1 :
サイコメトリー:
前スレは皆さんに様々な知識やご意見を頂き、本当に勉強させて頂きまして
ありがとうございました。
自分は、支持する桑田忠親説に関して少し固執する所があった事、お許し下さい。
もう語る事無いだろうと仰る方も居るでしょうが、自分としては、もう少し
皆の意見を聞き楽しみたく、またスレ立てしてしまいました。
ここまでの流れとしては、複合説が主流となってきていますが、新たな方の新た
なご意見を求めます。
また、お題にプラスを加えさせたのは、変時の信長の統一構想も少し、語って
行きたいなと思った為です。宜しくお願いします。
2 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 15:53:20 ID:grZHVCB5
「本能寺の変態考察スレ」に、見えた。
3 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 15:59:29 ID:uu4m16rG
前スレのリンクぐらい貼れ
あと前スレまとめ3行
4 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 16:32:31 ID:jiANdfKE
5 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 16:50:55 ID:el6XjzVo
複合説の中の野望論は、畿内掌握に限定すべきだと思うがどうかな?
6 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 17:04:35 ID:R1NNcL79
7 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 17:43:45 ID:jpWz28W6
>3
初期から批判って‥。
あんたクレーマーだろ。
前スレにも出てた、嫡男幼少の為の将来不安って件だけど、確かに不安はあったろうが、変の起因の一つになるのかなぁ。
だって子供の不安は誰もが持ってる事だろうしね。
8 :
中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/06/22(日) 18:31:23 ID:r5aZDmUy
9 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 18:42:52 ID:el6XjzVo
7
子供を思う親の気持ちは古今東西変わらんと言うじゃないか。
10 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 22:02:06 ID:/21BosXo
内容も流れも重複してないような。
12 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 23:24:16 ID:UE5rgVkl
ここはスレ主の俺様の意見が絶対スレだからな
13 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 23:30:22 ID:jpWz28W6
だよね。重複してないよ。
何故、そんなにこだわるのかが分からん。ここが気にいらなきゃ、こなきゃいいのにね。
それに、そのスレ二年も前からあんのに伸びてないのは、つまんないし、誰も見てないのよ。そこを勧めてる方が盛り上げてやれば
14 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 23:56:28 ID:cTTReRPI
跡継ぎ不安にも拘らず養子も取らず譜代や織田家とも縁組をしない光秀
合戦で命落とせば明智家取り潰しにもなりかねない
この方針を選ぶメリット教えてくれません?
15 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 00:05:41 ID:1BGQrYxZ
16 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 00:07:33 ID:RgfUaG+d
後継者の不安っつても、それは信長の責任でもないしな。
滝川や柴田、羽柴らも実子がいないという問題を養子で解決しているのだし。
そういや明智の配下には何人か明智姓を賜った武将がいるが、彼らはどういう
扱いだったんだ?養子じゃなかったのか?
17 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 00:24:25 ID:60Yw7QtF
>>15 ごめん養子を受けると言う意味です スイマセン
明智姓貰った人は正直良くわからないんですよね
この時代普通にある恩賞として名を許したのか養子なのか
18 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 00:49:35 ID:/XqW44d+
光秀が後継が幼少で不安があるて言動した話は俺は
勉強不足もあってか知らないな。
娘二人を信長の命で津田信澄と細川忠興に嫁がせた
てのは知ってるが…。
19 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 12:53:04 ID:qIb6lJIQ
不安=野望とは、なりえないはず。
また秀吉との出世争いに破れて落ち目ってのも、頷けないなぁ。
何も落ち目になってないしね実際。
20 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 13:01:16 ID:R8QxZBBi
出世争いで秀吉に敗れたわけでもないしな。
秀吉が方面軍として軍功を上げてるのに光秀軍は戦う機会が無かったとかいう人もいるけど、光秀は信長の権力基盤である京周辺を任されていたのであって、これは光秀が如何に信頼されていたかということだよ。
21 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 13:10:13 ID:UV0OZDo+
>>16 >そういや明智の配下には何人か明智姓を賜った武将がいるが、彼らはどういう
>扱いだったんだ?養子じゃなかったのか?
いなかったはずだよ
高柳本では1次史料で確認できる明智姓は
明智弥平次(旧姓三宅)秀満
明智伊勢千代(旧姓小畠)不詳
明智掃部(旧姓並川?)易家
明智少兵衛(旧姓溝尾)茂朝
明智半左衛門(旧姓猪飼野)秀貞
ぐらいとある。全員家来だから養子ではないね。
ただ、弥平次と半左衛門の2人は光秀から偏諱されてるから
養子とってるって史料がみつかったら、彼らなのかもしれない。
>>18 >光秀が後継が幼少で不安があるて言動した話
確かに聞かないね。
谷口信長本にあったが、初期の4家老の平手・青山も実子は家老になって
いない。また、初期の重臣である坂井と森の戦死後は、息子の坂井越中と
森長可は馬廻りか平武将とスタートとワンランク下からやり直している。
織田家軍団長クラスの世代交代は82年時点ではなかったから、想像
でしかないが、もし光秀が「もう年で戦はむりぽ」っていっても、実子
の軍団承継はなかっただろうね。
ヤ○ザみたく、軍団若頭みたいなのが(細川・筒木・池田)あとを継い
だんじゃないのかな?
それだけに、光秀が不安を持って当然のはずだが…
22 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 13:10:20 ID:1BGQrYxZ
逆に秀吉こそいつまでたっても地方ドサ回りの方面軍司令官の立場から脱しきれず(滝川が「関東管領より
茶器が」って言った事の真意もそれだろう)、次世代の信忠系との人脈の薄さからいっても、武将としてはもう
「上がり」に近かったと思われる。
23 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 13:25:01 ID:qIb6lJIQ
20に同意。
少なくとも、秀吉との出世争いに破れてって所は
変の要因以前の問題だと思う。
22、滝川は本能寺以降、能力ない様に思われがちだが、そんな事はないんじゃないの。変時、上州厩橋にどの武将が配置されてても、的確な行動とりにくいでしょ。それに甲斐征伐の恩賞に珠光小茄子所望する事は当時、当たり前。
何を根拠に滝川が『上がり』か教え下され。
24 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 13:26:43 ID:1BGQrYxZ
>>23 > 何を根拠に滝川が『上がり』か教え下され
>>22の書き込みを良く読んでくれ
25 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 13:42:45 ID:UV0OZDo+
>>22 >地方ドサ回りの…
このドサ回りたちが、組下を従えて強大な軍事力を持っていたのは事実。
織田家の行政機構は未成熟で、後年の5奉行のような政権中枢にかかわる
職制も存在していない。
現に、「清州会議」はドサ回りたちが集まって家督相続等重要な事項を決定し
ている。滝川が会議から外されたのは北条にボコボコにされて軍事力をう
しなったからで、政権中枢から外れたからではない。
26 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 13:54:49 ID:R8QxZBBi
地方どさ回りで強大になったのは羽柴秀吉だけだよ。
他の軍団長の家臣が従来の寄騎だったのに対し、秀吉は宇喜多らを直接従え他の寄騎とも大名と家臣のような関係を築いた。
人たらしの能力と言うべきか…とにかくこの時の組織力が本能寺の変後に他の軍団長よりも抜きんでた理由の一つ。
27 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 14:03:59 ID:1BGQrYxZ
>>25 清洲会議は信長の圧倒的独裁権力が消散してしまった事で、その空白を埋めるためにああなったに過ぎない。
信長が生きていれば清洲会議のような、家臣が集まって織田家の方向性を決めるようなことが可能だったと思う?
全く想像すらできないでしょ。
信長がいなくなることで初めて、方面軍司令官たちは政治の中枢にかかわることが可能になった。
信長の生前、いわゆる方面軍司令官の中で多少なりとも政権の中枢にかかわれたのは、光秀くらいのものでしょ。
他は、会社で言えば取締役の肩書きの無い部長のようなもの。
あと、晩年の信長の周りには近習衆を中核とした行政組織が形作られ初めていた。
最終的にはおそらく、室町幕府の奉行衆のような組織になっただろうね。
28 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 14:11:00 ID:xEVaD6zQ
ぶっちゃけ、信長は秀吉をもて余していたと思う。
秀吉にフルパワーで謀叛を起こされたら、織田家が一気に瓦解しそう
29 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 14:11:29 ID:60Yw7QtF
>26それはあなたの個人的見解では?
人たらしは同意しますが
30 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 14:15:45 ID:qIb6lJIQ
秀吉は確かに有能者だが、変時のそれは運が良かっただけの気がするよ。
細川、筒井どちらかだけでも光秀側についていたら、状況は大分違っていただろうし、もう少し軍の編成に時間が掛かっていたら、柴田も出てきてただろうから、三つ巴になる可能もある。
秀吉と柴田が仮に手を組んで光秀を打破する事が出来たとしても、その後
すぐに秀吉がイニシアチブを取る事は厳しいでしょう。
光秀も混乱に乗じて、畿内主要ヶ所を抑える事を考えていた事だろうしね。
31 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 14:20:01 ID:1BGQrYxZ
秀吉の権力も本能寺までは限定的。
彼には譜代家臣団が存在しないし、その軍隊の中核をなしていた川並衆すら、信長に付けられた
与力に過ぎない。(家臣化は本能寺の後だ)
確かに秀吉は中国計略の過程で宇喜多をある意味「乗っ取って」いるが、それでも
信長権力に歯向かえるほどの力があるわけではない。
32 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 14:33:55 ID:R8QxZBBi
まあ俺は秀吉が本能寺の前に何かできるぐらい強力だったとは書いてないけどね。
33 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 14:37:14 ID:60Yw7QtF
しかし本能寺後の数年だけは秀吉の人生上もっとも切れのある動きするんだよね
小牧長久手を除いて
そんでもって黒幕とか妙な説が出る訳ですが
34 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 16:35:48 ID:fc2g65a/
>>27 >信長が生きていれば清洲会議のような、家臣が集まって織田家の方向性を決める
>ようなことが可能だったと思う?
これには同意。
でも、信長近臣で最も寵愛された、堀・菅屋・福富・矢部・長谷川・野々村らが中
枢にいたとは思えない。官僚的色彩が薄いからね。
信長の生前にこんな提案したら「たわけ!主を取沙汰するかっ」ってって殺されそう
だね。
あなたが指摘する通り、信長独裁体制で家老の林・佐久間ですら、辞令一枚で馘首で
きた。光秀だって中枢にかかわる仕事は大和検地ぐらいで、馬揃えは天皇を楽しま
せる単なるお祭り。彼も政権中枢にはいないと思う。
>清州会議
【変前の司令官】 【清州会議】
関東:滝川 →本拠地を失い失格
北陸:柴田
近畿:明智 →死亡 → 代打池田
四国:信孝 →利害関係人で失格→ 代打丹羽
中国:羽柴
で、信孝の代わりに四国副官の丹羽を、明智の代わりに近畿遊撃指揮官の池田を
起用したのではないでしょうか?
彼ら2人は信長親子の仇討に参加しているので、足りない軍事力をその正統性で補
強して出席できたのではないかと、妄想してみる。
35 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 18:07:41 ID:UV0OZDo+
>>22 >滝川が「関東管領より茶器が」って言った事の真意もそれだろう
違うだろ。
「信長公記」によれば、信長は滝川に「老人の身での遠国派遣は大変だろうけど、
関八州の支配・取次を一任するから、老後に一花さかせてみよ」といっている。
滝川がぐずったのは自分が老齢だからで、「上がり」だと思ったからではないと思うよ。
>逆に秀吉こそいつまでたっても地方ドサ回りの方面軍司令官の立場から脱しきれず
佐久間への折檻状でも信長から誉められているのは、明智・羽柴・柴田・池田などの
方面司令官・遊撃指揮官ばかり。
信長の中では司令官は一番映えある仕事だと認識があったと思う。
でなければ、ここであげられる名前に武井・松井・村井あたりが入ってないとおかしい。
36 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 18:17:49 ID:Q35cUHxF
>>35 単に、佐久間と近い立場の「方面司令官・遊撃指揮官」を引き合いにだしたとは考えられない?
違う分野の人を挙げても、説得力が薄いだろ。
37 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 18:28:25 ID:60Yw7QtF
38 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 18:31:58 ID:UV0OZDo+
>>36 確かにその通りです。
信長が家来に叙任の栄誉を与えた時も、吏僚が何人か含まれてるし…
じゃ、織田家家臣団で「一番エライ人」って誰になるのかな?
まさか、村井のじい様ってことはないよね。
39 :
サイコメトリー:2008/06/23(月) 18:32:39 ID:dZVYk9g/
重複スレ有ります。まとめが少ないとのご指摘がありましたので、お答えします。
本能寺の変に関するスレがいくつか有るのは認識しています。前スレ前提でも、
書いた様に各スレがイマイチだと自分は思っていましたので今回もスレ立てしています。
自分がスレ主だと気にくわないのか、との指摘がありましたが、仰る通りです。
前スレ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1207092431/l50 前スレでは皆さんの様々な説、ご意見頂き、あっという間にスレが1000を越え
本当に感謝しております。ありがとうございました。
新たなスレ立てをしましたので、改めて自分の意見を開陳したいと思います。
自分は昔から光秀怨恨説を支持していました。理由としては後世の講談話を頭から
信じていた為です。プラス光秀に対する判官贔屓もあったと思います。
高柳野望説を頑なに認めたくない所にも、天下を望んだ光秀があっさり秀吉に負ける
ハズがないという思い込みからかも知れません。したがって、桑田忠親氏の柔ら怨恨
説に便乗しているというのが、正直な所です。
黒幕説、陰謀説においても、文献上ありえないとか、当時の状況を鑑みてありえない
と言うよりも、光秀が誰かに利用されているハズがないという想いから、様々な理由
付けをしてたのが、偽らざる本心です。実際、黒幕陰謀説の可能性が低い事は前スレ
でも語ってきましたが、心底にはその気持ちが有りました。こんな事を言ってしまえば、
感情論となり、とてもまともな意見も異論も出ないと言われそうですが、正直、前スレ
では、その気持ちを抑えつつ、様々意見をしていた事を認めます。
変な前フリしておいて僭越ですが、前スレの流れを確認します。端的に言いますと、複合
説となっています。その要因となる候補は以下となります。ご意見願います。
○ 本能寺周辺及び京周辺の詳細状況把握
○ 畿内掌握を目的とする光秀軍単独行動
○ 様々な状況を加味した上での光秀のノイローゼ
○ 四国取次ぎ担当交替憤慨
その他にも外せない説や出来事がありますでしょうか?
40 :
前スレ 917:2008/06/23(月) 18:43:35 ID:UV0OZDo+
>>39 サイコメトリー様
私はこのスレを気に入っているので、新スレ感謝です。
とても勉強になるので、このスレも盛り上がったらうれしいです。
41 :
サイコメトリー:2008/06/23(月) 18:49:30 ID:dZVYk9g/
>>40さん
ありがとうございます。
そう言って頂けると本当に嬉しいです。自分もスレ立て者ですが、皆さんに
いつも勉強させてもらってますので、今後とも宜しくです。
42 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 18:58:21 ID:qIb6lJIQ
俺もここ好きだぞ〜。
たまに輩が来るが、まぁ
そこは2chだからね。
43 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 19:01:14 ID:R8QxZBBi
信忠まで死んだのは偶然なんだよね。
すでに家督は信忠に譲られていたから信忠が生きてたら清洲会議みたいのは無しで織田家も安泰だった。
44 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 19:05:18 ID:1BGQrYxZ
>>43 それは、どういう過程で光秀が退治されるか、によるな。
信忠が軍を組織し決戦できればともかく、史実のように秀吉が主導権を握ったまま
光秀倒しちゃうと、信忠がいても秀吉の織田家内部での権威権力が大きくなりすぎる。
45 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 19:09:54 ID:R8QxZBBi
>>44 どういう過程でというのは大切だけど、清洲会議で幼少の三法師の後見というウルトラCでやっと織田家の権力を掴んだことを思うと、どういう過程であれ信忠というトップがいたら秀吉は一家臣でしかいられないと思うよ。
発言権は大きくなるだろうけど。
46 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 19:15:32 ID:qIb6lJIQ
45に同意。
信忠が通常に生きてたら、秀吉は台頭出来ない。
山崎に至る経緯や賎ヶ岳に至る経緯が全く違う。
信忠生きてたら、賎ヶ岳も起こらんか?
47 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 19:21:03 ID:1BGQrYxZ
>>45 まあ、あくまで全くの妄想ってことで
もし信忠が軍を組織できないまま秀吉が光秀を倒した場合、信忠に「父の仇も撃てなかった不覚人」って悪評が
たてられ、それは織田家当主を降ろされる圧力になると思うんだよね。秀吉なら間違いなくそう工作する。
そして史実でもそうであったように秀吉は、織田家秩序を超えるため、朝廷を利用し官位秩序によって
信忠の上に立とうと画策するだろう。これは信長が確固とした織田政権の組織を作らないまま死んだ以上、
秀吉の側にも合理的正当性が存在するんだよね。
結果信忠は親戚であり同盟者である家康を巻き込み、小牧長久手のような戦争が起こるべくして起こることになる…
てなかんじになるかなあ、と考えているわけだが、どうだろう?
48 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 20:04:04 ID:RgfUaG+d
>>47 無理があると思う。史実の秀吉は山崎の時に、信孝を名目上は総大将にたてて、
信孝による弔い合戦に自分が参加したという形式をたてた。何故そんなことを
したかというと、そうしないと池田や丹羽などの畿内の織田諸将に、秀吉が
命令を下せる名目が成立しないから。
もし信忠が生きていれば、秀吉は信忠の命令で光秀を討ったとなるだけ。
49 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 21:52:06 ID:bvdEiFis
北畠に入った信孝と織田を継いだ信忠では根本的に違うんじゃね
秀吉が先に参陣しても頼らない可能性すらありそう
50 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 22:13:05 ID:1BGQrYxZ
> 秀吉が先に参陣しても頼らない可能性すらありそう
それで下手に戦線が膠着でもしようものなら、それはまためんどくさいことになりそうな。
51 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 22:19:38 ID:qqb5RG05
信忠はすでに織田家の当主だからな。秀吉には信孝や丹羽を従えたようには出来ないよ。
52 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 22:42:51 ID:qIb6lJIQ
だね。
信忠存命な以上、秀吉の目はないよ。あるとすりゃ信忠殺すしかない。
53 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 00:23:19 ID:opkDWVD8
>>47 >信忠に「父の仇も撃てなかった不覚人」って悪評が
>たてられ、それは織田家当主を降ろされる圧力になる
>>51のいうように信長は甲斐平定後、信忠に「天下の御
与奪を与え」て(信長公記)いるので、彼が名実ともに
織田家当主かつ日本国王。
信忠おろしは謀反そのもので、大義名分がないから、あり
えない。
>>48に同意だな
54 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 00:25:02 ID:eXYADOnE
変の時、逃げ切れずに討たれたのが信忠の限界だから、生き残ってたら、という仮定もちょっと仮定の二乗のような気はする。
お坊ちゃんであったことは間違いないだろうから、どうなってても秀吉はうまいこと織田家乗っ取りに成功してた気はする。
信忠が秀吉に対抗できるだけの武将であった、という仮定はなかなか厳しいだろうしね。
しかし、変直後の2年ぐらいの秀吉は神業の如き手腕だもんな。もちろん強運もあったろうけど、それを生かしきったというのはすごいもんだ。
ちょっとスレチになるが、変が無くても単に信長より長生きしてたら秀吉はやっぱりうまいことやってたかもしれない。
家康が最後にうまくやったようなことが、信長ー秀吉にも十分あったと思うんだ。
55 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 00:31:44 ID:sAyQLnQG
まあ、信忠が、信長という存在が突然いなくなった後の織田家中をまとめられるか、っていわれると
確かにクエスチョンは付くわな。信長の時代ですら謀反が起こりまくっていた体制で、しかも信長の
突然の喪失と言うことで家中は動揺しまくっている。その動揺を収められるほどの手腕を信忠が
持っていたかどうか、と言うのもやはり未知数だしね。
56 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 00:44:32 ID:eXYADOnE
そうだよね。
実際に丹羽&信孝軍からは兵が逃げ出してるし、滝川とか変が起きてひどいめにあったのはいっぱいいる。
ということはあくまで織田家ではなくて信長個人の力を皆が恐れていたわけだから、残った織田家を信忠がまとめたとしてもその家臣団まで含めるとちゃんとまとめるのは至難の業だったと思う。
秀吉から見たら、なんとでもなるここは勝負のとき、と仕掛けて来たに違いないしね。
秀吉の凄いのは小牧長久手の時に、兵数は圧倒的に自分のほうが多いのに自分から引いたこと。
つまり相手の力量、状況、そういう読みが神業だったんだよね。
その前の清洲会議あたりからも、他の武将の力量、とりまく状況、そういうのを読みきっていて完璧に行動してる。
もちろん織田家内のペーペーだった頃からそういう点に気を配って出世してきたわけなんだけど、増大していく己の立場をも見誤ることなく相対的に冷静に把握してた点は、現代のホリエモンや村上きんちゃんと比較しても、ただただ感嘆するばかり。
57 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 00:46:14 ID:/a/nvbmc
>>54 その秀吉に対抗するって出発地点が間違いだから。
なんで当主が家臣に対抗せねばならんのかと。
58 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 00:46:48 ID:0uRENEWQ
>>54 それも難しいと思う。まあここまでくると明確な根拠もない、各人のそれぞれの人物に対する
思い入れによる推測になってしまうが。
なぜかというと、秀吉も家康も上位権力が喪失された、権力空白期間を利用したから。
秀吉の時は、信長とナンバー2の信忠が同時に消滅し、織田諸将は誰の命令を聞けばいいのか
不明になった。その空白に上手く自分をもぐりこませたのが秀吉の契機。
これは秀吉死後の家康も同じで、秀頼が幼少で権力を揮えない状況を利用した。
信長死後も秀吉死後も、ちゃんと権力を継承して振るうことができる成人の後継者がいれば、
そう簡単に簒奪はできなかっただろう。
秀吉の場合は難しいが、信長の場合は信忠という万人が認める後継者がいたから、そちらが
健在なら多少の能力差では上位権力を揺るがせることは難しい。
言ってしまえば、家康死後だって同じ。単に能力で言うのなら、秀忠以上の大名はいただろう。
江戸幕府の機構の整備されて支配体制が強固なものになるのは、秀忠家光以降の話。
59 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 00:49:41 ID:/a/nvbmc
>>58 だね。絶大な当主が死んだ後はみんな謀反起こさなきゃならなくなる。家康死後の伊達とか島津とか
60 :
38:2008/06/24(火) 00:53:40 ID:opkDWVD8
もし、方面司令官が織田家の中枢ならば、席次は@勝家A秀吉B光秀となる。
高柳氏のいう野望説は謀反でBからトップをとりたい(天下が欲しかった)
って論法。
一方、方面司令官が中枢とは無縁のドサ廻りとするならば、大和・丹後検地・
馬揃えをやって、かつ京都近辺に所領をもっていた光秀が@ってことになる。
よって、氏の論法ではあえてトップを狙う必要がないから野望も生じないって
ことになる。
そこで聞きたいんだが、織田家の@って誰なの?今までは素朴に柴田だと思って
たが、スレ見てて分からなくなってきた。
61 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:02:33 ID:sAyQLnQG
>>57 > なんで当主が家臣に対抗せねばならんのかと。
それが戦国時代というものだよ。
62 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:03:20 ID:eXYADOnE
>>58 そうだね、結局はあの3人に関しては、同じような結論になってたような気がする。
で、伊達とか島津とかそういうとこまでは論理を拡大してはいないので、誤解なきよう。
ほんで反論じゃないけど、秀吉の場合は次男三男は実際に無事だったのにも関わらずうまいことやってる。
もちろん無能に近くて、ちゃんとした継承者、じゃなかったから秀吉はうまいことやったのだろうけど、もしちゃんとした継承者がいても、秀吉なら行動をおこしたのではないか、とね。
結果はともかく。
ま、このあたりは小説のネタなので面白おかしく語ったほうがいいのかもしれないな。
63 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:07:55 ID:sAyQLnQG
>>60 > そこで聞きたいんだが、織田家の@って誰なの?今までは素朴に柴田だと思って
> たが、スレ見てて分からなくなってきた。
織田家は本能寺まで信長のほぼ完全な独裁。ナンバー2はいない。
はっきり言えば勝家も光秀も秀吉も使用人に過ぎない。
織田家の政権中枢は信長そのもので、その信長が事毎に、必要と思われる人間の助言を聞いて
政策を支持し、実行させていた。
だから信長時代の織田家に、他家のような家臣序列があったと考えるのは間違いだと思う。
64 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:09:57 ID:eXYADOnE
>>60 ナンバー1の定義を決めたほうがいいと思う。
領地なのか、信長の覚えめでたいという意味か、将来性か、今までの付き合いの長さか。。
たとえ領地にとしても単に大きさだけで判断できるのか、京に近かったり交通の急所を持っているか、とか。
じゃないと、結局論が細かくなってグダグダになってしまうのが流れ。
ちなみに勝家と光秀は生い立ちも全然違うしなかなか比較にはならないと思うのだよね。
65 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:16:04 ID:/a/nvbmc
>>61 それ一昔前の間違った戦国観。大義名分はやっぱり必要なのだよ。
66 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:20:21 ID:sAyQLnQG
>>65 いやあ、勢力さえ大きくしちゃえば大義名分は後から付いてくるものだよ。
細川家に対する三好、斯波対する朝倉織田、京極に対する尼子、みんなそう。
67 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:23:44 ID:eXYADOnE
秀吉はその大義名分の重要性をとてもよく理解していたからね。
変の後の行動はすべてその大義にかなったようになるよう画策してる。
実際に変から1年でかなり不忠というか悪逆非道の行動をしてるけど、案外非難はされてないのじゃないのかな。
詳しいことは知らないけど。
そのあたりの、うまいことやったなも、というのが恐ろしさなんだよね。
68 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:28:39 ID:/a/nvbmc
>>66 それだっていきなり謀反して下剋上したわけじゃなく、主家の凋落や民心の離れから豪族も民も新しい支配者を望むからとって代われた。
昔の戦国史観だと無法の時代で主君が無能だったら家臣が謀反を起こして乗っ取ったみたいな感じだけど、それは明らかに誤り。
69 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:28:49 ID:sAyQLnQG
秀吉が余り批判されないのは、ぶっちゃけた話豊臣家が滅んだからだよ。
批判する主体が存在しない以上、恨みつらみも長くは存続できないわけで。
70 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:32:57 ID:sAyQLnQG
>>68 それもそれであまりに大義名分論に凝り固まった解釈じゃないかな?
実際の下克上はもっと複雑で、家中の勢力構図や政治的な方向性で決まることが多い。
だいたい、君の上げている条件の中にある「主家の凋落」は、まさに本能寺直後の織田家に当てはまる。
どうも議論がかみ合ってないなこれはw
71 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:39:47 ID:eXYADOnE
うん、かみあってない不毛の論だなも。
ケースバイケースとしか言えないと思うんだ。
72 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:41:48 ID:/a/nvbmc
>>70 >細川家に対する三好、斯波対する朝倉織田、京極に対する尼子、みんなそう
みんなそう。大義名分ありき。
で、君は本能寺がどうしたって?
73 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:46:18 ID:sAyQLnQG
>>72 どうも君は僕の事を「古い下克上史観の保持者」と脳内認定して、そこで「古い認識を啓蒙してやろう!」って形で
議論を進めようとするから変な事になっているんだと思うぞ?
74 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 02:46:43 ID:Jgp9kNi4
お互い、レッテル貼りで印象操作にやっきになってるなw
75 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 03:22:42 ID:fEHSgimX
どっちも厨くさいな
レベルを下げないでほしいわ
76 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 09:57:47 ID:ow2nKwKA
>>64 >ナンバー1の定義を決めたほうがいいと思う
これには同意。
桐野・谷口・高柳氏は謀反の理由に「光秀の地位の低下」をあげている。
もし、天正9年以降、検地・馬揃えの起用で光秀の地位が上昇していたのであれば、
この論者の前提が崩れる。
また、信長がなんらかの序列をつけていた事実は、信長が方面司令官に茶器を与え
茶会を開催する権利を留保していた点からも推論できる。
よって、序列は存在していたし、その順位を論じるのは無益ではないと考えます。
77 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 12:40:12 ID:d3pBarWA
>>76 「地位の低化」というのも難しくて、別に光秀自体が下がったのではなくて、秀吉があのままでは自分をこえてしまう、そういう将来的な不安に対する先制攻撃、みたいなのもあったかもしれない。
だもんで桐野たちの論も、実際の低下なのかその可能性におびえた、のかそのあたりを個別に検討したいとこなんだよね。
信長が各部下に序列を与えていたのはあると思うけど、それを競争心をあおった信長の上手な部下把握術、みたいな解釈はまたどうかと思うけどね。
単に信賞必罰的なシンプルなもの、そういう風にとらえたい意味もある。
78 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 12:45:18 ID:HnhFlg0b
茶会の席順は誰の主催か誰の弟子か何番弟子かなど関係するだろうから
織田の序列に繋がるか微妙
79 :
冬広:2008/06/24(火) 13:03:33 ID:Ug6qKthu
>>77,
>>78 そうなんだよね。
論点は
1、方面司令官内で序列は存在したか
2、方面司令官という仕事は織田家全体の序列の高位にあったか
3、織田家中で序列はそもそも存在したか
だと思う。
現在のスレの流れは複合説だから地位の低下がなかったとしても、複合説の理由のひとつが
否定されるにすぎないので、複合説自体の否定にはならないが、「光秀が織田家でどんだけ
えらかったか」はすごく興味はあるし、光秀が地位の低下におびえたとすれば、どの事実を
もってそう考えたのかそのパラメーターも知りたい。
80 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 13:38:27 ID:d3pBarWA
光秀の「どんだけえらかったか」ですけど、自分でどう思ってたか、信長がどう思ってたか、回りがどう思ってたか、についての個別の認識が必要でしょうね。
ほんで、光秀自身はそれを客観的に把握してたか、これが最も重要でしょう。
いきなり結論っぽくてあれですが、信長は京や室町の故事に詳しいであろう光秀を武将であると共に文化人としてもある程度の評価はしており、光秀自身もそれはわたっていたでしょう。
ほんで、それをよく理解して決して光秀や各武将よりも目立つ行動をとらなかった秀吉も、状況把握という点ではさすがだったでしょう。
で、光秀がその秀吉を見誤った点、これが本能寺から山崎、ひいては統一への元となっているように思いますね。
つまり光秀から見ると信長をワンチャンスでやってしまえば、後は自分がナンバー1である、朝廷ともつながりはある、そう短絡的に考えてしまったように思います。
そのきっかけは四国政策とかなんでしょうけど。
これは光秀の失敗と言うより、秀吉がすごすぎただけ、という意味でもあるんですけどね。
話をすすめてしまうと、本能寺は格別歴史を変えたすごい出来事、ではなくて日本史特に戦国にはよくある普通の謀反劇、家中劇、そういう風にも思うわけです。
81 :
サイコメトリー:2008/06/24(火) 14:53:18 ID:WrSiOTL4
皆さん、スレ立て早々白熱してますね。
>>80 確かに戦国期によくある謀反劇のひとつだと思います。けども、日本史の中では
大きな分岐点だと思うなぁ。
82 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 15:28:43 ID:Kk6VIf9O
普通の謀叛とは違うわな。
83 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 16:05:54 ID:d3pBarWA
>>81 信長の次に出た秀吉と家康があまりに強力なので、信長はもっと強力であろう、そしてそれが生きてていたら、という二つの仮定は魅力的でしょうね。
ただ、やっぱり戦国勝ち抜き戦で途中でやられてしまったのは事実だし、もし生きていてもやっぱり秀吉、家康は何らかの形で頭角を表していたでしょう。
つまり本能寺では戦国の流れは大きくは変わらない、あまりに劇的で突発的な流れになっただけ、そのように思うのですよね。
このあたりは個人の見解ですし、生きていたら、という仮定の話なので軽くにしておきましょうか。
84 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 16:06:50 ID:BPqSorVJ
信長が死んだ時点で、日本史の流れが変わったと言わざるえないと思う。
織田家の組織体制に関しては基本的に>63に同意。
序列基準が問題だが、光秀・秀吉・勝家・一益が織田家四天王かな?
85 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 16:09:29 ID:HnhFlg0b
織田四天王は上から柴田丹羽滝川明智です
86 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 16:20:47 ID:d3pBarWA
>>82 どうでしょうね。
やっぱり個人の見解ですが、光秀は朝倉、足利、信長と見事にのりかえて成功してます。
このあたり実に機を見て敏、状況判断と人物評価に長けた超一流の武将だったでしょう。
それが主君を倒してさらにその上を望んだ、そういう意味で普通の謀反と思いますよ。
やられてしまった信長を評価するのは、あくまで秀吉と家康の主君、仲間だったから、という点が大きくてことさら信長自身の武将としての力量を評価したものではないように感じます。
ま、天下が見えてきた時点での謀反、という意味でなら意味は大きいでしょうが、特に格別の主君殺し、ということもないように思います。
ちょっと話がズレますが、光秀なんかは逆に信長を利用してた、こいつならある程度天下を治めるからどっかでやっちまうか、なんてことを考えていたかもしれません。
義昭との利用合戦をまじかでみていたわけですからね。自分ならもっとうまくやるな、なんて思ってたかもしれませんよね。
さらに言うと秀吉もそうです。あのまま信長配下の1武将で終わっていたとは思えません。
実際にそうだったわけですし。
小説になっちゃいますけど、実際の1582〜1585なんてのは小説以上の展開ですものね。
87 :
冬広:2008/06/24(火) 16:45:38 ID:ow2nKwKA
>>84,
>>85 ソースは知らないがそのメンバーはよく挙げられてるよね。「四天王」=織田家全体の序列の1位から4位
って認識でいいの?
一益が入っているのは解せないが、大和検地の奉行を光秀と一緒にやったからか、関東方面司令官だった
からかどっちなんだろ?丹羽はまったくわからない。
>>80 少なくとも、天正10年1月では光秀は信長の自筆の掛け軸をかけたりして、神扱いしているから、
自分の地位に満足していたといえる。
>そのきっかけは四国政策とかなんでしょうけど
おそらくそうだと思います。1月以降に何かあったと思う。
>後は自分がナンバー1である、朝廷ともつながりはある
これはどうかなぁ。(光秀自身がカンチ入ってたとしても)客観的にナンバー1であること
を示す史料ないし、朝廷とのつながりって馬揃えぐらいでしょ。
>>86 >光秀なんかは逆に信長を利用してた、こいつならある程度天下を治めるからどっかでやっちまうか、
>なんてことを考えていたかもしれません。
ズレてないと思う。藤本鈴木本にあったが、光秀は72のだましのテクをもっている(「日本史」)という記述を
再評価すべきっていっている。
本能寺の結果踏まえた記述だから、ある程度差し引く必要があるけど、相当したたかな武将だったと思うね。
88 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 17:55:20 ID:I0ZGWlIX
>>87 >少なくとも、天正10年1月では光秀は信長の自筆の掛け軸をかけたりして、神扱いしているから、
>自分の地位に満足していたといえる。
むしろ、そうまでして忠誠心を示さねばならなかったんじゃないかな。
遡れば、変の丁度一年前に家中に軍法を発布しているのも然り。
暫らくして信長のお気に入りだった妹が死んでいるから、その頃から光秀は
信長との関係に気を揉む様になっいたと考えられる。
長宗我部との関係が拗れ始めたのもその頃だしね。
89 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 18:24:38 ID:Ol4E/mKz
藤本鈴木本というのがまだ最近であまり論評されてるところを知らないからなんだけど、結構前からそういう光秀野望説みたいなのはあったんだよね。
ただ戦国の世だし、今だって会社で出世していくのを出世欲がある、なんてことさら強調しないから、光秀独自の野望、って意味でもないのですよね。
主君を乗り換えていくぐらいだから当然そういう欲求は人一倍あったと思うし。
あくまでよくある、一山あててやろぉ、ってなもんで、そういう意味でも本能寺は格別な謀反とも思わないのですよね。
だもんで、黒幕どころか謎ともあまり思わないし、光秀おめでとの変、ぐらいにしか思わないのですよね。
90 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 18:26:02 ID:HnhFlg0b
>>87 総見寺資料だったかな 序列と関係ある共ない共いえません
私は7本槍みたいなものじゃないかと想像してます
滝川や丹羽が入っている理由は私などにはわかりませんw
他の部分に佐久間林の名もあるらしく関東の頃以前の話みたい
91 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 19:12:09 ID:0uRENEWQ
光秀に野望があったのは事実だろうが、野望といってもいろいとあって、立身出世を望むのも
野望なら、自分が天下人になるというものまで。
>>86 信長が生きていたら、秀吉は織田の一武将で終わったでしょう。それは買いかぶりのしすぎです。
92 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 19:28:55 ID:Ol4E/mKz
>>91 反論ではないですけど、もし秀吉が1武将で終わって、どこかで信長が先に死んでたら天下を取ったかも、というのは買いかぶりと思うのですよね。
何ですけど実際に先に信長が死んだら見事に天下を取った、ということは秀吉の実力と言うのは事実なわけですよね。
それもここでは繰り返しませんが、マイナスの状態からたった3年で関白にまで上り詰める。
家康がいたのにもかかわらずです。
ということは、秀吉は光秀以上に、殿があぼ〜んしたらわしのもんだがや、と思ってた可能性はあるでしょうし、もしかして自分が変を起こしていたかもしれないわけです。
買いかぶり、というのは信長のためにあるようなもので、秀吉や家康にはそれでも足りないぐらい、そのように思います。
このあたりは、誰が先に死ぬか、で戦国の地図が変わってきたでしょうが、信長が一番長生きして朝廷滅ぼして信長王国作ってた、みたいな仮定をしない限り結局は同じような展開、誰かが幕府を作って戦国の終焉を迎えた、そのように感じます。
93 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 19:39:01 ID:CqZNQmww
方面軍司令官という概念は史料的根拠が無いから、序列を語る上では使わない方がいいんじゃない?
94 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 20:20:31 ID:FawkqCaI
95 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 20:29:48 ID:sAyQLnQG
まあ光秀がどうあろうとそれを可能ならしめたのは、信長の完全な油断だわな。
「信長公は武田信玄が死んでから気が緩んだ」細川幽斎
確かにそんな気がする。
96 :
サイコメトリー:2008/06/24(火) 20:35:52 ID:WrSiOTL4
方面軍とい言葉を初めて使ったのは、高柳光寿氏だそうです。
確かに
>>93が仰る通り、その言葉を用いて序列を計る事は一概に出来ませんが、
1582年当時、柴田・羽柴・明智が織田家で最も所領を預かっていた事も事実です。
97 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 21:07:12 ID:0uRENEWQ
>>92 >58 参照。
史実の秀吉が「信長と信忠が同時に死んだから」その状況を利用して天下を取れたことと、
仮定として「信長が死んで信忠が健在でも」秀吉は天下を取れたかはイコールにはなりません。
これは秀吉の能力の問題ではありません。秀吉には「本能寺後」の状況から天下を取る能力が
あったことは史実で証明されていますが、「本能寺がなく信長から信忠にスムーズに権力が継承
された」状況でそれでも天下が取れるとするのは贔屓のヒキ倒しです。
これは家康も同じことですが。
98 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 21:29:06 ID:Kk6VIf9O
96
97
に同意。
どう考えても、その三人がTOP3だと思う。佐久間が筆頭だとするスレもあるが‥。
秀吉の力は認めますが、信忠生きてたら、彼は力を出せない状況でしょ。
仮に画策しても、与力武将以外が靡くはずがない。
99 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 21:35:17 ID:BPqSorVJ
95
その幽斎の言葉、信長の死後でしょ?
エケイのたか転びと変わらないレベル。
100 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 21:47:07 ID:Ol4E/mKz
てす
101 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 21:55:13 ID:Ol4E/mKz
>>97 よくわかりますよ。すべてあくまで仮定の話ですからね。
ただ、からむわけではないですが、信長から信忠にスムーズに継承されたとしても
その状況がどこまで安定して続いたか、信忠の能力もふくめて、やっぱり仮定の仮定とも
思うのですよ。
とすると、その仮定の二乗の状況下で、秀吉が単なる1武将で終わった、というのもあくまでも
可能性のひとつでしかない、そのようにも思うのですよ。
仮定続きで申し訳ないけど、信長がもう少し長生きして継承がうまくいく、そういう可能性というのも案外少なかった
そのようにも思うのですよね。
まあ、あくまで生きていたら、の話なのでそれが信長の限界とも思えてしまいます。
102 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 22:01:57 ID:Ol4E/mKz
よく信長の油断といますが、視点を変えると、信長が部下の能力と本質を見誤っていた、という言い方はできませんかね。
まさか光秀に反乱されるとは夢にも思ってなかったでしょうし、
その後ハゲネズミが関白になるなんて夢にも思ってなかったでしょう。
だもので、結果を知ってると油断とかどうして軽武装で京に入ったか、なんて謎扱いしますけど、
信長が部下のそういう重要な点を見誤っていた、それまでのことであるというか。
言い過ぎかもしれませんが、自分がそうやって策略、計略で勝ち上がってきた、しかも浅井とかの裏切りも経験している、
にもかかわらず、すぐ近くの光秀にはそういう可能性を感じとれなかったのは、油断と言うより、まさに信長の力量そのもの
、限界、そういうように思うのですよね。
さらに言うと、ハラに一物もってるくせに、へへ〜っ、と仕えてきた光秀のしたたかさ、そういうのを感じます。
103 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 22:13:15 ID:BPqSorVJ
↑それが油断と言う。
よく本能寺なくても、いずれ信長は家臣に裏切れたっていうけど、ない、ない。
104 :
爆音小僧:2008/06/24(火) 22:16:03 ID:+2tijk1b
信長は秀吉にころされたんだ!!
105 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 22:18:01 ID:sAyQLnQG
まあ、少なくとも長篠以降の信長は散漫な印象を与えるなあ。
既に太平の世の天下人気取りと言うか。
106 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 22:28:19 ID:Kk6VIf9O
ほぼ天下人じゃん。
だからこそ、油断があって本能寺じゃん。
107 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 22:29:00 ID:sAyQLnQG
108 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 22:29:28 ID:ft31LFhF
サイコさん一応切り取り次第ではありますが越中50万石を貰い
本能寺前日に切り取った佐々は軍団長では無いのですよ
109 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 22:36:26 ID:/a/nvbmc
>>93 地方の攻略を任され、一職の令を受けた軍団が存在したのも事実。便宜上使用するのは問題ないと思われる。
110 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 06:19:45 ID:buteCGPK
>>109 ということは本能寺時点で光秀に攻略を任されている地方は無いから、方面軍ではないってことだよね
111 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 06:43:27 ID:E6RlVTZP
112 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 07:11:07 ID:buteCGPK
>>111 近畿というのは畿内周辺という意味かと思うけど
紀伊以外終わってたじゃん
光秀は紀伊に関わってないし
113 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 09:38:50 ID:6xO+29P3
>>108佐々前田らの最強寄騎を付けられている柴田がやはり名実共に1ですね
114 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 10:19:30 ID:sjbbxhg/
マジですけど、ササナリマサの直系の子孫と一緒にバイトしたことがあります。
何気に歴史の話したら、どえりゃあ告白をされてびっくりしました。
ただその時はまだ戦国はあまり知らなかったのですよね。
もう少しお知り合いになっておけば良かったな。
115 :
冬広:2008/06/25(水) 12:36:25 ID:zaTUmH0H
>>88 >暫らくして信長のお気に入りだった妹が死んでいるから
あやつけるつもりはないが、これは違うだろ
確かに、「きよし」を「気好」(お気に入り)だとする論者はいるけど、ほかの資料で「信長の妾
が光秀の妹と確認できないから「御旨」(心配した)と解釈すんのが自然っていう桐野氏の見解に
賛成したいね。
>>89,
>>102 >光秀おめでとの変、ぐらいにしか思わないのですよね。
>さらに言うと、ハラに一物もってるくせに、へへ〜っ、と仕えてきた光秀のしたたかさ
身もふたもない意見だが、案外これが真理をついているのかもしれない。
「五月かな」の歌を謀反に関連づけて解釈するのも、本能寺って事件をわれわれが知っているから
にすぎず、本人は単に五月の風景を詠んだだけかも知れないしね。
紹巴にあやつけた秀吉も案外そんな気持ちかも…
>>112 紀州は織田信張がいるね。規模は小さいがこいつは紀州専従なんで光秀は無関係。
いわゆる近畿方面軍は丹波平定後の天正8年に組織されるも、9年の因幡援軍・10年の甲斐後詰・備中援軍など、
結成後に方面軍の主体的関わりが全くできてない。畿内にあるという地理的特殊性を加味しても、他の方面軍
にはない地味さ。「方面軍」って認識がそもそも誤りなのかも知れない。
>>110にやや同意。
光秀の地位は低下ではなくむしろ上昇していたのではないか?
光秀は天正8年以降に、大和検地・馬揃え・丹後検地を行っている。私見では馬揃えは単なるお祭りと考えるの
で、(差出)検地が重要な任務と考える。
検地は課税対象の確定を目的とするものであるから、織田家の財政の中枢に関わる任務といえる。注目すべきは
大和検地で(奉行は光秀・一益)、大和は従来守護不設置の国である点である。現に「多聞院日記」では奈良の
僧侶がブチ切れて光秀を閻魔王よばわりしている。
また、組下は軍事指揮権のみ司令官に従属するので、光秀の組下の所領である大和検地・丹後検地は司令官によ
る越権行為である。本来ならば、和泉検地を行った堀のように吏僚が派遣されるはずだが、かかる権限を付与さ
れているのは光秀が中枢に関わっているからといえる。
馬揃えに政治的意味を見出す論者であれば、中枢関与はより補強される。
よって、地位は上昇したと妄想してみる。
>>108 佐々成政、確かに本能寺直前で越中一国を預かる形になってましたね。
申し訳ない。ちょっと調べたサイトでは越中石高約38万石だったよ。
http://www.asahi-net.or.jp/~MH6H-ECG/ksn/kssouran.htm もしくは、戦国スレの『戦国大名、初期〜中期〜後期の石高』
本能寺の直前の佐々成政の越中一国預かりは、一時的なものだったと思われます。
越中半国を預かっていた神保長住の失脚により、成政の一国統治となったわけだから、
石高を利用した動きが当時は取れないと思う。その点が他の3人とは違うね。
信長存命なら、佐々成政は織田家の重臣中の重臣になった可能性はあるね。
なんか、言い訳くさくなってスマン。
117 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 13:56:26 ID:t4wjmvn3
>>115 おやおや、最新の研究動向をご存知ないのかな。
光秀の妹のおツマキは、天正四年に前久の長子・尊勢が興福寺一乗院で得度する際、
信長からの上使となっているんだよ。
確かに側室ではなかったけど、かなりお気に入りの女性であったことは、『言経卿記』
の記述からも明らかなんだけど。
118 :
冬広:2008/06/25(水) 14:53:56 ID:zaTUmH0H
>>117 全然知らなかった。指摘d!
兄妹そろって優秀だったんだね。
ぜひ読みたいので、どの研究論文・書籍に載ってるのか出典を教えてくだされ。
119 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 18:19:35 ID:0SHe8Twd
高柳はもちろんのこと、桐野でももう古いってとこなのかな。
ただ、最新の研究が正しい、とは限らないのがこの世界の難しいところ。
120 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 18:49:33 ID:z6A0M79t
冬広さん
光秀が奉行を努めた『馬揃え』が単なる祭だというのに異論。
馬揃えは、確かに形としては祭典だが、実際はもう織田の天下だよと朝廷衆・京衆・地方大名に見せ付ける政治的パフォーマンス。
京でやる事に意味があり、光秀は更に公家衆と親密になった事だろう。この手の仕事は出来る人間が限られる上、家柄+故事典礼+ある程度の地位所領が必要となり、織田家で光秀以上の適任はいないでしょうね。
検地も大事ですが、今も昔も権力者にパフォーマンスも大事な様です。
121 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 19:40:25 ID:0SHe8Twd
祭りも政治的パフォーマンスもある意味似ているところはあると思うけど、それをさらに強力にした朝廷恫喝説
なんてのはさすがにもう流行らないか。
ただ天皇のリクエストに応えて2回もしてるからか、信長ー朝廷仲良し説というのもどうかというところ。
このあたり最新の解釈はどうなってるのかな、他でも聞いたのだけどちょっと中途半端になっちゃってて。
対立とまではいかない微妙なバランス、というところでいいのかな。
とすると政治的意味合いというのは単なるパフォーマンスでとどまらずに、信長側から見るとある意味メッセージとも
言っていいぐらいに思うのだけど。
暦、東大寺切り取り、みたいにいろいろ仕掛けてるのは信長のほうだしね。
なかなか面白いテーマですよね、このあたりは。
122 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 20:04:52 ID:t4wjmvn3
>>118 Yahoo掲示板の光秀トピで紹介されているから見てご覧。
123 :
110:2008/06/25(水) 21:14:39 ID:kg3pybh+
>>115 「軍事司令官は吏僚の役割をしないもの」という理屈には、
「堀は近江衆の指揮官でもあった」という反証ができます。
さらに塙の例もあることから「光秀の比較対象は堀や塙の方が良い」
という結論になってしまいます。
大和検地を中心に光秀と一益を比較するのが良いのではないでしょうか?
124 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 22:50:59 ID:NJ6n1y8q
大和検地で光秀と一益を比較って‥‥。
125 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 23:18:26 ID:vXzkvdnQ
Q太郎応援したいけど
仕事が伝書鳩みたいな感じだからな
126 :
冬広:2008/06/26(木) 01:25:44 ID:QdOuaZD7
>>123 塙か〜、いいとこに目をつけますね。
光秀と塙は、行政手腕もあって軍隊の指揮もそこそここなす点が似ていると思います。
谷口・親衛隊本に事跡が詳しく掲載されているが、大和守護として筒井・松永を左右に
従えて能を見物している場面は象徴的ですね。
大和検地の評価はあくまで妄想だとエクスキューズしているので、逆に110さんに
聞きたいのですが、検地=中枢の仕事っていうそもそもの認識は共感できますか?
研究者で指摘しているのは管見の限り高柳本だけで、氏も単に検地があったという
事実しか挙げず何ら評価を加えていないので、どうにも自信がなくて…
(この時期には彼は長浜城主ではないという前提で)堀が指揮官ってのはどうかな?伊賀征伐
で旗本率いたから指揮官には違いないけど、自前の兵隊なんて知れているし、この点は留保です。
塙・滝川を比較対象にすることには異論はありません。
>>120 確かに政治的パフォーマンスの効果はあったでしょう。だからこそ「信長公記」の馬揃えでの
牛一の喜びようはハンパない。
でも、馬揃えで何らかの政治的変動は生じていない。
たとえば、朝廷と不和だったのが融和したとか、意のままにならない朝廷がペコペコしだし
たとか、支配権の及んでいない遠国の大名を参加させたとか、参加させようとしたとか、
そういう事実があれば祭り以上の成果があったといえるが、特に思い当たらないので「祭り」
と表現しました。政治的パフォーマンス(今なら、ガソリン値下げ隊)意図までは否定する
趣旨ではありません。
127 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 06:05:10 ID:g/6ZwOlv
信長ってなんで手元に十分な兵力を残しとかんかったんじゃろ。
128 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 07:29:30 ID:EDgCd3Ax
陸奥虎彦がいたから
129 :
冬広:2008/06/26(木) 10:16:52 ID:QdOuaZD7
>>121 >信長側から見るとある意味メッセージとも言っていいぐらいに思うのだけど。
天皇譲位のこと?もともと譲位は天皇が望んだんだよ。
また、桐野・堀氏の見解では馬揃え=左義長ー爆竹、のこと。
爆竹をやめたのは、前年に親王の生母が亡くなったことに信長が配慮して祭り
を簡素化したからっていう、氏の見解に賛成したい。
メッセージの内容は権力誇示というより、喪で沈滞している天皇家を楽しませたと
いうのが近いと思う。
蘭奢待切り取りは権力誇示ってのは同意。
130 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 10:50:55 ID:L8e7nbkC
信長は皇室や公家との交流を相当楽しんでいるよな。
上流階級のサロンに受け入れられて大喜びしている新興ブルジョアジーって感じだ。
131 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 10:52:24 ID:tzICar30
少なくとも、一族以外の為に光秀が変を起こした事はまず、なかろうと思う。
132 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 13:36:23 ID:z3EfWzGu
>>129 天皇譲位を天皇側が望んだ、のは事実のようですが、それは1581の馬そろえの後の話ですよね。
父親の信秀は内裏修理の時にどえりゃぁ金額を納入します、しかし義昭を奉じて信長が最初の上洛をした時に信長は天皇側と
接触をあまりしません。このあたりから天皇側は信長を異質な存在、よ〜わからんでおじゃる、と思っていたでしょう。
で、1573ぐらいに信長から最初に天皇に譲位を提案、天皇もいったんは快諾はします。
このあたりは、「お金は出すなも」「お気持ちは受け取っておくでおじゃる」と最初のジャブ、かけひきであったでしょう。
その後は講和の仲介とかいろいろあったわけですが、信長が無官であったこと、強大な力をつけたこと、安土城を作ったこと
そしてなんといっても誠仁親王の皇子を猶子にしたこと、などから天皇側がやっぱり信長に脅威を感じていたように思います。
そのギリギリの駆け引きが1581の、自分から譲位を言い出した、ことだと思うのですよね。
「本当にお金をだしてくれるでおじゃるか」と。これはつまり、主と臣の確認というか、かなり天皇側もせっぱつまった状態だったと
思います。
ちなみに馬そろえで天皇が喜んだ、というのも、圧力におびえてたり弱みをみせないための、まさにギリギリのかけひきであった、
そのように思えてしまうのですよね。
史料には友好的に解釈できるようにもあるわけですが、それをそのまま受け取るのは少し危険な感じもします。
このあたりは室町以来の大名、武家、と天皇とのやりとり駆け引きそういうのから判断したりするとわかりやすいですよね。
なんといっても、義満、という前例があるわけですから。
133 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 13:47:38 ID:L8e7nbkC
>>132 そう言う歴史解釈を「我田引水」と呼ぶ。
自分の考えに沿って資料を解釈しようとすれば、もうどんな解釈だって出来るわけで。
134 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 14:04:04 ID:z3EfWzGu
>>133 自分の考えなんて恐れ多いことはなくて、いろんな研究者の本なんか見ていてわからない点があるので、
詳しい方にいろいろお聞きしたいだけですよ。
特にここ10年ぐらいの本や説はあまり知らないので、最新研究なんかがどうなっているか、ぜひ知りたいわけで。
決して、自分が正しい、と主張しているわけではないので、間違っている点なんかはどしどし指摘してほしいです。
年号や誤字に関してはご容赦を。
135 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 14:19:40 ID:CD2APO94
私は逆に天皇及び皇太子が公家以外の権力者にこれほど親密な関係を
持ったのは後にも先にも信長ただ一人と見ていますが
豊臣から徳川時代を経て明治に入り天皇家は初めて織田信長を弔った事実があります
色々な見解があるのでしょうけど豊臣徳川の世で何か理由があり弔う事が出来なかった
単純に織田以外の権力者の世では無理と言う話もありますが天皇家は弔える機会を待っていた
に違い無いと思います
ぶっ潰そうと考えていた野心家を祭る事はありえない←これが言いたいだけね
136 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 14:26:05 ID:pEGeW2yU
>>132 信長と朝廷は、上洛前から接触持ってるよ。
特に美濃を征服した直後の通称「決勝綸旨」こそが、信長に上洛を促したという
見方もあるほど。
上洛戦のときも入京前に朝廷と使者をやりとりしたり、その後も内裏の建造や朝廷
財政の再建に自ら関わったりと、明らかに将軍と別に直接朝廷と結びついている。
137 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 14:33:40 ID:z3EfWzGu
>>135 井沢流に言うと、怨霊鎮魂のため、つまり朝廷黒幕説、になってしまうわけですね。
と、これは冗談ですが、信長が何を考えていたかもはや歴史の謎でして、本当に天皇家をぶっつぶそうと
していたのか、これはともかく野心家であったことは間違いないでしょうね。
入鹿、高、義満、信長、と天皇に匹敵する強大な権力をもったのは、ぎりぎりのところで
みんな殺され又は死んでてますよね。
半村良の「ネがでた」とはまさに言いえて妙、ってとこですが不思議なものです。
138 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 14:49:05 ID:z3EfWzGu
>>136 どもです。ちょっと書き方が未熟で申し訳ない。
朝廷と接触していたのは知ってますが、上洛時に天皇には謁見してませんよね。
もし、天皇側から上洛を促すようなら当然謁見の機会はあったでしょう。
にもかかわらずそうしなかった理由がわからなくて。
単に「よくわからんでおじゃる」なんですよね。
上洛してしばらく、公家さんたちが信長の下にみやげを持ってワラワラやってきます。
その時に信長は義昭を同席させなかったりで、ちょっと舞い上がってるフシはありますよね。
義昭から見たら「主役はわしじゃ」と不快だったでしょう。
このあたりまでの信長は朝廷と将軍家の良いパトロンであったでしょうが、このあたりから
さらに上を見始めたというか視界が広がったというか。
決して天下を狙ったという意味だけではなく、地方の成り上がり大名がいい気分になっとる、
そんな人間くささを感じるのですよね。
139 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 15:33:24 ID:LkUTuIv1
だから、変には朝廷関係
ないから!
変について語ろうよ。
140 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 15:49:11 ID:aTo34+Km
「変には朝廷関係ない」ということを証明するためにも、
当時の朝廷の問題を語るのは問題ないと思うけど。
他に語りたい話題があるのなら、自分で話題を提起して議論を誘導すればいいよ。
141 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 16:00:06 ID:L8e7nbkC
光秀の立場に立って見ると、反乱の「成功」は畿内の軍事的空白状態から言ってある程度見通せたと思うのだけど、
一歩進めて反乱の「成立」、つまり信長を倒すことはあくまで手段であり、信長権力の崩壊後、自分を中心とした
体制(天下政権にせよ割拠政権にせよ)を作り上げることが目的だったはずなのだが、光秀はそれに関しては
どういう見通しを持ってやっていたのだろう?「それを提示する暇も無く滅んだ」と言われるとそうなのかもしれないが
光秀の反乱は、どうもそのあたりが見えにくい。
142 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 16:23:09 ID:KhO54fGh
そういう見通し、事前準備がみあたらないことが、突発的犯行、の根拠になってるのでしょうね。
ただ、結果を知ってるからそう言える訳で、光秀からみたらやっぱり回りは猿や野蛮人やアホ息子にお坊ちゃん2代目、
こんなだったら自分が中央は押さえられると普通に考えていたのでしょう。
四国とはうまく行ってるし、毛利とは講和を結ぶだけ。
自分が将軍になれないまでも割拠政権の中央を押さえているというのは大きい、そのぐらいまでは思って
いたのじゃないのかな。
ただあまりに回りをナメすぎというか、実質上何も考えてなかった、のは事実ですけど、10日ちょっと
で猿にやられるとはびっくりしたでしょうね。
「是非におよばず」は光秀にも似合うなも。
143 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 16:42:00 ID:KhO54fGh
>>130 連続で悪いけど、そういう大喜びしてるなんとか、というのには大賛成ですね。
新興ブルなんてもんじゃなくて、もっとロコツに、味噌カツで一発当てて東京進出した社長が銀座で
チヤホヤされて舞い上がってる、そんな風に思えますよ。
なんだけど、だんだん自分がカモにされてることがわかってきて、ちゃんとそれに気づく
このあたりは単なる田舎もんじゃないとこですよね。
右大臣をやめた、というのも、東京銀座商店街の副会長に任命されたんだけど、「バカにされとるだけじゃにゃぁか」と
気づいて「こんなんやめたるがや」ってね。
そうしてみると信長と朝廷の緊張状態とは案外情けないレベルだな。
自分が名古屋だもんで、東京行って「言葉が変」なんていっつも言われるから、よ〜くわかるんだ。
144 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 17:04:56 ID:aTo34+Km
>>143 勝手にお前如きと重ねあわされて共感されても、信長も迷惑だろうなw
145 :
冬広:2008/06/26(木) 17:37:53 ID:QdOuaZD7
>>139 >だから、変には朝廷関係ないから!
京都馬揃えについてあと一言いわせて。
本来、左義長とは小正月に行われる伝統行事で、内容は今日の「とんど焼き」と同じ。
しかし、信長は左義長を独自にアレンジした。
「信長流左義長」とは、陣列を組んだ馬で行進し爆竹で囃し立て、馬を走らせるというもの。
「信長公記」で「爆竹」の表記に「さぎっちゃう」とカナをふっていることで、それは証明さ
れる。(以上、宮本説より引用)
換言すれば、信長流左義長(とんど焼き)とは馬揃え+爆竹、をいう。
あとは
>>129でカキコした通りだが、京都馬揃えが今日の軍事パレードを想起されるのか、朝廷
を威圧したとかいう論者がいるが、かかる解釈は馬揃えの外形に拘泥し、馬揃えが信長流とんど
焼き(の一部)っていう本質を看過したものであるというのが、私の見解です。
>>141 >光秀はそれに関しては どういう見通しを持ってやっていたのだろう?
>>5でも指摘されていたが、細川親子あての文書では「50〜100日で近国を平定できる」
といっている。近国とはおそらく近畿・美濃あたりを指すと思われるが、明智自身は
かつての三好氏・細川管領家のような「天下」を望んでいたのかも知れない。
もしそれ以上の領地拡張を望んでいるなら、同文書で「息子にあとを委ねたい」なんて
呑気なことはいえないと思う。
なお、同文書は花押がおかしいから偽書だって立花氏が言っているから、根拠としては薄弱
かも知れんが。
146 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 17:41:30 ID:L8e7nbkC
>>145 > なお、同文書は花押がおかしいから偽書だって立花氏が言っているから、
立花氏の資料の読み込みは全く信用できない。
147 :
冬広:2008/06/26(木) 17:54:53 ID:QdOuaZD7
>>146 禿同!あの本なら、八切本のほうが夢があっていいな。
でも、女史は光秀の花押の年次比定研究ではいい仕事やってたんじゃね?
148 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 18:12:33 ID:pEGeW2yU
>>138 上洛時に謁見の機会ならあった、以上。
>信長は義昭を同席させなかったりで、ちょっと舞い上がってる
何でこれが舞い上がってることになるのか判らん。
149 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 20:26:40 ID:a58o/NXS
余りにも羽柴秀吉が早く帰ってきたのが、最大の明智光秀の誤算だったと思う。
すぐ側に四国遠征軍がいるじゃないか、という指摘が散々されているが、トップは神戸信孝で、独立した1万以上の軍勢を率いたことはない。
補佐役として、丹羽長秀、津田信澄、蜂屋頼隆が付いているが、皆、独立して軍勢を率いた経験は無かった。
私が調べた限り、1万以上の軍勢を独立して率いたことのある本能寺の変の当時の織田家の家臣は、柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀位。
そして、津田信澄は自らの娘婿である以上、神戸信孝らに敵視され、自らに味方せざるをえなくなる以上、四国遠征軍は分裂必至と読むのはおかしくない。
そして、軍勢を率いる能力は、自分の方が上である以上、自分が勝つと考えるのは、明智光秀の立場に立てば、そうおかしくない。
羽柴秀吉は信長に援兵を求める苦境にある、柴田勝家も上杉が足止めするし、すぐには戻ってこれない。
そうなると、四国遠征軍を打ち破れば、筒井、細川も嫌でも自分に味方する、と明智光秀は考えたのだろう。
結果として、羽柴秀吉が早く帰ってきて失敗したのは事実だが、純粋な野望説でも、そう無理なく成立する余地はあると思う。
私としては、四国政策破綻と自らの老いからくる将来の不安の方が大きいとは思うが。
150 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 20:42:06 ID:L8e7nbkC
津田信澄は敵通云々ではなく、信長の跡目争いの競争者になると見られて殺された、って説もあるな。
151 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 21:12:27 ID:Qfj0IZbT
だが純粋な野望説だと、何故信忠も油断無く殺害しなかったのかという疑問が残る。信長、信忠の二人を殺害しないと乗っ取りにならない。信忠が死んだのは偶然が大きい。
152 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 21:15:28 ID:LkUTuIv1
149
対毛利、秀吉は苦境にたってないが、基本的には野望+将来不安って所ですね。
俺も畿内掌握野望なら同調します。老いを気にしてって所は‥‥。
153 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 21:38:34 ID:/m/YOZuI
151
そこよ、そこ。全く同意。そこが野望説の難点。
用意周到さを画に描いた様な光秀らしからぬ所。
154 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 21:40:47 ID:L8e7nbkC
でも結果的に、大物で逃したのは家康くらいで光秀大成功。
155 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 21:51:27 ID:LkUTuIv1
光秀よりの考え方したら、信忠の情報把握してたかもね。
156 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 21:52:41 ID:4k7Vhr0p
149だが、追加。
信忠は、当時、京都にいた。
光秀としては、ほぼ同時に二人を襲えるように計画していたのだろうが、夜間行軍による軍勢の乱れから、時差が生じ、信忠は逃げようと思えば逃げられる状況になってしまったのだと思う。
当時は、伝令を走らせるしか、戦場での通信手段はなく、事前の計画と手筈が狂うのはよくあること。
信長の生涯を概観しただけでも、金ヶ崎の退き口等、信長が危うく命を落としそうになったことはある。
谷口説だと、光秀は67歳、通説でも55歳、今ならともかく、当時としては、そろそろ隠居してもおかしくない。
若いころなら、また別のところに仕官して、とか楽観できるが、老齢の身で、佐久間のように追放されては、下手をすると野垂れ死にしかねない。
四国政策で失敗した、佐久間のように追放され、貧窮の末死ぬかもしれない、それならいっそ、大ばくちを打ってやる、と光秀は考えたのだと思う。
157 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 21:54:33 ID:Qfj0IZbT
信忠が妙覚寺から二条御所に場所を移せるって時点で光秀の大失態。それが事実。
158 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 22:11:16 ID:L8e7nbkC
>>157 妙覚寺から二条御所って同じ洛中の中のたいした事の無い距離の移動が、そんな重要かねえ?
159 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 22:14:54 ID:Qfj0IZbT
>>158 重要。信忠側があの光秀なら検問もぬかりなかろうと勝手に勘違いして討ち死に覚悟しただけで、逃げようと思えば有楽みたいになんぼでも逃げれた。
160 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 22:14:59 ID:aTo34+Km
最低限信長だけでも殺しとけば、なんとかなると思ったんじゃない?
信忠ごとき、信長さえ殺せばなんとかなると。
家督継いでるとはいえ、まだ信長あっての信忠なんだし。
逆にいえば、信忠は逃がしてでも、信長だけは確実に最優先に仕留める必要があったと。
161 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 22:16:57 ID:Qfj0IZbT
>>160 信忠がいれば信忠を頭にして家中がまとまるんだから何ともならんと思うよ。
162 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 22:27:52 ID:L8e7nbkC
>>161 > 信忠がいれば信忠を頭にして家中がまとまるんだから何ともならんと思うよ。
織田家中の内実を嫌ってほど知っている光秀がもし、「信忠はどうでもいい」、と考えていたとすれば、
それは現代の我々の信忠に対する認識を大きく変えないといけないな。
信忠が逃げても、信忠では織田家はまとまらない。との認識があったのかも知れないぞ。
163 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 22:28:54 ID:aTo34+Km
>>161 だからその「信忠を頭にして家中がまとまる」という根拠も無いよね。
信雄や信孝でもできなかったわけだし。
嫡子というだけで、隔絶した実力・声望があったのかな?
少なくとも、信長とはまだまだ格段に劣ってたとは思うけど。
164 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 22:37:51 ID:L8e7nbkC
信忠は武田攻めの時の突出などで、信長についている家臣団からは反感を持たれていたって事は
ある程度想像できるな。「お世継ぎが手柄立ててどーする気だよ」みたいな。
そこからはプラス方向にもマイナス方向にもいろいろ想像できるw
165 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 22:38:12 ID:/m/YOZuI
有楽等はなから眼中になかろうて。
信長殺しちゃえば、信忠なんてって発想は分からなくもないが、敵の嫡男は例え乳飲み子でも排する時代だからね。お市の嫡男がどうなったか知ってるでしょ。
166 :
秀吉:2008/06/26(木) 22:58:16 ID:49XG5lKY
高松で遊んでる振りして、
ちょっと京でやっちゃった。
信長油断しすぎwww
167 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 23:11:00 ID:pEGeW2yU
>>163 信長との実力差はこの場合関係ない。
信忠を見逃したら、当然織田の諸将は信忠の元に集って光秀を滅ぼす。
「その後」の信忠と政権がどうなるかは未知数ですよ?もしかしたら天下統一できた
のかもしれないし、どこかでヘマして滅んだかもしれない、柴田や羽柴らが能力を
見限って大分裂してしまうかもしれない。
しかし、光秀を滅ぼすまでは、信忠の元に一統される。これははずれようがない。
168 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 23:33:44 ID:aTo34+Km
>>167 >信忠を見逃したら、当然織田の諸将は信忠の元に集って光秀を滅ぼす。
だから、その決めつけにどれほど根拠があるのかを疑問としてるんだけど。
>信長との実力差はこの場合関係ない。
当主が急に討たれ、実力に隔絶した差がある後継者が残されたとしても、
「この場合関係ない」と言い切れるの?
織田政権なんて、急速的に膨張したものだから、譜代の臣なんてごく一部。
10年そこらの付き合いの近畿地方の諸豪族とか相手に、
信長個人はともかく、織田家自体にそれほど求心力があったのかな?
169 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 23:43:33 ID:L8e7nbkC
>>168 > 信長個人はともかく、織田家自体にそれほど求心力があったのかな?
だね。織田家と信長権力はある程度分けて考えたほうがいい。
幕府のような政権組織が出来ていない以上、信長のたがが外れると、信忠は濃尾の太守に過ぎないと言う
考え方も出来るわけだし。
170 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 23:55:10 ID:/m/YOZuI
信忠がいくらボンクラでも、当主である事には変わりはなく、いくら戦国時代とは言え、おいそれと失脚させる事など出来ない。(あの当時)
ましてや、信孝・信雄と比較する事もおかしい。本人の能力とは別に嫡男ってだけで内外での立場が違う。無能でも嫡男に生まれただけで、当主となる世襲は、幕末まで続いてるのよ。
171 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 00:10:04 ID:lHPj6x+T
170に同意。
信忠健在なら、秀吉は台頭出来ないと考えるのが普通でしょ。
それに織田家の求心力希薄って言うけど、信忠の元以外に結集する所、他に誰ん所行くのよ?
信長の仇も取らずに各武将が自領に篭り割拠状態??
考え過ぎだと思います。
172 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 00:29:30 ID:k15dXYE4
>>168-169 光秀の内心の動機がどこにあったかは不明だが、史実として、光秀は信長を倒し、
信長に取って代わることを行動で示した。(それが当初からの目的だったのか、
信長を倒してから生まれた目標なのかはともかく)
つまり、残された織田諸将に対して、光秀は「信長に代わって、これからは俺に
従え」と宣言したようなもの。織田諸将としての選択は二つ。光秀の天下を認めて
従うか、認めずに敵対するか。認めない場合は光秀を倒すしかない。この時に誰を
旗頭にするかといったら、信長の遺児しかないわな。それがすでに成人した嫡子で
軍事力も持っていて実績もあるのなら選択の余地はない。
仮に、この機会を捉えて独立なんて野心を抱いたとしても、まず光秀は倒さなければ
ならない。光秀を認めることは、光秀が信長にかわって自分の主君になることを認める
ことに繋がるのだから。(そんなことを認めたら独立もなにもない)
羽柴とか柴田とかが野望に駆られてか信忠の器量を見限ってかはともかく、織田政権に
反逆をするのなら最低限光秀を滅ぼしてから。
173 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 00:31:57 ID:62SP3iBs
>>148 なので機会があったのにもかかわらず、謁見してない、のが「よくわからんでおじゃる」なんですよ。
で、主はあくまで将軍義昭なのにもかかわらず、信長の方が主みたいに振舞ってしまったわけですよね。
公家さんたちから見ると、お金持ち信長、にへつらってしまったわけだけど、そこは信長が義昭に
気を使ってあげないと。
このあたりが田舎もん独特の舞い上がり方に通じる、そのように思ったわけです。
ささいなことですけどね。
174 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 00:46:48 ID:62SP3iBs
数日前は、信忠が生きていたら秀吉は単なる1武将でしょ、みたいな意見が多かったみたいだけど、
170、171さんみたいなね、やっぱりそれも可能性のひとつであって、まず間違いない、
みたいな考え方は少し信忠と織田家自体を高く評価しすぎのようにも思いますね。
本能寺を聞いて一番近くにいた丹羽&信孝の兵が逃げ出してしまったように、織田家は信長の強力なカリスマ性に
よるところが大きいですから、変の後に信忠がどの程度まで家臣団をまとめることが出来たか。
要は信忠の能力論になってしまいますけど、お坊ちゃん武将であったでしょうし、本能寺の時に
逃げ出してないのがその限界、というか。
で、秀吉の不忠さ悪逆さを思うと、相当なんかやらかしてたんじゃないか、というのがかえって普通のようにも
思いますけどね。
175 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 00:51:57 ID:62SP3iBs
>>146 ちょっと教えてほしいのだけど、京子ちゃんのあの「天正十年夏記」だったかの読み方、
結局どうなりました?
主語が天皇側ではなく、村井にあるって言うの。
確かにあれで180度方向性が変わってしまうから最初に出た時はかなり驚いたのですけど。
よろしく〜。
176 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 00:56:14 ID:slnpkwQm
>>175 答えから言えば、結論出てません。
いまだに諸説入り乱れている感じだけれど、基本的には朝廷と村井との交渉の過程で出てきた
素案、って感じでは、ある程度意見は一致されているんじゃないかな?
177 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 01:04:23 ID:62SP3iBs
>>176 なるほど、ありがとう。
で、思うけど、新説に少しでも問題点があったらそこをつっこむのがそれまでの「定説派」。
にもかかわらず結論が出てないと言うのは、かなりいい線いってるということですかね。
京子ちゃんは資料の読み方というより結論に難点があるのではないかな。
178 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 01:13:34 ID:62SP3iBs
連続で悪いが、サッカはじまるまでひまだもんで。
>>145 馬そろえで、朝廷威圧説、というのは決して今日の軍事パレードからの想起ではなくて
それまでの信長の行動、朝廷との関係、そこから導き出されたものです。
なので、失礼ですが、信長流左義長と言ってその行事性や細かい内容にその意味を求めるのは
少し方向性が違うのではないか、そのように信長ー朝廷友好説には疑問を感じております。
あくまで私見なのでご容赦を。
179 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 01:20:24 ID:rH1JPeZh
>>169 あなたにとって戦国時代とは北斗の拳のモヒカンのような世界なのでしょうね
180 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 01:24:57 ID:62SP3iBs
>>179 例えるなら北斗の拳より花の慶次が適切では。
181 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 01:30:38 ID:k15dXYE4
>>178 それまでの信長の行動や朝廷の関係って、例えばどんなところが、対立していると
判断しているんですか?
おそらく、あなたが考えているそれらは、現在は否定されているようなことばかり
かと思われます。
すでに出ていますが、馬揃えは天皇の要望で行われたもので、後日に忌みで見学
できなかった東宮の希望で、規模は縮小したがもう一度行われています。さらに
このパレードには公家衆も参加しています。
天皇は威嚇されるためにわざわざ要望したんですか?脅迫行事に公家も参加した
のですか?
182 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 01:48:23 ID:62SP3iBs
>>181 前にもちらほら出てますが、1573に譲位を言い出した件、無官になったこと、
誠仁親王の皇子を猶子にしたこと、これらは朝廷側から見ると異質で自分たちの
管理下からはみでようとした行為ですよね。
天皇からの要望、というのも、まさにギリギリのかけひきだったと思いますよ。
威嚇されるため、というより、承知で臣下の順をこちらから言い出した、こちらが主であり
信長は臣である、言うこときくがよいでおじゃる、ってね。
現在否定されている、というのに関心があって、本なんかだと質問できないので
こうやって疑問をカキコして、教えて頂けるととてもうれしく思います。
183 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 01:49:24 ID:slnpkwQm
>>177 つーか、あくまで読み方の問題でしかないから、解釈次第でどうとでもなっちゃう。
184 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 01:55:02 ID:62SP3iBs
>>183 あ、そか、読み方ってそういうことね。
でも京子ちゃんは一応用例なんかを細かく調べてそこから結論
出してるわけですよね。
村井が主語のほうがより確実であろう、って。
ま、あんまり言うとこっちがヤバいかな。
185 :
163:2008/06/27(金) 05:47:48 ID:zT9wAJ9c
昨日のID:aTo34+Kmだが、一部どうも話が妙な方向にいってそうな気がする。
俺が疑問を示してるのは、信忠への対応の遅さを大失態とみなし、
信忠も確実に殺さなければ織田家乗っ取りは成り立たず、ひいては野心説への否定にまでつなげている点。
それに対し、光秀にとっての重要度は、圧倒的に信長>信忠であり、等価とはみなされず、
最悪信忠を逃がしてでも、確実にまず信長だけは仕留める必要があった。
その光秀にとっての優先度の差じゃないか?という反論の提示。
そりゃ、信忠も同時に殺せたらベストなのは間違いないが。
>>171みたいな「信忠健在なら、秀吉は台頭出来ない」とかは全く別問題。
大軍を擁した実力者はみな地方で大敵にあたり、早々戻ってこれないはず。
というのが光秀の勝算の一つと考えられるよね。
その状況で仮に信忠が逃げたとしても、信長さえ討てば勝算ありとふんだとは考えられない?
実際のとこ、摂津諸将が秀吉につかず、筒井が旗幟を不鮮明にしたのも、
織田家の威光じゃなく、秀吉という実力者の、予想外の早期帰還だったよね。
186 :
163:2008/06/27(金) 06:08:37 ID:zT9wAJ9c
>>171 >信忠の元以外に結集する所、他に誰ん所行くのよ?
だから、それは単純に明智につくという選択肢じゃない?
繰り返すが、尾張時代からの譜代の臣なんて、急激に膨張した織田政権ではごく一部
上洛以降、織田家の(信長の)勢力に服した、せいぜい十年程度の付き合いの豪族も多数いる。
そうした連中が、信長の死後、織田家という名分よりも、光秀という実力者に鞍替えしてもおかしくない。
というか、そう光秀が読んでたとしてもおかしくないんじゃない?
187 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 06:58:50 ID:effBV0k7
>>181 >馬揃えは天皇の要望で行われたもので
実際には天皇が要望する以前に信長は光秀にその指示を与えており、
前久(信尹か)を介してそのように仕向けたというのが真相だと思われます。
また、『お湯殿の上日記』によれば親王もそれを楽しみにしていたことが窺われますが、
果たして当日の演出(信長を住吉明神にも中国皇帝に凝らす)を天皇を素直に喜んだかは疑問だし、
二回目の馬揃え(※親王が望んだものではありません)の様子(朝廷側)はとても牛一が『信長公記』に
記したようなものではなく、『お湯殿』の記述も素っ気無く、またそれを親王がお忍びで見学したのは、
興味はあったが正式に見学することを「良し」としなかった(※)ものと見られます。
二回目の馬揃えは、最初の馬揃えにこめられたメッセージとそれに対する朝廷の対応(左大臣推任)を受けての
「駄目押し」であった観があります。
信長は、先に親王の五宮を猶子とし尚且つ二条御新造を贈っおり、また今回、譲位の件を持ち出すことで、
朝廷に対して自らの立場(真の上位者が信長であること)を認識される目的があったと考えられます。
188 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 07:19:16 ID:16wxOwQG
信忠が京都から結果的に逃げようと思えば逃げられたのは事実だが、その後を光秀軍が追いかけないというのは考えにくい。
なぜなら、信忠は、信長の跡取りであり、逃がしたのでは、反明智の旗印になる。
確かに有楽は無事逃げているが、それは、有楽の重要性は低く、光秀軍が追いかけなかったから。
史実と異なり、信忠が京都から逃げ出し、光秀軍が追いかけ、山科あたりで信忠が殺されていたら、このスレでは、京都でなぜ正々堂々と信長の跡取りらしく死ななかった、と叩かれていたような。
189 :
冬広:2008/06/27(金) 10:19:48 ID:NkNOCKW3
>>187 >二回目の馬揃えは、最初の馬揃えにこめられたメッセージとそれに対する朝廷の対応(左大臣推任)を受けての
「駄目押し」であった観があります。
堀新が指摘しているが、さらなる「駄目押し」するならば、より権力が増大した天正10年の小正月にも京都馬揃え
をするのが効果的だが、天正10年は安土馬揃えしか行われていない。
なぜ、天正9年だけだったのかに着目する必要がある。
前年末の親王生母の死去と関連付けるほうが合理的だと思う。
>>182 >1573に譲位を言い出した件、無官になったこと、誠仁親王の皇子を猶子にしたこと、
>これらは朝廷側から見ると異質で自分たちの 管理下からはみでようとした行為ですよね
譲位するならば、即位礼・大嘗祭を挙行する必要があるが、戦国天皇家は式微で大嘗祭を省略
しても即位礼の費用をねん出すらできなかった(そのせいで、戦国期最後の譲位を受けた土御門
天皇の即位礼は22年遅れでなされたのが実情)。
同天皇譲位後100年間にわたり、譲位できないという異常事態が続いていた。
1573年に信長が譲位の申沙汰(費用負担)した際に、信長宛の天皇自筆消息において「朝家再興の時
いたり候」と喜びを表している。
しかも、その後朝廷は天正3年・4年に礼服風干を行って、即位礼にそなえている。
なぜ、天皇が譲位を喜んだのかは、中世天皇の「上がり」は「治天の君」すなわち上皇になることが
常態だったからである。
また、無官になったのは天皇からみれば気味が悪いが、無位ではない。
しかも、右大臣辞任の際に、天皇側近である広橋右中弁宛てと勾当内侍宛てに辞任理由をいくつか述べ
ている。それぞれの理由は異なるが、両名宛ての辞任理由で唯一共通するのが「信忠の顕官起用」。
堀氏はこれが信長の本音だといっている。
いささかスレチになるが、「信長は朝廷のくびきを超越した」って論者があるが、そうであるならば、
甲斐平定後に信長が「天下の御与奪」を与えた信忠も中将を辞任しなければならないことになる。
なぜなら、この時点をもって信忠は信長にかわって朝廷のくびきを超越する必要があるからである。
しかし、そのような事実は存在しない。
190 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 11:19:32 ID:ik12Xl7m
191 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 14:26:51 ID:68RTaodo
信忠健在で、明智に付く武将が居るとは思えない(すぐに)
実力は確実に光秀の方が有る事は皆分かっていても、付く事が出来ないのが実状。いくら戦国時代でも主家を重んじる武将の方が多い。松永久秀がごとき武将は稀だよ。
192 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 14:42:19 ID:xPPxxPnm
まさか陪臣VS譜代+織田の構図になると思っていたのかな
北陸方面軍以外の武将ら家族は光秀から距離が近く捕らえ人質に出来る可能性も
違うか
193 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 15:16:50 ID:slnpkwQm
信忠の息子の三法師(秀信)だが
秀吉がつけた家臣が家老以下ぞろりと旧六角家臣なのは何故だろう?
194 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 15:30:30 ID:bboqjoNW
●-、
r´ - ●
` =='\
| ヽ
UUてノ
195 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 16:44:58 ID:ZYdHcgbo
冬広さま、レスどうも。
で、堀新のその説にどうしても疑問があるのでぜひ教えてほしいところです。
1573の時点では確かに天皇は喜んだでしょうが実際には退位してませんよね。
もちろん理由はいろいろ言われていますが一番重要なのは、退位しなかった、という
事実と思うのですよね。
1581に話がとびますが、馬そろえ、翌日天皇は信長に左大臣申し入れ、信長これを拒否、
ここで緊張状態がうかがえます。
数日後2回目の馬そろえ、これがあまり盛り上がらなかったのは187さんの指摘通りで、
まさに信長と天皇側の関係をよくあらわしていると思います。
数日後天皇は2回目の左大臣任官提示、これに対する信長の返事は「譲位をしたら左大臣をうける」
です。
これは、信長が天皇に譲位をせまった、という解釈をしたいのですが。
さらに、朝廷は公卿会議を開く、これは普段参加しない身分のものまで参加させた
異例の会議です、の結果、やはり譲位を拒否します。
天皇が譲位をいいだした、友好関係にあった、のならどうして拒否し続けるのでしょうか。
その理由も、方角から年が悪い、などという苦しいもの、これを信長は打ち破れなかった、
みたいな本がよくありますが、まったく逆で、翌年にはこの理由は使えない、本当に苦しい
天皇側の言い訳、相当困っていた、に思います。
ちなみに、翌年本能寺ですが、決して黒幕説とかにもって行こうとするのではないので
安心してくださいね。
そして、このあたりが重要ですが、馬そろえの前年、誠仁親王が二条城に移されます。
これはどう見ても、人質、というと言葉は厳しいですが、信長の手中におさまった、そのような
これも駆け引きのひとつだったでしょう。
もちろん、史料では「朝廷側は喜んだ」とかあるでしょうがそのまま受け取るのはその
意味内容性をよく理解していない表面的なものに思います。
つまり、信長は天皇に譲位をせまりその準備をちゃくちゃくと固めていった、猶子問題も
そうですよね。
そしてその延長上に馬そろえがある、そのように思います。
翌日天皇が左大臣任官を申し入れしたのも、馬そろえの礼、というのは表面上で
信長の意図に気づいていた、というように解釈したいのですよ。
黒幕説や簒奪説にまで話を広げる気はありませんが、信長ー朝廷の関係は
決して友好ではない、対立とまではいかないがある意味の緊張状態にあった、
こういう最新の定説、とお聞きしました、をこのように理解しております。
196 :
冬広:2008/06/27(金) 18:27:33 ID:KrqzIiLY
>>195 >天皇が譲位をいいだした、友好関係にあった、のならどうして拒否し続けるのでしょうか。
「真説 本能寺の変」(集英社 2002.2)の堀新氏の稿の受け売りなんですけど、ここらへん
の流れは、
信長:馬揃え→
朝廷:お礼としての左大臣推任(勅使派遣)→
信長:譲位・親王即位を条件に受諾→
朝廷:金神を理由に延引 です。
もし、信長が馬揃えをしてまで譲位を求めるならば、再度何らかの信長サイドの申し出があって
も不思議ではありません。しかし、信長はここで交渉をやめています。
堀氏によると、これはすべて左大臣推任を断る方便だという理屈です。朝廷が二度も勅使を派遣
させるような交渉の継続をすると、(回答は左大臣任官拒否なのに)朝廷の顔の泥を塗るから、
朝廷に配慮したのです。金神だと朝廷のメンツが立ちます。
なぜ、左大臣を拒否したのかは、信忠の顕官起用の布石のためです。ここで信長自身が左大臣に任官
すれば、その先に太政大臣への累進がなし崩しでなされるおそれがあり,信忠への官位移譲の意味がなく
なるからです。続きは上記文献でご確認ください。
一言でいえば、拒否したのは信長で、左大臣になりたくなかったのです。
以下は私論ですが、三職推任問題で信長がこれを拒否したのも、信忠のためだと考えています。
>>189でちょっと触れましたが、天正6年に右大臣を辞任したのは信忠にしかるべき官職への任官
をさせるためで、それを望むのは家督を相続した信忠が織田家当主として相応しい官職をうるこ
とで、代替わりを志向していたのではないかと考えています。
1577年に、信忠が正三位・信雄が従四位に累進し、位階をみれば公卿・非公卿との差異はありま
すが、官職はいずれも中将で同一です。これでは82年に「天下をお与奪させた」信忠の官職として
はあまりにみすぼらしいものだと思います。
ところが、81年の左大臣推任でも信忠への累進の沙汰はなく、82年も状況は同じです。
もともと、自身の官職累進に興味のなく信忠の顕官起用を望む信長に、朝廷はひたすら信長への
顕官復帰を運動していたのです。
私見における公武の対立とは、信忠の顕官起用VS信長の顕官復帰 だと考えています。
じゃ、なんでズバッと「信忠を大臣にしろ」っていわなかったのか?
私見の最大の欠点です。
197 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 19:27:03 ID:zQYi6zNr
>>196 冬広さん、レスどうもです。
堀新への質問みたいになってしまいますけど、189の上段、なぜ天正9年だけだったか
というのもまさにこの年に緊迫したやりとりがあったからで、10年の馬そろえはそれこそ単なるお祭り
だったでしょう。
それを生母とか結びつけるのは少し方向がずれているように思います。
同じように189の下段での質問なんですが、信忠への顕官というのは単にそれこそ
建前でしかないように思います。信長は息子への官位を天皇に頭を下げて望んだ、みたいな本も
見かけますが、こういうのも本質を見誤っているように思います。
右大臣辞任はやはり、天皇の配下であることを暗黙に拒否したものであって、信忠への顕官は
「わしは官位なんてどうでもえぇがや」という己の立場、主張を明確にしたようなものでしょう。
冬広さんも言っておられますが、信長ぐらいになると官位はいつでも信忠にあたえることはできたでしょう。
大事なのは、朝廷から見て「信長を」臣としての立場におくことなわけです。
家督を譲ってあった、というのもあまり意味のあるものではなく、信長自身を警戒した、
そのように思うのですよね。
堀新がどうして、信忠への顕官、とか信忠にこだわるのか不思議なんですよね。
あくまで信長の問題であるというか。
その傍証ですが、誠仁親王のの皇子を猶子にした、これがあげられますよね。
譲位とはつまり誠仁親王を天皇にすることです、そしてその皇子が自分の猶子、ということは
誠仁天皇をすぐまた猶子に譲位させる、そうすれば信長自身が天皇の外祖父になれますよね。
もちろん猶子には自分の娘を嫁がせ、その子をにまた譲位させるわけです。
これ、藤原家の得意技、日本史では定番の作戦です。
信長がそうしようとした証拠云々ではなく、朝廷側がどう思ったかです、信長の猶子問題を。
さらに上記のごとく誠仁親王は二条城で信長と親しい関係にあります。
こういった点には堀新はあまり触れません。
あくまで「信長はそんなこと考えてないでしょう」の一言ですませてしまいますよね。
こういう点をぜひお聞きしたくてね。
信長の行動、というのを順にみていくとそういう状況は事実としてあるわけですが。
さらに言うと、晴良の嫡子に養女を嫁がせる、前久の嫡子の元服にも「信」の字を与えるなど、
信長は朝廷への工作を続けています。
信長と天皇との書簡を見ても天正のある時期から突然増え始めます。
このあたり、信長と朝廷の関係は複雑ですが、信長は一環して、東大寺切り取り、のような
武威をはっきりしています。
こういう信長を天皇側はどう思ったでしょうか。
しつこいですが「よくわからんでおじゃる」であって、友好的なのは一種の社交辞令、
そういうものにすぎない、そのように思えるのですよ。
198 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 20:12:40 ID:k15dXYE4
どんな議題であれ、朝廷論を進めるときに、まず前提として把握しておかなければならないことがあります。
それは、朝廷を構成する天皇と公家は一枚岩ではない、それぞれ対立している存在だということです。
公家同士はいうまでもない。官位や所領を巡ってずっと争い続けています。単に武家と違って軍事力がない
ので、表立っての争い(合戦)にならなかったというだけ。そして天皇と公家同士も当然、単なる主君と家来、
公家は天皇に絶対服従なんて関係ではありません。
信長と天皇の関係とか、本能寺朝廷(天皇?公家?)黒幕説などの時に、この事実が無視されて、何故か天皇と
公家は一体、朝廷は一つの勢力と看做して議論が進められますが、その時点その持論はもうあてにならないと
思います。
もう一つあげると、天皇個人と争うことと、天皇と制度というか身分というかそのものをどうにかしようと
することは当然ならが別のことです。
日本史上、武家であれ公家であれ天皇個人と争ったものは枚挙に暇はありませんが、彼らはあくまでも天皇
個人と対立したのであって、天皇制自体を消そうと考えたのは、仮説が正しければ義満だけです。
信長だって同じです。史料の読みようによっては、天皇と正親町天皇は争っていた関係とも言えます(私自身は、
両者は仲がよかったと考えていますが)。しかしそうだとしても、信長は正親町天皇個人の勢力と戦っていたので
あって、それで即天皇制自体を、朝廷そのものをどうにかしようと、朝廷に関わる全てを敵に回していたと
看做すのは暴論です。仮に信長が正親町天皇の譲位させ実権の喪失を狙っていたのだとしても、それで困るのは
正親町天皇とその近臣で、他の公家は別に困りはしません。新しい天皇て実力者(織田)のもとで、なるべく
高いポストを狙うだけです。
199 :
187:2008/06/27(金) 20:16:36 ID:hQatjbHR
>>189 >天正10年は安土馬揃えしか行われていない。
>なぜ、天正9年だけだったのかに着目する必要がある。
>前年末の親王生母の死去と関連付けるほうが合理的だと思う。
確かに「親王生母の死去」は、朝廷と信長の双方にとって京で「馬揃え」を行うに
尤もな口実になったと思います。ただそれ以前の問題として、本願寺との和睦を巡って
親王と信長の間には「腹立ち事件」とも呼ぶべき意見の対立が起きており、その意味でも
信長には親王に釘を刺す必要があり京での「馬揃え」が行われたのだと考えられます。
ちなみに「金神」を持ち出したのは信長側からだとする見方もあり、天正元年のそれも
言い出した信長の都合で延期(立ち消え)となっており、譲位、即位も朝廷の希望のままには
為らないのだと云うことを示す必要が信長にはあったものと考えられます。
その意味では天正9年の「馬揃え」でその目的は達成されており、わざわざ翌年にそれを再演
する必要がなかったのでしょう。
200 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 20:17:48 ID:k15dXYE4
ところで
>>197あなたの主張は中世の天皇の在り様からだいぶかけはなれた天皇像をもとに推論を建てていると思います。
特に天皇の意思と発せられたことや、天皇と信長との関係に対立ないと推測できるような史料を、全て「表向きそう演じて
いるだけ」と切り捨ててます。根拠なしに。
201 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 20:22:34 ID:slnpkwQm
>>197は典型的な「まず結論ありき」の議論だな。
202 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 21:02:43 ID:68RTaodo
198に激しく同意。
天皇個人や一部を語っても、文字通り一部でしかない。まぉ天皇や公家やら朝廷関係者が変に大きく関わっているとは思えないし、それだけの力もないと俺は思う。
203 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 21:50:24 ID:FD8FEjq+
1、同じ土岐源氏の快川和尚を恵林寺で焼き殺しされた、恨み
2、従兄妹どうしのお市に茶々を胎まし、濃から託された恨み
3、天皇暗殺指令が降りたことに対する恐怖と怒りからの恨み
204 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 22:09:33 ID:FKaAl9LZ
>>200 ご教授どうもです。
自分なりに198の論は理解しているつもりですが、なにせ短いスペースでは全てを
語れません。
まずは、馬そろえが単なるお祭り、ではないであろう、ということの説明から始めて
大まかに1582までの注意点をあげたわけです。
中世の天皇のありかたというと今谷の論がありますが、その後の進展がどうなったかは全て
把握しているわけではないので、機会と話題がそちらに行ったらぜひ教えていただきたい
ものです。
あくまで例えですが、ブッシュとプーチンが笑顔で握手しているから、と言って両国が
友好的であった、という判断は部分的でしかないですよね。
ウラで核兵器をつきつけあってるわけで。
同じように歴史を判断するのも、見えないところ、実のところ、そういった点に注意して
考えて行きたいと思っています。
そして教授だったら学生に「証拠は無い」の一言ですませてしまうところも
こちらは素人ですしせっかくこういう場があるのですから、いろいろと教えてもらえると
うれしいと思っています。
205 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 22:13:12 ID:hQatjbHR
206 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 22:16:57 ID:hQatjbHR
207 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 01:39:48 ID:rj8LJrQu
206
君もたいした事ないから心配するな。
何がどうアホなのか、せめて説明しな。
208 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 01:45:14 ID:p5KnK61h
>>197 >右大臣辞任はやはり、天皇の配下であることを暗黙に拒否したものであって、信忠への顕官は
>「わしは官位なんてどうでもえぇがや」という己の立場、主張を明確にしたようなものでしょう。
何故そうなる?信忠に顕官を望むというのは、織田政権の後継者は朝廷の枠内に入るということだろう。
それから言っておくと、実力者が表向きは引退隠居という形で後継者に地位を譲った後も、無官の身で
実権を握って政権を支配・運営するという体制は実は日本においてはごくありふれたもの。
一番の例を挙げると、上皇・法皇による院政。天皇家ですら、本来なら無官(という言い方は本来はおか
しいのだが)の引退した元天皇が、現天皇を上回って統治を行った。中世では上皇の権威は天皇を上回り、
だからこそ戦国時代の天皇家は生前譲位が出来ない=上皇になれないことを大問題とした。
そしてこれは天皇家に限った話ではなく、鎌倉幕府では本来は公式の地位でもなんでもない得宗が実権を
握り、室町でも四代義持や八代義政は将軍位を譲った後も無官の身で統治を行った(この二人はやむを得ない
処置という面が強いが)。信長以後にしても、秀吉はなんら権能のない太閤という、地位でもない単なる
尊称で政治を行い、江戸幕府も大御所政治が見られている。
つまり、後継者には顕官を与えて現在と将来の箔を与え、自分は無官の身で統治するという信長の行動は、
体制は、実は天皇や公家にとってはよくよく見知った体制といえる。
>こういう信長を天皇側はどう思ったでしょうか。
>しつこいですが「よくわからんでおじゃる」であって
だから、これはあなたの全くの誤認識です。
秋田城介説。
210 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 03:11:43 ID:FxqdjfHH
家康と光秀の共謀説ってのはねぇの?
211 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 06:40:39 ID:Ij0EEPqt
信長が島津領に脱出し、そこで死亡したという珍説がある
そこでは家康黒幕説を取っている
212 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 08:46:38 ID:VL0MNBIr
>>210 ないことはないけど天海=光秀説というトンデモ説とセット。
213 :
冬広:2008/06/28(土) 09:53:22 ID:nSpIMY6c
公武対立論者の不思議
1、京都馬揃えについて
安土馬揃えの記述
信長公記「御爆竹」
兼見卿記「爆竹・御馬汰」
京都馬揃えの記述
信長公記「御馬揃」
兼見卿記「御馬汰」
公武双方の史料で、京都馬揃=信長流左義長ー爆竹、と一致している。
にも拘らず、「そもそも公武は緊張関係にあった。ゆえに、馬揃えは祭りでは
なく威圧である」という。なんで?
2、作暦問題
「晴豊記」で信長が再度蒸し返した天正10年6月2日の記事において、「信長むり
なること」(=作暦問題は解決したのに、信長はん、そりゃ無茶や)ってはっきり
記述している。
公家でも「だめなものはダメ」というし、微妙な問題ならば、兼見卿記の天正10年
4月・5月の記事のように空白にして記述しないという方法もある。
にも拘わらず、「表向き賛成だが,公武は緊張関係にあったので、本心は反対である」
という。その論法を代入すれば、晴豊記の記述は「表向き反対だが、本心は賛成である」
って読むことになる。しかし、公武対立論者はこの記述だけは素直に読む。なんで?
公家の日記は1次史料であるのに、公武対立ありきで行間・裏の意味を忖度しだすと
、1次史料が浮かぶ瀬もあるまい。
214 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 12:10:34 ID:xPvrkPGh
>>208 言葉足らずで申し訳なかったけど、院政みたいなシステムが日本史でよくあることは承知です。
で、信忠の問題ですけど、繰り替えしになりますが、あくまで信長の立場の問題であり、信忠が朝廷の
枠内に入ることを信長が重視していた、又はそう望んでいた、と信長は考えていた、とは思えないのですよ。
これは、、無官の身で実権を握る、というごくありふれたシステムと矛盾するわけでもなく、まさに信長の
行動と一致しているように思うのですが。
それで、信長が右大臣を辞任したことは、枠外にでた、という意味と重要性のあることと思いますが、
これに関してはどうでしょうか。
さらに繰り返しでですが、父の信秀が内裏修理で多額の献金、これに関して天皇側からお礼をする、
三河守ももらったのでしたっけ、そして信秀もその感謝をしていますよね。
このあたりでは天皇から見ると織田という新興の地方大名は理解しやすかったでしょう、また勤皇という
ぐらいにも思ってたでしょう。
にもかかわらずその息子の信長が、官位辞任、これはやっぱりしつこくて悪いですけど
「よくわからんでおじゃる」という認識に近かったと思うのですよね。
そしてもうひとつ先に例を挙げてますが、1568の上洛のときに天皇に謁見する機会があったであろうに
謁見してません。父親の献金もあり望めば可能だったでしょう、これもやっぱり天皇側から見ると
「あれっ」と信長を認識する出来事のひとつのように思います。
まとめると、右大臣辞任はなんのため?そして信忠顕官というのはあくまで副次的なものであり、
信長の目標又は重要な意味を持つものではないのではないか。
そういったことです。
215 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 12:19:30 ID:7yHNqgyE
>>214 > 思えないのですよ。
> 思うのですが。
> 思いますが、
> 思ってたでしょう。
> 思うのですよね。
> 思います。
あなたが何を思おうと勝手だが、思う以上のきちんとした根拠を提示できなきゃ
誰もあなたの意見に賛同しないよ。
216 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 12:26:45 ID:xPvrkPGh
>>213 冬広さん、まとめて頂いてどうもです。
で、やっぱり繰り返しで申し訳ないですが、結論ありき、ではなくてずっと信長の行動を
追っていって、1581のあたりの微妙なやりとりまで来るとやっぱり、対立、とまでは言いませんが
それなりの駆け引きがあったように思うわけです。
1581の3月19日の異例な公卿会議、これはどうして行われたのでしょう。
左大臣を受けない言い訳で譲位を持ち出してうまく断ろうとした、天皇側に気を使った、というのも
逆に、友好説ありき、と言いますか少々おかしな解釈に思えるのですよね。
暦問題も同様で、無茶や、という問題をどうして信長が持ち出したか、東大寺切り取りから続く
信長のそういった行動は一環しており、これもやっぱり「よくわからんでおじゃる」に結びつくように
思います。
217 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 12:37:10 ID:xPvrkPGh
>>215 根拠と言いますか事実を出していますがどうでしょうか。
そして大事なことですが、賛同を願ってる、人の意見を間違ってると主張する、のではないのですよ。
繰り返しですが、いろんな研究がある中でわからないことがある、のでいろいろと質問しますが
ぜひ教えてほしい、そういうことです。
2チャン的な、妄想厨おつ、と言われてしまってはせっかくの機会が残念です。
せっかくこれだけ列挙したのですからね。
そして、感情的にならないこと、これを望みます。
数年前の本能寺のスレでは、当日京周辺の関所、物見はどうして機能しなかったか、やすやすと
大群が洛中に進入できたか、そういったことで盛り上がっておりました。
最近はそういう話題もあまり見かけませんが、そういった点まで触れられたら、と思います。
218 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 12:55:21 ID:p5KnK61h
>>214 >信忠が朝廷の枠内に入ることを信長が重視していた、又はそう望んでいた、と信長は考えていた、とは思えないのですよ
あれだけ信長が「自分よりも信忠に顕官を与えてくれ」といっているのに、なんでこのように思えるのか不思議です。
あなたはまず最初に信長と天皇が対立していたという結論から史料をみています。はっきりいえば、自分の好みの色眼鏡を
通してしか、史料をみていない。
>にもかかわらずその息子の信長が、官位辞任、これはやっぱりしつこくて悪いですけど「よくわからんでおじゃる」という
>認識に近かったと思うのですよね
では逆に質問します。同じく無官の身になった秀吉に対して、「よくわからんでおじゃる」という認識にならなかったのは何故ですか?
>208で示した通り、信長の行動はありふれたもので特別なものではありません。なのに何故、天皇や朝廷は、信長に対してだけ
「よくわからんでおじゃる」という認識になって、それまでの室町将軍やその実力者、その後の秀吉らには理解しているんですか?
あなたの主張には矛盾と誤認だらけです。そういった指摘に対して根拠もしめさず「自分はこう思う」という反論になっていない
口上を繰り返して、かつ「感情的にならないこと、これを望みます。」などと人格攻撃。
はっきり言いましょう。現在議論になっていないのは、全面的にあなたの責任です。
あなたがやっていることはリングに上がらずに外から無根拠に感想を垂れ流しているだけです。
219 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 13:41:06 ID:xPvrkPGh
>>218 秀吉や室町将軍に触れないのはここは信長に関するスレだからです。
決して、信長にだけ、ということを主張しているのではありません。どうぞご理解を。
「よくわからん〜」という表現がよくなかったのなら謝罪します。
ただ、わかりやすいかと思っただけで他意はありません。
「感情的にならないこと」これは自分に対する戒めでもあり、決して他人に対する人格攻撃
などという意図はありません。
ご理解いただけないでしょうか。
文が未熟でそのように思われたなら、指摘していただければ訂正いたします。
今までのいくつかのレスで、決してこちらにそのような意図がないことはご理解
頂けるかと思いますが、そんなに失礼で攻撃的な口上をしているつもりはありません。
重ね重ねご理解賜りたく存じます。
220 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 13:48:52 ID:p5KnK61h
>>219 >秀吉や室町将軍に触れないのはここは信長に関するスレだからです
つまりあなたは、秀吉も含めて無官の身で政権を運営した実力者たちは、全て朝廷のくびきから
脱しようとするものだと、朝廷との対立の宣言なのだと、天皇はそう解釈してしていたと言うの
ですね?天皇はそういった実力者全てと対立関係にあった、と。
221 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 13:57:43 ID:7yHNqgyE
もう完全に「議論のための議論」に陥ってるなあ。
222 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 13:58:05 ID:xPvrkPGh
>>220 いえ、そういった実力者たちに関しては個別に語るべき必要があると考えます。
信長と他の実力者を同列に考えているわけではありません。
また「対立」とまでは考えていません。あくまで信長の行動に対する、疑問というか
対応、そういったものには一種独特の「緊張があったのではないか」というのが
今のところの推論です。
これは、馬そろえが単なるお祭りであった、という点への疑問から出発しており
それを語るためにいろいろな事実を列挙、その時々で「これはどういう意味でしょう」
と質問しているわけです。
223 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 14:38:25 ID:mS3nxdOm
「両者に駆け引きがあったこと」と「できれば相手を滅ぼしたいほど両者は敵対していた」ということはイコールではない。
224 :
冬広:2008/06/28(土) 15:00:36 ID:g1qaTTZw
>>222 >それで、信長が右大臣を辞任したことは、枠外にでた、という意味と重要性のあることと思いますが、
これに関してはどうでしょうか。
これは信長には官位の利用が不要だったからだと思う。
信長の政敵は足利義昭がいたが、信長は義昭追放後、「陣宣下」という大袈裟な儀式で右大臣・右大将
に任官している。そして、官位において義昭と肩をならべることができた(官位利用第一段階)。
これは、信長にとって「室町殿」の地位を自分がとってかわったことを天下に喧伝する重要な意義があった。
逆にいえば、信長自身にとってこれ以降の累進は不要だということです。
信長にとって、官位の利用はこの「陣宣下」こそが意味のあるものだったと思う。
だからこそ、右大臣の辞任を申し出、後継者信忠への顕官承継を望んだと考えています(官位利用第二段階)。
もし、枠外にでたのであれば、信忠の顕官起用を望むことと大きく矛盾します。
右大臣辞任は官位利用の第1フェイズから第2フェイズへの転換点だというのが、私の見解です。
>暦問題も同様で、無茶や、という問題をどうして信長が持ち出したか
天正10年6月1日が月食で、宣明歴がそれをあてられなかったからです(桐野PHP本参照)。
もし、あなたが買ったばかりの時計が狂っていたら、メーカーにクレームつけませんか?
それと同じだと思います。
225 :
冬広:2008/06/28(土) 15:21:18 ID:g1qaTTZw
月食→日食
宣明歴→宣明歴
>左大臣を受けない言い訳で譲位を持ち出してうまく断ろうとした
おかしくないね。翌年はより高位の三職推任が議案になっているので、信長が譲位
を蒸し返すのはより容易。でも、蒸し返していない。
譲位には執着していなかったんじゃないかな。
226 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 15:44:48 ID:C+XZXOML
盛り上がってるとこ申し訳ないが、
朝廷と信長との対立(緊張)関係を唱えているのも、否定してるのも、
今のとこ、朝廷は本能寺の変と無関係、という主張でいいのかな?
ちょっと本能寺スレの主題から逸れすぎてる気がするから、
ちょっと議論を落ち着けた方がいいと思う。
特にID:p5KnK61hとか、一度ちょっと頭を冷やした方がいい人もいるし。
とりあえず、朝廷対立論と融和論、研究者間でも決着のついてない問題であり、
ここでそう簡単に結論が出るわけでもないから、一旦それは一つの意見としておき、
それが本能寺の変とどう結びつくと思うのか、に議論の方向を持っていっては?
227 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 20:19:06 ID:iFwKygnM
226
に同意だな〜。
本来、何を語るスレなのかもう一度、根本に戻ろうよ。
228 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 21:11:39 ID:K9Fh9QTz
226に同意です。
229 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 21:21:08 ID:K9Fh9QTz
228 あ、でも頭冷やしてほしいと思うのは別の人。教えを請う、
素直に反論を受け止める態度ではない。書き方ではない。
230 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 22:02:23 ID:7yHNqgyE
光秀の考えはともかく、逆にあれほどの隙を見せた信長の弛緩っぷりも武将としてほめられたものではないわな。
本能寺の原因の半分は、信長の油断って言って良いでしょ。
231 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 22:27:15 ID:rj8LJrQu
信長と光秀が反乱分子をあぶり出す為に変を装ったって超異説本もあるね。
232 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 22:39:59 ID:7yHNqgyE
>>231 信長「俺ちょっと無防備やってみるから不届き者出て来るか見ててくんない?」
光秀「うはwwwwwwまな板の鯉wwwwww」
こうか?w
233 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 01:48:48 ID:fiQtSg12
>226
どうもです。
それこそがまさに語りたいところです。
これだけ論述しあって、さて1582はどうであったか。
来週、名古屋でちょっとした講演会があります。
東京でもありますが、リアルでぜひ、お会いしたいですね。
その後でまた、ここで教えて頂きたいと思います。
冬広さま、224に関するレスは過去にもありますので繰り返しません。
よろしければ、じっくり語り合いたい、と思います。
225も感謝します。自分のレスではないのですもので。
こちらは不勉強の輩ですので、具体例に即して勉強したいと思っております。
これが、どう本能寺に関わってくるか、これこそまさ語り合いところです。
是非是非是可候・・あ、難しい・・
234 :
冬広:2008/06/29(日) 18:11:33 ID:jfHIMxF1
>>233 >よろしければ、じっくり語り合いたい
私の意見は95%受け売り、5%妄想なんで、話し合える程の知識はもってませんよw
>>226の交通整理にしたがって謀反の要因に話を戻しましょう。
私は、前スレ937でノイローゼ説(桐野+二木)を立論した者です。
そして、その要因のひとつとして、援軍稼業による地位の低下を挙げましたが、
異論も多く理由として弱いのでないかと思ったりもします。
また、桐野説では公家の日記で利三が「今度謀反随一」とあるのを重視して、
彼の関与を重視していますが、「なぜ主君が家来のいいなりになって危ない橋を渡る
のか」という不自然さがぬぐえません。氏は1次史料を無視できず、利三の関与を
理由に押し込んだきらいがあります。
ゆえに、私は「光秀はあたまがおかしかった」という理由でこの難点を回避しようと
ノイローゼ説を採用しました。
ここらへんはいかがでしょうか?
235 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 18:51:11 ID:7ck2pPA8
>>234 基本的な疑問になるんだが、桐野さんは「今度謀反随一」について
「言経は、利三こそが本能寺の変を起こした張本人だと述べているのである」
と説明してるけど、ほんとにそこまでとれる文章なの?
単純に「今回の謀叛での働き(武功)第一の者」とかにはとれないの?
観修寺の日記には「武者なる物也」とあるから、それと似たようなものでは。
どうも、斎藤利三が変に深く絡んでるとの結論あっての前提の深読みに思えてしまう。
専門的な史料読解には完全素人なんで、馬鹿な疑問なのかもしれませんが。
236 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 19:02:53 ID:7ck2pPA8
もうひとつ。仮に桐野さんの理解が正解として、
謀叛に至るまでの謀議が、一公家にまで筒抜けだったのか?と言う疑問。
そこまで山科は明智の内情に精通してたのか?
また、明智家のことを多少知るものなら、
四国政策への不満が変の主要な原因だとすれば、斎藤が不満分子の急先鋒だとは推測できるものと仮定する。
しかし、四国政策への不満が変の主要な原因ということ自体を、山科は知っていたのか?
もしくは、当時の人が、変の要因としてそう認識してたのか?
どうも「今度謀反随一」の理解については、色々首をかしげてしまう点がある
237 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 20:41:28 ID:fnl6wfka
確かに、処刑される利三に対し言経や晴豊が日記にその様に記すのは、別段、深い意味
は無かった(真相を知っていたとは限らず)と思うね。
元々、利三は織田家中でも名の知れた武者であり、実際に現場で指揮をしていたのは
彼であるから、「共犯者」と見られたのも当然の流れだろうね。
後代の史料に見られる謀叛の原因としての「四国問題」及び利三の関与は、どちらかと
言えばそのことを踏まえての後付である感は否めないんじゃないかな。
最終的に決断を下したのは光秀であり、謀叛するなら今しかないと思ったから、発作的に
謀叛したんだろうね。
238 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 22:12:25 ID:z1MkQxa5
本能寺の原因としての「四国問題」自体は、八十年代以降に論じられるようになった。
当時や江戸時代にはそういった問題認識を抱いていたと思われるような記述は見られない。
現在ではほとんど否定されている、怨恨説の説明に使われるいろいろな記事にも、四国に
絡んだ話はない。似たようなものでは波多野に関わる逸話かな。これも創作だけど。
239 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 04:44:55 ID:0ZvY8HKL
>>238 いやいや、長宗我部関連の史料では古くから織田軍の四国渡海阻止の為とされており、
稲葉家との確執を含め、古くから本能寺の変が利三絡みで起きたとされる説は少なくないよ。
話の流れを変えてスミマセンが、変を起した要因は数有る中で、光秀の行動が
突発的だったのか計画的だったのかが曖昧な為に紆余曲折生んでいると思われます。
自分は基本的に突発的な行動だと思うのですが、変後の状況から光秀贔屓目と
言われてもしかたがない所があるのは本音です。計画的な行動と突発的な行動それ
ぞれのとらえ方で、各説の信憑性度がハッキリしてくる気がしますが、どうでしょう?
241 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 09:33:56 ID:8dybTsZE
>>240 > 五月十四日、信忠、上洛。
> 五月十五日、光秀、安土で家康の接待。
> 五月十七日、光秀、坂本に帰城。
> 五月二一日、家康、上洛。
> 五月二六日、光秀、亀山城入り。
> 五月二八日、光秀、西坊・紹巴らと連歌。
> 五月二九日、信長、上洛。
> 六月一日夜、光秀、中国地方へ出んとする軍を返す。
> 六月二日明け方、本能寺の変。
「いつか信長を討ったる」という心情の有無はともかく、信長を討つための具体的計画はこの時系列を見る限りほとんど無いと思う。
5月17日時点で6月頭に信長が上洛するという確報を持っていればあるいは可能性はあるかも。
242 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 09:46:47 ID:HexFq6c3
どんなに遡っても、光秀が決断したのは五月二十九日の上洛以降でしょう。
何故なら、今回の行動は単に上洛して朝廷と交渉するというだけでなく、その後には
信忠も含めた西国遠征が控えている。史実では軍を率いずに少数の共だけで先に入京
したわけだが、普通に軍を率いてくる可能性だって無いわけじゃあない。
光秀の計画は「信長の周囲に軍がない」ことが前提で、それが判明するのは上洛して
以降のことなのだから。
243 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 09:48:46 ID:5wzOCiAH
とにかく、信長を亡き者にしたかっと思う。
そういう意味では、突発的な行動だと思うけど、
安土城近辺の要所を的確に抑えた行動などには計画性も感じられる。
244 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 10:15:03 ID:0ZvY8HKL
最新号の歴読では、6/1の茶会を否定したうえで/2の開催の可能性を指摘しており、
そのことで警護が手薄(招待客を不安にしない為)がになった(なると考えられた)ことが
最終的に光秀の後押しになったとされているね。
そもそも、信長の上洛は5/27に急に告げられたもの(信忠にのみ?)であり、家康も具体的な
日次を知らなかったからこそ/29当日に堺へ下向した考えられる。
少人数での上洛と茶会の開催(予定)、その二つの情報を得たことで光秀は謀叛を決意したんだ
ろうね。
理由なんて後から何とでも言えるし、実際に悩みも抱えていたんだろう。
謀叛の要因は色々挙げられるが、色々ありすぎて一つに限定できないし、する必要もないだろうね。
245 :
冬広:2008/06/30(月) 11:07:03 ID:rsJ7r96b
>>235 「武者なる者。かれなど信長打ち談合の衆也」(日々記)
「今度謀反随一」(言経記)
いずれも、記事は利三が捕縛されて京都引きまわしになった日に書かれている。
山科が精通してなくても、変から引き回しの間に公家で広まったうわさを書いた
だけかも知れない。
「随一」の解釈だけど、抜群の働きってのもありかな〜。でも日々記は、武者と談合
の話を2つ書いてあるから、桐野氏の解釈のほうが平仄はあうと思う。
あと長曽我部後付云々だが
>>239指摘の通り、長曽我部家譜の本能寺の変の割書き
に「四国異変によりて斉藤わざわいがその身に及ぶと思いて、明智をして謀反せし
めんと存ず」とより直接的表現で記載されている。
でも、利三が「謀反の仕掛け人」ってする氏の見解は???だな〜。
246 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 11:26:45 ID:AIxmFwAO
やはり、信長の行動予定を把握した段階で決意したって事は、何年も前からの計画ではなかったんだろうね、まぁ構想想定はしてたろうけど。
247 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 12:20:38 ID:SUinUdPY
筒井細川に背かれてる時点で計画性ゼロでしょ
仮にこの二者と談合していたとしても生き残れる可能性薄い
計画性あるならもっと強力な同志がいたのだろうけど
ないね
248 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 12:34:33 ID:5wzOCiAH
筒井細川が付かなかった事と計画性は必ずしも比例しまい。
だって事前計画打合わせ
してたって、彼等が付く付かないは最終的には分からんじゃん。
それに細川筒井が光秀に付いてたら、簡単には明智軍は負けなかったと思うよ。
249 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 12:41:57 ID:CtN2KK7l
明智軍の兵士達は徳川家康を攻めていたと勘違いしていたという話もある。
また、信長は自害せず、生き延びてチンギスハーンになったと言う話もある。
>>249 もしかして、信長不在なら・・スレに来てた方ですか??
251 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 13:19:55 ID:yk0qKf5P
チンギス・ハーン(1162年頃? - 1227年8月18日)
織田 信長(1534年6月23日-1582年6月21日)
252 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 14:01:46 ID:tJzXsjRU
>>249はさておき。
前々から疑問になってんだが“羽柴秀吉”が裏で工作したって説はいまどうなってんの?
253 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 14:04:26 ID:yk0qKf5P
254 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 14:06:44 ID:tJzXsjRU
>>253 そうなのか、
でも毛利討伐事前に秀吉が光秀を勧誘したってことは?
255 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 14:10:39 ID:8dybTsZE
>>254 秀吉の勧誘があっての行動なら変後、対立した時に相手の非として光秀が喧伝するだろ。
チラシの裏にでも書いてろというレベル。
256 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 14:15:29 ID:tJzXsjRU
>>255 なるほど、
じゃあの説は創作(悪く言えば嘘)だったかのか。
257 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 14:17:42 ID:fGat8GcP
>>254 もしそうだとして、仮に俺が光秀だったら、秀吉が攻めてきた時点で、
「あいつも実はグルだったんだぜ!」ってみんなにバラしてやるけどな。
共謀者のはずが、裏切ったあげく、自分だけ正義面して攻めて来たのに、
黙って相手してやる光秀は、なんてお人好しなんだろう。と思う。
258 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 14:26:12 ID:fGat8GcP
あら、
>>255とかぶってたね。すまん。
秀吉黒幕説は、中国大返しとかが鮮やかにきまったことから、
「実は事前にしってたんじゃね?」という邪推から生まれた、典型的な陰謀論の類だね。
その邪推以外に、根拠となる物が皆無なので、妄想以上の仮説にはなりえない。
259 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 14:37:16 ID:SUinUdPY
秀吉黒幕説は変な意味不明手紙から疑われてるんじゃなかった?
260 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 15:27:00 ID:zFoQgZ3x
秀吉説は実は柴田勝家の仕業ではないかと思う。
柴田にとってはついに天下統一出来るチャンスが到来したが、このままでは秀吉に持ち去られる。
それならばと嘘を広めたとか。
261 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 17:30:46 ID:5wzOCiAH
黒幕説語るなら、せめて状況証拠を語ろうよ。
何の根拠もなきゃ議論にならん。
262 :
冬広:2008/06/30(月) 18:13:30 ID:rsJ7r96b
>>242 同意。
>>241 タイムテーブル見てると、5月17日〜26日まで坂本城にいるね。
出陣準備のほかに何してたんだろ?
兼見記では17日〜20日の日記は空白なので、何か変につながる出来事でもあった
んかな?
>「いつか信長を討ったる」という心情の有無はともかく
心情が芽生えたのは、この時期じゃなかろうか。
前から疑問だったのが、兼見記の別本・正本の記述の差異。
後者は別本の記述から光秀=朝廷・兼見の関与を示す記事を削除しているのだが、
5月14日だけは、なぜか「家康の接待に奔走に光秀が苦労した」って記述が加えてある。
とすると、17日以降も「突然の中国陣の準備に光秀が苦労した」あるいは「久々の先陣で
明智衆が喜んだ」って記述があっても不思議ではないのに、どっちの記述もない。
光秀は、休暇→接待→出陣準備、とこの時期はてんやわんやなのは明らかなんだが、兼見
には、光秀の中国陣に触れられない事情があったのではないか?
私が謀反の要因から中国派兵を外せない理由です。
>>262 兼見記に中国派兵に関して触れられていない所が有るのが、謀反の要因から
外せないって事ですか?
264 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 11:28:08 ID:f1JLPO1W
>>262 > 「突然の中国陣の準備に光秀が苦労した」
突然じゃないからだろ
265 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 13:34:34 ID:xU/+Txja
262
吉田兼見が自著の改ざんしたりしてるのは、単に自らの保身からでしょ。
266 :
冬広:2008/07/01(火) 20:55:28 ID:3bgUZC1p
>>263 そうです。
「兼見記別本」には甲州陣において、3月4日および24日に兼見が光秀に武具を贈ったという記事が
あります。
とすると、中国陣でも「光秀はん、中国出陣乙」あるいは、せめて262で示した記事が、改竄前の
別本に記載されていても不思議ではない。
しかし、別本においても、光秀の中国陣の痕跡すらうかがわれない。
記事の空白が中国出陣命令のでた17日以降ってことをあわせ考えると、これを無視するのはどうかな〜
>>264 兼見記では、甲斐から帰還後の光秀に「在庄」(休暇)命令が出ている(兼見記・4月
14日)。そして、秀吉からの救援要請が4月16あるいは17日。
突然でないと反論するならば、在庄命令前に出陣命令がでたという史料よろ。
また、そもそも別に苦労したって記事でなくても喜んだって記事でもよい。とにかく
甲州陣の記事はあるのに、中国陣に関する記事がないのはなぜ?ってこと。
>>265 正本に記事がないのは当然。問題にしているのは別本だよ。
267 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 21:57:29 ID:51RodFU1
単に吉田兼見が知らなかった、噂でも聞かなかったというだけという可能性はないの?
このあたりの史料を取り扱うのに注意する点として、あくまで個人の日記に過ぎない
ということがあります。信長公記もそうなんですが、記述できるのはあくまで著者が
知りえたこと(伝聞であれ実体験であれ噂であれ)で、まず知らなければ記述出来ない。
さらに言えば、著者当人が興味をもったこと、大事だと思ったことを取捨選択の上で
記述されるので、当然抜けている情報なんていくらもあります。
今回の件で言えば、兼見は安土の近く住んでいるので安土での出来事は噂でも自然と
聞きつけられる。しかしいったん光秀が丹波まで下ってしまえば、そこでどうすごして
いるかなんて、注意して情報を集めようとしなければ、そうそう知りえるものでもない。
甲州陣の記述なら光秀は東国へと下るのだから、その途上にいる兼見のにも噂が流れて
きてもおかしくない。その噂を日記に書き付けることも。
しかし光秀が丹波でどうしているかなんて、知っている人間が兼見に伝えるのでもない
限り、噂として吉田社まで流れてくるというのは少々考えづらい。何か大きなイベント
なり事件があったというのならともかく。
268 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 22:17:50 ID:mieyH7NL
『細川家記』によれば、問題の空白期間に細川藤孝の母、つまり兼見の叔母が亡くなって
いるんだよね。
269 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 23:15:50 ID:/RJRlxCO
>>266 冬広さま、自分も「光秀突発犯行説」なんですよね。
で、要因、原因というのも、何をどこまでさかのぼるか、重要視するか、そういうものを
明確にしておきたいわけです。
「ノイローゼ」と「野望」という単語を使いたくないのも、現代風意味合いが強くてどうも
誤解を受けそうなきがするからです。
さて、悩んだとき、うまく行かないとき、攻撃的に出る人もいるでしょうし、内面的にかかえこむタイプ
もいるでしょう。
では当時の戦国大名として、出自もはっきりしない立場から大出世をとげた武将として、
上司は天下統一を目前にしたほぼ天下人である、という立場の武将として、
あの時、どうだったのでしょうか。
事前準備や事後の行動の分析から計画性に欠けるのは間違いない。
なので直接的原因は四国政策の転換、だったのもそうだったでしょう。
ただ、だからと言っていきなり、あのような謀反行動をとるものかどうか、
そこを重視したいと思います。
ものすごく単純なんですが、別に信長に怨恨がなくても、四国政策の転換で悩まなくとも、
光秀の中には「いつかは自分が可能な限り出世を目指したい」そういう欲求はあったでしょう。
なので、悩んだときに、もしかしたら体調が悪かったかもしれないし
利三が絶好のタイミングでなにか、ささやいた、のかもしれない。
偶然かもしれないしなにかの勘違いかもしれない。
そのあたりで現実に軍を動かして謀反に出た、のは光秀の中に「武将として普通の野心」
があり、突発的行動がそこに結びついたのには「それまで信長の行動」の中にも少しは
理由があるのではないか、そのように考えています。
なので、本能寺にはあまり謎は無くて歴史の中のターニングポイントにもなってないのではないか
というのは、ぶっちゃけた話、「ちょっと悩んで突発的に行動してしまった、武将としては案外普通の行動
であって、別に深い遺恨、意見の相違があったわけでもない、どんな仲の良い夫婦でも
一生に一回ぐらいは話があわないことはある、それと同じでそんなタイミングで戦国武将が悩むとこういう
結果にもなる」そのように考えているわけですね。
なんかグダグダで申し訳ないですが、ではその「普通」とは、「野心」とは
「信長の行動」とは、そのように各論を語るのは興味あることと思います。
盲人象を触る、じゃないですけど、全体を見渡しておかないとどうしても論が
おかしくなってしまいますからね。長々とすいません・・
270 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 01:04:15 ID:orKeFFh3
どう考えてても、信長が死んだ本能寺の変は日本史の中で大きなターニングポイントだと思います。
ほぼ間違いなく信長の元統一された日本とそうでない日本はまるで別物だと思うし、いずれ秀吉、家康が! 何てのは後世の歴史をしっている人間の杞憂でしかない。
271 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 01:26:23 ID:9H4fJ14t
272 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 02:03:17 ID:gxFy3brj
>>270 信長の統一日本が、皇位簒奪とかして完全に異なる国体を目指していた、という証明が
出来るのならともかく、朝廷と友好的であり、織田幕府の開始、というぐらいであるならば
やっぱり黒船が外圧として来るまでは同じような流れであるような。
もちろんキリスト教の布教を許すとか、貿易に力をいれる、とかで鎖国をとらなかったら
全然違う歴史にはなったろうが、朝廷ー幕府という二極化体制が続く限りは
同じような結果だったような。
スレチだな、ごめん。
273 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 02:40:11 ID:loH6LbV5
新しく珍書でも出てこないかな
本城さんの日記以降ないよね
274 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 06:18:10 ID:kTVbTgvQ
本城さんのは日記じゃないよ、覚え書きだよ。
しかもその存在は割りと古くから知られていたし。
275 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 08:28:11 ID:9Cf9rzB+
信長の辞世の句に謎が隠されている
人間五十年 下天のうちを見破れば ・・・
信長が死んだのは49歳。50前にして、天下の中で裏切りが発生していた事を見破っていたが、
ついには手遅れ・・・と自分を嘆く句ともとれる。
信長は自分の配下に殺されることを予感していたのではないかな。
276 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 09:05:05 ID:9H4fJ14t
陰謀論以前のオカルトに入り始めたな。
277 :
冬広:2008/07/02(水) 12:50:49 ID:UAcfbcND
>>267 >単に吉田兼見が知らなかった、噂でも聞かなかったというだけという可能性はないの?
あるよ。
ただ、明智の中国陣については、当然光秀配下の上山城衆にも軍令があったはず。
上山城衆の佐竹宗実は吉田の姉(妹)婿なので、光秀の所在にかかわらず、中国陣の情報
はキャッチしていて不思議ではない(ソースは忘れたが明智滅亡後に吉田が秀吉に対して、
佐竹の助命・所領安堵を嘆願していたという記事があった)。
しかも、光秀は26日まで坂本にいるので、安土の情報(家康接待)をリアルタイムでキャ
ッチできた吉田が、坂本の情報をキャッチできないというのは合理的な説明ではない。
少なくても、出陣日の6月1日までには光秀にお祓い済武具を贈っていても不思議ではない
のだが…、まあそこらへんは「可能性」の問題だから結局水かけ論だな。
>>268 それならば、日記の空白について合理的説明が可能だな。指摘d。
>>269 >武将としては案外普通の行動 であって、別に深い遺恨、意見の相違があったわけでもない
研究者・文豪の言を借りれば、
『信長は天下が欲しかった。秀吉も天下が欲しかった。光秀も天下が欲しかったのである。』
高柳光寿『明智光秀』より
『本心をいえば、信長にたいしては、恩誼こそあれ、私怨も私憤もない。
しかし、自分の胸には、年来の鬱憤がつもりに積もっている。
それをこの機に、晴らしたいばかりのことじゃ。』
『鬱憤と仰せあるは?』
斎藤利三の疑問に、光秀は軍扇で相手の胸を指し莞爾として、
『貴様のそこにも、棲んでいよう。戦国の虫じゃわい。』
中山義秀『咲庵』より
てこと?
「信長の行動」てのは抽象的だが、信長の家臣への過去の仕打ちのことかな?
もう少し、具体的な問題提起頼む。
278 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 13:27:17 ID:zg+aEVPM
>>277 「信長の行動」というのは先に触れていた、天皇との関係、ですね。
信長の部下として朝廷と接触するうちに、親しい公家さんができたりいろんな公家さんとか知り合えたでしょう。
そして、公的な会話だけでなく私的なもの、信長についての、感謝からグチ、イヤミ、みたいなものも
言われたかもしれません。
そういった時に秀吉なら「とろくっしゃぁこといっとるがや」なんて思ったかもしれませんが
光秀だとどう考えたか。
信長ー朝廷が友好ならば光秀も楽で出世の一つの手段として利用するぐらいだったでしょうが、
「ほほ、無粋おじゃるのぉ、さりとて・・」なんてイヤミでも言われていれば
「まったくあんな殿だで苦労するがや」とか思ってたかもしれません。
このあたりは小説になってしまいますけど、光秀が実行した遠因の遠因に
そういった信長自身の行動も含まれていたのではないか、そういうことですね。
あ、決して、朝廷が暗殺をそそのかした、という意味ではないですが。
イヤミを言った公家さんがいたとしても全く関係ないことだったでしょうし。
なので、信長ー朝廷についてはもう少し、どうして研究者の間でも正反対の解釈になるか、
など語るのは本能寺と全く無関係ではない、とか考えたりなんですよね。
文献の読み方が違う、だけではすまないぐらいいろんな行動と事実があるわけなので。
279 :
冬広:2008/07/02(水) 13:55:30 ID:UAcfbcND
>>278 >信長の部下として朝廷と接触するうちに、親しい公家さんができたりいろんな公家さんとか知り合えたでしょう。
この前提に賛成できない。
歴史群像か何かに書いてあったが、1次史料で確認できる光秀の「親しい公家さん」は吉田兼見ただ一人。
しかも、吉田は神祇官だから「公家」と言い切るのもアヤシイ神主。
その余の意見のコメントはあえて控えるが、光秀と朝廷の関わり・公家との交流なんてないと思うな。
280 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 15:09:22 ID:orKeFFh3
歴史群像に何書いてあるかしらんが、資料がないから光秀が公家衆と交流がないなんて、あまりにも短絡的過ぎるよ‥。
281 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 15:21:41 ID:A9HmLRme
>279
そのアヤシイ神主の書物に書かれた内容を変の一因として重要視してるんだ。
面白い人だなぁ。
282 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 15:27:45 ID:TwLq2GE0
グリ辞書ってかなり勉強になるな。
283 :
冬広:2008/07/02(水) 16:29:23 ID:UAcfbcND
>>281 第1に、光秀と兼見の深い交流を君は否定するの?
否定するならばこの反論は成り立つけど、肯定するならばこの時期の光秀の動向を検証するのに
光秀と親しい「アヤシイ神官」の記述を重要視するのに問題なんてないな。
第2に、「兼見卿記別本」が1次史料でない(記述がデタラメ)っていうならこの反論は成り立つ
けど、なんか論拠があんの?
面白いのは君だよ。
284 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 17:34:17 ID:A9HmLRme
283、兼見は光秀の右筆でも主従関係でもないのに、事細かに光秀の動向を把握出来るわけもなく、中国派兵の件が記載されていない件も何等おかしくない。
文献の信憑性など疑っていないよ、あなたの着眼点に異を唱えたのよ。
285 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 17:42:10 ID:9H4fJ14t
>>283 落ち着け。
知識のある人間はあまり熱くなっちゃいけませんよ。
こうだと決め付ける事が難しい時代な事は確かなんだから、冷静に可能性の取捨選択で
議論を進めるべきだと思うぞ。
286 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 18:24:17 ID:rmqKexKS
>>283 とりあえず、兼見の日記にえらくこだわっているようだが、
そこから本能寺の変について何を主張したいのかがよくわからん。
まず、そこんとこをはっきりさせてくれないか。
「甲州陣の記事はあるのに、中国陣に関する記事がないのはなぜ?」
兼見の日記には、光秀の出陣をそれ以前も毎回記述してたの?
記述があるのを一例、無いのを一例挙げられただけでは、どの程度特殊な事例になるのかさっぱり
光秀と親しいというだけで、家臣でもなく、光秀の行動を逐一日記に記録する義務なんてないんだし
287 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 19:46:48 ID:orKeFFh3
286に同意。
そもそも、中国派兵が何故、本能寺の要因になるか自体が不明。
288 :
冬広:2008/07/02(水) 20:52:42 ID:NKDZqAup
>>286,
>>287 >そもそも、中国派兵が何故、本能寺の要因になるか自体が不明。
出発点はそこだよ。
前スレでは中国派兵は光秀にとって数ある命令のひとつだとか、秀吉の下風になるわけじゃない。
って異論が多かった。
そこで、前スレと違う理由で中国派兵が変の要因になるかって問題提起しただけ。
>>234にカキコした通り厳しい理由なのはわかってるよ。
なんせ、書いていないことを「何で書いていないのか」って問題提起だからね。桐野本では深入り
していない論点に無理に深入りしたけど、やっぱ無理筋か〜
とすると、中国派兵は変の要因じゃないってことでFA?
>>284 了解
289 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 21:39:00 ID:9H4fJ14t
>>288 つーか、このスレでおおよそ一致した意見は、変の理由は「複合的要因」って事でしょう。
中国派兵はその要因の一つにもしかすると入るかもしれない。だが、主要な要因にはなりえないのではないか。
ただ、中国派兵が変の「呼び水」になったことは確かですわな。
290 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 00:55:29 ID:dV7zPWxW
通りすがりの物だけど一通り読んだら
>>278のレスが一番印象に残った
確かに光秀だったら公家の愚痴レベルの話でも真に受けるかもしれん
291 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 14:05:26 ID:vv380aId
そもそも、明智光秀ってどういう人?
292 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 14:41:57 ID:wYO0yP9Y
>>291 こういう人
フロイス曰く「残酷で独裁的。」
「仏の嘘は方便、侍の嘘は武略、百姓の嘘はかわゆき物也」
明智光秀
293 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 16:35:54 ID:EQf6dgv8
>>279 光秀と朝廷のかかわりですけど、馬そろえの運営をまかせられるわけですよね。
とすると打ち合わせなどでの接触があったと思うのですよ。
具体的に一次資料に、誰といつ何をどういう打ち合わせをしたか、は残ってないかもしれません。
また、交流と呼べるほど親しいものではなかったかもしれません。
ただ、公家さんたちと会話をかわしたぐらいのことは普通あったのでないでしょうか。
そこからの推測なのですよね。
これに関連しますが、井沢が「史料中心主義」に批判をしていますが、この批判については
どうお考えでしょうか。
史料に残ってないことを勝手に妄想して聞かれても困る、とは井沢もよく受ける反論の
一つだそうですが、光秀が公家さんたちと会話をした、この程度でも意味の無い
推測になってしまうのでしょうかね。
284、288の会話の流れで行くと、「着眼点に異を唱えた」ということになりますが。
冬広さんとは「複合的要因、その中でもノイローゼ」という点に関しては一致なので
いろいろ質問ばかりで恐縮ですが。
294 :
サイコメトリー:2008/07/03(木) 16:42:57 ID:wupJiDPP
冬広さん
論点を見つけて、問題提起するのは非常に重要だと思います。特に本能寺の変の場合。
批判や異論は簡単ですが、提起は困難です。これからも宜しくお願いします。
295 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 17:15:55 ID:EQf6dgv8
>>292 フロイスの原語、そういうのはどうなってるのですかね。
フロイスは日本人、各武将を動物園のオリの中の動物のような感覚で見ているようですが
服装史、労働技術、そういった分野からの研究にはとても重宝されているようです。
具体的に書いてありますからね。
では人物評はと言うと・・あまりに厳しすぎて2割引ぐらいがいいのでしょうかね。
296 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 17:25:13 ID:wYO0yP9Y
>>295 > フロイスの原語、そういうのはどうなってるのですかね。
それは原文を読んでくれとしか言いようがない
あと、フロイスの人物評はキリスト教に好意的かそうでないかでまるっきり態度を変えるし、
物事を大げさに書く癖がある(それで上司に叱責されている)ので、2割引きどころか5割引くらいで良いと思う。
297 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 17:48:42 ID:EQf6dgv8
>>296 5割か・・じゃ、光秀もたいしたことないな。
キリスト教への対応で評価を変えるのは仕方ないですけど、
あれ、やっぱり報告書として書かれた意味もあるだろうからそのあたりは
考慮したいとこですよね。
叱った上司に対して「だって本当なんですから」と言ってそうだ。
注意点は、訳本、を見てそこから研究されてないかということ。
ノストラダムスになってしまいますな。
298 :
冬広:2008/07/03(木) 18:24:09 ID:211VZR7K
>>293 そりゃ光秀も公家と会話ぐらいしたでしょうけど、
>>278にあるような「危険なグチ」をいえる公家がいたかというと正直?です。
信長は朝廷・公家のパトロンですし、信長の文句いった竹内季治は殺されたし、信長の重臣にそんなことを言うことにはデメリット
しかないからです。
意味の無い推測かって言われても、可能性の問題だからあるともないとも言えないです。
じゃ、なんで私が「兼見記」に粘着したかというと、兼見と光秀は公務だけではなく、連歌興行というあそびでもつるんでいる仲だからです。
そこまでの交流があったからこそ、他の公家の日記と「兼見記」を区別して妄想をたくましく立論したのです。ありがたいことに別本・
正本があるので妄想のネタにもってこいだし。
これが「晴豊記」や「言経記」ならこんな立論は絶対にしませんよw
答えになりましたか?
>>294 ありがとう。
299 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 20:08:27 ID:C1cDxAXm
>>298 どもです。可能性の問題となるとそうですものね。
では「史料中心主義」に関してはどうお考えですか。
井沢は堀新の説に反論してますが堀からの返事というのは
よく知りません。
具体的には、しつこくてすいません、信長ー朝廷の関係ですが、友好説の
根拠はここでもよく出ますが「譲位は天皇が言い出した」「馬そろえは天皇が言い出した」と
このあたりが中心のようです。そして天正10年記の解釈しだい、とこのあたりに
落ち着きます。
に対していろいろな事実を関連づけて対立説は成り立っています。
ここでまだ出ていないものを上げると、1569だったか、のキリシタン排斥綸旨の
問題もあります。このあたりでははっきり信長ー天皇は意見を異なるものしています。
1569には山門押収問題もあります。これなど、天皇の綸旨は信長を非難する内容
だったといえるでしょう。
こういった点に関して堀はなんと考えていたのでしょう。井沢の受け売りですが
「関係ないですね」といった態度のようです。
結論ありきではいけませんし、都合の良い解釈だけでもいけません。
ただ堀新のほうが正直?に思えてしまうので、堀、桐野の引用をよくされる
冬広さんにぜひ、このあたりをお聞きしたいと思いまして。
変の原因を、図式化、しようと思うと信長ー朝廷に関してやっぱり
せっかくの機会ですのでいろいろ教えてほしいのですよね。
300 :
冬広:2008/07/03(木) 20:49:31 ID:vyVh+Igs
>>299 >では「史料中心主義」に関してはどうお考えですか
「小説」ではなく「研究・検証」と標榜する以上、そうあるべきだと思う。
例えば、桐野氏のファラオ本と同氏のPHP・学研本での史料の引用の仕方を比べれば、推測と推測を
史料でつなぐか、史料と史料を推測でつなぐかで、スタンスが異なっているという印象を持っています。
まあ、決定的史料が乏しいので、推測を入れるのは仕方がないけどね。
堀新のことはあれ以外の論文を読んでいないので、答えようがありません。
井沢はKK本以外未見なので、堀とドンパチやってたなんて知らなかったな。
興味があるので、件の井沢本の書名教えてください。レスから想像するに西ヶ谷説に近そうだな〜
301 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 22:10:00 ID:C1cDxAXm
>>300 井沢は、逆説の日本史、です。
9,10巻と信長についてです。
ちなみに、「日本歴史学会の問題点」といって1巻から続くので、この1巻も
読まれるとダイジェストとしてわかりやすいです。
もちろん、武功夜話を取り上げたり古い内容も多いですが、根本的な主張点は
なかなか面白い。堀新に対しても、ドンパチというほどじゃない、と言われそうですが
これがなかなかでして。
ちなみに「史料中心主義」ですが、この弊害に関してしつこく述べてます。
例えば「長沢まさみにサイン会でプロポーズした、ニコッと笑ってありがとう、と言ってくれた」
という日記を見て、彼女はプロポーズを受け取ってくれたか、拒否したのか、という問題です。
当然、拒否したわけですが、300年後にこの日記が発見されたらどう解釈されるか、ということですね。
ましてや天皇や公家さんみたいな社交辞令の固まり、そういった人たちの発言をそのまま解釈することの危険、
学会に身をおき一般社会のデロデロを知らないであろう学者の方の考え方、そういったものに
触れていきます。
自分は決して井沢ファンではなくて、結論が違う点も多いのですけど、この本には
桐野も八切もでてきます。ぜひどうぞ。
302 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 22:35:26 ID:63H+xiSU
風呂いわく
光秀は野心家で
自分の本心を隠して信長をまんまと欺き
、密談や策謀を好む油断ならないやつ
303 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 03:14:18 ID:rGwrVA/Y
>>301 日本史板とかの井沢スレでも探して、井沢の主張の問題点を勉強してくるといいよ
いちいちここで、スレの趣旨に関係無い、くだらん井沢理論の話に飛び火されても困るし
とりあえず、
>>301で君が嬉々として紹介してる中だけでも
勝手なレッテル貼りとかしてる時点で、何か問題があることにくらいは気付いた方がいいよ
304 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 04:59:24 ID:10g4B6/e
>>301 >300年後にこの日記が発見されたらどう解釈されるか
社交辞令だと解釈するね。
霊長類をバカにするなー。
所詮、井澤は屁理屈捏ねて妄想を膨らましているだけだよ。
305 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 08:02:58 ID:Im+awR5o
大阪にいた丹羽と信孝が動けなかったのは兵の離散のためとあるが
他の理由はないのだろうか?
306 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 08:35:34 ID:UU8+8CPV
305
急遽雇入兵+二人の統率力の無さ+二人対応の悪さ。
307 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 11:52:38 ID:ChGzleqM
五郎左は変人で
人望がなかった
308 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 12:16:57 ID:1FOL+5hh
戦闘実績が無さ過ぎるだけ
309 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 12:46:43 ID:CXHOGukM
井沢は稲中卓球部で活躍していましたね
310 :
冬広:2008/07/04(金) 12:52:29 ID:j7/DE4fL
話を蒸し返して恐縮だが、公武協調論者は信長が五宮を猶子とした件をどう考えるの?
私は公武協調論者だが、この件だけはこのスレでも誰も反論できていない。
また、ビシッと反論している書籍も見たことがない。知っている人がいたら教えて。
以下私論。
信長が皇位簒奪を意図したのであれば、この時代に廃絶していた皇后・中宮を復活させて、信長
の娘を入内させればよいだけ。史実でも徳川秀忠が現にこれをやっているから障害も特にない。
外祖父になるには、これが一番ガチだからね。
猶子なんてまどろっこしいし、そもそも猶子という手段で外祖父になった武権の権力者はいるの?
五宮猶子=皇位簒奪の図式がイマイチよく分からない。
311 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 13:32:59 ID:8Ltv9dV0
稲中・井沢大好き。
公武協調論と本能寺の変の具体的な関連性は?
冬広さん、私論の強弁は良いがマスターベーションは止めようよ。
312 :
冬広:2008/07/04(金) 13:42:22 ID:j7/DE4fL
>>311 黒幕説・非道阻止説を否定するためだよ。
だいたい、強弁するなら
>>288で白旗あげないし、このスレって主張・反論を通じて
考察するスレじゃね?本の受け売り以外はお断りなの?
313 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 13:50:28 ID:P8lD+DTW
>>312 あなたはそうやってすぐ熱くなるのと、自説に必要以上に拘泥する癖がある。
あと、すぐ熱くなって意地になるから面白がっていじられる部分もあると思うよ?
このスレの中でも深い知識を持っているかの一人だと思います。ならばもう少し、懐を広くした
議論をしても良いのでは?
314 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 14:21:58 ID:1FOL+5hh
荒らし言葉に釣られずヌルーするのが器量ってものよ
315 :
冬広:2008/07/04(金) 14:56:30 ID:EyKPQlrl
>>313,
>>314 なるほど、私はいじられていたのか。
この程度の器量なら,戦国時代でも組頭にもなれないなorz
しばらくROMってアタマ冷やしてきます。
316 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 15:25:18 ID:yuzND77u
>>303 ご忠告どうも。
以前にいろいろなところでずっと井沢の名前が出ると荒れやすいのは知ってましたので
名前を出さないようにしてたのですが、冬広さんからのレスでしたので私信のような
形でのレスでした。
決して井沢理論にまでは入りこまないよう注意しますのでご理解を。
>>315 310ですが、まさに自分もそう思ってたのでうれしいです。
さらに言うなら298で触れましたが、1569年あたりの石仏問題、キリシタン排斥問題、
山門問題、こういった事実もかなり重要とは思われますので、私論大歓迎と
いうことでお考えをお聞きしたいとは思います。
小和田とか堀とか京子ちゃんとかどうして触れないのでしょうね。
黒幕説とかの完全否定のためにはこういう事実の確認は決して欠かせないと思うのですよね。
317 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 15:35:46 ID:i6GWPVQg
>>305 単純に、どうしていいかわかんなかったんじゃないかな?
いきなり主君を失って、そこから自分自身の戦略を描くなんて、そうそうできることじゃあない
さらに、明智に近い位置にいるということは、
単純に明智を討つに近い位置とだけ思ってる人も多いけど、
逆に、真っ先に明智に討たれかねない位置でもあることを忘れちゃあいけない。
周辺の情勢を見定めるまで、下手に動かないのも、無難な対応ではある。
そこら辺、賭けに出て、自ら局面を動かそうとしないあたりが
五郎左の限界ではあると思うけど
318 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 15:41:13 ID:yuzND77u
同意。
そして遠く離れていたとはいえ、秀吉は変を知ったその日の夜にエケイを呼んでいる。
いくらなんでも行動はやすぎ・・
って、決して秀吉黒幕説じゃないですけど。
319 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 15:46:46 ID:P8lD+DTW
>>318 まあ、天下を取る時ってそう言うものですよ。すべての運がたった一人を押し上げるために
動いているような時が、天下人には必ずある。
320 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 15:53:08 ID:yuzND77u
>>319 ですよね〜。
でも、変を知ってワンワン泣いたなんて通俗本にもあるけど、いきなりエケイ
呼ぶかな。運というか、この行動自体にはおそれいる。
そして運とはそういうものの下に集まるのでしょうね〜。
321 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 18:06:43 ID:T2VrcNhp
秀吉の場合は早く退かなきゃジリ貧になる可能性があったからね。
毛利も通説では変を知らない事にはなってるけど、
さすがに紀伊の一豪族が知ってるような状況で毛利に情報が入らない事もないよね。
それでも追撃を掛けなかったのは秀吉と光秀をぶつけてる間に戦線の建て直しでも考えてたのかもね。
322 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 19:30:54 ID:KTO3sz83
結果論になるが、信忠は逃走しようと思えば逃走できたんだろうか?
323 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 19:32:17 ID:P8lD+DTW
>>322 それはなんとも。逃走中にとっつかまる可能性も十二分にある。
324 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 20:39:20 ID:BkEQmTe+
>>322 いや、囲まれてなかったし、光秀軍は信忠がいたことを知らなかった。
だからすぐに逃げ出せば逃げ出せたはず。
325 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 20:42:05 ID:KTO3sz83
明智軍は京都を封鎖していなかったのに
信忠が勝手に「明智のことだ。手抜かりなく京都を封鎖しているに違いない」
と思い込んでしまった、との説あり。
326 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 20:44:38 ID:KTO3sz83
で、京都を脱出できたとして、安土までたどりつけば、蒲生氏郷がなんとかしただろうとは思う。
327 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 20:46:00 ID:i6GWPVQg
>>324 それでも追撃くらって死ぬかもしれんし、
形勢不利で裏切りあうかもしれんし、落ち武者狩りにあうかもしれん
結局「可能性はあるかもしんないね」程度のことしか言えん
所詮、結論の出しようの無い無数の可能性のひとつ
328 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 20:46:24 ID:BkEQmTe+
>>321 毛利に関してはいろんな説があるけど、電話も無い時代に「信長死す」の
情報をもらっても事実かどうかの確認が出来ない。
ニセ情報のワナということだってある。
だからこそ、秀吉がその日のうちに行動したというのが逆に出来すぎをこえて
不思議なぐらいになる。どうして「光秀謀反」の第一報を信じることができたのか。
このあたりは結果を知ってるから案外謎扱いはされてない。
もちろん、秀吉独自ルートの研究が進んで「信用できたのだろう」という
説になってるのだけどね。
にしても普通確認に少しは時間かけるよね、こんな大事件なら。
それが毛利が即行動にならなかった理由のひとつと考える。
329 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 20:47:13 ID:P8lD+DTW
つーか、堺にいた穴山梅雪ですら殺され、家康も九死に一生。
信忠が京を抜け出ることが出来たとしても、無事安全地帯まで逃げられるか、ってのは甚だ疑問だ。
長益なんて、逆説的だけど「信忠が死んだから逃げ延びられた」って部分も大きいわけで。
330 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 20:47:23 ID:0V1xruDI
>>324 光秀が、信忠が京都にいたのを知らなかったという根拠はあるの。
謀反を起こす際に、主君の息子がどこにいるのか把握しないというのは考えにくい。
五男の勝長等も殺されています。
331 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 20:52:14 ID:BkEQmTe+
>>327 もちろんそう。
ただ、いたこと知らなかったのだから、逃げたのもすぐにはわからない。
脱出さえして一目散に逃げれば安土に入れた可能性は高い。
落ち武者狩に関しては、京と安土は近くて本拠の織田軍に対しては行動はしないはず。
ってか、農民だって何がなんだかわからないうちに、脱兎のごとく駆け出してるわけだし。
話それるけど、落ち武者狩というのも、優勢なほうが近所の農民なんかに触れを出して、という
パ〜タンが多くて、あの場合逃げ出した織田家頭首が落ち武者狩りにあうことはまずないと
言っていいと思う。
反論みたいでごめん。
332 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 20:54:22 ID:BkEQmTe+
>>330 信忠がいたお寺を囲んでない。
もし知ってたらいくらなんでも囲むはず。
このあたりが、光秀謀反の計画性の無さ、突発性にもつながってる。
考えにくいが事実であっただろうというのが定説。
333 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 20:56:30 ID:P8lD+DTW
>>332 それは「京都にいたのを知らなかった」ということの証拠にはならない。
単純に優先順位の問題として信長を滅ぼす事に全精力を傾けた結果とも言える。
334 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 20:59:14 ID:BkEQmTe+
>>329 梅雪だけど、家康の影武者的に身代わりになった、という説がある。
死後、梅雪の関係者が厚遇されている、という事実があるらしい。
もし、家康を見限って逃げた、ならこうはならないはず。
で、家康でも脱出したのだから、京から安土というのはそんなにめちゃくちゃムリはないはず。
ましてや自領なんだしね。
思い起こせば信長、も秀吉も家康もそういう天下を取るような人間は一度は九死に一生的な
脱出をしてる。運も実力、なんだろうな。
335 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 21:02:41 ID:BkEQmTe+
>>333 なんですけど、本能寺と信忠がいた寺はすぐ近くなんですよ。
全力を傾けるといっても、天下を目指すなら長男も殺す必要がある。
ましてや知っててすぐ近くにいた、なら当然囲むはず。
このあたりは、定説なので受け売り的で申し訳ないのだけど。
336 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 21:34:53 ID:ZeOHlJNX
信忠が京から逃げたとして、どこまで逃げれば安全圏だったの?
蒲生氏郷が留守の安土の他にはどこか安全圏あったの?
337 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 21:35:32 ID:ZeOHlJNX
× 蒲生氏郷が留守
○ 留守番をしていた
338 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 21:51:31 ID:x7PykYCO
>>336 あの時点で、というのなら安土が一番の安全圏。
そこで織田各武将が終結するのを待てばよい。
それだけ持ちこたえることは十分にできたはず。
そこで、織田家新当主として各武将に「逆臣光秀を討て」とか新リーダーに
なれてたかどうかはこの前議論してたよね。
なんか、秀吉と信忠だと、家康と秀頼、みたいな感じで、秀吉がうまく
やりそうな気もするけど、このあたりは別の議論にはなるね。
339 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 21:53:24 ID:x7PykYCO
終結 X
集結 0 ・・ 意味が通じるとこが戦国時代ってすごいな。
340 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 22:39:32 ID:1FOL+5hh
氏郷は安土にいなくなあ?
いたの父ちゃんだけとおもってた
341 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 23:10:14 ID:x7PykYCO
だなも。
とーちゃんだけだったがや。
342 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 00:14:53 ID:9QbDZHHK
光秀が本気で野心で政権の転覆を狙っていたのなら、
・政権内で最大戦力を持つ(尾張美濃の直轄地に甲斐信濃上野が管轄地)
・政権内でナンバー2(信長不在の時は軍最高司令官)
・正式に後継者認定されている(一族から家臣まで)
こんな超大物を見逃すってのは考えられないし、見逃していたら能力を疑われる。
仮にまず信長を殺すのに全力を注いだとしても、その間に信忠に逃げられないように
なんらかの手当てを講じてしかるべき。
>>310 >公武協調論者は信長が五宮を猶子とした件をどう考えるの?
私も、これが簒奪とか対朝廷強行路線になる理由がわかりません。皇族が養子猶子で
臣籍に下るのは、よくあるとまでは言わないが普通にあることだった。
天皇に対する人質だったという意見も、皇太子あるいは皇太孫でもない五宮ではどれ
ほどの効果があったか。そもそもこの意見は、当時の人質というシステムを現代風に
誤解している。
343 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 00:37:47 ID:J2lf5ahH
>>342 前にも出てますけど、藤原家の得意技、つまりたえず天皇に娘を押し付けその子を天皇にし、
自分がその外祖父になる、こういうのはよくあったことでした。
なので、天皇家をもし乗っ取ろうとすると、当時の発想としてはよくあるパターン、
まず猶子をもらう、というのが乗っ取りの第一歩、と言う解釈なのでしょう。
人質、というのなら誠仁親王を二条城にうつしたことのほうが意味が大きく、
二条城と言うのはその前に、義昭、をすまわせたとこでした。
なので、当時のわかる人が見れば、親王を二条城にうつした、というのは
「信長が暗黙のうちに自分の傀儡を宣言した」このように解釈したことでしょう。
もちろん文献上は、新邸を頂いて感謝、みたいに残ってますが、これをその額面上
受け取るのは一連の流れを理解してないものと言えるでしょうか。
まとめますと、自分の支配下に置く、そしてその猶子をもらう、これは朝廷から見た場合、過去の
例からいって非常におそろしい、ある行動、の準備段階と取れるわけなんですよね。
そして藤原家は天皇をたて、自分はそのバックで荘園を増やし日本史の中に生き残りました。
余談ですが、美智子妃殿下は藤原家以外の天皇家への嫁入り、という意味もあって
重大事件なわけです。回りの宮内庁関係者はもちろん全部藤原家のお声がかりですからね。
戻して、藤原家は天皇制の影にかくれたわけですが、さて信長は当時の朝廷から見たらどううつったか
これが問題なわけです。
あの、決して自分は信長に皇位簒奪の意思があった、といってるわけではないですよ。
ただ、事実を並べてみてそれがどういう意味だったか、ということについての、一部の説
解釈、を述べてるだけです。
言葉足らずだったら申し訳ないです。
344 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 01:01:54 ID:J2lf5ahH
ちょっと補足しておきます。
猶子をもらった、すべての人にそういう簒奪の意思があった、というわけではなく、
信長ほどの実力者がそうした、その点に限定して述べています。
藤原家、から見た場合、自分たちと同じ手法を実力者がとった、これを
危機ととらえたであろう、ということです。
天皇、朝廷、藤原家、と特に厳密に使い分けてはいませんのでご了承を。
前にも出てました、父信秀が勤皇家であったにもかかわらず息子信長は上洛翌年に
早くも天皇とは意見を異にしてます。
キリシタン排斥綸旨とかですね。
こういう信長を「よくわからんで〜」というように表現しましたが、このあたりからの流れで
親王を二条城に、猶子をもらう、とまでをながめてみるとさてどうか。
もちろんその後は馬そろえとかにもつながります。
公武協調論者の本の中でこういった点に触れているものがない、あったら
申しわけないですが、そういったように続いていって、本能寺を語るとまた
面白いかと。
くどくてすいませんでした。
345 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 01:14:05 ID:2oIztn+T
本能寺と関係ない話は、よそでやれ。
346 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 01:40:33 ID:smHMPmyu
基本にもどるが、光秀が確実に行いたかった事。
@信長を殺す
A信長の首を晒す
B畿内掌握
簡単に考えると、この三つだと思うが、どうかな?
347 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 06:28:56 ID:UACYus0s
信忠を、光秀が信長と同時に襲っていないのは、そんなに不自然だろうか。
信長公記によれば、光秀軍は老の坂を全軍で進んだことになっていたと覚えている。
明智軍記では3隊に分かれて別々の道を進んだことになっているが、記事の信憑性からすれば、信長公記を信用せざるを得ない。
更に、同時代の記録によれば、1列縦隊でしか、老の坂の道は行軍できなかった。
また、本能寺の変があったのは、新月のころであり、月明かりは全く期待できない。
松明を持って行軍するというのは隠密性を放棄するものだから、明かりなしで行軍するしかない。
そして、兵は長槍や鉄砲等を持って行軍する以上、1人あたりの間隔は1メートルは必要。
更に部隊が入り混じらないようにするには、部隊ごとに間隔を大きく取らないとならず、光秀軍の先鋒と末尾は20kmの長蛇の列になる。
そう考えると、光秀軍の先鋒が本能寺に到着した時点で、末尾の部隊は亀山城を出発したばかりの可能性が高い。
かといって、全軍がそろうのを待つと、どう考えても3時間はかかり、逃げられる可能性が高くなる。
光秀としては、まず少数の先鋒のみで、最優先目標の信長を襲い、後続部隊が到着次第、信忠を襲うしかなかったのではないか。
348 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 06:40:20 ID:UACYus0s
347に追加
明智軍記の方を、本能寺への行軍路については信用すべきではないか、という考えも確かにある。
それでも、それぞれの部隊は7km前後の長蛇の列になる。
また、3隊に分けるというのは、残りの2隊については、光秀の目が行き届かなくなるということ。
主君に対する謀反という大事を起こす前に、半分以上の部隊に自分の目が届かないことになる。
直属の部隊は、自分が先導することで、寝返りを防げるが、それ以外の部隊が信長に密報し、寝返るかもしれない。
信長を殺した後なら、自分たちも共犯者ということで、寝返りにくいが、殺す前なら、逆に恩賞を貰う好機になる。
そう考えると、私としては、信長公記の方をやはり信用したい。
349 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 06:54:27 ID:DVu4dRYZ
>>346 C信忠を殺すは入るでしょ
光秀は信長を討った後どう残存織田勢力と戦おうと考えていたのかねぇ?
毛利に密使(秀吉に捕まった)を送り協力を要請しようとしていたのはのは本当なのかな?
本当だとするとそれぞれの勢力に密使を送り
中国秀吉軍は毛利に抑えさせ、北陸柴田軍は上杉に、甲信滝川軍は北条に
光秀自身はは畿内掌握と大阪にいた信孝、丹羽の四国征伐軍を片付けるのが問題って感じかな
350 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 09:27:08 ID:xojSMZjX
>>343 >二条城と言うのはその前に、義昭、をすまわせたとこでした。
未だにそんなこと言ってるの?
義昭の城と親王に献進した二条御新造(御所)は別物(場所も)だよ。
やはり家康も二条に城を築いているから、牛一も義昭の為の城を
「二条の城」て記しちゃったんだろうね。
351 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 10:57:11 ID:dqYDy/or
>>350 でしたね。
なんか心配になって見てみたら違ってた・・ごめん・・
352 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 11:11:17 ID:dqYDy/or
>>347 地図で見ると本能寺と妙覚寺はほんのすぐ。
で公記によると本能寺攻撃開始は6時、二条御所は8時。ざっと、らしい。
本能寺の方を包囲というのは実際問題妙覚寺も包囲というような
ものだから、ほぼ同時攻撃が可能だったのではないか。
にもかかわらず妙覚寺からとなりの二条御所へ移動してると言うことは
包囲の兵がいなかった、ということだから、やっぱりすぐ近くにいながら
存在を知らなかった、というほうがより自然なのでしょうね。
このあたりは各研究者異論はないようだから定説でいいのじゃないのかな。
353 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 11:19:18 ID:dqYDy/or
>>349 残存勢力に対してはそれでまず間違いないでしょうね。
その後、朝廷との連絡を密にする。
味方的武将と共闘する。
このようなところがより自然でしょうね。
なので、突発犯行説というのは、無謀、というのと同義ではないように
解釈しないといけないかもね。
なのにもかかわらず、秀吉はあっというまに戻ってくるわ、
最大の味方にはスルーされるわ、本人が一番びっくりしたでしょうね。
354 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 13:05:46 ID:5Ve+zn5a
>>352 本能寺と妙覚寺の距離は、約1km。これだけみれば、すぐのようにも思える。
だが、鎧を着込み、長槍、鉄砲で武装した足軽が歩く速度は、大体分速70mほど。
だが、当時の本能寺は周囲約500mの大寺院で、堀を巡らし、石垣を備えた小城砦。
信長の直属の護衛兵がそれなりにいたら、かなり抵抗できる。そう考えると、本能寺襲撃には1000人は最低でもいる。
だが、その1000人が集まるのに、1列縦隊なので、15分はかかる。更に、妙覚寺への移動にも15分はかかる。
光秀には、信長と信忠、どちらにどれだけ護衛兵がいるか、正確にはわからない事情もある。そう考えると信長襲撃に1000人でも少ないかも。
まず、信長優先というのは、無理からぬところではないか。
355 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 13:40:44 ID:dqYDy/or
>>354 明智軍記はかなり史料価値が低いのでおいといて、公記から
の判断で。
実際に道幅とか計算してそういう具体的行動のシミュを見たことがあって、
たぶん旧陸軍の史料も踏まえたものでしょうが、移動はもう少し早かったような
気がします。
つまり野戦のプロの最後の段階、練習も経験もあったでしょうから、ササッと
囲んだ、ということなんでしょうね。
そういうのを踏まえた定説なら、と思っていろいろカキコしてきました。
これに関してはこのくらいでしょうか。
少し話それますが、移動、って興味ありましてね。
秀吉の大返しの時、1昼夜で55キロ、すごいですね。
家康関が原が江戸から大垣まで13日、これは当時正確に東海道は何キロだったのでしょう。
江戸中期には法隆寺から江戸までやっぱり12〜3日。
こうしてみると当時の人の健脚には驚かされます。
よく簡単に、追撃する、なんていいますがいつも具体的に荷物しょった状態で
考えるようにはしてます。
356 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 13:51:31 ID:9QbDZHHK
>>354 誰も信長優先を否定しているのではないと思いますよ。
信長殺害を最優先させるにしても、信忠に対する手当てがまったくされていない点から、
信忠の存在を認識していなかったのでは?と考えられているんです。
光秀が野望から天下が欲しくて謀反を起した場合。信長を殺すのに夢中で信忠は放置して
いたら逃げられてしまいました、というのではとても天下なんか取れません。光秀が動機
として怨恨だった場合―信長さえ殺せればそれで満足だったのならともかく。
例えるのなら、アメリカでクーデターを起こす場合、最低限大統領と同時に、大統領不在
には大統領と同等の権限を託される副大統領も同時に処分する必要があります。これは、
どちらが優先かという問題ではありません。大統領を殺せても副大統領を逃がしたらそれで
クーデターは失敗なんですよ。信長と信忠もそんな関係です。
357 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 13:59:56 ID:2oIztn+T
>>356 どう考えても後世の眼から見ての経論に過ぎない。
358 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 14:00:40 ID:2oIztn+T
359 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 14:10:15 ID:a0SItirg
>>356 アメリカにたとえる事自体が間違い
よって、その理屈は成立しない
360 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 14:13:44 ID:j2avsvx8
素人丸出しの質問でスマンが、そもそも信忠は何しに上洛したの?
>C信忠を殺すは入るでしょ
これには同意なんだが、信忠が大軍率いてきたら厳しいわな。
逆に信忠なんか眼中に入ってなくても、 信忠が大軍率いてきたら厳しいわな。
いずれにしても、信忠も軽兵しか率いていないって情報は不可欠じゃないかな?
361 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 14:52:51 ID:dqYDy/or
>>360 それ、結構な謎みたいよ。
ただ、京周辺にスパイは出してたろうから、「京市中に織田家の大群はいない」という
情報は持ってたはず。当然だが。
だもんで逆に、信忠がいなかった、ことを知らないのが不思議なくらい、よほど計画性に
欠けてたんだな、と定説は続くわけ。
362 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 15:06:33 ID:2oIztn+T
>>361 「大軍がいない」と、「反撃する兵力もない」は、全く別の話。
363 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 15:56:37 ID:vL7beXJr
信忠が生き延びても織田の為に命捨てて戦えるのは譜代のみと考えれば
皆北陸や関東へ張り付いてて動き取れないと想像するかと
ただ秀吉の場合家族が光秀勢力の中にあったので急いで戻っただけじゃないかな
家族中心に考えれば北陸部隊は帰る必要も無く
滝川などは光秀勢力圏外なので時間的余裕あるわけです、秀吉だけが急ぐ必要があった
信忠が美濃へ戻ったとしても譜代を率いずに単独で攻め込んでくる可能性は少ないように思います
後の話ですが実際秀吉に対して信孝信雄が頼り動いたのは譜代だけなんですよね
光秀が秀吉等近畿にいる家族の身柄を押さえるつもりで失敗したなら案外無計画とも言えない気も
364 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 15:57:29 ID:wSdYwia0
354ですが、私の今の考えとしては、光秀が信長を襲う際に、信忠に対する手当てをしていないのは、その余裕がなかった、ということです。
確かに配下の軍勢は1万以上います。しかし、長蛇の列で夜間行軍してくる配下の軍勢の完全集結を待っていては、信長に逃げられてしまいます。
手元にある程度の軍勢が集結した時点で、信長を襲撃し、後続の軍勢が到着次第、信忠に軍勢を向ける予定だったのではないでしょうか。
ところが、信長の死をすぐに確認できず、疑心暗鬼になってしまい、後続の軍勢も信長襲撃に向けてしまい、信忠に逃亡や反撃の余裕を与えてしまった、と私は考えます。
これだけ見ると、光秀が無能なようですが、戦場での錯誤はままあることで、信長も姉川等で危機に陥っていますし、家康も絶対優勢の大坂夏の陣で危機に陥っています。
そもそも光秀が謀反を具体的に計画しだすのは、信長、信忠が京都にいることが確定した5月27日以降とされている。
実行するまでに、わずかの日数しかありません。事前計画が、甘くなったのもやむを得ないと思います。
それから、足軽の移動速度が分速70mというのは、あくまでも1km以上の長距離行軍が前提です。
戦場などで、短距離をそれより速い速度で移動することは、もちろんありました。
秀吉の中国大返しは、皮肉にも信長や光秀が率いる軍勢が中国路へ来るための準備を整えていたことから可能だったみたいです。
大軍が通れるように、道路や兵糧の準備が備中高松から京都まで整っていました。
秀吉は、それを逆に活用して、山崎の戦いに勝てたみたいです。
365 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 16:18:40 ID:dqYDy/or
>>363 それもあったでしょう。
ただ、当時の発想として、家族より主君がより重要、という
のもあったでしょう。
主君なくしては自らの領土、領民、すべての生存に影響します。
家族と言うのはそのために人質に使われるぐらい、逆にいうと
軽んじられている、とまでは言い過ぎかもしれませんが。
なので、家族を押さえる、というのは計画性のひとつではあったでしょうが、
かなり重要度は低い、このようにも判断できます。
すいません。
ただ、無計画でない、というのには賛成ですね。
武将として必要なことはしていた、のだけど、秀吉が・・
というのが重要なポイントですかね。
366 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 16:22:27 ID:4/Raf9iG
>>364 信長上洛は29日でしょ。とすると、29日・1日のたった2日で決断せなあかん訳だ。
しかも、ぎりぎりまで部下には相談できんから、ひとりで悶々としてたんやろね。
事前計画が甘くなるのも仕方ないわな。
>>363 何いってるのかわからん
367 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 16:24:36 ID:dqYDy/or
>>364 後半に関して。
その事前準備に関する研究はかなり重要と思います。あまり語られないようですけどね。
これ、非常に面白い推論の根拠の一つにもなるわけなんですよね。
いや、秀吉黒幕説ではないですよ。
368 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 16:32:34 ID:dqYDy/or
>>366 このあたりで愛宕百韻にふれておいたほうがいいかな。
「ときはいま」ばかりが有名だけど、「花おつる」というのはどう見ても信長の首、、その
前の発句は「水上まさる」で道理について語ってる。
と、恣意的解釈というのは面白い。
ただ、昔の人は何の意味もなく句を読んだりしない。
結構すごいよ、この百印は。
369 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 16:43:14 ID:4/Raf9iG
>>368 そらかまわんけど、
>>347のいう保秘活動と真っ向から矛盾するね。
おれが里村(あるいは他の連歌衆)なら、恩賞目当てに「上様、日向にお気を付け下され」
ってチくるけど、そこらへんはどうやってクリアすんの?
ま、恣意的解釈というのは面白いのは同意やな。
370 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 16:47:07 ID:2oIztn+T
> ただ、昔の人は何の意味もなく句を読んだりしない。
って思い込みも危険。そもそも連句自体平安末期の、和歌を作るほどの教養がない人用の
肩の力を抜いた遊びとして生まれたものだし、時代は下るが井原西鶴なんて「連句はパフォーマンスだ」って
言い切ってるし。
371 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 16:54:35 ID:9QbDZHHK
>>368 後世の人間の「ノストラダムスの大予言解釈」としか。
この手の話で不思議に思うのは、なんで光秀がわざわざ信長殺しを表明しなければならないのか?
ということ。まったく意味がない、どころか下手すれば計画を自ら潰すような行為。
光秀が百韻の中に叛意と決意を織り込んだとして、参加者の誰かがそれに気付いて恐れて逃亡→
信長に御注進。これで計画は終了です。
例えば愛宕百韻で決意を表明して、参加者に自分の計画への賛同協力を求めたとして。参加者の
顔ぶれを見ると軍事力も政治力もたいしてない、どこまで役に立つのか不明なメンバーで協力を
得られてもどれほど意味があるのか。また断られた時のために参加者を拘束しているかといえば、
そんな行動もない。
愛宕百韻説は、クーデターを考えている人間がわざわざ決行する前にこれからクーデターを起し
ますよと宣言したことになる。しかも、自家の部下達よりも前に部外者に対して。
妄想というかファンタジーというか御伽噺というしかない。
372 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 17:02:23 ID:4/Raf9iG
>>371 そりゃそうやけど、明智滅亡後に例の発句の件で、秀吉は里村を尋問してるよな。
秀吉は単なるパフォーマンスでやったってことなん?それとも尋問の件は俗説か?
373 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 17:37:21 ID:2l+TH6Vo
朝廷黒幕説をとると
明智は信長だけ殺せばそれで朝廷はとりあえず満足。
信忠は生き残ったとしても、天皇制を廃止するような手荒なことはしないだろう。
との考えらしいです。
374 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 17:48:06 ID:2oIztn+T
だいたい天皇制云々、なんて発想自体が近代以降の左翼思想の産物でしかない。
375 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 17:50:41 ID:4/Raf9iG
376 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 17:57:58 ID:2oIztn+T
それこそ天皇の外戚になったほうが手っ取り早い。家康も秀忠もヨーロッパ人からは「日本国皇帝」と
認識されていた。別に皇帝制度なんて創らなくても、それだけの専制権力を持っていたわけだ。
信長も無理をして皇帝制度なんてものを創る必要性も、そのために動いた形跡もどこにもない。
本能寺の変に天皇制云々を絡める人間は、自分の中の思想的願望を反映させているに過ぎないと思うぞ。
377 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 22:23:07 ID:mQs5p9nf
>>360 信忠は、京で家康を接待し、そのまま一緒に堺へ下る予定だったのが、信長上洛の知らせを受け
京に留まっていたんだよ。
そうしたことからすれば、光秀も直前まで信忠の滞在を知らなかった可能性もあるかもね。
378 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 22:51:34 ID:cvuIlhg9
信忠に付いての情報は確実に掴んでいたはず。
よく、信忠は逃げれたと言われるが、それは後世の格好付けに過ぎないよ。
379 :
人間七七四年:2008/07/06(日) 19:57:43 ID:HLRBC1aq
>>371 よく理解できます。
ただ、大予言と違って、変を起こす直前に読まれた、というのが重要ですよね。
そこに何も意味はなかったのか。
そして、実際に変は成功。となるとこの百韻が公開されても何も困らないわけです。
でも光秀は自業自得ですが、ジョーハあたりは困ったろうな。
秀吉がそのあたりに厳しいツッコミを入れているのは、二つの意味があるでしょうね。
つまり、真相を知る、というのと、貸しを作って脅迫等のネタにする、というのと。
秀吉ですら、黒幕とか真相がわからなかった、知りたがった、わけですから、やはり
そこには相当な疑義をはさむ余地があったでしょう。
最近の本なんかはそういう点を少し軽視してるような。
380 :
人間七七四年:2008/07/06(日) 20:02:28 ID:HLRBC1aq
ちょっとお題をひとつ。
皇位簒奪説というのも否定的なようですが、最近東大助教授の出された本で
これに肯定的、賛意を表した本があります。
これ、なかなか重要で、信長ー朝廷対立説の根拠の一つにもなりかねません。
そこから黒幕説に結びつける気はありませんが、そういう論が出てきても
おかしくはない。
書名、ちょっと待ってね。
381 :
人間七七四年:2008/07/06(日) 21:05:48 ID:HLRBC1aq
愛宕百韻に関してもう少し。
クーデターの宣言、という直接的な解釈は現代的すぎますよね。
そして教養の無いひとの遊びでもあったろうけど、愛宕に集まったメンバーは
そんな人たちではない。
そして他の武家の人もいない。
・・そして嫡子がいる・・
このことから集まった人たちが何を感じたか、主題はなにか、どう
判断したか。そういうことが重要だと思います。
「何も無い」というのはあまりに、その研究者が無教養なんでしょうね。
名残裏の四、「〜ただちとはしれ」には光秀の本音がつい出てしまったような
そんな末恐ろしさを感じます。
ところで西鶴は「パフォーマンス」なんて言葉よく知ってたな。
382 :
人間七七四年:2008/07/06(日) 21:11:11 ID:K5CrtqJ/
ここは ID:HLRBC1aqの私的な掲示板か?
383 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 00:00:47 ID:nUlAbdo0
本能寺の変
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149962316/l50#tag700 699 :人間七七四年 :2008/07/06(日) 21:31:28 ID:HLRBC1aq
>>698 いいね。久々に真正面からの朝廷関与説ね。
当時の人、特に秀吉までもがそう疑ってたと言う点が重要だよね。
その背後に信長の皇位簒奪計画、そして信長朝廷対立説、というのが
いい流れだ。
最近、東大助教授の出した本で皇位簒奪計画に肯定的なのがある。
うれしいよね、学者の中にもちゃんと「人間味」のわかる人がいるんだと感心。
信長朝廷友好説って、お花畑みたいなのが主流になってるのが不思議なんだよな。
文献をそのまま解釈して、社交辞令とか、そういうのを全く理解してない。
そういう本に影響された人が2ちゃんにも多いから、うれしいもんだ。
そういう意味でなら秀吉の朝廷工作は直後からはじまってた、というのには
賛成だ。
イロイロと言ってくれますねえ。あなたの意見に具体的史料的根拠をもって否定したら、
「人間味がわからない」「お花畑」「社交辞令とか、そういうのを全く理解してない」
ですかそうですか。
他者と議論する気がない、自分の主張だけを述べていたいのなら巨大掲示板に書き込みなんかせず、
ブログなりでやったら?
384 :
346 :2008/07/07(月) 09:47:43 ID:tqQshk+D
383
以前から、どうも、そのスレに誘引、誘導する輩がいるが何でだろうか?
信忠の件を入れてしまうと、計画性が求められてしまい、突発的な行動と本能寺の変を位置付けている為に敢えて、信忠の件を省いたのだが。
385 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 10:04:01 ID:LohoqelW
信長は比叡山だって焼くし、高野山も焼いたかもしれない。
朝廷を潰して、皆殺しにしないまでも庶民に落として田舎に追放
するくらいのことは性格的にやりかねないのではないか?
386 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 10:08:12 ID:HdN23lAf
387 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 10:23:30 ID:uHwnRaV5
384
誘引分子などスルー、スルー。
所で信忠=計画性がないって事だが、必ずしも、そうとは言えないと思うが。
388 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 10:41:45 ID:HdN23lAf
>>387 まあ少なくとも「同時に包囲しなかったから無計画」は、議論が乱暴すぎるな。
個人的には「兵を分散させて虻蜂取らずの状況にならないように、先ず肝である信長に集中して、信忠はそれが成功してから」
って考えたほうがしっくりいく。本能寺に大部隊はいないとわかっていたとはいえ、組織的反撃力の有る程度の
部隊はいるかも、と考えるのが自然だし、それに備えた作戦であったとすればそれは合理的だ。
それに「信忠のいたところは近いのに時間が〜」って言う人間がいるが、軍隊組織の機動性というのは
一つの目的から他の目的に切り替えるときには、現代ですら時間がかかる。戦闘単位でその切り替えを
行わねばならないからだ。信忠のところを取り囲むのに約2時間の遅れがあるが、軍隊行動として
本能寺での作戦に一定の目処がついてから、部隊の一部を分け信忠のほうに向かわせた、と考えれば
2時間はむしろ迅速と言える。
光秀にとって「信長を殺したが信忠を取り逃がした」と、「信忠を殺したが信長を取り逃がした」とでは
どっちが致命的か、って事を考えてみるといい。
389 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 10:43:11 ID:8//uefHO
>>379 尋問話のソースは「常山紀談」なんやけど、この本の成立年度って「明智軍記」より50年も
新しいんだわ。いままでてっきり史実やと思っていたが。
ほかの1次史料に同様の記事が載っているならともかく、やっぱ俗説とちゃうかな?
390 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 10:58:05 ID:9YYjK46R
なんか無知な奴ばっかりやなぁ〜。
秀吉が「愛宕百韻」の件を疑ったってのは事実だよ。
最初に秀吉が大村由己に著させた『惟任謀叛(退治)記』にそれが採り上げられ、
太田牛一もそれに倣い『信長公記』に収録し、やがて尾ヒレ端ヒレが付いて語られる
ようになったというのが史実経過だね。
391 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 11:11:54 ID:tqQshk+D
388
納得です。
光秀が信忠を軽視してた分けじゃないだろうが、何事にも優先順位があるって事だね。
392 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 11:14:54 ID:9YYjK46R
それと、本能寺の門前(東か)に在ったとされる所司代屋敷すら明智勢は攻めて
いないようだから、先ずは本能寺襲撃が第一目的であり、ある程度、目処が付いて
(後続が到着して?)から信忠襲撃に移ったというのが自然な流れだったんじゃないかな。
信長さえ除けば、たとえ信忠が存命していようが、朝廷に掛け合い勅書を引き出し
立場を正当化(反織田勢力を結集)できるというのが光秀の目論見だったんじゃないかな。
393 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 11:26:25 ID:8//uefHO
>>390 >秀吉が「愛宕百韻」の件を疑ったってのは事実だよ
「惟任退治記」に秀吉が里村を疑っている記述が載っているんやな?
それがホンマなら事実でFA
394 :
sage:2008/07/07(月) 11:40:02 ID:9YYjK46R
>>393 いやいや紹巴が尋問されたとは記されていないが、光秀の発句に注目し
「誠に謀叛の先兆なり。何人か是を悟る乎。」とされているよ。
395 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 11:58:03 ID:8//uefHO
>>394 そんなことやと思ったわwww
>>388 その話題で結構盛り上がっているけど、計画性の有無・対象は親子か否かと変の要因はどう関連付けるの?
例えば、狭義の怨恨なら信忠は対象にする必然もないし、計画性も重視されない。しかし、四国政策をも要因にするなら、
政権への広義の怨恨で、親子を対象にしてよい。また、野望なら計画性も必要になる。複合説なら、どう結びつけるのか
…とかなんとか、そこらへんの議論を聞きたい。
396 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 13:18:07 ID:tqQshk+D
395
狭義?四国政策要因で政権への広義の怨恨?
よく意味が分からんが、突発的なのか計画的なのかにより、複合説の要素が限定出来てくる。
江戸中期の儒学者の逸話集より、よほど建設的な話だと思うが。
397 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 15:47:20 ID:qwmXhELn
このスレの住人は朝廷黒幕説をとっている人が少ないようだな。
398 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 16:03:25 ID:HdN23lAf
世間的にも絶滅危惧種だわ>朝廷黒幕説
既にオカルト説に近い。
399 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 16:22:09 ID:tqQshk+D
397
だって朝廷黒幕説って、政府陰謀説と同じで、何が起っても『実は‥』って感じじゃん。
戦国期の朝廷等、宿主を常に探してる寄生虫でしかなく。単体じゃ、何も出来ん輩。
400 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 16:27:31 ID:T2fsuNbq
いやいや、朝廷黒幕説って、ちゃんと読んだことある?
鈴木本なんかに紹介されてるのじゃなくて、もとを読むとそれなりに
いろんな人がいろんな根拠を持ち出してる。
それはそれなりに面白いもんだよ。
401 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 16:32:59 ID:qwmXhELn
正親町天皇は有能な人物だったから、
なにかやろうと思えばできないこともなかった?
402 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 16:36:04 ID:USABsuCC
>>401 それ、案外重要なんですよね。
天皇本人が、ゴダイゴ天皇並みの政治力と言うかそういうのを
持っていたかどうかは、別に議論されなければいけないけど
そういう方面について語られるのはあまり見かけない。
403 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 16:46:04 ID:DUO9bDjC
>>395 言ってることはわかるが、信忠の存在確認の問題と本能寺の理由に
ついて結びつけるのはあくまでサイドーストーリーなんですよね。
まず、野望説、複合説、そういったものをまとめておく必要が
あるだろうな。
その上での議論なら確かに面白そうだが。
404 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 16:57:16 ID:tqQshk+D
400
どの本を読めば、ちゃんと読んだと言えるの?
小説や論説として、いくつかは読んで面白い所は確かに有りましたよ。
だからと言って、朝廷暗躍、黒幕説が本能寺に当てはまった事はないよ。
また、正親町天皇が有能だったというが、一個人で有能優秀な人物武将はこの時代、何名か居たと思うけど、大事を成す時は所詮、個人で出来る事など知れているよ。そしてそれは、例え対象が天皇でも例外ではないと思います。
405 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:00:55 ID:8//uefHO
>>403 同意。
このスレは複合説の流れで、それには異論はない。
しかし「複合」てのがいまいち曖昧で、四国政策転換をメインに他の理由(中国派兵・将来の不安)
を複合するのか、それとも野望的要素とかを複合するのか、ここらへんを詰めた議論が聞きたいって
ことなんやけど。
406 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:13:18 ID:DUO9bDjC
>>404 高柳、今谷、井沢、明石、本郷、とわざと小和田、立花、あたりは
抜かしてと。思いつきだから細かいことなしね。
>>405 複合説、を「光秀の中にある戦国の虫という野心が、信長、秀吉との関係でずっと育つ、それが
四国政策転換で起きてしまった、そこに無防備信長が目の前にいる、チャンス」と言うように
思ってます。
407 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:15:10 ID:qwmXhELn
正親町天皇=天智天皇
織田信長=蘇我入鹿
って解釈は無理かなあ?
408 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:16:42 ID:HdN23lAf
>>407 そう言う定式化している時点で無理があると悟りなされ。
社会状況も仕組みも情勢も何もかも違うものを一緒くたにしても、意味が無い。
409 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:33:29 ID:qwmXhELn
正親町天皇が有能な人物であれば
信長を殺す
自分には火の粉が降りかからないようにする
この2つくらいはクリアできるのではないかな?
410 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:35:53 ID:HdN23lAf
ここはID:qwmXhELnの妄想を垂れ流すスレじゃねえ。
411 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:42:03 ID:qwmXhELn
じゃあ正親町天皇が黒幕で、明智光秀が実行犯でなかったという確証はあるのかい?
本能寺の直後に明智光秀が征夷大将軍に任命されたことを否定できる証拠はあるか?
本能寺直後の公家の日記がことごとく破棄・隠匿されてしまったことをどう見る?
412 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:47:06 ID:HdN23lAf
>>411 > じゃあ正親町天皇が黒幕で、明智光秀が実行犯でなかったという確証はあるのかい?
じゃあ天皇が黒幕であると言う「確証」を出しなされ。それを出してから言え。
> 本能寺の直後に明智光秀が征夷大将軍に任命されたことを否定できる証拠はあるか?
それと黒幕説と、何の関係がある?
> 本能寺直後の公家の日記がことごとく破棄・隠匿されてしまったことをどう見る?
「ことごとく破棄隠匿されたという」証拠を出せ。
413 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:50:36 ID:qwmXhELn
本能寺直後の公家の日記はいまだに発見されていないはずだが。
意図的に破棄・隠匿されたかどうかは別として、いまだに発見されていない。
414 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:51:45 ID:qwmXhELn
>じゃあ天皇が黒幕であると言う「確証」を出しなされ。それを出してから言え。
確証はない。だが、天皇が黒幕であったという可能性を排除すべきでもない。
415 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:53:22 ID:HdN23lAf
>>414 君は可能性を語っているのではない。「天皇が黒幕だった」という結論が先にあり、その結論を
認めさせたくて書き込んでいるだけだ。
416 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:53:51 ID:qwmXhELn
> 本能寺の直後に明智光秀が征夷大将軍に任命されたことを否定できる証拠はあるか?
それと黒幕説と、何の関係がある?
朝廷サイドから光秀に
「逆臣信長を暗殺すれば源氏である君を将軍に任命してやるよ」
との裏取引が絶対になかったとはいえないだろう。
もちろんあったともいえない。
あくまでも可能性の問題だ。
417 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 17:56:57 ID:qwmXhELn
>>415 そうではない。
「天皇が黒幕だった可能性を排除するだけの証拠はいまのところない」
ということだ。
三島暦採用問題などのトラブルも発生していた。
明智単独犯なのか、それとも明智は実行犯にすぎないのかについての
結論は現在は出すことができないと思う。
418 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 18:10:49 ID:uHwnRaV5
417
正親町天皇が黒幕だとするならば、せめて、信長を殺すに至った理由を教えてくれ?
じゃないと君の論、ここでは一方的に叩かれるのみだよ。
419 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 18:13:19 ID:dojXnpIv
>>417 「宇宙人が黒幕だった可能性を排除するだけの証拠はいまのところない」
ということも、君の論法なら主張できるなw
立証責任を転嫁する人とは、まじめに議論する価値もなし
420 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 18:17:23 ID:lrmR7fbi
昔はよくネタにはネタを、と言ったものだが
おまいらやさしいのお
421 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 18:19:06 ID:qwmXhELn
>正親町天皇が黒幕だとするならば、せめて、信長を殺すに至った理由を教えてくれ?
天皇は信長から誠仁親王への譲位をやんわりと迫られていたという説がある。
三島歴採用問題。
安土天主閣から見下される位置に「御幸の建物」を建築される予定だった。
これで信長からの強い圧迫感は感じていたと思う。
422 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 18:20:33 ID:qwmXhELn
正親町天皇がクロだったとは言っていない。
クロともシロともいえないグレーだろう、と言っているにすぎない。
423 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 18:22:06 ID:HdN23lAf
>>421 > 天皇は信長から誠仁親王への譲位をやんわりと迫られていたという説がある。
譲位は天皇側の意思であったとする「説」のほうが今は有力
> 三島歴採用問題。
朝廷を揺るがすような問題に放っていない
> 安土天主閣から見下される位置に「御幸の建物」を建築される予定だった。
そんな確証はどこにも無い。構成の人間の推測でしかない。
で?
424 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 18:25:53 ID:8//uefHO
結論からすると、光秀が信長のみか信忠をも襲撃の対象にしていたかをあれこれ
論じても、変の要因は特定できないと思う。
なぜなら、単独犯説を前提にした複合・野望・怨恨いずれを採用しても、信長の
上洛は5月29日で、この日まで信長の定宿の妙覚寺・本能寺いずれに宿泊するかを
特定できない以上、謀反の具体的作戦を構築できないから。
しかも、光秀がヒットマンを送り込むならともかく、軍隊を率いた謀反である以上
>>388が指摘する通り、機動性に制約もかかる。
加えて、保秘のため、光秀が作戦を家来に伝達したのは6月1日夕刻に亀山出陣する直前・
直後である以上、信長(親子)襲撃には種々の制約が課せられている。
結局、いずれの説によろうとも、外形的には突発的な襲撃にならざるをえないんとちゃうかな。
>>417 可能性を云々しだすから、本能寺の変の要因として50説も乱立することになった。
「小屋掛け」の件すらクリアできない朝廷黒幕説は到底可能性を論じるに値せんやろ。
425 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 18:27:19 ID:DUO9bDjC
>>418 過去レスにある。
1569のキリスタン排斥綸旨、山門押収問題。
1573の譲位に関するやりとり。
少し空いて、
1578、右大臣辞任
1579の、親王二条城移転問題、
そして親王猶子問題、
東大寺切り取り問題、
これだけいろいろあった末に「馬そろえ」
暦、安土城。
こういった問題をどう判断するか。
少なくとも信長ー朝廷緊張状態説、ぐらいは妥当か。
426 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 18:40:15 ID:DUO9bDjC
>>424 上段には同意。
補足すると、中旬の秀吉高松救援要請を入手していた可能性がある。
そこで、信長がこちらに向かうと言うのは想定していた。
それが愛宕百韻につながる。本音がポロ・・
そして動向をさぐっているとなんとほぼ無防備で京に・・
29日からモンモンといわれた人がいたが「チャンス、ワクワク、勝負」だったかもしれない。
ただ、外形的には突発、でこれには強く同意。
427 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 18:51:27 ID:8//uefHO
>>426 お〜い、また可能性かいなwww
ちなみにモンモンはオレが書いたんだわ。
あと、下段の反論よろ。
428 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:08:52 ID:qwmXhELn
> 天皇は信長から誠仁親王への譲位をやんわりと迫られていたという説がある。
譲位は天皇側の意思であったとする「説」のほうが今は有力
そうだろうか?
有力学者でその説を唱えているのはどなた?
429 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:10:33 ID:DUO9bDjC
>>427 いや、可能性、とは書いたけど、直接連絡取ってても不思議じゃないぐらいですよね。
家康饗応とかあったわけだし「近いうちそっちゃいくべ」とか。
だけど文献では確認できないから、素人だし資料なんて無い、あくまで
可能性という書き方にしておいたわけです。
それと「光秀が宇宙人であった可能性」ではないし、普通に考えてこうだったであろう
というのを可能性、と表現することはいけませんかね。
「思う」は妄想だ、じゃないですけど、そういわれてしまうと話がとまってしまって。
下段ですけど、「小屋がけ」ってあまり知りません。ぜひ教えてください。
そして、出来たら425みたいな論にご意見を。
研究者たちの本では、鈴木とか、「関係ない、重要でない」で
終わってしまうので、もう少し教えてほしいのですよね。
ちなみに、黒幕説、ではないのでご理解を。
430 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:16:43 ID:qwmXhELn
明智が二条城の信忠を攻めたとき、さすがに城であるので攻めあぐんでいたが、
近衛前久の屋敷の屋根から二条城内に鉄砲を打ち込めるということで
明智が近衛に許可を求めたところあっさり承諾され、
それから信忠軍が急速にやられだした、
とNHKのその時歴史が動いただったかで放送していた。
431 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:19:31 ID:HdN23lAf
>>430 > NHKのその時歴史が動いただったかで放送していた。
バラエティ番組を真に受けないほうがいいぞ。
432 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:20:54 ID:qwmXhELn
でもNHKだし、れっきとした学者が考証しているんだが。
433 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:24:57 ID:HdN23lAf
>>432 その学者から「自分の説と真反対の構成をされた」「インタビューを編集されて意図と違うことを言っているようにされた」
と批判されまくっている番組が「その時〜」なんだが。
今時北条早雲高齢説をやったときにはさすがに笑った。
434 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:28:09 ID:qwmXhELn
>その学者から「自分の説と真反対の構成をされた」
「インタビューを編集されて意図と違うことを言っているようにされた」
と批判されまくっている
ソースをだしてほしい。
またはもっと具体的に学者名をあげてほしい。
435 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:32:46 ID:HdN23lAf
>>434 へ?
戦国時代関係の新書とか読んでたら、そう言う記載に2回や3回は当たるだろ?
最近じゃ鈴木が自分の新書に書いてたな。
436 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:34:18 ID:qwmXhELn
>明智が二条城の信忠を攻めたとき、さすがに城であるので攻めあぐんでいたが、
近衛前久の屋敷の屋根から二条城内に鉄砲を打ち込めるということで
明智が近衛に許可を求めたところあっさり承諾され、
↑
ではこのことを否定できるだけの材料を提示できるかな?
437 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:35:45 ID:HdN23lAf
>>436 つーか、先ず先にその記事自体のソースを提示しろよ。
438 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:37:23 ID:qwmXhELn
だからNHKだって言ってる。
だいぶ前だからウェブにソースはないと思う。
439 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:40:59 ID:qwmXhELn
強いていえばこれなんかもそうだな。ただし俺は前久が黒幕とは思っていない。
ttp://www.geocities.jp/syutendoji28110/mitsuhide083.htm この説を裏付ける状況証拠として「変」から5日後の6月7日と、9日後の6月11日に前久は祝宴らしきものを開いている。
また、「変」後、山崎の戦いに勝利して入京した織田信孝は、洛中に触れを出し、前久の行方を捜している。
その理由としては、光秀軍が二条城を攻撃する際、隣接していた前久の屋敷の屋根から鉄砲を二条城に撃ち込んだ訳を問いただそうとしたからのようだ。
信孝は、前久が「変」に何らかの形で絡んでいたと見たのだろうか・・・。
これに対し、前久は信孝や秀吉の捜索から逃れ、家康を頼って浜松へ落ちのびている。
440 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:47:43 ID:qwmXhELn
441 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:49:26 ID:HdN23lAf
>>440 それは自分で否定してイエズス会陰謀説になった奴じゃないか。
442 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:50:51 ID:qwmXhELn
だから参考までに、と言っているんだが。
443 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:52:07 ID:HdN23lAf
>>442 いや、だから、その説を唱えた本人が否定した説を、どう参考にしろというのだ。
444 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:53:44 ID:dojXnpIv
では俺もID:qwmXhELnに質問だ
「宇宙人が黒幕だった可能性を排除するだけの証拠はいまのところない」
↑
ではこのことを否定できるだけの材料を提示できるかな?
445 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 19:57:58 ID:qwmXhELn
446 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:12:17 ID:p4Y/LJBf
>>445 こいつは、放っておけ。自分の頭の中の脳内真実に合うものしか、資料を見ていない。
それ以外の資料は、読めないらしい。急に伸びていると思ってみたら、こういう始末とは。
447 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:12:38 ID:nUlAbdo0
>qwmXhELn
悪魔の証明はやめろ。本気で議論する気があるのなら、議論のルールをまず学んできてくれ
448 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:20:10 ID:tqQshk+D
447
いやいや君だから。
447に人として忠告。
まず、自分と言いたい事に一貫性をもたせる。
ひとの意見を素直に聞き、了承した時は同意し、間違いを素直に認める。
そうでないと君はオウムになってしまうよ。
449 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:21:19 ID:aEN8WNbs
>>438 横から悪いが、前久の屋敷から鉄砲打ち込んだ、というのは普通に
信長公記に載ってる有名な話。
そのために前久は疑われて家康のとこに逃げ込む、とこれも有名な話。
なのでNHKとか持ち出さなくとも普通に、公記にあるまず間違いない話、
ですませてしまえばいい。
さらに言うと、鈴木真哉というのが「信長は謀略で〜」という新書を出してて
最近はこの本の影響が強い。
また立花を持ち出すと、イエズス会黒幕に話がいってしまって、
やっぱり引かれてしまう。
というわけで、朝廷関与説、まだまだ根拠はあるぞ。
450 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:22:41 ID:tqQshk+D
↑、ゴメン。445あて。
言わなくても、皆わかってると思うが。
451 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:37:18 ID:dojXnpIv
>>449 信長公記のこれか?
「か様候処、御敵、近衛殿御殿へあがり、御構を見下し、弓鉄砲を以て打入れ」
俺にはこの文章から
「近衛前久の屋敷の屋根から二条城内に鉄砲を打ち込めるということで
明智が近衛に許可を求めたところあっさり承諾され」
なんて事は全く読み取れなかったのだが、説明よろしく
452 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:41:10 ID:qwmXhELn
>「近衛前久の屋敷の屋根から二条城内に鉄砲を打ち込めるということで
明智が近衛に許可を求めたところあっさり承諾され」
ループになるがNHKでそう言っていた。
なお、明智本人が近衛本人の承諾を得たとは限らない。
明智軍関係者が近衛家関係者の承諾を得たのかもしれない。
そこまでくわしく放送していなかったが。
453 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:46:54 ID:tqQshk+D
もうわかったから、あんたはNHKの社員になれ。
454 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:53:50 ID:aEN8WNbs
>>451 こっちに話を持ってこられても困るが。
引用のすぐ後の「次第しだい無人になり」というのが
430の「それから信忠軍が急速にやられ〜」の根拠なんだろな。
明智が近衛に許可求めた、とか、あっさり、というのは
確かにテレビなんかの怪しい表現だよね。
455 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 21:17:41 ID:hK/C764m
文句を散々言いながら、構ってくんに構ってやるお前らの優しさに感涙
456 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 21:27:28 ID:dojXnpIv
>>454 だから、問題はそこなんだよね。
別に近衛の屋敷が使われてる件で、誰もソースを追及してるわけじゃあないだろう
立地的に明智軍の攻撃に利用されただけの話で、そのせいで近衛は後々迷惑した
これ自体は君が主張する朝廷関与説にはなんの根拠にもなりえない話
「明智が近衛に許可を求めたところあっさり承諾され」
なんて捉え、朝廷関与説に結びつけようとするから
「じゃあソースは?」と聞かれるんだよ
「朝廷関与説、まだまだ根拠はあるぞ。」と君も主張する以上、
なぜ朝廷関与説の根拠となりえるのか?そこのとこの説明を求めているのだが?
それとも君も「朝廷が関与しているという可能性を否定できるのか?」と返すかい?
457 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 21:37:19 ID:aEN8WNbs
>>456 よく理解できる。
近衛の屋敷の話は根拠になりえないですよね。
で、425のカキコ、こういうのが朝廷関与説というと直接的すぎるから
緊張説にしておくけど、なかなか反論等がかえってきてない。
譲位問題にしても1573では確かに天皇から言い出して信長も
許可してる。でもその後どうして譲位しなかったのか。
こういった点に関してはこのスレでもあまり語られてない。
そういったのを「まだまだあるぞ」みたいに表現した。
近衛問題に関して「まだまだあるぞ」といったのでないので
誤解招いたらあやまる。
458 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 21:47:27 ID:79YuykB7
朝廷黒幕説を聞いて不思議に思うのは…
「光秀朝廷抱き込み説」なんて言うのもあっていいと思うんだけど、ないのな。
いや、光秀が朝廷の申し出を聞いて謀反を起こす動機がわからない。まさか
光秀がまれに見る尊皇の人だったとでも言うんだろうか。
光秀と朝廷要路の人との交渉があったとするなら、むしろ光秀のほうから朝廷
に工作していたんだという説が出てきてもおかしくはないと思うが…
459 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 21:59:52 ID:WXbAQ6ri
>458
信長を捨てて光秀に味方するだけのメリットがあるか、誰も説明できないから出てこないだけだろう。
460 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 22:06:03 ID:aEN8WNbs
>>459 決して反論ではないし、自分がそう思ってるわけではない。
が、あえて言うと、信長は親王の皇子を猶子にすることによってその
外祖父になる形式を整えた。
これは朝廷側から見ると大ピンチ、自分たちの地位が乗っ取られるかも
しれない。
なので、信長を捨てて光秀を取った、という説明は可能かもしれない。
自分は決して朝廷関与説ではないのだが、対立する説どちらにも一応目は
通しておくと言うか、公平に扱いたいだけで。
461 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 22:08:38 ID:HdN23lAf
462 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 22:10:47 ID:dojXnpIv
>>457 朝廷・信長間の対立説、融和説自体はこれまでも話題にしてる人はいた。
だが対立説(緊張説)を主張するまともな研究者で、
朝廷黒幕(もしくは関与)説を主張する人は皆無。
つまり対立説自体は、一方の有力な学説ではあるが、
それ自体は黒幕説と全く別物と思って頂いた方がいい。
そこから朝廷黒幕説につなげるなら、それ以上の根拠の提示が求められる。
もし、本能寺の変とは関係はないと思うけど、対立説自体を語りたいというのなら、
それはスレの主題から逸脱することになり、ここで議論するのはあまり歓迎されない。
なので、変と関係なく対立説のみを語る、というのは自重という流れになっている
463 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 22:11:40 ID:aEN8WNbs
>>461 ふむなるほど。
では、猶子問題をどのように受け止めてます?
464 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 22:17:15 ID:aEN8WNbs
>>462 なるほど〜。
で、もう少しだけ教えてください。
6行目の「それ以上の根拠」なんですが、先にも
少し出てました、変直後の光秀への征夷大将軍の提示、さらにその後の
秀吉による追求、そして日記等で失われてるのがある、こういった問題は
事実として認められない、または重要視されない、ということで
「対立説と黒幕説をつなぐ根拠」としては認められてない、とうのが
最近の流れと言うことでいいのですかね。
465 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 22:20:07 ID:WXbAQ6ri
>463
憶測をだいぶ重ねた上で憂慮しているようにしか見えない。<猶子問題
466 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 22:27:55 ID:aEN8WNbs
>>465 ふむふむ。
十分に理解できます。
ただ朝廷さんから見ると、1569からの流れもありますし、
憂慮はしたでしょうし、憶測もした、ましてや相手は信長、
というのは決して、今現在の研究者の理屈のための理屈ではなく
当時の重大事だったと考えるのはどうなんでしょう。
467 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 22:30:45 ID:nUlAbdo0
>>463 すでに反論もでているはずだが。
何故皇太子の五男を猶子にとることが
>朝廷側から見ると大ピンチ、自分たちの地位が乗っ取られるかも
になるのかの説明がない。
468 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 22:34:56 ID:HdN23lAf
つーかID:aEN8WNbsは昨日も来て朝廷陰謀論書きまくってた奴だろ。
いい加減「信長と朝廷」のスレ立ててそっちで一人でやれ。
はっきりいってあんたの議論はスレ違いだ。
469 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 22:41:26 ID:dojXnpIv
>>464 そういうことでいいと思うよ。
征夷大将軍の提示とか聞いたこと無いんだけど、ソースわかればよろしく。
天皇が吉田兼和を通して、光秀に京の治安維持を命じたりはしてるけど、
あくまで、変の事後対応であり、政変の度に見られる類のもの。
ことさら黒幕説に結びつける必要はなく、そうだと主張するならそれ以上の根拠が求められる。
その後の追及の件なども同様。
変の事後の対朝廷問題で充分に説明できることを、
変以前からのつながりを黒幕説は主張するため、それについての明確な根拠の提示を求められる
470 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 23:05:15 ID:WXbAQ6ri
>469
>征夷大将軍の提示とか聞いたこと無いんだけど、ソースわかればよろしく。
宣下の日付まで書いているのは『明智光秀公家譜覚書』。
『明智氏一族宮城家相伝系図書』にも将軍宣下とある。
…他にあったっけ?
471 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 23:06:07 ID:aEN8WNbs
>>467 深入りしませんが、「藤原摂関政治の基礎」ですよ。
これの説明をするとスレチでいつもとまってしまってるので
残念でしたが、これは日本史や天皇家を語る上での基本
でしょう。
「説明が無い」というカキコはちょっと残念です。
どうぞご理解を。
>>468 たぶん、違うと思いますが。同じようなカキコは良くあるので
こちらも不思議と思ってましたよ。
で、反論ではありませんが、信長と朝廷に関しては変の真の理由に
触れているかもしれない。
なので、ある程度盛り上がったりするのではないでしょうか。
>>469 ありがとう。
もう一つだけ「つなぐ根拠」についてお聞きしたいのだけどいいでしょうか。
上で怒られたので気がひけますが、せっかくなのでもう一つだけお許しください。
「猶子問題」これに関してはどうでしょうか。
これは直接的な信長の意思表明、朝廷を反信長の具体的行動に結びつけるもの、
こういう考え方はどうなのでしょうか。
その後本能寺まではあっというまです。
やはり学会等では重要視されてない、ということでしょうか。
472 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 23:39:45 ID:WXbAQ6ri
>471
>343>344であれこれ語っていることを蒸し返したいのかもしれんが、
実際に娘を嫁がせて血縁関係を結んだ藤原氏と、
血縁も同居も無い猶子関係の信長は全然別物だろう。あとはスレチ。
473 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 00:07:05 ID:mlJjIGox
>>429 「小屋懸け」とは、変の混乱で京都の庶民が禁裏に入り込んで住み着いて、朝廷が「光秀クン
なんとかしてや」と依頼してのに、光秀がほったらかしにしたという公家の日記の記事のこと。
ちなみに、この問題は明智滅亡後に秀吉が解決した。
朝廷が黒幕ならば、光秀の冷淡な対応と矛盾するやろ?
おれはかつてこのスレでコテ付やった者。そこで、公武対立論者を批判しとるで。
>>470 あとは「明智軍記」、久我吉通が勅使となった記事がある。
「宮城系図」では左中将・将軍宣下の記事もあるな。
残念なことに、これらは1次史料ではない、誤謬充満の悪書。
474 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 00:51:38 ID:wVD+loqx
>>470、
>>473 ソース提示ありがとうございます。
で、これはっきり言ってどれくらいの評価受けてるんでしょうか?
ソースがいずれも明智系のものに限られ、それ以外の史料に無いというのは、
相当怪しいように思えるけど
>>471 あんまし俺の言いたい事が伝わってないみたいだなあ。
信長、朝廷間の対立説自体は、俺もむしろ支持してるくらいだよ
今谷さんの『信長と天皇』が面白かったからという、ベタなパターンだがw
猶子問題やら
>>425の諸問題で、対立(緊張)関係があって、反信長の気運もあったかもしんない
しかし、それらと明智光秀の謀叛の接点は?と言われると、俺にはさっぱりわからん
繰り返すが、対立説と黒幕説は全くの別物。
いくら両者の対立の例をあげて主張しようとも
それと明智光秀の謀叛への朝廷の関与を証明しなければ、朝廷黒幕説は成り立たない。
475 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 01:08:58 ID:8pvgfbWY
WIKIからだが
信長が譲位を要求したとする説
正親町天皇は天正元年(1573年)頃から信長にその存在を疎まれるようになる。
そして、たびたび譲位を要求されるようになる。同年12月8日の『孝親日記』に
その事が記されている。また、2年後には譲位後の御所の予定地を探していたともされた。
信長としては、儲君の誠仁親王を早く天皇にすることで、より朝廷の権威を利用しやすい
ものにしようという思惑があったようである。しかし、天皇はそれを最後まで拒んだ。
ちなみに本能寺の変に関する一説として朝廷関与説が浮上するのも、このような事情に
よるものである。
対立説の人が信長と朝廷のかかわりは全て対立を軸に解釈しているのもこれが根拠なんでしょう。
ところが、そもそも『孝親日記』の素性がよくわからない。誰か知っている人、教えてくれ。
この時代の公卿としては中山孝親が日記を残しているが、その名称は『孝親公記』。この二つは
同一のものなんですかね?
476 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 01:24:03 ID:fxkme9BR
>>474 今時今谷さんというのもいいですね。
最後は、天皇に屈服、狂って、自ら神格化、でしたか。
あの結論でそれまでの論証がふっとんでしまったような・・・
477 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 02:44:32 ID:wVD+loqx
>>475 譲位の件は『孝親公記』に書いてあるから、
wikiもそれを指した記述なんじゃないかな?
対立説の是非自体についての議論なら、
何度も言われてるように別にスレを立てるなりして、他所でどうぞ。
478 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 07:47:05 ID:9i9PVetu
邦慶親王の親王宣下は1588年だったと思うが
50近く年離れてるから即位するころには信やんは死んでると思うし
昨日から、スレのびが物凄い勢いですね。
自分等は、黒幕説に傾倒した事がなかったので、皆の激論が新鮮でした。
前スレでも何度か出た話だけど、天皇個人が黒幕って説と朝廷衆(天皇個人以外)
黒幕説って2種が混同されている気がするよ。
一つ疑問なんだけど、仮に正親町天皇個人が黒幕だった場合、光秀が秀吉に敗れたの
は誤算だったのかな? それとも信長死んで、それで良しって感じかな? どちらに
しても秀吉に関白宣下した正親町天皇はどんな気持ちだったんだろうか?
480 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 09:34:43 ID:qfUEjJga
>>474>>477 同意。
公武対立論を述べたいなら、せめて「変の要因」に関連付けて論じてくれ。スレタイに何て
書いてあるか読めるよな。
「公武対立論だが黒幕説を採用しない」主張はスレ違いだから、このスレで論じたいなら
朝廷黒幕説を立論しろよ。
>>455が言うように、このスレの住人はやさしいから、いまんとこ相手してくれてるけど、
そ の う ち ス ル ー さ れ る ぞ 。
481 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 10:32:09 ID:XRwu7GeK
479
ほぞを噛む思いだったと思うよ。
そもそも、天皇個人でも朝廷衆が信長倒れた事により、何か特があった?
482 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 10:54:22 ID:vagaDQDR
>>479 >一つ疑問なんだけど、仮に正親町天皇個人が黒幕だった場合、光秀が秀吉に敗れたのは誤算だったのかな? それとも信長死んで、それで良しって感じかな? どちらにしても秀吉に関白宣下した正親町天皇はどんな気持ちだったんだろうか?
判断力がすぐれていたと思われる正親町天皇にとって真の脅威は信長だけ。光秀・信忠・秀吉・柴田勝家の誰が次の天下人になっても皇室に危害を加えないだろうとの読みはあったと思われる。
最下層出身の秀吉に関白宣下するのは気がすすまなかったかもしれないが、天下人が形式上は自分の臣下になるわけだから痛し痒しではあったと思う。
483 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 10:59:48 ID:vagaDQDR
で、よくわからんのは必死になって天皇(または朝廷)黒幕説を否定している人は
宮内庁の工作員かなにかですか?
研究者の中にも天皇(または朝廷)黒幕説を唱えている人は複数いるはずではなかったかな?
ちなみに自分としては息子を殺された家康にも信長を殺す動機はあったと考えている。
484 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 11:01:08 ID:BHpIbT9Y
ID:vagaDQDR
少しは最近の本能寺研究を勉強してから書き込んでくれないか…?
485 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 11:37:53 ID:pnB6AJ3l
>>483 >で、よくわからんのは必死になって天皇(または朝廷)黒幕説を否定している人は
>宮内庁の工作員かなにかですか?
よーし、釣られてやろうw
黒幕説を肯定するならば、
@なんで朝廷は光秀を実行犯に指名したか?
Aなぜ、光秀は一族滅亡のリスクを上回る程に、朝廷(の1部)とシンパシーを持てたのか?
B小屋懸けの件における光秀の黒幕様への冷淡な態度を合理的に説明できるか?
C光秀の謀反に対する黒幕様の反対給付は?
この点を説明できないと、このスレでのそもそも議論の俎上に乗らへんで。
これを説明できたら、公武協調論から反論しよう。
486 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 12:52:11 ID:XRwu7GeK
483
信長殺す動機持ってた奴など、この時代、なんぼでも居ると思うよ。
ど〜も最近は朝廷論が蔓延っていて、つまんない よ。そろそろ別の方向に行こうよ。公武協調論を語る人等はこのスレ住人中でも3、4人位しかいないよ〜。
変の要素としての一部にはなるかもしれんが、あくまで一部でしかなく、話をどう膨らました所で、やっぱり一部分だよ。
487 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 12:55:36 ID:BHpIbT9Y
変とは直接つながるかどうかはわからないけど、光秀の経歴ってどの変までわかっているの?
朝倉や義昭に仕えていたりしてたあたりからは確かなんだろうけど、それ以前。
488 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 13:11:38 ID:8pvgfbWY
>>483 議論・主張で反論しれくれ。人格攻撃をするな。
>研究者の中にも天皇(または朝廷)黒幕説を唱えている人は複数いるはずではなかったかな?
いたからってそれが正しいとはならないわけで。逆に、かつて黒幕説を唱えて今は撤回した人もいる。
明確に撤回した人もいれば、ただ言わなくなっただけの人もいるが。
いってしまえば、武功夜話をまっとうな史料と主張する人はいまでも少数ながらいるけど、それで武功
夜話の史料としての信憑性が確立されるわけじゃあない。
>自分としては息子を殺された家康にも信長を殺す動機はあったと考えている。
主張は自由です。しかしその主張に説得力をもたせるには、最低限「信長が信康の殺害を命令した」説の
証明が必要です。さあお願いしますよ。
489 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 13:34:37 ID:fe+NvaUt
>>487 ほんと光秀の経歴ってわからないよな
斉藤氏に仕えていたとゆう説もあるけど
490 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 13:45:31 ID:qfUEjJga
>>486 確かにつまんないけど、つまんないのは公武対立論者が対立ばっかに力点をおいた議論に
終始して、「なぜ光秀が信長を殺したか」を全く議論しようとしないから。
特に、一部の論者は「史料中心主義」への不信があるみたいで、彼は反論に対して「可能性論」という
飛び道具で再反論してくる。
別の方向に行きたければ、なんか新しいテーマを提起して議論を誘導すればいいよ。
>>488 同意。このスレはどんな事を述べても結構ですが、個人否定だけは止めてくれ。
最近は固い話が多かったから、
>>487の言う様に光秀の過去に少し、振り返って
見ようよ。清和源氏土岐氏の支流の出ながら、生誕年月もハッキリしない光秀。
小説でしか彼の若年時は想像出来ない。朝倉家に仕えるまで、義昭に仕えるまで
相当な苦労があったと思われます。
自分等は小学校時、裏切り者の代名詞として光秀を覚えさせられた記憶が有るが、
皆さんはどうでしたか?
492 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 15:16:38 ID:9/sG7Gdt
やっぱり光秀の出世の糸口は義昭に仕える様になれた事がポイントかな〜。
でも、義昭に仕える事が出来たのは朝倉家に居たからこそだとすると、本当の糸口は朝倉家仕官か?
493 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 16:05:53 ID:XRwu7GeK
491
俺がいた学校の先生は信長厨だったから、そりゃ光秀の扱いは酷いもんだったよ。
494 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 16:26:21 ID:pnB6AJ3l
『永禄六年 (1563) 諸役人附』 に足利義輝に仕えた足軽衆として「明智」の名があるけど、この文書
は前半と後半をつなぎ合わせたとかなんとか(ウル覚えでスマソ)いってて真正文書じゃないって議論
があったが、あれからどうなったのかな?
この文書が真正で、かつ「明智」=光秀ならば、斎藤家致仕後、朝倉家仕官までの空白期間は義輝に仕えた
ってことになるんやけどな…
495 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 17:24:34 ID:9i9PVetu
疎覚え(うろおぼえ)な
うろ≒空洞
496 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 17:31:52 ID:wVD+loqx
497 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 18:28:31 ID:CSsZ8WnD
>>494 >『永禄六年 (1563) 諸役人附』 に足利義輝に仕えた足軽衆として「明智」の名があるけど、
同史料は、義輝と義昭の代の名簿が繋ぎ合わされたものであり、「明智」は後者に属する者というのが
今日の定説。
今更、そんな古い話を蒸し返さないでくれよ。
>>496 一息、入れようとしただけです。あくまで本能寺スレですから。
昨日までの勢いだと、あっという間にスレ埋まっちゃう感じだったもので。
499 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 19:56:10 ID:XRwu7GeK
497
古い話って、我々古い話しかしてないような‥。
500 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 21:58:49 ID:tndL2dVk
新しい話だが、ソーエモン覚書、とかはどうなった?
なんか、質問スレみたいで悪いが。
501 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 22:49:37 ID:5hTmXpOu
>>500 本能寺の変や伏見城攻撃など、今までの通説・定説・史料を大きく覆す内容だが、
原本消失した為、今現在は保留扱い
502 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 23:08:39 ID:tndL2dVk
>>501 ありがと。
テレビなんかでも取り上げられてて写しぐらいにあるだろうに、または
その時に紙質検査ぐらいはしたろうに、原本がないということは
なんか怪しいな。
503 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 23:22:59 ID:A5iFwMh/
>501
じゃあ、天理図書館が所蔵している「本城惣右衛門覚書」は何なの?
504 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 23:38:33 ID:I+BtPuwU
1930年1月古典籍の収集家林若樹により不明者から購入、
雑誌「日本及日本人」に発表されその存在が知られる。
林若樹死後に蔵書が処分され転売される。
1966年(1966年)天理図書館が購入、蔵書となる。
505 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 23:41:29 ID:I+BtPuwU
山さきのかたへとこゝろざし候へバ、
おもひのほか、京へと申し候。
我等ハ、其折ふし、いへやすさま御じやうらくにて候まゝ、 いゑやすさまとばかり存候。
ほんのふ寺といふところもしり不申候。
信長が家康をだまし討ちにするような不穏な雰囲気は
当時あったのかどうか疑問だが…。
506 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 00:15:37 ID:kkWRP+C2
>本城惣右衛門覚書
信長が本能寺で派手に戦ってくれないと、ドラマや映画を作っている人が困るよね。
507 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 00:20:38 ID:C+lcL60l
>506
ただし制作費は抑えられるぞw
508 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 00:24:40 ID:dm3qyj1K
>>505 変当時在京中の要人は信長・信忠・家康で、明智の兵卒は自分らが反乱軍だって思いも
よらんから、単に消去法で「いゑやすさま」がターゲットだと思っただけでね?
509 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 00:31:24 ID:kkWRP+C2
本能寺に突入してから5分〜10分くらいで信長が自刃してくれたなら
戦闘らしい戦闘はなかったのかも。
510 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 00:35:20 ID:yorX1U2D
>>505 そうなんだよね。
覚書をテレビで扱っちゃたから「家康襲撃説」
が一人歩きしちゃいそうでこわい。
で、天理図書館にあるのが写しかなにか知らないけど
出てこない以上は、ブコウ扱いなんだろな。
いやツガルか。
511 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 00:46:56 ID:C+lcL60l
>510
「本城惣右衛門覚書」なんて30年以上前に全文翻刻されて公開されてるし、
出てこないというのが何を意味しているのか理解できない。
512 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 00:55:13 ID:kkWRP+C2
当日の本能寺境内に何人くらい武士がいたのかだな。
100人くらいいれば多少は戦えたかもしれないが、
40人くらいなら戦いらしい戦いはできないでしょ。
513 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 01:15:40 ID:Wr5OF07k
514 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 01:19:10 ID:Wr5OF07k
>>510 結論言えば、信憑性を確かめる術がないから
普通、唯一の史料を持って真実と断定出来ないので、他の史料と整合性を見て史料の記述の信憑性を確認するのだけれど、
本城惣右衛門覚書はあまりに他の史料と内容がかけ離れているので、史料の信憑性を確認しようが無い
よって嘘とも真実とも言い難く、保留扱いと言うわけ
515 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 08:52:50 ID:fR5wtjFF
フロイスの日本史とは一部重複しているね。
信長の寝床のそばには意外と人がいないところとか。
でも本能寺の門にカギがかかっていなかったというのも
よくわからんが、朝になったからカギははずしたんだろうか。
516 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 13:26:16 ID:OEmG2NQy
>>514 なるほどね。
で、511への答えでもあるんだけど、内容的なものではなくて
原本自体がちゃんと偽書的なものではないかどうか、ということね。
江戸期の紙を使って昭和になって書かれたものを、江戸時代のもの
と主張とか勘違いとかよくある話。
なので、原本の一部が残ってて、大きく話題になってから
そういう原本自体がでてこない、というのは、天理側がなにかに
気づいて隠蔽とまでは言わないが、出すに出せない、とかあるのではないかと。
もちろん内容精査の前にそんな基本的なのは当然、と言われるかもしれないが
これが案外、専門分野の違いで難しいところ。
このあたりは、武功の例もあり、ちょっと疑問のもとでもあるんだ。
517 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 22:35:36 ID:Nuw2cul/
荒木村重謀叛の顛末を熟知していた光秀が安易に謀叛を起こすはずがない。
長宗我部との取次の件
対毛利、秀吉への援軍の件佐久間ら追放の件
義昭ら旧室町幕府衆の件
朝廷衆ら関与の件
京商い衆ら関与の件
上記の6件が少なからず、光秀に影響を与えた事は間違いないが、どれも決定打ではない。
光秀は石山本願寺がかたずいた辺りから、厭世的な心情に陥っていた。信長の日ノ本統一は時間の問題だと確信しながらも、まだ続くであろう戦いの日々を考え懊悩としていた。
光秀は乱破を多数雇い、信長の身辺状況を常に伺い、絶好の機会を待っていた。そして実行した。
518 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 22:41:40 ID:7CyMyOiZ
>>517 空想の前にそれを実証するものを提示しなされ。
いいっぱなしは議論にならんのだ。
519 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 23:26:22 ID:C+lcL60l
>516
わざわざ昭和になって誰かが捏造するような代物でもないしなぁ。<覚書
で、天理図書館が所蔵しているのは原本の一部、もしくは写しなの?
調べてもこれが原本で、すべてのようなのだが…。
520 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 23:48:24 ID:dm3qyj1K
>>517 >上記の6件が少なからず、光秀に影響を与えた事は間違いないが
理由よろ、特に幕府の件・商い衆の件。
>荒木村重謀叛の顛末を熟知していた光秀が安易に謀叛を起こすはずがない
これには同意。
521 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 00:15:35 ID:uJeeBdgY
>>519 そう?昭和になってもいろいろと有名な偽書が作られてるじゃん。
522 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 07:54:51 ID:ZuoRhiYA
長宗我部との取次の件
対毛利、秀吉への援軍の件佐久間ら追放の件
義昭ら旧室町幕府衆の件
朝廷衆ら関与の件 ← 特にこれがあやしい
京商い衆ら関与の件
>>517 妄想かも知れんが、案外真相に近かったりして。
信長個人の状況を警護と装い乱破達に調べさせていた可能性は高いと思われる。
524 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 10:57:07 ID:IC4VIxxr
対立説と本能寺の関連を指摘する必要がある、というけど、
「皇位簒奪等の意思をかぎとって危機を感じた朝廷」と「四国政策の変換で
危機を感じた光秀」の「利害が一致」して「両者が結びついた」というのは
ありそうだけど。
そこに「光秀最後の野心」がからんで「突発的に行動」という「複合の複合説」
はありかな、と思ってる。
鈴木本の「光秀は勤王家だったのか、朝廷に頼まれて了解する義務は無い」
とか「チクられたらおしまい」なんてのはこれでクリアできる。
荒木の件も「このままでは自分がやられる」と光秀が考えたら
逆に「ヤッテしまえばいい」ので、朝廷との関連があった時点で
もういい年だし「重臣の理解も得られる」とそれなりに判断したかもしれない。
「朝廷とのつながりの証明」は、言うまでもなく吉田なんてのはアヤシイ
どころか勅使勤めるほどの一級の人物。これと親しかったというのは
愛宕じゃないけど、それなりの京の文化人とそれなりの場所で会っていても
自然な立場にあったというぐらいのもの。
「征夷大将軍を示された」とか「秀吉が追求したという」「証拠が無い」のも
朝廷からみたら、残ってたらおかしいぐらいのもの、で
実際日記等がアヤフヤなのも、「朝廷が関与してる」と自然におもわれるぐらいの
状況にあったとも思われる。
細川への手紙で「朝廷と協力した」ことが触れられていない、というのはあるけど
今のところこのくらいが問題点かな。ただ「じゃあなんで事前に自分にも相談して
くれなかった」と細川に思われるのを考慮したかもしれない。
「細川がひがんだ&ヘソまげた」と光秀が判断してあんな言い訳っぽい手紙になったかもしれないし
いろんな説のいいところばかり集めたような「複合の複合説」だけど、
「朝廷との利害一致」が基本だから、対立説をここで語るのも
少しはいいのではないかな。
書き逃げで悪いが、あとはよろ。
「
525 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 11:46:47 ID:seV6O5kC
だから
朝廷関与厨は別スレ立てろよ、もう。
526 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 12:25:23 ID:uJeeBdgY
>>525 「本能寺朝廷黒幕(関与)説」ならここでいいんじゃないの?
>>524 仮説にもなっていないので議論のしようがない。
最低限、「信長皇位簒奪説」が仮説レベルでいいから確立されてからが大前提だそれは。
ちなみにいっておくけど、「信長が正親町天皇に譲位を強要していた」が事実だったとしても、
イコール「信長は簒奪を企んでいた」にはならないからね。
527 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 12:31:27 ID:seV6O5kC
>>526 > 「本能寺朝廷黒幕(関与)説」ならここでいいんじゃないの?
いやその、関与するかどうかって話になると、必然的に、そもそも信長と朝廷は対立していたのか?って話になって、
そっちの議論はもう、本能寺とは全く関係のない話になっちゃうでしょ?このスレの本筋とは外れちゃう。
それなら、そもそも論を信長と朝廷のスレ立ててそっちでやったほうが健全だよ。
本能寺スレで延々それをやられても迷惑だ。
528 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 12:41:44 ID:DT/s76YW
朝廷関与って話にするから揉めるのであって、公家の中で信長の行動への危機感をもった人間がいて、
光秀を煽り、それに光秀が乗っかったってのもアリと思うがね
朝廷と一言で一元的に見てしまうから、対立構造を朝廷と信長とだけに捉えてしまうのに問題あるとおもうが
529 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 12:43:41 ID:52dsLM6e
>>526 同意、
>>524はいままでの公武対立厨と違って「なんで光秀が信長を殺したか」まで一応言及している。
>>525の意見こそ筋違い。
黒幕がクロカンだろうが、高野山だろうが、「なんで光秀が信長を殺したか」まで理由を提示すればこのスレ
で語っても何ら問題ないと思うな。
>>524 鈴木の批判をかわせる点はなかなかいいね。
おれも「親王宣下すらない」五宮を「猶子」にしただけで、なんで「皇位簒奪」になるのかは?だが。
530 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 13:26:25 ID:lTIwAR7X
信長が皇位纂奪を企んでたとしよう、朝廷衆が光秀に懇願して、信長討ちを頼んだとしよう、超現実的な光秀がその名分だけで決起するはずがない。
朝廷衆が光秀に与える金銀も所領もない。
光秀が決起した複合説の中で重きをおくものは、商業拠点を中心とした畿内掌握に有ると思うがどうだろう?
531 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 13:28:26 ID:e7WeQKeV
比叡山を焼いたり
足利義昭をさんざん利用して追放した信長のことだから
皇室を追放してもおかしくないだろう、
と朝廷の誰かが考えたとしてもおかしくはない。
532 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 13:31:13 ID:e7WeQKeV
>信長が皇位纂奪を企んでたとしよう、朝廷衆が光秀に懇願して、
信長討ちを頼んだとしよう、
超現実的な光秀がその名分だけで決起するはずがない。
朝廷衆の懇願ならばともかく、
正親町天皇の懇願ならあるいは立ち上がったかもしれない。
正親町天皇は後白河法皇みたいに謀略を駆使できる能力が
あったのではないか。
533 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 13:41:00 ID:52dsLM6e
>>530 >商業拠点を中心とした畿内掌握に有ると思うがどうだろう
ソースは変後の細川宛の書状になるのかな
>朝廷衆が光秀に与える金銀も所領もない。
反対給付の検討は大切。朝廷がだせるものって、まずは官職・位階あたりだろうが、光秀に与えた形跡ないね
もしかして、光秀はケチな朝廷への意趣返しに「小屋懸け」の問題をスルーしたのかな。
何にせよ、ここらをクリアできんと、黒幕説はきついね。
>>528 信長を確実に殺し、堺を中心に京を掌握する事で、例え信忠を討ちもらした
としても、当面は自軍維持可能だと考えていた可能性はあるね。(筒井・細川組下に出来ると踏んでいた)
535 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 13:49:54 ID:fZ8zIJ6j
俺も、本能寺の変の考察に絡めた上での朝廷問題なら、なんら問題ないと思う
>>524 >「朝廷とのつながりの証明」は、言うまでもなく吉田なんてのはアヤシイ
>どころか勅使勤めるほどの一級の人物。
今谷さんは『信長と天皇』の中で
「そもそも天皇が、管領である伝奏や女官をさしおいて、
吉田社神官という、いわば民間人(神祇大副は名誉職)を勅使に起用した事実自体が注目される
このあたりにも老獪な天皇の周到な読みが見え隠れしている。
すなわち伝奏や女官では、万一の場合(事実は明智の滅亡になった)に天皇に責任追及が及ばないとも限らない。
吉田兼和の派遣であれば、民間人であることから、あとでいかようの弁明も可能である。
まこと天皇の手練手管のしたたかさに、舌をまかざるを得ない」
「まったく光秀との間に伝奏を介在させぬという天皇の方針は徹底している。
おかげで兼和は大変な迷惑である」
なんて感じで「一級の人物」でないからこそ、あえて兼和を起用したように捉えている
「民間人」なんて表現が妥当なのか?なんて疑問もあるが
536 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 15:16:07 ID:uJeeBdgY
>>535 吉田兼和は近衛に頼み込んで官職を得ている。ので、正式な公卿であり民間人といえるほど
低い身分でもない。
ただし、先祖代々公卿の家柄というわけでもないし、朝議を直接左右させたりする力は当然
ない。彼の朝廷工作は基本的に「近衛などの身分の高い人にお願いする」くらいしかない。
それからすでに指摘もあるが、公家や天皇を「朝廷」の一言で、一枚岩の同一勢力と看做す
のは間違っているから。
公家同士で争ってもいたし、天皇と公家も争っていた。仮に信長が正親町天皇にとって悪意
ある行動をとっていたとしても、全ての公家が正親町について信長と敵対する理由はない。
537 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 15:46:59 ID:52dsLM6e
>>536 >全ての公家が正親町について信長と敵対する理由はない
これには同意。
信長は公家の所領回復をやっているから、大半の公家にとっては「信長様々」やったと思う。
信長が政変で倒れたら(あるいは倒したら)、再び戦乱の世に戻って彼らの荘園もまた荒らされる可能性あるから、「そんなの勘弁してや」
って感じとちゃうかな。
>彼の朝廷工作は基本的に「近衛などの身分の高い人にお願いする」くらいしかない
確かに、吉田家は近衛家と「家礼」関係を結んでいたから、一定のラインはあるね。
しかし、吉田家の朝廷への働きかけでいうと、変前なら「禁裏による甲州陣の勝軍法要祓」の工作をしたって書状が残っているが、
これ以上の「朝廷工作」をした証拠はあるんかなぁ?
538 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 16:07:42 ID:fZ8zIJ6j
そもそも「全ての公家が正親町について信長と敵対する」なんてこと言ってる人いたっけ?
便宜上朝廷という言葉使ってるだけで、
「朝廷」という言葉が出ただけで、そう極論に捉えて目くじらたてることもないと思うが
539 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 16:17:20 ID:aY/UEymg
変の一要素。
『信長の人間性』
540 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 16:38:00 ID:seV6O5kC
>>539 まあ、信長の逸話は、正確破綻者かと思わせるようなものも実際多いからねえ。
541 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 17:41:39 ID:GNMVpT3L
>>538 確かに。
@朝廷のどの勢力が光秀に働き掛けたか?
A光秀に謀反を決意させるに足りる働き掛けの内容は?
ここらへんが知りたいな。
>>539 丹羽・林の追放理由って無茶苦茶な気がする。佐久間も高野山に追放しておいて、
「会稽の恥を雪げ」って雪ぎようがないだろw
542 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 21:00:31 ID:uJeeBdgY
>>541 林や安藤の追放理由は、表向きいっていることよりも、本当の理由を隠す為だと思う。
佐久間の場合は、高野山に隠居するか「会稽の恥を雪げ」だから。
543 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 22:15:42 ID:4/ISxuTQ
朝倉・浅井の頭蓋骨に酒入れて飲むってのは普通の人はやらないよな。
天皇がびびってもしょうがないとは思う。
544 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 22:16:20 ID:seV6O5kC
545 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 22:18:55 ID:4/ISxuTQ
信長は甲府侵攻(大虐殺)に近衛前久を連れていったから
天皇は近衛前久から甲州大虐殺の様子なども聞いていたのではないか。
546 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 22:22:28 ID:4/ISxuTQ
朝廷黒幕説というからわけわからんわけで
明確に「正親町天皇が信長を謀殺した」説といえばどうかなあ。
「足利義昭が信長を謀殺した」よりもこっちのほうが確率は高いのではないか。
547 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 22:24:10 ID:seV6O5kC
>>546 だから、どうやって?
空想だけの思い付きを語られても、何の意味も無いという事を知れ。
548 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 23:01:59 ID:uJeeBdgY
>>543 それ、史料的に確認できない、おそらく戦後になって小説などで広められた現代人の誤解。
>>545 越前や長島や伊賀と違って、武田遺臣虐殺って資料的根拠のない後世のプロパガンダだから。
549 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 23:51:26 ID:c0+0ky//
>資料的根拠のない後世のプロパガンダ
これって家康が武田遺臣の保護をしたって部分じゃないの?
恵林寺の焼き討ちなんかは記録として残ってたと思うけど
550 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 00:27:07 ID:eP3bBmZL
>>542 本当の理由を隠す意味が分からんが、知っているならkwsk
丹羽の場合は、追放の4ヶ月前に彼の家来が信長の目の前で落石事故起こして、信長が危うく怪我しかけたのを
根に持ったんだよな。
551 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 08:47:27 ID:te1G8jZN
550 丹羽?
まぁ539が言う要素は実際大きいと思う。
仮に光秀に黒幕及び協力者が居たとしても、光秀本人が信長を慕う気持ちが有るならば、謀叛など起こすはずもない。
高柳野望説を実行したなら、別だがね。
552 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 08:47:47 ID:1ckMbNbw
信長は純然たる事故は根にもたないだろ。
553 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 09:10:28 ID:nm+y5XnB
>>552 本気でそんな事思ってるのか?専制君主というものを何もわかってないな。
554 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 09:54:49 ID:YOhu31me
>>551.
>>552 丹羽氏勝のことだよ。ウィキにも落石工事の件は載っている。
>>553 同意。彼らの追放理由自体には興味はないけど、
>>542の言っていることがホンマなら
光秀が「わしもその真の追放理由に該当してる」と恐怖を感じたかもしれないし、そう
でなくても、追放理由に昔話を蒸し返した信長の執念深さに恐れ慄いたとしても不思議
ではない。
555 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 10:03:23 ID:mBmPUOir
>>554 信玄もしてるんだよね>昔話の蒸し返し
どこまで本当かは知らないが、少なくともわざわざ持ち出している。
556 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 20:40:18 ID:roj7XYjK
554
失礼。丹羽と言えば、長秀しか浮かばなかった。スマン。
やはり、最大の要因は信長の人としての在り方だね。
ノイローゼかは分からんが、精神的にも辛い所もあったろうし、これ以上、戦い続けるの嫌になっちゃってたんだよ。多分。
557 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 22:18:11 ID:xyXMdTi5
信長とかロベスピエースは高知能の基地害だろ。
558 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 22:45:24 ID:MslUkTyM
学者や研究者を含めてほどんどの人が
自分を光秀に当てはめて考えてるから
こういう議論はまず結論ありきになりがち
559 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 23:32:18 ID:dLTAaFRi
なまったのか。
561 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 01:22:19 ID:jJHU8oxi
前提に結論ありきの史料解釈は、陰謀論(黒幕論)にはありがちだから。
誘ってる?
563 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 12:23:36 ID:XoI7urkN
信長は能力のある者はその前歴・出自を問わず抜擢したのは公知の事実。
光秀はそんな信長に仕えたおかげで、あり得ないほどの出世をした。
一方で、抜擢に応えられない簗田・中川は降格、原田は改易し、平手・坂井・
森クラスでも既得権の承継を認めず、2代目はワンランク下からやり直しさせる。
そんでもって、林・丹羽・安藤(・佐久間)らは意味不明の理由(おそらく真意
はリストラ)で追放の憂き目にあった。
そこにあるのは、信長の徹底した能力主義である。
「次はオレかも…」てブルッたのは、何も光秀に限ったことじゃないが、この時期
は織田家の世代交代が始まった時期で、堀・菅屋ら若手の連中が出世街道を駆け
上りつつあった。
光秀は67歳ってことを考えると、信長の信賞必罰・能力主義から必然的に要求される
「家来として結果を出し続けること」「彼ら若手に負けないこと」が重荷になったのか
も知れない。
しかも、長年取次ぎをして手練手管を熟知し、いい結果をだせそうな四国陣の既得権を奪わ
れたのは相当コタエたと思う。
中国専従・北陸専従で一定の既得権を承認されている羽柴・柴田よりも、光秀の不安が大き
かったとしても不思議ではない。
信長殺害の要因で、「信長の人間性」を語る際に性格破綻というよりも、徹底した能力主義
を原因にしたほうが当たっていると思うな。
564 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 14:56:54 ID:VCb8RpCY
563
信長は確かに能力主義を断行したリアリストだが、同時に異端者でもあった。
変に起因する理由として、能力主義だから、というよりも、やはり信長の非情部分の人間性を問う方が適当だと思うよ。
565 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 15:13:57 ID:Fdg+KdFu
>>563-564 まあ日本じゃあ、能力主義自体が異端で、非情扱いされるしねえ
いまだに能力主義や合理主義のおえらいさんが
「人間味が無い」「人情が薄い」とか陰口言われる世界だし
当時ならなおされでしょ
無理に対立させる意見でもないと思うよ。
それよりも問題なのは、信長が言うほど「徹底した」能力主義者なのか?と言うことだけど
566 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 15:28:00 ID:jJHU8oxi
光秀はその能力主義で出世できたんだろうに。
>>564 異端者だから裏切られるのなら、尾張の相続時や元亀の滅亡の危機の時に裏切られ
まくっておわってただろ。
567 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 15:48:20 ID:1dT7dDIm
本音は優しい子なのに無理にマキャベってますって感じだな
どうせやるならレーニン並にやらなきゃ
568 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 16:41:18 ID:XoI7urkN
>>565 無理に対立させる気は全くあらへんでw
ただ、光秀だって現実・合理主義者で、その志向性のベクトルは信長と同じやったと思う。
そして、光秀も合理主義者なら、自分の変直前の自分の地位から明智家の将来を予測できただろ
って、アプローチをしただけ。
彼自身も、多くの無能な同僚・先輩を踏み台にして、ここまでの地位を獲得できたわけやからね。
上司をうまくやれるかよりも、一族・家臣にオマンマを食わしていけるかの方が現実的な問題やど思うけどな。
569 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 18:45:32 ID:VCb8RpCY
568
了解。俺も基本的には、一族家臣達の事を思ってとの行動だと思う。
光秀を美化して言う分けじゃないが、野心のみで動く武将ではないと思う。しかし反面では、なりふり構わず時勢に応じて動く合理性も持ち合わせている。
少なくとも、秀吉との出世争いが変の要素にはないと俺は思ってるが、どうかな?
570 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 10:31:55 ID:fCoit5s4
>>569 荒木の謀反の末路を眼前にした光秀は、あの時期より織田権力がより強化された天正10年には、よっぽどのことがないと
謀反に踏み切れなかったと思う。明智軍団以外の織田権力はすべて敵になるわけやからね。
よって、変の要因から「秀吉との出世争い(の敗北)」を外すのには、躊躇を覚えるな。
これが主要な要素ではないってことは賛成だが。
複合説はある意味ご都合主義的見解だが、いろんな要因がないと謀反できないって志向性には賛成やな。
もし、謀反が光秀にとって信長(親子)殺害で自己完結するものであるならば、要因は1つで十分やと
思うけどな。
571 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 11:43:36 ID:WUhAmYIO
>>570 それ以前に
>「秀吉との出世争い(の敗北)」
ってのがどこまで真実なのかという証明が。
572 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 11:48:45 ID:+yWH91Rb
秀吉は天下取ったからその辺勘違いされてるけど、変の直前でも織田の部将の中で4,5番手だろ。
573 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 12:09:59 ID:vbKn2nht
2明智
3柴田
4滝川
5羽柴
6川尻
信忠他一門は置いといて
丹羽はちょっと違う?
574 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 12:48:48 ID:WUhAmYIO
領地や軍団の規模、地位官職、信長(中央)との親密度で変化するから一概には決め付けられないが、
総合すれば羽柴はやはり三番手か四番手におちるだろうし、変直前に光秀の地位がそれほど動揺した
ような形跡も特にないと思う。
一例を挙げると丹羽長秀。
彼の領地は若狭一国で、石高も低い。与力をつけられて軍団を編成指揮したこともない(与力として
つけられる方)。
しかしだから単なる一武将かとそうも言えない。経歴をみれば安土築城奉行から官職叙任、信長から
名物拝領、また姻戚関係などなど。領地の規模では同じレベルの一国拝領した前田佐々川尻池田らと
とても同列には扱えない。
575 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 13:37:15 ID:2KlUsRb1
丹羽は遊軍というかリリーフ的な援軍仕事が多かったからな。
大負けしない無難で手堅い采配も特徴か。
576 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 13:38:34 ID:2KlUsRb1
丹羽は将軍としてよりも執政官としての行政能力を評価されていたのではないか。
577 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 14:29:34 ID:w1aLs9wl
>>572 でも、長宗我部から三好への四国政策変更は、秀吉の献策でしょ?
秀吉はわかってて光秀に喧嘩売ってたんじゃないのかなあ。
578 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 14:41:31 ID:WUhAmYIO
四国政策の転換は、別に秀吉とか信孝とか誰かの意見を入れてのものじゃあない。
三好と長宗我部、どちらが織田政権にとって有用かを天秤にかけた結果。
かつては敵対していたが現在は降伏して忠実に従っている勢力。
以前から同盟は結んでいたがさして役にもたたず、現在は自分の従属勢力を攻撃している勢力。
どちらを選ぶかとなったら、派閥による誰かの意見とか信長の性格とか関係ないだろこれは。
ただ、四国問題を本能寺の理由の一つ、光秀の地位の動揺にもってくるのは完全な間違いという
ものでもない。
厳しいことを言ってしまうと、長宗我部討伐ってのは光秀の不手際によるといえなくもないから。
(もちろん直接の一番の原因は長宗我部の対応だが)
579 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 16:31:35 ID:tgyoIlhH
四国の対応が光秀の不手際?なんで?
580 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 16:56:07 ID:0qZgVGj2
織田家に臣従させられなければ、
まあ戦国期の外交としては、究極的には失敗じゃね?
581 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 18:36:39 ID:fCoit5s4
>>578 >四国政策の転換は、別に秀吉とか信孝とか誰かの意見を入れてのものじゃあない。
>三好と長宗我部、どちらが織田政権にとって有用かを天秤にかけた結果。
これはその通りで、織田家の政策として、別に長曽我部氏と友好関係結ぼうが敵対関係に入ろうが、取次ぎである
光秀とは何ら関係ないし不手際にもならない。
また、秀吉の四国ルートはあくまで三好ラインで、このラインで秀吉が何やっても光秀に喧嘩売ったことにもなら
ないと思う。
重要なのは、長曽我部との取次ぎをやっていた光秀が、四国陣から排除された事実やと思う。
光秀が信長に反対して敵をかばう理由はどこにもないので、四国陣の大将に任命されたら、粛々と長曽我部征伐を
やったんとちゃうかな?しかし、その機会すら奪われたのが地位の低下やと思う。
>>574 >変直前に光秀の地位がそれほど動揺した ような形跡も特にないと思う。
確かに、天正10年正月に光秀と右筆筆頭の夕庵だけが、信長に安土城の貴賓室に招待されている記事があるから、
この時期に秀吉・勝家が安土不在ってことを差し引いても、この時点では彼の地位は筆頭に近いところにあったと思う。
その地位が6月2日まで不動のままだったとすると、家臣団筆頭である光秀が謀反したのは、野望ってことになるのかな?
信長に怨恨抱くいわれもなく、複合説のいう地位の低下もないわけやからね。
582 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 19:39:17 ID:qG6eaNf0
581
ほとんど同意なのだか、怨恨が皆無とは思わない。
よく怨恨説を証明したる文献や資料がないとから根拠がないと言うが、そりゃ、どの説も一緒。
むしろ信長と光秀との軋轢がないと考える方が不思議。
583 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 20:32:56 ID:tgyoIlhH
まぁ四国取次、斎藤利三関連の問題は変の大きな要素にはなりえない。
四国に関しては、悔しい思いはしただろうが光秀の失策ではないし、それにより地位低下等する分けもない。
斎藤利三に関しても彼の立場で考えれば、四国政策の関連や稲葉とのやり取りは有るまでも、変の要素となりえる状況までには至っていないと思われる。
まぁ鬱積する一因には、なるだろうがね。
584 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 20:40:35 ID:WUhAmYIO
>>579 光秀は長宗我部の取次ぎ役でした。取次ぎ役というのは、取り次がれる大名の権利を
ある程度守る義務を負いますが、それよりもさらに、織田家にとって有用な存在である
ようにあの手この手で制御というか導くというかコントロールするというか、そういう
義務も負いました。
光秀にとっては、長宗我部が織田にとって都合のいい存在であるように制御する義務が
あったということです。しかし、四国政策の転換、長宗我部討伐は、厳しいことを言えば
光秀が制御に失敗したからという面もある、ということです。
もちろん光秀だけの問題ではありませんけどね。織田からの調停案も蹴って敵対を選んだ
のはあくまで長宗我部ですから。でも、この場合に責任を負わなければならなないのが、
光秀の立場なんです。それが取り次ぎという役目なんですね。
別に光秀に限った話ではなく、例えば三好や宇喜多が何か織田政権にとって損害を与える
ようなことをすれば、取次ぎの秀吉が責任を被ることになります。
ただ念のためにいっておきますが、取次ぎ大名のコントロールに失敗したからって、即
取次ぎ役が全責任を追わなければならないとか、失脚粛清に繋がるとかそんなことはない
ですから。
585 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 00:02:09 ID:kHLIY204
584
詳細な説明、ありがとうございます。
ある意味、光秀は四国絡みでの責任を負う必要がなくなった分けですね。
586 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 03:58:51 ID:Cp/HruR8
587 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 10:49:15 ID:9Q66ap6I
>>583 とすると、変の要因の大きな要素は何?
斉藤帰属云々は光秀の勝訴なので、要素にならないってことには同意。
一方、取次ぎについては、毛利取次ぎだった羽柴、北条取次ぎだった滝川は、継続して信長から
その方面の仕事を任されている。
織田家では取次ぎは、平時は外交交渉権・戦時の合戦主導権を併せ持った慣習上の既得権
と考えるべきで、これを剥奪された光秀の地位が低下してないというのは疑問だな。
もっとも、四国問題が即謀反に直結するとは思えないので、他にも原因はあるんだろうけど。
>>584 >例えば三好や宇喜多が何か織田政権にとって損害を与える
確か、信長に無断で宇喜多家の所領安堵を請け負った秀吉は、信長の怒りを買って面会を
拒絶されているね。
588 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 11:10:53 ID:9Q66ap6I
>でも、この場合に責任を負わなければならなないのが、
>光秀の立場なんです。それが取り次ぎという役目なんですね。
天正9年の断交後に、土佐・阿波半国で手を打つって明智ー長曽我部の最後の和平交渉は失敗している。
これは当然の結果で、「四国切り取り次第」って当初の約束は、長曽我部家が織田の力を借りずに自力で達成
したものから。
とすると、光秀にしたら次は「長曽我部をフルボッコして取次ぎの役目を果たす」ことになる。
「取次ぎ大名のコントロール」は戦争まで含めたものなのに(現に秀吉は毛利氏と友好関係にあった時代から取次ぎ
をやっていて、断交後は高松攻めまで戦争という形で毛利氏をコントロールしている)、光秀はその役目を取り上げ
られたと思う。
本能寺考察Aも500を越えましたので、少し整理してみます。
以前と重複してる所も有りますが、ご容赦下さい。また、ご意見下さい。
@ 信長の身辺状況の把握。
A 本能寺周辺の情報把握。
B 主要武将の各地点在。
C 畿内掌握の一定の見通し。(筒井、細川傘下)
D 信長不在の影響。
野望、怨恨、黒幕説はあえて今回は入れていません。まず現実的に光秀
の展望が上記D項目だったと思ってます。信長の油断は当然の事ながら、
光秀も多少、展望を楽観視していた様にも思う。特に信長の影響性を。
楽観視とは、信長を殺しさえすれば、織田各将がまとまった反明智組織体制
を簡単には取れないだろうと考えていた。特に秀吉と勝家が協力して動く事
は早急には出来まいとね。自分は元々、桑田氏説支持者だから言うのですが、
人間喜怒哀楽の中で最たるものは怒りだと思うのです。怒り=怨恨とは単純
言えないけどね。
590 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 17:26:46 ID:XoejmX2U
結論
明智光秀の突発的な犯行でした
俺はおなかが空くと、嫌な出来事を思い出すんだよ
きっと光秀も同じように、急に嫌な事を何か思い出して信長への怒りが涌いてきて、謀反を決意したんだろう
その証拠に細川忠興や高山右近、筒井順慶は同心しておらず稚拙さがうかがえる
591 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 18:49:06 ID:A+LTZCLA
524です。
出張に出てて、今もちょっと時間が無くて全部はレス
読んでないけど、とりあえず「朝廷黒幕説と結びつけてどうして
光秀が変を起こしたか」に言及されていればここでのカキコも
オケでいいのかな。
で、「鈴木の批判をかわせるのがいい」と言われてうれしかったけど、
おおまかに研究者の基本的な反論をかわすというところから
まず始めたいところがある。
細かい点はそこから各論、という感じで。
529の最後の行なんかがそうだけど、これには個人レスみたいな
感じでカキコすればどうでしょうね。
「よそでやれ」と言われるとなんだが、まず共通理解につながる各論の
すりあわせというのもあまりスレチじゃないような。
ほんで「光秀との利害の一致」というのをもう少し重視する視点でどうでしょう。
誰が黒幕でも無理はあるだろうけど、最新の定説の「四国政策の転換で
光秀も困っていた」というのを重要視するなら、「他に困っていたのはいるのか」
というのから各論で入っていって、義昭とかね、そういうのをとりあえず否定して
いって、朝廷、というのはなかなか「対立説」がある以上は有力にも
かんじられるところがある。
また時間があったらのぞきます。
592 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 19:02:44 ID:F+uh41/K
稚拙な行動ではない。
戦国最大の権力者の信長を葬る事が出来たのは、光秀以外出来ない。
信長を殺す行動とその後
の状況は一緒に考えるべきではない。
593 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 20:21:15 ID:JOfe+uoL
>>588 >「四国切り取り次第」って当初の約束は、長曽我部家が織田の力を借りずに自力で達成したものから。
これはその通りなんですが、重要な点が一つあります。それは、長宗我部が切り取った領土には、
信長に従属していた豪族、信長と友好だった勢力も含まれているということです。
いうまでもありませんが、四国切り取りの約束というのは「信長の勢力圏も攻撃していい」なんて
シロモノではありません。
また、信長は「自力で達成した」部分を認めてもいます。認めたうえで、織田政権に従属するのなら
領土の割譲をしろといったわけです。信長にだって、自分に従う勢力の権益を守る義務があります。
そのあたりの妥協点が、阿波半国だったんでしょう。ここで重要なのは、信長は三好を守りつつ、
長宗我部も存続も認めようとしていることです。決して一方的にいきなり問答無用に切り捨てたわけ
ではありません。しかし、織田政権にとっても妥協できる調停案を蹴られたのなら、あとは軍事力の
発動しか残されません。信長からしたら、織田家が損をしてでも長宗我部の利益を守ってやる理由も
義務もありませんから。そして当然ですが、光秀は織田家に仕える、織田家の利益を守る立場にある
武将なのです。なんで長宗我部を守るために自分が危険を犯さなければならないのか。
594 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 20:41:56 ID:JOfe+uoL
>>587 >織田家では取次ぎは、平時は外交交渉権・戦時の合戦主導権を併せ持った慣習上の既得権
これは根拠のない、自分の推測100%な話です。
長宗我部を討伐する場合、当然ですが三好が先鋒の任を受けて派遣軍に組み込まれます。
ここで明智を派遣した場合、三好の管轄が羽柴から明智に移動することになります。これは
これで明智と羽柴の問題になってしまいます。しかしだからといって羽柴を四国に派遣は
出来ません。毛利と対峙中だし、仮に四国も羽柴の管轄にしてしまうと、その担当地域は
中国四国の全域となり、明智も柴田も抜いて信忠に並びます。
ここから想像。
明智でも羽柴でもどちらを立てても問題が生じると認識した信長は、苦肉の策として信孝を
取り立てて四国担当に抜擢したのではないでしょうか?
長宗我部と切れた明智は四国から外れる。同時に羽柴からも三好を外して、両者を四国から
外す。そして自分の息子信孝を四国担当者にして、三好をつける(養子相続)。
どうでしょう?想像に想像を重ねてますが、信孝をわざわざ取り立てて、様々な武将を付けて
急ごしらえの軍を編成するってのも、ある意味不思議な処置なんですよね。
595 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 20:43:20 ID:6awfvRt+
つーか、長宗我部は、あの時期実質信長と断交したような状況だったから、光秀とすれば担当官として
面目を潰された部分は大いにあっただろうな。
596 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 21:12:10 ID:WhkS3mQK
ところで羽柴―三好ラインって本能寺前からあったの?
597 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 21:13:33 ID:ouipEY3o
光秀と信長の性格的相違により軋轢が生まれていた事はほぼ間違いなく、変の要素としては、大きな部分をしめると思う。
598 :
596:2008/07/14(月) 21:13:55 ID:WhkS3mQK
ちなみに秀次が養子になったのは本能寺後と考えているので、
それ以外に根拠があったのかな?と思いました。
599 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 21:17:07 ID:WhkS3mQK
>>573 光秀が好きな人は光秀の地位を過大評価していますね
>>590 未だに高山が光秀の組下という説があるんですか?
600 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 21:19:19 ID:6awfvRt+
601 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 21:23:51 ID:JOfe+uoL
>>597 未だに光秀を苦労人で常識人で古典的な保守派だと思い込んでいるんですか?
602 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 21:54:13 ID:ouipEY3o
601
故事典礼に通じた教養人で何事においても、用意周到な人物だと思います。
反面、知識が先行し臨機応変な対応が苦手にも思われます。
信長公記にある馬揃えの光秀に関する記述がよく彼を評してる様に思いますが、あなたはどう思うのですか?
603 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 22:01:01 ID:v0xzYIxf
「未だに 〜 ですか?」
という相手を小馬鹿にして煽るのが、このスレの流行ですか?
604 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 22:09:31 ID:F+uh41/K
このスレに限った事じゃないが、人の意見を小ばかにするスレ多いね。
まぁそういう輩はまともに反論出来んのよ、知識ないから。だって真っ当な人は真っ当な事言うのが通でしょ。
ちなみに光秀はしたたかさも持ち合わせた策略家の側面も有るね。
605 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 22:25:37 ID:ifmMnI5f
淡路島は秀吉の担当ではなかったか?
606 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 22:33:18 ID:6awfvRt+
>>605 それも証明されちゃいないでしょ。
もしそうなら、信長は光秀はおろか秀吉も頭越しに、信孝(と長秀)に四国政策を与えた事になるね。
607 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 22:36:17 ID:ifmMnI5f
頭越しというより配置転換(コンバート)ではないか。
戦国時代の淡路島についてはあまり知らないが。
608 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 23:34:59 ID:XoejmX2U
世の中の殺人事件が名探偵コナンのように、緻密で計画性を持った犯行100%ではない
怒りにまかせて、ついカッとなってという犯行もある
光秀もそうなんだと思う
光秀は用意周到な人物の割には用意ができていないからw
609 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 00:10:08 ID:U1ZQOY45
紹巴だっけ?おかしい動きをしていたの。京都の朝廷の公家衆が主犯で紹巴を連絡役にしていたって話。否定されているのかもしれないけど、個人的には一番信じたい説です
610 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 00:18:00 ID:blrICB8/
>605
淡路島を攻めたのは秀吉と池田恒興とあるから、担当という訳ではなさそう。
611 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 02:52:24 ID:V2v76eY0
>>594 >どうでしょう?想像に想像を重ねてますが、信孝をわざわざ取り立てて、様々な武将を付けて
>急ごしらえの軍を編成するってのも、ある意味不思議な処置なんですよね。
武田氏制圧を終えたことにより、四国や畿内を巡る織田政権内の派閥抗争が表面化したってことでしょうね。
長宗我部との外交ルートが明智氏
三好秀次からのルートが羽柴氏
三好信孝からのルートが織田氏
長宗我部氏に土佐と阿波の領有のみを認めるという点は、明智氏、羽柴氏両者の体裁を踏まえた処置だったんだろうけど
これが蹴られた事によって明智氏の面目はつぶれた。
羽柴氏にだけ肩入れさせるわけにも行かないから、信孝を養子にいれる事にした。
ってところじゃないでしょうかね。
612 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 03:18:17 ID:AlKY6CLr
いい感じに谷口の黒幕説否定がまとめてあったので
ttp://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-124.html 3,黒幕説の徹底批判
とくに朝廷黒幕説と足利義昭黒幕説が成り立たないことを、詳細に論じて葬り去っている。まことに小気味よい。
たとえば、朝廷黒幕説に対しては、
「一口に言うと、朝廷関与(黒幕)説は、先入観に導かれて史料を曲解するところから生まれた説といえるだろう」
足利義昭黒幕説に対しても、「(鞆幕府の)その勢力や権威を光秀が信じていたとしたら、もっと義昭を表面に出して
味方を募ったはずではないだろうか」と拙著と同様の立場であり、光秀が義昭を「謀反当初から担ごうという意図は
なかっただろう」とも指摘している。
南欧勢力黒幕説に対しても、実に詳しい批判がある。そして結論として、
「そもそも、計画通り信長を討たせ、さらに秀吉を動かして光秀も討たせるなどと、まるで将棋を指すようである。
金力もない、兵力もない、日本国内での仲間も限られているイエズス会が、卓上で駒を動かすように日本の政治の
中枢を操るなど、できるはずがないであろう」
そして、黒幕説全般に共通する点として、
「結論のほうがはじめにあって、史料をその結論に合わせて曲解してしまう、ということである」と手厳しい。
黒幕論者たちはこの批判にどのように反論するのだろうか。
そして谷口氏の結論は、諸説のなかから成立しないものを順に消去した結果、残ったのが、次の3点だという。
@天正10年5月の信長による光秀足蹴事件
A斎藤利三の一件(稲葉家との相論)
B四国対策をめぐる対立
しかも、この3点はつながっていると、谷口氏は結論している。
視点や方法論が異なりながら、結論はほとんど拙著と同じものになっている。
ほかにも、拙著では触れなかった「本願寺教如黒幕説」をはじめとした、種々の黒幕説をすべて撫で斬りにしている。
とくに、谷口説で興味深いのは、光秀67歳説を積極的に主張していることである。これは谷口氏の年来の持説であり、
『当代記』に基づいている。55歳の通説が俗書の『明智軍記』にある光秀辞世(あのような死に方をしたのに辞世が
あったとは考えにくい)を根拠にしていることより、はるかに信頼できる。
付け加えれば、拙著では紙数の関係で書かなかったが、光秀は目が相当悪かったのは確実である(いくつか
史料あり)。これも67歳説を補強しているかもしれない。
613 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 03:20:52 ID:AlKY6CLr
>>611 > 三好秀次からのルートが羽柴氏
秀次が三好の養子に入ったのは本能寺の後と断定していいと思うよ。
少なくとも本能寺前の秀吉に「三好ルート」なんてものは存在しない。
614 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 03:28:18 ID:kNbowsAU
光秀は偶然に巡ってきた機会を逃さなかっただけなのか
それとも
軍事的空白とでもいうべき京周辺の状況を作り出すよう工作していたのか
は議論された事ありましたか?
615 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 03:42:53 ID:AlKY6CLr
>>614 偶然の要素が強すぎるから、工作してあの状況は作れるものじゃないよ。
616 :
上総介:2008/07/15(火) 06:25:27 ID:9T6q5noH
急に入って申し訳ないけど、俺は朝廷が黒幕と思う。
右大臣を辞任して左大臣も辞退、三職の返事もあいまいな信長に
天皇や公家衆が将来を危惧して織田政権で唯一尊王の光秀に密勅を下した!!
と思う。
617 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 06:41:13 ID:PgehBVNq
>>604 歴史研究に性格分析を持ち出す方がどうかと思いますよ
618 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 07:08:23 ID:rBZYj2qP
616 名前:上総介[] 投稿日:2008/07/15(火) 06:25:27 ID:9T6q5noH
急に入って申し訳ないけど、俺は朝廷が黒幕と思う。
右大臣を辞任して左大臣も辞退、三職の返事もあいまいな信長に
天皇や公家衆が将来を危惧して織田政権で唯一尊王の光秀に密勅を下した!!
と思う。
朝廷が黒幕の可能性は低いと思う。
あるとすれば正親町天皇の個人技による信長謀殺。
619 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 09:44:54 ID:SpK5vE5s
>>594 >明智でも羽柴でもどちらを立てても問題が生じると認識した信長は、苦肉の策として信孝を
>取り立てて四国担当に抜擢したのではないでしょうか?
これはあなたがいう通り、推測100%の話。
神宮文庫文書によれば、以前から信孝は四国陣をしつこく信長に希望している。
信孝が甲州陣で木曾氏調略をした文書が残っているが、信長はこの時の信孝の手柄を評価して希望通り四国陣の大将に任命しただけ。
これは信孝を三好氏の後嗣にしたいという信長との利害が一致したからで、苦肉の策でもなんでもない。
確かに、四国派遣軍は急ごしらえの雑軍で不思議は不思議だが、これは中核となる信孝の身代がたった5万石(「当代記」)であることからすると、
信長が雑軍を組織してまでこんな小身の大将の任命をごり押しした傍証になるのではないか?
>>610 平定後に黒田・池田両軍は淡路から撤兵しているね。
変当時は矢部が淡路上陸命令をうけていることからすると、淡路国はだれにも拝領されなかった
んかなぁ
620 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 11:58:03 ID:kNbowsAU
>>615 光秀に限らずともだれかがあの状況を作る工作をしていた
痕跡らしきものがあれば計画的謀反の傍証になるんだけどね
信長父子がたまたまエアポケットに嵌っただけというのが真相だろうなあ
621 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 13:06:58 ID:SpK5vE5s
>>594 >これは根拠のない、自分の推測100%な話です
取次の役割については、単に高柳の受け売りなんだが、「推測100%な話」といっているのに論拠が全く示されていないね。
確かに、上杉取次の友閑や北条取次の夕庵など、もっぱら外交に専念する取次はいるけど、取次の仕事がもっぱら外交で合戦まで引き継がないって
論拠・事例を示してくれ。
四国問題は複合説では重要な論拠になるだけに、あなたの取次の解釈は興味あるね。
622 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 15:56:04 ID:SpK5vE5s
>>594 レスの文意を「取次への批判」やと思いきり勘違いしとった、スマソ。
>>621のカキコはスルーして。
ついでに、自分の推測100%な話をひとつ。
秀吉は淡路や阿波にも派兵していて、「秀吉は中国派兵軍の大将しとんのに、四国にまで派兵するのは軍功の荒稼ぎちゃうか?」
と思ったのですが、これらの派兵は瀬戸内の制海権を掌握し、対毛利との戦を有利に進めるためのやむを得ない軍事行動
だったのではないでしょうか?現に秀吉は、この時期に村上水軍の調略を進めています。
また、中国大返しにおいても、淡路に分隊を派兵して明智方の菅達長を攻撃しています。
秀吉が四国に出しゃばった様に見えるのも、結局は瀬戸内の制海権把握のためだと想像します。
623 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 17:28:46 ID:2xW7bVuu
>>612 さんきゅ。
なんだけど、谷口本はちょっとはしょりすぎ。
「史料を曲解」と言ったって、そういう根拠の人もいれば、かなり鋭い指摘を
する説もある。
鈴木もなんだけど、おかしな根拠の「黒幕説」を否定するにはいいのだけど、
ちゃんとした「黒幕説」の否定にはあてはまらない部分も多い。
このスレで見かける対立説の根拠なんかには、谷口も鈴木も触れてないと思うし。
もちろん堀や桐野もね。
だもんで、ここでいいのなら「対立説」の最新バージョンをつきつめてほしいと
思うのだよね。いつもおかしな反論がかえってきて、対立説を言ってる人はすぐに
いなくなってしまう。子供のチャチャは大人は相手しない、って感じで。
今は四国政策の話を普通につめているから、もう片方の対立説も成立すれば
「光秀と朝廷の利害の一致」そこに「光秀の野心」で「突発的に犯行」というのが
かなり真実に近いような。
いいところまではきていると思う、本当に。
624 :
冬広:2008/07/15(火) 18:01:50 ID:z0HpYnIj
>>623 また来たか。可能性論だけは勘弁してや。
625 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 18:03:12 ID:AlKY6CLr
だから朝廷論やりたい奴は自分でスレ立ててそっちでやれよ気持ち悪い。
626 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 19:04:56 ID:2xW7bVuu
>>624 そちらこそ、高柳、今谷あたりからちゃんと読んでおかれたほうがいいと
思うよ。
なんか堀を1冊読んだと言ってそっから引用されてるのにはびっくりした。
627 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 19:53:58 ID:uG+H7ZnT
>>626 むしろあなたが中世史全体(特に朝廷関係)の本を読むべきだと思いますよ
628 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 20:09:14 ID:p1YtpfCm
朝廷はない。
光秀の突発犯行?はおかしいな。
周りに織田勢力がわらわらいる。
信忠だって討てるとは限らなかった。
なら、信長勘違い自殺説を取るか。
629 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 20:19:39 ID:2xW7bVuu
>>627
例えば藤原摂関政治とか義満の行動とかを知ってれば
「猶子問題がどうして皇位簒奪につながるのかわからない」
とか「そんなに重要かわからない」とかそういうレスはかえって
こないはずです。
今の自分たちがどう思うか、ではなく「当時の朝廷がどう判断したか」
が重要だからですね。
決して非難しあうのが目的ではなく、そういった面から語り合いたいのですが
「可能性論はやめてや」と言われると話が進みません。
その「可能性の重要性」の説明から始めないといけなくなって
どうしても、よそでやれ、になってしまいますよネ。
なのでタイミングを見計らってそういう「共通理解のある方」に
レスするようにしてますが、やっぱりすぐにとまってしまう。
ま、急ぐわけでもなし、ゆっくりでいいのですがね。
ちなみに最近は鈴木本を皆さんが読んでおられるようなので
その批判をかわすことから初めてます。
なんだけど案外桐野、京子ちゃん、小和田あたりの論を知らずに
ただ鈴木本に書いてあったから、みたいな論調が多いのでどうしてもズレてくる。
というわけで、「金持ちの社長の女孫が変な男に夢中になったら」
当然、「財産目当てか」とか疑うわけで「親王の子を猶子にした」というのが
「どのくらい重要か」はご理解してほしい。
そうすれば、変に直接関わる話で、決して、気持ち悪い、とか、もう来るな
なんてレスにはならないと思うのだけど。
ごめん、いっぺんに書いたからまた厳しいこと言われるだろな・・
630 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 21:03:02 ID:shxuC4SW
>>628 秀吉&光秀の突発犯行でいいんじゃない
さすがに光秀単独行動でことを起こしてたら
計画性なさ杉
細川筒井が裏切ったってーのは
事前に裏で誰かが操っていたから
631 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 21:06:32 ID:+aALiqCa
幕臣の細川は、朝廷にも相当の人脈があったらしいな。
632 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 22:00:37 ID:97s6smGj
>>629 藤原摂関政治は天皇家と一体化であって、簒奪ではない。
何故義満の事例と同列に並べるのか判らない。
>今の自分たちがどう思うか、ではなく「当時の朝廷がどう判断したか」が重要だからですね。
まことにその通り。あなたのこれまでの主張からは現代人の知識と常識から解釈された
思い込みが多々見られます。
当時がどういう時代だったのか、それまでどういう時代だったのか。当時の人がどう考えていた
のか。是非学んでから発言してください。
633 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 23:17:31 ID:LXyQlBNX
>>628 信長さえ討てば何とかなると思ったんじゃないか
俺は光秀の発作的突発的犯行だと思う
津田信澄、細川忠興、筒井順慶も味方になってくれるとあどけないほどに信じていたようだから
実際、近畿にいた丹羽・池田・蒲生・信雄は光秀と戦えなかった
634 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 23:39:15 ID:rOOqYe/p
>>633 機内を掌握して征夷大将軍の宣旨でももらって、
各地に遠征している織田諸将の軍を立ち枯れに
するつもりだったんだろうか。
滝川一増みたく。
635 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 00:39:28 ID:xCCLPxhU
当時の倫理観で「主殺し」というのはどうだったのか?
を考察、検証した文献など御存知でしたら教えて下さい
636 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 08:35:18 ID:t4RuYOC4
>>634 確かにそういう淡い期待は光秀にはあったね。
紆余曲折様々有るが、とにかく光秀は信長を殺したかった。その動機は他者からの口入れではなく、彼自身の判断。
天皇から何を言われ様が他者からの口添えがあろうが、根本的な光秀自身が信長を殺したかった。
637 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 10:45:56 ID:i5t6NagU
>>626 学会論文の類はいざ知らず、公武対立論に真正面から批判を加えているのは堀で、桐野・谷口
は著書でその論を引用してるだけ。高柳は公武論に全く触れていない。
君こそこれらの本を読んだのか疑いたくなるようなレスをするね。
たくさんの本を読んでも論が緻密になるわけではないが、
>案外桐野、京子ちゃん、小和田あたりの論を知らずに
>ただ鈴木本に書いてあったから、みたいな論調が多いのでどうしてもズレてくる。
は君の独善的な思い込みと知れ。
638 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 11:58:49 ID:d+m9FLXM
>>632 禿同。
仮に摂関政治が皇位簒奪の例だったとしても、その前提として信長の娘が入内し男児を出生する必要があり、
その大前提として信長の娘が入内しなければならない。これが摂関政治の「基礎の基礎」。
史実では徳川秀忠がこれをやったから、信長がこれをやるのに障害はない。
なぜ藤原摂関政治が崩壊したのか、ちょっと考えればわかる話なのにな。
次に、義満の皇位簒奪の傍証として息子の義嗣を親王なみに元服されたことがあげられるが、信長の息子・孫で
このような元服をした者はいない。せめて、五宮を養子にしてかれが親王宣下を受けていればこの論は成り立ちう
るが、このような事実もない。
どうせ、
>>629は皇位簒奪の第1歩とか言うんだろうけどね…
639 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 15:50:28 ID:z2S2YFML
そもそも黒幕っていうけど、義昭や近衛や吉田神社に光秀をロボットのように操作する力なんてない
640 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 16:32:38 ID:qSMKFEqv
>義昭や近衛や吉田神社に光秀をロボットのように操作する力なんてない
正親町天皇本人ならばどうかな?
641 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 17:01:49 ID:0DGWK42L
>>640 そもそも天皇個人がそれほどの力があるのなら、戦国時代にならない。
光秀は叩き上げの人間で苦労して太守を預かる身になった分けで、いくら
天皇とはいえ、鶴の一声で、信長殺しを決断するとは思えないけど。
642 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 17:12:04 ID:EcgLUtaY
が、光秀が主君殺しの汚名を背負ったまま独立するとも考え難い。
天皇なり将軍なりを立てるつもりはなかったのかな?
643 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 17:15:33 ID:qSMKFEqv
明智が実は征夷大将軍に任命されていたんじゃないかという憶測もあるなあ。
公家の日記が破棄されているのもあやしい。
644 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 17:36:45 ID:Cp2ynN1n
>>638 629じゃないが、妄想的質問で悪いが、信長が娘を入内させようとする
動きがあった、とか、察した、から突発的に変に結びついた、というのは
どう?
もちろん文献なんかはないだろうけど、次に信長がそういう行動に
出たであろう、なんて629は言う気がするもんで。
同じように、信長が五宮を親王宣下する前に朝廷が動いた、みたい
なのはどうだろ。
皇位簒奪の過程の真っ最中だった、と言われると、あんたの妄想だ、ぐらいしか
反論できないもんで。
よろ。
645 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 17:52:27 ID:/y3vOSvA
信長のような強力な後ろ盾が出来たら朝廷も大喜びだろうよ
646 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 18:01:06 ID:i5t6NagU
>>642>>643 もし、そういう事実があったとしたら、組下すら掌握できずに八方塞がりだった光秀は、書状で絶対に「将軍・天皇カード」を使うと思う。
しかし、かろうじて将軍カードを使ったと思われる文書は偽書説が有力な小早川宛文書。
また、改竄前の「兼見卿記別本」には、光秀と謀反の存分を語り合った記事があるほど親密な吉田が、最大のビッグニュースである
光秀将軍任官の記事を記していない。
憶測は憶測の域をでないと思うけどな。
647 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 21:15:19 ID:z2S2YFML
>>643 光秀が征夷大将軍になるなら、現役の将軍だった足利義昭を解任しなくちゃいけない
その痕跡はない
また光秀は毛利家と親睦を深めようとしており、毛利家が奉戴する義昭を否定するとは考えにくい
648 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 21:34:22 ID:SMunyL/A
変後に征夷大将軍を任命しようとしたらその前に
あっさりやられてしまった、とか。
それに実際そういう動きがあっても秀吉の追求を
恐れて証拠隠滅を図って、それが公家日記のあやふやに
つながってる、というのもあったな。
三職推任の時にも、義昭はまだ将軍の地位にあった、という
論もあったけど、やっぱり無視されてたわけで647みたいな
義昭解任の痕跡が無いから光秀も云々というのはちょっと
中途半端な反論にも思える。
649 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 23:42:45 ID:z2S2YFML
実際に将軍宣下されたら義昭は解任されるわけだから何らかの痕跡は残るんじゃないか
650 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 23:52:41 ID:qvfFlJuP
将軍宣下は出典が
・『明智光秀公家譜覚書』
・『明智氏一族宮城家相伝系図書』
・『明智軍記』
という時点でなぁ…。
651 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 00:48:44 ID:TQ2fxwfC
何せ、将軍解任なんてのは例がないからな。
朝廷側はもう足利のことなんか忘れてたりして。
だから、宣下された、というのではなくて落ちついたら
ゆっくりと将軍宣下の予定だった、みたいなほうが
話がすっきりする。
そうなると、朝廷密約はなかった説もまた別の論理で
朝廷と光秀の関係のなかったことを説明することになる。
話が進んだかな。
652 :
上総介:2008/07/17(木) 05:19:32 ID:Z2xrVsuE
いや、将軍宣下はあったと思う。誰が首謀者かはわからんけど密勅で。
だから伝奏に正式な公家ではない吉田兼見が使われた。
で、本当に光秀が畿内を鎮圧・安定できれば正式宣下だったがあっさり
敗退したので史実や書類等の証拠を隠滅した。だから兼見卿記も本能寺前後
のページが破られている。
653 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 07:43:22 ID:5g95ZVCp
>652
「証拠が無いのが証拠」という典型的な陰謀論だな、それは。
654 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 08:03:58 ID:4X96uyuK
朝廷は「信長が望めば征夷大将軍にするよ」と断言しているわけだから、
事実上義昭は離職状態と見ていたのではないか?
655 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 08:04:55 ID:4X96uyuK
正親町天皇は岩倉具視みたいな謀略の才能があったように思う。
656 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 08:14:46 ID:dHDYZa2x
もし黒幕論が成立するとしたら、前後の状況から考察するに光秀は
1.協力してくれない陰謀相手のことを窮地に陥っても罵りもしなければ公にもしない義理堅いお人好し
か
2.そもそも自分の行動が唆されてのものだとも自覚できないほどのお間抜け
としか言いようが無い。
657 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 10:16:53 ID:hjhXyy8h
>永禄12年(1569年)には伊勢国司である北畠具教も降伏させ、
次男・織田信雄を北畠氏の養子として送り込んだ。のち具盛は幽閉され、
北畠一族は殺害されている。
天皇はこんな感じで皇室を乗っ取られてはかなわんとの危機感を持っていたのではないか?
憶測ですまんが。
658 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 10:46:06 ID:dHDYZa2x
>>657 天皇が仮に危機感を持ってたとしても、そのことと本能寺の変の間には深くて暗い溝がある。川だったかな?
659 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 10:59:03 ID:q86cL6uf
>>658 川ですな。
誰も渡れぬ川なれど、エンヤコラ今夜も船を出す
660 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 13:08:42 ID:Qbeea8za
光秀は自分が将軍になるくらいなら、義昭を立てると思う。
光秀が将軍になれば、義昭を抱える毛利と対立するし、
対信長で同盟していた毛利と長宗我部の間まで微妙になる。
長宗我部は明智につくだろうし。
義昭立てたら、明智・毛利・長宗我部で同盟組めるし、上杉も乗る?
これなら、羽柴や柴田たち織田家残党の各個撃破も可能だろう。
661 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 13:56:26 ID:oWBRhxVK
>>656 そういう反論は結果論的意味合いが強くないかな。
変自体、は完全に成功してる。
別に光秀が朝廷にだまされた、とかそういうんじゃなくて
意表をついてワンチャンスで信長を暗殺してる。
信長本人も想定外だったわけだし。
これは重視したい。
細川とか筒井の問題はまた別に論ずるべきかもしれなくて、
ただ秀吉があまりにすごかっただけ、もし毛利に追撃かけ
られたり、四国で足止めくらってたら光秀が中央をまとめてた
だろう。
実際に柴田も滝川も丹羽もすぐには動けなかったわけだし。
変自体は成功してる、というのをちょっと軽視しすぎ、
ほんでその後の動きを結果論で「準備不足」とか光秀を軽視
しすぎにも思うな。
662 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 14:53:59 ID:yOiAtmtV
>>661 変というのをどこまで持っていくかだなそれは。そして光秀の動機にも関わってくる。
光秀が私怨で行ったのなら、信長を殺した時点で変は成功。その後のことはその後のこと。
しかし動機が野望なり黒幕による別の目的があったのなら、信長殺害は手段というか手順の
1タームに過ぎない。
で、朝廷でも義昭でも本願寺でも南欧勢力でも、光秀が信長を殺した後に協力した形跡が
見当たらないというのが、黒幕説の致命的な問題。
これは光秀使ソウ説でも同じことで、光秀が敗滅すれば自分達の身も危険になるのだから、
積極的に光秀を支援しなければおかしい。なのに光秀が畿内を押さえようとしたときも、
足をひっぱるということもないが、後押しした形跡も全くない。
それとは別に疑問が一つ。朝廷黒幕説でよく公家の日記に改竄隠滅の疑いが出されるが、
よくよく考えると、そういった自分が関わっている、知られたら破滅確定な陰謀を、少し
でも匂わせるような記述を、わざわざ日記に書き記すってありえるのかね?
あるいは陰謀計画を紙に残すことがあったとしても、そんなことをわざわざこれまで何十年
と続けてきた日記に書いてくなんて、自分なら絶対にやらない。
663 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 15:34:17 ID:WFIggpty
公家の世俗的な配慮のなさというか
処世の下手さも計算に入れておいたほうがよい。
幕末の薩長の志士も
「公家は変節する」と警戒している。
664 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 15:51:09 ID:KTNieSch
>>635 フロイスの著書「日欧文化比較論」に
謀反は日本ではよくある事で、あまり批難を受けない みたいな表現がある。
フロイスの表現は大げさな表現がしばしば見られるから鵜呑みには出来ない。
しかし戦国期の朝倉宗滴や藤堂高虎の残した家訓や武士道とは、
江戸中期以降の「清廉潔白に主に忠義を尽くす事を第一」とされたものとは違うようですね。
5千円札の新渡戸稲造の『武士道』は現代人の抱いている武士道の根源とされているものです。
菅野覚明 『武士道の逆襲』
佐伯 真一 『戦場の精神史 ~武士道という幻影』
などはそれらのアンチテーゼとして武士道の価値観の違いを提唱してる。
665 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 16:42:16 ID:Ui+05jCn
戦国期と江戸期の武士道はまるで違うでしょうね。
主君をコロコロ変える輩と主君に殉じた者が同じはずがない。
666 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 17:29:25 ID:r0Rert0V
>>652 >だから兼見卿記も本能寺前後のページが破られている。
寝言ですか?「兼見卿記」に別本と正本があるのも知らないのか。
>>662 >わざわざ日記に書き記すってありえるのかね?
同意。
晴豊記の信長討ち談合衆の件やな。
こういう素朴な疑問もクリアできない黒幕・関与説は致命的な欠陥があるな。
667 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 17:34:07 ID:dHDYZa2x
>>661 何を言ってるんだ?
黒幕論の問題点が、
・黒幕とされる勢力が光秀に協力した形跡がほとんど見られないこと
またそれに対して
・光秀が非難してないこと
にあることを改めて指摘しただけだよ。
変自体の成功云々は関係ない。
668 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 17:41:28 ID:dHDYZa2x
>>666 そうだね。そもそも日記に陰謀に関する件を記すことなんてあるのかねえ?という素朴な疑問。
例えば変とは関係ないが、光秀陣営と接触した記述があった→なんか秀吉が光秀に協力者がいたんじゃないか?といって公家衆を疑いだした→いちゃもんつけられるのが怖いのでそういった記録を破棄したあるいは改竄した。
こう考えれば別に不審とするに当たらないんだが……
それと日記といっても必ずしも毎日毎日書き綴っていたわけではないんだよね?
669 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 18:03:03 ID:r0Rert0V
>>669 その好例が「兼見卿記」。
改竄前の「別本」は6月12日に絶筆になって、光秀と朝廷・兼見との関与を窺わせる記述を排除して
1月分から書き直したのが「正本」。
後世に両方とも残ったお陰で、どこを改竄したのか一目瞭然になったよね。
「晴豊記」は4月から10月分まで欠損していて、1970年代にその部分が「天正10年夏記」として発見
されている。
670 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 21:36:02 ID:sn0wUQes
光秀は「京都の主」になったわけだから公家との接触はあっただろう
ないほうが不自然だと思われ
671 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 22:28:29 ID:yOiAtmtV
天正以降、信長は京に村井貞勝をおいて行政・朝廷交渉の一切を任せた。
つまり、言い方が悪いが織田政権において朝廷の管理は村井が担当しており、
光秀の出番はない。
もちろん彼の支配地は北山城にあり、個人的な付き合いはあっただろうが、
公的な信長との折衝では光秀は関わっていない。その付き合いも、吉田のような
低いもので、もっと上の、朝議を差配するような大物との付き合いは見られない。
そういった存在は信長と直接付き合うから。
変以降は、光秀が京の支配者になったのだから、朝廷や公家が自分達の扱いがどう
なるのかと接触をしただろうことは当然の動きで、自分達を認めてもらうために
光秀にある程度便宜を図っただろうこともありえる。ただし、それだからといって、
その公家が事前から光秀と組んで企んでいた証とはならない。むしろ、事変後に
そんな接触交渉があったというのは、事前に取り決められていなかった、加担して
いなかった傍証にもなりうる。
ただし、光秀敗滅後に乗り込んできた秀吉や信孝からしたら話は別で、当面の敵で
ある光秀に何かしらの便宜を図ったというのは、光秀に与する証とも取れるわけで、
そのあたりを調査するのは当然の動きでもある。
例えばの話。細川家が変に(事前から)関わっていないことは史実としてほぼ確認できる。
ただしそれは後世の視点であって、光秀敗死直後には断言できることではない。だから
当然、秀吉からの調査は受けた。しかし秀吉から調査をされたからといって、それが即ち
「細川家が変以前から陰謀をしっており、加担してた」ことの証明にはならない。
これは同じ立場で、光秀死後に秀吉の調査を受けた公家たちにも言える。
672 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 00:15:25 ID:Di29QUC+
>>671 オレも以前同じ趣旨のカキコして「短絡的」ってたたかれたけど、「光秀の朝廷の太いパイプ」ってイメージは幻想だと思う。
多分、以前京都奉行をやったとか、公家の荘園所在地に所領を持っているとか、京都馬揃えの奉行やったとか、有職故実に通じた
とか、そこら辺の事実からそういう光秀の虚像ができたと思っている。
吉田兼見って所詮は吉田社の神主で、公家ではないんだよね。
673 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 00:27:01 ID:zdWOGiYv
>>672 吉田兼見は秀吉が死んで豊国大明神造った時に、吉田社に1万石与えられて、
京都の市民から
「太閤は死んで神になられた、吉田の神主は(ようやく)人(がましく)におなりになった。たいしたものだ」
って馬鹿にされてたりするw
大中臣氏に何の不満が
675 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 01:04:25 ID:15Qmd4HV
>>_672
671とのカキコは基本的でこのスレ的には重要。
ただ、吉田のことを「所詮〜」はいただけない。
535〜537ぐらいを確認しておくれ。
吉田は公家にはなってるから。
673もそうだけど、短絡的すぎる。
「アヤシイ」なんてのは、問題外。
そういう巨視的に見て、「光秀ー朝廷、利害一致説」は
まだ否定されてない。
676 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 01:06:45 ID:zdWOGiYv
>>675 否定されてなきゃ肯定されるわけじゃない。
宇宙人が光秀を操って信長を攻撃したと言う説も「否定」は出来ないぞ。
677 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 02:51:34 ID:TNLTeKuW
愛宕百韻は最初の3句ばかり強調されるけど、他にも見るべきところがある
いとけなきけはひならぬは妬まれて
といひかくいひそむくくるしさ
度々の化の情はなにかせん
たのみがたきは猶後の親
泊瀬路やおもはぬ方にいざなわれ
深く尋ぬる山ほととぎす
一応は恋愛の情みたいなものを歌う句なんだけど、謀反の心情をもろにかたってるわかりやすい部分でもある。
>いとけなきけはひならぬは妬まれて
>といひかくいひそむくくるしさ
>度々の化の情はなにかせん
は光秀が信長に妬まれることがあっても背くには良心の呵責があること。
それでも度々の仇の情によって実行する事。
>たのみがたきは猶後の親
この部分の紹巴が詠んだ部分の割りに句のつながりが悪い。
正親町天皇の事を指してる気もするけどどう捉えますかね?
>泊瀬路やおもはぬ方にいざなわれ
泊瀬というのは天皇家古来の葬送の地。つまり死地にいざなわれるということ。
>深く尋ぬる山ほととぎす
一見意味が解らないかもしれませんが、ホトトギスは不如帰と書きます。
深く入り込みすぎて帰れなくなる。との事だと思います。
678 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 06:25:00 ID:nqA9Xqrn
正親町天皇の事を指してる気もするけどどう捉えますかね?
>泊瀬路やおもはぬ方にいざなわれ
泊瀬というのは天皇家古来の葬送の地。つまり死地にいざなわれるということ。
俺もそう思う。
ところで京都の阿弥陀寺の住職は正親町天皇が深く帰依していた名僧なのだが
この住職がなぜか変の直後に本能寺に駆けつけている。
正門からは入れなかったが、抜け道から本能寺の境内に入ったと寺伝にあり。
679 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 09:56:21 ID:KzaGCBJB
>>675 無論
>>535のレスを前提にいっている。
今谷みたいに「民間人」と言い切るには抵抗があるから、アヤシイというにとどめただけ。
確かに兼見は公卿成しているが、これは一種の名誉職とみるべき。
神祇官にすぎない兼見が朝議に参加した証拠でもあるの?
証拠がない以上「アヤシイ」ていうのに問題なんてないな。
問題外という方が「問題外」。
680 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 11:42:45 ID:VIKh4qYN
681 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 12:01:34 ID:KzaGCBJB
>>675 >そういう巨視的に見て、「光秀ー朝廷、利害一致説」はまだ否定されてない。
巨視的にみると、変後の混乱で京都の庶民が禁裏御所内に住みついて朝廷が困っているのに、光秀がそれに対して
何ら解決策を示さなかったという公家の日記の記事は「利害一致」の点からどう評価できるの?
あと、あなたの思考方法への根本的疑問なんだが、君の論も可能性レベルでは否定できないのは事実だよ。
しかし、可能性が否定できないからこそ、学者先生の論でもいまだに「定説」と言い切れる論が存在しないわけだ。
このスレでは、いろんな可能性を取捨選択して、どの説が「可能性が高いか」を考察したほうがいいんじゃね?
いつまでも、「可能性は否定できない」ってレスばっかだと永遠に議論がループするだけだよ。
>>676.
>>680 そういう厨房じみたな煽りはやめれ。
682 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 12:27:02 ID:sBDw1gK+
683 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 12:46:23 ID:TNLTeKuW
>>681 光秀が勤皇の士であるなら小屋掛けを放置した事が矛盾するということ?
彼が勤皇の精神を持っていたかは解らないけど、朝廷に献金していることから朝廷に媚を売るつもりは最低限あった。
御所の防衛を司る事は他者の接触を遮る事や、朝廷政策の上でも有利となる材料なので可能であれば実行したかった事であろう。
ただ変後の光秀は思ったほどに同調してくれる者に恵まれず、畿内平定に粉骨してる。
単純に御所防衛に割くほど兵力に余裕が無かっただけだと考えられる。
正親町天皇に光秀が完全に操られている前提でならこの小屋掛けの未解決は矛盾といえるだろうけど、
利害一致説の上では別に肯定も否定にも決定打にはならない事かと。
684 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 13:05:12 ID:sBDw1gK+
>>683 その場合、「利害一致」とは単に「信長排除」でしかなく、そこにいたる動機も天皇と光秀では異なり、変後もそれぞれ独自の立ち位置を貫いたということになるわけで。
その場合、果たして光秀と天皇は共闘していた、あるいは天皇が黒幕として存在していたと言えるだろうか?
精々、天皇周辺に信長嫌悪の空気があることを光秀が察し、それが光秀の背中を押した要因の一つになったのかもしれないくらいしか言えないのではないだろうか?
685 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 13:36:24 ID:KzaGCBJB
>>683 >ただ変後の光秀は思ったほどに同調してくれる者に恵まれず、畿内平定に粉骨してる。
ここが重要なんだな。
組下すら同調してくれない切羽詰まったなら、なおさら利害一致した朝廷の権威を利用するんじゃね?
光秀が勤皇が否かは無関係で、朝廷を駒として利用しようとするんじゃないかということ。
朝廷は光秀の数少ない「味方」な訳だからね。
禁裏に入った庶民すら追い出せない(あるいは放置した)光秀の統治能力の低さに、朝廷は「だめだこりゃ」と失望
しないかってこと。兵力云々は関係ないよ。逆に、献金なんか正に儀礼的な行為だよね。
一方で、光秀は京都の民心掌握のために地子銭永代免除という「善政」を行っている。地子銭免除は為政者なら儀礼的に誰でもやっているが、
「永代」というのはかなりの大盤振る舞いである(ちなみに、秀吉が「謀反人の政策など無効じゃ」って免除を廃止したが、猛反発にあい再免除
を余儀なくされ、江戸幕府もこの既得権を承認せざるを得なかった)。
京都庶民への政策と朝廷への政策の間に、アンバランスさ・温度差を感じない?
686 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 15:00:07 ID:llcqVKnL
秀吉と対立した豊臣秀次も朝廷に献金したよな
京都にいれば公家達から挨拶されるだろうし、朝廷に献金するのは勤皇家じゃなくても思いつくことだと思うが
687 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 15:41:58 ID:TNLTeKuW
>>685 小屋掛け問題を少々曲解してないかな?
朝廷は禁裏から「庶民を追い出せ」とは命令してません。。
戦乱から逃れるために禁裏に逃げ込んでくる庶民を哀れに思って光秀に京都の治安回復を命じたんです。
光秀は朝廷の要請「京都の治安維持」を要請されてそれを上洛時に引き受けています。
京に禁制札出した事からも実行を確認できます。
後に治安回復したにも拘らず居心地が良かったためにそのまま居つく庶民がいた。
それを秀吉が追い出した。ってのが小屋掛けの問題。
別に光秀は朝廷を蔑ろになんかにしてないし、記録を見る限り朝廷、光秀間は良好な関係にあったようですが。
光秀が天皇を絶対視する勤皇の士であるなら、聖域である禁裏に入り込む庶民をその場で追い出すくらいの事
するだろうけどそうでは無かったってだけでしょ。
それが後の世でどう捻じ曲がったのか、小屋掛けを秀吉>光秀の相対評価に使われた史観で捉えてませんか?
688 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 16:12:05 ID:KzaGCBJB
>>687 指摘d。
曲解も何も桐野の受け売りだからね〜
いま大学にいるので、帰宅したら10年6月の公家の日記を再度確認してみるよ。
自分も含め、どうしても水かけ論に終始してしまう傾向にある様ですね。
>>681さんに同意です。一度、整理しましょうよ。
皆さん、それぞれのご意見、支持説、異論が有るでしょうけど、本能寺の変に
関する物(者)おいて、『これは確実に間違いない』と断言できる事柄を再考察
していきましょうよ。
690 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 18:42:14 ID:VnCVjGLV
>>689 〇光秀が信長を好きではなかった事。
〇信長を襲える状況だった事
〇各地の織田軍が簡単に京に戻れないと思っていた事。
691 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 18:55:26 ID:4xn8lRuF
>>690 >〇光秀が信長を好きではなかった事。
これは、確実だと断言できることなの?
個人間の心情なんて、それこそ推測の世界のものだと思うけどなあ。
692 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 19:06:28 ID:nie64DlP
○近江をはじめ畿内平定を進めていたことから野心はあった事
○変後においては朝廷と接触した形跡がある事
○特に何らかの上位者を旗印として掲げた形跡は無いこと
693 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 19:20:55 ID:pd8Pxaml
>>690,692
> 〇光秀が信長を好きではなかった事。
> ○近江をはじめ畿内平定を進めていたことから野心はあった事
これはどうかなあ?
694 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 20:01:44 ID:VnCVjGLV
信長の事は好きじゃあないだろうよ〜。
襲ったから嫌いとか単純に思ってんじゃないよ。
695 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 20:44:13 ID:pd8Pxaml
696 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 20:49:56 ID:zdWOGiYv
>>695 自分の事を心底嫌っているような人間を、信長ともあろうものが何年も飼っておくかよ。
697 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 21:28:50 ID:llcqVKnL
もしも朝廷が黒幕なら、秀吉及び信孝追討の勅命を光秀に与えるはず
兵力差は大きく開いていると知っているはずだが、その手はなかった
また光秀が将軍に任官されれば、天皇から節刀を下賜され源氏の白旗を使って出陣しそうなもんだがそれはない
698 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 21:29:01 ID:X6iEANp6
>自分の事を心底嫌っているような人間を、信長ともあろうものが何年も飼っておくかよ。
大久保利通や伊藤博文はかって自分を暗殺しようとした陸奥宗光を
有能だとの理由で部下として平然と使っていた。
699 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 21:35:31 ID:zdWOGiYv
>>698 陸奥は別に、大久保や伊藤を嫌っていたわけじゃないぞ。
700 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 22:55:26 ID:o1eyNW2y
陸奥宗光は西南戦争のどさくさにまぎれて
大久保・伊藤・木戸を皆殺しにしようとしたからな。
明智光秀みたいなキャラだったのかもしれない。
701 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 23:18:10 ID:MauKouEM
7月18日(金) 26:50〜28:40 フジテレビ
ミッドナイトア-トシアタ-・アニメ 「時空の旅人」
あれだよ。昔、ファミコンゲームになっただよ。
正直、時をかける少女より面白い。
ゲームがまれにみるクソゲーだったんで、見たこと無い人多いだろうけど。
すげえ、面白いよ。 作画も半端じゃない。80年代としてはオーパーツ並にキレイ。
織田信長がもし本能寺で死ななかったら…? の if作品。 原作は眉村卓のSF小説。
702 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 23:58:43 ID:llcqVKnL
立志社の獄を言ってるのか?
そんな大規模なものじゃないだろ
703 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 00:24:50 ID:VTQmEZdE
信長嫌い、って一瞬短絡的に聞こえるけど、いつの世にも当て嵌まる人間の本質じゃん。
感情論は黒幕云々より、よっぽど説得力があるよ。
704 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 01:46:05 ID:DJw1eTcB
>>703 今は「『これは確実に間違いない』と断言できる事柄を再考察 していきましょうよ。」
というテーマなんだから、断定できるような事じゃあないだろ、とつっこまれてるのに
「黒幕説より説得力ある」と言われてもねえ
705 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 02:13:32 ID:xajQCAlt
少なくとも黒幕説よりはよほど説得力があるのは確かだが
706 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 02:46:32 ID:OL9wp6fy
「信長の事を好きじゃないだろう」も「説得力」も「確実に断言できる事柄」では無い
707 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 07:30:12 ID:lTA8miNd
美濃源氏フォーラムの東京六本木講座で9月20日に、光秀の子孫と称する
明智憲三郎とかの輩が、「私の本能寺の変研究」と題し講演するらしいね。
708 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 07:52:46 ID:em7yqV0V
ネット検索をかけましたが、うまく引っかからなかったので、私の記憶間違いだったら、すみません。
昔見たテレビで、織田信長と明智光秀がそれぞれ書いた書状(手紙)を分析し、それぞれの性格を分析した歴史番組がありました。
たかが書状で性格が分かるか、と言われそうですが、私から見ても、その人の書いた手紙やメールというのは、その人の人柄を結構、表します。
sの番組によると、本能寺の変の数年前までは、信長は孤高の有能なトップで、光秀はその忠実な補佐役という、ある意味、理想の性格同士だったそうです。
ところが、本能寺の変のあった頃には、信長は凶暴な夫や主人、光秀はそれに忍従する妻や奴隷という状況にあったとか。
孤高の有能なトップが、凶暴な主人に変わることはよくあるそうですが、秀吉や勝家より、光秀の方が、信長の側にいます。
信長の凶暴性に、ついに光秀の堪忍袋の緒が切れたのが、本能寺の変のきっかけとなったのではないか、とその番組では述べられていました。
書状という根拠も示されており、なるほどと、私は思ったのですが、いかがなものでしょうか。
709 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 07:58:29 ID:kLii4Kxm
信長については精神医学の専門家もけっこうコラムみたいなの書いているね。
「優秀精神病者」とかいうらしい。
外国だとロベスピエールなんかもそうらしい。
狂人と天才のボーダーライン上にいた信長だが
最晩年にはだんだん狂人のほうにシフトしていったとか。
英雄の晩年は狂気に走ることも多い。
710 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 08:01:18 ID:kLii4Kxm
信長の書状といえば、
信長から家康にあてた手紙の形式は「同盟者への書状」から
最晩年には「部下への書状」みたいになっていると、なにかで読んだことがある。
711 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 09:25:32 ID:DJw1eTcB
>>709 むしろ、信長や本能寺に限って、この手の精神面や心理面でのアプローチが多いのが気になる。
「狂気を含んだ天才」とか「孤高の君主」とかのイメージがあるから、その手の人が飛びつくわけで
所詮ほとんどが「まず結論ありき」な分析にすぎない気がするなあ。
>>708みたいな、手紙からの性格分析なんてのになると、
その手法自体に、まず眉に唾つけちゃうなあ
712 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 09:31:35 ID:b38RUr4V
>手紙からの性格分析なんてのになると、その手法自体に、まず眉に唾つけちゃうなあ
でも精神科医に言わせると、それなりに信頼できる手法だそうだ。
713 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 11:03:52 ID:xajQCAlt
信長の晩年は狂気と言うよりむしろ、どんどん平凡になって行ってるだろ。
若い頃の暴走の貯金(笑)でそのへん過大評価されてるきらいがあるけど、晩年になればなるほど
角が取れて行ってる。
晩年の狂気って言うのなら秀吉のほうがよほどだ。
714 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 11:16:45 ID:xYtFL7uT
若い頃にやったような、無茶は年を経て、
自分の勢力が強大になっていく毎に必要なくなった(機会が無くなった)
ってことじゃないのかな?
特に年を取ったら平凡になったとも思わないけど、
(どちらかというと、人生のどこから変わったということもなく、
終始一貫してる人物のようにとらえてる)
本能寺の時、なんであんなに油断してたの?って話があるけど、
信長って、若い頃からずっとあんな感じだよな、
自分の身の安全とかを徹底的に保障してから動くようなタイプじゃない。
ほんの数騎を従えて飛び出したみたいな、話がちょくちょくでてくる人物だし。
そうだったから、あの短期間で、尾張の1/4程度の領土しかもたなかった
小大名が、天下人といっていいほどになったんじゃないかな?
(用心深く注意深くの性格だと、30年に満たない期間で、あそこまでのし上がれない)
715 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 11:25:59 ID:ujPURHeI
>>710 花押から「天下布武」の印章に薄礼化したとか、文末の「恐々謹言」って言い回しがもっと軽い文言になったとか
そこらへんから信長の家康に対する扱いの変化は証明できるよね。
「可能性が高いか」ってテーマでは
○四国政策の転換で信長と光秀がバッティングしたこと
○フロイスの足蹴りの記事から天正10年5月に二人が何らかの要件で衝突していたこと
はどう?
716 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 12:12:29 ID:ZCYKOs7P
>>697 >もしも朝廷が黒幕なら、秀吉及び信孝追討の勅命を光秀に与えるはず
朝廷が一枚岩でないことは黒幕説賛否両者共に主張してるよね。
勅命というのは朝議を通さねば下す事ができないのですよ。
公家衆の中には信長に旧領を回復してもらって恩顧の念を持つ者だっている。
『秀吉及び信孝追討』というのは一方的に謀反人である光秀に肩入れするようなもの。
このような名目では朝議には通しにくい。
ならば『京頭之儀』ということならどうだろうか?
これならば恩顧の念を持つものにも京都の治安維持が名目であるのだから反対のしようがない。
これを受ける光秀にとっては京周辺での戦いを朝廷の後ろ盾で正当化することが出来るのである。
それでも結果的に負けたんだけどね。
717 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 12:49:21 ID:f6Exmk2G
>>715 708ですが、四国政策の転換と、斎藤利三の件が、本能寺の変の最終的な一押しを、明智光秀に与えたと思っています。
まず、斎藤利三の件ですが、織田家の陪臣が、別の織田家の家臣に勝手に仕える。
例えば、柴田勝家の家臣が、勝手に羽柴秀吉の家臣になるというのは、本来は許されません。
斎藤利三が、稲葉一鉄の下を去って、明智光秀に勝手に仕えるというのは許されないことだったわけです。
とはいえ、急速に所領が増え、優秀な家臣が大量に必要な光秀にとって、斎藤利三は必要な人材でした。
そして、光秀の中で、稲葉一鉄は自分より格下ではないか、という思いも少しはあったのではないでしょうか。
ところが、信長は一鉄の訴えを認め、光秀に斎藤利三を一鉄に返すように命じます。
更に、四国政策が追い打ちをかけます。
長宗我部にしてみれば、四国切り取り次第、を信長は書面で約束しました。そして、困っていても援助もろくにありませんでした。
そして、独力で讃岐や伊予まで切り従えたのに、伊予と讃岐、阿波半国は没収を、信長は宣言したわけです。
見ようによっては、ハルノートよりひどい条件です。三好は信長に服属したではないか、と言われそうです。
しかし、三好よりも長宗我部の方が古くから信長に従っています。せめて、現在の所領は長宗我部に認められるべきではないでしょうか。
これに対しては、四国に巨大勢力が出現し、織田家の脅威になるという反論があります。
でも、それをいうなら、毛利家の方が巨大です。そして、水軍力からいっても毛利家の方が強力です。
四国政策で、面子をつぶされ、性格的にも追い込まれた光秀が本能寺の変を起こしたと思うのです。
718 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 13:03:08 ID:ZCYKOs7P
>>697 加えて征夷大将軍も朝議でのよくよくの詮議が必要です。
簡単に出来るはずもないですよね。
ちなみに下賜というのは天皇の意思だけでもすることが出来ます。
秀吉、信孝は山崎の合戦の後、太刀拝領をしていますね。これはかなり異例の出来事。
天皇からの節刀の下賜というのは征夷大将軍のみに行われていた儀式です。
慣例を無視した行為を朝廷側が自主的にするとは到底考えられず、これは秀吉側の圧力を受けての行為だったと考えられます。
つまり秀吉は朝議不要にして武家の統領たる資格を受けたわけですね。
719 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 14:13:11 ID:OL9wp6fy
謙信も天皇からもらってなかったか?
720 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 14:40:58 ID:GCnBo/x5
>>715 ほぼ確実な線だね。
特にフロイスの件は、あまり信憑性が高くないとよく言われるが、表現の仕方は別として、少なからず信長光秀間にいさかいがあった事を現認したのだろうね。
俺が確実だなと思う件は、
〇信長の奢り
〇信長の影響力の誤認(光秀)
721 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 14:45:29 ID:cfTk4EqR
>>715 文末の「恐々謹言」は全ての大名に対してそう使うようになっただけでしょ
謙信に出した手紙も同じ
722 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 16:33:43 ID:YuRGBh1G
朝廷が一枚岩でないことは誰も否定していない。
正親町天皇が個人技で光秀を説得して動かした可能性の有無についての議論だと思う。
723 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 18:06:22 ID:4f8dBGBk
>>722 > 正親町天皇が個人技で光秀を説得して動かした
具体的にどのような手蔓があったんだ?
また光秀なら乗ってくるとどうして思えたんだろう?
724 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 18:40:00 ID:ZCYKOs7P
>>719 そうだね、原則とでも付け加えるべきだった?
まあ拝領したのは太刀ではなく小刀で、添えられた宣旨ではなく綸旨なので
この時はしっかりと政治的配慮がなされていたんですよ。
725 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 01:22:56 ID:QtvmNFZd
んと、言いだしっぺなんだけどいい?
戦国とか信長だけじゃなく、中世全体の専門家の本を紹介する。
本郷和人、って人の本であくまでこの人の個人的感想ね。
「天皇制最大の危機は信長と第二次世界大戦」っていうの。
つまり、信長は、皇位簒奪をしたであろう、ってのはこのスレで言われてるほど、
妄想とか関連がない、じゃなくて、あくまで普通に類推すればそういう結論に
なるのではないか、ということ。
この人、東大史料編纂所の人だから、「可能性論はやめてな」
みたいな反論じゃなくて、もう少しこのスレ的な「信長の意思は重要、朝廷もそれを理解してたに
違いない、だからこそ、光秀と朝廷の利害の一致、」そういう感じでどうだろう。
1568から1581の馬そろえまで、光秀は何を考えていただろう。
同じく、秀吉も。
「野心説」がすべての基本と思う。実行したんだから。
変の時、光秀は何歳だったか、みんなパッと言える?
朝廷の後押し、回りはみんな出払ってる、最大のライバル、なんてこれこそ
テレビのみすぎですよね、光秀から見たら自分がナンバー1としか
思えなかったんじゃないかな。
征夷大将軍、じゃなくてね、もうウハウハ、ですよ、明日にでも死ぬかもしれない
のがあの時代、目の前に最大のワンチャンス、ここで仕掛けるのって、そんなに
おかしいですかね。
愛宕百韻のカキコもわしなんだけど、本音がポロッ、だと思ってる。
自分が、「幕府を開けるかもしれない」、これって、普通と思うのですけどね。
あんまり理屈っていうのじゃなくて。
ちょっと調子にのりすぎた。やさしく反論して。
726 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 01:41:15 ID:YvRDapKy
>725
本郷氏の意見は信長が神仏や祟りを信じていないということ前提だからなぁ…。
727 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 01:59:41 ID:JYeJ6fnx
正直本郷氏も、「先に結論ありき」の典型。
728 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 02:02:40 ID:0bppLez3
「物語」を書くならそれでOKなんやけどね。
729 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 04:22:21 ID:QtvmNFZd
>>726 そこに疑問があるなら、ぜひ、聞きたい。
スレチと怒られるかな。
>>727 なるほど、中世全体でそういうのはあるな〜。
>>728 ってか、ちゃんとした立場の人が「部分的」でも表明したというのは
大きいと思うけど。
730 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 07:06:38 ID:TpW1nJMC
>「天皇制最大の危機は信長と第二次世界大戦」
足利義満と蘇我入鹿もやばかったと思う。
731 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 07:08:11 ID:TpW1nJMC
>信長の意思は重要、朝廷もそれを理解してたに違いない、
だからこそ、光秀と朝廷の利害の一致
光秀と朝廷の利害の一致というよりも、
光秀と正親町天皇の利害の一致だろうな。
732 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 07:40:48 ID:NsCLwGOi
>>726 革新的で合理主義者な、ベタベタな信長像で書いてたね。
いかにも現代人うけしそうな感じの。
733 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 08:00:38 ID:NOkzpur8
> あくまで普通に類推すればそういう結論になるのではないか
という仮定の上に
> 信長の意思は重要、朝廷もそれを理解してたに違いない
と断定を重ねて
> だからこそ、光秀と朝廷の利害の一致
なぜ、「だからこそ」なのか?
仮に互いの理由は異なれど「信長排除」という点において利害が一致していたとして、両者の間に共闘あるいは共謀の形跡があるのか?と言うことを問いたい。
734 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 08:18:44 ID:JYeJ6fnx
正親町天皇個人黒幕説を延々と言ってる奴はせめて、その前提となる何らかの資料を提示してからやってくれ。
「俺がそう思っているからそうだ!」式の妄想に付合わされるのはごめんだ。
735 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 08:35:49 ID:jV6K53/f
>>730 弓削道鏡のときが、一番、天皇制が消滅する可能性が高かったと思う。
称徳天皇は、道鏡に天皇位を譲る気でした。
続日本紀を読む限り、称徳天皇が主導したと考えるのが自然。
もし、道鏡が主導していたのなら、称徳天皇の死後、道鏡は流罪ではなく、一族皆殺しにされていたでしょう。
736 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 12:30:10 ID:IcuAKWbl
>>716 >このような名目では朝議には通しにくい。
>ならば『京頭之儀』ということならどうだろうか?
変後に2度勅使を派遣(2度目は親王使?)しているが、いずれも「京頭之儀」を何とかしろって
内容。もし、朝廷(の一部)と光秀に何らかのつながりがあったら、こんな当たり障りのない名目で勅使
を派遣しないよね。
むしろ、勅使を立て続けに2度も派遣したのは、京都の混乱が相当大きかったことの傍証になる。
すなわち、「晴豊記」の6月4日〜11日に4度も「小屋懸け」の記事があることや、「言経卿記」の6月4日に「禁中
徘徊了」とあることから、京都の治安維持を朝廷がよっぽど危惧していたことの傍証になるのではないか?
オレは、朝廷がマジで光秀に治安維持を何とかして欲しいと希望していたと思うな。
>>733,
>>734 同意。
>>689のスレ主の言うとおり「何が可能性が高いか」を検証しようよ。
>>725 議論をループさせてもしょうがないよ。
持論を語るなら、「それってありそうだな〜」って思わせる立論が読みたいな。
>愛宕百韻のカキコもわしなんだけど、本音がポロッ、だと思ってる。
秀吉が里村に尋問したのは「林鐘談」などの俗書にしか記事がないから信憑性が低いと思っている。
しかし、「兼見卿記正本」では6月2日に里村が調達した駕籠で誠仁親王を二条御所から救出したって
記事を削除している。
里村はある意味、親王の命の恩人なのでなぜこの記事を削除したのか解せないね。
737 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 12:44:02 ID:IcuAKWbl
>>717 斉藤帰属訴訟は、利三にとってはむかつくことだが、軍法違反したのは利三自身だし訴訟
は光秀が勝ったわけだし、「利三が最後の後押しした」ってのは大いに疑問やな。
帰属訴訟では満足した光秀が、家老とはいえ一家臣のささやきに乗って一族滅亡のリスク
を懸けた謀反をするんかな〜
また、そもそも帰属問題が解決したのは天正10年ではなく9年だって説もあることだし。
四国問題はガチでいいと思う。
738 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 14:39:50 ID:8SD23QvS
>>725の書き込みと、紹介している本郷氏の『人物を読む日本中世史』の記述には
かなり内容のズレがあるので、まとめて指摘しておく。
まず「天皇制最大の危機は信長と第二次世界大戦」といっているのは、
「もしも信長が自身の手で全国統一を成し遂げていたら」という場合のことである。
本郷氏は「信長は自己に刃向かうことをしない限りにおいて、むやみに他者を否定しない」とした上で
「天皇家と朝廷は少なくとも反信長的行動をとらなかった。
あるいは実効力をまったく持たなかったから、とることを企画することも不可能だった。
だからこそ信長は利用できる部分は天皇を利用し、
天皇の位置付けを後回しにしたのだろう」
この点が朝廷(正親町帝)対立説とは、大きく立場を異にしている。
そして、こうした流れからも当然のように
「光秀と朝廷との利害の一致」なんて、朝廷黒幕説な話は全く言及されておらず、
ここら辺はもう
>>725個人の主張に転化しているので注意が必要。
本郷氏自体は野心説的立場であり、信長の合理主義的な人材活用で光秀が抜擢されたと捉えた上で
「信長との主従関係は超常的な要素によって規定されているのではない。
ならば千載一遇の機会が到来したなら、
光秀が躊躇する必要などまったくもってなかったのである」
739 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 14:54:56 ID:8SD23QvS
あと
>>725で個人的に気になったのは
「中世全体の専門家」「東大史料編纂所の人だから」と肩書きを持ち出した上で
そういう人が言ってるから「あくまで普通に類推すればそういう結論になるのではないか」
というのは、どうにも権威主義的な思考停止であまり感心しない論法だね。
どんなに偉い肩書きの人の主張だろうと、一仮説は一仮説として判断する目を持った方がいいよ。
そもそも、君はこれ以外の研究者の著作をあまり読んでいないようだけど、
信長と天皇及び朝廷との関連については、本郷氏以外にも様々な研究者が扱っており、
その関係性の捉え方については複数の立場があり、今も議論の対象になってるんだよ。
君が「このスレで言われてるほど」と言うのは
そうした研究成果を参考にしながら語られてるわけで、
それに対し、君が一研究者の仮説を読んだ程度で
「あくまで普通に類推すればそういう結論になるのではないか」
というのは少々慢心が過ぎるんじゃないかな。
740 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 16:25:14 ID:OLZm/z7n
>>736 >もし、朝廷(の一部)と光秀に何らかのつながりがあったら、こんな当たり障りのない名目で勅使
>を派遣しないよね。
趣旨が飲み込めない。
一部の繋がりがあるならどんな名目になるの?
741 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 17:23:33 ID:IcuAKWbl
>>740 例えば
>>716のいうような名目とか、「暴臣前右府の征伐乙」とかだよ。
少なくとも、朝廷と利害が一致していたならば、光秀がもっと喜びそうな名目を与えても不思議ではない
と思ったという趣旨。
京都の支配者(で京都に混乱をもたらした人物に)「京都の儀堅く申しつけ」なんて、ある意味当たり前の
名目だと思うんだが。
742 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 18:12:50 ID:IcuAKWbl
スマン。
>>716は一枚岩でない朝議で採決できそうな名目が「京都の儀」って論だね。
>>741の下2行以外はスルーして。
>>716との違いは、2度も同じ名目で勅使を派遣した朝廷は、本心から光秀に「京都の儀」(治安維持)
を何とかして欲しいと思ったんじゃないかという点。
743 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 18:54:13 ID:JYeJ6fnx
完全に陰謀論厨の巣窟になったな
744 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 19:22:09 ID:OLZm/z7n
>>742 なるほど、「京頭之儀」を「京都の儀」と訳したのね。
京頭とは京の頭目=信長政権下における京都所司代、幕府政権下における六波羅探題のようなもの。
これの朝廷任命版のことを指してる。
光秀が公に京都の支配者として認定された事を意味します。
禁制札や地子銭の免除を行ったのは朝廷のお墨付きをもらったこの日以降だね。
朝廷から懇願される形で朝廷の庇護者になったわけだから、政治的には非常に大きな進展でしょ。
これが意図的な狙いだったのかは偶発的だったのかは推測の域を出ないとしか言えないけどね。
745 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 21:23:03 ID:dm4voymn
本能寺の変の真相を誤らせているものは
1、信長はその死があまりに劇的であったため、後世その存在が実像よりはる
かに過大評価されている
2、本能寺の変後の秀吉の行動が迅速すぎた(秀吉のいわゆる中国大返しはいわば
奇跡であり、その奇跡がおきなかった場合の歴史を再検証する必要がある)
3、徳川時代に書かれた家康びいきの誤った史書による、歴史の先入感
746 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 21:25:05 ID:JYeJ6fnx
747 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 21:34:29 ID:jkTjb7g/
>秀吉のいわゆる中国大返しはいわば奇跡であり、その奇跡がおきなかった場合の歴史
だらだらした膠着状態になり、明智が近畿中心部を制圧した状態が続いていた?
748 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 21:36:36 ID:jkTjb7g/
本能寺の変の当日、
徳川家康は本来京都市内に泊る予定だったのが
どういうわけか予定を早めて出発しているんだよな。
家康黒幕説ってのは成立しないとは思うが
家康は不穏な気配を察知していたんだろうか?
749 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 21:43:10 ID:jkTjb7g/
750 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 00:07:59 ID:Hrg8EgvL
>>708 手紙云々に関しては、歴史というものを知らない無知蒙昧な人間のアホウな所業としかいえません。
理由の1 精神分析なんてものは、特定の時代の特定の文化素地のあるものに対して通用するものだから。
例をだせば、現代人が人殺してトラウマを得たとして、それでなんらかの精神障害を持つこともあるでしょう。
しかし、その精神分析を、戦国時代の武士たちに適用できますか?
生涯に何人もの殺人を行った宮本武蔵を、現代の文化価値基準から構築された精神分析を持ち出して、人格障害だ
精神異常だのと診断したところで、それが何の意味がある?
理由その2 晩年の手紙って、何の史料を使ったんだ?
公式な書類には、書式礼というものが存在します。これは出す側受け取る側それぞれの立場で細かく変化し、その
様態も定められています。また公文書なんて大抵は祐筆が書くものですから、字体などから信長の人格を推し量ろう
なんて馬鹿な試みです。信長直筆の、公式ではない私信なら信長の人格診断にある程度は使えるかもしれませんがね、
正直晩年の信長と光秀のやり取りで、そんな史料は聞きません。存在するのは、公式な公文書です。
そんなものをつかって両者の人格やら関係やらを診断する?何度でもいいますが、馬鹿の所業です。
>>749 歴史にまともな記録のない一兵卒の感想とか、外国人の長いこと京畿内にもいなかった偏見バリバリの見方になんの
客観的証拠が?
個人的には、将来的にはともかく、この時期に家康暗殺はなかったと考えます。理由は、軍隊がないから。
家康を殺せば、三河遠江駿河の武士たちが従順に織田に従うかといえば、そんな確証はありません。その可能性もなく
もないですがね。それには事前からの根回しが必要です。しかしこの時期までにそのような動きは見当たりません。
次の対処としては、家康を殺すと同時に領内に軍を進めて直接掌握し、武士たちが暴発しないよう押さえ込むことです。
しかし、そのような任務に使える軍隊が、当時の東国には存在しません。旧武田領に配置された将を動かすことは出来
ません。信忠軍団なら可能ですが、彼自身は京に、尾張美濃の軍は西国遠征に転用が決定してます。
仮に家康を殺したところで、万が一領内の家臣たちに暴発されると、織田家は相当まずいことになります。
この手の話には、こういった「当時の状況を勘案」することがどうも省かれているように思える。
751 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 00:18:24 ID:zQPHUFES
また短パンマンか…
殺すぞ
752 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 00:22:12 ID:zQPHUFES
よし見れた
>>748 一枚噛んでいた可能性は充分在る
753 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 00:42:15 ID:+Rkb0OTe
754 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 00:57:18 ID:2oU/OjDJ
>>750 家忠日記見ればわかるが、家康は家康と呼び捨て(あくまで上位ではあるが主君ではない)で、信長を信長様、
変前には上様と呼んでいるけどね
755 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 04:18:18 ID:VSv6aRtH
756 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 06:16:39 ID:OOwZN2h0
>>708は
尤もらしい事言っとけば簡単に騙せる人間
端的に言うとカモ
お前が認識してる人格とそのメールが一致するのは当然
最初からフィルターかかってんだからな
答え見ながら問題解いたけど、頑張って解きました
ゆとりらしいおめでたい頭だな
必死になってプロファイリング修めてるやつが馬鹿みたいだ
757 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 06:32:51 ID:afr2mflF
>>750 信長と家康の関係を考察する上で一兵卒にそう思わせる何かがあったというのは当時の雰囲気を知る上では結構重要だとは思うぞ。
ただそのことと本能寺の変はあまり関係ないと思うがね。
758 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 08:23:46 ID:p0ZHtgFY
>757
腹心以外には「家康を討つ」と嘘をついてただけでしょ。
「信長を討つ」なんて宣言したら、密告されるのが目に見えている。
759 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 10:39:27 ID:5VDWd2ZD
水上まさる庭の夏山
Wikiの解釈
まず、「水上まさる」というのは、光秀が源氏、信長が平氏であることを前提に考えれば、「源氏がまさる」という意味になる。
「庭」は、古来朝廷という意味でしばしば使われている。
「まつ山」というのは、待望しているというときの常套句である。
したがって、この第2句は、源氏(光秀)の勝利することを朝廷が待ち望んでいる」という意味になるという解釈がある。
庭を朝廷とするのはまだいいとして
>まず、「水上まさる」というのは、光秀が源氏、信長が平氏であることを前提に考えれば、「源氏がまさる」という意味になる。
これは酷い・・・。これってどこの史家の解釈が基なんだろ?
760 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 11:23:03 ID:Hf7vZmMg
そう、ウィキ史学みたいなふいんきもあるから、こういう解釈はとてもイヤなんだよな。
739が、どうにも権威主義的な思考停止であまり感心しない論法、と言うけど
2ちゃん的な、宇宙人がどう、とか言うレスを減らすには権威主義的な手法も
有効じゃないか。そういうレスする人は権威主義に弱いから。
そして残ったレスというのは、それなりに尊重したほうがいいかも。
で、「水上まさる」というのは、水が高いところから低いところに流れるごとく、という
初表の発句を継承した、でいいのかな。
次ぎの、花落つる、はもう・・
初裏の十に「それとばかりの声〜」なんてのもあって、テレビレベルの陰謀説
はこういうのを利用すればもっと面白くなるかも、なんだな。
761 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 11:39:53 ID:2oU/OjDJ
光秀が変を起こした
↓
何か遠大な陰謀や背景があるに違いない
↓
理由付けを必死に探す
↓
愛宕百韻に、その陰謀や理由が隠されてるに違いない!
そうしてノストラダムスの預言書みたいに、深読みして意味を作り出そうとするんです
762 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 12:13:58 ID:dxXEFLh1
「宇宙人」は「悪魔の証明」を求める人への皮肉だと気づいていない人がいますね
763 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 13:55:14 ID:zyRelytf
>>759 愛宕百韻のメンバーを、本能寺の関係者の密談とし、
光秀の例の「ときはいま〜」以外も、皆変に関する暗号であるとして、
百韻全てを読み解いていくというやつだね。
朝廷黒幕説全盛期?の時に同時に流行って、テレビとかでもなんどか見たなあ。
ちょっと古い陰謀論の本とか探せば、結構でてくるよ。
史家じゃなくて、作家がほとんどだったはずだけど。
明石散人だかが書いてたかなあ
764 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 16:26:18 ID:Hrg8EgvL
>>757 信長が家康を処分する可能性までは否定していませんよ。あったかもしれないし、
なかったかもしれない。
しかし、信長が家康の排除を狙ったとしても、天正十年の五月から六月にかけての
あの時期にはなかっただろう、というのがその主旨です。理由は>750で挙げたとおり。
765 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 17:09:53 ID:+Rkb0OTe
陰謀論者は、陰謀のための陰謀まで作るから困る。
766 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 17:53:36 ID:sV6eBNd5
信長が自然死(病死)していたならば、信忠が家康をもてあます歴史が
展開したかもしれないな。
劉邦が韓信を粛清したように、信長は生存中に家康を粛清したかもしれないが、
それは永遠の謎だ。
767 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 17:56:35 ID:eVUm4LeE
世の中の全ての出来事には、偶然の要素が多い。計画的な必然性よりもだ。
ただ偶然を理由付けで、必然にする人が多いのは、事由に様々な脚色をする作家達だけではないようですね。
古今東西、人間の本質とは変わらないでしょ。
@自分
A家族
B第三者
稀にそれ以外の場合もあるが、あくまで稀。
本能寺の変も@とAの関連要素が高いと思うのは、決して飛躍論でも自己顕示論でもないと思う。
768 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 17:56:47 ID:sV6eBNd5
余談ですまんが、信長は塩分を多く摂るナゴヤンな食事をしていたから
50過ぎたあたりから身体にガタが来た可能性が高いように思う。
信長の生涯で病臥した記録(経歴)はあまりないから
頑強な身体ではあったのだろうが。
769 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 18:03:56 ID:TXU5yyyk
家康は小心者てのが信長存命時のイメージなので粛清とか可能性自体薄いかと
当時のナゴヤン食事だが今と同じとは限らんよ
馬で毎日朝駆けする人物が塩分過多になるとも思えない
770 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 18:17:01 ID:Hrg8EgvL
>>768 三好に仕えていた料理人の話か?あれも相当信憑性がおかしいエピソードだがな。
仮に実話だとしても、田舎で平均的な塩分摂取量だというくらいで、信長個人が
一般平均と比べても塩分を多量にとってきたというような根拠にはならない。
ただ信長の頑健さはやはり異常だったようで、病気の記録はあまりどころか全く
なく、四十台後半で、若い連中でも根をあげるような行動をしている。
桑実寺事件も、本来なら一泊してくる距離を日帰り踏破したからで、牛一自身が
その体力を絶賛している。
771 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 18:52:31 ID:NagLy5UJ
>>760 おまいさんやさしいね。
>>725は、持論に「箔」をつけて反論をかわそうと姑息な手段にでただけだよ。
学者先生が主張したから正しいなんて理屈が通用するはずもないのにね。
彼は史料による反論を受け付けず、
>>132からおんなじ主張を垂れ流しているだけ。
彼は「あなたが主張する論の可能性はありますね」ってレスあるまで持論を延々ループさせる気だよ。
彼にまじめにレスつけている人も何人かいるだろうに、
>>629みたいに言われると彼らももう相手にして
くれなくなるかも知らんね。
772 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 19:55:57 ID:F6XC5gcI
塩分の取りすぎって、いつから生活習慣病論ずる話になったんだっけ?
それに順ずるが、当時、家康の体型で高齢を保てたのは凄いね。
まぁ信長は畳の上で死ぬタイプとは思えないね。
773 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 23:18:39 ID:+Rkb0OTe
>>772 家康は別に栄養過多で太ったわけじゃないし
774 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 01:01:49 ID:gO5x/VJz
信長は美人の家系とよくいわれるが、割と長命の家系だよね。
多少親父の信秀が早死したぐらいで、弟や息子も結構長生きしている。
775 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 04:23:15 ID:YCl5dqro
>信秀が早死
脳梗塞かクモまく下出血ではないかと思う。
塩分摂取や飲酒が響いたか。
776 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 05:06:37 ID:T5qFbfGm
>771
勘違いならあやまるが、725と、629はいつもの同一人物だよ。
たぶん、760もそう。
このスレで、今谷系の対立説は3人は入る。
乱暴な言葉の人、長文の人、客観的な3行レスの人、かな。
あと、二人ぐらい、専門的な人がいる。
この人には注目してる。
763で、出たからあえて言及する。
明石説は20年間、「文献を出せ」で笑われてたけど、
桐野の歴史読本の連載で、「信行の嫡統としての正当性の主張の根拠」が
でてきてる。
これに関しては、びっくら、して、ちと確認中。
文献主義と、学会派の人には、「アホか」なんだろうけど、それなりに
そのほうが理解しやすい点もある。
たとえば信秀葬儀で、どうして信長があんな乱暴なふるまいをしたか、
に関してとかね。
また、信秀の財力はどこから来てるか、とか。
これに関しては、別スレでちとやりたいぐらいな論拠があるような。
「証拠を出せ」の前の状況確認という意味だから反論も専門的な
レス限定でやりたいが。
例えば、五箇条と一七か条の話で、当時の書式に詳しい人いないかな。
明石説に対して、2ちゃんで5年ぐらい前に、「何が疑問かわからない」
というカキコがあったけど、そう言われたらすべてそこで終了してしまう。
専門家は文献とか定説には反論しないけど、せっかくのこういう場なんだから
あえて自由に推論してみたい。
763さんには申し訳ないけど、大の男がロウソクの中、次々に句を述べる、
これを、テレビ陰謀論でかたづけるのはどうだろう。
そこに、意味を見出す、とまでは言わないけど、その状況をよく考慮すれば
教科書的な「本能寺との関連を結びつける証拠は無い」というのも
どうかと思う。
朝廷黒幕説じゃなくて光秀野心説なんだけどね。
愛宕百韻軽視説の方には、まず、一緒に、百韻やりましょう、言いたい。
もちろん、1年前からそういう状況に身をおいて。
肉も魚も断ちますか、とりあえず。
歴史は暗記科目じゃない、という大前提でね。
妄想ごめん。
777 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 06:34:54 ID:bUhDoa6c
>愛宕百韻軽視説の方には、まず、一緒に、百韻やりましょう、言いたい。
>もちろん、1年前からそういう状況に身をおいて。
>肉も魚も断ちますか、とりあえず。
頭大丈夫かい?
一人で勝手にやってくれ
そして1年後に報告に来てくれ
778 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 06:56:18 ID:Itl1le1K
何が疑問かわからない
779 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 11:10:37 ID:H5sFHJ5s
>>776 >教科書的な「本能寺との関連を結びつける証拠は無い」というのも
>どうかと思う。
愛宕百韻は変の直前になされているが、参加した連歌衆が信長にチクる危険は大きいね。
チクった奴は信長の命の恩人になるわけやからね。
ある意味、一托蓮生である自分の家臣にすら亀山出陣の直前まで謀反を伝達しなかった光秀が、
アカの他人である連歌衆に謀反を匂わせるのはありえない話だと思う。
連歌衆に己の野望を匂わせることで光秀の謀反遂行が円滑になるとかいうメリットがあればともかく
、明智家滅亡を招く秘密漏洩のデメリットしかない。
正に、桑田のいう「こじつけ」でしかないね。
保秘の問題がクリアできない以上、本能寺の変に結びつける方がどうかしてると思わない?
780 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 14:08:12 ID:KgfiShHJ
>>776 なんだかとっても気持ち悪い長文だね
>文献主義と、学会派の人には、「アホか」なんだろうけど、
>専門家は文献とか定説には反論しないけど、
ここら辺の発想、言い回しとか、井沢あたりにどっぷりつかっちゃって、
専門家の考えつかない盲点を指摘できる俺様スゲー、とか思ってそうでもう……
781 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 17:38:26 ID:H5sFHJ5s
>>780 確か、井沢は「ぶぶ漬け理論」で公家の日記を読むんだよな。
せっかくの一次史料も台無しだわな。
782 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 18:18:51 ID:Itl1le1K
何が疑問かわからないって返せば黙殺出来るんだからそうしろよ
価値観が歪んでる相手との議論なんて平行線にしかならないだろ
783 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 21:03:19 ID:xqT/f3NE
>>779 いたずら心とかかな
秘密を持つ人間は誰かにバラシたくなる衝動に駆られる
784 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 21:34:26 ID:lWHC+TYX
なんで本能寺研究の史家や作家ってこんなにレベルが低いんだろう。
まともに連歌を読む技術すらないのかね。
785 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 22:44:21 ID:Itl1le1K
まともに読んだら追従になってその他大勢になり目立てないから曲解によって目立とうとする
小学生のころクラスにいたろ?そのまま中年になるとこうなる
786 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 01:23:43 ID:mx7xAoiU
>>784 ひとくくりに「本能寺研究の史家や作家」というのは、真面目にやってる人に失礼
本能寺の変に、黒幕説とか陰謀論が乱立するのは、
需要があるからこそだというのも忘れちゃいけないと思うなあ。
多くの歴史ファンは、当たり前で面白みのない野望説よりも、黒幕説の方を求めている。
歴史ファンのニーズに答えるため、本能寺の変を歴史ミステリーに仕立て上げた、
マスコミ・出版社関係の役割も無視しちゃいけない。
それらが重なり合って、本能寺の変に対する妙な関心の高さが出来上がった。
邪馬台国問題もこれに近いけど、
こっちはさらに、村おこしやら、お国自慢やら、地元意識が密接に絡まって、よりめんどくさい。
787 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 10:03:30 ID:aTqdxSq/
>>782 同意。
彼らと議論すれば、何か新しい示唆が得られるかと期待したオレがバカだったよ…
788 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 11:03:36 ID:mO6iH4d/
2ちゃんねるに多くを期待する人も珍しいが…。
一ヶ月で788スレ、皆さんが本能寺の変や信長光秀、その時の状況に興味が有る
事が良く分かります。様々な人達から、様々な意見が出され、すったもんだする、
水かけ論になってしまうと自分も卑下しましたが、よーく考えてみると、偉い
教授さんが机上で考える研究より、意味深な気がします。
極論で言えば、本能寺の変に限らず、歴史の事柄等は文献や資料の信憑性の高低
により決定します。歴史学そのものは飛躍的な話は頭から取入れません。つまり、
文献頼みです。文献の信憑性を文献で確かめる繰り返し。確かに大事な事ですが、
新たな歴史的な発見がない限り、先に進まない。
その点、この2ch論議は様々な方々の様々な意見を見聞し、方向性を見出す。
研究者からすれば、鼻で笑われるかも知れませんが、一向に気にする事じゃな
いですよ。今後も皆さんの様々なご意見を期待します。
790 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 15:53:11 ID:XX9Thknu
2ちゃんというぐらいだから、珍説奇説いっぱいかと
思ったら、普通に保守的というか学校で教えられてるのが
正しい、という感じでつまんないな。
歴史は暗記科目じゃない、というぐらいの自由なふいんきが
2ちゃんらしいんだが。
ゼミで教授の言うとおりにみんなが同じこと言ってる、そんな
のは共通一次以来ますます強調されたらしいんだが、そういう
年代の人たちが多いのかね。
791 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 16:20:20 ID:xNVUl4uE
792 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 16:31:03 ID:2Wl6dBCM
>>791 黒田如水。贔屓の引き倒しで、潰れかけてる気がするよ。
793 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 16:42:09 ID:6Sp4iF06
794 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 17:00:01 ID:CA8tTL46
「自由」と「無軌道」はまったく別の概念
795 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 17:50:20 ID:mx7xAoiU
796 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 18:04:43 ID:aTqdxSq/
>>790 >ゼミで教授の言うとおりにみんなが同じこと言ってる、そんな
>のは共通一次以来ますます強調されたらしいんだが、そういう
>年代の人たちが多いのかね。
単に一次史料に基づいて無難な推論をする論者を支持しているだけでしょ。
「自由な議論」がやりたきゃ
>>791のスレ主みたく、ルール無用のスレ立てりゃいいんじゃね?
797 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 20:03:27 ID:zdwdFQQ8
つられてみる。
徹底考察なんだから、無難な推論、でなくても少しぐらいは
いいんじゃないの。
愛宕百韻について、連歌的解釈、じゃなくて、ぶぶ漬け解釈、だって
直後に光秀が変を起こしている以上、少しは触れてみたいとこだけど。
連歌を読む技術、というのは平時にはもちろん有用だが、あくまで
謀反の本人が数日前に読んだ、という意味に重点を置いた、という
ことでね。
チクられるかもしれないから心中を打ち明けるはずが無い、というのが
よくある反論なんんだけど、参加しちゃった以上はチクったほうだって
無事すむかどうかわからない。
光秀だって、ロコツに謀反企画をうたったわけじゃないし、チクるつもりなら
返歌もあんなヤバそうにかえすわけないだろうし。
ちなみに779が、アカの他人、という言い方してるけど、これも一人ずつ吟味すると
アカの他人とはいえないひとばかり。
なので、アカの他人に〜、という反論の前に、本当にアカの他人だったか、
という感じでの、具体的各論、ぐらいはこのスレでいいんじゃないかな。
無理やり本能寺に結び付けてるのじゃなくて、実際に数日後に起きてる
のだしね。
798 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 05:11:07 ID:l1g9xysI
>>776=
>>797かな?
>>790も同一人物?
まあ、別人だろうとどうだっていいが、
よっぽど、まともな学問的な思考や考察がお嫌いの人がいるようだね。
前も妙に井沢の思考を賞賛してたから、井沢信者の方かな?
「徹底考察」していく過程で、妄想、珍説、ガセの類が排除されていって
結局「無難」と君が思うのが残ったわけだが、
どうしても認めたくないから、文献主義とか暗記科目とかいう批判方法にシフトしたわけ?
別に愛宕百韻が本能寺の変に関係あると主張するのはかまわんよ。
どう関係するのか、根拠をあげつつ筋道だった説明をしてくれればいいだけ。
それをやらずに「関係ある可能性もある」と、毎度の可能性論を振りかざしてばかりだから
「宇宙人の仕業の可能性もあるね」と一蹴されるだけ。
学問的な「徹底考察」がお嫌いで、仮説、妄想をとにかく垂れ流したいというなら
>>796の言うように、そうしたスレを立てたほうがいいんじゃない?
799 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 07:31:13 ID:u88nQyHW
井沢はやたら信長を天才と繰り返すからちょっと苦手で、その可否は
ここではスレチになるからね。
>愛宕百韻が本能寺の変に関係あると主張する
これに関してだけど、四国政策説にしても野心説にしても、本能寺と言う事実、
結果からはじまって過去の光秀の行動にその根拠、原因を求めめられる
のではないか分析しようとしてるわけですよね。
同じように、変の本人が数日前に詠んだ連歌というのに「何らかの意味性が
あるのではないか」と考えるのは普通の疑問ではないだろうか。
よく「結論ありきだ」という反論が帰ってくるけど、本能寺という
結果からの分析である以上、こういう疑問を「あの連歌会の参加者はアカ
の他人である」「ならば本心を事前にいうわけない」「愛宕百印は変と無関係」
とこういう論なら納得なのですよ、疑問に答えてありがとう、ってとこで。
同じように「変の何十年も前に詠まれた」「なので一般的連歌解釈で解釈するのが
妥当」これも了解なんです。
ただ鈴木的反論というのは、部分的に「アカの他人」「連歌的解釈できるのをなんで
わざわざ変と結びつける」みたいな感じだから、一度このあたりの確認をしてみたい
ような。
>根拠をあげつつ筋道だった説明
これに関してで、あくまで手法論なんだけど「変の本人が数日前に詠んだ」「これは
野心説、四国政策にしろ、本人の中の問題意識と関係あるのではないか」という疑問
から出発してるわけで、根拠とか筋道だった疑問と思うのだがどうだろう。
このあたり、こちらは素人だもんで一度ぜひお聞きしておきたかった。
「数日前に詠んだことと数日後の行動の関係の根拠は?」とまで言われると
少しあれだが、野心説でも大きいのになると、1568年の上洛時から、なんてのも
あるからね。数日前のことならばそれなりの意味はあるのではないか、と
いうの、そんなに突飛な疑問とは思えなくて。
800 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 07:48:14 ID:u88nQyHW
長くなって悪いけど「それも可能性論で何度もレスされてる」と
言われるかもしれないけど、疑問に的確にお答え頂けてとても
感謝してもいることも多いのですよね。
「宇宙人〜」みたいな疑問なら叱られて当然だけど、こちらも
ある程度の根拠や筋道はあるわけで、その手法と言うか
論の進め方、というか、そういう点に関しての確認というかね。
自分は野心説系なので、愛宕百韻にも以前から関心があって
ちょっとふれておきたかったんだ。
別スレたてるまでもなく「アカの他人じゃないのでは?」「連歌的
解釈にこだわるのもどうか」とこの程度の質問、確認なんだけどね。
ここから先はそれこそ各論だからスレチになるしね。
801 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 11:08:11 ID:GwxXlwqC
浅からぬ文の数々よみぬらし 行祐
とけるも法は聞きうるにこそ 昌叱
意味深い文の数々、教養が無ければ解くことはできない。
802 :
779:2008/07/24(木) 11:20:03 ID:N2extuiI
>>800 オレが言っているのは「身内である家臣に謀反を直前まで明らかにしなかった光秀が、身内でない連歌衆
に謀反をほのめかすのは、保秘の観点から説明がつかないし、デメリットしかない」ってこと。
連歌衆と異なり家臣でも、漏洩されりゃデメリットだが、賛成してくれりゃ謀反遂行の貴重な戦力になる
メリットはあるわな。
ところが、光秀が謀反を主だった家臣に告げたのは、亀山出陣の直前・直後というのは史料のみならず俗
書ですら一致している。
換言すれば、比較の観点からすると、謀反遂行にあたって運命共同体である家臣と、そうでない連歌衆の対
応のアンバランスさの説明ができないってこと。
光秀は史料上、24回の連歌に参加した記録があるから、里村らは「アカの他人」ではなく塵外の友なのは否定し
ないが、少なくとも軍事行動においてはアカの他人だわな。
あなたの推論が成立するには、光秀が連歌衆に対して「彼らとの一部のつながりは保秘の点では家臣を凌駕
する。ないしは漏洩されなきゃ家臣以上のメリットがある。」って説明がいるね。
むろん、人間はいつも合理的な行動をとるとは限らんので、「うっかり魔がさして本音ポロ」の可能性は否定
しないが、それは到底「無難な推論」とは言えんわな。
それを「無軌道な推論」と言う。
803 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 11:24:03 ID:tQ1RZCOW
>>801 × 教養が無ければ解くことはできない。
○ 先入観があれば曲解できる
ノストラダムスの「予言書」と同じ。
だいたい、当時の「連歌」は、とんち言葉遊びみたいなもので
「和歌などと違って、教養がなくても(むしろ無い方が)楽しめる」っていう、軽い遊び。
それを重々しく「解釈」仕様とすること自体、話をおかしくする元だ。
804 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 12:47:22 ID:l1g9xysI
>>800 で、君は一体何が主張したいの?
反論があるなら、愛宕百韻と変について、何がどのように関係性があると思うのか、
具体的に筋道立てて論を述べなさいよ。それが「徹底考察」でしょ?
無意味に「だってボクは関係ある可能性はあると思うんだよ」と繰り返す
なんの進展もない、中身もない、ただの自己弁護だけの長文レスは不用
805 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 14:02:21 ID:GwxXlwqC
>>803 和歌をベースに賦物、去り嫌いなどの規定を追加して詠み継いでいくのが連歌。
連歌をベースに教養が無くても楽しめるようにしたのは、庶民の間にも流行った俳諧連歌とか狂歌の類だね。
室町時代連歌の賦物には、「源氏物語、平家物語」などがよく使われたので、
戦国武将達はこうした古事を教養のたしなみとして読んだ歴史がある。
806 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 16:17:41 ID:Bo55bFpy
「愛宕百韻」から光秀がその時すでに本能寺の変を起こす心境にあったかどうかを汲み取ろうとする作業は決して無意味ではない。
が、あくまで光秀の心境がどうであったか、そこに本能寺の変に至りそうなものがあったかどうかを推察するのが精々だろうね。
そこが陰謀をともに図る場であったとか、光秀が何かを期待して自分の心情を暗に仄めかしたとまで主張するのはちょっとムリがあるなあ。
807 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 17:13:44 ID:GwxXlwqC
連歌の知識がない人にはそう感じるのかもしれないけど、例えばこの句。
秋は只涼しき方へ行きかえり (行祐)
尾上の朝け夕ぐれの空 (光秀)
これは情景描写の連歌の脇句としては成立してない。
しかし秋を義昭、涼を京として取り成すと脇句として成立する。
妙な解釈の方が文学的には正しいところもある。
>>806に同意します。
>>807は連歌の知識が高い方だと思います。ですが光秀が根本的に戦国時代の武将
であるという所を失念してはいないでしょうか?
義昭や京や数寄に対する過去の想いとこれから起こすであろう謀反との狭間の心情
を穏やかに自身でなだめている様に私には解釈出来ます。
809 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 18:32:10 ID:Bo55bFpy
>>807 > これは情景描写の連歌の脇句としては成立してない。
> しかし秋を義昭、涼を京として取り成すと脇句として成立する。
で?
光秀は義昭と共闘して変を起こしたのか?
義昭を将軍として復帰させるべく(まあ依然として義昭は征夷大将軍だったわけだけど)変を起こしたのか?
性急に結論を求めているようで悪いが、その辺はどうなの?
810 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 18:51:56 ID:/BlF4U3P
>>809 でもそれなら、義昭は毛利家にかくまわれているんだから毛利が秀吉と和睦することはないだろう
811 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 18:56:51 ID:GwxXlwqC
>>809 秋風もしらぬ夕やぬる胡蝶 (昌叱)
とあるから事前に謀反の次第は通知してない事がわかる。つまり共謀ではない。
義昭を上洛させる意は他にも見受けられるのだけど、これはあくまで謀反後の政治構想であって、
それが謀反の直接的な理由だと汲み取れそうな句は見当たらないかな。
光秀個人の心境は
>>677にある部分が心情描写になってる。
812 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 19:45:40 ID:GwxXlwqC
>>808 >光秀が根本的に戦国時代の武将であるという所を失念してはいないでしょうか?
とは具体的にどういったこと?
813 :
サイコメトリー:2008/07/24(木) 20:37:33 ID:oKW8v4ex
慇懃で教養豊かな光秀も権謀術数に長けた老獪な人物。その姿こそが彼の本分であり、戦国武将の本分という事です。
814 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 20:54:39 ID:GwxXlwqC
そういった先入観の色眼鏡を掛けて人物を見ようとすると、客観的な評価が出来ない気がするけどね。
815 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 21:09:45 ID:fJk5FGEa
愛宕百韻は本能寺の変を解く暗号だとかいう
先入観の色眼鏡を掛けて解釈しようとすると、どういうことになるだろうね
816 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 21:16:27 ID:tQ1RZCOW
ダヴィンチコードとか、そのたぐいだな。
817 :
サイコメトリー:2008/07/24(木) 21:19:14 ID:oKW8v4ex
>>814 連歌についての知識は凄いと思います。上級者として、私の解釈はどの様に思いますか?
818 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 22:03:37 ID:fSDx37ee
在日特権
1. 日本国公文書への通名使用可(外国人登録を行っている全ての外国人が可能)
2. 永住資格(非権利)(国籍にかかわらず永住資格は申請できる)
3. 犯罪防止指紋捺印廃止(全ての外国人が指紋押捺廃止)
4. 所得税・資産税等税制優遇・相続税(全ての在日外国人に外国納付税額控除制度がある)
5. 生活保護優遇
6. 永住資格所有者の優先帰化
7. 大学入試における外国人学校卒業者への高卒学力認定試験免除
8. 外国籍のまま公務員就職
9. 公務員就職の一般職制限撤廃
10. 大学センター試験で英語・フランス語・ドイツ語・中国語・韓国語を外国語試験科目として選択可能へ
11. 外国において、学校教育における十六年の課程を修了した者、朝鮮大学校卒業者の司法試験一次試験免除
12. 国民年金の自治体特別給付(全ての国籍の外国人が対象)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E7%89%B9%E6%A8%A9
819 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 22:09:49 ID:Wvz1hIr4
江戸時代からやってることを今さら
820 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 22:33:42 ID:GwxXlwqC
>>817 >義昭や京や数寄に対する過去の想いとこれから起こすであろう謀反との狭間の心情
>を穏やかに自身でなだめている様に私には解釈出来ます。
狭間の心境を表したいなら谷って言葉を入れたりする場合が多いかと。
尾上の朝け夕ぐれの空
これの場合朝焼けの空と夕暮れの空が同時にある妙な情景になっちゃうよね?
なので朝けは御上の時代の夜明けと捉えて心情は暮れの空とするのが良いかな。
新しい時代を迎えても一概に喜べず暮れる想いもある。
解釈が正しいかは次の句を見ると参考になるんだけど、
立ちつづく松の梢やふかからん
と並び立つ松の木が生い茂ってる様子だよね。
情景が続かない難解な句がやってくるので厄介なのよね。
>>816 日本の古典文化って暗喩のメタファーを趣があるとかいって楽しむ文化ばっかだから。
日本庭園、枯山水、盆栽、浄瑠璃、能、和歌とかそんなんばっかでしょ。
821 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 22:45:21 ID:cGEXQR4E
>811
>秋風もしらぬ夕やぬる胡蝶 (昌叱)
>とあるから事前に謀反の次第は通知してない事がわかる。つまり共謀ではない。
ということを里村昌叱は知っていて詠んだというの?
822 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 23:01:43 ID:fJk5FGEa
しかしまあ、連歌師どころかその弟子まで、あげくに愛宕神社の関係者まで、謀叛の計画を熟知してるとは
大層謀議に関わる人間の多い、大規模な陰謀ですねえ。
光秀さんも、連歌師相手に、変後の政権構想の話までするとは、
なんともたいした度量をお持ちのことで。
「暗喩のメタファー」とやらが常識な世界で、
謀叛に関する暗喩が読み取れるような連歌を、
変もまだ成功してないのに、堂々と記録して残しちゃうあの一同も、たいした度胸の人達だと思うよ。
いやあ、あれだけの謀叛の陰謀を企てる人たちは並じゃないねえ、と感心しきり
823 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 23:22:32 ID:GwxXlwqC
>>821 知ってないと読めない句をこの人たちは読んでる。
さらに連歌の終盤になると参加してる彼等は高揚してるのか,風情が無い句が多くなる。
はるばると里の前田の植ゑわたし 宥源
こんな句まで入ってる。
後世の軍記物の作者がわざわざ百句すべて載せた理由ってなに?
さしたる意味も無いなら割愛されてもおかしくないのにね。
824 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 23:32:57 ID:tQ1RZCOW
>>823 それこそ「軍記もの」だからのせたんだろ。
ミステリーの風味付け。
825 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 23:47:32 ID:J+Vs52vm
>>820 >これの場合朝焼けの空と夕暮れの空が同時にある妙な情景になっちゃうよね?
対比するものを並べる表現なんて不思議でもなんでもなく普通にあるが。
>>823 >知ってないと読めない句をこの人たちは読んでる
つまり百韻参加者は光秀の反乱計画をしっていたと。その上で黙っていた(通報しようとした動きがない)、
さらに光秀も彼らを拘束しようとした動きがないということは、参加者はみな反乱に賛同してかつ同士に
なったと看做すしかなくなる。
ところがこの百韻参加者の6月以降の動きを見ると、とても反乱参加者とは思えんのだが、そのあたりの
説明はどうなってるの?なんで信孝や秀吉が追求して処罰を降さなかったの?
826 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 23:51:29 ID:fJk5FGEa
>>823 つまり、その軍記物の作者とやらも、百韻にこめられた陰謀の暗喩に気付いていたと?
それにしちゃあ、その軍記物の作者とやらまでが気付く暗喩に、
近年陰謀論が流行するまで、言及する人が皆無というのも不思議な話だねえ。
暗喩を読み解くのが楽しみの世界だろうに。
ここ十数年以前の日本人は、
自分の見識を賢しら顔でひけらかさない、なんとも慎み深い人たちばかりだったんだね。
827 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 23:53:41 ID:GwxXlwqC
>>822 >謀叛に関する暗喩が読み取れるような連歌を
>>801にもあるようにこの連歌衆は挑戦的な文言を残してる。
どうせ教養ないやつにはよめねぇよwww
みたいなのりだろうね。
構成の人間は謀反を知ってるからこれを見て謀反を想起出来たが、
事前に見せられても謀反の証拠とは言い切れない内容でしょ。
828 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 23:54:14 ID:GwxXlwqC
失敬、後世の人間ね
829 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 00:14:48 ID:6C4eqnSY
面白いサイトをみつけた。無断リンク失礼
ttp://www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/atago.html 連歌に用いる暗喩というのは、昨日のID:GwxXlwqCが得意気に語ってる暗号ごっこじゃなくて
こうした古典教養に基き連想されるべき暗喩なんだろうね。
ただ、陰謀論の暗号解読に夢中になる人は、当時の知識人と違い、古典教養を身につけてない。
だから知識の共有ができておらず、こうした暗喩も理解できず、
単純に謀叛の陰謀の暗喩という、なんの教養も必要ない解釈しかできないんだろうね。
830 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 00:25:34 ID:q0+3aRBW
>>825 謀反人を執拗に追及したのは信孝でしょ。
秀吉はむしろ吉田が変後光秀に接近したにも関わらず施薬院全宗を通じて許させようとしてなかったっけ?
吉田を追及しようとした信孝家臣の津田越前入道とやらは直後に謎の失踪を遂げると。
秀吉は後年の動きから見ても、朝廷権威とくっついて利用する腹があったから無理に追求して関係悪くしたくなかったんでしょ。
>>826 勝手に曲解しないでくれ。うちは陰謀説じゃなくて光秀主導説。
ちなみに昔の人間が陰謀説思いついても朝廷が黒幕だったなんて本書けるわけないでしょ。
江戸期なら打ち首にされるよ。
今でも菊タブーて言う概念があって出版関係だと憂慮するのに。
831 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 00:49:14 ID:6C4eqnSY
>>830 そちらこそ、なに勝手に曲解してるの?俺がいつ君のことを朝廷黒幕説とか言った?
別に光秀主導か、唆されたか、関わらず、
連歌師やら、神社の関係者まで抱きこんで、事前から謀叛の計画を練ってたというのが
陰謀説でなくなんという?
大体「陰謀説じゃなくて光秀主導説」と言いながら「朝廷が黒幕だったなんて本書けるわけないでしょ」
とは、もう支離滅裂なんだが。
光秀主導で、連歌師やらが共謀者の謀叛の陰謀をネタにしたぐらいで
江戸期なら打ち首にされたの?幕政批判でもあるまいし。
暗号ごっこに夢中になりすぎて、肝心の変の解釈が破綻しちゃあ、本末転倒だよ。
832 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 01:46:42 ID:q0+3aRBW
>>831 >連歌師やら、神社の関係者まで抱きこんで、事前から謀叛の計画を練ってたというのが
>陰謀説でなくなんという?
陰謀説は黒幕存在説の総称じゃないの?
うちは政治思想の食い違いの単純なクーデターだったと思うけど。 これって光秀主導説?野望説?陰謀説?
当然事前に仲間の取り込み工作はしたはず。
無意味に謀反を知らせていた訳もないだろうし、連歌衆はその為の接見役を担っていた。
細川の書状を届けたのも里村だと言われてるし。
賢きは時を待ちつつ出づる世に 兼如
心ありけり釣のいとなみ 光秀
とあるように時期を伺ってたみたいだけど。下の光秀の句は太公望にでもなぞらえてるんでしょ。
>光秀主導で、連歌師やらが共謀者の謀叛の陰謀をネタにしたぐらいで
里村達は徳川で幕府連歌師となってたとおもうけど。
そんな権威を公にしてネタで済むものなのかね?
833 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 02:12:18 ID:HBMX9AMU
なんというか、まんま、「知識の無い日本人によるノストラダムス大予言詩解釈」だな。
中世フランス語の言い回しや慣用句、当時の習慣や政治的状況、社会、常識を知らない
現代日本人が自分の知識だけで解釈してまるで見当違いな結論を導いてるけど、まんま
だな。
歴史知識がまるでない、精々学校の教科書レベルの人間が現代国語辞書片手に源氏物語
や平家物語を訳そうとするようなもんだな。
834 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 10:42:53 ID:2KByxmb3
まぁ愛宕百韻は信長公記に記載されてるから、それっぽく感じ取れるのは確か
常山紀談にある秀吉の里村紹巴への叱責は本当かどうかは確かめようがないけれどね
835 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 12:10:20 ID:rQJISRrl
@愛宕百韻で連歌衆相手に「謀反の結果から逆算すると謀反の示唆ととれる句を詠む」
↓
A明智滅亡後に、織田信孝が越前入道を使者にして吉田宅に詰問に来る
↓
B秀吉から信孝に「まあまあ追及しなさんな」と圧力がかかる
↓
C信孝から吉田に「越前入道はオレと無関係だからスルーして」との書状
↓
D里村らは信長の追善供養連歌に参加
ていうのが、「愛宕百韻の解釈」に共謀を見出す論者の理屈かな。
一方、
T愛宕百韻は「ノストラダムスの大予言」
↓
U変後に、光秀は吉田と謀反の存念を語り、里村らと会合する(兼見卿記別本)
↓
V明智滅亡後に、信孝が「変後に接触した吉田・里村が、光秀と事前共謀したのではないか」と疑う
↓
上記A〜Dの流れ
というのが、オレの意見。
いずれの解釈も成立しうるが、なんで越前入道は里村ではなく吉田を詰問したんだろうね?
連歌の内容に疑いをかけるなら里村を詰問すりゃいいのに。
里村詰問の件は、
>>834のいう「常山紀談」という俗書がソースだから、「本当かウソか」というとウソ
だと思う。
また、信長の執拗な性格を熟知している光秀が、暗喩か知らんが大胆な句を読むかね?
暗喩にしても「連歌衆とは古典を踏まえた言葉遊びという共通言語」で謀反を示唆した以上、連歌衆には生の言葉
で語ったのと同じじゃないの。
京都の町衆である里村が本能寺の信長に「私の解釈だと光秀は腹に一物持っていますぞ!」って通報するなんてあり
得ないと光秀はタカをくくっていたのか??里村は連歌ではこの時代では権威的存在だろうに、権威者たる里村の解説
付きで信長に通報されりゃ、信長も「きんか許さん!」って一巻の終わりだわな。
「惟任謀反記」や「信長公記」に百韻の句が掲載されたのは、
>>834のいう「謀反という事実から後付けすると
それっぽく感じと取れる」にすぎないからで、それ以上でも以下でもないと思う。
836 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:13:19 ID:v5dv92iE
837 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 23:21:47 ID:J78r3/um
>>835 >いずれの解釈も成立しうるが、なんで越前入道は里村ではなく吉田を詰問したんだろうね?
>連歌の内容に疑いをかけるなら里村を詰問すりゃいいのに
まず、越前入道の吉田詰問は、連歌は関係無いだろ。
吉田は、変後の朝廷・光秀間の折衝役を押し付けられた。
その役目上、何度も光秀と会うことになり、
光秀が朝廷・寺院に献金の際、吉田にも銀50枚が送られている。
こうした理由で、光秀との関係に疑惑が向けられるのもある意味当然で
事前の陰謀とかは一切持ち出す必要なく説明できる。
838 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 08:34:05 ID:Om3VkAbb
>>835 >また、信長の執拗な性格を熟知している光秀が、暗喩か知らんが大胆な句を読むかね?
>「謀反という事実から後付けするとそれっぽく感じと取れる」
二重規範な論理だね・・・。
>京都の町衆である里村が本能寺の信長に「私の解釈だと光秀は腹に一物持っていますぞ!」って通報するなんてあり
>得ないと光秀はタカをくくっていたのか??
謀反の意を話す前に人物を判断くらいするでしょ。それで密告されたら諦めるしかない。
それでも謀反なんてものは珍しくも無かったけどね。
839 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 09:03:58 ID:Om3VkAbb
春も猶鐘のひびきや冴えぬらん 昌叱
かたしく袖は有明の霜 心前
うらがれになりぬる草の枕して 兼如
聞きなれにたる野辺の松虫 行澄
鐘の音が響かないのを受けて心前はとある人物を思い浮かべる。
有明肩衝という茶器を所有する人物を。
別れ別れになって枕を濡らす、音に聞こえた光秀と藤孝の友情。
事前に謀反を知らなかったらそれこそノストラダムスの預言書だ。
840 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 09:58:14 ID:Om3VkAbb
謀反を前に懇意付き合いだった細川を誘わないってのは逆におかしい。
ただし細川は信長にも恩義はあるだけに応じてくれなくて、こんな句が存在してると考えるのが理にかなうと思うけど。
どれもこれも、なにもかも偶然、こじつけの予言なの?
細川は事前に謀反が起こることを知っていたが、光秀のことを考えると密告も出来なかった。
感情の板ばさみにあって何も出来ずに、結果として信長を殺してしまう事になる。
その結果、信長に謝する意味で剃髪と一貫した同調しないと言う姿勢だったのではないだろうか?
後世の人間は細川の時勢を見る目ばかりに着目し、政治的にクレバーな判断を下しただけと見る。
彼が情緒豊かな詩を読める、古今伝授の歌人だと言う事は念頭に置かれていない。
光秀に加担する事を表明する為に、または信長を弔う為に出家したと伝わるが釈然としない。
それならば他の多くの武将達が同じような行動を取ってもおかしくないはずだ。
841 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 10:02:46 ID:Om3VkAbb
×光秀に加担する事を表明する為
○光秀に加担しないことを表明する為
842 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 10:37:14 ID:+ZFyvZs3
愛宕百韻は謀反の暗喩なのはガチだよ。
ただ、すぐ行動する気はなかった。これは釣りか太公望の句の解釈から明白である。
光秀は愛宕山を降りた後に、「やべ。里村チクらないかな」と急に心配になった。
そして、京都を偵察させると、何と信長親子が謀反して下さいといわんばかりの無防備ぶり。
光秀は謀反の予定を急遽繰り上げて本能寺を襲撃した。
当然、ビジョンなんてない。
もう連歌でウンチクオナニーたれるのやめようよ。つまんない。
843 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 10:57:36 ID:+ZFyvZs3
>>838 >謀反の意を話す前に人物を判断くらいするでしょ。それで密告されたら諦めるしかない。
自分の組下や家来にまだ相談してないのに、なんで里村の人物を判断する必要がある?
光秀にとっての里村の利用価値は、明智重臣・細川・筒井以上だったわけだwww
そんな屁理屈こねてまで、連歌の解釈やりたいの?
844 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 11:19:00 ID:Om3VkAbb
>>842 なんで里村がわざわざチクる必要がある?
上層の町衆の出で生活に困ってたわけでもない。
高名を得てる立場なのに密告の汚名を着て「人でないよ里村は」とでも呼ばれたかったのかい?
むしろ武士じゃないから本音を仄めかせるんじゃないの?主従関係があるわけでもないし。
この連歌衆だって一方的に光秀に利用されて謀反に加担するわけないじゃん。
教科書の織田信長の功績では自由な交易と文化発展云々といわれるが、名物狩りと揶揄されるような文化弾圧的なこともやった。
比叡、京都に対する焼き討ちをやったり怨恨くらいもってるとおもうけど。
まったく恨みの念もないと考える方が異常なんじゃないの?
で、役にたたなそうな連歌衆は古事や詩の指南で各地の権力者のコネがあるんだから使いようによっては
いくらでも利用価値があったと思うけど。馬鹿とハサミは使いようっていうでしょ。
845 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 11:41:59 ID:DKjt0iig
変直後の細川への手紙が偽造説は?
846 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 11:47:52 ID:4q6zdDuM
>>844 光秀が謀反に失敗した場合、生活どころか生命まで危機に陥るからです>チクる必要
光秀とは親しくつきあっていたけど、謀反のことなんて知らなかったよ、というのと、
謀反計画のことは知っていたけど通報しませんでした、じゃあまるで違う。
前者なら証明できれば無罪放免だが(言い換えれば、証明できなければ本当に謀反計画に
関わっていなくても処罰される)、後者の場合謀反に加担したと看做されて処罰される。
里村たちにとって、そんなことを事前に知らされるなんて迷惑以外のなにものでもない。
「謀反とか天下とか、そんなの武家だけでやってくれよ。オレらを巻き込むな」というのが
真情だろうな。もし謀反に反対するような意見を述べたら、光秀は機密保持のために自分
達を拘束監禁するか、いっそ殺すことすら考えられる。
つまり、もし光秀が百韻で謀反の真情を吐露して、参加者たちもそれに沿った返歌をして
いたのだとしたら、参加者たちが生命の危機を回避する手段は二つ。
1.生命がけで脱出して信長にチクり、わが身の安堵を願う。(自分は計画に無関係ですよ!)
2.光秀の計画が成功(信長殺しだけでなく、その後光秀が勢力として安定するまで)する
己の全知全能を傾けてサポートする。
ところが、どちらの動きも見られないんだよな。
847 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 11:49:31 ID:Om3VkAbb
あれ自体は偽造ということで間違いないらしいけど、内容が写本ベースなのか、まったくの捏造なのかはわからん。
848 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 12:36:09 ID:Om3VkAbb
>>846 連歌衆って重度の強迫性精神疾患でも患ってたの?
849 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 18:34:40 ID:+ZFyvZs3
>>844 >まったく恨みの念もないと考える方が異常なんじゃないの?
恨み持った里村が、信長追善供養の連歌に参加するとはお笑いだな。
里村は供養連歌やることで、自分の罪を秀吉に許して貰ったのかね?
>使いようによってはいくらでも利用価値があったと思うけど。
確かに里村は門跡・公家にはルートを持っているが、「利用価値」が何かを示してよ。
やっと、連歌解釈論から「里村共謀説」に進んだね。
>>846 >もし謀反に反対するような意見を述べたら、光秀は機密保持のために自分
>達を拘束監禁するか、いっそ殺すことすら考えられる。
同意。
光秀は自分の利得の為に、主君の朝倉・足利を見切った男だぞ。
織田を見切る際に障害となるなら、里村すら殺すだろうよ。
連歌衆との友情にかまけて、一族滅亡のリスクを甘受するほどの愚物ではないよ。
850 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 19:03:15 ID:jDUY7wx6
最近、難しい論議ばっかで、話に加われない
単純な話させて。光秀が変を起こした理由は、疲れたからだと思う。
これから先まだ続くであろう戦に嫌気がさしていて、信長さえ殺せば、戦いの強要はされず、あわよくば、京周辺一部をおさえられる。かなと。無理あるかな?
851 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 19:08:20 ID:4raNBEUR
852 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 19:19:42 ID:jDUY7wx6
853 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 21:19:21 ID:u6lqs1UC
>>850 単純な話だけど信長の武将達の世代交代の無さ(死亡とか追放を除く)ってどうなんだろうね
光秀にしても勝家にしても一益にしても、追放された連中にしてももう隠居しててもおかしくないもんな
854 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 21:41:12 ID:pdzaxdRe
>>850 夜釣りか?
戦国乱世で主君信長を殺して京都を制圧すれば安心して暮らせるなんて、どんなお花畑だよ
855 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 11:43:28 ID:VkST8cQW
>>849 >恨み持った里村が、信長追善供養の連歌に参加するとはお笑いだな。
>里村は供養連歌やることで、自分の罪を秀吉に許して貰ったのかね?
恨みを持つことと無慈悲な事は別でしょ。光秀も信長を弔ってやれっていってたし。
追悼連歌は秀吉の示唆ってのは妥当な観点かもしれない。
里村のつけた3句目は信長追悼の句というより、光秀追悼の句になってる。
>確かに里村は門跡・公家にはルートを持っているが、「利用価値」が何かを示してよ。
愚問を問う意味が解せないな。
政治においては人脈、影響力こそが何よりの利用価値だよね。
歴代の権力者が高名な文化人厚遇して抱えてきたことはなぜ?
それに里村は裏方に留まらず表舞台に出て協力してる。
本能寺の変当日、誠仁親王を二条御所から連れ出すのに一役買った。
命がそんなに惜しいならのこのこと戦乱の渦中に出てきたりするものだろうか?
おかげで明智勢は信忠を討てたことだけでなく、朝廷から敵視されずに済んだ。
そしてこの事は、吉田兼見の日記では改竄され隠蔽しようとした。
同日、細川に早打ちの使者となったのは愛宕の僧で去就を問う役目を果たしてる。
サポートするってこういったことじゃない?
それとも○ボタンを押すと連歌の巻物が光り輝いて光線が飛び出すとかファンタスティックな事を指すのかな?
光秀は里村を殺し、里村は密告すると言う。そして人脈の使い方が分からない。
人格批難をするつもりはないが、いくつか人間不信の兆候が見えるんだけど、だいぶ我執に捉われてない?
856 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 12:33:15 ID:ByQIoBts
>>855 どうみても、論で勝負できず、人格批難にはしってます。
里村が変の共謀者という我執にとらわれてるのはあんた。
批判的意見に対し、幼稚な煽りや人格批判でしか返せないようなら
もうここに来る必要ないよ。見苦しいだけ。
857 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 12:52:34 ID:tqVmmhlT
>>855 >光秀は里村を殺し、里村は密告すると言う。そして人脈の使い方が分からない。
まじで言ってるの?それとも釣り?
光秀は最高の武権保持者を殺す計画をしたんだろ。光秀にすりゃ荒木の例を挙げるまでもなく、一族滅亡のリスクを抱えた
大博打だわな。
おめーのアタマはこの計画のメリットの計算ばかりで、リスクの計算ができないと見える。連歌に参加したのは里村一人じゃない
し、彼らが密告する可能性もないと本気で思っているのかね。連歌参加者すべてが信長に恨みを持っていたのか?
人間不信?桂川を渡った明智先鋒隊に光秀がどういう指令だしたか思い出せ。
現代と戦国時代を混同してないか?
>サポートするってこういったことじゃない?
これっぽちの反対給付で光秀が謀反の計画を事前に匂わせたのか。
愛宕の僧と里村に何の関係がある?里村だけがこの僧の関係者か。
里村は粗末な駕籠を用意しただけなのを知らないと見える。里村が二条新造での誠仁退去について、
光秀・信忠の仲介をした事実でもありゃともかく、駕籠の用意がサポートになるかね。
兼見の日記改竄の理由はオレにはうまく説明はできないが、単に変後に兼見・里村と光秀が会合した
記事もあって、これを抹消したついでに駕籠の記事も抹消しただけでね?
>それとも○ボタンを押すと連歌の巻物が光り輝いて光線が飛び出すとかファンタスティックな事を指すのかな?
ネタならもっと面白いこと書けよ。つまんない。
人格批難をするつもりはないが、連歌の解釈にとりつかれて、だいぶ我執に捉われてない?
858 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 14:39:41 ID:zdkNC+Zz
論拠である連歌の解釈に固執しなきゃ論が崩壊するから仕方ない
思考回路及び価値観がズレた人と議論しても平行線になるだけだと何度言えばry
859 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 14:55:13 ID:tqVmmhlT
>>844 >教科書の織田信長の功績では自由な交易と文化発展云々といわれるが、名物狩りと揶揄されるような文化弾圧的なこともやった。
>比叡、京都に対する焼き討ちをやったり怨恨くらいもってるとおもうけど。
名物狩りが、なぜ連歌衆の恨みになる??
71年に焼き討ちしたのは上京が親足利だったからだろ。信長は焼き討ち後に上京の地子銭・諸役を免除して
フォローしてるじゃん。
傍証でいいから、変当時に「里村の信長への恨み」があったという証明してよ。
あと、愛宕百韻に参加した(町衆でない)2人の住職と、3人の弟子も恨みを共有してたって証明もよろ。
860 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 05:53:11 ID:1eqVfnrI
本能寺の変秀吉謀略説自体の存在って、いつごろから確認できるの?
『妖説太閤記』読んでたら、あの当時すでに、ど汚い秀吉の謀略という書き方してて、
山風先生の想像力、やっぱすげえなあ、と感心した。
八切の本が出たのと同じくらいの時期だよね?
861 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 12:05:51 ID:jWqIYPuP
ところで愛宕百韻は24日と28日と説があるけど、どっちが正しい?
公記が28日だから一般的なHPなんかは28日となってるみたいだけど。
とすると28日興行、29日下山、翌日の1日午後準備開始、では
いかにも、心情が出てしまった、というのも有りに感ずる。
そしてあまりに光秀の行動が早すぎるよね。
862 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 13:12:42 ID:eMyUUJ81
>>860 本能寺の謀略説は、竜馬暗殺謀略説もそうなんだけど、ケネディが暗殺された時に、
世界中でそれに関する謀略説、黒幕説が鬼のように出てきて、それに触発されて、日本史における
有名な暗殺事件、本能寺や竜馬暗殺にももしや黒幕が!っていう流れになったらしい。
863 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 13:20:19 ID:7L9nXA1b
里村へのうらみとか共犯の方に話が言ってるけど
とりあえず愛宕百韻に光秀の意思がどこまで現れてるか、の整理をしたほうが
いいんじゃないかな。
集まった人たちだって後で「謀反なぞついぞ思いませぬ」で通用しそうな連歌
だし、「チクラれたら」という論理も少し弱く感じる。
鈴木が新書で「チクられるのに本心をいうことはありえない」と書いてそのすぐ後に
「神前での連歌興行は一種の願掛けの意味もある」としてる。
ならば鈴木でさえ、光秀の願掛けとしての本心の吐露、の可能性を
認めてるようなもので。
ついでだが鈴木は「家臣団にどうやって説明したのか」にこだわるけど
家臣団にこそ事前に相談して反対でもされたらアウトだからね。
はっきり、謀反、という単語を使わざるを得ないだろうし。
その点、連歌会の面子ならば、直接的に言及してるわけじゃないし
本音ポロの可能性、も十分にある、そのまま神前に奉納して公開
するわけでもないし、そんなに無軌道な推論とも思えないんだ。
陰謀とか黒幕に結びつけるからおかしくなるわけで、まずは
慣れた面子での連歌興行、しかも四国政策問題等で悩んでた光秀
「チャンスさえあれば」なんて本音がポロ、そして山下りたら大チャンス
という流れで考えてみたいんだ。
ちと強引だが「身内だが反対するかもしれない家臣」より「軍事的に素人で
アカの他人の連歌仲間のほうにこそつい油断して本音ポロ」の可能性を
感ずるというところか。
このあたりは光秀本人の問題だから、論議しても答えはでないのだけどね。
864 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 13:35:23 ID:eMyUUJ81
鈴木みたいな、牽強付会ばかりの歴史家の言う事は、真に受けちゃいけない。
865 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 13:42:46 ID:XGtaRvbb
黒幕説は内容的には関与説を大げさにしたてて、出版側の意向で「なんと黒幕がいた!」にされてる感がある。
目くじら立てて反論してる人は出版社の思惑に釣られてんだよ。
あの井沢でさえ「黒幕などいない」と言い切ってるし。
866 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 13:44:47 ID:1eqVfnrI
>>862 なるほど。レスありがとう。
ケネディが死んだのが1963だから、たしかに八切や山風と時期が重なるね。
ということは、60〜70年台あたりが、第一次陰謀論ブームとでもいう時期なんだろうか?
陰謀論の流行と、その時代背景の影響というのは面白い関連性だなあ。
この時期以前にも、謀略説を主張した人とかいるんだろうか?
867 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 13:54:56 ID:h+huUjrq
>>689 まとめてみた。
【本能寺の変の要因で可能性が高いもの:◎異議なし。▲異議あり。?スルー】
▲光秀が信長を好きではなかった事。
>>693.
>>691 ◎信長を襲える状況だった事。
◎各地の織田軍が簡単に京に戻れないと思っていた事。
▲近江をはじめ畿内平定を進めていたことから野心はあった事。
>>693 ◎四国政策の転換で信長と光秀がバッティングしたこと。
◎フロイスの足蹴りの記事から天正10年5月に二人が何らかの要件で衝突していたこと。
?信長の奢り 。
?信長の影響力の誤認(光秀)。
◎変後においては朝廷と接触した形跡がある事。
◎特に何らかの上位者を旗印として掲げた形跡は無いこと。
▲光秀が疲れたから。
>>851.
>>854 ▲手紙などから信長・光秀に性格の不一致があったこと。
>>750.
>>756 ◎朝廷が一枚岩でないこと。
なんか他にあるかな?
868 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 14:14:32 ID:7L9nXA1b
>>866 少し違う観点から言うと、テレビとかメディアの普及、というのもある。
ケネディ暗殺が世界初の衛星中継だったわけだし、東京五輪、皇太子
ご成婚、カラーテレビへ、と情報が簡単に広まりやすい時代になっていった。
そして、娯楽のニーズ、ね。
あの頃から本当に平和で豊かになって、そういう知的好奇心的なニーズが
生まれてきたんだ。
スレチだでやめとくが、信長の人気と言うのも本当に戦後になってから。
それまでは楠公とか神功皇后とかそっちの方向だった。
年はきかんでくれ。
869 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 17:03:28 ID:7LdoT5sf
竜馬暗殺の背後には、武力倒幕路線に固執した薩摩藩の要人の意向があったとの噂。
孝明天皇毒殺は岩倉ではなく、神戸開港の承認が得られない幕府の要人の意向に
よるものとの噂もあるんだよね。
おおかたの予想に反して岩倉はシロ。
870 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 17:05:12 ID:7LdoT5sf
>◎各地の織田軍が簡単に京に戻れないと思っていた事。
結果的に大阪の信孝・丹羽軍は動けなかったわけだが
光秀にとっては遠くの秀吉よりも気がかりな存在ではなかったか。
871 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 17:06:52 ID:7LdoT5sf
それと安土城を焼いたのは、信雄か土豪か?
872 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 17:48:35 ID:b0ylPceK
信雄じゃないかな。
フロイスのほうだったっけ。原典は。
こいつは戦国3大バカ殿っていうぐらいだから
やってもおかしくないだろな。
873 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 17:49:03 ID:xc6vAdip
>>870 筒井待ちで光秀が洞ヶ峠に行ったのも、筒井軍と河内平定するためじゃなかったかな?
河内平定を志向していたのであれば、その先の信孝・丹羽を気にしていたと考えるのも
妥当な気がする。
874 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 17:55:42 ID:eMyUUJ81
875 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 18:05:52 ID:GXfzWidT
愛宕百韻
逆に考えてみた
光秀には他意はなく『ときは今天が下しる五月哉』と詠んだが
あとでこれって下手したら謀反たくらんでるみたいに聞こえないか?
佐久間・丹羽林水野と些細?な失態から失脚の憂き目を見ている
この句も下手したら疑いの目を向けられしないか?
信長の側近らにしられたら自分を排斥する材料に使われるのでは?
と思い至った→結果謀反とwww
876 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 18:18:20 ID:GXfzWidT
>>870 風雨のため出帆を延期してたから
光秀の当初の予定では信孝・丹羽軍は四国にいて楽に摂津河内和泉は占領できると考えていたかも
877 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 21:25:52 ID:fdM1hcNH
>>876 それはないよ〜。
多少二人を軽視してた節はあるが、軍の状況は間違いなく把握してたと思うよ。
878 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 21:39:49 ID:pLd6KqL/
うん、一番気にしてたぐらいじゃないかな。
何せ近くだし。
変後の11日の間で、信孝・丹羽軍が動けなかった、というのは
数少ない光秀のラッキだったろうな。
まったく毛利はあの時秀吉やっておけばな〜。
スレチになるか。
879 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 09:38:04 ID:+0HsM9Sv
▲斎藤利三の件が、本能寺の変の最終的な一押しを光秀に与えたこと
>>737 ▲秀吉の四国ルートである三好ラインで光秀と衝突したこと
>>598.
>>613
880 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 09:41:57 ID:+0HsM9Sv
>>875 いいね。連歌厨も納得の解釈だなw
おれも
>>842でネタにしたが、その解釈でいいんじゃね。
881 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 10:15:27 ID:RI9IQIHq
>>880 せっかくいいところなんだから、チャチャいれんでくれ。
882 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 11:29:18 ID:8S/bjBA9
877と878の文体が似ててきもいな
883 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 13:22:44 ID:slqiaOvn
>>878 秀吉の大返しが凄すぎる。
物理的に不可能ではないにしろ、あの情勢下で決断できた根拠は何なんだ?
だから黒幕説なんかも生まれてくるんだろうが。
884 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 13:49:20 ID:brVUOdUG
>>883 そうそう、変を知ったのが3日の午後、夜にはもうエケイを
呼び出して講和の下準備。
変の第一報が事実かどうかはどうやって確認したのだろう。
あの頃は偽手紙、偽情報が常識なのにね。
普通はもう少し確認するよね、こんな重大なかつ異常な情報。
そして講和に翌日いきなり成功するのもすごいが、
そこから大返しの準備始めて完璧に成功してる。
突然の準備だけでも毛利に知れたら「・・?」と思われるはず。
もちろん、用意周到に段階的に大返しはじめたのは知ってるけど、
1昼夜で55キロ走破、いくら補給物資路の準備のあるコースとはいえすごい。
黒幕説じゃないけど、これは光秀野心説の背景としても利用できるぐらいの
「秀吉野心説」の論拠になるかもしれない。
ほんと、なんであんな早く決断できて11日後に直接対決になったのだろう。
話とぶけど、この大返しを一番驚いたのは光秀だよね。
で、次に驚いたのは家康じゃないかな。
三河に戻ってすぐに出兵準備、これもたいしたものだよね。
織徳同盟守ったわけだから。
そしたらいきなり、秀吉から急使、「もうやってまったがや、ちょろっと
まっとってちょ」だもんね。
このあたりから時代は、秀吉と家康になっていくのだけど
猿VS狸、これは結構本能寺と無関係ではないのではないかな。
885 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 14:54:39 ID:4tVGHuEd
家族が光秀と近い位置にいたから急いで戻った
捕らえられる前に大返しをする必要があった、ただそれだけ
886 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 15:21:10 ID:FX+MmMbK
>>883>>884 秀吉は謀反の情報をどこからか得て事前に予測してたって事だろうね。
では何で密告しないのか?密告は命がけの行為だと言う事を認知してない人が多いのでしょう。
讒言というのは死罪に相当する罪状だから、真相だったとしても信長がそれを真実として
受け取らなかったら逆に秀吉の罪となりかねないのよね。
887 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 15:27:28 ID:NDon8IRt
光秀もえらいよ。
火事場泥棒的とはいえ、変の後ですぐに山城・近江半国を掌握できたからね。
しかも、朝廷の本心はどうあれ「京頭の儀堅く申しつけ」って京都支配のお墨付きももらっている。
888 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 15:37:51 ID:KDKSL85I
変の当日は京都に泊っている予定だった
家康が、急きょ京都を離れた理由は明らかになっているの?
889 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 15:38:06 ID:NDon8IRt
>>886 松永久秀・久武親直はよく生き残ったね。
890 :
Picaresque ◆CASVAL9Zfw :2008/07/29(火) 19:14:02 ID:LRMGvluR
891 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 20:04:03 ID:H5bAYBRp
>>884 普通に
その後の毛利の優遇ぶりをみれば
毛利羽柴の同盟の下準備はできていた
ってのが普通の見方でしょ
892 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 22:07:58 ID:XRKrAzqa
そもそも、変の報告受けてから講和の話始めたのじゃなくて、
それ以前から交渉はすでに行なわれてて、
かなり条件の詰めの段階までいってたのじゃなかった?
陰謀論者には、それさえ、秀吉が変の事を事前に知ってたから
前もって交渉を進めてたんだろう。てな具合にこじつけるんだろうけどw
893 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 23:30:31 ID:BlKhCzcN
>>886 何がなんでも百韻を陰謀の席にしたいようで。
秀吉にとって、
信長に讒言と取られるかもしれないデメリットと
通報しないで光秀の謀反が成功してしまう、そこまでいかなくとも敵と対峙している
真っ最中に後方で混乱が生じるデメリット
どちらが自分にとって大きいリスクか考えてみたら?
894 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 23:35:17 ID:ZIxoVCsm
>>888 キミは何をトンチンカンな事を言っているのかな。
変の当日、家康は堺に滞在しており、当地での茶会に参加する予定であったが
早朝あたふたと京に向けて発った、というのが史実なんだがね。
895 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 01:10:39 ID:SnK5A/6Z
>>893 陰謀論を盲信する人には、
全ての人の行動が、陰謀に都合のいいように動くようになってるから、
そんな問題提起しても無駄。
それこそが陰謀論の真骨頂w
秀吉は天下への野心をもってたから、光秀の謀叛はむしろ望むところ。
デメリットなどではない。主君の仇討ちの大義名分のもと、天下を獲るチャンス。
対峙している敵とは、事前に講和の用意をしてるから問題なし。
そもそも、多少のリスクを恐れては、天下取りなど不可能。
こんな感じかな?
896 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 07:07:59 ID:2U3Dgvjk
事前に講和っつっても信長抜きで独断に近い形で勝手にやってんのは何なの?
897 :
サイコメトリー:2008/07/30(水) 08:23:21 ID:NTwcF8mZ
>>890 その本読んだ事ないけど、端的にはどんな内容なんでしょうか?
知ってる方は教えて下さい。
898 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 10:37:26 ID:nt/Crc/K
>>892 陰謀論は別として、光秀は毛利征伐のために派遣されたわけでしょう。
ほんで、ごますりもあるだろうが、信長にも救援要請してるぐらい。
なのに、信長に無断で、毛利との講和を行っていてしかも「詰めの段階」まで
行ってたとしたら、それは信長に対する背信行為になる。
「誰も講和しろにゃんていっとらんがや、たわけか」って感じでね。
これは秀吉研究のほうから入ってもたまに話題になるよ。
なので、あくまで黒幕とか陰謀とか別として、どうして秀吉が
毛利との講和を独自の判断で進めてたか、これは一種の謎なんだ。
その後にまさかのタイミングで本能寺が起きるから、陰謀論、にも
利用されちゃうけどね。
このあたりは、ごっちゃにならないように、よく吟味しておく必要がある。
>>894 確認だけど、当地、ってのは京都のことだよね。
二日には信長に会うために京都にいく予定で、あたふた、とかいうのは
よくわからないけど。
当時は早朝から行動するのは当たり前だし、普通に京都に向かった、
その途中で変を知った、というような感じと思ったが。
899 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 12:09:51 ID:WegHqzzx
単に記録に無いだけで毛利との和睦に関しては信長の許可を得ていた可能性もあるし
講和と言っても高松城の開城に関する和睦であれば信長の許可は必要無いだろうし
毛利にしても出兵目的である高松城が開城した以上それ以上出兵を続ける必要は無いし
後詰に向かった城が落ちたら撤兵するのが普通だし
毛利は藁にもすがる思いで秀吉と織田毛利の和睦交渉を行っていたが、秀吉は援軍が来るまでの
時間稼ぎの積りで和睦交渉を行っていただけだけど、変の知らせを受けて、それを利用したとか
可能性考えればいろいろ思いつくな
900 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 12:30:03 ID:vW+wH5tq
>>893 >信長に讒言と取られるかもしれないデメリット
機転の利く頭を持ってるなら馬鹿正直に密告などせずに、違う方法で謀反を防ぐ事を思案する。
例えば「信長直々に援軍」としてきてもらえば光秀の謀反計画は頓挫するしね。
>敵と対峙している真っ最中に後方で混乱が生じるデメリット
講和を懇願してくる毛利に対して、受け入れするだけで解決しそうな状況でしょ。
901 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 12:47:28 ID:lquSRyPC
>>898 >ごますりもあるだろうが、信長にも救援要請してるぐらい。
よくそういう論者がいるけどホンマかね。ごますりとは「勝てる戦をわざと延引すること」だろ。それって佐久間折檻をあげるまでもなく
、信長の嫌う「任務懈怠」じゃないの。
毛利和睦の議題は、
>>899のいう「高松開城」だと思う。清水は毛利の家来じゃないから、この議題で和睦しても
>>898のいう背信行為にはなら
ないと思うね。
なぜなら、信長は5月中旬に中国派兵を決定するとともに、側近の堀を安土から高松に派遣してるから、秀吉は堀を通じて信長の意向を踏まえた
「和睦」交渉を進めていると考えるのが妥当だからである。
>>899に同意だな。
902 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 12:54:54 ID:YG7J1sbz
>>898 たしか、清水宗治の方から、自分の切腹とひきかえに城兵の助命を嘆願してたのじゃなかった?
和睦の件も、毛利方からの要求だったと思うし。
向こうから和睦の交渉を頼んできてるのを相手してるだけで、背信行為になるのかな?
秀吉と毛利との駆け引きについては
>>898も触れてるから繰り返さない。
謎とか言い出すほどの問題かねえ?
陰謀論側に言わせれば、毛利も秀吉とグルだったから。ということになるんだろうが。
903 :
サイコメトリー:2008/07/30(水) 17:56:37 ID:NTwcF8mZ
秀吉の中国大返し、確かに秀吉の天下人への道を決定付けた行動なのは間違いない
と思います。しかし、そこに変を見越した上での策略が有るとは自分は思いません。
秀吉の過去の行動記録から考えるに、少数で居る信長が何者かに襲われる可能性も
考え、いつでもとって返せるルートを周到に確保し、事が起きた場合、すぐに駆け
付け信長の心証を良くしようとするという様な感じじゃないかなぁと思うのは、おかしいかな?
904 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 18:29:18 ID:aqSCiPzV
>>901 いや、ごますり、と言うのは、「最後には信長さまのお力が必要で
ござる」という意味ね。
あまりでしゃばったり、何でも自分で成功したりすると成りあがり秀吉は
ちょっとヤバい。
そういう気配りというのはすごいもんだろうから。
だから、「高松城は何とかなりそうですが、最後の詰めはお願いしまする」
「猿め、まだまだ甘いのう」ってとこか。
だから時間稼ぎ、とかにも賛成だし、毛利が講和要請してるのを
「うまくあしらってやったわい」というのにも賛成なんだけど、
899の1行目の、信長の許可、に関しては未確認だし、
5月の17日だったかな、そういう要請とかだしたの、で、
時間稼ぎとしたら、いつの時点から、というのがまた問題になってくる。
ほんで堀の伝えた意向なんだけど、これは「わしが行くまで和睦を
進めておけ」なの?
だとしたら信長本人が中国出兵はしなくて、秀吉にまかせてしまえばいいことのように思うけど。
なんかややこしくて悪いが、信長が、毛利との講和を許可した、とか、進めておけ
というのは確認されてるのかな?
905 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 18:57:17 ID:aNPP04S7
鳥取城の時も毛利と講和してる、前線での一時講和なんて何度もやってるけど・・・
906 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 20:06:34 ID:rsDe6d0f
>>896 信長抜きやってる時点で
謀反見越して動いてるのは明白
信長の死で毛利が講和に応じる理由が見当たらない
逆に好転し反撃に出るチャンスだろw
907 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 20:22:19 ID:e6yb6Vsk
>>900 >講和を懇願してくる毛利に対して、受け入れするだけで解決しそうな状況でしょ
混乱を見て、毛利が講和を翻す可能性は普通にある。史実では毛利は講和を結んで
以後違約はしなかったが、それは結果論であって、当時の秀吉に毛利が必ず約束を
守るという確信はない。
それから天正十年の信長の西国出兵は、単に対毛利戦争の決着に限らず、その後の
九州遠征までを予定していた。突然秀吉から援軍要請が来たから急遽出兵を決めた、
なんていうものではない。
908 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 04:03:09 ID:kivKwWfk
>>907 信長は単に晴豊らに西国の平定も雑作も無いと言っただけで、九州まで出張るとは言ってないよ。
それに、元々は四国平定を優先して淡路に渡る予定だったのが、秀吉からの応援要請によって
中国方面へ向かう事としたというのが事実だろ。
勝手に曲解して捏造すな。
909 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 05:33:49 ID:yaZ2uugf
ん?先に四国遠征じゃなかったっけ?
四国仕置きを淡路でやってその後中国という経路だったはず。
910 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 07:34:58 ID:d1ypdt4N
>>903 だからその「事が起きた場合」から山崎までが有り得ないスピードなんだが
そこに事前講和というのが重なって更に有り得ないことになっている
911 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 08:17:42 ID:dJKC4hcS
結局、毛利側としては講和を望んできたわけで、それをうまくあしらってきた
秀吉がうまいことやった、ということかな。
もう一つの疑問に進むけど、どうして秀吉は変の第一報を
いきなり信じた、どうやって事実確認をした、のだろう。
三つぐらい可能性があって「姫路城経由とか独自の情報網を持ってて
そこからだったので信じた。」「小説風だが、光秀から毛利への密使を捕らえたのは事実
、なので信じた。」「異説だが、光秀が秀吉に知らせた」
最後のなんだけど、普通だと光秀と毛利が組んで秀吉を挟み撃ち、となるのだろうけど、
光秀から見たら毛利のほうが脅威、で畿内は自分が押さえるからそっちは毛利を押さえてくれ
みたいな感じね。
つまり、光秀から見たらこの時点で秀吉を軽んじてた、少なくとも自分のほうが実力も
人望も教養もすべて上、みたいに思ってた、というのはあるだろう。
そしたらいきなり大返しで全部狂ってしまったわけだが。
912 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 08:21:31 ID:LX8k4Yyt
>>903 秀吉的には十分考えられる。910のスピードだが、それは、周到な準備での産物で変に関与してたからと考えるのは、秀吉黒幕説支持者の思考。
そもそも後付けの陰謀論など、どうとでも考えられる。
状況から考えて、大返しの真相は903に近いと思う。
913 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 09:38:34 ID:dJKC4hcS
>>912 大返しの理由は別に謎でもないよ。
信長の心証、なんて意味づけしなくても、戦時において補給物資路を確保するのは当たり前。
そして信長に救援要請してることから、その交通路に事前に物資補給の準備を
させておいたのもたぶん確実。
なので変を知った秀吉はそれを最大限に活用したわけで、これは秀吉強運伝説の
一つかな。
黒幕説に結び付けられると困るが。
ちなみに大返しの時に米は1週間分六合配った、どうして面倒なのに細かく配った
かというと、兵士が酒にして飲んでしまう、とかかなり詳しく研究されてる。
ただ、いくら物資路に恵まれ、物資配給のノウハウに長けていた、とはいえ
いきなりあの大返しを実行し、成功させたのはものすごいこと。
例えば55キロ走破、のあと丸1日休息させてるけど、この間に次の準備
毛利は追撃してこないか、など秀吉や幹部は寝る間もなかったろう。
戻るのが主眼でなく、そこから秀吉との一戦があるわけだからね。
大返しは謎とか陰謀ではなく、ただ単に秀吉のすごさ、を語る上で
引用をしたほうがいい。
914 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 10:36:06 ID:LTmznTqJ
>>913 >大返しは謎とか陰謀ではなく、ただ単に秀吉のすごさ、を語る上で
>引用をしたほうがいい。
これが常識的な考えだろうね。
>>911の「どうして変の報を信じたか?」も、
単純に言えば、そこら辺の決断力、判断力が、天下を取れた人と取れなかった人の差。
>>910がさかんに「有り得ない」と言ってるが、常人にそう思わせるだけのことをしなけりゃね。
光秀的にはまさに「有り得ない」って心境だったろうw
陰謀論の類ってのは、そういう常人では成し遂げられなかったすごさを
認められないという心理からも来てるんじゃないかな?
915 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 12:15:32 ID:EQuS3G60
>>908 信長が九州まで攻め込む予定だった、というのは信長公記にすら記録されているよ。
自分の無知を棚に上げて、「勝手に曲解して捏造すな」
916 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 12:39:43 ID:Ba6hRRUk
>>907 >それから天正十年の信長の西国出兵は、単に対毛利戦争の決着に限らず、その後の
>九州遠征までを予定していた。突然秀吉から援軍要請が来たから急遽出兵を決めた、
>なんていうものではない。
>>909 同意。
書状で確認できる事実は「信長の淡路国出馬」だけ。
信長が中国に出馬するって書状が存在するの?
また四国陣に際して、信長はわずか3か月の兵糧を準備させた書状があるから、短期で四国の仕置きが終わると考えていたふしがある。
四国優先だとする
>>909が妥当だと思うね。
>>911 >もう一つの疑問に進むけど、どうして秀吉は変の第一報をいきなり信じた、どうやって事実確認をした、のだろう。
毛利・長曽我部・上杉氏にも、勝家が共謀したとか、信澄が共謀したとか、いろいろな誤報が伝わってはいるが、「信長が
謀反で倒れた」という真実は伝えている。
秀吉にとっては「主君が謀反で倒された」という真実だけが大事なのであって、それ以外の情報の真偽にこだわる意味がわか
らん。
わざわざ、謎だと考える心理が謎やな。
陰謀論者は、
>>913,914みたいな常識的な思考を拒絶しているのかいな。
917 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 12:46:20 ID:qK6BraY+
そりゃ常識的に考えれば、陰謀論の成立する隙間は無い、って所に至るしかないしね。
まあ彼らはそう言う常識的考察を、「つまらない」って、わけのわからん排除の仕方をしたりもするなw
918 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 13:26:39 ID:0He9ud26
>秀吉は変の第一報をいきなり信じた、どうやって事実確認をした
秀吉は処世のために、常に京都や堺や安土にラッパを置いていて
それが急報したということは考えられる。
919 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 13:28:13 ID:+16irjO7
、__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__,
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_) ナ ゝ ナ ゝ / ナ_`` -─;ァ l7 l7 (_
_) ⊂ナヽ °°°° ⊂ナヽ /'^し / 、_ つ (__  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ o o (_
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: ||::::  ̄ . ::!', ゙ |゙、:',_|:::::::::... .::f_rュ.__.rュ_) ヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', i、-----.、 `''"i`'''l
::: ||:::: r'_rュ :rュ゙; :|:::゙、 l::::::::::::::::: ::::::_∪_ ::.. `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 ''ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
: ||:::: : /´,r_'ニニ=:、゙i l:::::::', ';:::::::::::: ィエエエェ、 / ', :i゙''''''''''`l' ` ,‐'" ヽ ヽ〈 i| Vi゙、
:: :||:::: : :r'r',r:'二ニ:、゙!、 .,'::::::::゙>ヽ:::::::::.. ヽェェェェァソ /、 ヽ. L__」 / ゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
: : _,;l|゙、 ´i'゙:: :: ::::|.:゙'' ./、::/, イ i\:::::::::::`.ー‐ ' /l ト、. ヽ. -、、、、 ' /| ',.' ,  ̄ , ' ノ /./ ヽ
''´:::::::ノ!:::\ ヽ;:___;:;' ; /::::::`'-=、.,, ', \:::: // l ヽ\ハ / |、 ヽ.  ̄´ / ,、 ' / / \
.ー-r': l、:: `ゝ、 `゙'''''''''´ ,/:::::::: ::: :: \` ー---‐ '´ // l /|ヽヽ、___,,,,、 ' l ', ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙ /
/´:: ヽ ::`''ー---‐'/´::::::::: :::::: `'ー--:、. / / /ノ | ヽ /,、 - '''´ | ヽヽ /,、ィ /
920 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 13:58:22 ID:42AnXubK
そういえば勝家の所も2日後に変の連絡来て即日越前へ帰国するのに出発しているから
信憑性ある情報が入り次第動ける体制だったのかな
上杉が一向門徒煽動しなければ近江に出れたんだろうね
921 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 16:11:02 ID:WNT0AqYO
別所攻めなどの間毛利も攻勢に出ているが、宇喜多に阻まれて失敗
大返しの時も宇喜多が毛利に備えていたのだから追撃しても効果は薄いし、
もし織田・秀吉側が大勝した場合心証は悪くなるし
毛利が反故にして秀吉軍に攻めかかる理由はあまりないような
922 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 16:16:49 ID:7+Elx26i
織田家の前線にいた武将は、みな好むと好まざると問わず前線から撤退している。
秀吉の場合は変当時にすでに和睦の下交渉に入っていた状況にあったから、和睦の上で撤退できただけ。
さらに、大軍抱えた信孝・丹羽が摂津の国衆の掌握もせずに、モタモタしてくれたのも大きい。
ここで、一時的にでも彼らの盟主となれたことが秀吉の天下取りの第1歩となった。
そこにあるのは秀吉の卓越した能力であり、謎や陰謀の介在する余地はない。
そろそろ話題変えない?
923 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 16:33:48 ID:fuFB2IUg
そいえば妙なもの見つけた
初見の陰謀論かも
1623年『きのふはけふの物語』未詳/ 噺本
連歌の内容を巡って里村を勘ぐってる奴が当時にもいたって事だな。
924 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 16:42:00 ID:qK6BraY+
んでは
信長の事例だけ切り取ると、本能寺が特殊な事のように考えられがちだけど、
実は明応の政変以来の畿内政権の系譜、細川政元、高国、晴元、三好長慶と、基本的に在世中、重臣により
暗殺されたり追放されたり、死の直後政権をひっくり返されてたり、って状況を繰り返しているんだよね。
この一連の運動は本能寺でも終わらず、徳川氏による幕府成立でようやく終結した。
つまり、あの時代においては、少し乱暴な言い方だけど、政権交代のやり方として、ああいった「型」が
あったのではなかろうか?
925 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 17:10:51 ID:4tFSYTTM
愛宕百韻は、もう少しやりたかったけど、常識的解等派がいなくなったから
当事者の肉声として重要、ぐらいでいいのかな。
秀吉が「主君が謀反で倒された」なんて異常な情報をいつどうやって
信じたか、も、次々に報告が入ってきた、ですんでしまうのだよね。
毛利との講和ももう少しやりたいけど、スレ違いになるということか。
これ、案外確定してないんだよね、史料が多すぎてバラバラ、という
とこがおもろいが。
926 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 17:30:04 ID:Ba6hRRUk
>>924 彼らは、政権転覆を「将軍家」の神輿を推戴してやっているよね。
この点からアプローチしてみる。
そもそも、信長が将軍を追放してしもうたから、光秀には肝心の神輿がない。
だから、光秀の謀反も従来の政権交代の「型」通りだったとしても、光秀は将軍を推戴できなかっただけ
という一応の説明はつく。
一方で、あまり触れられないけど、15代義昭の息子の「義尋」は信長が手ゴマ(人質)として用意してた
から、光秀がこの手ゴマを使ってもよさそうだが、そんな形跡もない。
また、従来の将軍家に匹敵すべき織田家の相続人を推戴した事実もない。
光秀が(朝廷も含めて)神輿を推戴しなかった点で、従来の政権交代の「型」とは異なっている見方もできるね。
927 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 17:33:30 ID:4tFSYTTM
>>924 もちろんそうなんだけど、その「動機」が問題になってるのでしょうね。
光秀からみたら、柴田、丹羽、滝川あたりは楽勝、秀吉は手強いけど
出自があーだから、征夷大将軍とかにはなれるわけがない、というわけで、
信長さえ倒せば自分が天下人、みたいに思ったというのは普通だと思うんだ。
もし自分につけば、副将軍ぐらいにはしてやるよ、ぐらいでね。
主君殺しの逆臣、という汚名はどうするの?
という反論もあるだろうけど、そういう時に前に出ていた「朝廷との
利害の一致」というのは重要じゃないのかな。
これは黒幕とかに結びつけるからおかしくなるわけで、結果的にそうなった、と
するとものすごく利用しやすい。
つまり、四国政策なんかで困ってた光秀は、朝廷と緊張状態にある信長を見て
さらに「こいつに天下とらすと朝廷どころか自分もヤバいぞ」ってもんで、危機感
いっぱい。
朝廷からしても、光秀が変を実行したのは、ラッキ、ってなもんで、信長に比べたら
はるかに御しやすい。逆臣なんて気にしない、大人しくしてたら将軍宣下してもいいぐらい、
なんて感じだったかもしれない。
公家の日記の問題もポロッと、ラッキである、みたいなことが書いてあってあわてた、
とすれば、無理に事前陰謀に結びつける必要もない。
朝廷対立説も、黒幕に結びつけるからおかしくなるわけで、最近の定説通り
「緊張状態にあった」ぐらいにしておけばかえって流れが説明しやすいぐらい。
出来たら黒幕説じゃなくて、信長の将来の政権構想、として語りたいぐらいのもので。
こういうのは「広義の野心説」で、戦国においては普通ってもんかね。
928 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 17:42:23 ID:4tFSYTTM
>>926 細かい点だけど、畿内政権の系譜と、信長以降の「政権交代」は
根本的に意味合いがちがうから、「型」として論じるとどうしても
異なってくるだろうね。
924さんの問題提起がちと不安定なのだろうけど。ごめん。
929 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 17:45:35 ID:qK6BraY+
>>926 「謀反」の後、神輿を頂戴しなかった「型」としては、先に三好長慶がいるね。
ついでに、信長の、官位や官職を頂かずに、実力で天下を動かす、というやり方も、細川政元に
範を取っている様に見える。
930 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 17:48:29 ID:qK6BraY+
>>928 正直、織田政権はそれまでの畿内政権とそんなに違う性格を持っていたのだろうか、って疑問もある。
931 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 17:50:51 ID:uBdv93s+
>光秀からみたら、柴田、丹羽、滝川あたりは楽勝、秀吉は手強いけど
出自があーだから、征夷大将軍とかにはなれるわけがない、というわけで、
信長さえ倒せば自分が天下人、みたいに思ったというのは普通だと思うんだ。
ただ家康は自称とはいえ源氏だから征夷大将軍になれるんだよね。
現になったし。
変の直後の光秀の最大のライバルは家康だったのかもしれない。
932 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 17:51:01 ID:Ba6hRRUk
>>929 義栄を推戴したのは3人衆やったな。
細川氏綱は「神輿」には格不足やし…
こういう視点で考えるのもおもろいな。
933 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 17:52:43 ID:uBdv93s+
>織田政権はそれまでの畿内政権とそんなに違う性格を持っていたのだろうか
織田政権のやりかたってヤオハンみたいだよな。
いくら規模が大きくなっても、ワンマン社長が率いる中小企業のままの体質。
パナソニックやホンダみたいに名実ともの大企業にはならないの。
934 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 17:54:32 ID:uBdv93s+
>「謀反」の後、神輿を頂戴しなかった「型」としては、先に三好長慶がいるね。
三好長慶は神輿はかつがなかったとはいえ、
朝廷にはあいさつみたいなことをやっているね。
「将軍死んだから今後朝廷の世話は自分がする」みたいなこと伝えている。
935 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 17:57:54 ID:qK6BraY+
>>934 そこから秀吉のように、官位に旧体制からの飛躍に至らなかったのは何故なんだろうね?
三好家による新政権樹立への意欲は満々だったように見えるけど。
936 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 18:03:34 ID:qK6BraY+
>>935訂正
×官位に旧体制からの飛躍
○官位による旧体制からの飛躍
937 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 18:16:21 ID:uBdv93s+
三好家による新政権といっても
関西と四国の一部の地方政権という弱みがあるからだろうか?
938 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 18:58:52 ID:/NPwRqJf
>>925 > 秀吉が「主君が謀反で倒された」なんて異常な情報をいつどうやって信じたか
信じたかどうかなんて大した問題じゃない。
すばやく決断し動けたことが結果的に大きかった。
オレはそう思う。
939 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 19:04:47 ID:EQuS3G60
>>931 >家康は自称とはいえ源氏だから征夷大将軍になれるんだよね
自称でもいいのなら、秀吉がダメな理由はなくなるぞ。光秀の出自ですらそうとう怪しい。
ほとんど自称なんじゃないかってえくらいなのに。
940 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 19:58:31 ID:4ALh01gf
まあ、源氏じゃないとダメ、なんてのも一種の伝説みたいだが。
伝説といえば秀吉は義昭の養子になろうとして断られたというし。
光秀は一応土岐源氏を名乗ってたのかな。
やっぱりえらいのは家康で足利の祖の新田に祖を求めたというのも
すごい。武家の棟梁のさらに上、だもんね。
もちろん自称だが、普通はなのれんわな。
941 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 20:08:23 ID:4ALh01gf
ついでだが、源氏がどうこう、よりも実際に関東を支配してたか
どうか、というのも視点の一つなんだよね。
秀吉は家康に負けてあの時点で関東方面に進出できなかった、
というのが引け目の一つ、ってのもある。
にしてもいきなり関白ってのも大かえしよりすごいサプライズ
だけどな。
942 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 23:20:50 ID:EQuS3G60
>>940 >足利の祖の新田に祖
????????????????
>>941 小牧の役なら秀吉の勝利ですが?
943 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 23:24:05 ID:qK6BraY+
>>942 小牧の役で、「外交的勝利」を得るために、秀吉がどれだけ方針転換するはめになったか知らない人?
944 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 00:06:50 ID:Z7+H5tLS
「新田は足利の祖」なんて認識あったのかね?
新田系源氏なんて、山名や里見とか当時に普通にいたし、
驚くようなことでもないと思うが。
小牧後の秀吉の政策転換はともかく、
「関東を支配してないと征夷大将軍になれない」なんて認識もほんとにあったのかな?
これについて、はっきり言及してる史料ある?
945 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 00:16:23 ID:h3yTys3s
将軍には源氏じゃなければなれない
東国支配が必須条件
どちらも後世の思い込みとデマ
946 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 00:26:44 ID:R/HRy/la
947 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 00:37:50 ID:h3yTys3s
>>946 源氏以外で就任した将軍が普通にいること。鎌倉の藤原将軍や皇族将軍、古代の将軍たち。三職推認の信長など。
同じく、東国を支配せずに将軍に普通に就任した人たち。室町後半の将軍たちが好例。
948 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 00:39:07 ID:LNbOh+Gy
関東じゃないよ坂東
信長が三職推任で征夷大将軍を出された際には、武田征伐して東夷を征伐したからという理由があるよ
不破の関越えたら東夷、東国なのだから
949 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 01:13:16 ID:Z7+H5tLS
不破の関越えればいいんなら、秀吉も問題ないんじゃない?
950 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 01:17:04 ID:Z7+H5tLS
で、関東でも坂東でも不破の関でもいいけど、
そうした地域を支配してないと征夷大将軍になれない。
ということを示した具体的な史料はあるの?
ここが一番肝心な問題なんだが。
951 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 01:30:57 ID:R/HRy/la
>>947 で、それのどこが、安土桃山時代に、将軍就任に源氏や関東が関係なかったって証拠になるの?
952 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 01:36:41 ID:Z7+H5tLS
>>951 それらが関係あると主張したいのなら、まず自分が証拠だそうよ
953 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 06:31:00 ID:pQQP2pkG
>>915 >信長が九州まで攻め込む予定だった、というのは信長公記にすら記録されているよ。
>自分の無知を棚に上げて、「勝手に曲解して捏造すな」
ホント頭悪いネ。
牛一もその場に居た訳じゃないから、多分に憶測交じりの記述だって事が解んないのかな。
>>916 キミも頭悪すぎ。
信長が淡路渡海を表明した後に秀吉の応援要請が来て急遽毛利攻めになった
ということが理解出来ていないようだね。
>>909なんて小説ヲタの妄言を
信じるなんて・・・・・・
954 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 09:58:19 ID:oY/fVI/0
>>942 あれ、足利の祖、義康の兄の義重を家康は、祖、と自称したんでしょ。
違った?
955 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 10:07:39 ID:oY/fVI/0
源氏と東国支配、についてだけど、史料がという意味ではなく
当時の人の認識で、それが重要視されていた、というのが大事。
つまりいろんな征夷大将軍がいるけど、次になろうとした場合、
当時はそういう、資格、みたいなのを自他共に気にした、わけだな。
より自らに正当性を求める、というか。
947の例は少し不正確かな。
古代はともかく、鎌倉将軍は東国支配、にその正当性を強く求め、
室町将軍は言うまでもなく源氏。
このあたりから、次の信長の頃には、征夷大将軍には、源氏か
東国支配、という条件と言うか資格と言うか正当性が求められるようになった
と、こういう論の進め方が正しいと思う。
秀吉は源氏でもないし、家康には勝てなかった、とどっちの条件も
あてはまらない、なので、というように論を進めていくとかね。
956 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 10:19:43 ID:h3yTys3s
>>955 だからその信長の頃に朝廷は源氏でない信長に将軍就任を認めているんだが?
そして誰も疑問視していない。
東国支配に関しては、家康を持ち上げるために出された要素が強い。
鎌倉将軍の正統性は別に東国支配になんぞなかったし、室町将軍は東国の支配
が揺らいでも問題視もされていない。
秀吉はその後家康を屈服させて臣従させ、関東奥州も支配下においた。
小牧長久手を必要以上に大きく持ち上げて、あれは家康の実質勝利だった!とか
だから家康は実質は秀吉に臣従していない!とか、上洛した家康に秀吉が頭を
下げて天下のために自分に従ってくれと頼んだ、だから天下のために権現様は
あえて表面は臣従のふりをしたのだ!とか、全部秀吉を貶めて後の家康の行為を
正当化させるための後世の捏造だよ。
957 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 10:34:13 ID:oY/fVI/0
>>956 同じことを言ってるから反論ではないけど
より深い理解のために。
三職推任に関しては複雑なのであまり触れない。
ほんで信長は源氏ではないが武田とか滅ぼしてるし
その有資格者、みたいなとこか。
それとも初の、源氏、東国、どちらにも当てはまらない将軍、というわけで
そこから別の論に移るべきか、このぐらいで。
秀吉が1585だったかに関白になった時はまだ関東奥州は支配下においてないよね。
なので将軍にならずに関白を選んだのは、このあたりにも遠因があるかも。
さらに、東国支配についてだけど、田村麻呂の故事が影響あるのではないか。
京から見た場合、遠国をも支配する、というのは困難な条件の一つだろうし
早くから意識されてたかもしれない。
それが家康を持ち上げるため、というようにつなげるといいのかな。
で、正当性、って変換してたけど、正統性、とは微妙に違うね。
自分としては、自己正当性、みたいに使ってたけど、朝廷が
求める正統性、みたいなのとはまた違ってきそうだ。
958 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 11:02:52 ID:wOjMwF6k
>>955 >源氏と東国支配、についてだけど、史料がという意味ではなく
>当時の人の認識で、それが重要視されていた、というのが大事。
なんか巧く問題点をはぐらかそうとしてるけど、
その認識を示す根拠となりうる史料が存在するのか?
これをはっきりさせなきゃ、ただの結論ありきの空論にすぎないんだけどね。
(厳しく言うと、妄想だが)
>次の信長の頃には、征夷大将軍には、源氏か
>東国支配、という条件と言うか資格と言うか正当性が求められるようになった
と言うのなら、信長の頃にその認識の変化が起きた証拠を提示しなきゃね。
959 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 11:11:33 ID:/kF9e3DA
>>937 >三好家による新政権といっても関西と四国の一部の地方政権という弱みがあるからだろうか?
弱みも何も信長出現までは地方政権しか存在しなかった訳で…
織田家の政権運営のありかたって意外に史料が少なくって、不明確な点も多いらしい。
信長が三好政権と大きく異なるって確証は得られないんだよね。
>>935 >そこから秀吉のように、官位による旧体制からの飛躍に至らなかったのは何故なんだろうね?
>三好家による新政権樹立への意欲は満々だったように見えるけど。
信長の官位利用は、政敵の義昭への対抗のためにやむなくという要素が強い。その証拠に右大将・
右大臣任官はわざわざ陣宣下でやっているし、義昭追放後はあっさりと辞任している。
オレは三好の延長上に織田政権があるって認識で、両者にさほどの相違は感じないな。
積極的な官位利用は、秀吉が初やと思う。
960 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 11:12:31 ID:wOjMwF6k
>>954 誰もそんな基本的なことについては、今更問題にはしてない。
「足利の祖の新田」「武家の棟梁のさらに上」といった認識が問題視されている。
繰り返すが、新田系源氏なんて、山名とか里見とか普通にいた。
彼等が「武家の棟梁のさらに上」なんて認識されてたの?
そして、家康は足利幕府が健在のころから、そうした思想を持ってたわけ?
ここら辺をはっきりさせてもらいたいということだが。
どうも君は、自分の想像の世界で議論が完結してる傾向があるよ。
961 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 11:33:34 ID:R/HRy/la
962 :
サイコメトリー:2008/08/01(金) 11:57:19 ID:9cGw7XgI
夏季休暇もそろそろなので、新スレ立てておきますので、
皆さん、宜しくお願いします。
963 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 13:07:41 ID:VazsJOLQ
>>934 >「将軍死んだから今後朝廷の世話は自分がする」みたいなこと伝えている。
朝廷の世話するのは将軍の仕事やから、これは長慶が「オレ様が将軍だ」って意志表明しているともとれるね。
実際に長慶が世話したがどうかは知らんが、信長は朝廷の世話をしている。
とすると、信長は長慶の模倣をしたという評価もできる。
また、長慶は自前の将軍を推戴せずに義輝とドンパチやっていたけど、同じく義昭とドンパチやっていた信長は、義昭追放後
に「今後は将軍若宮(=義尋)にあいさつせよ」と命じている。
信長公記によれば、世評を気にしたからそういう命令だしたそうだが、その点で長慶よりも保守的ともいえるのかな。
光秀の謀反の要因に野望があったかどうかだが、光秀の版図は組下も含めると機内政権を樹立するに不足のない範囲に
及んでいる。
細川宛書状では、「100日で近国の平定をする。その後は引退して息子に譲る」っていっているけど、これらの事実から
光秀の政権構想は機内政権だった可能性がある。
なぜなら、近国平定後にさらなる版図拡張を望むのであれば、引退するという記述と矛盾するからである。
光秀の謀反が、上位権威者の推戴なしに決行されたこと、京都支配の正統性を得たこと、から彼の謀反は長慶に模範をとった
単なる野望による謀反(=下剋上)であるというアプローチも可能やと思う。
964 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 15:04:21 ID:n/B3x7g+
>>958 最初に、史料じゃなくて、と断ってるでしょう。
そういう学説の話じゃなくて、源氏とか東国支配、とか言われるようになった背景を
推測してるのですよ。
言い換えるけど、朝廷が「こいつは将軍にしたくないな」と思ったら源氏とか
東国とかを将軍の「正統性」として利用したであろうし、なりあがり大名が「将軍に
成りたい」と思ったら、源氏である、とか東国支配中、を自己正当性の根拠に
したであろうし、って話。
ほんで信長の頃からというのは史料をあげるまでもなく、源氏武家政権の
終了後次の将軍が問題になる時の基本条件、という意味でこれは共通理解
でいいのじゃないかな。
965 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 15:16:08 ID:n/B3x7g+
>>960 これも同様で、当時は足利が武家の棟梁でしょう。
だから足利の祖、義康の兄に祖を求めると言うのは
当然、武家の棟梁のさらに上、というのは認識も何も普通の判断
だと思うけど?
だからこそ家康ぐらいしかまず、自称もできないだろうし、大したものと思う
って話ね。
家康がいつからその思想、と言われても困るけど、自ら系譜作りに走ったのは
徳川に詳しい人なら答えられるのじゃないかな。
得川性、について誰々に調べさせた、ぐらいなら自分もわかるけど。
そして家康ぐらいなら系譜の重要性は当然認識してたわけで、これも
普通の共通理解と思うよ。
自分の想像じゃなくてそこらの本に普通に書いてないかな、こういう話。
で、信長、秀吉、家康、が日本を統一しようとした史料、なんて言われても
困るように「事実と結果」から普通に判断してるだけなんだけど。
自分だけの説なんて畏れ多いこと言ってるわけじゃなくて、雑誌に載ってる
レベルだと思うんだけどなー。
966 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 16:03:34 ID:GqvyEp0a
急に議論のレベルが下がったな
967 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 16:57:10 ID:eOe3GT6W
本能寺に戻すか。
細川や筒井はどうして光秀につかなかったのだろう。
六日には朝廷からお祝いの使者とか来てる位だから
主君殺しの逆臣、というイメージでもない。
もちろん朝廷は中立であり、様子見でとりあえず、だったとは
思うけど。
細川か筒井かどっちかでも味方して秀吉に勝ってたら、
最後は家康の天下だったとしても、秀吉なんてほとんど
歴史に名が残らないぐらいだったかもね。
968 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 18:36:39 ID:Zhg3+D83
細川は、変後の事態収拾が長引いた場合でも
秀吉と家康が光秀を挟撃するだろうから、結局は光秀敗亡と読んだのではないか。
家康は武田氏の水軍を吸収していたが
光秀は水軍らしい水軍を持っていない。
長期戦になった場合、これも響いてきたように思う。
水軍は兵站・伝令・小規模な奇襲にも使えるわけで。
969 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 20:28:58 ID:h3yTys3s
>>965 室町の当時、足利より新田の方が上と看做されていた根拠を挙げてください。まずはそれから。
あなたの主張は先に家康マンセーが来てそのために勝手に価値観を捏ねくりあげている。
ちなみに、新田と足利を比べると、鎌倉時代から官位、実力その他あらゆる面で足利が上。
単純に先祖が兄だったというだけで血統の価値があがったりはしないんだよ。源氏の嫡流
だって同じだった。
970 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 20:31:10 ID:uuvAS9WO
>>968 細川、筒井あたりは状況をどこまで正確に把握してたんだろうね。
細川家文書とかあまり詳しくないけど、単純に、逆臣の仲間、と
なるのを恐れた、ぐらいが正解なのかも。
筒井は秀吉を選んだ、というのが正しいのだろうけどね。
さらにお題提出だけど、変の時点で光秀は信長、秀吉より年上なんだよね。
これはこのスレでもあまり語られないけど、動機を探る上で案外重要かもしれない。
家康みたいに、辛抱、じっと待つ、ということは一番出来ない立場だったろうから。
ざっと54歳ぐらいだもんね。
これは、突発とかノイローゼ説よりも野心説の後押しになるのかもしれないけど。
さらに信長に仕えてざっと12年、1580年ぐらいには「天下に面目」で家臣
ナンバー1の出世、ここでは絶頂期だったろうし、変の年にもまだそういう
自負は十分にあっただろう。
そのまま家臣ナンバー1の地位では満足できなかったか、そこに危機感を抱いたか
こうやって考えてみると光秀自身の中にその動機を求めるのが妥当ではないか
そういうとこだな。
971 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 20:58:47 ID:JA6Fd8tW
>>969 いやそう、大上段にされても・・
単純に、室町ではなく家康としては、下克上で天下を取った、足利に対して勝った、
みたいに思われるより、源氏を名乗った以上、自分が足利の宗家だ、みたいに
思われるのが理想だったと思うのですよね。
兄だった、というのは結構重要で、新田が長男系、足利は分家だよ、というか。
そうして家康の祖は、上、というか宗家、とでも言うのかな、血統の価値というか
より主家だよ、というか。
そちらのいう鎌倉から足利のほうが官位も実力も上なんですけど、
そういう実力的評価よりも、ただ単に、主家、足利の兄だぞい、みたいな
そういう意味ね。
別に血統の価値があがる、というのではなくて、足利は分家だ、みたいなことが言いたかった、
のでないかということです、家康は。
だから、家康マンセとか価値観とか、言われても困るけど、普通なら自称でも足利の
兄、なんて言えないのを家康は名乗った、わけでそこがすごいな、ということなのですよ。
別に、足利より新田の方が上、というのは当時の評価とか官位じゃなくて
もっと単純な意味合いなんですよ。
このあたりちょっと論点がずれてるかもしれないけど、あくまで家康の
態度、姿勢、自信、の話で、足利と新田どっちが実力的評価や官位が上かとそういう
話ではないですからね。
スレチになるから軽く繰り返しみたいで悪いけどさ。
972 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 21:20:29 ID:PYeyahnH
>>971 だからさあ、家康、もしくはその周りの人間が
新田が主家、足利が分家、なんてこと言ってたの?
全く他人の質問の意図を理解できてないね。
根拠の無い妄想を「共通理解」とか言って押し付けられても困るんだが。
根拠聞いたところで、きみが答えられないのはもう分かってるから、
せめて、どんな学者や作家の本を読んでかじった「共通理解」かぐらいは
はっきりさせてくれんかね?
973 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 21:44:35 ID:JA6Fd8tW
一般的に、長兄が跡継ぎ、弟たちは分家、というだけですよ。
もちろん例外はいっぱいあるけど、あくまで普通は兄がその家の
後を継ぐ、という意味です。
これは、あくまで一般的に共通理解と思ってますよ。
974 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 21:45:57 ID:GqvyEp0a
もともと大した家系じゃなかった新田の方がいきなりの無茶な仮冒がしやすかったということだろう
975 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 21:48:23 ID:JA6Fd8tW
>>974 そうですね。
あくまで一般的に、兄、のほうに祖を持っていけば、周りの人は
弟一族よりもすごいじゃん、みたいに思うでしょうし、家康もそう思わせたかった
でしょう。
それだけのことなんですけど。
976 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 21:51:11 ID:GqvyEp0a
>>975 アンカーミスか?家を継がなかった兄の家系なんかしょせん庶流だぞ
てかここ何のスレだ?
本能寺のスレやの。
978 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 00:11:28 ID:EPchGwRK
>>975 だからさ、室町戦国時代に足利流より新田流の方が上だと宗家だと思われていたという根拠をまず出してくれ。
兄だろうと嫡流を継がなければ庶流扱いで下なんだよ。それこそ一般常識だ。
979 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 00:11:49 ID:8pYxIbDr
980 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 00:48:45 ID:/1WvdHXL
>>978 根拠の無い妄想を語ってるだけだって、そろそろ誰の目から見ても分かってきただろ?
もう馬鹿らしいから相手しないほうがいいよ。
どっちが宗家かという議論なら結論は示せるからもうちょっと続けてみ。
982 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 01:08:35 ID:Zz3AnHCB
新田は滅びて、足利は滅びてない。
家系を捏造するなら、どちらがしやすい?
ただそれだけのことじゃないか?
983 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 01:36:11 ID:8pYxIbDr
984 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 07:55:53 ID:CkQQOzEX
>新田は滅びて
新田の子孫は江戸幕府の旗本になっていなかったっけ?
985 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 09:13:27 ID:pU/3IQzQ
本能寺に戻すには、陰謀説でも持ち出さないとだめか。
鈴木は新書で、義昭説とイエズス会にページをたくさんさいてるが
やっぱり朝廷説の方がおもしろい。
なんで軽くあしらっちゃったんだろう。
「問答無用成立しないからだ」と言われたらそれまでだが
鈴木の朝廷関与否定の根拠には部分否定とか拡大解釈
とか彼独特の恣意的な展開も多い。
夏休み特別バージョンで誰かそういうの展開してくれないかな。
詳しい人は1レスでつぶさないように。
986 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 13:47:12 ID:ddmLh0Yw
>>968 猪飼野水軍もってるじゃん。土壇場で明智裏切ったけど。
>>970 野望説はつまらないから正面から支持する論者は少ないけど、
光秀は信長の寵臣として京都周辺に所領を持ち、佐久間折檻状ではイの一番に褒められ、天正10年正月
には友閑と彼だけが真っ先に安土の貴賓室に招待されている。
また、フロイスの記述によれば(半分ぐらい差し引く必要があるにせよ)、そうとうしたたかな武人の姿がそこ
にある。
ナンバー1でも、現状に満足して忠義を尽くす武将もいれば、さらにその上を狙う武将もいるのが戦国時代。
また、織田家の登用法では、息子がこの地位を引き継げないのは明らかである。
光秀と信長が天正10年5月に何かの要件でトラぶったのが引き金になって、光秀の野心が頭をもたげた。
そこに運良く、中国出兵命令が下され光秀は京都周辺で公然と軍事活動できるようになり、信長親子はほと
んど無防備に京都に滞在し、大軍を率いる司令官は遠くの前線に張り付いたままで、住吉の信孝軍は雑軍。
これは、「これは天が謀反せよと言っているもんだ」と戦国の虫がこのワンチャンスに賭けさせたのかも知れない。
あと、真っ先に安土を占拠したのは「ワイが天下人や」という己の野望を、軍事行動で示したものともいえる。
複合説でも、もっと野望的要素にライトあててほしいな。
>細川、筒井あたりは状況をどこまで正確に把握してたんだろうね。
彼らは光秀に味方しなかったのは事実だが、光秀にも敵対していない。だから、山崎の合戦では対筒井の押さえに兵を
割く負担が省けた。
彼らは「日和見」していたというのが実情じゃないかな。
987 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 14:01:05 ID:E5hsC8dK
988 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 14:19:29 ID:T9B5UE//
>>986 野望説支持は少ないの?
そういう人たちはどういう風に理解してるんだろうね。
例えば、四国政策転換説、というのは「信長討談合衆也」とか「謀反随一」
に重きをおきすぎてる感じがする。
もちろん史料重視学会系の人たちは、そういうとこに元を置いて
それが重要な出発点なんだろうけど、あくまで光秀が政策転換で
困っていた、というのは背景でしかないような。
光秀自身があの時点で、織田家ナンバー1、そういう自覚持っていたなら
年下のエキセントリックな主君さえ倒せば自分が・・というのは動機として
十分にあったような。
もちろん天正十年正月のままずっと織田家筆頭家臣で自分は満足、
というのもあったろうが、政策転換で困った、という背景は認められてるようだから
それが野心に火をつけた。
こんなのではつまんないのかな、やっぱり。
989 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 14:38:58 ID:/1WvdHXL
>>988 野望説が支持されていないのではなく、
野望説が一番無難で当たり前の話だから、わざわざ声高に主張する論者が少ないということ。
野望説で今更新説とか新見解とか、ほとんど立てようないから、
わざわざ学者が本や論文新しく出して主張するようなもんでもないし。
990 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 14:43:54 ID:T9B5UE//
>>989 なるほどね。
じゃ、野望の根拠なんかで新しい発見、視点、見解、そういうのを
展開すれば、少しは面白くなるわけか。
991 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 14:44:43 ID:QsD7Ya/h
黒幕がいた方が単独犯説よりはおもしろいんだろうけどね。
992 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 15:50:18 ID:HlN7O5XO
>>988 >光秀自身があの時点で、織田家ナンバー1
どこがだよ・・・
993 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 15:53:29 ID:c++aFCQ8
まあ織田一族除けばナンバー4か5くらいの地位はあったんじゃね?
994 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 16:22:06 ID:ddmLh0Yw
>>989 野望説に対して「事前準備がおそろかじゃん」ってお決まりの反論あるけど、謀反決行
のために信長が本能寺宿泊したのは5月29日で、この日まで具体的を計画たてるのは無理
だから、この反論もどうかと思う。
「謀反後のビジョンがないじゃん」って反論も、想定外の中国大返しがあったからビジョン
をたてる時間が無かっただけで、この反論もどうかと思う。
また、同時代人である大村由己やフロイスだってこの見解を採用している。
しかし、光秀の謀反は「数ある下克上のひとつだ」なんていうのはあまりに芸がないし、史料
の裏づけが難しいから、高柳以降は純粋な野望説の支持者がいない。
995 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 17:00:01 ID:/1WvdHXL
>>994 「純粋な野望説」という認識自体がどうもねえ……
そりゃあ、人間なんてそんな単純なもんじゃないから、
純粋に野望のみ一本で謀叛起こしたとか断定できるもんじゃないだろ。
高柳さんも、当時主流的な怨恨説への否定として、
野望説を根本的な要因とするという説を提唱したわけで、
野望以外の一切の要因を認めないなんて言ってるわけでもないだろうに。
事実、信長の性格的欠陥やら、
それに起因する、光秀が将来への不安をいだいた可能性とかも言及している。
あくまで、野望を最も最大の動機とする、ととらえるのが野望説とするべきであって
「純粋な野望説」を支持する人を見ないから、野望説は支持されてない
なんていうのは大いなる誤り
996 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 17:00:31 ID:L234STsk
>>992 天正八年、信長がなんて評したか知ってるよね。
997 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 17:03:06 ID:/1WvdHXL
前スレあたりでも、そうした「純粋な野望説」的な揚げ足に考慮してか
「野望を主たる要因とした複合説」が最終的に一番支持されてたね。
998 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 17:08:26 ID:/1WvdHXL
999 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 17:08:34 ID:L234STsk
となると、複合説と野望説とは重なってくるわけか。
では、野望説の中で「野望が最大の動機」と「そこはかとなく根底にあった」みたいな
「強い野望説」「弱い野望説」でその視点、見解の相違を考察する、というのは
面白そうだけど。
うめ
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
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