関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったらU

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1人間七七四年
関が原での家康(=東軍)の勝利は単なる幸運。
家康の催促の砲撃に小早川秀秋が激高し東軍に襲い掛かったら、
東軍は総崩れ。
それを見た吉川広家もダンマリを決め込むと戦後立場がないので、家康を攻撃するにちがいなく、
家康は東西から挟み撃ちされ、関が原で戦死するのでは。
運良く戦場から離脱できたとしても、家康の武将生命は終わる。


2人間七七四年:2009/06/07(日) 16:52:54 ID:EW/kC/b7
な ぜ た て た し
3人間七七四年:2009/06/07(日) 17:14:28 ID:MF3KIxCx
精強福島軍が反転して小早川軍を撃破
4人間七七四年:2009/06/07(日) 17:20:14 ID:LhH90SpX
何を思ったか島津義弘が石田三成を攻撃 小早川秀秋を中央突破して薩摩に帰国
5人間七七四年:2009/06/08(月) 04:13:11 ID:pI7Vuocj
無敵の
長曽我部軍団がまずは東軍の家康を倒し
家康討死
家康の軍を吸収して他の東軍を皆殺しにしてから西軍石田三成を倒し三成討死
そして
東の景勝と秀忠を皆殺しにしてから伊達政宗も倒す
それから毛利と島津も倒して
長曽我部が天下統一
6人間七七四年:2009/06/08(月) 05:33:26 ID:zyhUQccc
>>1
なぜ立てたんだよ
また宰相殿の手弁当野朗が喜ぶだけだろ
7人間七七四年:2009/06/08(月) 07:05:20 ID:6323cBSX
>>1
そりゃあ一気に西軍有利でしょ?
ただ、小早川が西軍につく可能性はあまり無かったろうし、
戦後結局徳川の天下になった可能性は大じゃね?
8人間七七四年:2009/06/08(月) 10:07:32 ID:4qRfNMDg
>>5
家康の軍を吸収し にワラタw
9人間七七四年:2009/06/08(月) 10:35:05 ID:55qCTLdi
そもそも何故若輩の小早川があんな大兵を用意できたのか
慶長役の直後にもかかわらず
10人間七七四年:2009/06/08(月) 13:34:08 ID:aDtwhBNQ
宝くじに当たった?
11人間七七四年:2009/06/08(月) 15:55:24 ID:VWSfKLmI
>>6
宰相殿の手弁当ではなく「空弁当」だ
ところで、まだ君は毛利秀元の戦意薄弱論の根拠を出してないよな
君の創作話だから出せないのは当然だけどさ
しょーもない歴史の捏造をするのが、そんなに楽しいかね
12人間七七四年:2009/06/08(月) 18:20:49 ID:lH62cYh4
ま〜たどうしようも無いのが来た
13人間七七四年:2009/06/08(月) 20:50:57 ID:mFXvmQ9S
>>8
小早川は実際は八千ぐらいだからそんなに大兵ではない
あと慶長の役は関ヶ原の二年くらい前に終わってる
14人間七七四年:2009/08/15(土) 03:50:14 ID:Q7ZwGykd
素晴らしいスレですね
15人間七七四年:2009/08/30(日) 07:54:38 ID:e2+43xYy
良スレ
16人間七七四年:2009/08/31(月) 00:36:57 ID:8XBEABUn
西軍勝利後、早期決着なら徳川勝利。長期戦だと秀頼が成長して参陣。西軍有利か?
17人間七七四年:2009/08/31(月) 18:21:44 ID:D/rLyQUj
秀頼成人まで長引くのは不可能だろ・・・
戦国時代に再突入ってならともかく
18人間七七四年:2009/08/31(月) 21:32:02 ID:8XBEABUn
家康討ち死にでないとダメだな。
19人間七七四年:2009/08/31(月) 21:39:34 ID:k+jc6nKS
小早川は21で死んでくれてざまぁねーや
20人間七七四年:2009/09/03(木) 11:20:50 ID:Lt13DB0j
小早川が西軍として戦ってもおそらくは西軍は勝てない。
毛利、長宗我部も攻撃してくれれば勝てたかもしれないが。
21人間七七四年:2009/09/05(土) 10:48:02 ID:HI2x3oyo
あの寝返り時点で松尾山から東軍左翼に攻め寄せたとすれば東軍左翼は崩壊する
なにせ午前中から戦闘し続けてる相手にフレッシュな状況で更に当主はともかく士卒は
隆景のもとで〜朝鮮出兵と戦い続けてきた小早川侍衆で、勝てば主君が関白就任=
自分達も出世という馬の前に人参状態で士気も高い
左翼が崩れれば元々崩れかけていた中央福島隊は宇喜多の圧力の前にいくらももたない
すると宇喜多〜小早川の間にいる大谷隊が遊軍となり東軍中央〜左翼の空いた隙間に
入り込む
こうなると東軍としては(この戦場に限っては)どうしようもない
22人間七七四年:2009/09/05(土) 11:35:19 ID:Oiov5iCh
徳川本隊がいるけど
23人間七七四年:2009/09/05(土) 11:54:28 ID:HI2x3oyo
>>22
徳川本隊というけれど(世に聞こえた意味での三河以来の)徳川本隊は
ほぼ秀忠付で東山道を行軍中です
主だった徳川侍大将級で関ヶ原にいるのは本多のみ
井伊は忠吉付なので徳川本隊のコマンドラインからは外れています
24人間七七四年:2009/09/05(土) 12:45:52 ID:ZW3xI5SW
だからといって徳川本隊が役に立たない理由にはならないんじゃない
あと隆景の部下たちはたしか隆景が隠居した時にほとんどが付いていき
その死後毛利に吸収されていたんじゃなかったと思う
それに徳川家の人たちも勝てば自分の主君が天下人になるんだからこっちも士気も高いだろうし
家康だったら小早川が西軍についたらついたらで小早川が東軍左翼を突くようなら
その側面と背後を叩けばいい訳だし、こちらに来るなら蹴散らして逆に自ら松尾山に登り
西軍の側面を突けばいい話なわけだから勝ちは動かないんじゃない
25人間七七四年:2009/09/05(土) 13:01:32 ID:yu/I6O9N
小早川と毛利と長宗我部が西軍につき西軍が優勢になると旗色をはっきりさせてなかった伊達と黒田も西軍になり東軍終了
26人間七七四年:2009/09/05(土) 14:11:34 ID:zpfuEyff
小早川だけなら手配り次第で何とかなるかもしれんが南宮山が動いたら無理だな
27人間七七四年:2009/09/05(土) 15:28:12 ID:EYCe/i5h
小早川秀秋が激高し東軍に襲い掛かったら
東軍の大将福島正則に徳川軍が背後から襲いかかり、徳川石田連合西軍が勝利します
28人間七七四年:2009/09/05(土) 15:36:10 ID:ZW3xI5SW
>>26
南宮山が動いても一応抑えの兵がいるからそれまでに何とかすればいいだろう
29人間七七四年:2009/09/05(土) 15:52:35 ID:+TJiwXMb
>>13
小早川軍8千っていうのもいい加減な数字じゃなかったけ?
どちらにしても大兵じゃ無いってことはない。
ただ合戦中裏切るとか言うのも間違いだよね。
もう関ヶ原の時点では既に裏切ってる状況だったろう。
仮に秀秋が東軍を攻めるとか言い出しても重臣連中が監禁して終わると思うわ。
30人間七七四年:2009/09/05(土) 22:02:37 ID:Oiov5iCh
>>23
笠谷説は意味無いよ
寄騎同心制で数千石の家臣でも万石級の軍勢を指揮できますし
そういう連中もかなりのツワモノ揃い
31人間七七四年:2009/09/05(土) 23:57:41 ID:40VyyXLr
>>28
メッケルが関が原の配置図を見せられて
「西軍の勝ちに決まってる」
と言うからには、松尾山と南宮山の軍勢がちゃんと動けば
西軍の勝利だったろう。
32人間七七四年:2009/09/06(日) 00:25:49 ID:gt9h3gdF
連中が西軍と言う前提にそもそもの問題が…
33人間七七四年:2009/09/06(日) 01:20:41 ID:0bGFsW/A
ていうか連中何しに関ヶ原まで来たのやら。
減封、改易とか斬首とか西軍につかないなら、国でおとなしくしてろよと。
34人間七七四年:2009/09/06(日) 04:52:05 ID:cZUk9Sw7
>>29
宇喜多が五十万石ぐらいで一万七千とかだから
三十万石の秀秋では大体その半分くらいだと思う
すくなくとも宇喜多と同じということはない

>>33
どちらが勝つか見定めるためと勝つ方に味方するためじゃない
あと国でおとなしくしてろよというが
もともと味方になるつもりがなかったのに
むりやり味方につけておいてそんな事を言われる筋合いはないと
松尾山と南宮山の軍勢は思うんじゃないか
35人間七七四年:2009/09/06(日) 07:51:12 ID:nZFw6oUA
東軍を追撃し、江戸まで殺到。
江戸に小早川幕府を開く。
36人間七七四年:2009/09/07(月) 20:49:55 ID:VFCJsnSt
俺がチハたんに乗って、まず小早川のハゲの本陣目掛けて57_をぶっ放す。
焦った小早川が東軍に攻撃を仕掛けたら家康の本陣をキャタピラで蹂躙。
家康は機関銃で跡形もなく粉砕。
西軍大勝利!


はぁ…('A`)
37ハッとしてグッ:2009/09/22(火) 19:32:40 ID:mcPSG180
こんりちは〜
こぱやかわひれあきれ〜す!
あはははは〜!
38人間七七四年:2009/09/26(土) 15:03:43 ID:irJfXBeO
ここまでのスレをみると
誰も家康に勝てそうもないことがよくわかるw
39人間七七四年:2009/09/26(土) 16:55:57 ID:zntc6VGI
家康は関が原に負けても建て直しができたが
光成はできなかった。
つまり互角に戦ったというけど
それぐらい差があったということ。
40人間七七四年:2009/09/26(土) 17:02:19 ID:SQy2BnvL
まー俺が左近と宗茂と幸村と又兵衛を連れて
家康本陣を急襲してやるわい
さすれば三河の古狸も糞漏らして、自害するであろうよ
内府待っておれよ。
生きて江戸に帰れると思うなよ
41人間七七四年:2009/09/26(土) 19:33:01 ID:iL6FdlFO
さすがは大納言殿。されど、すでに冥土に旅立たれておりますぞ。
42人間七七四年:2009/09/27(日) 00:15:04 ID:xXiL2DUE
>>39
いくら逃げが十八番とはいえ背後から襲いかかった毛利・吉川・安国寺・長束の大軍から逃げ切れるか?
豊臣恩顧が寝返る可能性もあるぞ?
43人間七七四年:2009/09/27(日) 01:03:55 ID:9OLmsypm
>>42
岐阜城までだったら何とか逃げられるんじゃないの?
で、秀忠軍が到着するまで篭城、っていう線が一番ありえそう。

ただ、長旅の上に真田に引っ掻き回されてヘロヘロの部隊が後詰じゃあね・・・。
44人間七七四年:2009/09/27(日) 04:31:45 ID:L43Csth9
関が原で東軍が負けた場合あえて秀忠軍が西進してくるとは思えないんだが
中山道から関東に帰るでしょ
結城秀康とあわせれば6万以上の兵力あるんだし
実際東海道は東軍についた諸将が壊滅してがら空きだし
45金馬天馬:2009/09/27(日) 07:53:50 ID:ssnrvWgS

内府なぞ何するものぞ
古狸め。おとなしく関東に引っ込んでおればよいものを
わさわざかような地まで醜態をさらしにきおったか。
正則、反転して内府の陣に突っ込めや。

そりゃ、いまじゃ金吾。太閤殿下の甥子として、豊臣の天下を守るのじゃ。今宵は百万石の酒を飲もうぞ。
46人間七七四年:2009/09/27(日) 17:11:44 ID:mgJv5ZcG
関ヶ原負けた時点で、伊達が上杉と一緒に最上潰しにかかるだろ。
んでそのまま佐竹合流。
北条が、アーッ!!
47人間七七四年:2009/09/27(日) 17:20:22 ID:yAfawdnm
北条氏盛は西尾吉次隊にいるだろ。
48人間七七四年:2009/09/27(日) 20:43:15 ID:Q4NjxQev
金吾が東軍を攻めてたら、関ヶ原では勝っただろうけど
長期戦になればなる程、家康が調略で西軍を切り崩していくだろうね
49人間七七四年:2009/09/27(日) 20:58:54 ID:WN4M7GJ3
関ヶ原で終わらずに少しは粘る家康だろうけど、味方は?
佐吉を嫌ってる加藤、福島だって寝返る恐れあり。政宗くらいかな味方は
東海道で江戸に逃げても長くはもたないだろ
秀忠軍はあてにできないし。
50人間七七四年:2009/09/28(月) 03:25:10 ID:50i2K7FR
持久戦になればなる程家康の智謀が物を言うんだよ
残念ながらそこは三成とは比べものにならん
黒田、福島らが三成につくとは思えんしな
51人間七七四年:2009/09/28(月) 03:32:17 ID:1VLkq9Jc
関が原で負けた東軍に付き従うような大名がどれだけ居ることか
西軍が勝てば逆賊は家康なんだぜ
52人間七七四年:2009/09/28(月) 03:36:55 ID:50i2K7FR
それでも佐吉嫌ってる連中は三成にはつかんよ、殺そうとしたくらいだしな
東軍から離反する奴は少ないと思う
何より家康のカリスマ性がそれをさせないだろう、

持久戦になれば、一つ一つ大名を調略して飲み込んでいくだろう
53人間七七四年:2009/09/28(月) 04:03:46 ID:XcZRFqAW
関ヶ原で家康を討ち取ればいいんだね?

小早川勢の東軍への攻撃で家康を討つことはできるの?
54人間七七四年:2009/09/28(月) 04:06:06 ID:50i2K7FR
佐吉に武断派を取り込む懐の深さがあればなぁ〜
今ごろ日本の首都は東京ではなく、大阪だったかも知れんのだ

なんでこんなに仲悪かったのよ?

真面目な官僚VS暴走族のヤンキー じゃ仲良くしろつっても無理だろうけどな
55人間七七四年:2009/09/28(月) 04:08:02 ID:50i2K7FR
家康は寝返るものだと思って
鶴翼の陣の中に突っ込んでるんだから
金伍が東軍に攻めて来たらビックリするだろうなw
でも家康は討ち取れたか
最前線で戦ってた福島辺りはヤバイと思うけど
56人間七七四年:2009/09/28(月) 04:12:38 ID:50i2K7FR
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/0/05/Sekigahara.png
この布陣だからな、金伍が東軍攻めても家康まで届くかどうか
57人間七七四年:2009/09/28(月) 05:48:50 ID:uSri76K0
>>56
一方大河の三成は小早川陣までワープした
58人間七七四年:2009/09/28(月) 11:39:31 ID:rCUTMIW5
大河とかあんなクズフェミドラマどうでもいいから…( ゚д゚)、ペッ!
59人間七七四年:2009/09/28(月) 20:23:37 ID:BKMUwKAA
>>53
小早川1万五千なら家康をかなりの所まで追い詰めたかもしれないが
実際の所は八千ぐらいの兵力しかないわけで普通に蹴散らされたんじゃない
60人間七七四年:2009/09/29(火) 00:43:01 ID:3saxE3Nm
もし秀忠が真田をスルーして関ヶ原に直行してたら徳川圧勝。
61人間七七四年:2009/09/29(火) 01:26:38 ID:RvkD4+vl
>>59

秀秋が東軍に突撃かましたら
稲葉達は従うのか謀殺するのかどっちだろう・・
62小早川秀包:2009/10/04(日) 02:40:03 ID:F/Jlzp0S
小早川は、やっぱり最初の養子だった小早川秀包が継ぐべきだったと思う。
そうすれば、西軍勝利!

ああ、・・・大津城を攻めていた立花宗茂、毛利元康、小早川秀包ら一万六千
の軍勢と、細川幽細を攻めていた、小野木公郷、宮部継潤ら一万5千が関が原に
に間に合っていたなら、どうなったんだろう・・・
63人間七七四年:2009/10/04(日) 04:04:22 ID:52MWa0tx
攻城戦を終えて、すぐに駆け付けた兵が如何ほど働けるものやら……
特に小野木が指揮していた距離のあるのに加え、イマイチ戦意の欠ける田辺城攻撃隊。
64人間七七四年:2009/10/04(日) 05:59:57 ID:/w3LX+lo
んでもウンコ洩らして逃げ延びる家康
65人間七七四年:2009/10/04(日) 15:41:53 ID:FJKg0rmV
史実でも白石城を返還する約束で上杉と和睦してもらった伊達が
上杉と手を結び西軍についた方が展開が面白くなるな

仮に関ヶ原で東軍が史実通り勝ったとしても東国は荒れる
66人間七七四年:2009/10/04(日) 15:48:03 ID:FJKg0rmV
最上の長谷堂城なんて落城寸前だし上杉全軍が南下するのも時間の問題
そして伊達が動けば佐竹も南下を開始して江戸に進む

そうなると秀康軍が迎え撃ってくるが兵はせいぜい5千〜1万以下
そこへ真田の足止めによって関ヶ原に乗り遅れた秀忠軍が駆けつけてくるけど、これには少し時間がかかる

その間に伊達佐竹が江戸を駆逐し上杉が最上を制圧し南下してくる
上杉、伊達、佐竹、合せて7万〜8万くらいか
秀康、秀忠、合せて4万くらいか
67人間七七四年:2009/10/04(日) 15:55:09 ID:FJKg0rmV
ここで家康はどう動くかだな
関ヶ原の東軍を全軍挙げて江戸に引き返させるのか?
秀忠だけに任せて、自分たちは大坂を目指すのか?
軍を半分にして自分は江戸に、残りの諸将は大坂に進軍させるのか?

これに対して、大坂城に立て篭もる毛利さえ奮い立てば
いくらでも東軍を足止めできるのだけど、コイツが屁たれだから難しいんだよな
せめて三成が生きて大坂城にまで逃げつけば、面白いことになるが
宇喜多が敗走した自軍の兵を大坂城で再び、再編できるならそれでも何とかなるかな?

とにかく、上杉、伊達、佐竹が江戸を蹂躙する間に少しでも大坂から足止めできる軍が欲しいところ
68人間七七四年:2009/10/04(日) 16:01:51 ID:FJKg0rmV
そして史実で大谷の策略により足止めされていた前田も動き出すな

史実では、騙されたと気付き急いで、堀たちと一緒に上杉領に進軍するハズだったらしいが
加賀から会津までは時間がかかるし
もし前田が大坂城に進んで来て、東軍本隊が江戸に取って返して来たらチョッと厄介だな
東軍本隊は出来る限り、西で足止めさせたいところ

一番理想は秀康、秀忠、家康だけが江戸に戻ってきて、そこを江戸もろとも叩くと。
こうなれば西軍逆転勝利の可能性は飛躍的に高くなる
69人間七七四年:2009/10/04(日) 16:05:19 ID:FJKg0rmV
そしてその頃、九州を蹂躙してた黒田、加藤の軍も島津攻めをしている頃で
これは他の九州大名と違い、兵力も残っていることから容易には攻め落とせない
かなり難攻し、こう着状態になるかも知れないな

しかし中央での争いが時間がかかればかかるほど、黒田たちにもチャンスが大きくなるわけで
もしかしたら島津と同盟を結び、急いで大坂目指し行軍
当初の野望通り、関ヶ原に勝った家康を討とうとするかも知れない
70人間七七四年:2009/10/04(日) 16:29:45 ID:iWRdkgIt
佐竹と伊達は犬猿の仲
協力するなんて考えられね。
71人間七七四年:2009/10/04(日) 20:50:56 ID:MwoC0c+H
情けない表情の秀秋の肖像画、本人が見たら怒るだろうな
72人間七七四年:2009/10/04(日) 21:02:17 ID:iyQcRcxr
関ヶ原で東軍が勝ってるのに、伊達が上杉と協力して何になるの?
佐竹も義重や重臣の多くは徳川寄り。わざわざ負けた側につく理由がない。
それから、250万石という石高から計算すると、関東にはまだ2万前後は残ってると思われ。
73人間七七四年:2009/10/04(日) 21:17:34 ID:FJKg0rmV
実際、伊達は上杉と講和しようとしたし最上領に欲出してたじゃん

それにIfじゃん。
小早川だって実際に裏切ってるのを裏切らないっていうスレなわけだし
それなら伊達が裏切った方が天下の行く末が面白いって話

あと、秀忠本軍が3万5千で、家康が3万引き連れていってるから
計算上は2万前後も残ってないよ
もちろん、本国が攻め込まれたら臨時召集くらいするだろうから
もう少し増えるかも知れないけど
でも石高から計算したら、せいぜい5千〜1万
74人間七七四年:2009/10/04(日) 21:57:52 ID:GkoqIPDw
>>73
秀忠隊は仙石とか石川康長、森忠政等の外様大名も含まれます
それを除けば三万前後
それに秀康にも蒲生や里美等の外様大名も含まれるのでそれも
勘定にいれないと
75人間七七四年:2009/10/04(日) 22:09:04 ID:jF8zdD64
数年後、毛利、吉川、小早川が結託して豊臣家を襲う。
76人間七七四年:2009/10/04(日) 22:41:55 ID:n61SV9Gm
このスレを立てたヤツの先祖、あるいはひろゆきの先祖の誰かが東軍側の足軽か何かで関が原にいて、討ち取られてこのスレ事体が存在しなかったことも考えられる。

77人間七七四年:2009/10/05(月) 00:08:46 ID:qPQO14bU
>>74
それを入れても大体、3万5千〜4万くらいでしょ

しかも秀忠本隊が江戸に戻るには東軍主力軍と同じくらい時間もかかるし

それまで秀康軍だけでどうにか出来るとは到底思えないな
78白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/05(月) 00:30:37 ID:rd7OZMQ/
>>1
吉川広家さんは、背後から徳川を襲うようなことはせんよ。
中国者の律儀に反する。
しかも広家さんは、朝鮮の蔚山籠城軍救出を加藤清正は広家さんの
武勲に感心して馬印を送ったが、石田光成には黒田勢も動いて
おらんのに独断戦闘は軍規違反とボロクソに云われたんじゃ。
ろくに戦さも知らん光成に。秀吉にとりなしした家康に広家さんは
義理が出来たけぇ、毛利宗家と違い西軍の味方は出来んよ。
79人間七七四年:2009/10/05(月) 02:24:20 ID:LV7Qu6Yr
ifだからこそ、このスレは楽しい!
金払って新書版を買うより、皆さんの知識が似非作家を超えてるから!
どんどんifを!!
80人間七七四年:2009/10/05(月) 08:08:24 ID:Hjp/ISVD
>>77
伊達は東北に色気があるから南下にそれほど兵は出さんだろ
上杉も最上領に抑えを残さなきゃいけない訳で

秀康がガッチリ籠城してるなら秀忠軍は十分間に合うよ
81人間七七四年:2009/10/05(月) 09:29:07 ID:1AQB1If1
>>77
相手がどの程度の兵力で来るかお考えで?
通常は一つの街道を利用するには3万が限界とされています
つまり一度ではそれが限界なので南下する時もそれ以上の
軍隊を出すのは難しい
82人間七七四年:2009/10/05(月) 13:13:07 ID:371efoB6
思うんだけどさ、秀忠が足止めされずに予定通り着いちゃってたら、兵力差からして西軍籠城なんて話も出るんじゃね?
大阪城に籠もって長期戦ってことになってたら徳川も困るわな
83人間七七四年:2009/10/05(月) 13:20:29 ID:Hjp/ISVD
>>82
西軍諸将の留守にしてる領地を攻めれば良い
大阪の陣と違って籠るのは大名ばっかだからね

領地を捨てる選択が出来る連中なんて数える程もいまい
84人間七七四年:2009/10/05(月) 14:45:09 ID:MaxUJkL3
三成が早漏して美濃まで出払わず、サワヤマ最前線でよかったのでは?
85人間七七四年:2009/10/05(月) 16:24:13 ID:E1XiOs67
>>82
ノコノコと大垣周辺から大坂まで戻るんすか。
86人間七七四年:2009/10/05(月) 23:31:21 ID:/4HwKNIb
>>56
俺が池田だったら、いつでも逃げる準備してんなw
87人間七七四年:2009/10/05(月) 23:35:54 ID:/OVum6GF
九州をほぼ制圧して5万の軍勢にまでした黒田如水が凄いよな
関ヶ原が長引けば、如水がもう少し若ければ
面白くなったぜ
3国時代に突入したかもしれん
88人間七七四年:2009/10/05(月) 23:53:35 ID:Hjp/ISVD
主力が丸々残ってる加藤と島津が居る時点でほぼ制圧にも程遠い訳だが・・・
関ヶ原に勝った東軍の威を着て主力の居ない西軍方の城を落としてっただけだし
当の如水すら主力はほとんど長政が引き連れてったから兵の大半は金で集めた浪人だし
89人間七七四年:2009/10/05(月) 23:57:58 ID:/OVum6GF
それでも5万近くにまで増やしたら凄いだろ
この短期間の間に、長引けばチャンスはあったと思う
90人間七七四年:2009/10/06(火) 01:45:15 ID:G5sgYncs
>>80
最上なんて長谷堂城さえ落ちたら滅亡だし
実際、それ以外の東北なんて大した反抗勢力も残っているわけでもない
小野寺だっけ?忘れたけど最上領に攻め入った西軍大名だけでも抑えは充分だろ

それより伊達が不利な西軍につくわけだから、当然、江戸目指して一直線と素直に考えればよい

あと、佐竹だけでも弟の家や与力大名を合せて80万石前後あるのに
秀康単独でどうこう太刀打ち出来るわけない。
仮に籠城しても、何城に籠城すんだよ?と。
してる間に、他の関東一円を佐竹、伊達、そして最上を制圧した上杉で蹂躙したら
秀康軍だけで防げるわけもなく、無意味な反論だな
91人間七七四年:2009/10/06(火) 01:49:22 ID:G5sgYncs
>>81
別に全軍が同時期に同じ道を辿って南下するなんて一言も言ってないよね?

佐竹が常陸を真っ先に南下して、伊達も愛会津経由かなんかで南下すれば
それだけで秀康軍は対応できないわけで
そこへ上杉が後からやって来れば、これは太刀打ちし様がないわな

もう少し、想像力を働かせる努力をしてな
92人間七七四年:2009/10/06(火) 01:52:37 ID:G5sgYncs
>>88
加藤は黒田と連動して九州の西軍大名を攻める手筈だったんだよ?

島津は厄介でも、如水の計画1つでいくらでも和睦にこぎ着けられるわ

だって実際、九州なんて制圧しなくても天下は狙えるのだから
93人間七七四年:2009/10/06(火) 02:00:12 ID:TDfYfbQr
>>90
関ヶ原時の佐竹は義久が秀忠軍で従軍してる。
義久といえば上杉の直江に相当する佐竹の中心人物。
このことから佐竹が徳川と争うことは考えられない。
94人間七七四年:2009/10/06(火) 02:11:33 ID:G5sgYncs
佐竹から派遣された軍は数百ですよ

しかも、それを丁重にお断りされてる有様で

義久軍が秀忠軍と合流してるとしたら、それは義宣からではなく
父親の義重からの差し金でしょうね
95人間七七四年:2009/10/06(火) 02:38:43 ID:Z+EhRxl2
佐竹にしろ上杉にしろそんな気概はなかろう
96人間七七四年:2009/10/06(火) 08:15:12 ID:5l9K8Zqj
>>90
伊達が喧嘩売った南部などが残ってる訳だが?それらを無視して南下したらどうぞ空き巣して下さいと言ってるような物じゃないの
不利だからこそ足元固めなきゃならないんじゃないの?
>>92
そう"東軍"として"西軍"をねだから加藤と一緒に第三勢力って道は無理がある
なら加藤を島津の抑えにってのも兵力差的に無理
第一どうやって畿内まで行く気?四国側にしても中国側にしてもすんなりは通してもらえないぜ?5万も運ぶ大船団を用意する体力は黒田には無いし

如水なら何とかなるなんてゲーム脳はやめてね
97人間七七四年:2009/10/06(火) 08:41:45 ID:c8vOLW9A
>>91
それだけの軍勢が移動・駐留するのに必要な補給物資は考慮していますか
東海道では福島が豊臣家の兵糧庫を解放したことで問題は無くなりましたが
西軍ではそうはいかずに近江から米を取り寄せることになりました

上杉・伊達らも同様の問題に陥るでしょうし、佐竹も彼らを食わせれるか問題です
またそれだけの軍勢が動くとなると当然ながら時間もかかります
その間に家康か秀忠が反転する事も考慮する必要があります
98人間七七四年:2009/10/06(火) 21:04:27 ID:4LDQsPNa
いくらifでも佐竹が徳川に攻めかかるとかありえん
伊達が上杉とお手手つないで関東に乱入とかもっとありえん
まだ長谷堂で直江討ち死にとかの方が可能性があるくらいだ
99人間七七四年:2009/10/06(火) 22:25:38 ID:G5sgYncs
>>96
>伊達が喧嘩売った南部などが残ってる訳だが?それらを無視して南下したらどうぞ空き巣して下さいと言ってるような物じゃないの

なら南部に対しての備えの兵だけ置いてれば問題ないわけだ。多くて5千で充分

>そう"東軍"として"西軍"をねだから加藤と一緒に第三勢力って道は無理がある

清正にしてみれば三成憎しで西軍嫌いなだけ。中央の情勢が変れば、秀頼を守るためという説得でいくらでも靡く

>なら加藤を島津の抑えにってのも兵力差的に無理

そもそも薩摩の島津を抑える必要すらない。落とせるならそれに越したことはないけど無視して放置したところで
義久が誰もいなくなった九州を攻めるという気持ちが最初からない。
鍋島家しかり関ヶ原では義久は様子見だけの状態

>第一どうやって畿内まで行く気?四国側にしても中国側にしてもすんなりは通してもらえないぜ?

笑止w ゲーム脳がただ反抗したいだけって感じだな。反論にすらなっていない。出直せ

>5万も運ぶ大船団を用意する体力は黒田には無いし

その前にないという史料をだせ。関門海峡渡るのに大船団なんか必要ない
100人間七七四年:2009/10/06(火) 22:36:45 ID:G5sgYncs
>>97
>それだけの軍勢が移動・駐留するのに必要な補給物資は考慮していますか

笑止w もはや小学生以下のゲーム脳だな。しょうもない単発ID自演ばっかしてるから、そんなアホな質問しかできないのだよ

>東海道では福島が豊臣家の兵糧庫を解放したことで問題は無くなりましたが
>西軍ではそうはいかずに近江から米を取り寄せることになりました

全く逆。関ヶ原で東軍は福島が自領の兵糧を提供したから何とか東軍は飯にありつけた状態だったけど
西軍は元々、主力の本拠地が近い分、大坂城や畿内から問題なく兵糧を補給できたの

>上杉・伊達らも同様の問題に陥るでしょうし、佐竹も彼らを食わせれるか問題です

陥るわけないだろ。キチガイ。会津は関東の隣だし、佐竹も一緒に攻めるなら兵糧をかすのくらい普通にするわ
それ以前に、敵のいない関東に攻め入って蹂躙するのに、落とした城や街の蔵に米がないと思い込んでる時点でキチガイ

>またそれだけの軍勢が動くとなると当然ながら時間もかかります
>その間に家康か秀忠が反転する事も考慮する必要があります

少なくとも家康本軍が来るより先に、関東を蹂躙できるのは間違いないわけだ。
そして秀忠も家康も来てくれないと困るわけ。家康の本拠地で戦うことが目的なのだから


101人間七七四年:2009/10/06(火) 22:39:15 ID:G5sgYncs
>>98
ありえんと思うのはお前が何も知らないだけ
伊達が上杉より、最上を攻め落としたいと本音は考えていたことも知らない人が
伊達と上杉は犬猿の仲とか思い込んでる時点でゲーム脳
102人間七七四年:2009/10/06(火) 22:47:58 ID:c8vOLW9A
>>100
ああ、無知か
西軍の食料問題は石田が増田への書状で嘆いているほどなのに

自領内で戦う事前提だった移封したばかりの上杉にそこまでの
後方能力があったかな
佐竹も同じ、自領の数倍の兵を食わせる力があるかどうか

そして彼らが戦力を南下させる半月程で徳川は反転するな
103人間七七四年:2009/10/06(火) 23:47:44 ID:4LDQsPNa
>>101
自分は無知だがあなたほどではありませんよ
104人間七七四年:2009/10/06(火) 23:51:04 ID:4LDQsPNa
ゲーム脳とか連呼してる時点で程度が知れます
せいぜい高校の日本史の教科書をかじった程度の知識でしょうに
105人間七七四年:2009/10/06(火) 23:53:30 ID:G5sgYncs
>>102
おまえな、その中身もろくに知らんくせに調子のるなよ
西軍への食糧問題を嘆くとか脳みそ湧いてんのか?湧いてんだろなw
関ヶ原付近なんてほとんど西軍側の領地なんだよ
加えて、三成は戦で大砲ぶっ放してんだ。
この大砲が三成の私物とでも思ってんのか?ゲーム脳
これは全部、大坂城の蔵から持って来たもんなんだよ
自分らの大将が大坂城で秀頼の傍にいるから武器も兵糧も全部問題ないんだよ

お前、詳しいこと何も知らんのに、よくそんな恥ずかしい自爆できんな
ほんとう、ゲーム脳満開だわ
106人間七七四年:2009/10/06(火) 23:55:09 ID:5l9K8Zqj
>>99
中央の混乱が長引く中ガラガラの領地が目の前に広がってて主力丸々残してる義久が動かないとかどんだけ楽観主義なんだwww

だからどうやって行くのさ?
ああ煽るだけって事は反論出来ないのだね
107人間七七四年:2009/10/06(火) 23:57:06 ID:5l9K8Zqj
実際は大阪城の兵糧は使わせてもらえ無かったんだけどな
108人間七七四年:2009/10/07(水) 00:01:17 ID:TOUGk7QZ
>>102
>自領内で戦う事前提だった移封したばかりの上杉にそこまでの後方能力があったかな

さすがに頭悪いな。
東軍は小山から関ヶ原まで移動してんの。その小山に集結する前に1大名ですら兵糧問題で辿りつけなかった大名がいんのか?
小山評定から関ヶ原まで進軍して、その後の西軍残党狩りで、兵糧がないので無理です。なんて言った大名いんのか?

福島のこの頃の石高なんて20万石前後だろうが。
それで関ヶ原に集結した東軍に飯食わしてるのに

関東の隣にある大石の会津から兵糧が足りないことなんて起こるはずないってゲーム脳でも分るぞ?
佐竹に至ってはその関東の中にあり54万石。兄弟や与力大名を合せると80万石もあるというのに
たった20万石前後で7万ほどの東軍喰わした福島は問題なくて
80万石ある佐竹が7万弱の上杉、伊達、佐竹軍を喰わせられないとか
おまえ自身、いかに自分の言ってることが論理破綻してるか理解できてないんだろ?
だからキチガイなんて言われるんだよ。
109人間七七四年:2009/10/07(水) 00:04:49 ID:TOUGk7QZ
>>103
ああ。おまえは無知なんだw
そりゃそうだろなw
>>104
はいはい。その前にお前は小学生の勉強からし直せ
110人間七七四年:2009/10/07(水) 00:11:55 ID:TOUGk7QZ
>>106
>中央の混乱が長引く中ガラガラの領地が目の前に広がってて主力丸々残してる義久が動かないとかどんだけ楽観主義なんだwww

はいはいゲーム脳ゲーム脳。目の前の城の兵数が0だから攻めたら勝てるwラッキーw。それがゲーム脳の証拠
義久がそんな行動の為に自軍を温存してたという史料が一切ないな。
そんな展開はお前の脳内の希望的観測っていうんだ。なんねーよ。バカ

>だからどうやって行くのさ?

お前、如水が何の為に九州で挙兵したと思ってんだ?
九州統一したら海を渡れませんでしたwこんな計画で如水が有り金叩いて囚人を雇ったとでも思ってんのか?
そんなことも分らないから、まともに相手したくねーんだよ。お前みたいなバカとは。
それに関ヶ原に出て行った九州の軍は海を泳いで行ったとでも思ってるのか?
頭おかしいんじゃねーか?
111人間七七四年:2009/10/07(水) 00:14:49 ID:TOUGk7QZ
>>107
バカかwお前
使わせてもらえなかったじゃねーよ。使う前に負けちまったんだよ

だから関ヶ原が長期化すれば、東軍は兵糧の補給に苦労し
西軍はいくらでも補える物量の差は圧倒的にあったんだよ
なんも知んねーんだな。おまえ?
112人間七七四年:2009/10/07(水) 02:32:15 ID:PBTSy314
最近「島津奔る」読んですっかり島津義弘の将器の大きさに参ってます
義弘が提案した夜襲策さえ採用していれば大坂城落城の憂き目を見ることは・・・
113人間七七四年:2009/10/07(水) 06:11:31 ID:ptI7dN1V
>>110
>はいはいゲーム脳ゲーム脳。目の前の城の兵数が0だから攻めたら勝てるwラッキーw。それがゲーム脳の証拠

お前、関東が空同然だから簡単に蹂躙できるとか言ってなかったか?

何度も言うが、百万石のお墨付き(破棄されたけど)をほぼ掌中にした伊達が
上杉と一緒に行動することはありえない。関ヶ原で勝敗が決してる状態で
伊達が関東を攻めて、百万石のお墨付き以上の戦利が得られる確証があるのか。
それに、隠居の義重と重臣に頭の上がらない義宣が反対を押し切って江戸を攻撃する
可能性も限りなく低い。義宣の権力が強くなるのは、秋田移封後に重臣の粛清をしてから。
伊達や佐竹がどうしても上杉に味方するって言うのなら、上記を覆すだけの根拠を示せ。
114人間七七四年:2009/10/07(水) 08:08:40 ID:ilCw9gs8
>>110
伊達が上杉と南下するってのも佐竹が動くってのも秀忠が戻る前に関東に乱入出来るってのも加藤が簡単に仲間になるってのも島津が絶対動かないってのもお前の希望的観測じゃねぇかwww

115人間七七四年:2009/10/07(水) 08:58:53 ID:ilCw9gs8
>>110
関ヶ原に行った九州の軍?彼らつーか西軍は家康が豊臣のお墨付きを貰って集めた上杉攻めの後詰ですよ?それを三成が大阪で対徳川の軍に仕立て上げただけ
だから行く時は普通に"味方"の領地を通してもらえたのさ

如水が行こうって時とは状況が全然違う
少なくとも西軍についてる毛利領の中国路は使えんわな
毛利が派遣した大友と交戦しちゃってるし
116人間七七四年:2009/10/07(水) 12:34:10 ID:BvZ/Y3G8
秀秋スレが荒れる時は、必ずといってもいいぐらい秀秋ネタではない。
117人間七七四年:2009/10/07(水) 13:26:16 ID:cXyxushB
ID:TOUGk7QZ
↑涙目で逃亡か。もう少し楽しませろよなw
118人間七七四年:2009/10/07(水) 15:49:10 ID:4o2DlD6d
>>116
金吾だから仕方ない。
119人間七七四年:2009/10/07(水) 16:20:14 ID:T37o+9g2
ID:TOUGk7QZ
バカとか簡単に言う奴は嫌われちゃうよ?
400年前のことをどうこういう前に今の自分を見つめ直したら良いよ
120人間七七四年:2009/10/07(水) 19:56:46 ID:TOUGk7QZ
>>113
>お前、関東が空同然だから簡単に蹂躙できるとか言ってなかったか?

だろwそんな尺度でしか物事を推し量れないからゲーム脳ってバカにされんだよ。おまえw
家康のいない関東を攻める上杉は大義名分があり、最初からその意思があるの
それに伊達が加担するとして、これもよっぽどの意思や目的がない限り西軍になんか寝返らないの

でも島津義久は関ヶ原の時からどっちつかずの中途半端な態度で国元に居座ってるの。
それを見かねて義弘が僅かな手勢(自主参加した)を引き連れて島津家代表で行ってるくらいなのに
そんな義久が目の前の敵が全部出払ってるからって、九州統一してもその先のビジョンがないわけ

なのにお前は、ただ城の兵が少ないから攻めたら勝てるじゃんwっていうようなゲーム脳で考えるから間違いだと指摘されるわけ
分ったか?
121人間七七四年:2009/10/07(水) 20:06:31 ID:TOUGk7QZ
>>113
>何度も言うが、百万石のお墨付き(破棄されたけど)をほぼ掌中にした伊達が
>上杉と一緒に行動することはありえない。

バカの上に無知が、無理な理論を通そうとするからそんなアホな主張ができんだぞ?
伊達は史実でも、南部領にチョッカイ出して、その100万石とやらのお墨付きを自らフイにしてるの
また、本当は最上領が欲しくて様子見程度にしか援軍を派遣してないし
端から100万石のお墨付きなんかより、もっと上を狙ってたんだよ

>それに、隠居の義重と重臣に頭の上がらない義宣が反対を押し切って江戸を攻撃する可能性も限りなく低い。

佐竹に関しては非常に流動的な状態で御家の中が揺れてた。父親は絶対に東軍支持だし、息子は西軍
でも、こんな状態の家なんて実際に関ヶ原に参加した大名でもごまんといるの
つまり、ほとんどの大名は義理や筋道よりも、どちらが勝つかが一番心配であり
その流れによって、いくらでも態度を変化させようとしてたわけ。
なら東軍NO2で、自領に隣接してる伊達が裏切って関東に攻め入るということになったら
いくらでも佐竹家内の流れが西軍一色に変って行っても何も不思議ではないの
122人間七七四年:2009/10/07(水) 20:14:52 ID:TOUGk7QZ
>>114
キチガイ自演乙。死ね

>>115
>関ヶ原に行った九州の軍?彼らつーか西軍は家康が豊臣のお墨付きを貰って集めた上杉攻めの後詰ですよ?それを三成が大阪で対徳川の軍に仕立て上げただけ
>だから行く時は普通に"味方"の領地を通してもらえたのさ

誰が今さら、そんな分りきったこと質問したの?バカなの?バカなんだろなw
話の流れが理解出来ないバカは最初から入ってくんな

>如水が行こうって時とは状況が全然違う少なくとも西軍についてる毛利領の中国路は使えんわな

テラワロスw
如水が毛利領通ろうと思ったら、その前に散々、九州の西軍大名家を蹂躙した後なのに
なんで毛利領通る時だけ不可能になんだよw頭おかしいんじゃね?

>毛利が派遣した大友と交戦しちゃってるし

ギガテラワロスw
知識0のゲーム脳が必死に調べてやっと見つけたニワカ知識を披露しました感がイタイイタイw
大友の軍なんて、いの一番に壊滅させられてるわwwww
123人間七七四年:2009/10/07(水) 20:17:09 ID:TOUGk7QZ
>>117>>119

毎度の無様な自演おつかれさまですw
昼間っからお急がしそうですねw
124人間七七四年:2009/10/07(水) 20:26:17 ID:6vcBY6gL
金吾がそのまま西軍だったら大谷と一緒に
藤堂高虎や京極高知を相手にする事になるのかな

それを無視して家康を目指すと本多忠勝が待ってるから
どっちにしろ楽しい展開になりそう
個人的に数百単位なら本多忠勝は最強の武将だと思ってるし。
125人間七七四年:2009/10/07(水) 20:28:06 ID:h+lE2EfG
小早川って間違えて西軍攻めちゃったんだよな
今で言ったらfriendly fireみたいなもんだろ
126人間七七四年:2009/10/07(水) 20:50:59 ID:TOUGk7QZ
そんなオンゴールみたいな間違い犯すか?普通wwww
127人間七七四年:2009/10/07(水) 22:52:32 ID:ltSLr5Is
西軍に何の恨みもない金吾のカスは、ただ関白の座を秀頼にとられ、小早川に養子に出され、私情のみで家康についただけ
128人間七七四年:2009/10/07(水) 23:00:45 ID:BvZ/Y3G8
>>127
日本語でおけ
129人間七七四年:2009/10/08(木) 00:00:09 ID:MD7O9ANI
そもそも長谷堂ですら手こずった直江山城が山形を落とせるのかっていう。
関ヶ原の東軍戦勝の報せが入ってわきかえる最上勢と
西軍敗北の報せが入って士気が著しく落ちた上杉勢。
しかも一ヵ月後には冬将軍が到来し、上杉は嫌でも撤退せざるを得ない。
(関が原の合戦は、今の暦になおすと10月21日)
こんな状況でどうすれば南下できるのかね。
130人間七七四年:2009/10/08(木) 00:06:02 ID:rLDSazUg
>>121
>伊達は史実でも、南部領にチョッカイ出して、その100万石とやらのお墨付きを自らフイにしてるの

ほう。んで、それは関ヶ原の本戦の結果がわかる前かね? 後かね?

>佐竹に関しては非常に流動的な状態で御家の中が揺れてた。父親は絶対に東軍支持だし、息子は西軍

ふーん。佐竹が秋田に移ってからの老臣の粛清劇を知らんのか。
それまでの義宣は、義重と老臣たちに頭が上がらない状態だったわけだがね。
131人間七七四年:2009/10/08(木) 00:25:38 ID:3XxDxuDC
松尾山に立花宗重が布陣してたら関ヶ原では勝ったよな
完全に人選ミス、西軍は宇喜田と立花の2トップで戦うべきだったね
132人間七七四年:2009/10/08(木) 00:28:08 ID:DooEW3Hi
>>131
いや、それはちょっと……逸話とか、動員兵力とかの面で……
133人間七七四年:2009/10/08(木) 00:31:41 ID:3XxDxuDC
宗重隊は1万もあれば十分でしょう
小早川2万よりは信頼出来るわ、
134人間七七四年:2009/10/08(木) 01:28:09 ID:Nwxd4yoG
そもそも小早川や吉川が内応するって確信があったから家康は関ケ原で不利の陣形で戦ったわけで、
小早川が東軍に攻める空気だったら家康は秀忠を待ってるだろw
135人間七七四年:2009/10/08(木) 08:32:47 ID:GYXIjFHI
>>133
小早川ですら兵力は一万前後下手したら一万切るのに・・・
立花が一万とか無いわ
136人間七七四年:2009/10/08(木) 13:27:56 ID:ZImFuz45
大津城攻略した1万5千の事かな…
137人間七七四年:2009/10/08(木) 16:07:36 ID:64yCvUuk
長宗我部と長束はいったい何の為に、あんな遠いところにいたの?
吉川に通せんぼ食らう以前に、あんな所に居たらどうしようもなくない?
138人間七七四年:2009/10/08(木) 16:48:51 ID:AswJkpKp
>>137
東軍が赤坂にいた時は近かった
移動後も赤坂や曽根などには東軍がいたから
139人間七七四年:2009/10/08(木) 17:35:31 ID:64yCvUuk
>>138
最初から敵から遠い弱気な場所に、布陣していたんだなと思ったけど、
こういった事情があったんだ。
ありがとう。
140人間七七四年:2009/10/08(木) 21:12:40 ID:AswJkpKp
関ヶ原本戦は関ヶ原だけでなく、遠く赤坂・曽根・長松と大垣まで見るべきである
141人間七七四年:2009/10/08(木) 21:40:03 ID:Gnxwtjut
でも、それも建て前というか奇麗事だと思うよ

長宗我部が関ヶ原前線にいても果敢に戦ったかどうか・・

だって元々、西軍に合流したの自体、偶然だったのに
142人間七七四年:2009/10/08(木) 21:42:51 ID:Gnxwtjut
>>130

はいはい。もういいよ。お前如きじゃ
東軍NO2の伊達が西軍に裏切ったら!?というifの可能性さえ否定できないことは分っただろ?

つまりはそーいうことなんだよ。
もしかしたら、あるかも知れないんだな。これがw
で、そーなった場合、けっこう面白い展開が待ち受けていたかも知れないってこった
143人間七七四年:2009/10/08(木) 21:48:59 ID:Gnxwtjut
>>133
立花の兵なんて5千くらいしかいなかったと思うけど、
それでも役立たずの吉川とか小早川よりはよっぽど連れて行くべきだったよな

西軍で真面目に戦ったのなんて石田、大谷、宇喜多、平塚、小西くらいだろ
数うんぬんよりも、まず戦ってくれる味方がいないのが辛いからな

立花なら5千でも充分に役に立つよ
144人間七七四年:2009/10/08(木) 22:01:10 ID:AswJkpKp
>>141
例えば南宮山の西軍とそれに備えた東軍となると
二万六千対一万四千と大きな差が出る
しかしそこに大垣と赤坂・曽根・長松を加えると
三万千対二万六千になり差は縮まる

長束は結構やる気と聞くが、これでは動くに動けないかと
まぁ東軍は特攻野郎、水野勝成が大垣城攻めたけど

関ヶ原合戦ほど駒配置だけで勝敗を論ぜれない戦いも
少ないと思いますわ
145人間七七四年:2009/10/08(木) 22:13:38 ID:Gnxwtjut
大坂城居残り
毛利輝元、安国寺恵瓊(輝元の目付け)

大津上攻め
小早川秀秋

田辺城攻め
吉川広家、脇坂、朽木、小川、赤座

コイツら裏切り者を関ヶ原と関係のない大津城や田辺城攻めに参加させといて

実際に大津城攻めした
毛利元康、立花宗茂、小早川秀包、筑紫広門など1万5千

実際に田辺城攻めした
小野木重次、小出吉政など1万5千

これらが関ヶ原に向かっていればもっと善戦できたと思うよな
大津城や田辺城なんて元々、誰が攻めても落ちる城なんだし放っておいてもいいくらいだしな
146人間七七四年:2009/10/08(木) 22:17:17 ID:Gnxwtjut
>>144
長束や長宗我部は
吉川の邪魔にあって動かない毛利秀元が裏切るんじゃないかと思って
それで身動き取れなかったとも言われてるのは確かだよね
147人間七七四年:2009/10/08(木) 22:26:07 ID:Gnxwtjut
石田軍の周囲に、西軍で最も戦闘力のある立花と秀包を配置して

南宮山には毛利秀元、元康

他は島津や長宗我部の脇を固めるように
小野木や小出、平塚なんか戦意のある少軍を配置

そして宇喜多、大谷、小西、長束あたりで敵を蹴散らす

せめてこれくらいの戦をしてくれたら、東軍に秀忠が合流しても充分に対抗できるだろ

148人間七七四年:2009/10/08(木) 22:38:44 ID:9Ry5Rdt5
>>145
>大津上攻め 小早川秀秋
>田辺城攻め 吉川広家、脇坂、朽木、小川、赤座
これらの兵がその篭城している兵と共に
西軍を攻める可能性があるんじゃないか
それにその大津城組や田辺城組が関ヶ原で実際に戦うかどうかわからない
案外同じようになるかもしれない
立花宗茂は戦うかもしれないが元康や秀包は
広家と同じように自分たち毛利一族を蔑ろにする三成に
対して不戦をするかもしれない
149人間七七四年:2009/10/08(木) 22:51:19 ID:Lf9pjJjw
秀秋と宗茂は生涯無敗だからね。両者が働けば無敵だったのに。 特に、大谷を瞬時に壊滅させたり、佐和山を1日で落とした金吾がキーだったね。
150人間七七四年:2009/10/08(木) 23:26:06 ID:AswJkpKp
石田が立花をどの様に見ていたかという問題がある
基本的に三成は自分の知り合いしか信用していない様だし
151人間七七四年:2009/10/08(木) 23:39:34 ID:Gnxwtjut
>>148
関ヶ原敗戦後に大坂城で徹底抗戦を叫んだのは毛利元康だよ
小早川秀包も大津城攻めでは被害を出しながらも一番頑張ったんだよ
こいつらに関しては吉川なんかと事情が全く異なるな。

ただ、吉川と脇坂たちを一緒に行動させとくのは確かにまずいかも知れないな
脇坂たちは主体性がない分、すぐに裏切る。逆に言えば西軍主力の将と一緒に行動させてれば西軍につく
そんなクズみたいな大名たちだから、南宮山で秀元と一緒に配置して最初に突っ込ませてもいいかも知れない
152人間七七四年:2009/10/08(木) 23:53:52 ID:DooEW3Hi
>>145
抑えのいない小早川が中山道を塞ぐように動けば非常に面倒な事になるけどな。
京都方面で吉川らの動向が定まらない軍勢がフリーになるのもまずい(正確には東軍に誼を通じてないのは赤座、小川、朽木)。
9月12日に前田の軍が金沢を出てるし、長引いた場合は去就を鮮明にした4将が前田と合流する可能性もある。
153人間七七四年:2009/10/09(金) 00:16:01 ID:ohGWGqLw
宗茂は秀家と仲悪かったから大津城攻めに左遷されたとか良く聞くけど・・・
本当なら布陣の際に間に誰か入れた方が良いかもね
154人間七七四年:2009/10/09(金) 00:39:26 ID:ZPhVyKTM
結果的に1日決戦になってしまったので遊兵に見える大津攻め部隊、田辺城攻め部隊、
大坂留守居部隊だけど双方の運動戦の一環としてみれば予備兵力としても重要でしょう
大坂まで遅滞防御しつつ縦深陣といった構想だとすれば予備兵は絶対に必要

秀忠隊にしても(予想以上に遅参気味ではあったけど)予備としての意味合いが強い
155人間七七四年:2009/10/09(金) 00:40:49 ID:NkDyFqEN
>>152
小早川秀秋も朽木や赤座みたいな裏切り大名は
自分たちだけでは何も決断できない輩だと思うよ

周囲が何か具体的な行動を起してくれて初めて反応できる、便乗できるというだけで
こういう奴らに城攻めでもさせておけば、ダラダラ時間だけかけて兵糧攻めするのが関の山だろ
でも、その間は余計なこともしないし、放置しておくのが一番かと思う。
逆に大津城の京極も同じくらいのバカだし、別に恐れるに足りないし
田辺城は隠居した細川幽斎がいるだけで、兵なんかろくすっぽいない
これも放っておけばいいだけかと思う。

むしろ、大谷の策略に騙されて、慌てて軍を進めだした前田が近畿方面に進んでくるなら好都合だよ
史実では堀たちと一緒に会津攻めに向かうはずだったのに、会津に行かずに近畿に進むなら
上杉は最上を落とせられるし、前田には、無駄に大坂城で動かない輝元を動かせられる理由になる

その輝元が動くということは、待ちに待った秀頼の擁立もあるわけだし
そうなったら東軍の豊臣恩顧にどんだけ影響あることか
156人間七七四年:2009/10/09(金) 00:48:16 ID:NkDyFqEN
>>154
なんかよく分んない日本語だけど
その予備兵とやらは大坂城にもいるわけだし
第一、東西両軍共、自分らの進んできた道筋に戦える敵の大名はいないわけで
そんな兵を残しておくのは長期戦を見越した様子見の段階でだけ意味があると思う
むしろ、前田2万が近畿に攻めてくるとなれば西軍は後ろを突かれるのであって
これは戦がモロ本番に突入する合図だよ。そこで予備の備えなんか言ってる余裕はないと思う
157人間七七四年:2009/10/09(金) 01:55:04 ID:kqhGMWRt
>>133
勇猛だろうがなんだろうが
動員兵力が少なけりゃ重要な位置にはつけんでしょ
158人間七七四年:2009/10/09(金) 21:15:48 ID:Rx3Bvf5m
>>155
>小早川秀秋も朽木や赤座みたいな裏切り大名は
自分たちだけでは何も決断できない輩だと思うよ

東軍に寝返ったのは自分たちの決断だろう
それに彼らは西軍に属さなければ殺されるから仕方なく西軍についているだけで
指示を受けなければ何も行動できないんじゃなくて
その指示を聞かなければならない立場であっただけだろう
あと輝元は動かないんじゃなくて動けない状態だろう
前田が来たとしても討って出れたかわからない
それに仮に動けたとしても秀頼の擁立は難しいと思う
159人間七七四年:2009/10/10(土) 01:44:40 ID:DAuiPwBB
家康側につくと決めていた盛親でさえ
そのとき居た場所から西軍に組み込まれてしまったからなあ
まあ運が悪いとしか言いようがない

その後の外交さえちゃんとやっていれば
領地没収はなかったかもしれないけどね
160人間七七四年:2009/10/10(土) 02:43:15 ID:oreLVywq
南宮山の東に布陣した連中の意図はなんなの?只でさえ総兵力数で西軍不利なのに
家康隊の東にいる取り巻きを排除して家康隊を東に向けて、その間に松尾山勢が山を降りるつもりだったのか?
取り巻きさえ突破出来そうもないが
まさか徳川本隊への牽制?

西軍は宇喜多が押し込まれて、松尾山勢が裏切らなくとも負けてたろ
161人間七七四年:2009/10/10(土) 04:23:01 ID:OcEAswDN
三成らが関ヶ原本戦直前まで何処の城にいたかを考えれば大体の意図は分かりそうなもんだがね。
162人間七七四年:2009/10/10(土) 04:45:25 ID:eQCssjEe
秀秋が、裏切らず西軍として参戦するとなるとそのまま徳川本陣突入って
事はない。藤堂、京極から攻めてく方が無難でしょ。それより気になるのは
脇坂達だけど、こいつら裏切んなきゃ小早川と一緒になって東軍攻めてたのか
?あと吉川のバカは、あわてて動くかな?
163人間七七四年:2009/10/10(土) 05:47:44 ID:dsD0tB8X
>>153
京極の離脱をいち早く察知したのが立花だから友人とセットでそのまま向かってもらったという流れだと思うよ
鍋島だって地方に回されたんだしさ
あっちはそのまま動かなかったけど
164人間七七四年:2009/10/10(土) 20:05:12 ID:xCKX42X3
>>163
人物叢書の『立花宗茂』では、日本戦史にある、毛利輝元の命をうけて
京極の監視を任され、案の定高次が寝返ったという話を取り上げていた。
さすがに、秀家個人の感情でどうこうできるってことじゃ無いと思うな。
165人間七七四年:2009/10/11(日) 09:13:39 ID:XvcVBpWa
>>164
なるほどね、元になる資料があるのかどうかはわからないけど元々警戒する役目ってのは考えられるね
とにかく、秀家だけの一存ではないのは確かだろうね
率直に言って、西軍首脳は大津城と田辺城に回した軍勢が決戦には間に合う計算だったと思う
そこは歴戦の猛者共と戦ってきた家康の能力と経験の凄さであり、西軍側の若さなんだろうね
166人間七七四年:2009/10/11(日) 13:41:28 ID:eDgV3uel
秀秋は最高の場所に位置できたんだからその時点で勝ち。
名将ならでは。
167人間七七四年:2009/10/11(日) 19:30:58 ID:fRuaA5j8
石田6000
秀包5000
立花5000
島津5000
小西6000
平塚2000
小野木2000
小出2000
宇喜多17000
長宗我部5000
長束4000
大谷4000

【松尾山】
秀元25000

こんな感じに布陣すれば良かったのに。総勢88000。島津がやっぱり5千は欲しかった
168人間七七四年:2009/10/11(日) 19:36:11 ID:fRuaA5j8
戦が長引けば、伊勢に駐留する鍋島息子が尾張の福島領に侵攻し兵糧を刈り取る

九州では島津本隊、再興を狙う大友、鍋島親父が連合して黒田、加藤と戦う

畿内では前田と裏切った吉川、小早川が南下し、それを輝元、元康が迎え撃つ
また前田家で唯一西軍よりだった利政が背後から前田を襲い
毛利、前田家の血みどろの肉親同士の争いに

169人間七七四年:2009/10/11(日) 19:41:28 ID:fRuaA5j8
会津では1万の兵だけで、長谷堂城に最上を釘つけておくだけで上杉は伊達と和睦し関東へ南下
佐竹と連合して江戸城を目指す。
迎え撃つ秀康と、再び江戸へ取って返すように指示された秀忠が上杉佐竹と激突

上杉と和睦した伊達が南部領に侵攻し勝手に暴れまわる

越後からは堀が会津を狙うが、信州上田の真田が越後に侵攻し激突


日本全国ですごい白熱した争いになるのにな・・まさに応仁の乱状態
170人間七七四年:2009/10/11(日) 20:09:10 ID:EQq1BhiG
鍋島の親父は尾張周辺の穀物買い占めて東軍に献上してるし、大友なんて鎧袖一触で粉砕された残党にそんな鍋島の親父が協力するはずも無く。
よしんば協力したとて、義弘の派兵要請に応えられなかった島津が主力を国元から出していた鍋島、小勢の大友に協力する義理も無い。

前田にしても、大聖寺城主の山口を討った戦いに利政は出てる。

小細工大好きな伊達がそう簡単に和睦するとも考え難く、言を左右して引き伸ばすだろう。
そして、上杉と和睦=西軍という訳でもないから、とりあえず同じ東軍である南部に表立って敵対するのも拙く、史実通り和賀忠親の一揆を煽るくらいだろう。
親父の義重がいる佐竹に関しちゃ、よほど西軍が優勢でなければ積極的に動く事は考え難い。
上杉に関してもどうだか。庄内の飛び地を解消せずに南下するのは……
171人間七七四年:2009/10/12(月) 08:31:54 ID:zHB2JdHT
最上をなんとかせんと中途半端な数での南下になってまうね
172人間七七四年:2009/10/12(月) 10:47:52 ID:O5s9TZsg
>>169
伊達って大崎にも負けたんだから、怖くないだろ
173人間七七四年:2009/10/12(月) 13:06:56 ID:BInluScT
まあ一時、和睦して
結局、家康の謀計で天下は変わらないと思われ
174人間七七四年:2009/10/12(月) 20:01:12 ID:n690U9fS
共闘したって力関係が拮抗してたら内ゲバ起こして終わるだけだしな
175人間七七四年:2009/10/12(月) 21:53:53 ID:O5s9TZsg
>>174
速かれ遅かれ秀秋やら吉川みたいなのがでてきただろう。
176人間七七四年:2009/10/12(月) 22:01:20 ID:7LMuKp/u
わしが裏切らなくても、誰かが裏切ったじゃろう。
177人間七七四年:2009/10/13(火) 00:21:26 ID:KHnTp6yX
先駆者金吾
178人間七七四年:2009/10/13(火) 10:04:46 ID:KHnTp6yX
21年の人生は他人の3倍のスピードで人生を駆け抜けたからなんだろう。
179人間七七四年:2009/10/13(火) 19:27:50 ID:xQm6F/LF
赤備えにして日本全体を粛正対象にしてアクシズを落下させる秀秋公ですね
あると思います
180人間七七四年:2009/10/13(火) 19:44:34 ID:3nXvhOEN
>>162
小早川が裏切らなければ勝手に松尾山に布陣することもないからそれはない
181人間七七四年:2009/10/14(水) 07:49:34 ID:y/Pi9PpQ
京大
182人間七七四年:2009/10/14(水) 08:35:21 ID:y/Pi9PpQ
>>180
金吾は西軍を追い払って松尾山に入った。
はじめから東軍だったのだよ。仮に東軍に攻めかかって西が勝ったら、東軍から裏切り者扱いだったよね。
183人間七七四年:2009/10/14(水) 09:17:21 ID:feAwrr5P
524 名前:可愛い奥様[] 投稿日:04/10/25 23:38:26 ID:Sq5zGL8Y
公明党が外国人参政権に固執するのは
韓国での創価学会の布教解禁の見返りに
日本で在日外国人参政権法を成立させることを
池田大作と金大中が密約したためだそうです。
静岡新聞に掲載されました。
http://mosamosa-web.hp.infoseek.co.jp/image/0996.jpg

青山のズバリ 9月23日
小沢は最優先で外国人参政権を進めている
http://www.youtube.com/watch?v=2Yi3ga1ynBw

フライデー】友愛・鳩山由紀夫首相の「故人献金疑惑」キーマンとなる税理士が露天風呂で怪死!★7
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1253505423/
184人間七七四年:2009/10/14(水) 13:53:24 ID:c0LmHx8x
>>182
>はじめから東軍だった
180はそのことを言ってるんだが?
185人間七七四年:2009/10/14(水) 21:37:52 ID:eSJDtvdN
>>182もそれを踏まえて、更に同意を求めてるように見えなくもない。
語尾が「〜だよね」だし。
186182:2009/10/15(木) 01:38:21 ID:FqT2NqNe
185さんの解釈のつもりでしたがまぎわらしくてスマソ
187人間七七四年:2009/10/15(木) 11:26:58 ID:A+NjIGFD

秀忠率いる徳川本体が到着せずに戦闘をを開始した事は小早川の裏切りが確実なもの
だったからと思うので、小早川が東軍に攻めかかるという想定が出来ない。
小早川の内通裏切りが確実なものでなかったなら関が原での戦はなかったと思う。
188人間七七四年:2009/10/16(金) 20:46:43 ID:oLzvoOgt
関が原は調べれば調べる程、家康が勝つべくして勝ったって結論になるんだよね
189人間七七四年:2009/10/16(金) 22:28:37 ID:LZ4t60ww
>>188
そうでもないよ。
西軍が山に張りついて島津みたいに防御に徹すれば良かったかも。
190人間七七四年:2009/10/17(土) 02:52:42 ID:/2Yg6f8L

石田三成は家康の裏をかくつもりで計略に乗ったつもりだったが、家康の手の中で
踊っただけだった・・・・秀頼の関が原参陣がないように裏で画策済みだろう。
勝利の鍵を握る毛利の不可解で合理的でない行動(輝元の危機意識の欠如した行動
と関が原戦線離脱)も、家康に内部から完全に崩されたことによる。
191人間七七四年:2009/10/17(土) 06:11:57 ID:9DuVI/jG
戦う前から負けていたということ?
192人間七七四年:2009/10/17(土) 15:48:05 ID:EZaib/Lh
>>191
疑問の余地がない
毛利の意思が統一されず、島津を全軍挙げて西軍に参加させられず
小早川の勝手(伊勢制圧不参加と松尾山占拠)を許した時点でもう負けてる
193人間七七四年:2009/10/17(土) 19:13:02 ID:5ZXWRSAx
関が原で家康が負けた時点で、淀君を丸め込んで仲介させるだろうな。
秀頼の名前で和睦の命令が来たら、佐吉は断れない。
そしてエンドレス8に・・・
194人間七七四年:2009/10/17(土) 20:20:59 ID:7/b5WBbD
秀秋のことだから、
大方東軍攻めるつもりが、間違って西軍攻めてしまったんだろ
戦が終わって初めて、自分が西軍を攻めていたことに気づいたとw
195人間七七四年:2009/10/17(土) 22:49:38 ID:EZaib/Lh
関ヶ原の時点ではまだ淀君にそんな権勢ないってばw
豊臣譜代に見限られて仕方なく自分が取り仕切ったんだから
196人間七七四年:2009/10/19(月) 00:32:35 ID:Z2EFs70N
>>1
西軍厨の大嫌い武将の秀秋と家康が相打ち
色々あって西軍厨の大好き武将だけが生き残って万々歳
よかったね 満足?
197人間七七四年:2009/10/19(月) 11:52:22 ID:zVbyvj7n
与えられた役目の通り戦ってれば長期戦だったろな
でも西軍が勝ってたら混乱は必死
198人間七七四年:2009/10/19(月) 15:09:08 ID:9dmnLG6/
そもそも督促の砲撃って史実なのか?
199人間七七四年:2009/10/19(月) 23:48:48 ID:OgnYQhda
関ヶ原決戦自体は
すでに決着が付いていて
それを証明するための舞台装置に過ぎない
200人間七七四年:2009/10/20(火) 00:34:13 ID:6aEOLzBf
ただついたはずの決着が覆る可能性もあったわけで
201人間七七四年:2009/10/21(水) 12:04:55 ID:OUZuOzKv
上杉、伊達、長曽我部が徳川本陣に突撃
亡霊信玄も出て来て友情パワーを家康にお見舞い
大阪に豊臣政権再建
202人間七七四年:2009/10/21(水) 20:24:59 ID:gc+ezfGz
電通に頼んで、「イケてるオトコは西軍男子」とかいうイメージを広げて貰えば西軍大勝利。
203人間七七四年:2009/10/21(水) 20:25:30 ID:eMWAB/ar
>>201
戦国架空戦記物にありがちなこと
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1216116573/l50
こっちに行けw
204人間七七四年:2009/10/21(水) 21:56:35 ID:WV+fssJz
>>194>>195
おまえみたいなゆとりガキが何を知ってるの?
おまえらみたいな奴を見るとこっちが恥ずかしくなるわwww
知ったかも程々にな、バーカwww
205人間七七四年:2009/10/21(水) 22:06:47 ID:oTknfeO2
>>204
うふふ・・・
206人間七七四年:2009/10/21(水) 22:46:21 ID:eMWAB/ar
>>204は人魚の肉でも食って400年生きてるのかw
207人間七七四年:2009/10/22(木) 11:27:14 ID:jQwH4g9d
208人間七七四年:2009/10/31(土) 20:46:09 ID:espX5iag
結論、小早川だけじゃ無理。そもそも家康は、小早川が東軍に攻めかかることも
予想してるはず。一番の恐怖は、毛利軍が動くことにありそれに比べれば
遥かに不安は、低かったはず。金吾が、動けばすぐ本隊の3万で怒りくるって
本気でくるはず。だいたい小早川軍は、決定打になるほど強くない。大谷刑部
の少ない兵にも追し返されてるんだから、家康本隊3万相手には絶対無理。
それに、毛利軍(吉川広家)が動くかわかんないから。毛利と、長宗我部も
総攻撃しなきゃかなり厳しい。南宮山がそのままだったら結局負けてただろ。
で、吉川がそれでも動かなかったらもう大丈夫だろ。と家康はそこで思うはず。
南宮山の抑えはもういらないや。ってな、それで抑えの部隊、池田浅野山内を
中央に持ってきて全軍総攻撃で、小早川も宇喜多と小西と一緒に押し込まれて
壊滅。結局三成は、勝てない結果に終わったんじゃないかな?
209人間七七四年:2009/10/31(土) 20:46:19 ID:espX5iag
結論、小早川だけじゃ無理。そもそも家康は、小早川が東軍に攻めかかることも
予想してるはず。一番の恐怖は、毛利軍が動くことにありそれに比べれば
遥かに不安は、低かったはず。金吾が、動けばすぐ本隊の3万で怒りくるって
本気でくるはず。だいたい小早川軍は、決定打になるほど強くない。大谷刑部
の少ない兵にも追し返されてるんだから、家康本隊3万相手には絶対無理。
それに、毛利軍(吉川広家)が動くかわかんないから。毛利と、長宗我部も
総攻撃しなきゃかなり厳しい。南宮山がそのままだったら結局負けてただろ。
で、吉川がそれでも動かなかったらもう大丈夫だろ。と家康はそこで思うはず。
南宮山の抑えはもういらないや。ってな、それで抑えの部隊、池田浅野山内を
中央に持ってきて全軍総攻撃で、小早川も宇喜多と小西と一緒に押し込まれて
壊滅。結局三成は、勝てない結果に終わったんじゃないかな?
210人間七七四年:2009/10/31(土) 20:52:11 ID:espX5iag
二重投稿すみません。
211人間七七四年:2009/11/01(日) 23:29:25 ID:x0lqGcRX
句読点が、多い、ですね?
212人間七七四年:2009/11/10(火) 10:53:07 ID:VIOGReSL
>>209
ありえるが、福島は壊滅したのでは?
213人間七七四年:2009/11/10(火) 12:07:34 ID:IoG+2yI8
西は小西が壊走
東は福島が戦闘不能
214人間七七四年:2009/11/10(火) 12:26:36 ID:HNQg6nWo
そもそも秀忠が遅延してる時点で家康の予想通りになってないからな
まあ結果についてはなんともいえんが
215人間七七四年:2009/11/10(火) 12:53:30 ID:VIOGReSL
>>214
家康の強みはそれでも勝負に出られるとこだろうな
216人間七七四年:2009/11/28(土) 19:06:33 ID:vQcmFhO8
だが関が原の布陣を明治維新後に外国の軍人が見たところ西軍が勝つ、といったらしいじゃないか
やっぱり西軍勝利だよ、そして豊臣幕府誕生、これで幕末のいさかいもなし
これでいいじゃないか
217人間七七四年:2009/12/06(日) 19:38:31 ID:bMRA0UnI
>>216
それはたしか司馬先生の創作じゃなかったっけ?
豊臣は長くはつづかないでしょ
218人間七七四年:2009/12/07(月) 08:56:33 ID:yepV6hep
>>217
そうそう、小早川幕府
219人間七七四年:2009/12/07(月) 09:38:48 ID:C9mK6a6o
源氏氏長者に成れる大名って多かったのかなあ
220人間七七四年:2009/12/07(月) 11:25:09 ID:1ck6dodA
ちなみに小早川裏切りまでは意外にも数で
劣る西軍が押してたっていうのは本当なの?
司馬本ではそうなってたけど。
221人間七七四年:2009/12/07(月) 12:25:11 ID:yepV6hep
>>220
諸説あるね。普通に勝ちそうなほうに付いたのかもわからないし。
222人間七七四年:2009/12/11(金) 20:52:00 ID:Zb5IfG4M
>>216
陣形はいいかも試練が
凸の数と大きさでどうみたって
東軍は西軍の倍くらいに見えるわ
西軍スカスカだし、東軍の戦力で
撃破するのは容易でしょ
223人間七七四年:2009/12/19(土) 12:50:31 ID:FjYYR2j/
確か兵数が東軍6万西軍11万くらいじゃなかったっけ?
実数はその半分くらいだと思うけど。
毛利、小早川、島津、その他は家康と話がついていたと思われ。
224人間七七四年:2009/12/23(水) 03:40:40 ID:MkGb6nHb
>>223
東軍6万?
南宮山の抑えが1万5千
家康本軍が3万
というと前面の東軍が1万5千で戦っていたというわけ?
もっと多いやろ
225人間七七四年:2009/12/24(木) 22:45:18 ID:2iw+odrY
散々、議論されたかもしれないが
開戦早々に南宮山の毛利が池田、浅野に攻めかかれば
東軍は前後から挟まれて終わったと思うが。

吉川隊を押し切れなかったの?
226人間七七四年:2009/12/25(金) 09:41:39 ID:bXXfc4rD
つか毛利秀元は南宮山を迂回して西に回り
桃配山から家康を襲撃することはできなかったのか?
227人間七七四年:2009/12/26(土) 06:53:30 ID:r3rUawaY
慣れない美濃の山中で迷ってアウト
228人間七七四年:2009/12/26(土) 10:05:27 ID:s3fSCzG5
秀元に広家を無視する度胸も覚悟も無かっただけだろ
229人間七七四年:2009/12/26(土) 11:50:11 ID:L3ur5/QK
三成が秀秋に西軍が勝ったら関白にしてやるって約束したのは事実なの?
もし本当だとしても淀が納得するわけないと思うがな。
秀秋が騒ぎ立てると三成が責任を取って切腹する事になっただろう。
230人間七七四年:2009/12/26(土) 13:55:37 ID:37+wGqj2
みっちーって西軍になってくれる条件で黒田とか小早川にすごい条件だしてるよな
黒田の条件なんてのめるのか?
231人間七七四年:2009/12/26(土) 20:14:22 ID:QTvLOxHa
>>229
大阪の陣の時はともかく、関ヶ原の時点では淀は単なるお腹様で何の実権もない

232人間七七四年:2009/12/27(日) 10:49:22 ID:nU+wxCUW
小早川が徳川軍を攻めても徳川方負けずに、秀忠軍の合流を待って陣を立て直す。
関ヶ原の戦いは数日かかることになる。
その結果、九州で黒田如水が清正vs義久の疲弊した間隙突いて両者平定九州覇者になる。
佐竹義宣は結城秀康を滅ぼし留守の江戸城に迫る。
それを知った伊達は上杉と和睦して両軍白河の関を越え佐竹と合流して江戸城焼き討ち。
結局徳川は豊臣以外に東西の大名から囲まれて滅亡する。
233人間七七四年:2010/01/03(日) 19:42:56 ID:58T+ASq1
>>229
西軍が勝てば論功行賞等は石田らが中心で出来たろうからなんとでもなると思うよ
234人間七七四年:2010/01/07(木) 23:07:17 ID:C1KbZ5zG
吉川広家ってのは相当にアホだよなー。
全力で西軍を勝たせれば間違いなく毛利家が天下を取っていたのに。本家が
領地削られた時にどんな顔したのか見てやりたかった。

日本もその後鎖国やらをせず、違った、それもまともな歴史を進んでいただろうに。
そう考えると広家のやらかした事は犯罪的だと思う。本人は反省したり後悔したり
はしたのかな?
235人間七七四年:2010/01/08(金) 10:00:02 ID:2EoWrI4q
鎖国は悪い事だとは思わないけどな
236人間七七四年:2010/01/08(金) 12:42:14 ID:W3brHnXF
つか豊臣政権のままなら鎖国しなかったってどういう根拠だよw
少なくとも家康時代は少し対外規制が緩まったくらいなのに
その後の徳川幕府の政策の推移は情勢の変化によるものだぞ
237人間七七四年:2010/01/15(金) 10:06:11 ID:twhVEZa1
>>232
史実の西軍武将達もこんな甘い妄想抱いてたのかねぇ……
238人間七七四年:2010/02/04(木) 20:43:15 ID:ZM2zHX8q
家康が負けるに決まってるじゃん
239人間七七四年:2010/02/05(金) 20:26:32 ID:arKIQ/7Z
三方ヶ原に続いて、関ヶ原でも家康が糞をひりかぶります
240人間七七四年:2010/02/11(木) 10:48:32 ID:p1Fgbex/
>>208-209
東軍が松尾山の小早川軍に対して、左翼を無防備に曝して戦ってした事も知らんらしい
この事実こそ、東軍が小早川軍の手当てを全くしていなかった厳然たる証拠だ
241人間七七四年:2010/02/11(木) 10:57:50 ID:IacExDDL
>小早川が徳川軍を攻めても徳川方負けずに、秀忠軍の合流を待って陣を立て直す。
秀忠が関ヶ原へ到着する頃には
大津城を攻めていた立花宗茂と愉快な仲間たちや
田辺城攻略メンバーズも西軍に合流できるんじゃないか?
242人間七七四年:2010/02/11(木) 11:04:00 ID:sxoz8ETY
>>240
山の上にいるなら対応するまでの時間はあるからね
243人間七七四年:2010/02/11(木) 11:05:03 ID:4+Dk26b4
そもそも、吉川・小早川が明らかに西軍なら、
東軍はあんな袋のネズミのような布陣は敷かない。
東西の配置そのままで、両川のIFなど意味がない。

本戦前の情報戦・政略戦で家康の勝利は確定、という事。
244人間七七四年:2010/02/11(木) 11:07:25 ID:p1Fgbex/
>>242
戦闘の真っ最中に対応する余裕なんてないんだがな
245人間七七四年:2010/02/11(木) 11:13:08 ID:sxoz8ETY
>>244
総予備として家康本隊が残ってますし
246人間七七四年:2010/02/11(木) 11:15:14 ID:p1Fgbex/
>>243
典型的な結果論者
結果で、あたかもそれが必然だったと断定する浅はかさ
247人間七七四年:2010/02/11(木) 11:17:24 ID:p1Fgbex/
>>245
総予備の総数は西軍のほうが東軍より多かったのだよ、君
248人間七七四年:2010/02/11(木) 11:21:48 ID:4+Dk26b4
>>246
いやいや、頭の悪い決め付けだね。

両川が西軍としての稼働を過程するなら、
せめて東軍もそれを前提とした布陣を敷かせてあげたら?

東軍は史実どおり、西軍にだけ都合の良く進行する仮定に意味あるの?
249人間七七四年:2010/02/11(木) 11:32:23 ID:BDdo5gmy
東軍は秀忠の遅参という予定外のトラブルがありながら完勝してるというのに……
250人間七七四年:2010/02/11(木) 11:32:50 ID:sxoz8ETY
>>247
具体的に
南宮山や松尾山、脇坂ら以外でね
251人間七七四年:2010/02/11(木) 11:34:05 ID:p1Fgbex/
>>248
南宮山の毛利勢の日和見と小早川軍の裏切りは、あくまで不確定要素
戦局の進展次第で、彼らの動向はどうにでも変わる
不確定要素を織り込んで戦に望んだ家康はたいした武将ではないし、関ヶ原の勝利は単なる家康の幸運にすぎない
252人間七七四年:2010/02/11(木) 11:37:22 ID:p1Fgbex/
>>250
関ヶ原に参集した両軍総数は、西軍>東軍
これ、歴史の真実
よって総予備も、西軍>東軍
253人間七七四年:2010/02/11(木) 11:42:38 ID:4+Dk26b4
>>251
スレの主旨に従えば、小早川は西軍として動くんでしょ?
不確定要素で片づけるんなら、史実どおりの結果で終わりだよ。
254人間七七四年:2010/02/11(木) 11:44:21 ID:sxoz8ETY
>>251
そのリスクを敢えて踏まえたからこそ、関ヶ原で決戦ができた

>>252
具体的に誰と言っているんだけど
255人間七七四年:2010/02/11(木) 11:45:08 ID:TosGem5P
そもそも吉川に不安を残していたら南宮山の北を素通りしていかないわな
まあ、なんやかんやで抑えは残してるし家康本隊は三万無傷でどこにも進める位置にいたしなあ
あと、松尾山は史実で小早川が通ったルートが下山ルートのはずだから、山側ががら空きなのも当然
あのルートで下山すると、大谷本陣近くの山あいの道がめちゃくちゃ狭いから
そこを塞がれると大軍の利点を生かせない(大谷はそれを利用して押し返したと考えられる)
家康が鉄砲鳴らした時はもう東軍はあそこらへんまで押し込んでたから、
小早川が西軍についたところであんま変わりない状況ではある
石田本陣はもう時間の問題だったし、あっちが落ちたら終わり
どっちかっていうと、島津が最初からちょこまかしてたほうが長引いたんではないかと思うが
それも家康本隊がうごいたら終わりか
256人間七七四年:2010/02/11(木) 11:51:09 ID:p1Fgbex/
>>253-254
それが結果論だと言ってるんだがな
小早川が西軍を攻撃対象としたのは、単なるその場の気まぐれ
家康の催促の発砲で、逆に東軍を攻撃対象にしなかったという保障は何もない
257人間七七四年:2010/02/11(木) 11:53:30 ID:TosGem5P
>>251
そうか?
小早川がずっと高宮でウロウロしてたのは家康からの返答待ち
やっと家康から許すって返事が来たから松尾山まで進出した、それが14日昼頃
同じ頃家康は赤坂に着陣して西軍を慌てさせている
吉川は約束通り毛利の出口を塞いで、動かさないと手紙が来ている
だからこそ、東軍は悠々と南宮山の鼻先かすめて進軍したわけでな
258人間七七四年:2010/02/11(木) 11:53:55 ID:p1Fgbex/
>>255
小早川の寝返りが実行させるまで、一部しか機能していない西軍は東軍を押していたんだが
歴史の捏造はいかんよ、君
259人間七七四年:2010/02/11(木) 11:59:20 ID:p1Fgbex/
ま、どのみち、関ヶ原の帰趨は、小早川秀秋がどちらを攻撃するかにかかっていたわけで、
秀秋が東軍を攻撃したとしても、西軍崩壊の史実とは異なり東軍は持ちこたえ、結局は西軍に勝利できたなんて、
絵空事もいいところだ
260人間七七四年:2010/02/11(木) 12:00:41 ID:TosGem5P
>>258
押してたっつっても実質各本陣を守れてた、くらいのもんだからなぁ
西軍が押し出して戦線を東に移動させたことってあったか?
終始攻めてたのは東軍で、反転攻勢に出れたのは講談ネタの島左近くらいじゃね?
261人間七七四年:2010/02/11(木) 12:01:54 ID:4+Dk26b4
>>256
こちらの言いたい事、理解出来てる?
小早川西軍の仮定を認めており、結果論ではない。
その場合において、東軍だけ史実どおりの仮定に意味はないのでは?
と言っている。
262人間七七四年:2010/02/11(木) 12:03:24 ID:TosGem5P
>>259
だからさ、小早川が降りてきた先の隘路の説明をくれよ
実際見てきたけど、大谷は寡兵でもどうにかなる位置に陣取ったもんだと関心したんだが
263人間七七四年:2010/02/11(木) 12:06:23 ID:TosGem5P
>>261
だよな
実際、吉川小早川に不安があったら秀忠を待ってただろうし
絶対に南宮山を素通りしない

で、最初から吉川小早川が西軍だったなら、西軍は大垣を出ないだろ
264人間七七四年:2010/02/11(木) 12:13:36 ID:p1Fgbex/
>>261
秀秋がどちらを攻撃対象にするかは、事前に秀秋自身の頭の中で決定していたわけではないので、不確定要素なわけだ
どっちに転んでもおかしくない秀秋の行動を、君は結果論から必然だと言ってるので、浅はかなんだよ
265人間七七四年:2010/02/11(木) 12:16:45 ID:TosGem5P
というか、関ヶ原布陣を前提としても
あの時点で吉川小早川が寝返ったところで、石田本陣が落ちるまでに
はたして家康を打ち取れたか?ってとこだな問題は
小早川に鉄砲打ち掛けたのが昼頃、その頃には石田本陣は島左近が負傷(討死?)でかなり押し込まれてた
石田本陣が落ち、島津が退却を始めたのが3時頃
つまり実質3時間くらいで家康本隊三万を毛利隊が打ち取れたか?
小早川は隘路を抜け、南軍と中軍を掻き分けて石田本陣の救援に迎えたか?
266人間七七四年:2010/02/11(木) 12:19:08 ID:4+Dk26b4
>>264
>どっちに転んでもおかしくない秀秋の行動を、君は結果論から必然だと言ってるの

おいおい、そんな事全く言ってないぞ。
ビックリしたな。思わず自分のレスを読み返しちゃったよ。
スレタイ通り、小早川西軍を前提で話をしてるんだけど。
267人間七七四年:2010/02/11(木) 12:19:43 ID:p1Fgbex/
>>263
家康が秀忠軍を待たずに開戦に及んだのは、機が熟したと判断したから
事実、家康は戦の最中も、南宮山の動向にかなりの神経をつかっている
家康は毛利勢の挙動に不安で不安で苛まれていたんだがな

268人間七七四年:2010/02/11(木) 12:23:28 ID:p1Fgbex/
>>266
>>243
>本戦前の情報戦・政略戦で家康の勝利は確定、という事

物的証拠あるんだが
自分の主張くらい責任をもったらどうなんだ
269人間七七四年:2010/02/11(木) 12:25:35 ID:TosGem5P
>>268
そもそも、家康と話がついていなければ小早川が関ヶ原まで進出してなかっただろ
ずっと高宮でウロウロしてただろうよ
270人間七七四年:2010/02/11(木) 12:27:45 ID:sxoz8ETY
同日、同時刻だからな家康赤坂着陣と秀秋松尾山占拠は
絶対、示し合わせているだろうな
271人間七七四年:2010/02/11(木) 12:28:28 ID:4+Dk26b4
>>268
>>243を良く読み返しなよ。前段あっての話。


272人間七七四年:2010/02/11(木) 12:31:45 ID:TosGem5P
>>267
機を掴んだ、つまり「吉川は九分九厘動かない」だろ
その一厘を警戒するのは当然
それなら吉川小早川を警戒してた石田大谷は不安に苛まれてただろ
条件は同じだよ

あとさ、お前は地形を何だと思ってんの?
もう一度関ヶ原の俯瞰図を見直してきなよ
南宮山の北から関ヶ原に入るルートはあそこも隘路になってる
桃配山付近の出口を塞げば抑え部隊でも半日程度の足止めは効く場所だ
家康本隊が動けば関ヶ原に入れないだろうよ
273人間七七四年:2010/02/11(木) 12:31:59 ID:p1Fgbex/
>>265
小早川軍が東軍左翼に突っ込めば、奮戦中の豊臣恩顧の軍勢は呆気なく崩壊
この時点で東西両軍の軍事バランスは一気に崩れ去る
東軍の惨状を見れば、それまで傍観していた西軍諸将は必ず動き出すし、無論南宮山の毛利勢も例外ではない
東軍は兵力減耗、東軍は兵力維持、しかも総数は西軍の方が多く、布陣は西軍が東軍を包囲する陣形
どう考えても、東軍に勝ち目はない
274人間七七四年:2010/02/11(木) 12:34:29 ID:TosGem5P
>>270
逆に言えば、小早川が動かずに石田本陣を松尾山に配していたら
大津勢が来るまで持ちこたえられていた可能性は高い

ただ、そんなことやってたらただでさえ士気の低かった小西島津がどうなってたかはわからんw
275人間七七四年:2010/02/11(木) 12:35:14 ID:p1Fgbex/
>>272
そうすれば確かに家康本隊は、東西から挟み撃ちにあって壊滅するよな(笑)
276人間七七四年:2010/02/11(木) 12:38:15 ID:p1Fgbex/
>>271
前段があろうがなかろうが、
結論として
>本戦前の情報戦・政略戦で家康の勝利は確定、という事
と述べてる以上、この趣旨は何ら変わらん
見苦しいの一言
277人間七七四年:2010/02/11(木) 12:40:10 ID:TosGem5P
>>275
あのさあ、レス読めよ
南宮山の北の道を通ってくるなら、毛利勢は少なくとも数時間関ヶ原に踏み込めない状況になる
小早川が関ヶ原に進出するには、隘路を抜けて南軍を蹴散らさなければならない
これを、三時間程度で終わらせないと石田本陣が落ちて東軍勝利

で、どうやって家康本隊を挟撃するの?
278人間七七四年:2010/02/11(木) 12:44:08 ID:p1Fgbex/
>>277
>毛利勢は少なくとも数時間関ヶ原に踏み込めない
根拠なし
妄想をさも史実のように偽装しちゃいかんよ、君
それが事実なら、毛利勢が南宮山に陣取るまで、かなりの時間を要した事にもなるんだが、そんな事実はない
279人間七七四年:2010/02/11(木) 12:51:13 ID:sxoz8ETY
>>278
池田や浅野がいるじゃない
280人間七七四年:2010/02/11(木) 12:51:51 ID:TosGem5P
>>278
> 根拠なし

つ地形

> それが事実なら、毛利勢が南宮山に陣取るまで、かなりの時間を要した事にもなるんだが、そんな事実はない

は?
もしかして、関ヶ原直前に毛利が南宮山に陣取ったとか思ってるわけじゃないよね?
毛利は9月頭から南宮山に陣取って、石田が大垣に入れって催促しても拒んでるんだが?
281人間七七四年:2010/02/11(木) 12:53:00 ID:TosGem5P
>>279
どうやらコイツの脳内関ヶ原には、東軍は家康と福島黒田藤堂しか参加してないらしい(笑)
282人間七七四年:2010/02/11(木) 12:57:30 ID:p1Fgbex/
>>280
そんなに長く南宮山に対陣してたのなら、当然戦意満々の毛利秀元が積極的に、いざという時に進撃し易いように進路を整備してるはずだよな
283人間七七四年:2010/02/11(木) 12:58:24 ID:4+Dk26b4
>>276
いや、あのね。
両川のIFに意味を持たせるのなら、東軍にも相応の対応を仮定すべきでしょ。
あくまで、西軍にのみ都合の良い進行を以って、西軍勝利とするならば、

史実は、
>本戦前の情報戦・政略戦で家康の勝利は確定、という事。
になる、という事だよ。
難しいかな?
284人間七七四年:2010/02/11(木) 13:00:56 ID:p1Fgbex/
>>281
どうやらコイツの脳内関ヶ原には、東軍前線が崩壊すれば、毛利勢の抑えの池田や浅野なんぞとっとと逃げ去るという必然さえ理解できないらしい(笑)
285人間七七四年:2010/02/11(木) 13:06:18 ID:18ql8jjQ
なんで西軍首脳部の指示を無視し続けた挙句勝手にj松尾山を占拠した小早川と
腹のうちはともかく指示通りに布陣した吉川を同列みたいに語ってるんだ
286人間七七四年:2010/02/11(木) 13:08:52 ID:p1Fgbex/
>>283
>>264をもう一度読めよ
決着ついてる論題を蒸し返すな
287人間七七四年:2010/02/11(木) 13:18:18 ID:4+Dk26b4
>>286
決着?
君がこちらの意図を理解出来ていなかっただけの話だね。
スレタイ通り、小早川西軍の仮定で一貫してるよ。

まぁ、せいぜい必死に頑張ってねw
288人間七七四年:2010/02/11(木) 13:24:42 ID:p1Fgbex/
なら、小早川秀秋が開戦当初から西軍攻撃を決意していたという事を論証してみろよ
できないんだろ、どうせ
289人間七七四年:2010/02/11(木) 14:47:00 ID:BDdo5gmy
>>284
必然というか、西軍厨の都合のいい妄想だろ(笑)
290人間七七四年:2010/02/11(木) 16:16:40 ID:p1Fgbex/
>結論、小早川だけじゃ無理。そもそも家康は、小早川が東軍に攻めかかることも
 予想してるはず。一番の恐怖は、毛利軍が動くことにありそれに比べれば
 遥かに不安は、低かったはず。金吾が、動けばすぐ本隊の3万で怒りくるって
 本気でくるはず。だいたい小早川軍は、決定打になるほど強くない。大谷刑部
 の少ない兵にも追し返されてるんだから、家康本隊3万相手には絶対無理。
 それに、毛利軍(吉川広家)が動くかわかんないから。毛利と、長宗我部も
 総攻撃しなきゃかなり厳しい。南宮山がそのままだったら結局負けてただろ。
 で、吉川がそれでも動かなかったらもう大丈夫だろ。と家康はそこで思うはず。
 南宮山の抑えはもういらないや。ってな、それで抑えの部隊、池田浅野山内を
 中央に持ってきて全軍総攻撃で、小早川も宇喜多と小西と一緒に押し込まれて
 壊滅。結局三成は、勝てない結果に終わったんじゃないかな?
>本戦前の情報戦・政略戦で家康の勝利は確定、という事

必然というか、東軍厨の都合のいい妄想だろ(笑)
291人間七七四年:2010/02/11(木) 16:58:35 ID:Exjf8cKS
>>290
※前提
・小早川勢の出口は隘路
・毛利勢の出口は隘路
・隘路の出口は塞がれている

これで大軍を動かすメリットは全くなくなっている
そもそも「毛利が動いたら抑え部隊が逃げる」という発想がおかしい
なんのための抑えだよ
292人間七七四年:2010/02/11(木) 17:18:49 ID:Exjf8cKS
もしかして「隘路」の意味がわからないのかもしれないので説明しておくと、
簡単に言うと「細い道」な
細い道は横に大きく展開ができないので、少数が守るにはよいが
大軍が攻めるには大軍の利点(包囲殲滅できる)を生かせず突破が難しくなる
東軍は南宮山の抑えを隘路の入り口付近に配置しているが、
これは少数で多数を迎え撃つという点では利に叶った布陣
同じことを大谷吉継もしているね

それをふまえて、小早川が東軍に攻めかかった時勝てる方法とすると

・松尾山の東側に大軍が通れる道をはじめから作っておき、そこから関ヶ原に出て背後から攻める
・もしくは最初から松尾山の北東、藤川をわたったところに布陣しておき、横から藤堂・京極隊を突く

これだな、しかし小早川は14日に急遽松尾山を占拠しているので道を造る暇はない
後者は前提条件が変わってくるのでここでは外す
そうすると、中山道の出口は藤堂や京極らの部隊で塞がれているので大軍が逆に仇になる
宇喜多はこの時点で包囲されてたので、救援はまず無理

結論としては、もっと早く動いていて、少なくとも藤川の西くらいに布陣してればなんとかなったかもしれないが
家康が鉄砲を打った時点で西軍に味方しても遅い
293人間七七四年:2010/02/11(木) 18:32:12 ID:Exjf8cKS
わかりやすいように小早川が寝返る正午頃の関ヶ原布陣図を簡単に作ってみた
ところどころあやしいがまぁ大きくは間違ってないので許して欲しい
松尾山・南宮山から出てる黄緑色は下山ルート
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org644150.gif

【西軍】
@石田本陣 A黄母衣・島津 B小西 C宇喜多
D大谷・木下・戸田・平塚 E小早川 F赤座 G小川 H朽木 I脇坂
J毛利 K吉川 L安国寺 M長束 N長宗我部

【東軍】
O京極・藤堂 P福島・寺沢・金森・織田・松平
Q井伊・本多・松平・田中・生駒・加藤・細川・黒田 R家康本隊
S有馬 21山内 22浅野 23池田

南宮山の中国勢が関ヶ原に出るには、右上の浅野らのいる隘路を通らないといけない
松尾山の小早川が関ヶ原に出るには、左下の大谷隊のいる隘路を通らないといけない
家康本隊はどこにでも動ける位置に無傷で存在し、半数ずつ分けても各15000の増援となる
笹尾山の石田本陣は戦線をやや後退、すでにじり貧になっていた状況

正直なとこ、この状況になったら石田本陣が落ちるのは時間の問題だなぁ
午前10時くらいに小早川が西軍に参戦していて、朽木・脇坂方面から藤川を渡河できていたら
この状況にはならなかったとは思うが、この時点ではたぶん時間が足りない
294人間七七四年:2010/02/11(木) 18:51:35 ID:Exjf8cKS
>>288
・小早川秀秋は家康へ伏見攻めを謝罪する使者を再三送っていた
 (その間、西軍から大垣へ入るよう催促されても無視)
・家康から伏見攻めを許す旨の返答が来てからようやく動く
・14日正午頃、勝手に松尾山へ布陣 ※同じ頃家康が赤坂に着陣
 このとき不審に思った大谷吉継が小早川を問いつめている
 (松尾山には中国勢を入れる旨の12日付け増田長盛宛石田三成書状が残っている)
・14日深夜〜15日早朝、石田三成は関白職で釣り上げようとしていた
・少なくとも15日早朝の時点で黒田・徳川からの目付が遣わされていた

物証が残っているだけでもこれだけあるんだがな
ちなみに、石田三成が大垣城を出たのは小早川秀秋が松尾山に布陣したので
伊勢街道を封鎖されることを怖れたためという説が最近有力になっている
(石田・島津・小西・宇喜多の陣にはまともな遺構が残っておらず、
 突貫で作ったものという物証が出、「関ヶ原決戦構想説」から「関ヶ原突発説」が有力になったため)
ついでに、松尾山に麓から鉄砲を射掛けても、小早川陣あたりではどこに射ているかわからないため、
鉄砲の煙を攻撃の合図にしたのではないかという、実験に基づいた説もある
逆に、こうして物証を重ねていくと、最初から小早川は東軍だったというのが補強される
295人間七七四年:2010/02/11(木) 18:57:53 ID:p1Fgbex/
>鉄砲の煙を攻撃の合図にしたのではないかという、実験に基づいた説もある
あるというだけで、それが真実だと証明されてるわけじゃないんだが
単なる個人的見解の披露を歴史的真実だと混同してる愚劣(笑)
296人間七七四年:2010/02/11(木) 19:04:45 ID:Exjf8cKS
>>295
それは単に「そういう説もある」ってのを出しただけなんで、
そこだけ揚げ足取られても困るんだがw
つまり、それ以外のところでは反論はないってことだよな?
297人間七七四年:2010/02/11(木) 19:06:44 ID:TosGem5P
>>293

すげーわかりやすい
こうやって見ると、吉川と小早川の対応もちゃんとしてるんだな

>>295
涙拭けよwww
298人間七七四年:2010/02/11(木) 19:12:07 ID:p1Fgbex/
>>292-294
毛利秀元の進路を妨害していたのは吉川広家
浅野や池田ではない
秀秋の東軍攻撃に呼応して吉川さえ動けば、毛利勢は浅野や池田など駆逐できる
兵数は毛利勢のほうが多し、浅野や池田は戦局不利で戦意喪失だからだ

加えて松尾山から東軍左翼に突入する際、進軍の障害など全く無い
そんなものがあれば、三成が放置しておく筈もない
299人間七七四年:2010/02/11(木) 19:13:28 ID:TosGem5P
>>282
残念ながら、戦意満々なはずの毛利勢は何故か(笑)進路を整備してない
ちなみに

大谷勢:9月2日に山中村に布陣
毛利勢:9月7日に南宮山に布陣
小早川勢:9月14日に松尾山に布陣

本当に毛利勢に戦意満々だったんなら、もうちょっとどうにかしたと思うぞ俺も
本当に戦意満々だったんなら、な
300人間七七四年:2010/02/11(木) 19:15:30 ID:p1Fgbex/
>>296
>それは単に「そういう説もある」ってのを出しただけなんで
雑談レベルの戯言を論拠にしても説得力ゼロなんだがな

>>297
見え透いた自演で自画自賛か(笑)
301人間七七四年:2010/02/11(木) 19:16:21 ID:Exjf8cKS
>>297
どうも
毛利は確かにかなり警戒してたような布陣ではある
東山道沿いで止められるようにしてるし、
小早川も、もし松尾山に入るように指示したのが家康だったとしたら
どっちに転んでも大丈夫なようになっている
こうやって見ると家康凄いわ
302人間七七四年:2010/02/11(木) 19:24:51 ID:Exjf8cKS
>>298
せっかくの俺の力作なんだから図を見て欲しい・・・
東山道の狭い道二つをどう通り抜けるかが肝なんだよ
山も川もないだだっ広い場所でやってる戦争じゃないのでな

浅野や池田が戦局不利で戦意喪失の根拠がない
東山道勢ははじめから毛利が動いたときのための抑えなんだから、
毛利が襲いかかってきたところで戦意を喪失する理由がない
兵数の有利不利は東山道の隘路まで退けば消失する

松尾山から東軍左翼に突入する際は、これまた右下の東山道の隘路を抜けなければならない
脇坂朽木の南を抜けるルートはかなり道が狭く、大軍が抜けるには時間がかかり、
さらに藤川の渡河を行わなければならないため、物理的な障害(山と川)がある
これは三成が何をどうがんばろうがどうしようもない
山を削る・川を埋めるは年単位でかかる作業だからな
逆に言うと、大谷隊は寡兵で最も有効に戦える場所に陣取っているわけで、
小早川隊の不利=大谷隊の有利でもある
303人間七七四年:2010/02/11(木) 19:26:48 ID:TosGem5P
>>300
涙拭けよwww
どうみても論破されてるぞwww
304人間七七四年:2010/02/11(木) 19:28:25 ID:Exjf8cKS
>>300
>>294で示したとおり、実は
「小早川が最初は西軍だった」っていうのが講談レベルの話なんだけどね
ちなみに鉄砲合図説は、講談ではなく研究者が実際に実験して打ち出した説
どこの講談にも乗ってないよ
305人間七七四年:2010/02/11(木) 19:37:25 ID:Exjf8cKS
>>293で示した図の通り、毛利勢が動いても図右上の隘路が、
小早川勢が動いても図左下の隘路が、それぞれ障害になる

例えば小早川勢が東軍を攻撃し始め、毛利勢が浅野・池田・有馬・山内を抜いてきたら
家康本隊から少なくとも一万程度、多くて半数の援軍がそれぞれ割かれるとすると
北では桃配山付近で出口を塞ぎ、南は小早川勢に当たることになる
半数の援軍だったら小早川勢と戦力は拮抗する
そのまま時間を稼ぎ、石田本陣を落としきれば東軍勝利

つまり正午すぎて小早川と毛利が寝返っても遅い
小早川の寝返りで西軍勝利に導くなら、少なくとも10時頃には動いてないと間に合わない
反論があるなら、地形と時間を頭に入れてから頼む
306人間七七四年:2010/02/11(木) 19:39:40 ID:TosGem5P
>>304
多分ID:p1Fgbex/は画像見えてないと思う
携帯とかじゃね?
307人間七七四年:2010/02/11(木) 19:41:29 ID:Exjf8cKS
>>306
頑張ったのに・・・orz
まぁいいや、これ以上はどうも堂々巡りな気がする
308人間七七四年:2010/02/11(木) 19:45:38 ID:p1Fgbex/
>>301
意味不明
別の表現で分かるように書き直してくれないか

>>302
小早川の東軍攻撃を前提にした毛利勢の進撃だって事忘れてもらっちゃ困るよ

>松尾山から東軍左翼に突入する際は、これまた右下の東山道の隘路を抜けなければならない
な訳ないだろ
そんな手間と時間のかかる状態を、三成がなんで放置するんだ
馬鹿馬鹿しいも程がある
小早川軍の東軍攻撃に、物理的障害など全く無い

>>303
自演はバレバレなのに、なんで繰り返すかね
架空の味方捏造して、自分が支持されてると偽装するペテンは見飽きてるんだが

>>304
伏見城攻略戦に参加した秀秋は最初から西軍
いつどこで小早川軍は東軍と合流したよ
説明してもらおうか
その論法だと「島津は最初は西軍だった」っていうのも講談レベルの話になるな
309人間七七四年:2010/02/11(木) 19:55:37 ID:Exjf8cKS
>>308
順を追って説明しようか

まず、>>293の図を見れば一目瞭然なんだってば
小早川が東軍につけば、大谷勢を背後から突ける
西軍につけば、大谷勢をかき分けて出ざるを得ない地形になっているから、
一気に関ヶ原には出られない

「地形」という物理的障害は三成でもどうしようもない
現に、大谷吉継はその地形を利用して数の差を覆していた
つまり、大軍にとっては不利な地形
同じことが南宮山から関ヶ原に入る東山道にもいえる

伏見城攻略に参加した秀秋は、家康へそのことを再三詫びていて
許しを得てから松尾山にまで進出してきた
これは「書状」という物理的証拠が残っている

なんか同じこと何回も言ってる気がするんで、
>>293の図で腑に落ちないところを言ってくれ
話はそれからだ
310人間七七四年:2010/02/11(木) 20:00:01 ID:Exjf8cKS
俺の図が信じられないなら、グーグルマップで地形見ればわかるよ
あそこの地形ほとんどかわってないから
藤川台の南も桃配山の北も隘路になってる
三成がどうしようが、こればっかりはどうしようもない
311人間七七四年:2010/02/11(木) 20:04:18 ID:TosGem5P
>>307
まぁほどほどになwww
>>308
ああ、じゃあ口出さないようにするわ
でもおまえもそろそろ持論が破綻してきてるの気付いてるんだろ?www
小早川軍が男塾並みの直進行軍ができるなら別だがなwwwwww
312人間七七四年:2010/02/11(木) 20:14:15 ID:p1Fgbex/
>>309
>西軍につけば、大谷勢をかき分けて出ざるを得ない地形になっている
なってない
小早川の大谷軍攻撃の進路は、明らかに東軍左翼の際通過する進路と異なる
だから大谷吉継は小早川の裏切りを認識し、三成も秀秋の裏切りを目視できたわけだ
君の論法だと小早川軍の裏切り実行による下山だけでは、三成も吉継もそれが裏切りか東軍攻撃か判別できなかったことになる
ペテンの力作もここまでだな
涙拭けよwww
どうみても論破されてるぞwww

>同じことが南宮山から関ヶ原に入る東山道にもいえる
いえないな
毛利の進軍を妨げていたのは、隘路でも池田・浅野軍でもなく、吉川広家

>伏見城攻略に参加した秀秋は、家康へそのことを再三詫びていて許しを得てから松尾山にまで進出してきた
 これは「書状」という物理的証拠が残っている
なら出してくれ
どんな捏造かましてくれるか、楽しみだ



313人間七七四年:2010/02/11(木) 20:20:59 ID:Exjf8cKS
>>312
>小早川の大谷軍攻撃の進路は、明らかに東軍左翼の際通過する進路と異なる

いや、うん、だから違うよ?
小早川の大谷攻撃の進路は、大谷の背後からになる
松尾山の下山ルートが大谷陣の背後になるから
俺が作った図にもそのように書いてるよ?
それははじめから想定内のことで、だから、大谷は攻撃を受けて初めて小早川の裏切りを知ったわけ
・・・っていうか、もしかしてこの事実は知らなかったのか?

>毛利の進軍を妨げていたのは、隘路でも池田・浅野軍でもなく、吉川広家

ええと・・・
もしかして、南宮山を下りたらすぐ関ヶ原!とか思ってないよな?
南宮山周辺は初期布陣からほぼ変更ないので、関ヶ原合戦布陣図ででもぐぐってくれ

>>伏見城攻略に参加した秀秋は、家康へそのことを再三詫びていて許しを得てから松尾山にまで進出してきた
>> これは「書状」という物理的証拠が残っている
>なら出してくれ

・・・もしかして、知らなかったのか?
ちょっと待ってね、探してくるわ
314人間七七四年:2010/02/11(木) 20:29:24 ID:S/3OEy1H
>>304
小早川は最初から西軍じゃなかったと考えた方が後々の行動考えれば理由もすっきりするんだよね

小早川が「最初は西軍」に分類されるようになったのは
関が原の最大の功労者である小早川を改易した徳川にとって
小早川が見苦しい裏切り者であるほうが都合が良かったということなんだろうし
315人間七七四年:2010/02/11(木) 20:29:25 ID:p1Fgbex/
>西軍につけば、大谷勢をかき分けて出ざるを得ない地形になっている
>小早川の大谷攻撃の進路は、大谷の背後からになる
 松尾山の下山ルートが大谷陣の背後になる
要するに、西軍攻撃にしろ東軍攻撃にしろ、進路は同じってわけだ
涙拭けよwww
どうみても論破されてるぞwww

316人間七七四年:2010/02/11(木) 20:32:01 ID:FVRqRnjr
>>293の検証は正直スゴいと思う。
317人間七七四年:2010/02/11(木) 20:37:37 ID:Exjf8cKS
うーん、わかりやすいネット上の書状ソースがみつからん
まぁ、図書館の大日本古文書で家康書状か黒田長政書状の関ヶ原近辺探すと普通にあるよ
こういうの嘘言っても始まらないし
実物持ってないから写せない、すまんね
ここは流してくれてもいい

>>314
というか、江戸時代に大谷吉継が義将として持て囃されたから、
それを討った小早川は裏切り者、ってことになる
徳川方の公式史料ではそれほど悪く書かれてないよ
庶民向けの講談ではむしろ、家康が狸親父になってるくらいだしね

>>315
・・・いや、だから、最初からそう言ってる

>西軍につけば、大谷勢をかき分けて出ざるを得ない地形になっている

俺はちゃんとこう言ってるぞ
ちゃんとレス読んでくれ、頼むから
318人間七七四年:2010/02/11(木) 20:43:12 ID:p1Fgbex/
>>316
また自演の自画自賛か
見苦しいだけなのにな(笑)

>俺はちゃんとこう言ってるぞ
馬鹿馬鹿しい歴史の捏造だろ
知ってるよ、そんな事(笑)
319人間七七四年:2010/02/11(木) 20:43:47 ID:Exjf8cKS
>>316
前に「西軍が関ヶ原で勝つにはどうしたらいいか」を考えたことがあったんだよ
そうすると、やっぱり松尾山からの出口がネックだった
小早川が西軍について戦況を覆すには、やっぱりまず藤川を渡っておくことが大前提なんだよね
そうじゃないと身動きが取れない
320人間七七四年:2010/02/11(木) 20:44:59 ID:Exjf8cKS
>>318
・・・なんか・・・わかった、もういい・・・なんか疲れた
関ヶ原合戦は山も川もないだだっ広い平地だった、うん、それでいいよ
321人間七七四年:2010/02/11(木) 20:45:14 ID:sxoz8ETY
井伊や本多が出した秀秋への起請文ならくこういうのがある
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=43016928&VOL_NUM=00002&KOMA=168&ITYPE=0

後、秀秋が家康に使者を出して詫びたというのは「慶長記」に記述がある
322人間七七四年:2010/02/11(木) 20:48:16 ID:FVRqRnjr
>>318
念のため、自演じゃないよ。
末期症状になると、自演決め打ちの心理状態になるよねぇ。

>>319
なるほどねぇ。
別に東西どちらの贔屓はないんだけど、素直に感心しました。
323人間七七四年:2010/02/11(木) 20:49:06 ID:TosGem5P
>>318
大変残念なお知らせですが、俺じゃないんだぜ(笑)
324人間七七四年:2010/02/11(木) 20:52:00 ID:p1Fgbex/
>>319-323
ID変えて自演連発か
ご苦労
325人間七七四年:2010/02/11(木) 20:55:32 ID:TosGem5P
>>324
IDが赤い人の数を数える仕事をやろうwww
326人間七七四年:2010/02/12(金) 00:05:05 ID:lqpeqi+B
>>294
土塁の存在ってのは否定されたんだっけ?
あとは9月10日付けの書状で秀家と吉継の陣取りの場所選定に関するものの
写しが存在するという話も前に読んだことがあるんだけど。

小早川の立場については、家康と長政のエピソードが印象的かな
327人間七七四年:2010/02/12(金) 01:18:41 ID:8XWq9F/d
そういえば関ヶ原関係の本を見たんだけど
南宮山からは関ヶ原方面の状況がわからないという話が書いてあったんだけど
これって実際どうなんだ?
これが本当なら仮に小早川が東軍を攻めても状況がわからないから呼応しようもないわけだよね
328人間七七四年:2010/02/12(金) 01:54:55 ID:I99Ec3BP
>>327
そのかわり大垣城方面がよく見渡せるという話だけど、だとしたら大垣城の
後詰めとして機能するし、赤坂に布陣する東軍を攻撃するにも都合が良さそう。
やはり三成らは大垣城周辺での戦闘を想定してたんだろうかね。
329人間七七四年:2010/02/12(金) 05:53:15 ID:pAwev6ZS
>>325
携帯だから赤くならないようですw
330人間七七四年:2010/02/12(金) 10:34:27 ID:jR+8LHZ3
>>326
空堀は否定されたのは本で読んだな、だったら土塁もないかもね
大抵空堀掘ったあとの土で土塁組むから
吉継は9月2日に入ってるから、あそこはきっちり陣地作ってある
陣取り場所選定の書状写しは知らなかった、気になるな

>>327
実際に南宮山の毛利陣地まで登ってみたけど、あそこは西の山が邪魔をして関ヶ原は見えないと思う
狼煙はすごく天気が良かったら見えるかも・・・でも多分うすーくしか見えないんじゃないか
331人間七七四年:2010/02/12(金) 10:45:58 ID:EmoM3Vqg
>>330
気象に関しては前日は雨で当日は朝まで濃霧、夕方から再び雨というので悪いのは間違いないかと
332人間七七四年:2010/02/12(金) 10:46:05 ID:w+SYyw9q
結果として1日で決着がついたので後世からすれば両軍ともに乾坤一擲に見えるけどさ
一日で決着がつく方が珍しいわけじゃん
で、その一日で決着がついた原因は大なり小なり松尾山にある

例えば小早川が不動のままで東西拮抗したまま推移し夕刻を迎えればどうだろう
南宮山+長束長曾我部安国寺の部隊があの位置にいることは関ヶ原合戦においては
全くの遊軍ではあるけど、東軍からしてみると一応浅野山内といった部隊を貼り付けて
はいるもののいざ大垣赤坂に向けて駆け出されれば人数比からして止めようが無い
つまり退路も補給路も断たれる可能性が高い
石田にしてみれば関ヶ原にひきつけた上で1日踏みとどまり夜になれば佐和山に引く
そこで大津別働隊と合流しつつ遅滞防御していればあとは東軍は立ち枯れるという計算も
あったと思うんだよね
333人間七七四年:2010/02/12(金) 11:09:14 ID:EmoM3Vqg
南宮山の東軍対応部隊として換算できるのは

垂井駅南
池田輝政・利隆・長吉(長吉は多芸郡小名に陣)、浅野幸長及び三遠駿三国の士
多芸口金谷河原…南宮山南東
徳永寿昌・昌重、市橋長勝、横井時泰・時朝・時久等
後詰
山内一豊、堀尾忠氏、有馬豊氏(佐々長成は豊氏に属す)、松下重綱等…赤坂陣
一柳直盛…長松塁陣
家康本隊後陣…奥平信昌、大須賀忠政、本多成重、戸田尊次・忠能、遠藤慶隆、金森可重等
久世広宣、坂部広勝…後列指揮する

おそらく二万以上(岐阜城攻撃時の上流軍はほぼこれらの将兵で、人数は一万八千+家康後陣)
南宮山諸隊のおそらく二万五千程には十分対応できるかと

他に
大垣城寄手
水野勝成、戸田康長、西尾光教、津軽為信、大藪新八郎、小倉正次等…曽根城陣
中村一氏陣代中村一栄及び一氏家臣志村資良…赤坂陣
もいます

ちなみに兵数などは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E6%9C%AC%E6%88%A6%E3%81%AE%E9%85%8D%E7%BD%AE
ここを引用
334人間七七四年:2010/02/12(金) 11:41:41 ID:rNW2KiUv
すごく基本的なことなんだが、関ヶ原で西軍が勝ったとしてその後どうなるの?
よほど壊滅的ダメージの圧勝でもない限り大局はそう変わらない気もするんだが
335人間七七四年:2010/02/12(金) 11:59:25 ID:pAwev6ZS
取り敢えず、最上があぼんだな
336人間七七四年:2010/02/12(金) 12:01:39 ID:jR+8LHZ3
>>332
>>293の考察に自分はほぼ同意かな
昼前には押し返したこともあったが、昼過ぎの時点ですでに三成本陣はかなり押し込まれていた
小早川が動かなくても、あと半日もちこたえられたかどうかは疑問
夜に佐和山に退くっていうのもどうだろう?
夜まで長引いたら絶対に逃がさないような包囲網を取るはず
それができるくらいまでには、東軍の勢いは回復してたからねぇ

あと、大垣赤坂に駆け出されれば、といっても
100やそこらの小隊じゃないから、そこまで迅速な動きはできない
追撃を受けても崩れない陣形を保ったまま動こうと思えば速度が落ちるし、
速度重視にすれば陣形バラバラになって、いざ攻撃なり迎撃なりしようと思ってもどうにもならなくなる
麓の部隊が動き出したら当然、どれか一隊は南宮山の下山路をふさぐことになる
山頂に布陣してる限り、麓の部隊が浅野池田を足止めしてる間に山を降るのが定石
それをしなければ逆に、出口をふさがれて山の上に押し込められることになる
337人間七七四年:2010/02/12(金) 12:18:39 ID:+eNcc4D7
>>334
史実の西軍ほど壊滅的な負けをしなかったと仮定するなら、まず泥沼だな
家康が生きてたら戦線を佐和山まで引いてそこで膠着
家康が死んでたら福島を盟主に担いで、美濃まで引いて膠着
秀忠は江戸に戻って北の睨みってとこか

陣の位置からして、西軍にやったように東軍を包囲纖滅とかまず無理なんで
あそこまで各個撃破されることはないだろうから、
家康本隊含む南宮山方面の部隊が赤坂までの退路を確保できてたら
美濃まではなんとか退ける
南宮山方面が無理なら、伊勢街道方面から南に抜けることも可能だな
大垣にどれだけ兵力を残してるかがネックだが、追撃を行えるほどはないだろう

最上は終わるかもしれんwww
338人間七七四年:2010/02/12(金) 12:20:24 ID:+eNcc4D7
>>337
ごめん間違い

×佐和山まで引いて
○赤坂まで引いて
339人間七七四年:2010/02/12(金) 13:23:01 ID:wqTUDR1g
史実で三成や秀家、小西等、西軍の敗将達ですら普通に逃げられたのに
関ヶ原で家康戦死! ってかなり現実味なさそうな気がする
340人間七七四年:2010/02/12(金) 13:30:50 ID:jR+8LHZ3
>>339
家康の位置を考えると、
家康本隊の背後に突然五万の大群が湧いてきた!
みたいなトンデモ展開にならない限り無理だと思う
341人間七七四年:2010/02/12(金) 16:03:08 ID:pAwev6ZS
秀忠謀反!!!
342人間七七四年:2010/02/12(金) 16:09:04 ID:jR+8LHZ3
>>341
ちょwww
343人間七七四年:2010/02/13(土) 02:33:59 ID:kMnCNQtk
ところで南宮山に西軍の部隊がいるのを東軍は知っていたのだろうか
もし知っていたのなら先に撃退しようとは思わなかったのかな?
なんか仮想戦記の本を読んだときに撃退してたんで現実問題としてできるのか疑問に思ったんだけど
344人間七七四年:2010/02/13(土) 07:15:05 ID:HLRqbEF+
とりあえず>>1-343が東・西軍に分かれて戦ってからモノ言え
345人間七七四年:2010/02/14(日) 13:41:56 ID:pIoImnz5
>>29
松野の助けを借りれば良かろう
346人間七七四年:2010/02/14(日) 14:22:51 ID:pIoImnz5
前述の小早川が最初から東軍って解釈の方が
大谷の陣地構築や石田の工作に説明が付くんだよな
で、そうなると西軍崩壊の決定打は小早川でなく脇坂の裏切りという話になってくる

ちょっとスレ趣旨から脱線したが
347人間七七四年:2010/02/14(日) 21:13:57 ID:2ANuIT4Q
兵力の差があるからおそらくすり潰されただろうってのは想像に難くないが、大谷は一応は追い返してはいるしなあ。

端から東軍と思われていた小早川に対して置いたであろう脇坂、朽木、赤座、小川の四将の内、家康に正式に通じていたのは脇坂だけか。
身代的にも脇坂は3万ちょいあるから、脇坂に引っ張られたんだろうね。
348人間七七四年:2010/02/15(月) 02:07:39 ID:CfjO2pxu
>>346
少なくとも石田三成や大谷吉継といった西軍首脳陣は秀秋のことを
信用しておらず、警戒してたのは確かだよな。ただ、一方で家康も秀秋については
信用していないし、小早川勢自体もギリギリまで明確な動向を示していないので
旗幟不鮮明(グレーゾーン)と捉えるのが一番妥当じゃないかと思う。

こういう合戦のバトル(具体的な戦闘)って、ウォー(政治史中の戦争)に比べると
案外込み入った研究が進んでいないので、
349人間七七四年:2010/02/15(月) 02:08:36 ID:CfjO2pxu
↑途中で文が切れてしまった
難しいところなんだけど。
350人間七七四年:2010/02/15(月) 09:19:55 ID:8e8TivtL
実は井伊の銃撃の前に福島と宇喜多は小競り合いをしており、その時の鬨の声を合図に
小早川は内応するはずだったが、霧のため状況が解らず手をこまねいている内に、小競り
合いが終了してしまった
351人間七七四年:2010/02/15(月) 14:18:11 ID:wBk94JLo
>>347
大谷が小早川を跳ね返せたのは、上でもあったけど地形効果をうまく使ったのが大きいな
小早川は大軍の利を生かせない場所で戦わざるを得なかった
352人間七七四年:2010/03/17(水) 15:15:50 ID:GRiCtGlF
まず・・・小早川秀秋の裏切りについてはその軍が、松尾山に入った時点で
ほぼ、東西両軍に露見しています。慶長5年の9月14日に小早川は西軍首脳
が在城する大垣城と毛利ら3万が陣する南宮山及びその山裾の後方の関ヶ原
を抜け大坂へ通ずる中山道を訳する松尾山に西軍の伊藤盛正を追い払うとい
う敵対行為で登った。その松尾山というのは、織田信長が尾張から膨張勢力
拡大する時期からの陣城があり、関ヶ原合戦当時三成が大坂の西軍総大将、
輝元といわゆる中国衆できれば、秀頼を迎え入れ本陣とする為の虎口、曲輪
など相当規模な縄張りををしていた。近年の研究ではこれを、松尾山新城と
呼んでいる。関ヶ原というのは、中山道及び北国脇往還、伊勢街道など諸道
が交わり軍を集結するにふさわしい場所であり、また三成ら西軍の生命線で
もあった。そこへ秀秋が敵対行為をとり陣したならば三成ら西軍も関ヶ原の
笹尾山、天満山などの要害に移動し小早川に睨みを効かせなければ、大坂と
の連絡線が絶たれ、尚且つ後方が壊乱する。三成ら西軍は当初、大垣周辺で
の戦闘を構想し関ヶ原は立花、小野木、毛利本隊の後詰の軍の陣所と考えて
おり、かなり堅固な陣場が構築されていた。また、最初の本多忠勝の陣から
笹尾山の三成本陣までの高低差は約40メートルもありました。松尾山へは
大谷本隊が牽制し、秀頼が成人するまでの関白の地位と上方で関白料50万
石、家老の石見、平岡にはそれぞれ近江の内で10万石との恩賞約束をし、
既に東軍方であるとほぼ見られていた小早川軍の参戦を抑止していた。以上
のようなことから、質題について検証します。まず、1についてですが傍観
・静観していた場合は、恐らく戦闘は1日で決着がつきません。戦闘経緯と
しては、宇喜多隊が福島軍を徐々に圧迫し後詰として大谷隊が福島、藤堂隊
の脇を突きます。家康本隊3万が控えており、その救援に向かいますが、東
軍は、軍記大成にもあるように、指揮統一がとれず個々に戦い混乱してるゆ
え、大規模な軍をその左翼に移動させるのは困難であるでしょう。宇喜多勢
としてはその場合、兵を圧縮させて陣場に引っ込む。そしてその日は日没を
迎え、戦闘終了。東軍としては後方に長束、安国寺、長曾我部、大垣城の敵
陣があるため、迅速整然と赤坂ないし、菩提山麓に撤退しないといけない。
翌日もまた関ヶ原の堅個な陣場を攻めることはできない。なぜなら、攻城3
倍といわれるように兵力の消耗により西軍の大反撃を受け、致命傷を負う可
能性があるからだ。結果、東軍は菩提山寺城〜赤坂に陣場を構築し、西軍も
関ヶ原一帯の陣城をより強固にする。そして家康は秀忠軍3万を三成は立花
、小野木、毛利本隊の計6万程度の後詰がそれぞれ到着し、長期持久戦と成
り勝敗は大坂の秀頼を抑えている三成西軍が有利となるであろう。2につい
は、遮二無二に東軍が押しまくりますが、石田軍から宇喜多軍まで西軍は堅
個な陣場を構築していたので、不利とあらば柵内に引き有利な地形を持って
戦闘し、好機とみれば一斉に東軍に対して押し出している状況でしたので、
やがて東軍は疲弊し、攻勢限界に達しつつあった。史実ではこのような東軍
の混乱状態の中、秀秋が大谷隊へ突っ込み、一気に形成が逆転します。小早
川が当初から西軍戦闘参加であるならば、午前11時頃(戦勢が西軍に優位
に推移しつつあるとき)行動を開始します。そして正午頃(実際には大谷隊
へ突っ込んだ頃)に西軍の二番備えである小早川1万数千、島津1千5百が
参戦。小早川は福島の脇腹に突っ込み、小西も攻勢に転じ、石田隊は東軍右
翼を包囲圧迫し、中央に出ようとします。この状況により東軍は壊乱しそれ
を見た家康本隊は諸隊に救援を出しますが、壊乱する軍に新手を出すものの
狭い関ヶ原においては効果なくますます混乱します。この手薄になった家康
陣へ薩州兵が突撃。その後、どうなるか・・・。いずれにせよ、西軍大勝利
であるのは間違いありません。また、家康が小早川が東軍として戦闘に参加
しなかった場合はどうしていたか?の質題ですが、家康、関ヶ原に進入した
のは小早川や不戦の吉川勢に期待していたからではありません。家康はそん
な他人の書付ひとつ、口先を信じて戦をするほど戦国の世を甘くは生き抜い
てきていません。家康の次善の策としては関ヶ原北側の菩提山寺城(竹中重
門の居城)に陣を移すこともあったと思います。



353人間七七四年:2010/03/17(水) 16:23:29 ID:Huz2zk3o
>>352
適宜改行しようぜ

こないだ松尾山の小早川陣跡に行って来たんだが、
あそこから全軍が山を下るまでどのくらいの時間がかかるんだろう
あれだけの軍勢がいたら行動開始から1時間程度じゃすまないと思うんだが、
そうなるとやっぱり『秀秋がギリギリまで迷ってた』ってのは眉唾だなぁ
354人間七七四年:2010/03/17(水) 16:43:53 ID:Huz2zk3o
>>352を読んでみた
ちょっと突っ込みたい部分があるんだがいいかな

>大規模な軍をその左翼に移動させるのは困難であるでしょう

なぜそういう結論になるのかわからん
合戦は西側の山沿いに張り付くようにして行われているので
背後の平野部分はほぼがら空き
普通に軍を送れるだけの余裕はある、しかも家康直属の統制の取れた部隊
現地での連携に不安があるにせよ、移動が困難とは思えない
さらに、上の方でも検証してる人がいるが、西軍有利だったのは朝のうちだけで
昼頃の段階で既に西軍は東軍に押され気味になっていた
ゆえに、小早川の裏切りがなくても10中8、9東軍勝利に終わっていただろう
こういう状況があり、それを踏まえて翌日に持ち越したとして

>後方に長束、安国寺、長曾我部、大垣城の敵
>陣があるため、迅速整然と赤坂ないし、菩提山麓に撤退しないといけない。

これらの押さえは置いてあるので、家康本隊が桃配山近辺に退いて
中山道の出口を押さえるくらいで、東軍勢は包囲に入るだろう
後述するが、理由があって南宮山の毛利は動かないことが確定している
かつ、

>関ヶ原の堅個な陣場

これは調査の結果、大谷陣以外ではまともな陣地は作られていないことが判明してるので
「攻城3倍」はあてはまらない
さらに、

>毛利本隊

これはどうやらどこをどう捻っても出なかったことが9/20付け近衛前久の書状からわかる
輝元は「所領半減の条件で」広家を通じて降伏を申し入れていたようだ
この前久書状はほとんど確実な情報を手にしており、これに関しても9割9分正しいだろう

毛利・小早川は西軍のそれと違い口約束の段階をとうに過ぎていた
大津攻めの西軍が戦えるような状態で到着するには少なくとも2日はかかる
すなわち、どんなに遅くとも2〜3日中にはまともな備えのない石田本陣は落ちる
西軍の勝ちの目はなかったということになる
355人間七七四年:2010/03/17(水) 17:49:43 ID:SiEOBW+6
>>353
小早川勢全軍が山の上にいたわけじゃないだろうからなあ。
関ヶ原方面の山麓にいくつか大き目の郭があったそうだし、時代は下るけど
『寛政譜』にも麓に陣を備えたという記述があるというし、今の状況だけで判断は難しいと思う。

早い段階から秀秋が山を下る動きを見せていたにしては、そういう記述が見られないのも
気になる(こっちが知らないだけというのもあるかもだが)。秀秋はともかく、稲葉・平岡は
秀秋の死後に大名に取り立てられているわけだし・・・。
むしろ、秀秋本人より家老のほうが内通については積極的だったフシさえある。
明確に寝返る前の段階でもうかなり怪しいというのは、西軍首脳も認識してた
みたいだけどね。
356人間七七四年:2010/03/18(木) 02:58:56 ID:QNHbHohW
お客様の中に!
どなたかお医者様!お医者様はいらっしゃいませんか?
急病人がいます!お医者様はいらっしゃいませんか?

と聞きます。
357人間七七四年:2010/03/22(月) 08:40:21 ID:yvGMtuFI
朽木元綱が小早川部隊を攻め滅ぼしてしまっただろうな。
勢いあまって小西行長部隊も壊滅に陥れただろう
358人間七七四年:2010/03/22(月) 09:34:34 ID:LPsixqRM
>>352
>史実ではこのような東軍の混乱状態の中、秀秋が大谷隊へ突っ込み、

と言いながら、江戸期講談である軍記大成を引用しているココロは?
359人間七七四年:2010/03/24(水) 17:57:37 ID:dLNs+cjn
>>358
一緒に縦解読しようぜ
360人間七七四年:2010/04/06(火) 11:22:44 ID:Xl+mW0je
西軍てミッドウエーの南雲艦隊みたいだね。
毛利が戦艦大和の第一艦隊、立花らがアリューシャン攻略部隊。
361仙台藩百姓:2010/04/06(火) 14:05:45 ID:VJ6rKNph
いつの時代も負ける側というのは同じ様な失敗をするものだお( ^ω^)
362人間七七四年:2010/04/06(火) 23:45:42 ID:hDeO12oc
小早川軍の意思決定はどの程度秀秋は関与指定たんだろうな。
平岡や稲葉あたりのほうが寝返りに積極的だったようにもみえるし
363人間七七四年:2010/04/09(金) 04:40:50 ID:qAEstx/h
稲葉ってやつは、そういうやつなんだ
鳥羽伏見では淀城の門閉めて、幕府軍を絶望の淵に叩き込ましながら
自分は江戸で老中やって、どっちが勝ってもいいように
官軍が勝ったから、江戸から逃げるように帰って
藤堂や稲葉みたいな裏切り者は、またいづれ裏切っちゃうんだな
徳川も改易しとけば良かったのに
364人間七七四年:2010/04/10(土) 00:30:08 ID:dOCzm/N+
藤堂って戦国時代には積極的に裏切ったことはないような。
主家変えたのはどれも滅亡してからだし。
仕官先がことごとく没落しただけなような。
365人間七七四年:2010/04/10(土) 01:06:04 ID:Sx3ZuRmg
http://www.youtube.com/watch?v=lomz1FBnjoo
裏切るっていうか見限る。
遺言でも自分の働きを評価しない奴には使えるなみたいなこと言ってる。
大坂の陣で豊臣がわざと内通の手紙徳川にわたすよう仕向けて今までの経歴からみんなから疑われて
疑い晴らすため戦死者いっぱい出してやっと疑い晴らしたほど。
366人間七七四年:2010/04/11(日) 02:40:17 ID:HDTtNKxR
普通は忠臣蔵みたく仇討ちするんじゃね
それ以外は裏切りでしょ
367人間七七四年:2010/04/11(日) 03:30:22 ID:TsNIia4V
なんじゃそりゃ……?
368人間七七四年:2010/04/12(月) 00:12:42 ID:aFgffzyX
ヒント:カレンダー
369人間七七四年:2010/04/12(月) 18:39:10 ID:uXydPHjV
しかし大坂の陣でも福島はともかく豊臣恩顧ほとんど、黒田でさえ江戸留守番やらされてるのに
藤堂は大坂冬の陣でも連れてってもらえて野戦で大活躍してるんだよな。
改易、減封一度もされなかったし頼りにされてたのか危険視されてなかったのか謎の家だ。
370人間七七四年:2010/04/13(火) 23:31:59 ID:iouKygF+
>>369
高虎は結構早いうちから徳川寄りになってたから準譜代扱いだったって気もする
聚楽第の徳川屋敷の縄張りも高虎だっけ?
なんやかんや家康との関わりも深い
371人間七七四年:2010/04/14(水) 02:11:11 ID:YK1B/Gjo
ここ金ごすれ
372人間七七四年:2010/04/18(日) 08:12:30 ID:FJIVyXk6
金吾うんぬんより輝元が総大将の時点で負けが確定なんだがなw
373人間七七四年:2010/04/20(火) 02:12:00 ID:c9qJy1zO
>>372
輝元のやる気の無さというか能力の無さはガチだもんな。
でも輝元が居たから関が原を起こせたとも言える。
輝元が凡庸じゃなくて、さっさと中国に帰り割拠してれば大戦にならず
三成タイーホ、景勝減封であっけなく終了。
374人間七七四年:2010/04/20(火) 04:22:17 ID:K3iFS376
輝元って大将なのによく減封で済んだよな
375人間七七四年:2010/04/20(火) 11:07:59 ID:c9qJy1zO
>>374
適度に無能だからでしょ。
如水や昌幸くらい有能だと30万石ですら危うかった。
376人間七七四年:2010/04/20(火) 15:17:00 ID:zvsBzcXa
これがゲーム脳か

輝元が無能とかw

小物2匹と輝元の功績比べてから物言えよ
377人間七七四年:2010/04/20(火) 15:33:04 ID:c9qJy1zO
輝元の功績

西軍の大将に祭り上げられ
大阪城で飯食ってウンコして
大阪城下に家康が来るや篭城を薦める周りの諸将の意見を遮って
土下座して家康を迎え、そっくり領土を取り上げられたウンコ製造マシーン。

お わ り
378人間七七四年:2010/04/20(火) 15:39:56 ID:c9qJy1zO
輝元が並の武将だったら
大阪城に篭城し毛利水軍に大阪への兵糧輸送をさえる一方で
秀頼名義で九州を如水、東北を景勝、関東を佐竹等に与え
家康軍を立ち枯れさせていく。
379人間七七四年:2010/04/20(火) 16:22:56 ID:jDJRJFCQ
それでどうやって立ち枯れるんだろうね
380人間七七四年:2010/04/20(火) 16:33:48 ID:XAK0g3mj
現代でも過去でも、現状維持しか頭にないトップは無能という評価を下される。
381人間七七四年:2010/04/20(火) 21:22:02 ID:c9qJy1zO
>>379
十数万の軍勢を支える兵糧を絶つ事だな。
東海道は九鬼、中仙道は真田が抑え
北陸、越前から陸路で兵糧を運ぶわけだが
十数万人の食料の安定供給は難しい。
つーか、そこまで徳川が追い込まれてたら北陸の前田なんて
簡単に徳川を見切る。
382人間七七四年:2010/04/20(火) 21:36:45 ID:iWkdJ972
>>381
そりゃそうだ
で、それが出来た奴がどこにいたか?ということだよ
383人間七七四年:2010/04/20(火) 21:46:11 ID:c9qJy1zO
九鬼も真田も健在だったよ!?
384人間七七四年:2010/04/20(火) 22:33:05 ID:iWkdJ972
>>383
じゃあなんで実際にできなかったのかってことだろうがよww
それをいわゆる机上の空論と言うんだよwwww
385人間七七四年:2010/04/20(火) 22:35:22 ID:c9qJy1zO
>>384
へ?九鬼は実際に東海道の補給路を荒らしまくって家康が怒り困惑してたし
真田も現実に中仙道を扼して秀忠の進軍を食い止めたよ?
後は輝元が大阪城を手放さずに半年も篭城に持ちこたえれば東軍餓死だったが?
386人間七七四年:2010/04/20(火) 23:56:15 ID:cmqzObL+
小早川の前には二万以上引き連れた家康がいるわけで
山を降りても大局に影響無い
家康と戦ってる間に三成が押し切られて終り
387人間七七四年:2010/04/21(水) 00:06:25 ID:61lf9OQJ
>>386
前線の外様大名が西軍に押され怯んでるため
状況を打破しようと家康自身がの本営が前進し督戦したのは
東軍の兵士にとって単なる安心感や士気を高める効果もあった。
後詰の役割も十分果たしてた。
もし小早川隊が出てきたら当然家康は東軍の後詰も督戦も出来なくなり
それ以上に東軍の兵士が前後に敵を抱えた事による恐慌状態に陥る可能性があった。
それでも西軍が完勝だとは俺は思わないけどね。
東軍は井伊辺りが後詰になって家康や東軍外様を中仙道に逃がし
秀忠軍との合流を待てば、また盛り返す余地は残ってた。
でも長期戦にはなっただろう。
388人間七七四年:2010/04/21(水) 00:52:28 ID:2XBtt70z
>>380
じゃあ江戸幕府を築いた家康も無能になるのか
極論をいえばこれも現状維持とも言えるわけだし

>>387
小早川隊が出てきたら普通に家康の部隊が戦えばいいんじゃないの
何か全部西軍にとって都合のいい事を言われてもね
389人間七七四年:2010/04/21(水) 01:57:52 ID:Qaulmcw6
>>387
いい加減時間の経過を考えようぜ
東軍が西軍に押されてたのは午前中のみ
家康が督戦のために前進したのは午前10時頃
その頃石田隊は鉄砲大筒を斉射し東軍前線を後退させたが
両側を細川・加藤に突かれ笹尾山本陣に後退
同じ頃小西・宇喜多隊も中軍によって南天満山を包囲されている形になっており
(小西隊の斜め後ろに布陣していた島津隊に井伊・松平・本多隊が突出して当たり、
 宇喜多隊の斜め後ろに布陣していた大谷隊に藤堂・京極隊が当たる形
 もともと関ヶ原は狭い盆地なので、図に起こすと包囲形態になる)
特に宇喜多隊の最大の武器である大軍の利を生かせなくなっていた
どちらも前線部隊は奮戦していたが、戦場全体を見れば「優勢」とは言い難い

そんな形になってから約二時間、小早川の寝返る昼前あたりになった時には
石田・宇喜多・小西隊はすでに前後左右を塞がれた形で戦っており、
互角以上に持ち込めていたのははじめから狭隘地を生かし
包囲を避けて戦っていた大谷隊くらいのものだった
家康本隊三万から二万抜けたところで状況は変わらんよ

そもそも、家康と黒田長政あたりの調略担当以外(それさえも万一の可能性は捨ててないだろう)は
毛利・小早川ははじめから敵という認識で戦っているわけで、
そのために中山道に毛利の押さえとして四部隊も残しているわけで、
毛利・小早川が動く→恐慌状態 という考え方自体がおかしい
390人間七七四年:2010/04/21(水) 02:08:10 ID:61lf9OQJ
>>388
実は脳内で小早川と吉川・毛利を勝手に変換してしまってた。
確かに普通に家康の部隊が戦えばいい。
そうなると大谷、宇喜田隊は一旦持ちこたえるので
どちらにしても一両日では戦は終わらなかった。
平野に居る東軍よりいずれも高地や山間に陣を持つ西軍の方が
基本的には持ちこたえやすい。
391人間七七四年:2010/04/21(水) 02:35:27 ID:mBSNDSql
持ちこたえやすい、もなにもあの状態なら敗走、もしくは潰走は時間の問題だろ。
392人間七七四年:2010/04/21(水) 02:37:59 ID:61lf9OQJ
>>391
まるで見てきた者のように話をするなぁw
393人間七七四年:2010/04/21(水) 03:22:31 ID:Qaulmcw6
>>392
現在判明している状況から判断すると、石田・宇喜多・小西・島津は相当よく保って二日だな
主に兵糧的な意味で
現地を調査した結果では通説とは異なり、前もって陣城を構築した遺構は一切見つかっていない
つまり、大垣から移動した各部隊が数時間で突貫工事したようなもので
前もって搬入しておいたなどということは考えられない
そうなると、必然的に兵糧は東軍に気付かれずに移動させられるだけの量になる
さらに言えば、水源の確保もまともにできていたかどうか定かではない
あの状況になったら兵糧入れも無理
食わせるものがなければ自壊するのは自明の理

というか、まともに陣も作ってない場所で「高地だから」持ちこたえられるってのは普通ないぞ
高地で、かつ陣地を築き寄せ手が一気に押し寄せられないようにしてるから保つのであって
突貫で柵と浅い溝を掘ったような陣では意味をなさない
宇喜多が一旦持ちこたえる要素は、実は全くなかったりする

西軍の誤算は小早川が寝返ったことよりも、島津が動かなかったことが大きいと俺は思うんだがな
戦闘開始直後に島津がもう少し前に出て、笹尾山と天満山の間を埋めるように布陣していれば
少なくとも石田−島津−小西ラインが出来、包囲を受けることはなく
石田・小西勢は史実で食らった三方包囲を少なくとも一方は打ち消すことができていたんだがな
394人間七七四年:2010/04/21(水) 03:35:48 ID:1aVKfPV0
事前の陣構築もできんし小勢の島津が出張ったところでなんともならんだろ
395人間七七四年:2010/04/21(水) 06:27:34 ID:AuX4cEsi
島津は退き口までに兵を半数程度に減らしていたというから、攻められて
前に進める状況じゃなかったんだろう。
小池陣は名前のとおり、池の近くにあるし水源確保および島津自身が包囲されない
場所を選んだのかもわからんぞ。
396人間七七四年:2010/04/21(水) 09:02:44 ID:0piKM+dO
実際の島津は三千です
397人間七七四年:2010/04/21(水) 10:08:21 ID:61lf9OQJ
>>393
>>現地を調査した結果では通説とは異なり、前もって陣城を構築した遺構は一切見つかっていない
つまり、大垣から移動した各部隊が数時間で突貫工事したようなもので
前もって搬入しておいたなどということは考えられない

そうなのか?それにしては、よく6人がかりじゃないと扱えない大砲を5門も
一晩で運べたなぁ。馬じゃ無理だから車で運んだんだろうけど高地に運ぶのは
一大事業だったろうに。
それに通説でも柵を築いた程度だったんじゃねえの?
堀、塹壕、望楼を築いたなんて話は聞いた事ねえし。
やや高地で柵の中から鉄砲を構えてるだけで随分と安全度は違うと思うが。
兵糧は分からねえ。そもそも松尾山から運ぶ算段だったはずだが?
だから小早川が裏切った瞬間に飲食がもたない事が決定して全部隊が同時に
総崩れになったと思ってるのだが。
398人間七七四年:2010/04/21(水) 13:50:55 ID:Qaulmcw6
>>393-394
うーん、そうかな
島津の周囲には黄母衣衆もいたんで、そこと連携して開戦直後に少しでも押し出していればと思うんだが
どっちにしろ西軍は連携という頭が全くなかったようだから仕方ないかもしれないが・・・

>>397
通説では「陣城に近い堅陣」とされていたよ
関ヶ原を実際見てきたが、石田陣も宇喜多陣も実際は「高地」という程度でもない
本陣が置かれた場所が10〜20メートル程度の比較的高めに作られていたくらいか
それでも数千単位の部隊を高地に上げられるような場所ではなかった
大部分はほぼ平地に近い山裾に陣取っていただろう
笹尾山・天満山というと毛利の南宮山や小早川の松尾山のような
山頂近くに陣取ったと思いがちだが、実はそうでもない
射撃は基本一方向に集中させるものだが、全包囲状態になると
集中させる→横撃を受ける、分散させる→威力が落ちて接近を許す となり、
実はあんまり効果的な戦法ではないんだよ
あと、関ヶ原で遣われたのは国崩しじゃなかったか?
普通に荷駄隊の車輌に載るだろう

兵糧の件は単純明快
松尾山は関ヶ原の最も南にあり、最も北に陣取る笹尾山までは関ヶ原の平野部を突っ切るしか道がない
関ヶ原の平野部には東軍がひしめきあっていて、荷駄隊を移動させるなどとてもじゃないができない
かといって、山に分け入り道無き道をゆくのはより非現実的
松尾山から各陣に兵糧を運ぶのは物理的に無理なんだよ
それこそ開戦前に各部隊が受取に行ったっていうのなら話は別だが、それを示す史料はない
399人間七七四年:2010/04/21(水) 14:20:07 ID:61lf9OQJ
>>398
なるほどな。
でも条件は東軍と同じだよね?
やはり秀秋が東軍に突っ込めば
東軍もろくに陣など無いので夜になったら
一時撤退せざるを得なくない?
盆地の真ん中で東軍が陣地も無いのに夜を過ごすとは思いがたい。
400人間七七四年:2010/04/21(水) 16:10:15 ID:mBSNDSql
秀秋が突っ込むってもなあ、史実での小早川が裏切るタイミングで東軍に突っ込んでも呼応出来る程に戦ってたのって大谷らくらいじゃねーか?
そしてどう見ても降りるには大谷らが邪魔。
401人間七七四年:2010/04/21(水) 20:44:19 ID:eovsHpjR
>>385
上田城には東軍の抑えの部隊がいて、真田勢は城に篭ってる状態で、
どうやって中仙道の交通を遮断すんの?
402人間七七四年:2010/04/21(水) 23:49:44 ID:61lf9OQJ
>>401
輜重部隊を完全防護する部隊じゃなくて
真田勢の追い討ちを防ぐ部隊なんじゃないの?
403人間七七四年:2010/04/22(木) 01:01:24 ID:tj14a3CO
>>402

何を言ってるのかよくわからん
404人間七七四年:2010/04/22(木) 01:17:05 ID:8e7eAJL4
真田はいざとなったらじゃないほうの真田を投入すりゃ片付くでしょ
405人間七七四年:2010/04/22(木) 02:01:15 ID:K30q2g0g
敵方の兵糧を焼くだけだったらゲリラ戦で良いという事だろ。
彭越しかり九鬼しかり。
また古今東西の戦地において兵站線に敵城や
陣地が残ってる時点で円滑な兵站など期待できようもない。

406人間七七四年:2010/04/22(木) 03:29:06 ID:J0SOA50h
福島氏がたくさん兵糧持ってるんじゃなかったっけ
大坂の陣の時もそうだけど
福島氏準備だけは万全過ぎ
407人間七七四年:2010/04/22(木) 03:58:14 ID:K30q2g0g
人数が人数だから。
もちろん西軍がある程度持ちこたえないと東軍が飢えるという事はないけど
長期戦になれば必ず双方飢えるでしょう。
西軍は既に大津城を攻略し立花宗茂らが来る途上だったので
一、ニ日持ちこたえさえすれば均衡状態になりえた。
西軍の方が東軍より兵站が短く兵站線の諸城は順々に落としてたので
長期戦になれば東軍が先に飢えたと思う。
408人間七七四年:2010/04/22(木) 06:36:00 ID:iYMCmZ77
美濃はどちらかというと関西に近いもんね。
逆にいうとアウェイで勝ったから家康には価値があったのでは。
409人間七七四年:2010/04/22(木) 06:41:21 ID:qK/9HEkX
東軍と言えば、長期戦になったら前田がノコノコ加賀からやって来るな。
410人間七七四年:2010/04/22(木) 07:41:46 ID:iYMCmZ77
西軍は小野木縫殿介らがくるお。
411人間七七四年:2010/04/22(木) 08:21:06 ID:+HpiU3o8
兵糧輸送を考えてみると東軍は短期戦しか選択肢はなかったわけでそういう意味では
清洲城兵站物資(元々は東方からの豊臣の敵に対処する為の物資)丸ごと献上した
福島の功績はこの一点のみにおいても芸備49万石では不足かもしれない

東海道
水軍衆(主に九鬼)の妨害
ある程度まともに対処するには輸送隊に常に護衛部隊を貼り付ける必要があるし
護衛部隊も飯を食う
中山道
そもそも大軍を養うに足る輸送路としては不適
北陸道
越前の各津には陸揚げ可能だがそこから先の近江路は西軍の巣窟
412人間七七四年:2010/04/22(木) 08:32:10 ID:8e7eAJL4
長期化すれば補給以外にも人質豊臣朝廷と抑えてる西軍が有利だろ
413人間七七四年:2010/04/22(木) 14:41:19 ID:fQThJK+9
話はそれるが、
三成が福島や加藤と仲良かったら大局は全然変わってたのかな??
414人間七七四年:2010/04/22(木) 15:15:03 ID:iYMCmZ77
当然変わるだろう。終了。
415人間七七四年:2010/04/22(木) 18:01:40 ID:tj14a3CO
おまいら落ち着け
東西両軍とも「はじめは長期戦を予測していた」ということを忘れるなよ
少なくとも一日や二日で終わる話だとは誰も考えていなかった
そもそも「関ヶ原決戦」は一日だったが、大垣赤坂のにらみ合いだけでも半月以上は費やしてるわけで
家康でさえ、少なくともひと月、確実にあと数ヶ月は見越していただろう
大垣に入った時点で、あの堅城を捨てて野戦に出てくるなんて思ってもなかっただろうしな
当時の書状を見ても、一日二日の単位で考えていた奴なんて誰もいなかったぞ

>>411
九鬼が輸送の妨害をしてたのはごく初期だけで、
息子が迎撃に出てきてからは八百長試合だった
それ以降は東海道の輸送はスムーズに流れてる

>>413
そもそも関ヶ原が起きないので対局どころの騒ぎではない
416人間七七四年:2010/04/22(木) 22:19:58 ID:wCcMKEVJ
秀吉が家康対策として清洲をはじめ東海道諸城に30万石を超える
兵糧を入れていて、東軍はそれをそのまま使える。
西軍は三成が豊臣家に出資を要請してもすげなく断られてるけど、
堺あたりから調達することは可能。誰が金を出すかが問題だけど。
417人間七七四年:2010/04/23(金) 01:49:27 ID:Sr5G3bVj
関ヶ原で家康が戦死してたら日本史が変わっていたかも・・
418人間七七四年:2010/04/23(金) 02:01:44 ID:kprk35Z6
あの状況から家康が戦死するには
徳川本陣の背後に突然5万くらいの軍勢がわき出さないと無理だろうなw
419人間七七四年:2010/04/23(金) 10:45:27 ID:sKkbtQ9z
5万もいらねーだろ。
南宮山部隊が山下りれば東軍後方部隊壊滅。
それ見て長宗我部も戦闘参加。
日和見してた右翼部隊も攻撃開始。
前後から挟まれ家康戦死。
広家がいなかっただけで歴史は変わってたね。
420人間七七四年:2010/04/23(金) 10:50:38 ID:9FU01I5V
山から下りて展開して東軍の後方の部隊を壊滅させるまでにどれだけの時間がかかるやら……
421人間七七四年:2010/04/23(金) 12:52:25 ID:ALBrfAAU
吉川広家がいなければ前提条件が全く異なる
422人間七七四年:2010/04/23(金) 17:33:35 ID:Apqx/zvv
>>421
中山道には後詰め部隊がいるわけで
家康本隊三万と合わせると四万を超えるわけですが
総勢三万程度の南宮山部隊でどうやって壊滅させるの?
423人間七七四年:2010/04/23(金) 17:34:32 ID:Apqx/zvv
すまん、安価間違えた
422は>>419宛て
424人間七七四年:2010/04/23(金) 19:07:50 ID:sKkbtQ9z
毛利吉川、長束、安国寺、長宗我部で2万6千。
東軍後方そなえの池田浅野が1万1千、山内有馬が駆けつけても3千にすぎない。
勝負にならんな。
で、徳川本体が後ろ向いて毛利と戦うの?
間違いなく東軍は大混乱で動揺するね。西軍は勝利を確信して一気に士気が高まって襲い掛かる。
なにしろ右翼部隊がまったく戦ってないのに大苦戦してたぐらいだ。
右翼部隊が戦いに参加したら東軍なんぞあっという間に壊滅するな。
425人間七七四年:2010/04/23(金) 19:42:12 ID:duuUIIga
三方が原、伊賀越え、大坂夏の陣と、家康の離脱能力を舐めないほうがいい。
池田や浅野が混乱している脇を通ってさっさと逃げるよ。
426人間七七四年:2010/04/23(金) 19:43:33 ID:ALBrfAAU
>>424
南宮山備えの兵は13700人ともあり
また岐阜城攻撃時の池田輝政・浅野幸長・山内一豊・堀尾忠氏・有馬豊氏・一柳直盛・戸川遠安等が18254人
毛利秀元が山上にいて、戦闘参加出来ないので互角か東軍有利になるかと
後、家康後陣の奥平信昌、大須賀忠政、本多成重、戸田尊次・忠能、遠藤慶隆、金森可重等は明らかに
南宮山に対して展開していました
427人間七七四年:2010/04/23(金) 22:05:31 ID:Apqx/zvv
>>424
中山道は両側を山に囲まれて狭隘路になっている
すなわち大軍に不利で、寡兵に有利な地形
大谷吉継が寡兵で戦えているのも全く同じ理由による
一万四千あれば十分に支えられる

お前もしかして、かなり上にいた「関ヶ原がまっ平らな地形で山も川も存在しない」とか考えてる馬鹿か?
428人間七七四年:2010/04/23(金) 22:20:56 ID:9FU01I5V
>>424
大苦戦とか初っ端くれーだろ……
結局地形活かして粘り強く戦ってた大谷以外は押し込まれて仕方なかったってのに。

そもそも吉川がいなけりゃわざわざ南宮山を背にして家康らが陣を置かない可能性だってあるわけだしな。
429人間七七四年:2010/04/23(金) 22:25:39 ID:UH1Ekn0b
東軍諸将は史実道理に無策で動く、これ大事な前提よ、わすれないでね
430人間七七四年:2010/04/24(土) 01:07:40 ID:6hLJcyfD
>>429
実際無策で動いたのは西軍だけどなwww

ちんたら伊勢攻めてたらアッサリ岐阜を取られ
挟撃を期待した上杉は家康の追撃ができず最上に行っちゃって
南宮山の毛利は東軍からの接触を掴んでたのに放置して結局役に立たず
情報すらまともに入らない始末で赤坂につくまで家康が進発したことさえわからず
九鬼はやる気なくて息子と八百長やりはじめ
あからさまに怪しい動きの小早川を放置してたら松尾山を取られ大垣を出る羽目に
慌てて出てきたもんだから陣地の構築する暇もなくて篭城
大津攻めに手間取って本戦に間に合わず(城の接収があるから確実に約半数程度は半月程大津を動けない)
肝心の大坂は裏切りの噂で疑心暗鬼、動くどころの騒ぎじゃない
そもそもやる気なのが石田三成だけだった
おかげで総大将は無傷なのに一回負けただけで態勢も立て直せず総崩れ

…勝てる要素が全くなかった気がするなw
431人間七七四年:2010/04/24(土) 01:14:32 ID:rhUPUSD0
(騒動やらなんやらあったが)宇喜多は?>やる気
432人間七七四年:2010/04/24(土) 03:02:52 ID:V0QTPNuw
吉川広家のカスと輝元の優柔不断、そんな奴を大将に祭り上げた三成の人の
目を見るなさ。
武断派と文治派の仲の悪さと、宇喜多のお家騒動・前田と上杉に
いちゃもんを順次つけて、体制を整え、利用した家康。
三成が有能であれば、少なくとも、豊臣恩顧の武断派の人達に頭下げて
豊臣を支える体制づくりに協力要請できたはず。人に対して頭を下げれない
プライドが高い人間だった。
433人間七七四年:2010/04/24(土) 05:58:19 ID:th66cyQQ
お馬鹿な>>427これ見ろよw
http://up3.viploader.net/net/src/vlnet002089.jpg

>すなわち大軍に不利で、寡兵に有利な地形
>一万四千あれば十分に支えられる

都合が悪くなると大軍には向かない不利な地形w
どうみても主戦場より開けてます。
むしろ大軍が不利なのは家康本隊のある場所。
池田浅野が蹂躙されたらまともに展開できずに終わるね。
毛利たちは無理にせめず引き寄せてるだけでもいいんだから袋のねずみの家康は前後からせめられて速攻壊滅するね。
あっ、でもこいつ数さえいれば後ろと前に分けて同時に戦えるとか思っちゃってる痛い奴だっけ。
434人間七七四年:2010/04/24(土) 07:29:34 ID:QGoUmbcN
毛利が最初からちゃんと機能していれば、西軍勝利は100%間違いない。
でも家康を討ち取れるとは思わないな。
南宮山から降りてきた毛利勢が池田や浅野を崩すまでの時間と、
街道の出口を塞ぐまでに要する時間を考えたら、
家康はその間にさっさと戦場を離脱すると思われ。
別に大垣・赤坂方面じゃなくて尾張方面(>>433の画像では下の方)へ
逃げてもいいんだし。
435人間七七四年:2010/04/24(土) 08:18:16 ID:th66cyQQ
>>434
朝鮮でバリバリ実戦つんでるしな毛利。
徳川なんて実戦経験無い兵士ばかりだから毛利だけでも倒しちゃう可能性もある。
徳川兵なんて超雑魚だから。
徳川って関ヶ原でなんかしたの?w
大坂の陣でも外様の活躍ばっか。外様抜きだったら負けてたな。
10万で3000に負けるし弱すぎる。
野戦バリバリ経験済みで人殺したことある奴らと
一度も野戦やったことも人殺したことも無い雑魚の徳川じゃ勝負にならん。
436人間七七四年:2010/04/24(土) 08:57:11 ID:iQpNWm+t
>>435
井伊や本多や松平がガチで戦ってますが
437人間七七四年:2010/04/24(土) 09:02:43 ID:th66cyQQ
ああ、あったね。
逃げる島津追撃して逆に重傷負わせられたのw
超よえぇぇぇwww
普通追撃する方が圧倒的に有利なのになんて弱いんだ。
438人間七七四年:2010/04/24(土) 09:06:57 ID:K74fU8n5
確かに井伊は雑魚い
でも年だから仕方ないんだけどね
439人間七七四年:2010/04/24(土) 09:12:55 ID:iQpNWm+t
>>437
いや、実際は緒戦から島津と激戦している。ちなみに忠吉が負傷したのはその緒戦で、直政は追撃時だが
また本多はアチコチ転戦しているが、ありえないほどの首を獲得している
440人間七七四年:2010/04/24(土) 13:38:08 ID:9yx2Z+ln
井伊が超よえぇぇぇなら、その超よえぇぇぇ奴らにメタクソにされた島津はどうなるのか。
というか、文章に草はやして、他人を煽って楽しんでるような奴と
議論しても無駄だな。
441人間七七四年:2010/04/24(土) 17:14:01 ID:ldT5ny2w
>>433
毛利がキッチリ西軍として機能するなら、
家康がそんな袋ネズミの布陣を引くわけないだろ。

東軍は史実どおりで、西軍には都合の良いIF。
そりゃ東軍が負けるに決まってるわな。
442人間七七四年:2010/04/24(土) 19:11:14 ID:CXCqSgVN
豊臣きほろ衆てなんなの?
443人間七七四年:2010/04/24(土) 19:27:50 ID:iQpNWm+t
>>442
秀吉の使番
444人間七七四年:2010/04/24(土) 21:49:21 ID:Fhcm9qYe
というか、吉川広家が寝返ってなければ
東軍はまず後顧の憂いである南宮山勢を潰してから関ヶ原に進むので
そもそも西軍の「必勝の構え」が機能しなくなる罠
そこから考えてみるか

毛利勢は山頂に陣取っていたので、まず山裾に展開していた吉川・長束・長宗我部・安国寺隊が標的
これらは総勢で1万そこそこ、かつ長宗我部はそもそも東軍につくつもりだったので
士気も低く、ヘタをすると寝返る可能性もある
吉川勢はちょうど毛利勢の出口に布陣しているので、そこを包囲していれば毛利は出るに出られない
ま、山頂から毛利勢が降りてくるまでに山裾部隊は包囲殲滅ってところだな
出口を塞いでいれば押さえは小勢でも対処が効くし、そうこうしてるうちに秀忠も到着する
どっちにしろ大坂からは援軍は来ないので、ここまでで西軍は大津勢が到着ってところか

毛利の押さえには1万程度いれば十分として、さて西軍の動向だけど、
こうなると、西軍は佐和山・大津・水口あたりまでそれぞれ退くだろうな
短期決戦に持ち込めるような状況じゃないから、東軍は史実のように強気には攻めずまず全軍で大垣を落としにかかる
そうなると石田三成は前々から主張してたように、いったん佐和山まで退くという意見を通すだろう
関ヶ原では長対陣に耐え得ないと考えるだろうからな
勝手に松尾山に入り、石田・大谷に疑われている小早川は松尾山を動く選択肢はない
松尾山を出ても、あの警戒では西軍のどこにも行き場がないから、求められても動かないだろう
そうすると、西軍側から見捨てられた状況になる南宮山の毛利は玉砕覚悟で戦うか、降伏するかどちらか
ま、降伏するだろうな、小早川も然り

さて、毛利秀元を見捨てた西軍に対して輝元はどう出るか、見物ではある
445人間七七四年:2010/04/24(土) 22:22:47 ID:kZZY7Kg3
>>444
家康ファン?
446人間七七四年:2010/04/24(土) 23:16:32 ID:Fhcm9qYe
>>445
いや、大谷マニア
447人間七七四年:2010/04/25(日) 00:24:35 ID:nMAMiqpm
というか輝元は広家・秀元の両者の板挟みだったんだろ??
一応この二人が、両川の役割を果たしてたわけだし、両者の輝元への進言が
違うから、輝元が決めかねたってのもあるわけで、仮に広家が西軍として戦う
覚悟があれば、秀元と意見が一致して、輝元も積極的に動いたんじゃないの?
448人間七七四年:2010/04/25(日) 01:48:25 ID:4qKK29Hn
布陣を見れば、小早川と南宮山部隊が山から降りて来て道を塞げば、包囲は完了するわけだしね。
あとはカンナエの戦い同様、壮絶な殲滅戦になるだろう。
家康がここから逃れるには、兵力の一番少ない小早川隊を突破するしかないと思う。
449人間七七四年:2010/04/25(日) 01:49:42 ID:VGmtzSw8
>>447
輝元が動けなかったのは、秀元と広家とは関係なく
大坂城内で家康と内通してるという噂の人たちが増えてたからだよ
増田とか前田とか、積極的に西軍蜂起を促したはずの奉行衆からすら内通疑惑者が出る始末
輝元が出馬したらそいつらが一気に大阪城を占拠するだろうと言われてた
まぁ、輝元の言い訳とも取れるわけだが、そういう噂が持ちきりになって
三成自身がそれについて触れた書状を出してもいる
大阪はすでに誰が敵か味方かわからない状態になっていたわけで
そんな状態で輝元出馬は到底無理なことがわかる

これもいわゆる一種の情報戦なわけだが、こと情報戦に関しては東軍は全く外してない
逆に西軍はそっちに関してはことごとく外して、それが西軍内部の不和の元にもなっている
450人間七七四年:2010/04/25(日) 01:51:26 ID:VGmtzSw8
>>448
いや、そうなればまず確実に伊勢街道方面からに美濃に逃れるだろう
451人間七七四年:2010/04/25(日) 03:55:29 ID:Fwx9/m5e
452人間七七四年:2010/04/25(日) 11:07:40 ID:pUCziCWf
まあ東軍が無策でいるならそもそも関ヶ原での戦闘は起きないんだけどね
453人間七七四年:2010/04/25(日) 11:25:26 ID:bpJGBhu7
結果的に吉川、小早川が約束守ったからよかったものの家康ってそんな博打で関ヶ原にあんな包囲してくださいと言わんばかりに出陣、布陣したの?
合戦最中、家康が相当あせってるのは記録に残ってるし指かんでイライラしたり兵の旗指物、刀振り回して切り落としたり
黒田に「小早川は裏切ってくれるんだろうな?」と催促し「そんなの知るかっ!」と逆切れされ
結果オーライだっただけにしか見えない。
このスレの人間家康神格化しすぎ。
454人間七七四年:2010/04/25(日) 11:36:22 ID:jw1Ad2ju
それらって講談の話じゃ無かったっけ
455人間七七四年:2010/04/25(日) 11:38:38 ID:bpJGBhu7
しらん。
講談だと思うならどーしてそう思うのか書いて。
手取り川の歌みたいに江戸時代の歌とか100年後の資料に載ってるだけとかね。
456人間七七四年:2010/04/25(日) 11:41:05 ID:bpJGBhu7
というより裏切るか裏切らないかなんてわかるわけ無いだろってのが俺のいいたいこと。
そんな一人の気分しだいで変わる要素に賭けて博打売ってる人間をちょっと買いかぶりすぎ。
457人間七七四年:2010/04/25(日) 11:54:54 ID:TVlQovzk
そうすると、関ヶ原に会した武将は、全員裏切り裏切られる可能性を
否定出来なくなるわけだが。

この場合は、逆説的に考えるべき。
吉川については、スルーしても問題ないだけの確証を得たということ。
458人間七七四年:2010/04/25(日) 14:40:43 ID:3sPmZT/o
>>456
記録に残ってるって主張してるからにはその記録が何かは出せるだろ
何に載ってる話なのかは重要だぞ

記録というなら、関ヶ原直後の近衛前久の手紙には詳細かつほぼ完璧に情勢を把握したものがあるが
その内容には「輝元の命で広家が降伏を申し入れていた」という一文がある
つまり、家康には毛利は動かないという確証があった

また、小早川は松尾山に入る前に家康に対して三度使いを出し、詫びを入れている
その返事を待って小早川は松尾山に入っている
また、山裾に展開する脇坂らにも既に話はついていたわけで
小早川が動けばよし、動かなければそれでオーライだろう
459人間七七四年:2010/04/26(月) 13:19:25 ID:SDoo/n2q
でも、こうやって改めて見てみると
西軍が勝てる見込みは最初から無かったんだな
シンボル的な輝元はヤル気0
じゃあ総大将を他だったらと考えても
金吾や秀家では貫目不足、三成じゃ誰も従わない
島津あたりにやらせると、他の外様がやっかんでムリ
運が無かったんだね
460人間七七四年:2010/04/26(月) 15:00:03 ID:h1yDmRNP
>>459
まあね。謀主が三成という時点でオhル
まだカンベエや昌幸が謀主の方がマシなくらい。
ifだが三成が漏洩を恐れず最初から昌幸、加熱具、ヨシツグと談合してたら
少し変わった結果になったかもね。
三成が単独で西軍を立ち上げたなら、これは最大限の結果とも言える。
名目上でも10万以上の軍勢を集めたのは驚異的。
461人間七七四年:2010/04/26(月) 15:16:23 ID:9EZv7lI8
>>453
小早川は不確定な要素もあったかもしれんが
吉川はほぼ間違いなく東軍
関ヶ原戦後すぐに家康本陣を訪れているし
秀元も東軍の中を通り過ぎて大阪に帰っている
よく言われるような戦意があったとは思えない
とにかく同じ南宮山布陣の他の武将とは戦後の動きがまったく違う
462人間七七四年:2010/04/26(月) 15:57:34 ID:rImiVORS
>>461
それだと、関ヶ原以後の秀元と広家の犬猿の仲が証明できないのだが。
毛利家中では広家を裏切り者と蔑み、秀元のが人気あったんだろ。それがゆえに
萩から一番遠く、国境で敵が攻めてきたら真っ先に戦わないといけない場所に
吉川を置いたとかいう話じゃないか。
>>459
そういう先を見据えられなかった秀吉の責任という部分もあるだろうけどな
自分が信長の孫を後継者に立てときながら、自分が天下をかっさらったように。
家康にもお家騒動を利用されたわけだ。
豊臣家の武断派・文治派が1枚岩になって、秀頼をもりたててたら、家康だって
容易に手出しできんかったよ。
463人間七七四年:2010/04/26(月) 16:09:37 ID:Cn+MyUs3
>>462
それに関しても理由はあるっちゃある
>>458のいう近衛前久の書状では「所領半減の条件で」降伏の打診をしていた、とある
しかし、そんな交渉をしながら輝元が瀬戸内の東軍領を攻め取りまくってたのがバレて所領没収になりかけた
あわてて吉川が自分に宛われた周防・長門を毛利領にすることでなんとかおさめたんだが
こんなもん毛利の正史からは当然抹消せざるを得ない
ただでさえ所領が三分の一になって家中に不満満載のところに、
まさかこれ全部当主のポカが原因でした、とは言えないだろう
それで口裏を合わせて広家が泥をかぶったんだと考える
同じ構図は上杉にもいえると思うよ
464人間七七四年:2010/04/26(月) 16:22:34 ID:rImiVORS
広家ってクソだったんだな。仮にも吉川元春の息子なのに。
闘いもせずに、降伏。ここからはifだが、家康は上杉征伐終えたら、今度は毛利の
番だっただろうしな。それを読めたら死に物狂いで戦ってた思うんだが。
誰もそこまで考え得なかったのか??
465人間七七四年:2010/04/26(月) 16:38:10 ID:h1yDmRNP
>>464
少なくとも広家と輝元の二人は家康が長州征伐に来るとは
全く考えてなかったはず。
考えてたら史実と違って猛烈果敢に戦ってる。
466人間七七四年:2010/04/26(月) 17:03:28 ID:rImiVORS
>>465
ド馬鹿だよな、前田→上杉ときたら、次は毛利だろ。隆景クラスがいれば
少しは考えてたんだろうけど。前田利長も当初、前田家へのあてつけに怒ったし
上杉は有名な直江状がいうように、怒った。いいがかりを大大名につけて
大大名を自分側につくか?それとも一戦交えるか?って迫ったんだな。
家康としては、他の4大老が勢力を併せてぶつかられるとマズイが、各大老
単体であれば石高的にも徳川が断然有利だからな。
467人間七七四年:2010/04/27(火) 01:24:01 ID:AS0dyNSS
ただなー徳川軍そのものは弱体化が激しいんだよね
小田原征伐以降ろくに合戦を経験せずに10年経過
その点は前田、上杉も同様
合戦思考から兵備、兵站にいたるまで実戦を知らない世代が多い
これが東山道の秀忠隊でも露見してるし関が原で井伊ですら朝鮮で揉まれてきた
島津にひっかけられてる

毛利の場合、それこそ厳島合戦以降1600年までほぼずっと合戦し続けていたので
部将クラスから末端兵卒レベルまで現役バリバリでしかも世代間格差が無い
(ただし頂点にいる輝元を除くw)
前田、上杉のような安易に挑発はきついんじゃないかな
468人間七七四年:2010/04/27(火) 18:24:28 ID:Qo5SlKwO
>>467
だな。
野戦経験無いのは相当差が出る。
お前ら学科と実技20時間ほどやって50人のド素人集団率いて
野戦何度も経験してて殺しなれしてて動いてる目標にも鉄砲当てられる50人と戦えるか?
速攻大混乱、壊滅するぞ。
徳川の足軽組頭も軍で言うと士官の立場にある連中が実戦経験してないのもでかい。
何していいかわからず右往左往するだけなの目に見えてる。
469人間七七四年:2010/04/27(火) 18:28:31 ID:Qo5SlKwO
>小田原征伐以降ろくに合戦を経験せずに10年経過
関東入府して新規に召抱えた家臣は相当いるからなお更だね。
470人間七七四年:2010/04/27(火) 18:52:57 ID:Gv9VXyQ5
率いてる人が駄目だからなんともならんわな
471人間七七四年:2010/04/28(水) 21:29:50 ID:zv8+/HGA
>>463
でも広家と福原が内応の約束してるっての聞いて堅田とかが
そんなん聞いてねぇぞ、って驚いてた話なかったっけ。出典は忘れたけど。

まあ安国寺は三成に同調してるし、四国にちょっかいかけたり、
国人衆連合の名残を引きずってるせいか、家中の統制がとれてないだけに見えるんだけど。
だいたい輝元自身が東軍に同調してたなら、西軍の総大将になったっていう前提とあわないんじゃない?
家康に通じるつもりならあんだけの大軍がいるんだから関所を押し通って家康と合流してればよかったって話では。
総大将だけど消極的に家康支持してました、必死こいて伏見城とかは攻めたけど所領は安堵してね、
じゃあ東軍諸将はおさまらないでしょ。
472人間七七四年:2010/04/29(木) 00:08:16 ID:5Sa1Fkmp
>>471
近衛前久の書状ってのはこれだな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3813.html
20日の情報にしては非常に正確

輝元は東軍に同調してたというよりは、それこそ真田よろしく両面張りしてたように思える
まぁ失敗したんだけど
473人間七七四年:2010/04/29(木) 04:16:56 ID:huWrzICV
一方の総大将になっていながら両面張りしてなんとかなると思ってたのかね。

第一あそこで西軍が決起してなきゃ家康の次の目標は
毛利と宇喜多になってたはずでは。
474人間七七四年:2010/04/29(木) 09:38:45 ID:a32y5qGo
自身の下(安国寺と吉川)があまりにもグダグダなんでやる気をなくしたんじゃない
475人間七七四年:2010/04/29(木) 11:52:15 ID:xKsR1Ph+
加藤嘉明の伊予を攻めたりしてるし、瀬戸内海周辺の影響力を高めて
「石田君や宇喜多君達とノコノコ戦ってる内にこっちはこんくらい勢力拡大しちゃったよ?
徳川君、君の所はこの戦役で疲弊してるし、ここいらで手打ちにしない?
もちろん俺が上位ね」
ってやりたかったんじゃねーの?
476人間七七四年:2010/04/29(木) 13:45:08 ID:iWu4CfC4
やる気ないなんてとんでもない。
>>475のもそうだし九州で大友残党扇動して細川の飛び地攻撃したりしてる。
全て失敗に終わったけどw
477人間七七四年:2010/04/30(金) 13:39:03 ID:AdCZ8ryY
毛利は戦いが応仁の乱のような長期戦争前提だったんだろう。
だから上方でgdgdの戦になると踏んで
いろいろ手を打っていたということでしょ?
安国寺と吉川の意思不統一とかいわれているが
長期戦争化したときに発動しうる策でもあったのかもな。

478人間七七四年:2010/04/30(金) 13:42:35 ID:AdCZ8ryY
 それと輝元の西軍総大将就任は原因が大きな部分秀元にもあるからな。
輝元だけ攻めるのも筋が違うようなきもする。
 秀元は家康に領国を与えられ家康派だと見られていた。
しかも毛利の内部問題に徳川の介入を呼ぶ前例までつくってさ。

吉川の行動も家康と秀元の関係とか考えたらなー
へたに二人が手を結ぶと勝てないから自分が手を結ぶように仕組んだのかもと
かんぐってしまう。
安国寺と吉川ではなく輝元と秀元の対立が大きな問題だろう。

479人間七七四年:2010/05/01(土) 01:30:19 ID:Q5lUOcOB
秀吉がもし会津に毛利、中国に上杉配置してたらおもしろかったな。
上杉なら大坂城で留守兵4万遊ばせとくこと無いし上杉軍3万がガチで戦うから西軍相当有利。
迅速、出し惜しみしない上杉なら家康が江戸にいる間に各個撃破、尾張まで落としてるだろう。
しかも上杉はいつの世も野戦強い。
大坂冬の陣でも5000で12000に勝って家康秀忠から絶賛、感状貰ってる。
480人間七七四年:2010/05/01(土) 09:09:57 ID:i0FB7muY
いくらなんでもそんな転封はゲーム脳過ぎて非現実的w
毛利 信長死亡直後から一環して羽柴家播磨の安全保障を担う
上杉 羽柴vs柴田の争いにおいていち早く羽柴側につく
481人間七七四年:2010/05/01(土) 09:48:43 ID:od8oq3WP
家康の関東転置なんて秀吉はゲーム脳すぎるよな。
信長の野望をやりすぎてたのかもしれない。
482人間七七四年:2010/05/01(土) 09:55:46 ID:CKaslbLZ
そんな大転封があるなら、両家とも整備に追われ国力低下。
家康の会津攻めが、中国攻めになるだけ。上杉が大坂城に入ることはない。
相変わらず、都合のイイトコ取りだねw
483人間七七四年:2010/05/01(土) 11:27:08 ID:qoOJd6yd
だから徳川は切り取り勝手で半島送りにしろとあれほど(r
484人間七七四年:2010/05/01(土) 11:59:58 ID:1c3EBwoQ BE:1079335692-2BP(240)
徳川家康が小早川秀秋に東軍になったら褒美をやることにしたからだよ

それにしても大谷吉継はかわいそうだなあ
485人間七七四年:2010/05/01(土) 13:00:04 ID:od8oq3WP
if言っちゃったら秀次が生きてたら普通に徳川の天下なかったしね。
東国の武将を中心に秀次は結構人望あったし
三成や家康のおもちゃになるほどの馬鹿でもなかった。
秀頼に天下を返す可能性は零だけど、生き残らせて河内一国の大名兼御連枝として正二位くらいは
普通にありえたと思う。
486人間七七四年:2010/05/01(土) 16:35:14 ID:2cSCBAft
>>485
秀次は信雄と大して変わらんと思うが
単独で大名を仕切るほどの才覚はなかろう
487人間七七四年:2010/05/01(土) 16:54:53 ID:od8oq3WP
>>486
信雄よりは人望はあったと思うよ。
公家仲間とも大名たちとも特に問題なく仲良くやってたし。
でも信雄でさえも関白になって聚楽第の主として百官と諸大名を従う立場に一旦なったら
容易に天下を奪われる可能性は高くないと思える。
488人間七七四年:2010/05/02(日) 05:03:08 ID:NnfE25Bl
みつってバカだから、東軍は
小早川や毛利にも東軍が攻めかかると思ってたんじゃね?
小西ともどもあんなに自分らが攻め立てられるとか考えてなかったんだろう。
じゃなきゃあんなとこに堂々と陣を敷かないだろう。
489人間七七四年:2010/05/02(日) 05:30:35 ID:NnfE25Bl
思うに、みつと小西と島づは「聞いてないよー」のダチョウ倶楽部状態
だっとのでは?石田隊の奮戦や島づ退き口はリアクション。
490人間七七四年:2010/05/02(日) 09:21:51 ID:wH3V+UgF
堂々と、ねえ。開戦直前まで石田らがどこにいたかせめてウィキペディアでいいからみてきたらどうだい。
491人間七七四年:2010/05/02(日) 14:42:14 ID:NnfE25Bl
>>490
現地で確認してきたお。
492人間七七四年:2010/05/02(日) 15:37:46 ID:H2WTeaLx
>>433の地図凄いな。
これ浅野負けたら家康完全に袋のねずみじゃん。
しかも家康陣の上の筋って川?
前は外様部隊で3万まともに展開できなさそ。
493人間七七四年:2010/05/03(月) 16:22:59 ID:6OG26uZw
そりゃドイツの陸軍将校が一目で西軍の勝ちと言うほどの布陣だからな。
動かなかった毛利ほんとにアホ。
494人間七七四年:2010/05/03(月) 17:01:58 ID:1224S57n
毛利はわかんなかったんだろ。
関が原まで遠いもん
495:2010/05/04(火) 15:33:46 ID:sTEbHi55
本気で戦ってたら勝てたかな?
本気で戦ってたらどうなったか想像してみよう

三成は佐和山を捨てるべきだったと思う
496人間七七四年:2010/05/04(火) 16:35:32 ID:jkFPUP91
捨てて使われたもったいない。
497人間七七四年:2010/05/04(火) 17:12:34 ID:kkMt6jDK
当初の迎撃予定が崩れたどころか、竹ヶ鼻城を皮切りに織田秀信の岐阜城まで落とされておいて、これまた中心人物の一人である石田三成の佐和山まで放棄して後退する、ねえ。
そうなると伊藤盛正の大垣城は当然ながら、長束正家の水口城も危険、というか陥落する可能性は十分あるな。
伊勢に留まっている鍋島勝茂の軍勢もいる。
そして伊藤を追い出してまで松尾山に居座った小早川秀秋がそれに従うのか(吉川が抑えている毛利も同様)。
そもそも佐和山を捨ててどこの城に拠ろうというのか。
498人間七七四年:2010/05/04(火) 17:17:37 ID:tji1ikTc
佐和山捨てたら大坂までまともな城はない気がする
大津や伏見は自分達で破壊しているし

その意味でも大垣〜関ヶ原〜佐和山は最終防衛ラインなんだよな
499:2010/05/05(水) 21:40:14 ID:XtRKlB78
大阪城があるじゃないか
大阪で戦うべきやったんや!
500人間七七四年:2010/05/05(水) 21:57:25 ID:DjdE2Hvd
えー、広い大坂城、史実で寝返った人物は―……
・関ヶ原本戦
小早川、朽木、赤座、脇坂、小川
・大垣城
秋月、相良、高橋
その他田辺城攻略部隊も空鉄砲の事例もあるし当然首脳陣の心証は悪くなるなあ。

うーん、吉川も直接的に毛利を守ろうと動く可能性もある。
元々東軍に付くはずだった大名達もどう動くかわかったもんじゃあない(長宗我部氏辺り)
鍋島なんか伊勢辺りで動かないし、西軍が戦線を大幅に縮小するってんなら東軍に付く可能性は高い。
何より援軍がいないな。
毛利は最上にうつつをぬかしてるし、佐竹は先代佐竹義重や重臣らの反対によって動かず。
それに対して東軍は秀忠と前田利長らの軍勢もやってくる。
さて九州戦線の黒田や加藤らが西軍に付くのか?

いやあ、城内は疑心暗鬼でしょうなあ。
501人間七七四年:2010/05/06(木) 07:58:46 ID:TjXRrGJ0
幕末の長州藩の如き戦意があれば毛利は必ず勝ってた。
502人間七七四年:2010/05/06(木) 18:41:12 ID:x3lzjG4X
俺も前々から金吾への裏切り催促の威嚇射撃には疑問に思ってたけど
火縄銃の有効射程距離が精々50〜100b程度で家康本陣から発砲したのなら余り意味無いよな
寧ろ合図として狼煙&音頭としての発砲の方が有りうるよな
それこそ松尾山に向けてではなく発砲後の煙が目立つ様に斜め上60度位に向けて発砲したとか
503人間七七四年:2010/05/06(木) 23:44:10 ID:Xd+IQERZ
大村益次郎も凄いけど高杉も500で3万に勝ったからな。
幕末の長州兵なら3000で家康3万なんて楽勝。
徳川兵5人でやっとこさ長州薩摩兵1人分。
徳川はほんと雑魚やでぇ。
10万が3000に負けるなんて中国の歴史じゃなくてマジで起きたからな。
大村益次郎がタイムスリップして石田が言うとおり聞いてれば徳川は大敗してただろう。
504人間七七四年:2010/05/06(木) 23:48:27 ID:Xd+IQERZ
家康ってさ。
野戦の天才とか言われるけど負けばっかだよねw
小牧長くてだけじゃんw
505人間七七四年:2010/05/06(木) 23:50:35 ID:Xd+IQERZ
大河で第2次長州征伐やるのかな?
坂本が薩摩参加させないよう工作したんだから当然やるよな。
幕府兵が蚊トンボのように撃ち殺されるところを是非やってもらいたい。
506人間七七四年:2010/05/07(金) 00:11:58 ID:y0TJmB0B
なんか沸いてるのがいるが、幕府軍がオール徳川であったはずがない。
507人間七七四年:2010/05/07(金) 00:19:03 ID:2NOz15SC
同じジャン。
関ヶ原、大坂の陣と半分以上外様じゃん。
戦わなくてよかったね。
なにしろ追撃する側が圧倒的に有利な追撃戦で1000未満の島津追撃して逆にフルボッコされて見事に雑魚っぷり発揮してくれたからな。
上にもあるけど実戦経験ない徳川なんて数が多くても怖くない。
偏差射撃って知ってるか?
走ってる相手にも当てられる朝鮮経験組からみたら徳川なんて雑魚もいいとこ。
数が多けりゃ強いならソ連もイタリアも格下国に負けて大損害うけることなんておきないわな。
508人間七七四年:2010/05/07(金) 03:28:19 ID:ZvSxBJew
他スレでも叩かれてるが輝元は自分を信頼してくれた小西行長の愛息の生首を
家康に差し出して土下座した鬼畜。 逆に家康にヒカれて面会すらままならず領土没収。
こんなアホ、1000万石持ってても家康に負けたわ。秀秋よりもはるかに無能。
509人間七七四年:2010/05/07(金) 11:43:04 ID:Ox8IV4oL
輝元見てると間違っても天下など望むなって言い残した元就公はやはり人を見る目があったんだなと思う
510人間七七四年:2010/05/07(金) 12:42:34 ID:OmCfeZmR
wikiみたけど、西軍って結構計画は立ててたみたいだな。
家康が上杉征伐、じつは上杉は佐竹と秘密裏に同盟。上杉攻めをしてる隙に
挟撃。そして西上するのであればガラ空きの江戸に進行。
その間に西軍本隊は、畿内周辺を固める算段だったんでしょ?
やはり、やる気がない奴が多すぎたのが痛かったな。動かなかった佐竹・毛利
元就と隆景・輝元の感じは三国志みたいだな。丞相(孔明)でさえなせえなかった
ことを我らがやろうとしても無理みたいな。
輝元がカスなのは完全同意。乗りかかった舟は引きもどせないのが常。
一度総大将になった以上、本領安堵なんてありえん事ぐらいわからなかったのか
?それで減封されて、その憤りで出家。もうアホとしかいいようがない。
全力で家康を叩いとけば、ここで仮に家康が一度引いて秀忠と合流しようとも
日和見勢力勢が西軍に加担するとも考えられただろう。
511人間七七四年:2010/05/07(金) 22:53:09 ID:fi+YHBPX
>>510
まぁつまり、すべてが机上の空論だったってことなんじゃないの?
会津しかり、関ヶ原しかり
512人間七七四年:2010/05/08(土) 07:35:34 ID:QRDGCWh+
西軍が負けたのは輝元のせい。
513人間七七四年:2010/05/08(土) 09:34:32 ID:fBbwTYIB
自分の部下すら統制できない馬鹿元がうっかり勝っちゃうと
一瞬、毛利の天下になったところで応仁の乱に逆戻りだっただろうから
現代人的には家康が勝って良かったと思うしかないわな。
514人間七七四年:2010/05/08(土) 19:11:18 ID:SJ3rykaV
関が原で西軍が勝ってても結局どこかで挽回されて東軍の勝ち
秀吉と柴田勝家の戦いといっしょで、結局はリーダーの格で勝敗が決まる
逆に西軍のトップが家康なら関が原で負けてても大坂城で粘り、東軍の有力武将を味方につけて切り崩し、
逆転してたはず 
515人間七七四年:2010/05/08(土) 20:09:50 ID:cOyken3X
>>514
そこまでは言わん
ただ、会津征伐の大将が毛利で大坂にいたのが家康なら
面白いことになってたんじゃないかとは思うな

まぁ、家康が分断されるような愚を犯すとは思えないからありえない話だけど
516人間七七四年:2010/05/09(日) 10:28:15 ID:IYs3vAJK
あの時期の徳川と毛利は対照的なんだよな
徳川家を家としてみた場合
総大将である家康や現代の軍制でいう将官級はまさに円熟期が多い
佐官級になるとピンキリというか上と下の世代間格差が凄まじい
尉官級になると実戦なんて知らない世代
兵卒は戦争を知らないのが半分以上を占め実戦経験持ちはもはやそれなりの年齢
なにせ10年来合戦を経験していない組織

毛利家を家としてみた場合
総大将である輝元は指揮経験がほぼ皆無のお飾り
将官級は野戦城の攻防ともに経験豊富。ただあと10年経てば円熟期世代が多い
佐官級の実戦経験はまさに円熟期
尉官級は実戦経験豊富
兵卒は実戦経験者しかいない
なにせ50年来合戦し続けてきた組織
517人間七七四年:2010/05/09(日) 12:03:20 ID:aJjkYS0f
まぁ何の役にも立たなかったな、実戦経験w
518人間七七四年:2010/05/09(日) 21:25:53 ID:9hJpnEBZ
実戦経験豊富な連中が寡兵の伏見を落とすのにちんたら二週間もかけてたり
伊勢や大津で手間取ってgdgdやってたりだからなぁ・・・
519人間七七四年:2010/05/09(日) 23:54:48 ID:sosxwVOs
どんなに精強な軍隊でも、トップが無能だと負けます。
例えばインパール作戦とか。
宮崎少将をはじめ、日本軍部隊は優秀かつ精強だったが、トップの牟田口がアホすぎて自滅してしまった。
520人間七七四年:2010/05/10(月) 12:49:04 ID:5lzPyXO5
牟田口が無能なのは間違いないが
火力と兵站能力の低い日本軍が優秀かどうかは疑問
521人間七七四年:2010/05/10(月) 23:02:12 ID:tl0GETM7
米軍も英軍も主力はドイツやイタリアに向けられてたしな。
アフリカのイタリア軍が遭遇したのは米英の精鋭だったし
522人間七七四年:2010/05/14(金) 07:51:34 ID:xKW2tD0T
ぶっちゃけ長引かせるだけでいい
北は上杉・伊達 南は黒田・島津の主力
外部勢力が勝手にかきまわしてくれる
523人間七七四年:2010/05/14(金) 08:48:53 ID:CJYNC96d
その長引かせるが難しかったわけなんだな
524人間七七四年:2010/05/14(金) 08:57:46 ID:MRZzRsfm
外部勢力っても黒田なんか毛利の支援受けて挙兵した大友ぶち破ったりしてるわけだし、とりあえず加藤らと共同して柳川とかの西軍諸将の領地を攻撃しに行きそうなもんだが。
525人間七七四年:2010/05/14(金) 16:19:53 ID:VhEyo1K0
>>522
旧領回復が第一目的の伊達が西軍(上杉)につくことはありえない
黒田は徹底的に東軍として動くであろうから加藤、鍋島と連携して遅かれ早かれ
北九州の西軍諸領に侵攻するだろう
島津の動きは読めないが積極的に西軍としては動きそうに無い
526人間七七四年:2010/05/14(金) 21:51:15 ID:oxAAHIFb
>>525
というか、島津領以外めぼしいとこはほとんど制圧してなかったか?
加藤は速攻で小西領攻め落として、島津までもうちょっとだったし
黒田は黒田で北から東に掛けてほぼ制圧状態だったし

そもそも島津は義久も忠恒もはじめから西軍に付くつもりはなかっただろ
義弘一人が頑張ってただけで、兵も兵糧も一切送ってない
ま、島津としちゃ秀吉に恨みはあっても恩なんて大してないから仕方ないが
9割の確率で動かないだろうよ
その辺は伊達に関しても同じ事だな
527人間七七四年:2010/05/14(金) 22:23:15 ID:xKW2tD0T
関が原が長引いていれば上杉は最上を侵略しつつ旧領越後へ。
伊達は上杉領へ侵攻するだろうな。佐竹ともガチンコ勝負再開だ。
これで関東へ出たらもう徳川に付くとは思えない。

九州は黒田連合が制圧間違いなし。毛利領経由で大阪へ一直線。
528人間七七四年:2010/05/15(土) 03:15:04 ID:SlT7BVkT
>>527
どう考えても関ヶ原での対陣が長引くことはなさそう
大津城と丹後宮津城が落ちた情報は当然家康にも入っているだろうから
この勢力が関ヶ原に到着する前に開戦したいはず
中山道の自軍が来て、やっと同じくらいだから
南宮山の不安定要素も広家の内応確約が取れているから早いうちが良いはず
とにかく、ぐずぐずしていると名目上も含め西軍は増えるだろうからね
529人間七七四年:2010/05/15(土) 21:23:42 ID:3eWqQ9Lh
そもそも小早川が裏切らないなら家康は中仙道の主力を
待つんじゃないのかね。
布陣だけじゃなくて開戦までの流れも絶対に違う。


530人間七七四年:2010/05/15(土) 22:53:31 ID:lzCUrTQE
いや、だからさ。
東軍は史実通りじゃなきゃダメなんだって。
そうじゃなきゃ西軍必勝のIFができないじゃんw
531:2010/05/16(日) 00:42:26 ID:yX+OiCZ1
豊臣恩顧の大名がみんな徳川につかなかったら
家康は勝てなかったべ
250万石と他大名(伊達)の同盟だけでは
天下取れなかったと思うがな

250万石+豊臣恩顧の大名ごっそり手に入れちゃったからなぁ
532人間七七四年:2010/05/16(日) 03:20:19 ID:9XV59rbG
小早川が参戦しなければあんなに早く決着はつかなかったはず。
時間があれば毛利・長宗我部も参戦する余地があったかもしれん。

そうはさせじと徳川本体が小早川にかかって・・史実通りじゃ話しにならんけど
533人間七七四年:2010/05/16(日) 03:53:47 ID:AYnYXOtM
小早川は関ヶ原に来る前から東軍よりの行動をしていたから
用心されていたのは事実
大谷もそれを踏まえて陣や4将を配置してたしね
小早川が東軍の旗幟を鮮明にしたときも予定通り反撃している
あの4将の裏切りが決定的だったんじゃない
534人間七七四年:2010/05/16(日) 04:11:27 ID:RDSBVqoU
>>533
脇坂朽木にもその時点で既に寝返りの話が通ってたからな
結局西軍は関ヶ原布陣の時点で内に敵をいくつも抱えていた状態だった
これでは勝てるものも勝てん
535人間七七四年:2010/05/16(日) 08:10:33 ID:kKq4Y98t
そこまで段取りが整っていたから家康は関ヶ原で戦ったんだろうね
536人間七七四年:2010/05/16(日) 09:50:42 ID:9XV59rbG
でも裏切る約束をした小早川は動かなかったんだよな。
そのまま日和見を続けた可能性も無くはない。

小早川も毛利も動かなかったら、東軍が1日で決定的に勝利するのはむずいだろ。
でも吉川は兎も角、小早川の立場を考えるとどっちかに肩入れしないとまずいな。
537人間七七四年:2010/05/16(日) 10:41:39 ID:MPVcZ7pI
もし宇喜多が攻勢に出て福島撃破してたら小早川も約束なんて反故にして藤堂、京極に襲い掛かってたかもな。
つーか裏切りなんざ日常茶飯事の時代に寝返りの約束したんだからとかって馬鹿じゃねーのw
そんなの戦況次第で変わるに決まってんだろ。
何処の馬鹿が負けそうな方に好き好んで味方すんだよ。
保険ぐらいかけとか無いとこの時代生き残れないんだよばーか。
頭わりーな家康信者。
こいつらが戦国時代で大名やってたら簡単に裏切られて滅びるな。
「だって約束してたんだもん!」プッ!
昼過ぎになってやっと裏切って戦後土下座して誤まってサワヤマ城攻撃志願してんだから
どっちにつくかギリギリまで迷ってた証拠だろ。んなこともわかなねーのかこのスレの馬鹿どもは。
538人間七七四年:2010/05/16(日) 12:18:03 ID:zry3PwFk
だから家康は裏切りやすい状況を作ることにこだわったんだろ
539人間七七四年:2010/05/16(日) 14:59:25 ID:oUKwwywp
>>537
一度、関ヶ原の時系列と地形のわかる布陣図で勉強した方がいいよ。
長々と頑張ったみたいだけど、恥かいてる事に気付いた方が良い。
540人間七七四年:2010/05/16(日) 15:28:32 ID:MPVcZ7pI

http://up3.viploader.net/net/src/vlnet002089.jpg
これですか?
超西軍有利だねw

お前、上で関ヶ原ただの平地だと思ってるだろ。
狭隘路だの川だの大軍に不利で、寡兵に有利な地形で毛利が山下りても大丈夫なんだよとかほざいて速攻論破されて逃げた奴だろw
川あり狭くて大軍に不利なのは家康本陣の位置なのが見事に笑えたなぁw
541人間七七四年:2010/05/16(日) 16:05:20 ID:AYnYXOtM
>>540
その布陣図も家康軍30000と安国寺恵瓊1800は同じ大きさのブロック
当然後方にも意識はある訳で隘路にかかれば毛利の大部隊も広く展開できないから
待ち構える東軍も徳川勢が加わらずとも善戦できる

どっちが不利かといえば隘路に攻め寄せる毛利側だろ
542人間七七四年:2010/05/16(日) 16:16:56 ID:oUKwwywp
>>540
いちいち恥ずかしい人だな。何の話かわからんが、別人ね。
南宮山が動かないと確信を得てるから、スルーしてるわけで。
でなきゃ、君みたいなお馬鹿でもわかる布陣を敷くわけないだろ。
543人間七七四年:2010/05/16(日) 19:13:48 ID:MPVcZ7pI
>>541
>その布陣図も家康軍30000と安国寺恵瓊1800は同じ大きさのブロック
お馬鹿w

これ沖田畷状態だよ。
田んぼ2、3個分の広さしかないところに3万がまともに展開できるわけねーじゃん。
もし毛利が後ろからやってきたら徳川は1000ちょっとしか戦うことができない。
2万9千がつっかえぼう状態で一方的にまけるな。
544人間七七四年:2010/05/16(日) 19:27:34 ID:oUKwwywp
だから毛利は後ろからやって来ないし、
来る可能性があるならそんな布陣は敷かない。

終了

ノブヤボやってれば?
545人間七七四年:2010/05/16(日) 19:52:29 ID:dXyRUtF6
どこかの知恵袋にあったが・
家康が関ヶ原で戦死して、豊臣政権になっても室町幕府にたいな事になり、再び戦国時代に逆戻りしてしまうらしい
546人間七七四年:2010/05/16(日) 19:55:43 ID:MPVcZ7pI
>>544
なんだよ。
お前いっつもそうやって逃げるのなw
お前徳川は3万もいるし後方にも備えてたから毛利が来ても勝てたって言ってたじゃんw
547人間七七四年:2010/05/16(日) 20:58:32 ID:tTEfxx62
堺屋太一だったかな、いくさってのは選挙みたいなもんだって言ってたのは
結局石田三成と徳川家康で投票したら武将らしい武将は全員家康を支持するんだよ
官僚なんか支持しない 西に領国があるからなんとなく西軍についた連中の
やる気のなさをみれば一目瞭然 あれじゃあ優れた武将が少々勝ったからって、
全体のいくさでは必敗するのは目に見えてた
548人間七七四年:2010/05/16(日) 21:06:34 ID:oUKwwywp
逃げるも何も、君は何も反論出来てないよね。
549人間七七四年:2010/05/16(日) 21:11:07 ID:9XV59rbG
毛利・吉川・安国寺が本気で参戦していたら
中仙道から池田・浅野・蜂須賀・山内・有馬・中村を蹴散らして
徳川の退路を断ったろうね。

小早川も西軍に参戦していたらドイツの何とかさんが言い当てたとおり
西軍の圧勝。
550人間七七四年:2010/05/16(日) 21:15:16 ID:oUKwwywp
>>549
>>542
たった7レス前だよ?頭平気?
551人間七七四年:2010/05/16(日) 21:17:42 ID:9XV59rbG
いや別に君あてにレスしたつもりは無かったすまんね。
仮に東軍の前線が崩れたとして、小早川がグズグズしていたら
吉川はどう動いたろうかね
552人間七七四年:2010/05/16(日) 21:37:20 ID:RDSBVqoU
>>549
しかし本気で参戦しなかった。何故か。
本気で参戦しない状況を家康が作っていたからだ。

ドイツの何とかさんは布陣図を見ただけだろ?
実際の西軍内部は関ヶ原布陣時点でガタガタだった。これは事実。
だからこそ家康が関ヶ原に布陣した。これも事実。

だからといって後方をすべて開けていたわけではない。
これは万が一毛利が動いたらの対策であって、ここを開けるのは愚将のすること。
何故かと言えば、毛利が吉川を踏み破って出てくる可能性が全くない訳ではなかったから。

西軍の布陣についても言うなら、鶴翼というのは「中央に大将を置いて敵を引きつけ、両翼を閉じて包囲殲滅をする」という陣形。
この陣形は「両翼が敵を包囲できるかどうか」が肝になる。
つまり、中央・両翼を同時に攻められて「翼が閉じられない状況」を作られると各個撃破になりやすくなる。西軍が実質こうなったな。
兵力を広げているから、当然各部隊の守備は相対的に薄くなる。さらに配置上、非常に部隊間の連携が取りにくい。
これらのことから、「想定外の事項」には非常に脆い。関ヶ原でいうなら、脇坂・朽木の寝返りだな。
小早川は想定していたが、こちらは本当に想定外だったから、ここから一気に崩れた。
それでなくても鶴翼の陣は非常に極端な結果が出やすい陣形。
両翼を押さえられた時点で勝ち目は非常に薄かった。

ちなみに。家康が三方ヶ原で惨敗した時、徳川方は鶴翼、武田方は魚鱗の陣で対峙したといわれている。
関ヶ原では西軍が鶴翼、東軍が魚鱗で対峙している。
魚鱗は消耗戦に比較的強く、また部隊間の連携も取りやすい陣形といわれている。
553人間七七四年:2010/05/17(月) 00:46:15 ID:bNJMrkep
結局、小早川の西軍参戦だけじゃ戦果は精々徳川本隊後退くらいかな?
でも吉川の裏切りは明確だから、そうなったらは西軍の総大将の裏切りが
ばれて、西軍は自然と瓦解していくか。

関が原のキーマンは小早川よりも吉川だな。
554人間七七四年:2010/05/17(月) 01:18:46 ID:4inWUg2e
>>543
攻めるほうも広く展開できない場所だろうが
結果は待ち受けている方が有利
まさか徳川本軍が全員西を向いて背中をさらしているとでも?
555人間七七四年:2010/05/17(月) 01:48:07 ID:eItWCmjc
つーか御家騒動のせいで戦闘力ガタ落ちで半数以下の福島を撃破出来なかった宇喜多勢に、その福島を撃破とか無茶を言うなと言いたい。

>>554
そもそも南宮山部隊への備えとして置いてある浅野や池田らをそんなにすぐ抜けるのなら苦労しないわなあ。
556人間七七四年:2010/05/17(月) 03:06:09 ID:Tl7RaHli
ぶっちゃけ秀秋が午前中から東軍に攻めかかって何とかイーブンくらいだろうな。
ただし一日で決着がつかなければ東軍の方が赤坂や他の城に一旦退却しなきゃいけない
立場だったんじゃね?
夜襲もあるし関が原の真ん中で夜を過ごすわけにゃぁいかんだろうから。
557:2010/05/17(月) 03:12:09 ID:poH5YZ9P
背後から毛利が襲ってくる状況になったら
家康は戦わないで逃げたと思う
池田と山之内を殿にしてさ
家康はそういう男だよ
558人間七七四年:2010/05/17(月) 19:04:17 ID:4inWUg2e
>>557
そらそうだよな
襲ってもこないうちに桃配山から関ヶ原中央へ逃げてるもんな
559人間七七四年:2010/05/17(月) 19:23:12 ID:1G5p3PyZ
>>555
>そもそも南宮山部隊への備えとして置いてある浅野や池田らをそんなにすぐ抜けるのなら苦労しないわなあ。

27900 VS 14028
勝負にならんな。
毛利が裏切るか不安で動かなかった安国寺、長宗我部、長束たちも毛利が動けば動く。
大将から一兵卒まで朝鮮で嫌というほど戦を経験してる毛利は東国兵の3倍の働きをするから悲惨な結果になるだろうね。
何の作戦も無しで相手は倍の兵力。しかもこの頃の野戦は兵の強さがモロに勝敗に関係する。
正面は毛利の大軍勢の攻撃に晒され、長宗我部は池田の左翼に回りこむから挟撃される。
浅野以外は何していいかもわからない統率された動きもできない、人も殺したことない赤ん坊みたいな戦経験ない兵ばかり。
勝負にならんわ。
560人間七七四年:2010/05/17(月) 19:39:06 ID:bNJMrkep
別に徳川本体を襲わなくても退路を断つだけで効果充分でしょ
前も敵後ろも敵状態になった兵の心理を考えれば
561人間七七四年:2010/05/17(月) 19:47:28 ID:jSkZGOxB
>>559
岡山や長松塁にいる東軍兵もお忘れなく
後、南宮山の毛利勢は山上にいるから山道で雪隠詰めになってまともに動けないでしょう
562人間七七四年:2010/05/17(月) 20:22:00 ID:LGXaWoml
>>559
憶測でものを言われてもw
朝鮮で嫌と言うほど戦を経験しているはずの宇喜多は
朝鮮役に駆り出されなかった数に劣る福島隊を殲滅できなかったわけですが
その辺どうよ?
563人間七七四年:2010/05/17(月) 20:45:35 ID:1G5p3PyZ
そりゃ防戦に徹してたからだ馬鹿ちん。
そんでも明石全登がちょっと本気出したら涙目で陣形再編をよぎなくされ後退させられたけどな。
まぁ福島兵はそこそこ強いだろ。
関ヶ原前にも何度か戦はやってるし。
でも毛利はさらにもっと上。
幕末で言うと福島兵は熊本藩、毛利は長州藩ぐらいの強さか。
福島兵1人は徳川兵2人分ぐらいは強かっただろう。
ただの突撃しかできない切り込み隊長の指揮で2倍以上の敵と戦ってたんだから結構強い部類に入ると思っていい。
564人間七七四年:2010/05/17(月) 21:09:36 ID:EMk9q8k0
東国兵の3倍の働きをするなら、防戦に徹する必要はないのでは?w
565人間七七四年:2010/05/17(月) 21:31:12 ID:1G5p3PyZ
さぁなぁ。
それは俺に聞かれてもわかるわけない。
鶴翼の陣の中央部隊が突出するのもよくないだろうし。
講談かどうかは置いといて第4次川中島の信玄が突出したらこいつ馬鹿だとなるだろ?
三成がなんも苦情出してないから宇喜多が守勢に徹して敵を引き寄せ、両翼が叩くのは予定のうちだったんだろう。
たがもし小早川がちゃんと動いてくれたら大谷隊だけにさえ押されてた京極隊など一瞬で壊滅して東軍総崩れで宇喜多もうって出ただろうな。
566人間七七四年:2010/05/17(月) 22:20:47 ID:EMk9q8k0
というか、関ヶ原で西軍が鶴翼を敷いたというソースあんの?
567人間七七四年:2010/05/17(月) 22:33:02 ID:1G5p3PyZ
さぁなぁ。
一般に鶴翼、鶴翼言われてるからね。
戦国〜江戸時代に果たしてカクヨクだの魚燐だの奉仕だのほんとにやってたのか。
そんなの俺に揚げ足とんないでくんないかな。
俺に言わず歴史本書いてる人につっこんでな。
反論できないからってそういう重箱の隅つつくのよくないよ。
とにかく布陣図みても一応それっぽい布陣だし宇喜多が突出するのは論外ですね。

>東国兵の3倍の働きをするなら、防戦に徹する必要はないのでは?w
ま、こんな程度の低いこと書いてるあたり相当レベル低いノータリンのはわかりますがw
568人間七七四年:2010/05/17(月) 22:39:26 ID:EMk9q8k0
いや、反論するレベルにもないんだもん。
根拠なく、3倍だの2倍だの、熊本藩だの長州藩だの・・・

いつ、恥ずかしいと感じてくれるかなぁ、と思ってさ。
569人間七七四年:2010/05/17(月) 22:45:40 ID:1G5p3PyZ
http://up3.viploader.net/net/src/vlnet002089.jpg
の全体図歴史群像関ヶ原にのってるから見てみろ。
あさいV字型になってる。
これは鶴翼でいいだろ。
はい>>566はただの馬鹿決定。
次。
570人間七七四年:2010/05/17(月) 22:48:59 ID:1G5p3PyZ
反論できないから「鶴翼を敷いたというソースあんの?」
だってwww
こいつは小学生かw
どういう布陣だったかもしらんでこいつはアホすぎる。
関ヶ原 布陣図で検索してもゴロゴロ出てくんだろw

宇喜多が守勢だったのに対し
>東国兵の3倍の働きをするなら、防戦に徹する必要はないのでは?w

これは爆笑もんw
571人間七七四年:2010/05/17(月) 22:50:23 ID:EMk9q8k0
浅いV字で鶴翼かw
君はゲーム板行った方がいいんじゃないかな?
572人間七七四年:2010/05/17(月) 23:11:43 ID:AUP8S7q+
朝鮮出兵で善戦したのは小早川軍じゃなかったか?
573人間七七四年:2010/05/18(火) 01:45:38 ID:Yw6LK5Bn
http://up3.viploader.net/net/src/vlnet002089.jpg

上の図を見ていつも思うけど
東から関ヶ原に入る際に東海道本線と名神高速道路側しか侵入路が無いのだから
それを扼すように南宮山を中心に他の山系にも山際に防衛線を敷いておけば
西軍が最初から優勢に見えるのだが
なんで、そうしなかったのだろう?
574人間七七四年:2010/05/18(火) 01:50:23 ID:l2SNOXpA
1G5p3PyZは馬鹿?
そもそも話の前提が東軍の3倍の活躍するとかまったく根拠の無い話を
さも1級資料でも読み上げているかのように言われてもな

>>572
結構活躍している
575人間七七四年:2010/05/18(火) 02:48:11 ID:kH/QdFRt
小早川が西軍になだれ込んで勝敗が決まったように
東軍に流れ込めば前線は必ず崩れる。これは間違いない。

でも東軍の場合は三河3万旗がまだ動いてないから
総崩れにはならない。これも間違いない。
576人間七七四年:2010/05/18(火) 02:49:42 ID:kH/QdFRt
三河って何言ってんだ俺は
577人間七七四年:2010/05/18(火) 07:04:44 ID:anoqRqQ3
>>570
>東国兵の3倍の働きをするなら、防戦に徹する必要はないのでは?w

これって、オマエの妄想に対する皮肉だろwww
爆笑なのはオマエの頭だw
578人間七七四年:2010/05/18(火) 08:24:43 ID:Cr+SmMpl
>>573
その地図見て思うのは
佐和山-大垣を維持し続けていればそもそも関が原で野戦迎撃を試みる必要すらなかったような
大坂に進みたいというのなら好きに進ませておけば途中でにっちもさっちもいかなくなる

           佐和山
                     大垣     赤坂(東軍)
大津(立花・秀包など)


大和(西軍)
               伊勢(主要地は西軍)                
579人間七七四年:2010/05/18(火) 08:47:33 ID:jQjP84q8
家康がそこまで馬鹿じゃないと勝ち目無いんだよな
580人間七七四年:2010/05/18(火) 09:58:00 ID:MdjwzSe1
>>578
白黒はっきり敵味方が分かれていれば、成り立つ机上の空論だな
581人間七七四年:2010/05/18(火) 10:49:24 ID:UBRCz37k
もう関ヶ原で負けてても最終的には徳川が勝った気がする
582人間七七四年:2010/05/18(火) 14:55:14 ID:Yw6LK5Bn
>>581
俺は家康も三成も短期決戦に賭けたんだろうと思ってる。
半年も長引かせてどちらが勝ったところで九州、東北、北陸あたりは割拠してしまって
旧大和朝廷くらいの支配領域しか持たない政権になったのではないだろうか?
特にオールオアナッシングを三成は強く念じてたとうにしか思えない。
gdgdの戦いにして長引かせようと思えば普通に可能だったがそうしなかった。
583人間七七四年:2010/05/18(火) 22:05:09 ID:rDRmyO2Y
家康→私利私欲に走る老害
西軍→正義のために立ち上がった勇者たち
584人間七七四年:2010/05/18(火) 22:12:27 ID:E+f5+BTG
あと三成にすれば織田秀信の大ポカで岐阜の防衛ラインがあっさり抜かれた事も影響してるのでは。
更にこの頃には諸将が勝手な動きをしだしてる。まとめ役として総大将に祀り上げた輝元は来てくれない。
長引かせるとどうなるかわかった紋じゃないから仕掛けられるときに仕掛けたんじゃないの。

関ヶ原で家康を討ち取れなくてもそれで勢いも尽くし、西軍もまとまるし、勝ち馬に乗って寝返ってくる奴も出るかもしれないし。
585人間七七四年:2010/05/18(火) 23:02:53 ID:y4zDNpi9
>>584
つまり、大垣放棄に追い込まれていたのは西軍で、
戦略レベルではすでに敗北していたってこと

これで戦術レベルの勝利がどう影響するかなんだがな
戦略での敗北を戦術の勝利が覆すなら、この場合家康を殺すか捕らえるしかない
しかしそれが出来たか、というと正直、架空戦記レベルのありえない奇跡が起こらない限り不可能だと思う
586人間七七四年:2010/05/19(水) 00:27:02 ID:SeGAOc0Z
関ヶ原で勝ったとして、家康討伐軍を関東まで送れる奴がどこにいるんだろうな。
587人間七七四年:2010/05/19(水) 00:34:34 ID:fwf4Y28S
戦略レベルもなにも赤坂から大垣飛ばして関が原経由で江南に向かうというある意味で
暴走し始めた東軍にお付き合いせず大垣に2〜3万(大谷+小西+史実通りの福原など)
残して半日程度の距離保って後から着いて行くだけでいい。
大垣には2〜3万いれば秀忠軍が赤坂の東軍と合流したとしても早々に抜けられはしない。
関が原以西には佐和山城と大津攻略済み部隊がいるのでどの道東軍はそれより先には
無接触では進みようがないし野戦に持ち込もうにも前後からの挟撃しかも山間部。更に
言えば佐和山領の庭先。
前後で挟んで長期対陣になれば江南平野地帯に東軍が出る前に兵站面から瓦が解始まる。
東軍が江南ではなく江北目指して北国街道から北に進むというのなら改めて赤坂を落とせばいい。
588人間七七四年:2010/05/19(水) 00:54:36 ID:SeGAOc0Z
敵の兵糧が尽きる前に味方の戦意が尽きる心配をしたほうがいいと思う、
これはもちろん家康にも言えるけど。
589人間七七四年:2010/05/19(水) 03:31:23 ID:DQDf1kiw
>>587
いや、違うんだよ
そもそも西軍は少なくとも美濃一帯を掌握し、東軍西上までに清洲を取り
矢作川・境川あたりに防衛ラインを作るのが初期戦略だった
それが伊勢にかかずらわってたせいで清洲を攻め取れず、
この時点で岐阜・犬山・竹ヶ鼻まで防衛ラインを下げざるを得なかった

しかし、伊勢方面に散らばっていた西軍はまだ集結せず、
逆に小山から西上した東軍に速攻で岐阜を奪われてしまった
このせいで、本来の最終防衛ライン揖斐川まで戦線は後退

だが、この揖斐川も結局は渡河を許し、西軍は大垣へ退却
目と鼻の先の赤坂に陣を布かれ、さらに家康を迎え入れてしまう羽目になる
ここで既に当初の最終防衛ラインを抜かれてしまっていた

当初から陣城を築いていた南宮山・松尾山・藤川台以外には
野戦築城の遺構が出ていないことからわかるように、関ヶ原決戦は当初の予定になく、
つまりこれより東は防衛線として考えられてはいなかったことがわかる
しかし、関ヶ原を放棄して佐和山に後退すると、>>588の言うとおり味方の戦意が地に落ちる
もともと戦意が高いとは言えないところに、ここまで押し込まれてしまうと、
佐和山へ撤退するまでに「西軍に勝ち味なし」と見て脱落する者が多く出るだろう
南宮山の毛利やもともと会津下向予定だった長宗我部、不審な動きをしていた小早川、
三成に不信を抱いていた島津、脇坂・朽木ら四将、下手を打てば大谷もわからん
つまり、近江まで戦線を下げる選択肢はもう残されていなかった

そもそも>>587の方針は、東軍が全軍を大坂に差し向けることを前提にしているんだが、それはありえない
おそらく家康は赤坂に部隊を残して岐阜に戻り、大垣を押さえつつ秀忠を待ち、福島らの先遣隊が大坂へ向かうことになる
中山道沿いには妙な動きをする小早川が着陣して、東軍に抜かれてしまうと追いかけようにも蓋をされてしまう可能性が高い
さらに、小早川と東軍の残存部隊で挟まれる格好になり、実質ここで動けなくなってしまう
というか、こうなってしまうから西軍は大垣を出ざるを得なかったわけで
一定距離を保っての追尾などというのは机上の空論ということだよ
590人間七七四年:2010/05/19(水) 05:56:18 ID:c+kfAEYE
>>586
実戦経験豊富な西国兵は経験の無い徳川兵の3倍の能力がある
関ヶ原で勝利となればさらに倍、豊臣が西軍支持確定でさらに倍

関東討伐なんか余裕すよ
591人間七七四年:2010/05/19(水) 15:57:46 ID:B40IY3yn
要するに三成の挙兵は早すぎたってことですか
592人間七七四年:2010/05/19(水) 17:23:43 ID:ibKGetbb
敵が非常に多い三成の挙兵じゃ早いも遅いも無いかも。
それに前田利家とか織田家古参の大大名じゃないと徳川に並ぶのは無理に思う。
せめて豊臣秀長、豊臣秀次の正当な旗頭と蜂須賀正勝、前野長康ら豊家最古参が生きていれば
593人間七七四年:2010/05/19(水) 17:24:05 ID:7wWe2uPp
>>590
釣られません
594人間七七四年:2010/05/19(水) 18:02:55 ID:0DjT0H9l
>>592
秀次が生存なら家康は一世一代の博打など打たずに
関八州の太守として人生をまっとうしたと思うよ。
東国の武将の多くが秀次派だったし家康に天下を獲れる目が無い。
595人間七七四年:2010/05/19(水) 18:30:22 ID:c+kfAEYE
秀頼vs秀次があるかもしんないからまったくというわけではないとおもう
596人間七七四年:2010/05/19(水) 23:36:22 ID:+e1aIHks
内大臣の家康と中納言連合の西軍では格が違うのでは?
こういうとこも影響したのではないかな。
597人間七七四年:2010/05/20(木) 00:03:59 ID:FlF422M2
>>596
それもあるだろうし
ただ純粋に輝元、三成、秀家、家康の4人で一番将器があり勝つ確率が高いのが
家康と目されたんだろうね。
万一、三成に家康以上の人望と将器があると見なされてれば普通に大多数は西軍についたでしょ。
どちらが勝つか全く分からない人は東軍・西軍の両方に兵や情報や兵糧を送って保険かけたわけだし。
598人間七七四年:2010/05/20(木) 00:38:35 ID:QbWIXEaS
家康から見たら、一世代下の小僧どもだな。
苦労知らずのボンボンと、虎の威がなくなった狐相手なら楽なもんだ。
599人間七七四年:2010/05/20(木) 00:50:18 ID:XuVva4id
中納言は毛利→瀬戸内、上杉→山形で局地戦のみ。
織田はプライドだけ、浮田は見栄だけ。
所詮、スケールが小さい。

金ごは?
600人間七七四年:2010/05/20(木) 01:27:45 ID:CMmR+Xga
関が原で東軍が負けたとして、沼田はどうなったかのう・・・
601人間七七四年:2010/05/20(木) 18:33:53 ID:TXuGIlfb
徳川がやった大名鉢植え政策は、当時の権力者なら似たような発想持っていたと思う。
豊臣政権の失敗を目の当たりにしたわけで。

だから仮に西軍が勝ってその後めちゃめちゃになるってのは正しくない。
602人間七七四年:2010/05/20(木) 21:00:54 ID:yB9Mi1ye
>>599
朝鮮で陣頭指揮とって明軍とガチでぶつかってた>金吾
603人間七七四年:2010/05/21(金) 01:15:35 ID:2VtedLO8
>>592
秀長が長命を保ってれば、そもそも関ヶ原の戦自体起きないんだがな
604人間七七四年:2010/05/21(金) 01:32:01 ID:tOigRM75
>>602
世界に羽ばたいてたんだな。
関が原くらいじゃ物足りなかっただろう。
難攻のさわやまを一日で落とせたのも軍神金吾のおかげ。
605人間七七四年:2010/05/21(金) 02:10:27 ID:tC+/1RpA
当時はほんとに総大将の人望、カリスマが勝敗を左右してた
前田利家から利長に代替わりしたときの前田家の戦力をみればわかる
もし家康が秀吉と同時期に死んで秀忠になっていれば、
三成は秀忠を簡単に組み伏せていただろうな
606:2010/05/21(金) 03:20:37 ID:GomjcuTl
秀吉の甘さと
家康の長寿

学ぶべきところはここ

甘いと墓まで荒らされて足元すくわれるだろうし
長生きするといいことある

そういう事だよ
607人間七七四年:2010/05/21(金) 04:44:39 ID:D8Q6uGWy
>>605
家康が居なきゃ正則軍団に成敗されてるわ
三成なんて
608人間七七四年:2010/05/21(金) 05:15:37 ID:2TGnrB/E
正則軍団w

中学生生活は楽しいでちゅか〜?w
609人間七七四年:2010/05/21(金) 09:38:08 ID:tOigRM75
>>606
んじゃあ浮田秀家や伊達政宗は長生きしていいことあったのか?
610:2010/05/21(金) 09:47:33 ID:GomjcuTl
>>609
天下人の器じゃなかったって事さ
家康が60歳で死んでたら、大阪の陣は起きなかった
611人間七七四年:2010/05/21(金) 09:55:16 ID:Y8SUaXB0
いや石田三成とその他の争いは止められない
612:2010/05/21(金) 09:57:08 ID:GomjcuTl
家康いなかったら
石田VS福島軍団で
史実のように、佐和山に隠居して一件落着ではないのか
613人間七七四年:2010/05/21(金) 10:06:41 ID:Y8SUaXB0
秀吉の死を待っていたのは徳川家康だけじゃないでしょ。
大老と奉行の対立や、淀派と高台院派の派閥も出来ていたのも忘れちゃいけない。
614人間七七四年:2010/05/21(金) 10:32:31 ID:2VtedLO8
だが豊臣の天下を簒奪しようと目論んでいたのは家康ただ一人
他の連中の思惑なんぞどーでもいい
615人間七七四年:2010/05/21(金) 11:30:44 ID:A5E2jLvH
>>614
他の奴等はあわよくば割拠独立(上杉、島津他)
運がめぐってきたら天下獲りレース参戦(如水、伊達他)くらいだものな。
積極的に豊臣の天下を簒奪する意思を隠さなかったのは確かに家康一人だ。
616人間七七四年:2010/05/21(金) 22:05:35 ID:WiKVeUvH
>>601
というか、秀吉自体が鉢植え政策やってたからな
そもそも徳川自体植え替えられたんだし

ただそれを考えると、鉢植え=大名家の力を削ぐ、にはならない気がする
うまくやれば面倒な所でも大きくなれるってのを将軍家自体が示してるからなぁ
617人間七七四年:2010/05/21(金) 23:09:44 ID:tOigRM75
てか、関東全部って秀吉やりすぎw
70まで生きてても伊達・徳川が組んで
反乱すれば簡単に天下取れたんじゃね?
618人間七七四年:2010/05/22(土) 09:30:20 ID:EXpPcfXT
秀吉存命中の徳川の反乱は無いでしょ。逆に秀吉が関東攻めをする可能性なら
あるかもしれないけど。
秀吉が丹羽長秀亡き後にした事を考えれば、仮に家康が先に死ねば
間違いなく徳川家を解体していたな。




619人間七七四年:2010/05/22(土) 09:54:47 ID:CFMsQFrV
>>618
うむ 秀吉政権では代替わりのときすんなり所領が安堵されることはない
とくに家康の場合、所領が巨大すぎるのでかならず減らされてた
620人間七七四年:2010/05/23(日) 00:18:54 ID:3KLqz2cQ
朝鮮でも大活躍の金吾さま。すてきすぐる
621人間七七四年:2010/05/23(日) 00:25:30 ID:GXWkfVhi
慶長の役に行った年齢は15歳。まだその頃は隆景の旧臣がいたらしいから活躍したのは彼等かな
622人間七七四年:2010/05/23(日) 03:34:32 ID:hmMr5NNP
まあ最終的言えるのは東軍が勝たなくては今の我々は居らんよ!!
623:2010/05/23(日) 04:43:27 ID:KasO/Qb8
秀吉甘過ぎ
家康殺しちゃえばよかったのに

天下人の器は断然、秀吉>>>>>>>>>>家康だ
624人間七七四年:2010/05/23(日) 10:54:24 ID:HZMLNMxN
>>623
家康を臣下にして北条を滅ぼすまでは
たいした器だと言えるが
その後は展望もなく迷走に陥ってしまったがな
625人間七七四年:2010/05/23(日) 13:07:57 ID:SxrRwL/Z
朝鮮征伐する代わりに家康に難癖つけて徳川征伐をすべきだったね。
家康が頭を丸めて高野山に上るなら秀忠、秀康の二人に50万石与えて徳川の名跡だけは継がせるとか条件出して。
626人間七七四年:2010/05/23(日) 14:02:47 ID:31kAUJG+
秀吉が家康を罰することはありえないだろ。
家康を一番信頼してたのが秀吉だし、だからあれだけ臣下に加えるのに拘ってたのでは。
事実豊臣家が安泰のうちは律義者で売ってた家康は忠誠を尽くしてる。
ただチャンスと見れば豹変して一気に襲い掛かるのも家康。その二面性の徹底的な使い分けは凄い。

秀吉のミスは朝鮮戦線の停滞と秀頼誕生に気をとられて豊臣家の安定を蔑ろにしてたこと。
ぶっちゃけ政権がちゃんとしてたら家康が大老につく事も、その後その制度を利用して乗っ取る事も無かった筈。
秀吉の天下を取る才覚は当時図抜けてたが、それを治めていく才覚はイマイチだったのかな。
627人間七七四年:2010/05/23(日) 14:09:12 ID:3KLqz2cQ
>>621
当時の15歳は十分大人。
戦国の石川遼くんみたいなプリンス金吾。
すごすぐる。
628人間七七四年:2010/05/23(日) 14:10:37 ID:GXWkfVhi
徳川家に対してあれだけ譲歩しなきゃいけなかったのは
決して信頼じゃないって。
織田家の勢いがある内に日本統一しとかないと地盤がゆるゆるの
秀吉が没落しかねなかったからでしょ。
629人間七七四年:2010/05/23(日) 14:29:46 ID:3KLqz2cQ
てか、小牧長久手で勝てないのは痛かったね。
金吾に命じて朝鮮でなく関東を攻めさせればよかったのに。
630人間七七四年:2010/05/23(日) 18:52:36 ID:uxo4On7q
やはりキーパーソンは金吾さんですか!
631人間七七四年:2010/05/23(日) 23:21:46 ID:SxrRwL/Z
三成のアホは金吾さんを西軍の総大将にしてたら勝てたんや!
ビッチな輝元なんかを総大将にしたから負けたんや!
632人間七七四年:2010/05/24(月) 00:42:37 ID:kGOj5zCH
秀秋の人生は哀れだな。完全に徳川から当て馬にされた。
西軍の残党からは怨嗟の的で、東軍からは裏切り者のクソ扱い。

戦後に小早川家で内通の主犯の平岡&稲葉両家老は
秀秋と対立したらしいし、その他も出奔が相次いだらしいし。
400年後の現代でに至るまで汚名は消えない。

吉川はその点上手く生きたもんだ。同情の方が大きいし。
633人間七七四年:2010/05/24(月) 03:38:46 ID:RzS9SkyN
金吾はやり方がな。
当時の戦でも、怪しいとはいえ前線まで出てきて味方と認識される出陣をしときながら
土壇場まで日和見しといて後から切り付けるってのはあんまりない。
っていうか忌み嫌われる裏切りの仕方だから、どうこう言われても仕方ないわな。
旗色不鮮明にした時点で前線から後退して鍋島みたいに日和ってれば
後世まで色々言われることも無かったんだけどね。
実際小早川勢で反発して動かなかった松野主馬は東軍諸将に賞賛されて大封で招かれてるし
戦後も出奔する家臣が絶えなかったしなぁ。
ついでに小早川勢相手に奮戦して壊滅した大谷・平塚・戸田が賞賛され有名になっちゃった皮肉。
大谷なんてあれがなければ地味に良い武将のままだろうし、平塚・戸田は無名のままだったろう。

あと朝鮮のときうまく立ち回ってれば確かに大将格にはなれたろうな。
634人間七七四年:2010/05/25(火) 00:44:11 ID:bPdkkZi8
金吾はすげえよな、伏見にさわやまぶっこ抜いてるんだから!
635人間七七四年:2010/05/25(火) 19:29:28 ID:U0Fnn/sO
そもそも金吾さまを裏切って関白にしなかった秀吉が悪いんだろ。
こんな豊臣家は裏切られて当然。
636人間七七四年:2010/05/25(火) 21:54:37 ID:8e6h3V8R
>>635
お前が何を言ってるのかがわからない
金吾に関白とか大法螺吹いたのは石田三成だろ
秀吉は秀次に濡れ衣着せて粛正したマジキチ
637人間七七四年:2010/05/25(火) 21:57:42 ID:GgHkZ4qJ
仮に秀次が生きていて何ができる。織田家から簒奪した天下だし
2代目が跡を継ぐ保障はどこにも無い。
638人間七七四年:2010/05/25(火) 22:22:01 ID:U0Fnn/sO
>>636
何を言ってるんだ。
秀次なんか関白にしないで最初から金吾さまを関白にすべきだったんだ。
金吾さまを裏切った秀吉はマジキチ
639人間七七四年:2010/05/26(水) 00:07:02 ID:0VWBm8EI
優秀だと夭逝しちまうんだよなあ。
伊達だの浮田だの家康なんてムダに長生きなのに。
640:2010/05/26(水) 04:55:32 ID:DrijH2ja
>>625
それをしないのが秀吉のいい所じゃないか
外様の直江に30万石で勧誘したり
蒲生に90万石与える大盤振る舞いするから
人心掌握して天下を取れた

家康は危険分子を徹底的に潰したからな、
秀吉存命中では家康は絶対天下取れなかったと思う
641:2010/05/26(水) 05:00:41 ID:DrijH2ja
同盟者の伊達すら天下取った後謀反の疑いあり〜とか
難癖つけて潰そうとしたんだぜ?

秀吉時代では他大名は取り潰しの恐怖にビクつく事はなかったろ
642人間七七四年:2010/05/26(水) 05:43:04 ID:0VWBm8EI
信雄とかつぶされてるけどな。秀秋もつぶされかけたし。
643人間七七四年:2010/05/26(水) 06:30:59 ID:HVBE6bVr
羽柴四天王の家はことごとく秀吉自身の手によってつぶされた。
644人間七七四年:2010/05/26(水) 08:25:44 ID:0VWBm8EI
三成は金ごの領地を取ることにになりそうだったんだからビミョーに
嫌われたんだろ
645人間七七四年:2010/05/26(水) 16:10:53 ID:CpX2UA5F
秀秋の陣羽織がカッコいいな
646人間七七四年:2010/05/26(水) 20:16:12 ID:jQBcDqOj
秀秋が公約通り関白になっていたら・・
するかなあの石田三成が。
647人間七七四年:2010/05/26(水) 20:23:15 ID:uOmlNy7z
>>641
秀吉の気分でガンガン取りつぶされてるんですけど・・・
648人間七七四年:2010/05/26(水) 22:03:43 ID:kwx9zJg5
>>641
出来た弟が生きてたあいだあけな。
649人間七七四年:2010/05/26(水) 23:56:51 ID:0VWBm8EI
>>646
というか、直前じゃなくて始めからそうやってお願いするのが筋。
相手をどなたと心得ているのか。
浮田よりしたの扱いとかありえんだろう。
650人間七七四年:2010/05/27(木) 00:08:50 ID:CJy044mV
筋というなら初めから東軍につくのが筋じゃないかね?
651人間七七四年:2010/05/27(木) 00:15:15 ID:qEyBU7/4
筋を違えたやつには与しないところが男だろう。
652人間七七四年:2010/05/27(木) 00:16:26 ID:TKMG5cLw
>>650
何で関白の御連枝が三河の土豪の下に付くんだ?
意味分からん。
653人間七七四年:2010/05/27(木) 00:34:26 ID:CJy044mV
関ヶ原時の三河領主はだれだっけ?田中吉政とか池田輝政とか水野勝成か。
その頃の徳川は日本最大勢力の関八州太守
654人間七七四年:2010/05/27(木) 00:54:14 ID:ixHrYdLy
>>652
御連枝(笑)をあれだけさんざん冷遇して潰す寸前まで追い込んだ
秀吉の息子や腰巾着なんぞに付く方がわからんがなぁ
家康は小早川改易騒動のときかなり動いてくれたから、味方する理由はあるんだよ
655人間七七四年:2010/05/27(木) 12:12:40 ID:Ojbhi9RI
秀秋は家康にかなりの恩義を感じてるはずだね
家康対三成の構図で
家康に反旗を翻す方がどうかしている
656人間七七四年:2010/05/27(木) 21:10:00 ID:CJy044mV
石田三成・淀派と徳川家康・高台院派のなかじゃ
秀秋はどう転んでも東軍につくわな。

せめて土壇場の裏切りじゃなければ名を残せたのに
657人間七七四年:2010/05/28(金) 00:49:45 ID:mtxLG27v
KINGO様に足りないのは野心だった。
自分が天下人になるという明確な野心さえ持ってれば
どうとでも賽を振れた。
人が良すぎたんだよな。
658人間七七四年:2010/05/28(金) 02:07:32 ID:mtxLG27v
朝鮮征伐で振るった蛮勇をもう一度思い出せば良かったんだ。
関ヶ原で家康目がけて一直線に首を獲り
返す刀で糠喜びしてる三成と秀家をぬっ殺してれば天下人だった。
659人間七七四年:2010/05/29(土) 19:03:40 ID:iQOqHeIz
天下人としての資質もあっただろうな。
軍才だけでなく治世の天才でもあったのだから。
660人間七七四年:2010/05/29(土) 19:52:26 ID:oUv3QVWg
よく考えたら秀秋はもちろん、加藤、福島あたりはぜんぶおね様が家康につけと
説得したからついたんだよな おね様はどう考えても秀頼は秀吉の子ではない、
あの嫌な女の絶対ゆるされない詐欺と思ったのだろう
ってか実際そうだろうなあ 種なしだろ秀吉
おね様だけでなく、なんとなくみんな誰の子だよって思ってたんだよ
それが戦の結果に大きく反映されてしまった・・・
661人間七七四年:2010/05/29(土) 21:53:25 ID:9ucz7zuX
石松丸や鶴松の存在も否定するのか?
662人間七七四年:2010/05/30(日) 00:07:45 ID:xQ2k6xd/
北政所が加藤、福島に対して東軍につけと言った資料は残ってないのでは?
家康が戦後に北政所に対して化粧料を贈ったことから生じた誤解だと聞いてる。
663人間七七四年:2010/05/30(日) 00:50:49 ID:JC21XvNl
じゃ北政所が秀秋にアドバイスした話は?
664人間七七四年:2010/05/30(日) 09:24:50 ID:KJ12h97P
おなかこわさぬように、というアドバイス
665人間七七四年:2010/05/30(日) 23:37:10 ID:fNfm6snu
なんで金伍があの当時あのポジションにいたのか
問題はそこだよ

俺らが金伍のポジションにいたらどーしてた?

俺なら西軍についたけどな
666人間七七四年:2010/05/30(日) 23:52:55 ID:6hgGwJNA
俺だったら東軍につくわ

理由→自分がgdgdしてた間も他の西軍みんなgdgdだったから

自分は東軍と内応取り付けるためにgdgdしていた
そしたら伊勢も大津もなんかgdgdしてて
なんか最初美濃で決戦とか言ってたのにあっさり岐阜取られてた
偉そうにしてた石田はテンパりまくってガンガン催促くるし
大坂からは不穏な噂が流れてくるし
結局みんな同じ穴の狢じゃね?と考えるとやっぱ東軍だわ
西軍あぶなっかしすぎる
667人間七七四年:2010/05/31(月) 00:03:58 ID:JtN/qEPr
俺なら天下獲ってたな
668人間七七四年:2010/05/31(月) 01:34:43 ID:mpI34SaG
>>665
東軍に着きたかったけど周囲はみんな西軍。
しょうがないから西軍のふりして働きながら徐々に東に移動して
前線に出たら東軍に合流するきだったのかな?
でも松尾山に陣取ったら三成の構想で関が原一帯が
いきなり決戦場にされてしまったと。
以前見たテレビでは、胡散臭い南宮山の連中や小早川を味方に
取り込むため、三成は関が原に布陣して東軍を迎え撃つ形を
とったと説明されていた。
(つまり篭城その他の策をとったら、南宮山や小早川は
そのまま東軍に着きかねないから)
669人間七七四年:2010/05/31(月) 01:47:57 ID:kQWtd0IC
戦場で東軍に寝返られる方が致命的じゃね?
つまり、史実が最悪のシナリオと思うんだが。
戦闘前に旗幟鮮明にしてもらった方が戦い様がある。
670人間七七四年:2010/05/31(月) 01:58:50 ID:JtN/qEPr
>>669
家康は実際そう考えてたんだよな。
福島に寝返られるリスクがあっても、あえて関東出立遅らせたり
秀秋への催促鉄砲とかその類かも。
でも三成方は戦闘前に旗幟鮮明にされても戦い様は無かったような・・・
671人間七七四年:2010/05/31(月) 03:41:02 ID:br7cVT7O
>>669
連中が寝返る前に西軍に留めたまま、戦闘したかったんでしょう。
あと三成の潔癖感があったと思う。
戦後に吉川が毛利家中からぼろくそ言われたり、小早川が改易されたあと
小早川浪人が嫌われてなかなか仕官できなかったりした事実。
それを三成も予想していた。
俺ならそういう哀れな目にあうのはごめん→つまり戦場に引きずり込めば
裏切りは出来ない。
こういう思考だったんではないかな?
672人間七七四年:2010/05/31(月) 04:34:03 ID:JtN/qEPr
大垣城篭城を三成が選択したならば速攻で東軍が秀秋を囲い
単独で東軍の中に取り残された秀秋は当然、何食わぬ顔をして東軍に参軍し
次いで大垣城を包囲しながら南宮山を包囲して東軍に吸収し
次いで宇喜田、小西、石田、大谷の部下たちに撒き餌と脅迫をした上で
韓信のした四面楚歌の戦略で末端の足軽たちを戦線離脱するよう促し
西軍を立ち枯れさせていくという至極当然の策を家康は施しただろうな。
当然、秀忠軍もすぐに合流するので大津城を落とした立花たちが美濃に入らないように
抑える軍勢もちゃんと確保ができる。
とうぜん、三成方には大津城、佐和山城が落ちたと流言を流し
大阪方や大津勢には三成たちは既に滅んだと流言し不安に落としいれ
部下がずるずる抜けていくよう工作していく。
まともに戦うことすらかなわず西軍が降参せざるを得ない方向に持っていく。
673人間七七四年:2010/05/31(月) 05:12:00 ID:CDfvr/4e
家康は惰弱な秀秋を用心して監視役を傍に張り付けてたのに、
三成はなんもしてない。甘いな。
だから寝返りくらったんだよ。
674人間七七四年:2010/05/31(月) 05:21:26 ID:cgOme5l7
だいたい、浮田や毛利を差し置いて金吾を関白になんかできるわけないのに。
付け焼刃過ぎるんだよね。
ホントにそう考えてるなら大将にして始めからそういって勧誘すべきなのにさ。
裏切りそうだから・・・って。金吾なめんな。
675人間七七四年:2010/05/31(月) 08:53:35 ID:lQaS+KtZ
旗色なら東軍なんだけど史実のような裏切りでは後々大変じゃないか?
676人間七七四年:2010/06/01(火) 23:22:26 ID:3PiU8br5
大津高宮で水浴びをした金吾さま御一行。

さすが人心掌握にたけた名将。
677奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/06/02(水) 21:10:57 ID:adTQm1Qe
曹豹血盟ナントカに敬意を表しつつ、金吾再評価運動でも始めようか。
678人間七七四年:2010/06/02(水) 23:41:10 ID:kBl2YoGn
朝鮮で揉まれた強豪小早川を副将に据えるべきだった
679人間七七四年:2010/06/03(木) 04:34:20 ID:6+vX12e3
>>677
魏延どのも最近は名誉が回復されてきてるよね。
680人間七七四年:2010/06/03(木) 05:07:57 ID:GEzJgJW7
魏延と馬謖は全然悪く無いし
孔明がキチガイ
681人間七七四年:2010/06/03(木) 05:26:38 ID:R7BSupBQ
魏延はもう名前からして悪い
蜀軍の将軍が務まる名前じゃない
682人間七七四年:2010/06/03(木) 13:25:57 ID:6+vX12e3
228年、街亭の戦いで諸葛亮は馬謖を用いようとしたが
諸将は実戦経験豊富な呉懿や魏延を推挙したという。
だが、諸葛亮は聴き容れず、かえって馬謖を任用して大敗を喫した。

↑呉懿や魏延は名前からして裏切り者だから用いなかったんだろうな。
683人間七七四年:2010/06/03(木) 13:33:20 ID:6Kb+/kFW
>>682
2行目以下は初めて知った。
諸葛のやつひでえな。自分の失態をごまかすために馬謖を斬ったわけだ。
684人間七七四年:2010/06/03(木) 14:54:44 ID:S1T1qXnV
諸葛亮は叩き上げより才走った秀才タイプが好きだったのかね
685人間七七四年:2010/06/03(木) 15:36:05 ID:6Kb+/kFW
>>684
自分がそうだったからじゃね?
686人間七七四年:2010/06/03(木) 17:14:06 ID:soSNNMQS
孔明は馬謖の扱い方で劉備に『言葉だけで、実が無いからあまり用いるな。』って言われたのに無視したからね。
687人間七七四年:2010/06/03(木) 17:56:44 ID:6+vX12e3
三成も自分の作戦のまずさが原因で負けたくせに
まるでKINGO様が裏切ったから負けたみたいに装ってるものな。
その点だけは孔明に似てる。
688人間七七四年:2010/06/04(金) 00:26:29 ID:mPSadoPu
だから金吾は伊藤もりまさ追っ払った時点で東だってえの。
689人間七七四年:2010/06/04(金) 22:39:31 ID:9SidnNgw
でも魏延みたいに、敵が魏延を恐れて逃げ出さないと蜀軍が全滅しますなんて
意味不明な作戦案を提案されても困る。

↑史実でマジで提案してきた
690人間七七四年:2010/06/04(金) 22:56:38 ID:4Q/l/bJB
魏延は何だかんだ言っても生涯、劉備と諸葛亮に忠実だったからな。
あそこまで叩かれる理由は確かに分からん。
691人間七七四年:2010/06/04(金) 22:59:37 ID:nxThDAdr
>>688
伊藤盛正は石田三成に大垣城を明け渡せって
強引に言われて明け渡したじゃん
実際は東軍だが、それだけで東とは言えないだろう
692人間七七四年:2010/06/04(金) 23:12:11 ID:dcXcd0NK
石田「ここ(大垣城)を西軍の本陣にするからお前出てけよ」
小早川「ここ(松尾山)は俺が布陣するからたかが3万ちょい程度の石高しかもたねー弱小大名はさっさと出てけよ」

前年に親父が死んで家督継いだばかりだからか知らないが、この扱いの挙句改易喰らう伊藤盛正。
693人間七七四年:2010/06/04(金) 23:23:21 ID:mPSadoPu
いとうもりまさがキーパーソンだったんですね。
694人間七七四年:2010/06/05(土) 04:22:25 ID:mddcE7ZH
関が原で、もし伊藤盛正が東軍に攻めかかったら勝ってたな
695人間七七四年:2010/06/05(土) 11:50:17 ID:qTG+T+6F
大村益次郎1000とミニエー銃1000丁タイムスリップするだけで西軍勝てたな。
696人間七七四年:2010/06/05(土) 18:05:37 ID:TgVCnDgm
弾がないだろ
697人間七七四年:2010/06/05(土) 20:44:19 ID:cbzTYuvp
せガール3人居れば余裕
698人間七七四年:2010/06/05(土) 23:24:10 ID:6llPM/ej
>>692
伊藤盛正・・・同情するよ
699人間七七四年:2010/06/05(土) 23:29:52 ID:6llPM/ej
伊藤盛正
関ヶ原の前哨戦で福束城救援にも出かけたけど
戦わずに大垣城に逃げ帰ったりもしてたし
700人間七七四年:2010/06/05(土) 23:43:24 ID:mddcE7ZH
ランボー3怒りのアフガンの人が東軍に攻めかかったら勝てたな。
701人間七七四年:2010/06/06(日) 02:48:32 ID:AH84oRhF
伊藤もりまさはマジ注目せねば
702人間七七四年:2010/06/06(日) 02:51:46 ID:XBeA/kF6
なんかさ。
朝鮮戦争から見れば戦国の戦いってガキの喧嘩だよねwww
そんな戦国時代の教養を自慢してるお前らって民度低過ぎwwwww
703人間七七四年:2010/06/06(日) 08:00:16 ID:u61I5UqH
スネーク一人送り込むだけで家康暗殺して西軍大勝利だったな。
704人間七七四年:2010/06/06(日) 09:31:50 ID:AH84oRhF
チョソいらね
705人間七七四年:2010/06/06(日) 12:05:18 ID:a0z1aFoQ
有名大名に埋もれたまま、散って行った
たくさんの小大名達にロマンを感じるなら、、、


もしも小大名だったら、、、【和気藹々1】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1273053429/l50
706人間七七四年:2010/06/08(火) 06:00:25 ID:f2n1HUJf
金吾殿
707人間七七四年:2010/06/09(水) 04:36:13 ID:dMxegKFP
伊藤盛正で大河
708人間七七四年:2010/06/09(水) 19:23:06 ID:4slZJbMy
なら主演は香取でw
709人間七七四年:2010/06/09(水) 23:21:06 ID:EHtdOMrX
初回は大垣から追い出され、涙ぐみながら松お山での再起を誓うシーンでスタート。
で、回想シーンで幼少期へ。
第1話
「治部少現る」
710人間七七四年:2010/06/10(木) 22:10:53 ID:K9167Q2q
当時は10代だよね
それなら晩年まで演技が出来そうな
えなりかずき君が適役かと思う
711人間七七四年:2010/06/11(金) 12:09:18 ID:ybDuErBP
第2話「天下騒乱」

豊臣政権化の比較的平和な世の中で、成長するもりまさ。
しかし、秀吉の死が伊藤家にも暗い影を落とす。
父は、そんな時代の処世術をもりまさに伝えるのだった。

次回、第3話「父、逝く」
712人間七七四年:2010/06/13(日) 23:03:09 ID:fCQ/DscT
第3話「父、逝く」

戦乱急をつげる世相のなか、敬愛する父が病に倒れる。
父は、もりまさに戦乱の世の中を乗り切る術を死の間際まで伝えるのだった。
もりまさは、父の教えを胸に、伊藤家の将来を背負い、立ち上がる。

次回、「東か、西か」
713人間七七四年:2010/06/13(日) 23:59:19 ID:EVnsuIkR
西軍が勝って秀秋が関白になってもなぁ・・・
豊臣政権なんて秀吉の死で終わっていたんだから、しょうがねえ
714人間七七四年:2010/06/17(木) 03:11:06 ID:OR6MOSU+
小早川さ〜ん
関白が少し出てますよぉ
715人間七七四年:2010/06/17(木) 10:13:52 ID:C491/Php
第4話「東か、西か」

ついに西軍挙兵。去就に揺れる伊藤家。
決断を迫られたもりまさは、ついに決断を下す・・・。
つもりが、美濃中納言が西軍につくとの報せが入り、
やむなく西軍に。
ホントは東軍がよかーたのに。夕日を仰ぐもりまさであった。

次回、「福束燃ゆ」
716人間七七四年:2010/07/03(土) 20:15:49 ID:712OIAvt
>>672
そもそも三成が慎重論を採ったとして
大垣篭城戦になり得るの?

秀忠と合流した総勢10万で大阪に西上すれば
後は吉川に交渉任せて
輝元に開城させれば、秀頼も手中に収められて
後は史実より難なく掃討戦に持っていけそうだが
717人間七七四年:2010/07/03(土) 20:23:26 ID:712OIAvt
>>671
三成の思考としてはできるだけ数留めておきたかったんだろうけど

大谷にとっては、
史実の崩壊の仕方(最初から対策してた小早川でなく、予想外の脇坂裏切りで崩壊)見れば
旗色鮮明な方がよほど安全策取れただろう。
一旦西に引いて士気の高い立花軍と合流、とかな
718人間七七四年:2010/07/03(土) 21:13:12 ID:Kn+FeDMv
時間が経てばたつほど九州は東軍(ないし反西軍)が優勢になるし奥州は
上杉役にたたねーし時間とともに状況が悪化する。
719人間七七四年:2010/07/03(土) 22:13:47 ID:dlz2NMfa
まぁ徳川の本隊も到着するしなぁ
でも西軍も大津城攻めてた立花が1万で合流するしなかなか
720人間七七四年:2010/07/03(土) 22:18:22 ID:Kn+FeDMv
たちばなのほんきょちがてきのてにおちちゃうけんについて
721人間七七四年:2010/07/04(日) 09:31:48 ID:1N7xcTA/
鬼島津がどうにかしてくれる
722人間七七四年:2010/07/05(月) 00:18:20 ID:ZXOaZrWM
義久「俺別に豊臣に恩ないし」
723人間七七四年:2010/07/06(火) 08:54:37 ID:zC7KeqJo
>>719
北から前田がやってきている訳だが
724人間七七四年:2010/07/06(火) 19:43:43 ID:64ig0d+l
仮に
大坂まで防衛ライン下げて、15年早く市街戦やってたら
毛利輝元が史実の小早川秀秋みたいな行動を採るんだろうか
725人間七七四年:2010/07/06(火) 20:18:30 ID:YV6oAnBl
初っ端からにしても後からにしても、諸将の士気は史実以上にガタ落ちだろうなあ。
大坂まで悠々と(片手間に水口とか佐和山落としつつ)進軍してくる東軍をみれば。
726人間七七四年:2010/07/06(火) 21:35:52 ID:EDoduyqe
>>725
佐和山は三成の本拠地だしなぁ
ここを落とされたら基本的に石田隊は大坂陣における浪人衆と同じ扱いになる
水口の長束もだし、大和郡山が所領の増田も同じで
押しも押されもせぬはずの「奉行衆」は哀れ揃って浪人に・・・ってことか

つまるところ、実質の最終防衛ラインは関ヶ原あたりだったってことか
727人間七七四年:2010/11/23(火) 01:29:00 ID:J2Td/eOf
明治に来日したドイツ軍将校は「西軍の勝ちだ」と断言したそうだが
裏切りや傍観がなければ必勝するような条件なのか?
素人が陣形を見る限り、東軍は包囲されてるから不利になったら逃げれない点は不利だが
兵力は互角なんだし西軍が大幅に有利とは思えないな。
728人間七七四年:2010/11/23(火) 03:12:07 ID:ugrZvPbz
>>727
ドイツ将校云々は与太だけど、西軍有利は間違いないんじゃね?
むかしNHKの番組で、自衛隊の人が解説してた。
729人間七七四年:2010/11/23(火) 03:53:54 ID:/Qn7piJt
南宮山取ってるのは大きいよ
730人間七七四年:2010/11/23(火) 17:16:52 ID:uMpUpDra
豊臣政権が250年の平和を築いた
731人間七七四年:2010/11/26(金) 13:24:05 ID:C8XJaHLN
1600年*9月 関ヶ原の戦い。東軍が破れ家康は江戸に撤退。
    東軍敗北を知らない秀忠軍と西軍が戦い秀忠戦死。
1600年11月 西軍が江戸を包囲。江戸の戦いが始まる。家康は篭城。
    毛利輝元が豊臣秀頼を連れて大坂を出発。
    態度を決めかねていた大名達が西軍に付く。
1601年*1月 江戸総攻撃。家康自害。徳川家滅亡。
1601年*2月 三成が五大老に選ばれる。小早川秀秋は関白に就任。
732人間七七四年:2010/11/26(金) 23:02:00 ID:5hA0Vhxg
>>728,729
純粋に布陣だけを見れば、確かに西軍有利なんだが
その布陣に至るまでの経緯があるから、実際には西軍有利は崩れてるんだよな

南宮山を素通りして東軍が進むということは、南宮山に陣取っていた軍勢は
東軍にとってはすでに主たる脅威ではなかったといえる
挟撃の可能性があるなら、そもそも素通りせずに南宮山勢を壊滅させてから進むのが鉄則
そもそも西軍が大垣を出るハメになった東軍が佐和山を攻めるという話も、
14日に小早川勢が松尾山に入ったことが原因だろうと思われるし
遺構を調査した結果、関ヶ原の陣跡には本格的な陣地構築の跡がないというし
すべての状況を鑑みていえば、関ヶ原に釣り出された時点で西軍の不利といえる
そもそも西軍の陣地自体が、相互連携の取りづらい位置にあるしな
三成のいた笹尾山から吉継のいた藤川台なんて、天満山に遮られて全然状況がわからん
733人間七七四年:2011/07/14(木) 08:53:50.72 ID:HzuP7sZS
関が原の戦いって実は万人単位規模の戦闘というのは実は嘘で、本当は数百人規模の戦闘だったんだよ!
734人間七七四年:2011/07/14(木) 09:33:18.56 ID:9zcmEpyB
>>732
松尾山を伊藤を排除して秀秋が入ったから西軍が大垣から出たなんてヨタ話は
とっくの昔の日本戦史からして不採用してる稲葉家譜だけが主張するデタラメだから。
なんせ伊藤は大垣から関ヶ原にやってきた三成隊の一員だし。
そもそも松尾山なんて主戦場からむちゃくちゃ離れていてどうでもいいくらいの場所。
735人間七七四年:2011/07/14(木) 11:49:45.71 ID:pJ77q0Va
>>松尾山を伊藤を排除
軍記作家がタネ本として利用するマンセー家譜を
論文で史実として書いたら学会で生きていけないだろ。
講談寄りの大衆向け雑誌で拾ったネタを戦国板で書くなよ。
736人間七七四年:2011/07/14(木) 14:19:34.59 ID:JgHTSql3
史学会で普通に定説だが、毎日2垢で必死なsubの脳内学会(笑)では違うらしいw
737人間七七四年:2011/07/14(木) 14:59:05.76 ID:tV35HUTK
相変わらず捏造マンセーが好きみたいだな
738人間七七四年:2011/07/14(木) 15:07:30.19 ID:pJ77q0Va
史学会で普通に定説www
739人間七七四年:2011/07/14(木) 15:41:13.10 ID:HzuP7sZS
>>733 おまえよくそんな事知ってるな!
740人間七七四年:2011/07/15(金) 09:35:25.38 ID:P/Yl3HFk
歴史学界でそんなの聞いたことがないわけだが。
どの歴史学者の論文に書いてあるのだね?
741人間七七四年:2011/07/15(金) 18:06:44.51 ID:EptZI+rj
歴史学界?歴史学者?
相変わらずsubは知ったかして無知晒すの好きだな。
742人間七七四年:2011/07/20(水) 18:15:09.30 ID:DySY15Kb
歴史学界でそんなの聞いたことがないわけだが。
どの歴史学者の論文に書いてあるのだね?
743人間七七四年:2011/08/09(火) 16:48:42.57 ID:p+wgir2y
学界って、、、釣りか
744人間七七四年:2011/08/10(水) 10:47:34.96 ID:r7c327Vq
史学会(史学研究会)の事は知ってるが、subのいう学界は知らんw
745人間七七四年:2011/08/24(水) 02:03:56.30 ID:Q7/f9eeD
元広島の小早川毅彦ってあの小早川一門なんだってな
戦前までは侯爵かなんかだったんだろうか
746人間七七四年:2011/08/25(木) 22:29:30.93 ID:+gz9cu4p
赤痢だったよ
747人間七七四年:2011/08/28(日) 04:44:03.46 ID:HP9V80jc
歴史家が中国がよくやるように話を大きくしている
実際に秀秋の軍勢は一万以下ですよ
だとしたら大谷は軽いだろうけど家康本軍に突入しても無理
西軍が勝つにはどのみち毛利が戦うしかなかったのだ。
問題は毛利が何故戦わなかったのかが問題
748人間七七四年:2011/08/28(日) 12:02:29.55 ID:jcZ+WsFp
関ヶ原の各隊の兵力なんて、戦前の参謀本部が石高万石あたり300人で出した概算だからな。
小早川勢が1万5千とされたのは秀秋が筑前52万石だったからだが、実際は朝鮮役の失態で減封されて30万石程度になってたから9千というのが最近の説。
749人間七七四年:2011/09/05(月) 06:52:30.94 ID:JcBa5D06
9千というのも怪しい気がするが
750人間七七四年:2011/09/10(土) 23:34:52.52 ID:B5zciwHw
んじゃ5000
751人間七七四年:2011/09/12(月) 17:54:07.30 ID:vUE48f9/
なるほど、実際15000もいなかったから、大谷隊が押し返すことができたのか
どうも、ここの所が合点いかなかったんだよね
752人間七七四年:2011/09/17(土) 23:41:25.39 ID:fI7pwwap
大谷は陣地しっかり作ってたからな。
753人間七七四年:2011/09/18(日) 04:04:42.25 ID:BnZ1uHkM
さすがに関ケ原は負けるだろう、一進一退の中での小早川の寝返りは間違いなく東軍勝利決定打、あれなくば厳しい戦いだったろ。仮に東軍に攻められては計画は完全に頓挫、秀忠の遅参もあり家康は戦いをやめ間違いなく軍を引く

その後、家康本隊と秀忠軍が合流、またどっかで総力戦になる

関ケ原で家康が引いたらまた流れが変わったかもね、やはり豊臣ってなって毛利や上杉は戦意上昇、如水も何かしてたかもね
754:2011/09/18(日) 17:38:25.23 ID:aFVmhk1X
挟み撃ちにして崩したら勝ちなんでしょ戦争って
鶴翼の陣はまさに挟み撃ちの戦法
755人間七七四年:2011/09/22(木) 13:34:28.03 ID:F9edp6Xg
笹尾山に即席じゃなくて、大谷ばりに初めから陣城つくっとかなかったみっつのミス。
毛利が来るための待つおやまとかって妄想は抜きに自分でやるべきことやれよと。
相手は弱いとこ突くに決まってるんだから平地に浮き田より小兵力でいた小西涙目ってとこか。
756愛宕権現:2011/10/06(木) 16:40:21.74 ID:q2/d055d
小早川が東軍本陣を真横から突いたら家康軍は混乱。
そして吉川、毛利軍も溜まらず出陣する。
 そして大谷の配置した、脇坂軍らが家康軍に攻め入り家康を討ちとったと思う。
福島軍は挟み撃ちにあい壊滅、東軍が逃げて終わり、
  徳川勢力も軟弱化、領地は厳封。
秀秋は関白になり政治を行い石高が上がり朝鮮出兵も続行。
 秀頼が成人すると五大老に秀秋が入る。
さらに続くと、今頃は首都は大坂で南蛮人が多い国になったと思う。
757人間七七四年:2011/10/06(木) 19:59:23.85 ID:JvHu0lPc
>>756
三成を殺させろ!!って吠えたって伝説もある秀秋君が、
関白にしてもらえるだろうか?
関白になれたとしても秀次の二の舞だろうな。

秀秋君に頼る時点で西軍の勝利なんか無理ゲー
758人間七七四年:2011/10/06(木) 20:44:50.84 ID:nnD51pGp
まあ義兄の秀次の末路を思えば、やるよと言われて嬉しい座ではなかったろうな
759人間七七四年:2011/10/06(木) 20:45:59.02 ID:nnD51pGp
こうして思えば、結局豊臣は滅ぶべくして滅んだんだな
760人間七七四年:2011/10/06(木) 22:33:58.91 ID:4iB5zpqf
秀次の妻子を殺したのは政権の寿命を極端に短くしたと思う
761人間七七四年:2011/10/07(金) 00:00:07.99 ID:Lr2zvb8N
秀次家族だけならまだ何とかなったかもしれんがそれと一緒に秀次家臣団をゴッソリ殺した事の方が痛い
762人間七七四年:2011/10/07(金) 08:00:53.19 ID:hefBT473
五分五分じゃなくて優勢になってきた所への決定打になっただけだからあのタイミングで東軍せめても時間かかるが鎮圧されるだけ
開幕から東軍せめてたなら話は変わるが
763人間七七四年:2011/10/07(金) 13:21:54.48 ID:SqwTR2aV
いっそ秀康公を抱き込むって発想の方が可能性が高いんじゃと。
一応、秀吉の養子=秀頼の兄貴だし。
征夷大将軍+結城幕府。
結城姓ってことは跡継ぎレースからは出遅れてんだから
抱き込める可能性は無くはないだろ。
豊家は京大阪を握って、秀頼成人まで待つと。
かなりの無理はあるが、不可能でもないと思う。
764人間七七四年:2011/10/07(金) 14:02:50.28 ID:Ur+M02eB
>>761
しかも粛正されなかった堀尾や山内らはごっそり徳川側にw
765人間七七四年:2011/10/07(金) 17:36:34.95 ID:KIqqFr8e
景勝・政宗・佐竹義宣が江戸に攻め入ったらどうなっていただろう?
766人間七七四年:2011/10/07(金) 19:26:47.38 ID:SqwTR2aV
>>765
政宗?
ただのスピッツじゃんw

上杉?知らんが、現実は最上が怖かったから襲いかかったんだろ?

佐竹公の為に、秀康公が残されたとかいう逸話は聞いた。
三成の負け様を見て心変わりされるより、関東で佐竹でも抑えとけって残されたんだろ

なにより(鈍臭い?)秀忠公率いる精鋭が甲斐あたりに大挙でもたついてるんだがw
767人間七七四年:2011/10/07(金) 20:40:57.57 ID:KIqqFr8e
>>766
真田親子にコケにされた秀忠ね
768人間七七四年:2011/10/07(金) 20:46:04.40 ID:0N3lbzn1
まああれはただ使者が遅れただけだが
その結果すら腕みたいに言われる辺り真田は運がいい

武田氏滅亡後も秀吉があの地位に登ってこなかったら危なかったろうしな
769人間七七四年:2011/10/08(土) 08:29:19.40 ID:rpeI7qzH
現実は長雨とか不運が続いたりしただけなのにな
770人間七七四年:2011/10/08(土) 09:16:08.29 ID:UV+GY/+5
>>769
現実は、それもあるだろうが真実は誰もわからん。
俺が、秀忠公の立場なら(後出しで考えられるんだから才能の差は埋まるだろ)
もし、関ヶ原がこじれたら(例えば、小早川秀秋が石田三成につくとか)
親父ごと踏み潰して天下人一直線とか。

大体、余程の暗愚でもなけりゃ嫡男(ていうか頭首だろ)が東軍方についてる
隠居と部屋詰みに軍勢まわしてたら却って親父に怒られると思うが
771人間七七四年:2011/10/08(土) 19:26:07.59 ID:KdJ4ic12
真田討伐は家康の命令だよ
その後、それを中止し急いで上方で合流せよとの伝令が走ったが長雨による川の増水で遅れたって話
772人間七七四年:2011/10/09(日) 08:57:55.67 ID:kaovv4WG
秀吉の中国大返しみたく名将はあらゆる可能性を考えて手を打っておくもの
773 忍法帖【Lv=37,xxxPT】 :2011/10/09(日) 14:44:26.53 ID:T83sHh/e
秀忠は名将じゃないんだからそんなん無理だわなw
774人間七七四年:2011/10/09(日) 18:11:12.64 ID:ld1UpR0W
全く状況の違う中国大返しを引き合いにだされてもなあ
775:2011/10/10(月) 04:40:27.14 ID:17HZZB2x
関ヶ原でもし秀秋が東軍に攻めかかったら・・・
布陣図を見ると家康は無傷で逃げ出せるだろうけど
前線で戦ってる福島達はひょっとしたら戦死しちゃうかも、
戦死フラグが立つね、何人かの大名が戦死するかも知れん
敵中深くに入り込み過ぎだわ、側面から小早川の大軍が襲いかかったらキツイ
776:2011/10/10(月) 04:43:12.25 ID:17HZZB2x
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/0/05/Sekigahara.png
こりゃ死ぬわ、
袋のねずみだし
777人間七七四年:2011/10/10(月) 11:18:55.42 ID:yO+51i9t
まあ関ヶ原へ出るための下り口には大谷勢が居るんで横をつくなんて無理だけどな
横撃できる位置に居たのは赤座・朽木・小川・脇坂の四将の方
778人間七七四年:2011/10/10(月) 15:58:16.03 ID:15q1y6ma
>>775
なんで敵中深く入り込んだのか考えればわかるだろ。
オマエさん程度が理解出来ることを、家康がわかっていないわけないだろ?
779人間七七四年:2011/10/10(月) 22:31:26.27 ID:NztFzgnS
関が原で戦った時あれだけの武器は何処で作られたものなんですか?
鍛冶屋も大変だったでしょうね?
太平洋戦争のように農民は竹やりを使ったのですか?
あれ?この戦いは農民も参加していたっけ?
780人間七七四年:2011/10/11(火) 08:20:28.99 ID:Zucfr3TL
>>779
武器防具は使い回し。
参加人数は一桁下。
てところが妥当だろ。

中国じゃあるまいし一万単位で動けるほど人数がいない
781人間七七四年:2011/10/11(火) 15:27:04.53 ID:gjBmZS0y
関ヶ原で、小早川が?

うむ、たぶん西軍大勝利だっただろうな
小早川が東軍に突っ込めば、毛利、吉川も動いただろうし

ま、関ヶ原で西軍が大勝利するだろうけど
家康の事だから関東に篭るようになるだろうなぁ

西軍みたいに一戦ですべて終わりみたいな展開には絶対にならないだろうね
主力は無傷で残ってるし、東に付いた大名も抵抗するだろうし
関ヶ原で西軍が勝ったとしても、戦いは長引いただろうね
782人間七七四年:2011/10/11(火) 15:38:00.60 ID:PxcnIdNC
うむ なんか関ヶ原で西軍が勝ってたとしてもまだ家康は巻き返せるような気がする
軍事的には西軍の東征を気合いで跳ね返し、策略をめぐらして西軍を切り崩していくだろう
人望がないタイプの三成は苦労するだろうな
783人間七七四年:2011/10/11(火) 17:21:43.96 ID:AyFydi45
伊達が最上が裏切らないかな
784人間七七四年:2011/10/11(火) 17:55:03.99 ID:hJ0uxGX2
関ヶ原の戦いは農民一揆ではないので農民は戦いに参加していないのですか?
こんな殺しあいしたところがなぜ美化されるんだろうね(笑)
785:2011/10/11(火) 23:15:17.68 ID:UVOBs5Jg
小早川の糞ガキ頼みの布陣もどうかと思うぞ
もうちょっと信頼出来る奴ならともかく
小早川じゃなぁ、しかも秀吉の甥っ子じゃん、指示通りに動かない可能性あるよ
東軍に襲いかかったら前線の武将何人か戦死してたかもね
この一戦で先陣勤めてる主力武将失ったら、後の戦いが厳しくなるよ
家康も賭けに出たもんだな、裏と出たらどうするつもりだったんだろ
786人間七七四年:2011/10/12(水) 04:18:41.37 ID:krMDAYmf
小早川は最初から東軍だった
そう考えると一番自然

むしろ講談除けばそうとしか思えん
787人間七七四年:2011/10/12(水) 05:07:50.16 ID:JjbeHDwd
普通は指揮官が討ち取られる事のほうが稀なわけで
危なくなったら自分の所までくる前に撤退します
788人間七七四年:2011/10/12(水) 06:19:13.20 ID:fnROoD+g
>>785
主力って程片寄ってるように見えるか?
井伊と四男位じゃね?
井伊たって、当時の面子からしたら外様だろ?
789人間七七四年:2011/10/12(水) 11:54:59.59 ID:Ad9GetPh
>>783
伊達は兎も角(まあ裏切っても例の如くしょーもない事やって自爆しそうだけど)最上は無いと思うがなぁ
790:2011/10/12(水) 20:02:36.21 ID:YseKb4n4
>>788
豊臣恩顧の武将みんな討ち死にしたらやばいだろ
そうなる可能性高いぞこの布陣図見ると
しかし家康はずるいな、自分の天下取りの戦いを全部外様の
元は豊臣方の人間にやらせるんだからさ
なんで家康何かに従ってるんだろこいつ等と思うわ
791人間七七四年:2011/10/13(木) 00:13:27.92 ID:ZQ3Uh8H+
>>781
関ヶ原で東軍が大敗し、家康が運よく戦場から離脱できたとしても、
もはや落ち目の家康に味方する大名は一人もいない。

対して勢いに乗る西軍は益々その数を増やし、両者の戦力差は開く一方。
江戸に篭っても、秀吉の大軍に包囲され小田原城に篭って自滅した後北条氏の二の舞になるだけ。
四方八方から江戸に侵攻されてジ・エンド。
戦が長引くなんて絶対に有り得ない。

小者の発想はその程度。
792人間七七四年:2011/10/13(木) 00:53:20.66 ID:QygcePaY
纏まりに欠ける西軍だと、包囲中に主導権争いで内部崩壊しそうだが
関が原自体が豊臣政権の内輪揉めみたいなもんだし

793人間七七四年:2011/10/13(木) 01:26:45.00 ID:WFyWP46N
>>791
それ以前に、東軍が大敗するシナリオが想定できんけどな。
もちろん、西軍にだけ自由にIFが認められれば勝てるけどね。

西軍を率いてるのは秀吉クラスの英傑じゃないし。
戦は大将次第。輝元では力不足なのは歴史が証明済。
伏見城、大津城等々を落とすのにも一苦労の西軍で、
後北条氏と同じように行くと思う方が不思議。

小者の発想はその程度。
794人間七七四年:2011/10/13(木) 04:39:13.94 ID:F21FPoXg
このコテよく見かけるが戦国女子()みたいな感じがして気持ち悪い

総大将の輝元にやる気あってもなお勝てる気がしないからなぁ
東軍に離反者続出するような状況にまで追い込まない限りあの時点の徳川は負けんだろ
795人間七七四年:2011/10/13(木) 14:00:51.25 ID:LgydwbI4
伊藤盛正追い出して松尾山に布陣したのは小早川隊の独断だから
その時点で小早川は東軍派っていう見方がある。
なら小早川が初っ端から西軍派なら、どこに布陣した?
796人間七七四年:2011/10/13(木) 16:32:20.00 ID:DvP8DpDO
>>794
逆に切り崩されまくってる時点で当時の空気がある程度わかるな
797人間七七四年:2011/10/13(木) 21:05:08.38 ID:l/bDPXlP
>>793
東軍が大敗するシナリオは、>>781で既に書き込み済み。
2〜3行目読め。

勝ち馬に乗りたがるのは、戦国武将の本能。
関ヶ原の一戦で東軍総崩れ・家康敗走となれば、それまで傍観・日和見に徹していた連中も参戦、戦功探しに血眼だ。
勢いに乗った軍は、名将不在でも機能する。

対して豊臣系諸将を失った東軍は、徳川のみ。
関ヶ原の敗戦で家康の声望・権威は失墜、西軍諸将の家康コンプレックスは霧散し、怒涛の勢いで徳川領になだれ込む。
兵力劣勢の徳川はあっけなく滅亡。

なんだかんだ言って戦は数。
それは本能寺での信長の最後が如実に証明している。
798人間七七四年:2011/10/13(木) 21:13:52.91 ID:KbMs/8Vz
西軍が勝ってたら
戦国時代がしばらく続いてただろうな

まず、勝利したはいいが、褒賞や領地の分配で揉めるだろうな
三成如きじゃ出来ないしな

西軍が勝ってても豊臣家は最後は滅亡してたと思うわ
799人間七七四年:2011/10/13(木) 21:31:35.95 ID:U5b3FNkC
>>798
毛利がどさくさに占領した土地はどうなるのでしょうか
そのまま毛利領になったら東軍勝利時の徳川に匹敵すると思うのですが
800人間七七四年:2011/10/13(木) 21:35:50.16 ID:F21FPoXg
まず東軍の関ヶ原大敗が短期決戦前提になってないか?
短期で決着つくほうが可笑しいんだから長期戦になれば西軍はますます統制取れなくなる
あと例え小早川が突っ込んできても再編成して終わり、なんで小早川の突撃=東軍壊滅になるんだ?
小早川の突撃で西軍が負けたわけじゃなくだめ押しになっただけだから
小早川がきても時間掛かるが鎮圧、あと小早川が動いたから吉川、毛利が動く理由もわからない
土地配分に関しては毛利とかがやるだろうから三成で考えなくていいと思う
801人間七七四年:2011/10/13(木) 22:02:27.03 ID:l/bDPXlP
>>800
根拠無き東軍の過大評価は哂える。
小早川軍が東軍左翼に突撃すれば、西軍の勝利決定。
日和見の吉川広家も参戦、毛利秀元と共に家康を背後から急襲。
家康は東西から挟み撃ちに遭い、乱戦の中で戦死。
運よく戦場から離脱できたとしても、もはや徳川に未来は無い。
802人間七七四年:2011/10/13(木) 22:06:01.76 ID:DcDgwHyh
小早川が動く前は 互角以上の戦いしてたからな 西軍は
803人間七七四年:2011/10/13(木) 22:29:16.54 ID:ngNyDN9F
>>801
松尾山城は関ヶ原の反対側に虎口があるので左翼に突撃は不可能
南宮山対策として東軍先手衆の半分と家康本隊の一部がいる
804人間七七四年:2011/10/13(木) 22:44:48.54 ID:l/bDPXlP
>>803
松尾山から東軍に突撃するルートが存在しないのなら、
三成がそれを放置しておく筈が無いし、小早川の東軍攻撃を期待する筈も無い。
妄言虚言にすぎず。

東軍の南宮山の抑えの池田らなんぞ、東軍前線総崩れの報を聞けば、戦意喪失して戦場から逃走。
何の役にもたたない。
805人間七七四年:2011/10/13(木) 22:51:08.95 ID:ngNyDN9F
>>804
三成が小早川の東軍攻撃を期待したという話こそ妄言虚言
806人間七七四年:2011/10/13(木) 22:59:34.52 ID:l/bDPXlP
>>805
三成や大谷吉継が小早川の去就を疑っていた事自体、松尾山から東軍攻撃が可能だった証し。
東軍攻撃が不可能なら、勝利の暁に関白職を約束する筈も無い。
虚言妄言のメッキは簡単に剥がされる。
807人間七七四年:2011/10/13(木) 23:17:29.90 ID:ngNyDN9F
>>806
西軍としては大谷が背後から攻撃されることを避けるだけで十分
808人間七七四年:2011/10/13(木) 23:49:11.72 ID:2bN131eS
吉川・毛利が南宮山から背後を包み込めば西軍勝利は固いが、
小早川の西軍参戦は、十分条件にはならない。
東軍圧勝の史実を考えれば、イーブンになれば良い程度。
809人間七七四年:2011/10/14(金) 00:29:15.56 ID:6s3x4qLl
>>801
家康本隊が戦闘に加わってないの忘れてないか
小早川軍が東軍左翼に突撃するならその側面を家康本隊が突けばいい
それに広家や秀元がどうやって家康の背後を突くんだ
そうならないように抑えの兵を置いてるのに
仮に攻めてきたら池田たちから連絡くらい来るだろ
だいたい西軍がどうやったら大勝できるんだ?
東軍が大勝したのは寝返りが起こり家康本隊が戦闘に加わり
西軍の3倍近い兵力になったからなのに
その要素のない西軍は仮に勝つとして辛勝じゃね
810人間七七四年:2011/10/14(金) 01:35:58.50 ID:oj/rtG4M
南宮山3万が本気で掛れば、池田等では抑えられないと思うよ。
数も違うし、古今東西を問わず被包囲挟撃は必敗の態勢。
811人間七七四年:2011/10/14(金) 01:54:34.32 ID:Lop++G88
予測の域を出ないが吉川は関ヶ原前から西軍が勝てると思っていなかった節もあるし、小早川突撃→即参戦はないだろ
せめて小早川が家康本体追っ払うくらいの快挙でもせん限り動くとは思えん

812人間七七四年:2011/10/14(金) 08:24:57.91 ID:FMMUakih
>>806
疑っていたから大谷は関ヶ原への下り口を塞ぐように布陣してた訳で
東軍左翼への攻撃を期待されてたのは赤座・小川・朽木・脇坂の方さ
>>810
本気でかかっても無理だろ下り口を塞ぐように布陣されてんだから
平原と違って数の利は活かせないから各個撃破されるだけ
よしんば突破できても今度は大垣への抑えの軍も居るし
813人間七七四年:2011/10/14(金) 18:40:42.39 ID:b6sLKe+T
正直こういうのって関ヶ原の合戦中に家康の陣に隕石が降ってきたらで良いような気がする
814人間七七四年:2011/10/14(金) 18:42:54.91 ID:b6sLKe+T
しかしこういうスレは歴史研究の何の役に立つのかな?
815人間七七四年:2011/10/15(土) 12:23:24.25 ID:/6nZCdd7
>>812
秀元が本気が掛かるということは、家康の南宮山スルーと
同時に下山を意味する。本気で家康を挟撃するつもりならね。

布陣図は当然見た事あるんだろうけど、狭隘の地に布陣しているのは、
蜂須賀・山内・有馬の3隊だけ。浅野・池田は広開地。
前者3隊が地の利を生かせるとしても、それは時間稼ぎレベルの話。
撃退・各個撃破は現実的に無理。結局、数がモノを言うだけの話。

煽りじゃなくて。
前後挟撃された部隊が相手を撃破・勝利した戦いを知ってる?
816人間七七四年:2011/10/15(土) 12:57:24.59 ID:YToCO//y
>>815
南宮山も垂井や岡山、長松、金谷河原で包囲されている
それらや徳川本隊の一部を加えれば二万弱になって、南宮山にいる二万四千と拮抗する
817人間七七四年:2011/10/15(土) 13:16:30.08 ID:/6nZCdd7
それは屁理屈。
それらの部隊は、関ヶ原本戦に参戦可能な部隊かい?
レス遡ればわかるが、このIFは本戦に限定されたIFだ。

大体、南宮山が包囲されてるなんて認識は初めて聞いた。
それは君の妄想かい?でないなら、主張者を教えてくれ。
是非、この目で確かめたい。
818人間七七四年:2011/10/15(土) 15:25:11.26 ID:YToCO//y
>>817
全然可能だが
というより、関ヶ原合戦は西は関ヶ原、東は大垣や曽根に及ぶ長大な戦場だぞ

主張者は「朝野旧聞褒藁」の編者
819人間七七四年:2011/10/15(土) 15:55:41.92 ID:/6nZCdd7
>>818
繰り返すが、本戦に絞っている。本戦の意味わかるよね?
大垣や曽根の部隊が本戦に参加したのか?
誰が参加したの?

「朝野旧聞褒藁」の編者、って…。確かにキミも主張してるしね。
そうではなく、関ヶ原を研究・分析した人の論拠付きの主張を知りたいわけなんだ。
1800年代に完成した徳川史記とは言え、朝野旧聞褒藁の史料的価値は否定しない。
820人間七七四年:2011/10/15(土) 15:58:21.38 ID:YToCO//y
>>819
そうだよ、本戦は大垣から関ヶ原に至る領域をいう
関ヶ原だけなら南宮山も外す必要がある
821人間七七四年:2011/10/15(土) 16:09:30.01 ID:/6nZCdd7
では教えてあげるね。一般に関ヶ原本戦の認識はそうじゃないんだ。
例えば、関ヶ原研究笠谷なんかは、開戦を井伊の抜け駆けとし、
決着を石田隊の壊滅としている。
松尾山・南宮山の動向は、戦局を左右するものとしてこれに包含している。

君の話は、第三者に理解されない話、つまり屁理屈なんだよ。
822人間七七四年:2011/10/15(土) 16:33:54.19 ID:YToCO//y
>>821
いまの歴史学者は日本戦史を批判しつつ、そのくせ配陣図は日本戦史のをそのまま使っている連中
823人間七七四年:2011/10/15(土) 16:47:47.36 ID:/6nZCdd7
第三者視点を明確にするために笠谷の名前は出したんだけどね。
ただ、関ヶ原本戦の認識については、一般的にもこれで間違いないでしょ?

君の認識に従えば、杭瀬川の戦いも本戦に含まれることになるけど、
それは>>808のIFからはかけ離れた話だよね。
824人間七七四年:2011/10/15(土) 16:58:20.67 ID:YToCO//y
>>823
その「一般的な認識」は日本戦史の配陣図が原因だけどね
825人間七七四年:2011/10/15(土) 17:03:27.69 ID:/6nZCdd7
それを言い出すと、君の主張も最初からオカシクならないか?
まずは、正しい布陣図を相互に認識させてから議論スタートしないと。
行き詰まってから、そもそも論はどうかと思うね。

今後、関ヶ原関連のスレに書き込む時は、そうする事をお薦めする。
826人間七七四年:2011/10/15(土) 17:20:05.20 ID:YToCO//y
>>825
そうだね、何時も参謀本部の間違えた配陣図を基に話している連中を冷笑させてもらっています

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E6%9C%AC%E6%88%A6%E3%81%AE%E9%85%8D%E7%BD%AE
827人間七七四年:2011/10/15(土) 17:21:08.14 ID:7nTT7abw
陣がおかれるぐらいだから南宮山というのは切り開かれてたんだろうが
それにしても蜂須賀有馬のいる方面にもいけるほどだったのねw
828人間七七四年:2011/10/15(土) 17:38:46.69 ID:/6nZCdd7
>>826
それでWikiとはお寒いな限りだね。
829人間七七四年:2011/10/15(土) 17:39:41.03 ID:YToCO//y
>>828
これを作成したのは自分ですので
830人間七七四年:2011/10/15(土) 17:43:27.72 ID:/6nZCdd7
へ〜、そうなんだ。
変な意味はなく、真面目に凄いと思うし感心した。

>何時も参謀本部の間違えた配陣図を基に話している連中を冷笑させてもらっています

これさえなければ、敬意を示したよ。
831人間七七四年:2011/10/15(土) 17:43:54.51 ID:7nTT7abw
横レスですまんけど南宮山の毛利勢と浅野池田らの部隊の兵数差って瞬殺されるほどのもんでもないよね
なら毛利勢が家康本群にむかえるときには関ヶ原の西軍が敗退してることもあるよね
そういえば島津の史料で石田軍は小早川が裏切る前にはもう敗勢だったらしいがどうなんだろうか
832人間七七四年:2011/10/15(土) 17:45:33.95 ID:YToCO//y
>>830
人を勝手に聖人君子にしないでくれw、こちとら俗物なんでね
833人間七七四年:2011/10/15(土) 17:59:49.66 ID:Keb5ROT/
参本ものはダメといわれてるけど布陣図に関してはどういう点が問題があるんですか
兵力算定に関してのものは知ってるんですが布陣図に関してはしらないもんで
834人間七七四年:2011/10/15(土) 18:05:40.35 ID:/6nZCdd7
>>831
相手の兵数がゼロになるまで戦うならそうかもね。

>>832
今後の参考に使わせてもらうとするよ。
でも君の作成した布陣図でも、家康は必敗の地の構えているとしか思えない。
南宮山の旗幟が西軍で確定なら、こんな狭隘の地に突出しないだろう。
835人間七七四年:2011/10/15(土) 18:36:09.61 ID:YToCO//y
>>833
例えば山内や有馬は岡山にいるし、井伊や松平は第一線中央にいる
836人間七七四年:2011/10/15(土) 18:39:37.34 ID:0YwssElP
関が原では

島津隊と井伊の赤備え隊が睨み合って小競り合いしてたんだっけ?
837人間七七四年:2011/10/15(土) 18:42:14.15 ID:YToCO//y
>>834
南宮山の西軍が垂井の東軍と戦おうとすると長松や岡山の東軍に側面を突かれる
更に栗原山の西軍が動くと金谷河原の東軍も動き、更に大垣城に対して曽根が…

という具合に収拾がつかなくなりかねない
おまけに南宮山からは関ヶ原の戦況は臨めないので、情報も入りにくい
その意味で大垣城を攻撃した水野勝成の行動は結構重要のものだと思う
838人間七七四年:2011/10/15(土) 18:43:09.81 ID:YToCO//y
>>836
いや、緒戦から井伊本隊と松平忠吉の間でガチで戦闘
839人間七七四年:2011/10/15(土) 19:03:43.44 ID:/6nZCdd7
>>837
長松・岡山はどう見ても大垣城への備えでしょ。
普通に考えれば、垂井で戦闘があっても動くことはない。
君の言うとおり、大垣城の部隊に背後から襲われる危険がある。
逆に、大垣城は最低限の守備兵さえ残せば、持ちこたえる事は可能。
840人間七七四年:2011/10/15(土) 19:33:46.35 ID:YToCO//y
>>389
ところが、実際には水野勝成が岡山の中村隊と共に大垣城を攻撃し、三ノ丸まで押し寄せている
こうなると東軍優位の流れになるので、南宮山の西軍も動きにくくなる
そもそも南宮山の西軍が積極的でないのは三成の書状からも明らかだし

勿論、彼らが史実は全く異なるメンタリティであろうという仮定なら、話は別だけど
841人間七七四年:2011/10/15(土) 19:34:30.80 ID:YToCO//y
>>840

訂正

勿論、彼らが史実とは全く異なるメンタリティであるという仮定なら、話は別だけど
842人間七七四年:2011/10/15(土) 20:32:06.89 ID:/6nZCdd7
いずれにせよ、長松・岡山が大垣城の備えであるのは事実だよね。
家康本体を挟撃出来れば優位は一変する。大垣城の情勢は無視しても良い。

で、そもそもはその積極的でない南宮山の勢力が本気で家康を攻撃する、
というIFなんだよ。(>>808
南宮山が西軍に旗幟を鮮明にしていれば、そもそも家康は死地に入り込まない、
というのは置いといて。
843人間七七四年:2011/10/15(土) 20:39:24.53 ID:YToCO//y
>>842
どちらか片方でなく双方に対応していると思うよ
先ず、その「事実だよね」という言葉を除くのが歴史研究では必須なんだが

>置いといて
そういう都合の良い考え前提なら、お暇させていただきます
844人間七七四年:2011/10/15(土) 20:50:28.38 ID:/6nZCdd7
>>843
別に歴史研究したいわけじゃないし。

そうだよ。西軍に都合の良いIFだったんだけど。
そうでもしないと西軍が勝てるシナリオは描けないからね。
最初から、家康は史実通り死地に陣取る前提。
845人間七七四年:2011/10/15(土) 20:55:05.54 ID:YToCO//y
>>844
成程、それじゃあ楽しんでください
846人間七七四年:2011/10/15(土) 21:00:53.70 ID:/6nZCdd7
前提も知らずに長々と大変でしたね。
問題文をちゃんと読まずに回答するタイプですね。
おつかれさまでした。
847人間七七四年:2011/10/16(日) 12:06:52.14 ID:131W9SVt
つーか前提として絶対に西軍に勝たせたいというIFってやる意味あるのか?
どうやれば秀秋が西軍に付くかとか議論するならともかくさ
無双でもやってればいいんじゃね?
848人間七七四年:2011/10/16(日) 12:07:30.15 ID:131W9SVt
つか恥ずかしいオナニースレですよってことか
849人間七七四年:2011/10/16(日) 12:09:52.71 ID:131W9SVt
まあ2ちゃんねらーですらやれることを出来なかった西軍武将はみなグズ揃いと主張してるようなもんだろこのスレ
恥ずかしいね
850人間七七四年:2011/10/16(日) 13:01:38.53 ID:5R43WZ/Q
まぁ、どうやったら西軍が勝てるか、って話でしょ。
小早川よりも吉川・毛利が西軍として機能してる方が固いのは確か。

そうすると、南宮山殲滅からスタートするから結局勝てないわけだけどね。
851人間七七四年:2011/10/16(日) 14:09:20.59 ID:ImmQDULI
3レスも中身のないレスをするのもオナニーにみえちゃうわなwww
852人間七七四年:2011/10/16(日) 14:30:06.80 ID:KCrH9Ffb
このスレの主旨が小早川が攻めかかるだけだから西軍が勝つかは別だけど小早川の裏切り=西軍勝利の流れはよくわからん
853人間七七四年:2011/10/16(日) 17:30:27.72 ID:OUW5kl4b
スレタイも読まずに顔真っ赤に三連投してるやつがいるスレはここですか?
854人間七七四年:2011/10/16(日) 20:43:38.90 ID:MCpYUpzV
>>808
小早川軍の西軍参戦が吉川・毛利軍進軍のトリガーとなるのだが。
東軍圧勝の史実を考えれば、これで西軍圧勝の十分条件だ。



>>809
家康本隊三万は、西軍左翼の主力部隊と激戦中の東軍諸将督戦の為、その真後ろに位置取り。
つまり、東軍は右翼に片寄り過ぎていて、その左翼は全くの無防備。がら空きだ。

これは三成の戦略通り。
自らが中心となって東軍を引き付け、そこを時間差で新手を投入する必勝の策だ。

家康は東軍の左翼に何の手当てもしていないのだから、
小早川軍がそこに突撃したら、家康が救援する暇も無く、距離的に近い小早川軍が東軍左翼に到達する。
小早川軍突撃によって、それまで一進一退(というよりやや西軍優勢)の戦況は一転、
あっという間に福島隊は壊滅、その余波は瞬く間に善戦中の東軍全体に広がり、総崩れ。
眼前の敵を蹴散らした宇喜多隊・小早川隊は一気に家康本陣に攻め寄せる。

この戦局の急展開は物見によって南宮山の吉川・毛利軍に知らされ、
これ以上の傍観は広家自身の立場や毛利家の不利益となる為、広家自身も参戦せざるを得ない。
何より主戦派で一万数千の軍勢を従え、血気に逸る秀元の制御は、もはや不可能。
毛利軍は一気に南宮山を駆け降り、前線壊滅の報で戦意喪失の池田・浅野隊を一蹴し、家康本隊を背後から急襲。

つまり家康が最も恐れていた最悪の事態が発生する訳だ。

徳川の主力の殆どは秀忠に随行、家康本陣三万は寄合い所帯の烏合の衆にすぎない。
勢いに乗る西軍に東西から挟み撃ちに遭い、徳川軍も壊滅。
西軍の圧勝快勝完勝だ。

思考停止して久しい史料至上主義者には、この程度の展開も読めんのは当たり前。
別に驚いてはいない。



>>811
吉川広家は自分の不戦傍観により家康を勝たせて恩を売り、戦後毛利家を有利な地位に引き上げようと思ってた訳だ。
だが、小早川軍が東軍に突っ込めば西軍勝利は間違いないだから、家康本陣壊滅後参戦しているようでは、世間に恥を晒すだけ。
小者丸出しの誰かさんと違って、聡い広家がそんな愚考を犯す筈が無い。



>>812
赤座・小川・朽木・脇坂らは小早川軍の動向でどうにでもなる金魚の糞。
小者にはこんな事さえ理解できんらしい。
855人間七七四年:2011/10/16(日) 21:31:34.20 ID:N+/PRcAi
まず関ヶ原前半は西軍優勢どころか東軍の猛攻に西軍が踏み止まってる状態でしかなく小早川参戦時点で西軍が敗走間近だったのは島津の記録から明らか
また小早川が東軍左翼をつくには下り口を塞ぐように布陣しつつ藤堂・京極らと激戦を繰り広げる大谷に退いてもらわなくてはならない
赤座・朽木・小川・脇坂の四将は金魚の糞どころか小早川よりも寝返りを期待されてせっせと調略された連中
856人間七七四年:2011/10/16(日) 21:41:03.99 ID:hniZK7OV
>>855
まず小早川裏切りまでの戦局は、西軍押し気味で東軍劣勢。
脳内妄想では東軍優勢かもしれんがな。

小早川軍の東軍左翼突入ルートは、赤座・小川・朽木・脇坂らの右側面を通り過ぎれば済む話。
857人間七七四年:2011/10/16(日) 21:48:32.88 ID:kP0lH/AM
隆景さんが生きとったら西軍についとったかも知らんね
858人間七七四年:2011/10/16(日) 22:33:13.74 ID:N+/PRcAi
>>856
だから西軍として参戦してる当の島津の記録で西軍劣勢なんだってば
西軍優勢とか言うが陣を維持こせすれ東軍押し返したなんて話はついぞ聞かない
松尾山をただの丘と思ってんのか?松尾山の下り口、軍勢の下れる道は大谷の布陣してるところと裏手にしか無い
859人間七七四年:2011/10/16(日) 22:47:52.32 ID:mxzIjG/G
なんで秀吉は三成を100万石の大大名にしなかったかね
大谷ももう少し大きな大名に…
860人間七七四年:2011/10/16(日) 22:48:41.66 ID:hniZK7OV
だから西軍として参戦してる当の島津の記録で西軍劣勢は、脳内妄想なんだってば。
いい加減リアルとバーチャルの区別くらい認識したらどうなんだ。
861人間七七四年:2011/10/16(日) 22:51:08.70 ID:KCrH9Ffb
小早川が動かなくても東軍は勝ってただろ
というか西軍が終始押し気味とか講談くらいしか聞いたことないんだが
862人間七七四年:2011/10/16(日) 22:52:17.81 ID:5R43WZ/Q
西軍優勢、ってどこから引っ張ってきた話だ?
863人間七七四年:2011/10/16(日) 22:54:54.95 ID:KCrH9Ffb
>>860なら島津の記録はおいといて西軍優勢の根拠は?
864人間七七四年:2011/10/16(日) 22:55:11.24 ID:hniZK7OV
関ヶ原関連の本を読んだりネットでも確認しとけ。
どこにも小早川裏切りまでの戦局が、東軍優勢だなんて記述無い。
865人間七七四年:2011/10/16(日) 23:00:36.29 ID:KCrH9Ffb
なら読みから関ヶ原関連本の具体名は?
866人間七七四年:2011/10/16(日) 23:12:31.42 ID:5R43WZ/Q
一例で、笠谷和比古はこんな感じね。

・東軍圧倒的優位も、予想外に西軍が頑強に抵抗。
・福島‐宇喜多は一進一退。
・石田の奮戦。

西軍優位とは全く触れていないな。あくまで弱者の立ち位置。
867人間七七四年:2011/10/16(日) 23:14:09.87 ID:hniZK7OV
>>866
クロスチェックくらいしとけ。
でないと話にならん。
868人間七七四年:2011/10/16(日) 23:15:26.31 ID:5R43WZ/Q
>>867
おいおいw
>どこにも小早川裏切りまでの戦局が、東軍優勢だなんて記述無い。(>>864
869人間七七四年:2011/10/16(日) 23:18:55.52 ID:KCrH9Ffb
>>867だから読んだ資料全部とは言わんが2〜3あげろよ
870人間七七四年:2011/10/16(日) 23:22:50.14 ID:hniZK7OV
>>866
なら、その愚説が正しいことを証明してみ。
やってることは、単なる愚説の紹介。

個人的妄想を真に受ける底なしぶりは、あの小早川秀秋より知能が下だな。
871人間七七四年:2011/10/16(日) 23:26:18.30 ID:ImmQDULI
白峰旬氏も近著で西軍劣勢としていたな。桐野作人氏もか。
872人間七七四年:2011/10/16(日) 23:28:14.12 ID:5R43WZ/Q
>>870
あららら。
>どこにも小早川裏切りまでの戦局が、東軍優勢だなんて記述無い。(>>864
に対する回答ね。
イキナリ見つかっちゃったからさ〜。

キミが嘘つきということで了解したので満足ですw
873人間七七四年:2011/10/16(日) 23:29:51.34 ID:KCrH9Ffb
あと30分我慢しとけ
ID変わればお前の恥ずかしいレスも誰のかわからなくなる
874人間七七四年:2011/10/16(日) 23:31:09.12 ID:hniZK7OV
>>871
根拠無き妄想の垂れ流しなんぞ、どんな馬鹿にでもできる。
それを一々取り上げて相手にしてる愚行ぶりは、己の無知無定見を晒してるだけ。
流石は思考停止して久しい史料至上主義者だ。
875人間七七四年:2011/10/16(日) 23:33:48.57 ID:5R43WZ/Q
>>874
というか、少なくともキミのレス。
>どこにも小早川裏切りまでの戦局が、東軍優勢だなんて記述無い。(>>864
は完全に間違いだよね?

まずは『嘘ついてゴメンナサイ』じゃないの?ww
876人間七七四年:2011/10/16(日) 23:35:16.64 ID:hniZK7OV
>>872
狂人の戯言や法螺吹きの戯言はその限りではないのは常識。
愚劣過ぎて話にもならん。

なら、小早川裏切り前までは東軍優勢だった旨のウェブページ出してみ。
これで呆気なく撃沈。
877人間七七四年:2011/10/16(日) 23:35:16.98 ID:KCrH9Ffb
もう構うなよ、正直コイツの発言飽きた
878人間七七四年:2011/10/16(日) 23:37:36.15 ID:hniZK7OV
>>875
だから根拠無き妄言は、その限りではないんだが。
ちゃんとした教養ある識者の根拠ある見解以外は却下。
879人間七七四年:2011/10/17(月) 06:50:31.84 ID:iYF6tMJ4
教養ある識者の根拠ある西軍優位の見解を知りたいね。
まさか、言いっ放しはないと思うけど。
880人間七七四年:2011/10/17(月) 08:01:36.83 ID:xB6JhSFi
もう蒸し返すなよ、それよりどうやれば小早川が東軍に襲いかかるかでも考えようぜ
881人間七七四年:2011/10/17(月) 08:40:40.32 ID:zJX6XB9i
研究者を気取ってやってる事ときたら煽り
掲示板にしか居場所がないんだね
882人間七七四年:2011/10/17(月) 08:46:45.73 ID:4XDtTFai
>>880
まずは東軍に取り込まれた家老衆の始末と新たな下り口の開拓が必要かねぇ
883人間七七四年:2011/10/17(月) 19:51:38.15 ID:e9xxJJYy
>>882
獣道から小早川の荒武者達が駆け下りてきて
「やべぇよ、やべぇよ」って悲鳴を上げながら徳川の兵が逃げ出すんでしょ
884人間七七四年:2011/10/17(月) 21:33:50.12 ID:gxdBdLGT
瀕死のベジータに襲い掛かったヤジロベー状態になるでしょ
885人間七七四年:2011/10/17(月) 23:30:23.45 ID:4XDtTFai
徳川兵に「やべぇよ、やべぇ楽だよ」と言いわれながら出てきた先から取り囲まれてフルボッコにされるんですね解ります
886人間七七四年:2011/10/17(月) 23:36:25.50 ID:tlCSxK7N
待つ小山と関が原って遠いから、軍勢が移動してきたときは、お互い固唾を呑んだろう。
で、待たせておいて攻め込まれたほうの精神的ショックは大きいのでは?
887人間七七四年:2011/10/18(火) 20:18:16.20 ID:uSMlefuG
>>886
ただ単に大谷軍と合流するだけかもしれないから
東軍も「え?マジかよ・・・」って思っただろうね>下山中
それどころでは無い福島さん以外は
888人間七七四年:2011/10/18(火) 23:29:22.56 ID:RCRDpDDH
意外とおりたとこにいた敵を叩いただけかもな
889人間七七四年:2011/10/19(水) 18:00:50.66 ID:0ygHF7Ly
大谷軍を蹴散らした後は徳川軍を血祭りに
890人間七七四年:2011/10/19(水) 19:58:35.43 ID:3/sgIqtS
そして四方八方から袋叩き
891人間七七四年:2011/10/19(水) 23:27:14.49 ID:7TCed+4o
いや実は小早川最強じゃね?

朝鮮:圧倒
関が原;大谷を壊滅
さわ山:一日で落城
892人間七七四年:2011/10/19(水) 23:56:04.66 ID:7TCed+4o
汝、問う「なぜあなたは敵を攻めるのか」

我、答う「なぜなら、そこに敵がいるから」


1600年秋 BYひであき
893人間七七四年:2011/10/20(木) 12:55:39.98 ID:WaVrVu+p
佐和山は守備兵どれ位残ってたのかなあ

まあ小早川の実子で、豊臣家にゆかりがなけりゃあ勇猛な人ですんでそう
894人間七七四年:2011/10/20(木) 21:12:30.88 ID:uX1l/q0n
佐和山は確か1000も残ってないはず
その場合だと秀包の身の振り方も変わってくるな
895人間七七四年:2011/10/23(日) 12:01:20.43 ID:2cKai7zP
秀秋は関ヶ原の戦い後備前に移されたけど薄氷を踏む思いで入ってきただろうね。
秀秋の裏切りで元領主宇喜多・西軍が敗れたわけだから、領民の反発は大きかっただろう。中には関ヶ原に徴用された人もいただろうし。
秀秋入国後はずっとデモが続いてたんじゃないか。
秀秋は彼に反発する者のテロによって殺されたと思う
896:2011/10/23(日) 14:31:49.00 ID:5JL1IaKQ
秀秋が家康を攻めても、それも家康はすべて把握したうえで戦をしたから
 小早川を本多隊と挟み撃ちにする。
そして一度秀秋が退いたところ、関ヶ原寺に退路を確保していたからそこから逃亡すると思う。
897人間七七四年:2011/10/23(日) 17:52:35.28 ID:cC2NtW5N
>>895
御家騒動やら増税などでかなり揉めてたという話もあるし
秀家がそこまで慕われていたとも思えない
898人間七七四年:2011/10/23(日) 20:08:34.40 ID:ScE9+8Ad
そろそろ見飽きた
899人間七七四年:2011/10/24(月) 08:47:47.49 ID:8xuvj7tu
>>893
一時大垣からみつが戻って防備を固めたらしい。
一説だと2800
900人間七七四年:2011/10/28(金) 06:53:33.74 ID:cZbC+Kpp
900
901人間七七四年:2011/11/02(水) 13:57:21.39 ID:OwsQ6+N/
小早川秀秋の松尾山乗っ取りはその時点で大垣にいた西軍主力を孤立させるための行動だし、
秀秋が西軍に味方するってのはIFでも考えにくいな
あれが東軍を関ヶ原に引きずり込むための策略だとしたら稀代の策士だが
だとしても三成と秀家には連絡しとけよという話だから、どうにもならないね

開戦前から東軍確定の小早川秀秋を背後にして戦う大谷さんの心境はどうだったのかな…
902人間七七四年:2011/11/03(木) 05:50:57.43 ID:S9eyRiXu
グリコ森永事件は四方修という大馬鹿が最高指揮官だったため、
易々逮捕できた犯人を取り逃がし、結局時効で未解決。

関ヶ原では無法専横の限りを尽くした悪人家康が、
大馬鹿秀秋のお陰で勝利。

どちらも、芸術的馬鹿の殊勲で巨悪のさばる。
これが現実社会。
神なんていない証拠。
903人間七七四年:2011/11/03(木) 11:06:33.47 ID:HlPyacjs
>>902
少なくとも秀秋はおまえより賢い
904人間七七四年:2011/11/03(木) 14:31:09.90 ID:S9eyRiXu
大阪府警、本部長? 四方 修ってジジイの恐るべき頭の悪さ。
あんな馬鹿が指揮官じゃどんだけ間抜けな犯人でもそりゃ逃げ切るわ。
905人間七七四年:2011/11/16(水) 10:07:09.05 ID:rWf66FPY
スレチおつ
906人間七七四年:2011/11/24(木) 11:17:24.67 ID:f00fjFkJ
金吾を動かすより、吉川広家を動かす必要がある。
三成は、安国寺と吉川が輝元を動かすので揉めてる時に
自分も割って入って吉川に恩賞をチラつかせておくべきだった。
907人間七七四年:2011/11/25(金) 02:47:57.17 ID:PmwlmwGs
age
908:2011/11/25(金) 19:09:53.49 ID:/Pzjkj5G
で、秀秋の本当の死因は何なの?暗殺されたのか?それとも自害?
909人間七七四年:2011/12/23(金) 08:29:36.32 ID:faF6ttvK
生涯無敗、きんご
910人間七七四年:2011/12/23(金) 10:23:07.79 ID:4iKk8bBw
>>908
与太話まで誰かに教えてもらわないといかんのか?
史実では病死の届けが出て、後継ぎがないから改易。
小説のネタとしてなら、
宇喜多共和国の傀儡にするつもりが、思いの他優秀で危機感を感じて暗殺した。(結果もっと酷い独裁者が入ってきたが)
ってのが面白いと思う


三成狂が喚く程、裏切り者として嫌われてたら、
事実がどうであれ一揆か何かのせいにして断絶させるだろ。
今も昔も毛利ヲタ以外には、小早川なんて毛利の陪臣。
まして末期養子も制度としては確立してない時代に成人した嫡男(それどころか、この子には子供もいない)もいないんじゃ改易にもなる。
本当に、年寄り言葉でいう疱瘡(現代でいう水疱瘡)に大人になってからかかって死んだんだろって個人的に思ってる。
何せ、秀吉後継者として乳母日傘で大きくなったはずなんだから
幼少期に罹り損なった可能性は否定出来ない。
911人間七七四年:2011/12/26(月) 20:22:35.35 ID:M+tJ3qmy
>関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったら

脇坂・赤座・小川・朽木「吉継殿は一体何をされていたのか。秀秋殿を疑うなんて…」
秀家「大体、あいつ家康から12万石を約束されてたんだろ。あいつのほうが怪しいじゃん。」
三成「お前、俺が横柄だとかさんざん言ってたよな。人を疑うのもいい加減にしろよ。人面獣心、3年の間に滅びるぜ!」
912人間七七四年:2011/12/27(火) 09:51:56.29 ID:KOyKP96B
↑ワロタ
913人間七七四年:2011/12/27(火) 11:33:16.85 ID:jls2X2gv
大谷だって戦うんだから、そこまで悪し様に言われないだろw
914人間七七四年:2011/12/28(水) 08:36:28.88 ID:YX2MieLi
>>913
三成以外は、言うんじゃねw
915人間七七四年:2011/12/28(水) 11:32:45.39 ID:eXxQyAXc
今まで色々考えて、金吾が動いた程度じゃ無理だと思ってたが
金吾が動けば前面の敵(福島、黒田、細川)を一掃出来る。

壊滅する前に家康の三万が助けに入るだろうが
そこまで戦局が変わってたら毛利も動くわな。
916人間七七四年:2011/12/30(金) 15:27:33.39 ID:E15Q5Anl
>>915
色々考えたんなら
豊臣政権によって改易くらいかけた小早川秀秋に西軍の味方させるより
西軍総大将毛利に、敵前逃亡に等しい日和見の一門吉川を討たせた上で参戦させた方が妥当だと思うが?
917人間七七四年:2011/12/30(金) 21:20:45.26 ID:S4O3Iy/i
>関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったら
Part2

五助「殿、松尾山の小早川勢が動き始めました!」
吉継「それ見たことか!こんなこともあろうかと、対小早川シフトの布陣をしておいたのじゃ!」
五助「いえ、小早川勢は東軍に攻めかかっております。お味方の勝利ですぞ!」
吉継「なぜだーッ! なぜTreachery(裏切り)せぬのだーッ!」
五助「殿!お気を確かに!」
吉継「五助、小早川勢に鉄砲を撃ちかけい!こうなれば、強引にでも東軍につかせてみせるわ!」
五助「あんた、どっかおかしいよ!」
918人間七七四年:2012/01/01(日) 19:11:42.26 ID:W3s6kUkQ
関ヶ原で日和見してる諸将は自分の命運かかってるんだから有利な方に付くに決まってるだろ
まさに秀秋キーマンなんだがもし秀秋が東軍に攻め込んでたら吉川もさすがに動いてたろう
家康は秀秋が高い確率で東軍につく確信があったと思うよ(事前工作でね)
でないと死地に赴いてまで決着を急ぐ必要はなかっただろうしね
三成の使者が秀秋に面会したときに酩酊状態でなに言ってるか分からない状態だったみたいだし
重臣に一服もられたのかもわからんな、若い秀秋を操るくらい簡単だろうね
最後の病死も怪しさ満載だしね
919人間七七四年:2012/01/05(木) 11:03:25.73 ID:lYTIh4ZJ
むしろ関ヶ原の勝敗だけでその後ドミノ倒しで片がついたのがミラクルだな。
まだ総大将の輝元は大阪城に控えてるんだし。
あそこから大阪秋の陣なんて形になったら家康かなり困っただろう。
920人間七七四年:2012/01/05(木) 11:27:47.31 ID:GmUui5sy
イニシアチブを握るというのはああいうこと
921人間七七四年:2012/01/05(木) 21:40:58.61 ID:++U2KBsp
>>919
西軍まとめてたの石田三成だからね、毛利輝元は旗頭みたいなもんだし
輝元自ら西軍の敗残兵を取りまとめて家康に反抗行動する可能性は低いだろうな
922人間七七四年:2012/01/11(水) 13:12:04.64 ID:fhoPNEoN
輝元に諸将を纏め上げる器量も資格も無い
ましてや豊臣を動かしていたのは五奉行(石田三成)だからな

三成が居なくなったら何をして良いのか
分らなくなったのも頷ける
923人間七七四年:2012/01/18(水) 15:33:28.60 ID:sx3jY27D
>>915
松尾山の金吾が動いたら前線の福島隊や藤堂隊は間違いなく壊滅
それを見て南宮山の毛利、吉川、長宗我部が動いたら家康本体は反転して
対処できなくて背後を突かれるんで西軍の鶴翼に沈むだろうな
西軍に寝返る連中も出てくるだろうし
924人間七七四年:2012/01/19(木) 16:13:14.53 ID:1R2cc8i8
金吾が(・∀・)ニヤニヤしながら戦況見てたのも無理ねーなw
925人間七七四年:2012/01/19(木) 20:01:44.78 ID:muRYv+Wg
金吾が戦況見てたかも怪しいんだよね、実際ろれつが回らないような状態だったしね
戦況見て有利な方に付こうとしてたんならそんなに酔ってるのはおかしいんだよ
関ヶ原戦後に家康に拝謁した際、福島に「雉の前に鶏が出た」揶揄されたってのも
作り話みたいだしね、実際は陣中で眠りこけてて家康には会ってないんだから
じゃいったい家臣は誰の命令で軍を動かしたのかって疑問が残るよね
926人間七七四年:2012/01/20(金) 12:56:04.79 ID:45xzVEO2
そうか?金吾は戦況見て俺が付いた方が勝つ!!と(・∀・)ニヤニヤしながら
酒飲んで観戦してたんだろう。


>島に「雉の前に鶏が出た」揶揄されたってのも

こんなのは物語としての捏造だろうが
家康には会ってただろう、佐和山攻めの先鋒任されたんだし。
927人間七七四年:2012/01/20(金) 17:57:39.80 ID:/kNYL+KV
・伏見城攻めの直後に、家康に詫び状を送った
・西軍主力が美濃に移動した時は同行せず、後から悠々と行軍
 その為三成は、同僚の増田長盛に手紙で不安を述べている
・西軍の伊藤勢を攻撃して松尾山を奪取
どう考えても確信犯

だがそもそも高台院と淀殿が西軍を積極的に応援しなかった
どころか二人の親戚の大半は東軍に味方してる
なので小早川秀秋の行動は別に不自然でもない
三成最大の敗因は小早川を呼んでしまったこと。というか秀秋が勝手に大軍率いて乗り込んだのだけど

ここからスレチだけど、高台院と淀殿は豊臣の天下を早々と諦め、家を残すことだけを考えて行動していたのかも
・関ヶ原の後、二人は徳川家に対してひたすら土下座外交を繰り返した
 そのことは当時の資料から読み取れる(義演准后日記、舜旧記等)
・上記の資料を読むと、秀頼が成長した後は自分で政務を執っていたことも書かれている
高台院と淀殿がひたすら徳川家の要求を飲み続けている間、秀頼と大野治長は逆に開戦の下準備を進めていたことも記録が残っている
928人間七七四年:2012/03/09(金) 18:20:00.64 ID:83sCRzRG
裏切りでないな
929人間七七四年:2012/03/10(土) 01:17:21.85 ID:gSzvonGD
秀秋が個人的に三成が嫌いだったとしか思えん
家康もそれを把握してたから必ずこっちに付くと信じてたんだろ。
930誘致中:2012/03/13(火) 22:20:57.25 ID:lskFXV7e
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
931人間七七四年:2012/03/14(水) 17:16:59.26 ID:o5T8ng7y
小早川って毛利の仲間だよね?
そしたら、豊臣のためには動かないよね?
最初から毛利勢とグルだったんでは?
932人間七七四年:2012/03/14(水) 20:06:58.77 ID:VuWzc8KW
いや、秀秋は豊臣家の連枝だから
関ヶ原当時の小早川は、かつてのような毛利の両川体制では
すでにないよ
933人間七七四年:2012/03/14(水) 21:32:54.11 ID:uxQ+l4p0
小早川隊が徳川に突っ込めば、我が身可愛さに朽木ら四将も同調するだろうし、
その知らせを受けた吉川も「やべ、裏目だわ」と悟って秀元を促して
一気にに徳川の退路を塞ぐんじゃないかな。
福島・黒田・細川などは即時壊滅、池田は毛利・吉川に押し潰される。
934452:2012/03/14(水) 21:57:54.23 ID:NQwSc9F6
仮に南宮山の抑えの池田とか山内が壊滅したとして、だ
まだ家康には、徳川家自体の旗本がまだ手つかずで残ってるのでは?
1万以上いたのではなかったっけ?
935人間七七四年:2012/03/14(水) 22:14:04.14 ID:uxQ+l4p0
一万いても、宇喜多&小早川連合と毛利・吉川部隊に挟撃されれば四散せざるをえないんじゃないかな。
仮に毛利・吉川を何とか突き抜けても長束・長宗我部が後詰で二段構えだろうし。
そもそも、有り得ない小早川寝返りの報を受けた時点で
家康&譜代部隊は自分たちを取り巻く全ての豊臣恩顧部隊に疑心暗鬼だろ。
936人間七七四年:2012/03/14(水) 22:49:27.45 ID:lEPppg+Q
藤堂あたりはあっさり寝返るかもな
937人間七七四年:2012/03/14(水) 23:11:12.69 ID:uxQ+l4p0
藤堂は裏切りを表明できる間があればいいほうだけど
できないまま混戦に飲み込まれそう。
もし藤堂寝返りを西軍が認知することができれば、それこそ福島は生きては帰れない・・・。
938人間七七四年:2012/03/15(木) 21:08:40.63 ID:2LuCGxl1
黒田長政は蝙蝠大名 アレは簡単に寝返る w
939人間七七四年:2012/03/15(木) 21:27:12.62 ID:AKpUBQOz
いや、藤堂といい黒田といい・・・
日和見じゃなくれっきとした東軍で参戦してる奴が裏切りを決めたとして
西軍側にそれが伝わる前に潰されるんじゃないかという懸念。
小早川隊突撃前の寝返りじゃないとまず無理っぽいと思う。
時既に遅しで・・・すでに大混戦の最中だろうし。
940人間七七四年:2012/03/16(金) 01:14:20.28 ID:ibavDn6L
裏切りは難しくても東軍武将の逃走は相次ぐだろうな。
小早川が東軍に付かなかった時点で関ヶ原での家康の勝ちは不可能。
家康自身も三方原の経験があるから関ヶ原では勝てぬと思ったらさっさと逃げそう。
941人間七七四年:2012/03/16(金) 19:08:49.72 ID:yuN4UNUI
家康は逃げた時点で隠居、家督を秀忠に譲る。
そして初代将軍秀忠と、それを補佐する榊原家が繁栄する。 井伊家は断絶。
942人間七七四年:2012/03/16(金) 22:51:17.98 ID:P4yXnCgA
>>940
小早川が東軍に付かなかっただけなら
無傷の徳川本隊3万で蹴散らせばいいだけじゃない
943人間七七四年:2012/03/17(土) 01:16:09.47 ID:pRLwnihg
>>942
その三万しか残ってなければどうする事も出来んぞ
関ヶ原で家康敗北!との報が伝わればその本体からの逃走も相次ぐしな。
944人間七七四年:2012/03/17(土) 14:57:11.23 ID:oDhroGIU
>>941
家康は隠居以前に申し開きのため大坂に出頭しなかったら江戸の陣だろ。
出頭しても詮議の上切腹か斬首だろうからまず来ないだろうけど。

関ヶ原で負けた時点で、徳川家に源氏の氏長者と征夷大将軍任官はまずないだろうから
秀忠はよくて大減封の上僻地に転封、へたすりゃ改易だと思う。
これも秀忠が恭順の意を表して江戸を無血開城したらだろうけど。
945人間七七四年:2012/03/17(土) 15:00:08.30 ID:nmhTpt0R
>942
馬鹿だな、その時にその場に居ない軍なんて役にたたんだろ

大勢が決まった後に強行軍で山中を駆け回り疲れきった三万の兵がなんの役に起つのか

小早川はその時その場所にあったから重要だったんで、山奥に居る徳川本体3万は役に起たん
946人間七七四年:2012/03/17(土) 18:48:54.27 ID:9yQlzXDq
関白になって小早川幕府が開かれた。
開府300年後に開国し富国強兵。
米、露の大戦に参戦。
米国側にて参戦し露国に寝返る。
露国勝利後は、旧米国領と国際連盟の常任理事国の地位を手にいれる。
947人間七七四年:2012/03/17(土) 22:39:01.17 ID:lSSbPaSU
東北が混沌としそう。 上杉と伊達が最上領を折半、強国同士の一触即発状態続く。
それ以外に佐竹、南部という猛者も鎮座する。  4者いずれも東北の覇者になれる可能性がある。
948人間七七四年:2012/03/17(土) 23:00:15.08 ID:ps23Ln57
西軍が勝てば大友家復活だな
949人間七七四年:2012/03/18(日) 08:10:47.14 ID:T4vfqWjj
>>946
征夷大将軍じゃなけりゃ幕府は開けないぞアホ
950人間七七四年:2012/03/18(日) 10:47:22.01 ID:dn78M9Bn
(゜o゜)\(-_-)ツッコミサンクス
951人間七七四年:2012/03/18(日) 13:10:05.26 ID:tHuoLJTo
公家や皇族を将軍に建てて、己は執権になれば幕府が開ける。
952人間七七四年:2012/03/18(日) 13:20:17.65 ID:dn78M9Bn
それいいかも宮内庁に提案書出してみます。

953人間七七四年:2012/03/18(日) 21:46:31.71 ID:uGw2e8mc
>>943>>945
いや何を言ってるんだ?
自分の言ってる本隊3万は家康が率いている方だぞ
史実だとこの本隊は小早川の寝返りの後に攻撃に参加してるから
無傷の徳川本隊て言ってるわけなんだが
家康はこの本隊を使っていかようにも戦局を有利にできるわけ
954人間七七四年:2012/03/19(月) 08:53:42.75 ID:bhS0ulyz
>>953
横レスするけど

本隊といってもねー
いわゆる三河者の戦に長けた将級はほとんどが秀忠に付いて中山道をひーこら行軍中だよ
本多は忠勝こそ家康に付いていたけど、本多隊そのものは息子が率いて秀忠付き
大久保、榊原、牧野は一族あげて秀忠付き
関が原にいた徳川軍は井伊隊くらいしかい譜代としてまとまった軍はいないし、おまけに
およそ10年ほど合戦を将も兵も経験していない

逆に徳川の周囲は東軍西軍含めて多くが朝鮮帰りで将も兵も戦ずれしている
955人間七七四年:2012/03/19(月) 09:17:37.53 ID:x9K/XKYs
私も紀伊の徳川フィリピーナを将軍にして自らは執政となる企画書を宮内庁に提出してみますね
956人間七七四年:2012/03/19(月) 09:50:44.02 ID:sGdsjIaI
>953
徳川本体は秀忠の所

家康の所にいるのは雑兵ばかりの寄せ集め
957人間七七四年:2012/03/19(月) 13:49:27.93 ID:Nv/IRtXB
おっしゃるとおり!(^-^)↑
全員、派遣会社から派遣されていたらしいですね。
時給1200円だったみたいだね。
958人間七七四年:2012/03/19(月) 22:18:09.05 ID:t4vO0Tty
>>954
>およそ10年ほど合戦を将も兵も経験していない
それを言ったら大坂の陣の時に15年くらい合戦の経験していない
浪人たちが見事な戦ぶりをしたのをみれば年数は関係なくね
合戦の経験をしているかどうかは重要だとは思うけどね
それに朝鮮出兵に参加した大名たちはこの戦で優秀な家臣が死んだり
病気にかかりその後死亡したりと
必ずしも徳川家よりも有利とはいえないんじゃない
959人間七七四年:2012/03/19(月) 23:34:55.28 ID:vzUZERME
その時の家康についてたのは関東の領主達か?
だとしたら別に弱くないよ
諏訪やら菅沼やら保科やら平岩やら1人1人は小身でも皆戦いなれた連中ばかり。
960人間七七四年:2012/03/19(月) 23:54:32.77 ID:Nv/IRtXB
おっしゃるとおり!
まるで直接会って来たような語り方!
うんたらかんたら…
961人間七七四年:2012/03/19(月) 23:59:54.20 ID:bhS0ulyz
>>958
大阪冬夏の時は日本中で15年ほど合戦経験していなかったんだから敵も味方も将にしろ士にしろ
足軽にしろその辺は同じ条件だよ

関ヶ原における徳川家の軍は1590年の小田原征伐以降10年ほど合戦を経験していない組織
おまけに関東移封で軍の末端になればなるほど当然ながら関東の兵
誤解しないで欲しいけど何も関東の兵が弱いと言っているわけじゃない

例えば敵味方に同じ25歳の足軽100人いたとする
初陣100人vs元が150人くらいいて朝鮮出兵で生き残った100人と考えてみればいい
962人間七七四年:2012/03/20(火) 00:50:58.20 ID:DmYm3QsX
また極端なw
963人間七七四年:2012/03/20(火) 02:39:57.13 ID:LE80r3Rn
大阪の陣の時は豊臣方はほとんどが戦の経験のある浪人。
それに対して徳川方は世代交代が進んで戦を経験してない将もかなりいた。
964人間七七四年:2012/03/20(火) 03:37:12.20 ID:DmYm3QsX
時勢の読めない老人ばっかってことか
965人間七七四年:2012/03/20(火) 10:48:06.51 ID:8IGvqSTQ
うんたらかんたら…
966人間七七四年:2012/03/20(火) 13:18:37.21 ID:yp7t+7Pv
家康の三万が寄せ集めだろうが、屈強な三河者だろうがこの際どちらでもいい。
小早川隊が西軍について突撃開始した時点でその三万じゃ一度決定的に西軍に転んだ
戦況をひっくり返すなんてできないんだから。
歴史通り小早川が大谷隊に突撃を開始した後で、立花が何とか間に合って西で参戦しても
時既に遅しでひっくり返すなんて不可能なのと一緒だよ。
戦ってるのは兵士なんだから、兵士の士気が落ちた時点で戦にならない。
967人間七七四年:2012/03/21(水) 13:36:29.55 ID:X/abYj7/
というか、小早川が西軍に味方したとして、決定的に西軍有利な戦況になるかどうかだな。
史実は東軍の完勝でしょ。小早川がキーになってるのは、小説の世界じゃね?

南宮山勢力が挟撃した方が現実的だな。
968人間七七四年:2012/03/21(水) 21:39:52.11 ID:wGRQ2Bcu
いやいや、史実では南宮山勢力は東軍としても西軍としても機能してない。
その南宮山勢力が西軍側で動くとしたら、キッカケは小早川の変節で保身に走った時しかない・・・
それが話の前提だよ?
>>933>>935をみてほしい。
969人間七七四年:2012/03/21(水) 22:01:59.48 ID:rqnQsLJH
小早川勢だけなら家康本隊が出るなりして早期に撃破出来れば東軍の勝ち目はまだまだある
決定的に流れが変わるとすれば南宮山勢が動いた時
970人間七七四年:2012/03/21(水) 22:16:40.67 ID:wGRQ2Bcu
家康本体が前に出れば出るほど、本来の西軍主力と正面衝突、小早川に左翼突かれて崩壊なのだが・・・。
家康が前に出て自身で西軍撃破はありえない。それで済むなら東軍諸将そもそもいらないし。
971人間七七四年:2012/03/21(水) 22:27:22.61 ID:wGRQ2Bcu
南宮山勢力うんぬんは、家康が勝てるかどうか・・・よりは、
むしろ家康が生きて戦線離脱できるかどうかの材料だと思うんだけどな。
972人間七七四年:2012/03/21(水) 22:29:03.43 ID:rqnQsLJH
家康本隊を小早川勢に当てりゃ良いと言ってる訳だが?
家康の位置なら左翼の後詰につくのは不可能じゃ無かろう
973人間七七四年:2012/03/21(水) 22:38:14.76 ID:wGRQ2Bcu
勢いに乗じて中央突破し、良くて右翼、最悪の場合背後に回った宇喜多を主力とした追撃隊にはどう対処するんだ?
宇喜多呼応で彼らの士気は東軍と比べものにならない位高いと思うし。
974人間七七四年:2012/03/21(水) 22:42:09.14 ID:wGRQ2Bcu
それとも、あくまで小早川とは正面向かず後詰で・・・福島・京極あたりに小早川と朽木他四将を
なんとかしろということか?
975人間七七四年:2012/03/21(水) 22:48:13.70 ID:9qHqVVBe
このIFにおける小早川勢の兵力はどうなってるん?15000?8000?
976人間七七四年:2012/03/21(水) 22:59:23.07 ID:wGRQ2Bcu
日本戦史・関原役を元に家康本体を30000と見積もってる流れから、
小早川隊は15000と見積もるのが妥当かと。

977人間七七四年:2012/03/21(水) 23:16:39.47 ID:GchVl8KK
最小をとって小早川8,000だとしてもこれが西軍右翼として機能している状況下で
あれば、大谷隊は前に押し出せる
史実の裏切り四将部隊が小早川の前衛
宇喜多に押されかけていた福島隊が横からも圧力を受ければどう考えてももたない
福島が崩れると藤堂・京極も無理
そうなると小早川が伊勢街道を抑える形になって、栗原山から伊勢街道方面を扼していた
長曾我部が伊勢街道を北上して小早川の後詰になることが可能
理想的な鶴翼の陣の完成形になってしまいあとは雪崩現象だろう

家康としては東軍の豊臣系大名が全崩れしないうちに&南宮山諸隊が山を降りきらないうちに
中山道を逃げるしか手はない気がする
978人間七七四年:2012/03/21(水) 23:18:08.22 ID:tcl/vnBT
うんたらかんたら…

rekiota
979人間七七四年:2012/03/21(水) 23:29:46.89 ID:X/abYj7/
いや、どうなんだろうなぁ。
小早川のおかげで東軍が逆転勝利したわけじゃないよね。
西軍主力(宇喜多)は家康本体が出るまでもなく、福島等に最終的には押し込まれてる。
小早川は最後のダメ押しでしょ。

既出だけど、小早川が西軍で参戦したところで、家康本体が後詰めすればいいだけでは?
980人間七七四年:2012/03/21(水) 23:59:17.05 ID:GchVl8KK
>>979
小早川がいつ山を降りたのかにもよるだろうけど史実と同じとすればまさに宇喜多を
押さえるのに成功しつつあった福島隊ゆえにもたないと思う

疲労皆無の軍勢による理想的な横撃という形
宇喜多福島藤堂京極
  大谷 四将
       小早川


家康本隊が後詰として機能するには前に出るだけのスペースが必要になるんだけど東軍
左翼を構成している福島・藤堂・京極が後退している時点で展開させるだけのスペースが無い
東軍は(西軍もだけど)、総大将の命令の元に統一的に軍を動かしていたわけではないので
後詰が後詰の意味を持たない遊軍になる
981人間七七四年:2012/03/22(木) 00:28:00.55 ID:NtOtPgM9
史実のタイミングなら、福島は既に天満山だよ。スペースは十分ある。
藤堂・京極が裏切り四部隊に対してるわけだし、小早川の横撃はムリじゃない?
大谷600に、三度弾かれた程の弱卒だし。
982人間七七四年:2012/03/22(木) 11:18:19.59 ID:kbs1fSK+
>>981
小早川勢が弱卒な訳じゃないだろう
西軍で普通に戦う気でいたのに、戦場で突然裏切るって言われて
兵士達も 工エエェェ(´д`)ェェエエ工工ー ってなったんだから
そりゃあ士気0だろう・・・

仮に東軍相手に戦ってたら、隆景が鍛えた軍団なんだから
それなりに戦ってただろう
983人間七七四年:2012/03/22(木) 11:21:38.85 ID:kbs1fSK+
それと、スレを否定する言い方になるが金吾を動かす事より
毛利勢を確実に動かすために策を講じる必要があった。

内応の内諾を得ていた金吾と違い、毛利は普通に戦う気でいた。
吉川広家が動かなかったために、毛利勢は動けなかったが
輝元おだてて、先鋒お願いしちゃうくらいしていれば良かった。
984人間七七四年:2012/03/22(木) 14:01:53.56 ID:NtOtPgM9
それにしたって、大谷隊は600だよ?
いくら何でも3回弾かれるとかないわ。
まぁ実際のところは、松尾山から主戦場へのコースが隘路だということだろ。
なので、天満山付近の福島隊への横撃は無理。藤堂・京極もいるし。
985人間七七四年:2012/03/22(木) 15:17:00.23 ID:C6I8s02p
小早川って秀秋はおろか隆景の頃から雑魚だからな。
九州でもまけ、四国でも負けあげくのはてには秀吉はおろか
宇喜多や尼子残党にすら苦戦や敗戦の嵐だったし
986人間七七四年:2012/03/22(木) 16:18:52.56 ID:espwGUwT
>>985
バカ発見wwwwwwwwwww
987人間七七四年
圧倒的国力で25万石そこそこの宇喜多に大敗・苦戦を繰り返したのが毛利