戦国ちょっといい話7

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1人間七七四年
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233164778/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話7
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234621761/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2009/02/18(水) 17:50:10 ID:YIGv5o14
>>1大儀であった 好きなおにぎりをとっていくがよいぞ

  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                      ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鮭 鶏ごぼう  野沢菜  天むす ツナマヨ エビマヨ 鮭マヨ 具なし
3人間七七四年:2009/02/18(水) 17:53:25 ID:U+Q0NIKS
            ___
       /       \       こ、これは>>1乙じゃなくて修行の成果なんだから
      /  _ノ  ヽ、 \     変な勘違いしないでお!
    /    (●)  (●) \
     |  //// (__人__)////|                 .,__    ., \
      \      `_⌒_´___/    _  - ― = ̄  ̄ヽ ''=;- .,_\ \\
.      /´ ⌒` ̄  ,    ´  ̄'' ̄      __   |.‐-> "`"'-' \
      |       _゙__ -―   ̄ ̄ ̄"'" /  / ._二)  \    ヽ
      |  イ´ ̄     l            /  /  ̄"'''─-::        ヽ
.     |           |           /  /     三 ≡           ヽ,
                          /  /                     ヽ;
                            |   {           _  - ― = ̄  ̄`:,  |
                        ',  `ー―  ̄ '' ̄     __――= i
                             ` ----- - ―   ̄ ̄ ̄"'" .       !
                                    ヾ、 _、         ::|
                                     ヾ./_    _   //.`
                                  、ー`、-、ヾ、、,  、, /i/
                                    // ./// /
                                    /  / / /
4人間七七四年:2009/02/18(水) 18:42:41 ID:fJNJc31e
九州の武将、島津義久が戦で竜造寺隆信を討ち取った。隆信は部下の赤星を討った男なので
義久は赤星の未亡人にその首を送り届けた。赤星未亡人は隆信を首を見ると、大いにののしって
その首を踏みつけた。義久はそれを聞いて、
「敵の首実検にも礼儀はある。いかに女とはいえ武将の首を足蹴にするとは……礼儀も義理も
わきまえぬ女だな」
 といい、それからは赤星未亡人との音信を絶ってしまった。そもそもこの戦いは赤星家の要請に
より、やむなく起こした戦いであった。
5人間七七四年:2009/02/18(水) 19:11:03 ID:f39+kJWb
慶長元年(一五九六)に京都で大地震が起きた。
この地震によって、諸大名と同様に前田家も被害を受けたので
前田利長は地震小屋を建てた。小屋が完成すると利長の父の利家がやってきた。
しかし、利家はなぜか不機嫌である。その後、利家は利長にこう言った。

「ずいぶん立派な地震小屋を建てたようだが、あんなものはある程度機能的ならいいんだ。
ああいう無駄に立派なのを『睾丸の銀箔』というのだ。金銀を無駄に使えば蓄えが少なくなって
他人のものが欲しくなるだろう。だが金銀がたくさんあれば山が崩れようが、海が埋まろうが、
どうってことはない。お前は大名なんだからそういうことに気をつけないといかん。」

どうやら地震小屋が思いのほか立派だったことが気に入らなかったようである。
利家はこのように利長を戒めたのだった。
6人間七七四年:2009/02/18(水) 19:14:02 ID:f39+kJWb
>>5
×睾丸の銀箔
○睾丸の銀薄
7人間七七四年:2009/02/18(水) 19:51:59 ID:YIGv5o14
まあ仮設住宅が豪邸である必要はないけど
利家は戦国有数のドケチだから穿った見方をしてしまうw
8人間七七四年:2009/02/18(水) 20:25:00 ID:Lusxhz0/
利家は必要以上にドケチなイメージだわ。
家康とか秀長と違って。
9人間七七四年:2009/02/18(水) 20:29:30 ID:BXQecEqu
戦国常識人十傑集から>>1乙 との仰せ
10人間七七四年:2009/02/18(水) 21:21:04 ID:I9KL8OVK
>>5
こういう調子で家中一人一人捕まえて説教する利家をイメージしてしまった
11人間七七四年:2009/02/18(水) 21:30:53 ID:V98qvU3N
>>4

島津が竜造寺隆信を討ち取ったとき、敗残の竜造寺の立てこもる城に持参し
「おたくの屋形様の御首でござる。有難く頂戴したがお返しに参った。
欲しくば潔く外にうって出られよ!」
と挑発した。

が、竜造寺隆信のモンスター・ママは
「そんなもんは、イラン、さっさと持って帰れ!」と一喝。

困った島津の使者は、城の堀の脇に首を置いてすごすごと
帰りましたとさ、と聞いたが色々異説あるんだね。
12人間七七四年:2009/02/18(水) 21:34:56 ID:sIW3tpN7
鍋島直茂が拒否したんじゃなかったっけ?
13人間七七四年:2009/02/18(水) 21:39:43 ID:II4SXVZ5
龍造寺隆信の首

島津義久は沖田畷で討った隆信の首を帰したいと申し入れたが
鍋島直茂は
「不運な首級は受け取れない。どこへでも捨て置かれよ」
と答えて、これを拒否した。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%8B%E5%B3%B6%E7%9B%B4%E8%8C%82
>>隆信の首の受け取りを断固拒否し、島津氏へ強烈な敵対を示した。このデモンストレーションの後に島津氏に恭順を示したため、龍造寺氏はよりよい地位を島津家中で得ることができた。
14人間七七四年:2009/02/18(水) 21:45:16 ID:MVPoWNrk
利家は、利長に睾丸の銀箔の教えを授けた。

一方、利常は睾丸を見せびらかした。
15人間七七四年:2009/02/18(水) 21:47:34 ID:II4SXVZ5
鍋島直茂 龍造寺政家を励ます

1587年肥後国人一揆が起こり、秀吉は一揆鎮圧のため諸大名に出陣を命じた。
しかし龍造寺政家だけが病気を理由に出陣しなかった。
大坂にいた直茂は急ぎ肥後へ行き、軍奉行らと会った。
奉行らは、「政家殿は叛意があって仮病をつかっているのではないか」と疑った。
直茂は政家の潔白を主張し、不出馬を詫びた。
急いで佐賀の政家に会い、理由を問うた。
16人間七七四年:2009/02/18(水) 21:48:09 ID:tWfEE0Ud
>>13
足蹴にされたり、捨ててくれといわれたり、隆信たんがかわいそうだw

ひいおじいさまがあと10年長生きしてたらこんなことには…
17人間七七四年:2009/02/18(水) 21:48:46 ID:II4SXVZ5
政家は、
「河上大明神のお告げがあって出陣はとりやめた。
それに与賀大明神の楠の枝が裂け落ちるという凶兆があった。
村では隆信公の霊が村人にのり移って、
出陣すれば討死にすると言ったという。
さらに城中でも夜な夜な奇怪な泣き声がする」
と答えた。

直茂は
「楠の枝が朽ちて落ちるのは何も不思議ではない。
怪しげなことを口走って迷わした者たちを即刻処罰されよ。
奇怪な泣き声というのも大方狐でしょう。」
と言って政家を出陣させ、謀叛の嫌疑を晴らさせたのであった。
18人間七七四年:2009/02/18(水) 21:56:51 ID:YIGv5o14
>>16
をいw
19人間七七四年:2009/02/18(水) 22:00:37 ID:PBhrSXMm
龍造寺政家ってあんまりいい噂聞かないね。
20人間七七四年:2009/02/18(水) 22:09:36 ID:LPLifwRh
歴史は勝者が作るからな
敗者が貶められるのはよくあること
21人間七七四年:2009/02/18(水) 22:16:59 ID:I9KL8OVK
蘆名家中に、あかい又六という人がいた。家系や経歴は分かっていない
なぜそんな男の名前が残っているかといえば、彼の落書きが現存しているからだ
場所は越後、会津に程近い山中の仏堂
落書きはいくつかに分かれているが、大体こんな内容である

「天正十七年六月十一日以来、
松本伊豆守が越後へ牢人した時の供衆は…(お供の名前が書き連ねられる)…だ、あかい又六がこれを記す。
会津が攻められたので、多くの侍が越後へ逃れた。心細くここに篭もっている。
  黒川の 恋しきこと事限りなし いつか帰りて これを語らん   あかい又六 」

伊達政宗の会津攻略によって、越後へ逃亡を余儀なくされた侍が、堂に潜んで書いたらしい
又六の足跡はこれのみで、「限りな」く切望した黒川への帰還がかなったかは、まったく不明だ

戦国時代には無数にいたであろう、郷里を想う一侍の話
22人間七七四年:2009/02/18(水) 22:23:59 ID:rFgpplWP
>>21
切なくも良い話だぬ。
23人間七七四年:2009/02/19(木) 00:23:23 ID:hYoOSLg2
大坂夏の陣の最中、1615年5月5日。
徳川方の水野勝成は堀直寄(堀秀政の従兄弟違い)に

「大和の諸侯とともに河内に入りますので、
直寄殿も五月五日に大和から河内に入って頂きたい。」

と連絡した。

「急にそんなこと言われても…。
参ったな、これでは到底間に合わないぞ。」

焦った直寄は近道がしたかったので
地元の人間に近道できる場所がないかと尋ねると、
亀瀬峠が近道らしいのだが…。

「実は大昔にあそこを通った物部守屋は
河内で蘇我馬子に負けて死んだのです。
それ以来、戦であそこを通ることは禁忌なので
やめたほうがいいと思います。」

これを聞いた直寄は

「なるほど、ということは私が亀瀬峠を通って敵に勝てば
先駆けて千年の馬鹿げた迷信を解けるというわけだ。
守屋は死んだかもしれないが、私は生き残ってみせよう。
それで禁忌の真偽もわかる。もし、私が討ち死したら
後世の侍たちに禁忌は本当だったと伝えてくれたまえ。」

と言って臆せずに亀瀬峠を通っていった。
やがて合戦は幕府軍の勝利となったので
誰もが直寄のこの行動を賞賛したという。
24人間七七四年:2009/02/19(木) 01:52:11 ID:zvBs3vTT
>>23これは豪胆だね。大将以下一兵卒まで、生死に関わる迷信をあえて破らず、むしろ避けて通る人間が少なくなかった

…駿府かどこか火事のときにえらく肝の座った態度で褒められたという堀家の家老さんかな?
25人間七七四年:2009/02/19(木) 01:59:59 ID:U92OLRDP
戦国武将の血液型

科学の発達で、一部の戦国武将の血液型が解った。
織田信長は血痕からA型
伊達政宗は遺髪からB型
豊臣秀吉はO型
上杉謙信はAB型
徳川秀忠はO型

科学の発達が遠い過去を明らかにしたのだ。
26人間七七四年:2009/02/19(木) 02:22:44 ID:5KbSQ475
>>25
科学の進歩はすばらしーいね。

しかし分析できた血液型を占いや、性格診断と称するオカルトにしか用いない現代人は・・・
松永弾正の彗星話(まとめサイト/blog-entry-903.html)読んだりすると余計に
27人間七七四年:2009/02/19(木) 02:39:11 ID:BzcMYh21
>>26
でも、政宗がB型なのはなんとなく解る気がするがなw
28人間七七四年:2009/02/19(木) 02:46:59 ID:5KbSQ475
>27
そゆこというから、だろw 現代人のが迷信深いってどうよ
29(運の)いい話(一):2009/02/19(木) 07:41:04 ID:ZGm+xrcN
幸運度:☆☆?
実力度:☆☆?

天正12年(1585)11月、伊達政宗は蘆名氏の所領・檜原の地を奪った。
翌年も檜原に滞在した政宗は、この地に城を築き、近郊に作った馬場で馬を走らせるのを
日課としていた。

これを伝え聞いた檜原の元の領主・穴沢一族の善右衛門は弓矢を携えて檜原に侵入し、
馬場の終わりにある二本並んだ木の陰に潜み、政宗を射殺せんと謀った。

ところが、虫が知らせたのか、その日の政宗は馬場の中ほどまで来て三往復ばかり
馬を走らせただけで、城へ帰ってしまった。

歯ぎしりするも日も暮れてしまい、どうにもならない善右衛門、

『さてさて、政宗殿は運の強い武者でござるな。
今日、馬場の終わりまで来ればわが矢を差し上げたものを。   穴沢善右衛門 』

と書いた紙を矢にくくりつけ、馬場の真ん中に射込んで引き上げた。

翌日も馬場に出た政宗はこれを見て、
「おかしいと思ったら、昨日はこいつに憎らしくも狙われたのか!!」

と激怒したが、善右衛門がいつまた暗殺に来るか分からないので、片倉小十郎に
檜原城を預け、米沢に戻った。
蘆名家中も伊達家中も、大胆にも一人で政宗を狙った善右衛門を賞賛したという。
30(運の)いい話(二):2009/02/19(木) 07:41:55 ID:ZGm+xrcN
幸運度:☆☆☆
実力度:☆

天正13年(1585)6月、羽柴秀長は四国攻めの総大将として阿波に入り、
長宗我部の家老・谷忠澄らの篭もる一宮城を囲んだ。

秀長の重臣・藤堂高虎は、みずから城の縄張りを調べるため、近習の服部竹助一人を
連れて、闇に紛れ一宮城に忍び込んだ。

が、身長六尺という男がそうそう隠密行動など出来るわけもなく、城方に見つかった。
城方は意外にも武装されており、矢弾が雨のように打ち込まれた。

ダンッ!!!!!

一発の銃弾が、高虎の胸に命中した。
「と、殿ーっ!!」 竹助の叫びも空しく甲冑に穴が穿たれ、高虎は仰向けに倒れた。



・・・のだが次の瞬間、高虎は起き上がって駆け出し、そのまま自陣へ逃げ込んだ。

あとで良く甲冑を調べてみると、ちょうど胴鎧の小礼(こざね・鎧のパーツ)の継ぎ目の
重なっている箇所に弾が当たっており、一枚目を貫通し、二枚目で止まっていた。

結局、一宮城は力攻めでは落とせず、水源を絶っての兵糧攻めと高虎らの説得により、
一ヶ月後に落城している。
31(運の)いい話(三):2009/02/19(木) 07:42:58 ID:ZGm+xrcN
幸運度:☆
実力度:☆☆☆

のちの老中・久世家の祖、久世三四郎広宣は三河武士の中にあって武功で知られた。

小田原攻めの時、三四郎は北条の侍・野中某と槍を合わせ、左手をひどく傷つけられた。
しかし三四郎はひるまず、左の脇に槍を抱え込み、なおも野中に突き掛かった。

「こしゃくな奴め、そんな持ち方で槍が突けるか!!」
野中が思い切り三四郎の槍をはね上げると、槍は宙へ飛ばされてしまった。

三四郎は、なんとかこれを右手で掴み取ったが、これを見逃す野中ではなく、掴んだ瞬間
野中の槍が三四郎の鼻先に殺到し、かろうじてかわした三四郎は尻餅をついた。

とどめ、とばかりに三四郎の胸先へ、野中の槍が突き出された。



三四郎はのけぞってこれをギリギリでかわすと、とっさに野中の槍を左脇に抱えて抑え、
右手で刀を抜き放ち、野中に斬りかかった。

再三に渡る三四郎の妙技(?)を見た野中は恐れをなしたか、
「こいつは、しぶとい奴だわい!!」
(原文:此処なるしぶとき奴哉) と、捨てゼリフを吐いて、さっさと逃げ出した。

三四郎自身は何事もなかったかのように戦場に戻り、別の敵の首を挙げたという。

以上、運も実力のうち?な話三連発でした。連投失礼。
32人間七七四年:2009/02/19(木) 08:24:29 ID:mpsYxd9B
>>31
まんまカンフーアクションだなw
33人間七七四年:2009/02/19(木) 09:56:02 ID:/AryFGP+
>>31
殺陣描写が凄いな
かっこよすぎ
34人間七七四年:2009/02/19(木) 10:17:17 ID:6kWu1LyD
糠部の似鳥というところに相模北条家の浪人で越後という男が住んでいた。
「前世の供養がつたなく、こんな凡人に生まれてしまった。何とか先祖の名を
興したい。桂泉観世音は立って願えばいる間に願いがかない、座って願えば立
つ間に願いがかなうらしい。この観音に祈ってみよう」と、天台寺に毎晩かよ
い、三十三の観音経を読み、三年間勤行に勤めた。

すると、ある夜観音が現れた。「一心に我を頼んだ信心を愛で、これを授けよう」。
観音は一つの手綱を越後に与え、四十五カ条の馬術の秘伝を授けた。たちまち越後
は奥州一の馬の名手となった。その話を聞いた九戸政実は、越後に熱心に申し入れ
て奥義の伝授を受け、自身も天下に聞こえた馬術の名人となった。

後年、豊臣軍六万が二戸城を包囲した。北の塀のきわには、見事な馬に金の飾りをつ
けた政実が立ち、豊臣軍を見下ろした。その威容に包囲軍はたじろいだ。すると、彼
は建物の屋根を乗りまわし、今度は東へ向かう。周囲を威圧すると、さらに馬を飛ば
して南、西へと向かう。寄せ手の兵たちには政実が馬とともに空を飛んでいるように
しか見えなかった。まるで、飛龍が天を行くようだった。見た者も話を聞いた者も
「これは人間業ではない」とおそれおののいた。
35人間七七四年:2009/02/19(木) 10:21:46 ID:CKiNnwIv
>>31
久世に執着しなかった野中もまた良い侍だな
36人間七七四年:2009/02/19(木) 11:16:12 ID:/AryFGP+
>>34
馬術ってレベルじゃないな
37人間七七四年:2009/02/19(木) 11:16:52 ID:CKiNnwIv
屋根の上のトノ
38人間七七四年:2009/02/19(木) 11:41:52 ID:weDYD2/Z
男伊達

1612年幕府の大番衆柴山権兵衛が奉公人の小者を手討ちにしたところ、かねてから命にかかわる
ことがあればお互いに助勢することを申し堅めていた小者のかぶき仲間によって、逆に柴山が刺し
殺されるという事件が発生した。
犯人の一人を捕えて糾問した結果、彼らの仲間は江戸だけで300人、全国では3000人ほどもいると
いうことであり、その頭目格として大鳥居逸平という者がいることが判明した。

この取調べをもとに、大久保長安の小者出身の大鳥居逸平を捕縛した。
逸平は「士農工商の家にもたづさはらず、当世異様をこのむ若党と伴ひ、男のけなげだて、たのも
しごとのみかたり、つねにあやうきことを好んで、町人にもつかず、侍にもあらず、へんふくの人」
と称されたかぶき者であった。

幕府は「貴様の仲間の名前を吐け!!」をすさまじい拷問をかけた。
逸平は頑として仲間の名前を吐かなかったが、拷問に耐えかねたのか、こう言った。
「今から仲間の名前を自白するから、帳面と筆を用意して下さい。」
そして、逸平はその帳面に100ページにわたって名前を書き付けた。

奉行がその帳面を見てみると、なんと延々と大名100余名の名前が書いてあったという。
(慶長見聞書)
39人間七七四年:2009/02/19(木) 12:49:14 ID:P1F8qvO8
>>38
そして何故か真田信之が松代に転封されるんですねw


記憶力の良い話だね
俺なんて会社の取締役のフルネームですら無理だ
40人間七七四年:2009/02/19(木) 12:56:23 ID:RAmW4BFX
>>39
事件を大事にするため、関わり有る無しに関わらず知ってる大名の名前全部言っただけだと思うぞw
41人間七七四年:2009/02/19(木) 13:22:47 ID:5KbSQ475
>>37
とーのとーのとの南部の子 三戸宗家に楯突いた
42人間七七四年:2009/02/19(木) 17:11:15 ID:naSet807
長生きするといい体験が出来る話

今日は渡辺幸庵さんにインタビューしたいと思います。
―幸庵さんは1582年生まれで結構長生きされ、珍しい経験をされているみたいで
すが―
「あるよ。確かオナゴのアソコに蛇が入ったのを三回見たなぁ。」

―女性のアソコですか…どうやって蛇を取るのですか―
「患者の一人は片羽道味先生が治療したんじゃが、水を張ったたらいを置いてオ
ナゴをそこに跨がらせてじゃな。たらいに蛙を泳がせるんじゃ。すると、蛇がア
ソコから頭を出して蛙を食おうとする。先生がサッと蛇の頭を掴んで引っ張り出
すのじゃ。」

―あとの二人の患者も同じ治療ですか―
「だいたいは同じなんじゃが、蛙の中に山椒の実3粒を仕込んでおいて蛇に食わせ
る。そして、30分もすれば蛙の山椒がピリリと蛇を刺激して、苦しむ蛇がのたう
ちまわってオナゴのアソコから自然と抜け出すんじゃ。」

―患者の女性はその間たらいに跨がって待つのですか。結構時間がかかりますね―
「蛙を使うのが第一のコツなんじゃ。アソコに入った蛇は軟らかい人間の腸を食
い破ろうとするので、餌の蛙を見せて注意を反らすことが出来るからのぅ。
第二のコツは慌てないこと。慌てて蛇を抜こうとすると、腸が蛇の胴に絡まって
腹痛になるんじゃ。万事、焦りは禁物ということじゃの。」

―今日は楽しいお話有難うございました。次回は幸庵さんの海外放浪記。ミイラ採り
に会ったこと、インド巡礼、ベトナムの謎の砂漠、のお話を伺いたいと思います。―
(渡辺幸庵対話)
43人間七七四年:2009/02/19(木) 17:25:47 ID:sPK+xIKl
いい話なのか、それ?
そもそも渡辺幸庵って実在が疑われている人物だからなぁ
44人間七七四年:2009/02/19(木) 17:45:57 ID:LTRSl0dg
渡辺茂という人物は大番頭を務めるなど実在が確認されている
問題は、忠長が切腹して浪人になり、諸国を廻った後に前田綱紀に
身を寄せた人物が同一人物かだな
45人間七七四年:2009/02/19(木) 17:58:38 ID:2J04BFSL
>>42
信之「長生きした結果がこれだよ!(お家騒動)」
46人間七七四年:2009/02/19(木) 17:59:56 ID:lvN6aEki
何がどうなったらおまんまんに蛇が入るなどと言うことになったのだろうか
47人間七七四年:2009/02/19(木) 18:08:36 ID:19608s4G
ぎょう虫ってことはないのかな
48人間七七四年:2009/02/19(木) 18:15:38 ID:naSet807
>何がどうなったらおまんまんに蛇が入るなどと
男のオレには検討もつかんが、蛇おまんまんの話は「今昔物語」「日本霊異記」
にも記述がある。
49人間七七四年:2009/02/19(木) 18:52:29 ID:J2dMO/jH
お館様の蛇がアップを始めました
50人間七七四年:2009/02/19(木) 19:00:57 ID:645VedUj
外で放尿でもしてたんじゃねーの?
51人間七七四年:2009/02/19(木) 19:27:27 ID:kOYYYimV
ケツの穴に入るほうが居心地良さそうだけどなぁ
52人間七七四年:2009/02/19(木) 19:33:16 ID:hYoOSLg2
>>42
例え作り話だとしても、昔の人はアソコに蛇だの
触手攻めだのを妄想していたわけですね。
53人間七七四年:2009/02/19(木) 19:41:49 ID:Uw25O8Cz
体内に蟲や蛇がいて、それが病のもとであるって考えは根強かったからな
54人間七七四年:2009/02/19(木) 20:14:44 ID:naSet807
>>38
逸平は虚無僧と「ア○ルで尺八が吹けるか」って賭けをして勝ったんだよな。
賭けの代とした逸平の刀のなかごには、
「 二十五まで 生き過ぎたりや 一兵衛 」という金の象嵌が刻まれていたという。
カッコイイのか悪いのかよくわからん人だな。
55人間七七四年:2009/02/19(木) 20:35:11 ID:ZODru7Ta
100ページ・・・
100余名・・・
豪儀な使い方だな
56人間七七四年:2009/02/19(木) 20:51:26 ID:l9S1ZM9r
フロイトはこれに影響を受けたわけか
57人間七七四年:2009/02/19(木) 21:08:21 ID:P1F8qvO8
>>40
何故か信之だけが咎められるっていうジョークですよ
ややこしい茶々入れたお詫び

関ヶ原の合戦終盤
大谷吉継隊も周囲の裏切りにより戦線が維持できなくなった
大谷隊に属する平塚為広の支えた戦線も崩壊
もはやこれまでと悟った平塚は

君がため 捨つる命は 惜しからじ つひに止まらぬ 浮き世と思へば

と辞世を詠んで部下に自らの挙げた兜首と共に吉継の陣に届けさせた
この後、討ち取られたとも自害したとも
そして、この句を見た大谷吉継は

契りあらば 六つの衢に まてしばし おくれ先立つ たがひありとも

と返した(常山紀談)

六つの衢とは仏教における輪廻の地獄・餓鬼界・修羅界・畜生界・人界・天界の事
「先に逝くぜ、兄弟」「ああ、何処に堕ちても待ってな。必ず逝く」と詠み合ったのである
もちろんこの返歌は平塚には届かなかった
それどころか吉継の辞世とされるため三成宛との解釈もある
正確には平塚為広宛なのである


たぶん、まとめに無かったと思うので
あったら俺の検索不足です
58人間七七四年:2009/02/19(木) 23:33:13 ID:ZGm+xrcN
まだまだ朝晩寒いッスねぇ・・・


肥前を統一し、絶好調の龍造寺隆信は、その冬の夜も酒宴を開いていた。

そこへ侍女が寄って来て、隆信にささやいた。 「お庭の隅に、人影が見えまする!」

驚いた隆信が庭先へ出て見ると、確かに抜き身の槍を持った男が座敷に背を向け、
仁王立ちしているではないか。 「怪しいやつ、何者じゃ?!」

((( ゚Д゚))ガクガクブルブル 「あ゛・・・だがの゛ぶざま゛、ごんばんわ゛・・・」オーサムイ…

「ちょw直茂wwなにしてんのwwwww」 不審者は、家老の鍋島直茂だった。

「当家は゛肥前を゛統一したと゛は言え゛、まだまだ近隣に敵は多く゛、油断す゛るべきでは
あ゛りませ゛ん。
今夜、酒宴があ゛ると聞き及び、夜襲などあれば、と心もと゛なく゛思い、こ゛うし゛て゛
見張りを゛し゛ておりまし゛た。」((( ゚Д゚))

「だからってオマエ、家老がこんな・・・もういいから、入って一杯やって温まれや・・・」

主君に座敷へ案内された直茂だが、あまり長時間に渡り寒空のもとにいたため、
なかなか指が槍から離れなかったという。
(葉隠より)
59人間七七四年:2009/02/20(金) 00:18:22 ID:aie9YMRg
>>57

平塚、戸田コンビ、小大名だったけど
この善戦で裏切り当然のこの時代、歴史に良い名を残せましたよね。
60人間七七四年:2009/02/20(金) 03:14:13 ID:ksRrkxz/
昔の女性の下着ってーと腰巻だからねぇ。
神秘の物体は外気に直接触れてる。
で、野良仕事の途中とかにちょいと昼寝したり
しようもんなら「おおココに寝心地良さそうな穴
があるワイ。新しい巣ゲット」と蛇が潜り込む。
なんでパンティを発明しなかったのか謎だ。
61人間七七四年:2009/02/20(金) 03:25:01 ID:s7NaiLEP
>>58
鍋島さんは真面目だねぇ
62人間七七四年:2009/02/20(金) 05:09:34 ID:GpgcbTRY
>>57
辞世は見たことあったが、そんな伏線があったんやね。
大谷刑部も平塚為広もカコイイ!! けど切ないのぅ……
63人間七七四年:2009/02/20(金) 05:22:52 ID:9v2TdERP
酒宴イクナイってオチかと思ったら最後飲むんだね、鍋島さん
64人間七七四年:2009/02/20(金) 07:42:23 ID:40krjqho
堅田源兵衛の首

応仁の乱の頃、蓮如上人法難に遭う。
急速に信徒を増やす真宗に対し、
天台宗、比叡山延暦寺は僧兵三千人で本願寺を焼き打ちした。
蓮如は親鸞の木像を背負い、京都から大津へと逃げたが、
やがて追い詰められてしまった。
大津には延暦寺と同じ天台宗の三井寺がある。
しかし教義解釈の違いから比叡山とはあまり仲がよくなかった。
蓮如が避難場所に選んだのはその三井寺であった。
比叡山と仲が悪いとは言え天台宗である。
蓮如はあえてその敵の懐に飛び込むことにしたのだ。
 三井寺は蓮如を保護した。比叡山の鼻を明かすことにしたのだ。
蓮如は三年留まり、やがて福井へ赴いた。
親鸞の木像は三井寺が預かり置くこととなった。
65人間七七四年:2009/02/20(金) 07:43:12 ID:40krjqho
やがて蓮如は京都に戻り山科本願寺を建立した。
後は件の木像を迎えるばかりとなった。
しかし勢力を拡大した蓮如に対し、三井寺は木像を返そうとはしなかった。
そればかりか無理難題をふっかけてきた。
「どうしても人の首が二つ要る。本願寺が首を二つ差しだせば、喜んで木像はお返しする」
しかし信仰心篤い信者達でも、己が首を進んで差し出そうとする者はいなかった。
66人間七七四年:2009/02/20(金) 07:44:37 ID:40krjqho
近江国の堅田に大変熱心な門徒衆がいた。
源右衛門と源兵衛という漁師の親子である。
首の話を聞くと、
「私達は魚の殺生を生業とする漁師です。その私達がお役に立てるなら」
自らの首を差し出す決心をしたのである。
源右衛門は息子の首を切ると三井寺へと向かった。
源右衛門「これは私の息子の首です」
三井寺「もう一つ首が足らない」
源右衛門「もうひとつは私の首です。どうか打ち落として受け取って下さい。
そして木像を返してください」
三井寺は親子の篤い信仰心に胸を打たれた。
そのため源右衛門が首を落とすことなく、無事親鸞の木像は返された。
源平衛の首も手厚く葬られたという。
その後父源右衛門は、諸国巡礼の旅の末、備後国で没したと伝えられている。
67人間七七四年:2009/02/20(金) 08:12:14 ID:V0GYMip0
現代人の感覚ではとても良い話とは思えんな
68人間七七四年:2009/02/20(金) 09:13:55 ID:X2Ekou6/
輝と輝のパパ上

厳島の戦いに勝利し、その勢いを止めることが出来ない
毛利家は戦いに明け暮れていた
毛利家当主、毛利隆元は玖珂郡あたりに陣を張っていた
戦いに明け暮れる余り、隆元は大事なことを忘れていた
というか知らなかった
それは・・・今年3才になった幸鶴丸、後の輝のことである

隆元は桂元忠へお手紙を書いた↓

「幸鶴丸の髪置って今月の15日にするって東の方(元就の側室)
に聞いたんだけど、今まで思いつきもしなかったんだ
東の方が言うには、守役をつけないといけないみたいなんだ
元忠にお願いできますか?急でごめんね」

東の方に「ちょっと隆元さん、幸鶴丸ちゃんの髪置が今月あるのに
どうして守役つけないの?」とでも言われたのでしょうか
超慌てふためいて元忠に文を送りました

因みに髪置とは、3才になった年の11月15日に行われる
幼児が初めて頭髪をのばす儀式だそうです
隆元パパは髪置の儀式がどういったものか
弟たちがいたにも関わらず知らなかった(ていうか覚えてなかった)
知らないなりにも一生懸命愛する幸鶴丸の為に何とかしようと
奔走する隆元パパの心温まるお話
69人間七七四年:2009/02/20(金) 09:51:44 ID:qQPQ0vhn
>>68
隆元さんは毛利家の事になると何やらしてもそつが無いのに、
自分の事に関してはとたんにヘタレちゃう感じだなw
70人間七七四年:2009/02/20(金) 09:55:26 ID:GpgcbTRY
>61元祖葉隠だなー
一方の将なのに自ら具足をつけてこっそり警護しちゃうノリが、いかにも鍋島さんだ

>63
酒飲んでもいいし、お家隆興の喜びを表すのはなんちゃ構わない。
けど油断したり驕って自分を見失うな、って辺りが佐賀竜造寺→鍋島の士道なんだろね
71人間七七四年:2009/02/20(金) 10:09:07 ID:GpgcbTRY
>>68
続編期待wktk
72人間七七四年:2009/02/20(金) 10:51:31 ID:PfMJ6j7d
>>64-66
悲しい話だね(´・ω・`)

>>60
実際着物を着ると分かるが
パンティ、特に古風なちょうちんパンツになると脱ぎはきが大変なのよw
今はゴムがあるけど、当然戦国時代にはゴムなんてないから
パンティ状の物の着用はもっと大変になったと思う。
73人間七七四年:2009/02/20(金) 11:03:04 ID:X2Ekou6/
>>72
下帯があるではないか
74人間七七四年:2009/02/20(金) 11:21:29 ID:PfMJ6j7d
DQN四天王の一人・細川三斎公ご推薦のもっこふんどしですね分かります






って、用足すときにもっと困るんですけどw
75人間七七四年:2009/02/20(金) 12:24:40 ID:GpgcbTRY
>74
ぺらんぺら〜ん て出来る越中(守)褌タイプではいかが?
南蛮渡りの「はいれぐ褌」じゃ
76人間七七四年:2009/02/20(金) 14:21:18 ID:B9l+gZ6F
有名かもしれないけどまとめに無かったので。

前田慶次の旗指物には『大ふへん者』と書かれていた。
これを見た人は誰もが

「『大武辺者』とは大きく出たもんだ。
慶次の奴め、調子に乗ってるんじゃないの?」

と思っていた。すると慶次は

「なに君たち、ひょっとして『大武辺者』と読んだの?
違う違う、これは俺があんまり落ちぶれて貧しいから
不便で不便でしょうがない、『大不弁者』という意味だよ、
ハッハッハ。」

と言っては皆をからかい、ご満悦だったという。
77人間七七四年:2009/02/20(金) 14:23:49 ID:qQPQ0vhn
>>76
これは相当に世の中に広まった話らしく、江戸初期のいろんな書物にこれが書かれているね。
あの当時の人はこれにみんな、「いい頓知してるな」と思ったらしいw
78人間七七四年:2009/02/20(金) 14:56:27 ID:qQPQ0vhn
戦国終わって平和になって

戦国の終結、特に徳川政権の成立とその安定は、日本の経済を急拡大させました。
これを京の冷泉町東面の町屋敷の売買金額から見てみましょう。

天正末から慶長初年の豊臣政権記、ここの売買価格は銀2〜7貫目でした。
これが、関ヶ原が終わり家康の政権が確立する慶長七年(1602)以降になると、
銀20〜70貫目に急上昇!なんと十倍の地価上昇です。
さらに豊臣家が滅び、徳川体制が完全に固まった元和以降では、120貫を越えるものまで現れました。
まさに土地ブーム。バブルです。

この経済拡大は元禄期くらいまでの、約100年間は続いたものと思われます。
徳川記初期の書物や日記に、家康や徳川の治世を称える記述が非常に多いのは、政権へのおもねり
だけでなく、実際に発展を実感できた世の中だったから、と言う事があるのでしょう。

経済発展と平和は密接に関連する。と言うお話。
79人間七七四年:2009/02/20(金) 15:06:41 ID:zy2fMy2F
鎖国してて経済拡大が百年続いたってのも凄い話だな・・・
80人間七七四年:2009/02/20(金) 15:20:37 ID:w7YSXTOB
バイアメリカン法もあながち間違いではないのかもな
81人間七七四年:2009/02/20(金) 17:26:02 ID:Ek+bP9Xs
それまでが酷すぎだってのはあると思うけどね。
本来インフラや産業育成へ投資されるべき資金も、
武士はもちろん村でさえ生存のために武装や外交につぎ込まなければならなかったわけで。
82人間七七四年:2009/02/20(金) 17:38:15 ID:uYn6jt+T
新田開発しまくって、100年で実高は倍増しているからねい
83人間七七四年:2009/02/20(金) 17:41:31 ID:GpgcbTRY
>>81
戦後の日本で育つと、刀狩り?平民の武装解除てナニ当たり前のことを?と思うが

武士階級→在日米軍に置き換えて「なあに、番犬には餌(禄米)をやって手懐けておけばよい」というどっかの宰相の毒舌が聞こえてくるワケねw

安全保障にかかるコスト、ストレスって乱世じゃ洒落にならんもな 
84人間七七四年:2009/02/20(金) 18:33:50 ID:/KNp9/XR
>>68
子供の誕生日にプレゼント買うの忘れてて
当日慌てふためいて奔走するパパ@戦国
85人間七七四年:2009/02/20(金) 23:05:31 ID:xc4jwCVK
>>68続編とはいかないかもしれないけど

続・輝と輝のパパ上

大友そーりんとの戦いに明け暮れていた隆元
隆景と一緒に豊前に出兵したり石見に移動したり
非常に忙しかった
もちろん家に帰ることなど出来ない隆元
しかしこの時の隆元は忘れていなかった
息子が9歳になった事を!

隆元は輝にお手紙を書いた↓

「紐直しの儀式おめでとう!おじいちゃんにも言いました
 帯を頂くそうですね、おめでとう!本当におめでとう!」
日付:11月13日

11月13日が大安で11月15日が先勝なのでどちらかで
行われた様子

紐直しとは、幼児が付帯をやめ、初めて帯を用いる儀式だそうです
ちなみに、おじいちゃんのところは「ちいさま」と書かれています
「ちいさま」って書くだけで元就が何だか可愛く思えてしまいますね

ただ輝が可哀相なのは、この儀式、親族の男は全員戦場に出ている
ため、立ち会ったのは尾崎の局ママだけ…
でもパパも遠くから輝の事を大事に想っていたんだよ

隆元が謎の死を迎える2年前の心温まるお話
86人間七七四年:2009/02/20(金) 23:23:15 ID:SwN2kgSD
大河でも吉川親子をうらやましそうに見てたな輝元
87人間七七四年:2009/02/20(金) 23:30:11 ID:xc4jwCVK
隆元続投スマン↓

隆元、隆景を案じる

例の大内義隆のお家に元就・元春・隆景の三人が出向くこと
になり、隆元兄ちゃんはお留守番をしていた時のこと

隆元27歳から隆景17歳に宛てた手紙
「何度もいうけどねっ、大内さん家に行ったらこういう風にするんだよっ!
まず…(長いので省略。概要「ハンカチちゃんと持った?」的な内容)
何でもパパと元春兄ちゃんとかお寺の人とか大内さんとこの人に
相談するんだよっ!ああっもう心配で仕方ないよ」

もしかして一緒に行きたかったのか?

88人間七七四年:2009/02/20(金) 23:49:58 ID:PfMJ6j7d
>>85
ここまで息子を思っていたパパに先立たれたのは大きいな>輝

かといって人の女房取るような人格に育ったのはどうかと思うがw

>>87
一緒にいきたかったんだろうな
だって大内の殿は隆元の元かr(ry
89人間七七四年:2009/02/20(金) 23:51:44 ID:GpgcbTRY
>87
ん? 後方不敗?
90人間七七四年:2009/02/21(土) 01:01:28 ID:f7oceIqY
>>87
反抗期な若い隆景が嫌がる顔が目に浮かぶようだ
91人間七七四年:2009/02/21(土) 01:33:38 ID:K7YrCNEw
>>68
枝葉なんだがそういえば、元就グランパの側室はまとめスレに出てたロリの方?
92人間七七四年:2009/02/21(土) 02:35:48 ID:kefzlaWU
三本の矢=サンフレッチェなのになんでグランパスなんだ?と思ってしまった。
93人間七七四年:2009/02/21(土) 03:46:26 ID:ntIniqIc
まとめサイトにキーワードとして登場していた
伊達家「騎馬鉄砲隊」の話を・・・
(いい話か分かりませんが・・・)

関ヶ原の戦いからしばらく・・・

伊達政宗は参謀・片倉景綱と此度の戦について雑談を
交わしていた。

( ●_ ̄)「この前の戦いは摺上原、朝鮮の戦より凄まじかったな・・・」
( ´ー`)「そうでしたねぇ・・・」
     「でも、大掛かりな戦はなくなりそうですね」
( ●_ ̄)「いや、まだ大坂に秀頼様がいるし、その気になればワシが・・・」
( ;´ー`)「殿、自重して下さい(怒)」

上杉攻めの戦の話をしていた政宗と景綱、いつの間にか上杉繋がりで
武田氏と織田氏の話になっていった。

( ●_ ̄)「景勝殿も手ごわかったが、謙信公の頃の上杉家は
      武田家と信濃を巡って争っていたな」
     「武田家は我が伊達とは比べものにならない騎馬隊を率いて
      いたと聞いたが」
( ´ー`)「そうですね。しかし、その武田騎馬隊を打ち破ったのが
      織田信長公の鉄砲隊です」
( ●_ ̄)「長篠の戦か・・・あの戦で信長公は3千丁の鉄砲を
      3段撃ちにして勝利したのだったな」
「騎馬の機動力を鉄砲の破壊力で打ち破る・・・
     歴史が動いた瞬間だな」
( ●_ ̄)「(騎馬の長所と鉄砲の長所を合わせる事が出来ないものか・・・)」
     「景綱、馬上から鉄砲を撃つ部隊など組織できぬものか」
Σ( ;´ー`)「殿、何馬鹿な事言ってるんですか!!
        そんな芸当出来る人間など居る訳が・・・」
( ;´ー`)「居ますね、一人・・・」
Σ( ●口 ̄)「何!!、それは誰じゃ!!」
( ;´ー`)「当家に仕えております鈴木重朝殿です」
      「あの方は元は雑賀衆の出で、”騎馬鉄砲隊”
       なる部隊を編成した経験があります」

早速、政宗は鈴木重朝を呼び出した。
94人間七七四年:2009/02/21(土) 03:48:01 ID:ntIniqIc
93つづき

( ●_ ̄)「重朝、そちは雑賀衆の折に馬上から鉄砲を撃つ
      部隊を率いたことがあると聞いたが、真か?」
(´・д・)「ございますが、あれは数ヶ月で編成出来る部隊では
      ありません。馬の鍛錬、鉄砲の扱い等の仕込みに
      数年間は掛かります。」
     「それに、あの部隊は織田家との戦で編み出した
      奇策です。到底実戦には役には立ちません」
( ●_ ̄)「しかし、騎馬鉄砲隊なる部隊を率いることが出来れば
      我が軍は敵味方を含めて優位に立つことも出来る。
      こんな部隊を持っていれば徳川・豊臣にとって
      抑止力になるのではないか?」
( ●ー ̄)「確かに馬鹿な考えかもしれん、しかしどうせ馬鹿なら
      大馬鹿者で伊達政宗は通そうと思うのだ」
( ´ー`)「(殿は昔から目立つ事や派手なことが好きだからなぁ・・・)」
     「(そんな殿に仕えている私も大馬鹿者だが)」

しばらく悩んだ重朝は・・・

(´・д・)「分かりました、殿がそこまで仰せになるのであれば
      騎馬鉄砲隊の養成をしてみましょう」

かくして重朝は騎馬鉄砲隊の養成を始めることとなる。
しかし、それは並大抵の苦労では計り知れないものであった。
馬の上から鉄砲を撃つなんて芸当は現在で言うと
サーカス団員を養成しているようなものである。


そして数年後・・・重朝の努力は実り伊達家に騎馬鉄砲隊は
誕生した。
95人間七七四年:2009/02/21(土) 03:49:12 ID:ntIniqIc
93つづき

部隊の内容としては
「騎馬隊の更に前衛に、鉄砲を持たせた騎馬隊を配置し、
 機動力に優れた馬の上から鉄砲を発射し、敵が崩れれば
 後ろの騎馬隊が突撃をかける」といったものだった。

これは
「騎馬上にいる武将は短い武器しか使えず、
 そのため長槍などの射程外からの攻撃に弱い」
などの騎馬隊の弱点を解消する、画期的なものであった。

この部隊の力が発揮されたのは大坂夏の陣。

この部隊の活躍で後藤基次は戦死、大坂方を翻弄。
しかし、真田幸村には通用しなかった。

幸村は兵を潜ませ、騎馬鉄砲隊をぎりぎりまでひきつけてから、
側面から一斉に攻撃。接近戦に持ち込まれてしまえば、
騎馬鉄砲隊はただの役立たずでしかなかった。

幸村にリベンジをしたい政宗であったが、当の幸村は
それから程なくして戦死。政宗はリベンジの機会を失った。

大坂の陣以降、大規模な戦はなくなり
騎馬鉄砲隊が再びその力を発揮することはなかった・・・
96人間七七四年:2009/02/21(土) 10:56:39 ID:PBlgLL9E
>>94
そして眼帯もつけるのだ!
97人間七七四年:2009/02/21(土) 11:35:43 ID:DcKP0dWG
当時は騎馬からの発射後、次の弾丸こめまで最低数十秒は
かかろうし、まして馬上ではもたつくはず。だから必殺の一発なんだろうね。
鉄砲の射程は80から100mときくが、わざわざ1発の発射のために
突撃しながらの発射としても効率悪そうな希ガス。
相手から見れば、馬を狙っても攻撃は阻止できるし馬なら的はでかい。

地上で狙い定めて撃った方がよさげだが。。。と素朴な疑問
98人間七七四年:2009/02/21(土) 11:50:29 ID:qkNvPHeC
火縄銃を背負った部隊を馬で輸送する形の機動火砲兵にすれば…と思った
が射程距離が短いから下馬してぶっ放す前にやられるのかな。
99人間七七四年:2009/02/21(土) 11:51:29 ID:68DZ1AOX
いい話というかおもしろい話。

山鹿素行といえば江戸時代の兵学者で大石内蔵助の師だったりして有名な人。

この人は常々
「千石以上くれないと仕官しない。」
と豪語するような人だった。

そんな彼が15歳の時、ある人と対談した。
藤堂家に仕えた戦国時代の生き残り・渡辺睡庵である。

彼もまた自分の腕に自信のある男で
「5万石くれなければ仕官しない。ワシにはそれだけの価値がある。」
と豪語していた。

彼らの話は兵法に及んだのだが、なぜか睡庵は口篭っている。
対談が終わると睡庵は次のように述べた。

睡庵「どうか、素行殿の弟子にしてもらいたい。」
素行「あなたのような歴戦の勇士が、いきなりなにを言うのです。
   私のような戦場を知らない者に教わりたいなどと。」
睡庵「53歳にもなって恥ずかしい話だが、ワシは自分が
   戦場でどのように感じ、どう行動したらよいのかを言葉で説明できないのだ。
   だが素行殿の言葉を聞いて初めて自分の行動の意味がわかったのです。
   ワシは誓詞など書いたことがないが、弟子にしてくれるなら書いてもいい。」

睡庵は一度戦場に出れば鬼神の如く活躍するが、
その直感的行動を論理的に理解・説明できなかったのである。
だが素行の論理的な説明で初めてその行動の理由を知ったのだった。

戦国時代の兵学と江戸時代の兵学の違いを語る話。

100人間七七四年:2009/02/21(土) 12:29:12 ID:pmRPZZ2h
名産品生まれる!

戦国の世も今は遠い昔、仙台藩の藩主伊達政宗は
領内をさらに豊かにするため運河建設を行っていた。
後の世に彼の諱を付して貞山運河(貞山堀とも)と呼ばれることになる
国家百年の大計である。
その開削状況を視察に阿武隈川の河口付近の村落訪れた伊達政宗は
空腹を覚えた為、村民に「何か食わせろ」と命令、
村民は地引網漁で取った鮭を切り身とイクラに分け
鮭を煮た煮汁で炊いたご飯に
それらをド━━━━m9(゚∀゚)━━━━ン!!と載せると言う荒業
「はらこ飯」を披露し、これを藩主に献上した
元々漁師たちが大漁であった時に振舞った食べ物なので
殿様の口に合うべか?と恐る恐るの村民をよそに舌鼓を打つ政宗であった。
こうして宮城県が誇り駅弁などでも親しまれるはらこ飯は
この時をもって一躍名産品になったとさ
101人間七七四年:2009/02/21(土) 13:04:40 ID:DcKP0dWG
>>95

敵の背後、側面に歩兵よりも機動力にとんだ騎馬隊で素早く回り込み、
不意撃ちで鉄砲攻撃する、ならかなり戦術的意味が有ったと思う。
102人間七七四年:2009/02/21(土) 13:05:28 ID:9tA4W02g
謎の黒武者の正体

慶長5年7月、石田三成が家康打倒の兵を挙げた。
関が原戦役の開幕である。
三成挙兵の報を受けた家康は、伊勢・伊賀の諸将に帰国を命じた。
来るべき決戦に備えて、西軍の足止めをする為にである。
その命を受けた諸将の中に、まだ20代後半の青年武将・富田信高がいた。

信高が帰った津城は、西軍の大軍に攻められていた。
籠城側は松坂からの援軍や町民を含めて1700余り。
対する西軍は、毛利秀元、長束正家、安国寺恵慶など、その数3万余の大軍勢。
しかも、この頃の津城は小さな平城で到底持ちこたえるような代物ではなかった。
四方を囲む西軍によって、津の町は灰燼と化し、三の丸、二の丸は破られた。
さらには大砲で天守や城壁が破壊され、城内は阿鼻叫喚の惨状を呈した。
城主・信高は意を決して大手門を開き、自ら打って出て槍を振るった。
しかし、やはり多勢に無勢である。籠城側は奮戦するも、その多くが討ち取られた。
最早ここまでと悟った信高は、城内で腹を切るべく馬を返した。
そこへ、城主の首をとるべく、西軍の兵が殺到した。
敵兵に背中を見せるは武人の恥、むしろ名誉の戦死をと信高は再び敵兵に向かった。

103人間七七四年:2009/02/21(土) 13:22:42 ID:9tA4W02g
>>102の続き

一度は敵中での死を求め家臣と共に引き返した信高であったが、
たちまち敵兵に包囲され、穂先をかわすのが精一杯の有様となった。
その時である。
背後の大手門から、一つの漆黒の影が現れ出でた。
それは、漆黒の革を張った具足に身を包み、兜には半月の飾り、
片鎌の手槍を持った小柄な武者であった。
信高も見知らぬこの黒武者は、手槍を振るい敵兵に手傷を負わせ、なおも突進した。
思わぬ助太刀に命を拾った信高主従は血路を開き、大手門まで退却する事が出来た。

本丸に入って一息ついた信高は、黒鎧の武者が女である事に気がついたが、
全く心当たりがなかった。
すると黒武者は信高の前に出て、涙まじりに話しかけた。

「あなたが討ち死にしたと聞き、同じ枕に討ち死にしようと駆けつけました。
 まさか、生きてあなたにお目にかかれるなんて……」

それは、信高の奥方であった。
日頃はつつましい奥方の姿に、信高はただただ驚愕するだけであった。
翌日、城を西軍に明け渡すも、戦後の論功行賞で信高はその戦功を評価されるのであった。


104人間七七四年:2009/02/21(土) 13:37:19 ID:3Y9jHvUT
>>99
睡庵 誰?
と思ったらやっぱり勘兵衛のことか

5万石でしか仕官しないなんていう話が残る藤堂家の家臣で渡辺なんて1人しかいないわなw
さすがに晩年は丸くなったんだw
105人間七七四年:2009/02/21(土) 13:45:30 ID:60697QNT
>>103いい話なんだけど

  __,冖__ ,、  __冖__   / //      ,. - ―- 、
 `,-. -、'ヽ' └ァ --'、 〔/ /   _/        ヽ
 ヽ_'_ノ)_ノ    `r=_ノ    / /      ,.フ^''''ー- j
  __,冖__ ,、   ,へ    /  ,ィ     /      \
 `,-. -、'ヽ'   く <´   7_//     /     _/^  、`、
 ヽ_'_ノ)_ノ    \>     /       /   /  _ 、,.;j ヽ|
   n     「 |      /.      |     -'''" =-{_ヽ{
   ll     || .,ヘ   /   ,-、  |   ,r' / ̄''''‐-..,フ!
   ll     ヽ二ノ__  {  / ハ `l/   i' i    _   `ヽ
   l|         _| ゙っ  ̄フ.rソ     i' l  r' ,..二''ァ ,ノ
   |l        (,・_,゙>  / { ' ノ     l  /''"´ 〈/ /
   ll     __,冖__ ,、  >  >-'     ;: |  !    i {
   l|     `,-. -、'ヽ'  \ l   l     ;. l |     | !
   |l     ヽ_'_ノ)_ノ   トー-.   !.    ; |. | ,. -、,...、| :l
   ll     __,冖__ ,、 |\/    l    ; l i   i  | l
   ll     `,-. -、'ヽ' iヾ  l     l   ;: l |  { j {
   |l     ヽ_'_ノ)_ノ  {   |.      ゝ  ;:i' `''''ー‐-' }
. n. n. n        l  |   ::.   \ ヽ、__     ノ
  |!  |!  |!         l  |    ::.     `ー-`ニ''ブ
  o  o  o      ,へ l      :.         |
           /   ヽ      :

このAAを貼りたくなったり、富田家はのちに改易されてヒラの旗本として
細々と家が残ったっていう後日談を語りたくなるのはなんでなんだぜ?
106人間七七四年:2009/02/21(土) 13:49:15 ID:/dDxWnpt
>>105


嫁さんが宇喜多忠家の娘でその縁が元で千姫事件で改易されてるんだもんな
107人間七七四年:2009/02/21(土) 13:56:34 ID:FHY4Vg0U
>>105
ああ、せっかくいい話スレに書くために、ここで話終わらせたのにw
108人間七七四年:2009/02/21(土) 14:03:42 ID:9B1ZYY/z
弟は坂崎直盛なんだよな、富田信高w
109人間七七四年:2009/02/21(土) 14:12:19 ID:9B1ZYY/z
いやいや、俺は何を言ってるんだ。そんな事は無かった。

鬼武蔵に斬られてくる
110人間七七四年:2009/02/21(土) 15:28:28 ID:68DZ1AOX
>>99
補足するとこれは実戦的な技術を重視した戦国時代の兵法と
理論を重視した学問である江戸時代の兵学の違いの話。

それと修正
×論理的に理解・説明
○理論的に理解・説明

×論理的な説明で
○理論的な説明で
111人間七七四年:2009/02/21(土) 15:36:38 ID:f7oceIqY
>>91
まとめに登場したロリ側室はおそらく三吉の方(元秋、元倶、元康の母)
もう一人は乃美の方(元清、元政、秀包の母)
で、三人目の側室が>>68の東の方(御東大方、中の丸とも呼ばれる)
小幡氏の娘といわれてますが詳細はちょっとよくわかりません

東の方に子供は生まれなかったけども子供たちと仲が良く
特に元清は戦に臨む際にも
「中の丸殿は子どもに恵まれず幸せうすきお方です。
 おわかりかとは思いますが輝元様がお目をかけてあげなければいけませんから
 しっかりと面倒を見てあげてくださいね。それは亡き元就様への供養にもなりますから
 くれぐれもお見捨てなきように。中の丸殿は私が幼い時から目をかけてくださった女性ですから
 とくに申し上げておきます。」
と書き残しているほど仲がよかったようです。

この中の丸と元清の関係は、元就と杉の方の関係を彷彿とさせますね
112人間七七四年:2009/02/21(土) 15:44:15 ID:f7oceIqY
ついでにもういっちょ
元就と東の方のやりとり

東の方は元就から
お正月につけるお歯黒の調合を依頼されたり
輝元が毛利家の人間として器量が示せるよう中の丸からも助言してあげてね、とお願いされたり
ずいぶんと頼りにされていたようです。

また元就から東の方への手紙には
「ひらがなで頑張って書いてみたけど難しいですね。今度また教えて下さいね」
なんていうかわいい一文も。
113人間七七四年:2009/02/21(土) 15:56:27 ID:PBlgLL9E
>>112
こんなじいちゃんって現代にもいるよね
親戚にすごい頼りにされてて、そんでもって携帯とかの使い方教えてもらったら
「がんばってめーるしたけどむずかしいねこんどまたおしえてください」
とか送ってくるじいちゃん。

元就はほんと可愛いな、恥ずかしがり屋だから手紙返してー! とか、
家で雪合戦しようよ! とか。
114人間七七四年:2009/02/21(土) 16:17:23 ID:opHza9K1
>>111-112
東の方と呼ばれるのは元就死後に彼女が
元清の治める桜尾城の東の丸に移り住んだことからきているらしい
血の繋がった親子でなくても良好な関係を築いていたようだ
115人間七七四年:2009/02/21(土) 18:05:21 ID:K7YrCNEw
>111-114アザーッス

ありがとございまー

どうでもいいけど、正室って「北の方」になるんだよな。
台所は(御館の)北にある、ってことか…
116人間七七四年:2009/02/21(土) 18:11:15 ID:K7YrCNEw
>99
直感の天才・ミスター長嶋が努力のインテリ秀才・ヒロオカさんに弟子入りするようなもんか。

>104加藤嘉明さんとはどうにも相性悪かったけどなー
117人間七七四年:2009/02/21(土) 18:48:50 ID:r439FdIT
>>115
平安時代の寝殿造で正室は母屋の北側の屋敷に住んでいることが多かったことから
「北の方」の呼称が発生したという説もある
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka06.html

あと、台所自体は昭和40年代まで北側に作られることが多かった
冷蔵庫がなかった昔は、南側に台所があるとそれだけ食料が傷みやすいから
公団住宅の誕生とシステムキッチンの導入が台所が寒々しい北側から南側へ移動する主因になったのは
『プロジェクトx』でもネタにされた。
http://www.nhk-ep.com/shop/commodity_param/ctc/+/shc/0/cmc/05479AA/

板違い失礼
118人間七七四年:2009/02/21(土) 19:45:48 ID:pZwPrVz7
織部の点前、利休の点前


針屋宗真という、高名な茶人がいた。
彼は若い頃、千利休や古田織部の茶に実際に接した人だった。

宗真が老齢となった頃、ある人が「利休や織部の茶頭ぶりはいかがでしたか?」と尋ねた。

宗真は言う

「織部の点前というのは、本当に立派なものだった。今でも目に焼きついて離れない。
茶と言うものはあんなにも立派に点てられるのかと、感動したものだったよ。

それに対して利休の点前だが、
私は良く見取っておこうと、目を凝らして観察していたのだが、
一体、いつ点て出し、いつの間に仕舞いにしたのか、私には見留める事ができなかった。

利休と言う人の点前は、凡慮を離れていた。」

119人間七七四年:2009/02/21(土) 20:36:31 ID:5STMx4g7
なんだか不射の射みたいな話だな
120人間七七四年:2009/02/21(土) 21:47:50 ID:wmk0zHb2
利休は、昔のMr,マリックかいな・・・
121人間七七四年:2009/02/21(土) 22:13:57 ID:5jPt2e99
千利休ってホントに凄いんだな。
日本の茶聖がこういう人でよかったと思うわ。
122人間七七四年:2009/02/21(土) 22:17:26 ID:JakFRbLE
へうげもので茶器が見えないってエピソードがあったけど
それに相当する話が本当にありそうだな
123人間七七四年:2009/02/21(土) 22:19:46 ID:9B1ZYY/z
全盛期の利休スレとか立ちそうな勢いだな
124人間七七四年:2009/02/21(土) 22:30:15 ID:iL8Ir3n9
>>120

本当に茶の席で、マジックを披露していたりして。
125人間七七四年:2009/02/21(土) 22:45:43 ID:JXiRU+7K
二階堂のAA貼って「いつの間に、お茶が!」
ってやろうと思ったけど自重した。
126人間七七四年:2009/02/22(日) 03:08:00 ID:k0MASRfm
「俺の点前が見えるかあ!見切れまい!」
駄目だ、もう利休が北斗の拳の悪役キャラで脳内再生されてしまう。
127人間七七四年:2009/02/22(日) 03:14:33 ID:kQ49DU+M
         ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
         (.___,,,... -ァァフ|          あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
          |i i|宗真}! }} //|
         |l、{   j} /,,ィ//|       『おれは点前を眺めていたと思ったら
        i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ        いつのまにか茶を出されていた!』
        |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |
       /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人        な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
     /'   ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ        おれも何が起きたのかわからなかった…
    ,゙  / )ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉
     |/_/  ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ        頭がどうにかなりそうだった…
    // 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
   /'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐  \    超高速だとか茶聖だとか
   / //   广¨´  /'   /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ    そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
  ノ ' /  ノ:::::`ー-、___/::::://       ヽ  }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...       イ  もっと恐ろしいもを味わったのでもう一杯お願いします
128人間七七四年:2009/02/22(日) 03:20:54 ID:woh/mEa/
>もっと恐ろしいもを味わったのでもう一杯お願いします
ワロタwって書こうとして引用文がおかしいことに気付きまたワロタw
まあ意味は伝わるけどなw
129人間七七四年:2009/02/22(日) 04:10:12 ID:TjKsckrH
>>126

そして戦国末救世主太閤にヌッ頃される訳ですな
130人間七七四年:2009/02/22(日) 10:51:59 ID:mkCkW9En
>>125
エア詫び茶 だね。
131人間七七四年:2009/02/22(日) 11:07:41 ID:UpH7Nnys
アンサイクロペディアにこんなものがw

DQN四天王
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/DQN%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B
132人間七七四年:2009/02/22(日) 11:39:19 ID:TzRga0z/
悪い家久の記事が無いとはアンサイクロもまだまだだな。
133人間七七四年:2009/02/22(日) 12:42:05 ID:kQ49DU+M
妖馬・百段が出てないあたりまだまだ未熟
134人間七七四年:2009/02/22(日) 13:32:03 ID:T/yzZt1V
細かいとこつっついちゃうけど、東北と北陸の区別くらいつけてほしいなー、とか思ったり。
135人間七七四年:2009/02/22(日) 15:19:06 ID:Hoz7APtK
>>103
なんか過激だけど愛だよなー 武士の妻たるものイザって時はここまでやるんかい、という
136人間七七四年:2009/02/22(日) 16:12:20 ID:rtkFzwr9
武蔵の上司の信忠をアンサイクロ編集する人はいないのか
137人間七七四年:2009/02/22(日) 16:15:46 ID:UpH7Nnys
天下人の度量

奥州仕置きの折のことである。蒲生氏郷からの「伊達政宗異心あり」の告発により、
京ではにわかに、政宗謀反との憶測が高まった。
悪い時は悪い方向に話は大きくなるもので、疑惑の目は政宗本人のみならず、
京の屋敷に人質として置いた妻にまで向けられた。

『政宗の妻と言う女は、実は偽者であり、政宗が本物と偽って置いたのだ。
彼は最初から秀吉公を騙していたのだ。』

そんな風説が広まったのだ。

秀吉の左右の者たちは
「もし偽者とあれば、政宗は最初から秀吉様をたばかっていた言う事!
これは関白の沽券にかかわる事ですぞ!なにとぞ厳重な取調べを!」

が、秀吉はその話を一笑に付した。

「政宗は本物だと言って、妻を人質として差し出し、わしに臣従した。
政宗自身が本物だと言っている以上、これが実際に本物だろうが偽者だろうが、
わしにとっては同じ事だ。」

政宗ごときがどんな小細工をしようが、自分にはどれほどの事もない。
逆らえばどの道潰すだけだ。そんな秀吉の自信の程を伺わせるお話。
138人間七七四年:2009/02/22(日) 16:22:18 ID:qDq+XRWS
本物にはピアスの穴が(ry
139人間七七四年:2009/02/22(日) 17:28:28 ID:3oQeLn+J
>>137
やっぱラスボスだなーと思ってしまった
140人間七七四年:2009/02/22(日) 17:55:25 ID:jvHghFcg
さすがラスボス、格が違うな
141人間七七四年:2009/02/22(日) 17:58:38 ID:JdrhHIAY
実際あの時点ではそう言い切って問題ないだけの力があるからな
142人間七七四年:2009/02/22(日) 18:36:24 ID:r2Ntib7i
これで耄碌さえしなきゃねえ・・・
143人間七七四年:2009/02/22(日) 18:42:18 ID:rrq3E+Kc
まあ、あの時点でラスボスがその気になれば、伊達政宗一瞬で終わるからな・・
144人間七七四年:2009/02/22(日) 18:54:08 ID:nuDFPt3D
しかしそれだと家康が益々強大化しそうだ
145人間七七四年:2009/02/22(日) 19:01:58 ID:rrq3E+Kc
とある春のこと
千利休は某茶人と連れ立って、東山へ物見遊山に出かけた
その道すがら、利休ははたと気づいて連れに話しかけた
「ああ、そういえば、お宿に釜を準備してこられましたか?」
茶人、妙な顔をする
「いいえ…今日は、早朝より利休様のお供と決まってましたから、そんなことは…」
これを聞いた利休、なんとすぐ帰れと言い出した
「そんな嗜みで侘びがなりましょうか。さあ、すぐに釜を仕掛けてくるのです。
晩には誰が立ち寄るとも分かりませんよ」

侘とは手前ではなく心がけ、というお話
146人間七七四年:2009/02/22(日) 23:02:51 ID:TzuaBHJU
伊達政宗が東北の片田舎でブイブイ言わしてた頃のおはなし
政宗のお腹にできものができてしまい、切っても薬を塗っても治らない
どうしたもんかと悩んでいたが、政宗ふと思いついた

       |
   \  __  /
   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
   /  .`´  \
     ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    (・∀・∩< そうだ!焼こう!
    (つ  丿 \_________
    ⊂_ ノ
      (_)

早速政宗は小十郎に熱して布にくるんだ蹄鉄を用意させ、自分の腹部に押し当てさせた
その痛みは半端でなかったらしく、「小十郎の姿ふたつにも見え」と政宗が語ったほどであった
結局、荒療治であったができものはきれいさっぱりなくなったと言う

いい話でもなんでもないかもしれないが、目玉をくりぬかせた上に腹に焼きゴテまで命じた
政宗と、それを実行した小十郎の信頼関係は素晴らしい
147人間七七四年:2009/02/22(日) 23:22:16 ID:qDq+XRWS
片目なのに二重に見えてしまうんだから相当なもんだな。
148人間七七四年:2009/02/22(日) 23:32:03 ID:3N67HzcO
実は小十郎が素早く動いてこれでもかと腹に鏝を当てまくってたのが残像として見えたわけではないのだな
149人間七七四年:2009/02/23(月) 00:02:49 ID:qfhdwWpE
政宗が家督を継いだばかりのころ。 ある夜、米沢城下で火事が起こった。

政宗はわずかな供回りを連れて馬で駆けつけ、みずから消火活動を督励したが、
風が強く火は強まるばかりで、あきらめて逃げ去る侍が現れた。

政宗に付き従って来た片倉小十郎景綱は、歯ぎしりした。
「いかん、これでは政宗様の威信にも関わる。しかし、どうすれば・・・」

その時、近くを二人の侍が逃げ走るのを見た小十郎は、ひらめいた。

「ど  こ  へ  行  く  !!」

政宗の許可も取らず二人の侍を追いかけた小十郎は、馬上から二人を槍で突き殺した。
これを見た者たちがさすがに凍りつき、逃げ足を止めるのを見た小十郎は、叫んだ。

「聞けい、皆の衆!今日の火事は、主君のご出馬ある以上、大敵に向かうと同じ!
敵ならいざ知らず、自城の小火を消せぬとあれば、隣国に聞こえれば大恥をかくぞ!
さあ、恥を知る者は風に向かい、火の粉を被るとも一歩も退くべからず!!」

これに奮起した諸侍が力を合わせて消火に努めた結果、程なく火は静まった。
かたわらでこれを見た政宗は、いよいよ小十郎を重く用いるようになった。


片倉さんはその忠義だけでなく、機転と肝の太さをもって政宗に信頼されたという話。
150人間七七四年:2009/02/23(月) 00:40:44 ID:+rvGLvNP
ふと以前にも思ったことがある気がするが、鬼小十郎は
息子の方の異名だが、本当に鬼っぽいのは父小十郎だよな。
151人間七七四年:2009/02/23(月) 00:44:04 ID:RvEsdKHR
異名に鬼が付く武将って結構いるよな
152人間七七四年:2009/02/23(月) 00:46:43 ID:Q/N4OF8G
>>146
戦国時代の日本に蹄鉄は無かったと思ってたけど
そんなことは無かったぜ(;・∀・)
153人間七七四年:2009/02/23(月) 00:56:54 ID:kg5ZCPh/
織田徳川武田だけでも鬼がぞろぞろ居るからな。
154人間七七四年:2009/02/23(月) 00:59:15 ID:+901sj92
九州あたりにも結構住んでる。
155人間七七四年:2009/02/23(月) 01:17:49 ID:cZbElYEg
>>151
軍記ものでは、異名どころか苗字に鬼がついた鬼小島なんていうのも。

>>152
ってことで、明治時代以降にできた逸話っぽいねぇ。
156人間七七四年:2009/02/23(月) 01:19:40 ID:+mWgVJTC
>>147
確かにww
157人間七七四年:2009/02/23(月) 01:24:34 ID:yAg7jW6o
>>151
政宗さんの近所には「坂東太郎」の異名を持つ鬼がいるとかw
158人間七七四年:2009/02/23(月) 01:42:08 ID:QlhEffPG
犬(利家)サル(秀吉)雉(?)を引き連れた桃太郎(信長)のでばんですな?
159人間七七四年:2009/02/23(月) 02:33:04 ID:cLfR/SJl
>>157
東北でも「暑くて布団で寝られねー」と言ったお方な
160人間七七四年:2009/02/23(月) 02:42:06 ID:7aKBd201
長宗我部家の奸臣として名を残してしまった久武内蔵助親直の話

慶長元年、土佐浦戸に一隻の外国船が漂着した
暴風雨に遭遇して船体を痛めたイスパニア船、サン・フェリペ号だった
長宗我部元親は国主として保護を約束し、上方へ通報した

さて、一息ついたサン・フェリペ号、湾内に移動しようとしたのだが、岩礁に座礁、
船底に大穴を開けてしまった
布製品から香辛料、金や武器まで大量の積荷が、ぷかりぷかりと流されていく
この当時は、海から流れ着いたものは、その浜のもの
土佐の人々も慣例に倣い、勿怪の幸いと荷を持ち去った

これを危ぶんだのが、久武親直である
「これは外国との問題です。
通報を受けた上方から、石田三成様や増田長盛様が検分に参られれば、どうします。
船の荷を勝手に処分したとあれば、お家の命取りともなりかねません。
積荷を奪うような者は、この内蔵助でも誰でも、厳罰に処するべきです」

親直は有言実行だった
自分の親族の使用人が積荷を盗んだと判明するや、使用人を処刑、親族も切腹させてしまった
浜の人々はついに荷を恐れ、避けて通るようになった

やがて、長盛が検視役としてやってきたが、この経緯を知り、長宗我部家の処置を褒め称えたという
161人間七七四年:2009/02/23(月) 03:27:36 ID:+901sj92
頭の回転の早い人ではあるんだよ。

良くも悪くも。
162人間七七四年:2009/02/23(月) 04:31:54 ID:+mWgVJTC
石田とか直江みたいなポジションの人だったのかな
163人間七七四年:2009/02/23(月) 06:56:29 ID:MzZeEafD
No.1にならなくてもーいーいー
164人間七七四年:2009/02/23(月) 14:55:27 ID:p6hWrxon
>>158
あんた鬼に甘いからダメっスよ第六天魔王(自称)の人...('A`)
165人間七七四年:2009/02/23(月) 14:58:44 ID:iviqCVoV
取りたまえ。君はテミストクレスではないのだから
って言葉を思い出した。
166人間七七四年:2009/02/23(月) 15:15:55 ID:tMtctVtZ
鬼を部下にした桃太郎により世界は暗黒に包まれた

〜桃太郎伝説 完〜
167人間七七四年:2009/02/23(月) 16:01:14 ID:sZIhWmjq
>>160
でも結局、その積荷は豊臣家で没収したんだよねw
168人間七七四年:2009/02/23(月) 16:31:20 ID:1z7GMaY5
小田原攻めが決まると蒲生氏郷は豊臣秀吉にあるお願いをした。
「どうか、亡き成政殿の馬印を私に下さい。」

佐々成政は小田原攻めの2年前に失政の責任をとって切腹していた。
氏郷の馬印は熊の毛皮を棒に巻いた地味なものだったので、氏郷は
成政の金の三階菅笠の馬印を所望した。しかし、馬印はそうやすやすと
変えていいものではないので秀吉は難色を示した。

「成政ほどの武将の馬印を簡単に認めるわけにはいかぬ。
どうしても欲しいというならば武功を立てよ。」

「わかりました。此度の戦は人々が私の働きに驚嘆するか、
私が討死するかのどちらかとなることでしょう。」

出陣した氏郷は松坂城に立ち寄り、自分の肖像画を描かせ、
まだ許されてはいないが、金の三階菅笠の馬印を作った。
そして乳母に自分の肖像画を菩提所に納めるように頼んだ。
しかし、氏郷があまりにも不吉なことを言うので乳母は泣き出してしまう。

「氏郷様はまだお若いのに肖像画を作るだなんて縁起でもありません。
やめて下さい!」

すると氏郷は笑ってこう言った。
「武士は生きて帰ることなど考えたりはしない。
ましてや関東に下るともなれば、なおさら生きて帰れる保障はない。
だから肖像画を作っておけば、万が一私が討死したとしても
息子の秀行が大きくなったときに、私がどんな姿だったかがわかって
形見になると思ってな。」

やがて合戦が始まると氏郷は小田原城に夜襲を仕掛けた。
その際、氏郷は北条家の将・広沢秀信と死闘を繰り広げた。
氏郷の槍はくたびれ、鎧には矢が2本刺さっていたという。
この働きに秀吉は満足し、遂に成政の馬印の使用を許可したのだった。
169人間七七四年:2009/02/23(月) 16:34:13 ID:EGNti6Y8
>>168
氏郷って常に武功立てて何かもらうか死ぬかの二択しかないよな。
それだけ自分の追い詰めて力発揮するタイプなのか?
170人間七七四年:2009/02/23(月) 17:15:52 ID:D0I4mqWW
秀吉の部下の蒲生氏郷、でしか無いところに焦りを感じていたとか・・・
171人間七七四年:2009/02/23(月) 17:56:35 ID:vAy1AORR
ひとり立ちしてもその猪突っぷりが仇になってあっという間に死にそうな気が
172人間七七四年:2009/02/23(月) 18:02:59 ID:sZIhWmjq
いろんな意味で、良くも悪くも「優等生」なんだよね、氏郷は。
173人間七七四年:2009/02/23(月) 18:09:58 ID:p6hWrxon
>>171
信之兄ちゃん(の家臣を兄ちゃんが評して曰く)みたく、
「殿に先駆けなんてさせンじゃねェ、逝くぜ真田武士共」ウラー!
って殿様の馬前に立って代わりに討たれる家士が続出しそうな悪寒

実際、蒲生家中で名を成して他家へ移った連中が関ヶ原の西軍最前線にもろもろ……


そういや殿様から家臣までみんなシグルイの鍋島さん家とか、島原の乱じゃムチャクチャ犠牲出したらしいな
174人間七七四年:2009/02/23(月) 19:00:54 ID:+901sj92
名古屋山三郎「氏郷様にはとても可愛がってもらってたけど子供に仕える義理は無いよね。」
175人間七七四年:2009/02/23(月) 19:32:35 ID:RvEsdKHR
青鬼 籾井教業
赤鬼 赤井直正
赤鬼 井伊直政
赤鬼 織田信長
鬼柴田 柴田勝家
鬼玄蕃 佐久間盛政
鬼五郎左 丹羽長秀
鬼武蔵 森長可
鬼武蔵 親納忠元
鬼美濃 原虎胤
鬼美濃 馬場信房
鬼の半蔵 服部半蔵
鬼作左 本多重次
鬼虎 小幡虎盛
鬼将軍 加藤清正
鬼義重 佐竹義重
鬼島津 島津義弘
鬼十河 十河一存
鬼道雪 立花道雪
鬼の小十郎 片倉重長
鬼作左 本多重次
鬼真壁 真壁氏幹
丹波鬼 波多野宗高

日本は真鬼の住まう地であった…
176人間七七四年:2009/02/23(月) 19:35:47 ID:sZIhWmjq
>>175
鬼作左がダブってるw

しかしこれだけ鬼がいると、地獄の番卒も困っちゃうだろうなw
177人間七七四年:2009/02/23(月) 19:38:46 ID:1sjUpwJS
かぶっちゃった新納がなんとも言えないwww
完全にインパクト負けしてるw
178人間七七四年:2009/02/23(月) 19:44:59 ID:kbgTcVds
>>175
鬼吉川の吉川元春がおらんがや
179人間七七四年:2009/02/23(月) 19:51:46 ID:+901sj92
武田家中で鬼美濃ダブってるw
180人間七七四年:2009/02/23(月) 19:52:30 ID:p6hWrxon
>>175
新納忠元ぬ
181人間七七四年:2009/02/23(月) 19:56:24 ID:p6hWrxon
あと鬼小島弥太郎さんとかね

>175
北条の松田康郷も赤鬼・鬼孫太郎といわれてるな

上杉謙信が褒め称えたつー話で
182人間七七四年:2009/02/23(月) 19:57:38 ID:sZIhWmjq
しかし「鬼」の付く人は、基本的には武将か武官なのに、文官で鬼とあだ名された作左さんは
ちょっと面白いなw
183人間七七四年:2009/02/23(月) 19:58:05 ID:o5Sor8fb
「鬼美濃」は美濃守の名乗りごと受け継いだようなもんだしな。
184人間七七四年:2009/02/23(月) 20:09:13 ID:Bql8f+Q1
鬼庭 良直
「拙者はどうですかね?」
185人間七七四年:2009/02/23(月) 20:11:01 ID:QlhEffPG
鬼畜関白秀吉「ガッハッハ、グレイトだぎゃ〜!」
186人間七七四年:2009/02/23(月) 20:53:42 ID:vAy1AORR
出羽の鬼姫様がいないようだが
187人間七七四年:2009/02/23(月) 21:36:06 ID:p6hWrxon
>177
親指武蔵の怖さを知らんのか…

そらDQN振りで森長可にゃ及ばんけど、インパクトとかの問題じゃねえだろ
戦場の功名は抜群で敵味方問わず戦死者を厚く弔う一面もある
島津義久が家中の武功の士を挙げたとき(弟たちと並んで)真っ先に出てくるくらいの功臣やぞ?

>182作左衛門重次さんは三河の奉行衆だけど…槍先の功名だっていっぱいあるんやでー
まあ「まもらねば さくざがしかる」は世紀の名言だがw
188人間七七四年:2009/02/23(月) 21:38:35 ID:kbgTcVds
このスレには森長可ヲタが多いからしょうがない
189人間七七四年:2009/02/23(月) 21:49:12 ID:zqgvra5I
名臣なのにインパクトで負けちゃって勿体ねえってことでしょ

岡部の黒鬼・・・
190人間七七四年:2009/02/23(月) 23:01:44 ID:2pPpfK5C
>>160

船の積み荷は、秀吉がひとり占めにしたんだよね。
朝鮮行くのに使った。

日本国王のくせにケチなやつ。
191人間七七四年:2009/02/23(月) 23:12:04 ID:sZIhWmjq
家康が秀忠に将軍職を譲り、大御所として駿府に入った頃の話である。

駿府の阿部川町には遊女街があり、家康の旗本も多く通っている、と噂されていた。
それを聞いた駿府町奉行、彦坂九兵衛は、旗本たちを悪所に通わせないよう、この阿部川町を
城下から2,3里離れた場所に移すべきと考えた。
これに阿部川町の町人たちは、それでは商売が出来なくなると猛反対をした。

そこで家康の判断を仰いだ所、家康はこのように言った。

「阿部川町にいる遊女たちは、売り物ではないぞ?売り物であれば自由に移し変えも出来るだろうが、
そんな遠い所に移してしまっては、阿部川の者たちは世を渡る術を無くしてしまうだろう。
そのままにしておくのが良い。」

大御所様に営業のお墨付きをいただいた阿部川町は、それから旧に倍するほどの繁栄をしたが、
それに入りびたり、窮乏する旗本たちも多くなったと、又噂された。

さて、その年の秋のこと、阿部川町でも祭りが行われ、その踊りの音が駿府城の中にまで
聞こえて来た。そこで家康は彦坂九兵衛を呼び、

「あの踊りをわしも見たくなった。阿部川の者たちに、城に来て踊りを見せに来るように
言ってくれないか?
ああ、わしの前で踊るからといって帯や衣装をわざわざ新しくする必要は無いと言えよ。
そのままの姿でよい。」

これを聞いて阿部川町の者たちは当然張り切った。大御所様のお目見えなのだ。
彼らは支度を整えお城に参上、早速踊りを差し上げた。
これに城方でも彼らを歓待し、囃子方のものにまで食事や酒を振舞われた。

家康は彼らの踊りの中でも、遊女たちによる踊りを特に喜び、彼女らを近くに呼び寄せ
声をかけ、それぞれの忍び名を聞き、菓子を下げ渡した。

そうして退出する彼女たちに、家康の同朋衆の福阿弥が近寄ってきて、小声で囁いた。

「今後あなた達のうち誰かが、大御所様に召し出されるかもしれません。そのこと心得て置いてください。」

この話はたちまち広がり、一体誰が大御所様の目に留まったのかと大変な話題になった。
このことは阿部川の遊女たちの名声を非常に高めた。が、もう一つ別の所にも影響を与えた。
阿部川に通っていた旗本たちに、である。

「一体どの女が大御所様に召しだされるか分からん。わしの相手をした女が大御所様に
召しだされて、わしの事を告げ口されたら一大事だ!」

そんなわけで、これ以降駿府では、旗本の悪所通いがピタリと止んだとか。

いかにも晩年の家康らしいお話。
192人間七七四年:2009/02/23(月) 23:34:14 ID:ICcpGvdN
>>167>>190
確かに秀吉の没収にあって、イスパニア人は激怒したけど、
日本国王の名誉のために言えば、一応対価は払ったみたいよ
船の修理、米千石、豚三百匹、鶏三千羽、うどん粉五百石、酒百樽、肴五十荷
どこまでほんとかは分からないけどw
193人間七七四年:2009/02/24(火) 00:05:19 ID:/LaC/r97
義光、馬揃えドタキャンす。

慶長十七(1611)年、一月十五日、最上義光六十六歳はこう宣言した。
「来る四月、天童で馬揃えを行う。家中で馬を飼っているものは
全員参加すること。参加者は山形に来て騎馬帳に名前を書いて、
事前申請するように」
これを聞いて家中は皆張り切って準備をすすめ、当日早朝午前四時には
天童に集合した。

さて、この行事は事前に知らせてあったためか見物人が大勢来ており、
数千人はいるのではないかと押すわ押すわの大騒ぎ。
一体どれほどいるかわからないほどだった。

午前六時、義光は着飾った供三十騎を従えて城を出た。
かねての打ち合わせ通り、城持ち家臣から乗り入れようとした時、義光は言った。
「やっぱり、馬揃えは無期限延期としようか」
と、彼はドタキャン宣言するとそのまま城に引き返した。
これには集まった皆( ゚д゚)ポカーン …とした。

こんなに大がかり、数ヶ月かけて準備したのにドタキャンとは、
義光の機嫌を損ねたのかと、家臣数名が彼に問い合わせた。
すると「いや、今日の馬揃えは何の心配もない、皆帰っていいぞ」と
返答があった。
194人間七七四年:2009/02/24(火) 00:05:57 ID:/LaC/r97
おさまらないのは若武者たちだ。
「いくらなんでもドタキャンてありえなくね?」
「だよな、せっかく準備したのにさ」
「おれたちが派手なかっこしすぎたから、殿ムカついたのかもなー」
「あー、殿って着飾るの大嫌いだからね…」

と彼らがブツブツ言っていると中のものが言い出した。
「でもさ、考えてみれば殿だって軽い気持ちでこんなことしたとは
思えないんだよね。今は合戦がないから皆まったりしてファッションに
ばっかり気をつかって、武具点検とかサボってるだろ。
今回の馬揃えっていうのは口実で、本当は武具点検をさせたかったんじゃ
ないかなあ。でもこのイベントって事前から公表していたから、見物人が
いっぱい来てただろ? その中に他国の隠密が混じるかもしれない。
かといって見物人を許さないのもケチくさいし。
で、ドタキャンすれば大騒ぎになるから、隠密ももう探りようがないから、
あきらめて帰っただろうね。そこまで考えないで文句つけちゃ駄目だよな」
こう言われて、聞いた者は「そっかー、それもそうだよな」と感心した。
「殿の心は奥深くて、ちょっとやそっとじゃわからなんなあ」と、
言いあったという。
195人間七七四年:2009/02/24(火) 01:06:08 ID:wqtZ8UQ6
豊臣秀吉は長宗我部元親を倒すべく四国征伐を開始した。
そして今、長宗我部軍の一宮城は豊臣軍の攻撃を受けていた…。

ところで豊臣軍の中に筒井家臣・高畠左兵衛がいた。この男、暇だった。

「暇だね〜。どうせあの城すぐ落ちないだろうし、どうすっかな。」

退屈だった左兵衛は暇潰しすることにした。
鹿狩り、魚取りなどはひと通りやり倒した。

「タノピー!そういや一宮城には市之助がいたんだっけ。
あいつどうしてるかなぁ…。」

市之助とは彼の弟である。矢野市之助と称し、一宮城に籠っている。
気になった左兵衛は矢文を送ることにした。

「市之助、お主宛にこんなものが!」
「何ぃ?敵がいったい何の用だ!!」

「いよう市之助!オレオレ、オレだよ、左兵衛だよ。
お互い敵同士になっちまったが家名を汚さないように
がんばろうぜ!じゃ。
                     −兄より−」

「こ、これは兄者の手紙!わざわざ手紙をくれるなんて
ボカァ感激だなぁ。」

しばらく経ったがまだ城は落ちない。
その頃、左兵衛はあることで困っていた。

「う〜ん、困ったな。よし、また市之助に矢文を送ろう!」

「市之助、またお主宛てに手紙が!」
「うん?きっと兄者だな。」

「やぁ市之助!実はお前に頼みがあるんだ。
無理ならいいんだけどさ、犬貸してくんないかな?
狩りに使いたいんだよ。頼むな!
                     −兄より−」

「こんな時に犬を貸せ?………御安い御用だぜ!!」

かくして左兵衛は犬を貸してもらった。
その後、一宮城は陥落し、筒井軍も引き上げたが
左兵衛は休暇をもらってある村に行った。

「よっ、市之助!犬返しに来たぜ。」
「おう、兄者!よく来たなぁ!」

戦後、市之助はこの村に引っ越していたので
左兵衛は借りた犬を返しに来たのだった。
196人間七七四年:2009/02/24(火) 01:53:24 ID:IBORYFqt
泣けてきた
この村って現世のだよな、まさかってことは無いよな
197人間七七四年:2009/02/24(火) 02:30:40 ID:e5anlBIX
>>195はこれで完結?続きがあるものと思ってたw

ふらりと立ち寄った高虎スレで、こんなの見つけた

54 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/23(日) 23:58:22 ID:snv8Gzb6
秀頼が滅んだ後、大阪城が欲しいとか言い出した家康の何番目かのガキを
「テメーなんめてるのか!」とボコボコに〆て紀州(和歌山)で
我慢させたんだよな、さすがだよ。

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/24(月) 10:21:01 ID:umbKDmLX
頼宣の話だな。
遠江→駿府→紀伊と移封する時に
「オレ、大神君様と一緒で狩が趣味なんだけど、紀伊は鶴がいないからやだ〜!
 だったら大坂にしてくんない?」
て言ったら高虎が
「大坂なんて豊臣の恨みの残る地に、徳川の若様が行っちゃいけません!
 しかし、ワシは昔粉河にいたけど、確かにあそこは鶴がおりませんな〜。
 よし、ワシは狩をしませんから、伊勢で狩をなさいませ。鶴も多いし」

後の南龍公を諭す高虎。この頃になると、ホント親戚のおじちゃんみたいだw



で、個人的にはコレ↓が気になったが、これは悪い話、だよな?

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/21(金) 16:23:59 ID:5k2UHpWO
藤堂家と黒田家の縁談話が結局破談になって、
細川家に「あそこの仲の悪さはガチ」なんて書が残ってるんだよなw
198人間七七四年:2009/02/24(火) 03:05:48 ID:B4LyQONB
>>197
そういう細川家も前田家との仲の悪さはガチw
5代藩主・綱利が改名したのも当時の細川家当主と同じ名前になってしまったのが嫌だったらしい…

が…将軍から一字拝領したうえで、通字と組み合わせると大概似てしまうわなw

(前田・細川は両方とも将軍家からの一字拝領ある家柄)
199人間七七四年:2009/02/24(火) 08:33:27 ID:POLwBW1s
家康と遊女の話ってどっかにでてなかったっけ?
200人間七七四年:2009/02/24(火) 08:34:20 ID:M3uiGrAU
既出だね
201人間七七四年:2009/02/24(火) 09:55:03 ID:v+xCGVxx
そういうもの


徳川秀忠がまだ将軍職を継ぐ前の事である。
秀忠が家康の下に挨拶に来たとき、秀忠に従っていた未だ小身の旗本たちに、
家康は直々に声をかけた。

「お前たちのような徳川家取立ての譜代の者達は、我が家にとって格別な者たちだ。

何故なら、外様の大名達は、口では徳川家を大切だと言っていても、いざ徳川の力が弱くなれば、
強いものに付き弱いものは捨てるからだ。

勘違いしてはいけないぞ、これは古今の定めだ。そんな態度は不届きだ!などと考えてはいけない。
世の中とはそういうものなのだ。

お前達はそう心得て、秀忠を支えてほしい。」
202人間七七四年:2009/02/24(火) 10:08:09 ID:4U8LpgOM
>>201
さすが冷静でリアリストだなぁ狸の神君。

…幕末のことまで見通していたっていうよりは、
いずれ起こる(起こす)豊臣との戦を考えていたんだろうけどね
203人間七七四年:2009/02/24(火) 10:15:19 ID:TQ1dNl0S
まさか優遇した譜代はすべて新政府側について、仮想敵国だった東北諸侯や簒奪を疑われた保科正之の子孫である会津藩だけが最後まで従うとは思わなかったろうな。
204人間七七四年:2009/02/24(火) 10:18:09 ID:rJnvmM0c
>>195
実はこの村は幻想なのでしたという落ちがつきませんように・・・

>>197
家康の信任が厚かったせいもあるんだろうけど
晩年の高虎は蒲生やら生駒やらあちこちの大名の世話焼いてるね。

あと、有名な話だけど細川と黒田の仲の悪さはもっとすごいので
細川家の文書で黒田の話が出てきたら多少割引く必要があると思われ。

>>198
DQN四天王の一人が長男夫婦を無理矢理離婚+勘当したからなぁ。
前田が東軍に着いたとはいえ豊臣家に近い大名だったので、
長男夫婦の離婚で家康にアピール(ごますり)したという説もあるけど、アレはやりすぎだな。
前田家が嫌うようになるのはもっともだと思う。

>>203
いくら東照大権現公でも250年先までは予言できませんw
205人間七七四年:2009/02/24(火) 11:34:06 ID:+i6tTG5K
家康「我が遺体は西に向けよ」
206人間七七四年:2009/02/24(火) 12:51:02 ID:qLu4ZnL7
輝元「江戸には足向けて寝よう」
207人間七七四年:2009/02/24(火) 15:40:08 ID:FsTP8Y/0
>>205
一応、最初の墓所は駿河の久能山。
一年祀られただけで、250年も西方を押さえられたんだからたいしたもんだろ。
208人間七七四年:2009/02/24(火) 16:07:19 ID:QwlAhGBT
東に向けといたらアメリカにも負けなかったかもねw
209人間七七四年:2009/02/24(火) 18:02:38 ID:IBORYFqt
地球は丸いからどうにでもなるよ
210人間七七四年:2009/02/24(火) 18:51:23 ID:v+xCGVxx
いいのか悪いのか書いてて訳が分からなくなったので、あえてこっちに投稿して見る


上田宗古さんの、討ち死に、ワンポイントアドバイス!


ハーイ!SOKOだヨ!
侍は常に、戦場で討ち死にして首になったときのことを考えておくべきなのは、もう常識だよネ!

そのために大切なのはそう、『月代』!月代の後ろが下がった感じに剃っちゃうあなた!
それはミステイク。
首になったとき、なんだか詫び言をしているような顔になって、とってもかっこ悪いんだゾ!

月代は後ろ高に剃るように。これが首になったときかっこよく見せる秘訣!
そうそう、当然陣中にも剃刀を持参して、合戦の前日には月代をそって首を綺麗にしておくのも
オシャレ武士の身だしなみだゾ☆

この点に注意して、君もかっこいい討ち死にライフをエンジョイしようネ!



※東照大権現より一言
『さすが文武に秀でた古強者、SOKOのアドバイスは完璧だね!
ボクからもう一つ付け加えると、戦場に出るときは、鎧なんかはグっと抑えたものにして、
思い切って兜にお金をかけちゃおう!
討ち取られた時首とセットになるアイテムは兜だけ。首実検の時「この兜から察するに、
この武者はひとかどの者だったのであろう…」なーんて、周りの評価も一気にポイントアップ
しちゃうよ!』
211人間七七四年:2009/02/24(火) 19:23:54 ID:4U8LpgOM
>>210
あんた大坂城下で竹藪を物色していた数奇者の……
212人間七七四年:2009/02/24(火) 19:27:42 ID:4U8LpgOM
>>203
信濃衆、武田遺臣としてもがんばったよ保科正直……

同じ幕末でいくと「藤堂さん家はやはりw裏切ったか」とかいわれちゃうのな...
213人間七七四年:2009/02/24(火) 19:35:31 ID:w+BnZlnn
当家は元来、豊臣家臣でござれば…
214人間七七四年:2009/02/24(火) 19:54:35 ID:2DXMomdp
おっと、高虎の悪口はそこまでだ
裏切った理由を先祖に押し付けるのはのはいかんぞ
当事者が責められるべきだ
215人間七七四年:2009/02/24(火) 19:59:38 ID:v+xCGVxx
まあ、鳥羽伏見の時の裏切りも、本藩の指示ではなく部隊を率いていた家老の一存だった
らしいしな。>藤堂藩

200年以上も前の人物の個性を、200年後の組織と結びつけるのは無理がありすぎる。
216人間七七四年:2009/02/24(火) 20:02:21 ID:uhFMVumx
ネタとしちゃ面白いがな。真に受けちゃいかん。
217人間七七四年:2009/02/24(火) 20:24:42 ID:CVPfKu9l
でも会津の家風は家祖によるものが大きい気もする
218人間七七四年:2009/02/24(火) 21:21:23 ID:fzrGVHGj
>>210
そーなのかー
おれも明日から月代後ろ高に剃るわ
219人間七七四年:2009/02/24(火) 21:26:30 ID:DzgeYbxp
コカカコッ コカカコッ
220212:2009/02/24(火) 22:10:14 ID:4U8LpgOM
>214-215スマソ藤堂与右衛門は漏れも好きだよ。

というかもう、今更悪いこととも思えん。文字通り“時代が違う”もんね仕方ないわさ。
221212つづき:2009/02/24(火) 22:15:29 ID:4U8LpgOM
神君がさばけて>201で世の習い、って言ったこと(大名家の離反)を
世人は不義とかなんとか、色々理由つけるもんだね……って

これじゃ「悪い話」向きの解釈かw
222人間七七四年:2009/02/25(水) 03:07:11 ID:rbu1pror
戦国期は家臣が主君を「見限る」のは別に当たり前だったけど、
安定した世になって主君をホイホイ替えるのは悪だと価値観のシフトが起こったからな
223人間七七四年:2009/02/25(水) 06:52:50 ID:leXlWJdu
明治帝に盗賊の子孫呼ばわりされて必死で釈明した蜂須賀さん…
224人間七七四年:2009/02/25(水) 09:30:03 ID:vu1Cvptb
>>193-194
鮭厨うぜえ

>>223
道三「盗むなら国ごととらなきゃ」
225人間七七四年:2009/02/25(水) 10:37:02 ID:QjMqMWlO
>>224
いや、>>193-194は普通に逸話を書いてくれただけじゃん
なんでそう言う必要があるんだ?
226人間七七四年:2009/02/25(水) 10:38:27 ID:hP1oaepa
>>225
変な人に触れない方がいいよ。
227人間七七四年:2009/02/25(水) 11:44:00 ID:8xTmSFsb
>225
かわいそうなモヒカン頭の野盗は、仕方ないから鬼武蔵に任せましょう
228人間七七四年:2009/02/25(水) 11:47:38 ID:Cw2NwJjZ
なんか鬼武蔵がちょっと過激な正義の味方みたいに思えてきた。
229人間七七四年:2009/02/25(水) 11:53:02 ID:hP1oaepa
最初敵だったのに、いつの間にやら人類の味方になったゴジラのようだ。
230人間七七四年:2009/02/25(水) 13:05:29 ID:7AgOZ56L
いい話ばっかり書くくせに、
悪い話になると「しかし江戸以降の伊達家の記録で見られるこの逸話は〜」
なんて逃げ道を用意するところが嫌われるんじゃないかね
231人間七七四年:2009/02/25(水) 13:05:58 ID:fGiSbwt6
>>210
戦国時代のいけてるファッションは
・月代後ろ高剃り
・鎧は質流れのボロでいい 兜はブランド品
・ふんどしはもっこふんどし

こうですか分かり(ry

上記にもう一つ南の国から島津日新斎忠良おじいちゃんからのアドバイスがあるよ
「身分高く名のある武将はな
 戦場にあっても身だしなみを忘れぬ物じゃ
 どんなに過酷な戦場であっても
 眉剃り+眉書き+おはぐろ!!!
 絶対毎日忘れてはならぬ!」
(以上出典「日新菩薩記」(『島津史料集』所収)

・・・上記の話を読んだときから、
私の頭の中では島津一門+その部下は
大河ドラマに出てくる今川義元のように天井眉にお歯黒姿。
232人間七七四年:2009/02/25(水) 13:27:14 ID:Cw2NwJjZ
>>230
気に食わない武将の話でもスルー対応ですませられないのかねえ。
アンチスレあるんだしそういうのはそっちでやれよ。
233人間七七四年:2009/02/25(水) 13:31:11 ID:AEZJ5TYE
>>223
でも当時の当主は家斉の孫か曾孫じゃなかったか、蜂須賀家
234人間七七四年:2009/02/25(水) 13:37:05 ID:8xTmSFsb
>>231
武士の嗜みとして、のど輪も忘れるべからず
235人間七七四年:2009/02/25(水) 14:02:23 ID:Gv4fBWpS
戦国時代ののど輪はリリアンのスカーフと同じくらい重要
236人間七七四年:2009/02/25(水) 14:13:14 ID:L4IPkL0C
>>223
家斉の孫ね。しかも母親は関白の娘。
泥棒の子孫どころか、実は超良血じゃんってオチやね。

>>231
お孫さんの家久は大の貴族趣味だからね。
大体島津家は家臣ともども蹴鞠マニアだらけなんだが。
237人間七七四年:2009/02/25(水) 14:20:02 ID:hP1oaepa
>>236
今でこそ貴族趣味的な、雅で優雅な者と思われているけど、
蹴鞠は元々、戦場での動きを機敏にするための、戦闘訓練用のスポーツだったそうだね。
今のサッカーと変わらないほどの運動量が必要だとか。

もしかすると島津の剛強を支えたのは、蹴鞠だったのかもしれないなw
238人間七七四年:2009/02/25(水) 14:28:51 ID:m5qg1XpA
>>237
そうすると今川氏真は相当の…
239人間七七四年:2009/02/25(水) 14:31:11 ID:qhpmMieW
でも日本に伝わり広まった蹴鞠は至って平和的なスポーツだよな
戦闘訓練に使われたのは中国の蹴鞠

しかし蹴鞠といいお歯黒といい昔から貴族趣味と言われてきたものは
最近じゃその時代では当たり前の風俗だったりするのが明らかになっているから
あの時代でも通用するような、本当の貴族趣味というものが分からなくなってきた
240人間七七四年:2009/02/25(水) 14:33:38 ID:JmyYHCRd
日本代表作れるな
241人間七七四年:2009/02/25(水) 14:42:33 ID:unZmvC7Y
早雲「>>224国を盗むとは感心せんな」
242人間七七四年:2009/02/25(水) 14:43:22 ID:hP1oaepa
>>238
氏真は、個人としては剣の腕も含めて、運動神経は相当な人だったらしいよ。


>>239
日本でも戦闘訓練用だったよ。>蹴鞠
古代から室町時代までは、貴族も軍勢率いていたから、そう言う訓練が必要だったんだろうね。
今のように優雅で平和的になったのは、江戸期だろうね、やっぱり。
243人間七七四年:2009/02/25(水) 14:44:05 ID:qhpmMieW
>>242
ソースくれ
244人間七七四年:2009/02/25(水) 14:44:11 ID:L4IPkL0C
スレ違いだし、まあ有名な話だから詳細は省くけど、
今鏡や本人の日記に書かれた藤原“蹴聖”成通伝説の数々は
マラドーナもビックリだよ。出世のために蹴鞠の練習で
そこまでやるかアンタは、みたいな。

でもまあ、悪い人ではなかったみたいだけど。
245人間七七四年:2009/02/25(水) 14:52:58 ID:8xTmSFsb
>>236下段の件
貴族趣味は日新爺様の曾孫のダークサイド家久じゃね?

四兄弟の末弟も蹴鞠強者だったとして不思議じゃないけど
雪合戦、蹴鞠、なんでも戦の采配に役立てるのが戦国時代……
246人間七七四年:2009/02/25(水) 15:06:50 ID:AnkU/Qpe
冷泉天皇「サッカー好きだから馬鹿とは限らないよ」
247人間七七四年:2009/02/25(水) 16:04:51 ID:0My735Zu
>>175
亀レスだが「播磨の鬼」も入れといて
248人間七七四年:2009/02/25(水) 18:11:20 ID:7AgOZ56L
>>232
別に武将は好きだよ、何を勘違いしてるのか知らんが
249人間七七四年:2009/02/25(水) 18:41:43 ID:FYhmB5iW
高山右近 inフィリピン

高山右近はキリシタン禁止令にもめげず、
大名の地位を剥奪されても信仰を捨てなかった。
ついに慶長19年(1614年)神父や信者200名余りと国外追放された。
船が沈没しかかったものの、なんとかマニラに到着したのであった。
宣教師らの報告により右近の存在は海外でも有名だった。
そして右近らがマニラに到着したとき、
「日本から聖人がやってきた」
祝砲が打ち鳴らされ、熱狂的歓迎で出迎えられた。
まさかこんな歓迎を受けるとは思っていなかった右近は大層驚いたという。
250人間七七四年:2009/02/25(水) 18:42:15 ID:FYhmB5iW
フィリピン総督のシルースは右近に大邸宅を与えて歓迎の意を表した。
しかし、僅か40日後に右近はマラリアにかかり病床につく。
シルースらの手厚い看護の甲斐もなく
「神父やキリシタンに囲まれて死ぬのは幸せだ」
と言い残して、63才で世を去った。
そして右近が死んだ時は、国を挙げての壮大な葬儀が行われた。
右近の娘は
「こんなに素晴らしい葬式を挙げてはもらえるなんて。・゚゚ '゜(*/□\*) '゜゚゚・。」
感動して泣いたそうな。
251人間七七四年:2009/02/25(水) 18:46:32 ID:G4Uxpx7H
一緒に追放された内藤如安は10年以上あちらで生きてたな。

死んだ後は立派な十字架を墓標に立ててもらってる。
252人間七七四年:2009/02/25(水) 19:17:53 ID:8xTmSFsb
>249-250
凱旋将軍の如き歓待を受けた、ってね

破損した船での苦労はかなりのもんだったらしいが、
これは最後いい人生だったというべきなんだろな
253人間七七四年:2009/02/25(水) 21:04:24 ID:n65l6Sjy
高山右近のネタ元は
http://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/m080.html

だと思うんだけど、当時のフィリピン総督はwikiによれば
ファン・デ・シルヴァだった。

彼は若きスペイン名門貴族で、キリシタン大名、高山右近の
来訪を心底感激し、美々しく盛装したスペイン人騎馬部隊を
右近の護衛につけ、総督宮殿で大宴会の連続で大歓待した。

あまりの長時間の歓待ぶり、若い総督の熱意の押し付けに、
長旅疲れの右近はますます憔悴してしまった。

シルヴァ自身もその後ほどなく、当時の宿敵オランダとの海戦で
はかなく戦死したと聞いたが。
254人間七七四年:2009/02/25(水) 21:12:12 ID:S8jgLote
>>248
>>232>>224みたいに淡々と逸話を書いた>>193-194に対して噛み付くような奴に対してだろう
255人間七七四年:2009/02/25(水) 21:43:08 ID:NTUb0dEY
長宗我部家臣に桑名弥次兵衛吉成という人がいた
元親の側近として頭角を現し、若くして重臣に列した
数多の武功を挙げ、元親は盛親に「わしの死後も弥次兵衛を先陣に」と遺言している

さて、関ヶ原で去就を誤った長宗我部家は改易され、土佐には山内家が入る
国外に去った吉成は、縁のあった藤堂高虎を頼った
高虎もまた吉成を高く評価し、二千石で召抱えた
吉成は禄の一部を、困窮する盛親へ送っていたという

そして、1615年
何の因果か、両軍は大坂八尾にて激突する
後の無い長宗我部軍は奮戦、藤堂軍は壊滅状態に陥った
盛親のもとに集った旧臣達は、吉成を発見して口々に罵った
「桑名め、譜代の主君に仇をなす輩だ、討て討て!」
吉成は窮した
厚遇してくれた高虎にも、かつて重用してくれた長宗我部家にも恩義がある
周囲に殺到してきた敵兵を前に、吉成は槍を取らず、無抵抗で討たれた
「新旧の主に筋を立てたものだろう」
大坂方は感じ入り、彼の首を三宝に載せて梟首した
256人間七七四年:2009/02/25(水) 21:48:29 ID:hP1oaepa
旧恩を立てれば新恩が立たず、
新恩を立てれば旧恩が、

武士も難儀な商売だねえ。
257人間七七四年:2009/02/25(水) 21:52:41 ID:8xTmSFsb
>>255あーあった桑名弟か息子の悲しい話やね
(たしか桑名一族の主だった武士は悉く戸次川で枕を並べて討ち死にしてもーたような…)
結果的に生き残ってしまった弥次兵衛が一族と旧主の両方を支えなきゃならん
藤堂さんが扶持をくれるなら面子もへったくれもない、それで食いつなぐしかない状況だったはず



なんか司馬遼太郎の小説で読んだ希ガス
258人間七七四年:2009/02/25(水) 22:10:10 ID:weI1fL4u
>>237
駿河のファンタジスタなめんな
259人間七七四年:2009/02/25(水) 22:23:34 ID:He+XL9s4
>>258
実際駿河のファンタジスタってモテたんだろうか
260人間七七四年:2009/02/25(水) 22:30:07 ID:kJEj/fSD
太源雪斎「そ…そんなにモテるのですか…?」
261人間七七四年:2009/02/25(水) 22:31:22 ID:EqJ6jlQl
血統値も高いんだぜモテたにきまってんだろ
262人間七七四年:2009/02/25(水) 23:08:20 ID:t0e9UnRN
>>237
サッカーの準備運動とかで蹴鞠っぽいことをやるけど体と頭と同時に使うんで結構疲れる
常に膝や腰を動かし、体幹をしっかりさせ、背筋を伸ばして視野を広く
ボールを受ける、蹴る、送る、その間の視線、体の動き、頭の動き、連動させられないいけない

馬にのって周り見て報告とかの話を聞いて指示出して、戦闘になったら剣振るって・・・
突き詰めれば同じ動きかもしれん
263人間七七四年:2009/02/25(水) 23:53:05 ID:hP1oaepa
あいかわらず面相臭い三河衆

駿府でのお話。ある時、村越茂助が清見寺に使いに行った。そう、関ヶ原の時
福島正則たちに「おまえらがさっさと戦わないから家康公が出てこないんだよ」と
言ってのけた、あの村越さんである。

そんな村越さん、帰りが遅くなって夜半になった。
すでに門限を過ぎ、城の門は閉ざされていた。

「村越茂助です!お使いから今帰りました、門を開けてください。」

ところがここを守る二人の門番、開けない。
「既に時間が過ぎている以上、誰であってもこの門を開ける事はできません!」

門前で村越さんが困り果てているとそこに、家康の側近の一人、安藤直次が通りかかった。
訳を聞いた安藤は、門番に向かい

「この方は確かに村越茂助殿である!とにかくわしが保障するので、村越殿を通すように!」

ところがこの門番達、それでも開けない。
「この門は日が暮れて以降は、決して開けてはならない決まりとなっております。
安藤殿、あなたは今重職についておられますね。そんな方が、決まりを破るような
まねをして良いのですか!?

城主たる家康公の命令がない以上、開けられません!」

この安藤さんも村越さんも、当時、徳川家どころか天下にもその名を知られた人たちでである。
そんな二人にもこの門番達、容赦無いのだ。

後になって家康はこのことを聞き、この二人の門番を褒め、つーか褒めにゃしゃーないですわなw
加増し、駿河から紀州家に付けられたとのことである。
264人間七七四年:2009/02/26(木) 00:11:33 ID:ZO8YfRV9
>>263
門番かっけーな、でも長可が来たらガクブルで開けると思う
265人間七七四年:2009/02/26(木) 00:13:24 ID:4PbG5bMT
確か春日局も、遅刻して締め出しくらった逸話なかったっけ。
あの江島も遅刻締め出しからゴタゴタはじまったし。
三河武士の性質は大奥にまで影響与えたってことかね?
266人間七七四年:2009/02/26(木) 00:14:26 ID:AJIRKsxd
いや、放火されて門が炭になってもどかないに一票
267人間七七四年:2009/02/26(木) 00:19:11 ID:ZXxmbwzJ
氏真は俺の中じゃ劣化幽斎さんだな。
268人間七七四年:2009/02/26(木) 00:20:41 ID:4PbG5bMT
>>230
それもそうかもだが、最上には変な粘着アンチがはりついてるんだよな。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1230354419/l50
269人間七七四年:2009/02/26(木) 00:27:27 ID:OxOI4mKB
本庄一門筆頭の本庄房長という武将がいた
彼は出陣中に実弟の小川長資に反乱を起こされ城を乗っ取られてしまい怒りで悶死してしまう
城の状況を探りに来た本庄一門鮎川清長の家臣が道中で重傷を負った女性が倒れているのを見つけた
そして驚いた
全身に傷を負い虫の息のその女性こそ、本庄房長の妻だったからである
しかも臨月
慌てて連れ帰って手当し、一命を取り留めた房長の妻は7日後に男の子を産んだ
その子供こそ、本庄繁長である
生き残った本庄家臣や一門衆達は嫡流を守る為に城を乗っ取った小川長資が繁長の後見となるのを認めた
争いを避け仇の下で耐えた
13年後
繁長は父房長の13回忌の法要の席で小川長資を自害に追い込み本庄嫡流として一門筆頭に返り咲いた
その後本庄繁長は上杉家中にあって度々反旗を翻すも許されている

彼の強運は生まれ持ったものかもしれない
270人間七七四年:2009/02/26(木) 01:18:44 ID:sGX5aRd2
いい話と言うよりすさまじい話だな
いかにも戦国なお話だ
271人間七七四年:2009/02/26(木) 01:29:27 ID:YO3//vYb
>>269
そのあとも、謙信に背いてみたり、庄内で暴れ回ってみたり、
いろいろやってるのに、畳の上で死んでるんだからすごい。
しかも、息子の充長は上杉家の中では、直江と並んで諸大夫に
なってるし・・・
272人間七七四年:2009/02/26(木) 01:35:02 ID:csehL1OB
地方によって謀反の重みとかも全然違ったのかもね。
北陸や能登越中なんかは、裏切りがあっさり許されていて拍子抜けする。
九州の逸話を見た後だとなおさら。
273人間七七四年:2009/02/26(木) 01:39:00 ID:ryHYLERD
>>269
地元の武将の話だ、ありがとう!
274人間七七四年:2009/02/26(木) 02:16:47 ID:gTwDAqbK
遠州七不思議 鎌研池の片葉の葦

鎌研池と呼ばれる池がある。
秀吉が日吉丸と呼ばれていた頃、日吉丸は骨身を惜しまずよく働いた。
日課の一つが草刈りである。
草を刈る前にはいつも近くの池で鎌を研いだ。
研きあがるとその切れ味を試すべく、
あたりの葦を片端から切り払った。
しかも狙いすまして片方ばかりをそぎ落としたので、
この辺りの葦はみんな片葉になってしまった。
275人間七七四年:2009/02/26(木) 02:27:38 ID:Z6prT/Is
>>274
前半生のラスボスって本当に凄いよな。
276人間七七四年:2009/02/26(木) 02:38:37 ID:SCdptHdA
>269
>>271
御館の乱で早々に景勝を支持したんだったかな。
後の上杉家中で重く用いられたのはそういう理由もあったと思うが

関ヶ原後の平和な時代になんだかんだ適応できてしまったのが繁長の非凡さだよねえ
メチャメチャ乱世をエンジョイしているような人生で、最後は大往生ってあたり
277人間七七四年:2009/02/26(木) 03:29:26 ID:1XHn6GGJ
>>264
>>266
その"鬼武蔵"を信長公のもとに送り届けたのは三河武者だw
278人間七七四年:2009/02/26(木) 09:15:27 ID:Ge/Zyc2D
鬼を従えたり、成敗したりと家康は桃太郎か
279人間七七四年:2009/02/26(木) 09:22:37 ID:OxOI4mKB
>>270
ごめん
では後日談を足して良い話の流れに…なるかな?

実は鮎川清長も小川長資に荷担していた
本庄房長に援軍を出さないという消極的支援であったが領地の境界で房長と清長が争っていたのは事実である
しかし一門という事で妻子を助けるのには異存がなかったのだろう
生まれたばかりの繁長と母親は本庄一門の家に送られた
後々、繁長が当主になって反旗を翻す度に鮎川氏は対抗する側について交戦
御館の乱迄はそれで良かった、繁長の相手は上杉宗家であったのだから
ところが御館の乱で清長の跡を継いだ鮎川盛長が繁長嫡男の顕長と共に景虎方に付いてしまった為にお家の危機に
ところが繁長、息子顕長の助命と同時に鮎川盛長の助命も願い出た
揚北衆筆頭の自分に一度たりとも同調しなかった揚北衆の鮎川氏を、である
これが受け入れられ本庄顕長は廃嫡されたが助命、鮎川盛長も許された
鮎川氏は新発田の乱に際して血縁のある本庄、新発田に挟まれたが静観を決め込んだ
鮎川氏は会津、米沢転封にも従い家名を保っている
280人間七七四年:2009/02/26(木) 09:29:55 ID:gTwDAqbK
【大名】江戸三百諸侯について語ろう4【藩主】より転載
949 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/02/22(日) 00:37:12
ttp://oniheru.fc2web.com/jinbutsu/sekigahara/sanada_masayuki-nobuyuki.htm

 さて、真田家には「吉光のお長持」というのが代々伝わっていた。家老でさえ中を見たことがなく、常に4人の不寝番がいた。
中身は家康から拝領した吉光の短刀が納められいるとされたが、明治になって開けたときとんでもないものが入っていた。
なんと石田三成から届いた書状をはじめ、徳川家を敵にしていたころの危険な証拠書類が詰まっていた。
これが徳川幕府に発覚すれば、取り潰しの好材料になっていたにちがいない。
従順温和といわれた信之が危険な証拠書類を焼却せず、わざわざ不寝番をおいて秘蔵し、
後世に伝えたのは仇敵であった徳川家に対する反骨精神のあらわれであろうか。
281人間七七四年:2009/02/26(木) 10:25:02 ID:1XHn6GGJ
>>278
桃と神君といえば…
あるとき(織田徳川(従属)同盟の時期)、季節外れの桃が大量に都から神君の元に送られてきたことがあった。

普通はありえない時期の桃だけに珍しがって食べるものなのだが、家康公は…
他人に全部配ってしまったのだ

理由を尋ねられると…
「私には体毛^h^h大望がある。季節外れの桃に当たるようなくだらないまねをするわけにはいかん」
だとか

・・・だったら他人にもあげるなよとかいろいろと思ってしまったが…
あと鯛の天麩羅はそのころにはすでに大望をなしたということで…w
282人間七七四年:2009/02/26(木) 10:35:15 ID:Guv00nh7
>>281
桃の話は三成と輝元にもあったね(こっちは季節はずれじゃなくてでっかい桃だったけど)

これもテンプレが有るんだろうね。
283人間七七四年:2009/02/26(木) 10:47:59 ID:EKJsY4+d
森忠政「では遠慮なく」
284人間七七四年:2009/02/26(木) 10:57:47 ID:sGX5aRd2
>>283
よっ!待ってましたw
盛大にあたって下さい!!!11
285人間七七四年:2009/02/26(木) 11:00:22 ID:W4OHWnVy
>>281
三成 「せっかく好物の果物を上げたんだから食えよ。そして仲直りしようぜ!!」
286人間七七四年:2009/02/26(木) 11:03:05 ID:1XHn6GGJ
>>283
実は、わしも忠政の返事を待っておったのじゃw

287人間七七四年:2009/02/26(木) 11:13:39 ID:UTKNzLxf
>>285
どうぞ
つ 柿
288人間七七四年:2009/02/26(木) 11:18:46 ID:4EWgn5f9
>>285
忠興「(#^ω^)ビキビキ」
玄以「(#^ω^)ビキビキ」
289人間七七四年:2009/02/26(木) 11:42:07 ID:ZO8YfRV9
>>285
忠興「……」
290人間七七四年:2009/02/26(木) 12:46:59 ID:vNRFMp+d
送ったのは輝元だなw
291人間七七四年:2009/02/26(木) 13:47:54 ID:WjCuFT4Z
>>279
揚北衆の結束力があるのか、仲が悪いのかようわからんね。
けど、一族敵味方に分かれて確実に血筋を残す……考えをお互い共有していたのかも。

戦国武将、国人領主たちのしたたかさを示すイイ話。かも
292人間七七四年:2009/02/26(木) 13:59:15 ID:QxSjubXd
経久「中国地方でとれた」
元就「沢山の美味だよ」
直家「いっぱい食べてNE☆」
293人間七七四年:2009/02/26(木) 14:01:24 ID:Guv00nh7
>>292
なんという暗殺フラグのジェットストリームアタック。
294人間七七四年:2009/02/26(木) 14:34:32 ID:csehL1OB
久秀「ささ、食事の後は茶を」
長可「その次は運動だな」
長繁「fj:あねあwぴ;あうぃえ@わ(解読不能)」
295人間七七四年:2009/02/26(木) 15:27:34 ID:4EWgn5f9
市松「酒うめえwww」
孫権「酒うめえwww」
296人間七七四年:2009/02/26(木) 15:40:38 ID:1PsJWdMa
義光「鮭うめぇ!」
元春「鮭うm…うぐっ!」
297人間七七四年:2009/02/26(木) 15:53:55 ID:HvVKymfN
揚北衆ってすべて同門なんだっけか?結構ルーツ違ってたような気がした。
どれがどの系譜なのかさっぱりわからんが
298人間七七四年:2009/02/26(木) 15:59:41 ID:WjCuFT4Z
>292-296あたりちーともイイ話スレに見えないんだが…気のせいか?
299人間七七四年:2009/02/26(木) 16:15:35 ID:IJrfyZMs
>>298
少なくとも、彼らにとっては(都合の)いい話だと思うよ。





邪魔者排除的な意味で。
300人間七七四年:2009/02/26(木) 16:52:59 ID:UTKNzLxf
兵卒や領民にとってもいい話だよ。
戦にならずにすんで、万々歳。
301人間七七四年:2009/02/26(木) 17:35:20 ID:vubZxo7x
>>297
えーと、本庄・鮎川・色部が秩父党で中条・黒川が三浦党、
新発田・竹俣・加地なんかが佐々木党。
同族同士でしょっちゅう喧嘩してるな。
敵味方に別れて家存続と言っても、
本庄繁長の乱の時とか真っ先に繁長は鮎川を攻撃しちゃったりしてるわけで。
302人間七七四年:2009/02/26(木) 18:08:41 ID:gTwDAqbK
国家を語る

長曽我部元親は安芸氏を滅ぼし、一条兼定を伊予に追い、
安芸地方の反抗豪族をも討ち破って、
天正3年(1575)、ついに土佐一国を平定。
元親は土佐平定を遂げ、つぎのように言ったという。

上に礼あり下に義のある時、その国は興り、
上に礼なく下に義なければ、その国は必ず滅ぶ。
下に義があったとしても上が礼を知らなければ、その国は異変が起こりやすい。
上が礼を知れば下が義を知らぬということはなく、その国はよい方向へ向く。
ゆえに、良将が国を治める様子は、よく善悪忠邪を察して賞罰を明らかにするのだ。

名将言行録
303人間七七四年:2009/02/26(木) 18:09:19 ID:gTwDAqbK
四国統一の夢

土佐を統一した元親は、天正5年(1577年)
雲辺寺を訪れ、住職の俊崇坊に四国統一の夢を語った。
しかし住職は
「薬缶の蓋で水瓶の蓋をする様なものである」
と元親に説いたが、
元親は
「我が蓋は元親という名工が鋳た蓋である。いずれは四国全土を覆う蓋となろう」
と答えた。
その言葉通り元親は天正13年(1585年)に四国を統一した。
304人間七七四年:2009/02/26(木) 18:10:07 ID:gTwDAqbK
民の取り分

天正七年の春、新名内膳助がこもる鷲山の城を攻めた折、
元親は足軽を出して敵領内の麦を刈り取らせた。
その際、それぞれの畑で半分を刈り取らずに残し、これは民の取り分であるとした。
百姓らはこれを喜び、早く土佐によって和平が実現すればよいのにと、まず民の側からそのように感じたという。
やがて新名は元親に降伏した。

名将言行録
305人間七七四年:2009/02/26(木) 18:11:01 ID:gTwDAqbK
中富川の合戦

天正十年、中富川の合戦において、
長曽我部元親が敵の二つの小城の間を通過する際、
両城より銃が撃ちかけられた。
元親は
「これらの城は小勢である。
小勢と戦って弾薬を費し兵を損ずるのは無益なことだ。捨てて通る。
十河存保に勝てば、この二城は戦わずして手に入る」
そう言って押し通った。
306人間七七四年:2009/02/26(木) 18:11:34 ID:gTwDAqbK
十河を中富川において破り、敵の敗兵は坂西の城に入った。
長曽我部掃部介がこの城を攻めて本丸にせまったが、
元親は使いをやって命じた。
「十河を滅ぼせば、まわりにある小城はみな、敵は一矢も射ずに壊散するだろ
う。兵を損ずることは益なしだ。速やかに帰陣せよ」
掃部介は引き上げた。
翌日、さきの両城も坂西の城も、
城兵どもは元親の狙い通り城を捨てて壊走した。
十河はついに城を捨て、讃岐に逃亡した。
307人間七七四年:2009/02/26(木) 18:12:06 ID:gTwDAqbK
さて、この戦いには紀州の雑賀衆が援軍として参加する予定だった。
彼らは合戦に間に合わなかったことを悔しがり、
十河追討の先鋒を願い出た。
元親は
「申されることはもっともだが、
海路が人の思い通りにならないのは昔より変わらぬこと。
これは遅滞とは言わない。
かねての約束を違えず、速やかなる出兵、実に有り難い。
讃岐へ逃げた敵は、我々と刃を交えるに値しない。
籠城か、逃亡か、まともに戦う者はいないだろう。
そういう状況なので、ぜひ帰国なされるよう」
部隊長には馬と太刀、兵達には兵糧二百石を贈った。
雑賀衆は大いに喜んで国に帰り、
みな長曽我部のために戦いたいと願ったという。

名将言行録
308人間七七四年:2009/02/26(木) 18:12:57 ID:gTwDAqbK
秀吉に降る

天正十三年、元親は秀吉に降ることになった。
家臣たちを集めて言った。
「既に降参のうえは、近日大阪に上り、恩恵を謝そうと思う。
準備のほうを頼む。」
家臣たちはそろって反対した。
「当世は未だ乱世であり、人心も定まりません。
ひとまず上方の情勢をご覧になったうえで、
上洛は来春にでもするべきです」
元親「お前達が申すのももっとも。
しかしながら、既に秀吉は天下の武家の長となり、
一言をもって信となすべき立場にある。
言を翻すような小人ではない。
また、自分は平素より誠実をもって人に交わってきた。
何を恐れることがあろう。」
元親はそう述べて、家臣五十余名を連れて大阪に上り、秀吉に謁する。
秀吉は大いに喜び、饗応を尽くした。

名将言行録
309人間七七四年:2009/02/26(木) 18:26:28 ID:gCQI7rdR
以前にも触れたと思うが、大久保彦左衛門忠教の話。
若い時代に手柄を他人に譲った。これは戦国時代では出世に響くため「KYな行為」。
しかし、この話が美談として伝わると言う事は、大久保忠教は若い時代からかなり好感度があったという事。
驚くなかれ。あの豪傑が多い「賊ヶ岳の七本槍」の誰よりも長生きした。
長寿が多い「蟹江の七本槍」に父や兄がいるのだから当然かな。
310人間七七四年:2009/02/26(木) 18:26:39 ID:Guv00nh7
一気に幾つも投下されるともったいないと感じちゃう貧乏体質(・∀・)
311人間七七四年:2009/02/26(木) 18:36:05 ID:AJIRKsxd
>>310
分かるよ、その気持ち
312人間七七四年:2009/02/26(木) 18:49:43 ID:oB55/H0Y
一日一ネタでご飯三杯いける心持ちです
313人間七七四年:2009/02/26(木) 20:37:26 ID:4MITIisI
>>280
このスレじゃ信之は苦労人で定着してるだけにギャップがあるな。
秀忠が信之を嫌ってたのも信之のこういう一面を見抜いていたからかも。
314人間七七四年:2009/02/26(木) 21:06:24 ID:Clz+ljbC
元親投下ラッシュですね、乙です。
>>280
なになに、兄ちゃんって三成と親密だったの?
手紙の内容どんなだったのか気になる
315人間七七四年:2009/02/26(木) 21:17:19 ID:HGc8eq+7
>>314
かな文字だらけのすごい汚い字で見た瞬間吹いたな
まぁ三成は字汚いのが普通なんだけど。
たしか署名もろくにないようなメモ書きみたいな物もあって、
なんでこんなもん保存してんだ?って感じのが複数
「さいつとの(真田伊豆守の略)」って書いてるし親しかったんだとは思う

でも昌幸宛の関ヶ原の時の密書もそこにあったんだっけ?
316人間七七四年:2009/02/26(木) 21:22:13 ID:64UbLOQt
>>314
にいちゃんの手紙というよりも昌幸とうちゃんのじゃないかな
でも、本当は西軍に付くつもりが父と弟に諭されて
家を残すために東軍に付いたみたいなことが証明される書簡だったりしてね
317人間七七四年:2009/02/26(木) 22:59:20 ID:CSxvXv6D
>>280
嫁がアレだってのに、良くもまぁ処分せずにいたもんだ。
心臓に毛が生えているとはまさにこの事だな。
318人間七七四年:2009/02/26(木) 23:31:44 ID:vHAHUOOp
なーに、あの嫁ならたぶん頭の中まで筋肉だから手紙なんて見t
319人間七七四年:2009/02/26(木) 23:34:00 ID:CSxvXv6D
直前まで「殿様といっしょ」の真田さんご一家を読んでいたんで、衝撃二倍増しなおはなしだった。
320人間七七四年:2009/02/27(金) 00:14:33 ID:Q/VJR+eo
いい・悪いとは違うと思うんだが、ここで出た話なので

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1369.htmlの『五百八十年』についてだが、
正しくは『五百八十年七回り』らしい
http://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/70797/m0u/五百八十年七回り/

580年+(干支1回りで60年)×7 = 1000年
で結局1000年をあらわす意味らしい
それが略されて『五百八十年』という定型文になったと思われる

なんで"580年+xまわり"という形になったのかはさっぱり不明で結局何も解決してないし、
本来ここに書くべき話でもないんだが・・・
321人間七七四年:2009/02/27(金) 00:19:23 ID:bNjrgsiD
>>317-318
あんな嫁の話をしようか…

【婦道】
松代大英寺に真田信之正室小松殿の物とされる懐剣がある
この懐剣は嫁入り道具であったと伝わる
斎藤道三と帰蝶の逸話と同様の流れがあったとさるているのだ
しかしながら小松殿の標的は夫真田信幸ではなく真田昌幸であったとされる

小松殿は関ヶ原の合戦に際して「孫の顔が見たい」と沼田に寄った昌幸を城門で追い返し正覚寺で改めて面会した
有名な話であるが事実関係を調べればある事に気付く
上田に先行した昌幸一行は信繁を含めてたったの四人
近年では当時の沼田城には小松殿の供回りを始め徳川の人間が少なからず居た事が分かっている
昌幸一行に先行して信幸の使者が‘昌幸・信繁は西軍に付いた’と沼田に伝えている事も判明している
現実問題として真田昌幸がいかに鬼謀の士であっても乗っ取りは困難と考えるべき
むしろ‘敵’が城内に入ればひとたまりもなかったはずである
しかしながら小松殿は追い返した、これは歴史の事実である
これが小松殿にとって最善であったからだろう
正覚寺に子供を連れて出向いた小松殿は粗末な着物であったとされている
‘徳川に属する城主の嫁’ではなく‘真田家の嫁’として会った証とする人もいる

徳川家の危惧通り真田昌幸は再度敵対した
だが懐に潜り込んでいた小松殿の懐剣は生涯抜かれる事はなかった
唯一、懐剣を用いようとした話が伝わっている
信幸が昌幸の助命嘆願をした際に叶わず、信幸が自害していればその復讐に用いたであろうと言われているのだ
そう、相手は徳川家康である
322人間七七四年:2009/02/27(金) 00:38:09 ID:mHNPpkNb
>>321
どうも逸話にしても、想像と決め付けが強すぎるような…
323人間七七四年:2009/02/27(金) 03:06:56 ID:EMpaCP39
この二人のエピソードがまとめサイトにまだなかったので・・・

原田宗時と後藤信康〜刎頸(ふんけい)の交わり〜


伊達家中で武勇・智勇で活躍した二人だが、
原田宗時と後藤信康の仲は当初険悪なものであった。
どちらかと言えば宗時が一方的に信康に対抗心を燃やしていた。

天正13年(1585年)、家督を継いだ政宗は会津の雄
蘆名氏を攻める。その折、宗時は蘆名方の柴野弾正を内応させる
ように仕向けた。
しかし、内応役として潜り込ませた家臣が逆に蘆名氏に寝返り
敗北を喫する。

その話を伝え聞いた信康は宗時の所業を笑った。
この知らせを聞いた宗時は激怒。
信康に決闘を申し込む為、信康の屋敷に踏み込んできた。


宗時が「抜け!!」と声を荒げると、
信康は囲碁をしながら口を開いた。

信康「宗時殿、私が何故貴殿を笑ったのか分かりますか?」
  「貴殿は功名欲しさから、内応役を良く見極めませんでした。
   それ故、蘆名氏に寝返られたのです。」
  「貴殿の本質を見抜けなかったことに対して笑ったのです」
324人間七七四年:2009/02/27(金) 03:08:24 ID:EMpaCP39
323つづき

それを聞いた宗時は激昂し、信康に斬りかかろうとした。
それを見て信康は続けてこう切り出した。

信康「宗時殿、殿と共に奥羽統一、天下取りに進む我々がここでこのような
   ことで言い争いをして何になります。このような事に一々
   怒っていては大業をなす事はできませんぞ」
  「若さに任せて行動し、本質を見抜けぬようでは殿のお力に
   なれませんぞ。」
  「それにこのような決闘で貴殿のような勇士が命を落とすのは国に
   とっての損失。むろん私もこんなことで命を失いたくはない。
   互いに伊達家の為に戦い死ぬことが武士の本懐ではないですか。」

信康の言葉を聞いて刀を鞘に収めた宗時。
宗時はその場に座り込む信康に頭を下げた。


宗時「信康殿の申すことごもっともです。貴方様の言葉を聞いて
   自分がいかに未熟であったか思い知らされました。
   数々の傲慢な振る舞いお許し下さい。」
信康「宗時殿、頭をお挙げ下さい。私も大人気なく貴殿のことを
   笑ってしまい済まなかった。」
  「共に伊達家の為に働きましょう。」


このことが契機となり二人は親交を結ぶようになった。

朝鮮出兵の折、二人は出陣式で2.7mの大太刀を金の鎖で肩から下げ
派手な伊達軍の中でも一層目立った。

出陣式後、宗時は朝鮮へ渡航、信康は岩出山城留守居役となった。
しかし、宗時はこの出兵で病を発病させる。
対馬にて29歳の若さで亡くなる。

この伝えを聞いた信康は嘆き悲しんだと言う。

信康「宗時殿を亡くすは、弟が死んだと同然じゃ・・・」
  「これから伊達を背負って立つ人物だったのに・・・」

信康は宗時の大太刀を譲り受け、家宝にしたという。
325人間七七四年:2009/02/27(金) 05:19:44 ID:GiCHu3bd
>>323-324おお。細かいエピ乙

原田宗時が黄後藤さんに果たし状を送りつけ河原で日暮れまで(r

   という話だと思いこんでいたよw 

326人間七七四年:2009/02/27(金) 05:26:31 ID:GiCHu3bd
>>308
その後、秀吉と遊んだときに食べかけたまんじゅう持って帰るんだもんな。

元親としては四国の雄から豊臣麾下の国持ち大名に収まるとき多少なり葛藤があったとおもうけど、
乱世も、治世でもそれなりにやっていける才覚と覚悟があったんだろうね <早すぎる信親の死がなければ・・

ラスボス太閤様はそこの切り替えがうまくなかったんかなーともおもう。唐入りとかやっちゃって
327人間七七四年:2009/02/27(金) 05:28:26 ID:GiCHu3bd
>>300
この視点はつい忘れそうになるけど大きいよな。

歴史上悪人でも領民にとってはいい殿様だった、ってのも一種のパターンだね
328人間七七四年:2009/02/27(金) 05:53:52 ID:ll1Rz2Af
>>327
久秀「それはわしの事じゃな。褒美に茶をたてて進ぜよう」
329人間七七四年:2009/02/27(金) 08:04:17 ID:xulAc7Iu
>>305-307
仕事してないのに贈り物もらえて そりゃ喜ぶよ >雑賀衆
330人間七七四年:2009/02/27(金) 09:09:53 ID:7IZM6h8f
>>327
その逆は水戸黄門だな。歴史上善人でも領民にとっては
八公二民の大重税で最悪の殿様。
331人間七七四年:2009/02/27(金) 09:21:21 ID:9dsimhCW
せめて七公三民だな
332人間七七四年:2009/02/27(金) 11:35:05 ID:yf/TdSOy
八公二民て…薩摩藩かよ
333人間七七四年:2009/02/27(金) 11:39:43 ID:mHNPpkNb
光圀の時代の水戸の税率が高かったのは確からしいが、八公二民は俗説だよ。
それを証明する資料はどこにもない。
334人間七七四年:2009/02/27(金) 11:50:44 ID:AGVJbpeG
元々常陸国は国としての格は高かった(親王任国)ものの
実高が表高より低く、苦しかったと言われている。
更に 文 化 事 業 が 大 好 き で 財 政 運 営 に 余 り 関 心 が な か っ た
徳川光圀の登場で重税となった。
しかし、御三家の一つであったため、その惨状は余り世間には伝えられなかったらしい。
水戸藩は参勤交代の必要が無く江戸定府で、地元の実情を藩主が知る機会が乏しかったのも一因かもね。

薩摩藩は最初からそんな高税だったわけではなく、
文 化 事 業 が 大 好 き で 財 政 運 営 に 余 り 関 心 が な か っ た
島津重豪の登場で(ry
江戸で隠居生活をしていて国元に全く帰らなかったため国元の実情を知らず、
財政改革をしようとした息子の斉宣を、「自分の趣味の鷹狩り場を閉鎖した」と言うだけの理由で失脚させる
(その鷹狩り場は隠居してから帰国していなかったので開店休業状態だった)
ある日突然晩ご飯のおかずが1品になったことでようやく財政破綻に気が付くが
財政運営の知識がなかったため、そのころ茶坊主でやりくり上手の噂のあった調所笑左衛門を
個 室 に 呼 び 出 し 本人家族全員ぬっころすぞと 刀 を 抜 い て 追 い か け 回 し
本人が嫌がっているのを無理矢理脅して勘定奉行に就任させる。
借金を返さないことには自分と家族の命も危うい調所は無茶苦茶な手段をとってやっと財政再建させるも
最期はあの通り。

悪い話の上板違いスマソ
335人間七七四年:2009/02/27(金) 12:07:41 ID:cFQDRQuq
一時的にとはいえ十公零民のとことか無かったか?
新規に開墾した分や畑作分があるだろうけど。
336人間七七四年:2009/02/27(金) 12:08:05 ID:fFqsSWZa
いや、木曽川三川の失敗やら高利の借金で首が回らなかったんじゃないか?
337人間七七四年:2009/02/27(金) 12:33:44 ID:wOgKUfYo
紀伊藩にも八公二民のところがあったとかいう話が今週号の美味んぼにあったなぁ。
338人間七七四年:2009/02/27(金) 12:56:05 ID:AGVJbpeG
>>336
その高利の借金の一因が
重豪の「文化事業」(長崎で趣味の西洋文物のお買い物、将軍家や大名家とのおハイソな交流など)ですがなw
木曽三川の改修工事は失敗ではなかったと思う、というか幕命工事なので失敗したら下手すると取りつぶしケテーイ
ま、この工事が薩摩藩の借金に加速つけたのは事実だろうけど。
339人間七七四年:2009/02/27(金) 13:37:20 ID:/9BAlWLp
1594年9月秀吉は島津義久(薩摩鹿児島城主)と秋田実季(出羽湊城主)に、ちょっ
と変わった朱印状を発した。
「近々京都あたりで鷹狩をやろうと思っているので領地内の鳥を鉄砲でおどして領地
内から皆追い出すように」
なんと秀吉は日本の南と北の両方から鳥を鉄砲でおどし畿内に日本中の鳥を集めよう
としたのだ。
また翌年9月にもほぼ同内容の文言を持った朱印状を下記の大名に宛てて発してい
る。
福島正則(尾張清洲城主)・加藤嘉明(伊予松前城主)・立花宗茂(筑後柳川城主)
・筑紫広門(筑後福島城主)・松浦鎮信(肥前平戸城主)
加藤清正(肥後熊本城主)・伊東祐兵(日向飫肥城主)・秋月種長(日向高鍋城主)
・島津豊久(日向佐土原城主)・島津義久(薩摩鹿児島城主)
島津義弘(大隅栗野城主)・秋田実季(出羽湊城主)・南部信直(陸奥九戸城主)

毛沢東なみのアホw
340人間七七四年:2009/02/27(金) 13:41:26 ID:soFwcjY/
>339
だからいい話を書けと(r

お狩り場の近くで鳥獣の害に遭っていた民草にはいい話…か?
341人間七七四年:2009/02/27(金) 13:43:18 ID:/9BAlWLp
改行に失敗

1594年9月秀吉は島津義久(薩摩鹿児島城主)と秋田実季(出羽湊城主)に、ちょっと変わった朱印状を発した。
「近々京都あたりで鷹狩をやろうと思っているので領地内の鳥を鉄砲でおどして領地内から皆追い出すように」
なんと秀吉は日本の南と北の両方から鳥を鉄砲でおどし畿内に日本中の鳥を集めようとしたのだ。
また翌年9月にもほぼ同内容の文言を持った朱印状を下記の大名に宛てて発している。
福島正則(尾張清洲城主)・加藤嘉明(伊予松前城主)・立花宗茂(筑後柳川城主)・筑紫広門(筑後福島城主)・松浦鎮信(肥前平戸城主)
加藤清正(肥後熊本城主)・伊東祐兵(日向飫肥城主)・秋月種長(日向高鍋城主)・島津豊久(日向佐土原城主)・島津義久(薩摩鹿児島城主)
島津義弘(大隅栗野城主)・秋田実季(出羽湊城主)・南部信直(陸奥九戸城主)

毛沢東と比べたらかわいいアホw
342人間七七四年:2009/02/27(金) 13:44:05 ID:soFwcjY/
>>334
俺の中で水戸光圀の出囃子は「あ々人生に涙あり」ではなく
「ラーメン大好き小池さんの歌@シャ乱Q」だw
343人間七七四年:2009/02/27(金) 13:45:26 ID:mHNPpkNb
>>339
これは当時の朱印状もらった大名のみならず、現在の研究者も、
一体これは秀吉の冗談なのか本気なのかで戸惑い続けていると言う
いわくつきの朱印状なんだよな〜。
344人間七七四年:2009/02/27(金) 13:47:10 ID:SkfUmCWq
それ、諸大名は素直に従ったのかな?
345人間七七四年:2009/02/27(金) 13:53:38 ID:soFwcjY/
>>329
今も昔も大勢での渡海は難しいんだよ。バッドコンディションで無理やり敵前に着いたって友軍の足を引っ張るだけだし
元親は船大将じゃないけど水軍整備していたから、その辺に理解があったんでそ。
まあ報酬を値切ったりしなかったのは田舎大名の純朴さ、甘さともいえるんだろうけど
346人間七七四年:2009/02/27(金) 14:12:21 ID:9dsimhCW
>>345
輝元は大勢で海を無事渡ったぞ
瀬戸内海を
347人間七七四年:2009/02/27(金) 14:15:42 ID:mHNPpkNb
>>346
それは輝元の、最初の上洛の時のことでしょ?平時だしなあ。
348人間七七四年:2009/02/27(金) 14:47:41 ID:q+/1fVrs
湊川の戦いの足利、沖田畷の戦いの龍造寺、四国・九州遠征の豊臣などなど
349人間七七四年:2009/02/27(金) 15:05:48 ID:RMF3DsHg
>>279
繁長って意外にこいつ…って側面が結構あって侮れない
350人間七七四年:2009/02/27(金) 15:24:39 ID:9dsimhCW
戦国ちょっと羨ましい話
輝元はじめての上洛@

輝が豊臣に屈し、初めて上洛の途についた
山を下り川を下り瀬戸内海へ出る
やっぱり領内の海は安心
ここからずっと船のターン
輝は叔父の穂井田元清らとparty
三原の叔父と合流し、クルージングand隆景主宰のparty
塩飽で嵐に見舞われ停泊
小姓たちがサザエやミル貝を採って来てくれたものを
つぼ焼きなどバーベキューを楽しむ
途中、黒官の手配してくれた宿を無視し船でparty
ここから領内を抜け、毛利船団に緊張が走る
輝「船から一歩たりとも出ちゃだめだお!」
船の中から盆踊りを鑑賞
塩屋で嵐
輝「このくらいの嵐なら大丈夫じゃ・・・」
嵐の中を強行
ところが意外と嵐が激しかった
2艘大破
進物品は無事
和田岬に到着

輝「すごい嵐だったねー。みんな無事にたどり着けたのが不思議だお」

輝にとってはハードな船旅だったようだ
351人間七七四年:2009/02/27(金) 16:11:32 ID:9dsimhCW
戦国ちょっと羨ましい話
輝元はじめての上洛A

兵庫から陸路京へ向かう輝元ご一行
初めての京都でどきどきしている輝元を出迎える大名たち
歓迎されテンションが上る輝元
京都に着くと用意されている寺へは入らず
曲直瀬道三の家へ直行
そのまま曲直瀬道三の家に入り浸り泊まってしまう
輝を放置し隆景以下家臣団は寺へ赴く
ラスボスに謁見
ついにビックイベント、御所への参内
冠位を賜り天にも昇る気持ちの輝元が寺に帰って来たのが
夜の8時
浮き足立った輝元を止めることが出来るものは誰も居ない
輝元「秀長殿に挨拶に行くお!」
隆景「・・・今、夜の10時・・・」
輝元「行くお!」
こんなやりとりがあったかどうか分からんが夜中の10時に
秀長宅を訪問
やっぱり閉まってる
渋々家の人に言伝をし帰宅

また別の日
ラスボスにたまたま出会った時の事
ラスボス「これやるよ」
輝元「松虫が綺麗な籠に入っているお!嬉しいお!
   太閤殿下超いい人だお!大好きだお!」
感化されやすい輝元はあっさりラスボスの手中に落ちた

また、瀬田の唐橋を見に行ったり
伊吹山を見に行ったりなど
修学旅行並みに観光を楽しんだのだった

352人間七七四年:2009/02/27(金) 16:23:24 ID:dfRWnJ9t
秀長のことだからそれでも出迎えて饗応してへとへとになる話かと思ったw
353人間七七四年:2009/02/27(金) 16:29:24 ID:mHNPpkNb
で、>>350-351の話が

ごく普通の豊臣秀長について・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-660.html

これに続く

354人間七七四年:2009/02/27(金) 16:55:24 ID:MhV+Kbqz
助詞や接続詞が全然ないので読みづらい・・・
できれば、もう少しだけでも読みやすく書いていただけると嬉しいのですが
355人間七七四年:2009/02/27(金) 16:59:37 ID:9dsimhCW
>>354 日記だからなあ・・・気をつける
356人間七七四年:2009/02/27(金) 17:39:45 ID:7VgYeD+s
>>345
八丈島より泳いで(ry
357人間七七四年:2009/02/27(金) 19:03:23 ID:BZI7lzUU
>>355
おそらくネタ元は「秀吉の接待〜毛利輝元上洛日記」だろうけど
本の方では著者が上洛日記を現代訳した上で丁寧に解説してるんだから、
日記だから読みにくくなってしまったってのはちょっとどうよ
まあ、原文読んで自分なりに訳したんだって言うなら謝るw
358人間七七四年:2009/02/27(金) 19:38:08 ID:l789gLpa
たまには、まっすぐ帰ろう。

天正12年(1584)3月、有馬晴信の救援要請を受けた島津氏は、末弟・家久を
総大将として、肥前島原で龍造寺軍と対峙した。

出陣に先立ち、家久は一人の若武者を呼んだ。 「豊久を、これへ。」
家久嫡男・豊久15歳、これが初陣だった。

家久の本音を言えば、息子の初陣に、この戦は選びたくなかっただろう。

兵数で倍する上に『武士道とは死ぬ事と見つけたり』と豪語する佐賀侍に勝つため、
この時、家久は過酷な軍法を発令していた。

一、一番槍、一番首の功を用いず。ひたすらに将目がけて突き進むべし。

一、わが隊将の首、敵に委ねるべからず。その仇、報ぜぬ時は一隊ことごとく討死せよ。

一、最初の持ち場から前進していれば良し、左右に避けたり後退しても目前の敵を
  撃破すれば良し、それ以外は隊将も士卒も死罪。

豊久は当初、薩摩へ戻ることを命じられたが、
「父の危機を聞けば、いずれにせよ駆けつけるものを、ただ戻ったとあっては、
末代までの恥でございます。」

と、帰還を拒否したという。
359人間七七四年:2009/02/27(金) 19:38:54 ID:l789gLpa
「お呼びでしょうか、父上?」甲冑を着込んだ島津豊久がやって来た。
「おう、良き武者振りぞ・・・ただ、兜の結びようが悪いな。島津家の者は、兜の緒は
こうやって締めるものだ。」

家久は豊久の兜の緒を固く締め直すと、脇差を抜き放った。
「ち、父上?!」 「動くな。」
脇差で豊久の兜の下げ緒を切り落とすと、大将は若武者に語った。

「さあ、これで自分では緒をほどけまい。お前が今日討ち死にしても、龍造寺の侍が
この緒を見れば、『島津の若者は、二度と兜を外さぬ覚悟で出陣している』と、お前の
心意気を賞賛するだろう。

もしも生きて戻れたならば、わしが兜を外してやろう。良いか、生きて戻らねば
その兜、外すこと許さぬ。必ず生き延びるのだぞ・・・!」

戦いは、龍造寺軍が沖田畷の湿地帯に入り込んで動きが鈍った所を、島津の伏兵が
襲い、総大将・龍造寺隆信まで討ち取る大勝利に終わった。
「豊久は?豊久はいかが致したッ?!」 豊久は、


帰って来た。その手には、兜首さえ下げていた。父は笑って、息子の兜を外してやった。


関ヶ原で伯父・義弘を逃すため殿軍となり、井伊隊の槍ぶすまの前に散った
豊久のものとされる甲冑には、兜がありません。
ttp://uproda11.2ch-library.com/src/11162442.jpg

『帰る』事なく外すことを許されないその兜は、今も戦場で豊久とともにあるのでしょう。
360人間七七四年:2009/02/27(金) 19:41:43 ID:eBAYPVTD
何といういい家久・・・
361人間七七四年:2009/02/27(金) 19:51:25 ID:++TAoG4+
家久(善)はさすが。さわやかな話だなあ。
362人間七七四年:2009/02/27(金) 21:13:10 ID:Gk2k7t9O
>>334>>338
薩摩は重豪以前から借金に苦しんでいる。「重豪から」ではないな。

水戸藩では歳入の三分の二を大日本史編纂事業に費やしたとか聞いたことがあるが、
どこまで本当なんだろうか?
363人間七七四年:2009/02/27(金) 21:16:36 ID:VjLiNEVX
>>358-359
この親子、漢であるッ…!
364人間七七四年:2009/02/27(金) 21:23:39 ID:eBAYPVTD
家久(悪)「チッ・・・親父が生きて帰ってきたお陰で内府殿への言い訳が面倒になったじゃねーか」
365人間七七四年:2009/02/27(金) 21:24:08 ID:0nsdEjcs
>>245
そうそう遅レスだが、貴族趣味なのは家久(善)のほうね。
蹴鞠も和歌も大好きだ。単身上洛したときは、色んな有名人に会って大興奮。
もちろん戦場に行くときはお歯黒を忘れないぞー。

まあ、その辺のセンスは兄弟共通ではあるんだけどね。
366人間七七四年:2009/02/27(金) 21:31:21 ID:XD9M4hC+
鎧の傷生々しいぜ…
367人間七七四年:2009/02/27(金) 21:46:57 ID:9bMR+Js0
>>359
こんな光景見ちゃった周りの武士、目から汗状態で戦えないだろ!
368人間七七四年:2009/02/27(金) 22:50:24 ID:e/snhx/u
島津義弘の晩年の話。猛将であった義弘も晩年には、老人ボケのためか一人で食事を取り事もままならぬ状態であった。
そこで側近たちは、義弘の前に食事を置いて、義弘の周りに集まりほら貝を吹き、一斉に鬨の声をあげた。
すると義弘は戦場での緊張感がよみがえったのか、食事を取り始めたという。
ボケていても戦場を忘れない筋金入りの武人だった。


…あの息子には間違いなく煙たがられていただろうが
369人間七七四年:2009/02/27(金) 22:57:11 ID:4xVB+AEt
>>368
ガイシュツでござるううううううう
370人間七七四年:2009/02/27(金) 23:12:20 ID:taKIqy57
まぁまぁ>>369殿、>>368殿は一度目の失敗なんですから許して差し上げましょうよ。

と、ホヒョン殿がおっしゃっております
371人間七七四年:2009/02/27(金) 23:14:10 ID:39hyG9pC
鎧だけが残ってるってことは家久はふんどし兜姿か・・・
372人間七七四年:2009/02/27(金) 23:15:11 ID:mHNPpkNb
ホントにちょっといい話


駿府城でのことだそうだ。

家康が城内を歩いていると、御番衆の詰の間から、どったんばったんとえらい物音がしている。
何事かと部屋をのぞくと、御番の若い者達が、部屋の中で相撲を取っていた。

家康公に見つかった!
御番の者達はたちまち青くなってその場に平伏し、叱責を覚悟した。

しかし家康

「部屋で相撲を取る時は、畳を裏返して取った方が良いぞ。そうしないと福阿弥(家康の茶坊主)
あたりが、畳の縁が傷むといって怒るからな。」

そう言って、叱ることもなく立ち去ったそうだ。


まるで学校の気のいい先生のような家康公であった。
373人間七七四年:2009/02/27(金) 23:34:14 ID:uAX6E+sN
          _____
         ,. ‐''三ヾ´彡シ,=`丶、
     /'".:=≡ミ_≧_尨彡三:ヽ、
    //.:;:彡:f'"´‐------ ``'r=:l
    /〃彡_彡′,.=、 ̄ ̄ ,.=、 |ミ:〉
   'y=、、:f´===tr==、.___,. ==、._ゞ{  部屋で相撲を取る時は、畳を裏返して取った方が良いぞ。
   {´yヘl'′   |   /⌒l′  |`Y}
   ゙、ゝ)       `''''ツ_  _;`ー‐'゙:::::l{
.    ヽ.__     ,ィnmmm、   .:::|! 
  ,.ィ'´ト.´     ´`"`"`゙″ .::::;'
イ´::ノ|::::l \         "'   :::/  
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374人間七七四年:2009/02/27(金) 23:37:48 ID:XD9M4hC+
島津氏中興の祖と呼ばれる島津日新斎
彼の父は幼い頃に下男に討たれ他界
彼の母常盤は父親が亡くとも武家の人間として立派な人間にするために
海蔵院の頼増に日新斎預けた
頼増は厳しく躾けたが、日新斎は当時10才で遊びたい盛りであった
ある日、寺の坊主たちと日新斎が寺で暴れ回っていた
これを見た住職頼増は激怒、薙刀を持ち出して日新斎達を追い回した
脱兎のごとく坊主たちは玄関から逃げ出した
ところが日新斎だけは何故か玄関の前でジッとしている
追いついた頼増が「何をしているのか?」と訪ねた
薙刀持ってる人間が追い掛け回しているのである。普通なら逃げるだろうと
すると日新斎、「履物がないので逃げられない。誰かに持ってこさせてくれ」と回答
この返答に頼増は激怒するかと思いきや
「それこそ武家の子、あなたは良き大将になられるでしょう」と褒め称えた
追い掛け回されてる時でも裸足で逃げるという無様な真似をせず
武家の人間としての心構えを忘れなかったといういい話?

ちなみに同じ九州の武将、立花宗茂は幼少の頃道雪に預けられてまもなくのこと、
足にイガグリが刺さったから抜いてくれとに頼んだらむしろ押し込まれた
見ると道雪が怒りの顔で宗茂の方を見ている
こちらは坊ちゃん育ちを戒められた悪い話
375人間七七四年:2009/02/27(金) 23:49:26 ID:YR9G/KzF
あかん、毬栗はあかん
376人間七七四年:2009/02/27(金) 23:53:20 ID:mHNPpkNb
まあ日新斎は将来の主君であり、宗茂は重臣の家系とはいえ、あくまで家臣だからねえ。
377人間七七四年:2009/02/28(土) 00:44:00 ID:CCtwuGzt
>>365
日新爺様の教えとあれば仕方ない。

……嫡孫の嫁に自分の娘をやったのはkNEg
378人間七七四年:2009/02/28(土) 00:56:31 ID:QrI3T9fq
>>377
長宗我部盛親「叔母や姪と結婚だなんて信じられないよね」
379人間七七四年:2009/02/28(土) 01:13:24 ID:XykCqYZA
長宗我部元親「そんなことやれって言う奴の気が知れないな」
380人間七七四年:2009/02/28(土) 01:55:28 ID:vfOJgXzt
星合城主・星合教房の妻は京都を見物していた。
彼女が山に登って都を見てみると何やら騒がしい。
本能寺の変が起きたのだ。

「私は女だが、主君である信長様の危機となれば
見過ごすわけにはいかない。本能寺に行くぞ、私に続け!」

彼女は家臣を連れて本能寺に迫った。
すると何者かが本能寺の塀を越えようとしている。
何かを抱えているようだ。

「おのれ火事場泥棒だな。許せん、殺してやる!ドリャ――!」

彼女は刀で殴りかかった。ガスッ!

「ぎゃっ」

その者に一撃を加え、彼女は奪った包みあけた。
すると中にあったのは信長の首ではないか。

「うぅ、おいたわしや…。信長様の首は私がお守りします。」

そして彼女は首を大徳寺に持っていった。
夫の教房は事件を知って京に向かうものの、
すでに光秀は討たれていた。また秀吉は教房の妻の行動を
褒めたので教房は面目を失い、妻と疎遠になってしまったという。

最後はいい話じゃなかったかな?
381人間七七四年:2009/02/28(土) 07:20:02 ID:LEmSLTeB
むかしむかし、殿様がお供を連れて狩りの為にとある農村を通過しておった
村人達は平伏してその通過を見送っておったのじゃが…
盥(たらい)で水浴びをしていた爺さんが急な殿様の来訪にびっくりして腰を抜かしてしもうた
「大変じゃぁ〜、着物を着ねば、着物を〜」
この爺さんは元々体が悪くてのぉ慌てたせいか思うように動けんかった
まあ、当時は殿様の前で裸なぞ無礼討ちされても文句が言えないからのぉ、慌てるのも当然じゃて
「おっとう、どうし…ひゃあ〜」
声にならない悲鳴を聞いた娘が出てきて飛び上がらんばかりに驚いた
何せ一目でわかるおっとうの命の危機じゃからの
じゃがおっとうに服を着せようにも殿様はどんどん近づいてきておった
困った娘は…

「こなくそおぉぉぉ!」
水 を 張 っ た 盥 ご と 父を担ぎ上げ、家に運び入れて隠したのじゃ

しかし殿様にはしっかりと見られてしもうた
娘は殿様の家来に呼び出され殿様の前に連れてこられてしもうての
お叱りを受けると娘は震えておったんじゃ
ところが殿様はの
「なんと身丈夫な娘じゃ。そなたからなら強き男子が生まれるに違いない。儂の嫁になれ」
と言うたんじゃ
娘は驚いたが殿様にどうしてもと頼まれて嫁ぐ事になったのじゃ
そして娘は殿様の期待通り立派な世継ぎを生んだとさ
めでたしめでたし


これは、愛知県に伝わる民話
ぶっ飛んだ話だが尾張徳川家公儀文書から裏付けのとれる冗談抜きの実話
場所は現在の愛知県名古屋市守山区の旧森山村
殿様は尾張徳川家の祖、徳川義直、娘は側室の乾の局、ちなみに生まれた子は尾張徳川家二代の徳川光友である
当時の記録に「其の風姿活発骨格のたくましき様、丈夫も及ばざるものあり。義直これを見て生子の勇武を望み請を得て侍妾となさんと欲す」とある
当時の徳川義直は正室の春姫(浅野幸長娘)との間に子が無く幕臣土井利勝から側室を持つように勧められていた(幕命とも)がなかなか踏ん切りが付かなかったらしい
父親ごと盥を担ぎ上げた勇ましい娘の姿に義直が‘この娘だ!’と直感的に感じたのだろう


とっぴんぱらりのぷぅ
382人間七七四年:2009/02/28(土) 07:53:45 ID:SzUeHEgR
長尾為景にも似た感じの話がなかったっけか
383人間七七四年:2009/02/28(土) 07:59:49 ID:CdMNzVCS
実物見て決めれるチャンスなんてそうはないからな
384人間七七四年:2009/02/28(土) 09:12:53 ID:pKPhMP7M
真田信之「実物見て決めたかったよ・・・・・・」
細川忠興「妻絡みで嫉妬するなど見苦しいぞ」
385人間七七四年:2009/02/28(土) 10:38:47 ID:owIWcm8V
島津家久(悪)「妻は俺も自分で選びたかった。」
386人間七七四年:2009/02/28(土) 10:56:34 ID:PpuJBmuL
立花宗茂「俺なんぞ実物みて話もしてコリャダメだと思ったのが妻になった」
387人間七七四年:2009/02/28(土) 11:06:09 ID:PxkN6A44
鍋島「実物見て結婚余裕でした」
388人間七七四年:2009/02/28(土) 12:26:02 ID:tLWfqAKu
ラスボス「全部実物確認の上でゲットした俺は勝ち組」
389人間七七四年:2009/02/28(土) 12:40:46 ID:6tFVE+Mt
>ちなみに同じ九州の武将、立花宗茂は幼少の頃道雪に預けられてまもなくのこと、
足にイガグリが刺さったから抜いてくれとに頼んだらむしろ押し込まれた
だけどいったん主君と認めてからは虚無僧に身をやつしてでも主君の生活を支える
立花家臣団がもはやツンデレにしか見えない俺末期。
390人間七七四年:2009/02/28(土) 12:43:13 ID:NcMEs4EK
>>365
DQN家久も好きなんだぜ 蹴鞠に和歌。

蹴鞠なんかはまりすぎて、
朝鮮出兵でかの地に渡ったときもグラウンドづくりを優先し、
<丶`∀´>さんにも「Shimadzuとかいうところの若殿はぱかニダ」
・・・って言われちまったくらいんだぜ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-474.html

和歌はこのレベル
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-358.html
391人間七七四年:2009/02/28(土) 12:51:07 ID:O4QtVy4E
>>385
亀寿は兄貴のお下がりだからなww
392人間七七四年:2009/02/28(土) 13:24:52 ID:paQO48lx
>>391
亀寿も死んだ夫の弟に嫁ぎたくなんかなかっただろうなあ…
前の夫との夫婦仲は良かったみたいだし、夫の弟は性格がアレだし…
しまいにはこれですよ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1267.html

亀寿と家久(悪)の婚姻を強引に推し進めたラスボス許すまじ
393人間七七四年:2009/02/28(土) 14:28:54 ID:CCtwuGzt
>>380
星合さんて、たしか元は北畠から出た一族だよなー

明智メンバーに同心した北畠旧臣もいれば、
織田・羽柴方で働いた武将(の室)もいたんだね。面白い
394人間七七四年:2009/02/28(土) 15:10:35 ID:Vv6ashFp
>>389
某小説のせいで、主君ァ千代共々君臣揃ってツンデレにしか見えない
395人間七七四年:2009/02/28(土) 16:51:17 ID:SNQ1Io3E
>>388
家康「二番目の正妻は…いえ、なんでもないです」
396人間七七四年:2009/02/28(土) 17:22:03 ID:CCtwuGzt
>395かの ミシミシグエグエ ですな

築山殿は性格キツかったんかねー
397人間七七四年:2009/02/28(土) 19:58:47 ID:E5fbUZqT
>>381

こんな感じの娘さんだったんだろうな。
俺としては充分ストライクだ。
http://www2.uploda.org/uporg2054452.jpg.html
398人間七七四年:2009/02/28(土) 20:07:00 ID:D9i2jVbc
>>397
なんか色々とアレなので18歳以下はクリックしちゃだめよ☆
399人間七七四年:2009/02/28(土) 20:28:47 ID:2K90nQDS
>>397
よっぽど特殊な嗜好の持ち主以外クリック危険
400人間七七四年:2009/02/28(土) 20:29:47 ID:owIWcm8V
18歳以上だがクリックしてゲンナリした
401人間七七四年:2009/02/28(土) 20:36:20 ID:FcsJYblE
>>396
少なくとも桶狭間以前はおとなしかったらしい
402人間七七四年:2009/02/28(土) 20:44:42 ID:/Tx/oKm1
仇敵に旦那が尻尾振った、と思い込んじゃったらそりゃきつくもなるか
403人間七七四年:2009/02/28(土) 20:49:55 ID:txDeyKFG
だからといって嫁いじめをしていいわけじゃないってことか。
見かねた忠次「これは信長公にご報告しかないのう・・・」
404人間七七四年:2009/02/28(土) 20:51:13 ID:EtQUfSjt
>>397
Theガッツかと思った
405人間七七四年:2009/02/28(土) 20:51:50 ID:FcsJYblE
懐妊中だったのに息子共々置いてけぼりにされていい感情抱くわけ無いしね
406人間七七四年:2009/03/01(日) 10:29:11 ID:JLaAZ0TD
でも築山殿と五徳は住んでた城が違うんじゃなかったっけ?
407人間七七四年:2009/03/01(日) 11:08:35 ID:xd9/Ntss
ついでに言うと築山殿と家康の浮気相手のお万の方の住んでた城も違う
408人間七七四年:2009/03/01(日) 11:48:44 ID:2nB8yHrY
黒田長政の嫡男・満徳丸(のちの忠之)が4歳になり、初めて袴をつける袴着式を行った。

母里太兵衛友信が、じいやとして満徳丸に着付けてやり、儀式は滞りなく進んだ。
「良きお子じゃ。早く成長して功名を挙げ、父上以上の武士になりなされ。」

それを聞いた長政は、顔色を変えて太兵衛をののしった。
「やあ太兵衛、何を言いおる!4歳の子が『父以上の武士』とはどういうことじゃ!!」
ついには太兵衛を罰すると言い出したため、周囲がとりなしたが、長政は聞かなかった。

「これが許せるか!わしは若き時、お前にも(栗山)備後にも謀らず、朝鮮に渡って
功名を挙げ、関ヶ原でもお前たちの助けに寄らず、大敵に勝った。
泰平の世となり、立てるべき武功もない今、どうして満徳がわしを超えるなどできよう。
太兵衛よ、納得の行くよう説明せよ!!」

群臣が手に汗握る中、太兵衛は長政を無視して、笑って満徳丸に語った。
「いいですかな、武功は幾たび事に及んでも、『これで良い』ということはありません。
他人に『貴殿の功、比類なし』と、ほめられても聞き捨てられよ。

よく訓練された兵を率い地の利を取って勝ったとしても、それは自讃に過ぎませぬ。
勝ちに狎れて、次の戦で同じことをしても、必ずや負け戦となるでしょう。

だからと言って、味方の崩れを防ぐためと、殿様が前に出るのは大将の道にあらず。
殿様の武功が進むのも結構ですが、それでは殿様を守るため、周りの者が死にまする。
人を良く使い、味方を討たせず勝つのが、本当の良将というものでござる。

爺の言葉の正否は、わしがこれで死んだ後は、栗山が老巧の者ゆえ、お尋ね下され。
くれぐれも言いますが、満徳さまがただ一人駆けるような事は、葉武者の業ですぞ。」

痛烈な皮肉に、長政が次の言葉をかけられずにいると、騒ぎを聞きつけた栗山備後が
銚子と杯を持ってきて、長政に勧めた。酒が入って少し打ち解けた長政は、
「乱心者よ、これへまかり出でよ。」と、太兵衛を呼んで酌をしてやった。

杯を受けた太兵衛、「殿が由なく怒られて、祝いの興が冷め申した。少し酔いなされ。」
平然と言い返し、主君に酒を勧めた。

これを見て取った栗山が、群臣に呼びかけた。
「皆の衆、ようく見よ。思慮なきも謀・情け深きも、われらが殿なり。大たわけも頼もしきも
太兵衛なり。両雄そろう黒田の家の武勇めでたきぞ!!」

栗山の呼びかけに一同わきかえり、何事もなかったかのように祝宴は続いた。

「太兵衛、座興じゃ。」すっかり酔った長政は、ついに歌い踊りだした。
「これは、鬼が稽古せしか!!」
家臣一同笑い転げ、祝宴は盛況のうちに終わったという。 (常山紀談より)
409人間七七四年:2009/03/01(日) 11:58:00 ID:LeT1f0ak
>>408ああもうw
粘着気質の長政と頑固な母里太兵衛も相性はあんまし良くないわなぁ……('A`)
栗山利安さんナイス合いの手。

というか、倅の若武者ぶりを喜ぶより先に「俺の若い頃は〜」って長政どれだけ意地っ張りなんだよ
410人間七七四年:2009/03/01(日) 11:58:08 ID:uozEgQUB
本当に、長政が気の毒になってくる。よくこんな環境に耐えたな。
411人間七七四年:2009/03/01(日) 12:07:25 ID:crsrI7ez
長政も複雑な武将だよな
短気かつ粘着かと思えば知謀や器のデカさを見せる逸話もあるという
412人間七七四年:2009/03/01(日) 12:07:30 ID:7qJWSSyi
理屈っぽいのは官兵衛イズムなんだろうか。
413人間七七四年:2009/03/01(日) 12:13:43 ID:YGLA8KNR
>思慮なきも

地味に酷い事言ってるなw
414人間七七四年:2009/03/01(日) 13:05:18 ID:R1ctJEs0
こんな環境の中で成長した忠之は遅れてきたDQNになったわけですね分かります_
415人間七七四年:2009/03/01(日) 13:16:42 ID:u9oxzbi7
ここにしても宇喜多さんの所にしても播州の家臣団は
「俺は前代から仕えてるけど息子のお前の命令は聞かねえぜ」
って輩が多すぎだろ
416人間七七四年:2009/03/01(日) 13:20:13 ID:mHaDQkb3
再生工場のとこなんか集めた家臣たちがいなくなったし
417人間七七四年:2009/03/01(日) 13:22:27 ID:XsuWkt+6
栗山大膳「忠之様はどうしようもないDQNですよ。思慮もへったくれもない」
418人間七七四年:2009/03/01(日) 14:01:27 ID:1udWwCZz
>>408
これだけ家臣にフルボッコされても許しちゃう長政に追い出された後藤又兵衛は
ある意味スゴイ
419人間七七四年:2009/03/01(日) 14:13:50 ID:PnLNiH/e
>>415
秀家は幼少期から秀吉に引き取られて育ったから、宇喜多家臣団からは浮いた存在になっちゃったよね。

あと、織豊系で急成長して、家臣団を急拡大した家はやっぱり、その初代がいなくなると
引継ぎが非常に難しいよね。
420人間七七四年:2009/03/01(日) 14:18:07 ID:YGLA8KNR
>>416
工場長の人望と先に仕官した浪人達の蒲生家の評判につられて仕官しに来たような連中だしな・・・

もう20年くらい氏郷が生きてれば残ってくれたりするのかもしれんが大抵の奴は10年も仕えてなさそう。
421人間七七四年:2009/03/01(日) 16:28:26 ID:Nh1ZYtOt
>>408
そして黒田忠之は島原の乱のとき
鎧も着ず進もうとして黒田睡鴎に止められ
じゃあこれでいいだろと鎧を肩からかけて兜は付けずに飛び出し
前に走り出て槍のいしづき地面に突き立て「俺はここから一歩も引かん!」

これがほとんど初陣のはずなのにあまりにも父親と猪突猛進さが似てる上
無茶苦茶すぎてDNAすげえと思った。
そういえばこいつ母方から短気と評判の水野の血も入ってる件。

黒田美作は黒田如水が有岡城に幽閉中世話になった牢番の息子を父親への
恩返しにわが子同然に養育した者で(これは文句なくいい話)長政からは
弟のように信頼され重用されていた。
歳をとってからは他の老職といっしょになって長政に「あの頃は殿が危地に
飛び込んで行くから私たちは生きた心地もしませんでした」と文句を言ったり
していたものだが、まさか七十近くなって今度は主君の息子にポカーンとさせられる
とは思ってもみなかったろう。
422人間七七四年:2009/03/01(日) 16:29:10 ID:Nh1ZYtOt
>>421
書き直し忘れ。黒田美作=黒田睡鴎です。
423人間七七四年:2009/03/01(日) 17:50:31 ID:PnLNiH/e
安藤帯刀さん、ぶっちゃける。

江戸において、尾張家徳川義直が、紀州の徳川頼宣の屋敷にフラリと遊びに来た事があった。
ところがその時はたまたま、頼宣が髪結いをしている最中だったので、義直には少し待ってもらう
こととなった。

しかし義直の方は
「いや、この辺に来たついでにたまたま寄っただけだから、特に用があるわけじゃないし
変わりは無いようなのでこのまま帰るよ。」
と言い出した。

そこで紀伊家家老安藤帯刀は、義直に「もう少しだけお待ちください」と言い、髪を結っている
頼宣の下へ行き、このように言上した。

「義直様は帰ると言っているのを、もう少しだけと待っていただいています。
こんなに待たせちゃっていいんですか?殿と親しくしてくれる方なんて、義直様だけですよ!」

それを聞いた頼宣は髪結いを早々に仕舞いにし、義直と面会した。


義直が帰った後、頼宣は髪を梳いていた者にこう言った。
「帯刀が遅いと叱った時、私が落涙するのを、その方見たか?」

「はい、鏡に映ったのを見ました。いくら尾張様の事とはいえ、帯刀様のあまりにきつい物言いと、
私も内心憤りました。」

ところが頼宣は
「そのように推量すると思ったから聞いたのだ。
さっき帯刀が申したような事は、あの者の他誰も、私に言う者はいないであろう。
あのように物が言える家老が付いている事をありがたく思い、それで落涙したのだ。」


まあ、いかにもな名君名臣譚でいい話なんですが。
しかし、南龍公に友達がいなかったという事を暴露して、
記録にまで残さなくても良かったんじゃないかな、と言うお話w
424人間七七四年:2009/03/01(日) 18:12:51 ID:S2FZOGRT
ほんとに友達がいない俺に彼女ができたとき、
母ちゃんから「あんたは友達いないんだから大事にしなよ」って言われたのを思い出した。
あの時の気持ちを思えば文書にして残したいという気持ちもわかるなぁ

ちなみに今年結婚します
425人間七七四年:2009/03/01(日) 18:23:57 ID:AmMCZ94Q
おい、誰ぞ百段を引け。
>>424の祝言に推参してくりょう。
426人間七七四年:2009/03/01(日) 18:26:35 ID:2nB8yHrY
>>423
そりゃあ若い頃はメシを食うように手討ちしまくり、家臣は奇人変人DQNばっかり
いい年になってもクーデターの黒幕扱い、なんて治世の鬼武蔵or独眼竜なお方と
まともに付き合おうなんて実の兄貴でなきゃできねーだろ。

>>424
   。*◇☆*。
 ゚゚・*★◎○@。*・゚
゚・*。◇@★◎◇★。*・゚
゚゚・*。☆◎。*☆◎。*・゚゚
  \  ̄ ̄ /
   \  /
  ∧_∧\/
 ( ・∀・)∞
 / つ つ△
~(  ノ
 UU
427人間七七四年:2009/03/01(日) 18:29:19 ID:BjF4FNN3
>>424
おめ。
昼の仕事も夜の仕事もかんばってください。
428人間七七四年:2009/03/01(日) 19:25:09 ID:AN/b/516
>>424
赤松政秀「ほほう、それは目出度い」
429人間七七四年:2009/03/01(日) 19:25:33 ID:nCd6Hrpy
>>423
晏嬰と景公みたいだな
もっとも景公は何度怒られても反省しなかったけど
430人間七七四年:2009/03/01(日) 20:41:56 ID:1xnI1M7v
いい話ではないと思うが

ここのサイトの長宗我部元親の人物像が凄い
ttp://mousouroku.cocolog-nifty.com/blog/

431人間七七四年:2009/03/01(日) 20:52:05 ID:PnLNiH/e
>>430
そのサイト面白いなー。
コミック化してほしい。
432人間七七四年:2009/03/01(日) 20:53:36 ID:J8PHT2xd
すげーな、俺らと同じ引きこもりじゃん
433人間七七四年:2009/03/01(日) 20:56:06 ID:PnLNiH/e
>>432
俺らと決定的に違うのは、元親は生まれながらに「イケメン」であるという事だ。



…悲しくなんかないぞ。゚(゚´Д`゚)゜。
434人間七七四年:2009/03/01(日) 21:01:34 ID:YGLA8KNR
佐竹義重のリーゼント吹いたw
435人間七七四年:2009/03/01(日) 21:04:17 ID:lg2HY5nd
義重はヤンキーだったのか
436人間七七四年:2009/03/01(日) 21:08:08 ID:Qvmkn2Gn
イケメンもそうだがちょっとしたボンボンだし何より才覚がある
ただのアホの俺らとは基本スペックが違いすぎる
437人間七七四年:2009/03/01(日) 21:12:37 ID:J8PHT2xd
わざわざ書かなかったことを何故書く
438人間七七四年:2009/03/01(日) 22:57:05 ID:hkZWDpmj
>>421
若様の突進癖をなんとか…と言われた如水が
「長政程度ではワシのように陣にいたまま勝つのは難しい。あれでよいのだ。」と言ったという話もあったな。
439人間七七四年:2009/03/01(日) 23:03:27 ID:LeT1f0ak
>>438
というか、官兵衛たまの忍耐強さや鷹揚さは一体なにゆえ……??
子孫一統、絵に描いたよな猪武者揃いやんけw
440人間七七四年:2009/03/01(日) 23:11:16 ID:M0OWjADr
如水みたいな軍師タイプにゃなれそうもないし突っ込むしかないじゃんてことじゃね
441人間七七四年:2009/03/01(日) 23:12:43 ID:XkIWvqNc
>>439
兵糧攻め食らってる陣中の牢獄で二年過ごせば悟りが開けるはず
442人間七七四年:2009/03/01(日) 23:15:20 ID:PnLNiH/e
>>441
悟ると言うには生臭い人だけどなw>如水
443人間七七四年:2009/03/01(日) 23:50:10 ID:SOGytudA
「泣ける日本史」という本が出版されていた。
大谷さん・高橋さんなど、ここで既出の話が載っていた。
444人間七七四年:2009/03/02(月) 00:37:48 ID:C0OlKT5V
>>442
本能寺の変後、知らせを聞いた秀吉に向かって
「殿、チャンスですぞ!」とストレートな助言しちゃうくらい
ピュアでうっかりさんだったのに……ねェ
445人間七七四年:2009/03/02(月) 02:32:57 ID:ngI/yeb2
【拉致】民主・小沢氏「北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかない」★2[03/02]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1235926761/
【民主党解剖】第1部「政権のかたち」(1)「小沢首相」は大丈夫か (1/6ページ)

2月上旬、都内で開かれた民主党議員と支持者による会合。
党代表、小沢一郎が発した言葉に会場は一瞬凍りついた。

「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。
カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」

産経新聞 記事の一部抜粋
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n1.htm
446人間七七四年:2009/03/02(月) 02:51:34 ID:4Covo3H7
>>430
ワロタ
447人間七七四年:2009/03/02(月) 08:56:49 ID:fC/2RsgC
>>439
まあ、子孫は頭脳じゃ如水に絶対勝てねー、って思うだろうしね。

夏の火鉢、日照りの雨傘

ある時、黒田如水(官兵衛)は息子の長政に言った。
「お前は夏に火鉢を出したり、日照りの時に雨傘を差すのか?」
突然、謎掛けのような事を言われ当惑する長政。如水は続けた。
「物には使い道と言うものがある。火鉢や雨傘も、使い道を間違
えばまったく役に立たないが、冬の火鉢、雨の日に雨傘は無くては
ならぬものだ。」
長政は答えた。
「もちろん心得ております。ですが私はそのような物の使い道は、
してはおらぬつもりです。」
如水は諭すように言った。
「いや、おまえは家臣を夏の火鉢、日照りの雨傘にしてはおらんか?
人も使い道をあやまれば、無能にも有能にもなる。家臣は本当にお前
に使われて満足しておるのか?その辺に気をつけよ。」
以後、長政は家臣達の事に気を配り、広く意見を聞くように心掛ける
ようになった。

如水は『家中間善悪の帳』と言う手帳を作り、家臣間の友好関係を調べ
家臣同士の相性を見て役目に配置していた。
「相性の悪い者同士が同じ役目に就いても、良い事は無い。人は気持ち
良く働いてこそ、役目を果たせると言うものだ。」
それが如水の、人使いの極意であった。
448人間七七四年:2009/03/02(月) 09:40:40 ID:4KDyhewL
なんという理想の上司
449人間七七四年:2009/03/02(月) 10:00:23 ID:ppeuTKw+
心理学であったな。
職場の人間関係が仕事の効率とか士気に影響するてやつ。
450人間七七四年:2009/03/02(月) 11:08:32 ID:gOEpq3/d
あるファミレスがヘッドハンティングしてきた奴を店長に据えて能力主義を導入したが
同時期に叩き上げの人の和を大事にする店長も昇進させて業績を比べてみた
すると能力主義の店は反って業績が下がり叩き上げの店のほうが業績が格段に伸びたそうだ
能力主義の店は店員同士に競争させたが職場の人間関係が悪化してチームワークに乱れが出たんだと
人間関係って大事だよね
451人間七七四年:2009/03/02(月) 11:28:07 ID:C0OlKT5V
>>447うん、さすがだ。いい話やね

けど、こうゆう人使いノウハウって文書とかマニュアルに残して後々共有すんのが結構難しいんだよな。
リーダー、サブリーダーの人間観察力や経験、人間性にもよるし…

倅(長政)の複雑怪奇な人格は親父殿に影響されたり意図して模倣した部分と
自身の根っこの人柄が混ざって出てる気がする
452人間七七四年:2009/03/02(月) 11:40:31 ID:J+WXQk4z
島津義弘「俺の性格を少しは受け継げよ……」
伊達輝宗「俺、あんなDQNじゃないわ……」
細川幽斎「一緒にしないでください」
453人間七七四年:2009/03/02(月) 13:18:50 ID:wk9rk1Zl
>>419
まさしく浮田ですな
454人間七七四年:2009/03/02(月) 13:19:58 ID:maZylx1U
他はともかく伊達さんのとこは隔世遺伝な気がしてなら無い
いや、細川さんちもある意味・・・・・
455人間七七四年:2009/03/02(月) 13:22:38 ID:xV6PZYkG
>>408
母里家も元々は播磨の有力国人で、黒田家とは家臣と言うより、
同輩という潜在意識があるから、若殿程度には好き勝手なこと言うのよね。
456人間七七四年:2009/03/02(月) 13:38:52 ID:tq0s0HHm
>>454
というか俺には輝宗父さんが突然変異に思えてならない

よく長政は少年期に一度始末されかかった事が歪んだ性格になった理由の一つだとか言われるよな
・・・あれ、長政教育したのって本当は半兵衛なんじゃね?
457人間七七四年:2009/03/02(月) 13:45:37 ID:TMf4bwM7
>>456
> ・・・あれ、長政教育したのって本当は半兵衛なんじゃね?

教育している途中におしっこに行こうとするとボッコボコにされたに違いない!
458人間七七四年:2009/03/02(月) 17:50:11 ID:HpJRb6oo
伊達家は親と子の争いが絶えない
特定の誰かと仲が良かったという手紙とか残ってたかな?

459人間七七四年:2009/03/02(月) 17:55:47 ID:TMf4bwM7
ある戦陣でのこと

武田信玄の小荷駄奉行、内藤修理、どうも暇だったらしく、
わざわざ寺尾豊後を使いにして、馬場美濃守の所に、なぞなそを送ってきた。

「 『待つ宵に 更け行くかねの声聞けば あかぬ別れの 鳥はものかは』

(あなたが来るのを心焦がれて待っている夜、夜更けを知らせる鐘の音を聞くと、
まだ夜の明ける前、鳥が囁いている時(朝チュン)、あなたが帰ってしまう事も思い、
心苦しくなってしまいます。)

さて、これが表す動物を答えよ。」


しかし流石は馬場美濃守、これをたちまち解いたと言う。


さて、この内藤修理からの挑戦、君には解けるかな!?m9(・∀・)ビシッ
ヒント:この詩の作られた平安時代らしい雅な答えです。
460人間七七四年:2009/03/02(月) 17:58:08 ID:Oph5YDKi
>>456
そんな事ないよ政宗だってしっかり輝宗の良いとこ受け継いでるよ…多分
そういえば伊達政宗の書状てなんかお茶目なのが多いよね。
伊達成実に送った書状とかなんか好きw

『随分お手紙出さずにいましたが、最近雨ばっかり降ってて退屈だったでしょ?
ようやく天気も晴れそうなので明日は城に来てください。
直接会って、色々お話したいと思っています。
別に大した用事はないけど、考えてみれば随分ご無沙汰だったしお手紙を書いてみた。
かしこ。』

5月27日 政宗


(あれ?単なる寂しがりなだけだなコレじゃ。)
461人間七七四年:2009/03/02(月) 20:23:23 ID:F0WPhIvi
>>459
うーん、「月」を待つ生き物ってことでフクロウとか松虫とか?
ムネン、アトハタノム・・・
462人間七七四年:2009/03/02(月) 20:42:18 ID:tErncjOz
夜が明けると帰る訳だから月が象徴する生き物で兎とか?
463人間七七四年:2009/03/02(月) 21:42:39 ID:c+VuL3tS
平家物語からの引用だから蛍とか
464人間七七四年:2009/03/02(月) 21:57:14 ID:TMf4bwM7
>>461-463

答えは「牛」
それも牛車を引く「車牛」と、逃げ出した「放れ牛」

「来る間(も)憂し、離れ(るのも)憂し」という事で。

465人間七七四年:2009/03/02(月) 22:03:33 ID:hFgTtTJI
ほう、雅だが現代人には難しいなw
466人間七七四年:2009/03/02(月) 22:49:38 ID:C0OlKT5V
>>420蒲生家は代替わりの時、ラスボスに因縁つけられて自体が石高激下がりだし、
古手の家臣も禄高が何分の一かになるワケで…

新参者が蒲生家に迷惑かけたくなくて退転した、って別の形の忠義者もいたかもね。

亀ですた
467人間七七四年:2009/03/02(月) 23:21:45 ID:sA+Mf1rX
>>460
まーくんのそういう褒められ方って、ヤンキーが子犬拾ったりすると
やけに褒められる法則を感じるんだけどね…
468人間七七四年:2009/03/02(月) 23:40:46 ID:w719goR/
>>466
越前120万石没収されて4万石に減らされた丹羽長重に比べたら"その程度"な規模w

………地元の城主さまだよ、この人w
469人間七七四年:2009/03/03(火) 00:35:15 ID:RBcCZQ7L
里見義弘が、かねて争っていた隣国の大名と講和し、盟約を結ぶため国境へと向かった。
その折の事である。

彼が四、五人の郎党達と共に城下を出でて、三里ほどすすみ山間の道に入ると、谷を隔てた場所で
どこからともなく長さ十丈(約三十メートル)あまりの大蛇が現れ、そこにいた大きな牛を
一口で飲み込んでしまった。

里見の君臣は「なんというすさまじい光景だ」と、しばらく馬の足を止めそれを眺めていると、
牛を飲み終わったかの大蛇は谷へと下って行ったが、不思議な事にこの大蛇、下るに連れて
その姿を小さくし、谷底に着く頃には、ようやく一尺(約三十センチ)ほどの蛇となってしまった。

そしてこの蛇は草叢へと隠れようとしたが、空を飛んでいた鳶がこれを見つけ、急降下して掠め取り、
二町ばかり先の辻堂の屋根でたちまち喰ってしまった。

家臣たちは「これは一体どういうことなのか」と、この不思議に困惑していると、
義弘は、はっと気がつきこう言った。

「つまりこういうことだ。この大蛇が始め、十丈の時は大きな牛も呑み込んだが、変形する通力を
使ったのであろうが、一尺の蛇となっては、鳶にすら喰われてしまう。

これは蛇だけの話ではない。人にも大身小身の別がある。大身は大身なりの威を用い、
小身も小身なりの力を尽くす。大象兎径に遊ばず、鸞鳳鶏雀と群れを同じくせず、と言うではないか。

ところが、今日我々は会盟に、このわずかな人数で挑もうとしている。
これは大蛇が小蛇となって草叢に遊ぶのと同じ事ではないか?

先ほどの事は我等が氏神、八幡大菩薩がわしを守るために見せてくださったのであろう。
もし今回の会盟で何事か変事あれば、この少人数では何も出来ないという事を悟らせるためにな。」

そうして義弘たちは城にとって返し、しっかりとした共揃えを整え、再び会盟へと出発した、とのことである。
470人間七七四年:2009/03/03(火) 00:44:00 ID:1UUPU7iq
>>468
一番の理由は秀吉に用済み扱いされたからだろうけど

長重が4万石になったのは佐々成政への内応疑惑→九州での軍規違反の2段階
一度目は越前120万石→若狭15万石だから減封された割合からいえば
会津92万石→宇都宮12万石の蒲生とそんなに変わらん

むしろ反乱容疑と内輪もめ比べて減封率が変わらない蒲生カワイソスだろ
471人間七七四年:2009/03/03(火) 01:13:14 ID:9KiMqt40
二十年以上にわたり続いた島津家の家督争いがようやく終結し、
島津貴久の鹿児島の内城入城から暫くたったある日のこと
貴久の父、島津日新斎忠良は貴久や家臣団にこう宣言した



忠良「私、日新斎こと梅岳常潤在家菩薩は無辺の大願を成就するため往生することに決めた ○月×日に往生するから懃に供養してやって欲しい。
何、心配するな準備はもう完了しておるからな。以上」

慌てた貴久や家臣団は再三にわたり忠良を説得し、何とか思い止まらせた。

忠良は往生を思い止まるかわりに家臣団に、忠良に対し島津家繁栄のために忠誠をつくすことを誓わせ
記念に空の厨子を火葬し、供養の施行をした。


生きながら自分の葬式を行った男島津忠良

因みに本人はこの葬式から16年後、77歳で没した。

472人間七七四年:2009/03/03(火) 01:30:58 ID:YRY+lOzR
>>469
>長さ十丈(約三十メートル)あまりの大蛇

・・・え?
473人間七七四年:2009/03/03(火) 01:33:37 ID:xorp7WVW
   ヾミ || || || || || || || ,l,,l,,l 川〃彡|
     V~~''-山┴''''""~   ヾニニ彡|       葬式は出す・・・・・・!
     / 二ー―''二      ヾニニ┤       出すが・・・
    <'-.,   ̄ ̄     _,,,..-‐、 〉ニニ|       今回はまだ生前葬だけで
   /"''-ニ,‐l   l`__ニ-‐'''""` /ニ二|       往生するとは言っていない
   | ===、!  `=====、  l =lべ=|
.   | `ー゚‐'/   `ー‐゚―'   l.=lへ|~|       そのことを
    |`ー‐/    `ー――  H<,〉|=|       どうか諸君らも
    |  /    、          l|__ノー|       思い出していただきたい
.   | /`ー ~ ′   \   .|ヾ.ニ|ヽ
    |l 下王l王l王l王lヲ|   | ヾ_,| \     つまり・・・・
.     |    ≡         |   `l   \__   儂がその気になれば
    !、           _,,..-'′ /l     | ~'''  実際に死ぬのは
‐''" ̄| `iー-..,,,_,,,,,....-‐'''"    /  |      |    10年後 20年後ということも
 -―|  |\          /    |      |   可能だろう・・・・・・・・・・ということ・・・・!
    |   |  \      /      |      |
474人間七七四年:2009/03/03(火) 01:46:38 ID:ch158lLX
>>469
わがままフィリップと木伏ディレクターがアップを始めました
475人間七七四年:2009/03/03(火) 09:55:28 ID:tk2meGXO
関ヶ原の折
小松殿が真田昌幸を追い返したからといって沼田城が安泰になった訳ではなかった
城下には矢沢但馬守をはじめ信幸に付けられていた譜代衆の家族・親族が大勢居たからである
彼等が上田の本家に追従し信幸に反逆する可能性は0ではなかった
そこで小松殿は一計を講じた
臨戦態勢下で不安がる城下の人々に避難場所として城を開放したのである
家臣の親族とはいえ老人や女子供
不安に苛まれていた彼等は次々と城内に避難してきた
周囲を欺く為か一般の市民の避難も受け入れた
小松殿は倉を開けて応対し望む者には城中での宿泊場所も提供したとされる
そして多くの者は城内に留まった
そう、小松殿はこうして一滴の血も流さずに譜代家臣の人質を取ったのである
‘これぞ真田信幸が妻の奇計なり’(関原軍紀大成)

しかしこの話には不思議なオチがある
これを上田攻めの陣中で聞いた真田信幸は人目をはばからずに大喜びしたというのだ
もちろん譜代の家臣達の前で、である


謀計だったのか慈愛だったのか、もはやそれを知る術はない
476人間七七四年:2009/03/03(火) 10:53:25 ID:pqCIVy4s
>>469
鬼武蔵ならその蛇すら食ってしまうなw

>>470
てっきり、長重の妻(これも信長の娘)をよこせとかry
477人間七七四年:2009/03/03(火) 11:43:05 ID:5uu2qNzW
長寿ってレベルじゃねーぞ! な家系のおはなし。

相馬氏の家臣に、木幡高清という者がいた。
この男、14代当主相馬顕胤に仕え、なんと19代当主相馬忠胤の時代まで生きたのである。
5代に渡って仕えたといえば北条幻庵が有名だが、97歳で没した彼すら上回り、なんと106歳という長寿を保った。
さらに、彼の兄、木幡継清も84歳、息子の木幡清吉も96歳と天寿を全うしている。

真田どころではない長寿遺伝子を持った家系の、すごいお話。
478人間七七四年:2009/03/03(火) 11:51:30 ID:dSTpEstD
こっちは何か秘訣があるに違いない
479人間七七四年:2009/03/03(火) 12:57:25 ID:9RUXVw0W
小早川秀秋「その遺伝子と運、分けて欲しいなぁ」
富田長繁「あと80年も生きれりゃ天下だってヒャッハー」
鬼武蔵「こいつらの血でも飲めば長生きできるんじゃね?」
480人間七七四年:2009/03/03(火) 13:02:06 ID:dSTpEstD
信之「長生きなんかしてもろくなことねーよ…」
481人間七七四年:2009/03/03(火) 13:13:18 ID:DaUjqSXi
>476そういえば、丹羽さん家は二代して織田から嫁貰ったんだよなあ

織田さん家の姻族って秀吉の下じゃロクな目にあってないな…
482人間七七四年:2009/03/03(火) 14:12:52 ID:kTDTOl7U
実はすぐ近くの鬼庭さんと家系が近かった
・・・みたいなことは無いかな。東北だからあっても良さそうなものだけど
483人間七七四年:2009/03/03(火) 14:50:40 ID:heTv5In0
>>471
お爺ちゃんの話もっと聞きたい
484人間七七四年:2009/03/03(火) 15:43:29 ID:1UUPU7iq
>>483
パッと見て>>471がお年寄りなのかと思ったw
485人間七七四年:2009/03/03(火) 20:43:07 ID:DaUjqSXi
>475
ぬ、まとめスレにあったような
486人間七七四年:2009/03/03(火) 22:30:20 ID:4nI49aBE
>>480

一栗放牛「えーマジ、ストレスによる早死!?キモーイ」
小梁川宗朝「全く、討ち死にか殉死以外は早死にであろうキャハハハハハハ」
487人間七七四年:2009/03/03(火) 22:32:47 ID:s2gCyZfk
日新斎島津忠良の家臣に、井尻宗憲という男がいた。

人となり深く静かで、義勇に富むとされた彼は出家し、山伏・神力坊と名乗ったが、
日新斎の命により全国66ヶ所を廻り、国家鎮護の祈祷と納経をすることになった。

時は戦国乱世の時代、危険極まりない旅であったが、神力坊は22年の歳月をかけて
これを成し遂げ、天正3年(1575)、ついに薩摩へと帰って来た。


みやげ話に胸を膨らませた神力坊を出迎えたのは、冷たい墓石と化した主君だった。

悲しみのあまり殉死せんと考えた神力坊だが、彼は主命による難業を果たすために

『われ、出家の身となったからには、決して刃に伏して死すべからず』
という誓願を立てており、切腹することが出来ない。

ついに大木の下に岩を置き、木に登って岩目がけて真っ逆さまに落ちて死んだ。

鹿児島県南さつま市加世田・竹田神社の日新斎の墓。その隣に彼の墓は、ある。
また、現鹿児島県知事・伊藤祐一郎氏は、彼の子孫である。
488人間七七四年:2009/03/03(火) 23:02:23 ID:RBcCZQ7L
結城秀康が越前を拝領した頃の話である。


北条家の浪人に、関根織部という者がいた。彼は武勇の侍として有名であり、
秀康は彼を家臣として招こうとした。か、

「わたくしはかつて、北条氏直様に従って高野山に登ることが出来ませんでした。
それゆえ私は自分を羞じ、世間から隠れて生きております。
このような私がいったい何の面目があって、再び世に出て、あなた様にお仕えする事が
出来るというのですか?」

たちまち断られた。
だが、それを聞いた秀康はますますこの関根が気に入った。
秀康は、利よりも義を尊ぶ人間が、何よりも好きなのだ。

「関根殿、人というものにはそれぞれ、出来る事と出来ない事がある。
失礼ながら頭を丸めて山に登ることは、あなたには不向きな事だ。

あなたは勇者である。戦場に出て戦功を上げる事、これこそ貴殿が得意とすることであろう。

今、貴殿が世に出て私に仕えるという事、それはあなた一人の利のためではない。
あなたが私の下で得意な所を存分に発揮すること、それはそのまま天下の為の備えとなる。
そう言うことではないのか!?」

そう説得され、関根は深く感じ入り、秀康に仕えると申し上げた。


このような事があり、秀康の士を愛する心が伝わったため、世の、天下の役に立ちたいと望むものは、
知行の多少を気にせず先を争って秀康に仕えようと、越前へと集まった。
毎日のように移り住む者が増え、越前は秀康が入封してそれほども立たない間に、
それまでの疲弊していた雰囲気が一変した、と言うことである。
489人間七七四年:2009/03/03(火) 23:21:35 ID:Kxy70/e4
亀だが横浜に手芸店真田ってあるんだな・・・・
490人間七七四年:2009/03/04(水) 01:27:43 ID:SQp6sXEP
>>488
越前を疲弊させたのは30年前の一向一揆と富田長繁、と




ヒャッハー
491人間七七四年:2009/03/04(水) 03:04:54 ID:fvZM6ZkD
秀康は漢だな。
景勝と気が合うのがなんとなく分かる。
492人間七七四年:2009/03/04(水) 08:57:12 ID:o9YZg3wR
>>491
景勝がしゃべらないのにどうやって
会話するんだろ・・・秀康
493人間七七四年:2009/03/04(水) 09:14:10 ID:eWMrgogG
文通と筆談
494人間七七四年:2009/03/04(水) 10:17:51 ID:X3IAVshc
目と目で通じ合う
495人間七七四年:2009/03/04(水) 10:57:11 ID:/gKIgBWT
そういう仲になりたいわ
496人間七七四年:2009/03/04(水) 11:20:53 ID:oa2zyfWU
竿と穴で通(ry

おっと、細川さんちの庭木の手入れの時間だ、いってくる
497人間七七四年:2009/03/04(水) 11:51:06 ID:o9YZg3wR
無言意気地なしね
498人間七七四年:2009/03/04(水) 12:39:52 ID:0DdggJgY
言えないのよ ヒャーッハー♪
499人間七七四年:2009/03/04(水) 12:41:08 ID:QfEE8JdH
>>487
忠義を守ったという点ではいい話だが、悲しい話っすね・・・
伊藤氏のご先祖は確かに井尻氏(途中で改姓)なんだが、江戸時代では肩身の狭い郷士
しかし明治維新で没落する城下士を後目に農地を買いまくり勝ち組となった人らすぃ

>>496
秀康はともかく景勝は洒落にならんw

-----------------------
>>487関連
島津貴久の乳母はこの井尻氏の関係者なのだが
貴久誕生の2年前に 4 5 歳 で出産
乳の出が良かったのかどうか47歳で貴久の乳母に召し抱えられる。
貴久が島津勝久の養子になったときにも同行
勝久が島津実久とタッグを組んで突然養子縁組を解消し貴久を殺そうとしたときには
貴久と十数人のわずかな供のリーダーとなり脱走に成功。この時60歳。
その後27年生き87歳で死去。

この当時の平均寿命を考えると強烈なばーちゃんである。
500人間七七四年:2009/03/04(水) 13:18:54 ID:o9YZg3wR
昨日はひな祭りでしたね

結果的にいい話
チラシ寿司といえば岡山県
チラシ寿司が出来るまで

ある日、岡山藩主、池田光政公が民衆に言いました
「質素倹約を奨励する。おかずは今日から一品しか食べちゃだめ!」
おかず一品はさすがにさもしいと考えた賢い民衆たちが
「これなら文句は無いでしょ!」
とごはんに野菜や魚を混ぜて一菜としたのでした


また別の話ですが
この前鉄腕奪取で南部の殿さんが
「お蕎麦は殿しか食べちゃだめ」令を出したので
お蕎麦を食べたい民衆が苦肉の策で編み出した
へべたい蕎麦を三角形に切って湯にくぐらせて食べてたな・・・
501人間七七四年:2009/03/04(水) 13:22:16 ID:HuazIuVj
501
502人間七七四年:2009/03/04(水) 13:52:12 ID:+bw9F7Pa
>>500
蕎麦が痩せた土地でも作れる作物だってことを考えると
凄まじい悪法な気がする。なにか事情があるのかもしれないけど。
503人間七七四年:2009/03/04(水) 14:02:19 ID:SQp6sXEP
>492
直江山城が翻訳してくれるらしいね
504人間七七四年:2009/03/04(水) 14:21:09 ID:M5sopcSK
一瞬「殿様といっしょ」が脳裏をよぎった
505人間七七四年:2009/03/04(水) 14:23:06 ID:UuwC1DHS
>>502
米の作付け面積が減るのを懸念した
商品作物禁止令は他藩にも結構あるよ
506人間七七四年:2009/03/04(水) 14:23:50 ID:SQp6sXEP
>>500庶民のしたたかさを示すいい話だが、
祭り寿司の話が抜けてる

チラシ寿司の誕生後か、詳しく知らないけど怒った殿様から
更に「ご飯の上におかずを乗せるのも駄目!」という嫌がらせみたいな禁制が出た。

で、備前岡山の庶人は益々反抗的になって知恵を絞り
“酢飯の底に具を敷き詰めて上は米だけの倒置形寿司を開発した”


……今でも岡山の「祭り寿司」は酢飯の下に豪勢な具が敷き詰められているのだ。ぎゃふん
507人間七七四年:2009/03/04(水) 14:51:00 ID:o9YZg3wR
>>506
それは知らなかったw
イタチごっこだな

関係ないけど岩国寿司も豪勢でおいしい
508人間七七四年:2009/03/04(水) 15:15:00 ID:qXNvNYCj
祭り寿司ってのは某弁当屋の考えた商品名で地元の人間はバラ寿司ないしは単に寿司と言ってるけどな
ちなみに具を底に敷くのは今はしないけど昔の重箱は底も外れるようになっててひっくり返して食うようになってた
509人間七七四年:2009/03/04(水) 16:37:44 ID:v2T0z/R5
あんまり有名すぎるから今更紹介するのも気が引けるけど(検索すればすぐに読めるからね)
「雨月物語」収録の「菊花の約」も尼子経久関係の「ちょっといい話」と呼べるかな?
510人間七七四年:2009/03/04(水) 18:38:09 ID:vZqvsRmE
>>509
俺も出そうと思ったんだが、その話は最初から娯楽として創作された物語だから躊躇してしまった
陶晴賢の火あぶりの話もそうなんだよなあ(これは悪い話だが)

なんか逸話とは違う気がするし
511人間七七四年:2009/03/04(水) 19:46:29 ID:T1N+awIW
徳川家康が、秀吉に饗応を受けた時の事である。

その折、かけ盤をはじめとして、一つ残らず全ての器に、「葵の紋」が蒔絵として装飾されており、
真に贅美を尽くした饗応であった。

屋敷に戻った家康は、これを本多正信に語った

「さて、秀吉はこのようにわしを取り込もうとしておる。これに乗るべきか、乗らぬようにするべきか、
我々としては、どのように対処するべきかな?」

この問いに正信は答えた

「かつて、小笠原氏次は勇将の誉れ高く、周辺の大名は皆、彼を配下に入れようと
熱心に勧誘いたしておりましたな。

ところが意外にも氏次は、我が徳川家の配下に入りました。武田でも北条でも上杉でも織田でもなく、
もっとも弱体であった我が家の。

彼が内々に考えていた事はよく分かります。近く信長と朝倉の決戦がある。
徳川はその戦に、織田の加勢として出馬するであろう。
その隙を突き、三河遠州の両国を、己の手に握ろう。
左様な存念の元、まるで二心無いようにご奉公しておりました。

彼の目論見どおり、間もなく織田と朝倉の関係は決裂し、姉川の合戦が起きましたな。

その時殿は、氏次を新参であるにも拘らず、援軍の先鋒に命じました。
氏次としてはそれまで忠義面で使えていたものだから、いまさら断る事もできず、
姉川に出陣、勝利を得ました。

氏次は二心無き様に見せ、殿を乗せたと思っていたところ、実は殿に乗せられていて、
彼の計画は霧散した、そういう事でありました。

今回も同じ事。

人が乗せようとしているのを乗らないのは、『何事か我々に対し、心に一物を持っているな』と、
相手に警戒させるだけです。

豊臣家が我々を掌に乗せようと来るのであれば、我らはそれに乗ったように見せ、
心では乗らず、かえって豊臣家を乗せてしまえば良いのです。」


家康は「尤もである」と、正信の語った事に満足した。
この様であったから、家康は正信の事を、深く信用していたのである。



虚々実々の駆け引きが垣間見られて、個人的にすごい好きな話
512人間七七四年:2009/03/04(水) 20:11:29 ID:zIaFRdxg
乗せたつもりが乗せられて、か。凄いな。
513人間七七四年:2009/03/04(水) 20:14:34 ID:ktrTpsho
ここまでの機密トークを人に聞こえるところで、
ペラペラ喋らねーだろと正直さすがに思ってしまったが。
514人間七七四年:2009/03/04(水) 20:21:06 ID:VQ5Z+iUT
>>513
これは家康の屋敷で、家康と正信の二人で話してるんじゃないの?
515人間七七四年:2009/03/04(水) 20:26:24 ID:zIaFRdxg
家康の基本方針を示す話、と思ってしまった俺は司馬りょ中
516人間七七四年:2009/03/04(水) 20:42:31 ID:1RzFjGmB
ところで小笠原氏次って誰だろう。
グーグル先生に聞いても答えてくれなんだ。
517人間七七四年:2009/03/04(水) 20:55:30 ID:T1N+awIW
>>516
原文に氏次って書いてあったのでそのままにしたんだけど、おそらく小笠原信興の事だと思われる。
518人間七七四年:2009/03/04(水) 20:57:14 ID:9+zCAoE4
まあ逸話は逸話という事で野暮は言いっこナシなんだぜ?
519人間七七四年:2009/03/04(水) 21:01:30 ID:1RzFjGmB
>>517
あり。
520人間七七四年:2009/03/04(水) 21:07:15 ID:ktrTpsho
>>518
それはそうなんだけど、作り話にも多少のリアリティは欲しいじゃん
521人間七七四年:2009/03/04(水) 21:10:07 ID:XSg8KDxm
秀吉が魂胆が薄汚いって時点で十分リアリティあるじゃん
522人間七七四年:2009/03/04(水) 22:17:27 ID:Na8Q6K6a
なんで小笠原信興が氏次になっちゃんたんだか…?幸村もなぞだが。
523人間七七四年:2009/03/04(水) 22:43:31 ID:mo9qL1Lx
>>511
わざわざ言われるまでも無く、それまで家康がやってきたことそのままじゃないのかな。
524人間七七四年:2009/03/04(水) 22:59:57 ID:T1N+awIW
>>523
>>511の逸話はおそらく、家康が秀吉に臣従して間もない時期の事だと思われるのだけど、

この時期の徳川家が取りうる方針として、豊臣政権に臣従した状態であっても、政権に積極的に
参画せずある程度の距離をとる、という形も充分考えられるわけだ。
豊臣政権の中にどっぷりと浸かると言うのは、それはそれでリスクも大きいんだよ。
関東移封とかもある意味そうでしょ?
それにこの時点で徳川家は、実力者であっても、豊臣政権にとっては「新参」であったわけだし。

「どういう方向に覚悟を決めるべきか」って諮問への、正信の見解を表した逸話だと解釈している。
525人間七七四年:2009/03/04(水) 23:02:29 ID:O4PonDnK
氏の字は花倉の乱で今川氏輝から貰った高天神小笠原氏の通字だとか
(つっても氏がついてたのは氏次と父親の2代だけだけど)
初名は氏助と伝わるのが、氏次ではないんだよな
信興は徳川に鞍替えした頃改名したんじゃね?

むしろなぜこいつは長忠と呼ばれてるんだろう?
526人間七七四年:2009/03/04(水) 23:22:50 ID:v2T0z/R5
>>509-510
太田道灌の山吹伝説なんかにも同じ事が言えるかな
有名すぎるし逸話というよりは伝説、民謡のレベルだ
「菊花の約」だと経久は一応は悪役になるんだろうけど
「英雄は情義を知る」って感じの扱いで、最後は度量の大きさを見せる終わり方だったね
527人間七七四年:2009/03/04(水) 23:42:45 ID:9+zCAoE4
菊花は消防のころ学校の図書館で子ども向け雨月物語で読んで
イイハナシダナーと思ってたけど兄貴に衆道と「菊」の意味を教えてもらって
ドン引きしたのがトラウマ
528人間七七四年:2009/03/04(水) 23:48:44 ID:9+zCAoE4
いや衆道っていう言葉の意味な

あと兄貴って実の兄な
529お爺ちゃんにされた男:2009/03/04(水) 23:50:57 ID:A6ewkd9y
修道と菊に詳しい兄上・・・
530人間七七四年:2009/03/05(木) 00:26:29 ID:ShgC/2QB
信長「まだ子供だった犬千代の菊花を何度も可愛がってやったもんです」
利家「殿に宴会で羞恥プレイを受けて、家臣一同から羨ましがられちゃいました」
531人間七七四年:2009/03/05(木) 00:46:49 ID:r13PmWAi
片倉景綱「殿はわしよりイケメンの菊花のほうが欲しかったみたいで、
あやうくトレードされかけましたw
息子も殿に菊を育てていただき、感謝しております!(#^ω^)」
532人間七七四年:2009/03/05(木) 01:28:38 ID:jyRfbKyg
隆元「義隆様をいじめるのはイクナイ!」
533人間七七四年:2009/03/05(木) 01:44:23 ID:Jiq1o78/
>532
隆景になんか
534人間七七四年:2009/03/05(木) 03:19:11 ID:uaKn4qcL
まとめサイトになかったようなので加藤清正のこのネタを一つ・・・

文禄元年(1592年)からおこった文禄・慶長の役で清正は朝鮮へ出兵した。
文禄の役では二番隊主将となり鍋島直茂、相良頼房を傘下に置き、
一番隊の小西行長とは首都漢城の攻略を競い、後に南大門から漢城に入城。

漢城攻略後は小西行長の一番隊や黒田長政の三番隊と共に北上を続け、
臨津江の戦いで金命元等の朝鮮軍を破るなど、清正の勇名は朝鮮に轟いた。
その後に行われた海汀倉の戦いでの出来事・・・


韓克誠の朝鮮軍を破り、咸鏡道を平定した時の事
朝鮮王朝の二王子”臨海君”・”順和君”を生捕りにし、数十名の家臣を捕虜にした。

清正の勇名ぶりは二王子の耳にも入っており、二王子はじめ捕虜の者たちは覚悟した。

二王子と捕虜の扱いを見た清正は家臣に激怒。


清正「馬鹿者!!」
  「朝鮮王朝の王子であろう方々をこのように縄をかけて
   よいものではない!!今すぐに縄目を解くのだ!!」

すぐに縄を解かれた二王子と捕虜の者たち。
ぽかーんとしている二王子に清正が語りかけた。
535人間七七四年:2009/03/05(木) 03:21:22 ID:uaKn4qcL
534つづき

清正「臨海君・順和君、何か不都合あれば遠慮なく思うし付け下さい。
   この清正、決して皆様をぞんざいに扱うような事は致しませぬ。
   もし、狼藉働く者あれば、清正が斬って捨てまする。」


清正は捕虜とした二王子以下の捕虜達を丁重に扱ったという。
特に二王子に関しては常に敬愛を含んだものだったと言う。

後に清正は二王子を返還する。
この時、石田三成等が二王子を朝鮮との交渉材料に使用とした為
清正は先手を打ち独断で捕虜を返還したようである。

この行いが引き金となり三成との対立、秀吉から蟄居処分を
言い渡されたようである。


二王子の釈放する場所まで清正は警護をしている。
後に釈放された二王子自身が、護送中の清正の
博愛に満ちていた態度に感謝を述べた書状を清正宛で
贈ったと言われている。

さらに二王子は画僧に清正の肖像を描かせ、廟堂に
神として祀られたとされる。



加藤清正は文禄・慶長の役で寺院や文化財等を徹底的に破壊した
為、今でも韓国など朝鮮半島では評判はあまり良くない。

「鬼将軍(清正)が来るぞと言えば泣く子も黙った」
と言われるほど武略は恐れられた。

しかし、部下の略奪や焼き討ちを厳しく禁じ、捕虜なども
丁重に扱ったなどの記述もある。
どこかで清正の所業と他の人間の所業が入れ替わり
歪曲した可能性もあるかもね。
536人間七七四年:2009/03/05(木) 04:46:22 ID:DTHpaI2g
自分が率先してやるor命令を出してやらせるのはOKでも
部下が勝手にやるのはダメって事かも知れないよw
537人間七七四年:2009/03/05(木) 06:21:33 ID:51+4G3zW
二王子の捕縛は文禄の役
建造物の徹底破壊は慶長の役
民衆のゲリラ戦への対処の為の建造物徹底破壊は慶長の役で各部隊に伝達されたラスボスの厳命
朝鮮の役における残虐行為の大半は慶長の役
日本史でひっくるめるから話がおかしくなるだけで時系列的に何ら不思議はない

ちなみに上層部の意向に反するのは当時も今も軍紀違反
例えそれが人道的判断であってもね
清正個人は情けを知る人物であったが愚直な軍人であったという事だろうね
538人間七七四年:2009/03/05(木) 07:31:20 ID:xHKh8TMe
>>535
清正らしい逸話だな。
その朝鮮出兵で思い出したけど、以前子供の授業参観に行ったとき、
秀吉は何の罪もない当時の朝鮮、中国に攻め込みたくさんの民衆を殺した
大悪人だと教えてた。自分の子供の頃は農民から関白まで成り上がった
英雄と習ったが時代が変わると認識も変わるんだな。
539人間七七四年:2009/03/05(木) 09:41:01 ID:+lrQjPj3
>>538
まあ、教師の教育より大河ドラマとかゲームとかから
歴史に興味持つ人間の方が多いと思う。
さすがに秀吉=英雄もしくは大悪人っていう極端なイメージ
は、共通認識足り得ないと思う。
正直、歴史を教える教師が歴史上の人物を極端に評価するのは
間違い。
と言っても本当に歴史を、知ろう学ぼうって思うなら、大学から
だしな。中学高校で習う歴史なんて「趣味」レベルと言うかそれ以下。
540人間七七四年:2009/03/05(木) 09:56:47 ID:5Pemmj7j
>>538
ラスボスが大悪人ではないと言い切れない辺りが
悲しいな
541人間七七四年:2009/03/05(木) 10:10:57 ID:ulSfYFW+
でもヒトラーに近いカリスマを感じるんだ
542人間七七四年:2009/03/05(木) 10:35:44 ID:4ox6Xw+N
>>534-535
これと一対になる悪い話として、この話で清正が朝鮮半島で有名になった結果、
「清正が現地の女性に殺されて、以後は影武者だった。」みたいな話が朝鮮にあったような・・・。
543人間七七四年:2009/03/05(木) 10:44:51 ID:hoY085La
>>542
似た話に、小西行長の部将が、現地の遊女に殺されたって話ありますね。
その遊女は現地で英雄扱いだとか・・。以前TVで見たのでソースは不明です。
544人間七七四年:2009/03/05(木) 10:52:16 ID:WN83p6MG
昔と今じゃ社会も価値観も違うのに今の道理で善悪を決められんよ
100年後は英雄として再び祭り上げられてるかも知れん
学校の教えも政治的意図が多少なり反映されてて
江戸幕府を打ち倒した明治政府下では秀吉英雄
戦後は戦前政府を打ち倒したから秀吉悪人
明治政府下で作られた江戸時代暗黒史観は戦後も共産主義の観点から継続され続けたが
ソ連崩壊辺りから見直されてきてる
歴史の教師が善悪を語りだしたら眉唾だと思っておけ
545人間七七四年:2009/03/05(木) 10:52:22 ID:GjQEsFYc
>>538
> 秀吉は何の罪もない当時の朝鮮、中国に攻め込みたくさんの民衆を殺した
> 大悪人

この考え自体は秀吉の晩年から既に広く存在しているね。
秀吉を英雄として異常に持ち上げたのは明治になってから。
546人間七七四年:2009/03/05(木) 11:54:30 ID:ZFuqKdkP
秀吉が本当に悪逆非道な色ボケ野郎なだけだったら、
天下を握れる訳ないからねぇ。
547人間七七四年:2009/03/05(木) 12:12:29 ID:GjQEsFYc
秀吉自身は抜群に能力のあった人間で、その実力は信長や家康よりずっと上だっただろう。
秀吉こそあの時代において、天才と呼ぶにふさわしい人だったと思う。

ただ、朝鮮や中国の人間のみならず、日本の農民や庶民にとっても秀吉の時代ってのは、
本当に苦しい時代だったのもまた、確かなんだよね。

よく「秀長が生きていれば」なんていう人がいるけど、秀吉って個性は、秀長の存在くらいに
方針を左右されるような、そういう可愛げのある人間ではなかったと感じる。
才能が巨大すぎて、周りが本当に扱いかねた、そう言う人だと思うよ。
548人間七七四年:2009/03/05(木) 12:19:54 ID:O+Y3GPM+
そういや前に韓国行った時、仏国寺(違ったらスマソ)の内の書庫の前で、
いきなりガイドの女の子に
「ここは加藤清正が攻めてきた時に、大事な書物が焼かれない為に坊さん達が
必死で本を避難させた場所です。こっちの石垣には火事の跡があります」
っていわれてびびったことあったな…。
549人間七七四年:2009/03/05(木) 12:29:34 ID:L8jKKky+
儒学者の藤原君が言うには家康の代でも朝鮮出兵する可能性が合ったらしいけどな
550人間七七四年:2009/03/05(木) 12:30:48 ID:8zaf+4vF
「朝鮮のジャンヌダルク 論介(ノンゲ)」でぐぐるよろし。
551人間七七四年:2009/03/05(木) 12:45:56 ID:5Pemmj7j
>>548
大事な本は直江山城が持って行きましたよ
552人間七七四年:2009/03/05(木) 13:57:28 ID:tyeiPUan
>>538
富田長繁「俺はどういうふうに教えられてたんだ?アーン?」
553人間七七四年:2009/03/05(木) 14:42:09 ID:xoI2hM3t
>>552
ヒャッハー!w
554人間七七四年:2009/03/05(木) 15:00:23 ID:GjQEsFYc
豊臣秀吉の家臣に、毛利重能という人がいた。

この人、とにかく算術の天才であったが、さらにその才能を磨くべく、秀吉の援助の下
明に算術修行の留学までした。
やがて大阪の陣で豊臣家が滅びると、京に移り住み、算術の道場を開いた。

彼の算術の中でも割り算は特に神がかっているとされ、彼の道場には

「天下一割算指南」

との看板がかかっていたそうだ。

彼の弟子は数百人に及んだと言うが、その中でも特に優秀な、吉田光由、今村知商、高原吉種の
三人は、「毛利の三子」と呼ばれた。そう、中国毛利家のまんまパロディであるw

彼の弟子の流れの中から、やがて関孝和も現れる。
和算の源流を作り上げた、武将じゃないほうの毛利さんのお話。
555人間七七四年:2009/03/05(木) 15:00:54 ID:Iw1NqHTK
>>552
安土桃山:狂犬
江戸  :狂犬
明治  :狂犬
大正  :狂犬
昭和  :狂犬
平成  :狂犬
556人間七七四年:2009/03/05(木) 15:06:52 ID:ZvcO+v+t
>>552
室町:狂犬
鎌倉:狂犬
平安:狂犬
奈良:狂犬
飛鳥:狂犬
古墳:狂犬
ローマ:狂犬
557人間七七四年:2009/03/05(木) 15:16:49 ID:Iw1NqHTK
火の鳥「長繁よ。お前は死ぬのです。次に生まれ変わるのは狂犬です その次も狂犬に その次も狂犬に。
そしてその次も狂犬に… 絶対に常識人になることは事ありません。」
558人間七七四年:2009/03/05(木) 15:29:28 ID:ulSfYFW+
現世の長繁は亀田かな?
559人間七七四年:2009/03/05(木) 15:33:58 ID:OGL52My6
>>557
火の鳥すら殺し兼ねないのが長繁と鬼武蔵。
560人間七七四年:2009/03/05(木) 16:02:14 ID:Jiq1o78/
>>557
今日の運勢、よし!!!


コリ。コリ。クチャ、クチャ......
561人間七七四年:2009/03/05(木) 16:03:55 ID:A1XBdria
>>558
あんなビッグマウスじゃない
562人間七七四年:2009/03/05(木) 16:11:44 ID:ZvcO+v+t
喋る暇があったら襲っています。
563人間七七四年:2009/03/05(木) 16:40:58 ID:fdDCKIrX
>>554
ううん、歴史だ
小学校あたりで教えてもいい話だなー

それとお前ら、長繁馬鹿にするけどなあ、一応ちゃんと頑張って、
それなりの地位もぎ取った人なんだぞw
564人間七七四年:2009/03/05(木) 16:58:08 ID:Iw1NqHTK
鬼武蔵や、二代目鬼美濃。そして狂犬を殺した種子島の玉は
鉛じゃなくて、銀で出来てるに違いない。じゃなきゃ彼らが死ぬわけがない。
565人間七七四年:2009/03/05(木) 17:17:42 ID:JPEEqwTf
ランチェスター大聖堂の銀十字架をとかして作った、13mm爆裂鉄鋼弾ですか?
566人間七七四年:2009/03/05(木) 17:24:58 ID:xoI2hM3t
>>555-557
とある神「俺、そんな漫画書きたくねぇ…orz」
567人間七七四年:2009/03/05(木) 17:43:24 ID:/qtaVgO4
ランチェスター大聖堂の銀十字架なのに
何で13mm爆裂鉄鋼弾なの銀を鉄と火薬に変えられるの?
13mm銀の玉ではないのですか?
568人間七七四年:2009/03/05(木) 17:57:02 ID:jmdfNgkC
>>547
秀吉は・・・信長が獲得した広大な領地と家臣


そして方針を受け継いだアドバンテージがあまりに、あまりに大きすぎる
秀吉が独立する頃には、すでに眼前に巨大な「天下餅」がこねて置いてあった

いわば信長の遺産の継承者的役割で、
もし主君のように尾張の一部だけからスタートすれば、とても天下人にはなれないだろう
天下の大勢が決まりかけている時期に、ちょうど適した君主だったということじゃないの
569人間七七四年:2009/03/05(木) 18:02:46 ID:kcTvZXh3
そんなこと言ったら信長や家康が足軽の子なら侍大将にすらなれなかっただろう
570人間七七四年:2009/03/05(木) 18:08:21 ID:Iw1NqHTK
>>568
秀吉「天下人は天が決める」
571人間七七四年:2009/03/05(木) 18:17:26 ID:/qtaVgO4
間違えた
>>565
ランチェスター大聖堂の銀十字架をとかして作った13mm爆裂鉄鋼弾なのに
銀を鉄と火薬に変えられるの?
13mm銀の玉ではないのですか?
そもそも「ランチェスター大聖堂の銀十字架」とは?
572人間七七四年:2009/03/05(木) 18:19:00 ID:ulSfYFW+
マジレス禁止
573人間七七四年:2009/03/05(木) 18:45:17 ID:jmdfNgkC
>>571
軽口にそんなこだわってどうする
574人間七七四年:2009/03/05(木) 18:51:02 ID:/qtaVgO4
いや、なんか気になって。
575人間七七四年:2009/03/05(木) 19:23:20 ID:xoI2hM3t
>>564
ここは日の本らしく東大寺の大仏を溶かした鉛玉にしておこうよ
576人間七七四年:2009/03/05(木) 19:35:47 ID:LRUczgmW
ゲームの話で申し訳ない

太閤立志伝の5でDQN四天王の忠興でプレイしてたら関ヶ原イベントがおこってガラシャが死んじゃうんだけど

玉よお前の敵は必ず討ってみせるからな!!デウスのいるバライソからわしを見守ってくれ!!←たしかこんなかんじ

とか

思えば謀反人の娘として生まれてしもうて不幸続きの人生であったが…

わしは玉を少しでも幸せにしてやれたであろうか…

とかなんかDQNに相応しくないとてつもなくいい話になってしまってたよ

それみたの少し前の話だからうろ覚えだけど太閤立志伝5もってる人がいたら是非やってみるのをお勧めする

素直にゲームごときで感動してもうたwww

ちなみにヘタレ稲富さんはちゃんと敵前逃亡した記述がありましたwww
577人間七七四年:2009/03/05(木) 19:37:44 ID:Jiq1o78/
>>570
超マッチョで小男のはしこくしぶとい「いくさ人」乙です
578人間七七四年:2009/03/05(木) 19:39:48 ID:Jiq1o78/
>576じゃあ次は
屋敷中に灯りをともして一夢理斎晒しターイム

ですね
579人間七七四年:2009/03/05(木) 19:46:58 ID:SZWyw7iY
>>576
まあ忠興からDQN成分抜くとそういう良夫に成り下がるよな
ゲームであんな血なまぐさいことされたら別のジャンルに成りかねない
580人間七七四年:2009/03/05(木) 19:48:55 ID:Iw1NqHTK
>>576
仮想のイベントでも武田義信生存イベントとか、織田信行生存イベントとか
ニヤリとできるイベント多いからねぇ。ほんとにXは名作だ。
581人間七七四年:2009/03/05(木) 19:49:36 ID:jyRfbKyg
稲富さん逃亡イベントの記述があるとは細かいな
582人間七七四年:2009/03/05(木) 20:25:41 ID:LRUczgmW
ちなみに小笠原少斎さんがガラシャを切った後に自刃する記述もちゃんとあって忠興も「少斎も辛かったろうな…」と思いやるシーンの後に
忠興「で稲富は何をしてたのだ」

忍者「それが稲富様は石田勢に早々に門を開いて逐電してしまいました」

忠興「あのヘタレが!!絶対許さん」←意訳


あまりに落差が酷かった

さすがにライトアップで稲富を晒すイベントは無いようだが…

詳細に描き過ぎだろコーエー…と突っ込んでしまった


チラ裏スマソ
583人間七七四年:2009/03/05(木) 20:27:40 ID:Ob/UM3fj
そういや世良田二郎三郎イベントとかもあったな
まあ、その気になればどんなイベントも自分で作れるんだけど
584人間七七四年:2009/03/05(木) 20:39:40 ID:xoI2hM3t
ほんと…太閤V持ってる人がうらやましい…
PC版、新作作る気が無いならないで5の再販してくれよorz
585人間七七四年:2009/03/05(木) 21:00:46 ID:BPmXfcyc
政宗さとし桜

政宗が16才の頃、父・輝宗とともに初陣祈願のため梁川八幡に詣でた。
祈願を終えた政宗が境内の桜の下で休息していると、急に侍大将・立花外記が政宗に暇をとりたいと申し出た。
曰く、桜の美しさに心奪われてふと自分を省みれば、殺し合いの毎日が恐ろしくなったという理由であった。

政宗はその申し出を咎めず、形見にと古今和歌集より一首したためた。
「春霞 立つを見捨てて行く雁は 花なき里にすみや慣らえる」
万人に春を迎えさせようとする自分の決意と、それを見ずに去ろうとする外記を思い遣った歌である。

この歌を受け取った外記は、己のことのみを考えていたことを恥じ、切腹しようとした。
しかし政宗は「切腹させるぐらいならなんで暇などやろう。死ぬよりも共に参れ」と諭し、帰路を共にするよう命じた。

梁川八幡の参道には今もその桜が残っており、「政宗さとしの桜」として伝えられている。
586人間七七四年:2009/03/05(木) 21:10:48 ID:Tnbx0pE8
ニーニーの桜か。良い話ですわ。
587人間七七四年:2009/03/05(木) 22:00:09 ID:4ox6Xw+N
KONOZAMAで普通に買えたけどな? 立志伝V
588人間七七四年:2009/03/05(木) 22:04:21 ID:4ox6Xw+N
一応URL書いておくよ

ttp://www.amazon.co.jp/dp/B000EXXGWW
589人間七七四年:2009/03/06(金) 02:18:42 ID:ov6DwtuE
 
めんどくさい三河武士の話。仕官なんてしないんだから。

彼は家康の譜代の家に生まれた。
三河武士らしくめんどく・・・一途で頑固な性格で、
一生懸命武芸に励み、その後家康の近習に取り立てられて関ヶ原でも活躍。
大坂夏の陣では頑張って一番乗りも果たしちゃったが、
残念なことに先陣争い禁止だった為、家康にあえなく妙心寺に蟄居させられた。

そこでわずか30歳で剃髪、一気に武士をやめてしまった。

その後暇になったのか、お友達の林羅山のすすめで学問を始める。
文武両道と評判になりあちこちから仕官の誘いが来たが、
一度やめた武士になる気なんてさらさらなかった。

しかし母親が病気になったため、安芸の浅野さんちに学者として仕えることになる。
10年以上たったころ、母親が亡くなったので、彼は隠居を願い出た。
しかしMOTTAINAI人材だといって隠居を許してもらえない。

奴は、強引に隠居した。

こっそり京都に戻って山荘を建てて、自分好みの庭を作り、大好きな漢詩を楽しむ。
幕府に仕官の推薦も何度もされたが、あくまで固辞。
御水尾上皇にも召されたが、これも固辞。
その後も、仕官なんてもう二度としないと諸侯の誘いを最後まで断り続け、
優雅な隠遁生活を30年以上も続けて、90歳でこの世を去った。

彼の名は石川丈山、鹿脅しの考案者であるもといわれ、
彼の隠居所は現在は詩仙堂と呼ばれて親しまれている。

最後までつらぬいた三河武士のお話でした。
 
590人間七七四年:2009/03/06(金) 07:40:26 ID:kBavnkvF
庵(後の詩仙堂)を建てようとしたけど金が足りない。
蔵書を全部売ってみたけどやっぱり足りない

困ってたら浅野の殿様がお金を送ってくれた




浅野「録を送ってあげただけよ かんちがいしないでよね
あんたが勝手に辞めたの、認めてなんてあげないんだから〜!」


後々も 折りにふれ世話をやいてた浅野さん

591人間七七四年:2009/03/06(金) 07:57:08 ID:SJhsWnUl
>590
浅野本家のツンデレ...
592人間七七四年:2009/03/06(金) 12:42:14 ID:/uapRBt6
>>572
亀で申し訳ないが、マジレスしたらマジいレスか?(まずいですか)
593人間七七四年:2009/03/06(金) 13:39:08 ID:7IY2mtwt
鬼武蔵の近侍を命ずる
594人間七七四年:2009/03/06(金) 13:43:44 ID:LixUx5z3
駄洒落ではないが、(まあ似たようなものだが)戦国時代のナゾナゾを書いてみる


『最上様の佩刀。さて、どこで作ったもの?』



現代人にはちょっと難しいかな?w
595人間七七四年:2009/03/06(金) 18:11:57 ID:BdRTXa0W
>594
うーん、最上大業物で兼定作のは幽斎様・三斎様親子が持ってたそうだが…。
美濃とか?
596人間七七四年:2009/03/06(金) 18:56:03 ID:MVJHNiRf
最上(もがみ)の御佩刀(みはかし)だから「もはかし」
・・・とか考えたけどそんな地名は無いし何より論法逆だよな
597人間七七四年:2009/03/06(金) 19:14:39 ID:dBUVZUWu
>>595と同じ路線で「備前」と言ってみる。
598人間七七四年:2009/03/06(金) 19:56:23 ID:LixUx5z3
>>595-597

答えはこちら


「最上」で、いろはの「も」の上は『ひ』
そして佩刀=太刀

すなわち『ひ』+『たち』で、「常陸」でした!
599人間七七四年:2009/03/06(金) 20:03:48 ID:u/rg3+qB
>>598
わかりっこねぇwww
600人間七七四年:2009/03/06(金) 20:05:28 ID:BdRTXa0W
>>598
「も」の上か〜!
戦国だけどお江戸の謎解きみたいで面白いな。
601人間七七四年:2009/03/06(金) 20:06:42 ID:dBUVZUWu
くそうw
602人間七七四年:2009/03/06(金) 20:21:18 ID:BQGeGUx+
そっちの方向は考えてなかったw
603人間七七四年:2009/03/06(金) 21:43:14 ID:CFchYvD7
手も足も出ませんでした。
当時の知識人たちならサラっと解いたりしちゃうのかな。
604人間七七四年:2009/03/06(金) 21:54:20 ID:MVJHNiRf
ああ、そうかまだイロハな時代だったっけ。参った

>>603
どっちかっつーと町民のとんち的な感じだと思うよ
知識人達はそれこそ道灌の躑躅の逸話くらいのレベルだと思う
605人間七七四年:2009/03/06(金) 22:02:23 ID:vU0GlVIH
>>598
解けなかったんだけど「悔しい」じゃなくて「いっそすがすがしい」気持ちになった
606人間七七四年:2009/03/06(金) 22:04:23 ID:LixUx5z3
>>603-604

では当時の知識人用のナゾナゾ

『源氏の初め、狭衣の初めの物語。さて、何でしょう?』

これが分かれば君も幽斎クラス!多分。
607人間七七四年:2009/03/06(金) 22:33:05 ID:dBUVZUWu
うつほ物語?
608人間七七四年:2009/03/06(金) 22:37:04 ID:NNTQ1DYU
>>606
伊勢物語・・・?

「い」づれの御時にか
「せ」いねんの春は惜しめども
609人間七七四年:2009/03/06(金) 22:41:37 ID:LixUx5z3
>>608
正解!やるなーw
610人間七七四年:2009/03/06(金) 22:43:18 ID:lsvUpmLU
在五中将物語
611人間七七四年:2009/03/06(金) 22:43:52 ID:lsvUpmLU
くそ、ググってる間に先越された
612人間七七四年:2009/03/06(金) 22:47:31 ID:dBUVZUWu
源氏の第1帖が「桐壺」だから「つぼ→つほ」で当たらないかなと思ったがやっぱりダメだった。
613人間七七四年:2009/03/06(金) 22:53:36 ID:NNTQ1DYU
正解だったことに自分がびっくりした
614人間七七四年:2009/03/06(金) 23:40:18 ID:5iyC9csW
すごいね!
おめでとう!
615人間七七四年:2009/03/06(金) 23:54:55 ID:LixUx5z3
ナゾナゾだけじゃアレなので逸話!


大阪夏の陣が終わった後の事

松平忠直の家臣、本多富正は、彼の部隊だけで173の首級を上げた。
そのため「我々よりも首を取ったものたちはいないだろう」と散々自慢していたのだが、
それを聞いた落合美作守が、「いやいや、我々の方が上だな。」と言った。
しかし聞けば、落合の部隊の取った首は47だという。

「おいおい、何を言っているんだ」

と、本多が馬鹿にしたように苦笑いをすると、落合は

「本田殿の禄は七万五千石、私は一万石。
禄の多少で兵数が違う事は、ご存知ですな。
さて、兵数あたりの首ではいかが?」

するとその時、柱に寄って居眠りしていた徳川家康の使番、諸星金右衛門がむくりと起き出し、

「今の落合の言葉、もっともだ。」

と言ったので、本多富正は返す言葉もなく、これ以後首級の自慢をしなくなったそうだ。
616人間七七四年:2009/03/07(土) 01:19:31 ID:rm/DvvCF
>>615
政宗「俺らは一部隊文字通り"全滅"させたけどな」
617人間七七四年:2009/03/07(土) 01:34:56 ID:5TWiLxah
>>616
「伊達の兵法に敵味方の区別はない」って言い訳が滅茶苦茶すぐるw
618人間七七四年:2009/03/07(土) 04:28:36 ID:U3WIcaAi
>>615
鬼武蔵「部隊全員でたった47か」
619人間七七四年:2009/03/07(土) 08:43:27 ID:Z1d+vWPa
鬼武蔵さんは人型兵器だから比べられませんww
620人間七七四年:2009/03/07(土) 10:34:23 ID:Af2hBh0E
個人で一番殺した武将って誰だろ?
621人間七七四年:2009/03/07(土) 11:07:36 ID:7Y0YleCF
622人間七七四年:2009/03/07(土) 11:11:46 ID:Af2hBh0E
いや、武将で
ってか使い古されたネタも持ってこられても
623人間七七四年:2009/03/07(土) 12:48:19 ID:ywxWQBUC
黒田長政の、大水牛兜と言う物がある。

http://www.nobunagaou.com/hidari/siro/1j/img/011.jpg

これ。

長政のお気に入りの兜だったらしく、朝鮮役にもこれをかぶって行った。
さて、その文禄の役。

とある戦場で長政、敵軍の将発見。例の如く一人で駆け出した。
黒田軍のみなさんが「殿!!」とあわてる間こそあれ、気がつけばその敵将と、
川の中で組討を始めてた。

さて、川の中である。重い鎧を着ている。当然のことだが、沈む。

ブクブクブク

「ああ!殿が水の中に!」「殿はいずこ!?」

すると川の中から、にょっきりこの兜の角が現れた

「おお!殿はあそこだ!」「殿は無事だ!」

ブクブクブク

「殿はいずこー!?」

にょっきり

「ああ良かった無事だ」

ブクブクブク

「殿ー!?殿はどこにー!?」


水面から角が出たりもぐったり。
そんなことを繰り返しているうちに長政、気がついたら敵将を討ち取り川から這い上がってきた。

「殿、ご無事でしたか!しかしその兜のおかげで、殿の場所だけはバッチリ分かりました!」

長政「…」


さて長政、朝鮮から帰国すると、そんな思い出のたくさんつまった大水牛兜を、
些細な事で喧嘩していた福島正則の兜と、仲直りのしるしとして、何故か惜しげもなく
さっさと交換してしまったそうな。

そのとき交換された正則の兜こそ、後に長政の肖像画にも描かれた、この有名な、一の谷兜であった。
http://www4.ocn.ne.jp/~riria/igyou/ichinotani42.jpg
624人間七七四年:2009/03/07(土) 13:01:52 ID:6xuf3pe8
後藤又兵衛がニヤニヤしながら眺めてたのがこの兜か
家臣が加勢してくれなかったの相当根に持ってたみたいだし
早く忘れたかったのかもしれんね
625人間七七四年:2009/03/07(土) 13:55:28 ID:tBsvu5JS
>>623
関連して「黒田家の元家臣が語る」という形で書かれた古郷物語でも
合渡川渡った頃に堀に落ちて「水牛の角の立物の爪計り見えける」
というシーンがある。
どうやらこれは黒田の士にとってはお気に入りのネタだったらしいなw
確かに角の先だけプカプカヒョコヒョコしてる光景を想像すると笑えるw

※既に交換しているはずの大水牛兜だが、黒田家の記録によると
「交換したのは予備に使っていた複製品で、オリジナルはそれぞれの
手元に残した」とのこと。
実際黒田家には大水牛兜が二頭残ってるわけだから、交換してからも
使ってたのかもな。
626人間七七四年:2009/03/07(土) 13:59:18 ID:98F/Y9iq
崖をデザインてすごいな>一の谷兜
627人間七七四年:2009/03/07(土) 14:03:20 ID:rm/DvvCF
>>624
三成「仲直りなら相手の好きな食い物をくれてやればいいだろうに…」
628人間七七四年:2009/03/07(土) 14:10:42 ID:/1WwV5Jx
>>627
忠興「……」
629人間七七四年:2009/03/07(土) 14:34:35 ID:xuC21qe4
こいつらって現代にいたら絶対竹やり出っ歯で珍走とかしてそうだ
630人間七七四年:2009/03/07(土) 14:42:52 ID:xfX3WX/s
長政「キレてないッスよ?オレをキレさせたら大したモンッスよ?」
631人間七七四年:2009/03/07(土) 14:51:59 ID:661kFPGi
後藤又兵衛「ちょwww殿www何涙目で顔真っ赤にしてんスかw pgr」
632人間七七四年:2009/03/07(土) 16:17:52 ID:CLsjJ4qr
長政家臣
   _, ,_ _, ,_
 :(;゚∀゚)゚∀゚;): ヒィィィィ──!
 :(  `⊃⊂´ .):
 :と_ _))(_ _つ:
633人間七七四年:2009/03/07(土) 17:06:14 ID:5tk4OuKa
でも正則にあげた水牛兜はレプリカだったんだよねw
正則のは本物なのに
634人間七七四年:2009/03/07(土) 17:19:04 ID:qVMiX3/w
いや、水牛バージョンの兜は何種類かもってたのでは。
色とか大きさとか、帽子みたいなもんだろ。

長政家臣も、みな水牛兜のオンパレードだったし。
635人間七七四年:2009/03/07(土) 17:57:01 ID:ZeabRwPM
空気抵抗デカそうだな一の谷兜

騎乗疾走中に前から突風でも来たら首コキャっと逝きそうだ
636人間七七四年:2009/03/07(土) 18:11:22 ID:/1WwV5Jx
枝にひっかけても逝きそうだな
637人間七七四年:2009/03/07(土) 18:11:38 ID:4HjriB1E
>>623
それなんてロビンマスク
638人間七七四年:2009/03/07(土) 18:38:03 ID:tBsvu5JS
>>633
前から気になってたんだがその話の出所はどこなんだ。

水牛兜は「複製同士を」交換したとする黒田家重宝故実(目録みたいなやつ)
の記録の他に、後世作られた重宝故実の記述は誤りで交換したのは「本物同士」
ではないかという説は見たことがあるが、片方だけ複製なんて聞いたことない…
というか2chで何回か見かけたことがあるが他では知らない。
有名な講談かなにかか?
そういうのは詳しくないので信憑性がどうとか固いことは言わないから教えてくれ。
でも正直あの二頭は見た目が結構違うので間違った方を渡されたらわかると思う…。
639人間七七四年:2009/03/07(土) 19:16:56 ID:U3WIcaAi
市松のことだから複製同士のはずがうっかりホンモノ渡してるような気がしないでもない
640人間七七四年:2009/03/07(土) 19:27:49 ID:rm/DvvCF
本物か複製かわからないけど、福島家にわたった兜は黒田家に買い戻されたけどね
641人間七七四年:2009/03/07(土) 23:40:35 ID:ywxWQBUC
朝鮮役シリーズ


日本と明の和平交渉は決裂。慶長の役、起こる。

慶長二年十二月二十二日、西生浦(ソセンポ)城にいた加藤清正の下に急使が駆け込んだ

「築城が終わったばかりの蔚山(ウルサン)城、明に大軍に攻撃を受け、兵の半数近くが討ち死に!」

西生浦から蔚山まで北に二十八キロ。清正は急使の言葉の終わらぬうちにもう、具足を着込み始め
小姓たちを呼びつけると、船に飛び乗り、叫んだ


「水夫ども、力の限り漕げ!
もし遅れて敵に川を押さえられ、城に入れないようなことになれば、お前達全員を
斬って捨てる!
その時はわしも腹を十文字に斬り、海に入って竜神となってやる!
そして空を駆け鉄の火を敵陣に降らせ皆殺しにしてやろう!

さあ、急ぐのだ!」


清正たちはその夜のうちに蔚山城に到着。これより朝鮮役を代表する、城を囲む明軍四万八戦との、
12日間の壮絶な戦い、蔚山篭城戦が始まる。
642人間七七四年:2009/03/08(日) 00:56:05 ID:3kdDyPn+
>>641
うへえ

下から二行目
×明軍四万八戦
○明軍四万八千

脳内変換してください…orz
643人間七七四年:2009/03/08(日) 01:02:30 ID:eYC/oRnt
>>641
日刊か何かで続きモノにするのか意図を知らせてくれ
どうレスしていいのかわからんから流れが止まる

いずれにしろ連投してしまった方が良いと思われ
まとめの人にも手間かけさせるしね
644人間七七四年:2009/03/08(日) 01:08:30 ID:fh6ftq0j
別にさして手間がかかるとも思わないが
645人間七七四年:2009/03/08(日) 01:14:09 ID:xLdJFM1f
…という○○な話、とか最後に入れてくれると分かりやすい
646人間七七四年:2009/03/08(日) 01:22:56 ID:B0aqEaAN
>>641
あれ、続くんじゃないの?
それで終わり?
647人間七七四年:2009/03/08(日) 01:58:06 ID:3kdDyPn+
>>641
続き

この清正の入城により、蔚山は彼の指揮下に入った。
城は完全に包囲されたが、防衛線を内城まで縮小した日本軍は、頑強に戦った。
明、朝鮮軍による連日の波状とも言うべき攻撃の、そのことごとくを跳ね返し、
逆に大きな損害まで与えていた。
日本軍は確かに、強かった。

が、元々備えの少なかった兵糧は忽ちに尽き、厳冬の中、城内は悲惨な状況となっていた。
城内ではこんな狂歌が詠まれた

「この城の難儀は三つに極まれり、寒さ、ひだるさ、水の飲みたさ。」

盃一杯の水が、銀十五匁で売買されたと言う。

敵よりも飢えが、籠城衆を蝕んだ。
年が明ける頃には、誰の目からみてももはや、これ以上の籠城は不可能と見えた。

「飢えて死ぬよりは、討って出て討ち死にすべし。」

清正はそう決断し、総攻撃を正月三日とした。
勝ち目などない、玉砕のための戦いである。
が、城の者達は、この飢餓地獄から開放されることに、むしろ喜んだという。

その三日が来た。

城内の者達が出撃の準備をしていると、物見が駆け込んできた。

「明軍が混乱しています!」

櫓からも見えた、
小早川、毛利、黒田、また海上には長宗我部らの旗印。

ついに日本軍の、援軍が来たのだ。

城の者達は歓喜に沸き、明・朝鮮軍は浮き足立った。

翌四日、日本軍は攻城軍を撃破、彼らを壊走させ、蔚山城は開放された。


籠城の衆、約一万。
飢えと寒さに耐え、敵軍四万八千から城を守りぬいた、加藤清正、蔚山城の戦いのお話。
648人間七七四年:2009/03/08(日) 02:14:44 ID:k+5YQ8SE
>>647
清正も兵糧攻めが豊臣軍だけの十八番では無いことを身にしみて思い知ったんだなぁw

649人間七七四年:2009/03/08(日) 04:16:33 ID:ceVgvWUZ
飢え過ぎて壁の土やら食ったとか聞いたな
650人間七七四年:2009/03/08(日) 06:24:54 ID:fS6UrU6Q
吉川経家「倍以上も持った俺って・・・」
651人間七七四年:2009/03/08(日) 09:02:10 ID:g09upEey
>>647
貴方の話全部NG登録になってて読めないんですよ。変な空白改行の所為で。
勝手な事かもしれませんが改行止めてくれませんか?
652人間七七四年:2009/03/08(日) 10:24:46 ID:mJ6kWrnp
この時の清正、浅野行長軍は二の丸まで攻め寄せられ、
戦死、餓死したものが大半で、全滅目前だった。
戦闘できた兵は、二百人まで減っていた。

清正、行長も鉄砲を撃ちまくり、憎しみの権化清正の
首を取ろうと攻め寄せる明の兵を倒した。
が、弾切れ寸前だった。

最後には、戦死者の人肉を食って飢えをしのいだという。

援軍がやってこなければ、この地で清正、浅野行長は果てていた。
653人間七七四年:2009/03/08(日) 11:09:59 ID:eIvn5nd7
>>652
浅野行長…?
654人間七七四年:2009/03/08(日) 11:15:09 ID:mJ6kWrnp
すまん、幸ナガじゃった。
655人間七七四年:2009/03/08(日) 12:54:26 ID:L3krZIGp
一の谷兜って竹中半兵衛の遺品なんだよ
だから長政は大水牛兜と交換してでも欲しかったんだろうね
656人間七七四年:2009/03/08(日) 13:29:05 ID:isMQgN8B
有名な話だが

水戸徳川家初代徳川頼房が鶴千代丸と呼ばれていた頃である
父徳川家康達と高い櫓に上った折り家康が戯れで言った
既に家康は天下人である

「ここから飛び降りる者はおるか?褒美には望むモノを与えるぞ、ハハハ」

残念ながら某真田家臣のようなノリの良い男はおらず大人達は応じない
そんな中、

「鶴が参ります」
「へ?」
「褒美に父上の天下を下さい」
「も〜落ちたら死ぬでしょ〜、天下をとっても死んだら意味ないでしょ〜止めてよねぇ〜冗談は顔だけにして〜」
「確かに鶴は死にますが一瞬でも天下を治めた者として名が残ります。私は天下人の名こそ欲っします。例え一瞬でも満足です」

家康は鶴千代丸を激賞したという
家康、秀忠の頼房への信頼は厚くそれぞれの遺言にその名がでている

後世の学者さんの解説では
既に三代将軍家光は生誕しており(頼房の一つ下でしかない)鶴千代丸が将軍職を得る可能性は皆無
家康は‘鶴千代丸は天下に号令するを欲するのに、その身の為すべき事をわきまえて身を引いている’と考えた
だそうな


(●3゚)「へっくしょ〜い!」
657人間七七四年:2009/03/08(日) 14:44:28 ID:YB+xCiuS
>>656
一方元親は飛び降りたよな
658人間七七四年:2009/03/08(日) 15:01:51 ID:vNJizDgN
>>657
国親じゃね
659森忠政:2009/03/08(日) 15:33:52 ID:BfY3vTLC
660人間七七四年:2009/03/08(日) 15:39:09 ID:P15jMiqx
>>659
ま、まあ生きてただけ良かったじゃん!?
661人間七七四年:2009/03/08(日) 15:48:19 ID:ohY97FiM
忠政なんで生きてるん?

桃で悶え苦しんで死んだって言うから人間じゃなかったのかもしれん。
662人間七七四年:2009/03/08(日) 16:23:42 ID:Rwt1o9D9
布団敷いてもらったから助かったんじゃない?
あと鬼武蔵の執念
663人間七七四年:2009/03/08(日) 17:23:14 ID:lxJvWIlX
鬼武蔵の弟がなんで飛び下りたぐらいで死ぬ必要があるんだ
664人間七七四年:2009/03/08(日) 17:26:20 ID:hJhTbiBP
つまり桃最強ということですね
665人間七七四年:2009/03/08(日) 17:44:32 ID:/joTDzJH
桃は昔から邪気を払うとさている
イナナギも嫁の追っ手から逃げるときに桃を投げつけて撃退している
人にとっては甘い果実だが魔性にとっては劇物なんだろう

…あれ?
666人間七七四年:2009/03/08(日) 17:46:29 ID:vWp5BjF7
鬼だから桃に退治されるんですよ
667人間七七四年:2009/03/08(日) 17:51:34 ID:ohY97FiM
今でも森一族は桃を食べないらしい・・・
668人間七七四年:2009/03/08(日) 17:53:45 ID:isMQgN8B
南信濃の庄屋、塩沢宋閑が行き倒れの老人を助けた
この老人、身分を明かさなかったのだが塩沢は全く気にせず食客として扱い三年近く滞在したという
やがて、老人が退去する日に至りようやく身分を明かした
彼は伊藤恕雲と言う名の医師であり滞在の恩に報いんと自らの知識の全てを披露
長年研究した独自の薬の調合法も塩沢に伝授した
塩沢はこれらの薬草を自らの手で採集し飲みやすいように酒に混ぜ醸造
これが今日まで続く‘養命酒’
1603年に徳川家康に献上され家康直々に‘天下御免万病養命酒’の商号と‘飛龍の紋’の使用を許可された
絶対権力者のお墨付きを得たにも関わらず‘養命酒’は安価で望む者に分けられた
薬酒として評判となり富豪層が買い占めようとした際も塩沢宋閑は一切応じなかった

医は仁術、そんな話

残念ながら、と言うべきか…
世代を跨いだ江戸時代中盤に商業主義が尖鋭化し一合銀三匁と価格が高騰
その莫大な利益から尾張徳川家が販売権を求めて詰め寄ったが家康から賜った‘飛龍の紋’を盾に突っぱねたそうである
薬事法、酒税法等で規制される前の‘養命酒’は最終的に特級酒の3倍の値まで高騰したらしい
669人間七七四年:2009/03/08(日) 19:46:35 ID:albraESl
桃はジョン失地王をも屠ったしな。
670人間七七四年:2009/03/08(日) 20:05:36 ID:cJGFDC4V
三成「時期外れの桃は良くないんだぜ」
671人間七七四年:2009/03/08(日) 20:11:04 ID:ohY97FiM
輝元「大きな桃が採れたお!」
672人間七七四年:2009/03/08(日) 20:25:02 ID:4KN9R296
>>671
おまえは人妻の桃尻でも漁ってろw
673人間七七四年:2009/03/08(日) 20:56:52 ID:HJ4GdU+J
吉川元春「うちの人妻も尻は桃尻で可愛いよ、尻は」
674人間七七四年:2009/03/08(日) 21:56:25 ID:AjwFNEzC
前田利家&利長「桃は青いうちから召し上がりましょう」
675人間七七四年:2009/03/08(日) 22:16:30 ID:k+5YQ8SE
>>672
信玄「女の尻もよいが、男の尻はもっとよいぞw」
信長&嘉^h義隆「ですよねー」
676人間七七四年:2009/03/08(日) 22:43:59 ID:g09upEey
畠山義続「桃は眺めるに限るよねぇ」
677人間七七四年:2009/03/08(日) 23:07:54 ID:YB+xCiuS
忠興「お前らガラシャの尻の話したらぶっ*すぞ!」
678人間七七四年:2009/03/08(日) 23:57:45 ID:dIQBi5I8
細川幽斎「ガラシャの尻だけに玉の肌、などと申してな
     ところで忠興ごときがワシをぶっ*せるのか?」
679人間七七四年:2009/03/09(月) 00:09:03 ID:3VDJouqv
光秀「流石は幽斎殿。うまい事を言いましたな。
…………で、何で人の娘の尻を知り尽くしておるのかw」
680人間七七四年:2009/03/09(月) 00:34:36 ID:p420B1S9
尾張家付家老に成瀬隼人正という老人がおったそうな。
この男、家康や秀忠の信任厚く、陪臣の身分でありながら大名クラスとしての扱いを受けたり、松平性を(当人一代限りだが)許されていた大丈夫である。

そんな隼人、尾張にて義直を補佐し善政を布き、天寿を全うする。
がその直前。

    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ!
       `ヽ_つ ⊂ノ
              ジタバタ
         _, ,_
     〃〃(`Д´ ∩ < 最後に日光で詣でなきゃヤダヤダヤダ
        ⊂   (
          ヽ∩ つ  ジタバタ

    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( つД´) < せめて権現様の近くで死ねなきゃヤダー
       `ヽ_ ノ ⊂ノ
              ジタバタ
       ∩
     ⊂⌒(  _, ,_) < 日光行かなきゃヤダー…
       `ヽ_つ ⊂ノ
              ヒック...ヒック...
       ∩
     ⊂⌒(  _, ,_)
       `ヽ_つ ⊂ノ  ッウ…

見かねた家臣達は床板ごと布団を持ち上げて危篤状態の成瀬にむかいこう言った。

(#゜Д゜)「殿ー!!我らが粉骨砕身殿を日光まで運び申す!しばしお待ちあれー!」
  _, ,_
(* ゚∀゚)「マジでー!?お前らガンバレー!これで安心して逝…け…る…」

成瀬正成、59歳の生涯であった。



ちなみに家康や秀忠などのお墨付きであった陪臣なのに大名扱いも、時が移るにつれて次第にゲフンゲフン
幕末には御三家付家老はゲフンゲフン
681人間七七四年:2009/03/09(月) 00:48:27 ID:nJTzn6uE
>>680
成瀬さんはいいよねー。
なんていうか、快男子って言葉がぴったり合う気持ちのいい男。
682人間七七四年:2009/03/09(月) 02:18:24 ID:K5zEDqGG
「成瀬隼人正正成」と続けてかくと同じ漢字が多い…

でも成瀬さん確かに凄いんだよな。
小姓からガチで戦場で活躍して、凄い速度で出世してるし。
683人間七七四年:2009/03/09(月) 14:16:18 ID:R3x034/C
家臣の心もその後の話も二重の意味で全俺が泣いた。

>>682
切れ目はどこですか
684人間七七四年:2009/03/09(月) 14:42:31 ID:nJTzn6uE
>>683
「成瀬 隼人正 正成(なるせ はやとのしょう まさなり)



そんな成瀬さんの大阪の陣

慶長二十年(1615)、五月七日、大阪落城の日の事である。
大阪方のものと思われるものたちが4,500人、一箇所に固まっているのを
茶臼山の家康が見つけ、これに尾張、紀伊の軍勢を当てさせようとしたところ、
両者の到着が遅くなった。

戦場での家康は、気が荒い。イライラした家康は使役衆に

「(成瀬)隼人の腰抜けに、右兵衛(徳川義直)を早くつれて来いと言え!」

と命じた。またこの使いが気が聞かないのか馬鹿なのか、尾張衆の前で、その通りに
大声で口上したからさあ大変。
成瀬隼人は

「この隼人、今まで腰を抜かした覚えは無い!そのように言われる人こそ
信玄に出会われたとき腰を抜かしたではないか!」

と、これまた大声で言い放った。


さて、その日のうちに、大阪夏の陣も終わる。成瀬隼人は家康の下に参上し、こう申し上げた。


「大御所様の言葉を、皆が聞いていると言うにも拘らず、考え無しに言うような馬鹿を
御使番という大切な役に使うとは何事ですか!

わたしは若輩の頃より大御所様に使っていただいているので、如何様に
口汚く言われても気にはしません。

しかし、しかしですよ!私が家老としてつけられた義直様は未だお若いのです。
よって尾張家中の者達はみな、私のことを頼りにしています。
そんな家中の者達の面前で、隼人の腰抜けなどと言われては、私の立場と言うものが
無くなってしまいます!
そのため、大変恐れ多いご返事を申し上げました。

お耳にも入った事でしょう。恐れ入り奉ります。」

これに家康も、「隼人の言う事はもっとも、その通りである。」と、苦笑い。
先の暴言も不問に付した、とのことである。
685人間七七四年:2009/03/09(月) 15:22:03 ID:K5zEDqGG
成瀬じゃないと家康にここまで言えなかっただろうなあ。

ところで1567年に正成が生まれて1573年に三方ヶ原か。
しかみ顔を書かせるだけあってずいぶん広く伝わってるのね…
686人間七七四年:2009/03/09(月) 23:32:17 ID:outG95hC
出遅れた気がするが、ちょっと早めの犬山祭に参加するか

その初陣

成瀬小吉正成は、17歳にして長久手の合戦で初陣し、いきなり兜首を取った。
これを見た家康は、正成を呼んだ。

「あっぱれ勇士なり!戦も佳境で旗本が少ない。お前が代わって、ここにおれ。」
実際の所、家康としては初陣を飾った若者を、無事に国へ帰してやろうと思ったのだろう。

家康の言葉に従いその馬前で一息ついた正成だったが、そのうち先鋒が乱れ始めたのを
見て、これに駆けつけんと手綱を引き絞った。 あわてて正成の従者が、馬を抑えた。
「若は、すでに功名を遂げました!この上、危険なマネをしてどうするのです!」

激怒した正成は、従者を刀で峰打ちして叫んだ。
「今日の戦は敵を破り、陣を陥れ、敵が逃げるに追付いてのち止む、お家の一大事ぞ!
そんな時に小利をむさぼり、大儀を捨てる者は、武士ではないわ!
なんで名も知れぬ首ひとつのために、わが身を惜しもうか!」

従者は、それでも馬から離れず、見かねた家康が声をかけた。
「勇士の死戦すべきは、まさにここぞ。今はただ、その志に任せてやれい。」

従者が馬から離れたとたん正成は敵に真一文字に切り込み、また首を挙げた。
そのまま四方を駆け回って、正成は言った。
「進め進め!ご主君が見ておられるに見苦しく退いては、何の面目あって戻るつもりだ!」

若者の罵声に腰が引けていた者も励まされ、劣勢を盛り返すことができた。

その年の暮れ、正成は「先の働き、宿将老臣にも劣らず。」と家康に激賞され、
根来同心50人を預けられ一隊の隊将となった。
徳川一門に非ずして17歳にして将となったのは、彼のみであるという。
687人間七七四年:2009/03/09(月) 23:41:49 ID:nJTzn6uE
>>686
> 根来同心50人を預けられ

ここがすごいわな。精鋭のスナイパー集団。
井伊直政の赤備えもそうだけど、家康って人は新しい部隊を作るときは、
思い切って若い人間に任せるよね。
688人間七七四年:2009/03/09(月) 23:43:26 ID:N/mMZ+8v
成瀬さんッパネェ!
689人間七七四年:2009/03/09(月) 23:56:27 ID:ntVX5Jn2
腰抜けどころか猛将じゃないの家康さんよぉ…
690人間七七四年:2009/03/09(月) 23:59:10 ID:btH9lYz2
成瀬もだけど家康の人事も凄いな
691人間七七四年:2009/03/10(火) 00:12:33 ID:Z2qq1gIJ
同じく三河ニューエイジである正純さんや直次さんは信長の野望に出てるのになんで成瀬さん出てないんだろうなぁ

しかし経歴凄いな、最終的にはあの平岩さんの後続かよ
692人間七七四年:2009/03/10(火) 00:32:10 ID:tXAi9EqE
無双に出てきても問題ない実績だな
693人間七七四年:2009/03/10(火) 01:27:32 ID:WxFuUBC/
次出るとしたら直政だろうけどな
694人間七七四年:2009/03/10(火) 01:29:49 ID:3RE31qsJ
無双はそろそろ義輝出すべき
695人間七七四年:2009/03/10(火) 01:45:32 ID:G7tRN1Hq
武田信玄が12歳のときの話だ。
のちの信玄である勝千代は厠に行こうと縁に立った。

すると庭に木馬がある。その木馬が語りかける。
「勝千代、勝千代。」

不思議そうに木馬を見る勝千代にさらに木馬は語りかける。
「お前は軍学書ばかり読んでるが剣術はどうだい?
軍学と剣術どっちが大事なのかな、ん〜?」

どうも木馬は勝千代の本の虫ぶりを馬鹿にしているようだ。
この問いに勝千代はこう答えた。
「もちろんどちらも大事さ。俺の太刀さばきを見せてやろう!」
そして勝千代は刀を抜いて木馬に斬りかかった!

「ギャ――――ッ!!!」

あんまり大きな悲鳴なので家臣があわてて出てきた。
「若様、どうなされたのです!」
「その辺を探してみろ。何かいるはずだ。」
家臣たちが言われた通りに探してみると大きな狸が血を流して死んでいる。

「狸です、狸が死んでおります!」
これを聞いた勝千代はただ一言
「そうか。」
と言って苦笑したという。
696人間七七四年:2009/03/10(火) 02:26:34 ID:jozd+4+x
>>695
一瞬、勝千代の勉強の偏りを直そうとした家臣が木馬に潜んでる
とかいう話かと思ったw

>>668
成分・製法は初代と今ではやっぱり違うのかね?
昔勧められて飲んだけど効能はよく分からなかった記憶がある・・
気分的に昔のの方が劇的に効きそう
697人間七七四年:2009/03/10(火) 02:34:50 ID:Cm90jdL3
勝千代…CV:常田富士男
木馬…CV:市原悦子
698人間七七四年:2009/03/10(火) 02:42:10 ID:3RE31qsJ
>>696
俺も
699人間七七四年:2009/03/10(火) 02:51:17 ID:HhBPUtsJ
今は使えない材料があって、代用品で作ってるって聞いたよ。
昔のは効くけど、副作用も強すぎたらしい。
700人間七七四年:2009/03/10(火) 03:10:37 ID:jozd+4+x
>>699
おおサンクス、やっぱ違うのか

>昔のは効くけど、副作用も強すぎたらしい
漢方薬って、あんま詳しくないけど調合の材料見ると
トリカブトとか普通にあって、こう、毒と薬の微妙なバランスというか
昔は医者の”匙加減”って本当に生死を分けたんだろうなぁ
701人間七七四年:2009/03/10(火) 03:16:57 ID:WSrzsam9
>>700
久秀「どれ、拙者の匙加減で調合した薬と平蜘蛛でたてた茶でも飲んでいかんか?」

702人間七七四年:2009/03/10(火) 08:37:23 ID:eppw+1TG
やぶ医者のせいで死んだネタが、川柳の題材としてポピュラーだったりしたしねえ…
703人間七七四年:2009/03/10(火) 10:39:48 ID:uk9WUYys
>>701
心臓に悪い心臓の薬ですね
704スマヌ:2009/03/10(火) 17:39:22 ID:eh0oGLdx
>>697
(三河の)坊や〜よゐこだ城空けな

城が嫌なら味噌出汁な〜
705人間七七四年:2009/03/10(火) 18:37:15 ID:CCZ0j3vz
味噌汁ちゃう焼き味噌や
706人間七七四年:2009/03/10(火) 21:54:51 ID:yz5z3jps
武田家の臣・日向昌時は小山田、長坂らとともに海尻城を守っていた。
ある日、武田家と敵対していた村上家が攻撃を仕掛けてきた。
日向たちは海尻城に籠って防戦したのだが、
信玄に服属した信州の武将の中には内通者がいた。
彼らの手引きによって村上軍は戦いを有利に進め、
日向は甲府に退散せざるおえなかった。

甲府に向かう日向の前に信玄の軍勢が現れた。
主君を目にした日向は馬から降りて平伏した。

「申し訳ありません、内通者を予期できず、醜態を晒しました。
御館からお預かりした城にも関わらずこのようなこととなり、
なんとお詫びしてよいのか…。」

自責の念にかられる日向に信玄はこう言った。

「はっはっは、日向、面を上げるがよい。
こういう場合は誰であっても同じ結果となったであろう、
例えこのワシであってもな。二心を抱く者を見抜くのはそれほど難しいことだ。
此度のことはそういう不埒な奴をお前に預けたワシに非があるのだ。
だからお前の責任ではない、もう忘れろ。これからワシは村上を蹴散らしに行く。
お前は先頭に立って一番槍を突くのだ。」
「御館…。」

そして信玄は大きな馬印を日向に渡す。

「この馬印をお前に託そう。日向、先陣の功を立てるのだぞ。」

このあと、信玄は村上軍を破って追い払った。
日向は先発隊として戦い、信玄の期待に応えて大いに勇戦したという。
707人間七七四年:2009/03/10(火) 22:00:47 ID:yz5z3jps
>>706
>二心を抱く者を見抜くのはそれほど難しいことだ。
「それほど」じゃ変だな。まとめの管理人さん、
すいませんが「本当に」に修正しておいて下さい。
708人間七七四年:2009/03/10(火) 22:41:35 ID:ZEn3dKVp
大阪夏の陣に参加した琉球人

大阪夏の陣には1人の琉球人が参戦した。
彼の名は国頭按司(国頭領主)正彌。薩摩の「国質」になった琉球の小領主の1人である。
彼は夏の陣への島津氏の出兵がきまった際、国質の身でありながらDQN家久に参陣を申し出たのである。

正彌のその申し出を聞いたDQNは小躍りするほど喜んだ。
家久「真にめでたい!よしよし鎧が必要だな。持って参れ!兜も必要だな、よし持って参れ!
   ん、刀も必要だな、持って参れ!鉄砲も馬も鞍も(ry」

この調子で家久から武装一式を授けられる正彌。髪も和装にさせられ、更には
家久「名前も正彌ではまずいな。よしよし和名が必要だな、お前は今日から国頭左馬守だ!どうだ?いい名前だろう!」
と大層ば名前までつけられた。

更には一兵卒だと可愛そうだと兵卒1部隊を預けられ正彌は出陣する。
ここまでしてもらった正彌だが、あいにく夏の陣は島津軍が大阪に着く前に終戦してしまう。

その後の正彌の生涯は不明だが国質ながら家久に気に入られ、傍迷惑な目に会いながら一生を終えたと推測される・・・
709人間七七四年:2009/03/10(火) 22:57:22 ID:IvdkXVB8
大坂で彼が活躍していたら琉球は…いや、変わらなかったか
710人間七七四年:2009/03/11(水) 02:02:55 ID:hFPEo9Td
まあこの辺ははっきりと創作ではあるんだけど、実際に存在する逸話なので書いてみる。

武田信玄が北条と戦い、大勝した時のこと。

信玄はその帰路、勝手大明神いう神社の前を通りかかった。
そこでどうしたことか、信玄の馬が躍り上がり、彼は落馬してしまった。
近習の者たちが大慌てで介抱したが、幸いそれほどの事も無く、信玄は乗り物に乗り換え
また帰路に着いた。

が、信玄は、勝手大明神という、「信玄の思うよう勝手」と言うべき神の前で落馬した事に、
どうにも釈然としない思いを抱いていた。


さて同じ頃


京では、羽柴秀吉が信長の代官として奉行をしていた。
が、秀吉は同時に、各地に忍びの者達を入れて、各国の異変をいながらにして掴んでいた。
そんな秀吉の情報網に、信玄が、勝手大明神の前で落馬したと言う事も引っかかった。

「これは使える」

主君信長が最も恐れている武将は信玄である。この情報を使い、信玄の命を縮めるのだ。
彼は甲斐に忍びをいれ、このような歌を甲斐国中で歌わせ、流行らせた

「頼む甲斐なきにつけては誓いなし勝手の神の名こそ惜しけれ」

信玄は落馬の後、どうにも鬱々とした日々を送っていたが、彼にもこの歌が耳に入り、
これは我が命が尽きる前兆であると信じてしまい、我が大望もこれで水の泡かと、
そのまま病になり寝込んでしまった。

これには甲斐の諸将も大いに驚き、各国より名医を招いて色々治療もしたものの、全くその効無く、
「どこからとも無くあのような怪しい歌が流行ったのは、このことの前兆だったのか」と
皆、恐れおののいた。

さて、その時関東より、真田昌幸が帰国した。

彼はこれを聞くや否や
「さては織田の猿冠者が我が君を欺いたか!」
と、たちどころに見抜いた。
そしてすぐさま病床の信玄の元に行き、「わたくしは殿のご病気の根本を治す良薬を持っております。
これを用いればたちまち平癒いたします!」と言い放った。

すっかり弱った信玄が驚いてそれを尋ねると、昌幸は言う
「殿の病根は、勝手の神の名こそ押しけれの、歌でございますな」
信玄、さらに驚き、「そなたはどうやってわしの病根を知ったのだ?」と問えば、昌幸笑って

「これは信長の家臣、羽柴と言う男のはかりごとでございます。彼の知略に欺かれ、危うく殿の、
黄金にも変えがたい尊きお命を失う所でございました。」

信玄、はたと膝を打ち、「私はなんと愚かだった事か。お主の一言で我が病はもやは癒えた!
この上は早々に北条を打ち上洛を遂げ、かねてよりの望みを果たそうぞ!」

これに昌幸もともに喜んだ。が、憎いのは羽柴秀吉である。
童子の歌で我が殿を殺そうとするとは、なんという卑怯な男か。この返礼に、
一通の書簡を持って彼の肝を冷やしてくれよう。

そうして昌幸は書状をしたため始めた。
711人間七七四年:2009/03/11(水) 02:05:02 ID:hFPEo9Td
さて、その頃秀吉は、京において政務を執っていが、甲斐に入れた間者から、信玄が
病床に臥しているとの報告を受け、
「我がはかりごと成れり、信玄の命ももやは長くないだろう」と、ひとりほくそ笑んでいると、
信州上田の城主、真田安房守より、使者が書状を届けにまいった、との連絡が入った。

秀吉、真田昌幸と言えば最近上田の城を与えられたと聞いた事があるが、一体自分に何の用かと
これを怪しんだ。
しかし、その頃織田と武田は縁者であったため、通例の見舞いか何かだと思い直し、昌幸の使者を呼び
その書簡を開いた。するとその書簡には、ただ一首、和歌のあるだけであった


「難波津の葦わけ舟にをどされて菅の庭鳥立ちさわぐなり」


秀吉はこれを見てしばらく考えたが、彼には当時、未だ和歌の教養が無く、さっぱりわからなかった。
丁度そこに竹中半兵衛が現れが、秀吉は半兵衛に、

「武田家の家臣、真田と言う者から怪しい歌が送られてきたよ。
これはきっと、ワシが不学であるのを知り、それを侮って、どんな返事を出すか見てやろうと、
意味も無い歌を送りつけたに違いない!」

と、憤ってその書状を引き裂こうとした。半兵衛はそれを押しとどめ、書状の歌をじっと見ると、
眉をひそめて言った

「”難波津の葦わけ舟”が、誰のことを指した言葉かは分かりません。
ただし、”菅の庭鳥”とは、歌道の言葉で蛙の事だと聞き及んでおります。この立ち騒ぐとは
一体…」
しばらく考えていたが、ハタと手を打ち

「なるほど…!真田恐るべし!
先だってあなたは、甲府に童謡を流行らせ、信玄の心を苦しめすはかりごとをなさいましたな。
昌幸はそれをあなたの謀略と見抜き、自分が葦わけ舟となって脅かすので、あなたの
蛙のやるような謀略は、いくらやってきても無駄である。そう言っているのですよ。」

そう言われた秀吉は立ち上がって怒り、ワシは遠からず、必ず昌幸の首を取ってくれる!と
叫んだが、半兵衛は笑って

「昌幸は忠臣ですよ。彼の主君は信玄であり、信長公ではないのですから。
臣は君の為に成すは理の当然。こういう智謀の士を味方にする事こそ、良将の工夫と言うものです。」

これを聞いた秀吉、笑って「ふん、あのような知将を闇々に殺すものかよ、
今に見ておれ、この秀吉、あ奴に散々恩を施し、やがて幕下につけてくれよう!」

そして先ほどまでの怒りの色は一切見せず、真田の使者を丁重にもてなし、返書を渡して
返した、とのことである。

(常山紀談)
712人間七七四年:2009/03/11(水) 02:36:41 ID:0FgZqb9Q
スーパーウルトラモンキーと表裏比況の者の化かし合い

……よこから狸もひっそりと見つめています(
713人間七七四年:2009/03/11(水) 09:47:23 ID:s2tlvbR/
信玄メンタル弱すぎだろwww

でも面白い話だな
714人間七七四年:2009/03/11(水) 11:57:01 ID:pjIbsWF1
>>708
いい話なのか悪い話なのか・・・
どうもDQNがらみの話はどうも悪い話っぽく見えてしまう
というか最初悪い話スレを探して「あれ?あの話(=>>708)がない!」と焦ったw
715人間七七四年:2009/03/11(水) 12:02:11 ID:njjIHqhX
信玄公のメンタルの弱さを克服すべく、馬場さんが芋虫を採りに出かけました
716人間七七四年:2009/03/11(水) 12:27:13 ID:42BqFw2v
>>713
創作だしなぁ
現実だと当時の昌幸は武藤家だし
つか創作だとやっぱりハブられる運命の真田兄(信綱)
信之の不運は宿命だな
717人間七七四年:2009/03/11(水) 12:41:27 ID:mb+RHNsM
まあどこから切っても創作だってのは見れば分かるが
何となく当時の評判評価と言うか雰囲気は偲ばれるものだね
718人間七七四年:2009/03/11(水) 13:58:29 ID:1Bn+QkJx
でも、これって創作されたの明治以降じゃない?
719人間七七四年:2009/03/11(水) 14:14:34 ID:hFPEo9Td
>>718
常山紀談の成立は江戸中期
720人間七七四年:2009/03/11(水) 16:00:26 ID:de/esHF3
別スレでの万金丹が出たので

秋田実季が秋田から宍戸へ移る際、多くの家臣を残していかざるをえなくなった
その一人に、湊典膳重季という老臣がいた
一門で重臣だった典膳だが、八十四という老齢からリストラ候補とされてしまったのだ
長年忠勤したジイヤを置き去りにするのは、実季も辛かった
「何かこれからの生活の足しになるものでも…そうだ!」
思いついた実季、秘蔵していた医書二冊をせっせと書き写し、贈った
「小児五疳治法」という、小児科虎の巻っぽいものだったらしい

こうして、典膳家は町医者として身を立てることができた
子孫は、佐竹当主の子の治療に功あり、藩医として取り立てられたという
721人間七七四年:2009/03/11(水) 16:50:13 ID:0FgZqb9Q
>>717
信玄って合理主義者で怜悧だと伝わるけど、
巷には意外と験を担ぐタイプ…という逸話が結構残ってるなw

後世にバサラ者扱いされる信長も案外、形から入るタイプで
(少なくとも見た目は)信心深いし謹皇家だったりする。

まあ、いつ戦でぽっくり逝くかもしれん乱世の武士が縁起を担ぐのって…当たり前なんだよね。
偶然流れ矢・流れ弾に当たって氏ぬヤシもいれば、片腕ちょんぱされても生き延びた豪傑いるし…
722人間七七四年:2009/03/11(水) 18:23:59 ID:kWlj5zG2
723人間七七四年:2009/03/11(水) 19:01:06 ID:gy80v6dd
光秀「験担ぎに籤引いたら3回も凶が出ました」
724人間七七四年:2009/03/11(水) 19:51:02 ID:YyEW81Ag
>>720
すごくいい人じゃないか…それが木像にむかって…T_T
725人間七七四年:2009/03/11(水) 21:12:03 ID:BMb0OlhQ
森「戦の前に神社に行ったら2匹も大蛇を斬りました」
726道理の通らぬ乱世に敢えて挑戦する……:2009/03/12(木) 00:30:17 ID:/D4Dz7rz
>>725
「俺の名はT.N.バラカス。通称、越前の狂犬だ。
守護だってブン殴ってやらあ!でも背中の急所に一撃だけは勘弁な」

リーダーラスボスで一つ
727人間七七四年:2009/03/12(木) 01:49:45 ID:0gCb8Q/X
ある日、武田家に仕えたいという牢人がやって来た。
そこで重臣たちが面接すると、かなりの才人であることがわかった。
「こいつは掘り出し物だ。きっと御家の役に立つであろう。」

ということで彼らは信玄にこの牢人のことを話した。

「とても優秀な男です。なんとしても召抱えるべきです。」
「ふ〜ん、お前たちは皆同じ意見なのか?
そうか、じゃあ召抱える前にどんな男かこっそり見てみようか。
その男に食事を出してやれ。」

そして信玄は隣の部屋から男の食事している様子をチラッと見ると、
すぐに自分の部屋に戻った。

「どうですか、なかなかよさそうでしょう?」
「あの男は登用しない。」
「は?」
「あれは牢人じゃないな。牢人はあんな食い方はしない。
いいとこの大名の、しかもそれなりに地位のある家臣だろう。」
「なんですとっ!?」

驚いた重臣たちは牢人のところに素っ飛んで行き、締め上げた。

「おい貴様、よくも我らを謀ったな!どこの家中の者だ!」
「ひぃっ、わ、私は○○家の者です〜。」

その男は都周辺の大名の家来だった。信玄の推理通りだ。
重臣たちは恐縮しながら信玄のもとに戻ってきた。

「ハッハッハ、だから常々言ってるじゃないか。
全員が百点満点をつけるような人間にろくな奴はいない、ってな。」
728人間七七四年:2009/03/12(木) 02:03:06 ID:DRs7Hr4e
> 全員が百点満点をつけるような人間にろくな奴はいない、ってな。」

全会一致は危険って話だな。人を使うときの武田信玄の思考は本当に懐が深いと思うよ、実際。
729人間七七四年:2009/03/12(木) 02:36:03 ID:ZOReC9ZI
>>720
贈り物のセンスがあるって何気に素晴らしい才能だと思うんだ
730人間七七四年:2009/03/12(木) 02:45:57 ID:hcarDziN
政宗とかは現代の修学旅行で鹿苑寺にいったら絶対金ピカの金閣のキーホルダー買って来そうな気がする



しかも割りとデカいの
731人間七七四年:2009/03/12(木) 06:54:33 ID:FPVA4qhI
>>730
あんな奴でもいちおう教養人なんだぜ?w
732人間七七四年:2009/03/12(木) 08:49:33 ID:csnYx2kv
>>727
>全員が百点満点をつけるような人間にろくな奴はいない、ってな。」

深い……。
ゆめゆめ忘れないようにしておこう。
733人間七七四年:2009/03/12(木) 09:12:11 ID:jhtKp2Vw
上杉謙信「そういう貴様もろくでもないな」
734人間七七四年:2009/03/12(木) 10:07:26 ID:lwhg7GIv
いやこの話のミソは、メシ食ってる時に人の素性が現れ易いよ、
ってことじゃないのかいな。
735人間七七四年:2009/03/12(木) 11:06:47 ID:0bH6m7/K
特に湯漬けとか
736人間七七四年:2009/03/12(木) 11:28:02 ID:DRs7Hr4e
>>735
北条氏康、毛利元就、可児才蔵「だよなー」
737人間七七四年:2009/03/12(木) 13:25:17 ID:/D4Dz7rz
>>732
ヒゲの伍長あらため総統閣下とか、北の将軍様とか

だめぽだよなー
738人間七七四年:2009/03/12(木) 14:05:47 ID:n/q8/2dl
>全員が百点満点をつけるような人間にろくな奴はいない

でもこれ信玄が言うから深い話だけど、
凡人の口から出たら絶対ヒガミだとしか思われなそうだw
739人間七七四年:2009/03/12(木) 15:31:55 ID:beGomCQg
一条兼定「全員が百点満点をつけるような人間にろくな奴はいないでおじゃる!」
740人間七七四年:2009/03/12(木) 16:23:53 ID:DRs7Hr4e
明智光秀が信長の命により、丹波攻めをしていた頃の話である。

あまり知られていないが、この時光秀も実は、「一夜城」をやっている。
天正六年、氷上郡と多紀郡の境である金山の山頂に、一夜のうちに
金山城を築城したと伝えられているのだ。

さてある時、光秀はその金山城から出て、宿場町である追入の、一軒の宿に入った。

そこで光秀は宿の主人に、何か書くものを求めたが、あいにくその宿には物書きに使うとはいえ、
大名に渡せるような立派な物が何もなく、唯一、真新しい鍋があったので、その蓋を差し出した。

すると光秀はその蓋に矢じりで何か書き、「これを保存して置くように」と渡して、そのまま帰城した。

蓋には

   金山の 尾の尾の先の尾の先に
   朝日照らす木のもとに
   小判千両 有り明の月

と言う歌が書かれていた。

後になりこのことが知れ渡ると、鍋蓋の歌は光秀が黄金を生めた場所を表しているのだ、
と話題になり、一帯は埋蔵金探しの者達で大騒ぎになったとのことだ。

ちなみに金山城周辺には、埋蔵金のありかを示すと言う光秀の歌が、この他にも存在し、
宮田では

   夏栗の 尾の尾の先の尾の先に
   黄金千両 有明の月

また草山では

   朝日射す 夕日輝く花の木のもとに
   黄金千両 細縄千ひろ

と言った形で伝わっている。

金山では今でも稀に、この謎を解き明かそうと言う人が出ると言う事だ。
741人間七七四年:2009/03/12(木) 16:38:57 ID:KcfH5ywo
光秀が作ったにしては教養もセンスも感じられない
742人間七七四年:2009/03/12(木) 17:22:16 ID:/D4Dz7rz
>>741
埋蔵金ハンターが来て宿屋が盛るじゃないか。

そういうネタだと楽しめばよかもん
743人間七七四年:2009/03/12(木) 17:51:30 ID:RuIG3Hyz
埋蔵金なんて100%ととはいわないまでも、99.9%は嘘だからなぁ。
744人間七七四年:2009/03/12(木) 17:57:09 ID:DRs7Hr4e
まあたとえこの時光秀が埋蔵金を埋めていたとしても、本能寺から山崎の戦いまでに
掘り起こしてるだろ!という突っ込みの方向でw
745人間七七四年:2009/03/12(木) 18:33:57 ID:GzZaviV7
スレチかもしれんが、埋蔵金の場所の示し方って、
なんか朝日の差すところが多い気がする。
一種のテンプレ文なのかね。
746人間七七四年:2009/03/12(木) 20:14:22 ID:Go4QQ2HS
関東から時代を予見した男の話

北条氏政の家臣に、安藤豊前守良整という能吏がいた
彼は主に出納関係を担当していたが、ある日、伊豆の漁村へ書状を送った
同じ浦の漁村が、課役逃れのために虚偽の百姓逃散を申し立てていたことが判明し、
その処分を浦々に告知する内容だった
良整は、書状の中でこんな感慨を書き綴っていた

「もし、夜逃げした者が村に戻ってきたら、二度と欠落など考えぬよう言い聞かせよ
当世、どこへ行ったとて、人の主になどなれぬ世間になってしまったのだ
その侍といっても、やがては草鞋取りとなり、裸足で使い走りさせられる時代がくるだろう
思慮のない行動はよくない
やはり、百姓として精一杯働くことが賢明なのではないか」

書かれたのは天正元年、天下統一のなる18年ほども前のことだった
747人間七七四年:2009/03/12(木) 22:21:27 ID:YhxT62VW
>>746

なんか秀吉、家康の時代というよりもホワイトカラーのリストラ、
格差社会、ワーキングプアーの広がる今の日本を見越してたのかな・・・

今、派遣切られて農村に行く人も多いしね。
748人間七七四年:2009/03/12(木) 22:29:10 ID:6UXT1RKR
>>747
農家の人、募集かけたけど人コネーヽ(`Д´)ノって拍子抜けしてたど>派遣切り関連採用

>>740-744
残念だがその金山は既に糸井重里が手を着けているのですw
749人間七七四年:2009/03/12(木) 23:06:03 ID:YhxT62VW
>>748

九州四国では、離村による田畑、山林の荒廃、洪水の頻発、
大問題だよ。飛行機から見る豊後国東、肥後の山々は荒れ放題でござる。

食料自給率40%なんて、戦国時代より飢餓が身近なのにね。

戦国時代は、今よりもっともっと知恵があったような希ガス。
750人間七七四年:2009/03/12(木) 23:30:16 ID:beGomCQg
そりゃ常に精子が掛かってるんだから、必死にもなる。
今見たくぬるま湯に浸かっている時代の人間と同列で見ても意味は無いさ。
戦国時代と江戸中期でも、多分同じような比較があったと思うよ。
751人間七七四年:2009/03/12(木) 23:33:20 ID:6UXT1RKR
>>750
単なる変換ミスだろうけど
男色大名スレからS玄公とか弾正公とかがウホウホ喜んで飛んできそうな文章になってる・・・w
752人間七七四年:2009/03/12(木) 23:37:44 ID:n60Z022n
O内Y隆「zip」
753人間七七四年:2009/03/12(木) 23:44:07 ID:hcarDziN
五右衛門「ワシも最初はぬるま湯だとおもっていた。」
754人間七七四年:2009/03/12(木) 23:59:21 ID:ZOReC9ZI
>>749
自給率の数字はそりゃ下がってるだろうが、
戦国時代の方が普通に飢えやすかったと思うw

派遣切りの農業募集は、TVの特集で月給が手取り15万くらいにしか
ならないから人が来ないと言ってたが、田舎だとそれより安い
フリーターがゴロゴロ居るし、金銭にシビアな農家の人にしては
出したな〜って感じだが、まあいきなり農家ってふんぎりはつかないだろうね。

>>753
あんたのはぬるま油じゃねw
755人間七七四年:2009/03/13(金) 00:01:06 ID:9m9Ggk79
>>754
まぁ、正確にゃそうなるなw
756人間七七四年:2009/03/13(金) 00:07:11 ID:BVrwbNlh
>>751
これは恥ずかしいミスをしてしまったww
ちょっとS玄公に掘られてくる。
757人間七七四年:2009/03/13(金) 00:33:41 ID:zERVuq6Q
豊臣秀吉が大坂で徳川の侍たちを見た際、
一人の武者に目が止まった。

秀吉「あの栗毛の馬に乗っている侍は誰だ?」
*「はっ、成瀬正成殿という方で、二千石取りの侍です。」
秀吉「成瀬正成、なんとかわしの家臣にできないものか…。」

正成を欲しがった秀吉は家康に交渉した。

秀吉「どうだろう、正成をわしにくれんか?
   あれほどの侍が二千石では不憫だろう。
   わしの家臣になったら五万石やってもよいのだがな。」
家康「お話はわかりました。正成に伝えましょう。」
秀吉「うん、頼むぞ。」

家康がこの話を正成に伝えたところ…

正成「心外ですな。私は石高のためではなく、
   あなたのために命を捨てて奉公しているのですよ?
   どうしてもと仰るなら腹を切ります。」
家康「秀吉公に仕えて五万石なら大出世ではないか。
   お前は私の旗本ではないから私にとってもよい話だ。
   なによりも秀吉公に仕えることは私に仕えるよりも大忠であろう。」
正成「無駄ですよ、なんと仰ろうとも私の意志は変わりません。」
家康「ふむ…。」

正成は秀吉の誘いを固辞した。
そして、このことを報告された秀吉は

秀吉「まぁ、そんなことだろうと思ったよ。家康は本当によい家臣を持っているな。」

と、ただ感心したのであった。
758人間七七四年:2009/03/13(金) 01:11:05 ID:IIGeHfUo
秀吉はこの辺の器はさすがなんだけどな

三河武士のめんどくささもさすがだがw
759人間七七四年:2009/03/13(金) 01:19:31 ID:9m9Ggk79
家久(悪)やなんかの嫌な話を見た後に成瀬さんの話を見ると心が洗われる感がある
760人間七七四年:2009/03/13(金) 01:36:19 ID:dN6dhLS9
>>758
成瀬さんとか、家康からみて比較的若手でもこんなんだからなー >三河武士モード

古株の鳥居元忠や本多重次さんの面倒くさいことといったら……
761人間七七四年:2009/03/13(金) 02:46:55 ID:e11zIhst
>>757
これって、成瀬さんにしてみりゃ、


家康「秀ちゃんが成瀬君のこと好きだってよ。秀ちゃんって凄く可愛いし、付き合っちゃいなよ!」

成瀬(お、俺は家ちゃんのことが好きなのに……なんで家ちゃんがそんなこと言うんだよ!)


って感じなのかな?
762人間七七四年:2009/03/13(金) 04:36:14 ID:B3bnFVUy
>>758
家康が臣従した後の時代の話みたいだし、石川数正と一緒にすんなという考えもあるかもな
763人間七七四年:2009/03/13(金) 05:30:50 ID:LLeAs0Nl
数正も忠臣だったんだかなぁ…

秀吉との橋渡し役をつとめてしもうたのが運のつき…か
764人間七七四年:2009/03/13(金) 07:30:45 ID:vmXbWady
数正出奔の理由例の一つに禄高の低さが挙げられているのもあった気が。
そういえば江戸転封前の家康家臣の禄ってどれくらいだろ?
765人間七七四年:2009/03/13(金) 16:15:07 ID:dN6dhLS9
>>761
なんたる大河ラヴコメかーw
766人間七七四年:2009/03/13(金) 18:28:39 ID:PpbT30/x
>>764
水野信元殺しという汚れ役をやらされた不満とか
それに伴う一部派閥からの反発とか、徳川家の玉砕行為からの離脱とか色んな要素があるね
767人間七七四年:2009/03/13(金) 19:31:33 ID:SzBR1kAt
>>754
まあ派遣とは言え、工場作業からいきなり農作業ってキツイよな…
って感じですね。現代の大企業トップの連中に、この話はどうかな?

水筒の先に在る者

姫路藩主、池田輝政はいつも竹製の水筒を愛用していた。たとえ
職人が精魂を込めても、物は竹である。数ヶ月で水筒は割れ、その
度に輝政は竹職人に命じて、水筒を作らせていた。

ある時、世間では銅製の水筒が流行り始めた。竹製の物より丈夫で
長持ちすると評判になり、皆こぞって銅製の水筒を買い求めた。
輝政の家臣もこの事を聞きつけ、輝政に進言した。
「殿、いま世間では銅で出来た水筒が流行っている様です。殿の
水筒も、銅の水筒に取り替えましょう。竹より長持ちしますぞ。」

だが輝政は首を振った。
「確かに銅の水筒は長持ちし、便利かもしれん。だが藩主の私が
銅の水筒を使い始めれば、竹職人は水筒が売れず、路頭に迷うぞ。
藩主が軽はずみに流行に乗っては、思わぬ所で民を苦しめる事も
あるのだぞ。それに私は、職人が精魂を込めた竹の水筒が気に入って
いるのだ。以後そのような気遣いはしなくて良いぞ。」

進言した家臣は己の短慮に恥じ入り、輝政の配慮に深く感動した。

768人間七七四年:2009/03/13(金) 19:45:15 ID:9820D1cn
竹職人さんは別のイノベーションを考えた方がいいと思うお

ってのが、今の時代なら正解だろうけどね
769人間七七四年:2009/03/13(金) 20:07:59 ID:pT5JwrFz
別れた旦那に未練があって四年独り身でいた女性と七人も子供作ったりとか
イチモツ様は本当によく気がつくエロい…もといエラい人だったんだろうなあ
770人間七七四年:2009/03/13(金) 20:11:21 ID:XKtcpar3
竹は、生活用品だけじゃなく、武具にも使う重要な物資だったからね
その職人がいなくなっては困る、という意味もあったのだろうか

大名の竹保護策は徹底してて、竹の子掘ったら罰金!とか法度出してた国もあったり…
771人間七七四年:2009/03/13(金) 20:28:45 ID:RlfHhahx
竹林なんて手入れしないとあっという間に荒れるしねぇ。
772人間七七四年:2009/03/13(金) 20:39:06 ID:9820D1cn
それでも竹を使った新しい産業を考えるべきなのよ
って、そこ突っ込んでも仕方ないが
773人間七七四年:2009/03/13(金) 20:54:18 ID:61t3H+Zq
大内義隆「竹を・・・突っ込む・・・!?」
774人間七七四年:2009/03/13(金) 21:00:06 ID:9m9Ggk79
宇喜多秀家「竹を使い備衣戸板なるものを作り売れば、この国の皆が八丈島より泳いで参れるようになるだろう、ささっ」
775人間七七四年:2009/03/13(金) 21:30:42 ID:i1A+d8Yt
普通に筏作って漕いでいったほうがいいんじゃね?
776人間七七四年:2009/03/13(金) 22:49:52 ID:pFoSVU5q
奥平定茂「竹の皮を使って城を守るぜ!」
777人間七七四年:2009/03/13(金) 22:54:30 ID:Qw9RQSGA
うん、近在の荒れ放題竹林見て悩むんだけど
竹ってなんに加工しても寿命が短い(利用価値が低い)んだよね〜
778人間七七四年:2009/03/13(金) 23:05:57 ID:dqVs6YLM
>>777
割り箸に加工ってのもエコで良いかと思ったが
コストかさむらしいんだよね。
779人間七七四年:2009/03/13(金) 23:14:44 ID:2hDoT98E
竹はコストが嵩んで高けえ
780人間七七四年:2009/03/13(金) 23:15:40 ID:IIGeHfUo
誰かあっちのスレから鬼武蔵呼んで来い
781人間七七四年:2009/03/13(金) 23:19:29 ID:X88usixQ
戦国時代、竹は最重要軍需物資の一つ。
1万人の軍勢があったら、最低一万本の竹が必要だった。
さらに鉄砲よけの盾、火縄銃の火縄の材料としても竹が使われた。
782人間七七四年:2009/03/13(金) 23:44:37 ID:XKtcpar3
>>777
その寿命の短さも、見ようによっては長所らしい

ある時、千利休が茶会を開き、「園城寺の筒」という花入を床にかけた
その花入、もう古い竹筒らしく、大きくひびが入って水が漏れてしまっている
水はぽたぽたとしたたり、畳を濡らしていた
客の一人が不快に思ったらしく、「それはいかがなものでしょう」と苦言した
が、利休はにっこり笑って言い返した
「その漏れ具合こそ、この花入の命なのですよ
竹に入った大きなひびを、園城寺の鐘のひびに例え、銘がつけられたのですから」
783人間七七四年:2009/03/14(土) 00:05:01 ID:abm9gczb
第二次世界大戦でも日本人は竹槍でB-29と戦った!!
784人間七七四年:2009/03/14(土) 00:20:33 ID:rJ+u9+a+
島津義弘公といえば義久や忠良ともども長寿で有名ですが、
これは義弘公83歳のときのお話。

吉野の馬追いを見物しに出掛けた義弘・家久親子と家臣団。
当初は桟敷で見物していたのだが、そのうち見物に
飽き足らなくなったのか自分達も馬に乗って丘の上へ。

丘の頂上に到着したところで従者に向かって
「(これからこの丘を駆け下りるから)轡から手を離しなさい」
冒頭に書いたように義弘は既に83歳。もちろん従者は
「怪我をなさってはいけません、どうかおやめください」
と諌めるが
「この年になるまで一度も落馬したことはない、心配するな」
と言うが早いか一気に丘を馬で駆け下りてしまった。

駆け下りた後、義弘公がふと後ろを振り向くと
慌てて馬で追いかけてきた家臣団は軒並み落馬していた。
それを見た義弘公は、若い家臣達に恥を描かせてはいけないのかと思ったか
わざと落馬し、駆けつけた側近達に
「やはり年を取ると思うようにならないな」とにっこり笑って答えたとか。

あー、ちなみに家久は桟敷に座して一部始終を見物してたそうです。
元ネタは薩藩旧伝集です。
785人間七七四年:2009/03/14(土) 00:24:30 ID:rfEWcWXU
今川氏真の家臣に城戸助之允と牧孫左衛門という優れた武士がいた。
助之允は戦場で桔梗笠をつけたので『今川の桔梗笠』と呼ばれ、
孫左衛門は『鉄孫左衛門』と呼ばれた。
だが孫左衛門は早死してしまい、その家族は田舎でひっそりと暮らしていた。
孫左衛門の子・宗治郎はいつかは父のような侍になりたいと思っていた。

その後、チャンスがやって来た。今川と徳川が戦をすることになったのだ。
宗治郎は田舎から出て来て父の旧友・助之允に会った。

「今度の戦ではなんとしても父に負けない武功を立てたいと思います。
聞けば敵には『徳川の鹿の角』という異名の武士がいるとか。
その男と戦うためにもあなたの桔梗笠を貸してくれませんか?」

「お若いのに立派な志だ。断る理由はない、持って行きなさい。」

感銘を受けた助之允は快く桔梗笠を貸してくれた。

さて、桔梗笠を被った宗治郎は戦場に赴き、鹿の角を探した。
そして遂にそれらしき武者を見つけた宗治郎は果敢に立ち向かって行く。
しかし、異名を持つだけあって強い、宗治郎はあっという間に組みしかれた。
宗治郎は桔梗笠をとられ、首を掻かれる寸前になった。

「今川の桔梗笠もこれまでだな!……って、誰だお前!?」

お前は誰だと訊ねられたので、宗治郎は自分の身の上を全て話した。

「なるほどそういうことか。お前の志はたいしたものだな。
よし、ここはお互い退くことにしよう。今後、お前の武運が強ければ
私がお前を頼ろう。逆に私の武運が強ければ、お前がこの本多忠勝を頼れ。
なぁに、遠慮はいらん、心安く頼ってこい。」

間もなくして今川家は没落したが、宗治郎はこの時の約束を頼って
忠勝の家来になったとのことである。
786人間七七四年:2009/03/14(土) 01:00:19 ID:J/qRZySj
>…って、誰だお前!?

さぞやびいくらこいたろうなw
787人間七七四年:2009/03/14(土) 01:01:18 ID:tqiPboH7
>>784
無理やり家久を悪い解釈にもってくなよwDQN家久のいい話を1つ。
1611年に義久が死去して箍が外れたように8人もの側室を持った家久だが、
同じく側室を持っていなかった将軍秀忠候のために、1612年琉球王府にこんな命令をだした。
「将軍様のお側に仕えさせるので12〜19歳の美人を5人ほど差し出しなさい」
もちろんこれは秀忠候の側室になったとしてもおかしくない女性を献上しただけであって、
亀寿姫へのあてつけじゃあ無い・・・・・・と思うけど・・・・
788人間七七四年:2009/03/14(土) 01:22:30 ID:rJ+u9+a+
>>787
ああ、ごめんごめん。
わざと家久の印象を悪くするつもりはなかったんだけどねw
多分「親父も相変わらずだなぁ」とのんきに眺めてたんじゃないかと。

で、父の影響を受けたのか次の年からは家久も陣頭に立って
馬乗坂おとしをするようになったとか。
ここまで書いて置けばよかったね。
789人間七七四年:2009/03/14(土) 01:24:03 ID:rQ7m7d1y
島津義弘公は、最晩年寝たきりとなったが、枕元でほら貝を吹くと上半身を起こし、正気を取り戻したという。
いつまでも意気軒昂な猛将であった。
790人間七七四年:2009/03/14(土) 01:24:20 ID:gJOCemIm
>>784
晩年はご飯の食べ方も分からないくらいぼけたようだけど
ぼけたのは本当に死ぬ直前だけだったのかな

>>787
>1612年
お江与の方まだご健在ですね
据え膳をプレゼントする行為はじゅーぶん嫌がらせだと思います
さすがDQN
791人間七七四年:2009/03/14(土) 01:30:14 ID:zX/B2L+3
秀忠に鎧のデザインを依頼されて、粋なプレゼンをして大阪の陣に着て行くほど
気に入ってもらえた三歳様とはエラい違いだ・・・
792人間七七四年:2009/03/14(土) 01:38:45 ID:NRInXoLT
>>767
多分竹職人は水筒ばっか作ってるわけじゃないだろうし、
本当に竹の水筒の方が気に入ってたってのも大きそうだな。
殺菌作用もあるしすがすがしい香りがしそうで、
竹の方が何か水がうまそう。

>>785
田舎から出てきて一発目で鹿の角の人って、
RPGで最初の町周辺うろついて、やっと
せいどうのつるぎ買えるかなくらいなところで
いきなりワープしてラストダンジョンの奥にいるような奴と
戦うような感じw
793人間七七四年:2009/03/14(土) 01:42:12 ID:0Gv6NXt3
>>792
> いきなりワープしてラストダンジョンの奥にいるような奴と

まあリアルに「四天王」ですからねw>鹿の角の人
794人間七七四年:2009/03/14(土) 01:53:28 ID:Ph6IHuov
>>791
三斎殿は、当時大人気の甲冑デザイナーで、越中ふんどし考案者のファッションリーダーで
茶道を究め、三十六歌仙で歌道も修める非の打ち所がない素晴らしい人物だよな。
795人間七七四年:2009/03/14(土) 02:10:02 ID:gJOCemIm
>>792
銅の殺菌作用もすごいよ
台所の排水溝のくずかごに、後から取り付けられるような青銅製の物が売られている
http://item.rakuten.co.jp/yminfo/10002508/

でも実際飲むとしたら竹製の方が人間のお体に対して安全性が高そうw

>>791
プレゼントのセンスがないと思う>南のDQN
だから家光ご招待パーティー(「御成」ともいう)の順番も
前田や石高では下の伊達・細川にすら先を越されて
後に回されたんだろう・・・

>>794
なんだろう、読んだ後にどうも1箇所違和感を感じるところが・・・
796人間七七四年:2009/03/14(土) 02:26:35 ID:zMCgP3VV
>794
更にイケメンな上に、パパは超教養人。
戦国の世に生まれたら俺も仕えてみたかったわ。
797人間七七四年:2009/03/14(土) 02:40:43 ID:IvoGv61A
奥さんに手を出すなよ!絶対だぞ!
798人間七七四年:2009/03/14(土) 03:15:48 ID:QRqNUd76
手を出すどころか見るのも基本厳禁だがね
799人間七七四年:2009/03/14(土) 07:02:34 ID:Urm9hNay
汝、玉を姦淫するなかれ
   ↓
情欲を抱いて玉を見る者は、もうすでに姦淫の罪を犯しているのだ
   ↓
よって手討ちに処す

やっぱり三歳様もキリシタンだったのね
800人間七七四年:2009/03/14(土) 11:44:05 ID:lTtKoxYo
情欲なくてもキリシタンでも神父でも神でも仏でも斬ると思うがw
801人間七七四年:2009/03/14(土) 12:31:45 ID:V9CKY5Ki
なのに自分は浮気OK!とかwwwやりたい放題だぜ!
802人間七七四年:2009/03/14(土) 13:41:44 ID:DRuxfsGr
みなさん、そんなに褒めないでくださいよ。三度目はありませんよ?

ごきげんよう、細川忠興です。
話題にしていただいたお礼に、新学期=新たな出会いの季節も近いことです、
社交の達人・細川家の当主が『つきあうべき人・そうでない人』を、歌でお教えしましょう。


良い人:正直や 能者物書き 学問者 貴人年寄り 嘘つかぬ人
悪い人:喧嘩好き いらぬ広言 うつけ者 人の忠告 公事たくむ人

親しまれる人:心よく 他人事言わず 慇懃に 慈悲ある人に 遠慮ある人
憎まれる人:嘘つきや 他人事話し 差し出口 高慢ありて 自慢する人

出世できる人:朝起き(早起き)や 身を働かせ 小食に 忠孝ありて 灸を絶やさず
出世できない人:夜遊びや 朝寝昼寝に 遊山好き 引っ込み思案 油断無気根

うつけたる人:酔狂に 利口顔して 自慢立て 戯言深く 暴れ食いする
利口なる人:人近く 言葉少なく 慇懃に 知りたる事も 知らぬ顔して


どちらがどちらかは、言うまでもありませんね。
え?「ホントの友情は損得勘定じゃない」? 当たり前じゃないですか。
私の友人なんて
DQN眼龍とか、プチ鬼武蔵(しかも実弟)とか、窃盗働く下品な笑い方の数寄大名とか
ばっかりですよ?その辺は、理屈ではありません。

上の歌は、自分自身への戒めでもあります。
よく読んで、新年度は快適な人間関係のもとでお過ごし下さい。では!
803人間七七四年:2009/03/14(土) 13:46:54 ID:jca92UAb
>>794
三十六歌仙で歌道も修める非の打ち所がない
首も打ち落とされてないなw
804人間七七四年:2009/03/14(土) 18:31:22 ID:4+yKk5qG
そうだよね、友情は勘定じゃない…
> 悪い人
これってもう政宗のことだとしか(ry
805人間七七四年:2009/03/14(土) 18:35:03 ID:Otdj6Vpf
島津のあの人のことか
806人間七七四年:2009/03/14(土) 19:15:07 ID:Otdj6Vpf
島津のあの人は忠興の息子と仲がよかったんだな
申し訳ない
807人間七七四年:2009/03/14(土) 19:36:39 ID:Gvgq+n5h
忠興、宗茂とも仲良しだったような
808人間七七四年:2009/03/14(土) 19:47:12 ID:JKGUTgDK
>>806
あの人でいいんじゃね?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-595.html
809人間七七四年:2009/03/14(土) 20:10:31 ID:NRInXoLT
>>804
悪い人以外にも、憎まれる人・うつけたる人あたりには
当てはまる項目が多い気がする。

>>802
>その辺は、理屈ではありません。
理屈ではなく類は友を呼ぶ昔からのならいですよね、分かります。
810人間七七四年:2009/03/14(土) 20:47:49 ID:Ph6IHuov
三斎様のマブダチって言えば、ノーロープバンジーさんが筆頭だろ。
811人間七七四年:2009/03/14(土) 20:50:17 ID:9lZ4uMUB
>>783
> 第二次世界大戦でも日本人は竹槍でB-29と戦った!!

切羽詰ったときってのはそんなもんだよ。
ダンケルク直後のイギリスも似たようなもん。
ドイツ軍の上陸に備えて市民を兵士として徴集するわけだが
持たせる武器が無い。博物館から持ち出したロングソードや
ハルバートを支給されてるのはましな方で、たいていは水道管
を加工した槍、中には「ドイツの機械化軍団が上陸してきたら
これを投げつけろ」と各自一袋の胡椒を渡された部隊もあった。
日本の竹槍が馬鹿の見本みたいに言われ、イギリスの水道管
を加工した槍が不撓不屈のジョンブル魂の象徴のように絶賛
されるというふうに評価が分かれるのは、要するに最終的に
勝ったかどうかだけの違いなんだよな。
スレ違いの話題すまん。
812人間七七四年:2009/03/14(土) 21:27:18 ID:osEm/IJJ
ベトナムでは実際に竹で爆撃機落としたとか聞いたことある
813人間七七四年:2009/03/14(土) 23:02:52 ID:abm9gczb
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
>  l 十゜   l 十゜ /    十_"    ー;=‐         |! |!  <
>  レ cト    レ cト /^、_ノ  | 、.__ つ  (.__    ̄ ̄ ̄ ̄   ・ ・  <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
     ,.:::::、____ ィ::::.、     ,.:::、___ ィ::::.、
     ヽ:::ノ __   __ヽ::ノ     !:ノ_   __ヽ:::,.:::、___ ィ::::.、
     /  /::::)  i:::::) |      | (::::)  i:::::) !:ノ_   __ヽ::::ノ
     |  ゝ‐( _(:::))-' j      | `‐((:::) )-'  | (:::)  i:::::) |
     ヽ、,,,,,, |∪| ,,. ./      ヽ、,,|∪| ,, ,,. | `((:::) )-'  j
    /: :: :: :: ヽノ :: /        |: ::ヽノ:: :: :: / ヽ、|∪| ,,,,,. 、
814人間七七四年:2009/03/14(土) 23:43:58 ID:k+QIANcy
江戸城禁煙令


父親の影響か、徳川秀忠もかなりの健康マニアであったようだ。ただ、父親と違うのは、
家康は案外、他人の嗜好には立ち入らない人間だったが、秀忠はそうではない。
自分が良いと思うことは、満面の善意で、人にも勧める人間である。

そんなわけで江戸城内に、こんな命令が出された

『喫煙厳禁!』

当時既にタバコは、世の中にかなり広まっていた。
当然徳川家中にも、である。ニコチン中毒者がこういう時考える事。それは禁煙!
ではない。
当然、「隠れて吸う」である。

そんなわけで江戸城内の御番衆の湯飲み所は、いつのまにやら秘密の喫煙室と化していた。

さて、ニコチン患者達が今日も安らかにタバコを吸っていると、そこにひょっこり顔を出した人間がいた。

「よっ?なにやってんの?」

老中、土井利勝であった。
一同驚愕、大慌てで各々とっさにタバコ道具を隠す。なかにはキセルでやけどする人間までいる
有様であった。
しかし利勝騒がず、部屋の中に着座し、

「そなた達が今吸ってたもの、私にも振舞ってくだされ。」

などと言い出した。一同すっかり困り果てたが、何度も所望するのでしかたなく、
袖の中やひょうたんに隠したタバコやキセルを出し、利勝に差し出した。

彼はこれを二三服吸うと

「思いもかけず珍しいものを頂いた。ありがとう!」

そういって帰ろうとした、と、そこで振り向き、

「今日のことは私も一緒だから当然誰にも言わないけど、私に見つかるくらいだからここは危ないぞ。
上様がお嫌いなものなんだから、五月蝿いのに見つからないうちに、な。」


そこでこれ以降、湯飲み所での喫煙はピタリと無くなった、とのことである。
815人間七七四年:2009/03/15(日) 00:08:42 ID:cVwZkuZz

見つけたのが正ナントカさんだったら全員やりすぎな程の厳罰でしたね
816人間七七四年:2009/03/15(日) 00:18:24 ID:TG5csUFl
正×「それで土井殿、その隠れて吸っていた侍衆とは誰なのですか?」
817人間七七四年:2009/03/15(日) 00:28:11 ID:K+imW4/Q
>>814
カーネギーという人の、職場の人間関係についての本で
これとほぼ同じエピソードがあった。
アメリカの大企業の重役か社長の話で、禁煙の場所で
喫煙をやめない社員のところを偶然通りかかって、
怒るかと思いきや1本所望、和やかに談笑して最後にさらっと
柔らかく禁止事項を伝え、その時から喫煙がなくなって…という。
人を動かすコツって古今東西やっぱり共通するものがあるんだな。
818人間七七四年:2009/03/15(日) 00:42:56 ID:SlpT747u
竹槍は空挺(パラシュート部隊)を
下から刺すためのもんだにょ。
いくらなんでも直で落すとかの
発想じゃないよ。
819人間七七四年:2009/03/15(日) 01:43:38 ID:6WJ7g4xs
>>812
それ都市伝説
820人間七七四年:2009/03/15(日) 02:05:08 ID:8K55dJjI
ヒゲをはやすとやたら家康に似ていたらしい土井利勝さんは案外本当に家康の隠し子かもしれん。
なんか役目をサボって遊郭に遊びに行った若いもんに対処した家康に似てる…
821人間七七四年:2009/03/15(日) 10:12:20 ID:eyxGWy/5
>>820
江戸時代に武将が髭を生やさなくなった逸話だね。

武将の髭はどこへ消えた?

「天下と共に利勝を譲る。」と徳川秀忠に賞された土井利勝。
大老に就任した彼の周辺で、ある噂が囁かれた。
「利勝様は亡き大御所様に容貌が似ておられる…よもや御落胤
ではあるまいか?」
利勝は家康とは系図上、従兄弟にあたるので、容貌が似る事に
さほど違和感は無いが、忠実な幕臣である利勝にとって、はた
迷惑な噂であった。
利勝は考えた。
「まずいな…このまま噂が広がれば、良からぬ事を考える者も
出てくる。それに下手をすれば自分の立場も失うかもしれぬ…」
そして利勝が出した答えは、「そうだ髭を剃ろう!髭が無くなれば
大御所様の面影は薄れるだろう。」
利勝は躊躇なく、髭を剃り落とした。周囲の者は驚いた。当時、
武将の髭は武人としてのシンボルであり、武将で髭の無い者は
「宦官(タマ無し野郎)」と蔑視される時代であった。
当然、周囲の者達はあせった。時の権力者、「大老土井利勝」が
髭を落としたとあっては、自分達が髭をたくわえるのは、利勝に
逆らう行為である…と考えた。結果として、利勝以下ほとんどの
武将が髭を剃り落としてしまった。
もちろん利勝に「大御所様に似ていると困るから。」以外の意味は
無いのだが、当時の武将達はすでに「右にならえ」状態であったのだ。

こうして江戸期の武将達からは髭は消え去り、「髭をたくわえる事は
幕府に対する謀反の意思表示である。」と言う不文律まで出来てしまった。
以後、髭の復活は幕末、明治維新まで待つ事になるのであった。

利勝も苦笑いの、ちょっとかわいい話でした。(出典 落穂集より意訳)
822人間七七四年:2009/03/15(日) 11:55:40 ID:5pTmRcTY
>>820
そのエピソード初めて知ったわ…

無知でスマソ
823人間七七四年:2009/03/15(日) 11:59:51 ID:08qrL8BV
>>821
ヒゲを生やすと幕府への叛意だと見られたからだ、って聞いたけどそれと違うの?
824人間七七四年:2009/03/15(日) 12:00:29 ID:08qrL8BV
あ、最後のほうに書いてるジャン。よく読んでなかった。
825人間七七四年:2009/03/15(日) 16:08:25 ID:iW1T4HrE
不文律っつーか、4代将軍のときは正式に大ひげ禁止令が出たからなぁ。
なにせ戦乱の世を終わらせ平和を築いたってのが徳川幕府の売りだからね。
ひげを生やすのは強そうに見せたがるから、そんな考えだから戦争が起こる
のだっていう、現代ならピースボートに乗り込んでるんじゃないかってくらいの
凄い発想。
まぁ「大ひげ」と言ってるだけにアゴヒゲくらいは大目に見てもらえたらしいが
ある程度身分のある人ならそんなリスクは犯さない。
826人間七七四年:2009/03/15(日) 16:15:27 ID:LleCWnuT
島津義弘 息子に当てた戒めの手紙

太平の世になると薩摩にも都会の流行が伝わり
華美に流れる風潮が目立つようになった。

和歌や茶道を「武人の嗜み」として奨励していた義弘ではあったが
さすがに軽薄な風潮はいけないと思ったのか
「今の様ならば、薩州は変じて弱国となるべし、田舎物は田舎物の如くなるを可とす」
という旨の手紙を忠恒に送り「軽薄な風潮を打破し、剛直な古風を失うなかれ」
と厳に戒めている。

「闇雲に都会の真似をすればいいってもんじゃないのよ。
 自分達の本来の長所を殺すことにならないようにしなさい。」
というお話です。

給料を公開された時に
「他所だってたくさん給料もらってるのになんでうちだけ…」
等と抜かした鹿児島県某市の公務員に聞かせてやりたい。

戦国は遠くになりにけり。
827人間七七四年:2009/03/15(日) 16:17:38 ID:EaxzsT0O
>田舎物は田舎物の如くなるを可とす

何だか含蓄あるというか、深い言葉だね。田舎者という卑下した言い方をするのがまたいい。
828人間七七四年:2009/03/15(日) 16:44:05 ID:u/PpwCqS
中世後期から、装束や風俗の規制が分国法にも出てくるんだよな
髭禁止!てのも、その流れにあったんジャマイカ、と想像
江戸期になると髪型や服装まで規制対象になるしな
829人間七七四年:2009/03/15(日) 17:49:30 ID:bNrPWAKa
自由にやらせるとどっちがカッコいいかで刃傷沙汰になるから
規制せんとあかんかったのかね
830人間七七四年:2009/03/15(日) 17:54:28 ID:dHwf8b+1
>>826
スレ違いではあるが公務員の給料は民間企業の給料の平均と決まってる(100人以上の企業ではあるが)
それに公務員を叩けばいいってものでもない
社会保険庁とか見てみればいい
叩かれすぎて優秀な人材はみんな退職してる上に人が入ってこないから
何処の局も人員不足で残業が無くならない
仕方なくバイト雇ってやりくりしてる有様
国民の年金を無能で働きすぎな局員とバイトに任せてていいのか?
戦国の武士だって主君の払いが悪かったら出奔、反逆だぞ
ありゃ市長のパフォーマンスだよ
831人間七七四年:2009/03/15(日) 19:09:42 ID:ieehKvCP
叩かずに放置してたから汚職と管理不徹底になったんだが
832人間七七四年:2009/03/15(日) 19:16:19 ID:mugUD9d/
時代は治世の能臣より、乱世の英雄を求めているのか…
833人間七七四年:2009/03/15(日) 19:46:35 ID:AksniqJs
荒んだ末世に颯爽と富田長繁が!
834人間七七四年:2009/03/15(日) 19:57:45 ID:YGhYxUn4
髭を生やすのは兜を被った時にあごひも?が取れない様にだか蒸れない様にだって聞いたよ。
加藤清正も「何時まで髭生やしてんだ、やる気か!」って幕府に詰問されたって。
835人間七七四年:2009/03/15(日) 20:23:03 ID:8K55dJjI
>>826
問題は息子さんがバリバリ都会の悪いところに染まってる事だな。
836人間七七四年:2009/03/15(日) 20:40:49 ID:LleCWnuT
まあ、息子さんにも言い分はあったろうなぁ。
江戸に居たら居たで都会の大名や旗本との付き合いもあるし
国に帰れば帰ったでお隣には都会からやってきた
インテリさんが居るんだし。

あ、でも確か息子さんは家督相続前から蹴鞠とか大好きだったんだっけ?
837人間七七四年:2009/03/15(日) 20:46:50 ID:dHwf8b+1
>>831
叩くなとは言ってないやん
>>814の逸話にも有るように厳罰主義だけが叩く手段ではない
838現代ネタですまそ:2009/03/15(日) 20:58:53 ID:hY0wVkqY
>>825
水戸光圀のドラマ版を演じた石坂浩二が、ヒゲを蓄えるのに一クール費やして葛藤してみせたっけな
839人間七七四年:2009/03/15(日) 21:15:25 ID:hY0wVkqY
>>785牧ジュニアすげー

ガチ平八郎さんと組み打ちして惜しくもかなわず、て実は大した武勇の士なんじゃ?
840人間七七四年:2009/03/15(日) 21:42:07 ID:bViVhkrJ
島津義弘「>>826…という事で、若いモンが旧来の作法を守らないんで、厳しく罰則を
      設けたいんスが。」

島津義久「あーまあ、確かにね。でもそれだと、罰則守らせる目付が必要だよね。
      よっぽど立派な人間にやらせないとダメだけど、誰かいる?」

義弘「…そう言われると、思いつきませんな……降参じゃ!兄者の推薦に任せます。」

義久「よし、じゃあオレが目付やるから、オマエ副官ね。でも勘違いするなよ。
   目付だからって、上が目ェ光らせて家中に恐れられたら、かえって害になるから。

   上がみずから行い正しくして、臣下もそのかたじけなさに感じて恥じ、過ちを正す
   ……ぐらいでありたいモンだよねぇ…」

義弘「むぅ、流石兄者。」 義弘、感涙して退出したという。


http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-587.htmlとか言える人は
考え方からして違う、というお話。

まあ、ネタ元の名将言行録にも結果は書いてないんですけどね(;´д`)ゞ
これが二才を模範・リーダーとする郷中教育につながった…と好意的に解釈しておく。
841人間七七四年:2009/03/15(日) 22:18:29 ID:K+imW4/Q
>>837
公務員さんにとっては給与額公開って”厳罰”なのか・・w


>>840
NHKもこういう元から人格者を大河の主役に据えれば、
いい話エピソードをそのまま使えるから変な捏造しなくて済むのにな。
義弘は愛妻家だから、女性視聴者対策のホームドラマパートの材料もばっちり。
842人間七七四年:2009/03/15(日) 22:28:25 ID:LleCWnuT
>>840

残念ながら甥っ子には理解してもらえなかったようですが
わかってくれる人はわかってくれるもので、
加藤清正が国分富隈の義久の近辺を偵察させた時に、
「屋形の御座間も庭も殊のほかに粗末で
 何の備えもなく障子などはみな古反故で補修してます。」
という報告を受けたところ
「薩州の武辺ぶりは中々自分など及ぶべくもない」
と素直に感じ入ったとか(「先公遺徳」より)。

義久は居城を堅固にしたり、華美にしたりすることよりも
兵を鍛えることを重要視してたそうで、常々側近に、
「城というものは本来は不要なものである。兵が弱ければ如何なる金城鉄壁も役にはたたぬ」
「兵が強ければ敵を防いで寸地も犯さぬ。城の強弱よりも兵の強弱が肝要だ」
とも語っていたそうです。

この辺、武田信玄の「人は城〜」に通じるものがありますね。
843人間七七四年:2009/03/15(日) 23:41:19 ID:5pTmRcTY
さすが仮にも1時は九州を統一しかけただけのことはあるね
義久の政治センスは目を見張るものがある

九州征伐で弟達や鬼武蔵(新納さん)とかが徹底抗戦主張する中素早く降伏を決断したり

関ヶ原で弟が西軍についたにも関わらずその政治力で領地を安堵させるし

祖父日新斎の評価は正しかったわけだな
844人間七七四年:2009/03/15(日) 23:42:22 ID:hY0wVkqY
>>841直江山城の妻にちゃんとした女優つかって、
あげくに愛人でっち上げる国策放送局に何を期待するんだ?

DQN家久を風雅な文治派大名に描いて歪みまくるのがオチだぞ
……その前に文禄慶長の役も書けないだろうが
845人間七七四年:2009/03/16(月) 00:27:25 ID:tjOr5oRu
まぁ、島津・DQN・家久を忠実に大河化されても毎週胸糞悪くなりそうだがw
846人間七七四年:2009/03/16(月) 00:31:48 ID:ij3VHQSM
そういえば大河ドラマ・琉球の風には
DQNの家久が出てたんだっけ。
どんな風に描かれているのか、借りてみてみようかな…
847人間七七四年:2009/03/16(月) 03:42:33 ID:9udHXiYV
>>839
その時は女と勘違いされるくらいひ弱だったという話も

外見はともかく武勇の士二人に認められたわけだから、気骨のある若者だったんだろうね
848人間七七四年:2009/03/16(月) 12:46:22 ID:ImA2eIn0
勇敢な女性の化け物退治

柴山孫助に、小田原落城の節より仕える下女がいた。
奉公は長年に及んだが、誰の娘とも名乗らなかった。
孫助の屋敷は竹藪に囲まれていた。
藪の陰には下人の厠があったのだが、ある時から
夜に入って行けば化け物が出るようになり、人を脅かすようになった。
日が暮れれば誰も近寄らなくなった。
しかしかの下女だけは恐れず、変わらず用をたしていた。
ある日、夜も更けた頃、おどろおどろしくも化け物が現れた。
下女はひるまず、飛び掛るやいなや、これをさっと捕まえた。
火をかざして見れば、その正体は大きな古狸であった。
下女はこの狸を
「人を脅す憎き奴!」
と打ち殺した。
849人間七七四年:2009/03/16(月) 12:47:12 ID:ImA2eIn0
屋敷の中で酒を飲んでいた孫助にもこの話が伝わった。
「日頃からただ者ではないと思っていたが、今夜の一件で明らかである。
もはや汝も高齢であり、今は何者であるか名乗るべし」
しきりに問うた。
その者が申すには、
「決して申すまいと思っておりましたが、召仕ってくださった御恩は深く、
今は隠そうとは思いません」
その女は、
「私は小田原の鈴木大学の助が妹です。大学は一軍の大将にも申し付けられましたのに、
このように落ちぶれて、先祖を名乗ることは本意ではなかったのです」
と打ち明けた。
皆々痛ましく思い、それより様子をよく見て、目をかけるようになり、
いたわるようになったという。
                                       見聞随筆
850人間七七四年:2009/03/16(月) 14:19:41 ID:VtzHx6gV
また鈴木大学!
結構有名だったんだな〜時々名前が出る。
851人間七七四年:2009/03/16(月) 14:21:05 ID:HQY2I3Pc
家康の若い頃の家臣に、石川又四郎と言う者がいた。
この男、足が速く弓の上手で、ある時家康は馬場で、自身の早馬とこの又四郎を競争させた所、
なんと馬を追い抜きゴール地点で馬の来るのを待っていたそうだ。

そしてとある合戦で、徳川軍が城を囲んでいた折の事、
城兵の一人が塀の上で、毎日のように尻を出して叩き、徳川軍を小馬鹿にしていた。
これを見た家康、誰かあの憎い者を射落とせ!と言うと、又四郎がまかり出で、私がやります、と言う。
そして次の日、城兵がいつものように尻を出した瞬間、見事に射抜いた。
これに徳川軍はどっと沸いた、その時である、

城内より又四郎の咽めがけ矢が放たれ、射抜かれ、倒れた。

家康は運ばれてきた又四郎に刺さった矢を自ら抜き、早く小屋に下げ治療するように言った。

この時家康は大変動揺し、その夜も、「あの傷では又四郎の命は長くないだろう。」と嘆いた。
しかし周りの者達は何故か、「そんなに気にする事ないッスよ。」などと気楽に言っていた。

次の日、家康の使いが又四郎の様子を見に行った。そこで見たものは、

傷の痛みなどどこへやら、のんきに好きな将棋を楽しんでいる、又四郎の姿であった。
射抜かれたはずなのに。

そして使いの者に
「あんな矢傷なんてもうへっちゃらだから、明日からでも復帰出来るって言ったんだけど、
なんかここの医者とかがね、頼むからせめてもう一両日は休んでくれって言うんですよ。
平気なのにねえ。
とにかくそう言うことらしいんで、殿に申し上げておいて。」

これには家康も、あきれ果てたそうである。
852人間七七四年:2009/03/16(月) 16:48:52 ID:z7iwZw0X
>>851
実はロードランナーとか鳥の化身じゃね?
853人間七七四年:2009/03/16(月) 17:22:38 ID:YSqkYe7+
三河武士って主君への抵抗力だけじゃなく、矢への抵抗力も高いのか!
854人間七七四年:2009/03/17(火) 04:48:16 ID:HKBhIGWj
周りが無事だってわかってる件w
855人間七七四年:2009/03/17(火) 09:54:22 ID:+Xbda2tq
秀吉、九州征伐の折、あちこち行脚、色々な人とあった。
ある日、臣従を誓ってきた肥前龍造寺政家と碁の勝負となった。
この正家、豊後の大友家の御曹司と共通して、少しおつむに難あったとか。

が、正家の数少ない自信は碁であった。
好きであったし結構強かったのである。

ところが秀吉も碁は強かった。
正家を不憫に思い、手加減しながら数時間相手をしてやった後、
結局は負かしてしまった。この頃まで秀吉はよく出来た人であったのである。
竜造寺の家臣は、はらはらしながらもほっと安堵した。

やれやれと秀吉が館を出ようとすると、まだ正家は碁盤をじっと見つめて
敗因を思案中。見かねた家臣がお見送りを進言した。

はっと気づいた正家、あわてて秀吉の後姿を追いかけ全力疾走。

ところが、正家、父親に似て極度の肥満体、走りよるも玄関前の廊下でしこたま
ずっこけ転倒してしまった。

それを見て秀吉はため息をつき、鍋島直茂の顔をじっと見て
「後々までしっかり頼むぞ」とぼそり。
856人間七七四年:2009/03/17(火) 10:02:41 ID:lmBzlNLw
ドリフかよ…
857人間七七四年:2009/03/17(火) 11:11:23 ID:MKYha2TN
猿と同じ知行

賤ヶ岳の七本槍で知られる平野長泰と加藤清正は友人同士であった。
しかし清正は肥後の国主となったが、長泰は太閤の近習で五千石であった。

あるとき旧友と会話した時、長泰はふと思いついて
「猿に知行をいくらやる」
と聞いた。
所が五千石と答えられた。
長泰は炬燵のやぐらを叩き、拍子をとりながら、
「猿も五千石〜♪平野も五千石〜♪」
と節をつけて面白おかしく唄いだした。
これは清正の家臣に猿に似た顔の者がいたからである。
858人間七七四年:2009/03/17(火) 11:12:12 ID:MKYha2TN
清正もむしろ同情の感に耐えぬと見えて、
「平野の程の者が、時人に遇わずとはいえ、
我が家臣と同じ禄とは残念なかぎりである。
そうだ平野、その方肥後へ来るなら一万石をやるぞ」
と言った。
長泰は一万石なら行こうかと悩んだが、
暫くたって長泰座敷の縁側で立小便をしながら考え出した。
859人間七七四年:2009/03/17(火) 11:13:21 ID:MKYha2TN
肥後へ行くということはとどのつまり、
こうして気楽に小便もできないということである。
遂に破談にした。
その後、長泰の表立った活躍はあまり見られないが、領内においては支配体制を固め、善政を敷き、特に領内における寺内町は「大和の大坂」と呼ばれ、大いなる賑わいを見せたという。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%9C%AC%E8%97%A9

大阪の陣もあってから加藤家は断絶したが、
平野家は存続し、明治には大名となった。いわゆる「維新立藩」である。
世の移り変わりとは不思議なものである。
860人間七七四年:2009/03/17(火) 12:38:38 ID:E08nqeiE
加藤、福島、最上、TERU元…身の丈に合わない石高もらっても幸せとは限らないって事だな
861人間七七四年:2009/03/17(火) 12:55:50 ID:tEidbbi6
>>855
鍋島さん、藩主ではあるけど龍造寺の人達の面倒はしっかりみてるんだよな。
むしろ龍造寺を牛耳り、世間では乗っとりとか化け猫とか言われてるけど
気が付いたら佐賀藩自体が龍造寺一族に牛耳られてるというか。

まあ鍋島さんも龍造寺一門みたいなものだけど。
862人間七七四年:2009/03/17(火) 13:46:43 ID:WpJHAf2n
>それを見て秀吉はため息をつき、鍋島直茂の顔をじっと見て
>「後々までしっかり頼むぞ」とぼそり。
秀吉が同情に耐えない表情で鍋島さんに話しかけている様子を
勝手に想像してしまった…。

主君を立てつつ家中の安泰を図るのも並大抵の苦労じゃなかったろうなぁ。
863人間七七四年:2009/03/17(火) 18:43:29 ID:DHLYixSD
>鈴木大学
ひょっとして鈴木重朝か?
864人間七七四年:2009/03/17(火) 18:51:52 ID:EvUkbKlG
むかーしむかし、あったけど

佐竹のお殿様が久保田の山に城を築いた時のこと
お殿様の前に大きな狐が現れ、訴えたそうな
「私は三百年も前からこの山に住んでいたものです
しかし、このたびお城を建ててしまわれたので、住処をなくして難渋しております
なんとかしてくだされば、必ずや恩に報いましょう」
哀れんだお殿様は、茶園のそばに住居を与え、「茶園守の與次郎」と名づけた

約束どおり、與次郎はお殿様のために働いた
飛脚に化身し、江戸と秋田をわずか六日で行き来し、伝令をしたそうな
佐竹家多難の時代、與次郎のおかげでお殿様は対応を誤ることがなかった
しかし、深い寵愛を妬んだ他の飛脚達は、密かに與次郎を殺してしまおうと考えた
そして、與次郎は街道沿いの六田村(現山形県村山地方)で罠にかかり、死んでしまったんだど

與次郎の恋人・お花は嘆き悲しみ、六田村にお社を建てて葬った
また、次第を知ったお殿様も、秋田に祠を建てて手厚く祀ったんだど
それで、今も六田と秋田に與次郎稲荷なんて変わった名前の神社があるそうじゃ

…二つの神社は、地域の人達に今も大事にされています
865人間七七四年:2009/03/17(火) 19:05:50 ID:6peq7nBU
徳川家康の家臣、小笠原越中が、とある罪があり大久保七郎右衛門にお預けになったことがあった。
このとき、女子で罪を得たものがあって、その女も同じく、大久保の下にお預けになっていた。

一つ屋根の下に、若い男女が二人。

小笠原越中、この女子と密通してしまった。

このことたちまち発覚し、家康の耳にも入った。
流石に家康はあきれたものの、
「もうよい!その二人夫婦にせよ!そして結婚の祝いに越中の罪を許し、また呼び出して召し使う!」
と、仰せ付けられたそうだ。


若い奴はしょうがねえなあ、という、家康のボヤキが聞こえてきそうな、そんなお話。
866人間七七四年:2009/03/17(火) 19:37:31 ID:mdBWULHx
>>860
え?
何を言ってるの?
867人間七七四年:2009/03/17(火) 21:22:33 ID:3oZ9vjY5
俺も>>860の意図がわからん
大体毛利輝元は大封を貰ったわけではなく受け継いだんだし、
最上義光にいたっては自力で獲得してるのに・・・

身の丈にあわない石高ってのは奥州仕置の木村とか、ああいうのを指すんじゃねえの?
868人間七七四年:2009/03/17(火) 22:54:13 ID:skla7xMj
>最上義光にいたっては自力で獲得してるのに・・・

加藤清正や福島正則は自力ではないってことですか?
869人間七七四年:2009/03/17(火) 22:59:17 ID:3oZ9vjY5
いろいろ書き方が悪かったのは認めるが、そんな揚げ足を取るなって
家臣団や統治システム、領民感情的などなど切り取ったかそうじゃないかって差は大きいだろ
870人間七七四年:2009/03/17(火) 23:03:49 ID:wlVLgRE5
TERUだって確かに家臣の妻を獲ったりしたが長州に転封されてからは後の大藩の基礎を作り上げた
さらには灰色という歌唱集団を作り上げて一世を風靡しただろう
871人間七七四年:2009/03/17(火) 23:04:02 ID:VTBocb5u
先代が残した勢力を保持出来なかった家なんていくらでもあるしなぁ。ラスボスや織田をはじめとして
872人間七七四年:2009/03/17(火) 23:08:25 ID:kU45gbw2
大きく言ったら徳川だってそうだしなw
873人間七七四年:2009/03/17(火) 23:12:41 ID:VTBocb5u
そのメンバーのなかで当代で戦以外の原因で改易されたの市松ぐらいだしねぇ
874人間七七四年:2009/03/17(火) 23:44:58 ID:Pe1r3ymX
875人間七七四年:2009/03/17(火) 23:46:12 ID:J0/klRid
>>863
別人だよ。
鈴木大学はまとめにもいくつか逸話の載ってる北条家臣。
確信は持てないけど諱は成脩(なりはる)だと思う。
876人間七七四年:2009/03/17(火) 23:51:07 ID:sf8K2fQN
>>870
それTERU違いだろw
877人間七七四年:2009/03/18(水) 01:05:14 ID:Pnk9VYRC
>>875
もう鈴木大学って言うと
家康に弓を圧し折られた人ってイメージしかないな
878人間七七四年:2009/03/18(水) 03:25:39 ID:1+NQUzqf
>>857
なんかじわじわ来る。
平野さんなかなか味わいのある人柄だなw

>>864
一見民話調だが、山形の街道沿と秋田に神社があるところがリアルだ。
狐と伝えられてるけど、実在の人間だったんじゃないかと想像した。
879人間七七四年:2009/03/18(水) 07:28:07 ID:HUZsEKT/
>>864
>>與次郎の恋人・お花

これってどうなんだ…
880人間七七四年:2009/03/18(水) 07:50:06 ID:7ZkJD9oK
>>867
最上が身の丈に合わない大封を得たからこそ
お家騒動と滅亡を引き起こしたという見方はあるし、事実だろう
旧体制のままで勢力を伸ばすことになり、その結果として義光本人も制御不能な最上家が出来上がったもんなぁ
881人間七七四年:2009/03/18(水) 08:03:32 ID:FguEhQ+C
鮭ネタイラネ
882人間七七四年:2009/03/18(水) 08:14:35 ID:Sx73+6JT
アンチ最上いらね
883人間七七四年:2009/03/18(水) 08:18:00 ID:hGGH+kg8
>>855
秀吉にはいかにも秀吉って奇策で囲碁の指南役に勝っちゃう逸話があったね。
囲碁が分かる人にしか分からない逸話なんで、ここじゃ出てないかもしれんが・・・
884人間七七四年:2009/03/18(水) 08:28:23 ID:6kjzoWIt
885人間七七四年:2009/03/18(水) 08:43:13 ID:fOB2trkU
  ∧ ∧   一人一個まで
 ( ´・ω・)
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、    ,.-、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け 焼たらこ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
    お楽しみ 鶏ごぼう   野沢菜 天むす ツナマヨ エビマヨ  鮭マヨ  具なし
886人間七七四年:2009/03/18(水) 09:14:44 ID:Kri4BSeS
>>873
市松より扱いが低かったのが最上。
なんだかんだ言っても市松は土井と本多の権力争いに巻き込まれただけだし。
そういや最上は豊臣恩顧大名でも有り得ない程に最上だけは扱いが悪かった。
なんせ大坂冬夏両陣に不参加扱いで江戸詰め監視ポストだったし…豊臣恩顧大名でも両陣参加希望は拒否は大坂に米をプレゼントしちゃった市松くらいしかないよな。
887人間七七四年:2009/03/18(水) 09:23:46 ID:WZ2InGOb
>>880
じゃあ伊達もそうだな。
身の丈に合わない大封得てお家騒動。お情けで存続を許可。
888人間七七四年:2009/03/18(水) 09:45:02 ID:Kri4BSeS
江戸に近い大封を持っていた佐竹や上杉の
西軍選択での減封は軟着陸としては正解だった。
佐竹は院内鉱山のおかげで豊かになったし、上杉は幕府10万石の役儀を免除してもらってるし。
889人間七七四年:2009/03/18(水) 09:51:05 ID:+QonGG7T
>身の丈に合わない
上杉景勝の事か
家督継いだ途端にお家騒動でボロボロ、秀吉に頭下げて会津120万石貰ったけど、アホな家臣が家康挑発して結果米沢30万石だもんなw
890人間七七四年:2009/03/18(水) 10:02:39 ID:nP33N1WW
>>879
お花もキツネさんではないのか
891人間七七四年:2009/03/18(水) 10:10:37 ID:nP33N1WW
>>885
俺の好物のオプーナさんがない…
892人間七七四年:2009/03/18(水) 10:13:04 ID:lgDo7PZ7
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... ..:(   )ゝ (   )ゝ(   )ゝ(   )ゝお茶しやがって… ..........
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  三三  三三  三三   三三
 三三  三三  三三   三三
893人間七七四年:2009/03/18(水) 10:14:59 ID:Kri4BSeS
>>889
そりゃあ養子2人を後継を曖昧にして突然死した謙信が悪いだけ。
もっとも対織田戦でそれどころではなかった河田がのちに景勝支持に回ったあたり景勝指名だったのかも知れんけど。
上田に対して古志が反対し、後北条やその同盟者蘆名や武田に介入を受けたのであって
身の丈は関係ないだろ。
894人間七七四年:2009/03/18(水) 10:43:48 ID:D0IC9boG
もうそろそろ、他のスレでやらんかね?
895人間七七四年:2009/03/18(水) 10:55:49 ID:YJRrX5d6
泣き面の家来

堀秀政の家臣に極めて泣き面の男がいた。
常日頃両目から涙を流し、眉をひそめていた。
そのため家中の者達から厭われていた。
秀政の近習達は
「あの男の顔色は不吉であり、千里離れて見るのも鬱陶しい。
早く暇を出すべきです」
と言った。
秀政答えて曰く、
「その事か、しかし法事か弔いの使者に遣わすには無類の者である。
大名の家には色々の者を扶持するものである」
近習たちは皆口をつぐんだという。
雨窓閑話
896人間七七四年:2009/03/18(水) 10:59:23 ID:80v7INSj
さすが名人

戦国仕えたい人ランキングがあったら5本の指に入ること確実
897人間七七四年:2009/03/18(水) 11:32:04 ID:D0IC9boG
>>896
政宗「残りの4人は」
家久「当然」
忠興「俺たち」
長可「だよな」
898人間七七四年:2009/03/18(水) 11:33:12 ID:80v7INSj
いやまぁ一人除いてはある意味主として魅力的な部分あるけどな
899人間七七四年:2009/03/18(水) 12:23:26 ID:IZ6qSXim
家久には仕えたいな









勿論貴久の息子の
900人間七七四年:2009/03/18(水) 12:25:04 ID:cfVavczI
いや、四人全員に仕えたいな
ようは四人ともツボを抑えとけば怒らない訳だし、
色々とメリットがありそう。
死ぬけど
901人間七七四年:2009/03/18(水) 12:55:52 ID:Kri4BSeS
細川は妻を見ただけで殺されるかもよ
政宗は酔った勢いで殺されるかもよ

長可は事件起こして長可には文句言えない代わりにお前が殺されるかもよ
やはり家久がいいな
902人間七七四年:2009/03/18(水) 13:00:13 ID:NcLhatQ/
それでもtdokに仕えたい俺は単なるドMでいい
年を召されたtdokなら、そんなに家臣を手打ちにしないだろうと愚考してみる
903人間七七四年:2009/03/18(水) 13:39:49 ID:kRbHzcQf
>>902
急に百人一首という名前の銘を刀に与えたくてDQN化する可能性があるぞw
904人間七七四年:2009/03/18(水) 14:34:05 ID:93ONM213
>>895
それ、実際に葬式に代理で行かせたら「そんなに親しくなかったのにここまで悲しんでくれるなんて」と
相手側から感動されたバージョンもあるよな。
905人間七七四年:2009/03/18(水) 14:56:15 ID:LQZ/J1eW
戦国上司にしたい武将四天王

掘秀政
黒田官兵衛

あとだれだろ
906人間七七四年:2009/03/18(水) 15:04:26 ID:cfVavczI
>>905
蒲生氏郷
907人間七七四年:2009/03/18(水) 15:04:56 ID:BBLfqQIu
徳川家康
小早川隆景
安藤帯刀
長曽我部元親(全盛期)
好みで候補を挙げてみた
908人間七七四年:2009/03/18(水) 15:14:11 ID:FboKQV6t
>>905
羽柴秀長
・・・いや、こっちも過労死するかな・・・
909人間七七四年:2009/03/18(水) 15:45:20 ID:eP6Pihl9
>>905
立花道雪、宗茂も良いな。
910人間七七四年:2009/03/18(水) 15:54:34 ID:pCralLtM
藤堂高虎さんとこも
911人間七七四年:2009/03/18(水) 15:57:30 ID:IZ6qSXim
大谷刑部
912人間七七四年:2009/03/18(水) 16:01:08 ID:TYfAr4HN
明智光秀
913人間七七四年:2009/03/18(水) 16:09:25 ID:WmNCTLyI
織田有楽斎

まずは確実に生き残ってくれて、
しかも楽そうなところがいいに決まってるだろ
914人間七七四年:2009/03/18(水) 16:23:28 ID:c1P3TL0c
鍋島さんに一票
915人間七七四年:2009/03/18(水) 16:46:22 ID:lgDo7PZ7
島津義弘はいい人なんだが毎回無謀なプロジェクトに参加させられそうで嫌
916人間七七四年:2009/03/18(水) 17:21:51 ID:NcLhatQ/
・仕えたい
秀長さん 直家様 毛利隆元 小早川隆景 三斎様 官兵衛 後藤又兵衛 勝久様
かな
917人間七七四年:2009/03/18(水) 17:34:38 ID:+H7QCfg8
織田信雄
なんだかんだで生き残りそうだ。
918人間七七四年:2009/03/18(水) 17:37:27 ID:FguEhQ+C
山中鹿之助「尼子の血をひいてれば誰に支えてもいいです」
919人間七七四年:2009/03/18(水) 17:59:10 ID:zs9dDJCg
家康、黒官あたりかなあ。
920人間七七四年:2009/03/18(水) 18:05:07 ID:SNq62J+S
大学までサッカーで鳴らした俺は、氏真公の妙技を拝みたい
921人間七七四年:2009/03/18(水) 18:13:16 ID:D0IC9boG
>>918
「尼子の家を復活させるという簡単な仕事です。経験者優遇」
922人間七七四年:2009/03/18(水) 18:31:42 ID:qnZKKY5x
>>921
すいません、募集人の欄に小さく「毛利元就」って書いてあるんですけど、これってもしかして罠じゃ?
923人間七七四年:2009/03/18(水) 18:40:24 ID:D0IC9boG
>>922
そーいえば、同じ広告に「鳥取で米を売り買いするだけの簡単な仕事です」
って募集もやってたなぁ。
924人間七七四年:2009/03/18(水) 18:42:43 ID:p9XhzrxS
いい話まだかな〜、、、
925人間七七四年:2009/03/18(水) 18:47:35 ID:cfVavczI
いつかはここに投下したいとか思うけど
創作小説ばっかり買うから投下できないんだよなー
だが創作おkとなるとスレが大変なことになりそう
926人間七七四年:2009/03/18(水) 18:55:44 ID:eFzW0nvj
>>897
まあ、このうち3人が死んだときには
殉死者が出てるんだよな。

殉死した人の数をとやかく言うわけじゃないけど
それなりに好居てくれてる人も居たんだねぇ。
927人間七七四年:2009/03/18(水) 19:11:30 ID:Ec+qH2a3
YBB規制で投稿しづらい…

伊勢の源浄寺に、一人の僧がいた。

織田信長の伊勢攻略に協力したことから、信長にその才覚を愛され、還俗した。
信長の家臣滝川一益より姓をいただき、滝川三郎兵衛と名乗り、
その後伊勢を治めた織田信雄の重臣となった。

その信雄が、小田原陣のあと没落をすると、今度は秀吉に召し出された。
この時彼の名は、羽柴下総守となった。

関ヶ原の時、彼は西軍に属した。敗戦後、逃亡。その後伊勢神宮の御師、慶徳主馬に
かくまわれているのを徳川家康が知り、今度は家康が彼を、知行二万石で召し出した。
彼の姓は再び、滝川となった。

戦国三傑全員にその才を愛され、滝川雄利として今に名の伝わる男のお話。
928人間七七四年:2009/03/18(水) 19:58:30 ID:Kri4BSeS
>>926
不安定な地位にいる者が子孫のために殉死したり、
当主に寵愛を受けた反面、家臣団から嫌われていたような者の殉死ばかりだよな政宗の殉死者って。
929人間七七四年:2009/03/18(水) 20:41:16 ID:n5/G9mP9
藤堂高虎「次世代のために生き残るべきだろjk...」
930人間七七四年:2009/03/18(水) 21:40:32 ID:T1G3FI1c
関ヶ原の時、美濃国郡上八幡城攻めのおりのこと、

金森可重の家臣、棚橋庄介は、腹に槍傷を受けた。しかもそこから出た。腸が。
デロリと。

しかし庄介、まだ塞がっていない(当然腸もまだ出る)傷口に、飯を盛る桶をふせ、
それを縄で縛り付けた。次の日も合戦に出るために、である。

そして翌日。庄介、本当に合戦に出た。しかも前日よりも激しく戦い、高名を成した。
あまつさえ戦っている間に腸も体の中に引っ込み、傷口も塞がっていたと言う。

こんな棚橋庄介、七十余歳まで生きたと言う。
その日は突然、子孫、親類縁者を呼び寄せ、「今日死ぬから」と、武功の心得などを
話して聞かせ、

「わしは死んだ後、体を人に見せるのは嫌なのだ。」

と、妙に乙女チックな心配をし、「大袋をもってこい」と言う。
そこで人が入るほどの大きな袋を持ってきたところ、その中に入り、「口を縛れ」
と言うので縛った。
そうしたとたん、庄介は死んだそうだ。

いろんな意味ですさまじい、戦国の武士のお話。
931人間七七四年:2009/03/18(水) 23:13:30 ID:28OZJUv/
戦場で数多の骸を見てきたぶん、自分はそんな姿をさらしたくないって思いがあったのかな
932人間七七四年:2009/03/18(水) 23:20:46 ID:1G0i/pOr
畳の上で死にたくないからって・・・
933人間七七四年:2009/03/18(水) 23:24:38 ID:aAp2N9k2
格好つけさせて頂くッ!ってトコか
934人間七七四年:2009/03/18(水) 23:28:58 ID:1+NQUzqf
>>930
腸自体には傷がつかなかったんだろうなぁ。
思ったんだが”桶をふせ”の桶って今の桶と同じものを想像していいんだろうか。
何となく、平らな物で押さえつけた方が良さそうなんだが・・
あと、亡くなった後一応開けてチェックして見なくていいのかw
935人間七七四年:2009/03/18(水) 23:55:31 ID:zs9dDJCg
すごいな、いろいろとw
936人間七七四年:2009/03/18(水) 23:56:02 ID:W2h0RVAi
親類縁者が袋を開けて確かめようとしたところ
「わしはちゃんと死んだから、余計な事はせんでいい!」
という声が中から聞こえたので
一同安心して葬儀に取り掛かったそうだ(大ウソ)。
937人間七七四年:2009/03/19(木) 00:52:16 ID:PNBvrvMd
実はずっと腸がはみ出しっぱなしで
見られるのが恥ずかしかったからに一票

938人間七七四年:2009/03/19(木) 01:08:30 ID:3vGRpNmt
>>937
原手3郡を与える
939人間七七四年:2009/03/19(木) 02:52:07 ID:8ES4YpHP
渡辺勘兵衛が細川忠興に、大阪の陣における不審を尋ねたことがあったそうだ。

渡辺が不審に思ったのは、大阪の陣において蜂須賀勢が大阪方の夜討ちを受け、
大きな被害を被った時のこと、

「この戦いで家康公は、その働きを良とし、阿波守殿をはじめその家来にいたるまで感状を与えられ、
さらに恩賞として蜂須賀家に淡路の国を下されました。

しかし夜討ちと言うものは、敵が油断している虚を突く物です。
すなわち、蜂須賀家は油断していたために被害を受けたのです。
なのに罰ではなく、賞が与えられた。これは一体どういうことなのでしょうか?」

すると忠興は
「あれは諸軍を戒める為の賞と言うものだよ」
と、答えたと言う。

つまり、大々的に賞を与えることにより、諸軍に夜討ちへの警戒の意識を持たせた、と言う事らしい。
信賞必罰と言いますが、戦功の賞し方も、色々あるんだな、と言うお話。
940人間七七四年:2009/03/19(木) 09:00:49 ID:frAo1M6M
夏の役の話ですかね。
渡辺勘兵衛は、大阪では主人の藤堂高虎と大喧嘩になって、辞めちゃった人ですね。
歴戦の強者も、もう初老だったはず。

一方DQN三斎公も、このころはすっかり丸くなってたのかな。
次男は大阪城に駆け込んじゃうし、複雑な心持ちだったろう。
941人間七七四年:2009/03/19(木) 09:23:46 ID:5rir0JJZ
明軍を撃破した三成の戦略

石田三成は文禄元(1592)年、軍監として朝鮮に渡海した。
秀吉軍は怒涛の進軍を見せ、平壌まで進んでいた。しかし、三成は
あまりに早急な戦線の拡大から補給が追い付かなくなることや朝鮮
水軍による補給路の遮断を危惧した。そして、民政の安定が優先で
あると考えた。

「明から大軍が駆け付けたらどうなるか。反乱も相次いでおり、進軍より
民衆の鎮撫を優先すべきだ」。だが、勝ち戦で勢いづく諸将は納得しない。
三成の慎重論に、三成と近しい小西行長までが反対した。
そして小西ら一万五千が籠る平壌に、四万の明軍が押し寄せたのだった。
小西は慌てて撤退したが、鳳山の大友隊はすでに逃走しており、小早川隆景
の守る開城まで引き上げた。

ここで三成と小早川は対立する。開城での決戦を主張した小早川に対し、
三成は戦線を縮小するため、さらに引いて漢城で迎え討つことを進言。
小早川は三成を「臆病風に吹かれている」と非難したが、しぶしぶ漢城
近くの碧蹄館まで撤退することになった。

三成は明軍先鋒が騎馬隊中心であることから、高所に布陣し、敵を引き付
けて戦えば勝てると考えた。小早川とともに高所に鉄砲隊を配置させ、一
斉射撃にて明軍の出鼻をくじき、大勝利を収めた。
942人間七七四年:2009/03/19(木) 10:01:41 ID:/neXkuAa
三成の知恵というより
隆景が人望厚く軍をまとめていたからこその勝利
のように思えてならない・・・
943人間七七四年:2009/03/19(木) 10:37:08 ID:/neXkuAa
槍倒し松(やりこかしのまつ)

徳川幕府体制が出来て後、TERU元の失策により
大幅な減封をくらった萩の毛利家は
家康の「一国一城令」により宗家の主権確立のため
萩城以外の城をぶっ潰したのはまとめで既出の通りです

それはさておき、作ったばかりの岩国城をたった7年で
潰さないといけなかった可哀相な吉川岩国藩

よその大名が他藩の城下を通るときには槍を倒して
横切るのが礼儀であった
しかし大藩が小藩を横切るときは礼儀を守らず
そのままスルーしていた
6万石の小藩である岩国武士はこれを見るたび
憤慨していた

そこで岩国武士はひらめいた!
槍を倒さないと通れないようにすりゃいいんじゃね?
岩国武士はかなり横枝の伸びきった松を橋の頭に植えた

今でも錦帯橋の頭に植わっています
944人間七七四年:2009/03/19(木) 10:37:53 ID:jd8J1dcF
>>939
蜂須賀勢は寝る時も“もっこ褌に喉輪と兜”を備えて、
夜襲を受けても見苦しくなかったから賞されたんじゃね?


と思いました。
945人間七七四年:2009/03/19(木) 11:04:18 ID:JFSWc9Uv
>>943
その槍倒し松の説明書き看板に
「負けず嫌いな岩国武士のシンボルです」みたいに書いてあってほほえましかった
946人間七七四年:2009/03/19(木) 12:18:23 ID:my9SzPo2
他でも国堺の関所の門高さを低くして
頭を下げないと入国できない様にした話があったな
947人間七七四年:2009/03/19(木) 12:52:20 ID:cpGotbvA
松は切り倒せ
関所は叩き壊せ
邪魔する役人はことごとく斬れ

あの人が存命で権勢振るってたら出来なかったな、きっと
948人間七七四年:2009/03/19(木) 13:16:33 ID:nZ19FHfG
流石に家康の元では無理と思いたい・・・
949人間七七四年:2009/03/19(木) 15:27:57 ID:UoI2l/im
しかし、これ考えた人頭いいな。茶室のにじり口でも参考にしたんだろうか。
950人間七七四年:2009/03/19(木) 15:53:05 ID:/neXkuAa
TERUの壷の話で既出の益田元祥さんの
借金返済とか引き抜きとかのお話

徳川幕府体制が出来て後、TERU元の失策により
大幅な減封をくらった萩の毛利家は
2万石もの借金を抱えていた

TERU「元祥、借金取りが来たお!」
黒官「今日こそ借金を返済して頂こう、TERU元殿」
元祥「前領地の六ヶ国の納税は徴収済みだし
   今更弁償しろと言われても手の施しようがない
   まして毛利本家が2ヶ国へ減封されているので
   完結するのは難しいよ、くわんぴょうえ殿」
こうして黒官を説得し、10年かかって借金を完済した
そのうえ、銀・1300枚、大判・3000両を砂金4貫を蓄えるまで
財政を立て直させた

どうもこの元祥さんはTERUさん大好き人間で
TERUさんが減封された時
幕府「元祥さん、石見の大名になりませんか」
元祥「いや、自分はただの豪族だし、TERU元様に
   すんごく頼りにされちゃってるからTERU元様と
   一緒にいたいです」
幕府「そんなに田舎に行きたいのか!
   そんなにTERU元がいいのか!TERU元みたいな凡人より
   家康公にお仕えする方が才能を生かすことが出来るのに!」
幕府からそんな負け惜しみを言われながらも
元祥は頑なにTERU元に仕えることにこだわった

その話を聞いて
TERU元「ありがとうだお!すごく嬉しいお!」
と感激の感謝状を元祥に渡している

951人間七七四年:2009/03/19(木) 16:21:38 ID:8zkSaYcw
>>949
中国の故事にもあった気がしないでもなくもないかもしれなくもない
ので意外と希によく見る事なのかも
利休の逸話にもなかったっけ?像の下をくぐらせる形にしたら秀吉が「踏む気?♯」みたいなの
952人間七七四年:2009/03/19(木) 16:50:03 ID:IpoEQuKS
>>950
益田氏って、もともと石見の独立豪族みたいな立場だよなあ
しかもわりと名族だったような
幕府も石見に残れるよう配慮したんだろうが…
元祥を留まらせる人徳がTERUにあったってことなのか
953人間七七四年:2009/03/19(木) 17:00:05 ID:/neXkuAa
人徳っていうか放っとけなかったんだろうな・・・
この人には自分がついていなくちゃ!的な
954人間七七四年:2009/03/19(木) 18:24:48 ID:LBoIUWVr
>>943
TERU元の失策というか広家の失策じゃないか

>>950
TERUは減封のせいで仕方なく離れていった
家臣たちにお金を渡していっている
その後ある程度藩の状態がよくなったら
その離れていった家臣たちを次々と呼び戻している
こうして見るとTERUは家臣たちとの繋がりを非常に大切にしていたんだなと思う
だからこそ元祥もTERUに仕えることに不満をもたなかったんじゃないかと思う
955人間七七四年:2009/03/19(木) 19:05:39 ID:R7hZggmw
さすがにただの盆暗じゃ西国100万石の太守の座を長く保って入られない
優秀な叔父がついてるって言っても戦国の世じゃ優秀な親類縁者は強力な敵になっちゃう
ことは珍しくもないし
956人間七七四年:2009/03/19(木) 19:25:00 ID:nZ19FHfG
つまりギャップ萌えって事だな
957人間七七四年:2009/03/19(木) 19:34:30 ID:/UPH40Am
よし!この流れで輝元のいい話でも書いてみるか

毛利輝元に殉じた男(+α)
寛永二年、毛利輝元が死んだ際その後を追う為に殉死した男がいる
名は長井元房。元房はかつて毛利家を出奔した身だったが、また毛利家に出戻るという不思議な経歴を持っている
出奔した理由は分かっていないが、浪人の身になった元房をこっそり援助したのは出奔された張本人の輝元であった
元房の殉死は面倒を見てくれたばかりか、帰参もあっさり許した輝元の恩に報いるためであろう
…そしてこの話には続きがある
元房には大層可愛がっていた猫がいた
猫は元房の死を悲しみ、元房の墓を離れず四十九日の法要後舌を噛んで自害したという
その後、夜な夜な聞こえる猫の鳴き声。憐れに思った寺の僧侶は猫を手厚く葬った
いつしか元房と猫が住んでいたその通りは「猫ノ丁」と呼ばれるようになり現在もその名が残っている
958人間七七四年:2009/03/19(木) 19:46:06 ID:wsXTaaZv
テルもきっと家臣の嫁を奪ったりした事を反省したりとか、叔父に先立たれたりとか色々あって成長したんだよ。
959人間七七四年:2009/03/19(木) 19:46:48 ID:/UPH40Am
はあ、やっぱりそういう流れにするのか
書いて損した
960人間七七四年:2009/03/19(木) 19:54:07 ID:wsXTaaZv
え?
すまんが、そんなに問題のある書き込みしたか?
もし俺が気が付いてない事があるなら教えてくれないか?
961人間七七四年:2009/03/19(木) 20:19:04 ID:PNBvrvMd
ヒント:ここはいい話スレ
962人間七七四年:2009/03/19(木) 20:19:06 ID:2DR1XQWJ
もう珍しくもなくなってしまったがいちいち悪い話持ちこむなってことじゃね
963人間七七四年:2009/03/19(木) 21:57:47 ID:EnRjX7EI
定番ネタなのは分かるが空気は読まないとな
964人間七七四年:2009/03/19(木) 22:21:56 ID:brXBhKj/
>>957
飼い主同様、忠義の心を持ったにゃんこ…いい話だにゃぁ

965人間七七四年:2009/03/19(木) 22:29:20 ID:PGSTH9v8
980を踏んだ方は、宣言した上でスレ立てお願いします
↓スレタイ
戦国ちょっといい話8

↓テンプレ
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話7
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234946803/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話8
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1237446002/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
966口の減らない話 1/3:2009/03/19(木) 22:37:43 ID:FCpfuc7j
えー、主君に恩を受ければ身をもって返す、意見が合わねば静かに退転する、と
黙して語らず行動で示す、のが武士の美徳だったようですが一方でこの商売、
変り兜だ馬印だと見栄やハッタリも必要で、時にそれは『 口 』で表現されました…

上杉謙信の家臣、北条丹後守高広は「器量骨柄、人に倍して無双」(北越軍談)
と言われたほどの男だった。

しかし、その旗指物と言えば、一尺四方の白い無地の上に黒アリを書いただけのもの。
見かねた謙信が、高広に問いただした。

「おぬしの旗指物は、武名に比べてあまりに小さすぎるのではないか?
どんな理由があって使っているのだ?」

「あー、確かに味方が見れば、小さくて誰だか分からんでしょうね。

だけどオレは、進む時はいつも先駆け、退く時はいつも殿軍!!
常に敵の一番近くにいるから、他人の大きい指物も、オレの小さい指物も、
敵さんにしてみれば同じッスよ。」

謙信もっともなりと、その後もちっこい旗指物を許したという。


…なんか謙信さんのライバルの所にも、こんなのがいたような。
967口の減らない話 2/3:2009/03/19(木) 22:38:22 ID:FCpfuc7j
大名の子たちが集まっていた時のこと。
ヒマに任せて世間話を進めて行くうち、九州人の話になった。

「九州育ちは、『心がひとつ足りない』って言うよねー。」
「あー、何となくそんな感じするわ。なんでだろーねー?」
「「HAHAHAHAHA!!」」

「おやおや、ここに九州者がおるのに、なぜにお尋ね下さらぬかな?」

鍋島直茂の嫡子、勝茂が進み出た。
一同、佐賀侍of佐賀侍がいるのに気づかず、九州人の陰口叩いていたわけである。

「ご一同申される通り、『九州者は心が一つ足りない』という事、心当たりがありまする。」
「さ、さようで。 して、その心当たりとは?」

「されば、九州者は 『 臆 病 』 の心が一つ、足り申さぬわい。」


ムカムカしながら反撃の言葉を考えていたであろう勝茂の、言ってやった時の顔や
推して知るべし。 (* ̄ー ̄*)
968口の減らない話 3/3:2009/03/19(木) 22:39:10 ID:FCpfuc7j
天正17年(1589)、重陽の節句に聚楽第で諸侯が集まり、秀吉への拝賀の儀があった。

この時、上杉景勝と前田利家が、拝賀の席次でモメた。
奏者番もどちらを先にするか決めかねていると、上杉の家老・直江兼継が進み出て言った。

「わが上杉は、関東管領を継ぐ家柄にござる。」
尾張の田舎侍のごときは後にしろ、と言いたいのである。

『槍の又左』が、口で当代きっての教養人にかなうはずもない。
もはやこれまで、恥かくよりは景勝と刺し違えて…と、利家が腰の物に手を伸ばしたとき、
前田家の家老・村井長頼が、利家を押しのけて発言した。

「直江殿の仰せ、ごもっとも。
しかし、関白殿下は小者の身分から、ご自身の働きにより天下人になられ申した。
われらが殿も、それに及ばずながら、槍一本で手柄を上げ今や三ヶ国の太守にござる。

上杉殿が元よりそれほど高きお家柄ならば、本日の拝賀も無用ではござらぬかな?」

さすがの直江も、言葉に詰まって景勝が無言で制するのに合わせて引き下がり、
前田家が先に秀吉に拝謁した。

その夜、屋敷に帰った利家は長頼を食事に誘い、みずから膳を据え酌をしてやり、
長頼自慢の関羽のごときヒゲをなでながら語った。
「いや、今日オレがオレでいられるのは、このヒゲ殿のおかげよなぁ。」


『口は災いの元』とも申しますんで、そろそろ失礼…
969人間七七四年:2009/03/19(木) 22:46:15 ID:Vyj9NE3b
猫の歯で舌噛み切るのは大変そうだw
でも確かにニャンコ好きは心掴まれる話だ
猫は犬と違って忠誠心ないとか言われるけどそんなことないよな。


>>950
輝元は良いエピソードからも悪い点エピソードからも、どこか
人柄に素直なとこが感じられる気がする。
いや別にやるおキャラになってるからだけじゃなくw
近くに居たら結構好感の持てる部分も多かったんじゃないか。

970人間七七四年:2009/03/19(木) 22:54:08 ID:vDUcZ0F5
良い面、悪い面、両方ともTERUなんだよ
971人間七七四年:2009/03/19(木) 23:04:43 ID:La3cI99D
>>968
> もはやこれまで、恥かくよりは景勝と刺し違えて…

又左口ベタ過ぎだろw
972人間七七四年:2009/03/19(木) 23:23:27 ID:JVrucLag
ってか、刺すなら兼続のほうにしろよな、
景勝からしたらとんだとばっちりのような気がする
973人間七七四年:2009/03/19(木) 23:31:14 ID:H2Ij/ZZ1
>>966
>なんか謙信さんのライバルの所にも、こんなのがいたような

初鹿野さんのことかー!!
974人間七七四年:2009/03/19(木) 23:33:21 ID:brXBhKj/
>>972
上杉家臣一同「あのとき直江が刺されてくれてたら120万石は安泰だったのに…」
975人間七七四年:2009/03/19(木) 23:33:59 ID:/uNYshFm
>>972
どうしても「殿いつ」の景勝が無言で涙流して首ふってる光景が浮かんでしまうw
976人間七七四年:2009/03/19(木) 23:34:07 ID:bTvQv8lm
大事な外交の席で兼続は何やってるんだと
977人間七七四年:2009/03/19(木) 23:56:15 ID:jd8J1dcF
>>967
たぶん、まとめスレにある
けど文章はわかりやすいとおもう
978967:2009/03/20(金) 00:26:25 ID:Grt4mSCR
>>977
Σ(゚д゚lll)ホントだ、直茂タグにあったんだ!
お詫びにいい話かは微妙だけどやっぱり口の減らない話をひとつ…


安藤直次の子・直治が成瀬正成に、所持していた刀を求められた。

「なかなか見事な刀をお持ちではないか。良ければ、頂戴できないだろうか?」
「ああ、これは紀州の鍛冶師が鍛えたものです。差し上げるので、お国の者に見せて
参考にして下され。」

その後しばらくして、正成は直治にもらった刀の切れ味について語った。
「いや、尾張に帰り、重罪人で試し斬りをさせてみましたが、うまく斬れませんでした。
形は良いのに、もったいない!紀州の者に、なお精進するよう、お伝え願いたい。」

「なに、お安い御用です、必ず伝えましょう。
しかし紀州で使えば快く斬れるのに、妙な話ですなあ!!」直治が答えた。

正成は、これに笑って返した。
「なーに、尾張者は骨があり硬いゆえ、尋常の刀では斬れ申さず。
紀州の鍛冶師の腕が悪いわけではござらぬ。その辺りもお伝え下されよ!」

直治も意地になって、
「いやいや!ナマクラでも紀州者はよーく斬りまする。」尾張ノ侍ハ腕力ガ…ブツブツ
979人間七七四年:2009/03/20(金) 00:59:18 ID:hcmu81a0
付き合い上の注意!
相手のお国自慢は受け流しましょう、決して対抗してはいけません
980人間七七四年:2009/03/20(金) 01:06:23 ID:ZjcAObE+
最上でいい話しないですか?
981人間七七四年:2009/03/20(金) 01:21:54 ID:O4+/CkQo
>>978
そこへやってきた鬼武蔵
「どれ、俺がそこもとで試し切りをしてやろう」

美濃からやってきた鬼で身の終わり(尾張)…なんちってw
982人間七七四年:2009/03/20(金) 01:32:20 ID:onLmfyHE
>>967

つ 大友義統
983人間七七四年:2009/03/20(金) 01:33:13 ID:x0KO849u
>>981
座布団をやろう

>>980
次スレよろしく
984人間七七四年:2009/03/20(金) 01:35:03 ID:8CFTbqWG
>>980
いい子だから消えようね
985人間七七四年:2009/03/20(金) 01:37:07 ID:vbxA6G/D
よりによって980が例の荒らしか…
986人間七七四年:2009/03/20(金) 01:41:36 ID:SLi7cLXS
>>985
何でも最上厨のせいにする荒しハケーン
987人間七七四年:2009/03/20(金) 02:25:05 ID:Grt4mSCR
ちょっと立ててきますね
988人間七七四年:2009/03/20(金) 02:33:35 ID:Grt4mSCR
立てますた

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1237483814/

ここを使い切ったら引越して下さい
989人間七七四年:2009/03/20(金) 03:53:53 ID:napAahoc
>>963
他の連中で定番の流れになった時にもそれ言ってくれよ
990人間七七四年:2009/03/20(金) 04:14:48 ID:JgKZSZ+W
お前が言えよ
991人間七七四年:2009/03/20(金) 05:45:25 ID:poCWa/P4
>>980
最上ネタは専用スレあるから
そっちでなら、いくらでもどうぞ
992人間七七四年:2009/03/20(金) 08:21:06 ID:CwHBBCLm
>>991
あれはアンチ最上用の隔離スレ
993人間七七四年:2009/03/20(金) 11:00:18 ID:l0i+GLX0
>>981
相手が三河武士だと返り討ちに遭う
994人間七七四年:2009/03/20(金) 13:27:17 ID:giSdcgou
たまに荒れるときも有るけれど、良スレだよね

995人間七七四年:2009/03/20(金) 13:35:39 ID:CimPFu13
ま、人が集まるってのはそれだけ意見の合わない奴やアレな奴も寄ってくるってことだからな
996人間七七四年:2009/03/20(金) 13:35:59 ID://kodrBV
うめ
997人間七七四年:2009/03/20(金) 13:38:44 ID://kodrBV
うめ
998人間七七四年:2009/03/20(金) 13:41:23 ID:x5bkExVb
仕方ないけどそうそう事
早くも新スレに湧いてるみたいだけど生温かく手出しせず見守ってやって

宇目
999人間七七四年:2009/03/20(金) 13:42:05 ID:H3ahtV/M
うめ
1000人間七七四年:2009/03/20(金) 13:45:45 ID:70xuYuXy
>>1000なら四天王が現代に降臨
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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