【大河】 直江兼続を語るスレ 4 【決定】

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1人間七七四年
<´ ̄愛ヽ. 
 〉 .ロ===}
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 |ゝ∪ ∪ 
 と__)__)


【義のために】直江兼続を語るスレ3【愛のために】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164148096/
【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154492224/
【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
2関連スレ:2007/05/25(金) 17:22:32 ID:1/q0Khyp
2009年大河ドラマは「天地人」 主役は直江兼続
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1177580029/
上杉景勝
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168972775/
【毘】上杉家を語る 八【義】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1175257737/
3人間七七四年:2007/05/25(金) 17:25:39 ID:vaWB4VjA
【大河ドラマ】 直江兼続は知名度不足? ゆかりの5市「市民知らない」★2
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180071709/

らしいですよ
4人間七七四年:2007/05/25(金) 17:29:51 ID:ebcHrhPj
そりゃ知らないだろ
みんな知ってたら異常だよ
5人間七七四年:2007/05/25(金) 17:29:59 ID:kyMakonV
>>1 乙華麗!
6人間七七四年:2007/05/25(金) 17:45:53 ID:f2oFQceJ
愛の兜がぜんぜん似てないので展示中止


兼続「愛」のかぶと展示中止

 長岡市与板歴史民俗資料館が、地元ゆかりの戦国武将・直江兼続の「与板版」の甲冑(かっちゅう)の公開を取りやめていたことが、24日までに分かった。
旧与板町が独自に発注し、1987年の開館以来展示してきたが、小説「天地人」のNHK大河ドラマ化決定で兼続が注目される中、
かぶとに掲げられた前立ての「愛」の字体などが本物と全く違い、「誤解されないように」と自主的に展示から外した。

 同市与板地域は直江家の居城があった所。旧与板町では、「与板版」として製作を依頼したかぶとを含む兼続の甲冑を同資料館に展示してきた。

 しかし、山形県米沢市の上杉神社が所蔵する本物に比べると、与板のかぶとは「愛」の字体が異なり、本物にはない大きな角のような鍬形(くわがた)も付いていた。

 ドラマ化決定後、同資料館は来館者が増加。同市役所与板支所内部の会議で「市の展示物として適切ではないのでは」(同市教委与板分室)などの声が上がり、15日から展示を取りやめた。

 今後も公開はせず、同市では新たに本物のレプリカを作り、展示することを検討している。

http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=228

http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/dataimg/228.jpg
左 展示を取りやめた「与板版」愛の前立てかぶと=長岡市の与板歴史民俗資料館
右 山形県米沢市の上杉神社が所蔵する本物の愛の前立てかぶと
7人間七七四年:2007/05/25(金) 18:04:45 ID:ZhTuJXRe
与板版の方がカッケーじゃん
8人間七七四年:2007/05/25(金) 18:40:00 ID:fSGkYloS
【大河ドラマ】 直江兼続は知名度不足? ゆかりの5市「市民知らない」★2
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180071709/


ブギャアアアアアアアアアア(^Α^)
9人間七七四年:2007/05/25(金) 21:44:35 ID:07zjvE/A
紀州藩米沢藩の共同企画によって作り上げた偶像だから
地元に伝承が残ってるわけがないんだよな
そりゃ新潟県内で知名度なんて無いわ

最上藩が改易されても何百年経た今なお
民衆に慕われてる最上義光公とは大違い
10人間七七四年:2007/05/25(金) 23:41:10 ID:H6Ys5DXj
山形県人であるが、米沢では直江兼続なんていってもわからない市民が多いだろう。
米沢が長年プッシュしてきたのは上杉鷹山。
大河に決まったからって盛り上がるには知識と愛着が無さ過ぎるよ。
11人間七七四年:2007/05/26(土) 04:06:51 ID:UnrxGFrq
そりゃ土着するほどの大した人間じゃないし。

それを踏まえて語るスレなんで、アンチはいい加減消えろ。
あと、不用意に前田慶次とか言い出す漫画厨もウザイから市ね。
12人間七七四年:2007/05/26(土) 04:11:29 ID:PS2A3In8
じゃあ大した人間を並べて説明汁。
13人間七七四年:2007/05/26(土) 07:23:02 ID:qNAEz6Tc
>>10
なんかさ、鷹山を狂言回しで登場させて、
江戸時代に古い資料を漁らせて
「直江兼続サイコー! 私も見習って改革します!」とか
第一話で言わせてから
「鷹山公が尊敬した直江兼続公とはいったいどんな人物であったのでしょうか?」
という感じで話が始まりそうな悪寒……。
14人間七七四年:2007/05/26(土) 09:09:05 ID:oS5TB3rv
長岡市民が通りますよ
15人間七七四年:2007/05/26(土) 09:22:39 ID:8Jt4K+xc
>>9
最上藩が改易されても何百年経た今なお
民衆に慕われてる最上義光公とは大違いwww

お前のスレはここじゃないだらろう、っていいたいが
こいつ ここにずっとすみついてアンチ直江きどってる。
最上家の子孫もこんな策士ばっかじゃうかばれんな。

16人間七七四年:2007/05/26(土) 09:32:01 ID:8Jt4K+xc
>>10
米沢では直江兼続なんていってもわからない市民が多いだろう。????
お前はどさくさにまぎれて馬鹿なこといってんじゃねぇよw
最上義光スレいって書き込んでやれよ、まだ200もいってねぇぜw

17人間七七四年:2007/05/26(土) 09:43:42 ID:8Jt4K+xc
直江は名将だよ、確信したwww
こんだけ現代まで近隣諸国にコンプレックスいだかせてるなんてwww
日本をとりまくどっかのアジア代表みたいな構図だなwww
しかしお前らのすんでるとこはよほど 直江に痛い目にあったんだな。
そのへんを詳しく教えてくれw。


18人間七七四年:2007/05/26(土) 09:47:17 ID:vQxGbcN9
一番痛い目会ったのは当の上杉家という罠
19人間七七四年:2007/05/26(土) 09:51:40 ID:8Jt4K+xc
やっぱり お前が釣られてきたかwww
20人間七七四年:2007/05/26(土) 09:55:17 ID:8Jt4K+xc
ここのアンチは単純でいいwww
21人間七七四年:2007/05/26(土) 10:11:59 ID:mqrWXMjQ
直江津?
22人間七七四年:2007/05/26(土) 10:44:54 ID:8Jt4K+xc
謙信スレのアンチは複雑怪奇なんだよ、武田オタも勢力あってよ。
でもよアンチ景勝直江には武田いないんだよな。な〜〜ぜだ?
>>18
娘、息子差し出して結局改易されたどっかの家よりはいいだろうw

23人間七七四年:2007/05/26(土) 11:20:06 ID:8Jt4K+xc
ああ、俺も忘れてたよ、いまの上越市って直江津市と高田市が合併したんだった。
直江に由来する市ってあったんだった。

24人間七七四年:2007/05/26(土) 11:45:28 ID:vekrC6lw
>>8
もともとの長岡市民は、そりゃ知らんわな
今の長岡の人口28万人のうち、与板は7千ってとこだろ
そもそも長岡の人間、合併の前も後も、与板なんて眼中にないもの
長岡が歴史観光で力入れてるのは継之助・米百俵・五十六
母親が愛娘たちの芸能界デビュー狙ってたのに、お手伝いさんがスカウトされちゃったようなもの

もっとも与板地元にしても
「どんな人らか知らねろも町の基盤を作った人」が大半かと思う
25人間七七四年:2007/05/26(土) 11:51:32 ID:8Jt4K+xc
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E6%98%93
関が原でこんだけ改易された大名いるのに、反徳川中心の毛利とか上杉が生き残る。
そこで直江にスポットがあたる ここがポイントね。w
西の立花、東の直江、NHKは近隣友好をとったな。

26人間七七四年:2007/05/26(土) 12:12:22 ID:UnrxGFrq
ID:8Jt4K+xc
お前、前スレからいる直江オタのフリした安置だろ?
お前が原因で荒れてるんじゃねえかよ。
27人間七七四年:2007/05/26(土) 13:08:44 ID:t4EeHPFL
その後あっさり三河吉良家に乗っ取られるんだけどね
ちなみに吉良義央の母は大老酒井忠勝の姪
祖母は今川範以の娘
曾祖母は今川氏真の娘

これじゃほとんど東海地方の殿様ですね
28人間七七四年:2007/05/26(土) 13:17:18 ID:v6wC+Yug
やっぱ人気ねえなw
直江www


29人間七七四年:2007/05/26(土) 13:21:13 ID:8Jt4K+xc
>>27
お前あいかわらず話とびすぎ。w


30人間七七四年:2007/05/26(土) 13:22:01 ID:8Jt4K+xc
嫉妬にくるったやつとか飛びすぎばっかで
つまんねぇ。 
31人間七七四年:2007/05/26(土) 13:38:11 ID:8Jt4K+xc
ゴルァ!!
改易最上文献なしにくせに、直江捏造とかほざいてんじゃねぇぞ!!

32人間七七四年:2007/05/26(土) 13:58:08 ID:t4EeHPFL
日本語でOK?
33人間七七四年:2007/05/26(土) 14:31:13 ID:8Jt4K+xc
34人間七七四年:2007/05/26(土) 15:00:25 ID:UnrxGFrq
今日のNG推奨ID
ID:8Jt4K+xc
35人間七七四年:2007/05/26(土) 15:10:10 ID:8Jt4K+xc
最上サイトの一説・・・・・。
直江軍の怒涛の進撃により
白岩城、谷地城、山辺城が落ち、
そして畑谷城では城将江口五兵衛以下数百の兵が玉砕し、
最上義光の居城である山形城ももはや風前の灯・・・・・。
そんな中残ったのが高楯城と、義光の腹心志村伊豆、
そして副将の鮭延越前と約1千の兵が守る長谷堂城。
特に長谷堂城は兼続の本隊2万五千を迎え撃ち必死の防戦、
志村伊豆は兼続を相手に策を弄し粘り強く戦います。と
書いてあってここで関が原の結果を直江が知って撤退するんだが(アンチのいう撤退戦ね)、
結論は2週間もの時間をかけて城1つ落とせなかった直江兼続がなぜ名将なのでしょう?
だって。長谷堂以前の戦にはふれずこの攻防だけ強調するのがアンチの論調
直江と最上との戦はすべて最上領でおこなわれててさ
この長谷堂って現在の山形市にあって最上の山形城とは目と鼻の先ね。
いくら無敵直江軍だってすこしは骨休みするだろうに。
これで最上が上杉に勝ったとか、完膚なきまでに直江は叩かれたとかw
なんでこうなるの?www だれか解説しちくれw

36人間七七四年:2007/05/26(土) 15:14:42 ID:8Jt4K+xc
>>34
お前、仲間まってねぇで解説しろやw
37人間七七四年:2007/05/26(土) 15:18:44 ID:8Jt4K+xc
関が原が半日で負けるとはいくら直江でも想像できなかったろうよ。
がっかりしてしょぼい最上などどうでもよくなった。これが史実だw
38人間七七四年:2007/05/26(土) 15:42:05 ID:8Jt4K+xc
今日は直江ストーカーおとなしいな。www

39人間七七四年:2007/05/26(土) 15:43:34 ID:2HsPfVdy
キーワード: 8Jt4K+xc
抽出レス数:18
40人間七七四年:2007/05/26(土) 15:52:17 ID:Ja/MRsVL
>>35
>白岩城、谷地城、山辺城が落ち、
それ、最上が兵力を山形と長谷堂に集中させる為に放棄した城。
畑谷城の江口五兵衛は帰還命令を無視して交戦しただけ。
それにこの時の上杉軍の進軍自体も、
伊達稙宗の山形侵攻作戦の焼き直しだから
41人間七七四年:2007/05/26(土) 21:46:01 ID:RkroGZsj
「企画意図によると『勝ち組』『負け組』の格差社会の問題や『日本人の品格』
 といったテーマを作品に取り入れる現代視点を盛り込み、
 また脚本家の小松は『戦国時代はまだ女性が男性と対等な時代だった』として
 戦国の女性たちも作中で大きく活躍することになる」
42人間七七四年:2007/05/26(土) 21:56:31 ID:qNAEz6Tc
>>41
美しい国のプロパガンダにされるってことか。
なんか米沢に押し込められてからの貧困の中で頑張るシーンが
10月頃から縁縁続いて
「税金高くても女の人を大切にしながら政府に文句言わないで牛馬のように働くのが美しい」
とかいう話になりそう……。
捏造って、兼続の名将ぶり云々のほうより、こっちの方面でありそうでコワいよ。
43人間七七四年:2007/05/26(土) 22:07:39 ID:OeoSTuNR
関ヶ原合戦の前、直江兼続が徳川家康に送った書状の文句がしびれるネ。
家康をして「今まで生きてきた中で、これほど侮辱を受けた事がない」と
言わしめた兼続の文章のいやらしさといったらない。肝が据わっている。
44人間七七四年:2007/05/26(土) 22:55:31 ID:AqhSRKXy
ネチケーは政府のプロパガンダなんて流さないよ。
フェミと活動家と中朝韓のパシリだもの。
45人間七七四年:2007/05/26(土) 23:14:20 ID:t4EeHPFL
たいした侮辱でも無かったのに腹切らされた
はらみいしーかわいそうです(´;ω;`)
46人間七七四年:2007/05/26(土) 23:32:19 ID:361fnP/w
>>43
それって後世の捏造、直江状のことか?
47人間七七四年:2007/05/27(日) 02:55:19 ID:kw3KyiVo
>>40
放棄して長谷堂、山形城に集中とは恐れ入ったね。集中して直江軍が6倍の戦力ってなんだよ??www
自分の身近な領土の城を簡単に放棄したとか捏造してんじゃねぇよ。
それで直江は敗北ってどこからでてくんだよ。馬鹿も休み休み言え。
あまりにも遠い庄内、白石放棄したっていうならわかるが、捏造から
スタートしてんじゃねぇよ。
48人間七七四年:2007/05/27(日) 03:31:44 ID:hyjIofoG
別に、業績のネタがないわけでもないだろうに、そっちだけ言っていればいいのに、
なんで、なにがなんでもマンセーしないと気が済まないのか。
明らかに失態である出羽合戦をわざわざ持ち出して、
それを強引にマンセーするのはなぜか。

それだから、批判のほうが盛り上がるんだよ。

って、前にも誰か言ってたか。
49人間七七四年:2007/05/27(日) 03:31:51 ID:hs7f4twp
まぁただのKOEI解釈ですごいと思われてるだけの兼続。
鍋島とかと同じくらいの評価なのはやりすぎだと思うなぁ。
あとは無双?

その辺の変な厨が消えればアンチも消えそうだな。
50人間七七四年:2007/05/27(日) 03:35:55 ID:hs7f4twp
2009年の大河を楽しみに待ってればいいんだよ。
どうせ捏造でも大河でやっちゃえば史実になるんだ。



・・・なんか半島みたいで嫌だな。
利益とか信繁が出てきたら嫌だな。
すげぇ不安しかないよ。
51人間七七四年:2007/05/27(日) 04:02:58 ID:kw3KyiVo
>>42
ったく、ここで二年後の大河の予想して落ち込んでんじゃねぇよwww
お前いつもほんと飛びすぎwww。





52人間七七四年:2007/05/27(日) 04:19:52 ID:kw3KyiVo
最上藩が改易されても何百年経た今なお
民衆に慕われてる最上義光公とは大違いwww

どさくさにまぎれてこんなマンセーしてるやつがおかしいだろうwww
53人間七七四年:2007/05/27(日) 04:29:23 ID:kw3KyiVo
>>48
明らかに失態である出羽合戦をわざわざ持ち出してって
何でお前がそうきめつけるんだ?それが失態だって
騒いでるのは限られたとこの人間なんじゃないのかwww
そんな東北の局地戦に興味もってるやつそんなにいねぇんだよwww


54人間七七四年:2007/05/27(日) 04:44:26 ID:kw3KyiVo
直江の文献は上杉側だけじゃねぇのに、捏造だ捏造だとかマンセーだとか
おまえはいったいどこの国の人間だ?www
時代の流れも読めねぇで、自分勝手な解釈で決めつけてからスタートしてんなよ。
批判のほうが盛り上がるとか アホかwww まだ全国区じゃねぇのにwww

55人間七七四年:2007/05/27(日) 05:36:27 ID:T2UrdS7c
基地外直江オタの連レスウザス
56人間七七四年:2007/05/27(日) 09:07:51 ID:VZAk2cRp
まずその業績をだせよ。
さーっぱりみつからないからこんだけ批判されてんだけど。
景勝のやおい穴掘ったとかか?w
57人間七七四年:2007/05/27(日) 11:49:27 ID:EgaOt4Iy
釣りだと思ってたけど、ホントの基地外かな・・・
58人間七七四年:2007/05/27(日) 11:58:25 ID:kw3KyiVo
こんだけ批判ってだれがwww
特定地域のだれかじゃねぇのかwww
>>直江オタが吉外ならお前は天然記念物だろうwww
59人間七七四年:2007/05/27(日) 12:03:36 ID:kw3KyiVo
>>56
直江ストーカーのお前が一番業績しってんだろうwww
60人間七七四年:2007/05/27(日) 12:07:09 ID:zq3ocArO
>>58
特定地域の誰かとか妄想振り撒いてるお前がキチガイな事にいい加減気づけ。
つうか、連レスウザイから止めろ。
61人間七七四年:2007/05/27(日) 12:14:00 ID:kw3KyiVo
>>60
へんな妄想で嫉妬にくるってるお前が吉外なんだよ。
直江スレでうざいのはお前だってわかんねぇのか?
消えろ馬鹿。
62人間七七四年:2007/05/27(日) 12:28:45 ID:kw3KyiVo
>>57
しかしお前もここにへばりついて、釣りだろう釣りだといってくれとか
そればっかだな。www
63人間七七四年:2007/05/27(日) 12:39:29 ID:kw3KyiVo
>>60
まあまあ、お前ももちつけよw
本当のこといわれて興奮すんなって、俺のことなんて気にすんな。
直江を熱くかたってればいいんだよwww
64人間七七四年:2007/05/27(日) 12:46:46 ID:hs7f4twp
今日のNG推奨ID
ID:kw3KyiVo
65人間七七四年:2007/05/28(月) 19:05:57 ID:6uiVWiGY
なんか静かになったなぁ
安置直江5人衆はどこいったのかな。
ここでショボーンとしてたらこれから全国区になる直江オタの襲撃を
防ぎきれんぞ、がんばれ 安置加熱具!!!
66人間七七四年:2007/05/28(月) 19:20:28 ID:rp7a+dtP
>直江オタの襲撃

たった1人じゃん
67人間七七四年:2007/05/28(月) 23:27:36 ID:8+rwkAVm
いや、来なくていいよ。
正直、あいつはアンチだと思ってたので無視してたわけですが。
相手してた奴も全部アンチじゃね?
68人間七七四年:2007/05/28(月) 23:45:53 ID:lggW/ST+
直江ファンってホント品無いなー
史実追求派は品位を持っていこうよ

>>27
オレもどうもこの吉良に乗っ取られる過程が、直江の影響の様な気がしてならない
ホモのせいで嫡子無し+幕閣にはゴマするけど、友好藩は無し、というゴーマニスト直江の傲慢外交
このせいで嫡流が居なくなっても、良い養子が取れない、ってことだったのかと
69人間七七四年:2007/05/28(月) 23:52:29 ID:jCKSTz4K
>>14
長岡といえば河井継之助だろ。狂信的な河井オタもいて気分を
害したこともあったが。
70人間七七四年:2007/05/29(火) 02:33:20 ID:HJ8P1w9u
現実の幕府との折衝役は千坂じゃないの?
71人間七七四年:2007/05/29(火) 03:06:07 ID:J75uzl9F
大河になるのはどうかと思うが?たしか朝鮮出兵に半島から戦利品が米沢に
いっぱいあるだろう?<`∀´>が返還要求してくるんじゃないか。
NHKの陰謀かも知れん。韓国でもNHKは映るはず。
72人間七七四年:2007/05/29(火) 06:16:32 ID:jAeDmo1N
直江兼続やるなら謙信との同性愛を描かないと、リアリティが減ってトンでも義経みたいに妄想ドラマ(ソウカガッカリ風味)になるなあ。
73人間七七四年:2007/05/29(火) 09:34:05 ID:h79E00hf
>>72
そんな餌で入れ食いクマーは再来年人増えてからだから
それまで来なくていいから
74人間七七四年:2007/05/29(火) 09:34:48 ID:UgVvjb4X
>>42
またプロパガンダかよ
それしかいえないのかプロパガンダ親父

>>68
>吉良に乗っ取られる過程が、直江の影響の様な気がしてならない

全然関係ねーじゃん
兼続死去から40年後の話だろうに
ドサクサに紛れて好き勝手いってんなよ
綱憲を養子に決めたのは保科正之だ
畠山家や吉良家や上杉家には決定権はなかった事だけは事実

75人間七七四年:2007/05/29(火) 11:08:27 ID:HJ8P1w9u
保科正之は元来から末期養子を認めて藩のむやみやたらな
取り潰しによる浪人流出を防ぐという立場だったからな
吉良家は上杉の婿というポジションであり幕閣とも関係が深く
徳川家に擁護された今川との血縁も濃いので
問題が無いと思われたんだろう

解せないのはその後
なぜに頼宣光貞と天下取りの野心を隠そうともしなかった
紀州家と結託したのか
結果的に後に紀州家が綱吉と結びついたために事無きを得たものの
大恩ある家綱幕閣に仇を成すと受けとらざれかねない
危険な賭けだったのではないか
76人間七七四年:2007/05/29(火) 12:03:55 ID:UgVvjb4X
>>75
またわけのわからん事を
知らないのなら語るなよ

まず、なぜ保科正之が上杉家を助けたかだが第一の理由は娘・媛姫が上杉綱勝の正室だったからだ
妹の婚儀を祝うため里帰りしていた媛姫が保科正之の継室で実母の於万の方によって誤って毒殺された(会津藩の記録)経緯もあり保科正之は米沢藩に対し罪悪感があった
第二に保科正之は武田信玄の次女見性院に育てられたわけだが米沢藩初代藩主・景勝の元には見性院の妹の菊姫が正室として嫁いでいる
また弟の信清も身を寄せていた事もあり上杉家を身内として扱っていた

>紀州家と結託したのか

これまたわけのわからん事を
紀州藩との繋がりは綱憲が正室として時の紀州藩主・徳川光貞の娘を迎えただけだ
むしろ尾張徳川家との繋がりの方が大きい
第7代米沢藩主・宗房、第8代・重定、第10代・治広、第13代・茂憲の正室は全て尾張藩から迎えている
第9代・鷹山時代には天明の大飢饉時に尾張藩から大量の米が救援物資として米沢藩に送られた
これにより米沢藩内からはひとりの餓死者も出さなかったという話は有名な話だ

全くといっていいほど米沢藩の実情を知らない、知っていない書き込みだ
知っている奴が>>75のカキコを見たら呆れるか大爆笑するかのどちらかだ



77人間七七四年:2007/05/29(火) 12:16:02 ID:HJ8P1w9u
毒殺事件なんて知ってるよ
それ以前から保科は取り潰し政策の見直し派だったろ

>むしろ尾張徳川家との繋がりの方が大きい

時系列むちゃくちゃだぞ
どーせまたいつものように
わざと混乱させてるんだろうが
78人間七七四年:2007/05/29(火) 12:28:10 ID:HJ8P1w9u
紀州家は家格向上のために上杉を取り込もうとした
ここまでは事実

ここからは推測だが赤穂浪士事件で上杉が世の笑い者になったこと
紀州光貞綱教父子が急死したこと
そして何より後に徳川宗家断絶したことで紀州家が将軍家に入ったこと

事実吉宗以後紀州家で上杉が省みられることは一切無くなる
79人間七七四年:2007/05/29(火) 12:32:32 ID:UgVvjb4X
>>77
なら綱勝急死(1664年)の辺りからの改易にあった主だった家を挙げてみようか
家綱時代の改易http://wolfpac.press.ne.jp/haizetsu04.html
綱吉時代の改易http://wolfpac.press.ne.jp/haizetsu04.html
それなりに改易や減封になってるが
綱吉の時代は家綱時代よりむしろ増加している
80人間七七四年:2007/05/29(火) 12:34:54 ID:UgVvjb4X
81人間七七四年:2007/05/29(火) 12:36:44 ID:HJ8P1w9u
家綱幕閣の多くは酒井忠清筆頭に綱吉により粛清されたやん
なんで中学教科書レベルの話をせにゃならん
82人間七七四年:2007/05/29(火) 13:24:58 ID:CA77w7bO
なーんだ。またプロパガンダ大河ドラマになるのかよ
もうそろそろそういうのやめないか
83人間七七四年:2007/05/29(火) 13:44:13 ID:+9TlyHDv
>>82
禿同。普通の人物を英雄に仕立てているくらいならまだしも、
直江は、奸臣かあるいは無能サイテー男だからね。
虚構や創作も度が過ぎる

直江の政策の基本は、とにかく権力者の犬になり、上杉家を従わせること
初め秀吉の犬になり、度が過ぎて徳川に叩かれると、次は徳川の犬に
直江死後も、直江の薫陶が残って上杉の基本方針になり、反骨の気概を失ってしまっている

唯一反骨しているかに見える「直江状」も偽作だった、本当は徳川と仲良くしたかった、って言うじゃないか
84人間七七四年:2007/05/29(火) 14:51:42 ID:HfMHcI8y
>時系列むちゃくちゃだぞ

兼続の時代から約半世紀後の出来事を持ってきているおまいの観点がそもそもずれているだろ。
その癖他人の意見になると時代が違うとかのたまうのは説得力に欠ける。

>>82
プロパガンダw
もういいよw
85人間七七四年:2007/05/29(火) 15:29:03 ID:UgVvjb4X
>>83
>直江死後も、直江の薫陶が残って上杉の基本方針になり
 
あれ?
この前までは兼続亡き後は直江派閥は藩政の中枢から排除されたとかいってなかったっけ?
いった以上は責任を持って中枢から排除された信憑性の高いネタを探してきて欲しいもんだ
まさか徳昌寺が追放された事と直江家断絶のネタしかないとはいわないだろうな?
期待してるぞ

>本当は徳川と仲良くしたかった、って言うじゃないか

ほ〜う、初耳だ
これも信憑性の高いネタの提出を求む
まさか自分勝手な感想とはいわないだろうな?
これも期待するw
86人間七七四年:2007/05/29(火) 17:05:38 ID:HJ8P1w9u
>>84
だから上田系と反上田系の内部抗争を延々やっていましたという話だろ
関ヶ原敗戦後景勝定勝父子に徐々に中枢から遠ざけられた上田系が
後に家中序順を盛り返した転機が吉良系当主が入ってきた時期であると
その傍証として旧魚沼国人出身の大関氏の携わった紀州藩による
直江神格化キャンペーンだと
その後紀州藩から見捨てられた吉良系当主一族が家中で発言力を落とし
七家騒動に至ると


七家騒動も七家ひとからげで悪臣のレッテル貼るのは如何なものとは思うが
まあ上杉藩のいつものやり口ではあるけども
87人間七七四年:2007/05/29(火) 17:39:11 ID:HJ8P1w9u
ここから先は完全に板違いになるので手仕舞うけども
中央政界の対立を上杉家中抗争とリンクさせるのは
非常に危険ではなかったかということ
結果的に生き延びられたから全て良しと言ってしまうなら
まあそれでもいいが


鷹山一度目の隠居と復帰を田沼から定信への政権交代が
リンクしていたのではという話を判りやすく解説したサイトがあって
結構面白かった
あえてここには貼らないけど
ビジネス系だし
88人間七七四年:2007/05/29(火) 17:47:38 ID:WZ/j3fYG
直江はホモとか直江状は捏造だと決め付けてから話すやつを本当の捏造者というw。
89人間七七四年:2007/05/29(火) 20:10:00 ID:jE2rM9jd
なんだよお前らまだやってんのかよ
前スレでいい加減に結論しただろ

直江は、無能にして傲慢、強欲にして無責任、独善にしてモラル無し

人間の悪い要素がこれほどそろった輩も珍しい。悪い要素の百貨店だってなww

また覆すってんなら、直江の業績ってのをちゃんと示してくれって
90人間七七四年:2007/05/29(火) 22:03:44 ID:a3iTr4TK
>>89
はいはい、わかったからお前の脳内だけにしとけWWW
91人間七七四年:2007/05/29(火) 23:21:26 ID:0Ogcp8A0
>>85
確かに直江はお家断絶、一派粛清の憂き目にあった。
しかしその権力者へのゴマすり体質は、上杉に深く根をはり、遺伝したといっていいだろう。

他の関が原西軍負け組みが持つ反骨精神が上杉には一切感じられない
まさに徳川の犬
92人間七七四年:2007/05/30(水) 08:59:50 ID:46sHgJh6
>>91
>>85は信憑性の高いネタを提出しろといっている。
前スレでアンチが直江派閥が中枢から排除されたといっていた癖に中枢から排除されていなかった事を裏付けられた途端に派閥は中枢に居座り続けたと方針転換。
いかにお前が上杉家中内を知らないかがわかる。
93人間七七四年:2007/05/30(水) 16:02:42 ID:AWa5PsYB
>>85
それが義なんじゃないのか?負けは負けとみとめないと、いつまでも
ブスブスと不完全燃焼ですっきりしないだろう。
94人間七七四年:2007/05/30(水) 16:32:19 ID:F/YrWhqt
>>92
直江一派は排除されただろ。といっても完全に全員排除されたわけでなく、中には残った人も少数居た、ってだけの話だろ。

>派閥は中枢に居座り続けたと方針転換。

誰がそんなこと言ってんだよ。直江一派の大多数が排除されても、直江の権力者への迎合政策は体質として上杉家に残った、って言ってんじゃないか?
95人間七七四年:2007/05/30(水) 19:07:00 ID:+mDoAI0r
で、誰が残ったんだ?
96人間七七四年:2007/05/30(水) 19:27:55 ID:imoB28CQ
それなりに残ってるな
ttp://www.geocities.jp/kawabemasatake/tora.html
97人間七七四年:2007/05/31(木) 11:57:34 ID:W2CE6w44
>>93
おまえなにいってんの?
自分の感想なら日記帳にでも書いとけ。

>>94
>直江一派は排除されただろ。といっても完全に全員排除されたわけでなく、中には残った人も少数居た

直江兼続亡き後はその意志を平林正恒・正興と後室お船が引き継いでるが。
平林正恒は兼続の右腕として働いていた人物。
米沢移封後、兼続が江戸にいた時は正恒が兼続の命を受けて城下町の整備に当たっていた。
これを証明する書状は米沢上杉博物館に現存する。(過去スレでアンチの中に城下町の整備は清野長範だと言い切っていた奴がいたが長範が総監や現場監督をしていたという証拠は残っていない。)
お船亡き後の米沢藩の藩政の実権は平林正興が握り、直江派でもあった与板衆の藩政内での勢力は維持されている。
それに兼続の妹を娶った色部光長も直江派に属していた人物。
父親の色部長真が遺言として兼続に色部家の事を頼んだ書状が新潟県立歴史博物館に現存する。
この平林家と色部家は江戸時代の米沢藩の重臣クラスを江戸時代当初から江戸時代末まで維持し続けた。
それどころか歴代藩主は与板衆から少なくともひとりは必ず重臣として起用し藩政運営の実権の一角を与え続けた。
兼続の実家の樋口家と弟の実頼が継いだ大国家の扱いはというと家老など藩政運営のポストに付く事はなかったものの上屋敷と下屋敷が与えられる等の重臣クラスの扱いを受けている。



98人間七七四年:2007/05/31(木) 12:56:12 ID:jTiiFTBS
おまい平林らいすっきだな
元和年間に景勝より先に死んでるけど
そんなことより須田の話をしてやれよ
99人間七七四年:2007/05/31(木) 13:41:22 ID:W2CE6w44
>>98
好き嫌いではなく史料に基づいて事実をいってるだけだ。
景勝より先に亡くなったのは正恒。
その後は正興が継いで直江政権を維持し、お船が亡くなり直江家断絶後も兼続縁の人物を藩政運営に起用している。
主だったところで木次左近、近藤十郎衛門、広井出雲、広井兵庫。
1640年に幕府に提出された米沢藩最古の城下街家臣屋敷配置図(個人蔵)では陪臣でありながら平林のみ平林殿との記載がある。
藩政運営の人選の決定権に陪臣で唯一「殿」と呼ばれていた事でいかにこの時代、平林氏の力が強かったかが伺える。
須田に関しては満親にしろ長義にしろ信憑性のある史料では直江派閥との繋がりがあまり見受けられない。あるのは戦況報告の書状のみ。
直江家(派閥)と須田家の関係を裏付けるものは現段階では不明。
ただし須田家は1664年まで城代を務めていたので政権運営の面では無視できない存在であった事は確かだろう。
100人間七七四年:2007/05/31(木) 14:26:00 ID:jTiiFTBS
正興は寛永末期にならないと名前出てこないでしょ
正恒が没したのが73歳でその時何歳だったんだろうか
101人間七七四年:2007/05/31(木) 15:21:56 ID:+w8y+k3j
加熱具の評価は、直江家がつぶれたことで明らかだろ
殿様の後継者が直江の手で育てられていたから、あからさまな直江の断罪は出来なかったんだろうな
102人間七七四年:2007/05/31(木) 15:29:16 ID:W2CE6w44
>>100
正興が表立って登場するのは正恒亡き後の1622年以降から。
年齢に関してはハッキリしていないのが実情といったところ。

で兼続と須田氏のかかわりだが確かな情報としては
・兼続の妹が満胤に嫁いでいる。
・兼続の命にて忠長に織絹業を創業させている。
兼続の妹を娶っている点からすると与板組派側だったと考える方が自然。
ただ、平林や色部ほど家同士の繋がりを証明する史料は残っていない。
103人間七七四年:2007/05/31(木) 21:45:59 ID:bJBKDu6h
>>102
会津移封時に

須田光義(満親長男・兼続の養子)二万三千三百石
須田長義(満親次男)巣だけ嫡流をついで二万石
ではなかったっけ?
没落した村上氏にかわって信濃衆の束ねに須田氏を据えたけど、
自分の養子に大名級の所領を与えるなんてあざといなあ、と感じた記憶がある。
104人間七七四年:2007/06/01(金) 21:57:37 ID:5KOPIj2c
そういえば、この人を日本三大家老(だっけ?)と評したのは秀吉だっけか?
他は小早川隆景と鍋島直茂だったとおもうけど。
105人間七七四年:2007/06/01(金) 22:15:58 ID:uhuTzE+6
>>104
「天下三陪臣」は、小早川隆景と直江兼続の二人が固定。
もう一人は、一番メジャーなのは鍋島直茂だけど、堀直政という話も強い。
いずれにせよ、3人目は、
「奈良の大仏、鎌倉の大仏、○○(ご当地)の大仏」の○○の部分。
秀吉が、誉めたい相手を
自分の全盛期をささえてくれた東西の友好大大名である
毛利と上杉の家老と並べて語ることでハク付けした手法だろうね。
でも結局、この固定されないややこぶりな三番目の一人である鍋島
(鍋島も堀も「大気」が足りないと呼ばれた)が最後は一番所領がでかくなったのは皮肉だ。
106人間七七四年:2007/06/01(金) 22:49:56 ID:5KOPIj2c
>>105
サンキュ

そういや、直江は日本七槍にもなってたよね
そうなると、むしろ、直江のハク付けだろうね

そうすることで、おきにの直江が上杉家中でやりやすいように
107人間七七四年:2007/06/03(日) 19:50:37 ID:+8cxPRV6
名宰相だとか名家老とか言われるような人物ってのは、家中の派閥争いからは超然としているもんだろうな。直江はむしろ派閥争いの主役だろう。この点でも天下の家老でも何でもないことがわかるな
108人間七七四年:2007/06/04(月) 01:45:06 ID:HFzg8reb
>>107
> 家中の派閥争いからは超然としているもんだろうな。

それって単なるお神輿・・・・w
本多正信、石田三成、片倉景綱、門地ではなく才覚でのし上がって台頭してきた家老は大抵派閥争いの主役。
日頼公の実子である小早川隆景や主家と重縁(主家の未亡人が押しかけ婚までした)を結んで家中では一頭地抜いて
いた鍋島直茂とは立場の強さは比較にならないよ。
109人間七七四年:2007/06/04(月) 22:39:43 ID:rz+MX2ii
身内だからこその危険もあるけどね
隆景はともかく、鍋島の親分は熊さんだからなー
鍋島の場合、熊さん戦死の時にもまだ熊さんの実母(鍋島の継母)が
存命だった(はず)のは幸いだったとはおもうが

ちなみに自分的には
隆景、鍋島 > (超えられない壁) > 兼続
なんだけどね、能力的には
110人間七七四年:2007/06/04(月) 23:10:06 ID:PGR9kczN
主君の立場からは
隆景 >>>>>> (超えられない壁) > 鍋島=兼続
になるだろうけどね
111人間七七四年:2007/06/05(火) 12:12:04 ID:nuxmn6oN
直江加熱愚がタダのウソのプロパガンダだというのには納得。
でも、一般的に言われている、上杉家が義をモットーにしていた、ってのもまさか虚構?
上杉ファンとしてそう思いたくないけどな…
112人間七七四年:2007/06/05(火) 12:19:54 ID:7BMIg03D
>>111
もういいよ、おまえは
一生プロバガンダといってろ
113人間七七四年:2007/06/05(火) 21:58:05 ID:fAZwXDb+
アンチはすぐに史実だ史料だって騒ぐけど今現在伝えられてる史実や史料だって
推測や憶測混じってるのになんでそこまで自信満々、偉そうに兼続叩きしてんのか謎。
114人間七七四年:2007/06/05(火) 22:29:57 ID:gbxBY0ZK
功績が出てこないのに褒める気になる方が謎。
普通、信者よりアンチの方が詳しいわけ無いんだから、信者は自分が兼続の信者になった知識で
存分に功績を語れば良いじゃないか。
115人間七七四年:2007/06/05(火) 23:03:10 ID:xmCv9Hch
>>113
てか、何か、直江って楽しいんだよな。こいつマジで有史以降人類でサイテー人間だぜ、たぶん。
主家に100万石級の大損害を与えて、責任取らず、ぬけぬけと権力拡大続けた人間他にいるかって。
そんなサイテー人間を大真面目に信仰しているオタがまた楽しいわけよw
116人間七七四年:2007/06/05(火) 23:46:18 ID:TmaiGhb0
NHKも罪よのうw。安置ファイトwww。
117人間七七四年:2007/06/07(木) 22:10:56 ID:G+RO6R8a
坂口安吾は高く評価している。
池波正太郎は評価しないそうだ。
118人間七七四年:2007/06/07(木) 22:42:01 ID:MT177NV/
坂口安吾は歴史小説家としては「二流の人」だし。
119人間七七四年:2007/06/07(木) 23:31:33 ID:oeJG1/gN
坂口安吾はキワモノ小説家で、キワモノ好きに人気がある。
新潟出身のため、アンチ仙台で、伊達文化コンプレックスだったみたいだ。
薬物依存で狂って死んだらしい
120人間七七四年:2007/06/08(金) 00:03:38 ID:G+RO6R8a
個人の所領としてわざわざ30万石を与えられたのは
景勝と兼続の離反を画策した秀吉の指示だった。
秀吉は兼続をなんとか家臣にしたかったらしい。
121人間七七四年:2007/06/08(金) 09:08:25 ID:39osETW+
ダウトw
122人間七七四年:2007/06/08(金) 13:09:36 ID:vySpZ08x
秀吉に利益供与を受けた売国つーか売家家老どもは、見事にみなバチが当たってる
直江加熱愚、石川数正、安国寺えけい
秀吉の人たらしマジック恐るべし
片倉小十郎は懐柔されなくて良かったねー
123人間七七四年:2007/06/08(金) 13:19:00 ID:tMJTUZEl
>>122
またおまえか
小早川隆景はスルーかよw
124人間七七四年:2007/06/08(金) 20:45:41 ID:0K2LRCGe
鍋島も忘れてるな
125人間七七四年:2007/06/09(土) 03:12:00 ID:lHh5QqJD
>>123
小早川は売国なんてしてないだろ?
126人間七七四年:2007/06/09(土) 22:38:17 ID:nmjJ34Nl
そう小早川は領土を秀吉の親戚に返還してしまったからな。
隆景自身を含め毛利がどう行動しようと道義的に文句は言われないわな。
鍋島って秀吉に恩恵受けたっけ?
127人間七七四年:2007/06/09(土) 23:17:11 ID:1ZeAA6Av
>>125
それはお前の認識。秀吉に取り入って五大老になった裏切り者なのが事実。
128人間七七四年:2007/06/09(土) 23:35:26 ID:HCg4vJnk
>>127
この文の中で事実なのは「五大老になった」だけだね
129人間七七四年:2007/06/09(土) 23:57:27 ID:1ZeAA6Av
>>128
主君と同格になるのが越権や裏切りじゃなくてなんだと?
そういう意味じゃ兼続は己の分をわきまえていた名宰相だな。
130人間七七四年:2007/06/10(日) 04:14:06 ID:QbFIA1ka
>>126
直茂の能力をかなり買っていたので、秀吉からの恩義はそれなりにあると言える。

秀吉としても九州は島津、黒田、佐々と色々と目の届きにくい上に面倒な土地なんで、
自分に従っていてなおかつそこそこ力がある竜造寺は必要だった。
しかし竜造寺政家は非常に頼りなく、明らかにその重臣の鍋島が主導で動いてるので
単なる個人的な趣味ではなく、必要があって買っていたといえる。

だが直茂自身は譜代との関係もあるのか乗っ取るにしてももう少し穏便にすすめる気だったようで
若干ありがた迷惑だったのかも。

そこが秀吉にとっては歯がゆかったんだろう、秀吉は彼を勇気と知恵はあるが大気が無いと評しているが、
ようは「面倒だから早く竜造寺を乗っ取れ」と言いたかったのかも。

ところで隆景は勇気が無いと評されているがこれは慎重な彼の性格と、
本能寺の際に自分を殺さなかったと言う事を含めて言ってる感じなのでわかるが、
兼続の知恵が無いってのはどんな含みがあるんだろうか?
大気も勇気もあるけど知恵が無いって、なんかバカって言ってるようでフォローが難しいが・・・。
131人間七七四年:2007/06/10(日) 04:39:21 ID:Y1gtWQON
上越市の直江津に直江って苗字のお寺あるんだけど、聞いても関係ないって
答えるんだよね。
132人間七七四年:2007/06/10(日) 05:50:17 ID:FDR897WH
>>130
そういう背景を考えると勇気も大気もあんまりいい意味じゃないね
そうなると知恵ってのも悪い感じの知恵か。悪知恵か…
133人間七七四年:2007/06/10(日) 19:19:56 ID:fL7sytIF
兼続になかったのはむしろ「勇気」だったと思うんだがなあ。
引く勇気、耐える勇気、守る勇気、という「かっこよくないけど本当の勇気」が足りない感じがする。
134人間七七四年:2007/06/11(月) 16:50:14 ID:/1b38zw2
小早川隆景は、結局秀吉にもらった領土を返納し、毛利本家への秀秋の入婿を阻止し、毛利の一家老に戻っているから倫理的になんら問題ない。鍋島は秀吉の介入が有ろうが無かろうが体勢に関係ないので恩恵は薄いのでは?

直江は秀吉に優遇され、そのため秀吉にいいように主家を動かしているから、まさに売国家老だろ。倫理的に戦国最低男だろ
135人間七七四年:2007/06/11(月) 18:10:51 ID:bYFRP/vt
136人間七七四年:2007/06/11(月) 22:31:30 ID:UMK7N8X4
>>134
それ以前に秀吉の助けがなければ鍋島も竜造寺も島津に飲まれてた可能性が高い
そういう意味で違った恩恵が大きい。
137人間七七四年:2007/06/12(火) 09:37:19 ID:1tg7O3Qh
>>134
>そのため秀吉にいいように主家を動かしているから

何度同じ事いわせるんだ?
いいように主家を動かしたという証拠を提出しろと
いつまでも後世の人間が作り上げたフィクションで話すなよ
138人間七七四年:2007/06/12(火) 09:43:29 ID:1tg7O3Qh

>>133
>引く勇気、耐える勇気、守る勇気、という「かっこよくないけど本当の勇気」が足りない感じがする。

って、お前は史実の直江兼続にあった事があるのかと
人それぞれ見る角度によってどんな人物もそれらの勇気というか決断力はある
それを評価するかしないかは個人差に過ぎない
>>133の好きな偉人も人によっては愚かで無能な人間になる
139人間七七四年:2007/06/12(火) 12:03:18 ID:TV/yUsWp
>>138
でも、そんなフォロー入れる武将は大抵一般的に無能といわれる件。
お前が入れてるフォロー朝倉義景や今川氏真に入れるフォロー同種なんだよ。
本当に無能に見えるから止めろ。
140人間七七四年:2007/06/12(火) 12:56:30 ID:gE4rBYMu
いや、そういうフォローしかやりようが無いんだけどね
141人間七七四年:2007/06/12(火) 14:27:25 ID:L74ZWkXR
そんな事よかアンチが定期的に必ず持ち出すネタである>>134にある書き込みのような主家を自分の思うままに動かしていたという根拠と証拠の提出が先だな
当然そこまで言い切るからには証拠があるんだろう?
142人間七七四年:2007/06/12(火) 14:39:14 ID:CdgjlPtI

上杉家は過剰な親豊臣政策を行い、その結果大衰退した。そのときの上杉家の宰相が直江だった。彼は秀吉に過剰な恩をうけていた。

これだけで十分だろ
143人間七七四年:2007/06/12(火) 14:41:22 ID:L74ZWkXR
>>142
証拠でもなんでもないじゃんw
よって却下
144人間七七四年:2007/06/12(火) 14:55:42 ID:Jd5cSuU0
景勝があまりにも喋らないものだから兼続が家中の命令を代行せざるを得なかった。
宰相というよりスポークスマンやってただけだったりして。
145人間七七四年:2007/06/12(火) 15:55:42 ID:sx3SORm6
小早川隆景と鍋島直茂と比べたら治績で直江は圧倒的格落ちするだろ?
比べる相手が違くね?
146人間七七四年:2007/06/12(火) 16:20:18 ID:6GH5oDBE
ただの無能な奴が、後世の人間に秀吉がお気に入りだったと伝わるわけがない。
直江状って言葉も何もないのに生まれるわけがない。
そう信じたい人とそんなこと信じられないって人がいるだけ。
ROMってた結果証明出来ない以上アンチの勝ち!
147人間七七四年:2007/06/12(火) 16:39:07 ID:1tg7O3Qh
>>142
>>145
後世の人間が作った伝承が全てかよ
素晴らしい証明だな
アホらしくて反論する気にもならん
148人間七七四年:2007/06/12(火) 16:50:23 ID:sx3SORm6
>>147
何を言ってるんだ?お前は?
資料から読み取れる治績や軍功で鍋島や小早川と直江が同格であるという功績をkwsk
149人間七七四年:2007/06/12(火) 17:07:39 ID:1tg7O3Qh
>>148
お前こそなに突っ込んでるだ?
俺は主家を勝手に動かしたかどうかの問いについて語ってるわけだが
鍋島や小早川との比較?
んなもん誰が上で誰が下という議論なんざ荒れるに決っておろうが
150人間七七四年:2007/06/12(火) 17:16:11 ID:sx3SORm6
>>149
はあ?俺は主家云々の事なんて語ってないだろうが。
俺のIDを調べてみろ。何を言っているんだ?お前は?
上の方3人比べてんだろ?
それ見て直江は3人の中で資料から分かる事跡は明らかに格下という話だ。
151人間七七四年:2007/06/12(火) 18:40:41 ID:nEgpr6M6
>>149
30(または4?)万石という法外な高給、筆頭家老という立場からして、宰領だったことは明らかだ。
その時期の政策が直江のものじゃないのなら、直江は何をやっていたんだ?
宰領をやらずに仕事をサボって居たとでも言うのか?
ホモの相手というだけで30万石を取っていたのか。だとしたらゴク潰しだったことになるぞ。
そうかも知れんな。いずれにしろ売国家老か、そうでなければゴクつぶしだったことになるな。
152人間七七四年:2007/06/12(火) 18:48:17 ID:Jd5cSuU0
おまいら同じサイドで叩き合ってないか
153人間七七四年:2007/06/12(火) 19:31:40 ID:RRP6yFnv
そもそもアンチ兼続な人からしたら
あの、家康のいいがかりに対してどう反応すれば満足だったのかな?
前田みたいな対応なら満足なのかい?
154人間七七四年:2007/06/12(火) 20:39:16 ID:6GH5oDBE
>>153
話のわからん人だな。
アンチ以前に、彼の場合そういうこと自体が不確かだってこと言ってんでしょ。
あんたが家康みたいだよ
155人間七七四年:2007/06/12(火) 22:51:22 ID:93JEg9QS
>>147>>145へのレスアンカー違いだろ?何でこんな喧嘩してんの?
156人間七七四年:2007/06/12(火) 23:03:07 ID:mxLYf7tD
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
157人間七七四年:2007/06/13(水) 20:37:47 ID:CKHnTT5M
前田慶次が親友と認める男が凡将や売国家老であるわけが無い
158人間七七四年:2007/06/13(水) 21:50:36 ID:RAFONBsn
またそういう書き方すると前田慶次がなんぼのもんじゃい
て言い返されちゃうからもう言っちゃ駄目。
159人間七七四年:2007/06/14(木) 01:51:26 ID:z91EgWU/
前田慶次の親友と売国家老の関連性をkwsk
160人間七七四年:2007/06/15(金) 23:54:12 ID:lnbKEwbm
売国家老ってのは、主家に対する倫理の問題だけど、豊臣に関しても倫理的になんか間違ってるよな
161人間七七四年:2007/06/16(土) 08:08:18 ID:xRPlhYqM
倫理的に、なんていったら下克上な戦国時代は
みな倫理的におかしいだろw
162人間七七四年:2007/06/16(土) 08:10:54 ID:h0Q9ijxH
>>115
チョン思考乙
163人間七七四年:2007/06/16(土) 08:52:53 ID:1hBsHp1Q
チョンにとっては直江は書物ドロボーなんだよな。
164人間七七四年:2007/06/16(土) 11:28:44 ID:TWBRHAir
花慶で直江兼続の事を知った口だけどここと見てると
漫画では涼やかな武将ってイメージだけどスレ見てると兼続の魅力が良く分からない‥。

スレの流れもアンチの指摘にファンもファビョるな展開なだけで
信者ですら業績や魅力を語ろうとしないし、無能な武将にしか写らない
165人間七七四年:2007/06/17(日) 09:57:44 ID:dh0pnQCW
>>164
                             |
                             |
      ∩___∩             |
      | ノ  _,  ,_ ヽ        ((  | プラプラ
     /  ●   ● |         (=)
     |    ( _●_)  ミ _ (⌒)   J  ))
    彡、   |∪|  ノ
⊂⌒ヽ /    ヽノ  ヽ /⌒つ
  \ ヽ  /         ヽ /
   \_,,ノ      |、_ノ
166人間七七四年:2007/06/17(日) 20:55:14 ID:hpg4ajdW
>>164
無能な武将なんだから、当然無能な武将にしか写らないでしょ
直江が主将の合戦はことごとく負けてるから。
新発田には何度も撃退され、最上にも撃退され
167人間七七四年:2007/06/17(日) 21:19:07 ID:wBoJTaot
無能とはちがうだろう

まぁ、イメージ的には趙括なんだけど
168人間七七四年:2007/06/18(月) 00:02:58 ID:W3mB2AjI
>>166
毎度ながらどさくさにまぎれてへたれ最上などとくらべんなwww
お前ら工作活動ばっかしやがってw


169人間七七四年:2007/06/18(月) 01:38:09 ID:Y0AjWk4q
悔しかったの?w
170人間七七四年:2007/06/19(火) 23:24:34 ID:XsqY15wr
>>168
工作って何?さらしアゲ
171人間七七四年:2007/06/20(水) 13:04:36 ID:DB7VRBzB
きいたふうな口をきくな〜〜〜〜〜〜!!!!!
172人間七七四年:2007/06/22(金) 00:23:29 ID:/jcOS8BG
でもなんで直江が率いるとことごとく負けるのか
ひょっとすると、「愛」の前立を見て、味方の戦意が萎えるのかな?
173人間七七四年:2007/06/22(金) 04:05:15 ID:74/3u3hh
         .┌┐
        / /
      ./ / i              ┌┐
      | (;゚Д゚)<そんなバナナ!// i             ┌┐
      |(ノi  |)           |(;゚Д゚)<そんなバナナ!.// i
      |  i  i           (ノi  |)           |(;゚д゚) <バニャニャ!
      \_ヽ_,ゝ          ヽヽ_,ゝ          (ノi  |)
        U" U             U U            `U U

174人間七七四年:2007/06/24(日) 01:03:26 ID:Ece2NGSL
相変わらず荒れてるな。

しかしながら、内政面での評価もこのスレ的には「なかったこと」
みたいに否定されるのはどうかと思うが。たしかに清野長範などが
いままで過小に評価されていたことは確かだと思うが、米沢の城下
形成、藩政に一番大きな役割を果たしたのはやはり直江とみていいんじゃないか?

あと、最上領侵攻に関して、作戦自体は決して悪いものでは
無かったと思うのだが。実際3手に分けたうちの志駄義秀の軍勢は
酒田から寒河江まで侵攻しており、長引いたら手薄な方面から
山形を攻められた可能性がある。
175人間七七四年:2007/06/24(日) 06:03:16 ID:IMiYBN6l
>>174
作戦もクソも無い・・5倍の勢力で攻めただけで特に変わったことなどない、だけど失敗したと言う経緯なわけで、
んで失敗してるうちに情勢が変化してしまってどうしようもなくなったわけで。

当初の流れ自体は上杉と最上の合戦になった時点でその辺は景勝、義光双方にとっても予想の範疇だし。
だからこそ義光は兵を山形に下げてるわけだし。

それで山形城包囲ぐらいまでスムーズに行ったけど、関ヶ原の影響で退くしかなくなったというのであれば、
運が無いと言う事でマイナス評価になるような事は無いけど、
この兵力差で敗北までしてる時点で弁解のしようがない。他で余程の活躍でもして無い限りは
この人物の軍事的な能力はどの角度で見ても評価できない。
176人間七七四年:2007/06/24(日) 08:06:47 ID:1+eOqjVz
>>174
直江が居なかったら米沢城下町が出来なかったのか、んなこと無いだろ。
他の誰かが代わりにやっていた、ただそれだけだ。

直江が大名のような高サラリーだったからには、引きこもり系景勝に代わって軍事外交を期待されたのであって、
それらでの大失敗を誰でも出来る役人仕事で取り返せるか、出来ないだろ。
藩士農民も貧窮に苦しんだ中で、責任取らずに高サラリーむさぼり続けた直江は最低男だろう

確かに直江が率いなかった志駄の部隊の方が活躍目覚しいんだよな
177人間七七四年:2007/06/24(日) 15:53:06 ID:gVeiniOz
直江の功績ってのは、直江以外の誰も出来ないというものじゃないからな。
どうしても実際の功績よりも低くなり評価されがちだし。

最上を追い詰めた(?)のも、
山形に兵力を留めておかせるという徳川の目的に沿ってるんだよな。
どんだけ得点多くとっても敵の戦争目標を達成させてるんじゃ、最終的に負けるしかないな。
178人間七七四年:2007/06/25(月) 02:48:04 ID:BdDgfX71
でもそれを言い出したら殆どの連中の内政に関する事績だって
同じことが言えちまわないか?

話は変わるが、お船の方の待遇って破格ではないか?
定勝にいかに信頼されていたとはいえ、たかが家臣の後家が
3000石も貰っているってのはちょっと普通でない気がする
179人間七七四年:2007/06/28(木) 23:37:36 ID:ney/FGpR
夫婦そろって強欲なんだな。
旦那が主君に見限られていたから、誰も養子になってくれなかった。
お家断絶確定していたから、一代限りということで、破格の高給がゆるされたのかも。
この夫婦は、開き直りを感じるなw
180人間七七四年:2007/06/29(金) 01:26:37 ID:Eznprqa+
つーか前スレあたりでは「アンチじゃないよ、そういう部分も含めて好きな兼続ファンだよ」
とか言い張ってたのにこのスレになってようやく本性現したな、兼続アンチ。
やっぱりアンチなんじゃねーか。そんなに嫌いならさっさとアンチスレ立てて出てけよ。
それとも俺が立ててやろうか?
181人間七七四年:2007/06/29(金) 01:49:41 ID:njmC8xFI
可愛さあまってなんとか百倍になったとか。
きっかけが何かは知らないけど。
182人間七七四年:2007/06/29(金) 02:20:50 ID:4pHEBXEC
>>179
米沢雑事記によると
「山城守相果て候ても、大小の事ども後室へあい計らい候よし(後略)」
と伝えられているほか、お船の方が寛永16年に病に倒れたさいに、
定勝は自ら見舞いに訪れ、伊勢神宮に大神楽を奉納させ、病気平癒の祈願までさせている。常識的に考えて、いかに家老の後室とはいえ、
家臣の後家にそこまでする例は見られないので、定勝の直江後室に
対する信頼はかなりのものがあったと見るのが普通。
最近のこのスレの流れでは直江は景勝に見限られたかのように
言われることが多いが、だとしたら定勝がそこまでするだろうか?
また、定勝の養育がお船の方が大きく関与したというが、もし直江
が景勝に切られたとしたら、清野あたりが定勝養育をしたはずでは?

また、後継に関する件も、家臣ではなく、直江の弟に大国、樋口が
おり、それらにも子はいた(事実大国の娘を養女にしている)ので
断絶も家中で孤立し養子をくれる同僚がいなくなったとみるより
直江夫妻の意向もあった見るのが妥当。


>>180
確かに。前々スレくらいまではそれなりに批判なども取り混ぜつつ
健全にスレが動いていたと思われるが、ここ最近のスレの様子では
史料も無視して、誹謗に走る傾向が強いし、まともに議論したり
もできる状況じゃないんだよな。全てを悪い方へ曲解している。
清野長範なども、直江の業績の影に隠れていた点では同意だが、
このスレでは直江を誹謗するダシにされている感がある。
183人間七七四年:2007/06/29(金) 23:40:16 ID:eH+L+40l
普通、乳母や養育係に育てられれば、それらを親とも思って育つ。
だから、定勝は直江夫妻に養育されているのだから、信頼するのは当たり前
洗脳しているかもしれない。

だから、直江はあからさまには断罪されない。断罪された者によって育てられた君主になってしまうからだ。
断罪できない直江に対する穏便な引責が、お家断絶と見るのが自然ではないか。

信頼しているはずの定勝でさえ、直江家断絶を容認し、再興していないのだから。
養子を断られた、というのも実際あったワケで
>>179の解釈の方が自然な気がするが
オタ連中の方が、直江にいいほうに無理に曲解している
184人間七七四年:2007/07/02(月) 10:46:03 ID:kGfq8l8H
名門の直江家をつぶすってことは、断罪か引責か懲罰かしかありえないよな、確かに
185人間七七四年:2007/07/04(水) 07:39:10 ID:3EsKnZ29
ここの直江信者はコミックばかり読んでないで、図書館にでも行け。
で、直江の史実の業績を調べてきたらどうだ?
あと、直江に一つも非がないかのような全肯定の姿勢や、小早川が悪いだの他将を誹謗する態度は当然反発を食らうと思う
186人間七七四年:2007/07/04(水) 07:40:50 ID:+C1jT0Bk
>>183
まあ、そうだよなぁ。
普通に功績があって、そもそも直江家断絶させないために兼続が養子に入ったのに、
続かせずに断絶なんてありえないわなぁ。
187人間七七四年:2007/07/04(水) 16:28:49 ID:WABqnerZ
信長が3ヶ月も生きてたら命は無かったな
188人間七七四年:2007/07/04(水) 23:40:26 ID:5l9xh7Ml
いや分らん、信長に取り入っていたかも知れんぞ
189人間七七四年:2007/07/04(水) 23:45:50 ID:aJ92U8vw
政権をめぐる戦争という、見誤ってはいけないものを見誤った責任は相当大きい
しかし、罪滅ぼしに内政をこつこつやったあたり、やっぱ後ろめたかったのだろうなと

おれはアンチ兼続に近いけど、ちょっとは同情できる
190人間七七四年:2007/07/11(水) 16:08:31 ID:e1IiH6bt
同情は無いな〜。終始高給をむさぼり続けたからな
むしろ、直江という超・愚人の最大の被害者は直江家かも
上杉家は減封で済んだが、直江家は兼続に継がれたばっかりに消滅しているワケだから
191人間七七四年:2007/07/12(木) 22:53:28 ID:4A0YiGJH
超愚民ってwww、お前もよくいうねw。
まぁくやし涙で一年間大河みろやwww
192人間七七四年:2007/07/13(金) 01:20:16 ID:CLQX6d/T
>>191
>>190はどういうわけか病的なほど直江を嫌ってるからな。
どのレスをコイツが書いたかすぐ解るw

>>187
たしか景勝が佐竹に宛てて信長来たら玉砕覚悟です、という書状を
送っていた気がする。
193人間七七四年:2007/07/13(金) 02:08:22 ID:jcm3e2rh
なんで佐竹に?仲よかったん?
194人間七七四年:2007/07/13(金) 09:38:10 ID:UklpxqoO
>>192
気がするじゃなくて残ってんだよ、その書状が。
「玉砕するのは本望。玉砕すれば信長に立ち向かった武将として後世に語り継がれるでしょう。
逆に信長に勝つ様な事があればこれもまた後世に語り継がれる事でしょう。私景勝はなんとも良い時代に生まれたものです。」
現代風に簡単にいえばこんな感じ。
あの時点で信長に降伏したところで命はないのはわかっていたから覚悟していたんだろう。

>>193
謙信以来の付き合いがある。
だから関ヶ原の時には表向き家康に付きながらも裏では上杉方についていたわけだよ。
195人間七七四年:2007/07/13(金) 15:06:25 ID:4LtDU2Y3
>>194
佐竹義宣が煮え切らなかったんだよな、結局
196人間七七四年:2007/07/13(金) 17:03:34 ID:YuQptW/X
というか家中の反対にあって動けなかった
景勝と義宣はマブだが
義重や重臣達は相越同盟で謙信に裏切られて以来
上杉を冷ややかな目で見るようになり
全く信用しなくなった
197人間七七四年:2007/07/14(土) 00:26:11 ID:CfblLznm
先代の恨み程度で動かないなんて佐竹の器が知れるな
198人間七七四年:2007/07/14(土) 09:00:39 ID:GVcJ/3D6
先代死んでないどころかまだまだ現役だったしな。
199人間七七四年:2007/07/14(土) 12:40:22 ID:C52lSbQk
つうか義重や義久は端から上杉なんて相手にしてない
秀吉死後、三成には見切りをつけて徳川派になっていた
義宣にしても上杉に協力する気があったのか謎
少なくともそう言った素振りは全くない
200人間七七四年:2007/07/14(土) 14:07:51 ID:vxsy+D7J
>>199
徳川連合軍が小山に着陣した時、陸奥と下野の国境で陣を張っていた兼続の元に佐竹側の使者が訪れている。
この時の兼続の書状が現存している。
三成の使者への返答も自分がするから他の奴が勝手に指示や返事をするなというもの。
201人間七七四年:2007/07/14(土) 15:50:05 ID:C52lSbQk
>>200
どうせならもう少し分かりやすく書いてくれ
全く意味がわからん
202人間七七四年:2007/07/15(日) 18:25:06 ID:zTGfODXP
先代の恨み程度で動かないってw
上杉は時によっては、佐竹の宿敵を支援したりしてたわけで、別に仲良しこよしな仲でもない
会津と江戸に挟まれた佐竹家が、両論分裂したことのほうが自然

景勝や兼続がそんな佐竹をあてにしてたとすれば、徳川と敵対するよりずっと愚かなことだ
203人間七七四年:2007/07/16(月) 19:51:43 ID:0O4o2Db0
結局再来年の大河が始まれば嫌でも兼続ファンが増えるだろうしアンチ今から涙目wwwww
204人間七七四年:2007/07/16(月) 20:04:47 ID:ftu8LhSB
ねーよwwwwの荒らしで、馬鹿にされちゃうってことは想定しないの?
205人間七七四年:2007/07/16(月) 21:09:23 ID:m5Gy9ckG
>>204
そもそも再来年の大河は脚本家の力量がたかが知れてるので、
直江ひいきな俺らですら「ねーよwww」となりそうなんだよ・・・
206人間七七四年:2007/07/16(月) 21:32:17 ID:zv6Kw6ed
NHKの脚本家ってほんとバカでもなれるのな。
207人間七七四年:2007/07/16(月) 21:33:59 ID:ftu8LhSB
だよなwww
昨年の「おおっ、一豊があそこで戦っておるぞ」「いけ、そこだ」「まわりこめー」の櫓コントレベルのがありそうでw
ずっと愛のターンwwwww
208人間七七四年:2007/07/17(火) 02:39:43 ID:amfEP0Yg
>>203
つうか去年の大河で一豊のファン増えたのか?
209人間七七四年:2007/07/17(火) 06:30:30 ID:rTi8tAZf
>>208
Σ(゜Д゜;)
210人間七七四年:2007/07/17(火) 22:21:59 ID:/IXNqQS5
>>208
お、おまえ・・・純粋な疑問は残酷なことだってあるんだぜ・・?
211人間七七四年:2007/07/18(水) 16:59:21 ID:qQsa7Pa0
利家とまつ以降大河になったからファンが増えるなんて時代じゃなくなってるだろ‥。
212人間七七四年:2007/07/18(水) 22:53:25 ID:sSHw5YFy
>>208
核心つきすぎ、ワラタ
213人間七七四年:2007/07/18(水) 23:56:13 ID:zuR2BPL9
直江の後半生は、お家を大衰退させた償いのために働く懺悔の人生だ。
お涙頂戴的な懺悔のドラマがいいんじゃまいか
214人間七七四年:2007/07/19(木) 00:13:57 ID:7wJELlu+
最近の大河は、戦国B級人物列伝になってるよな

直江の内政での頑張りも、つぐないって感じはぬぐえないわな
正義の完璧超人って感じでやられたら、どっかおかしいって皆思うだろ
215人間七七四年:2007/07/19(木) 02:17:13 ID:6m/lQ/fY
なんで西国大名やらないんだ

俺が絶対主人公にしてほしい人

・島津義弘
・立花宗茂
・鍋島直茂
・加藤清正

なんでこれだけのすごい人物をスルーするNHK
朝鮮征伐が絡むものを意図的にスルーしているとしか思えないぞ



【配役候補者】

立花宗茂: キムタク
島津義弘: 渡辺謙



李舜臣: 出川哲郎














216人間七七四年:2007/07/19(木) 05:14:35 ID:6qEcb5cx
>>215
知名度ないから。
歴史スキー以外、山内一豊よりも知られてないかもしれない。
217人間七七四年:2007/07/20(金) 01:27:16 ID:6DnPpdIm
>>216
これはマルチ。
至るとこにコピペされてる
218人間七七四年:2007/07/21(土) 11:40:19 ID:TU8ZIQMo
>>213
案外いいかもな
人間、誰しも自分を責めるような過去とか、信用を一度に失う事態ってのもある
そこから自分をいかに立て直すか
ああ、わりとドラマになるじゃん
219人間七七四年:2007/07/21(土) 15:00:36 ID:nHtMPqsx
よいじゃんよいじゃん、朝鮮スポーツ大会って割り切って描けば、朝鮮征伐は

なんだかんだいって、みんないい汗かいたじゃん

220人間七七四年:2007/07/22(日) 00:00:48 ID:utsoVCKL
蔚山で兵糧が尽きて死にかけた加藤清正のアレも目玉競技の一つ
221人間七七四年:2007/07/23(月) 16:10:09 ID:N4+pow5C
>>218
やっぱそうなると、テーマ曲はさだまさしの「償い」かw

償い
作詩・作曲:さだまさし
 
  人間って哀しいね だってみんなやさしい
  それが傷つけあって かばいあって
  何だかもらい泣きの涙が とまらなくて
  とまらなくて とまらなくて とまらなくて

売国家老にはやっぱさだまさしがふさわしいww
222人間七七四年:2007/07/24(火) 00:16:51 ID:G4ZAW/uA
別に信用なんて失って無いし関ヶ原で西軍に付いたのは上杉家の総意
223人間七七四年:2007/07/24(火) 21:01:28 ID:DVKWuCp9
所領は失ったがそれ以上に上杉家の武名を高めたのに何で攻められないかんのか?
直江は家老として最高の判断をしたと思う。
224人間七七四年:2007/07/24(火) 22:20:05 ID:RU+3bQpE
直江山城守は知名度の割に妙に粘着したアンチがいるんだよな
225人間七七四年:2007/07/24(火) 22:53:07 ID:cdxZz5lK
判断は別に間違っちゃいないだろうが、正しかったというほどのもんでもない、言うとおり上杉の総意だろうし。
家老としては言うほどわるかない。

ただ単にそうまでして攻めた最上攻めが余りに下手糞だっただけの話。
226人間七七四年:2007/07/24(火) 23:27:28 ID:RU+3bQpE
そうかなあ。まあ、そんなもんだろって感じなんだがw
そこまで必死になって否定する程のもんでもない気がする。

ただ、逸話が一人歩きしてる感があるのは同意。
「武」の逸話なんぞ件の撤退戦で家康や最上にも一目置かれ、
伊達の「最上衆弱いぜ」という記録が残ったくらいしかないからな。
227人間七七四年:2007/07/24(火) 23:39:10 ID:aXbNdyCu
逆に文化財になるほどの文選や宋版史記を残しているのに
文化人としては語るうえで軽くスルーか二の次にされているだよな
まあ、武功や愛の前立てのほうが
インパクトあるからそっちにいきやすんだろうけど
228人間七七四年:2007/07/24(火) 23:56:24 ID:cdxZz5lK
まぁ残念ながら大将としての軍事能力は平均以下と評されても仕方ないだろう、
最上が凄かったとするのならともかく、わずか6/1の石高で今まで攻められていた最上から、
逃げられたよ凄いと言ってもちょっと無理がある。それで最上が弱いってのも無茶な話だ。
最上の名誉の為にも、無駄な評価などすべきじゃない。

ただ内治の方や豊臣に対する外交まで貶す必要は無い、
むしろ豊臣との折衝は上杉家にとって存亡に関わる大事、
それを最良の形で作り続けた事は当然評価されるべき。

この人物を正当に評価するのならこのメリハリが必要ではなかろうか。
229人間七七四年:2007/07/25(水) 00:35:44 ID:6KFMIt1H
>>222
総意じゃないだろ。藤田のような徳川派は直江と対立し追い出された。
直江が秀吉に懐柔されて過剰な親豊臣政策を取っていたから、上杉が反徳川にならざるを得なくなった。

直江が軍事的に無能だったことは、最上攻めだけではなく、むしろ新発田の乱で明らかだ。たかだか国人に翻弄され、何度も撃退された。
結局、直江独力では攻略出来なかった。
230人間七七四年:2007/07/25(水) 02:20:57 ID:GtBpmKAk
>>229
藤田信吉は君側の奸なのでこいつが騒ぐ方がおかしい
231人間七七四年:2007/07/25(水) 03:43:29 ID:AV5olRFT
それ以前に関ヶ原があんなに早く終わるなんて誰も想像出来ん
232人間七七四年:2007/07/25(水) 10:27:00 ID:lO6kegcm
>>229
総意だ。
現存する記録からも明らかに総意だ。
藤田信吉は上杉家中の多数決で少数派になった代表的存在なだけ。
家康に媚を売って出世しようとしたのか上杉家にいずらくなって出奔したのかは真実は不明。

>新発田の乱

今の新発田城を見て攻略するのが遅過ぎるといってるのなら完全に認識不足だ。
1580年頃の新発田城は周辺を大きな湖と沼で囲まれていて天然の要害と化していた。
現在の新発田市の大半は元は湖か沼だ。新潟市に至っては8、9割が水の底。
それを埋め立てながら攻略してるわけで時間がかかって当然。ハッキリいって効率は悪い。
悪いが長い目で見た場合、この埋め立ては後に石高となって返ってくるから決して無駄なものではない。



233人間七七四年:2007/07/25(水) 11:37:04 ID:oXP87h+d
>>231
関ケ原が続いても、あの戦況をみるかぎり、長谷堂を落とせたかどうかは微妙なんだが・・・
234人間七七四年:2007/07/25(水) 12:34:23 ID:VWsAcyDS
>>233
いや、余裕で落とせたよ。
治部の馬鹿があっさり狸親父に負けなきゃ最上領はあっさり併合されてた。
全ては治部の責任だよ。
235山形義光:2007/07/25(水) 12:39:23 ID:GmrQB24X
二百あまりの籠もる城に3日もかかるようじゃ無理
236人間七七四年:2007/07/25(水) 13:23:44 ID:6CzJ4bKt
直江ファンなのはいいけど、三成をおとしめることでプライドを確立するつもりならそれは間違ってるだろ
237人間七七四年:2007/07/25(水) 13:34:49 ID:VWsAcyDS
>>236
関ヶ原の治部は酷すぎる。1日で全滅ってありえねえよ常識的に考えて。
関ヶ原にいない西軍方にどんだけ迷惑掛けたと思ってんだ?
238人間七七四年:2007/07/25(水) 14:06:46 ID:TSpkjBiT
余裕で落とせたってwwww
239人間七七四年:2007/07/25(水) 18:15:41 ID:3lJlkqFq
>>233
すぐにカタがついたかは微妙だな。しかし、長谷堂、上山を包囲する
直江勢の他にも、庄内地方から進撃中の志駄義秀の軍勢が寒河江まで
迫っていたはずなので、どのみち最上はさらに苦境に陥る事になる。
さらに言えば、最上が苦境に陥れば小野寺などもさらに張り切るだろうし
240人間七七四年:2007/07/25(水) 19:00:01 ID:JSKyC7Gg
最上の諸城を攻略出来ないと悟って、つまり直江自身の無能さを悟って、撤退したんだろ。
出来るんなら関ヶ原の結果と無関係に最上領を制圧して居直れたはずだ。
こりゃー無理そうだわ、思っているうちに関ヶ原の結果が届いて、じゃあ撤退しようかって感じだったんだろ
241人間七七四年:2007/07/25(水) 20:44:47 ID:pnG7PNh5
>>237
知るか
三成は精一杯戦って死んだ。それだけの話だろうが
迷惑とか・・ガキの喧嘩の話じゃないんだよ
242人間七七四年:2007/07/25(水) 20:54:53 ID:PK2neYfp
>>239
上山方面は、上山を包囲できずに撃退され退却しているよ。
庄内勢は早い時期に寒河江・谷地まで進んでいる。しかし、これ以上の単体突出は背後を突かれる危険性があり、
ここから先へは進んでいない。本隊との合流を目指している。
庄内勢との合流は直江も同じ考えで、直江本隊は長谷堂が抜けないので、長谷堂をスルーして庄内勢との
合流を考えたようだが、背後を扼される心配があり長谷堂攻略が不可欠として大攻勢を仕掛けたが失敗。
(伊達軍が長谷堂と山形、両方に進出できる地点に陣を敷いたのも一因か。)

結局、山形を突くには最上野戦軍を叩かねばならず、最上野戦軍を叩くには長谷堂を沈黙させる必要があった。
この直江の戦略は正しいと思う。
しかし、長谷堂が抜けなかった。ということ。

あと、湯沢の小野寺と最上の合戦は、地理的に遠すぎて長谷堂合戦には影響ないかと思われ。
243山形義光:2007/07/25(水) 21:16:35 ID:GmrQB24X
大軍のくせに苦戦してる時点で無理
244人間七七四年:2007/07/25(水) 22:33:14 ID:9hWioBjk
>>243
お前それしか言えないならとっとと失せちゃっていいよ
発言に馬鹿さがにじみ出てる
245人間七七四年:2007/07/25(水) 23:11:07 ID:27+3l7IS
戦国時代板のwikiです。
ご自由に利用してください。
http://www37.atwiki.jp/sengokuita/pages/17.html
246人間七七四年:2007/07/25(水) 23:14:17 ID:IkrrOx24
長谷堂合戦の意義として、そも攻略する意志に乏しいのではなかったか?
後世の記述を見るに、筆者はそう考えますね。
あくまで、直江山城の頭には治部少輔との
東西挟撃戦が頭にあったので、最上勢との戦は
越後本体を領内に足止めの意味が強いわけですので・・・
247人間七七四年:2007/07/25(水) 23:22:28 ID:IkrrOx24
>>246
自己レス
文章が稚拙ですね。
以下に訂正します。
>あくまで、直江山城の頭には治部少輔との
>東西挟撃戦があり、また内府の意を汲む最上勢として目的は
>越後本体を領内に足止めの意が強いわけですので・・・やはり戦意の過多が違うと
>いずれにしても、関が原での東西両軍の戦闘が早期に決着しすぎたという話ではなかろうかと。
248山形義光:2007/07/25(水) 23:29:11 ID:GmrQB24X
直江新喜劇でしたとさ
249人間七七四年:2007/07/25(水) 23:53:56 ID:R9HHSBPQ
>>246
東西挟撃がしたければ目の前の徳川にぶつかった方がよほど三成のタメになったと思うが、
たかだか20万石前後の最上ではどのみち120万石の上杉に攻め入るなんて無茶な事できんよ。

まぁそもそも三成との挟撃という記録自体知らんけど。
250人間七七四年:2007/07/26(木) 00:19:53 ID:1Gb3lVar
東西挟撃っておい…釣りか?
それともあれか、日本史板のそんな言い方しなくたっていいじゃんスレの回し者?
251山形義光:2007/07/26(木) 00:28:30 ID:MXIsPsWg
真実は闇の中であった…
252人間七七四年:2007/07/26(木) 00:29:20 ID:6e5VKNVh
日本の総兵力は30万くらいだよな
中央に16万はやっぱ多いな
253人間七七四年:2007/07/26(木) 00:33:33 ID:uQqH7kU6
東西挟撃は無いだろうな。ただ、上杉の存在が結城、蒲生などある
程度の軍勢を足止め出来たんだろうけど・・・

>>250
まあ、でも流石にこのスレのあンチっぷりはちょっと怖い
しかし、世間で直江を扱っている本なんかをみても、肝心の内政面
や、文化面での実績を評価しているんは少ないよなあ・・・
254人間七七四年:2007/07/26(木) 01:11:22 ID:F+/98Mux
>直江が秀吉に懐柔されて過剰な親豊臣政策を取っていた
このフレーズが何度となく出てくるな
255人間七七四年:2007/07/26(木) 06:42:58 ID:4h5QpoLs
>>252
日本の総兵力は当時60万じゃないのか?
人口2000万人×3%で。
256人間七七四年:2007/07/26(木) 09:09:39 ID:1Wf9mCOY
>>232
新発田の乱でも城攻めだけでなく、野戦でも直江は負けてるだろ
野戦でも無能、城攻めでも無能。
これが直江の現実だろ
257人間七七四年:2007/07/26(木) 10:38:28 ID:1EgzE5NJ
>>255 実質として
小田原 27.5万
文禄 32万?(遠征16万 待機に同数くらい)
冬の陣 30万

待機兵含めればもっと行くだろうけど 温存は重要だし
258人間七七四年:2007/07/26(木) 12:43:09 ID:6ZAhvjmy
>>255
一つの基準としては1万石で250人というのがある
金山や貿易で潤っている領地ならもう少し多く兵を養えるが
259人間七七四年:2007/07/26(木) 16:29:48 ID:uQqH7kU6
>>256
野戦で負けている事についてだが、最初に他の軍勢が攻めても
押され、次に直江が攻めたが損害が大きく、結局上条の軍勢が
横を突いて・・・という流れだからなあ。正直この状況では
だれがやってもそう変わりなく無いか?
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Satellite/Shigeie/index.htm


それに新発田城攻めについても、>>232で挙がっているように
現在の新発田とはかなり違う地形だぜ。

260人間七七四年:2007/07/26(木) 22:26:58 ID:x06qhMv7
>>259
すげーエキサイトしているのがリアルに伝わってくるようじゃん
藤田や安田が光ってる。直江は何処に武功があるんだ?

そもそも、景勝の主君としての器量のなさから、無用なケンカが起きてんだね
新発田や安田、藤田らの武勇で上杉が支えられてたんだね
何の武勇もなく出世して、それら諸将と次々に対立していく直江っていったい何なの
261人間七七四年:2007/07/26(木) 23:39:59 ID:HASFV8Av
アッー!
262人間七七四年:2007/07/26(木) 23:44:41 ID:7m3nMEwH
上杉は過大評価ばかりだから困る
263山形義光:2007/07/26(木) 23:58:28 ID:MXIsPsWg
評価すらしてもらえない最上さん可哀想…
264人間七七四年:2007/07/27(金) 00:46:50 ID:ZV+lamjF
上杉はっつーか、直江はマジで過大もいいとこ。
政治面はまだ議論の余地あるにせよ、戦闘面では議論の余地ないだろ。
せいぜいいいとこ政治バカなのに、文武両道ハイスペックはありえん。
265人間七七四年:2007/07/27(金) 01:07:46 ID:T6aNeP0e
景勝&直江の車懸りは反則だよな
266人間七七四年:2007/07/27(金) 01:13:51 ID:ZV+lamjF
>>265
景勝はゲームバランス取るために仕方がないにせよ、直江に車はねーよ。
数えるほどしかいない固有戦術あたえるような武将かよ・・・・
267人間七七四年:2007/07/27(金) 02:21:03 ID:ZjZqg5yD
まあ、正直なところ、直江兼続の所謂「武功」ってのは件の
撤退戦くらいしか知られていないしな。
それでも新発田攻めでは前備えを担当しているほか、佐渡平定、
小田原攻めなどにも参陣しているため、それなりに戦歴は
あるんだがな。ただ、具体的な戦功というと微妙だが。

むしろ本領は殖産興業、治水、新田開発、鉱山開発、米沢の町割り
といった諸政策を行ったという点にあるんだけどな。
ただ、世間に出回ってる本は大体出羽合戦や大坂の陣メインに
なりがちだけど。
また、禅林文庫(興譲館の原型)の設立、鉄砲製造及び奨励など、
家中での教育振興も有名だな。

やはり一国の執政たるだけの人物であったとみていいと思うがなあ
268人間七七四年:2007/07/27(金) 03:20:42 ID:SyvOrR+n
>>267
名将とか言い出すから鼻白むだけで内政関係の事跡は否定してる人間は少ないと思うが?
269人間七七四年:2007/07/27(金) 08:04:33 ID:Bu+8N0DD
>>267
天正12年ごろのは直江が主将として新発田を攻めて、コテンパンに負けている。
結局、秀吉の力にすがって解決。秀吉に必要以上に恩を受ける羽目になり、豊臣政権などという不義なものに過剰依存、過剰介入。
結果として徳川と敵対する羽目になっている。この一連の流れをつくっている奴が直江だ。
直江自身は豊臣政権下で身代を太らせ、恣意的政策や人事を行い、上杉古参の重臣らと次々と対立している。

直江は内務大臣として専心するべきだった。武将や執政をやるべきでなかった人物。
270人間七七四年:2007/07/27(金) 09:34:07 ID:E3IXgTNk
上杉にしては珍しく(?)優秀な武将だと思うし、名将だとも思うが、
直江クラスの家臣など、他の大名家にだっているわけで
271人間七七四年:2007/07/27(金) 16:55:22 ID:ozXvUFy+
>>269
>結果として徳川と敵対する羽目になっている。この一連の流れをつくっている奴が直江だ。

なんど同じ事の繰り返してんだか。
だったらその証拠を出せっていってんの。
記録上では景勝の行動後に書状を出す等の行動をしている。
先走った形跡は今のところ無い。
景勝の指示の下に動いていたかもしれないのだぞ。
それを後世の人間が作り上げたイメージだけで語られても説得力は無い。
272人間七七四年:2007/07/28(土) 23:47:03 ID:cWyZ26jY
>>271
秀吉に家老の分を超えた処遇で優遇され、陪臣の分際で豊臣家の奉行を兼任してしまっているだろ。
こうして上杉家を親豊臣に引きずりこんでいる
売国家老といわれても仕方ないだろ
273人間七七四年:2007/07/28(土) 23:51:32 ID:N0mP3zY2
>>272
だから?そんなの証拠にもなんないんだが?
274人間七七四年:2007/07/29(日) 00:12:55 ID:wwKtb207
上杉では豊臣の奉行は兼続以外にもいたが
275人間七七四年:2007/07/29(日) 00:15:16 ID:/y43a9Yk
>>272
だったら、あの状況でどうすりゃいいんだ。
276人間七七四年:2007/07/31(火) 00:42:06 ID:r43ps477
>>274
筆頭家老は家臣の見本ともなるべき存在のはずだ。
その筆頭家老たる直江かねつぐが率先して秀吉に懐柔されてしまっては、やはり家中に他にも続く奴がいたのだろう
まあ、そんなこと許している景勝がマヌケだといってしまえばそれまでだが
277人間七七四年:2007/07/31(火) 07:49:28 ID:kzv9e3bK
証拠、証拠と騒ぐ直江オタに萌えw
278人間七七四年:2007/07/31(火) 11:01:14 ID:lwerET4e
>>276
しかし、お前のいうことは全部憶測と感情論だな。
無駄に直江を賞賛するやからも多いが、それと単なる逆ベクトルの
行為をしてる過ぎんだろ
279人間七七四年:2007/07/31(火) 11:45:18 ID:6mMp08Mn
だな。
その証拠を出せないで何を偉そうにしてんだか。
水戸黄門や遠山の金さんを見て史実と思い込んでる年寄りと何等変わりはない。
280人間七七四年:2007/07/31(火) 14:54:10 ID:OO3PjSj/
つうか、関ヶ原で東軍に付いたのはトップの景勝が引き篭もりで時勢も見えない
馬鹿だっただけだろ?何で直江のせいになる?
281人間七七四年:2007/07/31(火) 15:22:05 ID:Py0so0QD
>>280
その言い方はまずいだろ。
アンチと同レベルだぞ。
282人間七七四年:2007/07/31(火) 23:20:06 ID:Fqopo1Gv
上杉の場合、関ヶ原に関しては
そもそも家康に喧嘩売られた張本人だから西軍になってしまうこと自体は避けようが無いだろう
むしろ関ヶ原があったおかげで、西軍で負けても石高減るだけで済んだ、
関ヶ原が無かったら豊臣正規軍を名乗る家康の大軍勢に嬲り殺しにされたわけで。
石高どころか首が無くなる。

ところでその状勢をふまえると上杉家自体は本当に西軍につきたかったのかな?と疑問に思う、
憶測の域を出ないんだが、まずなんで最上を攻めたんだろう?
普通に考えて景勝が西軍を勝たせたいのであれば、一番効果的なのは目の前の結城秀康を攻めて
家康の関東を蹂躙する事だろう。結城秀康を破る事そのものも影響は大きいし、
総大将の足元に火がついてる状況では、関ヶ原本戦で日和見だった連中も西軍に走る可能性が高まる。

それに比べて最上はこの時たかだか20万石、一応親族で利害関係上、手を組んではいても
政宗との仲も良いとは言えない、ほっといてもなんら害は無かったろうし、
攻め取ったところで関ヶ原本戦に対する影響は皆無だろう。

にもかかわらず関東をほっぽり出して最上に行ってしまった。
単に領土が欲しかったのかもしれないが、
そもそも家康とぶつかるのが嫌だったのではないかという憶測もまんざらありえない事では無いように思う。
283人間七七四年:2007/07/31(火) 23:34:53 ID:OjP7Kd56
敵の背後を突くのは義に反するから暇つぶしに(ry
284人間七七四年:2007/07/31(火) 23:58:57 ID:F6hjKKOA
家康の転進後、兼続が追撃を強固に主張したっていうのは、
一次史料(かそれに近い史料)としては何が裏付けになってるんだろう。

その後の白石城奪還に向かった本庄繁長宛の直江の書状では、
景勝が江戸城を攻撃するときは政宗従軍の条件を出すが、
出馬しなくても政宗と事を構えるな、って諭してるよな。
要は、景勝も直江も関東乱入「する」「しない」の判断はその時点でも揺らいでたんじゃ?
景勝は「関東表へ調議におよび、奥口蜂起候へば手成り見苦しく候条」
って三成にも書き送ってるしなぁ。
やっぱり最上・伊達のことを考えると出馬はなかなか難しかったのでは。
なんかつまらんけど。
とにかく関ヶ原は主従ともども後手後手にまわってモッサリした印象。
285人間七七四年:2007/08/01(水) 00:10:15 ID:7VToH1Fs
やはり後ろをガラ空きにして追撃は難ありだろう。
最上はともかく政宗は、東軍の南部領内で一揆を煽動するような
奴だし、上杉領内の治安も悪くなっているからなあ・・・・
286人間七七四年:2007/08/01(水) 06:45:07 ID:T5Yvo9Go
政宗が上杉に和議を持ち出し、関東乱入の際には伊達が先導となって、上杉を
道案内するという話があった。上杉にとっては、一歩間違えれば結城軍との
挟撃の罠ともなるので、薄気味悪い話だったろう。
文禄期に大崎・葛西一揆鎮圧にあたって、伊達が先導となって蒲生氏郷を、領内深く
案内したことがあったが、氏郷は疑心暗鬼にかられ、名生城で立て籠もり事件を
ひきおこした先例がある。
287人間七七四年:2007/08/01(水) 10:54:00 ID:+g10HjUc
>>286
伊達が上杉を先導するなんて何処にそんな話があったんだよw。
伊達は上杉の城を奪い取った奴だぞ。希望的観測にもほどがある。

蒲生を先導したのは、秀吉にそう命じられたからだろ
288人間七七四年:2007/08/01(水) 17:38:48 ID:Ululubiz
>>287
286じゃないが、白石落城後、政宗の方から講和の申し込みがあったろ。
まぁ半ばは偽り、半ばは家康敗北時の保険ってなもんだろうが。
九月三日付けの兼続の書状にも関東乱入時の「政宗御同陣」のくだりが出て来る。

もちろん、実際に政宗が上杉を先導するようなタマだとは全く思ってないからw
きっと兼続だって他の家中だって皆それは同じだろうよ。
それこそ286の言うように、挟撃の罠の香りを嗅いだかもな。
289人間七七四年:2007/08/01(水) 20:30:25 ID:7VToH1Fs
まあ、政宗ほど信用の置けない味方もそうはいないからなあ。
290人間七七四年:2007/08/02(木) 01:19:28 ID:rUFsaQuq
>>288
そりゃ捏造だろ
直江オタには一部妄想屋がいて困る
291人間七七四年:2007/08/02(木) 13:05:50 ID:zVtpSpvF
>>290
詳しく
292人間七七四年:2007/08/02(木) 14:00:23 ID:McXns07C
最上はともかく、扱いされがちだが、上杉と最上は過去に殴りあった間柄だからな
庄内の紛争をめぐっては、戦だけじゃなく公儀、豊臣での裁判沙汰になっている
上杉が勝ったものの、最上との間で緊張関係は続いていた

最上攻めの理由をもっとも簡素に考えれば、上杉がそういった紛争の清算をしたかったというところだろう
当時は豊臣首脳の内戦時でいわば無政府状態、最上打倒は自力救済として正当化可能と読んだのだろうな
293人間七七四年:2007/08/02(木) 16:25:02 ID:7vFWojNU
直江の評価は北信愛・遠藤基信ぐらいでいい
294人間七七四年:2007/08/02(木) 20:19:38 ID:BPA7Hoyb
本庄繁長は福島城で伊達の南下にそなえていたわけだが、
白石城の奪還に出てみてもよかったかもしれない。
ただし、白石城は、石川昭光と伊達成実が中心となって守備力を
増強して待ちかまえていたから、容易なことでは抜けないが。
295人間七七四年:2007/08/03(金) 00:18:26 ID:b4KQuFf0
>>288
講和どころか、白石の後に松川合戦がおきてるじゃん
あれ、史実では伊達の勝ちだったんだってな
296人間七七四年:2007/08/03(金) 20:58:51 ID:Dg2XSzea
徳川から上杉討伐の命が下ってるから
和議は信じる・信じない以前にありえないな。
「家康に謝りたいなら一緒に行って取り成してやってもいいぞ」
くらいならありうるが。
297人間七七四年:2007/08/11(土) 16:22:08 ID:SI9g2ibi
>>289
そんなことはない。徹底的に妥協することなく敵に回すのであれば、こんなに信用の置ける相手はいない。
298人間七七四年:2007/08/11(土) 23:35:55 ID:W1qLDEg1
伊達スレになってる件
伊達オタって上杉関連スレこまめにチェックしとるよな
299人間七七四年:2007/08/11(土) 23:55:59 ID:zn3aoRC7
つーか、話がループしてネタ切れなんだよな
直江の武功ってホントに何か無いのか
300人間七七四年:2007/08/12(日) 00:57:46 ID:lhB8itty
>>299
実際件の最上(ryって、ループだな・・・

じゃあ内政面でかたるか?
あの穴の空いた墓石とかって実際どうなの?
301人間七七四年:2007/08/12(日) 10:53:00 ID:6DXeQOc5
夏休みに伊達ネタが多くなるのは毎年の事だ
気にするな
302人間七七四年:2007/08/13(月) 22:14:05 ID:GR0P0acq
伊達ネタついでだけど、直江の領土だった米沢市、福島市、伊達郡って
これ伊達家の領土の中でもモロに伊達家の本拠中の本拠だった場所だよな
伊達郡は無くなって今は伊達市に変わったんだっけ?
直江が、豊臣政権の反伊達の番人、だったわけで、政宗をライバル視するのも無理なかったのかも
303人間七七四年:2007/08/18(土) 22:26:38 ID:bX/SH5AF
>>300
穴あき墓石写真キボン
先祖を敬い敬虔な気持ちになるとき、穴開いた墓石を仰ぎ見るってのは…
ちゃんと直江の墓も穴開いてんだろうな
304Y ◆nzdGjBH722 :2007/08/20(月) 09:23:15 ID:GGuL/nSo
>>296
和議の話について政宗スレからコピペしてきた

277 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 21:27:00 ID:7bcb+ws6
>>238
>景勝と兼続にバカにされた挙げ句、予想通り和議を申し出て来た政宗君。

おまいが言ってるのは「慶長上杉軍記」所収の「慶長5年9月3日 直江兼続書状」のことだろ。
これを上杉方は、政宗からの「降伏文書」と受け止めた。兼続は、福島城主本庄繁長に対し、これ
により政宗との講和がなり、しばらくの間仙道方面での開戦は避けられたと安堵の念を伝えている。
が、これは政宗の狡猾な罠といわれている文書だ。何せ、景勝が関東へ討ち入る際は、伊達政宗自ら
上杉の先導となりましょうと、実に荒唐無稽な(ある意味痛快な)話が掲載されている。

「関東御出馬之砌、正宗御同陣被申上候、」

ま、生真面目な景勝と兼続主従が、政宗に体よく揶揄されていたことを示す文書ではある。
政宗は、いや実に、本当に人が悪いw



どうも兼続が勝手に誤認しただけっぽいな。
305人間七七四年:2007/08/20(月) 19:40:50 ID:qXLHoI1M
>>303
たしか空いてた。探してみそ
306人間七七四年:2007/08/21(火) 15:48:04 ID:9tj0cFOZ
関ヶ原のとき、結局家康を追えなかったのは、直江の傲慢外交のツケだな
最上、伊達だけじゃなく、堀ともケンカしていたからな
周囲に敵ばっか作らずせめて堀ぐらい仲良くしとけば違ってたかもな
307人間七七四年:2007/08/24(金) 03:08:56 ID:+i8fbRsz
>家康の転進後、兼続が追撃を強固に主張したっていうのは、
>一次史料(かそれに近い史料)としては何が裏付けになってるんだろう。


北越軍記に確かそういう場面があったはず
ただ、捏造しまくりの物語本だからな
信憑性のある史料ではなにか残ってるのだろうか
308人間七七四年:2007/08/29(水) 00:53:38 ID:Zc42lrYn
 
309人間七七四年:2007/08/31(金) 13:55:20 ID:pxsp9lGb
310人間七七四年:2007/09/02(日) 20:35:24 ID:2jmEmz1d
まあ、フェアに評価すると、無能な売国奸臣としての前半生と
それを償うかのような働き者の能臣としての後半生
2つの面がある人、ってことでおk?
311人間七七四年:2007/09/02(日) 21:04:14 ID:NPAwn/Ep
>>310
無能っつーより、兼続は最初っから軍事畑ではなく民生畑の官僚だろ。
秀吉やら三成やらにおだて上げられて関ヶ原では軍事面に色気を出しちゃっただけで。
民生に関しては終始有能だったと思うぞ。
312人間七七四年:2007/09/05(水) 07:46:22 ID:XWp+BX0J
秀才タイプの文官って感じだろうか。過去の歴史読本なんかは、
軍事的に優れた名参謀扱いをしていたが、ギャップはあるな。
最上、伊達など、奸智に長けた狡賢い武将相手にしたのはいいが、
うまく翻弄されて終了した。
313人間七七四年:2007/09/10(月) 05:00:52 ID:RRY9CwTp
ゲームでは義ー義ーって五月蝿い。
「義」「正義」あるいは反骨の人、みたいな言われ方しているけど、実際はそうじゃないな
家康にケンカ売ったわけじゃなく、豊臣政権に媚売りすぎて討伐の対象に成ってしまった。

「義」の人とはむしろ正反対の、権力大好き、権力に擦り寄って力を発揮する、みたいな感じ。
要はゴマすり男だったんじゃないかな?
314人間七七四年:2007/09/10(月) 05:36:26 ID:SrgnHwmu
プラプラ
315人間七七四年:2007/09/10(月) 23:59:30 ID:tcBQkpYG
あの藤田信吉って如何なんだろうな。
出奔するのはいかんと思うが、その前は徳川と上杉の和平に奔走しているんだよな
能力が無いのに主家に無理な義挙をやらせようとする直江よりかよっぽど忠臣かもな
316人間七七四年:2007/09/11(火) 00:14:38 ID:0oZELBb1
>>315
信吉は当時でも一流の武将だぞ。景勝には信用されてたし重く用いられてたが、
明かに直江派の連中に陥れられ追い出された。
317人間七七四年:2007/09/11(火) 17:40:22 ID:lXVX8F6M
新発田の乱でも直江よりもずっと活躍しているしな
景勝-直江主従の贔屓人事を見て、この先は無いな、と思ったのかも
318人間七七四年:2007/09/16(日) 00:41:52 ID:Y03i9UOq
六日町駅に兼続の顔出し看板

 これであなたも兼続? 2009年のNHK大河ドラマの主人公・直江兼続生誕地である南魚沼市のJR六日町駅内の通路にこのほど、
市民が手作りした兼続の顔出し看板が登場した。記念撮影などで楽しめそうだ。

 看板は木製で、高さ1.5メートルほど。六日町地区の民謡「お六甚句」の歌詞に出てくるお六(直江兼続の幼名・樋口与六の愛称)と
桂姫の姿をイメージして製作された。桂姫は実在の人物ではないとする説もあるが、甚句では二人は恋仲にあったと歌われる。看板は、
彼方を指さすお六と隣に座る桂姫が絵の具で描かれている。

 製作したのは、同市西泉田のめぐみ野保育園の職員石黒勝さん(46)。02年、地元の産業まつりに同園が参加した際に作った。

 その後、看板は倉庫に保管されていたが、ドラマ化決定で、園がJR六日町駅に「看板で多くの人から兼続に興味を持ってもらえたら」と
設置を打診。看板を置けることになった。

 同駅の熊倉正安駅長(55)は「年配の観光客や女子高生らが看板に顔をはめ、喜んで写真を撮っていく」と効果を話している。

 設置は10月13日まで。


http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=2&newsNo=2519

写真
http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/dataimg/2519.jpg
319人間七七四年:2007/09/16(日) 03:25:04 ID:vrNB6leu
>>318
せめて甲冑にしないとわかりにくいだろ…。
320人間七七四年:2007/09/17(月) 21:39:09 ID:v+G4bpvq
やはりあの兜が無いと
321人間七七四年:2007/09/19(水) 19:23:45 ID:m6fKMST7
この人、軍事的な才覚はない。
322人間七七四年:2007/09/19(水) 19:52:09 ID:nMDc7xnn
>>321
でも天下随一の上杉軍だぜ?
323人間七七四年:2007/09/19(水) 20:32:11 ID:F3fjna4L
>>322
謙信が指揮を執っていたから、天下随一だった
324人間七七四年:2007/09/19(水) 21:19:59 ID:Ly81rfJH
だいたい景勝になってから、上杉はほとんど戦争に買ってない。織田軍には押されっぱなしで
滅亡寸前だったし。
325人間七七四年:2007/09/19(水) 23:44:15 ID:x5lcV431
軍隊の実力なんて、装備・兵数が大して変わらなきゃ指揮官次第だよな。
326人間七七四年:2007/09/19(水) 23:57:32 ID:daVJo9lt
最上戦なんか、"首はかろうじて取られなかった今川義元"だよな
直江-景勝のこの主従は、大群で攻めてるのに撃退される、堅城なのに落とされる、
みたいなことを何度も繰り返してねーか。それこそ趣味じゃないかってくらい
「今川義元賞」を何度も受賞できるわなww
327人間七七四年:2007/09/20(木) 00:08:25 ID:jAA8sMqO
直江は自分の派閥のものを贔屓して、それ以外の者は有能でも退けるタイプって印象があるな。
それこそ藤田信吉なんて、武将としてもものすごく有能なのに直江に嫌がらせされまくって上杉家追い出されてる。
(この辺は今度の大河では真逆に描かれるだろうけど)

死ぬまで上杉家上層部を自分の派閥の者だけで固めたり、脂ぎった権力欲のカタマリのような人物だったのでは
なかろうか。
328仙台藩百姓:2007/09/20(木) 01:31:48 ID:YU0woI+2
>>326
最上戦と桶狭間は全く似てないお
どちらかと言うと金ヶ崎の退き口の方に似てるお
桶狭間と言うなら放生橋の方が似てるお
329人間七七四年:2007/09/20(木) 01:47:02 ID:MsvcZEiE
>>328
相変わらず政宗には興味無さそうだな。
330人間七七四年:2007/09/20(木) 12:56:13 ID:JodSeIwi
>>327
脂ぎった権力欲…つうよりか、クールにイヤミな奴、って感じじゃないかな?

以前よくカキコしてた直江妄信信者、最近来なくなったなー
あの、凄い勢いで強弁擁護する、画面からツバでも飛んできそうな、あのノリが良かったんだが
アンチだけじゃスレが盛り上がらないよ
331仙台藩百姓:2007/09/20(木) 13:55:36 ID:YU0woI+2
御館の乱は上手い事やったんじゃないお?
武田北条を上手く出し抜いたお
直江がどの程度関わっていたのかは知らないけど
332人間七七四年:2007/09/20(木) 16:00:53 ID:u7bOGjdT
あれは軍事の勝利というよりも、飴をちらつかせたりの多数派工作の勝利だからなぁ。
「正」とか「義」の話じゃなく、モロ権力闘争というか。そんな格好いいものじゃないはず。
ま、景勝政権は本来そういう所に魅力というか能力がある政権なんだけどね、松永弾正や藤堂高虎的と言ったらいいかな?

それが、正義の看板を掲げだすから話がややこしくなる。直江にしても、虚像と実像でややこしくなってる気がする。

「義将 松永弾正」と言う話が広まっても、史実を紐解けば、ハア?になるわけで。

おっと余談。
御館の乱では、直江の功績がはっきりしない、てのが一般的じゃないっけ?
333人間七七四年:2007/09/21(金) 05:32:22 ID:f4Qolp4r
後世に上杉がでっち上げた「東国太平記」では、関ヶ原後、上杉は
翌年まで勇敢に最上と伊達と戦い続け、7月に漸く上洛したようなことを
書いているが、真っ赤な嘘だよ。
直江は、関ヶ原後、1ヶ月もするとすぐに徳川に土下座外交を開始
している。結城秀康と本多正信に平身低頭で頭下げまくり。
「義」も何もあったもんじゃない。
334人間七七四年:2007/09/21(金) 13:03:09 ID:9zZvpJzG
>>333
でも大河では東国太平記の著述をベースに描かれるのだろうな。
335人間七七四年:2007/09/21(金) 14:40:40 ID:y4e109y9
>>333
勝ってに上杉や直江のイメージ操作すんなよ。
真っ赤な嘘だっていいきれる根拠はなに?
上杉以上に頭下げまくり大名でも改易された非情の時代なんだぜ。
むしろ旧知の間柄で、あるとき敵対したとしても義があったからあれだけの
処分ですんだともいえるんじゃないのか?
いっておくがたてまえだとしても、徳川は天下に上杉討伐をかかげたんだからな。
336人間七七四年:2007/09/21(金) 15:17:34 ID:y4e109y9
それにこのスレ読んでてきずいたんだが
お前ら東北限定のせこい戦とかで直江を語るから駄目なんだよ。
そんな極地戦どこにでもころがってるじゃん。
戦国住人なら直江の視線にたって時代を想像してみるこったな。
絡んだ武将、時代背景、スリリングでドラマチックな経験してると思うよ 直江個人は。
評価はともかく大河は楽しみだ。


337人間七七四年:2007/09/21(金) 15:59:06 ID:jL12fDTP
>>336
 むしろ、直江の変なイメージを作ってるのが「東国太平記」だっての。
 廊下ですれちがった政宗にわざと挨拶をしなかった話や、秀忠と政宗を
 供応した上杉主従が、拾ったんだか奪ったかした伊達家の陣幕を、これ
 みよがしに晒しものにしただの、そんな話ばかり載ってるわけで。 
338人間七七四年:2007/09/21(金) 18:24:20 ID:sqfE+DtV
>>336
じゃあオマイ、直江が全国規模の合戦しているのかよ。
局地戦で合戦してなくて、負けてばっかりだった、ってのが実情じゃね?
つうか、徳川に背後から仕掛けていれば全国規模の合戦だったはずが、なぜか最上を攻めてコテンパンにされただけじゃね?
339人間七七四年:2007/09/21(金) 19:37:16 ID:UXooch/0
徳川を攻撃してたら、普通に斬首か改易で終わりだろうな
直接戦わなかったから、米沢30万石で何とか生き残れた気がする
340人間七七四年:2007/09/21(金) 21:33:05 ID:y4e109y9
>>339
お前、もしかの話してんじゃねぇよ。お前の推理きいても歴史はかわんねぇんだよw
戦国自衛隊スレにでもいけやw。
>>338
なんでそこで最上なんてでてくんだよw、それもコテンパにやられたとか
捏造しすぎ。詳しくおれもしらべたら戦場はすべて最上領じゃねかよw。
ここでいきがいみたいに張り付いてアンチきどってねぇで
人気のねぇ最上スレにでもいけよw。


341人間七七四年:2007/09/21(金) 21:56:39 ID:9zZvpJzG
兼続って上杉家内で何であんなに権力持ってたんだろ?
関ヶ原に負けても責任とるわけでもなく、むしろ自派勢力を大きくしてる。上杉家内でも対外的にも、
明かに景勝以上の権威や権力を持っていたふうが伺える。景勝も兼続が生きている間はそれをずっと耐えてて、
死んだ塗炭、直江派の家臣を一気に粛清しているけど。

あの兼続の権力は、一体どこから来たんだろ?
342人間七七四年:2007/09/21(金) 22:01:31 ID:y4e109y9
>>336
それのどこが変なイメージなんだよ。ますますおもしれぇ人物じゃん。
高校デビューの小僧になんで頭さげなきゃいかんのよw。

んーん、読んでると直江晩年の伊達とか最上からみの話ばっかじゃん。
全盛時代の京都時代とか朝鮮出兵とかもっとねぇのかよ。




343人間七七四年:2007/09/21(金) 23:32:55 ID:2gLS9Jx1
スゲェ・・・

香ばしいゼ!
344人間七七四年:2007/09/22(土) 07:24:00 ID:bw0RMrci
家康は、慶長6年の雪解けを待ってから上杉を征伐するという
書状を政宗に送ってる(その書状も現存する)。
身の危険を感じた上杉は、謙信を崇拝していた結城秀康に
すがって和睦した。再度徳川を迎え撃つという気概は失われていた。
345人間七七四年:2007/09/22(土) 08:42:58 ID:sz2ftuDb
>>341
初め、ホモの愛人として景勝に仕えて(謙信って説もあるが)
次いで、秀吉に気に入られて、上杉家臣なのに厚恩を受け、豊臣代官まで兼任してしまい
ところがやりすぎて主家まるごと徳川と敵対してしまい
ところが、いち早く家康とパイプをつくり自身の地位をキープ
さらに秀忠にも気に入られて
家中では、次代の殿様を養育して掌中にキープ

権力に取り入る天才〜!ほとんど芸術の域
346人間七七四年:2007/09/22(土) 09:21:55 ID:P2l1QYbg
定勝の養育を任せるくらいだから、
晩年も景勝に信頼されてたんじゃ?
347人間七七四年:2007/09/22(土) 12:55:54 ID:ZyYDr3WW
>明かに景勝以上の権威や権力を持っていたふうが伺える。景勝も兼続が生きている間はそれをずっと耐えてて、
>死んだ塗炭、直江派の家臣を一気に粛清しているけど。

こういう書き込み見ると、アンチって本当によく調べもしないで、
2chのアンチの適当な書き込みとか信じ込んで攻撃してくるんだな、とよくわかる
一気に粛正、その根拠となる史料を示してみたら
348人間七七四年:2007/09/22(土) 15:31:57 ID:eEsV7x79
そもそも兼続と嫁さんは政治的には別勢力なんじゃないのか?
兼続の死後に清野に席を追われた(粛清wはされていない)連中は
与板衆といっても、同じような養子組(景勝時代に婿入り、有能な人間は多い)が多くて、
歴代の与板衆(血筋はいいが使える人間はいない)は小禄だけど温存されたイメージが。
奥さんと仲が良かった、悪かったという記録はないよな?
349人間七七四年:2007/09/22(土) 17:09:18 ID:+l3iEZ7h
>景勝も兼続が生きている間はそれをずっと耐えてて、
>死んだ塗炭、直江派の家臣を一気に粛清しているけど。

ワロタw
アンチだろうがヲタだろうが、事実関係は整理して語らないと。

兼続の死後、まるですぐに清野が実権を掌握したかのように読めるが、
清野が奉行人となったは景勝の死後、10年以上もあとのこと。
それまでに城の総監とか全権まかされての外交とか、何かあったなら教えてくれ。

兼続が死んだ元和五年、翌六年初頭に、政権から追い落とされた与板衆って誰がいるんだ?
兼続の右腕とも言うべき平林正恒が、あいかわらず藩政の運営に携わっていたようだが。
兼続と閨閥関係にあり、息のかかりまくった色部氏も勢力を保ち続け、
清野死後、お船死後も、この両家は代々藩政の中枢にあったはず。
色部は揚北の出身だが、いずれにしても直江派の権力の一翼だったことに変わりない。
直江の勢力がその死後に粛清、一掃されたなんて、アンチの願望だよ。

ただ、348のお船がらみの視点はなんか新鮮だな。
兼続死後に『文選』の再版をしたということぐらいか?夫婦仲を窺わせる逸話って。
あれだけ夫婦愛を前面に出されると、他のエピソードが残っててもよさそうなもんだが。
350人間七七四年:2007/09/22(土) 17:33:19 ID:eEsV7x79
>>349
文選の話は、良い悪いのどちらにせよ、夫婦仲のエピソードにはつながらないね。
側室を置かなかった、というのは
どうせ大河でラブラブ&恐妻家=女偉いのNHK視点に
散々拡大解釈されるだろうからどうでもいいけど、他のエピソードって全然ないね。
351人間七七四年:2007/09/22(土) 17:38:30 ID:+scLXqw9
お船の方が直江家の血筋なんだから
樋口の子の兼続が側室を持っても意味なくね?
352人間七七四年:2007/09/22(土) 18:37:07 ID:++GMhtre
>>349
それ、ウソだろ?。直江と清野は同時代に仕えている
直江が清野に書いた手紙が残っている
直江の遠ざけられたのと、清野が実権を握ったのが前後している
確かに直江一派粛清は大げさだが、直江一派のうち平林や色部みたいなのはむしろ少数で、多くは中枢から消えている
353人間七七四年:2007/09/22(土) 19:04:00 ID:qXMvYbsl
ウソってw
直江と清野が同時代に仕えてるって、そりゃそうだがw

手紙が残ってる?
当たり前だろうが。兼続が執政として、
他の家臣たちに庶務連絡事項を書き送った手紙はいっぱい残ってるよ。
その手紙の、どの辺が清野による直江への圧力を示してるのか、教えてくれない?

>直江の遠ざけられたのと、清野が実権を握ったのが前後している

だから、その根拠を具体的に示せよ。
いつ、どういった事実が、どの史料から、断言できるんだ?

>平林や色部みたいなのはむしろ少数で、多くは中枢から消えている

だから誰?兼続死後、景勝と清野によって消された直江一派って。

参ったね。
自分は「義」だの何だの、イメージ操作されてる直江像や、
伊達の件に関しては、頷きながら読むレスもあったんだが、
ここのアンチってこんなレベルが多かったのかよ。
ソースも示さず、思い込みだけかよ。
354人間七七四年:2007/09/22(土) 23:08:48 ID:MXQl7eh9
色部父子は直江に掘られてますたか?
355人間七七四年:2007/09/23(日) 10:57:57 ID:yVJ6oTrP
>>349
確かに、直江-景勝-清野のホモの三角関係は上杉ファンにとって目を背けたい事実
だからといってウソはいかんよね。ウソは
>清野が奉行人となったは景勝の死後、10年以上もあとのこと
直江は景勝より先に死んでいるから、これだと清野は直江とも景勝とも接点無いことになる
んなワケ無いよね

景勝は、自身が最高責任者でありながら、晩年は直江に冷たくすることによって、
数々の失策をあたかも直江のせいであるようにする、そういう冷徹な所があったのではないかな。
直江自身も、甘んじてそれを受け、お家も潰すことによって家中の憤懣のやり場も無くなる様にしたんじゃないかな
356人間七七四年:2007/09/23(日) 14:29:16 ID:ZYXltJ5m
釣り???
もはや意味不明な内容なのだが、いちおうマジレスすると、
兼続と景勝が憎いあまりにウソ書いてるのはアンタがたの方です。
なんでそんなにデタラメ並べてまで必死なのか不思議なんだが、
もしや噂のミラヲタとか無双から流れて来た腐女子か?
どうでもいいけど事実は下記のとおりです。

>>清野が奉行人となったは景勝の死後、10年以上もあとのこと
>直江は景勝より先に死んでいるから、これだと清野は直江とも景勝とも接点無いことになる
>んなワケ無いよね

あるよ。1590年あたりから共に上杉家の家臣だから。
直江が清野に宛てた事務連絡の手紙があると上にも出てるでしょ。
でもって、兼続の没年が1619年。景勝の没年が1623年。
清野が奉行職に就いたのは1633年。(ちょうど景勝の没後10年だったな)

>景勝は、自身が最高責任者でありながら、晩年は直江に冷たくすることによって、
>数々の失策をあたかも直江のせいであるようにする、
>そういう冷徹な所があったのではないかな。

それは貴方の性格が、そういう方向に妄想を育ててるだけなんじゃないかな。
兼続は外交でも内政でも変わらず活躍して、死の3か月前まで景勝と共に上洛したりしているからね。



アホくさいスレだ・・・つってもこれが本スレかいw
357人間七七四年:2007/09/23(日) 18:45:32 ID:nmaGDKUE
>>356
前スレはもっと酷かった。
358人間七七四年:2007/09/23(日) 19:33:00 ID:OrzBuG1x
>>356
帰ってきたか、強弁直江マンセー男。オマイが一番盛り上げてるよ

>清野が奉行人となったは景勝の死後、10年以上もあとのこと
>清野が奉行職に就いたのは1633年。(ちょうど景勝の没後10年だったな)

清野が、奉公するのが景勝没後10年以上後で、奉行になったのが没後10年??

オマイの言う通りだとすれば、清野は奉公する前に奉行になっていたことになっちまうぜw
生まれながらの奉行かよww
359人間七七四年:2007/09/23(日) 20:13:10 ID:M3M/N3ya
>>356
前スレの惨状は知らないのだが、ここ数日の腐女子の暴れようは凄いな。
アンチでもいろんなタイプやレベルがいるんだな。

>>357
強弁直江マンセー男なんていたのか。少なくとも自分ではない。
このスレ来たの数日前だし、功罪ともに興味深い好きな人物の1人なだけで。
好き嫌いは個人の自由だろう。ほっといてくれ。
どうしようもないウソ並べたレスには、つい反応してるだけだ。
執拗に食らい付いてるのは、まぁお互い様。いい加減にしたいところだな。

>清野が、奉公するのが景勝没後10年以上後で、奉行になったのが没後10年??
>生まれながらの奉行かよw

あのレス読んでそんな勘違いしてるのきっと君だけだから。
「奉公」じゃなくて、どっちも「奉行」な。
いちいち噛んで含めるように書かないと理解できないようだから書くが、
清野の生年は不明。
年若くして(おそらく1589〜1590頃)上杉家に仕官したものと推察されている。
その頃の上杉家執政は、もちろん直江兼続。
景勝ー直江体制政のもと、直江執政の権力下で清野は一家臣として働く。
その体制は、直江の死(1619年)まで変わらず、
さらに景勝の死(1623年)まで変わらず維持された。>>349を読め。
清野は直江や景勝の死後も上杉家に仕え、
1633年、景勝の息子定勝の時代にはじめて奉行人として就任した。もう爺さんだわな。
そして翌年死亡。

清野が兼続死後に直江一派を追いやった事実、景勝が直江を冷遇した事実があるなら、
何度も言うが、それを示唆する史料を示してくれ。

本当に時間の無駄なので、これでわからないなら、もういい。
妄想吐き出すのも恥かくのも個人の自由だよ。




360人間七七四年:2007/09/23(日) 20:13:15 ID:wzSznPWO
奉行人=奉行職っていいたかったんだろうが。
つまらん揚げ足取りしおって。おぬしはKYじゃ
361人間七七四年:2007/09/23(日) 20:16:16 ID:M3M/N3ya
>>360
359ですが同時に書き込んだようで。
おっしゃる通り、同じことを言ったつもりだったのですが、伝わらなかったようです。
どう言ったところで腐女子なアンチにはわからないようですから、もういいです。
362348:2007/09/23(日) 21:02:51 ID:alNdDYlU
面白いことに、このスレは
アンチが低レベルなときはファンが笠に着てがなりたててスレを荒らし、
ファンが低レベルなときはアンチが図に乗ってわめきちらしスレを荒らす。

たまにファンにせよ、アンチにせよ、なかなか語れる奴が来てくれて話を始めてくれると思うと、
たちまちのうちにこんな風に敵対する側と意味のないケンカをはじめて
知能レベルをののしってる相手と同じレベルに堕ちてスレを荒らし、そのうちどこかへ消えてしまう。
このスレはその繰り返しだ。
363人間七七四年:2007/09/23(日) 21:56:16 ID:LK5g92en
         l;;llllll||lll从从WWWl||ll,,ツ从ツツノlイノ'彡ヽ
         イ从、从从从从从ll|| |リ从////ノノ彡;j
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          }ミ;;;;;;} ::: ヾ {:::::ミ ヽ j イ|从 ":::: };;;;;;彡{
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        {;;;;リ:レ彡"三三ミヽ,,リ{{,,ノ;;;;ィ≦==ミ'" |;;〉l.|
        l"';;;l ゙'''<<~(::) >>::)-ら::ィ'ー゙-゙,,彡゙  .:|;l"lリ
          |l ';;', ::: ー` ̄:::::::ミ}゙'~}彡ィ""´   .:::lリノ/
         l'、〈;', :::    :::::::t、,j iノ:::、::..    ..::::lー'/
   ,、,,,/|  ヽヽ,,', ::.、    :::::(゙゙(  ),、)、ヽ::.  イ ::::l_ノ
)ヽ"´   ''''"レl_ヽ,,,', ヾ'ー、:::;r'"`' ゙'';;""  ゙l|  ::j ::: |: l,,,,
         ゙''(,l ', l| リ {"ィr''''' ーー''ijツヽ  l| :" l  |',`ヽ,
   き 利    (l :'、 `',. 'l| |;;゙゙゙゙"""´ー、;;| ノ:  / /リヽ \
.    く  い    Z::::ヽ '、 ゙'t;ヽ ` ´ ノ;;リ   ,r' //  |
   な. た     >; :::ヽ  ::ヽミニニニ彡'"  , '::::://  |
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   ┃ う      }ヽヽ :::::\::( ̄ ̄ ̄ /:::://:    |
   ┃ な     }| ヽヽ :::::`'-、竺;;ニィ'::://    |    l
   // 口    (: |  ヽ ヽ :::: ::::::...  :://     |    |
)  ・・.  を    (  |  ヽ ヽ::  ::::::... //      リ.    |
つ、       r、{  |   ヽ ヽ   //      /     |
  ヽ      '´    |   ヽ  ヽ //      /     |
364人間七七四年:2007/09/23(日) 22:30:51 ID:WkqDBUwj
実績のない空想武将www
365人間七七四年:2007/09/24(月) 00:21:50 ID:802uI8qU
>>359は、清野が奉行になったのが、景勝死後の10年後だ、と鬼の首を取ったかのように言っている。
そしてそのころはもう爺さんだと。

景勝に寵愛されたのが、それよりずっと以前だろうな。
ましてや、執政の直江とも手紙のやり取りをしているところを見ると、
奉行になったのは晩年でも、早くから要人だった可能性もあるし、他の要職にあった可能性もある。
若いころに、景勝に近侍して直江から景勝の寵愛を奪ったことは十分考えられる。

そして直江の死後、時間をかけて反直江人事を完成させたんだろうな。
366人間七七四年:2007/09/29(土) 10:01:24 ID:lrci6SUn
んだんだ。とりあえす、>>359みたいに誹謗してがなり立てるのはやめようよ。
清野が奉行になったのが遅い、といったところで、何の証明にもならんわな
清野が権勢を振るったのは間違いないからな
367人間七七四年:2007/09/30(日) 11:54:01 ID:BTE629hm
まあ、この人が軍事が無能だったことはこれまでの議論の通りだけど
それ以上に無能だったのは、外交じゃないか?
外交とは駆け引きだと思うのだが、この人のやり方は、ひたすら権力者への追従
しか感じられないな。豊臣に役職を兼任するほどひたすら追従し、
それが度が過ぎて徳川に叩かれると、次は将軍・幕閣への追従
「義」も反骨も何処にも感じられない。それが上杉の藩風になってしまっているような気が…
368人間七七四年:2007/09/30(日) 13:59:03 ID:yod1LBB2
藩風と言うか、喧伝している看板と比べると
ガチ戦(佐渡や小田原など中央政権の意向を背負っての戦いでない)や
情報戦が弱かったのは、景勝以来の伝統かも。
赤穂浪士の討ち入りのときも、むざむざと当主の義父を討たれて、
情報戦(外交力)に弱いところを思いっきり露呈していたし。
武門を売りにしていてこのもろさはなんだ、と言われたら、
謙信以後は戦と外交弱かったんです、としか答えられない。
謙信はえげつないし、外交も意外とうまかった。
369人間七七四年:2007/09/30(日) 14:39:20 ID:8ru07WtQ
というよりも謙信だけが突き抜けただけなんじゃないかな
370人間七七四年:2007/09/30(日) 16:22:58 ID:yod1LBB2
>>369
たしかに。
じゃあ、景勝が国替えの際に統率しきれずに越後に残さざるを得なかった国人衆も
すごかったのか、というと、これまた戦前散々馬鹿にしていたはずの堀家ごときに
めっちゃくちゃに分断されて鎮圧されている。
直江の名前出して背後に上杉がいるというのを掲げて始めた一揆だけど、
情報・謀略戦とガチ戦の弱さを露呈して壊滅。
実に謙信以降の上杉家らしい、竜頭蛇尾の終わり方をした。
はっきりいって、謙信以外は、戦う前はすごそうで、戦いが始まるとめちゃくちゃへたれ、
というのが上杉の「普通」なのかもしれない。
371人間七七四年:2007/09/30(日) 17:26:30 ID:ZmbCxapO
上杉藩は戊辰戦争の時も奥羽列藩同盟を主導したくせに、コロっと官軍に寝返って昨日まで味方だった
会津に攻め込んだりしているな。その割にあまり悪いイメージで語られることが少ないが。やってる事自体は
鳥羽伏見の藤堂藩よりよっぽど悪質なのにな。
372人間七七四年:2007/10/01(月) 02:06:27 ID:hmhHjiOY
上杉藩?ドコ?
373人間七七四年:2007/10/02(火) 22:20:54 ID:JXoBjsmz
三ヶ月ぶりに来たけど変わっていなさにワラタw
もういいじゃん直江が糞だろうが天才だろうが
愛の前立て被った書籍マニアで開拓好きの上杉の家臣でいいじゃん
この世に綺麗ごとなんざないんだから上杉の義がどうのと聞いてもあっそと思うけどね
謙信が異常に執着しすぎたのがひとり歩きしているものとしか思えない
374人間七七四年:2007/10/03(水) 03:25:47 ID:b/y/OjpT
景勝が心から重宝していたというのなら、
なんで直江家が断絶になったのか、理由教えて。
375人間七七四年:2007/10/04(木) 12:37:09 ID:2LvLaR+w
>>371
初めて知った。サイテーだね。直江によって失われたもの、その最大なものは、領土でなく上杉の士風かも。

大阪の陣でも、名のある武将は大阪攻撃を躊躇するもんだ。
例えば島津や蜂須賀はサボタージュしたり、毛利は陰で大阪方を支援していたりしている。
そういうのが好ましく感じられるのだが、直江-上杉には豊臣攻撃にいささかの躊躇も感じられない。サイテー
376人間七七四年:2007/10/04(木) 14:05:48 ID:E/h1zJib
>>371
結局ただ米沢藩を叩きたいだけだろ。
大坂の役での徳川方についた外様大名の情けは持ち出すくせに戊辰戦争末期に会津藩に降伏するよう説得をし続けた米沢藩の功績には全く触れず。
>>371に訊ねるが戊辰戦争後の米沢藩の処置が奥羽越列藩同盟の首謀藩の中で一番軽かった理由をいくつかあるわけだが挙げてみな。
早くに降伏した理由を除いてな。
377人間七七四年:2007/10/04(木) 17:51:28 ID:Mgd+qR0H
そこで色部長門ですよ。
378人間七七四年:2007/10/04(木) 22:44:53 ID:5eETQF2r
主戦派の家老を人柱にした藩は珍しくなかろう。
379人間七七四年:2007/10/04(木) 23:40:27 ID:E/h1zJib
>>377
>>378
色部を戦犯にしたのは官軍側の親米沢藩派のアドバイスを受けて米沢藩がその様に処置しただけ。
上辺上どうしてもA級戦犯を出さねばならなかった理由があったため。
米沢藩も戦後ほとぼりが冷めた時を見計らって色部家を再興している。
380人間七七四年:2007/10/05(金) 00:49:35 ID:lI1FhaV6
>>376
>戊辰戦争末期に会津藩に降伏するよう説得をし続けた米沢藩の功績

それって官軍側には功績だけど、列藩同盟にとっちゃ功績でもなんでもない裏切り行為じゃないかな。

首謀藩の一つでありながら、そういうことをする態度を>>371は批判してるんだと思うが。
むしろ列藩同盟に殉じてこそ「義」になるわけで、それを否定するなら藤堂藩と比べられても仕方がない。

あと、大阪の陣と比べるなら、淀殿がいつのまにか降伏して、城内に降伏を呼び掛けるようなもんだと思うが。
381人間七七四年:2007/10/05(金) 15:15:30 ID:CXrmHSJ/
>>374
自然消滅したことか?
382人間七七四年:2007/10/05(金) 22:28:15 ID:Jzfk/frD
勝ち抜く才能がなければ、いっそ負け惜しみが言える負け方で負けるほうが
後世で過大に再評価されるということを世に示した奇才。
383人間七七四年:2007/10/05(金) 23:49:50 ID:JJFEwY9p
でも色部家でさえ再興しているのに、直江家は再興されない、ってことは
よっぽど当時の人々に直江ってのが忌まわしい存在だったんじゃないかな
384人間七七四年:2007/10/05(金) 23:56:23 ID:Mi3d+h02
直江家の再興を許可するのは上杉家。
その上杉家が今回の直江兼続の大河ドラマ実現に向けて奔走した姿を見れば関係がわかるだろうに。
兼続の実家樋口家と上杉家の関係も良好だ。
となると直江家断絶を直江夫妻が望んだという話は信憑性が高い。
385人間七七四年:2007/10/05(金) 23:59:49 ID:Mi3d+h02
>>383
それから節目である兼続の33回忌や100回忌は米沢藩主自らが行っている。
忌まわしい存在の人物に対して藩主自らがこの様な行事を行うか?
アンチの都合の良い解釈ばかりするな。
386人間七七四年:2007/10/06(土) 00:01:01 ID:NrMEIC82
300年も遠い昔の、今じゃ観光資源でしかない直江に。謙信景勝とは何の血の繋がりもない今の上杉家が
大河ドラマに向けて奔走してもおかしなことじゃ無いわなあ。岡山で「鬼の子孫」の伝承がある家の人間でも
桃太郎を地元でドラマ化する、って言ったら協力もするだろ。愛郷心の問題として。

それだけの話を拡大解釈するなや。
387人間七七四年:2007/10/06(土) 00:28:18 ID:1aA0bQRE
桃太郎の話かよw
このスレは日本昔話のスレか?
比較対象に差があり過ぎてアホらしくて話にならん。
388人間七七四年:2007/10/06(土) 00:44:34 ID:9Vx7mAXw
>>380
米沢については、当初から会津藩と新政府軍との間で折り合いを
つけようと頑張ったりしている(結局世良には認められなかったが)。
結局世良修蔵が処刑などもあって、失敗するわけだが、米沢としては
新政府軍と事を構えたくはなかったんだろうな。

また、新潟では件の色部長門らが新政府と戦っているし、降伏にしても
国境まで攻められやむなく降伏したわけで、その後も会津などに対し
説得を試みるなど、米沢は出来る事はやってるはず。

あと、「義」だのなんだのと言うが、後世評価の高い河井継之助とかも
当時は地元にかなり恨まれていたらしいし、一概に言えるものでもないと
思うが。
389人間七七四年:2007/10/06(土) 01:34:26 ID:jbLG8KjI
>>385
33回忌当時から現在に至るまで、上杉に都合のいい広告パンダになったんだな
ホモの愛人としてフラれた挙句、養子縁組も断られて、お家断絶させられて、ってのが評価なんだろうけど。
33年も経てば、一転して上杉のウソの「義」キャンペーンに都合のいい人物として持ち上げられたわけ
390人間七七四年:2007/10/06(土) 02:10:51 ID:9Vx7mAXw
>>389
もはやお前わけ解らんよ言ってる事が
アンチでも、議論にすらなっていないから嫌なんだよこのスレの連中は
391人間七七四年:2007/10/06(土) 08:10:18 ID:V9Cvi8A9
少なくとも現在の上杉家が観光資源として直江を利用したいと思っているのは、
岡山の鬼の子孫のやっていることとなんら変わりもないことは事実。
比較対象に差は全くないおw
392人間七七四年:2007/10/06(土) 10:33:12 ID:1aA0bQRE
>>389
>>391
もはや議論でもなんでもないな。
愚かで感情的なアンチに過ぎない。
同じアンチでも冷静なアンチすら呆れているだろう。
393人間七七四年:2007/10/06(土) 13:54:01 ID:V9Cvi8A9
>>392
391だけど、観光資源の件のどこが冷静じゃないアンチになるの?
お前さん、発表直後のお偉いさんたちの浮かれっぷりを見て何も感じなかったの?
394人間七七四年:2007/10/06(土) 15:18:50 ID:9Vx7mAXw
>>393
上杉家というよりも米沢市とか上越のほうとかだろ?
まあ、あの浮かれっぷり(間違った鎧の一件もそうだが)は
いただけないよな。まあ、>>386みたいな話はどこの
県でも(武田さんや伊達さんでも)同じようなもんだろ

ただ、>>389みたいなわけわからん手合いは勘弁という話。
395人間七七四年:2007/10/12(金) 17:07:34 ID:6XwXU9br
直江かねつぐって、本田を養子にしようとして頑張っていたけど、
娘を喰われた挙句に逃げられちゃうんだよね
本田にしてみれば、6万石もらっても直江の尻ぬぐいは嫌だったんだろうね
396人間七七四年:2007/10/12(金) 17:30:25 ID:rp8V+8si
このスレってすぐに>>395みたいな手合いが沸いてくるから
嫌になるよ、まったく。お前らは上条の回し者かw
本多政重とは縁組解消後も音沙汰があったようだし、もともと
直江家には病弱とはいえ平八がいたし、やはり一番には徳川との
つながりを重んじたんだろうな。
397人間七七四年:2007/10/14(日) 16:22:13 ID:SQ3uSno1
で、結局、直江家が断絶した理由ってなんなの?
兼続が望まなかったって人もいるけど、そもそも兼継は直江家的には養子に過ぎないし、
養子先の名家の存続・断絶を決められる立場とは思えないんだが。
398人間七七四年:2007/10/14(日) 16:36:19 ID:Zy9M1YZZ
んじゃ、「上杉家の北条政子」と呼ばれたお船姐さんが決めたってことでいいんじゃね

一次史料で理由の裏付けがとれない以上、アンチもオタも自分のいいようにしか解釈せんだろ
399人間七七四年:2007/10/14(日) 18:27:23 ID:eZxXJ9V8
お船さんに子ができないならもう無理して存続することもなくね?って感じ
400人間七七四年:2007/10/14(日) 22:56:08 ID:dgj3Sydp
徳川にはかなり覚えめでたい存在だったらしいから、対幕府的には存続させてもよかったはずだ。
清野、安田、水原を初め対立する奴がわんさか居て、それらの攻撃が目に見えていたので、誰もなり手が居なかった、ってのが想像できるだろ
401人間七七四年:2007/10/15(月) 00:42:30 ID:gPSXc6lf
まあ実質藩の独裁者みたいなものだったから、その権力に比例して反発する人間も多かっただろうね。
402人間七七四年:2007/10/15(月) 03:03:57 ID:Oc4/4f2v
史書記録の類いには書いてないので何とも言いがたいんだがな。

お船の方が、直江兼続死後も上杉景勝や定勝から変わらず
信を受けていた事実から察すると、直江家断絶にはお船の
意向もあったかも知れんとは推測できる。多分直江景明が
若死にしなかったら彼が継いだだろうし。

直江及びその与党と対立するやつが多かったという話についてだが、
たしかに一理あるけど、決定打には弱い気がする。例えばその対立軸の
与党に直江氏を継がせることも(お船の死後なら)可能なはずだし。
ただ、上条の倅などのように直江と対立した連中の系統の復権
(上条政繁も上杉と和解するし)なども背景にあるかも。

>>400
安田とは後年不仲になったというのは聞いた事あるが、水原や清野も
対立軸だったのは知らんかった。
403人間七七四年:2007/10/17(水) 00:11:08 ID:OJ/18LlR
直江が対立する奴といえば、上条、新発田、藤田、安田、水原
これら清野以外は全部、武勇に優れた上杉に必要な人材だ
武勇の士を見ると、自身に無い物がある、ってことでひがみでカラんでいったんじゃねーか
おっと、そういえば伊達政宗もひがまれたのかな
404人間七七四年:2007/10/17(水) 01:00:45 ID:jnRzHUaY
>>403
安田と不仲になったのは多分米沢転封後やや後のはず。
1602年に亀岡文殊堂で詩歌の会をやった際に、与板衆に
混じって安田上総の名がある。

藤田能登守に関しては、上杉家中で反徳川色が強くなるなかで
孤立した人物だから何とも言いがたいが。

あと、水原や清野が直江と対立したという話を聞いた事が無いんだが、
もし良かったら紹介してくれない?


405人間七七四年:2007/10/18(木) 00:20:51 ID:E8ZeB7oP
水原は、出羽合戦で景勝に直江の与力をやらされて、直江が自分に都合が良く、水原陣に犠牲が多い陣形を強いていたのでケンカになっている。彼の編纂した文献は直江への怨嗟に満ちてねーか。
清野は、言わずと知れた閨での直江のホモ愛のライバルだろ。生前は真っ向から対立したかは知らんが、直江死後に与板衆を遠ざけているだろ
406人間七七四年:2007/10/18(木) 00:26:01 ID:7mRmRn4C
景勝-直江のホモカップルで与板衆と上田衆をヒイキしていたから、それ以外の奴は多かれ少なかれ反直江だったんじゃないかな
407人間七七四年:2007/10/18(木) 02:42:53 ID:0V2jGgzr
上田衆は直江派ではないだろう。
408人間七七四年:2007/10/18(木) 02:46:34 ID:cUcGzUe3
>>405
清野長範についてだが、米沢奉行になったのが晩年なので(ちなみに
前任は志駄義秀)、言われる程対立軸でもないような。
しかも生前景勝が与板・上田と並んで重用した信濃衆だったし。
(長範自体は芦名家臣だったが)

あと、質問いいすか?
・与板衆のポジションについてだが、彼らは直江兼続の
 配下だけれど、上杉の直臣でいいんだっけ?

・景勝期の上杉氏、直江(または出羽合戦)に関する書籍でよいものない?
 ミネルヴァあたりから出てるような感じのものがあると
 良いんだが・・・
409人間七七四年:2007/10/18(木) 07:24:56 ID:8S/JV+oh
>直江兼続の配下だけれど、上杉の直臣
この文章ですでに矛盾が出てないか
410人間七七四年:2007/10/18(木) 09:08:38 ID:cUcGzUe3
>>409
直江家の家臣団なのか(景勝からみて陪臣)、上杉家の直臣で
直江に部下として附属しているのか?ということです。

411人間七七四年:2007/10/18(木) 09:45:50 ID:/k5i9PDh
信濃衆ってなんであんなに贔屓されてんだ
412人間七七四年:2007/10/19(金) 01:27:58 ID:J1EeS0Td
>>411
御館の乱の時に景勝支持に回った連中が多かったのか?

多分、旧来力を持っていた連中とは別に、景勝にとっての支持基盤が
欲しかったのだろうか
413人間七七四年:2007/10/19(金) 06:53:56 ID:sb2W2yfj
>>412
それ以外に理由はないだろう。
揚北衆は世間一般に思われているほど景虎支持ではなかったけど、
もともと桃山時代の大名が求める支配には応じない使いにくい配下であったことは変わらない。
会津転封時に根無し草の信濃衆を一気に優遇して手駒を増やそうとした。
その信濃衆も、亡命当初の旗頭だった村上氏を代替わりの際に冷遇して間接支配を排除し、
各家と直接結びつく形にしている。
景勝の支持基盤は脆弱で、会津移封はけっこうメリットがあったのではないかね。
414人間七七四年:2007/10/20(土) 03:00:25 ID:Fp2fUxBP
>>413
毛利なども萩転封が契機で、国人連合的なものからの移行が
出来たというしな。

本庄など扱いにくい連中の主たる者だしな
415人間七七四年:2007/10/20(土) 03:18:32 ID:7fA3Pnbs
そのわりに上杉は何かにつけて越後奪回をしようとしているな。
戊辰戦争の時も、ドサクサに越後の復旧を狙っていたとか。

維新の勝ち組の長州が、まったく広島に拘らなかった事と対照的ではあるな。
416人間七七四年:2007/10/20(土) 07:21:20 ID:4JO4W6c+
>>415
そして関ヶ原のときも戊辰戦争のときも土豪たちは
「上杉と協力する」ことではなく「上杉の介入に合わせて自分ら好きな事をする」しか考えてなかったw
越後&越後土豪の協力は、上杉の完全な片思いって感じ。
景勝以降の上杉は、世の中に喧伝して自分自身も信じ込んでいたほどには
越後では人気がなかったのかも知れない。
明治とか太平洋戦争とかが入って一回価値観も住んでいる人間も大幅に変わってから
またカタルシスを抱くようになったのかもシレンが。
417人間七七四年:2007/10/20(土) 11:58:07 ID:Fp2fUxBP
>>416
景勝以降も何も、謙信の代から越後の土豪はそんな感じだろ。
みんな好き勝手やっているし、すぐに背く。
そういう連中を何とか御しつつ・・・というのが越後への
方針だったんだろうな。
418人間七七四年:2007/10/21(日) 10:41:11 ID:UGIF13ok
江戸時代250年を経ても旧領復帰を目指したのはちょっと異常。
関ヶ原のどさくさで旧領復帰を狙った大名はいたけど、
明治維新の際にそれを狙った大名って他にいたっけ?
毛利でさえ旧領奪回じゃなくて倒幕そのものにエネルギーをかたむけた。
それを考えると、上杉家の戦略の大前提の異様さが目立つ。
だからこそ、越後自体からは「別に思い入れないし」という態度が
片思い過ぎて泣ける。
419人間七七四年:2007/10/21(日) 13:49:50 ID:v7jRIVNb
>>418
まあ、会津転封に従わなかった連中だしな。

ところで、戊辰戦争時の越後の対応ってどんな感じだったの?
420人間七七四年:2007/10/21(日) 19:37:40 ID:WotDrvl1
>>415
やっぱ、金山目当てかな?佐渡を自分で統治は無理にしても、隠し金山くらいあっただろうしなぁ。
まあ故郷への思い入れがもちろんあるんだろうが。
421人間七七四年:2007/10/27(土) 22:43:36 ID:cxM0NwSj
>>402
直江家断絶に、お船の方の意向が反映されるのは当前だな
問題は、何故そのお船が直江家の継続を断念したか
直江家古参で家禄を食んでいる家臣も居たはずだから、普通はありえんわな

やはり兼続への家中の怨嗟の声に耐えかねたか
主君景勝との関係でかろうじてもっていたが、それが無くなれば反対派の攻撃が目に見えていたんだろう
422人間七七四年:2007/10/28(日) 00:41:19 ID:ecco2igO
反対派の怨嗟であきらめてお家断絶なんてありえないよ。
本人いないんだし、直江の家老の家柄考えたら周りだって
対外的な外聞だってお家残す方が得だろうに。
自分家の三男坊とかがトップ家老の家柄継げるかもしれないのに。
景勝の一言でどうにでもなったと思う。
お船は定勝の乳母なんだから権力ないわけじゃない。
与板の奉行連中が権力無くしていくのは10年後ぐらい後じゃなかったっけ。
直江の意志をお船と景勝か認めたからだと思うけどなあ。
423人間七七四年:2007/10/28(日) 07:30:08 ID:5Sw5hPdJ
>>422
その直江の意思や、お船の意思はどこから生まれたのだろうか?
やっぱり周りの怨嗟の声じゃないの?
424人間七七四年:2007/10/28(日) 08:03:18 ID:eZTsotp0
>>423
だな。直江家への反発が広範に存在してなきゃ、お家断絶なんてありえない。主君だって断絶しないように普通は動くのに
そんな素振りも無くあっさり断絶を認めてるってことは、上杉家側でも直江家というものを支えきれないと判断したって事でしょうし。
425人間七七四年:2007/10/28(日) 23:17:01 ID:BHk6iLrC
あの時代に、女人1人の意思で名家の存続断絶が判断されるなんて考えられないだろ。
426人間七七四年:2007/10/29(月) 02:43:51 ID:wSSBdd55
兼続は単に養子または婿として直江家をつぶさない為に入ってきたワケだから、
兼続の意志で決められるものじゃないと思うが。
兼続自身はむしろ直江家を続けようとしたんじゃないかな。
自身の名前を重光と変えてまで本田政重に養子になってもらおうと躍起になっているから。

もし兼続の意志だとしたら、彼は自身が責任を取らず、直江家というお家に責任をなすりつけたことになるな。
427人間七七四年:2007/10/29(月) 04:10:20 ID:DAb/Mymy
しかし、こればっかりは「解らん」としか言いようが無い。
直江死後も米沢奉行は志駄などの与板系の連中がつとめているし、
色部など直江にちかいような人間も結構いた。
何が何でも家を潰さなきゃならんかといえば、そうでもないし。

上条系の復権と関係あるのかもなあ・・・
428人間七七四年:2007/10/30(火) 01:17:39 ID:QorpcWlA
上条のナゾの出奔も、直江の讒言による説が有力だよね。
そのずっと後年、直江へのブーイング怨嗟の声が徐々に高まり、本田政重はこりゃ養子なんてまっぴらだ、と逃げた。
そして直江の権力失墜し、上条が戻ってきた、と考えると、全てつじつまが合うね
429人間七七四年:2007/10/30(火) 20:04:47 ID:M3JVM4AI
上条や藤田が居れば、最上や伊達にボコられることもなかったかもね
430人間七七四年:2007/10/30(火) 20:20:02 ID:SAoq8Y8+
兼継って、新発田討伐でも失敗してね?
431人間七七四年:2007/10/30(火) 20:45:44 ID:wggGSlCh
つうか直江に軍略上の成功ってあるの?
部隊長をやっても、大将をやっても、先鋒をやってもダメ。
432人間七七四年:2007/10/30(火) 20:59:19 ID:VGaniJP7
なし

成果は内政家としての実績だけ

問題は、そんな兼続に軍事もまかせた景勝か、
軍才の無さに気づかなかった兼続か
433人間七七四年:2007/10/30(火) 21:06:14 ID:WzOaVrf0
秀吉や三成が煽るだけ煽って、上杉家臣団筆頭みたいな形にしちゃったからな。
少なくとも関ヶ原までは、豊臣政権の後ろ盾もあって上杉家内であきらかに景勝以上の権力を持っていた。
434人間七七四年:2007/10/30(火) 21:24:22 ID:SAoq8Y8+
>>432
ノブヤボで、なぜかオールマイティー武将だから誤解を招いてるんだよな。勘違いしてる人大杉。
政治はまあともかく、統率や武力といった戦闘系のスキルがトップレベルなんてことにしてるから。
実際に調べてみると、武功なんて皆無だよ、マジで。
それどころか、圧倒的多数の軍勢を率いながら負けてるケースが多数。酷すぎる。
435人間七七四年:2007/10/30(火) 21:27:42 ID:/KDWcUms
>>432
内政ってのも疑問なんだよね。
開墾も土木事業も何処の藩でもやっているし、筆頭家老が責任者になるのも当たり前。
城下町のデザインが良くて他藩より発展した、なんてもの聞かないしな
一部のマニアックな文献編纂とそれを基にした殖産事業のみがこの男の業績じゃないかな
436人間七七四年:2007/10/30(火) 21:40:32 ID:VGaniJP7
>>435
それいいはじめたら、それこそ東大寺は大工が作ったになっちまうし
戦国期の敗戦も筆頭家老ゆえに無能の烙印を押されているだけ、てことにならないか?

「軍才があるってのも疑問なんだよね。
野戦も謀略も何処の大名でもやっているし、筆頭家老が責任者になるのも当たり前。
兵法が良くて他大名より勝ち戦が多かった、なんてもの聞かないしな」

↑めんどくさいからこまいところにはつっこむなよ
437人間七七四年:2007/10/30(火) 22:46:53 ID:7XNrW2il
直江が功績をあげた内政って、具体的にどんなものがあるの?
独創的であったり、先駆的である必要はないと思うが、
せめて他人がやるより効果的だった、と言えるぐらいじゃないと。
438人間七七四年:2007/10/30(火) 22:59:00 ID:SAoq8Y8+
移封後、無難にとはいえ、つつがなくこなした点は、一定の評価してもいいと思うけどね。
しかし、閻魔大王の件、天正大判の件、会釈の件と、どの逸話も評価されるより、無礼とか短絡と思ってしまう話が大杉。
439人間七七四年:2007/10/30(火) 23:54:18 ID:+ugFll3V
>>435
それ言い出したら、どの大名領主の事績にも言えることだしキリないが。

やはり、もともとはそれほど広大というわけでもない米沢を
上杉の家臣団やその一族郎党その他3万余が住まう町に改造した
手腕は中々のものだと思うんだが。また、最上川の堤防や松川の
水を用水路、灌漑用にかなり大規模に手を入れている。それに加え、
米沢城の三の丸を建てている。それを、幕府からの普請や、景勝の
肉親が相次いで亡くなり、混乱していた時期に十年程である程度の
完成をみたのは評価してよいと思うが。
440人間七七四年:2007/10/31(水) 13:36:34 ID:SV6yo1dC
>>439
だーかーらー、その程度の行政官どの藩にもいるだろっての
それから米沢に関しては、それら事業を完成させたのは清野だろ
土木治水にしても最上義光と北楯利長の方がスケールが上だろ

減封されただけで崩壊した藩なんてないだろ
関ヶ原負け組み諸藩のどこも上手くやりくりしてるんだっつうの

その程度のことで、お家の舵取りを間違って大減封されたのに責任も取らずに、天下人に懐柔されて大名待遇を受けて偉そうにして居ていいわけがない
441人間七七四年:2007/10/31(水) 19:02:24 ID:TSJcjmsV
>>440
外交能力は高かったと思うぞ、兼続。
秀吉との関係をいち早く樹立し、豊臣政権内での上杉家というものを重いものにしたのもあるし、
関ヶ原も負けがわかった途端ものすごい勢いで徳川家と繋がりを付け伊達や最上の乱入を防ぎ、
まあある意味滅亡を防いでいる(上杉は毛利などと違って実際に本国が戦闘状態にあったわけだからね)

それも悪く取れば、時の覇権勢力との外交ルートを掌握する事により上杉家内での権力を増大させた、と
見れないことも無いけどねw
442人間七七四年:2007/10/31(水) 19:25:26 ID:H22pM5B7
伊達や最上の乱入を防ぎって、庄内獲られてるじゃん
そもそも、減移封喰らってる時点で、まったく領土という意味で守れてないし
ものすごい勢いで繋がりもなにも、上杉伝来の越後を失わざるを得なかった、ただの土下座外交
上杉規模の家を取りつぶしたら、事後処理の方が大変になるから、
力を奪って、奥地に飛ばしてと、徳川が楽な選択をしたってだけの話
443人間七七四年:2007/10/31(水) 19:33:27 ID:GGzeFZaU
>>442
アンチ乙
もう少し勉強しろよ
444人間七七四年:2007/10/31(水) 19:39:15 ID:c666aG18
アンチスレできたんだからそこに移れよ
445人間七七四年:2007/10/31(水) 23:44:06 ID:4uzGwrQ/
伊達や最上の乱入を防ぎって、白石城獲られてるじゃん
446人間七七四年:2007/11/01(木) 00:07:54 ID:0wkCwQqS
>>440
くどいようだが、清野長範が米沢奉行になったのは晩年の一年だけで、
それ以前与板系が奉行をつとめている。
北楯の事業もたしかに凄いが、性格がちがうだろう。


>>445
白石は序盤で取られて、結局そのまんま(甘糟が不在だったし・・・)
なのはいわば結果論だし、庄内も庄内そのものが他の上杉領と
孤立してる上に、志駄・下がかなり敵の奥地まで攻め込んでいて
撤収に手間取ったからな・・・。
とはいえ、本庄が福島をなんとか守り抜いてるし、須田の梁川や
米沢などは無事で、なんとか領内深くまで荒らされずに済んだって
ことだろ。
447人間七七四年:2007/11/01(木) 00:19:14 ID:GUGTcGwh
120万石の上杉があの状勢の最上・伊達相手に領内深くまで荒らされたらどうしようもないような・・・。
伊達だって佐竹の動向が良くわからん状勢でそこまで深追いできないだろうし。
448人間七七四年:2007/11/01(木) 00:26:36 ID:0wkCwQqS
そういえば、関ヶ原敗戦後に主要な重臣クラスで寝返ったり
したやつってでたっけ?たしか藤田信吉の家臣(斎藤兵部)が寝返った
とは聞いているが。下吉忠はやむを得ず降伏したが、ほかはどうだっけ。
449人間七七四年:2007/11/01(木) 00:44:28 ID:pA/dnTh3
>>446
清野は早くから景勝に寵愛されていた。奉行になる以前から権力はあった。
業績が町名になって残っているだろ

上杉は120万石、最上、伊達はたかだか24、50万石だろ。それらに負けてどんな言い訳も通じないわな。
実際、庄内と白石を取られた時点で、最上と伊達の挟撃が見えていた。だから徳川に上下座外交するしかなかったんだろ
450人間七七四年:2007/11/01(木) 02:40:09 ID:TrGI6XeU
織田にも勝てず
新発田にも勝てず
最上にも勝てず
伊達にも勝てず
451人間七七四年:2007/11/01(木) 06:42:45 ID:PERY3aLv
サウイフモノニ/ワタシハナリタイ
452人間七七四年:2007/11/01(木) 06:55:29 ID:RNQRqEGC
白石城は伊達の喉元に刺さったトゲのようなもので、仙台の北目城への
睨みが効いていた。ところが逆に白石城を奪われたことで、梁川と福島が
じわじわと圧迫される形になった。上杉が伊達の南下に集中している隙に、
最上義光に庄内をあっという間にかっさらわれた。
453人間七七四年:2007/11/01(木) 08:19:19 ID:M/lSAxJK
>>447
あの時上杉がまごまごしてたら、武田攻めの信忠軍よろしく、秀康が攻め込んできて上杉は滅亡してただろ。
454人間七七四年:2007/11/01(木) 10:15:27 ID:obt0rfsS
>>453
結城秀康は上杉家と親交があった。
戦後に上杉家を助け様と奔走したのも彼。
家康は上杉家と秀康の関係を利用した部分もあるだろう。
秀康が相手だと上杉方は攻めにくい事を。
江戸時代に川中島合戦図屏風が作成されるのが流行ったのだが、どの藩も武田家贔屓の幕府の御機嫌を取るため武田家有利の絵図にしたが、
御館の乱で上杉三郎景虎側についたため越後を追われた元上杉家家臣が多く住み着いた紀州藩と秀康が藩祖になった福井藩の川中島合戦図屏風のみが上杉家有利に描かれている。
455人間七七四年:2007/11/01(木) 10:34:25 ID:M/lSAxJK
>>454
親交があったから戦はしないというのなら、景勝は秀忠とすごく仲が良かったからそもそも対徳川で兵を挙げないわなw
456人間七七四年:2007/11/01(木) 12:30:25 ID:obt0rfsS
>>455
上杉討伐は家康とその取り巻きの都合で始められたといっていいだろう。
合戦寸前まで戦を回避しようと奔走していた秀忠の書状が現存してるくらいだ。
例え息子と仲の良い家であろうと家康自身が天下を取るために邪魔ならば排除もしくは利用するのが当たり前。
家康にとって天下を取る絶好のチャンスだったんだからな。
457人間七七四年:2007/11/01(木) 12:41:20 ID:M/lSAxJK
>>456
んだから秀康もその範疇の外ではあるまい?
458人間七七四年:2007/11/01(木) 14:49:03 ID:TrGI6XeU
秀康と家康って、あんま仲良くなかったんじゃなかったっけか
459人間七七四年:2007/11/01(木) 15:01:25 ID:M/lSAxJK
仲が良かろうが悪かろうが、節目節目でちゃんと「徳川一門」として行動してるぞ>秀康
家臣団だって徳川家からつけられてるんだから、「秀康は上杉(あるいは西軍)に味方した」なんて考えは
空想意外に存在し得ないわな。
460人間七七四年:2007/11/01(木) 15:58:08 ID:oYE+q8C9
最上も伊達も手強い勢力だからな。
庄内と白石は最上と伊達が力を発揮したから、でいいんじゃないの。
上杉がどうこうというよりも。
461人間七七四年:2007/11/01(木) 16:37:00 ID:qZLLz2FX
仲が悪かったというか一方的に家康が秀康を嫌ってて
秀康自身は父に対して忠誠心はあったと思う
462人間七七四年:2007/11/01(木) 16:39:04 ID:0wkCwQqS
>>449
米沢の一連の改造は慶長17年ごろに一応の達成に至っており、
このころの直江の藩政に関する書状や事業はかなり多い。
もっとも、清野長範も藩政に参画し、業績をあげていたのは間違いないが。

>>460
白石に関しては、まあ甘糟の失敗なんだろうけど、
庄内に関しては西軍敗北が前提のいわば結果論だしな。

出羽合戦は中央の動静がそのまま結果に繋がっているから
一概には言えないのだが。
463人間七七四年:2007/11/01(木) 16:42:14 ID:M/lSAxJK
まあ、家康も秀康をホントに嫌ってたら、大切な上杉押さえの総大将にしたり、関ヶ原の後
秀康に譜代の中で最大の領土を与えたりしないだろ。
464人間七七四年:2007/11/01(木) 22:26:14 ID:zif4UR9h
直江、この男は無能なくせに権力者には覚えめでたい
それもそのはず、上杉家を従順な犬にするからだ
その見返りとして秀吉、家康から大名待遇だ
秀吉、家康にとって直江ほどやりやすい奴は他に居なかっただろう
まあ要するに、売国家老ってことだ
465人間七七四年:2007/11/01(木) 22:29:41 ID:46gDwHgp
↑だいぶ前ウィキペ記事みたいだ。
ここまで阿呆なレスも久しいな
466人間七七四年:2007/11/02(金) 00:18:37 ID:iOKEqBOm
コーエーの まったくつまらぬ男もいたものである 噴いたw
467人間七七四年:2007/11/02(金) 00:37:01 ID:TaSUO8G2
>>466
覇王伝武将ファイルの石田三成への評だっけ
同じの覇王伝用語辞典の三成の項でも反論されてたな。
468人間七七四年:2007/11/02(金) 16:58:32 ID:+jNrcDrJ
>>464
確かに直江って豊臣徳川に便宜をはかりすぎ。
主家の上杉家とどっちが大事なんだか、と思うときがある
469人間七七四年:2007/11/02(金) 17:30:41 ID:kqMiH4cx
なんでこのスレの連中は同じ話を功も繰り返せる?
470人間七七四年:2007/11/02(金) 17:52:24 ID:LNeWwYLD
定期的に信やぼ厨が直江はそんな雑魚じゃない!って言い出すから
471人間七七四年:2007/11/02(金) 19:09:29 ID:j0BBHyIN
直江兼続は上杉の軍師にして家宰だから知勇兼備の名将である事は疑いないよ。
無能とかほざいてるのは物を知らないアンチだけww
472人間七七四年:2007/11/02(金) 19:44:17 ID:/VOrDX3P
兼続はザコとは言わないが、能力的にはちょっとした大藩ならどこにでもいる家老クラスではあるな。
スケールも小さいし。
473人間七七四年:2007/11/02(金) 21:14:12 ID:5iiW2r9d
直江さんぐらいの実績は
そこそこでかい大名家の家老クラスじゃ普通にいる
ただ上杉家が世間の人気あるからなぁ
同じく減封くらった毛利家の家老が不憫だ
474人間七七四年:2007/11/02(金) 21:17:46 ID:j0BBHyIN
吉川広家とか毛利秀元みたいな三流武将と直江兼続を比べるのは無理がある
475人間七七四年:2007/11/02(金) 21:22:39 ID:/VOrDX3P
その広家や秀元のほうが、軍隊指揮能力はよほど上だぞ。兼続みたいにまともに戦で勝った事の無いのとは話が違う。
476人間七七四年:2007/11/02(金) 22:49:28 ID:1S/aRIlC
戦争が下手だと義の人と呼ばれる。
477人間七七四年:2007/11/03(土) 00:00:31 ID:cDO5ZkjX
>>472
それを言ったら所謂「名将」「名臣」「名君」の大半は当てはまるしなあ

>>473
毛利の場合は、状況から背景からかなり違うから同列には論じられまい。

新発田攻めに関しては、直江兼続が単独で攻めた事はないはずだが。
天正12年に云々とあるが、天正12年は景勝と直江は信濃へ出陣して
いるくらいなんだが・・・。手元にある資料にないだけかもなので
良かったら教えて欲しい。

あと、水原と直江が喧嘩したっていう話のソースって何?
「東国太平記」だと思うんだけど、違うかな?
478人間七七四年:2007/11/03(土) 00:09:05 ID:NyRWo8Np
でもまあ、大藩なら大藩なほど、直江みたいな民生の出来る家臣って重要なんだけどね。
極端な例だが加藤清正の所なんて家臣全員戦馬鹿ばっかりで、清正が死んだ途端どうにも藩経営が出来なくなって
一時期幕府管理みたいな形になっちゃったりしてるw
479人間七七四年:2007/11/03(土) 00:55:43 ID:cDO5ZkjX
>>478
家臣が「清正公が全部やってたんで解りません」って答えたやつだっけ?
480人間七七四年:2007/11/03(土) 18:30:52 ID:D+Q0rb5b
>>478
民政ってのは庶民のための政治を言う。直江は民政家じゃないだろ
庶民のために善政をしたなんていう事実あんの?
むしろ上杉は高租税だった。それは直江執政時代から始まっている
殿様のおぼえめでたい官僚って感じだろ。
閻魔のエピソードの通りの弱者はいじめるような奴だったんじゃないかな
481人間七七四年:2007/11/04(日) 12:44:35 ID:gAYsrJDY
ホント、閻魔のエピソードは感心する話じゃなく、逆ギレ的な話にしか読めねぇw
482人間七七四年:2007/11/04(日) 12:58:32 ID:k6GlWWF2
120万石時代の人員をそのまま30万石で養うには
知行削減、荒れ地開墾、産業振興、税率up等はやらなきゃならないことだからねぇ
問題は、景勝がなんと言っても
身の丈にあった「人員整理」をやらなくてはいけなかった
その点からも、政治家としては失格だろう
483人間七七四年:2007/11/04(日) 13:15:36 ID:0OQi5X4C
>>481
個人的には、戦国の人間はあのくらい極端に武断的でないとつまらない、とも思うがなw
「話せばわかる わからなければ ヌッ殺す」字あまり。

>>482
結局上杉は、石高に比べて過重な人員のままだったんだよな。
484人間七七四年:2007/11/04(日) 16:27:39 ID:cJ1KTFEo
同じような境遇で雄藩になった毛利とは対照的だね。
485人間七七四年:2007/11/04(日) 16:51:25 ID:gAYsrJDY
>>482
だよな。
石高が減っても、人員整理をしなかったことを美談みたいにいうけど、
本来は、率先して削減を実施するべき立場だ。
よく「主家を思って・・・」ああだこうだいうけど、本当に主家を思うなら自分が恨みをかっても、断行するべきだった。
この点からしても、卓越した政治力があったとは思えない。
収入を増やそうとする前に、支出を削減するのは、基本中の基本だろ。
486人間七七四年:2007/11/04(日) 16:58:03 ID:0OQi5X4C
>>485
このときの問題解決を先送りした報いが、やがてたまりにたまって上杉鷹山にふりかかる。
487人間七七四年:2007/11/04(日) 17:19:57 ID:k6GlWWF2
結局、この人、上杉家の不幸は、
才能が無い分野でも自分がやらなくてはいけなかったことかな
これは、兼続の責でもあり、景勝の責でもあるが
新発田も有能な人物だったけど、
景勝兼続ともに使いこなせなかったしね
人材はいたと思うんだけど
488人間七七四年:2007/11/04(日) 17:27:46 ID:gAYsrJDY
>>486
自分も書こうと思ったんだ、上杉鷹山w
ホント、最初から断行しておけば、鷹山はもっと他のことに力を注げただろうに・・・・
489人間七七四年:2007/11/04(日) 17:46:16 ID:0OQi5X4C
>>488
まあ酷いにも程があるって状況だっただけに、改革した鷹山の名前が輝いた、って部分もあるけどねw
でもまあ、直江がもうちょっと大鉈を振るって整理しておけば、鷹山の改革を経て、幕末に米沢藩は
もうちょっと活躍できたのでは、とも思うな。
490人間七七四年:2007/11/04(日) 18:32:00 ID:X1jA4vB9
つうかさ〜同じ減封組の毛利は輝元自ら新田、特産品開発や人員整理を積極的に
やってんのに上杉のこの体たらくは‥。
491人間七七四年:2007/11/04(日) 18:48:00 ID:k6GlWWF2
みんなで苦労を分かち合おう、てことかもしれんが、
それができるのは当事者である関ヶ原現役組まで
2代3代たてば、自分たちの今の苦境は、
関ヶ原で選択を誤った連中にケチつけたくなるわな
492人間七七四年:2007/11/04(日) 18:50:16 ID:gAYsrJDY
外交政策大失敗で、大減封くらった責任どーすんだっていう突き上げもあって、
結局のところ、直江に人員削減するほどの力はなかったのかもな。
その結果、責任とって(とらされて)の直江家断絶?
493人間七七四年:2007/11/04(日) 18:50:43 ID:0OQi5X4C
輝元は毛利の膨張期に、その財政を一手に引き受けた隆元の息子だからね。
経営のわかる才能があったのでしょう。豊臣期でも家康に並ぶ金持ちだと宣教師が
報告してるくらいだし。

しかし移封された長州の、萩城を見ると、輝元は身を削って苦労したんだなあとつくづく思っちゃうよ?
あまりに小さくてw 本丸よりそのへんの武家屋敷の方が明かに大きい。米沢城なんかとは比べるべくも無い。
大毛利の外聞を捨てて実を取ったって事がよくわかる。
494人間七七四年:2007/11/04(日) 19:04:47 ID:k6GlWWF2
>>492
突き上げは、どうなんだろうね、激しくあったのかな?
戦前は、どっちかといえば、開戦派のほうが多かったと思ったけど
だからこそ、藤田があんなふうになったんじゃないのかな?
495人間七七四年:2007/11/04(日) 19:21:23 ID:gAYsrJDY
>>494
せめて最上を討っていれば面目はたったかもなぁ。
外交政策失敗以外にも、圧倒的優位な最上攻めに失敗した責任も含まれてんじゃない?
最上攻めの責任者は、どう見ても直江だし。
496人間七七四年:2007/11/04(日) 19:45:28 ID:EoFmvI4d
先ず筆頭家老で最も責任のある直江自らが禄を辞し、責任を示すべきだっただろうな。
直江が高禄むさぼり続けたばかりに、他の奴らも責任の取りようがなかっただろ
497人間七七四年:2007/11/04(日) 19:50:01 ID:k6GlWWF2
最上攻めっていっても、あの期間内で最上を制圧するなんて芸当、
戦国時代の有名どころの武将でならできるのか?て聞かれれば、流石に無理だろうて思わないか?
498人間七七四年:2007/11/04(日) 20:04:18 ID:gAYsrJDY
>>497
討つっていっても、完全制圧じゃなくていいから、
せめて最上攻めは勝ち戦といえる状態で、関ヶ原の報が入って撤退って形なら大分違っただろうなと
499人間七七四年:2007/11/04(日) 20:33:06 ID:k6GlWWF2
最上の方針が焦土作戦だからねー
最上屈服以外、勝ち戦とはいえないと思う

歴史の結果を知ってる身だから思うけど
上杉の領土は寸土もやらん!
という方針だったら、また違ったんだろうけど

・・・思うとか、だろうばっかだな、オレ
500人間七七四年:2007/11/04(日) 20:51:46 ID:0OQi5X4C
> 上杉の領土は寸土もやらん!
上杉はいざ敗戦となったら四方から攻め込まれるわけだから、島津のようには行かないわな。
501人間七七四年:2007/11/04(日) 21:48:04 ID:5hLtwSBf
最上家が凄かったんだからしょうがないよ
最上義光なんて親父引退させて当主になるくらい覇気あったんだし
502人間七七四年:2007/11/04(日) 22:10:52 ID:0OQi5X4C
しょうがないっつーか、そんな状況判断も出来ずに戦始めるのも無責任な話だわ。
三成の戦況におんぶに抱っこみたいなもので、博打としても酷いものだよ。
百戦錬磨の藤田が反乱に反対したのも、戦争のプロとして当然の話だな。
503人間七七四年:2007/11/04(日) 23:38:43 ID:ZF7RwSvI
>>493
大名辞めたいとかぼやいてたらしいしな・・・w

でも彼や吉川広家が苦汁を舐めたおかげで後の幕末があるんだろうな、
歴史の結果ははっきりと示してるという気はする。
504人間七七四年:2007/11/04(日) 23:44:35 ID:0OQi5X4C
> 大名辞めたいとかぼやいてたらしいしな・・・w
つーか実際「大名辞めさせてくれ」って幕府に訴えたんじゃなかったっけ?
505人間七七四年:2007/11/04(日) 23:47:08 ID:OpVZS1fP
毛利は戦わずして負けたから、「いざとなったら戦える」とでも思ってたんだろう。

上杉は徳川どころか30万石もない最上さえ倒せなかったのがトラウマになったのかな?
506人間七七四年:2007/11/05(月) 05:24:17 ID:rNT3Nbwo
リストラの断行をしなかったのについてはいろいろと考え方は
あるだろうが、個人的には決して嫌いなやり方ではないな。
無論、水原親清のように退転した者や帰農したものも一定数いたし、
新規召し抱え組も多くが岡左内のように退転したわけだけど。
その一方で柿崎憲家は越後時代にクビになった後寛永期になって
上杉へ帰ってきている。そういう点も考えるとこれは家風の問題かも
知れんな。


ただ、30万石あった時代は財政難とはいえ、その中でも領内の大改造と
幕府の普請を併行し、かつ殖産興業や開発などで収入を上げるのに成功
しており、それなりに回せてたみたいだな。
本格的に上杉の財政がヤバくなっていったのはむしろ減封された
綱憲時代からのはず。15万石に減知された上に、吉良上野介に
たかられるようになったからな。その上重定は贅沢好みの人物
だったようだし・・・。寧ろ鷹山が背負った負荷はこの寛文期以降の
ものがメインだと思うのだが。

そして、幕末の米沢についてだが、改革云々、直江云々というより、
東北という場所が問題だったんだろ。維新ころにはかなりの
蓄えが米沢藩にはできてたはずだし・・・。鉄砲の洋式化も西に比べ
かなり遅れていたわけだし。それでも、一時期は新潟まで軍を進め、
それなりに戦えたのは、直江藩政期以来鉄砲を重視していたからだったん
だが。
507人間七七四年:2007/11/05(月) 11:43:54 ID:gTedlu3g
>>502
最上の3倍以上の兵力で、しかも最上が上杉に割ける兵力で見れば5〜6倍の兵力で攻め込めたわけだし、
しかも庄内との侠撃態勢がとれる地の利もあったわけだから、開戦の判断は間違っていないんじゃないかな。
ただ、最上の抗戦が予想以上に頑強だったということで。
508人間七七四年:2007/11/05(月) 13:27:38 ID:xmuDuooS
元々、謙信が弱かったから、残された奴もダメだったんじゃねw
509人間七七四年:2007/11/05(月) 14:22:35 ID:Jn/Y6/G9
石田があんなあっさり負けるとは誰も思わなかったしな。
如水や政宗も予測できずに皮算用して大誤算しちまった訳だし。
510人間七七四年:2007/11/05(月) 15:28:45 ID:yZq5zpWv
俺の名字樋口っていうから先祖はこいつでおk?
511人間七七四年:2007/11/05(月) 22:56:16 ID:N22WZuU/
>>510
だめ。
与六の血を引く樋口はいないはずだから。
512人間七七四年:2007/11/05(月) 23:05:07 ID:F25j2YEv
結局この直江って奴は、自分が責任取らず、領民に重税を押し付けたってことにならないか?
サイテーなんじゃね?家中で嫌われて当然だ
だから養子にも逃げられて、お家断絶ってことか
513人間七七四年:2007/11/05(月) 23:21:31 ID:A5Wz6A1Y
なぜか彦根城で、「愛」つけた直江らしき武者見た・・・
514人間七七四年:2007/11/06(火) 01:47:10 ID:ujPGQbFR
>>510
つ【樋口兼光】

>>512
開墾や用水、治水事業、青芋やうこぎ、紅花などの
殖産興業政策などについては、陣頭指揮をとり、実高を上げて
いるなど成果を出しているが。
重税というが、どの程度のものだったのかを示してくれ。

それに家中で嫌われも、養子に逃げられもお前さんの感情論でしかあるまい。
まあ、安田とは不仲のエピソードが常山記談に出てくるくらいだろう。
そして、本多政重についても、交流は続いているし、再婚相手
(大国氏)も加賀へ同行していることから考えても良好な関係だったと
見えるが。
なぜそういう結論がでてくるのか甚だ理解に苦しむんだが。
批判的な意見も出てきてもいいとは思うが、このスレの場合は
そうではなくて、ひたすら叩き台にする事しか頭に無いというか。

それから、直江兼続の関ヶ原後の禄高なんだが、件の1万石から
半分に切り詰めたというエピソードも嘘くさいが、幕府の調査に
申告した3万石というのも怪しいと思う。このときに一緒に上申した
本庄出羽守(=繁長)は2万石と上申しているんだが、本庄の会津
時代の禄高が福島城1万1千石で、関ヶ原前よりも増えているんだが。
515人間七七四年:2007/11/06(火) 08:29:53 ID:bM2tBWca
>>490
輝元みたいな愚将と直江を比べんなバーカ
516人間七七四年:2007/11/06(火) 09:47:38 ID:QWNoRWho
いいや、輝元の方が優れている。将として愚人なのは直江と同じだ
しかし輝元は内政で業績を上げた。それが、直江の様に他の有能な者を排除して独断専行するところがない
その結果、組織の活性が保たれ、以後人材が湧き出てきている

上杉は、直江の専横が長かったために、その後人材が出なくなった
積極的な対幕府外交をやる奴も居なくなり、それが吉良上野介に植民地化される一因となっている
直江のような独善人間はその場多少の効果があっても、結局長い目で組織に有害だ、ということだ
517人間七七四年:2007/11/06(火) 10:16:30 ID:Qik3HZ3T
上杉家も先代から家中統制が悩みの種だから
権限の集中は避けられないことだと思うけどな
大名が追放されるのはままあるが
大名自らでていったなんて俺の知識じゃこの家だけだぞ
518人間七七四年:2007/11/06(火) 10:20:43 ID:uHlJBHO8
>>517
つ 山名豊国
519人間七七四年:2007/11/06(火) 22:34:43 ID:zYk1ESsJ
>>516
最近では、ダイエーがそんな感じだったよな
独善ワンマン社長が他の有能な奴を排除して、結果イエスマンばかりになり
価格破壊の旗手として一頃勢いはあったものの、社員の個々の力が活気されず、その後大衰退

上杉がダイエーに見えるとすると、毛利は何なんだろ?
いっとき衆愚政治に陥ったが、社長が凡庸だったが、許容力があったためにかえって皆が力を合わせて盛り返した、みたいな?
520人間七七四年:2007/11/06(火) 22:44:37 ID:uHlJBHO8
>>519
トヨタかな?
521人間七七四年:2007/11/07(水) 00:06:53 ID:wIgYGli4
>>516
米沢奉行になった平林正興や志駄義秀、清野長範などが
いて、清野などもその官途を地名に残しているわけだが。
で、少し前まではその清野長範を過剰に持ち上げていたのは
どこの誰だっけという話になるんだが。
それが論破されると、こんどは「人材がいない」かね。

このスレのアンチは批判的な意見をというよりも、是が非でも
叩き台にしたいというだけの連中なんだよな。そういう手合いは
隔離スレも出来たんだし、向こうでやってくれよ。
522人間七七四年:2007/11/07(水) 00:30:15 ID:hOMulqTx
>>521
君は誰と戦っているのだ?
523人間七七四年:2007/11/07(水) 06:52:07 ID:t1qaBbj/
>.>522
中二病患者は、「見えない都合のいい敵」と戦うことを望む生き物。
524人間七七四年:2007/11/07(水) 06:52:42 ID:7JAZBtQU
エアファイト?
525人間七七四年:2007/11/07(水) 23:44:34 ID:kjHxhDAK

輝元>>>>>直江+景勝
これは、結果を見れば明らか
526人間七七四年:2007/11/08(木) 00:13:05 ID:GaDfVOeH
>>525
それは無い。輝元はただのクズ
527人間七七四年:2007/11/08(木) 02:33:36 ID:jHokWMMB
もう少し佐渡金山開発進んでたら
上杉の金山と毛利の銀山で経済力で徳川封じ込めできたのに
528人間七七四年:2007/11/08(木) 03:29:38 ID:PeGaXfIH
>>527
本気で言ってないよな?
529人間七七四年:2007/11/08(木) 09:32:48 ID:9mROb4AM
つ大久保長安
530人間七七四年:2007/11/08(木) 12:11:20 ID:pGKl5FdB
つまり徳川より先に上杉に長安を仕官させとけばよかった、って事だw
531人間七七四年:2007/11/08(木) 19:54:53 ID:Soef6p/r
佐渡金山と石見銀山で経済的に封じ込めるなんて、無理に決まってるだろ・・・
532人間七七四年:2007/11/08(木) 20:08:28 ID:pGKl5FdB
大体このころ石見銀山は豊臣家直轄だったような。
533人間七七四年:2007/11/09(金) 12:04:59 ID:o4ilvDJC
>>516
後継者が居なくなって吉良上野にたかられる羽目になった最大の原因は上杉家の孤立だろう
大名家で養子を出してくれる家が何処にもなかったのでやむなく吉良家に
吉良が名家とはいえ普通の大名よりか格下だからな
直江の時代に、幕閣にゴマすってばかりいて、他藩と友好をしなかったからだろうな
534人間七七四年:2007/11/09(金) 21:58:23 ID:UrWUiveN
つうか、長尾系上杉消滅の一番の理由はホモじゃね?
まあこれに関しては直江も関与してるわけだが
535人間七七四年:2007/11/09(金) 22:11:12 ID:hhZv1co7
>>534
細川京兆家かよw
536人間七七四年:2007/11/10(土) 00:39:31 ID:hTdiy4G6
>>533
高家に大名の子女が嫁ぐ、旗本の子が大名を継ぐ例も珍しくはないだろ。
それに、綱勝には他にも姉妹がおり、佐賀や大聖寺藩に嫁いでいるので、
孤立していたということもないと思うが(ただ、綱勝急死時に適当な男児が
いなかった)。
そもそも吉良との縁組みも幕命によるものだし、三之介が上杉を
相続したことも保科正之の斡旋だったはずだが。
そして、高家は格式が高く、とくに当時の吉良はそこらの小大名よか
よほど官位なども上だったし、旗本や高家の子息が大名を継いだケースも
珍しい事ではない。
上条上杉も候補に挙がったらしいし、おそらくは長尾上杉氏の血筋に
拘った結果だと思うが。

そして何より、直江が死んでから40年以上も経過していることなので、
こじつけとしか言いようがないな。
537人間七七四年:2007/11/10(土) 08:38:37 ID:EXqFuLf2
40年後ぐらいがむしろ影響が出る頃だと思うが…
喜んで吉良を迎えたとは思えないがな
538人間七七四年:2007/11/10(土) 09:34:26 ID:3BzJINrJ
幕府の言いなりだったんだろ
幕府相手に交渉やる奴が居なくなっていたのかも
前述のゴーマン社長退陣後のダイエーみたいな、誰も何も出来ない状態だったとか
539人間七七四年:2007/11/10(土) 11:42:52 ID:hTdiy4G6
>>538
まだ20代の綱勝が頓死して、本来は断絶になるところだったからな。
この時に、保科正之らの援助を引き出せたんだろう。だから、突っぱねる
なんて選択肢はないはず。
上条か吉良が候補だったらしい。景勝に女子がいなかったし、定勝の
子女の嫁ぎ先には適当な男子がいなかったみたいだし。

540人間七七四年:2007/11/10(土) 20:42:21 ID:pzeeD9hD
そして120万石時代から譜代家臣を減らしていないと豪語する武の名門が、
たかだか47人の牢人相手に未曾有の負け戦を演じるハメに。
上杉は、ガチ弱大名だったのか?
541人間七七四年:2007/11/10(土) 21:41:15 ID:hTdiy4G6
>>540
たしか、吉良義周つきの上杉家臣も数人いて、そこそこ闘ったはずだが、
基本は吉良の家臣だけだったはず。
しかし、肝心の上杉家の軍勢は縁者の畠山らに止められていた筈。

結果、上杉の評判はがた落ちになるが、討ち入り差し控え組などの
末路も悲惨だから、それを考えるとマシか。
542人間七七四年:2007/11/11(日) 00:31:51 ID:QT/VJrIF
直江兼続にちなんだ純米酒 米沢の小嶋総本店が発売

小嶋総本店(米沢市)は15日から、米沢ゆかりの戦国武将・直江兼続にちなんだ純米酒
「東光純米直江兼続公の前立『愛』」を発売する。

兼続を主人公にした歴史小説「天地人」が2009年放送のNHK大河ドラマに決まったことを受け、兼続の
象徴でもある「愛」の前立てを化粧箱にあしらった。

はえぬきを原料米に低温熟成させ、米のうま味を生かし、まろやかで後味良い酒に仕立てた。
アルコール度15.5%、日本酒度プラス2。ともに化粧箱入りで1.8リットル入り2520円、720ミリリットル入り1260円。
小嶋総本店0238(23)4848。

http://yamagata-np.jp/newhp/kiji_2/200711/09/news20071109_0133.php

便乗にしてもちょっと早いような。
543人間七七四年:2007/11/11(日) 02:07:14 ID:8aJic9Ze
ま、歴史的に「義」とか「愛」って、大抵負けた奴を持ち上げるための方便なんだよな
544人間七七四年:2007/11/11(日) 02:19:49 ID:QT/VJrIF
まあ世の中義とか愛では動いていないし、そう言う精神論を言い出す段階になると、
だいたいもう瀬戸際まで追詰められてるからな。
545人間七七四年:2007/11/12(月) 11:05:26 ID:tBL8OfWB
>>514
>開墾や用水、治水事業、青芋やうこぎ、紅花などの
>殖産興業政策などについては、陣頭指揮をとり、実高を上げて
>いるなど成果を出しているが。

この程度の業績は何処の藩でもやっている。土木に関してはもっと大規模な藩も余裕で在る。
作物の増産など、戦乱から平和に変われば当たり前だ。直江など居なくても誰かがやっている

この時期の上杉の業績が何でもかんでも直江のものになっているのが気になるな
藩の数々の事業に責任者として乗っかって、自分の業績のように喧伝する奴だった可能性もあるわな
546人間七七四年:2007/11/12(月) 21:08:37 ID:BGLI1nlQ
>>545
だがそれを言い出したら、日本史上の改革や内政の類いは
大体否定できちまうぜ?

ラスト2行については、おそらく明治以降になって、徳川に抗した人物
などが持ち上げられるようになったのもあると思う。
ただ、初期の米沢の藩政にかなり大きな役割を果たしたのは多分間違い
無いだろうが。むろん、清野周防守などの事績にももっと光が当たって
しかるべきとは思うが、なぜにこういう結論に至るのか?
547人間七七四年:2007/11/12(月) 23:00:16 ID:KO+gg9oM
>>546
>なぜにこういう結論に至るのか?
それこそが>>545のラスト2行だろう。

直江の功績ってのは、主に内政面。
で、そこでなされたのはある程度実力があればできることばっか。
それを「直江ならでは!!」とか喧伝されるから叩かれる。

功績ってのは、独創的であれば評価を受けやすい。
独創的でなくても、他人がやるより効率的に成果を出せれば評価を受ける。
失敗しても、他で挽回できれば多少は評価される。
直江の功績とPRされている内政はどれにも当てはまらないんだよなぁ。
548人間七七四年:2007/11/13(火) 04:04:56 ID:tGLzJaZL
まあ過渡期のキャラクターだわな。もう少し時代が前なら武将として専念していればよかったし、
もう少し時代が後なら官僚として専念していればよかった。武将と官僚の両方の役割を求められ、
結果どっちつかずになってしまった感が強いね。
戦国と泰平の時代の狭間では、武士の身の振り方も難しいさ。
549人間七七四年:2007/11/14(水) 00:20:16 ID:dhlTmrE+
>>548
でも新発田攻めても負け、最上攻めても負け
部隊長やっても負け、大将やっても負け、先鋒やっても負け
だったこの男が、もう少し時間があったからといって誰かに勝っただろうか…
550人間七七四年:2007/11/14(水) 00:24:42 ID:sgK99RPy
つーか上杉自体が景勝の時代になってから戦に勝ったためしがw
551人間七七四年:2007/11/14(水) 00:34:08 ID:P1YmrwRT
>>550
誰かが重宝されてた時期とイコールじゃねw
552人間七七四年:2007/11/14(水) 01:40:58 ID:IFmf2b21
>>548
そもそも新発田攻めで総大将をやったってソースは何だ?
天正12年にはたしか、信濃へ出陣し、新発田との戦いはあったが
春日山にいたらしいし。新発田重家が自害したときの出兵では
御弓頭で出陣し、五十公野を攻めた中にいたというのは知れているが。

最上攻めは、膠着していたとはいえ、長い目で見ればどうなって
いたかは何とも言えないものだし、勝ちとも負けと言えない気が
するし。
553人間七七四年:2007/11/14(水) 01:43:20 ID:P1YmrwRT
>>552
圧倒的優位に立ちながら、膠着状態に持って行かれてる時点でダメだろ。
勝ちとも負けとも言えないなんて、冗談。
554人間七七四年:2007/11/14(水) 02:01:42 ID:sgK99RPy
上杉の場合、謙信の死去以降、内乱→織田の侵攻で一気に弱体化し、本能寺で一息ついたが
その後本拠の越後から米沢に移され、内部的にずっとギクシャクしていたから、正直戦どころではないって
状況ではあったんだろうけどね。藤田なんかはそれをよくわかっていたんでしょ。

まあ、直江や景勝に足らなかったのはむしろ軍事的才能よりも、家康のように移封を逆に体制強化に
利用すると言うような、ある種の統治能力だったんじゃないかな。
555人間七七四年:2007/11/14(水) 21:33:59 ID:dhlTmrE+
>>552
天正12年頃の直江が大将で出てるだろ。その頃が本陣まで切り込まれて負けたり、最もボコボコにされているだろ。
文献引かずともググッてみ

>>554
信長〜家康の時代を通じて引越しの無い大名なんて、島津、南部、津軽…数えるほどしかいないぞ
556人間七七四年:2007/11/15(木) 00:22:41 ID:t9uTpgQf
>>552
ちょっとぐぐって来たが、大将というか、寄せ手の将の一人という感じだが。
そして、べつに元々苦境で(藤田信吉隊が傷を負うなど)、安田などが
切り崩されたので、入れ替わったが好転せず、といった感じの文脈だった
ので、軍事的才幹云々は談じがたいが。


>>555
むしろ越後→会津という過程で支配構造は強化されていたはず。
景勝期に入って蔵入地も増えているし、揚北へも権力の浸透が進んでいる。
また、商品作物の管理や、柏崎などの統制も進んでいる。
それまで、かなり独立的だった国衆も、転封後は城代が多かったはずだし
家臣団も、かなり統制が強化されていると思うが・・・・。
米沢転封後も、大国実頼が一時出奔したくらいで、表立った抗争なども
見られないし。
557人間七七四年:2007/11/15(木) 01:01:38 ID:Opor61TT
>>552
統治や内政面はまだしも、
最上攻めが負けじゃないなんていくらなんでも無理がある。
どう見ても合戦の能力で評価できる武将じゃないよこの人物

この人物を評価するならその政治面を掘り下げるできだろう。
中途半端になんでもかんでも持ち上げるのは良くない。
558人間七七四年:2007/11/15(木) 09:24:14 ID:OfAlA3Og
劇中で生涯無敗と言わせた去年の山内一豊と良い勝負が出来そうだな
559人間七七四年:2007/11/15(木) 15:30:22 ID:t9uTpgQf
>>558
そんなこと言ってたのか山内さん・・・


やはり、関ヶ原後の米沢統治にしこしこ精を出す姿を
見たい気がする。米沢では鉄砲を奨励しており、その鉄砲隊が
大坂の陣でも生かされたらしいから、どっちかというと
それこそ裏方向きの人な気がするし。
560人間七七四年:2007/11/15(木) 17:48:48 ID:XtZTfdgd
山内一豊といったら南化和尚
南化和尚といったら宋版史記漢書後漢書
金を落とすだけの田舎ものじゃなくて、
国宝持ち帰れた田舎ものという価値だってあると思う。
561人間七七四年:2007/11/15(木) 17:56:33 ID:tE7H6z8E
戦国最強である上杉家の軍師が軍事で無能って正気か?www
馬鹿な事言ってるアンチは資料を千回熟読した方が良いと思うんだ?ww
562人間七七四年:2007/11/15(木) 19:57:34 ID:Cpxu5RuZ
>>556
直江が大将で負けたのは、一発で出てくるよ
「天正12年(1584年)には、直江兼続らを送り込んだが重家勢は頑強に抵抗。直江らの陣が崩壊するなど上杉勢は大損害を蒙った。」Wikipedia

新発田の乱で、安田や藤田がダメだったような書き込みしているけど、頑張ったのはむしろ安田や藤田だ。
直江が、〜を打ち破った、とか、局面を打開した、とか全然聞かない。
直江を持ち上げるために他の将を貶めるこの直江ファンの姿勢に虫酸を感じるな…
563人間七七四年:2007/11/15(木) 20:35:40 ID:d6458WwW
wikiて
564人間七七四年:2007/11/15(木) 20:53:50 ID:NWfMcR+o
>>547
この時期の上杉の業績、藩の普通の事業が何でも直江の業績になっているのは、
ひょっとして、直江が上条、藤田といった他の重臣を排斥していったから
自然、全ての責任者が直江になり、その上に立ってるだけで自分の業績として景勝や幕府に上奏していたからかも
565人間七七四年:2007/11/15(木) 21:14:39 ID:UiJScxQL
大河では秀吉死去から関ヶ原までの、藤田との路線対立を丹念に描いてほしいものだ。
566人間七七四年:2007/11/15(木) 21:22:47 ID:tOrB23Ui
上杉家は家中の争いの激しさは伝統だから
調整型じゃなく独裁型の体制で統治しないとね
567人間七七四年:2007/11/15(木) 21:58:02 ID:4LQV9hUK
直江の内政は評価できるって、直江が何して何が変わったのですか?
568人間七七四年:2007/11/16(金) 18:26:09 ID:e7h3+hG1
>>567
120万石の領地を30万石にリストラすることに成功した。
569人間七七四年:2007/11/16(金) 19:22:33 ID:2E+mG2BE
>>567
謙信以来の武勇の上杉家を、秀吉家康にひれ伏す犬にした。以上
570人間七七四年:2007/11/16(金) 20:02:04 ID:U87HdJ5l
直江って江戸時代も上杉の家臣だったの?
571人間七七四年:2007/11/16(金) 20:56:06 ID:DpfoThnF
>>570
当然。しかも関ヶ原の結果を知ったとたん徳川に土下座しに行った。おかげで徳川幕府成立後も、江戸城で
陪臣ながら大名格の扱いを受けることにw
572人間七七四年:2007/11/17(土) 00:49:49 ID:NN7gi//L
>>571
ヴァカかお前は?直江ほどの名将なら徳川が大名扱いするのも当然至極
573人間七七四年:2007/11/17(土) 01:09:13 ID:7BiNV8Jf
というよりは、徳川の離間策にもきちんと乗せられちゃったというところじゃないの?
大物家臣を抱える外様には秀吉も家康も位殺しを仕掛けてるけど、
秀吉時代はそれに引っかかった宿老もおおかった(兼続、島津の伊集院、徳川の石川)が、
江戸時代には(反省含めて)みんな辞退している。
兼続だけが秀吉時代の感覚でそれを受け入れた。
良くも悪くもこの人は桃山時代の人間。
574人間七七四年:2007/11/17(土) 01:19:56 ID:p3/wYETC
そこんとこ考えると関ヶ原後に直江が外交交渉で活躍したってのも怪しくなるよな。
普請手伝いの量を減らさせたりしたのも、直江の外交力ではなくて扱い易いヤツに手柄をたてさせて
藩の弱体化を図るとか。
575人間七七四年:2007/11/17(土) 11:00:43 ID:wHydgdt9
>>573
位殺しか。なるほど
江戸に自分専用の屋敷をもらって、懐柔されているとも知らずに、いい気になってたみたいね
お家は傾く一方なのに責任取らず、自分だけは大名待遇受けて喜んでいるような奴が
名宰領のはずがないよね。売国家老ってことね
576人間七七四年:2007/11/17(土) 16:15:06 ID:VI09xDwb
軍事的な分野はともかく政治的な方はなんかあるのかなと思ってたが・・・
なんか雲行きが怪しいなw
577人間七七四年:2007/11/17(土) 16:27:12 ID:FXAOn6lw
怪しくねーよwアンチが重箱の隅をつついてるだけだwww
578人間七七四年:2007/11/17(土) 16:32:11 ID:VI09xDwb
>>577
とりあえず俺は兼続の政治面評価は保留中なんだが>>573とかは一理あると思ってしまったぞ。

草生やしてる暇あったら文句言わせない反論と実績を書けばよいのでは?
579人間七七四年:2007/11/18(日) 12:23:08 ID:X3s2XrXW
>>571
かしこい人トン!
580人間七七四年:2007/11/19(月) 04:35:24 ID:T3Xyw9Xq
>>573
離間策というが、終始景勝との関係は良好だったし、屋敷を貰った
という点だけではなんとも言えないんじゃないか?
それを政権に取り込まれたとみると、小早川隆景や鍋島氏なども
当てはまるし(まあ、のちに鍋島は正式に龍造寺に代わり諸侯になるが)。


石川の場合は、秀吉との交渉を彼が担当していたし、家中でこの当時
孤立しつつあった(信康の後見だった点、三河派と浜松派の温度差、
対秀吉方針での意見の相違など)。徳川にい辛くなって行ったところに
調略の手が伸びて実際に出奔したわけで、上杉家中では直江兼続
よりもむしろ藤田信吉に近いと思うんだが。

伊集院の場合も、伊集院氏は島津氏の支族にあたる家柄で、元来
かなりの影響力をもった家柄であるし、景勝の支持母体である上田衆
出身の兼続が与板衆の大将である直江氏を継いで、主君のもとで
権限を有していたのとは同列に考えられんと思うが。
また、伊集院氏の場合は、秀吉の肝いりで都城8万石を与えられた他、
朝鮮出兵にも出役しておらず、結果島津氏が疑心を抱いたために誅殺され
ている。また、山本博文氏は島津義久と義弘の対立の余波であると指摘
している。

基本的に石川、伊集院など懐柔の結果主家と対立したケースは、もとから
火種がくすぶっている状態が殆ど。また、具体的な行動に家臣としての
一線を越えている場合が多い。しかし、直江兼続の場合はあくまでも
景勝側近であることが前提になっている行動が殆どだし、同列のケースとは
言いがたいし、三成など豊臣政権との位置は近かったことは否めないにせよ
それをもって懐柔されて家中を混乱せしめたとも言えないと
思うんだが。

581人間七七四年:2007/11/19(月) 04:53:56 ID:T3Xyw9Xq
長くなってしまい連投になる、すまん

>>574
これによって当時の上杉家中で体面を潰されるもの、実質的な損害を
被るものがいないので、離間策にはならない筈なのだが。それどころか、
10万石分の普請の割当が減るという事は、その分にかかる資金や人間を
そのまま領内統治に回せる事になり、また家中の負担が減ることにもなる
ことで、上杉氏には利こそあれ、これによって問題が生じることはないと
思われるのだが。

>>575
それはお前の思い込みだろう?
御家が傾いたからこそ、再建に努め、様々な政策や外交を実効に移して
いるんだが。折角アンチスレがあるんだから、本スレでこの程度の
使い古されたレベルの低いレスをしないでもらいたい。
582人間七七四年:2007/11/19(月) 16:39:55 ID:TE4jQBdy
>>580
所領をきちんと返した小早川を直江みたいな売国家老と一緒にすんなつってんだろ?ww
583人間七七四年:2007/11/19(月) 19:10:13 ID:wDUkKPQ1
うーんやっぱり直江の売国行為は否定しようがないな〜

もしホントに名宰領だったなら、秀吉の懐柔を全て断り、上杉家の政治に専心し、他の家老との協調に勤めたはずだ。
もしそうだとすると、際立った武功がなければ無名の一家老だったかも知れないが、本当の良家老なんてそんなもんじゃないかな。
というか、直江以外のほとんどの家老がそうだったんじゃないかな。
実際の直江は、上杉よりも豊家の利益を優先し、他の家老と次々と対立、排斥、讒言だから、売国家老としか言いようがないな。
584人間七七四年:2007/11/19(月) 21:59:51 ID:T3Xyw9Xq
>>582
>>583
べつに同列には論じていないし、直江兼続ともケースが違うので
同じケースとしてみることもできないと思うが?
ただ、小早川隆景の場合は、秀吉にかなり引き立てられ、様々な厚遇を
得ている。これが隆景引き込みの一手であると言えなくもないが
結局小早川隆景は毛利輝元の補佐役であったし、秀秋養子の件でも
毛利氏のために行動している。
また、榊原康政や平賀元相なども豊臣姓を貰うなどしている。
なので、厚遇=豊臣政権に懐柔されたというのはハッキリ言って短絡的。

>>583
お前の言ってるのは所詮憶測と感情論に過ぎんわけだが。勿論この人の
評価には異論や反論もあるだろうし、逸話が先走りしている傾向に
あるのも事実だと思う。しかし、この程度のレスしかする気がないのなら、
折角あるアンチスレにでもいってもらいたいものだが。
まったり語ったり、真面目に史料批判とかしたい人には邪魔でしかない。
585人間七七四年:2007/11/19(月) 22:18:52 ID:BN+3KB/I
>>584
つーか、発展的な議論するには先ず、直江の業績を並べてみてそれを元に議論してみてはどうだろう?

主な業績として上げられるものは

・景勝を補佐し上杉家の内政、外交を一手に仕切る。
・長谷堂城での撤退戦を成功させる。
・米沢城下の整備。
・『文選』(直江版)の出版。
・米沢藩の学問所、禅林寺を創立。
・上杉鷹山が尊敬してた

こんなものか?個人的には時代の要請もあったとはいえ、文化事業に関しては高く評価されるべき人間だとは思う。
586573:2007/11/19(月) 22:28:50 ID:BRfVh5SS
>>580
離間策をそのままことば通りにとったら、
直江兼続は懐柔されていない、
たしかにそう言えなくもないな。

だが、重臣を大名待遇で扱い、裏切らないまでも
主家絶対でなく、政権のほうにもヒモをつけて交渉をぐっとやりやすくする。
という政策は豊臣政権が得意とした。
初心な田舎大名はころころこれに引っかかったが、やがて皆学習した。

そして徳川時代には、それは使い古された手として、
伊達の(というとまた荒れるかもしれんが)片倉以下、
大名待遇を誘われても断るのが礼儀と言うか、
武士として当たり前の清潔さになっていく。

直江は徳川時代にもそれにのってしまった時点で
すでに「過去の人」「痛い奴」「空気読めてない」になるわけだ。
離間策って言うのは、そういうレベルでもひっかかったら負け。
何も伊集院や石川のように主家に殺されたり、出奔したりしなければOKというものではない。

「あえて」「徳川との友好のために」のったという強弁もされるが、
どう考えても、受けた時点で負け。
晩節を汚したとしか言いようがない。
587人間七七四年:2007/11/19(月) 22:30:10 ID:T3Xyw9Xq
>>585
あとは
米沢整備の一環に入ると思うが
・直江堤の構築
・用水の整備
・米沢の防御態勢の構想(穴の空いた墓石など)
・鉄砲をかなり重視していたらしく、鉄砲の鋳造および藩内での奨励

個人的には
・四分の一に減封されたのちに、大きな混乱や対立などを
引き起こす事無かった点
・幕府の手伝い普請や景勝肉親の相次ぐ逝去などの中、十年少しで
米沢の整備などをある程度達成した
ここら辺は充分評価出来ると思うんだがなあ・・・
588人間七七四年:2007/11/19(月) 22:32:54 ID:AWPfcz5F
>>585
・景勝を補佐し上杉家の内政、外交を一手に仕切る。 →他の有能な人物が排斥したから。独善の賜物
・長谷堂城での撤退戦を成功させる。          →兵数優勢で当たり前。元々最上攻め自体が間違い
・米沢城下の整備。                     →筆頭家老の当然の仕事。城下を整備しない藩など無い。デザインもごく普通
・『文選』(直江版)の出版。                →これだけか
・米沢藩の学問所、禅林寺を創立。           →学問所や寺など何処の藩でもある。
・上杉鷹山が尊敬してた                  →当時増長していた清野一派を持ち下げるために政敵だった直江を持ち上げただけ
589人間七七四年:2007/11/19(月) 22:38:29 ID:aRZFypLt
>>585
>景勝を補佐し上杉家の内政、外交を一手に仕切る。
一国の外交手段が一つに絞られると、状況の変化への対応が鈍くなる場合があるのでは?
対立国とのパイプ役も必要では。
>長谷堂城での撤退戦を成功させる。
そもそも優秀な戦略家なら撤退戦などしないのでは?
>米沢城下の整備。
極当然仕事では?
他国の城下造りよりも優れていたのだろうか
>『文選』(直江版)の出版
それ個人の趣味なんじゃ?
>米沢藩の学問所、禅林寺を創立。
これも当然の仕事で、難事業という程か?
>上杉鷹山が尊敬してた
業績ですらないと思うが
590人間七七四年:2007/11/19(月) 23:37:59 ID:BN+3KB/I
>>589
> そもそも優秀な戦略家なら撤退戦などしないのでは?
撤退戦の上手い武将はやっぱり良将だよ。軍は撤退する時が一番攻撃されやすい訳だからね。

> >上杉鷹山が尊敬してた
> 業績ですらないと思うが
洒落で入れたと理解してくれw
591人間七七四年:2007/11/20(火) 00:23:02 ID:ffKsIkLk
>>586
論理が飛躍しすぎ。
また、付家老でもない山野辺兵庫(お預け身分→家老)に江戸屋敷があったり、
稲田氏(洲本城代・蜂須賀氏家老)に蜂須賀とは別に大坂屋敷があるなど、
大藩で例がないわけではない。
また、陪臣でも正式に叙任している例はさほど珍しくない。
では、これらが全て江戸幕府に懐柔されていたのかといえば、
そうではないので、一概には言えないはず。
592人間七七四年:2007/11/20(火) 00:58:09 ID:J26uxjnx
>>591
山野辺は懐柔も何も、水戸藩つまり徳川の身内の話だろう。懐柔する必要なんか無いだろ。
稲田は蜂須賀の盟友で、大名にも成って良いハズだったのを分藩待遇で我慢してやった、という身分。
というわけで屋敷があってもおかしくない。懐柔ではないのは明らかだ。
懐柔されてる学習しないバカは直江だけだ

晩年は直江と景勝の関係も陰が見えているし、
お家断絶し、再興の「さ」のじも聞かないことから、それが家中でも彼の評価を現している
長い目で見ると、離間策にかかっている、ともいえなくないな
593続き1:2007/11/20(火) 01:10:50 ID:ffKsIkLk
>>588-589
・まあ、筆頭家老として領内統治を行う点自体は当たり前だという点は同意。
ただ、領内統治ひとつとっても、やり方を誤ると家中で深刻な対立を
招いたり、領内で一揆などが起きるなど「当たり前」でできるものでは
ないはずだが。

・米沢城下の統治についてだが、もともと広大というわけでもない
米沢に上杉の家臣郎党、商人や領民など3万が住まうように改造している。
また、最上川の堤防や松川を用水路、灌漑に使えるように治水している。
殖産興業政策、鉱山開発、鉄砲の生産および奨励、米沢城の改築が主なものか

デザインについてだが、米沢城自体が簡素な城であったため、城下
全体の防備を重視した形になっている。堀立川から水を引いて堀と
三の丸を作り、川の水をせき止めると水が堪り大堀になる仕組み、
寺町を防衛線にして例の万年塔で防塁を作り銃眼とするなどは
特筆ものだと思うが。

内政について、これらを「誰でもやれる」的な批判をすると(「誰でも
やれる」こと自体が的外れなのだが)江戸期の藩政改革で所謂名君と
言われている連中の方針も基本は同じようなものなので、大体否定
できてしまうし、それどころか大方の人物の内政面での実績が
この一言で済ませられてしまう。
594人間七七四年:2007/11/20(火) 01:23:23 ID:ffKsIkLk
>>592
身内とはいえ、紀州と本家の中が微妙だった時期もあるし、
越前や駿河、越後のように対立の結果消えて行った連中でも
ある。また、紀州と尾張なども一貫して良好な関係だったわけでも
ないことに留意しとく必要がある。
そもそもさっきのような例を出したのは、陪臣の屋敷があったり
叙任され、それを受ける=懐柔されると見るのは不適当であると
いう例をだしたに過ぎないんだがな。

>晩年は直江と景勝の関係も陰が見えているし
だからそれはお前の勝手な思い込みだろう?
「上杉家御年譜」にも直江が没した際に景勝が悲しんだという内容の
記事があったはず。また、亡くなる直前まで景勝と行動をともにしており
疎まれていた様子は無い。そもそも、だとしたら玉丸の養育を
任せたりはしないはず。

>それが家中でも彼の評価を現している
直江死後も与板衆が藩政の中枢にいるし、お船の方没後も確かに
勢力は後退したものの、その後も平林氏などは重臣として出てくる。
断絶に関しては資料が少なすぎるため、何とも言いようがない
595人間七七四年:2007/11/20(火) 01:33:00 ID:3OPZwVru
ところでなんだが豊臣サイドを支援したのは、結果的にはマイナスになるが、
関ヶ原前の段階ではどう転ぶか分からず、それ=主家を陥れた奸臣とは言えないのでは?

無論、大局眼については疑われても仕方がないかもしれないが…
596続き2:2007/11/20(火) 01:34:46 ID:ffKsIkLk
・「文選」などは漢籍を好んだ直江兼続の趣味の面も強いが、
日本初の銅活字など決して意義が低いわけではない。

・禅林文庫については、後年の興譲館の原型にもなっているし、
藩校が盛んになるのは江戸中期以降(18世紀以降)でもあるし、
原型、ひな形とはいえ江戸の初期にこういう施設があったこと
自体興味深いと思うが。

・鉄砲の製造、奨励に関しては、米沢防衛構想とも密接に関わっているし、
このとき育てられた鉄砲隊が冬の陣でも重要な役割を果たすわけだし、
戊辰戦争時に、米沢藩がそれなりに戦えた要員にもなっている。
597人間七七四年:2007/11/20(火) 01:39:40 ID:6DHPsrAW
つーか直江のやった文化事業とか藩の学問所の創設とかは、あの時代からしたら相当先進的な施策だぞ。
他の藩がそういった事業に力を入れるのはだいたい元禄期くらいからだ。
日本史と言う視野で見れば、直江はこの部分だけでも、一上杉家だけでなく、「日本人」や「日本国」に大きな貢献を
しているよ。

兼続の官僚や武将、あるいは上杉家の宰領としての事跡で批判されるべきは勿論批判してもいいと思うが、
きちんと評価すべきものは評価しないと、批判自体が誹謗中傷と同じものになって批判としての意味も異議もなくなるよ。
598人間七七四年:2007/11/20(火) 18:08:35 ID:3znRTXvw
直江に批判されべき点がひとつも存在しないのが悔しいんだろアンチは?www
だから重箱の隅を突付かないと気がすまないんだろうねwwwwww
599人間七七四年:2007/11/20(火) 20:36:18 ID:BwbXmI++
>直江に批判されべき点がひとつも存在しない
またまたご冗談を
600人間七七四年:2007/11/20(火) 20:46:00 ID:rQFmjMeq
土木事業に関しては、何処の藩でもやっている様な事だ。
寺町を防衛線にするなんぞごく常識。

隣接藩で比べると、まず最上の山形城は、米沢城よりぜんぜん大きい。
さらに義光と北楯利長は、立谷沢川の水を使って狩川から庄内平野に疎水することに成功させ、庄内平野の石高は10倍にしている。
直江の土木事業より全然大きいぞ。

伊達政宗は、石巻から仙台を超えて阿武隈川までを結ぶ貞山(政宗の雅号)堀という長大な運河を築き、
藩内の物資を江戸に輸送するシステムを作った。
貞山堀は直江の作ったとかいう堀の長さ何十倍かというものだ。
貞山堀に比べたら、直江の堀なんておもちゃだぜ。

新発田藩溝口秀勝は、阿賀野川下流域の開拓・整備をやってのけているだろ。
これも直江の事業よりか大きくないか

以上は隣接近県での例だ。同じようなことは全国いたるところでやっているだろ。
直江の事業は30万石としてごく並。
120万石のマンパワーを保持していたことを考えると,多少物足りないくらいのような気が…

つまりは、所詮直江は文化事業の人だったんだろ
601人間七七四年:2007/11/20(火) 22:17:38 ID:piliWYsI
>>600
下段の新発田藩溝口の下りはさておき、
関ヶ原後の上杉家の約倍の身代の最上、伊達と比べて
事業が小さいというのは酷じゃない?
石高に対して不相応に大きな城を建てたら維持費で
藩の財政を逼迫させるだろうし。

現に最上改易後の山県城主はいずれも小藩だったから
最上が築いた当初の大規模な城を維持できなかったそうだけど。
602人間七七四年:2007/11/20(火) 23:05:15 ID:ffKsIkLk
城の大きさについては、もともと米沢城自体それほど大規模な
城じゃなかったからな。それに、所領に対し不相応な城や事業は
金ばかりかかって藩にとってプラスではないしな。
また、北楯利長の事業も凄いものではあるが、目的自体が違う。
北楯利長の疎水事業は、水不足解消・農業用水の
ものであるのに対し、直江兼続の事業は暴れ川であった松川を
治水して水害を防ぐためのものだしな。

貞山堀と、米沢城三の丸の堀と比べて「貞山堀のほうが大きいぜ」
みたいに言われても、城の堀と運河を比べてもなあ。
最上・伊達両藩については、身代だけでも米沢藩の倍あったわけで、
そのことも考慮にいれていかなければなるまい。

新発田藩の開発についても、確かに幕末には石直しで10万石に
されるなど(実高ではこれより上回るが)実績をあげているが、これも
藩累代で行っていることなので、同列で論じられんだろ。

米沢の場合、関ヶ原後に4分の1に所領を削封され、かつかなりの
人員がいて、財政的にはかなり厳しい状態でのスタートだった。
しかも、会津転封からわずか3年ほどで再び転封と、条件的には
決して良くない中でのスタートだ。また、景勝の肉親が相次いで
亡くなるなど、混乱期なわけだ。その中で、家中で目立った内紛を
起こす事も無く、幕府の手伝い普請と併行してこれらを進めた手腕は
評価できると思うんだが。

そもそも、規模、築造物の大小=実績の大小とはいえないし、
そう考えるのはハッキリ言って短絡的。ゲームのようにはいかない。
例えば、小藩で卓越した内政事業を行った藩があったとしても、
それより大きな藩の行った事業の方が上か?ということになってしまう。
603人間七七四年:2007/11/21(水) 02:36:00 ID:mcU355mv
>>602
上杉のマンパワーは120万石時代と同じだったんでしょ?
上杉家はリストラしなかったことを誇らしげに実績としてあげているんだから、
都合のいいところだけ30万石だからと逃げるの(・A・)イクナイ!!
604人間七七四年:2007/11/21(水) 05:36:25 ID:JvuiJ+m8
>>603
> 上杉のマンパワーは120万石時代と同じだったんでしょ?

あほか。人材一緒でも動員できる労働力財力が変われば出来ることも自ずから違う事も理解出来ないのか。
605人間七七四年:2007/11/21(水) 05:50:51 ID:mCdvCirD
>>604
財力が変わったのに、それに見合う人材に絞れなかったから、
同じ石高でもできたはずのことが、人件費に回ってできなくなったことがあったとは言えそうだがな。
606人間七七四年:2007/11/21(水) 07:41:59 ID:AZ92sDBC
>>605
アンチは馬鹿だねえwww下手にリストラしたら改易されかねないだろうがwww
リストラすることなく上杉家を上手く回していた直江ほど優れた家宰はいねえんだよwww
607人間七七四年:2007/11/21(水) 08:11:22 ID:mCdvCirD
>>606
最初に断行しなかった所為で、後々にしわ寄せがいって、挙げ句は返上しようかなんて事態になったんだろうがよw
608人間七七四年:2007/11/21(水) 10:34:01 ID:1p0oqBDc
>>607
家臣団の召し放ちは結構難しい問題だからな。
織豊政権に引き立てられた大名に比べて、旧族大名(とくに
国人の盟主的立場からのし上がったもの)の場合はより難度があがる。

それから、上杉の財政が本格的にやばくなって来たのは
四代綱憲が半知相続して、それプラス吉良や重定の浪費が嵩んだためだ。
それまでは、切り詰めたなりにも藩財政は回っていたらしいし。
この話題もちょっと前のレスにあった気がする。
609人間七七四年:2007/11/21(水) 10:51:06 ID:hlq/8Kld
最も責任のある直江が責任を取らなかったためにリストラのしようが無かったんだろ
やはり率先して直江が禄を辞して、豊臣家代官を兼任していた奴や
豊臣家に擦り寄りすぎていた奴らを中心にリストラをするべきだった
そういう意味でも、直江の無責任のために、お家が衰退に導かれたといえなくも無いな
610人間七七四年:2007/11/21(水) 11:25:22 ID:1p0oqBDc
>>609
あの状況で筆頭家老がばっくれるほうがよほど無責任だと思うが。
それに、豊臣家の代官を兼務しているような家臣はほかの家にもいたし、
政権の中枢にいたり、三成と親しかった連中でも東西分かれているんだがね。
この問題は上杉氏の家風のようなものもある(越後時代に勘気を被った柿崎が
寛永になって200石ながら帰参している)

なんか粘着してるやつが一人いて、同じ話題の繰り返しになっているが、
何がしたいんだろうね。
611人間七七四年:2007/11/21(水) 13:45:02 ID:In2jwuyx
>>608
しかし、上杉よりもっとそういう傾向だった毛利にもできたんだぜ?
しかもそっちの当主は凡君の名高い輝元‥。
612人間七七四年:2007/11/21(水) 16:16:07 ID:E1fN7wkj
>豊臣家代官を兼任していた奴
あいにく会津転封の前にあぼんしてますので…
子供ならおりますがな
613人間七七四年:2007/11/21(水) 17:47:50 ID:JvuiJ+m8
>>611
輝元は財政や行政に関しては当時の大名の中でも一流だぞ。豊臣期は石高は半分なのに家康と同じくらい金持ってると
宣教師が報告している。毛利拡大期の財政を一手に引き受けた隆元の息子として恥ずかしくない人間だ。
614人間七七四年:2007/11/21(水) 23:03:19 ID:mcU355mv
元就死後の毛利 >>∞>> 謙信死後の上杉

輝元 >>∞>> 兼続
615人間七七四年:2007/11/22(木) 01:37:16 ID:oHx+LMYQ
>>611
とりあえず喰いっぱぐれはさせんということで、その中で藩を運営
していこうという方針だったんだろうな。わざわざ上杉へ柿崎が
帰参したりしているので、やはりこれは家風なのかもしれん。

>>613
豊臣との共同管理みたいな状態とはいえ石見銀山などを
有していたのも大きいだろうし、東国と西国で経済の基盤が
異なる点もあるだろうが、輝元は領内統治については決して
無能な人ではないからな。関ヶ原前後の行動から阿呆扱い
されがちだが・・・・
また、どの程度の差かはしらんが、上杉氏の佐渡も同じような状況なので、
上杉氏も金はかなり持っていたと思う。
616人間七七四年:2007/11/22(木) 01:43:07 ID:x8LBpxbR
>>615
佐渡金山の開発は関ヶ原の後でしょ?
617人間七七四年:2007/11/22(木) 09:09:26 ID:oHx+LMYQ
>>616
いわゆる佐渡金山は慶長以後だけど、それ以前から上杉氏の
代官がおかれ鶴子銀山などや、また砂金の採掘が行われていたらしい。
618人間七七四年:2007/11/23(金) 10:58:16 ID:xdm4hLup
毛利輝元は、250年後に天下を取る藩の基盤を作った人だな
将としての無能さは直江とドッコイなんだけどな
殿様が頼りなさげだから、藩士皆で頑張らなくては、と組織を活性化させるキャラなんだろうな

その点、直江は他の有能な者を排斥したり、藩の要職を自身の派閥で占めようとしたり
他の藩士に、「直江が居るからオレらが頑張ってもダメだろ、オレらは頑張らなくても良いだろ」
と思わせるようなキャラだったんだろう

輝元は長い目でみてあげまんで、直江はさげまん、つうことで
619人間七七四年:2007/11/23(金) 15:40:23 ID:DShvsfCB
なんか一人阿呆が常駐してやがるな。
>>618
その程度のレスしか出来んならアンチスレ行けよ馬鹿
620人間七七四年:2007/11/23(金) 16:04:37 ID:ODuwQCjO
でも上杉はお金も潤沢、人員もたくさん居たのに、
最上にも伊達にも、合戦で負け、土木事業でも見劣りするということは
宰領の直江かねつぐがダメだった、ってことにならないかな
621人間七七四年:2007/11/23(金) 16:22:48 ID:DShvsfCB
>>620
合戦については中央の情勢ありきのものだったし、
土木事業についても30万石で今までの家臣団を喰わせつつ
行っていたことなので同列には論じられんと思うんだが。
つうかその話題はすこし前に出たばかりだぜ?すぐ上のレスを
読むくらいしたらどうだね?

なんかこのスレって粘着がいるせいか延々同じ話題が繰り返されてるな。
622人間七七四年:2007/11/23(金) 16:39:18 ID:2yr3hYow
>>621
アンチの諸君はアンチスレできたんだから
そこに行けばいいと思うんだがな。
もう何回も言われてるが。

まあでも個人的には、米沢移転の時に
人員整理しなかった(出来なかった?)のは失敗だったと思う。
623人間七七四年:2007/11/23(金) 16:43:42 ID:eSmmNi4Z
>>621
君みたいな過剰に擁護な奴が、直江に都合の悪い書き込みを
延々とスルーし続けるか、反論になっていない反論で
「はい、終わった終わった」と片付けようとするから何度でも戻るのさ。
話題が出ても、擁護側がそういう反応なら、アンチ側は何百回繰り返してもOK。
その逆も然り。
前のスレではアンチが見苦しく認めなかったから延々同じ話題の繰り返しが多かったのだから、
今、君らがやっている繰り返しも、また続けるべきなのではないかね?
止めたかったら、きちんとアンチを納得させる論証を積み重ねること。

少なくとも、前にアンチをこなくさせたのはオマイさんのような
「相手バカ、論争する必要なし、この話題止めようぜ」の負け惜しみではなく、
実証を積み重ねて相手を黙らせた実力派の書き込みの山だった。
粘着を黙らせる実力がないなら、
>>621みたいな何の役にも経たないカキコなどせずに、黙って引っ込んでろ、というこった。
お前さんは、前スレの神々のように相手を黙らせることもできず、
「俺の(未熟で独りよがりの)書き込みで、もう勝った」とわめいているだけ。
まだまだ論争は終わっていないよ、君が擁護側のエースじゃ、ずっとこのまま。

624人間七七四年:2007/11/23(金) 17:12:41 ID:DShvsfCB
>>623
俺も別に直江山城守が神のごとき名将なんて言う気は毛頭ないぜ。
別に個人の好き嫌いなどもあるだろうから批判なども然るべき
だと思う(結果として主家は減封されたわけだし、残っている逸話も
結構アクの強さというか、あまり良い奴ではなさそうなものだしw)
ただ、一部にあるような論拠も何も全く無いような感情論は
ノーサンキューだって話。

625人間七七四年:2007/11/23(金) 17:47:18 ID:VG8lX5Dd
直江も感情的にアンチになるほどの武将でもないだろうになあ。
器量としても独立して大名家となり天下の諸侯に伍す、ってほども無く、上杉家の藩官僚が精一杯だったと思うし。
でもその範囲で考えれば良くやった人だと思うぞ。
626人間七七四年:2007/11/24(土) 23:15:22 ID:km9iJwbk
そろそろ皆わかってきたかと思うが、直江兼続名宰相説ってのは単なる虚構のプロパガンダなんだな
江戸期の幕府主流派の武田マンセーに対抗して、紀州や福井が上杉をマンセーした。
その流れで直江兼続もさも名宰相であるかのように書かれた。

さらに近年になって小説やコミックでも名宰相であるかの様に書かれた。
それらはフィクションとは言わない。なぜなら本が売れるためにだ
627人間七七四年:2007/11/24(土) 23:48:06 ID:dNmzIP8g
>>626
この人が一番売れた時期ってのは維新後から戦前までだろうか
628人間七七四年:2007/11/24(土) 23:54:53 ID:o9PKLMTj
今は戦前の英雄史観で教育された最後の世代が社会の支配層だからね。
直江もそうだが信長や秀吉も過剰に持ち上げられている。
今後彼らは江戸時代程度の評価に戻っていくだろうな。
629人間七七四年:2007/11/25(日) 00:41:44 ID:GIlKuiBb
直江はどこから評価しても類まれなる名宰相、これだけは譲れない。
630人間七七四年:2007/11/25(日) 01:25:13 ID:+DwoYZe/
適当な釣りは迷惑だし特に面白くもないのでやめて下さい。
631人間七七四年:2007/11/25(日) 01:43:07 ID:PxXd9F61
>>630
それはお互い様なんだよな。
アンチもわけわからんレベルの、批判にすらなっていない
レスが目立つが、一方で一部の擁護派も草はやしたり実のない
こというだけで・・・・・

もうちょっとまったり語りたいよ
632人間七七四年:2007/11/25(日) 06:04:14 ID:d2iRvUpk
そうやって煽ってるうちはまったり語るなんて出来ないんじゃない?

残念だけど流れを見る限りこのスレはアンチの方が多少説得力あるよ。
633人間七七四年:2007/11/25(日) 12:06:57 ID:PxXd9F61
>>632
別に煽っていないだろ。
俺はアンチへの反論もちゃんと筋通ってると思うけど
634人間七七四年:2007/11/25(日) 12:49:04 ID:d2iRvUpk
>>633
>>アンチもわけわからんレベルの、批判にすらなっていない レスが目立つが〜

こういう文章は煽りっていうの、知らないなら覚えておいた方が良い。
635人間七七四年:2007/11/25(日) 12:49:40 ID:VMXE/Qxi
>>633
>>632は「一部の擁護派も草はやしたり実のないこという」
のを煽りと言っているんじゃないか?

アンチの方が説得力云々は同意できないが
636人間七七四年:2007/11/25(日) 15:46:00 ID:T5RzTaB9
傑出した人物じゃなきゃ大河にはならないわ
637人間七七四年:2007/11/25(日) 15:57:46 ID:MSqliFqK
>>636
そう思う人間が多いからこそ、傑出していない業績の人間が大河になる事をみな嫌う。
兼続が実際にやったと評価できること=まあまあ有能な行政官というだけの姿で描かれるなら
誰もこんなに叩きはしない。

まあ、今回の大河は「バツイチ女を励ますスイーツ(笑)ドラマ」だからどうでもいいがw
638人間七七四年:2007/11/25(日) 16:03:13 ID:+DwoYZe/
>>636
黄金の日々とか山河燃ゆとかの主人公は特に傑出はw
つーか昨今でも例えば山内一豊は傑出しているのか?
639人間七七四年:2007/11/25(日) 22:55:45 ID:TezAe5BK
>>638
いやいや直江は抜きん出ている
戦国さげまんキングだろww
640人間七七四年:2007/11/26(月) 01:50:46 ID:3kmuCmGN
>>637
脚本が小松江里子という時点で、俺らはすでに悪い意味で涙目ですよ・・・
原作からして直江兼続という人間を描ききれてない印象があるからな。

>>638
当時の陪臣の中ではかなりの人だとは思うが、とりあえず歴代
大河の主役の中で最もマイナーなのは揺るがんなあ。

>>639
さげまんは男には使わんだろw
なんというか、そこそこ多才な人物ではあったが、結果として
主家は衰えてしまったからなあ。ただ。関ヶ原で敗れた側が主役なのは
初めてなので期待はしていたんだが、マジでもう泣きそうですorz
個人的には結構好きな人物だっただけに・・・


641人間七七四年:2007/11/26(月) 02:44:58 ID:9e1gD+Qa
>>640
上杉は謙信で株を上げた家だから、彼の死とともに衰退するのは仕方ないんじゃね?
兼続を擁護する気はないが、上杉家は本来の身の丈にあった規模になったような気がする。
642人間七七四年:2007/11/26(月) 15:43:09 ID:kcWqIEXl
安田と直江が不和って常山紀談以外に何かあるかな。
安田順易って越後以来のお気に入りかと思っていたんで。
感状の時のラインナップって須田が信濃衆、水原が譜代、黒金が上田衆
坂田が与板衆で一人ずつ出した感じ受けたんだけど。
643人間七七四年:2007/11/26(月) 19:49:54 ID:3kmuCmGN
>>642
少なくとも関ヶ原以後までは険悪という事は無さそう。
1602年の亀岡文殊堂での詩歌奉納に参加している。
この時のメンバーは与板組がメインで、他には前田慶次、
鮎川秀定、千坂長朝(兵部の子息)、大国実頼が参加しているな。
644人間七七四年:2007/11/26(月) 20:58:50 ID:hvj6k5yu
>>640
いやいや直江は景勝のお相手ですから
ホモ版のさげまんということで
645人間七七四年:2007/11/26(月) 23:36:53 ID:jFg1cZ+A
景勝が、引き篭もり傾向で、何事も「良きにはからえ」と一人の執政に丸投げしてしまう奴だったんだろう
このため、狩野→直江→清野と執政が変わったわけで
さらに直江の他の有能な者を排除することや、天下人に覚えめでたいことが加わって、直江に権限が集中した
なので、藩の普通の事業が直江の業績のように写ったんだろう
でも、藩全体としてると、文化業績以外は中堅の藩として並か並以下の業績だわな
646人間七七四年:2007/11/27(火) 00:24:19 ID:w4Er+k6R
他の有能な者を排除って誰を排除したんだ?
清野は奉行2年目で亡くなったが彼のしたことって何だ。
それより志駄義繁の失脚が具体的に何が引き金か知りたい。
647人間七七四年:2007/11/27(火) 00:55:50 ID:nhdHq11q
>>645
三行目と四行目の「なので」が全く説明になってないがね?
中堅の藩として並か並以下、というがじゃあ「並」って何なんだ?
最上や伊達の例については、人員も財力も違うと前のレスで説明
されてたけど。
寧ろ、30万石に減封された時に、家中をうまく統制し、幕府の
普請や景勝親族の他界など、出費が相次ぐ中10年ほどで領内整備の
基盤を作り上げた能力は中々のものだと思うがねえ。
しかしお前もしつこいな
648人間七七四年:2007/11/27(火) 01:58:25 ID:jo65Qa/4
>>647
煽るなバカ。
どんなに自説と違っても、どんなに言い返せなくて悔しくても、
明確な嵐でなければ、しつこいだ、蒸し返しだので議論から逃げてはいけない。

ちなみにね、大河の主役になろうという武将は、
その程度の中々の手腕じゃ、叩かれて当たり前なんだよ。
スイーツ(笑)ドラマになり下がって随分経つけど、
歴史ファンにとってやっぱり大河は特別なもので、
そして30万石を破綻させずになんとかやりました、程度の能力は喰い足りなさ過ぎる。
ましてや虚飾で飾り立ててそれだけが歴史を知らない人に評価されているのなら、なおさら。
649人間七七四年:2007/11/27(火) 10:08:25 ID:DM7s4gCP
今回の大河のように敵対する勢力も主役級に描いて欲しいが
原作脚本がアレじゃ無理だろうなあ
650人間七七四年:2007/11/27(火) 12:12:55 ID:RJo5gnxv
>>648
べつに言い返せてないわけではないだろ、今までの流れを見てきたけど。
批判的な見解の連中も、擁護したり肯定的な意見の連中も、
それぞれ活発に意見交換されていたと思うけどね。ただ、中には批判と
中傷の違いすらわからんやつもいるので、そういう連中は迷惑なだけって話だろ。

最近じゃそれこそ一豊や勘助など実力とかそういう以前の問題だし、
忠臣蔵なども、それこそ飾り立てが目立ち実像からはかなり遠ざかっている。
(浅野内匠頭などかなりのDQNだし、改易に際して領民は赤飯炊いたらしいからな)
ようはいかに見ていて「これぞ大河だな」と思えるような作品にできるかだしね。
まあ、直江が後世の粉飾が目立ち、実像が見えづらくなっているという点は同意だが

ただ、脚本と原作は絶望的なうえ、いかんせん直江山城守という人物がマイナーかな、
というきらいはあるが。
651人間七七四年:2007/11/27(火) 18:24:06 ID:80bBYLZc
直江兼続って坂本竜馬でいう竜馬がゆくや
宮本武蔵でいう吉川英治の宮本武蔵みたいな
これといった作品がないのに実像とかけ離れた
虚像が出来上がったのはなぜだろう。
652人間七七四年:2007/11/27(火) 21:04:46 ID:mpxYU0w6
やっぱり、江戸期の幕政反主流派の紀州福井による虚構のプロパガンダ
次いで、鷹山が、改革の抵抗勢力となっていた一派を叩くために、それらが先祖が政敵であった直江を持ち上げたこと
そして、明治維新の時、徳川にケンカを売った、というこれまた虚構で一躍ヒーローになり
あとはやっぱり現代の小説、コミックだろうな

実像のこの男は
@天下人に懐柔され、主家をその意向に導き大衰退
A他の有能家臣と対立、排斥、讒言
B愛人として主君を篭絡

ほとんど悪い家臣の見本みたいだな
653人間七七四年:2007/11/27(火) 21:24:17 ID:5u7IT3Sw
>>652
>@天下人に懐柔され、主家をその意向に導き大衰退
秀吉からの誘いなど軽く一蹴する清廉の士で関ヶ原で石田は負けたものの
上杉家は武名を天下に轟かせた。

>A他の有能家臣と対立、排斥、讒言
謙信公死後の上杉家には直江以外の家臣が皆クズだから排斥された
これは思い違いもはなはだしい。

>B愛人として主君を篭絡
証拠がない。

あら〜簡単に論破出来ちゃいましたwwww
654人間七七四年:2007/11/27(火) 21:58:37 ID:i5zLyaXg
上杉家は武名を天下にって・・・・・・
24万石の最上に負けてるわけですが。120万石の上杉が。
655人間七七四年:2007/11/27(火) 22:12:13 ID:w4Er+k6R
うんでもその最上が無双の強者なりとか言っちゃてるから。
656人間七七四年:2007/11/27(火) 22:19:01 ID:5u7IT3Sw
>>654
最上に負けたは適当ではないよ。
石田が無様にが負けたから引かざるえなくなったんだから。
657人間七七四年:2007/11/27(火) 23:07:05 ID:c8Sj+2CG
>>656
> 石田が無様にが負けたから引かざるえなくなったんだから。
それを見通せないというのはこの時代では紛う事無き『悪』です。本能寺のあと光秀にホイホイくっついて
挙句逃げ回った連中と変わりません。すなわち妹を秀吉に差し出してなんとか許してもらった京極家と
上杉は変わらないという事です。
658人間七七四年:2007/11/27(火) 23:09:06 ID:nhdHq11q
>>652
(1) に関しては何を以て籠絡されたとするかだが、
屋敷の拝領にせよ、豊臣姓を受けた事にせよ、豊臣政権の奉行に
なったことにせよ、彼のみが特別だったことでもないし、その厚遇に
よって上杉氏が豊臣・徳川政権下で不利益を被っている様子が無い。
厚遇=籠絡と考えるのはやはり短絡的すぎ。

(2)他の有能な家臣
上条については、一般的には信濃の所領を巡って対立した結果だと言われて
いるし、景勝の出自から考えても、対立する要因はある。
藤田信吉に関しては、難癖を吹っかけてきた家康に対して、抗するという
判断については、直江兼続はもとより景勝はじめ上杉の総意に近いとみて
いい。結果として孤立したために信吉は出奔したんだな

(3) 愛人として
景勝との関係については可能性はなくはないが、その理屈で
行くと、信玄のもとで出世した香坂弾正も、それこそ清野長範なども
みなそうなるが?
これなどはハッキリ言って、個人の妄想に基づく感情論だし。

>>654
最上攻めについて、確かに長谷堂で膠着したとはいえ、城を守る側でも
被害が出ているので、長期戦になったらまずいのは寧ろ最上。
確かに最上は善戦しているけれどね。
また、撤退戦についても、兵を損なわないようにしつつ、勢いづく
最上方を押さえ、敵方の記録にすらその武名が残るんだから、
ひとかどの良将ではあったと思うが。
659人間七七四年:2007/11/27(火) 23:13:08 ID:nhdHq11q
>>657
でも、たった一日でカタがつくなんて、それこそ政宗も
黒田如水も、誰一人予期していなかったわけだ。
それに「家康が勝つべくして勝った」ということ自体最近では言わんからな。
両者とも当初のもくろみからはかなり誤算が生じていたみたいだし。

660人間七七四年:2007/11/27(火) 23:17:15 ID:c8Sj+2CG
>>659
しかし家康は勝った。しかも1日で。それを見通せなかった、勝ち馬を見誤った。
これは間違い無く上杉家宰相である直江の罪ですよ。
661人間七七四年:2007/11/27(火) 23:27:06 ID:8sqpvape
長谷堂城見て来たけど予想より遥かに小城でした
無双の要害と言うわけでも巧緻な造りと言うわけでもなく
ホントにただの田舎の出城だった
直江兼続もこんな城に躓いては天下の覇権を争うのはちと無理かなと思ってしまったり…
逆にたいした城じゃなくても戦いようによっては大軍を押し留める事が出来るものなのだなと
地形効果の優位性を痛感させられました
まあ、詳しい事は知らないですが
まさか1万も2万もを長谷堂城のみで迎え撃ったわけではなく
出城群と要所を固める砦や陣地と連携して迎え撃ったのだろうけど

ちなみに山頂の本丸?からは山形の町が一望できる
居城が後ろに見えていては頑張るしかないね
これ落とされたら最上もガックリきたであろう
662人間七七四年:2007/11/27(火) 23:30:07 ID:nhdHq11q
>>659
まあ結果論から言えばそうなんだけどね。
ただ、所詮は結果論であり、結果をしった人間だからこそ言える事でしかない
どこの大名も中央の様子が長引くことを想定して方針を決めている。
黒田や伊達の動きなどまさにそれだし、堀は西軍とも通じていたらしいし、
加藤なども勝敗が決するまで大した事はしていない。
ハッキリ言って、それがたった一日決着がつくと読めていた人間など
家康、三成も含んで当時いなかったと見ていい。
663人間七七四年:2007/11/28(水) 01:18:48 ID:ykuOniv7
また長谷堂の話ですか。
一日で関ケ原終わった云々は関係なく、上杉軍は2万の兵力で2週間以上攻めあぐんだわけです。
関ケ原敗戦の報が届くまで。
その間被害は上杉方に多く、最上方は損害とはいえ軽微で、長谷堂の防衛力が落ちたわけではない。
長期戦は雪の心配があり、不利になるのは上杉方。
撤退戦にしても功績は前田と水原にあるし、潰乱させずに引かせたが、損害も大きかった。
武名といえるものではないと思うが。
まあ、これで直江の問題というか最上の善戦を誉めるべきかはあるが、武名というのはどうかね。
664人間七七四年:2007/11/28(水) 01:35:00 ID:ykuOniv7
長期戦で書きもらした。
雪の心配だけじゃなく、伊達や宇都宮の圧力もある中で、2万数千の兵力が山形に釘付けになるというのは、
上杉方にとって不利以外の何物でもない。
忘れられがちだが、当時上杉は包囲されてたんだから。
上杉家首脳部が考えなきゃならないのは山形戦線だけではない。
そんな訳で直江にしても即戦即決を目論んだわけで、長期戦に持ち込まれた段階で不利になったことは否めないだろ。
まあ、これを直江の問題にするか、義光の戦略を認めるべきかはあるが。
665人間七七四年:2007/11/28(水) 11:06:57 ID:PVSWvhlL
>>664
撤退戦に関しては、前田・水原の働きはもちろん大きかったが、
彼らを束ねて指揮をとったのは直江だし、
最上義光の記録に、直江の戦ぶりが伝えられているが。
城方の損害についても、名のある将士が討たれているので、決して軽微とは
言い難いとおもうけど。

まあ、手間取ったことによって当初の予定から大幅にずれたのは否定できないが・・・
666人間七七四年:2007/11/28(水) 15:23:15 ID:aNcp06GO
このペースじゃ関が原が半年やそこら長引いても結果は同じだったわな
というか消耗が激しくて山形城攻めても上杉軍の方が消滅しそうだw
667人間七七四年:2007/11/28(水) 15:39:30 ID:4KjIE5fi
つーか徳川と上杉の断交からだけでなく、三成の挙兵から考えてもそれなりに”長期化”はしていたわけだが>関ヶ原
668人間七七四年:2007/11/28(水) 15:49:39 ID:aNcp06GO
そもそも上杉は何がしたかったのか分からない
単にいきあたりばったりでやってたとしか思えない
669人間七七四年:2007/11/28(水) 17:49:03 ID:ZGBHQ8R9
>>665
義光は、無能なホモ武将を取り逃がしました、とは言えないだろ。
敵が奮戦したために、仕方なく取り逃がしました、とアピールするだろう。
670人間七七四年:2007/11/28(水) 18:00:49 ID:L94v+Ydd
>>669
戦国武将は皆ホモだと思うんだw
671人間七七四年:2007/11/28(水) 22:53:47 ID:JgXGy8Gn
>>669
それじゃあその「無能なホモ」とやらにすら逃げられた挙げ句、
兜を撃ち抜かれる最上義光って何なのw?って話になっちゃうが。

>>668
当初は白河で迎え撃とうという構想があったらしいな

>>667
三成決起が7月、それからしばらく情勢を見つつ各地の勢力が
対応し、8〜9月ころに動き出している。この期間を長いと見るか
短いと見るかは見解の別れる所だとは思うが、如水にせよ政宗にせよ
上杉にせよ、この7〜9月のうちに決着するとは踏んでいないだろう。
一番予想外だったのは、たった一日で大勢が決まってしまったこと
だろうな。
672人間七七四年:2007/11/28(水) 23:58:28 ID:rt2Ts4Qt
長谷堂は結局負けが決まった時の合戦場であって、むしろそこまでの過程があまりにも酷いよ。
2万もの兵力がありながら、ああもてこずった挙句、重臣クラスに損害が出るほど翻弄されている。

はっきり言ってこの合戦で評価するなら
直江山城の軍事的な能力は最低ランクと言わざるを得ない。
たった20万石の領主相手に殺されずに済んだからなんだと言うのか。

この人物を軍事的に評価するなら他の合戦の実績をださないとどうしようもない。
政治的な活躍ならまだわかるが、軍事面は本当に評価できない。
673人間七七四年:2007/11/29(木) 00:21:10 ID:aUbHLLfC
まあ関ヶ原での役回りも、本質的には中央政局に利用された田舎政治家、ってポジションだしな。
674人間七七四年:2007/11/29(木) 00:26:50 ID:/iUrFBYz
>>665
だが直江は追撃の苛烈さに一時は切腹を覚悟したが、周りにそれを止められたということ。
水原・前田の働きは直江の指揮があってのもの、とは言えないと思うが。
城方の損害も、士分が討たれてはいるが、それは戦なら必ずあること。
上杉方のように指揮官級や部将級が討たれているわけではないし、塁を崩されたわけでも、
曲輪を奪取されたわけでもない。
これで守備側を追い込んでいるとはいえないと思うぞ。
675人間七七四年:2007/11/29(木) 05:46:11 ID:EcR5cSDb
長谷堂は、直江軍事能力ある派がどういいつくろっても、悲しくなるだけだ。
676人間七七四年:2007/11/29(木) 06:02:12 ID:EcR5cSDb
自分が100億の借金を作って、(関ヶ原時に敗戦、御家縮小)
利子が年に12億くらいあって、(長谷堂も負け戦)
たまたま1回だけ利子分をきれいに返せた時もあった(退却の一番最後で部下が気を吐いた)
でも借金の元金は一銭たりとも返せてないし、
利子分もその時以外は綺麗に返せてない。
こういう奴が有能だというのなら、米沢はとても良いところだw
677人間七七四年:2007/11/29(木) 06:48:25 ID:rz/oXXZ1
>>ID:EcR5cSDb
どうして
そんなに
必死・・・なの?
678人間七七四年:2007/11/29(木) 18:46:57 ID:AR9oDc6I
直江の優れた軍事的才能を正当に評価できない馬鹿は書き込むな
679人間七七四年:2007/11/29(木) 19:23:34 ID:aUbHLLfC
別に無理に直江の軍事的才能を持ち上げる必要はないと思うがなあ。もはや時代は太平に入り始めていたわけで、
武将としての能力はさほど大事なものではない。
宰相として同時代的にも高く評価されていた訳だからそれでいいとおもうが。
680人間七七四年:2007/11/29(木) 22:55:19 ID:Qghq020E
まぁ要するに軍事的な分野では褒められる点が見当たらないから
最初から話題にするなってこった。

このスレのテンプレにでも書いておけば良い。
681人間七七四年:2007/11/29(木) 23:28:15 ID:YhC2fAFy
>>679
直江-景勝主従に、軍事的才能が無いために大衰退して困ってんだろ
新発田討伐や領地の掌握に秀吉の力を借りる羽目になり
結果として豊臣政権に近づきすぎて徳川に叩かれることになっている。
また、出羽合戦でも何の武威も示せなかったために、徳川へ上下座外交し、犬に成り果てている

内政はどうかというと、何処の藩でもやる様な開墾や城下整備をしているだけだ。
しいて言えば、文化業績だけか…
682人間七七四年:2007/11/30(金) 00:21:59 ID:3+eoXdfb

67 :名無しさん@八周年:2007/11/29(木) 21:04:17 ID:Khp7Fmwp0
コピペよろ

日本壊滅の危機!?

【政治】 「放置すると、日韓関係にヒビ」 外国人参政権付与、成立への流れ加速も…公明に各党同調、自民反対派は沈黙、首相次第か★17

http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1196321879/l50
【外国人参政権反対FLASH】
http://www.geocities. 上と下のURLをつなげてね
jp/ffflash2005/sanseiken.html
(´・ω・`)やぁ
まずはこれを見てほしい。オランダは外国人参政権でむちゃくちゃになったのは君もご存知だと思う。恐らくこのままだと日本も中韓に滅茶苦茶にされるだろう

よく聞いてくれ、僕らの育ってきた、暮らしてきた国がワケのわからん奴らに乗っとられようとしている

日本の建国史上最大最悪の危機なんだ!!

少しでも日本を思う心があるのなら立ち上がって欲しい、行動に出て欲しい

日本をこの手に取り戻そう。これは我々の義務でもあるじゃないか!(`・ω・´)
マスコミはこれを報道しようとしない(詳しくは下を見てほしい)。だからこの文を出来るだけ沢山のスレに張り付けて少しでも多くのの日本人に知らせてほしいんだ
時間はあまりない
日本人であれば行動をおこしてくれ、感謝している

★★外国人参政権反対運動OFF part2★★
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1196265306/l50

日本壊滅!?/マスコミが報道しない外国人参政権のカラクリ!(1/3〜3/3)ttp://jp.youtube.com/watch?v=6pl5jX057gE
ttp://jp.youtube.com/watch?v=A4JvwWW7hHo&feature=related
ttp://jp.youtube.com/watch?v=EeATeLupPAw&feature=related

683人間七七四年:2007/11/30(金) 00:51:41 ID:3+eoXdfb
■おすすめ2ちゃんねる

【政治】 「放置すると、日韓関係にヒビ」 外国人参政権付与、成立への流れ加速も…公明に各党同調、自民反対派は沈黙、首相次第か★18
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1196350008/

日本を救うぞ!反外国人参政権詰所
http://yutori.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1196349544/

684人間七七四年:2007/11/30(金) 03:04:34 ID:XsHK+Zlb
>>681
景勝の権力基盤自体弱かったからな。
景勝が謙信の養子だったとはいえ、彼は上田長尾氏の当主として軍役を
負っていて、それこそ一部将としてへ各地へ送られている。つまり、
謙信政権の構成員(越後有力領主の連合)の一人に過ぎんわけだ。
少なくとも景勝には謙信の後を継ぐものとしての下地は(まだ)用意されて
いなかったわけだし。そこへ御館の乱→信長侵攻→武田滅亡と続いたわけで、
景勝はすっかり疲弊し弱体化してしまった。そして新発田氏は謙信晩年〜
景勝家督相続直後に政権の中枢にあり(本庄討伐などで勢力を扶植)、
軍役も確か第5位の有力者。さらに、新発田に備える主力であった本庄と
色部は後に諍いを起こすし、また繁長離反以来の席次をめぐる問題なども
あり、決して良好な関係では無い。この状況で、今よりもずっと潟地の
多い新発田に籠られるわけだから、軍事的才幹云々のレベル以前に
前提からしてかなり厳しいわけだな。

そして、豊臣政権との接近にしても、当時に限らず、地方領主が領内で
権力を強化する場合、より上位の権力と結ぶのは常套手段。さらに景勝の
場合、もともとの基盤が脆弱なため、その傾向が出てくるのは当然の選択。
そもそも自分の基盤層出身の直江や甘糟が後を継いだのも、武田旧臣や
村上氏と切り離された信濃衆を重用した背景もそこにあるわけだし。
685人間七七四年:2007/11/30(金) 03:46:10 ID:xl9/WS1u
あと豊臣への接近は、敵対していた織田勢力とは別物(直接の敵である柴田勢の敵であった)、という認識と
秀吉の朝廷に密着した政権作りは上杉家にとって許容しやすいものだった、ってのがあるな。
686人間七七四年:2007/11/30(金) 03:54:18 ID:FhWNKAF5
>>681
そういう「条件が厳しいから才能とは別問題」的な論理はダメじゃないかな。
基本、歴史上の人物の才幹と言うのは、結果論で評価して行くしかない。
いいわけはいくらでも言えるけど、「その状況を作り、許し、それまでに直せなかったこと」自体が
無能と斬り捨てられても仕方ない。
たとえ、先代が滅亡のタネをまいていってそれを受け継いだために滅亡しただけだとしても、
武田勝頼が世間一般的には無能と考えられるように、景勝、兼続も無能扱いに低く評価されても仕方あるまい。
687人間七七四年:2007/11/30(金) 04:32:25 ID:XsHK+Zlb
>>686
別に無関係とは言ってはいないが。
それこそ結果論でいうと、景勝・兼続は新発田を滅ぼして
かつ、本庄を通じての大宝寺の所領や、川中島4郡の切り取り
などにも成功しているんだが。
そして勝頼にせよ、近年では再評価が進んでいるし、勝頼にせよ
義元にせよ、本気で無能だと思っている連中なぞ本当に歴史を
知らん素人くらいのもの。過程や条件、前後関係を見ずに、結果のみで
その人物の評価を下すなど、それこそ歴史を知らん人か、学問として
見ることの出来ていない人のすることだ。

>>684続き
結果として景勝は政権の中枢に食い込む事になったが、
それに関して言えば、毛利氏など他の領主も同様だし、
宇都宮氏が改易された件の要因の一つに、中央政権の
余波を喰ったという点が指摘されているところからもみても、
ある程度の規模の領主となると、時の政権とは密接な関わりを
持たざるを得ないわけで。そして、辺境の大名よりも早くに
従っているうえに、所領も大きいので、豊臣政権の性格から
しても政権と距離をとることは難しいだろうな。
688人間七七四年:2007/11/30(金) 04:46:43 ID:XsHK+Zlb
>>681
出羽合戦についても、戦略自体は決して悪くはない(長谷堂が粘った
ため予定は狂うものの)。
軍事的才幹についても、「全くの無能」と断じてしまうのは如何なものか
と思う。それこそ件の撤退にしても、全軍を損害を少なく壊乱させずに
引き上げるというのはかなり難しいこと。大軍でも統率できなかったり、
敗報や情勢の急変が起きると一気に瓦解する例も往々にしてある。
それに、直江が指揮をして、引き上げて行ったことについては他ならぬ
最上義光の記録に残っている。自害しようと・・・の一件に
ついても、似たような逸話はいろいろな人物にあるし、これをもって
「無能」の材料とするには弱い。勿論水原らの働きは大きいがね。
大坂の陣に際しても鴫野では鉄砲隊が大きな役割を果たしたし、
直江兼続の働きについても記録にでてくる。
勿論、長谷堂攻めについては、余裕で望んだ筈のもくろみが崩れており、
手放しで賞賛出来るような状態とは言いがたいが、だからといって全くの
無能みたいに断じてしまうのも短絡的。

内政についても「どこの藩でも」と否定するのは簡単だが、
この文言はある種悪魔の証明みたいなもので、これを言うと大体の
内政政策は否定出来てしまう。目立たないが、地味なことをシコシコ
やれる人材って重要だ。また文化事業(藩士教育は内政に入るかな?)に
ついても「それだけ」といってしまえる程意義の低いものではない。

何だか、とにかく叩き台に出来ればそれで良い的なレスが目立つ気がする。
689人間七七四年:2007/11/30(金) 04:50:28 ID:RkxPyZJD
もうちょっと、文書をまとめることを覚えろ。
690人間七七四年:2007/11/30(金) 04:55:07 ID:XsHK+Zlb
>>689
すまん。出来る限り多くの事例をだし、語弊のないように
気をつけたかったのだが、つい長くなっちまった。
これでも短くまとめたんだがw
691人間七七四年:2007/11/30(金) 05:03:24 ID:CvbFYE40
×短くまとめた
○短くまとめた「つもり」
692人間七七四年:2007/11/30(金) 08:34:29 ID:3YY5nDaw
あんま虐めるなよw
本人は必死みたいなんだからさw
693人間七七四年:2007/11/30(金) 10:29:08 ID:XsHK+Zlb
>>691
確かにな。もう少しまとめる事を考えるよ

>>692
煽るなよ馬鹿。だったら少しは建設的なレスをしろよ。
まっとうに議論しようという気すらないのかね。
ただ言えるのはハッキリ言って当時の事実関係を無視した感情的な
というか、品性のないような中傷レベルのレスは迷惑以外の
何者でもないがね。

>>642
今更だけど、常山記談では安田を先陣、須田を2番手にする予定で
陣容を決めていた直江だったが、景勝の一声で入れ替え決定。
それを安田に伝えたところ、「お前のせいで入れ替わった」と誤解。
以後不仲になった・・・らしい。
米沢藩や安田家などの記録にあるのかなあ。
694人間七七四年:2007/11/30(金) 11:29:27 ID:rD842vLX
景勝って謙信政権の晩年には軍役から外されてなかったっけ?
695人間七七四年:2007/11/30(金) 14:03:25 ID:xU2D8q0U
>>688
出羽合戦は無能だから撤退したんだろ
攻略できるなら、三成が負けたからとって撤退することは無かった
最上領を制圧し広大な領土を手にして、第三勢力確立して、中央とは無関係に居られたはずだ。

新発田には自力では勝てなかっただろ
最後にやっと勝ったのは、秀吉の権威のお陰だろ

総じて言うと無能だ
696人間七七四年:2007/11/30(金) 14:44:25 ID:3YY5nDaw
→ID:XsHK+Zlb
全レスしなくていいよ
697人間七七四年:2007/11/30(金) 15:38:16 ID:QAinpH6t
>>694
「上杉家家中名字尽手本」に名前が載っていないのか?

>>695
>>688のような事情があるので、新発田征伐について、すぐにカタをつけられる
もんでもないだろ。それに、新発田の乱は越後の一豪族の謀反という
レベルではないわけだ。御館の乱以後の越後の盟主をめぐる争いとい性格もあり、
中央情勢とも密接に関わっているからな。
また、山形攻めにせよ、あの状況では継続する意味は最早ないし、あのまま
強行するほうがむしろおかしい。
第三勢力というが、はっきり言ってそんなゲームのようにはいかないってw

>>696
ID:3YY5nDaw←死んでいいよw
698人間七七四年:2007/11/30(金) 21:01:18 ID:2QPGVLSL
景勝って政景が死んだ時にまだ子供だったから
景勝が継ぐべき上田長尾を謙信が預かって大人になってから帰したんだべ?
上田長尾当主として軍役をもってるのと謙信が景勝を後継者として扱っていたかは
また別問題じゃねーの?
699人間七七四年:2007/11/30(金) 21:55:54 ID:XsHK+Zlb
>>698
軍役を持っている=後継ではないというわけではないんだけど、
景勝は明確に「後継は誰である」という謙信の内意と、それ相当の
待遇を受けていないんだよな(=謙信後継者としての地位を得ていない)。
つまり、謙信政権を支える構成員の一人の域を出ていないってこと。

そして、謙信自体が出兵を色部氏に要請する際に、血判を押した起請文を
出しているなど、強い領主権力を持っているわけでは無い。
謙信ですらそうなのだから、いわんや景勝をや、というわけ。
700人間七七四年:2007/11/30(金) 22:58:11 ID:3YY5nDaw
>>699
相変わらず、無駄に長い文章だし、全レスしてるし、スレの私有化してんじゃねぇよ、バカ。
701人間七七四年:2007/11/30(金) 22:59:49 ID:3YY5nDaw
延々とお前のオナニー文章でスレ汚すんじゃねぇよ、本当に。
これだから、直江厨房はウザイ。消えてくれ。
702人間七七四年:2007/11/30(金) 23:14:36 ID:XsHK+Zlb
>>700-701
だったら少しは建設的なレスの一つもしてみれば
いかがですか?まともに議論できなくなったら
今度は人格攻撃ですかwww
703人間七七四年:2007/11/30(金) 23:45:15 ID:rD842vLX
>>699
なんとなく古志長尾に河田長親入れたりしたのも
謙信は景勝が跡を継ぐときに上田長尾と古志長尾が衝突しないように
腹心の長親を入れて古志長尾を抑えるつもりだったんかなーとか思ったりした。
妄想だけど。
704人間七七四年:2007/11/30(金) 23:59:47 ID:duD4IO7A
なんか擁護派のエースをもって自認している
>>697をボコるスレ化してきてねーかww
705人間七七四年:2007/12/01(土) 03:43:29 ID:a37GyOCx
景勝は総じて割と苦しい地盤の中で頑張ってのし上がったと言うのはわかる。
山形を攻める戦略も悪くない。新発田征伐も長期的にみれば悪くは無い。

じゃあ兼続はそれに対してどのように貢献したのか?それが無ければ全くこのスレでは意味が無い。
山形も新発田もその景勝の戦略の中で大将を任されたものは惨敗しているわけで。
この結果では軍事的な分野での能力は低いと言う他無い。

直江兼続のスレなのに、都合の悪い部分は景勝の功績と混ぜてうやむやにしているように見える。
706人間七七四年:2007/12/01(土) 07:09:43 ID:YC9jdk1V
>>704
スレの中、1人で違うこと言って、他の人に全員レス返してるんだから、
そういう構図に自らがしているような
707人間七七四年:2007/12/01(土) 09:49:16 ID:z8rTn01B
>>705
なら景勝の功績と兼続の功績きっちり分けてくれ
信頼できる史料をもとにしてな
708人間七七四年:2007/12/01(土) 14:56:40 ID:Rvvx8Ysy
>>707
それは擁護側の仕事じゃないのか?
今の流れでは、失敗は景勝/上杉家全体の責任、
成功は兼続の能力によるもの、という話にしてしまっているのは
あきらかに行き過ぎた擁護側の書き込み。
だから、そうでないことを証明するためには
擁護がきっちりと史料に基づいて自説を証明する必要がある。
全レス君以下、今は擁護が痛いし、アンチをバカ扱いしているんだから、
大口叩いた分、きっちりしなければならないんじゃないの?
709人間七七四年:2007/12/01(土) 15:02:28 ID:tepsji2P
>>703
>謙信は景勝が跡を継ぐときに上田長尾と古志長尾が衝突しないように
>腹心の長親を入れて古志長尾を抑えるつもりだったんかなーとか思ったりした

自分もそんな気がする
もっとも、古志の既存勢力を長親が方向転換するほどまとめきれず
御館ではvs上田長尾ってことで景虎派の中心的存在になってしまったが

>>694
景勝が戦場に単独派遣されるのは元亀3年までで、
それ以後は謙信の死にいたるまで、もう謙信と同陣でしか出てないな

軍役を外されたということはなく、本拠地越後の勢力をほぼ網羅したとされる
天正3年の軍役帳では景勝は家中最大級の兵力を擁して、他の上杉一門衆とは別格の、
「御中城様」(他の親族は「○○殿」)と尊称されている
710人間七七四年:2007/12/01(土) 15:39:36 ID:ev7jXLzb
>>708
景勝が無能でそれを支えていたのが直江だったのは既に常識だから検証する必要は無い。
711人間七七四年:2007/12/01(土) 15:59:08 ID:ma9TedrH
>709
元亀元年三郎景虎を養子に入れる
元亀2年越相同盟敗れる
(元亀3年長尾顕景の単独出陣無くなる)
天正2年12月謙信出家
天正3年1月長尾顕景を上杉景勝と改めさせ弾正少弼を譲る

普通に見ると謙信に後継者扱いされてるっぽいなあ…。
もうちょい長生きしてたら景勝に家督譲って後見になってそうな動きに見える。
712人間七七四年:2007/12/01(土) 23:02:11 ID:y3MYsqVB
>>707
景勝-直江の二人が力を合わせても無能だったんだから、
当然それぞれ個人も無能ってことで良いんじゃね?
713人間七七四年:2007/12/01(土) 23:05:20 ID:a37GyOCx
>>711
謙信自身が弾正少弼を譲ったとされてる資料って、
景勝の筆跡とされてる書状だけじゃなかったっけ?

まぁ謙信みたいに朝廷や幕府を重要視する武将でもなければ、
自称しようがなんだろうがどうでも良いものだけど。
714人間七七四年:2007/12/01(土) 23:26:04 ID:PLxyx26k
>>713
景勝の自筆としているのは新潟県史だね
上越市史には他に謙信が景勝宛に「上杉弾正少弼殿」と送った新年祝賀の返礼がある

自称というのもどうかね
三郎景虎が「小弼」と景勝のことを呼んでいるし、
謙信が非常なコストをかけて得た官名を、死後に勝手に名乗ったのなら、
敵対していた景虎が、そんな僭称を使うのは不自然だ
(謙信と異なる官名を名乗ったのなら自称だろうがなんだろうが関係ないだろうが)
ただ、謙信は自身が朝廷から任官された時のような正式な手続きを経て
景勝に譲ったわけではないようだから、
あくまで家中向けの暫定的なものだったのかも知れないな
715人間七七四年:2007/12/01(土) 23:43:45 ID:xd7IA+rc
三郎景虎が葦名宛ての書状で景勝を指して少弼と呼んでいる以上
弾正少弼の座は政敵三郎景虎も認めざるを得ない形で景勝のもんだったんだろ。
716人間七七四年:2007/12/02(日) 00:25:37 ID:fO5BW72w
あのさ、初歩的なことなのかもしれないけど、一つ質問。
「弾正少弼」が謙信の自称でなく朝廷から正式に授かった官職だとして、その
官職を謙信が自由に誰かに譲る権利はあるわけ?

謙信が弾正少弼を名乗るのは正式だとしても、景勝が称した場合は朝廷から
のもので無い以上自称になるんでは?
717人間七七四年:2007/12/02(日) 01:29:40 ID:/mhfDhkV
>>714
景虎にとって自身が謙信の後継者であるとする根拠は
関東管領を受け継ぐと言うもっと説得力のある大義名分がある(管領は世襲制)
景勝がそれ以外の何を名乗っていようとどうと言う事は無い。
弾正少弼の官位は上杉家と何の関係も無いし。

またもともと長尾家は違う官位とは言え弾正を自称していたので、
為景を祖父にもつ景勝が自称する事まで否定する根拠も理由も景虎にはないよ。

その辺を逆手にとって自称し権力の裏を自ら作っていった景勝の策略だと俺は思う、
まぁいずれにしろ上杉軍役帳では一門衆の筆頭だし
御館の乱での迅速な手際を見ても決して無能な人物には見えない。

兼続が一体この人物にどう貢献できたのか?それは謎。

>>716
無い、それを認めてしまう事こそ、律令制の崩壊の始まりだった。
中央を経由して無い官位は全て自称。
718人間七七四年:2007/12/02(日) 01:42:18 ID:xyCGYn6S
>>716
官位は父子で同じものを相伝していくのが通常だけど、
相伝にあたって、朝廷からの正式叙任がないものはすべて自称というなら、
確かに朝廷絡みの書状が残存してない以上、景勝も自称という括りになるかも。

ただ、三郎の書状から、謙信が景勝に譲ることを明言していたのは、
上杉家中では自明のことだったんじゃないか?
仮に、謙信が生前、景勝に弾正少弼を譲ることについて全く触れずにいて、
それで死後に突然、景勝が勝手に名乗りだした(完全なる)自称ならば
故人の跡目を争ってる相手がその官名を受け入れて、
書状に書くというのは無理があるんでは?

「弾正少弼=上杉家の跡目」を意味するものではないが、
上にも書いたように、普通は先代の官途は、その後継者が継ぐものだから。
完全な僭称だったなら、とうてい認められないと思う。
719人間七七四年:2007/12/02(日) 01:51:50 ID:CL4sRjLT
関東管領職に関しては、歴代関東管領が顕定以降100年近く官位を名乗っていないことから
むしろ官途を譲っていないことが三郎が関東管領の継承者だったという微証となり得る

っつー研究もあるんだぜ
720人間七七四年:2007/12/02(日) 02:32:58 ID:xyCGYn6S
>>717
>またもともと長尾家は違う官位とは言え弾正を自称していたので、
>為景を祖父にもつ景勝が自称する事まで否定する根拠も理由も景虎にはないよ。

これはどう?
為景らが名乗っていたのは弾正左衛門尉。
景勝が弾正左衛門尉を名乗ったのがならば、そりゃ「ご勝手に」だろうが、
景勝が名乗ったは718にも書いたが、普通はその後嗣が名乗るはずの先代の官途。
景虎の「小弼」のくだりがある書状は天正6年5月のもので、
もうはっきりと両者は上杉家の家督を巡って敵対している。

>>719
>むしろ官途を譲っていないことが

ここ、官途じゃなくて官位でいいんよね?
関東管領職については自分も三郎が継ぐものと目されていたと思うね。
越相同盟が成立し、北条氏や関東諸将が謙信を関東管領として認めたのも、
同盟条件として、三郎が謙信の養子になり、
行く末はそれを継承する、という了解があったからだろうし。
ただ、天正6年の時点でマルっと上杉家の家督=関東管領職とは言い難いと思うね。
721人間七七四年:2007/12/02(日) 03:01:55 ID:/mhfDhkV
>>719
なるほど、そういう説もあるのか。
言われてみると長尾景虎は弾正少弼を叙任されてるが、
その後、何故か松永久秀も義輝の相伴衆として正式な形で弾正少弼に叙任されてる。
弾正少弼は一人しかありえないはずだが何故だろう?と前から不思議だったんだが、

奇しくも同じ時期に謙信は関東管領を受け継いでるので、
官位は不要と朝廷がみなしたのであれば上記の謎が解ける。
まぁこれはさすがに突っ込み過ぎかもしれんし、厳密に時期を比べると
曖昧な部分もあるけど面白い。
722人間七七四年:2007/12/02(日) 03:40:23 ID:/mhfDhkV
>>720
俺はそれがむしろ不自然、
後継者として重要な官途だと世間が認めている官途なのであれば、
わざと旧名で呼ぶなりしただろう、それをあっさり呼んでること自体が
さしたる意味も無い事を証明してると思う。
またいずれにしろ自称なんだから、弾正の後がなんだろうが大した事じゃない。

あと正式な官位は世襲するものじゃないので、
官途と言い換えて普通は後嗣が名乗るとか言われても今ひとつピンと来ない。
723人間七七四年:2007/12/02(日) 03:51:03 ID:EB7aadEM
>>722
細川京兆家とかは官位世襲じゃなかった?あれは自称なのか?
724人間七七四年:2007/12/02(日) 06:18:02 ID:/mhfDhkV
>>723
それは逆、官位を世襲してる訳じゃなくて、「代々叙任されている」の間違い。
あくまで叙任しているのは朝廷。

細川家が世襲しているのは管領であって、管領は世襲制なのでこれは問題ない。
725人間七七四年:2007/12/02(日) 09:06:54 ID:66dmu+ck
関東管領職を継ぐことと越後国主を継ぐことは別だからな。
もともとセットのもんではないし少弼=関東管領でもない。
しかし少弼を名乗る=謙信の後継の意味が含まれてないし
軽く呼べるものというのも解しがたいな。
謙信自身が皆の前で景勝に少弼を譲ると明言し謙信が以後景勝を少弼と呼んでいたので
三郎景虎も呼ばざるを得ないというのは分かるが。
三郎景虎倒し謙信の後を継いだ後も景勝は関東管領では無かったはず。
726人間七七四年:2007/12/02(日) 23:37:48 ID:/mhfDhkV
そういえば謙信が少弼を名乗ってたのの最後っていつなんだろう?
727人間七七四年:2007/12/03(月) 01:51:45 ID:DuiCVIEZ
>>721
官位自体かなりいい加減だったらしい。左京大夫なんて同時期に
幾人もいるし・・・・

>>726
出家するころまでじゃないか?
728人間七七四年:2007/12/03(月) 02:58:50 ID:MXSV7iIz
>>727
その左京大夫がまさに官位の権威を失墜させた例として有名だね。
結局もともとは管領に次ぐ権威を持っていた京職の位が金で売られる物へと失墜してしまった。

その左京大夫を金で買った人物は何人かいるが、
甲斐守護としての地位向上の為に利用したのが、武田信虎であって、
北条家を名乗るために利用したのが、北条氏綱になる。
中央に断りも無く謙信が彼らのように官位を利用するだろうか?
だが景勝が自称で名乗っていただけなのであれば、辻褄はあう。

少弼の名乗りに関しては出家の頃になんか書状で名乗ってた?
重要だと思うんだがいまいち俺の調べが甘いもんで。
729人間七七四年:2007/12/03(月) 12:23:30 ID:gJX97bJT
中央に断りもなくっちゅーか謙信自身も弾正少弼の名乗りを認められただけで
正式に任官されたものではなかったんじゃないか?
どっちにしろ自称だろうが少弼の名乗りが「謙信の後継」を
意味するものであるというのは変わり無いことだと思うわけだが。
730人間七七四年:2007/12/03(月) 17:16:59 ID:z7uMSSqf
何か、スレ違いになって無いかい?
上杉スレで語るネタじゃないかい?
他の将を語るにしても直江との絡みで語って頂戴
731人間七七四年:2007/12/03(月) 20:39:14 ID:DuiCVIEZ
>>729
謙信はたしか正式に京から使者が来て官途を貰っている。

>>730
じゃあ安田能元との不仲についてだけど、常山記談以外の
記録ってなにかあるのかなあ?
732人間七七四年:2007/12/03(月) 23:55:35 ID:/san1c1i
直江の全盛期は家中の要職の大部分を、
直江の支持基盤である与板衆が占めたみたいだから、
直江が支持者を推挙するだけでなく、対立者を排斥した、もありえなくないと思うが
733人間七七四年:2007/12/04(火) 00:06:03 ID:l8hVX7Or
>>732
直江の支持基盤(与板・上田組)はそのまま景勝の基盤でもあるからな。
ただ、色部や本庄なども確実に景勝の権力構造に組み込まれているので
その過程での排斥、対立が上条などなのかも。
ただ、安田と仲悪くなったのは関ヶ原以後のはず。
734人間七七四年:2007/12/04(火) 01:34:07 ID:WBRT76Ii
謙信の時代に比べて家臣の造反が少なくない。
新発田が最後、前の時代を引きずったが味方がつかなかった。
上条、藤田&栗田は出奔で、家臣団が割れて戦ったとかない。
景勝直江体制でうまくまとまってたとみることもできるんじゃないか。
735人間七七四年:2007/12/04(火) 02:05:16 ID:KcfIPEi5
>>729
そもそも弾正少弼自体、朝廷から謙信が貰ったもので、
長尾でも上杉でも代々名乗ってきた訳でもなければ、謙信に特別由来があるわけでも無い。
(あっさり松永久秀が受けちゃってるし)

しかも事が済んだら景勝自身がさっさとその後に違う官位に正式に任官されてるので、
本人が執着して無い時点でさしたる意味があったとは思えない。

彼はそんなものに頼らずとも自らクーデターを起こして上杉家を奪うだけの実力があったと言う事、
謙信は後継の事自体考えていたかどうか怪しい。

で、本題は兼続がその景勝のどのあたりで主に業績を残しているのか?と言う事。
謎だらけなのに、宰相だったというだけで業績を吸い取られてる感じがある。
そもそもどのあたりから記録があるのか?
736人間七七四年:2007/12/04(火) 11:30:02 ID:RfHQcK/u
景勝、定勝を弾正大弼と書いてるところも見るな。

兼続が出てきたのは御館の乱ごろだろ。それ以前は史料に出てこない。
上田長尾の炭焼きの息子が景勝の傍仕えになって直江家の婿に入るくらいだから
景勝に気に入られて取り立てられてるのは間違いないだろう。
政治に介入する権限が出来たのは直江家に入ってからな気がするが
個人的に景勝と親密で相談していたとか言われたらわからんな。
謙信の寵童とか根拠の無いデタラメを自信満々に吹聴する馬鹿が多数いるのが
イライラするんだよなー…。
737人間七七四年:2007/12/05(水) 01:25:15 ID:GrVA9Xky
炭焼きの息子だって新井白石の藩翰譜のみで
本当かどうか解らないんじゃないか。
常山紀談なんて都市伝説みたいなものだしな。
738人間七七四年:2007/12/06(木) 20:23:19 ID:wiPCLdjK
新井白石は文化人だからか文化人直江に好意的じゃん
それすら疑うとなると、直江関係で信じられるものが無くなるやん
739人間七七四年:2007/12/06(木) 22:48:06 ID:t07DfAHo
文化人だろうが好意的だろうが、検証は大事だとは思うがな。
740人間七七四年:2007/12/07(金) 01:12:34 ID:Wj0uggs1
>>738
「藩翰譜」については、寛政期に編纂されたアレよりはいいけど・・・
て感じかな。それ以前の資料には記載が無い。おそらく彼は景勝の
側近くで仕えていたのは多分間違いないと思うから、それなりの
(=景勝の近臣として取り立てられてもおかしくない)レベルの家の
出身だったんじゃないか。如何せんこの頃は資料が少なくてなあ・・・
741人間七七四年:2007/12/07(金) 07:59:08 ID:sAtHJIvP
景勝の弾正少弼は、足利義輝の意を汲んだとして
謙信より譲られているのは間違いない。
新潟県史の説は、景勝への反感が根底にあると思うね。
景勝は、新潟特に中越地方では評判が悪いからね。
742人間七七四年:2007/12/07(金) 17:29:38 ID:d315NmTt
>>740
ファンなら直江を美化したいって気持ちは分らなくないけどなw
大抵出自あいまいって奴は低い身分だろ
良い家なら伝わっているはずだろ
743人間七七四年:2007/12/07(金) 20:19:23 ID:Wj0uggs1
まあ、確か兼続の母方は信州の泉氏だっけ?
その泉氏から樋口惣右衛門に嫁が迎えられるくらいの家柄なのかな。

流石に直江実綱の姉妹が兼続の母親ということはないだろうし。
ただ、「天地人」ではその母方が直江氏という設定でいくらしいがw
744人間七七四年:2007/12/07(金) 21:27:05 ID:S75n/yzM
天地人では兼続は母が直江氏の出だから直江家に入るのも当然で謙信の愛弟子で
景勝は兼続がいないと何も出来ないボンクラになります。
745人間七七四年:2007/12/07(金) 21:43:32 ID:l0CVXotY
>>744
史実でもそうだから
746人間七七四年:2007/12/08(土) 00:09:20 ID:l6lLTofA
泉氏って飯山城主なんだね。
高梨氏は葛山城を落とされ、泉氏を頼ってここに籠城。
高梨氏上杉景虎に援軍を求め、景虎は長尾政景に援軍命令。
時に1558年。
兼続は1560年生まれだから泉氏娘と樋口兼豊の出会いはここなのか。
747人間七七四年:2007/12/08(土) 00:17:55 ID:XjmifaTL
上杉景虎?
748人間七七四年:2007/12/08(土) 00:19:05 ID:l6lLTofA
あ。悪い長尾景虎も間違いです。
三郎殿ではないです。
749人間七七四年:2007/12/08(土) 00:20:39 ID:skIY9UY1
>>746
となるとやはり樋口兼豊が単なる炭役人というのも
?になってくるな。
750人間七七四年:2007/12/08(土) 00:37:18 ID:/U/83neU
江戸期は「下克上史観」と言うのが全盛の時代で、戦国期の出自のよく解らない人間の身元は、とにかく地位を低くするという
変な癖があった。そのほうがドラマチックで大衆にうけるしね。
751人間七七四年:2007/12/08(土) 01:54:28 ID:kYn9O5lL
>>741
思うと言う程度の事を断言しちゃダメだろ。
つーかとっくに死んでる義輝の意を汲む?誰が?

そもそも官位は譲るものじゃないんだってば。
752人間七七四年:2007/12/08(土) 08:36:06 ID:b2upTrlL


>つーかとっくに死んでる義輝の意を汲む?

「撰吉日良辰、改名字官途、上杉弾正少弼与成之候、
 彼官途者、先 公方様(足利義輝)江深忠信之心馳依有之、
 被仰立被下候条、不安可被思事、目出度候、恐々謹言、
               
 正月拾一日  謙信
                     長尾喜平次殿」

この書状を新潟県史が景勝自身の筆跡と疑ってるけど、
筆跡鑑定でもしたのかね?。
蒸し返すようだけど、景虎が芦名盛氏に宛てた書状に「少弼」と
景勝を呼んでるのだから、景勝官途は間違いないでしょう。
否定する人々は、景虎派か古志長尾家ゆかりの末裔の方々でしょう。
753人間七七四年:2007/12/08(土) 09:15:09 ID:i47QjRlI
景勝の出した文書と同じ人物が書いたとしても
単に謙信と景勝両方に同じ佑筆が付いていただけの可能性もあるしな。
754人間七七四年:2007/12/08(土) 13:11:15 ID:lQrj6U0y
その通り!!
755人間七七四年:2007/12/08(土) 13:36:54 ID:CwFg+POZ
>>736
>政治に介入する権限が出来たのは直江家に入ってからな気がするが

直江家に入るのは天正9年10月以降だけど、
天正8年には皆川式部丞宛ての宛行状が残ってる。ほかにも樋口与六名義で残された
上条宜順(謙信養子)や山崎専柳斎(謙信・景勝側近)らの書状も多く、
直江家に入る前から政権の中枢(つまり景勝の側)で、
ある程度の発言力があったことは確かなんじゃないか。
ただし、単独執政として家中を総覧するのは、
もう1人景勝が寵用した狩野秀治死後の天正16年以後だな。

ちなみに評判の駄作「天地人」では、おせんと前夫・直江信綱の不仲を暗示させる描写、
信綱の凡庸ぶりを印象づける描写が出てくるのだが、
実際には、信綱が事故死する年に夫婦連名の書状が残っていたり(上越市史2155号)
信綱とおせんの子が出家して生きていたという説もあったり、
普通に夫婦仲は良かったように思えるな。
756人間七七四年:2007/12/08(土) 13:54:29 ID:CwFg+POZ
>>752
さすがに筆跡鑑定はされたんじゃないの?
新潟県史未見なのだが、その過程とか論拠が当然載ってるんだと思っていた。
(ないなら741もありだろう思えてくる)
天正3年時点で足利将軍は義昭だから、その書状文中の(足利義輝)は傍注ミスだろうね。
天正3年といえば幕府は事実上滅亡していて義昭は各地を流浪中だが。

ほかに、景勝の弾正少弼に関連する書状は自分の知る限り2点ある。
謙信から「弾正少弼殿」(景勝)へ宛てた新年祝賀への礼状(上越市史1382号)と、
浦佐の普光寺に残された文書↓
「御懇札具令披見、随而今度従 上様御幕なと被下、官途させられ候、就之祝儀之趣
祝着之至候、殊巻数守送給候、努悦之式候、諸余令期永日之時候、恐々謹言、
     少弼 景勝(花押影)
  弐月四日
   普光寺 床下」
これは弾正少弼が譲られた際、普光寺から贈られた祝儀への景勝の礼状と考えられている。
こうした書状が残存する以上、朝廷への正式な叙任申請までいかなくても、
謙信が景勝に弾正少弼を譲る意思をまわりに表明した可能性は高いと思う。
それこそ正式な任官は、時節をみて越後国主を譲る時にさせるつもりだったとも考えらるし。
757人間七七四年:2007/12/08(土) 14:03:26 ID:XjmifaTL
義昭が上杉の金か助力欲しさに
謙信から俺出家するんで弾正少弼を景勝にやりたいっすーと言われて
「おk、俺が将軍だから俺が許す」と言ったんだろうかw
758人間七七四年:2007/12/08(土) 14:24:16 ID:kYn9O5lL
>>753
謙信の祐筆は3人ぐらいいたと思うが、関係ないだろう。
祐筆の筆跡ならば、祐筆の筆跡だとされるだけ、そうではなく景勝の筆跡だと言われてる。

>>756
全部景勝の周りからしか文書が残っていないのが逆に不思議。

1575年なら正式な任官も含めて確実に行動できる時期なのだがその気配すらないのはどう考えても不自然。
自身の隠居に際してはわざわざ高野山まで使いを出してるのに、
後継者へ官位を任官させる(?)事に関しては書状一通で済ませるという謎。お歳暮じゃないんだから。

どっちにしろ中央からの叙任が無いのだから自称なのは間違いない。
そんなものに越後国主がどうとかこじつけにしかならない、が、
状勢的に景勝からすればそれで充分だったと言う事に過ぎない。
家康の秀頼に対する釣鐘事件と同じ、実力で勝っているから口で言う大義名分は適当で良いわけだ。

そんなことより謙信が最後に弾正を名乗っていた記録が見つからないんだが、どの時期までなんだろう?
松永久秀に将軍義輝自身が弾正少弼を送ってる時点で、
謙信の官位に関していささか謎が残る、>>719の言うとおり関東管領となったがゆえに
官位を名乗らなくなっていたとしたら話が180度変わってくる。

景勝が自称し始めたところで景虎が気にしないのも当然になってくる。
759人間七七四年:2007/12/08(土) 14:29:13 ID:XjmifaTL
祐筆ではなく景勝自身の直筆と確定している
どの文書と一致するか言ってくれよ。
景勝が少弼を継いだということになってるのに
景勝周りから文書が出てくるのは当然だろ。
760人間七七四年:2007/12/08(土) 14:36:39 ID:i47QjRlI
どうせいくら議論しても越後国主は景勝、関東管領職は三郎景虎説が
妥当ってことにしかならんぜ。
761人間七七四年:2007/12/08(土) 15:21:09 ID:CwFg+POZ
>>758
>全部景勝の周りからしか文書が残っていないのが逆に不思議。

しかし、すべて偽造だと考えるのも無理があると思うのだが。

>1575年なら正式な任官も含めて確実に行動できる時期なのだがその気配すらないのはどう考えても不自然。

正式に任官させるのは、いずれ越後国主の座を譲る時にと考えた可能性もある、と書いた。
その時期が来る前に謙信は死去したと仮定した書き込みなのでな。

>どっちにしろ中央からの叙任が無いのだから自称なのは間違いない。
>そんなものに越後国主がどうとかこじつけにしかならない、

叙任手続きに関する書状が残ってない以上、しょせん自称だと言うのは納得できる。
しかし弾正少弼は天文21年に謙信が国主としての権威を高めるために長期の準備期間と
莫大な金額を費やして得た官途(武家官位)であることを考えると、
弾正少弼=越後国主とは言い切れないが、こじつけとも言えないんじゃないか。
そして名乗るにあたって、謙信の意思が反映されたかどうかは君と違って気になる。

>そんなことより謙信が最後に弾正を名乗っていた記録が見つからないんだが、どの時期までなんだろう?

そんなことで悪かったなw
謙信が弾正少弼を名乗ってる書状は知らんが、天正3年の普光寺に残ってる起請文では、
法印大和尚謙信と署名している。法印大和尚は僧侶の官位で4位相当だな。

そして760に完全に同意。平行線のままだろうな。
景勝へ弾正少弼が譲られたって話題になると必ずレスする人は、
おそらく前にも景勝スレや後北条氏スレで同じ主張をしていた人だと思うのだが、
確かにスレ違いな気がするので戻った方がいいな(自分もここでは直江がらみだけにするわ)。
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168972775/l50
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1187642750/301-400
三郎景虎のスレもあるよ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154969043/l50
762人間七七四年:2007/12/08(土) 15:29:33 ID:b2upTrlL
新潟県史にどのように記述されていたか、わかる方いる?。
自分が見たのは上越市史と上杉古文書集の注釈に載っていたその新潟県史説の
簡単な説明だけだから。
763人間七七四年:2007/12/08(土) 20:56:57 ID:kYn9O5lL
>>761
もしも弾正少弼として全然名乗っていなかったのであれば
越後の国主云々以前に譲るとかそういうものですらなかったかも・・・となるちょっと意味が変わってくるな。

またあなたの言うように弾正少弼は
「国主としての権威を高めるために長期の準備期間と莫大な金額を費やして得た官途」
であって、その過程こそが重要なのであって、
そういう過程をすっ飛ばして名前だけ叙任も無く名乗っててもなんの意味も無いと言う事は
苦労した謙信が一番判っているだろうし、そういう事を誰よりも重要視してる人物だからこそ
意志があるとは思えないと言う事。信憑性の弱い書状一つで信じるのはどう考えても無理。
その書状をまず中央に送ればよかったではないかと。
本当に譲る気が少しでもあったならそうできない理由が一切無い。

あと、俺は三郎景虎も上杉憲政も、もっと言えば山内上杉家自体はどうでもいい、
関東管領の後継者として景勝より大義名分はあったかもしれないが
景勝に戦国大名として実力でその座を奪われ、越後の実権はおろか苗字まで奪われた
運の悪い連中、としか写らない。その意味で言えば謙信も例外ではない。
764人間七七四年:2007/12/08(土) 21:22:01 ID:b2upTrlL
では、なぜこの時期に長尾顕景に上杉姓を与えたのですか?。
765人間七七四年:2007/12/08(土) 23:21:31 ID:Njc/Ud48
景勝の話題は景勝スレか上杉スレでやれ、この低脳荒しども。
766人間七七四年:2007/12/09(日) 00:12:17 ID:d2hJlNGo
文禄三年定納員数目録、上田士籍には兼続の母は泉弥七郎の娘と記している
と見たのですが、なぜ「直江景綱の妹が母」説が小説などになっているんですか
なにか有名文書に記されているのですか
767人間七七四年:2007/12/09(日) 07:37:53 ID:7zg/2nnY
>景勝の話題は景勝スレか上杉スレでやれ、この低脳荒しども。

別にいいじゃないか。疑問に思ってる事を知識ある方々に聞いてるんだから。
お前こそ、あちこちでそういう稚拙な書き込みしてる荒らしのボンクラだろ。


768人間七七四年:2007/12/09(日) 07:45:58 ID:baVANblx
まぁ景勝の話である以上スレ違いとするのはちと厳しい気はするな。
769人間七七四年:2007/12/09(日) 08:23:45 ID:7zg/2nnY
>なにか有名文書に記されているのですか

木村徳衛「直江兼続伝」によると、その説に対しての正確な史料はない
との事です。
天地人では、花ヶ前盛明が考証協力してるようですから、直江景綱妹説を
採用したのでしょう。花ヶ前氏は、直江景綱妹説を支持してますから。


770人間七七四年:2007/12/09(日) 11:28:57 ID:cWfTprhu
>>796
でも、樋口氏と直江氏とでは家格が釣り合わない気がするなあ。
もし、本当に直江氏が兼続の母親ならば、樋口氏は上田衆のなかでも
かなりの大身(格上)の家ということになる。
それこそ炭役人ごときでは無理。

にしても、直江実綱妹説って正確な資料に基づいてないのか。
花ケ前氏は何を根拠に支持してるんだろう
771人間七七四年:2007/12/09(日) 11:59:55 ID:f28Ce3H0
>>770
最近は脳内根拠でNHK大河の原作&脚本ができるらしいので何の問題もありません、スイーツ(笑)
772人間七七四年:2007/12/09(日) 15:02:48 ID:7zg/2nnY
>なにか有名文書に記されているのですか
訂正します。
花ヶ前盛明も泉弥七郎の娘説を採っていました。
直江氏系図の説明で実綱娘説だったのですが、本文では泉弥七郎の娘でした。
(直江兼続のすべて)
773人間七七四年:2007/12/09(日) 19:22:44 ID:d2hJlNGo
>>772
丁寧なお答えありがとうございます
正確な資料がないのに流布しているということですか
「直江景綱の女が妻」がいつのまにか軍記物などで母に変化していったのかもしれないですね
774人間七七四年:2007/12/10(月) 14:43:04 ID:c/xl2DWy
景勝のホモの愛人だった、の通説で何ら問題ないだろう
炭焼きの息子でも、愛人として寵愛されたから景勝に近侍した
寵愛されたから、身分が低かったにもかかわらず直江家に送り込まれた、でいいだろ
大したエビデンスも無いのに、通説を無理に覆そうとするなっつうの
775人間七七四年:2007/12/10(月) 18:06:36 ID:1F3gVwd8
>>774
炭焼きと炭役人はイコールじゃないぜ。
それに母方が信州泉氏なんだから、その泉氏と婚姻関係を
結んでも不自然でない程度の家柄とみるのが妥当じゃないか?
そもそも例の炭役人の倅って話も初出は『藩翰譜』なわけだし・・・
正直、根拠とするには貧弱だ。
776人間七七四年:2007/12/10(月) 20:53:33 ID:tUlWcDp1
↑大変、的確な考察で同意致します。
ID:c/xl2DWyのような知識のない低脳野郎は返す言葉がないでしょう。
777たられば君:2007/12/10(月) 21:38:08 ID:4hPC+ePi
樋口兼豊って与板かどこかの城主だったような気が
778人間七七四年:2007/12/11(火) 04:17:40 ID:hvCLT2ov
織田家における前田家程度の重さがあっても
主君とホモ達だということでなぜか利家が家督継いだ例もある

779人間七七四年:2007/12/11(火) 07:41:31 ID:5camCf8P
>>777
景勝に可愛がられた兼続のおこぼれの可能性が…
780人間七七四年:2007/12/11(火) 13:50:55 ID:e2kuTMoj
>>778
前田の場合は実家を継いでいるからな。
与板衆の頭にあたる直江氏をついだのとは違うが、
いずれも主君の肝いりではあったろうな。
781人間七七四年:2007/12/12(水) 07:46:04 ID:wP1x4W2F
関が原時に兼続がなぜ主将になり、最上を攻めたのだろうか。
景勝に米沢、山形、庄内を兼続に支配を任せる構想があったのだろうか。
782人間七七四年:2007/12/12(水) 10:26:47 ID:1mneuQE4
>>781
庄内と会津、米沢が飛び地になっていたというのもあるんじゃないか?
とりあえず領地をひとつなぎにして、それから越後を窺うという感じか。
対伊達には本庄や須田をのこしてあるわけだし
783人間七七四年:2007/12/12(水) 14:49:15 ID:m0r2a/Tn
関が原の西軍は家康が着陣したとき大いに驚いたとあるから、
上杉にも家康はまだ江戸にいるという情報がいってたんじゃないかな
正面の秀康に家康の後詰があるかもしれないから景勝は主軍を動かせなかったと
でなきゃ秀康相手にあんなに兵を置かないと思う
784人間七七四年:2007/12/12(水) 16:43:17 ID:swzgOili
70 :人間七七四年:2007/12/11(火) 12:47:52 ID:gMTl9w2K
朝鮮に乗り込んですき放題やる話は結構好きだったのに、琉球に変わったのは残念だったな。
隆氏は、それほど朝鮮に差別的な表現とかしてなかったのになあ。

ただまあセックル中に来たホネの前でギンギンのを丸出しでご立派と言わしめたシーンを
描いたのは評価できる、うん。

73 :人間七七四年:2007/12/11(火) 18:11:57 ID:+tUW1nnf
>>70
朝鮮より金沢の方がボロクソ言われてたよな

81 :人間七七四年:2007/12/12(水) 08:31:05 ID:t6KJKiH1
>>73
その代わりキチガイレベルの上杉厨っぷりだけどなw
・上杉家の越後時代の実収は300万石←景勝時代の表高50万石程度
・三拾人長柄組と言う詳細の良く分からない直江が属していた精鋭集団
・長谷堂合戦で上杉を追撃した最上軍は2万人←山形城に4000人しかいないのにどうやって捻り出したの?w
・佐渡平定では5年も前にアッー!のもつれで死んだ蘆名盛隆を出し策士とのたまうgdgdぶり。
・越後の武将は裏切り野郎ばっかりなのに古い友誼を破る事の出来ない越後人の性格とのたまう。
・三成と兼続の友情は石田が一方的に兼続を利用する物。
etc上杉厨だってこんな酷い奴はいないと思う。

直江兼続が所属していた精鋭軍団三拾人長柄組について知ってる方いませんか?
785人間七七四年:2007/12/13(木) 12:46:35 ID:M9R+w5UV
>>782
その構想だけは良いかもしれないが、能力が伴わなければ構想だおれとしか良い様がないな
伊達にも最上にもボコられっぱなしで、領土を掠め取られて
結局、防衛だけに徹していた方が、直江-景勝の実力に見合っていたかも
このホモ主従に追い出された、新発田、上条、藤田が残って居れば少しはやり返すことも出来たかも
786人間七七四年:2007/12/13(木) 12:51:23 ID:sybQk0gP
関係ないがやたらホモを強調したがる人間って、心理学的には実はホモに憧れているそうだな。
ホモセクシャルに心惹かれている自分をごまかす為に侮蔑的にホモという言葉を使うんだと。
787人間七七四年:2007/12/13(木) 21:07:26 ID:GscqJL1A
785>
低俗な妄想野郎は失せろ!!
788人間七七四年:2007/12/13(木) 23:59:29 ID:inOeDFkM
直江ファンも、図星をつかれるたびにヒステリー起こしてないで、
直江の負の部分も認めたうえで、良いところをアピールしろよ
噛合わない論争を繰り返すじゃないかよ
789人間七七四年:2007/12/14(金) 00:48:44 ID:M8meTMLh
つうか、戦国武将=ホモは戦国時代をちょこっとでも齧ってるのなら常識だろ‥。
イチイチ指摘する事でもないし怒ることでもない。
ホモが嫌なら豊臣エロ爺秀吉とか細川キチガイ忠興でもマンセーしてれば良い
790人間七七四年:2007/12/14(金) 01:26:30 ID:877uC8cw
まあ、わざと悪い言い回しをしようとしてるのが丸分かりで、
しかもそれが>>785みたいにアフォ丸出しだと、微妙な気分にはなるわな…
791人間七七四年:2007/12/14(金) 01:44:39 ID:Rh2X77O7
>>789
ホモでここをレス抽出すればわかると思うけど、
いつもの人だよw
792人間七七四年:2007/12/14(金) 09:09:50 ID:kG2ks39V
>>789
戦国武将が全部ホモなワケじゃない。当時合戦に女人は連れて行けなかった。
そのため代用としてやむなく多くの大名が男色やっていただけで、ガチホモはさほど多くない
景勝と兼続以外では、近隣では大崎と芦名の殿様ぐらいじゃないか
793人間七七四年:2007/12/14(金) 10:11:40 ID:L92eDN/J
>>792
政宗もいるじゃまいかww
794人間七七四年:2007/12/14(金) 15:45:25 ID:akNcZEa6
ホモじゃなくてバイなw
795人間七七四年:2007/12/14(金) 15:53:02 ID:xPiftlle
ってか上杉で証拠残ってんの清野だけじゃね
796人間七七四年:2007/12/14(金) 22:46:35 ID:RjyjUcRt
ホモの話題はするんじゃねえよ。
糞くせえな!!
797人間七七四年:2007/12/14(金) 23:49:43 ID:XRHerVk/
戦国武将が男色を「やむなく」やってたとか言ってる時点で、もうねw
798人間七七四年:2007/12/15(土) 00:39:35 ID:fEdYO8xX
つーか戦国から家光の時代くらいまで、日本において『恋愛』とは男同士の恋のことだった。
女にうつつをぬかすような奴は、武士町人を問わず「女々しい」と馬鹿にされた。
社会的常識も状況も全く違う世界だったわけだ。
799人間七七四年:2007/12/15(土) 15:22:42 ID:JJOKtPi1
まぁ兵同士の団結も深まるし
近隣の村落で女性に乱暴する事が減るので、治安維持と同時に軍の規律にも繋がる。
戦争時と言う事を考えると奨励する理由もわかるな。

逆に女性を連れて行かない理由は上記と逆の事が起こるためなんだろうし。
800人間七七四年:2007/12/16(日) 22:51:55 ID:6R5ddAsF
もちろん戦国期に衆道は珍しくないわけだが。ただ、直江の場合は

主君の愛人だから、低い身分から取り立てられ
主君の愛人だから、何の武功も無いのに筆頭家老になり
主君の愛人だから、失策の責任も取らないで許されて
主君の愛人だから、近侍して他の将を讒言し

まさに、「愛」の武将
801人間七七四年:2007/12/16(日) 22:54:05 ID:xyzTnBVw
その書き方じゃ、「愛」というより「受」w
802人間七七四年:2007/12/16(日) 23:18:07 ID:3kMgqJh7
小説とか信じこんでそうな雰囲気
803人間七七四年:2007/12/18(火) 10:04:36 ID:F9HtjuVG
主役候補
@山本耕史 いい役者だけど主役向きではない…。
Aジャニの誰か 松岡 岡田
B舞台系俳優 NHKの独自路線
C歌舞伎俳優 毎年大河に出演しているので…
D織田裕二 腰痛持ちなので大河のような長期的な仕事はしないと思う
E堤 真一 年をとった時の兼続を演じるのなら堤がベストだと思う
Eスマップの誰か 彼らの場合大河に出演するメリットがないから
 三谷の意向で出演した香取以外は大河の主役を演じることはなさそう
804人間七七四年:2007/12/18(火) 11:27:04 ID:O7zJFiJq
直江兼続 出川哲郎
上杉景勝 真栄田賢
上杉謙信 小島よしお
北条三郎 妻夫木聡
織田信長 渡哲也
豊臣秀吉 中村梅雀
徳川家康 西田敏行
武田勝頼 中井貴一
北条氏政 杉良太郎
伊達政宗 渡辺謙
805人間七七四年:2007/12/18(火) 11:34:42 ID:kiylJ1zM
>>804
上杉サイドだけ露骨だなwww
こういうのは大河板にでも書いてこい。
806人間七七四年:2007/12/18(火) 13:24:17 ID:tRM4f83p
おれも直江はどうでもいいから、むしろ敵の新発田、最上、伊達をカッコ良くして欲しい
今年のガクト謙信みたいに
視聴率はほとんどそれに掛かっていると思う
807人間七七四年:2007/12/18(火) 13:27:39 ID:E9WwCxcW
>>806
つーか敵を魅力的にするなら、ラスボスの家康を相当かっこよく描かないといかんだろうな。
808人間七七四年:2007/12/18(火) 16:01:28 ID:kiylJ1zM
まあ、あの原作&脚本の直江兼続ならどうでもいい気がする。
新発田重家や本庄繁長、安田能元などの越後武士を描けるとは到底
期待出来ないのが悲しい。

しかも、原作からして兼続以外のやつは殆どが醜男かロクデナシだしw
809人間七七四年:2007/12/19(水) 23:32:40 ID:ue+GcpAj
徳川、政宗に対する発言とかが
現代の感覚だと小物っぽいのが残念だ
これがなければ格好良いのに…
810傾いて一時間以内にガッしなかったら天下御免:2007/12/20(木) 00:22:58 ID:J8wsMWYr
原作の方に前田慶次の名前が載ってるだけで台詞無いんですけどこれはどういう事だ?
811人間七七四年:2007/12/20(木) 09:30:57 ID:dOltBCDT
妻夫木聡が09年NHK大河主役

09年のNHK大河ドラマ「天地人」(日曜午後8時)の主演に俳優妻夫木聡(27)が起用される
ことが19日、明らかになった。戦国時代の上杉家の重臣、直江兼続の生涯を描くドラマで、
人気俳優の大河登場は話題となりそうだ。

4月に同局が概要を発表した際には、内藤慎介プロデューサーが主演像について
「25〜30歳前半までで、兼続のキャラクターにぴったりな誠実で清潔感がある人を
キャスティングしたい」と話していた。
NHKドラマへの出演歴はないが、映画やドラマ、舞台に取り組む真摯(しんし)な姿勢を
高く評価する声は多く、白羽の矢が立った。
現在は初舞台となる野田秀樹氏演出の「キル」に出演中。演技者としての奥行きを深めている。
http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20071220-297533.html
812人間七七四年:2007/12/20(木) 21:44:19 ID:dIejwyIm
ぶっきー愛の兜
テラワロスwwwww
813人間七七四年:2007/12/20(木) 22:30:00 ID:mvxBpBkA
キュートな兼続だな
814人間七七四年:2007/12/20(木) 22:30:09 ID:lrmzYWAn
妻夫木か…。がっかりだな……。
815人間七七四年:2007/12/20(木) 22:37:40 ID:5YlW+29F
たぶん大コケだよ(-.-;)

どうせ上杉なら鷹山のほうが面白い。

どうしても直江なら原作は童門先生。
816人間七七四年:2007/12/20(木) 22:38:15 ID:A98wdLAW
たぶん景勝はまともな配役になるだろ・・
主人公を脳内で景勝に変更しとこうぜ
817人間七七四年:2007/12/20(木) 22:39:32 ID:Te2f2T7s
>>815
童門はキモすぎてダメだ。
地元に媚び売りすぎと言うのもキモい。
818人間七七四年:2007/12/20(木) 23:19:20 ID:ST/TrWUp
>>816
どうせ坂口や伊藤英明になりそ
819人間七七四年:2007/12/21(金) 03:45:52 ID:tW7IqyfQ
>>817
それでも天地人よりはかなりマシだし、何よりも菊姫の人物造形が可愛いw

>>818
華は無くても実力はあるような、いぶし銀の若手を持ってきて
欲しいと思う。でも、今や若手俳優も層が薄くなったからな・・・

個人的には25年くらい前の篠田三郎か村上弘明あたりがいいのでは
と思う。つうか、そろそろ大河でも久々にこの二人を見たい。
820人間七七四年:2007/12/21(金) 06:57:50 ID:+l24iroC
>>819
いいねぇ

大河ウルトラと大河ライダーか
821人間七七四年:2007/12/21(金) 12:15:30 ID:nMYWv0h+
ご老体も楽しめる話にした方が良くないか‥
爺さん方が可哀想だぞ
俺の爺さん、大河欠かさず見てんだからさ

俺の周りの若い奴らなんか全然見てない
822人間七七四年:2007/12/21(金) 19:18:05 ID:+yrSJkli
>兼続のキャラクターにぴったりな誠実で清潔感がある人

妻夫木のキャラ(見た目)ならこれでいいんだろうが
そもそも兼続のキャラの方がこんな設定だっていうのがな

兼続はどっちかというと交渉事がうまくて押し出しが強いキャラだと思ってるし
823人間七七四年:2007/12/21(金) 22:41:58 ID:R9nB26Lz
清潔感と誠実さって、実は兼続の造形に一番必要なかったりする。

野望どろどろのエリートが一番必要な造形。
金がなくて大学時代はバイトでホストしてたけど、卒業後は霞ヶ関行った、みたいな。
824人間七七四年:2007/12/21(金) 23:43:55 ID:8A3aQsrf
清潔感があって誠実で頭が良くて女房を大事にして、、、みたいな
奥様好みのキャラに仕立てられるんだろうな、妻夫木使って。
825人間七七四年:2007/12/21(金) 23:46:22 ID:i6kppNRj
義と人と言えば石田三成でしょ
826人間七七四年:2007/12/22(土) 02:48:33 ID:mbYrCI1g
>>822>>823
うるせえバカ。天下のNHKが位置づけたイメージに文句つけるんじゃねえ
827人間七七四年:2007/12/22(土) 13:49:03 ID:QCnlI7EF
石田三成が大河になったら面白そうだな
やっぱり美化されるだろうけど
828人間七七四年:2007/12/22(土) 19:11:41 ID:A6L2+PHb
>>825
石田三成は義よりも忠の人だろ
忠よりも義が勝るなら、もっと人あたりもいいだろ
829人間七七四年:2007/12/23(日) 09:48:24 ID:3sL5z5Ff
兼続って誠実で清潔感どころか取り入り方が上手いキャラな気がするんだが…。
こいつの逸話ってヒデーwって感じの話ばっかじゃん。
しかも戦に弱い。
830人間七七四年:2007/12/23(日) 10:06:59 ID:RHgPIWw+
取り入ったとしても、相手は人物評価が非常にシビアで、役に立たないとなると躊躇無くばっさり切り捨てる
秀吉や家康に取り入ったんだから、取り入る人間としても超一流だわな。
831人間七七四年:2007/12/25(火) 01:21:59 ID:GrWcklFt
妻夫木か・・・。

個人的にはトリビアの泉で兼続の愛の兜の話の回に、兜かぶって馬で走ってきた人が良かった。
榎本なんとかって人。
832人間七七四年:2007/12/25(火) 02:23:00 ID:uSM+GzDE
>>830
違うだろ、秀吉や家康は直江個人などどうでも良く上杉を手なずけたかった
そのために都合の良い懐柔される奴が直江だっただけ
実際関ヶ原後は、上杉家臣への軍役の感状が、景勝をスルーして家康が直接手渡すほどに手なずけられてしまっている
833人間七七四年:2007/12/25(火) 05:09:35 ID:3sP62fxk
>>832
※上杉を手名づけるのに、必ずしも直江を使う必要性も必然性もなかった。※
834人間七七四年:2007/12/25(火) 06:59:55 ID:JO3CVXhL
少なくとも>>832が兼続なら
秀吉も家康も歯牙にもかけず
他の人間を手なずけただろうさ
835人間七七四年:2007/12/25(火) 16:16:04 ID:v3QFeJnm
>>832
家康、秀忠が陪臣に感状を発給するのなんぞ
そんなに珍しい事例でもないだろ。
836人間七七四年:2007/12/25(火) 16:33:47 ID:37llwbhR
へ〜ホントかよ。他にどんな奴がもらっているん?
837人間七七四年:2007/12/25(火) 16:56:16 ID:v3QFeJnm
大坂の陣だと、蜂須賀の家臣、片倉小十郎(倅の方)などが貰っている。
また、越後一揆の鎮圧に際しては、堀直政が家康からうけている。
あとは自分で調べてくれ
また、感状ではないが、手柄を立てた陪臣が家康や秀忠から現物を
賜った例もあるな。
838人間七七四年:2007/12/28(金) 17:39:13 ID:rriaY6kJ
でも上杉家臣の論功行賞を景勝をスルーして家康or幕閣が行い
その情報を直江が申請して、時に気に入らない奴の武功は握りつぶしていたんだろ
ほとんど植民地化されてるよな。
そしてその間の執政が直江なんだよな
839人間七七四年:2007/12/28(金) 17:54:20 ID:uQzEldxs
>>838
植民地も何も…、大阪の陣は私的なものではなく、幕府軍としての公的な軍事行動なんだから、
幕府からの論功行賞があって当然。
840人間七七四年:2007/12/28(金) 18:25:26 ID:fKJXZUbO
気に入らないやつって安田のこと言ってるんだと思うけど
直江が安田を嫌ってたとは思えないんだよな。
慶長14年の町割りの書状で安田と黒金を米沢にやるから
よく相談して決めるようにと平林に送っているんだよね。
政治中枢で一緒にやってた証拠にならないかな。
前にも出てたけど冬の陣で安田一陣須田二陣をかえたのは景勝だし。
論功賞の推薦を直江が決めたって何かにでてんの?

841人間七七四年:2007/12/28(金) 19:28:46 ID:i6dtZqq+
>>840
兼続主宰の亀岡文殊堂の詩歌会にも参加しているし、
景勝-兼続ラインにはかなり重用されていた感がある。


安田と直江が決裂した話の経緯て、『常山記談』で、
兼続が1番手安田、2番手須田と決めた所、景勝が入れ替えたため、
2番手に回された安田が憤慨して・・・・という話だっけ?

842人間七七四年:2008/01/05(土) 20:54:51 ID:ybW1yNfU
この人ってゲームでは「義」バカってことになっているけど、
ほんとに義の人なの?
どこが義なの?
843人間七七四年:2008/01/05(土) 21:00:48 ID:WMKj9obE
>>842
前提としてゲームとリアルはまったく違うものだっていう事くらい把握しような小坊主。
844人間七七四年:2008/01/05(土) 23:39:08 ID:4ai7xbbW
でもなー
そもそも豊臣に味方するのが義、ってどっから来るんだろうな
主家の織田から天下を簒奪した秀吉より、その秀吉に立ち向かった家康の方がよっぽど「義」じゃね?
直江は秀吉が自身を優遇してくれるから親豊臣なわけであって、義どころかエゴ以外の何物でもないだろ
845人間七七四年:2008/01/05(土) 23:47:20 ID:kU8ovs9w
光栄に電話して聞いたら?
846人間七七四年:2008/01/06(日) 01:05:18 ID:Ic8KD2AE
そもそも兼続という人がギーギーいってたのも脚色だしな。
847人間七七四年:2008/01/06(日) 08:53:02 ID:t2KADN0U
なんかこの直江かねつぐって、人間としても家臣としても
間違いを犯したまんま人生を生ききっちゃった人、って感じ
848人間七七四年:2008/01/06(日) 09:27:19 ID:WrtbeSjx
>>846
だよな
機械の身体であることを自覚してる以上、毎日ちゃんと油は差していたはずだし
849人間七七四年:2008/01/06(日) 10:32:33 ID:jn5CzSUv
義ではないよね。
義なんてのは、後世の人が勝手に押し付けたイメージだよ。
ましてや、羽柴への義侠心なんてなかったと思うよ。
家康の会津征伐を受けて立ったのは、自衛の為だ。家康の臣下にはならない、と。
850人間七七四年:2008/01/06(日) 12:07:59 ID:Ic8KD2AE
>>848
利いた風な(ry,AA略


>>849
それは謙信にも言える事だよね。とかく上杉氏関係は「義」が
先行している感がある。
851人間七七四年:2008/01/06(日) 14:27:35 ID:OinKtIin
三成にしても義の人というより理の人ってイメージがあるが。
852-:2008/01/06(日) 15:06:08 ID:O91YvBnk
義の人と言えば大谷吉継が思い浮かぶ。
兼続は後世のイメージによるものも大きいだろうね
853人間七七四年:2008/01/06(日) 23:47:27 ID:Gix5oWgz
義だのなんだのと妙に優等生ぶった話の多い上杉はあまり好きでは無いが
そんなもんクソ喰らえと言わんばかりの長尾の系譜は魅力的。
854人間七七四年:2008/01/06(日) 23:48:30 ID:Gix5oWgz
でもそんなオレのID 義 orz
855人間七七四年:2008/01/08(火) 03:14:57 ID:y5bL2pJQ
>>853
でも、そんな生臭い長尾の家名が嫌で謙信は上杉継いじゃったんだからどうしようもない
856人間七七四年:2008/01/08(火) 08:54:40 ID:Vvg3CrEv
>>854
不義な輩め!
857人間七七四年:2008/01/08(火) 15:36:50 ID:c3lyiqrj
>>855
嫌だと言うより、上杉継いだ方が家格が上がって国人への支配力も強まるし。
一族でも上杉姓を名乗らせたのと、そのまま長尾にしておいたのと分かれたな。
858人間七七四年:2008/01/08(火) 22:54:30 ID:ivgVohsT
でも、この男が「義」の人じゃないとすると何が残るんだ
無能、傲慢、独善、ホモ…
ああ僅かに文化業績があったか
859人間七七四年:2008/01/09(水) 01:30:18 ID:m86QYGTw
マンガや小説の読み過ぎだな
860人間七七四年:2008/01/09(水) 10:00:12 ID:4vVY1fq+
>>858
上条乙
861人間七七四年:2008/01/11(金) 03:56:52 ID:9rEI+Xqe
(天地人)読んだが直江寄りに美化、捏造醜い!大河見る気薄れた!
流石NHK出版!
862人間七七四年:2008/01/11(金) 04:14:51 ID:9rEI+Xqe
家康について書きこみが多いけど直江・景勝は武田家滅亡後、川中島領地をどさくさで勝手に我領地と宣言した家康を上洛以前から嫌い、警戒視していたし北条と同盟組んだ事態敵視もあっただろう。
863人間七七四年:2008/01/11(金) 16:54:31 ID:vFgJqdlC
「天地人」本屋で立ち読みしようと思ったら、なんと売ってない。
その代わり、同じく火坂の伊達政宗「臥竜の天」売ってたから読んでみた
全く政宗の魅力が出てない。上杉狂の著者が書いた上杉史観で捏造された伊達政宗像だった…
864人間七七四年:2008/01/11(金) 17:02:08 ID:H39rZuVf
>>861
仲間だ・・・。
大丈夫だ。俺なんて上巻の真ん中辺から嫌々字を追ってたよ。
売るのも何だったから資源になってもらったよ。
865人間七七四年:2008/01/11(金) 17:39:03 ID:yvNFNfU9
天地人は上杉オタでも不満があるだろうね。さらに脚本家が歴史に
疎い人のようだから、どんな大河になるのだろう。
866人間七七四年:2008/01/11(金) 19:43:45 ID:Dnsr/Wih
>>865
あれは直江兼続を描いた作品としても、小説自体としても出来がよくない。
ならば、密謀とか使ってくれた方が全然良かったと思うんだが。

脚本家は実力の無いことに定評がある小松江里子だし・・・
867人間七七四年:2008/01/12(土) 12:03:20 ID:8D5ukyem
皆、読解力素晴らしいじゃないか
その通り、天地人は超駄作だよ
wikiにも凡庸な原作との書き込みがあったらしく、
それについて怒ってる輩がいたが、
こいつは本当に馬鹿な奴だと思った
火坂の援護射撃は無駄な行為だよ
868人間七七四年:2008/01/12(土) 12:07:06 ID:pmKNWBiz
最上にボロ負けのくだりはどうなってるのかね?
869人間七七四年:2008/01/12(土) 12:18:03 ID:sadI74VE
そういえば「天地人」は旧与板町出身の友人が
「あれを景勝、兼続だと思ってほしくない」って怒ってたなぁ。
870人間七七四年:2008/01/12(土) 13:02:16 ID:+a9hbQ6v
>>868
四ページくらいでサラっと流されてる。
というか、全体的に描くべき場面があっさりしてるくせに、兼続が
童貞を捨てるようなどうだっていいような場面が無駄に多い。
まあ、最上攻めについてはいろいろ見解があるだろうからあえて
触れないが。
871人間七七四年:2008/01/12(土) 14:45:51 ID:pmKNWBiz
>>870
ワロタw
大河でも兼続の脱童貞を3回ぐらいにわけて放送すんのかな
872人間七七四年:2008/01/12(土) 14:57:39 ID:1/TWamNq
>>870
北方謙三曰く「童貞を捨てるなんて大したモノじゃない」そうだwwwww
873人間七七四年:2008/01/12(土) 20:12:15 ID:XvYEBCjW
直江兼続が名将と呼べる根拠は何?
874人間七七四年:2008/01/12(土) 21:11:30 ID:0EUTK12e
自分で調べて自分で判断しろ
875人間七七四年:2008/01/12(土) 21:49:12 ID:cCcWOcLY
調べても敗戦しか見つからないから聞くしかないんじゃね?
876人間七七四年:2008/01/12(土) 23:13:59 ID:6+29grAC
根拠は米沢人の妄想です
877人間七七四年:2008/01/12(土) 23:16:51 ID:+a9hbQ6v
>>871
第一話「兼続、まぐわう〜天の段〜」
第二話「兼続、まぐわう〜地の段〜」
第三話「兼続、まぐわう〜人の段〜」
第四話「御館の乱」
第五話「魚津の危機」

こんなかんじかw
878人間七七四年:2008/01/13(日) 01:43:24 ID:WTLi2SUP
直江は内政では確かに功績がある
でも大軍師って形容は何? コイツって何か素晴らしい勝利をあげたっけ?
最上からの撤退が見事っていうけど、見方は見捨てるしあれだけ兵力の差があったら当たり前じゃね?
879人間七七四年:2008/01/13(日) 03:28:17 ID:lxmQxJMr
そんなどこかの初心者向けムックだの地元のマンセー本鵜呑みにして
名将やら軍師やらの仰々しい言葉をそのまんま真に受け取る方がおかしいだろうがよー。
他の武将でも。
人に聞かずとも自分で判断できるようになれよそんなの。
880人間七七四年:2008/01/13(日) 03:49:14 ID:TQX6DUcP
つーか、同時代の大方の人間が直江を評価しているんだが。
その評価を現在の人間が否定するのもおかしな気がする。
881人間七七四年:2008/01/13(日) 08:06:17 ID:BrAg7gln
>>878
内政に功績があるってこれ?

死んだ息子を返して欲しいと訴えた親族の首をはねて晒し首にして
「閻魔大王様へ、この者達、○○某を返して欲しいそうなので
この者達をあの世へ使者として送ります。  直江山城守兼続」
と立て札に書いた事?
882人間七七四年:2008/01/13(日) 08:45:06 ID:SGbsW+ev
皆知ってると思うけど・・・
「景勝の御手廻は馬十騎ばかりにて候つるよし、直江山城守手廻は
馬三十騎余にて候つるよし」(薩摩旧記)と、
島津家の家臣鎌田政近が本国へ送った書状。
当時の評価だね。

883人間七七四年:2008/01/13(日) 10:20:44 ID:lDup5BRB
>>882
なんだそりゃ?

内政の功績っても文化事業だけだろ
それ以外は、城の一部を造った、だの堀を造っただの、何処の藩でもやって当たり前の事業を
他者を排斥して出世していた直江が功を独占しただけだろ
884人間七七四年:2008/01/13(日) 10:55:05 ID:SGbsW+ev

あの書状は、当時の上方での直江の評判を如実に表したものだ
景勝より直江の方が存在が大きいという意味だ
お前は馬鹿か


内政の功績は、米沢減封以降だな
885人間七七四年:2008/01/13(日) 15:31:53 ID:0Ru8lZHG
>>881
何で史実にそった話してる最中に、伝説・言い伝えの類いの話を出すの?
886人間七七四年:2008/01/13(日) 16:04:18 ID:ODtUvfF1
>>884
それは、ただ単に直江が家中で権勢を持っていたという評判じゃないの?
秀吉や家康の取次ぎになって主君景勝をこえてゴマをすったり
他の有力家老を追い出したりしたことの結果に過ぎないんじゃないの

そもそも主君を超えてえらそうにすること自体間違っていないかい?
島津はあきれていたんじゃないかい?
887人間七七四年:2008/01/13(日) 18:48:36 ID:NsAclaLd
確かに直江の主君を越えた権勢は好きになれないなあ
池波正太郎もそんなこと確か書いていたな
888人間七七四年:2008/01/13(日) 22:06:05 ID:FhKkhgF3
>>884実際はそうじゃない!
家康も真っ向から上杉に喧嘩売れなかっただけ!
直江を挑発して歯向かわせるのが目的!
上杉に対して好意ある武将らを取り込む口実にしただけ!
それから関ヶ原までもバカ正直過ぎる上杉を口実に利用された。
889人間七七四年:2008/01/13(日) 22:22:15 ID:FhKkhgF3
それと終幕間際とはいえ戦国の時代に義を重んじるバカ正直さが仇となりまんまと家康に力で影響無くなるところまで干されてしまったわな!
890人間七七四年:2008/01/13(日) 23:25:38 ID:xt7JiWGW
>>FhKkhgF3
こんな所で釣りすんなw
891人間七七四年:2008/01/14(月) 03:43:17 ID:JClXQuLn
兼続が多くの権限を統括するようになった過程というのは、
景勝が従来の国人盟主から一歩進んだ体制(上杉氏のより強い支配)
に進む中でのことだという点に留意しておく必要があるだろうね。

>>886
鎌田書状についても、当時の上杉氏の顔役が兼続だったことを
示しているとはいえ、それ以上のニュアンスは読み取れんがね。
それは単にお前の妄想だろう。
家中で直江氏とその与党が中枢にあったとはいえ、彼らこそが
景勝の一番の支持基盤であるし、兼続個人にしても別段景勝を
蔑ろにした振る舞いはこれといって見当たらんとは思うが。
892人間七七四年:2008/01/14(月) 09:39:30 ID:EN8WUBrB
↑ここのレスには貴方のような博学な方もいらっしゃったんですね
安心しました
反直江の集まりのレスかと思っていたので・・・
893人間七七四年:2008/01/14(月) 09:57:30 ID:Zm68qIw0
直江は過大評価され過ぎていると思う!
関ヶ原で西軍の大敗を知り、山形より撤退する最中に切腹しようとしたのは東軍の追撃戦を断念させた景勝に対しての当てつけとも思う!
上杉家窮地の原因の家臣の上条、藤田の裏切り、実弟の出奔など上杉家内部での直江に対し反発は相当であったと思う!
894人間七七四年:2008/01/14(月) 13:11:29 ID:uZ6Pc4vM
>>891
顔役ではあるけどどれほどの能力的評価を得ているかもわからん
上杉家自体の評価は高いからそれにつれて直江の評価も高いだろうけど
謙信の遺産もあるからな

まあ上杉家の家格を落とさなかったことは確かだけど

御館の乱は別にして、新発田や佐渡攻めは内輪もめ扱いだろうし北条攻めも手伝い戦
肝心の柴田や佐々相手に目だった戦果はない
上杉征伐や最上攻めの評価はアレだし
そもそも景勝を動かせずに関東討ち入りにもっていけなかった(上杉軍主力が遊んでる)っていうのは大失態だろ
秀康軍と対陣させるだけで家康軍の足止めになったのはわかってるだろうに

景勝の考えや性格もあるけど結果的に景勝にいいようにつかわれている
直江の献策で上杉家の方針がどうこうって無いじゃん
895人間七七四年:2008/01/14(月) 13:12:39 ID:H7kwm1nM
>>891
主君が周囲を10騎で手薄でいるのに、直江自身は30騎余でしっかり固めていて平気でいる
これ主君を蔑ろにする行為以外の何者でもないだろ
天下人に懐柔されて大名待遇を受けて、直江本人もまんざらでなかったみたいだしな
896人間七七四年:2008/01/14(月) 17:27:02 ID:JClXQuLn
>>895
景勝に家中で大した力が無く、兼続の傀儡のような状態であったなら
ともかく景勝はしっかりと大名としての権力を持っていたはず
なので、景勝が十騎程度しか供回りを率いることが「できなかった」はず
無い。それを踏まえた上でも考察する必要があると思うが。

兼続以下も含めて景勝の供回りだったが、当時直江兼続が上杉家の
顔役であるという評判のために、兼続が多くを引き連れていると
映ったんだろうな、おそらくは。
そもそも鎌田書状だって、あくまでも又聞きであると断ってあり
「これをもはや京童の取り沙汰、善悪に風聞」とある。
897人間七七四年:2008/01/15(火) 13:25:14 ID:3SDy9XpL
鎌田書状の狙いは上杉家の内紛と思う!
主君景勝にこのような書状を突き付ければ手強い上杉が一枚岩で抵抗するのは必死!
それに加え上杉方の味方に廻る大名も出て、情勢は厳しくなると家康は考えたんではなかろうか?

直江に対し不信に思う家臣あり、と、上条や藤田らに上杉家の内情を知り、直江宛に送り付けたのだと思う。

何れにせよ返答は反発することは予測しており、上杉家内で直江の立場無くなり内紛を呼べば良し、上杉家として反発すれば関白様に謀反の心あり。と、上杉征伐に大義名分が立ち西方勢の牽制と他大名家も動かし安くなるとふんだのではなかろうか?
898人間七七四年:2008/01/15(火) 20:37:52 ID:evn6+6Xd
↑こいつ、酔っぱらてんじゃえのか?
ここは無知な反直江のレスだ
JClXQuLnさんとSGbsW+evさんみたいに史実に
精通してる方々はこんな連中に書き込みしてても無駄だよ
他の直江レスに移った方がいいぜ
899人間七七四年:2008/01/15(火) 21:09:08 ID:pt+Z/b9A
直江ファンって空想力が豊かだね〜ww
900人間七七四年:2008/01/15(火) 21:09:26 ID:MYZLVG+O
反直江っていうか直江の功績ってなにあるの?
資料残ってる?どこにある?名前は有名なんだけど、というスレではないかと
901人間七七四年:2008/01/15(火) 22:40:29 ID:6blioKwg
>>888-889,>>893,>>897は釣りだろ。信者とアンチ装ってるけど
わざとやってんだろうが、感嘆符つけすぎでウザw
902人間七七四年:2008/01/16(水) 07:00:21 ID:utbQPI3A
そうか、貴方は鋭い
900>
史料いっぱいあるよ。
今度、米沢案内する?
903人間七七四年:2008/01/16(水) 07:09:04 ID:c+3VDfa+
米沢といえば鷹山だと>>10がいってる
904人間七七四年:2008/01/16(水) 13:27:45 ID:5td+VKqB
史実を鵜呑みにするのもどうかと思うが?
どこも自我の史実は良く書いてあるだろうしさ、例えば最上戦の時の兵の討ち死にした数は、互いに相手の数が多く記されているのは事実であるがどちらが信憑性が高いかは今となっては水掛け論になると思われる。
史実を元にあれこれ違う見方や考え方をして議論するのも面白いと思いますが!
905人間七七四年:2008/01/16(水) 13:31:08 ID:jvQK+MY/
>>904
お前が史実という言葉の使い方を根本的に間違えていることだけはわかった。
906人間七七四年:2008/01/16(水) 18:34:19 ID:5td+VKqB
じゃあ史記でもなんでもいいよ!
ここには挙げ足取りの上杉マンセーオタしかいないのか?
907人間七七四年:2008/01/16(水) 18:52:03 ID:c+3VDfa+
どこらへんが挙げ足取りなんだ?
908人間七七四年:2008/01/16(水) 19:09:29 ID:jvQK+MY/
>>906
いいか?「史実」と言うのは「歴史上の事実」と言うのを略した言葉だ。
例えば1600年に関ヶ原の戦いがあった。このスレで言えば「直江兼続という武将が存在した」
このことを否定する人間はいないだろ?そう言う議論の余地の殆ど無い事柄を「史実」と呼ぶ。
君が「史実」と読んでるのは歴史資料、文献資料の事だ。

あと「史記」は本の名前だ。固有名詞。司馬さんが書いた中国の歴史書。
909人間七七四年:2008/01/16(水) 20:39:39 ID:y60ksI+s
少なくとも、撤退している側が相手をいくら討ち取ったかカウントするのは無理だと思うが。
910人間七七四年:2008/01/16(水) 21:11:04 ID:utbQPI3A
903>
米沢市民はシニカルだからなー
911人間七七四年:2008/01/16(水) 21:41:30 ID:44XqmRre
フツーに鷹山のほうが凄いよ
ただあのあたりを大河にしても盛り上がらないだろうな
会津が必死扱いて保科大河運動してるけど無理だろw
まだ松平容保のが可能性あるって
912人間七七四年:2008/01/16(水) 22:12:14 ID:5td+VKqB
>>909そう思うだろ?
しかし「史実」として残ってるんだよ不思議なことに…
そういうことには>>908みたいな奴はなんもレス返さないんだよ!
不思議だな〜!
913人間七七四年:2008/01/16(水) 22:19:31 ID:44XqmRre
直江の撤退を日本陸軍が研究したという話を聞いたが、
そんなことしているから戦争負けたんじゃないの?
914人間七七四年:2008/01/16(水) 22:35:51 ID:jvQK+MY/
日本軍はありとあらゆる過去の戦争を研究してるって。
915人間七七四年:2008/01/16(水) 22:43:14 ID:44XqmRre
敵さんが原爆作っているときにそんなことしてたのかよ…orz
916人間七七四年:2008/01/16(水) 22:45:21 ID:jvQK+MY/
>>915
なんか根本的な勘違いをしているな。
それとも釣りか?
917人間七七四年:2008/01/16(水) 22:49:21 ID:44XqmRre
いや釣りでもなんでもない
陸軍ネタはスレ違いだしやめときます はいはいはい
918人間七七四年:2008/01/16(水) 22:56:16 ID:RHBK5BUJ
兵の数を敵多め、味方少なめに書いたり、数が適当なのは当然のもとのして
それを踏まえて読むのは当たり前の事だと思っていたが……
>>908に説明された後でも、まだ「史実」とか言ってるしw
説明しないと分かんない奴の方が不思議だw
919人間七七四年:2008/01/16(水) 23:05:22 ID:RHBK5BUJ
>>917
甫庵信長記みたいな軍記小説を真に受けて、奇襲マンセーしてたらしいな
まあスレ違いだな
920人間七七四年:2008/01/16(水) 23:07:32 ID:jvQK+MY/
>>917
軍隊というものは、どこの国であっても過去の戦争を研究する機関があるものだ。
アメリカも植民地時代のインディアンとの戦争紛争まで研究している。
ついでに言うと日本軍も原爆の研究開発はしていた。完成しなかっただけで。

君は勘違いという以上に、根本的に歴史というものも軍隊というものも、わかってない。
921人間七七四年:2008/01/17(木) 07:18:23 ID:B9ut32uO
直江って知れば知るほどすげぇなぁ、山城守なんて東国武将が普通名乗れないでしょう。
それに朝鮮にも出兵してるじゃん。謙信とは直接交わってるのかな?
もし謙信を直接みてるとしたらすげぇよ、謙信、秀吉、家康とまじわってることに
なる。まさに戦国から徳川初期の生き字引みたいなひとだ。
922人間七七四年:2008/01/17(木) 07:47:33 ID:JqVlhENJ
誉め殺しまで登場か
923人間七七四年:2008/01/17(木) 11:35:49 ID:5StejRov
>>921謙信の小姓から始まったんでしょ。
924人間七七四年:2008/01/17(木) 11:46:07 ID:S2OYJe04
>>921
> 謙信、秀吉、家康とまじわってる

尻の穴ガバガバでしょうなw
925人間七七四年:2008/01/17(木) 16:10:30 ID:zklSrJSN
つうか、多分謙信とは大して面識ないだろ。というか会ったことない
可能性もあるし。あくまでも上田組の一員だったわけで。
926人間七七四年:2008/01/17(木) 18:11:10 ID:iAdcUkKp
>>923
史料上で確認されてる兼続の一番最初の役職は
景勝の傍仕えだが。
同じ場所に居合わせることくらいはあるかも知れんが
謙信と個人的な関係など一切確認されとらんぞ。
927人間七七四年:2008/01/17(木) 19:04:44 ID:Wl9J1c9A
兼続が謙信の寵童とか小姓とかやたらあちこちで言われるが
どっから出た与太話なんだ?
軍記ものにもそんな話はなかったよな?
928人間七七四年:2008/01/17(木) 20:19:55 ID:ZvLYsjHt
>>927
腐女子の妄想
929人間七七四年:2008/01/17(木) 23:18:47 ID:ByYr3h+r
でも、武功無いのに重用された
主従そろって子宝薄い
ホモのライバル清野の台頭とともに一線を退いている

これらを全て説明できるのが寵童、ってことなんだよな
やっぱりそうだったんだろ
930人間七七四年:2008/01/18(金) 01:10:19 ID:+B+6TJau
何度も出てるが清野と景勝がアッー!な仲になった後、
晩年にも景勝と行動を共にするなど直江山城守は藩政の中枢にいたんだが。
あと、子宝は確か男1人、女2人がいたはず。
931サムゴパール:2008/01/18(金) 07:49:54 ID:KI2jEabL
くだらねえ
932人間七七四年:2008/01/19(土) 17:21:14 ID:KGRSYnkT
清野のほうが、美貌でも利発さでも直江に勝っていたのかもね
933人間七七四年:2008/01/26(土) 16:13:43 ID:Evnh32QM
でもこの直江かねつぐが居なかったらどうなってたんだろうな
豊臣家への外様の分を超えたゴマすりも無く
直江への優遇とセットで行われた会津移封も無かったかも

五大老にもならず、越後のままで居て
最上や伊達などというこの主従の能力を超える連中との軋轢も無く
そうなると関ヶ原でも島津や鍋島のような居直りもアリだっただろ

ほぼ越後一国(60万石ぐらい?)をキープして、
島津や伊達と並んで名実備えた雄藩になっていたかもな
934人間七七四年:2008/01/26(土) 16:31:26 ID:BBfEQZC8
>>933
少なくとも関ヶ原では、藤田の現実路線が主導権を握っていただろうな。
935人間七七四年:2008/01/26(土) 17:34:03 ID:HPvaaAbW
最上家に痛撃された直江は、暫し呆然状態だったんだろうな。
「何故、最上ごときに上杉120万石が勝てないのか?」と。
図上演習では圧勝だったろうが、現実は厳しかった。
いわゆる「秀才」の限界が長谷堂城の戦いといえる。
936仙台藩百姓:2008/01/26(土) 21:11:46 ID:fgU9u8ay
徳川に勝つ為の努力も見えないし
負けた時の対処も考えてた様子がない
恐ろしい程の無策だお(;^ω^)
937人間七七四年:2008/01/26(土) 22:40:51 ID:d3DwYJZJ
>>933
五大老だって、小早川隆景や蒲生氏郷が死亡しているという状態だったら、
石高的にも、上杉あたりに回ってくるだろ。会津転封も結局蒲生の後釜で、
ほかに関東・奥羽の押さえになりうるような奴がいなかったからだろ?
それから最上については大宝寺が上杉と結んだ時点で対立状態だろ。
上杉に従っている本庄が最上と何度か戦ってるし。それから伊達についても、
目に見えて関係が悪化したのは上杉と徳川の対立が鮮明になってきたころからだろ。
まあ、堀との軋轢については、擁護できんが。
あと、もし上杉が越後乃至奥羽の有力大名としてのこっても、おそらく雄藩にはなりえんぞ。
場所が奥羽という時点でもうアウト。

>>934
藤田も景勝の代での新規召抱え組で、景勝の権力基盤となりうるから重用されたんだろうが、
いかんせんメインにはなりえんだろ。兼続がおらんでもやはり上田衆から、顔役に
なるような人物が出てくるだろうね。
938人間七七四年:2008/01/28(月) 02:06:43 ID:YtcIMe39
>>937
以外と須田とか岩井とかの信濃衆だったりして…
939-:2008/01/30(水) 17:21:54 ID:KZlTzHLF
940人間七七四年:2008/01/30(水) 18:48:57 ID:cOoi3Kse
>>939
本多忠勝版や立花宗茂版初めて見た
941人間七七四年:2008/01/31(木) 07:07:58 ID:Cvhh3/RG
ここは、最上崇拝者の溜まり場なんだな
だから直江がボロクソに言われてるんだな
942人間七七四年:2008/01/31(木) 08:20:29 ID:42jz1EQT
>>941
被害妄想乙
943人間七七四年:2008/01/31(木) 13:07:47 ID:zd0SRVgJ
実際、ただのペテン師だからな。
堀家との遣り取りなんか、卑しいとしか言いようがない。
944人間七七四年:2008/02/01(金) 07:44:59 ID:wBUpAk00
退屈で役に立たないレスだ
直江兼続を語る、なんてタイトルは変えた方がよい
アンチ直江の集まりにしろよ
面白い話題が展開されると思ってると
無能なアンチどもがやってきてグチばっかりこぼしやがる
945人間七七四年:2008/02/01(金) 09:17:18 ID:l+HR1yWB
いいや退屈ではない
直江、こいつは何かを越えた奇跡の最低男だ
人間がここまで最低になれる、という記念碑的存在だ
946人間七七四年:2008/02/01(金) 18:31:13 ID:FnkiJDln
名前は有名だけど資料がろくに無いからな
あっても大活躍というには微妙だし
947人間七七四年:2008/02/01(金) 21:01:29 ID:AbYra94Y
>>944
養護の言う「おもしろい話題」は捏造と妄想しかないから止められて当然。
948人間七七四年:2008/02/02(土) 00:31:08 ID:HKau6c85
貴方達は糞野郎どもだ
貴方達は、最上、伊達、景虎、新発田か?
何が捏造と妄想だよ
貴方達は、傷でも舐めあってろ

949人間七七四年:2008/02/02(土) 00:33:02 ID:HKau6c85
おい、腹立ってきただろ?
さあ、文句書き込んで来い
950人間七七四年:2008/02/02(土) 00:51:19 ID:gGkxM6a/
951人間七七四年:2008/02/02(土) 13:32:22 ID:EnTVdsVb
戦国時代の郭図って感じだな
952人間七七四年:2008/02/02(土) 22:18:41 ID:VrGflgPC
天下とれる器量の人間が同時代に何人もいて、そのなかで運に恵まれ、人に恵まれた者が
天下を取る時代だった。
選択肢は三つしかなかった。
天下を取る・恭順して家を残す・なんらかの失策で家を潰す
他のどの大名にしても一緒だ。んで景勝にその才覚はなかった。
本人の資質があれば、陪臣が多少無能でもうまく使える。本人の資質が不足していれば、
それを超える有能な陪臣の存在は邪魔でしかない。(生存中なんとかうまくいっても、死後に
大変なことになる。それが主存命中にであれば主の無能さをむざむざ露呈するだけになる)
レベルのあった主従だった以外の何者でもない。

主従に才能があったら天下とってたし、兼続に才能と手腕があったら上杉家がバラバラになっ
てたよ。
953人間七七四年:2008/02/02(土) 22:45:30 ID:1ZCmhcOh
才能があったら天下という発想が厨房丸出しだなw
954人間七七四年:2008/02/02(土) 22:51:58 ID:HKau6c85
952>
稚拙な考えだね
955人間七七四年:2008/02/03(日) 01:51:07 ID:OO3cafJy
最上ファンなんていたのかwww 知らなかった。
でも最上ってたしか徳川時代初期に消滅したんだよね。
直江以上に最上の資料ってのこってるの?
956人間七七四年:2008/02/03(日) 17:50:07 ID:sWFhUVxl
残ってない
だから、最上ファンの連中は史料での検証を否定する
957人間七七四年:2008/02/04(月) 00:25:33 ID:Wz+ydx+u
>>956
それ直江ファンにも当てはまってるな
958人間七七四年:2008/02/04(月) 07:08:58 ID:VpilPCA9
いいや、違う
直江の史料は、最上より多く現存している
最上は、軍記物や悪意に満ちた伊達側の史料に
頼らざるを得ない
それを最上崇拝者は知っているから、目を背ける
959人間七七四年:2008/02/04(月) 07:32:20 ID:8vyyLQwa
おはよう無双腐女子
960人間七七四年:2008/02/04(月) 11:02:29 ID:vkHFlIYb
直江もさ、資料に基づいた評価ならいいんだよね。
批判されるのは資料を飛び越えた、それこそ軍記物よりさらにひどいマンガや書き物なんかのイメージが、
さも事実のように語られるからで。
軍事能力とかね。
だからアンチを生むんだよ。
961人間七七四年:2008/02/04(月) 23:15:04 ID:7nvPvm8C
直江を含む上杉関係の史料は、幕府主流派に対抗する紀州+越前の上杉「義」の美化方針で、かなり捏造されてしまっているからねー
962人間七七四年:2008/02/05(火) 07:10:30 ID:ALVhScK9
↑貴方がおっしゃるのは、北越軍記の事でしょう
史料のみで検証すると、上杉及び直江には
義はない事は明白だ
vkHFlIYbさんがおっしゃるように、
後世の軍記物のせいで、上杉家は義を重んずる名家である、という
誤解がアンチを生んでるのだろう

963人間七七四年:2008/02/05(火) 07:37:24 ID:jaz+qmwp
上杉の「資料」は「北越軍記」や「東国太平記」だの、
創作軍記物ばかり。史実ではなく妄想だからな。w
964人間七七四年:2008/02/05(火) 12:33:12 ID:Fuc+aZq4
>>952
天下を取れなくとも、大藩でいることは可能だったはずだ
そのように舵取りを出来る人物なら名宰領と言っていいだろうな
965人間七七四年:2008/02/05(火) 14:50:09 ID:Ji/2QZP/
>>943
つーことは、政宗対兼続ってのはこの時代の東国におけるペテン師王座決定戦みたいなもんか。
966人間七七四年:2008/02/05(火) 22:32:51 ID:+zuzE6bx
政宗がペテン師なのは同意だが、
兼続の逸話の中に出てくる政宗は
気さくに挨拶してくれたり、小判を見せてくれたりと結構いい人なのがなんか笑える。

なんで兼続の逸話って政宗のやつといい閻魔様の奴といい変なの多いんだろ?
967人間七七四年:2008/02/05(火) 22:41:12 ID:APiuEHto
もっと不思議なのが、あの逸話を引用して
「直江兼続って素晴らしい人ですね」みたいなことを書いているものが結構あることだw
ちょwどこがw
968_:2008/02/05(火) 23:33:31 ID:xDlsDAtb
疑問です。会津征伐の時、三成が挙兵しなかったら、当然会津で
家康を迎え撃つことになりますが、景勝と組んで、家康に勝ってました
かな?考慮すべき点は、

@家康を弾劾する直江状を書いたからには、家康を迎え撃つ体制は万全だったはず。
A旧暦の9月は、新暦では冬、会津の冬は明らかに会津側に有利。
B戦闘に優位であったら、政宗が味方になっていたかもしれない
C前線が膠着すると、反家康同盟が、家康の留守中に、江戸城を
落とすこともあり得た。
969人間七七四年:2008/02/05(火) 23:44:09 ID:APiuEHto
>>968
A旧暦の9月は、新暦では冬、会津の冬は明らかに会津側に有利。


これはないだろう
雪は敵味方問わずに不利
つか雪国出身者ならこの時期の戦闘は避ける
970人間七七四年:2008/02/06(水) 00:30:24 ID:h0soKfGG
冬は籠城すれば守備側の方が圧倒的に有利だろう。
971人間七七四年:2008/02/06(水) 01:13:07 ID:883zTYe+
それにしても、家康が動員した上杉征伐軍に、一人として上杉征伐を反対する奴が居ないんだな。
直江-景勝の人望の無さだな。同じ大老職同士の対決なのに。
直江が三成同様の嫌われ者だったんだろうな

政宗とのエピソードにしても、たまたま政宗とのからみだけが伝え残っていただけで、
秀吉に気に入られているのを良いことに、他の大名にも政宗同様に接して、鼻つまみな奴として嫌われていたんじゃないかな。
972人間七七四年:2008/02/06(水) 01:22:16 ID:Cx2GUA85
>>968
結論から言うと上杉が勝つ可能性は限りなく低いと言わざるをえないです。
とりあえず上杉側の用意やら天候やらは無視しましょう、そういう問題じゃありません。

関ヶ原は三成が上手く中央で立ったおかげで豊臣家の中の内乱にできたが、
上杉家討伐の場合、既に上杉家の討伐と言う事が決定してしまっているため
合戦模様からすれば 豊臣家 VS 上杉家 そして家康はその討伐軍の大将と言う事になる
これは動いてはならない時期に会津へ戻ってしまった景勝の失策。これが大前提

その上で考えられる軍勢を考えてみると、まずは西軍でも鍋島・島津・長宗我部などは
もともと徳川軍に同行するはずがなりゆきで西軍に入ってしまった連中だし、
真田は豊臣家には義理があるが上杉には恨みはあっても義理は無いため
もともと上杉討伐軍に参加してたし、宇喜多・佐竹は三成との個人的なつながりで
西軍に入った連中なので、もともと家臣や親(佐竹義重)などは家康よりだった連中。
いずれも上杉討伐軍として牙を向いてくる事は考えられます。
そのため家康はかなりゆっくり会津へ向かっています。

またそのまま会津へ向かうため関ヶ原には参加できなかった徳川秀忠の本軍4万弱も、結城勢1万ちょっとも
もちろん参加できます。無論もともと東軍の連中が裏切る理由もなく、
毛利関連の日和見な連中もあえて上杉に味方する理由は無いでしょう。
残念ながらこの状勢で政宗が上杉の味方をする道理はありません。

討伐軍の軍勢は最低でも推定20万ちょっと、小田原征伐より下手をすれば多くなる可能性もある。
それを当時の後北条家の半分以下の石高でしかも慣れない会津で迎え撃つという状況を考えれば
結果は明らかかと・・・。
973人間七七四年:2008/02/06(水) 02:04:53 ID:MF/n/6Rs
>967
「直江兼続って素晴らしい人ですね」みたいなことを書いているものが結構あることだw
ちょwどこがw
どこが笑える文章なのか?人の価値観を認めないお前が幼稚だよ。だれかがそうおもったって
いいじゃないか。他人が興味あるものをいちいちあげつらってけなすな。
974人間七七四年:2008/02/06(水) 02:18:52 ID:MF/n/6Rs
しかしここにいるアンチは日本に対する特亜諸国みたいなやつばっかだなw。
>>971 徳川が動員したならあたりまえだろw。ひとりよがりのかんぐりで
日本全国すべてが反直江、上杉討伐みたいなこといってんじゃねぇよ。www

975人間七七四年:2008/02/06(水) 06:05:27 ID:rt2VCt5y
閻魔への手紙とか政宗との逸話って普通に美談だと思うけどな。
訳が分からないとはほざいてる馬鹿がいるのにびっくりするよ
976人間七七四年:2008/02/06(水) 06:25:06 ID:OsIvEpAj
>>975
> 閻魔への手紙とか政宗との逸話って普通に美談だと思うけどな。

悪いが本当に聞かせてほしい。

どこが?
977人間七七四年:2008/02/06(水) 06:45:17 ID:rt2VCt5y
出来る限りの誠意を尽くしても分からないクズは手紙持たせて切り殺すって素晴らしい対応は美談に相応しいし
政宗のように大判見せて悦に入るよう下劣な人間と対比した直江の清廉さに好感を覚える美談である。
978人間七七四年:2008/02/06(水) 06:47:32 ID:2DeaM5OY
これはひどい
979人間七七四年:2008/02/06(水) 06:49:04 ID:OsIvEpAj
釣り針にしても大きすぎるし、
本気なのなら心の病院に行くべきだ。
980人間七七四年:2008/02/06(水) 07:49:14 ID:ElnmSQgk
アンチで埋め尽くされてんな
揚げ足ばかり取る奴や、浅はかな知識しか
ない奴ばかり
971の推論も下らな過ぎるぜ
981人間七七四年:2008/02/06(水) 10:19:48 ID:/wy6tCSq
>>980
すまんが浅はかな知識しかない我々にソースつきで直江の大活躍っぷりをご教授願えないか

ソースないから無理だろうが
982人間七七四年:2008/02/06(水) 11:04:11 ID:KuHuYIx1
>>977
金で解決しようとした挙げ句、自分の指図を由としないと、さらなる解決を模索しようともせず皆殺し。
珍しい物をお目にかけようという心遣いのみならず、その場にいた他の諸大名に対しても礼を欠くありえない短慮。
983人間七七四年:2008/02/06(水) 14:34:36 ID:9ORHLuW4
相手が政宗じゃなかったら、その場で直ちに斬り殺されても仕方がないような無礼だな。
場合によっては、バカ家老の監督不行届で上杉家が改易されても文句は言えない。
相手が政宗だと言うただ一点のおかげで事なきを得ているに過ぎない。
よって、>>971が言っているような「他の大名に対しても」ということは金輪際あり得ない。
984人間七七四年:2008/02/06(水) 14:43:36 ID:ydflNULF
つーかさ、
閻魔への手紙も、天正小判も、政宗に挨拶しなかったのも、みんな伝承の類いだろ
マジで語り合って何か意味あんの?
985人間七七四年:2008/02/06(水) 16:43:05 ID:lWPkzDTy
つーか、それ言い出すと、天下の家老だ名宰領だ、なんてのが伝承の類なのだが。
史実としてあるのは、直江が家老在任中に、合戦は自力では一度も勝たず、お家は大衰退して、他の有能な家臣と争い追い出した、というバカ家臣としての事象だけなのだが。
986人間七七四年:2008/02/06(水) 18:01:06 ID:VwCpys09
いや、兼続のファンって、そもそも
いよっ!名宰相!とか戦上手!とか思ってる訳じゃねーだろ。別に
987人間七七四年:2008/02/06(水) 18:21:48 ID:/wy6tCSq
戦の件は別にして名宰相とは思ってるんじゃないか
988人間七七四年:2008/02/06(水) 18:32:38 ID:JAb6Oq0b
それなりに名の知られた武将なら良い話的な逸話の1つもあっても良いモンなのに
直江の逸話ってホントしょうも無い話しかないじゃないよなw
ホントしょうも無い人物だったんだろうなと思うわ
989人間七七四年:2008/02/06(水) 21:34:27 ID:QflsKnei
>>988
一応越水の会の時の逸話や、武田家からの来客の戯れを解したという
話やまた、「川の底に桶を敷き詰め、敵が渡河する際に
踏み抜いて混乱させる(東国太平記)」みたいな話も残ってはいる。
とはいえ、いずれも「逸話」の域を出ないものばかりだな。そもそも
政宗との逸話だって「謙信公の采配を・・・」と言っても兼続に謙信と面識があったかは
実は怪しいし・・・
990人間七七四年:2008/02/06(水) 22:57:42 ID:JYXJAADe
謙信にしてみりゃ
「お前に采配なんて渡した覚えないぞって言うか誰だお前」
な世界だろうしなあw
991人間七七四年:2008/02/07(木) 00:38:03 ID:LirvXT/t
直江の逸話の数々を、嫌味じゃなくかっこよく、しかもさりげなく
作品に織り込んだ山田風太郎はマジ天才だなw
992人間七七四年:2008/02/07(木) 03:22:36 ID:iv8kp5kp
だから格好良くない件
993人間七七四年:2008/02/07(木) 13:45:52 ID:yANtbFqs
>>991
見える方の目に小判が貼り付けられて馬ごと池ポチャする政宗テラカッコヨスwww
994人間七七四年:2008/02/07(木) 16:32:12 ID:qt/LN8eP
>>988
山内一豊に謝れ
995人間七七四年:2008/02/07(木) 19:27:37 ID:JzJNVqao
ここは、ミラオタの溜まり場なんだな
996人間七七四年:2008/02/07(木) 20:37:02 ID:282nPGH6
つか、いつ覗いてもアンチしかいねえwww
997人間七七四年:2008/02/07(木) 23:14:50 ID:zqHdSTst
実は徳川の回し者だった、ってなら凄い埋服の毒だw
998人間七七四年:2008/02/08(金) 02:29:21 ID:8mKRaZuL
998
999人間七七四年:2008/02/08(金) 02:29:48 ID:8mKRaZuL
999
1000人間七七四年:2008/02/08(金) 02:30:11 ID:8mKRaZuL
1000なら天地人が大ヒット
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
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  l  {  .、          /      
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