1 :
サイコさん:
2 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 13:38:03 ID:M05r3BWb
3 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 13:39:51 ID:jFkS5Hr4
〜FIN〜
4 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 14:22:26 ID:ywl+alOe
1000なら光秀が京都タワーを攻撃する。
5 :
サイコメトリー:2008/10/17(金) 15:15:15 ID:JDMYoI0M
>>1 早速、立てて頂き感謝致します。過去ログまで、感謝致します。
>>2 関連スレ添付感謝致します。
>>3 ・・・・。
>>1さんのおかげでC段目の本能寺考察スレがスタート出来ました。
本能寺考察スレもC段目に入り、戦国マニアの層の厚さを毎回感じております。
過去約3000スレにも及ぶ皆さんの書き込みの中で様々な論点で語ってきま
した。少し前にどなたかが言ってらっしゃいましたが、本能寺の変に関しては、
どの様な突飛説が飛び出しても基本的に全否定出来ない・・、その通りだと
思います。まぁだからこそ、終きない話になるのでしょうね。それでも少し、
過去ログを振り返って流れをまとめたいと思います。
当初は
http://www.ksbookshelf.com/HJ/Why.htm をお題としてスレをスター
トしました。最近は高柳氏の野望説をとんと見かけませんが、このスレも当初
は野望説支持者が多くいました。自分は桑田氏の説を持って高柳説を否定して
いましたが、天下を望む野望ではなく、畿内制覇を目論んだ野望はほぼ間違い
なくあったろうとの多数意見一致となり、複合説の一因となりました。
小和田教授の説の中に有る、秀吉との出世争いに関しても当初何度か話題に
上がりましたが、光秀は織田家中で秀吉とは違い扱いを受けており、いわゆる
戦のみに従事していた分けではない為、秀吉に強い敵愾心もなく、強く意識し
てはいなかろうとの結論に達しました。
桑田氏の怨恨説に関しては、信長の性格性から考えて、何度か諍いはあったと
思われるが、それは誰しにも言える事で怨恨説を決定付ける良質な資料が無く、
『続武者物語』や『義残覚書』や『柏崎物語』やフロイスの『日本史』的な
2次資料しか残存せず、一因としては、疑問符が付く形となりました。
6 :
サイコメトリー:2008/10/17(金) 15:16:23 ID:JDMYoI0M
続き。
数名の氏による、佐久間等の追放による、将来不安説に関しても何度か話題に
なりました。重臣の追放は光秀に対して心理的な不安を与えた事は間違いなか
ろうと。しかし、前記した様に光秀の立場は織田家中で特殊な物であり、切迫
した不安感に苛まれる事はなかろうとの多数意見でした。その不安よりも、嫡
男幼少不安、視力減退不安の方が不安説として支持者が多く、特に嫡男幼少不安
に関しては、複合説の一因になり得るのではないかとの話にもなりました。
二木氏・他説の光秀ノイローゼ説に関しても、何回も話し合われました。
光秀の変前後の動向を鑑みるに病的にも見え、突発的に見えるその行動もノイ
ローゼから来てるものでは、なかろうかとの流れです。心理的に不安要素は多
々あったと考えるに易い光秀だが、変前年の馬揃え奉行等の巧みさを見るに、
それほどの病的な状態には陥ってはいなかったではなかろうかとの意見が
少し多かった様に思います。
源平交替思想が光秀には強く有り、その為に・・・との説も何度かな話し
合われましたが、この説を強く支持した方は、ほぼ皆無でした。そもそも
出生が曖昧な光秀が自身の家柄に強いこだわりを持って、義昭や信長に
仕えたとは到底思えず。むしろ出生など気にしてなかろうとの意見も出て
いました。
近々までよく話題となっています関与説ですが、正直、@Aではほぼ除外され
ていました。関与説として自分が一番初めに取り上げた説はwikiにもある、三重
教授藤田氏の足利義昭関与説です。 下記参照↓↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%A4%89 この説はwiki自体でも疑問符が付けられていて、専門家からも看破された説で、
自説を補強し様とし、更に支離滅裂に陥っていった感が有ります。
関与説であれば桐野氏の朝廷関与説が有名でしたが、本人による説撤回がなさ
れ、現在に至っています。朝廷関与説に関しては何度もこのスレで激論が交わされ
ましたが、三職推任に関わるもの、正親町天皇個人に関わるもの、誠仁親王即位
にまつわるもの等、複数有り、そこに公武確執の今谷氏・立花氏が絡んで来ると
いよいよキリがない〜。公武協調or公武確執は幕末まで続く大事な事ではあるとは
思うけど、事、本能寺の変に関しては、その要因に組入れるのは、いささか強引
過ぎる気がする(私的意見)資料的な決定打が出ない限り、小説の域を越えない
と思います。
簡単なまとめで恐縮ですが、ここまでの結論としては、複合説で有り、要因とし
て決定的な事は畿内制覇の打算的思考が光秀には存在しただろうという推測のみ
になってしまうのかな?
今回新たに立ち上げて頂いた考察スレCに、またまた皆様の忌憚ない意見を
お願い致します。またカキコミをした個人者に対する、否定・中傷のカキコミは
止めて下さい。是非とも皆さんの協力を仰ぎ、『ほぼ間違いなかろう』と確定
出来る要因を確立したいと思います。宜しくお願い致します
7 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 15:35:28 ID:nTNjyVAR
吉川弘文堂の「日本史名場面」って本の本能寺のところに、
「元々足利氏に仕えていた光秀が、チャンスだと見て信長に謀反したのは、別に不思議じゃ無い」と書いてあった。
妙に納得してしまった。
8 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 16:04:16 ID:AsewZg3m
9 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 16:17:53 ID:lzjth4+K
>>6 本能寺スレに歴史有りですね。このスレ楽しみにしてますので、頑張って下さい。
私はあまり知識が無いのですが、明智光秀の謀叛は諌言の一部だと考えておりましたが、このスレを読み初めて、幻想である事を確信しました。
10 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 17:53:29 ID:s69+2aiN
スレ主さん、まとめ乙。
出来たら、保留事項とか関連して出てきた事項もまとめておくべきかな。
ループしやすいからね。
ざっと思いつきで、本城覚書、天正夏記解釈、愛宕百韻、対朝廷関係、
福屋宛文書、光秀出自、視力減退説、いろんな事柄があったな〜。
11 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 18:01:16 ID:zKI1DRIr
>>6 >朝廷関与説に関しては何度もこのスレで激論が交わされましたが、
まとめ乙です。確かスレAでしたか。
近年では、以下の書籍でこの論点が整理されています。
橋本政宣『近世公家社会の研究』[吉川弘文館] 2002年
池享編 『日本の時代史13』 [吉川弘文館] 2003年
基本スレチなんで、内容のコメントは控え書籍の紹介に止めますが。
12 :
サイコメトリー:2008/10/17(金) 18:53:28 ID:JDMYoI0M
>>8 とんでもありません。ありがとうございます。
>>9 ありがとうございます。嬉しいです。
>>10 ありがとうございます。
スイマセン、本城覚書や愛宕百韻等確かにありましたね、まとめ方が大雑把
で申し訳ありません。またご協力お願いします。
>>11 ありがとうございます。
初期段階から付き合って頂き、感謝致します。書籍紹介も非常に有り難いです。
またご協力お願いします。
13 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 19:41:29 ID:tMu7KA1X
商人連合陰謀説◎
朝廷陰謀説★
秀吉野望説○
光秀家康秀吉共闘陰謀説◎◎
光秀単独怨み野望説▲
利休野望説△
14 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 20:30:11 ID:s69+2aiN
>11
内容のコメントも簡単にでいいのでお願いしたいですね。
スレチとはいえ、信長ー朝廷緊張説がある程度定説としてそれが
どう本能寺と結びつくのか証明できない、というのが基本の論でしょうが、
このスレでも出ていた利害の一致、制度防衛、という点では変の背景、
要因の一つとしてはそれなりに意味があるようにも感じます。
もちろん黒幕説としてではなく光秀側の思惑、心情、そういった面での
押さえとしてですが。
15 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 08:18:18 ID:HoHBibLv
>>13 この人、前も来てた人でしょ。どうして◎の説と言えるのかを説明願います。▲説がなぜに信憑性薄いと断言出来るのかも、お願いします。
16 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 11:00:50 ID:/D4ZNwow
>>11 >信長ー朝廷緊張説がある程度定説としてそれが
>どう本能寺と結びつくのか証明できない、というのが基本の論でしょうが
ある程度定説なら、それは単なる有力説でしかない。
上記の論文は公武融和(橋本)・結合論(堀)の立場から、朝尾・今谷・立花説を批判している内容。
荒れるから内容の是非はコメントはしません。
17 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 12:42:39 ID:SVxLdmAY
いつのまに定説になってたんだ?>緊張説
18 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 12:57:18 ID:WSgPnAuZ
>>17 門外漢だから学会でどっちが通説かは知らないが、桐野本の巻末参考文献
から調べた限り、2000年以降は公武緊張論者の論文はなかったように思う。
少なくとも、融和説も緊張説も通説ではないと思った。
ただ、
>>14の利害一致説は要するに複合説+緊張論だろうから、結局スレチ
の公武論の蒸し返しになるのが不愉快だね。
19 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 15:44:55 ID:kTky/FAr
14だけど、前にここや他で公武緊張説が主流と聞いただけなのでね。
桐野が転向したように公武緊張説は陰謀論に結び付けられるので
最近はあまり人気がない、ぐらいに思ってました。
しばらくしたらまた出てくるのじゃないかな。
少し話がズレるけど、朝廷に関する論というのは「天皇」に
直接関わる問題だから、右、左、とバランスを取りながら語られる感じがして
今は皇室関係のテレビとか多いし、融和、的な立場からの意見がより多く
語られているような。
特に立場のある学者の意見というのはどうしても保守的になりやすいでしょうからね。
20 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 15:57:27 ID:snUOqmUj
立場のある学者は動機不明とするだけ
商売しようとしている学者は妄想するだけ
ここはそれらを含めて考察するスレ
21 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 16:08:32 ID:IpaNHXW9
俺は制度防衛説には大方同意かな。
ただ室町幕府体制の防衛ってのは認識の違いがあるかな。
信長と光秀の対立軸は
天皇を一政府機関とみなす織田家を枠組みとした権門体制と、
古来からの皇国史観を基調とした権門体制とのズレが原因だったであろうと考えられる。
22 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 16:27:29 ID:fgpTngI3
皇室を機関とみなす考えなんて、鎌倉時代からあるっつーに。
鎌倉幕府も室町幕府も朝廷をそう扱ったし、細川政元なんて信長よりもっと露骨だし。
23 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 16:31:37 ID:WSgPnAuZ
>>21 前スレの小林説か、小島・小和田説かな。
ズレがあったとして、光秀が謀反するメリットは何?
室町体制のトップの義昭を担がなかった理由は?
制度防衛説はそこらへんが釈然としないんだが、もうちょいkwsk
24 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 16:38:24 ID:P9NQVgth
光秀も戦国武将なのよ。
自身と自家の為以外に命をかけるとは、思えません。義昭だって利用したに過ぎないと思う。制度防衛は無いと思う。
25 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 16:41:12 ID:3JlRf4uw
>光秀も戦国武将なのよ。
自身と自家の為以外に命をかけるとは、思えません。
光秀は戦国武将であると同時に
幕末の志士のような要素というか心情をそこそこ持っていたのかもしれない。
26 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 16:45:30 ID:SVxLdmAY
>>25 >幕末の志士のような要素というか心情をそこそこ持っていたのかもしれない
光秀のどんな言動をもって、そう推測したんですか?
27 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 16:55:00 ID:kTky/FAr
>>23 制度防衛論者ではないが、光秀は旧幕府側の人間であったろうし
野心説を取るにしてもあくまで体制を防衛するというのがあったんじゃないか。
と言うとどうしても朝廷緊張説に近くなってしまうからそっちはおいといてね。
で、義昭を担がなかったのは小林によると義昭自身の将軍としての
能力に見切りをつけていた、みたいになるかな。
だから追放の時も光秀は信長側についてる。
ほんで自身と自家のために体制の中で野心があったのではないだろうか。
小和田の説はあくまで光秀は保守側であった、という程度だけど小林は
信長が室町幕府体制を壊そうとしたから、という明確な理由を出してる。
このあたりは本を読んでもらうしかないけど。
28 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 16:56:14 ID:wtKx+MT5
制度防衛というがその「制度」というのがまったく具体的ではないんだよね。
29 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 16:59:09 ID:kTky/FAr
>>28 繰り返しで悪いけど小林は室町幕府機構と具体的に
言ってますよ。
30 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:01:59 ID:fgpTngI3
だいたい承久の乱のときも建武の新政のときも、「上皇ご謀反」「天皇ご謀反」って言われている。
天皇朝廷が、国家体制のなかの機関だという認識がなければ、「天皇ご謀反」という発想は出てこない。
ついでにいえば信長の「制度」ってものは、室町幕府から大きく離れたものではないことは
それまでの施策からいってもわかりきってる。
制度防衛論ってのは、「革命家信長」っていう「幻想」をベースに作られたものに過ぎないよ。
31 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:04:24 ID:kTky/FAr
>>30 なので、その室町幕府制度を破壊しようとした、という展開なんだ。
ちゃんと小林本読んでる?
そのあたりことはちゃんと書いてあるのだけど。
32 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:05:59 ID:wtKx+MT5
>>29 いつの時代の「室町幕府機構」なんよ?
義昭が追放されて以降の「室町幕府機構」?
33 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:07:26 ID:P9NQVgth
まず一つの前提。
幕末の志士と戦国武将の心持ちは違うよ。
また、志士の想う勤皇と戦国武将が想う室町制度とは根本的にまるで違うよ。
制度防衛論者に問いたいのだが、戦国武将の誰が制度防衛に順じたかな?
義昭自体だってさ、制度防衛を念頭に動いたとは思えない。
34 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:09:31 ID:kTky/FAr
>>32 奉公衆とか奉行衆とかの室町のシステムのことらしい。
信長が追放後もこのシステムに依存したことは事実で、だからこそ
旧幕臣もそれまでは従ったのだが、信長がそのシステムに手を出そうとした
ので、自身と自家を守るためにもなるし、行動起こした、というとこだ。
35 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:11:09 ID:kTky/FAr
>>33 義昭は将軍なんだから制度防衛の一番大元だと思うけど?
36 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:15:49 ID:fgpTngI3
奉行衆は、あの当時なら、京都市中の奉行程度の機能しかもっていないし、
奉公衆にいたっては、明応の政変の時にもう、有名無実になってるし。
37 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:22:36 ID:kTky/FAr
その京都市中というのの持つ重要性とかそういうように小林本では
展開されてなかったっけ?将軍権力を支えた直臣みたいな。
ところで小林本読んでるのでしょうね。
そうすればちゃんと書いてあると思うのだけど。
38 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:38:22 ID:P9NQVgth
>>35 その大元の義昭自体が室町制度防衛なんて考えてなかったって事よ。自己保身に終始してただけじゃん。
>>37 小林本だか誰本だか知らんが、読んで様がなかろうが、たいした意味はない。
39 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:43:31 ID:SVxLdmAY
>>34 奉公衆も奉行衆も信長政権下ではまったく活用されていなんですけど?
>>37 京都市中においても、信長政権下では京行政から外されてますよ。
40 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:43:40 ID:kTky/FAr
>>38 24で制度防衛はないというのに、前の23で問題になってる小和田、小林
の各制度防衛について書かれた本を読んでないとは意味不明では。
あなたの言う制度防衛とはなんなのでしょう。
41 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:51:30 ID:kTky/FAr
>>39 そのあたりは小林に聞いてもらうしかない。
義昭追放後のことは、依存、というのは言いすぎで、引継ぎ
ぐらいが正しいのかもしれないが。
42 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 18:09:48 ID:HoHBibLv
>>40 室町の権威は確かに存在した事は間違いないけど、義栄・義昭ともに台頭する戦国大名が利用する為に作った存在じゃん。自らが作っておいて、室町の権威に目覚めたとでも言うの?他人の本をかさに語る前にさぁ、まず制度防衛してた人物を教えてよ。
質問返しはその後にして下さい。
43 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 18:25:06 ID:WSgPnAuZ
小林本は斜め読みしかしていないから、偉そうなことを言えないが
信長権力すなわち、信長の王権論が何かをまず設定しないとだめなんじゃね?
それで、信長権力と旧制度の矛盾点とかが出てきて、それを守るため(制度防衛)
光秀が謀反したって論の運びだと思うが。
そーすると、公武論みたく王権論もスレチになりそうだが…
44 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 18:29:20 ID:wtKx+MT5
ちなみに守るべき制度があったとして、その制度の恩恵にあずかっていた人は具体的には誰々なんでしょうか?
45 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 20:34:01 ID:9afHfZ1t
正親町天皇本人ではないか?
46 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 20:34:55 ID:fgpTngI3
室町幕府の制度で?わけわからん。
47 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 21:14:10 ID:P9NQVgth
正親町、誠仁に限らず、天皇家など実力者にへばり付くの寄生虫でしかないよ。何故、正親町とか特別扱いされるか分からん?
仮に黒幕が正親町で結果として、秀吉・家康が天下になっていったわけだが、正親町・誠仁が望んだ形となったと言えるの?
何らかの口利きが光秀にあったかもしれない、天皇直の口利きで光秀の心が揺らいだ可能性は義昭室町制度防衛論よりはマシの気がするが、他の関与説とあまり変わらないと思う。
48 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 21:14:24 ID:9afHfZ1t
守るべき制度=室町幕府ではなく天皇制
49 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 21:16:05 ID:9afHfZ1t
>正親町とか特別扱いされるか分からん
正親町天皇は有能な策士だからだろう。
無能ぞろいの幕末の公家の中で
例外的に岩倉具視が有能だったのと同じ。
50 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 21:18:44 ID:fgpTngI3
まだ信長が天皇制をどうこうしようとしたなんて、トンチキな説を信じている人間がいるのか。
51 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 21:28:43 ID:ejJvWS7g
正親町帝が有能な策士だったという痕跡が見当たらないな。
足利義昭が有能な策士だった、と言ったほうがまだ説得力があるくらいだ。
52 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 21:33:36 ID:HoHBibLv
だからその有能な策士たる正親町が何したのよ?
岩倉具視が有能なのは同意だが、正親町と同じ様に考えるのは違うと思うよ。
天皇制の意識が当時の大名・武将にどの程度の影響力があったんだ?少なくとも天皇の為に死んだ、殉じた戦国の人物など聞いた事がない。
53 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 00:50:13 ID:3phuuerk
>42
室町の権威、を「義栄・義昭ともに台頭する戦国名が利用する為に作った存在じゃん。自らが作っておいて、
室町の権威に目覚めたとでも言うの?」という前提がおかしい。
まず、そちらの主張点はなんなのでしょう。
制度防衛の基本、ってそれはその時代に生きてる全ての基本でしょう。
親、子、親族、友人、ダチ、これを守る、のをわざわざ「史料にない」という
反論もどうかと思います。
制度防衛した人物、それは全ての人物、ではないでしょうか。
54 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 00:52:14 ID:14eHSeUh
日本語がおかしい
55 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 01:25:12 ID:+K3NtrYm
>>44 普通に考えれば、室町幕府旧奉公衆・奉行衆で義昭追放後は袂を分って信長に仕えた面々となるんでしょう。
ところが、それら旧幕臣で、光秀に同調して変に参加した人物がいないというのがなんとも。
(信長直臣でなく、明智家に仕えた旧幕臣メンバーは除く)
>>53 詭弁にもなっていない、としかいいようがない。
56 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 02:42:38 ID:3phuuerk
>>55 それは前にもさんざん語られたけど、光秀個人の突発的行動で
説明できない?
制度防衛というのは別に組織犯罪でもないし。
だもんで、光秀が保守的として、朝廷を守ろうが幕府を守ろうがそれはともかく
個人の野心としたら結果的に旧体制を守るようにみえるわけだし、それは
考慮すべきじゃないかな。
そういう意味でスレチという意味もわかるけど、信長ー朝廷説は背景として
押さえておくべきと思うし、制度防衛説も同様と思う。
四国政策説の大元でもそこに戻るような気もする。
もう一度1568まで戻って、シンプルに考えて見たほうがよくないかな。
これだけ詳しい人たちがそれなりの権力と能力を持っていたとして
何をどう考えるか。
これは、重要と思う。
本能寺は案外普通で、その後にとんでもないことがおき続けたから
逆算で、本能寺がどぇりゃあことに見える、という視点ね。
自分は秀吉と家康がとんでもにゃぁと思ってるもんで、ちと別の視点で
みてみたいもんで。
57 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 06:40:04 ID:sBL6fXT8
>>56 > 朝廷を守ろうが幕府を守ろうがそれはともかく
> 個人の野心としたら結果的に旧体制を守るようにみえるわけだし、それは
> 考慮すべきじゃないかな。
もう無茶苦茶だな。
結果論として旧体制を守ったように見えるからなんなの?
(個人的な意見としては旧体制を守ったようにはまったく見えないけどね)
光秀の動機と無関係じゃん。
だとしたら、
> 信長ー朝廷説は背景として
> 押さえておくべきと思うし、制度防衛説も同様と思う。
なんて意見は噴飯物でしかない。
58 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 08:27:19 ID:GxaUIeih
>>53 返答して頂き、ありがとうございます。しかしながら、正直に言わせて頂くと、貴方の見解は、拡大解釈及び論点がズレズレです。
制度防衛が全ての人に当て嵌まる基本??
近親や知人を守る事も制度防衛の基本??
貴方の脳内妄想は否定しないが、本能寺の変や戦国時代には全くそわないよ。
貴方の解釈は宗教色が濃すぎる。
59 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 09:31:55 ID:7iebRwCo
>>53 制度防衛が全ての人に有るってさぁ、本能寺考察スレに現代的偏った思考回路を持ち込むなよ〜。
あんたが言ってる事は、物事の犯意は全て制度防衛から成るってのと一緒だぜ。
60 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 12:21:47 ID:fH/HjMUU
>>56 >もう一度1568まで戻って、シンプルに考えて見たほうがよくないかな。
「宗及他会記」天正10年正月によれば、
@信長は光秀を一番に安土城の御幸の間に招待し
A7日の光秀主催の茶会では床の間に信長直筆の書を掛けた 記事がある。
この記録を虚心に読めば、天正10年正月時点では光秀・信長にわだかまりはないといえる。
よって、「シンプルに考える」ならばこの時点以降のトラブルに注目すべきやと思う。
73年で旧体制が終了したのに、それ以降の信長・光秀間の体制の在り方をめぐる衝突の事実の
傍証すらできない制度防衛説なんて妄想だよ。
61 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 12:42:28 ID:Tj4csE8U
安土城の御幸の間ってのは、
天守から見下ろす位置に天皇を泊める構造だな。
不穏な建築様式だ。
62 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 12:49:03 ID:14eHSeUh
>>61 あれが御幸の間ってのも後世の想像に過ぎないわけだが…
63 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 12:55:01 ID:CiHOEOel
例えそうだとしても、「天皇の泊まる所を見下ろす」というのが当時どれ程のタブーだったかという知識無しには何とも言えないしね。
現代なら皇居を見下ろしたところで別になんともならないわけであるし。
64 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 13:20:12 ID:14eHSeUh
つーか安土城で不敬なら、聚楽第は何だっつー話だわな。
65 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 14:08:01 ID:+K3NtrYm
>>56 変が光秀の突発的行動だとしても、その後のことでですよ。
具体例を挙げると、光秀が本能寺で信長を襲った6月2日から山崎合戦の13日まで約10日。
この間に光秀に同心した武将は結構いて、挙げていけば
尾張の水野氏
近江の阿閉、山崎、後藤、京極、多賀、小川、久徳氏
若狭の武田、武藤、内藤氏
大和の井戸氏
などです。ところが旧幕臣で参加したものがいません。何故でしょう?
また、光秀が室町制度防衛の為に決起したのなら、利害を一致する旧幕臣連中には、
当然変後でも味方に加わるよう誘いをかけるでしょう。ところがすでに言ったように、
光秀に同調した旧幕臣はいません。何故ですか?
66 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 14:12:17 ID:GxaUIeih
>>60 へうげの山田氏から言わせると、信長の書をこれみよがしに見せる事自体、光秀のブラフとしてるよ。
67 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 14:16:04 ID:qPp6St7L
何で伊勢貞興等は抜いてるの?
超作為的抽出?
68 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 14:26:12 ID:+K3NtrYm
>>67 伊勢貞興は義昭追放後は明智家に仕官した身。
参加するのが当然の立場で、わざわざだす理由がない。
>65は明智家の家来ではない、明智家の反乱に参加する直接の理由は無いのに
参加したメンバー。その中に旧幕臣はいない。
光秀が制度防衛の為に決起したというのなら、不思議な話だねえ。
69 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 14:46:53 ID:qPp6St7L
明智家に仕官??
一職支配権の組下に属してるだけじゃん。
70 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 20:00:24 ID:7iebRwCo
家族制度防衛支持者の返答を待っているんだが、今頃、制度防衛に勤しんでいるんだろうか。
戦国時代の武将に限らず、人間の本能は自己防衛でしょ。同じ防衛でも全く違う。
71 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 22:07:39 ID:Wulo7E3c
そもそも何で小林本なんかが俎上に上がるのか分からん。
谷口などは「飛躍に飛躍を重ねており説得力がない」と
切り捨てているのに。
72 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 12:19:40 ID:wxpNuOXD
関与と言えば、少なからず、光秀と各将それなり接点はあるでしょうが、接点のみ。様々な憶測は可能だが、一辺の根拠も証拠もない。状況証拠もこじつけ以外の何物でもなく、光秀単独実行は不変。
73 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 12:56:44 ID:rAiY9eUc
一周してみると、そもそも本能寺の変のどこに謎があるのか?という思いがしてならん。
74 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 12:58:51 ID:atgcrood
謎があることにしたい人間が多いからだろうね。
原因は信長が、うかつにも無警戒に畿内に軍事的空白を作ったこと。これに尽きる。
75 :
サイコメトリー:2008/10/20(月) 16:21:12 ID:FEWeiFqU
数日でこの伸び、皆さんの興味の高さが伺えますね〜。
反面、
>>72さんや
>>73さんみたいに、さして謎など無いとのご意見も新鮮ですね。
『討てる状況があったから討った』左記はほぼ確定と言えるでしょうね。
文献的に一番古い惟任退治記でも分かる様に、光秀謀反は後付けで利用した者の
方が多いという見解も確かに有るね。
76 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 17:12:15 ID:5rP+Dv0T
77 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 18:09:32 ID:lRxmmGqh
日本史の2大冤罪事件
・本能寺の変
明らかに明智光秀(&明智家臣)の単独犯行なのに
朝廷・イエズス会・義昭・家康・秀吉・堺の商人など真犯人呼ばわりされる被害者多数
・近江屋事件
明らかに京都見廻組(&京都守護職)の犯行なのに
薩摩・土佐・新撰組など犯人呼ばわりされる被害者多数
78 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 18:37:14 ID:gT0EsUks
>>74 よく言われるんだけどね、実際にはそう空白ってわけでもない。
大坂には渡海待ちとはいえ一万規模の軍隊があったし、大和は筒井も含めて、
摂津の池田もそのまま。そして近江の信長直轄軍も健在。
ただし、天正十年六月一日から二日にかけての京という、実に限定されたピンポイントな
空間においては軍事的に空白だった。それだって、おそらく、あと一日〜二日もすれば
近江美濃から西征のための軍兵が集って解消されたことだったろう。
この空白スポットに信長信忠と言う政権のナンバー1ナンバー2が同時に揃ってしまったことが
織田政権にとって致命傷になった。
79 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 21:07:01 ID:Keao7c2F
時期に関していえば、元親記にも記述があるね。
「斎藤内蔵助は四国の儀を気遣に存ずるによって也、明智殿謀叛の事いよいよ差し急がるる」
この記述は四国説にも持ち出されるけど、これを見る限りは四国政策に強く不満を抱いているのは利三で
光秀は間接的に作用を受けた程度なのだろうね。
80 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 21:22:18 ID:yO8NK8dR
利三って、光秀が謀反起こさなくても、そのうち家督争いなんか明智家の御家騒動をおこしていそう。
81 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 23:22:28 ID:Qo04w7EA
俺はオカルト好きなんで聞き流して欲しいんだが
信長=牛頭天王=鬼 光秀=幼名、桃丸 ここに興味津々です。
鬼退治といえば桃。この中国伝来の寓話が偶然なのか。。。
しかし世界中の神話の雄牛と蛇の対立を考えると
安土に据えられた石は蛇系のご神体が石であるアラハバキっぽいのに、信長自身は牛系を祭ってる。
この矛盾とか考えるともう頭がパンクです。
82 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 23:46:13 ID:jROiR4Uf
↑
懐かしいフレーズですな先生、お元気でしたかw
83 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 02:05:46 ID:+lJpfX5h
>信長=牛頭天王
このこじつけの根拠は?
84 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 06:33:16 ID:mjS59oSJ
ああ、大庭かw
85 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 09:03:15 ID:HR1qXb6+
>>73-74 それは思う。
分かりやすいのはamazonの藤本本や桐野本のレビュー。
高い評価を与えた評者も必ずしも藤本や桐野に全面賛同しているわけじゃない。
検証の綿密さや厳正さを認めた上で
その不備や疑問の余地をきちんと指摘している。
それなのに低い評価を出してる連中ときたら
感情的に
〃〃∩ _, ,_
⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ!
`ヽ_つ__つ 光秀の単独謀反なんてヤダ
他に黒幕がいなきゃヤダ
ジタバタ
こんな感じで喚いているだけ。
まともに史実を検証しようというつもりが最初からない。
86 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 10:32:06 ID:a1xvshmK
あいつら
本能寺の変の検証本の結論が
史実通りで明智の単独犯
だったら怒りだすからなあ
何を期待してんだ
87 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 10:33:29 ID:VRa4pw0W
陰謀論者が陰謀論以外の結論を頭から受け付けないのと一緒だな。
88 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 13:26:13 ID:2H3Z6R4e
>>86 光秀が誠実で義に厚い人だったと信じたい人には、単独犯説は都合が悪いからな。
それだと、いくら信長に「いじめられていたからだ!」(真偽は別として)と主張したところで、結局ただの謀反人でしかないし。
朝廷黒幕説なら「朝廷を守るため」と言え、秀吉黒幕説なら「汚い秀吉に騙されて」と言える。他の陰謀論も似たようなもの。
89 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 13:31:43 ID:VRa4pw0W
島左近に言わせると、光秀は松永久秀と同じラインの人間だったそうで。
まあこれは、自分の主君三成が「あの二人くらい決断力があったら…」って、嘆いているのだが。
90 :
サイコメトリー:2008/10/21(火) 18:40:07 ID:fc4ZhbFd
島左近好きだな〜変には関係が無いけど・・。
>>88 確かに光秀は故事典礼に通じた誠実な武将なるイメージが先行しがちの感は有る。
しかし実際は
>>89やフロイスの日本史でもある様に謀略や陰謀を得意とする戦国人
らしい武将なんだよきっと。義景〜義昭〜信長って仕官する流れは相当な人物じゃ
なきゃ作れないと思うし、イメージだけじゃなく足利や朝廷に様々な取次が出来る
所を見ると、それなりの教養と知識を兼ね備えた人物なのは、ほぼ間違いないと思う。
でも、戦国期に生きてる武将だからね〜十分酷い事もやって来てるハズだよ。光秀
の誠実なイメージは判官贔屓者に作られたイメージであって実際の人物像はフロイス
のそれに近いのかも。そもそも謀反=悪って概念が戦国期の武将達には存在したのか
なとも思ってしまう、勝てば官軍ではないが、書き込んでいる内にあながち高柳野望
説も有りかなって思えて来てしまった・・・。
松永久秀や荒木村重が信長に反旗を翻した時も、その時までの織田軍の勢いや情勢を
冷静に判断した上での行動とは思えない。荒木に至っては本願寺勢や毛利勢が上昇
気流に乗っている織田軍を本気で止められると思っていたとも思えない。松永・荒木
・光秀、何か通じる所があったのだろうか。
91 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 19:41:14 ID:hw2dvdsi
/\
/ \
 ̄j ̄ ̄ ̄l_
、,/ \ ゙゙゙゙゙̄>、
i"___,,,,,、、 ---‐'" 」
l____,,、、--‐‐、''"
/ .l;;;;;;;;;;;;i
. / l;;;;;;;;;;;l
. |__ __,,,, l;;;、r.、!
'、__` ´_,, l;;;'.'´ l
|'゙'` ノ ."'゙''"´ l;;'` ' ノ
|. / 、, .、_ノ;| 黒幕?いねーよ。
l ` '' l ヾ'、
ヽ. --- / ./l l\、
ヽ ''' ノ ///:::::::`i`''-.、_
,、-r‐''ヽ、,,,,,、.- '" .//./:::::::::::l l
'"´ .| |::::|ヽ、 .,r'./ /:::::::::::;' l
92 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 19:47:41 ID:VRa4pw0W
今日本屋で見た戦国時代のビジュアルガイドみたいな本、光秀がおっそろしく美系になってて
ちょっとクラっときた。
戦国時代の戦術とか城攻めの事とか解説してる本だったのだが、あんな本までああいう
ビジュアルが必要なのか。
93 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 20:24:34 ID:SaKjnbf5
あれ、制度防衛の話終わっちゃった?
いろいろ言ってたようだけどどうも小和田、小林の本とか読んでもない
のにカキコしてる人たちが多そうだったからかな。
要約してたのは本自体の内容とは全然違うから一度読んでみて
制度防衛とはどういう意味か、を知った上でまた話題にしてほしいな。
94 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 20:30:22 ID:HtvPi9pc
固定観念とは恐ろしいね。森乱や沖田など、描かれたら、楊貴妃もまっ青って感じ。
95 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 20:31:51 ID:VRa4pw0W
「信者には何を言っても無駄」の、典型みたいな書き込みだな。
「制度防衛」を「創価学会」に変えても通用する。
96 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 20:36:22 ID:TElBelDd
97 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 20:41:17 ID:SaKjnbf5
>>95 93だけど自分に対するレスだった?
自分は制度防衛なんてどうでもいいけど小和田の以前からの
それと最近の小林は全然違うからそういった意味で言ったのだけど。
特に小林は最後のオチがすごいからあまり知られてないのが
意外なくらいだぞい。
98 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 22:19:28 ID:G52eTRQ7
>>93 話題にしたい、議論がしたいのなら自分でまず何か論じたら?
制度防衛論への反論にたいしてまともな再反論がないから議論が続かないのだし。
99 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 23:29:16 ID:SaKjnbf5
というか、片方は本を読んでて片方が読んでない、のでは話に
なってない、と思っただけ。
最初のうちは、制度防衛についての質問が出てたんだけど、途中からは
本を読んでない人の部分的反論が出てきてちょっとおかしな感じがしたから。
制度防衛論への反論と言っても、共通の「制度防衛」という認識がなってない
のだからありゃみたいな。
なんか、反論のための反論、というふいんきもあったからね。
特に小林に関しては制度防衛と言っても結構中世から近世への移行とか
ごちゃごちゃ書いてあるもんだから、それに対する具体的反論と言うのは
面白そうだと思ってね。
谷口にはあっさり数行で片付けられてたけど。
小林自体は光秀個人犯行説をとりながら従来の研究を「個人レベルに矮小化しすぎる」
という根本の立場から始めてたような気がする。
そのあたりから誰か反論してくれないかなとは思ってね。
それだけだ。邪魔した。
100 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 23:32:12 ID:VRa4pw0W
信長は制度的にはまだ中世どっぷりじゃん。
室町幕府のほうがよほど近世的な感覚もっとる。
101 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 23:39:35 ID:SaKjnbf5
自己レスだが、IDが、作人、だ。
すげぇ〜。
102 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 00:06:36 ID:tzzAx8HF
リアルで「ふいんき」という奴を久しぶりに見た
103 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 00:20:08 ID:zI792soj
>>99 >誰か反論してくれないかなとは思ってね
だから、まず自分でやったら?
あと「反論者は全て小林論文を読まずに反論している」って根拠はなに?
104 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 00:30:22 ID:MxUyty8E
ID:SaKjnbf5が信長の過大評価スレで信長の事をヤンキーのにいちゃんと
言ってた奴とどうしても被って見えるのは俺だけだろうか。
105 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 09:18:11 ID:cvr1uZI9
>>99 オレ、その本を読んでないので疑問はぶつけたけど、反論はしてないよ。
それに対しての納得のいく答えはまったく返ってこなかったけど……
> 従来の研究を「個人レベルに矮小化しすぎる」
なんかもう結論ありき、とまでは言わないけど願望ありきな感じがするね。
誰か小林氏の主張を簡潔にまとめてくれないか?
信長が壊そうとしていた制度は具体的には何で、それに対してだけ光秀が抵抗する説得ある根拠を。
106 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 09:48:12 ID:SLhoUvy9
>>97 >特に小林は最後のオチがすごいからあまり知られてないのが
>意外なくらいだぞい
例の補論かw
光秀のトンチキな人物比定は目をつぶるとしても、氏は光慶を何者だと
思っているんだ?
>>99 >基本的というか、片方は本を読んでて片方が読んでない、のでは話に
>なってない、と思っただけ。
立花・小林の岩田書院本は8000円する高い本だから、所有している人の
ほうが少ないと思うぞ。かくいうオレも大学で閲覧しただけだが。
あと、小林・小島の論は制度防衛ってことで一致しているが、根本的疑問と
して
>>105のいう「それに対してだけ光秀が抵抗する説得ある根拠」がないよね。
また、制度崩壊(73年か)以降変(82年)まで10年もあるのにただの一度も
「信長と光秀が体制をめぐって衝突した」って事実が証明されていない。
頃すほど許せない相手ならば、口論のひとつでもあってしかるべきだと思うが。
107 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 09:59:37 ID:2+5A9/D8
時系列と経緯の無視は、先ず結論ありきのトンデモ論の特徴だな。
108 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 10:52:47 ID:cvr1uZI9
またその「制度」を守る理由は観念的なものなのか?
権益によるものなのか?
どっちなの?
109 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 11:05:00 ID:oqb5uGmr
謀叛であり、裏切りでありは、その代償があって初めて起こりうる。
110 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 11:49:05 ID:BDAhpy+Q
>時系列と経緯の無視は、先ず結論ありきのトンデモ論の特徴だな。
立花理論ですね。
後になってキリシタンに関わりもった人間は
ずっと以前から潜在キリシタンで
イエズス会のまわしものでつ
111 :
106:2008/10/22(水) 12:47:01 ID:SLhoUvy9
制度防衛説への疑問
・光秀は幕府代表者としての信長の客将であり、その地位は家康に準ずる
両者の書札礼の相違を無視か?
・本能寺の変は幕府奉公衆による制度防衛である
光秀直臣の丹波・近江滋賀郡の武士の立場より与力が中心かよ?
・信長と光秀の軋轢の発端は甲州陣中の「我ら骨折云々」の件である
出典が俗書なのは目をつぶっても、「我ら」=「我ら奉公衆」ってどうして
解釈できるの?
・甲州陣後の在荘は謹慎の意味である
曲解
・家康饗応での光秀の失敗に対して信長が処断できなかったのは光秀と信長
が対等である証拠である
???
・三職推任中征夷大将軍が家康に任命される予定であった
ソースが足利治乱記って?
・制度防衛のため光秀は細川家臣の米田を使って将軍予定者の家康襲撃を計画した
???
・織田政権は足利政権に寄生し、その体質は山崎の合戦までかわることはなかった
じゃ、光秀が守るべき制度はそもそも崩壊してないじゃんwww
ど素人の批評が気にくわんというひとは以下の三鬼先生の書評を参照して
ttp://www.iwata-shoin.co.jp/shohyo/sho589.htm
112 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 14:05:32 ID:8sDH7n3r
>>105 専門論文集だから簡潔にまとめるのも難儀だろう。
具体的とか説得ある根拠というのならまずは本読まないと
話が進まない。
というのもあれなので、光秀個人の努力のみで出世したのじゃなく
旧幕府勢力の影響力が強かった、というのを紹介しておく。
その影響力ってなに?と聞かれても答えようが無いが
高柳、染谷とかの考証を元にしてるらしい。
なので、幕府側の中でも有力であった光秀が実行したのは
光秀が一番実力あったというかその恩恵を受けていたから、
みたいになるのかな。
自分は小林説を支持してるわけでもないからそこのところは
頼むね。
113 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 14:18:48 ID:cvr1uZI9
>>112 > 旧幕府勢力の影響力が強かった
光秀の出世=光秀のバックを含めた勢力の力を信長が買ったもの
という理解でいいのかな?
現代日本で例えると、
義昭=永田町、光秀ら=霞ヶ関。
で、
「永田町で政変が起きても(信長による義昭追放)、オレたち霞ヶ関には関係ねえ」
と思ってたら、
「あれ?信長の野郎、霞ヶ関にまで手を出してきやがった、光秀、お前何とかしろ」
↓
本能寺の変
って主張なのかな?
まあ、例がかなり乱暴だけどw
114 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 14:30:36 ID:8sDH7n3r
>>113 いやなかなかの例えだw
ただこういう話だとそれこそ矮小化されてるし説明にまた
引用しなくてはいけなくて同じことになってしまうから、
図書館にでも行って読まれたらいいと思うよ。
捕論のぶっとびは一見に値するし「義昭を追放はしても
解官できなかったのはどうして」みたいな論もそれなりには
面白い。よくわからないけど。
結局制度防衛というからあれなだけで、個人の損得、という
意味では四国政策説も似たようなものだと思うし、個人の犯行の
根拠と言うか背景と言うかその一つとして見てたのだけどね。
115 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 16:29:14 ID:4PrclXjG
結局の所、該当本なり論文では、光秀がどういう権益を守ろうor得ようとしたかは、
具体的な内容は論じてないってことかな?
116 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 17:36:39 ID:8sDH7n3r
山のように論じてる。
室町幕府の政治構造とかから始まってなかったかな。
具体的かどうかは読んだ人それぞれだろう。
上のほうであげられてた橋本の本なんて800ページ
以上ある。
重さも2〜3キロはありそう。持ってる人はいるのかな。
117 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 17:38:15 ID:2+5A9/D8
「自分は支持しているわけじゃ無いけど〜」といいながら、
一生懸命議論を押し付けてくるのは、典型的な狂信者の特徴なんだよね。
118 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 17:49:13 ID:FkAbK1Id
>>115 >>116 >具体的かどうかは読んだ人それぞれだろう
いちおう読んだけど、
>>115の疑問には具体的とは答えたとはいえない。
小林本は「室町末期〜織豊時代の権力体制の推移」の論文としてはよい本だと思うが、
本能寺の変にからめた時点で破綻している。
あたかも、織豊時代の公武論としてはよい本だった立花本が、本能寺の変にからめたため
に破綻したのとよく似ているな。
スレチだけど、橋本氏の公武論は堀氏よりも無理がなくって支持している。
ぶ厚すぎて全部は到底読めないがw
119 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 17:57:45 ID:8sDH7n3r
>>118 さすがに全部読めないよね、あれ。
立場が立場だから安心して読める論文なんだけど
今読み返すと内容が古く感じたりするかな。
それと、本能寺にからめると破綻する、という点では
今谷が大先輩だろう。
120 :
11:2008/10/22(水) 18:09:45 ID:FkAbK1Id
>>119 >>11の橋本本の公武論本体は80年代初出の論文だから古いけど、三職推任の論文は2000初出のネタ
だから内容は古くない。
>>11の池編本で立花女史の師匠(?)の池氏が、公武緊張論の立場でオババ
の黒幕説にエールを送っていたのにはぶっとんだがw
つーことで、制度防衛論は終了でFA?
121 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 19:10:53 ID:cvr1uZI9
いいんじゃない?
結局、本能寺の変を起こした理由を光秀の「個人レベルに矮小化しすぎる」といいつつ、「室町制度防衛」とぶち上げた割には守るべき制度はその中のごく一部だけに矮小化。
さらに「制度防衛」となにやら観念的な述語を持ち出してるが、言ってみれば本願寺が信長と対立したのと同じ理由でしかない。
本願寺だって宗旨を否定されたのではなく、権益という点で対立しただけ。
要するにそれだけのことでしかない。
しかも「本能寺の変」まではかなりの飛躍が感じられ、(少なくともここで小林氏の主張を持ち出した人の言説を見る限りでは)説得力が無い。
もっとこの論を掘り下げたいなら、
光秀が守ろうとした制度とは以前のレスによると奉行衆・奉公衆らしいが、
・それらは具体的には誰々で、
・本能寺の変まではどう動き、
・本能寺の変のときはどう動き、
・本能寺の変後から山崎の戦いまでどう動き、
・山崎の戦い以後どうなったか?
過去にも一部上げてるかもしれないが、これらの点についてぜひ知りたい。
122 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 22:15:03 ID:0Qnwei4o
>>120 ありがとう。
橋本は論文の初出年に気をつけて見てみる。
池はもう一つ、今谷に反論したようなのもあったでしょう、あれと日本史の時代
13は内容がダブってるように感じてたけど論文の年代にこちらも
気をつけてみてみるわ。
内容はスレチっぽいから語れないのが残念だけどね。
123 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 22:31:32 ID:0Qnwei4o
>>121 だね。
内容を簡潔に紹介したかったけどどうしても微妙な違いが出てくるし
「読んでみてほしい」というのは決して威張って言ってるのではなくて
ぜひ知りたい、と言うのならそれなりに読む価値はありますよ、ぐらいの意味
でね。
ただ今後、制度防衛論はもう否定された、説得力がない、という結論になってしまうと
なんか誤解を与えたようで悪いし、あくまでここでの引用の言説のヘタクソさ、と
言うぐらいでいいかな。
ちなみに最後の「・本能寺の変のときはどう動き」だけど、これがその捕論で
近来このぐらいブットビ説はなかなかないというぐらいだから、これは
期待してもらっていいと思うw
124 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 23:28:08 ID:BDAhpy+Q
>それと、本能寺にからめると破綻する、という点では
>今谷が大先輩だろう。
今谷は何かヘンなこと書いてたっけ。
長々と公武のかけひきを論じたあとで
本能寺の変?
朝廷とは無関係に明智光秀が謀反したわけですが
朝廷が関与した証拠があるのかよ
あるなら出してみろよm9(^ω^)pgr
しか覚えてないや
125 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 23:35:25 ID:2+5A9/D8
> 本能寺の変?
> 朝廷とは無関係に明智光秀が謀反したわけですが
> 朝廷が関与した証拠があるのかよ
> あるなら出してみろよm9(^ω^)pgr
きわめて理性的な考え方だな。
126 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 14:56:44 ID:rTF0IH3G
公武のかけひきに敗れた信長は発狂した、それが安土城建設や
自らの神格化につながるのだろう、ってとこだったか。秀吉ならともかく
信長晩年発狂説には驚いたもんだった。
127 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 19:48:22 ID:zi17UXe9
どこかのサイトに変は、信長と光秀が組んで、京の不平分子をおびき出す為の作戦だったと書いてあった。
いつから新撰組の話になったのかと思い、続けて読んだが、結局その作戦実行中に光秀が裏切り、信長を襲ったとの顛末。
128 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 20:31:23 ID:Eo7/499w
>>123 結局、それについて論じたいというわけではなく、「このぐらいブットビ説はなかなかないというぐらいだから」読んでねという宣伝したかっただけなのか?
129 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 22:40:07 ID:f78Tkx+/
>>126 ああ自己神格らへんの話か。
本能寺にからめると論が破綻する、とかいうから
光秀の単独犯行でどっかおかしいのかと考え込んだよ。
というか今谷説
そらないだろというくらい正親町天皇の政治力評価持ち上げておいて
オチが
明智光秀が勝手に謀反したんだよーんm9(^ω^)pgr
椅子から転がり落ちかけたよ
130 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 22:42:08 ID:/LpgPX/C
正親町に政治力があることと、光秀が反乱起こした事とは、全く別の事象だろうに。
131 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 23:54:53 ID:W3hD1o9I
学説だと今谷の室町の王権は評価されてるけど、信長と朝廷は評価低いんだよね。
132 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 23:59:16 ID:80+x8xaD
内容の是非はともかく、本人は公武論をメインに考察したかっただけで、変についてはさして踏み込まず
史料から判る範囲のことで纏めたんだろ。テキトーに論をでっちあげるよりマトモじゃないかな。
133 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 04:52:56 ID:KKIn5rNO
134 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 10:11:54 ID:0r3eirbW
>>114 制度防衛説(小林)も朝廷黒幕説(立花)も「矮小化」を嫌って変を大きな政治変革
として考察するから破綻するんじゃね?
たまたま頃した相手が超大物だから、そういう視点を指向するのはわからんでもないが
なぜ謀反のひとつにすぎない本能寺だけそういう視点を持ち込む積極的理由に乏しい気
がする。
「矮小化」っていうとネガティブイメージだが、光秀にとっては自分の栄華と一族・
家臣の幸せが一番大事だろうから、MAX「明智家のため」MIN「自身のため」の
レベルで矮小化して説明がつくならそれでいいと思うけどね。
四国取次は明智家の権益だから矮小化のレベルの範囲内やと思うが。
135 :
サイコメトリー:2008/10/24(金) 10:54:09 ID:91+uBA5b
まぁまぁ制度防衛関連は支持者のレスが停滞気味ですので、
一息いれましょう〜よ。
136 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 10:56:56 ID:5KSLE+c9
>>134 何かスケールの大きな黒幕の陰謀が裏にないと何事も納得出来ない人もいるんだよ。
ところで黒幕=フリーメイソン説ってあったっけ?w
137 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 12:42:59 ID:d++tKUBp
クトゥルーと宇宙人とイスラム妖術師は知っているけれど※伝奇小説です!
フリーメーソンは知らないなあ(笑)
でもスケールの大きな黒幕説の最大の欠点は
「織田信長を排除した闇勢力をあっさり出し抜いて天下簒奪の太閤殿下SUGEEEEEEEEE!!化け物カヨ!!」
という結論になってしまうことだろうな。
イエズス会も朝廷も堺の商人も織田体制より待遇悪くなってないか?
138 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 18:54:07 ID:sgA7/bxr
話が鬼武者になって来てるぞ〜い。
139 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 19:19:45 ID:vh6PJD8I
おいおい『歴読』12月号で桐野は、今更「永禄六年諸役人附」(実際には谷口克広の『織田信長家臣人名辞典』のそれ)を
引き合いに光秀が義輝の直臣であった可能性を述べているが、そんなんで中日文化センターでの講座は大丈夫なのか?
140 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 22:37:39 ID:wIunTfBM
ここには濃姫黒幕説なんか唱えるキチガイはいないよね?
141 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 01:43:41 ID:kR6A1msE
婆羅門の一族が光秀を操って襲撃させたり
忍者の頭領が賭けの取立てで信長の首級狙ったり
さすが第六天魔王さまはソッチ方面では大活躍
>>137 たしか荒巻義雄が小説『猿飛佐助』で、フリーメイソンだったかその前身組織だったが
本能寺を企んでついでに後の家康も影から操って、日本国を江戸時代のようなロクで
ない暗黒社会にして、日本の活力・エネルギーを鎖国と言うカタチで封じ込めようとした
のだ!という紺碧ばりのトンデモ小説を書いていた。もちろん最終的には徳川と家康を
打倒して日本は世界に進出して活躍するというバラ色の未来を提示して終わる、後に
大流行する歴史IF小説、その原形。
142 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 01:47:31 ID:3j1RAKq8
>>137 クトゥルーってw
信長か光秀のSAN値が無くなりでもしたのかw?
143 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 01:52:16 ID:o358G3Sk
関係ないけど秀吉が大村由己に作らせた「天正記」の本能寺の変では信長は、
寝室に美女を何人も入れてご乱行プレイの真っ最中に明知軍に囲まれるんだよな。
144 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 13:59:20 ID:lVe86sWu
信長の野望でも本能寺の変は最大イベントですね。
やはり、それだけの歴史的出来事との認識なんでしょうね。
ゲームヲタで戦国にそれほど詳しくない私から言うのは恐縮ですが、光秀も秀吉も家康も目の前に起こった出来事を自分の判断で最大限に利用しただけじゃないでしょうか。
私も複合説に賛成ですが、いくつかの要素を抱えて悶々と懊悩してる所に最高の機会が現れた、これが最も素直な真相だと思います。
145 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 15:01:37 ID:w4eL5nZF
本能寺の変
犯人:光秀単独犯
動機:野望4割、不安・怨恨1割、魔がさした5割
146 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 15:07:50 ID:o358G3Sk
江戸記の講談じゃ、「森蘭丸にいびられて」が、理由の7,8割だったなw
これに何らかの信憑性はあるのだろうか?
147 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 15:17:46 ID:IDqJsHV7
徳川の甲信進出を正当化するために森や川尻は駄目人間にされた
148 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 17:08:33 ID:QRJPs3tr
激しく遅レス。
>>22>>30 まず機関化に対しての見識がおかしい。
美濃部の天皇機関説でもそもそも機関説とは何かを理解してない右翼軍人とかが
「畏れ多くも天皇陛下を機関車機関銃に喩えるとは何事か」と批難してたけど、それと一緒の誤解してるわ。
機関化とは蔑ろにする事ではない。
その体系内に役割を明確にして立場を確保する事。つまり保護と統制。
【権門体制】
┌公家(執政)
治天 ┤寺社(護持)
└武家(守護)
「天皇ご謀反」って指摘の通り既に鎌倉幕府と朝廷の権力の逆転が起こってるわけだけど、
それを理由に機関化は早計だな。
黒田俊雄の権門論だと、治天の位置に天皇がくるわけだし、
東国国家論だと幕府を朝廷から独立した中世国家とみなすくらいなんだから。
それに御成敗式目でも朝廷公家の権益には不介入を明記してるのだから、
独立しながらも相互補完的関係にあったという程度でしょ。
ttp://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/nobunaga.html 一方で信長の政権の場合リンク先にもあるように、
朝廷に正統性を求めた信長の政道は旧権復興の勤皇的行為として捉えられていたわけだけど、
信長が政権の完成をそこに置いてはいなかったことは、安土の調査や龍の朱印からも論じられている。
途中で悪いんだけど、出かけるのでまたあと続き書くわ
149 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 17:35:26 ID:fLRH3Sqm
>>146 よくよく考えればとんでもない話だな、それw
150 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 17:37:15 ID:o358G3Sk
151 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 03:35:04 ID:Ul+FLwB8
>>139 そこはどうなの?
わしも引用したけど光秀が旧幕臣であったってのは、いきなりの
登場の仕方とかも含めて、可能性だろ、じゃなくて事実っぽくない?
あの「天下の面目ー」もだけど、そこらの馬の骨を重用していきなり
「面目ー」ではなんかね。
光秀の屋敷に宿泊した方こそ重視して、光秀足利重要幕臣説、から
もう少しどうだろう。
中日文化センター行くから、マジレス要点頼む。
桐野の「お答え」まで想定して言ってもらえるとうれしい。
入会金3000円が厳しいもんで。
152 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 04:22:50 ID:xZ0En+/5
光秀は足利の重要幕臣というよりも
義昭に才能を認められて
「1代幕臣」的に抜擢された可能性はあると思う。
153 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 09:13:42 ID:uiJvTY8x
明智氏は昔から奉公衆に名前が見えますが・・・
154 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 09:33:48 ID:9Fh4XVgb
@土岐明智氏は、15〜16世紀の幕府奉公衆の番帳に載っている。
A「永禄六年〜」の義輝の方に石谷頼辰が載っており、斎藤利三繋がりで光秀と繋がる可能性あり。
状況証拠っぽいのはあるけど結局決めてに欠けるか。
155 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 09:51:44 ID:pPDrlHfn
>土岐明智氏は、15〜16世紀の幕府奉公衆の番帳に載っている。
応仁の乱以降は有名無実の「名義貸し」みたいな状況になっていたのではないか?
156 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 09:54:35 ID:qswYHBAq
なにより光秀自身が本当に土岐明智氏なのか確証が無いしな。
157 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 10:00:14 ID:0tzAxyG9
朝倉に仕えたってのは当時の史料では確認できなのでしょ?
158 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 10:57:36 ID:W8aAy7sB
朝倉に仕えたってのは当時の史料では確認できなのでしょ? ←×
朝倉に仕えたってのは当時の史料では確認できるのでしょうか? ←○
159 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 17:55:37 ID:6QAigJ6a
朝倉に仕えていたのは、文献上でハッキリしてた様に思ったが。
160 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 09:45:45 ID:NBThLRI2
>>129-132 信長の公武対立が広まったの
てっきり今谷の「信長と天皇」あたりからかと思っていたら
桐野や立花の本能寺の変の朝廷黒幕説の方が先なんだな。
誰が最初にいいだしたんだろ。
161 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 10:03:14 ID:GEHaiTQi
>>159 ソースは越前の知人に宛てた書状と、編纂史料の「細川家記」のみ。
「武家実紀」には朝倉家臣の黒坂景久の家臣とあるね。
この本の史料価値は低いが、朝倉直臣ならば、「朝倉軍談」などの朝倉家軍記物
に光秀が登場してもおかしくないが、軍記物に光秀はできこない。
妄想すれば、朝倉家臣ではなく朝倉陪臣だったのではなかろうか?
細川藤孝に仕官していたことは、「日本史」・「多聞院日記」に記述
があるから信用できると思うので、幕臣というより陪臣ではなかろうか。
いつ直臣になったのかは知らないが光秀の経歴としては、
黒坂家臣→細川家臣→幕臣、と妄想してみる。
162 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 12:42:51 ID:W6eFAwO7
>>161 光秀が当初、藤孝の配下にあったことは『老人雑話』にも語られるところでもあり、
その可能性は否定できないんじゃないかな。
ただ後の両者の立場の逆転は細川家にとって屈辱的なことから、そのサイドからも
朝倉の旧臣という経歴が捏造されたんじゃないかな。
義昭主従が若狭に逃れてきた折に藤孝と出会い陪臣として越前に入り、縁戚関係を
以って信長に重用されるや直臣に引き立てられたというのが真相じゃないかな。
163 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 13:09:42 ID:/lzyEw0K
>ただ後の両者の立場の逆転は細川家にとって屈辱的
指揮権は 明智 > 細川 になっても
官位は 細川 > 明智 のままではなかったか?
164 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 13:18:42 ID:6mJkEM6t
>>152 いや幕臣なんてのはそんな訳の分からん人物がなれるもんじゃないのよ
165 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 15:08:11 ID:GEHaiTQi
>>156 『立入左京亮入道隆左記』には「美濃国ときの随分衆也」、
『濃陽諸士伝』には「明智十兵衛殿は土岐の支族にて、可児明智の庄に
住居あるによって在名なり」とある。
また、『兼見卿記』には美濃から光秀の親類が来て坂本に訪問した記事、
『西教寺文書』の光秀家臣の交名には美濃可児庄出身者の名前があるから、
光秀が土岐支族との確証はともかく、美濃出身ってのは事実とみてよいと思う。
>>162 記憶があいまいだが、『老人雑話』では細川家臣の米田の家来って記述じゃなか
ったっけ?
>朝倉の旧臣という経歴が捏造されたんじゃないかな。
竹宛て書状があるし、光秀の越前屋敷跡とされる場所では光秀の祠が現在まで祀ら
れているから、あながちねつ造だとは思わないが。
166 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 16:02:20 ID:vSvRAysR
あと光秀自身の「・・・瓦礫沈淪之輩・・・」という言葉がどの程度真実なのか。
言葉から受ける印象では、幕臣としてそれなりの地位に居たとは思えないんだが。
織田家宛ての文章で遜るならまだしも、家中の軍法だしな。
単なる大げさな言い回しかもしれないけど、周囲からも成り上がり者とみられていたからこそ
とも思えるし。
167 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 17:34:10 ID:GEHaiTQi
参考までに「美濃国諸旧記」(成立1640年頃)という俗書によると、光秀の前半生は
@弘治年間に居城を義龍に攻撃され落去
A6年間諸国放浪
B永禄5年に朝倉義景に仕官
C永禄11年より義昭の推挙で信長に仕官、とある。
見たらわかるとおり、この経歴は「明智軍記」(成立元禄年間)の元ネタに
なっている。史料価値は低い本だが、細川仕官の話が出てきていないのが興味深いね。
>>166 その表現は『当代記』 の「一僕の者、朝夕の飲食さへ乏かりし身」に合致するね。
168 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 20:10:05 ID:W6eFAwO7
>>167 >細川仕官の話が出てきていないのが興味深いね。
「人の口に戸は立てられない」って言うからね。同時代を生きた人間の記録と、
後代の人間の憶測の違いだろうね。
>その表現は『当代記』 の「一僕の者、朝夕の飲食さへ乏かりし身」に合致するね。
まさに「軍法」のそれを受けたものだろうね。
169 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 21:53:49 ID:VF70Q0aX
このスレ見てたら本能寺の変に興味がわいてきたよ。なんかお勧めの本ある?
戦国時代のことは申し訳程度しか知らないからそんな俺にも読みやすいのを教えてくだされ。
170 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 22:14:04 ID:cvKcfSlh
171 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 10:00:37 ID:Nm7I7p4o
172 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 20:02:47 ID:Z1o/G8fr
細川藤孝は明智光秀と密かに計画して光秀の家人溝尾庄兵衛、三宅藤兵衛に二十余人をもって
七月十六日に、朝倉の一乗谷から出てきた将軍足利義昭に供奉させ穴間の谷から若子橋を越え
仏ヶ原のところでは、光秀自身が五百余人で迎え、ここから美濃の立政寺へ二十五日に入り二十七日に信長と対面した。
500人もの動員が出来たって事は、それなりに碌貰ってたって事か。
173 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 20:39:59 ID:w9QoQQA3
レンタルで動員したのかもしれん。
麻生が駅前で演説すると草加市民のサクラが拍手するのと同じ。
174 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 04:46:35 ID:Pqrv4P7R
みんな色々考え過ぎだよ。前にも誰かが言ってたが、変に複雑要素は無いよ。
175 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 10:40:38 ID:1WV8JrAi
光秀の被害妄想が頂点に達した。その被害妄想は重臣にも感染していた。
そして謀反後の読みが浅かった。
いくらこういうことは秘密保持が大切と言っても
「信長殺しました。味方になって、重用するよ。」って言われてもね。
176 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 11:30:06 ID:b6Ae5I3q
はやりの感染ですか?
177 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 14:46:21 ID:r465V9Un
光秀が上洛した時には
本能寺は焼けていた。
わけワカラメのうちに犯人にされてしまった
変後の光秀の行動がチグハグたったり
朝廷や諸侯への工作がおそ松
なのはそのせい
元々、信長襲撃の予定など無かったので
準備も根回しもしてなかった
178 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 17:53:34 ID:d/xe9nIT
>>154 奉行衆には明智中務少輔・兵庫頭・左馬助の三家がいたらしいが、光秀の官途の
「日向守 ヒュウガノカミ」は「兵庫頭 ヒョウゴノカミ」をもじったものでは
なかろうか?
妄想スマソ。
179 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 03:14:23 ID:Cc/HoLEK
殿中御掟だと光秀の敬称が『明智十兵衛殿』で殿付けなんだよね。
信長からは立場的に幕臣の扱いを受けながら取次ぎ役を果たしてる。
この書状の一文をwikiから転載
公儀に対し奉り、忠節の輩に、御恩賞・御褒美を加えられたく候と雖も、領中等之なきに於ては、
信長分領の内を以ても、上意次第に申し付くべきの事
(将軍家に対して忠節を尽くした者に恩賞・褒美をやりたくても、将軍には領地が無いのだから、
信長が分国の中で都合をつけることにすること)。
つまりこの時光秀も幕臣でありながら、信長より領地を宛行されている状態なわけだな。
180 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 06:42:52 ID:YGuhLmE3
>>179 通常、二君に仕えずが一般的解釈とされがちだが、戦国時代には別の価値観が存在したって事だね。
まぁ光秀ほど非凡な者がいなかった為に通例が他にほぼ無いんだろうね。
181 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 15:26:07 ID:bjDtT7xK
いわゆる「両属」だな。
182 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 18:48:36 ID:zN9/LLsa
やはり戦国時代は特殊なのかな?いわゆる忠臣ってニュアンスは戦国期と江戸期じゃまるで別物だね。
謀叛の概念も違うのだろうね。
183 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 18:56:22 ID:8otsF4EK
つーか戦国に限らず、武士の発生時点から「両属」、さらには3つ以上の主君に仕える形は
普通に存在した。
むしろ戦国になってから、家臣は一人の主君のみに仕える形が、少しずつ広まった。
江戸期の主君、家臣の関係はその集大成。
184 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 07:41:45 ID:7OexLF+/
>>165 >記憶があいまいだが、『老人雑話』では細川家臣の米田の家来って記述じゃなかったっけ?
いいや、米田の虐めが元で細川家を離れ信長に仕え大出世した、と書かれてるよ。
しかも興味深いのは、本来、義昭の奈良脱出に活躍し幕臣として出世していてもよいハズの
米田自身が、光秀と入れ替わるように幕臣から細川家臣に転じていることだね。
≫朝倉の旧臣という経歴がされたんじゃないかな。
>竹宛て書状があるし、越前屋敷跡とされる場所では光秀の祠が現在まで祀ら れているから、
あながちねつ造だとは思わないが。
地元にとっては、朝倉を滅ぼした信長を討った光秀を英雄と祭ったとしてもおかしくないよ。
それに、親しくした知人だっていただろう。
185 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 11:02:15 ID:XghiCVS1
>>184 >いいや、米田の虐めが元で細川家を離れ信長に仕え大出世した、と書かれてるよ。
そうやったな。米田のいじめがらみでは、給付された所領が荒れ地でそのときの苦労
で鍛えられた光秀が大成して、米田にお礼を言ったとかいう逸話も残ってるよね。
>地元にとっては、朝倉を滅ぼした信長を討った光秀を英雄と祭ったとしてもおかしくないよ。
光秀と朝倉の関係を示唆するのは「豊鑑」(1632年成立)が初見かな。
同書は「光秀は越前を放浪して極貧生活だった」って記述だけだが、そこから「光秀が朝倉家に
仕官した」って逸話に変化したのかなあ。
朝倉にとって光秀が英雄ならば、朝倉関係の軍記物に光秀が登場しないのが解せないが。
186 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 12:21:03 ID:7OexLF+/
>>185 >朝倉にとって光秀が英雄ならば、朝倉関係の軍記物に光秀が登場しないのが解せないが。
家臣としてではなく、信長を討った恩人として英雄視されたってことだろうね。
187 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 13:32:32 ID:erdgUvpQ
朝倉がそれほど越前国衆から慕われていたとは初耳だ
188 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 13:50:01 ID:O1uOsHhC
朝倉云々以前に、織田は明らかに侵略軍だしねえ。
189 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 20:04:08 ID:O1uOsHhC
【もう一つの京都】(1)本能寺の変 異説飛び交う事件の真相は
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081102/acd0811021813003-n1.htm ただ、政変自体があっさりと遂行されたように、この「歴史のミステリー」をめぐる背景も
極めて現実的だったのではなかろうか。
歴史作家の桐野作人氏は著書「だれが信長を殺したのか」(PHP新書)で指摘している。
「本能寺の変は決して劇的なものではなかった。黒幕もいなければ、光秀がなんらかの
大義名分を振りかざした義戦でもなかった」
■ ■ ■
光秀の肉声を示す記述は数少ないが、両者の関係が蜜月から決裂へと変遷した過程は
かいま見ることができる。
天正8(1580)年、信長は延暦寺焼き討ちや丹波・丹後攻めで功績を挙げた光秀を「天下の面目を
ほどこした」とたたえている。
2年後の茶会の際には光秀が床に信長の書を飾っており、光秀も信長に信服していた様子がうかがえる。
しかしその年の5月、両者は対立に転じる。
7日、信長は光秀を取り次ぎとして、長年友好関係にあった土佐の長宗我部元親に領土の
一部返納を迫り、拒否されると出陣を決断した。
光秀は、自らの家中と元親家中に親密な親族関係を抱えていた。桐野氏は「光秀から見れば面目を
失わせるほどの屈辱だったはずで、織田家中での勢力後退をもたらす可能性が大きかった」と指摘する。
15日には、光秀が信長に言葉を返し、信長が怒りをこめて光秀を足げにした様子も目撃されている。
これらの出来事がどれだけ影響を与えたかはわからない。しかし約半月後、信長が手薄な軍勢で
京都に立ち寄った“偶然”をとらえ、光秀は確かに本能寺に兵を向けたのである。
190 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 02:35:17 ID:YCB29JZU
191 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 03:54:27 ID:fjqpzYaU
>平清盛は平家でない
白河天皇のご落胤説が有力なんだっけ。
192 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 10:18:51 ID:Fx5suuT0
当時の人々が残した記録に、やたら光秀が細川藤孝の家臣であったことが記されているにも関わらず、
当の細川家の記録や後代の文献にそれが伝えられていないのは、徹底した隠蔽工作が図られたからじゃ
ないかな。
193 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 11:48:56 ID:1s40YTre
そりゃあ謀反人と関わり合いがあったってのは家にとって恥だからな
194 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 10:41:50 ID:PLyyx0/p
秀吉は確実に黒だよな。
ミッチーの謀反を事前に知っていなきゃあのタイミングで講和&強行軍なんて不可能。
逆にその時京都にいながら、逃げるしかできなかった家康は白としか考えられない。
195 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 12:00:50 ID:SjeRwG07
中国にいた秀吉と畿内にいた光秀がどこでどうやって接触するんだ?
秀吉が黒幕といってる奴は確実にキチガイ
196 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 12:02:50 ID:ScHh9Mx0
徳川家康の堺見物に同行していた織田信忠が、父親の上洛を聞きつけて京都へ引き返して謀反に巻き込まれて死亡とか
四国渡海直前の織田信孝と丹羽長秀が、たまたま四国征伐軍本隊から離れていたせいで対処に遅れて兵にトンズラされたとか
織田信澄が去就を迷って大阪城に引きこもっているうちに、信孝・長秀に疑われて殺されたとか
明智光秀が近江平定を優先させたせいで、摂津衆がまだ去就を決めていない上に信孝・長秀も健在だったこととか
どれも秀吉が根まわししていたわけですね。
分かります。
197 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 13:12:45 ID:JbbIEkCK
実は信忠が黒幕だったが、最後の最後で光秀に裏切られた説。
198 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 13:14:09 ID:PLyyx0/p
光秀を除いて信長の周りに大した兵力が無い状態になることは
分かっていたわけだから、打ち合わせぐらいできる。
信忠が京都に居てたのは光秀にとっても秀吉にとっても嬉しい
誤算だろ。
199 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 13:43:42 ID:DpgycP3w
>織田信澄が去就を迷って大阪城に引きこもっているうちに、
信孝・長秀に疑われて殺されたとか
織田信澄は去就を迷っていない。明確にアケチンを討とうとしていた。
200 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 20:13:20 ID:Sun7n6Dn
明確にアケチンを討とうとしてたのに、討とうともしなかった信孝たちに
殺されちゃったのか。
親子そろってかわいうそうやのぉ。
201 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 20:25:09 ID:BIc9nbA4
織田信澄は軍事的才能があったようにも思うが
信長が警戒して、城塞守備とか兵站とかやらせていたような気もする。
202 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 16:20:36 ID:V3MrJ+Bo
立花京子『信長と十字架』読んだ後で
八切止夫『信長殺し、光秀ではない』を久しぶりに読んだら
書いてあることがえらいまともに思えた。
オレもトンデモ説に免疫できちゃったかなあ・・・
203 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 18:08:22 ID:LCdSrYv3
生活安全課のボツボツキモデブ●創価●警官名言集www
「俺の脅迫のおかげで家から出れなくした。俺の手柄だ!」
「昼間は市役所のパトロール隊を使う。夜は消防団を使う。」
「●指導●じゃない、パトロールを●お願い●してるだけだ。人権侵害行為は俺の責任じゃない!」
熊本隆談www
204 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 19:18:02 ID:LvRXr72w
真保の小説はどのくらいのトンデモ度なんだろう。
誰か読んだ人、頼む。
205 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 05:56:48 ID:TpMe6vVH
細川藤孝が、光秀への秘めたる嫉妬から謀叛を唆し決意させ、自らは秀吉に通じていて
光秀を自滅に追いやったとするあたりは研究本をよく読んでるなと思われ、忍者の暗躍や
天海の件も小説としては「お決まり」として許せる範囲だと言えるが、ただ未だに
正親町天皇主導で信長との「公武対立」があったとするのは如何なものかな。
最近では、むしろ正親町天皇自身は譲位を望んでいたが信長側がそれを焦らしていたと
する説が提唱されており、当時、実質的に天皇と見られていた誠仁親王と信長との確執
として描いていれば、勧修寺晴豊の役割なども際立ち、もっと斬新なものに為ったと
思われるだけに残念だね。
ただ、加藤廣なんかよりは余程トンデモ度は低いよ。
206 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 12:28:10 ID:k5v08Zsg
そなのか、さんきゅ。
天皇が譲位を望んでいたのを焦らせていた件だけど、馬揃えの後のあのやりとりの
時にも「方角が悪い」と譲位を延期要請してきたのは天皇側じゃなくて信長のほう、というのを
京子ちゃんが言ってたのだったっけ。
橋本もそれに関しては同意してたみたいで、この点、京子ちゃんは自分の説にとっては不利な
ことを言ってるようでもあるんだけど、これは「譲位をしたかったら言うこと聞け」みたいな
対立にもって行きたいということなのかな。
なんか単純な公武対立じゃなくて、ややこしい関係になってるようで、これがたまにここでも
出る「緊張説」ってとこなのかな。
論文の発表年代かんちがいしてたら申し訳ないが。
207 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 12:43:57 ID:NORRAaKs
>単純な公武対立じゃなくて、ややこしい関係になってるよう
朝廷と武家政権はそういうパターンが多いね。
208 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 16:24:46 ID:V3VC8rbU
A説が有力とか言ってもその根拠がwikiだったり雑誌だったりで
いったいどこが有力なんだよと
209 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 17:27:02 ID:bxKljBfY
>>208 >A説が有力とか言ってもその根拠がwikiだったり雑誌だったりで
>いったいどこが有力なんだよと
確かにw
>>205 >最近では、むしろ正親町天皇自身は譲位を望んでいたが信長側がそれを焦らしていたと
>する説が提唱されており
誰の説?近年対立論者の論文は見たことがない。
堀の論文では学会の関心は公武論より王権論にシフトしているって書いていたが。
>小説
中山義秀「咲庵」、井上靖「幽鬼」レベルの小説が読みたいな。
最近の小説は黒幕がどーしたとか、光秀そっちのけの小説ばっかでつまらん。
主役は光秀だろ!って言いたいね。
210 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 19:29:39 ID:k5v08Zsg
205じゃないけど、上に出てた橋本の本で1573の時の譲位の話で
信長のほうが延期を望んだのはなんらかの優位にたとうとしたのか、
みたいなことが書いてあった。
もちろん橋本は対立論じゃないけどそれがずっと経って馬揃え後譲位の時も
そんなように同じようなことが起きたのかな、とか思った。
橋本なんて正規の研究者が京子ちゃんに訂正されて同意するというのも
すごいことだと思ったから、馬揃え後譲位でも信長の方が延期希望したと
いうのは正しいのかな、とね。
ほんでそれは従来の対立説の否定にはなるのだけど、また別の意味での
ややこしい関係になってくるのかな、とそんなように感じたんだ。
実力者が二人いるんだから何らかの力学が発生するのは普通でそれを
緊張説みたいに表現するのは妥当だろうけど、どうしても対立説と混同され
やすいからそれがネックなんだよね。
で、堀の論文というのはどういうの?
日本の時代史13は読んだけど、それ以降なのかな。
211 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 19:49:44 ID:rpZnDfWN
>>210 >上に出てた橋本の本で1573の時の譲位の話で
>信長のほうが延期を望んだのはなんらかの優位にたとうとしたのか、
>みたいなことが書いてあった
その部分は80年代初出の論文の再載じゃね?三職推任の部分だけが新ネタ
でしょ。
>で、堀の論文というのはどういうの?
「歴史評論」2005年の論文で、テーマは王権論だったかな〜
堀の結合論、橋本の融和論だって、いわゆる牧歌的融和論ではなく衝突があった
ことは否定してない。そこだけ取り上げて対立って言われてもね…
いずれにせよ、公武論争は過去の遺物だよ。
212 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 19:55:27 ID:hZi5pneb
100ある内の1つや2つで同意がなされてないように見える部分があるからと言って全体的に両者の関係は緊張ないし対立していたというのは飛躍があるなあ。
別に朝廷と信長が一枚岩である必要はないが、両者は互いに互いを必要としており利という点で蜜月状態にあったのは間違いがないだろう。
譲位の件で仮に意見の相違があったとしてもその蜜月関係をご破算にするほど重大であったとはとても思えん。
213 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 21:03:29 ID:Csff2m06
フロイスは信長の王権政策のあり方が変因になった事を公式の見解にしてるんだよね。
214 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 21:16:10 ID:XD3awMaP
してねーよ
215 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 21:58:20 ID:Csff2m06
してねーならなんで西教史の史観が朝廷暗躍説になってるの?
谷口が否定してるのはそういった西洋史観なんだけど。
してねーというかしらねーだけなんだろ。
216 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 22:01:01 ID:XD3awMaP
>>215 > してねーならなんで西教史の史観が朝廷暗躍説になってるの?
どっかで頭のおかしい陰謀説を吹き込まれてきたか?
217 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 22:27:33 ID:7xZvwa4t
学者連中の興味が特定説に有るか無いかで、ある説が過去の遺物
になるという発想がそもそもおかしい
その学者あるいはそのグループがある説を推進しているに過ぎないでしょ
218 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 22:30:00 ID:Csff2m06
>>216 はいはい、無知ワロスワロス。
西教史では神格化の記事の後半に「上帝ハ天威を輝カシ之ヲ誅スルナリ」と記してるんだよ。
219 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 22:52:51 ID:Csff2m06
鈴木説は自説に都合のいい、フロイスの光秀人物評の部分は強調して引用したがるのに、
こういった都合の悪い部分はスルーだからな。
あれだけ他説の我田引水な論を批難してるくせに自身がやってるんだから世話ないわ。
220 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 23:25:02 ID:XD3awMaP
>>218 もしかしてキミ…
> 上帝
これの意味を解ってないのか?
221 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 23:34:51 ID:k5v08Zsg
>>211 さんきゅ、堀のは読んでみるわ。
橋本のは新ネタがいきなり入るからなんか流れの認識がおかしくなってるかもしれないと思ってね。
池と比べると、衝突があったことは確実だろうから、要はその後の感想というか
捕らえ方というか、そのあたりが違ってるだけみたいなんだけどね。
ちなみに自分は堀はどうも苦手だ。
蜜月関係というのも100%は同意しかねる部分があってね。
222 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 23:50:17 ID:Csff2m06
神格化の部分で神と使い分けてるし、さらにこの上帝は各王を統括する存在である事を述べている。
西教史における各王は大名をさしているので、この記事で上帝を示すのは天皇。
で、そっちが言いたい事はなに?
質問ばっかりしないで答えてくれ。
223 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 12:00:45 ID:MZAVxA9c
>>217 公武論自体が過去の遺物って言っただけで、融和説・対立説どっちかが定説
だから過去の遺物だとは言っていない。
対立説の新論文がでりゃ論点が深化するだろうが、対立説のホープ(?)の
オババがああなってしもて…
桐野・立花(・谷口)の公武論は、80年代の朝尾・藤木・脇田・橋本、90年代
の今谷・堀・池ら研究者の論文の焼き直しにすぎないよ。
224 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 12:37:33 ID:J0maUHfp
>>223 過去の遺物という言葉にはマイナスイメージがあると思うけど
なぜ公武論をマイナスイメージで語らなければならないのかが分からない。
225 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 21:27:20 ID:DLntxqQR
で、馬揃え後の譲位延期は朝廷ではなく信長が言い出したこと、という京子ちゃんの
指摘はどういう評価なの?
これによって8〜90年代の論もまた修正とかにはならないのかな。
少なくとも過去の遺物になりかけた論でも、それなりに話題にはなるだろうし
単に各専門家が自分なりに結論出して興味失ってはいおしまい、というのは論自体ではなく
個人の問題だと思うのだけど。
だもんで焼き直しにはすぎなくてもそれなりに前進はしてるようには感じる。
226 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 13:45:22 ID:nLUV7oqJ
>>211 堀は 「歴史評論」04年5月号やろ。
桐野は「歴史評論」05年9月号に三職推任の論文書いているね。
>>225の評価はここに書いてある。桐野PHP本には書いていない内容
だから読んでも損はないと思う。立花(申され)と橋本(贈官位)を批判
しとるな。
公武論ってホンマに過去の遺物なの?ソースは?
227 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 13:47:11 ID:w+XFgYBi
>>226 ソースはまともな歴史学者の本能寺に関する著作全般
228 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 14:15:39 ID:VzWTvPNp
>>227 どの学者が「まとも」かなんて人によるだろ。そもそも専門馬鹿の学者を
そんなに有り難がってもしょうがない。そういう説もありますねというだけ。
229 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 14:16:27 ID:w+XFgYBi
専門知識の無い奴ほど専門家をバカにする不思議。
230 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 15:00:41 ID:DYWtNgC2
>>226 さんきゅ。
そのあたりの論文はまだ本にはなってないのか、全然知らないから参考になるな。
日本歴史とかはここ数年は目を通してたけど、あまり該当するのがなかったようだった。
231 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 15:04:35 ID:PjsjR6Eq
そうかなぁ?
批判云々は別として、ある程度の予備知識がなきゃ専門家に意見出来ない気がするが。
232 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 15:25:38 ID:ZCGlPv9q
細川の殿の家に代々伝えられてたりしないかな。
真相が・・。
233 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 15:56:09 ID:/+QghEPp
本当に学問としてとらえているなら過去の遺物なんていう多数決論理で語ってはいけない
多数決論理は学問ではない
234 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 15:57:53 ID:w+XFgYBi
多数決じゃなくて議論として過去の遺物なんだよ。
未だに天動説やってるようなもんだ。
235 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 16:30:07 ID:qfRrL/zp
>>230 >日本歴史
堀が06年にちょこっと書いてたな。
>>232 >細川の殿の家に代々伝えられてたりしないかな。
>真相が・・。
「綿考輯録」を編纂する際に記録が抹殺・改鼠されたんじゃね?
細川のアホがせっかくのお宝を台無しにして…
236 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 16:45:25 ID:/+QghEPp
>>234 それを天動説だと思っているのはあなたもしくはあなたと同様の意見の持ち主。
他の人が天動説だと思い込む必要はない。
237 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 22:26:38 ID:PjsjR6Eq
天動説の例えはね〜べ。
238 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 22:32:12 ID:IASLmL85
確かに細川はキーマンだったもんな。
天皇制や公家をどうするか、外交やキリスト教の扱いなど、
全部一通り情報持ってそうだし。
239 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 12:26:13 ID:O+83gfAj
若い頃はみんなトンがっていて
本能寺の変は謀略だ
光秀以外に黒幕がいるんだと
騒ぎたてるもんだけれどもな
年くって丸くなると
ねえねえ光秀の単独謀反でどこがおかしいの?
ねえねえ何で黒幕なんか必要あんの?といいだすものなのだよ。
桐野作人の陰に隠れて目立たないけれども
津本陽も井沢元彦も加来耕三もみんなそうだ。
240 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 15:30:16 ID:WG8N+gMa
結局、単独なんだろうな。
光秀が朝廷と織田の小さな行き違いや、
その他信長の政権に内包されている数々の問題を見て、
こりゃ俺の時代じゃないかと神様か悪魔がとりついたんだろう。
241 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 15:34:04 ID:fpLUCQGR
本能寺の頃は信長が軍隊を直接指揮しなくなって久しいし、「現場」の事が
よく把握できなくなっていたのだろうな>信長
そこに光秀の付け入る隙が出来たのだろう。
242 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 15:58:15 ID:6dR/GKYe
信長が最後に軍隊を直接指揮したのはどの合戦だ?
あと信長が最後に苦戦というか辛勝した戦いはどの合戦だろう?
243 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 16:09:44 ID:fpLUCQGR
>>242 > 信長が最後に軍隊を直接指揮したのはどの合戦だ?
長篠の戦
244 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 16:50:29 ID:6dR/GKYe
その後、本願寺や雑賀攻めは指揮していなかったかな?
245 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 17:16:01 ID:fpLUCQGR
記憶違いだった。
天正五年二月のの雑賀攻めまでだね、信長が軍を直接指揮したのは。
すいませんでした。
246 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 18:00:08 ID:d4pC1oIa
すべての謎は因果率により決まる。信長、光秀、秀吉のそれは必然と言える。
247 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 19:33:01 ID:uGuwycq4
最近、出版された「真実の「日本戦史」」という本の中で、本能寺の変が取り上げられていました。
明智光秀は、織田信忠を討ち取るのに、何らのケアを施していなかったことから、野望説はあり得ない、と主張されていました。
私としては、明智光秀が、信長を討つのを優先させただけで、信忠が後回しになっただけだと思うのですが、いかが思われますか。
248 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 22:08:37 ID:O+83gfAj
まだ信忠が家康のエスコートで堺へ行っていると思い込んでいて
父親の上洛に合わせて京都に急遽戻ってきたことを知らなかっただけじゃない?
249 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 04:10:42 ID:HEqyx+47
信忠の居場所を捕捉するための忍びぐらいは出していたと思うが。
250 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 04:12:11 ID:Mr/UK3Pz
忍びっつーても時間かかります。映画やドラマのようには行きませんがな。
251 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 06:41:18 ID:5HtAk7NJ
ネタ切れなのか、低レベルな発言ばかりだね。
252 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 06:46:31 ID:HEqyx+47
2ちゃんねるに高レベルな発言を期待するのはアフォだと思うが。
253 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 07:44:15 ID:5HtAk7NJ
せめて中レベルもムリなのかな?
254 :
サイコメトリー:2008/11/11(火) 17:46:46 ID:Tbw/BZKQ
規制され中々書き込み出来ませんでした。
>>251〜
>>253 ここの本能寺スレはどんな内容であっても嫌疑せずに行きましょう〜よね。
最近はスレ停滞気味なので、ひとつ別の視点で。
戦国漫画『へうげもの』で描かれた、利休黒幕説及び堺衆関与説について。
基本的に一笑にふされてしまう説でしょうが、変の要因の一端になり得た
要素が有るのかどうか?興味が改めて湧き、様々なサイトを見ていたら、
http://www.sengokudama.jp/talklive/ こんなサイトを見つけました。もう
数ヶ月も過ぎてしまいましたが、どなたかこの催しに参加した方、もしくは
どんな内容だったかご存じの方おりますでしょうか?情報お待ちしております。
利休や堺衆に関して書かれた本等もお知りの方おりましたら、情報をお願いします。
255 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 18:09:17 ID:cH4pA5Qi
本日発売の「文藝春秋」に井上慶雪が以下の文章を書いているのだが、
この情報は初耳なので知っている人がいたら教えて。
「明智光秀の妻 (中略)千葉県市原市不入斗(いりやまず)にある
苔むした墓碑から、嫡子明智十五郎光慶夫妻とその母、つまり光秀の
側室「フサの方」の逃げ延びた由来が推測される(後略)」
スレチは承知だがほかに聞くところがないのでヨロシコ
256 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 22:00:10 ID:g77W0ja0
>>254 へうげの山田氏史観はあまりにも利休尊主義だが、確かに当時の堺衆の財力や武将にも優る気概は凄かったらしいね。京を支配していた三好や松永も決して堺衆を粗末にしてなかったというし、なんの財力も無い朝廷黒幕説より、逆に信憑性が高く思える。
257 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:11:24 ID:Jcusrti0
>255
市原市に土岐重五郎 母フサ 妻ツ子(あと、法名と没年もあるけど)と
刻まれた墓があるというお話。
258 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 09:28:29 ID:tyRdQm15
259 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 21:19:08 ID:b55cS9BL
てか光秀ウザイ。
謀反するのは勝手だけど歴史を動かす程の謀反したんだから理由くらい書き残しとけや。
260 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 21:31:06 ID:/1PZDBcg
漢字の読み書き能力は
アケチン >>>>>>>> アソウ(ふしゅう)
261 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 22:19:20 ID:F7j1Qg8A
謎が多いから歴史は面白い
書けない事情があったのかもとか
書いていたのに秀吉が〜とかいう想像もできる
262 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 22:27:03 ID:7B/+46h1
野望説の大家・高柳光寿「光秀は天下が欲しかった。信長と訣別した直接の契機は四国政策の変更でしょう」
怨恨説のボス・桑田忠親「光秀はつもりつもった怨恨で謀反に及んだ。直近の恨みは四国政策の変更で武門の面目を潰されたことだ」
黒幕説の元祖・八切止夫「信長殺しは光秀ではない。斎藤利三以下の明智家臣団が黒幕と結託した契機は四国政策の変更ニダ」
どう見ても
四国政策の変更が謀反の契機です。ありがとうございました。
263 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 23:21:21 ID:+ieKYK0h
う〜ん。
やっぱ複合説で落ち着くんだろうね。
光秀は信長に恩も怨みも有り培った実績も踏まえ、京支配出来る環境と状況が揃い、四国取り次ぎ問題がスタートの笛となった。
264 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 07:34:51 ID:DJT4reer
信長がそこに無防備でいる!
これがとどめだったんだろうな……
265 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 20:39:18 ID:RYYZqBY3
1570年から1609年まで日本で活動した、宣教師オルガンティーノの
日本人主従と言うものも対する観察
「彼ら(日本人)は鞭で人を罰することをせず、もし誰か召使が主人の耐えられないほどの
悪事を働く時は、彼(主人)は前もって憎悪や激昂のしるしを表すことなく彼ら(召使)を
殺してしまう。
何故なら、召使は嫌疑をかけられると、先に主人を殺すからである。」
これは本能寺に対しても、示唆に富むと思う。
266 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 12:36:08 ID:/vc3kHm2
>>262 八切は
複数黒幕説(アンチ信長がてんでばらばらに信長殺しを企てた結果が本能寺の変)の
トンデモインパクトで見落とされがちだが
明智家臣団が光秀放置して本能寺を囲んだ理由は
当たり前のように「四国問題」だって指摘しているんだよな・・・・
267 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 10:59:08 ID:SDkpyS1y
>>247 野望説がありえないなら怨恨説なのかな?
だったら信長1人を殺せばいいだけで
信忠まで殺すことはないと思うんだが。
それに恨みがあるから殺したいというなら
光秀が信長を刺せば済むだけの話。
それが大規模なクーデターという道を選んでる
んだからやっぱり野望なのでは?
>>219 鈴木が鈴木が言ってるが、例の本は藤本との共著
だってことわざと無視してるだろ。
鈴木がねらーに否定的に見られてるからそれを
利用しようってのはフェアじゃない。
268 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 17:21:55 ID:eVbAQ5Jg
>>267 >>219は鈴木を批判しているだけで、あの「〜嗤う」の本を批判しているわけじゃ無いと思うが。
269 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 18:24:58 ID:SAQydx/3
>>267 信長殺しゃ言いって、あなた個人的な理由と家立場は常に表裏一体に決まってるじゃん。光秀は村重のそれとは全く違う。今までの複合説の流れを読み返してくれ。
270 :
267 :2008/11/16(日) 18:47:37 ID:ME+lnapO
いや、自分も複合説だと思ってるよ。
ただ野望説否定は違うんじゃないかと
言いたかっただけで。
四国政策の変更が引き金(プラス野望)という桐野・
谷口が正しいと思っている。
271 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:54:38 ID:SAQydx/3
>>270 光秀の野望とはどんな物だと考えているんですか?
272 :
267:2008/11/16(日) 23:46:34 ID:7C74sqGz
それは桐野・谷口の本を読んでもらった方がいい。
両者は光秀の67歳説を除いてほぼ同じだし。
273 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 00:01:31 ID:fNY3NBnA
光秀の67歳説は信じがたい。
274 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 00:33:39 ID:1kyYGmpl
単独系の説だと中国大返しの予見性や近衛への徹底追及の件とか
腑に落ちない部分があるんだよね。
275 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 00:38:50 ID:fNY3NBnA
実際に朝廷が黒幕かどうかは別として
秀吉は「朝廷が黒幕かもしれない」と疑った形跡はあるなあ。
276 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 10:13:25 ID:YhqBQFKz
>>273 67歳説の根拠は「当代記」・「難波創業録」だからね〜
さりとて、55歳説も信じがたいでしょ。例の辞世の句は小栗判官のパクリだし。
>>272 両者の違いは謀反の要因に「将来の不安」を入れるかだけでほとんど一緒だな。
277 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 19:13:02 ID:nlKnws52
近衛への追及なんて結局ウヤムヤになってる。
第一近衛は信長に密着して恩恵を受けている人物。
っていうか謀略説が成り立たないのはこの2〜3年で
明らかになってること。
278 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 19:38:07 ID:lHB0fodC
>>277 大事なのは「疑った」という事実。
俺は単独説を支持しているが、同時代人・同家中の秀吉ですら「光秀の謀反の理由
がはっきり分からなかった」事実として重視したい。
279 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 20:10:43 ID:1kyYGmpl
>>277 >第一近衛は信長に密着して恩恵を受けている人物。
光秀もかなり恩恵を受けているし、重用されてながら謀反を起したわけですが。
280 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 20:14:52 ID:3SGfEuhR
近衛は無能な人物だったと思う。
正親町天皇はかなり有能だったと思うが。
281 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 20:11:34 ID:j4U5PcCh
>>279 光秀には四国政策の変更という織田家内での打撃を
受けている。
だが近衛が信長から何かされたという事実はない。
甲州陣での暴言なんて挙げないでくれよ。
「甲陽軍鑑」にしかない話で信じるわけにはいかない。
近衛が疑われたのは二条御所攻撃の際に明智軍に利用された
のが理由だろう。それだけの話だと思う。
282 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 20:40:00 ID:j4U5PcCh
たしかに光秀も「信長から恩恵を受けている人物」だろう。
それにもかかわらず謀反を起こしたということは、
その恩恵を上回る屈辱とか、打撃を受けたということ
になる。
で、近衛が信長を倒したいと思ったわけは?
光秀が同じ思いを抱いていたとしても、それをどうして
知ったのか。
また謀反を持ちかけて、断られた時はどうするのか。
信長に注進されて一巻の終わりだな。
そんなリスクを冒してまで共謀するものだろうか?
283 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 10:00:29 ID:MzH9oAYH
>>282 >で、近衛が信長を倒したいと思ったわけは?
三職推任がらみで、「玉突き人事で近衛が太政大臣を辞任した」って言われることがあるが、
島津宛書状などでこの逸話はガセであることが証明されている(橋本論文ほか)。
近衛が信長から与えられた荘園は3000石以上と突出していることこらすると、「近衛が一枚
かんだ」と言えるためには、
>>282のいう通りより強固な根拠が求められる。
284 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 10:24:42 ID:RPcb1jXq
近衛は信長を倒したいと思わなかっただろ。
正親町天皇は信長を始末したかったかもしれないが。
285 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 10:56:13 ID:5SwTNtPs
まだ正親町に拘ってるのか。可哀想に。
286 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 16:05:34 ID:MzH9oAYH
親王が変当時に二条新造にいて、危うく戦に巻き込まれそうになった件
どう説明する?
まだ正親町に拘ってるのか。可哀想に。
287 :
サイコメトリー:2008/11/19(水) 18:09:46 ID:EyYoKDp5
正親町天皇が優秀だったのかどうか分からないけど、もし皇家の面目を維持
したく思っていたとしても、1582年当時絶対的な権力を持っていた信長に敵対
構想を描くとは思えません。ましてや光秀を介してなんて・・・。(私的見解)
でも光秀を内々に呼び付け、それらしい事を言ったかもね。でもそれが大きな
ファクターを占めるほど、光秀もお人好しではないと思います。
288 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 19:42:19 ID:Ifi0E3mv
夷をもって夷を制す、ってのは公家の伝統的な思考法だなあ。
289 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 20:06:01 ID:ZHCThuTo
>>281 >光秀には四国政策の変更という織田家内での打撃を受けている。
織田家内での打撃っていうのは具体的に何を指してるの?
桐野説のように織田家における「取次」制度における政策転換なら責任を問われただろうが、
光秀が四国問題で信長と衝突した形跡はないし、そのことで咎を受けた記録も無い。
それに四国問題の資料的根拠ってのは
>>79の元親記の記述しかない。
その内容も利三が気遣する問題なのは判るが光秀にとって大きな弊害だとは表記してないからね。
>甲州陣での暴言なんて挙げないでくれよ。
甲陽軍鑑って理由だけで一概に否定するけど近衛邸の件は肯定するの?
近衛邸の件だって一次資料には無い事で、信長記と増補筒井家記のような俗書がソースだよ。
君の判断基準がよくわからん。
>近衛が疑われたのは二条御所攻撃の際に明智軍に利用されたのが理由だろう。それだけの話だと思う。
変で厳しい処分を受けたのは明智の一門衆や利三などの「信長討ち談合衆」が中心で、
井戸良弘や水野監物らは改易で死罪までは言い渡されてない。
この事から近衛邸の屋根を使われた程度で成敗するとした対応にはかなりギャップがある。
それに勧修寺尹豊も同時に成敗の対象になってるわけだし、近衛邸の一件から嫌疑が掛かってるわけではないでしょ。
加えて秀吉、信孝等が公家らの聞き込みや近衛から受けた預かり物を接収などして成敗するって言ってるんだから
この嫌疑がデタラメってことはまずないだろう。
290 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 20:39:26 ID:iVxKJFtn
日本を制圧しつつあった恩人の主君信長を
何の後ろ楯もなく、未だによく判らないような
アイマイミーマインな動機で討つか?という
素朴な疑問がやはり残る
光秀の心情を想像すると
京都で事を起こすなら京都に有力な協力者が
欲しいはず!
と、朝廷関与説は主に心理面から構築されている
291 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 20:41:53 ID:5SwTNtPs
> 日本を制圧しつつあった恩人の主君信長を
> 何の後ろ楯もなく、未だによく判らないような
> アイマイミーマインな動機で討つか?という
> 素朴な疑問がやはり残る
もし信長が光秀に、何らかの悪意を持っていると、三成の側が感じたのだとしたら、
殺される前に殺すのが、この時代の武士の流儀。
292 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 20:57:19 ID:ZHCThuTo
>>282 鈴木説の保秘観点から共謀はないって事だろうけどさ、
普通に荒木も高山誘って謀反してるんだよね。
この時の荒木だって摂津の一職支配を任じられて信長との関係は友好だったらしいけどね。
293 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 21:03:57 ID:5SwTNtPs
>>291 何を書いておるんだ俺は
×三成の側が感じたのだとしたら、
○光秀の側が感じたのだとしたら、
294 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 21:41:59 ID:pTx7o0H7
>>292 それなのよ。村重謀反は変の何年前だっけ?1579年かな?変事まではいかないものの、信長の勢力は日ノ本一の勢い。毛利との間に何かがあったとしても、良将村重が何故、叛旗を翻したかが分からん?
光秀謀叛と相違点が有るのだろうか?
295 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 23:54:26 ID:dqVYCUcd
>>289 だからさ、謀略説は成立しないと何度言えば
ついで
>>282にも答えてくれないか?
あれだけの長文を書いてるが結局近衛の動機には
まったく触れてないじゃないか。
何故近衛が信長を倒したいと思ったのか、その理由を。
それに「甲陽軍鑑」は武田側の史料で信長のことに
詳しいとはとても思えない。一時は偽書扱いされた
ほどのものだし。そんなものと「信長公記」を
同列に扱う神経がわからん。
光秀にはそれらしき理由と自分が天下人になれるかもと
言うのがあるが、近衛に信長打倒の動機があったとは
思えない。
あんたの説は近衛がただただ怪しい!と叫んでるだけ
じゃないのか?
>>292 鈴木じゃなくて鈴木・藤本な。
鈴木と書いてこいつは信用ならないとか誘導するのは
よろしくない。
それに荒木が謀反を起こしたと言っても光秀のように
直接信長を倒そうという挙に出たわけではない。
光秀とは同列に論じられない。
高山を誘ったのは彼が摂津守護荒木の配下なのだから
当然のこと。これが信長の耳に入ったからといって
荒木の謀反が失敗に終わるわけではない。
まあ現に失敗してるわけだが。
>>294 相違点
荒木の謀反は結局失敗に終わり、光秀のは成功してること。
ただし荒木の謀反は直接信長を打倒しようとするもの
ではなかったが。
296 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 00:00:36 ID:vorkZy6P
信長公記じゃなくて信長記だろ。
小瀬甫庵の方。
297 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 00:47:30 ID:uUJ+sXDV
三河物語だっけ?「信長記はウソばっかり」、って書いてあるの。
298 :
サイコメトリー:2008/11/20(木) 13:04:47 ID:5x9Ax8Hz
>>295 上げ足取りで失礼致しますが、村重謀反は信長打倒ではないとすると何が
理由なのでしょうか?高山・中山が最終的に村重付かなかったので、組織
として織田軍に対抗出来なかったので有り、打倒の意思が無いはずがない
と思われますよ。光秀の謀反に関しては、自軍数が多く初めから動向自由
な状態にあった事。確実に信長個人の情報を把握していた事。村重の謀反
には準備も何も見当たらず、世情に弱かったとしか言いようが無いと思う。
299 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 13:50:43 ID:FKf0dJI2
>>289 >近衛邸の件だって一次資料には無い事で、信長記と増補筒井家記のような俗書がソースだよ。
御敵、近衛殿御殿へあがり、御構へを見下し、弓鉄炮を以て打ち入り、手負死人余多出来。
次第ゝに無人になり、既に御構へに乗り入れ、火を懸け候。三位中将信忠卿の御諚には、
御腹めされ候て後、(以下略)(信長公記)
君が俗書呼ばわりする「信長記」って「信長公記」のことか?
君の判断基準がよくわからん。
300 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 18:29:35 ID:6uDbPUIn
信長記なんてどれも軍記小説の粋を出てないし。
甫庵・信長記に比べれば牛一・信長記がマシってだけで、嘘喧伝の類多いのはどちらも一緒。
さてまた信長記を見るに、偽り多し。三つに一つは事実だか、あとの二つは似たような事はあったが、まあ出鱈目か。
根も葉もない嘘っぱちである 【三河物語】
その十に一つくらいは信長記に記載されてはいるが、虚実ごちゃ混ぜであり、漏れや逸脱も多い。 【佐久間軍記】
301 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 20:29:50 ID:Rz81M0Lg
「お前が言うな!」というオチ?
302 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 21:07:35 ID:nX59FvpY
信忠が篭った二条御所に明智軍が侵入し
その屋根から攻撃したことで信忠の止めが刺された
ってことは史実認定されてることであり、
これを否定する論述など見たことがない。
信長記がどうとか必死になってるのって何なんだ?
303 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 21:09:18 ID:nX59FvpY
間違えた。
「二条御所の隣の近衛邸に侵入し」だった。
304 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 22:05:42 ID:4Mgxn3le
信忠がトドメ刺された歴史的事実?ブファッw(゚o゚)w
305 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 22:14:34 ID:6uDbPUIn
ちょwww死因は狙撃死だったんですかwww
306 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 22:41:21 ID:cjs6BaX0
太田信定の「信長公記」には表題が幾つもあり、「信長記」とするなら
小瀬甫庵の「信長記」を指していると考えられる。
ってか、信長公記と信長記を大差ないとか言ってるアホがいるとはw
307 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 23:07:47 ID:6uDbPUIn
なるほど、信長公記は聖書みたいなもんだから
一次資料との刷り合わせは不要という事ですか。
308 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 23:16:53 ID:cjs6BaX0
>>307 出たよ、馬鹿特有の論法w
どこをどう読み取るとそんな解釈が出来るのか?
気が狂ってるとしか思えないw
309 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 23:35:27 ID:wfL0XJun
>>304>>305 典型的な揚げ足取りだな。
「織田信長は明智光秀に殺された」というのを
いや自刃だと言い張るのと同じ。
信忠も自刃だが、そうなったのは近衛邸からの
攻撃が元だったのは明らかだ。それを端折って
書いたのに難癖付けてるだけだろうが。
310 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 23:43:02 ID:vc+Ak446
_⌒>ヽ`ヽイく_ノ{
/ ⌒ヽ
,イ //V/NW// `ヽ、
≠彡イ ミ辷キ
/ ハ ハ
,′ / / / } ヽ 辷=
| 〃 / // レヘ、 } |
| | /__// -─¬Vノ |
| {リr'(´● ) ( ●`) | |
| | j ! | リ从
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/cafe30/1210352717/l50 イノリ | (o o) ∧ ノ八キ
ノルハ∧ 、__,-、,-、__, /! ハ乂
乂彡ヘ、 ヽ二ノ / | ミ辷=‐
=彡イ)ノ\ / | 仆、_
/ ̄ー=彡ィ^i ` -- ' ノ从ミ辷=/`)
(`ヽ、/ ,-、ノイノ |「ヽ /:::/\
\:::\ /::::| | ||:::..∨::/ `V´}
(`ヽ、 />::::`ヽ' ::::.! | ||::::::::::^ヽ、__/:::ノ、
\:::\r'´::::<>:::::::::..ヽ、 | /:::::::::::<>::`ヽ::/ l
\::::::<>:::::::::::::::::::::...\ /:::::::::::::::::::<>::::/ |
ヽ::::::::::::::::::::::::::::::::::::.\ /:::::::::::::::::::::::::::::/ /
l \::::::::::::::::::::::::::::::::::....> , ヘ、:::::::::::::::::..__..::'´ /
ヽ、 ` ─-- ..::::::::./ \/ \::::::::./ /
\ \/ \ >、/ /
311 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 01:13:33 ID:NNLXb0aE
>300
桶狭間の年に生まれた彦左の本や、著者詳細不明の軍記と、
同時代人の書いた本、どちらが信憑性があるかは言うまでもない。
312 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 07:02:02 ID:J6pz3Fi5
たしかに300は阿呆だが、牛一も「知らなかった」では済まされないような事実の隠蔽は
窺えるね。
光秀の活躍がほとんど記されていないのは「天下人」秀吉への配慮と考えられるし、
信長の右大臣、右大将の両官辞任、及びそれ以降の官位問題にまったく触れていない
のも解せない。
313 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 09:57:14 ID:iTTcMxhb
>>312 光秀の活躍はともかく官位問題は仕方ないと思うが。
主君が何の官位に就いた辞めたは公表されることだから記録もできるが、その
裏側でどんな動きがあったのか、どれくらいの範囲の人間が関わって、それぞれ
どんな立場でどんな主張をしどんな意図があったのか、なんて牛一程度の身分
では知りえようがない。
314 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 20:08:21 ID:J6pz3Fi5
>>313 「裏側」云々以前に、公家社会に衝撃を与えた両官辞任や、あれ程詳細に記されている
馬揃えの際の左大臣推任といった客観的事実が記されていないのが不思議なんだよね。
牛一も当の『信長記』を通じて公家達との付き合いがあったらしいから、いくらでも
校正の余地はあった筈なんだけど。
315 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 20:32:26 ID:+l5NO4zd
>>314 だいたい公家社会の方の記録に
> 裏側」云々以前に、公家社会に衝撃を与えた両官辞任や、
これが衝撃を与えたと言う証拠が無い。
316 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 20:54:07 ID:J6pz3Fi5
↑勉強不測だね。
317 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 20:58:06 ID:oXBdl7xC
>>314 書いてある版はないの?
詳しくは知らないけど信長公記は牛一が書くたびに少しづつ変わってるらしいじゃん。
318 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 21:06:50 ID:YIQqdMNJ
>>311 「三河物語」ですが、そんなに信憑性のあるものでしょうか。
大久保家、門外不出で明治時代まで出回っていない本のはずなのに、江戸時代の写本が幾つもあり、「三河物語」を根拠にしたとしか思えない書籍まであります。
我が家の門外不出で広めてはならない、と言いながら、我が家の自慢をわざとするような臭いがぷんぷんしてしょうがないのですが。
例えば、信康の死についてです。酒井忠次が大悪人になっていますが、それなら信康の死後も、家康は酒井忠次をなぜ重用したのでしょうか。
今川義元が、松平広忠の死をいいことに三河衆を虐待したというのは、三河物語が根拠になっています。
しかし、松平家忠日記を始めとする同時代の複数の資料によれば、三河衆を虐待した根拠は見当たりません。
このように「三河物語」は、今一つ信用が置けない、というのが最新の資料評価のようです。
319 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 21:42:58 ID:tWpwG3Mo
>>299 そのあたりの描写って思いっきり江戸の講談調だけど。
「切つ先より火焔をふらし、誠に張良が才を振ひて、樊噌が勢にも劣るべからず。」なんて表現使ってるし、
小沢六郎三郎が心配する町人達を置いて、明智の軍勢が取り囲む二条城に駆け込んで信忠に御目に掛かるとか。
そしてこの小沢六郎三郎が向かった先を【町通り二条へあかられ侯。】と描いてること。
上京二条付近は商家の多い場所で確かに町通りと名の付く通りがここらに固まってる。
洛中で上がるって言うと北に向かう事なんだが、町通りの二条へ向かったとなると、
現在の発掘調査で判明した信忠の居た下御所を通過して義昭の居城だった武家御城を目指した事になる。
まあこの記述のせいで長らく武家御城が信忠切腹の地という間違った通説が生まれたんだろうけど。
その間違った二条城の場所の隣の近衛邸から攻めたって言う講談風記述の信頼性とは如何に?
>>318 軍記物の評価なんて大体そんなもんだよ。
詳しく調べれば一次資料との食い違い等もあるし、写本を取られるたびに改変されたり。
逆に信長公記みたいに一級史料扱いされてあまり真偽が問われないほうが珍しい。
太田牛一が書いたって当たり前のように言われてるけど、寛永以降の写本が最古らしいからね。
池田文庫本の一部が直筆って聞いた事があるが真偽のほどはわからんからな。
最近は「信長記」の研究が改めてされてるから成立過程なんかも明らかになってくるかもね。
320 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 21:53:03 ID:J6pz3Fi5
>>319 前久は信長の命により、秀吉が二条御新造の隣に建てた屋敷に移っているんだけどね。
そんなことも知らないのかい。
321 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 22:03:10 ID:J6pz3Fi5
>>319 >寛永以降の写本が最古らしいからね。
誰がそんなトンチンカンなことを言っているのかな?
池田文庫本は、一部が直筆ではなく一部=巻十二が写本なんだけど。
建勲神社本も直筆だし。
322 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 22:03:13 ID:tWpwG3Mo
信長公記に載ってる事くらい教えてくれなくても知ってるから。
その程度の知識でひけらかそうしなくて結構だよ。
323 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 22:05:06 ID:tWpwG3Mo
>>321 14巻は直筆部分といっているものはあるけど
というか諸説入り乱れてて定説なんてものはまだないはずだけど
324 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 22:07:09 ID:J6pz3Fi5
>>322 >信長公記に載ってる事くらい教えてくれなくても知ってるから。
屋敷拝領の件は公記には載ってないんだけど・・・・・?
325 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 22:11:37 ID:J6pz3Fi5
>>323 >14巻は直筆部分といっているものはあるけど
最新の研究では
>>321なんだけど、思考が停止してるのかな?
326 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 22:16:37 ID:3yNoUbDD
結論としては信忠はダメでもともとで京都脱出を試みるべきだった。
327 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 22:17:52 ID:tWpwG3Mo
>>324 悪い二条新御所の件と勘違いした。
当時の近衛邸が前久邸と信尹邸が別にあるって事は橋本の論文とかから知ってはいるけど。
>>325 新説だから正しいの?
それこそ思考停止でしょ。
328 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 22:34:27 ID:J6pz3Fi5
だから、牛一の直筆本が無いようなことを言っているトンチンカンは誰なのさ。
新説と言うより現時点でほぼ定説なんだけどね。
今後は、新たな直筆本(例えば首巻)の発見が望まれているのが現況。
329 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 22:46:55 ID:Ic+bWhnH
いずれにせよ、信忠が立て篭もった二条御所は
誠仁親王たちがいたところから見て将軍義昭の
二条城とは別物。
つーかその二条城はもう取り壊されてるわけだが。
信忠がいた二条御所の隣に近衛邸があったことは
確実。なんでこのことを必死に否定しようとするのやら。
330 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 00:00:50 ID:KTyEPWdL
>>328 和田と桐野の研究のこといってるわけ?
直筆か写本かなんてのは基本的に記述内容に準拠したあいまいなものなんだよ。
安土日記なんかは、説が真っ二つに割れてるしな。
331 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 02:07:12 ID:dtcjncUT
明智光秀は信長の朝廷解体・公家撲滅の大逆を阻止するために信長に天誅を下しだの。
王政復古し王土王民の世を造ろうと理想に燃えていた。
光秀は逆臣どころか忠臣。
332 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 02:22:49 ID:WkcwqPKN
ケータイ小説でも書いてろ
333 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 05:13:29 ID:0ep477W/
>>330 >安土日記なんかは、説が真っ二つに割れてるしな。
またまたトンチンカンなことを。
『安土日記』は「上様」という信長に対する呼称からも、信長の死後さほど年月
経っていない時期の成立というのが定見。
伝本は写本なんで、その辺を衝いて偽書とかいっている香具師はいるようだけどね。
『「信長記」の大研究』だって、これまでの研究史を踏まえたものなんだけど、
どうも八止フリークは偽書呼ばわりや謀略が好きなんだね。
334 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 13:21:36 ID:KTyEPWdL
>>294 荒木の謀反は逆説作家達があまりはいってこないから真面目な論文が豊富。
村重の個人的感情とは別に反乱を在地支配の問題から位置づけた天野忠幸の説とかは興味深かったかな。
335 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 15:53:59 ID:7IFzs4kR
根本的な所は荒木謀反も明智謀反も変わらないっしょ。
当時、あれだけの勢力を誇っていて家臣が謀反する分けだから、信長に人間
として欠落してる部分があった事は容易に想像出来る。
336 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 18:28:37 ID:G3t23vu7
相違や後に秀吉が「信長人望無さ杉」って言ってるなw
337 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 19:50:36 ID:fxKEd1B9
>>335 欠点の部分だけを取り上げても意味ないし。
謀反の理由を人格にだけ求めても意味ないし。
勢力が大きくても小さくても、謀反をするもの企むものはいつどんな政権にもいた。
338 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:51:52 ID:S/ZzL5mi
>>337 いつの世にも反社会勢力は存在するけどさぁ、それを明智や荒木のそれと同様に考えるの?
339 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 06:41:20 ID:19gQrcxu
明智や荒木はアルカイダではないからな。
340 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 06:42:59 ID:7mlAR6w0
むしろ何度も繰り返された畿内政権の成立とそれへの反乱の流れの中で見るべき>明智や荒木
341 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 10:27:28 ID:BI0dbdPx
トンチンカンはどうしたのかな?
遁走か。
342 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 22:12:23 ID:pvCab0ky
光秀の謀叛は信長対する精一杯の愛なのよ。
信長もそれに呼応し『是非も無し』と言えた。つまりはそれが答え。黒幕やら第三者関与などは蛇足。
343 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 23:25:49 ID:EP+Jx1hO
まあ下克上や裏切りなど当たり前にあった時代だからね
普通の事が普通に起きただけ
344 :
サイコメトリー:2008/11/28(金) 13:07:36 ID:K3150CLL
村重謀反と光秀謀反は、主家を裏切ると言う意味では同じだが、統一見解を
出すのは難しいと思われます。そもそも、主を裏切る、本家に背く、大義を
踏みにじる等が酷い事って認識は、江戸安定期になってからの徳川家安泰の
策略に過ぎず、戦国史は歴史の事実通り、裏切りや背徳行為のオンパレード。
最近は本能寺や戦国関連書物を読む度に、否定していた高柳説に傾倒してき
ている自分が居る・・。別スレでも書いた事なのだが、戦国武将や歴史上の
人物を語る時、我々は大きな先入観を持って事案に入り込み、固定観念を払拭
出来ずにいるのだろうか?
345 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 20:47:31 ID:gQjmh6ej
あるなぁ、凝り固まった思考は存在する。現代的思考や判断って、どこまで通用するのかね?
346 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 09:53:02 ID:nX3GGwfB
>>344 取って代わろうとした光秀と他勢力に寝返った村重では「謀反」という単語で同列に語るには無理があると思う。
347 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 14:22:22 ID:JESS5YlM
荒木は元亀年間に摂津三守護に取って代わろうとした謀反も起してるけどな。
これだって単独で起したわけじゃないし、池田知正と協力して池田勝正を追放してるし、
和田惟長の時も高山と協力してるしな。
348 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 20:58:36 ID:lV+a/xFh
荒木村重はなんというか、当人に「織田信長の臣」という意識がどれほどあったのか
という点でかなり疑問がつく。
349 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 11:50:26 ID:q9e/3HP+
武功読んでると荒木は良い信長家臣だが大の秀吉嫌いって事になってるな
350 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 14:33:22 ID:naqKX/y+
秀吉の組下になりたくない、って気持ちは理解できる。
351 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 12:07:02 ID:fdMwx8Bp
>>350 同意。村重と秀吉は合わないだろうと思うし、ましてや秀吉の組下なんて認める分けがない村重が。
352 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 12:12:16 ID:hblRdKGn
秀吉は人たらしなどと言われるが、どうも人によって、好き嫌いのはっきり分かれる性格
だったように見えるな。
353 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 12:30:56 ID:LXG8Fmeq
>>352 同意します。
秀吉が天下人になれたのは彼自身の実力だとは思うけど、人身掌握・権謀術数
が長けた賢者であると言うのは贔屓の引き倒しだね。光秀が変を起こさなけれ
ば、彼の天下人への目など存在しないよ。
スレチになるので深追いしないが、秀吉や家康が天下人になれたのは、運と
タイミングを生かしたに過ぎない。まぁ運も実力と言うが、本能寺の変時に
筒井or細川どちらかだけでも明確に明智に組したら、その後の状況は全く違
う物になっていた事は間違いない。
354 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 12:33:43 ID:WEBcZuCH
>>353 そんなこといったら信長なんて、あそこまで行ったのは9割幸運のおかげと言っていいぞw
まあ、運も武将の器量。どんなに実力があっても運の悪い武将は没落する。
355 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 12:35:25 ID:loyJZIas
運とタイミングを生かした、こっちがこう転がってたら・・・。
どこの誰にでも当て嵌まるな。
多くの調略を成功させ、数々の包囲網を瓦解させた秀吉が
人心掌握や権謀術数に長けてないとは驚くわw
356 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 12:38:19 ID:WEBcZuCH
まあ、人格と調略能力はまた別の話だわな。
あと賢者かどうかって言うのはかなり意見が分かれるだろうなw
357 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 12:47:01 ID:loyJZIas
>>356 誰も人格の話なんてしてないんだけど。
あれだけ外交・調略を成功させてきた理由が
ただの交渉上手だと考えるより、人心掌握術に長けていたと考えるのが当然だろう。
どこの誰が言ってるのか分からない「賢者」だのって言う発言には全く触れてない。
そもそも人心掌握・権謀術数に長けた人物=賢者という考え方が理解不能
358 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 12:50:27 ID:WEBcZuCH
>>357 スマン。君に向けて書いた書き込みじゃ無い。
359 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 13:02:48 ID:loyJZIas
>>353が調略という言葉を使った訳でもなく、それ以前に誰かが書き込んだ訳でもない。
意味不明な内容を連レスしたって事かw
360 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 21:05:20 ID:t0G+JWwp
じゃあ単的に言おう、全てが運!花慶に良いフレーズがあるよ『天下人は天が決める』
361 :
人間七七四年:2008/12/11(木) 00:00:41 ID:3FEqvBbu
>>335 ホント、同じに思える。
謀反を起こされて信長がその理由に全く見当がつかず驚いてるのも一緒だ。
荒木の時なんか何度も何度も翻意するよう努力してるよね。
光秀だって謀反を起こしたのがあんなに近距離じゃなかったら、
「なぬう、明智が謀反だぁぁああ????? どうしてよ????」ってな感じで
「今からでも遅くないからさあ、考え直してちょ〜よ」とかって展開になってそうだw
362 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 21:43:10 ID:3NZ2JeKv
スレチだが、光秀や秀吉が信長の下で活躍する姿とはどんなものだったか想像するだけで楽しい。
363 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 12:08:46 ID:Iy/K3Sw7
光秀が信長を討った原因は以前から出ている通り、複合説。
@信長の父子の状況把握が出来ていた。
A織田家各諸将の配置の把握。
B明智縁者、組下武将への期待。
C畿内地区制覇及び流通路の確保(野望系)
D信長への不安及び怨み(怨恨系)
E反信長勢力への期待。
光秀は少なくとも、絶対者信長を殺す事により、自身に味方してくれる武将、有力商人が居るはずだと考えていた。
364 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:31:02 ID:0iHLScap
↑+四国取り次ぎ問題で、ダメ押しって所ですかね。
365 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 06:13:14 ID:vDTqp+40
朝廷や幕府を自分で動かせる自負(過信?)も遠因となってるだろうな
366 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 18:57:41 ID:mMuc8WkR
細川の殿のご先祖あたりが肝だよなぁ・・。
本能寺に松井だったかの手勢が参加したとかしないとか・・・
367 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 06:30:58 ID:e8KZx/kL
どえりゃあ、ひさびさに来た。
あんまり進んでないな。
やっぱり単純野望説でどうだろう。
368 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 13:59:53 ID:0q+0BT8F
野望説なんて論外!アホか
369 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 14:21:07 ID:HRNuM9od
やっぱり日頃から相当な憎悪があったんだろうね
もっともそれが他人に分かるような形だったら
信長が生かしておくはずがないし
370 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 20:29:58 ID:49QKuOCQ
おっまた活気ずいてきたな〜。
怨恨はこのスレであまり取り上げられてなかったけど、やはり要因の一つではあるね。信長の様を見ていると他者から怨みかうよ、そりゃ。同じ事されても、受ける人により感じ方が違う。
信長をあまり卑下したくないが、もう少し人の痛みが分かる人ならね〜。まぁ、あんな幼少時代じゃしょーがないがな。
371 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 20:55:44 ID:tkoErGLH
>>368 高柳光壽をアホ呼ばわりですかそうですか
372 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 22:56:43 ID:49QKuOCQ
本能寺論争の出鼻は高柳VS桑田から始まったからね〜一応基本だね。
373 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:27:59 ID:i0ddYlTu
高柳VS桑田といっても
「光秀も天下が欲しかったから信長を討ったんだよ」
「光秀はそんな器じゃない。怨恨があったから信長を討たんがために討ったんだよ」
という違いだけで、光秀の単独犯行という点では一致している。
補足すると桑田の怨恨説は
「いじめにたえかねて謀反した」みたいな単純なものじゃなくて
「面目を潰されたから武士の意地で謀反に踏み切った」というもの。
しかも「面目を潰された」事例として真っ先に挙げたのは四国問題だw
374 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 18:56:54 ID:e9UVbE5L
↑光秀の器が小さい等とどこに書いてあるか知らんが、桑田高柳説についてもう少し掘り下げて理解したらどうかねぇ。浅はか成り。
375 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 19:12:07 ID:n6By88Oj
四国問題は複合説に絡ませるのも無理があるよな
まだ光秀が佐久間追放を成し遂げた頃から謀反の計画を進めていたのが説得力ある
376 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 19:35:04 ID:h/UcBjPN
単独犯行なら
謀反はしないでしょ
暗殺の方がいい
光秀の立場ならこっちのが確実に仕留めることができる
で
自らも生き残ることができて
信長を消してからの方が動きやすい
なんだかんだいって
光秀は実質、筆頭家臣
377 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 19:56:34 ID:e9UVbE5L
>>375 佐久間追放が光秀の仕業?それをまるで当たり前のように言う根拠は?
それに四国政策が複合説に含まれないという理由は?
378 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 22:31:10 ID:xb0pNp+x
>>376 光秀が浅野内匠頭よろしく(失敗したが)信長を刺し殺しても
すぐに近習たちに自分も殺されるだけ。
単独でない理由にはまったくならない。
謀略説が成り立たないことは鈴木・藤本らの本ですでに
明らかになっている。
379 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:33:08 ID:e9UVbE5L
暗殺が簡単に出来るなら、戦国時代の大名はみんな暗殺されてるよ。
それに光秀が凄いのは、信長の父子を絶命しえた事。結果としてどうなったかは、また別の話。
380 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 07:47:12 ID:1BLj2vTW
>>378 >謀略説が成り立たないことは鈴木・藤本らの本ですでに明らかになっている
どう明らかになってるのか説明してくれないか
要旨に触れず上っ面の決め付けをしても誰も納得しないぞ
381 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 10:26:51 ID:whwA7nvs
谷口の著者は、ここでまともに議論に付き合いたいなら、
当然押さえておくべきだろうな。
本能寺論争のまとめテンプレみたいなもんだし。
382 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 22:50:22 ID:F/YxKMVM
谷口の「検証本能寺の変」もかなりの好著だが、
鈴木・藤本の「信長は謀略で殺されたのか」は
謀略説否定の先鞭を付けたということでかなり
評価されるべき。
特に、本能寺の変(信長殺害)はいつでもどこでも
起こりえた話ではなく、信長が無防備でかつ光秀が
大軍を動かせるという千載一遇のチャンスを狙って
起こされたということはそれまで誰も指摘していなかった
ことだ。その点を考えれば黒幕などがかかわる機会など
なかったことは明らか。
また同書では「謀略説に共通する5つの特徴」を
挙げているが、いちいちもっともなことばかり。
383 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 00:48:22 ID:OuOlnQDC
>>382 別に千載一遇のチャンスでもない
大内義隆 源頼朝 伊藤博文とか
いくらでも機会はある
384 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 01:25:27 ID:0oBfw7Xu
日本語でおk
385 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 01:27:44 ID:aaPPCKGI
い〜や、やはり千載一遇の機会だったよ。信長の横死は。
あなたの挙げてる人は比較対象にならん。信長だって過去に暗殺されかけた事は何回か有った分けだから、全くの無防備だったとは言えないまでも、光秀の謀叛は晴天の霹靂だったに違いない。
緻密な情報把握があったものの、更に当日ギリギリまで光秀は状況判断を迷っていたが、『今しかない』と最終判断をした。
光秀は本能寺の構造を深く理解しており、絶対に討ち漏らさないという自負も有った。
386 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 02:43:09 ID:OuOlnQDC
>>385 てか
光秀を使って暗殺したんだろww
義昭が黒幕説だと
機会をうかがっていたことになるなw
387 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 05:02:39 ID:qySwnF0P
>>382 > 信長が無防備でかつ光秀が大軍を動かせるという千載一遇のチャンスを狙って起こされたということはそれまで誰も指摘していなかったことだ。
学術書は知らんがそういったことはしばしば指摘されてたと思うぞ?
388 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 13:44:20 ID:IvBtJkC9
つーか
> 信長が無防備でかつ光秀が
> 大軍を動かせるという千載一遇のチャンスを狙って
> 起こされたということはそれまで誰も指摘していなかった
> ことだ。
これは陰謀論全盛期に、陰謀論者から意識的に無視されてたな。
389 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 21:55:12 ID:aaPPCKGI
本能寺朝廷関与説=政府陰謀関与説
なんでも、そう決め付けるのは簡単。
390 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 01:00:41 ID:it3WlQhn
>>382 謀略説を否定するなら以下の設問に答えて欲しいものだな。
1)信長が入京した理由は何か。しかも丸腰同然で。
2)しかもその時期が、光秀が居城から備中へと出立する直前というタイミングは、
偶然で片付けられるのか。
3)何故光秀はあの日あの時信長が在京していると知っていたのか。
ちなみに信長サイドから在京の情報を事前に流した可能性は殆どゼロ。
何故なら、そんな事はこれから(京から遠ざかり)備中へと向かう光秀には何の関係も無いからだ。
391 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 01:09:20 ID:AvO8Um2o
>>390 茶会かなんか
やってなかったけ?
織田長益もいたし
それか考えると
商人、利休が臭い
392 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 01:10:38 ID:Q9vXw7xF
>>390 > 1)信長が入京した理由は何か。しかも丸腰同然で。
入京した理由と丸腰だった理由は別の問題だろ。
天下人が京に入って何が悪い?今までも何度も入洛したのに。
そして丸腰だったのは、信長がそれだけ、畿内の安定に自信があったからだ。
> 2)しかもその時期が、光秀が居城から備中へと出立する直前というタイミングは、
> 偶然で片付けられるのか。
片付けられないと考える理由が解らん。
だいたい光秀が動いたのは信長の命令だ。
> 3)何故光秀はあの日あの時信長が在京していると知っていたのか。
> ちなみに信長サイドから在京の情報を事前に流した可能性は殆どゼロ。
> 何故なら、そんな事はこれから(京から遠ざかり)備中へと向かう光秀には何の関係も無いからだ。
アホか。信長がどこにいるかを知らせないと、光秀は何かあったときどこに連絡をすればいいんだよ?
393 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 01:42:39 ID:it3WlQhn
>>392 あの時期信長が丸腰同然で入京した理由を問うている。
光秀から遅れて、安土から軍勢を従えて備中へと赴く選択肢もあったのに、わざわざ小勢で数日在京した理由は何か。
全然答えになってないぞ。
光秀が備中へと向かう直前での信長入京のタイミングの不自然さを問うている。
分かりきった事を一々書き込むな。
では、光秀以外の方面軍(勝家、秀吉、長秀、一益ら)は、あの日信長の入京を知っていたとでも?
そんな事、眼前の軍事作戦とは無関係。
信長が一々己の所在を知らせる必要も無い。
ましてや信長と方面軍との間には側近グループが介在し、連絡や命令伝達は彼らを通して為されていた。
各方面軍が信長と連絡を取りたければ、安土城に使者を送れば済む話。
今日の大企業でも、各事業部長は一々社長の所在場所など気にも留めていないし、
そんな事を知らなくても業務遂行に何の支障も無いのと同様だ。
394 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:03:18 ID:it3WlQhn
>>382 つまり、鈴木・藤本の「信長は謀略で殺されたのか」の謀略説否定は、
根拠薄弱で説得力ゼロってこった。
鈴木・藤本らは自著内で上記1)〜3)の設問の解答を示したのかよ。
示してねーだろ。
なら話にならんな。
395 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:13:37 ID:Q9vXw7xF
ID:it3WlQhnは信長過大評価スレや秀長スレで大暴れしている馬鹿じゃ無いか。
こんな所まできたのか。
悪いけどキミはまともな議論が出来る人間じゃ無いんだから、こう言うところにこないほうがいいと思うよ?
396 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:22:39 ID:it3WlQhn
>>395 答えに窮すると、論点から外れた幼稚な中傷に走る毎度のパターン。
流石は「書体」の字義を知らない文盲。
精神年齢も小学生レベルからちっとも進歩せず。
悔しかったら論理的に反論してみやがれ。
精神も知能も下劣な君ではできっこないがな。
アソー首相にまともな景気対策を望むのと同様の無意味さだ。
397 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:50:02 ID:KKZP4dph
> 1)信長が入京した理由は何か。しかも丸腰同然で。
中国平定の途上に立ち寄っただけ。丸腰同然なのは安土から京は安定した自領で特に警戒を要すると思わなかったから。
・
> 2)しかもその時期が、光秀が居城から備中へと出立する直前というタイミングは、偶然で片付けられるのか。
片付けられる。
信長は中国戦線へ明智らに自らに先んじて出動するように下知している。
軍勢をまとめて動き出す明智と、家康の饗宴を終えて遅れたもののほぼ丸腰で西上した信長がかち合う可能性は十分にある。
> 3)何故光秀はあの日あの時信長が在京していると知っていたのか。
> ちなみに信長サイドから在京の情報を事前に流した可能性は殆どゼロ。
> 何故なら、そんな事はこれから(京から遠ざかり)備中へと向かう光秀には何の関係も無いからだ。
近くにいるんだ。情報が入ってきてもおかしくない。
しかも、その情報源も必ずしも悪意あるものだったとも限らない。
はっきり言ってまったく設問のレベルになってない。
398 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:55:53 ID:KKZP4dph
逆に問う。
何処の誰がこのような状況、つまり「丸腰状態の信長、軍勢を擁した光秀が一日の距離」のような状況を意図的に作り出すことが出来るのか?
いるならぜひ教えてもらいたい。
399 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:02:43 ID:AvO8Um2o
むしろ
明智軍が近くにいていつでも連携とれるから
丸腰移動したんじゃね?
本能寺も要塞化してたみたいだし
決して油断してたわではない。
明智が裏切ると計算してなったから
だと
謀略説の可能性も広がる
400 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:03:42 ID:it3WlQhn
>>397 信長は京に自分の居館さえ持たなかった男。
用も無いのに京に立ち寄らない。
無駄を嫌う合理主義者の信長が、天下統一の大詰めの大事な時期に無意味な遊興をするなど有り得ず。
光秀の後時間差で西下するなら、入京などせず安土から直接出立すれば済む話。
信長は目立たず小勢で移動しているのに、誰が光秀にわざわざ信長の動向を知らせるんだ。
明示してみ。
401 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:08:23 ID:it3WlQhn
>>398 変の前日、本能寺に多数参集した公家衆しかいねーだろ。
信長を丸腰で京に引っ張り出すためにな。
勿論背後にいるのは帝。
402 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 03:15:25 ID:it3WlQhn
>>399 信長の入京は明智軍とは無関係。連携も糞もない。
連携する場は備中戦線。
本能寺の要塞化といっても、今日の首相官邸の警備みたいなもん。
あくまで平時のセキュリティのレベル。
武装した軍隊で急襲されたら、ひとたまりも無いのは昔も今も一緒。
403 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 04:26:46 ID:/vW2bZlr
別に信長が小兵力で入京したなんて、この時に限った話じゃない。
例を挙げれば天王寺合戦。しらせを受けた信長は周囲に兵がなく、馬廻だけを
引き連れて京を出撃。あとになって兵を集めたが、それも三千ほどしか集まら
なかった。つまり、信長は軍勢をもたずに京にいたということですね。
他にもありますよ。
つまり、1)は本能寺の時点での信長の特殊性をまったく示していない。ので、
設問になっていない。
2)についても、偶然でしかないね。
もともと明智の中国出兵自体が、安土での家康接待を中止しての突発的な出来事。
極端なことをいってしまえば、知らせを受けた信長が、光秀にはそのまま接待を
続けさせることだって可能性はあった。
もし天皇なり公家なりが全てを計画していたのだとすれば、それは、毛利の動き
をコントロールし、さらに秀吉に救援要請を出させ、かつ信長に「光秀に戦陣を
命じ」させ、かつ信長は後から京にこさせるというほどに、信長の動きもコント
ロールしなければ、事前に計画を立てられない。
すごいなー天皇とか公家って。とりあえず、机上の空論でしかないね。
>400と>401で、自分の主張が矛盾しあっていると気付けないか?
404 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 04:57:23 ID:0PjlfWjr
よく油断って言われるけど実際には信忠の軍勢も2000人近く居たはずなんだかな。あんな大規模な謀反じゃなければ問題なかったはずだが、、
405 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 05:04:26 ID:AvO8Um2o
結局
本能寺が起きなくても
光秀、ほか誰かが
このあとやった可能性があるわけね
この可能性を0にしない限り謀略説は一掃できない
信長が動けばいくらでも可能性がでるわけ
裏切りは光秀が最初じゃないわけよ
信長亡き後
織田家を再興
つーか立てようとする動きがない時点で
信長謀殺説は付きまとう
本能寺を評価すると
信忠の討ち死にが理解できない
状況は信忠の判断の誤りで逃げることは可能なのに
逃げることをしなかったところ
信長を消しても
信忠が健在なら光秀の行動は暴発でしかない。
信長信忠両方を消す成功率は低い
光秀単独なら
この後、勝算あっての行動とは思えないわけね
筒井細川の動きを見ても
裏で動いている勢力がいることが想像できる
信忠を討てる思ってた奴はいないと考えるから
単独なら鬱病か誰かに利用されて騙されたか
怨みだけでこんな馬鹿げた作戦は立てないよ
406 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 05:14:00 ID:AvO8Um2o
偶然が重なりすぎると
逆に怨恨だけで動くとは考えられないわけ
今までの光秀の働きを評価してね
保険も掛けずに
ここまで築いたもの
すべてかけてやるような博打じゃない
407 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 05:36:58 ID:oO2Dpnin
>>405 信忠を討てたのは光秀に取ってもラッキーだったんじゃないか?
本来なら信忠の妙覚寺も同時襲撃だったらしいが山岳越ルートの別働隊が遅れたらしいからな。
信忠が撤退しなかったのは落武者狩りを恐れたんじゃないか?
逃げれた可能性も高いけど失敗する可能性もある。
だから事変当時の大混乱で何の情報もない信忠の行動はある意味仕方がない事だと思う。
408 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 05:41:37 ID:it3WlQhn
>>403 天王寺の件は、危急に迫られての信長自らの救援。変との関連性など、どこにも無い。
変時のような諸将が四方に分散し信長が無防備に存在した事例など過去に無い。
これこそ変を招いた特殊性に他ならない。
朝廷は光秀の急な備中西下に臨機応変に対応したにすぎない。
どうにかして信長を消す機会を注意深く伺っていただろうからな。
だから光秀が出立する直前に、尤もらしい理由付けで急きょ信長を京におびき出したわけだ。
なのに毛利や秀吉まで朝廷が遠隔操作していたというのは、荒唐無稽なこじつけというものだ。
400と401のどこに矛盾があるのか、示してくれないか。ないぞ、どこにも。
409 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 06:05:33 ID:it3WlQhn
>>405 荒木村重の謀反は毛利や本願寺も一枚噛んでいるだがな。
この事例も立派な謀略だぞ。
本能寺の変がなかったとして、
以後信長配下の武将が謀反する可能性の有無と、変の謀略説の有効性とは何の関係も無い。
全く関連性の無い事柄をこじつける愚劣。
光秀の謀反とそれ以前の反逆との相違点を見落としている。
過去の叛意は全て居城からの表明。
信長個人の動向を把握した暗殺実行は、金ヶ崎退陣後の岐阜帰還途中、杉谷善住坊による狙撃のみ。
ちなみに尾張統一後、尾張出身者で信長を裏切った者は一人もいない。
410 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 13:19:53 ID:oHSgZqPH
>>409 正親町天皇が黒幕だと言う分けですか、本能寺の変にまつわるすべての不合理
を帝を中心としたものが暗躍してると・・・。話としては面白いですね。
しかし、あなたがお題にしてる上記B項目も村重謀反に毛利・本願寺の謀略と
いうのは『こじ付け』です。あなたが挙げたB項目は、どなたかも仰っていた
様に単独説否定論に何らつながらない。いわゆる、取って付けたこじ付け。
だって丸腰(何をもって丸腰なの?)で入京。これが何?どの朝廷暗躍とつな
がるの?
村重の謀反は毛利、本願寺の謀略??じゃあ村重は踊らされただけなんだぁ。
ゴメン。正直、論点低すぎて、多分皆、引き気味だと思うぞ。それでも持論を
展開したかったら、正親町や朝廷派が具体的にどう光秀とつながっていたの
かを教えて欲しいなぁ。
411 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 13:46:21 ID:usBa6z2M
朝廷や天皇個人にどれだけの幻想を抱いてるか分からんが、よ〜く考えてみな〜朝廷や個人が本能寺の変までどの様な状況下で生きてきたらを。
それに朝廷らの目論み通り、信長は死んだ分けだが、朝廷らの待遇はその後、飛躍的良くなったとは到底、思えないがな。
412 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:07:37 ID:8rKe6zx0
やはり光秀の信長に対する積年の恨みがあったんだろう
それで本能寺の2〜3年ぐらい前から作戦を練って虎視眈々と機をうかがっていた
で、信長が無防備で本能寺に宿泊してると耳にして
待ってましたとばかりに事を実行したんだろう
でないとあんなに早急に物事が首尾よく行くはずがない
413 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 16:24:45 ID:0mEwtBVL
荒木がですよ。まあ、松永でもいいですよ。
史実のタイミングでの謀叛を我慢した、やり過ごしたとしましょう。
そして後にその荒木や松永が将来、そのうち謀叛をと考えていて、
本能寺の変の時の光秀とまったく同じ状況になったら。
そりゃ光秀みたいなことをしたかも知れませんわな。
逆にあの状況に光秀が遭遇しなかったらどうか。
荒木みたいに無謀な反乱を起こしてやられたでしょうな。
やはり本能寺の変は信長の油断があってのことだあね。
信長が思うほど自分の政権や統治は安定していなかった。
これじゃ光秀がいてもいなくとも、いずれは非業の破滅が彼を襲ったに違いありませんな。
414 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 19:53:33 ID:zJHYsgka
なんで光秀が信長の居場所を自分で調べられないとか言うの?
家臣が主君の動向に注意するのは当然だろうが。
それに仮に黒幕が光秀に「信長が本能寺に無防備でいるから
殺れ」などと連絡したとして、光秀がそれに応じる保証は
どこにもないだろうが。
逆に「コイツが謀反を企んでる」とか信長に注進されたら?
どうしてこうまで必死になって黒幕を作らなければならない
のか分からん。
415 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 20:33:44 ID:usBa6z2M
見ました?テレビ東京の本能寺の変。
濃姫黒幕説、ひどかった〜。よくもまぁあんな内容を公共の電波で発っせられるよ。本当。
416 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 21:56:33 ID:AvO8Um2o
>>414 光秀が正常な人間と評価したら
数ヶ月の短期間での考え、単独で謀反を起こすとは考えられん
信長信忠同時討ちは奇跡的な快挙
精神病で不安定な状態で早まったのなら納得する
結局
信長を討って
光秀は天下になにも示してないわけね
だから何もわからない
ただの逆臣で終わってるわけ
417 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 23:15:58 ID:rkN0SjUh
まあこのスレにもいるが、単独説は陰謀論者には
さぞ面白くないのだろうな。
朝廷黒幕説なんて、いくらでも反証を挙げられるのにさ。
・光秀と会った吉田兼見が日記に「謀叛の存分」について
語ったと記していること。
・御所への小屋懸を放置してたこと。
・変後、朝廷の権威を利用して仲間を募っていないこと。
陰謀論者は自分に都合のいい話ばかり拾い集めてるだけだ。
418 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 00:47:16 ID:EJ7yRR3a
>>416 >信長を討って
>光秀は天下になにも示してないわけね
PHP、洋泉社の文庫作家も似た事を主張してたな。
しかし、西教史には相反する事柄が記されている。
「上帝は天威を輝かし之を誅するなり、抑天に獨一の上帝ありて、
各王を総轄し、且其驕恣なる者を裁く之を衆民に知らしむ」
光秀が変後に西尾光教に宛てた「父子悪逆天下の妨げ」
といった内容のそれは、即ち天皇の為と喧伝したものであり、
それは衆民にまで知らされていた事が窺い知れる。
419 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 00:52:28 ID:gfYm+luW
天下と天皇を同一視するような発想はこの時代存在しない。
420 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 00:56:59 ID:EJ7yRR3a
威光寺文書で光秀はこう書き残してるね。
「天下はすべて天皇の土地である」
421 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 01:01:32 ID:d6wXzcom
>>418 もっと詳しく
信長の罪状を示したものはないのかな?
422 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 01:04:25 ID:gfYm+luW
>>420 だから?
庶民が「天皇=天下」と認識していたって証拠は?
423 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 01:08:00 ID:e/EMo1jF
信長への謀叛を無計画に突然実行して、
あとから大義名分を作るとしたら、京都を握っているわけだから、
朝廷を使わない手はないわな。
もし事前に朝廷の命令や承諾を得ていたら、そう宣伝していたはず。
424 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 09:58:05 ID:sNemIwTh
難しく、ややこしく、複雑に考える必要なし。
古今東西、人を殺める理由はあまり変わらないと思うよ。光秀だけが特別じゃないっしょ。
425 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:40:11 ID:4tbaLPtF
よく知らんが、この時の信長の本能寺宿泊を知ってるのは
ほんの一部の人間のみだよね?
光秀辺りには大分前から予定行動を知らせてあるの?
426 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:42:49 ID:gfYm+luW
>>425 公人として入京しているんだから秘密にする必要自体ない。
427 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 00:49:26 ID:9EHwBbce
鞍替えの経歴からしても当代の他者の評価からしても
上昇志向のカタマリの様なこの男が
方面軍に筑前だの日向だのつけられた流れに対して、都落ちの不安の挙句
裏切った、という流れはなんら不思議はないのだけども
江戸時代になって何故か謹厳実直と言うフォローが入ってしまった
この辺りの方が気になるね
信長がそこまで悪役として仕立てられた理由というか
428 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 01:48:50 ID:DhFxVTz7
>>427 東京本社の営業部長が
「よし、きみなら九州支社長を任せられるな」
と示唆される不安かな。
格としては九州支社長が上だけどそれで打ち止めで、
なおかつ実権は本社の部長の方がある、みたいな。
429 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 07:02:58 ID:FpcSYYWZ
滝川も関東管領よりも茶器を欲しがった逸話があるから、
地方よりも中央という発想は当然考えられますね。
430 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 19:05:29 ID:g6L+W5Ak
お〜また伸びて来たな〜。
まぁ地方領を拝領するって認識は現代的思考では考えるより遥かに都落ちの感は否めないね。
光秀謀叛の要因として領地替えは信憑性薄い。心情的には良く分かるが、最終的に領地替えを拒みはしないと思うよ。
431 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 20:46:43 ID:dXVQ8Rfw
明智軍記にある出雲、石見への国替は明らかに嘘だが、
光秀が九州制圧の際に九州へ転封になる可能性はあったろう。
惟任日向守の称号も受けてるわけだし。
本能寺の変の動機としてその九州転封に怯えたという説も
ある。その可能性はあったと思う。
432 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 22:31:23 ID:VcZFtn1G
↑ないと思います。
433 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 22:46:51 ID:xUE1rfY7
光秀より
勝家秀吉滝川あたりの方のが危機感あっただろ
武闘派の方が統一後邪魔
統一したらお役御免でいらない存在だから
光秀丹羽はまだタカハト派中間ぽいから生き残って使い道がある
身内に甘い信長の統治政策は
一族親類で全国を統治すると思うから
有力武闘派は邪魔で消して
領地没収の織田家一族の配下武将として
大陸に乗りこむと思うね
434 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 23:19:57 ID:MsUhQ9il
>>432 なぜないと思うのか理由を。
ちなみにこの説は藤本正行のもの。
435 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 00:54:50 ID:lJYaR6I2
光秀が九州行かされたとしたら、九州平定のその次は間違いなく大陸出兵の尖兵にされただろうね。
秀吉の大陸出兵は信長の政策のトレースに間違いない。
光秀はそれが嫌だったと予想してみる。
436 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 10:21:34 ID:CAkg3LbH
武闘派とかゲームじゃないんだから
織田家臣で柴田程目立った政治手腕発揮した人物はいないでしょ
437 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 17:59:25 ID:YVxrQQnQ
438 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 18:01:30 ID:YVxrQQnQ
>>434 >ちなみにこの説は藤本正行のもの。
じゃあ、藤本が「死ね」と言ったらキミは死ぬのかい?
439 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 18:39:13 ID:lJYaR6I2
>>438 何あさっての方向に反応しているんだキミは?
440 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:36:55 ID:cTFaZFTl
藤本氏は他者論の良い所だけをチョイスして、それをあたかも自説でごさいって所が嫌い。
441 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 11:54:44 ID:8O5agqVC
本能寺の変に関してのお勧めの本を教えて下され。
442 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 17:14:20 ID:qZhxpyey
>>441 近著では、
「誰が信長を殺したのか」桐野作人 PHP新書
「検証 本能寺の変」谷口克広 吉川弘文館
古い本なら、
「明智光秀」高柳光寿 吉川弘文館
「明智光秀」桑田忠親 講談社文庫
谷口は他説の検証批判ばっかで自説が弱く(上の鈴木藤本本も同じ)、桐野は四国問題
を大げさに捉えているきらいがあるので、まずは「古典的地位」にある高柳・桑田氏の本
から読んでみてはどうかな。
そこで興味が深まったら、桐野本の巻末参考文献を参考に興味のある本を読めばよいと思う。
443 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 23:40:44 ID:T6iY6xEP
知り合いが、
黒幕は信忠朝廷家康の結託と言っているんだがみなさんどう思いますか?
知り合い曰わく
信忠と光秀は5月下旬から談合を重ね、信長襲撃を決意
光秀が信長を襲うも信長は堺へ逃亡
それを知った信忠は信長を恐れ光秀から離反
そして光秀が信忠を討つ
信長は堺から薩摩へ逃亡
僕がその説を否定すると、変直前信忠の行動を見ればわかると言われました
444 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 06:16:38 ID:yisLedst
↑寝言です。
445 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 17:09:45 ID:V5/trsC3
>>443 信忠は騙さ…まあ、そんなことより、紅白歌合戦でも観ながら大晦日を楽しもうや。
446 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 18:10:33 ID:t0Go/yrP
信長が、光秀を簡単に信用するような武将であれば、あれほどの急速的統一は
できなかったのではないだろうか。
だが、本能寺の変では、ギリギリのところで、光秀を信用し、光秀は、
それを裏切った。信長の器的には、光秀に賭けたのだろう。だが、光秀には、
器が足りなかった。権謀術数の信長と言われがちだが、25年も不可侵で
いられた家康を信長は、買っていたのだろう。
信長は、当時の仏教が、世俗を救う力を失っていたのを最も実感した
武将に違いない。しかし、焼き討ちなどの行為は、常識人光秀には、
絶えられなかったのだろう。
心頭滅却すれば火も又涼し 仏教の怨念だな。あくまでも、「当時の」ですが。
447 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 20:17:15 ID:MK6C9Crd
比叡山焼き討ちを光秀が止めようとしたなんて話をまだ
信じてるのか?
止めるどころか、地元の土豪に働きかけをするなど
率先して働いてるのだが。
「常識人光秀」もただの思いこみ。
ルイス・フロイスの光秀評を見てみな。
「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的
でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争に
おいては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の
達人であった。また築城のことに造詣が深く、優れた
建築手腕の持ち主で、選り抜かれた戦いに熟練の士を
使いこなしていた」
これのどこが常識人だと?
448 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 20:31:54 ID:pe9WxVZH
お前こそフロイスはキリスト教に敵対的な人間について
ボロカスに書くのを知らんのか?
> 「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的
> でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争に
> おいては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の
> 達人であった。また築城のことに造詣が深く、優れた
> 建築手腕の持ち主で、選り抜かれた戦いに熟練の士を
> 使いこなしていた」
これは信長にもそのまま当てはまるが…
449 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 20:39:04 ID:33dOgAKH
フロイスは悪意を込める時は、
その能力は評価しながらも人格を攻撃した記述をするよね。
450 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 12:11:58 ID:OI+KgOFr
フロイスは石田三成のこともボロかすに言っているな
451 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 17:57:48 ID:mLRQkizS
三成は仕方ないだろ
452 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 00:45:47 ID:b05hJSaa
>>414 中小零細の組織じゃあるまいし、
巨大企業と化した織田家において、方面軍が一々信長の動向を気にするかっつーの。
そんなの目下の軍事作戦遂行と何の関係も無い。
今日の大企業においても、社員が一々社長の居場所を気にしてないだろ。
それと同じだ。
黒幕が帝なら話は別。
帝のお墨付きがあれば、光秀は賊徒ではなく官軍になれる。
そこいらの一武将からの唆しと混同する愚劣。
453 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 00:59:11 ID:b05hJSaa
>>410 主張が空疎で中身ゼロ。
村重が何の成算も無く信長に背いたとでも。
毛利や本願寺と連携すれば、織田家を瓦解できると読んでの謀反。
その点は、謙信を過大評価して信長に反逆し自滅した松永久秀と同じ。
そもそも村重家臣による本願寺への兵糧米横流しの噂は、本願寺側の織田方切り崩し工作だろ。
朝廷・帝は日本国の最高権威であり国家主権者。
そこから信長殺害を打診されたら、まさに錦の御旗。
備中戦線に出向いて政敵秀吉の幕下に入るのを嫌っていた光秀にとって、これ幸いの打診。
454 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 01:05:01 ID:b05hJSaa
>>411 朝廷権威にすがる秀吉に極官を与えて取り込むことにより、
従来通り朝廷はその存在感と既得権を保持しえた。
これに勝る朝廷の利益はないんだがな。
信長存命なら朝廷は存亡の危機だったことを鑑みれば、天と地ほどの違いだ。
455 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 01:11:12 ID:b05hJSaa
>>417 >光秀と会った吉田兼見が日記に「謀叛の存分」について語ったと記していること
光秀敗死後、公家の日記から光秀関連のヤバイ記述は全て削除されてるんだがな。
>御所への小屋懸を放置してたこと
>変後、朝廷の権威を利用して仲間を募っていないこと
変後の諸事手配りに忙殺された上に、秀吉の西上が望外に早かったからにすぎない。
456 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 01:15:48 ID:b05hJSaa
>>447 即興で捏造史実をでっち上げ、
即、虚飾のメッキをはがされ恥をさらした低能ペテン師が、
ま〜た吠えてやがる
457 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 01:49:40 ID:+xI16PLc
またいつもの変な人か
458 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 01:58:22 ID:b05hJSaa
またいつものホラ吹きの文盲か
459 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 11:22:21 ID:AwyIqesF
明治憲法と宋学にアタマをやられた馬鹿がまだいるのか
460 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 16:17:10 ID:IWwrmbN2
たしか勝家が信長宛に出している手紙が届く日数を計ると
突然の予定変更関係無く北陸から岐阜ー安土まで最短距離で届いているのだよ
勝家だけが信長の居場所を逐一掴んでいたと言うのは無理があるし
光秀も一応織田の重臣なんだから知っていても不思議ではない
461 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 18:09:50 ID:bbDDkYNy
光秀が信長を殺りたいと思っていたなら
その居場所くらい自分で確認できるだろ。
なんで朝廷に教えられなければ分からんと?
現代でも殺人事件が起きたら犯人は自分で
相手の居場所を調べて殺っている。
これも誰かに教えられなければいけないのか?
社長の居場所を社員が知らないとか言うが
知ってる者もいるだろうが。
まして光秀は織田家の重臣なのだから
知らない方がおかしい。
悪いことは言わないからもう変な朝廷黒幕説
なんて止めとけ。
第一裏付け史料はどこにある?
462 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 21:55:50 ID:BQsjKD0v
>>461 朝廷黒幕説は、裏付け史料が明らかに存在しないこと自体が証拠なんですよ。
裏付け史料明らかに存在しがない、そこまでできるのは当時は朝廷しか存在しない、という論法で。
従って、永遠に水掛け論に陥るわけですな。
463 :
サイコメトリー:2009/01/05(月) 10:13:06 ID:MZ9mk4zH
長ーい規制がようやく解除されました。
>>452〜
>>445さん、天皇個人黒幕説支持なのでしょうか?
もう一度、持論の詳細をお願いします。
464 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 11:05:23 ID:IdGw+l4b
なぜ信長や家臣は明智光秀の軍勢の音に気付かなかったの??
465 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 11:32:07 ID:A5CSLKad
寝てたから
466 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 12:00:56 ID:IdGw+l4b
あ
467 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 12:02:37 ID:IdGw+l4b
甲冑つけた一万人が近づくのに寝れんの?
468 :
サイコメトリー:2009/01/05(月) 12:23:16 ID:MZ9mk4zH
>>464 明智軍の先発隊は隠密行動に徹し、本能寺へ向かう途中、不審者思しき者は
排除しながら進み、後発隊を促し、後発隊(2番隊)も軽装となり、武具等は
更に後から来る本隊から渡される等の状況が有った様に思われます。
信長等が近況異変に気付いた時は、もうすでに明智本隊が到着し、本能寺周辺
は十重二十重に取り囲まれていたと言われてますね。信長も多少の乱波等を
近隣に置いていただろうが、数も少なく、すべて明智軍の先発隊に討ち取られ
てしまった事と予想出来る。先発隊は明智自軍からの密告者も討ち取る命も、
受けていた事だろうから、信長等にいち早く情報が伝わらなかった事は信長の
油断と明智軍の優秀さが伺えると自分は思います。
469 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 18:10:33 ID:PKFVje+y
一万以上の軍勢から、信長討ちが漏れなかった事は凄いね。末端兵は事を知らなかったとはいえ、最後まで何も知らないでは終らないでしょ。
470 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 19:01:02 ID:U/S71SNe
朝廷説の荒らしへ。
まず信長が朝廷の敵であるという証明をされたし。
譲位への圧力とかは定説にはなってない。
また同年2月の甲州陣のとき朝廷は
信長の戦勝祈願をしている。
敵ならなぜそんなことをする?
つーかそんな事実も知らなかったんだろ。
最初に結論ありき、自分に都合の悪い事実は
無視するのが黒幕説の常套手段だからな。
471 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 19:15:38 ID:kA7S2hgB
>>470 バカだなあ。真意がわからないように行動してるんだよ。
他人にその意図を知られたら危険だろ?
証拠が無いのがその証拠なんだよ。
もっと人間というものを良く知ってください。
本能寺の変に限らず全てのことは裏で誰かが糸を引いている。
そんなこともわからないとはホントに単純でお目出度いヤツだw
と思ってるんだろうな……
472 :
サイコメトリー:2009/01/05(月) 20:42:57 ID:MZ9mk4zH
証拠が無いのが証拠ってのはやめよ〜よ。
確かに何でも有りのスレだけど、それを前提にされたら、誰も来なくなっちゃうからさ。
473 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 21:36:05 ID:gpFjClQH
朝廷黒幕説といえば大庭博
474 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 22:57:48 ID:0S/ykuJO
以前の誰かの説で
光秀が近畿から離れなかったのは、男色の相手として
男色から老いて不能になった光秀が、お役御免で退かされて
山陰にでも行けとのお達し+蘭丸に相手が変わったのを腹いせに謀反
みたいなのがあったが
今となっては、一番当たってそうな感じだww
所詮、信長も光秀も人間、神でもキャラでも架空人物でもない
脳内はともかく、身体はその辺のオッサンと同じ反応
毎日、チンコおったててるおまいらと同じ
しょうがない男達だったんだよな
475 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 11:12:38 ID:hp/r6Uf+
腐女視点だと明智が織田家の下に来た時の年齢でもエロを妄想出来るのか
476 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 11:56:18 ID:1AnpXR2a
>>469 家康が謀反起こしたとか起こすとかで、討ちに行く
って話になってたってのはどこかで聞いたことがある
477 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 13:12:48 ID:eJwug9YJ
>>476 それは明智軍の中でそう言う噂が流れただけ。
明確な命令は出されていない。
478 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 19:18:19 ID:65TvnLgb
信長の油断が有った事。
光秀が虚を突いた事。
信長のまとまった勢力が本能寺周辺に居なかった事。
天下だ恨みだ黒幕だっていうのは基本理由ではないのよ。
479 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 19:45:12 ID:P1FWCRwq
すげぇ基本的なことなんだけど、御所への小屋懸を放置したってどういうこと?
てか小屋懸って何?
480 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 20:03:32 ID:65AeFSQZ
本能寺や二条御所の焼失が周辺に延焼し、
焼け出された避難民が御所に多数入りこんでいた。
朝廷は光秀にこの事態を収拾するように二度に
渡って求めていたが、光秀は放置していた。
ちなみにこの事態は秀吉や信孝によって解決されている。
これが朝廷黒幕説否定、また光秀が尊皇家であったことを
否定する論拠となっている。
481 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 20:06:44 ID:P1FWCRwq
482 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 15:04:46 ID:MueaWcvO
伊庭三尉が光秀だった説。
483 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 17:56:42 ID:tzpcoh1q
>>477 一番信用できそうな命令は「信長への閲兵」。
これは川角太閤記の記述だが、本能寺襲撃のくだりは明智遺臣の林・山崎から
直接取材しており、川角太閤記の史料価値を認めない論者もこの部分だけは引
用している。
484 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 18:20:25 ID:ljIVQO4P
う〜ん。確かに信憑性高そうだね閲兵は。
まぁ夜中に兵を出すのはどうなの?ってツッコミ有りそうだけど、理由は付けられるね。
485 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 18:28:49 ID:z5mUkVW5
大軍が甲冑着けて行軍したら10`先でもガッチャガッチャ聞こえるらしいからね。
軍を動かして信長に会う何らかの予定はあったと思われる。
486 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 18:35:39 ID:786vtXsk
えっ、家来には家康を殺すためと言ってなかったっけ?
487 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 19:03:31 ID:+RVG7mIA
甲冑の話だけど、この場合は布陣時直前に着用したんでしょ?
あんな重いものつけて移動なんて正気の沙汰じゃないし。
488 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 19:07:32 ID:z5mUkVW5
足軽の甲冑は騎馬武者ほど重くない
489 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 21:28:15 ID:Wj8u2ntt
>>487 旧大日本帝国陸軍の冬季装備は、全部で約30kgあり、それを装備して1日40km徒歩行軍の訓練をしていましたが。
それに比べると足軽の甲冑は軽いものです。
490 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 10:10:49 ID:w1ilYuT4
>>486.
>>487 「其ゆへハ、のぶながさまニはらさせ申事ハ、ゆめともしり不申候。(中略)
我等ハ、其折ふし、いへやすさま御じやうらくにて候まゝ、いゑやすさまと
ばかり存候。ほんのふ寺といふところもしり不申候。」(本城惣右衛門覚書)
閲兵を口実にしたことはフロイスの「日本史」にも記述があるから、ほぼ確実
やとおもうが、閲兵なら「夜中に武装して上洛」つーのは不自然な気がする。
その疑問をクリアできる本城さんの証言は興味ぶかいね。
491 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 20:45:16 ID:HOT4kip8
ホモ痴情のもつれ説は出た?信長に捨てられそうになった(ホモ的な意味で)光秀が
カーっとなって殺しに行っちゃうの。蘭丸も絡んで三角関係かもしれんね。
現代でも痴情のもつれで殺人まで行くケースはあるしね。
あと神のお告げ説とか。当時ってまだ迷信めいたことが信じられてたと思うので光秀が
その晩、妙にリアルで、信長を倒すべきという暗示を含んだ夢を見たとか。
信長いまめっちゃ手薄やん、ってのと、俺も天下取ってみたいなーっていう潜在意識の
想いがその夢を見させたとかね。
狐憑依説も捨てがたいな。
492 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 13:43:30 ID:CRpSiRf9
>>491 >あと神のお告げ説とか。
本能寺に泊まっていた信長は、馬がネズミに食われる夢を見た。それを蘭丸に報告すると、
蘭丸は驚いて「それは正夢です!」と言った。
蘭丸曰く、ねずみ年の光秀が午年の信長に謀反を起こして切腹させるという。
それを聞いた信長は、「そこまで夢を本気にする奴があるか」と笑った。
という逸話がある。
逸話の真贋自体は検討する価値もないが、この逸話の誕生が古い年代だとすれば、光秀の干支(ネズミ)から
55才説(ないし67才説)の補強証拠になるかも知れない。
493 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 15:18:16 ID:3GVgH8Tc
う〜んオカルトっぽくなって来ましたね〜。
でも、逸話や伝記には真実が隠されている事が多いと言うね。
494 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 19:09:13 ID:wQsFv6+a
信長の油断と驕りがすべてなり。
495 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 21:38:01 ID:zL89bYjj
ホモっていうと現代じゃ特殊に聞こえるが
男色なんて普通にどこでもあったし
戦の遠征なんて女がいないから
部隊の中には手コキ(手淫)係もいたくらいだからね
人間としてごく自然の摂理なんだけど
文献には載らないから問題にされない
篤姫の政務については描写するが
月7日の月経の日はどう過ごしていたのか?
なんて記録には残さないことと同じ
光秀も、表舞台に記録で残っているものから
陰謀、政治的野心、などの推測は結果論で出てくるが
光秀の現場での感情としては、
「俺を不能呼ばわりした親方、蘭丸ざまあ! 逝ってヨシ」
みたいなごくごく人間の自然な憎しみの感情で溢れていたことであろう。
496 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 19:22:02 ID:SNEvLt2X
谷本本面白いけど、他社の批判ばかりだね。
497 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 19:25:20 ID:LZ/eSsXm
藤本桐野などには賛意を示している。
検証本なんだから悪意なしでもツッコミばかりになるのは当たり前だろう。
498 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 15:05:57 ID:YDErxdqZ
>>480 >本能寺や二条御所の焼失が周辺に延焼し、焼け出された避難民が御所に多数入りこんでいた
しょうもない妄想ホザくな
499 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 15:25:36 ID:Qq51igg+
妄想じゃないっしょw
禁裏と混同しがちだけど言葉の違い
500 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 15:40:36 ID:Fi1lbvCB
「晴豊記」なんて連日「小屋掛」の記述ばっかだな。
「言経記」では「禁中を徘徊してた」って記述もある。
501 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 20:21:43 ID:t2tVjFwY
>>498 >しょうもない妄想ホザくな
無知曝け出しだな。
502 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 22:53:42 ID:LPEN0XGT
>>498 信長公記や川角太閤記のときもそうだったが、
史料をいちいち引用しないと分からないらしいな。
関連本すら読まないおバカって、何度言われたい?
晴豊6月4日条に「者共のけ、禁中小屋懸いよいよ
正体無き事也」とあるのをはじめ、5日、6日、
10日、12日の各条に「小屋懸」があったことが
記されている。
もうそろそろ最初に結論ありき、都合の悪い事実は
無視するのは止めたらどうだ。
503 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 00:11:35 ID:TS9AYNRL
どっかの新聞の
アンケート調査みたいだなw
504 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 17:48:27 ID:Qxdw44us
505 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 23:21:33 ID:3AoW6vDa
某人が言うように朝廷黒幕説が唯一の真実ならば
なぜ、学界で定説にならないのか。
今黒幕なんて言ったら鼻で笑われるんだが。
学者・研究者に一人もいないばかりか、井沢のように
単独説に転向する作家も増えている。
学者・研究者ってバカばかりなのか?
どうしても朝廷説を主張したいのなら単独説の関連本
(鈴木・藤本、桐野、谷口など)の著書を読んで
きちんと反論したらどうか。
某人の話はそれらの本に書いてあることすら把握
しておらず、話にならない。
506 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 02:17:26 ID:w7H7bHgx
そうなると信長と朝廷の関係が融和か対立かどっちのスタンス取るかだの。
まあ朝廷黒幕説唱える人は対立派なんだろうけど。
しかし谷口本では立花のイエズス会説がメッタ切りされてて笑ったがw
507 :
サイコメトリー:2009/01/13(火) 10:27:55 ID:LtcqkhiG
もう何度となく本能寺の変関連の本を読み返したり、スレも読み返していま
すが、読めば読むほど、最近は分からなくなって来てます。
根本的に複合説には違いないとは思うんだけど、やはり関与説は薄いと言わざる
えない。理由としては変時、変後に関与したであろう○○の影が一切見えない
からです。+決起理由はタイミングだったと思うからです。
つまり、本能寺の変は光秀的にタイミングがすべて整ったからこそ、決起したと
考えてます。信長の手勢数が多ければ、動かなかったろうし、方面軍の点在地
を把握していなければ、動かなかったと思う、日がずれても光秀は決起しただろう
って反論も有るとは思うのですが、果たして、数ヶ月後、数年後に光秀が信長を
討てるタイミングや状況が存在しただろうか?自分は難しいと考えてます。
従って畿内制覇を前提とした単独決起の可能性が高いと自分は最近、考えてます。
508 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 11:30:59 ID:jwk8pJ5E
>>506 >まあ朝廷黒幕説唱える人は対立派なんだろうけど。
公武論自体決着した論点でないのでいずれの立場をありうると思うが、対立論と謀反を結びつける
論証(朝廷の謀反の関与)が薄弱ないし破綻している。
また、当然だが、対立論=朝廷関与とはならない。
例えば、今谷氏は「公武対立はあったが、謀反の朝廷関与はありえない」と根拠を挙げて論じている。
朝廷関与説を主張するならば、まず今谷氏の関与否定の根拠に反証することが求められる。
>>507 >+決起理由はタイミングだったと思うからです。
そだね。原因を怨恨や野望に求めるとしても、謀反を実行したのは「タイミングがよかった」
これにつきる。そして、その絶妙のタイミングを形成したのは被害者である信長自身である。
そのタイミングを逃さなかったのは加害者である光秀の能力の高さに尽きる。
509 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 13:42:15 ID:QqHxaUEr
510 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 13:45:57 ID:h1YHRuep
だいたい信長は義昭追放した後、自分の官位を引き上げることで、新体制の形を形成したわけで。
本能寺直前でも、先の右大臣と言う権威が家臣団のみならず外部の大名も統帥する根拠となっておる
わけだしねえ。
信長はむしろ朝廷に密着しようとしてる。
511 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 15:18:43 ID:w7H7bHgx
>>510 ただ、信長が朝廷と相互補完関係かとなるとちょっと違うと思うんだよね。
彼が朝敵という言葉を使うことは確かほぼないし、勅命講和も織田・本願寺両方が戦争辞めたかったから大義名分に使っただけだし。
512 :
サイコメトリー:2009/01/13(火) 16:05:29 ID:LtcqkhiG
>>507 いえいえ関与説完全否定では有りません。
順慶的な日和見で恐縮ですが、変の柱にはならないんじゃないかと言う意味合い
です。光秀は出仕不明ながら、織田家の有力武将の中で最も毛並みが良いと推測
されます。それに伴い公家衆との付き合いや折衝も少ない人物ですが、=昵懇と
まではいかないと思います。書物の中には公家衆を匿ったやら逃がしたやらの文面
が有りますが、それが有力な光秀とのつながりとなる証拠とは思えません。絶好
な名分になるはずの、彼らの名を使わない理由も見当たらないと思います。
513 :
サイコメトリー:2009/01/13(火) 16:27:38 ID:LtcqkhiG
514 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 18:23:43 ID:jwk8pJ5E
>>510 堀氏の結合論だな。橋本氏の融和論とはニュアンスがやや違う。
>>512 >書物の中には公家衆を匿ったやら逃がしたやらの文面が有りますが
どの書物?
「晴豊記」で「弥平次北方女房衆」を晴豊が匿った記事は見たことあるけど。
515 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 18:40:49 ID:QqHxaUEr
>>512 関与に関しての件、了解です。
俺もタイミングが重要だったと思います。光秀の行動は突発的だとはいえ、信長父子の状況把握は以前によりしていたはずです。体面的には信長の防衛であったはず、これを逆手に取った。
516 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 19:40:46 ID:yOjXzKhM
朝廷黒幕説の信憑性なら
かつて朝廷黒幕説を熱心に主張していた桐野・井沢・津本・加来といった連中が
そんなこともすっかり忘れて単独犯行説を支持している点と
公武対立説の旗振り役の今谷が一貫して
そらないだろというくらい正親町天皇の政治力評価持ち上げたあげく
明智光秀が勝手に謀反したんだよーんm9(^ω^)pgr
これに尽きるだろう。
517 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 23:58:58 ID:Aw3KXrm4
>516
>かつて朝廷黒幕説を熱心に主張していた桐野・井沢・津本・加来といった連中が
>そんなこともすっかり忘れて単独犯行説を支持している点
少なくとも桐野氏は『真説 本能寺』の冒頭で
「前著は論拠不十分であり、いささか転倒した方法論だったと痛感している」
と反省している。すっかり忘れている訳ではない。
518 :
サイコメトリー:2009/01/14(水) 08:33:54 ID:PjAZEpAJ
>>514 二条御所にて明智軍に取り囲まれた、皇太子・誠仁親王と光秀のやり取りが
『イエズス会日本年報』に記載されてます。
二条御所には皇太子妃晴子他、四人の子女の家族六人と侍女達、小番衆を含め
た11名が詰めていた様で村井貞勝の進言に基づいて、親王は光秀に使者を
立て”私はどうすれば良いか?切腹するべきか?”と尋ねたとの事。
それに対して光秀は”直ちに御所を出る様に、ただし、信忠と紛れる事のない
ように馬や駕籠には乗らないように”と要求したとの事。それにより、誠仁
親王とその一家は難を逃れ、避難する事が出来た。『言経卿記』にも難を逃れ
た時は辰刻だったと記載されています。
桐野氏の事だけを擁護する分けじゃないが、『真説 本能寺』は素晴らしい
研究本だったと思いますよ。本人が自説を撤回したとしても、その研究自体に
意味が無くなった分けではなく、その研究が有ったからこそ、新たな自説が
生まれる分けですから。特に歴史学なんて、信憑性の高い文献が出てきたら、
今迄の通説なんて一気に吹っ飛んでしまう分けですから、持論を発表するのは、
大変勇気がいる事だと思います。作家は?ですが、研究者は自説撤回や新たな
説発表する事はぜんぜん有りだと思うのですが。
519 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 09:47:51 ID:k0ia6I1p
>>518 ソースありがと。
>『真説 本能寺』
この本を先に読まないと、『誰が信長を殺したのか』は内容が難しいからついていけなくなるよね。
氏は改説後も黒幕説を紹介する際に自分の旧説を引用している。すっかり忘れているわけではない。
520 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 12:14:53 ID:1sjA92jY
521 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 12:42:05 ID:1sjA92jY
522 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 13:29:17 ID:tg+IixEq
朝廷の関与についてなんだけどさ、朝廷が白か黒かはっきりしなきゃいけないのかな?
色んな資料を見ると朝廷は限りなく黒に近いグレーに見える。
関わってないこともないが、公には関わっていない
そして事件は光秀の単独であり(動機は置いといて)、
朝廷は光秀に好意的な後ろ盾を内々に約束していたんだじゃないの
まぁ口約束っぽいけど
事が事だから、どう転んでも朝廷を護れるようにしてたんじゃ…
パッと思いついただけなんで叩かないで…
523 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 13:39:26 ID:IpCq9Sps
>>522 「はっきりさせなきゃいけないのか?」と言いながら
キミは黒だと断定しておる。
524 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 13:58:47 ID:tg+IixEq
いや違う
白か黒かは断定はしてない
白か黒かに加えグレーという選択肢を提案しただけ
525 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 14:22:11 ID:IpCq9Sps
>>524 グレーと言う名の黒だと断定しているじゃんキミは。
朝廷が関与していなかったと言う説を完全に排除しておる。
526 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 14:44:09 ID:DgeXezXs
まぁまぁ皆さん、色の問題は置いておいて。
朝廷関与説に付いて言わせてもらえば、変前に光秀とのコンタクトは有ったとは思うよ。朝廷派の人物と。だからと言って、それが変の起因となる重大なファクターを占めてないって事。
そもそも朝廷衆がそれほどの影響力を持っていたかも疑問?天皇個人といえど同様。
田舎大名ならいざ知らず、京周辺や朝廷衆を熟知していたはず光秀は。変後に有効利用しよう。出来たらいいな程度に思ってたのは、むしろ光秀だと思う。
527 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 14:49:12 ID:tg+IixEq
いや違うんだ
黒というのは主導であって
グレーというのは賛同ぐらいの位置づけだと考えるので
黒は
朝廷「光秀さん信長を殺してくださいよ」
グレーは
朝廷「光秀さん信長殺すの!?じゃあ応援しちゃう」
って感じだと思う
だからグレーはグレーという名の黒ではなくてグレーはグレー
朝廷が何かしら関わってたのは晴豊の日記の記述がデカいかなと
事件を知っていたのは朝廷側の人間全てではなく一部の人間のみだから、朝廷が関与したとする見方も出来るし関与してないとする見方も出来ると思う
浅学ですまない
528 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 14:50:58 ID:tg+IixEq
529 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 16:23:13 ID:InItgPAZ
>>480 本能寺や二条御所の焼け跡には野次馬や信長親子を弔いに訪れた僧が多数参集していたにすぎず。
現場は出入り自由だ。
よって朝廷は光秀に、彼らを排除するよう要請などしていない。
光秀は有識故実に通じていたため、信長に仕えた当初から朝廷との折衝を任されている。
古き権威を尊崇し畏敬していない者が、関連知識に秀でている筈が無い。
興味や関心の無い分野に精通している人間など、古今東西一人もいない。
>>502 肝心な箇所を故意に現代文ではなく古文に切り替え、論旨を不明にするペテン。
しかも、ほんの一部だけを抜粋したインチキ。
オマエが過去に用いた欺瞞は通用しないのに、懲りもせず糞手法で誤魔化せると思ってる浅はかさ。
530 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 16:33:40 ID:InItgPAZ
>>516 「桐野・井沢・津本・加来」らが説を二転三転すれば、本能寺の変の真相までコロコロ変わるのかよ。
後年の誰かがどう帰納しようが、真実は一つ。
他人の説を貶すのはお得意らしいが、自説など無く、他人の説の単なる受け売りかよ。
定見が無く発言を二転三転させて醜態をさらしてる文盲馬鹿首相の麻生みたいな奴だ。
自分はこう思う、くらいの意見述べてみろ。
531 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 16:36:54 ID:IpCq9Sps
キチガイ君は文体ですぐ分かるのが困る。
532 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 16:46:50 ID:InItgPAZ
>>531 「お前が一度でも相手を論破したり議論を優勢に進めてきた所なんか見た事ないんだが。
いつも大半を相手に対する罵倒文章と一人認定とごまかしで埋めて粘着してるだけやん」
誰かさんがどっかで書き込んだ駄文だ。
まさに君にぴったりだと思わんか。
533 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 16:57:45 ID:yEO1dTkf
>>529 >肝心な箇所を故意に現代文ではなく古文に切り替え、論旨を不明にするペテン。
>しかも、ほんの一部だけを抜粋したインチキ。
変直後の「晴豊記」・「言経記」って記事が簡潔なんだがそれも知らないと見える。
インチキかどうか、自分で翻刻版読んで確かめたらどうだ?
>古き権威を尊崇し畏敬していない者が、関連知識に秀でている筈が無い。
だからこそ小屋懸の件が、古き権威の尊崇の態度と矛盾している。
ここから導きだせる結論は、「光秀は古き権威の尊崇に薄い」という事実だ。
おまいさんを基地外やとは思わない。 無 知 な だ け。
534 :
サイコメトリー:2009/01/14(水) 17:57:21 ID:PjAZEpAJ
落ち着いて行きましょ。
535 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 18:00:40 ID:OCWtLwe9
536 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 20:24:39 ID:k0ia6I1p
537 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 22:37:04 ID:jZ22TyHb
>>530 真実は一つ。
まさにその通り。
だから、いい加減な「本能寺の変の真相」は淘汰され、
見放されていく運命にあるのだよ。
かつて熱心に朝廷黒幕説を実証しようとした論者たちが
愛想をつかして次々離れていくのは何故だ?
それは朝廷黒幕説にはその程度の説得力しかないからさ。
不都合な史料なら山とあるのに曲解しまくってインチキと決め付け
未練がましく自説にすがりついているのは定見とはいわない。
妄想というんだよ。
538 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 00:36:00 ID:LgglESMc
劣化井沢のキチガイがここでも暴れてるのか。
本当にキチガイだな。
539 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 00:38:19 ID:LgglESMc
>>532 日本史板でお前宛にそれ書いたのは俺。
ここでお前の相手をしてくださってる方々とは別人な。
いい加減一人認定やめとけよ。みっともない。
その文が似合うのは2ch広しといえど俺が知る限りお前だけだ。
かみしめておきなさい。
540 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 01:07:01 ID:rx6kG2S8
>>529ってアレだろ?
色んなトコで見かけるけど、史料からの引用が読めないから、抜粋した文にすぐにケチ付けて、
罵倒で議論を有耶無耶にするアホだろ?
つか、こいつって過去の文章を古文って言うねw
リア厨でも言わんぞw
541 :
サイコメトリー:2009/01/15(木) 10:01:25 ID:ehcO5g/t
朝廷黒幕説=朝廷の権威
義昭黒幕説=足利の権威
光秀自体がその権威に付いて、どの様に考えていたか?また戦国時代の大名・
武将達が上記2権威に付いて、どの様な認識でいたか?以前にもカキコしま
したが、京周辺大名と地方大名ではやはり、大分、見解が違うのだろうか?
それとも個人的な要素が存在したのか?勿論、義昭個人との接点は多数有った
だろう。天皇個人との接点があったか分からないが、光秀は実直で堅実なイメ
ージが付きまとうが、フロイス的、見解も存在するしね。
542 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 11:51:43 ID:VGWF61Pd
>>527 >朝廷が何かしら関わってたのは晴豊の日記の記述がデカいかなと
>事件を知っていたのは朝廷側の人間全てではなく一部の人間のみだから、
>朝廷が関与したとする見方も出来るし関与してないとする見方も出来ると思う
グレー関与説の人、どの記述がデカイのかkwsk
朝廷で知っていた可能性のある人は吉田兼見だけやと思っていた。
桐野本では保留扱いだが、吉田は6月1日に本能寺に集まった公家衆のメンバーに含まれて
いない。彼は光秀の謀反を知っていて難を避けた可能性がある。
一方で、神官の吉田は毎月1日は「神事」で外にでられないから、これを理由に不参の合理的
説明は可能である。しかし、「兼見卿記」によれば、過去の神事の日に加茂競馬に行って遊ん
でいる記事も散見される。
また、吉田は過去に信長への不参を理由に加増を貰いはぐれた過去があり、信長のおかげで
公卿成したばかりの吉田が不参なのは不審といえなくもない。
むろん、吉田が知っていた=関与した、にはならないが。
吉田をグレー認定するのはわからないでもないが、晴豊をグレー認定すんのはさっぱりわから
ない。
543 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 12:27:01 ID:7qZiDwW0
↑なんかよく分からんけど、例え吉田が関与してた、または事前に知っていたとしても、光秀が変を起こした事とどうつながるの?
そんな事言い出したら、光秀と接点が有る人間は全員関与してんじゃん。
544 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 13:23:14 ID:6R0UFsa0
>>542 来ましたよっと
晴豊の日記に
斉藤利三と朝廷の人間が信長を倒す談合していた
とあった気がする
別人の日記で記憶違いかもしれんけどね
晴豊が関与していた
ではなく晴豊は朝廷側の誰かが関与していた、という事を知っていた
って思えただけ
さらに、言継と兼見の日記には事件の事を「謀叛」と記しているが、晴豊は「やきうち」と表現しているのでおかしいと思ったんだ
まあこれは表現は人それぞれと言えばそれまでだが
545 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 14:05:55 ID:2qXwEQam
正確には、晴豊が「やき打」と表現したのでは無くて、袖岡越中が晴豊にそう告げた、だよな。
武家伝奏で織田家と接点のある晴豊が、利三を尋問した信孝・秀吉筋から情報得て「談合」云々
と書いたと判断して問題無いと思うけどな。公記の記事と併せて考えて。
546 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 15:08:24 ID:7qZiDwW0
↑だから、それで朝廷派の誰が光秀とつながってるのよ。
まるで結託してるかの如くさぁ。
547 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 15:53:13 ID:BUTStW9Q
>>543 何にもつながらんよ。「知っている」と「関与している」は別次元の話なのは
>>542で
カキコした通り。
例え吉田が知っていても関与説との関係では「シロ」。
黒幕論者はそこらへんを混同しているので問題提起しただけ。
>>544 やっぱそれが根拠か〜、その点は
>>545の指摘でいいと思う。
「晴豊記」では変直後に「てんやわんやで日記もつけられないからあとからカキコした」
(超意訳)との記載がある。謀反は超ビックリしたんじゃないかな。晴豊はマジで知らなか
ったと思うね。「言継記」の記述もその体裁から、あとで書いたものであることは通説と
なっている。
それと比較するとリアルタイムで記載された「兼見記」の記述にはやや不審を感じる。
548 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 15:59:15 ID:SWyi5VvV
俺の斬新な推理だと信長は、死なずに落ち延びた。
しかし大火傷を負ったため3日以内に死去。
家康危機一髪の時、穴山梅雪横死したけど謎だよな?
549 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 16:58:50 ID:7qZiDwW0
>>548 斬新な推理サンクス。
でも三日後に死んだんじゃあまり意味ないね。
梅雪は変のどさくさで家康に討たれたとの話も有るね。
実際は我先に焦って逃げてたから、逆に簡単に見つかっちゃったんだよ。
550 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 17:39:18 ID:6R0UFsa0
>>546 グレー説提唱者っす(えらそ-www)
だから〜、朝廷関与はしてないと思うよ?
基本的には光秀単独
しかし計画を知っていた公家(兼見)と
計画を知っている公家を知っている公家(晴豊)がいるんじゃないかと言ったまでだよ?
勝手にオレの主張をねじ曲げないで欲しいな
自分高校生なんで多めに見てくださいよ(-.-;)
551 :
サイコメトリー:2009/01/15(木) 18:04:56 ID:ehcO5g/t
>>550 高校生!? 素晴らしい。
将来は歴史学者さんになって、本能寺の変の更に深く研究して下さいね。
552 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 18:10:20 ID:BUTStW9Q
>>550 黒幕説と決別した桐野も、兼見が謀反を知っていたかについては未だ保留してるよね。
ビシッと否定する研究者がでてこないかな〜
553 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 00:56:58 ID:1ClOn+Hw
すみません、近衛前久が本能寺の変後、仏門に入ったのはどういった理由からなのでしょうか?
554 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 06:20:34 ID:8frLlzOB
>>552 知っていようがいまいが、そんなことは大した問題ではないよ。
もし信長に通報して事前に光秀が翻意(謀叛を)したら、要らぬ讒言と処罰されただろうし、
そんなことが光秀に知れたらタダじゃすまないだろうから、結局、知らぬふりをしただろうね。
>>553 藤孝親子が元結を切ったことと同じだよ。
要するに、謀叛が成功しようがしまいが、我が身に類が及ぶことを避けただけ。
555 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 22:23:37 ID:nFPHwD6T
ぞろ目、ゲト。
光秀もみくじは何回も引いたらしいね。変前に。
556 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 12:32:35 ID:+ufgiGfz
>553
細川は家老の松井だか米田が明智と一緒に本能寺(Wじゃまかったか?
557 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 15:57:03 ID:bPAAR7AV
>>556 「細川家記」では「幽斎の臣米田求政が今出川相国寺門前の私宅に着いた時、
本能寺の変を聞きしかば、愛宕山の下坊幸朝と相はかり早田道鬼斎という者を
使者に出す」とあるね。
だから、米田が京都今出川にいたってことだな。
558 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 16:52:34 ID:9ysSZ3/F
細川も筒井もボンクラ。
秀吉が光秀に勝てたのは、偶然の重なりの故。
光秀が有利に戦線を維持してたら間違いなく光秀に恭順してた輩。日和見調子コキ野郎が。島左近を見習えや。
559 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 16:55:10 ID:zxy5hOHw
>>558 島左近<ハァーイ、本能寺当時筒井家家老でーす!
560 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 17:30:41 ID:PvdkkJoy
>>558 そりゃあ主君殺しの首謀者には流石に加担できんって事でしょ
そんな事も分からんのかボケ!
561 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 19:11:22 ID:9ysSZ3/F
>>560 それを義に反してるって筒井家を出奔したのが島左近だろうが、そんな事も知らんで意見すんじゃね〜よかじり戦国カスが!!
562 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 19:23:51 ID:VDgyD55s
>561
ここに無知が一人w
563 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 19:49:25 ID:9ysSZ3/F
じゃあ、島左近出奔理由を教えてくれや。
564 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 19:54:23 ID:zxy5hOHw
島左近が筒井家を出たのは順慶の死後だぞ。
順慶の死は天正12年
本能寺は天正10年
わかるか?
>>563
565 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 21:03:42 ID:9ysSZ3/F
ボケなすが!
そんな事ぁ知ってんだよ!なんで出奔したかって聞いてんだよ!
筒井家は日和見の立場をとって山崎後も微妙な状況だったのにも関わらず、家老の左近がなんで出奔したのよ。順慶や筒井家に重きを置いてたら、出奔なんてしね〜から。
566 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 03:00:31 ID:IztAbL2V
>>565 順慶の後継ぎである定次と不和になったから。
もし左近が順慶の所業に立腹して抗議の意味で出奔するのなら、順慶の生前に
行わなければ意味がない。
先代の重臣が代替わりを期に新君とはうまくいかなくなって出奔。この時代、
よくとまでは言わないが、各地であった話だ。
567 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 11:06:26 ID:WmKsi0Tq
二代目と不和でって話は、筒井家の体面を守る為の創作記述でしょ。
568 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 14:51:46 ID:IIVbzOSB
>>567 じゃあその
> 筒井家の体面を守る為の創作記述
って言うソースを提出してくださいな。
569 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 18:53:12 ID:fkPsYvKS
確か水問題か何かで出奔したと言う話じゃなかったっけ?
詳しくないから違うかも知れんけど
570 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 08:52:30 ID:L4vKkHnT
もういいよ。筒井絡みの話は。左近は好きだが、筒井順慶は論ずるにも値しない。
571 :
サイコメトリー:2009/01/19(月) 12:15:35 ID:U9uj09W+
ちょっとスレチ方向ですが…、
筒井・細川等が光秀に付かなかった事が、光秀の敗因の大きな要素となった
事は間違いないですね。
関与説支持の方、他にご意見はありますでしょうか?
572 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 13:07:14 ID:Qt/5dYrT
その前に筒井と細川がどれだけの兵力を出せたんだ?
それをまず言ってもらわんと
結局光秀は兵力に負けたのだからな
573 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 17:49:15 ID:L4vKkHnT
スレチ継続で申し訳ないが、
>>572へ。
ざっくりとだが、細川は3000〜4000。筒井はもう少し多い位。兵の配置も問題だが、それよりも、細川・筒井が光秀に従う事自体に影響力も有る。
戦略的にいえば、筒井は信孝の抑え、細川は高山・中川を側面から抑える。そもそも高山・中川は中立な立場を取る可能性も出る。
574 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 18:16:58 ID:fla7s7eU
スーパー伊忍道〜打倒信長〜の信長負傷で落ち延びシーンあったけど
納得したぞ?遺骨ハーケンされなかったから
575 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 18:44:47 ID:5EKWBpLE
>筒井
筒井が味方すると光秀には相当のメリットがある。
なぜならば、河内国は半国守護の三好康長が留守で、若江3人衆は筒井と同心する
って記述(多聞院日記)があるから、筒井が光秀に味方すれば大和・河内が一気に
勢力圏内に入る。
光秀が洞ヶ峠で順慶を待っていたのは、筒井と河内侵攻を計画していたものと思わ
れるが、現実に味方したのは三箇頼照のみ。
>細川
戦略的には柴田の抑えがいいとこジャマイカ
上方の中川・高山への影響は少ないと思われる。
光秀が彼らに約束した恩賞は、
細川宛書状では「細川には摂津・若狭・但馬の3カ国」
筒井は俗書では「上方6カ国」
両者の価値には、動員兵力以上の差異があったといえる。
576 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 21:01:59 ID:w2ugCJ/8
>晴豊の日記に
>斉藤利三と朝廷の人間が信長を倒す談合していた
>とあった気がする
これは
朝廷黒幕説に飽きてイエズス会黒幕説に転向した立花京子女史の超解釈じゃないか。
「済藤蔵助ト申者明智者也。武者なる者也。かれなと信長打談合衆也」を
「斉藤利三と朝廷の人間が信長を倒す談合していた」と読み解くのは強引過ぎていただけない。
577 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:50:17 ID:/HHeI23s
>>576 > 「済藤蔵助ト申者明智者也。武者なる者也。かれなと信長打談合衆也」
これが
> 「斉藤利三と朝廷の人間が信長を倒す談合していた」
どうすればこう訳せるのか、逆にそっちの理由を聞いてみたいなw
578 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 09:58:30 ID:5JxYjMli
> 「済藤蔵助ト申者明智者也。武者なる者也。かれなと信長打談合也」
ホンマに晴豊と斎藤が談合していたら、「済藤」→斎藤、「蔵助」→内蔵介
と姓名とも誤記するかね??
オババの解釈には、今(イエズス)も昔(朝廷)もロマンがたっぷり詰まっているねw
579 :
サイコメトリー:2009/01/20(火) 10:12:56 ID:AzppeSKh
>>575 同意します。
変当時、細川父子で約11万石。筒井をちょっと調べたけど詳細分からなかった
けど、約30万石位は領していたのかなぁ?少なくとも筒井と完全に共闘路線が
とれていれば、その後の形勢は史実とは全く異なっていたと予想される。
>>556〜
>>578 立花女史支持の方には申し訳ないけど、ノストラダムスも真っ青だね。
580 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 11:29:31 ID:yKwEMsw2
女史なんて死語未だに使ってるのか
581 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 13:03:16 ID:BsYiKF9p
筒井は大領を得ていたんだね。
582 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 14:31:16 ID:L1DT03DS
筒井自身が、というよりも、大和国内で筒井に同調する勢力の多さ、その影響力が、かな。
583 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 10:10:15 ID:LK+klY4P
>>578 別に誤記があったとしておかしくないだろ
信長公記にも『惟任』が『維任』と記されていたり、『内蔵助』を『内蔵佐』と記しているのだから
その『かれな』とは『彼等』という意味なのか?
584 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 17:38:36 ID:A5ngXDdU
「と」の濁点が省略されてるだけで「彼など」じゃないのかな?
まあ同音の漢字を当て字的に使用するのは、昔は時々あるみたいだね。
二日の「井上ト申者明智者也」もそうだけど、日記に記す時までろくに知らない人だったから
わざわざ「明智者也」って書いたと思うけどな。
585 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 09:29:21 ID:6HFOar/J
>>584 >二日の「井上ト申者明智者也」もそうだけど、日記に記す時までろくに知らない人
「晴豊記」によれば、京都在住の井上さんは方違の際に世話になった記事がある。
だからこそ、晴豊は二条新造に入るための交渉相手に井上を選んだと考えられる。
井上については、晴豊にとってまんざら知らない仲ではない。
586 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 10:55:14 ID:quWf2W7W
>>583 >信長公記にも『惟任』が『維任』と記されていたり
「維任」は誤記やないでw
天正3年光秀発給文書4通には「維任」とあるし、その頃の「兼見記」の記事も「維任」
となっとる。
そして、その後は発給文書及び兼見記の記述は「惟任」に統一されとるから、おそらく
任官当初は「維任」と称し、その後に「惟任」に改めたものと推定される。
587 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 11:32:52 ID:gmnsQtjE
読みが合ってりゃOkな時代だし
588 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 16:05:22 ID:6HFOar/J
だな。
光秀の賜姓任官は、豊後国大神氏姓の「惟任日向守惟基」に由来したと思われるから、
「維任」は明らかな誤記なんだが、織田の役人の調査不足(?)でこんなええ加減な
名字を半年間名乗ったのは、ちょっとかわいそうだな。
589 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 17:08:48 ID:7jx+P5Ly
「晴豊記」と「信長公記」は同列には扱えないっしょ。
前者は当時書かれた日記で、後者は後にまとめられた
編纂物。
だいいち信長公記は同じ記事で明智弥平次(秀満)を
左馬助と誤伝しているくらいだし。
それにくらべれば内蔵佐なんて許容範囲。
誤記があっても晴豊が斉藤利三を知っていたことには
ならない。
590 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 22:56:45 ID:ShUAuj0O
信長公記の著者、太田牛一は斉藤利三とは
会っていなかった可能性すらある。
そして公記が成立したのは後年。
名前を多少間違えることもあるだろう。
これに対し晴豊を疑う説では彼は利三と
会っている上、同時期に書いた日記でその
名前を誤っていることになる。
こんなことはまず有り得ない。
名前の表記がいい加減なのは晴豊が利三の
ことをほとんど知らず、接触もなかったからだろう。
591 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 23:20:06 ID:mQyEq82b
>>590 この時代、私的文書で名前の表記を間違えるのはよくあること。
592 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 04:16:59 ID:rfpuU4lC
大香とかかw
593 :
サイコメトリー:2009/01/23(金) 09:10:00 ID:TchJnLyP
戦国漫画『センゴク』で本能寺がどう描かれるのが楽しみです。
著者は現在、必至で専門家と検証協議しているとの事。
まぁでも現在、長篠の戦い連載中…。本能寺の変の前に2部完ってなってしま
う可能性も高いなぁ〜。別すれ導入スマン。
594 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 16:17:07 ID:K8Ey4wnT
センゴクの明智はフロイス的解釈で書かれている気がする。
単独野望説で来ると予想する。
595 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 19:10:40 ID:4FM2HxaA
>>586 信長公記巻十五に『維任』とあるがどういう訳?
後に統一されたなら、何故天正十年のことが綴られている巻十五に『維任』とあるんだ?
596 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 19:18:35 ID:4FM2HxaA
あぁ、ちなみにそれ以前には『惟任』と記されていたよ
597 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 19:37:09 ID:xKr4ZGmp
>>595 どういう訳もこういう訳もないだろ。
『維任』名義の光秀文書が4通(内1通は天正三年の付年号あり)、織田文書が4通存在し、
いずれも天正3年の年次比定がされている(織田信長文書の研究・古文書研究)。
すなわち、少なくとも天正3年は「維任日向守光秀」の時代があったってことだ。
牛一も耄碌して、前後が混乱して昔の呼称を書いただけでね。
598 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 19:53:18 ID:4FM2HxaA
信長公記の巻八(天正三年)に「惟任」とあるんだがどういう訳?
発音さえ一緒なら維でも惟でもどちららも使用していたんじゃないのか?
599 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 17:56:04 ID:rcGZcXhJ
誤字に対する観念が薄かったんじゃないかな。当時は。
まぁ黒幕論客の発端となる晴豊の字体認識は重要なんだろうけど、なんだかなぁ〜(阿藤風)
600 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 18:13:09 ID:xTDTdlkA
う〜ん。
スレチだからアレだけど、発給文書は当然リアルタイムで書かれたもので、軍記物は
あとで書いたものだから別に天正3年の巻に「惟任」ってあっても不思議はない。
つーか史料価値を値踏みしたら、どっちが正しいかいい加減気がつきそうなもんだが。
なんだかなぁ〜(阿藤風)
601 :
人間七七四年:2009/01/25(日) 15:26:20 ID:iQxyHPz1
602 :
サイコメトリー:2009/01/28(水) 10:05:22 ID:ozDD75Mt
柴田勝家と光秀が懇意だったとの話を少し聞いた覚えが有るのだが、
詳しい人いらっしゃいますでしょうか?
変に関しても、光秀と協議とか勝家も謀反とかって話を何かの文献で見た
記憶が…(どの文献か調べます)
自分の認識だと光秀と勝家の接点は薄い気がしたのですが、実際は懇意だっ
たのでしょうか?実際、変後の未来予想図の中で光秀は勝家の立場をどの
様にとらえていたかが急に気になり、書き込んでしまいました。
603 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 17:55:49 ID:agm96k90
柴田と明智は遠い縁戚関係だと、どこかで読んだ記憶がある。
でも、柴田と明智の接点をあまり聞いた事ないなぁ。
604 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 18:48:56 ID:4oXBolLn
605 :
サイコメトリー:2009/01/30(金) 08:19:25 ID:dnAnmnWu
606 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 09:58:32 ID:t4W18u9h
本能寺の変に謎など無し。
光秀が単独で信長の虚を衝いただけ。心底にあったのは他者の心持ちではなく、様々な鬱積を取り払いたいと思っていた気持ちと、多少の野望心。
607 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 18:16:17 ID:17Q52XOa
前スレでちょっと出てた長節子氏の論文ってどうしたら見れる?
多分、「所謂『永禄六年諸役人附』について」『史学文学』四巻一号 だと思うけど
ググってもこれぐらいしか判らんし、国立国会図書館の検索にも引っかからない。
608 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 18:32:36 ID:xIEhNiA/
>607
題名その他はそれで合っている。
そこまで分かっているのなら、国会図書館へ直接行って見るなり、
国会図書館からコピーを取り寄せるなり、あとは何とでもなると思うが?
609 :
サイコメトリー:2009/02/02(月) 16:45:15 ID:mEVVROk3
>>606 つまり怨恨重視で野望少々といった所でしょうか?
他者の介在は無いと。
610 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 20:14:14 ID:bfAmMcnD
>>607 以前、国立国会図書館で閲覧したよ。
カウンター貸し出しではなく、別室での閲覧だった。
611 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 03:17:59 ID:sowTCtlL
>>606 信長だけ襲っても意味ないんだよなー。
信忠は十分後継者としてやれる力があったから。
ま、運悪く京都に残ったのが1つ目の運の尽き……。(もう1つは脱出しなかったこと)
612 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 09:19:34 ID:hhN8GFGn
でも光秀挙兵のタイミングって神すぎるよなぁ。
天下平定目前の親子を同時に抹殺するのは至難の業だろうし。
ていうか、そもそも光秀って信忠まで討ち取るつもりは無かったんだっけ?
信忠は京都全体が包囲されていると勘違いして御所に立て篭もったわけで、
光秀も「信忠逃げてないの?なら信忠もやっちゃうか」的な感じだったのかな?
やっぱり行き当たりばったりの行動だったのかなぁ。
613 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 09:55:38 ID:MbRE5gpb
>やっぱり行き当たりばったりの行動だったのかなぁ。
前もこの話題が出たけど、信長が寡兵で上洛したのは5月29日で、謀反決行
が3日後の6月2日。
光秀が上洛のみならず寡兵であることまでを早期に知ることは無理じゃまいか?
準備する時間がなくて結局「行き当たりばったり」の結果になっただけだと思う。
>でも光秀挙兵のタイミングって神すぎるよなぁ。
でも神すぎる状況のお膳立てしたのは信長自身。まさに偶然(光秀が公然と大軍を
動かせる+信長親子は丸裸+光秀と信長は共に京都周辺に所在+他の方面軍は遠方
に所在で四国軍もこの日に渡海予定)の賜物。
この偶然をピンポイントで活かした光秀も神すぐる。
614 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 10:44:41 ID:hhN8GFGn
>>613 なるほど。
でも信長って京都では本能寺を定宿としていたんですよね。
中国軍の与力として派遣される予定だった光秀なら、
信長が近いうちにその本能寺に入ることは想像できたはず。
そしたら予め準備していた気もするんですよねぇ。相当数の間者を飛ばして。
ただ、これですと何で信忠のほうを後回しにしたのかという説明が出来ないわけで・・・
その後の政権運営を本気で考えていたら、信忠も葬るのは絶対条件ですよね。
やっぱり怨恨説に落ち着いてしまうんでしょうか。
615 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 10:56:34 ID:mZcr0ZUp
>>614 > 信長が近いうちにその本能寺に入ることは想像できたはず。
だからといって、その時の信長が丸腰に近い状況だとか、光秀自身が合法的に
大群を動かせる状況だとかは、予想できないわな。
616 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 11:17:17 ID:hhN8GFGn
そういえば、信長って秀吉の援軍に行く予定だったんですよね。
光秀はその先鋒というか、信長出陣までのつなぎみたいな感じだったわけで。
とすると、信長はどこの兵を率いて中国入りする予定だったんでしょうか?
数百とかのレベルで前線まで出て行くとは考えづらいのですが・・・。
617 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 11:32:28 ID:mZcr0ZUp
信忠がいるんだから、甲斐攻めのときと似たようなメンバーになったんじゃない?
618 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 12:05:13 ID:MbRE5gpb
>>613 >でも信長って京都では本能寺を定宿としていたんですよね。
何かの本に信長の京都定宿一覧が乗っていたが、義昭追放後はほとんどが相国寺(意図は明らかだよね)、
その次は妙覚寺、実は一番宿泊回数が少ないのが本能寺。
ただ、変の2年前の信長の宿は本能寺だったことから、予測可能といえば可能かな。
>その後の政権運営を本気で考えていたら、信忠も葬るのは絶対条件ですよね。
信忠は6月1日に本能寺に行き茶会に参加している。
光秀がこの情報をキャッチしていたとすれば、親子ともに本能寺にいたと勘違いした可能性もある。
信忠打倒が絶対条件かはよくわからないが、少なくとも信長打倒は絶対条件。
>とすると、信長はどこの兵を率いて中国入りする予定だったんでしょうか?
信雄は地元で中国出陣の準備中だったし
筒井順慶や細川藤孝も出陣を間近に予定していた。
筒井・細川が明智に従軍したかどうかは判断できない。
620 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 17:28:50 ID:KAxEaIDE
信忠殺傷は光秀の当初の絶対条件の中には無かった様に思う。
確かに信忠残しては、織田家完全打倒とは言えない事も十分分かって言って
いるのだが、やはり信忠を殺傷出来たのは光秀の周到さと偶然の重なりが、
大だと言える。
京周辺を熟知していた光秀が多数の間者を放ち、情報収集をしていた点、
>>614に同意。多くの間者は信長よりも、信忠に割かれて可能性も有る。なぜ
なら、
>>618が触れている様に信長の居所は予想が立てられた。
光秀は筒井・細川が味方に付くという自信があり、それにより信長さえ打倒
すれば、京周辺は相当時間混乱を続けると考えていたかも知れない、信忠は
結果として殺れたわけだが、信長襲撃と同時に信忠暗殺を確実に手配をして
いた様に思うが…。
謀反の最大の目的は京周辺を自軍下(筒井・細川傘下)に置く事と定めていた
様に思う。信忠に関してはを討ち洩らしたとしても、仕方がないと考えていた
かも知れない、信長亡き後に織田軍を統率を簡単に統率を出来はしまいと考え
ていたかも知れんし、反信長軍との連携も構想にはあった筈。
話がまとまりがつかなくなってしまった…、つまり何が言いたいかと言うと、
光秀の謀反は単独で有り、緻密な計画が成されていた様に思う。決して突発の
行動とは思えない。すべてにおいて隠密行動に徹していた為に、組下軍や反
信長軍との円滑な連携が取れなかった。光秀らしいといえば、それまでだが、
信長打倒を絶対の必達目標としていた為にそれ以外の事が、疎かになってしま
ったと言わざる得ない。光秀は謀反行動中も荒木村重一族惨殺の事が常に脳裏
に去来してた事は言うまでもない。
621 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 20:31:13 ID:0Frap2cb
>>620 単独犯行には同意するが、「用意周到」で「突発的では
なかった」というのはどうかなあ。
そもそも本能寺の変というのは信長が小人数で上洛し、
ほとんど無防備の状態にならなければ起きなかった事件。
上洛前から警護の人数や寝所を明らかにするはずはなく、
信長が上洛したのは5月29日で、これから事件までは
2日しかない。よって光秀が決断したのはこの短い間。
光秀が叛意を抱いていたとしても、29日以前には謀叛の
計画は具体化できないだろう。
信忠が京脱出を簡単に諦めなければ、討ち漏らす可能性も
十分にあった。そのことからも綿密な計画などなかった
ことが窺えると思う。
622 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 21:17:03 ID:KAxEaIDE
>>621 なるほど。そうですね。
ただ俺が考える、用意周到さは、以前から準備をしていたという事でなく、
いつでも動ける状態でいたという意味合いです。ただ決起したきっかけは、
やはり、手勢薄で本能寺に入った情報を得たからだと思います。
買いかぶりかも知れんし、憶測の域は出ないですが、光秀の中では、方面軍
が各地に点在し、まとまった主力がいない信長の身辺状況を把握し、家康の
接待もまだ完全に終わっていない事も考え、手勢薄で京に泊まるだろうと確信
に近いものを感じていた気がする。光秀はハッキリと文献には記されていま
せんが、京周辺の警備も担当していたに違いない、まぁ村井等が実際はその
役目なのだが、事実上、まとまった兵を駐留させている分けでもなく、広義
では、光秀が信長警護の重要な役割を担っていたと思われます。光秀はその役
目を完全に逆手に取った分けですが、心中ではタイミングを待っていた様に
思われます。
623 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 04:14:31 ID:W9/kX+3/
突発的というか、今しかチャンスはないって感じだったのかなー。やらなきゃ明智家が今後、危ないと思って。
京を完全に封鎖してた訳でもないし、その後の行動も計画的なものには見えないし、あの年じゃ野望説も薄いし、谷口氏の言う高齢で息子が小さい+四国の件がでかいと思う。
624 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 06:27:26 ID:rszdebt1
この本能寺スレでは何回も出た事だが、あえて、野望=天下統一ってスタンスは無し方向でしょ。
625 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 10:20:04 ID:wW262REp
>>619 >筒井・細川が明智に従軍したかどうかは判断できない。
「信長公記」の記述からは、中国派兵の明智軍団の将は「長岡与一郎」の名前しかなく
細川藤孝・筒井順慶の名前がない。逆に、池田軍団の将は高山・中山・塩川の名前がある
ことからすると両名の従軍は不明だね。
しかも、「多聞院日記」では、筒井順慶は信長の命令で上洛し、その途上で変の情報を知り
大和に引き返したとある。中国出陣の経路としては遠回りな気がする。
論者によっては「光秀と順慶は通謀していて、閲兵目的と偽って筒井軍を京都に引きずり出
した」って人もいる。
また、谷口氏の言う明智軍団は結成後にチームでほとんど活動していない。例えば、鳥取救援
では細川単独、第2次伊賀征伐では筒井単独で行動している。この単独行動には地理的な要素が
あるにせよ、「光秀とともに細川・筒井従軍ってのは判断できない」という
>>619の意見に賛成だな。
>>624 >野望=天下統一ってスタンスは無し方向でしょ。
あってもよいと思うが。
しかし、細川宛自筆書状では「50日〜100日で近国を平定し、その後は引退して光慶や忠興に
譲りたい。」って言っている。
もし、天下統一を望むならば織田遺臣に勝ち抜かねばならない状況なのに、引退するなんて
呑気なことは言えないはず。
>>620の言う細川・三好政権みたく、京都=「天下」的支配を望んだんじゃないかな。
626 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 10:31:23 ID:tfWp4tOk
まあ、光秀が自分の考えている体制、もしくは収拾策の形を全く示せずに滅んじゃったから、
その辺は本当に分からないよね。
627 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 11:29:50 ID:rszdebt1
光秀の野望とは高柳野望論とは違う、上の方も言ってるいる様に天下=畿内の認識。
細川や筒井送った書状を病理学的に判断すると、心身江若・情緒不安定・虚無感の現れが見られます。
大事を成した後の空虚さと頼みの者が動かない状況で光秀の心的状態が垣間見えます。
628 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 16:27:33 ID:2tBppppQ
>>625 「長岡与一郎」は細川忠興のこと。
父である藤孝も含んでいると考えていいんじゃないか?
629 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 17:01:32 ID:wW262REp
>>629 違うだろ。
藤孝が隠居したのは変の一報を聞いた時点であり、それより前(忠興の家督相続前)の中国派兵の
メンバーに「兵部大輔」でなく「与一郎」って書いてあるのは、オヤジは在国のままって意味じゃね?
630 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 18:12:07 ID:Lf9PbmKj
>>628 その直前の武田討伐時も忠興は招集されてるが幽斎は丹後警備を命じられてる。
631 :
サイコメトリー:2009/02/05(木) 09:31:57 ID:gJ0Pchm+
>>620〜
>>622 前から疑問に思っていたんですが、変直前まで光秀は信長・信忠の情報把握
をしていた筈なのに、どうして初めから兵を分け、信長・信忠を同時に襲撃
しなかったんだろうか?
馬揃え等の状況を見ても、光秀は性格的に無作為に行動するタイプには思え
ない、先入観ありきの物言いで恐縮なのだが、簡易的な準備は常にしていた
だろうが、やはりタイミング重視だったと思う。
632 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 10:12:06 ID:n9anSUNY
本能寺の変の後、徳川家の行動がやたらと早いのがどうしても気になる。
当時家康と主だった武将は上京してたし、周りは織田領と同盟国の北条で動員かけてたはずもないのに
なぜか家康が国許に戻ってからの兵力の動員が早すぎる。あの状況で国許で混乱がなかったのも変。
山崎の合戦の時点で熱田まで進出してた。秀吉の予想外の大返しがなければ明智に槍をつけてたのは徳川家。
更に明智を討つのに失敗するや、同盟相手のはずの河尻謀殺、甲信侵略と方向転換が早い。
どうしても気になる。
633 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 12:12:51 ID:HGdrTgMN
>>632 家康には緊急事態に即応できる馬廻先手組という常備軍がある。
そして川尻は忙殺ではなく単純に一揆に殺されただけだ。
あの時期あの辺の織田家の連中は軒並み殺されそうになってる。
森長可とかもそう。
本能寺もそうだが、家康の行動も陰謀史観で見ると全部がゆがむだけだぞ。
634 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 12:19:37 ID:zqGsubK5
3日酒井忠次から松平家忠に、家康が帰国次第、西国に出陣する旨が伝えられる。
同日、酉刻に変が起きたことが家忠に伝わる。
4日デマでは無く変が実際に起きたと諸所から伝わる。家康が大浜着。
5日岡崎にて家康と家忠面会。出陣準備を命じられる。
14日出陣(12日出陣の予定が延期)
15日光秀敗死が伝わる。
家忠日記だと、こんな感じかな。縁戚の水野家辺りからも情報着てたらしい。
特に怪しいという感じでもないよな?所詮他家のことだし家康と連絡とれれば、そんな混乱するとも思えんし。
家康ら首脳陣が上方に居て、どういう状況なのか肌身で感じてた分だけ行動が明確になったってことでは。
635 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 12:27:12 ID:W8UXjuGZ
>>633 に基本同意。歴史上の出来事を陰謀史観で見れば、きりがない。
>>631の提言の方が確かに不思議だ。
単純に考えれば、信忠はアウトオブ眼中か?でも形式上とはいえ、信忠は
織田家棟梁には間違いない分けで、それを後回しにする事は確かに解せない。
636 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 12:57:23 ID:4+HYzei4
>>635 確かに、
>>631はミスリーディングな問題提起だね。
襲撃経路(これが信用できるかは別にして)なんか見ていると3組に分けていたんじゃないか。
一手はちゃんと妙覚寺に向かっている
なまじ機動性のない大軍で襲撃したから、「信忠後回し・逃げる隙を与えた」なんて言われるけど、
光秀なりに3日間で立てられたベターな計画には間違いはない。光秀も甲斐平定から帰って、家康接待
、中国出陣準備、愛宕山詣って結構いそがしいんだよ。「簡易な準備」なんてやっているヒマはないね。
決してベストな計画ではないが、絶対条件の信長襲撃は成功しているし、準備期間の制約を割り引い
て考えるべきだね。
>>632 石川忠総留書だっけ、家康の計略がどうとかこうとか書いていた本。
家康陰謀説はこの記述を曇った目で読むからトンチキなことになる。
637 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 14:59:18 ID:NkH0TKP0
鷺森日記>家康の計略云々
二日朝徳川殿上洛 火急ニ上洛之儀候 上様安土より廿九日ニ上洛之由アリテ
それニつきふたふたと上洛由候也
追記:これは信長御生害ヲ知りテ 計略ヲ云テ上洛也
昔、三戦板の本能寺スレで、これで家康陰謀論唱えてた電波がいたな・・・
638 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 16:26:01 ID:4+HYzei4
>>637 そうだった。「宇土主水(鷺森)日記」だった。
この日記は、追記の順序が混乱していて読みづらい。
藤田教授も長宗我部が事前に変を知っていた証拠として同書の記述を挙げていたが、
反対論者からその点を突っ込まれていたな。
639 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 21:11:19 ID:NIO6vpRk
信長は謀反を起こした相手でも「何が不満だったんだ。ベースアップしてやるから帰って来い」
てパターンが多いからねぇ。
光秀にしてみればうまくすりゃ天下人、失敗してもベースアップしてもらって帰参。
どっちに転んでも損は無いって計算だったんでしょ。
それがいざやってみたら信長死んじゃったからベースアップしてもらって帰参ってのは不可能
になっちまったし、どうも天下人にもなれそうもないし。
そりゃ鬱はいるわ。
640 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 06:54:24 ID:bIOyYIGy
何を言っとるんだお前は
641 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 16:22:00 ID:FEbmlXoM
>>639 城に立てこもって謀反ならともかく、軍進めてきたら
手打ちはなしだろ。
釣りか?
642 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 20:37:22 ID:cMKqW9jH
光秀の信忠狙いの動きがなかったのには裏が有るって本を昔読んだけど、本の名前も内容も著者も分からない。
けど確かに読んだ記憶が有る。誰か知っていたら教えて下さい。
643 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 20:46:28 ID:MXD39Xvc
新説・本能寺の変
元国語教師が書いた本ジャマイカ?
644 :
サイコメトリー:2009/02/09(月) 12:36:56 ID:OS1Wyl9r
>>642 群馬県の中学国語教諭の円堂晃(筆名)氏が書いた『本能寺の変・本当の謎』
の様です。
自分も
>>631に疑問を掲げたので、何かそれに付いての本がないかと調べたら、
この本に行き着きました。本能寺関連書物は一通り目を通したつもりでしたが、
既に2005年に発行された本でした…。これを気にもう一度、古い順に本能寺に
付いて書かれた書物を読み漁ってみようかと思います。
ところで、円堂氏の本能寺は斬新で面白かったです。序盤は結構、喰い月付き
ました。でも最後が尻つぼみ状態って印象ですね。
645 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 13:57:18 ID:o/t+YDRn
>ところで、円堂氏の本能寺は斬新で面白かったです。序盤は結構、喰い月付き
>ました。でも最後が尻つぼみ状態って印象ですね。
確かにw
問題提起は巧みだったな〜
でも、後半は「う〜ん」という内容。
円堂氏と井上慶雪は「八切止夫のエピゴーネン」と称されることもあるが、むべなるかな。
646 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 11:40:12 ID:LSd6LoZi
その本なら俺も読んだ事ある。出足は良かったに同意。
後半は著者の雑さが目立った。偉そうに言える立場じゃないけど、検証や研究を積んだ上での推測論の展開としては素晴らしいと思う。
本能寺の変に関して完全なるフィクションを誇示する歴史作家の本より何倍も楽しめたよ。
647 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 12:16:27 ID:XSPPWjW5
いちいち、「私の意見に、おまえは頭が狂ったのか、という読者の反論があるが…」と書いてある
のもワロタ。
しかも、愛宕百韻陰謀論・朝廷関与説・将軍関与説への批判は胸がすくほど論理的なのに、自説
の展開になると、正に「おまえは頭が狂ったのか」状態www
自説の「証拠」が脳内変換で超訳した「信長公記」だけだからね〜
>本能寺の変に関して完全なるフィクションを誇示する歴史作家の本より何倍も楽しめたよ
ちょくちょく小説風の再現シーンが挿入されてんだよな。八切級の読み物として楽しめた。
もはや神のご宣託を自動筆記しているとしか思えないオババもここは見習って欲しいもんだ。
648 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 10:46:12 ID:vfUPkGPs
光秀は信忠が近くにいたことを知らなかったんじゃないかな。
知ってれば一緒に囲んだろうから。
これの反論として、まず信長最優先で信忠は二の次、というのがあるけど、あんなすぐ近くにいて
一緒に囲まないほうがおかしいような。
ほんで、信忠がいることを知らなかった、というのが逆に本能寺が突発的行動ということを
あらわしてると思う。
よく、どうして無防備で入京したのか、そんなこと事前にわからなかった、とか言われるけど、そういうのは全部結果論で
偶然そういう状況になったからこその突発的な謀反だろうし、そこには積年のうらみというより、弱い野心みたいなのはいつでもあって、千載一遇のチャンスをいかした、というのが普通じゃないのかな。
なので、謎はない、戦国時代にはよくある謀反、というのは良い考えで、その後の秀吉とか家康とかの天下統一と結びつけて考えるから、なにやらすごい陰謀とか大事件になってしまう。
もちろん事件は事件だが、直後の時点では「やっちまったな〜、でもうまいことやったもんだ」ぐらいの評価が妥当かな。
649 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 12:31:12 ID:x8NYSfYf
信長を倒せば自分に都合よく物事が運ぶと思ったってこと?
いくらなんでも光秀はそこまで先の見えない猪武者じゃないだろ。
光秀にとって本能寺の謀反は信長を殺す、というのが目的だったんじゃないかと思う。
650 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 16:43:58 ID:qxuYExb8
信長と信忠を同等に考えていたフシはないけど、信忠を軽視してたとも思えない。
651 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 09:14:48 ID:b1MbyWLc
>>649 都合よく、というか秀吉や家康が天下を取るのはまた後の話で、本能寺時点では猿とタヌキってぐらい。
信長に一番評価されたたことからも、信長を倒せば自分がとりあえず暫定トップでその後にも自分なりに
自信があったんでしょう。
なんといっても無名からあれだけの出世をしたんだから、たえず上昇志向を持ってたのは普通。
で、信忠がいれば真っ先に自分が敵討ちの対象になるから、近くにいたら絶対に囲んでやってる。
なんと言っても織田家の次期当主なんだからね。
重要なのは光秀が計画したわけではなくて、偶然ラッキが重なって謀反の条件が整った、ってことだと思う。
もちろんそこには、意思、がないといけないわけなので、そういう意味での光秀単独説が普通じゃないかな。
突発的すぎるのだけど、しばらく前から「こういう風なら謀反もおこせるな」みたいなのがあって、そしたら本当にそういう条件が整った、のでワンチャンスを生かした決断で大成功、というのかな。
なので、武将としての力量と考えると光秀はすごいし、よく決断成功させたと思う。
12日天下だったのは、秀吉がもう想定外のバケモノだったからで、これはまた別の話。
秀吉の力量を見抜けなかった、みたいにいう本も多いのだけど、それこそ結果論だし、3年で猿から太閤になるようなバケモノなんて
わかるわけがない。
陰謀論とは違うけど、有能な武将だったら危機管理という意味でたえず、なにがどうなったらどうしよう、とは想定してたはずで
それを最大限に活用発揮できた人物が生きのこることになる。
後からそれを見ると、いかにも陰謀っぽく見えるのはそういう有能な武将の証明なんだろう。
652 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 18:08:54 ID:+dnrsdYH
このスレの序盤で盛り上がった『制度防衛論』者の人達は今も健在ですか?
俺も本能寺には制度防衛が深く根付いていると思います。
653 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 19:34:55 ID:olSQllAa
だからその「制度」って何さ?
それを定義しなければ議論できない。
だいいち光秀がそんな「制度」にこだわってたのなら
織田権力の軍団長になんかなってないだろう。
654 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 20:53:30 ID:2p23bsCv
>>648 本能寺の変徹底考察スレ2か、3でその話題で盛り上がったことがある。
結論だけ引用すると、亀山城から京へ向かうのに、明智軍が使ったのは、1本の道路しかなく(信長公記による)、
その道路も馬がすれ違えない細道なので、明智軍1万3000は縦1列の長蛇の列にならざるを得ない。
そして、槍鉄砲等で武装している以上、平均1人1mは最低でも間隔を取らざるを得ず、少なくとも13kmの長さになる。
更に足軽は徒歩で鎧を着込んでいる以上、亀山から京への行軍では、分速70mの行軍速度が限界になる。
となると、本能寺を囲むのに、1000名の足軽を集めるのには、15分は掛る。
光秀としては、信長と信忠を同時に囲みたかっただろうが、足軽の行軍速度から、信長を優先して囲まざるを得なかった。
655 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 21:39:02 ID:+dnrsdYH
>>653 詳細は序盤をどうぞ。
まぁでも俺が思う制度とは朝廷の権威+室町幕府の権威だけどね。
戦国時代に生きる者として、これ以上の権威は存在しないと思う。
656 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 00:15:28 ID:UIiZVTvN
光秀は天皇を信長から守るために謀反を起こした。
光秀が天皇を気にかけてることを知っていた秀吉は
四国で光秀謀反、信長死亡の知らせを聞き嘘ではないと確信。
四国大返しをする。
望みどおりに信長を討った光秀は天下を目指すしか道がなくなった。
そのために慌てて書状を書き見方を集めようとしたが織田側の余りの反撃の早さに
あっさりと負け、殺された。
これじゃダメ?
657 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 03:49:52 ID:lUPFLhJJ
何を言っとるんだお前は
658 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 07:31:43 ID:8vhY3qYu
おもしろい
659 :
サイコメトリー:2009/02/17(火) 16:17:03 ID:WpBTA2Mm
>>652 このスレの序盤では光秀の制度防衛論が色々と話題になってましたが、天末
はスレ序盤で確認して下さい。
>>656 ちょっと厳しいと思います。
本能寺の変は完全な無計画では実行出来ないと思われます。
最近、変にまつわる関係書を読み返しているのだが、小説系は避けてました
が上田滋氏の本能寺の変を読み返したら、結構おもろかった。あくまで戦国
美談フィクションとしてだが。
660 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 19:00:40 ID:mmu92eBA
丹波の人に聞いた話だけれども、光秀は天下取りでも信長憎しでもなく、
単純に時代を戦国時代に巻き戻したかっただけでは?って説があるんだな。
特に丹波は国人の独立気質が強い典型的な“戦国時代”だったわけで、
丹波統一にあたって丹波の国人連中と付き合う(ぶっ殺したり、味方にしたり)過程で、
彼らの社会体制に影響を受けたのではないかといったような内容(妄想?)だったが。
確かに戦国時代から時代を進めて、天下統一が為れば戦争が無くなってみんなハッピー、
ってのは現代人的な見方ではあるしね。
661 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 19:04:49 ID:HZEj7cyK
いやいやいや。
戦国時代の日本はめちゃめちゃ疲弊してるぞ。
何らかの統一秩序を求めていたのは間違いない。
662 :
660:2009/02/17(火) 19:33:37 ID:mmu92eBA
>>661 もちろん自分的にはそう思うのだが、反三好で利害が一致した国人同士の相互監視で
当時の丹波がかなり安定した状態にあったのも確かなようではある。
中央集権的秩序に反感を持つ人間はどんな時代にも結構いるもんだ。
663 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 20:00:49 ID:HZEj7cyK
>>662 だからといって、それに光秀が影響を受けたの言うのはやはり、議論として飛躍しすぎていると
思うな。
光秀配下の丹波衆も、それほど影響力を持っていたわけじゃないし。
やはり、ちょっと説得力に欠けると思うよ。
664 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 20:57:40 ID:RE73HAZa
>>661 前時代に比べれば、戦国期は発展しているともいえる
665 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 21:14:58 ID:HZEj7cyK
>>664 たしかに制度的に発展した面はあるが、だがそのほとんどは
戦国時代に入る前に既に研究、準備されていたものがほとんどで、
戦国時代でなければそうならなかった、と言うような類のものではない。
そして民生は明らかに圧迫されていた。まあ内戦している国なんだから当然だけど。
個人的には戦国時代というものに、あまり積極的な評価はしたくないな。
666 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 09:42:34 ID:4dxLW9CD
>>654 他でもそういう話題になったことがあるんだけど、本能寺と信忠のいたとこと500mぐらいしか
離れていないでしょう。
だから道順的に信長優先は間違いないとして、ほぼ同時に囲むことは可能だった、みたいな意見があって、自分もそう思うんだな。
信長攻撃後も信忠の寺を囲んでないというのは、単に知らなかった、というのが一番ありうる感じで。
ほんで、あまり細かいとこに入りたくないけど、足軽たちの行軍とは別に先遣隊、みたいなのは当然いただろうし、
進軍のデータは尊重するけど、信忠が寺から二条に移動できた、ということは信長攻撃開始後かなり時間たってからも
まったく囲まれてなかった、先遣隊みたいなのもいなかった、ということだろうから、光秀は信忠がいたことを知らなかった、
というのは蓋然性が相当に高い、と思うんだ。
知っていたが信長最優先で信忠は囲まなかった、というのよりかは可能性があるようなね。
あ、先遣隊がいた証拠をだせ、というのはパスで申し訳ない。
荷物抱えた足軽とは別に身軽な指揮系の人がいるのは普通だろうから、あくまでそういう意味でね。
667 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 09:56:39 ID:4dxLW9CD
連続でごめん。
戦国時代の日本、と一口にくくって語るのも危険な感じかな。
要はその管理者がしっかりしてて戦乱なくすごせればその地域は中央の制度とかには関係なくそれなりの安定があるわけで、そこに襲い掛かってくるよそ者のほうがよほど悪。
そういう意味で天下統一とか信長とかやたら、よいこと、理想、カッコよい、みたいなイメージで語られるけど、ここの人はそういうのとは無縁ということで、あえてね。
なので、統一というか他国侵略の意思をもった人たちが、ちゃんと中央集権的な近代化の意志をもっていたか、というのと
普通の征服欲、で行動したのか、とではまた評価、が違ってくると思うのだよね。
単純に「あなたたちのため」と言いながら自分がなり上がりたいだけ、なんてのはよくある話で。
だから、スレチになるけど、信長が近代化、合理化の意思があったか、というのはそれなりのテーマだと思うし
光秀の乱もそういう観点から考えるのも一つの把握の仕方とは思う。
自分としては信長も光秀も単に野心的勝ち抜き戦の中で登場しただけで、光秀の乱もそういうシンプルな野心、が基本
のようなね。
もちろんその背景にはいろんな事情があるだろうけど、そういうのはあくまで二次的なもの、ということで。
668 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 15:00:44 ID:/mzVo15y
光秀の保守的って
保守的に戻す=戦乱の世に戻す
って考え方も存在したのね
保守も色々あるんだな
669 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 19:44:17 ID:OA9x3mG8
結果的に信長=革新みたいに考えるからそう思えるのだろうけどね。
やってる当時の本人たちはそういう制度防衛とか政治思想的なものは全然なかったんじゃないかなって思える。
秀吉を王政復古みたいに言う人もいるけど、あくまで結果論で本人はそこしかたよるものがなかったから、そうなったのだろうし。
光秀も同じで、足利への復古主義なんてなかったんじゃないかなぁ。
単純に、天皇とか将軍の権威を重要視して、それが一番明解な支配体系、ってことで。
タラレバはどうしようもないけど、毛利がもう1週間でも半月でもがんばってれば、明智幕府はともかく光秀さんももう少しがんばれたんじゃないかなって思う。
本人もまさか、猿が来た?、はぁ?、ってとこでびっくりしたろうな。
670 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 22:27:59 ID:xXvn7XbX
>>669 俺は無理だったと思うぞ。
各大名も光秀に味方する義理はないし、それどころか
織田家系統の武将からは功名の対象にされる存在。
畿内を固められても各地から来る敵に、復権目指す
三好党などの蜂起で防戦一方でしょ。
なにより近親者で機を見るに敏な細川親子が
あっさり見切りつけている時点で、先行きは暗いだろ。
同時代の人から見ても「見込みが無い」ということだ。
671 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 23:04:35 ID:JyBs0vBA
細川と言えば大坂の陣の時も
興秋と家老の米田監物が豊臣に味方させてたつーほどやのに
あっさりと明智見捨てたというのも不自然なんだわ。
672 :
サイコメトリー:2009/02/19(木) 20:10:10 ID:DVgJ4lGG
>>666 >>669 >>670 形式的であれ、織田家頭領は信忠なので、信忠の所在を光秀が確認出来ていな
かったというのは厳しいと思いますが、実際に各個包囲しなかった事実が有る
以上、兵に伝えられていた最優先事項は信長の首だった事は間違いないね。
革新的な思考は無いに同意です。誰々の為に、権威の為に等との考え方は、後付
の現代的な思考だと思う。信長に至っては純粋に征服欲、支配欲が強かった人物
だと思うし、光秀だって野心は強い人物。様々な権威は後から必要とすると思う。
光秀が筒井軍派だけでも味方とし、畿内を確保出来ていたら簡単に秀吉軍や他軍
に撃破されていたとは考えにくいと思う。細川父子が剃髪し、中立の立場を取っ
ていたとしても、それは継続的なものではなく、状況が変移すれば即座に光秀に
従うと思うよ。戦国時代の武将にそこまで強い忠誠心があったとは思えないしね。
橋を落として織田家に殉じた山岡みたいな者も居るには居るが、仰る様に機を見
るに敏な細川(特に幽斎)は状況把握にやっきになっていたと思うよ。まぁ〜
細川は動かなかったかも知れんね。後で勝った軍に付くつもりが初めからあった
可能性が高いから。(細川に対する私的意見を言ってスマンです)
673 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 22:26:21 ID:L3R+FatH
>>670 先行きは確かに暗かったろうね。
でも、細川ですら味方についてくれなかったのは明らかに誤算だし、猿は想像以上のバケモノだったし、
変を成功させたとこまでは完璧な人生だったんだが、突如ツキがなくなったみたいでかわいそうなんだよな。
タラレバだけど、織田家系武将とかその他敵対的勢力はなんとかする自信があったんだと思う。
すぐに朝廷との連絡を密にしてるし、将軍職も想定してたんじゃないかなぁ。
このあたりは語るとキリがないけど、無理を通すのが戦国だからね。
>>672 もう少しだけ続けると、信忠は脱出する余裕があったわけで、もし居場所知ってたらそんなことありえないと思うんだ。
信忠は頭領だし、いるの知ってたら逃がすわけがない。なので、各個包囲しなかった、というのを重要視したいのですよね。
ま、答えの出ない問題なので、荒れないようにいろんな意見を戦わせましょう。
>>671 細川が味方しなかった、というのも個別に重要な問題で、察するに公私共に、あきれた、んじゃないかな。
私では「なんで相談してくれなかったんだ、今更味方できへんで」とかね。
公では「やっちまって、わし、知らんで。他人やで」と報復を恐れた、とか。
細川資料は膨大なのがあるんだろうけど、そういう「感情面」なんてのは研究者は語らないから、こういうとこで想像するのが面白そうなんだけど。
674 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 22:30:52 ID:I+bot4gd
>>666 せっかくの長文だが、信忠のいた寺の名前(妙覚寺)を
書いてないのは関連本も読んでない勉強不足などと
突っこまれるぞ。
675 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 22:45:32 ID:I+bot4gd
>>673 >朝廷との連絡を密
そのわりには小屋懸を放置してるわけだが。
まさかあんたも時折現れる朝廷黒幕説のキチ○イみたいに
「小屋懸はなかった」というわけでもなかろうが。
676 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 23:27:52 ID:doCo+UBw
煽るなよ
677 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 10:14:43 ID:wuPfugwt
キチ扱い、敵視は止めようよ。色んな意見が出なくなるよ。
細川父子は変の時点での態度で一生、秀吉に媚び売りながら生きて行くしかなくなった。黒田父子の方が断然好きだと言わざるえない。
678 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 11:50:30 ID:EVXXEzu3
>>673 >すぐに朝廷との連絡を密にしてるし、将軍職も想定してたんじゃないかなぁ。
光秀の献金は勅使と会った後であり、光秀の主体性は希薄である。これで密とい
えるのかは疑問。
「京都の儀堅く申しつけ」の意味は、洛内で市街戦をやらかした(&小屋懸スルー)
光秀に対するある種の「禁制」の依頼だと個人的には考えている。
将軍職は俗書しか記述がないので妄想。
679 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 15:42:06 ID:ATECzH4o
>>674 一発で変換できないんだよね。
>>675 小屋がけの話もよく出るけど、朝廷と密約があった、の反証に使えるぐらいで特に重大な出来事とは思えないかな。
>>678 話が細かくなってきたね。
何度も出てるけど、朝廷関係者とかそういう人たちとつきあいはあったろうし、文化人的側面、とか変後に会った人たちから判断して、光秀がそういういわばVIP的な人たちを重視したのは確かだろうとは思う。
「京都の儀」は普通に京都の治安安定依頼、ってとこだろうね。
もちろん、朝廷事前密約説なんてとってないけどね。
将軍職に関してだけど、朝廷が贈ろうとした、なんてのは俗書だろうけど、義昭の側近でもあったわけだし、あわよくば、と自分が想定してたぐらいはあったんじゃないかと思うんだ。
これは証明できないけど、本人が何をどう考えていたか、という推測をすべて妄想としてしまうと、話が何もできない。
光秀が勤皇とか旧幕府制度ウンタラとか、そういう観点も大事だけど、そこに集約するのは飛躍がすぎる。
自分はそこはかとない野心、単独犯行と考えるので、その背景にあるもの、光秀が何を考えていたか、とか、推測すると、信忠がいたのを知らなかった可能性が高い、
信長を倒せばある程度自分が時代の主役になれる、あわよくば将軍、ってことで、いきなり将軍職を狙っていた、なんて飛躍の仕方はしてないつもりで。
ちと思うのは、信長が京に無防備で入るのを知って突発的に行動した、というのも無責任な論で、そこにいたるまでの背景とか心中とかはそれなりに考慮しなくてはいけないわけで、やっぱり四国説とかでじわじわそういう野心に火がついていったのですかね。
戦国の虫、なんて引用もあったけど。
愛宕山降りたのが28日とするとそこで信長の情報知って実質29、30と二日で決断ちゅうかきめたことになる。
これはあまりにも突発だし、愛宕百韻ウンタラ説にも利用されてしまうところ。
24日とするともう少しゆったりするけど、このあたりどっちがより正しいか、というのはあまり話題にもならないのが少し不思議かな。
ま、信長が京にくるのが確定したのが27日だっけ、知られたのがそうだっけ、なのでどっちみち突発には違いないのだろうけど。
680 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 20:19:56 ID:j8bKHuyj
光秀自身が将軍になるつもりだったはまずなかろう。
6月12日付けの雑賀衆の土橋平尉宛ての書状で、
「将軍(義昭)の帰洛の件は引き受けた」と
言っており、義昭を将軍と認めていたことがわかる。
681 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 20:47:00 ID:y5tjSnb4
>>680 細川宛では忠興に後を譲りたい由を書いて送ってるから、別に義昭を将軍と認めていたわけではなく(といって認めていなかったというわけでもなさそうだが)単に相手に応じて書き分けていただけのような気がする。
682 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 20:55:51 ID:ATECzH4o
>>680 その書状だったか忘れたけど、光秀の旧幕臣としての立場を強調する感じで引用されてたりしたような。
だからといって光秀が足利のためとか天皇のためとかそういう風にもっていくのはどうかと思ったな。
自分も相手によって書き分けた、とか社交辞令とか駆け引きの道具、とかそういうようには思う。
なんだけど、文書の字句を一字一句そのままで解釈したりする、という手法もあって、そういう人たちからはやたら妄想とか言われて話がとまってしまうのが残念。
変後の短期間の間なんて余計に自らの安定のために神経使いまくり、だろうにね。
ところで、サルが毛利に足止めされてたらやっぱり家康が出陣してたかな。
そうなると結局日本の歴史は徳川の世になってたわけで、なんか光秀かわいそう。
683 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 21:03:09 ID:qQPQ0vhn
まあそう言う単純なものではないだろうけどw
684 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 22:31:07 ID:3K04rEXg
みなさんは秀吉の戻りが遅くて光秀が畿内を掌握していたら、その後事態はどの様に推移していったと思いますか?
すごく面白くここまで読ませていただいてたんですが、知識豊富なみなさんはどう考えてらっしゃるのかなあ、と思って。
685 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 22:43:59 ID:qQPQ0vhn
一時的に畿内を掌握しても、家康、秀吉、勝家との三正面作戦を強いられるからどの道つぶれただろうね>光秀
686 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 00:21:12 ID:m8VN2vig
>>685 ありがとうございます。
そっかあ…やっぱり三方から攻められるっていうのは避けようがなかったのかな?どうしてもすぐ滅ぼされたんですかね?
687 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 01:07:27 ID:aoKYx99+
かな、やっぱり。
畿内っていうか、京の守護みたいな感じで朝廷とかの庇護を受けて、とかそういう風に朝廷に講和をたのんだりできないかな。
または小説になっちゃうけど、どうせ秀吉VS勝家、それに勝ったのとVS家康、になるんだから、とどれかに共闘を頼む、とかね。
少なくとも三方から真正面に戦ったら勝てないのだから、なんらかの方策はたてるだろうからね。
やっぱり一番若い家康と手を組むってのがあるんじゃないかな。
ま、権謀術数でいったら秀吉はバケモノだからどっちみちヤラれてはいただろうけど、そういってはミもフタもない日本史になっちゃうしね。
688 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 01:23:33 ID:GgK9wVdB
>>686 他にも織田信雄やら織田信孝やらの万単位で軍動かせる
勢力も健在だしな。
しかも腹に一物あれども、光秀を討つまでは内紛しないし。
中国大返しがない場合の光秀の出方としては
○筒井も味方につけて近江から若狭、山城、大和、紀伊を固める。
○足利義明を奉じて大義名分を得る。
○本願寺に石山返して、西の防波堤に。
○北畠の一派を持ち上げて伊勢で兵を挙げさせ、
信雄や滝川を追い出して伊勢を固める。
ここまでやって、後は上洛してくる織田系諸将の
軍をすべて打ち負かして、ようやく京が保てる。
でも打ち負かしても相手の本拠まで攻め入ることは出来ない
(その隙に他勢力が来るから)ので、モグラ叩きみたいな
叩いても叩いても切がない状態に。
しかも勢力地が日本の真ん中で後背地もないので、
たとえ勝っても疲弊するばかりだし負けたら逃げ場がない。
畿内が勢力なんで飢饉がくれば目も当てられない。
やはり未来は暗いかと。
689 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 06:07:14 ID:aoKYx99+
>>688 ふむふむ。
で、一番重要な四国は?
未来が暗いのは戦国なので当然で、秀吉だって家康だって最初はそんなもん。
なので、そこからが腕の見せ所。
わしらなんて結果を知ってるからどんな素晴らしい案でも出せそうだけど、さて光秀の立場にたったらあの時点でどういう作戦、方策を立てるだろうか。
毛利と組むなんてのは当然として、秀吉が脱出したとこからみると事前相談はなかったのは確かでしょう。
これが、突発的犯行の傍証にもなるのだけどね。
いきなり話戻るが、事前に変のふいんきを誰にも悟らせなかった、というのはこれはこれでめちゃ凄い事と思うが、そういう観点からの論はあるのかな。
「あいつなら、やっぱり・・」じゃなくて400年たっても「へ〜、マジ?」だもんね。
なにせ、信長本人が「ゼヒニオヨバズ」だもんな。
関係者たちは、第一報を聞いて如何な驚愕だったか。
そう思うと、一番冷静な、そして行動までした秀吉が、アヤシイ、なんてのはだめか。
でもさすが「サリトテハ」だよな。
思いつきだけど、突発的犯行の本能寺、瞬時の判断の大返し、どっちもすごいが、秀吉だけはやっぱり想定してたとしか思えないな。
主君が殺されたら誰でもあ〜いう反応をする、なんてよく言われるけどそれこそ結果論じゃないかな。
決して陰謀論じゃなくて、あの時代の危機管理という意味で、光秀、秀吉は案外同じ思考回路をもっていたのではないか、そんなね。
ほんで、お互いがお互いの力量をはかってた、もちろん正しかったのは秀吉なんだけど、光秀を責めるのは酷だし、信長ってのもたいしたもんだな、とは思う。
690 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 11:14:53 ID:9tA4W02g
仮に大返しが無ければ、畿内光秀勢力はそこそこいけたんじゃないかな。
四国長宗我部は味方につけれるし、
義昭通じて毛利と上杉も動かせれば秀吉と勝家も牽制できる。
そうなると家康も、畿内侵攻より北条と旧武田領分割する方が先になると思う。
691 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 12:25:38 ID:VhnLuZLb
いずれ、秀吉・柴田・家康の大軍との戦いを余儀なくされるから
そんな妄想意味ないよ
692 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 12:29:35 ID:pZwPrVz7
特に勝家と秀吉は光秀滅ぼさないとジリ貧になるだけだから、必死になって光秀と戦わざるを得ないしな。
光秀は最低でも、秀吉勝家家康の誰か一人とは同盟結ばないといけない。
しかしそれは不可能だろう。
693 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 13:48:54 ID:UQZXaoKK
長宗我部は水軍に定評があったの?
そうでなければ、畿内にたどり着くことさえできないと思うが。
694 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 14:02:29 ID:pZwPrVz7
>>693 小田原陣のときにでっかい軍船小田原まで廻してますがな
695 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 14:14:26 ID:j02paYZ+
>>689 光秀が家康などと違うのは
「何が何でも光秀を滅ぼさないと話が始まらない」
人々に囲まれていたこと。
織田一族に勝家、秀吉とかな。
若いころの家康が四方を敵に囲まれていても
「配下に入るから勘弁して」
とやれば今川も織田も武田も許容してくれただろうに。
でも光秀はそんなレベルじゃすまないほどの敵意に
囲まれていたわけで。
上杉や毛利も高みの見物を決め込んでも、血を流して
光秀に助成する義理はない。
中央で光秀太らせても、それが第二の信長になるだけだしな。
生産力の低い四国から援軍なんて、夢想の域だろ?
696 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 14:17:04 ID:pZwPrVz7
まあ、三好みたいに四国から畿内に入って畿内平定に成功した事もあるが、
長宗我部は四国に、三好ほど安定した基盤を打ち立ててたわけじゃないしな。
むしろ未だ四国だけで手一杯って状況。
697 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 15:22:45 ID:BAZxko1d
家康が、そこまで織田家に義理をつくすかな。史実でも、甲信地方の切り取りに精を出している。
河尻秀隆が死に追いやられたのは、家康の黒い手が伸びていたという疑惑も絶えないし。
そして、大返しが2,3日遅れていたら、筒井氏は確実に明智に味方したろう。
史実でも、筒井氏の配下の井戸良弘等が、山崎の戦いに参陣している。
そうなると、明智軍は秀吉軍を迎え撃つために、尼崎あたりまで進出可能になる。
高山・中川等の摂津衆や、信孝・丹羽の四国遠征軍の残存部隊は、羽柴軍と分断されることになり、各個撃破される可能性が高いと思う。
そして、勝家・秀吉が本当に共闘したろうか。史実でも、後継者争いで敵対している。
信長包囲網が、結局、崩壊したのは、反信長陣営が共闘できなかったから。
主君の仇を討つ、と言いながら、自分の勢力は温存し、同盟勢力をこき使おう、として足の引っ張り合いにならないだろうか。
そして、もう一つ気になるのは、長期戦になった場合、畿内を抑え、堺という貿易港を握っている明智軍に対し、反明智勢力は、火薬の補充ができたのだろうか。
戦国時代、火薬は大部分を輸入に頼っており、国産火薬は質も悪く、量も少なかった。
火薬がなければ、鉄砲は役に立たない。織田軍の精強さは、鉄砲の大量使用によるところが大きい。
秀吉に、勝家が敗北し、家康が屈服したのも、火薬の補充能力に大差があったため、という話を以前読んだことがある。
それを思うと、光秀はそれなりに勝算があったのではないか。
698 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 16:30:45 ID:pZwPrVz7
> 河尻秀隆が死に追いやられたのは、家康の黒い手が伸びていたという疑惑も絶えないし。
これ言い出す奴って、本能寺後、東国で織田家の連中はことごとく殺されたり殺されかけてるって事を
丸無視してるんだよな。
699 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 16:34:52 ID:pZwPrVz7
あと
> 戦国時代、火薬は大部分を輸入に頼っており、国産火薬は質も悪く、量も少なかった。
> 火薬がなければ、鉄砲は役に立たない。織田軍の精強さは、鉄砲の大量使用によるところが大きい。
> 秀吉に、勝家が敗北し、家康が屈服したのも、火薬の補充能力に大差があったため、という話を以前読んだことがある。
典型的な、間違った後付の発想。
戦国期たしかに鉄砲は普及したが、それが戦争全体を左右するような状態でもない。
この当時でもやはり、鉄砲よりも兵数と、戦術、戦略が勝敗を決めるのだ。
700 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 16:55:41 ID:aoKYx99+
なるほど、大体同じような想定でウルトラCみたいなアイデアはないわけね。
鉄砲の話はまた荒れそうだからおいといて、光秀が敵意いっぱいの中にいたのは重要だもんな。
ただ、反信長勢力ってのも確かにあったわけで、そういうのは光秀を助ける義理はなくとも、官位とか光秀がなにか利用すればそれなりに動かせなかったかな。
例えば一番初歩のタラレバだが、光秀からの第一報が毛利にもう少し早く伝わってたり、講和してても秀吉を追撃してたとしたら秀吉はかなり危なかっただろう。
実際殺されないまでも姫路城で体制立て直すのが精一杯、ぐらいにはなってたような。
ってそうなるのが普通なぐらいだったか。
勝家にも北にすぐ連絡取れば上洛戦になったかどうか。
なったとしても光秀VS勝家ならそう簡単に負けるとも思えない。
織田の息子たちは仲悪いし、あとは家康だよね。
こうなってみると、家康対策さえうまくしてれば光秀が生き残るのもそんなに不可能とも思えない。
あくまで、お遊びの話だけどね。
701 :
695:2009/02/22(日) 00:01:48 ID:fZxW0v/X
>反信長勢力ってのも確かにあったわけで、そういうのは
>光秀を助ける義理はなくとも、官位とか光秀がなにか
>利用すればそれなりに動かせなかったかな。
主に上杉や毛利だな。
毛利にしても追撃しなかったのは講和成立後ということと
ともに、信長亡き後の秀吉個人を見込んだ面もあっただろうし。
反信長がそのまま反秀吉や反勝家になるわけじゃないだろうな。
大返しがない場合、上杉や毛利には双方から誘いが掛かるだろう。
対上杉ならこんな感じかな?
光秀「勝家与党の領地は切り取り次第ですぞ。将軍のお墨付きもこれこの通り」
勝家「越中を渡すから、越中と加賀をお互いの境界線にして和解しよう。
こちらは上方に、そちらは関東管領家なので関東に互いに専念しよう」
とか。
702 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 00:23:08 ID:ZpTHnD6F
>>701 ふむふむ。
で、秀吉個人をみこむってのはどうだろう、目先の殺しあってた相手だから、とりあえずいじめてただろうな。
最近いやにモウリを評価してるのが多いけど、あの時うまくやってたら、毛利こそが天下に近かった。
なのにあのていたらくだから、絶対にありえないし、関が原でも証明されてるよね。
だから、天下取り、って信長が最初に始めてたかどうかは歴史の謎だけど、実際に「奇跡の3年」で関白になった秀吉がなんであんなことできたか不思議でね。
スレチになって悪いけど。
信長の移動範囲は案外狭いんじゃないかな、そういう研究ってあるのかな。
この時代、まだまだいろんな視点では、楽しめそうなんだよね。
703 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 00:57:14 ID:fZxW0v/X
>>702 毛利は地方政権が精一杯だと思う。
石山本願寺をめぐる戦いで、鉄甲船なんて作り出した
織田の発想と経済力にはとても適わんと
観念してたんじゃないかな?
秀吉個人を見込むってのは、例えば
「ヒトラー相手なら講和できないが、目の前の敵の
ロンメル将軍が政府首班になったら信頼できる」
みたいなものかな。
704 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 01:00:56 ID:UpH7Nnys
鉄甲船は鉄砲三段撃ちと一緒で、伝説みたいなもんだ。
あんな「秘密兵器」なんかに頼ったんじゃなく、結局地道な制海権の確保で毛利を少しずつ
後退させたのが実態だよ。
705 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 02:05:58 ID:XmISaQvX
>>704 鉄張かどうかは不明でも、信長が大坂湾封鎖のために巨船七艘を建造したこと。
この七艘は紀伊沖で雑賀水軍を蹴散らすなど、張子の虎ではなかったこと。
実際の第二次木津川沖海戦でも、この巨船が活躍したことなどは記録にある。
>>701 上杉も無理そうだがな。
史実では押さえに残った佐々を攻撃できず、一揆の蜂起で領地を確保できなく
なり逃走し、無主の土地となった信濃の北四郡を手に入れたのが当時の上杉の
限界だった。
毛利もそうだったが、上杉の敵も織田だけではなかったからな。
706 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 11:55:05 ID:UpH7Nnys
>>705 「巨船」の活躍なるものが信長の側にしか記録がなく、さらに毛利の側で、それに対抗するような
船を建造した記録がない。毛利も当然、織田に負けない造船技術を持っており、大筒にしても
元就の時代から運用していた記録があったにもかかわらず、である。
いわゆる「鉄甲船」なるものも、信長の良く用いる過剰な政治宣伝工作の一つであったのだろう。
707 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 13:27:11 ID:XmISaQvX
>>706 「信長側」というのがどこまで含むのかによるが、巨船の建造と活躍は
信長公記だけでなく、大和の寺社、雑賀の記録、堺や外国人の商人の
記録にも登場するのだが?
特に堺や外国人の商人は、自身の目撃情報として。
これも信長の過剰な政治宣伝工作ですか?
>毛利も当然、織田に負けない造船技術を持っており
技術はあっても金がない、なんて普通にありうることですがね。
708 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 15:39:50 ID:UpH7Nnys
>>707 その存在ではなく、「活躍」について語っている事に注意してほしいな。
709 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 16:47:53 ID:9LWWmx+c
スレチ方向だぞ。
筒井は最後の最後まで迷ってた。細川もなんだかんだ言っても中立。
つまり秀吉の運の良さのみが突出してたから、山崎の勝利となった。しかし、何か一つでも光秀側に動いていたら、結果は分からない。
710 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 21:19:05 ID:XmISaQvX
>>709 この時の秀吉に強運がまとわりついていたのは確かだが、運だけの勝利でもないでしょう。
大返しを成功させたのはそれだけ秀吉軍の統率と訓練と兵站が優れていた証だし、
帰還後の政治宣伝から中川や高山らを味方に引き込んだのも、秀吉の政略能力を
まるっきり無視することもない。
711 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 00:07:36 ID:lvaPxo+I
>>709 四方八方から敵が来るのに畿内保てるわけないだろうが?
秀吉や勝家や織田一族が内訌するにせよ、すべては
光秀倒してからだ。
また他の誰かをそそのかして光秀攻撃させて
消耗さそうのもありえない。
そいつが討伐に成功したら面倒だし、何より自分が
まず光秀を討って主導権手に入れたいからだ。
第一に光秀を討つことを目標にしていた連中
(しかも光秀並みかそれ以上の軍団)
に囲まれて切り抜けられると思っている方がおかしい。
712 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 02:46:16 ID:abuFlpQw
>>711 光秀が四面楚歌状態とは、あながち言えない。筒井派閥ついただけで、戦況も状況も変わる。
713 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 03:06:47 ID:lvaPxo+I
>>712 もういいから光秀のことを思ってオナニーでもして寝ろ。
ああいえばこういうの構ってちゃんはもういい。
714 :
サイコメトリー:2009/02/24(火) 12:26:31 ID:KQ2TD9xX
だいぶ変後のお話でスレが伸びた様ですね。
完全にスレチではないし、予測妄想の世界だけど、自分も好きなのでもう少し、
どなたかも仰っていた様に秀吉は信長が寡兵で居る状態を把握しており、その
危うさをも承知していた。光秀でなくとも信長に兵を挙げた者を討てる様に常
に周到な準備をしていた…。なんてなると秀吉贔屓の小説っぽくてダメだね。
運も実力と現代でも言うが、所詮は秀吉も光秀も絶対の自信を持って行動をし
てた分けではないだろうしね。光秀は慎重さが逆に仇となったと言えるし、秀
吉は大胆さが吉となったと思うよ。
715 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 12:56:14 ID:OLLcdWTn
中国にいる秀吉が信長の動向(少人数で上洛し
ほとんど無防備)なんてどうして分かる?
テレビもなければニュースもない。
現代の話じゃないんだぞ。
716 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 13:28:27 ID:k/9zPf6X
現場が遠いから分からんって、あんた本気で言ってんのか?この時代にも既に情報戦争は始まってんのやぞ。
717 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 14:17:02 ID:v+xCGVxx
718 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 14:20:37 ID:qggKzhn8
719 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 14:22:24 ID:v+xCGVxx
720 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 14:35:42 ID:G8XLSOGo
光秀はそもそもなぜ反乱を起こした?
やはり信長に対する個人的情念かね
721 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 14:38:12 ID:qggKzhn8
では武田信玄の死をあれほど秘守にしておいたにも関らず
信玄の死の翌日にはもう徳川家康の知る所となった通信手段は
その当時においてどんな問題がある?
722 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 14:44:30 ID:v+xCGVxx
ID:qggKzhn8はゲームか小説か何かのことを言っているのか?
723 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 15:25:14 ID:k/9zPf6X
そもそも「通信手段」と言うてる段階で間違うとる。
情報=ライブ の分きゃなかろうに。
大名達が乱派を各地に放っていたのは、ただのお飾りか?しかも秀吉の場合は織田家領内だし、他領内より楽なのは明白。
724 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 07:50:29 ID:X2vy+QbD
秀吉はその情報収集力を以て一番遠いとこながら一番早く変を知ったんだよ
信長が死んでると確信に至ったからあの家臣団の中でも思い切った行動が出来たわけで
余程信用、信頼されてる乱破が本能寺の報持ってきたんだろうな
黒幕論なんかバカバカしいわ
725 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 09:12:30 ID:hP1oaepa
乱破とかアホか。
漫画かなんかに脳をやられたか?
726 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 09:32:09 ID:uwqldNKM
長谷川宗仁が羽柴勢に速報入れたという記録や、五日付けの中川清秀宛の秀吉の返報
とか見ると、摂津から山陽瀬戸内ルートで連絡が着け易かったってのが大きいような。
摂津近辺の残存織田勢の中に、明智への反撃手段として対抗できる兵力を持ち、連絡つけ
やすい秀吉軍の上洛を期待する向きがあって、それに秀吉が応えたってことじゃねーの?
ところで、この時、堀秀政が何処に居たか正確な所は不明なんだよな?興味あるんだけど。
727 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 13:24:30 ID:NetmR5iz
>>725 間者や乱破は様々誇張されガチだけど、実際、情報収集には欠かせない存在
だったと思うよ。ただ、身分としての扱いが低い為に文献や書物に記載され
る事が無く、表舞台には中々登場して来ないが、古老物語という書物には、
上杉軍の軒猿の活躍が少し書かれているらしいよ。
728 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 14:08:11 ID:hP1oaepa
>>727 戦国大名の書状や記録を読めば分かるけど、戦国期のいわゆる「忍者」ってのは
情報収集をする役割じゃなく、後方撹乱、テロ、ゲリラ活動などを担当した「戦闘員」なんだよ。
彼らが情報を集めると言う事はほとんど無い。
戦国大名の情報を集める役割を担当しているのは、きちんと信用の置ける、ある程度以上の
身分を持つ人間だ。
それこそ虚実さまざまな情報が飛び回っていて、その中から正しい情報を選択するためには
自分以外では、信用できる人間の目を通してしかありえない。
身分的信用が無く、いつ買収されるか分からない間者や乱破の情報なんて、今で言えば
2ちゃんの書き込みのようなもの。
勘違いされがちだが、現在考えられているような、諜報員的な「間者」が成立したのは
江戸期、幕府が大名統制の必要上そう言う組織を整備してから。
729 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 14:17:41 ID:nN6yn/18
えっ!?忍者って長澤ま○みみたいなエロイ娘が夜な夜な来てサービスして
くれるんじゃないのか!
730 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 14:20:06 ID:xxH5uhu0
そうゆーのいらんから
731 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 17:56:07 ID:NetmR5iz
>>728 あや付ける分けじゃないが、あなたの仰る様に俺等は現代史観に感化されて
いるとは思うよ。でもね、いわゆる忍者連が情報収集をする事はほとんど無
いとは、やはり断言は出来ないよ。
あなたが仰る「信用をおける人物」が直接、情報収集するハズもない。その
信用をおける人物もまた、信用のおける者を使う。それが忍者に類する者で
ないと言い切れる分けもない。大名によっては、完全に役割分担をしていた
者も居るでしょうが、当然、その逆も然り。基本的には何でもこなすでしょ。
もっと言えば、信用出来る重臣が裏切らないとも分からないし、同じ用途に
使う間者は数名で有り、その返答により信用度を高める。
732 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 20:21:20 ID:QuVic4fb
余り難しく考え出すときりがない例のような気がしないでもない。
今でも、情報機関の仕事は秘密が多く、全貌がはっきりしない。戦国時代の忍者の活動についても同じ。
孫子でも、間者には五間あり、郷間、内間、反間、死間、生間があると説いている。忍者と一口にいっても、孫子によれば、五種類あるわけだから。
そん中でも、生間が一番、一般的な忍者のイメージに近いような気がするが、それだけでは、間者は務まらない。
733 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 21:01:36 ID:VImdfr8l
忍者の話はやめよう。
ただ、情報収集のすごさと、いかにそれを信用するか。
ラッパでもニンジャでも相手に買収されてたらおしまい。
そのぐらい命がけなわけでしょう。
だから、ソウニンの第一報と続々くる報を命がけで信じて、あんな大軍を動かした秀吉はやっぱりえらい。
ほんで、秀吉が信長が手薄なことまでは知りようがなかったと思うけど、高松への援軍は頼んだんじゃなかったかな。
だから移動していることぐらいまでは十分知りえたと思う。
ほんで重要な、秀吉が想定してた、というのは信長が手薄とかそういう話ではなく、あの時点で信長は案外磐石ではないのではないか、ということ。
勝家とかが謀反はおこさないだろうけど、秀吉、光秀、どちらも外様だしずっと、そういう危機管理的な想定はしてたんじゃないか、てね。
荒木の例もあるし、戻れば義昭だってそんなようなもの。
「信長の殿の動向には注意が必要」ってね。
だもんで第一報を聞いた時に「やっちまったか光秀どん」というのは十分あったと思うんだ。
そう考えるからこそ、大返し、も納得できるわけで。
734 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 21:12:41 ID:VImdfr8l
>>726 そだね、ルートとして秀吉は相当なものを作り上げてたんじゃないか、というのはたまに見る論だよね。
それこそ秀吉の得意とするところだけに、いろいろ金銀財宝とまでは行かなくても配ってそういう自分の味方を構築してたんじゃないかな。
それは変を想定してたというより、やっぱり秀吉の危機管理とか人タラシのテクニックだったろうし、実際に変が起きて最大限に身を助けてる。
その管理がすごかったからこそ、陰謀論がでるぐらいにね。
話戻るが、鉄甲船はフロイスか誰かがさらに伝聞で聞いただけの記述でしょう。
だから明らかに誇張と誤解が入った誤記述だろうね。
それと信長の大船団と他大名の軍団はまた違う話で。
だもんで、テツコウセンはなかった、というのを事実とする、ということでいいんじゃないかな。
三段うちみたいな後世の創作ではなくて、単に誤記述だった、ぐらいので。
それを拡大解釈したのはもちろん現代のおかしなアレなんだけど。
735 :
サイコメトリー:2009/02/26(木) 11:12:57 ID:p+sNiEBR
なんか自分のスレ辺りから、忍者類繋がりになってしまった様でスマンです。
話を戻しましょ。
光秀の行動は計画性をベースにタイミングを待っていたんだと思います。ただ難しい所は信長の殺傷とその後の展望をどの程度の比重で考えていたかです。結果論で言えば、後者を軽んじていたと言わざる得ないがね…。
736 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 12:44:36 ID:g1IXI9Xy
>>735 管理いつもおつです。
自分はその結果論がちと残念でね。繰り返しですが光秀が短慮だったのではなく秀吉がバケモノだっただけで。
なので光秀を思慮足らずのようにいうのなら信長はそれ以下の評価になるわけで、そうなってない昨今がいかにも、ってとこです。
また小説ですが、危機管理的に秀吉が想定してたのなら光秀もまたそうだった、という論もありますね。
計画性、具体性、実行、このあたりをいつどの時点でどう考えていたか、これはなかなか面白いところです。
737 :
サイコメトリー:2009/02/26(木) 13:27:43 ID:p+sNiEBR
>>736さん、どうもです。
自分も光秀は思慮が足りなかった短絡的な武将だとは思ってません。
戦後の秀吉の宣伝効果も有り、どうしても光秀を軽視しがちですが、自分は秀吉に良い運が重なったと思ってますよ。
そもそも秀吉黒幕説などは、秀吉贔屓から始まったとも思ってます。秀吉黒幕説の方、いらっしゃいましたら、反論をお願いします。
738 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 13:38:08 ID:Guv00nh7
秀吉は信長のことを恐れていたとは思うけど、尊敬とかはカケラもしていなかっただろうね。
ましてや忠誠心なんてほとんど皆無だったと思われる。
半ば馬鹿にしていた雰囲気すら感じられる。
だからこそ、信長を排除するなんて考えは、逆に持たなかったと思うよ。
「信長なんてどうとでもなる」くらいの考えを、秀吉は持っていたんじゃないかな?
739 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:50:10 ID:g1IXI9Xy
>>738 そうそう、そういう意見を待っていた。
だから結果論ぽいけど、先に信長討つと自分が逆賊になる。
そういう意味でも、光秀の変を想定してたようでね。
ほんでさらに小説だけど、高松への信長応援要請は秀吉のワナ、という説も聞いたことがある。
信長が出かけたら秀吉こそが変を起こしてたかも、というのね。
もちろん光秀同様タイミングを計ってたわけで、無理に謀反しなくてもいい。
あくまでいいタイミングだったら、ということね。
朝廷とか義昭とか制度とか持ち出さなくても、単に戦国の主導権争い、と考えたほうが理解しやすい感じでね。
ちなみに秀吉が織田家にしたこと思うと、尊敬なんかしてなかった、というのもよくわかる。
信雄に官位をあげたとか葬儀をしたとか、そんなんで「織田家への忠誠を感じる」なんてのはちょっとね。
740 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 16:04:50 ID:VGnxoe1T
>>733 >だもんで第一報を聞いた時に「やっちまったか光秀どん」というのは十分あったと思うんだ。
>そう考えるからこそ、大返し、も納得できるわけで。
納得できないな。
要はニュースソースの問題で、ソースが事件現場在住の京都町衆の長谷川宗仁で「伝聞」の要素が皆無に近いから
信用しただけ。大返し自体は秀吉自身の力量のすごさに尽きる。ややこしく考える必要はない。
変に関する情報はかなり錯綜していたらしく、奈良ですら七兵衛謀反・順慶切腹とか誤報が伝わっている(多聞院日記)。
また、石崎教授が紹介した「遊足庵淳相宛ての景勝書状」(6月9日)でも「秀吉が毛利の捕虜になって〜信長は七兵衛に殺
された」というとんでもない誤報になっている。
ちなみに、この書状の存在により「光秀は変直前に景勝と連絡していた」証拠として「覚上公御書集」を紹介した藤田教授
の黒幕説の根拠は完全に否定されたことになる。
741 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 16:58:49 ID:/fc+j4Gp
秀吉が予測してたんじゃないかって話はちょっと?かなあ。
信長と光秀の間に隙が生じたのは、ほぼ間違い無く天正十年入ってからでしょ。
天正十年の秀吉は、正月に宇喜田秀家をつれて上洛した以外は、西国にいたっぽいし。
伝聞で聞いてたとしても、それだけで謀叛を予測とかってのはちょっとなあ。
大返しにしても、例えば織田信孝の存在とか考えれば、敵の隣接地に居て、聞き崩れで
兵力低下した状態にいるのに、そのままただ慌てふためいてただけと考える方が不自然で、
兵力再編を目論んで羽柴軍の上洛を促した面もあるんじゃないかとかね。
指揮権とか無いけど、一応、織田家の一員だし。まあ証拠なんて無いし妄想だけど。
秀吉の将才を軽く見るつもりは無いし非凡な才能だとは思うけど、色々計算づくだったかの
ように言い過ぎるのは、なんか違和感あるなあ。
742 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 16:59:55 ID:g1IXI9Xy
>>740 もちろん、同意ですよ。
ソースの問題と力量のすごさは単独で事実でしょうしね。
ただ、もう一歩進めて、まったく想定してなくてあの大返しの成功というのはすごすぎで、やっぱり情報ルートの問題とか
秀吉が、危機管理的な想定をしてたのでは、というのはあくまで推測ですがそう思うわけで。
ちょっと確認ですが、ソウニンからの第一報というのはどうやって信用したのでしょう。
偽情報じゃないという意味で。
やっぱり内緒の符号とか合言葉とかハンコとかそういうのの決め事があったのですかね。
いまでさえいろんな書状が、偽書では、なんていわれるぐらいで、当時はどうやって信用したのか、って昔から不思議なんですよ。
なにか簡単な方法があったのかな。
ましてや、命がけの情報、みたいなものには何らかのそういう秘密の方法があったのかな、ってね。
変直後で言うと、わざと偽情報流したり、秀吉もやってますよね。
なので、そういう情報確認というか、案外本なんかでは語られてないようで、自分がなにか見落とすか勘違いしてるのかな。
743 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 17:07:26 ID:g1IXI9Xy
>>741 ですね。
謀反を予測、というとちょっと直接的で異論はあるでしょうね。
なので、将才を認めて、最悪の想定はしてた、そしたら本当に起きた、それが「やっちまったか」という表現になったわけで。
現代で保険入ったり、傘をカバンに入れておく、という感じぐらいなんですよ。
なんだけど、あれだけの非凡な才能だと、カバンに傘、がもっとハイレベルになるでしょうし。
ややこしく考えすぎ,と言われればそうですけど、あれだけの人物だとやっぱりいろんなこと考えたり計算してたりしませんかネ。
744 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 17:57:12 ID:1d5H96/+
>>742 >ちょっと確認ですが、ソウニンからの第一報というのはどうやって信用したのでしょう。
>偽情報じゃないという意味で。
>やっぱり内緒の符号とか合言葉とかハンコとかそういうのの決め事があったのですかね。
これは藤田教授(この人もたまにはまともなことを言う)の見解だが、秀吉は丹波夜久の方に
情報線を持っていて、ここから入手した情報と宗仁の情報と照合して「偽情報じゃないぞ」って
判断したんじゃないかな。
あとは私見だが、「信長が謀反で死んだ」という部分が一番のキモであり、「共犯者がだれか」
とかいう従たる部分の情報の確度はさほど重要でないと思う。
極端に言えば「主君が謀反で倒れた」ことだけ分かれば、あとはあだ討ちモードに入り姫路あた
りで細部の情報を捕捉すればよいだけだと思う。
745 :
744:2009/02/26(木) 18:16:59 ID:VGnxoe1T
>変直後で言うと、わざと偽情報流したり、秀吉もやってますよね。
補足だが、仮に「秀吉が謀反の主体・共犯者について偽情報をつかまされた」と仮定する。
「勝家が、信澄・明智と共謀して謀反した」(実際にこういう誤報も流れている)という情報
をキャッチした場合、前線にいる秀吉軍団はハサミ討ちの危険が増加する。
そうすると、謀反の勢力の大きさを考えればもはや仇討どころではなくなってしまい、軍団を維持
するには、撤退して本拠地(姫路)の守りを固める必要が出てくる。
史実では「大返し=仇討」となったが、この仮想事例では「大返し=撤退」に意義が変化するだけで
やることは同じ。
謀反の客体の情報だけ正確であれば、主体・共犯者について偽情報であってもさほど重要視すること
ではないと思う。
掴まされても
746 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 21:00:24 ID:g1IXI9Xy
う〜ん、ほとんど同意なんですけど、やっぱり「誰が謀反か」というのはとても重要ではないだろうか。
第一報が「信長死す」のみだった場合、どうやって又は誰が、というのがわかるまで簡単には動けないぐらい、重要ではなかったかな。
で、大返し、というのは「明智による謀反」というのがわかったからこその一世一代の大バクチというか緊急避難的な行動というか。
ソウニン報と他の報告が一致、事実とほぼ判明、明智によるものなのでの行動、というか。
単に撤退というよりは明らかに、すぐの報復戦を戦いに入れたぐらいの全軍移動ですものね。
ま、このあたりはスレチっぽくなるので深入りしませんが「病気」「乱心」「身内のケンカ」みたいなのではなく、明確に「謀反」であった場合、相手が自分と敵対かそうでないか、が一番重要で知りたいことでしょうしね。
747 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 10:30:50 ID:qpYzerfd
>>746 >単に撤退というよりは明らかに、すぐの報復戦を戦いに入れたぐらいの全軍移動ですものね。
まず、全軍は移動していないよ。宇喜多勢はしんがりとして中国に残っている。
また藤木久志によれば実態は「中国小返し」だったとの指摘もある。「惟任謀反記」でも大返し
についてゆけず多数の脱落者が出たとあるし、山崎の合戦の主力は摂津国衆で秀吉本隊ではない。
次に、すぐに報復戦に入れたのは信孝軍団・池田軍団と合流できたこと、信孝の調略(多聞院日記)
が奏功して筒井が消極的味方に回ったこと、も考慮しなければならない。
決して、秀吉個人の力量で山崎の合戦で勝利したのではない。
秀吉が「仇討」を合言葉にしたのも、「撤退」では士気が下がって聞き崩れ・見崩れが生じるのを
おそれただけかも知れない。他の関東諸将(滝川・森・川尻)だって一応は「仇討」を合言葉にし
たんじゃないかな。秀吉軍が崩壊しなかったのは彼の力量・兵站確保に尽きると思う。
748 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 10:51:10 ID:qpYzerfd
>ソウニン報と他の報告が一致、事実とほぼ判明、明智によるものなのでの行動、というか。
他の諸将(柴田・滝川・森・川尻)も撤退している。彼ら全員が「明智謀反」まで正確に把握
していたという確証はない(特に北陸方面では、「信澄謀反」の誤報が流布していたことは当時
の上杉関係書状で確認できる)。
それでも、彼らなりの「大返し」をやっている。
749 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 19:15:39 ID:qpYzerfd
連レス失礼
>>726 >長谷川宗仁が羽柴勢に速報入れたという記録や、五日付けの中川清秀宛の秀吉の返報
>とか見ると、摂津から山陽瀬戸内ルートで連絡が着け易かったってのが大きいような。
秀吉と清秀は天正8年に「向後兄弟之契約申定候」の契りを結び、秀吉が清秀に中国2カ国
を付与されるよう信長に斡旋するとの書状もあり、格別昵懇の仲だったようだ。
変後は中川発(2日)、秀吉発(5日)、中川発(?日)、秀吉発(10日)と頻繁に連絡を
取っており、秀吉は長谷川ルートに加え中川ルートでも正確な情報を把握できたんじゃないかな。
750 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 01:51:30 ID:jy4DyTWZ
>>747 なるほど、いろいろありがとう。
で、今日は時間がないので軽くにしておくけど、旧陸軍の作った大返しの史料とか、兵糧の研究とかみた場合に、かなり秀吉は無理してるでしょう。
あそこまで無理する必要があったのかな、ってことが一つ。
で、秀吉個人の力量で山崎で勝利したのではないことは事実だが、やっぱり秀吉が無理して戻って、そこでのチョウリャクが成功したのは
、秀吉という、頭、があったからこそに思える。
なので、やっぱり秀吉の行動は深く追求するべきで、よく「語るべきことはなにもない」なんて聞くけど、そうではないようにおもえる。
決して、黒幕説とか全て計算ずく、というのではなく、光秀ともからめた、危機管理、という意味においての論においてね。
751 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 02:03:50 ID:jy4DyTWZ
自分のテーマとしては、情報の確認、というのと、移動の際の兵糧その他のテクニック、ということ。
こういうのは案外語られないし、そのあたりが不思議で。
社員旅行や接待で観光バス1台の移動がどんなに大変か。
こういうのは研究者たちは知らないのじゃないかな、ってね。
ケ〜タイが出来てめちゃくちゃ楽になったが、そういう「画期的な変化、発見」みたいなのを秀吉は当時なりに見につけてたのだろうとは思う。
単に金銀ばらまいた、それは俗説、なんてのもあるけど、あれ、真実ではないだろうか。
ちとスレチっぽくなって悪いが、このあたりはぜひ詳しい人にも一度聞いておきたくてね。
話戻して、でもスレチか、秀吉が天下を狙える、と思ったのはいつなんでしょう。
変の前か後か。
これ、光秀の変に関してもかなり重要なことにも思える。
ま、こういう話は「可能性はやめてな」「すべて妄想だろ」って言われて終わってきたんだが、徹底考察という意味では一度はチェックしておくべきだろう。
752 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 07:39:02 ID:r8lxvGln
「信長公記」では、天正九年の鳥取攻めの時の動員が二万。恐らく宇喜多は含まれず
蜂須賀等旧来の与力は含む数。高松城攻めの時もこれくらいの動員が想定できる。
一方で、大返し後は、「惟任謀反記」で秀吉の軍約一万。
山崎戦後の勝龍寺城包囲では、「兼見卿記」で秀吉、信孝、摂津衆等で約二万余。
明智側は、わかんね。
753 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 12:38:57 ID:hL0fe+3z
>>751 >単に金銀ばらまいた、それは俗説、なんてのもあるけど、あれ、真実ではないだろうか。
史実では光秀が安土城の金銀のばらまきをやっているから、秀吉だってやっていても不合理ではない。
また、姫路まで雨の中マラソンさせられた秀吉の家来は筋肉痛でフラフラだったろうから、「金をやる
し、仇討で手柄立てたらさらに褒美をやる。」ぐらいは言ったと思う。
限りなく真実と見てもよいと思う。
>>752 1万でもすごいが、「惟任謀反記」では「大部分が脱落した」とある。
宇喜多勢まで人数に含めると(計3万)、これらの史料と整合がつかなくなってしまうね。
「大返し」も秀吉神話の1つで、実際は「中返し」というべきだろう。
754 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 06:46:21 ID:G64BsFqT
エセ研究者共が持論を押し付けるクソスレ
755 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 07:06:49 ID:F1DLdubU
756 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 20:43:56 ID:i8GDsRFV
羽柴軍の備中高松城からの「大返し」ですが、いろいろ考えがあるようです。
私が以前読んだ本では、山崎に1万人がたどり着いたが、疲労の極にあり、実戦に投入不可能の状態だったとか。
私も、備中高松から山崎までの道程を考えると、歩いての行軍ならば、辿り着くのがやっとではないか、と考えます。
山崎の戦いにおいて、先鋒は羽柴直属軍は外されていますし。
最も、これに対しては、現地の地理に詳しい摂津衆等が先鋒を担うのが、織田軍においては恒例であるという反論があります。
ともかく私としては、「大返し」が可能だったのは、信長が明智軍と共に備中に赴く予定だったので、その準備を怠りなく秀吉が務めていたから、だと思います。
1万以上の大軍が行軍するとなれば、街道整備等の準備が必要不可欠です。それを、秀吉も準備していたのだと思います。
そして、本能寺の変が勃発、その準備を活用して、「大返し」を行ったのではないでしょうか。
757 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 20:59:25 ID:TMf4bwM7
>>756 それが最も常識的な解釈だと思う。
秀吉は確かに天才だったと思うけど、いくら天才でも常識を飛び越えられるわけじゃない。
758 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 00:21:42 ID:r/if1lE4
でも備中より先に四国へ行く予定なんだよね>信長
759 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 10:14:06 ID:tcPpcUnn
>>758 >でも備中より先に四国へ行く予定なんだよね
確かに、「四国国割書状」(5月7日)では四国(淡路)に行くと言っているが、同月
15日に「中国救援要請」が信長に届いている。
そして、6月1日に公家に対して「今度は関東を討ち果たし・・西国手使い(毛利攻略)
は 6月4日に出陣する」(晴豊記)と言っているから、むしろ中国に行くつもりだった
と思われる。
よって、
>>756の言う通り
>信長が明智軍と共に備中に赴く予定だったので、その準備を怠りなく秀吉が務めていたから、
>だと思います。
が(&高松攻めが和睦の下交渉に入っていたこと)「大返し」のカラクリではないだろうか。
760 :
サイコメトリー:2009/03/03(火) 12:17:57 ID:bEv6Lrsc
>>751 >>753 仰られる通り、ここは徹底考察スレですので、どんな瑣末な事でも本能寺の
変に関する事であれば、取り上げて頂きまして結構です。否定的な意見を言う
方もいらっしゃいますが、そこは気にせずに行きましょ。
自分も秀吉の賃金ばら撒きは有ったと思います。秀吉からすれば、悲報を好機
と転換するまで時間は掛からなかった様にも思います。私的意見ですが、自分
『小返し』かなって思ってます。秀吉お得意のパフォーマンスだとも。摂津ま
での行程をアピールし、摂津衆や京周辺武将に『返し』を示す。
そこには
>>756さんが仰る様に街道整備を含めた秀吉の様々な周到さが伺えますね。
>>755 おもしろかったです。
761 :
サイコメトリー:2009/03/03(火) 14:47:57 ID:bEv6Lrsc
762 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 16:59:46 ID:k0Wn74OZ
秀吉なら有り得るね。
俺は全力で光秀たたくぞ〜味方せ〜よ〜ってか。
街道整備は来陣するであろう信長のご機嫌取りでしょね、それを変を予期してっつーのは陰謀史観でしょー
763 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 17:41:40 ID:gxIzg4PW
764 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 13:10:10 ID:BY7edfmq
大返しに船を使ったという説をどっかで見たような気がする。
兵まで運んだのか物資を輸送したのか忘れたが。
765 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 17:26:40 ID:ithNplkA
光秀は可能性の準備をしていた。
秀吉はいつもの様に構えていた。
家康は物見遊山気分でいた。
信長は有頂天だった。
義昭は信長を陥れようと妄想していた。
正親町は権威立脚を画策していた。
朝廷派は御身保身に躍起だった。
町衆は戦乱終結をのぞんでいた。
本能寺の変に怪しげな黒幕などは存在しません。
皆がそれぞれの状況でそれぞれの対応をしたのみです。
766 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 18:59:24 ID:JxykZQ65
767 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 06:39:19 ID:f9N6xVht
大返しについてはもう少し評価が必要だと思う。
詳しい行程の研究もあるようだけど、1昼夜で55キロ走破、兵糧の突然の確保、そういうのを簡単に済ませてしまっては秀吉がかわいそうだろう。
準備がしてあったと言っても、意味合いがまったく違う。
先遣隊とかを適確にださないと行った先での食料の確保も難しいし、天候の問題もある。
ヘタしたら、無理な移動でかえって自軍が疲弊分解、自滅してたかもしれない。
ましてや単に姫路まで逃げ帰るのが目的でなく、その後の戦まで想定した大移動に成功、というのがすごいわけで。
ケ〜タイも無いから最初の100人が姫路に着いたからといって、残りの9900人が無事着くかわからない。
幹部は休養などする閑も無かっただろうし、体制把握だけでも大変なことで、しかもこの自軍の把握を正確にしないと、戦などできるわけもない。
きるわけもない。
大返しが可能だった理由、の分析のみではなく、それがいかに難事業だったか、を分析、評価することが必要なのではないだろうか。
ちなみに移動の時に自軍のどのあたりまで「信長横死」ってこと伝えてあったんだろな。
ヘタに伝えたら脱走兵とか、指揮減退、とかの問題もあるし、やっぱり突発的自体の様々な問題を適確に対処対応していった秀吉は「準備してあったから可能」ですませてはいけないのではないかな。
768 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 06:52:27 ID:f9N6xVht
>>764 海路はブコウヤワじゃなかったかな。
あれは問題外だから、大返しについては陸路の分析だけでいいだろう。
もちろん各資料に微妙に差異があるからあまり細かい話はともかく、昭和に入ってから参謀本部がその検証をしたというのは重要かな。
300年も前の話にその範を求めたのだからね。
ざっと、昭和ですら1万人の移動は1日25キロ、とかいう研究があるらしい。
秀吉は単純比較だがその倍の移動に成功したわけで、戦時中の当事者からみたら「奇跡」のごとく思えたのだろう。
ちとスレチが続いて悪いが、戦国当時の理解、の確認という意味でお許しを。
769 :
サイコメトリー:2009/03/06(金) 09:26:43 ID:2D7xKTwN
>>768 いえいえ、とんでもないですよ。関連カキコはいつでもして下さい。
>>767さんが仰る様に秀吉の大返しは、光秀打倒の決定的行動には間違いない
ですよね。ただ驚異の行動の裏に陰謀がってな話になると…ね。
ちょっと前にもレス有ったと思いますが、秀吉の大返し自体も凄いですが、
短時間で周辺武将を取り込んだ所が最も凄い。自軍にも盛んに𠮟咤激励して
いた姿が想像出来ます。
770 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 10:10:55 ID:f9N6xVht
>>769 おはです。
もちろん驚異の行動はそれ単独で語るべきものであって、おかしなネタにつなげてはいけませんものね。
自分は、危機管理、というぐらいにはつなげたいのだけど。
周辺武将の取り込みに関しては、敵討ち、というどぇりゃぁ大儀名分がありますものね。
猿の敵討ち、きっと各武将に会った時はワンワン泣いて「わしが仇討つがや、たのむで力貸してちょぉ」とヨロケタことでしょう。
これが後に「人たらしの天才」と言われる秀吉の本領発揮第一弾だったかもしれません。
もちろん感情だけでは人は動かずそこには損得勘定もあります。しかし大義名分さえあれば損はしない、そこをタマランチンなぐらい秀吉はつきまくったでしょうね。
なので前にもありましたが、秀吉はどの時点で天下取りを意識したか、これには注目なんですね。
ワンワン泣いてる顔の下で、ペロッと舌を出してるか、ですな。
すぐ後の清洲会議の時には、織田家復興というタテマエのもと、既に怪しげな行動してますよね。
勝家と戦わないといけない理由なんてないはずなんですよ。
織田家はワンマン体制だった、とかいろいろ言われますが、そういうのは状況でしかなくて、要は秀吉がいつ「意思」を持ったか。
こちらの方がよほど本能寺にまつわる謎って感じがします。
で、3年で猿が関白ですものね。大返しを驚異と呼ぶなら、これはなんと言っていいやら。
信長も光秀も天国で「たまらんがや」と言ってたことでしょう。
771 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 11:11:06 ID:Aqiolttz
賤ヶ岳で前田が転進した時辺りじゃないかに、天下取りを意識しだしたのは
772 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 12:03:25 ID:E89MBVfk
少なくともよく言われる光秀を討った時とか清須会議で三法市を擁立した時とか信長の葬儀を出した時っていうのは有り得ないからね。
773 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 12:42:16 ID:f9N6xVht
>>771 ふむふむ、ただ秀吉にとって勝家はそれほどの敵だったのかなってね。
ほんで、そのあたりでは家康のことをどう判断していたか。
なによりもまだ、織田本家が残ってるわけで、天下取りを意識というのは完全に織田本家に対する不忠義になるわけだから。
>>772 よく言われてるのか、知らないなも。
ある評論家じゃないけど、あまりに凡人的発想でとらえすぎだし、状況の説明で「〜だっただけ」なんてのはよく見かけたけどね。
例えだけど、下から見ていたのが頂上付近で下を見るようになったらまったく違うものが見えてきた、って感じじゃないのかな。
そしてもちろん、上から見たらどうなるだろう、って発想があったからこそ、見えてきたものの違い、重大さ、可能性、に気づくわけで。
よく周りをみたら自分が頂上付近にいた、こっから上がどのくらい険しいかわからないが、どうせ猿の一生、登ってみるか、ってね。
清洲会議の時には可能性どころか、現実性に気づいていたようなふいんきだしな。
774 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 13:14:18 ID:Aqiolttz
>>773 織田三男やら滝川やらの対立連合の中心だからね
清洲会議の流れだから徳川が口を出せる義ではないし
特に対策の必要は無いと思ってたんじゃないかに
織田家が天下人の家系というシステム作る前に崩れちゃったんだわな
775 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 14:26:44 ID:f9N6xVht
んなんだよね。
徳川ってのはその時点ではまだ急ぎの対策は必要なかったんだろうけど、一応織田とは同盟結んでて秀吉から見たら主君の朋友。
もし自分が織田家に背くようなことしたらすぐにでも敵対関係になるかもしれない。
って、信長が死んだ時点で家康こそ同盟をどう思ってたかね。
こうしてみると織田家の息子二人が軟弱だな、比べる相手も悪いが。
秀吉から見たら変の直後は息子のどっちかが即合戦に打って出たり京がもっと戦乱になってるという想定もあったろう。
そして命がけで戻ったら案外空白状態、このあたりも秀吉強運伝説の一つなのかな。
少し話が戻るけど、弔い合戦で絶対に自分が勝てるなんて保証は無い、戦なんだから。
にもかかわらずあの大返しとかすぐにでも仇討ち1番手の行動に出たのは、単に忠義100%なのか、そこに既にして「意思」があったかどうか。
これは第一報を知った時点にまで話が戻ってしまうのだけどね。
大まかに変を知ったのが三日午後、深夜にはエケイ呼び出し、翌四日午前には清水切腹、同日午後撤退開始、五日沼に到着、というのは一刻も早く姫路には戻る必要があった、というのは当然として、いかにも早すぎる。
もう少し情報の確認とか、狼狽、ウロウロ、困ってまったがや、とかありそうなもんだけど。
このあたりも結構不思議なんだよね。
毛利が変を知ってるかどうか、なんて秀吉にはわからないし。
とすると、川角本だったかの「明智の密使を捕まえた」なんてのも案外本当かもしれないな。まだ毛利はこの情報を知らないはず、とかね。
書状の内容も載ってるのだったかな、あれの真贋はどうなってるんだろう。
776 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 15:13:00 ID:Aqiolttz
>>775 死んだ即はうんこ漏れそうなの我慢しながら無事三河へ帰りたいと思ってただろう
同盟については明智の動向が掴めないとなんとも思案しようがないかと
総司令与力という軍団システム上織田血筋の上下関係より軍団内の横の
つながりの方が強かっただろうし織田小僧自体の動員力はそれほどでもないからね
旗振っても集まるかどうか
その後の転身ぶりの鮮やかさから見ると忠義はそこそこで大体は保身ってとこじゃね
大阪に居た信孝丹羽がやる気満々で主導権握っても即駆けつけとけば悪いようには
されんだろうし。
情報漏れや毛利の出方次第では新規組みらから瓦解しかねないから
味方と連携の取れる場所に逸早く逃げたかったとか
777 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 00:03:24 ID:AnGIlUAK
秀吉の大返しもすごいが、、神君伊賀越え、ってのもそれなりのトピックではある。
というと光秀の乱というのはよほど突発というか絶好のタイミングをつかんだというか、サプライズだったんだろな〜。
光秀をもっともっと評価すべきか。
しかし、秀吉も家康みたいに、モレソウナノガマン、すれば猿っぽくていいのに、冷静というかやることなすこと迅速で適確ですごい。
何者なんだろ、ってとこか。
778 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 20:52:38 ID:nyuYYWIi
あげとくか。
変の前日、お茶会の予定があった資料発見、ってのはその後どうなった?
779 :
サイコメトリー:2009/03/12(木) 16:08:07 ID:BmswdzKM
ご無沙汰してましてスイマセン。
本能寺考察スレも4段目の後半ともなると、ネタが尽きてきましたね。
正直、新たな新資料が発見されない限り、どの説も強まったり、弱まったり
しない分けで…。
そこで、もう一度、変当時の光秀の織田家中の立場(状況)を考えてみたい
と思います。人により、織田家No2だとか、実際は1582年の時点で光秀は重要
ポストから外されていた等との見解が有ります。状況からすれば、光秀の
仮想敵国は確定されていません。歴史的資料を鑑みるに、秀吉の後詰として、
対毛利に進軍予定だった可能性が一番高いと思われます。果たして本当にそう
だったのか?馬揃え奉行や家康の接待等のいわゆる行事の重要性は如何に?
対四国に関しても、光秀は本当にノータッチとなっていたのか?はたまた、
京本能寺で行われた茶事には、別異が有ったのか?考えたらキリがありません
が、変直前状況を考える事が変の因にも繋がると考えておりますので、皆様の
様々なご意見を受け賜りたく思います。宜しくお願いします。
>>778 その資料の件はいつ見つかった資料の事でしょうか?
780 :
人間七七四年:2009/03/12(木) 20:30:29 ID:4B5I4v1P
光秀が織田家中で干されていたとは考えにくいと思うよ。信長の構想としては、単なる方面軍団長に留めておくつもりもなかった気がするけど、その心中を光秀は察していなかった。小説的過ぎるかな。
781 :
人間七七四年:2009/03/12(木) 21:26:12 ID:vjf510z5
明智は変の後に紀州の豪族に支援を求めるときに義昭の名前を出したらしい
で黒幕は義昭じゃね?ってNHKで見た気がする
782 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 00:02:02 ID:9slwzZ5r
>>781 義昭に限らず黒幕論が成り立たないことは今や明らか。
次の本を読むことを勧める。
鈴木眞哉・藤本正行「信長は謀略で殺されたのか」(洋泉社)
谷口克広「検証本能寺の変」(吉川弘文館)
特に前者の本はその種のNHKの歴史番組がいかにいい加減か
述べている。
783 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 01:43:03 ID:ZO+lNFDw
信長のスレにまた例のキチガイが現れて荒らしている。
「ペテン」が口癖のどうしようもないバカ。
このスレに現れないことを願うばかりだ。
784 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 03:38:47 ID:SPrrzZ2q
>>780 実際本能寺の時点で明智は与力含めて1万5千程の兵力を担当してるわけで。
あの信長が多方面作戦の長期展開中にそれだけの兵力を
無駄に遊ばせておいたり、理由も無く干すべき人物の下に置いておくわけが無いと思う。
それだったら、それこそ明智を取り潰して兵を取り上げて別の誰かに運用させてるだろう。
だから干されてたっていう前提がありえないってのに賛成。
785 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 10:04:52 ID:qsKduE00
>>784 同意。
四国平定軍の兵士徴用には、かつて追放した関氏などの浪人をコマンドにする
ほど苦労している。
もし明智を干す気ならば、こんな雑軍を編成する苦労もなく明智正規軍を信孝に
運用させたほうがはるかに楽だろう。
786 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 10:38:44 ID:aBADEsSk
>>779 つい最近みたいですよ。
去年の歴史読本に載ってたので出所等は確実でしょうね。
まだ未解決と言うか意見が揃わないのは、信長と朝廷とのいわゆる友好か敵対か、ぐらいですかね。
これは変には関係ない、スレチという感じで終わってしまいますが、せっかく詳しい人が多いのだからどう解釈してるかお聞きしたいとこではあります。
専門家の間でも意見が真っ二つ、なんてなかなかありそうでありません。
ほんでネタ投下ですが、もし信長ー朝廷敵対の可能性が高いなら、本能寺にも関わってくるかもしれません。
朝廷黒幕説に直接つなげることはしませんが、光秀の意思決定要因の一つにはなったかもしれない、そのぐらいですがね。
つまり、信長に謀反した場合、信長ー朝廷不仲、ならば事後に少しは庇護が受けやすい、謀反の意味合いが軽くなるかもしれない、そんな程度ですが。
別に、それが謀反の第一要因と言ってるのではないので、そこのところご理解は頂きたいです。
787 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 12:02:07 ID:0xV1XVYd
融和だろうが敵対だろうが、光秀自身が朝廷に期待する物があったなら、変直後に京の
治安維持を行って村井貞勝に代わるような代官置いて対朝廷の窓口にしたのではなかろーか?
常識的に考えて。
まあ、周辺地域制圧前の兵力分割を避けた可能性は無きにしも有らずだけど。
細川・筒井含めないと約一万くらいしか無かったっぽいし。
788 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 12:49:42 ID:a0yGPzZq
>もし信長ー朝廷敵対の可能性が高いなら、本能寺にも関わってくるかもしれません。
融和論の堀だって「信長権力も朝廷権力も「権力」である以上衝突自体はないとはいえない」
と言っている。牧歌的融和論じゃあるまいし堀・橋本だって、「なんらかの衝突」自体は否定
していない。それを「敵対」にまで広げるならば、それなりの論証が望まれる。
さらに、光秀の謀反に影響していると主張するならばその点の論証も聞きたいね。
これについての反論は
>>787のいう通りで、光秀が京都の治安維持に乗り出したのは、勅使を
迎えた後であることは公家さんの日記に記述がある。庇護が受けやすいと光秀が感じているなら、
真先に朝廷にヨイショするのが自然なのにだ。
しかも、小屋がけスルーしているし、光秀の態度からは「朝廷の庇護を受けたい」熱意がほとんど
看取できない。
加えて、変後の光秀発給文書には「朝廷がバックについた」と匂わせる文面は皆無である。
謀反の要因から除外するほうが合理的だね。
789 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 14:35:08 ID:aBADEsSk
お、レスがついた。
朝廷敵対論は古いけど今谷にまで戻るし、あの堀でさえ少しは認めてるように論証といわずとも、ある程度の緊張状態にあった、というのが今の一般的見解なのかな。
直後の光秀の状況としてはまず自らの軍の安定が第一義なので、自分がしっかりしてる限り京は案外無風状態で、そこで特に治安維持的行動をとらなかったからといって朝廷との関係が希薄だった、というのに直結させるのはどうなんだろう、とは思う。
少し細かくなるけど、秀吉なんかがあんなに早く帰ってくるとは思ってなかったろうし、うまくいけば永久に戻ってこない、とかだからこそ、安土に入ったあと余裕で京に上洛、公家衆なんかが出迎える中、一種の絶頂期にあたんじゃないかな。
庇護を受けたい、どころか今後京を制圧する上では朝廷との関係は無視できないし、自分が朝廷をリードしていく、とかそんな不遜な状態にあったかもしれない。
別に自分は謀反の要因に直接からめたいわけじゃなくて、もし朝廷友好だったら、光秀は主君への謀反のみならずかの朝廷への反逆者、という立場にもなりうる。
でもそんなような展開にはなってないから、たかが12日間で判断する是非はともかく、少し整理しておきたい、ということで。
この場合、先走るけど、近衛あたりが秀吉に疑われたのか出奔したりしてるのにも興味がわく。
秀吉が具体的に朝廷を疑ったのか単に駆け引きの道具に使ったのか、そのあたりも難しいところだけど、変の事後処理という意味でやっぱり朝廷はからんでくる。
反論するわけではないけど、謀反の背景として100%関係ない、除外、というのはちとどうかと。
もちろん、朝廷黒幕説を排除すると言う意味で、除外、というのには大賛成なんだけど。
790 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 15:28:56 ID:a4Hxx5QY
近衛が出奔したのはこの時だけじゃない。
この時のほか、将軍義昭に勘当された時、
小牧・長久手の戦い(2度目の時に家康の世話になったため)
と合計3度ある。
いずれも政権交替期か武家どうしの深刻な対立という
政治的背景がある。
本能寺の変の時だけを特別視する必要はない。
それに疑ったのは秀吉ではなくて信孝。
791 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 15:57:01 ID:0N4EGr1r
>>779 誰かが言ってたたんだが、織田家臣団の序列は
森乱丸ら側近>本社勤務の明智、丹羽>地方の支社に左遷の柴田、羽柴、滝川
らしいがどうなんでしょう?
792 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 16:01:40 ID:X88usixQ
>>791 序列と言うか、実際の権力としてはそうだろうね。
今でも大臣や中央官僚のほうが、地方の知事より権力持っているのと似たような物で。
793 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 16:05:30 ID:aBADEsSk
>>790 ええ、知ってますよ。
話が複雑化しますし、個別に考えてみたいところなのでね。
で、特別視、するわけでなく、一般論としても二つの強力な権力者がいて、その一つに謀反する場合、その相手がもう一方の相手とどういう関係だったか、というのは普通は少しは考慮すると思うのですよね。
友好関係にあった場合、光秀の場合は朝敵ということにもなりかねない。
とすると、謀反実行の背景として信長と朝廷との関係というのは少しは光秀の頭の中にあった、というのがあながち突飛な発想でもないように思えてね。
ちょっと言いすぎですが、12日の間に光秀がそういう朝廷対策みたいなことをしなかった、というのは信長ー朝廷の関係を考える上でのヒントにもならないか、とも思ったり。
小屋がけとかのスルーも、特に朝廷には緊急に対応する必要はない、とでも判断したか、ですね。
話がとんでなんですが、三職の問題がすぐにでも決着つきそうな状況で、信長が実際に何らかの重要な官位を受ける寸前だったとしたら、あまりに良いタイミングなんですけど、このあたりは単に偶然なんでしょかね。
どの職を受けようとしていたかも諸説あるようですが、それぞれの場合、謀反起こす側からみたらなんらかの関係はしてくるのかな。
例えば関白信長が誕生してたらどうだったのでしょう。
将軍だったとしたら、過去にも将軍に反抗した例はいっぱいある、ということで問題視する必要もないでしょうが。
794 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 16:15:28 ID:a4Hxx5QY
>>791 谷口の受け売りだが、明智、柴田、羽柴、滝川は方面軍軍団長。
丹羽は遊撃軍司令官。
従って丹羽が柴田たちより上ということはない。
予定されていた四国攻めでも丹羽は副将の一人に過ぎず、
四国平定後も四国のどこかを与えられることにも
なっていなかった。
795 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 16:17:16 ID:x1ptCImV
>>794 悪いが当時は方面軍軍団長なんて単語はなかった
従って明確な位置づけも当然ない
796 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 16:44:55 ID:tgoX1AyJ
>話がとんでなんですが、三職の問題がすぐにでも決着つきそうな状況で
関白 :一条内基
太政大臣 :近衛前久
征夷大将軍:足利義昭
この3人全員が「三職推任」時に現職なのに、すぐに決着つくのかね?
「公卿補任」の近衛辞任の記述がデタラメであることは、先行研究で定説となっている。
(島津文書・橋本論文)
ポストの空きがないのに推任する朝廷もアレだが、信長が三職のどれかを選んだら、すんなり
実現したのかな〜
晴豊は将軍ポストを示唆しているが、これは要するに「将軍義昭ごと毛利征伐してポストを自力
で取ってこい」って意味なのかな。
797 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 18:08:07 ID:tgoX1AyJ
>謀反起こす側からみたらなんらかの関係はしてくるのかな。
関係ないってことがここに書いてある。
「信長への三職推任・贈官位の再検討」 『歴史評論』665号
798 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 18:35:30 ID:8G5JcMKW
指揮する規模の大きさが序列に関係する。
清須会議に信長の吏僚や吏僚上がりが誰も出席していないというのが全て。
中央官僚が権力あったとか…何でも異説を持ち出せばいいってもんでも無いだろ
799 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 20:30:05 ID:aBADEsSk
>>796 なるほど。
ちと初歩の質問でなんだが、ではいわゆる三職推任問題ってのはどうなってるのだろう。
朝廷が言い出したにしろ信長が望んだにしろ、現職がいる状態でそういう問題が起きたのですよね。
それともそういう信長推任と言うこと自体が確実視されてないのかな。
自分の理解では、義昭なんてのはいるだけで事実上の解任状態だったし、他の職もそんなにガチガチのポストじゃなくて、なにか緊急とか必要があったら変更可能みたいに思ってました。
で、信長に関しては馬揃えと結構バタバタしてましたよね、朝廷も普段は会議に参加できないような人も会議に参加させて信長の問題を話しあったり。
ここまでくると天皇退位の問題にも関わってきてしまうけど、信長関連であの年あたりに急になんらかの動きが起きてきて、それがその三職推任とか天皇退位とかそういう問題で具体化、まさにそのギリギリのとこで変が起きた。
そんな風に、ざっと大まかに、ですが理解してました。
なので、光秀もそういった事情にまったく関係してなかったわけではなく、馬揃え担当でしたっけ、当然変の背景というのにはそういった信長と朝廷との関係というのは少しは関わってくるのではないか、とそんな流れなんですけどね。
そしてもう一つ確認なんだけど、まさにその矢先に変が起きた、というのは、偶然、ということに定説はなってるのかな。
つまり四国説でもメガネ説でも、三職問題とかそういうのとはまったく何の関係もなく、変がおきた、というようにね。
もし、直接結びつける資料がないから関係なかったろう、という定説になってるのなら、なんかおかしな感じもするな。
800 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 20:33:51 ID:1fU0+jwS
ここのところよく長文で現れる
>>793ほか
すぐにツッコミが入ってるのを見ても
勉強不足なんじゃないか?
朝廷黒幕説じゃないと言いつつ謀叛に朝廷が関係
してるんじゃとか、スタンスもはっきりしない。
それに言いたいことは簡潔にした方がいい。
801 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 22:42:12 ID:NslLLLXq
>>799 まずお前さんが言うべきことは、「三職推任にすぐ決着がつく」
を撤回するということであって、あーだこーだ言うのは
「ああ言えばこう言う」にしか見えないぞ。
802 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 00:36:07 ID:zHzWXU3o
>>800 ちゃんと読んでないんで知らんが
『朝廷は黒幕ではないが直接事件に関わっている』って図式は十分ありえんるんじゃない?
803 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 00:38:39 ID:0Gv6NXt3
ありえません。
804 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 02:36:39 ID:zHzWXU3o
本能寺の地下には火薬庫説は今だに唱えられているの?
805 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 04:01:22 ID:RE24ZiZm
いくら深夜の行軍とはいえ1万3000とかの大兵力で京都に乱入してよく誰も気付かなかったんだな。
村井さんは何してたんだ
806 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 06:55:33 ID:PAQ++y+m
朝廷→柳沢(お喋りな義昭には報告せず)→隆景・安国寺(早く織田と和睦を結びたい隆景は毛利家中の者には報告せず、秀吉と手を組む)
↓
明智光秀
↓
本能寺の変
黒幕は朝廷と毛利と秀吉。つまり光秀は毛利の“上洛します詐欺”にひっかかったのではないだろうか…?
807 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 07:32:14 ID:Lw9HFXqV
>>779 >つい最近みたいですよ。
>去年の歴史読本に載ってたので出所等は確実でしょうね。
なに寝ぼけてるのかな。
最初に紹介された時には問題の史料は6/2に行われる(ハズだった)茶会の為の
招待状であるとの見解であった、との主旨の論文であり、6/1の茶会を否定する
論稿だよ。
こういうトンチンカンな奴がいるから困るんだよね。
808 :
807:2009/03/14(土) 07:35:37 ID:Lw9HFXqV
809 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 12:15:09 ID:Yf8fGgJK
>>799 >自分の理解では、義昭なんてのはいるだけで事実上の解任状態だったし、他の職もそんなにガチガチのポストじゃなくて、
>なにか緊急とか必要があったら変更可能みたいに思ってました
それでいいんじゃね。
任命権者の朝廷自体が推任しているから、現職がいても信長が希望すればポストはすぐに空けることができると思う。
現に天正9年は一条内基が左大臣の現職に就いているにもかかわらず、信長を左大臣に推任している。
推任の主体は議論があるところだから断定はできないけど、左大臣推任が馬揃えのご褒美であれば、三職推任は武田征伐
のご褒美的に考えるのが自然ではないか。
皇室・公家の経済は信長のおかげで著しく改善しているし、推任はその反対給付と考えるのが妥当だと思う。
>光秀もそういった事情にまったく関係してなかったわけではなく、馬揃え担当でしたっけ
これは評価の仕方だから水掛け論になるが、馬揃え「しか」担当できなかったというべきだろう。
現に、天正3年以降の公武の交渉は村井が一手に引き受けていたことは、発給文書の署名から確認できる。
さらに、光秀のダチの吉田ですら村井とせっせと将棋を打ってご機嫌伺いしている記事が散見され、光秀と朝廷の
パイプはほとんど切れていると考えられる。無論、他の公家さんの日記にも村井以外の織田家要人はほとんど交渉
に顔を見せていない。
光秀は教養人→光秀と朝廷にパイプあり、という偏見はそろそろ捨てた方がよいのではないか。
810 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 13:22:27 ID:D8lOamH4
光秀は斜陽の足利幕府を利用する形で信長に取り入ったんであって朝廷関係ないからなぁ
811 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 17:53:12 ID:tpTcN0KQ
812 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 17:56:50 ID:dcUZiu9M
京の夜は出るから騒がしくても怖くて布団から出れなかったんだよ
813 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 20:22:28 ID:rFq2Lzvy
信長自信も油断してたんだから、村井をはじめとする者も油断しきっていたんだよ。その虚を光秀はついた!ピンポイントだね。
814 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 11:39:16 ID:eUW19dkl
815 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 19:11:45 ID:aOXAKSQ4
俺は本能寺の変は光秀単独犯だが動機は複合だと思ってるよ。
ただその動機の中の一つの天下取り説については天下取りの動機と必然性の点でちょっと疑問がね。
天下取るんなら何故今まで信長と組んでいたのかというのが……何故「あの時点で」取ろうと思ったのか?
と云う点がね。信長に油断があったりしたとはいえ天下取りたきゃ今までにもチャンスはあったんじゃないの?
あと別に天下取らんでも地位は十分だったんじゃないかと。第一天下を取る動機がどうもね。
まあ天下取りは理屈じゃ無いと言われると否定も出来ないけどな。
>>782 ついでに2chじゃ評判の宜しく無い井沢センセイですらも
本能寺の変での黒幕存在説は否定してますよ。
>>804 ただ火薬庫をどんな場所に設置したら良いのかというのがね。
城塞としての改造も施されてたり火薬取引の関係地という条件からすると
ヘンな所には設置できないでしょうに。地下なら色んな点で火薬の保管に適しているように思うんだが……
まあ最適な場所かどうかと言われるとその辺りは何とも。
>>809-810 朝廷とのパイプとは関係無く
朝廷や天皇制度そのものに対する敬意はかなりあったんじゃないかね。
朝廷は黒幕では無いがそういうのも影響してたんじゃないか? まあ俺の推測だけど。
816 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 19:47:46 ID:aOXAKSQ4
あと光秀の人物についてはフロイスと鈴木センセイと藤木センセイが言ってるように
「裏切りや密会を好む」「刑を科するに残酷」「忍耐力に富む」「計略と策略の達人」「築城技術に長ける」
「戦いに熟練の士を使いこなす」という点も今まで語られて無いだけで確かにあるんだろうが
(別にフロイス説を完全支持する訳じゃないけど。第一裏切りや密会を好むなんて何所をどう見て?
ヘタすりゃフロイスの身も危ないだろうに)
だからって直ぐに野心と結びつけたりするのはどうなんだ?とも思うよ。
ついでに天下取りの動機については何か光秀なりのスタンスとか理想はあったのかね。
これまでの恩と経歴があるのにわざわざ謀反起こすんならあったんじゃないかと思ってるんだけど。
あと司馬遼太郎スレッドで面白い意見があったので紹介しておく。
――――――――――――――――――――――――
377 :無名草子さん:2009/03/04(水) 21:00:31
「政治感覚のない天才」ってのは司馬好みのテーマ
378 :無名草子さん:2009/03/04(水) 21:51:59
正義感だけが先走って自滅する運命の人物
義経、三成、江藤(新平)、西郷・・・??
光秀もひょっとするとこのタイプだったのか?
あれは、発作でも窮地打開でも天下狙いでもなくて・・・?
――――――――――――――――――――――――
817 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 19:53:41 ID:Ncxs2r0v
密会や裏切りを好むってのは
『調略』
が得意ってことだろ。
直接見てなくても敵を味方に引き入れればわかるだろ。
818 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 20:06:44 ID:2V9qAm1e
酷評に聞こえるフロイスの光秀評も武将としては、褒め言葉でしょ。
819 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 20:56:23 ID:mJ9GU1Cz
フロイスの光秀評はむしろ信長にこそそのまま当てはまるが?
820 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 21:34:45 ID:Wj0O8rrr
信長評なら別にしてるでしょ。
有名なヤツ。
だから光秀評が的外れなんてことにはならない。
それに鈴木や藤本もこういう人物だから信長と
ウマが合って重用されたのだろうと言ってる。
821 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 22:09:54 ID:aOXAKSQ4
>>817-818 俺だってあの時代自体や武将としての色んな事を
単純な現代の視点と浅薄な人道主義でどうこう言うつもりは無いですが。
(それでもどうしても違和感などが出るのはどうにもしょうがないのかな)
ただフロイスは何でわざわざ密会や裏切りを好むという言葉にしたんだろう。
もうチョット別の表現じゃ駄目だったんかな。
822 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 22:41:05 ID:aOXAKSQ4
>>820 只それなら何故謀反をしたんだ? という疑問が一層出て来るんだけどな。
馬が合ってるなら謀反する必要も無いだろうと(別に黒幕説に転向しないけど)。
あと息子がその当時十代前半と極めて若年だったから自分の死後の扱いを
悲観して謀叛を決意したという推測はどうなんだろう? いくら信長でも光秀ほどの人物の嫡子なら
これまでの功績があるからそうそう悪い様には扱わないと思うんだけど……
息子に何か致命的な欠点でもあったんだろうか?
あとフロイスの評価について礼賛されると
それ以外の日本人による光秀評は全部間違いだった――とまで
言われているような気がするのが何となく、ね。
823 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 23:17:22 ID:yKGD9Eg1
>日本人による光秀評
ってのは、何を指しているのかな?
江村専斎という人は、光秀が「仏のウソを方便といい、
武士のウソを武略というが、それを思えば土民百姓なんて
かわいいものだ」と言ったと書いている。
フロイスの人物評にも当てはまる。
あんたのいう光秀評というのは後世の人間の、
「古典的教養に富んでいるが、どこか線が細く行儀のよい
常識家であり、几帳面ではあるが融通のきかない人物であり、
また勤皇家」という単なる思い込みに過ぎないんじゃないか?
824 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 23:23:12 ID:yKGD9Eg1
もう一点。
佐久間の折檻状にもあるように、信長が光秀を
高く評価していたのは事実。
ウマが合ったと言ってもいいだろう。
それが天正10年に入ってから2人の間に亀裂が生じ、
ついには謀叛に至ったと考えられる。
問題とすべきはその、亀裂が生じた理由だろう。
825 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 23:29:32 ID:9mEsfG11
本能寺の一年前に出した明智家軍掟より
「自分は石ころのように路傍に捨てられていたところを信長公に拾われて、
これほどの立身をはたした。その恩義に報いるために、この軍規を定める
のである」
826 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 23:54:40 ID:Ydk7W0dk
人物評を礼賛とかでは無く、ほぼ同時代の人間の意見として無視出来ないってことでしょ。
注意すべきは、記述者がキリスト教に帰依してるor帰依してなくても友好的な人間以外には
冷淡で、場合によっては大袈裟に悪魔的な人物として扱うってとこで。
変の時の息子のキリシタンへの対応や、弥助を預けようとしたエピソード見る限りでは、明智家
としてキリスト教を目の敵にしてたようには見えないけど。問題あるとすれば、神道家とマブダチ
ってことくらいじゃないのか。
江村専斎は、若干時代がずれる人だけど細川とも付き合いあったらしいし。
「明智は外様のやうにて、其上謹厚の人なれば、詞常に慇懃なり」
っていう評も又、無視していいものでは無さそうだけど。
827 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 00:27:52 ID:uZIFh8wE
信長は家老の平手政秀の死後、その息子を家老とは
していない。
また戦死した塙直政の息子は一族とともに追放されて
しまった。
これらの例を見れば信長が若年の光秀の嫡男をそのまま
跡を継がせるとは思えない。
谷口克広は「丹波一国はおろか、坂本城一つ息子に
残す方策はなかったのである」(検証本能寺の変より)
と述べている。その通りだろうと思う。
謀叛の要因として捨て切れないのではないか。
828 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 01:13:07 ID:AVrLCSpG
>>827 平手は親から付けられた家老で、つまり代々家老の家柄ではなく、
政秀個人の功績と才能で家老に取り立てられた地位身分。
死後確かにその息子に後は継がせてはいないが、それは当然の話で、
さらに所領はそのまま息子が相続している。信長と諍いがあった
という息子当人ではないが、三方ヶ原で戦死した汎秀などは
信長から寵愛されたという記録もある。
光秀の息子がそのまま軍団長の地位を継げるとは思えないが、
だからって明智家の領地としてすでに獲得した丹波や坂本を、
何の理由もなく、罪科なく没収するというのは考えられない。
829 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 06:22:21 ID:C+e7f4KJ
逆に言えば塙のとこはなぜ追放されてしまったのか不思議でしょうがない。
830 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 10:43:52 ID:oiu+tI0K
>>824 >問題とすべきはその、亀裂が生じた理由だろう。
>>814の本に書いてあるが、理由は「転封」だそうだ。
この理由自体はさんざん語られているので珍しくもないが、驚くなかれ転封先は
「徳川領の東海三国」と言っている。
同書の内容は、四国問題で石谷頼辰に着目したあたりかなり期待させたが、後半は失速。
>>799 >それがその三職推任とか天皇退位とかそういう問題で具体化、まさにそのギリギリのと
>こで変が起きた。
晴豊記には「安土から村井に(推任の)返事があった」(5月7日条)との記述が
あり、この返事 は「ノー」であった可能性が高い。
信長は5月に甲斐征伐慶賀の勅使と三職推任の勅使を相次いで迎えているが、事実
上の総大将として武田を滅ぼし、「天下のお与奪を与えた」信忠への顕官起用の勅
使を期待していたのではなかろうか。
ところが、朝廷は相変わらず「信長の顕官復帰」を打診するばかりで信長を失望させ、
ノーの返事を したのではないかとの堀の見解が妥当だと思う。
公武に対立があるとすれば、「信長顕官復帰と信忠顕官起用」の点であって、そこに光
秀がからんで くる余地はない。
>>823 >あんたのいう光秀評というのは後世の人間の、
>「古典的教養に富んでいるが、どこか線が細く行儀のよい
>常識家であり、几帳面ではあるが融通のきかない人物であり、
>また勤皇家」という単なる思い込みに過ぎないんじゃないか?
君のあげる江村専斎の光秀評(老人雑話)には、「仏のウソは方便〜」以外に
もうひとつある。
「秀吉は身内の家来で性格は傲慢、光秀は外様の家来で勤勉実直である」
あくまで、秀吉との対比においては光秀は「勤勉実直」だったのであろう。
また、教養の高さは連歌の参加頻度で推測は可能。しかし、勤王・融通がきか
ない・保守的うんぬんはなんら裏付けのとれない思い込みだというのは同意。
831 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 10:54:49 ID:7mDxQNet
秀吉は別に譜代じゃないし、傲慢でいられる身分でも立場でもないがな
832 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 11:46:04 ID:zjA1CVkb
>>809 なるほどね。
で、光秀の人間性に関してはともかく、京における立場、という点ではどうでしょう。
史書に登場してきた早い段階で京にそれなりの大きな屋敷を持ち、ということが教養人とかパイプとかそういうのに結びついてるのかと思ってました。
屋敷等と言うのも、あったと推測されるにすぎない、と言われるならそうで自分がそう主張しているわけではないのでご理解を頂きたいけどね。
ほんで、「馬揃えしか担当できなかった」というのはなかなか面白い視点ですね。
普通はそれ自体にかなりの重要度を認識しているようなので。
教養人ではあったが、それが朝廷とのパイプには直結しない、というのは参考になります。
小屋がけスルーというのも、朝廷との関係が希薄、というので説明できそうですしね。
833 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 15:50:34 ID:zjA1CVkb
手元にある歴史読本の1994年5月号で井沢が「黒幕は朝廷」と言ってる。
その後意見が変わったんだろうけど、逆説ではどうなってたかなぁ。
別にどうでもいいが。
834 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 15:55:59 ID:zjA1CVkb
なんか誤解を招きそうだけど、別に自分が黒幕説支持してるわけじゃないからね。
815さんが言うように今は黒幕説否定しててもその前は支持してた人もいる、という変更の例としてあげただけで。
835 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 18:12:20 ID:HjsaCBJR
>教養人ではあったが、それが朝廷とのパイプには直結しない、というのは参考になります。
まあ、ほかの公家さんと光秀の関係は日記からまったく確認できないので吉田との関係限定だが、
光秀が京都の奉行を辞めた天正3年以降において、
@吉田の社領紛争→村井が介入して解決
A吉田の猟官運動→公卿成した翌日に村井にお礼のあいさつに行く
吉田と光秀の親交の深さを見れば、光秀の朝廷とのパイプでどっちかは解決できそうじゃない?
しかし、実際にはいずれも村井が解決しているのは村井のパイプの太さの現れだろう。
逆に言えば、光秀は親友吉田ですらサポートできていないと評価できる。
836 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 21:56:13 ID:ioLOhzjr
>>833 逆説の日本史の時点では井沢は単独犯行支持だね。
井沢に限らず、桐野といい京子ちゃんといい
朝廷黒幕説は支持者がいつのまにか離れていった例がホント多い。
「朝廷が黒幕」→「いかにもありそうだ」みたいな感じの根拠のない説得力で人気を集める反面
いざ検証しようとなると裏づけの乏しさにみんな愛想がつきちゃうのかね。
他の義昭黒幕説や秀吉黒幕説の論者の場合
その説が妥当かどうかはともかく
「飽きたから次はこっちの説」みたいなころころ転向するような話は聞かないんだが。
837 :
人間七七四年:2009/03/17(火) 13:53:34 ID:d4RbbPQo
そう言えば井沢氏などが唱えてる本能寺は火薬庫だったので爆死した云々は根拠があるんですかね??
838 :
人間七七四年:2009/03/17(火) 17:03:01 ID:GkUbHnBd
>>835 なるほどね。
光秀から見たら村井は後輩だし、良い後継者に恵まれた、みたいに思ってたけど、村井自体の権勢をもっと認識するべきだな。
それこそフロイスもそんな評価してたんだったかな。
変の後初めて上洛した時に摂家あたりがいっぱい迎えに出るけど、これは光秀自身がそれなりに京の人に受け入れられていた、もちろん強いものにつくゴマスリもあっただろうが
、主君に背いた謀反人というよりはある意味次の京の守護者、みたいに認識されていて、そういうのも京におけるある程度の立場、パイプがあったからか、みたいに思ってたけど、単にゴマスリ的な意味合いでシンプルに考えたほうが良さそうだね。
となると、変というのはやはり相当突発的に起きたもので、にもかかわらず13000人がこっそりと京に潜入したのだから光秀軍の統率、行動、というのもたいしたものですね。
このあたりは将としての光秀の能力はさすがというべきか。
839 :
人間七七四年:2009/03/17(火) 17:13:35 ID:GkUbHnBd
>>836 今は藤本本の影響が強いせいか黒幕なんていないというところから入ってくるしそれで完結してしまってるようだけど、それなりの流行というか変遷みたいなのはあるもんだよね。
京子ちゃんも在野のすごい研究家みたいに言われてた頃もあった、のかな、藤田が義昭説持ち出したのもびっくりだったしね。
それにブコウヤワの件もあってちょっと信長関連自体がおかしくなってたりもしたんだろか。
ブコウ自体は本能寺は関係ないけど。
ほんで八切の復刻シリーズで今のテレビのなんたらミステリーへと歴史は繰り返すのかな。
>>837 種子島関連のお寺が本能寺だったとか、そんなのは見かけたことあるけど信長の棺とかとごっちゃになってどうなってるんだろね。
ただゲーム感覚だとそういう火薬庫とか武器うんたらとか耳あたりがいいから結構今後も残っていく話になるんだろな。
840 :
人間七七四年:2009/03/17(火) 20:35:28 ID:57FmCd/R
>>338 あんたの傾向には長文と、自分に都合のいいレスにしか
触れないことがある。
論文名まで知らせてくれてる
>>797に礼も言わないのは
おかしいぞ。
841 :
840:2009/03/17(火) 20:36:41 ID:57FmCd/R
842 :
人間七七四年:2009/03/17(火) 22:14:11 ID:GkUbHnBd
>>840 ほんとだ、これは失礼した。
週末変に断続的なアクキンがあったもんで、どこまで何を書いたかわからなくなってた・・
797さん、ありがとう。
それと別の話だが、誤解、誤認のレスにレスつけると荒れたりするのがこわいから、そのあたりはスルーというよりは少し時間おくようにすることがある。
このスレって言う意味ではないが。
なので、可能性、言い訳、撤退、そういう単語には自分なりに神経質になってたりします・・
都合の良い、と言われるとそうなんですがそれなりに建設的に話が進んでいくようなレス、つまり自分の問題にしたい点についてのレスにレスしたりすることはあるというか。
そういうわけで、以後、気が付いた点があったらアドバイスよろしくお願いします。
843 :
人間七七四年:2009/03/18(水) 22:07:35 ID:bXQqNxRo
何やら最近のレスは、誰かの宣伝者みたいな人が多いなぁ。自分の意見を普通に言おうよ。
844 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 13:02:30 ID:zQLKl8FL
信長は三職推認を辞退するつもりだったんじゃないかな?
織田家の家督を信忠に譲って武力による天下取り事業に専念していた信長が朝廷の官位を貰うメリットがない。
845 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 15:15:59 ID:w7DCvFqO
そういうのが主流なのかな。
信忠に官位をあげたかったのに朝廷は信長にしか話を持ってこない、なので勅使をスルーしたりとか
そういう方向になっていたのかな。
このあたりは朝廷の方が目的意識をもって行動してるようだし、信長はあまり反応してないようにも感じる。
ましてや対立というように捉えるのはどうなんだろな。
846 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 15:56:41 ID:TROJPYbV
どうすべか信長自身もわかってなかったりして
847 :
822:2009/03/20(金) 18:40:18 ID:w6qZwUBl
>>823>>830 いやそういう言い方されるとチョットね。
それにフロイスの光秀評関係も執筆が本能寺の変の後だったり
フロイスがキリスト教徒で信長贔屓だという点だったり
光秀を討った秀吉の事もあるからそのまんまはな。
まあ俺も光秀が単なる弱々しいだけの無能な人物だったとは思わないけど。
それより
>>826へのレスはまだなんですか?
848 :
人間七七四年:2009/03/21(土) 09:32:39 ID:28NMjTnG
>>847 あんたたいした意見でもないのにクレクレうるさい
849 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 17:28:02 ID:cCkYBsHA
826はそのまんまでいいんじゃないの。
裏切りや密会を好む、というのも当時の武将の評としてはプラス的に解釈してもいいぐらいだと思うし。
ざっと思ったのはフロイスは日本人を、動物園の中の各動物、みたいに捉えているな、ということ。
異教徒なんて人間じゃない、なんて過激な発想も少しはあったかもしれないし、ちとムカつくぐらい。
なんだけど、逆にそれが冷静かつ客観的で貴重であるのだろな、って。
文化風俗の面から見たらフロイスの記述はものすごく貴重であるのでしょう。
人物評に関しても普通にそのまま受け取っておけばいいと思うのだよね。
850 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 18:15:18 ID:wxu4o0vX
信長と秀吉にはフロイスとオルガンティノが直接会ってるようだけど、光秀には会ってなさそうだよな?
織田家内の情報収集で集まった情報を宣教師の色眼鏡で見たら、ああいう評になったってことかね。
851 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 19:35:25 ID:cCkYBsHA
宣教師の色眼鏡でみなくとも、周りの人間が光秀をそう評していた、というのならそれはそれで重要な記述だよね。
原本はどうなってるんだろう。訳一つが結構重要だったりするな、これ。
852 :
人間七七四年:2009/03/26(木) 02:36:14 ID:LJyPaDa8
光秀天海説またテレビでやってたね。
853 :
人間七七四年:2009/03/26(木) 09:31:37 ID:riZCoG1g
「秀忠」と「家光」で「光秀」と入ってるとか、位牌の中にも「光、秀」とあるとか、気づいた人はえらいと思うな。
854 :
人間七七四年:2009/03/26(木) 23:22:06 ID:zGNe6kNz
>853
秀吉の「秀」を光秀の「秀」として使ってしまう節操の無さが許せないけどな。
855 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 22:46:46 ID:LcHVLtqW
あれ、ここどうしたの?
856 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 23:37:08 ID:b50HOWzo
本能寺から離れ過ぎ
857 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 03:15:50 ID:qWysoNKd
本能寺の変は森乱丸が原因だった、てことで決着しました
858 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 10:25:29 ID:fJ3WSNBd
朝廷黒幕説否定の根拠の一つに、細川に当てた最後の手紙でまったくそういう事情に触れられてない、というのがあるけどさ。
その時点で秀吉がすぐ近くにまで来てるってわかってたんだっけ?
緊急で助力求める必要があるとは思ってなかったからあんな泣き言風な内容になっただけで、朝廷とのなにかがあったとしても
極秘ちゅうかまだ人に話せたりする段階ではない、なんてとこだった、なんてのはどうなんだろ。
別に黒幕説支持じゃないからどうでもいいんだが誰か教えて。
859 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 20:04:47 ID:ca+3IYpo
>>858 細川は義昭黒幕説だろ。細川なんて朝廷と何の関係もない。
860 :
人間七七四年:2009/04/12(日) 04:48:29 ID:UabhGGdS
>>859 歴史に残る、ワケワカメれす大賞候補、でどうか。
861 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 15:47:14 ID:43owimq8
家康は大阪夏の陣で幸村に撃たれて死んだといわれており
家康の墓が存在している
その後、影武者が家康を演じて生涯を終えたといわれてるが
もしその影武者が信長だったら・・・・??
862 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 15:48:58 ID:43owimq8
つまり本能寺で信長は光秀が攻めてくるのを察知しており
密かに地下通路で脱出し、家康に会ったとしたら?
863 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 17:20:57 ID:3VtNawd1
京に潜伏した安国寺恵瓊や柳沢元政・・・。本能寺の黒幕は信長以外と好条件で和睦したい小早川隆景だな
864 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 20:05:34 ID:791m/AiV
徹底妄想スレかよ。
865 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 20:53:08 ID:ak8zxdVL
サイコ氏が来なくなってしまったら、レベルが落ちてもうたな。
森乱や小早川?はぁ〜。
866 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 22:11:53 ID:791m/AiV
桶狭間の本がでたけど、加藤ヒロで、なんかおもろそうなとこある?
867 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 22:17:37 ID:+9T1dXZR
テレ東の本能寺特番、ええかげんにしてほしいわぁ!
868 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 22:33:25 ID:4CraXJv6
どんな感じなの、最近のこういう番組は?
陰謀説とか?
869 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 14:52:56 ID:r6+7BZCb
濃姫黒幕説出した時点でアホ番組なんだな、と
ツッコミ入れる気力も失せたわ
870 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 17:18:38 ID:pp9qSPlv
濃姫黒幕・・それは意表だ。
ヤスケ黒幕ってのはさすがに出てないか。
871 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 18:34:17 ID:Nb69mBJE
信忠と光秀の共謀説を何かで見たなぁ
城介が別心か?て言葉からだろうけど
信忠が京から脱出しなかったのは光秀と共謀してたからで、しかし途中で光秀に裏切られて二条御所に攻められて自害
ありと言えばあり
872 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 01:46:16 ID:Rr21QisT
三河物語だったかな。
とすると、信長は光秀に親子でダマされた相当な00になるな。
873 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 05:28:41 ID:8zKpxAUQ
なんでそうなるの(汗)
874 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 09:37:19 ID:beDwCidn
戦国を取り扱う番組は希少だからこき下ろしたくはないが、正直、陰謀史観が強すぎる。
戦国や本能寺の変に興味をいだいている初期の方々に悪影響を与えてるといわざる得ないテレ東よ!
875 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 10:13:03 ID:Um4+Um/i
みんな難しい話してるねえ
自分はそのテレビ見てから興味出てここに来たけど
レベル高過ぎてわかりませんorz
876 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 10:18:00 ID:Pzs2WpAx
>>874 そりゃだってテレビは視聴率だもの。
知らないシロウトをひきつけるには、センセーショナルな
トンデモ学説の方が食いつきがいい。
テレビに限らず、一般向けの雑誌も同じだし、さらに言えば、
歴史というジャンルに限った話でもない。
877 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 13:18:26 ID:Uk5Qv9Kx
歴史にかかわる番組って世界的にそうだよなあ。
海外の歴史系番組もセンセーショナリズム一辺倒。
878 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 16:25:52 ID:ACMurSRX
まぁ、中途半端にマジで陰謀説やられるよりハチャメチャのほうがかえって、あれはネタだって、といいやすいけどね。
ミクシなんかだと、普通に受け入れられているところがすごいが。
879 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 16:27:30 ID:Uk5Qv9Kx
>>878 ミクシーは馬鹿を馬鹿と呼んでくれるありがたい人がいないからね。
匿名性じゃ無いことの弊害。
880 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 16:55:23 ID:ACMurSRX
>>879 てかさ、それはないでしょ、みたいなこというと「信長は天才なんですよ」とか「もっと勉強してください」って怒られちゃうのだよね。
あれにはまいる。
881 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 17:36:28 ID:Uk5Qv9Kx
>>880 どういうところからそう言う考えにいたるんだろうね?
信長はそりゃあ優秀な武将であり政治家であるとは思うが、一つ一つの事例を調べていけば
とても天才なんてタイプじゃ無いのに。
むしろいたずらに戦乱を拡大させてしまった「失政」の方が目に付く。
882 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 17:49:56 ID:beDwCidn
視聴率至上主義はメディアの大前提だろうと思うが、せめて説に当局独自の見解と付け加えて欲しいよ。
大発見!新発見!なんて名打ちながら、なんの根拠もね〜。上にも来ていた様に興味を持ってくれた方々に失礼だよ。
883 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 17:55:06 ID:ACMurSRX
>>881 とりあえず、あの時代に世界を理解したとかさ、統一なんてとんでもないこと実現しようとしたりさ、天才と表現すべきかどうかは別として、なんらかの「時代を逸脱した存在」ぐらいなら理解はできるのだよね。
なんだけど、ミクシの場合は信長信者というすごいのが多い。
たぶんゲームのイラストから興味を持ったのだろうけど、秀吉家康なんて100%信長のおかげ、とか変な考えで全部まとめてる。
大河ドラマは間違ってる、なんてどういう意味で言ってるのか不安になってくるぞ。
884 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 18:07:19 ID:Uk5Qv9Kx
天才性という意味では明らかに秀吉のほうが上だし、
革新性という意味では家康のほうが上だな。
正直信長の政策は、旧弊な部分の方が多く目に付く。
しかし信者だけならともかく、一般にも「天才信長」みたいなイメージで語られるのが、
変な勘違いの元なんだろうな。
885 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 18:23:21 ID:ACMurSRX
>>884 へ〜、ちょっと受け取り方が違うね。
別に反対するわけでもないけど、881でも失政が目に付くのなら優秀な武将であり政治家ってことにはならない、と思うんだ。
秀吉は、人たらしの天才、という意味で「人間的魅力」というのが目に付くし、家康は修正&応用&先を見通すという点において、すごいとは思う。
ま、どこに視点をおくかで受け取り方は違ってくるからまったりとやろう。
886 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 19:02:58 ID:Uk5Qv9Kx
>>885 まあ個人的な見解だけどねw
信長を優秀な武将であり政治家だと言うのは、その失敗から盛り返せる部分を言っているつもり。
んで、秀吉の場合は人たらし云々以前に、やはり軍事的才能において当時ずば抜けた存在であったと
感じるわけなのです。信長、家康より遥かに。だからこそ織田家の中でもあれだけの異例の出世をしたし、
信長死後は天下を取った。
んで、家康の革新性というのは、正直信長から秀吉の政権って言うのは、(信長は統一政権を
作れなかったから保留付きとしても)、基本室町的な秩序の延長上に有る感じなのですね。
家康という人はそれを根本から作り変えてる。武家政権と朝廷との関係、大名との関係、
さらに領民、農民との関係そう言うものが家康の時代になってどんどん改革されている。
個人的にはいわゆる三英傑の中で、しっかりとした国家観を持っていたのは
家康だけだったように思えるのですよ。
887 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 20:50:02 ID:FACugTVE
885氏はここで叩かれてるミクシ寄りだね。
888 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 21:33:31 ID:Pzs2WpAx
んー、個人的には、秀吉政権の前提なくして徳川政権は無かったと思っている。
家康は秀吉よりもさらに進んだ政権を築くのに成功したが、それを家康がゼロから
作り上げたとはとても言えない。
国家観に関しても、秀吉の統一前の家康にそんな気配はまるで見られないしね。
889 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 22:45:35 ID:Uk5Qv9Kx
>>888 > 家康は秀吉よりもさらに進んだ政権を築くのに成功したが、それを家康がゼロから
> 作り上げたとはとても言えない。
それは勿論そうだし、家康としても豊臣政権の中で、「天下政権」の運営にかかわった経験から
作り上げて行ったに違いないんだけど、自分の政権を、おそらくは最も抵抗の少ない
安易な豊臣的体制のトレースにせず、前政権の色々な問題点を把握した上で
「新体制」を作り上げた事を評価しているのね。自分としては。
国家観に関しては勿論天下取った後の話だけどw
当然信長は国家政策を行う前に死んでいるのでこれも保留だけど、
ヨーロッパ勢力も含めた、東アジア世界の中での日本の安定、というものを考えていたのは
やはり家康だけではないかと。秀吉はどうしても、国内政策と一緒で、外交に関しても
軍事力に偏りすぎていたと思うのよ。
ま、粗の多い雑感ではありますがw
890 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 00:59:15 ID:3Tg/8JKs
>>889 >ヨーロッパ勢力も含めた、東アジア世界の中での日本の安定、というものを考えていたのは
これも結局は、秀吉の唐入り失敗を受けてのものでしょ?
実際に家康には、琉球征伐を認めたり、台湾やルソン遠征も認めようとするなど、
海外侵略を一切否定したわけでもないのだし。
秀吉の唐入りだって、当時のヨーロッパ勢力のアジアにおける進出を見た上での
政策であるという評価も近年にはなされているし。
891 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 03:37:36 ID:gJ44A6sQ
>>890 秀吉には外交が無いよ。
それにヨーロッパ対策を考えるなら先ず、沖縄なり台湾なりに目を向けるべきだ。
ヨーロッパ勢力と殆ど関係のない朝鮮への出兵なんて、あんな乱暴なもの、政策とはいえないと思うよ?
892 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 03:45:36 ID:ewOK3Thl
秀吉と家康の優劣は、先に権力を手にした者と、そこから学べた者という意味で清盛と頼朝に近い気もする。
というより本題に戻りませんか?
893 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 11:49:36 ID:jX7BOYqm
>>889 なるほどね。
ここの信長には詳しい人たちでも少し守備範囲がズレるとかなり認識が違ってくるわけか。
これは興味あるところだな。
で、秀吉とか家康の時代は、貿易の時代、みたいにいう人すらいるぐらいすごいもんだよ。
唐入りとは別の話としてもね。
ほんで、このスレではあまり出ないけど、信長が、奴隷、として海外に日本人をいっぱい送ってた話とかね。
もちろんスレチだからだろうけど、秀吉には外交はない、というのはさすがにどうかと思うぞ。
ほんで、886の、秀吉は軍事的才能があった、というのもかえって目新しい感じがする。
小牧でも、軍事で負けたから人たらし的政治で対抗した、というのが一般的な解釈だろうし、秀吉が戦争上手、とはあまり言わないんじゃないかな。
別に個人的見解だから、興味もってちょっと聞いてみたいだけなんだけどね。
ついでに言うと、家康は革新というより、やっぱり、修正、って思うな。
幕府という意味においては室町と同じ構造に成立してるし、その他の点でも信長、秀吉の欠点、未熟な点、ここをうまく修正することによって「革命
」ではなく、延長線上において解決してると思うんだ。
本能寺だけではネタギレなので、ちょっと脱線、勘弁、容赦。
>>869-870 濃姫黒幕説って
いまさらなくらいの古典的ネタで
陰謀説というのも嫌になる、俗説で充分。
どうせヨタなら
お市黒幕説くらいぶっ飛ばしてほしいよ。
895 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 20:30:48 ID:g1rIpQoV
黒幕がショボイ本能寺陰謀論だと、今川氏真陰謀説、利休陰謀説、荒木村重陰謀論とか
みたことあるなw
896 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 14:09:08 ID:QFG6kFPL
野心説として、4月下旬に三職推認とかでゴチャゴチャしてたのは光秀はある程度は知ってたのだろか。
だとすると、勅が下りて関白にとかなったりすると乱ではすまなくて逆賊みたいになってしまうかもしれない、なのでそのあたりからあわよくばと機会を伺っていたかも、というのはどうだろう。
これだと四国政策転換説とか突発説とかとは矛盾しないだろうし。
絶対に謀反してやる、じゃなくてチャンスがあったら程度だったのが、目の前にちょ〜チャンスボールがきた、そのワンチャンスを完璧にとらえた、というぐらいじゃないのかな。
四月から具体的にそういう機会をうかがうようになってた、とすると愛宕百韻の内容にも矛盾はしなくなるしね。
897 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 15:28:03 ID:GjAhMLp1
>>797の論文では、納得できなかったってことなのかな?
898 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 16:45:33 ID:5vJnbWhU
本能寺の変の黒幕は光秀ではないんだよな
899 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 16:57:30 ID:pO1AnOht
もはや意味すらわからん
900 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 20:21:30 ID:pa3qVjbl
>>896 いつもの長文の人か。
下手な鉄砲…いや、何でもない
901 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 21:28:25 ID:ALWP+uLt
本能寺の塀とかを秀吉が普請したんですか?
宣教師の報告には抜け穴があっと書かれてるって聞いた事もあるんですが。
902 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 22:42:46 ID:SJG1LMlv
秀吉は結果論的に言えば、1番の黒幕と言えなくはない。しかし、山崎で勝利したのも、筒井・細川が光秀につかなかったのも決して秀吉の根回しではない。
筒井の行動ひとつ見ても明らか。
903 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 23:56:56 ID:d8wdV9hJ
お前らアマいな
本能寺の変の黒幕はクラウザーさんだろが
904 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 01:09:13 ID:yaWUlGUf
>>897 まだ、読んでない・・ごめん。
楽しみにしておきます。
905 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 07:58:02 ID:cci+uxNJ
天地人見てないの〜〜
あ〜んなにはっきり家康と話してたじゃん。(ありえないシーンやけど)
結局 暗黙の了解で信長うったら秀吉 家康はじめ反信長勢力が
味方と思ってた光秀がおばかさんだった。
結局長生きできた家康の勝利
906 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 15:35:10 ID:39SHLLtN
ま、光秀は甘いよな
907 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 04:42:30 ID:0tPY2Vwh
光秀は信長じゃなくて村井を殺したかったのかもなんて思ったりして。
908 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 05:50:48 ID:SCHixyT7
まあ軍記講談だと、信長というよりむしろ蘭丸を殺したかった感じだよなw
909 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 15:44:02 ID:szb4sb1b
あの黒人を殺したかった、とか濃姫を殺したかった、とかか。
黒幕じゃなくて、本能寺の真の目的説、ってとこだな。
おもろい。
910 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 16:01:25 ID:8xxVYX06
濃姫の事に関しては1級史料から実在を確認できるのは
婚姻時のみ
まあ道三の国譲り状があるから
道三の死後しばらくは信長の所にいたと推測される
それだけの史料しかない
フロイスの史料にもその他の信長の家臣の記録にも全く何もなし
濃姫黒幕説などアホすぎて話にならん
911 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 17:10:42 ID:DAAf1IK/
安土殿ってのは誰なの
帰蝶のことじゃないんか
912 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 17:29:15 ID:FsChuEDF
>>911 岡田さん(だっけ?)がそう言っているね。
あと「光秀と帰蝶」がイトコってのも「綿考輯録」「美濃諸旧記」などの2級史料
でしか確認できない。
913 :
人間七七四年:2009/05/03(日) 15:52:29 ID:KxlXPQnd
いとこってのはテレビやゲームで当たり前のように出てくるよな
メディア操作ってのは恐ろしい
914 :
人間七七四年:2009/05/03(日) 22:48:51 ID:XvO6Am5Y
オワダってまだ「信長非道阻止説」を諦めていないんだな。
藤本らからは「珍説」とまで言われてるのに。
新刊の「悪人列伝」みたいな本のオビに「平和のために
信長を討った」とか書いてあって笑った。
地球を守るヒーローじゃあるまいし、平和とかそんな
イデオロギーで動くはずがない。
仮に光秀がそういう思想で動いていたとしても、重臣たちまで
もがそんな思想の持ち主なのか?
915 :
人間七七四年:2009/05/03(日) 23:27:20 ID:XvO6Am5Y
オワダのような商売にしようとする者は朝廷と信長が対立してた
根拠もないのに「非道阻止」。
一方「本当のことはわからない。本人に聞いてみるしかないのかも
しれない」と、動機不明とするのが鈴木など。
どっちが筋が通ってるのかは言うまでもない。
916 :
人間七七四年:2009/05/04(月) 18:05:35 ID:VOBwWIbX
鈴木を評価するのもどうかと思うけどね。
藤本の名前がなかったら、あの本だって珍書になってたかもね。
917 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 20:27:55 ID:UVQKQhwq
大河www
信長爆殺www
918 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 22:12:59 ID:ME25qBYv
天地人の実況スレで延々と朝廷黒幕説を展開する奴がいて、
「一時期盛んに論じられたけど、最近は否定論のほうが優勢みたいよ」とレスしたら、そいつにしつこく粘着された。
あんまりうざいから、「根拠はなに?元ネタはなに?」と尋ねたら桐野作人の「真説 本能寺」だと
筆者本人が謝り認めてるやん!!!!最近の本も読んでくれよ・・・と心から思ったw
919 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 23:49:57 ID:EFpV34iU
んな事は本人に言え
920 :
人間七七四年:2009/05/15(金) 00:10:37 ID:ZbVC3rR1
>918
朝廷黒幕説を否定している『真説 本能寺』を使って、
朝廷黒幕説を展開していたそいつはスゴイな。
921 :
人間七七四年:2009/05/15(金) 21:27:57 ID:2sU0qB9+
結局本能寺の変はなんで起きたんだ?
922 :
人間七七四年:2009/05/15(金) 21:29:24 ID:njj9VNcf
テレビや小説スレでは、新書レベルの本すら読んでないのが普通だからね。
大河ドラマはここが違う、って別の小説から引用してるのにはワラケルが。
923 :
人間七七四年:2009/05/15(金) 21:34:20 ID:ZA4zSfkI
>>921 いろいろ説はあるけど結局は、信長が光秀に、鴨が葱しょってその上コンロと鍋とスープまで
用意してくれたような隙を見せたせい。
924 :
人間七七四年:2009/05/15(金) 21:37:47 ID:5tydpzav
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『おれは主君を謀反で殺したと
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ 思ったら黒幕にそそのかされて墓穴を掘ったヘタレに認定された』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった…
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 歴史の真相だとか陰謀だとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
明 智 光 秀
925 :
人間七七四年:2009/05/15(金) 22:18:44 ID:njj9VNcf
926 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 16:10:41 ID:CqlkL0wy
ここなら教えてくれそうだが・・
娘がTV見ててなんで本能寺が爆発したのか悩んでいるのだけど
鉄砲の火薬が爆発したの?
927 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 16:57:41 ID:LrzJ8vOo
>>926 一応本能寺には火薬庫があってそれが爆発したと言う記録はある。真偽は定かではないが、
今回NHKはその説を採用したって事。
928 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 17:30:59 ID:CqlkL0wy
>>927 ありがとう
織田軍の警備用で持ち込んでたらわかるけど普段から常用されてたら怖いねぇ
ただあの爆発力は胡散臭い
929 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 02:07:38 ID:SnOS0m+u
粉塵爆発ってことにしとこうぜ
930 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 10:49:42 ID:v0zv8dIk
>>927 そんな記録あったっけ?
爆発なんか起きたら音とか爆風だってすごいし、そういうのって記録にあった?
931 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 12:44:15 ID:bssJ+kyH
>>930 どーも立花京子らしいな元ネタは>本能寺爆発
同時代の資料にはそんな話まるで存在しないが。
932 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 19:19:48 ID:0Q4Excwv
フロイスか誰かの伝聞に基づく記録じゃなかった?
933 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 21:18:26 ID:v0zv8dIk
>>931 京子おばばは後出しじゃなかったかな。
井沢も種子島との関連発見して喜んでたけど。
フロイスは、木っ端微塵であとかたもなかった、みたいな記述からの拡大解釈じゃないのかな。
少なくとも、新しい信長伝説ができてまったわけだ。
934 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 21:19:45 ID:bssJ+kyH
フロイスは爆発なんて一言も著述して無いのにな。
935 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 21:51:34 ID:KraPon0L
爆発を最初に言い出したのは
八切じゃなかったっけ?
謙信女性説の。
936 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 22:08:14 ID:v0zv8dIk
そだね、八切ならそういうトンデモ解釈普通だもんな。
今は、八切シリーズみたいなのあるよね。
古代史でいう、関シリーズ、みたいなもんで、若い子が「巨匠」と勘違いしてそこらで広めてそうな気がする。
937 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 22:56:29 ID:jXjeHnzT
本能寺変は信長幕僚の派閥争いが大火になっただけの話し。
信忠のスタッフは誰か?秀吉、光秀は入っていない。
信長、信忠による天下統一後、秀吉・光秀は案外不遇な扱いを受ける。
秀吉は中国制圧して後の事も考えていたのだろう。過去の軍令違反を問われて追放か減俸
光秀もなんだかんだと足利関係連絡の疑いをかけらて追放。
秀吉はとり合えず邪魔な光秀を政権参与の座から消そうと思い四国を問題化し融和路線から敵視策へ転換する計略を思い立つ。
四国が問題化してしまった光秀は信長に政策転換を意見するが信長に退けられる。
光秀も同時期に自分の将来の処遇を考えて信長をしい逆する事を思い描くようになっていった。
明日はわが身かも・・佐久間、林を見てそう思ったかもしれない。
938 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 23:49:33 ID:BrOapMHY
光秀が佐久間を陥れたとする話自体に、
秀吉の信長側近への根回しを感じる。
光秀が何かを弁解したり佐久間をかばえば庇うほど、
佐久間が消えて誰が得をしたかが問題になる。
秀吉は養子もらって胡麻すって出世して偉いなぁ
ところで播磨の国は羽柴家の所領だったのでしょうか?
小寺家が姫路を譲った話は聞いた事ありますが、
どうなっていたのでしょうかね。
但馬は織田領でしょうし。
939 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 12:05:06 ID:G5xhl+JR
>>937 シンプルだけど、それが正解なのかな。
ただそれだと秀吉にも謀反の可能性があったことにもなる。
秀吉、光秀、早いもの勝ち競争だった、みたいな説もあって、そう考えると変後の素早い秀吉の行動も理解しやすいし
案外このあたりが一番普通で正しのかもしれないな。
940 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 12:13:21 ID:+oTf02Se
>>938 織田政権では、武将は信長の代官としての支配権しかもって無いと思うが。
941 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 12:16:26 ID:3381mU5i
秀吉黒幕は有り得ない。
信長死後にとんとん拍子で天下をとったかのように言われているが、実際は危機の連続だし。
942 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 12:18:59 ID:+oTf02Se
んだ。山崎の合戦すら紙一重。
943 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 12:40:25 ID:PPPBpSsI
944 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 12:42:13 ID:7kCF9ER2
2倍以上兵力差があり光秀は山崎守りながらだから布陣も不利な状況で光秀より多くの死傷者を出した。
秀吉の戦下手ぶりが発揮された戦い
945 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 12:49:34 ID:e76/0YAc
しずが岳でも圧倒的兵力差がありながら前田が兵引くまで均衡状態だったしな
戦下手すぎる
946 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 12:56:41 ID:e76/0YAc
それどころか伊勢の滝川7000程度に半年近く粘られる始末
947 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 12:59:18 ID:NdPDGzGq
小田原攻めでもわずか500の伊豆韮山城、1000の武蔵忍城に手こずりまくってたしな
権力基盤の弱い織田信雄の領地攻めるのすら苦戦しまくってたし
948 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 13:01:26 ID:iTLkHRSW
紀州攻め、九州征伐、朝鮮出兵。
日本の恥みたいな武将
949 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 13:04:02 ID:ilnVHHJG
禿同。石田三成や直江兼続、徳川秀忠にも余裕で負けそうだ。
950 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 13:07:55 ID:iwnR0WQu
母や妹を人質にだし秀次や侍女、親族を殺し千利休を殺し朝鮮へ出兵して無駄に国内を疲弊させる
晩年の愚行が秀吉の全てを表してるな
人の上に立つ器じゃなかったんだろ
951 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 13:13:43 ID:beouY086
大友宗麟>>>>>>>>>>>秀吉
952 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 13:17:58 ID:KYHaryKY
秀吉厨死ね
953 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 17:37:29 ID:3381mU5i
はいはい、武田厨うざすぎ
954 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 17:49:10 ID:gNbvo2kv
畜生以下のチョンを殺しまくったことは評価に値します
955 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 18:33:57 ID:PPPBpSsI
>>954 いや絶滅させなかった事が後世に大きな禍根を残す結果となった
イギリスがタスマニア人を絶滅させたように、一匹残らず絶滅させるべきだった
956 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 21:37:13 ID:nPY+UPZ3
細川氏は自身の扱いに対し信長に感謝していた。
本能寺変後、信長の喪に服し剃髪した。上司親戚戦友でもある明智に対し決然と反旗をひるがえした。
不遇貧乏時代に助け、引き立ててくれた恩を忘れ襲殺した光秀に余程腹が立ったのであろう。
考えて見れば細川藤孝と言う人物は、武術、文化のスペシャリストと聞く。田辺城では武人の意地を見せて家康を感激させるなど戦国すごい人十傑に入るんじゃなかろうか?
957 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 22:13:36 ID:wpDIKUC1
幽斎は完璧超人だからな。
しかし義昭を背負って逃走したほどなのに、義昭が信長と対立するとあっさり信長に付いたのはなんでだろうなあ?
958 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 22:57:03 ID:+oTf02Se
兄貴は義昭についたからな。
家系存続の為だったのかも知れぬ。
959 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 22:57:31 ID:Y8ITNjtW
>>939 中国にいる秀吉が京に少人数で無防備でいる信長に
どうやって謀叛を起こせるんだ?
本能寺の変は信長と信忠が無防備でいてくれて
なおかつ自分が大軍を動かせるというまさしく
希有なチャンスでしか起こらなかったことを
忘れてるのが多すぎ。
960 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 23:23:35 ID:dYJHGg+m
秀吉はビツクリしただろうな。信長は光秀が謀反なんてこれまたありえねーと思ったろうな。光秀を信用してたんだろうな。ただ、秀吉が信長を呼び出したのがなんか腑に落ちないんだが。
961 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 02:24:32 ID:38xeaGq7
>>960 何が腑に落ちないんだ?
ごく自然のことだろうに
962 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 02:39:02 ID:5IW2j+em
わざわざ信長呼び出す必要ねーだろ
963 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 07:02:49 ID:j5x3ZhC0
何故か平日の昼時にアンチ秀吉が火病の如く湧き出る不思議w
964 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 09:53:41 ID:1M/qbpsf
織田家の東国覇権を確立させた甲州仕置きの時も、信長が自分で出て来ているんだから、
西国での織田家の覇権確定となるであろう場にも、信長が出て行くことは自然。
965 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 10:49:00 ID:5wd5IB6g
公記だと戦況報告受けた信長が自ら出馬すると言い出したように読めるけど、
秀吉が信長自身が来てくれるように依頼した史料ってあるの?
966 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 11:15:39 ID:1M/qbpsf
甫庵太閤記ですら、秀吉からの援軍要請は出てくるけど、信長自信がなんて指定は一切存在しないな。
967 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 12:08:41 ID:BbNxBi0V
ヒデキチは高松城水攻めの絶景を自慢したかったのと、
信長さま出陣の勢威で勝てました、とへりくだりたかったのと違いますか?
武田攻めの時も決着ついた後に富士山見物に行ったようなモンだし、
滝川などの他の家臣に信長の寵愛がうつるのが怖かったのかな?
あの時点で備中まで信長が行けば毛利は降伏して備後までは割譲したかもね。
でも織田が一度抜いた刀をおさめるとは思えない。
武田と同じように滅ぼす!っていいそう。
そうすると小田山みたいな裏切者が出てくると。
長宗我部も適当に折り合いつけれたとは思えないし、
しばらくは、戦国時代が続くかと。
968 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 12:11:46 ID:BbNxBi0V
小山田でした、すんません
969 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 14:08:13 ID:F87HpaVm
そんなこみゃきゃー話を実況ですんなよw
970 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 19:22:34 ID:1UiwlFFv
荒木村重も謀反した。松永久秀も謀反した。明智光秀は謀反して成功した。
信長の性格に難アリと見るべき。秀吉は大きな謀反はされていない。家康は謀反っぽいのが一向一揆と関が原合戦前にある。
よって信長と家康は性格が悪いと言うことになる。
971 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 19:27:11 ID:1M/qbpsf
>>970 > 関が原合戦前
_, ._
( ゚ Д゚)
972 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 20:07:52 ID:1UiwlFFv
晩年の家康は信長の事をほとんど語らなかった。
政治手法にしても信長を模範としたものは聞かない。
関が原合戦以後の家康は信長を嫌っていたと言うことになる。
よって家康より信長の方が性格が悪すぎると言うことになる。
973 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 20:16:18 ID:1M/qbpsf
少なくとも信長の政治手法は運の要素が強すぎて参考にならん。
974 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 20:37:59 ID:TxA9T8eD
975 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 20:41:37 ID:1M/qbpsf
>>974 そういうレッテル張って議論した気になるのって、空しくならない?
976 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 20:55:54 ID:TxA9T8eD
>>975 ことさらに運にこだわるのが信玄厨の特徴。
誰がどこに生まれたとか、周りにこんな凄い人が居たとか、そんな運以前の意味の無い議論をしたがる。
977 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 21:12:49 ID:nrWDuPRV
> 晩年の家康は信長の事をほとんど語らなかった。
誰の事をよく語ったと言うの?
978 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 21:14:08 ID:1M/qbpsf
>>976 一行目と二行目がどう繋がっているのかさっぱりわからん。
後そろそろ新スレかね?
979 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 19:52:47 ID:QXJSTwlr
>誰の事をよく語ったと言うの?
あんた意味不
980 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 17:20:44 ID:jU6omg1L
新スレ立てる前に誰か本能寺の変の真相を結論付けてくれ
981 :
人間七七四年:
信長は俺がやった。以上。