毛利元就と武田信玄を比較検証するスレ その4

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1人間七七四年
過去スレ
武田信玄>>毛利元就は定説です
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159020720/
毛利元就>>武田信玄
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1173969986/
毛利元就と武田信玄を比較検証するスレ その3
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179091146/
2奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/01(金) 23:03:55 ID:C9jGGs4W
名門スレになりつつあるな。
3人間七七四年:2007/06/01(金) 23:40:32 ID:vOKyFh4k
アホな武田信者が一人でファビョっているからな
4人間七七四年:2007/06/02(土) 00:45:26 ID:D+gkNdhS
またもや良スレの予感
5人間七七四年:2007/06/02(土) 00:47:35 ID:D+gkNdhS
北条の次は上杉か今川VS毛利ってとこか?
6人間七七四年:2007/06/02(土) 00:56:44 ID:NJTUPAal
vs毛利は決定事項なのかw
何故毛利?
7人間七七四年:2007/06/02(土) 01:21:37 ID:U0UOxu90
>>6
vs織田だと惨敗確定だからw
8人間七七四年:2007/06/02(土) 01:33:21 ID:k1rHU62N
>>6毛利厨というのは、はげしく嫉妬心から他大名と比較したいことしか頭にないから
見てて面白いw
9人間七七四年:2007/06/02(土) 01:37:50 ID:k1rHU62N
それよりそろそろ毛利方の史料や軍記物がどれだけ信憑性があるのか
検証してみようじゃないか、ま、突っ込まれるのを恐れて毛利厨はまた
話を武田にそらすことしか出来ないだろうけどね。
10人間七七四年:2007/06/02(土) 02:04:07 ID:NJTUPAal
↑あっ、メガ豚じゃん。
11人間七七四年:2007/06/02(土) 11:08:57 ID:rfPrCwqU

武田信玄は長宗我部元親以下の戦術家
12うんこ麻呂:2007/06/02(土) 11:43:19 ID:yx3kkir3
武田は普通にダメだろ、滅びちゃ話になんない。
13人間七七四年:2007/06/02(土) 11:49:41 ID:f9k6/wAr
滅びてねーよ 
スレタイ100回読み直せ
14人間七七四年:2007/06/02(土) 11:55:03 ID:rfPrCwqU
>>13
キモすぎ。

そのうち武田が天下統一したとかいいだしそうだ
15人間七七四年:2007/06/02(土) 12:01:15 ID:zcrFN4SZ
メガ豚さんの暴挙に全武田厨が泣いている
ありがた迷惑
16人間七七四年:2007/06/02(土) 12:10:03 ID:J02bb3OG
いや、武田ファンを貶めるアンチ武田の高等戦術という可能性もあるぞ
ここまで異常だと
17人間七七四年:2007/06/02(土) 13:29:05 ID:OB3AboMk
メガ豚のレスの端々から露呈する無知っぷり(誤字、誤用、毛利はともかく武田についても全然知らない)
から窺うに天然だと思うがな。
18人間七七四年:2007/06/02(土) 13:38:08 ID:tg99X233
他人のサイトから無断コピペ平然としてくるから荒し認定で良いだろう
19人間七七四年:2007/06/02(土) 15:11:37 ID:U0UOxu90
確かにメガ豚はアンチ武田が暴走してるって可能性もあるよな
本当の武田ファンなら無駄に他人を煽って四面楚歌の状態にしないだろうなw

20人間七七四年:2007/06/02(土) 15:50:33 ID:k1rHU62N
>>15>>19はまさしく毛利厨に当てはまる事ばかり言ってますね
井の中の蛙であり、無知で発想に乏しい一部の毛利厨が暴走してるおかげで
静かに元就を語りたい全毛利ファンが常日頃泣いてますww
兵法もろくに知らずあさはかな知識しか持ち合わせていない毛利厨、信玄と
比較することで元就を強引に美化しようとしか考えていない毛利厨ww
ま、本当の毛利ファンなら無駄に他人を煽って四面楚歌の状態にしないでしょうね
21人間七七四年:2007/06/02(土) 16:13:56 ID:OCFtC/hx
これは酷い妄想ですね
22人間七七四年:2007/06/02(土) 16:42:00 ID:rfPrCwqU

謙信が真面目に領土拡張してりゃ、
信玄なんて、即滅亡だよな
23人間七七四年:2007/06/02(土) 16:46:57 ID:OB3AboMk
そうとは言い切れん。

それに真面目に領土拡張する謙信なんて、まともな戦国大名みたいでツマランじゃないか。
あの変人っぷりと関東での空回りっぷり、偏った軍事的才能や意外と経済手腕あったりするギャップなんかが魅力なのに。
24人間七七四年:2007/06/02(土) 17:00:30 ID:k1rHU62N
真面目に領土拡大する程であれば、まず関東管領などというものに
執拗になるとは思えんし、弱い周囲の豪族なんかも擁護せず攻め滅ぼしてる
だろう。
その後信玄氏康と旨く同盟して北陸方面に戦略を展開していくぐらいの戦略性
があったりしてな。
25人間七七四年:2007/06/02(土) 19:44:27 ID:nnrDAALQ
頼むから、
信玄、元就の内政、外交、軍事の優れた面を出し合って、
けなし合うのではなく、優れた面を認め合い、比較するスレにして欲しい。
好き嫌いは別にして、どちらも、優れた政治家であり、戦略家であり、戦争指導者だからこそ、歴史に名を残したのは、間違いないんだから。
26人間七七四年:2007/06/02(土) 19:52:03 ID:zky8RmzJ
完全に同意。こんな事をいってくれる人がいたことに感動。
27人間七七四年:2007/06/02(土) 19:55:09 ID:rfPrCwqU

そうはいっても信玄の評価は、信玄の大ファンであった

家康に負うところが大きすぎると思う。
28人間七七四年:2007/06/02(土) 19:59:17 ID:JOPps+sS
>>981
>>氏康の武田と戦い続ける意思がその後も持続されたとは考えにくく
里見との和睦という行動から氏康が対武田で専念するという意志があったということは確認できたみたいで恐悦至極
で、あれば氏康が存命中で、上杉が動けば甲相再同盟に向かう事は無いという認識でございますね?
では越相同盟の障害であるとお前が考える上杉の行動についてだが、お前様もご存知のように永禄十三年の四月に春日山城で祝儀が行われました
凄いね、知ってたんだね、それとも歴史群像に書いてあったのかな?
さてさて同年七月に上杉方から北条氏に同陣の要請をしたものの、北条方は断固拒否
同年九月に上野が武田に攻められることとなり、上杉が単独で出兵、武田を追い払う
元亀二年二月に武田軍が撤退すると上杉も軍を退いたと
これ以外でも越中でしっかりと牽制してるし、上野を与えることで武田の上野からの武蔵への進入を抑えようとしていた意図もしっかりと達成されてる
>>史実では氏政は武田〜以下
ここだけ都合よく史実を持ち出すんだよなあ
では当時の史実の関東の勢力分布を大雑把に示してみようか
上野西部は武田、東部は上杉若しくは北条、武蔵(一部親上杉だが)相模伊豆は言うに及ばず、下野西部から中部は親上杉か親北条、東部は反北条、下総は北部の一部を除く大部分が親北条、常陸北部は佐竹、中部の一部から南部は親北条、上総は里見
この状況をよく覚えておいてね
覚えたら次の問題に行こうか
>>知っていますがそれがなにか?椎名とか随分頑張っていますね。信玄も煽っていますね。 以下
これは上杉が親武田の越中を攻めてるのが牽制だという俺の主張に対するyouのレスなんだが、同じ理屈で言えば反北条が下野で暴れようが常陸南部でわめこうが牽制足りえないし、北条にとって痛くも痒くも無い
痒いことはあるか
武田のは牽制じゃなくて北条のは死活問題だ!なんていうなよ
飛騨の江馬も親武田でこっちから信濃目指す方法もあるな
佐野も然り、しかもこのときは武田討伐するからみんな集まれー^^!と号令かけて集まらなくてのもの
越中を全部武田のものとして(ありえない仮定だったと思うが)、越中対上杉の石高比は大雑把に計算して40:65、対する親北条対反北条のそれは80:90(勿論お前がすぐ破局するとわめいてる里見も入れてな)
どっちが有利かぐらいかはわかるよね?
>>まあ、駿河撤退の経緯は訂正しておく。
都合悪くなると前言撤回とは楽な手法とりますね
>>ばらばらに戦うよりも手を結んで戦ったほうがいいのは自明。〜以下
「悪くない」と「評価できる」は全くというほどではないが別物
当時の大名が普通にやってることを普通にやったからとて格段評価されるようなことじゃない
ましてそれで劇的な効果があったわけでもなく、実際は氏康の死去によりめぐってきた幸運で結果的に再同盟にこぎつけられただけ
>>人取橋云々
その前文は甲相再同盟について信玄の積極的な行動によるものではないと述べていることから、武田の再同盟における評価について述べたもの
で、あるならその後ろの文で明確に北条と主語が出ておらず、急に北条についての評価に切り替わったと判断するのは困難であり、武田に関する再同盟の評価について例えたものと見るのが自然
ニホンゴムツカシイネ、シャッチョサン
29人間七七四年:2007/06/02(土) 20:00:09 ID:zky8RmzJ
チョイ待ち、領土は20万石くらいから百万石以上に拡大。
内政もなんだかんだいって業績多し。
信虎から始まったものがあってもそれを大きく発展させたのは事実。
甲州法度も信虎と今川仮名目録の影響だけで出来上がっているのではない。
信玄は十分に一流の戦国大名といえるはずだ。
30人間七七四年:2007/06/02(土) 20:02:09 ID:rfPrCwqU
一流であることには異論がないが、超一流とはいえない
31人間七七四年:2007/06/02(土) 20:22:44 ID:57AX8i/V
真面目な話をしても、すぐメガトンあたりの煽りレスで埋もれそうだな、また
32人間七七四年:2007/06/02(土) 20:23:14 ID:tRESOtVR
誰も言ってない
33人間七七四年:2007/06/02(土) 21:53:04 ID:zky8RmzJ
>>28
>>同年九月に上野が武田に攻められることとなり、上杉が単独で出兵、武田を追い払う
元亀二年二月に武田軍が撤退すると上杉も軍を退いたと
これ以外でも越中でしっかりと牽制してるし、
上野を与えることで武田の上野からの武蔵への進入を抑えようとしていた意図もしっかりと達成されてる

大仰に語られてもなんだ、としかいえないのだが。上野における上杉の行動は自己の権益によるし
越中での牽制や上野からの進入阻止といっても信玄はこのころ駿河を攻撃して
北条と戦っているのだが。1571年正月には深沢城が攻められ上杉はその武田の動きを
特に引っ張ることなく、そのまま深沢城は攻略され、武田はほぼ駿河を制圧する事に成功する。
>>飛騨の江馬も親武田でこっちから信濃目指す方法もあるな
佐野も然り、しかもこのときは武田討伐するからみんな集まれー^^!と号令かけて集まらなくてのもの
越中を全部武田のものとして(ありえない仮定だったと思うが)、越中対上杉の石高比は大雑把に計算して40:65、
対する親北条対反北条のそれは80:90(勿論お前がすぐ破局するとわめいてる里見も入れてな)
どっちが有利かぐらいかはわかるよね?

つまりお前さんは北条の侵攻要請を無視し、自分の権益を図っているようにしか見えない
越中攻めも佐野攻めも上杉が北条の為に行っている武田への侵攻作戦の一環だと
言いたいわけか?直ぐ近くに武田領国の信濃も西上野もあるのにそれは攻めず
越中を制圧して飛騨から信濃にいくわけか?史実では1576年まで越中を行ったり来たり
している所から考えると随分長期的な計画なんだな。普通にその間に武田や里見との戦いに
疲れた北条が忍耐の限界に達するのが先だと思うが。
40:65としても越中には信玄と仲がいい一向一揆とかいてすぐには片付けられないぞ。
そもそもこのくらいの差なら数年かかるのは当然だし。
君の中では上杉はつい先ほどまで敵だった北条に随分気の長い友情を期待しているようだな。
謙信は越相同盟が崩壊した後も普通に越中の経略を進めているので、単純に自己の領土拡大と
みるのが妥当と思うがね。
すぐに破局も何も里見と北条の和議は成立してるのか?1570年に伊豆や小田原も攻めているし
信玄は北条と再同盟した後も里見はしつこく北条と戦っていたはずだが。

>>「悪くない」と「評価できる」は全くというほどではないが別物 (以下略)
普通にやることでもそれによってある程度の効果があり信玄の駿河奪取を助長し
それが北条にプレッシャーを与えた事は否定できまい。武田に駿河で押されて
反北条勢力も活発化したことで、上杉も当てにならないことから氏政は再同盟を
選択する。それまで甲越和与などで蓄積された上杉への不信感もある。
氏康死去による幸運というが越中にばかり向かう謙信と同盟し続け、
反北条勢力が活発に動いている状態で
駿河を攻略し自国に匹敵するくらいの力を持つ信玄と戦い続ける愚を
氏康がいつまでも気づかなかっただろうか。氏政は武田と再同盟して
関東の反北条勢力と上杉を相手に勢力を拡大していく。
この意味で氏政がとった選択は評価できるし、その結論に氏康が
いつまでも達しなかったかというとはなはだ疑問なのだが。
>>人取り橋云々
そりゃ失敬。
>>都合悪くなると前言撤回とは楽な手法とりますね
謙信が全力で信濃に攻めてくれば武田も備えなければならないと
いってるでしょ。
34人間七七四年:2007/06/02(土) 22:31:00 ID:JOPps+sS
>>33
どうもお前は俺の手法真似て矮小化して語るクセがついちゃってるからね
まあ同じく意図的になんだろうが
>>上野における上杉の行動は自己の権益によるし
それが武田への牽制ともなるといってるわけだが
>>越中での牽制や上野からの進入阻止といっても信玄はこのころ駿河を攻撃して 北条と戦っているのだが。
上野から武蔵へ入るラインが上杉によって牽制されれば駿河方面に軍を裂ける
駿河攻撃まで抑制しないと牽制として役に立ってない!と御主張なさるなら反北条たちはどうなる
>>越中攻めも佐野攻めも上杉が北条の為に行っている武田への侵攻作戦の一環だと 言いたいわけか?
結果的にそういった効果があるということは上杉にとってもまた北条にとっても非常に望ましいこと
越相同盟破棄にいたる理由が氏康の死以外にありえない事を示す
>>直ぐ近くに武田領国の信濃も西上野もあるのにそれは攻めず 越中を制圧して飛騨から信濃にいくわけか?
そういったラインもあるなあということを言ったまで
別に越中が元亀三年に一応片付いたときに信濃に舞い戻るも良し、上野の権益を拡大するも良し、そのまま飛騨に進入するも良し
武田が武蔵から攻めたり駿河から攻めたりしたのと同じように色々な方面から攻められる可能性を作られるのは非常に辛いものだが
だからこその越相同盟なわけで
>>普通にその間に武田や里見との戦いに 疲れた北条が忍耐の限界に達するのが先だと思うが。
越中が突っつかれても武田は疲弊しないのに、下総を攻められたら北条は疲弊するといいますかそうですか
なんですかこのダブルスタンダード
>>普通にやることでもそれによってある程度の効果があり信玄の駿河奪取を助長し それが北条にプレッシャーを与えた事は否定できまい。
なら上杉の越中攻めも同等に評価してもらおうか
どうも上杉の越中攻めは牽制として認めない、でも反北条の下総下野攻めは評価するというなんとも都合の良い介錯をしてるんだが
>>上杉も当てにならないことから氏政は再同盟を
「氏政」がというのは誰も否定しとらん
氏康であり続けるならばというスタンスを一貫してるわけだが、なんでそこで氏政が出てくるんだ?
>>この意味で氏政がとった選択は評価できるし、その結論に氏康が いつまでも達しなかったかというとはなはだ疑問なのだが。
実際に武田と結ぼうという動きを氏康自身がしていないのだから仕方が無い
お前の主張を仮に全面的に採るならば、上杉は動かない、反北条の息吹は感じられる、そんな状況にもかかわらず、氏康は武田との再同盟を決意しなかった
>>そりゃ失敬。
根拠も無い、自分の国語力の無さを前面に打ち出した全くの誤解で人に回答を迫っておいた人間の反応がこれですよ
35人間七七四年:2007/06/02(土) 23:06:15 ID:dZ6eCIdL
メガ豚よけとしてこっちにもあらかじめ張っとくか

【武田】2万5千で上洛【信玄】その50
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1178360250/


261 名前: 人間七七四年 Mail: 投稿日: 2007/06/02(土) 16:01:35 ID: k1rHU62N
他人のサイトから無断でコピペ??
そうでなかったらどうするの?(笑)自分の言ってる事が間違ってるという
器量をもう少し持ち合わせなければいけませんね毛利厨はww


263 名前: 人間七七四年 Mail: sage 投稿日: 2007/06/02(土) 17:46:03 ID: OB3AboMk
つか何でメガ豚は>>261で毛利厨とか言っちゃってんの?
あちこちで嫌われまくった挙句に連投を続けるもんだから
スレの区別もつかなくなったのか?
低脳なのは充分承知の上だと分っていたはずだが、ここまで酷いと驚く。
36人間七七四年:2007/06/02(土) 23:46:34 ID:zky8RmzJ
>>34
>>それが武田への牽制ともなるといってるわけだが
守ってばかりなのにか。防御的な動きばかりで武田の駿河侵攻作戦は
止まらず結局駿河は取られ続けているばかりか伊豆まで侵攻される。
反北条たちは少なくとも北条が武田の本拠地近くまで侵攻できるような
状態は招いていないわけだが。
>>結果的にそういった効果があるということは上杉にとってもまた北条にとっても非常に望ましいこと
本当に氏康がそれで満足してたならあれだけ腰を低くした割には随分消極的な戦果だとしかいえんよ。
氏政が割りにあわないと考えるのも当然だな。武田はどんどん駿河を制圧し
伊豆まで攻め込み、越相同盟はその動きを掣肘する事も出来ず間接的で消極的な
影響しか与えられていない。あれだけ腰を低くしてこの結果で
氏康が本当にこれでいいと思っていたなら正直おかしくなったとしか思えんが。
>>別に越中が元亀三年に一応片付いたときに信濃に舞い戻るも良し、
>上野の権益を拡大するも良し、そのまま飛騨に進入するも良し (以下略)
別に越中攻めんでも信濃・西上野と多方向から攻め入れるわけだが。
元亀3年の時点では越中は片付いていたか?椎名や一向一揆と和議をするのは1574年
つまり元亀4年(天正元年)じゃなかったか?すぐに武田にそそのかされて
戦いにもどるが。一向一揆は信玄と中がいい事からそんな簡単に越中から
好き勝手に動けるとは思えんし、多方向から攻めるならそもそも信濃・西上野がある。
普通に自己の領域拡大の為に越中を攻めていたに過ぎないと思うがね。
>>越中が突っつかれても武田は疲弊しないのに、下総を攻められたら北条は疲弊するといいますかそうですか
武田と里見は1570年には伊豆と小田原を突っついてらっしゃったと思いますが。
>>なら上杉の越中攻めも同等に評価してもらおうか
>>どうも上杉の越中攻めは牽制として認めない、でも反北条の下総下野攻めは評価するという
>>なんとも都合の良い介錯をしてるんだが
結局武田は駿河を取り、伊豆まで攻め込んでいる。それに対して上杉の越中攻めは
北条も上杉も武田を押し詰める結果になっていないのは気のせいか?
>>氏康であり続けるならばというスタンスを一貫してるわけだが、なんでそこで氏政が出てくるんだ?
下の文章とつながっているわけだが。結果からみて氏政の判断は特におかしいものではなく、
妥当なものでさえあった。その結論に自分であれだけ譲歩して結んだ越相同盟に氏康が
こだわりがあろうともいつまでもその結論にたどり着かないとは考えにくくてね。
>>実際に武田と結ぼうという動きを氏康自身がしていないのだから仕方が無い
その時点ではな。あれだけ苦労して結んだ越相同盟だ。面子からいってもすぐには
やめられまい。でもこのまま状況が推移すればそれを変えるメリットに向き合わざるを
得なくなったと思うがね。
37人間七七四年:2007/06/02(土) 23:48:59 ID:zky8RmzJ
>>34
自己レス修正。
>>椎名や一向一揆と和議をするのは1574年
これは1573年だった。スマソ。
38奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/02(土) 23:53:35 ID:qOMJT3FX
長すぎる書き込みって読んでもらえないぞ。
39人間七七四年:2007/06/02(土) 23:54:08 ID:IgIoMggT
ちなみに武田と北条は武蔵上野方面でもやりあっている

北条は西上野のいくつかの城を
武田は秩父方面を攻撃したり御嶽城を取ったり取られたり
40人間七七四年:2007/06/03(日) 01:05:59 ID:8a5frb9C
>>36
>>守ってばかりなのにか
駿河への侵攻が多くなってるなら目的は達されているだろうに
>>本当に氏康がそれで満足してたならあれだけ腰を低くした割には随分消極的な戦果だとしかいえんよ。以下
当初の御主張とダイブ変わってきておりますが?
最初は「機能していないことが示された」今度は「消極的な影響しか与えられていない」
機能していないわけじゃなくて影響を少なからず与えてるなら別に北条からきる必要ないな
>>普通に自己の領域拡大の為に越中を攻めていたに過ぎないと思うがね。
それがすなわち牽制にもつながると何度言えばわかるんだ?
ついでに徳川とも北条は手を結んで、武田はこれを詰問して、そして手切れに至ってるな
織田がどう動くかは未知数だが、徳川の存在を加えれば完全に武田包囲網だぞ
>>結局武田は駿河を取り、伊豆まで攻め込んでいる。それに対して上杉の越中攻めは 北条も上杉も武田を押し詰める結果になっていないのは気のせいか?
なら伊豆は陥落したのか?氏康の祖父の時代からの土地が簡単に失陥したと?小田原せめて落とせたのか?
そもそも越後春日山城が根拠地で甲斐まで行くにははるばる山を越え西上野を叩いてから甲斐に入る必要のある上杉と、海路から直接小田原を攻めれる里見が同じとでも?
攻めるだけで、あるいは敵の本城にご挨拶に行くだけで押し詰め?たというなら越中をまるまる奪取した上杉は大戦果だろ
それになぜか里見と武田は一致団結して北条に対抗するのが基本路線みたいに語ってるし
っていうか佐竹らはどうでもいいのかよ
一回甲相和与の条件について調べてきてみ
歴史群像ではなくな
>>下の文章とつながっているわけだが。
結果論大好物だな、お前
結果からみるなら北条は武田と事を構えずに行ったほうがよかったわけだが?
結果から見るなら武田はもっと北条らと協議して今川攻めるなりするべきだったわけだが?
結果からみるなら武田は信濃攻略において上杉と折衝を重ねるべきだったわけだが?
後世から見ればあの判断は正しかっただろうといっても、そりゃ結果を知ってるから言えること
豊臣の小田原征伐についても結果知ってるから北条氏政の判断は間違っていたとなる
あれで北条が勝ってりゃやっぱり大軍動員しての遠征をした秀吉の判断は間違ってたよねとなる
桶狭間の織田の行動にしても、あれで織田が敗れてれば篭城してればよかったのにとなる
武田と再度結んで結果が出たから氏政の行動が正しかったといってるが、神様視点で全てを把握しきれるからこその言
いきなり同盟を破ってきた人間を信用しろと、しかもかつては争っていた人間の当事者間で?
それなら管領職も譲った、上野も譲った、武蔵も一部ながら譲った、上下関係も伊豆をはじめ三国を安堵してもらう形で下になったと、ここまでして当初の上杉の関東討ち入りの大義名分を削いだのだから武田よりは信用できるだろ
>>その時点ではな。以下
実際の越相同盟が極めて短期間で終焉を迎えてしまったため、それに伴ってその恩恵も小さくなってしまった結果を持ち出してきてどうしたいんだ?
史実とは異なりある程度越相同盟が継続している状況、さらに越中も上杉が奪取した、里見とは下総の味方衆を失う覚悟でやれば十分に取り繕えるし交渉の余地もある、またこれが反北条らへの防波堤にもなるし、越相同盟の条件を合わせて見れば十分に和睦できる
これでもまだ上杉の越中攻めと里見の小田原参りが同じといいはりますか?
41人間七七四年:2007/06/03(日) 01:22:26 ID:mccKq8m3
1569年には徳川と北条が同盟、その後織田仲介で徳川は武田と和睦
1571年には徳川と上杉が対武田同盟
1572年には織田上杉同盟

織田と武田の敵対は武田と北条との再同盟があったからできたことだけど
徳川との関係を考えるとタイミングが少々ずれていれば
氏康側にもかなり勝算はあったかもしれん気はすrけど
42人間七七四年:2007/06/03(日) 01:48:39 ID:wDzYypWB
前スレで誰も答えてくれなかったので再び質問。
元就は旧大内領、陶領を検地したうえで熊谷などに配ってるけど信玄って今川とか
村上とか小笠原領で元就みたく検地したことってあるの?
差出寺社家臣の権利を認めるためのものが多いみたいだけどどうなん?
43人間七七四年:2007/06/03(日) 02:39:42 ID:Z+OUIt20
メガ豚は、司法試験やめたのか。まあ東大では嘘だろうけど、そこそこの大学に入ってはいるんだから早めに就職しておかないとやばいと思うけどな。
2chで煽りあってる暇あったら。
44人間七七四年:2007/06/03(日) 03:18:01 ID:Y8nEzzUm
信玄が滅ぼした、もしくは配下に出来た国持ち大名って、結局ボンクラ氏真しかいないよな。
45人間七七四年:2007/06/03(日) 09:56:45 ID:Sq4aWWpT
信玄は自分より劣る勢力を併呑して大きくなっていった
元就は自分より巨大な勢力を飲み込んで大きくなっていった

どちらかといえば元就に凄みを感じるのは俺だけじゃないはず
46人間七七四年:2007/06/03(日) 10:04:25 ID:KPHQ5F2/
秀才と天才の違いだな
47人間七七四年:2007/06/03(日) 10:58:20 ID:KkM9+sU/
冒険を許さないのが信玄のドグマだからな。
48人間七七四年:2007/06/03(日) 11:03:35 ID:lryjU9RU
織田攻撃が冒険で無いと申したか

元就の場合は冒険が向こうからやってくるからなー…
連続で桶狭間みたいなー
49人間七七四年:2007/06/03(日) 11:27:54 ID:k01Oa65l
駿河攻撃の時、まだ今川を倒しきれたわけでもないうちに盟約相手の徳川にいきなり不意打ちかましたのは冒険じゃないと申すわけだな
50人間七七四年:2007/06/03(日) 11:37:41 ID:AeVYjHQs
冒険でしょでしょ
51人間七七四年:2007/06/03(日) 12:27:14 ID:lryjU9RU
誰かハル信ユカイの歌詞ヨロ
52人間七七四年:2007/06/03(日) 13:03:14 ID:6y7V9iu8
>>47-50
なんかこー冒険してるしてないというより戦略が行き当たりばったりなだけのよーな。
俺も>>47みたく危険を犯さずに勝てる戦しかしない堅実な戦略家という信玄像が好きなんだが
そうすると上杉北条相手に消耗戦を繰り返した事が擁護出来なくなるんだよなぁ。
別に信玄だけに限った話じゃないが、どうも晩年より前半生の方に魅力を感じる。

>>48
連続で桶狭間ワロタw
でも元就にとって人生最悪の試練とは、後継者隆元の死であったという事実が悲劇的。
53人間七七四年:2007/06/03(日) 13:32:02 ID:JCt4Z/un
別に前半生を考えても信玄の基本戦略って
「国力に物を言わせて負けを重ねても何度も攻めこみ最終的に勝つ」
じゃん。
だから互角以上の相手には勝てんかった。
良い悪いじゃなく信玄って男の特性が「弱い奴には強いが強い奴には勝てない」だったって事でしょ。
まず優秀な民政家、甲斐の虎。しかして、それ以上は望むべくもなし。

信玄は後半人生では、前半の基本戦略が通じなくなり失速。
元就は初陣の有田合戦以降から常に大敵を打ち破ってきたから失速がなかった。
それだけの違い。

>>42
誰も答えないって事は可能性低いんじゃね?
5442:2007/06/03(日) 18:04:19 ID:ag/RGJxX
>53
そっか。
純粋に知りたかったんでちと残念だな。
55人間七七四年:2007/06/03(日) 18:32:16 ID:6y7V9iu8
信玄が検地したって話は、確かにあんまり聞いたことがない。
元就の場合は出自が国人なもんだから
熊谷や山内には甘い汁を吸わせて懐柔しておく必要性があったみたいやからね。
そこら辺は元就が隆元に送った書状などから察せられるんだけど
それを読み取ると、有力国人衆の扱い方を教えるなど
やはり元就が隆元に対して毛利家当主としての英才教育を施していた事が窺える。

>>53
ホント、信玄って若い頃はまず快進撃と言っていいんだよな。
村上や長野に手痛い負けを食らっても最後には勝つってパターン。
逆に言えば、この「負けても最後には勝つ」方法に味をしめちゃったから
上杉北条相手にも引く事が出来ずに延々と消耗戦。
国力差で押し切る勝ち方で強大化した信玄だからこそ
器用に方針を切り替える事が出来なかったんじゃないだろうか。
56人間七七四年:2007/06/03(日) 21:39:03 ID:M00lmXSr
>>53それ正気でそんなこと言ってるの?
信玄が国力にものを言わせて負けを重ねて何度も攻め込みってどこのことを言ってるの?
信玄の負けなんて3度しかないんですが、ちゃんと史料見てるのかな?
そもそも上杉、北条と勢力拡大真っ最中の強敵が揃っていた地域と、凡将だらけで
元就と同等の相手がいなかった地域と比較されてもねえ。
信玄と元就の違いはただ相手が強いか軟弱かの違いだよ、これについて誰も異論を唱える
学者や歴史家はいないね。
あとそれから元就は寡兵で戦うのが得意だっていうのが誇りらしいけど、厳島以前で明確
な史料ってどれだけあるの?江戸時代の創作を持ち出されても意味無いからね。
厳島以降は寡兵で戦う必要ないから、20年もの年月を費やして大軍でを率いておきながら
もたつきまくってるよね、というより厳島事態思いっきり創作が入ってるしね。
57人間七七四年:2007/06/03(日) 21:41:13 ID:2XhIeEva
>56
メガ豚ってやっぱり山梨生まれで信玄房化したの?
58人間七七四年:2007/06/03(日) 21:46:11 ID:M00lmXSr
川中島は北信濃を平定しつつ越後越中にまで勢力を伸ばし上杉への備えとした
信玄の勝ち
対北条戦?駿河を無事平定しつつその以前に相模で一喝してますが何か?


毛利厨というのは、なまじ弱い大国を滅ぼした元就を崇拝してるもんだから
強い大国同士の凌ぎあいというのが理解出来ないんだろうな、しかし悲しいかな
信玄に対する世間の評価は軍略 政治 外交いずれも変わることはないと思うよ。

逆に
59人間七七四年:2007/06/03(日) 21:51:35 ID:M00lmXSr
そして痛いところを突かれれば、まともに議論をしようとしないのが毛利厨の姿
メガトンと決め付けることによって基地外が喚いてるだけといいたいんだろうけど
もうその手は通用しないね。
毛利厨は武田にも毛利に対しても十分に無知だというのが分かったから、ありがとう
>>58の続きだけど、逆に元就の方は過大評価されてきた理由の中核だった厳島の戦い
の概要に江戸時代の創作がずいぶんと入ってるみたいだが、これについてはどう言い訳
するのかな?
そして厳島以降どうして中国を平定するのに20数年もかかったの?ライバルは消えた
はずじゃなかったの?
60人間七七四年:2007/06/03(日) 21:55:10 ID:DUtmcQ2D
>>59
武田についての創作は無視ですかそうですかw
61人間七七四年:2007/06/03(日) 21:59:16 ID:M00lmXSr
信玄の戦いに国力でものをいわせた戦略も戦いもないよ
諏訪攻めの謀略、小田井原合戦と志賀城攻めの両立、上田原合戦の敗退から
すかさず塩尻峠での反撃、村上義清の3城攻め、川中島、小田原攻め〜三増峠
対徳川戦 いずれも戦略的に勝ちを治めてます十分に。

逆に再び聞くけど、元就は寡兵で中国を平定したの?厳島以降は大軍を動員
出来たはずでしょ?なのにどうして20数年も平定するのに費やしたんだい?
国力で強引に攻め倒したの?
62人間七七四年:2007/06/03(日) 22:06:21 ID:2XhIeEva
>61
1555年 厳島の戦い
1557年 大内氏滅亡
1566年 尼子氏滅亡

1566-1555が20数年? 小学校からやり直せと
63人間七七四年:2007/06/03(日) 22:21:38 ID:M00lmXSr
中国統一したのは(実際はしてないが)1571年でしょ?しかも元就が
直接関わったのは西側半分だけだしね、がら空き同然の地域を平定するのに
16年もかかったの?
64人間七七四年:2007/06/03(日) 22:48:16 ID:M00lmXSr
陶晴方が死んでから一体誰が周防長門石見安芸の東を統治してたの?
65人間七七四年:2007/06/03(日) 22:49:44 ID:nZmvgUZN
>>42
一応答えるけど
自分の記憶違い解釈間違いなどもあるし、
それほど多くの学者の本を読んでるわけでもないので
自身が調べた方が絶対いいだろうけど

武田に検地の記録は少なく
信虎信玄勝頼でも直接的な検地の記録は一桁
検使、改、など検地を推定出来るような資料が80ほど
またその記録のほとんどが勝頼時代のものであるため、
信玄時代にも検地はしていただろうけど、その実態はよく分かっていないみたいだが
取りあえず地域ごとに統一的な検地を行ったような様子は無く
家臣の所領ごとに部分的な差出検地をし、
武田家はその結果を検使を送って確認させていたのではないかと推定されているらしい。

また信玄時代には『恵林寺領検地帳』があるがそれは作成目的からかなり特殊な例で
秀吉がしたような通常の検地とは異なる、らしい。
66人間七七四年:2007/06/03(日) 22:55:02 ID:KPHQ5F2/
信玄はがら空き同然の信濃の平定に10年もかかっているけどな
67人間七七四年:2007/06/03(日) 23:00:31 ID:KPHQ5F2/
>>56
>信玄の負けなんて3度しかないんですが、ちゃんと史料見てるのかな?

お前こそちゃんと史料見ろ
長野業正だけでも6回も負けてるだろうが

上野の小豪族にすら勝てないのが信玄の実力
68人間七七四年:2007/06/03(日) 23:05:41 ID:M00lmXSr
>>30
みっともない言い草は聞き飽きたよ、信玄が超一流の政治家という評価に
揺るぎようはないよ。
信玄から始まった、いや以前に存在していたとかいう議論は別に関係ないと思う。
法整備にしろ治水にしろ、合戦をしつつ領土を広げながらあれだけの事業が出来る
の大名はこの時代いないと思う。
大多数の金山を見つけ鉱山技術の向上へと役立たせたことや、狼煙による膨大な
情報伝達網なども信玄ほど行っていた大名はいなかっただろう。
69人間七七四年:2007/06/03(日) 23:06:05 ID:nZmvgUZN
>>64
厳島合戦直後なら
安芸は毛利
周防長門石見の一部は大内義長
石見の東は尼子
石見の吉見は親毛利
70人間七七四年:2007/06/03(日) 23:09:22 ID:2XhIeEva
>63
1571年に何が有ったのかとおもったら山中幸盛らによる尼子残党の蜂起かw
あれをもって中国地方を制覇していなかったことになるんなら、徳川幕府も
関ヶ原から37年、大阪夏の陣から22年たってもまだ日本を制覇してなかったことに
なっちゃうがw

 つか齢74歳で没年まで後1年のじいさんがこの時期まで現役だったとも思えないけどね。
71人間七七四年:2007/06/03(日) 23:14:14 ID:M00lmXSr
>>67それは信玄じゃなくて義信の戦だよ、史料というのはちゃんと見ようね
そもそも武田方の史料に信玄が直接業正と一戦交えた戦があったなんて書いてある
史料あるの?
上州方の史料にもそんなこと書いてある史料は無いよ、まあ君達の言い草で言うなら
弱小の元就を倒せず逆に滅ぼされた大内と尼子はその程度の実力で、その程度の相手を
倒した程度なのが元就ってことになるね。
そう、元就こそその程度なのだよその程度。
72人間七七四年:2007/06/03(日) 23:15:25 ID:2XhIeEva
>71
いい加減その循環論法はやめないか、メガ豚。
73人間七七四年:2007/06/03(日) 23:20:30 ID:DUtmcQ2D
>>71
お前の考えだと弱小の信長に討ち取られた義元はその程度の実力で、
その程度の実力の義元よりも↓だった信玄はw
そう、信玄こそその程度なのだよその程度。
74人間七七四年:2007/06/03(日) 23:24:43 ID:uJcccUNA
>そもそも武田方の史料に信玄が直接業正と一戦交えた戦があったなんて書いてある
>史料あるの?

これはギャグで言ってるのか、まぁ武田方の史料って書状から史書まで嘘八百だから
最初からないほうがいいと思うぞ。
ちなみにメガ豚の大好きな三増峠で氏康は指揮してない、無様な撤退戦で一矢報いたからと
いってあまり喜ばないように
75人間七七四年:2007/06/03(日) 23:26:03 ID:M00lmXSr
ご都合的な醜い根性の毛利厨は、また相手のことをメガトンと決めかかる
ようなレスをすることにより、単に基地外が喚いてると思わせたいんだろが
その手は通用しないと言ったはずだよ。
むしろ毛利厨の中にメガトンがいる確立の方が高いんだが気がつかなかった?
メガトンと毛利厨が子供みたいに罵り合ってるだけになってるのがこのスレの現状だよ。
大人の武田ファンは最近あまり見かけないし。
76人間七七四年:2007/06/03(日) 23:33:36 ID:2XhIeEva
>75
>メガトンと毛利厨が子供みたいに罵り合ってるだけになってるのがこのスレの現状だよ。

さっきから信玄派の書き込みはずっとお前だけなんだが、
明らかに毛利房でない以上、やっぱりメガ豚じゃねーかw

文体はまともになったけど、主張してる内容とこの馬鹿さ加減はメガ豚のまんまだね
77人間七七四年:2007/06/03(日) 23:34:25 ID:M00lmXSr
>>73
下手糞な屁理屈とはそのことを言うんだねw
>>74
元就に反論する人間をいちいちメガトンと決めかかればかかる程逆に
毛利厨にまともに相手を論破する自身がない証拠になるのだが。
嘘八百というのは北条や上州関連などに見られるものを言うんだよ。
以前メガトンが貼り付けたサイト読んだが(三増峠)まさしくあれこそ
北条が負け戦を隠し続けたい一心で捏造した「北条五代記」だったね。
信玄の無様な撤退戦の中、一矢報いたなんて思い込んでればどんな史料
に目を通しても無駄なことだ君のような鈍感な感覚の人間はね。
撤退と見せかけてのおびき出し作戦だという評価は永遠に変わらないよ。
78人間七七四年:2007/06/03(日) 23:41:35 ID:M00lmXSr
>>76
ということはすなわち基地外相手にいつまでも必死に食らいついてる
という自覚が君達にはあるってことだよね、相手がメガトン一人だけと
思ってるんだろ?
たった一人相手に大人気なくがむしゃらになる以上は、やはり元就に
対して自身が無いと考えざるをえないね。
元就の合戦に創作が入ってると言えば何も答えられず信玄についてとやかく
しか言えないという図式がみんなあると思うんだがどう?
79人間七七四年:2007/06/03(日) 23:47:10 ID:CqntXuPW
>>74
>>まぁ武田方の史料って書状から史書まで嘘八百だから
最初からないほうがいいと思うぞ。

これはさすがにひどすぎ。妙法寺記とか高白斎記とか書状とかは結構信頼できる。
甲陽軍鑑の一部だけでもって全てを嘘だらけとするのは良くない。
そんな事いったら全ての大名の資料が認められなくなってしまう。
80人間七七四年:2007/06/03(日) 23:53:59 ID:SP1c46ch
>>79でも>>78は妙法寺記すら知らないようだぜww
81人間七七四年:2007/06/03(日) 23:54:03 ID:M00lmXSr
武田信玄に敵意と憎悪を持てば持つほどいかなる史料や軍記物に目を通しても
捏造だの信憑性が無いだのと思い込みたがるもんなんだろうね。
彼らは厳島合戦の虚像を知ってるだろうから、余計にライバルの信玄を貶めようと
たくらんでるだけだろう。
82人間七七四年:2007/06/03(日) 23:57:04 ID:nZmvgUZN
>>79
高白斎記も軍鑑の影響を受けた加筆部分があるのでそのまま信用できないのが難点といえば難点
あと武田関連の書状は捏造書状多いのも難点

まあそれでも甲陽軍鑑>陰徳太平記だとは思うから
結局信用できる史料を探して使っていくしかないな
83人間七七四年:2007/06/03(日) 23:57:47 ID:2XhIeEva
>>78

>>>76
>ということはすなわち基地外相手にいつまでも必死に食らいついてる
>という自覚が君達にはあるってことだよね、


ごめん、つい楽しかったのでw

つか誰もお前の主張にまともに反論しようとしないのは前スレでほとんど反論しつくしたからだよ。
それでも君は馬鹿みたいに同じ主張を繰り返してるけどね。こっちは同じことを続けるのも飽きてる訳。

そもそもどっちが優れた戦国大名かなんて決めつけるのは無理。
直接対決してたとしても運や時勢の要素があるから10回ぐらい同じ条件で戦ってくれないと
優劣は決着しがたい。

だからこそ合戦時の動員兵力とか所領の拡大率とかなるべく客観的なデータで議論しようとしてるのに
お前はどこに基準をおくかもあやふやな循環論法で同じ主張を繰り返してるだけ。
皆こんな議論には飽きるよ。反応は楽しんでるけどね。
84人間七七四年:2007/06/04(月) 00:10:21 ID:EfQCo0/h
>>68>>71
「信虎の代から存在する内政事業も『領土を広げながらあれだけの事業が出来るのは信玄だけ』理論」
「長野戦で何度も重ねた敗退は『信玄じゃなくて義信の戦』理論」

どちらも前スレでメガ豚がアフォみたいに繰り返してた理論だ罠
自らメガ豚と公言して行ってきた幼稚なミスの数々に耐え切れず
まーた別人の振りして誤魔化そうとしてるみたいね。

百歩譲って同一人物でない事にしてあげたとしても
メガ豚と同程度の馬鹿が一人で喚いて皆に遊んでもらってるだけという図式は変わらん。
85人間七七四年:2007/06/04(月) 00:12:35 ID:Wcm4QU2A
俺が以前主張したとおりになってるけどそれを蹴ったのは戦国板の馬鹿どもだから攻撃しなきゃな。
86自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 00:17:15 ID:Wcm4QU2A
毛利も武田も虐殺者だからポルポトを崇めたたえてるポルポト派と変わらないな。
被害者子孫の前で「信玄万歳」とか言えよ、

ポルポト派メガ豚。
87人間七七四年:2007/06/04(月) 00:18:06 ID:MqJ9kZLY
「自治スレで認められた正当な行為です」 君かwwまあ馬鹿ばかしくて面白かったわ。お前の幼稚な正義感か知らんが暴走してたのはww
88人間七七四年:2007/06/04(月) 00:19:39 ID:wT7Hye1V
>どこに基準をおくかもあやふや


そもそも比較して無理やり信玄を貶めてるだけなのが毛利厨だよ、君指摘する
相手を間違えてはいけないね、全く違う地域や環境を普通に考慮すれば必然と
互いの違いなんて出てくるもんだ、それを理解出来ないのが毛利厨だね。
鋭く指摘になるような事を言えば、ガキみたいな反論しか出来ないだろ。

まず何かしら毛利厨が信玄を叩く→武田ファンが逆に反論する→都合が悪くなった
毛利厨が精神崩壊しメガトンの妄想と決めかかる

しかし何度も言うが俺はメガトンじゃないので(文章が似てようが)君のレス
も空振りに終わってるという事だけは言っておくよ、マジお笑いw

こんなとこだろこのスレは

89自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 00:20:05 ID:Wcm4QU2A
なにほざいてるんだ糞ボケ
90人間七七四年:2007/06/04(月) 00:21:23 ID:Ama3E+8a
日付が変わったのでIDが変わったようだな
91人間七七四年:2007/06/04(月) 00:22:26 ID:MqJ9kZLY
>>89君みたいな幼稚な正義感を持った奴って上に立てないんだよねww
その幼稚な正義感wwを少し煽ってやれば勝手に暴走してくれるんだからなww
92人間七七四年:2007/06/04(月) 00:24:29 ID:NDIiYmPl
>>84
そもそも信虎こそ
「領土を広げながら内政事業にも着手した」当人なのになw
メガ豚は前スレで信玄の親父についてすら徹底的に無知なのを露呈させたが
未だに信虎の評価が「領土を広げてない、内政は国主ならやるのが当たり前」なんてトンデモなんだろな。
だから>>68みたいな見ていて恥ずかしいレスができるんだよ。
93人間七七四年:2007/06/04(月) 00:30:05 ID:wT7Hye1V
毛利厨の頭の中身


(信玄は国力にものをいわせて勝っただけと主張)
そして>>61のようなレスに対してスルーするのが毛利厨

(村上や長野などの小豪族に負け続けると主張)
そして信玄より老練な名将だという事実を一切無視するのが毛利厨
長野業正と信玄の直接対決が無かったことに関して一切無視するのが毛利厨

(信玄は大勢力を倒したことが無いと主張)
周囲に大勢力が多数存在してるから攻略しにくかった、あるいは信玄の戦略
の中に攻略する必要がない地域もあるという事に関して一切無視するのが毛利厨

(信玄の内政手腕は虚像だらけと主張)
信虎時代から始まっていたかもしれないとう研究家で論議が交わされている途中
なのを考慮せず、最初から虚像と疑うではなく決めかかってるのが毛利厨
94人間七七四年:2007/06/04(月) 00:30:25 ID:2wLQhWOA
江戸時代の初めの頃にまとめられた軍記物で信憑性は無いかもしれないが
元就は中国を統一し九州四国にも手を伸ばす名将で
中国にも昔は項羽劉邦みたいな名将がいたが
今の中国には元就ほどの名将はいないと
書かれるぐらいだから、その頃ではトップクラスの名将だったんじゃない?
95人間七七四年:2007/06/04(月) 00:33:04 ID:MqJ9kZLY
>>93
「呆れて物が言えない」


この言葉くらい知っておけww
96自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 00:33:20 ID:Wcm4QU2A
毛利厨や武田厨はカルトなので、論理が通用しない傾向がある―と断定せざる終えない。
比較検討において重要なのは、判断基準の設定である。
ここでの判断基準は「客観的」かつ「公正」で無ければならない。
だが毛利や武田信玄は敵に勝てる判断基準しか設定したがらない。
なぜなら、公正に勝負すれば負けると決まりきっており、
敵に負けらると判定されると毛利元就に
自己投影したヒロイズムが目の前で脆くも崩壊するからである。

武田信玄に毛利元就が敗れる事態になってしまうと自我が傷がつき精神崩壊一歩手前に陥るからだ。

彼らは実像を欲している。その実像とは事実としての客観的な認識をもたれているヒーローであって
現実に虚像を持ち込もうとする行為そのものはナンセンスという事実には気がつかない。
虚像の正当化するための議論は信仰を崩したくない人がよくする議論である。

また、武田信玄や毛利元就を擁護するための論法なら彼らはなんでもやるのだ。
ある種のレトリックや詭弁論法を良く使う。
論としてはナンセンスでも情報精度や比較検討ではなくて、自己のイメージや
自己の感情、そのための議論にしかならないのである。


それをコメディタッチに釣り目的で演じているのがメガ豚であるということはお分かりであろう。
97人間七七四年:2007/06/04(月) 00:35:53 ID:MqJ9kZLY
>>96覚えたての言葉って使いたくなるよね〜ww最後の方なんか君にピッタリなんじゃない?
98人間七七四年:2007/06/04(月) 00:36:01 ID:EfQCo0/h
つか、ふっつーに30レス以上も元就信玄それぞれの話題で盛り上がり
一人の信玄厨(=メガ豚)が顔出して連投しまくった途端、まともに比較議論してた連中は呆れて退散。
その後は一人だけの信玄厨(=言うまでもなくメガ豚)を周りの皆がイジって遊ぶだけってお約束な図式がもう、ねぇ?

>国力差で押し切る勝ち方で強大化した信玄だからこそ
>器用に方針を切り替える事が出来なかったんじゃないだろうか

至言。信玄は国持ち大名として恵まれたスタートを切り、巧みに小勢力を併呑していった。
温室育ちな大名の弱点みたいだな。
最初の方に自分以上の勢力とぶつかって勝つという経験がなかったからこそ行き詰った。そこは信玄の不幸。
99自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 00:36:29 ID:Wcm4QU2A
誤字訂正

毛利厨や武田厨はカルトなので、論理が通用しない傾向がある―と断定せざる終えない。
比較検討において重要なのは、判断基準の設定である。
ここでの判断基準は「客観的」かつ「公正」で無ければならない。
だが毛利厨や武田厨は敵に勝てる判断基準しか設定したがらない。
なぜなら、公正に勝負すれば負ける可能性があると決まりきっており、
敵に負けらると判定されると毛利元就に
自己投影したヒロイズムが目の前で脆くも崩壊するからである。

武田信玄や毛利元就が敗れる事態になってしまうと
自我が傷がつき精神崩壊一歩手前に陥るからだ。

彼らは実像を欲している。
その実像とは事実としての客観的な認識をもたれているヒーローであって
現実に虚像を持ち込もうとする行為そのものはナンセンスという事実には気がつかない。
虚像の正当化するための議論は信仰を崩したくない人がよくする議論である。

また、武田信玄や毛利元就を擁護するための論法なら彼らはなんでもやるのだ。
ある種のレトリックや詭弁論法を良く使う。
論としてはナンセンスでも情報精度や比較検討ではなくて、自己のイメージや
自己の感情、そのための議論にしかならないのである。


それをコメディタッチに釣り目的で演じているのがメガ豚であるということはお分かりであろう。
100人間七七四年:2007/06/04(月) 00:40:39 ID:xl8JDKAu
100
101人間七七四年:2007/06/04(月) 00:44:21 ID:wT7Hye1V
毛利厨の頭の中身続き

(とにかく寡兵を使っての戦上手でありそれで中国を統一した)
寡兵で大勢力を築いた人間がいるんなら見てみたいもんだが、平然と
こんなことをいうのが毛利厨、そして江戸時代の創作に関して一切無視
するのも毛利厨、厳島以降随分もたついた事に関しても一切無視するのが毛利厨

(中国地方と信玄の地域とどこに差がある!!)
これはメガトンも主張していた通り、信玄と謙信と義元に氏康など当時の
戦国末期はとにかく領国を拡大出来る名将が揃い始めていた時期、特に
東日本はそう、有力大名といわれていた人物の大半が東日本だ。
無様に大国を衰退させていくだけの大名しかいなかった中国地方とでは比にならない
ことぐらい誰でもわかる、だからこの地域(東国)の評価は昔からすこぶる高い

(毛利両川体制こそ素晴らしい)
後の天下人秀吉と家康にいいように使われてきた事に関して一切無視するのが毛利厨
武田滅亡の原因が信玄が後継者を育てられなかったとか言いながら、元就の失策に対して
一切無視するのが毛利厨
102人間七七四年:2007/06/04(月) 00:45:56 ID:YW/bRbH7
>>99
「勝つ」というのが滅ぼす、じゃないと駄目なのか?という問題もあるな。
信玄は謙信からは北信濃、北条からは駿河を奪取している。
しかしそれでも勝ってないというならば謙信も氏康も信玄には
勝てなかったことになる。さらに戦国時代で最も勢力を拡大した信長も
その勢力で滅ぼした相手の多くが
自分より勢力の大きく劣った相手だったことを考慮すると
信玄が対等の相手を滅ぼしていないのは悪く言われるものなのか疑問になる。
103人間七七四年:2007/06/04(月) 00:46:37 ID:YW/bRbH7
間違えた、>>102>>98あてだ。
104自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 00:52:27 ID:Wcm4QU2A
>「勝つ」というのが滅ぼす、じゃないと駄目なのか?という問題もあるな。
滅ぼした毛利から比べると劣る。

>信玄は謙信からは北信濃、北条からは駿河を奪取している。
30万石程度

>しかしそれでも勝ってないというならば謙信も氏康も信玄には
>勝てなかったことになる。さらに戦国時代で最も勢力を拡大した信長も
元就は戦術でも誰にも負けてません。

>その勢力で滅ぼした相手の多くが
>自分より勢力の大きく劣った相手だったことを考慮すると
毛利は巨大勢力に勝ちました。

>信玄が対等の相手を滅ぼしていないのは悪く言われるものなのか疑問になる。
対等相手の勢力を温存させてしまうと、
戦略的に敵だらけの武田家は枝葉で勝っても安寧の日は来ません。
105自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 00:55:39 ID:Wcm4QU2A
客観的な判断基準

残虐度

毛利=武田

エロ爺度

武田>>>>>>>>>毛利

現在でも恨まれてるど

武田信玄>>>>>>>>毛利

ドラマの視聴率

武田>>>>>>>>>>>>>>毛利

テロ度

毛利>>>>>>>>>>>>>>>>>武田
106人間七七四年:2007/06/04(月) 00:55:59 ID:wT7Hye1V
>>104

な、こういう歪んだ考えしか出来ないのが毛利厨なんですよ
常識で考えれば>>102のような戦略上勝ち取った戦いなんて
誰でも分かる理屈だが、毛利厨というのはなまじ大国(しかも弱い)
をかろうじて滅ぼした元就を崇拝するあまり、一般思考というのに
欠けた生き物なんだと思う、こりゃマジでやっかいな生き物だなww
10798:2007/06/04(月) 00:58:57 ID:EfQCo0/h
>>103
この場合「勝った」というのは、戦場で一度勝利した、とかのレベルではなく
勢力同士の抗争の結果として「勝った」かどうか、って話ね。
だから仰る通り「滅ぼす」と表現した方が的確だったかも。
それに北信濃は元々村上の物で、謙信が助けを求められて駆けつけたに過ぎないし。駿河だって北条との獲物の奪い合いレベル。
信長だって初期に自分より強大な勢力と戦って、それからの話でしょ。大きく劣る相手を順々に滅ぼしていったのなんて。
元就に関しては、言わずもがな。
「対等の相手を滅ぼしてない」=「ダメ」とまでは誰も言ってないと思うよ。
実際、↑の条件を満たしたような大名は少ない。
ただ「信玄は一流の大名である事は誰も異論がない。だが超一流とは言いがたい」→
「それは何故か?」→「自分と同等以上の国力を持った相手には勝てなかったからである。そこが信玄の限界だった」
という論調のつもり。少なくとも自分はね。

>>103
大丈夫だよ。それくらいはレスの内容から察せられる。でも丁寧な修正トン
108自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:00:38 ID:Wcm4QU2A
毛利元就は、武田信玄と違ってお世話になった大内に喧嘩を売って自害させました。完全な勝利です。
そして、大友に完全敗北してしにました。

武田信玄は、諏訪を騙し和議でぶっ殺して娘を側室にしました。
じゃああんたのの親父が殺されて妹が殺し屋の愛人にさせられるのはどうですかね。

裏切りまくった人生だったので最後は裏切られて切れて病気悪化→死亡wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
109人間七七四年:2007/06/04(月) 01:07:00 ID:2wLQhWOA
>>102
信長の場合は自分と対等以上の今川の攻撃を退けながら
自分と対等の清洲家岩倉家斎藤家と倒した段階で100万石超だから
どうしてもそれ以後は自分より劣った勢力になってしまうのは仕方が無いこと
信玄だって上杉や北条を滅ぼしていれば同じような状態になれた・・・はず

>>104
>対等相手の勢力を温存させてしまうと、
>戦略的に敵だらけの武田家は枝葉で勝っても安寧の日は来ません。
一時は北条上杉徳川に包囲されて危なかったし
最終的には織田徳川北条によって滅ぼされたから
その通りだな
110人間七七四年:2007/06/04(月) 01:07:05 ID:YW/bRbH7
>>107
答えてくれてありがとう。
確かにおっしゃるとおりなのだが、信長は尾張統一戦はともかく
美濃は経験不足な当主で結束に疑問が。
そして近畿は六角は衰退し、三好は分裂状態。それらを倒して巨大な国力を
手に入れていったわけで、それはもちろんすばらしい戦略なのだが。
そういう意味で考えると本当に強力な大国を滅ぼして勢力を巨大化させたのは
元就くらいであり、超一流の大名というのは元就だけになってしまうと思った。
111人間七七四年:2007/06/04(月) 01:08:04 ID:wT7Hye1V
>>107
思いっきり毛利厨は、大勢力を倒した事が無い信玄は明らかに元就より劣る
と主張していますが。
北信濃での川中島の壮絶さを(謀略など)知ってればね、駿河の獲得の奪い合い
レベルとかいってるがどれだけの壮大な外交戦略が展開されてきたか知ってればねえ

それから、頭の悪い人に限ってすぐ「限界」とかいう言葉を持ち出すんですよね。
器量が全く同じであれば決着なんて着くはずが無い(対上杉)
また関東なんて信玄の戦略地域ではない(対北条戦)
112人間七七四年:2007/06/04(月) 01:13:35 ID:wT7Hye1V
毛利元就はどんなに厨が持ち上げようが、永遠に評価が上がることはないでしょう。
大内義隆や尼子晴久が父に劣らない名将であればまだしも、若いおぼっちゃま大名
では駄目ですね。
結局元就は大勢力を滅ぼしはしたが、所詮完全に勝てる相手だけを相手にしたという
評価は揺るぎようがない。
113人間七七四年:2007/06/04(月) 01:13:43 ID:YW/bRbH7
>>109
上杉は武田や北条を相手にしながらも生き残ったし、
毛利も織田や大友と争っている。
両者は共に本能寺が遅れていれば滅ぼされてしまっただろうし
最終的に滅んだ事だけで決めていいのだろうか?
対等勢力を滅ぼせなければ安寧はないというのは多くの大名でそうだろう。
114人間七七四年:2007/06/04(月) 01:14:45 ID:jV80RIzB
>>109
一応言っておくけど信長が滅ぼした勢力の多数は個々でなく一度に相手した奴ら
だから、包囲網かけてきた仏教勢力含めた全勢力同時進行で滅ぼしまくってる。
115人間七七四年:2007/06/04(月) 01:15:46 ID:MqJ9kZLY
>>112そりゃお前、武田信玄以外でも当然だろ。バカじゃねえの。完全に勝てる相手以外に仕掛けるのは余程の事がねえとしねえよ。
116自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:17:50 ID:Wcm4QU2A
なんで武田厨房はアホなんだ。

>上杉は武田や北条を相手にしながらも生き残ったし、
だから戦い続けだったし、領土も多く削り取られてます。
しかし晩年は敵を少なくし織田信長に完勝しました。

>毛利も織田や大友と争っている。
毛利は、織田はともかく大友相手は「危険」ではありません。
敗北とはいえ、敵だらけではありませんよ。毛利は。
しかも和議に成功している。
アホ見たく敵作ったゴミ武田家と同じにするなばーか。
>両者は共に本能寺が遅れていれば滅ぼされてしまっただろうし
毛利は和議寸前でした。何も知らないんだな。
てめーの家が滅んだからといってアホの武田家と素晴らしく偉大な毛利を一緒にするな。
117人間七七四年:2007/06/04(月) 01:19:34 ID:wT7Hye1V
>>115
あらあら、そんなこといっちゃあ、今まで毛利厨が散々言ってきたことは何なの?
信玄の巧みな絵に描いたような兵法をあざ笑い、元就の果敢で勇猛な対大勢力戦
を評価していたのは何だったの?
118自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:20:46 ID:Wcm4QU2A
元就公はお世話になった大内家の青二才の大内義長を自害させました。
しかし馬鹿の武田信玄は特にお世話になってない今川氏真を助け出しました。

元就公最低!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
119人間七七四年:2007/06/04(月) 01:23:42 ID:jV80RIzB
>>117
いやそれ全然状況違うから

>完全に勝てる相手以外に仕掛けるのは余程の事がねえとしねえよ

当時の元就は常に「余程の事」な状況だったんだよ。オヤジのおかげで最初から
万単位の動員兵力を持つ信玄と一緒にしてはいけない
120人間七七四年:2007/06/04(月) 01:24:38 ID:EfQCo0/h
>>110
美濃の問題とか、後継者による弱体化を持ち出したら
対長野で息子の代になってようやく箕輪城落とした信玄もドッコイだし(対今川なんかも当てはまっちゃう
尾張統一戦だけでも凄いでしょ。結局は、相手の弱みを見逃さずに勝てる能力があるかどうかって話になる。
元就だけ持ち上げるつもりはないんだけど、凄いもんは凄いって認めないと他の大名を褒める事も出来んくなるからねぇ…
陶を打ち破っただけで充分凄いんだから、せめて尼子を滅ぼす仕事くらいは次代に譲ってあげろよ、とすら思うw
月山富田城を落とした戦略など、大軍を用いての攻城戦にも優れていた事が分かるからね。

>>108
あんたの場合は名前欄でNG登録出来るから
ビビってコテもつけられないどっかの豚よりは良心的だよ。
121人間七七四年:2007/06/04(月) 01:24:43 ID:YW/bRbH7
さすがに最初から万は動かしていないぞ。
諏訪攻めの2万はどう見たって誇張だろう。
122人間七七四年:2007/06/04(月) 01:25:00 ID:cALAHC0j
>>織田信長に完勝しました
主語が行けてるぞ。誰が信長に完勝したんだ?
>>毛利は和議寸前でした
ww
123人間七七四年:2007/06/04(月) 01:25:59 ID:wT7Hye1V
>>116
本能寺の後でしょ和議したのは、あのまま秀吉光秀信長に攻められては
完全に滅亡してましたよどっちつかずの蝙蝠一族こと毛利はね。
そりゃあ海のおかげで大友や長曽我部とも争うこともなかったしね。
楽な地域だよ中国というのは。
124人間七七四年:2007/06/04(月) 01:27:46 ID:MqJ9kZLY
>>116それ以前にお前には知識が欠落している。

んで
>>123お前には知性が。
125人間七七四年:2007/06/04(月) 01:28:16 ID:2wLQhWOA
>>113
別に結果だけと言うわけでもないが
駿河攻め以後もそうだし
最後の西上戦でも、上杉にかなり注意する羽目になり
それ以後の勝頼時代も何度か上杉のため上野に出兵し
対徳川戦で足を引っ張られているが

>対等勢力を滅ぼせなければ安寧はないというのは多くの大名でそうだろう。
そうだよ、だからこそ外交が重要であって、
信玄みたいに次々と敵を変えていくのはどうかと思う、
短期的には凌げても長期的には悪影響の方が大きいんじゃないか?
126自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:30:35 ID:Wcm4QU2A
>本能寺の後でしょ和議したのは、
五カ国割譲和議寸前でした。
武田勝頼は織田信長と和議寸前までいきながら拒絶というなにをしたいのかわからないことをしました。
>長曽我部
長宗我部は毛利氏が四国に影響を及ばせなくなってから戦った卑怯雑魚です。
>大友
戦い続けています

毛利輝元の代をだすなら勝頼を出さなければ卑怯ですよ。

勝頼は            長  篠    で無残に敗北し

           滅           亡

しました
127自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:31:19 ID:Wcm4QU2A
だから俺が提唱した議論をしようぜ?

エロ爺度についてどうよ
128人間七七四年:2007/06/04(月) 01:31:46 ID:jV80RIzB
>>125
それは違うだろ、信玄だって何も考えずに敵を変えたんじゃなくて
そうせざるを得ない状況だったからそうしたんだろ。
129人間七七四年:2007/06/04(月) 01:32:45 ID:wT7Hye1V
まあメガトンなんか気にしてる時点で精神状態がかんばしくないのは見て
分かるね。
所詮奴のレスに反応しまくってる以上は、皆必死になって何かしらこいつを
論破してやりたい!という怨念みたいなのを感じるんだが
メガトンは確かに知識不足だが、言ってることにおおまかな間違いはないからなあ。
130人間七七四年:2007/06/04(月) 01:34:08 ID:MqJ9kZLY
>>129そりゃーお前さん、誇大妄想だわ。
131人間七七四年:2007/06/04(月) 01:35:03 ID:jV80RIzB
まあメガトンの痴識の豊富さには正直驚いた
132人間七七四年:2007/06/04(月) 01:35:29 ID:Ama3E+8a
いい加減レス乞食のメガ豚の相手なんてするのやめようぜ
即あぼーんして粛々と進行しましょう
133自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:35:39 ID:Wcm4QU2A
毛利元就

70代で子供を作る
一族がやたら多く養子戦略をとった。
だが死後裏目に出る。

武田信玄

部下全員とセックス。
134人間七七四年:2007/06/04(月) 01:38:09 ID:wT7Hye1V
>>126

毛利輝元??誰ですかそれは?
無様に信長と本願寺どっちつかずというあ中途半端な戦略を続け、滅亡寸前
までいき、秀吉には小早川家を切り離され、家康には戦わずして改易され
こんな稀代の凡将なんていつでも滅亡してもおかしくありませんでしたね。
てゆうか実際何も取り柄ないしこの馬鹿殿は。
135自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:38:21 ID:Wcm4QU2A
とりあえず、今の政治家に足りないものは愛なんですよ。
政治家同士で男色の契りをするべきで、女性は女性とやるべきなんですよ。
政治家で愛人作るなんてもってのほかです。

武田信玄は絶妙なテクにより男を逝かせまくり、アナルにちんこを入れ込んで当時浣腸など無い環境で
汚いなんていわずにセックスをしまくりました。
武田勝頼の代になってから武田が弱くなったのはこのせいだ!!!!!!!!!
136人間七七四年:2007/06/04(月) 01:39:01 ID:YW/bRbH7
>>125
確かに一理あるのだが、敵を次々と変えていくっていうのは戦国時代で
そんなに珍しい事だろうか?
駿河をめぐる攻防戦では武田・上杉・北条・反北条勢力・その他で
めまぐるしく敵味方が動いているし、元就も大内と尼子を行ったり来たり
浦上や宇喜田みたいにふらふらしてるのもいるし、
九州でも各勢力の動きはめまぐるしかったと思うが。
137自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:40:26 ID:Wcm4QU2A
>>134
勝頼よりゃマシ。
138人間七七四年:2007/06/04(月) 01:46:14 ID:wT7Hye1V
毛利は優柔不断なところをもろに突かれて事実上本家は滅亡しました。
吉川領を姑息に奪って生き延びただけですね。
織田は家中から不信感が募りまくって滅亡しましたね。
北条は見事にあっさり滅亡しましたね。


で?信玄の外交とやかくいってるボケは何なんでしょうか?
139自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:47:05 ID:Wcm4QU2A
>>138
勝頼は?
140自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:48:34 ID:Wcm4QU2A
なんで信玄と後世をごっちゃにしてるんだこのうんこは。
141人間七七四年:2007/06/04(月) 01:50:02 ID:jV80RIzB
>>138
一番早く消滅して上杉の下層家臣にまで落ちぶれた武田の立場は?
142自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:50:36 ID:Wcm4QU2A
童貞のwT7Hye1Vにはわからないだろうけど、
女性のセックスにおける演技率は凄いものがあるから、
セックスばかりしてた信玄も元就も自分がセックスうまいと勘違いしたんじゃないだろうか。

女性としてはエロ爺にやられるなんて余程のことがないと拒絶するんだろう。
143自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 01:52:34 ID:Wcm4QU2A
wT7Hye1Vはホモセックスしろよ。
信玄が好き当然やるはずだよな。

ハッテン場に行けばデブでもガリでもガチムチマッチョが抱いてくれるぞ。
144人間七七四年:2007/06/04(月) 01:55:15 ID:wT7Hye1V
武田の遺臣を取り立ててくれて、甲州流軍学まで取り立てられてくれた幕府だが
その幕府からアホみたいに改易された上杉がどうかしましたか?
情勢を見誤って滅亡寸前までいった上杉がどうかしましたか?
145人間七七四年:2007/06/04(月) 01:56:36 ID:2wLQhWOA
>>136
珍しいことでもないが
例えば国人衆の動きなら
筒井松永は当初は松永の方が織田家に於いて地位も実力も上だったが
一貫して織田に付いていた筒井の方が上になった
武田で言えば保科などは重用されたが藤沢や高遠西方衆は降伏後
怪しい動きをしたりしたため処分されたり
奥平信昌は本家が武田家についたが徳川家についたため本家にとってかわることが出来た

大名クラスでなら
上杉の例でいえば北条と結んだため関東での求心力を失っている

ある程度の義理や一貫性はそれなりに重要だと思うぞ
146自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 02:00:38 ID:Wcm4QU2A
ホモセックスして信玄公の偉大さを確認しろ。
147人間七七四年:2007/06/04(月) 02:01:56 ID:YW/bRbH7
>>126
見過ごそうと思ったけどあまりにひどいので一つ突っ込んどく。
>>五カ国割譲和議寸前でした。
いっとくけど信長公記にはこんな記述ないぞ。毛利にしてみると申し入れては
いたのかも知れんがそれを信長が受け入れるかは別問題。
信長は高松に毛利一門が出張っているのを見て「天の与うる所」といい
「一気に討ち果たして九州まで進もう」と堀を使者にして秀吉に伝え、
増援として光秀を送りこみ自身も出立の準備に取り掛かった。
和議が成立寸前というのは何を根拠にしたんだ?
いっとくけど秀吉に勝手に和議をする権限はないぞ。
本能寺後のは信長が生きているとして騙したものだしな。
148人間七七四年:2007/06/04(月) 02:04:05 ID:wT7Hye1V
>>147
毛利厨は、何がなんでも武田ファンを黙らせてやりたい!!という
打倒心旺盛なだけの生き物だからね
149自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 02:07:48 ID:Wcm4QU2A
>>147

信長は高松に毛利一門が出張っているのを見て「天の与うる所」といい
「一気に討ち果たして九州まで進もう」と堀を使者にして秀吉に伝え、
増援として光秀を送りこみ自身も出立の準備に取り掛かった。


これはどこに書いてあったんだ?
150人間七七四年:2007/06/04(月) 02:08:27 ID:YW/bRbH7
>>145
なるほど、確かにその通りではあるのだが
信玄もやたらめったら敵を変えていったのではなく
今川に対しては援軍をし、北条との和議の仲介もし、
北条に対しては対上杉で援軍を送り、武蔵松山城攻めでも協力している。
それなりに同盟に対して誠実に協力している。
三国同盟は大勢力同士の同盟としては随分長持ちしたほうといえるのでは?
151人間七七四年:2007/06/04(月) 02:10:04 ID:YW/bRbH7
>>149
信長公記って書いてあるでしょ。まさか読んだことないのか?
有名な部分なのだが。
152自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 02:10:26 ID:Wcm4QU2A
武田信者は馬鹿だなあ

>三国同盟は大勢力同士の同盟としては随分長持ちしたほうといえるのでは?
馬鹿のおまえは毎度、毎度擁護したいからってコロコロ論点変えるなカス。
三国同盟を破ったのは誰だ?しかも三国同盟を作ったのは誰だ?
馬鹿かてめーは。
153人間七七四年:2007/06/04(月) 02:12:33 ID:YW/bRbH7
>>152
まず先にこちらの質問に答えてもらえるかい?
和議が成立寸前というのは何が根拠だったんだ?
154自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 02:15:18 ID:Wcm4QU2A
>>153
毛利は本能寺の変の前から秀吉と和睦交渉をしていた。
で、五カ国は変後と間違えたが、領土割譲の和議の話し合いはもたれていた。
信長が破ると思うかね。
155人間七七四年:2007/06/04(月) 02:15:27 ID:YW/bRbH7
というか三国同盟成立に信玄が大きく関与していることとか
どうせしらないんだろうなあ。
156人間七七四年:2007/06/04(月) 02:16:59 ID:YW/bRbH7
>>154
だから交渉はしてても成立はしてないんだってば。
秀吉の独断で決める権限はない。
信長にしてみれば成立してなければ破るも何もない。
157人間七七四年:2007/06/04(月) 02:17:01 ID:MqJ9kZLY
>>154秀吉に権限が無いんだから信長にしてみれば知った事じゃ無いだろ。
158自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 02:17:02 ID:Wcm4QU2A
関与レベルかよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


1を100に見せかける。

うんこ食って死ね。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
159自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 02:18:27 ID:Wcm4QU2A
とりあえず、信玄の肩をもちたいからってAが否定されたらBを出しそれが否定されたらCを出す。

お前の信玄像なんて知ったこっちゃ無いんだから出てくんな自我肥大馬鹿
160人間七七四年:2007/06/04(月) 02:19:40 ID:YW/bRbH7
>>158
あのー、とりあえず三国同盟成立前の段階としての
今川と北条の和議における武田の動きについては
知ってる?大河ドラマとかじゃなくて。
それを知ってればそんな一だなんていえないはずだが。
161人間七七四年:2007/06/04(月) 02:19:45 ID:2wLQhWOA
>>150
その時期は基本的に異論無い
問題はそれ以後でしょ以前も一応問題あるけど

例えば小笠原長時の義弟の藤沢を降伏で安堵していたため
上田原後離反
下伊那の小笠原を放置したため、府中小笠原との戦闘時後ろをつかれる
藤沢との戦闘で小笠原長時と戦っておきながら和睦する程度で放置していため
上田原後に小笠原と敵対
村上と戦う前に小笠原藤沢を滅ぼしておいたら戦略的にもっと楽が出来たはず。

史実の信濃攻めでは多少至らぬ点があったけど、国力差からか問題とはならなかったが。
162自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 02:20:00 ID:Wcm4QU2A
>>156
だから成立寸前だったと書いている。
そして、一度成立してしまえば信長といえど違背になるので手は出せない。
163人間七七四年:2007/06/04(月) 02:21:35 ID:MqJ9kZLY
>>162
だから、「秀吉にその権限が無い」わけ。理解できる?
164人間七七四年:2007/06/04(月) 02:22:03 ID:2wLQhWOA
>>162
家康は毛利領安堵を榊原が勝手にしたことと突っぱねていなかったか?
165自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 02:22:30 ID:Wcm4QU2A
>>160
主催者じゃないのも、大したことが無いのも知ってる。
関与レベルなんだから出てくんじゃねーよ。
1はいくら細分化しても1だボケ。

お婆さんが頑張って、靴を履きどうたらこうたら八百屋でも八百屋に行ったしかならねーよ

しかも三国同盟が終わってないのに扇動したの誰?破ったの誰?
166人間七七四年:2007/06/04(月) 02:23:13 ID:YW/bRbH7
>>162
だから秀吉には成立させる権限が無いんだってば。
勝手に成立させたらそれこそ信長に対する背任行為だろう。
成立寸前というのも何を根拠にしているんだ?
167自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 02:26:04 ID:Wcm4QU2A
>>166
成立させる権限がないのになんでそんな話し合いしてたのかな。
外交で考えると織田と毛利家との窓口を秀吉がやっていたと考えるのが自然な行為である。
そして毛利は和議をする気満々だったし秀吉がそこに和議を持ちかけてきた。
信長と戦うのか秀吉と和議をするのかどちらだよ。
168人間七七四年:2007/06/04(月) 02:26:32 ID:YW/bRbH7
>>165
結局知らないわけ?
質問の答えになってないのだが。
169人間七七四年:2007/06/04(月) 02:28:52 ID:MqJ9kZLY
>>167話を長引かせて援軍で叩くって戦法じゃないのか。

だいたい話し合うだけならタダ。「成立させる権限」は無いがね。
170人間七七四年:2007/06/04(月) 02:30:49 ID:YW/bRbH7
>>167
だから何を元にしてそんな事をいっているの?
信長自身は攻めて滅ぼす気満々なのだが?
窓口として条件とかを信長に伝えて指示を仰ぐならまだしも
勝手に成立させる権限は秀吉にはない。
毛利が勝手に和議を持ちかけていて使者の往来まで
秀吉が拒絶する言われもない。
信長自身が特にその和議について反応してないところからみて
秀吉も特に時間稼ぎ程度に考えてたんだろ。
171自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 02:32:50 ID:Wcm4QU2A
>>170
秀吉に成立させる権限が無いとは大笑い。
以前から毛利に和議を呼びかけ(津田日記)
宇喜多相手には和議を行っている。

しかも秀吉が出した条件だぞ?領土割譲は。
172人間七七四年:2007/06/04(月) 02:40:46 ID:YW/bRbH7
>>171
だから、それならなんで信長が攻めに向かっているんだ?
わざわざ堀を送り込んで九州まで進もうって伝えているんだ?
宇喜田の時は毛利に組する有力勢力である宇喜田を寝返らせる必要が
あったわけだが?実際それ以降宇喜田は織田の中国方面における
秀吉の大きな戦力になっているわけだが?
173自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 02:43:54 ID:Wcm4QU2A
>>172
想像になるが毛利を先鋒とし、九州に攻め入る。従来の説どおり形だけの援軍で秀吉がご機嫌取ったからだろ。
どうやって、広大な毛利領を武田みたく離反が起こってないのに滅ぼすことが出来るんだ?

信長が攻めに向かってるなら本能寺の京で兵力がいなかったのは何故なんだ?
174人間七七四年:2007/06/04(月) 02:55:29 ID:YW/bRbH7
>>173
>>想像になるが毛利を先鋒とし、九州に攻め入る。
従来の説どおり形だけの援軍で秀吉がご機嫌取ったからだろ。

従来の説とか言われても困るが、よくいわれているのでは秀吉は
独力でも決戦して勝てるけど信長の機嫌を取って援軍を呼んだってことだろ?
それならそれは和議を示しているのではない。

>>どうやって、広大な毛利領を武田みたく離反が起こってないのに滅ぼすことが出来るんだ?
有力な武将である南条は織田に内応して毛利を攻めているし、大友も織田とよしみを
通じている。ただでさえ宇喜田も裏切り、秀吉相手にさえ高松包囲をどうする事も
できないのに光秀や信長の本隊が来て勝てると思うのか?武田みたく短期にこだわる
必要はない。武田だって信長にしてみれば以外にあっけなく終わってしまった戦いだ。
疲弊した組織は追い詰められれば自壊する。毛利がそうならなかった保証はどこにもないし
普通にやったって織田が押し切ればこの状況なら十分勝てる。
本能寺のは次に続ける。
175人間七七四年:2007/06/04(月) 02:55:39 ID:2wLQhWOA
兵を待っていただけじゃないのか
それにもし形だけの援軍としても兵を連れていかなければならないし

若しくは信忠光秀らの兵だけで十分と考えたか
176人間七七四年:2007/06/04(月) 03:01:52 ID:YW/bRbH7
>>173
>>信長が攻めに向かってるなら本能寺の京で兵力がいなかったのは何故なんだ?
本能寺においては安土に普通に兵も武将もいた。
津田源十郎をはじめとする彼らは信長が中国に向けて攻め込めるように
出陣の用意をするように申し付けられ、信長の連絡があり次第出陣する
手はずになっていた。それで信長自身は少数の供をつれて本能寺にとまり
用意が整うのを待っていた。
177自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 03:06:12 ID:Wcm4QU2A
>有力な武将である南条は織田に内応して毛利を攻めているし、大友も織田とよしみを
だから毛利領はほとんど手付かず
>通じている。ただでさえ宇喜田も裏切り、秀吉相手にさえ高松包囲をどうする事も
高松包囲が水の関係
>できないのに光秀や信長の本隊が来て勝てると思うのか?武田みたく短期にこだわる
>必要はない。武田だって信長にしてみれば以外にあっけなく終わってしまった戦いだ。
防戦なら可

>疲弊した組織は追い詰められれば自壊する。毛利がそうならなかった保証はどこにもないし
そうなった保証は無い

>普通にやったって織田が押し切ればこの状況なら十分勝てる。
だから割譲和議
178人間七七四年:2007/06/04(月) 03:10:25 ID:MqJ9kZLY
>>177屁理屈にすらなってないじゃないか。
179人間七七四年:2007/06/04(月) 03:15:21 ID:YW/bRbH7
>>177
>>だから毛利領はほとんど手付かず
手付かずってなんだ。一門の吉川も攻略されて自害しているのはしってるだろう。
それいったら武田だって織田に滅ぼされるまでは本領は手付かずに近いぞ。

>>高松包囲が水の関係
その水攻めをしているのは誰だ?秀吉は信長死後に清水の切腹を条件に
水をひいて城兵を助けている。毛利が秀吉を撃破できれば普通に高松城は
救援できる。でもこのときの毛利にそんな力はなく、出来なかった。

>>防戦なら可
そう思う根拠は?ならどうして毛利は和議を求めたんだ?
信長は九州まで攻め込もうといったんだ?

>>だから割譲和議
だから、それは毛利が勝手に求めているだけ。信長には関係ないし
この状況で受け入れる必要もない。
180自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 03:22:18 ID:Wcm4QU2A
>手付かずってなんだ。一門の吉川も攻略されて自害しているのはしってるだろう。
>それいったら武田だって織田に滅ぼされるまでは本領は手付かずに近いぞ。
武田は自壊したが毛利はそういう状況が訪れるわけは無い。
なぜなら、石見の財力と兵力が段違い


>その水攻めをしているのは誰だ?秀吉は信長死後に清水の切腹を条件に
>水をひいて城兵を助けている。毛利が秀吉を撃破できれば普通に高松城は
>救援できる。でもこのときの毛利にそんな力はなく、出来なかった。
水のせいで攻め込めない卑怯な状態を作り出した。
迎え撃つと撃破は違いすぎる。
そして、たかだか前線のそのまた前線の本領まで遠く重要度が低く本格的な防戦とはいえない。


>そう思う根拠は?ならどうして毛利は和議を求めたんだ?
>信長は九州まで攻め込もうといったんだ?
和議が上策。
信長は和議をして九州攻め

>だから、それは毛利が勝手に求めているだけ。信長には関係ないし
>この状況で受け入れる必要もない。
秀吉には関係があるし権限もあった。
181人間七七四年:2007/06/04(月) 03:37:23 ID:YW/bRbH7
>>180
>>武田は自壊したが毛利はそういう状況が訪れるわけは無い。
なぜなら、石見の財力と兵力が段違い

わけないってなんで?石見の財力だけで戦えるとでも?財力でいえば上杉も
大したものなんだが滅亡寸前だったのだが。
兵力でいえば武田も崩壊前までは2万の兵力を動かせているはずだが?
それでも自壊しちゃったけど。毛利ならなんで大丈夫と思うんだ?

>>水のせいで攻め込めない卑怯な状態を作り出した。
迎え撃つと撃破は違いすぎる。
そして、たかだか前線のそのまた前線の本領まで遠く重要度が低く本格的な防戦とはいえない。

本気でいってるのか?水攻めってどういう情景を思い浮かべているんだ?
毛利と秀吉の軍の前面に果てしなく水が満ちているとでも思っているのか?
毛利さえその気なら攻め込んで戦うのは可能。勝てるかは別だが。
重要度が低いっていうが毛利が主力を率いて来援しなす術もなく城を取られた
というだけでも大きなイメージダウンだぞ。戦国時代は威信が大きくものをいう。
このまま本領になだれ込まれて毛利に勝算があるのか?防ぎきる自信があるのか?
ならなんで和議を申し込んだんだ?5カ国削ってまで。

>>和議が上策。
信長は和議をして九州攻め

最初のほう読んだ?信長はことごとく討ち果たして九州に進もうといっているんだが。

>>秀吉には関係があるし権限もあった。
その根拠は?言っとくけど宇喜田のは和議じゃなくて帰服だったはずだが?
しかもそれの取次ぎを秀吉がし、許されたと信長公記ではなっているはずだが?
182人間七七四年:2007/06/04(月) 10:34:22 ID:ziTlWrt/
横レススマン。
信玄<元就と考える者だが、冷静に考えて、本能寺の変が起きなければ、確実に毛利は滅びていると思うんだが…?
秀吉軍に、信長が直接援軍し、ここで大合戦。仮に、膠着状態になっても、光秀軍が、山陰を攻め落とす態勢を敷かれたんだから。
将棋で言う所の詰んだ状態じゃないかなぁ…?
183人間七七四年:2007/06/04(月) 12:37:13 ID:TD9FwT1J
関ヶ原の時に毛利元就が存命なら、前田利長のような態度をとるだろうな。
武田はおろか、上杉景勝にもなれない。
184自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 12:44:51 ID:Wcm4QU2A
>わけないってなんで?石見の財力だけで戦えるとでも?財力でいえば上杉も
>大したものなんだが滅亡寸前だったのだが。
上杉は御館の乱があったが、毛利は固く結束していた。
それでも数年かかったことをみると、簡単に数万の防戦能力がある数カ国を一気に滅ぼせるなら
戦国時代など10年で終わっている。

>兵力でいえば武田も崩壊前までは2万の兵力を動かせているはずだが?
>それでも自壊しちゃったけど。毛利ならなんで大丈夫と思うんだ?
武田は、不協和音が出ていたが毛利は出ていない。

>本気でいってるのか?水攻めってどういう情景を思い浮かべているんだ?
>毛利と秀吉の軍の前面に果てしなく水が満ちているとでも思っているのか?
秀吉軍は防衛に徹し、兵糧攻めを行った。
野戦というよりは長篠に近い情景

>毛利さえその気なら攻め込んで戦うのは可能。勝てるかは別だが。
攻め込むと守るは違う

>重要度が低いっていうが毛利が主力を率いて来援しなす術もなく城を取られた
そんなのいくらでもある

>というだけでも大きなイメージダウンだぞ。戦国時代は威信が大きくものをいう。
来援しただけマシ

>このまま本領になだれ込まれて毛利に勝算があるのか?防ぎきる自信があるのか?
>ならなんで和議を申し込んだんだ?5カ国削ってまで。
長期的には不利だがそう簡単に信長も切り取れないから和議を行った。
当時49歳だったしな。現在で言うと77歳くらいだと思ってくれ。

>最初のほう読んだ?信長はことごとく討ち果たして九州に進もうといっているんだが。
討つのは抵抗勢力。
185自治スレで認められた正当な行為です:2007/06/04(月) 12:48:12 ID:Wcm4QU2A
>その根拠は?言っとくけど宇喜田のは和議じゃなくて帰服だったはずだが?
>しかもそれの取次ぎを秀吉がし、許されたと信長公記ではなっているはずだが?

秀吉はほぼ無断で行って謹慎処分。
毛利も帰服に近い。領土割譲して従属だったんだから。

秀吉と毛利の交渉に入っていて秀吉が条件を出している以上
これを信長は無視できない。
186人間七七四年:2007/06/04(月) 13:19:33 ID:AUkAKGvI
武田<毛利とは思うが信長在命なら毛利は大減封か滅ぶだろ。
大減封になるにしてもこの時期家臣が簡単に受け入れるとはえない。
そして今後毛利が一丸となって信長と戦えるか?
成り上がり者ということを最後まで元就も気にしていたのに
187人間七七四年:2007/06/04(月) 14:04:05 ID:YW/bRbH7
>>184
>>上杉は御館の乱があったが、毛利は固く結束していた。
それでも数年かかったことをみると、簡単に数万の防戦能力がある数カ国を一気に滅ぼせるなら
戦国時代など10年で終わっている。

本気?有力な勢力である南条も宇喜田も裏切って攻めてくる。数年っていうけど
そもそも毛利自体がこの高松にいたるまでで織田と数年にわたって戦い
相当戦力を使っているのだが。

>>武田は、不協和音が出ていたが毛利は出ていない。
武田崩壊前に武田に起きていた不協和音って具体的になに?
毛利は南条も宇喜田も裏切っているっていってるでしょ。
第一武田自体が信長にしてみれば意外にあっけなかった戦いで
短期にこだわるつもりも必要もないといってるでしょ。

>>秀吉軍は防衛に徹し、兵糧攻めを行った。
野戦というよりは長篠に近い情景

最初は水攻めっていってたのに?結局毛利には秀吉を撃破する力が無い事は
認めるわけだね?

>>攻め込むと守るは違う
結局来援していながら毛利には秀吉を撃破する力が無い事は認めるわけだね?

>>そんなのいくらでもある
ここまで状況が切迫している状況で?たとえばどんなの?
高天神城を勝頼が救えなかった事で声望が下落した事はしってるでしょ。
(続く)
188人間七七四年:2007/06/04(月) 14:08:06 ID:YW/bRbH7
(続き)
>>長期的には不利だがそう簡単に信長も切り取れないから和議を行った。
当時49歳だったしな。現在で言うと77歳くらいだと思ってくれ。

だから信長はそんな和議なんか認知してないんだってば。勝手に決める前に
根拠を出してくれ。第一49で77ってどういう計算だ。それ以上生きた大名は
結構いるぞ。それ以上の年になっても戦をしてた秀吉や家康や尼子はどうなる

>>討つのは抵抗勢力。
毛利を討ち果たすとしっかりいっているんだが。

>>秀吉はほぼ無断で行って謹慎処分。
毛利も帰服に近い。領土割譲して従属だったんだから。

秀吉が無断で行って謹慎?どこで見たの?そんなの。
信長公記では「勝手に赦免を示しあわすとは」と怒って播磨に追い返しているのだが。
この時点でもまだ申し入れであって成立はしていない。
秀吉も「宇喜田が赦免の条件をだしてきましたので認めてやってください」と
申し入れをしているだけ。
その後では
信長公記では「宇喜田は信長に許され、宇喜田は摂津にいた信忠殿にお礼を
申し上げました。取次ぎは秀吉でした。」と簡単に書かれているだけだよ。
どっちにしろ無断でやって怒られたというならそれこそ秀吉にその権限が
ない事を示しているじゃないか。

>>秀吉と毛利の交渉に入っていて秀吉が条件を出している以上
これを信長は無視できない。

だから、何度も言っているが秀吉にその権限はない。
宇喜田で勝手にやって怒られた以上、今度独断でやればそれこそ信長も
示しがつかないし秀吉だってそれくらいはわかる。
いつから秀吉は信長の命令を無視しまくれる程に偉くなったんだ?
まあ、上杉相手のときも勝手に帰って怒られているが。
189人間七七四年:2007/06/04(月) 15:03:33 ID:1SU0PKRz
毛利は大友の存在も忘れないでください。
毛利も四面楚歌の状態になってるよ。
平均寿命なんて早死におまれ手すぐ死ぬ人間を入れての平均だから。
死ぬやつはすぐ死ぬが死なないやつはぜんぜん死なない元就のようにな。
19042:2007/06/04(月) 18:45:20 ID:4dfqXYNj
>>65
詳しい情報どうも。
研究者の本とかいろいろあたってみる。
191人間七七四年:2007/06/04(月) 18:52:10 ID:y//LHMHV
元就と信玄比べるスレじゃないのか?
なんで秀吉とかが出てくるんだか
192人間七七四年:2007/06/04(月) 20:00:52 ID:BSAdWdJd
>>112
>尼子晴久が父に劣らない名将であればまだしも
晴久の親父って尼子政久だぞ? 政治手腕等は不明のはずだが(早死にしてて史料ないから)

大体、尼子晴久の何処が凡将なんだと問いたいわけだが
祖父経久の放漫経営をある程度克服した良将だぞ
193人間七七四年:2007/06/04(月) 21:02:59 ID:ziTlWrt/
>>184>>188
堺屋太一は、戦国時代の年齢を、現代の年齢と比較するのに、年齢×1.2+3が丁度いいって、書いていた。
戦国時代の元服年齢は、現代の大卒年齢で、社会に出だす時期。
戦国時代の50代は、現代の還暦を越えて2〜3年で、第一線を退いて、社長職を息子に譲り、会長や相談役に就任する歳だって、言っていた。
194人間七七四年:2007/06/04(月) 21:18:46 ID:ssT5xy77
毛利元就に武田信玄か・・・、比較して何になるのかw
195人間七七四年:2007/06/04(月) 21:18:55 ID:MqJ9kZLY
>>193その堺屋の論で考えてみたとして49ならまだ還暦じゃないし、ましてや>>184の77歳なんてまったく違うって事になるがな。
196人間七七四年:2007/06/04(月) 21:20:13 ID:y//LHMHV
現代の年齢と比較して何がわかるんだ?
元就も晴信も同じ時代の人間だろうに、わざわざ現代の年齢に換算する意味がわからん
197人間七七四年:2007/06/04(月) 21:31:04 ID:MqJ9kZLY
>>196さあ〜?>>184に聞いてくれ。
198人間七七四年:2007/06/04(月) 21:33:19 ID:wT7Hye1V
信玄>>>>>元就なのは事実だが、宇喜多の動向は問題にしないの?
あそこが毛利に楯突いて織田方に味方した時点で毛利の滅亡は決定的だろ
そもそも備中まで攻めいれられて、その先はといえばそれこそ毛利の本領
の奥深くまで攻められることになるんだが。
山陽道+山陰道共に各個撃破され、海戦でも絶対的に不利になり滅亡まで
秒読み段階なのは事実だった。
199人間七七四年:2007/06/04(月) 22:47:58 ID:jV80RIzB
元就の評価に織田は関係ないだろ
200人間七七四年:2007/06/04(月) 22:50:19 ID:EfQCo0/h
>>198
相変わらず豚のレスは支離滅裂だな
201人間七七四年:2007/06/04(月) 23:50:38 ID:aJx4WxOb
ぶっちゃけ、外交戦、謀略戦だったら、
毛利VS大友の方がスケールでかくておもしろだろうに
202人間七七四年:2007/06/04(月) 23:57:03 ID:onqz9Vfz
 誓詞

私が弥七郎に何度も肉体関係を迫ったことは確かですが、
弥七郎とはアッーしていません。過去にアッーしたこともありません。
ましてや昼夜に渡って連続アッーしたこともありません。
今夜アッーする予定もありません。
貴方はお疑い深いので、私は途方にくれてしまいます。
これらが嘘・偽りでしたら、私には神罰が下るでしょう。
                        
                     晴信


こんな手紙が残ってるのは恥ずかしいなw
203人間七七四年:2007/06/05(火) 09:05:19 ID:dMoG8UFM
>>202
武田厨は嫌いだし、毛利元就>>武田信玄と思っているが、
こういう信玄は好きなんだがw
204人間七七四年:2007/06/05(火) 09:06:34 ID:OBXuf3TE
厳島で、西国無双の大将といわれた陶を十分の一程度の戦力で撃破し8千も討ち取った元就
川中島で、2万の兵で1万3千の謙信軍にかかっていって8千も討ち取られた信玄
この差は凄い!
205人間七七四年:2007/06/05(火) 11:18:08 ID:2ZokHqRL
信玄が諏訪の姫を無理矢理側室にした弁護として、小説とかでは恋愛があったとかしているんだが
側室にしてほどない時期に他にも何人も側女にしているあたりとか
性欲全開の信玄公に憧れます
現代ではどうやっても無理な世界
206人間七七四年:2007/06/05(火) 14:54:45 ID:wbROjDGT
まぁそれいったら元就だって爺様なのに十代の小娘と子作りに励んでるが
戦国時代の大名としての義務みたいなもんだし、楽しかったかどうかは疑問だ。

個人的には
「いいかげん元就も老齢だし、危篤状態」→「将軍義輝が心配して名医の道三を派遣」
「元就、効果覿面。すっかり元気になりました」→「義輝も一安心。いやぁ、良かった良かった」
「元気になったついでに、子作りまでしちゃいましたよ」→「え?お、おお。それは目出度い」
な、剣豪将軍義輝とのコントみたいなやり取りが好き。
207人間七七四年:2007/06/05(火) 16:17:59 ID:CltNz/Ox
みんなこの閑散とした状態を見てみなwいかに武田に対して必死なアンチ
が信玄に対してのみライバルむき出しかが伺えますねw


毛利元就>>>>>織田信長は定説です
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174556006/l50

北条氏康>>>>>毛利元就は定説です
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180656784/l50
208人間七七四年:2007/06/05(火) 16:23:57 ID:CltNz/Ox
8千も打ち取られたとかさりげなく捏造する毛利厨でしたww
討ち取られたのは半分の4千だよww
しかもメガトンと同レベルのレスしか出来ない毛利厨がメガトン叩きに必死
な姿は2ちゃんの名物になってきてるね
同時代信玄と平行して領土を大きく広げてきた大名が多い甲信越関東東海
元就と平行して領土を広げてきた大名ゼロの過疎地帯中国=極めて低レベルww
この差は大きいね
209人間七七四年:2007/06/05(火) 21:29:25 ID:kqgWRERA
1541年5月 信玄、信虎、村上義清に従い海野棟綱を攻める。とっとと帰りオヤジに怒られる。
   6月 オヤジ狩り開始。武田信虎追放。
   7月 諏訪頼重との同盟を一方的に破棄、名門諏訪家を攻め滅ぼす。
      12歳の幼女である姪の諏訪御料人を愛人に迎える。

1548年2月 上田原の大敗 村上5000を上回る7000もの大軍で戦に挑むも先陣を包囲され殲滅。
      副将重臣板垣、速攻で討ち死に。さらに怯んだ所を中央突破を受け、歴戦の重臣甘利、才間、
      初鹿野を討ち取られ、さらに信玄自身も足軽に切り付けられ2箇所に重傷を負う。
      将兵700も討ち取られる大敗。村上の被害は300程度。
      この戦によって反武田勢力が力を盛り返し窮地の陥る。
      平定に二年も費やし逆らう者を皆殺しにし、無駄に時間と軍費を費やす。
      後の長篠大敗の後の信濃大離反の火種を作成する。

1550年10月 戸石崩れの大敗 原虎胤のみならず信玄自身も偵察に赴き、万全の体勢を築き上げ、
      かつ、村上義清が高梨と交戦中の絶好の留守の機会に奇襲をするも、つい先程まで高梨軍と
      死闘を繰り広げ疲弊していた村上軍が急遽来襲。圧倒的に有利でありながらまたも大敗。
      将兵1000を失い、追撃を受け、信玄がその才能に期待していた未来の有望株であった
      横田高松が討ち死に。信玄は後年まで酒を飲むとこの者を失った悲しみを周りの者に語った。

1551年10月 小岩岳城に奇襲をかけるも失敗。後年、その恨みか落城の際には降伏さえ許さず城兵500を
      皆殺しにし、かつ、老人、女、子供に至るまでを奴隷として売りさばく(妙法寺記より抜粋)
      そのため現在でも落城の8月12日には慰霊祭が行われている。野戦で討ち取った首を城に前に
      槍で突き刺し並べ降伏を迫り成功するも無抵抗の城兵1000人を皆殺しにし、老人、子供は
      黒川金山に奴隷として連行し、女は女郎屋に売りさばいた志賀城と双璧を成す大虐殺である。
210人間七七四年:2007/06/05(火) 21:30:06 ID:kqgWRERA
1552年3月 村上義清との信州常田合戦で小山田信有、小山田 昌辰、討死
1553年4月 第1回川中島の戦い(布施の対陣) 更級郡八幡で戦うも長尾軍の猛攻により一時撤退。
      高坂、奇襲をかけるも村上義清にボロボロにやられる。
      後に甲陽軍艦において見事なまでの捏造で挽回をする。
   8月 軍を建て直し川中島で戦うも越軍の連夜の夜襲に悩まされる。
   9月 謙信に敗れ、筑摩、埴科郡に侵入され、荒砥城を落とされる。
      信玄塩田城に怯えて篭る。謙信暴れるだけ暴れて帰還。
      そのまま兵2000もの大軍を率い信玄が果たせなかった京へと上洛。

1554年7月 伊奈郡神之峰城主 知久頼元、座光寺氏が謀反。国内が乱れる。

1555年7月 第二回川中島の戦い(大塚の対陣) 再び越軍の夜襲に毎夜被害を出す。
      信玄対抗して1000の別働隊を善光寺方面より向かわせ夜襲をかける。
      が、見破られ手痛い被害を出す。ウサ晴らしに善光寺より本尊を強盗。
      兵糧が底を尽き始める。今川に頼み旭山城を撤去する譲歩でなんとか和睦。

1557年1月 第三回川中島の戦い 村上義清の守る飯山城を攻略。失敗
      謙信まで出陣してくる事となり上田西方坂城、岩鼻付近の武田軍を撃破される。
      信玄出陣するも決着付かず。

1558年4月 信玄自ら武田軍二万を率い上州に侵攻。業政が吾妻に出陣している留守を狙うも、
      業政は間道を使って直ちに帰還。業政に蹴散らされ、翌日には食糧を焼かれ弾薬を爆発され
      軍を維持できなくなり即座に撤退。
      
1559年9月 飯富虎昌に安中城を攻撃させ、信玄は和田城の攻略に当たる。業政は援軍として駆けつけ
      奇襲を行い信玄の陣を混乱に陥れる。反撃とばかりに雉郷城を取り囲むも空城。
      長野業政は鷹留城の部下に策を与えて箕輪城に帰還。信玄は追撃しようと鷹留城を攻めるも
      反撃を受け撤退。撤退中に伏兵を受け惨敗。兵五百を失う甚大な被害を出し撤退
211人間七七四年:2007/06/05(火) 21:31:18 ID:kqgWRERA
1560年1月 再度箕輪城を取り囲んだが、飢えと寒さに苦しむ中、さらに安中忠政に
      糧道を断たれ、長野業政の総攻撃を受け、たまらず撤退。
   11月 武田一門の勝沼信元謀反。処刑。

1561年9月 第4回川中島の戦い 上杉12000、武田23000、上杉は数ヶ月前まで関東に遠征をし、
      疲弊をしている圧倒的優位な戦。
      啄木鳥戦法にて奇襲を行うも簡単に奇襲を読まれ、信繁、諸角、室住昌清、勘助討ち死に。
      信玄自身も本陣にまで切り込んできた荒川に切りつけられる。
      死者では上杉の1,5倍、負傷者では二倍近い損害を出す。

1565年9月 義信、飯富虎昌、謀反を起こそうとしたため処刑。国を傾けた大いなる要因となる。

1568年7月 謙信と同盟を結んでいた本庄と共謀し、大軍を率いて越後を攻める。
      が、しかし越後以前の北信濃、村上義清の守る少数の小城である飯山城でさえ落とせず。
      仕方なく撤退。駿河に侵攻。

1569年4月 合戦に敗れたため、駿河を放棄して帰還

1571年1月  駿河興国寺に奇襲をかけるが見破られ敗退。深沢城攻略も失敗。全軍撤退

1573年3月 信玄、2万5千もの大軍を率いて高天神城を攻める。が、失敗
4月 信玄没。死後娘婿の二人に裏切られる。奥平信昌、長篠城ごと徳川に寝返る
   8月 武田信廉、山県昌景、穴山信君、北遠江へ侵攻。徳川の伏兵にあい敗北

1575年5月 長篠の戦い
      死者7000、山県昌景、内藤昌秀、馬場信春、甘利信康、五味高重、安中景繁
      真田信綱、昌輝、原昌胤、望月義勝、香坂昌澄、土屋昌続、川窪信実、和田業繁、
      三枝守友、名和宗安、横田綱松、祢津是広、武田信実、討ち死に
   11月 秋山信友、大嶋長利、座光寺貞房、討ち死に
212人間七七四年:2007/06/05(火) 21:32:16 ID:kqgWRERA
1582年1月 木曽義昌、武田に謀反、織田に寝返る。 
   2月 武田勝頼二万の兵を率いて出陣。木曽義昌に鳥居峠で大敗。曾根覚雲斎謀反。武田信豊死亡
      17日、松尾城の小笠原信嶺が反旗を翻し平谷陥落。
      18日、保科正直、飯田城を捨て逃走。信廉、戦わずして大島城を捨て逃走。20日、田中城落城

   3月 難攻不落の名城、高遠城1日で陥落。仁科盛信、小山田昌行、今福昌和、原貞胤、武田竜宝、
      武田信綱、武田信堯、一条信就、山県昌満、朝比奈信直、諏方頼豊、一条信竜、討ち死に。
      武田勝頼、盛信、信勝、信貞、信友、海野信親、跡部勝資、土屋昌恒、安部宗貞、小宮山友晴、
      滝川一益に討ち取られる。
      武田信豊、小山田信茂、長坂光堅、一条信就処刑
   4月 織田軍による武田残党狩り開始。武田信玄の六男、葛山信貞、織田信長によって善光寺で殺害
      武田残党は恵林寺ごと焼き殺され皆殺しにされる。 

      武田家唯一の生き残り武田信清、武田家滅亡時にその縁故を頼り、上杉氏に仕える。
      江戸時代まで代々、上杉家の下層家臣として飼われる。
213人間七七四年:2007/06/05(火) 21:59:06 ID:CltNz/Ox
>>210->>211>>212
メチャメチャ必死なレスですね、相変わらず信玄自ら戦ったことのない長野業正との戦いを取り上げたり
川中島で武田軍が有利に展開していたことなど無視してまあ
駿河で一度も敗れたことなんてありませんが何か?情勢不利とみた撤退なら
幾度もある武田軍ですが、捏造はいけませんねアンチさんw
214奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/05(火) 22:05:55 ID:5/Wxfvdt
アンカーが不安定です。
215人間七七四年:2007/06/05(火) 22:12:27 ID:v2cTmTus
信玄は、本当に、長野業正と戦っていないのか?
メガ豚以外の人、応えて下さい。
216人間七七四年:2007/06/05(火) 22:25:01 ID:/gUi/mYX
>>215
ぶっちゃけた話よくわからない。2chでよく貼られるのはソースが不明確だし
長野業正の武田との戦いについて書いているのは江戸時代以降に書かれた
ものが多い。上で挙げられたこともある長野軍記とかね。
信玄が西上野侵攻に集中しはじめるのも業正が死んだ1561年以降だし。

ただ渡邊氏によると1557年には武田氏による西上野侵攻があったらしい。
そして武田が第3次川中島の戦いのときに出した市河文書(山本勘助の存在証明で
有名な文書だね。)には上野倉加野から上原与三衛門尉という武将が武田方として
参戦していたことが記されている。このことから平山氏は1557年の遠征によって
倉加野の一部に武田は領土を獲得していたものと推定している。
長野業正が死んだのは1561年だから、そう考えるなら1557年の侵攻は
武田にとってある程度の戦果があり、講談とかでいわれるほどの業正の圧勝では
なかったのではないかな。
217人間七七四年:2007/06/05(火) 22:41:20 ID:CltNz/Ox
メガトンから元就を中傷させるのを怖がってる毛利厨さん達は必死ですね相分からずw
厳島合戦の創作疑惑やそれ以前の寡兵での合戦を得意としたという創作話はどうした?んん?
218人間七七四年:2007/06/05(火) 22:56:49 ID:9aTcIkHL
その通り実は島津家こそが戦国最強の大名だったのである、と司馬遼太郎が関ヶ原で書いてた。毛利も武田も眼中にありません
219人間七七四年:2007/06/05(火) 23:05:40 ID:qK5iMyLW
>217
厳島合戦みたいな奇襲戦を経ずして自国より強大な国を併呑したとしたら
それはそれですごいことなんだがな。
220人間七七四年:2007/06/05(火) 23:22:49 ID:TipW/7hE
>>205>>206
ただ信玄関係の女性の方が不幸な印象は受ける
上杉娘13.4で懐胎死
三条夫人、長男殺害次男盲目三男夭逝
諏訪御寮人 若死に

義元室 32歳で死亡 後に家を滅ぼされる
頼重室 夫殺害その後すぐに16歳ぐらいで死亡、子どもの寅王も死亡

氏政室 三国同盟破棄により離縁後まもなく死亡
信君室 夫死亡 嫡男死亡 代わりに保科正之を育てる
義昌室 御家改易
景勝室 子ども出来ず
松姫 婚約者と敵対 婚約者死亡

なんか呪われていそう
221人間七七四年:2007/06/06(水) 00:01:50 ID:4hos/CT5
島津が一番
222人間七七四年:2007/06/06(水) 06:45:29 ID:2NqQfgyN
川中島って謙信の信濃進攻ってより
信玄の越後進攻って考えたほうがいいのかな?
そう考えた場合信玄は戦略目標達成できなかったことになるよね
223人間七七四年:2007/06/06(水) 08:10:22 ID:Hcv0rbX5
川中島での武田方損害8千は、近衛前久書状が元だっけか
一応第三者のソースだけど、この人は謙信と仲良しだからヨイショした可能性大w
一方で信玄も書状で3千騎は討ち取ったぜ、とかフカしてるからお互い様だが……
で、厳島での元就の戦果8千ていうのは、神官が書いた覚書から
そして毛利方武将の覚書だと4千
どちらにしろ無茶苦茶な戦果
224人間七七四年:2007/06/06(水) 11:55:48 ID:L4eKGvV8
源助タソ、アッー!
225人間七七四年:2007/06/06(水) 13:44:41 ID:WUyvOgn0
川中島合戦って。一番信用できる史料であるはずの信玄自身が戦場から出した書状が無視されて、江戸初期の作り話が一番膾炙している不思議な合戦なんだよな
厳島合戦と違って、第三者の目撃記録というものもないし
(天海の見聞記みたいなのはあるが、これは年代的に信用して良いのやら?)
226人間七七四年:2007/06/06(水) 16:09:49 ID:bIOQaCGt
川中島合戦は、謙信が戦下手なお陰で信玄命拾い
妻女山に兵を残置して別働隊の到着を少しでも遅らせておけば、信玄の首を取れたのに
厳島や桶狭間で見られるように、大軍を相手にする場合はその兵力をどこかに拘束しておくことが肝要だが、カンは良いが頭の悪い謙信にはそこまで考えが及ばなかった
信玄程度とけだし良い勝負というべき
227人間七七四年:2007/06/06(水) 16:51:54 ID:MhJA8FeI
多分釣りだと思うけど謙信は甘粕隊を千曲川に配置して武田軍を拘束しているのだが。
結局突破されちゃったけど。
そもそもこの合戦の妻女山、啄木鳥作戦とか自体が講談に書いてあることなので
全面的に信用して評価に加えていいのか自体わからないのだけど。
228人間七七四年:2007/06/06(水) 17:09:06 ID:nNZuiyTF
信玄は義元にもてなされた際、今川家の家宝・伊勢物語定家本を酔態を偽装してネコババした。
一ヶ国の大名がケチな盗人の真似した話は他にない。
大国を盗んだ程度の元就がかなうわけありませんね。
229人間七七四年:2007/06/06(水) 17:21:57 ID:nNZuiyTF
2万対1万3千(上杉御年譜だと1万6千対1万3千)の対決が通説らしいけどさ。
数が多くて、かつ拠点の城に篭っている武田方が勝負急いでリスクのデカい挟撃策に出たって流れだからなー。
創作臭いぜ、こいつは。
ってか普通に信玄自身の書状の「北に移動しながら戦が何日も続いている」というニュアンスに反する。
230人間七七四年:2007/06/06(水) 17:21:58 ID:MhJA8FeI
いつの話?信玄と義元が直接会ったときってあったかな。
231人間七七四年:2007/06/06(水) 17:23:24 ID:nNZuiyTF
>>230
後北条と争っていた時、信玄自身が駿河まで何度も出張っているじゃない。
232人間七七四年:2007/06/06(水) 17:40:35 ID:MhJA8FeI
>>231
河東一乱では出張ってはいるけど大抵使者の往来で済ませているな。
9月17日に一回義元の本陣で面会して一泊しているけど次の日には直ぐに
軍にもどって進撃を開始しているからそんなに悠長な宴会とかしてたのかな。
戦陣に家法の物語をもってくるというのも妙だし。
233人間七七四年:2007/06/06(水) 18:06:35 ID:2NqQfgyN
北に少しずつ移動しながら戦ってた場合
武田は兵力優勢なのに大将クラス討ち取られすぎ
合戦は信玄あまり得意じゃないよね
234人間七七四年:2007/06/06(水) 18:11:28 ID:MhJA8FeI
妙法寺記によると一応戦力分割らしきものはあったらしい。
郡内衆も属していたその別働隊が上杉に横入れを行うことで
大きな戦果を挙げたらしい。
235人間七七四年:2007/06/06(水) 20:13:01 ID:ZyC50y+6
合戦が得意じゃないって・・・・・
あのさあ、相手武将の実力の度合いとか、その時の不運(霧で偶然鉢合わせ
したという説)などいい加減考慮して考えられない?
236人間七七四年:2007/06/06(水) 20:17:00 ID:ZyC50y+6
>ID:bIOQaCGt ←

ようやく落ち着いてきたこのスレに、いつまでもへばりついてる毛利厨でしたww
君達はメガトンと遊んでなさい低脳レベル同士で
237人間七七四年:2007/06/06(水) 20:37:30 ID:PvHqBXEY
>>236
ついにここまで逝かれたか、メガ豚よ
お前の躁病悪化してるぞ
いくら病院で暇だからって2chに粘着すんなよ。一昔前の2chならともかくさ>メガブタ
238人間七七四年:2007/06/06(水) 21:36:33 ID:sgMEMZAE
>>235
相手武将の実力の度合いってことは謙信>信玄っていいたいの?
謙信>信玄なら多数討ち取られてもしょうがないかもね。
霧で偶然鉢合わせの件は両軍お互い様なわけだが?
信玄は合戦が上手いんじゃなくて合戦前に相手より有利な状況に
もっていくのが上手いんじゃないの?
239人間七七四年:2007/06/06(水) 21:52:41 ID:LT91eXmY
>>228
伊勢物語を盗んだのは割と有名な話しだけど
義元にもてなされた際ってのは何がソース?

>>230
『武徳編年集成』だと1568年2月とあるらしい

>>232
1554年にはどっかの邸に入っているから可能性としては無いわけじゃない
240人間七七四年:2007/06/06(水) 22:03:00 ID:MhJA8FeI
>>239
1568年2月っていうともはや義元も死んで氏真の代になり、
さらに義信も死んで塩止めも行われていて、色々険悪な時期じゃないか?
会談なんかしたの?
241人間七七四年:2007/06/06(水) 22:41:32 ID:LT91eXmY
>>240
史実は知らん
個人的にはそこらへんの話しはみなうそ臭いとは思うが
伊勢物語定家本を酔態を偽装してネコババしたという説話があるのも事実
242人間七七四年:2007/06/06(水) 22:54:07 ID:ZyC50y+6
>>238
相手が凡将ならいざ知らず、謙信のような戦巧者に戦術で少々見劣り
するかといって、それが戦が不得意という事にはならんだろ。
信玄が合戦下手と主張する連中は八幡原の合戦や信玄が若い時の村上戦
のことしか頭になかったりしないか?

243人間七七四年:2007/06/06(水) 22:55:08 ID:gBU3fKds
謙信は戦巧者だったんだな。
244人間七七四年:2007/06/06(水) 23:57:01 ID:MhJA8FeI
まあ、信玄にも信濃の有力勢力だった小笠原を一戦で再起不能にした
塩尻峠。高遠頼継が高遠勢だけでなく、諏訪西方、社家衆、藤沢頼親を始めとする
伊那衆、春近衆といった連中を集めて武田に戦いを挑んできたのを一戦で壊滅させた
安国寺の戦い及びその追撃戦。いわずもがなの三方ヶ原といい戦いはいくつかあるんだけどな。
信玄も決して戦下手というわけじゃないと思うよ。
245人間七七四年:2007/06/07(木) 02:35:12 ID:hQImRMhU
あの兵力差で負けるほうがどうかしてるだろ
246人間七七四年:2007/06/07(木) 02:38:44 ID:du15Qeqx
三方ヶ原のことをいってるならおびき出して叩いたことを評価、だろう。
247人間七七四年:2007/06/07(木) 04:34:04 ID:ZlwmYoAO
まあ安国寺の戦いも多めに見積もって
伊那半分と諏訪の半分で4万石程度の相手で
25万石ほどある武田とはまともに戦えるような相手じゃないし

塩尻峠も当時の小笠原は多めに見積もっても築摩安曇伊那諏訪の一部で
10万石ほどにたいし武田は30万石近い
その上実際の戦いの時は仁科は勝手に帰還し、
多くが日和見で長時の手勢だけという始末

三方ヶ原も戦いそのものは武田は徳川の2倍以上

負けるほうがおかしい勝って当たり前の戦ではあるな
248人間七七四年:2007/06/07(木) 11:34:08 ID:du15Qeqx
まあ、そんな事をいったら信長の優れた戦いとされる
刀根坂も相手の朝倉が50万石ほどで200万石以上の織田と
まともに戦える相手じゃないし、となるな。
実効兵力や大勝にいたる過程も大切だろう。
塩尻峠では仁科はともかく山部や三村が内応して動かなかったというのは
その後も小笠原と一緒に武田と戦っている所からありえないとされるな。
普通に武田の遅足行軍からの強行軍への切り替えによる朝駆けで多くの部隊の
足並みが整わないうちにやられた、という事だと思うけどな。
仁科が去っても数千の敵を撃破して千以上の損害を与え再起不能にしたのは
評価されていいだろう。
安国寺でも頼継の弟や禰宜の2人の息子を始めとして800討ち取り、
さらに追撃して妙法寺記では3千(ありえないとは思うけど)
別の記録では千を討ち取って壊滅させた事から大戦果といっていいだろう。
三方ヶ原もちゃんと敵をおびき出して叩きのめしているし
戦の手腕を評価していいだろうよ。
249人間七七四年:2007/06/07(木) 12:23:10 ID:ot5u6LLA
誰も信長がどうとか言ってないのに信長を引き合いに出すあたりにコンプレックスを感じる
250人間七七四年:2007/06/07(木) 12:41:48 ID:kVgX0jyK
引き合いに出されると都合が悪い論理だからそうやって反論するのが精一杯なんだね
251人間七七四年:2007/06/07(木) 12:58:06 ID:qY48dwOy
信長と信玄て数で上回って戦略的優位で戦するタイプだろ
彼らの真骨頂は戦闘の上手さじゃなく戦略を組み立てる上手さ
なんじゃないか?
武田厨はそれだけじゃ満足できないのかな?
252人間七七四年:2007/06/07(木) 13:00:02 ID:DwdEPKHG
このスレ的には、元就を比較に出すべきだろうけど
はっきりいって戦術的には元就は化け物としか言い様がないからなぁ……
1500対5000の戦いで、小細工なしの正面ガチで敵撃破って普通じゃない
ちなみに信玄贔屓の軍鑑すら三方ヶ原おびき出し説は取っていない。おびき出し説は江戸中期頃発生程度の後世の創作
253人間七七四年:2007/06/07(木) 13:20:05 ID:jffi3BCb
>三方ヶ原のことをいってるならおびき出して叩いたことを評価、だろう。


あのさあ(笑)だったらお前らが言ってる合戦上手っていう定義は何なの?
篭城してる大軍をおびき出す作戦程難しいものはないと思うが。
凡将の大軍を寡兵で倒すのと同等にね。


254人間七七四年:2007/06/07(木) 13:26:59 ID:jffi3BCb
まあ創作といえば、なんといっても厳島だね、とゆうか毛利に関すること
なんて大概は江戸時代の創作

>>247まだそんなこと言ってるの?単純に国力が上だからって兵法を知らない
人間は勝ち続けていくことは不可能だというのが毛利厨はいつまでたっても
理解出来ないと見えるね、他の大名をマンセーしてる連中もここまでバカじゃない
255人間七七四年:2007/06/07(木) 13:28:53 ID:jffi3BCb
25万石とさりげなく捏造している姑息な毛利厨ww
当時の甲斐の国は20万石もなかったと思うよ
256人間七七四年:2007/06/07(木) 13:28:55 ID:DwdEPKHG
いや散々ガイシュツのように厳島合戦は当時の史料が山ほど残ってるが……
第三者の見聞録が一番戦果がデカい、という点では実に珍しい合戦
勝ちを宣伝するために当事者が水増し戦果を言い立てるのは珍しくないけどね、川中島合戦のように
257人間七七四年:2007/06/07(木) 13:37:04 ID:jffi3BCb
しかしここまで、信玄や信長が合戦上手ではなくて戦略を組み立てる巧者
と決めかかってる毛利厨は笑えるね、まあ元就一人を戦巧者と持ち上げたい
んだろうけど無駄なことだ。
あれ?そういえば信玄は有能な政治家であって戦巧者は元就だとか決め付けて
たのも毛利厨だったねえ、残念だけど信玄と元就どちらが戦巧者かなんて測れる
部分は何も無いよ、あるとすれば同レベルの実力者とどれだけ戦ってるかという
事ぐらいだね、従って

信玄>>>>>>>>>>>>>>元就
258人間七七四年:2007/06/07(木) 13:38:14 ID:YOygtKet
>254
>219
259人間七七四年:2007/06/07(木) 13:38:50 ID:DwdEPKHG
甲斐一国なら慶長検地時で22万石だが
既に諏訪の過半と、信虎時代から服属していた佐久・小県南端を含めて3万ってことだろう
260人間七七四年:2007/06/07(木) 13:44:26 ID:jffi3BCb
>>252三方ヶ原がおびき出しじゃないって?
背後を突こうとしている軍勢に対して2万五千の大軍を反転させて迎撃
してることに変わりはないよねえ、敵の動きを察知する武田の情報力が
勝ってる証拠であり、軍の体列(前後)を変型しやすいのも特徴だな
261人間七七四年:2007/06/07(木) 13:47:54 ID:DwdEPKHG
生前の格式で、元就が信玄を追い越したって話があったけど
明治期以降の追贈でも差がついているね
信玄の従三位に対して元就が正一位
262人間七七四年:2007/06/07(木) 13:48:22 ID:jffi3BCb
慶長検地時と1540年とでは多少違いもあるだろう、第一水害飢饉の時期
だからね当時の甲斐は
263人間七七四年:2007/06/07(木) 13:49:08 ID:DwdEPKHG
>>260
おびき出しじゃないよ
個人の意見じゃなく、史料がそんなこと言ってないんだから仕方無い
そういうマンセー結論が先にあり、史料や証拠は全く無視という姿勢はこっちのしったこっちゃないw
264人間七七四年:2007/06/07(木) 13:51:24 ID:DwdEPKHG
>>262
永禄大飢饉のことを言っているのなら、それこそ甲斐だけ限定はありえないでしょ
だいたい石高のことを言ってるんだから、そういうのは関係無いし
265人間七七四年:2007/06/07(木) 13:57:56 ID:jffi3BCb
>>264
ほんと毛利厨は頭が悪いんだなあ、そういう意味じゃねえだろww
信玄は一国からスタートしたからといってその国力を最初から存分
に使えたわけじゃないってことだろうが。
毛利厨は嫌でも信玄は国力で押し切っただけと評価したいんだろうが、
それならば信濃攻略でそんな稚拙な戦いがどれだけあったのか教えて
欲しいもんだね。
諏訪攻め?伊那攻め?佐久攻め?村上との戦い?
266人間七七四年:2007/06/07(木) 14:00:41 ID:DwdEPKHG
>>265
>信玄は一国からスタートしたからといってその国力を最初から存分
>に使えたわけじゃないってことだろうが。

そんな話こそそもそもしてないよ
>>247あたりからの石高が信玄はこうだった、敵対した連中はこうだった、という事がレスの流れなのに
ね、不利になったから話逸らし?それとも普通に文盲?w
267人間七七四年:2007/06/07(木) 14:11:37 ID:jffi3BCb
>>266
何必死になってるの?ボーヤ(笑)
一々石高の差がどうたらこうたら言ってかかるのはいつもお前ら毛利厨だろ
兵法を無視して単純に石高の差が戦果に繋がったような見方しか出来ないのが
毛利厨であり>>247なんだよ、違う?

>>263
こちらさんも必死だね、どうしても信玄の軍略を否定したという意識がバレバレ
なのが伺える、進軍方向を反転させて、待ち伏せて迎え撃つなんてのはどう否定
したがろうが事実であり、信玄は見事としか言いようが無い。
268人間七七四年:2007/06/07(木) 14:13:22 ID:YOygtKet
文盲決定
269人間七七四年:2007/06/07(木) 14:20:43 ID:DwdEPKHG
>>267
ちょwwwIDすら確認できないのかお前はwww
マジでかわいそうな人だったんだな……( ゚д゚)
270人間七七四年:2007/06/07(木) 14:42:27 ID:jffi3BCb
毛利厨は実に分かりやすい生き物だねw
史料が無いからといって、最初からおびき出し作戦じゃないとか決め付けたがる
人間に歴史を語る資格は無いのですよ。
この戦いの数年前に三増峠で北条勢をおびき出して壊滅させたのを考えれば三方ヶ原
でも同様に信玄が考えたと思うのが正しい。
そもそも浜松城を素通りしてからわざわざ三河方面へ出向いてるし、武田軍は反転また反転を
繰り返してる、結局家康は旨く信玄に誘導させられたと考えるのが正しい。


271人間七七四年:2007/06/07(木) 15:39:37 ID:GNVrfOg6
三増峠は先に退路を塞がれたんじゃなかったか?
追撃してきた北条本隊とは戦ってないとか聞いたがな。
さすがに誘い出したとは言えないだろ。
272人間七七四年:2007/06/07(木) 15:45:00 ID:DwdEPKHG
>>270
いや君の妄想はわかったから。もういいよ
それより国語の勉強をしてきなさい
小学校をサボったら駄目だよ
273人間七七四年:2007/06/07(木) 16:11:13 ID:2GrORokf
jffi3BCbはメガ豚なのか?それとも自称メガ豚じゃないという奴なのか?
274人間七七四年:2007/06/07(木) 16:12:01 ID:gEeLqoP4
史料もないのに推測だけでおびき出し作戦と決めてかかる奴に、歴史を語る資格がどうこうとか言われたくない。
あと>>269。メガ豚にIDを確認できる程度の知能があったら、前スレでバレバレの自演して逃げ出したりしてないよ。

>>261
中国の覇者と、関東でドングリの背比べしてた一大名との偽らざる格の違いやね。
あと石高比較に関してだが、互角近いから誰もツッコまなかったんだろうけど
生産力でなく経済力を比較したら、お話にすらならんでしょ。
西の京都、山口をはじめとした交易都市を押さえた元就と、山奥で金山だけを頼りにして掘りつくした信玄じゃな。
豚がやたら「中国はレベルが低い」などと口にするのは、「関東こそレベルが低い」というコンプレックスの裏返し。

史実の信玄が立派な英雄である事は皆認めてるのに
豚が妄想を持ち出して崇めるから、皆が信玄の能力の低さを説明せざるを得ないって流れが嫌だ。
275人間七七四年:2007/06/07(木) 16:29:58 ID:0z3n8RVP
維新後の追贈で見ると、信玄は謙信(従二位)にも負けている
が、一地方を制圧もできなかった大名に対する格付けとしては十分破格
つうかね、実像の信玄を批判するレスより、メガトンの空想の信玄をそんなアホな!とツッコむレスのほうが多いってばw
276人間七七四年:2007/06/07(木) 16:32:42 ID:YOygtKet
>274
メガ豚がつっこむ前につっこんどくけど、官位の差は明治維新への貢献度だろ…
あと関東の諸大名がドングリの背比べってのもいい杉な気がするな。


まあ中国地方は中国地方で西を大友、南を村上水軍、東を中央勢力に囲まれてる訳で
メガ豚の主張するように孤立した田舎ってわけではなかったろうけど
277人間七七四年:2007/06/07(木) 16:40:10 ID:ot5u6LLA
>>274
富士参りの参拝客から金巻き上げたりしてるぞ
278人間七七四年:2007/06/07(木) 16:41:29 ID:0z3n8RVP
>>276
明治維新に戦国武将が貢献するのは無理じゃないか?
多分、「子孫の維新への貢献度」とかの打ち間違いだろうけど
279人間七七四年:2007/06/07(木) 16:43:34 ID:Zosa+jCJ
そらまーあっさり滅びた信玄の子孫が維新に貢献できる訳ねーって話だが。
『当時の』格式で、一国人だった元就が、大名としてスタートした信玄より上になったのが重要かと。
維新はオマケで。
280人間七七四年:2007/06/07(木) 16:44:35 ID:du15Qeqx
>>274
>>中国の覇者と、関東でドングリの背比べしてた一大名との偽らざる格の違いやね。

これは微妙な所では?明治維新の立役者であり、その後も長く政治を主導した
長州の開祖を持ち上げるのは政治的な流れだったのでは。
ちなみに織田信長も死後に追贈されているけどその時点では従一位だったはず。
元就に正一位が追贈されてから10年くらいたった後で信長も正一位になっているが。
確か幕末の長州藩主毛利敬親も死後に正一位になっていてそれは元就よりも早かったはず。
他にも正一位を贈られた面子を見てもいずれも天下の中枢にいた人物であり、
優秀とはいえ地方の覇者に過ぎなかった元就がそれに列せられたのは
長州閥による影響が大きかったと思う。
281274:2007/06/07(木) 16:52:58 ID:gEeLqoP4
ごめん。俺が主張したいのも「当時の格式で既に元就は信玄より上だった」って事。
明治以降の話より、当時の方が参考になるっていうのは間違いないと思うし。

ドングリ表現に関しては、関東を不当に貶めるつもりはないし
上杉、武田、北条なんかは、尼子、大内、毛利と並ぶくらい好きなんだけど
やはり関東を制する覇者が現れなかった現実を鑑みると、そう評せざるをえない。
282人間七七四年:2007/06/07(木) 17:11:53 ID:jffi3BCb
>>271
それ以前に、信玄は山県の部隊に別行動をさせ北条勢を横から急襲させている。
事前に北条方の動きを読んでいた信玄の勝ち戦。
信玄の相模攻めは、元々駿河攻略を邪魔する北条を一喝する為に始めた威嚇行動であり
小田原城包囲でそれは十分に成功し、尚且つ退却時に北条方の追撃を予知して撃破したという、
最初から最後まで信玄の手の内の中にあった戦。

>>274
まあ、発想力の乏しい人間には歴史を語る資格はないからね、名将密集地帯甲信越周辺と名将ゼロの中国地方
とでは比較にならへんしなあ。
交易都市を押さえていて経済力豊富な元就は、中国地方西側半分を平定するのに16年も費やしたんですか?
毛利厨がやたらと信玄と比較したがる行為はまさしく、コンプレックスの表れと見てOK?
(織田や北条との比較スレが全く伸びないのがその証拠)

史実???の元就が立派な英雄かどうかは知らないが、毛利厨が妄想を持ち出して拝めるから
皆が元就の能力の低さを説明せざるを得ないって流れが見てて哀れだねえ
283人間七七四年:2007/06/07(木) 17:20:54 ID:jffi3BCb
>>281
バカだねえ、その武田 上杉 北条が有能なのは勢力を一代で広範囲まで広げたからであり
尼子 大内という無能な大名(勢力を衰退させただけ)しか相手がいなかった中国地方では元就程度
でも平定できて当然というのが学者や一般人の認識なんだが
284人間七七四年:2007/06/07(木) 17:23:24 ID:MH1f97um
>>283その学者の名前言ってみ。
285人間七七四年:2007/06/07(木) 17:26:25 ID:jffi3BCb
そもそも関東は信玄が生涯で必要とした地域じゃないし、関東は北条が平定
してるし、何度も言うが信玄と元就没後の勢力範囲を見ればどちらが上か分かる
ってもんだ、がら空き同然の中国に巣くう雑魚を散らして平定しようとしたのが
元就であって、名将が治める大勢力密集地帯の中あれだけ版図を築いたのが信玄ってわけ。
286人間七七四年:2007/06/07(木) 17:33:21 ID:lBmrKNN4
何にも変わらないねぇ〜メガブタちゃん(*^m^*)
287人間七七四年:2007/06/07(木) 18:58:12 ID:gEeLqoP4
関東が大勢力密集地域とか…
信玄が関東を必要としてないとか、あれだけ侵略戦を繰り広げておいて…
勢力範囲って「山奥にあるウチの田舎はこんなに広いんだよ〜!」自慢されても…

メガ豚はどこまで無知なんだ。

大勢力不在のガラ空き関東で、一国を有してスタートしておきながらグダグダに終わった連中。
尼子・大内という大勢力が巣食う中国地方にて、三百貫程度の地盤から百万石を築きあげた元就。

これが現実。
ちなみに元就との対立以前の話なら尼子・大内共に勢力拡大してるし
(尼子と大内の当主の名前すら知らんかった無知なメガ豚には、異次元の話だろうが
信玄との対立以降も変わらずに勢力拡大出来たのが上杉・北条。
要するに、信玄がショボイからこそ、信玄の敵は勢力拡大が出来る訳。
元就の敵となった相手が勢力拡大出来ないのは当たり前。元就が強すぎて一人勝ちだったんだから。

あと比較スレで伸びてるのは「武田絡み」のスレだよ。
288人間七七四年:2007/06/07(木) 19:14:53 ID:Zosa+jCJ
「毛利元就が厳島以降の中国統一に16年かかった」

これは過去ログにて、とっくに論破された恥ずかしい間違いであり
(山中幸盛が反乱を起こして鎮圧されたのが1571年だから、というアホ理論。>>70参照)

未だにこんな間違いを書いて住人に笑われているメガ豚は、哀れという他ない。
289人間七七四年:2007/06/07(木) 19:53:01 ID:j0MSow+3
>>287
白馬青牛乙
290人間七七四年:2007/06/07(木) 20:19:05 ID:v+o45PWl
白馬青牛VSメガトン、考えるのもおぞましい戦いだな
291人間七七四年:2007/06/07(木) 20:23:33 ID:du15Qeqx
白馬さんかな?口調が違うように思うのだが。
292287:2007/06/07(木) 20:36:52 ID:gEeLqoP4
白馬さんって誰やねん、と思って検索してみたら
どうも中国地方贔屓(それとも毛利贔屓?)なコテみたいね。
ヒットしたページのカキコから察するに敬語がデフォなんか?

正体バレバレなのに「俺は別人」と言い張ってレスの内容で墓穴を掘るメガ豚がいる以上
俺が白馬さんとやらのコテと別人と言い張っても逆に疑わしいだけだろうが
一応、その見知らぬコテに対する礼儀として「人違い」だと断っておくよ。

>>288
実際は>>62にある通りやな。
厳島で陶晴賢を撃破して二年後に大内氏は滅亡。
(後、大友が何度か復興を図って九州北部における勢力増大に務めようとしたが、勘定に入れんでいいだろ
それから九年後に尼子氏を滅亡させる、と。
293奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/07(木) 20:48:54 ID:HY3gWJG8
絶対違うと断言しておこう。
294人間七七四年:2007/06/07(木) 21:03:12 ID:dZNGd5XA
>>248
>刀根坂も相手の朝倉が50万石ほどで200万石以上の織田と
>まともに戦える相手じゃないし、となるな。
話しが全然異なる。
刀根坂が凄いのは万を越える大軍を国外に出兵できるほどの勢力である朝倉を
刀根坂で破りそのまま滅亡へと繋げたことが特筆すべきことであって、
単純に勝ち負けを考えるなら勝って当たり前でしかない。
朝倉を近江から追い出した程度であったなら国力差兵力差から当然であって
殊更強調すべき戦いでも無いだろう。

>その後も小笠原と一緒に武田と戦っている所からありえないとされるな。
誰がそんなこと言っているのか知らないけど、その後もまともに戦っているとは思えないが?
塩尻の翌年には武田にあっさりついているし。
1554年に三村が反乱起こしたのはまた事情が変わってのことだし。

>戦の手腕を評価していいだろうよ。
別に評価しないとは言っていない、スレにそって毛利に合わして言うなら、
尼子滅亡直前の因幡伯耆の戦いや備中での戦い、富田城の周囲での戦いや
伊予出兵程度には評価すべきだと思う。
295人間七七四年:2007/06/07(木) 21:12:02 ID:dZNGd5XA
>>283
江戸時代の初期にまとめられた軍記物だと
元就のような名将は当時の中国にさえいないとなっているが・・・
当時はそんな風に考えられていたんじゃないか?
296人間七七四年:2007/06/07(木) 21:23:19 ID:Zosa+jCJ
豚は史料なんて読んでないし、脳内学者や脳内一般人に頼るしかないんだから、あんまりいじめるなよ。
当時の評価が「元就>信玄」なのは官位に限った話じゃない。

あと白馬青牛は敬語じゃなくて広島弁。
ウザったいコテである事には変わらんが、小学生以下の豚とは知識量が違いすぎるんで、同列扱いするのは失礼。
今日も出身国別スレに書き込んでたぞ。
297人間七七四年:2007/06/07(木) 21:49:51 ID:du15Qeqx
>>294
貴方は>>247の人?IDが違うように思えるが。まあ、いいか。
>>話しが全然異なる(以下略)
塩尻峠も安国寺も戦果でいえば中々とは思うが。
万とは行かなくても小笠原は5千の兵を動かせた。
安国寺の時は藤沢頼親は追撃戦によりそのまま降伏。まあ数年後にはまたそむくが。
小笠原も塩尻以降ろくに動けなくなってしまった。

>>誰がそんなこと言っているのか知らないけど、その後もまともに戦っているとは思えないが?
平山氏の著作では「対峙」だったな。失礼。まあ、塩尻以後2年の間武田と対峙して
いたことから、寝返りについて平山氏は否定的だな。

>>別に評価しないとは言っていない、スレにそって毛利に合わして言うなら(略)
そりゃ失礼。俺も戦術で信玄が元就に勝てるとは思ってないよ。
というか元就に戦術で勝てそうな戦国武将がほとんど思いつかない。
そういった超人的な戦術家である元就に比べれば見劣りはどうしてもするが
信玄とて並よりは上の戦術能力はもっていると述べたかっただけ。



298人間七七四年:2007/06/07(木) 22:15:32 ID:ot5u6LLA
信玄公が不当に貶められてる!
ちゃんとした評価にしなきゃ!ってことか
スレタイ十回読んでこい
299人間七七四年:2007/06/07(木) 22:20:39 ID:du15Qeqx
>>298
まずいうが、対比して評価するからには総合的な能力も評価されるわけだろう。
ただ片方より劣っているからといってその相手の能力を過小に見積もるのは
あまり良い事ではないだろう。
公平に評価して初めて対比は意味を持つと思うがどうかな?
300人間七七四年:2007/06/07(木) 22:28:30 ID:ot5u6LLA
どこで誰が総合的な評価などと言い出した?
スレタイ読んできたか?
二者を比較するスレって書いてあるの読めたか?
A>Bが確認されりゃそれでいいだろうが
そんなに
Bについてやりたいなら該当スレいってやれドア法
301人間七七四年:2007/06/07(木) 22:35:17 ID:du15Qeqx
>>300
随分攻撃的だが、それで一方的に他方を貶めるだけですますのも良くないだろう。
比較するスレというのは各個の能力だけを問うているとも書いてないな。
比較検証なのだから、いろいろ考察して妥当な評価でものをみればいい。
そんなに他方を一方的に叩きたいだけならそれこそ適当なスレを探したほうがいいのでは?
302人間七七四年:2007/06/07(木) 22:48:17 ID:dZNGd5XA
>>297
あなたも言ってるように
藤沢頼親は降伏したと言っても形だけのもので抵抗力はそのまま温存、
刀根坂の結果には及ばない
刀根坂に比肩するとしたら摺上原や賤ヶ岳の追撃戦とかだろう
あと塩尻も安国寺も戦果はなかなかだと思うよ、相手への影響力と言うのであれば
信玄の指揮した戦いの中ではトップクラスだと思う、
でも兵力を考えれば>>245の言うように負けるほうがどうかしている

>平山氏の著作では「対峙」だったな。失礼。まあ、塩尻以後2年の間武田と対峙して
>いたことから、寝返りについて平山氏は否定的だな。
だからそれらを日和見と表現したのだが
303人間七七四年:2007/06/07(木) 22:52:45 ID:dZNGd5XA
>>301
信玄の場合は通説で異常に過大評価されているから
比較検証していろいろと考察するとどうしても
通説と比べるとある意味叩くような内容になっていくのは仕方が無いんじゃないか?
妥当な評価と言っても通説と比べるとどうしても過小になるのは仕方が無い。
あなたにとっては過小に評価されてるように感じるのかもしれないが
公平に評価するなら過小に見積もってるような人はあまりいないと思うけど
304人間七七四年:2007/06/07(木) 23:10:44 ID:ot5u6LLA
>>301
頭おかしいんじゃないの?
どちらがより政治軍事外交統治を巧く行ったかを判断するのに妥当な判断も糞もないだろうが
リンゴとオレンジどちらがおいしいかと聞かれてリンゴのほうがおいしいと応えればそれでおしまい
オレンジがいかに美味いのかなぞ関係ない
論点はどちらが優れているかということ
こんなことすら説明せにゃならんのか
305人間七七四年:2007/06/07(木) 23:15:18 ID:gEeLqoP4
>>297も「戦術レベルで元就が信玄より上なのは文句ない」と前置きした上で
「しかし、信玄だって並よりは上。それは確認しておきたい」との論調のようだから、別にいいんでない?
まず「A>B」が確認されたのなら、オマケで
「じゃあBは、他の例と比べてみると、どうなん?」というのも、比較スレの流れとしてはアリでしょ。
じゃなきゃAの凄さも際立たないってもんだ。
俺は「信玄は戦術家としては三流、戦略家としては二流、民政家としては一流」派なんで
あまり戦術については語りたくないんだが。
箕輪城攻めとか、業正生前の攻防は散々だけど
業正死後になってからの、着実に敵の力を奪っていく過程なんかは素直に凄いと思うから。

んで、>>297で何より助かるのは、レス返信の際の引用が短くなって読みやすくなったって事なんだけどね。
後は文章終わりの意味不明な数行の空白さえ無くしてくれれば。
306人間七七四年:2007/06/07(木) 23:18:48 ID:du15Qeqx
>>302
兵力なのだが、塩尻の5千は腐っても手ごわい相手では?
当時の武田は万以上動かせるとは思えないし。
まあ、認めてくれるならうれしいが。

日和見というが当時の記録とかでそいつらが積極的に動かなかったという記述ってあったっけ?
二木寿斎記とかは江戸初期のだし、その後武田に服した連中への評価が辛くなってそうだ。
5千のうち千が討ち取られたという事からも全体的な被害が出ていたと
思われるのだがどうだろうか?

>>303
俺も正直過大に評価する気はないのだが、上で述べたように信玄にはいい戦もある。
このスレの中で元就が輝きすぎる為に戦下手というような評価をする人も
見受けられ、あまり過小にされるのはどうかな、と思った。
信玄の戦略が優位を可能な限り作って戦うものであったのは事実だし、それはいいことなのだが、
だからといって戦下手とまでは・・・と思う。
まあ、あまり叩きすぎず妥当な評価をしてほしい、というのが願い。
307人間七七四年:2007/06/07(木) 23:27:05 ID:du15Qeqx
>>304
正直君の例え方はあまりうまくない。
「比較検証」なのだから。>>305もいうように様々な見方があっていいはずだ。
一つの分野でどちらかが優れていることがわかったとして
後は延々と一方を叩いていくスレにする事が望みか?
過小及び過大を修正し妥当に評価するのが正しいやり方だろうよ。
そうでなければこのスレなんてとっくに終わっている。
上の誰かさんの口調をまねたものだけどね。誰とはいわないが。
308人間七七四年:2007/06/07(木) 23:30:52 ID:ot5u6LLA
>>307
妄想を元に人を批判しないでくれるかな?
決着がつけばそれでスレ終了、それ以上何を望むんだ?
それから過小かどうかを論じるスレではないと何度言えばわかるんだ?
後猛二回ぐらい言えば理解できるかな?
信玄の評価は不当だ!と声高に叫びたいなら
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179717685/l50
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179836803/l50
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153644378/l50
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172681727/l50
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1177507671/l50
ほれどこでもいけ
309人間七七四年:2007/06/07(木) 23:33:24 ID:du15Qeqx
>>308
妄想ってなに?俺が何を妄想したっていうのかな?
ちゃんと具体的に述べてね。
それと君がいう「総合力を評価してない」「妥当な評価の修正は受け付けてない」
なんて誰がいったんだ?まずそこから説明してくれよ。
比較検証っていってるでしょ。
310人間七七四年:2007/06/07(木) 23:40:42 ID:dZNGd5XA
>>306
5千は国力状況から考えてほぼありえない
無理矢理動員すれば可能かもしれないけど
実質的な戦力になるかどうか

>5千のうち千が討ち取られたという事からも全体的な被害が出ていたと
それも信用に値する記録かどうか
この戦に関する感状は多いからかなりの勝ち軍だったとは思うが
戦ったという記録も無いが
またその後数年対峙していたと言っても戦った記録は無い
1550年の戦いでも積極的に動いていない、真っ先に降伏
日和見中立、そんな所で良いと思うが。

戦下手ってのは戦略的優勢下で負けたり勝てなかったりしてるからじゃない?
基準をどこに置くかによって変わるだろうけど戦術面で言うと信玄は
勝てる戦で順当に勝っただけ(戦略面で考えるならそれは一番重要なことだとは思うが)
ってことになるのもある意味仕方が無いと思う
311人間七七四年:2007/06/07(木) 23:40:48 ID:ot5u6LLA
>>309
>>後は延々と一方を叩いていくスレにする事が望みか?
誰がこんなこと言ってるんだ?
>>それと君がいう「総合力を評価してない」
はあ?意味不明
こっちが誰が言ったのか聞きたいわ
>>「妥当な評価の修正は受け付けてない」
すれ違いといってるわけだが
比較し、検証するスレ
妥当な評価を追い求めるスレではないことぐらいスレタイ読めばわかるだろ?
あ、漢字だからよめない?
もうりもとなりとたけだしんげんをひかくけんしょうするすれそのよん
これでわかるよね
312人間七七四年:2007/06/07(木) 23:42:43 ID:dZNGd5XA
訂正
>日和見というが当時の記録とかでそいつらが積極的に動かなかったという記述ってあったっけ?
戦ったという記録も無いが

引用がぬけていて何指しているか意味不明だったw
313人間七七四年:2007/06/07(木) 23:46:52 ID:Zosa+jCJ
>>305-306の言いたい事も分かるが、それだと単に
「毛利元就と武田信玄について語るスレ」になっちまうと思われ。
元就信玄の両雄を好きであるがゆえの発言だろうけど
あんまり細かく全体のレベルでどうとか言い出したら長引きすぎる。

それにあくまで「元就と比べれば」「信玄は戦下手」なんであって
特に過小評価されてるとも思わん。>>297の言を借りれば
「元就が超人だから信玄が見劣りするのは仕方ない」ってやつ。

>>304の発言はスレの趣旨には沿ってるんだけど、攻撃的すぎて説得力がないな。
314人間七七四年:2007/06/07(木) 23:51:13 ID:du15Qeqx
>>311
俺がどんな妄想したかについては答えてくれないわけかな?
言いがかりをした以上はっきりさせてくれるかな?
>>300でしっかり総合力の評価を否定したのは忘れたのかな?
検証の意味わかってる?事実に照らし合わせて検査する事も
含まれるわけだが?過小評価でいいなんて誰がいったのかな?
これまで漢字の書かれた文章散々見ておいて漢字読めないと
評価する君がおかしいとは思うがね。

ところでさ、話変わるけどさ、上のほうで「自治板で認められた正当なry」
とか名前にして荒らしていた奴がいたんだけどさ、そいつについてどう思う?
315人間七七四年:2007/06/07(木) 23:52:11 ID:YOygtKet
だいたいそこまでして発言を制限してもつまらなくなるな
316人間七七四年:2007/06/07(木) 23:58:59 ID:ot5u6LLA
>>314
>>後は延々と一方を叩いていくスレにする事が望みか?
これだよ
誰が言ったのかと聞いてる
俺が言ったか?
さてこれだけ強気に言ってきたわけだから当然示してくれるよな?
>>>>300でしっかり総合力の評価を否定したのは忘れたのかな?
前後の文章もあわせて読めないのかそうかそれなら仕方ないな
解説してあげよう
誰も総合力云々といっていないにもかかわらずそれを持ち出してきてるから、だれがそんな事いったのだと聞いたのだ
これも誰が言ったのか示してくれるよな?
>>事実に照らし合わせて検査する事も
含まれるわけだが?
どこをどうよめば過小評価かどうかも範疇に入るのか教えてくださいますか?
事実に照らし合わせて、それが真実かどうか検査、確認、する
うん、どこにも過小かどうか論じるなんて含意されてないな
>>ところでさ、話変わるけどさ、
都合悪くなりそうだから煙に巻こうと?
それこそすれ違いだということぐらいわかるよな?
317人間七七四年:2007/06/08(金) 00:02:18 ID:xXoODanc
ルールとしては
「元就と信玄の比較がスレの目的。脱線はイクナイ!」という主張はもっともなんだけど
ちょっと厳しすぎないかなぁ、って。
ただ単に「信玄もそこまで戦下手とかじゃないよ。元就が異常なだけだよ」とカキコしただけで
長々と他大名との細かい比較を行っていた訳じゃないし。

あんまり神経質にルールを振りかざしてはスレを盛り下げてしまうんではないか。
北条との比較など、ある程度は自由に議論の輪を広げた方が良いんでないかな、と。
んで、脱線が行き過ぎると思ったら、そこで初めて注意してくれる、ってのが理想だったりする。

無論、どっかの豚みたいに見苦しい自演なんかは論外だが。
318人間七七四年:2007/06/08(金) 00:11:40 ID:0He7UNdl
>>314
ちょっと待ちなよ。先に言いがかりをつけて来たのはそっちなんだから
まず先にこっちの質問に答えてもらえる?
俺がどんな妄想をしたのかな?都合が悪くなると煙に巻こうとしてるのはそっちだろ?
まず自分がそうじゃない事を示しなよ。まずそっちが答えないならこっちも答える義理はないな。
とりあえず自分の書いた文章の意味さえとれないのか、としかいえないな。
>>A>Bが確認されりゃそれでいいだろうが
とかしっかり抜かしているわけだけど?
ひょっとしてとは思うが言葉の使い方わからないのかな?
>>事実に照らし合わせて検査する事
すなわち双方の業績から「事実」を確認していくわけだけどさ。
過小評価は「事実」じゃないよな。
別に煙にまこうなんて思ってないよ。こうやって散々書いているんだから
一言感想述べればいいじゃないか。まさか述べられないのか?w

そうやって散々発言を制限し、人を排斥していった結果が今の三戦板なんでね。
排斥すれば良いと言う様な行動にこられても困るだけだよ。


319人間七七四年:2007/06/08(金) 00:26:01 ID:0He7UNdl
ああ、アンカー間違えた。>>318>>316あてね。
320人間七七四年:2007/06/08(金) 00:26:37 ID:EG8wpjaB
>>318
レスアンカーミスるほど必死なんだな
>>後は延々と一方を叩いていくスレにする事が望みか?
これ
さあ、誰がこんなこと言ったのか応えろ
応えられなきゃ妄想だよな?
>>とかしっかり抜かしているわけだけど?
で?
Bが劣っています、それで終了
別にBがそれでも凄いんだよなんて論ずるスレじゃない
>>過小評価は「事実」じゃないよな。
だから過小かどうかやりたいなら別のスレでやれっつってるだろうが
この二者を比較する上で過小かどうかがどう関係するのか説明してみろ
このすれは二者を比較するだけでどっちが絶対的に劣ってるなんて言うスレでも、ましてや優れているなどと泣き喚くスレでもない
しかるにおまえは他大名を持ち出して、いや信玄は凄いよなんてやってる
どれだけ馬鹿なことかわかるよな?
>>一言感想述べればいいじゃないか。
すれ違いといってるのが理解できないか?
どうしてもというなら毛利元就、武田信玄のどちらの政策がより優れているかという話とそいつの感想を述べることとの関連性を説明してからな
321人間七七四年:2007/06/08(金) 00:31:24 ID:j3o6Z2ux
戦術は完全に元就>>信玄だろうから
他の分野で比較してみないか?
と言っても信玄が確実に上と言えそうな分野は思いつかないが
322人間七七四年:2007/06/08(金) 00:39:14 ID:0He7UNdl
>>320
レスアンカーミスったのが必死ってw
だから、まずこっちの質問に答えてもらえる?最初に言い出したのはそっちなのだから。
でなきゃそれこそそっちの妄想及び答えられなくて人に転嫁してるだけと
いうわけだが?
だから、最初の流れは総合力についての比較を否定したのはだれだったかという事なのだが?
それで否定した箇所を抜き出したら、手のひらを返すわけか?
>>305>>315のような意見もあるわけだが?ただ一方的に過小を見過ごして
発言を制限して進め続けるならこのスレはとっくにおわってるだろうよ。
終わらせたいのか?続けるということで過小を制限しないならただ一方的に一方を叩き
続けるだけの状態が続くだろう。それで叩き続けて悦にでも浸りたいわけか?
書き込みから思ったんだが、ひょっとしてスレの最初辺りで武田ー北条間の
外交云々について俺と議論した人か?あなたひょっとして。
323人間七七四年:2007/06/08(金) 00:41:29 ID:bdqnxqUh
>>321
やっぱ内政じゃね?
豚が妄想信玄持ち出して皆に馬鹿にされるからウヤムヤになるけど
史料を許にしても、信玄の内政は十分優れてる。
無論、元就の直轄領支配や検地なども併せて比較検証すべきだが。
外交や後継者問題なら元就だろな。

>>318-320
一言でいうと「オマイラもうちょい仲良く汁」
324人間七七四年:2007/06/08(金) 00:50:02 ID:xXoODanc
別スレで甲州法度が褒められてたよ。
「民は生かさず殺さず、絞れるだけ搾り取る。為政者の側から見たら、結構理想的な統治法。家康も感心した」だって。

以下、コピペしてみる。

322 :人間七七四年 [sage] :2007/06/08(金) 00:25:18 ID:j3o6Z2ux
>>320
逃亡者が出ると同じ村の人間に負担が来るから
逃亡者が出ないように村人が相互に監視しあい
法度で逃亡者は何処までも追いかけると規定し
よその土地から来た農民がいたら訴えるように通告して
逃げても掴まるようなシステム
逃げ出して掴まって村に戻された村人は村八分にされると
それが怖いから誰も逃げ出さない
若しくはみんなで相談して逃げるしかない
でもそのような相談していたら密告しろ黙っていたら同罪にすると

よくできたシステムだなと思う。
325人間七七四年:2007/06/08(金) 02:33:55 ID:ol5+66ZU
このスレの基本は、>>25じゃね?
もう一度、基本に帰らね?
326仙台藩百姓:2007/06/08(金) 02:59:29 ID:0RZX3Csx
>>324
そんなものは古代からある制度だお( ^ω^)
更に言えば中国に倣った制度だお
信玄と言えば孫子が有名だけど
政治面から見ても広範囲の漢学を研究していたのではないかと思うお
327 ◆mVbE8OLf5. :2007/06/08(金) 08:19:30 ID:TbkMrQDO
管仲の什伍の法の焼き直しだな。
国人の統制を官僚制に切り替えられなかった武田氏が
どこまで法を徹底させられたかは未知数だが。
328人間七七四年:2007/06/08(金) 09:35:17 ID:ANKb0HiI
こりゃ駄目だな、散々戦術では元就の方が上とかしか毛利厨はいえないが
何でそんなに戦術面だけにこだわるのかな?
結局元就が戦略面や政治外交などに信玄より見劣りするという裏返しにしか
どうしても思えないが。
そもそも信玄が戦術的に劣ってると明確に回答出来る人間がどれだけいるの?
それと大内義隆と尼子晴久が氏康や謙信より勝ってるあるいは同等という理由も
聞かせてくれ、それを答えられないと話しにならない、相手の実力を考慮せず
ただひたすらに結果だけを見るのが毛利厨の特徴だからね。
329人間七七四年:2007/06/08(金) 09:38:15 ID:EG8wpjaB
>>322
だから
>>後は延々と一方を叩いていくスレにする事が望みか?
これが妄想だともう三回目だぞ
誰が言ったんだよこんなこと
>>発言を制限して進め続けるならこのスレはとっくにおわってるだろうよ。
仮におわったとしてそれでどんな不都合が?
そもそも結論すら出てないし
話の幅広げるようなことしてその仮に出た結論をうやむやにしようというお前みたいなのがいるから問題なんだろ?
>>続けるということで過小を制限しないならただ一方的に一方を叩き
続けるだけの状態が続くだろう。
あ、また妄想part2
>>だから、最初の流れは総合力についての比較を否定したのはだれだったかという事なのだが?
それで否定した箇所を抜き出したら、手のひらを返すわけか?
>>誰も総合力云々といっていないにもかかわらずそれを持ち出してきてるから、だれがそんな事いったのだと聞いたのだ
>>299でいきなり総合力も評価されるわけだろうなんて馬鹿なこと言ってるから誰が総合力で評価云々となるわけだが、自分のレスも読めないの?
つか総合力なんて誰が評価しうるんだよ低能
>>俺と議論した人か?
妄想part3
>>最初の流れは総合力についての比較を否定したのはだれだったかという事なのだが?
原初はお前の>>299で勝手にオレサマ定義始めたレス
直前の流れ見ても軍事関連、その前が内政、その前が外交と個別にやってるが
だれも総合的に見ようなんて語っているのはいないわけだが
330人間七七四年:2007/06/08(金) 09:41:47 ID:ANKb0HiI
信玄は合戦前に有利な状況にもっていくから合戦が得意じゃないなんて稚拙
な考えはよしてくれよ、前そんなレスみかけたからさあwww
それから元就が1571年に亡くなった当時の毛利領どれぐらいだったか
正確に分かる人いる?
331人間七七四年:2007/06/08(金) 09:52:21 ID:ngjoA/gB
そんなに謙信や氏康が手強いなら、講和なりすれば良いだけでしょ、戦略家で外交が上手いのなら
ところが信玄がやったことは、謙信との和睦破りの奇襲や、三国同盟破りの不意打ち
自分で災厄を招いて、それに足を一生取られたら優秀ってどういう理屈ですか?w
332人間七七四年:2007/06/08(金) 10:03:54 ID:ANKb0HiI
>>331
なんだそりゃ、毛利厨ってこのスレでかなりメガトンを稚拙と読んでるくせしてほんと
まともに会話出来る人間っていないの?
これマジな話、メガトンのレス以上に毛利厨の無学な妄想レスの方がはるかに目立つってこと
キチンと感じてる甲斐?
敵を倒す為、勢力を広げていく為の奇襲や不意打ちが駄目なら元就はどうなるのかな。
幾多もの策略謀殺を繰り広げた元就を一体どう評価してるわけ?
最初から講和で信濃や駿河が手に入るんならそりゃそうしてるだろうよ、じゃないから外交なり
合戦なりを繰り広げて領土を広げてきたんでしょう。
333人間七七四年:2007/06/08(金) 10:06:59 ID:mlRlsGzp
武田信玄>甲斐源氏の流れを組む大名で、晴信が家督を相続したときには甲斐一国は統一されていた。

毛利元就>家督を継いだ頃は大内と尼子に翻弄される弱小勢力。


なぜ比べるの?
334人間七七四年:2007/06/08(金) 10:13:03 ID:UF95F/xl
>>328
>大内義隆と尼子晴久が氏康や謙信より勝ってるあるいは同等

戦術云々なんていうのは兵力が同等の場合だろ。
大軍に兵法なしって言われるように、3倍の兵力差がある戦いだと
兵器による優位も帳消しにされる。

ましてや同じ武器で戦っていた中世以前の兵力差っていうのは
すなおに戦局に反映される場合がほとんどだ。

数倍の兵力差を打ち破ることがいかに困難であるか理解していれば、
大内義隆と尼子晴久が氏康や謙信より勝ってる証拠をだせなんて
アホな質問は出ないだろう
335人間七七四年:2007/06/08(金) 10:13:48 ID:ngjoA/gB
>>332
だから、氏康や謙信は兎に角手強い、というのがメガトンである君の主張なわけでしょ?
だったら折角講和したり同盟したりしたのに不意打ちしかけりゃ勝てる、と思ってやって結局互角がせいぜいに陥った信玄は敵の力量も見抜けないってことになるじゃんw
自分から災厄を招いておいて、なぜそれが自慢になるの?と聞いているんだよ
336人間七七四年:2007/06/08(金) 10:18:25 ID:ANKb0HiI
>>333
比較したがってるのはひたすら毛利厨、領土拡大率が高いと自慢してるくせして
(それしか自慢が出来ない裏返し)必死になりつつ、それとは逆にカウンターを食らえば
何も言い返せない人達です。
毛利厨がメガトンに対して異様な程食らいついてるのは、やっぱ一番触れて欲しくないとこ
(あるいは知らなかったような事)を突きつけられてるからでもある、例えば

「信玄時代の東国は勢力を拡大していく名将揃いだから攻略するのが複雑であり
元就時代の中国は勢力を衰退させていく凡将揃いだから攻略するのが簡単である」

「毛利両川体制のおかげでその後天下人にいいように操られた、あるいは付け込まれた」

337人間七七四年:2007/06/08(金) 10:19:55 ID:ngjoA/gB
「東国は名将揃いであるが、和睦や同盟が成立していて強いて戦う必要は無かった。それを騙まし討ちで敢えて敵に回し、一生かけても弱小勢力しか潰せなかった」
メガトン系評価を前提にすると、こうなっちゃうんだけどねぇw
338人間七七四年:2007/06/08(金) 10:24:49 ID:UF95F/xl
>>336
>元就時代の中国は勢力を衰退させていく凡将揃いだから攻略するのが簡単である

それは、小国の毛利に負けたからそう言われる結果になっただけだろw
例えば、織田信長に負けた今川義元のようにな。
今川家が凡将揃いなのに攻略できなかった信玄ってのはどうなんだ?
339人間七七四年:2007/06/08(金) 10:27:01 ID:ngjoA/gB
信長のお陰で弱体化した今川家すら、徳川と組んでの同盟破りの騙まし討ちでしか倒せなかったからな
しかもこれが生涯の最大戦果
そして、当時の盟約相手である織田や徳川に矢張り裏切りの不意打ちかまして御家滅亡の原因作るオマケつき
今川を潰したかったのは、伊勢物語万引きの件などの背信と犯罪を責められて逆ギレしたからかね?w
340人間七七四年:2007/06/08(金) 10:29:07 ID:ANKb0HiI
>>335
だから他人をメガトンと思い込んでも今更無駄だっての。
北信濃の重要性を知らない人は甲信越の事情に対して無知な証。
今川家の衰退とその後の動向を知らない人は東国を語らないで下さい。
北信濃とその周辺国は上杉への備えとしてしっかり領土化してましたが何か
駿河攻め〜小田原攻め〜再び駿河攻めで、往年の3国同盟を撃破しましたが。
屁理屈もいいとこですね互角に終わっただけなんて。
謙信は生涯国境を信玄に脅かされ、氏康は小田原まで攻められ、追撃退を撃破され
駿河を先に信玄に取られましたね。

341人間七七四年:2007/06/08(金) 10:34:28 ID:ngjoA/gB
>>340
誤字連発が内心を表わしてくれているぞ
もういい、もういいんだ
信玄厨だからっていじめられたんでしょ?
でもそれは君が悪いんだよ……
342人間七七四年:2007/06/08(金) 10:38:32 ID:ANKb0HiI
>>338当時は謙信と戦っていた以上今川を敵にまわしてどうするんだよ、それに今川を敵に回せば北条も敵に回る
何より義元が当主の時は弱体化の傾向を見せてなかったんだし今川は。
>>339
泣き言の次は更に上を行く稚拙なレスですね、それから同盟破りっていうけど
同盟破られる側の問題はどうするの?っというよりお前北条厨か今川厨だろ
武田に嫉妬するアンチはいくらでもいるからね。



これは重症ですね、メガトンより余程たちが悪い毛利厨ですね、毛利元就が
可哀想になってきたなこんな稚拙で単純な人間にマンセーしてられちゃあね。
343人間七七四年:2007/06/08(金) 10:42:41 ID:ANKb0HiI
>>341
おやおや、泣き言の次は敗北宣言ですか?
歴史を変えることは出来ないんだよ、信玄に攻め負けた大名をマンセーしてる
方々はどんなに2ちゃんで泣き言を言っても、マンセーしてる大名が評価良くなることは
無いんだよ。
344人間七七四年:2007/06/08(金) 10:49:25 ID:ngjoA/gB
>>342
>今川を敵に回せば北条も敵に回る
後年信玄がカマしたチョンボそのまんまですねw

>同盟破られる側の問題
和睦を信じて兵を引いた上杉を奇襲
大名の癖に伊勢物語万引きするなど、信玄による犯罪の被害者にされた今川
何が問題?
どうみても信玄の放埓が問題じゃん
345人間七七四年:2007/06/08(金) 11:00:06 ID:ANKb0HiI
>>344
やっぱり今川厨か北条厨甲斐?君w
そりゃそうだろうなあ>>366を突きつけられて何も言い返せずいつも話を信玄のこと
ばかりに向けてきたのが毛利厨だからね。
信玄との和睦を信じて兵を引いたからって言うけど、じゃあ謙信が一方的に行った関東攻め
はどう説明するんだ?そして謙信に同盟を要請しておきながら自らは城に引っ込むなど大勢力の
大名にあるまじき行為をした氏康はどう説明するの?
信玄だけを悪者扱いみたいにしてんじゃねえよ単細胞がww
346人間七七四年:2007/06/08(金) 11:00:36 ID:3mZh2WLu
スレ立て依頼

スレタイ 戦国時代の経済


各大名の経済政策を語るスレ

武田金山から毛利石見から大友博多から島津薩摩芋まで
347人間七七四年:2007/06/08(金) 11:00:37 ID:UF95F/xl
>>342
>何より義元が当主の時は弱体化の傾向を見せてなかったんだし今川は

馬にも乗れない短足、しかも公家かぶれの義元ですら当主になれるのが
今川家。案の定、戦ベタが露呈して即死亡
348人間七七四年:2007/06/08(金) 11:02:49 ID:ANKb0HiI
>>345
訂正

>>336を突きつけられて何も言い返せない毛利厨
349人間七七四年:2007/06/08(金) 11:02:57 ID:ngjoA/gB
>>345
予言レス乙www
350人間七七四年:2007/06/08(金) 11:05:54 ID:UF95F/xl
>>348

>338を読めカス
351人間七七四年:2007/06/08(金) 11:06:46 ID:0He7UNdl
>>329
いい加減にしろよ。
そもそも疑問系なのだが?弁護さえゆるさないというならそれは一方的な叩きに
しかならないといってるわけだが?こっちが誰かが言いましたなんていったか?
話の流れ上そうなるだろうといってるわけだが?
仮に出た結論をうやむやにしようとなんて誰がしたよ、ちょっとあげてもらえるか?
戦術じゃあ元就が上だとしっかりいっているだろう。それで貶められすぎるのも
問題だから弁護しただけだが?いい加減にしろよ。何が問題だ。
何が妄想なんだ?一方的に過小が続く状態で弁護もしてならないというなら
そうなると考えるのが自然だろう。お前さんはどうなると思うわけだ?
総合力の定義ができないとでも?しないとでも?そんなことこそそもそも誰もいってないな。
言ってるならそれこそ書き出してみせろ。自分のレスをだすなよ。
総合力の評価ができない?それこそそっちが低能だろう。
上で言ってる人もいたが「戦術で三流、戦略で2流、内政で一流」という風に
信玄を評価している人もいるわけだが?各能力について正確に評価をくだせば
総合的な評価を出す事だってできるだろうよ。
352人間七七四年:2007/06/08(金) 11:08:10 ID:ngjoA/gB
つうかメガトンよ、誤字とかレスミスとかするほど精神不安定なら無理に書き込む必要は無いぞ
君のレスは、信玄信者ワロスwwwな燃料程度しか価値が無いんだから
そもそも論旨がわかりづらい
なんで謙信の関東攻めが、信玄が第二次川中島合戦での和睦を破ったことの正当化になるわけさ?
353人間七七四年:2007/06/08(金) 11:21:33 ID:QxA42um0
厳島合戦は、戦国の合戦中もっとも手の込んだ戦かもしれない
敵の間者をわざと身辺に置いて、「厳島を取られたらどうしようもない」と嘆き反間の計で陶軍を狭い島に誘導
陶方の勇将を偽書状で謀殺し、流言を撒いて揺さぶりをかける(弘中氏のように元就の狙いを見抜いた武将もいたが、このために進言が取り上げられなかった)
縁組戦略で取り込んだ水軍衆を糾合し制海権を掌握した上で、自身が戦陣に立ち奇襲
厳島の神官の覚書による戦果八千、というのも戦国最大級
354人間七七四年:2007/06/08(金) 11:28:49 ID:mlRlsGzp
大内義隆は貴族文化にうつつをぬかし、尼子は経久が死んでから落ちるばかり。
355人間七七四年:2007/06/08(金) 11:31:01 ID:ANKb0HiI
>>334やめとけ、大軍に兵法無しとか言ってる時点で馬鹿丸出しだから。
信玄の有名な合戦の中だけ見ても強引で下手な勝ち方した戦なんてほとんど無いよ。
信玄の戦いを見ていけば普通に理解出来ることなのだが、妄想毛利厨は結局ただ
国力に最初から勝ってるというだけで=力攻めと思い込んでる単細胞だからね。
それから大内義隆と尼子晴久がどんな合戦上手か聞かせてもらおうか・・・・・
そうだった、以前にも何度も聞いて結局答えられなかったね(笑)



>>352
>なんで謙信の関東攻めが、信玄が第二次川中島合戦での和睦を破ったことの正当化になるわけさ?

またまた意味不明なこと言い出すね、君の方から和議を破ったから卑怯で横暴みたいな
こと言ってただろ(笑)しかもいつまでもメガトンと妄想してるし。
そりゃメガトンと思ってれば自然と子供染みたレスにもなるというものだな。
356人間七七四年:2007/06/08(金) 11:33:56 ID:EG8wpjaB
>>351
誰も言っていないにもかかわらず人をまるで荒らしであるかのようにいっていたと
妄想であってるじゃん
>>弁護さえゆるさないというならそれは一方的な叩きに
しかならないといってるわけだが?
そもそも過小だの何だのがすれ違いなんだからよそでやれといってるわけだが?
>>こっちが誰かが言いましたなんていったか?
んふw誰も言ってないのに嵐扱いしていたとw
>>仮に出た結論をうやむやにしようとなんて誰がしたよ、
You!
過小評価だのと二者の比較という観点から見れば全く無関係なことに反応して結論をうやむやにしようとしたと
>>それで貶められすぎるのも
問題だから弁護しただけだが?
それが問題だといってるわけだが?
スレ違い、何回言えば、わかるのか
>>お前さんはどうなると思うわけだ?
お前みたいな低能のように根拠もなく将来のことを言い当てようとするほど愚かではないので、お答えいたしかねます
>>総合力の定義ができないとでも?しないとでも?
できないし、しようなんて動きはこのスレにはない
299で突如として沸いてきてる
少なくとも総合的に評価しようなんて動きは皆無
>>上で言ってる人もいたが「戦術で三流、戦略で2流、内政で一流」という風に
信玄を評価している人もいるわけだが?
いるね
戦術という武門では三流、戦略という武門では二流、内政という武門では一流と分けて考えてるじゃん
>>各能力について正確に評価をくだせば
これがいまだ出来ていないにもかかわらず、
>>総合的な評価を出す事
をしようとしているわけだ
こりゃ話にならん
ああ、それから人違いしといて一言も謝らないのなw

357人間七七四年:2007/06/08(金) 11:35:10 ID:mlRlsGzp
>>347
今川義元の名誉のためにいえば、公家文化を重視し、戦で馬に乗らなかったのはそれだけ公家に会う機会が多かったのと、家格があったからというのが近年の研究結果。戦下手とか太って馬に乗れなかったというのは信長に敗れたためにつけられた後世の評価。
358人間七七四年:2007/06/08(金) 11:38:44 ID:TbkMrQDO
第4次川中島や上田原、戸石崩れなどは武田の有名な失敗じゃないの?
いや俺は詳しくないけどさ。
359人間七七四年:2007/06/08(金) 11:40:40 ID:QxA42um0
上田原の大敗なんて、相手が国力に劣る側じゃなかったら滅亡していてもおかしくない程だしね
5千以上の兵で2千程度の相手にかかっていって、記録的な大敗だから
360人間七七四年:2007/06/08(金) 11:42:47 ID:ANKb0HiI
戦術で信玄に勝らないと、他に勝てるものがないから必死になっております毛利厨ww
361人間七七四年:2007/06/08(金) 11:44:10 ID:mlRlsGzp
武田信玄が戦上手になったのは村上に敗北した2回の戦と、その村上を瞬く間に信濃から追い出した真田幸綱の戦ぶりから勉強したからと言われている。
362人間七七四年:2007/06/08(金) 11:47:21 ID:UF95F/xl
>>357
>信長に敗れたためにつけられた後世の評価。

そうだろ。だから毛利に敗れた大内や尼子にもそういった
後世の評価がつけられたんだよ。

>>355
>やめとけ、大軍に兵法無しとか言ってる時点で馬鹿丸出しだから。

光栄のゲームしかやってないお前には理解できんだろうが、
3倍の兵力差がある相手には99%勝てないのが常識だ。

一般人でも知っている信玄の有名な戦って兵力が少ない
謙信にやっと引き分けた四次川中島ぐらいだしな。
363人間七七四年:2007/06/08(金) 11:49:06 ID:ANKb0HiI
そりゃ元就は若い時老練な戦巧者と戦ったことないだろうからね、楽なもんだった
でしょうね。
そしてさりげなく5千以上VS2千程度とまたまた捏造する毛利厨はいつになったら
こんなガキみたいな工作やめるんだか
364人間七七四年:2007/06/08(金) 11:57:38 ID:ANKb0HiI
>>362
それは正面から戦った場合の話だろアホw
三方ヶ原と三増峠(これは3倍も無い)は敵が背後から迫ってきたのを撃退した戦、そういえば
元就はこんな戦あるの?
塩尻峠はほぼ兵力互角、川中島4回目は通説通りならば別働隊を振り分けていた信玄の勝ち。
もう一つの説に妻女山から猛然と逃げ下って越後まで突っ切ろうとする上杉軍と偶然鉢合わせした
時に生じた乱戦てのがあるがあんなのは優劣つけがたい
365人間七七四年:2007/06/08(金) 11:58:48 ID:TbkMrQDO
俺はどっちが優れていようかどうでもいいけど

たかが掲示板の片隅で工作を必要とするほど大層な問題なのかこれは。
366人間七七四年:2007/06/08(金) 12:01:31 ID:QxA42um0
富豪の家の犬は、たっぷり食って体格はでかいが野性の気を失って見掛け倒しである
信玄はまさにそれで、力ずくで攻め潰せればよいが敵が思わぬ反撃をしてくると底を露呈する
戦略においても、裏切りと背信を連発して自ら危機を招く
これも甲斐一国という恵まれた地位からスタートしたために、実戦の機微を学ぶ機会が薄かったせいだろうな
対して元就は初陣の相手が西国の項羽、と呼ばれた武田元繁
尼子氏の後援があったとはいえ瞬く間に20万石強の勢力圏を作り上げた猛者(つまり信玄が親から掠め取った領域とほぼ互角)。別名『西国の項羽』
これを正面から撃破したんだから、元就は有頂天になってもおかしくないが、ここから戦術頼みにならず経略を重んじたのはまさに天性の武将というべき
367人間七七四年:2007/06/08(金) 12:01:55 ID:ANKb0HiI
毛利厨は、寂しく元就の寡兵(創作が多いが)での戦いだけをマンセーしてれば
良かったが、墓穴を掘ったね、何だかんだで信玄に対してコンプレックスありまくり。
368人間七七四年:2007/06/08(金) 12:02:37 ID:0He7UNdl
>>356
まずそちらも誰も言ってないにもかかわらず個別評価及び弁護も否定して
いる時点で妄想といえるだろうよ。
比較検証の時点でただ一方的に過小といい続けるのはどうかと。
「Bについて妥当な評価をしてこそAも引き立つ」
「そんなに発言を制限してもつまらない」といっている人もいるのに
一方的に評価の幅を狭めるのはどうかと。
私は君を嵐とは扱っていないのですが。そっちが最初に疑問系を確定にしてきたのではないですか?
繰り返しになりますが私は元就が上だと認めています。「うやむやにする」というのは
「はっきりさせないこと」なのでこれはこの場合に使用するのは不適当でしょう。
まずいっておきますと上のほうには明らかに信玄に対して過小に見積もったり
するレスや叩きと思われるような書き込みもあるわけですがそれについてはどう
思いますか?現実にそのような書き込みが存在しており、そういったレスは容認して
弁護はやめろ、とおっしゃりたいわけですか?また上のように話がこじれると
なんなのでこれは疑問系であり、あなたはどう思うかを問うているものと
明言しておきます。現実にそういった書き込みなどがみられる状態で
類推するのを低能とみなすのは不適当かと。
総合的な評価を否定する書き込みもこのスレにはありません。
各部門的に妥当な評価をするのが容認されるなら過小について弁護するのも
ありでしょう。各能力において妥当な判断を下すなら過小は抑えねばなりません。
あなたの最後の文をみるなら各部門について妥当な評価ができるなら
総合的な評価は良いということでよいのですか?
人違いについては失礼しました。似た書き方をする人がいたもので。
許していただけるとありがたいのですが。
これから外出しますので続きはまた夜にでも。
369人間七七四年:2007/06/08(金) 12:04:37 ID:QxA42um0
じゃあメガトン君には、有田中井手や厳島が創作だと是非、証明してもらおうか
どの史料が嘘だと、どんな根拠で判断した?
具体的に答えてくれよ
370人間七七四年:2007/06/08(金) 12:10:05 ID:mlRlsGzp
>>362
大内は貴族文化にうつつをぬかして佞臣の冷泉を寵愛して陶の反乱を招いたんだから武将としての才は妥当だと思うけど。尼子も経久の気付いた範図を減らす一方だし。
371人間七七四年:2007/06/08(金) 12:12:15 ID:ANKb0HiI
>戦略においても、裏切りと背信を連発して自ら危機を招く
これも甲斐一国という恵まれた地位からスタートしたために、実戦の機微を学ぶ機会が薄かったせいだろうな

その危機を巧みな戦略で乗り越えるのが信玄なのだが、臆病な毛利厨は言い出せずに
いるんだよねえ、逆に相手を危機に追い込んでいくことなどは無視するし相変わらず
水害飢饉の山国を恵まれたとか言ってるのは君達ネラーぐらいだよ。
まあ何にせよ元就は経久や義輿が生きてる間に天性を発揮すべきだったね。
大名として目を見張ったものが無い義隆や晴久相手じゃあ計略が楽だった。
372人間七七四年:2007/06/08(金) 12:14:06 ID:QxA42um0
強い相手の虎の尾を自分からふみに行く間抜け→信玄
強敵の間隙を確実に衝き、これを打倒した名将→元就
ってことだろうなw
373人間七七四年:2007/06/08(金) 12:22:08 ID:ANKb0HiI
>>369
ホント学習能力ないんですねえ、いつまでもメガ豚扱いするし(笑)
元就が稀代の大名であり、君達毛利厨が目の敵にする信玄程凄いというなら
まず相手の滅ぼした大名(大内 尼子)がどれぐらいか答えるのが先だね、
稚拙な答えは駄目だよーー、信玄と同じく最強と言われた謙信 関東の覇者
と言われた氏康と比較してどこが同レベルか教えてもらおうかないい加減に。
当然東国の大名と同じく勢力を拡大していったんだろうねえ  大 幅 に
まあ明日までじっくり考えてなさいね。 


それから信玄はなんだかんだで旧今川領(大勢力)はもう少し生きてれば平定
してましたから。三河遠江駿河共に。
374人間七七四年:2007/06/08(金) 12:58:01 ID:XyEJnrxT
第4次川中島に限っては大将クラス討ち取られすぎの
武田の負けだろ戦術的にいって
しかも兵士数で勝ってるのにだよ
375人間七七四年:2007/06/08(金) 13:08:19 ID:tF+tPgK5
メガトンが作り上げる虚像の信玄に対する批判、嘲笑はかまわないんだけど。
そのために信玄の実像まで間接的にどんどん落下していくのは耐えられんな。
メガトンが消えてくれればそれが一番なんだけど・・・。
376人間七七四年:2007/06/08(金) 13:12:20 ID:EG8wpjaB
>368
武田信玄の過小評価は許せないとおっぱじめたのは他でもないあなた様でございますよ
>「Bについて妥当な評価をしてこそAも引き立つ」
Aを引き立てるスレではありません
>「そんなに発言を制限してもつまらない」といっている人もいるのに
私の言うことが攻撃的だがもっともだという人もいます
反論できなくなったからと周りの人も言ってるのにと逃げを打つのはやめていただけますか?
>私は君を嵐とは扱っていないのですが。そっちが最初に疑問系を確定にしてきたのではないですか?
荒らしとして扱わないなら「後は延々と一方を叩いていくスレにする事が望みか?」はないですね
>「うやむやにする」というのは「はっきりさせないこと」なので
議論自体をうやむやにしているといってるわけです
核である二者の優劣も突いてない状況で、劣っているほうも優れているよ等とは全く不必要、蛇足、無駄です
事実あなたは戦術面においてしか述べられておりません
>まずいっておきますと上のほうには明らかに信玄に対して過小に見積もったり
するレスや叩きと思われるような書き込みもあるわけですがそれについてはどう
思いますか?
今現在のあなたとわたしとの話には全く無関係です
>現実にそのような書き込みが存在しており、そういったレスは容認して
弁護はやめろ、とおっしゃりたいわけですか?
二者の比較以外はすれ違いだと何度言えばわかるのですか?
これも疑問です
そしてそういった立場を一環して続けていますが
>現実にそういった書き込みなどがみられる
意味が取れません
具体的に何をさすのか仰ってください
>総合的な評価を否定する書き込みもこのスレにはありません。
各部門的に妥当な評価をするのが容認されるなら過小について弁護するのも
総合力云々と始められたのはあなたですが?
それまでは武門ごとに話し合っている以上、総合力が何をさすのかわかりませんが、あなたの順番に従えばまだまだ先の話です
>各能力において妥当な判断を下すなら過小は抑えねばなりません。
あなたの最後の文をみるなら各部門について妥当な評価ができるなら
総合的な評価は良いということでよいのですか?
二者との比較においては過小かどうかなど必要ありません
出来るのはどちらが優れているか比較することだけです
そもそも武門についての比較も出来ていません
>許していただけるとありがたいのですが
だが断る
377人間七七四年:2007/06/08(金) 13:40:30 ID:xXoODanc
戦術比較なんか「元就>信玄でFA」という結論が出て、住人は次の議題に移ろうとしていたのに
ID:ANKb0HiIが、ほとんど毎日恒例の一人きりの連投を開始。
相も変わらず見苦しいカキコを連発して、住人の笑いの種になっている。

よってID:ANKb0HiIはメガ豚本人。もしくはメガ豚と同等の低能。
延々と一人で連投しまくって、まったく住人の同意を得られないほど説得力のないカキコの数々を晒して、空しくならないか?
378人間七七四年:2007/06/08(金) 13:57:03 ID:tF+tPgK5
尼子晴久ってよく考えたら可哀想だな
三ヶ国守護である赤松氏を撃破して、播磨まで勢力を広めたのに、祖父のお陰ってことにされて
大内義隆が攻め寄せた際は、義隆が戦嫌いになるほど叩きのめしたのに、後世に伝わるのは元就と家臣達の美談が第一
将軍家から八国守護に任ぜられるほど尼子氏を隆盛させたのに、元就に滅ぼされたためにゲームなんかじゃ愚将扱い
379人間七七四年:2007/06/08(金) 15:49:10 ID:UF95F/xl
>>370
貴族文化にうつつをぬかしたって今川義元にまんま
あてはまるよな。

今川家を大大名したのは太原雪斎の手腕だが、
その雪斎存命時にすら、第1次小豆坂の戦いで
弱小の織田に負けるわ、北条に駿河河東郡を
奪われたりしている。
380人間七七四年:2007/06/08(金) 15:52:03 ID:5Es1B0wy
>>375
同意。
別に信玄を貶めたいわけじゃないのに。
例えば今まで一般に言われてきた信玄の功績は過大評価が多く近年見直しがされてるって
内容を書いてもメガトンが毛利厨とかいって罵倒してことさらに信玄を持ち上げまくってる
からまともな検証になりゃしない。
381人間七七四年:2007/06/08(金) 15:55:01 ID:mlRlsGzp
>>379
俺の書き込みちゃんと読んだ?
貴族文化にうつつをぬかして武に興味を示さなかったという点で義隆と重なるのは氏真。
義元が本当に貴族文化にうつつをぬかしていたならば東海一の弓取なんて呼ばれない。
ちゃんと最近の義元に関する研究見てから反論してくれ。
382人間七七四年:2007/06/08(金) 16:03:53 ID:UF95F/xl
>>364
>それは正面から戦った場合の話だろアホw

分かっているじゃないかww
だからこそ、大将はいかに多くの兵を動員するかに腐心するんだ。

その点で信玄は優秀と言える。
三方ヶ原の戦いで徳川軍1万1000に武田軍2万5000が勝つのは当然なの。

難しい撤退戦の三増峠の戦いで勝ったのは賞賛に値するだろう。
でも、撤・退・戦でしょ? 当初の戦略目標果たしてねーじゃんwwww


>そういえば元就はこんな戦あるの?

それは釣りか?
383人間七七四年:2007/06/08(金) 16:07:41 ID:GYFDwDpY
なんでメガトン的な視点だと元就の戦いは創作だと決め付けてるんだ?
それだったら信玄の戦いも創作かどうか疑問に思うべきなのに、
そのような素振りがないw

384人間七七四年:2007/06/08(金) 16:13:05 ID:k2GLjjZm
名言
『強いものが勝つのではない。勝ったものが強いのだ。』
385人間七七四年:2007/06/08(金) 16:14:15 ID:UF95F/xl
>>381
>貴族文化にうつつをぬかして武に興味を示さなかったという点で義隆と重なるのは氏真。
>義元が本当に貴族文化にうつつをぬかしていたならば東海一の弓取なんて呼ばれない。

東海一の弓取と呼ばれたのは雪斎のおかげ。
最近の研究では義元がお歯黒を塗ってなかったとか馬にも乗れたとか、
何かしらの武術に通じていたという発表でもあったのですか?
386人間七七四年:2007/06/08(金) 16:26:04 ID:TbkMrQDO
研究とか学会を引き合いに出すわりにソースを出さない。
少し前に自治にもそんな奴が涌いてたな。

ああ、俺はいいから続けてくれ。
387人間七七四年:2007/06/08(金) 16:32:50 ID:xXoODanc
一応、個人的武勇はそこそこあったみたいよ>義元
毛利新助が討ち取った際の抵抗などを見ても、平均より上の腕前はもっていたと推測される。
まぁ、それだけといえばそれだけの話なんだが。
義元の本領は政治方面にあって、戦方面には無いってのには特に反対しない。

>>378
尼子の当主が誰かも知らなかったような無知の豚には、初耳の情報なんだろね、それ。
大内義隆も尼子晴久も、それぞれ大内氏と尼子氏の最盛期を築いた有能な人物なのに。
信玄が倒した相手の中で一番凄い今川氏真って、どれくらい勢力範囲を拡大したんだっけ?

>>366
有田合戦での毛利と武田の詳細な国力差に関しては詳しくなかったんで
過去スレにて「有田合戦は、一度勝って追い返すだけじゃダメ。国力差が違いすぎるからいずれは押し切られて負ける」
との共通認識が住人にあり、イマイチその厳しい状況とやらが分からなかったんだが、そうか、二十万石相当か。
尼子と通じて領土拡大してたのは知ってたけど、マジで英傑だったんだね、武田元繁。
吉川からの援軍込みで1500程度しか兵を用意できなかった毛利軍が、5000以上の武田軍に勝ったというんだから
そら戦術史にも名が残る戦いだわ。やはり元就はどっかオカシイ。
388人間七七四年:2007/06/08(金) 16:49:00 ID:bdqnxqUh
有田合戦の凄さも分からずにひたすら川中島をマンセーしてんの豚くらいだろな。

そもそも豚が繰り返す「大内義隆が無能だから元就なんて大した事ない」理論が全く意味不明だ。
(勿論、史実の義隆は無能じゃない。山口を第二の京都と呼ばれるまでに発展させたのも義隆)
元就が倒した相手とは、大内氏を乗っ取った西国無双・陶晴賢であって、義隆は関係ない。

未だに豚の脳内じゃ尼子氏当主は「国久」だったりするんだろうから、イチイチ細かくツッコミ入れずに、他の住人のように適当にからかって遊ぶのが正しいんだろうけど。
389人間七七四年:2007/06/08(金) 19:51:03 ID:UF95F/xl
武田元繁=武田信玄
毛利元就=村上義清
尼子経久=今川義元
大内義興=上杉謙信

石高、勢力配置の構図は良く似ていると思う。

390人間七七四年:2007/06/08(金) 20:45:15 ID:xXoODanc
元就に村上ほどの地盤は無かったけどね。
それに尼子・大内の二台巨頭からしたら、二十万石程度の武田元繁ですら大した事ない存在。
例えるにしては、ちと力関係に相違があると思う。

大内義隆の業績に付け足すなら
龍造寺や少弐氏を打倒して北九州を制圧した、というものもある。
なにをもって「尼子晴久・大内義隆は領土を拡大してない凡将」と豚が主張してたのか、真剣に疑問。
ま、無知なだけなんだろうけど。

第一次月山冨田城攻防戦では、元就は大内の援兵として扱われ
大内に大敗を喫せしめた尼子軍の猛追撃に対し、元就が殿を務めて死にそうな目に遭ってる。
>>378が指摘しているように、大内の大軍を撃破した尼子晴久の手腕は評価されてしかるべきなのに
殿で奮戦した元就と、その部下の美談ばかりが注目されてるから困ったもんだ。
391人間七七四年:2007/06/08(金) 21:22:58 ID:0He7UNdl
竜造寺って倒されていたっけ。
大内は竜造寺と組んで少弐を倒したのだと思っていたが。
392人間七七四年:2007/06/08(金) 21:31:04 ID:bdqnxqUh
元々は敵だった龍造寺を懐柔して少弐氏を滅亡させ、北九州を制圧した、が正しいな。
打倒した、だけじゃ諸共に滅ぼしたみたいに誤解されかねん。
393人間七七四年:2007/06/08(金) 22:12:13 ID:0He7UNdl
>>310
亀レスなのだが。
5千いなかったとしてもそれなりの大軍。小笠原にしてみても
大きく力を投入した戦いだったのは事実と思う。
そして以後小笠原の活動はぷっつりと止まり武田侵攻の時には
あっさり自落している。
山家や三村も塩尻で大きく力を失い、それ以後はろくに動けず
武田侵攻によって降伏したというのは考えられないだろうか。
394人間七七四年:2007/06/08(金) 22:47:01 ID:vAEYzlSi
>353
違うぞ、弘中も最初は毛利の謀略と疑っていたが
最終的には毛利の謀略にはまって裏切りを信じ込まされて
自ら江良を粛清してる。

まあ江良は毛利に通じてて寝返りの報酬が少ないから
もっと増やせと要求して毛利に信用できない奴と思われて
陶方に処分させようと裏切りを陶方にリークしたからなw
395人間七七四年:2007/06/08(金) 22:54:00 ID:k2GLjjZm
メガブタ脳の大内・尼子=凡将は、多分信長の野望がソース
396人間七七四年:2007/06/08(金) 23:01:19 ID:I9jcPzmE
自分のよく知らない武将は凡将なんだろ、大好きな信玄が滅ぼした勢力の名前すら知らない奴だからな・・・
397人間七七四年:2007/06/08(金) 23:09:50 ID:TjJ4AOuk
そろそろくるころかな?>めがぶた
それとも日付がかわってIDがかわるのを待ってるのだろうか
398人間七七四年:2007/06/08(金) 23:10:35 ID:0He7UNdl
まあ、元就が滅ぼしたのは大内義隆でも尼子晴久でもない、というのは野暮かな。
399人間七七四年:2007/06/08(金) 23:25:58 ID:xXoODanc
>>388も書いてるが、にも関わらず
「尼子大内を滅ぼしたといっても経久や義興が相手ではなく、晴久と義隆の無能二人が相手だから元就も大した事ない」
が豚の言い分なんだよな。
ホントーに底の底から無知なんだろう。
国久が当主とか、晴久の親父が経久だとか、尼子好きを敵に回すような低能レスを連発。
晴久に関しては、吉田郡山城攻防戦などで元就と戦ってるから、間違いでも無いんだけど、義隆に関しては弁護の余地なし。

完全に余談だが、尼子経久の肖像画はかなりの男前だ。
400人間七七四年:2007/06/08(金) 23:27:47 ID:0He7UNdl
経久さんは性格もかなり男前だ。エピソードを見る限り。
401人間七七四年:2007/06/08(金) 23:33:28 ID:bdqnxqUh
桜の木を家臣に与えようとした逸話とか俺も好きよ。
元就の三本の矢の逸話同様、史実ではないんだろうけど
どちらも史実の経久や元就の性格から生まれた事を偲ばせるエピソードだ。
402人間七七四年:2007/06/09(土) 00:18:13 ID:5BO61mFQ
島津と比べるならまだしも、武田ごときとではお話にならない
403人間七七四年:2007/06/09(土) 01:26:16 ID:+K1xgPtb
>>381
甲陽軍鑑じゃ氏真は勇敢な将、肝の座った大将とされているけどな

>>393
小笠原にしては大きな力を投入したとは思うが
それでも武田とは大きな差があると思う
武田は佐久小県方面の兵力を転用することは出来ない情勢だけど
例え甲斐一国でも小笠原の倍はあるだろうし。

>山家や三村も塩尻で大きく力を失い、それ以後はろくに動けず
本当に力を失っていたら後に武田に反抗すると言うのもおかしいと思う、
山家や三村が動かなかったのは単に小笠原家が弱体化して
動く必要が無くなったからじゃないか?
404人間七七四年:2007/06/09(土) 01:28:10 ID:aenfthB8
尼子経久と毛利元就といえば、どちらも歴史に名を残す稀代の謀将でありながら
私生活を窺う限りでは人の良い好人物、なんて共通点まであるな。
真の謀略ってやつは、善人の感性を持ち合わせた人物からの方が生まれやすいのかも知れない。
405人間七七四年:2007/06/09(土) 01:46:11 ID:+K1xgPtb
まあ元就は武田氏は滅ぼしたけど後に安国寺恵恵が
大内氏は降伏勧告したけど義長が蹴ったとも、受け入れ後に殺されたとも
陶晴賢を倒したのは毛利だが陶氏を滅ぼしたのは一応杉氏だし
尼子氏は降伏後に養った

小早川家は大内の命令に従っただけかは分からないが、当主追放
吉川氏は謀殺
井上氏一族も一部除いて謀殺
弟・相合元綱も粛清

こんな所か
406人間七七四年:2007/06/09(土) 01:56:40 ID:+K1xgPtb
信玄は
親追放に嫡男殺害
理由はあるにしてもこれだけで十分イメージが悪いが

他に諏訪頼重を騙し討ち
今川氏真が弱体化したら切り捨て

諏訪満隣も降伏を許されるものの武田の諏訪支配が落ちついたら粛清(異説あり)
高遠頼継も高遠支配のため許されて起用されるものの、武田の高遠支配が安定したら粛清
また仁科香坂なども上杉に内通した言う割には甲府に来たりしてそこで殺害されたと
やや怪しげ

板垣家も信方死後粛清、信玄の近臣に継がせる

とこんな所か
私生活じゃないけど
407人間七七四年:2007/06/09(土) 08:53:03 ID:+IX3xgxj
貴族文化に通じていたからって、戦弱い=あるいは嫌いとは限らないだろう
古今伝授を受けた細川幽斎なんて生涯戦場往来の強者
今川義元だって、戦を忌避したりしたことはない(その現場指揮精神を信長に衝かれてしまうわけだが)
大内義隆は、京都で威勢を張ったり中国・九州に勢力を扶植したりと、無能とは程遠い手腕を長年示してきたわけだし
ただ、義隆は尼子攻めの失敗以来戦を避けるようになった
これが武断派の忌避を買ったわけだ
氏真でさえ、武芸においては新当流皆伝(氏真創始、と伝わる剣術すらあるが本当かどうかは未確認)
408人間七七四年:2007/06/09(土) 11:23:17 ID:u69Rwx06
どっちが酷いことしたか、問題は何回もループしてるからなー
「謀反や不服従対策としての行為も非道とするのはおかしい」とかなんとかいう注意レスも恒例だからそろそろ来るか?w
409人間七七四年:2007/06/09(土) 11:41:11 ID:JNgGSaA7
元就の方が何か戦術的(だけ)には信玄より上みたいなスレになってるが
三方ヶ原や川中島を良く知ってる人間であれば元就より下なんていう奴まず
いないよ、単純にいつまでも元就の方が寡兵での勝ち戦が多いから戦術だけでは
上なんてご都合的な妄想はそのくらいにしといた方が良いよ。
特に信玄の凄いところは三増峠の戦いに存分に現れてる、上野へ出陣すると見せかけて
北条方の不意をついて相模へ攻め込み、各個撃破しながら小田原包囲という戦略の凄さ
、これで城を落とせなくても撤退戦で待ち構える北条方の先鋒を巧みに蹴散らす戦術の凄さ。
撤退戦、あるいは背後から攻める敵を巧みにさばく采配を知っていれば誰しも、信玄>>>元就
という考えに異論を唱えるものはいないだろう。

元就はといえば信玄みたいに大軍を指揮した戦いがどれだけあるか知らないが、厳島以降は
目を見張るような戦いが無いのが寂しいね、これが信玄より評価を下げられる要因になるな。
410人間七七四年:2007/06/09(土) 11:45:29 ID:JQWiJ72L
>>409
一年ロムってから書き込め
そしたら自分がどんだけ痛いかよくわかる。
411人間七七四年:2007/06/09(土) 11:45:56 ID:u69Rwx06
三増峠合戦ねー
あれって武田勝利圧勝と喧伝しているのは講談物しかないんだよね
書状だと双方が勝利と宣伝しているし
第一、三増峠にまで辿り着くまでに千余を失っている件は綺麗にスルーされ続けているんだよね
戦闘においても、武田方からも浅利氏以下少なからぬ犠牲が出ているから、戸石崩れよりはマシだった程度じゃ?
後北条領から撤退した武田軍の状態がどれだけ酷かったかといえば、神社に乱入して建物壊して暖を取るほど
実像は、講談とは程遠い様子
412人間七七四年:2007/06/09(土) 11:52:15 ID:JNgGSaA7
毛利厨は信玄の突っ込みどころと見るものがあればすぐに、卑劣だとか後継者を育てられなかった
とか言うが、なら吉川小早川を乗っ取る際の策略(謀殺)などは一体何?
嫡男隆元を死なせたのは何?暗殺されたなんてバカな言い訳しないでね、守りきれない方もバカなん
だから。
井上元兼一族皆殺しなんてのもあるね、しかもこいつのせいでかつて記録的ともいえる程家臣を死なせた
よね(桂広済 渡辺など)
413人間七七四年:2007/06/09(土) 11:52:46 ID:iIvuxDq1
三増峠までで千余を失っているってそれこそ
北条の軍記物である北条5代記じゃなかったっけ。
あれ、武田が小田原も焼いてない事になってるしな。
414人間七七四年:2007/06/09(土) 11:54:21 ID:u69Rwx06
不思議なのは、三増峠合戦を武田方大勝利、としている軍鑑に
「これは無用な戦、信玄の名誉が地に落ちる」と高坂の手厳しい諫言が載っていること
後世の創作だとすれば「危険で、かつ戦略的に意味の無い戦をやるな」という兵法上の教訓なんだろうけども……
415人間七七四年:2007/06/09(土) 11:54:48 ID:iIvuxDq1
>>411
その襲った神社ってどこかな?教えてくれるとありがたい。
416人間七七四年:2007/06/09(土) 11:56:59 ID:JNgGSaA7
>>411
ほら見なさい、バカですねえ双方痛みわけなんてのは北条方の史料だけですよ
明らかに敗戦を隠す為に捏造してますね。
史料というならちゃんと読まなければいけないよ、まあ最初から信玄に否定的な
人間には、史料なんて見ても到底解釈出来ないとは思うが。
あなた方が否定的な甲陽軍艦の方が信憑性あるんだよ。
417人間七七四年:2007/06/09(土) 11:57:21 ID:iIvuxDq1
>>414
まあ、実際城を取ったわけじゃないし牽制というものの効果は
見栄えがしないしなあ。
418人間七七四年:2007/06/09(土) 12:00:30 ID:JNgGSaA7
これも見得と建前の関東の文化らしさなの?
甲陽軍艦>>>>>>>北条五代記ets・・・・・
相模での多くの戦勝は紛れも無く北条方を失墜させた作戦


http://homepage3.nifty.com/yogokun/mimasetouge.htm
419人間七七四年:2007/06/09(土) 12:00:55 ID:u69Rwx06
>>415
諏訪神社だったはず

>>416
知りたいのはそれこそおまえさん個人の嗜好じゃないよ
史料に対立があるのに、なぜよりにもよって一番信頼できない軍記物を信じるんだ?
理論的に説明してくれ
420人間七七四年:2007/06/09(土) 12:07:01 ID:JNgGSaA7
信玄の数多くの主な武勇伝

巧みな戦術と采配で見せた、塩尻峠 三方ヶ原
見事に戦略を成功させた川中島(これで飛騨越中越後上野にも手を伸ばす)と
相模攻め+駿河攻め(巨大な3国同盟の中一挙に優位にたつ)


元就の主な武勇伝

郡山篭城戦(まあ篭城戦がそこまで評価するようなものか疑問)
厳島 (とにかく創作疑惑だらけ、元就自身は関わってないだとかいう声も)

あれ?たったこれだけ?厳島で華々しく勝利を飾った後の戦いは?国力にものを
言わせただけなのかなあ
421人間七七四年:2007/06/09(土) 12:07:13 ID:U4NvM7tk
信玄贔屓のものなら、なんだろうと信用する
信玄に辛いものなら、何だろうと否定する
一個も具体的な理由を示さずに

何このメガトン
422人間七七四年:2007/06/09(土) 12:07:37 ID:iIvuxDq1
>>419
それ前にも聞いたんだけど
武田は三増峠以後まっすぐ甲斐にもどっている。三増峠の翌日の7日には
甲斐に入っていたはず。諏訪神社は信濃だし、わざわざ襲いにいく意味が
わからないのだが。
423人間七七四年:2007/06/09(土) 12:08:23 ID:JNgGSaA7
今現在、>>418の史料解析を見て失墜しているアンチがいるw
424人間七七四年:2007/06/09(土) 12:10:03 ID:U4NvM7tk
>>422
信玄とその近臣団はともかく、軍団は領国から軍役で集められた連中だろう
諏訪衆や、そこを通って帰る兵が悪さしたんじゃ?
自弁の食糧燃料が尽きたとかで
425人間七七四年:2007/06/09(土) 12:14:02 ID:JNgGSaA7
なあ、そろそろ厳島合戦の真実とかいうの誰かやったら?ここまで毛利厨や
他のアンチが散々信玄の戦ばかりあーだのこーだの言ってるんだら、当然厳島
は一級史料の元完璧な戦なんだろうねえ。
426人間七七四年:2007/06/09(土) 12:17:48 ID:iIvuxDq1
>>424
なるほど。
しかし信玄が手厚く保護し戦いの度に勝利を祈願している諏訪神社に
手をだすなんて随分命知らずな兵もいるんだな、と思う。
427人間七七四年:2007/06/09(土) 12:17:57 ID:U4NvM7tk
文盲か?
厳島合戦の件だって何回も何回も議題にあがってるじゃねーか
当時の第三者の神官が書いた覚書が一番戦果が無茶苦茶(八千余)なのはなんでか、とか
信玄の戦が批判されている、じゃくて空想的に持ち上げている馬鹿が批判されてるの間違いだろw
428人間七七四年:2007/06/09(土) 12:23:02 ID:5BO61mFQ
>>420
三方が原=倍の兵力、勝って当然。
三増峠 =まず撤退していることに恥じろ
川中島 =兵力に劣る上杉軍に追い込まれかろうじて引き分けと言い張る。

こんなのが自慢なのか・・・
429人間七七四年:2007/06/09(土) 12:29:04 ID:5VWWrQkD
>>414
いや、三増峠のあと北条は駿河に派遣してる兵を本国に移してるから。
んで時間をおかず武田の駿河侵攻・・陥落だから無意味ではないよ。

>>419
北条五代記ですら三増峠は敗北で氏康唯一の負け戦と書いてあるけど?
確か北条信繁だったかの書状に三増峠で手痛く敗北したってのもあるし
430人間七七四年:2007/06/09(土) 12:34:54 ID:JNgGSaA7
>>428
単細胞は永遠に信玄批判で生きていくんだろうね、何度も言うが基本の知識
だけでも知ってれば、兵力差だけで勝ったとか、撤退に恥じるだとか追い込まれて
引き分けだなんていう奴誰もいないっての(笑)

本気で攻めたわけでもない相模で撤退して何がおかしいの?その前に人のレスしゃんと
読んでるの?野戦へ誘い込む為の見せかけ撤退だという説も十分に強かったりもする。
背後から迫ってくる敵を打ち破る程困難な戦はないと思うね、何せ自軍を反転させなきゃ
ならない、兵力差のおかげで勝ったなんて言う学者や歴史家が実際いるか?
啄木鳥作戦を擁護するのであれば、ちゃんと別働隊のことぐらい頭にいれろ、そしてこの戦い
以降謙信は生涯春日山を脅かされることになる。
431人間七七四年:2007/06/09(土) 12:36:14 ID:U4NvM7tk
信玄の後北条攻め〜三増峠までの、具体的な双方の名のある武将の討死を比較してみたらわかるんじゃ?
雑兵をどれどれ討った、というのなら捏造可能だろうけど
さすがに部将クラスの討死は家督とかの問題があるからごまかしは難しいし
432人間七七四年:2007/06/09(土) 12:48:12 ID:U4NvM7tk
今、ググってみたけどこの程度じゃ有名な浅利監物の討死以外見つからないなー
あとは地元豪族で武田に従った高山氏から討死が出たとか程度
信玄の書状だと氏邦を討ち取ったと取れるように書いてあるけど、当然これは誤り(あるいは意図的な宣伝?)だし
433人間七七四年:2007/06/09(土) 12:54:52 ID:5BO61mFQ
>>430
>背後から迫ってくる敵を打ち破る程困難な戦はないと思うね

おまえ・・・三増峠の戦いのこと全く知らないんじゃないのか?
信玄が戦ったのは甲州街道守備軍の北条氏照と秩父方面守備軍の北条氏邦だ。
小田原から追撃してきた氏政の北条本隊は進軍を停止したから背後からは
襲撃されてないのに・・・

>本気で攻めたわけでもない相模で撤退して何がおかしいの
それが本当なら本気で攻めなかった方がおかしいだろ。
信玄は道楽で戦をするような武将なのか?

>啄木鳥作戦を擁護するのであれば、ちゃんと別働隊のことぐらい頭にいれろ
誰もあんなアホな作戦擁護してねーつーの。

>そしてこの戦い以降謙信は生涯春日山を脅かされることになる
いつ信玄が春日山城を攻めたんだ? 塩を恵んでもらったくせに
いきがってんじゃねーよ
434人間七七四年:2007/06/09(土) 13:04:25 ID:JNgGSaA7
>>433ハハハハ解釈の間違いだよ

読みにくかったかもしれないが、背後の敵を撃退といったのは三方ヶ原のこと。
駿河を北条より先に攻め取る為には、敵の本国本領へ一喝を与える作戦は見事だよ
十分に北条方に伝わったし、信玄の武威が。
春日山ってもろ信濃との国境に近いのに何言ってんだよ、飛騨越中西上野など謙信
は明らかに信玄の領土拡張に恐れを感じていたと思う。


435人間七七四年:2007/06/09(土) 13:11:32 ID:U4NvM7tk
信玄の謙信への恐れっぷりこそ強烈だと思うけどね
和睦破り、内応工作に芦名氏を唆しての攻撃、一揆扇動
なりふりかまわぬ謀略を使い、さらに居留守狙いの越後攻撃(いずれも最終的に失敗しているが)
遂には信長に「仲介のご恩は、日本半分を持つ身分になっても忘れません(これも大嘘になるが)」というような書状送って和睦を取り持ってもらう
圧倒的優勢にもかかわらず、戦場で決戦すれば謙信の恐るべき手腕で弟や重臣らを次々と討たれる
信玄としてはこれほど疫病神な相手もいなかっただろう
第二回川中島の和睦を、最悪の形で破った事後々まで後悔してたんじゃないか?
436人間七七四年:2007/06/09(土) 13:50:29 ID:aenfthB8
>JNgGSaA7

恒例のメガ豚による一人きりの連投の時間がやってまいりました。
妄想信玄マンセー、無知ゆえの他大名叩きレスなど、お見苦しい限りですが
皆さん、適当にからかって遊び、笑ってやって下さい。
あまり細かくツッコみすぎると豚はバレバレの自作自演をして逃げる習性を持ち合わせています。ご注意を。
437人間七七四年:2007/06/09(土) 14:01:27 ID:5BO61mFQ
>>434
>春日山ってもろ信濃との国境に近いのに何言ってんだよ

まさかとは思うけど、信玄が北信濃全域を支配していたと
勘違いしてるんじゃない? 髻山城、三日城とか知らんのだろうなw

たまには日本地図でも見てみたら? 
豊野から春日山まで楽に攻め込めるのは大変そうだと理解できるだろうから
438人間七七四年:2007/06/09(土) 14:01:59 ID:Szw0gyS5
>>407
京都に威勢を張ったのは義興
義隆も少弐氏を滅ぼし肥前をある程度支配し
尼子氏と戦い山陰山陽で勢力を広げているが

>>408
個人的にはこれらもそれぞれの功績だと思うんだけどね

>>419
でも北条五代記は17世紀半ばに軍鑑の影響受けて成立したものだから
信憑性では軍鑑の方がマシだと思う

>>422
>>424
諏訪神社って・・・あのなぁ
ちょっと諏訪神社について調べてみ

>>429
>んで時間をおかず武田の駿河侵攻・・陥落だから無意味ではないよ。
その前に武蔵で小競り合いをしていたと思うが
439人間七七四年:2007/06/09(土) 14:04:56 ID:iIvuxDq1
>>435
でも第3回川中島以後でちゃんと北信濃を制圧しているし
和議破りもちゃんと成果を上げたといっていいのでは?
越後侵攻も北信濃を制圧したからこそできた事だし。
440人間七七四年:2007/06/09(土) 14:11:54 ID:aenfthB8
第二次で成果挙げてないのに後の戦を持ち出して
「和議破りもちゃんと成果を挙げた」は、かなり無理があるかと。
最悪の裏切りやって結果がいいとこ引き分けじゃ、どう考えても失敗じゃないか。
441人間七七四年:2007/06/09(土) 14:12:12 ID:HwymSHTZ
>人のレスしゃんと読んでるの?

相変わらず豚の誤字は間抜け過ぎて笑える。
皆ちゃんとレス読んで、お前の無知さ加減を理解した上で失笑してるんだから心配すんな。
442人間七七四年:2007/06/09(土) 14:22:47 ID:iIvuxDq1
>>440
えーと、まず第二次は普通に戦って長期戦になって和議。
これで上杉にかなり領土を割譲したね。
最初に俺がレスした>>435さんの主張は
>>第二回川中島の和睦を、最悪の形で破った事後々まで後悔してたんじゃないか?
なので、和睦を破って割譲した領土を取り戻しさらに拡大した第3回以降の
川中島は信玄にとっては有意義なものだったんじゃないか、と思うんだけどどうかな?
443人間七七四年:2007/06/09(土) 14:23:54 ID:Szw0gyS5
>>432
浅利信種は箕輪城代で関東方面の責任者であり
発給文書も多いし、義信謀反時の起請文の取りまとめをしたりと、
重臣中の重臣といっても過言ではないと思う。
人的被害では武田のほうが圧倒的といっていいと思う

>>433
>甲州街道守備軍の北条氏照と秩父方面守備軍の北条氏邦だ。
信玄書状で敵は6000〜7000と書いているぐらいだから
その程度だろうね

ただ本隊に追いつかれる前にさっさと北条軍を追い払い
甲斐に撤退できたことは賞賛すべきことだと思う

>>435
勝つためにはあらゆる手段を模索するのは当然だろ
それに第二回川中島の時点では北条今川とは敵対できないし
斉藤だって楽な相手じゃないし、地理的にちょっと・・・
それに謙信が隠遁して高野山に向うという絶好の機会
ここで和睦を破棄せず、この隙に突け込めなかったらそれこそ無能だと思うが。
それにこの混乱の間に、川中島を取り戻し、葛山城を奪って水内高井をある程度
支配できたのだから、和睦を破ったことは正しい判断だと思う。
第3次川中島では謙信は川中島周辺を荒らしたり、武田軍を破ったりする程度で
それ以後も、和睦破棄時に奪われた地域をほとんど取り戻せなかったのだから。
444人間七七四年:2007/06/09(土) 14:33:12 ID:Szw0gyS5
>>440
でも和睦破らなければ、川中島だって支配できたか怪しいと思う。
第4回で犀川以北を失ったりしているようだから、
直接対決は武田にとって不利か無意味であって、
その後も武田は一貫して謙信の関東遠征上洛家臣の反乱冬と隙を突く形で
勢力を伸ばしているのだし、和睦破棄は正しかったと思う。
445440:2007/06/09(土) 14:39:55 ID:aenfthB8
あ、すまん。文脈おかしくて分かりにくいね。

えーと、つまり第二次の時点で上杉有利の講和が結ばれてる訳で
信玄はその講和を破って何とか割譲領土を取り戻し、更に拡大した。
しかし、そもそも裏切りの代償として手に入れた領土の大半は
第二次で上杉に奪われた地であった訳だから
川中島全体における信玄のプラスとは言いがたい。
無論、新たに拡大した領土も無視出来ないが、それも信玄の決定的な勝利を示すものではなかったと俺は考える訳。
要は「和睦破り」という裏切り行為を犯したにしては、−10を+5に転じたのみに留まる、というのは成功とは言いがたい、という事。
第四次を中心として被った信玄の人的被害などを考えたら
北信濃の防衛に成功した、という結果だけを掲げて武田勝利とは言えんと思うしね。
「村上の要請で攻め寄せてきた上杉に対する、北信濃防衛戦」という形に考えれば武田の勝ち。
「越後侵攻を目論む武田に対し、上杉が北信濃まで遠征してこれを迎撃。越後の領土を侵食される事なく引き上げた」と考えれば上杉の勝ち。
と、まぁ戦略的にも見方によって勝ち負けが変わる具合なんで、「いいとこ引き分け」だろう、と。
446人間七七四年:2007/06/09(土) 14:53:34 ID:Szw0gyS5
>>445
そういう意味なら納得
北信濃は本来上杉領ではないし、
そもそも上杉が介入する前には一応川中島は武田のものになっていたのだし、
安曇方面では越後国境付近まで支配しているが
川中島方面では最初の状態から数キロ北上した程度でしかないしね。
447人間七七四年:2007/06/09(土) 16:35:36 ID:J7NIowJi
和睦破りを批判する件は、それが長期的に対上杉戦の泥沼を呼んだ点じゃないの?
短期的には領土幾らかを掠め取れたわけだからプラスでしょっていうのは的外れなような
448人間七七四年:2007/06/09(土) 16:59:23 ID:LxKqUXvK
伊勢物語を盗む信玄
大平記を陣中で写本する元春
素行では元就の息子にすら負けているなw
449人間七七四年:2007/06/09(土) 17:02:02 ID:LxKqUXvK
伊勢物語を盗む信玄
大平記を陣中で写本する元春
素行では元就の息子にすら負けているなw
450人間七七四年:2007/06/09(土) 17:07:22 ID:LxKqUXvK
二重スマンorz
451人間七七四年:2007/06/09(土) 17:10:02 ID:0H0BVOVb
>>438
北条五代記は江戸初期の成立だけど?
452人間七七四年:2007/06/09(土) 17:26:24 ID:Xx9OR61h
当時の日本では印刷術は普及してなかった
だから本は手書き。当然、違いが出てしまう(同じ本なのに、何々本で違いが出るのもそれが原因)
それ自体がもう貴重品の類だが、藤原定家の直筆となれば稀少品となる
今川家が家宝としたのも当然だし、それをネコババして返さないことが数々の背信とならんで信玄を信用できない理由の一つとなってもおかしくない
453人間七七四年:2007/06/09(土) 17:33:54 ID:iIvuxDq1
前このスレで聞いた時その逸話が1568年2月とかいわれたんだけど
ぶっちゃけその時期で会談して宴会して伊勢物語パクルなんてありえるのかね。
創作じゃないのかな。
454人間七七四年:2007/06/09(土) 18:33:23 ID:11+0I3EW
信玄ならやりかねないだろう
縁戚騙まし討ちして財宝全部とって来い、なんていう男が一冊の本を奪うのを躊躇うか?
子飼いの馬場さえ「お前そんなに武田を山賊集団にしたいのかYO!」と命令違反かますぐらいだぜ
だからって焼くのもどうかと思うがな
455人間七七四年:2007/06/09(土) 18:43:07 ID:ml9EpYXT
>>453
創作だとしたら創作した奴は信玄はそういう事をするイメージがあったんだなw

>>454
敵将の財宝全部接収するっていうのは当時の感覚ではどういうものだったんだろう?
456人間七七四年:2007/06/09(土) 18:43:47 ID:iIvuxDq1
いや、1568年2月というともはや義元も死に氏真の代になり
義信事件や塩止めとか起きてて今川と武田の間が険悪に
なってきてる時期だし会談なんてするのかどうか。
しかもわざわざ信玄が駿河まで出向いて。
この後すぐに本庄とかと組んだ越後侵攻作戦の動きも始まるし
時期的に考えにくいんじゃないかなー、と思うんだよ。
457人間七七四年:2007/06/09(土) 19:49:12 ID:aenfthB8
逸話に信憑性を求めんのが間違いじゃね?
ただ「信玄の性格を元にして作られた可能性もある」ってだけで。
そこら辺は元就や経久なんかの逸話と同レベル。
458人間七七四年:2007/06/09(土) 19:55:12 ID:iIvuxDq1
うーむ。それで>>449のようにいうのはどうかと思うのだが。
459人間七七四年:2007/06/09(土) 20:30:07 ID:JNgGSaA7
しかし国力が同等の北条氏康を相手に、見事な欺きによる相模侵攻〜小田原包囲
〜追撃待ち伏せ隊をコテンパンに撃破

ぶっちゃけ包囲網の中で一番やっかいな北条氏康を信玄の軍門に下させた戦略は見事
としかいいようがない。
460人間七七四年:2007/06/09(土) 20:32:57 ID:PXoBqgJQ
軍門に下した
の意味わかって無いだろ。
461人間七七四年:2007/06/09(土) 20:33:27 ID:BDYHHX+Y
>北条氏康を信玄の軍門に下させた戦略
462人間七七四年:2007/06/09(土) 20:38:08 ID:HSoTYryI
>>447
でもこの時点で上杉と和睦したら何処を攻めればいいのか
また結果論だけどここで和睦しても北条と上杉が争いだしたら
武田はどっちにしても上杉と争うことになったんじゃ

>>451
一応1642年
17世紀半ばであり江戸初期でもある
463人間七七四年:2007/06/09(土) 20:41:04 ID:HwymSHTZ
>>452-458
新田次郎の「消えた伊勢物語」がキッカケで有名になったようなもんだからな、そのエピソード。
元ネタも軍鑑の記述みたいだし。
464人間七七四年:2007/06/09(土) 20:42:17 ID:JNgGSaA7
駿府今川館の貴重な品々は焼却させないように部下に忠告したやつの事一つ
でもアンチは必死になるんだな、そして早速ただの盗賊行為と決め付ける愚かさ。
戦略戦術で信玄にはかなわないと思ったら、今度はこんなことしてたたきたがる
アンチの心理というのが理解できん、何が何でも「信玄憎し!!」なんだね(笑)


465人間七七四年:2007/06/09(土) 20:44:10 ID:HSoTYryI
>>453
個人的には三河の共同攻めとかその辺はみな創作だと思いたいけど
水野とか本当はどうなんだろ

>>455
>創作だとしたら創作した奴は信玄はそういう事をするイメージがあったんだなw
だとしたら、信玄って実は凄い強欲だったのかもね、
痴情のもつれかもしれんがw
466人間七七四年:2007/06/09(土) 20:52:26 ID:JNgGSaA7
信玄が盗賊行為を好んでいたなんて書いてある史料があるんですか?(笑)
アンチの大好きな一級史料に書いてあるんですか?(笑)
由緒ある貴重な品々を勿体無く思うのは当然の感覚ですね。
アンチの理屈から言えば、徹底過ぎる策略を行った元就こそ領土拡大に異常なくらい
強欲過ぎる大名だということにもなりますね(笑)
467人間七七四年:2007/06/09(土) 20:55:03 ID:JNgGSaA7
>毛利厨は信玄の突っ込みどころと見るものがあればすぐに、卑劣だとか後継者を育てられなかった
 とか言うが、なら吉川小早川を乗っ取る際の策略(謀殺)などは一体何?
 嫡男隆元を死なせたのは何?暗殺されたなんてバカな言い訳しないでね、守りきれない方もバカなん
 だから。
 井上元兼一族皆殺しなんてのもあるね、しかもこいつのせいでかつて記録的ともいえる程家臣を死なせた
 よね(桂広済 渡辺など)


↑それより早くこれに答えて下さい毛利厨のみなさん、やはりメガトンはすぐ逃げるとか言っておきながら
自分達も都合が悪ければすぐに逃げ出すんですね


468人間七七四年:2007/06/09(土) 20:56:52 ID:aenfthB8
北条氏政の「汁かけ飯」みたく、元からある話を適当に英雄に当てはめた逸話ではないんで
「信玄だからこそ」生み出されたエピソードってのは間違いないだろね。
そもそも教訓話でも何でもない罠w

>>464
信玄の逸話について語ってるのなんざ、元就や経久の逸話について語ってたのと変わらん罠
こんな逸話が残ってるのを参考として、豚の脳内ではない「一般常識」とやらでの信玄のイメージを推して計るべし。

にしても>>459の唐突な「しかし〜」に始まる
全然スレの流れと関係ない盲目な信玄マンセー書き込みといい、相変わらずだな、豚は。
469人間七七四年:2007/06/09(土) 20:59:23 ID:ml9EpYXT
>>嫡男隆元を死なせたのは何?暗殺されたなんてバカな言い訳しないでね、守りきれない方もバカなん
 だから。

隆元の死に対して元就に責任あるのか?
470人間七七四年:2007/06/09(土) 21:11:51 ID:HwymSHTZ
>>469
そもそも隆元の死因が歴史上不明なのも知らないんじゃね?
「暗殺された」がバカな言い訳との事なんで
「隆元は暗殺された!」と主張するつもりはないようだが。
毛利家は代々短命な者が多く、それゆえに元就は健康に気をつけて長生きをした…という話は、知ってるんだろうか。

つーか「死なせた」って事は元就が主因となった死に様だと思ってるんだろう。
そこら辺をどう考えてるのかが気になる…というのは嘘で
どうせ根拠なしの妄言しか返ってこないだろうと予測できる、豚だから。
471人間七七四年:2007/06/09(土) 21:19:48 ID:JNgGSaA7
ハハハハハハハハハ、スレの流れと関係ないって?元就との比較スレを都合が
悪くなれば他に摩り替えるのがアンチのやり口だろうが。
まあ北条厨や今川厨などが寄生して勝手に流れを変えてる可能性もあるが。

隆元の死因がどうしたって?(笑)
病死とかであれば不明なわけないよねえ、なら逆に聞こう。
どうして元就は次男三男を本家の当主にしなかったの?
吉 川 と 小 早 川 の 絶 対 的 な 当 主 だ っ た か ら 
出 来 な か っ た ん じ ゃ な い の ? 

結局毛利両川などといいつつ、一つの家として統一させなかった元就の失策だとしか
いいようがないね、おかげで輝元が当主などというアホな家督継ぎになったわけだな。
472人間七七四年:2007/06/09(土) 21:21:24 ID:5BO61mFQ
>>467
名に言っているの?
元就は謀略でのし上がった男だよ。

元就は高潔だなんて一言でも言った奴がいたのか?
473人間七七四年:2007/06/09(土) 21:22:48 ID:BDYHHX+Y
>471
だんだん豚の地がでてきたな。

ちなみにその疑問は自分が前スレでだしたぞ。
答えが知りたきゃ過去スレ読め。

 まあメガ豚なら何を言っても無駄だろうけどねw
474人間七七四年:2007/06/09(土) 21:22:48 ID:Cgxho3xB
>>467
>信玄の突っ込みどころと見るものがあればすぐに、卑劣だとか後継者を育てられなかったとか言うが、
後継者の育成不備は非難した記憶があるが、卑劣だとか言ってたかな?
「今川から本をパチるな!」とかネタ半分でやってた奴はいたけど

>吉川小早川を乗っ取る際の策略(謀殺)
鮮やかな手並みですな。他家の内部分裂につけ込んで一兵も損なわずに乗っ取る…
まさしく鬼の所行

>嫡男隆元を死なせたのは何?暗殺されたなんてバカな言い訳しないでね、
隆元は食中毒で死んだんだが? しかも書状で見る限り親子仲も円滑だった
幽閉したあげくに義信に腹切らせた信玄の駄目オヤジぶりとは雲泥の差

>井上元兼一族皆殺しなんてのもあるね、
>しかもこいつのせいでかつて記録的ともいえる程家臣を死なせたよね(桂広済 渡辺など)
井上一族の粛正は、武田家に例えて言えば、信虎時代の施策に近いわな。
大名権力として確立した契機。信虎は追放されちゃったのである意味元就の方が上手かも。
桂広済・渡辺を死なせたのは、元就の異母弟で当主争いした時のライバル・相合元綱を粛正した時に
元綱派に付いたので連座で処刑したはずだが?
これ井上一族粛正の数十年前だぞ。

…ツッコミのためにまとめて書いてたら、いかに元就が貧弱な環境から這い上がってきたかを実感して、自分でもビビッたw
そりゃ信玄がボンボン扱いされてもしゃーないわ
475人間七七四年:2007/06/09(土) 21:25:11 ID:aenfthB8
>471
長男の息子がいるのに跡継ぎを次男三男に譲るって
それ何て無能主君?
吉川小早川が内乱を起こしたならともかく、主家を崩壊させる事もなく補佐に務めたというのに。
滅亡した武田家と比べて、天下でも取らん限り毛利は豚に馬鹿にされなあかんのか?

んで、相変わらず無知ゆえのミスについては逃げるのね。
隆元の死が病死でないなら何なんよ。
暗殺説は豚自身が否定してるんだから、さぞアホらしい妄想を書き込んで笑わせてくれるだろうと期待してたのに。
476人間七七四年:2007/06/09(土) 21:25:43 ID:5BO61mFQ
>>471
信玄だって仁科家を五男に継がせてるじゃんwww
477奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/09(土) 21:27:02 ID:AxlJCxDm
なんか勝ち負けの基準までわけわからんな。
478人間七七四年:2007/06/09(土) 21:38:33 ID:JNgGSaA7
出ました!痛いとこを突かれて必死になり一気にレスをしまくる毛利厨のこの凄さ!
隆元は食中毒で死んだあ??信憑性のある史料はあるのかよ、ええ?(笑)
謀殺されたという恥ずかしい事実を隠したがってるとかは考えないの?
そう、暗殺謀殺説が昔からの通説じゃなかったの?
ま、かつて領土問題で本家と争いそうになったアホな次男三男じゃあ本家を継ぎたい
とは思わないだろうね。


>>474
必死な毛利厨さんは、文章をちゃんと見れないんだね、読めないんだねいつもいつも。

>毛利厨は信玄の突っ込みどころと見るものがあればすぐに、卑劣だとか後継者を育てられなかった

この文章を見てどういう解釈をしたら、後継者問題が卑劣だなんて思えるんだよ。


479人間七七四年:2007/06/09(土) 21:38:42 ID:zvowkWIr
>>438
>>462
>でも北条五代記は17世紀半ばに軍鑑の影響受けて成立したものだから
 信憑性では軍鑑の方がマシだと思う
>一応1642年
それって寛永年間だから、版本が出された年を言ってるのか?
北条五代記は慶長見聞集の双生児みたいなもので成立は元和年間頃だといわれてるぞ。
だから、『北条五代記』と『甲陽軍艦』とほぼ同時期の成立になる。だから、
>影響受けて
というのは甲陽の版本の評判を受けてという事じゃないのか?
版本としてなら『信長公記』も甲陽を影響を受けてるというし、つまり勘違いだろう。

480人間七七四年:2007/06/09(土) 21:42:02 ID:HSoTYryI
>>463
「消えた伊勢物語」だと確か
義元が信玄に伊勢物語を貸したところ
義信が信玄の寝所から盗みだしただったかな

>>469
さぁ?
元就が酒を飲み過ぎないようにと隆元に言ってるけど
隆元はそれを聞き入れなかったというから
親として多少は責任あるかもね

>>474
一応信玄も譜代に対してだと板垣や勝沼があるかな

>>475
武田勝頼の場合は吉川小早川にあたるのが
武田信豊と穴山だからなー
481人間七七四年:2007/06/09(土) 21:44:40 ID:ml9EpYXT
>>478
信玄公にも一応暗殺されたという輝かしい説があるよw
482人間七七四年:2007/06/09(土) 21:45:57 ID:aenfthB8
>>478
だから隆元の死因は謎だっての。
病死説、食中毒説が有力なだけ。
んで、暗殺説なんかは↑より信憑性が低いとされている訳だが
暗殺説は豚自身が>>467で否定してるじゃん。

それとも、豚自身の日本語が不自由なだけ、とでも言い訳すんのか?

ホント、痛いところ突かれると必死になって誤魔化そうとするよな。
また「>>467は俺じゃない」とIDバレバレなのにしらばっくれて、同じ醜態を晒すなよ、メガ豚。
483人間七七四年:2007/06/09(土) 21:49:42 ID:iIvuxDq1
>>481
大軍に包囲された暗闇の中、笛の音を聞いているという信玄を
火縄銃で狙撃しピンポイントで射殺したというゴルゴのような
説だけどなw
484人間七七四年:2007/06/09(土) 21:51:07 ID:ml9EpYXT
>>478
やっぱり死因はまだ謎なんだな
小学生の時に大河ドラマを見てて上川隆也が演じる隆元が
いきなり仕込み吹き矢で殺されてビックリしたけどなw
485人間七七四年:2007/06/09(土) 21:52:50 ID:ml9EpYXT
>>483
テレ東のとんでも番組では信長が信玄を恐れてヒ素で毒殺した説を
恥ずかしげもなく発表してたらしいなw
486人間七七四年:2007/06/09(土) 21:53:27 ID:HCg4vJnk
>>483
>>483
単にアッー!してる最中で
上手く逃げれなかっただけじゃないか?
487人間七七四年:2007/06/09(土) 21:54:21 ID:HwymSHTZ
つか>>478は「俺はメガ豚じゃない」と言い張って、一応は敬語も交えて別人の振りしつつ、メガ豚と同じ妄想レス繰り返してたのに
ちょっと追い詰められたら、すっかりフォビって素のメガ豚口調に戻ってんのが笑える。
488人間七七四年:2007/06/09(土) 21:55:23 ID:iIvuxDq1
>>485
あれ結局毒をもって信玄死後に脱走して信長に仕えたという側近の名前を
突き止めた、といいつつ明かさなかったしなw
489474:2007/06/09(土) 21:55:26 ID:Cgxho3xB
>>478のメガトンわろすさん
わーアクセル全開?

>そう、暗殺謀殺説が昔からの通説じゃなかったの?
そんな通説は無いよ。
軍記物の「陰徳太平記」ですら、呪い殺されたことになってる。
元就が、長男の急死に暗殺の疑いを抱いたらしいのは事実だけど。
だからこの時、隆元のそばにいた和智氏と赤川元保は殺されたり切腹させられた。
でもね、二人とも隆元を暗殺する動機がない。実際、赤川氏はのちに名誉を挽回されてる。
暗殺ネタが大きく取り上げられたのは、大河ドラマの「毛利元就」以降だよ?

 
>>毛利厨は信玄の突っ込みどころと見るものがあればすぐに、卑劣だとか後継者を育てられなかった
>この文章を見てどういう解釈をしたら、後継者問題が卑劣だなんて思えるんだよ。
いや、ちゃんと「卑劣」と「後継者問題」は分けて書いているが何か?
第三者の人どう思うか忌憚無く意見をください
490人間七七四年:2007/06/09(土) 21:55:42 ID:JNgGSaA7
>>482
バカだなあ、否定して言ったんじゃないよ、以前暗殺されたとか言い訳がましく
言ってた毛利厨がたくさんいたからね。
暗殺させたというのを、何か仕方が無かったみたいに感じてたんじゃ内科医?


>>472 必死になって誤字ですか?w
491人間七七四年:2007/06/09(土) 21:56:18 ID:HSoTYryI
>>479
北条五代記には
軍配で謙信の攻撃を受け止めるのは(ry
みたいな記述があるのだから
内容的に軍鑑の影響は確実に受けている

北条五代記は高白斎記などと同様に軍鑑の影響を受けて
加筆修正をされているのではないかと思う
というかそう考えるのが一般的だと思うが?
492人間七七四年:2007/06/09(土) 21:58:55 ID:Cgxho3xB
>>490
>以前暗殺されたとか言い訳がましく言ってた毛利厨

いたか?そんな奴
あんただけじゃないのか?
493人間七七四年:2007/06/09(土) 22:00:10 ID:iIvuxDq1
>>486
それ以前に大軍に包囲されている暗闇の中で
笛を聴いているらしい信玄の位置をどうやって特定するんだよw
仮に特定したって火縄銃の性能で射殺できるのかw
494人間七七四年:2007/06/09(土) 22:02:21 ID:JNgGSaA7
しかし、毛利厨ときたら信玄の同盟破りなどを卑劣などとかいいつつ、元就
ちゃんの気色悪いぐらいに徹底すぎ、モラル自体に問題があるんじゃねえのか
と思えるような数多くの謀略は卑劣だとか一切言わないとこが笑えるね。
495人間七七四年:2007/06/09(土) 22:08:11 ID:aenfthB8
はい、ミスを誤魔化す為の低脳な煽りの繰り返しは、もういいから。

>>490
言い訳してるだけなら見苦しいだけだし
素で書いてるなら日本語が不自由にも程がある。

>嫡男隆元を死なせたのは何?暗殺されたなんてバカな言い訳しないでね、守りきれない方もバカなんだから。


この文章が暗殺を否定してない? 暗殺が「言い訳」だとしているのに?

言い訳でない「真実」をメガ豚は想定していたんだろ?
>>469-470で無知を指摘されるまでは。



>暗殺させたというのを、何か仕方が無かったみたいに感じてたんじゃ内科医?

意味が全く分からん。
なんだよ「暗殺させた」って。一個上の行で「暗殺された」と自分で書いてるくせに。

あと>>472の漢字変換ミスはさほど恥ずかしくないぞ。
メガ豚ことID:JNgGSaA7は、平仮名すらミスして笑いものになってるじゃん。

メガ豚は歴史知識もさる事ながら
その前の語学力の段階でアウトだから笑いものになってるって自覚を持った方が良い。
496人間七七四年:2007/06/09(土) 22:13:24 ID:Cgxho3xB
投了かな?
497人間七七四年:2007/06/09(土) 22:14:20 ID:ml9EpYXT
たかが誤字脱字をお互いに鬼の首をとったように指摘するのは正直馬鹿げてねえか?
そもそも正しい日本語・文法を完璧に使いこなせる奴なんてそうそういないだろ?

大事なのは言うまでもなく中身だろ?
498人間七七四年:2007/06/09(土) 22:17:16 ID:HCg4vJnk
>>493
ん?
しらんのか?
信玄公は見られると興奮する質なんだよ・・・
だからあの時も
499人間七七四年:2007/06/09(土) 22:17:40 ID:JNgGSaA7
>>495
何長々と必死にレスしてんだタコ助が(笑)
まあ単細胞は誤字が気になる程頭の固い生き物だから始末におえないね。
「暗殺させた」普通にさせられたって気づくだろアホww

毛利厨は中国地方にしか知識が無い上、発想力も乏しく、散々元就を持ち上げて
おきながら一番大事な兵法について全く無知な生き物だから、皆から笑いものに
されてるって自覚を持った方が良い。
またメガトンと同様に妄想レスばかりを繰り返してると認識して改心した方が良い。


500人間七七四年:2007/06/09(土) 22:18:41 ID:PXoBqgJQ
>>497その「中身」が、って話だろ。
ID:JNgGSaA7はさ。
501人間七七四年:2007/06/09(土) 22:19:50 ID:Cgxho3xB
不死鳥だ…
502人間七七四年:2007/06/09(土) 22:19:56 ID:HCg4vJnk
503人間七七四年:2007/06/09(土) 22:20:02 ID:PXoBqgJQ
>>499関東や甲信越にすら知識が無いお前がそんなこと言うのは噴飯物だが。
504人間七七四年:2007/06/09(土) 22:21:13 ID:ml9EpYXT
>>499
>>またメガトンと同様に妄想レスばかりを繰り返してると認識して改心した方が良い。
ふむふむ…てかお前がメガトンじゃねえかw
ついに過去の妄想スレの愚行はメガトンの名とともに捨て去るんだなw
で、お前さんの新しい名前は何よ?
505人間七七四年:2007/06/09(土) 22:21:57 ID:HwymSHTZ
>497
だがメガ豚は中身からして論外だし、日本語不自由すぎて議論にならんぞ。
>495の指摘する通り、豚の主張自体が稚拙な日本語で歪んで解読困難だ。
506人間七七四年:2007/06/09(土) 22:22:52 ID:HCg4vJnk
>>504
ギガトンだろ?
常識的に考えて
507人間七七四年:2007/06/09(土) 22:29:37 ID:csV0yC69
豚無様だな。
508人間七七四年:2007/06/09(土) 22:30:37 ID:aenfthB8
>>499ことメガ豚へ。

えーと…

@>必死になって誤字ですか?w
A>単細胞は誤字が気になる程頭の固い生き物だから始末におえないね

見事だ。見事だよ、メガ豚。こうまでみっともないレスは、狙ってやろうと思っても出来ない。

んで、結局は「隆元の暗殺説を自分で否定して、ミスを指摘されたら慌てて肯定する」
という節操のない意見変換に関しては、もう言い訳すら浮かばずに誤魔化して逃げるのね。
それとも「俺様が間違えた文章を、脳内変換してくれないお前らがアホ」理論で、あくまで誤魔化すか?

皆から笑いものになってる、とは
同一IDで延々と妄想信玄マンセーして、賛同者も現れない豚が言うと、それ相応の説得力があるな。

>>506
なかなかいいセンスだね。
509人間七七四年:2007/06/09(土) 22:40:14 ID:HwymSHTZ
別人の振りしても、自ら墓穴を掘る無能っぷりは変わらんな、豚。

>496
メガ豚の事だから、自演がバレた時みたく、日付変更してID変わったら
「俺はメガ豚じゃない」と言い出して、また笑い物になってくれるんだろうけどなw

次回からは「じゃあメガ豚そっくりのお前はギガ豚だな」とでも書いてやるか。
510人間七七四年:2007/06/09(土) 22:45:20 ID:JNgGSaA7
アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!
戦略で負け戦術でも負け、卑劣さでも負け続けている毛利厨ときたら
今度は恒例の「敗北宣言」とでも言うべき、メガトン叩き(思い込み)に移行するんですね。
結構結構。

まあ俺の誤字なんて、君達アンチの頭の悪さ、想像力の無さに比べたら可愛いもんだね。
511人間七七四年:2007/06/09(土) 22:47:35 ID:ml9EpYXT
>>510
IDが日付と共に変わってから出直して来いww
512人間七七四年:2007/06/09(土) 22:50:17 ID:PXoBqgJQ
>まあ俺の誤字なんて、君達アンチの頭の悪さ、想像力の無さに比べたら可愛いもんだね。


へ?自信過剰だろ。
しかも妄想の自信。
↓これとか特に
>戦略で負け戦術でも負け、卑劣さでも負け続けている毛利厨ときたら
今度は恒例の「敗北宣言」とでも言うべき、メガトン叩き(思い込み)に移行するんですね。

ここまでくると精神病だぜww
513人間七七四年:2007/06/09(土) 22:54:15 ID:HCg4vJnk
いくら戦国時代でも
卑劣さで相手を上回った!て言われても
嬉しくないだろうに

ひ‐れつ【卑劣/×鄙劣】
品性や言動がいやしいこと。人格的に低級であること。また、そのさま。「―な行為」
(プログレッシブ和英中辞典より)
514人間七七四年:2007/06/09(土) 22:57:38 ID:aenfthB8
>>510
「メガ豚」という呼称は、この際関係ない。何故なら、それは
「お約束のように現れては、同一IDで延々と妄想信玄をマンセーして
 無知ゆえの勘違いで他の英雄を馬鹿にし、一人の賛同者も得られずに去っていく厨房」
に対する呼称の一つに過ぎないからだ。「馬鹿」「阿呆」「間抜け」という単語と使用法は大して変わらない。

んで、今回指摘されている一件というのは
「メガ豚」=「JNgGSaA7」=「>>510」が犯したミスについてだ。
いくら>>510が、メガ豚という自分の別称を馬鹿にして逃げようとしても
>>469から始まる一連のツッコミの声に対して、はっきり答えを示してない。
すべてはID:JNgGSaA7が犯した失態。

というより

>つか>>478は「俺はメガ豚じゃない」と言い張って、一応は敬語も交えて別人の振りしつつ、メガ豚と同じ妄想レス繰り返してたのに
>ちょっと追い詰められたら、すっかりフォビって素のメガ豚口調に戻ってんのが笑える。

との書き込みがありながら、もうどうしようもなくなって形振りも構わずに
真性のメガ豚口調で煽って誤魔化す他ない>>510の情けなさには、笑いを通り越して哀れみが湧いてくる。
515人間七七四年:2007/06/09(土) 23:02:44 ID:JNgGSaA7
元就をどうしても持ち上げたい毛利厨は、最強の呼び声高い信玄と比較し続ける
事により、いつのまにか信玄と元就を同レベルと見なされてると勘違いするあさましい
生き物です、そしてそんな毛利厨でも以下の事を問われれば何も言い返せなくなる愚かな
生き物です、信玄のことをとやかく言う割りには自らも同じ事を問われて何も言い返せない
のが毛利厨なのです。

「寡兵での戦いが得意でも創作疑惑も多く、厳島以降は目を見張った戦が無い
つまり信玄のように大軍を指揮した見事な戦が無いことである」

「厳島以降、ガラ空き同然の中国地方西側を平定するのに16年も費やしてる」

「信玄+謙信+氏康など大きく版図を広げた名将とでは、大内尼子のボンボンでは
所詮見劣りしてしまう、すなわち元就の大勢力撃破というのは相手がそのボンボン
だと言うことである」

「大内義輿尼子経久とその両名のボンボン息子とでは大国を維持する器量がかけ離れて
違うのは明白、一国から勢力を広げていける東国の大名とは大違いである」

「毛利両川体制がいかにその後の毛利家を運命づけたかは誰しもが知るところ
その両川体制を築き上げた元就の失策によるものである」
516人間七七四年:2007/06/09(土) 23:06:42 ID:ml9EpYXT
>>515
お前の無限ループなその5つの質問には誰かしら答えてるはずだが?
お前さんにとって都合の悪い返答は全て無視ですかそうですかw
517人間七七四年:2007/06/09(土) 23:10:44 ID:JNgGSaA7
>>514
まだやってるww
恒例のメガトン探しは楽しい?そういう事ばかりするから毛利厨はメガトンや俺ら
に釣られてばかりいて、いつまでも遊ばれてるという事に気がつかないから駄目
なんだねえ。
「元就をこれ以上バカにされたくないから、なんとかして黙らせよう!」なんて
な感じでかなり焦ってるように思えて仕方が無いよホントww

518人間七七四年:2007/06/09(土) 23:15:52 ID:JNgGSaA7
>>516
こーーーのタコ助めが(笑)どれだけまともに回答出来た奴がいるんだっつうのww
いつも信玄の戦術戦略や内政に関してかなり必死なレスばかりする量と比べたら雀の涙
程しか回答してないじゃないか?要するに自身がないってことだね。
519人間七七四年:2007/06/09(土) 23:17:57 ID:Cgxho3xB
なんだかマジで寒気がしてきたんですが…
もしかして統合失調症?
520人間七七四年:2007/06/09(土) 23:18:18 ID:BDYHHX+Y
もう戦術面はメガ豚の粘り勝ちで信玄の勝ちでいいから
政治面についてかたってくれよ。メガ豚無視で。
521人間七七四年:2007/06/09(土) 23:19:26 ID:HCg4vJnk
>>518
あらかじめいっておくけど
オレはおまえさんの言う
>卑劣さでも負け続けている毛利厨
この点については同意しておくよ
522人間七七四年:2007/06/09(土) 23:20:43 ID:JNgGSaA7
   ト  ド  メ  の  一  撃  !!!!

メガトン一人が妄想で信玄を神格化していると思い込んでる毛利厨は、毛利厨
全員が妄想で元就を神格化している事に気がつかないという。

武田ファン  基地外はメガトンただ一人
毛利ファン  ほ ぼ 全 員 基 地 外 www

これにいつまでも気がつかないのが単細胞かつ永遠に信玄に噛み付きたがる毛利厨なのです
523人間七七四年:2007/06/09(土) 23:23:50 ID:Cgxho3xB
>>522
>武田ファン  基地外はメガトンただ一人
ここだけ同意
524人間七七四年:2007/06/09(土) 23:29:40 ID:PXoBqgJQ
>   ト  ド  メ  の  一  撃  !!!!



痛い、マジで痛いwwこんなこと書いちゃうとか、マジでいてーよww
525人間七七四年:2007/06/09(土) 23:29:54 ID:HSoTYryI
毛利は宗氏を介して朝鮮との貿易を行っている
526人間七七四年:2007/06/09(土) 23:34:06 ID:aenfthB8
>>「寡兵での〜」

元就は常に厳島レベルの奇跡的勝利を収めなあかんのか?
信玄には「そもそも有田合戦や厳島合戦のような勝利がない」のに?
第二次月山富田城攻防戦など、お前が知らないだけ。

>「厳島以降、ガラ空き同然の中国地方西側を平定するのに16年も費やしてる」

はい、16年とか言ってる時点でメガ豚の失言とピッタリ一致。
実際は二年で大内滅亡。それから九年で尼子滅亡。
具体的に「なぜ16年なのか」語ってみ。NGワードは「山中幸盛」。

>「信玄+謙信+氏康など大きく版図を広げた〜

元就は、信玄よりも謙信よりも氏康よりも大きく版図を広げた英雄です。
武田元繁や陶晴賢などの英雄と、今川氏真とでは比較になりません。

>「大内義輿尼子経久とその両名のボンボン息子とでは

だから経久の息子は晴久じゃねーっての。
尼子も大内も、元就と敵対する以前は勢力伸ばしてるっての。元就が強すぎなだけだっての。

>「毛利両川体制が〜

明治以降にまで勢力を残した毛利に対し、本能寺以前に滅亡した武田が何言ってんだ?


ほれ、>>515よ。何度も既出の答えを繰り返してやったぞ。
結局、メガ豚こと「ID:JNgGSaA7」は「ID:JNgGSaA7が犯したミス」から逃げるだけだったね。
もう、日付も変わる。IDも変わる。
またメガ豚が「俺はメガ豚じゃない」と言い出す時が来た。
527人間七七四年:2007/06/09(土) 23:36:09 ID:BDYHHX+Y
>526
乙。
だがメガ豚が読む訳ねーじゃん…
528人間七七四年:2007/06/09(土) 23:42:21 ID:HwymSHTZ
>>526は乙だが、一つだけ指摘がある。
項羽の再来や西国無双と並べられたら、氏真が可哀想。

何故なら、信玄は今川氏真すら討ち取っていないから。
529人間七七四年:2007/06/09(土) 23:42:39 ID:5BO61mFQ
信玄擁護で連投しているのは、JNgGSaA7
しかいねーじゃん。

お前だよ!メガブタ!毎日毎日お前一人だけなの
そんなことしてる信玄信者は
530人間七七四年:2007/06/09(土) 23:43:53 ID:5BO61mFQ
>>528
氏真どころか村上義清さえ討ち取っていない
531人間七七四年:2007/06/09(土) 23:55:35 ID:ml9EpYXT
>>530
村上義清に関しては家を滅亡させてるから討ち取ってなくても
氏真を討ち取ってないことと同列視できなくねーか?
合戦で大将を討ち取るのは運の要素もあるだろうから
532人間七七四年:2007/06/10(日) 00:12:46 ID:8rzCX1Sz
>>531
でも、武田家滅亡後、義清の娘婿で養子の国清が村上氏旧領に短期間ながら
復帰したわけだし、今川よりは若干ましかも
533人間七七四年:2007/06/10(日) 00:54:10 ID:ZMB2srpu
>>493
ある日の昼間に、信玄が手にしていた竹竿が地面に刺さったまま忘れられているのを
城方の足軽、鳥居三左衛門という男が発見した。
三左衛門は、その竹竿が刺さっている場所こそ、信玄が夜毎に笛に聞き惚れている場所だと察知する。
まだ明るい内に、その竹竿に狙いをつけて火縄銃の銃身を固定。
夜になり、いつものように笛が鳴り始めてから、頃合を見計らって発砲した。

んで、忘れていた竹竿を回収し、そのまま笛に聞き惚れていた信玄に見事命中、と。
殺傷能力云々に関しては、既にして信玄が病んでいた時期だからね。
一応、かすり傷でも、それが元となって死んだって流れなんだろう。この説では。

わりかし有名な逸話だと思うよ、これ。
山岡荘八の「織田信長」でも採用されてるし、黒澤映画の「影武者」にも同じシーンあり。

余談ついでに、このスレ住人には↑二作と併せ
同じ山岡荘八作の「毛利元就」を推薦しておきたい。
534人間七七四年:2007/06/10(日) 05:36:41 ID:8fmgeS93
解説トン
山岡元就は裏表紙にある解説が元就っぽくなくて敬遠してたんだが、今度手を出してみる。
535人間七七四年:2007/06/10(日) 09:26:37 ID:8rzCX1Sz
>>533
謙信が女だったとか、影武者家康と同じくらいの説得力かな
536人間七七四年:2007/06/10(日) 10:53:56 ID:K1RWGY17
>>533
毎日、数十センチも違わない正確に同じ場所で笛を聴いていたのか・・・
ずいぶん几帳面な信玄だなwww
537人間七七四年:2007/06/10(日) 11:01:06 ID:8rzCX1Sz
>>536
本気で信じている奴がいると思っているのは
オマエぐらいなものだから
538人間七七四年:2007/06/10(日) 11:07:12 ID:K1RWGY17
そっか>>533はただのネタね、了解。

しかし荒れてるとはいえみんな色々と議論しているスレで、
本人も信じていないアホなネタを書き込むのは、やめてほしいもんだな。
539人間七七四年:2007/06/10(日) 11:26:31 ID:hSIZriA5
ネタって言うか?
いくつか有る信玄の死因の中で、一番、信憑性のない話として、逆の意味で、かなり有名なんだけど…。
マジで、知らなかったの?
540人間七七四年:2007/06/10(日) 12:03:55 ID:Ie82UM0e
戦国板は低レベルも多いからな、メガブタを筆頭に
541人間七七四年:2007/06/10(日) 12:51:07 ID:bHIhNifS
>>526
凄い惨めな言い訳するな相変わらず、そんな調子だからメガトンにいつまでもバカにされる
んだよ君達は、一個一個説得力のある説明が一つもないね。
信玄の周りはは勢力を小国から大勢力にまで築いた名将揃いっていうのがまだ理解出来ないんだね、
生涯そういった自らと同レベルの相手ばかりしてきたのが信玄である。
元就が身を起こしたのは経久や義輿が死んだ後、つまり大勢力を維持出来ない
ボンボンを相手にして勢力を大きく広げてきただけのマイナー大名だってことだ

1571年元就生前までの毛利領がどれくらいか見てみれば、いかに元就
の攻略速度が遅いかが伺える、16年もかけて結局中国統一出来ずに死にました

両川などという極めて中途半端な事がいかに天下人にとって分断工作などにもってこい
だったか誰でも理解してますよ、関が原までいつでも滅亡されておかしくない状態だった
のが毛利、徳川からバカにされ、豊臣から軟弱大国の象徴とまでいわれ続け、後世の学者
連中からもいまだにバカにされ続けてる毛利でした。


542人間七七四年:2007/06/10(日) 13:00:24 ID:bHIhNifS
親や祖父から譲り受けた大国をほんの少し伸ばしただけで東国の列強と同レベル
に語る毛利厨wマジで痛すぎるw
大内義隆や尼子晴久なんて東国の列強の息子レベルだろうが、どう考えてもww
親の七光りって言葉知ってる?

ちなみに西のはずれの田舎大名をマンセーするのは勝手だが、西国の列強
と比較したりはしないの毛利厨はww
レベルの劣る西国でお山の大将とバカにされるのが悔しいからって東国の
列強、特に信玄様と比較されても迷惑だなあいい加減(笑)
543人間七七四年:2007/06/10(日) 13:08:38 ID:bHIhNifS
「中国地方」

まるで小さな半島のようだ、海に囲まれてる為に九州や四国の大名とは
関わりが薄い為、領土争いに発展しにくい、陸続きの東国と比較すれば
明らかに攻略しやすい地域
544人間七七四年:2007/06/10(日) 13:16:57 ID:7EbBL+uu
毛利が勝ったのは陶と尼子義久だけ。
晴久には勝ってないし、義隆にはかつどころか従属してた人。
545人間七七四年:2007/06/10(日) 13:23:42 ID:hSIZriA5
安芸吉田の小領主が、六カ国、八カ国の大大名を呑み込んだのだから、凄いことだと思うけど。
今風で言えば、町工場の社長が、トヨタと松下を吸収したぐらいのことじゃね?
546人間七七四年:2007/06/10(日) 13:35:38 ID:8rzCX1Sz
>>541
>メガトンにいつまでもバカにされる

なに他人のフリしてるの?
オマエのことだよバカ
547人間七七四年:2007/06/10(日) 13:36:48 ID:8rzCX1Sz
>>544
信玄よりは遥かにマシな戦果じゃん
548人間七七四年:2007/06/10(日) 13:37:34 ID:xfBvP3/z
難易度
町工場の社長が、トヨタと松下を吸収>>>安芸吉田の小領主が、六カ国、八カ国の大大名を呑み込む
549人間七七四年:2007/06/10(日) 17:14:40 ID:ZMB2srpu
信玄が勢力を広げた相手とは豪族と今川氏真です。
六ヶ国を有する尼子・八カ国を有する大内と比較するなら↑の連中。
当時の最も重要な交通手段は船。
海に囲まれているがゆえ、交易で栄え、戦火の絶えなかった中国地方が孤島だとか…
一度、山奥にあるド田舎の甲斐信濃と比較してみるべし。

>>526は住人のほとんどが知ってるような既出の答えだが
>>541は「一個一個説得力のある説明が一つもない」と書いてある。
では
@>厳島以降、実際は二年で大内滅亡。それから九年で尼子滅亡。
  >具体的に「なぜ16年なのか」語ってみ。
A>だから経久の息子は晴久じゃねーっての。
B>明治以降にまで勢力を残した毛利に対し、本能寺以前に滅亡した武田が何言ってんだ?
という答えの「どこに説得力が無い」のか指摘してみせる事。
それを指摘できないのならば、>>541こそが「妄想と無知に溢れた、説得力のない答え」となる。

>>544
一応、当時の名目上の当主は大内義長。大友義鑑の息子ね。
晴賢は、後背にあたる九州の大友と友好関係を維持していたので
安芸の毛利領に、自ら大軍を率いて乗り込む事が出来た。

で、その義長は厳島合戦の二年後、元就の山口攻めによって自害したんだから
「元就が大内氏を滅亡させた」は正しい。
無論、大内氏の実権は陶晴賢が握っていた訳だが。

対立なんざしてない義隆を持ち出して元就を馬鹿にするのは
メガ豚の無知ゆえの誤りなんで、勘弁してやって欲しい。
550人間七七四年:2007/06/10(日) 18:12:57 ID:8fmgeS93
>549
あんたのレス面白いし参考にもなるけど
わざわざ豚の相手なんかしなくても良いよ。
みんな分かっててスルーしてるか遊んでるかのどっちかなんだから。
551人間七七四年:2007/06/10(日) 18:22:44 ID:5mkZzvJj
遊んでるといいつつ俺なら論破できるとレスをする
それを手玉に取る馬鹿
さらにその馬鹿の相手をしてスルーができない無意味な自信家
よろこんでレスをする馬鹿
スルーできない馬鹿な自信家
喜んでレスをする馬鹿
スルーできない馬鹿
以下エンドレス
552人間七七四年:2007/06/10(日) 19:12:23 ID:bHIhNifS
信玄の信濃攻略前半「若い晴信時代なので村上などの老練を相手に奮闘する」
同じく後半    「強敵謙信が邪魔をするが、これを抑え飛騨や越中越後上野
          まで勢力を伸ばし謙信への備えとする」

駿河攻略     「当然強敵北条氏康が邪魔をしてきたが、これを抑え見事3国同盟
          のバランスを崩し優位に立つ」

西へ攻略     「壮大な信長包囲網を築きつつ、信長の同盟者徳川の領内特に遠江の
          奥深くまで侵攻する、信長と家康による信玄挟撃作戦を見事打ち破り
          堂々と三河方面へ移動」


どう考えても信玄の領土拡大の方が、まわりが強敵揃いである為困難だね。
553人間七七四年:2007/06/10(日) 19:35:33 ID:2r8EC8ds
越後進攻を信濃防衛にすり替えてる
554人間七七四年:2007/06/10(日) 19:49:33 ID:8rzCX1Sz
>>552
周りが強敵ってより信玄がヘタレなだけ。

>若い晴信時代なので村上などの老練を相手に奮闘する
どう考えても奮闘したのは地力で劣る村上だろ
555人間七七四年:2007/06/10(日) 19:56:43 ID:DTznak5I
555
556人間七七四年:2007/06/10(日) 20:33:45 ID:Ie82UM0e
なるほど、功績じゃどう見ても負けるから「信玄は周りが強いから勝てなかった!」
に切り替えたか
557人間七七四年:2007/06/10(日) 20:51:28 ID:uyT3tvnN
別に功績でも負けてるとは思わんがハッキリと言える事は
よくスポーツで言われる記録より記憶で勝ってるのは間違いなく信玄
558人間七七四年:2007/06/10(日) 20:56:14 ID:97TYXzOQ
>>557
記憶で勝ってるといっても一般人からしたら勝ってるいうほど
鮮明というかはっきりとした記憶ではないけどな
559人間七七四年:2007/06/10(日) 22:09:59 ID:bHIhNifS
>>558
爆笑!!少しでも信玄を評価するようなレスには、必ずいちゃもんをつけたがる
毛利厨マジ必死で笑えるwww
560人間七七四年:2007/06/10(日) 22:29:14 ID:g4ggazVD
確かに何も知らない頃でも
信玄の名ぐらいは知ってたなあ、元就よりも。ただし謙信とセットでだけどね、
561人間七七四年:2007/06/10(日) 22:37:08 ID:aKT+sXd1
元就の名前は知ってた
でも好敵手が誰なのかが知らなかった
小学校中学校高校と歴史の勉強で中国地方の競り合いなど習わないから
「戦国時代、元就が中国地方の覇者になりました」 これでオシマイ。
だから織田武田上杉に比べマイナー扱い
562人間七七四年:2007/06/10(日) 22:37:43 ID:97TYXzOQ
>>559
知名度では信玄に軍配が上がっているが別に自慢できるほどのものじゃないという意見を
言っただけなんだがなあw
563人間七七四年:2007/06/10(日) 22:48:57 ID:g4ggazVD
どちらにせよ結局>>559じゃん
564人間七七四年:2007/06/10(日) 22:53:58 ID:bHIhNifS
確かに信玄と謙信はセットで語られることも多いが、まだ信玄の方が
一人で語られる割合が多いね、やはり幕府の創始者家康を破ったというのと
政治力や外交戦略などで目を見張るものが多いからだと思う
565人間七七四年:2007/06/10(日) 23:12:17 ID:Ie82UM0e
>政治力や外交戦略などで目を見張るものが多いからだと思う

へーwどの辺が?
566人間七七四年:2007/06/10(日) 23:26:32 ID:BA6V1a49
信玄って大した実績ないのに神扱いしすぎwww
アグネスタキオンと同じにおいがプンプンするわww美化されすぎだろ
567人間七七四年:2007/06/10(日) 23:31:26 ID:+5mz1ZVU
というより根本的な話として・・・

関東甲信越地方では島根鳥取の位置関係がわからない。
中国地方では群馬栃木茨城の位置関係がわからない。

ここの住人には信じられないかもしれないが、世間では普通の話。
ちょっと戦国時代かじったって基本は同じなんだから、自慢と貶めあいになるのはごく自然。

568人間七七四年:2007/06/10(日) 23:35:10 ID:g4ggazVD
結局最後に天下を取った徳川家の創始者を
1度とはいえ敗走させてるのが大きい、

569人間七七四年:2007/06/10(日) 23:37:55 ID:g4ggazVD
その辺、今に通じる過大評価の原因はあるかも。
570人間七七四年:2007/06/10(日) 23:48:08 ID:f46Nd82R
クイズで賞金100万を挑戦して玉砕した武田
50万で止めた毛利
武勇は武田が上かな
571人間七七四年:2007/06/10(日) 23:57:27 ID:DwSxlsdM
>>570そりゃ「武勇」じゃなくて、「蛮勇」とか「無謀」って言われる類じゃん。
572人間七七四年:2007/06/11(月) 00:20:04 ID:+m8UNOVy
どうでもいいけど三国志の袁紹って信玄とかぶって見える。
袁紹も官渡の戦いの直前にでも死んどけば信玄並みの評価を後世もらえてたのではないか
573人間七七四年:2007/06/11(月) 00:46:15 ID:HsyvEhE9
三国志風なら勝頼が主役かな
>>571
なんだと〜 でも挑戦者の方が人気でるわな
574人間七七四年:2007/06/11(月) 01:26:30 ID:VAmz0tmk
四スレまで来てなんだが、毛利と比較するなら北条の方が適切じゃ。

猫の額ほどの小領主が大大名になったんだし、一族が優秀だったのも似てるし。

最終的に、秀吉に降った毛利、対抗した北条、と考察の余地がたくさんあるのでは。
575人間七七四年:2007/06/11(月) 02:01:47 ID:Pmqx/D+F
外交戦略だけ見たら、甲乙つけ難いって言うのが、正直なところ。

信玄
甲斐+信濃の一部の中堅大名が、既に大大名だった相模伊豆武蔵の北条、駿河遠江三河の今川と対等同盟を結ぶ。
三国同盟破棄から、武田包囲網を敷かれる危機に陥るが、信長を動かして、無事乗り切る。
浅井朝倉三好本願寺らの、信長包囲網に参加。

毛利
大内、尼子の二大勢力に挟まれるが、巧みに、同盟関係を変更して乗り切る。
小早川、吉川の国内の有力勢力を、婚姻養子縁組みで、兵力の損耗無くして吸収し、安芸国内で、確固たる地位を築く。
大内(陶)、尼子の二大勢力を、陰謀を用いて、内部混乱させ、これを滅亡させ、中国の覇者となる。
576人間七七四年:2007/06/11(月) 02:15:58 ID:2Kfy0Pkz
甲相駿同盟は信玄じゃなくて義元の働きだろ・・・信長包囲網に至っては
結局一番働いてない勢力だし、まぁ参戦しないで正解だったとは思うが
577人間七七四年:2007/06/11(月) 04:56:56 ID:OSFcgxq5
95 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/06/10(日) 22:20:52 0
正直なところ、村上や長野に何度も敗北して、上杉には勝利できず、北条や
今川相手に華々しい活躍をした訳でもなく、甲信一帯で暴れていただけの武
田のどこが「戦国最強」なのか、さっぱり分かりません。
信玄はそれなりの人物であったでしょうし、戦った上杉の戦歴からいっても
強さは窺えますが、戦歴からいえば毛利や竜造寺や島津の方が凄い。
寡兵で勝利したという点や元々小勢力だったという点を考えれば、毛利が頭
一つ抜けている。
94氏も言われている通り、やはり甲州流軍学の影響でしょうね。
武田の旧臣が徳川に流れたことも大きかった。
578人間七七四年:2007/06/11(月) 05:16:17 ID:VzgalTWX
いくら武田が好きな人間でも歴史に詳しければ
最強とか最も優れているとか言ったりはしないだろ
内政にしても外交にしても軍事にしても
それなりに優れてはいるし一流に属するとは思う
でもトップクラスではない
それぐらいの評価で良いと思う
579人間七七四年:2007/06/11(月) 08:14:55 ID:ns9461Wy
ライバルを完膚なきまでに撃破すると、逆に有名になれないという矛盾
こういうのって世間じゃよくあるよね
あと、円満に天寿を全うした人より、非業の死を遂げた人のほうが人気あるとか
日本三大英雄の源義経・織田信長・坂本竜馬なんて全員が謀殺されてる連中だし
580人間七七四年:2007/06/11(月) 10:12:02 ID:Ah3lTzFK
毛利元就の戦術的強さは異常
元就軍の一番の負け戦といわれる忍原崩れでさえ、元就自身が戦場で敗れたわけじゃないしね
四百戦といわれる戦歴があるのに、自責での敗北が殆ど無いという……
581人間七七四年:2007/06/11(月) 11:07:34 ID:Pmqx/D+F
>>576
三国同盟において、信玄の偉いところは、対等な条件で、同盟を締結したことじゃね?
構想、発案は、今川側だと思うが、国力差を考えると、武田から、氏真、氏政の正室に、人質の意味で娘を差し出してもおかしくないんだが…。
東国の二大勢力と、対等な同盟を締結出来たことは、信玄治世の初期において、かなりの政治的財産になったんじゃない。
582人間七七四年:2007/06/11(月) 11:42:54 ID:kmVAQz2S
信虎時代の外交が下地にあること(既に婚姻政策済み)
あと、今川が織田・北条が両上杉と、それぞれ難敵を抱えていたからだろうね
当時の武田は、分立した信濃豪族と対立していた程度でもっとも立場的には楽だったし
583人間七七四年:2007/06/11(月) 12:23:09 ID:YLg6X3D9
関係ないけど三傑に次ぐ世間の知名度が高いのは誰なんだろうな?     
元就信玄共に大河にもなったしかなりの知名度があると思うが       
光秀、信玄、元就、謙信、政宗の誰かかな?
584人間七七四年:2007/06/11(月) 13:14:17 ID:6ji1GsOP
大河ドラマ最高視聴率

信長 33.0%
秀吉 37.4%
家康 37.4%
元就 28.5% ← ぷげらw
信玄 49.2%
585人間七七四年:2007/06/11(月) 15:05:26 ID:OReryrBm
でっていう。
それがなんの資料になるんだよ
586人間七七四年:2007/06/11(月) 15:13:40 ID:YLg6X3D9
すげぇな信玄。人気、知名度はダントツか!   

まぁ世間一般じゃ実力も、ここで何をほざこうが信玄>元就なんだろーな。

中央の覇権争いに地理的参加してない奴はきついよな。知名度、人気は   
別格は伊達政宗ぐらいか。時代も場所もづれてるのにさ 
587人間七七四年:2007/06/11(月) 15:53:46 ID:fAh5c7jG
>>586
信玄も覇権争いなんてしてないような気がするのだが?
死の直前の西進って覇権争いに含めていいのかな?
588人間七七四年:2007/06/11(月) 16:30:51 ID:sheYXT56
すげえ墓穴を見た
589人間七七四年:2007/06/11(月) 17:58:26 ID:H4YPkeSM
>>585
元就の功績をドラマ化しても後の世の日本人にはいまいち受けが悪いという資料
590人間七七四年:2007/06/11(月) 18:25:12 ID:M3bDh7RI
徳川倒した武田、倒された毛利だもんな
591人間七七四年:2007/06/11(月) 18:32:42 ID:0+b/lR3f
なんちゅう理屈だ。別に倒してもいねえし倒されてもいねえだろ。
592人間七七四年:2007/06/11(月) 18:55:37 ID:qfqk7bas
倒しただろ、
幕末に徳川を毛利が。
593人間七七四年:2007/06/11(月) 19:44:54 ID:ScJy3h19
>>578
三国同盟っても太原雪斎の提案に乗っただけだしな

594人間七七四年:2007/06/11(月) 21:39:43 ID:YR1QzRE3
>>565>>569>>571>>576>>593

ホントにマジ笑えるな毛利厨は、何そんなに必死になってるの?そんなに
信玄が評価されるのが羨ましいの?
確かに少しでも信玄を評価するレスを見つければ、いちいち噛み付いてくるな
こいつらアンチはwww
モラルがあまりにも低すぎるな
どうして現在まで信玄の方が評価されてるか分かってるくせに、いつまでも無駄
な事するなっての(笑)
595人間七七四年:2007/06/11(月) 21:43:37 ID:YR1QzRE3
>>593
それ以前に、1545年の3国和議は信玄のおかげで成り立ったものだね
結局その後の3国同盟へと繋がっていく
596人間七七四年:2007/06/11(月) 21:47:15 ID:YR1QzRE3
塩尻峠 川中島 三増峠 三方ヶ原 信玄の方が戦略上有名で大きな合戦が多い


飽きのじじいは厳島だけwwww
597人間七七四年:2007/06/11(月) 21:57:18 ID:2jPqvkeG
なんか、信玄に元就の事、知らない事少しでも知れたらいいな・・・
的な感覚でちょくちょく覗かせて貰ってるが・・・
598人間七七四年:2007/06/11(月) 22:04:21 ID:ScJy3h19
>>594
必死こいているのはオマエだけじゃんwww
599奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/11(月) 22:25:07 ID:mGqjDZsE
例えば後世に残るエピソードや慣用句で比較するとどうなるのかな。
600人間七七四年:2007/06/11(月) 23:23:28 ID:rCMV4fMH
敵に塩を送るは名言 小学生でも知ってる 謙信だけど
601奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/11(月) 23:27:39 ID:mGqjDZsE
三本の矢というのはこのスレに合うであろう基本だね。
602人間七七四年:2007/06/12(火) 00:03:51 ID:qx2C8DQ1
山名宗全もすごいよ。赤松討伐戦などは大兵力をみせつけながら
なかなか出陣せず、兵力では劣る幕府軍本体をいらいらさせて
いざ攻撃となると幕府軍を追い越して山名勢だけで赤松氏を滅ぼした。
後の信玄・家康は山名から学んだ・・・・・・
603人間七七四年:2007/06/12(火) 00:18:30 ID:/CdyAv0Y
>>491
甲陽の影響は知らなかったよ。
ただ『北条五代記』の原型・見聞集が成立したのは、通説だとほぼ元和年間で、翁(浄心)の旧友が小田原関係の部分を抽出したものが
五代記だといわれてる。この旧友も浄心自身じゃないか?ともいわれてるそうだが。
同様に、見聞集から分かれた『順礼物語』・『そぞろ物語』なども、同時期に刊行されてる。
>>577
山野氏は広島出身で京都在住だそうだ。
604人間七七四年:2007/06/12(火) 00:41:11 ID:/CdyAv0Y
そういえば『信長記』の誤爆だったな。連投御免
605人間七七四年:2007/06/12(火) 09:11:28 ID:CCHu95Pu
幸運度では信玄の勝ちでしょ
体に何箇所も傷を負い、討ち取られてもおかしくなかった敗戦を何回も経験しているのに首取られは免れた
上田原あたりで死んでたら、それこそ愚将代表の一人扱いされてたし
当時弱小だった徳川をボコれた(が、三備の大将や東西旗頭・家康自身といった幹部は一人も討てていない)お陰で後世マンセーしてもらえる
その余禄で武田氏の慢性的な悪政は全てオヤジと息子のせいにして、自分は確実とは史料的にいえない功績までゲット
代価に家滅んでるけど……
606人間七七四年:2007/06/12(火) 10:34:14 ID:jyahwT4/
まあ幸運度は勝ちだな。
生まれた時期、地域も運がイイ。田舎で領土広げて終わっただけの武将と違って、
後に天下とる家康を蹴散らし、信長に対しても攻める側の立場だった
607人間七七四年:2007/06/12(火) 11:23:10 ID:4OBhayyH
信玄の三大拙戦
上田原……兵力が半分程度の村上義清に、重臣を大量に討ち取られ信玄自身も手傷を負うほどに打ちのめされる
戸石崩れ……戸石城を大軍で攻めるも落とせず。高梨氏との争いで村上は出てこれないという予想を裏切って後詰に来ると、慌てて退却するも失敗。殿軍務めた横田高松以下千余を失う
(通説では第四次)川中島……2万の兵で1万3千の謙信軍と対戦。勝敗・経緯については諸説あるが、信玄自身が負傷し弟・信繁以下重臣層に大打撃を受ける

まだ騎馬軍団の実在が言われていた頃だと、「騎兵は防御に欠点があるからそこを衝かれると大被害が出るんだ」とかいわれてたっけ
608人間七七四年:2007/06/12(火) 14:15:08 ID:TpvzuIjX
武田より北条の方が騎馬数多いという
609人間七七四年:2007/06/12(火) 18:39:41 ID:QF3PUvWO
猛田と森を比べるのかね?
610人間七七四年:2007/06/12(火) 20:05:25 ID:JfTJ1Sct
そろそろ武田信玄と北条氏康を比較検証したいな。
611人間七七四年:2007/06/12(火) 20:19:41 ID:6m/z+WTd
>>610
武田信玄と北条氏康を比較検証するスレ
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1181647136/
612人間七七四年:2007/06/12(火) 21:53:49 ID:wb4S6S+e
>>597  悔しくて仕方が無いバカな毛利厨のせいで、いまだにまともなスレ
にならないんだよ、君も見れば分かるでしょ、信玄を評価するレスには必ず
中傷レスをしてくるこのモラルの低さ

>>598
どこをどう読んでもメガトンと同レベルのレスばかりしている毛利厨の方が
必死だなIDが多い分
613人間七七四年:2007/06/12(火) 22:13:16 ID:mxLYf7tD
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
614人間七七四年:2007/06/12(火) 22:23:43 ID:T6pi8KeE
そりゃ過大っぷりで言えば信玄のほうが圧倒的に上だが・・
後勝てるのは知名度ぐらいか

1万石にも満たない 大名ですらない元就が100万石の大名を2つ相手にし、勝利し、100万石以上の領土を手にした
信長や秀吉並にありえん話だ 結果だけ見れば三好と大して変わらん武田とは比較にすらならん
615人間七七四年:2007/06/12(火) 22:23:48 ID:Bbd8WHhF
>>612
>598
>どこをどう読んでもメガトンと同レベルのレスばかりしている毛利厨の方が
>必死だなIDが多い分

3連続でレスしているヤツのヤツの方が必死だろ。


あ、それと他人のフリをしても文体と単語ですぐオマエが
メガトンって分かるからwwww

もう少しボギャブラリー増やせば?
616人間七七四年:2007/06/12(火) 22:57:19 ID:wb4S6S+e
>>614
恒例の悔しさ見え見えのレスですね、しかも100万石などという
小学生にも突っ込まれるような捏造ぶりww

強豪の大勢力を駆逐してきた信玄と、ボンボンの大勢力を駆逐してきた
元就ちゃんとでは比較にならないの
617人間七七四年:2007/06/12(火) 23:01:32 ID:Bbd8WHhF
>>616
強豪の大勢力を駆逐?

村上や小笠原っていつから大勢力になったんだ?
北条や上杉は駆逐してねーしな。
今川氏真は強豪でもねーしな。
618人間七七四年:2007/06/12(火) 23:06:20 ID:wb4S6S+e
「ボンボンバカボン一号」

親から譲り受けた大勢力を維持できず、遊びにふけってばかりで「西の今川氏」
と現代にまで語り継がれる程の凡将であり、家臣からクーデターを引き起こされる
という間抜け没落ぶりww



「ボンボンバカボン2号」

祖父から譲り受けた大勢力を維持出来ず、家臣団を統率出来ず、元就如きの策略
にはまりまくり、元就如きの勢力拡大を指を加えて見てただけの凡将

619人間七七四年:2007/06/12(火) 23:07:32 ID:07WkAzc2
>>616
武田が駆逐した大勢力ってあったっけ?
村上小笠原あたりで大勢力とは言わんでしょ。
北信濃も元々上杉のものとは言えないし。

毛利も100万石2つ駆逐して自分は100万石しか取れてないってのは矛盾している。
両大名の「最盛期」が100万石だっただけ。
あるいは陶尼子を滅ぼしている間に100万石分取りこぼした間抜けか。
620人間七七四年:2007/06/12(火) 23:15:28 ID:Bbd8WHhF
>>596
>塩尻峠 川中島 三増峠 三方ヶ原 信玄の方が戦略上有名で大きな合戦が多い

塩尻峠>小豪族小笠原
川中島>引き分け(兵力の劣る相手に)
三増峠>北条氏康の三男(北条氏照)と四男(北条氏邦)のボンボンが相手
三方ヶ原>若輩のボンボン家康(兵力、国力は半分以下)
今川併合>ボンボンの氏真が相手

はて? いったい何時、強豪の大勢力を駆逐したのだろう?
621人間七七四年:2007/06/12(火) 23:17:41 ID:6r/6Y9B3
尼子も大内も100万石はないよ。石高はね
銀だの鉄だの博多だの下関だの瀬戸内海だの副収入が多いから
それに近い動員能力はあったというだけで
622人間七七四年:2007/06/12(火) 23:17:44 ID:wb4S6S+e
>>619
全くホントどこを見てるんだかwwwやっぱどいつもこいつも低脳だね
アンチはww
大勢力というのは上杉や北条のことを言ってるんだよ。
戦略上攻め滅ぼすような相手じゃないが、北信濃と駿河攻略の折には結局信玄と
戦って双方共敗れている、信玄生前までの東国の領土分布を見れば誰が一番
強く有利に戦略を進めていたか一目瞭然。
それに旧今川領という3つの国はあのまま信玄が生きてれば間違いなく滅んでた。
623人間七七四年:2007/06/12(火) 23:34:38 ID:07WkAzc2
>>622
さて、結果を既に知った後付の戦略論で良いから徳川を滅ぼす策を聞かせてもらおうか。

それとアンチ扱いする前にレスくらい最後まで読め。
むしろ毛利の方を叩いた内容なんだが。
そもそもこちとら武田派だっつーの。
武田が上杉北条を駆逐したなんて恥ずかしくて普通は書けないって。
624人間七七四年:2007/06/12(火) 23:59:56 ID:TQ3YE8DF
>>619
元就で100万石というのはやや過小かと
それに南条なども加えれば更に増えると思う

マヌケかは分からないが
大内領のうち豊前の過半、筑前肥前は大友領に
旧尼子領の美作備前播磨の一部は赤松浦上宇喜多に
因幡伯耆は半独立状態
って感じになったと思う。

>>620
信玄書状によると三増峠の北条の兵力は7千という少数

>>621
尼子は微妙だけど大内は最盛期なら100万石は優に越えると思う。
625人間七七四年:2007/06/13(水) 01:41:07 ID:7k9iLEpi
>>620
もうやめとけ(失笑)アンチがいくら頑張って叩いたところで、君のような
短絡な解釈する人間なんていないんだよターーコ
信濃の豪族はこぞって反武田一色状態だったってのがまだ理解出来ないんだね。
村上は北信濃から勢力を拡大してきてるし、武田が力の差で押し切れる程簡単
な地域では無いんだよ信濃は、まあ兵法を知らない毛利厨には理解するのは無理だろうが。


・塩尻峠の戦いは、信濃の守護を一掃して一気に信濃攻略の展開を変えていった戦い
中信濃を手中にした事によってどんどん武田が大勢力へと変貌していくきっかけになった
戦い。
・川中島で勝利したからこそ、その後上杉への備えとして上野越中飛騨にまで拡大していける
ことになる。
・三増峠も三方ヶ原も背後から追いすがる敵を巧みな采配で一掃した戦い、おびきだし作戦説
も十分にある。
626人間七七四年:2007/06/13(水) 01:48:56 ID:7k9iLEpi
まあ厳島合戦以外ろくな合戦が無い元就バッカマンセーするから、信玄の
様々な戦いに嫉妬してしまうんだろうね、いつまでも兵力差だけで勝っただとか
喚いてる時点で負け惜しみだな。
627人間七七四年:2007/06/13(水) 01:53:49 ID:FlbiLgZ7
>>617
尼子の糞と安芸武田風情に勝った程度で態度でけぇなあ w
628人間七七四年:2007/06/13(水) 01:59:47 ID:7k9iLEpi
三増峠の戦い一つとっても、それまでの全体の戦略(小田原攻め)と一緒に評価
されてきた上でこの合戦が大勝利と誰しも評価してるんだが、アホな毛利厨はやはり
単純にその地点での兵力の大小にしか目がいけない低脳だってことww
629(´・ω・`) ◆GDNeQQqNk. :2007/06/13(水) 04:11:44 ID:sOng/EDP
最盛期大友を過小評価しすぎですよ貴方達。
やる気満々の宗麟様ならその知略で元就さえも手のひらで踊らせる事が出来ていたわけで
この時期(3〜6年)に限っては武田上杉も比較にならん最強格の武将ですよ。
結果毛利を九州から排除し九州最強になるしね。
まぁこれ以降のやる気なくした後の酷さが全てを吹っ飛ばす訳だがね。

毛利の相手は雑魚ばっかりじゃないよ(´・ω・`)
630人間七七四年:2007/06/13(水) 07:11:58 ID:4+lc/Crp
メガ豚は自分の理屈に自信があるならコテのままレスしたらどうなんだ?
情けない野郎だな
631人間七七四年:2007/06/13(水) 08:07:45 ID:GGBgrAIX
都合の悪いレスを無視してループ続けてる時点でメガトン確定
せめて煽り内容に変化つければいいのに、その程度の能しかないようだ
だいたい、信玄の戦が有名ってそりゃ戦国ヲタの話だろ
(そしてまともに歴史調べてる人間なら、厳島や有田中井手の凄さや歴史的意味を理解できないわけがない)
普通の人は川中島ぐらいしか知らないんじゃ?
せいぜい大河好きが三方原まで知ってるぐらいで
632人間七七四年:2007/06/13(水) 10:33:16 ID:lUNBD2Fb
俺が気になるのはメガトンが本当に好きな武将は誰かということだ
633人間七七四年:2007/06/13(水) 12:11:28 ID:O6VO2abr
いくら信玄に元就に匹敵する鮮やかな逆転勝利がないからって、二倍以上の戦力で順当勝ち・しかし敵の幹部を一人も討ち取れなかった三方原を持ち出しつづけるのは哀れだろう
一つぐらい信玄にもそういう戦はないか?
部下のでもいいからさ
634人間七七四年:2007/06/13(水) 12:46:36 ID:vF1cZCHj
3000で5000を破る上村合戦とか
1200で2000を破る廿里砦の戦いとか

5倍以上の国力差だけど頼重の弟一族らを破った安国寺の戦いとか
635人間七七四年:2007/06/13(水) 16:45:23 ID:h0eBcA+I
この板での信玄の扱いを考えると元就と信玄では最初から勝負にならん
信玄の半分以上は講談捏造誇張でできているからな 史実だけを取り上げたら大したことない

秀吉あたりと比べればよかったのに 元就負けるけど
636人間七七四年:2007/06/13(水) 18:03:16 ID:4+lc/Crp
おい豚wコテ付けて反論してこいやw
そんな度胸ねーかw
637人間七七四年:2007/06/13(水) 19:47:18 ID:yL/MUWOw
>>625
>三増峠も三方ヶ原も背後から追いすがる敵を巧みな采配で一掃した戦い、おびきだし作戦説
>も十分にある。

だから、三増峠は背後から襲われてないっちゅーのに。
小田原から追撃してきたのは氏政だが、氏政と戦ったのか?

大勝利と言い張るならそれもいいが、その結果どの程度
北条の領地を侵略できたんだ?

>川中島で勝利したからこそ、その後上杉への備えとして上野越中飛騨にまで拡大していける
>ことになる。

川中島で勝利? ( ´,_ゝ`)プッ
いっそのこと信玄が幕府でも開いたことにしたら
638人間七七四年:2007/06/13(水) 20:36:09 ID:xa6HjOVX
メガブタの大好きな三方ヶ原前哨戦の二俣城では自軍の10分の一以下の兵力が立てこもる
二俣城を落とすのに2ヶ月もかかる信玄。
はっきり言って信玄は城攻めが下手すぎる(だからって野戦上手とも言えんが)
639人間七七四年:2007/06/13(水) 20:51:41 ID:ZtOu8r1M
つまり秀吉も城攻めは下手すぎるんだね
640人間七七四年:2007/06/13(水) 21:07:10 ID:yL/MUWOw
秀吉は城をあんまり力攻めしないんだけどね
641人間七七四年:2007/06/13(水) 21:08:41 ID:Pz0Heibi
二股攻めの場合は、家臣団との合議合議でどう方針とるかがまず紛糾したからなー
(ってか豪族連合の城攻めなんてそんなものだが)
結局は開城だっけか
642人間七七四年:2007/06/13(水) 21:11:20 ID:lUNBD2Fb
>>639
秀吉の城攻めはあまり比較対象にならなくねえか?
信玄の場合
戦略的に1日でも早く落城させる必要あり

秀吉の場合
敵方の城にも相当数の鉄砲が揃うようになってる
戦略的に攻め急ぐ必要がないための長期戦
643人間七七四年:2007/06/13(水) 22:03:01 ID:fWKRmGl3
城攻めなんてケースバイケースの要素が多いから単純に時間かかったら下手とかねえだろ
644人間七七四年:2007/06/13(水) 23:43:45 ID:7k9iLEpi
メガトン一人だけが妄想厨と言ってる大多数の妄想アンチが延々と無知なレス
をさらけ出してますw

>>637 撤退している武田勢を背後から追いかけて先回して武田軍を急襲しようと
したのは事実ですが何か?
今川を武田から守れなかった(あるいは先に駿河を取られた)ばかりか、領内に攻め込まれ
小田原城の支城を各個撃破され、尚且つ武田軍の退却戦で敗れた言い訳をいくらぐだぐだ言っても
無駄ですよ北条の方、信玄の目が駿河の海〜西上ではなく、相模に向けられてたら間違いなく北条
は滅亡してましたね。

川中島かい?上杉は武田軍に負けて敗走→信濃をほぼ完全に抑えられ、謙信没後まで春日山を脅かされる
ことになりますね。
645人間七七四年:2007/06/14(木) 00:00:49 ID:U+FyWkx/
毛利厨がたまに口にする、「生涯200戦無敗の元就」というのは
見方を変えればそれだけ中国地域に戦巧者が存在してなかったということでないか?
一つの地域のみの大勢力を駆逐しただけで戦国最強とは呼ばれないんだよ。
646人間七七四年:2007/06/14(木) 00:02:53 ID:q95BwUxk
>>644
昨日から信玄が生きてたら3国滅ぼせたとか相模に向かったら北条滅亡とか・・・
自分でどれだけ恥ずかしいこと書いてるかわかってる?
「毛利厨」的に言えば元就があと10年生きてたら畿内を制圧したというくらい恥ずかしい。

ちなみに毛利厨って言葉はもうお腹いっぱいだから。
意見が合わなければ大友厨も島津厨も上杉厨も武田厨も全部毛利厨にされる。
647人間七七四年:2007/06/14(木) 00:25:20 ID:U+FyWkx/
寡兵での戦いだけをマンセーする=兵力差の戦いに兵法は存在しないみたいに妄想する
大勢力を滅ぼした事だけをマンセーする=他の大勢力より優位に戦略を進めたことは無視
↓     ↑    ↑    ↑     ↑      ↑
 こんなの明らかに毛利厨ならではの考えだろ、レスに十分現れてるね、まあ東国の戦いを
更に細かく分析でもしてるつもりかの様なレスには他の厨が混ざってるだろうが。
あとさあ、元就って75歳で死んだろ?寿命でしょ、だからあのまま生きてたらなんて想像は
膨らまない。
信玄は53歳で病死なんだが、だからこそあのまま生きてたらどうなってたかと想像が膨らむ
んだよ。
648人間七七四年:2007/06/14(木) 00:27:29 ID:0osxdYo9
確かに、毛利と大内+尼子合わせて100万石〜150万石だよな。
自称100万石を三つ足したら150万石だったということか。
649人間七七四年:2007/06/14(木) 00:33:05 ID:2QhC7OJY
>>645
「生涯200戦無敗の元就」というのは陰徳太平記?
650人間七七四年:2007/06/14(木) 00:38:09 ID:q95BwUxk
寡兵での(略 → 島津・真田あたりは無視ですかそうですか。
大勢力を(略 → じゃあなんで北条・上杉より先に滅びたのかと小一時間

あのまま生きてれば徳川や北条を滅ぼせたという想像が恥ずかしいというのに。
まあゼロじゃないだろうけど。
織田にも今川や陶や両上杉みたいなポカがあるかもしれないし・・・tってそりゃ本能寺か。
651人間七七四年:2007/06/14(木) 00:55:32 ID:H5irnz1m
だいたい病死なら寿命と変わらないだろ、義元や信長みたいに戦死したなら
わかるが。メガ豚のは想像じゃなくて妄想だろ
652人間七七四年:2007/06/14(木) 00:56:57 ID:U+FyWkx/
北陸一の雄こと上杉謙信 関東一の雄こと北条氏康
これらに打ち勝って戦略を進め、かつ東海の旧勢力と新勢力をまとめて滅ぼす
寸前までいった信玄がどう見ても最強


>>649 その戦績がもし、捏造だとしたらそれはそれで、今度は「中国にも強敵
が多かったんだ!」みたいな言い訳してくるよ、そして信玄の敗戦に対して文句
が言えなくなるのが怖い毛利厨が目に見えるね
653人間七七四年:2007/06/14(木) 00:57:03 ID:FlsCrI2X
日本有数の大河、山岳地帯、豪雪地帯もないユルユルの中国地方で
のさばってたのを威張る痴呆武士厨が湧くスレはここですか
654人間七七四年:2007/06/14(木) 00:59:31 ID:7LZdMeWa
>>645
生涯240戦ちかく戦して数えるほどしか負けがないじゃない?
(元就の生涯戦歴よくわからないけど220以上240未満くらい?)

元就は初陣から死ぬまで戦にあけくれてるからな
1年以上戦をしなかった年ってないらしいから。
そう考えると毛利って経済力結構あるよね。
655人間七七四年:2007/06/14(木) 01:14:51 ID:q95BwUxk
>>654
200戦以上ってのは嘘でしょ。
あるいは数十人立て篭もりの小城(館)落とすたんびに1戦とカウントしてるか。

656人間七七四年:2007/06/14(木) 03:09:13 ID:Cfrqhpj1
200戦無敗て、胡散臭い格闘家みたい
657人間七七四年:2007/06/14(木) 04:29:20 ID:z3Std8zL
関東の城事情ってしってるか?おまえら?
西国と比べると超おんぼろなんだぜ?
658人間七七四年:2007/06/14(木) 09:33:12 ID:MEyFUzkz
春日山、砥石、忍、唐沢山、小田原など全国屈指の堅城ですが?
もしかして石垣や天守が少ないっていう見た目で判断してる?
659人間七七四年:2007/06/14(木) 11:28:40 ID:D+oKguqR
>>653
>豪雪地帯もないユルユルの中国地方

w
660人間七七四年:2007/06/14(木) 11:38:00 ID:MTcIqQh+
戦に明け暮れた信玄でも、実際に出陣した戦は90前後じゃなかった?
いくらなんでも200戦は言いすぎでしょう・・・
一つと計算される戦を、城を落とす数だけカウントしているとしか思えない
661人間七七四年:2007/06/14(木) 12:02:16 ID:hO8gZZD8
200戦は必要不可欠な戦で、元就も誇ってない
あたかも元就が自分の戦歴を自慢にしてるように思ってるひといないか?
元就は戦略上有利になるような戦は積極的に行い、必要のない戦いは慎んだ。奇策好きの合戦嫌いと評されるのは的を射ている。

この姿勢は、孫子に通じ、戦国の世を生き抜いた名将達の一側面であるように思える。
662人間七七四年:2007/06/14(木) 12:17:47 ID:6CQUYVdt
なんか知らないが白熱してるなぁ〜       
実際どちらが上かなんて場所も時代(親子の年齢差)も違うからわからないだろ
ただ一つ言えるのは信玄の方がロマンがあるんだろうな(強さはしらん)   
なにせ最強ライバル(毘沙門天)がいたし その戦いは弟が死んだり盛り沢山
架空の軍師が大河の主役に抜擢されるぐらいだし 
親父追放、息子自害やら、三国同盟やら、
中央勢力や将軍に挙兵を頼まれ(詳しくは違うが)覇者の信長と最終決戦を挑むと…
で、最後の大一番で信長の盟友のちの天下人家康を完膚なきまでに叩きつぶし
さあこれからで死んだからさ    
とにかくドラマになりやすく、ifを楽しませる人生だから
人気があり三傑以外じゃ一番テレビで題材として取り上げられると     
風林火山や、人は石垣〜などかっこいいし    

まぁこのスレとは関係ないが
663人間七七四年:2007/06/14(木) 12:39:32 ID:u5GekFjO
元就は、人生の半ばを大勢力に服従しないといけない小領主として過ごしたからな
いきおい、出陣回数も多くなる
初陣の有田中井手にしてからが、尼子大内の代理戦争みたいなものだし
元就生涯最大の危機だった、月山冨田城攻め失敗も大内の手伝い戦だし
(元就軍自体は勝っていたが、全体が敗れたので殿軍を押し付けられた国人の悲哀の典型)
この時の撤退戦が、元就に父親を殺された渡辺通が元就の身代わりになって討死したエピソードの舞台
仇の自分を助けてくれた通の家を絶対に毛利は見捨てない、と元就は誓ったという
(実際、渡辺家は陪臣ながら従六位と豊臣姓を貰うほど引き立てられ、年始の鎧開の儀式を司る重役を専任した。維新後、爵位も貰っている)
664人間七七四年:2007/06/14(木) 13:33:08 ID:7C2rqEYk
信玄の誇張、もしくは虚像的な部分が、信玄自身が宣伝したものだったら、それはそれで、凄いことだと思う。
風林火山の旗印と騎馬隊とか、無尽蔵に豊富な金山、人は城と言い切れるほどに信頼関係を築き上げた主従領民などなど。
武田を実際以上に大きく、強く見せる為の宣伝戦って考えたら、信玄はかなりの戦略家だったんじゃない。
665人間七七四年:2007/06/14(木) 14:48:39 ID:6CQUYVdt
>>664 それはあるな。江戸時代の作り話も多いけどさ(まぁそれも徳川家の影響や人気面という事ですごいが)        
実際当時の織田徳川など敵方の資料からも畏怖、実情以上に強大に思われてたし
中央諸大名に与える影響力は大きかった!    
一向宗徒の使い方もうまくかなりの戦略家なのは間違いないね。      
敵に必要以上に強大に思わせるというのはむずかしくとてもうまい戦略だよ。

でもタイプ的に元就と比べるのは同じ晩年成り上がりタイプの道三とかのが対比がしやすいだろう。  
信玄はやはり大名の跡取りである程度の船出ができた人物と比べるのが妥当。
時代背景、実力を考えるとやはり氏康かな?   
ただ序盤の船出は、受け継いだ氏康より、家督を奪い、協力した家来の傀儡にならず二十歳そこそこで
一国をまとめたカリスマと手腕は信玄に部がある 
666人間七七四年:2007/06/14(木) 15:03:24 ID:6CQUYVdt
信玄=ヒクソン・グレイシー 
400戦無敗の伝説や自分を神格化させる山籠りトレ。
必ず勝てる相手と条件でのみ戦う。(基本的に上回る兵力と常に相手領で戦をする)         

元就=アーネスト・ホースト          

若い時は苦労が多いが光る物は持っていた。   
晩年、天下分け目の戦いに勝つ。(K-1チャンプ) 
のちにフォータイムチャンプ(中国覇者)の伝説を残し汚点残さず引退(死亡) 

667人間七七四年:2007/06/14(木) 15:50:13 ID:BoWao8fa
武田と毛利がそれぞれ掌握していた金山・銀山の収入ってどれくらいだったのかな?
総収入・大名家の取り分・石高に換算したら何万石級だったか等詳しい人いたら教えて
668人間七七四年:2007/06/14(木) 19:01:40 ID:y2wPaBkJ
信玄は亀田やろ
669人間七七四年:2007/06/14(木) 20:58:22 ID:1Q0+cWkK
>>648
各国の石高は
豊前14筑前33肥前31
周防17長門13安芸19備後19備中18備前22美作19播磨36
石見11出雲19因幡9伯耆10隠岐4

肥前や播磨はその支配は一部だけど
大内尼子最盛期の石高は合わせれば200万石超える

>>649
違うと思う
信玄の72戦同様、近代か現代に作られた数値だと思う

>>665
当時の織田は武田に対しては特に・・・
信玄の方はかなり信長に対して低姿勢ではあるが
徳川は武田と直接戦う上に国力差もあって武田を強大だと思ってはいただろうけど
1573年の3月か4月の段階で近江に援軍を出そうかと信長に言っている

中央諸大名への影響だとどちらもそれなりに
50年代だと毛利は中央に影響与えるような存在ではないので影響無いけど
武田は50年代60年代と上杉と敵対することで、本願寺と協力し三好とも近い関係に
将軍家とは上杉と敵対するためどちらかといえば敵対に近い関係

毛利は60年代だと三好と徐々に敵対するため中央へ与える影響は大きい
対三好と言うことで足利織田とも協力関係に
元就死後の織田包囲網時には対織田と言うことで
武田の方が影響あったかもしれないけど
670人間七七四年:2007/06/14(木) 21:09:10 ID:7LZdMeWa
調べてみたら江戸時代の慶長あたりでこんな感じだの

「銀山旧記」によれば、この頃安原伝兵衛という者が「釜屋間歩」と
名付けた坑道から年に3,600貫(13,500s)もの運上(年貢として納める銀)を出し、
家康から褒美を賜った。「銀山旧記」にはこの頃の様子を
「慶長の頃より寛永年中大盛士稼の人数二十万人、一日米穀を費やす事千五百石余、
車馬の往来昼夜を分たず、家は家の上に建て、軒は軒の下に連り・・・」と記している。
二十万人というのは誇張としても、この頃の繁栄ぶりは相当なものだったと思われる。

税金で13.5tの銀だから相当産出してたと思われる。
671人間七七四年:2007/06/14(木) 21:54:25 ID:6CQUYVdt
>>669 あなたは何の資料見ていってるんだろう…
一部領地を接してるとはいえ外交の基本、近領敵対、遠方友好をお互い熟知し
西上まで織田武田の関係は表面上かなり友好な訳で
恐れていたかは分からないが戦略上低姿勢だったのは織田方だが…     
かなりの貢ぎ物、婚姻などなど…        
武田も今川攻めで対立した徳川北条の仲裁を信長に頼むなど、武田はあまり低姿勢ではなかったかと。 

あと信玄西上時、織田方はかなり緊張、追い詰められてますが      
浅井朝倉で主力を回せないばかりか、援軍を出した盟友徳川の大敗。    
信長は、信玄の策略により動いた一向宗に釘付けの上杉に
貢ぎ物を何度も送り背後を突くよう頼んでいる。 
秋山に美濃を蹂躙され寝返りも出始めた。    
信長自身や家臣のうろたえぶりが織田方資料にかなり残ってるしね     
勝つ負けるは別の話として
あんた何言ってんの?
672人間七七四年:2007/06/14(木) 22:27:03 ID:hO8gZZD8
俺のレスがスルーされてる(TωT)カナシス〜
673人間七七四年:2007/06/14(木) 22:32:07 ID:BV2Rib3b
>>644
>川中島かい?上杉は武田軍に負けて敗走→信濃をほぼ完全に抑えられ、謙信没後まで春日山を脅かされる

>>653
>日本有数の大河、山岳地帯、豪雪地帯もないユルユルの中国地方で

つまり、そんな天険に守られた春日山城なら、
信玄に脅かされる心配もないってことだろ。
674人間七七四年:2007/06/14(木) 22:32:29 ID:1Q0+cWkK
>>671
戦国遺文とか読めば
信玄は信長に対し、信長氏か味方がいない、信長に見捨てられたら滅亡します
信長を疎略にはしないとか書いてあるが

>信長自身や家臣のうろたえぶりが織田方資料にかなり残ってるしね
具体的には?
675人間七七四年:2007/06/14(木) 22:37:04 ID:1Q0+cWkK
誤字が
訂正
信玄は信長に対し、信長しか味方がいない、信長に見捨てられたら滅亡します
信長を疎略にはしないとか書いてあるが


まあリップサービスもあるんだろうけど
676人間七七四年:2007/06/14(木) 22:39:32 ID:VTZf7aQQ
具体的にって聞かれて具体的なものを出した奴は俺はこのスレでは近頃はあまり見掛けないな。特に武田関係。
677人間七七四年:2007/06/14(木) 23:01:39 ID:6CQUYVdt
>>674 それは知らないが、信玄は平気で嘘をつき裏切る狸なんで  
信長も同じような態度でしょ?お互い本気にしてないだろうしね      

資料は、ルイス・フロイス布教記録「日本史」  
絶対君主信長の狼狽ぶりや織田方領民の混乱ぶりなど
伝記でもっとも信憑性が高いとされる「信長公記」にも信玄来るへの危機感が記述されてます     
また東大史料編纂所所蔵などにも信長の異様なまでのプレゼント攻勢やら  
西上時の織田方の危機感がある。        
678人間七七四年:2007/06/14(木) 23:01:57 ID:FlsCrI2X
と、地頭成り上がり厨がホザいとります w
679人間七七四年:2007/06/14(木) 23:59:15 ID:1Q0+cWkK
>>677
確かに日本史にはかなり書かれていたな、京での風評なんだろうけど
義昭が勘違いして挙兵するのも分かるような混乱振りが記されていたが
情勢はスレ違いになるんで詳しく書く気は無いが信玄西上時には織田は
もう危機的状況切りぬけて余裕があるころだと思うが

>伝記でもっとも信憑性が高いとされる「信長公記」にも信玄来るへの危機感が記述されてます
危機感あるか?

>また東大史料編纂所所蔵などにも信長の異様なまでのプレゼント攻勢やら  
>西上時の織田方の危機感がある。        
具体的にどの文書にどんな危機感が?そんな書状あったか?
あとプレゼント攻勢はお互い様じゃないか?信玄も漆を大量に送ったりとかしているし
680人間七七四年:2007/06/15(金) 01:15:12 ID:xSLR/dDq
>>679に同意
信長の最大の危機は、志賀の陣あたりじゃないかなぁ…?
浅井朝倉が、信長の勢力圏に攻め込んだのは、此処までで、これ以降は、浅井は、受け太刀と言うか、朝倉の援軍を得て、領地防衛に汲々となっている。
信玄西上時に、織田武田のどちらが、有利だったかは、その中間に位置した徳川が、織田に組しているのが、証左になるんじゃない?
家康が、織田毛利の戦いの時の宇喜多のように、裏切らなかったのは、律儀者だったからではなく、織田が勝と信じていたからじゃない。
681人間七七四年:2007/06/15(金) 01:28:00 ID:Le6Cj+Al
宇喜多だったら城から出ないだろうね。
682仙台藩百姓:2007/06/15(金) 01:31:21 ID:fHDcBXEW
むしろ元亀三年あたりから
織田の快進撃が始まってるおね( ^ω^)
683人間七七四年:2007/06/15(金) 02:12:04 ID:o+KTqrXL
君達は大事なことを忘れていないか?
毛利元就と武田信玄。
個人の素養を比較しても、全く同じ環境に生まれてきたわけではないし、それを比較したところで、
比較できる問題でもなく、比較をしても意味などない。
それとも君達の言うどちらが優っているとは、スポーツか格闘技、勉強とかと勘違いしてやしないか?
しかし、版図を拡大し、どちらもその家の繁栄を築いた点では、才あり、時の運も味方したのだろう。
しかし仮に桶狭間がなければどうであったろう?
今川義元は上洛説ではなくとも、三国同盟という後ろ盾があり、織田も滅びただろう。
しかしながら問題はむしろ信長より道三だろう。義元は道三に意識を向け過ぎ、信長を軽視していたのではなかろうか?
専ら強敵の存在に気を取られ、眼前の気にも留めなかった存在に意表をつかれる。よくある話ではなかろうか?
おそらく義元の構想では、尾張平定後、武田信玄と一緒に斉藤攻めを行うつもりであったろうことは容易に想像できるだろう。
さすがの道三も武田今川連合軍相手では分が悪い。上杉と連携したとてそこに北条が横槍を入れたら苦しいのではないか?
義元が上洛を果たし、おそらく三国同盟を背後に付けた義元の実力から10年程はかかったであろうが、(ここで注意して欲しい点として
義元は決して凡将ではなかったことだ。信長が非凡すぎた為に、優秀な義元が敗れることとなる。優秀な戦略家が常に勝利するとは限らないのだ。
しかしながら、義元の政権は長くは持たないだろう。内部崩壊をもたらし、義元が本願寺勢力や畿内の勢力を従属させるとは予想が難く、内部や外部の圧力により
自滅していくのではなかろうか?
そこで弱った今川に対し、東からは武田、西からは毛利が京を目指すことになる。
京を中心に応仁の乱規模の毛利・武田の争いが起こり、勝者が決まれば、歴史上では勝者が確定したのだろう。あくまで歴史上の戦での話ではあるが。
しかし、本当の賢者は今川氏真である。
彼は戦を好まず、・・・詳細は語らずとも、賢者はわかるだろう。
684人間七七四年:2007/06/15(金) 02:23:25 ID:MNY8RqiT
道三は5年くらい前に他界してます
685人間七七四年:2007/06/15(金) 03:07:53 ID:v1s20gPW
>>683
意味不明
686人間七七四年:2007/06/15(金) 04:09:09 ID:EfAp0xnT
>>679
なるほど。
余裕があるのに徳川には3千しか援軍を送らず、
岩村城は見捨てたわけですねw

>>680
まったく証左になってませんが?
687人間七七四年:2007/06/15(金) 06:06:43 ID:3TXc2bSg
浅井・朝倉が疲弊しきっていて攻勢に出る余力がなかったこと
義昭の挙兵に同調する勢力がでなかったこと
この2点を知っている後世の人間の立場で論評するからおかしくなるんじゃないの?

当時の織田の支配領域は尾張美濃が本領で京への道として
長浜・坂本と近江の重要拠点に羽柴・明智と有力武将を配置してはいるものの
畿内には昨日今日織田の勢力下に入ったやつらがゴロゴロしているわけでしょ
その動向も考えたら、武田に対しては守勢にまわったのも納得できるんじゃないかな

武田が浜松城を攻囲するような事態になれば大規模な援軍を出さざるを得なかったが
徳川が不用意に野戦をして負けたにも関わらず信玄は病死し武田軍は引き揚げたので結果オーライ
でも織田の話はスレ違いだよね
688人間七七四年:2007/06/15(金) 07:12:34 ID:xrBcwlHd
なんで危機をだっして余裕があるというのか?  
美濃領が侵略され激高し、将軍挙兵やそれに呼応して裏切った松永久秀なども出てきた        
松永などは信玄西上に勝機ありと見たんだろうし 
かなり家臣が動揺してるのわかるよね?     
実際、次の月に信玄死亡撤退の流れから織田方は反転に出てる。      
それまで主力も回せず、自軍領決戦または武田方長期遠征による撤退を狙った
後手策または消極策を取らざるおえなかったんだから
この後手策は兵力に勝る織田が不利ではないが自領の疲弊、領民の混乱、城主の裏切り        
孤立無援で頑張る徳川が武田に降伏する可能性も出てくる危険があり    
とても余裕があったから取った策ではないはず  
689人間七七四年:2007/06/15(金) 07:37:11 ID:uu7cGIY1
>>687
>>浅井・朝倉が疲弊しきっていて攻勢に出る余力がなかったこと
浅井は領土の大部分を失って相次ぐ戦いで疲弊しているのは当時でも分かってたんじゃない?
攻勢に出るどころか現状を維持するのにいっぱいいっぱいなわけで…
朝倉も離反者が相次いでいる状態
690人間七七四年:2007/06/15(金) 08:18:56 ID:xlg50fAB
信長が恐れたのは、一番苦しい時にもちつもたれつ(ってか上杉や徳川との仲介とか明らかに信長のほうが骨折ってる罠)だった同盟者が裏切りかましてくれたからだろう
普通に嫌だわ
冷静に見ると、信玄って他人を裏切りまくりだね
「人は城……」という後世のイメージ付けと違って部下も決して信用しなかったのが実像だそうだし
根本的に人間不信だったんじゃ?だから平気で裏切れる
691人間七七四年:2007/06/15(金) 09:56:12 ID:xSLR/dDq
桶狭間や長篠合戦が有名だから、信長は短期決戦が得意なイメージだけど、信長の真骨頂は、美濃攻めのような、相手を守り疲れさせる持久戦じゃない。
そういう意味では、信玄西上時には、浅井朝倉は、信長の土俵の上に立たされた後だよ。
危機を脱したと言えば、言い過ぎだが、信長の勝ちパターンに入っていたのは、当の信長はわかっていたんじゃない。
相撲で言えば、がっぷり四つに組んでいるから、観客には、互角の戦いで、勝敗は五分に見えるが、この形に持ち込むことが信長の戦略だったと。
692人間七七四年:2007/06/15(金) 10:05:07 ID:uu7cGIY1
>>691
浅井・朝倉に対しては勝ちパターンに入ってただろうが
さすがに信玄の裏切り西進は信長の想定外だったんじゃない?
693人間七七四年:2007/06/15(金) 10:29:43 ID:TEpZlzNc
信玄は他国を奪うために毎日祈っている
信玄は些細な失態でもすぐ部下を殺してしまう

と宣教師が言ってる
694人間七七四年:2007/06/15(金) 10:58:04 ID:xSLR/dDq
信玄の西上自体を、信長がどこまで信じていたか、信玄がどこまで本気だったかの問題があるね?
信長は、家康に、浜松に籠城して、信玄をやり過ごすことを指示しているみたいだし、三河を突破されたら、手薄な尾張が大軍に曝されると危惧している人間の言葉とは思えないんだけど。
信玄自身も、西上と思わせて、遠江三河の征服が目的だったんじゃない。
695人間七七四年:2007/06/15(金) 11:06:32 ID:xrBcwlHd
>>690 イメージじゃ信長のが非道な感じだけど 
実際はなかなか義理堅いよね。同盟が破綻したのはすべて相手からだし   
同盟者の道三、家康などには必ず助けを入れたし 
裏切った部下を許す寛容さもあった。      

対して信玄は自分の都合のみを優先で同盟したり破ったりを繰り返したからね。
義元、氏康などは一番警戒してたから。     
親父を追放し家督を奪い、降伏すれば許すと言いながら降った相手を切腹。その娘を側室にするわ   
敵城前に晒し首三千を並べ、無用な反発を招くし 
同盟今川を攻めると、諫めた息子を自害、最後は好機と見るや同盟織田領へ進攻。西上開始。     
鬼畜ですね      

ただそれでも信玄時代、各領主の連合軍のような武田家で
鉄の結束を誇ったんだから恐怖政治に人身掌握カリスマ性はあったんだろう。
また同盟破綻後、攻められた北条がすぐ同盟を結び直したのを見ると    
利害が一致してる間は頼りにはなったんだろうしね

696人間七七四年:2007/06/15(金) 11:47:16 ID:zj9fgBJU
人間的魅力では元就のほうが上かもね
何しろ謀殺した相手の子供が身代わりを買ってでるくらいだから
信玄でいえば、諏訪や勝沼の子が信玄の身代わりになった、なんて話はないし
697人間七七四年:2007/06/15(金) 12:05:55 ID:Y4KCSZ6f
信玄はフロイスの日本史だと異教徒の王ということでかなり過大な扱いを受けている気もする
698人間七七四年:2007/06/15(金) 13:10:12 ID:xrBcwlHd
たしかにどちらの家来になりたいかと言えば信玄より元就とか氏康だな。  
信長は論外だが。。過労死しそうだ       

699人間七七四年:2007/06/15(金) 13:51:22 ID:EuUjGPoD
毛利元就に土つけた、数少ない武将の一人・立花道雪が上司にするなら一番だと思う
手柄無い部下でも「お前の才能は知ってる、焦って無茶してくれるなよ」とか大事にしてくれたらしいし
700人間七七四年:2007/06/15(金) 14:06:02 ID:xrBcwlHd
元就が仮に武田領の大名ならどこを攻め取っていくのだろうか?      
1565〜1570年ぐらいで考えて
四方強敵(上杉、北条、今川、織田)に囲まれた地理的不利な状況で…   
素直に宿命の敵、上杉謙信をターゲットにして越後春日山城を攻め念願の海、日本海を確保するのか… 
この場合後方三ヶ国は同盟状態なんで全力で当たれる気もする…      
が、大雪、越後勢の手強さを考えると…     
それとも信玄と同じく三国同盟を破り北条を敵に回すリスクを考えても   
同時、勢力の衰えが見える今川を徳川と共同で落とすか…         
または上杉と停戦または同盟し、強大な関東北条を攻めるか…       
これも至難の事だし何より上杉と共同戦線を築いたとしても        
その後の関東の領土問題で謙信とは敵対するだろうし
それとも当時、京に上洛し対近畿勢力で手一杯の信長へ奇襲するのか…   
 
元就ならどうするんだろうなー
701人間七七四年:2007/06/15(金) 15:01:47 ID:WnHOy7xs
元就の資質は国人領主という境遇だからこそ鍛えられたものかもしれないぞ
恵まれた甲斐一国の大名だったら、意外と何もできずに一生を平凡に終えるだろう
702人間七七四年:2007/06/15(金) 15:16:09 ID:pXtx/fcz
>>695
>対して信玄は自分の都合のみを優先で同盟したり破ったりを繰り返したからね。

信玄を元就に置き換えても何ら問題ない文章だな (w
703人間七七四年:2007/06/15(金) 15:21:30 ID:pXtx/fcz
>>700
何もできネェよ! 毛利自慢の海賊が闊歩する土壌でないし、
北条・上杉どもと真っ向勝負したら、滝川一益、柴田勝家と同じ運命だどるだけ
打たれ強くダメージ食らってもびくともしない武田は、その辺の大名とは違うのだよ
704人間七七四年:2007/06/15(金) 15:35:32 ID:4701s0dp
>>700
まあ常識的に考えて、信玄の通った道と大差ないことやるだろう。
ネックはやっぱ謙信だろな。
元就なら謙信と長々と戦わなかったかもな。
とはいえ、元就のえげつない調略かましたら謙信は絶対許さんだろな。
いや、土下座外交でするりと交わしたかもしれん。
勢力の拡大に関しては信玄より早いかもわからんな
705宇喜多直家信者:2007/06/15(金) 15:55:45 ID:JuiYVIui
人間的には元就のほうが上な気もするが、
どちらも素晴らしい将であることに変わりはない
706人間七七四年:2007/06/15(金) 16:27:42 ID:xrBcwlHd
>>704 何するにしても謙信が鍵を握るのは間違いないな!        
逆に謙信さえいなければ信玄にしても氏康にしても
史実以上の一代勢力図を築いたろうな!     
すぐに美濃に戦略転換した信玄がいて桶狭間直後の弱小信長じゃ滅びてたかも

とにかく三国同盟破綻し謙信と結んだ北条が無理難題を抜かす謙信に呆れ  
こんなアホと組むくらいなら油断ならん謀略家の信玄と同盟しなおした方がマシだと思わすんだから  

理想主義の戦馬鹿謙信と元就が領土接してたら面白いよね
707人間七七四年:2007/06/15(金) 19:23:23 ID:uu7cGIY1
>>706
謙信がいなくても越後の国主はいるわけでそいつと泥沼抗争するんじゃないの?
708人間七七四年:2007/06/15(金) 20:58:06 ID:2iwcHFWS
謙信は変人だけど合戦はやけに強いから
信玄も氏康も扱いづらかっただろうな
709人間七七四年:2007/06/15(金) 22:54:59 ID:yD0W+wuh
ところで謙信ってどの辺で戦強いって評価されてるんだ?
関東に何度も進攻してる割に何の戦果も残せてないけど
710人間七七四年:2007/06/15(金) 23:19:33 ID:2iwcHFWS
新潟から千葉近辺まで万の軍勢率いて暴れて帰る
明らかに異常です
711人間七七四年:2007/06/15(金) 23:44:22 ID:pXtx/fcz
>>709
元就と違って私利私欲がない 己の利のために他国に領土拡張しない
関東諸豪族達からの救援要請を受けたら、厳冬期の三国峠を13回もしくは15回も越えた
そして敵方に仏罰を与えた 戦の趨勢の結果は十分に出てるが
元就厨のいう領土的野心を評価に入れるのであれば話は別だがね
712人間七七四年:2007/06/15(金) 23:46:56 ID:j2dZYsL7
元就ならたぶん上杉攻める気がする。
内紛の種満載、侵攻を繰り返す等、調略かけるにはもってこい。

あるいは息子使って今川乗っ取るか。
713人間七七四年:2007/06/16(土) 00:22:10 ID:HH2BgIiP
ゴミ大名上杉の輝かしい戦歴
・戦で信玄に大勝しながらも信濃を失うという前代未聞な成果を残す
・アホのように関東に侵攻し、味方は裏切り三昧。しかも土地取れず
・10万の兵でも小田原城を落とせずw憂さ晴らしに強姦略奪三昧
・佐野昌綱の城を10度攻めたが、一度たりとも落とせず
・気に入らない家臣の嫁を馬に紐でくくりつけ引きずり殺す。
・結局北条に関東のほとんどを奪われる。関東管領の権威を地の底にまで下げ、面目丸つぶれにさせる
・間違って味方の城を攻め、そのまま落とす。しかも城主を惨殺
・敵の支配地域に踊りこみ城攻め。結局抜けなくて惨めにトボトボ逃げ帰る。憂さ晴らしに強姦略奪を繰り返す
・無用にも味方の頭を殴って、離反される。
・神保、椎名ら越中の雑魚豪族に苦戦
・政治を顧みず、一向一揆を起こされまくり。鎮圧と虐殺にモタついてる間に他大名に勢力を伸ばされる
・渡河退却中の織田を汚く追撃し、戦果を捏造
・関東豪族を裏切って北条と同盟し嫌われる。その北条にも同盟破棄されるみじめっぷり
・醜い跡取り争いの御館の乱で衰退自滅、48にもなるのに跡取りを指名せず、領地の多くを失う
・家臣に反乱起こされまくり
・便所で糞尿にまみれながら昇天
・最上に庄内取られる
・伊達と最上にすら勝てず(後世で寡兵で勝ったとお得意の捏造)
・己の愚かさから関ケ原の戦いを引き起こしてしまい、おまけに負け組へ。戦後領土を大きく減らされる
・幕末、薩摩の芋っぽに虐殺される
714奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/16(土) 00:24:27 ID:dzrtToel
コピペ貼るのは構わんが、その内容なら上杉じゃなく長尾と言って欲しいな。
715人間七七四年:2007/06/16(土) 01:43:36 ID:2/YMztXu
>>709
ソース忘れたけど、
戦が強いというか、敵からしてみると無茶苦茶怖かったらしい。
716人間七七四年:2007/06/16(土) 01:54:28 ID:ACKaEwjb
謙信を義将とか私利私欲がないとか清廉とか言うのはやめてほしいね
717人間七七四年:2007/06/16(土) 02:02:49 ID:lgKMpbDQ
そういえば、昨日、メガ豚来たか?
718人間七七四年:2007/06/16(土) 02:45:33 ID:OxxAQaiU
武田は信濃攻略後、すぐ美濃を取るべきだった。
おそらく道三がいたのでそれを避け、若い上杉の方がイージーだと判断したのだろうが、
そこが戦略上最大のミスだ。
山国ばかりでいい加減海に出たいという欲には勝てなかったんだろうな。
貿易や水軍を考慮したとしてもどうみても人口・石高的に越後なんかより美濃のほうがおいしいだろう。
信長の野望でも信玄とったらまず美濃取り。そうすれば信長は行き場を失うし、(美濃とってから尾張攻めるのは楽勝)
その勢力ならまっすぐ京制圧は余裕。おそらく今川の西上に気を遣ってのことだろうが。(今川が行き場を失うのは危険だったのかも)
719人間七七四年:2007/06/16(土) 02:48:40 ID:EhWLhkEx
逆に信玄が毛利・・・むしろ安芸武田だったらどうなってたんだろ?
さすがに有田合戦で敗れることは無いから毛利、吉川あたりはあっという間に抜ける。

尼子=同盟 大内=敵対 周囲=大内派弱小勢力

この状況でどう出るか気になるところ。
ちなみに元就は同条件の頃に、策略駆使して切り抜けたとはいえ、
尼子陶(+大友)と同時に敵対するという戦略上の愚を犯している。
720人間七七四年:2007/06/16(土) 03:51:15 ID:5kVpZRk3
>>718
>>信長の野望でも信玄とったらまず美濃取り。そうすれば信長は行き場を失うし、(美濃とってから尾張攻めるのは楽勝)
ゲームと現実を混同するなよw
>>719
>>さすがに有田合戦で敗れることは無いから毛利、吉川あたりはあっという間に抜ける
なぜ敗れることがないんだ?まさか元繁=愚将とでも思ってるのか?
721人間七七四年:2007/06/16(土) 04:50:18 ID:YZbaPtDQ
元繁は愚将ではないかもしれんが渡河で大将が先頭きるなんて明らかに軽率だよな
まあ、信玄は戦場でそんな軽率行動しない(実際にもしてない)だろうから
敗れることはないだろうな
722人間七七四年:2007/06/16(土) 05:07:19 ID:/I1pF2rH
大内か尼子にこき使われてお終い
723人間七七四年:2007/06/16(土) 05:08:17 ID:aprFa8M8
元繁は項羽に例えられるような勇将だから信玄とはタイプが違うような気もするけど
有田合戦ってある意味武田の上田原の戦いに似ていて
有田合戦では毛利は熊谷元直を討ち取り続いて武田元繁も討ち取ったけど
上田原合戦では村上は板垣甘利は討ち取ったが武田晴信には手傷を負わせるに留まっている
724人間七七四年:2007/06/16(土) 05:09:27 ID:aprFa8M8
>>722
まあその可能性が一番高いだろうな
725人間七七四年:2007/06/16(土) 05:35:51 ID:YZbaPtDQ
>>724
お前の脳内ではなwww
726人間七七四年:2007/06/16(土) 05:42:50 ID:TzPBBl5o
もしもスレか
727人間七七四年:2007/06/16(土) 07:27:18 ID:GvD1nqCJ
毛利>>>>武田

長州征伐の際
武田赤揃えを継承した榊原が攻め入ったものの
ワンサイドで敗走したと言う
728人間七七四年:2007/06/16(土) 09:31:12 ID:ISVELmnv
侵略者・信玄の毒牙にかかった志賀城
婦女子は野獣の如き武田兵に分配され、男は金山などに奴隷として売られた
戦国の習いとして、親族はこれを買い戻しで救済することができたが信玄が設定したレートがあまりに高いため、多くの者が苦しんだままだった
この情け無用の劫掠者に対抗するために信濃の武士達が選んだのが、勇将・村上義清
千曲川までやってきた武田軍を迎え撃つ村上勢は敵軍の半分程度。しかし、志賀城関係者を含み侵略者への怒りから士気は高い
数に勝る武田軍は、板垣甘利という悪名高い山賊頭を先頭に攻撃をかけてくる
じりじりと押し込まれる村上軍、自らも追撃のために本陣を進める信玄が、略奪の喜びを期待して高笑いしたその瞬間!
横手より整然たる陣鼓が響き、村上義清自らが先陣に立って伏兵が猛然と突撃!
既に戦勝気分だった武田軍は川により分断され、瞬く間に撃破されていく
信玄自身も身に二箇所の傷を負い、あやうく復讐の槍先にかけられる所であったが、ここで兵力差がものをいって後詰の小山田衆の奮戦で村上勢の攻勢をからくも凌いだ
この戦で武田軍の損害は甚大、板垣駿河守・甘利備前守・才間河内守・初鹿野左衛門尉らを討ち取られる
侵略者を撃破した信濃武士の歓声が響き渡った
これにより、信玄の信濃侵略の野望は一頓挫を余儀なくされる
まだ信濃が武田の馬蹄に蹂躙されつくす前のことであった……
729人間七七四年:2007/06/16(土) 10:38:02 ID:6AlI3Pw2
>>700
信玄の立場など役不足だろ。

元就なら村上義清で信玄と戦うべきだ。
730人間七七四年:2007/06/16(土) 11:01:11 ID:8A2r97EC
>>729 それは元就でもかなりきついんじゃないか?         
甲斐一国に加え信濃大半がすでに信玄に侵略され、国力が違いすぎるだろ  
一豪族の村上の立場じゃ…
それに村上の仇敵、真田幸隆が信玄に下り後方の大国北条、今川は信玄と同盟をしている状態     
村上のように善戦するのがやっとだろうな…   
越後の謙信もまだ家督継いだ継がないの若造だし
まぁ元就なら一度服従し反転を伺うとかするかな
731人間七七四年:2007/06/16(土) 11:16:22 ID:6AlI3Pw2
>>730
そこで謀略ですよ。
武田家にはなにかとお家騒動の
種がありそうだし、家督を継いだ
直後の晴信なら結構簡単に滅ぼせるかもよ

732人間七七四年:2007/06/16(土) 12:00:06 ID:6RrJO/Vv
元就が大内からの独立を志向したのは、陶の謀反という椿事があったからでしょ
そして元就自身は必ずしも陶に否定的ではなく、家臣団の反対に押し切られる形で敵対することに
もしも信濃豪族だったら、自分たちの立場をわかってくれるのなら長尾にしろ武田にしろ普通に国人領主として仕えたんじゃないの?
733人間七七四年:2007/06/16(土) 15:36:16 ID:ZfWgirWS
陶の謀反の時点では既に元就は安芸一国とその周辺をも抑える一大勢力だよ。
実際、謀反前に陶・大内方双方から元就に加勢を求める書状が届いてる位だし。

大内への反旗も尼子を安芸の外で阻止する防御体制が確立されていたからこそだし。
だからこそ2年にわたる大内・毛利の戦いに尼子は全く手を出せなかった。
734人間七七四年:2007/06/17(日) 00:07:19 ID:JWIbWVtf
>>732
「自分たちの立場をわかってくれる」ならね。
旗返城みたいな事(毛利が落とした城を陶が取り上げた)がなければ
毛利だってむやみやたらに敵対することもなかっただろ。
上で誰か書いてるが、愚策である両面作戦を強いられる事になったんだから。

武田や長尾は旗返城程度のことは普通にやるわけで。
735人間七七四年:2007/06/17(日) 00:20:23 ID:rM6mEZ5I
>>733
>2年にわたる大内・毛利の戦いに尼子は全く手を出せなかった。
尼子に石見銀山取られてるけど?
736人間七七四年:2007/06/17(日) 00:34:44 ID:fCc2MeVD
小早川秀秋最強。
737人間七七四年:2007/06/17(日) 09:04:30 ID:mGqZjwQY
信玄の失敗は、上杉に苦戦してるからってあちこちに手を出してしまったこと
これが対上杉戦線を分散させて敵を翻弄する、とかならともかく
遂には脅威とはなりえない同盟者である今川を敵に回し、そこから連鎖的に徳川北条とまで決裂してしまった
幸い、氏康の死という幸運があったから助かったが
越後をしぶとく策略を絡めて攻撃していたら、歴史は変わっただろうね
738人間七七四年:2007/06/17(日) 09:32:41 ID:/AXJNIXV
信濃を攻略した後は、美濃に向かうべきだったと思う。
斎藤龍興なら信玄でも勝てただろうに
739人間七七四年:2007/06/17(日) 09:37:07 ID:sF8qJunk
>738
きっと信玄は海を見たかったんだよw
740人間七七四年:2007/06/17(日) 10:31:27 ID:uYpDewHJ
>>737
逆に北条が攻められまくって駿河もとられちゃってるけどな。
上杉は越中に夢中でろくに協力してくれないし。
741人間七七四年:2007/06/17(日) 10:50:01 ID:/spz3NiO
龍興になら勝てたってそれなんて光栄ゲーム?
信玄の生涯目的が寸土を稼ぎつづけること、だったんだろう
だから平然と裏切りをかます
信玄があと数年生きていれば天下は…っていうのが信玄厨がよくする妄想だけど、その数年を失ったのは信玄の駿河攻めからの違約連発のせい
自業自得
742人間七七四年:2007/06/17(日) 10:52:21 ID:2yGQdj1P
信玄は調略やら芦名やら一向一揆やら北条やら色々やっても
越後に一歩たりとも入れてない
これだけやってたのに。
743人間七七四年:2007/06/17(日) 11:23:51 ID:/AXJNIXV
根本的に信頼がないからだよな。

その点、元就は謀略人生で家中にも毛利家を良く思っていないヤツが
多くいることをわきまえ、内外の信頼を得るための方策を推進した。

名門といわれたくせに、主家が没落を始めると家来が次々に寝返った武田家に比べ、
毛利家は成り上がりなのに、武田家のような薄汚い寝返り連中がいない。
744人間七七四年:2007/06/17(日) 11:24:58 ID:uYpDewHJ
>>741
美濃を信玄が攻めなかったのは織田との同盟があったからなのだが。
数年を失ったといっても西上野攻略がすんだ時点で
周りは謙信を除いて同盟関係(今川とはこの頃かなり微妙になってきている。)
このまま謙信を攻め続けても何年もかかりそうだし、仮に勝てても
季節で行動を制約される北陸からでは天下には届けないと思う。
745人間七七四年:2007/06/17(日) 11:41:13 ID:uYpDewHJ
>>743
とりあえず、南条、上原、大森、生石、宇喜田。
上原なんて確か毛利の娘をもらった一門だったはず。
毛利も織田に追い詰められて崩壊の予兆は
すでにはじまっているよ。ただ崩壊の前に本能寺が来た。
746人間七七四年:2007/06/17(日) 13:35:13 ID:tS3XqLlX
そしてその織田も本能寺で信長が死ぬと次々と秀吉に鞍替えしたからな
戦国時代なんてそんなもんだろ
747人間七七四年:2007/06/17(日) 13:54:38 ID:mkSBFmlx
武田には清水宗治のような忠臣はいなかったの?

それにそもそも毛利は織田に追い詰められてない。
まだまだ余力があった
748人間七七四年:2007/06/17(日) 13:58:33 ID:Avvc7xxO
つ仁科盛信

まあ確かに毛利からの寝返りの大半は外様の従属勢力であって
譜代からの寝返りは無いし、本領に関しては織田も手付かず。
時間の問題だろうけど
749人間七七四年:2007/06/17(日) 14:09:45 ID:uYpDewHJ
とても5カ国和議を必死に申し入れている時点で(信長は関せずだったが)
毛利に余力があるとは思えないが・・・。
というか毛利の勢力の大半は外様の従属勢力では。
もともと元就一代の勃興だし。
750人間七七四年:2007/06/17(日) 15:04:51 ID:/AXJNIXV
>>748
仁科盛信って武田信玄の五男じゃん
751人間七七四年:2007/06/17(日) 15:44:33 ID:s/5UHqBl
>>750
ただ信玄は長男に追放されかけてるし
752人間七七四年:2007/06/17(日) 17:36:12 ID:s5YKT9cn
清水宗治は毛利が総崩れの状態(本能寺のおかげで回避)になる前の忠臣ともいえると思う。
総崩れの前の段階なら秋山虎繁も忠臣って事になるんじゃないか?
高松城には一応輝元以下毛利家の主力が後詰に来てるが
岩村城には援軍がない状態で数ヶ月兵糧が尽きるまで持ちこたえたんだから
753人間七七四年:2007/06/17(日) 19:53:30 ID:/AXJNIXV
吉川経家も忠臣でしょう。助かろうと思えば助かったのに
あえて自害をえらんだ
754人間七七四年:2007/06/17(日) 20:26:19 ID:7whKD6V7
ガイシュツだけど渡辺通は泣かせる。
父親の仇である元就のために身代わりを買ってでた忠臣の中の忠臣。
その恩に報いるために、毛利家が明治まで渡辺家を重用したというのも良い。
755人間七七四年:2007/06/17(日) 21:06:40 ID:uYpDewHJ
>>753
吉川経家は毛利の一門だけどな。
756人間七七四年:2007/06/17(日) 21:14:41 ID:mkSBFmlx
毛利は織田の主だった武将を誰一人と討ち取れなかったんだよな
それでいて吉川など一門を失ってる

一方、武田は織田徳川の武将を一応は討ち取ってれる
757人間七七四年:2007/06/17(日) 21:33:51 ID:VhG9TiNB
>>747
前線の拠点を救えなかったら、後は滅亡あるのみ。
武田は、高天神を救えなかったから、あっけなく滅びた。
敵前で籠城しても、救ってもらえないと、誰も命を賭けないよ。
毛利も、高松城を救えなかったら、あっという間に、滅びたんじゃない?
魚津城を見捨てざるをえなかった、上杉もだけどね…。
758人間七七四年:2007/06/17(日) 21:54:35 ID:G+hFHHmH
織田は明智とか岩付とかの後詰に失敗しても崩壊してない
結局、織田と比べたら武田も毛利も上杉も旧時代の勢力という点では一緒か?
まぁいずれにしても信玄も元就も没した後の話だからスレ違いっぽいが
759人間七七四年:2007/06/17(日) 22:05:33 ID:uYpDewHJ
>>758
織田の場合はその3家ほど状況が切迫してなかったんだろ。
まだまだ余力あるし。明智や岩村も重要拠点とまではいかないし。
その3家は織田に国力で劣る上に何年も戦ってじりじりと
追い詰められていた。
その状況で3家は重要な拠点を主力でも救援できなかったという所が
内部を動揺させる大きな理由になったと思う。
「いよいよこの家もおしまいだ」って感じで。
760人間七七四年:2007/06/17(日) 22:38:21 ID:mkSBFmlx
でもまあ毛利は織田に降伏するつもりだったんだから、滅亡を選んだ上杉や武田よりましか
761人間七七四年:2007/06/17(日) 22:43:18 ID:uYpDewHJ
信長のほうはそんな話聞かないで滅ぼす気満々で
出陣の準備に取り掛かっていたんだけどな。
毛利も和議が受け入れられないとわかれば滅亡を選ぶしかないだろうよ。
762人間七七四年:2007/06/17(日) 23:04:50 ID:sF8qJunk
高松城以降も戦いが続くようだと
毛利の重要な城は月山富田城と三原城くらいかな。
763人間七七四年:2007/06/17(日) 23:09:32 ID:mkSBFmlx
逆に信長が元春に討ち取られて織田家崩壊もありうる
764人間七七四年:2007/06/17(日) 23:17:27 ID:s5YKT9cn
>>763
可能性はあるがただ可能性がゼロではないというだけ
ただでさえ高松城の後詰は1万5千程度で対する秀吉軍は3万
これに信長率いる明智もろもろの軍が加わると絶望的な戦力差になる
765人間七七四年:2007/06/17(日) 23:51:53 ID:1e3Sx6cf
意外に信長が逆桶狭間的状況に陥って、に元春にやられるかもな
766人間七七四年:2007/06/18(月) 02:04:02 ID:RFRk0lOB
信長を討ち取っても、信忠が生きてりゃ同じことじゃね?
氏真以外なら、弔い合戦するだろな、フツウに…。
二人とも、討ち取れたら、本能寺の変以上の内乱になるんだろな。
明智も、組下与力が寝返らないまんま、後継者争いに加われるんだから。
767人間七七四年:2007/06/18(月) 02:39:44 ID:/yiJVSjB
織田は本陣を陣城にして固めるだろうから信長の首を取ることは不可能。
また、本能寺が起こらなけりゃ大友も織田に合力することになるだろうから
毛利領は即効で崩壊していたと思うが?
768人間七七四年:2007/06/18(月) 03:45:55 ID:pH3sBacv
俺竜信長のやり方。
開始早々逆桶狭間。
→信長で尾張捨てて義元に全軍突撃。
秀吉は討死したが、家康も戦死させた。この時点で徳川幕府滅亡だぜ。
遠江・駿河と苦戦するも、義元・氏真を捕らえ斬首。
しかし被害も甚大で、柴田も死んだ。
しかし最後の気力で武田に攻め込むことにした。
俺竜信長手勢3000。対する信玄本隊8500・山県率いる別働隊3000。
鉄砲隊にも関わらず、雨の中突撃開始。もろくも崩れ去り、士気も0となり潰走。
信長は善戦むなしく首が飛び、仕方ないので跡目は平手にした。
その翌月に氏康と武田が連合して攻めてきた。
俺竜平手軍には兵は数百しかおらず、あえなく尾張まで敗走。
最後は信頼していた斉藤が同盟を破棄して攻めてきやがった。
しかし俺竜平手もただでは死なん。脳姫を切って壮絶な最後を華々しく飾ったぜ。
769人間七七四年:2007/06/18(月) 13:58:59 ID:fc/MQujL
第一次・第二次信長包囲網ともに簡単に崩壊しているからな
直接の原因は信玄や謙信の病没だけども、根本的には野合集団でしかないから
仮に生きていたとしても、結果は大して変わらなかっただろう
元就が織田との敵対を選択しなかったのが結局正解
徳川のように織田の与党として振舞って地道に力をつけるべきだった
770人間七七四年:2007/06/18(月) 14:45:57 ID:c8TWkadA
1571年までの時点では元就も尼子残党他への対処に忙しくて
織田との敵対なんて考えられないと思うけど。
もう少し状況が推移すればどうだったか。
まあ死んだ時75歳だった元就にそれ以上の寿命を求めるのも酷だけど。
771人間七七四年:2007/06/18(月) 18:57:27 ID:pH3sBacv
毛利か・・。
元就の跡目が輝元じゃなく、小早川隆景だったらかなり違った結果となっただろう。
小早川隆元(輝元父子)、吉川元春、毛利隆景だったら、勿論さらに毛利家隆景の跡目は秀秋にはしないと仮定して・・。
元就の死後、信長より早く上洛するのは不可能だが、隆景が主導権を握れば、京の勢力へ干渉し、宇喜多や細川とかの結束をより強固にできただろう。
信長は上洛後には朝倉や浅井・本願寺や三好集勢力との対決に忙殺され、西国最大勢力の毛利がそこに干渉すれば、信長もかなりの譲歩をしただろう。
毛利の対信長政策は本願寺が攻められた頃ようやく本腰に入ったが(村上水軍を差し向けたり)、本来は武田が動いた時点で動くべきだった。
流石に信長も武田・毛利の東西両方から上洛されれば、降伏はまぬがれず、織田家は滅亡していただろう。
もし仮にそれが無理であっても、本能寺の時秀吉を追撃できただろうし、時間を与えてしまったために、織田家中の混乱期を秀吉にみごとに収拾する時間を与えてしまった。
東に明智・柴田・徳川がいるのに、西の毛利が動かない結果、それぞれ各個撃破されたわけだ。
隆元は関が原でも大阪城に籠もり、結局何もしなかったし、(関が原へ直接行けば、兵の士気も違ってただろうし、小早川秀秋の裏切りもなかっただろう。)
西軍勝利はほぼ確実で、今度は毛利が俄然天下を狙える位置にくる。
確実に天下を狙える機会は何度もあったが、全て動かずに好機を失っている。
毛利の領土に畿内制圧を加えれば、もはや天下に並ぶ勢力なく、天下統一できたはずだ。
772人間七七四年:2007/06/18(月) 19:18:44 ID:UA0qC4mD
マルチ乙
773人間七七四年:2007/06/18(月) 20:05:03 ID:XlSyJvu0
>>771
40歳で没する隆元が関が原まで生き残ってるのがww
774人間七七四年:2007/06/18(月) 20:14:37 ID:ljD16ada
信長を討ち取るのは無理っぽいな。
なんせ信長は逃げ足が速い。
775人間七七四年:2007/06/18(月) 22:02:36 ID:4zpg9MKm
毛利は上手く備中高松に信長をおびき出すことに成功しそうだったのに、
信長が本能寺で勝手に死んじゃったんだよな。
776人間七七四年:2007/06/19(火) 00:16:04 ID:gyVwGBUW
>>771
隆景子どもいないから御家騒動の危険が

>信長は上洛後には朝倉や浅井・本願寺や三好集勢力との対決に忙殺され、
>西国最大勢力の毛利がそこに干渉すれば、信長もかなりの譲歩をしただろう。
対三好と言うことでその時毛利と織田は協力関係
そしてその時期毛利も大友尼子浦上宇喜多三好村上と戦っている
それらの問題が取りあえず片付くのは1575年以降
武田が動いた時点で毛利が動くというのは不可能、史実をあまりに無視している

大友との和睦を維持できて1566年から東進していればまた違うだろうけど
777人間七七四年:2007/06/19(火) 01:38:34 ID:MDq2oSc4
信長 B型
秀吉 O型
家康 A型
信長は天才
秀吉は凡人
家康は卑怯
778人間七七四年:2007/06/19(火) 09:12:51 ID:cw4ABj1Y
信長はA型で確定してますが
確かに信長は卑怯ですね
779人間七七四年:2007/06/19(火) 09:54:27 ID:bxlxNYn9
毛利隆元は暗殺されたとも病死ともいわれているけど
幼君の輝元を後継ぎにしなけりゃいけなくなったのは辛い
家が乱れてもおかしくなかったし
輝元自身も内治・平時の人という感じで、祖父のような戦才や権変はなかった
信玄も、後継ぎを切腹させなきゃならず、御家滅亡の一因となってしまった
この時、創作でいわれるように本当に信勝を当主にしてたらどうなっただろう?
780人間七七四年:2007/06/19(火) 10:12:52 ID:ttVOocI3
>>779
後見人になるであろう勝頼率いる諏訪衆(主流派となるのかな?)
穴山・小山田ら一門・親類衆、譜代の甲斐国人衆らとの間での主導権争いは必須

少なくとも史実で勝頼が当主となった時以上に表立って主導権争いをし分裂するんじゃないの?
781人間七七四年:2007/06/19(火) 14:05:58 ID:B5O8zNcy
誰が後継になろうと、信玄の残した負債の処理は不可能だろう
重税、外交不信、家臣団の軋轢etc……
特に織田徳川と修交不能なほど仲違いしたのは痛い
782人間七七四年:2007/06/19(火) 14:27:10 ID:2lZZ/qf9
長篠後あたりならまだ織田従属という手があるんじゃないか
で、その中央権力を背景に権力強化
783人間七七四年:2007/06/19(火) 22:00:17 ID:Mk6IOCai
武田が権力強化w
真っ先に取り潰しに遭いそうだ
784人間七七四年:2007/06/19(火) 22:05:06 ID:Zo8SG4L7
真面目に信長からの領地の大幅削減通達とそれに反発した家臣の謀反とか起きそうだ
785人間七七四年:2007/06/19(火) 22:06:22 ID:YNkDtBM0
謀反というか家臣たちの声を抑えられなくなりやむにやまれず抗戦→滅亡
の流れにいきそうな悪寒。
786人間七七四年:2007/06/20(水) 00:51:33 ID:TSKOz0oU
>>783
なんで権力の強化を行ったら取り潰すのか関連性が見えん

>>784
良くて甲信だけ、或いは甲斐以外召し上げだろうな
武田家臣がそれに反発した場合に、武田が織田に救援を要請となれば、武田の織田への依存が高まるし、別に問題ないんじゃないか
787人間七七四年:2007/06/20(水) 04:38:06 ID:rs6E2YjM
武田は元々が豪族連合な色合いが強いし
織田に従属するのを選んだら、周りの方から躍起になって織田に尻尾振って、武田本家は見捨てられんじゃね?
信玄時代からの負の遺産があるから、誰も義理立てして本家を盛り立てそーにない。

史実での、長篠大敗以降の見捨てられっぷりを考えたらな。
788人間七七四年:2007/06/20(水) 11:20:41 ID:YfSWEshw
規模こそ違えど荒木村重がいた池田家や播磨赤松家と似たような惨状になりかねない、か
どのみち織田に安易に従属しても茨の道には違いなさそうだ
789人間七七四年:2007/06/20(水) 11:38:45 ID:hyW8UyIV
毛利は息子を他家へ養子に出し、他家を乗っ取り勢力併合を謀った
息子の器量もよく、朝鮮でも有能な働きをし日本中に智将として評価され、本家の補佐を担った

一方、武田は一人の息子を切腹させてる、またその後も跡継ぎはっきりさせず
その不手際で勝頼と家臣団の対立を招いてる
790人間七七四年:2007/06/20(水) 11:48:41 ID:hyW8UyIV
騎馬軍団など派手さでは武田好きだが
跡継ぎ問題からして毛利のほうが人間的により有能かどうか証明されてしまってる

つうか、せこい地方内の諍いでいつまで言い合えば気が済むんだ
身一つで勢力を起こし、欧州とも争い世界一広大な帝国築きあげたチンギス・カーンをみならえつうの
まぁ劣島民そのものに世界進出する地力が足りたとも思えんが
791人間七七四年:2007/06/20(水) 14:03:32 ID:I9g/JiIV
今時騎馬軍団とかいったら釣り糸ミエミエ
工夫を要する
792人間七七四年:2007/06/20(水) 18:13:15 ID:+gIgbPF8
兵数が上という戦略的優位にありながら
戦術レベルで村上、謙信に大打撃を受ける
とても合戦上手とは言えないだろ
793人間七七四年:2007/06/20(水) 18:20:26 ID:BnMIrGPS
2007年6月9日リチャード・コシミズ 京都講演動画

http://video.google.com/videoplay?docid=-5531771243763964471&hl=en
794人間七七四年:2007/06/20(水) 18:32:35 ID:nt+1MU5z
実は戦上手といわれている武将の多くが劣勢の敵に苦戦してたりする。
795人間七七四年:2007/06/20(水) 18:48:05 ID:+gIgbPF8
城攻めではしょうがないかもしれないけど
野戦で寡兵に負けるのはどうかと思う
796人間七七四年:2007/06/20(水) 19:15:09 ID:nt+1MU5z
まあ、そんな事を言ったら大軍で寡兵に負けて討ち取られてしまった
肥前の熊さんや西国無双さん、殺されかけた大権現様の立つ瀬がありませんなw
797人間七七四年:2007/06/20(水) 20:18:13 ID:e7Of6Ks0
信玄と彼らの差は、その時討ち取られなかったかどうかに過ぎないからなー
運の差、といえばそれまでだが
798人間七七四年:2007/06/20(水) 20:31:35 ID:nt+1MU5z
大軍で寡兵に負けたり殺されかけた
熊さんや西国無双さんや権現様がそれでも戦上手といわれている事は事実。
むしろ相手の島津や元就、真田が名将と称えられている。
強い相手に苦しめられたからって戦上手じゃない、というわけでもないでしょう。
799人間七七四年:2007/06/20(水) 21:00:49 ID:OVLHGgWc
武田厨必死すぎ
800人間七七四年:2007/06/20(水) 21:43:19 ID:e7Of6Ks0
同じ武田厨でも、メガトンとかは西国無双さんとかは弱かったから扱いなんだけどね
やっぱりあれは異常例かw
801人間七七四年:2007/06/20(水) 21:48:31 ID:nt+1MU5z
武田ファンでも他の武将を評価しないわけじゃないですよ。
多くの人がそうだと思うけど。
802人間七七四年:2007/06/20(水) 21:50:31 ID:rs6E2YjM
大内氏における、実質的な軍事部門の総大将、陶晴賢が本当に弱かったら
流石の元就も尼子の侵攻に対抗できんかったかもな。
803人間七七四年:2007/06/20(水) 21:54:06 ID:e7Of6Ks0
ああ、そういえば陶指揮下の援軍で吉田郡山城の攻囲が解かれたんだっけか
804人間七七四年:2007/06/21(木) 07:21:42 ID:zMwOqE0v
劣勢の敵は死兵
あたるべからず
大軍を擁する軍団は作業が多くなるし、兵糧の問題が深刻。それに優勢=既に勝ってる心理状態なので、兵が死を恐れる(死んだら元も子もない)
805人間七七四年:2007/06/21(木) 19:26:54 ID:VNozBBgq
>>792
まだこんなこと言ってる兵法知らずの小学生がいるのか。
元就程度の戦術で倒れる武将しかいないのが中国地方だっつうの。
そもそも若い大将の時期には試練というものが必ずある、老獪な戦上手
と戦ったことが無い元就なんて信玄様と比較してもらおうなんて100万年
はやってこと。
いつまでも戦術論ばかり語り合ってても意味ないね、信玄の巧みな采配の前には
元就の弱者の戦術なんて通用しないでしょうね。
806人間七七四年:2007/06/21(木) 20:09:35 ID:keKFi0aq
>>805
うわ・・・久しぶりに来やがったメガブタ
807人間七七四年:2007/06/21(木) 20:37:03 ID:aB4NJudg
本屋で日本史おもしろクイズってのを立ち読みしてたら
信長時代の毛利の石高が乗っていたので暗記してきた。
それによると187万石だそうだ。
808人間七七四年:2007/06/21(木) 21:36:12 ID:keKFi0aq
>老獪な戦上手と戦ったことが無い元就なんて

そもそも、元就自体が老獪なんだから。
信玄が村上に負けた理由を老獪のせいにするなら、
老獪な元就に信玄が勝てる理由は見当たらない。
809人間七七四年:2007/06/21(木) 21:54:53 ID:ONGGOPZG
>>805
コテも付けずに逃げ腰の豚w
説得力ゼロw
810人間七七四年:2007/06/21(木) 22:20:51 ID:VNozBBgq
>>808
wwwやっぱり頭の悪い単細胞は、元就が最初から老獪だと思ってるんですね(笑)
元 就 に は 信 玄 み た い に 若 い 時 期 は な か っ た の で す か ?
成熟した時期の元就と、若い荒削りな時期の信玄を比較することによって、強引に
元就の方を優位に話を進めようとする哀れな毛利厨www
残念だけど信玄の戦略性と采配の前には元就が勝てる理由の方が見当たらないねどう
考えても(笑)
見事に統率してきた家臣団を操る信玄と、それ程でもない元就とでは比較にならないしね。
811人間七七四年:2007/06/21(木) 22:27:42 ID:8TU8UpQo
>>807
それ宇喜田の50万石余りを毛利の領土として計算してない?
でないとちょっと考えられん。
812人間七七四年:2007/06/21(木) 22:31:00 ID:VNozBBgq
武田信玄といえば

北陸の雄こと上杉謙信、関東の覇者こと北条氏康の軍勢を打ち破ってきた男
領土拡大を阻止しようとする大勢力を蹴散らし、更に広範囲に渡って中部地方
を席巻していった最強の男!



毛利元就といえば

経久と義輿という名将が死んだ後、ボンボンバカボン大名ばかりの中国地方を掠め取り、攻め倒した
大勢力は衰退傾向まっしぐらの家ばかり。
ま、その戦略や戦術を影響させてきたのが中国地方限定であれば、そりゃあ最強と呼ばれるわけないよね。




813奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/21(木) 22:31:28 ID:/91k/a4B
お、帰ってきたかな?
814人間七七四年:2007/06/21(木) 22:34:19 ID:VNozBBgq
>>811
毛利厨は、ただひたすら見得を張りたいだけの田舎者の集まりですからw
元就生前の石高なんて明らかに100万石以下だよ、中国地方西半分と少し
しか領土化してないからね。
815人間七七四年:2007/06/21(木) 22:38:04 ID:8Vi62I59
せっかくいい方向にいってたのに帰ってくるな。
816人間七七四年:2007/06/21(木) 22:44:22 ID:keKFi0aq
>>812
>北陸の雄こと上杉謙信、関東の覇者こと北条氏康の軍勢を打ち破ってきた男

で? 信玄が侵略できた、上杉謙信と北条氏康の領土はどのくらいあるの?
打ち破ったというくらいだから、相手の規模から考えたら最低50万石は
あるのだろうな。
817人間七七四年:2007/06/21(木) 22:46:55 ID:VNozBBgq
間抜けな毛利厨ときたら、痛いところを付かれるのが怖いもんだからね。

元就の両川体制などという極めて中途半端な体制を、天下人に散々付け込まれた事に対する言い訳はどうした?んん?
信玄が戦ってきた相手の強さと、元就が戦ってきた相手の弱さに対する言い訳はどうした?んん?
信玄の統率力と軍勢の組織化に対する言い訳はどうした?んん?
若く初々しい信玄と都合よく老獪な時期の元就との比較に対する言い訳はどうした?んん?
中国統一などというのはデタラメで、結局半分程度しか統一できていないことに対する言い訳はどうした?んん?

818奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/21(木) 22:48:36 ID:/91k/a4B
会話しろよおまえら。
819人間七七四年:2007/06/21(木) 22:56:57 ID:8Vi62I59
>818
メガ豚にまともな会話を期待してもしょうがないじゃん。
820人間七七四年:2007/06/21(木) 22:56:58 ID:VNozBBgq
>>816
なんだそりゃ?信濃や駿河は元々上杉や北条の領だと言いたいの?
で?謙信も氏康も信玄の領土拡大を阻止出来なかったのは事実ですが何か?
特に北条の場合は信玄の相模侵攻をやすやすと許し、外交でも負け、戦でも負け、
結局駿河を先に信玄に取られるという失態続き。
821人間七七四年:2007/06/21(木) 23:05:56 ID:keKFi0aq
>>820
>なんだそりゃ?信濃や駿河は元々上杉や北条の領だと言いたいの?

川中島や三増峠で上杉や北条を破ったんだろ? ならそのとき勝ち取った
領土はどのくらいなんだ? 武田の侵略戦だったのだから勝ちというからには
成果があるはずだよな。


>特に北条の場合は信玄の相模侵攻をやすやすと許し、外交でも負け、戦でも負け

ほほう。すると武田は当然相模を占領したんだよな?
822人間七七四年:2007/06/21(木) 23:09:46 ID:aB4NJudg
>>811
本を作った人の解釈によるだろうからね。
823人間七七四年:2007/06/21(木) 23:44:27 ID:XtLTftr0
充電後のメガトンに期待してたんだが…
言ってる事が同じじゃねーか
824人間七七四年:2007/06/21(木) 23:50:21 ID:VNozBBgq
>>821
wwwwwwwwほんとに何も知らないんだね、こりゃ恐れ入ったよwww

まあ負けた言い訳として、領土を取られて無いなんてのはいくらでも言えるよな
何せ元々越後や相模の領土なんて信玄の戦略外なんだし。
しかし北信濃争奪での勝利が飛騨や西上野まで勢力を伸ばせる要因にもなるという
考えは、無知単細胞には理解出来ないんだろうね。
同様に相模侵攻も平定が目的ではなく、駿河侵攻を阻止しようとする北条の本領を
突いただけの威嚇行動だという戦略も理解出来ないだろうね。


825奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/21(木) 23:51:12 ID:/91k/a4B
よし、本調子だ。
826人間七七四年:2007/06/21(木) 23:55:14 ID:VNozBBgq
ま、がら空き状態の中国地方では、やすやすと平定出来て当然だよね。
東国みたいに常に大勢力が密集してるわけじゃあるまいし。
しかしまーーーた話を信玄のことだけにしか向けることが出来ない
アホウで大タワケで臆病な毛利厨はからかってて面白いねwww
827人間七七四年:2007/06/22(金) 00:07:42 ID:QUMZz5Wz
メガ豚の偽者もやってもいいですか?
828奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/22(金) 00:12:41 ID:Oa4viVt0
>>827
ここではどんどんやっていいんじゃない?
829人間七七四年:2007/06/22(金) 00:13:27 ID:8+HSthSJ
>>826北条を撃退した事に反発しているようなレスは、おそらく北条厨
だと思うよ。
あいつらって信玄を外交で封じ込めなかったり小田原を囲まれたり戦で
撃退された挙句に信玄の今川領侵略を阻止出来なかったことは棚に上げて
ひたすら、外交は信玄の手腕より運だとか、三増峠での戦いは捏造だとか
しか主張することが出来ない真性の馬鹿ですから。
だから信玄の威嚇目的での小田原侵攻にしたって、結局北条厨からすれば
威嚇されたのは棚に上げて、ひたすら信玄は相模を攻め取れなかったとか
しかいいわけできない馬鹿なんです。
830人間七七四年:2007/06/22(金) 03:41:57 ID:52yeG4Rm
本能寺の変の情報仕入れ迅速に行動、滝川一益を完膚なきまでに叩き潰した北条
本能寺の変の情報把握遅れ、羽柴秀吉をとり逃がした毛利
831人間七七四年:2007/06/22(金) 06:57:23 ID:8eU1BbU5
>>820
謙信に越後侵入阻止されてんじゃん
832人間七七四年:2007/06/22(金) 07:16:37 ID:ItUyv3Rl
>>830
あんな遠くにいる地方独立勢力が全ての情報掌握してるわけないだろ
元就が居ても無理だよ

まぁ、北条厨装った釣りだろうけど
833人間七七四年:2007/06/22(金) 07:47:38 ID:52yeG4Rm
>>832
信長が死んだ これのみでいい
北条はこれを期に織田との同盟破棄、一気に滝川攻めに転じた そして戦果をあげた

毛利ななんじゃありゃ 秀吉に騙されて備中高松城主を見捨てるわ
織田の死を知っても追撃せぬわ 隆景は負け惜しみの弁明するわ呆れてものが言えん
834人間七七四年:2007/06/22(金) 08:00:11 ID:YjQdSY4T
毛利は、両川が強くなりすぎて統制が取れなかったっていう話はあるな
隆元の早死が痛すぎたかな

って、これ元就の評価と関係あるのか??
835人間七七四年:2007/06/22(金) 08:27:40 ID:mDYKJvOr
ないよなぁ全然
836人間七七四年:2007/06/22(金) 08:29:26 ID:j17/bm3K
>>833
毛利が信長の死を知っていようといまいとどの道追撃は無理
秀吉が別所などを攻めている間、宇喜多に阻まれていたのだから
追撃したとしても毛利の抑えとして置かれている宇喜多に阻まれるだけ
村上水軍が織田に寝返っているので海上での優位も落ちているしね

長期的に見ればここで妥協した毛利と
調子に乗ってしまい秀吉に抵抗してしまった北条という歴史的な流れになる第一歩か?
837人間七七四年:2007/06/22(金) 09:01:02 ID:52yeG4Rm
>>834-835
元就の息子どもは阿呆だらけだったから、親の評価はガタ落ちってこと
あ、秀包のみは高評価してもええぞ
あいつが輝元に代わって毛利家当主になったら救われたのになあ
838人間七七四年:2007/06/22(金) 09:15:07 ID:AhWTlXtV
ようやく毛利ファンと武田ファンでぼつぼつ良い意味での合意が完成しつつあったのに……
メガトンを見ると、他の武田ファンにはそうそう厨という言葉は使えないな
わざとやっているのならいい加減ウザったいし、真性なら手のつけようがない
839人間七七四年:2007/06/22(金) 17:22:10 ID:8+HSthSJ
>>838
ようやく武田VS毛利の骨肉?の対立が納まったと思いきや、
君のような人間がメガトンがどうだとか言い出すとまた荒れる
ということに気がつかないからアンチ武田は駄目なんだよ
軍勢を動かしやすい寡兵での合戦で勝つことだけが戦巧者と
思っている毛利厨や、史実を捏造したがる北条厨に歴史を語る
資格はないね
840田橿:2007/06/22(金) 17:40:39 ID:ItUyv3Rl
>>839
メガトンさん、そろそろ失せな
武田ファンに失礼だっての
841人間七七四年:2007/06/22(金) 18:02:01 ID:YGczzr1J
今までの流れがこのスレに久々に訪れだ平和だっただけに正直もうメガ豚には来ないで欲しい
842人間七七四年:2007/06/22(金) 22:25:55 ID:mFDJfaxm
>>826
>東国みたいに常に大勢力が密集してるわけじゃあるまいし。

(゚Д゚)ハァ? 東国は大勢力が常に密集? 



μηκο..._〆(゚▽゚*)

843人間七七四年:2007/06/22(金) 23:27:14 ID:mhWGAdSU
>>842バカの相手は疲れるからやめとけ…
844人間七七四年:2007/06/22(金) 23:43:09 ID:4/sLAGwQ
>>577
武田信玄>>>ナポレオン、カエサル、アレクサンドロス、チンギスハーン
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1180002099/

95 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/06/10(日) 22:20:52 0
正直なところ、村上や長野に何度も敗北して、上杉には勝利できず、北条や
今川相手に華々しい活躍をした訳でもなく、甲信一帯で暴れていただけの武
田のどこが「戦国最強」なのか、さっぱり分かりません。
信玄はそれなりの人物であったでしょうし、戦った上杉の戦歴からいっても
強さは窺えますが、戦歴からいえば毛利や竜造寺や島津の方が凄い。
寡兵で勝利したという点や元々小勢力だったという点を考えれば、毛利が頭
一つ抜けている。
94氏も言われている通り、やはり甲州流軍学の影響でしょうね。
武田の旧臣が徳川に流れたことも大きかった。
845人間七七四年:2007/06/23(土) 00:03:55 ID:fGyeuZAU
なんで2重レス?
846人間七七四年:2007/06/23(土) 09:39:37 ID:noldHhOF
元就の残した遺産はたいしたもんだよ。
あの織田の侵攻に耐え、本領には一歩も踏み込ませなかったんだから

それに比べて信玄が残したものってなんだったんだろうね。
織田に一方的に蹂躙されて滅亡だもん
847人間七七四年:2007/06/23(土) 09:45:38 ID:o/Y45Kw3
>>839
>軍勢を動かしやすい寡兵での合戦で勝つことだけが戦巧者と思っている

そんな理屈がまかりとうるなら、軍勢を小分けにすればいいじゃん。
でも、現実にそんなことをしたら、兵力分散の愚ってやつで大抵
負けるけどね。
848人間七七四年:2007/06/23(土) 10:07:45 ID:29Wo4+do
>>846
本能寺に助けられたな
849人間七七四年:2007/06/23(土) 10:48:17 ID:zxAhwwF/
>>846
ランドパワーかシーパワーかと言うところかな。
武田ももう少し早く海に抜けられていれば
海というものが使えたろう。
(勝頼の頃にはランドパワー至上主義が戻っていたので
滅亡するのは同じだったろうがね)
850人間七七四年:2007/06/23(土) 11:15:54 ID:3z0bpUmy
元春、隆景が生きている間は、両川体制は、うまく機能している。
両川相互の意見の食い違いはあったが、両川自身、名将の誉が高く、何より両川両者ともに、毛利本家の為にという意識が強かった。
両川体制が、毛利の衰退の遠因と言うよりも、両川亡き後も、合議制を引きずった、輝元の怠慢だろうな。
851人間七七四年:2007/06/23(土) 11:31:59 ID:o/Y45Kw3
むしろ幼君で滅びなかったのは重畳というべき。

豊臣は幼君であるがゆえに、家臣が分裂し滅びた
852人間七七四年:2007/06/23(土) 13:16:44 ID:noldHhOF
元就と信玄のどちらが遺した体制が優れているかは対織田戦を見れば一目瞭然
853山形義光:2007/06/23(土) 13:25:29 ID:4DJ49g5c
どこがどう、一目瞭然なのか説明しとくれやす
854人間七七四年:2007/06/23(土) 14:52:05 ID:fGyeuZAU
>>851
毛利輝元って元就の後を継いだ時は確か18くらいだったはずだが。
855人間七七四年:2007/06/23(土) 15:29:22 ID:t8oYec0Y
両川体制っていうか養子外交自体が、国人である毛利氏が伸し上がっていくための必須手段だったからな
信長も伊勢に取り掛かる頃には似たようなことをやっている
信玄も養子とか名跡継がせとかよくやっていたし(ただしこちらは既に滅んだり、滅ぼしたりした家を再興させる形式のほうが多かった)
結局のところ織田→徳川ラインで時代が進むまで合議制がメインだったんだし、そこらへんを責めるのは酷
856人間七七四年:2007/06/23(土) 17:05:20 ID:o/Y45Kw3
>>854
ゴメン。11で家督を継いだときは爺さんがまだ生きていたね
857人間七七四年:2007/06/23(土) 20:17:13 ID:LaFz49Bl
形式的な家督継ぎは11、実質的には18ってとこかね。

でも輝元の年齢以上に、隆元の急死によって止む無く息子でなく孫が後継者になった
という側面の方が大きいとオモ
元就も隆元も、まさか当時の輝元に帝王学を教えていたとは考えにくい。

関ヶ原以降の輝元の財政建て直しなどを鑑みれば、輝元が無能、とは断じ難いんだよね。
やはり急遽の後継者ゆえの、乱世に対する適応力のような物に問題があって
治世での政治手腕は平均以上と評して良いのではないだろうか。

毛利家最大の悲劇は、間違いなく隆元の急死。
それを一族の力によって乗り越え、幕末まで勢力を残したのは大したもんだ。
858人間七七四年:2007/06/23(土) 20:23:07 ID:U935RTaV
毛利家の場合、一門衆は比較的優秀で信頼もおけたようだけど
武田家は小山田とか穴山とか、信頼できなさそうな連中が多そうだ
859人間七七四年:2007/06/23(土) 21:05:29 ID:o/Y45Kw3
中途半端に優秀だと勝頼みたいに滅びの道を
歩むことになったかもな
860人間七七四年:2007/06/24(日) 00:16:55 ID:/IE+yeaU
小山田信茂って武田家滅亡ぎりぎりまでは裏切らなかったけど、
長篠の合戦後から滅亡までに怪しい行動をしてたとかいうことあったっけ?

信茂の裏切りは利己的なものというよりは郡内を守るためのやむをえないものだった気がする
すくなくとも恩賞加増を狙っての裏切り(北条も織田方なので可能)ではないだろうね
最後の最後まで離反しなかったのは評価してもいいんじゃない?
861人間七七四年:2007/06/24(日) 00:27:51 ID:NXt1RP3I
ちょっと前に同盟破棄して攻めた北条はすごい
追撃しなかった毛利は馬鹿
とか書かれてたけど滝川一益は上野に入ったばっかりで 武 田 残 党の件もあって
秀吉と置かれている状況とでは違いが大きいと思うのだが。

そもそも滝川一益を高く評価しているの?
862人間七七四年:2007/06/24(日) 00:27:55 ID:PWZmGYkS
むしろ最後の最後で離反したから評判悪い
863人間七七四年:2007/06/24(日) 00:33:01 ID:YEWFZsh1
>>860
逆だろ。最後の最後で裏切ったのが評価できないんだよ。

だらか信長に殺されたんだ。
864人間七七四年:2007/06/24(日) 00:44:11 ID:532ZQXOK
滝川好きなんだけどな、俺…
秀吉スキーが晩年の失態を弁護出来んのと似ていて
どうも信長死後の滝川は著しく精彩を欠くんだよな。
信長の死で全てが狂ってしまった悲劇の名将というイメージが強い。

同盟破棄して相手を攻めた北条は滅亡し
盟約を守って相手を見送った毛利は存続した、という対比は面白いと思う。

五万VS二万とはいえ、滝川に勝利した北条氏邦の優秀さは賞賛されるべきだが。
865人間七七四年:2007/06/24(日) 00:53:38 ID:532ZQXOK
小山田について追加レス。

織田方からしても、寝返りによる敵の戦力減少などが既に必要ないような情勢だったからね。
それに、加増狙いで情勢の定まらぬ内に寝返ってきた、利に聡い輩の方が
自分が滅びそうになってから慌てて媚を売って寝返りを打診してくる輩よりマシでしょ。
勝者の側から見た、心理的な問題だけど。
織田が小山田を許さなかったのは「最後の最後で寝返ってきたから」というのは正解に思える。
866人間七七四年:2007/06/24(日) 12:29:25 ID:YEWFZsh1
信長は潔癖だからね。

最後まで裏切らなかった真田は許されたしな。
867人間七七四年:2007/06/24(日) 12:52:37 ID:GtWkYFdI
信玄細大のミスは、今川・北条を裏切ったこと
なぜ武田がしばしば格下に大打撃を受けながらも踏みとどまって拡大できたかというと、相対的に相手より勢力が大きいことと並んで後背が安全だったから
ところが機会主義的に今川を攻め、さらに連鎖して徳川織田に対してまで背信をやった結果、飛騨方面を除くほぼ全包囲が敵か、潜在敵と化した
勝頼時代の武田家を見ると、所領は信玄時代より上にもかかわらず、野戦兵力が目減りしていくという状態
長大な勢力境界線に守備兵力を常駐させなければならなくなったから
信玄は、自分がなぜ勝てたのかも理解できなかった凡将
地盤が弱かったらすぐ滅びてただろうね
868人間七七四年:2007/06/24(日) 13:40:28 ID:Hy/6r+fY
つーか悪党の上にボンボン育ちだから、他人に対する想像力が欠けてたんじゃね。
だから周りの連中を怒らせるような裏切りを平気で連発して、嫌われまくって孤立したんだとオモ

信玄自身は自分の、なんとゆーか、ハッキリ言っちゃえば大して戦が上手くないってのは分かってたでしょ。
豪族相手にあれだけ負けといて気づかない訳がない。信玄は馬鹿じゃなく、頭のいい男なんだから。
だからこそ、今川上杉北条相手に裏切りを重ねて何とか領土増やした訳で、朝倉に釘付けの織田を裏切ったのも、ある意味仕方ないというか信玄のカルマみたいなもん。
869人間七七四年:2007/06/24(日) 14:21:41 ID:YEWFZsh1

武田信玄じゃなくて、ダメダ信玄に改名すべき
870人間七七四年:2007/06/24(日) 14:26:11 ID:y4QNAZ2P
湿布晴信
871人間七七四年:2007/06/24(日) 14:50:52 ID:1XT8ZTP9
小山田の問題は、「降服、寝返り(帰り忠)の作法が守られていない」というのがあると思う。
降服するにも、なすべき作法や手順、ルールというものがある。
872人間七七四年:2007/06/24(日) 18:08:57 ID:qN1jKlPP
>>867
無知から始まった駄文ですね
873人間七七四年:2007/06/24(日) 18:22:59 ID:l/rtsd7T
駄文を書く為に生まれてきたのが毛利ファン
874人間七七四年:2007/06/24(日) 18:37:20 ID:n/07oqmp
>>867の文章は、確かに、誤字は目立つが、そんなに荒唐無稽とは思えないんだけど。
875人間七七四年:2007/06/24(日) 20:48:48 ID:YaMQYyV4
武田信玄のほうがどう考えても上
元就に甲州法度が作れるか?
主君自らも従わねばならないとした法度だよ。

軍事は言うまでもなく政治も信玄>>>>>>>>>もとなり
876人間七七四年:2007/06/24(日) 21:06:00 ID:DuoDR7Fk
でもなぁ自分の次を考えていたかでは
元就>>>>>>>>>>>>信玄
織田包囲網の一角を担ってしまったので軍事で手一杯になり、
本願寺にも援助し続ける構図が出来上がってしまった。
877人間七七四年:2007/06/24(日) 21:14:09 ID:cjPePzxH
まあ、元就のあとで輝元もそっくり同じ事してるしな。
元就が信長包囲網に入らなかったのも1571年までの状況じゃ
そもそもそんな事考えられなかったかからだし。
878人間七七四年:2007/06/24(日) 21:29:45 ID:YEWFZsh1
>>875
甲州法度がそんなにすぐれていたなら、
武田家も滅びなかったろうよ。
879人間七七四年:2007/06/24(日) 21:42:14 ID:532ZQXOK
>>867-868
「豪族相手と違って国持ち大名には力押しの戦で勝てない」→「頭を使って勝つ」
という流れは間違ってないと思う。
信玄の場合、それが批判されてしまうのは、裏切った相手が健在のままだった事なんだよね。
例えば川中島にしたって
「謙信に戦では勝てず、領土割譲して講和を結ぶ」→「その後に講和を破って領土奪回」
だが、これだけじゃプラマイゼロ、裏切って敵の怒りを買い、外交的信用を失っただけ損とも言える。
「その後に越後侵攻に成功し、上杉を滅亡させた」となれば、信玄は正に名将と称えられていた事だろう。
でも実際は「戦で勝てないから裏切り行為によって何とか引き分けに持ち込んだ」に過ぎない訳で
信玄の裏切りは「成果を残せなかった裏切り」の部類に入るからこそ、それを批判されるんだろね。

最大の成功、とも言える裏切りだったのは対今川。これによって駿河を獲得。
ただ、その代償が後継者の義信との政治的対立では…
「金山を掘りつくしてしまったから、どうしても駿河の経済力が必要だった」
という背景もあるんだろうけど
それはそれで「目先の領土欲に負けた。大局が見えない男」との評価を受けてしまう。

敵のスケールこそ違えど、元就だって
「尼子・大内に力押しの戦では勝てない」→「頭を使って勝つ」
という流れは同じだった。
陶相手にも、一度は服従の姿勢を見せた後に、吉見正頼らと結束して体勢を整えた後に反旗を翻す、など行っている訳で
裏切った陶相手にジリ貧で勝てなかったなら、元就も信玄同様に批判されていた事だろう。

最大の違いは
元就が稀代の戦上手であり、信玄が平均よりは上の指揮官でしかなかった、という事だろうね。
元就だって、神懸り的な戦術能力を有していなかったら
信玄と同じように背信、裏切り行為を重ねる事によって勢力を拡大していくしかなかったかも知れない。
そういう意味では、元就こそ恵まれていた、とも言える。
織田や武田など、同時代の人間が元就を英雄だとマンセーしまくってるのも、
ひとえにその軍事的才能に対する憧憬が大きかったはず。
880人間七七四年:2007/06/24(日) 22:46:16 ID:2zd1qyif
元就は、天皇や朝廷・将軍も上手く活用してるからね。
陶を討つ時や義弟を粛清した時など
天皇から詔を貰って大義名分を得てる。

逆に、将軍や朝廷の調停を無視して痛い目に
あった事もあるけどね。
881人間七七四年:2007/06/24(日) 22:48:05 ID:YaMQYyV4
元就と信玄のミスをそれぞれ挙げてみて
たぶん信玄にはほとんどないだろうけど
882人間七七四年:2007/06/24(日) 23:43:49 ID:5EfsGpIX
暗愚な後継者しか残せなかった毛利
家を滅ぼす後継者しかいなかった武田
883人間七七四年:2007/06/25(月) 00:01:30 ID:qQvwb8/n
信玄のミスは散々っぱら指摘されてるよーな。
ちなみに俺は「不義、背信を重ねながら破滅へと突き進んでいった悪党」な信玄像は大好きだ。
大恩ある織田までをも裏切ってから死んでしまう徹底ぶりなど、一種の美学すら感じる。
必然の悲劇担当は息子の勝頼に押し付けて、暴れるだけ暴れた自分はさっさと退場するのも痛快だしな。
だからこそ、信玄を神格化してマンセーするような輩には嫌悪を感じるんだが。

>>879
元就の戦術が神じゃなかったら信玄ルート辿る前に有田合戦で滅びてたんじゃね?
884人間七七四年:2007/06/25(月) 12:44:00 ID:xCMOEnfv
毛利の場合、吉川広家なんかは結果として家を苦境に追いやったけど
動機は「徳川と内通するしか毛利家を残す道は無い」という忠心からだからなー
一門衆すら裏切りまくった武田と比べると、結束力は段違い
ただ、そんな連中を率いてい破綻させなかった信玄は普通に凄いと思うよ
何しろ度重なる裏切り・離反を事前の粛清で防いでるんだから
一門衆の勝沼や信濃豪族が連合して上杉に内応する事件をぶっ潰した手際なんて見事
885人間七七四年:2007/06/25(月) 12:47:36 ID:yKl5mr3v
その後に族滅してりゃ世話ねえやな
886人間七七四年:2007/06/25(月) 23:06:21 ID:qQvwb8/n
粛清は必要悪ではあるが、少ないに越した事はない。
そして、実際に起こってしまうよりは、未然に防いだ方がいいやね。

つーか失態の数々を考えると前期信玄>>後期信玄はFA?
887人間七七四年:2007/06/25(月) 23:22:31 ID:oCOdIbZP
FAでしょ
前期と後期で敵の強さが違ったというのもあるな

案外第四次川中島でボロ負け食らった時に弟ともども殺されて後は影武者だったとか
元就みたく身代りとなってでも守ってくれるような家臣はいたんかな?
888人間七七四年:2007/06/26(火) 00:32:36 ID:FNHoWHpD
>>887
影武者で組織運営は無理じゃね?
影武者を誰が動かすかで激しい内部闘争勃発とかがオチだろうし
歴史上影武者ではなく当主が死に
影武者をそのまま当主の代わりとしたって例はあるのかな?
889人間七七四年:2007/06/26(火) 04:37:14 ID:2bAeyTFz
というか後期においては前半と違い戦術ではほぼ負けがないんだけどな。
ちゃんと西上野・駿河・徳川領と拡大もしてるしな。
西上野経略は戦略的にもなかなかのものだと思うし。
890人間七七四年:2007/06/26(火) 05:59:28 ID:E6F58xV/
後期は政治的な失策が…
むしろ前期は戦術で負けておきながら成功の過程を辿っているのが凄い。
三国同盟で後背の安全を確保、国力で劣る相手に領土拡大、と立派な戦略家の道を保持してる。
戦術の失敗をカバー出来る戦略家ってのはマジで凄いよ。
「敵が弱い」っていうのも褒め言葉。大国と結んで弱敵に向き合い、領土拡大すんのは立派な戦略。
後期(川中島以降?)は逆に領土を増やしても、それが内部問題、外交問題に繋がってマイナスになってるよーな。
駿河侵攻の是非なんて、それだけで一スレ消費できるかも。

影武者云々はネタとしても
優秀なNo2である弟の信繁が死んで、組織的に弱くなってしまったというのはあるかも知れないな。
891人間七七四年:2007/06/26(火) 07:53:41 ID:3hHFWrw1
信玄は、死の直前まで自身が当主として全権を管理しなきゃならなかった
家督を継がせておくこともできなかったから、領国負担を強いた遠征の成果を殆ど刈り取れずじまい
健康問題は自覚症状があったようだが、それでも病身で指揮を取らなきゃならない破目になったのは嫡子粛清のせいか?
892人間七七四年:2007/06/26(火) 09:51:02 ID:SHDDN4uA
>>891
毛利元就も尼子経久もだな
元就は、孫の後見に優秀な息子達がいたからよかった。経久は山中幸盛がいた(笑)

しかしなんとも、後継者問題とは大変なものなのだな。後継者も、異常の才能を持った先代の後を継ぐのは大変だったろうなぁ。
893人間七七四年:2007/06/26(火) 10:50:58 ID:2wk0CsKt
隆元の手紙っていうのが現存しているんだけど
「自分はどれだけ頑張っても父にはかなわない」という劣等感をつづっている
かなりストレスだったんだろうね
ちなみにその手紙、読んだら焼いてねとも付記されてるんだが、受け取った相手しっかり保存してた
894人間七七四年:2007/06/26(火) 14:16:36 ID:OUCWMSqx
毛利関係の書状は妙に人間臭くて面白いのが多い。

元就も自分の才能の全てを隆元に受け継いでもらおうとは思ってなかったんだろうけどな。

隆元→帝王学。
元春→軍事。
隆景→政治。

優秀な息子が三人もいたからこその役割分担とでもいうか。
全てを一から築き上げたような自分とは違って、息子達にはある程度の地盤を残せる、との自負もあったはず。
中核である隆元の死で大幅に構想が狂ったけど。

ちなみに隆元は当主としての才能を示す前に早世したが、それでも主に経済管理などで非凡な功績を残してるね。
895人間七七四年:2007/06/26(火) 15:38:11 ID:SHDDN4uA
吉川元春が息子に宛てた手紙も面白いね
礼儀作法を注意する手紙なんだけど、元春の生真面目というか堅物というか、そういう雰囲気伝わってくるね。(経言に宛てたやつね
896人間七七四年:2007/06/26(火) 15:45:17 ID:UH+pjy+d
ちこちこ
なつなつ
897人間七七四年:2007/06/26(火) 16:51:06 ID:8+wC4aHR
信玄も高坂に宛てた手紙は人間臭いだけどね…。
どうも、この人は、自分の欲望を抑えきれないと言うか。
898人間七七四年:2007/06/26(火) 16:53:01 ID:aomDeLTt
万引き対象に伊勢物語を選ぶぐらいだからね
899人間七七四年:2007/06/26(火) 17:05:48 ID:2bAeyTFz
そのネタはさすがに信憑性が・・・。
900人間七七四年:2007/06/26(火) 18:37:15 ID:aomDeLTt
一応説明するけど酔ったふりして持ち去ったというのは武田側の史料に載っていることだぞ
901人間七七四年:2007/06/26(火) 18:44:50 ID:2bAeyTFz
軍鑑だったか?それでそもそもいつ駿河にいったのさ、って話になる。
902人間七七四年:2007/06/26(火) 19:08:11 ID:aomDeLTt
軍艦に載っているから敢えて武田に不利となることを捏造するはずも無い
これが被害者側の史料にあったりすればまた違うんだが
それに駿河攻めの前後は別としてそれ以前は駿河にいくことは可能
903人間七七四年:2007/06/26(火) 19:19:29 ID:2bAeyTFz
時系列見てみてもそんな話ありそうな状況ないんだけどな。
塩止めも1567年8月には始まっているし、義信事件は1565年。
こんな時期には信玄も駿河になんかいかないだろ。
というか信玄が駿河にいってその事件を起こせる時期が思いつかん。
その事件っていつ起きた話ってなってたっけ。
904人間七七四年:2007/06/26(火) 19:33:15 ID:aomDeLTt
三国間で援軍を出し合っていたりした1565年ぐらいまでならそうなる機会はある
原文は先年なのでいつかは知らん
905人間七七四年:2007/06/26(火) 19:51:49 ID:2bAeyTFz
しかし行ってたなら記録があっていいと思うんだが。
一国の大名が他国に出張するんだし記録に残らずにおれないと思うけど。
1565年以前でも謙信との5回に及ぶ川中島、西上野攻略と
大忙しだしなあ。
906人間七七四年:2007/06/26(火) 19:59:47 ID:aomDeLTt
そういった事例はあまり公式文書に載ったりするようなことじゃないから
記録に残らなくても不思議ではないと思うが
そういった個人の行動は日記系の史料に頼るところだけど
1560年代は武田系のその手の記録が減った時期でもあるし
907人間七七四年:2007/06/26(火) 20:05:39 ID:Knfcwer/
>>897
人間臭いってよりはホモ臭い。

ま、ホモなんだけどね
908人間七七四年:2007/06/26(火) 20:17:54 ID:SHDDN4uA
いや、信玄が他国に行くってそこまで大事じゃないだろう。
足利将軍じゃあるまいし
909人間七七四年:2007/06/26(火) 20:48:10 ID:2bAeyTFz
当主が外に出ていくんだし、その間国政はどうするのか、とか信濃や上野の
戦線の差配はどうするのか、とか
書状やら記録やらにのこっていていいと思うんだが。
供も連れた行列とかもあるだろうし風聞とかが伝わってたりしてもいいし。
910人間七七四年:2007/06/26(火) 21:06:16 ID:8+wC4aHR
真偽はともかく、こういった逸話の類は、この人ならば、やりそうって思われてた証拠になるんじゃない?
911人間七七四年:2007/06/26(火) 21:10:53 ID:4qN6sAyu
火のないところにゃなんとやらだしな
912人間七七四年:2007/06/26(火) 21:47:02 ID:dvmaRKzV
要は武田のやりくちを例えた話じゃね?
913人間七七四年:2007/06/26(火) 23:45:13 ID:E6F58xV/
今川は同盟国だからなー
当主自ら出向いてみせる可能性だって無い訳じゃない。
軍艦は基本的に武田マンセー、今川=悪な構図だから(武田旧臣の多い徳川、今川を悪にしないと不忠者になる徳川
わざわざこんな逸話を書く理由がないんだよな。
今川が武田の家宝を盗んだ、とかの方が後の駿河侵攻を少しは正当化できるし。

だが「じゃあ信玄はいつ駿河に出向いたの?」という疑問は尤もだ。
疑わしくはあるが確定とまでは言い難い>信玄の万引き疑惑
914人間七七四年:2007/06/27(水) 00:00:08 ID:71mzbYlo
当時の価値観だと逆に信玄は他国の家宝を盗み出した=凄い
今川は家宝盗まれたやんの=ヘタレ
かもしれない
というかこっちの可能性の方が高いか?
春日が信玄に不利なことを捏造するとは思えないし
今川をヘタレとする図なら徳川にも受けはいい
915人間七七四年:2007/06/27(水) 07:55:24 ID:WITrKDJ8
当時の価値観だろうと盗みはまずいだろ
だからこそ馬場は命令違反してまで財宝接収を拒否したわけだし、それが美談になってるわけ
普通に信玄がマンセーする立場の人間から見てすらアレだったってことだろう
916晋3:2007/06/27(水) 10:50:27 ID:71OfohUM
今月の歴史読本の特集「戦国時代合戦の謎」において厳島合戦が従来いわれていた
陶晴賢率いる大内軍と毛利軍の戦いではなく、実は陶軍単独で毛利軍と戦った
という新説が紹介されている。
そこには兵数についても大内軍2万人ではなく、陶軍6千人程(毛利軍の2倍程)
と記載されているよ!
917人間七七四年:2007/06/27(水) 11:00:54 ID:xV1Kdf5c
名将である小早川隆景や吉川元春を育てた元就。
わがまま馬鹿の武田勝頼しか育てられなかった信玄。
こうしてみると信玄の方が優れているとしか考えられない。
918人間七七四年:2007/06/27(水) 11:22:36 ID:FU6hk02e
武田武将は上田原の戦い、川中島の戦いと死を恐れぬ戦いぶりをする
武田は滅びても、その残党は徳川本家や井伊家に組み込まれ、徳川はより強大になった
毛利系統の兵卒なぞ比べ物にならん
919人間七七四年:2007/06/27(水) 11:24:19 ID:xV1Kdf5c
>>918
その徳川を葬った明治維新の原動力の一つ。
920人間七七四年:2007/06/27(水) 11:28:20 ID:FU6hk02e
薩摩が武器を横流ししなければ、第二次長州征伐で壊滅ですがなにか
921人間七七四年:2007/06/27(水) 11:33:01 ID:xV1Kdf5c
>>920
武田とは関係ないだろ。
922人間七七四年:2007/06/27(水) 11:40:48 ID:FU6hk02e
>>921
明治維新が関係あるのか? W
923人間七七四年:2007/06/27(水) 11:43:00 ID:FU6hk02e
言っとくが幕末の長州を駆け抜けたのは松蔭の弟子達で毛利ではないからな (w
924人間七七四年:2007/06/27(水) 11:43:48 ID:s5uBMBG0
つまらん流れに戻すな池沼ども
925人間七七四年:2007/06/27(水) 11:44:00 ID:xV1Kdf5c
>>923
武田は滅びても、その残党は
926人間七七四年:2007/06/27(水) 12:17:05 ID:WITrKDJ8
でも武田流軍法を採用した後は、少数の真田や毛利(元就の家じゃなくて勝永のほうね)・大野らにボコられまくり>徳川
寡兵の敵にしばしば酷い目に遭う伝統まで継承しなくてもw
927人間七七四年:2007/06/27(水) 12:20:02 ID:xV1Kdf5c
>>926
それは武田の呪いです。
928人間七七四年:2007/06/27(水) 12:22:16 ID:WITrKDJ8
あと、徳川に登用された武田家臣団は一部除いて陪臣クラス
重用されてたとは言い難い
逆に信濃の旧名族大名が復権して大名クラスに取り立てられている(諏訪や保科)
もっとも徳川家は譜代優先をはっきりさせていて、今川家臣も北条家臣もその程度の扱いだけども
929晋3:2007/06/27(水) 13:06:08 ID:71OfohUM
>>916
事実それを裏付けるものとして、厳島合戦の陶方の犠牲者は
戦死者(含む行方不明者か?)4700人・捕虜3000人
と語られていてそれを合わせても7700人にしかならない
厳島合戦の状況(島をめぐる争いで総大将が討ち死に)を考
えると他に逃げ帰った兵がいるとも思えないし、大内家は
それから2年以上も持ちこたえている。
930人間七七四年:2007/06/27(水) 13:22:42 ID:FU6hk02e
厳島合戦の後に大内が持ちこたえた訳?
あの時の大内家当主は義長、大友義鎮(宗麟)の弟
つまり毛利は大友にビビって、なかなか大内を攻めきれなかった
家臣団が離反するのを延々の待ち、300%勝てる状態になってやっと大内討伐に赴く
しかし義長を戦闘で討ち取るのではなく、自害させるというショぼい結末で幕引きだった
931人間七七四年:2007/06/27(水) 13:29:51 ID:CJbMZf1Y
まてまて。つまり厳島では殆ど一兵余さない殲滅戦が行われたってことか?
それでも7700って戦果自体が異常なレベルなんだが……
信玄の大敗とされる例を見てもわかるとおり、千余の討死が出るのもまず少ない
932人間七七四年:2007/06/27(水) 13:31:56 ID:CJbMZf1Y
あ、コピペか……
933人間七七四年:2007/06/27(水) 15:33:45 ID:UdDoprUS
>>930
>>義長を戦闘で討ち取るのではなく、自害させるというショぼい結末で幕引きだった
戦闘で討ち取らなきゃしょぼいってお前…
自害させるまで追い込めば万々歳だろうが
当主が戦闘で戦闘で討ち死になんて早々ないケースなんだがな
934人間七七四年:2007/06/27(水) 19:32:36 ID:vRW1RgmA
元就からしても大内は形の上ではかつての同盟相手だったんだから
直接戦場で討ち取るよりは自害に追い込んだ方が、少しでも聞こえが良かったんだろうね。
無論、当時最盛期の勢力だった大友の介入を恐れたというのも大きいと思う。
ここら辺については、亡き陶晴賢の工作の遺産とも言える。
そもそも晴賢自らが大軍を率いて厳島に乗り込めたのも
大友に対する親善策として義長を当主に据えたからこそだし。

つーか戦死者と捕虜が七千人以上って有り得へん。
通説通り、陶が二万強の軍勢であったとしても、半数近くが殺されるか捕らえられるかだなんて。
陶の軍勢は二万以上、というだけで正確な数は不明なんだが、やはり三万近くは動員してたんじゃないか?
あるいは、敵軍の四割近くを殺すか捕縛するかといった程に、毛利軍の包囲殲滅は完璧だったのか?

味方側が四千程度の軍勢で、敵側の戦死者、捕虜が八千近いってんだから、やはり厳島合戦は異常。
厳島の場合は第三者の資料が最も戦果が大きいとされてるくらいだしな。
本当に陶軍が毛利軍の二倍程度、八千程度でしかなく、その九割以上を戦死or捕縛したというんなら
それはそれで元就が神過ぎる。
935人間七七四年:2007/06/27(水) 22:54:44 ID:8OzHr621
打ち取ったのは多くてどんなに多くても1000くらいだろ
あとは島の各地に逃げた陶残党を吸収したってのが実情だと思うが?
幹部クラスならまだしも一般兵が最後まで命かけて闘う義理もないし
現場の総大将も死んでるし命の保証さえすれば大量の投稿者がでるだろ
そもそも島から出るのも難しい訳だからね
936人間七七四年:2007/06/27(水) 23:03:46 ID:BohSW+XC
島から船に乗って逃げようとして
村上水軍に沈められたり、焦って定員オーバーして
船が沈んで溺死したとかどうよw
937人間七七四年:2007/06/27(水) 23:16:45 ID:8OzHr621
大内については自害に追い込む云々より毛利にとっては義長は逆賊・仇討ちという理由で
討伐してるわけだからどういう形であれ相手が死ねばOKだろ
しかも義長は逃げる機会があったにも関わらず最期まで大内当主であった事はなかなかやると思う。


大将を討ち取らないのがしょぼいってどんだけボーダー高いんすか( ;∀;)
その理論で行くと三野戦の内一番しょぼいのは川越夜戦って事になるな。

もっとも優れてるのが有名所で
沖田畷・桶挟間・有田中井手
辺りになっちまうな(´・ω・`)
確かに沖田は名戦ではあるがね…

他にも死にまくりの小弐氏とかww
938人間七七四年:2007/06/27(水) 23:16:54 ID:UmGl0P0Z
その場合は討ち取ったり捕虜にしたりするのは難しいのでは?
939人間七七四年:2007/06/27(水) 23:18:14 ID:UmGl0P0Z
938は>>936

>>937
河越は扇谷を討ち取っている可能性がある
940人間七七四年:2007/06/27(水) 23:41:24 ID:IQi/BSEa
毛利元就この島に城をかまえて君の敵陶晴賢を誅せしはのこす武臣の鑑なり
って歌が残ってるしこういう宣伝して仇討ちという大義名分手に入れてたんだろ。
941人間七七四年:2007/06/28(木) 00:43:42 ID:3f5hAVed
逆臣陶を討つ大義名分は当然あっただろうが、義長は陶に担がれただけだしなー
元就がその気なら陶の死後に大内と和睦の可能性だってあったんじゃない?
俺は尼子と対抗する為にも大内本領(含む山口)を毛利領として併呑しなければならない為
じりじりと圧力を加えて自滅させた説を推すな。
義長の血は元々大友の物であって、逆臣陶一党の一味である。というのが毛利の言い分だったんだろうが
それでも大内氏を滅ぼしたのは、後世から見れば道徳的には褒められた行いじゃないよ。
戦国大名としては、外聞的にも大義名分を得ているし、見事な手腕なんだけど。

義長が逃げずに、主家と運命を共にして自害して果てたのは立派だね。
(本筋の大友を頼れば何とかなったろうし、大友からしても大内家当主という肩書きを背負った義長は有用この上ない人物)
同じく、敗北を悟って自害した晴賢の生涯も、なかなかに興味深い。なんせ、かつては元就と共に肩を並べて戦った仲だ。
厳島も、勝者の毛利側から見れば実に痛快な勝ちっぷりで面白い事この上ないが
敗者の大内側から見ても、なかなかに悲壮感の漂う散りっぷりで面白い。
942人間七七四年:2007/06/28(木) 01:06:44 ID:ftE0+a/G
陶は長子の義尊まで殺して大友から義長を呼び寄せたんだから
元就が「大内義長」を滅ぼしたのは、道徳的にもさほど非難される事じゃないとオモ
義隆が殺され、後継者の義尊まで殺された以上は「大内」という名前に縛られても仕方ないだろ。
「真の忠義者なら庶筋の亀鶴丸を擁立してでも大内氏を再興してやるべきだった」
なんて意見に大しては
「いくら元同盟国でも、そこまでしてやる義理はねーよ」って話だしな。
943人間七七四年:2007/06/28(木) 01:19:59 ID:eX/rdGIk
最も毛利は陶の謀反に荷担した側だが
944人間七七四年:2007/06/28(木) 01:26:57 ID:3f5hAVed
そーだね。
道徳的に非難されるとしたら、当初は毛利も陶を支持していた、って事かな。
無論、元就に言わせれば「あの時点では従う他なかった。体制を整えてから大内本家の仇を取るしかなかった」なんだろうけど
晴賢に言わせれば「最初は頭下げてたくせに、ちゃっかり隠れて連合して歯向かってくんじゃねーよ!」だしな。
ただ、元就が大内義長に対して義理立てする必要なんて欠片もない、っていうのは納得した。
945人間七七四年:2007/06/28(木) 04:46:24 ID:wHCSfi4F
義長は義鎮(宗麟)同様、母が大内義興の娘で、紛れもなく大内の血が混じってる。
義尊が産まれるまでは、叔父にもあたる義隆の養子にもなり大内次期当主の可能性もあった。
陶の謀反の道具として使われ、大内家に呼び戻されたのは悲運だが
大内家の血を絶やさぬ為、領地に踏みとどまったその心意気やよしと見る。
たとえ傀儡ではあっても大内家第31代当主、それを領地欲しさに周防侵攻して滅ぼした毛利。
どちらに正義があるかは皆はよくおわかりと思う。
946人間七七四年:2007/06/28(木) 05:23:11 ID:wHCSfi4F
なお大内義隆を殺害した大寧寺の変は人道的に許されるものではない。
陶は巨悪の筆頭ではあるが、加担した毛利の罪も許しがたし。
義長は利用されたに過ぎず、陶・毛利に比べ罪は低い。
明国は大寧寺の変の蛮行に激怒して日明勘合貿易を断絶するに至った。
これがどれ程の日本国経済損失か陶も毛利も全く理解できずに大局観に欠けていた。
皇朝十二銭鋳造停止後、日本貨幣は渡来銭に依存してきた。
それが絶たれることになり、結果永楽通宝などは入らなくなり、戦国デフレを生じさせたのである。
日本貨幣史的には600年ぶりに和製銅銭鋳造への機運の転機にはなるのだが、
地方大名が日本経済根幹を揺るがした暴挙は永遠に戦国経済史に刻印される。

ちなみに大寧寺の変ではドサクサにまぎれて、周防にいた公家も多く殺され、その中に三条公頼がいた。
三条公頼は言わずと知れた武田晴信正室の三条の方の父君に当たる。
つまり大寧寺の変に加担した全ての悪は、甲斐武田家と必然的に仇敵になる運命にあった。
947人間七七四年:2007/06/28(木) 13:26:05 ID:k75pR6Jf
上がしっかりしてくれないと、下の国人達は不安でたまらない
だから、強い当主を推戴するのが当時の武士らにとっては当たり前の状況
忠義だの以前にそもそも「御恩と奉公」的な双務関係でしかない
一族郎党の命がかかっている場で、騒動ばかりの目上に従うほうがヴァカ
そういう意味では元就の大内潰しも、信玄の父追放も同じ価値観に立った行為
そして双方とも、少なくとも直接利害関係にある家臣国人の支持は得られた
それが戦国の現実さ
948人間七七四年:2007/06/28(木) 13:40:19 ID:uM9yLLGK
>>946
>地方大名が日本経済根幹を揺るがした暴挙

やっぱり当時の中国地方の影響力ってすごかったんだな。
949人間七七四年:2007/06/28(木) 14:33:35 ID:k75pR6Jf
つうか陶もかなり屈折してるな
謀反しても、自分が当主になったわけでもない
遊興のために徴発や労役を乱発させた義隆を強く諌めた「忠臣」でもあった
大河ドラマだと「仕方なく謀反したが、それは強い大内を再興させるためだった」という描き方をしているが、実は真実に近いのか?
950仙台藩百姓:2007/06/28(木) 14:37:53 ID:bn9ohmDx
九州を含めての話しだけどね
それでも大内時代に隆盛を極めたなは間違いないお
毛利以降はすっかり落ちぶれたけど( ´ω`)
951人間七七四年:2007/06/28(木) 14:37:59 ID:UFsllVQa
石見銀山が逆転で世界遺産登録されたぞ
952人間七七四年:2007/06/28(木) 15:33:09 ID:rjU2qV2i
陶が忠臣と言うのは違うと思うな。
義隆も義元どうよう、遊興にうつつを抜かし治世を鑑みなかったように
思われているが、実際は可也の名君だし、文化に傾倒するのは当時の一流
武将なら誰でもやってる事。
第一強い大内家の再興とか抜かしてるが、陶が謀反してしてなかったら
当時大内家に対抗できる勢力なんて存在してないから…
953人間七七四年:2007/06/28(木) 15:51:10 ID:k75pR6Jf
>>950
誰でもやっているって……
配下国人のための援軍すら渋る、領国に負担かけるほど遊興するなんてことやった大名、他にそうそういたかぁ?
名君でありつづけたのならともかく、立派な暴君化でしょ
かえってそのギャップが陶やそれに味方した連中を踏み切らせたんじゃないの?
954953:2007/06/28(木) 15:52:22 ID:k75pR6Jf
アンカーミス
×>>950
>>952
955宇喜多直家信者:2007/06/28(木) 16:00:13 ID:BMI26Zi5
>>953 伊東義祐
956人間七七四年:2007/06/28(木) 19:47:55 ID:83EUL8lY
大内義隆も前半はやる気も覇気もあったんだけど
月山富田城攻めの敗北でやる気無くなったのが痛い。
その後は、政に興味をなくして趣味に生きてしまったのが。
陶としては、暗君となってしまった当主を廃して
大友から血の繋がった人を新たに当主として迎えて
大内を盛り立てていこうとしたのでしょう。


957人間七七四年:2007/06/29(金) 07:44:39 ID:b7jIm5qQ
↓↓どっかのスレよりコピペ
よく知らない人はコレみて

【陶晴賢(陶隆房)】

・大永元年(1522年)周防守護代;陶興房の次男として若山城で生まれる。

・天文八年(1539年)に興房が死去した時には長男の興昌が戦死していたため、19歳で陶家を継いだ。

・天文九年、安芸(広島県西部)に出陣し、尼子勢を撃退。このことから、隆房は尼子攻めを唱える武断派の急先鋒となる。

・天文十一年、主君大内義隆が大軍を率いて出雲(島根県北東部)の尼子を攻めた。しかし、大内勢は敗北してしまう。
隆房はこの時、戦において最も危険な殿を務めた。
部下思いな彼は、兵達には米を食わせ、自らは雑魚のはらわたと水で空腹をしのぎ、撤退したと伝えられる。

・天文十九年(1550年)、暇をえて若山城に引きこもった。これは、武備をかためて謀反を実行するためである。

・天文ニ十年八月ニ十八日、山口に攻め入る。九月一日に、主君である大内義隆を自刃させた。
これは守護代による下剋上の典型例であるといえる。

・天文ニ十一年三月、豊後(大分県)の大友宗麟の弟晴英を大内家の当主にたてた
。晴英は大内義長と名乗り、隆房は陶晴賢となる。
新政権の安定化に多忙をきわめた晴賢は、毛利元就に佐東郡(広島市太田川流域)を預け、国人領主を率いて敵にあたる権限を与えた。(このことが後に裏目にでる。>厳島合戦の大敗)

一応経歴をのせてみた。
忠義に厚い武辺者であった陶晴賢が主殺しを実行した背景には、主大内義隆が京文化にのめりこみ文章にふけったことにある。
大内義隆は、文章にふけるだけでは飽きたらず文治派の相良武任を重用したため、武辺一筋の陶晴賢は反感をもったという。
義隆は、盛大な宴会を繰り返したた。その費用は結局、下層民が負わなければならない。
それと同時に、義隆の京文化とその文化人に対する厚遇に対する憤懣は下層民にも広がっていた。

陶晴賢は
『天道の計らい』
という考え方をしていたとされ、それは一時代前の験を担ぐ武士を彷彿とさせる。
958人間七七四年:2007/06/29(金) 07:56:19 ID:pOImUOZe
一回大負けした程度で凹む義隆はちょっと問題あり
信玄なんか、生涯に大内・尼子の格差どころじゃない格下に何度負けたことか……
959人間七七四年:2007/06/29(金) 09:43:55 ID:HrPRFtFR
隆元だなやっぱ
66年中国統一して67年ごろ信長とやってほしかった
960人間七七四年
実際、月山富山城を落とした頃に、水軍で尼崎か堺に、上陸していたら、信長より先に上洛してたんじゃない?