んで行く。
そして己の腹を裂き、内臓を投げつけながら討ち死にしたという。
辞世
「見よや立つ 雲も煙もなか空に さそいし風の 末も残さず」
ちなみに「末」と「陶」が引っ掛けられている。
693人間七七四年:2009/09/22(火) 19:42:57 ID:33fL58Ey
山岡荘八の家康では、三方が原での脱糞は大久保忠世による
家康を正気づかせるための虚言ということになってるんだね
694人間七七四年:2009/09/22(火) 19:55:03 ID:33fL58Ey
ごめんなさい↑これは誤爆です
ここも焼き味噌好きが多いから、微妙に誤爆じゃないんだけど…

ちなみに、同じ山岡でも大河の方は、作左が焼き味噌風のものを指に取って、
「ああ臭や臭や」と言ってます
こちらの方は本当に焼き味噌かどうかの結論は出していない
695人間七七四年:2009/09/22(火) 20:11:59 ID:e6hG9b0e
義隆様は男好きが有名だけど
女も大好きなんですよ

人妻寝取ろうとして失敗したり、
目をつけた幼女に男の手がつかないように尼寺に入れて
成長した所で改めて側室に迎えたり
あ、これは悪い話だった
696人間七七四年:2009/09/22(火) 22:36:38 ID:d69PYvDc
大友宗麟よりは良い話
697人間七七四年:2009/09/22(火) 22:42:31 ID:WnG1OqDm
大内って独特の雅やかさがあって、そういう色恋沙汰も、文化的な爛熟、って
感じちゃう部分があるんだよな。
源氏物語的な。

これに対して大友は、同じことをやっても、どうも田舎くさいw
文化的なフィルターなしにストレートに性欲が出ちゃう感じ。
698人間七七四年:2009/09/22(火) 22:49:40 ID:mhzjRuyM
ヨーロッパでいうとフランスとイギリスみたいな感じかな
そういやあっちも海峡挟んでるな
699人間七七四年:2009/09/23(水) 00:43:36 ID:lq5MHvNq
冷泉隆豊って、京都の冷泉家とつながりあるんだっけ?
なんか、義隆とムフフな仲になったからそのままいついたという話があったような・・・

個人的には、弘中隆兼と並んで、大内家の武将では好きだったりするw
700人間七七四年:2009/09/23(水) 03:49:57 ID:4FxqJwWo
隆豊は確か
父方が大内の分家で母方が冷泉家の人なので
母方の姓を名乗っていたとか
701人間七七四年:2009/09/23(水) 06:09:49 ID:SZP0S7vD
>>700
隆豊本人が称したわけじゃないけどね
父親は冷泉興豊だし
702人間七七四年:2009/09/23(水) 06:15:55 ID:dArOspeg
>690がなにをしたか気になる


大内義隆は人望が無いってより、喪った人じゃないかなあ
703人間七七四年:2009/09/23(水) 06:47:29 ID:SZP0S7vD
>>702
尼子に負けた上に晴持を失って文治傾向に走ったんだっけ。
そのことで一方の家臣団とはつながりを強めたんだけどね

まあ、戦国時代だったのが悪かった。
704人間七七四年:2009/09/23(水) 12:19:39 ID:dBR9xyWK
後に堀氏村上藩10万石を興す、越後堀家家老堀直政の三男堀直寄。
この直寄の小姓に何某と言う者がいた。この小姓、かねてより元服を望んでいたのだが、
直寄は

「まだ幼い」

と、それを許さず、彼は仕方なく小姓を続けていた。

さてある時のこと、この小姓、終日の勤番を勤めていたが、それに飽き、番所を出て
書院のほうへ行ってみた。
すると、書院の障子に蝶が止まっているのを見つけ、それを捕まえようとしたが、蝶が飛んで
逃げたので、ついつい、それを追いかけた。

なるほど、子供である。

ところが蝶を追い掛け回していたこの小姓、上の座敷のところで、何と主君、堀直寄に
ばったりと出くわした。

これに、我に返った小姓は赤面し、慌てて直寄の前を退いたが、心中
「勤番の役儀を解かれるのはもちろん、あんな子供のような真似をしたのだから、
処罰されても仕方が無い」と、思いつめていた。

そんな所に小姓頭から、「直寄様から、参るようにとの事だ」と、早速の召し出しを受け、
覚悟を決めて御前へと向かった。

まかり出た小姓に、直寄は叱責をはじめた

「お前より齢若い者すら、法令を守って番所を去るようなことは無いのに、その法度を
破っただけではなく、障子にいた蝶を追いかけそれを捕らえようとするなどと、児戯を行うとは
これは沙汰の限りである!これは罪を与えるべきであろう!」

小姓、やはりそうかと身を堅くする。

「…が、

お前が蝶を捕ろうとした時、小声で何度も、このように言っていたな、
『丹後守(直寄)家中ほどの者が、お前を逃してすむべきか』と。

戯言というものも、普段の考えが現れる物だという。
わが家中を頼もしいものだと思い、武勇を励む心が無くては、このような戯言は
出てこないものだ。これは賞賛すべきことであろう。

よってその褒美として、お前がかねてから望んでいたよう元服させ、少知であるが、
二百石を与える。」

罰せられるとばかり考えていた小姓は、あまりに意外なことに、目に感涙を浮かべて、
御前を退いた。
これを聞いた直寄家中の者達もまた、直寄の、家臣へのやさしさと家中の武勇を思う心を知り、
深く感激した、とのことである。


そんな、堀直寄のちょっといい話。
705人間七七四年:2009/09/23(水) 12:44:10 ID:hAwZJZFK
蝶を追いかけてただけで二百石とは羨ましい
十万石の家中で二百石と言ったら結構なもんですよ
706人間七七四年:2009/09/23(水) 12:58:34 ID:yheDTVVP
元服させて責任感を持たせたほうが伸びる子、と見たのかもな
今の成人年齢引き下げ論のような
707人間七七四年:2009/09/23(水) 13:22:55 ID:HbqaBFBE
堀直寄は渦中にはやさしかったかもしれんが、実兄と主君には厳しかったよなw
穏便に解決する様子を見せもせず、大御所に讒訴して改易に持ち込んだw
708人間七七四年:2009/09/23(水) 18:00:29 ID:1q4BA16g
家康から100万石もらう予定だから、200石なんてたいしたことない。
709人間七七四年:2009/09/23(水) 19:02:29 ID:73oO+TsY
>>692

その内書き込もうかなと思ってたいい話に冷泉さんが出てきた気がしたので
確認したら冷泉隆豊の息子だった。
この逸話だと隆豊の父は大内義興が在京時にホモダチになって(裁袖余桃
ってそういうことだよね)山口についてきたんだよって話になってたけど
親戚なのかホモダチなのかどっちなんだ。

というわけで殉死のお話。
朝鮮陣のこと、築城中だった蔚山は慶長二年十二月二十二日明け方頃明軍の
急襲を受けた。
父兄を戦で失った剛勇の一族であった冷泉民部少輔元満は城外の仮営にあっ
たが、敵に背を見せまいと思ったのか城内を目指そうとはせず、己の陣屋よりも
二三町も敵に近い場所で戦死した。

この時元満の家臣伊賀崎治堅、白松時勝、吉安言之は任務で別の場所にいた。
彼らは事を知ると昼夜を問わず馬をとばして駆けつけたが、帰りついた頃には
刺し違えて死ぬ敵すら引いてしまった後だった。
伊賀崎は胸を打って嘆き悲しんでいたが、こう独りごちた。
「戸部(元満)の祖父、判官殿は大内義興卿在京時、裁袖余桃の契り深きが故に
防州へ共に下られた。
その時私の祖父も主人に供奉して下向してから主君も三代、我が家も三代
お仕えしてきた。
中でも私は幼少時から戸部にかわいがられ片時もおそばを離れずご奉公して
きたというのに、このような大事な時に同じ場所にさえいなかったのは過去世の
報いでもあろうか、神祇三宝に憎まれ君臣の契りも尽き果てたのか。
遅れたことは口惜しいが、しばしお待ち下さい。
腹を切って追いつき死出の山の露を払い三途の川を瀬踏みしてお役に立ち、
その時こそ御最後に遅れてしまった言い訳を致しましょう」

すると吉安、白松も「私たちもどうして後に残ろうか、同じ道を行こうではないか」
と三人共に堅く心に決めた。
彼らは主の死骸を三度礼拝し、腹を十文字に掻き破って同じ枕に伏した。
人々はこの忠義と勇気を比類なきものに感じ称賛したということだ。
------------

個人的に感心したのは「三途の川を瀬踏みして」の部分。
こいつら自力で渡る気満々だー六文払ってやれよ渡し守の商売あがったりだよ。
710人間七七四年:2009/09/23(水) 19:04:32 ID:73oO+TsY
で、この話には続きがあって、伊賀崎治堅には妻がいた。
日本で夫の殉死を知った妻は十九と十五の時から仲睦まじく二世を誓った夫に
(見初め、とあるので恋愛結婚だったのかもしれない)死に遅れたことを非常に嘆いた。
そもそも夫が朝鮮に立つ時、「船が沈むかもしれず、無事に渡れても戦で命を落とす
かもしれない、自分が死んだと聞いたら後生をよく弔ってほしい」と言われた彼女は、
「仰る通り無常の世です、あなたが亡くなったと聞いてどうして私も生きていましょう、
すぐに深い谷の淵に身を投げ、来世も同じ蓮の座をわけあいましょう。
たとえ輪廻を脱せず無明の業にとらわれたとしても、二人で手をとりあって並んで
廻ろうではありませんか」と答えたのだ。
仏の教えでは女性の成仏は難しいとされていたそのことだけが彼女の心にかかって
いた。
しかし彼女は女性に救いの道が全く開かれていないわけではないことも知っていた。
幼い頃から毎日読誦した法華経を読み、五の巻の摩訶波闍波題比丘尼が仏になる
予言を受けた文に至った彼女は涙を流し、法華経王に罪科を消除し先だった夫と同じ
寂光浄土に迎え給えと経誦し終わると、経典の表紙の裏に「死出の山したひてぞゆく
契置し君が言葉を道の枝折に」と書きつけた。
そして念仏を十返ほど唱えると、守り刀を抜いて胸に突きたて、うつ伏せになって
死んでしまった。
二夫を変えざる事すら珍しい世にあって命をかけて二世の契りを結んだこの事は、
人々の心をうち、遠く京の都まで伝わっただけでなく、漁夫や樵に至るまで夫人の
貞淑と哀れさに涙を流したということだ。
------------

現代人の俺からするといい話以前に玉突き事故並みに大変なことになってるなと
茫然としてしまうが、たぶんすごくいい話なんだろう。
いい話なんだけど仏教の教えでは女は成仏すると男になっちゃうんだね。
奥さんも「変成男子なんぼのもんじゃい」って言っちゃってる。
むさくるしいな浄土…。
711人間七七四年:2009/09/23(水) 19:27:40 ID:dBR9xyWK
すげーなーとしか言いようが無いな。
良くこの時代は命の価値が極端に軽いって言うけど、こう言うの読むと、
別の意味ながら極端に重かったようにも思う。
712人間七七四年:2009/09/23(水) 19:31:42 ID:i2pNSddr
なんか偉いお坊さんがやってきたとき
ところの偉い守護大名が足元にひれ伏して
俺ら一族みんな地獄に堕ちちゃう!助けて!なんて
ギャン泣きしたとかいう逸話を思い出したよ
713人間七七四年:2009/09/23(水) 20:37:55 ID:LxFp3QlK
714人間七七四年:2009/09/23(水) 20:43:24 ID:73oO+TsY
>>710
書き込んでから気づいたけど念仏じゃ宗派違っちゃうのか…
夫人が唱えたのは題目でしたすいません
元の逸話には呪文みたいな言葉が並んでたけど(うんたら比丘尼というのは
御釈迦様の乳母らしい)ぐぐったら大体全部出てきて魔法の箱スゲーって
なったのに初歩的な所ですっ転んだわ
715人間七七四年:2009/09/23(水) 21:33:22 ID:vlhAJ38u

              _
            γ´ ̄`ヽ
            │LiLハ i_| 
            │ii ゚ -゚ノi|  地獄へ流します   
            ..jハ∨/^ヽi                 .
            .ノ::[三ノ :.'ヽ伊賀崎  白松  吉安 ワーイ    .    ┳━┳
   /\     . i)、_;|*く;  ノ (゚∀゚)ノ (゚∀゚)ノ (゚∀゚)ノ  ./\     ┣━┫ 
   \  \  .// |!:::."..T~ .ノ(ヘヘ  .ノ(ヘヘ  ノ(ヘヘ  ./ ./  ::::::::┃. . ┃:::::
   . |_ . ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ._| ::::::::::::::::::::
::::::::::::::::\... ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄           ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ./::::::::::::::::::::
716人間七七四年:2009/09/24(木) 01:06:10 ID:+FvmWD7y
渡し守の収入に関しては心配いらないぞ、真田家がきっちり払ってくれるから
717人間七七四年:2009/09/24(木) 02:32:36 ID:1o4LhX3A
茶会での大谷&石田の件。
真田の処遇についての本多の件。
この2つは個人的に好き。
718人間七七四年:2009/09/24(木) 04:45:55 ID:cLVH4A76
>>716
仕送りのせいで財政が厳しいのですが・・・
719人間七七四年:2009/09/24(木) 10:27:04 ID:IveNN7UH
>>710
>いい話なんだけど仏教の教えでは女は成仏すると男になっちゃうんだね。
>奥さんも「変成男子なんぼのもんじゃい」って言っちゃってる。
>むさくるしいな浄土…。

なるほど、ホモダチのほとんどは前世ではどっちかが女性だったのですね
720人間七七四年:2009/09/24(木) 14:21:47 ID:5pr/8ryN
最上の鮭様のちょっとよくてカワイソスな話

奥州仕置きで取り潰された妻方の本家大崎氏や葛西氏の御家再興を最上義光は「奥羽の安定の為」と秀吉に嘆願していた。しかし上手くいくかと思っていたその矢先急報が!
「殿、旧大崎・葛西領で一揆が!」
「よりによってこんな時期にか!?!?」
ご存知伊達政宗による扇動一揆です。
「大崎・葛西はこんなに可哀相なのに、政宗は一揆を煽るという…好きとか嫌いとかはいい、一揆を止め(ry」
こうして政宗の嫌がらせの結果、大崎・葛西の御家再興は果たされませんでした。
それなのに宮城県大崎市では政宗を崇める政宗祭が開かれているという。
721人間七七四年:2009/09/24(木) 14:34:44 ID:/UwyCuAO
弱ってる敵に追い打ちをかけるのは政宗の得意技
722人間七七四年:2009/09/24(木) 14:35:27 ID:RpjbuDTa
鮭ネタいらね!
最上厨ウゼえ!
723人間七七四年:2009/09/24(木) 15:22:17 ID:y90YIjl6
基地害鮭厨警報発令
724人間七七四年:2009/09/24(木) 15:22:54 ID:w1+G1E2u
>>720
自分の下らん意見を話の中に入れるなよ
725人間七七四年:2009/09/24(木) 18:26:07 ID:GcrkXNh5
主観入りすぎで気持ち悪いわりに見るべき内容は無い

スレあんだからこっちに書けよ
戦国ちょっと最上な話
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233751887/
726人間七七四年:2009/09/24(木) 20:01:13 ID:MyuRyYFJ
>>720
後に伊達領になったんだから祭りぐらいあるだろ。
727人間七七四年:2009/09/24(木) 20:54:34 ID:BJTnYKup
伊達政宗の白萩文書


現在の東京都あきる野市に、大悲願寺というお寺がある。
約1400年前、聖徳太子が全国行脚をした際にこの地を訪れ、
草堂を建てたのが起源といわれ、その後、源頼朝の命により、
京都の醍醐寺から澄秀僧正を招き平山季重が建立した。
このお寺は庭の白萩が見事で、時期ともなれば見事に咲き誇った
美しい白萩を見ることができるのでも有名である。

さて、このお寺に、伊達政宗が立ち寄った事がある。
「政宗公実記」から推定すると、元和9年(1623)ごろ。
秋川に川狩りに来た際に立ち寄ったという。
当時の住職は徳川幕府に影響力のあった、名僧の誉れ高い第13世海誉僧正で、
政宗は海誉僧正に敬意を表して訪山したと言われている。

政宗が立ち寄ったのはお彼岸の頃だったようだが、
ちょうど白萩が見事に咲き誇っている時期だった。
これにいたく感動した政宗は、仙台に帰ってから飛脚を立てた。

「 追て曽掛(そかけ)(粗末な衣)に候(そうら)へ共、折節に任(まか)せ、
小袖壱重進(ひとかさねすす)め候(そうろう)。以上。
 態(わざわざ)飛脚を以て申し入れ候。
先度(せんど)は参り、会面(かいめん)を遂げ
本望に候。仍(よって)無心の
申す事候へども、御庭の
白萩一段見事に候(そうらい)き、
所望致し候。先日は申し
兼ね候(そうらい)て罷(まかり)過ぎ候。預(あずけ)(使いの者に)
候(そうら)はば、恭(かたじけな)かるべく候。
猶(なお)後音(いん)を期(こ(き))し候。
恐惶謹言(きょうこうきんげん)
   松平陸奥守(むつのかみ)
八月廿一日 花押(政宗の書き判)
彼岸寺御同宿中」

要約すると、
「先日訪問した際、白萩が見事だったが、
欲しいと言い出しかねて帰ってしまった。ぜひ一株譲って欲しい」
こんな内容になるだろうか。
寺では早速、白萩を仙台に贈る。
(これが後に伊達騒動を描いた「伽羅(めいぼく)先代萩」の萩である)

時は流れて昭和になってから、仙台からこの寺に
政宗に縁の臥竜梅が贈られたそうだ。
政宗から寺に送られた書簡は「白萩文書」として、
現在も大悲願寺に保管されている。


思わず独眼竜も遠慮するほど見事な、良い白萩の話。
728人間七七四年:2009/09/24(木) 20:56:05 ID:BJTnYKup

さて、ここからは私見入りまくりの余談である。
いらない人はスルーして欲しい。


この大悲願時には第13世海誉僧正の弟子で、秀雄という者がいた。
幼名を鶴若といい、後に第15世住職秀雄僧正となる人物なのだが、
この秀雄、寺の記録では政宗の末弟(あるいは舎弟)となっている。

政宗の父・輝宗には側室や妾がいたという確たる資料がなく、
一般的にはいなかったとされているようだ。
故に政宗の弟と言えば、毒殺未遂事件の時に政宗に切られて死んだ小次郎の事である。
ではこの秀雄という、政宗の弟とは誰なのか。

輝宗に側室あるいは妾がいて、その子だと考える向きもあるのだが、
実は密かに生き延びていた小次郎その人だという説がある。
確たる根拠はないようだが、毒殺未遂事件が実は参陣の遅れに口実を設けるための
母子揃っての狂言だったとする説だ。
故に小次郎は死んだことにして世間から消えた。
そしてここの寺で秀雄と名乗っていた人物こそ、小次郎なのだという。

「花の慶次」などでも見られるように、
小次郎生存説はわりと根強く語られている。
政宗の窮地を救うために母は悪者になり、弟は死んだことにして世間から消え、
しかしこの地で兄弟ひっそりと再会したとするなら、ある意味ロマンだからだろう。
そんな異説を思いながら政宗の手紙を読み返すと、途端に意味深に思えてくるから不思議である。
「先度(せんど)は参り、会面(かいめん)を遂げ本望に候。」
政宗が会えて本望だったと言ったのは、果たして誰のことだったのか。

小次郎が切られたとされるのは会津の黒川城だが、
政宗が退去した後に蒲生氏郷が会津に入り、城を建てて「鶴ヶ城」と命名した。
その際、地名も黒川から「若松」に改められる。
そして秀雄の幼名とされるのは「鶴若」である……。
729人間七七四年:2009/09/24(木) 21:35:55 ID:GcrkXNh5
>>727-728

あんまり関係ないけど
梵天丸(梵天)→政宗、竺丸(天竺)→小次郎と来てるのに
なんで鶴若(鶴)?こいつ余計じゃね?とか思ってた
もし秀雄=小次郎で、鶴若とかいう幼名はダミーなら
梵天と天竺できれいにそろうな
730人間七七四年:2009/09/24(木) 22:45:06 ID:WX4L4hlC
>728-729
いい話聞かせてもらった、有難う
たしかに梵天と天竺でセットになってる
731人間七七四年:2009/09/24(木) 23:01:37 ID:C6FYg39l
ちょいと気持ち悪いなぁ。自演すんのはいいけどほどほどにな。
732人間七七四年:2009/09/24(木) 23:09:44 ID:6j+lTxoS
ちょっとどころか吐き気がするわ

義光の主観入った話は基地外鮭厨扱いで政宗の主観入った話はいい話ありがとうとか
どんなマッチポンプだよw
733人間七七四年:2009/09/24(木) 23:11:52 ID:K2pSn0ts
まとめて他所でやってください
734人間七七四年:2009/09/24(木) 23:15:41 ID:46Qqq2Vb
伽羅先代萩って綱宗の時の伊達騒動がモデルなのに
この萩が出てくるのか?
735人間七七四年:2009/09/24(木) 23:17:48 ID:KeisLXVJ
>>731->>732
空気悪くしないで良いですよ
736人間七七四年:2009/09/24(木) 23:24:43 ID:6j+lTxoS
>>735

>>722-725は普通の流れと申したか
737人間七七四年:2009/09/24(木) 23:24:44 ID:Vp/CL7IK
あらあら
738人間七七四年:2009/09/24(木) 23:26:17 ID:WX4L4hlC
>731
いきなり自演扱い…?
739人間七七四年:2009/09/24(木) 23:26:45 ID:R+1dhuZw
まてこれはSubの策だ。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1247488347/289
このIDをみてくれ、>>722と同じIDだ。
鮭厨とか言い出すのはSubだからな。くだらんいがみ合いはヤメロ。
740人間七七四年:2009/09/24(木) 23:29:30 ID:tBL1XX7d
おまいらここ良い話スレ…
741人間七七四年:2009/09/24(木) 23:30:57 ID:Vp/CL7IK
同じID・・・?
742人間七七四年:2009/09/24(木) 23:32:57 ID:K2pSn0ts
北条氏を滅ぼした頃であろうか、秀吉が戯れに、こんな事を言ったのだという。

「今や全く天下静謐になったからには、若い者達からは、もはや武道の事を忘れさせるべきであろう。
若侍にはみな、禅の修業をさせよう。姿勢を崩したものを叩く竹べらを持つのは、
本多平八郎あたりにやらせよう。
その時はわしも、修行場の引き戸の脇で、それを見物しようぞ。」

なんとも浮かれ気分の太閤殿下であった。
743人間七七四年:2009/09/24(木) 23:33:20 ID:hVauI9bm
正直最近は無理矢理レアな話を拾ってきてる感じだな
744人間七七四年:2009/09/24(木) 23:34:55 ID:R+1dhuZw
ID:RpjbuDTaが本日のSub認定IDのひとつってこった。
Subごときにひっかかるようじゃ、戦国板は渡れないぜ。
745人間七七四年:2009/09/24(木) 23:36:11 ID:9P5eGYoP
この流れはすべて政宗の煽動
746人間七七四年:2009/09/24(木) 23:37:04 ID:KeisLXVJ
>>736
義光好きだからその流れは当然ショックだ
でもレスしたら余計に鮭厨乙とか言われるだろ、だから止めたんだよ
煽る真似はしないほうがいいんだって

スマンもう止める。話も投下せず、ただ空気悪くして申し訳ない
747人間七七四年:2009/09/24(木) 23:41:56 ID:lqOKtLCs
東北の話とか本当どうでもいい。
最近出てきた四国の話とか他に何かないの?
748人間七七四年:2009/09/24(木) 23:42:14 ID:Vp/CL7IK
みみずんID検索:RpjbuDTa

1 :みみずんID検索 :2009/09/24 23:41:23 ID:MiMIZUNCjA
検索結果 1 件
検索ID:RpjbuDTa
http://mimizun.com/search/perl/idsearch.pl?board=sengoku&id=RpjbuDTa
インデックス更新日時:2009/09/24 22:30:18



2 :人間七七四年:2009/09/24(木) 14:35:27 ID:RpjbuDTa
鮭ネタいらね!
最上厨ウゼえ!

戦国ちょっといい話13(722)
749人間七七四年:2009/09/24(木) 23:44:21 ID:R+1dhuZw
ごめん、ID:y90YIjl6だたわ。みすずんまで使わせて御免よ。
750人間七七四年:2009/09/24(木) 23:47:36 ID:9+o27PMl
>>744
Subとか自分たちしかわからない言葉でうんぬんされても・・・
それに自分も>>720の主観の入れ方(○○はこんなに悪いの最上を慕わず○○を慕うのはおかしい)
は好きじゃない。むしろ嫌いな表現の仕方。
751人間七七四年:2009/09/24(木) 23:51:54 ID:R+1dhuZw
ウン、ただし以前から荒しがいい話・悪いスレで最上ネタを置くだけで
暴れていい加減イラついてんだよ…鮭厨とか言い出すのはほぼコイツ。
戦国ちょっと最上な話も、その荒し隔離のためのスレだったはずだ。

確かにオレも>>720の表現はちとやりすぎかとは思うし、
正直あおって悪かったわ。
752人間七七四年:2009/09/24(木) 23:51:59 ID:zVgG2Htl
>>742
朝鮮出兵を軽くスルーしている逸話だよなあ
本当は総動員体制を着々整えていたはずで・・
753人間七七四年:2009/09/24(木) 23:54:30 ID:WX4L4hlC
なんだよ俺
通りすがりに鬼武蔵の刀に当たって死んだ人みたいじゃんorz
754人間七七四年:2009/09/24(木) 23:56:08 ID:9+o27PMl
>>753
君はよく人からお茶に誘われたり、深窓の人妻に懸想したりしていないかい?
755人間七七四年:2009/09/25(金) 00:33:53 ID:L/lLgVc9
725/729にちょうど飛び込んだからなあ。 不運っちゃ不運だ。
756人間七七四年:2009/09/25(金) 01:15:36 ID:zf3YaXNf
普通に>720が悪い。
この書き方だと例えば最上義光の暗殺により併合されたA氏領が、
その後の善政で最上氏を慕って最上祭をやったとしても、それをおかしいとイチャモンつける様なもの。
自分の好きな武将を持ち上げる為に、他の武将を貶すのが許されるのは小学生まで!
757人間七七四年:2009/09/25(金) 01:18:21 ID:Rf43sScZ
>姿勢を崩したものを叩く竹べらを持つのは、本多平八郎あたりにやらせよう。

若侍死にませんか
758人間七七四年:2009/09/25(金) 01:20:11 ID:S6hkjqLe
お前含めて過剰に反応する奴が悪いと思います
気に入らないこと嫌なことはやがて来るべき時まで胸に秘めておくべきだと思います
759人間七七四年:2009/09/25(金) 02:18:30 ID:G7GEtxS9
政宗祭りが行われているのは、大崎市でも岩出山だよ
岩出山は大崎家中の反主流派である氏家党の中心地で、度々主家に叛いていた場所

その後はしばらく政宗の本拠地(朝鮮の役とかでほとんど居なかったけど)だった地だし
ちなみに政宗祭のメインは文禄の役に際し、上洛した時の武者行列の再現

そんな地で、大崎氏ではなく政宗を崇める祭りをしているのはおかしいみたいに語られても

というか、地元では氏家吉継どころか大崎義隆すら知られていないのが現状だしな…
もう少し知ってくれてもいいと思うんだ…
760人間七七四年:2009/09/25(金) 02:33:34 ID:WQzRSkWJ
鮭厨がキチガイで米沢や仙台を逆恨みしてるのでシカトしてください。
761人間七七四年:2009/09/25(金) 02:36:00 ID:50gJZqTx
>>757
櫂で葦を断つからって、そんな竹べらで命にかかわるようなこと……。

うっかり側面で叩いたらちょっとマズいかも
762人間七七四年:2009/09/25(金) 07:00:21 ID:45FnKWND
>>720は普通に妄想とか主観入りまくりだろ
史実と自分の意見は分けて書けよ
だから鮭厨ウザいと思われるんだよ
763人間七七四年:2009/09/25(金) 07:59:07 ID:4UL7U52T
>>727は萩もらっただけで別に政宗のいい話でも無いんだが…
>>720の書き込みが糞なのを棚にあげて
最上叩きで伊達マンセーと捉えるとかどんなゆとりだよw
764人間七七四年:2009/09/25(金) 08:01:39 ID:83DwTvUk
何が嫌いかより、何が好きかで語ろうぜ。
765人間七七四年:2009/09/25(金) 08:05:43 ID:hbTtbAey
>>764 お前、良い事言うなw
尊敬した
766人間七七四年:2009/09/25(金) 08:11:55 ID:716vE6l1
三才「何が数寄かって?我が妻を見た者だけに教えてやる」
767奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/09/25(金) 08:18:47 ID:K7l5Kmr3
綺麗な死刑宣告だな。
768人間七七四年:2009/09/25(金) 08:19:24 ID:mbxsxBBM
ほんと戦国板から去れよ脳内妄想鮭厨は…。
いちいち義光はよい人みたいに主観をモロに入れて洗脳すんなや。
769奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/09/25(金) 08:21:27 ID:K7l5Kmr3
いい話スレに厨の字を持ち込むなよ。
わざわざ荒らす種を自分で作りに来ました宣言かいな。
770人間七七四年:2009/09/25(金) 08:31:24 ID:4UL7U52T
>>766>>768-769
あげんな
771奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/09/25(金) 08:36:00 ID:K7l5Kmr3
2ちゃんねるのシステム上、スレのagesageなどどうでもいい。
772人間七七四年:2009/09/25(金) 08:56:11 ID:/+CPNW28
まぁ、みんな牛乳飲め。
カルシウムが足りていないぞ?
773奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/09/25(金) 08:59:05 ID:K7l5Kmr3
うなぎの骨せんべい旨いぞ。
774人間七七四年:2009/09/25(金) 09:21:44 ID:t5yfTX6u
>>720
主観入ってるが叩かれるほどのことかね?
過剰反応も過ぎる。そんな文句ばっかじゃ誰も書かなくなるぞ。

政宗の悪い話としてあっちのスレに書けばよかったのに。
775人間七七四年:2009/09/25(金) 09:23:41 ID:T489/zDC
荒れる話題を引っ張るのも荒らし
776人間七七四年:2009/09/25(金) 09:32:36 ID:4UL7U52T
>>774
このスレで主観入りまくった書き込みして叩かれるのは初めての事じゃない
あと>>720程度の書き込みなら別に無くてもいい
777人間七七四年:2009/09/25(金) 09:34:56 ID:hz9PogM2
>>773
うなぎは文献によると、戦国時代には「宇治丸」と呼ばれて、
ぶつ切りにして串を刺し、塩焼きで食べたそうです。(゚д゚)ウマー
ソースは黄金伝説。
778人間七七四年:2009/09/25(金) 10:34:29 ID:dRcIHklP
              ____
      ∧_∧   /__ o、 |、
     (´・ω・ )   | 和 \ノ  煎餅にはお茶ダヨ
     ( o旦o    .| 泉  |
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
779人間七七四年:2009/09/25(金) 11:49:44 ID:Z/DFrWpq
赤備えで有名な井伊直政だが、彼が三河衆主体の徳川家中で異例の出世をした(井伊氏は遠江国人)のは
徳川家康の衆道相手であったからだという説が現在主流となっている。

ところで徳川家康の妻、築山殿は関口義広の娘でありその妻は義元の妹であるとされている。
だが、『井伊年譜』にはこのような記述がある。

「初為今川義元側室、後義元為妹、嫁関口刑部大輔源親永、生一女、乃、義元為媒嫁神祖者、筑山御前是也、」

関口義広の妻は義元の側室であったが、後に妹ということにして義広に下げ渡し、
その妻が生んだのが築山殿である、という内容である。そしてその義元の側室というのが
井伊直平の娘である、としているのだ。

そうなると家康と井伊氏は婚戚関係であり、その事を知っている家康が信康が死んだ後
信康と血縁関係にある直政を寵愛し、抜擢した。という可能性も考えられるのである。

寵童故の立身出世というのであれば陰口を叩かれるものであるが、当時の家臣やその関係者が
直政への不満を記述していないことから、もしかしたら『井伊年譜』の記述通り
家康と直政は親戚だったのかもしれない。
780人間七七四年:2009/09/25(金) 12:01:28 ID:zf3YaXNf
井伊さん家は女当主の家じゃなかったけ?
勘違いかな。
781人間七七四年:2009/09/25(金) 12:03:09 ID:d3xk7QJB
家康はノーマルだったって事か
782人間七七四年:2009/09/25(金) 12:33:57 ID:lsujLIsc
>>781
まあそもそも衆道は、
通常女を連れて行く訳には行かない戦場、特に長期在陣で、
遊女などの素性の知れないものとセクース中に大将が殺されたらかなわないっての代替だからな。
入れ込んじゃう奴もいるけど、やっぱり女の方がいいって奴は多いかと。

家康なんかは小牧長久手や大坂なんかだと側室連れだし、結構ノーマル。
まあ後家好き幼女好きって時点でノーマルとは言えないかもしれんがw
783人間七七四年:2009/09/25(金) 12:41:17 ID:3cVhZO/0
>>779
ややこしいな
家康のお姑さんが井伊家出身ってことか
井伊直政は家臣の中では唯一娘が家康の息子と結婚してるし
書状だかで扱いが他の家臣と違ってて、元々は徳川家の同盟者のような
立場だったんじゃないかという話はどっかで見た
スピード出世他の特別扱いも他の家臣と立場が違うとすれば説明がつくと
784人間七七四年:2009/09/25(金) 13:20:34 ID:J13Yqx9v
>>777
ぶつ切りの鰻の串焼きはゴムのようでまずかったとのこと
ソースは時代劇専門chの「剣客総菜」
江戸時代のレシピ集を実際に見て作ってみたが噛むのが大変で食えた物じゃなかったそうだ
開くことで食べやすくなるとのこと

ちなみにぶつ切りの鰻で名物料理といえば
イギリスの鰻の煮込みがある
http://img.allabout.co.jp/Live/travel/travelengland/closeup/CU20070920A/jeel.jpg
785人間七七四年:2009/09/25(金) 14:45:38 ID:sfDp1zTL
>>784
イギリス料理に期待せずに画像開いてみたら案の定だった
あいつらホントに味覚死んでるからなあ
ウイリアム・アダムスとかは日本の食い物を食ってどう思ったか興味あるが
786人間七七四年:2009/09/25(金) 14:50:48 ID:3cVhZO/0
>>785
鰻ゼリーと聞いて軽くグロ画像注意レス入れなきゃいけないかと思って
開いて見たらそれほどでもなかった
ウナゼリーとしてはまだマシな方じゃないだろうか
787人間七七四年:2009/09/25(金) 14:52:13 ID:rfYhwN5R
ヨーロッパ鰻というだけでシオシオなのに・・・・・

うなぎパイはどっちが上かな?
788人間七七四年:2009/09/25(金) 14:53:15 ID:+8kOTPuM
>>785
幕末のオールコックなんかは
「日本の食事は野菜ばっかで貧相で耐えられない!
もっと肉と脂をたっぷり使ったもの食えよなー
何でこんな貧しい食事の奴らが俺ら英国人より長生きなんだよ」
って言ってたな
栄養学が発達していない時代ってのもあるが
789人間七七四年:2009/09/25(金) 16:13:27 ID:sfDp1zTL
>>788
旨みの概念がないのだろうか…
根本的に煮て食うことしかしない民族だしなイギリス人
昔旅行で行ったとき「40分茹でた野菜」食わされて吐いたわ
てか塩気なしのキュウリが「クチャ」ってorz
790人間七七四年:2009/09/25(金) 16:30:54 ID:mS4vhEfj
まぁ味覚って後天的な要素が多分にあるからしょうがない
逆に海外の人だって理解出来ない日本料理もあるだろう
ちょっと前まで生魚食うなんて信じられない、醤油とかビートルジュースだろ、
ナニコレ?アボガト?うわっ!辛っ!わさび?こんなもん食えねぇよ!
納豆とか馬刺とかクラゲとかナマコとか…
あんなもん食う奴はイカレてんぜ…

みたいな感じだっただろ

ペリーがもてなしに出された料理は旨そうだったけどやっぱりもてなされた本人には酷評だったらしいな
791人間七七四年:2009/09/25(金) 17:17:44 ID:8Xun/+mH
日本人でも、関西人は納豆食えないらしいからなぁ・・・
792人間七七四年:2009/09/25(金) 17:31:28 ID:L/lLgVc9
大英帝国が世界中に植民地作りまくれた最大の理由は
「故郷の味が恋しくてホームシックになる」ことがなかったから。

と豆知識風に言うとたまに信じちゃうから結構面白い。
793人間七七四年:2009/09/25(金) 17:50:57 ID:UU7GevNM
>>7781-82
衆道は衆道で長い歴史を持つ文化。女の代替で仕方なく、なんてもんじゃない。
日本ではそもそもは寺・僧侶から貴族へ、そこから武士へと伝播していった。
当然、戦とは関係なくね。そもそも戦場以外でも日常で衆道の習慣があるのに、
どうして「戦のときの限定」なんて話になるのか。そもそも伊井直政以外にも
衆道を勤めたとされる人物はいる。

ついでに言うと、当時の武家は衆道である方が「ノーマル」
794人間七七四年:2009/09/25(金) 17:51:49 ID:UU7GevNM
>793
最後の一行間違えた。「衆道」→「両刀」で。
795人間七七四年:2009/09/25(金) 18:02:16 ID:bVw7p1rg
最初の一行も間違ってるけどな
796人間七七四年:2009/09/25(金) 19:19:03 ID:Ec6kpYIZ
心の眼で読めば大丈夫!
797人間七七四年:2009/09/25(金) 19:23:58 ID:KgsDsDpQ
>>610

つ『室町少年倶楽部』
798人間七七四年:2009/09/25(金) 21:26:13 ID:gHoH6z6e
>>780
女当主は井伊直虎だんね
直政を養育し徳川家に出仕させたのもこの人

かなり幸薄い女性で、父を桶狭間、一族の殆どを政争の末に亡くしてる
夫となる筈だった井伊直親は朝比奈泰朝に討たれ、自身は山県昌景と戦い城を奪われてる
直親に操を立てたのかなんなのか、生涯独身だったそうだ

結構凄い人なんだけど、悪い話向けの人物な気がするのでここではあんまり詳しくは書けない
799人間七七四年:2009/09/25(金) 21:58:56 ID:T489/zDC
>>798
この人ですな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2634.html

直虎が当主になったころの遠江は、遠州錯乱って、ものすごいカオスな状況だったようで。
800人間七七四年:2009/09/25(金) 21:59:10 ID:kAuRHBH8
>>798
まとめサイトにすでにある。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-439.html
こっちで書かれたみたいよ。
801人間七七四年:2009/09/25(金) 22:20:52 ID:Mqj2ZqUL
>>798
家督を巡っては上に下に翻弄され、戦下にあっては信長、朝比奈、山県が相手ってなんてぇか、すげー運悪い一族だな
802人間七七四年:2009/09/25(金) 23:07:08 ID:sQR4sWHJ
>>791
言っても普通に食うよ
ただ関東とは違い臭い控えめなやつがならぶことが多いみたい
803人間七七四年:2009/09/26(土) 00:22:44 ID:K7WjWcUv
>789
彼らは野菜でもパスタでも溶解するまで煮るからな
それと白人は先天的に出汁のうまさを感じにくいんじゃなかったっけ
関係あるか分からんけど米炊いてたら臭いって上の階のおっさんが苦情にきたことある
食べさせたら何か優しくなったけど
味覚に関してはいろいろ違うんだなと思った

あとイギリス缶詰が異常に不味かった
でも彼ら長期旅行でフランス・イタリア・トルコ行くときその缶詰持ってくらしい
804人間七七四年:2009/09/26(土) 08:46:03 ID:MljrDHAs
しかし、江戸時代に一番日本人に人気があった外国はイギリスだったりする。
805人間七七四年:2009/09/26(土) 10:13:48 ID:C09zXj1G
ベジマイトってうまいと思って食ってるんだろうか。
806人間七七四年:2009/09/26(土) 10:28:38 ID:K2GC/yQ2
スレ違いだがみんな大好き日本のカレーは英国伝来
全てを不味いというのもおかしいと思うよ
フィッシュアンドチップス美味いしね
807人間七七四年:2009/09/26(土) 10:37:33 ID:9CxKu+Sq
そりゃ芋と魚に衣つけて揚げるだけなんだし、
それで不味かったら本当にどうかしてる
808人間七七四年:2009/09/26(土) 10:44:52 ID:aTcv8O7k
あれ、フィッシュアンドチップスって不味い飯の代表格じゃなかったっけ。

鮮度と油と揚げ方がしっかりしていれば不味いわけがないのだが。
809人間七七四年:2009/09/26(土) 10:50:04 ID:sWPARzD2
家康が食べて中ったのが「鯛のフィッシュアンドチップス」
だったら…
でも当時の天麩羅って、フィッシュアンドチップスに近い気が
するんだけど、どうなんだろ?あの時代からさっくりした衣って
出来たのかな?
810人間七七四年:2009/09/26(土) 11:11:24 ID:gKTVgodM
ではイギリスに関係あるいい話

徳川家康に仕え、その外交、貿易政策に助言、活躍した、三浦安針こと、
英国人ウィリアム・アダムス。
彼は現在の静岡県伊東市において、日本初の洋式帆船を建造しました。

この伊東市、この縁から今でもアダムスのことを大切に扱い、
夏には、彼を記念した『按針祭』というお祭りを行っています。
(今年で63回目。花火大会が有名です)

そしてそのお祭りのために、『按針音頭』と言うものまでつくりました。

「伊豆の湯けむり伊東にあつめ ぱっと花火は海に咲く 
見たか聞いたか按針祭は いでゆ伊東の夏げしき

船をつくった按針さんは 青い目をしたサムライよ 
見たか聞いたか按針祭は いでゆ伊東の夏げしき」

そして伊東市はアダムスの出身地である、イギリス、 メドウェイ市と友好都市の提携をしています。

過酷な航海の後、関ヶ原の年に豊後臼杵に漂着し、徳川家康に助けられ、徳川の旗本として活躍し
異国の地で侍として死んだ英国人は今も、日本とイギリスの友好の一助として、
存在をしているのです。
811人間七七四年:2009/09/26(土) 11:28:09 ID:YDQlyL6m
>>809
家康が食ったのは「天麩羅」というより「さつま揚げ」に近いらしいよ。

>>810
ヤン・ヨーステンの方はどうなんだろう。
八重洲のあのあたりはビジネス街だからやりようもないか。
812人間七七四年:2009/09/26(土) 11:39:24 ID:uX4Rsg25
>>806
カレーはイギリス経由だがイギリス料理とは呼べないよ
あと、本場のフィッシュアンドチップスはまずい
813人間七七四年:2009/09/26(土) 11:42:51 ID:YDQlyL6m
>>812
油が悪いのかな
ビネガーが致命的に合わないのかな
814人間七七四年:2009/09/26(土) 12:04:49 ID:2ovyb/sU
>>812
作ってる人間が。
815人間七七四年:2009/09/26(土) 12:28:31 ID:3iaW6n6v
中に具があるカレーはフランス人がシチューとの合体で作ったわけだが・・・。
イギリス人って・・・。
816人間七七四年:2009/09/26(土) 12:37:59 ID:i8CzEZPr
イギリス人が世界征服を企んだのは、旨いもんを喰らいたかったという笑い話もあるからなあw
ソーセージに小麦粉まぜたり、寿司を作るときはシャリを力一杯握りしめたり、
普通においしく作ることができないのがイングランドクオリティらしいw
817人間七七四年:2009/09/26(土) 13:15:40 ID:42enfX1b
一瞬ヘルシングスレかと思った
818人間七七四年:2009/09/26(土) 14:21:26 ID:y0ufTfrG
「英国紳士は老いも楽しむんだってよ兄上」
819人間七七四年:2009/09/26(土) 14:45:43 ID:uqVHA2O1
>>816
海外のテレビでイタリアの一流レストランのシェフがイギリスの学校に行って食堂のおばちゃんと料理対決をするって番組があったけど、
普通に徳用野菜詰め合わせをそのまま鍋に入れただけのおばちゃんに軍配が上がってたよ。
インタビューされた学生によるとイタリア料理とごった煮の味の違いがわからない、むしろごった煮の方が美味しく感じたとか。
あいつらは最初から味なんてわからないのさ。
820人間七七四年:2009/09/26(土) 15:05:41 ID:kRudCVVn
だから足が生えて動き出すパンやチーズ
海水に漬けて塩抜きする塩漬け肉
大豆を炒ったコーヒーで七つの海を渡り合えたのか
821人間七七四年:2009/09/26(土) 17:41:51 ID:hvB3zYXE
そろそろ国際ネタから戦国のいい話に戻ろうぜ
822人間七七四年:2009/09/26(土) 18:29:45 ID:hxDrBf7C
料理の話が出てるから伊達政宗ネタかと思ったら違うのか
そう言えば家康も健康食品作ってたよね
823人間七七四年:2009/09/26(土) 18:55:31 ID:JArKoKE0
そういや昔の日本人ってご飯やたら食ったらしいね
おかずとかより、とにかく米を
824人間七七四年:2009/09/26(土) 19:31:31 ID:oSzafETw
米ばっか食ってたから、米が玄米から白米に変わったとき
脚気が発生しちゃったんだよね。
825人間七七四年:2009/09/26(土) 19:43:06 ID:dQYnoUrz
玄米+五穀で必要な栄養素の大部分を取れるからな
826人間七七四年:2009/09/26(土) 19:46:17 ID:JArKoKE0
たぶん江戸〜明治あたりの話だったと思うんだけど
日本の百姓だか大工だかが米ばっかり食ってるのを見た外人が
こんなの食ってて力出んのか?肉食った方が力出るだろwって
欧米みたいに肉食べさせたら力出なくなって仕事能率↓↓ギュ-ン
んで米食に戻したら仕事量が戻った、って話なかったっけ?
827人間七七四年:2009/09/26(土) 19:50:35 ID:JArKoKE0
誤字
○仕事能率が戻った
×仕事量が戻った

>>825
日本人は米と魚と大根食ってりゃ死なない
って聞いた事がある
828人間七七四年:2009/09/26(土) 20:02:46 ID:s6SOEnA9
戦国時代の武将は朝飯に山椒のつぶをおかずにした、って言ったら贅沢呼ばわりされるのに
接待なんかでは食いきれないの前提の何十種類にもなるお膳が出て来たりして
食生活が極端すぎると思う
829人間七七四年:2009/09/26(土) 20:22:13 ID:iyRimoBX
>>825
ただ、それだと炭水化物が過剰になるから、消費カロリーの低い
現代人がその食生活すると太る。
830人間七七四年:2009/09/26(土) 20:42:56 ID:EmccWD8N
既出の話かも知れないが…

織田信長の覇業を継ぎ、見事天下人へと駆け上った豊臣秀吉。
早喰いで濃い味付けを好んだ織田信長、大名になっても麦飯を通し
旬の魚や野菜以外に箸をつけなかった家康など、食事の嗜好にも
戦国武将達の逸話は多いが、そんな彼らと並び賞賛されるラスボスこと
豊臣秀吉は、というと…黄金で茶室を作ったり大坂城に三百人の妾を囲ったりと
豪奢なイメージがある反面、食事については…割と庶民的な感覚だったそうである。

『異説まちまち』には、そんな豊臣秀吉の食に対する思いが書き留められている。

豊臣秀吉>>いやぁ、余も偉くなって酒食も美味珍品思うままになったが
     やっぱり、何がこの世で一番旨いかといえば…アレじゃな。
     『飢えそうなほど腹が減ってる時に喰うもん』に勝るものはないわ。

     余が身分卑賤であったころ、よく叔母の家へおつかいに行ったんだが
     叔母が『お前が来ると思ってて用意してあったんだよォ』って、
     大椀いっぱいに麦飯を盛って、棚においてくれてあったんだわ。

     こっちも忙しいからゆっくり喰う暇も無い、その木椀の麦飯へ水を掛けて
     立ちながら喰って、急いで帰る。

     これ、毎度毎度の事なんじゃが…ありゃあ本当に旨かった。
     余も天下人になって色々飽食美食に明け暮れたが、あんときの
     麦飯ほど旨いと思ったもんは一つも無い。'`,、('∀`)'`,、』

ちなみにこの時代の麦は本当に水気がなくぱさぱさで、急ぐ急がずに関わらず
水か湯をかけねば喰えたものではなかったそうだ。おそらく天下人になってからは
毎日銀シャリであったのは間違いない秀吉でも、一番うまかったのは
腹が減ったときに喰うものだった、という身も蓋も無いが気障も飾り気もない
庶民的なことだった。

ほかにも、大道寺友山(大道寺政繁の曾孫)の覚書によれば、
秀吉は生まれ故郷の尾張中村には年貢を課さないかわりに、年始祝いの挨拶に
大根と牛蒡を献上するようにと命令を出している。尾張中村の大根と牛蒡、といえば
名物だったらしく、貧乏な頃に食べたその味が忘れられなかったのだろう。

そんな豊臣秀吉の(天下獲った割には案外庶民的側面も忘れてなかった)良い話。
831人間七七四年:2009/09/26(土) 21:08:38 ID:tsDgWQrJ
このラスボスはいいラスボス
832人間七七四年:2009/09/26(土) 21:11:52 ID:vEZaErYb
食べ物ってのは、食べるその人を如実に表現してしまうものだな
833人間七七四年:2009/09/26(土) 21:17:43 ID:WmJAprxm
まぁ最近じゃ症状からして秀吉は脚気だったんじゃないかって
説を打ち出した医者がいたりするけどね

ゴボウの話は多分これだな
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-24.html
834人間七七四年:2009/09/26(土) 22:00:06 ID:IeQ2CJsG
秀吉△
835人間七七四年:2009/09/26(土) 22:48:58 ID:UQmUhKQx
織田信長が将軍義輝に拝謁するために京都にいたとき、
斎藤義竜は信長を亡き者にしようと暗殺者を送り込んだ。

この事はすぐに信長の知るところとなったのだが、信長は
なにを思ったか暗殺者の潜伏先に自ら出向いて行った。
そして信長は暗殺者に言った。

「わしを殺すつもりらしいが、それはカマキリが斧で龍車に
挑むようなものだ、やめておけ。だが貴様らの志は認めてやる。
本当にわしを殺したいのならば、かかって来るがよい。」

突然の事に動揺した暗殺者たちは逃げ出してしまう。
この事件はすぐに広まり、義竜は卑怯者と笑われたという。
836人間七七四年:2009/09/27(日) 03:52:30 ID:tJIoQMtE
後の関白豊臣秀吉である。
837人間七七四年:2009/09/27(日) 08:54:01 ID:KCfP00UN
後年の本能寺の変の発端である。
838人間七七四年:2009/09/27(日) 09:32:46 ID:nmyksotX
>835
物陰に目を爛々とさせた森武蔵がいたりしてw


…無いな。アレはきっと止めても殺すよな。
839人間七七四年:2009/09/27(日) 09:47:27 ID:fWQvHNKC
本能寺に殺しに来たのはその時の齋藤の刺客達であった めでたしめでたし
840人間七七四年:2009/09/27(日) 09:51:12 ID:l6/YundP
>>839
歴史群像新書にありそうだ
841人間七七四年:2009/09/27(日) 16:01:15 ID:brw+mTnh
松永弾正と落雷

大和領内の寺院で落雷があった。

この時に、松永弾正が寺院へ手紙を送っている。

弾正「落雷にあったと聞いた。
何やら天罰だと落ち込んでいるそうだが、自然現象なので気にしない方がいいぞ。
早く修理しろよ。」

迷信を信じない松永弾正の(見識の)いい話。
842人間七七四年:2009/09/27(日) 16:13:24 ID:dxLg3bs4
>>841
松永さんは「彗星も落雷もただの自然現象」の一言で片づけるあたりは、カッコいいね。
843人間七七四年:2009/09/27(日) 16:21:44 ID:PLclCwD4
白子の由来

めっちゃ地元ネタなんだが
俺の地元藤枝の駅前にある小川眼科の先生のご先祖さまは
元々伊勢の白子に住む農民だったらしい

伊勢の農民、小川孫三の前に、天正十年のある日、三河の大名徳川家康の使いが現れた
この時の家康、有名な伊賀超えを果たして伊勢にたどり着いたばかりで
この伊勢から海を渡り自領に帰ろうとしていたのだ
孫三はこの命令を受けて、すぐさま船を用意すると、家康一行を豊橋まで送り届けた

これに感謝した家康は孫三に朱印を与え、更に褒美として藤枝に土地を与えたため
小川家はここを故郷と同じく白子と名付け代々この土地に住むことになったのだそうだ

眼科なのに歯医者みたいに泣いて困らせてすみません
844人間七七四年:2009/09/27(日) 20:48:06 ID:J6qGPB3w
>>830
そう言えばふと思ったんだが、日本の為政者が粗衣粗食で通しましたみたいな話は良く聞くけど
外国はどうだったんだろう・・・西洋の王様とかもう豪奢な生活しまくり!って感じのイメージだわ
845人間七七四年:2009/09/27(日) 21:02:54 ID:qEKH0qlL
>>844
平安期の公家もそりゃあ贅沢だったんですがね。

まあ西欧の王侯は神が、公家は国家が、それぞれ地位を保証してくれたけど、
戦国期の武士の地位を保証してくれるのは己の実力と家臣や民衆の支持だからね。
そこらへん慎重になるというか、シビアっぽい。
徳川将軍も落とした米粒を自分で拾って食うように教育されたというし。
846人間七七四年:2009/09/27(日) 21:05:33 ID:Az2HHp9C
それぞれとしか言いようがない
兵隊王みたいに偏執的なまでに堅実剛健だったり太陽王のように贅の限りを尽くしたのだっている
847人間七七四年:2009/09/27(日) 22:19:39 ID:P/pF4V0w
儒教で賢者は偉ければ偉いほど質素で慎ましくなるみたいに言ってるし
そこら辺の聖人像をあえて意識して民衆の心をとらえたり名声を上げようとした武将もいるんじゃないか
848人間七七四年:2009/09/27(日) 22:19:54 ID:FD+F7yxy
関ヶ原に関する異説である


石田三成の挙兵により、小山より取って返した徳川家康。
家康は上杉景勝が白川から南下した場合の防衛のため、宇都宮城の大改修を行おうとした。

この時、本多正信は謀りを巡らし、自分の末子、於坊という当時12歳の少年を伴わせ、
秋本越中を会津へと派遣した。

直江兼続と対面した秋本は、正信の言葉を伝える、曰く

『今回、家康公が会津表に出陣した事、これは豊光寺での、貴殿からの返書が、
あまりに無礼だったためである。

―が、今になって考えれば、あれは石田、増田といった者達が、家康公を関東に下すために
貴殿を語らい入れて、返書をわざと無礼にするようにと勧めたに違いあるまい。
で、あるなら、家康公は景勝卿にも、そして勿論貴殿にも、遺恨のあるはずは無い。

さて、この度家康公は上方へと取って返し、石田、増田の輩を退治する事、
これは掌で転がすほど簡単な事である。

…ところで直江殿、貴殿も私も、互いの家中において、強い権力を持つ者である。
もしあなたが、景勝卿が白川より出馬しないように計らいあれば、上方を平定した後、
景勝卿にも、無論あなたにも、家康公は粗略に扱いませんぞ?

私はこの事を信じてもらうため、愚息を人質として、こちらに参らせた。』

兼続は考えた。
もし家康が上方で勝利した場合、景勝様がどれほどの大大名であろうと、
これは滅ぼされてしまうだろう。ここは保険をかけておくべきだ…

「承知いたした。家康公が上方に出馬している間、景勝様が白川より出馬することは無い。
その約束の証拠として、あなたのご子息をこのように留め置く。」

家康は正信よりこの報告を受ける。が、
「しかし兼続が心変わりすれば、おぬしの息子の身は…」

「主君のために愚息一人の命くらい、惜しむものではありません。
…それに、直江も馬鹿ではありませぬ。少なくとも上方の大勢が決まるまでは、
そんな粗忽な所業はいたさぬでしょう。

ともかく、宇都宮の城普請などはもう止めにして宜しいかと。」

家康は正信の進言に従った。
正信の計算したとおり、上杉は出羽方面には出兵しても、白川から南下する事は、
ついに無かった。

上杉を足止めした、本多正信の智謀、のお話

まあこれも、後世の創作だとは思いますが、正信もそうだけど直江も、大河よりもこっちの人格のほうが
個人的には好きだなw
849人間七七四年:2009/09/27(日) 23:07:30 ID:2xz0WrLN
伊達もいるしどちらにしても関東侵攻は難しかっただろうね。
850人間七七四年:2009/09/27(日) 23:20:20 ID:8tc//BMx
正信ならいかにもやりそうだね
851人間七七四年:2009/09/27(日) 23:43:03 ID:yW2+a2t1
>>848
ただそれだと、上杉の大幅な減封の説明が難しくなるんだよなw
852人間七七四年:2009/09/27(日) 23:57:43 ID:pvGP3nE/
徳川家康は大坂での戦いの最中、近習に不寝番をさせていたのだが
戦いが長いので疲れて居眠りする者もいた。

ある時、家康が近習たちを呼んで
「今夜、あちらこちらで鉄砲の音がしたが、聞こえたかな?」と聞いた。

家康は聞こえたと答えた者には褒美を与え、聞こえなかったと言った者には
「ほう、よく眠れたようじゃの。」と言った。

そんなことがあってからは自然と居眠りする者はいなくなったという。
853人間七七四年:2009/09/28(月) 02:25:32 ID:MrZ0yDXF
普通聞こえたって答えるだろうことを逆手にとって聞こえなかったという答えが正解なのかなと思ったら
そのまんまですか
854人間七七四年:2009/09/28(月) 04:06:35 ID:6ZuDtJrv
>>844
贅沢するとその分農民の負担が増えて
いざ戦の時へろへろで負けるぞって北条の人が言ってた
855人間七七四年:2009/09/28(月) 08:45:34 ID:Oja2tE7R
>>853
むしろその罠があるから寝てた奴は迂闊に「聞こえた」と答えられなかったのかも。
とはいえ戦の真っ最中だしなあ・・・
856人間七七四年:2009/09/28(月) 09:40:47 ID:VZw0t+7J
前に読んだヨーロッパの保存食の歴史で、
幕末に日本を旅行したイギリスの女性の回想録が紹介されていた
曰く日本の食事は「とても食するに耐えない。母国から持ってきた保存食だけが心の支えだった」
857人間七七四年:2009/09/28(月) 10:01:05 ID:56TLjUWL
これが中国とか仏蘭西とか土耳古みたいな国の人ならともかく英吉利じゃあなあ
858人間七七四年:2009/09/28(月) 10:07:08 ID:iz3vZiru
>>857
当時のフランスも相当だと思うぞ
欧州はイタリア以外食に力を入れた国は無い
859人間七七四年:2009/09/28(月) 10:18:31 ID:56TLjUWL
フランスはもうロシア式のマナーも入ってきたし
貴族や宮廷お抱えの料理人が革命で職を失ってそこらじゅうでレストラン開いてたでしょう
860人間七七四年:2009/09/28(月) 10:46:13 ID:VZw0t+7J
スレチの連レスですまんが
16世紀頃のイギリスの漁村の名物料理は「魚のジャム煮込み」
さすがに当時の案内書にも「土地の人間以外の口に合うものではない」とされているが
861人間七七四年:2009/09/28(月) 12:40:08 ID:3X1A9tza
いいかげんよそでやってくれ
862人間七七四年:2009/09/28(月) 13:21:41 ID:s1Ka0bbk
おいていきますね

戦国時代の食事4膳目
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/l50

食物と酒、嗜好品の歴史@世界史板 39皿目
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1253373322/l50
863人間七七四年:2009/09/28(月) 17:23:24 ID:SenUd9gb
宇喜多秀家の余生において、遭遇したと思しき災害の数々。

1604年12月 西国で地震発生。津波が八丈島を襲い、人家ことごとく流失。死者五十余。
1605年9月 八丈島噴火。田畑に多大な損害。
同年11月 火山活動収まらず、再度噴火。
同年12月 三度大噴火。一夜にして大山が出現する。
1642年3月 三宅島噴火。
1643年2月 三宅島雄山噴火。溶岩で村が焼失。
1652年3月 青ヶ島噴火。

このほか、八丈島にも関係しそうな地震、暴風雨も毎年のように記録が残っている
天寿をまっとうできた秀家は結構ラッキーだったのかもしれない
864人間七七四年:2009/09/28(月) 17:23:33 ID:p5c/HEq3
>>842
松永弾正
「プラズマですよ。 プラズマで説明が付く」
865人間七七四年:2009/09/28(月) 18:26:41 ID:Kk06/e8N
>>864
大仏「こいつだけは痛い目あわさにゃいかんな」
866人間七七四年:2009/09/28(月) 18:38:27 ID:J4DiWRcq
仏や天罰なんてありませんよ…
ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから
867人間七七四年:2009/09/28(月) 21:12:46 ID:P8dGGUoB
>>863
噴火・地震はいつおきるかわからないけど
暴風雨は毎年の行事だろw
そりゃ、余生送るには最適な環境とはいえないけどさw
868人間七七四年:2009/09/28(月) 21:30:07 ID:qpfM/E9a
小瀬甫庵、取材する

小瀬甫庵は太閤記を編むにあたって武将たちを取材した。
ある時、甫庵は立花宗茂を取材した。甫庵が

「太閤記にあなたの事蹟を載せたいので、昔の事を教えて
もらえないでしょうか?」

と頼んだところ、宗茂は

「私は自分の行い全てを隠さずに公表してきた。私の事蹟は
世論が決めるだろう。だから私が語る事はなにもないな」

と言った。また甫庵は黒田長政にも武功を教えてほしいと頼んだ。
長政の家臣達は、長政に

「殿のご武功を喧伝する好機ですな。私達が資料を作りましょうか?」

と言うと、長政は

「この天下泰平の世に、過去の武功を誇示してもなんの得にも
ならない。むしろ全て隠して、公表しないべきではないのかね」

と言って家臣達を納得させた。甫庵はまた断られた。
869人間七七四年:2009/09/28(月) 21:43:38 ID:gsEbrDDM
さすが宗茂 名声は捏造しようもないということだな
徳川史観とか入ってるバカに爪の垢でも飲ませてやれ
870人間七七四年:2009/09/28(月) 21:50:19 ID:fuJNNWcV
「太閤記」って徳川の世になってから編纂されたものだよね。
その辺の事情もあるんじゃないかな。
「神君記」だったならあるいはと。
871人間七七四年:2009/09/28(月) 21:52:59 ID:tOZCvxhs
というか、今ある戦国の歴史資料って
大部分は徳川の世になってからじゃない?
872人間七七四年:2009/09/28(月) 22:00:27 ID:YXHS0ve8
太閤記であんま持ち上げられて名声を得ると
徳川に目をつけられそうって政治的配慮もありそう
873人間七七四年:2009/09/28(月) 22:39:37 ID:BsAHcdGg
>>863
そんな環境で無事に過ごせたなんて凄いな。
こんだけ逞しい人だから泳いで参って欲しい・・・とか言われるのか・・・。
宇喜宇喜フェスタでは八丈島での生活も聞けるのかな。
874人間七七四年:2009/09/29(火) 00:10:18 ID:7bvFtpYN
立花宗茂か・・・まとめサイトみて改めて思ったけど出来すぎな人だよね

紹運からそろそろ初陣してみるか?って聞かれたとき宗茂は
「出たいのは山々だけどまだ鍛錬が足りないのであっさりやられるだけです
あと一年ぐらい猶予をくれるのなら立派に果たして見せます」
って断った
その冷静な判断にみな感嘆したって話があったらしい

俺なんか仕事を振られたとき
出来るか出来ないか、いつまでなら出来るかはっきり言えって怒られたことがあったなとちょっと凹んだ
875人間七七四年:2009/09/29(火) 00:40:41 ID:wb9PS8Oh
>>874
気にしない
戦国時代じゃないんだから仕事で命までとられないぜ
頑張ります だけでいいんだよ
876人間七七四年:2009/09/29(火) 01:07:37 ID:uhfclLmB
>>875
でもしくじれば詰め腹切らされるぞ今の世の中頑張るだけでは簡単に乗りきれんぞ
877人間七七四年:2009/09/29(火) 03:17:37 ID:g1UCxBKx
皆斬り殺してしまえばいい
生き残った者が正しい
878人間七七四年:2009/09/29(火) 03:17:54 ID:wb9PS8Oh
慣れてない人間にそこまで期待してないぜ我が社
うーん会社によって随分違うもんだな
879人間七七四年:2009/09/29(火) 04:19:40 ID:xb56zZvY
・小沢の不正献金の件で西松の社長を逮捕したら、その日たまたま西松元専務が死亡。
・その3日後、重要参考人だった長野知事の元秘書がたまたま自殺。
・その後、小沢を告発していた元議員がたまたまソウルで心臓発作で死亡。
・民主支部家宅捜査の翌日にたまたま民主事務所から出火して全焼、全資料焼失。
・火事の第一通報者がたまたま民主党員の秘書だった。
・しかし「第一通報者は通行人」と報道した番組が複数あった。
・平成16・17年に鳩山の収支監査をやった故人献金のキーマン花田順正税理士が衆院選の前日にたまたま心不全で死亡。

◆最新 9月分
・元財務官で現信金中央金庫の理事相談役 中平幸典、都内の自宅マンション敷地内で転落死しているのが発見される。
・仙台市議 相沢芳則、自宅で首つり。 ←NEW!!!

┌─────┐
│偶 然 だ ぞ .|  
└∩───∩┘
  ヽ(`・ω・´)ノ
880人間七七四年:2009/09/29(火) 06:30:46 ID:g1UCxBKx
>>879
下手くそな暗殺だな
直家先生に御教授頂くべき
レッツスマートアサシネイション!
881人間七七四年:2009/09/29(火) 09:38:48 ID:p9w1ZROM
戦国の世で、スマートな暗殺を行ってたのは、
やっぱり直家先生や、松永弾正先生あたりなのかね。
882人間七七四年:2009/09/29(火) 09:47:13 ID:SXey+M6i
暗殺なら義光様が一番すごいし数もずば抜けてる。
あんたらはまだまだひよっ子。
883人間七七四年:2009/09/29(火) 09:58:39 ID:C/fA5G2B
後世に残るような暗殺は本当にスマートなんだろうか
884人間七七四年:2009/09/29(火) 10:00:27 ID:4f2aWXQr
「戦国の暗殺大名たち」って本が出ないかな
885人間七七四年:2009/09/29(火) 10:13:16 ID:VCrsh0lg
>>881
誰がやったバレバレって時点で、へったくそだと思う。

最高の暗殺ってのは、誰も暗殺だと疑わない、自然死にみせかけること。
次点で、自分の仕業だと思われないこと。
886人間七七四年:2009/09/29(火) 10:17:18 ID:NqtjkIFj
もしも、本能寺の変に黒幕がいたとしたら、そいつが戦国暗殺MVPだな
887人間七七四年:2009/09/29(火) 10:41:40 ID:8yBDzOPI
>>879
まっくろだな ミンスw
888人間七七四年:2009/09/29(火) 11:05:22 ID:jj7Y8CQK
一揆が起きた場合
政宗「はいはい、わしのせい わしのせい」

武将が死んだの場合
直家&松永&義光「はいはい、わしらのせい わしらのせい」
889人間七七四年:2009/09/29(火) 11:12:59 ID:ccQwpt3M
暗殺の実績皆無なのにやたらと黒幕にされる権現様萌え
890人間七七四年:2009/09/29(火) 11:20:16 ID:oGp2aXID
まあ暗殺は小物臭いからね 自ら手を汚すこともない
891人間七七四年:2009/09/29(火) 12:56:26 ID:3l5Bg1HC
>>886
自力で謀叛成功させたのに
まるで信じてもらえないで
黒幕にそそのかされたアホの子あつかいの明智光秀カワイソス
892人間七七四年:2009/09/29(火) 13:04:54 ID:Wa24PA9T
自業自得だと思われるのが信長の味噌だな
恨んでる人間が多すぎるっていう
893人間七七四年:2009/09/29(火) 14:16:09 ID:zNfePW6s
>>885
謙信とか信玄とか絶妙な時期に死んだ武将が実は毒殺だったらすごいけどな。
894人間七七四年:2009/09/29(火) 14:36:24 ID:45PWyM8D
信玄は毒殺じゃないけれど、野田城を包囲していた時に笛の音に誘われてのこのこ出て行って狙撃されたじゃないか。

権現様はさすがに誰も彼もいいタイミングで死んでくれるおかげで毒殺説がありまくりだよな。
895人間七七四年:2009/09/29(火) 14:40:30 ID:oJz6llJE
まああんな、100%成功してしかも発覚しない毒殺なんて、逆にありえないんだけどねw
896人間七七四年:2009/09/29(火) 14:42:17 ID:FTBc9CrD
笛の音ごときでわざわざ大将が前面まで出てくるかってーの
897人間七七四年:2009/09/29(火) 14:52:29 ID:C1PIIUTr
信玄の他にも笛の音に誘われて殺されたとされてるのいなかったっけか?
898人間七七四年:2009/09/29(火) 14:59:21 ID:vBEzCNf8
信長だろ 笛の音に誘われて本能寺にいったら明智に襲われたっていう
899人間七七四年:2009/09/29(火) 15:08:17 ID:3DFo0nb9
笛を吹いてたら殺されたのが尼子経久の嫡男だっけ
900人間七七四年:2009/09/29(火) 15:11:24 ID:F6j2U0RO
>>897

尼子経久の嫡男・政久は文武両道の武将で、とりわけ横笛の名手であった。

1518年に桜井宗的が磨石(とぎし)城にて反旗を翻すと、尼子経久は政久を総大将して磨石城の攻略を命じた。
しかし、尼子の大軍をもってしても容易には落ちず、長期戦の様相となり始めた。

政久は敵を油断させるため、櫓を築いて毎夜酒宴を開いては戦を怠けているかのように見せかけ、政久自らも毎晩決った場所で笛を奏でた。
しかしこの手に櫻井宗的は乗らず、ある夜に城兵側の弓自慢が笛の音が聞こえるほうに向かって矢を放った。
その一本が政久の喉に当たり、尼子政久は即死してしまったという。
901人間七七四年:2009/09/29(火) 15:22:54 ID:vBEzCNf8
戦をなまけてるようにみせたっていうか実際怠けてたんじゃ…
902人間七七四年:2009/09/29(火) 15:35:15 ID:FgIpNtBJ
もしかして、信玄は笛の音じゃなくて美少年の根につられたんじゃ
903人間七七四年:2009/09/29(火) 15:45:24 ID:vBEzCNf8
本能寺で歯を磨いてたら矢が飛んできてぶっすり刺さったでござるの巻by太閤記
904人間七七四年:2009/09/29(火) 16:27:59 ID:Y+ToGOSl
>>902
笛は笛でも尺八…
905人間七七四年:2009/09/29(火) 16:31:31 ID:MJb8QbK5
>>904
だれうま
906人間七七四年:2009/09/29(火) 16:31:38 ID:ivIijiYh
信長のケツに笛を刺したら死んでしまったので本能寺に火をつけましたby蘭丸
907人間七七四年:2009/09/29(火) 17:47:08 ID:7yySAlWI
謀叛実行してちゃんと仕留めた光秀や晴賢はすごいな
どっちも黒幕どうのこうの説が鬱陶しいけど
908人間七七四年:2009/09/29(火) 17:49:52 ID:fkolsBIA
景勝くんからお手紙ついた

謙信死後、御館の乱を機に同盟を結ぶことになったかつての宿敵武田・上杉は
いずれも新たな脅威織田を前にして、団結し対抗しようとしていた

そんなある日京に居た上杉の人間が、武田が単独で織田と接触したという報せを景勝に送った
その報せを聞いた景勝は急いで

「約束と違うじゃん!織田と交渉する時は一緒にねって言ったじゃんか!
どっちかだけの交渉でも経過はつぶさに報告し合おうって約束したのに
こんなんじゃ困ります!抜け駆けやめて下さいよ!」

という感じの手紙を甲斐に送った
すると程なくして勝頼から返事がきた

「報告しようとして忘れてたんであって抜け駆けじゃあーりーまーせーんー
そんなことより景勝さ、そっちこそ京で単独で織田と接触してたらしいね
どうしたの?まさかとは思うけど、抜け駆け?」

景勝の方も実は単独で織田と交渉していたのである。
これはかなり決まりが悪い、が、これがきっかけで
同盟にひびが入ったということはなかったようだ

武田滅亡直前の天正十年三月、援軍を長沼まで向かわせながらも
勝頼の安否を調べさせていた景勝は甲斐の鷹匠松鴎軒にあてた手紙にこう書いている

「勝頼のことが本当に心配だ
ただ、今はうかつに動けないので松鴎軒さんから信用できる人を
甲斐に送り込んで、状況を調べてくれないだろうか
どんなに世間が変わっても、自分がしっかりしていて
勝頼の身が無事であれば、逆転することはできると思っている」

三月十一日、武田勝頼は天目山で滅ぶ。
織田軍は北上し、北信濃は戦火に包まれた。
景勝は必死で守ったが、これももう風前の灯火かと思われた
天正十年六月、本能寺で信長が死に、
危ういところで踏みとどまることが出来たのだった

一応、勝頼にも味方はいたのだ。
909人間七七四年:2009/09/29(火) 17:52:39 ID:3DFo0nb9
どっちも先代が有名で大変だからなあ>景勝・勝頼
910人間七七四年:2009/09/29(火) 18:10:55 ID:52xXyha6
>>909
信忠「敵だけど分かる」
秀忠「仕方ないね」
911人間七七四年:2009/09/29(火) 18:35:08 ID:rrohfbPg
そして残ったのは徳川の天敵真田というわけか。
912人間七七四年:2009/09/29(火) 18:45:49 ID:tm2zAT1w
ネトウヨうざ
913人間七七四年:2009/09/29(火) 19:10:35 ID:7u9cXscz
えっ
914人間七七四年:2009/09/29(火) 19:39:00 ID:Z7P2A/zU
>>913
きんどーさん?
915人間七七四年:2009/09/29(火) 19:44:00 ID:ffjnatlG
たしか景勝は武田滅亡寸前と聞いて
「勝頼の身と武田の家督だけはなんとかする」とか書いた手紙出してなかったか。
御館の乱で勝頼が義理の兄弟のはずの景虎より景勝を取った理由に
会ってみたら景勝と意気投合したから、とか書いてる本を見たことがある。
916人間七七四年:2009/09/29(火) 19:52:14 ID:MXj9RQTI
    , - ─ - 、  
   / /`´`´`ヽ   >>914
   |/  '\,,/` |   やーねえ
   ||  ∩ ∩ |   きんどーさんじゃないわよ
  (6  ノ⌒⌒ヽ ヽ  
   l  (   O )  l   あたしは昭和の乙女
   \__`ー一'__ノ         きんどーちゃん
917人間七七四年:2009/09/29(火) 19:54:44 ID:lC4Dx0Sz
寡黙な景勝と意気投合ってある意味凄いなw
愛の人あたりが上手な通訳してたのかも
918人間七七四年:2009/09/29(火) 19:59:21 ID:1gyg3ZYj

              __
             .| ● |
               ̄ |
              〆 ⌒ ヽ
              i.   ^、,^ i
    ヾ        (6- (III)(III)  サッ
c~~⌒ )       ノ⌒ヽ 、 '◇〉
  ̄| |   ,____/  \ \⌒\)
   i ゝ_/ i i      \ノ`\丿 
   ヽ__|  ヽ ヽ    ノ      ノノ
       ゝ  _\ 二ノ
        \. ヽ
          ) )
        / /
       (  く
        \ ο  
          ~~
919人間七七四年:2009/09/29(火) 23:26:13 ID:VCrsh0lg
>>917
「殿いつ」の愛の人しか思いつけんのだがw>通訳
920人間七七四年:2009/09/29(火) 23:59:13 ID:oJz6llJE
上杉謙信がある時、越後に亡命した村上義清を伴い、広野で鷹狩りをしていた折の事。
義清は広々とした鷹場に感心し

「こう言う場所をみると、ここに軍勢を召し連れ、備を立てさせ、演習をしているところなど、
見たくなるものですなあ。」

これを聞いた謙信
「え?そうなんだ?じゃあお見せいたそう。」

「えっ?」

ブォォ〜
義清が驚く暇もなく、謙信の合図でほら貝が一声鳴り響く、
するとたちまち、4,50騎ほどの、重装に身を包んだ鎧武者が馬埃をたて駆け集まり、
その鷹場において、たちどころに陣を布いた!

驚愕している義清に、謙信

「いつ何時でも貝の音で、順次集まるように命令してあってな、とりあえず二隊ほど呼んでみた。
まあこれを見物してくれ。」

これに義清は
「その陣列の正しき事、天下にも稀なるべし。」と大いに感嘆したと言うことである。
921人間七七四年:2009/09/30(水) 00:53:25 ID:kvqq+cc5
格好いいけど、完全武装の鎧武者達が
物陰で待機して合図を待ってるのかと思うと笑えるw
922人間七七四年:2009/09/30(水) 00:55:15 ID:LV3mlzcM
時代劇でもものどもであえ〜というと、どこからともなく武装した連中が出てくるみたいだなw
923人間七七四年:2009/09/30(水) 01:06:22 ID:hj8fp5OY
>>921
「今日は呼ばれないな・・・・帰るか」
924人間七七四年:2009/09/30(水) 02:24:04 ID:TPthXuCE
>>920
さすが戦バカww
925人間七七四年:2009/09/30(水) 03:57:44 ID:ymmA5FYq
駄目なリーダーが似たようなこと計画したら即効で部下に反発されて取りやめだろうなw
926人間七七四年:2009/09/30(水) 07:38:54 ID:wBJyg0H5
「いつなんどき、誰の戦争でも受ける!」ってかww
927人間七七四年:2009/09/30(水) 08:49:18 ID:hnF+3q9E
ほら貝忘れてきたらどうすんだろうな?w

謙信「あ、やべっ!貝忘れた」
謙信「…仕方ない」
謙信「すぅ〜(息を吸う音)」
謙信「ぶぉえ〜」

部下「なんか今日は音変だな?」
部下「まぁ良いか、行くべ」
928人間七七四年:2009/09/30(水) 11:09:01 ID:subcdGFJ
>>927けんしんリサイタルw w

客将の村上義清に「我が心の友(強敵?)よ〜」って抱きつく上杉謙信を幻視した
929人間七七四年:2009/09/30(水) 11:35:57 ID:BxBaCIXM
>>920
読んだだけで勇壮な様子が伺える。
が、せっかくの狩場はもうしばらく使い物にならんのじゃないか?
930人間七七四年:2009/09/30(水) 14:59:59 ID:Cl/DJAk6
>>920
一見ものすごく感嘆しそうな光景だろうけど
なんか小学校の避難訓練みたいなノリだな・・・
931人間七七四年:2009/09/30(水) 15:24:08 ID:subcdGFJ
>930
というか某将軍様トコの友愛マスゲーム…
932人間七七四年:2009/09/30(水) 15:40:05 ID:G6sBp3+F
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-455.html

で、セコさ全開で蓄財に励む真田信之であるが、
ある時、近くにいた家臣に

「皆、わしの事をさぞケチだのなんだの噂しておることだろうな」

と尋ねてきた。
家臣はまさか、「ハイ、さようでございます」などと言えるはずもなく、

「あー・・・、お金持ちであられると申しております」

と、取り繕って答えた。
すると、信之は、その家臣に向かってlこう言った。

「士卒を励まし候にも、下知ばかりにては、なかなか励まぬものなり。
 金銀を快く遣はして下知なくては、合戦は成らぬものなり。
 武士は金銀を大切にすべし」
(部下を励ますのに命令するばかりじゃ、なかなか励んではくれないよ。
 金銀を思い切りあげて命令するんでなければ、戦はできないよ。
 だから武士は普段から金銀を大切にしなきゃダメなんだよ)

信之もただセコく金集めしてた訳じゃなく、
ちゃんと考えがあってやってたんだよ、というフォローのお話。
933人間七七四年:2009/09/30(水) 15:57:05 ID:Jv95LB2b
前田利家「いいこと言うなあ」
934人間七七四年:2009/09/30(水) 15:59:25 ID:YE1NTe3b
【アナウンス】
上杉家を退転された岡左内さん。上杉家を退転された岡左内さん。真田家の方がお待ちです。
935人間七七四年:2009/09/30(水) 16:41:58 ID:Goot6pXA
戦国のケンチンボは、必要なときには惜しみもなく使う金の使いどころが分かっている人たちが多いけど、
本当にただのケチだったのは利家以外は知らないなあ。

他に誰かいたっけ?
936人間七七四年:2009/09/30(水) 17:55:09 ID:wmIeDDA1
戦国の人で死後も利休・古田織部みたいに茶の世界で文化や精神が受け継がれてり
不破・名古屋みたいに芸能の世界で生き続けて400年以上ファンクラブが続いてるとか
マイナーな人でそういう逸話の持ってる人って誰かいるのかな?

武将の生存説とか剣豪・僧侶の剣術や教えが〜とかじゃなくて
死んでも尚特定の世界で生き続けた伝説的な人的な意味で
(伝説的な相撲取りとか…神がかった技術の大工さんとか棋士とか…そう言った類の人で)
937人間七七四年:2009/09/30(水) 18:02:06 ID:YNmDener
戦国の切れたナイフの人は気がついたら430年以上後の電子立て札で大人気だぞ
938人間七七四年:2009/09/30(水) 18:12:45 ID:wmIeDDA1
>>937
おぉ出来れば詳しくお願いします
939人間七七四年:2009/09/30(水) 18:13:23 ID:YOuTK6aF
>>936
マイナーじゃないかもだが細川藤孝なんかは歌が江戸に入っても親しまれてそうな
藤孝自体生前その4人全員とも知り合いだし
940人間七七四年:2009/09/30(水) 18:17:58 ID:nGyYFzDg
有名だが、まとめになかったと思うので。
あったらごめん。

信長暗殺計画〜比良の奥地に大蛇を見た!〜

織田信長がまだ尾張の大名であったころの話。

弘治元年(1555年)の正月のこと、
清洲城下に奇妙な噂が流れた。
比良東方のあまが池という沼に、真っ赤な舌と
爛々に光る目を持った大蛇が出たというのだ。
それを聞いた信長、好奇心を抑えきれずに、
自ら比良の佐々成政を伴い「蛇かへ」と称して
大蛇退治に乗り出した。
付近の村人を総動員し、沼の水をかき出すも、
大蛇は影も形も現れない。

それもそのはず。
大蛇が出るという噂は佐々成政の流した嘘だったのだ。
比良の地は清洲城に隣接しており、、織田家の勢力基盤強化に
熱心だった信長に比良を奪われるのを恐れたためとも、
信長の弟、信行に与していたためとも言われる。

それはさておき、成政は大蛇調査のためと偽って信長を小船に乗せ、
護衛を引き離して沼の中央で殺害するというどっかの軍師の様な
プランを立てていた。

しかし、七分ほどかき出した辺りで、
信長「ええい、じれったい!わしが潜るでや!」ザブンッ

なんと大名である信長自ら口に指物をくわえて
沼に潜っていったのだ。旧暦の正月とはいえ、今で言う2月か3月
あたりの沼を大名が素潜りし始めたである。慌てて家臣の中でも水練の達人が
後に続いて潜ったものの、大蛇はやはりいない。信長は飽きたのか、
沼から上がるとさっさと帰ってしまった。
まさかの寒中水泳&速攻帰宅にさすがの成政も唖然としてしまったのか、
結局暗殺計画は失敗したのだった。

後日、この暗殺計画は信長の知るところとなったが、
成政が処罰されることはなかった。もしかしたら、
失敗したとはいえ自分の好奇心の強さを計算に入れて、
周到な暗殺計画を立てた成政の知略を惜しんだのかも知れない。
このことに感動したのかは定かではないが、以後佐々一族は
信長の為に粉骨砕身の働きをする。
成政の二人の兄、隼人正と孫介はそれぞれ桶狭間、稲生合戦で
戦死。、成政自身は言うまでもなく馬廻衆、黒母衣衆として
各地を転戦、信長政権下では富山城主、越中国主にまでなった。

そんな(脳筋扱いされがちな)成政の(意外な)知略と、
それを遥かに上回る信長の行動とスケールのお話。
941人間七七四年:2009/09/30(水) 18:34:13 ID:OCBB9Ev5
>>936
細川忠興の茶道は、「三斎流」と言う茶道の一派として現代にまで伝わってる。

>>940
そのお話信長公記のなかにあるけど、何で成政が信長暗殺しようとしたのか、
そしてどうしてそんな回りくどい方法を取ったのかw
その後信長に、成政を警戒する気配が微塵も無いことも含めて、良くわからん事件なんだよね〜。
942人間七七四年:2009/09/30(水) 19:20:26 ID:yrq6aX29
>>935
秀吉歓待した時にケチな利家も費用計算せずにやったんじゃなかったっけ?
943人間七七四年:2009/09/30(水) 20:56:01 ID:s6W116pH
>>940
ノブはこういう超ノリノリ状態のときが一番面白い
944人間七七四年:2009/09/30(水) 21:40:13 ID:SScD0hOR
宇佐美定満「佐々殿はヘタクソじゃなー」
945人間七七四年:2009/09/30(水) 21:46:31 ID:fALnYogw
>>941
『武功夜話』ソースだが、
成政は元々、岩倉織田氏の信安に仕えていたそうな(家老で分家筋の弾正忠家(信秀・信長)とは対立)。
その辺も関係しているんじゃない?
946人間七七四年:2009/09/30(水) 21:58:41 ID:N/3BfOR4
>>942
派手好みの主君歓待する時には費用を惜しまないってのはある意味計算づくだなw
947人間七七四年:2009/09/30(水) 22:07:44 ID:stSiFlme
>>945
武功夜話の信憑性はともかく、理由としてはそんなところなんだろうけど、
問題は、何であんな回りくどい暗殺方法を選んだのか、だよねw

信長公記に書いてあるんだから、実際にそれに近い状況があったんだろうけど、
謎だw
948人間七七四年:2009/09/30(水) 22:23:04 ID:wmIeDDA1
>>939-941
ありがとう、細川親子の存在をすっかり忘れてた!
ガラシャさんも生前行ってた訳じゃないけど1600年代にオペラの演目に
なってるしそっち系の道では友好関係含めて一流一家でしたね
>>945
成政と信長の絶妙な立場関係ってそういう裏があったからなのか
949人間七七四年:2009/09/30(水) 22:36:57 ID:FJhyu4+E
>>946
家康が信長を招待したときも、「相対的に」派手で贅沢な歓待をしたらしいね
950人間七七四年:2009/09/30(水) 22:38:54 ID:FJhyu4+E
戦国のけちんぼランキングってどんなもん?

1. 前田利家
2. 徳川家康
3. 真田信之

この3人はかたい?
951人間七七四年:2009/09/30(水) 22:44:09 ID:stSiFlme
豊臣政権の時代くらいだと、家康と黒田如水は、ケチの双璧みたいに見られていたらしい。
952人間七七四年:2009/09/30(水) 22:49:44 ID:/eAn9eaT
岡越後は何が何でも入れたい。
溜め込んだお金を一年しか仕えてない景勝にくれてやる潔さもあるが、
やはり銭大好き男ランキングにこいつはいれなきゃいかん気がする。
953人間七七四年:2009/09/30(水) 22:53:51 ID:H44hJkrK
北条早雲は折れた針すら蔵に積んでいたといわれるほどのケチ。
伊豆討ち入りの時にそれまで貯めた財産を全て使ったとかいうから利家タイプとは違うけどな。

あと戦国当時の伊達政宗もケチ、泰平になったらご存知のように散財家になったけど。
954人間七七四年:2009/09/30(水) 23:06:37 ID:uF3diSnc
逆に散財したがりって誰だろ?
経久とかかな?
955人間七七四年:2009/09/30(水) 23:18:36 ID:trb14q6M
ケチというか守銭奴だが、加藤明成(地味な方の加藤家の二代目)。
なぜか一分金が特に好きで集めまくったため、皮肉交じりに「加藤一分殿」とあだ名されていた。
956人間七七四年:2009/10/01(木) 00:04:59 ID:zhjUgd3z
>>936
棋士なら囲碁も将棋も棋譜が残り始める時期だね
初めて名人と呼ばれた男、本因坊算砂なんかはエピソードも豊富
957人間七七四年:2009/10/01(木) 00:27:27 ID:eIw1txuh
ガチの散財家なんて、即滅亡するんだろうけど。
958人間七七四年:2009/10/01(木) 00:31:08 ID:yvWv2Zfa
武将じゃないけど、信長の旗本だったかに、博打で負けて、有り金どころか
言葉通り身包みはがされて、次の日の合戦にふんどし一丁で出て行った人がいたな。
959人間七七四年:2009/10/01(木) 01:06:08 ID:HqDKjD66
鳥居元忠の妻と言えば、ご存知の通り武田信玄に仕えた鬼美濃こと、馬場信春の娘である。

さて、徳川家康が鳥居元忠に伏見城の留守居をまかせ、上杉征伐のため関東に下った頃の事、
この妻は、自分の夫が籠る伏見城の図面を見て、このように言った

「この城は、松の丸が横からの攻撃に弱い構造になっています。
もし城が落ちるとすれば、この松の丸からでしょう。」

果たして伏見落城の折、最初に攻略されたのは松の丸であった。
これに世の人々、「馬場美濃といえば城割の名人として有名であったが、
その娘でさえもこれほどとは、血は争えぬものである。」と、大いに感嘆したそうである。
960人間七七四年:2009/10/01(木) 01:57:45 ID:p4GUMU3v
>>956
本因坊(初代)と大橋宗桂(初代)が将棋で大局したのが
将棋の歴史上で一番古い棋譜じゃなかったっけ?
碁打ち衆、将棋衆は三傑に仕えてた人多いから結構凄い人多いよなあ

力士はなぁ今の相撲とはちょっと違うからなぁ記録とか残ってるんだろうか?
961人間七七四年:2009/10/01(木) 02:19:36 ID:zhjUgd3z
>>960
確かそう
囲碁のほうは本能寺の変の時の算砂対利玄が最古とされてる
962人間七七四年:2009/10/01(木) 02:31:46 ID:zhjUgd3z
ついでにせっかくなので有名なエピソードを


囲碁には三劫という形がある。無限循環形の一種で、発生したら無勝負とするしかない。
実はこの三劫、江戸時代を通して不吉とされていた。それには以下のような謂れがある。

天正十年六月一日、織田信長は中国攻めの援軍のため本能寺に宿泊していた。信長は
囲碁好きであり、京に滞在するときは時の第一人者として知られた寂光寺の僧日海を
召し出すのを常としていた。この日は京の強豪を集めた碁会を開いており、その目玉は
片やもちろん日海、そしてもう一人はこの本能寺の僧であり、日海の好敵手と目される
利玄(利賢)であった。この日二人は何局か対局していたが、奇妙なことが起こった。
目のない石が絡み合って攻め合いになっているのだが、そこに劫が三つ付随しており、
ぐるぐる取り合って無限に繰り返す状態になってしまったのである。日海が「三劫」と
名付けたこの珍しい形を信長は喜んだが、これはルールで解決できず、勝負なしと
するしかない。とりあえず碁会はお開きとなった。

歴史に名高い本能寺の変が起こったのはその直後のことであった。
963人間七七四年:2009/10/01(木) 02:32:42 ID:zhjUgd3z
変後京は明智光秀の支配するところとなったが、日海は構わず盛大な法要を催した。
光秀もこれは黙認する他なかったという。羽柴秀吉が光秀を破って京に入ったとき、
日海は門を閉じてひたすら読経の日々を送っていたが、秀吉は何度も使者を送って
日海と会見し、たちまち意気投合したという。日海、後の本因坊算砂である。

この碁会で打たれたと伝えられる日海と利玄の碁は棋譜が残っており、我が国に
おける最古の棋譜として知られている。ただし、残念ながら三劫の譜ではない。


前半だけなら(縁起)悪い話っぽいけど後半で許して下さいな

ちなみに棋譜に残る最古の三劫は享保の第一人者、井上春碩因碩の碁で、この人は
国際公式指導碁で負けた唯一の日本棋士として知られていたり、名人を争って敗北したり
など、不幸というかネタっぽい棋士として知られているけど、天寿は全うしているようで。
964人間七七四年:2009/10/01(木) 04:29:50 ID:9R7UHKqi
ヒカルの碁の巻末おまけ漫画にあったな、その三コウ話。
965人間七七四年:2009/10/01(木) 07:13:43 ID:Uv3iX2c0
>>959
鬼美濃って武田家臣でも複数いるのか
原の方しか知らなかった
966人間七七四年:2009/10/01(木) 08:02:59 ID:JchZkwDs
原さんの武功にあやかるようにと言う事で美濃守の官途を名乗ったんでなかったかな
不死身の鬼美濃さんのほうが有名かしら?
967人間七七四年:2009/10/01(木) 08:49:12 ID:zhjUgd3z
>>964
実は最近の研究では本能寺の件は単なる伝説なんじゃないかって見方もあったりする
日海は碁打ちとしてというより宗教顧問として信長に仕えていたんじゃないかって
説もあるらしい。秀吉には碁打ちとして仕えたという物証があるらしいけど
968人間七七四年:2009/10/01(木) 09:32:00 ID:FHD+x7ZE
家忠日記の将棋の図面が日本最古だっけ
969人間七七四年:2009/10/01(木) 09:36:09 ID:t2IZVU8F
>>960
弓取りの儀式は、信長が相撲大会の勝者に褒美として弓を与えたことからという話は聞いたことがある
970人間七七四年:2009/10/02(金) 10:58:14 ID:vu/RrDqQ
>>969
信長主催の相撲大会優勝者が、褒美の弓を辞退した話って既出?
971人間七七四年:2009/10/02(金) 11:32:47 ID:+3wnrq3H
>>970
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2118.html
これかな
褒美を辞退じゃなくて諭された
972人間七七四年:2009/10/02(金) 11:35:33 ID:DEM3WQft
相変わらずネタ被り厨ウザイな
973人間七七四年:2009/10/02(金) 11:38:42 ID:hdGIp7Y8
>>972
君は空気を悪くしたいだけだろw
974人間七七四年:2009/10/02(金) 12:11:07 ID:d+eYVH7j
浅井長政の家臣に、安養寺三郎左衛門と言う者がいた。
この男、姉川合戦にて織田軍に生け捕りとされ、瀧ヶ鼻の信長本陣に召された。
信長は三郎左衛門に話しかける

「わしは、お前の一命を助けようと思う。…その代わり、わしの作戦案についての是非を
答えるのだ!よいな?

先の合戦で大勝利を得た以上、この勢いのまま小谷へ攻めかけ、一気に落としてやろうと
考えているのだが、このことどう思う?」

何故俺に聞く?三郎左衛門はそんな風にも思ったが、よく考えれば、これは浅井家への
忠をつくすチャンスでもある。今、混乱している小谷城に攻め寄せられれば、浅井は
ひとたまりも無いだろう。そこで…

「ははっ!長政は兵を率いて姉川表で戦いましたが、城には父君である久政が
およそ三千の兵を擁して守っております。
京の合戦で疲れた兵で、要害であり、かつ新手のこもる小谷城に攻め寄せると言うのは、
さすがに難しいかと…」

「そうか、それじゃあ諦めよう」

     *      *
  * (うそです)  +  
     n ∧_∧ n
 + (ヨ(* ´∀`)E)     ←三郎左衛門
      Y     Y    *

上手いこと信長の考えを変えさせた三郎左衛門に信長、今度はこんなことを頼んできた。
9752/2:2009/10/02(金) 12:12:08 ID:d+eYVH7j
「今日の合戦で多くの首を取った。お主はこれを見て、その姓名を答えよ。」

彼はそれを承知し、次々と首の名を答える。
浅井雅楽助、浅井兼之介、上坂刑部、上坂五介、関弥太郎、細江左馬…
みなみな、浅井の勇者と呼ばれた人々である。
その中でも、竹中久作が取ったと言う首を見て、三郎左衛門は大いに驚き、
竹中に聞いた

「こ、この方は、どのような働きをしておりましたか!?」

「この者は首一つ抱えて味方を装い、信長公の陣近くまで来て、『殿はどこに?』と
聞いてきた。そこど、こやつは敵だととっさに気付き、組討ちをして首を取ったのだ。」

「そうですか…、この方は遠藤喜右衛門殿と申します、
昨晩大衣山において、同輩と合戦の勝敗について語り、『もし負けるようなら生きては帰らぬ!
撤退するくらいなら、信長に一太刀浴びせてくれるわ!』と、申しておりましたが、
その言葉通り、信長公のお側近くまで進んだのですね。
本意は遂げられなくとも、あなたは流石の武士でござった。」

そうして次に運ばれてきた首を見た瞬間、三郎左衛門はにわかに顔色を変え、
がっくりと頭を垂れ、涙を流した。信長が「何事か?」と問えば、三郎右衛門

「この首は、私の弟、彦六と甚八のものでござる。
合戦の前、死ぬならば一緒だぞと語り合っていたのに、先立たれてしまうとは…
この上はどうか、お情けと思って我が首を刎ねてくだされ!」

そうして、それ以上首の名を答えようとはしなかった。しかし信長

「そうは言うが、わしは先に、おぬしの命を助けると言った。いまさら殺すわけには行かぬ。
どうかこのままわしの元に仕えてくれ。」

いつの間にやら信長、三郎左衛門に懇願していた。しかし彼も
「命をお助けいただいても、私は弟を打たれた恨みを晴らすため、小谷に帰り
織田と戦います!」
と言ってきかない。

そこでどうしようもなくなった信長、ついに三郎左衛門を、小谷に返してしまったそうだ。

信長が、なんだか妙に人のいいお話
976人間七七四年:2009/10/02(金) 12:41:31 ID:vGf3SFcD
ユダヤにはこんなことわざがある。「敵に相談せよ、そしてその逆をやれ」
っていうゴルゴ13のイスラエル兵士の台詞を思い出した。
977人間七七四年:2009/10/02(金) 13:41:00 ID:UpLJjvrd
>>974-975
そうだよね。
そこまで言われたら斬ってやるのが武士の情k・・・って返したんかいっ!w
変に素直だし、相変わらず憎めないなあ、のぶ。力作乙。

だいぶ違うけど、曹操と関羽の話を思い出したよ。
978人間七七四年:2009/10/02(金) 14:00:33 ID:3zYNZYDQ
浅井は家中に忠義の士が多い気がする、朝倉よりはw
979人間七七四年:2009/10/02(金) 14:16:28 ID:9fP3CFK/
印牧能信、山崎吉家、鳥居景近、高橋景業、等々
朝倉氏なめんなw
980人間七七四年:2009/10/02(金) 15:07:39 ID:FB3vClcl
浅井家中だって、裏切りがぽろぽろ出たから追い詰められたのだしねえ
981人間七七四年:2009/10/02(金) 15:17:03 ID:hdGIp7Y8
そろそろ新スレ立ててみる
982人間七七四年:2009/10/02(金) 15:19:00 ID:hdGIp7Y8
できた!

戦国ちょっといい話14
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1254464290/

ここ埋まってから移動よろしくです
983人間七七四年:2009/10/02(金) 15:20:22 ID:qmTRG8Zw
では埋めがてらに、良くも悪くもない話ですが。
明日(10月3日)は中秋の名月らしいので。



伊達政宗が、日本三景松島に再興した、国宝・瑞巌寺(松島青龍山瑞巌円福禅寺)。
この瑞巌寺の参道は、何故か曲がっている。
禅宗の寺の配置は、総門・三門・本堂が一直線に並ぶのが
鎌倉時代以降の一般的な配置。
しかし瑞巌寺の場合、途中参道が本道へ行く前に折れ曲がっている。

瑞巌寺には曲がった参道以外にも幾つかの不思議な部分があり、
君主の部屋の背後が開いて逃げ道になる、また武者隠しや鴬張り廊下、
登竜門の上の見張り部屋などの存在もあって、
政宗の隠し砦であり、大砲の攻撃に備えたのではないか、
海からの敵に備えたのではないかという説もあるのだが、
もうひとつ別の説がある。それは・・・

 「月見がしたかったから」

政宗がこの瑞巌寺の縄張りをしたのは、旧暦8月15日。
ちょうど中秋の名月の日だった。
何故この日を選んだのか?

瑞巌寺の本道に入る直前に、二本の杉の木が生えている。
今年で樹齢800年、政宗の当時は樹齢400年の杉の木である。
政宗は、この二本の杉の木の間から登る中秋の名月を、
本堂から見たいと思い、そうなるように本堂の縄張りをしたのだという。

政宗が深く学んだ禅宗では、月は浄土の象徴と考えられている。
瑞巌寺本堂から浄土を眺めるというなら、これほど相応しいことはない。

政宗は兜の前立てや辞世の句でも有名なように、
月を好み、月を眺めながら多くの和歌や漢詩を残した。
また中秋の名月になると松島に船を出し、
家臣と共に月見を楽しんだという話も残っている。

  いずる間も ながめこそやれ陸奥(みちのく)の 月まつ島の 秋のゆふべは

松島で、月が昇るのを待つ間に詠まれた歌である。
風雅を好んだ政宗らしい、瑞巌寺と月の話。
984人間七七四年:2009/10/02(金) 15:31:52 ID:qmTRG8Zw
>>982
言い忘れた。

  ∩∩   _    ○
 /;; ・)⊂⊂.・)
./;;;;  | ./   |  <乙です。
⊂;;;;;;u ⊂__u
985人間七七四年:2009/10/02(金) 15:42:24 ID:32R8Skxf
>>983
これは政宗好きな俺にはすごいいい話。このスレと姉妹スレ見るまで料理やら歌の話で風流な武将のイメージだったから久々にワクワクした
986人間七七四年:2009/10/02(金) 18:03:57 ID:HHB+4XLC
>>976
「敗軍の将、兵を語らず」のエピソードとは真逆の台詞やね
こういう裏っ返しになってる言葉を知るのは楽しい
987人間七七四年:2009/10/02(金) 18:25:00 ID:eSaYIah3
>>980
国人衆の集合体の浅井と古くからの名門の治める朝倉では、裏切りって言葉で同列に片付けてはちと良くない気がする…。
988人間七七四年:2009/10/02(金) 18:50:23 ID:Wxp3uwQU
> 何故か曲がっている。

政宗のへそが曲がっていたから…とかいうオチを想像しちゃったよw
あいにくの悪天候だけど、秋の月はいいですな
989人間七七四年:2009/10/02(金) 18:51:57 ID:9fP3CFK/
>>987
国人の集合体という意味なら朝倉も同じだし
4代前の朝倉孝景一号からの成り上がり者で名門と言うほどでもないじゃない
990人間七七四年:2009/10/02(金) 19:59:48 ID:hdGIp7Y8
埋め代わりにひとつ

美作三浦氏といえば、関東八平氏の一つ、三浦氏の流れを組む名門であったが
三浦貞久の時代には、尼子晴久に圧迫され、貞久が病死するとその隙を付かれ、天文17年(1548)
主城高田城を攻められ、まず最初の滅亡をする。

しかし貞久の子、三浦貞勝が旧臣を糾合し高田城の奪回に成功、三浦家再興を果たす。
が、永禄8年(1565)、今度は三村家親に攻められ、二度目の滅亡をする。

それでも貞勝の弟、貞広と貞久の弟、貞盛が、三村家親の死に乗じて高田城を奪回し、
再び三浦氏を再興する。
が、この際尼子再興を目指す山中鹿介と手を結んだため、毛利元就の侵攻を受け、
三度目の滅亡。

だが!三浦貞広はそれでも諦めず、元亀元年(1570)またもや高田城を奪還、
三度目の再興
が、すぐさま毛利に攻め込まれ、4度目の滅亡をする。

しかし、この美作三浦氏はしぶとい。
三浦貞勝は一子を残して自害して果てたのだが、この時子と共に落ち延びた妻は、
後に宇喜多直家と再婚をし、直家の嫡子、秀家を産み、さらに直家の死後は羽柴秀吉の愛人となった。
そう、お福こと円融院なのである。

貞勝の子三浦桃寿丸は、秀家と兄弟のように育てられた。
この関係からも、また生母円融院と秀吉の関係の深さから言っても、美作三浦氏の再興は
時間の問題であっただろう。



天正12年(1584)、京に上った折大地震に合い、なんと言う運の悪さであろう、建物の崩落に
巻き込まれ圧死。これにより、美作三浦氏は完全に滅びた。


ところが、ところがである、


何とこの美作三浦氏、およそ200年後に復活してしまうのである!
ただし駿河三浦氏の流れをくむ徳川譜代大名の三浦氏だが、この三浦明次が
明和元年(1764)、美作高田に移封され、美作勝山藩が成立してしまうのだ!
なんと言う因縁の深さであろうか。

ちなみにこの美作勝山藩は幕末まで続き、この藩士の中から、明治の政治家、鳩山和夫が出る。
そう、現総理、鳩山由紀夫の曽祖父である。

そんな、美作三浦氏の奇妙で不思議なお話。
991人間七七四年:2009/10/02(金) 20:56:42 ID:QCsckZCH
麻生さんは宇都宮家の亜流なんだっけ?
992人間七七四年:2009/10/02(金) 21:05:13 ID:SEK9ubrJ
>>991
あ、そう
993人間七七四年:2009/10/02(金) 21:21:34 ID:HrN4zeKu
鬼武蔵早く来てくれー!
994人間七七四年:2009/10/02(金) 21:34:03 ID:Wxp3uwQU
名門は滅びぬ!何度でも甦るさ!
995人間七七四年:2009/10/02(金) 23:12:44 ID:+iCPRr4D
加藤清正→加藤紘一
996人間七七四年:2009/10/03(土) 00:05:04 ID:Duwrb8Tl
鬼武蔵の流れをくんだ首相とか想像するとおそろしいな
997人間七七四年:2009/10/03(土) 00:29:32 ID:uVA0w5z3
実は律儀な義光、最期の挨拶

最上義光は1612年、67歳のころから病気に苦しみ寝込むようになっていた。
それでも政務はおこたらず、北楯利長の治水工事の支援などをしている。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-639.html
文才と達筆にめぐまれた義光は右筆をもちいなかったが、このころはさすがに使うようになっていく。

そして68歳のとき、義光は病躯をおして秀忠と家康に死ぬ前に会いたいと訴える。
このままでは客死まちがいないしと周囲はとめるが、義光は出羽を出て江戸、駿府に向かった。
半日すすんでは半日やすむような旅である。義光は途中で祈祷をした僧侶に
「祈祷おかげで体も調子いい」と手紙を書くが、字は苦しそうにゆがんでいた。
そんな中、やっと江戸の秀忠、駿府の家康に面会した義光である。
義光は家康から薬や着物までもらったが、涙を流しろくに何も言えなかったという。
その胸中はいかばかりか。

義光はやっとの思いで山形にもどると、「もう思い残すことはない」と言い、
寝たきりになった。その年末には秀忠から見舞金が届く。
翌年一月、義光は69歳で死去した。折しも大坂の陣一年前のことである。

このあとを継いだ二男家親だがわずか数年で急死したため、さまざまな死因が憶測された。
もっとも有名なのは一番荒唐無稽な「侍女による刺殺説」。
無茶苦茶な話なんであるが、おもしろいため小説や大河ドラマで軒並み採用されて、
家親はバカ殿扱いされるようになった…琉球の使者を出迎える役目を果たしたり、
そんなアホとも思えないけどねえ。近年発見された史料で、急病死が有力。
余談だが義光の六人いた男子で天寿をまっとうできたのは四男のみである。

でもこれを義光悪事の報いとするのは、駒姫のことも含めて勘弁な。


鮭ネタイラネも勘弁な。埋めと思ってな。
998人間七七四年:2009/10/03(土) 00:32:03 ID:zWgjp3Ju
出羽から江戸、駿府って凄いな
999人間七七四年:2009/10/03(土) 00:41:04 ID:HZzMnawd
埋め
1000人間七七四年:2009/10/03(土) 00:41:52 ID:HZzMnawd
うめ
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
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