黒田長政だ!

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1人間七七四年
数々の合戦で武功を立てた黒田長政 
だが武断派・武功派と言われるわりには父譲りの謀略もお手の物
それでも幼時はあの織田信長から命を狙われたエキサイティングな経験もあり
そしていつの間にか豊臣派から徳川派へ転身する読みの鋭さ
でも親父さんにはいつまでも子ども扱いされるちょっぴり無邪気なところも
しかし結局50万石以上をゲットしたのは名将の証
そんな愛すべき黒田長政を語っていくスレ
兜の角、でかすぎない?

Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E9%95%B7%E6%94%BF
関連スレ
【智・勇魚の如き】黒田孝高総合スレ【縦横無尽】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154074910/
2人間七七四年:2008/07/27(日) 08:39:50 ID:na0jPKiO
意外な人気の無さ・・・なぜなんだろう?
もっと評価されていいはず
3人間七七四年:2008/07/27(日) 12:52:08 ID:NaDRoFmw
黒田スレあるのに立ててんじゃねえよ
やっぱりカスみたいな武将にはカスみたいなファンしかいないのな
4人間七七四年:2008/07/27(日) 16:48:11 ID:DOTpiAK4
そんなスレ見当たらんぞ
5人間七七四年:2008/07/27(日) 16:53:13 ID:DOTpiAK4
忘れた
6人間七七四年:2008/07/27(日) 17:15:31 ID:Nm/QRZcH
親が偉大すぎるのか?
でも真田もそうなのに
7人間七七四年:2008/07/27(日) 17:20:04 ID:9ZnoZbOY
後で人気者になった又兵衛を迫害したのも不人気の一因かも。
又兵衛の子を誘拐したって何かで読んだ記憶があるけど事実なのか?
8人間七七四年:2008/07/27(日) 17:25:14 ID:DOTpiAK4
関が原で豊臣を見限ったことが理由?
同様な福島・加藤もアンチ的発言は厳然とあるぐらいだから
>>6
真田と言うことは昌幸でなくて信繁(幸村)?
こちらは逆に家康に対抗して、あの最後の突撃で一種の伝説みたいなものを作ったからねえ
比べて長政はやっぱり人気が芳しくない家康に降った上に、
やったことが陰気な謀略だから人気が無いのか?
俺は好きだなそういうところ( ̄ー ̄)
9人間七七四年:2008/07/27(日) 17:26:50 ID:na0jPKiO
>>7
誘拐は知らないが
仕官の横槍ってのも確かに陰気だなwww
10人間七七四年:2008/07/27(日) 19:04:08 ID:DOTpiAK4
http://find.2ch.net/
2ちゃん検索において「黒田」スレは61スレ
うち黒田孝高スレが戦国板に1スレ、日本史板に2スレ、歴史ゲーム板に1スレ
「黒田」で更に「長政」は無し

2ちゃん検索において「長政」スレは7スレ
以下全て
黒田長政だ! (5) - 戦国時代板@2ch
浅井長政はデブ ピザ2枚目 (446) - 歴史ゲーム板@2ch
浅井長政総合スレ (220) - 戦国時代板@2ch
浅井長政 (219) - なりきりネタ板@2ch
長政様がね、褒めてくれるの… (588) - なりきりネタ板@2ch
織田信長と徳川家康・浅井長政 (59) - 戦国時代板@2ch
山田長政公とともに苦難を乗り越えるスレ (11) - 日本史板@2ch

よって>>3は変な夢を見たんだろう
11人間七七四年:2008/07/27(日) 19:27:18 ID:kjqiKUtC
長政の逸話
・父、官兵衛が裏切りを疑われ、信長は長政を殺すよう命じるが、竹中半兵衛に救われる。
・朝鮮の役の時、敵に馬から落とされるが近くにいた後藤又兵衛は助けてくれず生涯恨む。
・関ヶ原の戦いで小早川秀秋などの調略に奔走し、戦後家康を大いに喜ばす。
・父が死ぬと重臣の又兵衛を追い出し、生涯嫌がらせを続ける。

まぁ、だいたい関ヶ原で東軍に付いた武将は人気ないよね。
12人間七七四年:2008/07/27(日) 19:32:08 ID:na0jPKiO
面白キャラだと思うけどなあwww
人生に紆余曲折あるし
13人間七七四年:2008/07/27(日) 19:32:56 ID:O9CAkoCd
>>11
> まぁ、だいたい関ヶ原で東軍に付いた武将は人気ないよね。

それは西軍厨の誤解です
14人間七七四年:2008/07/27(日) 19:36:19 ID:na0jPKiO
カトキヨって結構人気あるけど関が原後は豊臣寄り中立的の立場だったからかな

>>11
・あれだけ尽くしたのに家康に信用されずに大坂冬の陣は江戸にステイさせられる
ってのはどう

享年56って意外と早いな
15人間七七四年:2008/07/27(日) 19:52:19 ID:l7bCggHv
>>14
孝高も忠之も50代で死んでるからそんな長命での血ではなかったんだろ

親父のスレも過疎ってんのに大丈夫かここ
16人間七七四年:2008/07/27(日) 19:59:41 ID:O9CAkoCd
息子の長政も、敵の多い、癖の強い人間だったが

なにげに父親も、秀吉の時代から結構嫌われてたり、警戒されてたりしてた。
17人間七七四年:2008/07/27(日) 20:13:17 ID:na0jPKiO
>>15
そもそも板自体が人が多くないから大丈夫
18人間七七四年:2008/07/27(日) 20:20:34 ID:NaDRoFmw
sageろよクズ
19人間七七四年:2008/07/27(日) 20:28:11 ID:TCcKNZrb
兜の前立ててお好み焼きでも焼いてろよ
20人間七七四年:2008/07/27(日) 20:30:45 ID:DOTpiAK4
個人的には孝高の話はいろいろ見過ぎてもういいかなって感じだったから
長政の話があればそれを見たいのであるが
21人間七七四年:2008/07/27(日) 20:31:40 ID:9ZnoZbOY
母里太兵衛を手討ちにしようとした逸話もあったな。
これはたしか長政の子に太兵衛が「父親みたいな猪武者になるな」って
意味の事を言ったのが原因だったと思うが。
22人間七七四年:2008/07/27(日) 20:33:12 ID:na0jPKiO
細川忠興と雰囲気が同じ感じに思えるのは俺だけか
性格とかそういうのじゃなくて、なんとなく雰囲気的なものが
あと父親がどっちも大物だし
23人間七七四年:2008/07/27(日) 20:52:00 ID:NaDRoFmw
みんなwikiとか小説からとったみたいな話題しかないのかよw
sageもできない池沼もいるしなw
24人間七七四年:2008/07/27(日) 21:13:28 ID:na0jPKiO
>>21
親父がアレすぎてそれと比較すると・・・かもね
25人間七七四年:2008/07/27(日) 21:22:00 ID:Hh3XkyFs
ID:na0jPKiO
なにこいつわざとやってんの?
26人間七七四年:2008/07/27(日) 21:24:36 ID:kjqiKUtC
西軍     寝返り・日和見 東軍
石田三成   小早川秀秋   徳川家康
島勝猛    毛利秀元    本多忠勝
宇喜多秀家 吉川広家    黒田長政
明石全登   長宗我部盛親 細川忠興
小西行長            福島正則
安国寺恵瓊           藤堂高虎
長束正家            田中吉政
島津義弘            山内一豊
大谷吉継            池田輝政
蒲生郷舎            浅野幸長
                  織田長益

どうしても東軍の大名には、裏切り者のイメージを持ってしまう。
27人間七七四年:2008/07/27(日) 21:30:23 ID:Hh3XkyFs
東軍 裏切り者
西軍 バカ
ですよね、わかります
28人間七七四年:2008/07/27(日) 22:28:23 ID:O9CAkoCd
西軍厨は自分の思い込みが世間に通じると思っているから始末が悪い。
29人間七七四年:2008/07/28(月) 02:01:58 ID:bnW9fJ7o
経過結果が分かってる後世の人間からみると西軍は物事が分かってなく見えるが
当時は分かってなくて普通だから
30人間七七四年:2008/07/28(月) 02:02:34 ID:bnW9fJ7o
なんか変なレスしちゃったなw
31人間七七四年:2008/07/28(月) 20:27:18 ID:wzxs1LND
父ちゃんスレから来ました

ちょっと前に関ヶ原をDVDで見て面白かったんだが
長政はやっぱ地味だった。
うぃきで調べてみたら、同じ年に始まったおんな太閤記では
長政役の人が官兵衛役やっていたそうだ。狙ったのか?
32人間七七四年:2008/07/28(月) 20:31:06 ID:Qn+0P7hm
>>21
息子の万徳丸の袴着の時万徳丸が懐いてた母里太兵衛が
「父様よりは武辺をしなさい」と激励したことに怒ってその場で脇差を抜き手討ちにしようとした。
その体勢でギャンギャン口喧嘩(悠長ですね)してるとこに栗山備後が駆けつけてことなきを得た。
出典は古郷物語。

本人の言い分を見ると、父より「は」と言われたことが気に食わなかったらしい。
俺の武勇に不足があると思ってそういう言い方をするのかと。
もしかしたら「父より能くし給へ」と言っていれば怒らなかったのかもしれない。
しかしその後母里が盛大に論点をずらしてるので真相は闇の中だ。

初めてこの逸話をかいつまんだものを読んだ時、原典にあたればもう少し
長政を弁護する余地があるかもしれないと思った。
しかしこの男ときたら本当にその場で刀を抜いて、数えで四歳のあどけない
我が子の前で、子がじいと慕う老臣を成敗しようとしやがった。

そしてはじめは母里太兵衛のことを、何の気なしに言った言葉が気に障った
からといって殺されかけるなんてとんだ災難だったなと思っていた。
しかし母里太兵衛はそんなことで同情されるようなたまではなかった。
こいつが激昂する長政を鼻で笑ってあさっての方向を向きながら
「あーあ変なことで怒ってる人がいるよ、変な人がいますぅー」とか
言うから収拾がつかなくなるわけで。

これに限らず古郷物語における黒田長政と母里太兵衛の関係には
口の達者な小学校高学年の弟が大人げの全くない中学生の兄に対して
青筋をたてているような非常な微笑ましさがある。
活字化しているし、高校で古文をやったきりの人間がだいたいの意味が
とれるくらいなので文体も読みやすいと思う。
未読の人には一読をお勧めしたい。

まあようするに子供のけんか。
33人間七七四年:2008/07/28(月) 21:00:47 ID:Q8q+m168
>>31
関が原の場合は裏で暗躍してたから
家康が一番の働きだったとしたのも妥当
表面的な合戦ではイマイチだったね
34人間七七四年:2008/07/28(月) 21:02:42 ID:Q8q+m168
>>32
父親とは似ても似つかない短気だなww
35人間七七四年:2008/07/28(月) 22:30:53 ID:H1X9v62d
恥ずかしい話ではあるが
戦国ゲームは天下統一IIが最後になった者としては
黒田長政が謀略が得意だとは知らなかった
長く時間を経てゲームとは別に戦国史に戻っていろいろと見てるうちに
孝高の息子らしい活躍にニヤリの自分である
36人間七七四年:2008/07/28(月) 23:08:58 ID:K+rGSBiO
調略活動なんてのは誰がやったかはっきりと形で分かりにくい種類のものだと思うんだけど、
関が原において長政の謀略活動が大成功だったっていう史料的な裏づけってあるの?
これはお父さんの評価にも言えることなんだけど。
37人間七七四年:2008/07/29(火) 00:16:50 ID:2EEN0pUk
いろんな資料があるからそこからの憶測しか当てに出来ないね
38人間七七四年:2008/07/29(火) 23:27:23 ID:oF074MXB
逆に「無かった」としている説はある?
39人間七七四年:2008/07/30(水) 00:41:47 ID:2rkYiaiK
関ヶ原での槍働き自体は奮闘は認められるけど特に抜きん出てはいない程度。
身内が地元で勝手に起こした軍事行動はむしろマイナス要素。
これを踏まえて、18→52万石、34万石の加増の根拠を探すとしたら、調略くらいしかないという道理。
40人間七七四年:2008/07/30(水) 00:52:52 ID:j5tO9guO
黒田隊もいた集団が石田隊単独に対してなかなか押し込めなかったということだよね
それで黒田隊が横に回って島左近を狙撃して〜ということらしいけど
何かではその横回りは無かったとか書いてあったなあ

合戦の真偽って結局は結果しか分からないもんだね
41人間七七四年:2008/07/30(水) 03:30:32 ID:Wbvpx7Hh
>>38
それは悪魔の証明的だな
42人間七七四年:2008/07/30(水) 06:55:55 ID:6SBNbExn
長政は関ヶ原の時だけ輝いているよw
他は愛すべきヘタレ
43人間七七四年:2008/07/30(水) 09:39:28 ID:9PL7K/2m
東軍が押し込めなかったのは石田が大砲を大坂から
ひっぱってきたのでうかつに近づけなかったというのもあるのかも
勿論それを差し引いてもあれだけ粘れたのは凄いと思うが
横周りについてはこの頃否定してるのを見るが、元々
当時の史料には確か記述自体ないんだよね
44人間七七四年:2008/07/30(水) 09:57:01 ID:yFD+TVea
みんな何で馬鹿言ってんの?俗説に振り回されすぎ。

実のところ長政の功績の方が孝高より群を抜いているじゃん?
どう見ても武将として、大名として長政の方が能力が上。
45人間七七四年:2008/07/30(水) 10:35:56 ID:VUZ13N/K
黒田親父のほうは、かなり過剰評価されているのは確か。
46人間七七四年:2008/07/30(水) 13:31:22 ID:U9+VG91p
この人の嫉妬深いようなところも含めて好きだ。
素晴らしい能力の持ち主なのにヘタレっぽいエピソードが多いのがたまらなく良い。
47人間七七四年:2008/07/30(水) 18:27:44 ID:j5tO9guO
>>46
そこだよな・・・あんまり比較するのもなんだが
親父さんは完璧すぎる部分も見えてイマイチ感情移入できん

>>43
それまでごく普通に“定説っぽく”言われてた話がいきなり否定されてる時代だしね
正直、何を信用していいのか分からなくなってもいる
48人間七七四年:2008/08/02(土) 00:39:22 ID:YergcdgN
ageようぜ
49人間七七四年:2008/08/02(土) 00:59:30 ID:LRjB7IxU
立ち読みしてきたが
福島とのこととか、小早川裏切りなどの裏工作については
朝鮮の頃とか過去の話に遡って関係を調べれば
特に不思議はないとのものを見たよ
そういう部分を活かしたところが父親より家康に似てるなと
50人間七七四年:2008/08/02(土) 01:11:30 ID:o8wgP6ib
おれがガンダムだ!
51人間七七四年:2008/08/02(土) 08:54:24 ID:YergcdgN
長政デスサイズ、朝鮮へ出兵
52人間七七四年:2008/08/02(土) 10:10:50 ID:z6c46pBx
>>49
手近から手をつけていくのは調略の基本なのではないんだろうか
どっちに似てるってもんでもないんでは
福島はともかく毛利・小早川は親の代からのつきあいがものを言ってる感じだし
特に長政の働きは如水との親子二代を通して見た方がいいと思う

で、なにを立ち読みしてきたの?面白い?
53人間七七四年:2008/08/02(土) 11:28:54 ID:KWbdR4fo
福島正則の性格を熟知してるところなんて秀吉時代からのものなんだろうなあと
言葉の端々で煽ってたんじゃない?三成をどんどん憎ませるように
そういう人間の性質とか感情を操作するところが家康に近いかなと思った次第
孝高は時代も時代だったから直接な戦の方にその力が向いてた気がする
・・・と書きつつ黒田家ヲタクじゃないからかなり間違ってるかもwww

本はよくある歴史コーナーのもの
相変わらず否定された通説が書かれてるのもあるのは困ったもんだが
研究者が研究に研究を重ねた字ばっかりのじゃないよw
54人間七七四年:2008/08/04(月) 21:52:31 ID:mUfpQFKY
黒田長政と浅野長政と浅井長政がゴッチャになる。
55人間七七四年:2008/08/04(月) 22:02:41 ID:8icIbLrN
よしよしその中に山田も入れような

木造と早川と田中も入れていい?
56人間七七四年:2008/08/04(月) 22:15:51 ID:hXZuCpFx
長政は多いが、意外に政長は少ない。
応仁の乱のときの畠山政長くらいか?
57人間七七四年:2008/08/05(火) 00:06:20 ID:X52qRFAx
>>54
無い
58人間七七四年:2008/08/05(火) 00:12:59 ID:NgjfoLww
>>56 以下、wikipediaより。

源  政長(長暦2年(1038年) - 永長2年閏1月4日(1097年2月18日))
畠山 政長(嘉吉2年(1442年) - 明応2年閏4月25日(1493年6月9日))
花山院政長(宝徳3年(1451年) - 大永5年3月18日(1525年4月10日))
小山 政長 は、室町時代から戦国時代の武将
大木 政長 は、宇都宮資綱の子で、蒲池氏と同族。
三好 政長(永正5年(1508年)- 天文18年6月24日(1549年7月18日))
内藤 政長(1568年(永禄11年) − 1634年12月7日(寛永11年10月17日))
建部 政長(慶長8年(1603年) - 寛文12年4月18日(1672年5月15日))
本多 政長(寛永10年(1633年) - 延宝7年4月24日(1679年6月2日))
六郷 政長(宝永3年(1706年) - 宝暦4年8月5日(1754年9月21日))

浅井長政・山田長政・黒田長政・浅野長政・木沢長政・市橋長政・木造長政・池田長政
織田長政 (大名)・織田長政 (旗本)・早川長政・関長政・小笠原長政
59人間七七四年:2008/08/05(火) 00:15:41 ID:fder+2Qc
俺も一時期、渡辺勘兵衛と御宿勘兵衛を混同してたな。
名前と主君を次々と変えたのと大阪の陣まで活躍した辺りが似てたから。
60人間七七四年:2008/08/05(火) 18:56:44 ID:WauzKbvg
とりあえず
黒田の長政はなぜついたかを教えてけれ
まさか浅井からじゃないよなあ
61人間七七四年:2008/08/05(火) 21:21:13 ID:asF4D79F
知らんよ
信長あたりの偏諱だったりして
政は…政職じゃねえよなあ…高祖父が高政だから高(もしくは隆)と政が通字とかそんなん?
62人間七七四年:2008/08/05(火) 22:04:36 ID:s+wzDZiC
浅井長政の長は信長ってのは見たことあるけど(真偽不明)
黒田長政はどこからだ?親父の孝高と全く違うから

話は微妙に違うが
意外と織田の血とか信長の影響って信長死後もあるみたいだね
ただ長政は子供の時に信長に殺されそうになったからなあ
63人間七七四年:2008/08/05(火) 22:15:00 ID:ABtOf6Ki
長は、秀長あたりからなんじゃね?
政は、曽祖父の高政からでしょ
64人間七七四年:2008/08/05(火) 22:16:09 ID:ABtOf6Ki
高政は曽曽祖父だな。訂正。
65人間七七四年:2008/08/05(火) 23:06:39 ID:s+wzDZiC
問題にするべきなのは「長」だけだったのを書かなかったおいらがアレ
66奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/06(水) 00:57:31 ID:qMVC2PsQ
素直に信長でええやん。
67人間七七四年:2008/08/09(土) 23:10:01 ID:Oy79AUFy
>>66
裏切った黒田の子は処刑しろ
68人間七七四年:2008/08/09(土) 23:21:17 ID:r25uAE4a
処刑しかけたからフォローの意味を込めて一字やったのかもしれんし。
69人間七七四年:2008/08/10(日) 00:21:28 ID:QE45CqTU
時期的にどうかね
いつ名前変えたんだ
70人間七七四年:2008/08/20(水) 23:33:07 ID:kBXPGTEE
こいつを演じるはチャド・クロウチャクを置いて他に無し!!
71人間七七四年:2008/08/21(木) 18:22:16 ID:jalfJcGe
http://museum.city.fukuoka.jp/jf/2008/kuroda_24ki/index.html

イラストは黒田三十六計の平田か
72人間七七四年:2008/08/22(金) 21:06:09 ID:9iiq/dKe
立花宗茂はよく、道雪と紹運の二人の云々言われるが
考えたら長政も、父親はあの官兵衛ではあるし
なんだかんだで竹中半兵衛とも繋がりもあって
この二人を見ていたからには、謀が得意になるのも無理は無いんではないかと
更にその主が秀吉だったわけだし
そこでその点について「サラブレッド」とみてもしかるべきとは思うが
でもどうも謀略はマイナス気味に見られる(と思われる)戦国ヲタ界
武功で目立った宗茂の方がいい書かれ方をするのは止むを得ないか・・・

上にも出てるけど、人物的にあまり度量が大きくはなかったようだしw
そこも更なるマイナスポイントか
知勇兼備なのは間違い無いが、人としてちょっとアレだったのは惜しいと
73人間七七四年:2008/08/22(金) 21:28:59 ID:ulSiagqH
>>72
細川忠興がまだ下にいるからマシ。
74人間七七四年:2008/08/22(金) 22:08:48 ID:9iiq/dKe
おいおいwww
確かに細川の親父殿は天皇すら動かした人物だったけどさww
父親が何か突出した傑物だと息子も辛いのう
75人間七七四年:2008/08/22(金) 22:25:38 ID:riPzCNqA
朝からご苦労!

山県昌景だ!( ´_ゝ`)b
76奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/23(土) 01:57:43 ID:7Edjv6q/
幽斎はここで語る人物じゃない。
77人間七七四年:2008/08/23(土) 03:18:04 ID:vvbIyuo6
>>76
スレの流れを読め、クソコテw
78人間七七四年:2008/08/23(土) 08:45:56 ID:gumSjyFA
肝心なのは3行目なのにww
79人間七七四年:2008/08/27(水) 23:44:50 ID:FL4IeLUN
長政の辞世の句って読んだままに解釈していいのかな?↓
このほどは うき世の旅にまよいきて 
いまこそかへれ あんらくの空
80人間七七四年:2008/08/27(水) 23:55:18 ID:TC8LMvcJ
古い文体はそれ自体よく分からないからストレートな解釈からして分からん・・・
81奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/28(木) 00:04:01 ID:0X7L8nu3
この.ほ.ど.は
う..き.よ..の.たびに
まよ..い..き.て 
いま..こ.そ..かへれ
あん.ら..く...のそら

縦や斜めではなさそうだ。
82人間七七四年:2008/08/28(木) 00:24:43 ID:G4pZJsX6
>>80
このくらい読めよ…
83人間七七四年:2008/08/30(土) 16:27:07 ID:61QiMwTI
疲れた。寝る。
ですか?>ストレートな解釈
84人間七七四年:2008/08/30(土) 19:58:11 ID:sqeIGgT3
>>83
吹いたが案外その通りだなW
如水とは印象が真逆になる
85人間七七四年:2008/08/31(日) 07:43:58 ID:LxCyGqsL
この世でやることはあらかたやり尽くしたし
あの世でも見に行ってくるかな、まあなんとかなるっしょ

って感じか>親父
86人間七七四年:2008/08/31(日) 11:12:24 ID:jNlAAZ65
ちょっと若いよな、死んだとき
息子を教育不足の感もある
87人間七七四年:2008/08/31(日) 14:13:08 ID:AiB72hFs
時代を考慮してもそんな長生きとは言えないかもね。平均値には届いてると思うけど。
息子は生まれたのが遅かったから…数えで35の時の子か。
長男は廃嫡する気満々だったって逸話は多く残ってるけど、最終的にそこまでしなかったのは、
やっぱり自分の死期を悟ったからっていうのも大きいのかなあ。
次男が長男と八歳差だったよな?(側室の子供はさすがに除外だろうし)
88人間七七四年:2008/08/31(日) 15:23:53 ID:jNlAAZ65
身分的にいい物を食ってたのか武将って意外とそれなりの寿命が多いと思う
今の時代だから健康には質素な食事の方がいいって言われるけど
現在が過剰なだけだからねえ
昔の身分が低い人たちの質素とは根本的にレベルが違うと思う
89人間七七四年:2008/09/02(火) 18:05:55 ID:sspRg7PE
「長」は信長の「長」らしい
一旦自分を殺そうとしたのに・・・
90人間七七四年:2008/09/02(火) 18:37:21 ID:7rRwSSkP
>>89
信長なりに気をつかったんだろ
91人間七七四年:2008/09/02(火) 18:52:06 ID:sspRg7PE
例のごとく、さすがの信長もものすごく申し訳なく感じていた、という逸話は残ってる
92人間七七四年:2008/09/02(火) 18:55:20 ID:6hL/HelI
>>91
信長はそんなのばっかりだな
93人間七七四年:2008/09/02(火) 19:03:06 ID:sspRg7PE
どの時代にも信長ファンはいたってことでしょう
長政事件に関しては100%信長の勇み足だしwww

でもおかげで後々まで救ってくれた竹中家との話題ができたという
94人間七七四年:2008/09/02(火) 19:36:43 ID:mExEKvSV
幕末までだもんねぇ
95人間七七四年:2008/09/02(火) 20:19:59 ID:0Iz7UDJJ
黒田長政「信長嫌いだから浅井長政から名を頂きましたw」
官兵衛「たっ頼むから対外的には織田信長から名を貰った事にしとけ」
96人間七七四年:2008/09/08(月) 23:13:10 ID:QoboZYKa
朝鮮の本を途中まで読んだが
まだ活躍が出てこない・・・
97人間七七四年:2008/09/08(月) 23:26:03 ID:eFOLg98c
>>96
やっぱ敵に組み伏せられる逸話は創作かなw
98人間七七四年:2008/09/09(火) 00:31:20 ID:WJv+FwqI
朝鮮の役ということで書かれてる本だとたぶん載らない
黒田家として書かれてたら逸話も載るだろう
99人間七七四年:2008/09/09(火) 07:17:40 ID:5cT2/+Hq
平均寿命には戦死もふくまれてる計算らしいよ
100人間七七四年:2008/09/16(火) 19:59:26 ID:A+FD2jXf
>>96
もしかしてそんなに大きな活躍はしてない? 
101人間七七四年:2008/09/18(木) 03:20:01 ID:Ix0FBbqy
黒田長政と聞くと兜レーダーを思い出す今日この頃
102人間七七四年:2008/09/18(木) 17:32:03 ID:5InzgcpH
今日福岡市博物館行ってきた
官兵衛の合子兜に日光一文字にへし切り
長政の大水牛脇立に一ノ谷に太兵衛の飲み取り槍・・ヒフヒヒ!
103人間七七四年:2008/09/19(金) 19:19:54 ID:i0AfApMk
道民の俺に対する当て付けか!
羨ましい

久々に決戦プレイしたんだがなんか長政可哀想だった
104人間七七四年:2008/09/22(月) 22:30:17 ID:t/BLQeeK
長政が関ヶ原で手柄を立てて、父親(如水)に報告。

如水はカンカンに怒り、なぜ早く戦を終わらせたと言っていた。

初めて長政は、如水がこの戦に乗じて、天下を取ろうとしていた大望を知る。

長政”何、考えてんだこのバカ親父”
105人間七七四年:2008/09/22(月) 23:20:45 ID:hzc4SQH0
>>104
如水には、関ヶ原の決戦のすぐあとから、家康が長政通じて、如水の九州での行動に
牽制かけてるから、親父が怪しい動きしてた事なんて長政はとっくに知ってる。
106人間七七四年:2008/09/23(火) 03:29:05 ID:w9R06f5r
その逸話自体本当かどうか怪しいけどな
仮に本当だとしても官兵衛ほどの策士が息子とはいえ
徳川に近い長政にそんな危うい本音を漏らすかどうか

大恩賞に浮かれる息子にわしでもいざとなったら
血肉を分けたお前でも捨て駒として切り捨てる事が出来るぞ
功有りとは言え徳川と黒田は所詮他人、決して油断するではないぞと
危機感持たせる為に言ったのかも知れないが
107人間七七四年:2008/09/23(火) 09:36:00 ID:TzKH+94i
もちろんネタだろう
108人間七七四年:2008/09/23(火) 12:28:23 ID:I+7bn00t
15日に発売した「黒田軍団」の著者ってボンボンでスーパーマリオ描いてた人なのな
109人間七七四年:2008/09/30(火) 22:48:43 ID:4yC0Qz42
>>108
ようやく昨日買った
あれこれさらっと流されてるように感じた。
作者の人もっといろいろ知ってそうなのに突っ込んで書いてほしかったな。
でも知らない話もけっこうあって面白かった
あと写真いっぱい。金襴羽織ヤバイ。
110人間七七四年:2008/10/01(水) 08:57:41 ID:qRir4xgA
どんなタイプの本? 
111人間七七四年:2008/10/01(水) 18:22:05 ID:ezp3ONpa
新しい黒田本が棚にあったから立ち読みしてみたら
なんだか装備のことだけが載ってる本で期待はずれだった
鎧兜マニアにはたまらんだろうけど
112人間七七四年:2008/10/04(土) 23:43:10 ID:xWnfT9aR
>>111
著者本人もあとがきで武具・甲冑カタログ状態って言っちゃってるなw

もともと出版社側からのそういう依頼らしい
よくよく見てみたらこの人他にも黒田関連で本やら論文発表してるみたいだし
(黒田如水と二十五騎は読んだことある。家譜中心の本で面白かった)
今回はそっち方面に特化したってことだろうな
まあでも、装備そのものというかモノにまつわる話がいろいろ載ってて面白く読めた
一番笑ったのは、大阪夏の陣図屏風を描かせる時、長政がひげを立派に描くように
注文付けた(薄かったらしい)と伝わっているってくだり
それはw伝えてやるなwwwww
113人間七七四年:2008/10/08(水) 19:09:26 ID:ivdSTRu4
南蛮風のフリルマントに吹いた
当時流行りだったのはわかってても、あの肖像画の顔にフリルは・・・www
114人間七七四年:2008/10/08(水) 19:11:54 ID:/o7fKIwi
ヨーロッパの武将なんてあのマントに加えて、クルクルパーマのカツラだぜ?
115人間七七四年:2008/10/08(水) 22:34:24 ID:fHeB6Z6q
結論:長政カコイイ
116人間七七四年:2008/10/11(土) 00:06:40 ID:lCc8ASNP
>>115
もうそれでいいやw
117人間七七四年:2008/10/11(土) 02:10:16 ID:vJi8kF5Z
やったことはでかいのに
陰湿なところがギャップがでかくていいよな
118人間七七四年:2008/10/19(日) 00:58:24 ID:7mkxFHYj
福岡の美術館でやってる黒田展どーなのよ?


遠方だが、3時間掛けて行く価値あるかい?

ついでに見てみようかレベル?
119人間七七四年:2008/10/19(日) 04:56:39 ID:60u0rPwf
>>118

>遠方だが、3時間掛けて行く価値あるかい?

>>102

俺もー一回観に行くつもり
120人間七七四年:2008/10/21(火) 19:25:09 ID:Lp67AwrG
>>118, 119

出張のついでに行ってきたんだが、地元の子供二人連れが
じっと日本号に見入っていた。そのうち片方が黒田節を
歌い出した。日本はまだまだ大丈夫だと思った。

大水牛脇立と刀の数々は確かに感動するよ。入り口近くの
黒田二十四騎の人形にはちっとも心動かなかったけど。
121人間七七四年:2008/10/23(木) 04:42:41 ID:xjx4QeU0
足袋と締め込み、水半被姿で入館すると入場料半額にならんかなぁ?福岡市博物館
122人間七七四年:2008/10/23(木) 09:36:57 ID:/LpgPX/C
そこまでするなら無料でもいいくらいだ
123人間七七四年:2008/10/23(木) 17:04:42 ID:0Xnkjl1Y
いや50円位もらっても良い位だ
124人間七七四年:2008/11/26(水) 22:37:49 ID:TZ9RA/ja
今日のNHKその時は長政のところの屏風絵図じゃん
125人間七七四年:2008/11/30(日) 00:42:10 ID:YHgcJqkZ
長政カッコイイお。


福岡城本丸だけでも
復元してくれないかな!
126人間七七四年:2008/12/18(木) 19:10:55 ID:jKjSCRYn
長政の死因って何? 結構早死にだけど
127人間七七四年:2008/12/20(土) 01:16:45 ID:Hi+bNccy
早死にしたけど残った息子はなんだかなあだったという
128人間七七四年:2008/12/20(土) 01:38:57 ID:InncPP88
忠之は二世大名の中ではまともな方だろ
それより何で大膳の行動があそこまで美化されるのか謎
計算してるようでかなり危ない橋渡ってるし他の重臣と協力しないし
井上之房と黒田美作真っ青www
129人間七七四年:2008/12/20(土) 19:07:08 ID:2Y4hG0bA
>>128
大膳が幕閣に「忠之謀叛」を訴えたのは、忠義というよりも、栗山家を
守りたいという念からでてるものなんだよね結局。
大膳は藩内の状況が忠之に有利な状況になっていて、自身の処罰という
問題が出てきていたために、幕閣の介入によって事態を打開しようとした
とのこと。
大膳といい、最上氏の家臣といい、主家が滅びる=自身も滅びる、という
意識がどうも希薄なんだよね。
130人間七七四年:2008/12/21(日) 00:39:03 ID:XWI9/5Xm
まだ江戸も初期だしね。
実際幕府の直臣にならないかって話があったみたいだし。
黒田が潰れても大膳はどっかで就職できたと思う。
美化されるのは講談のお約束でしょうがないけど
企業のサイトの話だけど小説家の白石一郎が黒田騒動について聞かれて
「黒田騒動は女子供出ないからフィクションで人気ない」
「大山鳴動して鼠一匹」「まあ珍騒動ですよね」というようなこと言ってて
同意しながら思わず笑ってしまった。
いい年したおっさんが集まって「お前が生まれた時」「いや殿が小さい頃」
「お前のそういう性格が」「お前は黙ってろ」とかやってんだもん。
ばかばかしくもなるわな。
131人間七七四年:2008/12/21(日) 07:03:30 ID:ElGtKShx
>>129
主家に関する意識については、↓の本でも書かれてたな。
http://item.rakuten.co.jp/book/1776886/
132人間七七四年:2008/12/21(日) 21:40:49 ID:W6TF7zkP
>>131
そうそう。黒田騒動とかはじめとする、御家騒動研究の現在の第一線の人だな。
133人間七七四年:2009/01/15(木) 20:33:06 ID:vK3O/6/q
黒田長政ほど、有能な能力を持ってるのに性格が面白い武将も珍しいな。
非常に可愛げがある人だ。
134人間七七四年:2009/01/15(木) 23:09:35 ID:pZvf7JSJ
後世に音痴であることを面白い逸話つきで大々的にバラされるなんてなw
135人間七七四年:2009/01/16(金) 17:59:28 ID:xfrsy2XE
そこんとこくやしく
136人間七七四年:2009/01/16(金) 21:08:03 ID:yeBUmgdk
>>135
黒田家譜の十五巻に載ってる
137人間七七四年:2009/01/17(土) 15:14:18 ID:cfQA0ZFO
>>106
俺は言葉一つで長政を忠義者に飾り立てたって解釈が好きかな
138人間七七四年:2009/01/31(土) 16:32:17 ID:xCVKnSjq
>>134
可愛いじゃないか
139人間七七四年:2009/02/14(土) 02:26:10 ID:Ndqdr2zH
長政って戦国の世をよく生き延びたねぇ
馬印で位置が目立つ大将のくせに前線に出たがるし
日本や朝鮮で死にかけた事は一度や二度じゃないし
普通なら死んでるわ、ある意味運も味方してた武将だよなぁ・・・
140人間七七四年:2009/02/14(土) 04:26:45 ID:jpsYmiMg
隠居後は名字を山田と改めてタイで大活躍だもんな。
141人間七七四年:2009/02/14(土) 13:25:05 ID:LXsdYfAo
>>139
それで嫌味言われたことなかったっけ
同じような感じの井伊直政の方だったかな
ただし直政はそれで銃弾に倒れたんだけど
142人間七七四年:2009/02/20(金) 14:52:47 ID:jQJZh8VT
>>139
「敵に討たれるようなら我が殿ではない」
143人間七七四年:2009/02/20(金) 20:16:20 ID:Un39la29
熟慮思考なのにどこか荒々しい感じがするのもこの人物の特徴かね。
144人間七七四年:2009/02/21(土) 10:04:23 ID:eH4LYXvt
フロイスからも「ちょっと変わってる」って言われてるからな
145人間七七四年:2009/02/21(土) 11:53:36 ID:xQHlj6L1
親父と部下が濃過ぎて、たいてい話のオチ持ってかれてるイメージある。
146人間七七四年:2009/02/21(土) 12:00:47 ID:iiww7NG6
俺は関ヶ原での裏工作に惚れた
147人間七七四年:2009/02/23(月) 01:16:46 ID:ijvuXrG1
>>133
>性格が面白い武将も珍しいな
いや、黒田家の天敵の、嫁・長男・大工w虐待男にして茶人のホソカワンには
負ける(この場合負けた方が名誉なんだが)
148人間七七四年:2009/02/23(月) 01:28:19 ID:8kSvLplj
戦国DQNは信公を筆頭に忠興・政宗と長政以上に濃い面々がいるからなぁ
149人間七七四年:2009/02/23(月) 16:03:33 ID:kN2+4jd/
長政はDQNと言うより小物が似合う。優秀だけど器が小さいと言うか
150人間七七四年:2009/02/23(月) 21:06:25 ID:sYnA5HTU
親があれだから少々・・・だいぶ損してるね
151人間七七四年:2009/02/23(月) 21:21:34 ID:5bbth3SM
>>148
比較する対象がおかしいだろ
152人間七七四年:2009/02/23(月) 22:10:40 ID:NgxoKUC5
頑張ってるわりにはまわりから大事にされてなさそうなのが泣ける。
それと忠興にぼろくそ言われている件については、現存史料の圧倒的な差に押しつぶされている感がある。
何百年も経つと、日記書いた人と手紙魔には勝てない。
153人間七七四年:2009/03/08(日) 23:09:06 ID:VPg5nRMn
>>152
忠興は有職故実とか過去の歴史に詳しかったから、未来の人が
細川を支持するよう色々書き残したのかもしれん、あの男なら…
 黒田家は大きなお家騒動があった時、長政絡みの記録で藩に都合の
悪いものは廃棄したからと推測されるから、現存文書細川>黒田になったと思う
154人間七七四年:2009/03/11(水) 17:20:33 ID:eZ9O6kDI
>>136
こんな本来黒田家を持ち上げるために書くような書物に、音痴だったとかどうでもいい
欠点かかれてかわいそうだよなw
155人間七七四年:2009/03/11(水) 18:55:59 ID:uyT0hGGi
黒田家っていうか官兵衛が持ち上げられてる感じが
156人間七七四年:2009/04/14(火) 18:12:48 ID:bnqkJSL4
直江で大河ができるなら
長政でも・・・
157人間七七四年:2009/04/14(火) 23:16:44 ID:VBsQNJ/d
播磨灘大河の可能性を押しのけるほどの長政ならw
如水は何百年経っても越えられない壁。
158人間七七四年:2009/04/15(水) 01:51:30 ID:CtB4fK9N
子供の頃にあの信長に殺されそうになった
そこからの竹中家との関係
幼少時は秀吉の下で、そこから家康へ転換
朝鮮の役にも参加
石田三成襲撃に加担
関ヶ原で暗躍
父親とのエピソード
後藤基次との確執

直江兼継よりはメリハリあると思うが
あとはシナリオライターの盛り上げ次第
159人間七七四年:2009/04/15(水) 03:54:07 ID:bL4f7QKq
今の大河は如何にヒロインとシナリオ絡めるかだもんなぁ
長政を主役に置いた日にゃどうなる事やら(お手つき・離縁・再婚)
160人間七七四年:2009/04/15(水) 07:38:16 ID:y9NUJyvp
大河最初から長政は諦めてる
まあ如水でしょうね
161人間七七四年:2009/04/15(水) 07:57:41 ID:wfbq0WVo
草食如水か
162人間七七四年:2009/04/15(水) 16:41:10 ID:1i7MfiqK
徳川三代もあったんだから
黒田二代でやれば…
163人間七七四年:2009/04/15(水) 21:47:42 ID:r4PBmQvy
>>147
黒田長政君は愛嬌があるじゃん。

細川忠興君はいくら何でも怖すぎww
164人間七七四年:2009/04/20(月) 02:34:39 ID:8RgT7wSW
糞黒田の家系なんて滅亡すればいいのに
165人間七七四年:2009/04/20(月) 04:35:55 ID:FGHwza0t
↑名族意識強すぎて滅亡した宇都宮氏の支族・城井の縁者ですか?
166人間七七四年:2009/04/26(日) 02:11:58 ID:vKFkHK/M
そういや城井伝説ってなんか相当無理やりな話が城井谷辺りの地元に伝わってるらしい
つー話だけ聞いたことあって実態はよく知らなかったんだけど
今日図書館の蔵書を検索しててたまたまこんな本見つけた↓
http://www.amazon.co.jp/%E5%91%AA%E8%A9%9B%E3%81%AE%E6%99%82%E7%A9%BA%E2%80%95%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E6%80%A8%E9%9C%8A%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%A8%E7%AD%91%E5%89%8D%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%AE%B6-%E5%89%87%E6%9D%BE-%E5%BC%98%E6%98%8E/dp/4874152678
URL長すぎw

呪詛の時空―宇都宮怨霊伝説と筑前黒田家 (則松弘明)
内容:200年の間、城井谷の人々は城跡に集い、野バラの枝を地に挿し、謀略をもって宇都宮氏を
討ち取った黒田氏を呪った。福沢諭吉を刮目させ、福本日南が驚愕し、司馬遼太郎が注目した
呪いの儀式を追う。

だそうな。
これ読んだら概要わかるかな?誰か読んだことある人いる?
167人間七七四年:2009/04/26(日) 08:41:48 ID:Q68i0rsJ
>>166

ねつ造ねつ造
地元で過去も今も一度ですら行われてない風習なのに
他の一部狭い地域で信じてられる話つーだけで怪しすぎるだろ
城井氏滅亡で凋落した人が憂さ晴らしに作ったと見た方がいいだろうね
168人間七七四年:2009/04/26(日) 10:43:34 ID:vKFkHK/M
>>167
書名で検索してみたら、そういう伝説がどういう過程で作られるに至ったかを
検証してる本っぽい
詐欺?とか政治目的?とか江戸時代中期以降?とか断片的にしか知らない
話の出所が書いてあるような本だといいな
機会があったら借りてみようと思う
169人間七七四年:2009/05/13(水) 22:02:46 ID:Tpg9Wkyh
長政も親父に左手は何をしてたのかと聞かれた時に
感動のあまりほぼイキかけてましたと答えれば後世人気が……でないか。
170人間七七四年:2009/05/16(土) 11:56:29 ID:ONt8OxBM
まぁ片手がどうのくらいじゃ天下は取れないけどね

秀吉家康は両手で握って背中から奥の手が生えてくるくらいの怪物
171人間七七四年:2009/05/17(日) 02:34:33 ID:Q8S+LWr5
上手く乗り換えたところはさすが策士
172人間七七四年:2009/05/18(月) 18:56:40 ID:U6N2rewj
福岡県民のヲレからすれば長政公はなんだか不当な評価を受けている気がして非常に残念。
父の存在が大きいからかイマイチ目立たないけど50万石を越える日本屈指の大大名に封ぜられたのは、如水の九州での活躍よりむしろ長政公の関ヶ原と合戦前の諜略の評価の方が大きいんじゃないか?
近代福岡の礎を築いた長政公は地元では英雄です。
173人間七七四年:2009/05/18(月) 19:42:21 ID:dXZeVsLc
福島の説得と小早川の調略という天下分け目の合戦の趨勢を決める策の
実行者なのにゲームでは準一流どまりで仮想戦記にいたってはいつもかませ犬。
仮想戦記じゃ官兵衛すらいつも途中退場でラスボス化しないからなあ……。
174人間七七四年:2009/05/18(月) 21:49:45 ID:92ChANXO
親父さんと違って家康に
こびっぱなしってところがさ。
175人間七七四年:2009/05/19(火) 00:59:49 ID:rrFoDbS3
真面目に仕えてくさされるのも気の毒なもんだ
まあ確かになんというか常に85点以上叩きだすけど95点以上は取れないって感じの人だわな
稀有な人材だと思うが
176人間七七四年:2009/05/19(火) 03:07:44 ID:x5/tnxm1
同じよーに媚びて大出世した山内一豊はねねの存在で得してるよなぁ(一豊自身のキャラ薄いが)
長政も戦なのに被る兜がないと嘆いてるところに妻が大水牛の桃形兜をそーっと差し出すぐらいのエピソードがあれば

・・・無理だな、トーちゃんがお古の合子形持ってきて「無駄遣いすんな!」と説教するのが関の山
177人間七七四年:2009/05/19(火) 10:20:13 ID:jArAeSSq
>>169
その理屈でくるなら、親父が秀吉切っとけよって話だよな
178人間七七四年:2009/05/19(火) 14:19:14 ID:3dm9AUmA
日本きっての大大名なんだけどね。
179人間七七四年:2009/05/19(火) 20:40:26 ID:6Mt7N3Nr
秀吉にはあまり優遇されなかったから家康のためにあれこれと奔走してつかみとった栄誉。それが親父さんも素直に褒めてやればよかったのに。
180人間七七四年:2009/05/19(火) 21:18:59 ID:TwGGZlBB
sageろや
181人間七七四年:2009/05/19(火) 22:18:58 ID:ztX/zHRW
>>172
長政を気に入ってスレ立てした俺は家康LOVEの静岡県民だ
こんな遠い地でもちゃんと力は認めている、安心すれ!(・∀・)/
182人間七七四年:2009/05/19(火) 22:20:01 ID:ztX/zHRW
そういえば静岡と福岡は6/4開港の新空港で直結されるな、こことは関係無いけどww
183人間七七四年:2009/05/19(火) 23:15:19 ID:TwGGZlBB
黒田長政が猪武者と言われているだけあって信者もKYな奴らばっか。だから人気でねーんだよw
184人間七七四年:2009/05/20(水) 00:52:39 ID:0rIHoNzd
長政は猪武者でもちょっと知恵のある猪武者だからなぁ
福島正則のよーにバカに徹していればかわいげもあるんだが


あと、知恵では親父様に敵わないけど
人を見抜く眼力とかは父親を凌いでたかもしれん
なにしろ関ヶ原では寝返り出来そうな武将をがっつり引き込んだし
嫡男の将来を見越して坊主か商人にして嫡廃しようとしたしな

それに比べ親父様はこれと思った秀吉には冷遇されるし
仲の良い小早川隆景が、心の底では官兵衛を警戒していたし
なにより息子が思ってたより出来の良いのを見抜けなかったもんな
185人間七七四年:2009/05/20(水) 09:15:40 ID:XfgohcTj
>>181静岡県民ってなんで上から目線なの??
186人間七七四年:2009/05/20(水) 09:19:58 ID:HL13XFx0
変わった見方をするもんだな
187人間七七四年:2009/05/20(水) 09:24:11 ID:HL13XFx0
>>184
荒木村重を信用して説得に出かけて捕まっちゃったというのも入るんだろうか
これの事件の流れで、長政は人を信用しないというか、
人の心理を深く読む性質になってしまったことはありえるだろうか
188人間七七四年:2009/05/20(水) 09:24:55 ID:xs+DAoDx
黒田屏風 戦国のゲルニカって言われてる「大阪夏の陣」の屏風
一般市民の悲惨さ、豊臣の敗残兵が手を合わせて命乞いする
そんな屏風を作らせた長政を見直した。
徳川に気を使ってばっかりじゃあれは作れないよ。
189人間七七四年:2009/05/20(水) 09:39:37 ID:XfgohcTj
>>嫡男の将来を見越して坊主か商人にして嫡廃しようとしたしな
これが原因で長男と三男が仲違いしてややこしいことになったんだがな
長政も栗山大膳の讒言なんざ聞かなきゃよかったのに
>>それに比べ親父様はこれと思った秀吉には冷遇されるし
長政も大阪の陣で家康からハブられてるぞ?仮にも義理の息子なのになw
>>仲の良い小早川隆景が、心の底では官兵衛を警戒していたし
・・・長政の心の友って、いたっけか
>>なにより息子が思ってたより出来の良いのを見抜けなかったもんな
それだったら20そこそこで家督譲ったりしねーだろ
まさか古郷物語とか出所不明のお前の左手は〜の話から判断してないよな?

あと福島正則なんかと比較するなよ
190人間七七四年:2009/05/20(水) 09:45:32 ID:j7I+uAXv
あれをゲルニカとみるのは現代人ならではの感覚であり、
当時は徳川の武威への賛歌とみなされてたんでないの。
自国軍が敵を殲滅したり処刑したりするレリーフは
オリエントでも珍しくなかったし。
191人間七七四年:2009/05/20(水) 10:00:11 ID:Zh9CprzX
何しろ長政は器が小さいわ親父様は天下を狙ったというのにコヤツは家康の犬に成り下がって満足する
192人間七七四年:2009/05/20(水) 12:49:03 ID:j7I+uAXv
大領という成果を出したんだから
秀吉にビビって隠居したヘタレ親父よりはマシだろ。
193人間七七四年:2009/05/20(水) 19:13:18 ID:v6SjJA6O
とりあえず親父貶めても長政の擁護にならないんじゃね? といっておく。
個人的にはこの人や氏郷みたいに頭はむしろ切れるのに戦場ではあほみたいに大将自ら突っ込んでく
やつにギャップ萌を感じるのですきだ。
194人間七七四年:2009/05/20(水) 20:19:19 ID:GBEn0y+n
>>193
ということは井伊直政にもビンビンですな(・∀・)
195人間七七四年:2009/05/21(木) 00:11:35 ID:mZv5KiR9
親父貶されると一番キレそうなのは当の長政公だな

直政は頭は切れるが家臣の好感度マイナスだからな・・・
蒲生家は代を追うごと寿命がどんどん縮まっていって改易とか悲惨極まりない
196人間七七四年:2009/05/21(木) 01:12:07 ID:PxuzcMLC
徳川方面から見ると、徳川四天王は基本的に武が出ていて、
それ以外はできることはできるけど特筆されにくい(結果はちゃんと出してる)
かといってその逆の本多親子みたいなのはやはり面白みが無い
だから武もあるが謀略も得意とする長政に興味が出るのも不思議ではない
197人間七七四年:2009/06/10(水) 18:46:43 ID:Chjo1JGR
今日立ち読みした本に長政の名前が出てなかった
武将100人の中に入ってなかった・・・
誰これってのも入ってたのに・・・
コラムにも書かれてなかった希ガスる・・・
なんだよあの本バーカ!
198人間七七四年:2009/06/11(木) 04:57:29 ID:f998ymP8
福岡は博多色が強くて黒田は空気だ
福岡人のほとんどが、江戸時代この地は何家が治めてましたか?
って質問に答えられないだろうな

城も天守がないから空気だしなぁ
桜の季節は素晴らしいけど・・・
黒田関連の史跡はかなり残ってると思うから
宣伝次第でもっと観光資源として使えると思うんだが・・・
お菓子の名前ぐらいにしか使ってないだろ
199人間七七四年:2009/06/11(木) 06:47:17 ID:wbyb1LjC
>福岡人のほとんどが、江戸時代この地は何家が治めてましたか?
>って質問に答えられないだろうな

いくらなんでもそこまで空気な扱いはされてない
小学校の社会の授業でも黒田の名前ぐらいは出るしな
200人間七七四年:2009/06/26(金) 20:45:21 ID:Ya1F2YK3
いやー静岡から福岡まで寄り道無しの直行の航空路線ができましたな
行くかどうかは分からないけど
201人間七七四年:2009/06/26(金) 22:31:42 ID:xr2W9riz
>>198
広島の浅野よりはましだと思われ
202人間七七四年:2009/06/27(土) 13:11:55 ID:MZ0zhMvD
>>198
ねーよ。飲み会でおっさんたちは黒田節唄うし。
203人間七七四年:2009/07/01(水) 01:43:59 ID:WGdSSFb1
数年前。
親父と酒のんできた。
親父はなんか本読んでいるらしく、黒田なんとかは凄いんだぞとか言ってた。

あ勘兵衛とか長政がでてくる本でも読んでるんだな。とおもって、
おれも当時ネットや2ちゃんで仕入れた知識を自慢げに親父に披露した。

長政は東軍で活躍してな、家康に握手求められたんよ。その話したら勘兵衛はな
怒って「お前の左手はなにしとったんよ」って家康刺せや言うたらしいよ。って
エピソードを得意げに話した

そんときの親父の言葉がつまらんかった。
「頑張った息子をほめられん親なんて可哀想だのー。秀吉が言うほどの器ないなかんべ。



あ、もうむりごめんおやすみ
204人間七七四年:2009/07/01(水) 02:06:33 ID:dDvji0Dd
>怒って「お前の左手はなにしとったんよ」って家康刺せや言うたらしいよ。って

お主の説明が悪かっただけ
205人間七七四年:2009/07/01(水) 02:54:34 ID:nILNDjoV
>>203
意外といい話だなw

確かに、そこで「そうか。それはよくやった!」って言える男じゃないと天下人にふさわしくない。
206人間七七四年:2009/07/01(水) 19:09:18 ID:Ov7sUP9y
>>203
日本語不自由な上に素で「勘兵衛」と書いているあたりが・・・真性か?
207人間七七四年:2009/07/22(水) 18:59:55 ID:Ku/hDJQJ
徳川政権が確立してからの黒田長政って
幕府への御機嫌取りに汲々としている印象があるな。
長政が何か失態を演じる度に細川忠興は息子への手紙で
「ざまあ」って嘲笑っている様な印象もある。
208人間七七四年:2009/07/22(水) 20:04:20 ID:eakWT2QK
>幕府への御機嫌取りに汲々としている印象があるな。

ご機嫌取りが上手かったからお家騒動あっても大領を残せたとも言える
ご機嫌取りに失敗してお家取り潰しになったら家名もなにもないからな
209人間七七四年:2009/07/23(木) 08:56:49 ID:uuhTjQ5t
黒田と細川が仲が悪かったのもご機嫌とり競争みたいなとこあるしねえ
210人間七七四年:2009/07/23(木) 11:02:44 ID:6j6gtkmd
お前にだけは言われたくないよな、というw
211人間七七四年:2009/07/24(金) 01:01:09 ID:W4Lda4QP
>>207
あの頃はどこもそうだよ
徳川1強になってからはね
212人間七七四年:2009/07/24(金) 20:51:06 ID:BCJFDPJj
>>42
>長政は関ヶ原の時だけ輝いているよw
>他は愛すべきヘタレ


朝鮮出兵の時の活躍を忘れないであげてください。
213長政よりも:2009/07/24(金) 21:09:40 ID:hYmUjOCk
父の黒田如水の方がすごい!秀吉も家康もこの如水の存在を恐れていた。
一歩間違えれば天下は如水も物になっていたかも?
でも、黒田如水はNO,2に徹していた。それが後世の黒田藩の繁栄につながった。
214人間七七四年:2009/07/24(金) 22:04:46 ID:WVZJmAnh
「秀吉が恐れた男」って話は良くあるけどどうにも怪しいんだよな。
数ある諸侯の中でも家康には圧倒的な実力と存在感があった。
家康こそが真の「秀吉が恐れた男」だったけど秀吉はそれを口にしないで
ワザと他の人物をやたら持ち上げ「秀吉が恐れた男」伝説を量産して
人々の意識から家康をワン・オブ・ゼムに埋没させようとしてたのでは?
215人間七七四年:2009/07/25(土) 01:17:19 ID:abgky5CG
ていうか単純に長政にはそういう面白い噂の出てくる華がなかったんだと思うよ。
216人間七七四年:2009/07/25(土) 02:21:00 ID:iJiKuPz5
長政は表裏のない喜怒哀楽のハッキリした性格っぽいもんなぁ
まぁ、そう言う性格だから武断派の面々とは馬があったんだろうが
217人間七七四年:2009/07/25(土) 09:51:35 ID:pnmE3IWS
秀吉色々恐れすぎw
218人間七七四年:2009/07/25(土) 11:33:45 ID:glD0qyMw
>>213
【智・勇魚の如き】黒田孝高総合スレ【縦横無尽】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154074910/

むしろ親父ネタはもう見飽きた
219人間七七四年:2009/07/25(土) 12:36:55 ID:2O4W36Dz
>>209
黒田と細川が仲が悪かった?
妄想ですかw
220人間七七四年:2009/07/25(土) 16:30:48 ID:llLCZrjW
>>219
お前馬鹿だろww
221人間七七四年:2009/07/25(土) 18:06:56 ID:vIqodpYA
>>212
朝鮮出兵もっとメジャーになればいいのに
黒田長政の活躍も知れ渡るのはもちろん
(でも長政って朝鮮出兵でもちょっと地味かもしれないポジション的に)
サムライ海を渡るって感じで失敗談とか含めて面白いのに
222人間七七四年:2009/07/25(土) 18:10:00 ID:abgky5CG
朝鮮ネタで一番有名といえば又兵衛のスルー話だもんなw
223人間七七四年:2009/07/26(日) 00:39:04 ID:FoEyMhje
>>222

又兵衛が主人を屁とも思ってない証拠だよなw
下手すりゃ主君見殺し、手打ちにされても文句は言えない行為だろ
又兵衛派は長政を狭量だとか非難するが、例え表向きであってもそれらの行為を許し
功績を評価して万石与えて城も預けたのに勝手やって逐電されちゃね、奉公構も当然だろう

224人間七七四年:2009/07/26(日) 11:40:32 ID:V0hirnCQ
いやいくらなんでも>>222の逸話はお話の域を出ないだろ
家臣が主君を軽んじて不和になるってよくある話だけど
それにそんなに有名かなあ
黒田長政の朝鮮での逸話で一番有名なのって虎狩りか小西救援とかその辺でないの
225人間七七四年:2009/07/27(月) 22:15:11 ID:UaJmd/wh
>>222
朝鮮以外でもどこかの戦で川に落ちながら戦っていた気がするんだが冷静に考えると鎧つけながら水中で格闘ってすげぇよな
確かその時長政は腕に傷も負っていたはず
226人間七七四年:2009/07/31(金) 00:07:16 ID:GaO+oML2
大将自ら組打ちで傷を負うって本人に取っちゃ武勇伝でも
家臣にしてみれば普通に恥だよな。
227人間七七四年:2009/07/31(金) 00:09:31 ID:nLX4qgL4
>>226
井伊直まs…

おっとこんな時間に誰か来たようだ
228人間七七四年:2009/07/31(金) 01:41:30 ID:j+NmNdna
大坂冬で江戸待機させられてたのは
そんなにも信用無かったのかと驚き
229人間七七四年:2009/07/31(金) 12:10:19 ID:Lu0arPeV
>>220
お前が馬鹿だろ。
豊後杵築城(木付城)は細川忠興の飛地。
城代の松井康之、有吉立行、魚住昌永らが守備をしてたが
西軍の大友義統に包囲され落ちかけてた。
それを助けたのが黒田如水軍。
黒田家の時枝平太夫など個人的に交友関係が深く率先して送り込んでる。
後藤又兵衛出奔時でも池田輝政、福島正則と共に細川家も又兵衛にオファー出したくらい。
井上之房も細川家と親しかったから筑前豊前の国境である黒崎城代に指名されてる。
230人間七七四年:2009/07/31(金) 13:03:19 ID:KDJ6YKz5
>>229
発端が>>207だからそれはちょっと時期がずれるんじゃない
でもまあ隣国なんだからいろいろ交流しなきゃいけない場面もあるわけで
一概に仲が悪いの一言で済ませるのも乱暴かもしれないね
231人間七七四年:2009/08/01(土) 02:06:50 ID:F5m57Mcc
>>230
仲が悪いんじゃ無くて、忠興が性悪だったってことですね。
232人間七七四年:2009/08/01(土) 10:39:43 ID:sRxe631n
如水「おまーが混乱させんかったからできんかったんじゃ!謝罪汁!賠償汁!」
233人間七七四年:2009/08/04(火) 00:58:03 ID:GNQFKdd8
>>231
長政も豊前の国境に城をバンバン建ててるんだけどなw
234人間七七四年:2009/08/09(日) 15:45:07 ID:cBalx9o+
長政「無双参戦で親父殿に先を越されるなんて…
   くやしい…!でも一抹の喜びを感じちゃう…!」
235人間七七四年:2009/08/09(日) 20:05:22 ID:pLX5Kogs
大水牛兜の見た目と大将なのに自ら敵の大将を倒しに行くキャラは無双向けだろうに
236人間七七四年:2009/08/09(日) 20:25:09 ID:U6E4nRoP
特徴は十分なのになぜか華のないのが長政。

そんな所が好き。
237人間七七四年:2009/08/09(日) 21:22:25 ID:7217KVsk
黒田家とか孝高のおまけとかじゃない
長政の本を読みたいがどんなのあるのかな
もちろん小説ではなく、そしてできるだけ新しいもの
238人間七七四年:2009/08/10(月) 21:30:01 ID:o6ytzmnQ
>>237
本山一城大先生(笑)の黒田軍団でも読んでろカス
239人間七七四年:2009/08/11(火) 01:46:24 ID:G0pMeyoV
>>237
心当たりがない
そもそも思い切り二世大名なので親の代から書かないと説明しにくいことが多い
一つだけ言えるのは僕の知る限り黒田長政が一番格好よく書かれてて出番も
多い本は黒田家譜
240人間七七四年:2009/08/11(火) 02:30:30 ID:PNVJVz+P
でも二世の中ではかなり活躍した方だと思うけどなあ
比較しやすいところでは、例えば徳川四天王のそれぞれの子が活躍したかというと・・・?
他には大雑把に見て世代的に同じぐらいの、毛利元就から見ての孫の代でも
親ほど活躍したようには見受けられないし
島津でさえ世代的にはぱっとしない家久だし、長宗我部は没落
あの世代で親から引き続いて目立ってるとなると立花宗茂とか上杉景勝とか数えるぐらいじゃ
伊達政宗は実質政宗の代から伸びたといってもいいよね
241人間七七四年:2009/08/11(火) 19:16:40 ID:s8p9jDZ2
>>240 細川親子
242人間七七四年:2009/08/11(火) 20:16:16 ID:5Phzgb2s
親父のキャラが濃い所も一緒だな。

まぁ向こうは息子のキャラもいろんな意味で濃いですが。
243人間七七四年:2009/08/14(金) 10:16:23 ID:1CrOxWwW
>>233
何城ですか?
そもそも一国一城令って知ってる?
無知なんだからレスするなってw
忠興の性悪ぶりは異常だから。
加藤家が改易された時もバカにして喜んでたと思うよ。
その後、加藤人気を利用したけど。
244人間七七四年:2009/08/14(金) 11:36:12 ID:9cqRygeh
え、どうしよう
筑前六端城も知らん人がなんでこのスレに?
こんなスレ黒田長政マニアくらいしか来ないと思ってたのに俺なんか不安になってきた
245人間七七四年:2009/08/14(金) 18:37:16 ID:ebQJx/Qe
>>143

>そもそも一国一城令って知ってる?

ヒント、長政が筑前に入封した年
一国一城令が公布された年、その間何年あったかな?
246人間七七四年:2009/08/15(土) 00:21:55 ID:ET7diaMC
sageてないレスはほとんど同一人物だろ?
妙に相手を見下した物言いしてる辺りも相当アレだな
歴史系の板はこういう病人多いのが難点
247人間七七四年:2009/08/15(土) 01:55:37 ID:FU33bWcx
細川忠興アンチの人らしい
別のスレでも見かけた
反応されたら知識のない話題でも喜んで食いつくタイプみたいだから触らん方がいい
248人間七七四年:2009/08/15(土) 17:26:06 ID:qDNejhQR
>>246俺にはお前も同類に見えるぞwww
だいたい世の中面白いもので、騒音公害源に限って他人の出す騒音に敏感だったりするからな
249人間七七四年:2009/08/15(土) 17:35:24 ID:NE11lXru
>音公害源に限って他人の出す騒音に敏感だったりするからな

引っ越しおばさん、いつ出所したの?
250人間七七四年:2009/08/15(土) 23:08:14 ID:ET7diaMC
>>247
…把握した、以降スルーする
251人間七七四年:2009/08/16(日) 22:10:52 ID:05/JTwoR
>>245
14〜15年
252人間七七四年:2009/08/16(日) 22:14:59 ID:05/JTwoR
>>244
筑前六端城?>>229のレスに出てるじゃんw
あんたも大して知識無さそうだな。
253人間七七四年:2009/08/25(火) 19:23:28 ID:3Rvfrsfb
普段は天地人なんて全然見てないんだけど
関ヶ原の後の三成に羽織を掛ける役を、今回は誰がやるのかが楽しみ!
直江には無理だと思うんだけど…
エピソードごとスルーされるのかな
でもそんな、地味?で微妙な長政公が大好きさ
254人間七七四年:2009/08/25(火) 21:07:13 ID:c0bxqjkb
なんだっけそれ
255人間七七四年:2009/08/26(水) 01:02:13 ID:2lBkIUL6
>>253
信憑性の薄い逸話出すのやめれ
256人間七七四年:2009/08/26(水) 02:22:57 ID:KSVh7ci0
前田さんちと同じぐらい不肖の息子
257人間七七四年:2009/08/26(水) 02:46:31 ID:tkVrVCwL
>>255
ごめんなさい
258人間七七四年:2009/08/26(水) 22:20:03 ID:D4RpZmAr
>>255
大河は逸話まみれだから
259人間七七四年:2009/08/28(金) 00:12:00 ID:PDdSi78K
天地人でもう出てたっけ
260人間七七四年:2009/09/23(水) 23:03:23 ID:9nmUhs9r
大河で関ヶ原が・・・なんかもう終わりだ
261人間七七四年:2009/09/28(月) 21:01:27 ID:zShYO6Pg
よかったよかった
262人間七七四年:2009/09/28(月) 22:59:31 ID:4Wv8iAEX
あの番組、どの場面で出たの?
263人間七七四年:2009/09/29(火) 00:35:53 ID:oy/gAn2z
福島正則は黒田長政と交換した水牛角の脇立て付き桃形兜被って
「三成ぃ〜!」と先頭に立って石田の陣に乗り込んで来たが
あの兜の前立ては正則本当にあのままで使ったんだろうか?
丸い金塗りの前立ては黒田の家紋である黒餅をモチーフにしてるんだろ
あれを自分の家紋とか別の物と交換する意識はなかったんだろうか?
それともあの兜は変わり兜の中でもデザインが秀逸なので正則自身気に入ってそのまま使ったのかな?
264人間七七四年:2009/09/29(火) 05:18:43 ID:bnfzHTFP
黒田騒動無名で泣いた
265人間七七四年:2009/09/30(水) 12:02:05 ID:REzbfZ+7
>>264
黒田家の汚点だから無名でいいんじゃね
266人間七七四年:2009/10/07(水) 17:45:01 ID:CUX6kFDs
山っ気の多い親父より長政の方がよっぽどいいと思うんだけどな
267人間七七四年:2009/10/13(火) 09:15:45 ID:mL5WpkSy
史実だけで判断すれば相当な武将でしょ。
268人間七七四年:2009/10/15(木) 20:16:42 ID:IVid5+oW
奉公構えとか陰湿すぎる
269人間七七四年:2009/10/15(木) 21:06:56 ID:hnBuPMoJ
陰湿かも知れんが又兵衛自身
長政を主君と思わぬ言動を何度も繰り返してるからなぁ
朝鮮ではあやうく見殺しにされそうになったし
長政自身積もり積もったものがあったんでしょう
270人間七七四年:2009/10/16(金) 10:29:17 ID:Vjv+aWJE
確執があったのは確かとしても、又兵衛の言動はあくまで
説話伝承レベルの話だからなぁ……。
理由はどうあれ確かな証拠として残るのは執拗な奉公構え
の事実だけだから分が悪いのは確か。
271人間七七四年:2009/10/16(金) 21:39:38 ID:GWSRoYxM
えー
そこがいいじゃん(・∀・)
272人間七七四年:2009/10/24(土) 13:48:29 ID:R3D0uwQy
それを言ったらそれこそ、又兵衛が講談の類で有名になったから
長政の行動が異常みたいに言われてるだけで重臣が突然出奔
したら奉公構するのは普通のことだし
273人間七七四年:2009/10/27(火) 02:56:06 ID:6X5z4yei
藩の機密情報握ってる奴放っておくとか危険すぎるしなw
274人間七七四年:2009/11/20(金) 23:44:11 ID:EL0hk2ph
ラピュタ見てて美の壷を見るの忘れてた…
番宣CMで長政の兜が映ってたから見たかったのに
275人間七七四年:2009/11/20(金) 23:57:49 ID:AMAu+luX
なにー全然知らんかった
大水牛?特に前立てある方の角の曲線怖いくらい美しいよね
276人間七七四年:2009/11/27(金) 22:38:08 ID:sBrQOxUq
板の方かも
277人間七七四年:2009/11/27(金) 22:39:15 ID:ZR1V6Wey
又兵衛に舐められてたんだろw
しょぼい奴だったんじゃないのかw
278人間七七四年:2009/11/27(金) 22:45:07 ID:ZR1V6Wey
しょぼいから舐められてたんだってw
屈強な武士なら又兵衛も慕った筈
279人間七七四年:2009/11/27(金) 23:57:41 ID:yYR4FmKm
>屈強な武士なら又兵衛も慕った筈

いや、むしろ近親憎悪みたいなもんでキャラ被ってたから嫌ったのかもよ
なにしろ長政や又兵衛とキャラ正反対の官兵衛にゃ楯突いた形跡ないしな
280人間七七四年:2009/11/28(土) 00:23:10 ID:19jQshZ9
どの資料か忘れたが
兄弟に近い関係でもあったというから
又兵衛にしてみればその感覚で接していたかもしれん
でも成長するにしたがってやはり当主は当主、家臣は家臣
長政の方の意識が変わってきて
そういう従来の感覚のままの又兵衛を許せなかったんだろう
もちろん父親に対するのと違う接し方にも腹が立ったんだろうし
281人間七七四年:2009/11/28(土) 06:40:54 ID:PtjmjDXA
舐められてたんだろw
朝鮮の時だって助けなきゃ死んでたろw
死んだら、長政、、プギャーwって喜んだに決まってる
又兵衛から見たら長政のこわっぱは大将の器には見えなかった

そういう事だ
282人間七七四年:2009/11/28(土) 12:14:29 ID:Ej+KvVp+
なーんだ・・・大阪で情けなく討ち死にした猪のヲタの荒らし行為か・・・
だからこの程度の理解力なんだな
納得!この件、終了!

判官びいきの起きやすい日本だからこそ持ち上げられてるけど事実上ただの負け犬なんだよな
後藤基次
283人間七七四年:2009/11/28(土) 22:51:58 ID:nxBzSS3v
台本全消化。これにて本日の演目終了。
284人間七七四年:2009/11/29(日) 13:03:03 ID:apx5ZNyG
いい話スレとか見ると家臣に馬鹿にされてる逸話多いよなこの人
でも長政自身は割と寛大に許してる事が多いんだコレが
そんな長政にあそこまでさせた後藤はよっぽどだったんだろうな
285人間七七四年:2009/11/30(月) 16:29:25 ID:monIG+mO
家臣には馬鹿にされつつも愛されてるように思う
ただし後藤基次以外
286人間七七四年:2009/11/30(月) 18:41:40 ID:LX4ZZiOJ
嫌われてたら藩はすぐに潰れてたでしょう
愛想尽かした家臣の離反はあの頃はまだ普通だったし
なんだかんだで孝高の教えをそれなりに受け継いでたはず
ただその次の代が危なかったようだが、そこはもう興味が無いからよく知らない
287人間七七四年:2009/12/03(木) 15:11:47 ID:7sfJiEBX
後藤と仲悪い逸話はたくさんあるが、実際どのくらい仲悪かったんだろうね?
逸話だけ見ると相当仲が悪く感じるけど実際の後藤は官兵衛というより長政
第一の家臣扱いされてるっぽいんだけどな
288人間七七四年:2009/12/04(金) 11:44:39 ID:8Or+HDfz
>>287
「実際」って何を基準にしてるの?石高?
289人間七七四年:2009/12/08(火) 23:13:39 ID:kQjjiCKQ
黒田家譜に"長政の死を聞く人惜しまずといふ事なし。"って書かれてるのに嫌われてるとか言ってる奴はなんなんだ
290人間七七四年:2009/12/09(水) 00:11:03 ID:tsPjF1Ik
それは後藤基次だけの話だろう
291人間七七四年:2009/12/09(水) 01:05:14 ID:4Oqt6qxG
単純に「この人ダメだなー俺が付いててやらないと!」なタイプだったんじゃね?

ただし後藤はマジ切れさせちゃったけど、というw
292人間七七四年:2009/12/09(水) 01:30:18 ID:T2erCtbD
【黒田】後藤又兵衛(基次)を語る【大坂の陣】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204401402/
293人間七七四年:2009/12/09(水) 02:16:17 ID:ah2zM46N
>単純に「この人ダメだなー俺が付いててやらないと!」なタイプだったんじゃね?

長政は大将のくせに先頭立って突っ込んで行くタイプだから
案外部下も「この人超ヤベェw、おっし、俺も行くべぇw」的な
体育会系の部活のノリだったのかもな、で、又兵衛の方はそのノリが合わなかったとか
294人間七七四年:2009/12/09(水) 02:29:16 ID:KrCggosK
戦国時代の鶴瓶師匠だな
295人間七七四年:2009/12/09(水) 04:23:54 ID:v7qbzeVU
朝鮮で殺し合いやってる途中に基次に見捨てらたんだろ?w
・大将が前線にまで出て戦うなアホ か
・ほんとに嫌いだから早く死んでくれ長政
のどっちかだろうね
296人間七七四年:2009/12/09(水) 10:20:03 ID:kSND3BtY
自分の妄想で武将像捏造できるから2chは楽しいですね^^
297人間七七四年:2009/12/09(水) 19:05:05 ID:Y52elUO4
>>293
そういうことなら長政の他に俺が気に入ってる井伊直政もそのタイプだが
この人は恐怖政治的な感じで部下を管理してたから人間味は全然長政の方があるなあ
298人間七七四年:2009/12/09(水) 19:17:23 ID:8+r+rdqQ
まあ戦国時代は現代の目から見ると性格の激しいのが多いよ
大名としては名君なのに人間性はキチガイにしか思えないのも結構いるし
299人間七七四年:2009/12/10(木) 00:33:28 ID:5pjqcEKF
長政の地味さというかぱっとしない感じは、他の大名に比べての人格者エピソードもなければ
某四天王辺りみたいな突き抜けたDQNさもないからなのかもしれない
いろんなエピソード見る限り、良くも悪くもどこにでもいそうな二代目なんだよな
300人間七七四年:2009/12/10(木) 00:58:09 ID:3FNlqmwr
いやいやいや
関が原で全開した謀略っぷりは見事なもんだと思うぞ
孝高にまったくひけをとらない戦略眼
いったいいつどこであれを身に付けたのか
家康もそこを見ての加増だったし
ただ武力面で石田隊にてこずったのはちょっとアレwww

どっちかというとエピソードでは、脇的な部分があるけど
それも長政がいてこそのものだしね
信長に殺されそうになった件も主人公は竹中だけど、長政が居ての話
又兵衛との一件も主人公ではないがやはりそこに長政
「そのときお前の左手は〜」も主役は孝高だがしっかり長政がいる
そこにこの人物の面白さがある
301人間七七四年:2009/12/10(木) 03:57:16 ID:LKNYtJog
>>300

>ただ武力面で石田隊にてこずったのはちょっとアレwww

そこは致し方ないんじゃないのかな?
当時の黒田は実質16万石とは言え中津の12万石
対する石田隊は20万石に代官地を加えると近江に27万石
しかも相手は島左近指揮する石田隊の主力部隊

長政は関ヶ原では無理して石高超えた動員かけて出兵したけど
それでも戦力に開きがあった事を考えると長政良くやったと言えるよ
302人間七七四年:2009/12/10(木) 08:32:57 ID:nNRGNF/w
同じように宇喜多に苦戦した福島も似たような事言われるよな
兵力差見れば当然なのに
303人間七七四年:2009/12/10(木) 17:43:24 ID:jvvoUAfs
福島は猛将のレッテル貼られてる分、そのあたり強く言われるよな
304人間七七四年:2009/12/12(土) 02:54:59 ID:A3zqewtN
「黒田長政」というズバリな小説を読んでいる。
結構面白い、と読み進めて今、半分くらい。
もう長政死んだw
305人間七七四年:2009/12/12(土) 03:25:01 ID:Qxy7cdab
小説じゃなあ
306人間七七四年:2009/12/12(土) 10:16:50 ID:uEvu5KE3
「徳川家康」というズバリな小説を読んでいる。
結構面白い、と読み進めて今、半分くらい。
家康なかなか死なないw
307人間七七四年:2009/12/12(土) 10:48:56 ID:xkAaT1l2
>>304
ページ半分で死ぬって実験的だなw
そういう小説って無難にまとめるのが普通なんだけども。
308人間七七四年:2009/12/12(土) 11:04:19 ID:y9Fw76RO
長政くらい濃い人生と親父を持ちながら半分で死亡とは、残りは黒田騒動なのかな?
309人間七七四年:2009/12/12(土) 13:57:42 ID:iN4b+hnt
>>304
長政死後の黒田騒動やって、後ろの方になぜか小河内蔵允伝がついてるやつ…だっけ?
310人間七七四年:2009/12/12(土) 16:25:22 ID:Qxy7cdab
つまり長政に関してそれなりに読める本てなかなかない?
あってもものすごく難しいのじゃ意味無いけど
311人間七七四年:2009/12/12(土) 18:35:03 ID:mSuMYGfe
小説だと、本人主役以外のものでは大体出番がないのが長政の宿命。
関わりの深い人物の小説でもスルーされるのがデフォ。
これも目立つ事を避けた黒田四百年の計。
ところでこの黒田四百年の計という言葉は自分を慰めるのになかなか有効なので
黒田長政ファンの皆さんは覚えておくとよろしくてよ。
312人間七七四年:2009/12/12(土) 18:52:15 ID:y9Fw76RO
父上と後藤の話ならそこそこ目立てるんじゃね?
313人間七七四年:2009/12/13(日) 01:13:56 ID:/SOcCqwr
>>311
は?
314人間七七四年:2009/12/13(日) 14:02:51 ID:RjrT4ldL
志木沢郁の立花宗茂ではそれなりに出てたぞ確か
父親を意識して賢そうな事言おうと気負ってるんだよねーみたいな温かい目で
見られていた
碧蹄館で加勢しなかった言い訳も微妙に収録
妙な意地という作者の感想つき
(そこで聞かれてもないのに臆病じゃないもんって言い出すのが長政のいい所じゃねーか
わかってねーな
それにしても久しぶりに立花朝鮮記読み返したけど天野はもうちょっとどれが誰の台詞か
わかるように書いてくれ)
関ヶ原後は悪びれない宗茂に呆れつつも助力に奔走し
ラスト付近時の流れを表現するためにその死が「長い付き合いだったな」「そうだな」と
宗茂とその親友細川忠興に語られるという頻出ぶりよ
これが俺が知る中では有数の他人の小説で優遇されてる黒田長政ね
315人間七七四年:2009/12/15(火) 01:08:40 ID:JD7TsmBL
>304です。
主役死んでどうなるんだ、と思いましたが、又兵衛出奔、
>>309さんのおっしゃる内蔵允のエピソードなどの小話が続いています。
長政が利かん坊でニラニラされたりたしなめられたり、いい感じに
憎めないキャラが立っている気がします。
如水親父やライバル忠興のエピソードなども、ついニヤリとする味が
あって面白いです。
316人間七七四年:2010/01/09(土) 01:43:54 ID:Kn44GReW
黒田騒動に出てくる梶原景尚は本当は長政の隠し子らしいんだけど、
生年がよくわからんのだけど如水の隠し子と勘違いされるくらいだからもしかして長男だったりするのかな
317人間七七四年:2010/01/09(土) 01:49:23 ID:N0poCGwR
>>316
長政が十四の時作った子らしいぞ
ただ、よっぽどしっかり周囲から認識されてた隠し子なのか
それとも後世の自称なのかっつーのは知らない
黒田騒動から百年以上経って梶原家から出てきた家康の感状って結局偽物らしいし
318人間七七四年:2010/01/09(土) 02:03:01 ID:Kn44GReW
十四歳って蜂須賀の娘と結婚する前どころか、もしかして初陣前か?
母親は従姉妹(母の姪)なんだよな
319人間七七四年:2010/01/13(水) 23:34:23 ID:p8ZCnyij
某ゲームが関ヶ原メインと言うのでちょっとだけ期待してたがやっぱり父上は400年たっても越えられない壁か
320人間七七四年:2010/01/14(木) 00:02:37 ID:nct7f1HS
もうその辺はフィルターかけられちゃってるからしかたないかと
比較してみたら孝高が活躍した時代が戦国期では乱世という点で一番面白い時期だったしね
関が原はとかあの頃は収束に向かっていく時期
321人間七七四年:2010/01/14(木) 01:27:11 ID:IZNiLj8X
エンタメ作品でキャラ立てするには難しい(そして父が…)ので
後はガッチガチの関が原ものにしか期待できない黒田長政だが
戦国バサラ3にも出られなかったのであった…と。
まあ見た感じ関ヶ原ネタであって関ヶ原ものじゃないし(毛利元就とかいたぞ)しょうがないんじゃね
如水が出たら次は太兵衛か又兵衛だというのは目に見えている…。
322人間七七四年:2010/01/14(木) 01:29:31 ID:rYDXM0Cp
関が原ゲームだと采配の行方でもひたすら空気だったよな
323人間七七四年:2010/01/14(木) 01:38:44 ID:IZNiLj8X
悪だくみも前線指揮官もギャグもいける絶好の中ボスポジションだというのに不遇であるな
324人間七七四年:2010/01/14(木) 01:40:49 ID:u2soeOyG
決戦やろうぜ
325人間七七四年:2010/01/14(木) 02:00:12 ID:skIQgreC
関が原でも長政が活躍したのは下準備だったからなあ
でも俺はそこが気に入ってるんだけど
326人間七七四年:2010/01/14(木) 02:04:28 ID:rYDXM0Cp
本戦でも一応島左近を討ち取ったのは黒田隊だし、同行していた竹中重門が小西を生け捕りにしてるし
327人間七七四年:2010/01/14(木) 21:07:01 ID:skIQgreC
>>326
でもそれって一般的には地味ネタの方だと思う
井伊・松平抜け駆け、福島vs宇喜多、石田隊奮戦、小早川裏切り〜辺りと比べるとどうしても
それと黒田隊の狙撃も実際は無かったんじゃないなんて話まであるし
でも俺はそれでもいい、謀略戦での主人公としての立場が揺るがなければ!
328人間七七四年:2010/01/16(土) 18:30:36 ID:5TEeMoQe
長政と一緒に会津行ったのって後藤と黒田一成ぐらいで
重臣たちの多くは本国残留なんだよな
329人間七七四年:2010/01/17(日) 01:44:46 ID:bIOxxW85
孝高の代の重臣は九州残留って感じでないの
栗山とか母里とか井上とか叔父さん'sとか
家臣も孝高の家臣の方が有名なだけで長政の代の家臣のめぼしいのは
会津征伐従軍してると思う…
330人間七七四年:2010/01/17(日) 01:54:38 ID:yKTpsglp
又兵衛は長政が望んで呼び戻したわけだし、美作も長政の弟みたいなもんだしな
しかし、実際のところ、長政は如水の九州平定作戦をどこまで知ってたのかね
如水が本当にそういう野望を持っていたのかはともかくとして
331人間七七四年:2010/01/17(日) 02:23:51 ID:zlKURTly
あの親父のことだからそりゃ黙ってただろうなあ
何か話しちゃってたら長政の行動に躊躇が見られたと思われ
332人間七七四年:2010/01/17(日) 02:40:10 ID:GvU6D5Kc
>>329

栗山と母里は九州残留と言うか
京都伏見で夫人の護衛という別任務に当たってたからな
残留というか任務遂行後に本国隊と合流したと言う感じだな
333人間七七四年:2010/01/19(火) 03:26:10 ID:XaO5Kysr
子どもの頃から如水ファンなんだが、最近、長政も
「憎めない奴じゃんニラニラ」って感じはじめた。愛嬌があるというか。
俺も年を取ったということなのか。
334人間七七四年:2010/01/21(木) 20:23:48 ID:TmjMYYnT
如水は好きだが、長政は嫌い
蜂須賀正勝の娘を己の出世の邪魔として郷に追い返した鬼畜
335人間七七四年:2010/01/21(木) 21:02:30 ID:iieaM2zM
女房を幽閉したり、部下に殺させるヤツよりはマシだけどな
336人間七七四年:2010/01/21(木) 21:16:00 ID:KCFxFn9V
>>334
その件については弁護しがたいなw
いくら結婚して十五年くらい?女一人しか生まれなかったと言っても
側室に生ませるなりなんなりあっただろうし
しかしあの段階で蜂須賀を捨てるとは思いきったよな
継室は黒田家に男を三人も恵んでるし、この事はたぶん現代想像する
以上に黒田家の気持ちを徳川に近づけたんだろうなあ
337人間七七四年:2010/01/22(金) 02:12:07 ID:Fdk/36Rb
すごく基本的な質問で悪いのだが、当時正室を継室に下げることはできなかったのか?
蜂須賀って関ヶ原では徳川に味方しているし、わざわざ離縁することはなかったんじゃないかと思う
338人間七七四年:2010/01/22(金) 02:13:26 ID:Fdk/36Rb
×継室 ○側室 だった
すまん
339人間七七四年:2010/01/22(金) 03:18:19 ID:/nIcN1bl
側室というのは形の上では単なる使用人であって妻でも何でもない
よって下げるも糞もない
340人間七七四年:2010/01/22(金) 10:51:29 ID:YkFc/3lN
日本で正式に妻を複数娶ったのは一時期の天皇くらい
341人間七七四年:2010/01/23(土) 00:02:42 ID:2KtMmxjL
>>339
そうなのか ありがとう
光源氏は一夫多妻ではない、ってのと同じか…
342人間七七四年:2010/01/23(土) 00:18:04 ID:84IoTi9a
形の上ってことで
実際はあちこち大名家で跡取りも産んでるよね
343人間七七四年:2010/01/23(土) 00:25:05 ID:q2Fm7etm
津軽家に嫁いだ石田三成の三女の辰姫が徳川から満天姫が嫁いできたから側室に降格してるらしい
ただ、辰姫の場合は実家がないから側室の座に甘んじたんだろうが、有力大名の妹ならそんな扱い受けるくらいなら離縁だろうね
長女がもうちょっと成長してたか、熊之助が存命なら、わざわざ長政が徳川から嫁貰う必要はなかったろうね
344人間七七四年:2010/01/23(土) 00:38:38 ID:ps3H2wZc
年齢的にも熊之助が栄姫と結婚して兄の養子コースかね?
黒田家に限らないけど、こういう時使える枠が少なすぎるよなあ…
345人間七七四年:2010/01/23(土) 00:58:48 ID:EESWgwMs
如水長政の親子ネタって多いけど、熊之助ってあんまり話題にならんよな。
如水にとっちゃ年食ってから出来た子だし、長政は年離れててライバルって
感じもなかっただろうから可愛がられてそうなイメージあるけど。
346人間七七四年:2010/01/23(土) 01:57:58 ID:ps3H2wZc
そうは言っても
例え早死にしなかったとしても家督を継がない弟なんてそんなもんじゃ…
如水の弟とかそこそこ長生きして仕事もしてるけど多分黒田オタ以外名前も知らんだろ
347人間七七四年:2010/01/23(土) 01:59:25 ID:q2Fm7etm
家督を継がない弟なんて泥沼の兄弟喧嘩するか、毛利や島津みたいなチートでもないと目立たないよね
348人間七七四年:2010/01/24(日) 23:38:20 ID:AmIcSyB9
ふと思ったんだが、長政の離縁は再婚するためというよりは、
家康が黒田と蜂須賀が縁戚なのを嫌がったというのもあるんでは?
共に秀吉側近から成り上がった家だし、子飼いあたりよりも扱いにくそうなタイプだし
長政が離縁した後に例の三成襲撃事件があるのが妙に気になる
蜂須賀家政が加わってたのはほぼ間違いないようだし
349人間七七四年:2010/01/25(月) 00:45:13 ID:MzNOMe0h
>>348
そこんとこもう少し詳しく

それはそうと子飼いの方が豊臣親戚筋だから大変なんじゃない
350人間七七四年:2010/01/25(月) 01:02:59 ID:Y0s8Fr24
>>349
豊臣と縁戚なのが面倒なんじゃなくて、立場の近い有力な大名同士が縁戚なのが嫌なんじゃないかと
蜂須賀と黒田は豊臣政権では外交の要で立場的に近いし、
なんとなく見過ごされそうだけど、豊臣政権下での黒田の嫡男と蜂須賀の娘の婚姻は
かなり重要な意味があったんじゃないの?

よく比較される細川さんところの長男廃嫡騒動も発端は、家康が細川と前田の縁戚関係を嫌がったから、
忠興が長男に離縁を迫って大喧嘩ってのが本当のところらしいし(前田家も離縁してほしかったみたいだし)
家康は自分で有力大名と縁組をする以上に、秀吉の組んだ縁談を潰してまわってたんじゃないかと
351人間七七四年:2010/01/25(月) 01:12:56 ID:MzNOMe0h
>>350
そういう意味の面倒さね

そこに付け込んだ家康の知恵の回り具合と
それを理解した黒田家は
悪代官と越後屋みたいだw
おかげで黒田家は大きくなったわけだし

352人間七七四年:2010/01/25(月) 10:59:09 ID:Y0s8Fr24
蜂須賀もかなり親徳川で、長政が再婚したのと同時期に蜂須賀至鎮が家康養女と結婚してるから、
黒田側の一方的な離縁じゃなくて蜂須賀側も歓迎してたのかもしれないなってことで
まあ、結局のところ男どもの勝手な思惑で、嫁や娘にとってはろくでもない話だけどさ
353人間七七四年:2010/01/25(月) 20:38:32 ID:MzNOMe0h
戦国時代はそんなもんだよ
でもそれも人によるわけで、ほんとに道具としてだけ使われた女もいれば
女主として当主とほとんど対等の立場でいた女もいたということが最近分かってきてるとのこと
軍事・国政は当然当主がやるが、家内の取り仕切りは正室ががっちりやってたということ
スレ違いになるからこれ以上は他を見て判断して
354人間七七四年:2010/01/25(月) 20:56:43 ID:VbXP99AJ
>>353
sageもできねーのになんで命令口調なんだよwww
355人間七七四年:2010/01/27(水) 00:29:58 ID:jmKkDqsr
甲冑と兜系の本だと長政(の兜)が珍しく目立てるんで追加ってしまった一個人(表紙が孫の兜)なんだが、
あの大水牛兜の由来は浅野家にあるって書いてたんだが、そうするとやっぱり「長政」の名前って
浅野長政から来てる可能性もあるのかね
356人間七七四年:2010/01/27(水) 00:46:40 ID:s1KASEOO
>>355
浅井長政の間違いでなく?
確か浅井の旧臣が黒田家に仕官してから献上したものだって話だと思ったが
357人間七七四年:2010/01/27(水) 00:55:16 ID:jmKkDqsr
じゃあ、浅井の誤植なのかな?
でも、浅野長政も水牛兜持ってたんだよね
長政の兜が表紙のこの本にも載ってたし
ttp://www.amazon.co.jp/%E5%8B%87%E5%B0%86%E3%81%AE%E8%A3%85%E3%81%84%E2%80%95%E6%88%A6%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%BE%8E%E6%84%8F%E8%AD%98-%E7%94%B2%E8%83%84%E3%83%BB%E9%99%A3%E7%BE%BD%E7%B9%94-%E9%95%B7%E5%B4%8E-%E5%B7%8C/dp/4894446413
358人間七七四年:2010/01/27(水) 01:30:49 ID:hu9dE3iN
だいたい浅野長政は若い頃は長吉じゃないのか
359人間七七四年:2010/01/27(水) 01:37:57 ID:jmKkDqsr
うん
だから、長政の「政」は曾曾祖父ちゃんの「高政」から来てるのは間違いないんだろうけど、
じゃあ「長」はどこから来たの?っていう話があったから、
浅野長政(当時「長吉」)が烏帽子親になった可能性はあるんじゃないの?
まあ、実際のところは、豊臣秀長の可能性が一番高そうだけど
前野長康という可能性もあるのかな?
360人間七七四年:2010/01/27(水) 02:03:12 ID:HGNFCDFt
織田信長
361人間七七四年:2010/01/28(木) 13:20:49 ID:eXU7/8BH
細川忠興の書状見たら長政とか黒田家について悪口書きまくっててワロタw
忠興→長政に関する言葉はよく聞くけど長政→忠興はないの?
362人間七七四年:2010/01/28(木) 19:14:29 ID:5cwGUUlt
黒田家文書買うだけ買って全部読み切れてないけど、それらしいのは見たことないなあ。
どこかには残ってるかもしれないけど、どっちにしても細川とは頻度からして違うんじゃないか。
まあ細川みたいに細かい内容の書状が大量に残ってる方が珍しいし。
当時から無視してたわけじゃないだろうけど。
363人間七七四年:2010/01/28(木) 22:59:08 ID:cA8YKFfD
先に喧嘩売ったのは長政だからしかたない
つか、あのへんとは派閥(細川島津立花藤堂伊達?)が違うよね
長政の頃は鍋島とか両加藤とか池田とか浅野とかあの辺か?
蜂須賀とは絶縁してるし、毛利ともさすがにつき合えなさそうだし
364人間七七四年:2010/01/29(金) 01:35:43 ID:RVvHOFDa
何かの本で関ヶ原後に周囲から総スカン食らっていた吉川広家にまともに応対していたのが
黒田長政だけだった みたいな内容を読んだような気がする
365人間七七四年:2010/01/29(金) 02:36:55 ID:cnrCU741
逸話の範囲だと思うが、三成との話もあるぐらい
情のメリハリがあった人物なんだろう
366人間七七四年:2010/01/29(金) 02:39:18 ID:ghxH13qC
基本的にガキ大将気質だよね
なんとなくジャイアンみたいなw
367人間七七四年:2010/01/29(金) 19:29:07 ID:0M21OBP4
>>362

もしかしたら秀吉から貰った書状を
半兵衛が官兵衛の目の前で燃やしてしまった経験から
官兵衛&長政は重要度の低い書状は破棄する様にしていたのかもな
368人間七七四年:2010/01/29(金) 22:14:43 ID:B03sDK/7
>>367
黒田騒動のどさくさに処分したんでないか?
それにしても、長政の子らは揃って悲惨やね
兄弟喧嘩やらお家騒動やら発狂した旦那に斬殺やら
369人間七七四年:2010/01/29(金) 22:23:45 ID:RVvHOFDa
>>368
あれだけあって黒田家が存続したのが奇跡だなw
370人間七七四年:2010/01/29(金) 23:21:47 ID:cnrCU741
でも家康のお墨付きは無かったよなあ、それで残ったとは
どこかの家では改易レベルの不祥事があったのに
家康の「潰してはならん」という書状のおかげで助かったところがあったよね
371人間七七四年:2010/01/29(金) 23:37:39 ID:0M21OBP4
>>369

>あれだけあって黒田家が存続したのが奇跡だなw

これも憶測だが長政は関ヶ原の合戦前に西軍の調略等で東軍勝利に貢献した様に
関ヶ原の後は黒田家存続の為の政治工作を行い続け、あちらこちらに根回ししていたのかも知れん
そうでなけりゃ忠之みたいな出来の悪い二代目に幕府が52万石の存続許すとは思えん
372人間七七四年:2010/01/30(土) 00:08:39 ID:45OIWUmX
黒田家が取りつぶしに合わなかったのは加藤さんちの忠広くんのおかげじゃね?
1932年に加藤家改易になってから、そのあとにどの家入れるかそうとう苦慮したみたいだし、
そこに細川さん突っ込んだから、黒田家の後釜になるような家もないし、
西国大名は島津毛利の押さえみたいな立場も強いから、あんまり大藩組み替えるのも大変なのではないかと

もちろん長政が必死で幕府に媚びたおかげもあるだろうけど
373人間七七四年:2010/01/30(土) 02:33:32 ID:XdLqkiIW
似た者の池田テルなんかもそうだよね(毛利の抑え)
家康の娘とせっせと子作りに励んだのも一緒だ
374人間七七四年:2010/01/30(土) 07:02:00 ID:U43Uxsex
浅野なんかもそうだね
375372:2010/01/30(土) 14:31:12 ID:45OIWUmX
1932年てなんだ……
1632年だ
376人間七七四年:2010/01/30(土) 15:11:00 ID:GByRSJyt
誰も気付かなかった悪寒wwwww
377人間七七四年:2010/01/31(日) 10:31:53 ID:3G5+lXxN
>>373
その池田の息子に殺されたんだよな、長政の娘
378人間七七四年:2010/02/07(日) 13:34:16 ID:n3SMaPrO
>>355 浅野長政の甲冑は、近年浅野の子孫から大阪城博物館に移った。常時展示しているかは知らない。
これと黒田のそれは、明らかに類似性があり、多分同じ工房の作。兜の角の作り方が同じで、根本に3本の輪がつくのが特徴。偶然の一致ではありえない。
胴の作りも基本的に同じで、五枚胴。ついでに言うと黒田パパの具足も同じ形式で、作者同じと思われる。
浅野のが黒田ジュニアのより古いのは明らかだが、黒田パパのそれとどちらが古いかははっきりしない。
黒田親子のが、修理されて新品同様なのに対して、浅野のはそうでないから、印象だけで結論を出すのは危険・
379人間七七四年:2010/02/27(土) 07:19:40 ID:6h8a+cnx
子どものころから官兵衛が好きで好きでしかたなかったんだけど、
最近は、長政のちょっとグレたきかんきな二代目、という味わいが好きだ。
長政かわいいよ長政。
380人間七七四年:2010/02/27(土) 14:54:55 ID:IswdsnmS
グレてきかんきなのはむしろ忠之じゃね
381人間七七四年:2010/02/28(日) 01:04:07 ID:YrRd+CxW
むしろ物分かりの良すぎる優等生な二代目、の部類じゃね?
親父に「お前の生き方は手堅すぎてつまらん」的なことを言われるほどに
まあ、あんな父親を持ったら、堅実に生きたくなるわな
そして堅実な父親を見て、息子が弾けてしまったのか
長政みたいに弾ける機会(戦場)がなかったのが悪かったのか
382人間七七四年:2010/03/04(木) 21:43:05 ID:nraPm6Yn
>>380
あれはちょっとおかしい
3代目がやばいとその家は危ないというがよく持ちこたえたよ黒田家

>>381
長政はまだいわゆる戦国の真ん中を青年期で生きてきたし
戦歴も決して悪くはないからおとなしい優等生でもないようには思える
とにかく親父がひねりすぎた人格だから
383月孔雀:2010/03/05(金) 09:39:38 ID:blYJ6f2u
黒田かんべいが怖い。
息子は、別に・・・
384人間七七四年:2010/03/05(金) 23:17:07 ID:fo4GrDiC
長政を良く知らない頃は、又兵衛について何もそこまでしなくてもと思いあまり好きじゃなかったが、
今は長政の方が好きになっている不思議

何か放っておけない気にさせられる…
385人間七七四年:2010/03/05(金) 23:53:32 ID:HbKE1W+r
放っておけよ
386人間七七四年:2010/03/05(金) 23:58:26 ID:lYOUvnMn
又兵衛の言動を知ると長政の行為も納得出来るものがある
387人間七七四年:2010/03/06(土) 00:01:43 ID:t/GeMoFA
でも黒田武士ってみんなあんな感じの印象がある
ぶっちゃけ、又兵衛よりも太兵衛のがひどいと思うw

逸話を置いとくと、又兵衛って出奔するまで特に長政に疎まれたりしてないんだよな
むしろ、信頼してた又兵衛が突然出奔して仮想的の細川さんちに行ったから
長政としては裏切られた気持ちになってブチ切れたんじゃないの?
388人間七七四年:2010/03/06(土) 15:26:35 ID:zbhBvpFZ
実話・逸話がよく分からない戦国の話だからなあ
389人間七七四年:2010/03/07(日) 04:15:14 ID:DpoVhBSg
吉兵衛って当時の読みだと「きちひょうえ」でいいのかな?

親父が「くわんぴょうえ」って発音してたらしいよって聞いたのでちょっと気になった。
390人間七七四年:2010/03/07(日) 04:29:54 ID:PoVELapk
吉川を「きちかわ」と読まず「きっかわ」と読ませるみたいに
音的に「きっひようえ」と読んでたかも知れない
391人間七七四年:2010/03/07(日) 22:36:05 ID:gjMhGE4X
菊池寛の「栗山大膳」なる伝記?を読んだら、
大坂の陣の後にベテラン大名が東山(だったかな?)に集まって打ち上げ会みたいなことをやっている時に
藤堂高虎の言葉にごろ寝をしていた長政がキレて口論になった
(その時大膳は部屋の外で殿の加勢をしようと臨戦態勢になっていた)
みたいな話があったんだけど、これって菊池寛の創作なのかな?それとも出典あるのかな?

藤堂と喧嘩したことよりも、喧嘩の原因が「俺はお前らなんかよりも武功あるもんね!馬鹿にすんな!」だったことよりも、
それまでごろ寝していたという部分が気になってしまったんだけどw
392人間七七四年:2010/03/07(日) 23:48:49 ID:aGncndeo
>>391


  _,,..,,,,_
/ ,' 3  `ヽーっ
l   ⊃ ⌒_つ
`'ー---‐'''''"
393人間七七四年:2010/03/07(日) 23:58:57 ID:DpoVhBSg
長政は座敷に伏せる癖があった・・・という逸話を見たことがある。
394人間七七四年:2010/03/08(月) 00:52:31 ID:9lBjimNH
>>391
他のところで見たことないから
創作なんじゃない
395人間七七四年:2010/03/08(月) 13:03:23 ID:LbniEaFK
>>394
いや、その件なら福本日南の栗山大膳にもある。
どの本だったか忘れたが出典まで書いてある本もあったんだよなあ。
福田千鶴の新撰御家騒動でも海音寺潮五郎の列藩騒動禄でもないみたいだしなんだったか。
396人間七七四年:2010/03/08(月) 13:25:11 ID:zNnUFt3z
だとしたら、黒田家側の資料じゃなくて、大膳に関する資料なのかな
まさか藤堂の資料にあるとも思えんし
しかし、初老の大大名がゴロゴロしながら反省会ってどんな集まりだw
397395:2010/03/09(火) 22:54:07 ID:DSjopn3i
栗山大膳関連かと思って見当違いなとこ探してた
出典は黒田年譜巻之十四だ
幕藩体制の新研究って本に引用されて載ってたんだった
「枕を高うして酒宴」「各人は枕を投げだして」とあるんだが、当時の人はもしかして
枕持ち込んでごろごろしながら酒を飲んでいたのかね?

しかし長政の切れるところはいつもながらわからんな…
大坂落城後に、藤堂高虎が「今度の戦は特別変わった事はなかった」って言ったらしい。
ものの本によると、これは「楽勝でしたw」という武功自慢ともとれるらしい。
だからってそこでなんで
「俺の武功馬鹿にしてんのか、今回は上からの命令で活躍できなかっただけなんだよ!
自分はちょっと働いたからって、俺に聞こえる所で変わった事なかったとか言いすぎだろ!
なんとか言ってみろよ!」
って怒るんだよ。
「俺が思う存分戦えてたら、目を驚かすような大活躍を見せてやれたんだよ畜生」ってことか。
だからって刃物まで持ち出して言う事なのか。
なんかずれてんだよな…もしかしてこいつ酒乱じゃねーの。
398人間七七四年:2010/03/09(火) 23:14:15 ID:DSjopn3i
だめだやっぱり意味わからん。教えてエロイ人

藤堂「されバ、いつれも聞給へ、此度の一戦に付てもつらつら武勇の事を考ふるに、世間にさして
勝れてかはりたる事もなきものなり」
(これを長政は「皆さんあまり目覚ましい御活躍はされませんでしたねwwwww」と解釈したのか)

「@これ佐渡殿、A我らは幼少の時より秀吉公に従ふて、中国・西国所々の戦場にて自身手を砕き、
力を尽し、殊に朝鮮に在陣する事前後七年、いつも江南人と出合、身命を捨て相戦ひ、忠勇を
秀吉公に尽し、関ケ原にても又戦勇をあらハす事、各しり給へる所なれハ今くわしくいふに及はす、
B如此にしてさへ我武功を尽すに足れりとおもハす、C此度大坂にて手をふさがさる事ハ、公方の
御下知ゆへなれハ力及ハす、D然るに貴殿、今度の戦に手を合せしとて、此長政か聞く所にて
世間に替りたる事なしとハ何事そ、是はなハだ過言也、いまたいふことあらハいはれよ」
(@てめえ藤堂
A(延々と自慢話)
B俺はもっとできる子
C今回できなかったのは秀忠のせい
D自慢か死ね
E文句あるならやってやんぞコラ)

…でおk?
この後周囲が止めたのと、高虎が反駁しなかったせいで場はおさまったそうだ。
スルーって大事だな。
399人間七七四年:2010/03/10(水) 00:00:04 ID:tHvxhahQ
酔っ払っている人間の言動を真に受けていいのか迷うな
長政だから素面でもこういうこと言いそうだしw
400人間七七四年:2010/03/10(水) 00:15:46 ID:nZyQY+pT
太兵衛と凄いくだらないことで斬り合いのケンカになりかけた男だもんなw
401人間七七四年:2010/03/10(水) 13:12:22 ID:T5oDn4si
活躍できなかったことへの幕府への言い訳とかではないんだな、秀忠のせいにしてるなら・・・
同格の人間との競争心がとてもつよかったのかな
上下とは円満だったり寛容なのに
他の諸侯とはギスギスした逸話が多いよね
402月孔雀:2010/03/10(水) 18:23:48 ID:uPrrOHar
黒い田んぼって、どんな田んぼ?
403人間七七四年:2010/03/10(水) 18:53:39 ID:nZyQY+pT
藤堂高虎は隣国の細川忠興と仲良かったそうだから
その点でも反りが合わなかったんだろうな
404人間七七四年:2010/03/10(水) 23:12:20 ID:bmTpwJDx
まあ、俺ならもっと上手く戦えたのに!!1・・・てとこかな。
405人間七七四年:2010/03/12(金) 23:09:55 ID:+OqLWNyH
長政のキレどころはわかりやすいと思う
406人間七七四年:2010/03/12(金) 23:27:30 ID:+OqLWNyH
軽薄だの思慮が浅いだの優柔不断だの音痴だの言われてもあっさり折れるけど、
武勇を否定されるようなことを言われると絶対怒るし、その辺は譲れないっぽい
>>404みたいな感じって、親父も言いそう(っていうか言っちゃったことあったよね)な辺り血は争えないというかw

>>403
藤堂の天敵の地味加藤さんとは仲がいいイメージがある
と思ったら、地味加藤さんのバカ息子の嫁と長政の後妻が姉妹だね
407人間七七四年:2010/03/12(金) 23:31:17 ID:PEopFBfN
秀吉のところに人質になってたということは
誰と幼馴染になってたんだろう
408人間七七四年:2010/03/12(金) 23:49:55 ID:+OqLWNyH
年齢的に言うと豊臣秀勝(江の二番目の旦那)とか?
409人間七七四年:2010/03/13(土) 00:33:36 ID:Or+DDKmo
410人間七七四年:2010/03/13(土) 01:02:54 ID:ms21nn16
>>409
9センチマジで?どーなってんだw

>>405
武功を疑われたと思ったら速効切れるのはわかるんだけど
なんか「それ相手はそういう意図じゃなくね?」ってとこで深読みして勝手に切れてる気がする
411人間七七四年:2010/03/14(日) 03:46:02 ID:zDqCbpdJ
>398

もう50近い、いい年したおっさんが言ったかと思うとなんだかなw

まあそんな長政が好きだ。
412人間七七四年:2010/03/14(日) 10:10:18 ID:8iV1vwF+
長政もあんな絵を描かせるくらいに十数年ぶりの大戦に張り切ってたのに(又兵衛のこともあるし)
殆ど出番なしで不貞腐れて飲んでたんじゃないの?
藤堂は外様のくせに先鋒で暴れまくったからうらやましかったんだろう
413人間七七四年:2010/03/15(月) 00:57:01 ID:b4Pq0ELh
大坂のことだよね
そもそもなんで家康が長政を疑ってたのかからして謎
なんかやらかしたんだっけ・・・

書いてるうちに何かやっちまったことがあったような気がするwww
豊臣方と何かの件で通じてたんだっけな
他意は無かったとしても疑われてもしょうがないようなこと
414人間七七四年:2010/03/15(月) 01:12:24 ID:mC5R+0cP
疑われてたというよりは、52万国の大大名にこれ以上戦功挙げられても困る
みたいな感じじゃなかったのかな
政宗は七男の舅だから別として、他も外様大大名は前線に出させてもらってないような
415人間七七四年:2010/03/15(月) 01:19:46 ID:mC5R+0cP
52万石だ

藤堂 22万石→32万石
蜂須賀 17万5千石→25万7千石
なので、50万石相応の兵力で戦歴豊富な長政とか出てきたら活躍しすぎちゃって、
それはそれで幕府としても都合が悪いんでしょう
416人間七七四年:2010/03/15(月) 01:57:00 ID:orsu/XU0
猛将に弱兵無しと言われるよーに
黒田麾下の武将には歴戦の強者が顔連ねてるからねぇ
その戦い馴れた名のある将は3千〜万石クラスの禄が与えられ
中津にいた頃とは比べものにならないくらい戦力上がってる
関ヶ原じゃ中津12万石の兵力で倍する石田の兵力と互する事が出来た事を思うと
52万石なら尚更期待しちゃう、長政もさぞ大坂で大軍の指揮振るって見たかっただろうなぁ・・・



まぁ、例え大軍を指揮するとしても長政の常に先陣に立つ癖は治らないだろうが
417人間七七四年:2010/03/15(月) 02:04:00 ID:b4Pq0ELh
>>413の件が>>1のところに書かれてないか見たけど無かったな
推測の域を出てなかったのか、それか俺の見間違いか
でも・・・

>ウルトラマンに登場する怪獣、ゴモラの頭のデザインは長政の兜を元にしている。

工エエェェ(´д`)ェェエエ工
418人間七七四年:2010/03/15(月) 21:29:29 ID:yhqCk9wV
大水牛兜はかっこいいよな。
419人間七七四年:2010/03/18(木) 23:38:24 ID:szcPMhGI
なんで黒田家は家族みんな宗教バラバラなんだろう?
長政が臨済宗で、息子は真言宗で、嫁が浄土宗で、親父は……キリスト教だよね?
420人間七七四年:2010/03/19(金) 00:50:15 ID:x44AW29m
官兵衛もキリスト教棄教後は臨済宗
つーか、長政は官兵衛がキリスト教に入信したから長政も入信したし
官兵衛がキリスト教棄教したから長政もそれに従って棄教した
あれでも長政は親には結構従順なところがあるからね

しかし当時の戦国武将は禅宗の影響で曹洞宗や臨済宗が多いな
421人間七七四年:2010/03/19(金) 01:27:28 ID:/HO4OA+V
官兵衛は実は棄教してなかったという説もあるね
長政はあっさり棄教してそうだけど
422人間七七四年:2010/03/19(金) 03:03:29 ID:v0W0DJMx
臣従してた振りして関が原のどさくさで領土拡大を企んでた親父と
しっかり臣従して関が原を勝利に導いた立役者という違いだしね
親子といっても別人格なわけだし
423人間七七四年:2010/03/19(金) 21:46:15 ID:PcR191ez
まあ官兵衛は隠居だし、ある程度自由にやってられるのでは。
長政は当主だから、態度ははっきりさせないといけないし。
424人間七七四年:2010/03/20(土) 01:02:48 ID:i1SGKbYS
ところで、関ヶ原の三成挙兵でおかんと新しい嫁が栗山たちの護衛のもと、大坂を脱出してるわけだけど、
3歳だか4歳だかの娘(菊姫)はどうしてたの? 井上の息子との婚姻にかこつけてあらかじめ中津に戻してたのかな?
425人間七七四年:2010/03/26(金) 00:15:31 ID:hWOV42Rw
>>398
本当にどうでもいいことなんだけど、大坂の陣の頃には藤堂さんは和泉守だよね
長政は酔ってたから、昔のくせで「佐渡」と呼んでたのかな
426人間七七四年:2010/03/26(金) 21:18:12 ID:RLgpagD8
>>424
なぜそんな地味な疑問をww
427人間七七四年:2010/04/01(木) 01:01:54 ID:u4eB+Xn0
長政って、砲術剣術など武道は一通り一流所に習ってて、突進癖はあっても戦歴も確かで、
やたら卑屈な姿勢をどうこう言われつつ外交もうまくやってて、領国経営も頑張ってるけど、
親父さんと違って文化芸術方面がからっきしなイメージがあるけど、実際なんかそっち方面で取柄はないの?
428sage:2010/04/12(月) 02:29:04 ID:MALeWc/6
音痴だし、芸術的な才能はなさそうだ
429人間七七四年:2010/04/14(水) 03:34:30 ID:G8KKEmZR
>>420 >>421
まあ、キリシタンの偽棄教は全然、普通の話しで多くの武将がやってる。
黒田の親父も息子も表向きはともかく本当に棄教してるかは本人にしかわからん。
430人間七七四年:2010/04/14(水) 03:39:01 ID:G8KKEmZR
あと「したたかで現実的な黒田親子だからキリシタン入信に熱意はなかったろう」
という考え方もあくまで現代人としての発想にすぎない。
彼らなりに策謀や戦や殺害行為に罪の意識があり、なんらかの救いを求めていたのかもしれないしな。
431人間七七四年:2010/04/15(木) 17:47:19 ID:OQf4HjbQ
孝高も長政も、キリスト教に対してもえらい理性的だなと感じる事はあるけど、それと信仰は別だよね。
孝高は確か、キリスト教式で葬式出したって記録が残ってるんじゃなかったっけ?
そもそも表向きにでも棄教してたんだろうか。
少なくともフロイスの記録によると秀吉時代の禁教令下では、孝高は秀吉に面と向かって
棄教を断ったようだし、長政も自分はキリスト教徒だと公言してたらしいが。
一般に、既にこの頃から親子そろって棄教してたみたいな扱いをされることが多い気が
するけど、どうなんだろ。
432人間七七四年:2010/04/15(木) 22:35:48 ID:XrCeyaAc
ガラシャの葬式もキリスト教形式じゃなかったっけ。禁制とはいっても当時はまだ緩かったんだろうね。
433人間七七四年:2010/04/16(金) 19:10:04 ID:DhBqHFJt
ひょっとすると黒田親子が秀吉から離れたのはキリシタン信仰を反対されたせいかもな。
とはいえ家康も負けず劣らずキリシタン反対なんだが、その時点ではよくわかってなかったんだろうね。

そして、秀吉が熱心に禁じた筈のキリシタンの将士が関が原で西軍として奮戦したり、
大阪の陣の頃は豊臣領だけが全国で唯一、キリシタンが大手をふって歩ける土地だったり、

なんか、この辺のキリシタンに対する対応が虚虚実実すぎて皮肉すぎるんだよね。
434人間七七四年:2010/04/17(土) 03:06:34 ID:jAQqKvi+
まぁ当時の大部分は仏教の宗派代え程度な認識だったんじゃないかな
435人間七七四年:2010/04/20(火) 13:08:58 ID:gE+QWWAj
如水、又兵衛関連のエピソードのせいでどうも小者っぽく感じてしまう。
436人間七七四年:2010/04/21(水) 00:14:14 ID:D9voUHVW
俺は関が原中心に考えるから全然問題ない
437人間七七四年:2010/04/21(水) 17:36:19 ID:+UIRTXjW
性格が小物っぽいのにやったことは大物なとこがおもしろくていい派
438人間七七四年:2010/04/22(木) 01:28:39 ID:bBc9ylEd
孝高→長政という順でなければ、黒田家は生き残ってなかったろうね
439人間七七四年:2010/04/22(木) 09:26:50 ID:8e7eAJL4
片手しか出せない親父のほうが小物に思える
440人間七七四年:2010/05/22(土) 01:54:55 ID:Tp33slkJ
新ネタはなかなかないもんですなあ
441:2010/05/22(土) 14:43:32 ID:eivC1101
所詮、タヌキに逆らえなかったヘタレだろ
面白味1つもないんだよなこいつ
442人間七七四年:2010/05/22(土) 21:05:12 ID:KN0KUpoT
面白みのなさもまた長政の魅力。
父も息子も変に突出してるんだから、長政くらい堅実でなければ家が続かん。
443人間七七四年:2010/05/23(日) 00:55:32 ID:nczCtLLc
歴史学的には親父よりも必要
444人間七七四年:2010/05/25(火) 00:48:06 ID:BcnKw2xy
>>442
いやけっこう凹凸あるぞ

>>443
言われてみればその通り

それはおいといて
デアゴスチーニで戦国武将のを出すが
長政、出るよなあ・・・孝高だけじゃないよなあ
300人ぐらいやるらしいが
445人間七七四年:2010/05/25(火) 01:20:42 ID:IHnWl328
>444
サイト見てきた。
官兵衛の名は早速でてるね。当然か。
300人もあげるんだったら、出てくるんじゃないかな。
446人間七七四年:2010/05/25(火) 18:58:13 ID:BcnKw2xy
怖いのは
親父のついでにある程度名前を出したから、まっいっか
ってやられること・・・
447人間七七四年:2010/05/26(水) 05:38:44 ID:LYpYIyoy
更に怖いのは、親父だけじゃなくて又兵衛や宿敵忠興はやるのに長政がスルーされる事。
・・・充分有り得そうだな。
448人間七七四年:2010/05/27(木) 15:14:06 ID:W1WVhSSb
>>447
不如帰乱で実際それやられたな>長政抜き
449人間七七四年:2010/05/27(木) 20:22:13 ID:Np6hg1Uz
周りが濃すぎるだけで
同世代では結構濃いキャラクターなのにな
450人間七七四年:2010/05/28(金) 21:16:25 ID:pSDDeX9D
>>1だけ見てもそこそこエピソードあるのに
更に他にもいくつもあるしなあ
1つの本にするのに不足無いと思うが
451人間七七四年:2010/05/28(金) 21:19:38 ID:pSDDeX9D
徳川家康
井伊直政
黒田長政
俺が気に入ってる武将、みんな子供時代に命が危なかった
なんとなく書いてみた
452人間七七四年:2010/05/29(土) 15:12:54 ID:7eMNJGT6
>>451
そういうのはチラシの裏にでも書いてろ
あとsageろボケ
453人間七七四年:2010/06/01(火) 07:15:34 ID:xaD6HTfK
バイト先に自称歴史好きがいる。が、彼は「黒田ナガマサ?誰それ?」と言った。
官兵衛のことは知ってた。
52万石の大大名なのにここまで影薄くなるのも難しいだろw
長政かわいいよ長政。

ゴスティーニでスルーされるにカシオミニ賭ける。
454人間七七四年:2010/06/01(火) 12:38:58 ID:A64HnziT
453みたいなのが黒田長政は影が薄いとかいうからどんどん薄くなってんじゃねーの?w
455人間七七四年:2010/06/01(火) 13:47:52 ID:U1nLHMV3
同じ長政でも来年は浅井の方が知名度上がりそうだ
456人間七七四年:2010/06/01(火) 18:26:04 ID:csdaCq3N
>>453
まぁ好きと多識はイコールしないからなw
457人間七七四年:2010/06/01(火) 23:45:31 ID:s+B6yZlN
知名度は元から浅井長政のほうが・・・
浅野長政よりは上だろうけど、木沢長政より下くらいかなw
458人間七七四年:2010/06/02(水) 20:22:11 ID:WVUr9xaW
御奉行の浅野の方が上じゃねーの
黒田長政、最近は教科書に載ってんの?
459人間七七四年:2010/06/02(水) 20:23:18 ID:WVUr9xaW
御奉行じゃないわ五奉行ね
っていうか御奉行ってごぶぎょうとも読むのか…俺ずっとお奉行一択だったよ金さんの影響だな
460人間七七四年:2010/06/03(木) 00:39:06 ID:uHDCZVUA
ぐーぐる検索結果でも。

浅野長政 約 32,900 件
黒田長政 約 56,900 件

一応NGMSの方が上らしい。
461人間七七四年:2010/06/03(木) 11:25:35 ID:mF3EUwFS
福岡での事績分有利だな
寺や神社に寄進したとか興業支援したとか
462人間七七四年:2010/06/03(木) 12:15:14 ID:m/cJ2MPl
>寺や神社に寄進したとか興業支援したとか

それを息子が取り上げるっと
463人間七七四年:2010/06/03(木) 16:25:23 ID:mF3EUwFS
忠之さまは妙に信心深いから寺社仏閣からの召し上げは多分しないよ
家臣や商人相手なら容赦なくパワハラかますけど
464人間七七四年:2010/06/05(土) 19:12:26 ID:bc5BDg90
浅野長政なんて浅井長政の誤植に見える
465人間七七四年:2010/06/05(土) 21:26:45 ID:JdoXC43s
諱で呼ぶ習慣がなかったとはいえ、同時代にいっぱいおるね
466人間七七四年:2010/06/06(日) 03:44:31 ID:s/m3wPmn
でもナガマサーズを実績から見れば
浅野>黒田>木沢>浅井>その他有象無象の長政
やっぱり天下の仕置きをやった浅野さんがトップで福岡52万石が続くかなと。
浅井は信長関連で知名度だけは高いけど破滅の道を自ら選んだのはマイナス。
木沢さんもそうだけどスケールが大きいから。
で、番外として山田長政。

司馬遼の関ヶ原を大河でやってくれれば黒田長政も知名度上がるかもしんない。
あの小説では結構味のある敵役で出てたような記憶がある。
脚本家しだいだけど。
467人間七七四年:2010/06/06(日) 13:21:01 ID:OBKuJmfr
小説だったら群雲関ヶ原へのほうが長政目立ってると思う
所詮脇役だけど。
468人間七七四年:2010/06/06(日) 18:55:47 ID:hqkDtGC6
可能性の問題だろ。有名だもんなあれ。
司馬遼太郎とは感覚が合わないみたいで苦手なんだけど、
苦手だと一際、どれだけ有名で読まれてて多くの人に影響与えてるかわかるよ…。
469人間七七四年:2010/06/07(月) 06:41:25 ID:1ntn2ocm
>>466
司馬の関ヶ原は、大河じゃないけど昔TBSが豪華キャストでドラマ化してたね(DVDも出てる)

ちなみにNGMSは…やっぱり影が薄くて誰が演じてたか憶えてないw
470人間七七四年:2010/06/07(月) 10:55:08 ID:4B7aP+14
NGMSが目立つにはスーパー軍師の親父の活躍か馬鹿息子危機一髪がメインにならんと厳しいね
471人間七七四年:2010/06/07(月) 13:00:52 ID:SsEMACki
葉室麟に地味に期待しているが、あの人も如水派みたいだしな・・
472人間七七四年:2010/06/08(火) 12:52:35 ID:cuhv/000
アンサイクロペディアのNGMSさんの頁がおもしろ
473人間七七四年:2010/06/27(日) 23:05:45 ID:QY/zC8ZO
最初の嫁には・・・
474人間七七四年:2010/08/03(火) 07:47:24 ID:rKsjSjhf
一の谷一般公開記念上げ
明日は命日(旧暦だけども)でございますよ
475人間七七四年:2010/09/19(日) 01:29:12 ID:JDGG5w/q
ネタ無しか・・・
476人間七七四年:2010/09/23(木) 12:17:38 ID:7fk0WAc1
つ ネタ
この人VIPPERだったらしいって言われてるけど、どうなの
もしそうだったら時空っていうか次元を超えてるけど

curo NGMS
477人間七七四年:2010/09/23(木) 12:43:28 ID:44zyJpy3
そういや、子音を略す書き方はヘブライ語の伝統で、ラテン語とかにも受け継がれてるから
>>476みたいになったって考えでいいのかな?

黒田長政のローマ字印について調べたおかげで長年なんとなく持ち続けてた疑問に答えが出たわ
(ヤハウェ、ヤーヴェ、エホバ、なんでそんなに仮名があるんだよと思ってたら、つまりYHWか)
478人間七七四年:2010/12/12(日) 11:58:32 ID:Ff+4CEAT
もう大河は親父でいいよ
とにかく名前が出てくれ
479人間七七四年:2010/12/12(日) 18:18:47 ID:/nQqA9FY
親父主役の大河なら、ngmsは
生まれた→人質→(ここまでほぼ空気)川で溺れる→「左手は何してた」で終わり。
480人間七七四年:2010/12/24(金) 21:21:40 ID:mBzjLsqL
>アンサイクロペディアのNGMSさんの頁がおもしろ

細川忠興が嫌いなのは近親憎悪というのはあたってるよね。親父が濃いし、キリスト教絡んでるし。
481人間七七四年:2010/12/25(土) 00:28:42 ID:QWW9K6xa
次の大河
親父は出るようで
482人間七七四年:2010/12/25(土) 00:36:02 ID:/wX/KOxC
葵三代で十分出てたろ
483人間七七四年:2010/12/27(月) 12:54:14 ID:qDBmuH/o
TBSの「関が原」でも十分目立ってた。
484人間七七四年:2010/12/27(月) 20:25:53 ID:p3eAUT8U
関ヶ原の長政は確かに神がかってるけど十代とか四十代の頃の方が面白いと思う
このへんでしっかり出番がほしいんだけど
やっぱ長政が目立つといったら関ヶ原くらいになっちゃうんだよな
485人間七七四年:2010/12/28(火) 01:59:11 ID:eMYt4lvV
見たことないよー(´・ω・`)
486人間七七四年:2010/12/28(火) 15:27:51 ID:CTp9TB6W
「関が原」のngmsは見所たっぷり。バリバリの策士だった。
加藤清正の暴走を止めるngms。石田三成に女間者を送り込むngms。
石田三成襲撃の旨を本多佐渡に予め伝えるngms。
邸宅に石田三成がいないことを同士に伝えるngms。徳川邸に赴くngms。
福島正則を説得するngms。小山会議で福島正則の次に興奮するngms。
酔っ払った福島正則をなだめるngms。「軍義じゃ」のngms。
徳川家康と密談するngms。
小早川を「こはやがわ」と呼ぶngms。小早川の陣に目付を派遣したngms。
「正面は石田三成だ。いけやー」のngms。徳川家康の使者にキレるngms。
「俺にもわからん」のngms。「知るかッ」のngms。「かえって内府にそうつたえろ」のngms。
島左近を狙撃するngmsの兵。
戦が終わったあと徳川家康に呼ばれ小早川秀秋のことを尋ねられるngms。
「勝敗は天運とはいえ、五奉行随一といわれたご貴殿がこのような…」と慰めつつ
石田三成に陣羽織をかけてやるngms。
加増されたngms。鼻のでかいngms。
487人間七七四年:2010/12/28(火) 20:04:07 ID:OUxlAuc+
長政の♀ヲタが見たらびしょ濡れだな
488人間七七四年:2010/12/29(水) 14:02:33 ID:svP8ILPW
ダウンタウンの松ちゃんにさんざん悪く言われるngms。

「お父さんほめてください。小早川裏切らせたの僕です」「アホがー!!」
489人間七七四年:2010/12/31(金) 22:22:29 ID:dP+LhBbf
親爺様の新スレ

【合子形兜】 黒田孝高総合スレ 2 【圧切長谷部】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1293800734/
490人間七七四年:2011/01/01(土) 20:05:17 ID:CoVDO4f3
あっちは興味無いなあ
491人間七七四年:2011/01/01(土) 21:46:31 ID:ecjp8ubx
http://www.tv-tokyo.co.jp/gunshi/cast/index.html

黒田長政(松寿丸)…尾崎右宗官兵衛と光の息子。
尾崎右宗
主君・小寺政職の息子の代わりに、官兵衛は松寿丸を信長の下へ人質として送る。
松寿丸は、秀吉の妻・ねねに預けられ育てられるが、官兵衛が有岡城で幽閉された折、
信長は松寿丸を殺すよう秀吉に厳命する。官兵衛は決して裏切る筈は無いと信じている
秀吉の困惑を目の当たりにし、半兵衛が機転を利かせ、松寿丸を救う。
後に成長した松寿丸は長政と名を改め、関ヶ原の合戦では活躍をする。
492人間七七四年:2011/01/01(土) 22:15:47 ID:CoVDO4f3
493人間七七四年:2011/01/02(日) 18:02:30 ID:SSIMnQu2
>>491
おいそのすぐ下の嫁がえらいことになってんじゃねーかw
蜂須賀保科両家涙目w
494人間七七四年:2011/01/02(日) 22:48:43 ID:Fvf1ACEj
ngms
495人間七七四年:2011/01/09(日) 23:22:38 ID:mGy2ltJc
ああああ。米倉涼子とやりたい。
496人間七七四年:2011/02/02(水) 01:29:45 ID:l7wnnMT7
さすがに江には出ないよな・・・
497人間七七四年:2011/02/02(水) 06:05:07 ID:S90RxQkU
山田長政と被る
498人間七七四年:2011/02/02(水) 22:30:28 ID:5G9bvvi+
長政ってなんで大坂の陣で江戸に留め置き?
別に積極的な豊臣派じゃないよな?
豊臣に高く自分を売る為にいきなり裏切って、豊臣方に付くとでも思われたのか?
499人間七七四年:2011/02/03(木) 16:10:27 ID:8zWfMA6z
何故家康を殺さなかった!
500人間七七四年:2011/02/06(日) 10:36:58 ID:sAthUin9
>>498
@大身の突撃大名とかぶっちゃけいても邪魔
A市松のおもり役
B積極的な豊臣派でもないが、実は積極的な徳川派でもなかったから
501人間七七四年:2011/02/09(水) 01:43:20 ID:lJOQV4oZ
秀吉が孝高を使いながらも地味に敬遠してたのと同じで
家康は長政を使いながらも地味に敬遠したんじゃない
長政が武力一辺倒の武将なら大坂に呼んだかもしれんけど
実はそうではなかったのが奇しくも関が原で判明してしまったわけで
502人間七七四年:2011/02/09(水) 02:07:45 ID:g9GrCuGQ
関ヶ原で十分な恩賞与えてるからこれ以上はあかんちゅううこっちゃないかね
503人間七七四年:2011/02/09(水) 19:14:11 ID:PPxZACrR
本人は報奨無くても出たかったのに、家康が押しとどめたってことなんじゃない?
あの時代になったらさすがに与えられる土地は豊臣直轄領だけ?
それもどれぐらいになってたんだろうか
504人間七七四年:2011/02/09(水) 20:41:16 ID:MwmdjJ/x
西国大名は基本的に危険者リストに入ってるってことだろ。
所詮は家康視点からだと黒田長政もうまく利用したやつらに過ぎない。
特に家康が信頼してるヤツは東堂高虎みたいに大坂城より東に転封してるんじゃないかな。
505人間七七四年:2011/02/10(木) 01:58:26 ID:iI8ZBVn4
あるいは留守居役共の監視役
506人間七七四年:2011/02/10(木) 10:55:15 ID:IEowBefk
結局、黒田は大大名になっているからなあ。
身内を嫁に出しているし黒田騒動のときも改易なしだったし。
507人間七七四年:2011/02/10(木) 13:37:57 ID:+rnKOcM1
武断派の面々も老人家康は遠からず死ぬだろって考えていただろうからなあ。
そしたら天下は有力者による持ち回りだし、
いよいよ自分達が大老になって豊臣政権を運営していこうくらいには思ってたかも。
そしたら家康が長生きして将軍になり支配を盤石化させてしまったから誤算だったかも
508人間七七四年:2011/02/10(木) 18:59:29 ID:3atYNK1M
まあ、江戸にいる大名がすべて反徳川的に考えられていたわけではないだろうね
だって、本当に危険人物ばかり集めていたとしたらそれはそれで危険
509人間七七四年:2011/02/10(木) 19:00:37 ID:3atYNK1M
それと徳川幕府の体制が固まったのはなんだかんだで秀忠の人望が大きいと思うよ
実際長政も含めて諸大名は家康よりも秀忠に臣従してる感じがする
510人間七七四年:2011/02/12(土) 22:59:56 ID:nki4P7+s
かつて三成を襲撃したのに、
三成が関が原の戦いに敗れたときは
ねぎらいの言葉をかけ羽織まで着せてやったってのが
わけわかんないな
511人間七七四年:2011/02/13(日) 00:14:29 ID:VWapST8P
襲撃ってネタじゃないの
512人間七七四年:2011/02/13(日) 21:13:46 ID:PHGi9Ak/
七武将による三成襲撃、たしかに不審な点がある。
家康が三成を匿った時点で
血気盛んな七武将に「お前も三成派だろ」wって
殺されなかったのが不可解
513人間七七四年:2011/02/14(月) 21:24:16 ID:8MqPOxka
そもそも家康はフガフガ言ってる連中をなだめて帰しただけで
三成は自分の屋敷に帰ってたはず
襲撃にしても確かそんな都合よく7人揃ってないだとか
説によっては一部名前が違ってて正確ではないというのもあるね
514人間七七四年:2011/02/15(火) 11:02:47 ID:16Ybr561
そもそも長政とか地味な方の加藤さん辺りは三成と仲が悪かったのかすら怪しい気がする
515人間七七四年:2011/02/15(火) 13:27:24 ID:g2ccv53g
彼の帽子(?)、イカみたいじゃね?

ttp://www.geocities.jp/da_kenef/kuroda/kurodanagamasa.jpg
516人間七七四年:2011/02/15(火) 18:46:30 ID:qz6oJI66
暇だったんで書店で歴史コーナーを立ち読みしてきた
どうせ長政単独本なんて期待してないから
武将がたくさん載ってる本を見てみた
それにも載ってなかった_| ̄|○
517人間七七四年:2011/02/16(水) 17:46:18 ID:sH9sMlVG
竹中さん…
何で松寿丸助けたんですか?
信長の言う通りにしていれば良かったのにぃ
518人間七七四年:2011/02/16(水) 19:24:27 ID:V2OY1mtJ
えーっとこれは誰の亡霊だろう・・・
519人間七七四年:2011/02/16(水) 19:42:41 ID:gJO6R/ss
城井鎮房かな
520人間七七四年:2011/02/16(水) 23:49:05 ID:8av4rrPe
いや後藤又兵衛だろう
521人間七七四年:2011/05/28(土) 11:13:37.68 ID:d9fE9th0
長政の人気の無さに泣ける
大河じゃなくていい
メインでもなくていい
関が原ドラマ/映画の重要キャラとして見たい
そして孝高をチョイ役であえて出す
望みはそれだけだよ・・・
522人間七七四年:2011/05/28(土) 14:00:45.21 ID:hebQP/O5
>>518
忠興じゃね?
523人間七七四年:2011/05/28(土) 19:05:54.46 ID:MFdkJfFQ
徳川三代の時の山下真二の長政は良かった
524人間七七四年:2011/05/29(日) 13:09:56.97 ID:WpjeU9/X
映像作品なら『葵三代』か『関ヶ原』あたりは
長政の出番が多い

活字なら『黒田家譜』の孝高記・長政記の関ヶ原前後は長政主役
自分ちの家譜なんだから当たり前だ
口から泡吹いて叫びながら戦う長政が活躍してます
このひと本当に猪武者だ・・
525人間七七四年:2011/05/29(日) 15:43:56.37 ID:7UxY2yVs
>>524
家記的にはどっちが上?
526人間七七四年:2011/05/29(日) 20:00:13.34 ID:L40xiUD4
>>523
筑前黒田藩にとっては孝高は藩祖、長政は初代藩主なので、
基本的に二人とも大変リスペクトされてます
当たり前か
長政は「徳川家の天下取りに尽力し、筑前52万石を得た偉大な初代藩主」
という位置づけなので評価は高い

関ヶ原に関しては、家康に味方し勝利に貢献した長政及び黒田家の
勲功を褒めたたえ、孝高の豊後陣での活躍も詳細に記述している
527人間七七四年:2011/05/30(月) 01:00:21.73 ID:ufvlsi4k
どこで見たか忘れたけど
関が原の活躍の大きいものは裏の活動であり文書に残すものではないから
加増石高からしての推定もあるというのがあったけど
どうなんだろう?
表の活動は意外にも対面の石田隊に押されてたり
なかなか撃破出来なかったようだから
528人間七七四年:2011/05/30(月) 11:21:44.82 ID:+nwxKkX1
裏の活動・・例えば、長政の吉川広家・小早川秀秋の東軍内通の仲介なら
普通に書いてある
広家とは昔から誼があって→向こうから手紙がきて→長政が取りもち
→不戦の手はずの確認という経過が記されてたはず
秀秋も同様
529人間七七四年:2011/05/30(月) 16:01:18.30 ID:UcrsYaIh
あと、黒田家譜というか黒田家の関ヶ原関係の逸話・記録は、
「手強い西軍を相手に勇敢に戦って、勝った黒田長政公は素晴らしい!」
という黒田家を中心としたスタンスから書かれているので、
意外にも(?)西軍が善戦する描写はマイナス評価ではない。
むしろ相手が雑魚では困るというか、武功を引き立たせる道具は立派
な方がいいというか。

実際には早々に戦死したと思われる島左近に黒田隊が苦戦し、
びびったという逸話が、ほかでもない当の黒田家の『故郷物語』に
残されているのは、そういう文脈。
530人間七七四年:2011/06/01(水) 01:04:55.39 ID:oVjo+iwU
>黒田家譜の長政
以前読んだので、もうあまり記憶にないんだけど
長政がまったく屈折していない、明るい武断派キャラで新鮮だった気がする
「オレは戦が三度の飯より好きです!たぎるぜ合戦!」的な
もう一回図書館で借りてこようかな
531人間七七四年:2011/06/01(水) 01:43:12.96 ID:P9ag+W7X
そういうのって書き下し文なしの漢文でしょ?
ゼッタイよめんわw
532人間七七四年:2011/06/01(水) 20:10:09.13 ID:g7movs0e
黒田家譜は割と読みやすいよ
533人間七七四年:2011/06/01(水) 21:43:40.12 ID:X2Bzr+E5
>>531
黒田家譜ならたぶん読めると思う
そこは、さすがのベストセラー作家益軒先生よ
漢文どころか普通の日本語だし、文体に癖がなくて言葉選びも簡素だから
現代人が読んでもほとんど辞書引く必要がないくらい
淡々と進むけど、それでいて小気味よく燃えどころも心得た逸品で
黒田長政好きなら是非お勧めする

有名作家の作だから、活字化したものがそこらの図書館で簡単に借りられるし
黒田家と黒田オタにとっては本当に幸運というか、黒田光之公に感謝したい

古郷物語はその点、読み継がれることを目的とした感じがしないというか
わりと当時の流行語?話し言葉?みたいなのが多用されてたり
意味をとるのが難しいんだよな
でもこれも、読んで楽しい痛快娯楽本で
黒田家譜とは趣の違う面白さがあるのでおすすめ
534人間七七四年:2011/06/02(木) 00:15:08.82 ID:vkYu3Cb2
よっしゃ今度大き目の図書館いくわw
535人間七七四年:2011/06/02(木) 10:45:42.68 ID:tecl3iGx
黒田家譜は合戦シーンが臨場感あって読んでて面白かった

碧蹄館の戦いとか、長政そっちのけで小早川隆景無双の
熱い描写が続いたり
別の合戦中、目先の敵に頭から突っこもうとする長政に、
「やめろ!と言ってもこの人素直に聞くわけないし」と機転をきかし
「あっちの敵の方が強いっすよ」といいくるめて助ける後藤又兵衛がいたり
536人間七七四年:2011/06/03(金) 19:13:14.74 ID:P5xRaJPg
長政が殿様してる江戸期の部分もわりと面白い
537人間七七四年:2011/06/06(月) 16:02:17.99 ID:CRiTcGa4
長政が変に屈折してたり頼りないひがみっぽいキャラにされるのは
孝高や又兵衛を持ち上げるための演出みたいなもんでしょう
家譜のage傾向を差し引いても彼にそういう鬱屈しためんどくさい人間性は感じないな
その分、息子は複雑に屈折してしまった感はあるけども
538人間七七四年:2011/06/06(月) 19:22:59.01 ID:pLOHSrHP
>>525
「孝高は太閤殿下を助けて豊臣に天下をとらせ
 長政は神君を助けて徳川の天下を築いた
 黒田家、さすがよな」 

基本、こんな価値観で書かれてる。
自分ちの記録なので、(当たり前なんだけど)わりとやりたい放題です。
539人間七七四年:2011/06/07(火) 14:09:02.30 ID:ZQXt3Otz
>>537
家譜とか家記などのオフィシャルな歴史書では
登場人物のこまかい心理描写は省略されるので、
文体や書物の性格のせいというのもある<あっさり長政君

近現代の小説に慣れた目からすると、長政だけでなく
全般にみんな心情があっさり素直に映るというか
540人間七七四年:2011/06/30(木) 04:17:58.54 ID:BrEPp463
>>535
碧蹄館は本隊にいた長政の出番がくる前に、立花と中国勢が活躍して、
終わってしまったからなあ
長政にとっては運がないというか、ちょっともったいない戦いではある
541人間七七四年:2011/06/30(木) 18:55:45.93 ID:F5qlrEoh
朝鮮で活躍しすぎると大河になりにくいから・・・
542人間七七四年:2011/07/01(金) 02:13:17.32 ID:JsSlmIEt
長政が主役で大河ドラマになる可能性は100%ないから
むしろ、もっと文禄・慶長の役で活躍しとけばよかったのに、と思う。
結構、長政は名のある戦いに参加してはいるんだよ。でも

碧蹄館→立花・毛利一門の独壇場で長政が空気に
晋州城(第2次)→一番乗りで後藤又兵衛無双
蔚山→遅れてきた吉川広家が抜駆け無双

で、何かここ一番の見せ場で、他の人にいいところをもっていかれて
しまう感じ。不完全燃焼というか。
543人間七七四年:2011/07/01(金) 22:24:08.65 ID:ruoi7RJQ
>>521、542
黒田長政の活躍が見たい、というなら、おすすめしたいものがある
「決戦」という関ヶ原を扱ったコーエーの古いゲームがあってな
ここの黒田長政の撃つ「鉄砲三段」の強いこと、強いこと
おそらく、あらゆる黒田長政のなかで一番活躍する長政、
一番台詞に恵まれた長政がいます

太陽の塔を頭にのせた三成、ターバン巻いた上杉景勝、
インド人真田昌幸、パンチパーマの雪村など、
「頭がおかしいんじゃないか」と首をかしげる不思議デザインに
耐えられるなら、おすすめ(黒田は長政も如水も又兵衛も比較的まとも)
如水と敵味方で戦う架空シナリオもあって、これがまた
親父殿がすごくかっこよくて、しびれます

まあ、所詮、ゲームのなかでの話ですが
544人間七七四年:2011/07/14(木) 23:09:07.20 ID:on4oOWx4
功名が辻で、三成への陣羽織着せエピを一豊に持ってかれていたが、
今年は秀忠がそれやっちゃいそうな悪寒…
545人間七七四年:2011/07/15(金) 16:37:43.20 ID:4f/Ur8el
>>544
あれはドラマとかでは持ち回り逸話じゃないですかー
むしろ毎回、今度は誰だろうと楽しみなくらいで
546人間七七四年:2011/07/15(金) 21:48:30.35 ID:m+dmSBPp
今年は江が陣羽織をかけます
547人間七七四年:2011/07/20(水) 21:18:54.95 ID:Ja7BbK1N
いやいや、今年の大河は孝高がちゃんと登場してるだろ?
しかもわりと良い人役で

今回はシメオン様が九州からワープして、陣羽織をかけにいくよ!
548人間七七四年:2011/07/20(水) 22:48:34.38 ID:9e+Bfxok
重要と思われる武将がなぜか出ない不思議な大河だからなあ
例えば福島・加藤なんかが
549人間七七四年:2011/07/21(木) 00:40:37.58 ID:cb0H4i2E
>>548
秀吉の家臣ですら一門衆を除くと三成と官兵衛しかいないからな。
忠興なんてモブ同然だし、古田織部のへうげものネタで顔出しした程度という感じだった。
そもそも三姉妹の周辺で大野修理すらいないんだからなあ。
いつのまにか信包はいなくなっちまったし
550人間七七四年:2011/07/21(木) 00:46:01.25 ID:vUVOmY6n
いまだ大河に何か期待してる人が居る不思議
551人間七七四年:2011/07/21(木) 02:01:56.12 ID:1++rJFd1
単発歴史物があるかなんてエスパーかタイムトラベラーでなきゃ分からん
今やってる戦国ものとしたら大河しか知らんし
つーか長政は間違いなく出ないという諦めはこのスレのデフォルト・・・
552人間七七四年:2011/07/21(木) 19:01:29.42 ID:7rG6WTo9
葵徳川三代では長政がやったね>陣羽織
別に主役じゃなくても作品次第ではやってもらえる
今回は無理だろうけど
553人間七七四年:2011/09/02(金) 03:15:06.19 ID:6ZbuuvpO
>>548
戦国バサラなんか武田家は武田信玄と眞田幸村だけだから
(だいたいこの二人生きてる時代が違うだろ)
それに比べりゃなんぼかマシ
554人間七七四年:2011/09/04(日) 15:39:15.65 ID:7MJV3H/H
ついに大河にNGMSが登場したが、あれじゃあただのチンピラだよぅ。

「 そ ん な に 俺 た ち が 臭 い か 」

蓋し名言といえる。
555人間七七四年:2011/09/05(月) 19:14:25.60 ID:BN7FABQk
江との接点は無いから仕方ない
556人間七七四年:2011/09/05(月) 23:46:26.12 ID:BN7FABQk
BS-TBSの孝高の番組で長政ちょっと
557人間七七四年:2011/09/06(火) 01:50:50.87 ID:ekc/VvC5
TBSの関ヶ原でそれなりに
558人間七七四年:2011/09/06(火) 08:19:43.98 ID:euWc54nw
そのうち親父様が大河の主人公になるだろうから、それまで待つべし。
559人間七七四年:2011/09/06(火) 11:55:45.76 ID:usBs2RxI
葵の山下真二さんの長政を超える長政は当分現れないだろうな
560人間七七四年:2011/09/06(火) 21:33:59.02 ID:TS5G09ZR
今回の長政は福島、加藤よりも品がない。もちろん知性の欠片もない。
演じている人は長谷川公彦という人らしいが、島田紳助の本名と同じだ。
561人間七七四年:2011/09/06(火) 23:43:36.92 ID:YobqXQmC
何より若さがない……
562人間七七四年:2011/09/07(水) 09:09:18.54 ID:pUlN2NiS
>>561
でも葵の時の山下さんと同じ年齢なんだ
ちょっとびっくりした
563人間七七四年:2011/09/07(水) 15:47:48.50 ID:eyZrEO8w
三成が若い(といっても実際はあんなもん)し、秀忠も若者だし、バランスが…
あと山下さん若々しかったからね
564人間七七四年:2011/09/07(水) 19:49:45.68 ID:WJ0KL8Jh
もうだめだなダミアン。
565人間七七四年:2011/09/08(木) 19:30:36.95 ID:L/HIRW9n
山下さんのNGMSはなんか策士でもなく猪武者でもなく熱血漢という感じだったな。
蟹江さんの福島正則も馬鹿丸出しでよかった。
566人間七七四年::2011/09/20(火) 21:54:23.38 ID:rmuu6Dn9
さっき、何でも鑑定団で、長政の子孫が出ていた。

長政の肖像画を持って出ていた。

評価額は250万。
567人間七七四年:2011/09/20(火) 22:52:24.05 ID:sxddIOAt
流して見てたけど長政の子孫じゃなくて叔父にあたる
官兵衛の弟の利高か利則か直之の子孫(御一門)じゃなかった?
568人間七七四年:2011/09/20(火) 23:14:14.83 ID:n1UD54Id
兵庫助利高の子孫でしたねー。
569人間七七四年:2011/09/30(金) 23:19:30.21 ID:jGiXTCXA
皆さんご存知とは思うが
http://jvideo.info/videos/2259/
570人間七七四年:2011/11/19(土) 09:46:33.73 ID:8Dwwf9lb
長政、下がりすぎだよ!
あげとくね
571人間七七四年:2011/11/26(土) 02:01:38.44 ID:0CRvChRG
よっしゃ
572人間七七四年:2011/11/27(日) 16:55:04.07 ID:DngJ9f+h
黒田長政ダ!ならおもしろかったのに
573人間七七四年:2011/12/02(金) 20:13:31.92 ID:HVqCbHj0
面白くねーよ!><                       中
574人間七七四年:2011/12/03(土) 05:47:29.34 ID:uCIe1D5Q
旧暦の誕生日だな
575人間七七四年:2011/12/07(水) 19:47:42.07 ID:rifvZ8AW
この人、信長にも匿われて生きてたのが事後に伝わってたの?
運よく信長が死んだから表舞台に出てこれたの?
576人間七七四年:2011/12/07(水) 21:41:11.02 ID:TiSsgzao
信長が孝高に?謝罪した
という話はあるけど本当かどうかまでは調べてない
577人間七七四年:2011/12/07(水) 23:32:36.42 ID:rifvZ8AW
へえー 興味あるな
結果信長のチョンボだったけど、匿ってたことが命令違反には変わりないから隠しそうなもんだよね
半兵衛が死んでたから 半兵衛が勝手に(汗 で押し通したのかな
ともあれ、ありがとう!
578人間七七四年:2011/12/12(月) 16:33:41.86 ID:2fSn1N8N
関ヶ原直後の長政って
広家に毛利一族の首領になって欲しかったのかな?
広家は蹴ったけど
579人間七七四年:2012/01/26(木) 22:15:39.50 ID:hF4nHFVM
そんな決める権限も願望も、長政にないだろw
広家は、むしろ長政より孝高と親交が長いし、深かったわけだし
580人間七七四年:2012/01/27(金) 20:59:40.48 ID:QeZXEU0R
長政祭りってないのかね
581人間七七四年:2012/02/02(木) 12:50:01.92 ID:cpeVntqm
後藤又兵衛に見限られてるしなぁ・・・
個人的には、黒田長政嫌いじゃないし
福島辺りよりずっと器量があると思うんだが・・・
582人間七七四年:2012/02/02(木) 13:32:33.23 ID:ej8QXgI1
見限られたとか講談の中の話だけだろうに
583人間七七四年:2012/02/02(木) 18:10:30.42 ID:cpeVntqm
実際に出奔してるじゃねーか
又兵衛が放逐された訳じゃないのだぞ
584人間七七四年:2012/02/02(木) 19:14:46.60 ID:fcyPq0Fo
現代でもドロップアウト組みは俺が会社を見限ったんだと言い張るよね
585人間七七四年:2012/02/02(木) 20:08:10.26 ID:nMcNH75u
次々に奉公構えされたほど転職先は引く手あまたなのに、
ドロップアウトとは言えんだろう
このスレに限らず、この頃、それなりの信憑性のある定説を調べもせず、
何でもかんでも後世の作り話で片づけるやつが多いんだけど、何なんだ?

又兵衛の方から長政を見限って出ていってのは、講談でも何でもなく
事実だろうに
586人間七七四年:2012/02/03(金) 01:56:39.01 ID:3aB4biUQ
事実といいきれるだけの史料はないよ。
少なくとも、同時代史料と齟齬があり過ぎる定説に信憑性なんかもないよ。
又兵衛自身の書状で家中で孤立気味だから出ていくかもしれない
と漏らしている史料があったりもするよ。

同じ二十四騎で更に後世に出奔した堀平右衛門の出奔顛末なんかも参考にしてみればいいよ
587人間七七四年:2012/02/03(金) 12:14:25.04 ID:tDikD/yj
同時代史料にはそんなこと毛ほども書いてないけどね
どうみても細川との関係とかで家臣団の中でいずらくなったんだろう

例え万が一見限ったとしても
その見限られた会社とやらは豊臣恩顧にも関わらず、その後大大名として存続、
謀反の兆しありで、お家騒動さえ訴えた家臣が悪いで済んだ会社を見限る方が見る目なしってことになるだろ
588人間七七四年:2012/02/04(土) 02:01:38.53 ID:3QspYOpw
というか、見限るの意味がよくわからない…
黒田長政の方から「出ていけ!」と追いだしたんじゃなしに、
後藤又兵衛の方が、黒田家を一族連れて自分から出ていったんだよね?
詳しい理由は史料ではわからないけど

普通、それを家臣が主君を「見限る」って言うんじゃないの???
589人間七七四年:2012/02/04(土) 02:25:17.22 ID:vUO++xbZ
又兵衛が積極的意思を持って出ていったなら、「見限った」と言えると思うが
積極的に出ていった証拠なんか、ないと思うんだが
あるなら逆に教えてほしい
590人間七七四年:2012/02/04(土) 02:28:25.21 ID:NnUx+Cdt
み‐かぎ・る 【見限る】
[動ラ五(四)]見込みがないとしてあきらめる。見切りをつける。
「会社を―・る」「医者にも―・られる」

うん、又兵衛が見切りをつけたというのは間違ってないよね
理由はどうあれ
ただ、見限ったのは上司なのか組織なのか
591人間七七四年:2012/02/04(土) 02:35:51.26 ID:3QspYOpw
なんかかみ合ってない気がするんだけど、
主君に無断で城を捨てて、隣国に出奔する、というのが
自分から積極的な意志をもって出ていった=見限る、以外の何なのか、
よくわからない

逆に、黒田長政の方から、後藤又兵衛を積極的に放逐しようしていた、
という意志を明確に示す史料はあるの?
592人間七七四年:2012/02/04(土) 03:04:43.65 ID:vUO++xbZ
主君に無断で城を捨てて、一族を引き連れて、隣国に出奔する、という行為
「夜逃げ」に似ているとは思わないのか?
593人間七七四年:2012/02/04(土) 03:06:27.38 ID:NnUx+Cdt
主君から咎められて誓紙を書いたにもかかわらずそれを破って、
それが原因かは知らんが家中で孤立して、居場所がなくなって出て行った
という事情でも、主君を見限ったなんて、偉そうな表現できるのかなって
ぶっちゃけ、出ていくしかない状況に追い込まれたっていのが実情じゃないかなあ
あくまで、現存史料からの推測でしかないけど
594人間七七四年:2012/02/04(土) 09:19:33.70 ID:ZR0xlA4l
俺のやり方が気に入らないなら出て行けと言わたからといって
だから出ていくってのは放逐にはならないだろうな
595人間七七四年:2012/02/07(火) 21:35:26.31 ID:M4k0+rkH
六端城は、主に農民の筑前→豊前への逃亡を防ぐために築いたのに
そこを任せた後藤が細川家を頼って退去したから
出奔されて、なおさら長政の面目が丸つぶれだったわけで
長政の方から「どうぞどうぞ、嫌なら出ていけ」などと思うわけがない
不仲でも、まさか本当に後藤が城捨てて出ていくとは予想してなかったんだろ
596人間七七四年:2012/02/07(火) 22:38:40.34 ID:e/Z3Jk2o
>>586
又兵衛の出てくかもしれないという書状ってどこかで見られる?
聞いたことなかったから是非知りたい

>>595
又兵衛は地位も名誉もあって大人しくしとけばそれなりの人生なんだし、
少なくとも長政自身は又兵衛が孤立しても本気で出ていく気はないと思ってたのかもね
又兵衛って名前の割にいつ頃から黒田に仕えたのかもはっきりしないし
結構謎が多い人物なんだよなあ
597人間七七四年:2012/02/08(水) 02:03:36.16 ID:cnPj88kY
>>596
福岡県史の近世史料編の野村家文書だったかな
野村家には娘が嫁いでいるので残ったのかな
598人間七七四年:2012/02/08(水) 15:33:35.37 ID:8/SrQK6l
>>597
ありがとう、近くの図書館にあったので今度読んでみる
でも又兵衛もなんで立場を危うくするまで細川と交際を続けたんだろうな
599人間七七四年:2012/02/08(水) 21:06:27.26 ID:xBTIBodS
もともと孝高の代には、細川家と仲好かったしな
関ヶ原前から又兵衛は天下の名士扱いだったから、
交際自体はもともとあっただろう

長政の代に、移封時の年貢米と苛酷な検地で細川領への
農民の逃散が相次いで、細川家との仲が急激に険悪になった
でも、おれはおれ、長政は長政で交際してたら、
主君との仲が悪化しただけじゃないの

この手の家臣が主君の方針が不服なとき、
いうこと聞かないパターンは、この時代ならよくあると思うが
600人間七七四年:2012/02/09(木) 00:43:23.43 ID:6LdV/I+6
この時代という辺りで後藤は中世から近世への時流が読めなかったんだな
601人間七七四年:2012/02/09(木) 01:18:40.88 ID:DGrEfWSK
>>600
そらそうだ
でも、時流読むタイプばかりじゃつまらなくない?
又兵衛が空気読まなかったから、最後の戦国武将らしく数奇な運命を
たどったとも言えるわけで、いろいろあっていいんじゃないの
又兵衛や孝高sageても、別に長政の魅力があがるわけでもないでしょ?

折角、400年も前の人物の話をしてるのに、世知辛い勝ち組・負け組の
区分しか評価基準がないのは、窮屈というか、品がないよね
602人間七七四年:2012/02/09(木) 01:30:53.77 ID:6LdV/I+6
>>601
どっちにしろ同時代史料は少なくて今のイメージは講談でしかないから
面白くしているわけだろうに
603人間七七四年:2012/02/09(木) 01:41:35.93 ID:0hI4F2up
又兵衛ageるために長政sageられなければ別に講談イメージでも構わないんだけどさー
604人間七七四年:2012/02/09(木) 01:47:36.48 ID:6LdV/I+6
長政sageられなければ又兵衛ageられないってことかね
605人間七七四年:2012/02/09(木) 01:58:24.07 ID:bZT6wN73
時流読む読まない以前に、この時点では徳川と豊臣は深刻な対立してないけどな
単に、藩内で対立しただけだろ
606人間七七四年:2012/02/09(木) 02:05:49.81 ID:0hI4F2up
まあ、うるさ型の重臣(母里とか栗山とか)も揃って対細川でやる気満々なところに
軽々しく細川と交流していたら、家中で孤立するわ
607人間七七四年:2012/02/09(木) 15:55:50.00 ID:mv156ewE
又兵衛的には、自分は名士っていう自負もあったろうし
細川との交流だって君主同士の仲はともかく
戦争してるわけでもないし構わないだろー位に思ってたけど
他の人間からしたら空気読め、みたいな感じで段々孤立していったのかな
長政は又兵衛を信頼して国境に配置したんだろうし、まさか出奔なんて
と思ったのかも
608人間七七四年:2012/02/09(木) 16:06:09.95 ID:ilcNbu4v
史料を見ると長政は又兵衛を出奔までは信頼していたみたいだし。
むしろ庇っているような様子も見受けられるみたいだから、
奉公構は、その信頼が裏切られての
可愛いさ余って憎さ百倍みたいなとこあったんじゃないかね。

溺れるの見ていた事件とかに近いことは、史料だと別の家臣みたいだしさ。
609人間七七四年:2012/02/09(木) 21:39:08.19 ID:6V2wEuWN
初歩的な質問でごめん
なんで、長政のときに国境に城を作らなくちゃならないくらい、
農民が豊前に逃げだしたの??
610人間七七四年:2012/02/09(木) 21:55:02.77 ID:ilcNbu4v
農民の逃亡に城作ってどうすんの?
611人間七七四年:2012/02/09(木) 22:27:20.80 ID:6V2wEuWN
>>609
筑前黒田藩の西側国境にあたる肥前鍋島藩は、国内鎖国の方針で
領民をださない・入れないを早くから実施してたから、実質的に
筑前の農民は、豊前細川藩にしか逃げられない
原因は、黒田長政の実施した検地による大幅な重税負担
細川藩は豊前で再検地しなかったので、農民統治がゆるやかだった

>>610
え、6つの城で国境の通行を制限して、実際に農民を捕縛してる
黒田藩に限らず、国境の拠点ではどこでもやる
基本的に逃げた領民は、あとで藩同士で交換するのが慣例
612人間七七四年:2012/02/09(木) 22:37:55.24 ID:ilcNbu4v
ああ、細川は加藤の後に入って領民掌握が大変だったんだっけ
613人間七七四年:2012/02/10(金) 01:14:51.60 ID:7ciAO37U
そもそも、あの時代であのクラスの重臣が勝手に出ていったら普通に奉公構えするよ、どこも
614人間七七四年:2012/02/10(金) 01:23:49.30 ID:YoYaJi9Z
普通にって言うからには10例くらいすぐ出せるんだろなw
615人間七七四年:2012/02/10(金) 03:02:33.77 ID:DMp1q6cR
>>614
10という数の基準が判らないけど、まず出て行った事例を20くらい出して見てよ
616人間七七四年:2012/02/10(金) 20:29:53.68 ID:YoYaJi9Z
質問に質問で返す、お前は困ったときはすぐそれだ。
617人間七七四年:2012/02/10(金) 20:35:20.00 ID:sFWH0xBn
ディベートの基本技術ではあるけどね
質問者は本来ならその質問について理解しなければならから
質問返しで答えられない質問は下らない考えなしの質問だってことですわ
618人間七七四年:2012/02/10(金) 20:46:02.43 ID:YoYaJi9Z
面白いなお前
619人間七七四年:2012/02/10(金) 21:56:53.74 ID:A6MWZ1+v
珍説を唱えて質問に質問で返してそれが通るなら
世の中珍説だらけだわな

戦国時代の忍者は100mを5秒で走ったとか
風呂敷で空を飛んだとかが普通だなんて言えてしまう
620人間七七四年:2012/02/10(金) 22:09:58.80 ID:sFWH0xBn
大名が奉公構出しているのが珍説ならね
621人間七七四年:2012/02/10(金) 22:19:00.72 ID:YoYaJi9Z
他の例も出せずに普通とか語っちゃう面白くん
622人間七七四年:2012/02/10(金) 22:34:46.01 ID:sFWH0xBn
知らないの?マジで?

水野勝成、塙団右衛門、渡辺勘兵衛、鬼庭綱元 、伊達成実
谷衛友が加藤清正に奉公構出された家臣のために一肌脱ぐって逸話だってあるじゃない?
623人間七七四年:2012/02/10(金) 22:41:16.18 ID:YoYaJi9Z
wikipあわてて見てきました的な面子だな
624人間七七四年:2012/02/10(金) 23:00:20.98 ID:hZYhpe6c
又兵衛の場合、細川家に対する奉公構えは、まあ当然という気はする
国境の城を預けたら、当の仮想敵国に出奔されてるって・・・
細川家に又兵衛が仕えたら、敵国に軍事機密もダダ漏れるわけだし、
長政の面子丸つぶれだろ、これ。はらわた煮えくり返るぞwww

ただ、友好的だった福島・池田あたりへの、のちの奉公構えは
さほどの必然性もないし、かえって長政が男下げた観はあるんじゃね?
625人間七七四年:2012/02/10(金) 23:57:38.62 ID:cLADHG3h
奉公構えは、他家すべてに有効だろ。
本人が撤回しない限り。
626人間七七四年:2012/02/11(土) 00:07:49.77 ID:soddTBfC
そうそう。長政本人が撤回しなかったわけ
細川・松平・藤堂・前田・池田と奉公構えが継続してる
中でもこじれたのが細川と池田
んで、両家の間では解決しないから、間に立って幕府が
何度も調停にのりだすんだけど、長政が撤回しねえのよ
特に池田のときは長期間にわたって何度も、苦慮した幕府が
奉公構えを解くよう仲介してんのに、つっぱねてんの
奉公構えが、ここまで長期にわたってこじれた例は、珍しいわけ
627人間七七四年:2012/02/11(土) 01:19:34.10 ID:UUr5Gf+7
池田家には一度引きさがってるけどね
勘違いされてるけど、又兵衛は一定期間ちゃんと池田家に仕官してるはず
輝政死んでから文句言ったら息子が召し放したらしいけど
628人間七七四年:2012/02/11(土) 01:37:29.39 ID:soddTBfC
だーかーらー、そこでスパッと男らしく諦めりゃいいじゃんwww
池田に仕えてたときも、長政がうるさいから、輝政はわざわざ息子の
利隆のもとに又兵衛を移して追及かわすとか、めんどくせえ
対応をせざるをえなかったの!
輝政が死んだ途端に、代替わりした息子にねじこんで、士官先から
追いださざるをえなくするなんて、別にそこまでする必要なくね?

それを細川は経緯からして妥当としても、のちのは「長政の方が男を
下げた」って言ってんの
629人間七七四年:2012/02/11(土) 01:48:40.98 ID:UUr5Gf+7
男を下げたってなんだかなあ
又兵衛への処置って要するに「黒田家中の総意」だからな
630人間七七四年:2012/02/11(土) 01:50:52.76 ID:UUr5Gf+7
て言うか、又兵衛のこと一つで長政の評価を決めようとするのが納得いかないよね
631人間七七四年:2012/02/11(土) 02:00:54.70 ID:mGTvSM1O
奉公構されて、他家に仕官出来た人って、誰かいる?
水野勝成がややそれに近いかも知れんが、あれも結局は元の鞘に収まっただけだし
632人間七七四年:2012/02/11(土) 02:02:16.15 ID:l2/8rA0x
でも如水なら奉公構なんてしなかっただろうな
仮にしてもある程度すれば取り消す

そもそも又兵衛を重用するのも反対だったっけ
633人間七七四年:2012/02/11(土) 02:03:10.79 ID:soddTBfC
意味がわからんのだけど、幕府に何度も手間ひまかけて
ご足労願ったうえに、対外的な関係までこじらしてまで
「あいつをずっと奉公構えしましょう!」なんていう
「黒田家中の総意」って何じゃらほい?

大名間のいざこざは幕府にとっても好ましくないうえに
もとから不通の細川にくわえて、池田との関係も短期的には険悪化だお
見せしめ的な家内統制のメリットより、対外的なデメリットの方が、
はるかに上回るんじゃね?

てか、この件に関する「黒田家中の総意」って、どこにあるの?
誰がどうやって決めんの?
634人間七七四年:2012/02/11(土) 02:08:52.45 ID:UUr5Gf+7
殿様がそうと決めて家中で反対意見もなく家臣がそれに従ってるんだから、
「黒田家中の総意」だよ
それが武士団であり「家」という組織だよ
635人間七七四年:2012/02/11(土) 02:10:51.56 ID:soddTBfC
>>630
そんなこと誰も言ってないおwww

総体的には、長政はむしろ好きな武将だし
じゃなかったら、こんなに黒田スレにレスしないお
ただ、この件に関しては、あんまりにも長政ファンの方が
贔屓の引き倒しだから、フェアじゃないと思うだけだお
636人間七七四年:2012/02/11(土) 02:10:58.29 ID:UUr5Gf+7
>>632
稲富が確か幕府に取り入ってとかれたような記憶があるw
あと、奉公構くらった人間が名前を変えてこっそり仕官してる例はあるみたい
637人間七七四年:2012/02/11(土) 02:16:10.14 ID:soddTBfC
>>634
じゃあ、長政の意志=黒田家の総意でいいじゃん???
おれ、それにどっかで反対したっけ?
「この件に関して、長政の意志と行動に集約される黒田家の総意
 および対応は、細川家の場合はともかく、褒められたもんでは
 なかった」

長政が男を下げたというのと、どっちでも同じだとおもうがね
638人間七七四年:2012/02/11(土) 02:19:33.14 ID:UUr5Gf+7
いいよ、それで
それくらい又兵衛が黒田家中からつまはじきにされてたんだろうね
そう言いたかっただけだよ
639人間七七四年:2012/02/11(土) 02:24:36.48 ID:soddTBfC
いいよ、それで
そんなにつまはじきにされてんなら、でてってばんざい!
いつまでもこだわらず
あっさりほっときゃよかったのにね

おれも、そう言いたかっただけだよ
640人間七七四年:2012/02/11(土) 08:57:41.82 ID:Mxr3O6oo
なんか又兵衛嫌いな人がいるのか?

奉公構えの件は又兵衛が大阪に入る直前に黒田に戻る話が
あって、ほぼ決まりかけてたんだけど結局長政の出した条件が
嫌でご破算になったというのを又兵衛の本で読んだのだが、
これは幕府の調停によるものだったのかな
一応双方歩み寄ってはいるのかなと思うんだが

池田家に関しては子供は残ってその後孫か誰かが結構良い医者になってるみたいだね
641人間七七四年:2012/02/11(土) 10:31:59.71 ID:1B6pQzmS
>>622
嘘書いちゃいけないな

塙団右衛門、渡辺勘兵衛のiha 二人は奉公構されてねーぞ
642人間七七四年:2012/02/11(土) 18:52:42.72 ID:CrM+JjNm
>>641
通説みたいに語られてることが間違ってると言うことか?
643人間七七四年:2012/02/11(土) 23:27:49.08 ID:7luOHImR
又兵衛通説からして講談ばかりだからねえ
644人間七七四年:2012/02/12(日) 00:19:09.95 ID:qTwMrMxE
塙は知らんけど、渡辺勘兵衛了は高虎の奉公構のせいで再就職できなかったんじゃないの?
実際、藤堂家出てからどこにも仕官できずに終わってるよね?
って、もしかして、石田家家臣の渡辺勘兵衛だと思われてる?
645人間七七四年:2012/02/12(日) 09:47:17.35 ID:9YSzE6jZ
たかが家臣一人の奉公構ごときでなんでこんなおおげさな話になってるのかわからん
金ちゃんヌードルの値段知らなかったら政治家として信用できないと言われたかのような風桶
金ちゃんヌードルはうまいけどね
646人間七七四年:2012/02/12(日) 23:21:32.24 ID:uhW8Tjma
塙団右衛門(直之) 奉公構でこれだけがHIT
http://bit.ly/xykwA1

渡辺勘兵衛(了) 奉公構だと
http://bit.ly/zWNVz7

だけど、こういう話の元って、どういう史料や資料にあたればいいのかね
前にここの板のどっかで、どこの大名も家臣の2・3人は奉公構しているとか見たけど
そういうのもどこで調べればいいのやら
647人間七七四年:2012/02/13(月) 00:57:18.92 ID:hQjQL0M6
ほんとは一次資料がいいのだけど残ってないまとまってない者も多いだろうから
当たるとすれば家譜かね
648人間七七四年:2012/02/13(月) 01:11:20.85 ID:PSzJyZ60
分限帳に書いてあることもある
あと家臣目録みたいな奴とか
649人間七七四年:2012/02/13(月) 07:15:43.40 ID:Lyrw77ou
>>640
又兵衛って大坂でも浮いた存在だったらしいし、
ちょっとコミュ障だったか、同僚受け悪かったってことじゃない?
650人間七七四年:2012/02/14(火) 09:57:31.74 ID:F89xovFg
渡辺了は旗本じゃないとヤダって言って
他家からの士官を断ってたんだろ
651人間七七四年:2012/02/14(火) 13:22:22.39 ID:dwmk/uMa
ソースプリーズ
652人間七七四年:2012/02/14(火) 21:31:15.70 ID:FNtJcSF8
>>649
同僚受けとかじゃなくて派閥間対立じゃないか?

普代で威張ってるのから
牢人で功を焦っているのから
敵に内通しているのまで色々だったから
むしろ又兵衛いないと更に崩壊している状況
653人間七七四年:2012/02/14(火) 22:26:15.05 ID:OM3Dmb+j
どっちにしろ崩壊じゃあな
654人間七七四年:2012/02/15(水) 06:24:20.98 ID:MvDlF24j
こうなることが見えていたからこそ
福島や浅野や蜂須賀なども含めて殆ど豊臣に味方する大名がいなかったんだろ
むしろ又兵衛は健闘を評価されるべきだと思う
655人間七七四年:2012/02/15(水) 13:16:42.64 ID:JKejTXiQ
又兵衛は充分評価されてるだろ
656人間七七四年:2012/02/15(水) 17:04:14.68 ID:FAFjHGGb
>>640
大坂の陣のとき、又兵衛が入城したあと、もう一度
長政は黒田家に帰参させようとしている
長政は江戸に留め置かれたし、これ以上疑われるのは
黒田家に都合が悪いから、帰参させて殺すのが目的だった

結局、又兵衛はうんと言わなかったわけだけど、
孝高の豊前入封のときに播磨からきて、筑前にも移動した
地福寺(当時)の住職・空誉上人が、とばっちりで惨殺されてる
もともと又兵衛と仲がよかったんだけど、上人が又兵衛に
「殺すつもりだから、帰参するな」と教えたんじゃないかと
疑われて、長政が激怒
背中を割って、生きたまま鉛を流し込むというエグイ方法で
処刑され、遺体は打ち捨て、寺も廃寺になった

この経緯は、弔うために遺体を引き取りにいった弟子筋の
浄念寺の「空誉上人縁起」に書いてあるから、信頼性は高い
657人間七七四年:2012/02/15(水) 18:32:35.58 ID:M6JfAuu/
「空誉上人縁起」によると、空誉が処刑されたのは慶長16年で
時期が合わない

空誉には城井氏の庶子説もあったり、
逸話では忠之が命じたことになってたりで、まちまち。
いくつかの話を繋ぎあわせているのだろう
658人間七七四年:2012/02/15(水) 20:28:55.96 ID:zAWXxSsx
>>657
忠之になってる逸話は完全に後世の創作だろ
黒田騒動を創作で脚色するため、暴君エピソードを長政から借用したはず
長政が処刑したのは確かだけど、時期的に大坂の陣との関連は不明だな
659人間七七四年:2012/02/15(水) 20:57:36.93 ID:M6JfAuu/
忠之のは転用例として出しただけだがね。

空誉の死亡年見てもらえば分かるかと。
660人間七七四年:2012/02/15(水) 21:00:06.89 ID:MvDlF24j
城井氏が絡んでいる時点で
それなりの脚色はあると見るべきかな
661人間七七四年:2012/02/15(水) 23:34:13.11 ID:GQFANoGm
まあ死亡年と違う辺りで何が確かなんだか
662人間七七四年:2012/02/16(木) 10:17:55.22 ID:lnOyinjG
まあ、豊前でもカッとなって彦山を焼き討ちしてるし
坊主惨殺するくらいしてるだろう、という気はする
663人間七七四年:2012/02/16(木) 18:36:25.03 ID:hySrv3IV
情報漏洩は当然死罪。ちょいと見せしめ的にやったかで尾ひれがついたくらいの話だな
664人間七七四年:2012/03/03(土) 16:35:32.72 ID:+sSTUcql
ただでも後藤のような奴がいたら、二代目としてはやりにくいだろうね
(いつもいつも俺を親父と比べて見下しやがって…)と思ったとしても無理はないかも
母里はそこらは上手くやれてたのかもしれない
小唄のエピソードとか鑑みるに言うべき時だけ口を出すみたいな
665人間七七四年:2012/03/03(土) 18:53:49.50 ID:xyzviczL
どちらかと言うと
母里は溜め込まないタイプ
後藤は溜め込むタイプっぽいけど
666人間七七四年:2012/03/03(土) 20:10:33.28 ID:qkZ/F4zD
朝鮮出兵で一騎討ちの加勢に行かなかったのが決定的な亀裂に繋がったのかも
長政も忠興みたくネジが少しズレてるようなタイプなら
親父の影に怯えることもなかったと思うんだけどね
667人間七七四年:2012/03/03(土) 20:41:13.09 ID:cCpynIHE
>>666

>朝鮮出兵で一騎討ちの加勢に行かなかったのが決定的な亀裂に繋がったのかも

>>608

>溺れるの見ていた事件とかに近いことは、史料だと別の家臣みたいだしさ。
668人間七七四年:2012/03/03(土) 20:54:04.82 ID:Btd6JNRO
>>667
あの有名な逸話って別の家臣の話しだったの?
その家臣の名前は?
669人間七七四年:2012/03/04(日) 00:01:47.34 ID:Yd35yHiD
平安道の川での戦いのことを言ってるんだと思うが、
長政は確かに川中で敵と組討してるところを、とある家臣が引き上げてくれる描写はあるけど、
溺れたとは言われてないな。いや溺れてたはずだ!と思うのも自由だが。

その時の又兵衛は普通に戦闘に加わっていて、黙って見ていたという記述はない。
つーか、この時の黒田軍はほぼ全軍あげて戦闘行動に入っているので
川辺でただ見ていただけなんて馬鹿な行動できるわけないと思うんだが。
いや又兵衛はのんびり長政を見学していたはずだ!と思うのも自由だが。

又兵衛好きな人は「黒田家譜」読まないのか?
「家譜」なんざ信じられない!というなら、仕方ないが
普通に活躍してるんだがね。又兵衛
670人間七七四年:2012/03/04(日) 01:58:35.99 ID:ZvFQpnq8
しかし母里の槍巻き上げも福島正則相手だから美談になったわけで
あれが細川や加藤嘉明あたりだと大問題になってただろうなあ
671人間七七四年:2012/03/04(日) 06:58:40.44 ID:LVfqqkAM
痛快いな逸話だけど美談ではないだろ
672人間七七四年:2012/03/04(日) 11:21:10.74 ID:t8Ooai+s
>>669
黒田家譜は読んだなぁ
一応、黒田家を語る上では外せないんじゃないか?

関が原における島左近の働きがいかに凄まじかったのかとか
解るし、家中以外の事も勉強になる
673人間七七四年:2012/03/05(月) 20:30:11.33 ID:Mcf1mXK5
>>669
家譜での後藤又兵衛の扱いは読んだ人によって評価が違うなあ
黒田家主体で後藤又兵衛には特に思い入れのない自分からすると
「長政の家臣としてはほとんど第一の存在だったわりには出番が少なく影も薄い」
「だが表だって悪しざまに書かれているわけでもなく、わりとあっさりと流される感じ」
「ちゃんと活躍するシーンもある」
くらいの感想かな
674人間七七四年:2012/03/05(月) 22:51:14.43 ID:o2kQY9Fe
そもそも、黒田家譜や一次史料からみて、
又兵衛が如水に心酔してたみたいな話はどこにもないしなあ
如水と比べて云々とか言うのは、母里とか栗山とかあのへんの世代だろ
675人間七七四年:2012/03/06(火) 11:49:56.10 ID:ZU1/Kur5
又兵衛如水に心酔してた説は、小説とか講談だろ?
黒田家を辞した理由が解らなかったから。
676人間七七四年:2012/03/09(金) 17:45:05.40 ID:wskyd5/W
松本人志の放送室を聴いてるが黒田官兵衛と長政の評が酷すぎる
松本の発想は認めるがあまりに物を知らん過ぎる
677人間七七四年:2012/03/09(金) 22:45:02.62 ID:k25JQX/E
家譜は、又兵衛は活躍してて、かなりかっこよく書かれてたと思う
むしろ長政があまりに猪武者であんまり戦場でのかっこいい描写がないのと
関ヶ原の吉川・小早川への裏工作があっさり書き流されてたのが意外だったわ
手紙が向こうから来て、東軍に取次いだくらいしか書いてない
見せ場だからもっと盛るかと思ってたら、別に長政の方から
積極的に調略した訳じゃないのな
678人間七七四年:2012/03/10(土) 00:49:31.47 ID:KmBgeh8D
猪武者かっけー調略かっこ悪いな思想もあるんでね?
679人間七七四年:2012/03/10(土) 01:08:59.11 ID:FowkKsNc
うーん、どうだろね
親父殿(孝高)の方は、戦も調略も非常にかこいい描写だったから
そんな思想はないと思うけどな
なんていうか、長政は戦でわりと負けてたり
人の言うこと聞かないで無暗に猪突してるんだけど
それを家譜でも飾らないで割とストレートに書いてる感じというか
意外に戦場の描写では、小早川隆景とか又兵衛とか他の人の方が
華やかに活躍してたりする
もっとも評価では「長政公は偉い」と上げてはいるんだけど
680人間七七四年:2012/03/10(土) 01:15:48.82 ID:OsmYwRa6
それは、大前提に「長政公は神」みたいな共通認識が実はあって、
そんな公の意外な一面的な書き方なのかもしれない
少なくとも、黒田家譜成立時期の長政ってそういう存在っぽいし
681人間七七四年:2012/03/10(土) 01:32:04.69 ID:FowkKsNc
や、黒田家譜は藩の公式の歴史書なんだから
そんな初代藩主の意外性を押し出してひねる理由はそもそもない
古郷物語じゃないわけで
682人間七七四年:2012/03/10(土) 01:35:35.03 ID:PSpFFlAs
長政が先陣で突出しがちなのはわりとよく知られた話。
そういう逸話多いしな。
藩主の功績を讃えるのと同時に、家臣の顕彰も兼ねてると思う。
長政と共に家臣一同頑張りましたよ、ということが言いたいのだろう。

あと個人的には、長政の記述が微妙だとは全然思わない。
人それぞれだろう
683人間七七四年:2012/03/10(土) 13:11:21.88 ID:ZkLsnGv/
自分ちの家譜でも、長政は突撃大名で、後世の小説や逸話のイメージ
と大きく変わらない印象だった
別に神格化とかはない。戦で頭に血が上って後先考えずつっこむので、
「こいつ駄目だ」と家臣が呆れてる描写もあるよ
まあ、それが後藤又兵衛なんだけどwww
長政に特別な思い入れがない自分が読むと、やっぱり孝高記の方が
普通に面白かったな
684人間七七四年:2012/03/10(土) 19:05:45.52 ID:u23/Hawz
長政の他にも細川忠興とか、死んだ森長可とかも猪突タイプだよな
685人間七七四年:2012/03/10(土) 19:18:14.47 ID:Odtd/uV2
黒田長政記での長政の御一騎にて先手される率は異常
少なくとも黒田一成にとってはアレがかっこよかったんだろう
…そうじゃなかったら遠回しないやみとしか…いや、ただの事実なのかもしれないけど
686人間七七四年:2012/03/10(土) 21:52:11.20 ID:4YP4TNBw
突撃好きなのに、よく生き残ってたよな
普通なら真っ先に死ぬだろ
687人間七七四年:2012/03/10(土) 23:01:45.78 ID:KmBgeh8D
家譜っちゃ盛って書くもんだからな
暗殺を必死こいて正当化してたりするしそっち方面より
猪突猛進のほうが好感が持てるという著者の嗜好かもしれん
688人間七七四年:2012/03/11(日) 01:55:10.41 ID:dIHwf7r6
まぁあれだ長政と又兵衛って何とかして俺の方が上ってことを分からせたいっていう
子供じみた関係なんだよな
689人間七七四年:2012/03/11(日) 02:10:51.85 ID:7R6rKHS5
イミフ
立場も責任も違う相手同士だろうがよ
690人間七七四年:2012/03/11(日) 11:16:21.55 ID:FBRk+ZE1
長政と又兵衛が仲悪かったのかさえ、実際は分らない。
又兵衛が黒田家を出奔したのは、長政とは関係ない別の理由かもしれん。
つまり、小説のように想像、創作するのが精一杯という訳だな。
691人間七七四年:2012/03/12(月) 11:54:50.83 ID:7R2zq07u
>>679
これさ、よく「吉川・小早川は長政が調略したって」っていわれて
長政の策略とか寝技だとか言われてるけど、実際は違うよな
吉川にせよ小早川にせよ、相手の方から能動的に動いてるわけで
はじめの内通の申し出も向こうから、長政の役割は、徳川方への書状の
取次と人質の手配ぐらい。吉川には無視されてる書状もあるし、
最終的に内通が固まるのは関ヶ原前日。
孝高は孝高で、長政とは別に、吉川広家と平常運転で文通して
「東軍にしなよ!」と手紙書いて、働きかけてるし
もちろん、両家にとっては、東軍に黒田家の他に伝手がない、時間もない
状況で、孝高以来の取次で昵懇だった関係で、長政が窓口になった
でも結果的に、吉川・小早川の内通で関ヶ原を勝ったから、長政の大手柄に
なったわけで、前々からの謀略とか下工作が実ったわけじゃない
かなり長政にとってもラッキーだった面が大きいと思うんだけど
692人間七七四年:2012/03/12(月) 12:48:15.13 ID:7R2zq07u
>>691
安価間違った
>>679じゃなくて>>677
693人間七七四年:2012/03/12(月) 21:43:17.37 ID:6sEA8KBI
つか、長政が吉川・小早川の裏切りを仕掛けた説って
司馬遼太郎の「関ヶ原」あたりが出典の脚色ではないかと。

吉川広家に関しては、完全にタナボタ状態。
広家は輝元が西軍総大将になったのも寝耳に水状態だったし、
そこから慌てて、長政につなぎをつけに使者を送ってきた。
というより吉川も緒戦は西軍として交戦・転戦してるから
長政の書状も陣までなかなか届かん状態で、調略どころじゃないんだが。
694人間七七四年:2012/03/13(火) 15:00:09.07 ID:r2pbdR3N
内通の申し出に対する返書が届いてない間に、西軍の伊勢攻略がはじまって
吉川も参戦、長政自身が「内通はどうなってんだ??」と訳わかってない
小早川秀秋は、もともと東軍につくはずが地理的に否応なしに西軍に編入されてだけ
別に黒田家が事前に調略かけたわけでもなんでもない

長政の策略とかそんな事実はないのに、どこからでてきたんだろ?
695人間七七四年:2012/03/13(火) 16:40:33.59 ID:cqCta0mb
>>694
長政の活躍はむしろ戦後処理の交渉だったから、その印象が戦前にまで持って来られた、
って話だろうな。
696人間七七四年:2012/03/13(火) 21:08:24.84 ID:4WCQUWHH
戦後処理に関して、何か黒田長政が活躍してたっけ??
藤堂高虎は徳川家からいろいろ戦後処理に使われてるけど
福島正則と吉川・毛利へ減封の通達をしたくらいではないかと
697人間七七四年:2012/03/14(水) 01:42:26.69 ID:cUZ6iFUI
まあ「如水の秘めた野望が息子の策略で失敗した!」、となった方が
講談的には面白いから、小説ではかなり盛られてるんだろうけどね
698人間七七四年:2012/03/14(水) 03:28:25.44 ID:qgen7JqG
何もなくて豊臣恩顧の親父超えて50万石は無かろうよ
699人間七七四年:2012/03/14(水) 08:16:13.86 ID:UpslF0wc
長政のチャンネルが無ければ吉川も小早川も東軍の味方したかどうかは不明だろうな
東軍のつもりだったが西軍に足止めされて取り込まれたのも結構いるわけだし

まあ報奨は池田や蒲生や福島あたりとそんな変わらないっぽいけど
700人間七七四年:2012/03/14(水) 08:23:23.21 ID:Bz/nRw+E
池田や蒲生は嫁が家康の実の娘だからなあ
701人間七七四年:2012/03/14(水) 10:51:36.46 ID:HXoy6xJl
これ勘違いしてるひとが多いんだけど
関ヶ原後、家康が長政に与えた朱印状には、はっきり「筑前37万石」とある
福島・加藤・細川など他の豊臣恩顧の東軍の加増率と比べて、
黒田が特に大きいわけではない

長政の筑前入封後、黒田藩は鬼のような検地を実施して、
実高より大幅に大きい52万石と表高を申告したのは有名な話
小早川隆景・秀秋時代は37万石で、秀秋時代にいわゆる太閤検地で
棹入ってるから伸びしろのないところを、無理やり52万石にしたんだよ
筑前=52万石に正式に確定するのは、検地後の話で、
関ヶ原の恩賞としてもらったのは37万石。18万→37万だから、平均だろ?
702人間七七四年:2012/03/14(水) 11:18:09.73 ID:9TIgEIfH
筑前ってだけで充分だと思うんだけど
そこで数でもハッタリきかそうとするところが抜け目ねーな
703人間七七四年:2012/03/14(水) 11:42:42.64 ID:RP6pLKuv
博多がセットに成ってるんだから、表高の倍くらいの褒賞と見ても間違いじゃないわな。
704人間七七四年:2012/03/14(水) 11:43:41.89 ID:HXoy6xJl
抜け目ないというか、当時の検地は実質的には手軽な増税手段だから、
関ヶ原後の転封後、多くの大名は多かれ少なかれ石直しをしてるわけで
むしろ再検地しなかった豊前の細川とかの方が珍しいケース

ただ、黒田家は長政の検地ではったりかましすぎて過大申告したので、
筑前は重税に苦しんだ農民の逃亡が大規模に発生した地域のひとつになった
このへんは歴史学の方でいろいろ研究があるから、興味あればどうぞ
あと、藩財政の点からは、無理して52万石だと見栄張ったために、
お手伝い普請にせよ、参勤交代にせよ負担が実質以上に重くなり、
黒田藩の財政窮乏化の原因になったと言われてる
705人間七七四年:2012/03/14(水) 12:04:10.77 ID:HXoy6xJl
>>703
それは間違い
なぜかというと大規模な開墾が進んだあとの江戸後期になって、
ようやく黒田藩の実高はようやく、表高の52万石程度に追いついたから
江戸期をつうじた開墾で、どの藩も後期には実質的な石高が増加してるんだけど
たとえば毛利藩が実高>>>表高になってるのに、黒田藩は実高=表高で
財政的な余裕がないわけ
706人間七七四年:2012/03/14(水) 12:32:47.12 ID:UpslF0wc
こうなると親父さんに
老い先短いけどちゃんと加増受けとけよって感じだな
707人間七七四年:2012/03/14(水) 12:49:41.68 ID:HXoy6xJl
別に孝高の加増は関係ないのでは?普通に実高37万石で申告すればよかっただけ
孝高が豊前をもらったとき、検地で(太閤検地ではなかったので)
12万石と少なめに申告したように、名を捨てて実をとる手もあった
708人間七七四年:2012/03/14(水) 13:07:13.25 ID:UpslF0wc
長政くんは50万石の大大名っていう格式が欲しかったんじゃないの?
50万石であれば重要な役目も任されるメリットの方が大きいと思って

しかし結局は先代との違いを出そうとして失敗した2代目でしたと
709人間七七四年:2012/03/14(水) 14:02:52.27 ID:QRHt3DZF
筑前と言えば九州でも指折りの領地なんだから
良い場所って意味で満足しときゃ良かったと思うんだがなぁ。
710人間七七四年:2012/03/14(水) 14:05:16.65 ID:UHMN5M+i
長崎警護役は貰ったけど鍋島ほど有効活用していた形跡が・・・
711人間七七四年:2012/03/14(水) 15:52:30.37 ID:1q5bNqMG
お家騒動を無事に乗り切れただけいいじゃん
712人間七七四年:2012/03/14(水) 15:54:35.59 ID:1q5bNqMG
大体窮乏しなかった藩がどれだけあるっていうんだよwww
713人間七七四年:2012/03/14(水) 19:26:59.85 ID:VuWzc8KW
えー、その窮乏しても藩政改革して成功した藩はたくさんあるわけで
あんまり馬鹿晒すと恥ずかしいよ?
714人間七七四年:2012/03/14(水) 19:46:26.26 ID:VuWzc8KW
黒田藩は、忠之あたりからすでに傾きだして、基本的にずっと赤字体質で
幕末になると財政がガタガタなんだよ
財政面で余力があれば、鍋島みたいに西国雄藩として薩長土肥に入れる
ポジションだったのに
黒田藩は、財政難で藩が偽の太政官札刷ったのがバレて、
官軍なのに(!)、廃藩置県前に唯一取りつぶしになったくらい
経済的には駄目駄目なんだ…
715人間七七四年:2012/03/14(水) 19:53:27.72 ID:kDUhQnmA
見栄を晴れなきゃ黒田武士である意味がないもの
716人間七七四年:2012/03/14(水) 20:03:06.68 ID:VuWzc8KW
おれには、むしろあれだけ経済観念の発達した如水を見てて
なんで息子から見栄張るようになったのかが、むしろ謎だけどな
親父は他の大名に金貸しまでしてたのに
717人間七七四年:2012/03/14(水) 21:24:31.33 ID:1M162eIO
>701
家康からの朱印状って出たっけ?
どの藩も貰ってないと思ったが。
参考までに、どこに掲載されてるのか教えて欲しい
718人間七七四年:2012/03/14(水) 22:07:26.30 ID:NQwSc9F6
これ、小早川のとき35〜37万石なのに、なんで黒田52万石になったのか
前々から疑問だったけど、そういうわけだったのか
確か島津もやせた土地なのに石高を水増ししてふかしてこいたら
あとでたいへんな目にあったんだよね
719人間七七四年:2012/03/14(水) 23:05:52.31 ID:gOeel7V3
37万石に太閤蔵入地が編入されてるから52万石
720人間七七四年:2012/03/14(水) 23:38:22.33 ID:OqY89maR
本当に貧しい地方と違うのは
取り立て方をキツくすれば通常の倍ぐらいなら絞り出せる資産を民百姓が持ってた事だな
721人間七七四年:2012/03/14(水) 23:59:47.11 ID:gOeel7V3
間違った。
太閤蔵入地を編入して約40万石、その後の慶長検地で52万石
722人間七七四年:2012/03/15(木) 00:01:38.28 ID:KQtg/Bf9
悪政ですね、わかりますw
だから農民が細川領に逃げてるのに…
723人間七七四年:2012/03/15(木) 00:05:57.69 ID:KQtg/Bf9
>>719、722
その可能性はないと思う。ソースは何?
筑前の豊臣家の蔵入地は鞍手・宗像・御牧郡の約5万石だけ
しかも直轄領だった時期は限られてる
これは、もともと筑前国内の小早川隆景の隠居領として秀吉から与えられ
隆景の死後、翌慶長3年に豊臣家の蔵入地に一旦編入された
その後、秀秋の越前転封→筑前再入封時に、蔵入地から小早川領に再編入済み
黒田長政の筑前入封時は、小早川領に含まれている
筑前黒田家は領域的に小早川領をそのまま引き継いだので、変更はない
724人間七七四年:2012/03/15(木) 00:08:32.85 ID:KQtg/Bf9
自分にレスしてどうするよw
722じゃなく721ね
725人間七七四年:2012/03/15(木) 02:42:35.55 ID:KQtg/Bf9
>>701、717
多分、朱印状と他の書状を混同してるんではない?
もし朱印状が正式の「領知朱印状」を指すなら、黒田家に与えられたのは
元和3年の秀忠のときが初めて。この時期に将軍が他の大名にも発給しはじめる
717が言うとおり、徳川幕府を開いてからも、家康のときには豊臣家が存在している手前
正式の領地朱印状をほとんど発給していない
もっとも、実質的には、既に関ヶ原後から知行宛行権を行使してるわけだけど
726人間七七四年:2012/03/15(木) 07:46:32.52 ID:jUEtxwsp
>>725
間違っている上にアンカーの仕方が下手でイライラする
727人間七七四年:2012/03/15(木) 08:28:04.43 ID:vCrKoJgz
>>726
どこが間違ってるのか指摘してあげてよ
728人間七七四年:2012/03/15(木) 08:37:22.14 ID:f/LZ155R
「筑前黒田家」が52万石だったことなんて一度もないよね
729人間七七四年:2012/03/15(木) 09:37:37.13 ID:691Bb7Yk
遠賀郡:39350石
宗像郡:48288石
鞍手郡:47464石
穂波郡:32602石
嘉麻郡:38860石
上座郡:21205石
下座郡:17971石
夜須郡:33205石
御笠郡:32607石
粕屋郡:53440石
莚田郡:8719石
那珂郡:36498石
早良郡:38672石
志摩郡:37422石
怡土郡:16105石
合計:502416石

慶長10年の検地じゃ長政も52万石と申請してない
730人間七七四年:2012/03/15(木) 14:59:29.65 ID:NOFk9sQA
肥後が太閤検地34万石、寛永期に57万石と増加分が筑前とほぼ同じ
加藤家の後をついで細川家が熊本54石に入ったときに実高は75万石あったそうで(忠興書状)
筑前の石高上昇も許容範囲内でねの
731人間七七四年:2012/03/15(木) 19:06:31.71 ID:691Bb7Yk
増加ってのは実収が文禄検地〜寛永検地の期間で増えたと捉えているのか
732人間七七四年:2012/03/15(木) 19:32:16.54 ID:YKASRl8S
>>731
おれもそれが疑問
文禄〜寛永期の肥後の増加と、黒田長政の検地を比べても仕方ないんじゃないかと

検地にもとづく正確な筑前の石高の推移は以下のとおり

小早川の文禄検地(長政入封時に引き継いだ石高):30万8461石
黒田長政の検地:@慶長7年の総検地:56万6422石
        A慶長10年の幕府への報告(正式の表高):50万2416石

上の方で、筑前37万石とあるけど、 
小早川隆景→秀秋の継承(隆景は筑後の一部も領有していたので)で
小早川領の石高は30万8461石になった
これをそのまま引き継いだから、黒田長政が筑前入封時の石高は
37万石ではなく約31万石が正しい
733人間七七四年:2012/03/15(木) 19:32:52.62 ID:YKASRl8S
で、黒田長政は入封後に一度簡単な検地を実施したあと、
慶長7年に総検地をして、56万6422石とした
つまり約25万石を検地で引き継ぎ時より多く打ち出したことになる
いくら江戸初期が大開発時代でも、入封後1年足らずで25万石も
実質的な石高が増えるわけはないわな
小早川の文禄検地は太閤検地なので、一度棹が入ってるんだし
その意味で、太閤検地を経ず、江戸初期の開発後の寛永期の
肥後加藤→細川と比較するのは、あまり意味がないかと

で、正式の石高(表高)としては、50万2416石を幕府に届けたので、
黒田藩には2つの石高(56万石の方は内証高という)が存在することになった
秋月藩分封があるから、また石高は変わるけど、それはあとの話
734人間七七四年:2012/03/15(木) 21:09:12.70 ID:NOFk9sQA
>>731
表高の増加分ね、実収は関係なく。
735人間七七四年:2012/03/15(木) 21:16:31.44 ID:2pmdATiT
>>732、733
つまり関ヶ原の恩賞は、30万8500石だったってことだよな、これ。
黒田が検地する前は筑前=50〜56万石の石高は、世界のどこにも
存在してないんだから。
んじゃ、孝高が豊前で12万石ちょいもらったのと
長政が関ヶ原でもらった分は石高的に変わらないわけか。
18万石から31万石に増えた計算でいいんだよな。
736人間七七四年:2012/03/15(木) 22:01:55.94 ID:WbRNGCOa
如水「なんだ、冷遇されたオレと結局同じかよ
   おい愚息、今からちょっと左手で内府を殴ってこいよwww
   まぁ、私を超えようなどと400年早いのだよ」
長政「くそう!検地で恩賞を無理やり倍にして、父上を超えてやる!
   今日からいきなり黒田52万石だー!」
737人間七七四年:2012/03/15(木) 23:16:05.27 ID:r+ylzr/d
たわけぇ、黒田
タワケェ!
738人間七七四年:2012/03/16(金) 00:13:13.43 ID:jlBtcALx
同じネタをあちこちと
へうげネタ楽しい?ID:r+ylzr/d
739人間七七四年:2012/03/16(金) 00:21:54.88 ID:4t7lBmGW
朝鮮出兵中に筑前で乱など起こされたら渡海している人間全員が危険に晒されかねない
そこで石高を確定させて恒久的な増税で住民の不興を買うより
戦時での一時的な物資供出という事で小早川の代は目こぼしをしていた
そして秀吉が死んで領主も交代し派兵の計画もなくなったので遠慮する必要もなくなり大増税に踏み切った

こんなとこじゃないのか、まず太閤検地の精確性も疑って然るべきだと思う
740人間七七四年:2012/03/16(金) 00:32:44.66 ID:Bs4JMXVg
>>739
逃散が多かったのは事実のようだしな。
741人間七七四年:2012/03/16(金) 00:34:28.11 ID:dLkv/8TI
こんなとこじゃないのか、と適当に言われましても・・・
とりあえず、筑前の太閤検地に即した数字なり史料をまずどうぞ、としか
面白いテーマなんで論を聞きたいだけで、別に煽ってるわけじゃないよ
742人間七七四年:2012/03/16(金) 00:46:26.56 ID:dLkv/8TI
ただ、検地の意味を<<739はまったくわかってないという悪感はする・・・
どんな論が出てくるかwktkしながら待ってるよ!
743人間七七四年:2012/03/16(金) 01:09:10.04 ID:4t7lBmGW
まず石高が顕著に増やされているのが太閤蔵入地だという点

御牧郡(遠賀郡) 2万1831石→3万9350石 *太閤蔵入地時代の隆景への郡内知行は2万1831石内の3ヶ村1073石2斗
宗像郡 2万4721石→4万8288石
鞍手郡 2万6361石→4万7464石

狙いすましたかの様にほぼ倍となっているのが興味深い
それで問題はこの天正年間に行われた検地が指出検知であったという事
何を隠そうこの左の石高の出典がそのまま「指出前之帳」だから
代官が浅野や石田と言った面々であるにも関わらず、だ
744人間七七四年:2012/03/16(金) 01:28:28.18 ID:dLkv/8TI
>>743
まず、時期がよくわかりません><、それから出典が無茶苦茶だと思います
だから全体として、論旨がまったくわかりませんでした

@天正年間?? 小早川領の検地は文禄4年ではないでしょうか?
 浅野・石田といった面々からすると、文禄4年の検地を指している
 と思うのですが・・・

Aその「指出前之帳」という史料は、通常1602〜03年に黒田長政が実施した
 指出を元に作成されたものを指すのですが???
 あなたの言う、天正年間(?)の検地とどういう関係が?

Bそれから、文禄4年の小早川領の検地は、差出検地では100%ありえません
 100%ありえません。この時の検地は中央の豊臣政権が直接介入しました
 検地の実施者と朱印状を調べれば一目瞭然です 
 大事なことなので二度言いました
745人間七七四年:2012/03/16(金) 02:18:52.11 ID:4t7lBmGW
『筑前国田畠之高村々指出前之帳』の成立時期が諸説ある事を敢えて無視しているのかどうか知らないが
とりあえずこの史料は今現在だと
・天正15年〜18年にかけ筑前で行われた指出検地時のもの
・文禄4年の小早川の検地時のもの
・慶長4年の検地時のもの
・慶長期の黒田によって行われたもの
で説が分かれる

有力説は慶長4年時(1599年)だが県史の『天正年間筑前各郡村田畠高』に自分は準拠する
それで、文禄4年の検地にしてもそのデータが殆どこの指出帳と変わらない為
竿入れが実際行われたかどうか怪しい点がある
746人間七七四年:2012/03/16(金) 02:42:44.88 ID:dLkv/8TI
>>745
当該史料については、諸説あることは知っています
そして、90年代以降は、黒田長政時の指出をもとにした史料で、
小早川秀秋の統治期の末期の状況を反映した史料として
一般に了解されていると思います。僕もその見解です

「文禄4年の検地の棹入れが怪しい」、とあなたがお思いになるのは
それはそれでいいのですが・・・
文禄4年に山口宗永が着手した検地に関しては、その実施から
知行宛行の過程まで、中野氏や本田氏の研究で、すでに詳細が
明らかになっているので、それだけの論拠で否定するのは難しいのでは??
まして、指出帳と変わらないから、検地自体が
太閤検地ではなく指出だったとは、どう考えても言えません
747人間七七四年:2012/03/16(金) 03:20:47.83 ID:dLkv/8TI
あんまり長々と専門的な話をするのも他の住人に迷惑かもしれないので
もう一言、僕の結論だけ><

太閤検地の精確性が地域によって異なるのは確かなんですが、
(畿内が最も正確で、四国、九州では太閤検地でもあやふやな部分が多い)
筑前の小早川領は、九州のなかでははっきりとした例外なんです
なぜなら、小早川秀秋の時代に、文禄4年の検地で豊臣政権が直接介入し、
いわば「五畿内同然」に太閤検地を実施した珍しい領国で
ここで確定した石高(30万8461石)は、軍役賦課だけでなく、
実際に年貢収納基準として機能していた
つまり、太閤検地による石高とのズレが非常に少なく、
豊臣政権の強い影響力の下、畿内型の石高制が浸透した領国だったわけです
748人間七七四年:2012/03/16(金) 09:38:49.39 ID:QWlGON1e
つまり言いたい説とは
筑前国の文禄検地は
他の九州含む西日本諸国の指出検地から
実高を推量するための物差しだったということか
749人間七七四年:2012/03/16(金) 15:39:26.76 ID:juUjHhx9
>>748
え?
筑前の文禄4年の検地は、九州では「例外的に」中央政権が介入した
太閤検地だったので、算定された石高は正確だってということ
つまり、他の地域のように領主や国人領主に遠慮せず、
豊臣政権が最大限課税を強化できたわけ
理由は、言うまでもなく唐入りで小早川の動員兵力を最大限にするため

小早川の文禄検地で石高は大幅に石直しされ、軍役の賦課が100石当たり4人、
1600石以上で鉄砲1丁という、まさに太閤検地のお手本のような検地だったの

ひと言で言うと、この検地は唐入りのための徹底した太閤検地で
石高も軍役もしぼれるだけしぼった大増税だったということだよ
だから、黒田が筑前に入ってから再検地でしぼれる余地など
もとからほとんどなかったわけ

>朝鮮出兵中に筑前で乱など起こされたら渡海している人間全員が危険に晒されかねない
>そこで石高を確定させて恒久的な増税で住民の不興を買うより
>戦時での一時的な物資供出という事で小早川の代は目こぼしをしていた

こんなの大ウソ、真逆だったってこと
むしろ唐入りのために石高確定しなくて、どうやって兵力を動員するのかとw
>>739は検地のイロハもわかってない、知ったかちゃんだよ
750人間七七四年:2012/03/16(金) 16:57:17.53 ID:QWlGON1e
>>749
>むしろ唐入りのために石高確定しなくて、どうやって兵力を動員するのかとw

だから太閤検地で確定していない他国の物差しにもなったでいいんだよな?
751人間七七四年:2012/03/16(金) 18:45:00.62 ID:kOuhAdKM
石高分からないから兵士が出せないなんて大名がいるか
なんのために大名が領地領民をもってると思ってんだよ
752人間七七四年:2012/03/16(金) 18:52:17.25 ID:r9vzJvmz
九州の太閤検地は軍役賦課の基準というだけの数字で、生産性の実態をほとんど反映していない。
753人間七七四年:2012/03/16(金) 20:20:19.35 ID:bG7jbPqa
黒田長政の兜が変
754人間七七四年:2012/03/16(金) 20:36:05.42 ID:jlBtcALx
>>753

長政始め御一門愛用の水牛角脇立桃形兜の方か?
それとも福島正則と交換した伝竹中半兵衛所有の一ノ谷の方か?
755人間七七四年:2012/03/16(金) 20:43:32.98 ID:KVg+f2ft
>>752
どうして、さらりと嘘言うのかな?
九州って一括できないって何回も書いてあるじゃんよ
筑前の文禄検地以降の石高制は、軍役のみならず年貢収納基準として機能していた
一元化的な近世的石高制だったと言われてるのに
このあたりは研究の蓄積多いんだから、あんまりいい加減な言っちゃだめw
756人間七七四年:2012/03/16(金) 21:13:07.50 ID:YNxM2ZW/
31万石だったのを56万石まで石直ししたってのは、ちょっとすごい
有名な土佐の山内の検地でも、10万石くらいだろ
関ヶ原前後で、こんなに石高変わったところって、他にある?

>>751
家臣は知行(もらってる石高)に応じて兵力を集めて参加するんだから、
石高が決まらないと大名は動員できないだろーが
「信長の野望」の戦とは訳が違うんだぞ
757人間七七四年:2012/03/17(土) 00:08:41.27 ID:TcCo+wg/
上で出てた加藤熊本藩が慶長13年までの検地で約45万石を内高75万石にとか
他の時代だと島津が文禄三年島津氏分国太閤検地で22万石を表高56万石とか
山内検地は長宗我部総国検地ですでに20万石出てたのでそのまま石直ししただけとも
758人間七七四年:2012/03/17(土) 00:31:48.92 ID:8TJAgp4g
黒田が多めに表高設定したのは確かなんだけども、
最初に出てきた毛利はむしろ逆にかなり低めに表高出してるから、
比較するにはふさわしくないと思うんだけど

池田(播磨)とか浅野(紀伊)とか井伊(彦根)とか
そのあたりの変化を誰か教えてくれよ
759人間七七四年:2012/03/17(土) 00:43:58.79 ID:sJyKY2MP
知ってる限りで表高と実高のズレが一番大きいのはやっぱり島津かな
毛利は関ヶ原後、領土が4分の1になったうえに借財返す必要から
ものすごい鬼検地をして、地域によっては5倍くらいの石高にしたけど
これはあくまで藩内部での話で、正式の表高として幕府に届けたのは39万石だし
「蜂須賀に負けてたまるか!四国で一番大きいのはオレのところ」と見栄張るために
無理して過大申告しようとしたら、幕府に止められた山内みたいな藩もあるが
760人間七七四年:2012/03/17(土) 00:54:24.38 ID:sJyKY2MP
>>758
毛利は、藩内では鬼のような検地で石高を増やしたんだけど
幕府には、その時点での実高よりずっと少なめに表高を申告した
表高の石高で言うと、関ヶ原前の周防・長門の石高から約1.2倍程度の
増加だからあんまり変わらない
もちろん天下普請などの、財政負担を軽減するのが目的なんだけど
761人間七七四年:2012/03/17(土) 00:58:00.07 ID:sJyKY2MP
ただ毛利は太閤検地をやってないので、筑前とは条件が違う
762人間七七四年:2012/03/17(土) 01:01:41.72 ID:VBjwBxx4
毛利藩の石高申告は、幕府の指示。
毛利藩だけの意思じゃない。
そのあたりは土佐藩と似た事情。
763人間七七四年:2012/03/17(土) 01:11:45.86 ID:8TJAgp4g
毛利は毛利が立場だったから、あまり大きい数字にすると示しがつかない
とかそういう理由だっけ
石高ってそのまま家格に関わってくるのもあるしね
764人間七七四年:2012/03/17(土) 01:34:20.04 ID:sJyKY2MP
長政の検地の一番大きな理由は、単純に即効的な増税手段だったと思うけど
国持ち大名になったから、やや無理してでも表高を過大申告して
家格をあげたいという意味で、実を捨てて名をとった側面もあるかもね
黒田家は播磨の土豪で、如水という出来星が一代で大名にした家だから、
息子には家格に対するコンプレックスもあったんじゃないのかと
765人間七七四年:2012/03/17(土) 01:45:41.84 ID:TcCo+wg/
検地を厳しくやれば当然家臣にやった所領安堵の宛がい状以上の数字になる訳で
その増加分は公収して大名の直轄領に出来るから直接大名権力の強化につながるし
家臣に加増した分も軍役増加になり軍事力強化につながる、厳しく検地できるのは有能な大名の証拠
ただしやりすぎると島原の乱が起きちゃう
766人間七七四年:2012/03/17(土) 01:45:51.35 ID:8TJAgp4g
如水が基本的に徹底してけちなのに比べて
長政は見栄張るところは凄く金使って見栄張りながら、
裏ではすごく倹約してるタイプだからね
近世の武士って大体そういう風に変化していくから時代の流れだと思うけど
767人間七七四年:2012/03/17(土) 01:46:55.75 ID:VBjwBxx4
江戸期の石高は、大名側の申告と幕府の意向を合わせたもので
筑前藩の石高も当然、幕府の意向が絡んでる
幕府が認めたから、通ったのであって
そうじゃなかったら、毛利や山内同様に却下されたはず
768人間七七四年:2012/03/17(土) 01:57:43.76 ID:s5bLJ33N
江戸期の検地による表高は、基本的にそれぞれの藩の申告だから
太閤検地みたいに中央政権の役人が実施したりすることはない
そういう意味では、大きな問題がなければ申告がそのまま通るよ
769人間七七四年:2012/03/17(土) 02:03:34.44 ID:TcCo+wg/
黒田家ってのは非常に幕府の意向を気にする藩で
福島の改易の時はそうっすね徳川泰平の世だから城なんて要らないですよねーといって
誰に何を言われたわけでもなく居城の本丸を自ら解体して細川三斎に呆れられてるくらい
表高も軍役や普代数を決める基準となる数字でいわば幕府に対する税金申告であり、
幕府のためにこんなに払います、働きます。(だから潰さないでね)というゴマすり処世術な訳で
家格の向上という面もあるだろうけど見栄ためと言うのはちょっとな
770人間七七四年:2012/03/17(土) 02:06:00.76 ID:8TJAgp4g
いや、黒田家は最初からそこまで親徳川だったわけではないのよ
大阪の陣の前くらいから急激に幕府に擦り寄って三斎様が警戒するくらいw
なので、その時期は幕府へのゴマすりとは違うと思うなあ
771人間七七四年:2012/03/17(土) 02:09:50.69 ID:TcCo+wg/
>>701
>関ヶ原後、家康が長政に与えた朱印状には、はっきり「筑前37万石」とある

これすごく気になるんだけど出典は何ですか?
島津に与えた誓詞以外この手のものはないと思ったけど
772人間七七四年:2012/03/17(土) 02:14:47.29 ID:s5bLJ33N
>>765
当時の検地は実質的に増税手段だから、多かれ少なかれ、どの大名も
関ヶ原の転封後は、検地を実施してるわけで
それが黒田長政の近世大名としての有能さの表われか、というと
やっぱりそんなことはないと思うわw
 
むしろ黒田家のやり方はやや性急すぎた、欲張りすぎたから、
農民の走りが続出したんであって
だから、民力の回復を待って、長い間検地を実施(=増税せず)しなかった
隣国の細川領に逃げたんだろ
その間、細川家は財政難に苦しむわけだけど、その財政の不足分を
自分の家宝や茶道具を売ってまかなった細川忠興の方が
正直、どう考えても領主としての内政手腕はずっと上だと思うけどね

ま、このスレは女性のファンが多いようだから、こんなこと書くと
「私の長政様にケチつけないで」と言われるかもしれんがw

>>766
そんなの逸話にもないような妄想でしょ?
773人間七七四年:2012/03/17(土) 02:15:33.61 ID:NR5i9WFU
>>771
関ヶ原の論功行賞って宛行の朱印状も領知目録も発給されていない
みたいだけどね。後年細川忠興も書状のなかで「権現様から豊前一国と
豊後の内を拝領したとき、書き出しの類は一切ない。これは我らのみの
話ではなくて、いずれのところも同じだ」と述べている。
なので、この長政に与えられた朱印で「37万石」と明示されているという
話の出典は非常に気になるんだよね。
774人間七七四年:2012/03/17(土) 02:19:14.54 ID:VBjwBxx4
>701
771同様、出典が知りたい。
775人間七七四年:2012/03/17(土) 02:29:45.96 ID:s5bLJ33N
この時期に黒田家宛ての徳川家からの朱印状はない
黒田・毛利らの有力外様に対する朱印状の発給は二代将軍秀忠のとき
おれも、何か別のものと勘違いしてると思うけどな
776人間七七四年:2012/03/17(土) 05:58:22.92 ID:oras4JSN
>>768
じゃあ毛利とかは問題あったんだ
777人間七七四年:2012/03/17(土) 08:39:57.35 ID:Qaez4SvL
防長で実際に一揆が多発したわけだから問題がないわけないわな
778人間七七四年:2012/03/17(土) 09:32:37.77 ID:toERKrpQ
廃藩置県時での隣近所の大藩の実高
鹿児島藩(86万9593石)
熊本藩(78万6015石)
佐賀藩(72万4739石)
山口藩(71万3666石)
福岡藩(57万1141石)
779人間七七四年:2012/03/17(土) 09:53:24.16 ID:8TJAgp4g
この実高って言うのは、そのまま「米の生産力」とならないのがめんどくさいところですね
780人間七七四年:2012/03/17(土) 12:13:05.84 ID:Qaez4SvL
蔵に収まる時は大部分が穀物に替わるから
徴税者自身は生産実態に対してあまり関心を向けないからな
石高は今でいうところの『財源』という概念に近いんじゃないだろうか
781人間七七四年:2012/03/17(土) 20:58:19.51 ID:9MHfoEXm
そう、実高と表高のズレが大きいから長州藩は生産力に余裕がある
スゲーとならず、むしろとんでもない重課税の結果という場合もある
>>776
関ヶ原後の毛利藩は、検地で石高を上げたうえに米以外へも課税強化したので
税率が70%超え、一揆も逃散も多発した大変な状態
これ以上表高あげて課税すると、統治に関わるというか農民が死んじゃう
782人間七七四年:2012/03/17(土) 20:59:35.66 ID:9MHfoEXm
石高って把握するのが難しいんだよね
江戸期をつうじて表高と実高の差が大きくなるんだけど(特に東北地方)
もちろん、幕府も江戸初期とズレが生じてることは知っていた
でも、実際問題としてズレを埋めるのは難しい
譜代大名に関しては、幕府の役職との関係で転封するケースが多いから
こまめに検地してるし、幕府の方でも転封に際してあまり
名目と実態のズレが大きくて不公平にならないよう、
実態を調査する必要があったし、把握していた

でも、外様に関しては、幕府自体が実態をほとんど把握できてない
さらに表高の大小は家格や大名序列、官位に関わるので、
不用意な軋轢を避けるために、基本的に江戸初期に大名から
申告された表高をほとんどの場合では変更せず、幕末まで使用してる
783人間七七四年:2012/03/17(土) 22:04:40.20 ID:kdCw5YwY
>>778
福岡藩だけ、幕末の実高が、江戸初期の慶長の検地でだした
石高とほぼ一緒ということ?どう考えても変だろ
新田開発とかで増えた石高はどこに行ったわけ??
784人間七七四年:2012/03/17(土) 23:28:18.22 ID:8TJAgp4g
疑問なんだけど、この幕末の実高に秋月藩(表高五万石)は入っているの?
鍋島や細川と違って黒田の分家は別朱印だから普通は入れないはずだけどどうなんだろ
785人間七七四年:2012/03/18(日) 00:49:28.20 ID:E9edkewx
秋月はその通り福岡とは別勘定だから福岡藩の実高は筑前全体とイコールじゃない
それで福岡藩の伸び悩みの理由としてはは
藩の総人口が1/3も減るような事態に陥った享保飢饉での被害が大きい
飢饉前の人口水準に戻るのは100年程経った天保期まで待たなければならなかった訳で人が居なくなったら石高も伸びようがない

比して薩長土と肥の前後は享保や天保の飢饉に際して被害が比較的軽微だった場所でもある
飢饉に限らず災害が発生した場合の対応で
同じ様な条件を持っていてもその後の展望が大きく異なってしまう事のケースとして黒田福岡藩はいい見本
786人間七七四年:2012/03/18(日) 01:00:16.13 ID:L/WqZjbl
筑前が特別被害が甚大だった原因は何なんでしょうか
間に疫病の大流行もあるみたいだけど
787人間七七四年:2012/03/18(日) 01:01:44.79 ID:MHAg4sEd
>>783
新田開発で増えた石高が消えるわけないだろーがw
普通に考えると、江戸期をつうじて、福岡藩の新田開発などによる増加分は、
おおよそ57万石(幕末の実高)−31万石(小早川時代の石高)=26万石となる

これを他の藩と比較すると、
山口:71万石−39万石(江戸初期の表高)=32万石の増加
熊本:78万石−54万石(江戸初期の表高)=24万石の増加だから、
同じくらい福岡藩でも増えてるよ

では、なんで全然増加したように見えないかというと、
福岡藩の表高は他の藩と違って、ほぼ江戸期の増加分(25〜26万石程度)を
黒田長政が検地で水増ししてはじめから上乗せしていたから
いわば、初期設定で、表高が実高から離れ過ぎていたので、
その差を260年間かけて埋めたってこと
そう考えるとこの数字は、不思議でもなんでもない
788人間七七四年:2012/03/18(日) 01:54:01.94 ID:v47pzd3h
検地を更新してなければ石高もそのまま
熊本藩だって慶長13年検地のままだし
789人間七七四年:2012/03/18(日) 01:57:20.00 ID:L/WqZjbl
石高が伸び悩んだというか、享保の飢饉で一旦大幅に落ち込んだのかな
790人間七七四年:2012/03/18(日) 02:13:34.98 ID:MHAg4sEd
>>788
表高と実高を勘違いしてるんでは?
熊本藩は、加藤時代の表高が52万石、細川時代が54万石
実高は、すでに加藤(慶長年間)に74〜78万石、
細川時代の後期には実高90万石弱まであったと言われてるけど

徳川家光が忠利に与えた宛行状に
『肥後国内で十二郡五一万九千余石、豊後国直入・大分・海部郡内で
二万余石、合計五四万石を与えるから、領地せよ』とある
この54万石の表高は幕末まで変わらなかった
福岡藩:実高=表高
熊本藩:実高>>表高なだけ
791人間七七四年:2012/03/18(日) 02:21:00.33 ID:MHAg4sEd
こう書いた方が正確か
福岡藩は慶長総検地→徳川秀忠の宛行状の記載:表高>>実高
    幕末期:実高=表高
792人間七七四年:2012/03/18(日) 10:26:32.85 ID:TrQLQGlQ
シーボルト台風の時に福岡だけで15万石分ぐらいの被害が田畑に出た
農業なんてのは結局天候如何な部分が要素の大半を占めるので
土地を開墾すればそれで安定収入になるなんて物ではない
793人間七七四年:2012/03/18(日) 21:08:14.07 ID:OAyqdZIA
走り者なら、細川家からも当然出てる
この時代はどの国も多かれ少なかれ、そういう感じ
794人間七七四年:2012/03/18(日) 23:19:31.67 ID:L/WqZjbl
マジレスするのもなんだけど、実高より20万石も水増しして表高出したら、
島原の乱どころではない一揆が起きると思うんだけどw
795人間七七四年:2012/03/19(月) 02:31:10.19 ID:Cblfv0fC
実高は56万石だから超えちゃいない。
796人間七七四年:2012/03/19(月) 08:10:13.80 ID:kdj1Rom/
いや、何か上の方で超理論掲げてる人いるからw

細川が検地して増税せずに済んだのは、黒田と違って築城してないのも大きいんじゃないの?
というか、城作るために増税して百姓から不満が出るのは
池田とか加藤とかもそうだよね
797人間七七四年:2012/03/19(月) 08:28:31.83 ID:Ni5OrnWi
小倉城築城してるんでは?
798人間七七四年:2012/03/21(水) 10:32:46.14 ID:HpI53/yX
熊本城の改修もやってるし何より熊本藩の赤字体質も筋金入り
799人間七七四年:2012/03/22(木) 11:32:27.31 ID:cT/fYZk3
熊本の前の領主、加藤清正はなんかの貿易で巨額の富を得て城を立てたと
聞いたことがある 江戸時代になると勝手に貿易なんかできないから大変だったろうな
あれだけ巨大な城になると維持費だけで相当なもんだろ
800人間七七四年:2012/03/22(木) 17:41:20.52 ID:Ea5Q1tID
実は清正時代の熊本城は今の本丸部分だけの、比較的小規模な城だった模様。
今のように巨大化したのは細川時代。
801人間七七四年:2012/03/23(金) 19:03:45.28 ID:4uf2Lnwc
黒田長政は石高をどうしても50万石の大台にのせたかったので
検地はかなり苛酷でした、というのを昔の歴史読本かなんかの
大名特集で読んだ記憶がある。
その頃は黒田も戦国も興味なかったが、何となく記憶に残ってる。
西国で大国となると50万石がひとつの基準ではあるから、
妥当な解釈じゃないかと思う。
もともともらった31万だと、加藤・福島や池田には遠く及ばず
細川よりも少なくなるから、武断派のなかでのライバル意識も
当然働くだろうし。
802人間七七四年:2012/03/23(金) 20:56:26.58 ID:E4YCZ4+B
細川の石高も、当然盛ってる
西国は特にそうだが、一大名の思惑で石高が決まるわけではない
徳川との暗黙の了解で決まったことだ
803人間七七四年:2012/03/24(土) 11:46:46.28 ID:sbmYM6C0
毛利は関ヶ原後再検地で「54万石ですよ!」って言い出したけど
幕府によって36万石に据え置き。
804人間七七四年:2012/03/26(月) 21:19:30.75 ID:jnUvA4w6
>>802
細川家はどうやって、石高を盛ったんですか?
具体的に教えてください
805人間七七四年:2012/03/30(金) 00:49:45.48 ID:aXdj6f2A
>>802、804
忠興も忠利も石高の割増申告などしていない
黒田領だった時代の豊前中津は半国程度だから、細川時代の領域が違う
つまり細川領の方が面積的に広いだけ
豊前中津は黒田時代に太閤検地をやってないので、忠興は太閤検地の
先例にならって仮の検地を実施したが、石高はそのまま据え置いた
細川家の正式の検地は、江戸初期の大開発時代が一段落した
寛永3年(1626年)と非常に遅く、二代藩主の忠利の時代な

ちなみにこの検地帳の作成に当たっては、庄屋、百姓、藩方役人が立会い、
話し合いのうえ了解を得て実施するという、
当時としては非常に透明性の高い方式で行われた。細川の良政の一例
806人間七七四年:2012/03/30(金) 02:09:47.99 ID:X28Ao0Mz
盛ったのは加藤家だな、忠広時代は内高94万石。
さすがに盛りすぎだとして細川転入時に清正時代の内高75万石に戻している。
807人間七七四年:2012/03/30(金) 02:36:24.31 ID:uCfDbPKj
ここで忠興の話をするのもなんだが、
忠興の所領は豊前一国+豊後一郡で計30万石ではないのか?
小倉藩は39万石になってるようだが、残りの9万石はどこから出てきた?
正式な検地はしてないのなら、出しようがないと思うんだが

あと黒田領は豊前半国ではなく、三分の二くらいだ
808人間七七四年:2012/03/30(金) 03:46:49.77 ID:aXdj6f2A
国持大名などによる一国一円支配と区別して、「〜半国」と呼ぶ
当時も現在も、石高がきっちり半分じゃなくても「豊前半国」「摂津半国」
などと称する
別に何もおかしくない
809人間七七四年:2012/04/02(月) 21:36:56.98 ID:qVbhHZE5
>>807
関ヶ原後の細川領は豊後(杵築)+豊前あわせて約37万石では?
このうち関ヶ原前に受領した杵築が6万程度だから
豊前は約30万石程度で、豊臣政権下とあまり変化していない
これ(37万石)をのちの石直しで39万石にして表高にした

豊前中津は、黒田孝高入封後に検地を実施した
実施者は黒田氏で差出検地、太閤検地は行われなかった
この検地については、史料自体がほとんど現存していないので
豊前に関しては、織豊期の正確な石高(内高)は
概算でしか把握できない
三度も四度も検地している畿内や太閤検地があった筑前とは事情が違う
810人間七七四年:2012/04/03(火) 22:57:43.39 ID:UnlZDqvt
これ読んで、福岡県が黒田大河の誘致に積極的でない理由が
なんとなくわかった
もともと黒田は鉢植えだけど、同じ鉢植えでもせいしょこさんは
いまだに熊本で人気絶大だし

熊本城築城やインフラ工事の際に、領民に賃金支払った加藤清正
安芸入封後、検地の結果を農民にも公開した福島正則
茶道具を売り払って米を買い、領民の飢饉に備えた細川忠興

旧領から米を無断で持ってゆき、鬼検地で領民が逃げだす黒田長政
実は長政が七将で一番脳筋つか、内政が下手なんではないかと
811人間七七四年:2012/04/03(火) 23:42:48.82 ID:jYxTOd91
別に熊本も広島も大河誘致に積極的じゃないぞ
812人間七七四年:2012/04/03(火) 23:58:14.08 ID:UnlZDqvt
いや、幕末まで断絶もせず続いたのに
黒田はお膝元で人気がないという意味で、大河は具体例な
清正は短期間しか治めなかったのに地元で人気あるじゃん
広島は、福島もあとの浅野も空気で毛利が人気みたいだけど
813人間七七四年:2012/04/03(火) 23:59:26.73 ID:jYxTOd91
むしろ幕末より後がまずかったのが黒田
814人間七七四年:2012/04/04(水) 00:04:56.44 ID:AsvwVYAA
何かご一新後に、地元で悪いことでもしたのか?w
偽札刷って、藩がお取りつぶしになった以外に
815人間七七四年:2012/04/04(水) 00:44:25.22 ID:HPAIkL7k
清正人気は半分細川が作ったよーなもん
黒田の場合は福岡から離れちゃったのがなぁ
なんだかんだ言っても地元に家残ってるとこは
おらが殿様と自然と地元に支持されやすいわ
816人間七七四年:2012/04/04(水) 00:53:46.03 ID:G1ierisX
佐賀も鍋島人気あんまりないしねえ
817sage:2012/04/04(水) 07:59:24.67 ID:FFKwuOup
忠興や正則が民に優しいとか、正気で言ってんのか?
818人間七七四年:2012/04/04(水) 20:51:58.32 ID:8/QIqi8w
検地がまともで内政手腕が黒田よりましっていうだけ
誰も「民に優しい」とか言ってないし、曲解されてもなー
それより正気でsageてんのか?と聞きたいwww
819人間七七四年:2012/04/04(水) 21:05:23.12 ID:a52eGXdB
どういう条件クリアしたら、内政がマシって判断になるもんなの?
820人間七七四年:2012/04/04(水) 21:11:33.42 ID:8/QIqi8w
単に比較すればいいんじゃないでしょうか?
細川も福島も検地や内政についてちゃんと史料が残ってんだし
ゲームじゃあるまいし、明示的なクリア条件などあるかと
相対的に評価するもんでしょ
821人間七七四年:2012/04/05(木) 19:56:33.09 ID:Pc2Gy6dp
地元人気の話だったら、そりゃ地元民にしかわからないとこあるからなー
うちの地元の殿様も影薄い薄いと思ってたけど、
よくよく考えたら県民だから生活に密着しすぎて気づいてないだけだったわ
福岡人だってたぶん小さい頃から祭の時には黒田長政に扮したおっさんに高い高いされたりして育ってんだろ…
822人間七七四年:2012/04/05(木) 21:20:18.84 ID:GKWypEH6
>祭の時には黒田長政に扮したおっさんに高い高いされたりして育ってんだろ

そんな祭りないし、あっても山笠の飾りになる程度で
山笠の飾りの題材となるのは長政以外にも
秀吉や宗茂とか清正等々の例もあるから
長政は地元ですら別段特別視されてないね
823人間七七四年:2012/04/05(木) 21:53:20.04 ID:Pc2Gy6dp
そうなの
824人間七七四年:2012/04/05(木) 22:03:17.36 ID:GKWypEH6
イベントの武者行列でたまに黒田二十四騎があるくらいなぁ
まぁ、そんな武者に高い高いされるより、相撲取りやホークス選手に握手してもらう方が断然喜ばれるね
825人間七七四年:2012/08/11(土) 00:10:08.09 ID:2mxwO5LT
昨日のBS-TBSの番組で長政がそこそこ取り上げられてた
826人間七七四年:2012/08/11(土) 12:32:02.67 ID:eJ+ByWw/
>>818
正則は検地結果や税を領民に公表したりして善政を敷いてた。
ていうか正則は武断派と言われるが、実際はどっちかと言えば文官寄り。
827人間七七四年:2012/08/13(月) 18:15:34.12 ID:ffXV57IY
関ヶ原までに激しい先陣争いをしたり何気に李舜臣を海戦で破ってたりして
一方でDQN四天王に負けず劣らずやんちゃだったりアホだったりする逸話残してるから
戦上手だが脳筋の猛将というイメージが先行しまくってるんだろうね>市松
828人間七七四年:2012/10/11(木) 09:11:21.41 ID:uaXN9fd8
孝高が2014年の大河に決定
ということは・・・出るな
親子エピソードはあるから
829人間七七四年:2012/10/11(木) 14:04:10.62 ID:b2yRkyud
そら熊本やらの閉鎖的な田舎じゃ殿様人気があるのか知らんが、
福岡や東京23区みたいな5年単位の人間の出入りが1位2位みたいな大都市じゃあり得んわな
830人間七七四年:2012/10/20(土) 13:33:06.03 ID:g2VVUmd0
出身地ゆかりの地名押し付けてきたり、殿様自身がよそ者臭まとわせてちゃ人気出ないわそりゃ
831人間七七四年:2012/10/20(土) 17:03:04.61 ID:XsCl5ShQ
地名押しつけって
移封や築城で地名改称した例は別に黒田に限った事じゃないんだが
加藤清正の隈本→熊本や伊達政宗の千代城→仙台とか人気武将でもやっとる
832人間七七四年:2012/10/20(土) 20:34:40.26 ID:bvAr8jvj
博多という地名は、歴史的に古代からある由緒ある地名だから、
何の関係もない、備前福岡に由来する田舎くさい名前に改名されるのを、
当時の博多商人はすごく嫌がったんだよね
まだまだ、戦国期の遺風で、博多商人の自立心と誇りが高かった頃だし
実際、黒田家が福岡に全面的に改名せず、博多の地名を残したのは、
博多商人に妥協したからですお
833人間七七四年:2012/10/21(日) 00:34:25.33 ID:HvvaAmSF
福岡改名ってさ、要するに、近代でいえば博多は、横浜とか神戸のような
開放的な国際貿易港で、住んでる博多商人は金もあれば文化的にも洗練された都会人なわけよ。
しかも長い伝統がある地名である博多にだな、
ある日、突然、鉢植え大名の黒田くんがやってくるんだ!
それでいきなり、

「今日から、ここはおれん家ゆかりの大都会・岡山に改名しようぜ!」

と言うようなもの。
そら「福岡千軒」って言うし、播磨の土豪にとっては大都会だろうけど!
姫路に行く前に牢人してて、思い入れのある土地なんだろうけど!でも!

黒田に悪気はないが、博多にはすごく有難迷惑だったということ。
834人間七七四年:2012/10/21(日) 11:43:34.62 ID:P7nYoNhZ
300年前ならともかく
既に棲み分けが出来て定着している地名に
文句を言うのはなんか言いがかりに近いな
835人間七七四年:2012/10/21(日) 12:02:24.69 ID:EL3nVxpT
長政は福崎を福岡に改称したとはあるけど
そもそも当時の福崎は博多に含まれてたんかね?
昔は住吉神社や簑島辺りまで入り江で福崎とか
入り江が埋め立てられる前までその名の通り岬だったんだが
中州以西の天神とか大名とか室町以後新たに出来た土地を博多と呼んだか凄く怪しいんだが
836人間七七四年:2012/10/21(日) 13:32:09.98 ID:tEhhBWLY
>>834、836
とりあえず当て推量で、いい加減なこと言う前に
福岡改名が歓迎されなかったというのは、言いがかりでもなんでもなく、
福岡県の歴史とか博多の歴史を扱った本には、普通に載ってる話だから、
一度自分で読んでみればいい

黒田家以外は、地元の人間は博多という地名の方に愛着があったのは確かで、
明治維新後の地名改名の際にも、福岡派と博多派でもめて、
議会では博多が多数派だったのに、福岡藩士が暴れたり、ごり押しして、
無理やり福岡にしたのは有名な話なのよ
837人間七七四年:2012/10/21(日) 13:48:26.50 ID:P7nYoNhZ
>>836

俺が300年前ならともかくと言ってる様に
明治期の話でもそれは過去、昔の話だろ、今は福岡定着してるじゃん
それとも福岡には未だ博多に拘り続け、博多市にしたい人が大勢いるのかい?
838人間七七四年:2012/10/21(日) 13:59:55.46 ID:tEhhBWLY
戦国板で、昔のことはいいから、ともかくここでは現在の話にしろって
言われる方が、正直、意味が分からん
黒田長政のスレなんだから、300年前の話をする方がまともだろ??
「近世をつうじて、福岡という地名は、地元ではあまり歓迎されていなかった」
という事実を語っているだけであって、
むしろ、黒田家に関係ない現在の話だけしろって言われても…
839人間七七四年:2012/10/21(日) 14:32:28.14 ID:P7nYoNhZ
>>838

>戦国板で、昔のことはいいから、ともかくここでは現在の話にしろって
>言われる方が、正直、意味が分からん

そりゃ、だって話の始めが

>>829
>そら熊本やらの閉鎖的な田舎じゃ殿様人気があるのか知らんが、
>福岡や東京23区みたいな5年単位の人間の出入りが1位2位みたいな大都市じゃあり得んわな

>>830
>出身地ゆかりの地名押し付けてきたり、殿様自身がよそ者臭まとわせてちゃ人気出ないわそりゃ

と、現代の話だからな
今の福岡で答えるのが普通だろ
それとも長政は割と人気あったが息子の素行の悪さで
博多での黒田人気を落としたとでも書けばいいのか?
840人間七七四年:2012/10/21(日) 14:39:26.84 ID:xNQZQe3H
>>836
県史なんて捏造あい乱れる単なる作文じゃん
841人間七七四年:2012/10/21(日) 15:06:50.05 ID:tEhhBWLY
>>839
自分じゃないレスの流れに、最後までつきあう義理はないので
普通にスレタイに沿った方向にさせてもらいたんだけど
現在の話がどうしてもしたいなら、そのレスした人に訊いてね

歴史的に言うと、そもそも長政時代に博多で黒田人気などない。
もともと九州征伐後、荒廃した博多の復興を町割奉行として、
中心的に担なったのが石田三成だった縁で(ちなみに孝高もこの復興
に関わっている)、島井や神屋など博多の豪商は、豊臣政権〜関ヶ原の時期
圧倒的に豊臣と西軍贔屓で、徳川・東軍とは疎遠だった経緯があるわけ。

関ヶ原後も、東軍であった黒田家の転封に対しては、博多では
歓迎するムードは全然なくて、むしろ緊迫した雰囲気だった
(だから、黒田長政の豊前から筑前への転封は「筑前国御討入」と言うわけ)
黒田家の方も、すぐ博多には入府せず、一ヶ月ほど近郊で様子を見てから
入ったくらい。要するに、両者は、かなり緊張した関係だったのよ
黒田家が自家の御用商人にも、豊臣家や博多と関係のない大友家出身の
大賀家を採用して、地元の博多商人を任命しなかったのは、そのためで
博多と黒田家の関係は複雑なのよ
842人間七七四年:2012/10/21(日) 15:11:35.17 ID:tEhhBWLY
>>840
馬鹿も休み休みに言えw

県史や市史というのは、どこでも専門の日本史研究者が執筆している
まともな学術書だ。何年かけて、県や市が編集・出版してると思ってんだお
知らないのは仕方ないとしても、どうして嘘を言うんだろ
843人間七七四年:2012/10/21(日) 19:37:43.18 ID:xaTEBVT+
>自分じゃないレスの流れに、最後までつきあう義理はないので
>普通にスレタイに沿った方向にさせてもらいたんだけど
>現在の話がどうしてもしたいなら、そのレスした人に訊いてね

見当違いの横レスして自分じゃないレスの流れとか面白いヤツだな
844人間七七四年:2012/10/21(日) 21:33:11.52 ID:0jg5p7RW
横レス失礼
あくまで個人的な希望だけど
せっかく面白いネタを提供してくれてるんだから
できればこのまま戦国〜黒田時代の博多の話を続けてほしい
へうげものにもちょっとでてたけど
博多商人が西軍寄りだったってのは面白かった

>>843
嫌なら自分で現代の博多を語るなり
もっと面白い話題をふればいいだけですがな
なんか内容が気に入らなくてからんでるように見えるわ
845人間七七四年:2012/10/22(月) 01:07:36.26 ID:1r5VTclg
>>842
県史編纂に携わってる教授先生が言ってるのよね
教授先生が学術的に編纂しようとしても、観光面その他を考えて間違った通説を行政側がごり押しなのよね現実わ
そういう妥協の産物たる大本営発表が県史市史なんだよね残念ながら
846人間七七四年:2012/10/22(月) 02:24:30.25 ID:hP3COUue
>>845
これ反論があるなら、具体的にお前が福岡県史なりの「大本営発表だ」と
思う箇所をあげて、その根拠となる史料を提示して、誤りを指摘すればいいだけの話だよな
具体的な名前もあげられない、ぶっちゃけいるかどうかもわからない
「教授先生」(この言い方もどうかと思うが)の虎の威を借りて一般化するのは
たとえ2ちゃんであっても卑怯すぎると思わないか
847人間七七四年:2012/10/23(火) 14:29:21.32 ID:osQBREYo
専門の日本史研究者が編纂してる!!と虎の威をごり押ししてきたのはそっちが先だから
そちらこそ自分が今まで信じてきたことを疑ってもう一度見直してみたらどうだい?定説を疑う・・・歴史の醍醐味だよ?
848人間七七四年:2012/10/23(火) 21:16:56.44 ID:poKOR+sV
一部そういう事例があるのも確かだけど、それだけで作文あつかいは行き過ぎ
ぶっちゃけ県史とか読んだことも無いのだろうけど
849人間七七四年:2012/11/25(日) 22:38:33.25 ID:zVAugTG9
>>844
博多商人達は神谷宗堪をはじめ三成との繋がりが強いから西軍寄りになるのは当然の流れかと。
850 忍法帖【Lv=3,xxxP】(3+0:8) :2012/12/25(火) 22:25:48.31 ID:n0g3mew5
そういえば関ヶ原後博多商人は特権取り上げられまくってるな
851人間七七四年:2013/01/26(土) 15:05:01.29 ID:PH26chZt
「私が火を付けた」福岡市の崇福寺火災で修行僧を逮捕

「私が火を付けた」福岡市の崇福寺火災で修行僧を逮捕 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 福岡市博多区にある旧福岡藩主・黒田家の菩提寺(ぼだいじ)、臨済宗「崇福寺」(宇佐見宗玄住職)で

今月9日、放火事件があり、福岡県警捜査1課と博多署は20日夜、寺の修行僧、永田秀明容疑者(26
)を現住建造物等放火容疑で逮捕した。

 永田容疑者は「私が火をつけた」と認めたうえで、「日ごろのうっ憤がたまっていた」と供述しており、
県警は寺での生活に不満があったとみている。
 調べによると、永田容疑者は9日午後9時10分ごろ、住職が生活する隠寮(いんりょう)北側の掃除用具
置き場に火を付け、隠寮と書院の計3棟約700平方メートルを全焼させた疑い。
 永田容疑者は修行僧11人のリーダー的存在で、ふだんから1人だけ別の場所で座禅をすることがあった。出火
当夜も、他の10人は本堂で座禅をしていたが、永田容疑者は別の場所におり、火事に気づいたふりをして119
番通報していた。
(2005年5月21日1時40分 読売新聞)

ホモのもつれ?
852人間七七四年:2013/02/16(土) 20:38:38.70 ID:T/cBCn/G
トンコツの祖
853人間七七四年:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN ID:aICaP+Ex
関連スレ

【平成26年】 黒田孝高総合スレ 3 【大河の主役】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1372941295/
854人間七七四年:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:3XCPRsGc
長政も大河ついでに有名になりますように(-人-)
855人間七七四年:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:I2yNukiF
伊達、前田、武田、上杉、毛利、山内が主役の大河が生まれた以上、次は黒田長政、池田輝政、藤堂高虎あたりを主役にすべき
856人間七七四年:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN ID:BdpDQZdp
黒田サイテー
857人間七七四年:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN ID:6g/hMiwC
細川乙
858人間七七四年:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:Yon9zeiw
池田輝政の大河ってつくる意味あるのか・・・
家康の婿ってことしか取りえないんだが
藤堂高虎の大河ってどう考えても地味すぎるだろ・・・
だが黒田長政主役の大河も絶対にない・・・
来年松坂桃李の微妙な長政でおしまい
859人間七七四年:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:voCic/Yz
松坂桃李って名前もなんかくどいな
マツにモモにスモモと樹木が3つも
860人間七七四年:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:hK2YlBFV
あーこれは向井秀忠の二の舞になるわー
いい加減NHKは朝ドラの相手役の男をお情けで大河に使いまわすのやめろよ
渡辺謙で成功したのは例外だってはよ気づけ
861人間七七四年:2013/09/22(日) 09:47:16.61 ID:AnC5gjXE
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
862人間七七四年:2013/09/22(日) 09:54:37.47 ID:uai8BAKN
>>11
屑だな
863人間七七四年:2013/12/22(日) 04:23:00.00 ID:Cgzb6rpc
関が原の戦いも
長政の功労の方がおまけみたいな扱いになりそう
下手すると孝高の働きのおかげで石高アップみたいな嘘が語られたり・・・
864人間七七四年:2013/12/22(日) 09:15:10.80 ID:pjD5UKXt
>>11
屑だなw
それに引きかえ、戸次道雪、高橋紹運、立花宗茂は武士の鑑である。
黒田家など話にならんわwww
865人間七七四年:2013/12/22(日) 14:01:08.03 ID:JzX6lbEv
大友は主君が屑だから(震え声
866人間七七四年:2013/12/23(月) 00:43:24.44 ID:T7fBUc9Z
と思いたいんだねw
867人間七七四年:2013/12/23(月) 00:49:58.20 ID:4qkD6Foe
頑張って煽ってちょ。過疎だから
868人間七七四年:2013/12/23(月) 23:17:10.86 ID:EgdH67CS
>>866
「大友吉統、唐入りで逃げて太閤に改易された日本一の臆病者www
 大将が臆病なら家臣まで大友はみんな臆病者揃いなりー
 簡単にひねりつぶしてやろうずwww」

思いたいというか親父の方の黒田は本当に大友は屑だと思ってた
というか実際に関ヶ原の時石垣原でそう言った、大声で
大分県は黒田大河の「ご当地」という矛盾を考え直した方がいい(真顔)
869人間七七四年:2013/12/23(月) 23:56:31.80 ID:LAj18NTz
官兵衛が中津に入部してほんの2年で長政に家督譲って
後は専ら秀吉の側近として京都住まいだったんだから
大分は黒田大河のご当地感は薄い、薄すぎる

つか、官兵衛は領地は転々と変わるし、その領地には殆どいなかったから
黒田大河のご当地と言えるのは姫路と京都の伏見だけと思うがな
870人間七七四年:2013/12/24(火) 01:23:32.58 ID:gXFVamqT
「御当地」なら長政の方がハッキリしてるよな
871人間七七四年:2013/12/24(火) 02:50:37.18 ID:v6dmZ7aa
伏見はどう考えても御当地じゃない
872人間七七四年:2013/12/24(火) 10:42:47.50 ID:WkkVoxVv
>>868
一方大友義統の方も如水を「あんな極悪人は居ねえ!外道鬼畜!」呼ばわりだったしなあ。
よっぽどウマが合わなかったんだろうな
873人間七七四年:2014/04/04(金) 19:28:34.60 ID:caErL41e
わりと素直に親子二代で優秀だったんだろうなと思う
時流を読みいち早く勝ち馬に乗る能力といい、勝ち馬に尽くしてそれなりに認められる所といい
息子は能力は如水より落ちるとしても結果的に大大名になって家も存続するわけだし
874人間七七四年:2014/04/16(水) 23:21:46.40 ID:MmF8VjSy
来週のヒストリアは長政だけど、sage編集の予感
875人間七七四年:2014/04/17(木) 03:48:34.36 ID:dsRIYDh1
明らかに大河の低視聴率のテコ入れ番宣の一環だから
無難にほめちぎると思うわ
876行断:2014/04/17(木) 07:03:54.58 ID:MMV7Lvyj
息子の長政。
関ヶ原が終わったとき、嬉しそうに官兵衛に報告しにいた。
なんでも、家康と握手をしたと自慢げにいう。
官兵衛は
「握手した手は、右か?左か?」
長政は、なんで官兵衛が機嫌が悪かったかわからない。
官兵衛は、家康に着いたのを喜んでなかったんだ。
かと言って、三成に着くのはもっと嫌だった。
官兵衛の心内はいかに。タコにアワビ。
「父を目指したなら、なぜ父の真似をしなかった?」
は、司馬遼太郎の解釈だけど、最後は天下を狙ったみたいだね。
877人間七七四年:2014/04/17(木) 10:21:30.83 ID:rjVHTHPj
甲斐守
878人間七七四年:2014/04/30(水) 01:40:09.29 ID:MFsOx8Na
ヒストリア見たが又兵衛の奉公構話はスルーしてたな。

奉公構って、会社で言えば社長が右腕として信頼して頼ってた奴が、
ライバル会社の奴と内緒で酒飲みに行ってたのがばれて、それを咎めたら、
まさかの「俺辞めますわ。」って辞めて、向こうが謝ってくると思ってたら、
まさか辞めるなんてと思った社長が、捨てられた屈辱感から
業界の社長仲間達に、こいつは最低な奴だから雇わない方がいいって触れ回ったって事だろ。

プライド傷つけられて嫌がらせしてる社長にしか見えん。
879人間七七四年:2014/04/30(水) 07:52:16.51 ID:7g1/2vk3
年貢持ち逃げも当然スルー
880人間七七四年:2014/05/01(木) 04:28:53.05 ID:pPpuYgoG
関ヶ原の東軍勝利のMVP
881人間七七四年:2014/05/03(土) 16:52:52.70 ID:FX4iwdOO
忠興さんと長政さんの野戦が見たかったw
882人間七七四年:2014/09/06(土) 08:08:48.34 ID:TNwDDPbi
栗さんま芋スタミナ教京観光金北パークルーム羽田代々木チェックタイ八幡しょうゆトンコツ塩分子アパラーメン

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高血圧カウンセラーコーチング威圧態度問題
883人間七七四年:2014/09/06(土) 19:41:27.05 ID:hPFdQxEU
親父とすげー仲悪いよな
884人間七七四年:2014/09/06(土) 19:44:13.00 ID:FmXxlIRx
史実ではめちゃめちゃ仲いいんだが
885人間七七四年:2014/09/06(土) 20:09:18.79 ID:Uu4ZVwNl
全然よくないぞ。何の史実だ?
886人間七七四年:2014/09/06(土) 20:22:14.37 ID:M5BWmyBl
仲良い悪いと言うよりお互いツンデレ
887人間七七四年:2014/09/07(日) 20:39:24.23 ID:Dq+YBEt1
親より確実に上では?
888人間七七四年:2014/09/15(月) 11:08:28.20 ID:savM4oRt
黒田長政が妻を焼き殺したという話の出典は何?

読んだ記憶はあるのぢゃが・・・

誰ぞ知らぬか?
889人間七七四年:2014/09/18(木) 08:33:38.75 ID:6iMd1Il0
大河見てると可哀想になってくる
官兵衛は常に正しく思慮深い理想主義者に描かれ
長政は相手の策にすぐ引っかかる馬鹿な短慮キャラ
役者もわざわざオドオド系の若造使って
おまけに悪いことはみんな長政が勝手にやったこと
さすがはNHKだぜ
890人間七七四年:2014/09/21(日) 21:47:09.54 ID:CQJU996e
開始早々ナレでまさかの「独断」明言、その後も長政の独断先走りとして話は進んでいく
って予想以上に酷かった
官兵衛は先週、荒木村重以来にみたし
このスレをみるのも初めてだけどずっとこんな扱いだったのか
官兵衛をageる為になりふり構わなくてこわい
891人間七七四年:2014/09/24(水) 00:04:26.49 ID:NJBEYzho
>>889
ジャニーズのタレントに気を使っただけでは
長政が鎮房を成敗するシーンと
官兵衛が朝房を成敗するシーンの違いからしてねw
892名無しさん@お腹いっぱい。::2014/09/24(水) 04:37:25.96 ID:XAVtrlbp
宇都宮を滅ぼしたって言うけれど、子孫は今の福岡県豊前市に居ますよ
伊代にも居るし、先祖代々の墓があります
顔は西洋人とのハーフみたいな顔が多いです
大河ドラマの役者さんとは全然違いました
893人間七七四年:2014/09/24(水) 08:28:01.39 ID:1bUETGhe
それ本物のハーフじゃ?
894人間七七四年:2014/10/04(土) 20:00:09.56 ID:h+f+zazo
>>891
気を遣うこと自体おかしいわ
だったらジャニなんか最初から採用するなってんだ(岡田は役者として好きだが)
とにかくひでえ脚本だ
895人間七七四年:2014/10/05(日) 01:15:14.89 ID:/J3GaFoJ
滅ぼしたって言っても族滅させた訳じゃないからなぁ
城井一族自体一枚岩じゃなくて鎮房に反発して同調しなかった者もいるし
そんなやつらはお咎め無しで帰農したり、仕官求めて他所に移ったりしたから
896人間七七四年:2014/11/23(日) 14:39:43.55 ID:r5bwzzcd
糸姫の薄い本はよ
897人間七七四年:2014/12/09(火) 03:07:16.05 ID:NkVjfOTv
6年前のスレか
なかなか先見の明があったんですなー
898人間七七四年:2015/02/26(木) 11:51:26.47 ID:s+aJUCg8
去年の大河おもろかったで。
再放送早くしてくんねーかな。
899人間七七四年:2015/02/26(木) 11:52:37.53 ID:s+aJUCg8
ちなみにドラクエのアクト長政、かっこええで。
900人間七七四年:2015/02/27(金) 14:56:08.23 ID:9WeUgZZ1
wikiによるとだいぶ間抜けなエピソードばかり
901人間七七四年
wikiを信じてる時点で>>900もアホだが。