戦国時代の食事4膳目

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932人間七七四年:2010/11/20(土) 09:46:35 ID:IuyHqysh
>>929
犬も河豚も弥生時代に既に食った跡が発掘されてる
933人間七七四年:2010/11/20(土) 19:29:08 ID:oC5yWlAb
縄文人や弥生人はフグの毒を気をつけながら調理してたのか!!
すごいな

トリカブトの根なんてのも既に大昔から毒と認知されてたのかな?
934人間七七四年:2010/11/20(土) 19:51:02 ID:Su8fwZWP
種類やフグの成長環境しだいでは無毒なものもあるし
天然の毒でも成分抽出があまいとパンチの効いた効果は得られん
ものがほとんどだしなぁ
935人間七七四年:2010/11/20(土) 20:20:21 ID:scsbGySZ
昔は”水に晒す”とか”蒸す”とか毒抜き段階がある食物が多かった
(今でも山菜は灰汁抜きとかするでしょ?)

だんだん改良され毒を持たない作物が広まってくると毒持ちの食物(彼岸花とか)は食われなくなるんだけど
河豚とかコンニャクとかは”うまいからやめられなかった食物”なんじゃないかなぁ
936人間七七四年:2010/11/20(土) 20:52:49 ID:8+VpKZjf
ウナギの血も毒があるとか何とか読んだ記憶が頭のかたすみにあったりなかったり
937人間七七四年:2010/11/20(土) 21:54:18 ID:K6Iyrzw7
>>936
Wikipediaに載ってるのに・・・。

>なおウナギの血液にはイクシオトキシンという毒が含まれるため、生で食べることはできない。
>ただし熱を加えると変性し毒性が消えるので、加熱調理した分には危険はない。
>生でも血液を完全に抜いて酢でしめれば刺身で食べることもできる。
938人間七七四年:2010/11/20(土) 23:30:13 ID:VhyCgBms
雀って旨いよね
939戦国39:2010/11/21(日) 08:16:27 ID:58V133of
シャコは既に戦国には食ってたかな?

あんな見た目がキモいのを最初に食った奴はエライと思ふ
940人間七七四年:2010/11/21(日) 23:23:39 ID:qQ6SCz6B
>>938
獲って食ったのなら法に触れているような気がするが、居酒屋なんかで食えるのはひよこだよ。
941人間七七四年:2010/11/22(月) 00:18:13 ID:JoDLyCQs
>>938
うちの爺さんが30数年前に庭にかすみ網仕掛けてスズメとってたな
かすみ網の狩猟許可は取ってなかったんじゃないかな?
羽根をむしっている現場を見たことあるけど、商売になるほど取れない。
夕飯や晩酌の肴の足しになるかなって程度。

一応、スズメは狩猟免許を取得して現場の都道府県に狩猟登録申請だせば狩猟できる。
942腹へった:2010/11/22(月) 06:42:34 ID:PzT3ofrh
雀は美味いよね確かに

カエルも美味い
943人間七七四年:2010/11/23(火) 02:28:52 ID:obxclC79
練り雲雀はどうですか?
944仙台藩百姓:2010/11/23(火) 07:42:42 ID:OhtI8o/E
鳥類なら山鳥が美味いらしいお( ^ω^)
945人間七七四年:2010/11/23(火) 09:47:14 ID:yKpDTOpu
スズメってああ見えてばい菌の塊だから気をつけろよ・・・
946人間七七四年:2010/11/23(火) 13:16:59 ID:1C21UKU1
>>945
> ばい菌

このへんがゆとりっぽい
947人間七七四年:2010/11/24(水) 03:27:30 ID:BiRQM624
…バイ菌つったって、さすがに生では食わないしなぁ……

日本の野鳥はどれでも許可なしで捕ると皆違反
ドバトはレース鳩と区別つかないのでこれも違反
かすみ網とりもちは害獣駆除や調査以外ほとんど許可は下りない

猫に取ってもらうのが一番早いのかもね、取り上げるとき「フガーフガー!」怒るけど……
948人間七七四年:2010/11/24(水) 12:38:25 ID:jnEEUFpr
>猫に取ってもらうのが一番早いのかもね、取り上げるとき「フガーフガー!」怒るけど……

じつは犬以外の動物を使った狩猟は「自由猟具を使った狩猟」に当たるんでやはり狩猟許可が必要。
ちなみに犬の使用は禁止されてたりする。
良いのは「猟銃免許を所持した者が猟期中にが猟銃を所持している状態で犬を使う」こと。
949人間七七四年:2010/11/25(木) 03:27:51 ID:HlFjpto5
戦国時代板なのに、なんで現代の話をしてるの?
950人間七七四年:2010/11/25(木) 23:34:43 ID:E8Kw+kzy
すずめって焼いて食べれんだろ?
ただ小さいから一羽では満足出来るレベルでないが。
951人間七七四年:2010/12/05(日) 01:31:25 ID:+cKbARHm
中華料理(当時は明か?なら明料理というべきか?)が入ってこなかったのが
謎だな。食に関しては日本食と中華はまるで違う。
952人間七七四年:2010/12/05(日) 23:10:09 ID:sEuDBL++
中華は火と油の料理
和食は水の料理
953人間七七四年:2010/12/05(日) 23:14:18 ID:fIKBb2zk
運んでくる間に腐ったからじゃね?
954人間七七四年:2010/12/06(月) 00:03:45 ID:WmJfqNVb
中華料理じゃなくて中国料理な
中華といった場合は日本人向けに作り変えられたものね
955人間七七四年:2010/12/06(月) 00:14:42 ID:v/XQq2RD
素麺ソバは完全に中国由来だろ、味噌だって戦国時代なら中国味だ
卓袱料理のように「大皿に盛って各人で取る」なんて中国の作法だし
なにを持って「入ってこなかった」といいたいのか、さっぱりわからん……

つか日本料理と言われてるものの多くが江戸時代に成立したんだし
今の中華料理だって清の時代に確立したものが多いぞ(麻婆豆腐とかオイスターソースとか)

「結論が先にありき」で話を始めては、なんの進歩もないぞ
956人間七七四年:2010/12/06(月) 18:24:05 ID:5JxVVSid
豚とか居たの戦国時代にも
957人間七七四年:2010/12/09(木) 11:47:06 ID:e6hb7uaH
ぶぶ漬けってただの茶漬けかね?
958人間七七四年:2010/12/10(金) 07:29:59 ID:Z/nQP34J
>>957
戦国時代に”茶”漬けはない、あるのは湯漬けか出汁づけ

当時のお茶の飲み方は、東方案内記(1596)に食事後抹茶を点てて飲む習慣がある、と記されてる
ほうじ茶(AD1654中国から隠元禅師が伝えた)や煎茶(AD1738永谷園の創始者が発明)は江戸時代元禄以降に広まったもの

よって、ぶぶ漬けなんて言葉は戦国時代には存在しないので板違い
959人間七七四年:2010/12/10(金) 08:08:41 ID:btFwBN2f
「ぶぶ」ってーのは、上方の幼児語・女性語で「お湯」の事。「ぶ」「ぶう」「おぶ」も同様
「お茶」の事でもあるが、お湯が先。
白湯(さゆ)も「ぶぶ」って言うな。

「ぶぶ漬け」は「湯漬け」の事で、冷や飯を暖めて食べる方法。戦国期でも珍しくない。
よって、ぶぶ漬けは戦国にもあるので安心する事。
960人間七七四年:2010/12/10(金) 08:22:34 ID:Z/nQP34J
>>959
>「ぶぶ漬け」は「湯漬け」の事

ぶぶ漬け、と言う言葉自体が明治以降のものだと思ってたんだけど、それ以前に記録された例があるのかな?
961人間七七四年:2010/12/10(金) 10:42:52 ID:btFwBN2f
>>960
さぁ?聞いた事無いけど

ちなみに>>958の意見「ぶぶ漬けなんて言葉は戦国時代には存在しない」を否定していないので安心するように。
私が言っているのは「湯漬け飯」の事。湯漬けと解釈すればいいよねって話。
「ぶぶ」の説明を補足すると「飲み物」全般を表す幼児語。お茶だけを差す言葉ではない。
自分、幼児期に「おぶ」って使ってたし
ぶぶ漬けに関しても、お茶漬だけではなくも湯漬けに使っている例がある。

念のためもう一度書くけど、君の書き込みを否定しているわけではない。安心されたい。
ああ、「板違い」っつーのはいかがなものかと思うが、あくまでも私的な考えなので気にしなくても良い。
962人間七七四年:2010/12/10(金) 10:48:00 ID:btFwBN2f
>ぶぶ漬けってただの茶漬けかね?

ちょっと調べてみたが、「ぶぶ漬け」、京茶漬けだな。
この料理は砕いたアラレ(ぶぶあられ)や海苔、抹茶をトッピングしてお湯をかける。
永谷園のお茶漬けがぶぶ漬けそのものだな。
この「ぶぶ漬け」は江戸期が成立時期。

ただ、各家庭でいろんなバリエーション、それこそ湯漬けそのものもあるんで、色々調べてみるのも楽しいと思う。
963人間七七四年:2010/12/14(火) 21:23:01 ID:+kQHv/IG
勉強になるなあ
964人間七七四年:2010/12/17(金) 20:25:14 ID:tQHUrvlf
うわ!ぶぶ漬けのこと書いたもんですが今見ました遅くなってすみません;
書き込んだ日にレスが無かったので板そのものを見ていませんでした…。

ぶぶ漬けという名称が無かったのであり、その食べ物自体は存在したんですね?
いわゆる湯漬け、京茶漬けなどがに当該するという事ですね?
例えばこれは戦国時代などには食べられていたものでしょうか?
http://cookpad.com/recipe/342419

戦国時代に食していたと思われるぶぶ漬けを再現したいと思っているんです。
965人間七七四年:2010/12/18(土) 00:05:23 ID:fjzjBnkg
醤油は代わりにたまりを使えばいいだろうけど
カツオブシは製法が変わってるから全く同じものは無いかも
966人間七七四年:2010/12/18(土) 12:06:52 ID:pUmeozLb
出汁は、カビつける段階がない”なまり節”を代わりに使うくらいかなぁ……
(でもなまり節も本格的に広がったのは江戸期以降なんだよね)

出汁については、当時確実に一般化してた煮干しを使ってみたら?
ちょうどお雑煮の季節だから、いりこ出汁だけでなく、あごやあゆ、ホタルイカなど
いろいろな煮干しが店頭に出てるよ
967:2011/01/24(月) 16:49:23 ID:1dG9E86N
納豆って戦国には既にあったの?
968人間七七四年:2011/01/24(月) 21:16:15 ID:hISFmMrX
記録に残る”納豆”には2種類あるのでどっちの話かわからないけど
まぁ日本独自の3パック100円の糸引きのほうは御伽草子(室町時代成立)の中で擬人化されてる

だから戦国時代には全国で喰われてたと思われ
969人間七七四年:2011/01/25(火) 08:45:00 ID:Th824GKL
納豆といえば伊達家の献立再現でも納豆が立派な器に盛ってあったのを見た
当時は主にどんな味付けで納豆食べてたんだろう
970人間七七四年:2011/01/25(火) 09:50:02 ID:snbleWsr
納豆作りには稲藁や発酵を止める低温が必要で、納豆の旬は冬、
また江戸時代だけど、松尾芭蕉の句に「納豆切る 音しばし待て 鉢叩」てなのがあり、
昔はそのまま食卓に出されず、潰して暖かい”汁”にしてたのが一般的と思われ
(もともと寺料理では大豆はすり鉢で潰すのが基本調理法だったしね)

当時の汁ものの味付けは、基本味噌と出汁(煮干)なので、たぶん納豆汁もそこらじゃないかな
971:2011/01/25(火) 10:32:46 ID:XoT8C56S
もともとは納豆汁が最初って事か。現在のように米に糸引いてかけて食うなんてスタイルは明治以降なのかもな。
972人間七七四年:2011/01/25(火) 22:13:30 ID:gRzjDFUB
子供の頃見たアニメ「一休さん」で、一休さんと新右衛門さんが旅の途中の野宿の時、
「一休納豆」で汁を作って食べてたのを思い出した。
今日では「大徳寺納豆」の名で知られる糸を引かない種類の納豆で、たぶん戦国時代の
兵糧としても使われたのではないかと思う。
973人間七七四年:2011/01/26(水) 02:19:37 ID:1du+eD9t
日本で”納豆”と呼ばれるものには2種類あって、一つは納豆菌で作る糸引き納豆
これは↑にも書いたけど”季節もの”、庶民の食べ物ね

ソレとは別に中国から伝わった麹菌で作る塩辛納豆てなのがあったのね、大徳寺納豆はそれ
で遠州の方ではコイツ”浜納豆”とよばれて珍味扱い、今川義元、豊臣秀吉、徳川家康も好んだ
(幕府に献上もされてる)つまりかなりな高級品、戦時食としてはちょっと不適な感じはする

つか戦時食なら同じ素材でもっと簡単に早く多量にできる保存食、味噌つくっちゃったんじゃなかろうか
974:2011/01/27(木) 10:11:16 ID:bZkNbuIM
なるほどね。珍味高級品扱いか。勉強になる。

チーズやらヨーグルトはまだ無いだろうか?遊牧民からの経由で蝦夷には古くからある気はするが、戦国庶民がヨーグルトを食べたなんて想像出来ない。
975人間七七四年:2011/01/27(木) 10:58:01 ID:t31LKgcQ
酪とか酥とか醍醐とか聞いたことないですか
延喜式の時代にはもう日本でも知られてたのですが
庶民が食べられるものではないですけど長屋王の好物として知られてたりします
976:2011/01/27(木) 13:56:51 ID:bZkNbuIM
絡って聞いた時はあったけどチーズだったんですね。醍醐味も五味もチーズから語源があるとか。
長屋王は氷室を使っていたって事はチーズやら保管してたんですかね。ヨーグルトはやはり明治以降っぽいけど。

やはりでも戦国では贅沢品だね。アイヌの山岳民族は乳製品作ってそうなんだけど。
977人間七七四年:2011/01/27(木) 17:02:45 ID:mnUimzi7
アイヌは牧畜やらないから乳製品も無いよん
978人間七七四年:2011/02/06(日) 20:41:57 ID:Te+zE3dV
979人間七七四年:2011/02/06(日) 20:45:15 ID:Te+zE3dV
>>924
元々、中世初期に兵衛府や衛門府の下級の地位を金で買えるようになったので上流庶民に広がったはず
980人間七七四年:2011/02/06(日) 21:51:42 ID:Te+zE3dV
>>973
>今川義元、豊臣秀吉、徳川家康も好んだ
地理的関係もあるのでは?
遠州は今川・徳川領だし、秀吉も松下氏に仕えていたのが史実なら住んでいたこともある。
981人間七七四年
>>980
塩辛納豆(中国でいう豆支)は、もともと滋養強壮(薬)として作られてたんですよ
遠州では大福寺が有名ですが、大きい寺(大徳寺や天竜寺が有名)ではだいたい作られてました
すり鉢、っていうのはもともとこの塩辛納豆を潰す道具だったりします