戦国ちょっと悪い話8

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1人間七七四年
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話7
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234621761/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話7
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234946803/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2009/03/19(木) 16:14:14 ID:/neXkuAa
>>1大儀であった 好きなおにぎりをとっていくがよいぞ

  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                      ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鮭 鮭ごぼう  野沢菜  天むす ツナマヨ ツナマヨ  鮭マヨ 鮭ハラミ

3人間七七四年:2009/03/19(木) 16:29:44 ID:EhbBMbx7
鮭と
鮭マヨと
鮭ハラミはいただきました
4人間七七四年:2009/03/19(木) 17:26:57 ID:frAo1M6M
天正遣欧使節 ヴァリニアーノの真意

1584年5月、喜望峰を回った天正遣欧使節の一行を乗せた船は、
大西洋上の絶海の孤島、セント.ヘレナ島に到着した。
この島、後年ナポレオンの流刑地、終焉の地として歴史に名を残す。
そのイメージでは陰惨な島を連想させるが、実際は美しい南国の楽園であった。
ポルトガル人が発見する以前は無人島であったが、彼らが砦を築き港湾を整備し、
東方交易の重要な寄港基地とした。その後、オランダ、イギリスと領有者は替わり、
この間にアフリカ本土から奴隷を入植させていた。最近は上質なコーヒー豆の産地となっている。
が、現イギリス政府はインフラ整備を懈怠し、で現地住民の憤懣はやるかたない。
この地で水、食糧を補給した後、一行はリスボンを目指す。
が、大西洋上はこの時すでにイギリスの海賊船が跳梁跋扈する時代となっていた。
東洋からのお宝物資満載のこの船をめがけ殺到してくる海賊船に対して、迂回に迂回を重ね、
無駄に数ヶ月をイベリア半島近海で過ごした。故郷を前に30名以上の乗員が力つき病死した。

一行は、8月11日にリスボンに到着した。
当時リスボンは、世界の富の一大集積地であった。
彼らの到着があらかじめ知らせれていた岬の要塞からは祝砲が打ち鳴らされ、
白壁の美しいあまたの教会修道院では盛大に鐘が打ち鳴らされての賑々しい入港であった。

埠頭に降り立った少年らが目にしたのは、巨体を誇るナウ船の林立する帆柱、
甲板から次々荷おろされる様々な異国からの夥しい物資、見たことも無いような珍奇な動物、
そして船腹から蟻のように続々と降りて来る鎖を付けられた見慣れぬ黒い人間たち、
アフリカからの黒人奴隷であった。

そこで見たもの全ては、九州の田舎から出てきた少年らにとってはまさに驚天動地、
眩しく光り輝く世界であった。
彼らは九州から出たことが無かった。古い甍を並べ黒々とした伽藍の立ち並ぶ瀟洒な京の都、
フロイスが驚嘆した不遜に聳え立つ魔の城安土城も見たことは無かった。
彼らが知っていたのはせいぜい府内、有馬、長崎の鄙びた田舎町の風景であった。
たちまちにして、4人の少年らは未知の文明に魅入られることになった。
この豪奢な美と享楽、それと同時に偽善と悪の汚濁にまみれた文明に対し、
全くの無免疫であった。
ここにこそイエズス会ナンバ−2、巡察師ヴァリニアーノの真意が潜んでいたのである。
堺や京の、世慣れた若者ではこの使節には不向きであった。
5人間七七四年:2009/03/19(木) 18:57:03 ID:m6UGsyFn
>>3
出羽守さま御自重下され
6人間七七四年:2009/03/19(木) 19:17:16 ID:vDUcZ0F5
マンショは京都にいた奴の代役じゃなかったっけ?
まぁジュリアンは死ぬ間際「ローマを見たぞ!」と叫んでたらしいから
田舎モンに強烈なインパクトを与えたのは間違いないかも知れん
7人間七七四年:2009/03/19(木) 19:24:37 ID:7hH62cXs
>>3
鮭オタいらね
8人間七七四年:2009/03/19(木) 19:39:48 ID:La3cI99D
>>2

>>1大儀であった 好きなおにぎりをとっていくがよいぞ

>   ∧ ∧   
>  ( ´・ω・)                                      ○
>  ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
>  と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
>        梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け オプーナ
>           ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
>           (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
>           鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
>       ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
>      (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
>       鮭 鮭ごぼう  野沢菜  天むす ツナ
9人間七七四年:2009/03/19(木) 19:45:05 ID:wMRzsYBN
織田信雄の三家老の一人、岡田直孝の弟に、庄五郎という者がいた。
この男、渡り奉公人と言って、期間を限って大名に使えながら、各家を点々とすると言う、
今の契約社員のような事をやっていた。

さて、その庄五郎が肥後で、加藤清正に仕えていた頃の事。
ある時清正から、家中の歴々に、鷹狩りの獲物の雁や鴨を下されたことがあった。
庄五郎も一羽の鳥を頂いたそうだ。

で、庄五郎、この鳥を頂いてすぐに食うようなことをせず、じっと待った。腐るまで。
そうして腐った所を料理し、「殿様から頂いた鳥をおすそ分け」と、同僚達に振舞ったそうだ。

困ったのが振舞われた人たちである。腐っているのだ。明らかに。
しかし殿が獲られた鳥である。食わないわけには行かないではないか。
皆、死にそうな顔をしながら、我慢して食べた。
ところが当の庄五郎、鳥をおいしそうにパクパク食っている。
しかもよくよく見ると庄五郎のものは、腐っていない。

「それは一体!?」同僚達が問い詰めると、庄五郎、
「殿様から御拝領した鳥は、私の様な者には余りにもったいので、皆様に食べていただくため、
私は残念ながら、新しい鳥で我慢いたしました。」

たとえ殿から頂いた物でも、嫌がらせのためならためらわず活用する。それが過酷な
戦国の嫌がらせ道なのだ!
10人間七七四年:2009/03/19(木) 19:45:25 ID:La3cI99D
いらねとか言っちゃう子がいりません。めっ。

>>2
1じゃないけどオプーナを所望いたす


ところで>>4は続くんだよな?


11人間七七四年:2009/03/19(木) 19:49:08 ID:La3cI99D
すまん何か8に変な書き込みしてたわ
反省がてらちょっと細川さんの家で庭木の剪定してくる
12人間七七四年:2009/03/19(木) 19:56:39 ID:Fc7DCJDV
>>1
前スレ>>1000が一つずれていたと思うと……
13人間七七四年:2009/03/19(木) 19:57:14 ID:IpoEQuKS
>>9
庄五郎、加藤家中がよほど気に入らなかったとしか思えないw
14人間七七四年:2009/03/19(木) 19:59:47 ID:W49Zg7pa
腐る寸前の美味い時を見計らって食べようとしたが失敗して
完全に腐らせちゃったから有効利用したんだろう
15人間七七四年:2009/03/19(木) 20:00:41 ID:Amk/Bjom
美味しんぼで獣肉は絞めてから時間置いた方が美味いって話があったけど腐らせちゃな…
16人間七七四年:2009/03/19(木) 20:17:19 ID:PNBvrvMd
山岡「鴨は目にウジがわくくらいが美味い」
17人間七七四年:2009/03/19(木) 21:01:39 ID:veBh4rv9
松平下記「みんな我慢することないのに・・・」
18人間七七四年:2009/03/19(木) 22:15:11 ID:brXBhKj/
>>9
性根が腐っとるw
このスレ最初の悪い話としては申し分ないなw

天正少年使節の悪い話は前のスレで出てたと思う
19人間七七四年:2009/03/19(木) 23:09:22 ID:IpoEQuKS
秋田実季と嫡子俊季の不仲は半端ではなかった

宍戸に移った実季は、自分の法号を冠した「高乾院」という寺を建立した
秋田家の新たな菩提寺として、意気込んで建てた寺である
だが、実季が藩主罷免となり、伊勢に配流されると、俊季は早速この寺に難癖をつけた
「親父の名前をつけたままじゃ、幕府の覚えも悪くなるよね♪」
ということで、勝手に「湊福寺」と替えてしまったのだ

これを伊勢で聞いた実季、激怒した
実は「湊福」とは、湊安東家の祖・鹿季の法号
湊家と内戦を繰り広げ、檜山であることにこだわった実季への露骨な嫌がらせだった

俊季は三春に国替えとなったため、菩提寺も移したが、あくまで湊福寺で押し通した
ようやく高乾院に戻るのは、俊季の死後のことである
20人間七七四年:2009/03/20(金) 00:32:40 ID:zpeazzas
黒田如水、長政親子が、豊前にて城井鎮房による豊前一揆と戦っていた頃の事。
黒田美作はその幼名を「はつ」と言い、長政の寵童であった。
さて、ある時黒田軍は城井方を攻めたが逆襲を受け、総軍退却となった。
この退却の時、はつは一人残り、敵と槍を合わせたと言うことで、長政は
「それはたいへん奇特な事だ!」と、大いに喜んだそうだ。
ところがそれを聞いた後藤又兵衛、
「おいおい、はつの槍の柄の長さは、十一里八丁はあるらしいぜ?」と、
おおいに陰口を叩いた、との事である。
もう、いかにもな、長政と又兵衛のお話。
21人間七七四年:2009/03/20(金) 01:21:24 ID:Cq9SW0A+
すまん、十一里八丁ってどゆ意味?
22人間七七四年:2009/03/20(金) 01:35:51 ID:Hv25cItq
>>21
とんでもなく後ろに居たはずなのに、なんで槍を合わせているんだよってこと
23人間七七四年:2009/03/20(金) 01:43:54 ID:jg9sk341
996 :人間七七四年:2009/03/19(木) 17:12:04 ID:IpoEQuKS
信之「1000ならおれも評価される!」

997 :人間七七四年:2009/03/19(木) 17:45:23 ID:/UPH40Am
997なら次スレでまさかの尼子ブーム

998 :人間七七四年:2009/03/19(木) 18:32:05 ID:Amk/Bjom
998なら現世に鬼武蔵光臨

999 :人間七七四年:2009/03/19(木) 18:37:56 ID:veBh4rv9
確かに尼子って良い奴多いからなぁ。
なんてーかな、お人好しっぽいエピソード満載だしねぇ。

1000 :人間七七四年:2009/03/19(木) 18:38:25 ID:VTZX1uMc
999なら防衛相に鬼武蔵

999GJ!!
24人間七七四年:2009/03/20(金) 12:37:22 ID:70xuYuXy
>>23
見逃していたが信之がかわいそうすぎる
そして>>998は……
25人間七七四年:2009/03/20(金) 13:56:15 ID:V3a/jyeA
又兵衛は長政とはつとそして主にへつらってそういう話を告げた奴とを全部馬鹿にしきってるわなw
26人間七七四年:2009/03/20(金) 18:04:52 ID:zwuRgrr2
小弓公方、足利義明という人は、大変な大力で有名であった。
彼が北条氏綱と戦った、第一次国府台合戦でも、三尺六、七寸(約120センチ)
ほどもある太刀を振るい、暴れまわった。

北条方にも安藤豊後という、有名な大力の者がおり、義明に向かって行った。
しかし義明、馬上で剣をあわせたかと思うと、その太刀で安藤を具足の上からフルスイング!
安藤、馬の上から吹き飛ばされた。特大ホームランである。
しかもこの時、なんと安藤の傍にいた同僚まで一緒にふっとばされるというオマケつき。
ツーランである。

安藤豊後、この衝撃で死んでしまった。

同じく北条方に横井新助と言う物がいた。
新助は安藤の討ち死にを見て、「あんな化け物とまともに戦えるか」と、心底思った。
しかし考えた。あんな化け物でも、矢が立たないと言うわけではあるまい。
でも近づくとあっという間に殺される…

「そうだ!安全地帯からロングショットで狙えばいいんだ!」

と、どこかのゲームで強い敵モンスターをちまちま倒す時と同じ事を考えた。

遠くから狙い、義明が気がついて近づいてくれば逃げる。これを繰り返した。
するとまんまと図に当たり、義明を射落としてしまった。

「いやっほう!この合戦一番の手柄は俺だぜ!」と、新助が喜んだのもつかの間、
遠くから狙っていたのがまずかった。首を獲りに近づこうとするのを、義明の家臣に見つかり、
「あいつが御所様を!あいつを討ち取れ!」と、いっせいに追っかけられたのだ。

新助が逃げ回っている間に、義明の首は松田という者に獲られてしまった。
ゲームと違い楽をすると、最終的には身にならないのだ。というお話。
27人間七七四年:2009/03/20(金) 19:11:29 ID:5UNGJoQD
家康は含蓄に富むエピソードが多いけど、秀吉は子供だましが多い
28人間七七四年:2009/03/20(金) 19:15:27 ID:c+7aeQxE
>>26
まさかこの時代に無双脳がいたとは…
29人間七七四年:2009/03/20(金) 20:36:00 ID:x0KO849u
>>26
120cmの太刀って振るのも大変そうだな。
30人間七七四年:2009/03/20(金) 20:39:25 ID:O4+/CkQo
>>26
鬼武蔵といい、化け物退治は飛び道具に限るなw
31人間七七四年:2009/03/20(金) 21:16:40 ID:c+7aeQxE
まるっとお見通しだ!

元亀三年、織田信長は足利義昭に最後通牒を突きつける
いわゆる十七条の意見書である
その中にはこんな文言があった
「天下の公方様がご商売をなさるとは、古今聞いたことがありません」

実は義昭、挙兵準備のために蓄財に励んでいたのだ
米を売った金銭や、反信長の大名から献上された金品をごっそり蓄えていた
信長は、それをあてこすったのである

しかし、当然ながら義昭は極秘裏にこれらを進めたつもりだったし、
信長の目が届かぬように貯蓄したつもりでいた
「こそこそと悪巧みしても、全部こっちには筒抜けだぞ」
件の一文は、そんなこわーい恫喝だった
32人間七七四年:2009/03/20(金) 21:21:42 ID:mvV/9JqM
>>31
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
33人間七七四年:2009/03/20(金) 21:30:54 ID:wruVugxh
義昭「ヒイイイイイィィィィィィイイイ!!!
   こ、こうなったら殺られる前に殺るしかない・・・ッ!」

信長「計 画 通 り !!」
34人間七七四年:2009/03/20(金) 21:39:17 ID:Qgaq66fc
んで余裕ぶっこいてたら信玄まで攻めてきたと
35人間七七四年:2009/03/20(金) 23:47:35 ID:PjkPDnNl
信長が伊勢へ侵攻を始めたころ、紀伊の鉄砲集団・根来衆が彼に興味を持った。

「信長とかいうヤツ、美濃も手に入れたっていうじゃねーか。そんなにスゲーなら、
どれほどの男か実際に見てやろうぜ!」

さっそく根来寺の僧が伊勢の末寺に派遣され、僧は折り詰めにご馳走をギッシリ詰めて
信長を待ちうけ、数々の折り詰めを差し上げた。

「で、あるか。」
馬上からこれを見た信長、折り詰めから餅を、二つ三つ笄(こうがい)で刺し貫くと
一気に口に入れ、「あとはお前ら、食え。」と折り詰めを宙にブン投げた。

軍団の移動中とて転がっていた馬フンの上に、折り詰めは落ちた。

近習の侍たちは、フツーに馬フンの上で折り詰めを開け、信長の指図通り頂戴した。
「ちょ、命令に逆らうより馬糞メシのがマシってどんだけコェェ大将だよ・・・」

根来へ帰った僧が伝えた話は、すぐに広まり根来へ正式に信長の使者が来た時、

「 『あの人』が来たあああぁぁぁ!!!\(^o^)/ 」
と、根来衆は恐れおののいて早々に従い、以後、信長の天下布武を大いに助けた。
36人間七七四年:2009/03/21(土) 00:47:04 ID:b3B9zySJ
小栗又一さん、拗ねる。

小栗又一は駿府城で奥の番を仰せ付けられていたが、駿府城火災の折、
門を開けるのが遅くなり、そのため逃げ惑う人々が殺到、御古茶という少女が踏み殺されるという
悲劇が起こった。このため二千石の知行の改易処分を受けたのだが、その後五百石で復帰した。

さて、復帰して早々の、大阪の陣でのこと。
家康は又一に図面を見せ、「使番としてここからここまで行くように」と、命じた。
ところが又一

「今ウチの馬疲れているから、そんな使いは無理ですよ」

などと言い出した。そこで本多正信が「軍務なんだから、馬は誰かから借りればいいのでは?」
と言うと、又一さん、キレた。

「何で人から借りた馬なんかに乗らなきゃいけないんだよ!そんなの嫌だっての!
だいたい上様もこんな時ばっかり又一又一って!仕事したって何にもくれないくせに!
もう、知らない!」

三河武士もちゃんとかまってあげないと、寂しくて拗ねちゃうのだ。
37人間七七四年:2009/03/21(土) 01:00:23 ID:JYDodwG/
>>35
根来寺にとっては結果的にいい話になったな…

>>36
三河武士めんどくせえええ!
38人間七七四年:2009/03/21(土) 01:02:09 ID:oXN2Inxe
小栗さんてセンゴクにも登場してた?
39人間七七四年:2009/03/21(土) 01:03:22 ID:rafHQFl3
まさか小栗かずまたが又一の子孫だったとはwww
40人間七七四年:2009/03/21(土) 02:57:41 ID:/AboJdYG
>>36
かげまつさまが見てる
41人間七七四年:2009/03/21(土) 05:33:58 ID:ydcC7aB1
戦国時代陸戦型の化け物多すぎだろ
42人間七七四年:2009/03/21(土) 08:33:34 ID:lqPnV1KD
陸戦型に対して水戦型の化け物として
「泳いで参った」の人が思い浮かぶ俺は大分この板に毒されてるな
43人間七七四年:2009/03/21(土) 11:40:45 ID:ZAgDbfbo
最上の悪い話でも出せよクソが
44人間七七四年:2009/03/21(土) 12:03:04 ID:JOmb+RoD
>>41そんな人型モンスター、坂東武者代表のちょっと悪い?話。

これまた別の意味のモンスター、日根野備中守弘就は永禄10年(1567)の稲葉山落城後、
各地を転々として一時期、北条家に身を寄せた。

旧斎藤家の猛将は北条でも歓迎されたが、自分の目で見たものしか信じない人というのは
どこにでもいるワケで、北条家では、あの鈴木大学だった。
「上方武士に、当家で大きなツラはさせん。次に会ったら、せいぜい恥をかかせてやる。」
と、知人に会うごとに語る大学。

これを聞いて弘就も、「今日、鈴木と会えば、どちらかが死ぬまで収まるまい。」
と、毎日妻子に言い残し、覚悟を促して出かけるようになった。

ある日ついに大学は、弘就が息子の織部正高吉と立ち話をしているのに出くわした。
「よし、弘就め、今日が最期よ。」大学は弘就の、続いて高吉の面構えを改めた。

「・・・ウホッ、いい男・・・・・・」
あろうことか大学、高吉に一目惚れ。そのまま家に帰ると、恋文まで書いてしまった。
高吉は父の敵からの恋文をワナと思ったか、それとも普通にノンケだったのか
破り捨てたが、二度三度と届く大学の熱いパトスに、ついに答えてしまう。

永禄12年(1569)、信玄が小田原に押し寄せて来た時、「恩を返すは今をおいて無し!」
と弘就は高吉と弟親子あわせて4人で城外へ飛び出し、門を閉めさせてしまう。

「高吉きゅんが死んじゃう!何とかしなくちゃ!!」
門が閉じたのを見た大学は、塀によじ登り、向かって来る武田兵に自慢の矢を浴びせた。

日根野ファミリーは全員生き延び、大学は大功を挙げたという。
45人間七七四年:2009/03/21(土) 12:10:06 ID:Zt817rR7
ええ話や・・・
46人間七七四年:2009/03/21(土) 12:11:52 ID:mwU76jtK
大学きめぇw
47人間七七四年:2009/03/21(土) 12:13:48 ID:6jNXv6gp
なんか弓をへし折られたカワイソスな印象が薄れたぞw
48人間七七四年:2009/03/21(土) 12:27:33 ID:JEiXzpry
パトスとか書くなw

>>41
当時の中国人やら外国人の史書や資料読むと
戦国時代のバケモンの様子がハンパないよな〜
49人間七七四年:2009/03/21(土) 12:30:51 ID:HCJWNu10
倭寇をみちゃった明軍士官が
「やべえ、ジャップやべえw 自殺とかって腹きってんのw
やべえ、一番苦しいじゃん、なんで腹とかなの? イミフw ちょうこわいw」
とかガクブルな記録を残していてワロタw
あと白装束一枚で刀ふりまわしてバッタバッタと切り倒す日本人剣士とか、
いったい明軍は何を目撃したんだろうw
50人間七七四年:2009/03/21(土) 12:32:14 ID:ork/60wG
いや、これはいい話だよ!
いいは…な…
51人間七七四年:2009/03/21(土) 13:01:51 ID:0Q9qH+Kw
某バイク板ではスズキ=変態のレッテルを貼られユーザーとしては迷惑してるのですが、
スズキ変態の起源は大学だったんですね。
52人間七七四年:2009/03/21(土) 13:01:56 ID:1KNUjn5I
鈴木大学
なぜかこのスレでは大人気だなw
53人間七七四年:2009/03/21(土) 13:18:01 ID:2N/haAV3
小栗又一さん、憤る。

大阪の陣で使番として、なんのかんのでちゃんと働いていた小栗又一。
ところがどうも、中間の若い連中が気に入らない。

「俺が使番として行く場所に、たどり着かないような奴がいるんだぜ。
全く中間の連中はふがいない。」と、憚りもせず言った。

それを聞いた中間の山木新五、当然怒った。
「又一殿!中間の面々にまとめて悪口をするとはどういう事ですか!しかも我々中間は、
あなたの悪口など言った事が無いと言うのに!」
「なにを!?」「なんですって!?」

そんなわけで口論になり、これは喧嘩になると周りが騒ぎ始めた所に、本多正信がやってきた。
満面の笑みで。

「いやはや、各々方はご奉公の大切さをよく分かっているがゆえに、互いに吟味を成して、
それぞれを高めあおうとしているのですな!実に結構。
ささ、どうぞ存分に争ってくだされ!」

こう言われて又一と新五、却って口を閉じ黙ってしまい、口論も終わったとのことである。

正信、してやったり。
54人間七七四年:2009/03/21(土) 13:36:27 ID:Ea9acGot
さすが佐渡どの、三河武士の扱い方をわかってらっしゃるw
55人間七七四年:2009/03/21(土) 13:49:41 ID:6jNXv6gp
正純にゃできん芸だろうなw
56人間七七四年:2009/03/21(土) 14:23:01 ID:nuY5eIiz
関ヶ原の役の後、しばらくは戦火は絶え天下は穏やかであった。
その頃日本を旅した西欧人、外交使節、商人の旅日記では、
日本の街の並外れた清潔さと秩序ただしさ、治安の整然たる様子が特筆されている。
街の入り口には必ず木戸が作られており、毎日決まった時間には閉ざされるために、
人の出入りは完全に管理されていた。
また街を整然と区画する道路は常に掃き清められ、
塵一つ落ちていなかった。
汚物を平気で窓から投げ捨て悪臭凄まじかったヨーロッパの街とは
対照的であった。
ただ閉口したのは、入り口近くには大抵打ち首となった罪人の首が
曝されているだけではなく、刀の試し切りのためにずたずたに切り刻まれた胴体、
というよりも肉片が放置されていることであった。
中にはわざわざ縫い合わせた胴体を再度切ったものもあった。

豊後日出の小大名、木下延俊の日常を綴った慶長日記でも、
試し切りのことが描かれていた。
大名も剣の嗜みとして、日頃試し切りを頻繁にやっていたようである。
57人間七七四年:2009/03/21(土) 14:44:58 ID:hdJ6lw/x
>>56
富田さんが汚物を消毒しにヨーロッパへ旅立とうとしてます
58人間七七四年:2009/03/21(土) 15:04:46 ID:vRtkYgWh
冨田さんと、鬼武蔵が唐入りまで生きてたら
59人間七七四年:2009/03/21(土) 15:08:59 ID:mwU76jtK
ハイヒールってフランスの町がウンコがまみれだから足に付かないようにする為に開発されたらしいなw
60人間七七四年:2009/03/21(土) 15:10:14 ID:OYrM2alx
三成はまず死んでる
61人間七七四年:2009/03/21(土) 15:25:20 ID:i6uWH32G
>>56
殺生関白秀次も、なまじ剣の達人だから試し切りしまくって、
それを宣教師が目撃して、しかも誇張がはいって
「自ら処刑を行う非道な男」と記録されたと読んだことがあるな。
江戸にはいってからも、試し切り用屍は高値で取引されてたというなあ。
62人間七七四年:2009/03/21(土) 15:37:02 ID:hdJ6lw/x
>>59
野郎もはいてたんかな…--;
この前、結構きれいな足の女の子をみかけて「おっ」とかおもってたらすね毛が…野郎でへこんだよorz

>>61
罪人の肝臓は"薬"として売られてたらしいね
試し切り役人の収入源だったとか
63人間七七四年:2009/03/21(土) 16:43:53 ID:DHiI28Xy
ミイラも薬の材料だったって話だものな
漢方って、結構すごいもんばっかり使うよな
64人間七七四年:2009/03/21(土) 16:56:31 ID:OYrM2alx
ミイラは元がなんなのか良く判ってなかったらしいがな
実際ミイラ使った薬は解熱かなんかの効果があったらしい
ミイラ自体に薬効があったんじゃなくミイラにするためにつけてあった漆の効果らしいが
65人間七七四年:2009/03/21(土) 17:25:37 ID:CEzEGT+A
このスレの豆知識レベルに脱帽
66人間七七四年:2009/03/21(土) 17:33:16 ID:i6uWH32G
刀や剣客のの品質判定基準が、江戸になっても「三つ胴まで切りました!」とかそんなんだもんね〜。
いい刀でも試し斬りしてなきゃ駄目、だもんな。
鬼武蔵なら生きたまま…いやなんでもない
67人間七七四年:2009/03/21(土) 18:03:32 ID:vSDUh9cV
>>66
鬼武蔵は人間無骨かましてます。
槍で人間を縦に貫通。
68人間七七四年:2009/03/21(土) 19:54:05 ID:QWiGy++S
>>62
山田浅右衛門は脳や胆汁とかも売ってらしいね。

でも、胆汁って人糞の臭いと色の素だから…
雑菌も相当多かったんだろうな。
69人間七七四年:2009/03/21(土) 20:00:13 ID:mwU76jtK
人間の脳は人間が食うとクールー病になるぞ・・・

クロイツフェルト・ヤコブ病、つまり狂牛病の仲間にかかって死ぬ。
70人間七七四年:2009/03/21(土) 20:45:04 ID:2Fn+p0xZ
>>63
かなり時代が下るけど華岡青洲の麻酔薬にはチョウセンアサガオやトリカブトが使われていたり。
薬も毒も基本は同じなんだろうか。


文禄の役の後、いよいよ慶長の役が始まろうとしていた頃

朝鮮の将金応端の陣に出入りする一人の日本人がいた。
名を要時羅といい小西行長の臣であったという。

日本の武将たちがぞくぞくと渡海して行き、文禄の役で大いに活躍した加藤清正が渡海しようとした時
要時羅が金応端に密かに告げた。
「我が将(小西行長)が次のように申しております。交渉が決裂したのは加藤清正のせいであり、自分は彼を甚だ憎んでいる。
 これこれの日に清正が渡海するので、水戦の得意な朝鮮がこれを要撃すればこれを討ち取る事もできるだろう、と。」

金応端はこれを朝廷に報告し、朝廷は閑山島で水軍を率いる李舜臣に前進するよう催促した。
が、李舜臣は謀を疑って前進を遅らせた。結果加藤清正は渡海してしまった。

その後要時羅が再び金応端の陣を訪れ、「なぜ迎撃しなかったのですか?」といかにも残念そうな素振りをしてみせたため
朝廷では李舜臣を咎める声が高まり、ついには「李舜臣切るべし」と極言するものまで出た。
李舜臣は逮捕され、獄舎に投ぜられた。李舜臣の母はこの時気の動転のあまり死んでしまったという。

朝廷が派遣した調査官が「李舜臣は機会を逃した。」と報告したため
李舜臣は官職を削られ、一兵卒として従軍することとなった。
出獄した後に母の死を知った李舜臣は喪服を着て従軍したという。
人々はそれを聞いて嘆き悲しんだ。

話はこれで終わらない。
後任として閑山島の水軍を率いる事になった元均は
李舜臣が定めた制度を尽く変更し、李舜臣に重用されていた将や士卒を更迭していった。
元均自身が気性の荒い人物であったため水軍の士気は目に見えて低下していく。

その頃要時羅が再び金応端の陣を訪れる。
「これこれの日に日本水軍の増援が来ます。迎撃すべきでしょう。」

朝廷はこの言を信じ、元均に前進を催促
日頃李舜臣は前進しなかったと言っていた元均はこれを断れず前進を開始
しかし折からの強風で海は荒れ、朝鮮水軍は散り散りになった。
なんとか退却するも飲料水の不足と日本水軍の強襲によりさらに退却
ついに巨済島近くの漆川島沖で日本水軍の夜襲にあい、朝鮮水軍は壊滅した。

元均はそのまま消息不明となり、障害を打ち破った日本水軍は西進を開始しした。
すべては秀吉に朝鮮水軍撃破を命ぜられた小西行長の策だったのだ。

『懲録』
71人間七七四年:2009/03/21(土) 22:00:34 ID:DHiI28Xy
豪商小西ならではの人脈の手広さが感じられる逸話だな
72人間七七四年:2009/03/21(土) 23:05:26 ID:sDlvARwp
>>70
和名ならヨウジロ かな?

嘘の中に真実のひとつまみを混ぜるから洒落にならん
「コニシドノとキヨマサはマジ不仲」とかw
73人間七七四年:2009/03/21(土) 23:12:39 ID:OYrM2alx
そういや漆川梁海戦に小西も参加してたんだな
何気に李舜臣討った島津義弘もいるな
両方とも陸上部隊だけど
74人間七七四年:2009/03/21(土) 23:56:55 ID:ZCTwT3fu
>>72
要時羅→弥二郎→小西弥九郎行長の親族とか妄想してみたり
75人間七七四年:2009/03/22(日) 00:32:07 ID:8KAGPFEa
現代だと要寺羅(リョサラ)って読むらしいが
リョサラだと元の和名が想像できん・・・
76人間七七四年:2009/03/22(日) 00:40:36 ID:R1GQO2VC
>>75
小西の関係者だと洗礼名も考えられる
77人間七七四年:2009/03/22(日) 01:12:13 ID:HSh0JYI4
ぐぐると梯七太夫とあるな
78人間七七四年:2009/03/22(日) 01:29:32 ID:66l/rX58
戦国DQN代表イレブン
                      森武蔵
           富田長繁

                 伊達政宗

       島津忠恒
                           森忠政
                 細川忠興

  森蘭丸                          森勇介
           福島正則     毛利輝元


                 大友宗麟
79人間七七四年:2009/03/22(日) 01:35:07 ID:93bb98G6
政宗がトップ下のファンタジスタか・・・ところでキャプテンは誰がやんの?
80人間七七四年:2009/03/22(日) 01:39:35 ID:Gj8Nq4T1
監督も必要だな
81人間七七四年:2009/03/22(日) 01:55:44 ID:3poA/YdZ
一人だけ現代人混ぜんなw
82人間七七四年:2009/03/22(日) 02:03:28 ID:obQRRbQt
監督 豊臣秀吉
83人間七七四年:2009/03/22(日) 02:08:11 ID:72dOYzcB
監督:真田信之
84人間七七四年:2009/03/22(日) 02:10:43 ID:zOdRYqQc
市松DFかよwww
85人間七七四年:2009/03/22(日) 02:51:42 ID:pokwVopg
木を隠すなら,ということか
86人間七七四年:2009/03/22(日) 02:54:11 ID:8gYFnOsv
退場者が異常に多いから補欠多目に入れておかないとw
87人間七七四年:2009/03/22(日) 02:57:02 ID:eht9U3zk
モキュンがはいっとる
88人間七七四年:2009/03/22(日) 03:01:24 ID:W9r5xZp1
誰かやきうで考えてみて!
89人間七七四年:2009/03/22(日) 03:14:58 ID:3poA/YdZ
戦国常識人代表イレブン
                     立花宗茂 
           島津家久

                 蒲生氏郷

       羽柴秀長
                          黒田如水
                 細川幽斎

  堀秀政                        真田信之
           丹羽長秀     小早川隆景

                 立花道雪
90人間七七四年:2009/03/22(日) 03:28:29 ID:HyUX2vgc
>>89
FWの2人が連携取れそうもないな
91人間七七四年:2009/03/22(日) 03:48:31 ID:Gj8Nq4T1
1.CF 森武蔵
2.2B 森蘭丸
3.C 島津家久
4.3B 伊達政宗
5.SS 細川忠興
6.DH 福島正則
7.RF 森忠政
8.1B 毛利輝元
9.LF 水野勝成

先発
富田長繁
セットアッパー
大友宗麟
豊臣秀次
抑え
武田信虎

織田信長監督
豊臣秀吉ヘッドコーチ

外国人選手も欲しいところだが
92人間七七四年:2009/03/22(日) 03:53:35 ID:RJbxFpDW
鬼はピッチャーで専属主審が信長だろ
93人間七七四年:2009/03/22(日) 04:13:11 ID:3poA/YdZ
蘭丸はDQNでは無かろうw
94人間七七四年:2009/03/22(日) 05:20:11 ID:WzwXJ9kV
TERUはDQNじゃなくて100年ばかり早く生まれすぎただけだお
95人間七七四年:2009/03/22(日) 10:37:22 ID:pRIjGjYe
>>89
監督は家康で。
頭良くて空気読める人ばっかりだな
96人間七七四年:2009/03/22(日) 10:49:15 ID:QLqPlM47
オーダー表には島津家久(善)とか島津家久(愚)とか書こうぜ

常識人チームには森可成や島津龍伯も捨てがたい
と、書いてて思ったがDQNの血縁に常識人が多く感じるな。幽斎やら龍伯やら隆景やら・・・
対比して見てしまうせいかね
97人間七七四年:2009/03/22(日) 10:52:52 ID:mhbZhK1s
戦国の長島巨人軍思い出したw
91のメンバーでWBC行ってくれ
98人間七七四年:2009/03/22(日) 10:54:44 ID:dsJOwzPm
>>96
大友義統「や、そんなに褒められるとてれますな。」
99人間七七四年:2009/03/22(日) 11:28:23 ID:R1GQO2VC
外国人選手ならヤスケがおるw
100人間七七四年:2009/03/22(日) 11:49:22 ID:xrw23dQH
>>99
いやいや蒲生さんのところのイタ(ry
101人間七七四年:2009/03/22(日) 12:15:20 ID:8KAGPFEa
野球ならイタリア人よりオランダ人だろ
102人間七七四年:2009/03/22(日) 12:38:48 ID:LZTFGr3t
先生、球拾いの片桐君が日射病で倒れてアワ吹いてます
103人間七七四年:2009/03/22(日) 13:15:41 ID:c/YhEGWw
三河武士イレブンは簡単に考えつくけどこれも試合になりそうにないな
104人間七七四年:2009/03/22(日) 13:16:49 ID:3mzYd22w
>>103
監督が家康なら何とかなる!
105人間七七四年:2009/03/22(日) 13:22:06 ID:c/YhEGWw
>>104
常識人チームに出張中ですが……
106人間七七四年:2009/03/22(日) 13:34:16 ID:GotaHCiW
良し分かった!家康のお父さんに頼もう
107人間七七四年:2009/03/22(日) 13:34:35 ID:3poA/YdZ
「パスを出せ!」
「あいや、待たれよ!貴様が味方とは分からん以上はこのボールは渡せん。」

「おい、シュート打たれたぞ!止めろ!」
「だが、断る。貴様の態度が気に食わん。」
108人間七七四年:2009/03/22(日) 13:45:43 ID:fK5HE0cM
戦国日本代表と似たような発想の、江戸時代に実際にあった戦国武将番付

大関 西 上杉謙信 東 武田信玄
関脇 西 毛利元就 東 北条氏康
小結 西 前田利家 東 島津義弘

前頭 加藤清正 柴田勝家 伊達政宗 福島正則 真田昌幸 大谷吉隆 大内義興 尼子義久
    片桐且元 細川藤孝 木村重成 鈴木孫一 小早川隆景 吉川元春 蒲生氏郷 長曽我元親
    丹羽長秀 今川義元
スケ前頭 明智光秀 山上道及
前頭(十両) 宇喜多直家 石田三成 島左近 直江兼継 本多忠勝 新納武蔵 池田信輝 井伊直政
        黒田長政 浅野長政 筒井順慶 三好長慶 浅井長政 朝倉義景 佐竹義宣 大友宗麟
        榊原康政 滝川一益 加藤嘉明 中川清秀馬場信房 宇佐美定行 堀秀政 堀尾吉晴
        酒井忠次 山県昌景 小西行長 武田勝頼 斎藤道三 陶晴賢 蜂須賀正勝 鍋島直茂
        奥平信昌 森長可 藤堂高虎 増田長盛 内藤昌豊 高坂昌信 山中鹿之助 後藤又兵衛
        (以下208名)

行司 羽柴秀吉 羽柴秀長 結城秀康 羽柴秀次 羽柴秀勝
差添 織田信長 織田信忠 織田秀信 織田信雄 織田信孝
世話人 山本勘助 竹中半兵衛 真田幸村 真田幸隆 明智光俊
勧進元 信長記 太閤記 後風土記
ttp://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/goods/vol002/vol002.html
109人間七七四年:2009/03/22(日) 13:58:31 ID:qHfL3GO7
うわ。
懐かしいな、似たような奴昔持ってたぞ
110人間七七四年:2009/03/22(日) 13:58:49 ID:mhbZhK1s
ベッキーいねぇw
111人間七七四年:2009/03/22(日) 14:00:54 ID:3poA/YdZ
尼子義久はおかしいだろw
112人間七七四年:2009/03/22(日) 14:13:22 ID:cliEEO5G
豊家、織田家はどうするんだろうと思ったら別格扱いか
113人間七七四年:2009/03/22(日) 14:14:21 ID:fWFDcCDq
明智光俊って誰?
114人間七七四年:2009/03/22(日) 14:42:38 ID:8KAGPFEa
明智光秀は山上道及が同じで片桐且元や木村重成より下になるのか
115人間七七四年:2009/03/22(日) 14:46:21 ID:Ta/6bxsl
利家勝てるのかよw武田家臣が凄すぎるが
116人間七七四年:2009/03/22(日) 14:51:10 ID:obQRRbQt
>>108
リンク元見たが・・・

江戸時代なんだから横綱いないだろjk
117人間七七四年:2009/03/22(日) 15:09:32 ID:mhbZhK1s
横綱はいるだろ
公式階級としてなかっただけで
118人間七七四年:2009/03/22(日) 15:11:13 ID:obQRRbQt
>>117
公式階級とかそういうのじゃなく、番付じゃないだろ<江戸時代の横綱
弓取りとかと同じで、その役割を果たす人への名誉称号
119人間七七四年:2009/03/22(日) 15:56:51 ID:HSh0JYI4
だからなんだ?
とりあえず内藤昌豊がハブられてない事に感動した
120人間七七四年:2009/03/22(日) 16:01:26 ID:obQRRbQt
>>119
> なに?大関が上杉謙信と武田信玄であることはいいが、横綱が載っていない
> ではないか、と。それは江戸時代のことですからね、横綱はなにはさておき東
> 照大権現に決まっているわけです。
リンク先にこんな事書いてあるから突っ込みいれただけ。
121人間七七四年:2009/03/22(日) 16:46:13 ID:7dirXkIQ
由利鎌之助って実在したのか?
十勇士の中で唯一載ってるようだが。
122人間七七四年:2009/03/22(日) 18:34:52 ID:V0J6xH8e
流れぶった切って悪い話

戦国日記魔の一人、多聞院英俊
隣国で起こった大騒動を聞きつけ、書き残していた
その騒動→「命より水を」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1542.html

摂津国鳴尾村と瓦林村の用水争いは、近郷が加勢に馳せ参じ、
弓槍、騎馬まで持ち出した一大合戦となったらしい
結局、豊臣政権のお裁きとなり、多くの磔刑が出て鎮圧された
この時、噂では親の身代わりにと、十三歳の童が犠牲になった
「こんな世の中に…( ;∀;) イイハナシダナー」
と英俊さんもひとしきり感動した

…と、ここで終わればいい話
言い伝えによれば、他にも身代わりはいた
それは加勢に出向き、処刑されたはずの近郷の庄屋達
彼らは乞食の装束を改め、代わりに突き出したのだ
哀れ、乞食六人が磔で殺されてしまったという
123人間七七四年:2009/03/22(日) 19:04:30 ID:RarY/7WS
それは中世の村ではよくあることだなあ。

村人ではないプーを村で養って、
労役や兵役に出すことはもちろん、
いざというときは解死人として村人の代わりに殺された。
124人間七七四年:2009/03/22(日) 19:05:39 ID:R1GQO2VC
>>122
川中島の百姓「他人を身代わりにするなんてそんな酷いことできません」
125人間七七四年:2009/03/22(日) 19:46:34 ID:J/0kaOxd
中世の村人のキレやすさとしたたかさは異常
秀吉が刀狩りしたがるのも当然だわ
126人間七七四年:2009/03/22(日) 20:44:07 ID:mhbZhK1s
アユタヤ王は悩んでいた
隣国ビルマが何度も遠征を仕掛けてきたのである
迎撃しようにも当時の東南アジアは人口希薄地帯
自国の兵が圧倒的に足りなかった
しかもビルマは鉄砲で武装したポルトガル人傭兵を抱えていた
そこでアユタヤ王は「こっちも傭兵雇えばいいじゃん」と同じようにポルトガル人傭兵を雇った
が、まったく役に立たなかった
ポルトガル人傭兵は同士討ちを恐れてまったく戦闘に参加しようとしなかったのである
そこでポルトガル人以外で傭兵を構成することにしたが問題が起こった
鉄砲の重要性は理解していたが扱いに長けていなければ部隊として使えない
銃の扱いに長けてそれなりの規模を持つ民族…
意外な事にアジア人にそれがいた
日本人である
試しに使ってみると中々屈強で戦慣れしていた
「いいじゃんコイツら」と言う事でしばらく使っていたが
その日の戦は相手も日本人傭兵を抱えていた
ポルトガル人の件もあり「今回は使えないかな…」と思ったが
意外にも相手が日本人でも関係無しに攻撃した
「コイツら使える!」
こうしてアユタヤではポルトガル人の影響力が低下、
日本人の影響力が強まり1000人を超える日本人町を形成されていく事になる

戦国が終わった後、日本での仕事を失った浪人たちはこうして東南アジアへと進出、
スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス等西洋諸国や東南アジア諸国に仕えた
イギリスに至っては当時の東インド会社の傭兵の半分が日本人という記録がある
同時に商人も進出、茶屋四郎次郎(三代目)がベトナム中部で独立した広南王国に武器を輸出すれば
同じ京の商人角倉了以は対立する安南王国に武器を輸出し地域の勢力均衡にまで影響を及ぼしていた
また朝鮮出兵で争った明では兵の装備が日本刀になり特に近衛は日本で造られたものを装備したため
明への刀剣輸出が激増、日本人傭兵が跋扈している東南アジアにも刀剣と鉄砲は盛んに輸出
家康が戦国を終わらせ日本は太平を築いたが
戦国は浪人と死の商人によっては東アジア全土に輸出されていた
127人間七七四年:2009/03/22(日) 20:53:11 ID:RarY/7WS
戦国当時は、リアル戦闘民族だからなw
平和ボケした俺たちのご先祖とは、正直思えないw
128人間七七四年:2009/03/22(日) 21:19:20 ID:dT7qgHA9
それが一転二世紀半の平和ボケになるんだからすごいよなw
それにしても浪人の失業問題って大変だったんだろうなあ
下手したら山賊になるし雇用先にも限界があるし。浪人の中にも人外が普通にいるし
129人間七七四年:2009/03/22(日) 21:47:27 ID:jpJkHwHA
>>108
前頭 >真田昌幸
世話人>真田幸隆 真田幸村

   >真田信幸
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
なんで俺だけ…
130人間七七四年:2009/03/22(日) 21:48:55 ID:VNhsMg80
伸幸ヲタしつこいな
131人間七七四年:2009/03/22(日) 21:49:30 ID:+1sZHYiq
>>129
兄ちゃん……
兄ちゃんは土俵でいいと思うよ……
皆を支える立派な土俵
132人間七七四年:2009/03/22(日) 21:56:47 ID:mhbZhK1s
ちなみに当時東南アジアに日本刀が流通してたので
日本刀の切れ味は幕末になっても知られていた
他にも日本産の鉄砲がオスマントルコにまで輸出されてたとか
後金が明から大砲の技術を得るまでに日本製の大砲使ってたとか眉唾な話がある

>>129
そこの突っ込みどころは幸村がいて毛利勝永がいないってところだと思う
あんた華々しい戦歴ないんだから
義弘がいて島津義久がいないし内政を競う番付じゃないだろ
133人間七七四年:2009/03/22(日) 21:57:17 ID:jZrpY8Et
150年も同じ民族同士で内戦してたからなw
以前ユーゴ内戦のインタビューで日本人が
「私達日本人は同じ国で殺しあうという事が理解できません」といってたが

お前ら400年前は単に領土を拡大したいってだけの理由で、
ユーゴどころじゃない共喰い戦争してたろwと突っ込みたくなった
134人間七七四年:2009/03/22(日) 21:58:10 ID:uJmm460t
懸賞の旗に藩の名前が書いてあるとか
135人間七七四年:2009/03/22(日) 22:07:46 ID:xJT62wRC
真田伊豆守っているじゃん。信之。
それよりこんなにいるのに斎藤義龍がいないのが問題だ
136人間七七四年:2009/03/22(日) 22:25:26 ID:GBvX51qT
スペインは本当に傭兵を欲してたらしいからな
内乱の後国をまとめ上げた軍をどうするかってのは万国共通の悩みだが100年を超える内乱で養われた兵は生半可じゃなかったって事か
国が戦争しなくても自発的に戦争行って地域規模で影響を及ぼすとは…
137人間七七四年:2009/03/22(日) 22:44:03 ID:fFLQRGH+
>>87
血の気の多い乱暴者だがボス(関塚監督)には忠実で、仲間思いで敵との揉め事には率先して突撃する……あれ、こいつ戦国でも(以下略
138人間七七四年:2009/03/23(月) 00:49:43 ID:DpBGuakR
真田大助が信之より上って・・・
139人間七七四年:2009/03/23(月) 02:15:27 ID:iDHXI996
>>122で多聞院英俊の名前が出てるし地元ネタでも

奈良公園にいる鹿
あれは公式には春日大社の神獣なのをご存じだろうか
区域にいる鹿全部が、である
中世には鹿を誤って殺してしまった子供がその鹿の亡骸と共に生き埋めにされたりと祟りを畏れられた存在なのだ
ちなみにこの生き埋めの塚はしっかり残っている
太平洋戦争後の食糧難で国策で狩られた時代もあったが神獣としての立場は一切変わらない
現在でも鹿を轢いたドライバーに対して奈良警察署がお祓いを勧めたりする冗談みたいな現実がある
ある程度形骸化したとはいえ地元民には依然畏敬の対象だったりするのだ

さて、信長が正倉院秘蔵の香木を下賜された後に自ら申し出て欲したのがこの‘神鹿’
奈良興福寺多聞院の文書には「前代未聞の珍事」と書かれている
信長が神の使いを連れ帰ってどうしたか、織田家の文書には記載がない

秀吉もこの‘神鹿’相手にやらかしている
こちらはハッキリと‘ 喰 う 為 に 狩 っ た ’と書き残されている
しかも新年の祝賀用で春日大社に断りなしと傍若無人
前述の文書には「新年早々の凶事」と書き記されている
140人間七七四年:2009/03/23(月) 04:03:04 ID:D3O/83NB
流石は腐れ禿鼠だなぁw

おや、殺生関白殿が恨みがましい視線を送ってきているw
141人間七七四年:2009/03/23(月) 04:59:55 ID:cH+lwKp2
秀吉さん、これ以上ないくらいバチあたっちゃいましたね
142人間七七四年:2009/03/23(月) 09:31:16 ID:biAFirhM
神仏を信じないってのも考えものだな
虎と同じで精力蓄える為かね
143人間七七四年:2009/03/23(月) 09:48:24 ID:0iJISMFD
秀吉は熱心な神道の信者じゃなかったっけ?
144人間七七四年:2009/03/23(月) 11:43:10 ID:ltQ6ij3S
秀吉のオカンは熱心な日蓮宗信者だったな
145人間七七四年:2009/03/23(月) 16:35:56 ID:JZeQ00hb
オレは遠足で行った奈良公園で、鹿に弁当食われて泣いてたというのに・・・
さすがは太閤殿下、そんな悪逆非道な鹿を逆に食っちまうとは。

オレとは格が違うということが今分かったぜ。
146人間七七四年:2009/03/23(月) 16:46:50 ID:kx4a9mAu
しかり
147139:2009/03/23(月) 18:09:02 ID:iDHXI996
ちなみに元ネタは多聞院日記(多聞院英俊の関わった興福寺の坊主達の日記)の天正19年の一月の一項なんだが…
天正19年ってのは千利休切腹、豊臣鶴松病死、翌20年は文禄の役の先遣隊が朝鮮半島上陸と豊臣政権が破滅の階段を一気に駆け上がる時期
狩られた‘神鹿’6頭は見事に祟った気もしないでもない

明治に入るまで春日大社の‘神鹿’を殺すと死罪だったそうで誤って殺した町人を役人が助ける落語の一席もある
現在も天然記念物なので故意に危害を加えると捕まります
>>145みたいな事態は地元商店にも起こるが泣き寝入りするしかない…
148人間七七四年:2009/03/23(月) 18:24:00 ID:pHURA2WL
神鹿無骨とばかり某鬼がアップし始めました
149人間七七四年:2009/03/23(月) 18:25:25 ID:9FS+rhAo
加藤清正と言う人は、戦で物見を出すと言う時も、自分で出て行った。
また、小屋掛け普請などを行う時も、自分でその奉行となり、その小屋割に至るまで、
自身で細かく申し付けていたそうだ。

このようであったから、加藤家の家臣には優れたものがそれ程出なかったのだ、
との、後世の評である。
150人間七七四年:2009/03/23(月) 22:44:32 ID:biAFirhM
一方、市松の家臣団は粒揃いだった
151人間七七四年:2009/03/23(月) 23:31:58 ID:FfAvVTpV
>>149
清正死後家政が滞ってるから重臣同士の内輪もめでもしてんのか?って
幕府が監査に入らせたら、何をするにも必ず清正の手が入るようになって
いたので死後は段取りがわからなくなって右往左往してたそうだね
152人間七七四年:2009/03/24(火) 00:06:27 ID:a92X3kgh
島津家久、天正のDQN行為に怒る

島津家久(善)が、京都に滞在していた折の日記より

「五月五日、紹杷、同心と一緒に目疾(めやみ)地蔵堂に参拝した。

ところが!そこに奉納されている聖徳太子の像の頭が割られてて、玉眼が抜き取られていた!
一体どういう罰当たりな人間の仕業なんだよ!嘆かわしい!」

神仏を尊び文化財を大切にする家久公、こういうことをする人間は許せなかったのだろう。
彼の腹立たしさが伝わってくる記録なのであった。
153人間七七四年:2009/03/24(火) 00:11:05 ID:grLxTm02
政宗「文化財を破壊するなんて行為、ゆるせんよなあ!」
154人間七七四年:2009/03/24(火) 00:12:56 ID:D9HAiYIJ
一方、家久(悪)は家宝(現在国宝)をパチッて振り回していた
155人間七七四年:2009/03/24(火) 00:19:41 ID:V32xD0dn
1588年、スペインの植民地だったフィリピンで恐るべき謀議が発覚した

ことの起こりは、修道会やキリスト系商人らの大量流入である
彼らが力を増すごとに、従来有力だったイスラム勢力が圧迫された
87年、ルソンの有力イスラム系首長レガスピはついにキレた
彼は仲間の首長と同盟し、スペインからルソンを奪回しようと謀った
レガスピがあてにしたのは、日本勢力
松浦氏の配下で、よりによってキリスト教徒のファン・ガヨ
ガヨは貿易船団を持っており、良質で知られた日本製武器の密輸を期待されたのだ

計画では、スペインとの交易を隠れ蓑に武器を密輸、
ボルネオやマレーのイスラム勢力にそれを分配し、水陸からスペイン人を襲撃、
新たな支配体制には日本人が入ることまで決まっていた

謀議を危ういところで阻止したスペイン
発覚数日前には、すでに日本製の火器で武装したボルネオ軍がマニラ湾に肉薄していたという
156人間七七四年:2009/03/24(火) 00:39:36 ID:H9g5OlFS
ラスボスも半島じゃなくてフィリピンに行っていたら・・・
157人間七七四年:2009/03/24(火) 00:42:44 ID:/v8MGMY6
グアム占領して聚楽第作ろうぜ
158人間七七四年:2009/03/24(火) 00:45:51 ID:bYYSOOHi
ハワイアン聚楽第センター

淀君がキワドイ格好で「 じゅ・ら・く・よーん 」
159人間七七四年:2009/03/24(火) 00:47:12 ID:/ev7Lful
グアムは最早日本領だけどなw
日本人しかおらんぞ
160シベリアからのお手紙です:2009/03/24(火) 03:58:45 ID:TWYiP6iV
水野勝成が牢人し、西国でウロウロしていた頃、とある旅館で寝ていた時に、盗人に
刀と脇差を盗まれた事があった。

この盗人、旅館から走って逃げ、小川を渡ったところで、やれやれと思っていると、
後ろから「待てー!」の声、

振り向いて驚いた。刀の持ち主、勝成が追いかけてきた事に、ではない。
その勝成が、全裸であった事に、である。

盗人を油断させる策略なのか、ただ単に怒りのあまり服を着るのを忘れただけなのか、
何はともあれ全裸なのだ。

勝成、盗人の姿を確認すると、恐ろしい勢いで小川を渡り始めた。全裸で。

盗人、命の危険を感じ、盗んだ刀で勝成を攻撃しようとする。

ところが勝成、たちまち盗人に懐に飛び込み、その刀を奪い、逆に討って取った。全裸で。

想像してみよう。盗人を討ち果たし、その身に返り血を浴び、太刀と脇差を取り返したことに喜ぶ、
屈強な全裸の男を。

そんなカオスさも勝成だからしょうがない。そんな日向守様のお話。
161人間七七四年:2009/03/24(火) 05:14:31 ID:L2HRW8ai
さすがリアル戦闘民族、場所も、時間も、姿も関係ないのである
162人間七七四年:2009/03/24(火) 10:15:47 ID:x4TZ3A6i
>>160
服無き戦国スピリッツ!
163人間七七四年:2009/03/24(火) 10:55:47 ID:XYG4ocsD
夜中にフルチンの男が追いかけてきたら俺でもビビル
164人間七七四年:2009/03/24(火) 11:29:08 ID:4gm7bUsr
殺らないか?
165人間七七四年:2009/03/24(火) 11:34:49 ID:QHDuEULp
うほ、いい漢!
166人間七七四年:2009/03/24(火) 11:35:01 ID:cmeaoYzn
キリシタン大名、勇敢な武将であり、利休七哲の茶人、
ポルトガル語を流暢に話し、ラテン語も解したインテリ高山右近、
若年時からマニラ追放の晩年まで際どい世渡りの連続であった。

1571年、彼が19歳の頃、直接の主家であった摂津守護職の一人
和田維盛が白井河原の戦いで荒木村重に敗死して以来、
主家和田家に対する高山家は微妙な立場となった。
和田維盛の若年の長子の維長、及び和田一門との間は互いに疑心暗鬼、
次第に抜き差しならぬ険悪なものとなる。
高槻城内では、最後には高山飛騨守、右近長房親子を誅すべしという和田一門の意で
占められるようになった。そんな折り、更に主家筋である織田信長、足利義昭の間が
険悪となり、狭い摂津内では荒木村重の威があまたを取り仕切る案配であった。
高山親子でも親の躊躇いを制したのは、より現実主義者の右近であった。
主家和田家を見放し、新興の荒木村重につくこととなった。

1573年4月某日、高山親子は和田維長により高槻城に呼び出された。
飛騨守、右近も覚悟の登城である。
二人のみが通された薄暗い評定の間には和田維長と近臣が座している。
親子2人だけの入室と確認した維長の口から、両人を誅すべし、との声が上がる。
板戸を蹴破り十数人の和田家家臣が切り込んできた。けり倒された燭台の灯が消え、
広間は真っ暗闇となったことが右近に幸いした。
いち早く右近は和田維長の襟首をつかみ上げ、首に深々と傷を与えるも、
入り乱れての混乱の中で討ち取ることが出来ない。
乱戦の中、彼自身も背中、首に深手を負い、命からがら城を脱した。
抜かり無く手回しの素早い荒木村重が率いる3000名の軍勢が、既に高槻城を囲んでいる。

結局、織田信長、荒木村重、細川藤高らの合議、パワーバランスの結果、
和田家は高槻より追放となり、和田維長は傷が元で死亡した。
高槻城を拝領したのは高山ダリオ飛騨守、ジェスト右近となった。
右近も傷がこじれ死線を彷徨うも回復し、
これがその後の戦国大名の流転の人生の始まりとなった。

高山右近の下克上の話。
167人間七七四年:2009/03/24(火) 12:08:36 ID:HzkGnd7c
確か友照の飛騨守は自称
168人間七七四年:2009/03/24(火) 17:07:02 ID:CZQWJDIs

 いい話の方で柳生話を上げたので、悪い?話も。

■十兵衛と沢庵・禅問答の巻

  ある日、柳生十兵衛に対し、沢庵はひとつ尋ねた。

 「お主は随分腕を上げたようだが、もし、前後左右4人から一度に斬りかかられたらどうする?」
 「たかが4人程度、柳生新陰流・水月の極意でもってたちまち斬り捨て申そう」

 「ほほう、では8人なら?」
 「三光電致の極意を用います」

 「ふうむ、ならば16人なら?」
 「柳生新陰流天地人三巻の中の極意、木の葉隠れの術にて斬り捨てます」

  どんどん敵の数を増やしていく沢庵に対し、十兵衛はそれぞれ対抗手段を述べていった。
 そして最終的に沢庵が、

 「では…128人なら?」

  と問うたところ、十兵衛は莞爾として笑い、

 「柳生新陰の秘術を尽くし、愛刀三池典太光世の目釘の続く限り、斬って斬って斬りまくり、
  もし敵わぬ時は武門の習い、いさぎよく斬り死にを遂げるまで。
  何の一命を惜しみましょうや」
169人間七七四年:2009/03/24(火) 17:08:03 ID:CZQWJDIs

  このように答えたのに対し、沢庵は、

 「なんとあきれたものじゃ。お主の剣はたかが128人止まりか。
  計略を帷幕のうちにめぐらし、何故に勝ちを千里の外に決せぬのじゃ。
  百万、千万の敵をたちどころに滅ぼすのが、まことの剣というものじゃ。
  一剣の理、万敵を屠るのがまことの剣の心と気づかぬか。この愚か者め!」

  と、十兵衛を一喝したという。
 そして沢庵は

  『佇むな。行くな戻るな居座るな。寝るな起きるな知るも知らぬも』

  という歌の文句を示し、「この歌の意味を解くのじゃ」と十兵衛に公案を与えた。
 十兵衛は明けても暮れても、寝ても覚めても考えるが、どうにもわからず、
 遂に沢庵の前に兜を脱いで教えを請うと、沢庵はニヤニヤして、


  「なに、わしにもわからんのじゃよ」


  とケロリと答えたという。


========================

 戦国から少しズレるかもしれんが、宗矩と宗章の話が出たので十兵衛も。
江戸中期(安永か天明頃?)の実録本「柳荒美談」が初出らしい。
十兵衛と沢庵の関係や、当時の「剣の極意」に対する印象なんかが出ていて面白いかなと。
170人間七七四年:2009/03/25(水) 00:20:46 ID:odTzIZyO
128人だと剣の理を応用して帷幕のうちの計略で倒すけど、
100人くらいまでならガチで戦っても勝つくらいな
心づもりなのかな当時の剣豪は。
現代だと実戦派を名乗る武術でもまず1対複数にならないようにする
っていう考え方になる気がするけど戦場の乱戦だと
必ず複数だろうしな・・
この当時の「剣の極意」は後の江戸時代あたりの極意と比べても
ぜんぜん違う物なんだろうな。
171人間七七四年:2009/03/25(水) 00:23:32 ID:r/j+t0w0
全員鉄棒で殴り倒す
全員無骨
全員鎌で刈り倒す

などの化け物様たちがおいでですからな
172人間七七四年:2009/03/25(水) 00:24:38 ID:2rIvOU1o
>>168-169
義輝「わてなら畳に何本も刀を突き刺してとっかえひっかえ戦おうと思います」

173人間七七四年:2009/03/25(水) 08:14:42 ID:yTEzC1wS
剣豪なんかよりも、清水隆治や太田康資とかのほうが強そうだ…
174人間七七四年:2009/03/25(水) 11:19:41 ID:0+Otfz3D
島原の乱を鎮圧するため、板倉重昌が幕府軍の指揮官として派遣された。
これを知った柳生宗矩は重昌を引き止めようと追いかけたが、結局間に合わなかった。
戻って来た宗矩はかんかんになって家光に諌言した。

「なんということをなされたのか、宗教一揆は手強い相手ですぞ!
重昌は確かに優れた男ですが、たかだか一万五千石の小身なので、
荷が重すぎます。奴は使命を果たそうとして死ぬことでしょう。」

宗矩の予想通り小身の重昌に従う諸候はおらず、責任を感じた重昌は
無茶な攻撃をして討ち死にしてしまうのだった。

別の話だが、この話を知った勝海舟は氷川清話で宗矩をこう評した。

「宗矩はただの剣客ではない。表向きは指南役などと言っているが、
家光公に意見できるほどの権力を持っていた。私はこの話からそれを
見抜いた。将軍が出兵させた者をたかが指南役が独断で止められるはずがないからだ。
歴史を見るときはこういうことに注意しなければならない。こういうことを
眼光紙背に徹する、というのである。」

もっともこのころの宗矩は大名で大目付だったので、ただの指南役ではなかったそうだ。
175人間七七四年:2009/03/25(水) 12:18:28 ID:LuffybI8
>>174
補足すると、この時宗矩は、

「重昌は優れた男だが、小身の身なので
 外様の諸大名も彼の命令に従わないでしょう。
 故に、幕府としては更に石高が上の指揮官を出さざるを得ず、
 そうなれば、重昌の面目は立たなくなるため、我攻めをし、討死してしまうでしょう。
 彼ほどの逸材を失うことはいかにも惜しいので、
 上様の命と言ってでも引き止めようとしたのです。
 ご命令頂ければ、再び、今すぐでも引き止めに向かいますが」

 と言ったが、既に幕命として正式に出してしまっている以上、
家光としても命令の差し止めは出来ず、結局・・・ということだそうな。
(ちなみに、追加で派遣されたのは松平”知恵伊豆”信綱)

戦前だと小学校の教科書にも載ってた話だったそうだが。
176人間七七四年:2009/03/25(水) 12:37:49 ID:yztnWbrj
家光にとっては悪い話だけど、宗矩にとってはいい話だな。
177人間七七四年:2009/03/25(水) 13:09:51 ID:UXt/OLYM
大身とはいえない旗本でも政治力発言力ある者には、大封の大名も
気を使って下手に出てたもんだが。
こと合戦ともなると、畑が違うだろうから。。
178人間七七四年:2009/03/25(水) 13:59:09 ID:pgCDjsdD
>>177
実戦経験があれば違ったんじゃないか
まあ実戦経験のある奴なんてほとんど残っていなかったけど
179人間七七四年:2009/03/25(水) 14:29:43 ID:k3FJ0ixy
>>178
水野勝成「久々の戦で血が騒ぐわ!一番槍は頂く!」
鍋島勝茂「今の若い武士には足りない心がある、それは功名心」
立花宗茂「一揆相手に大げさな、俺だけで充分だろ常考」
山田有栄「関ヶ原に比べれば児戯でござるな」



真田信之「72歳だがまだ戦える!」
鈴木忠重(家老)「殿、我らに参戦要請は来ておりませぬ」
真田信之「(´・ω・`)」

安藤実季「一揆だって、やだね〜」
木像「………」
180人間七七四年:2009/03/25(水) 14:52:48 ID:2rIvOU1o
>>178-179
宇喜多秀家「さてと、久しぶりに遠泳するかな」
181人間七七四年:2009/03/25(水) 15:20:56 ID://s+8Zlu
江戸初期 立場をわきまえない水野家の無茶話

当時大名家には参勤と言う役目があった
ただ決められた人数を連れて行くのではなく斥候を放し出陣
するかの如く進軍するのである
水野家も例外ではなく国から江戸へ向かっている途中の事
行列が突然停止した
家老に届いた報告によると同じ街道前方から加賀藩の行列が
向って来るとの内容であった
家老は殿に報告するまでもないと迂回路を探す
大名行列は格下の藩が道を譲る慣わしがあった
消してすれ違う様な事はない
家老は主に恥を欠かせないよう迂回を考えたのである
ところが迂回路探しに時間が掛かってしまい当主勝種から
「何事か」と声が飛んだ
すると家臣の一人が「前方から加賀藩が」と言ってしまったのだ
勝種は水野家小大名といえど猛将勝成の末裔、退くわけにはいかなかった
槍の鞘を外させ大柄な者に持たせ、彼等を前列に置き直進を命じたのである
近づく行列は加賀藩、格も数も桁違いであった為水野家家臣は奮い立った
殺気を放つ行軍に街道脇で待っていた通行人も逃げ出すありさまでした
その頃加賀藩のほうも前方から槍を構えて突っ込んでくる水野家の情報
が入り行進は停止していた
そこへ水野家が迫り合戦が始ると誰もが考えていたが、行けども行けども
加賀藩の行列に出会う事はありませんでした
家康公と関係が深かった水野家相手に揉め事を起こすと幕府がどんな裁き
をするか不安になった前田家が道を大きく迂回していたのだ
大藩に平気で喧嘩売る水野家と小勢相手に背中を見せる前田家は
共に江戸の笑い話となりました
182人間七七四年:2009/03/25(水) 16:29:25 ID:UXt/OLYM
>>179

細川忠興  「乱の起こる2年前に予見していたわしのことを忘れておろうが、手討ちじゃ!」

183人間七七四年:2009/03/25(水) 18:13:29 ID:c0ybzDml
>>179
松平忠輝「今日も退屈だから、本でも読んでるかな」
184人間七七四年:2009/03/25(水) 19:30:36 ID:wUWq1Obo
>>175
> 家光としても命令の差し止めは出来ず
すでに「将軍の幕府」じゃなく、「幕府の将軍」になってたんだな
だからこそ200年も続いたんだろうけど

>>179
どう見ても一人戦える状態にない人がいるだろw

>>181
平安の頃から、牛車の道を譲る譲らない、みたいな喧嘩ってあるよな
やっぱ重要なことだったんだろうな
185人間七七四年:2009/03/25(水) 20:17:57 ID:IGH3KO9f
>>181

水野家の気概は分かるが、現代の目で見ると
大藩加賀の大人の対応という気も…
186人間七七四年:2009/03/26(木) 00:41:58 ID:gSp7I79D
水野勝成が牢人し、備中の三村親成に仕えていた頃の事。
勝成この時、僅か切米十八石。この小身のため、よき茶を買うことも出来なかった。
そこで三村家の茶頭に、親成が飲む茶を、少し分けてくれと頼んだ所、

「 こ れ は お 前 の よ う な 者 が 飲 む 茶 じ ゃ ね え 。」

と、断られた。
そこで勝成、当然のようにこの茶頭を闇討ちにして、三村家を出奔したとのことである。

勝成への、侮辱の対価は高いのだ。
187人間七七四年:2009/03/26(木) 00:43:40 ID:ZcKV+eIJ
勝成はDQNなんだけど邪悪さが足りない
188人間七七四年:2009/03/26(木) 01:16:15 ID:Wy8QePMJ
これは茶頭がかわいそう
「俺ビンボーで美味い茶とか買えねーけど今超茶が飲みたいから
 殿様の茶少し俺にくれタダで」
とか言われても、侮辱とかじゃなく本当に断るしかないw
189人間七七四年:2009/03/26(木) 02:10:55 ID:uvDgalVO
>>187
ハイハイ鬼武蔵鬼武蔵、四天王ばんざ〜い

誰も彼等に勝てないっスよね
190人間七七四年:2009/03/26(木) 02:39:12 ID:VauDdGM8
>>186
前田犬畜生^h^h千代「ちょ、茶坊主闇討ちなんてアリエネー」

191人間七七四年:2009/03/26(木) 06:05:23 ID:8WfYL3Xf
>>186
親成は嫁がせた姪に旅の支度をさせてから金子持たせて付き添わせている
勝成も逃げるように出奔したわけではない
親成的には茶坊主が悪いが家臣になめられていると見られない為に距離を置いたってのが正解かと

茶を欲した理由が嫁の為とか伝わっていたら途端に良い話になりそうなんだけどね
192人間七七四年:2009/03/26(木) 08:27:38 ID:9dH0SqFf
斬ってる時点でいい話にはなりようが無いだろw
三歳的な狂気になるだけだ
193人間七七四年:2009/03/26(木) 09:29:06 ID:nkDGBeNX
話ぶった切る

TERU元さんの家臣で吉見広長という人がいた
吉見広頼の次男坊である
この人、兄の元頼が死んだので家督を相続した
朝鮮出兵の時には秀元の配下で参戦しているのだが、
後日、ラスボスの遺訓でTERUさんが秀元に長門を預けたのが
なぜか気に食わず、出奔→すぐ捕縛→監禁→保釈

後年、関ヶ原で毛利軍として参戦しているのだが、
なぜか秀元の配下ではなく、吉川広家の配下で参戦

さすがのTERUさんもこれにはちょっと怒る
TERU「ちょっと、我儘が過ぎるんだお!自重するんだお!
   石高減らすから!反省するんだお!」
広長「なんでだよー!毛利家でなんかやってられるか!
   出奔じゃー!」
TERU「ちょwwwww出奔wwwww」

出奔した広長は大企業、徳川さんの門を叩いた
広長「それがしを雇って下され」
徳川「ええっと、吉見広長さん?ああーTERUさんの許可が無いと
   無理ですわ。他当たってください」

くじけず、広長は細川忠興の門を叩いた
広長「それがしを雇ってくだされ!」
忠興「TERUさんの許可が無いから無理、帰れ」

まだまだくじけず広長は前田家の門を叩いた
広長「それがしを」
前田「無理。TERUさんの許可が無い」

どこへ行ってもTERUさんの許可ということで却下される広長は
最後の門を叩いた
広長「それがし・・・」
TERU「お帰り」
父の死去を聞いて実家へ帰った広長さん
後日、TERUさんを招いて宴会を催そうとしたが、毒殺疑惑をかけられ
何故か毛利軍に取り囲まれTERUさんに殺されましたとさ
194人間七七四年:2009/03/26(木) 10:30:37 ID:qJuJ6KYy
五郎太石事件

TERUさんが萩城を建築中、石垣の小石が盗まれる事件が相次いだ
TERU「もおー減封で予算があんまりないんだお!誰!盗んだ人!」
TERUさんは怒った
さらに盗難は相次いだ
二の丸東門近くの工事現場で天野元信が置いていた五郎太石二千百荷も盗まれた

そして益田元祥の配下3人が犯人として捕まった
天野「石返してください。先日盗んだ小石の分も」
益田「小石は証拠が無いから返せない」
二人はもめにもめた
そして熊谷元直が調停に入った
熊谷「ちょっと、二人ともいいかげんに」
天野「熊谷殿は」
益田「黙ってろ」
調停はうまくいきませんでした

家老たちが仲裁に入るも
天野「石返せ」
益田「証拠は?」
の繰り返しで一向に石垣工事が進まない
益田は捕まった3人を斬首にした。
益田「3人の首はねたからもういいじゃん」
天野「言い訳ねえだろ石返せ」

とうとう、TERUさんの出番となりました
TERU「・・・でも、明日から京に行くんだお・・・元政おじさんよ ろ し く」
元政「まかせとけ!」
元政は天野、益田の言い分を検分し、京から戻ったTERUさんに相談した

熊谷元直、天野元信他一族11名死罪

熊谷、天野が切支丹だったこと
熊谷元直の横暴ぶりがTERUさんが日頃から気に食わなかったこと
などからの処刑でした

石はどうなったのでしょうね
195人間七七四年:2009/03/26(木) 10:45:12 ID:bIoBfkME
ひでぇ。
wつける気にならないくらいひでぇ
196人間七七四年:2009/03/26(木) 10:49:16 ID:4mG5qWcV
石はこの後、スタッフがおいしくいただきました。
197人間七七四年:2009/03/26(木) 10:58:41 ID:EjGr3/yf
TERUさん、じいさまの闇の部分も結構受け継いでるんだな…
198人間七七四年:2009/03/26(木) 11:12:35 ID:56afP8sT
>>191
茶頭が何が悪かったのかわからないんだけど。
199人間七七四年:2009/03/26(木) 11:42:52 ID:C3A5c2Ta
そのぐらい分かれよ
200人間七七四年:2009/03/26(木) 11:44:24 ID:CrTU1K0V
>>198
だからいいんじゃあないか・・・(AA略)
201人間七七四年:2009/03/26(木) 11:50:19 ID:qJuJ6KYy
無礼者!手打ちにしてくれるわ!
ということだよ>>198
202人間七七四年:2009/03/26(木) 11:56:23 ID:l3vkAdK3
       ____
     / TERU \
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   めんどくさいからみんな死罪にするお!
  |     |r┬-|     |   知行も減らせてちょうどいいお!
  \      `ー'´     /
203人間七七四年:2009/03/26(木) 12:48:48 ID:JzVm0k+f
             /)
           ///)
          /,.=゙''"/
   /     i f ,.r='"-‐'つ____   こまけぇこたぁいいんだよ!!
  /      /   _,.-‐'~/元  政\
    /   ,i   ,二ニ⊃( ●). (●)\
   /    ノ    il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
      ,イ「ト、  ,!,!|     |r┬-|     |
     / iトヾヽ_/ィ"\      `ー'´     /


204人間七七四年:2009/03/26(木) 14:01:11 ID:O68FneIH
俺の中の元政のイメージが変わっちゃっただろうがw
205人間七七四年:2009/03/26(木) 14:28:39 ID:56afP8sT
>>201
勝成の要求の方が無礼だと思うけど。
茶頭に対しても、主君に対しても。
206人間七七四年:2009/03/26(木) 14:47:03 ID:wjDb/exN
でも勝成の妻は三村親成の養女(姪)だしもう少し融通をきかせても
207人間七七四年:2009/03/26(木) 14:55:25 ID:8WfYL3Xf
>>198>>205
勝成の嫁に親成の養女で三村家嫡流の忘れ形見の娘がなっていたのが重要
つまり茶坊主は勝成を辱めただけでなく勝成の嫁、強いては三村家をも辱めた事になりかねない

実際は勝成の頼み方と茶坊主の断り方次第
俺も原文知らないから何ともいえない
208人間七七四年:2009/03/26(木) 14:58:42 ID:T1rFjJas
いやー米とかならまだしも、
茶は嗜好品で、無くても死なないからなぁ…
209人間七七四年:2009/03/26(木) 15:18:37 ID:ZFYemlTi
大阪冬の陣の和議の後の事、

堺において大阪方のある牢人が、町人を撃ち殺すと言う事件があった。
この牢人は大阪方に捕縛され、打ち首となった。
そして半首を朱に塗られ、大通りにさらされた。

これを見た大阪の古老は、
「首に朱を塗るのは関東の仕置きの仕方であって、太閤の御法とは違うものだ。
なのにこのように行われるのは、もはや全て関東に法に呑み込まれたと言うことなのだろう。
大阪もこのまま、滅亡してしまうだろう。」
と、呟いたそうである。
210人間七七四年:2009/03/26(木) 16:00:27 ID:9dH0SqFf
>>207
茶坊主が横流したらそれはそれで今の殿を尊重してないって事に
211人間七七四年:2009/03/26(木) 17:44:57 ID:kx8hFK6Q
 江戸柳生系ばかり続いたので、尾張柳生系の逸話も。
尾張柳生の祖、兵庫助利厳の逸話。

  柳生兵庫助利厳は、柳生石舟斎の孫にして、新陰流の正統を継いだ剣士である。
 26の時まで石舟斎の元にいたが、加藤清正の要請により、
 「兵庫助は短気の為、三度までは何があっても御寛恕くださりますよう」という
 石舟斎の条件の元、五百石(内実三千石とも)で加藤家に仕官することとなったという。

  そして加藤家に仕えて1年足らず、領内でキリシタン一揆が発生。
 古参の臣・伊藤長門守が鎮圧に当たったが、なかなか収まらず、
 業を煮やした清正は「お前に全て任せる。思うようにせよ」と
 兵庫助を増援として遣わした。

  増援を率い、伊藤長門のところへ向かった兵庫助だが、
 古参の武将である伊藤は、新参で武芸者の兵庫助が気に入らず、
 一揆勢の動向をつかんだ兵庫助による再三の攻撃の申し出を容れず、
 「新参のお前如きの言など当てにはならぬ」などと言った為、
 主命を果たすため兵庫助は伊藤長門を切り捨て、一揆勢の本拠へ攻撃を仕掛けた。

  こうして兵庫助は一揆勢を鎮圧。
 また、根拠地の村人を皆殺しにした後、熊本城へ引き上げ、清正へ報告。
 その後、主命は果たしたものの、古参の臣を切り捨てた責を以って、
 清正が引き止めるのを振り切り、加藤家を致仕したという。

========================

  主命のためとはいえ、祖父の危惧通りに短気を起こして、
 仕官先を辞めざるを得なかったというお話。
 尤も、後に尾張徳川家に仕官できたし、加藤家も取り潰しにあってるので、
 災い転じて福となる、とも言えるかも。
 ちなみに、加藤家を辞めてから尾張徳川家に仕官するまでの12年間は
 武者修行をしていたそうな。
212人間七七四年:2009/03/26(木) 19:50:25 ID:eYCp60Zy
老臣斬り捨てられて、なお引き止める清正のいい話にもなるな
213人間七七四年:2009/03/26(木) 19:55:26 ID:0ToiNu4F
>ちなみに、加藤家を辞めてから尾張徳川家に仕官するまでの12年間は
>武者修行をしていたそうな。
別に仕官できなくても実家で養ってもらえるからなあ
所詮は気楽なボンボンだからこそできたこと
214人間七七四年:2009/03/26(木) 22:22:06 ID:M2Hv/DSr
宗矩以外の柳生は、十兵衛といい能マニアの宗冬といい、わりと社会人としては
駄目駄目だなあw
隆慶や荒山徹には蹂躙されまくりの宗矩だけど、実際は常識人だったんだろうな。
215人間七七四年:2009/03/26(木) 23:03:47 ID:OaMhXqZH
戦国は遠くなりにけり in 島原 1638

黒田忠之「ふー遅刻チコク!でも、もう大丈夫!一揆なんてウチだけで充分スよ!」
松平信綱「・・・一人で突っ込んで死んだオレの前任者への皮肉か?」(#^ω^)ビキビキ

忠之、相当頭に血が上っていたらしく、上記のようなKY発言をしたり、
鎧もつけずに突撃しようとしたり。(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1508.html
そのせいで幕府の心象を悪くしたのか、手柄の申告を却下されたりしてます。


知恵伊豆「明日総攻撃かけようって軍議で決めたのに、なんで抜け駆けすんの?!」
鍋島勝茂「え、だってウチのダディが『軍に法なし、敵に勝つを軍法とす』って・・・」
知恵伊豆「いつの時代の話だよ・・・・・・!」

結局、勝茂は乱の終結後に蟄居刑を食らいました。


立花忠茂「・・・てな感じで、どこも大変みたいですね。」
立花宗茂「ふーん、なんかウチも心配だなぁ。せっかくだから、オレも行くわ。」
立花忠茂「 ヲイ、70歳 」

鎮西無双・立花宗茂、島 原 に 降 臨
立花宗茂「よし、早めに来て一番城門に近い場所に陣取ったどー!これで勝つる!」
知恵伊豆「あ、動員数に応じて陣の配置変えるんで。そこは細川さんに譲って下さい。」
(´・ω・`)


細川忠利「( ´,_ゝ`)フフン こういう時、日頃の行いがモノを言うのデス。
      今は、一揆勢の投石がウザいんで、船の帆柱立てて帆を張って防いでます。
      ワリと余裕デスね。」
細川三歳「あっ、そう。んで、一揆勢が火矢打ってきて帆に引火して帆柱倒れたら、
      忠利クンはどうするのかな?」
(´・ω・`)

嗚呼、戦国は遠くなりにけり・・・
216人間七七四年:2009/03/26(木) 23:56:05 ID:9dH0SqFf
知恵伊豆が到着するまでに一揆鎮圧できてない時点で…
217人間七七四年:2009/03/26(木) 23:59:08 ID:x8V2ePTo
島原の乱の頃に戦争技術が低下してグダグダだったって話を聞いたんですが、大坂の陣の頃は大丈夫だったんでしょうか?
関ヶ原から14年も経っていたけど、現役の戦国武将もいたから大丈夫だったとか?
218人間七七四年:2009/03/27(金) 00:01:30 ID:5ox52BQD
誤爆した、すまん
219人間七七四年:2009/03/27(金) 00:05:45 ID:ZkwMB+Gu
まとめスレにあると思うぜ。
大坂の陣の若武者達の残念物語。

ギンギラギンな井伊のルーキー達の赤備とさりげない井伊のロートル達の赤備とか、
矢部虎之助とか。
220人間七七四年:2009/03/27(金) 00:18:23 ID:93TJwgab
行軍速度が双方かなり落ちてたってなんかで見たなあ
それで戦国真っ最中の感覚でたてた作戦がタイムスケジュールずれまくりで失敗したとかなんとか
221人間七七四年:2009/03/27(金) 00:28:06 ID:zTxR0WSY
軍隊なんだから集団での軍事訓練をしないと
能力がすぐ錆びるのは当然だわな。
戦国時代は訓練など無くとも実戦で鍛え上げられたが。

てか、戦国の空気から一変。
日本人をみんなで一斉になまくら化させた江戸幕府の奴らがすごいよ。
222人間七七四年:2009/03/27(金) 00:34:15 ID:KrWUnEKh
あの若かった宗茂が、生ける伝説となっていた頃だもんね
政宗は前年に死んでるし
223人間七七四年:2009/03/27(金) 02:08:55 ID:vkM6TvKh
この頃火縄銃も地味に進歩していて
一揆勢のつかっていた有馬筒は元が厚く先が細い作りになっており
火薬を多く使用することができ、かつ先が軽く狙いをつけやすかった
二町離れて5発のうち2発は命中させたという
さらに威力が向上したことでそれまで仕寄せに使われてきた竹束が
容易に貫通され役に立たないことが分かり、旧来の方法では城に近づけない事が明らかになった
これに対し前線の将士は竹束に代わって俵に土を詰めたものを使って仕寄せ道を作ることを発案した
現代的に言えば土俵を使って塹壕戦のような事をやろうというのである
これをうけて細川忠利は1月5日の手紙で国元に至急空俵6万俵を送れ、足りなければ隣国からも集めろと命じている
若い世代だって色々考えているのだ
224人間七七四年:2009/03/27(金) 08:18:09 ID:36O7syMT
何気に要所要所の戦に出てる宗茂
225人間七七四年:2009/03/27(金) 09:10:26 ID:o4UCibJ8
何気に参戦している水野勝成
226人間七七四年:2009/03/27(金) 09:22:38 ID:44ycrmMJ
>>221
大阪の役のとき、寄せ集めの浪人衆に数千人単位での集団戦の軍事訓練を
叩き込んだのが後藤又兵衛とか。

秀頼も現場を見て結構いけるかも、と思ったらしい。
227人間七七四年:2009/03/27(金) 09:56:15 ID:Dl98P+lc
>>225
一揆勢の夜襲を槍で防いだ人間へ「夜に槍振り回すとか味方も危なくね?」
という批判が出たのに対して「とっさの時にンな事言ってられっか!」
と実例いくつも上げて若造の机上の空論を鼻で笑っておられますな
228人間七七四年:2009/03/27(金) 12:51:23 ID:0K1Rj+8v
このスレの人間の見識の深さ広さには恐れ入る
229人間七七四年:2009/03/27(金) 16:21:13 ID:b9UvtVKe
夜に槍を振り回す・・・?
230人間七七四年:2009/03/27(金) 16:29:37 ID:KrWUnEKh
秀吉「槍は振り回すのではなく、一点目がけて何度も突き刺すものじゃ」
231人間七七四年:2009/03/27(金) 17:56:15 ID:hPtRvqnX
地獄はヤバい、ヤバすぎる
おそらく、戦国時代までには閻魔の権威は失墜してアレクサンダー大王やチンギス・ハン、カエサル…etcが幅を利かせてたかもしれないけど
「地獄上等!!」なリアル戦闘民族、リアル修羅がなだれ込んでさらなるカオスになる悪寒…
これじゃ、六道的に地獄界っていうより修羅界かもしれないけど
232人間七七四年:2009/03/27(金) 18:02:26 ID:XUKiYhj/
今夜、某の脇差を振り回します







一人でだけど
233人間七七四年:2009/03/27(金) 18:03:30 ID:13l9j85J
地獄って回転率悪くてやばそうだよな
234人間七七四年:2009/03/27(金) 18:15:10 ID:/XyPDmcy
だから無限に地獄を建て増ししていっちゃったんだろ
235人間七七四年:2009/03/27(金) 18:19:49 ID:hPtRvqnX
どうあっても戦国武将なんて浄土や極楽にはいかないだろうからなぁ…
戦国三傑が地獄で顔を合わせたらバツが悪そう
まあ、それ以外にもバツが悪いのはかなりいるけど
236人間七七四年:2009/03/27(金) 18:38:27 ID:6P/2Bzhd
前田利家「ま、俺は地獄へなんか行くはずないけどね」
237人間七七四年:2009/03/27(金) 19:03:13 ID:34SJBAE6
悟りたば 坊主になるな 魚食え 地獄に落ちて 鬼と戦え
なんて歌が出来るぐらいだからな…
238人間七七四年:2009/03/27(金) 19:10:30 ID:FPsWXnO+
>>235
真田信之「これで地獄で父上や信繁と一杯飲めるか…」
閻魔大王「信之は天国じゃ」
真田信之「父上、信繁…(´:ω:`)」
239人間七七四年:2009/03/27(金) 19:15:12 ID:7HbWbKBH
鬼と戦えとか、ちょっと聞くとかっこいいな。


まったく関係ないが
某所にデーモン小暮閣下が声を当てている閻魔様がいらっしゃる。
240人間七七四年:2009/03/27(金) 19:16:58 ID:9oB7cwHA
なぁに、戦国時代には鬼が50人は居る。
241人間七七四年:2009/03/27(金) 19:20:02 ID:9nhGm1GQ
そこでも鬼武蔵が登場するのですね、わかります
242人間七七四年:2009/03/27(金) 19:24:34 ID:MihQYKCz
山口重政が、大番頭を申し付かった時の事。配下の組衆を集め、食事を振る舞った。
組衆の者達は皆、「真に結構なご馳走です。痛み入ります」と言えば、重政

「いやいや、痛み入る事はありません。私はこの度、あなた達のご支配を仰せ付けられました。
何事かあったときは、私の命令であなた方を引き回す事になります。
ならば、静謐な時、せめてこのようにご馳走でも差し上げなければ、と考えたのです。」

ところがこれを聞いた大田善太夫と言う者、「そう言う事ならこの料理、食べられませぬ!」
などと言い出した。このご馳走を命令を聞く対価だと感じたのが嫌だったのか。
しかしこの言葉で、その座は興ざめしたのだとか。

まさか重政も、そんなつもりでご馳走したわけではないだろうに。
なかなか、空気を読まない人は、いつの時代にもいらっしゃるのだ。
243人間七七四年:2009/03/27(金) 21:56:04 ID:yL9vIKVY
>>231
>>235
さながら地獄絵図になってそうだなぁ…--;
って、地獄だからそれでいいのかもしれんw
244人間七七四年:2009/03/27(金) 22:17:50 ID:K/Xi10h+
>ならば、静謐な時、せめてこのようにご馳走でも差し上げなければ、と考えたのです。
って気を遣ってくれてるのになあ。
245人間七七四年:2009/03/27(金) 22:41:15 ID:m6ySFtBR
いい上司じゃないか
246人間七七四年:2009/03/27(金) 22:41:51 ID:uUHaXtgq
脇差で思い出した話

伊賀越えで活躍した茶屋四郎次郎清延には長以という息子が居ました

ある式日に登城し大廊下に出た時、老中酒井忠世が寄って来て言いました
「へぇ〜なかなか良い脇差じゃん」
言われて長以大喜びなにせ式日だったから一番豪華な奴を持ってきたからだ
忠世はさらにつづけて言った
「道具といい、拵えといいスゲェ〜良いじゃん。いかなる大名、旗本も持って無いんじゃね?」
「こんな良い物だし、ちょっと鞘だけでも良いから貸して?」
と言った。
長以は喜んで貸した。
しかし、直ぐに戻ってくると思った忠世は、なかなか戻らない。
長以は、焦りはじめた。というのも、式日の大廊下だから多くの大名、旗本達が通って行くからだ。
殿中で"抜き身"、一歩間違え無くても怪し過ぎる。
皆、いぶかしげな目で見て通り過ぎていくうえに、目付衆まで寄ってくる始末。
それでも戻らない忠世。

将軍出席しての儀式が始まって終わっても戻らない。

大名、旗本達が皆帰った後にやっと忠世の家臣が鞘を持って来た。
その頃には長以も慢心していた自分を戒めてくれたのだと気付いていた。


殿中での羞恥プレイ或いは新人潰しに見えるのはご愛嬌
247人間七七四年:2009/03/27(金) 23:09:45 ID:Dl98P+lc
茶屋Jr「全部見られちゃうっ…くやしいっ…でも感じちゃう…」ビクッ ビクッ
248人間七七四年:2009/03/28(土) 00:01:59 ID:jlGP8A71
空気読まずに失礼を。

毛利元就がまだ元服したばかりのある日。元就は大内の命令で明の使者を接待することになった。
下関から陸路で京都へ上がる道筋、吉田を通る一行をもてなせとの、大内からの命令である。
毛利の当主は現在不在。
必然的に元就が供応役を仰せつかることになったのである。
そして元就が明の使者を接待している一行の中に朱良範と言う男が居た。
この男は元就の敬礼を見るや否や、いきなり席を立ち上がり別室へと消えてしまう。
そして戻ってきたかと思うと一通の文を元就に手渡したのだった。
朱良範は今すぐ手紙を読むよう、元就に催促する。
そして以下の内容が僧侶によって読み上げられた。

『元就の顔は中国の皇帝そっくりだね。
 目と声は秦の始皇帝。顔は漢の高祖帝。背格好は唐の太宗皇帝に激似だよ!
 つまり君は将来病気しないし長生きするし、十人くらいの子供に恵まれて
 家も長く続んじゃないかな。
 むしろ皇帝の先生になる勢いだし!』(注意※もちろん意訳です)

場が凍った。
(で、詰まるところ誰に似てるんだ?)とは聞かないでくれ。

元就も例外ではない。文の疎ましさに頭を抱えたくなった。
わざと相鑑定書を紛失せしめるほどに、それが疎ましかった。
なぜならこのときの毛利はまだ元就の兄興元が当主なのだ。
いくら興元が京で敵と鬱、この二つと戦っている最中であっても、差し置いて分家を褒められては困る。
元就はこんな危険極まりない行為に頭を抱え文を紛失させたのだと言う。
ちなみにソースは陰陽太平記。ただし孫引き御免。

以上毛利元就の都合の悪い話でありました。
249人間七七四年:2009/03/28(土) 00:05:53 ID:ldJNfAYw
褒めちぎる文を書くまではともかく、この場で読み上げろってのは
さすがに何か企んでいたとしか思えんなこの使者。
250人間七七四年:2009/03/28(土) 00:06:09 ID:sAvVW1ox
聴いたことあるのか始皇帝の声ww
251人間七七四年:2009/03/28(土) 00:12:50 ID:Z5Q15TAd
意訳の部分とその場で読ませるKYっぷりで昔のカート・アングルが思い浮かんだw
252人間七七四年:2009/03/28(土) 00:41:27 ID:Dc9o3SGY
>>250
史記によれば
秦の始皇帝は「秦王為人,蜂準,長目,摯鳥膺,豺聲,少恩而虎狼心」で切れ長の目と豺(狼、山犬)のような声
漢高祖は「高祖為人、隆準而龍顔、美須髯、左股有七十二黒子」で龍顔=高い鼻で面長の顔立ち

なんとなく元就の顔が思い浮かぶような浮かばないような…
253人間七七四年:2009/03/28(土) 01:04:55 ID:XPow1fnQ
つまり化け物だったんですね
254人間七七四年:2009/03/28(土) 01:20:14 ID:uEAOMgql
しかし、実際その通りになったんだからすごいよな。
そのナンチャラカンチャラって人の予言(?)
255人間七七四年:2009/03/28(土) 01:23:55 ID:0+yhaGkb
武功雑記に有る、非常によく分からん逸話なのだが…

加藤清正の家臣に、加藤善右衛門と言う者がいた。知行1万5千石を頂き、その知行所へ
受け取りに行った。
その頃清正は、堤権右衛門と言う者の屋敷に招待され、清正はその相伴として、
斉藤佐渡と共に、加藤善右衛門も呼んだ。

清正が風呂から上がったときに、丁度善右衛門が知行地から帰ってきた。
そこで善右衛門に「知行地の受け取りは無事済んだようだな」と言うと、善右衛門
「はい、受け取りました。ですが頂いた1万5千石のうち、500石はお蔵入り(加藤家の取り分)
なのですな。」と言い出した。

清正「何を言っておる?蔵入りなどわしは取っておらぬぞ。」と言うと、善右衛門
「いいや、あります。知行所のうち、500石ほど、まるで物なりのない場所がありまする。
そう言うことであれば、残りがより物成りがなければこれをカバーできませぬ。
ですから、500石はお蔵入りだと申し上げたのです。」

これに清正はもっての他と怒った。まあこんな事言われれば怒るのも当然であろう。
善右衛門がそれでも口答えするのを、斉藤佐渡が脇から抑え、立たせて御前を立ち去らせた。
が、清正の怒りは収まらず、「善右衛門を切腹させよ!」と言い出した。
そこで斉藤とあと2人の計3人がその場で、切腹の検使として任命された。

しかし斉藤、清正に「善右衛門、粗忽な事を申し上げ、ご不快にさせましたが、
もし、今後反省し、もう一度ご奉公したいと言うようであれば、切腹を許されてはいかがでしょうか?」
と、言上した。
これに清正も、斉藤がそこまで言うのなら、善右衛門が反省した場合、切腹を許さない事もない、
などと、はっきりしないがそんな風に言った。

そこで斉藤たちは善右衛門の所に飛んで行き、「我々は殿より、お主の切腹させるための検使として来た。
だが、後悔し反省するのであれば、それを許すとの御意であるぞ。」と言えば、善右衛門も

「過分なるお心遣い、ありがとうございます。私も慮外な事を言おうと思って、言ったのではないのです。」

それを聞いて斉藤、「ざっと済みたり。切腹いたすには及ばないぞ。」と言う。斉藤に付いてきた残り二人の
検使は「え?それでいいの!?」と不満顔だが、ここでも斉藤、「じゃあ待ってろ、殿の意見聞いてくる」と
清正の所に行き、うまく取り繕ったので、清正から直々に善右衛門の許しを得た。切腹は無くなったわけだ。

…と、ここまでなら、同僚が同僚を助けるいい話なのだろうが、その晩、加藤善右衛門、
肥後から退転。しかもそのついでに、自分の知行所の庄屋の所に行き、態度が
気に入らなかったからと磔にした。

 何 故 逃 げ た ?

つーか、  何  故  殺  た  し  !  ?

そんな肥後加藤家のよく分からない悪い話。
256人間七七四年:2009/03/28(土) 01:30:36 ID:wB9Fsvzx
>>255
この逃げた加藤は主君と助けてくれた同僚に泥ぶっ掛けたわけだなw

この話で思い出すのは桶屋の家臣で数年連続で水害に悩まされても黙々と使え続けた武士
少しは見習えw
257人間七七四年:2009/03/28(土) 02:12:25 ID:PARl8v8r
だいすきなサケチュウさんへ。 「変身忍者 嵐」のしゅだいかで、かえうたをかんがえました。
こんどあえたら、いっしょにうたってくださいね。おからだをたいせつに。    もがみよしみつ より

♪1.きらめく稲妻  とどろく雷鳴  朝も荒らしっ  昼も荒らしっ  寝るまで荒らし〜
ID変えて自演レス〜  ときどきミスって自爆だクソッ! 
     俺は〜 荒らし〜 使命は荒らし〜  変身忍者 鮭厨〜 見参!
♪2.うずまく竜巻  とどろく地鳴り  今日も荒らしっ  明日も荒らしっ  年中荒らし〜
    憎い武将を貶める〜  伊達に上杉、直江にその他!
     俺は〜 荒らし〜 隠れて荒らし〜  変身忍者 鮭厨〜 見参!
♪3.ひらめく大刀  とどろくつば鳴り  今年も荒らしっ  来年も荒らしっ  死ぬまで荒らし〜
    最上のスレを守り抜く〜  アンチはニートだハロワへ行け!
     俺は〜 荒らし〜 正義の荒らし〜  変身忍者 鮭厨〜 見参!
(繰り返し)サブカク〜 シカク〜 サ・ブ・カ・ク・シカク〜  変身忍者 鮭厨〜 見参!

参考 : 変身忍者嵐 主題歌『嵐よ叫べ』
(うたをしらないひとは「変身忍者嵐OP」でググってみてね。どおががあったよ。)
258人間七七四年:2009/03/28(土) 02:54:31 ID:sAvVW1ox
>>255
知行地を見て、良くない土地があると言って土地の庄屋とまず一悶着

腹の虫が収まらないまま、知行くれた殿に会いいきなり嫌味

当然怒られるが、元よりおとなしく切腹する気などさらさらない

助け船が入ったのをいいことにその場は下手に出ておいて
隙を見て後脚で砂をかけるように逐電。
行き掛けの駄賃に庄屋に腹癒せ。

…という流れかね?
何というかリアルなdqn振りだなw
はりつけとかはないにしろ、こういう奴現代にも居そう
259人間七七四年:2009/03/28(土) 03:03:22 ID:sAvVW1ox
連投ごめん

>>252
サンクス。
豺(狼、山犬)のような声というのは良く通る声的な意味かな。
260人間七七四年:2009/03/28(土) 09:50:20 ID:5UAWxxAf
>>255
一方、福島家に仕えた忠臣は酒に酔った市松に切腹を(ry
261人間七七四年:2009/03/28(土) 13:28:49 ID:niWaemZg
>豺(狼、山犬)のような声

ワンワン、、、クゥ〜ン
262人間七七四年:2009/03/28(土) 16:51:42 ID:/kZnzQSr
朝鮮陣の折、加藤清正は何故だか、自分の鎧を色々な人間に着せて、
その着こなしを批評するという、変な事をやっていたそうだ。

しかし着せる人間着せる人間、ろくに着こなしが出来ていない。
そりゃそうである。清正に合うよう作られた鎧が、そう簡単に他人に
着こなせるわけが無い。

ところが西郷壱岐と言う者が、かなり立派に着こなし、これを清正も大変に褒めたそうだ。
が、それでも

「やっぱり俺の着こなしの方が上だけどね」
と言うのを忘れなかったとか。
263人間七七四年:2009/03/28(土) 17:03:44 ID:tlgrSxCI
>>262
清正「万が一の時にはアイツに俺の鎧着せて突撃させよう」
264人間七七四年:2009/03/28(土) 17:57:13 ID:dorp/C+R
どう見ても影武者テストです。本当にありがとうございました
265人間七七四年:2009/03/28(土) 19:29:58 ID:DSunjfG4
>>248
名古屋ならぬ広島の女子高生かよ朱良範w

「いつでも中華ルール発動するしィー」
266人間七七四年:2009/03/28(土) 22:55:41 ID:eegw+1UD
>>230
寧々「なぜその一点が何箇所もあるんですか#(ビキビキ)」
267人間七七四年:2009/03/28(土) 23:02:25 ID:Pnhovj4y
ラスボス百裂拳
268人間七七四年:2009/03/28(土) 23:20:06 ID:La3KQz06
>>266
敵は一人じゃないからだね
269人間七七四年:2009/03/29(日) 00:24:57 ID:fngjhogB
まったく槍○ンな話だ
270人間七七四年:2009/03/29(日) 01:13:36 ID:vFMwXI7+
>>260
市松は何もできないから家臣も立派なのが揃ったけど
加藤家は清正が何でもやっちゃうから家臣が頼りない奴ばっか、て逸話よく見るけど
加藤家の方が飯田覚兵衛と森本義太夫を筆頭に日本中に鳴り響いた家臣が多い気がするんだけど。
実際どうだったかはわからないけど、ちょっと疑問。
271人間七七四年:2009/03/29(日) 01:43:06 ID:rejoZ3NT
何でも出来ちゃう人の下って一部の何でも出来ちゃう部下と言われたことこなすだけの部下になるんじゃね

こいつなら大丈夫!と思える一部には任せるだろし後は口出す、
で口出すからなかなか他の連中は成長しない、と
272人間七七四年:2009/03/29(日) 01:49:40 ID:9gklsidR
森本...清正が死んだ翌年死亡

飯田...主君はアレだわ、家臣団はオロオロしてるわ…やってられっかよ!!
273人間七七四年:2009/03/29(日) 04:12:16 ID:UqcX7RMr
幻の軍師

神子田正治という人物がいる。秀吉に請われてその配下となり、あの竹中半兵衛がその才能を見込み、
自分の後継者として秀吉に推薦したと言うほどの男である。
そう、半兵衛亡き後の秀吉の「軍師」とは、黒田勘兵衛ではなく、本来この
神子田半左衛門正治であったのだ。

だが、小牧長久手の合戦の折、尾張二重堀城の守備をまかされたが、織田信雄軍の襲来に
これを放棄、秀吉を怒らせた。
さらに正治が撤退戦の折、敵の首を一つ取っていた事も、秀吉の怒りを倍増させた。
「誰がお前に、そんな匹夫の功を立てろと言ったのか!」

この時正治は、秀吉に臆することなく申し開きをした。竹中半兵衛に認められたほどの知性であり、
おそらくは理路整然とした申し開きだったのであろう。しかし秀吉はこれを認めず、口論となり、
正治は所領を没収され、高野山に追放された。しかもそれだけでは秀吉の怒りは収まらず、
天正十三年(1585)には、その高野山すら追放され、諸国を放浪する事になった。

天正十五年(1587)、正治は九州征伐のため豊後におもむいた秀吉の下に、
帰参を申し出に現れたが、秀吉は許すことなく、彼に切腹を申し付けた。

切腹の時正治は、「私がこのようになる上は、秀吉にはもう、心に引っかかる事はあるまいよ。」
と、言ったそうだ。

秀吉はこの正治の首を、京の一条戻橋に晒した。『この者天下の大臆病者なり』との札を立てて。


神子田正治は秀吉草々の頃からの配下であり、おそらくは最も優秀な家臣の一人であっただろう。
それを秀吉は、何故ここまで憎んだのか?

そんな、幻の軍師のお話。
274人間七七四年:2009/03/29(日) 05:15:22 ID:EfFBvyzQ
臆病者ってのがわからないし何かあったんだろうね
275人間七七四年:2009/03/29(日) 08:35:04 ID:5GuNLQ/C
神子神子田正治! 神子神子田正治!
生麦 生米 神子神子田正治!!

神子神子田正治! 神子神子田正治!
蛙ピョコピョコ 神子神子田正治!!

神子神子田正治! 神子神子田正治!
セクシャルバイオレット 神子神子田正治!!
276人間七七四年:2009/03/29(日) 09:25:16 ID:70UAn1eY
この手にタイプにありがちなのは、
己の才気を鼻にかけて、傲慢になるパターンだよな。
277人間七七四年:2009/03/29(日) 12:22:31 ID:SlhsV2Pa
まぁ厳罰主義者だったんだろうね。
同じ家臣時代からの四大重臣の一人尾藤さんも勝ち戦で改易で帰参を懇願して処刑だし
278人間七七四年:2009/03/29(日) 14:44:31 ID:YCtA8wVP
半兵衛…策が成功すれば満足、武名が知られればラッキー

官兵衛…足萎えに大領あげたら天下取っちゃうんであげません

神子田…「こいつはくせぇー!!姦雄以下のニオイがプンプンするぜー!!」

とか
279人間七七四年:2009/03/29(日) 14:57:32 ID:vrqnWvsX
>>276
曹操と楊修の関係みたいだな。
280人間七七四年:2009/03/29(日) 16:16:07 ID:/jNiXJMz
単に兵に人気がなかったんだとおも>神子田
晩年はともかくとして、秀吉さんは兵とか民衆とかの人気をすげー気にする人だから。
281人間七七四年:2009/03/29(日) 17:00:05 ID:aH77NoXq
上杉謙信の所にいたとある人質の者が、家来一人を密かに城外に出す企みをした。

この時、この者の別の家来二人が口論を装い、そして刺し違えて死んだ。
そして検使を乞うて死骸二つを見せ、「今夜、番所から出します」と決めた。

その上で死体の一つを密かに埋めて隠し、外に出す家来を死体のように包んで、
本物の死体と共に、その夜、番所から出した。

だが、この時番兵が、「今日の一件の事は見聞きしておりますので、疑う事はありませんが、
作法ですので、今一度死体を確認させてください。」と言う。

死体を出す者達は一瞬戸惑ったものの、遺品などを色々見せ、番兵を納得させた。
そうしていよいよ城外に出す事となった。

この時、番兵が一言、
「ではこれも城から出す前の作法ですので、死体を槍で上から二回づつ突きます。」


この後どうなったかは、記録に無い。
282人間七七四年:2009/03/29(日) 17:22:05 ID:ToBVpv96
>>273
口先だけのセコイ奴に思えたんじゃないの?
283人間七七四年:2009/03/29(日) 17:36:34 ID:c616FHnA
前田家家臣奥村永福が末森城で妻共々奮戦した話は有名
が、実際の戦はこれで終わっていないのである

佐々成政軍は突出と後退を織り交ぜ前田軍に追撃の隙を与えなかった
前田軍は追撃に度々失敗し結局は佐々軍本隊を逃す大失態を演じている
逆に久世但馬守率いる一隊がかつての一向一揆の激戦地、鳥越城を奪取し前田軍の侵攻を阻んだのである
佐々成政は秀吉軍本隊接近であっさりと降伏したと思われがちだが実際は前田利家と泥沼の消耗戦を繰り広げていた
事実この鳥越城、数倍の前田軍相手に秀吉の富山仕置まで一年近く保ちこたえた
佐々成政降伏後、久世但馬守も開城して牢人となったが越前に入封した結城秀康の家臣となった
秀康死後に越前騒動(久世騒動)に名が残る事からも久世但馬守は有能であったようだ

前田家の文書では末森城以後富山仕置までの話はスルーされている
もちろん主な小説や大河ですらスルーされた
大藩加賀藩の藩祖が小勢に手こずった事実を隠すかの様に

勝者の歴史、その陰の話
284人間七七四年:2009/03/29(日) 18:21:20 ID:Rkh/mFwB
佐々軍はさっさと進軍したんだな。
285人間七七四年:2009/03/29(日) 18:26:31 ID:Su2M0lKK
前田に追撃されてりゃ当たり前だ
286人間七七四年:2009/03/29(日) 18:34:56 ID:YCtA8wVP
2発続けてコメントしにくいレス書くなよw
287人間七七四年:2009/03/29(日) 18:56:39 ID:kg5Ou1DT
川相さん帰りますよ(AAry
288人間七七四年:2009/03/29(日) 19:35:01 ID:hV3sgwva
>>287
井端乙
289人間七七四年:2009/03/29(日) 20:47:32 ID:JP2YucsG
>>280
鈴なりのゴンベは大失態やらかしたのに助けてるもんな
290人間七七四年:2009/03/29(日) 21:07:52 ID:b7MOuWon
>>273
小牧長久手の時ならラスボス化する前だからなんらかの理由がありそうだね
291人間七七四年:2009/03/29(日) 21:27:58 ID:FgasRb11
尾藤知宣も小牧・長久手でミスをしているから、ラスボス化は既にこの頃から始まっている
つまり、ラスボス化の原因は家康にあり!
292人間七七四年:2009/03/29(日) 21:47:46 ID:viJ9vOs3
ゴンちゃんの失敗は小牧長久手の後だよ

まぁ、ゴンちゃんは復帰のときに大活躍してるのが違うところか
293人間七七四年:2009/03/29(日) 22:04:54 ID:gUlrx5kH
帰参しようとするのが死亡フラグなのだな
294人間七七四年:2009/03/29(日) 22:07:08 ID:FgasRb11
>>292
彼の場合、家康を頼ったのが良かった
295人間七七四年:2009/03/29(日) 22:37:02 ID:X2mgIeGo
>>293
稲富「オレは生き残りました!」
296人間七七四年:2009/03/30(月) 01:14:48 ID:bHU9zXn9
終にキタ。小栗又一vs大久保彦左衛門

小栗又一と大久保彦左衛門の間に、人返し(逃亡した領民の返還)の事に付いて、
紛争が起こった事があった。

彦左衛門、「こんな事は使いを通して話し合いしても埒が明かぬ!小栗又一が
どれほどの武辺者だと言っても、あいつがかち割れない頭を持っている訳ではないだろう!」

と、殺る気満々で直接小栗に会いに行き、周りがドン引きするほど強硬で一方的な抗議をした。
これには流石の小栗又一も呆れ返り

「あんな理不尽な人間には合った事がない。」

と言ったそうだ。


さあ皆さんご一緒に。せーの、

 「 お 前 が ry 」
297人間七七四年:2009/03/30(月) 01:24:36 ID:vMSzUZm8
>>295
どっちの領民にもなりたくないw
298人間七七四年:2009/03/30(月) 01:48:17 ID:RoNR9puX
向こうで秀忠の話が出てたので、秀忠の(かなり)悪い話を。
忠興パパが(いつものように)忠利君にお手紙書いた。

「京で禁中のことを聞いたが、主上(後水尾天皇)や公家さん達も相当お困りみたいだな。
主上がお困りなのは、公家さん達の官位や、金銀などの財産が自由に出来ないことだそうだ。
更には(米や金銀の使い道がないから)人に利子をつけて貸し付けたりしているらしい
 (中略)
それからこれは裏事情だが、主上の側室方にお子がどれほど生まれても、
押し殺される、あるいは流産させられているということがある。
主上は酷くご無念に思われて、
「どれだけ子供が生まれても、秀忠の孫以外は帝の位にはつけないというのに
あまりに惨いことだ」と深くお嘆きになったそうだ。
これ以外にもまだあるのだが、口にするのを避けておられる・・・」

その後、主上は心痛のあまりか譲位なさったという陰惨な話。
秀忠、何やったんだ。
299人間七七四年:2009/03/30(月) 02:29:19 ID:EBgu/PYQ
秀忠怖ええ!

でも秀忠パパが厄介なモンを根こそぎ葬ったお陰で家光以降の幕府黄金期があるんだよな…
300人間七七四年:2009/03/30(月) 09:56:27 ID:Ey/6Um3V
>>298
そこで裏柳生ですよ
301人間七七四年:2009/03/30(月) 11:05:16 ID:mDep4GZ6
柳生一族の陰謀
302人間七七四年:2009/03/30(月) 12:08:30 ID:MmV9G53y
>>301
みだらな棒と書くのですね。
303人間七七四年:2009/03/30(月) 12:13:20 ID:Ow2nInOc
wikiでは、後水尾天皇、随分とお盛んな主上だったらしいが。
上皇になって、延々院政引いたんでしょ。

何十人もいたら、お手当大変だったから口減らしでは。
304人間七七四年:2009/03/30(月) 12:14:44 ID:iQLB173S
秀忠「おのれ、この俺が浮気もロクに出来ずに監視されて居るというのに…憎い!あの主上が憎い!!」
305人間七七四年:2009/03/30(月) 12:32:30 ID:+blJwTYw
>>304
ワロタw
306人間七七四年:2009/03/30(月) 12:55:50 ID:xAItUOLO
>>304
心の底から納得
307人間七七四年:2009/03/30(月) 12:57:19 ID:cc0VCz2g
wiki見たが何人こさえてんだよw
これ以上まだ産ませてたのか。

しかし子供を実際殺していたのは事実らしいな。
和子入内前に子供が出来ていたお与津は宮中追放されるは
以後和子の子である明正天皇に後水尾天皇が譲位するまで
和子以外の女性に子供はおらず
譲位後からまた他の女達にパコパコ産ませている。
308人間七七四年:2009/03/30(月) 14:23:03 ID:MmV9G53y
>>272
飯田かく兵衛さんて「あー(清正に)騙された騙された、戦場怖いし。
なぜか段々責任が重くなって辞めるに辞められんし。なんで俺ばっかり……ブツブツ……」
てツンデレの人だよね。めっちゃ加藤清正スキーだったんだろう   か?
309人間七七四年:2009/03/30(月) 16:17:15 ID:RloTKpAz
鬼武蔵は森蘭丸のことを「あいつはヘビでもカエルでも何でも食うから」という理由で「モズ」と呼んでいた
というのが昔読んだ本宮ひろしの「夢幻の如く」であったんだが、
作者のオリジナルにしては変な設定で、以降出なかった話だから
気になったのだが調べても出典がわからん…
果たして何らかの根拠がある話なのでしょうか

もしあるのなら蘭丸の(食い意地が)悪い話、という事で
310人間七七四年:2009/03/30(月) 17:24:02 ID:FBTJNNTJ
蛇神を食べたのは何処のどいt・・・・グギャッ
311人間七七四年:2009/03/30(月) 18:20:44 ID:ZTj98ARR
どう考えても食ってたのは兄のほうです。
312人間七七四年:2009/03/30(月) 19:15:58 ID:sR2fP006
さては食べ残しをそこらへんに突き刺しておく癖でもあったか。
313人間七七四年:2009/03/30(月) 19:32:30 ID:vMSzUZm8
>>304
妙に納得できる理由だなぁw

>>307
後水尾上皇は天皇家の徳川家斉というべき御仁
ただし、天皇家は財政援助してもらえたのに対して、将軍家は…w
314人間七七四年:2009/03/30(月) 22:32:59 ID:1kBkVmQw
小平太は見た

徳川家康と穴山梅雪が織田信長に、甲州平定のお礼として上京した折りの事。
もてなしを受ける家康は榊原康政を、信長へのご機嫌伺いに出した。

康政、邸内を移動しているとなにやら物騒な音。何事かと見れば、信長が頭をつかんで
ぶん殴っていた、接待役の光秀を。

どうやら信長、光秀の家老、斉藤利三を稲葉家に返せと言う命令を、光秀が聞かなかった事に
酷く腹を立てている模様。
しかし、その余りの振る舞いに光秀、涙を流して言う

「私をお取立てしていただいた、そのご恩は莫大でございますれば、どのような事をされても
逆心は抱きませぬ。しかし、これはあまりの事でございます。」

打ちひしがれた光秀に、近習の森蘭丸、この時十八歳は、いう

「日向守様?あなたは上様と君臣の間柄が非常に深く、上様もあなたには心安いから、
このような打擲もおやりになるのです。

ああ、何と羨ましいご奉公ぶりでしょう。」

こんな昼ドラも真っ青の修羅場を見てしまった小平太さん。本能寺まで、17日余り前の出来事であった。
315人間七七四年:2009/03/30(月) 22:35:47 ID:V4tUgARL
森蘭○「俺はノンケだってかまわないで食っちまう人間なんだぜ」
316人間七七四年:2009/03/30(月) 22:46:24 ID:OCdygckN
春日弾○「俺はノンケだってかまわないで食っちまう人間なんだぜ」
317人間七七四年:2009/03/30(月) 22:51:25 ID:mDep4GZ6
アッー!
318人間七七四年:2009/03/30(月) 22:57:34 ID:vMSzUZm8
直江兼○「俺も烏賊同文」
319人間七七四年:2009/03/30(月) 22:58:38 ID:2OENoOOe
小平太って見て真っ先に服部さんかと思った
何か見ちゃいけないもの見て連座したのかとw
320人間七七四年:2009/03/30(月) 23:27:22 ID:xCa3NKCN
なんて史料に記載されているのか、できれば教えてください
321人間七七四年:2009/03/30(月) 23:39:56 ID:ZcT+2Ad+
ウホッ…いいキンカン頭…
322人間七七四年:2009/03/31(火) 00:11:12 ID:22uZcYXF
>>320
314の元ネタは、「武功雑記」と言う本です。
323人間七七四年:2009/03/31(火) 02:59:18 ID:7CqPvvEl
・世の中にいらぬもの三つあり
 一つは堕落、一つは徳川、もう一つは女のわがままである
 by島津義久
324人間七七四年:2009/03/31(火) 03:04:23 ID:802R0DaV
>>323
DQN家久「一つは義久、一つは義弘、もう一つはry」
325人間七七四年:2009/03/31(火) 03:56:37 ID:UbcfFQU7
家久さま、そんなに正室さまがお嫌いですか?
326人間七七四年:2009/03/31(火) 11:53:13 ID:1TWdKsTr
日野富子「女の我儘なんて可愛いものじゃない」
327人間七七四年:2009/03/31(火) 12:12:21 ID:c1wGwmKC
秀吉が別所長治の三木城攻めの際のこと

帝釈山に明要寺という寺があった
この寺は、干し殺し真っ只中の秀吉軍をかいくぐり、なんとか
別所へ食料を運ぼうと頑張った毛利さんところの補給経路であった
秀吉はこの補給経路を絶つために、この寺を焼き討ちにし
多くの武装した僧侶は逃げ出し、谷に落ちて死んでいった
この寺には多くの侍童と稚児がいたのだが、これらはいのちからがら
山へ逃げた
しかし、秀吉の追手は執拗に追いかけてくる
とうとう追っ手に捕まり、ことごとく切り殺されてしまった

哀れに思った村人等によって稚児らの亡骸をこの山頂に葬って
墓に供える花を手折った東の峰を花折山と呼び
この山を稚子ヶ墓山と呼ぶようになったといわれている

因みに、今はハイキングコースとなっております
328人間七七四年:2009/03/31(火) 12:41:44 ID:NejBuK/b
補給路を徹底的に断て、という秀吉の厳命があったのだろう。

朝鮮の役の先触れのような印象。
329人間七七四年:2009/03/31(火) 12:51:55 ID:0jMHSCcZ
>>327
秀吉「逃げる奴は別所勢だ!抵抗する奴は訓練された別所勢だ!」
330人間七七四年:2009/03/31(火) 12:58:36 ID:Ssvkb5YE
「フハハ戦場は地獄だぜ」
331人間七七四年:2009/03/31(火) 13:26:42 ID:7WqgOoQD
>>309おちりに逸物を刺すから、では……汗アセ
332人間七七四年:2009/03/31(火) 14:32:43 ID:sLWw1TEs
円谷すぐにクビになりそうだな
333人間七七四年:2009/03/31(火) 14:33:26 ID:sLWw1TEs
ごめん、誤爆ですよ。
334人間七七四年:2009/03/31(火) 14:36:30 ID:VYoGmeQ2
誤爆か…
一日限定で森長可の部下になる
富田長繁と会食
太田康資と手合わせ
好きなのを選べ
335人間七七四年:2009/03/31(火) 15:02:41 ID:KvTT4z06
森さんかな・・・とにかく目立たず切り抜ける
336人間七七四年:2009/03/31(火) 15:17:37 ID:0JmGKkBc
>>309
まとめにこんな回答がっ

人間七七四年
百枚舌っていう意味でかもー
2009/03/31 Tue 00:23 URL [ Edit ]
337人間七七四年:2009/03/31(火) 15:20:07 ID:ZQNc0x+O
百枚の舌を持つ側近
神を食らう猛将
桃DQN

権力の中枢に置くにはなんという危険な一族だろうか
338人間七七四年:2009/03/31(火) 17:25:17 ID:yQvQVYmo
でも室町幕府初期はこの手の危険人物が普通に権力中枢にいるから困る。
339人間七七四年:2009/03/31(火) 18:56:20 ID:vYIgXPpS
同時に超優秀な武将だったり政治家だったり風流人だったりするからな>室町初期DQN三人衆
340人間七七四年:2009/03/31(火) 19:29:15 ID:7Nw3czyM
132 名前: 人間七七四年 投稿日: 2009/03/30(月) 11:32:54 ID:+blJwTYw
>>131
33巻?
そこは最上勢が小野寺の柳田城攻めで、
円通寺の剛勇にさんざんに最上側が悩まされたり、
鮭登の郎党が弟が傷を負ったのを見て周りの人々が治療すれば助かると見たが、
もうお前に生き甲斐ないよって言い放って弟の首を斬ったり、柳田城中の女童が逃げ隠れるのを追いかけ回して追詰め散々に切捨てたり、
女童を天井の梁に取り付けぶら下げ槍や熊手で引き落とし突殺。
女下部の老人が助け給えと手を合わせ泣き悲しむのを手足を縛り胴切り、衣装を剥ぎ取り裸にし仰向けに踏み返し、
腹を裂き首を切り笑いまくり阿鼻叫喚の言語に絶する悪逆。こんな感じで小城を撫で切り483人討ち取り。
さらに最上軍は10歳くらいの童男や童女の父母兄弟が目の前で殺され、走り倒れ泣き叫ぶのを拉致って、
雪の中を湯沢まで連れて行って柳田の兄弟の男子かどうか詮議すると言いながら、吟味を一切せずに全て虐殺。
この悪逆に「此人々の行末を見まほしや。」と嘆じる。
行く末は言うまでもなく最上兄弟争い死にまくった挙げ句に最上改易で当然の報いを受けた場面で奥羽永慶は筆を置いている。

最上の酷い話
341人間七七四年:2009/03/31(火) 19:35:58 ID:4PsSQr+r
最上屑だな
342人間七七四年:2009/03/31(火) 19:36:32 ID:IaO81+FE
天子に矢ぶっ放すからな。室町DQNは
343人間七七四年:2009/03/31(火) 19:42:46 ID:r537Rag7
奥州仕置を終えた豊臣秀吉
奥羽のうち、旧主改易となった地の検地に着手した
現地の人々には不安と不満が生じ、どうにも剣呑な空気となったらしい
案じた秀吉は、奉行の浅野長政達に命令を出した

「奥羽の国人・百姓には、よくよくわしの意を説いて、納得させるんだよ
もしそれでも従わずに抵抗したりしたら…
城持ちなら、その城に追い込んで、中にいるやつは皆殺しにするんだよ
百姓だったら、一郷でも二郷でも、丸ごと撫で斬りにするようにね
それでたとえ、土地が荒れ野原になったって構いやしないよ
とにかく、山の奥や漕ぎ出せるだけの海、すべてくまなく追求してください」

現場を思いやったとても細やかな指図をするラs…秀吉であった
344人間七七四年:2009/03/31(火) 20:58:15 ID:ZUTQjTDP
撫で斬りと聞いて森さんと伊達さんが仲間に入りたそうにじーっと見てます。
仲間にしますか?
345人間七七四年:2009/03/31(火) 21:30:51 ID:hOz5VM4a
撫で斬りには愛が無きゃいかんのじゃ
346人間七七四年:2009/03/31(火) 22:13:50 ID:yLpc/NZg
>>340
あー、念のため書いておくけど、その要約かなり無茶苦茶だぞ?
またも日本語が不自由な例の荒しだからまとめ管理人さん、ご配慮くだされW
347人間七七四年:2009/03/31(火) 22:21:48 ID:Lkl0DffM
紀州に浅野長晟がいた頃の事。

地侍に何某と言う、かつて功名の沙汰のあったものがいて、今は山中に住んでいた。
浅野家ではこの何某の武勇に期待し、扶持していたが、この男、いつしか武技の鍛錬を忘れ、
蓄財に励むようになった。他人にそれを指摘されると

「財貨あればいつでも、諸道具、人馬ともに集められるわ!」と、聞く耳を持たなかった。

さて、大阪の陣が起こる。この男公言していたように、財貨を散じて人馬、諸道具を求め、
ゆゆしい装いで出発した。ところか、道を進むにつれ一人減り二人減り、所詮金で集めた者達ゆえか、
戦場である大阪に着く頃には全員逐電し、残ったのは自分とその馬だけと言う有様になった。

何某、これでは働きも出来ず、かといって紀州に帰るのも面目ないと、そのまま
行方不明になったそうである。

武士たるもの、普段から武芸を鍛錬し武備を備えていないと、いざ事あったときに
役に立たないのですよ。というお話。
348人間七七四年:2009/04/01(水) 00:04:42 ID:S4T8ezI7
さすが最上厨都合が悪いと削除か
349人間七七四年:2009/04/01(水) 00:44:47 ID:m0xtgDBS
>>346
要約が無茶苦茶で例の荒しで配慮よろというのはいくらなんでも無精ではないか
346の思う正しい要約を書き込むべきではないか
時間がかかってしまい遅レスになるのがためらわれるならばそれこそまとめサイトを
活用しコメント欄にでも書き込めばいいのではないか
つまりカモン
350人間七七四年:2009/04/01(水) 03:50:11 ID:NSktuHhI
とりあえずコピペのままじゃダメだろ。
351人間七七四年:2009/04/01(水) 08:22:01 ID:nCoV0ppA
>>347
前田利家さんが耳が痛そうな顔しています
352人間七七四年:2009/04/01(水) 15:13:03 ID:BhBnApUf
>351
だから甥っ子が影武者なりって名乗ったり、氷風呂に入れたりして鍛え直したんだよ。感謝しなきゃ(棒
353人間七七四年:2009/04/01(水) 16:20:50 ID:99L9CO5B
大ぬる山

天正元年(1573)8月、刀根山に陣取った朝倉軍と、その麓の織田軍との対峙は続いていた。

ある日、信長は井楼に上がり
「敵は今夜引く。先陣の者たちは油断するな!」と使いをたびたび出して下地させた。
が、これを聞いた先陣の者達は

「殿は何を言っているんだ?敵は大軍、しかも地の利を得て、あまつさえこれは主力決戦だぞ。
こっちならともかく、敵が引くわけが無い。」皆そう言って、あまり気にしなかった。

信長は夜になっても井楼から降りず、敵陣をにらみ目も離さなかった。
丑の刻、信長の声が響いた、「敵は退くぞ!」

法螺貝を吹きたてさせると馬に乗り、「先陣の大ぬる山どもは油断して出遅れておるぞ!
旗本の者ども功名せよ!」と、真一文字に駆け出した。

はたして先陣の軍勢は遅れ、この戦、信長の旗本にて勝利を得た。
信長は味方でも怠っているものには、「大ぬる山」と呼んで笑っていたのだそうだ。

信長の、口の悪いお話。
354人間七七四年:2009/04/01(水) 16:49:57 ID:kFO7hSQ7
朝倉追撃戦での信長の戦況判断は神懸りとしか思えんわ^^;
355人間七七四年:2009/04/01(水) 16:54:54 ID:GeIsNbKR
この話
センゴクであったな
356人間七七四年:2009/04/01(水) 17:16:44 ID:0JP8hmse
>>353
信盛 「でも俺たちほどすばらしい家来は滅多にいないですぞ」

佐クマーNobumoriの(態度の)悪い話。
357人間七七四年:2009/04/01(水) 22:22:32 ID:ziYx9Ly1
>>353
ヒャッハー!富田長繁が陣に駆け込んできますた
でも前の日に前波吉継が駆け込んでいますた。

二人はとっても仲が悪かったキュアブラック
358人間七七四年:2009/04/02(木) 00:30:27 ID:uTC72lb+
信長の戦略眼の良い話な感じがするけど
この追撃と刀根坂の戦いで朝倉軍壊滅させてる訳だし
359人間七七四年:2009/04/02(木) 01:29:39 ID:hqB07q4t
小牧長久手でのことである。

その頃水野勝成は目を病み、兜をつけず頭に鉢巻をしていた。それを見た父、忠重は

「何だお前のその姿は。兜を小便壷にでもしたか!?」と、罵る。

これに勝成「父とは言えあんまりだ!こうなったら俺は今日の合戦、真っ先に駆けて
首を取るか取られるかの二つに一つだ!」と、馬にまたがり勝手に駆け出していった。
いつも思うのだが、水野勝成のスイッチの入りかたと言うのは、どこかおかしい。

なんでそうなるのかと、さすがに忠重も驚き、大田重助と言う者に追いかけさせて戻ってくるように言ったが、
勝成、頭に血が上って聞きゃしない。さらに一族の水野喜右衛門まで追いかけてきて
とにかく戻れというのに勝成、喫と睨んで

「畳の上の諫めなら聞くこともあるでしょう!が、只今大軍の中に駆け入り巧妙せんとする時!
止まれといわれて引き返す馬鹿があるか!」

と言い捨て秀次の将、白井備後守の陣に一人で突撃。兜首を取ってしまい、あまつさえこれが、
この日の一番首の手柄になってしまった。見事罵った父を見返してしまったのだ。軍令違反だけど。

こんな男が後年「全ての士に貴賎は無い。主君と言い、家来と言うが、互いに頼み、
憐れんでこそ、世の中と言うのは成り立つものなのだよ。」などと言うようになるのだから、
人間、どうなるか分からないものなのである。
360人間七七四年:2009/04/02(木) 01:32:45 ID:ip0lVo5p
親父もいきなりご挨拶なセリフ吐くなぁw
361人間七七四年:2009/04/02(木) 02:29:03 ID:Scs3qakZ
>>351-352
奥さんに銭に戦ってもらいなさいとか助言されたりもw
362人間七七四年:2009/04/02(木) 02:54:31 ID:N5j5ZRNm
>360
息子をみてスイッチ入ったんだろう。
なぜなら、彼(忠重)もまた水野な存在だからです。
363人間七七四年:2009/04/02(木) 09:21:44 ID:A5Dev0lM
>>359
勝成の華麗すぎる活躍を物凄くはしょると
・小牧長久手で一番槍→軍令違反で父と喧嘩、父の家臣を斬って出奔
・佐々成政にやっかいになる→成政切腹で出奔
・小西行長にやっかいになる→続かず出奔
・黒田如水にやっかいになる→出奔、何をやったか追っ手を差し向けられる
・立花宗茂にやっかいになる→宗茂の家臣と喧嘩、出奔
・三村親成にやっかいになる→茶坊主を斬って出奔
・三村親成のところに戻る→やっぱり出奔
・岐阜城攻め→ミミズを食ってみんなドン引き
・大坂夏の陣→大将にも関わらず、自ら槍を持って後藤又兵衛らを討ち取った
       大坂城に一番旗という大活躍

ほんの一部抜粋ですが、勝成さんは根っから人間味あふれるすばらしい
人格が備わっていたのだと思います
364人間七七四年:2009/04/02(木) 09:27:56 ID:vKXXLHRV
息子がそんなんじゃ将として示しがつかんから叱って当然だろ。

ただ『兜はどうした?ここは戦場だぞ!』と言えば良いところを軽く皮肉ったせいで、恐らく周りの兵から鼻で笑われて
勝成は辱められたと思いヤケになって…で膨んでいったと思われ

365人間七七四年:2009/04/02(木) 09:38:36 ID:1pvNVXZD
>>363 並べられると
相性良さそうに見えるのは佐々だけだな
366人間七七四年:2009/04/02(木) 10:01:23 ID:NM39+Zwn
2ちゃんにもよくいるだろ、何を言うにも煽りを入れないと気がすまない奴
忠重もそれの類だったんだよ
367人間七七四年:2009/04/02(木) 10:08:02 ID:vKXXLHRV
>>363秀吉に仕えてた時代を忘れてもらっちゃ困るぜよ

368人間七七四年:2009/04/02(木) 10:13:21 ID:l7HiL+RA
島原にも出てないっけ?
369人間七七四年:2009/04/02(木) 10:29:22 ID:pDT+iW4r
島原ではなぜか一族揃って出陣してた
370人間七七四年:2009/04/02(木) 10:30:49 ID:vKXXLHRV
>>363
てか勝成厨で勝成研究本を四・五冊持ってる俺が立花宗茂の所にいたなんて初めて聞いたんだが…。
確か天草一揆の時、小西の所から兵糧を輸送するのにお使いで寄ったくらいだと思ったんだけど

そう言う説もあるんなら是非出所を教えてくれ、今後の糧にする
371人間七七四年:2009/04/02(木) 11:02:32 ID:vVwQNOBp
>>186 携帯から失礼。
スレ違いを承知で書くが、これと似た話が中国にある。もっともこちらはちょっとイイ話。

宋の大祖 趙キョウ胤が後周に将軍として仕えていた頃の話。
無類の酒好きの趙キョウ胤、王宮に出仕している時にどーしても酒が飲みたくなった。
そこで宮中の酒倉に行き、そこの番人に「ちょいと酒を分けてくんない?」と言った。
するとその番人、「少々お待ち下さい…」と言うと、自分の懐から財布を取り出して使いの者に酒を買いに行かせ、
「ここにあるのは宮中で使う酒ですので、私がそれを管理している以上、勝手に差し上げる訳にはまいりません。しかしこの酒は私が個人的に買った酒ですので、飲むならこれを飲んで下さい」
と言って買ってきた酒を趙キョウ胤に渡した。
これを聞いた趙キョウ胤、「たかが酒倉の番人だが、公私をわきまえた立派な奴だ。憶えておこう」

この番人の名を曹彬といい、後に趙キョウ胤の最も信頼する大将軍となった。
372人間七七四年:2009/04/02(木) 11:37:53 ID:MGE5lSlW
勝成さんは家康の命で諸国の情報を得てたんじゃないかな?

>>371
こちらへドゾー
戦国ちょっといい話8
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1237483814/
373人間七七四年:2009/04/02(木) 12:44:51 ID:A5Dev0lM
>>370
ソースとな
「血槍三代」じゃw
374人間七七四年:2009/04/02(木) 18:37:26 ID:ip0lVo5p
忠重って死んだ原因も酒が絡んでの口論なんだよなw

毒舌が過ぎたんだろうか。
375人間七七四年:2009/04/02(木) 18:45:38 ID:xtGasogd
関ヶ原合戦後、長宗我部盛親は沙汰を受けるため、供廻りだけで上方へ赴いた
しかし、盛親はそのまま留め置かれ、代わりに土佐にきたのは知行没収を伝える使者だった
この処置に憤激した一領具足ら数百、浦戸城引渡しを阻止しようと籠城の挙に出た
「浦戸一揆」の勃発である

ただ、正規の武士ではない一領具足では、城を乗っ取ることはできない
そこで、彼らは重臣の一人を総大将に担ぎ上げた
武勇で名高い桑名弥次兵衛吉成である

が、吉成、実は恭順派の人物だった
彼だけでなく、重臣達は盛親の身を案じ、また世の趨勢を見て反抗の虚しさを悟っていた
吉成は城内に味方を作り、城外の恭順派軍勢に呼応させた
総大将が内通者という前代未聞の状態、籠城側に勝ち目はない
数百の一揆勢はことごとく斬り捨てられ、浦戸城は解放された
376人間七七四年:2009/04/02(木) 20:32:01 ID:tQTsm0rq
一領具足たちの見る目のない話、か
377人間七七四年:2009/04/02(木) 23:30:13 ID:3ueNsgHk
それぞれ主君を思って行動したってのがまた・・・
378人間七七四年:2009/04/02(木) 23:39:28 ID:hqB07q4t
湯浅常山、憤る。

「常山紀談」を著した湯浅常山。彼はその著書の中で、こんな事を言っている。

『つーかさ、甲陽軍鑑って、信玄に都合の悪い事を隠し過ぎだよねー。
例えば同じ合戦でも、北条五代記には「氏康夜討ちして甲州の兵敗北し。
八幡と書かれた武田の軍旗を捨てて逃げた」って書いてあるのに、甲陽軍鑑じゃ
「この旗は波にさらわれて無くした」なんて書かれてるんだよ?

北条五代記に書かれてる事が間違っているとしてもさ、高波に旗を取られたって、
どこに陣を敷いたかすらわかってないじゃん!』

尾瀬甫庵の「信長記」や「太閤記」は、案外素直に受け入れてるのに、甲陽軍鑑には
妙に厳しい常山先生なのであった。
379人間七七四年:2009/04/03(金) 05:26:21 ID:XuyjypDR
もともと長曽我部は東軍につくはずだったのにどういうわけか西軍に…
大阪の陣の話を聞くと勇ましい印象を受けるが実際は戦の経験が乏しい凡将
380人間七七四年:2009/04/03(金) 07:38:36 ID:rhSwgrUF
東軍に付くつもりが西軍に・・・なんて人達多いけどな。
381人間七七四年:2009/04/03(金) 08:50:23 ID:JHO0Z5Pn

>>373 …。
382人間七七四年:2009/04/03(金) 09:07:01 ID:6vwyKgVp
>>379
どったの急に
383人間七七四年:2009/04/03(金) 09:07:06 ID:N7tvMZBy
>>380
そのあたり、ホントかどうかって気がする。

経緯はどうあれ西軍についた者達が、実は違うんだ、大権現さまに逆らうつもりは
なかったんだよといいたいための話なんじゃないかなあと。
384人間七七四年:2009/04/03(金) 10:54:23 ID:/BAiEoiZ
そこいくと、中身の真偽はどうあれ、
取り敢えず権現殿に宣戦布告した誰かさんはいっそ清々しいな。
385人間七七四年:2009/04/03(金) 11:49:24 ID:SDY6PbGA
>>384アントキノ景勝兼続タッグか
386人間七七四年:2009/04/03(金) 14:15:18 ID:5GwI3JUW
120万を30万にした収容の匠
387人間七七四年:2009/04/03(金) 14:37:29 ID:luwcxnEo
なんということでしょう。
120万石もあった石高が匠の業でこれだけのスペースに
家臣を解雇せずに恩を着せる気配りはさすがに匠です
388人間七七四年:2009/04/03(金) 14:54:59 ID:ajnIRBWi
なんと今ならさらに半分の15万石に!
389人間七七四年:2009/04/03(金) 16:25:27 ID:9KDdcSc0
なんというテレフォンショッピングwww
390人間七七四年:2009/04/03(金) 16:27:12 ID:Jda38p5b
黒田如水、長政親子が豊前を与えられ、国内の国人一揆と戦っていた頃の事。

黒田親子が馬の丘と言う城にいたとき、城下に一揆軍が押し寄せた。黒田長政この時16歳。
一揆勢を蹴散らそうと近習を引き連れ飛び出した。如水は「やめとけ」と言ってた。

長政が出てくると一揆勢は撤退。これを追いかけ山中に入る。はい、もう解りましたね?罠です。
長政君、まんまとひっかかりました。
山中の深くに入った所で一揆勢、岩陰から一斉に現れる。真っ先に進んでいた黒田方の大野小弁、
一揆に取り囲まれ馬から突き落とされた!
これを見た後藤又兵衛、小河伝右衛門、久野四兵衛、馬の首を引き返し逃げる。長政を置いて。

長政、すっかり取り囲まれた。一揆はそこら変中の木陰や岩陰からワラワラ沸いてくる。
もうデッドライジングでゾンビがフィーバーしている状態である。長政は円形の陣を引いてじりじりと
退却するが、一揆は竹の鏃の矢を、雨のように降り注がせる。「狩場の鹿か俺達は!」

あまりの屈辱に長政、馬から下りて討ち死にしようとする色が見えたので、近習が必死になって抑える。
が、長政の馬が一揆の矢に当たり終に斃れ、一揆の接近を見て「もうここで自害する!」と叫んだ。
菅政利が「私の馬にお乗りください!」と言うも、そんなこと聞かずにすでに帯を解き始めている。
もう死ぬ事しか頭にないのだ。

その時三宅三太夫が走り寄り、「ここは大将が自害するような場所じゃないでしょ!」と、長政を
片手で持ち上げ、そのまま馬に乗り引き退いた。
菅はその馬の尻がいの所に手をかけ少しも離れず、木屋兵右衛門は長政の槍を持って
後に続いた。

三宅を中心として50人ほどが、円形の陣を保ったまま二里ほど逃げれば、そのあたりで一揆も
追うのをあきらめた。長政主従、どうにか危機を脱出したのだ。

この時後藤又兵衛、錯乱してお気に入りの、猩々緋の羽織を脱ぎ捨てて逃げていたらしい。
追いついた長政達が引き下がっている最中その羽織を見つけ、又兵衛に返してあげた。

ちなみに櫓より長政の敗戦を見ていた如水、大笑いしたそうだ。「だから言ったのに。」
しかし傍の者たちが「御加勢を!」と口々に言うのを、「円陣を保っているし、長政だから
大丈夫だろ。」と、ほって置いたとか。変な所で子を信頼もしている如水なのであった。
391人間七七四年:2009/04/03(金) 16:54:50 ID:3OFMjjNZ
>>384
なんか謝罪に上洛したときもその主従はまったく悪怯れた様子がなかったらしいな。
関ケ原後も妙に反抗的とも取れそうな態度の逸話ばっかだし。
392人間七七四年:2009/04/03(金) 17:16:01 ID:x603YNH4
>>390

城井の宇都宮鎮房を征討に行ったときの話でしょうか?
鎮房のゲリラ戦術に散々やられたけど、中津城での仕返しの騙し討ちも
戦国ながらなかなかの汚さでした。
393人間七七四年:2009/04/03(金) 19:47:35 ID:cCww3JpT
敗北の苦味を教えておいてやろう、という如水のスパルタ教育に見えてしまうのだが
394人間七七四年:2009/04/03(金) 20:22:23 ID:QU4jmRIX
官兵衛「流石オレの息子、300でも大丈夫」
又兵衛「ああ!『スパルタ』教育だけに」
太兵衛「プゲラwww」
395人間七七四年:2009/04/03(金) 20:40:28 ID:Qud/eZLJ
実に黒田家なノリで大変よろしい
396人間七七四年:2009/04/03(金) 21:05:00 ID:g/xc/rZc
ファランクス見たいな密集陣形が日本に無かったのはなんでだろ?
397人間七七四年:2009/04/03(金) 21:05:42 ID:2JHRkGji
>>393
そのわりに後々になっても「突撃してくる前衛を100騎も潰せばその中に長政がいる」って言われてるわけですが
398人間七七四年:2009/04/03(金) 21:47:47 ID:/zar2ggW
>>396
密集陣形は機動性が最悪なので、多様な地形の日本では役立たず
それに個人の戦功を重視するので、その点でも適合しない
399人間七七四年:2009/04/03(金) 22:04:24 ID:rhSwgrUF
>>396
戦場の最前線ならそりゃ密集隊形だよ。
合戦絵図とか見ても、基本密集してるじゃない。
槍の長さの逸話も、密集して使用するから出てくるわけだしね。
ただ日本だと、平坦な場所が少なく防衛側が急峻な地形や城に拠る等、
開けた場所での大規模な野戦が必然的に少なくなるから、
マケドニアファランクスに代表される広大な平地での運用を想定した、大規模な密集隊形が発展しなかっただけ。
400人間七七四年:2009/04/03(金) 22:32:58 ID:cT7NhgJ9
>>392
いや、やり方自体はオーソドックスでそう誉めたものじゃないだろ
城井を時勢が読めなすぎるなんて貶す奴もいるけど
思うにあれは自分が軍勢を率いて城を空ければ城井は油断して動くはずという如水の読み勝ち
若干二十歳で一度は完敗した相手を見事に仕留めた長政の器量勝ちだね
401人間七七四年:2009/04/03(金) 22:36:08 ID:cT7NhgJ9
ごめんここ悪い話スレだったのね
402人間七七四年:2009/04/04(土) 00:48:25 ID:HorkhVF0
文禄2年(1593)1月、碧蹄館の戦いの時のこと。

宇喜多秀家の家臣、国富源右衛門は手柄になりそうな敵を物色していたが、
ついに豪華な鎧を着た明兵に遭遇した。

源右衛門は太刀で三度まで明兵に斬りつけたが、相手の鎧が硬いのか、
それとも源右衛門の腕が悪いのか、三度とも弾き返されてしまった。
「よろしい、ならば格闘だ。」
あきらめた源右衛門、太刀を投げ捨てると素手で飛びかかり、組打ちを挑んだ。

・・・功夫の国の人に。
明兵「私は一向に構わんッッ!!」

たちまち源右衛門は押さえ込まれ、マウントポジションを取られた。
必死ではね返そうとするも、岩にのしかかられたようで、ビクともしない。
なんとか脇差を抜いて突いたが、これも鎧にはね返された。

結局、源右衛門は状況に気づいた味方の手で、やっと救われたという。
何がしたかったんだ、源右衛門。

というか、この後に数十人がかりでようやく討ち取った、マヂで某海なんとかいう名前
だったであろう明兵のスゴイ話かも知れない。
403人間七七四年:2009/04/04(土) 00:50:59 ID:GxmcyZHn
いわゆる槍衾って、小規模だけど普通に密集陣形だよな
404人間七七四年:2009/04/04(土) 01:19:58 ID:Ulo5uGPQ
黒田長政がある時人に語った事に

「自分は十四の齢より今に至るまで、抜群の功績を立てたことが多いのに、
自分が大功のある黒田如水の息子であるばかりに、この親と比べられて自分の功は目立たず、
人もこれを称えてくれない。

それなのに浅野幸長は、軍功のない浅野長政の息子のなので、それと比べて目立つものだから
ちょっとした功でも、それがあるたびに人はこれを称えている。

不公平だ!」

と、不満をもらしたと言う。
この発言を、後、湯浅常山は『これって暴言みたいに聞こえるけど、実際
そう言うことだったんじゃないの?』と、ぶっちゃけてたりするw
405人間七七四年:2009/04/04(土) 01:38:22 ID:jFH4Ceqn
「男は一生 父とたたかう」
406人間七七四年:2009/04/04(土) 02:06:36 ID:F6ZHWCua
>軍功のない浅野長政

流石にこれは酷い
407人間七七四年:2009/04/04(土) 02:11:13 ID:HooAxe59
>>404


536 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね :2009/04/04(土) 01:16:47 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】よろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1237446002/
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓
黒田長政がある時人に語った事に

「自分は十四の齢より今に至るまで、抜群の功績を立てたことが多いのに、
自分が大功のある黒田如水の息子であるばかりに、この親と比べられて自分の功は目立たず、
人もこれを称えてくれない。

それなのに浅野幸長は、軍功のない浅野長政の息子のなので、それと比べて目立つものだから
ちょっとした功でも、それがあるたびに人はこれを称えている。

不公平だ!」

と、不満をもらしたと言う。
この発言を、後、湯浅常山は『これって暴言みたいに聞こえるけど、実際
そう言うことだったんじゃないの?』と、ぶっちゃけてたりするw
408代理:2009/04/04(土) 03:59:11 ID:HooAxe59
>>390


296 :長いので2つに分けています。後で繋げて下さい :2009/04/03(金) 16:10:22 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】長文ですがよろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1237446002/
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓

黒田如水、長政親子が豊前を与えられ、国内の国人一揆と戦っていた頃の事。

黒田親子が馬の丘と言う城にいたとき、城下に一揆軍が押し寄せた。黒田長政この時16歳。
一揆勢を蹴散らそうと近習を引き連れ飛び出した。如水は「やめとけ」と言ってた。

長政が出てくると一揆勢は撤退。これを追いかけ山中に入る。はい、もう解りましたね?罠です。
長政君、まんまとひっかかりました。
山中の深くに入った所で一揆勢、岩陰から一斉に現れる。真っ先に進んでいた黒田方の大野小弁、
一揆に取り囲まれ馬から突き落とされた!
これを見た後藤又兵衛、小河伝右衛門、久野四兵衛、馬の首を引き返し逃げる。長政を置いて。

長政、すっかり取り囲まれた。一揆はそこら変中の木陰や岩陰からワラワラ沸いてくる。
もうデッドライジングでゾンビがフィーバーしている状態である。長政は円形の陣を引いてじりじりと
退却するが、一揆は竹の鏃の矢を、雨のように降り注がせる。「狩場の鹿か俺達は!」

あまりの屈辱に長政、馬から下りて討ち死にしようとする色が見えたので、近習が必死になって抑える。
が、長政の馬が一揆の矢に当たり終に斃れ、一揆の接近を見て「もうここで自害する!」と叫んだ。
菅政利が「私の馬にお乗りください!」と言うも、そんなこと聞かずにすでに帯を解き始めている。
もう死ぬ事しか頭にないのだ。

409代理:2009/04/04(土) 04:00:58 ID:HooAxe59


297 :>>296の続きです :2009/04/03(金) 16:11:24 発信元:218.133.160.74

その時三宅三太夫が走り寄り、「ここは大将が自害するような場所じゃないでしょ!」と、長政を
片手で持ち上げ、そのまま馬に乗り引き退いた。
菅はその馬の尻がいの所に手をかけ少しも離れず、木屋兵右衛門は長政の槍を持って
後に続いた。

三宅を中心として50人ほどが、円形の陣を保ったまま二里ほど逃げれば、そのあたりで一揆も
追うのをあきらめた。長政主従、どうにか危機を脱出したのだ。

この時後藤又兵衛、錯乱してお気に入りの、猩々緋の羽織を脱ぎ捨てて逃げていたらしい。
追いついた長政達が引き下がっている最中その羽織を見つけ、又兵衛に返してあげた。

ちなみに櫓より長政の敗戦を見ていた如水、大笑いしたそうだ。「だから言ったのに。」
しかし傍の者たちが「御加勢を!」と口々に言うのを、「円陣を保っているし、長政だから
大丈夫だろ。」と、ほって置いたとか。変な所で子を信頼もしている如水なのであった。

410代理:2009/04/04(土) 04:39:36 ID:HooAxe59
>>378


133 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね :2009/04/02(木) 22:42:58 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】よろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1237446002/
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓
湯浅常山、憤る。

「常山紀談」を著した湯浅常山。彼はその著書の中で、こんな事を言っている。

『つーかさ、甲陽軍鑑って、信玄に都合の悪い事を隠し過ぎだよねー。
例えば同じ合戦でも、北条五代記には「氏康夜討ちして甲州の兵敗北し。
八幡と書かれた武田の軍旗を捨てて逃げた」って書いてあるのに、甲陽軍鑑じゃ
「この旗は波にさらわれて無くした」なんて書かれてるんだよ?

北条五代記に書かれてる事が間違っているとしてもさ、高波に旗を取られたって、
どこに陣を敷いたかすらわかってないじゃん!』

尾瀬甫庵の「信長記」や「太閤記」は、案外素直に受け入れてるのに、甲陽軍鑑には
妙に厳しい常山先生なのであった。
411人間七七四年:2009/04/04(土) 07:44:56 ID:V6gBjUei
>>407-410
何これ?
412人間七七四年:2009/04/04(土) 07:59:57 ID:B6CiEN5C
>>411
規制された人が他の人に書き込み依頼をした
413人間七七四年:2009/04/04(土) 08:51:30 ID:V6gBjUei
>>412
いや、内容おんなじだからわざわざ依頼する必要も受けても書き込む必要もないよなー
ってオモタ
414人間七七四年:2009/04/04(土) 09:36:32 ID:wVTFJnCO
よその板のことなんでよくわからんけど代理書き込みであることを明示するルールでもあるんじゃね
415人間七七四年:2009/04/04(土) 10:21:08 ID:qb+Xy3dv
規制の少ないシベ超板に代理投稿を依頼するスレがあるんだよ
>>378,390,404はそこでの依頼によって代理人が書いたわけ

んでその依頼レスをコピペして依頼対象のスレに貼ってる人間がいると
…あとはわかりますね?
416人間七七四年:2009/04/04(土) 10:44:50 ID:wVTFJnCO
よその板の常駐スレで同じようなことしてる奴見たわ
要はシベ超板のそのスレをターゲットにして意味不明な行動をしてるのがいるってことか
417人間七七四年:2009/04/04(土) 11:36:56 ID:QlGJsGE2
>>402
そんなに強いなら討ち取られる前に逃げろよ明兵w
418人間七七四年:2009/04/04(土) 11:48:22 ID:7RIE2f+U
>>394-395
そんなだから倅がよけい粘着質な根に持つ気質になったんでしょうがw

まさに悪い話
419人間七七四年:2009/04/04(土) 11:48:42 ID:Zes1NvrU
自分の国の人間にも弱いって言われる明兵だがそんな人もいたんだなぁ
名が残ってないのが残念だがあっちにはそんな風習ないか?
420人間七七四年:2009/04/04(土) 11:52:43 ID:AXYV0vGI
しかし明軍は逆に刀となると弱かった。
中国の刀剣は剣は漢くらいでもう下火、刀も明となると長柄中心で
誰も使わないようなものになっていた。
『水滸伝』を読めばわかるけど、宋でもうハンマーや棍(狼牙棒)といった打撃系や
槍が圧倒的に多かったのね。
そもそも中国刀剣は切れ味がイマイチ。剣はとくにペナペナで、
刺突中心だから実践ではほんとうに弱い。レイピアをもっとへろへろにしたようなもん。
武侠映画ではよく使われているが、あれはあくまでフィクションである。

倭寇で日本刀のきれあじをまざまざと見せられた明軍はびびった。
なにせ日本人ときたら人間をまっこう唐竹割にするんである。
しかも水戦となれば接近戦で槍も遣いにくい。
明の名将・戚継光は偶然入手した影流の書物をひそかにまとめ、
倭刀術として採用した。ビギナーメニューなので、たとえば
「刀が抜けないときは、互いに向き合って相手に抜いてもらおう」
なんて書いてある。さらにいえば、南派の拳を主体としたカンフーも
戚継光が源流にあるそうな。彼は火縄術の技も日本軍から学んだという。

日中武芸交流も、この頃が盛んなんである。
中国映画やドラマにも結構柳生や武蔵は出てくるし、
ブルース・リー、ジミー・ウォング映画なんかもだが
なんだかんだで中国はかなり日本の武術を意識してますなあ。
421人間七七四年:2009/04/04(土) 11:54:15 ID:rPUVrXaz
どんだけ凄くても討たれたら恥とかなのかな
422人間七七四年:2009/04/04(土) 11:56:36 ID:jfj7LHGd

フロイス

暴君関白の九州入りを前にして薩摩の殿、博多を前にして岩屋城で立ち往生。
そこで伊集院某、おそらく忠棟殿が長崎の当イエズス会宛に手紙を書いてきました。

「お前ら、すぐにでも岩屋城前に火薬、弾、ありったけの大砲を持ってまいれ、それから腕の良い砲手も
忘れずにね。さもなくば、九州を制圧後、お前ら全てをこっから叩きだすからな!」

別の時には
「秀吉のとこにうちの使いのもんが行ってるから、面倒をよく見とけよ」
「なんだ使者の取り次ぎとか面倒、怠ってるじゃないか、おぼえとけよ!」
「長崎はもう島津のもんだからな、権益は当家で独占する。
南蛮船は今まで通りお宝満載させて来るならくるしゅうないぞ。」

ホント、かってな人たちです。

ところが下関には、受洗した心正しき黒田孝高の部隊がやって来ていることを
私どもは存じ上げておりましたからね、
ま、島津殿らを怒らせないようにノラリクラリですわ。

423人間七七四年:2009/04/04(土) 11:57:06 ID:vtzpTyZT
豪華な鎧を着てた位だから一角の武将ではあったんだろうに
424人間七七四年:2009/04/04(土) 12:03:01 ID:Zes1NvrU
鎧の性能が上がってくると打撃系が使われるのが当たり前
むしろ槍の柄どころかかち合った剣や盾、騎兵の鐙ごと両断する日本刀のほうがおかしい
425人間七七四年:2009/04/04(土) 12:33:23 ID:0uFjOFfF
>>422
当時の手紙って、わりとみんな好き勝手なこと書いてるよなw
ご立派なのは形式ばったものくらいで
426人間七七四年:2009/04/04(土) 12:44:05 ID:xGJZ1NGY
>>424

何かの番組で日本刀で銃弾を斬れるのかやっていたけど
立てて設置して置いた日本刀の刃に向かって銃を何発もぶっ放したら
見事に全ての弾丸を切り裂いたらしいからねw
427人間七七四年:2009/04/04(土) 12:49:10 ID:+laRd7Yx
でもあれは柔らかい鉛弾で別に包丁とかでも再現できるとか聞いた
428人間七七四年:2009/04/04(土) 12:52:59 ID:Zes1NvrU
あれはナイフでも出来るけどな
回転してるとはいえ要は鉛だし
装甲貫くマシンガンの弾斬ったのはビビッたけど
429人間七七四年:2009/04/04(土) 12:53:25 ID:auh+NNjs
430人間七七四年:2009/04/04(土) 13:25:29 ID:AnNZtVR+
その明の軍人、兵じゃなくて、武科挙を通ったが、若くて史書に載るほどの事績のない高級将校かもね。
431人間七七四年:2009/04/04(土) 15:03:10 ID:3XERwTku
>>426
あれの元ネタは80年代のGUN誌。
カスタムナイフ(ほとんどがアメリカ製)を万力で固定して
銃で撃ち、弾丸を両断して刃こぼれひとつしないって様子
を高速度カメラで撮影したのを巻頭で幾度も紹介してた。
今月はラブレス、来月はランドールってな具合に。
432人間七七四年:2009/04/04(土) 15:06:25 ID:cASyV7Tq
>>424
日本にも最上義光や真壁氏幹のように棒を使った武将がいる。
弁慶の七つ道具にも槌が含まれているから打撃系も結構使われていたのかな。
433人間七七四年:2009/04/04(土) 16:21:39 ID:0uFjOFfF
天正七年、織田信長は浄土宗と法華宗の宗論を安土城下で行わせた
世に言う安土宗論である

菅屋「いよいよ世紀の対決が始まりました。私、グランプリ奉行の菅屋長頼です。
   さて、浄土代表は玉念。彼は関東からの流れ説法者ですね。
   対する法華側は京の高僧ぞろい…これは法華の有利が予想されます」
因果「いえ、ディベートは浄土宗が押してますよ」
菅屋「あ、副判者の因果居士さん…でも、玉念は言に困っているようですが?」
因果「そんなことありません。あれはコレコレシカジカってことで、浄土側の圧勝なんです」
菅屋「…えーと、そうなんでしょうか。判者の景秀さん、どうなんでしょう?」
景秀「……」
菅屋「おや、音声が…景秀さん!景秀さーん!」
景秀「……」
因果「ああ、駄目ですよ。景秀さんはご高齢で耳が遠いんです。耳元でゆっくり話さないと」
菅屋「…それって、この討論は聞こえてるんでしょうか?」
因果「どうでしょうね、聞こえてないんじゃないでしょうか」
菅屋「……」
玉念「ええいっ、勝った!わしの勝ち!」
菅屋「あーっと?ここで玉念、掟破りの勝利宣言!…あ!これに煽動された群集が法華僧に襲いかかっています!」
因果「これはどう見ても浄土側の圧勝ですね」
菅屋「えー…実に予想外な結末となってしまいました。以上、安土城下よりお伝えいたしました」

その後、信長は玉念に褒美を与えた上、法華側の関係者を処刑した
434人間七七四年:2009/04/04(土) 17:15:58 ID:TryOowGK
>>432
最上義光の棒はあくまで指揮棒だからな
実物残ってるけどあれで武装した人間は撲殺できないよ
435人間七七四年:2009/04/04(土) 18:33:07 ID:NVbpOeR8
>>433
牛一さんが記録残してくれてるのに経過はしょって信長の悪い話にすんな

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9C%9F%E5%AE%97%E8%AB%96

論争フッかけといて負けた上にリベンジもできない

法華側の主張通り信長の八百長だって言うんなら
(判者の耳が悪いという記述は法華関係者の記録にしかない)
弱い者には噛み付くクセに信長には逆らえない法華宗の悪い話だろ
436人間七七四年:2009/04/04(土) 19:52:23 ID:3zucUYk4
>>432
時代がちょいずれるけど、農村の「棒の手」は打撃系なのかね
437人間七七四年:2009/04/04(土) 20:31:57 ID:chOFbbvz
>>433
さて、その法華宗、事が終わった後、今後他の宗派を非難しない旨を記した誓紙を出させられた。
問題は誓紙を出した後。
その文面には「争論に負け申し候」の一文があったのだが、後に法華宗の人々、他にも言葉がいくらでもあったもののよりにもよって「負」と書いてしまったのは失敗であったといたく後悔したのであった。
また、法華宗の往生際の悪さを聞き知った人々は、後々まで笑いものにしたそうな。

法華宗の(往生際と外聞の)悪いお話。
438人間七七四年:2009/04/04(土) 20:35:28 ID:8ZqhiiS5
信長は従順な勢力に対しては割と融通無碍な男だよな。

比叡山焼討ちの際は、先立って延暦寺永年の宿敵である園城寺の僧に
「山門腐敗し杉」的なアジ演説をさせて花(?)を持たせたりしている。
439人間七七四年:2009/04/04(土) 21:27:24 ID:mDe2hy5w
天正13年(1585年)、キリシタン大名高山右近は
摂津高槻から播磨明石へと転封となった。
「ア・イ・ツがやってくる!」
高槻での徹底したキリスト教政策は
すでに有名になっており、明石の寺社勢力は大混乱に陥った。
僧侶たち「俺らは確実にや・ら・れ・る!」
実際、右近は赴任するとビシバシ寺社を弾圧し
モリモリとキリスト教を布教し始めたのだった。
僧侶たち「このままではいかん!」
意を決した僧侶たち、ありがたい仏像を船に乗せ
はるばる大坂まで直談判に訪れた。
秀吉「右近は殿様なんだから、好き勝手してもOK。訴えは却下」
僧侶たち「・・・へ?」
秀吉の機嫌が悪かったのか、僧侶たちのプレゼンがしょぼかったのか
訴えを退けられただけでなく、運んできた仏像は没収となり
僧侶たちも明石から追放となってしまった。

高山右近の明石統治はわずか2年ほどで終わるが
それでも新規信者2千人を開拓してたという。
440人間七七四年:2009/04/04(土) 21:41:16 ID:9eADTT4Z
基本気に入られてないわけじゃなかったからなぁ
441人間七七四年:2009/04/05(日) 00:40:24 ID:WZ02yvD1
とりあえず仏像が右近の魔の手から逃れただけえも良しとするべき
442人間七七四年:2009/04/05(日) 01:21:37 ID:64QUSfV9
キリシタンもキリシタンだが、ボウズもボウズだからなあ、この時代w
どちらにも肩入れできん
443人間七七四年:2009/04/05(日) 04:00:41 ID:NeOxgfsI
秀吉はホント興味の埒外のことには淡白だなあw
444人間七七四年:2009/04/05(日) 09:35:22 ID:qPcE2jEL
>>402
戦衣の裏に鋲や鉄札を張った銃兵や弓兵はともかく、
明の重歩兵の山字甲や騎兵の環鎖鎧は爪先まで装甲で覆い、防刃機能に極めて優れているよ。
朝鮮に渡った宣教師も、優れていたと思われていた日本刀や槍が明の鎧には通用しないと書いている。
445人間七七四年:2009/04/05(日) 13:01:48 ID:4oBo3PM0
>437
ホッケの煮付けはこれだから……
と居酒屋政談してたら怒られた
446人間七七四年:2009/04/05(日) 13:03:25 ID:yXU7MOpe
つ介者剣法
447人間七七四年:2009/04/05(日) 13:06:11 ID:4oBo3PM0
>>432
太田ヒャッハー康資さまを忘れるなかれ

そのまんま、鬼の金棒で敵武将(親戚?)を撲殺...
448人間七七四年:2009/04/05(日) 16:54:14 ID:HSFp1G+n
豊臣秀吉が、朝鮮に出兵するため、ついに京を発した時、ある人が秀吉にこんな事を言った。

「かの国に渡るならば、漢文をきちんと理解する人間がいなくては、日本の恥ともなるでしょう。
漢文を善くする者たちを、多く従えて行くべきでしょう。」

すると秀吉笑って

「わしの今回の行いは、あいつらの難解な漢字の愚文を学ぼうとするためではないぞ?
あやつらに我々の、軽便な仮名文を用いらせる為だ!」

と、そのように答えたそうである。
そして実際に朝鮮において、日本語を学ばせると言う事もやっていたらしい。

よく、秀吉の朝鮮出兵は、九州征伐などの延長線にあった、海外侵略と言う発想はなかった、
と言う人がいるが、秀吉自身は明らかに、文化、言語の異なる国への侵略と認識して、
あの出兵を行ったのだ。と言うお話。
449人間七七四年:2009/04/05(日) 17:55:02 ID:V3uWaAJ1
>>448
そして日本側は日本側とてコミュニケーションのためにこういうお勉強会を・・・
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1537.html

------------------------------
かつて鹿児島県の国分に「金剛寺」というお寺があった。
島津義久の寄付で建てられたお寺である。
義久が亡くなるとき、今後の運営に支障がないよう遺産から100石を寄付された。

ところが、代替わりしてDQN家久になったとき、その中から70石を取られてしまった。
(一応DQNの弁護らしいものをしておくと、この頃参勤交代などで出費がかさみ、
他の寺もあらかたこのボッシュートの刑にあっている)

さすがに30石の収入ではお寺の運営が出来ないと坊さん達が悩んでいたとき
義久の娘の島津亀寿がその話を聞き、哀れに思って
「私も貧乏なので少しだけですけど・・・」
と10石を寄付した。

ところがその話を聞いたDQN家久は
「じゃあ10石だけ返してやんよ」
と、自分もあわてて10石寄付した。
合計50石になった金剛寺は何とかお寺の維持が可能になったという。
-----------------------
・・・一体何したかったんだDQN。
ちなみにネタ元は「国分諸古記」です。
450人間七七四年:2009/04/05(日) 18:15:15 ID:pzOsOo6d
>>447
そいつより更に強力な清水キュッ正次も忘れて貰っては困る。
451人間七七四年:2009/04/05(日) 23:31:26 ID:HSFp1G+n
戸川秀安の母。

天文七年、備前、門田村にて戸川秀安が生まれると間もなくして、父が死んだ。
母の元には、秀安と、その姉の、幼い姉弟が残された。

彼女は門田村で二人を育てたが、ある頃村に居辛くなり、仕方なく二人をつれて
美作の姉の元に向かった。が、その途中、母は、二人も子供を養育するのは無理だと思い至った。
そして池を見つけると、このとき二歳の娘の、着物の袖に小石を詰め、その池に沈めた。

後、成長した戸川秀安は、宇喜多直家に仕え、直家の第一の家老呼ばれる。
452人間七七四年:2009/04/06(月) 01:17:49 ID:wK41KAQX
>>451
言ってくれれば俺が養育したのに(´・ω・`)
453人間七七四年:2009/04/06(月) 04:41:43 ID:c0u61rIB
>>451

( ;∀;) ワルイハナシダナー
454人間七七四年:2009/04/06(月) 09:05:50 ID:omurasip
>447
岳父だったと思うが
455人間七七四年:2009/04/06(月) 15:43:35 ID:mZo7OgO8
永禄(1558〜)の、始めの頃の事。
宇喜多直家は、自分の舅である中山信正の居城、亀山城から沼を隔てた東茶園畑という場所に
小さな茶亭をつくった。そして狩に出た帰りにはそこで休憩した。この時亀山城から信正も呼び、
狩の獲物を調理し共に酒宴を楽しんだ。
こういうことが何度もあったので、信正は、「城からここにすぐに来れる様にしよう。」と、城と茶亭を
隔てる沼に、橋をかけた。

さて、二月になって、直家、いつものように狩に行き、日が暮れてから件の茶亭に行った。
その夜は信正の勧めで亀山城に入り、共に酒宴をし、夜も更けた頃信正から、
「今日は泊まっていくと良い。」と言ってきた。そこで直家も、「ではお言葉に甘えて、今夜は
泊まらせていただきます。しかし家来の方は先に返そうと思います。」と、共に来たものを皆、
城から出した。これに信正も安心をしたか、自分の家臣たちにも、
「今日は城中の番の者も、皆早く休むが良い。」と休息させ、婿と舅、打ち解けて話などした。

さて、深夜に入り、信正も「そろそろ寝るか」と寝所に向かおうとした。直家も、「では私も休みます。
ああ、私の刀はどこに置いたかな?」と、自分の刀を、取った。


この瞬間を、待っていた


直家、突然抜き打ちに信正を、斬る。信正も斬られながら脇差を抜いて反撃しようとしたが、組み伏せ
首を取った。
走り出て城門を内から開くと、先に帰らせたはずの家来達、武装して続々と集合した。
帰らせるとは偽りであり、周辺に潜ませておいたのだ。

亀山城の者たちが混乱している間に直家、たちまち城を乗っ取る。そして合図の狼煙を上げる。
これを見た直家の主君、浦上宗景は、砥石城主、島村貫阿弥に急使を出した

『中山信正が謀反を起こした。その退治のため宇喜多直家を向かわせたが、そなたも直家に
加勢してほしい。』

これに貫阿弥、家来を連れて亀山城に駆けつけると、城は合戦の模様などさらさら無く、
平穏の様子であった。
不思議に思っていると直家が出てきて、「この城は我々の手で、既に攻め取りました。しかし
加勢に来ていただいたお礼がしたく、どうぞ城にお入りください。」と言われ、言葉のままに城に入れば、
島村貫阿弥主従、城内で待ち構えていた手の者に、たちまち惨殺された。
そして間髪おかず城主のいない砥石城を攻め、これも乗っ取った。

そう、これは宇喜多直家が、主君浦上宗景と共に謀った、有力家臣の中山信正と島村貫阿弥を
排除するための陰謀であったのだ。
主家である浦上家を圧迫していた両家は、この一晩で、滅びた。


…が、この陰謀を主導した直家は、中山、島村の旧領の大半を手に入れ、浦上家から離れ、
独立大名への道を踏み出すこととなる。

そんな、宇喜多家興隆の始まりとなった、陰謀のお話。
456人間七七四年:2009/04/06(月) 16:48:02 ID:54RBDJA2
この山のような死亡フラグと当然の結果は何なんだ!w
457人間七七四年:2009/04/06(月) 18:51:26 ID:Ll5mXzL+
なんか清々しい
458人間七七四年:2009/04/06(月) 19:05:46 ID:TqRgtXOA
暗殺が爽快すぎていい話すれかと間違えた
459人間七七四年:2009/04/06(月) 19:13:25 ID:xnrZBqn+
>>451
孟母三遷みたいな母ちゃんだったというのは聞いた。

いつの間にか乳母に収まって
460人間七七四年:2009/04/06(月) 19:44:28 ID:t1pZ7nSF
>>455
趣味が暗殺になるのがわかるな。ここまできれいに決まると。
461人間七七四年:2009/04/06(月) 20:39:32 ID:eM6EJgak
直家 「本当はオレだってこんなことしたくなかったんだが主君の命令で仕方なかったんだよ。でもこんな主君じゃ今後オレも暗殺されるかもって思ったから叛旗を翻しちゃった。テヘッw」
462人間七七四年:2009/04/06(月) 21:24:29 ID:kh2VqJug
>>461
嘘だッッッ!
463人間七七四年:2009/04/06(月) 21:39:09 ID:zu59SZA0
小畑健作画でキラぽい直家が主役の漫画よみてえw
464人間七七四年:2009/04/06(月) 21:41:30 ID:KFueQxUd
465人間七七四年:2009/04/06(月) 22:02:48 ID:hAy3vR2U
>>464
あー、戸田になってたから気がつかなかった!
まあ、ちょっと内容異なっているようなので、備前軍記の戸川さんのお話ってことでw;
466人間七七四年:2009/04/06(月) 22:06:22 ID:/0GxVcZN
漫画のゴルゴもそうだけど暗殺って突き詰めると芸術になって
ただの「人殺し」という一言では済まなくなっちゃうw
いや、もちろん悪いことですけどね
467人間七七四年:2009/04/06(月) 22:31:10 ID:oAGx6+fI
直家の暗殺を見ると(被害者には悪いけど)
あまりの鮮やかさに笑っちゃうしかないね。
ちなみにこういう顔の人に
みんなホイホイやられちゃったわけです。
直家木像↓
ttp://www.city.okayama.okayama.jp/museum/rekidai/ukita/image/naoie.jpg
468人間七七四年:2009/04/06(月) 23:26:40 ID:mZo7OgO8
北条配下に、佐野城主、天徳寺宝衍と言う勇将がいた。
この人が琵琶法師に平家を語らせたときの事。

法師は先ず、佐々木高綱宇治川先陣を語った。坂東武者達が先陣の功を競う勇猛な場面である。
が、天徳寺、ここで雨のような涙を流した。
次はおなじみ、那須与一扇の的の場面。平家の中でも、爽快さと美しさを兼ね備えた
屈指の名シーンである。が、ここでも天徳寺、滝の如く涙を流した。

後日、天徳寺が「昨日の平家はどうだった?」と、左右の者たちに聞いた所、
「大変面白かったのですが、殿が涙に咽んでいたのがどうにも解らず…」と言うと天徳寺、
逆に驚き、

「今までお前達を頼もしく思っていたのに、今の一言でガックリきたぞ。
いいか、先ず佐々木高綱の場面だが、あの時高綱が与えらていた名馬「池月」は、
頼朝公の舎弟である範頼や、寵臣の梶原ですらいただけなかった物なのだぞ!

そんな馬に乗ってもし先陣出来なければ、必ず討ち死にして再び帰らないと、
暇乞いして出陣するのだ!この志、泣かないでいられようか!

また、那須与一も、大勢の中から選ばれ、ただ一騎陣頭に出で馬を海中にいれ的に向かうまで、
その一挙手一投足を源平の両軍が、鳴りを潜めて見守っている。
もし射損じれば味方の名折れ、馬上にて腹掻っ捌くほどの覚悟を持って向かっていくのだ。
その志を見よ!泣けて泣けてしょうがないだろ!

わしくらいになると、戦場に赴く時はいつも、佐々木高綱や那須与一の心で槍を取るから、
平家を聞くときでも自然と彼らの心を思い、泣けてきてしまうのだ。

ところがお前達は何だ!お前達の武辺というのは、ただ単に勇気に任せてやっているだけなのか!?
本当の武辺とは、もののふのあわれを心にとどめてこそあるものだ。そうでなければ、
真実頼もしいとはいえないものなのだ!」

なんというか、酔っぱらった上司に、演歌の解釈の間違い付いてくどくどと説教されてる気がしてくる、
ありがたーいお話なのに、家臣の聞き方が悪かったお話。
469人間七七四年:2009/04/07(火) 01:46:28 ID:oEWjgBAG
>451
種の保存という本能から究極の選択を迫られた時、生物は存続する可能性の高い長じた者を助けて幼いほうを見捨てるらしいね
470人間七七四年:2009/04/07(火) 11:01:51 ID:l4FjYufn
北条家五代が関東の雄となったのは早雲こと伊勢宗瑞が小田原城を乗っ取り、
鎌倉以来の名族・三浦党を倒したことに始まる。

その三浦党最後の当主・三浦道寸入道の子に、荒次郎義意という男がいた。

脳筋クサい名に違わぬ男で、七尺五寸(約220cm)の体躯と、八十五人力を誇り、
五尺八寸(約175cm)の大太刀を振るい、毎日北条軍と楽しくヒャッハーしていたが
多勢に無勢、ついに父・道寸が切腹したとの知らせが入る。

「よし、オレも北条兵を思うままヌッコロしてから死んで、名を天下に上げてやる!」
と思い定めた義意、得物を一丈二尺(360cm)の丸太に持ち替えて飛び出した。

もう地獄の羅刹にしか見えない義意を恐れて逃げる北条兵を追い詰め、
丸太をタテに振るえば相手の首が胴にメリこみ、ヨコに振るえば五〜十人が吹き飛んだ。
義意に近づく者は誰もいなくなり、満足した義意はみずから首を斬り落とした。

しかし、首だけになっても義意は生き続け、宗瑞が高僧に供養させても目を閉じなかった。
それから三年経ったある日、小田原は総世寺の新住職がやって来て、

うつつとも 夢とも知らぬ 一眠り 浮世の隙を あけぼのの空

と詠んで供養したところ、三年の時間を取り戻すかのように肉が腐って溶け、
あとには義意の頭蓋骨だけが残された。

その後もこの土地では牛馬が草を食べると死に、鳥獣も立ち入らないため、
田畑を作らず草さえも刈らないという。


いいかげんウソくさいが、オレの知る限り最強の坂東武者=陸戦型モンスターの話。
「もっとスゴいのがいる!」という異論・反論、お待ちしております。
471人間七七四年:2009/04/07(火) 11:37:12 ID:EizIKjBN
これは…住職が辞世を詠んであげたってことだろうか。

約100年後の家康の辞世「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」が
上手いこと返句になるようになっているな。
472人間七七四年:2009/04/07(火) 11:37:29 ID:69ciyiLw
丸太が最強の武器ってどこの彼岸島だよ
473人間七七四年:2009/04/07(火) 12:21:41 ID:Zt7xZW9x
五尺八寸の大太刀

明石剛次かよw
474人間七七四年:2009/04/07(火) 12:22:20 ID:dtM82Dvp
ぶっ飛びすぎてるが話が日本的っつーか
こういうの昔話でよくあるよなw
475人間七七四年:2009/04/07(火) 12:36:16 ID:e6R3HLW7
将門公なんかもそうだな
七尺の巨体、片方の目に黒目が2つ、鋼鉄のような硬い体を備えていたらしい
戦国大名にも将門公を祖とするのがいたな
相馬氏だっけ?
476人間七七四年:2009/04/07(火) 12:37:38 ID:yqEqpMv9
>>468かっこよくて面倒くさい坂東武者乙

>>470リアル鬼じゃねーかww 坂東武者ってw
477人間七七四年:2009/04/07(火) 13:08:40 ID:9vmhtsdr
でもこれが中国の逸話だったら
誇張だの捏造だの言い出す輩が必ず出てくるんだよな
こういうのを楽しめないのかな
478人間七七四年:2009/04/07(火) 13:30:48 ID:oknNq9F/
渡会永弘という御師が淀川で船に乗ろうとした時のこと。
先に乗っていた武家と思しき連中が「この船は急ぎの船だからお前らなんて乗せてらんないんだよ」と文句を付けてきた。

それでも何とか乗船出来た度会だが、彼の召使と先ほどの連中が喧嘩を始めてしまった。
連中の余りの態度に度会自身もプッツンしてしまったが、船に乗っていた人たちが慌てて何とか騒ぎを収めた。

その後、船が2里程進むと堤の上に多数の軍勢と椅子に座っている人物が見えた。
その人は使いを出して船を停泊させた。
使い、曰く「堤の上に居るのは森勝蔵です、伊勢神宮の御師である貴方に無礼を働いたのは我が家の家臣なのです
どうぞ、貴方様の気の収まる様に処分してください」

渡会は船を下りて長可の所まで行くと畏まってこう言った
「貴方様の気持ちはとてもありがたく思います、しかしながら先ほどの悶着と私が神宮の御師である事はなんの関係もありません。
むしろ此方から侘びねばなりません。私達が船に乗ったから起こったことですので、どうかお許しを。」

これを聞いた長可は
「長年、神宮を信奉してきたので家来がその関係者に迷惑をかけたとあれば恐れ多く、ブッ殺してしまおうかと
思っていたのですが、貴方が謝ってきたのならこれ以上、どうこう言うのは無礼にあたるでしょう、わかりました。」
と返した。

渡会は船に戻ったがよくよく考えれば不思議な事がある・・・
「なぜ、森殿は堤の上に居たのに船の中の出来事をお知りになっていたのだろうか?」

鬼武蔵の気味の悪い話
479人間七七四年:2009/04/07(火) 13:57:23 ID:wfJDBJLB
確かにちょっと気味は悪いが基本的には鬼武蔵のいい話のほうじゃないのかw
480人間七七四年:2009/04/07(火) 14:02:20 ID:oLRX5F4H
こういう人がなぜ神の使いのカラスヘビを食っちまったのか
481人間七七四年:2009/04/07(火) 14:12:21 ID:LVAtyJUs
>>480
伊勢神宮以外は認めん!とか?
482人間七七四年:2009/04/07(火) 14:27:18 ID:iwISLdeP
淀川ではなく三途川だと考えれば…
483人間七七四年:2009/04/07(火) 14:28:36 ID:uKlZnK21
文中に森という字が見えた時点で、話の結末を予想してしまうようになった・・・
484人間七七四年:2009/04/07(火) 17:07:05 ID:PqGHohK+
武田信玄がある時、武田家において罪を犯して出奔した落合彦助を討てと、
荒川新丞、村井久丞の二人を派遣した。

しばらくして二人は「落合を討ち取った」と、首を桶に入れて返ってきた。
この頃は6月であり、首も腐って判別がし辛いものであったが、ともかくも命を果たしたと
両人ともに賞せられた。

ところが8月、信玄が上杉謙信と川中島手対峙した時、上杉軍から物見が出てきて、
武田陣の前でこう叫んだ

「我は落合彦助である!」

落合は武田を出奔後、謙信の元へと身を寄せていたのだ。では、あの首は?

その晩、荒川と村井の両人は夜逃げし、行方知れずとなったそうである。
そんな不正直な事をして褒美をもらい、報いを受けた悪い話。

つーか、一体誰の首だったんだよ?w
485人間七七四年:2009/04/07(火) 17:54:50 ID:tY7VRYki
1.乞食の首でいいだろヒャッハー
2.実は上杉家が荒川・村井を陥れようと一芝居うった
3.落合には双子の兄がry
486人間七七四年:2009/04/07(火) 21:10:12 ID:An/IuT4S
>>472
やめんか、これにはわけがあるんじゃ
487亀だけど:2009/04/07(火) 23:45:13 ID:yqEqpMv9
>>420
戚継光が和冦退治に乗り出したとき、国中の勇者を求め触れを出した

集まってきたのは皆、腕っぷし自慢の凶悪なマッチョ軍団だったが、
彼らを集めて継光さん曰く

「この中でカミさんが怖くないヤツがいたら名乗り出てくれ!」

……出てきたのはたった一人、他のマッチョガイより貧弱そうなボウヤだけだった

だが戚継光、ほんまに彼を先鋒隊で起用したという。継光自身は女房に弱かったらしい

日本でも大陸でも、戦場の勇者や名将が家庭でも強いとは限らんのですね
488人間七七四年:2009/04/08(水) 00:03:55 ID:t8tN3ajM
>>487
秀忠「まったく嫁をおそれるなぞ、明人は情けないのう」
489人間七七四年:2009/04/08(水) 00:17:05 ID:MErhvV2E
>>478
船中での揉め事は、わざと鬼武蔵が配下に仕掛けさせたものだった。
だから鬼武蔵は陸にいながら知っていた。
絵師がもし森の配下を成敗したら、それを口実に
絵師をぶち殺すつもりだったが、絵師が頭を下げたため
計画を取りやめたとか?
490人間七七四年:2009/04/08(水) 00:17:20 ID:I53Te73z
織田信長の配下に、谷大膳という武勇の士があった。彼は、信長の軍議にも参加を許されるほどの
信頼を得た家臣であった。

天正六年、秀吉の播州三木城攻めの時の事。秀吉はこの谷大膳を、自分の寄騎にしてほしいと
望んだが、信長はそれを許さず、加勢として送った。

その日大膳は既に、敵三騎と馬上にて槍を合わせ、ことごとく討ち取った。
そこで秀吉、今度は三木城の出丸である、”かさの丸”を攻めてほしいと頼んだ。これに大膳は、
「あの出丸は堅固であり、容易に攻め取れるものではない」と答える。

すると秀吉「日ごろ勇名高い大膳も、小城一つ攻め敗れぬのか?」と言い出し、その言葉に大膳は激怒、
これに秀吉も刀の柄に手をかけ一触即発の空気となる。が、そこに竹中半兵衛割って入り
「戦場の勝負こそ力を尽くすべきであろう!これは一体いかなる事ですか!?」
そうして蜂須賀小六も現れ、秀吉を抑えて引き下がらせた。

その夜、大膳の陣屋に秀吉、酒肴を持って現れた。「大膳殿、今日の武功は抜群でありましたぞ。
先ほどの事は全て私の過ちであり、大変後悔している。」秀吉はこのように謝罪した。
翌日、大膳は手勢を率いて、”かさの丸”を攻めた。

城の者たちもここを大事と防ぎ、激戦となる。
士五十騎、歩兵二百で城戸口を押し破りにかかるが、手負い死人、数知れずという状況となった。
そして終にこの城戸を押し破るが、大膳自身も数箇所に傷を負って跪いていた。
それを発見した三木方の、猩々皮の羽織を着た法師武者が引き返し大膳に向かう。すると大膳、

「私はもう疲れた。近寄って首を取れ。」

と呟いた。それを聞くとこの法師武者、走りかかって一太刀打つ。が、この時大膳、まだ諦めてはいない。
敵の草摺を取って引き寄せ、脇差を抜いて刺し貫いた。するとさらに三木方の者が引き返し
大膳を斬りつける。そこに当時十七歳の大膳の嫡子、出羽守が走り寄り、三木方の者たちを
打ち据えたが、その時大膳既に、息を引き取っていた。

秀吉は大膳が討ち死にした事を聞き、せめて屍骸であっても対面したいと陣屋を訪れ、
惜しい人を亡くしたと、涙に暮れたのだとか。

そんな、色々と考えさせられるお話。
491人間七七四年:2009/04/08(水) 00:17:49 ID:Xspg03+E
>>488
保科正之「……」
492人間七七四年:2009/04/08(水) 01:02:11 ID:JdbYo4os
>>487
その話にはオチがある。

対応が少し違っていて、戚継光は自分の女房を恐れるものは別の場所に、
恐れないものはそのまま残れといったら、一人しか残らなかった。
戚継光は出てきた男を呼び寄せてほめようとしたところ、その男曰く

「実は将軍の声がよく聞こえなくて。そういう時はみだりに動かずじっと
していろと女房にキツく言われているんですハイ」

戚継光がっかり。
493人間七七四年:2009/04/08(水) 03:09:49 ID:dQpTeqxR
>>492うひゃー笑
戚継光のみならず信之兄ちゃんもガックリですな……

>>491
保科さんは養母、義父といい人に巡り合えてよかったじゃんか
494人間七七四年:2009/04/08(水) 04:29:48 ID:e2OyKCRb
>>492
これ、記憶違いかもしれないけど
全く同じ逸話(ていうか元ネタ)がなかったっけ?
それこそ遥か昔の中国で
495人間七七四年:2009/04/08(水) 10:55:42 ID:lCnJYOtn
首供養・・・生死は戦場のならいの戦国武士において、33人の首を獲った者のみが
自分が命を奪った者への鎮魂の法要を営むことが許される。 これを首供養と呼んだ。
(民明書房刊『偶愚留』より)

黒田如水「で、こないだ勝った別所さんちにも、首供養やった男がいると聞いた。
      ウチにはそういうハッタリの効くヤツはいないのか?」
母里太兵衛「はいはい!オレオレ!!」
如水「オマエはもう名が通ってるからいいや。」
太兵衛「 (´・ω・`) 」
栗山備後「秦桐若が31人の首を獲ってましたけど、戦死しちゃいましたし・・・
      吉田六之助は、まだ27人ですし・・・」

如水「という訳で六之助、オマエ首供養やんなさい。」
六之助「いや、だからオレ、27人しか首獲ってませんって。」
如水「ちっせー男だねぇ!オマエ今いくつよ?」
六之助「31歳ですが何か?」
如水「まだ若いじゃないの!その歳で、もう首を獲らないなんて事ないだろ?
   だから先に供養して、後で帳尻合わせとけばいいんだって!」

結局、供養料として100石の知行まで与え、ムリヤリ六之助に首供養をさせてしまった。
主命により首狩り族にならざるを得なくなった六之助、朝鮮の役まで現役を通し、
生涯に50余の首を挙げたという。 (常山紀談より)


まあ、クロカンが若手に奮起を促した、と考えればいい話なんですが・・・
496人間七七四年:2009/04/08(水) 11:32:10 ID:b4AShTTG
帳尻合って良かったじゃんw
497人間七七四年:2009/04/08(水) 12:24:51 ID:dQpTeqxR
>>495
現代でも9月、秋風とともに帳尻戦士たちが働き出すよね(
498人間七七四年:2009/04/08(水) 15:04:26 ID:515VSi8X
>>497
関係無いが、なぜか優勝の望みが完全に絶たれた後に滅法強くなるチームとか人とかいるよね。
どのスポーツでも。
499人間七七四年:2009/04/08(水) 15:21:45 ID:Xspg03+E
ググったら吉田さんって戦傷が文禄の役での鉄砲傷だけという
プチ平八郎なスゴい人なんだな
500人間七七四年:2009/04/08(水) 16:11:23 ID:L5T5BOuu
>>495
それで思い出したけど、やっぱその周辺で「朱柄の槍を持っていいのは一日の戦で
七つの首をあげた勇者のみ」という風習があったらしい。

朝鮮でのこと、ある日黒田家の家臣、井口兵助という男が手柄をあげた。
なんでも切り通しの狭い道の広くなる辺りに横穴を掘って、そこに明兵が弓矢を構えて
陣取ってたらしい。で、穴の近くを通った奴を問答無用で射殺。
これが効果的で、横穴の前には死体の山が築かれたそうな。
日本軍の諸勢が通るべき道を通れず難儀していたところ、兵助とその家来一人がこの
穴の中に突っ込んだ。
二人の奮戦が契機になって横穴は制圧され、日本軍はこの道を通ることができた。

この井口兵助、強情っぱりで頑固者、放言も多くて敵の多い男だったらしい。
その兵助が黒田長政に訴えた。
「俺の今日の大手柄、朱柄の槍を持つにふさわしい活躍でしたよね!
加増はいらないので、是非とも朱柄をお許し下さい」
その時兵助主従が取った首はあわせて五つだが、特別の働きを自負してたのと、まあ、
よっぽど欲しかったんだろうね朱柄の槍w
だがそこは黒田長政、父親から「博打が足りねえよお前の生き方はよ!」と言われてしまう
常識人。老職たちにも意見を聞いたところ、「やはり数も足りてないのに朱柄を許すのは
どうかと」との返事。
それを聞いても兵助は諦めず、「お許し頂けないならお暇を頂きます!」とだだをこねた。
むっとしたか黒田長政は「だったら暇をくれてやると言え」と言ってしまう。
こうなると強情者、兵助は即刻黒田の陣所を立ち退いて、立花宗茂の陣所に向かった。
手土産に道すがら撃ち落とした鶴を携え事情を話すと、宗茂は親切に迎えてくれた。
…ここで、「立花様は小身なので後までの主君と頼るつもりはありません。しばらくここに
置いて下さいね^^」と言ってしまう辺り実になんというか…何?
これを聞いて立花宗茂がこいつは…と思ったかどうかは定かではない。
とにかく宗茂の方から長政へ連絡が入った。

「黒田殿が本当に彼をクビにしたんだったら私の所に来てもらおうと思うけど、どう?」
「暇なんかやってない。あいつが無理なこと言って飛び出しただけ」
「そうか、でもこのままじゃ帰参しそうにないし、こちらで説得して帰らせるよ」

こうして立花宗茂、井口兵助をこんこんと諭した。
「朱柄の槍は首七つと決まっているのに、他の武功があるからと強いて朱柄を欲しがるのは
却って弱そうに聞こえる。その方は今後絶対に首を七つ取ることはできないのかな?」
武士心をおさえたこの理論に井口兵助は納得。宗茂に付き添われて黒田家に帰参した。
宗茂は長政に「じゃあ今度実際に一日に首七つ取ったら、必ず朱柄の槍を許してやりなよ」と
口添えして自分の陣所まで戻って行ったという……どんだけいい人なの?立花宗茂。
その後ほどなくして、井口兵助は見事一日に七つの首をあげ、朱柄の槍を許されたという。

…実は、この井口兵助という男、黒田長政の三つ上、幼児の頃から黒田家に出仕し、
長政が織田家に人質に出される際には近侍として付き従ったほどの仲で、他の家臣から
「子供の頃馬になって遊んでもらったからって贔屓してる」などと言われてしまうくらいの
気に入りの家臣だった。
売り言葉に買い言葉で出て行かれたのを後悔していたのだろうか。
主従喧嘩は犬も食わない悪い話…。

これ、ずっと前に立花宗茂のいい話としていい話スレに書き込もうと思ったことあったけど、
まとめてる内に宗茂はひたすら迷惑かけられてるだけじゃないかと思えてきてやめたんだ。
501人間七七四年:2009/04/08(水) 16:22:07 ID:GSEaQaqh
目をかけてる者なら、なおの事必要以上の贔屓は出来んよな
502人間七七四年:2009/04/08(水) 16:28:53 ID:8NzWusun
>>500
やめてあげて正解だよ、うん・・・
503人間七七四年:2009/04/08(水) 16:50:51 ID:IEKTuopD
これは十分良い話だろ
ってかちょっと所じゃなく良い話だ
504人間七七四年:2009/04/08(水) 18:09:13 ID:gL2GomJw
こなってくると益々↓でそれぞれ仲が良かったというのが妙な
感じになってくる。いや、教養とか趣味の面で嗜好が一致してる
っぽいし別に不思議な話じゃないはずなんだけどさ。

忠興──政宗
│        │
└─宗茂─┘
505人間七七四年:2009/04/08(水) 18:53:17 ID:EYlivurp
鬼武蔵を陸戦型最強の化け物とおもってたが関東にいくと子供扱いされそうなきがしてきた
506人間七七四年:2009/04/08(水) 19:59:53 ID:KzM8yuyO
ヤッター鬼武蔵キター
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽ
今日も鬼武蔵
明日も鬼武蔵
明後日も鬼武蔵
毎日鬼武蔵
507人間七七四年:2009/04/08(水) 20:18:27 ID:dQpTeqxR
>>500
例の前田慶次郎はんは何だかんだいって前田家勤めの時に朱槍を許されてたんだな。

ソロバン弾いて蓄財に励む叔父御も、やんちゃな義甥の武勇は認めていたと……
508人間七七四年:2009/04/08(水) 20:25:33 ID:kX2p98ew
まぁ利家だって若いときゃ槍振り回して武功稼いでたしね
509人間七七四年:2009/04/08(水) 20:45:24 ID:kCihn0Vy
家来に働かせたら褒美をやらなきゃいけないじゃないか。
510人間七七四年:2009/04/08(水) 21:08:29 ID:GOL9z0LB
>>500
>「立花様は小身なので後までの主君と頼るつもりはありません。しばらくここに置いて下さいね^^」
相手が宗茂じゃなかったらこの時点で放り出されてるな
511人間七七四年:2009/04/08(水) 21:23:52 ID:28NE9EcF
なんで黒田の家中はこんなのばっかりなんだ・・・
というかもうちょっと長政を敬えよ
512人間七七四年:2009/04/08(水) 21:26:07 ID:gdZ6cOTL
鬼武蔵の一番怖いとこは実はリアル無双な性格ではなく
どんだけ無茶やっても庇ってくれた馬鹿主君がいたって事実だよなぁ
何があんなに信長の心を惹きつけたのか
その要素を少しでも光秀が持ってれば・・・
513人間七七四年:2009/04/08(水) 21:29:38 ID:W2h2yoAf
宗茂だと

あんな失礼な奴らの争いに巻き込まれて大変じゃありませんか?
それほどでもない、むしろ武勇の士を迎え入れられなくて残念だ

やはりボンボンだった
しかも迷惑バリバリにかけられてるのに謙虚にそれほどでもないといった、程度で終わるな
514人間七七四年:2009/04/08(水) 22:06:39 ID:I53Te73z
>>512
つーか信長は、森家と言うものを次世代の織田家の柱石にしようとしていたんだろうな。
あの庇いっぷりはそうとしか思えんw
515人間七七四年:2009/04/08(水) 22:31:33 ID:kyMHLtLs
朱柄の槍すごいですね
516人間七七四年:2009/04/08(水) 22:40:47 ID:28NE9EcF
井口兵助「おうよwwすごいだろうwwwwガハハハwwww」
517人間七七四年:2009/04/08(水) 23:12:22 ID:L5T5BOuu
>>511
一応井口兵助は黒田長政を敬ってる。と、思う。
彼の口癖は「俺は殿様の他に怖いものなんかありゃしねえんだよー」だったらしい。
まあ、「だからよ、年寄り連中だって俺にかかっちゃへちまの皮とも思わねーよ」とか
フいてるのを聞きつけた年寄りの栗山利安に「なに調子こいてんだコラ、戦場で追付首
一つ二つ拾ったくらいで図に乗りやがってお前みたいな御家の邪魔にしかならない奴は
殿が許しても俺が許さねーよ、オラ誰が怖くねえって!?言ってみろ!」とすごまれて
斬られそうになってブルったらしいが。

一応井口を弁護しておくと、この件については友人に「まーたそんなこと言っちゃって
栗山さんのことも怖いんでしょw?」と指摘された際「ヴァーおめえアレはアレよ、俺は
あの爺さんガキの頃から知ってんだよマジ手が早い恐ろしい奴だよ、あんなのとケンカ
して家族にまでもしものことがあったら、ホラ、アレだからよ、スルーしてやったんだよ」
と弁明している。

首拾ったとかいうのはもちろんデタラメというか、栗山さんスイッチ入っちゃってるから。
普段はやりすぎなくらい温厚で礼儀正しい人だったらしいがなあ。
518人間七七四年:2009/04/08(水) 23:27:50 ID:1cdV0kcH
>>511
オヤジが散々に息子を腐して育てたから、それを見ていた
家中の連中も軽んじるようになったのかな?
519人間七七四年:2009/04/08(水) 23:32:29 ID:Xspg03+E
>>517
ちょw最近親指武蔵のイメージが崩れて俺涙目なのに
栗山さんのイメージまで壊さないでww
520人間七七四年:2009/04/08(水) 23:37:42 ID:qwJEKl8A
高山右近の潔癖症と茶

秀吉の伴天連追放により、伊丹の知行地を失ったキリシタン大名、
高山右近長房。
晩年は、加賀前田家、利家、利長、利光の三君に仕え、
関が原の役以外の時期は静かな生活を送っていた。

このころの茶会にて

招かれた客人らは、いつもながら右近の完璧なまでに整えられた茶風に
感嘆の念を禁じえなかった。
が、師である利休が右近自身についてかって評したことを語った。

「師が評するには、私の茶はどこか邪道というか茶の心から外れたものがあり、
それはあまりに清潔さ潔癖さに捉われてしまった心の狭さ故なのだそうです。
確かにそう言われてみれば、私は茶室に至る道の隅々はおろか、
庭の端々から茶室の床の下まで掃き清めねば気が済まず、
少しでも乱れがあると心静かに茶を立てられないのです。
これは性分なのでしょうが、まことの茶人としていたらぬことなのです。

それに対して織田有楽殿の茶は、自然にあるがまま、道に降り積もる落ち葉は
そのまま茶になっております。
まことに自然というか、自由な心そのものであり、羨ましいとも思うのです。」


潔癖で窮屈な面を自己批判する右近であった。
521人間七七四年:2009/04/09(木) 00:03:37 ID:X1NLhoS8
>>512
有能だが油断ならない柴田だの羽柴だの明智だのに囲まれてると、
あの清々しいまでの狂犬っぷりがある意味わかりやすくて可愛かったんじゃないか。
森父、森兄への負い目と、あと弟の必死のフォローもあったと思われ。
522人間七七四年:2009/04/09(木) 00:30:44 ID:8TkDK1q6
>>520
謙虚さに感心していい話じゃないの?と思ったけど潔癖症はやっぱよくないか。
523人間七七四年:2009/04/09(木) 01:42:37 ID:i9A0BklQ
>>519いやいや、殿様には忠義でちょっぴり頑固なだけの武辺者じゃないですかw


大体戦国武将なんだから、やくざの大親分や若頭の蝶☆喧嘩っ早いのと思えば……
524人間七七四年:2009/04/09(木) 03:35:05 ID:RDKpD/J+
信長に蘭丸、信忠に武蔵と森家が織田家においてすごい存在感だったのがなあ
対抗馬の坂井家は政久と久蔵が死んで次がいなかったのが・・・
坂井の方も信長のお気に入りだったのに
525人間七七四年:2009/04/09(木) 09:21:27 ID:5Ye1DVI7
日本甲冑史下巻買ったんだが
大のオッさんが背中に蝶々付けたりウサ耳やオプーナっぽい兜被ったり
侍って意外とシュールなんじゃないかと思い始めてる。
こち亀の変態刑事達に通ずるものがあるような
526人間七七四年:2009/04/09(木) 09:27:51 ID:Fqb4e1oR
聞いた話で真偽は定かではないが

江戸に移封された徳川家康
後にこの地で幕府を開き城下町の整備を行うことになる
オカルトな面では風水を考慮し将門を祀って守りを固め、
軍事的には道を歪曲させて真っ直ぐ飛ぶ鉄砲のを使いづらくさせ
武家は城の周辺に、寺社は有事の駐屯地として機能するようにし
町人は有事の際に壁となるように配置されたという
この城は後の平和の時代が相まって有事にその成果を発揮すること長らくは無かったが
戊辰戦争が勃発し官軍が江戸に迫った
ついに城の成果が発揮される時が来た…はずだった
が、幕府は無血開城してしまった
何故か?
理由は色々あるが官軍との交渉会話の中でこんなやり取りがあったそうだ

西郷「近々江戸を総攻撃するから」
勝「民衆に被害が出るから止めてくれ」

町人が壁になるように都市計画を立てたのにそれが仇となって城として使えなかった
戦国の時代の町人の価値と太平の時代の町人の価値はまるで違っていた
200年後の人の価値の変容を読めなかった初期の幕府の悪い話
527人間七七四年:2009/04/09(木) 09:39:00 ID:WEM75V3X
>>525
軍功なんかは周りの証言があって認められるものだからな
記憶に残るインパクト無いとあかんだに
528人間七七四年:2009/04/09(木) 09:50:29 ID:PWXJhUDM
>>527
信長「派手な指物付けて大した功も立てられぬ者は戦場の恥である、追放せよ」
529人間七七四年:2009/04/09(木) 09:51:54 ID:QGSMGWab
色々趣向を凝らしてるよね
兜の飾りはそのまま被ってる人の権威みたいなもので壊されるのは恥って考えもあったみたい

530人間七七四年:2009/04/09(木) 10:10:44 ID:g5mxmJz8
250年先の世の中なんて誰も読めねぇよw
むしろそれまで城が使われなかった方が奇跡だろ。
531人間七七四年:2009/04/09(木) 10:16:46 ID:NjgxH2EV
今から250年先か・・・
完全にSF世界です
532人間七七四年:2009/04/09(木) 10:35:12 ID:lcTRtUKd
>>526
勝は会談が決裂したら町人を避難させた後で、
進軍してきた薩長の反乱軍を街ごと焼き払うつもりだったらしいよ
533人間七七四年:2009/04/09(木) 10:38:23 ID:0lx3E/B3
1999年に人類は滅びると思ってました
534人間七七四年:2009/04/09(木) 10:38:44 ID:ALHxoP7u
広島城「356年後に原爆が落とされ木っ端微塵になるなど
    思いも寄らぬことでございました」
535人間七七四年:2009/04/09(木) 10:40:03 ID:30mbI99Q
むしろ250年後に通用した熊本城の石垣が凄すぎる
536人間七七四年:2009/04/09(木) 10:42:33 ID:g5mxmJz8
戦国だったら町人も足軽上がりがゴロゴロいたから壁にも戦力にもなろうが身分制度が進んだからなぁ
537人間七七四年:2009/04/09(木) 11:34:25 ID:X5jRcEsV
>>529
政宗の兜の弦月の前立ては
わざと壊れるように木製だったと聞いた。
引っかかりやすいので危ないから、とか
・・・本当だったらいい話、か?
538人間七七四年:2009/04/09(木) 12:34:36 ID:kTLXC1m1
江戸城周辺の町屋も防御施設として機能するはずだったんだろうね。
250年後の榴弾砲の前には防御力なんてなきも同然になってしまったんだろう。
539人間七七四年:2009/04/09(木) 12:40:55 ID:ALHxoP7u
有名なお話ですが戦国よりちょっとそれる

宇都宮吊天井事件

秀忠が家康の七回忌で日光東照宮へ赴いた帰り
宇都宮城へ立ち寄る予定でした
宇都宮城は本多正純が父、正信のいいつけを守らず
加増をホイホイ受けとったお城でした

このお城に入ろうとする秀忠ご一行
しかし殿のお耳に不穏な噂が!

「正純くんが殿の御寝所の天井に小細工をして
寝ている間に天井を落として殿を抹殺しようと
たくらんでおります!」

なんとけしからん正純め!と怒った秀忠は
正純を出羽へ改易させたのでした


この話はフィクションです
実在の人物、事件とは関係ありません
540人間七七四年:2009/04/09(木) 12:54:13 ID:pl8JQoDk
>>537
三斎様も(以下略
541人間七七四年:2009/04/09(木) 13:54:21 ID:/3rnpcrJ
>>524
坂井家は次男だったかが信忠の側近にいる
542人間七七四年:2009/04/09(木) 15:19:23 ID:4+Gln4Vg
>>537
清正「ワシのは上が紙じゃぞ」
543人間七七四年:2009/04/09(木) 15:49:58 ID:a9jqosZU
兜の前立てと言えば、年々大型化して行く兜の前立てのために、畿内や西国では
前立ての足を複数つけて、兜に固定するようにしていたが、
東国では平安、鎌倉からの伝統を守って、足一本で無理やりに固定していたらしい。
そのせいで、何もしなくても自重で前立てがポッキリいくことも、けっこうあったらしいw
544人間七七四年:2009/04/09(木) 17:07:49 ID:LzZCz1p9
兜を作るのが上手い大名(たしか有楽斎だったと思うんだが…うろ覚えでスマン)がいて、他の大名に水牛の角の兜の製作を頼まれた。
出来上がった兜を見ると、角が桐の木で作った偽物だった。
なんで本物の水牛の角を使わないんだ!と注文した大名が文句を言うと、
「本物の角なんか使ったら、戦場で引っかかって危ない。桐だと折れるからいいんだ」と言ったとか
545人間七七四年:2009/04/09(木) 17:09:45 ID:Fqb4e1oR
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-996.html
の290

まとめで検索掛けようぜ
546人間七七四年:2009/04/09(木) 17:16:59 ID:LzZCz1p9
おお、三斎でしたか。面目ない。
547人間七七四年:2009/04/09(木) 17:22:07 ID:cDCj2AuI
>>511
井口も又兵衛も子供の頃からの家来だと友達感覚で甘えるのかな
548人間七七四年:2009/04/09(木) 18:10:32 ID:QGSMGWab
>>537
確か日野根さんだったかだと
わざと壊れやすい木で立派に見える飾りを作って、飾りを壊しにかかる敵の姿勢を崩させて討とうしたなんて話があったり・・・

見栄を徹底的にはる奴、利用しようとする奴、飾りと割り切る奴、色々居るもんだねぇ
549人間七七四年:2009/04/09(木) 20:13:54 ID:IeFJByAH
日根野氏って武功もある上に
初代…鎧兜
二代目…築城
三代目…東照宮造営
みたいな後世に残る技術も持っていたのに、時の天下人には
いまいち受けが悪かったような気がする。


550人間七七四年:2009/04/10(金) 00:00:07 ID:xYDsgwEt
何かと暗愚・凡将扱いが多い、徳川家康の父・松平広忠の話

父が若くして暗殺されてしまった広忠、
惣領の地位を狙う一門・松平信定から逃れ、伊勢へと亡命する羽目になる
しかし、東条吉良氏や今川氏を味方につけて形勢逆転、三河へ帰還した

さて、信定に同心した一門の中に、松平信孝がいた
広忠帰還が具体化すると、これに積極的に協力してちゃっかりと後見役に収まった
これで安泰と思ったか、城地の横領など専権をふるうようになる

そして天文十二年正月、広忠は長らく病床にあった
今川家へ参賀に行くことになっていたので、信孝が代役になり、駿府へとたった

…もう言わなくても分かると思うが、広忠の罠である
あっという間に信孝の館と知行は占領され、城は攻め破られた
驚愕した信孝は和解を望み、今川義元にも訴えたが、もちろんかなうはずもない
仕方なく織田信秀に寝返った信孝、
岡崎攻撃のために出陣したところ、広忠軍に射殺されてしまった

ちなみにこの時、信孝から広忠に鞍替えした家臣の中には
大久保忠俊・忠員など、後に松平家を支える人達がいたりする
…ので松平家にとってはいい話かもしれない
551人間七七四年:2009/04/10(金) 00:23:25 ID:Tm5VA9KB
>>538
城郭自体だと近代兵器にも抵抗力があったよ。
後装式、旋条砲の新兵器アームストロング砲をもってしても、会津若松城や熊本城は陥ちなかったんだな。
会津は兵糧攻めで開城、熊本城は力攻めで薩摩軍に多大な犠牲を出させ、撤退させている。
552人間七七四年:2009/04/10(金) 01:02:53 ID:k4fGND0y
岡山城城主、金光宗高が宇喜多直家の麾下に入り、しばらくした頃の事。
宗高が謀反を謀ろうとしている、そんな風説が流れた。

この宗高の家臣に、後藤某と言う者がいた。直家はこの後藤とかねてより親しくしていたが、
この風説が流れるようになってから、直家の居城、沼城に後藤を度々呼び、碁の相手をさせた。

そうしているうちに、金光宗高が、この後藤を、罪があったと言って殺した。
「かかった!」
直家、そう思ったことであろう。直家は宗高を沼城に呼び出し、言った

「切腹いたせ。

宗高、お主は先年の明禅寺合戦の後、わしに敵しがたくなって味方になった。
だが、内々に叛心を抱いていたのであろう。そのせいで、後藤がわしに懇ろなのを憎み、
彼を殺したのだ!この所業、捨て置けぬ。」

宗高は必死に言い訳をし、陳謝した。しかし直家は容赦しない。そしてここは直家の居城、
逃げ場は、無い。宗高も生を諦め、切腹を受け入れる体を見せる。

すると直家、彼にやさしく言う、

「宗高、わしはお主の死後、お主の子供達に所領を与えて、路頭に迷わないようしてやりたいと
考えておる。

…そのためにも、だ。

岡山城の者たちに、『この城を直家に異議無く受け渡すこと、宗高が認めた』と、一筆
書き残しておいてほしい。
無駄な争いが無い事こそ、子供の将来の為にもなろう…。」

宗高、これに抗する事は出来ず、その旨を書状にしたため、そして切腹した。
そして岡山城に直家よりの接収部隊が向かうと、最初抵抗の姿勢を見せたものの、
この書状を見せると、おとなしく城を明け渡した、との事である。

このようにして、やがて直家の本城となる岡山城は奪取された、と言うお話。
553人間七七四年:2009/04/10(金) 01:16:18 ID:K4eUZrSt
意外な事に、子供達にはちゃんと所領を与えてるんだよね。
554人間七七四年:2009/04/10(金) 01:22:56 ID:k4fGND0y
>>553
そこが宇喜多直家の凄みだよね。間違いなく悪党なんだけど、チンケな悪党じゃ無い。
555人間七七四年:2009/04/10(金) 09:47:56 ID:1hyYqL54
つまらないところで欲かいて約束守らんと信用もされんからねぇ。
日頃は大変誠実に見えてここぞというところになると…
556人間七七四年:2009/04/10(金) 09:53:24 ID:VlNpqa/4
ラスボスはそこで失敗したからなあ
557人間七七四年:2009/04/10(金) 09:56:53 ID:MORKcSA2
ラスボスなら開城した瞬間に雪崩れ込み撫で斬りにするであろう
558人間七七四年:2009/04/10(金) 12:40:06 ID:uWAhY+BZ
つーかさぁ、テンプレに他スレ荒らさないようにって入れてくれよ。
どことは言わないけどこのスレから辺なの来てて困るだけど。
559人間七七四年:2009/04/10(金) 12:55:38 ID:G4jc365k
どこのスレの人かわかりませんが、大変でしたね。
なるほど、それをテンプレに追加するだけで解決するなら検討しましょう。
しかし、そのスレに「このスレを荒らさないように」とテンプレを追加すれば
他の荒らしの対策にもなってより効率的ですよ。
560人間七七四年:2009/04/10(金) 14:22:28 ID:LXzm+wtm
>>553-554
なんというか、大方はきっちり手間暇かけて仕込む謀略家なのに
そのへんあまり陰湿さを感じないのが直家さんのマジ怖いところかも

鮮やかすぎて何故かスッキリ爽やかだもんな('- `;
561人間七七四年:2009/04/10(金) 14:56:23 ID:EuFc0Zgf
信玄が駿河落として文化財を摂取する時に、馬場信春が盗賊みたいなことするなと焼き払ったけど、
他人の領土を奪って貴重な文化財を保護せずに焼くなんて、山賊と変わらないだろ?
562人間七七四年:2009/04/10(金) 15:21:05 ID:0dzkkaWd
>>559
ついでにいい話・悪い話スレでの呼ばれ方(家久悪をDQNとか)を他板で使うのも遠慮するようテンプレに・・・
563人間七七四年:2009/04/10(金) 15:46:44 ID:9nTmoeR/
最高の荒らし対策は無視
あの荒らしさんは相手にしても無駄だから相手にしないのが一番よ。
荒らしに反応する奴も荒らしなんだぜ。
564人間七七四年:2009/04/10(金) 15:59:46 ID:ZULLWifD
>>562
正直このスレで使うのもやめてほしいと思ってる。
言ってどうなるものでもないから最近は専らスルー。
と、言えばこの難しさをわかっていただけるのではないかと考えます。
565人間七七四年:2009/04/10(金) 16:31:46 ID:k4fGND0y
人それぞれですがな。排除したがるのも押し付けだし。
いろんな人がいるわけなんだから、あまり気にしすぎるもの良くないよ。
566人間七七四年:2009/04/10(金) 18:39:21 ID:/Pl3WGkj
>>561
あくまでお宝であって文化財という概念が無かったんだろう
567人間七七四年:2009/04/10(金) 22:24:45 ID:rnkNdAZ8
徳川家康

あるところに平塚という武士がいた
浪人生活をおくっていたため家康は家来になるように言った
しかし平塚は家康はケチだから家来になるのはいやだといって石田の家来になった
その後関ヶ原で西軍は負け平塚は捕虜になった
そこで家康の部下は平塚はかつてこういうことを言ったので死罪にしましょうと言った
しかし家康は生かしておけと命じた
部下は不思議がっていると家康は私はやつがにくい
だから長く生かして苦労させろと言ったという
568人間七七四年:2009/04/10(金) 22:32:16 ID:k4fGND0y
>>567
それは話をぶった切りすぎてるw

そのあと家臣から「なんであんなのを生かすんですか!?」と抗議された家康は

「あ奴は見所はあるが、世の中の厳しさを知らない。世に出て苦労させ、性根を鍛えさせれば、
わしの息子を支えるほどの武士になるであろう。」

って言って、実際その後紀伊徳川家に仕えるんだよ。
569人間七七四年:2009/04/10(金) 22:40:23 ID:rnkNdAZ8
武田信玄

桶狭間で織田にやぶれ跡を継いだ氏真は凡庸であったため今川は衰退の一途を辿っていた

これをみて武田信玄は武田に使えれば高い給与をやろうと今川の家臣たちを誘った

これを聞き今川の家臣たちは先を争って内通に応じ、氏真は国を追われることになった

内通に応じた家臣たちは約束の給与を頂きたいと言ったが信玄は長年使えた今川を裏切るようなやつが

武田で使えてなんの役にたとうかお前たちにやるぐらいなら代わりに氏真にやると言って旧今川の

家臣は殺されてしまったという
570人間七七四年:2009/04/10(金) 22:41:38 ID:rnkNdAZ8
>>568
そうなの?
知らんかった・・・
571人間七七四年:2009/04/10(金) 22:44:55 ID:k4fGND0y
>>570
つーか、まとめにあったわw

徳川家康と平塚越中守・いい話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-66.html
572人間七七四年:2009/04/10(金) 23:40:56 ID:D/XGjZ2T
秀吉さんからお手紙ついた

天正10年6月5日 中川清秀殿へ返信
(略)
信長様・信忠様は(明智の襲撃を)、どちらも無事に切り抜けられた。
近江の膳所が崎に逃げ、福富平左衛門が三度明智軍と槍を合わせ、比類ない働きを
したので、お二人とも何ともないとの事、めでたい限りである。


天正11年4月12日 小早川隆景殿へ
播磨から西は知らないが、東国においては、津軽までもワシの槍先に耐えられる者は
いない。全て秀吉の鞭に応じて、ヒマを開けたので安心してくれ。
(略)
(柴田軍が)討って出たので、即座に駆けつけた所、連中はワシの強さを知っているので
逃げ散ってしまった。さらに押し詰め、攻め殺そうとしたが、敵は高山の城に篭もった。
メンドいので付け城を四〜五ヶ所ほど築いて抑え、ヒマができた。
よって二〜三日中に上洛するので、(会見の)時期は心配しないでほしい。


天正13年6月15日 佐竹義宣殿へ返信
(略)
去年も話したが、紀州の根来・雑賀が一揆を起こしたので3月21日出馬し、
数日のうちに連中の首を残らず刎ねたので、紀伊の熊の浦まで静かになった。

同様に四国の長宗我部を成敗するため、弟・秀長と毛利輝元を派遣して、
半ば好き放題にさせている。もうすぐコイツも首を刎ねるだろう。

そうすれば西国は筑紫までワシの意のままになるので、来月の20日ごろには
越中の佐々を成敗がてら、富士山でも見に行きたい。その時に会おう。
573人間七七四年:2009/04/10(金) 23:42:04 ID:D/XGjZ2T
わかりにくいと思うんで、本能寺の変から九州攻めまでの太閤さま簡易年表

天正10年
6月6日 毛利軍の撤退を確認し、近畿へ向かう(大返し開始)
6月13日 山崎の戦い
6月27日 清洲会議

天正11年
4月21日 賤ヶ岳の戦い

天正12年
4月9日 長久手の戦い

天正13年
3月21日 紀州攻め
4月1日 紀州国人・湯河氏の反攻、仙石秀久ら敗れる
6月上旬 秀長軍、讃岐へ 毛利軍、伊予へ上陸(四国攻め)
7月25日 長宗我部氏、降伏
9月24日 榎峠の合戦で湯河氏に勝利、湯河氏降伏

天正14年
12月12日 戸次川の戦い

天正15年
4月17日 根白坂の戦い
5月8日 島津氏、降伏

瀬兵衛への手紙は論外としても、ハッタリをホントにするラスボスマジパネェ
だから秀頼への侍女SATSUGAIレターもハッタリだったんだよ、うん・・・
574人間七七四年:2009/04/10(金) 23:45:59 ID:juBgjotW
最上義光「関白秀次の妻妾皆殺しを言い出した時も、はったりだと思っていましたが何か?」
575人間七七四年:2009/04/10(金) 23:48:18 ID:k4fGND0y
秀吉の人生は自己実現の連続だからなあ。
最後の方は半ば本気で、自分が望んで出来ない事は無いと信じていた節がある。
576人間七七四年:2009/04/10(金) 23:57:49 ID:LXzm+wtm
>>572-573
鬼武蔵もやってたなあ「城乗っ取りますた!」とハッタリ手紙を送ってから出陣(甲斐攻め)
577人間七七四年:2009/04/11(土) 00:20:43 ID:J4aA+U1z
四国も九州も本格侵攻から一ヶ月で落ちてるんだな

>>576
それはハッタリというかwwww
578人間七七四年:2009/04/11(土) 00:21:40 ID:ca+3IYpo
ハッタリはある意味戦国時代の武将の通弊だからなあw
579人間七七四年:2009/04/11(土) 00:35:16 ID:gPMFYeRE
>>569

まとめに良く似た話しがあるようだが
580人間七七四年:2009/04/11(土) 00:36:55 ID:pSM5FWbG
>侍女SATSUGAIレターもハッタリだった

>ハッタリをホントにする

・・・ヲイ
581人間七七四年:2009/04/11(土) 00:51:32 ID:5L0F0ZcS
秀吉のハッタリは無邪気というか、なんか軽々としてるんだよな
受け取ったほうが、大法螺だと一笑に付しちまうような…
ただ、秀吉の怖さはその大法螺を次々に現実にしていくことだが
582人間七七四年:2009/04/11(土) 00:53:23 ID:ca+3IYpo
まあ最終的に唐天竺まで支配するなんて言い出して、破綻してしまうわけで。
583人間七七四年:2009/04/11(土) 01:12:55 ID:i3ci8kxS
やっぱ秀吉は、日本歴史上ではまれに見るタイプだと思う。
よくも歩くも毛沢東、スターリン、ヒトラーと同じかんじがある。
大陸型独裁者やね。
584人間七七四年:2009/04/11(土) 02:15:03 ID:MU2S6PN3
武田信玄の家臣に岩間なる男がいたが、この男だいの臆病者だった。
出陣となると「俺は人を殺したくないー!!!」などとギャアギャア喚くのである。
こんなやつだから岩間の上司は呆れ果てて、信玄に訴えた。

上司「あいつはダメダメです。あんなやつが戦場にいたら、他の兵にも
   影響がでます。追放、あるいは追放に見せかけて殺しましょう。」
信玄「あいつが臆病なのは優しい性格のせいであろう。あんなやつにも
   取柄があるはずだ。」
上司「御舘が部下想いなのは存じていますが、あいつはダメです。
   戦を恐れる武士など、武士である資格がないというものです。」

上司はどうしても岩間を追放したいらしい。やれやれ、と思った信玄は
上司に岩間を呼ばせると明日の出陣の際に留守の責任者となるように
命じた。戦わなくて済むので岩間は大喜びで平伏した。

翌日、武田軍が出陣した。すると留守番の者たちは信玄らが居ないので
次第にだらけ始めていった。この様子を見た岩間は「御舘が戻ったら全部
言いつけてやろう」と思い、彼らの手抜きを詳細にメモしたのである。
これに気づいた者たちは信玄にチクられるのを恐れ、慌てて行動を改めた。

その後、信玄が戻ってくると舘はいつも以上に綺麗でピカピカしている上に
人々もよく緊張していたので、信玄は岩間を呼んで「お前こそまさに留守大将よ」
と褒めた。そして岩間を追放しようとした上司らにこう言った。

信玄「どうだ、臆病者にも取柄はある。要は適材適所が大事なのだ。
   どんな人間にも取柄があるのだから、あいつは無能だ、などと
   簡単に言ってはいかんのだ。」

本来はいい話かもしれないが、戦えない上に人をチクるしか能がない岩間は
ろくでもないやつだと思ったのでこちらに投下した。
585人間七七四年:2009/04/11(土) 09:07:29 ID:gPMFYeRE
>>584

>戦えない上に人をチクるしか能がない岩間は
ろくでもないやつだと思ったのでこちらに投下した。

岩間自身は戦に出られない事を恥じていた為
与えられた留守の役目を汚名返上とばかりにしっかり果たしていた
その上で周りの者の行状を報告しようとしたんだろうから誰も文句を言えず
結果として周りの者も普段以上に気を引き締めて留守をしていた
一人が槍持って顔真っ赤にして仁王立ちしていても国は守れない
一致団結しなければ、それが信玄が褒めた理由と言うことだろう?
戦に出て首を取るだけが武士じゃないって事を例えた良い話しじゃない
人は城、人は石垣、人は掘り(アッー!)、情けは味方、仇は敵なり
って誰の詠んだ歌か判らないけど
586人間七七四年:2009/04/11(土) 09:33:16 ID:egPKs6x4
正論を振りかざし正義の行いと信じてチクリを行う奴は
どこの職場にもいて男性陣からは嫌われているが
女性陣の中には必ず支持する者がいてめでたく職場結婚などするので
世の中というのはホントよく出来てると思うこともしばしば
587人間七七四年:2009/04/11(土) 12:29:59 ID:Gxv7WRnh
>>584
岩間「あいつはダメダメです。あんなやつに留守番させたら、他の兵にも
   影響がでます。追放、あるいは追放に見せかけて殺しましょう。」
(以下ループ)
588人間七七四年:2009/04/11(土) 12:39:44 ID:lSjulxru
性格的にはそうじゃないだろうなw

あんなやつに留守番させたら、他の兵にも影響がでます。出陣させましょう、是非先陣に。」
589人間七七四年:2009/04/11(土) 13:39:40 ID:4TIrS90V
上田に入封されたものの藩政資料はことごとく処分され一からの運営を余儀なくされた仙石忠政
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%BF%BF%C5%C4%BF%AE%C7%B7%A5%AD%A5%EC%A4%EB
勿論幕府にグチった

これに対する秀忠の対応(超意訳)

「仕方ないんじゃね?
伊豆守がキレる気持ちは良くわかるし
ウチも関東に飛ばされた時は苦労したもんだよ
あの頃の親父の悔しそうな顔は今も覚えてる
伊豆守も同じ気持ちだろうしね
そうそう、誰が何を言おうが伊豆守に罪を問う気はないから
まあ、君なら大丈夫さ。頑張れ」

仙石忠政にとってはとことん悪い話
590人間七七四年:2009/04/11(土) 13:47:55 ID:LY3CluJC
>>584
まあ戦働き以外の仕事はきっちりこなすタイプなんだろう。
591人間七七四年:2009/04/11(土) 16:00:46 ID:pSM5FWbG
>>585
>人は掘り(アッー!)
あのスレのご住人で塚

>>586
>正論を振りかざし正義の行いと信じてチクリを行う奴は
>どこの職場にもいて男性陣からは嫌われているが
>女性陣の中には必ず支持する者がいて
どこかの佐和山城主のことですか
592人間七七四年:2009/04/11(土) 16:04:42 ID:ca+3IYpo
渡辺惣左衛門の冒険

関ヶ原の折のことである。小山会議にて東軍への参加を決めた池田輝政。
が、この事を、彼の北の方のいる大阪屋敷に知らせ、状況を説明せねばならない。
輝政と重臣達は、誰を使いに出すべきか、紙に名前を書いて一斉に出すことにした。
全ての紙にこう書かれていた

『渡辺惣左衛門』

渡辺「オレっすか!?無理無理無理!こんな大事な使い、オレに出来るわけ無いです!!」

輝政&重臣一同「全会一致だ」
いかなる艱難があってもお前ならばそれに耐えて出来る!そんな勝手なことを言われる。
戦の困難なら耐えられるけどこれは…、どうにかして逃げなきゃ

「ほ、ほら、病気とかになるかもしれないし、一人じゃ無理、無理ですよ!」

「それならこの野中市左衛門を連れて行くと良い!」用意いいなお前ら。逃げ道、無し。
輝政「もし殺されれば、わしの前で討ち死にしたのと同じように考えてやるぞ。
うまく大阪まで行けば、一番首以上の評価をする。」気軽に言ってくれる。

そんなわけで、それぞれに同じ書状を一通づつ渡され、7月15日、小山を出発したのである。

途中、三河の吉田を通った。ここは池田家の領地なわけで、無論俺の家もあるわけなのだが、
寄っている暇はないと通り過ぎた。

尾張の熱田まで来ると、船着場は大竹の虎落(もがり)が作られしっかり守られていた。船は無理。
野中も役に立つ提案はない。

そこで知り合いである熱田神宮の神職、大原左衛門太夫のところに密かに立ち寄り、どうしたものかと
相談すれば、太夫所の下人に7〜8町先に行かせて道案内をさせ、伊勢との境まで連れて行ってもらう。

さて、この先は敵地。食料を乞う事もできず、手持ちの玄米を生のまま噛む他ない始末。
行き会う人達が露骨に俺達を怪しんでいる。「関所に言ったら殺されるよ?」と、親切に言ってくれる
人さえいる。涙が出てくる。まあ、関所にたどり着かなくても、このままじゃ飢え死にするのは
間違いない。どうしたものか。野中は何の役にも立たない。

とにかく関を通るのは無理だという事はわかった。そこで伊賀越えか浅間越えのルートを取るしか
ないのだが、どちらを通ったものか。ともかく、知り合いの伊勢神宮の祝上部左近の所に、
とりあえず宿を借りに行く。「すまん、泊めさせてくれ」

左近「誰だお前!出てけ!!」

下人に棒を振るわれたたき出された。おいおいお前は池田家の恩を受けてる人間じゃねえか。
一生恨んでやる。おい俺より先に逃げてどうする、野中は本当に役に立たない。
しょうがないので行く当てもないがとにかく立ち去ろうとすると、左近がこっそり近づいてきて
耳打ちする「川堤ノ下デ、乞食ノ格好シテ待ッテロ」
593>>592続き:2009/04/11(土) 16:05:21 ID:ca+3IYpo
どうしようもないのでその通りにしていると、夜になって左近がやってきて、家の中に入れてくれた。
「すいません。今の伊勢はこのくらい警戒しないといけないのです。」飯も食わせてくれた。
風呂にも入れてくれた。涙が出た。もう恨みは解いた。
左近の言うには、浅間越えは非常に危険で、最近も女乞食が殺されるなど物騒な状況なのだそうだ。
つまり、伊賀越えしかない。そんなわけで、ここでボロボロの伊勢巡礼の体を装わせてもらい、
二通の書状のうち、一通は深田の中に隠し、もう一通は紙縒りにして、傘に編みこむ。
そして一日かけて山を越え、翌朝、宮川を渡り、終に大和との関所にかかった。
「伊勢巡礼の帰りです。どうか通して下さいませ。」

関所の人間、「こんな時に伊勢参りなどする奴があるか!怪しい奴め!打ち殺せ!」
全く持って正しい判断である。俺が関番でもそう思う。が、「伊勢に詣でたらこの騒ぎに出会ったのです。
大阪の妻子のことが心配で、とにかく天照大神を頼みに任せてここまで帰って来たのです。」
と、泣き落とし。荷物も全部見せ、終いには髪の中や帯わらじまで改めてもらい、「怪しい所はない」と
通してもらった。こうして奈良まで出て寺に泊めてもらった。

奈良の寺では酒をもらった。出発以来の酒だ、身に染みる。しかしそこの僧に
「良くここまでこられたものですな。他にも伊勢方面から大和まで忍び来る人はいるようですが、
皆、関所で殺されているようです。あなた方は、よほど故のある方ではありませんかな?」

やばい、怪しまれてる。内心、死ぬほど驚く。
「いえいえ天照大神のご加護のおかげです!この後も無事に行ければいいのですが。」
などと言い訳するも、この僧、露骨に信じていない。野中もへらへら酒飲んでるんじゃない!
変に見咎められないよう、笑ってごまかしながら大慌てで出立する。

さて、ついに奈良と大阪の間の関所にかかった。ここでも草鞋の中まで見せて、怪しい所は無いと
通してもらった。が、その時関所の老人が、「怪しかろうがそうでなかろうが関係ない!斬って捨てよ!」
と言い出した。マジっすか?無差別殺戮は想像していなかった。万事休す。
しかし、末座にいたものが
「お伊勢様への巡礼者を殺せば、神の祟りがありますよ?」と言って、そのまま通してくれた。
終に大阪に入ったのだ。ありがとうございます天照大神様。
野中も大神に感謝している。お前は何の役にも立ってないけどな。

と、大阪に入ったのは良いが、東軍の諸将の屋敷は虎落にかこまれ、兵士がそれぞれの門を
厳重に警護している。無論我が池田家もだ。出入りするのはとても無理である。
しょうがないので知り合いの商家の所に行き大根をたくさん買って、大根売りのふりをした。
池田屋敷の中に、オレの声を知っている人間がいれば気がついてくれると思ったからである。

「大根〜、大根はいらんかえ〜」その声が屋敷内の窓の傍にいた久保田市太夫に聞こえた
「渡辺に良く似た声の大根売りだな〜。あ、姿形まで似てる。…って、渡辺じゃんあいつ!
何でこんな所に…?おい!そこの大根売り、大根よこせ!」
渡辺、久保田のいる窓の傍まで行き大根を差し出す。久保田、大根を受け取りつつ小声で
「お前の宿はどこだ?」それを伝え商家に帰りこの事を野中に言うと、野中も大喜び。良かった良かった。
お前は何もしてないけどな。

そして邸内の久保田は、門を守る兵に、薪を購入するからと、屋敷から35人の人夫を出し、
件の商家に派遣、そしてそのうちに一人と渡辺を入れ替え、ついに屋敷の中に入ったのである。

戦後、渡辺はこの功績を高く評せられた、との事。まさに九死に一生を得た冒険であった。
ちなみに野中がどう評価されたかは、よくわからない。
594人間七七四年:2009/04/11(土) 16:09:20 ID:ca+3IYpo
と、書き込んだ所で、いい話と悪い話のスレを間違えた事に気がついた…orz

や、役に立たない野中の悪い話ってことで(;´Д`)
595人間七七四年:2009/04/11(土) 16:20:20 ID:inbBuBuY
ああ、どこが悪い話なんだろう、と考え込んでたw
596人間七七四年:2009/04/11(土) 17:33:48 ID:dzhKCibq
野中だってどっかで働いたんだよな?そうだよな?
597人間七七四年:2009/04/11(土) 17:45:45 ID:V3GxzZCK
ここまで何もしてないのに何故名前が残ってるんだ野中w
598人間七七四年:2009/04/11(土) 17:50:53 ID:myjAMoLZ
小河内蔵允家中の悪い話

小河内蔵允と言えば、黒田家家中でも名の知れた能臣であり、長政臨終の時は栗山大膳と共に遺言を聞き、
次代忠之の時は、鳳凰丸事件や黒田騒動でも辣腕を振るった存在なのだが、どうも自分のことには無頓着だったようで、
小河家家中のことは全て用人任せで全く口を出さなかった。
おまけに家の総取締りをする用人も、主君に負けず劣らず寛大・好人物な男で、結果家の取締りが緩んで風紀が乱れることになった。
どのくらい乱れていたのかと言うと、小姓の部屋に年増の女が出入りするわ、草履取りの下男と馬廻りの娘が密通するわ、それも最初は忍んでだが、
主君や用人が口やかましくないので堂々とやらかす始末。
これは幾らなんでもまずいんじゃないの? と、親類・知己から忠告を受けるのだが、

「そう言う事はうちの用人に言ってね」

で終わり。こうなると、小河家に仕える家来陣はますます図に乗って、黒田家家中では

「一国を差配する内蔵允も、家のことには目が行き届かぬか」

と、さかんに噂することになる。

さて、そんなある日のこと。内蔵允は用人を用人を呼び出して

「そういや、うちの連中独身が多いから、結婚相手探そうと思うんだけどどうよ?」

それを聞いて用人は一も二もなく賛成。
用人もこの乱行を止めようと四苦八苦していたから、身を固めれば行状も改まるだろうと考えた訳だ。
そしてそれから間もなく、内蔵允が出した結婚相手一覧表を見て、家中一同大騒然。
何とそこに書かれてあったのは、これまで自分達が散々乳繰り合った相手の名前がずらずらと。
実は内蔵允、家中の出来事なんかとっくに承知で、わざと気付いていない振りをしていただけだったのだが、困ったのが家中一同。
何しろ前後の思慮もなく乱痴気騒ぎしていた訳で、誰も本気で結婚したいとは考えていない。
だからと言って「俺、結婚するつもりじゃないですから」なんて言ってしまえば、殿様の命に背くわけだからか、自分だけでなく親兄弟に迷惑がかかる。
結局、家中一同、内蔵允に「二度とこんな風紀の乱れはしません」と、徹底的に詫びを入れて、ようやく許してもらった。

むやみな火遊びはしちゃ駄目よと言う、内蔵允家中の教訓でした。
599人間七七四年:2009/04/11(土) 18:27:26 ID:9UEzyu/z
ミテマスヨー
600人間七七四年:2009/04/11(土) 20:06:19 ID:wMm7qa8K
>>592
大作乙
601人間七七四年:2009/04/11(土) 21:46:51 ID:dzhKCibq
>>598
三年鳴かず飛ばずの話を思い出すなあ
こちらはもっと庶民的というか、なんというかw
602人間七七四年:2009/04/11(土) 21:48:22 ID:I6rashry
掌の上で踊るのをニヤニヤ笑ってみてたんだなw
603人間七七四年:2009/04/12(日) 09:37:13 ID:VBaXH66I
蒲生氏郷の死後、蒲生家の家臣、蒲生源左衛門が、本多正信にこんな事をぼやいた事があった。

「秀行様は、先代の氏郷様のように、家来に親しんでくれると言うことがありません。
これは蒲生家が衰微する表れではないかと心配です。」

これに正信
「いや、そう言う事ではありますまい。総じて治世と乱世では、大将の威勢というものも
異なるものです。

乱世と言うのは、大将の威が軽く、下もの者も、これに慣れやすいのですが、
治世では大将の威が重くなって、下の者は馴れ辛くなってしまう物なのですよ。」

大名家も体制が固まれば、君臣間の個人的な親しみは入り込み辛くなる、そう言うことであろうか。
こんな所にも、乱世と治世の違いが現れると言うお話。
604人間七七四年:2009/04/12(日) 10:10:03 ID:C5jGVSwv
組織としてはどちらが良しとは言えないけど
時代の移り変わりに取り残される人ってのは無常観があるよな
こういうのが本当にちょっと悪い話なんだろう
605人間七七四年:2009/04/12(日) 15:04:59 ID:Qb3FYY8g
劉邦の皇帝即位時の話しみたいなもんかなあ。
これまでは戦場で親分子分の間柄だったけど、これからは君臣の分をハッキリさせなくちゃならんだろうって事で。
606人間七七四年:2009/04/12(日) 16:04:05 ID:TiM/yMnL
成田長泰は嫡子・氏長が成人し、自身年老いても家督を譲ろうとはせず、
そのクセ少女を忍城郊外に作った別荘に囲い、夜な夜な通って遊んでいた。

これを見て、家老ながら日ごろ長泰に粗略に扱われ、恨みを持っていた手島美作守が、
氏長とその母に言った。
「長泰様のご乱行は他家にも知れ渡り、みな呆れ果てております。
なにとぞ、お二人で相談され、氏長様が当主の座に着くよう、策を練るべきです。」

その夜も長泰は別荘の愛人の所へ行き、酒盛りなどして、さんざん遊び呆けた。
深夜になり、忍城へ戻ったが城門は城主の前に、固く閉ざされていた。
手島に説得された氏長の、「父はもはや城へは入れない」という構えである。

しかし勝手知ったる自分の城のこと、長泰は堀端の配水管に潜り込み、潜入を開始した。
驚いた氏長は、家臣の三友十兵衛を配水管の出口に派遣した。
槍を持って待ち構えた十兵衛、長泰の頭が見えたところで、配水管に槍を突っ込んだ。

ところが、塚原卜伝の弟子でもある長泰は、槍先を見切るとガキンとこれを口で受け、
十兵衛が槍を戻すと、そのまま一緒にズルズルと引きずられ、城内に出た。
あまりの事に仰天した十兵衛は、槍を捨てて逃げ出した。

長泰はそのまま本丸へ駆け出した。兵たちも低レベルな裏事情を知ってはいたが、
主君である長泰に手を出せず、ついに長泰は氏長のもとにたどり着いた。
ここで長泰、頭が冷えたか
「これもワシがいい年になっても隠居しなかったせいだろう。このまま話がこじれて、
小田原あたりの介入を受け、滅びるよりは・・・」

と思いなおし、菩提寺である龍淵寺の和尚を仲介して氏長と話し合いの末、
手島を追放して、みずからは出家・隠居した。
ただし、その後三年の間、親子に交流はなかったという。


意外に弱い、のぼうの城 in 1566の話。氏長が城に残ってたら、三成も(城攻めしても)
案外あっさり落とせてたかもね。
607人間七七四年:2009/04/12(日) 16:08:55 ID:WBbW/yw3
成田さんも随分な化け物だな

関東武士ってw
608人間七七四年:2009/04/12(日) 16:43:06 ID:S0M5Zr8c
黒田如水の息子に宛てての言葉。

黒田如水が臨終の時に、倅の長政にこう言ったそうな。

「息子は父に及ばぬと言うけれども、お前は私よりも5つ優れている点がある。
 1つは、私は時の天下人に疎まれ、三度も篭居したけど、お前はその時々の天下人に信頼されている。
 2つ目は、私は12万石しか得られなかったが、お前は50万石もの大領を得た。
 3つ目は、私は自らの手であげた武功はないが、お前は数多くの武功を上げている。
 4つ目は、私は無分別者であるが、お前は分別者だ。
 5つ目は、私はお前以外男子はいなかったが、お前は3人もの優秀な男子に恵まれている。」

と、まあここで終われば、父親が息子を認めたいい話なのだが、すんなり行かないのが如水クオリティ。

「さりながら、お前より私の方が優れているのが2つある。
 1つは人の使い方だ。今私が死ねば、家中一統「残念だ」と嘆くであろうが、逆だったら「如水様がおられるからいいか」で終わるだろう。
 お前は人の使い方が悪いからその点は治しなさい。
 もう1つは、私は博打が上手いが、お前はとことん下手だと言うことだ。
 関ヶ原の時、私はお前を見殺しにしてでも博打を打とうと考えたが、お前には出来まい。それがお前の劣るところだ」

息子の性格を良く見ていると言えばそれまでだけど、長政も顔が引きつっていたかもなぁ。
特に最後の部分に関して言えば、有岡城の一件で絶体絶命に陥ったんだから余慶にね・・・。
609人間七七四年:2009/04/12(日) 18:54:17 ID:F1U7gbqz
>>606
三友「釣れた!はじめてなのに釣れちゃったあ!」
610人間七七四年:2009/04/12(日) 19:08:40 ID:/zHeB52I
官兵衛ってホントニ言余計だなあw
611人間七七四年:2009/04/12(日) 19:16:12 ID:C5jGVSwv
息子に博打しろを言う親父もどうなんだ…
612人間七七四年:2009/04/12(日) 19:21:10 ID:U0Sla5tO
>>603-605
山本博文の『遊びをする将軍踊る大名』の最後の方に
DQN家久の跡を継いだ島津光久に家老の伊勢貞昌が
「お殿様というのは、昔と違ってあっちこっちほっつき歩いては威厳に関わります!!!11」
っていう内容の苦言を送ったという話が書いてあったような。
光久もあっちこっち遊び歩いていたというわけではなくて馬で遠乗りが趣味だっただけなようなんだが、
寛永末期あたりになるとそれだけでも殿様の権威が落ちる、という考えに変わっていたようだ。
613人間七七四年:2009/04/12(日) 20:53:26 ID:6RKl9Dc7
>>608
家中の信頼度は仕方ないにしても幕府が体制作りの真っ最中でピリピリしてる中博打しろってお前...
614人間七七四年:2009/04/12(日) 20:55:55 ID:F/DY2yXk
お前は下手なんだしどうせチャンスももう来ないんだから馬鹿な真似はするなよって意味だろ
615人間七七四年:2009/04/12(日) 20:56:53 ID:C5jGVSwv
東西交易で重要な産物となった茶
西洋人にとってその存在は始め中国において富貴な客に対して出されるものとして
知られていたがそれだけであった
状況が変わるのは宣教師が日本で布教し始めたとき
アルメイダが商人の茶室に案内され日本の茶の湯に触れる機会が増えた事から始まる
当初はあまりに形式化され茶室の清潔さや作法を見て宗教儀式と思ったようだが
権力者が重要視し宗教儀式ではないと分かると日本にある全教会に茶室を設けた
ヴァリニャーノははっきり「不味い飲物」としているが始めは布教の手段として受容されたのである
その後現地の西洋人に徐々に受容されていき
1610年、日本から出港したオランダ船が日本茶を伝えられる
質の悪い水を飲みやすくできる茶は後に広く受容され西洋における喫茶文化の皮切りとなった

…その後の歴史を考えると悪い話って事で
開国後、茶は日本の重要な輸出物になるけどさ
616人間七七四年:2009/04/12(日) 21:01:40 ID:iuX2w/LV
「目黒のさんま」の殿様の、
「いざ一朝(いっちょう)の事があり、千軍万馬往来のみぎりだ。
 あれは食えん、これは嫌いだ、で武士が勤まるか。」
っていうのはかなり時代錯誤な台詞だったから家来も困ったんだな。
617人間七七四年:2009/04/12(日) 21:49:19 ID:KhZnLQQ3
>>614の言っていることが正しいだろうなぁ<博打
もっとも、長政にしてみれば「まだ未練持っていたのかよ」と思ったかもしれんが。
618人間七七四年:2009/04/12(日) 21:51:06 ID:46Ood9HU
>>611
博打といえばコレのことなんだろうなw
如水「あの時、お前の左手は何をしていたんだ、(けつを拭くためか?)」
619人間七七四年:2009/04/12(日) 21:59:45 ID:R3j7Soch
>>616
現代の寺社が「自衛のために武装します」なんて言うようなものだからな。
まあ武士というもの自体はそうであるべきものではあるのだけれど。
620人間七七四年:2009/04/12(日) 22:55:48 ID:SqSGPJRv
>今私が死ねば、家中一統「残念だ」と嘆くであろうが、
>逆だったら「如水様がおられるからいいか」で終わるだろう。

禿ワロスwwwwww
まあ事実なんだからしょうがない罠
621人間七七四年:2009/04/12(日) 23:43:45 ID:XyG7sosw
>>615

アルメイダといえば元商人権医師。
で最初に本邦で外科手術した修道士かな。
大友宗麟と豊後でのつきあい深かったから彼に茶道習ったのかな?

西洋人に、今日はともかく当時では茶道は理解不能でしょう。
622人間七七四年:2009/04/13(月) 09:52:02 ID:qch+/Jxh
>>616
もう泰平の世で、時代遅れのセリフには違いないけど
武家の頭領たる征夷大将軍の心構えとしては間違ってなかろ

脂を抜いて出す大名家(将軍家)料理人の徒労と、
お殿様の世間知らずっぷりを庶人が笑った話…でいいジャマイカ
623人間七七四年:2009/04/13(月) 09:53:33 ID:1NJgf0Tl
>>621
資料上ではキリシタンの堺の商人に招かれたのか初出みたいね
日本は美味の物産に乏しいとか言ってるw
624人間七七四年:2009/04/13(月) 13:14:07 ID:7OVItxOu
家久も家久だが息子の光久も結構エグい
625人間七七四年:2009/04/13(月) 15:15:45 ID:qoP+6X7q
ある時、武田信玄の旗本の中に罪を犯し逃亡したと言う者が有り、
信玄は辻弥兵衛に討ち取る事を命じた。

辻はこの者を探索し、ついに発見する。が、見つかったとわかったこの男も
走って逃げた。
辻も急いで追いかけ、ついに接近すると見えた、その時である!


こけた


辻弥兵衛、つまずいて、転んだ。それはもう派手に。ひっくり返るくらい。
これによりかの男、ついに逃げおおせた。

しかしこの事を世間の人々は、「あの逃げた男は剛勇の者であり、辻はそれを殺す事を
惜しんで、わざとこけたのだよ。」と、そんな風に話し、大いに感じ入ったそうである。

本当に転んだのかわざと転んだのか、真実は、定かではない。
626人間七七四年:2009/04/13(月) 18:42:27 ID:GoX5BVt+
        ∧∧
       ヽ(・ω・)/   ズコー
      \(.\ ノ
    、ハ,,、  ̄
     ̄
627人間七七四年:2009/04/13(月) 18:57:33 ID:qNf5Ifih
剛勇な者が逃げたらあかん気がするがw
628人間七七四年:2009/04/13(月) 18:57:56 ID:q2l1uvJr
確実にわざとじゃない気がする…。

しかし好人物ならば世衆ひ好評価されるんだろうなぁ〜
わしも好人物にならねばな
629人間七七四年:2009/04/13(月) 19:28:58 ID:8yiXKE4h
裏切りの男・安富源内

晩年の大内義隆にはとても可愛がっていた寵童がいた
名は安富源内。この男は超絶イケメンだったらしく
春の花が咲いたように美しいとまで言われてもてはやされていた
やがて義隆が陶に謀叛を起こされ逃げ回る途中に、源内は義隆一行とはぐれてしまった
源内の安否が気になって気になってしょうがない義隆は
自らの状況も忘れて「源内はまだか」「源内はどうした」としつこく聞くありさまだった
しかし結局、源内が義隆一行と合流することはなかった
義隆は「源内はもう討たれてしまったのか。生きるも死ぬも共にしようと契ったのに
先立ってしまったか」と涙をこらえて嘆いたのである

で、その源内はというと…
わざと義隆一行から抜け出したあと、陶方についた内藤家の内藤隆世を頼ってちゃっかり生き延びていた
世の人は源内を主から寵愛を受けた身でありながら
その主を裏切るとはなんたる不忠不義の男と嘲り罵倒したという

※陶隆房の謀叛についてはつっこんではいけない
630人間七七四年:2009/04/13(月) 20:50:38 ID:l/CRcVss
隆房に突っ込むのは左京大夫様のお役目よ
631人間七七四年:2009/04/13(月) 21:03:04 ID:wRkUZl0q
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2009041300581

森蘭丸の弟、森長隆が自由契約に。
632人間七七四年:2009/04/13(月) 22:21:05 ID:Vw8KUc68
内藤隆世もそう遠からず死ぬ羽目になるはずだが・・
その後は隆春を頼った、とかだったら、うらやましいほど世渡りうまいな
633人間七七四年:2009/04/14(火) 00:16:14 ID:g5DIoJYr
可愛がられたっても、上下関係があれば拒否権なんてないんだろうしな。
出世の糸口とは分かってても逃げたいほど嫌だったんだろう。
考えてみるとあの時代にイケメンに生まれすぎるのも考えものかもな。
戦国に生まれるならデカくてごつくて力持ちに生まれたい。
634人間七七四年:2009/04/14(火) 00:16:51 ID:VUUHsd2E
>>630の突っ込みが的確すぎてワロタ

だが、何故こうも義隆アッー様にはこういうお話しか残っていないのか
…彼だから、とでも言うのだろうか
635人間七七四年:2009/04/14(火) 01:04:40 ID:9cdVvJyZ
「他人の不幸でメシウマ」

豊臣秀吉の九州御動座の結果、完膚無きまでに敗北した島津氏。
その人質は出水に集められたがその不安げな様子を見たフロイス
「よし、この様子を見ると、今後は薩摩にバンバン布教できるぞ」
(結果は、その後秀吉がキリシタン禁止令を出したので無理だった)

すぎること数年
朝鮮出兵で島津久保が死去、期待されていた後継者を突然失った
島津氏は大きく動揺した。
それを見たフロイス
「よっしゃ、この不安げな様子、今度こそ薩摩で布教のチャンス!」
(その後理由はよくわからなかったが、やっぱりうまくいかなかったみたい)

※ソースはご本人の自白(フロイス日本史)
636人間七七四年:2009/04/14(火) 01:05:58 ID:drNOKD2o
「気が弱った所におしかけろ!」は、今も昔も宗教の基本ですなあ。
637人間七七四年:2009/04/14(火) 01:07:18 ID:Eql7CiNT
>>635
不安に付け込んで布教しようって腹か?
洗脳する場合、まず不安にさせるようなもんだな。
638人間七七四年:2009/04/14(火) 01:10:00 ID:yZRy/TAT
単なる不幸というよりかは、天下秩序が問われるような場合だろうけどね
秩序の揺らぎは、在来の神々を指弾する風潮を生む
639人間七七四年:2009/04/14(火) 03:18:25 ID:drNOKD2o

織田信長がまだ、尾張において内戦に明け暮れていた頃の話である。

信長の家臣に服部小平太と言う者がいた。そう、後に桶狭間で、あの今川義元を討ち取る男である。

ある合戦にて小平太は、織田春等と言う、これもまた剛の者として知られた男と一騎打ちし、
組打ちとなった。
この時小平太は肘を、春等は喉を突かれた。互いに重症であり、戦いの継続は無理だ。
そこで両人、同時に言った

「今日の合戦は引いて、明日決着をつけよう!」

そうして、互いの陣に帰って行った。

さて、小平太が陣に返ってみると、脇差のはばき(刀身を鞘に固定させる金具)が
なくなっていた。どこを探しても、ない。「もしや!」

小平太、さっきまで戦ってた春等に使いを出した

「俺の脇差のはばきが無くなったんだけど、知らない?」

それに春等「あ?ちょっとまって、喉の傷口にさっきから違和感があって…」ぐりぐり
「あ、やっぱり、傷口の中にあった!これだよな?」

と、傷の中から取り出して、返したそうである。そんな、なんともすさまじいお話。
640人間七七四年:2009/04/14(火) 03:50:00 ID:cvAUFH9/
はばきが埋まるほど深い傷なのに平然と話しているって何つー化け物か
というかそんな傷を手当てしただけで翌日再び戦うつもりだったのかよ
641人間七七四年:2009/04/14(火) 08:38:05 ID:VBQuIaFZ
肘はまだしも喉なんだろおい…
642人間七七四年:2009/04/14(火) 11:42:48 ID:bAUVHP1I
>>635
薩摩はたしか一度、一向宗が広まって苦労してるよな

それから領民にも武家にも、新興宗教に対する警戒心があったんかもね
643人間七七四年:2009/04/14(火) 11:44:42 ID:bAUVHP1I
>>639-641
坂東に限らず、勇者というか脳筋な武士はいるものだね…
644人間七七四年:2009/04/14(火) 13:10:21 ID:TLrzZ5EO
服部小平太、桶狭間から31年後に蒲生氏郷が会津に転封された
後釜として伊勢松阪城に入って3万5千石を領することになるから
ただの軽輩じゃなさげなんだよね。
この戦闘力からいって、津島衆の宿敵服部党からはみ出た親織田派
とかじゃないだろうか。

でも城持ちにまでなったのに秀次失脚に連座してしまい切腹…
サクセスストーリーの幕を綺麗に下ろせなかった後味の悪い話。
645人間七七四年:2009/04/14(火) 13:55:17 ID:tFS3GMou
>>644
毛利新介なんて本能寺の変の際に二条城で討ち死にするし。
本当についてないコンビだ。
646人間七七四年:2009/04/14(火) 14:29:18 ID:WtJzRGbq
>>644
>>645
知らんかった。
ちょっとどころか最悪の話しだ。
647人間七七四年:2009/04/14(火) 14:33:23 ID:Y7lsqjrx
>>635
日新斎の禅宗への傾倒が著しく、貴久や4兄弟も同様であったためキリスト教に
興味を示さなかった上に、おのず仏教勢力が堅固になりすぎてて、キリスト教に
対しての反発が強かったから布教につながらなかったらしい。
あと、大隅の内之浦辺りは明の交易船が頻繁に来てたらしく、唐人町なんかも
普通にあったらしいからインカ帝国滅亡させた話とかも聞き知ってたのかもね。

>>639
以前、大仁田厚がデスマッチ終了後に飯を食ってたら、やたらネギが首に
つくからおかしいなと思って良く見てみたら、喉に穴が開いてて
そこからネギが漏れてたという話を思い出した。

648人間七七四年:2009/04/14(火) 15:00:08 ID:/oilw2gy
大事な血管さえ避ければ結構大丈夫なもんなのか…
試したくないがw
649人間七七四年:2009/04/14(火) 20:39:31 ID:5Ez37hhR
秀次に連座リストって溜息出るほど豪華だよね
650人間七七四年:2009/04/14(火) 21:45:28 ID:dlirfJsA
桶狭間の戦いの時のことである。
今川方についていた尾張荷ノ上の坊主、服部友貞は二十艘ばかりの軍船をしたて大高城近くの河口まで乗り入れたが、結局、大した働きも見せず船を帰すことになった。
その穴埋めとしようとしたのか、帰りがけの駄賃として熱田に船を着け町口へ火を放とうとした。
船を降り大した抵抗も無く町へ攻め入る服部勢。
ところが。
これは熱田の町人たちの策だったのである。
服部勢を近くまで引きつけておいて一斉に反撃に出る熱田の町人たち。
この策にまんまと嵌められ数十人討ち取られてしまった服部勢、命からがら逃げ出すとすごすごと本拠地へと引き上げて行ったそうな。

服部友貞のいろいろと格好の悪いお話。
651人間七七四年:2009/04/14(火) 22:32:48 ID:A+Sf5OAJ
>>650
大高城ってクッキング城代がいた所?
652人間七七四年:2009/04/14(火) 22:45:39 ID:dlirfJsA
>>651
クッキング城代が誰かは知らんが、桶狭間の時に家康が兵糧入れを行った城。
義元もここから桶狭間に出たんじゃなかったかな?
653人間七七四年:2009/04/14(火) 23:13:25 ID:A+Sf5OAJ
今川家臣で家康と交代した人だったと思うから、多分そうだと思う
いや、まとめサイトにあった筈なんだが見つからないんだな
654人間七七四年:2009/04/14(火) 23:47:58 ID:TLrzZ5EO
お話の人は鳴海城に入城していた岡部元信(五郎兵衛/長教/元網/真幸)か
大高城に入城していた鵜殿長照のことかな?

鳴海城、大高城は義元が討死にしたとされる戦場よりもう少し西側。
大高城を救援するための後詰だからね。
655人間七七四年:2009/04/15(水) 00:21:22 ID:ZYAuQNx4
伊東義祐、他二人のちょっと悪い話

菊池家の庶家である大河平氏は、今の宮崎県えびの市と小林市を領有していた
北原氏に従属していた。その北原氏の領地が伊東義祐に根こそぎ簒奪されると、
大河平氏はこの方面を任されていた島津義弘に従属した。
その後、北原氏の領地を相良家と島津家が協力して取り返すと、島津の庇護下で
飯野城に入った北原氏の庶家である北原兼親に従う。
大河平氏の当主は弱冠15歳の隆次。義弘に付けられた300人の派遣兵と自前の兵で
「今城」を守っていた。
そんなある日、隆次と北原兼親が些細な事から不和となるのだが、あろうことか
兼親はこれを根に持ち義弘に、「飯野城と今城はあまり遠くないので、すぐに
今城を救援できるため両方の城に兵を置く必要はありません。 今城の守兵は
撤収した方が良いでしょう」と進言した。
義弘は二人の不和を知らず、納得してしまい派遣兵を撤収させてしまう。

飯野地区を欲していた伊東義祐は、これを好機とばかりに今城を攻撃する。
ところが城は堅城で簡単に落ちそうにない。
そこで義祐は、当主が15歳の若輩者と舐めて掛かりこれを脅して降伏させようとした。
義祐曰く、「優れた鳥は木を選び、知恵者は明者を求めるもの。今、お主は
領地の大きさ、兵の強さを考慮すべきである。速やかに我が臣下となれば数城を与え、
武名を輝かせ、 末永くその栄華を子孫に残せる であろう。
しかし、この命令を聞かないのならば、こんな孤城なんか細切れにしてしまうだろう。
それをよく考えてみる事だ」。と脅した。

しかし隆次、弱冠15歳ながらこれに堂々と「賊め! 無情なる行いとわかっていて、
それでも人の国境に侵攻してくるような不徳の者に何故我らが従わないとならぬのか? 
汝は速やかにここより去れ! 当家は代々忠義を、黄銅の鎖の如くに固く貫くのを
家訓としている。このようになった上は唯々弓矢にて御相手するのみであり、
何故に汝の臣下に降って恥を軍門に晒せるものか」。と返した。

これに義祐53歳は「小僧めが、ぬかしおって!」と年甲斐もなく激怒、総攻撃を開始した。
・・・は良いが、城の間に渓谷があり、矢を放つが全く届かない。しかも近付けない。

そこで地元民を捕まえて城の裏道に案内させて、ようやく攻撃できるに至った。
もはやこれまでと、今城の城兵は城から決死の覚悟で打って出るが多勢に無勢、
隆次を始めとした全員が討死した。
一方の義祐も苦戦して兵を500余人も失った。

北原兼親であるが、今城へは援軍を寄越さなかった。
その徳の無さによる報いか、叔父が伊東に寝返ったのを切っ掛けに、城将らが
伊東、相良、菱刈を恐れて出奔したり裏切ったりしたため領地が激減。
結局、兼親では飯野地区は守れないとして、島津の一家臣として伊集院神殿村に
捨扶持を貰い移り住む。
そして飯野城にはちゃっかり義弘が入った。

今城はその後、史料に記録が探せないほどあっさりと伊東の手から離れる。
そして8年後、義祐は再び飯野地区を奪おうとするが木崎原にて大敗を喫し、
その数年後に義祐は日向から逃げ出しその全領地を失う。
三男・祐兵は秀吉に仕えた事で、その槍働きにより日向の一部旧領を取り戻せたが、
義祐本人には「末永くその栄華を子孫に残せる」ほどの器量はなかったというお話。
656人間七七四年:2009/04/15(水) 15:06:38 ID:N7PIbVCe
天正の初めの頃の事。

秀吉が初めて播州一国を任せられた時、この当時秀吉麾下の武功の者といわれた
神子田半左衛門、宮田喜八、戸田三郎四郎、尾藤甚右衛門の四人に、それぞれ
五千石を与えた。

ところが宮田、戸田、尾藤の三人はこれを大変不満とした。たった五千石か、秀吉様の、
我々の働きの評価はそんなものか!
後の「大気者」と呼ばれた秀吉からは想像しにくいが、この当時の秀吉、ケチだった。

そんな中、神子田だけは大喜びしている。そして三人に向かって「秀吉様のところに、
拝領のお礼を申し上げにいきましょうよ!」などと言い出す。

三人、冗談では無い。我らの今までの戦功をあの程度の評価にされて、礼などできるものか。
そう言うと神子田、こう答えた

「わたしが喜んでいるのは、領地をいただいたことに、ではありませんよ。
私たち四人の勲功、この軍の中にそれを越える人間なんていませんよね?

で、秀吉様は播州という大国を任された。この播州は秀吉家中みなに加増しても、
まだ余ることは誰でも知っています。
ところが秀吉様は私達に、『家中の者に分配してもう余りが無いから、とりあえずこれだけで
我慢せよ』などと命じられました。

こんな言葉で納得させられると思っているとすれば…、はてさて、秀吉様は我らを、
無知無才の者だと思っているようです。

そんな無知無才の我らに五千石も加増してくださるとは!
こんな寛大な秀吉様に仕えていること、これを喜ばずにいられましょうか!?
だからお礼に行こうと言ったのですよ。」

そう、お礼とは「皮肉を言いにいこうぜ!」という事だったわけだ。
このように神子田という人は、武功は多かったが常に秀吉を小馬鹿にしていたそうだ。
そんな、秀吉軍陣の空気の悪い話。

ちなみに秀吉麾下の勇将として鳴らしたこの四人、その後、宮田は三木城で討ち死に。
神子田は小牧長久手の折追放、後切腹。尾藤も九州征伐の折追放、後切腹。
戸田だけは秀吉の時代を生き延びたが、関ヶ原で討ち死にした。
657人間七七四年:2009/04/15(水) 15:14:34 ID:KsO0NVVK
武田勝頼「人は城、人は生垣、徳の無いおこないが家臣団の崩壊を招くもの」
658人間七七四年:2009/04/15(水) 16:38:00 ID:yvbporLb
神子田って家臣を抱え過ぎて破産した話がなかったっけ?
659人間七七四年:2009/04/15(水) 17:04:12 ID:gDHyik7c
神子田って誰かと思えば、
いつぞや書かれた、竹中半兵衛に目をかけられていたやつか。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%BF%C0%BB%D2%C5%C4

なるほど、秀吉に嫌われるわけだ。
660人間七七四年:2009/04/15(水) 17:24:30 ID:JGPnBOC5
>>656>>659
ああ、この人か
そりゃ常日頃これじゃ秀吉も疎ましく思っても不思議無いわ・・・
罪に問う機会を手薬煉引いて窺ってたのかもな
661人間七七四年:2009/04/15(水) 17:30:04 ID:j0fNiXUh
>>647
日新斎の教えは神儒仏の合一に近い独特のものだったらしいね
一向宗の禁教が明治の徹底的な廃仏毀釈に繋がった反動理由の一つ、ってのは有名だな。
お陰で文化財が散逸しまくり。破壊し尽くした後に浄土真宗の寺ぼこぼこ建てたので
今は浄土真宗の寺が異様に多い。何も島津氏の菩提寺とかは壊さなくてもいいだろうに…

内之浦以外の地方にもちっちゃい港町には今でも唐仁原とかいった
縁のある地名が残ってたりするから、風任せで流されたり難破したりして
寄航する船は多かったんだろうな
そういうトコの現地には明人特有の帰化苗字とかあったりする。
662人間七七四年:2009/04/15(水) 17:35:10 ID:WVYiKFBS
>>659
頭の回る男だったんだろうけど、秀吉に文句いうときに嫌味はないよな
思うさま罵倒してちょっぴり正論ぽい理屈つけた方がマシだろ〜
663人間七七四年:2009/04/15(水) 19:18:46 ID:imlnqVyd
>>658
家臣抱えすぎて破産したのは加藤光泰じゃなかったっけ?
ただ、この時期での5千石って大領だと思うがなぁ。
秀長や蜂須賀小六は別格としても、この時期の山内一豊や堀尾吉晴が2千石くらいだし。

あと、関ヶ原で討ち死にした戸田は弟の方。本人は朝鮮の役で病没している。

664人間七七四年:2009/04/15(水) 20:49:09 ID:gvQd4+kM
>>656
皮肉にしても回りくどいね。
微妙にいらっとくる回りくどさだ神子田。
665人間七七四年:2009/04/15(水) 22:09:23 ID:5NjTBSa/
播磨一国の段階で五千石なら十分大封じゃないか?

別に播磨全土が秀吉の好き勝手に裁量していい土地になったわけですらないのに。
666人間七七四年:2009/04/15(水) 23:56:40 ID:Lu3q7IWQ
 ある日、軽業の名人が武田家に仕官を願い出た。
そこで信玄の家臣がテストすることになった。テストの内容は
門を閉じた状態で外から入るというもの。名人はニヤリと笑うと、
苦も無く塀を跳び越えて中に入った。これを聞いた信玄は
「塀の中にいばらを敷き詰めろ」と命じて再び名人をテストした。

 名人は塀を跳び越えようと跳んだ。しかし塀の中にいばらが
敷き詰められていることを察知すると、そのままもとに位置に
飛び戻った。これを見たものは誰もが感心して、信玄に名人を
召抱えるように薦めた。

「素晴らしい技ですな。ぜひ召抱えましょう!」

「殺せ」

「…え?」

「あやつの技は武田家を滅ぼす。殺せ」

こうして業師は殺された。信玄は業師の何を恐れたのだろうか…?
667人間七七四年:2009/04/15(水) 23:59:38 ID:GBxJbBdw
>>655
15でそれだけの啖呵切れんのか…
668人間七七四年:2009/04/15(水) 23:59:50 ID:bBJxCH57

荒木村重

信長公の無粋、無体ぶりにはほとほと愛想が尽きはてた昨今です。
しかもあの冷血漢の周囲には私のことを中傷する卑劣な奴ばっかり、
全く嫌になってしまいます。あの細川藤孝なんぞ、
インテリ面して盛んに告げ口する様は、ためぐちJKの世界です。

ところで最近、不思議な手紙が舞い込んできました。
隣国播磨の小寺籐兵衛からなのですが。

「ちょっと内密の頼み事なのです。
当家も荒木殿と同じく信長殿とのこれまでの御縁は無かったことにし、
毛利家、石山本願寺と今後仲良くする腹積もりなのです。
が、うちの家老をやっている小寺官兵衛、あやつだけはほんに強情で
どうにもこうにも埒が明かないのです。
何ゆえか解らぬのですが妙に信長方の大将、羽柴秀吉とかいう
下賤の出に入れあげており、荒木殿を翻意させるため、
とそちらに向かっております。
死ぬ気で行ってくるといっておりますので、
到着次第どうぞ討ちとってやって下さいませ。よろしく。」

なんだ、自分の家来なら自分で始末しちまえばよいのに、
なんで俺に頼むんだろう、ますます疑心暗鬼だよ。

ひとまず殺さず、捕まえておこうかな。
669人間七七四年:2009/04/16(木) 00:02:47 ID:AAWbJEpT
勝手なイメージだが、武田信玄は天才的・超人的人物を好まなかったんじゃなかろーか
普通の人間が能力を発揮する、組織論重視者
そういや、飛び加藤も殺してたんだっけw
670人間七七四年:2009/04/16(木) 00:04:39 ID:TYX86R++
>>669
飛び加藤を殺したのは上杉謙信だったような
謙信といい信玄といい・・・・・・
671人間七七四年:2009/04/16(木) 00:33:00 ID:+qud6yJ9
>>667
たしかに15歳の発言としてみるとむしろ「いい話」かも。
しかし後2名のキャストが・・・だからw

ちなみにある論文でその後の北原氏のことを読む機会があったが
あの伊集院忠棟の甥に養子にはいられた上、
江戸時代になるとどうなったのかよくわからなくなってしまっているらしい。
672人間七七四年:2009/04/16(木) 00:46:13 ID:8ZbaIS8F
>>666
茨程度の妨害工作で課題(主命)を放棄する
信用できない奴と判断されたんだろ

まぁ、一番信用できないのは課題を出した腐れ坊主なんだがw
673人間七七四年:2009/04/16(木) 00:49:06 ID:QD5jTM1Z
>>669
そんな異能な者が何処にも登用されず、ひょっこり仕官に来たから裏があると思ったんじゃない
この場合は塀を乗り越えて出入り自由のスパイだとしたら目も当てられない結果になる
674人間七七四年:2009/04/16(木) 01:46:37 ID:QjBTBPfe
>>671
「さつま」歴史人名集って本には、子孫は諏訪仲左衛門の付衆中って書いてある。
どっちにしても凄まじい落ちぶれ様だ。
関係史料もゼロに等しいから、他家の史料から探し出すしかないし・・・。
675人間七七四年:2009/04/16(木) 09:59:55 ID:eemgkOKr
兜づまり

大阪冬の陣の時のこと。物見台で大阪城の監視をしていた井伊家の侍が突然、
地面に落ちてきた。

「どうした!矢弾にでも当たったか?!」
周囲が引き起こし、甲冑を脱がして傷を確かめようとしたが、兜がどうしても外せない。
ようやく外したが、傷は見つからない。にもかかわらず、その侍は死んでしまった。

死因に不審があったため老巧の者に見せたところ、原因は解明された。
「これは、『兜詰まり』じゃな。」

すなわち変死した侍は、あまりにも頭の形状にピッタリした兜をつけていたのだ。
そこへ、兜のこめかみ部分に鉄砲の弾が当たったため、兜が詰まって外せなくなり、
しかもヘコんだ所が脈を圧迫しており、脳が鬱血して死んだのである。


バイカーのみんなも、メット選びは慎重にね!!
676人間七七四年:2009/04/16(木) 10:04:21 ID:FOt7tlOD
>>675
日本の兜でもそんなことあるのね。
ヨーロッパじゃ、フルフェイスのヘルメットに打撃与えられて頭から抜けなくなることが
しょっちゅうあったらしい。
677人間七七四年:2009/04/16(木) 12:28:32 ID:mLcikPLL
こんな死に方は嫌だ!にエントリー出来そうだなw <兜づまり
678人間七七四年:2009/04/16(木) 13:00:39 ID:X41S0g4F
頭にぴったりくっつけた鉄板ごしに金槌でぶっ叩かれるようなもんか
衝撃がモロに伝わりそうだ

679人間七七四年:2009/04/16(木) 13:01:06 ID:08h/QrvB
リアル孫悟空の頭の輪かよ
ガクブルものだな…
680人間七七四年:2009/04/16(木) 13:55:51 ID:TI0h4KQ2
>>678
それって兜の意味なくね?
681人間七七四年:2009/04/16(木) 15:43:39 ID:sGj+iCmJ
ケブラー化されるまで米軍がナチヘルを採用しなかったのは
そういう理由なのか。
682人間七七四年:2009/04/16(木) 16:15:48 ID:fkOqfk4b
>>681
あれはあの形状が優れていることがわかってきたからだったはず。
冷戦終結後あたりか全世界であの耳まで覆うタイプが普及した。無論例外はあるけど。

鉄砲の弾の直撃なんて鬱血以前に脳震盪を起こしそうだよな…
683人間七七四年:2009/04/16(木) 16:58:03 ID:FOt7tlOD
ある時、聚楽の大広間に大小名が出仕して、四方山の話しをしていた。
その時の事。

前田利家が、いつものように押し黙り、皆との会話に加わらない上杉景勝に向かって、
こんな事を言い出した。

「かつてあなたは、織田軍による越中魚津城攻め(天正10年(1582))の折、魚津城の援軍して
山ノ下の難所を越えられ、天神山まで進出されましたな。
その折、中々のお手柄であったと聞いております。

…ですがそれも、我々が末森の合戦(天正12年(1584))で、能登の末森城への援軍として向かい、
佐々成政の軍を追い散らして、末森城に堂々と入城した功の前では、天神山の件など小さすぎて、
これは比べ物になりませぬな。」

この時この周りにいた者達、利家のあまりに傍若無人な発言に、皆、押し黙ってしまったそうだ。


前田利家の暴言のお話
684人間七七四年:2009/04/16(木) 17:43:19 ID:g30yBMZ0
末森鳥越の戦いで佐々の兵たった400名に敗走させられた利家がそんな事言う筈が無い

と信じたい
685人間七七四年:2009/04/16(木) 18:12:10 ID:8ZbaIS8F
>>684
犬っころは恩義のある柴田を裏切り、娘を合計三人、秀吉に差し出して加越加増してもらうほどの武将だからな
何処かで勘違いして増長しててもおかしくないw

686人間七七四年:2009/04/16(木) 18:17:33 ID:TYX86R++
>>684
織田時代は中途半端と言われ続けて幾星霜・・・
あんまりな増長ぶりだぜ。信長、信忠親子が死んでなかったら、いやそうでなくても
かつて柴田をも苦しめた上杉家にこんな口もきけんだろwww
687人間七七四年:2009/04/16(木) 19:01:25 ID:08h/QrvB
ンなこと言ってるから直江に家柄のことで言い負かされたりするんだよ…
いい家臣がいて良かったな又左……
688人間七七四年:2009/04/16(木) 19:08:57 ID:BMIMkGWc
>>683
やっぱり器量という点では、家康の対抗馬には成り得んよな・・・
旧織田系の家臣で最後まで残った重臣クラスで、なおかつ蒲生や堀が
若死にしたというのが大きいのかもしれんね。
689人間七七四年:2009/04/16(木) 19:23:08 ID:wUOjbkTf
犬っころは笑いを取ろうとして滑っただけだろ
「なんでやねん!」と言いながらバシッっと突っ込みいれる家臣が必要だった
690人間七七四年:2009/04/16(木) 19:33:43 ID:y2hz727u
>>671
その後の大河原家が存続したりしてたら勧善懲悪な話になるだろうが
15歳じゃ子はまずいないだろうしなぁ
691人間七七四年:2009/04/16(木) 19:48:22 ID:CKr9l5WT
>>690
一応、隆次の姉のダンナが名跡を継いで、更に従弟が養嗣子として継いでるから
血筋は続いたみたい。
明治初期に子孫が「大河平騒動」とかいうのに巻き込まれてるし。
692人間七七四年:2009/04/16(木) 19:58:37 ID:y2hz727u
あら
家名が続いてるんならいい話じゃない
武家にとっては御家存続は名誉な事だろう
玉砕も報われるってもんだ
693人間七七四年:2009/04/16(木) 21:28:37 ID:gN1wfaSb
>>675
最上義光「兜に銃弾があたるなんて、そんなおそろしいことになったら死んでしまうよ!」
694人間七七四年:2009/04/16(木) 21:41:10 ID:zCzGIOMX
>>683
その末森合戦も嫁さんに尻叩かれて仕方なく援軍に行ったんじゃなかったの?
695人間七七四年:2009/04/16(木) 21:46:16 ID:lVjXVv+2
そうか、それは利家なりのノロケだったんだよ!
696人間七七四年:2009/04/16(木) 22:17:33 ID:vjY51SIN
有馬晴信

慶長13年のことでした。弱小大名の私はいつも金に困っていました。
そこで家康様にお許しを願いインドシナに伽羅の香木を買い付けに行き、
ひと儲けする算段を致した次第です。
上様も交易には積極的、銀60貫を投資なさり朱印状も頂き万全の構えで現地に赴きました。
買い付けは上手くいき、帰路船はマカオに寄港しました。
ところでそこでひと騒動が持ち上がりました。気の荒い船乗りども、
マカオの住民と喧嘩となり、鎮圧にきたマカオの兵士に刃向ううちに60名の私の部下が殺されたのです。
その結果投資は失敗、大損をしてしまいました。
これには私も腹が立ちましたし、上様もたいそうご立腹でしたが、
遠隔の地ではどうしようもありませんでした。

ところが翌14年、なんとマカオの総督がわが領地にやって来たではありませんか、
お宝満載のポルトガルの大船に乗って。
この千載一遇のチャンス、逸するわけにはまいりません。
上様も、マカオの仇は長崎で、の気合もこめ、
長崎奉行長谷川左兵衛らを派遣し、船内をくまなく臨検、
お宝も没収することにしました。
ところがマカオの前総督、アンドレア・ベッソアはけんもほろろでこれを拒絶、
さらには奉行殿に高圧的侮辱的態度をとる始末。
「わしの奉行を馬鹿にするとは断じて許せん、全員処刑せよ」、
と上様激怒のお言葉。
親しきイエズス会士を使者に送るも、不穏を感じた司令官アンドレア・ベッソンは召喚に応じるどころか、
長崎港の外に逃げ出す始末。
そこで日本国の威信をかけての船いくさとなりました。
この大船、900トンもありなかなかに手ごわく、
1500の兵を小舟に乗せて向かわせるも10門の大砲の威力に近寄れずにおりました。
そうこうするうちの4日目。
高き櫓を組んだ2隻の船を大船に寄せ、ポルトガル船に一気に兵をなだれ込ませました。
ベッソアもしぶとく剣で刃向うも、
わが方が放った火籠が甲板上の火薬に燃え移るや否や大爆発となり船員どもは火だるま、
さすがの大船も轟沈。

私も大手柄に溜飲を下げたのです。
ところが幸事魔多し、ご加増、旧領復活を狙った下心、
これが旗本岡本大八の詐欺騒動までに発展、
わが息子にも裏切られ、挙句の果てには私が死を賜った次第です。

デウスのお導きとはいえ、とほほの人生でした。
697人間七七四年:2009/04/16(木) 22:48:08 ID:UURDdCYa
(>'A`)>
( ヘヘ
698人間七七四年:2009/04/16(木) 23:16:39 ID:eemgkOKr
m9(^Д^)
699人間七七四年:2009/04/16(木) 23:19:30 ID:+qud6yJ9
>>682
なんかの戦国時代解説本で読んだことがあるが
火縄銃の弾って今のダムダム弾に相当するって書いてあった
しかも鉛100%だから、体内に玉が残ったら・・・

>>691
>大河平騒動
ぐぐーる先生に聞いても分からなかった。もしよければkwsk

>>683
これはひどいw
700人間七七四年:2009/04/16(木) 23:48:09 ID:vSTQLoYv
>>683
話に加わらない景勝を挑発して、みんなと会話するように
仕向けたのだと思って読んでいたが
オチもなんもないのか!
701人間七七四年:2009/04/16(木) 23:49:31 ID:9NRYJBL2
>>700
景勝は何も言い返さないし周りもノーツッコミで利家困ったんじゃないのw
702人間七七四年:2009/04/17(金) 00:08:10 ID:X1H9IO77
>>699
唯一見つけた。
http://www.town-takajo.jp/syoukai/tyosi/016/029.htm
ここの「大楽哀話と戦場余話」以下が大河平騒動の事らしい。

703人間七七四年:2009/04/17(金) 00:11:11 ID:6dGOr0f0
>>700
利家は仕向けようとしたけど失敗した話なんでない?
704人間七七四年:2009/04/17(金) 00:30:10 ID:MC3q6x/Q
関ヶ原の戦勝のあと、家康は大津城に立ち寄った。
京極高次が籠城し、関ヶ原の決戦直前に開城した城であった。

ここで、家康のお供をしていた山岡道阿弥は、
「京極殿も良く持ちこたえられましたが、残念ながらあと少しのところで、御戦勝に
間に合いませんでしたな。」
と、申し上げた。

これに家康は、呟くように言った。
「持ちこたえた、…か。
奥平信昌が長篠に籠城した時は、こんな物ではなかったぞ。

長篠城は戸も障子も壁も、銃弾のため鹿の子斑のように穴だらけになり、土も落ち板も抜けた。
それを城の者たちは、床板や畳を立て、その影に隠れて、我らが来るまで持ちこたえたものだ。」

長篠とこの大津城では、寄せ手の攻めようも守り手の心構えも、大変に違っていた、

そう言うお話。
705人間七七四年:2009/04/17(金) 00:32:17 ID:qxOh2Izg
>>702
トン楠
複雑かつえぐい話ですね・・・
706人間七七四年:2009/04/17(金) 01:18:44 ID:TqFRdiTp
>701
みんな景勝の縦ジワが凄くなっちゃったからツッコメなかったんだよ!
707人間七七四年:2009/04/17(金) 02:40:03 ID:PpMV/8zr
>>704
んでも京極きゅんは(嫁と自分ちの家柄で)戦後もちゃうと遇されたしええやん。

こんな扱われようだけど....
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1299.html

 倅が相撲フリークでさえなければもっとよかったろうにqw
708人間七七四年:2009/04/17(金) 07:27:33 ID:OagF7o2k
天正7年のことである。
武田勝頼が浅間大社に詣でた時、社殿の裏にある神立山の杉が(落雷か何かで)突然煙を出すという奇妙な出来事が起きた。
それを見た勝頼が吉田守警斎に尋ねたところ

「千早振る神心より成す業を 何れの神かよそにみるべき」
「身は社、心の神をもちながら、よそを問うこそ愚かなりけれ」

と歌を詠んだ。意味はまあ、

「神様が何か大切なことをお示しになっているようですよ、心当たりありませんか?本当の所どうしたら良いのかわかっている癖に、あえてその良い方法を取らないのは愚かなことです」

みたいな感じ。

この当時の武田家は、四年前長篠の戦いで大敗北を期して以降、家中の緊張を深めていて、あちこちもめ事だらけで外交・戦争・経済、どれも上手くいかず、ジリジリと滅亡に向かいつつあった。吉田守警斎はそんな勝頼の周囲の問題についてチクリと言ったわけだ。

これを聞いた勝頼は吉田守警斎にこうキッパリと答えた。

「信長に降れば私も国も長らえるだろうけれど、たとえ私が死ぬことがあっても信長に降る気はないよ。その内北条が信長と結べば、私は挟まれて必ず滅亡するだろうね。この事を神様は私達に教え示して下さっているのだろう。しかしもうどうしようもないんだよ。」

と言ったという話が残っている。

その言葉の通り三年後の天正10年、勝頼は北条と織田に挟撃されて滅んでしまう。
本当にどうしようもなかったのか。
武田滅亡にまつわる寂しい話。
709人間七七四年:2009/04/17(金) 07:56:06 ID:95tLgIpJ
嫁さんの北条婦人が武田八幡に必死こいて祈祷してんのに旦那がそんな意気込みじゃあ…
710人間七七四年:2009/04/17(金) 10:31:17 ID:yHRjs9Ww
たぶんまとめになかったと思うので。ちょっとお行儀の悪い話。


あるとき秀吉が曽呂利新左衛門の淹れるお茶はいついかなる時でも
絶妙の温度であると褒めた。
なんぞ秘訣はあるのか?と疑問に思った秀吉は、曽呂利にお茶を淹れてくるよう命じると、
こっそり後をつけて様子をのぞきみた。

すると曽呂利は茶を飲みつつ温度を確かめていた。そして飲みさしの茶を秀吉に献じようとする。

秀吉はさっきの場所にすばやく戻ると、曽呂利から出された茶を口にせず、
「のう曽呂利。おみゃーこの世でなにが一番穢れてると思う?」と尋ねた。
そこで曽呂利新左衛門、シレっとこう答えた。
「……こそこそ他人の行動を覗き見する心ですな」

じつは曽呂利は秀吉がのぞき見ていることを知っていてこんなことをしたのだという。
(もちろんいつもこんなことやってたわけじゃない)


よくラスボスにぶっ殺されなかったなーって思う。
あと秀吉ってお茶の温度にウルセー気がするけど、猫舌だったのかな。
711人間七七四年:2009/04/17(金) 10:34:30 ID:OC14IyZD
>>683
景勝をしゃべらせようと荒業仕掛けたのかな?
それでもしゃべらない景勝であった。。。
712人間七七四年:2009/04/17(金) 11:58:49 ID:1+F5DQO5
>>708
降っても養子入れられて、北畠コースだろうしな。
徳川みたいな同盟軍にしてくれたかな?
もうどうしようもなかったんだろう。
713人間七七四年:2009/04/17(金) 12:16:52 ID:ru6SGMJu
>>708
勝頼はな...信長も言ってたけどホント運が悪すぎた。
親父のせいで降伏も出来ないし、親父が騙まし討ちしまっくったせいで
まともな外交できなくて360度仮想敵国という。
信玄死んだ後の武田ってかなり無理
714人間七七四年:2009/04/17(金) 12:18:23 ID:9ScUVsnk
景勝のと似ているね
信長は終盤必ず一大決戦で勝負しようともちかける
確実な死を覚悟させる何かがあるんだろう
715人間七七四年:2009/04/17(金) 12:29:39 ID:OC14IyZD
>>714
信長勝利をアピールする政治パフォかもね。
716人間七七四年:2009/04/17(金) 12:50:51 ID:2yxDX7be
仮に降ったとしても家臣に闇討ちされそうだしな。
謀反でも起こされたら連座で処刑だろうし
717人間七七四年:2009/04/17(金) 14:09:44 ID:95tLgIpJ
本人は滅亡覚悟してるのに周りはやる気だからこんな噛み合わない話も出てきたんだろうか?
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-175.html
まぁ最後の最後まで責務を果たした勝頼はマシだけどさ
義隆とか宗麟なんかは酷い
718人間七七四年:2009/04/17(金) 15:23:12 ID:+aJUa6WC
天正7年ってことはもう北条から嫁貰ってるよな
あ、でも前年お館の乱じゃあもう北条を警戒してるのか
これが甲越同盟前後の勝頼の心境だとするとなんかなあ
上杉と組んだのもこういう心境からなんだろうか
719人間七七四年:2009/04/17(金) 16:31:20 ID:dZt0n/ml
勝頼の立場に誰かが入れ替わって滅亡を防げたかと問われればなぁ
信玄でも無理だろ
織田と北条に挟まれて上杉と徳川に隣接とかどうしろってんだ
姉小路?そんなのもいたよね
720人間七七四年:2009/04/17(金) 16:44:50 ID:2yxDX7be
信玄が80まで生きたとしても滅亡は避けられないだろう
なんて言ったら荒れそうwww

長篠で奇跡でも起こさない限り逆転は難しかった
721人間七七四年:2009/04/17(金) 17:19:08 ID:/9d1s8Uh
綱吉がカギ!

Wii 『朧村正』
公式サイト更新!
http://www.mmv.co.jp/special/game/wii/oboromuramasa/index.html

・お知らせ:「朧村正」の品薄について!
・概要、キャラクター、システム、スペシャル更新!
・発売記念アンケート実施中!
722人間七七四年:2009/04/17(金) 17:47:42 ID:HEO8MgXj
つーか信玄の外交は
相手が同盟を組まざるを得ない状況にしているから
相手もどうせ裏切るんだろと思いつつも悔しいでも組んじゃうビクッビクッ
になる訳であって
723人間七七四年:2009/04/17(金) 17:54:53 ID:95tLgIpJ
80まで生きてれば家臣団を繋ぎ止めることは出来ただろうが外交情勢が変わるわけじゃないしなぁ
立地条件が悪すぎる

高麗を服属させた元が日本にも服属を迫りこれを鎌倉幕府が拒否したため起こった元寇
2度に渡る侵攻は鎌倉武士の奮戦で撃退したが
2度目の大軍を退けた時には長大な防塁が防衛に大きな役目を果たした
しかし現代ではそのような長大な防塁は残っていない
では防塁はどこに消えたのか?

九州征伐後、筑前に入った小早川隆景は名島城を拡張
その際防塁の一部が持ち去られる
このときはまだ残っていた部分があったようだ
しかし関が原後、今度は黒田長政が筑前に入ったが名島城を放棄して福岡城建設の計画を建てる
このときも防塁が持ち出され福岡城が築城されるとほとんど石垣に消え無くなってしまった
日本を守り鎌倉武士を守った防塁はこうして一地方の支配者に過ぎない戦国武士の居城として消え去った
724人間七七四年:2009/04/17(金) 18:02:24 ID:MC3q6x/Q
>>723
つーか、元寇防塁って建設が1276年だから、小早川景隆や黒田長政の時代から300年以上前だな。
300年以上前のものが再利用できるほどの状況で残っていたってのもすごいな。
725人間七七四年:2009/04/17(金) 18:08:48 ID:nNtQ8qEp
>>717
義隆は謀反があったその日も足利義輝の使者と大友義鎮の使者をもてなすために
前日からの日をまたいだ酒宴を開いていた
報が耳に届くその瞬間まで小太夫に幸若舞を舞わせていたという

数日前から陶決起の噂が山口の町は持ちきりで住民は避難をし始めているような状況
勿論義隆の耳に入ってる筈なのに義隆はなーーーーーんもしなかったんだよな
ある意味死を覚悟した上で現実逃避していたのかもしれない
726人間七七四年:2009/04/17(金) 18:12:43 ID:IeNVl1zf
ローマの建造物も中世ヨーロッパで建築の材料にしばしば使われたとか。
727人間七七四年:2009/04/17(金) 18:20:09 ID:95tLgIpJ
>>724
防塁って言っても石だしな
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1675.html
みたいに200年以上たった鉄砲が使えるって例ならともかく
その辺はそれほど驚くことじゃないかもしれん
福岡城は再建計画があるけど防塁は無いみたいね

>>726
ローマの長城も後世で悪魔の壁とか言われてたしな
ピラミッドもはじめはきれいな四角錐だったのに
イスラム教徒にゴリゴリ削られて今の階段状の姿になっちゃったらしい
728人間七七四年:2009/04/17(金) 18:38:06 ID:qxOh2Izg
ピラミッドは表面の石は大理石だったらすぃね
その表面のきれいな部分だけがリサイクル(といえば聞こえはいいが要は盗用)されたという
-------------------------
まとめスレになかったので ついでに

豊臣秀長は大和の領主となり今の大和郡山市に居城を築いた。
今も一部が残る大和郡山城である。
しかし、あまりの突貫工事だったため石垣を築くための岩や石の調達が
全く間に合わない。
ふと周囲を見渡して気がついた。

「さすが寺社仏閣が多くいにしえから都だった大和
 石仏とか古墳の石室を転用すればいいじゃーん」(ぴこーん)

・・・今も壮大な野面積みの石垣を残す大和郡山城
実は壮大な文化破壊の跡地でもあった。
豊臣秀長家があっさり2代であぼーん(しかも2代目の養子は曰く付きの変死)は
これらの祟り・・・かどうかは不明。
ちなみに一部の石仏は露出しているので、今も確認することができる。
729人間七七四年:2009/04/17(金) 19:09:35 ID:dZt0n/ml
>>752
京を見捨てて貿易で栄えた大内氏を頼った公家も大勢巻き込まれてるんだよな
戦国に安住無し
730人間七七四年:2009/04/17(金) 19:17:18 ID:HEO8MgXj
>>752・・・だと・・・?
731人間七七四年:2009/04/17(金) 19:26:10 ID:95tLgIpJ
>>728
宣教師もビックリだよな
わざわざ見えるように積むなよ…

>>729
伊東義祐「公家の皆さんもうちに来れば良かったのに」
732人間七七四年:2009/04/17(金) 19:31:57 ID:rxjWCbku
>>728
光秀の築いた福知山城もどっかに墓石が使われていると聞きました
当時はこういう事が結構あったんですかね
733人間七七四年:2009/04/17(金) 19:49:44 ID:nNtQ8qEp
>>729
うn
殺された公家で有名なのは武田信玄の正室・三条の方の父親三条公頼や、二条良豊など
特に二条良豊は死ぬ前に内藤興盛に伝言を頼もうとしたが、良豊を襲った兵は
話が通じないタイプだった為に伝言を聞く前に良豊の首をはねてしまった
陶の兵がここまでやった背景には都落ちした公家に対する積年の恨みがあったと思われる
734人間七七四年:2009/04/17(金) 20:07:06 ID:95tLgIpJ
宣教師も山口が安定してると見て拠点にしてたがこの乱のせいで拠点を失ってるんだよな
当時としては衝撃的な事件だったんだろう
735人間七七四年:2009/04/17(金) 20:11:34 ID:MC3q6x/Q
>>734
経済力で言えば、当時最大の大名が大内だっただろうしね。
736人間七七四年:2009/04/17(金) 23:05:15 ID:MC3q6x/Q
二羽の鴨

蘆名盛氏が岩崎の向羽黒山城で隠居の頃、鷹狩りで、鷹が一度に二羽の鴨を捕えた事があった。
それから間もなく、盛氏は死んだ。

後を継いだ蘆名盛隆も鷹狩りの際、秘蔵の鷹が一度に二羽の鴨を捕えた事があった。
盛隆はこの年、家臣によって殺された。

そして会津に移封されてきた蒲生氏郷も、塩川での鷹狩りで一度に二羽の鴨を捕えた事があり、
その年に死んだ。


つまり会津では鷹狩りの際、一度に二羽の鴨を取ると、死亡フラグなのだ。
会津の人、鷹狩りの際は気をつけて!
737人間七七四年:2009/04/17(金) 23:45:43 ID:2yxDX7be
そうカモな
738人間七七四年:2009/04/18(土) 00:07:28 ID:3UZhcpqZ
739人間七七四年:2009/04/18(土) 00:25:43 ID:5TVpKKrF
740人間七七四年:2009/04/18(土) 00:29:04 ID:3p4zWcSZ
741人間七七四年:2009/04/18(土) 01:05:15 ID:awLEZejE
>>737は一言で三羽の鴨を釣りました。
もう死亡確定です
742人間七七四年:2009/04/18(土) 01:15:49 ID:Wn67dZPd
島津忠良(日新斎)には嫡男の貴久の他に、忠将と尚久という息子がいた。

次男・忠将は貴久の6つ年下。
異母弟の三男・尚久は貴久より17歳も年下で、貴久の息子・義久より2つ年上。
尚久は義久・義弘とは日新斎のもとで兄弟同然に育ったといわれる。

忠将は薩摩大隅の領内統一戦に於いて、ほぼ全てに参戦し各地を転戦、武功を上げた勇将だった。
貴久を良く補佐し、戦では常に最前線に立ち続け、初期の戦国島津家を支えたのは武略に優れた忠将だったという。
貴久と忠将の兄弟関係は、後の義久・義弘にも大きく影響を与えていると言って良い。

尚久は日新斎の隠居地・加世田からほど近い鹿籠(現在の枕崎)の地頭になり、こちらも各地を転戦していた。
鹿籠は坊津を含めた南薩摩の南岸一帯を抑える拠点であり交易や倭寇の統括も任されていたと伝わる。
尚久は日新斎晩年の子で可愛がられて育ち、一説には成人する頃には身の丈七尺もあり四尺の大刀を
軽々と振り回す大層なイケメンだったそうな。

そんな貴久の弟二人であるが、肝付兼続や根占氏・伊地知氏との廻城攻防戦(1561年)で一気に運命が暗転する。
忠将は竹原山にて町田久倍らの味方が未明に肝付勢の急襲されたとの報を受け、救援するため馬立塁から出陣。
小勢での救援に家臣は本陣を動かないよう忠将を諫めたが聞き入れず出撃したところ、山中で伏兵の挟撃を受け
後続の味方が駆け付けた時には忠将主従数十人は悉く討ち死にしていたという。享年42。
この後、貴久は肝付勢を一旦退けることには成功したが軍を立て直すために一時撤退。

三州統一に向け順調に邁進していた最中の忠将の若すぎる死は、当然ながら家中に大きな動揺が走る。
殊に忠将に大きな信頼を寄せていた日新斎の嘆きと哀しみは計り知れぬものがあった。

廻城合戦では総大将の貴久を初め、尚久や義久など主だった武将はほぼ参戦していたが、ここで日新斎は
「……なぜ忠将をすぐに助けに行かなかったのじゃー!!」
と、忠将を失くした怒りと悲しみの矛先を 『尚久の敵前逃亡』 と決めつけ激しく叱責したのだった。

尚久としては救援に向かうも城の南方にあった忠将の陣とは深い谷に阻まれていたため
進軍が遅れたわけだが、父・日新斎の敵前逃亡の謗りに大きなショックを受けた。
「何故オレが…」と思ったであろう尚久、このことを大変気に病んだと言い
翌年(1562年)に病を発し、32歳の若さで急死。
地元の郷土史には衝撃と心外の余りショック死したと伝わる程の顛末と相成ることに。

尚久の家臣・尾辻佐左衛門は、悲憤しつつ亡くなった主人を憐れみながらかねての約束もあり、
殉死すべく日新斎のところへ挨拶に伺ったところ、両刀を取り上げられてしまったので
近くにあった石角で切腹して尚久の後を追ったそうな。

日新斎は1568年に77歳の長寿を全うしたが、忠将・尚久の息子二人に先立たれた悲しみは非常に深かったという。
晩年の日新斎のちょっと寂しいお話。
743人間七七四年:2009/04/18(土) 08:40:16 ID:cxaLeUHe
陶決起を知っていたのに遊蕩三昧の義隆は世の末を感じてたんだな。
744人間七七四年:2009/04/18(土) 08:58:57 ID:vCqVIurp
陶って、いい加減にしないと謀叛するぞって言い続けながら我慢してきたんだっけか
745人間七七四年:2009/04/18(土) 09:27:05 ID:8ENrp2SP
島津一族は鎌倉以来といっても、あまりに支族が増えすぎて
この時代、実力は国人とそれ程変わらなかったのでは。
精々数百人規模の動員力では。運悪ければ大将も逝くでしょう。
貴久は、鉄砲が上手かったとか。
746人間七七四年:2009/04/18(土) 09:52:18 ID:CjE82gJS
>>743
スエの決起を知り世のスエを感じてたんですね。
わかります。
747人間七七四年:2009/04/18(土) 10:22:28 ID:NvHg6h7O
>>725
義隆だけ平和ボケしてる感じだな。
あと陶さんの性格は短慮らしい。
748人間七七四年:2009/04/18(土) 10:24:43 ID:mSl77JJF
>>747

余の陶を感じてたんですね義隆さん
わかりまアッー!。
749人間七七四年:2009/04/18(土) 10:38:50 ID:SBrP0tZO
義隆は敗戦で嗣子を失うまでは西国の雄に相応しい立派な大将だったのに。それ以降はなぁ・・・
都落ちした貴族達との交流があるせいで諸行無常を強く感じていたのかな

討死にした嗣子・晴持は土佐の一条房基の弟でなかなか立派な大将だったらしい
・・・と聞くとなんとなく義隆と長曽我部元親とが被るように感じる
750人間七七四年:2009/04/18(土) 12:29:20 ID:mSl77JJF
信玄「嗣子を失う、なんと悲しい事か!その気持ち良く判る」
751人間七七四年:2009/04/18(土) 12:46:06 ID:5TVpKKrF
甲斐宗運「いや本当によく分かる!」
752人間七七四年:2009/04/18(土) 13:33:42 ID:53fFVnJU
徳川家康「忠次よ、お主も倅はかわいいか……」
753人間七七四年:2009/04/18(土) 13:40:51 ID:53fFVnJU
>>711
猿芸をみせればよかったのに…… なるべく太閤さんの前でうw@!くせmω
754人間七七四年:2009/04/18(土) 13:42:00 ID:3p4zWcSZ
植宗「倅がかわいくないわけなかろう」
晴宗「いやまったく」
755人間七七四年:2009/04/18(土) 14:41:01 ID:Y1vNKVCt
宇喜田直家「娘はかすがいじゃ」
756人間七七四年:2009/04/18(土) 14:58:37 ID:r2yQH4pG
>>742
そんな尚久さんの同母妹が同じ戦に参加していた義久さんの嫁です・・・
義久から見るとおばさんのはずだが、>>742さんの話からすると年離れてないのかも。

>>750-755
くそっ、ここが2ちゃんねるなら「おまいらまとめて逝ってよし」といえるのだが
そうそうたる胡散くs・・・いやご立派過ぎるメンバーだぜ_
757人間七七四年:2009/04/18(土) 15:26:17 ID:WnCCQo08
おばさんと結婚したのか?
珍しいな。どういう政略結婚だ
758人間七七四年:2009/04/18(土) 16:45:53 ID:dgvH6NBl
武田信玄の四男が元服し、諏訪四郎勝頼を名乗った頃
まだ武田家には、信玄の正室三条の方の長男義信がいた。
勝頼は四男だが、次男は病を得て盲目で出家しており、
三男は幼い頃に病で亡くなっているから
長男さえ居なければ勝頼でも家を継ぐことができる。
かくして勝頼はある企みを思いついた。


その頃義信はとある女性を寵愛していたのだが
あまり衆目に晒されたくない関係だったのか
というか正妻や父に知られたくなかったのか
守り役の飯富虎昌の家に預け、近習の長坂源五郎(長坂釣閑斎の息子)
を連れて毎晩飯富の家を訪れては朝帰りをしていた。
これを知った勝頼は目付や横目を買収して
「義信様が飯富虎昌の屋敷にて曾根周防らと
人を遠ざけ御密談をなさっておられるのですが
これがどうもお屋形様を信虎様の例に習って遠ざけ
家中を手っ取り早くものにしようという謀に違いありません」
と訴えさせた。

この訴えを知った信玄は、義信を蟄居させると
飯富・曾根・長坂らを捕らえて尋問したのだが、元来忠臣の飯富らは
「そのようなことは決して御座いません。
何故我々がお屋形様に背きましょう。
これは何かの間違いです」
と涙を流して言って、女性のことも正直に言ったので信玄はこれを信じかけた。

それを知った勝頼は、今度は信玄の側近や侍女達を買収し
「どうやら謀叛の首謀者は飯富だとか
飯富は義信様を美女を用いて迷わせ
反逆を唆したそうです」
と言わせた。

信玄はそれを信じ、飯富らを切り
更に義信を三年幽囚させた後切腹させた。
そして勝頼に家督を継がせたのである。
武田勝頼という男はこんなひどい男なのだから、
武田滅亡もさもありなん。




……なんていう話が江戸時代、まことしやかに囁かれたそうなんだが、
読めばわかる通りツッコミ所は満載。
まだ十七な上に高遠に入って諏訪を名乗っていた勝頼が
なんでそんなに賄賂ごときで人を動かせる?とか
あの信玄がこの程度の謀見抜けないわけねーだろwどんだけ信玄バカなのwwとか

死者に鞭打つ江戸徳川史観の悪いお話。
759人間七七四年:2009/04/18(土) 16:49:19 ID:rL+U23HR
>>758
徳川史観関係無しに、家滅ぼした当主は悪く言われるもんだろ。
760人間七七四年:2009/04/18(土) 16:53:14 ID:dpDBX3fS
>>758
徳川じゃなくゴシップ好きな江戸庶民と言うべきでしょうよ
761人間七七四年:2009/04/18(土) 17:04:42 ID:SWOezVJC
>>758
これ改正後三河風土記にある逸話だよな
一応徳川史観ではあるか
海音寺潮ゴローが本のなかで引用してたから覚えてる
こんなんありえねーって言ってた
762人間七七四年:2009/04/18(土) 17:05:10 ID:AtBe+RG8
神話や説話、史話に登場する刀剣類のエピソードを集めたサイトを見てたんだが、その中の「姫切」について。

「毛利元就の次男、吉川元春の所持していた脇指。ある晩、元就を訪ねた元春の後ろから、元春の娘がついてきた。
抜き討ちに斬りつけると女は足早に逃げ去り、血を追っていくと岩穴の中に至った。
地を掘り崩してみたところ、女が死んでいたので、この脇指を姫切と名付けたという。」

元春のDQNっぷりに唖然としたんですが、これについて詳しい人いません?
ググってみても、「姫切」ではろくにヒットしないし、元春の逸話も嫁絡みばっかりだし、気になって…
763人間七七四年:2009/04/18(土) 17:18:25 ID:53fFVnJU
>>757だお。
日新斎じきじきの采配で自分の娘と嫡孫を合体!
一応、総領息子の倅を見込んでやったことらしいが……
764人間七七四年:2009/04/18(土) 17:24:11 ID:53fFVnJU
>>728
信心深い人にはキツい話だが、城や館を築き街を拓こうって時に
毎回々々大石を切り出してくるのは大変な軍役負担だぞ。

むしろ領民や寄騎(大名)の負担を減らすためだったろう

海際や河口でもない内陸部に大石持っていく苦労はわかるっしょや
765人間七七四年:2009/04/18(土) 17:32:23 ID:Pikexkz3
>>764

信長は、わざわざ出所の寺院や石仏を晒しあげるように
石組み作らせたよ。
766人間七七四年:2009/04/18(土) 17:34:01 ID:QXBx2fAi
>>762
何かよく分からないエピソードだな
元春の娘=女って事か?
767人間七七四年:2009/04/18(土) 17:34:38 ID:JrIS5bax
>>762
元就に会いに行く道中、誰か知らん女が付いてきていて、それを振り向きざまズバッと斬ったら
首がスポーンと逝った訳だが何故かその女はその場で倒れることなく走って逃げていった。
血の跡を辿って岩山に行き掘り返してみると、女が真の姿で死んでいたっつー話
768人間七七四年:2009/04/18(土) 17:42:45 ID:58P2yRbX
石の話が出たので。
徳川家による大坂城再建が始まったころのお話。
ある日、細川忠興が普請総奉行である藤堂高虎と出会った。
話が石垣用の石について及んだ時
高虎は「伏見城の石を持ってくればいい。
ついでに日雇い人夫を使えば安くあがる」
それを聞いた忠興「さすがは」と褒めたたえた。

後日息子の忠利へあてた手紙の内容。
「伏見の石だけで足りるわけないじゃないか。
ホント高虎ってやつはつまらんやつだ」


769人間七七四年:2009/04/18(土) 17:43:58 ID:AtBe+RG8
>>767
あぁー、オカルトな話だったって事か。ありがとうスッキリした。
770人間七七四年:2009/04/18(土) 17:45:41 ID:ePeZllAw
>>757
義久の元服後の名乗りは「忠良」だから、日新斎の爺さんは
義久には自分の同名許すくらい相当入れ込んでたらしいね、>>763の言う通り。
771人間七七四年:2009/04/18(土) 18:54:42 ID:WnCCQo08
同じ名門の武田勝頼なんかは外交道具の姫を娶ったのになぁ
せっかくの姫を身内で使っちゃうってなんか勿体無い気も
後妻は種子島氏の子らしいけどさ
772人間七七四年:2009/04/18(土) 19:10:55 ID:Pikexkz3
>>768

築城名人も最強BPD三斎公にかかるとかたなしだわさ。
773人間七七四年:2009/04/18(土) 19:21:51 ID:uwF89boi
その手紙を知った高虎
『ちくじょ〜(≧ε≦)』
774人間七七四年:2009/04/18(土) 19:23:38 ID:r2yQH4pG
>>771
せっかくの姫だから目の届くところにおいておきたいのじゃよ

>>768
京都人風味いけずなお話
775人間七七四年:2009/04/18(土) 19:58:51 ID:EflVdIiL
血を集中させる事で特殊性や権威を高める狙い
エジプトみたいに兄弟婚まで行くとアレだが
776人間七七四年:2009/04/18(土) 20:05:40 ID:GKbcSKly
京都人「近江なんて琵琶湖しかないやんw」
777人間七七四年:2009/04/18(土) 20:43:50 ID:ZcUyI14Q
>>776
アメトーークの見すぎ。

778人間七七四年:2009/04/18(土) 21:38:41 ID:WnCCQo08
調べたら義久の後妻もいとこじゃねーか!
悪いほうの家久もいとこだし島津家どーなってんだよ
上代皇室並みの近親婚じゃねーか!
779人間七七四年:2009/04/18(土) 21:43:28 ID:CI8taEQG
一族の縁を繋ぎ止めるのには結婚が一番ですしおすし
毛利もやってんじゃん
五龍局が生んだ娘二人と吉川元長と毛利輝元がそれぞれ結婚
780人間七七四年:2009/04/18(土) 21:48:42 ID:WnCCQo08
もしかして意外にポピュラー?
姫って外との結びつきに使うもんだと思い込んでたわ
781人間七七四年:2009/04/18(土) 22:00:37 ID:3p4zWcSZ
戦後までで武士公家農民問わずもっともポピュラー結婚スタイルが、いとこ婚らしいぞ。
782人間七七四年:2009/04/18(土) 22:52:18 ID:2JIQDORU
下手に他所と縁戚持つと厄介だしな
783人間七七四年:2009/04/18(土) 23:04:42 ID:VXYyOkvT
島津の近親婚は同族間の結束を固める意味もあったんじゃないかな。
一族での争いに明け暮れてたわけだし。
でも久保が死んだからって弟の家久(悪)に嫁がされる亀寿は…
784匿名希望武将さん:2009/04/18(土) 23:45:50 ID:7ifaFiXZ
>>782
滅ぼすチャンスではありませんか?
785人間七七四年:2009/04/19(日) 00:08:36 ID:Dudfa+Bi
U喜多さんあらわる
786人間七七四年:2009/04/19(日) 00:15:55 ID:6lm44Mnt
S玄公「何、妹の嫁ぎ先? そんなの関係ねえ」
S玄公「何、息子の嫁の実家? そんなn(ry
787人間七七四年:2009/04/19(日) 00:44:55 ID:DiZwEyhZ
日新斎の別の娘は肝付家に嫁いでるよ。
しかも権力握った嫁ぎ先を島津に吸収させてる。
788人間七七四年:2009/04/19(日) 01:05:06 ID:D+JQ/QTQ
>S玄公「何、妹の嫁ぎ先? そんなの関係ねえ」
忠興「いやあ」
忠恒「まったく」
義光「同感ですな。」
789人間七七四年:2009/04/19(日) 01:06:06 ID:BXAtYlJe
>>788
義光さん、心配そうにソワソワしながら言われても……。
790人間七七四年:2009/04/19(日) 01:07:16 ID:Dudfa+Bi
>>788
>義光
妹に叱られて戦をやめちゃうような人に言われてもw
791人間七七四年:2009/04/19(日) 01:12:12 ID:pSyMYG4X
>>779
>五龍局が生んだ娘二人と吉川元長と毛利輝元がそれぞれ結婚

元長は早世
TERU元はご存じの通り

実はこの結婚悪い話だったのか?
792人間七七四年:2009/04/19(日) 01:18:54 ID:/7pK8ML5
義光「オレはいざとなれば、妹なんか関係ない非情な男だぜ!?」
793人間七七四年:2009/04/19(日) 01:39:12 ID:2alRbgEa
>>791
>TERU元はご存じの通り
でも決して正室がないがしろにされていたわけじゃないぞ
側室との間に生まれた秀就のことは南の方もかわいがってたみたいだし
墓所は輝元と南の方でセットになってるし
794人間七七四年:2009/04/19(日) 02:43:30 ID:AU3TS5xe
斉藤義龍がその父、斉藤道三を討つため挙兵した時のこと。

稲葉山より川を越え出撃した部隊は、待ち受けた道三側に手ひどくやられ、七段の備えのうち、
六段まで崩されると言う惨状になった。
この時、崩壊寸前の義龍側を、国枝助右衛門がその一手で支えた。

さて、義龍本陣では戦況に付いての詮議が続いていたが、ここで長谷川越中守進み出て、

「今は是非を論ずる段階ではない!全軍、川を越え一気に勝負をつけるべきである!
それがし、先に渡河させていただく!」

と、たちまち部隊を率いて川を超えて行った。
この長谷川の行為に義龍たちも引きずられ、軍を移動させる。
これに前線で耐えていた国枝も力を得、先に渡ってきた長谷川と一緒になり
道三の軍に押し掛かり、義龍側はついに大勝を得た。


さて、問題はその後であった。論功行賞である。

国枝は言う
「今日の勝利は私一人の働きに極ります!
あの、七段の備えのうち六段まで破られた状況の中、私が耐えきったからこそ、
後続部隊が川を渡り、この勝利を得たのです!」

長谷川も言う
「今日の勝利は私一人の勇謀のおかげです!
私の行動こそがお屋形様を動かし、敗北寸前の国枝の命を助け、今日の勝利を得たのです!」

双方、自分が一番だと譲らない。
そこで義龍

「国枝が支え、長谷川が川を越えた。これは確かである。だがな、
余が麾下の大軍を、川を越えよと下知しなければ、今日の勝ちはありえなかった。
これはすなわち、今日の勝利の一番の功は、余、自身にあるということだ。
そうではないか?」

これには両人とも言葉に詰まり、二人は年が明けてからようやく賞せられたとの事である。

手柄の独り占めを主張して、かえって不利を被った、と言うお話。
795人間七七四年:2009/04/19(日) 03:02:16 ID:ULC8BsTH
ちょっと前に墓石を石垣に使った話があったけど
近畿あたりじゃ古墳をそっくりそのまま使った城も結構あるんだよな
なんでも前方後円墳のあの形は城にぴったりで、大した費用もかけずに作れたとか
しかも当時の思考じゃ墓主の加護を期待できるとかで作る側にとっちゃ二重に得
物言わぬ墓主は何を思ったことだろうか
796人間七七四年:2009/04/19(日) 04:53:30 ID:zYPXjnCR
>>792
義光さん、それ妹さんの耳に入るとマズイのでは……?。
797人間七七四年:2009/04/19(日) 05:32:36 ID:vhByb6rw
>>795
案外にぎやかになって嬉しいかもしれないよ
古墳に住んでる方々って血の気が多そうだし
そういうふうに利用されなきゃ結構さびしいんじゃないかな
798人間七七四年:2009/04/19(日) 11:13:38 ID:6cIz4MAu
徳川頼宣の家臣の従士が盗みを働いた。怒った頼宣はその組の
頭・水野甚三郎を呼び寄せた。

「愚か者め、お前は組にこんな阿呆がいることにも気づかなかったか!
即刻、切り捨てて来い!」

「なんと、あまりのことを仰る!親の心子知らずといいます。どうして
組の人間全ての心まで知ることができましょうや。このような辱めを
受けては、もはや上様にお仕えすることはできませぬ!」

そして甚三郎は髪を小刀で切ると城を去ってしまった。翌朝、甚三郎が
気になった頼宣は甚三郎の小舅・水野重良に甚三郎のことを尋ねると、
重良は答えに困って平伏した。そこに家老・安藤直次がやって来て
「重良殿、すぐに甚三郎を呼び戻すのです」と2、3度繰り返して言った。
これを聞いて頼宣はこう言った。

「帯刀はなぜそんなことを言うのだ。あいつはわしに責められて勝手に
出て行ったのだ。呼び戻す必要などあるまい」

「親の心子知らずといいます。組子全ての心中を把握するなど不可能です」

直次が甚三郎と同じことを言うので、頼宣は反論したが…

「ムッ!だがな、かつて父上は従士が奥女中に恋文を送ったときに、
その従士頭だった松平若狭守を改易したという先例がある!」

「権現様は仏でも神でもない、ただの凡夫であらせられました。どうやら
子というものは親の行ったくだらぬことまで学んでしまうようですな?」

頼宣の顔をじっと見つめながらそう皮肉ると、直次は退出したという。
799人間七七四年:2009/04/19(日) 11:40:49 ID:pSyMYG4X
>>793
       ____
     / TERU \
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   そうだお!
  |     |r┬-|     |   南の「うちの嫁さんは婆で立つ物も(ry」といったDQNとは違うんだお!
  \      `ー'´     /

こうですかよく分かり(ry

>>795
茶釜を爆発させた人の多聞山城は聖武天皇陵の真上に建ってたと推測されてるわね

>>798
また面倒くさい三河武士かw
で、頼宣さんは直次首にしたん?
800人間七七四年:2009/04/19(日) 12:19:50 ID:0ena50X7
気持ち悪い
801人間七七四年:2009/04/19(日) 13:11:45 ID:K1a1USVI
>>788
そう言えば忠恒の妹は誅殺した伊集院忠真の嫁だったなw
しかも事件の後に島津尚久の孫の久元に無理やり嫁がせてる鬼畜ww

久元は既に4人も子どもいて夫婦仲睦まじかったのに
わざわざ離婚させてまであてがうという無茶をやらかす忠恒さん半端ないw
802人間七七四年:2009/04/19(日) 13:44:14 ID:Ugc9IrAy
イトコ婚というと尼子晴久(経久嫡孫)もそうだな
尼子国久(経久次男)の娘と結婚している

その妻が病死後
国久・誠久親子を粛清(新宮党事件)
803人間七七四年:2009/04/19(日) 18:45:37 ID:HNOMCaRP
安藤直次も水野重良も付家老なので頼宣が首に出来たりできる
人じゃないんだなこれがw

甚三郎の素性もちょっと調べてみた。
小舅が水野重良(=甚三郎は水野重良の婿)ということなので、
水野義重あたりだろうか。
この人も家康直臣が出自で6000石というかなりの上級家臣だなあ。
やはり頼宣個人の判断でクビにしたら問題になりそうな人だ。

頼宣さん、目の上の瘤がたくさんいて厳しく躾けられたんだなあ。
804人間七七四年:2009/04/19(日) 19:51:06 ID:cvicAGXc

大村純忠
弱小大名の窮余の策

戦国大名といっても、この肥前辺境の地で私は無力です。
三城七籠をやんないと生きていけなかったくらいです。

とうとう最近宿敵、佐賀の龍造寺隆信の毒牙に抗しきれなくなってきたのです。
彼らは、わが領地もさることながら、私がこつこつと国際外交、
交易に力を尽くした成果である長崎の港を喉から手が出るほど
欲しがっているのです。
ポルトガルからのナウ船は1千tクラスはざらでしたから、
南蛮渡来の珍品、香木、毛皮、装飾品、それに火薬や大砲、
それに何よりも中国からの絹織物は莫大な利益を生み出しますもんね。

平戸の松浦法印は、仏教徒に気兼ねして耶蘇教を拒んだばかりに
ポルトガル商人との通訳、通商の交渉を担っていたイエズス会に去られ、
カトリック教徒である私のところにイエズス会士とともに
ポルトガル商人達も転がり込んできたのです。今も私を逆恨みとか。

ところでイエズス会からは金や火薬を随分とカンパして頂きましたが、
敵、龍造寺は10倍以上の戦力、まともにはとても敵いません。

で、思いついた妙案、長崎の港をイエズス会に寄進してしまうという離れ業なのです。
彼らに裁判権や港湾使用の利権は渡しますが、関税は取り立てるように
配慮しましたので益は上がりますし、全国から集まる夥しい商人達の落とす金も
相変わらず私のポッケに入ってまいります。

龍造寺、力づく無理やり長崎を占領すれば、イエズス会には去られ、
船は来なくなる、もともこうもなくなるというものです。

何せあちらさんはお寺の出ですからね。ww
805人間七七四年:2009/04/19(日) 21:19:07 ID:Sb+m7kzz
まぁその龍造寺の傘下になっちゃうんだけどね
806人間七七四年:2009/04/19(日) 23:05:03 ID:AU3TS5xe
蒲生氏郷が伊勢松ヶ島城にいた頃の話。
ある時、氏郷の家臣、蒲生主計と粟口美濃が口論をしたことがあった。

ただの口論である。が、この当時の口論である。当然、口論から斬りあいになることも
珍しくもない。そのためであろう

主計の後ろでは、その家来の山中大運が、美濃の後ろではその家来東某がそれぞれ、
いつの間にやら脇差を手に、主人の傍に備えた。

「事あれば、斬る。」

山中も東も、傍目からでもはっきりわかる、その覚悟だ。
口論をしていた当の主計と美濃、途中で、自分の家来達の異様な殺気に気がつく。

「おいおい、こいつらに剣を抜かせたら、人死にが大量に出るぞ。」

その日は冬の寒い日であったが、この時主計と美濃、大汗を流したそうだ。
そして早々に口論をやめた、と言うことである。

殺る気満々の忠誠心に、熱くなって口論していた当人達の方がほうがドン引きしたお話。
807人間七七四年:2009/04/19(日) 23:36:08 ID:ZA7aOWNk
>>802
某大河だとお返しに密かに砒素を飲ませてたなw

808人間七七四年:2009/04/20(月) 00:22:13 ID:uSXrD0s4
>>806
あれか、お化け屋敷で他の人が悲鳴上げすぎると自分は怖くなくなる法則。
809人間七七四年:2009/04/20(月) 01:06:36 ID:19wRXfir
織田信長がまだ、尾張一国の大名であった頃の事。

信長の下では、柴田勝家と坂井右近が、軍部行を勤めていたが、信長はこの中に、
蜂屋頼隆を加えたいと考えた。

これを知った柴田、坂井の両人は、信長にこのように言った
「蜂谷を軍奉行にするのであれば、我らの軍奉行の役職を召し上げていただきたい。」

要は、俺らを蜂谷みたいなぽっと出と同格にする気なのなら、そんな役職
御免こうむります。ということだ。

これに信長は激怒―、しない。
彼らを無視して自分の考えを強行―、も、しない。

良く誤解されているが、信長という人物は特に短気という訳でもなく、独善的なわけでもない。
この時も信長、書状で二人に懇願した。「どうにか蜂谷の軍奉行就任に、同意してくれないか?」
しかし両人とも、にべもなく拒絶。
そこで信長は二人を呼び、直接説得をした

「蜂谷が、お前達二人と同じ武功があるわけでは無い事、これはわしもちゃんと解っている。
しかし蜂谷は諸事、頭の回転が速い男だ。
例えば戦の状況によって、お前達二人のうちどちらかがわしの元に報告に行かねばならぬことも
あるであろう。また、わしの方から、両人一致の意見を聞かねばならぬこともある。

そのような時蜂谷がいれば、これをわしの元への使いよこし、又、わしがそなた達の意見を問う時にも
奴を遣わせば、いかにも便利になるではないか。
そのようなわけで、蜂谷をお前達の中に加えたいのだ。」

この言葉に柴田、坂井は納得をし、蜂谷の件に同意したとのことである。

信長も、人事には色々苦労したのだ、と言うお話。
810人間七七四年:2009/04/20(月) 09:11:13 ID:1gymT2WM
キリストのメッセージ 
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。
その代わりに、わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
http://nowaksvd.nanzankyokai.net/jiai/jiai02.htm

ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/intro/intro.htm
http://www.v-cimatti.com/pub/beatification/reppuku_chosa.htm

煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣
http://www.sanpaolo-shop.com/product/4359

キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html

キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/valt.htm

キリストの受難を目撃し体験した女性 アレキサンドリーナ・ダ・コスタ
http://www.newsalesian2007.com/reisei/2007/saintspdf/adcosta.pdf
http://salveregina.dyndns.org/avemaria/data/book2.html

病を患いながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/marthe01.html

カトリック書店/日本国内にあるカトリック教会の住所と地図
http://www.donboscosha.com/
http://www.sanpaolo-shop.com/
http://shop-pauline.jp/
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm
811人間七七四年:2009/04/20(月) 10:15:27 ID:1kipdIoU
>>809
でも明智が言ったら怒られそうだww
812人間七七四年:2009/04/20(月) 12:00:38 ID:31NE9IsF
>>809
パシリかよ!w
813人間七七四年:2009/04/20(月) 14:10:08 ID:2GRPpkiy
あんちら様の話

真田幸隆が戦に出かけて家を留守にしている間に、
幸隆の娘が天狗に見初められその子供を産んだ。
戦から帰ってきた幸隆は当たり前だが激怒して生まれたばかりの子供を
雪が降り積もる庭へと全力で放り投げた。
ところが流石は天狗の子と言うべきか
子供は転びもしないでピョコンと雪に着地して
ニコニコ笑うと幸隆にお辞儀をした。
何度繰り返しても平気で雪に着地してニコニコ笑う。
そうしている内に幸隆はこの不思議な子供が気に入って十文字の槍を与えた。
子どもは大喜びで、戦にはいつもその槍を持っていった。
そして大いに活躍した。
この子どもはあんちら様と呼ばれているが、
後に真田幸村と言う名前で大いに武名を立てたそうな。


という小さい頃俺が亡くなった婆ちゃんから聞いた話なんだが
最近までなぜか史実の真田信繁(幸村)と頭の中で一致しなかった。
ていうか幸村って幸隆の息子の昌幸の子だよな。
しかし幸隆の娘の子として話は聞いてるんで直さないでおく。
赤ん坊だろうと容赦しない真田一族の……良いのか悪いのかゆるい感じの不思議な話
814人間七七四年:2009/04/20(月) 16:11:36 ID:u+kCWd3U
あんちら様って安底羅大将から取ったのかな
815人間七七四年:2009/04/20(月) 17:09:03 ID:2GRPpkiy
>>814
それはどうか知らないけれど
あんちら様は武名を立てた後でまた山に帰ってきて
迷子の子どもを家に帰してくれるって婆ちゃんは言ってた
婆ちゃんの兄ちゃんが雪の中に埋まった時も
あんちら様が見つけてくれたって話だが
本当かどうかは知らん
816人間七七四年:2009/04/20(月) 19:03:38 ID:PvvSCtEp
幸村云々の話は後からくっついた話で、もとは天狗とか山神がメインだったのかな
民俗的にもおもしろそうな話だぬ
817人間七七四年:2009/04/20(月) 19:11:55 ID:xd/RokHa
おれも70過ぎたら孫や近所の子供集めて
あることないこと昔話ほら話してみたいもんだ。
818人間七七四年:2009/04/20(月) 19:59:58 ID:pAIwEdjQ
>>813
ttp://nakahori2.mints.ne.jp/shiseki/sanada01.html
こういう木像があるみたいだね

幸村が山に戻って神様になってるっていうと
なんかロマンがあるな
819人間七七四年:2009/04/20(月) 20:05:07 ID:/vyi8gbN
鬼武蔵が門の下で座り込んでいると一人の老婆が死体から髪を抜きとっている
刀を抜いて目の前に突きつけると老婆が語りだした
老婆曰く、
「死人の髪を抜くことは悪かもしれないがそこにある死体は皆そのぐら」
みなまで言う前に老婆は切り捨てられた
老婆の目に最後に映ったのはこんこんとした暗闇だった
鬼武蔵の行方は誰も知らない…

820人間七七四年:2009/04/20(月) 20:17:12 ID:O0Lrt8h8
>>819
何これ作り話?
821人間七七四年:2009/04/20(月) 20:19:07 ID:/vyi8gbN
817を受けてのジョークでした
判りづらくてスマン
822人間七七四年:2009/04/20(月) 21:53:29 ID:IBZKM5jD
羅生門か
823人間七七四年:2009/04/20(月) 22:42:23 ID:VLv8Ts6Z
>>820
国語の教科書にのってるだろ。
824人間七七四年:2009/04/20(月) 22:44:57 ID:hg+SVoU8
819が国語の教科書に載ってたらビビるわw
825人間七七四年:2009/04/20(月) 23:10:03 ID:PvvSCtEp
信長なら布を与えて家を建ててやるだろうに・・
826人間七七四年:2009/04/21(火) 00:38:42 ID:4aHApkAD
軽くホラーじゃね?
あなたの側にも鬼武蔵がとか最後に付いたら子供いなすのに使えそう
827人間七七四年:2009/04/21(火) 00:55:40 ID:B7kb7oEH
>>813
この天狗とは南蛮人、おそらくイスパニア人のことだと思われる。
つまり、城田優が大河ドラマで真田幸村を演じる事を予言していたんだよ!
828人間七七四年:2009/04/21(火) 01:02:20 ID:o7/L3Ub7
な、なんだってー
829人間七七四年:2009/04/21(火) 01:33:18 ID:B6nwfKMd
真田十勇士のアニメに鎌助がロシア人てのがあったな
830人間七七四年:2009/04/21(火) 03:43:35 ID:I7WbHjWw
民俗学的に山男も外人説があるよな
移住、漂着、脱走したりで貴賎問わず在日外人数が多かったかもね。考えられてるよりも
三浦按針の例もあるくらいだし金髪碧眼の足軽がいたりして
831人間七七四年:2009/04/21(火) 03:54:23 ID:p6Ng86WC
昔の絵にある赤鬼青鬼は白人黒人とおもう
832人間七七四年:2009/04/21(火) 04:56:29 ID:+xZdnqWj
白人を天狗に似てるってな話もあるしなー
けど平安時代あたりの鬼ってのは賊や朝廷に従わなかったものの総称な感じがある
大江山の酒呑童子や藤原藤太の百足退治とか
833人間七七四年:2009/04/21(火) 05:36:52 ID:7xBQMDXP
長宗我部元親が、土佐において本山氏と争っていた頃の事である。

本山氏の長浜城は本山の本拠よりは八里も離れていたが、元親の居城からは
僅か三里ほどの近さであり、元親はどうにもこの城が邪魔であった。


ある時本山氏が、この長浜城の門を建て直す事になり、腕利きの大工を探していた。
このとき本山の所に元親の元から、肩口を斬られ負傷した大工が駆け込んできた

「お助けください!長宗我部元親の気が狂い、このような目にあいました!」

本山はこれを信じて保護。また、この大工が中々の腕利きだと言う事がわかり、
丁度良いと、長浜の城門工事を任せることにした。


もちろん罠である。


長浜城の工事を知った元親は、あらかじめこの大工と示し合わせ、人質まで取って
この狂言を行った。

間もなく長浜城に長宗我部軍が来襲。たちまちに乗っ取られる。
無論、城内の大工が内通していた為であった。

謀略もスケールが小さくどうにも泥臭いのが、初期の元親らしいというべきか。
そんな長宗我部元親、長浜城奪取のおはなし。
834人間七七四年:2009/04/21(火) 11:30:29 ID:NJErpDN5
>>833
大工さんを頃さない程度に斬った達人は誰だろ?とか余計なことを考えさせられる策略だなー

長宗我部家中で腕の立つ人といえば福留パパンや泰泉寺さんあたりか。泰泉寺さんは槍だが
835人間七七四年:2009/04/21(火) 12:56:04 ID:inW7ap6e
>>829
佐助が宇宙人のコレ?
http://www.sanada10.com/index.htm
836人間七七四年:2009/04/21(火) 13:00:09 ID:wEJ5Lymp
>>833
元就公「間者にあらかじめ怪我させるなんて酷い真似できませんw」
837人間七七四年:2009/04/21(火) 13:05:46 ID:yLUWO5Wl
>>836
宇喜多直家「お前が言うな」
838人間七七四年:2009/04/21(火) 13:54:15 ID:0j863Yx4
信長に仕えてた黒人はホントにドコ行ったのかね
839人間七七四年:2009/04/21(火) 14:04:05 ID:/qPNGogx
今まさに俺を掘ってる
840人間七七四年:2009/04/21(火) 16:28:29 ID:CvoUDfY2
>>838
なんかさっきテレビで「♪あなたを追って出雲崎〜」とか歌ってたよ。
誰を追ってたんだろう?
841人間七七四年:2009/04/21(火) 18:03:25 ID:fnUXTf+t
>>838
言い伝えでは本能寺で一緒に死んだとか。
東アフリカ、モザンビークの黒人奴隷でしょ。
おかげでこの地で難破すると恨みを買ってる西洋人は、皆殺しにされたとか。

西洋がらみで

原マルテイーノの述懐   大公妃のおっぱい

今私は、追放の地マカオで、もう日本語を忘れてしまった仲間のドラードと共に
活版印刷機械でキリストの教えを印刷しております。

多忙な毎日の中でふと蘇ってきた記憶。

あれは天正13年2月、花の都、フィレンチェの舞踏会でした。
日中は動物園なる不思議な庭園で、象、ライオン、豹、麒麟、鸚鵡、犀、
数々の不思議な動物の数々を目にして驚嘆したものでした。
花の聖母教会のとてつもなく巨大なドームと華麗な装飾、広場で見た
ミケランジェロのダビデ像、ルネッサンスの傑作彫刻の数々、華麗な噴水、

でも、トスカーナ大公の居城での舞踏会は圧巻でございました。 

舞踏会を主催されたフランチェスコ1世の威光は絶大なるもので、
当時のフィレンチェ中の貴族のみならず、外国の駐在大使諸卿は残らず来席され
もの凄い人い人混みでございました。
その中で、仲間の伊東マンショは、我らが代表者として大公妃と踊りを為さればならない
はめとなったのです。
大公妃はふくよかで大柄と言うか、有り体に申せばデブでござりました。
私どもは田舎育ちで小柄、未だ16歳でございます。そそり立つ巨大な胸の辺りに
あわれな伊東の頭が見え隠れしておりました。
中浦ジュリアンは、よぼよぼのお婆様と踊っておりました。
今思えば不思議な体験でございます。

後年耳にしたのですが、このビアンカ大公妃、とんだ食わせ者、元はと言えば
ベネチィアからの流れ者、上手くフランチェスコ1世をたらし込んで
大公妃に収まるは良しとしても、邪魔になった自分の夫を密かに手にかけたとか。

でも神はよくご覧になっております。フランチェスコ1世、公妃、
共に2年後にぽっくりと亡くなられました。
ヒ素による毒殺だそうです。
842人間七七四年:2009/04/21(火) 19:08:47 ID:7xBQMDXP
>>841
おもしろいなw
しかしこの頃はイタリアも、戦国時代みたいな感じだよね。
あっちは天下統一とは行かなかったけど。
843人間七七四年:2009/04/21(火) 21:18:15 ID:NJErpDN5
>>842
だが乱世が一段落ついたら一挙に平和ぼけ?ヘタレ化したところは日伊共通かもね
844人間七七四年:2009/04/21(火) 21:22:56 ID:z3+QzHRS
それはないわ…
世界初のファシスト政権誕生の地だぞ
しかも恐慌前だ
マフィアは割拠してるし
845人間七七四年:2009/04/21(火) 21:52:38 ID:XQQyP4TI
>>841
記録では、捕虜になったあと光秀に「こいつは人間じゃないから」と言って
解き放たれたという。その後の行方は不明。
イエズス会に払い下げられた、という話もある。可能性としてはこちらも
あると思う。ある意味有名人で、どこいっても目立つ人物のその後が全く
ないってのも、イエズス会の奴隷に戻されて海外に売り飛ばされたと思えば
しっくりくるか。
846人間七七四年:2009/04/21(火) 22:00:54 ID:v3LS1SP1
イタリアは、この当時は戦国時代というより、他国に支配下にされ
まくり。
実質的な独立国はヴェネツィア共和国のみという体たらく。

そのヴェネツィアは、この当時は強国と言っていいが。
847人間七七四年:2009/04/21(火) 23:44:47 ID:BQp8uWKN
アソ氏バイバイ・相良義陽の史書伝説

皆さんは「求麻外史」という史書を御存知でしょうか?
これは延宝3年(1675年)までの人吉・相良氏の歴史を人吉藩家老・田代政輔が
記した文献のことです。
今日はその「求麻外史」に書かれていたこんなお話。

ときは天正9年9月23日、耳川で大友氏に大勝したばかりの島津軍により、
人吉の相良氏が逼迫を受けていた頃の事です。
このとき島津軍は、正に相良家臣・犬童頼安が護る水俣城を包囲していました。
この事態に当主・相良義陽は臣下の溝口半五郎という者を、水俣城への
使者として遣わします。
半五郎は夜陰に紛れて水俣の地に入り、島津の陣を抜けて城に入ろうと試みます。
しかし、そうはうまくいくはずもなく半五郎は島津の衛兵に捕らえられて
しまうのです。
ここで半五郎、咄嗟に言い訳をします。
「私は球磨の住人で、城中にいる身内の者を訪ねてやってきたものです」と。

下手な言い訳云々はさておき、衛兵はこれを信じません。結果、半五郎は
真意を問い質され拷問を受けてしまいます。
そこへ、水俣攻めを一任されていた新納忠元が現れます。
新納は、そなたが城に向かって『義陽様は、悪戯に兵を失わないよう速やかに
城から退去するよう頼安様に命じられました』と言えば、そなたの命を救って
やると言いました。
半五郎はこれを承知したので、城の下へと連れられて来ます。
ところが半五郎はこの約束を破り、城内に向けて「自分は八代からの使者です。
ここ数日にも義陽公は球磨、八代の兵を率いて救援に駆けつけます」。
と叫んだのです。

当然これに腹を立てた島津軍は、半五郎の首級を竿の先に刺し貫き、城内の者に
見える様に高々と掲げられました。
しかし半五郎のこの命を賭けた行いは甲斐もなく、相良氏は島津氏に事実上降伏、
新納の言わせようとした通り城は島津に明け渡されてしまうのです。

ですが、ここで不思議な事が一つあったのです。

これと同じような出来事が、なんと天正3年の長篠で起こっていたのです。
たった6年の間に日本の中央と西で起こった偶然、これを奇跡と言わずして
何と言いましょうか。正に神の悪戯と言うべき出来事です。
この事実は人吉藩家老・田代政輔に偶然にも伝わり、更に享保5年までの相良氏の
歴史を記した「南藤蔓綿録」へも受け継がれ、今日にまで語り継がれることが
出来ました。

以上、信じるか信じないかはあなた次第。
848人間七七四年:2009/04/21(火) 23:48:12 ID:7xBQMDXP
東に忠臣あれば、西にも忠臣あり。
849人間七七四年:2009/04/22(水) 00:56:57 ID:QdeRMpQh
>>841
中世ヨーロッパでは、貴婦人はトップレスファッションらしいね。
事実かな?気になって仕方ない。
850人間七七四年:2009/04/22(水) 01:01:51 ID:RmbyPRj/
>>845
光秀もすげえ理由で解き放ったんだな
851人間七七四年:2009/04/22(水) 03:31:27 ID:YDWjQWHP
>>849
奴隷なんかの前では普通に素っ裸だったらしいよ

奴隷を人間としてみてないから
852人間七七四年:2009/04/22(水) 07:15:12 ID:1NfubA9b
奴隷にとっては普通にご褒美だったのでは
853人間七七四年:2009/04/22(水) 08:46:58 ID:qq30wM4F
ちょっと奴隷になってくる
854人間七七四年:2009/04/22(水) 10:02:41 ID:DNp7ACey
図らずもおっきしたらどうなったんだろう?
855人間七七四年:2009/04/22(水) 12:22:44 ID:bnqhs+W/
>>854
家畜やペットが勃起したからって気にはしないだろ。






獣姦っていつからあったか、それによっちゃあ
856人間七七四年:2009/04/22(水) 12:31:53 ID:TQ8XJrDG
女性の側に仕えるからちょん切ってたりして・・・
857人間七七四年:2009/04/22(水) 12:32:03 ID:AlzEhvLB
獣姦は貴族達の見せ物だったんじゃない?
会員制の秘密クラブみたいなやつ。
地獄の火クラブだっけ?
858人間七七四年:2009/04/22(水) 12:41:12 ID:FgurobbZ
寝そべって裸体に麦蒔いて鳥に啄ませるのを見せ物にしてた王女がいたんだっけ?
戦国にこういう変態はいないのか
859人間七七四年:2009/04/22(水) 12:56:50 ID:AlzEhvLB
日本の変態って言っても、
ホモ→武士のたしなみ
ロリ→福島正則が変態とは伝わってない
獣姦→昭和初期に象とやろうとしたのは居る
ネクロ→怪談ではそんな話も
絶倫→彈正様
くらいしか思い付かないなぁ。
860人間七七四年:2009/04/22(水) 13:37:42 ID:jE0PPotW
なんかまとめサイトで
少女を無理矢理暴れ馬に乗せて
落ちておっぴろげる様子を眺めるのが好きな変態の話読んだ覚えがあるぞ
それて唯一落ちなかった女の子のまんまんが気になって手込めにしたら
その子がその変態好みのパイパンで
毎日それを眺めて過ごしてるうちに
その娘の親父に謀反されて追放されたんだったかな
誰の話か覚えてないけど
861人間七七四年:2009/04/22(水) 13:58:32 ID:dn4P13Qk
>>847
ちなみにそれらの逸話と若干似た話が、中国の五代十国時代の南唐でも起こっている。

南唐の皇帝は快進撃を続ける後周軍と和睦するため、宰相の孫晟を後周の皇帝柴栄に遣わすと、
柴栄は和睦の交換条件として、寿州を割譲することを求めた。
寿州は柴栄、趙匡胤らが束になっても土をつけられなかった不敗の名将、劉仁贍の守る地である。
柴栄は寿州の開城のため、その使者として孫晟自身に説得するよう求めた。
後周軍の監視の中、孫晟は寿州城下から城壁上に立つ劉仁贍の姿を認めると、叫んだ。

「公が国から受けた厚恩を思うなら、決して門を開けて賊を入れてはならない!」

柴栄は孫晟の言葉を聞くと大いに怒り、これを斬ろうとすると、
孫晟は「臣は唐の宰相である。何故節度使を叛かせることができようか。」と言った。
忠心に感心した柴栄は、彼を許した。

以上、参考は『五代史平話』。
…史実では確か孫晟を殺してから悔やんでるってのは内緒。
862人間七七四年:2009/04/22(水) 14:56:47 ID:qFkDF/2M
戦国「後」の、世の中


渡辺勘兵衛が睡庵と名乗り、坂本に居住していた頃の事である。
渡辺の家来が大津の町で喧嘩騒ぎを起こした、と言う話が広まった。
これを聞いた、友人で、元の福島家臣であり、正則改易後牢人をしていた吉村又右衛門は
京より坂本に駆けつけた。

坂本の自宅に現れた吉村に、渡辺
「吉村殿、今日こられた用件が喧嘩見舞いであるのなら、特にさしたることもないゆえ
帰られよ。
何か話でもしたいと思ってこられたのならどうぞ、うちで飯でも食って語り合いましょう。」

心配して急いでやってきたのだ。感謝されることこそあれ、この渡辺の態度はどうか。
吉村、気を悪くし「いや、喧嘩の沙汰を聞いたので見舞いに来たまでです。そのような事であれば、
これで帰ろう。」

「そうか…。では、少々待たれよ。」

渡辺は次男を吉村につけ、街道まで見送りをさせた。
道すがらこの次男は、「父から、密かに吉村様に伝えよとの、言付けがあります。」と語りだした。
その内容はこうだ。

『吉村殿、今日の見舞いの事は、吉村殿には似合わぬ行動ですぞ。
今は天下の大法が定まり、もし我が家来が殺されれば、殺したものは切腹を申し付けられ、
逆に人を斬れば我が方の者が切腹を申し付けられる、そう言う世の中になりました。
しかれば、喧嘩であっても無責任に放置する事はできません。

そうであるのに、喧嘩騒ぎがあったこのようなときに、吉村又右衛門ほどの剛の者が
京都より渡辺の下に来たと知られれば、双方の徒党を組んだ若者達を刺激する事は間違いなく、
いたずらに事態を悪化させるでしょう。

そのような事なので、今回は慎んで頂いたのです。』

戦国の自力救済社会からの転換が、はっきりと感じられる、そんな、戦国が遠くになった頃のお話。
863人間七七四年:2009/04/22(水) 15:24:15 ID:+cYaHvS/
>>860
神保さんだか畠山さんだかの話だな
まとめサイトに多分ある
864人間七七四年:2009/04/22(水) 15:54:56 ID:CT9mNtel
だかで悪いイメージつくとただでさえ影の薄い神保さんが可哀想なので畠山さんだと断定しておくw
865人間七七四年:2009/04/22(水) 16:47:39 ID:HbDZ52U5
ちんぽだか、はだかやまとな・・・?
866人間七七四年:2009/04/22(水) 17:00:53 ID:qq30wM4F
867人間七七四年:2009/04/22(水) 17:51:21 ID:ZVnnsq4e
内乱に定評のある畠山さんじゃないですか。
河内も能登も遊佐家に殺されたのは不思議な限りだが。
868人間七七四年:2009/04/22(水) 17:55:16 ID:LNZhmGAA
>>855
まぁ仕事の支障になるようなら去勢だわな
869人間七七四年:2009/04/22(水) 20:18:26 ID:8CCuEFhh
天正5年(1577)10月、明智光秀は丹波亀山城の波多野氏を攻略していた。
この戦には、初陣を済ませたばかりの親友の息子も加わっており、光秀はやがて
親友の後継者となるであろう若者に、将としての心得を説くつもりで尋ねた。

「この矢文を見てごらん、城兵が助命を求めてきただろう?さて、次に我々がやるべき
事はなんだろうね?」

若者は答えた。「抵抗していた者どもを助ける義理はありません。皆殺しにしましょう。」

「 ( ゚д゚) い、いや、ダメダヨ!?門を開けるように指示すれば、城攻めが楽になるし、
寛大なところを見せれば他の抵抗者も降伏するかもしれないでしょ?
ナニ信長様みたいなこと言ッてんの?!」

若者の父親も呼び寄せ、二人がかりの説得によって、ようやく若者は納得し、亀山城は
開城となった。 しかし、光秀の胸中は暗かった。
(駄目だこいつ…早くなんとかしないと…そ、そうだ!ウチの娘に似合いの年頃の子が
いるじゃないか!結婚させれば義理の父親として、オレが監督できるぞ…!)

「という訳で、ウチの娘とオタクの息子を結婚させてくれ。」
「えぇー?あいつ我が子ながら、凶暴だからオススメできないよ?」

渋る親友を、信長の仲介のもとで了解させ、天正7年(1579)、ついに婚姻が成立した。


ある意味、逆効果だったのは皆様ご存知の通り。
しかし、『綿考輯録』のこの記事とか、『森家家譜』とか、藩祖のDQN言動を残して
どうするつもりだったのか。子孫から見てもm9(^Д^)プギャーな話だったのか。
870人間七七四年:2009/04/22(水) 20:19:01 ID:4AuTd2kk
>>861
いやこれ、何かおかしくね?

軍を撤兵する交換条件で、土地割譲を出して、一国の使者である宰相はそれを呑んだわけでしょ?
それでいざ城の明け渡しの段になってから反故にするってのは、美談にもならないと思うんだが。
鳥居のエピのように、脅迫されて嘘を言わされようとしたってわけでもない、そもそも自分が約束
したことでしょうに。
871人間七七四年:2009/04/22(水) 20:30:31 ID:/Nvjx19W
>>869
他のDQN四天王にも光秀の娘がとついでいたらすばらしい名君が生まれたに違いないw
872人間七七四年:2009/04/22(水) 20:43:12 ID:qq30wM4F
>>869
親友の子ってアイツかよww
明智が関わると四天王唯一の常識人も形無しだなw
873人間七七四年:2009/04/22(水) 21:00:44 ID:PFhDEMiV
>>849
幕末にアメリカに言った使節団は
「女房諸肌脱ぎ、旦那たすき掛け」と表現している。
当時の礼装がそう見えたらしい。

トップレスではないだろ、胸をぎゅうぎゅうっとつめてもりあげていただけで。
874人間七七四年:2009/04/22(水) 21:12:58 ID:4MIkUFm9
>>833
元親の話じゃなくて国親の話だろw

ちなみに長浜合戦が元親の初陣。
秦泉寺豊後守に槍の使い方と大将の行動を聞いたという逸話が有名。
875人間七七四年:2009/04/22(水) 22:15:24 ID:HM1GpRN8
>>869
>ある意味、逆効果だった

精神年齢三斎「だって、タマちゃんすっごくカワイイんだもん!」
876人間七七四年:2009/04/22(水) 22:21:23 ID:f2buLnKd
でも忠興のメロメロぶりって何か普通とは違うから
巷で言うようなお玉ちゃん=絶世の美女っていうより
ジョン・レノンに対するオノ・ヨーコみたいな
特定個人にのみ大ヒットする妖怪魔性系だったのかも。
877人間七七四年:2009/04/22(水) 22:46:04 ID:HM1GpRN8
>>873
こんなん見つけました。。。
http://x51.org/x/04/05/1924.php
878人間七七四年:2009/04/22(水) 23:24:40 ID:6+KLV3E6
>>859
又の槍左さんもロリじゃないよ!ちょっぴりガチムチでアッー!だっただけですよ
879人間七七四年:2009/04/22(水) 23:49:47 ID:mWnL71LB
>>877
一見、パラダイスのようだが実際そういう状況に置かれてみたらこれっぽちも一本槍から鬨の声が聞こえないものなんだよな
880人間七七四年:2009/04/23(木) 01:37:46 ID:BVoEgmzx
ある日、茶道薮内流の開祖・薮内紹智(剣仲)は義兄の古田織部らを招き、茶会を開いた。

天下の宗匠でもある織部を客に迎えての重要な茶会に望んで、紹智は秘蔵の名道具
『 鉈鞘籠花入 』 を床に飾った。
この道具は、千利休が、木こりが鉈の鞘に使っていた竹籠に目をつけ、買い取って
花入としたものを、利休の弟弟子にあたる紹智が譲り受けた逸品である。

茶会は、客の誰もが茶席の見事さ、紹智の点前、そして利休が見出した花入の風情を
褒め称え、なごやかな空気のうちに進んだ。
所用で席を外した紹智が茶席に戻ると、織部の姿は消えていた。

自慢の花入も消えていた。

紹智は織部に、花入を返却するよう、抗議した。抗議した。
さんざん抗議した末、織部は息子の小平次に花入を持たせ、書状を添えて返して来た。
書状にはこう書いてあった。

「これといった用はないけど、息子の小平次がお邪魔するので、お手紙します。
息子にいろいろ教えてやってもらえれば、有難いんですけど。
(略)
最近は筋肉痛があったぐらいで、あとは差し支えありません。
(以下略) 」


たぶん、某マンガの有名なシーンの元ネタの一つ。以下、例のAA禁止。
881人間七七四年:2009/04/23(木) 01:47:50 ID:CUIW3MwU
>>879
槍?
短筒だろ
882人間七七四年:2009/04/23(木) 01:55:08 ID:GAdZLziR
佐竹義宣には男子がいなかった
困った義宣は、末弟・申若丸を養子とし、跡継ぎに任じる
申若丸は元服し、彦次郎義直と名乗った
彦次郎は江戸に屋敷を与えられ、徳川秀忠や家光への拝謁もお膳立てされる
この時、彦次郎はいまだ十二歳
周囲によって、次期藩主の立場を着々と固められていった

が、彦次郎十五歳の時、事件は起こる
江戸城本丸にて能が催され、参勤中の諸大名が出席する場があった
江戸にいた義宣も当然、彦次郎を連れて登城した
よほど退屈だったのか、なんとこの能の席で彦次郎、居眠りした
しかもウトウトなんてレベルではなく、かなり見苦しかったらしい
隣に座っていた伊達政宗が見るに見かね、
「おい、アンタんとこの息子、寝てるぞ(,;●Д゚)」
と義宣の膝を揺すって知らせたほどだった

能見物から帰った義宣、ぶちキレた
「もともと物足りないやつだと思ってたが、もう見限ったわ…
彦次郎は秋田に戻れ!勘当じゃー!!」
激怒した義宣によって彦次郎は廃嫡、わずか二日後に江戸屋敷を叩き出される
秋田に到着すると即座に出家させられた

秋田での僧坊生活は針のむしろだったのだろう
二年後、彦次郎は高野山に行きたいので、援助して欲しいと佐竹家に申し込む
だが回答は、高野には行けばいい、だが援助は一切しない、という冷淡なものだった
これ以降、佐竹彦次郎義直の記録は絶える
883人間七七四年:2009/04/23(木) 02:21:21 ID:LwluVos9
オゥ、ノー
884人間七七四年:2009/04/23(木) 02:43:00 ID:A/m7aaNG
よだれ垂らしてたのか?
885人間七七四年:2009/04/23(木) 03:01:04 ID:hEaGqFq1
>>880
織部の意図がわからん。
どういう逸話なんだ?
886人間七七四年:2009/04/23(木) 06:25:12 ID:Z+B7Mcne
>>876
フロイスはガラシャが子供の頃、
「光秀の息女達はスペイン貴族の子供のように美しい」
と記録してるよね

俺の中のガラシャは仲間由紀恵系だったんだが、
西洋人に褒められるということはブリトニーとかペネロペ・クルスみたいな顔だったのか?
887人間七七四年:2009/04/23(木) 08:34:33 ID:cJ24SeCq
同じ神を仰ぐ者にはとことん評価が甘いフロイスだから
リップサービスも混じっているでしょう
888人間七七四年:2009/04/23(木) 09:20:06 ID:Lj2ji6G+
>>880
話のオチもよくわからないし、
某マンガの有名なシーンも、
例のAAもわかりません。
マンガがわかればわかる話なのか?

戦国(書き方が)ちょっと悪い話になってますよ…。
889人間七七四年:2009/04/23(木) 09:28:56 ID:ZSgioEsW
>>887
ダンナについては上司に「最も凶暴な大名」と報告してるしな
890人間七七四年:2009/04/23(木) 09:43:40 ID:NoUtlQnR
>>888
あんまりしつこいんで返したけど、盗んだことに関してはすっとぼけて認めようとしなかったという織部の往生際の悪い話だろ?
マンガとAAは良くわからんが。
891人間七七四年:2009/04/23(木) 09:48:19 ID:xmxvuywl
>>887
光秀の妻が元々美人だって話だからガラシャが美人でも不思議ではないがな
892人間七七四年:2009/04/23(木) 10:24:39 ID:cJ24SeCq
誰も美人である事は否定してないんだけど
893人間七七四年:2009/04/23(木) 11:06:03 ID:k5lU8kNe
>>888
モーニングで連載中の「へうげもの」
894人間七七四年:2009/04/23(木) 11:12:36 ID:mxyoKuOM
確か天正遣欧少年使節は容姿の美しさも選考基準に入ってたはず
で、リーダー格の伊藤マンショのあっちで描かれた肖像画がこれ
ttp://home.att.ne.jp/wood/aztak/news/TKY200511290277.jpg
ここから当時の宣教師の美的感覚が推測できるかも?
895人間七七四年:2009/04/23(木) 11:22:53 ID:mxyoKuOM
あ、伊東だわごめん
あと、伊東マンショは大友宗麟の遠縁ってことで選ばれた比重が高そうなので
容姿の方はそれほどでもないかもしれん
896人間七七四年:2009/04/23(木) 11:57:22 ID:GOateFOI
>>885
物欲にまみれた話、かな。芸術的意図もなんもなく、ただ欲しくてパチったんじゃね?
897人間七七四年:2009/04/23(木) 12:16:04 ID:lKsXYqgq
しかし、そんなバレ易い状況の物よく盗んだよなぁ。
898人間七七四年:2009/04/23(木) 12:51:37 ID:/xQzb5Lc
>>896
漫画のそのシーン知らないけど
多分、同じもの作って、作った偽物のほう返したんだろう。
漫画だと織部はそういう奴。
899人間七七四年:2009/04/23(木) 15:24:20 ID:Z/KNEkgD
関ヶ原の決戦の後、島津攻めについて噂になった時に、黒田如水がその戦略を語った。

「島津征伐が私に命じられれば、簡単に攻略して見せよう。
その内容はこうだ。薩摩口へは鍋島を先手として使う。『それは迷惑だ』などとは言わせんよ。
肥前は大国でその軍も大軍なのだから、必ず戦ってもらう。

で、鍋島軍は島津に手もなく負ける。
弓矢の作法を知らず、軍の調練も行き届いていない連中だからな。あいつら朝鮮の役の時
自分の所の派遣軍をまとめることも出来ず、こっちから蟻之介という足軽大将を遣わして
ようやく立て直したような所だ!

というわけで、鍋島の兵は全て弱兵であり、島津はこれを簡単に打ち破り、勝ち誇って
進軍してくる。
そこで加藤清正だ。彼は格別な器量の持ち主であり、いい気になって攻勢をかけてくる
島津軍に、二の手として真一文字にかかって行けば、何ほどのこともなく打ち破る。

で、私の部隊はその後、平服のまま楽々と薩摩に入るというわけだ。
どうだ、道理にかなっていて簡単だろう?」

そんな、黒田如水の鍋島家への評価がひどいお話。
900人間七七四年:2009/04/23(木) 15:25:40 ID:xmxvuywl
鍋島捨て駒w
901人間七七四年:2009/04/23(木) 15:46:36 ID:cut8eRq4
鍋島ボロクソ過ぎるw
仮にも九州三強の一角なのにww
902人間七七四年:2009/04/23(木) 15:53:49 ID:UuNXsYPb
>>899
そんな如水の期待を裏切って鍋島より真っ先に
突撃し、壊滅する黒田長政を想像してしまった・・・
903人間七七四年:2009/04/23(木) 16:09:19 ID:0Aclvmcd
そんな鍋島に

「あいつは後方で立ち見だけしてた臆病ものの司令官っすよww
大軍で小兵を飲み込んだってだけで功なんざたいしたこたぁねぇす」

っと小西行長をぼろくそ叩く
904人間七七四年:2009/04/23(木) 16:10:53 ID:JBJnC00F
>>899
官兵衛ワルだなw
秀吉に警戒された理由もわかる気がする。
905人間七七四年:2009/04/23(木) 16:24:35 ID:Nnjmoxhr
それより、蟻之介が気になる。蟻?
906人間七七四年:2009/04/23(木) 18:44:06 ID:czh5ivL2
>>902
反省のために髪の毛を切ってつるっぱげになった長政を横目に「そんなことでいちいち以下省略」と嘯く後藤さんがw
907人間七七四年:2009/04/23(木) 18:58:53 ID:qO3p6HJ4
逸話における長政の扱い見てると、異見会開いたのは煙たい爺さん連中が若手にやり込められる
のを期待してじゃないかと邪推してしまう。
908人間七七四年:2009/04/23(木) 20:32:12 ID:xmxvuywl
まとめ見てたら

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 20:35:26 ID:4JMMaVO6
>>702
たしか、竜造寺隆信の軍団は『退けば理由の如何を問わずとにかくぶっ殺す』
と言う鉄の規律だったので、相手がどんなに強かろうが、退却して殺されるより敵に遮二無二突っ込んで
討ち死にを果たした方がマシ(結果勝てば恩賞が期待)・・・と言う按配だと思ってたけど
沖田畷での壊乱振りを見るとそうとも限らない気がするなあ・・・


こんなレスがあったがこれが本当なら竜造寺家は軍略も糞もなく
ソヴィエト並みに人海戦術で突撃させるだけだったから
如水にボロクソ言われるような錬度の低い兵になっちゃったんじゃねぇの?
主だった将が沖田畷で死んでるから纏めるのが大変だったってのもあるかもしれないけど
909人間七七四年:2009/04/23(木) 21:37:19 ID:f7r3YQdm
そういやその時期の竜造寺って四天王(五人)もほぼ潰滅で
鍋島は居るけど、長篠後の武田みたいな状態だよな。

しかしそれでも全盛期の竜造寺は立花や高橋擁する大友を結構痛めつけてるんだから
悪く言い過ぎじゃねえかとは思う
910人間七七四年:2009/04/23(木) 21:55:46 ID:TWpPpTvX
>>899
加藤清正は官兵衛から評価高かったの?
911人間七七四年:2009/04/23(木) 22:19:16 ID:oYhzVaQS
鍋島はわざと侮って戦いに参加させる
しかし肥前の兵は烏合の衆だから薩摩兵に蹴散らされる
その後、気持ち良くなって調子ぶっこいてる薩摩兵に
清正軍を当てる、清正は虎のような男なんでも一人でやろうとする性格だが
おだてて飼い馴らして任せちまえばOK
弱い大軍を蹴散らさせてつけ上がったところを
少数精鋭で逆捨て奸り、島津お株を奪われ超涙目w
(まあ百戦錬磨の俺位じゃないとこいつらは使いこなせないけどね
って事っすか?官兵衛さんマジパネェっす!
912人間七七四年:2009/04/23(木) 22:56:45 ID:/xQzb5Lc
>少数精鋭で逆捨て奸り、島津お株を奪われ超涙目w
釣り野伏せの間違いだよな?
そこで清正が捨てがまりで撤退したら囮の鍋島兵やられ損じゃん。
913人間七七四年:2009/04/23(木) 22:57:23 ID:hy7jmik9
>>911
逆捨て奸りって大将自ら突撃ってこと?
914人間七七四年:2009/04/23(木) 23:12:04 ID:JBJnC00F
>>911 
逆捨て奸りって
清正軍の少数の兵を、死ぬまで島津の大軍ぶつけて、彼らが島津に
討たれたら新手の少勢を出して同じことを繰り返すってことかな?
攻撃側がそれをやる意味がよくわからん・・・
915人間七七四年:2009/04/24(金) 00:42:32 ID:Y3ippRs5
>>910
結構良いみたい。清正は熊本城をわざとみてもらったりしてたりする。
鍋島も小西とは対照的に加藤はべた褒め。
どうでもいいけど熊本城の歌に「黒田が攻めてきてもこわくねぇwww」って歌詞があるんだが
なんで島津じゃなくて黒田なんだ?当時から勘兵衛って相当な悪役だったんだのか
916人間七七四年:2009/04/24(金) 00:58:25 ID:gx1OGd2y
徳川家康、ちょっと後悔する。


まだ三遠二ヶ国の頃であろうか、家康があるとき家臣たちの前で

「わしが信長と同盟した時、もう少しじらして武田信玄と同盟するように見せて、
そこであせらせた挙句、信長と同盟しておけばよかったな。

そうすれば信長も徳川をもっと大切にしただろうし、所領も多く増えただろうにな」

そう、笑って言ったことがあったそうだ。
家康ほどの人でも、あの時ああすれば、この時こうすればと色々と後悔していたのだな、と言うお話。
917人間七七四年:2009/04/24(金) 01:07:20 ID:LYjUyeel
>>915
いつの時代の歌かは知らないが、
黒田家2代目藩主が大阪の陣終わったあとにも関わらず、
足軽召抱えたりして軍拡(黒田騒動)したんで警戒したんだろう。
918人間七七四年:2009/04/24(金) 01:09:49 ID:S4Djhz/e
>>916
江戸時代の創作だなあと一発でわかるのも悲しいな
919人間七七四年:2009/04/24(金) 04:48:03 ID:QExKUfaK
第六天魔王様にそんな駆け引きは危険
920人間七七四年:2009/04/24(金) 05:53:23 ID:6MwQ354o
ぽろっとそんなこと家臣に言って耳に入ったらどうすんねん
921人間七七四年:2009/04/24(金) 06:08:19 ID:oVDdeYv4
三河武士なら洩れないさ。
ってのは冗談だが、当時の徳川家中でも少なからず不満があったんだろう。
家康の功績に報いていたとは言い難いからねえ。
922人間七七四年:2009/04/24(金) 08:23:37 ID:4qF1hRUw
信長と同盟したのは1560年以降で当時の松平と武田の勢力を見較べたらすぐにわかるだろ
あれは信康切腹に対する家康なりの仕返し
923人間七七四年:2009/04/24(金) 09:53:25 ID:HO4ZBR7c
>>921
清洲同盟締結時の1563年当時、武田は上杉を敵にして背後の今川とは固く同盟中。
今川から離反独立を企む松平が、どうやって武田と同盟結ぶんだ?
交渉材料にもならない。

徳川の領地はあくまで徳川が自力で切り取った分。武田滅亡で駿河を授かるまでは。
領地が小さいのなら、それは徳川の実力によるもの。織田に不満を抱くのは筋違い。
信康切腹みたいな捏造を除けば、信長は徳川を配下大名としては優遇している。

家康の功績といっても、武田攻めには駿河一国と十分報いているが。滅ぼしたのは
あくまで織田軍だしな。
当時の情勢を知らない後世の人間の創作だと丸判り。
924人間七七四年:2009/04/24(金) 10:21:50 ID:tOOmXBx9
そもそも、家康がそう思ったとしても絶対に口には出さないだろうしね
925人間七七四年:2009/04/24(金) 10:25:13 ID:7vv3TxzD
晩年 信長の事を聞かれても、絶対答えなかったんだっけ?
926人間七七四年:2009/04/24(金) 10:48:33 ID:I/9eDHcz
信玄の事を聞かれると、嬉しそうに喋り出したらしいな
927人間七七四年:2009/04/24(金) 11:31:58 ID:IpQGE6eA
>>923
家康が独立した当時は、三河の大名ではなく豪族程度の実力。
武田が同盟結ぶほどの存在感はないだろ。
928人間七七四年:2009/04/24(金) 11:43:59 ID:66eygMqe
>>925
何か嫌な思い出でもあるのか?信長メモリー
929人間七七四年:2009/04/24(金) 12:17:41 ID:10G/8LQJ
>>928
そりゃあ、あるだろう
なんとなく家康と信長は縁はあっても
性格的に合わなそうな気がする
930人間七七四年:2009/04/24(金) 12:18:28 ID:zBcMmUMk
人質時代に実は掘られていたとか
931人間七七四年:2009/04/24(金) 12:32:43 ID:oSlMPvdn
ありそうだw
932人間七七四年:2009/04/24(金) 13:35:24 ID:ORUzYhZl
>>930
たしか司馬遼が「ひょっとしたら…」と前置きしてそんな説をとなえていたぞ
家康の信長に対する従順さは女のそれに近いって
933人間七七四年:2009/04/24(金) 13:36:25 ID:JlgtxoHZ
同盟じゃなくて降伏なら話はわからんでもないけどな
934人間七七四年:2009/04/24(金) 14:14:28 ID:4lURpcQ2
信玄ファンクラブ会長だから、信玄の事は幾らでも語れるだろうな
935人間七七四年:2009/04/24(金) 14:17:44 ID:2TyeD7Sa
最初は対等同盟だったけど、その後織田が勢力拡大して力関係が傾き、
最後は実質的に傘下大名となってしまったってこった。
936人間七七四年:2009/04/24(金) 14:23:36 ID:/YxH/Mmw
信長時代を語ると芋蔓式に秀吉が付いてくるから語りたくないんじゃね?
937人間七七四年:2009/04/24(金) 14:46:53 ID:phXWy7iS
>>909
龍造寺四天王は本当はザコだけどな。

鍋島には龍造寺四家と呼ばれる有能な龍造寺一門衆がついていた。
立花道雪・宗茂・高橋紹運を柳川城で撃退した龍造寺家晴とか、
隆信の息子で、加藤清正を蔚山城から救出した後藤家信とかが、
龍造寺四家のメンバー。
938人間七七四年:2009/04/24(金) 14:59:54 ID:if5WlJtg
>>926
マジで?w 面白いな
939人間七七四年:2009/04/24(金) 15:09:26 ID:tOOmXBx9
「四天王がやられたようだな…」
「所詮やつらはただの数合わせ…」
「四天王のくせに(同時期に)五人いる訳の分からん奴等よ」
「島津ごときに敗れるとは竜造寺の面汚しめ…」
940人間七七四年:2009/04/24(金) 15:14:36 ID:if5WlJtg
四天王のくせに(同時期に)五人いる訳の分からん奴等よ ワラタw
五人いたら数合わせになってないしw 足し算できてない
941人間七七四年:2009/04/24(金) 16:28:08 ID:gx1OGd2y
丹羽長重の小松城に、豊臣秀吉が立ち寄るという折の事。
長重の家臣に、成田官九郎と言う者がいた。

彼は長重に説いた。「秀吉は先君長秀公を、北陸管領にすると賤ヶ岳の折約束しました。
ですが長秀公が没するとたちまち小松12万石に減じ、丹羽家は滅亡と言っても良いような有様です。
このような秀吉の不義、憎むに余りあることです。どうか私に秀吉を討つ事をお許しください。
たやすく刺し殺してご覧に入れましょう!」

しかし長重は聞き入れず、この沙汰も事止みとなった。

ところが、秀吉はどこからかこの事を知り、大いに怒って成田を捕らえようとした。
成田は小松を退き伊勢の朝熊に隠れたが、終に探し出され、殺されたとのことである。

おそらくは内々の話し合いであったに違いないこの陰謀を、秀吉が知ったという事は、
既に丹羽家の内部に秀吉は、相当の内通者を持っていたのだろう。そんな事を感じさせるお話。
942人間七七四年:2009/04/24(金) 17:00:39 ID:10G/8LQJ
織田の遺臣に対してる時のラスボスは
なんか末期のラスボスの影を感じる
943人間七七四年:2009/04/24(金) 18:59:15 ID:qQWkqgLx
>>940
まあなんだ。 チャンバラトリオも確か4人いることだし。
944人間七七四年:2009/04/24(金) 20:24:12 ID:wwcgDFZV
残念ながらチャンバラトリオは現在3人です
945人間七七四年:2009/04/24(金) 20:49:57 ID:qqGpSm/L
四天王なのに5人と言われてもクロマティ高校しか連想できん。
946人間七七四年:2009/04/24(金) 21:40:40 ID:e8X92GTO
>>945
クロ高のそのネタは竜造寺四天王を参考にした


んではなかろうか
947人間七七四年:2009/04/24(金) 21:41:24 ID:VA1h2ZHe
転封後の本多正純の話

転封は正純が山形で最上改易の処理をしていた際、電撃的に告知された
すでに鳥居忠政や佐竹義宣らが幕命を受け、軍勢を展開している
正純は身辺の家臣とともに、おとなしく転地の由利本城へ向かった

しかし、正純が到着した翌日、佐竹軍が本多家の居城となるべき本城城を破却
二十日後には、佐竹家重臣の梅津政景より、「今後は一切お付き合いしません」と通告される
翌月には、正純の荷物が佐竹領を通ったら差し押さえろ、とのお達しが幕府より下る
追い詰められた正純は由利の受領を拒否
結果、佐竹家の横手城へお預けとなり、知行は1000石とされる
しかも、佐竹家には百姓といえど正純の知行地と交流させるな、と命じられていた
二年後、正純に番がつけられ、幽閉が強化される
四年後、ともにお預けされていた嫡男・正勝が死去する
十一年後、幽閉のまま正純も死去する

政争に敗れるとはこういうことだった、というお話
948人間七七四年:2009/04/24(金) 22:00:11 ID:x6k+VbyP
>>932
司馬遼が司馬遷に見えた
ちょっと去勢されてくる
949人間七七四年:2009/04/24(金) 23:17:10 ID:fvXltwx0
>>948
初めての人になってやるから大切にな
950竜造寺四天王の思い出:2009/04/25(土) 02:35:36 ID:RnbeueR/
             ヽ 丶  \
    隆信様    \ ヽ  ヽ     ヽ
/  /    ヽ    \ ヽ   ヽ
 /   |  ヽ \     \  ヽ  ゝ           (宗麟)
ノ 丿       \   鮭 \   ヾ
 ノ  |   |  丶  \     \          (宗麟) 
   /          \     \/|               (宗麟)
 ノ   |   |      \       |         ↑
     /\        \      |         (  ↑
   /   \       /      |          )  (
  /      \      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄         (   )
/_        \                    ) (           猫
 ̄  | な  四   | ̄         ノ⌒ ̄⌒γ⌒ ̄⌒ゝ           / /
   | い  天 4|         ノ     有馬   .  ゝ          / /
   | で 王 人|        丿              ゞ      _/ ∠
   | ね の に|       丿/|/|/|/|\|\|\|\|\ゝ     .\  /
   | ! 事 な|               │                V
――| と  忘 っ|――――――――――┼―――――――――――――――――
   / い れ てヽ  巛巛巛巛巛巛巛巛 人巛巛巛巛巛巛巛巛巛巛鍋島
    う    .も
    気
    持
    ち 
951人間七七四年:2009/04/25(土) 02:50:52 ID:Uk5Qv9Kx
うかつにも「猫」でこんな夜中に爆笑してしまったw
952人間七七四年:2009/04/25(土) 03:24:43 ID:tmmFTiek
コピペくせに的確すぎるぜw
953人間七七四年:2009/04/25(土) 13:51:55 ID:72m+wc6p
五大老だって徳川家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・小早川隆景の5にn・・・
あれ?合ってる・・・
954人間七七四年:2009/04/25(土) 13:54:58 ID:wwtUAtpk
宇喜多秀家、前田年長
955人間七七四年:2009/04/25(土) 14:52:17 ID:pcAba+0+
小早川→上杉
前田→前田
こちらは死んだら
956人間七七四年:2009/04/25(土) 15:40:15 ID:Uk5Qv9Kx
宇喜多直家が毛利から離れ、羽柴秀吉を通して、織田信長に付いた頃のことである。

宇喜多方の国人に、備前国津高郡虎倉城主、伊賀久隆と言う者がいた。
彼は無二の宇喜多方とされ、また毛利に「加茂崩れ」と呼ばれるほどの大敗の屈辱をなめさせた
武将であった。
が、その高名をわずらわしく思ったのであろうか、それとも何か疑念を抱いたのであろうか

宇喜多直家は、これを殺すことにした。

その頃伊賀家は岡山城下に屋敷を持ち、久隆とその嫡子興次郎が、そこと虎倉の城を
交代で在住していた。
岡山に久隆が在る時、直家は饗応を開き、城下にいた家臣国人たちに食事を振舞った。

さて、久隆は下城の途中、久隆の家臣と知り合いであった宇喜多家の料理人から、密かに
こう告げられた
「今日の料理には毒が入っていました。急いで解毒剤を用いてください!」

久隆これを聞き、「今解毒をして生き延びても、直家はとてもわしを生かしてはおくまい。
必ず殺される。同じ死ぬのなら、城に籠って討ち死にすることこそ本望だ。」
と、岡山を脱出し、馬を飛ばして深夜に虎倉の城に帰り、家人を集め篭城の支度をさせた。
子の興次郎は急いで解毒薬を作り久隆に与えたが、既に手遅れだったのであろう、
夜のあける頃に、死んだ。

それから虎倉城は半年以上篭城をし、宇喜多勢もそれを攻略できなかったが、
毛利勢が備中に攻め込んだときそれと合流し、城を放棄し共に引き上げていった、とのことである。

数ある直家の暗殺の中でも、いまひとつ目的のはっきりしないお話。
957人間七七四年:2009/04/25(土) 19:51:39 ID:InDbnMlF
家中でもかなりの高禄を食んでたらしいし直家も死期が迫っていたから焦りが出たんじゃないかと俺は思う。
958人間七七四年:2009/04/25(土) 22:04:51 ID:1UTGwk5+
何故暗殺したのかって?
そこに人がいるからに決まってるじゃないか。

と言う冗談は置いておいて、毛利方の調略って線はないの?
959人間七七四年:2009/04/25(土) 23:57:01 ID:SQVIpaHf
>>955
隆景生前に既に景勝の大老活動は始まってるから実際は六大老です。
960人間七七四年:2009/04/26(日) 00:13:57 ID:izwvY4aM
>>959
隆景は死去ではなく引退による交代だろ。
961正純:2009/04/26(日) 01:09:24 ID:24/jJNWN
>>956
で、毒が効いていないように見えるのですが
962人間七七四年:2009/04/26(日) 10:13:21 ID:y97dQQ3f
伊賀氏は宇喜多の離反には付き合ったものの宇喜多の家来ではないし、
一時期は国境を越えて備中国上房郡阿賀郡や美作国真島郡にまで及んでいた
一大勢力を築いていて、そのまま毛利につかれると厄介だったんだろうね。

便乗して同じ時期、伊賀領と旭川を挟んで隣の地域の話。
美作高城主竹内善十郎為能は当時毛利に属しており、彼の治める垪和郷は毛利にとって
備中から美作東部、因幡方面へ向かう回廊の一つであった。
宇喜多にとっても竹内氏は美作西部への兵站に目障りな勢力であり、吉川元春による失地
回復の為出陣した宇喜多本隊により、竹内一族の一の瀬城も呆気無く攻略された。

そこで竹内氏は近隣の地侍に合力を求め、毛利にも援軍を要請し兵糧や鉄砲衆、備中勢の
加勢を得て守りを固めていた。また備中との境目にも改めて毛利の一所衆が配備されて、
その何割かが垪和郷に後詰として着陣していた。
さて、垪和郷攻防戦は天正八年二月に始まり緒戦は毛利方有利であったが
戸川、岡、長船らの部隊が到着すると逆転した。
諸城陥落し城兵は高城へと落ち延びていき、三月中旬ついに高城合戦が始まった。

前置きが長くなったが、ようやく本編。
宇喜多家臣馬場重介職家は谷の方面の討手であったが、数刻経っても敵が現れない。
退屈して嶺に上ると出会い頭に敵と遭遇してしまった。敵は五段に備えていたが、
鉄砲で備えを崩し自身も槍をふるって三段目まで打ち破ったところで
敵の鉄砲が重介の右の股に命中した。鉄砲が放たれる中、重介は心は猛く進むが、
出血多くもはや前進できなくなり、土手を楯にして討ち死にする覚悟で敵を待ちうけた。

その時向かいの谷の柴の陰から鉄砲が放たれ重介の右肩甲骨の内から肘までうち抜いた。
竹槍で布袋を突き通したような感じで、目もくらみ、心も動転し、
世界がまるで朝顔の花の色のようにみえたという。

気を取り直して眼を開くと、田中藤介が登って来て、重介を励まし退くように説得した。
重介が、「深手を負ってしまい敵の追手に討たれるに違いないから潔く自害したい、
藤介こそ早く退け」と言うと、藤介は「某、ここを一足も退いたりしない。この覚悟なら
堅固に防ぐことも難しくない」と言い、そこに重介の部下も来て重介を引きとった。
藤介は一斉に鉄砲を放たせ槍をふるって突入し、敵は引き揚げた。

この谷は激戦で多くの血が流されたので大血谷と呼ばれ、現在の地名大地谷の元になった
と伝えられている。鉄砲に討たれた瞬間のことを記述している珍しい話である。
963人間七七四年:2009/04/26(日) 10:19:17 ID:y97dQQ3f
その後の話
竹内氏は高城合戦で数回大規模な攻勢を掛けられるが、その度防戦撃退し、ついに宇喜多
の将の一人平尾弾正を討ち取った。竹内方の勝利で宇喜多勢は陣を引くが、包囲は続く。
同月の辛川合戦、翌月の虎倉合戦では宇喜多方が大勝を収め、高城包囲網は崩れない。
竹内善十郎は弟を使者にして毛利にさらなる援軍を要請するが、包囲を突破して援兵する
のは難しいとの返事で、四月以降の毛利からの書状は現存していない。
毛利からも見捨てられた高城はその後も籠城を続けるが、
いつも通り宇喜多の調略により城将の一人が寝返り、八月落城した。

高城から谷を挟んで南側に鶴田城があり一族の杉山氏が守っていた。鶴田城主の姫は
麓で若い寺小姓と出会い、度々の逢瀬を楽しんでいたがいつの日か姿を見せなくなった。
その直後から宇喜多勢の攻勢が強まり高城陥落後、鶴田城も間もなく落城した。
落城後この男が宇喜多の間者と知った姫は、絶望のあまり旭川の渕に身を投げ、
それ以来「姫こ渕」と呼ぶようになったという。

竹内一族では竹内久盛が有名だろう。彼は一の瀬落城後、高城には入らず
播磨へ落ち延び後に宇喜多家臣新免氏を頼ったという。

馬場職家は間もなく復帰し、二年後の八浜合戦では殿をつとめ八浜七本槍に数えられる。
晩年には子供達に「侍たるもの決して臆病であってはならぬ。(中略)生きるも死ぬも
運次第で臆病になる必要がないのはこの自分の例からも明らかであろう」と語り、
七十七歳の天寿を全うしたという。
964人間七七四年:2009/04/26(日) 10:40:51 ID:gJ44A6sQ
すごいな。このまま岡山県の新聞あたりに、歴史コラムとして載ってても
おかしく無いような話だわ。

しかしあのあたりは戦国後期まで中小勢力がせめぎあっていた中、そこに尼子、毛利、織田って
巨大勢力が介入してきてるから、一つ一つの合戦が、規模のわりに、異常に凄惨なものに
なっているって印象があるな。
965人間七七四年:2009/04/26(日) 11:12:15 ID:+Juf3Ch9
>>956
松田元輝を抹 殺 するときに伊賀さん一役かってるんだよな


……用済みでしか
966人間七七四年:2009/04/26(日) 11:16:27 ID:+Juf3Ch9
>>964
派手な野戦をしなくても干 殺し 、水攻めとか飢餓必至だもんね
967人間七七四年:2009/04/26(日) 13:14:26 ID:AV6viTFi
>>961
ただ単に、宇喜多から出されたご馳走のなかに毒は入ってなくて、「毒入ってたから毒消し飲めや つ【解毒薬】」って言って解毒薬(実はこれが毒)を飲ませようとしたんじゃないのか……
968人間七七四年:2009/04/26(日) 14:03:04 ID:9weSNB3d
>>967
推理小説の殺人事件とかでよく見かける方法だな
969人間七七四年:2009/04/26(日) 16:13:21 ID:gJ44A6sQ
元和6年(1620)有馬豊氏が田中忠政の病没、改易によって、筑後南部を拝領した時の事。
福岡の黒田長政が豊氏を見舞いに来て、ふと、
「そういえば有馬殿は、どこに居城になされるのですか?」
と、聞いてきた。

豊氏は
「田中家の時と同じく。久留米を居城にしたいと考えております。」と言う。

これに長政
「あなたの領地は九州の真ん中にある国であり、どの方向からも敵を受ける可能性があります。
で、あれば、居城も中心部におかず片方に寄せ、我が領地に近い場所に居城を
御作りになるべきではありませんか?
そのようにいたされれば、普請のために使う木材なども、手近ですから我が領地から
送って差し上げられますに。」

この助言に豊氏も
「いやいや、これは懇ろなるお言葉、痛み入ります。」
と、丁重に礼を申し述べた。


さて、その後豊氏、長政の助言を完全に無視して、やはり久留米を居城にした。
この件に関して豊氏は家臣たちにこう語ったそうだ。
「黒田のやつめ、あれは九州に動乱が起こったとき、速やかに筑後を手に入れるための策略だよ。」

元和偃武もかなりたったと言うのに、まだまだ野心満々(と周りから見られている)の、
黒田長政なのであった。
970人間七七四年:2009/04/26(日) 19:01:58 ID:uNcdy9DF
加藤清正は主君豊臣秀吉が茶道に耽るのを憂慮していた
茶道は武士のやることではないと考えていたが秀吉に茶道を止めるように諫めても聞く耳を持たない

ある日清正は茶道を学びたいと千利休を訪ねた
利休はこれを大いに喜んで茶室に案内した
しかし清正、脇差を腰に差したまま茶室に入ろうとする
それを見て利休は脇差は茶室の外に置くように諭した
だが清正は刀は武士の魂故に一時も話すことは出来ないと拒否
利休は笑いながらこれを許した

実は清正、かくなる上は利休を暗殺して禍根を断とうと考えていた
これから暗殺するのに丸腰になるわけにはいかない

いざ茶室に入り脇差を側に置いて隙あらば利休を刺し殺そうを
利休から目を離さず一挙一動を凝視し続けた

が、隙がない

落ち着いて茶事をこなし釜を手にすれば釜が盾になり火鉢を手にすれば火鉢が盾になる
清正は何時までたっても寸分の隙のない利休にどうしたものかと悩み始めていた

すると突然利休が突然炉を手にとってぶちまけた
灰が室内に舞い上がり降りかかった灰が清正の目や鼻に入る
清正は堪らず庭に飛び出した

少しして利休が清正を呼んだ
行ってみると利休の手には清正が茶室に残した脇差がある

「あんたの武士の魂はどうしたんだよ。これでも俺を殺すのか?」

全部バレていた

清正は大いに恥じて、以後本当に利休から茶道を学んだという
971人間七七四年:2009/04/26(日) 19:04:45 ID:mx+81YwH
ちょっちゅね
972人間七七四年:2009/04/26(日) 19:29:26 ID:bpLNMAEH
一方秀吉は利休を殺した
973人間七七四年:2009/04/26(日) 19:34:38 ID:9jfIDI/I
ダーメダメダメ!!普通に茶を点てちゃダメと申したでしょ!!?
相手に意表をつく茶会じゃないと!獲物を襲う虎の如くね!
これじゃあ宗匠の物まねで客にも飽きられるよ!!
974人間七七四年:2009/04/26(日) 19:42:04 ID:9QGzGDJT
このへうげものどもめ
975人間七七四年:2009/04/26(日) 19:49:41 ID:gJ44A6sQ
980を踏んだ方、スレ立てお願いします

↓スレタイ

戦国ちょっと悪い話9

↓テンプレ

戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話8
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1237446002/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話9
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1240492546/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
976人間七七四年:2009/04/26(日) 19:58:36 ID:Dziv7p1l
>>970
おもしろい
やっぱり秀吉のまわりには一癖あるのが多いんだな
977人間七七四年:2009/04/26(日) 19:59:27 ID:0dfizlBP
ホヒョン殿の花籠強奪話はやったん?
978人間七七四年:2009/04/26(日) 21:34:14 ID:SQtq/iIq
>>970
清正は武士道をどうゆう風に考えているかよくわかった
979人間七七四年:2009/04/26(日) 22:15:56 ID:odJS4d7P
>>963
これって、あっち(いい話)でいいよ。
朝顔なんて、体験者しか語れない。
980人間七七四年:2009/04/26(日) 22:17:04 ID:/bDfLDJK
>>970
なるほどこれが落語の髭茶につながるのね
981980:2009/04/26(日) 22:19:48 ID:/bDfLDJK
あっごめん携帯です。
次の方お願いしますm(_ _)m↓
982人間七七四年:2009/04/26(日) 22:37:47 ID:6xTTMmZ8
では新スレ立ててみるよ。
983人間七七四年:2009/04/26(日) 22:39:42 ID:6xTTMmZ8
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1240753114/
新スレたちました。

エイ エイ オ〜
984980:2009/04/26(日) 22:50:46 ID:/bDfLDJK
>>982さん乙です。
ありがとうございました!
次も頑張っていきましょう

えい えい お〜
985人間七七四年:2009/04/26(日) 23:26:50 ID:uNcdy9DF
かけ声ってやっぱ軍団ごとに違うんだろうか?
986人間七七四年:2009/04/27(月) 01:22:59 ID:cDNZsLwg
勝鬨のエイエイオーは武田流じゃなかったっけ?

つまり日本のスタンダードになった
987人間七七四年:2009/04/27(月) 01:41:49 ID:LhcYXg3S
>>986
徳川が採用したからなー
988人間七七四年:2009/04/27(月) 02:17:38 ID:g1rIpQoV
鬨の声に関しては

「エイ エイ エイ!」←確か初期の三河流はこうだったとか
「エイ トウ エイ!」
「エイ エイ トウ!」←武田流

と、何種類かあったようね。勝ち鬨によってどこか勝ったかって言うのも
解る様になっていたんでしょうな。

鬨の声と言えばこんな話が


永禄十三年、武田信玄が駿河の花澤城を攻めたとき、信玄の旗本の
落合冶部と言う者が討ち死にした。

敵はこの冶部の首を取ろうとし、冶部の弟左平次をはじめとする武田軍の面々は、
屍骸を引き取ろうと駆けつけ、敵味方入り乱れる混戦となった。

この時、これを高台の本陣から見ていた武田信玄は、旗本の者たちに一斉に鬨の声を上げさせた。

敵、突然の鬨の声に驚き、城に引き返した。
このため武田方は無事、落合冶部の屍骸を回収したとのことである。


しかしこれは悪い話ではないなw
989人間七七四年:2009/04/27(月) 02:29:12 ID:WWgVKOza
さすがだな

まあそれはどうと猪木の例のあれも勝鬨の一種だろ

123 ダー
990人間七七四年:2009/04/27(月) 03:24:03 ID:j3pDo5AZ
それでは皆さん、ご唱和ください
3 2 1 ハッスルハッスル!
991人間七七四年:2009/04/27(月) 07:44:21 ID:cLzxjDfQ
>>970
これ凝視してたからバレちゃったんじゃないか?w
>>988
とっさの機転が素晴らしい
悪い話じゃないけど
992人間七七四年:2009/04/27(月) 11:48:22 ID:0tRj070S
勝ち鬨って、風水とか縁起とかが絡んでて、その場合に応じて
やり方も音頭取る人間も変えるんじゃなかったっけ?

ウロ覚えだが、そういうのを以前 本で読んだ気がする。
993人間七七四年:2009/04/27(月) 12:45:46 ID:KdXQKSKT
一本締めといっているのにパパパンとかやる奴は戦国の世なら打ち首
994人間七七四年:2009/04/27(月) 12:49:12 ID:Hr6pjrrp
一本締めなら「パパパン パパパン パパパンパン」だな。
995人間七七四年:2009/04/27(月) 13:27:22 ID:KdXQKSKT
wikipedia読んできた
なるほど、一本締めと一丁締めがあるのか。勉強になったでござる

しかし拙者の周りもこの二つを混同しているものばかりなので
この知識はしまっておくでござる
996人間七七四年:2009/04/27(月) 14:15:49 ID:+7ox6Tct
一本締めの派生として伊達政宗が三国一をめざすぜ!の意味を込めて3回と1回手をたたく(パパパン、パン)伊達一本締めなるものがあったそうな
ただ徳川の天下になるとヘタレて止めてしまったそうだが
997人間七七四年:2009/04/27(月) 17:47:20 ID:g1rIpQoV
埋めがわりに、いい話のほうの前スレの最後の方に出てた、
大太刀「次郎太刀」を振るう「姉川合戦図屏風」の真柄十郎左衛門
http://www2u.biglobe.ne.jp/~yanop/retuden/magara.jpg
998人間七七四年:2009/04/27(月) 18:08:16 ID:cLzxjDfQ
…人間?
999人間七七四年:2009/04/27(月) 18:20:07 ID:vZlNsp3V
漫画みたいだな、ここまで長いと
1000人間七七四年:2009/04/27(月) 18:20:51 ID:oR3QUYm7
柄だけで脇差より長いなw
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
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 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
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