1 :
人間七七四年:
たぶん、いろいろあって織田と武田が同盟強化
落ち着くんじゃねーの
2 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 01:21:58 ID:IsGaQesC
1584年6月 岩殿城へ逃げる途中、土民に討たれる。
3 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 01:37:45 ID:4pSabTtp
4 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 01:50:13 ID:M/qkMjjh
信玄得意の内部工作が大いに発揮されて、織田内部はガタガタ
になるってのがオチなんじゃないの?
5 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 01:59:27 ID:ue2QIjQi
6 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 03:45:50 ID:Nv6Ie8OQ
( ´゚ω゚` )
7 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 09:45:47 ID:3vKKWOGb
信長が岐阜城に向かって敗走するのを追撃し木曽川に叩き落とされ水死…信長の死体は見つからなかった。
8 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 10:00:45 ID:OLnnm6z5
9 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 11:22:51 ID:365BMVTf
映画「戦国自衛隊」
武田が憎くて「天と地と」で諏訪太鼓や(「武田信玄」で活躍した)
女武者に八つ当たりする狂ったシナリオを作っちゃう角川が
謙信が天下人になる作品にしたくて製作した映画。
だからあの映画には原作のような「織田信長」が出てこない。
出てこられちゃ謙信が天下人になれないから。
しかし意に反して創意工夫で戦車を撃退する武田軍団、ヘリコ
プターに単身乗り込みこれを撃墜する武田勝頼(真田広之)に
人気が集まってしまうという皮肉な結果を引き起こした。
10 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 19:50:51 ID:iUtS93h3
「もし〜」スレ飽きた
氏ね
11 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 07:40:24 ID:9Hdrl6XE
武田は完全に天下とっていたよ
おこぼれを頂戴できなかった織田は滅亡、上杉は武田に完全降伏
今川と徳川も武田の軍門にくだる
12 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 17:19:02 ID:cGIA5syx
信玄は野田城攻略後まもなく、尾張へ兵を進めた。
それに対する信長は、小牧山に陣を張り武田軍を待ちかまえる。
小牧山の陣が破れがたいと悟った信玄はそれ以上、兵を進めず、
浅井氏、朝倉氏、本願寺教団等へ手紙を出し、出兵を促した。
しかし、浅井氏と本願寺は積極的に策動したが、朝倉氏だけはいっこうに兵を出そうとしなかった。
やがて、武田軍は兵糧が欠乏するなど、窮地に陥る。
三方原以降、形勢を観望していた徳川氏は、「信長有利」と判断し、
尾張国境付近まで兵を進めた。
織田、徳川に挟み撃ちにされることを懸念した信玄は、ついに上洛を断念し、
兵を北東に向け、撤退のやむなきに至った。。。
13 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 17:26:39 ID:cGIA5syx
武田軍撤退の報に接した信長は武田軍の背後を突くべく、急追したが、
武田軍の巧みな戦術に、たいした戦果もなく、逆に痛手を被るなどした。
いったん岩村城に入った信玄は、今遠征の論功行賞を行い、まもなく
南三河へ兵を進め、長篠城主に山県昌景を据えるなど、支配地域の盤石を計り、
甲斐に帰国した。
14 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 17:46:35 ID:cGIA5syx
1573年7月、織田信長は近江へ出兵した。
浅井氏の窮地を悟った信玄は、帰国したばかりにもかかわらず、
美濃出兵を決意する。この出兵には多くの家臣が反対したが、
信玄の決意は代わらず、数万の兵を動員したと見せかけ、
実際は3千の兵で東美濃に出陣した。その結果、明智城などを陥落させた。
信玄自ら美濃へ出兵したことを知った、信長は近江より引き返し、
浅井氏攻めの実をあげることが出来なかった。
15 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2007/05/01(火) 12:35:55 ID:YZVHf+eg
御伽衆
16 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 18:56:17 ID:GpPqsCft
真田が
17 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 19:09:09 ID:rX/MfssW
まぁ信玄の存命次第で浅井、朝倉の運命も変わるてのはあるな
18 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 13:43:36 ID:s+KvIlcg
取り敢えず織田はガタガタ震えてただろうな。
19 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 13:54:13 ID:XDqpQaDc
長篠が境川になるだけじゃねーの?
本拠地を動こうとしない大名の支配圏には限界あるし
20 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 18:19:16 ID:iEjQ0PX0
野田城落としてあのまま進んだとしても
せいぜい尾張国境辺りまでだろうな。
それ以上行くと兵站線が伸びきる危険エリアに入ってしまう。
徳川家も岐路にたたされる状態。
武田も浜松を落とすか、徳川を懐柔するか思案どころ。
織田と戦するなら尾張国境辺りが予定戦場になったと思われ
士気の上がる武田と位攻めの織田との戦いは見たかったな。
実際は、死期を悟った信玄の夢の一歩、若しくは後の武田家のための
示威的行動であったのではと思う。
21 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 19:35:34 ID:a254YMYl
10年寿命が延びるという延命法に試みたが
上杉襲来の急報を知らせに陣幕に駆け込んできた
百足衆に蝋燭を倒されてしまい失敗。
22 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 21:07:43 ID:T/wX5RpK
信玄が10年長生きしようが、武田家は衰退しただろう。
23 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 18:35:23 ID:Ab5ecTwP
10年寿命が延びれば西進が10年遅れるだけのような気がする
24 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 19:01:45 ID:mYYk/I15
たぶん甲斐から駿河に本拠地を移動して本格的に東海の統治を開始する。北条には上杉と小競り合いさせてあやしておいて自らは尾張で調略しまくりで信長は謀反で死んでた。
25 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 02:41:21 ID:uXv8SguJ
大河の見すぎ
武田家に織田家ほどの調略の名人はいない
26 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 06:28:09 ID:VGle+fx4
60歳になっていたと思う
27 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 16:17:44 ID:p2ifrZ9c
まず、武田が天下をとらないにしても、織田・豊臣・徳川って天下の流れでなくなるか、それぞれの天下取りが遅れる。
すると・・
九州は島津が制圧。
四国は長曽我部による支配が確立。
中国は毛利による支配が確立。
関東は北条と上杉の戦いが続く。
東北は・・一見、伊達が有利になりそいだが、北条が佐竹をつつかなくなるので人取橋の戦いで伊達家が滅び、南部・最上・佐竹&芦名で三つ巴(若しくは三すくみ)。
それぞれの地域の勢力が増大化する事によって、どの勢力が天下を取るにしても史実よりも20〜30年の遅れがでるような気がする。
28 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 18:48:03 ID:6ZhLHQB/
武田と島津が織田を挟撃する。
29 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 20:01:25 ID:aUsPN0pM
>28
無理でしょ
武田は信頼性ゼロだから・・・
徳川との協定を破って遠州にちょっかい出してるからね
約束を守らない大名は信用されないぞ
30 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 23:01:27 ID:Dvbz4BSs
>>1 ???何だこのスレは、普通に考えれば信長を打つか、もしくは
徳川領に更に侵攻し家康を屈服させるか滅ぼす事が可能だったのは明白だよ。
ともなればその所領は莫大なものとなり、まさしく天下に一番近い人物になって
いたことでしょうね。
本願寺と婚姻同盟を結んでおり(これが重要)、朝廷との中も良好である武田家が将軍家を押し
潰して畿内を楽に制覇していたというのは明白な事。
31 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 23:24:15 ID:9s7Mvjq0
朝倉義景が動く事は絶対にないから武田の天下は無理です
32 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 07:32:44 ID:EfQAre/h
武田は約束や同盟をよく破るし、織田信長と上杉謙信の同盟で武田滅亡速まり、北条から裏切られ武田あぼ〜ん。
33 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 05:44:37 ID:OeoSTuNR
信玄があと10年生きていたとしても結局は滅亡の運命を辿ったであろう。
信玄の代で確立した武田家も決して一枚岩ではなかった。
勝頼の代になると勝頼側近と旧臣の間で軋轢が生じ、最後には穴山梅雨の
様に親族でありながら簡単に主家を見限る者が後を絶たなかった現実を見
ると「人は城 人は石垣」の信玄の言葉が果敢なく聞こえる。
34 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 08:57:08 ID:oXhkQu5M
10年も長生きするんなら、三方ヶ原の後追撃を受け家康死亡。
健康に心配の無い信玄は後顧の憂いを断って悠々と織田領侵攻を開始するだろう。
35 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 12:21:46 ID:By5Dxv6C
病死するまえに戦死しちゃうんじゃね?
36 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 23:25:33 ID:Qkad03YT
武田信玄があと10年長生きしていたら?
もっとほうとうがおいしくなっていたはず
37 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 02:02:31 ID:HliOsM/o
ちなみに「元の木阿弥」という諺は
信玄の死を隠そうとして影武者を使ったが
その影武者の木阿弥さんが贅沢しようとしたりして
ばれたことからきた諺です。
38 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 03:31:13 ID:YcgeHGdD
↑
へえ〜×16=16へえ〜を差し上げます。
物知りですね!
39 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 17:51:46 ID:plE6qRHO
40 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 21:33:50 ID:ntxqVF2v
信玄があと10年生きてたら・・・
ま、おまいらはおらんな
これ明確、確実wwww
41 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 18:49:05 ID:wwcCRDEP
あああああ
42 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 19:58:32 ID:0GAvr5IQ
43 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 21:54:11 ID:fwnv7xc7
44 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 12:44:34 ID:jtYb1ZpN
>34
長生きできるのと病気になるのは別問題だからな・・・
残りの10年は労咳に苦しみながら緩やかに滅亡へと下っていくだけだよ
45 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 14:21:15 ID:sFPRYATC
徳川家は併呑されるんじゃない?
織田家に。
信長の指示に従わずに出城して負けてる。
そして徳川だけでは武田に物量的に適わないだろ。
信長本人が出てくるかは判らないが、まぁ長篠のような戦で武田は破れるだろう。
他の戦線があるから、決戦で一撃を与えて後は配下に任せる。
もう徳川家の出る幕が無い。
旧徳川領の武田領は織田家がもぎ取ったもんだから返還する必然性が無い。
打撃を受けた武田は当面戦争はできないので和睦を結びたいところだろう。
松姫との縁談と勝長の返還を進ませれば子煩悩の信長は信忠に説得されて了承するかも知れない。
しかし、武田家自体は史実と同様に対武田の軍団長になった信忠にジワジワと調略を受けて切り崩されるだろう。
畿内情勢が少し遅れるが、織田家支配のレールはそんなに変わらない。
ただ、信忠まわりが変わり、本能寺が起きないOR松姫との間に嫡子が生まれるとなれば面白い。
46 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 15:49:46 ID:IApVLAWt
浅井朝倉三好本願寺が畿内で健在なのに長篠みたいに
数万の兵力を集めて武田を迎え撃つなんて当時の織田には無理臭い
信長は普通に家康を見捨てるだろうな
47 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 18:03:18 ID:sFPRYATC
長篠って別に数の勝利じゃなくね?狭いし。
数万集めなくても武田と同数集めればよかろう。
遠征軍相手に地の利を得てるし。ただ、追撃による損害は軽減されるが。
48 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 02:55:12 ID:6JfsrX4p
三方ヶ原の時の武田と同数と言えば数万じゃんw
49 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 07:55:06 ID:LWygTo3u
2万5千なら同数を信長は向けれるだろ
50 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 17:30:07 ID:HVRJA/+X
信玄が信長に負けるわけねぇよ
51 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 21:10:51 ID:7/ZxVZgB
信玄さえいれば信長はイチコロだよ
52 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 21:53:57 ID:tcRwX+3V
無い無いwwまあ精々1582年の武田滅亡時の当主が武田勝頼じゃなくて武田信玄になってるくらいだろww
53 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 23:05:19 ID:XdX5ZDCF
信長は何度も寡兵で大軍を打ち破っているしなあ。
信玄は病死しなくても、信長の電撃奇襲攻撃で討ち死にしていたかも。
54 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 20:05:54 ID:nnYNlifl
>>27 東北は伊達だよ。 葦名の後継者争いで佐竹が勝利できたのは、秀吉との仲を有効に
使えたから。 重臣クラスでは伊達親派のほうが多かった。
ってことは、葦名の傀儡に成功したのは伊達だった可能性のほうが高い。
55 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 20:45:19 ID:sZDVcea5
>>53 電撃奇襲攻撃って信長はさすがに桶狭間の戦いみたいにしかも信玄相手に
賭け事はやらないよ。
56 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 22:42:56 ID:Bza5pNMT
窮地に陥った家康に手を差し伸べて政略結婚、一門衆にすれば三河路は安泰、
全軍で岩村城→岐阜に進軍できたのでは?
57 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 00:07:06 ID:UD3xHh0K
信玄が織田を破って京で天下に号令。松永久秀が家臣になりそのあと下剋上。さらに天下は荒れるはめに
58 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 00:50:21 ID:h5YsuGsA
織田を破る・・・? ありえねーw
信長にしてみれば信玄が遠江→三河→尾張と先細っていくのを待って
同数以上の戦いを挑めば確実に勝てるんだぜ? 信玄侵略戦争の一回
目激弱な男だし。
>>55 はいはい司馬史観司馬史観。「しかも信玄」なんていわれるほどの男
じゃないよ、実績で言えば義元以下。まあより多数の軍を集められる
方が奇襲なんてしないだろうから奇襲がないのは同意だが。
>>56 土壇場で寝返った勢力を一門にするなんてありえない。そんな事したら
マジで武田が崩壊する。ゲームじゃないんだぞ、家臣団の反対とか考えろ。
>>57 久秀なら織田と武田が血みどろの戦争してる間に漁夫の利を得ようと
毛利につくだろうよ。まあ武田と戦って織田の敗色濃厚に、なんて展開
信長がどっかの糞坊主のように急死しない限りありえないけど。
59 :
松平忠吉:2007/08/11(土) 04:33:15 ID:SoCEfNrV
>>58アンチ信玄厨乙
実績が義元以下ってそれはないだろww( ̄ー ̄)
60 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 14:45:06 ID:vjPI129n
>>58 一門は無理でも馬場信房が「五年前に初めて駿河に侵攻した際に家康と昵懇の仲になっていたら、
今頃は中国地方まで武田氏の配下となり、天下は思うままであったろう」
とか言ってるし、信長と縁切りさせて降伏って線はあったかも?
61 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 16:32:09 ID:N9hPfEH+
そりゃまた馬場も都合の良い妄想をしたもんだな。
62 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 18:47:23 ID:BU5XA9N7
信長なんか所詮は光秀にやられてるし!
63 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 19:08:14 ID:dMwj80Fv
武田信玄があと10年生きていれば信長は毛利と武田に挟まれ武田が上洛し織田は武田に滅ぼされていたにちがいない! 信玄が率いる武田軍は最強!
64 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 21:58:11 ID:oA+1u8Xx
>>62 信玄なんて所詮自分(無謀な外征)に負けてるしw
ついでに武田家は信長の息子にトドメさされたしwww
65 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 00:33:37 ID:zMWkQJmh
秀吉の家来になってただろう。
まあ5大老の一角くらいには食い込めていただろうな。
66 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 00:47:18 ID:lVQlbVp6
信玄は当時の戦国大名の憧れの的だろ
信長や家康や元就などは皆信玄に憧れていたはず
67 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 00:47:56 ID:xGV5KFar
ヘタな釣り餌っすね
ダボハゼもかからんw
69 :
松平忠吉:2007/08/12(日) 03:34:10 ID:MACVG0Xa
70 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 13:59:27 ID:rfy0pGnL
無茶な高天神城攻めはしなかった=長篠に引っ張りだされることもなかったわけで。
重臣が次々討ち死にすることもなく、北条氏のように地場で勢力拡大してただろう。
本能寺後の政略次第で滅びるか大名として家を存続させるかが鍵。
71 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 15:04:04 ID:bfC9uJFQ
>>70 なんで武田滅亡してないのに畿内に軍事力の空白や中国出陣(本能寺フラグ)
が起こりえると考えられるのか。
72 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 20:42:36 ID:riAMS47x
73 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 21:09:57 ID:rMYpep+z
正確に言うと、奥平(山家三方衆)の徳川家への寝返りはなかった。
これは大きいよねw
1580年までに徳川は終わった。
74 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 04:29:13 ID:KsAvC6V9
武田滅亡が本能寺に関わってるだけに
本能寺がおこらない可能性が高いのが厳しいな
75 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 02:02:12 ID:hB3m2lbk
本能寺がおきないなら、普通に信長が天下とってたぽいな。
西に版図を広げた信長に対して、いくら信玄でも勝てまい。
76 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 07:50:41 ID:f/2sZ1zs
簡単な筋書は、こういう事だろ。
信玄が生きていれば、山家三方衆(長篠城の菅沼正貞、田峯城の菅沼定忠、
作手城の奥平道文・貞昌親子)が99%家康に寝返ることはなく、犬居城、
二俣城、野田城は99%健在で、よって遠江と三河の半分は武田が掌握し、
三方ヶ原の勝利で織田軍の援軍は壊滅しており、徳川は積極的に打って
出てこれなくなった。
この時点で徳川は半分終わっており、朝倉が越前に引き返して出てこなくても、
当時の信長(第一次包囲網)は石山本願寺、長島の一向一揆、北畠の残党、
三好三党、松永久秀、浅井長政・久政親子を相手にしており、兵力分散で
兵力数の差は問題ないし、兵站は当時も現地調達が可能、しかも当時の武田水軍
は出来たばかりとはいえ強力で、輸送等に十分使える。
当時の信長の手元にある鉄砲は、三千挺に程遠く、しかも分散されている。
この状況で武田軍団が織田領に進行すれば…
信長オワタw
77 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 08:25:03 ID:2n+SWSVe
だから信長には2万の自由に動かせる兵数があるってwww
78 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 11:23:34 ID:sa0Dpzj/
織田の援軍が壊滅て、平手くらいなもんじゃねーかよww
浅井朝倉は羽柴らに抑えられてる始末、一揆連中は遠くまでわざわざ出張る気も能力も無し。他の連中も大したことは無いから。
79 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 14:34:13 ID:oyBMzec+
>>77 包囲されている状態でどうやって2万も集中して遠出できるよwww
長篠の出陣だって浅井朝倉倒したからできたことだろ。
80 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 15:48:22 ID:sa0Dpzj/
まともにその「包囲」が機能したこと有ったか?各個撃破の良い例だったじゃないか。所詮「敵の敵は味方」だけで集まった烏合の衆。
81 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 16:12:53 ID:45kJXx3K
>>79 当時の織田家の動員兵力は推定で5万以上。
3万を押さえに置いてもまだ2万のこる。
もう一つ付け加えると、畿内の反織田の勢力には、それゆえに親織田の敵対
勢力の存在もあった。
朝倉ですら、若狭に敵対勢力を抱えていた。
純粋に「周囲に敵は織田だけ」なんて浅井くらいじゃね?
82 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 16:20:32 ID:jDppLbCN
遠江三河の半分って言っても面積だけで
行政区分石高的には1割か2割
83 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 16:29:09 ID:E5ih1vPe
織田と徳川みたいに親密な同盟でもないしな
84 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 17:25:10 ID:nHX++ZL/
勝頼と一緒に自害だなw
85 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 21:40:30 ID:IqbLGTyO
武田信玄
86 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 21:45:40 ID:bUv300NJ
10歳の神童が存在して日本中を火の海にして 現代で糞野郎と糞親父との評価
87 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 15:43:29 ID:J4MAq8oU
家臣団の分裂が無かった分勝頼よりは存命できたかもしれないが、三方原起こした以上は滅亡は避けれんだろうな
信玄の戦略上吉田城攻略して引き上げる予定ではあっただろうし、実際はそれすら叶わず撤退を余儀なくされる点は違いは無いかと
吉田城で粘る時間が長くなるが結局は撤退→撤退確認と同時に他勢力は史実同様滅亡→本願寺先か武田先かどうなるだろうね
ぐらいの違いではないのか?
88 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 16:13:55 ID:W89NQqi+
問題は野田城を落とした後どこへ行くかで歴史は変わるね。
三河での支配権確立なら吉田城 → 岡崎城だが、遠江攻略なら
まず掛川城あたりから攻めるか?
でも、徳川なんぞ問題ではないから尾張へ突入か…
その時、長島の一向一揆が尾張・伊勢のデルタ地帯の多数の川
(当時、この近辺は多数の河川があって、小舟で通行していた)
を使って一斉に蜂起(今川義元の尾張進行時もあった)して、
共同で信長と決戦か?
89 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 16:20:21 ID:W89NQqi+
織田軍5万 vs 武田軍2万5千と長島の一向一揆3万の連合軍で計5万5千
90 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 16:29:04 ID:/UTXronO
徳川の兵は浜松に集中してるから、残りは簡単に落ちる。
その後は多分織田と野戦で睨み合って、その間に浅井・朝倉・足利・本願寺(長島・石山)・三好・六角等の一斉蜂起で
織田は内部ボロボロに。
これで織田は岐阜へ撤収。信玄は美濃路の秋山と合流して甲斐へ凱旋。徳川降伏。
91 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 17:00:24 ID:xoiQZVFh
>>90 織田包囲網の面子にボロボロにされるぐらい各地を手薄にして軍を募れば
武田なんて一蹴だぞ、マジで。多めに見積もって2万数千なんだから。
92 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 17:05:05 ID:W89NQqi+
>>91 当時の長島の一向一揆を過小評価してもらっては困るね。
この一向一揆を実際に現場で率いていたのは地侍級の
れっきとした武士、もしくは浪人。頂点はお飾りの坊さん。
93 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 17:14:11 ID:/UTXronO
織田が国内の総力を上げて武田と野戦で短期決戦を望むのは十分ありえる。
でも勝てる見込みが立つまで動かない信玄がそんな誘いに乗るわけ無い。
睨み合いが続くと思うよ。
武田側も雪解けがタイムリミットだからそんなに時間は無いが。
94 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 17:14:41 ID:W89NQqi+
しかもこの一向一揆の末端信者=農民は、「進めば極楽」ってなわけで
団結力抜群!
機動力も尾張一国内なら可能ですよ。
実際どこぞの織田の城一つ落としてますなw
その城主の織田何やらは戦死w
95 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 18:21:48 ID:rAA7cbAS
>>90 浜松に居るのは家康中心の浜松派
岡崎には現状親信長派と認識されはじめてる信康中心の岡崎派がいるね
更にその後ろには水野も居るからそうそう簡単に尾張まで抜けない
>>94 長島は伊勢。いけても尾張南西の一部まで
数が多ければ多いほど動きづらくなるのは当たり前だし、30000も居たらそれこそ尾張まで行けるのかどうか謎だわな
第一地侍とはいえ素人が30000も動かしたら指揮系統もバラバラになり統一行動取れずまず最初に各個撃破されるのがオチ
みんな進んで「極楽」に飛ばされますわ
96 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 18:25:33 ID:7kPEY3Z9
三方が原で徳川が他の重臣は誰一人として死んでないのに、なんで家康は死にそうになったの?
重臣は家康を見捨てて逃げたの?
97 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 18:27:35 ID:W89NQqi+
>指揮系統もバラバラ
>みんな進んで「極楽」に飛ばされますわ
結束力がありますよw
表向きの最高指揮官は坊さん
結果、織田軍の被害も大きい。
信玄に有利になりますねw
98 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 19:02:09 ID:W89NQqi+
さらに、
戦国時代は江戸時代と違って、「忠義」より「生き残る」and「自領の安堵」が
常識な訳で、武田軍が織田領に突入すれば寝返る武将多数あると思われ。
99 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 19:54:28 ID:b7D/TzU5
>>98 >「生き残る」and「自領の安堵」が常識な訳で
戦国武将の全てがそうではない。
むしろ「華麗なる死様」により、息子なり家名の安泰を
願った武将も多い。
つーか「忠義」より「生き残る」and「自領の安堵」
これって武田が滅んだ時の甲斐、信濃の武田家臣の
常識じゃないか?w
100 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 20:02:34 ID:CJecOMVf
長島一向一揆が強いのは長島にいるからであって
織田対武田の場合の戦力にはならんだろ
101 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 20:10:00 ID:b7D/TzU5
マルチ野郎にレスしたorz
102 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 20:18:32 ID:xoiQZVFh
>>93 ということは信長も総力戦など挑もうとせずにらみ合いしてる間に
他の包囲網勢力をぼこるだろうな、勝算がないと動かないのは信長
も同じだし、実績で言えば信長の戦略眼の方が甲斐の山猿より遥か
に上だしな。
>>ID:W89NQqi+
君は坊主か? それとも過激テロにシンパシー感じちゃう人?
大体信長にしてみれば一向宗なんて地盤が不安定な代物、一箇所に
集めて干し殺しにしてやればじきに枯れるわけで。実際そうしたし。
さらに武田が織田家の領地に突入するには三河を侵略、制圧しないと
いけないし、突入したところで、どっかの山猿のように信長が突然死
したり、山猿の息子のように壊滅的な敗北でもしない限り、怒涛の
裏切り連鎖なんて起きないよ。
103 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 21:25:06 ID:dMOJvBtQ
信玄より謙信が長生きしてた方が歴史が変ったかも。
信長の鉄砲隊を封じる術も持ってたというしね。
兼信が脳卒中で死ななければ信長は負けていたと思うよ。
川中島は決着が付かなかったとはいうけど、
兵の死傷者数を見れば実質上杉の勝ちだし。
104 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 21:27:54 ID:ORWydQSb
信玄厨って信玄が一番強いって書かれてないと気が済まないガキばっかり
信玄に不利なこと書かれると必死になって取り消そうとしたり、
「史実かどうかは疑問」とか、本当にどうしょうもない
信玄はもうちょっと長生きして、
天目山で親子揃って自害すればよかったと思う
105 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 22:20:41 ID:/UTXronO
>>96 三方ヶ原戦死者
徳川方(死傷者300〜1800と異説あり)
平手甚左衛門長政、鳥居四郎左衛門信元、青木四郎兵衛広次、中根平左衛門正照、本多肥後守忠真、
松平弥右衛門康純、米津小大夫政信、夏目次郎左衛門正吉、岩堀勘解由左衛門、岩堀勘次郎、岩室勘右衛門、
伊藤金八、伊藤七郎衛門、伊藤忠兵衛、市川用三、犬飼九郎次郎、犬塚甚蔵、井上新五郎、池野十蔵、
石原弥三郎、石原十度右衛門、石川半三郎正俊、石川小太夫、長谷川紀伊守正長、長谷川藤九郎英一、
長谷川右近、長谷川十郎次郎、長谷川橋助、本多六左衛門、本多長次、本多甚六、本多小太郎、細井喜三郎勝宗、
堀川彦作、堀谷半八郎、堀屋平七郎、戸田十蔵、戸田十郎三郎、戸外瀬助、戸野作左衛門、徳光清四郎、
外山小作正重、小笠原丹波守安次、小笠原新九郎安広、小笠原三郎兵衛、小笠原七郎右衛門、
小笠原信倫入道宗玄、小川伝九郎、小田甚五郎、小谷平蔵、大久保新蔵忠寄、大橋刑部、大岡左衛門五郎、
大岡久助、大河原源五左衛門正勝、大村弥三郎、大村弥左衛門、大沢彦内、大田宗六郎、岡部右衛門、
岡安三郎兵衛、岡安三郎五郎、渡辺十左衛門永、渡辺新九郎、渡辺半助、高力半九郎、加藤九郎次郎景元、
加藤源四郎、加藤日祢之丞長次、加藤八平衛、加藤三平、加藤九七郎、門奈善三郎真友、河合八斗平衛、
河合又五郎政光、川上九蔵、勝野与五郎、金田靭負宗房、角輪彦蔵、米津十郎右衛門、吉野孫三、
高井一郎右衛門、高見角平、高見孫三、高見次左衛門、高見助七郎、谷半助、田辺新次郎、田中彦次郎、
田沢久助、竹生宗久、竹生七蔵、多門越中重信、玉越三十郎、都築彦四郎、都築清七郎、内藤源一郎、
成瀬藤蔵正義、中根藤蔵、中根次太夫、中根市左衛門正直、中根弥助、中根喜蔵利重、中根彦三郎、
中辺左平次、長池弥十蔵、長松八十郎、長見次平衛、長見茂兵衛、永田藤三郎、夏目長三郎、内海弥助、
宇野三十郎政秋、野々山藤兵衛元政、野々山弥作、倉橋金内、倉内甚太郎、熊喜八、山田甚五郎重吉、
山田角之丞、山口源七郎、山口飛騨守、山下七郎右衛門、山下宗十郎、矢田伝助、八面四郎左衛門、
八木新十郎、松平半兵衛、松平伝六郎、松井新左衛門、松井新八郎、松井茂兵衛、松井助右衛門、
松波半右衛門、松山久内、増田外記、二股又八郎、近藤宮内吉成、近藤修理、横田久助、去米右京、
去米仁右衛門、児島源一郎正勝、児島与助、児島善九郎、五味右衛門元保、渥美久七、渥美源五郎重経、
渥美善七郎、有馬八九郎、有馬六蔵、秋山甚十郎、足羽小三郎、荒川甚太郎、榊原摂津守忠政、
榊原市右衛門、榊原与十郎、榊原九蔵、酒井又助、酒井久右衛門、酒井四郎左衛門、酒部三六、
佐野彦三郎、佐野彦四郎、佐々新太郎、佐脇藤八郎良之、斎藤宗林、斎藤市大夫、斎藤孫右衛門、
斎藤彦左衛門、沢辺新九郎、三枝平左衛門、吉良九左衛門、木村弥七郎安綱、喜久弥太郎、
水野藤七郎、水野新五郎、水野喜兵衛、水野右京、三宅三蔵、三宅喜蔵、三宅十右衛門、
三宅七郎右衛門、志村弥左衛門秀次、島斎宮、塩野屋助十郎、白井藤次郎、平井新三郎、平屋源太郎、
平松喜八郎、森豊後、森弥平、森久蔵、鈴木角平、鈴木出来助、鈴木伝六、鈴木伝九郎、鈴木又六郎、
鈴木八十郎、鈴木伝八、鈴木又八、杉原十斗兵衛
こんだけ死んでて家康が楽々撤退だったら、逆に辻褄が合わなくね?
106 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 22:33:45 ID:xoiQZVFh
>>103 鉄砲を封じようと騎兵を封じようと槍を封じようと数の力には勝てません。
107 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 23:49:07 ID:rAA7cbAS
>>102 多分メガ豚<ID:W89NQqi+
信玄上洛スレにも出没してたからスルーしたほうがよさげ
そもそも長島の一向一揆なんて砦という地の利を活かしたから生き残れたようなもので、平地に出たら散々にやられるのがオチとは思う
それほど大群を率いるのは困難ってのは解らないのはどうかとも思う品<ID:W89NQqi+
108 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 01:34:49 ID:+dpqf99C
お前ら意外とフィギュアスケート好きなのな
109 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 10:57:49 ID:z/ZIBmri
>>106 直接対決が実現しようとした時、
数の面でも謙信の方が勝っていたよ。
織田4万に対し上杉6万。
謙信が脳卒中で倒れなかったら信長は負けてた可能性が高い。
110 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 21:27:43 ID:3L7Jer+l
>>109 いつの話だ。手取川か?
アレは信長の本軍は出てきてないし援軍もグダグダの状況だぞ。
謙信が脳卒中で倒れなかったら謙信を圧倒できる軍を仕立てた
に決まってんだろうが。
基礎の国力差がオトナと子供ほどに違う。
111 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 16:11:08 ID:QjG0DO37
信長の敵は上杉だけじゃない。領土が広いだけあって敵も多い。
112 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 21:17:17 ID:sCfiv+p4
敵が多いだけあって領土も広いから大丈夫
113 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 13:47:15 ID:rX+Xcztz
まあ、信長は野戦が激強だから、同数以上の兵力差なら信玄は負けただろう。
村上程度にボコにされた采配じゃなあ・・・・。
信玄って政宗より酷くないか?
政宗の場合かすかだけど摺上原は兵数劣勢じゃなかったっけ?
115 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:24:31 ID:C99XWQRp
信玄は先代までの貯金で勝てたんだろう。
まだ一国すら統一されていないところが多い時代に
最初から甲斐全土を持ってるんだからな。
信濃のいち地方を切り取るだけにもたつきすぎ。
逆に政宗は先代及び先々代の借金を全部返済して貯金にした感じがするな。
117 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 18:07:30 ID:K/oIY4dF
先代は借金は無いと思う
一応相馬からも領土を取り戻した所で家督譲っているし
小次郎とのことが借金かもしれないけど
むしろ二本松とのことで遺産を活かし損ねた要素もあったと思う
輝宗の兄弟で伊達についたのは留守ぐらい?
118 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 18:10:22 ID:K/oIY4dF
>>115 他に今川との同盟(これが一番大きいかも)
金山の開発、今井大井など有力豪族の討伐、国人からの人質集め、棟別銭の実施
信虎の内政に関する功績も多いからなー
名ばかりの守護が多い中、国人衆をある程度抑えこむ体制を作っていたのは大きいと思う
なにげに信虎も勝頼も凄いのに、こいつらは暴君扱いで、
信玄だけ戦国最強みたいに言われてるのが、勝頼ファンとして悲しかったりする。
>>117 確かに留守くらいかもしれない。小梁川ってのも親族であって輝宗の兄弟じゃなさそうだしな。
121 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 06:15:51 ID:tBGaPmyT
122 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 14:19:33 ID:3nkUQoLM
10年で京都を占領できても、天下統一するのは少々無理があると考える。
武田軍尾張を攻め、清洲城を落とす。
浅井・朝倉にこの情報が伝わり奮起。
武田水軍出動。織田(九鬼)水軍と決戦にて勝利。
伊勢長島の一向宗伊勢へ侵攻。
織田の重臣が裏切る。明智か佐久間か?
問題は上杉謙信。こいつがどうでるかで情勢は一変する。
信長、武田との決戦を決意。
浅井・朝倉両軍、武田軍と合流し、瀬田あるいは関ヶ原で決戦。
織田軍壊走。
123 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 14:25:40 ID:rEoUe1Mz
本願寺が天下を取っていた。
加賀、伊勢、摂津、紀伊、能登、越中、越前は本願寺領。
124 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 14:33:16 ID:o9WmNXcy
長生き?
信長たんに迎撃→敗走→滅亡→長生きしねーよ
位面白い事ゆー奴はいたのかな?
実際にゃどこまで引き込んで迎撃するか?焼き味噌たんはどうなる?
おせーてクロちゃん
125 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 17:44:43 ID:l3uebDGH
つか摺上原が伊達の方が兵力少ないといってるYという奴に驚いた。
126 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 19:31:33 ID:Ugv3WHKL
>>122 西方作戦続行って武田軍尾張を攻め、清洲城を落とす。
浅井・朝倉はこの機に乗じて領地を取り返しに(武田についた方が有利と考えて武田と同盟)
一方関東では上杉謙信が加賀一向一揆を征伐終了
上杉謙信はおそらく信濃よりも関東を優先する。長尾のころは信濃だったけど「上杉」を継いでからは関東に目を向けてる。武田信玄と最後ににらめっこしたのは利根川だしね
上杉軍は関東に侵攻。
海上では武田水軍が、織田水軍を破った。
武田本隊に北条浅井朝倉の援軍加わり総兵力40000で織田と大決戦
127 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 19:40:39 ID:Ugv3WHKL
ついでに勝頼は白兵戦では強いと思う。三方が原とか
でも大軍を指揮するには向いてない。高天神では鉄砲使ったものの鉄砲嫌い。長篠では馬場信春が「対陣すべき」と発言したり他の老臣も「退こう」などと言った。勝頼の決断は「正面突破」
馬に乗って戦ったか?信長の三段構えは事実か?は別にしても信長が大量の鉄砲を使用することがわかっていたのに正面突撃をするのはどうだろう?
勝頼が真田に逃げてたらどうなったかな?
128 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 10:58:08 ID:zZwghool
>>124 ここは事実から目を逸らして妄想で生きるスレなのでそんなこと言う無粋な輩はまず現れません
したがって信玄が率いる軍隊は謙信以外に負ける事はありえません、たとえ劣勢でも
129 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 12:53:26 ID:o3V2SFN9
まあ
>>124みたいな事を言うのがいたら信長厨の中でも楽観論の最たるものだが。
130 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 14:25:44 ID:htbSSc4t
信玄と謙信って仲良くなれる?対信長同盟を結べば脅威はなくなりほぼ全軍を京に向けれるのだが
ただ朝倉も三方ヶ原の直接に兵を越前に帰国させたり消極的だな。
偉大なる毛利輝元は信玄よりバカだから
131 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 21:40:31 ID:6kgnvuBy
>>130 なれると思うが、それで全軍を京都に向けられるかどうかは疑問だな。
1572年の時点で武田の財政状況はかなり困窮していたはず。
国内全軍を動員しての遠征に国庫が耐えられたとは思えんな。
謙信は謙信で進撃できるのは雪が降るまでと言うタイムリミットがあるし、タッグを組んでも信長を倒せたかどうか・・・
132 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 22:52:58 ID:htbSSc4t
>>131 三方ヶ原後も信玄が生きてたって設定なんだよな?となるとその時の信長の兵力が問題だが信長も信長で浅井朝倉で色々大変だったんじゃない?
確か一度、足利の命令で信玄を信濃守護?にする代わりに信玄と謙信が和睦したよな。すぐ信玄が破ったが。駿河が手に入ったから越後を侵略する意味ないし仲良くなれそうな気がしたんだが
信玄時代はかなり甲斐も裕福じゃないか?徳川と駿河に侵攻して、北条が今川に味方してさらに徳川との関係も危うくなると一旦甲斐に帰り、北条を叩きに小田原囲んだよな。そしてまた駿河へ
20000の兵力を約一年で今川と戦い北条と戦い再度駿河へだから相当お金かかっただろうな
133 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 23:02:52 ID:3dHLvHdg
浅井は蒼息吐息、朝倉は張り子の虎。
>>132 三方ヶ原は浅井朝倉が撤退した後の12月だから、信玄はほぼ単独で織田に当たらないといけないわけで
正直かなり厳しいのが現状。講談みたく信玄最強なら話は別だが、実際戦績にかけては信長のがはるかに上だし、
信玄上洛なんてほぼ不可能な希ガス。
135 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 23:40:59 ID:6kgnvuBy
>>132 甲斐が裕福だったのは豊富な金鉱脈を開発できたからだが
信玄の晩年にはその金鉱はほとんど掘り尽くされているからな。
んで、金鉱に代わる収益を求めて裕福な駿河に攻め込んだ訳だが
北条がちょっかいを出してきたお陰で駿河をなかなか領土化できなかった上に北条と戦争→大出費
やっと駿河の運営が軌道に乗ったと思ったら、足利将軍から上洛要請→またまた大出費。
どう考えても財政に余力が残っていたとは思えん。
信玄が今際の際に三年は喪に伏せよと言ったらしいが、
『もう武田には大規模な軍事行動に耐えられる財力が無いから、三年は内政に専念して財政を立て直せ』
と言うのが真意だったのではないかと。
136 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:08:47 ID:Vm2RQTsu
信玄がもし10年長生きしたら?より、もし10年早く死んでいたら?
のifのほうが見通し明るいぞ
137 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:12:55 ID:lGWrD8NW
30000(別部隊含)の大軍でそのまま西に進めば、信長の軍を消耗させれると思い…
ただ信長の軍をある程度消耗させればこれに乗じて浅井朝倉も出てくるじゃないかと思った。朝倉義景自身はいつも出陣しないしけっこう消極的だなとは思うが
1573で信長討伐に協力できるのは誰がいますか?浅井朝倉以外で
138 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:13:43 ID:lGWrD8NW
>>136 俺の尊敬する武田晴信を43では死なせない
139 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 00:33:21 ID:Y+Q0V+wU
>>137 本気で織田をやるつもりなら
徳川じゃねーの
140 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 02:41:30 ID:+acmFNjX
>>137 それだと織田以上に武田の消耗がはげしそう
141 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 03:40:57 ID:VUcGB7F1
142 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 10:29:03 ID:s3vxc7vu
勝頼と一緒に親子揃って自害だろ
早く死んで良かったんじゃないか?
143 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 12:22:24 ID:lGWrD8NW
>>141 相当疲れてるだろうな。一乗谷でヘロヘロだろうね
信長の本隊がいるから信玄も信玄で厳しいかな
144 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 22:23:15 ID:nS7o3UR/
>>136 1563年、信玄死亡。義信くんが無事武田当主に就任。
信玄と違って信義に厚い義信くんは謙信に気に入られて甲越同盟成立。
家康にボコボコにされて泣きついて来た氏真くんを助けるため遠江に出陣。
三方が原で家康を粉砕、浜松城炎上家康死亡ww
145 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 22:39:02 ID:jQqCqWwR
146 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 23:29:02 ID:lGWrD8NW
147 :
144:2007/10/27(土) 21:28:44 ID:FqTPEWeU
続き。
徳川を滅ぼした義信くん、行き掛けの駄賃とばかりに尾張にも侵攻。
斉藤義龍と義信くんに挟み撃ち状態の信長涙目。お市たんを差し出して義信くんに降伏。
そのまま上洛して畿内平定。義信くん一躍天下人に。
しか〜し、弟の勝頼くんが信玄譲りの悪い癖が出て濃姫様に手を出してしまう。
信長激怒、本能寺にて勝頼くんと宴会していた義信くんを信長襲撃。
兄弟揃って仲良く自刃ww
148 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 21:54:00 ID:Lj+w0uZV
義に厚い義信さんは
信濃1国とそれに付随する家臣団を勝頼に譲渡するでしょう
149 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 13:42:39 ID:qaNX3VPZ
義元が10年生きてたら?
義元が尾張攻略して三国同盟を続けたら武田は越後を狙うしかないのかな
150 :
人間七七四年:2007/11/23(金) 02:22:39 ID:ymfcCWU/
>>141 信玄が上洛するなら義昭は追放を免れるだろうから
浅井5千、朝倉2万、武田2万5千、義昭5千
織田3万
だから包囲網側が協力できれば織田不利ではないかな
一旦は織田が岐阜に引き上げ、武田も長期滞在できないから引き上げ
その隙に織田義昭との間で和解
っていうシナリオかと
151 :
人間七七四年:2007/11/23(金) 17:54:21 ID:a0u+OPu1
>>150 利害の一致だけで組んだ面々なのになんで武田有利にするための囮を浅井朝倉が買ってでなきゃあかんの?
武田1人だけがいい思いして浅井朝倉がボロボロになる義理もないでしょ?
それ以前に浅井朝倉も既にボロボロで瀕死、越前は雪が積もり始めて朝倉は戻らなきゃ行けない状況でもあったはず
152 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 18:58:43 ID:6MexUvFF
姉川の頃から戦ってるんだから武田のためでもないだろ
153 :
人間七七四年:2007/11/28(水) 02:03:01 ID:9+NeCOSD
>>152 もう数ヶ月信玄が動くのが早ければ可能かもしれんが、浅井も朝倉ももうギリギリって時点で動いて1人漁夫の利を取ろうとする所が既にありえんだろ、浅井朝倉としては
ヘタすると浅井朝倉と信長が共倒れor浅井朝倉滅んで信長疲弊の中武田だけがおいしい所総取りって形になるんだが?
そんなの浅井朝倉側も見抜けないほど間抜けじゃないから退いたんだろ
154 :
もしも信玄が10年長生きしていたら:2007/12/03(月) 05:30:42 ID:iaU7LB3A
信玄はいかりやかな?
155 :
人間七七四年:2007/12/03(月) 19:11:55 ID:JndfGV2F
京への距離からすれば武田もダメージ受けるのだからお互い様だ
156 :
人間七七四年:2007/12/03(月) 22:11:27 ID:UtTp5iRe
氏政を脅迫して二万くらい派遣させようか
157 :
人間七七四年:2007/12/04(火) 20:58:24 ID:hSn5+Pgz
158 :
人間七七四年:2007/12/13(木) 20:50:49 ID:PZI99wPb
>>153 浅井も朝倉もそんなこと言ってられないくらいピンチなわけだが。
信玄は格上の奴と戦ったことがないから多少不安だったのでしょう。だから朝倉浅井からの信長への圧力も信玄は重要視してたんですよ。
それにしても信長の経済力はすさまじいものだな
>>156 信玄は一向一揆を起こさせ上杉を封じた このおかげで全戦力を西にむけれたんだが
武田は上杉を封じたから北条にも一時の平和を与えてやった
北条武田連合50000といきますか
161 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 00:08:48 ID:6Lc6beUd
>>160 上杉を封じても反北条勢力はまだまだ関東で頑張ってる。
2万も西上作戦に動員したら、関東のあちこちでそやつらが蜂起するのは目に見えてるんだが・・・
163 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 02:23:11 ID:gvW/e1U/
そもそも大軍を動員して戦が出来るのは農閑期の短期間だけ。半農半士で構成
されてるから1年のうちほとんどの期間を農業に費やさないといけないわけで
長期の遠征など当時の戦国大名には無理。だから信玄も北条も年数を掛けて
少しずつ領土を広げていくしかなかった。
信長は兵農分離を行い1年中闘える軍隊を創り出し遠征、遠隔地での長期駐屯
など可能にした手腕は見事だね
164 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 03:16:12 ID:f1dApGGU
低脳ゆとりの証明である、アンチ武田信玄の思考(毛利オタ 北条オタ 信長オタなど)
大名として成熟した時期の元就54歳(厳島)と、大名としてまだ未熟な時期の信玄28歳(上田原)
を比較して、元就>>>信玄と背伸びしたがる始末wwww
駿河攻略の途上で行われた信玄の小田原攻めを、「信玄は相模を取れなかった」
としか解釈できない始末www
背後を見せた信玄を討ち取れずに散々に敗北し、おまけに駿河を信玄に取られた
事実には目をそむける始末www
周囲の大勢力全てに打ち勝ってきた信玄が最強なのは歴史的事実であるが、ゆとり
世代からすれば、「大勢力を滅ぼせなかった」としか解釈できない始末ww
謙信も氏康も信長も、生涯信玄を恐れて生きていきました。
165 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 03:22:11 ID:f1dApGGU
信長の経済力???まだそんな妄想抱いてるんだね、ゆとり織田厨はww
同世代の武田ファンはみんな一定の戦国の知識を抱えてるんだよ、恥ずかしくないの?
事実を見渡して、信長が大軍を擁して信玄と戦えるのは不可能だよどう考えても。
それに信玄は尾張などにも調略をいれており、とてもじゃないが、あれだけの敵を抱えていた
状態で、対武田に何万もの軍勢を送るのは不可能だね。
一方の信玄は駿河において水軍を編成するなど兵力の蓄えはまだあったからね。
166 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 03:38:53 ID:gvW/e1U/
数十年掛けて一地域にしか勢力を拡大出来なかった信玄や他の多くの大名と
全国の半分まで勢力を拡大できた信長を比べれば経済力に差があったのは明白
それに武田は長期間戦えないのは分かりきってるから織田としては積極的に
相手する必要は無く、武田が出張って来る農閑期にとりあえず防衛戦すれば良い
兵力の蓄えがあろうが稼働出来ないなら意味ないんだが。
信玄の上洛なんて元から無理で、最期の出陣も徳川領の三河を切り取るため
との説が近年では定説らしい。
まあ妄想の酷い視野の狭い○○厨は痛いのは確かだな
167 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 03:41:45 ID:LToBt0FQ
>>166 兵農分離は幻想だよ。いっとくけど。
武田の出兵は実は農繁期に多い。
そもそも戦国時代の軍隊は軍役衆で構成されるから兵農分離という言い方自体が
ナンセンスというか…。
168 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 03:48:41 ID:z9iKXUQl
兵農分離幻想って誰から来てるの?
俺が読んで酷かったのは井沢だが。
井沢はは調べもせずに、武田は農兵だから農閑期しか動けないってアホみたい
に強調してたけどな。
実際は滅茶苦茶、農繁期も動いてるけど。
169 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 03:58:04 ID:gvW/e1U/
兵農分離が幻想って事はないでしょ、武田の出兵が農繁期に多いというのは
知らないが、遠隔地で長期間戦えない軍隊なのは明らか。
織田の出兵が農繁期に多かったというのは以前番組でもやってたし、関所の廃止
や楽市楽座で潤沢な資金があったから半農半士ではない「兵士」を雇えたって事
でしょ、実際に恐ろしいスピードで勢力拡大してるし。
ちょっとスレ違いな気もするけど…何にせよ信玄が長生きしてても大勢に影響は
無かったんじゃないかな
170 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 04:04:04 ID:oe82cyiZ
包囲網が瓦解するかしないかで全然違うだろうが。
信玄の死で武田は停滞、義昭・浅井・朝倉・長島は各個撃破されたのだから。
信玄が信長に勝つかどうかは別問題だが。
171 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 04:07:11 ID:LToBt0FQ
>>169 いや幻想だから。武田の戦争はそのほとんどが農繁期に行われてる。
第2次川中島でも200日以上も戦ってるよ。
武田ではないが毛利でも長期間敵の城を包囲した例がある。
番組というのが何を指しているのかわかんないけど。
というか当時の軍隊は軍役衆、つまり大名が武将に与えた土地に応じた軍役を課し
武将がそれだけの部隊をつれてきて、それが集まることで大軍が構成されている。
それは武田も織田も同じ。その兵力を出す郷村では出す奴を決めたりそれに出てもらうために
浪人とかを共同体で雇ったりするから兵農分離という言い方もできなくはないが
それはどの大名も同じ。信玄も「ちゃんとした奴を参戦させろ」とわざわざ通達したりしてる。
172 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 04:15:07 ID:z9iKXUQl
あと信長の経済力ってのはどうなん? そんな他の大名と隔絶しているような経済力
誇ってたの? 関所撤廃・楽市楽座=別格の経済力って語りクチしかされてない
気がするけど、実際具体的に書かれた本とかある?
例えば越後・佐渡にある金山収入が、全国の金山の6割を占めてたとか言われると、
具体性があって分かりやすいんだけど、信長の経済力ってのはどんなもんなん?
173 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 04:15:16 ID:gvW/e1U/
>>168 一応当時は大名が配下武将に石高(この時代は貫高か)に応じて軍役を課すのが
慣例で、織田も武田も上杉も基本はそうだった。
ただ織田は経済的に相当潤ってたから結果的に「兵農分離」が出来た、という
流れらしい。そういう意味では
>>167氏の言う言い方がナンセンスという表現も
ありかなとは思う
まあ織田と武田の一番大きな差は巨大な経済力を確保出来たか出来なかったか
だと思うよ
174 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 04:24:03 ID:LToBt0FQ
>>172 とりあえず信長の親父の信秀は尾張一国の支配者でもなかったけど
京都に4000貫もの大金納めてけろりとしてた。
もともと尾張は当時における商業先進地帯にして農業生産自体も豊かだったわけだね。
まあ謙信の財力のほうがひょっとするとすごい気がしなくもない。
楽市楽座も信長の領内のごく一部でしか行われていないし。
>>173 結果的にというかなんというか…兵農分離という言葉自体が元々おかしいというか……。
175 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 04:33:22 ID:gvW/e1U/
>>171 投稿時間がかぶっちゃったねwレスありがとう
意見も大体似てる感じがするな、第二次川中島の長期戦というのは小規模な
戦いじゃなかったかな?自領でもあるし補給が続けば出来ると言う事だね
番組てのはNHKで数年前にやってたヤツ(タイトル忘れた、あしからず)
>>172 はっきりした史料は分からないが、信長の最盛期で北陸、中国、関東と各方面
で他の勢力と渡り合ってたからやはり群を抜いてたんだね
あと佐渡金山は上杉政虎(謙信)の頃はほとんど機能してなかったとからしいが
関東に遠征など行ってたからそれなりに豊かだったんだろうね
176 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 04:42:08 ID:LToBt0FQ
>>175 小規模というのがどういう定義かはしらないが
一応武田上杉両軍あわせれば数万近い大軍になる戦いのはずだが。
ちなみに最後の西上作戦のときも何気に200日近く動いてる。
しかも病気がなければまだまだ動くつもりだったようだ。
謙信は日本海貿易などを主体として港の整備や特産品の大々的な販売を行い
大きな利益を上げていたんだよ。あれだけ生涯にたくさん戦をしたけど
死んだときには2万7千両もの金が残っていたそうだ。
177 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 04:55:53 ID:z9iKXUQl
佐久郡内山城攻略・上野倉賀野城攻略・伊那郡福与城・竜ヶ崎城攻略・
安曇野郡平瀬城・小岩岳城攻略・永禄四年川中島合戦・小田原攻め・上洛戦
この辺が農閑期の出兵かな。
この前後もガンガン出陣してる上で。
こんなん見てると兵農分離とか関係あんの?とか思うけど、信長もこんな感じなのかな。
あと信長の経済力が凄いのは間違いないだろうけど、それは楽市楽座とか関所撤廃による
ものなのかな。 単に戦略面が優秀で、早期の拡大戦に成功したことからくる
相対的な優位とかじゃないの。 畿内が豊かで堺とか草津とか抑えたことから
くる豊かでは?
178 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 05:37:06 ID:z9iKXUQl
>この辺が農閑期の出兵かな
農繁期の間違いね。
それと今川義元上洛戦(上洛かしらんけど)もバリバリの農繁期だよな。
田植え前に大動員掛けてるけど・・・
179 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 10:36:58 ID:+cGI3+v3
>>175 武田軍の出陣時期を月毎にまとめると、9月の出陣が最も多く、
ついで8月と10月が多くなっている。
ようするに、武田軍の出陣は稲刈の時期とその前後が特に多いということ。
つまり、農繁期は戦ができないということは全くない。
それから、2次川中島は決して小規模ではなし、
他にも戦国大名の長期出兵としては、
上杉謙信の小田原攻めの際の関東出兵は11ヶ月間に及んでいる。
最後に、NHKは間違えることもよくあるので鵜呑みにはしないほうがいい。
180 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 10:39:22 ID:N4fxvfOJ
あと十年長生きしてたら武田幕府の
唐入りが成功。最前線はモスクワの手前。
死を前にした信玄は山縣三郎兵衛に
明日はクレムリンに軍旗を掲げよと命じた。
181 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 12:12:22 ID:1FIditLQ
>>179 稲刈り時に出陣が多いってのは、現地の田で米の補給をするためくさいなwww
182 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 12:52:28 ID:hKqkf0zo
>>174 その話は有名だけどさー、日向の伊東なんて2万貫納めてるんだぜ?日向は超絶商業地帯で巨大な経済力を背景に大友島津を圧倒したのか?ん?
183 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 12:56:56 ID:hKqkf0zo
>>174 だいたいなんでけろりとしてたとか分かるんだよ。お前は信秀か?もしかしたらけっこう痛い出費だが見栄はってただけかもしれんだろが。適当なことぶっこいてんじゃねえよ。クズが。俺の足の爪の垢を煎じてやるからありがたがって飲めよチンカス野郎。
184 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 13:09:52 ID:6Lc6beUd
ID:hKqkf0zo は何をそんなに必死になってるんだ?
カルシウムが不足しているんだな。
185 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 13:15:13 ID:LToBt0FQ
>>182と
>>183 なんだか妙な口調だな。
伊東のはトータルなんじゃないのか?信秀のは一回だぞ。
出来れば詳細教えてくれい。
けろりとしてる根拠としてはこの大金を納めた後も平気で大軍を起こして戦争
してるから。この一年後には信秀は美濃で大敗するがそれでも平気でその後も
戦争してるぞ。
さらにこれで物足りないなら京都の貴族が尾張に下向した時、信秀の家臣である平手の
屋敷に招かれたがその贈答用の太刀の造作のすばらしさや数寄をこらした座敷に驚いている。
信秀自身も京都の貴族たちが来たらわざわざ新造の建物を造っておもてなししてる。
尾張半分も持っていない男がこれだぞ。十分豊かといえるだろうよ。
ちなみに尾張は57万石。石高だけでも十分豊かだな。
最後にその汚い口調は直したほうがいい。
186 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 13:30:50 ID:+cGI3+v3
>>181 補給というか、ぶっちゃけ略奪ね。
当然それを見込んで、稲刈の時期の出陣が多いのだろうということは、
容易に想像できる。
187 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 13:35:52 ID:6Lc6beUd
織田信秀が経済的に豊かだったのは
津島、亀崎といった畿内と東国の海上交通の要所となる港湾を押さえていて
交易で莫大な利益をあげていたからだな。
この頃の信秀は今川と三河国境で戦いつつ美野に出兵などと言う
2正面戦を平気でやっていた。
余程の財力がなければそんな真似はできない。
188 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 15:34:36 ID:vcBYGNOz
>武田信玄があと10年長生きしていたら?
羽柴秀吉の家臣くらいにはなってたんじゃないの?
彼、信玄を高く買ってたから
189 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 19:34:18 ID:z9iKXUQl
そうだよな。敵地で略奪したほうが早いから、むしろ農繁期のほうに遠征したいくらい
だよな。大体孫子も敵地で略奪しろって言ってるわけで、信玄は意識して農繁期の遠征を
選んでたんじゃねーの?
兵農分離幻想とか、勝ち組み信長の幻想はやっぱ一人歩きしていくな。
まあ信玄もそうかわからんが。
190 :
にゃんこ:2007/12/24(月) 21:50:24 ID:Esya6KB9
兵農分離幻想者はね、当時の農業経営を現代みたいに小規模なものと思いこんでい
るのさ。一家に成人男性が一人しかいない、とね。
実際は、大家族+使用人(下人)の大規模経営だから、一家に成人男性は何人も
いて、その一部が農繁期に出兵しても、何とか大丈夫。むしろ、出兵した方が
減税特典なんかあったりしてお得だったりする。
軍役衆の正体はこれでしょ。
191 :
にゃんこ:2007/12/24(月) 21:57:54 ID:Esya6KB9
しかしだ。反信長勢力には、互いの通信手段が乏しい。これでは、有効な連携が
困難で、結局は、豊かで兵力の多い信長が、内線作戦のメリットを生かして勝つ
でしょう。具体的には、大幅な譲歩や朝廷の仲立ちの和睦なんかで、敵を減らして
、残敵を各個撃破。
もっとも、賢明な信玄は、そうなる前に、積極攻勢から、三方ヶ原の勝利の果実を守る
方向へ、戦略を転換して生き残りに賭けるだろうけど。
192 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 22:06:20 ID:z9iKXUQl
まあそういう純戦略的な部分で勝負が決まるとは俺も思う。
でもどうなん。浅井・朝倉・本願寺・義昭・六角・三好残党とかとは、もう和睦なん
てとこまでいけないんじゃないの? ドロ沼化してる気がするけど。
193 :
にゃんこ:2007/12/24(月) 22:10:01 ID:Esya6KB9
大名の類は、狂信者やないから、大きな譲歩や朝廷の仲立ちで和睦はできると
思うんよ。
一向一揆は狂信的でも、本願寺は狂信的ではないので、これも何とかなるんや
ないけ。
194 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 02:01:12 ID:JvN0JbRH
まあ、信玄が10年長生きしても変わらんだろ。
実際武田の財政が限界だったから、全軍あげての大規模作戦が数年も続かないだろ。
武田より大きい毛利でも織田との消耗戦に負けてジリ貧だったし。
それに朝倉が引きこもった時点で織田の主力が対武田に使えるから短期間の決着が望めない。
その間織田と組んでる上杉が動けば武田も和睦するしかない。
その間に織田が浅井、朝倉を滅ぼして畿内を平定すれば大勢が決まる。
信玄存命中の甲越同盟はあり得ないから信玄が長生きしたらその分武田は越後に牽制されるだろ。
195 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 09:08:47 ID:LkMjIk4f
少なくとも毛利攻めの頃とは状況が違うな
196 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 10:27:13 ID:AgMJV7oo
最終的に信長が勝つことはありえるが、戦局が変わらんということは絶対無いな。
197 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 13:44:48 ID:3EXrJOd4
まあ信玄最強だな
198 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 13:51:33 ID:2BQ45Vqc
信玄みたいに裏切りまくって周辺豪族からも嫌われてたやつなんてw
199 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 14:34:04 ID:tayjlHfF
元々同じ人口で片方が兵農分離したら
そっちは農業従事者が減るから国高減るもしくは兵数不足ってのはないの?
同じ人口、国高なんてないだろうけど、国高から兵数換算してるわけだし、兵農分離の国は換算考えるべき。
200 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 15:39:09 ID:3XYcbPT+
つまり信玄最強ってこったな
201 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 16:32:09 ID:mJOAp0n6
だな
202 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 16:34:49 ID:6gbmNegx
おう
203 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 16:35:36 ID:M/HFcWb5
まぁ一いいんじゃないかなぁ?応源氏みたいだし。
204 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 18:37:37 ID:FIawqTGb
この板ってなんでこうも
閑散としてつまらないんだろう
一年二年前はまだこうじゃなかった
205 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 19:34:47 ID:b6qnMqE5
>>199 だからこそ、兵農分離なんて事は、
天下統一が進んだ秀吉の時代にならないと出来なかった。
秀吉時代ですら完全ではなかったと言いますからね。
206 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 22:10:30 ID:EEVTtR0T
>>194 あの時に武田の財政が限界だったなんて知らんぞ。
限界になるのは勝頼滅亡の直前だろう。
勝頼時代でさえ普通に徳川攻めを何回もやり北条とも何回も戦っている。
朝倉は一回帰ったけどその後本願寺とかに説得されてまた動く気になったらしく
信玄が東老軒に朝倉が動くようなのでその申し合わせをよろしくと頼んでる。
上杉は関東及び北陸で忙しい状態だよ。
というかもう数年したら毛利が宇喜多や三村や浦上との問題を片付けるので
毛利が参戦してくる可能性も高い。
207 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 22:31:10 ID:JvN0JbRH
>>206 戦った回数じゃなく動員可能な兵数が逓減してたんだよ武田は。
甲州の金山掘り尽くされたし、新たに手に入れた駿河も国人一揆などで統治のコストが高い。
信玄ならいいところでやめて財政建て直しに集中するのに、勝頼が戦争を起こすだけじゃなく
新府城の建設までして財政を破たんさせた。
それで国人衆の離反を招き武田が滅亡した。
いくら信玄が長生きしたところで城ひとつ作っただけで破たんした財政で織田と対抗できるわけがない。
結局のところ天下をあきらめて関東進出か謙信亡き後の越後に手を出す程度しかできない。
208 :
にゃんこ:2007/12/25(火) 22:41:44 ID:ARN9Cgxx
財政?
そもそも、封建制とは、君主が家臣の領地からは徴税できないが、戦争の際には
家臣が、手弁当で駆けつける制度だわな。つまり、君主は、理念上は、タダで戦争
できる。
実際は、事前の調略や勇士への褒美や直属兵への食料が必要だし、年々、組織的補給も
進んだようだが。
「財政破綻」いうほどのものか?そもそも、国債も発行しないし、借金を申し込める
大商人もいないのに、財政破綻なんて、高度な経済現象が起こるのか?
209 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 22:58:37 ID:EEVTtR0T
>>207 新府城の築城は勝頼時代の文字通り末期だぞ。しかも築城途中だったし。
兵力も激減してるか?単に上杉や北条との戦いに備えて兵力を割く必要が
生じただけだと思うが。何気に勝頼時代も2万近い兵力を動かしていた事は
何回もあったはずだが。徳川も長篠以後も武田と何回も攻められてるし。
まあ勝頼は戦しすぎた感はあるけど内部崩壊まで9年持ったと考えればよく持ったほうじゃ。
というか信玄が10年長生きしたらと仮定するならそのまま徳川がぺしゃんこにされてて
遠江・三河が手に入ってると思うんだが。そうなりゃまた余裕もできる。
駿河もそんなに統治コスト高いか?穴山がやたらと金をためこんでいて織田や徳川に黄金2千枚差し出していた
はずだけど。
>>209 信長に2000枚をあげたような気が…
信玄が元気だったら野田城にあんな時間をかけないだろうな。
20000以上の動員といえば高天神や長篠だって…あれは長篠+上杉抑え10000だったし。
その後も徳川への支城攻撃しているし、真田に命じて上野攻撃して東に生存圏を拡大している。
精一杯のことはしている。一応滅亡する直前諏訪で抵抗しようとしたときも10000はいたんだから
212 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 10:18:47 ID:/Lk2Wi1s
2万で遠征するのと、2万を動員するのじゃ意味が変わるけどな。
長篠だって多くて1万5千、少なくて8千。
高坂弾正が兵1万率いて勝頼を出迎えたというのも眉唾物。
上杉をほっといていいのか、高坂に1万動かせる権限があったのか。
高坂は1561年の戦いで2000を率いてる程度の奴だったのになぁ。
長篠のころには織田の勢力も膨大になっているから1572年に少し蹴散らしておくべきだったな
信玄があと1年元気だったらな
214 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 12:51:21 ID:ZxtL0PTi
>>213 いやいや。香坂は一応軍鑑に示される武田家軍役中最大の規模を誇っている。
香坂の動員兵数は450騎。これは馬場の120騎、山県の300騎、内藤の250騎を上回る
武田家最大。一騎につき4人つくと仮定するならその動員は2250人だ。
さらに香坂には後に北信濃一帯の豪族や地侍を統括する権限も与えられ、
それらをまとめた動員数は1027騎。
これだけの軍事力を与えたという事は信玄は謙信の押さえをかなり重視し、香坂も相当に信玄に
信頼されていたのだろう。1561年の段階ですでに。
215 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 14:37:56 ID:h8Q+/2tO
ホモ
216 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 15:31:30 ID:yK+X6ENc
外様の国衆なので武田家中かというのは確かに微妙だけれど一応甲陽軍鑑で言うと小幡信貞(信真)の赤備え1000騎のうち500騎の方が多いよ。
ただし小幡の支配領域、複数の牧を有していたことや信長公記の記述からして
この数は濃密な騎馬軍団であった故の数で総勢はそれほどではなかったとも考えられるが。
天正三年の上杉軍の一部の動員データである『上杉家軍役帳』では566騎で総勢5553名だから、
甲陽軍鑑の数字を大体において信用するとすれば香坂が一万動かせても不思議ではない。
もちろん、北の備えはどうだったかという点で実際の出迎えの数字は疑問が残るけど。
218 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 20:37:23 ID:mQuv5E2+
謙信の方が拒否したんだろ。
219 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 20:45:51 ID:yK+X6ENc
220 :
人間七七四年:2007/12/30(日) 19:10:35 ID:QBCOJ6CF
そもそも信玄は勝つ見込みのある戦しかしない。
上洛するまで生きてれば信長は甚大な被害を被っていただろう。
信玄が西へ進むに伴い、各国から袋叩きにあって存続すら危うくなってた。
鉄砲が十分に普及するまで信長の軍隊自体が武田、上杉よりは大分弱かった
と言われるし。
221 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 01:37:57 ID:EQSjQSbV
そもそも経済力的に上洛が不可能<武田多方面作戦しても戦線崩壊しないだけの経済力がその頃の織田にはあった
222 :
高校生旅人:2007/12/31(月) 03:29:24 ID:HThjXhJ2
経済力があっても信長は兵や練度を急激に高めることはできないよ。経済力で士気を上げることもできない
武田の鉄砲の使いは上手いよ。対北条の山岳戦のときにも証明しているし、第2次川中島のときも旭山城の栗田にも200〜300挺あったといわれてる。
信玄は稲刈り終了の10月1日に出陣予定だったけどその時に1年以上帰らない場合も考えて色々民に指示している。病気で数日遅れで出陣後も浅井や朝倉などに「オレ今出陣したぜ」と書状送ってる。
キリスト野郎も「延暦寺焼討ちに激怒した信玄が上洛しにくる」と手紙に書いてるからかなり大々的なもんだったんだな
練度の高い武田兵より織田兵の方が弱いのは確実。
信玄が侵攻を続けたら織田は大打撃を受けるのは確実。ただ、織田が本隊を何処にやるかで武田の運命は変わるね
籠城の構えを見せる家康に三方が原におびきだし戦った信玄サイコー
223 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 11:05:10 ID:EQSjQSbV
練度だけで数の差をひっくり返せるような采配を信玄は見せた事がないからどう考えても上洛は無理です、本当にありがとうございました
224 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 11:52:25 ID:HThjXhJ2
数の差…?朝倉が撤兵し続ける場合は信長の方が多いかもな
ただ春に朝倉が出てきたらまずいぞ
225 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 12:40:42 ID:Xok9opVe
村上義清いわく、信玄は5歩進むところは3歩、3歩進むところは1歩しか進まず決して無理はしなかったと言う。
そんな信玄が補給線を考えもせず織田本隊に肉薄するとは思えんな。
織田方は三河、尾張で遅滞行動を取るのは確実だしどっちにしても兵站が伸びきって三河国内で停止せざるを得ない。
その隙に信長は浅井朝倉を殲滅できる。
信長は行くべき時は多少無理をしてでも前に出るタイプだしね。
信玄が再度進撃を開始する頃には絶対的な数的優位を確保して反撃に出るでしょう。
あと、錬度だ士気だと訳分からんこと言ってるけど
尾張兵が弱くて甲斐兵が強いってのはトンデモ戦記やゲーム世界での話だよ。
226 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 14:00:06 ID:tQsYRzPw
毛利の動き一つでしょ
1578年あたりで
信玄存命で力を蓄えていたら
武田毛利本願寺で織田は動きを取れないでしょ
227 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 14:11:02 ID:vXwDdI3v
既に1574年の時点で毛利は本願寺支援に乗り出していたし、
武田も勝頼立てて織田勢力内に攻勢をかけていた訳だが・・・・
結局、能率良く兵力を運営できた信長に各個撃破されていますが。
228 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 14:22:25 ID:HThjXhJ2
動きがとれなくピンチになると士気は低下します。
「村上義清いわく…」はとても良い、わかりやすい話だと思うけど村上義清が言ったの?
229 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 17:48:44 ID:HThjXhJ2
信長強い
義元が信長討ったら信玄は駿河侵攻できないしな
信玄が美濃を抑えるがな。アッハッハッ
230 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 17:53:37 ID:H4LG4Q3X
信玄と信繁が1580年まで健在なら
231 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 18:59:06 ID:8+DytCKN
中国攻めの先方として秀吉の配下になってたかも名
信玄と信繁
232 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 19:04:12 ID:p0VTPPtQ
そして本能寺の変をきっかけに毛利に内通ww
明智光秀の天下取りに大貢献の武田兄弟www
233 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 22:15:52 ID:G/dyFE+D
10年生きても家康を滅ぼし三河遠州を押さえるのがやっと、ではないかと
信州にかけた時間を参考にすれば明白では?
234 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 22:27:59 ID:ujWdOcgw
信長の金箔塗り頭蓋骨のコレクションに信玄のものが加わるだけでしょ
235 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 22:30:26 ID:MKKphO7W
>>233 駿河はそんなにかかってないのだが。
甲斐20万石、信濃40万石。
三方ヶ原当時の武田100万石、徳川40万石。
石高差も全然違うし。
236 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 23:22:20 ID:eb/sNzis
>>234 信玄の御首が信長の秘蔵コレクションの仲間入りできるかどうか疑問だw
金箔塗りは相手武将を讃えるという意味合いでするらしいけど、
信玄の信長に対する仕打ちを考えると洛外で晒し首になるような気がするw
237 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 02:23:53 ID:dZLNl/95
光秀と信玄兄弟と毛利がグルで天下統一
弱い光秀にカリを作ってやろうとした信玄兄弟
238 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 03:53:02 ID:dZLNl/95
>>233 「義元があと20年生きていたら」の方が現実味がある
義元なら60くらいまで生きそうだな
239 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 06:25:50 ID:Sovwl9qa
信玄が長生きしても大局に影響無し。
今から清洲城へ初日の出を見に登城いたすよ。
240 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 03:22:56 ID:5vDJj7r0
信玄上洛作戦時の毛利って織田と同盟組んでただろ
どう考えても無理じゃないか
241 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 23:14:06 ID:AZJslQ50
>>228 信玄は正史の諸葛亮みたいな感じかね?碁石金や甲州法度など宰相としての才能はあるが戦争は下手そう。んで貧弱な国力で被害の少ない負けない戦をするタイプ。10年長生きしても西進→兵糧不足で撤退の繰り返しだと思う。その間信長がどうなるか分からないが。
242 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 19:16:42 ID:MhHFFBtS
信玄が生きていようが信忠にボコボコにされる運命だって
織田の鉄砲隊に武田が勝てると思えない
武田が織田より強いのはゲームの信長の野望だけでの話
243 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 19:38:26 ID:YMpHj57V
織田の鉄砲隊とか言ってるのも充分ゲーム脳だと思うがw
244 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 22:54:26 ID:SJFT5Tkd
武田の方が鉄砲の導入は早い
勝頼が高天神以降、鉄砲を嫌ったから鉄砲をほとんど使わなくなった(長篠でも馬場君は使ってたかな?)ので信玄が生きてたら武田鉄砲隊もありうるよ。数では織田に勝てなかったかもしれんが
諸大名は足利君に恩を売って自分の地位を高くしてもらいたいからほとんどが織田を裏切るだろうな。
245 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 12:31:09 ID:o93hoaJe
>>244 あの〜、官位をくれるのは足利幕府では無く朝廷なんですが・・・
その朝廷は織田擁護なんで当事の畿内の豪族国人衆は次々と足利を見限ったんですが・・・
246 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 14:15:19 ID:/B62HqgR
別に地位が官位だけとは限らんだろ。
関東管領・奥州探題、等々。
その地方の支配権を認めてもらうとかな。
信玄だって信濃守護職もらったよな。
247 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 22:40:05 ID:5a0Dc1Aa
アッハッハッハッ
やっぱり信玄は家康や信長より上だぜ
248 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 02:27:06 ID:Zt/AhAEK
>>246 滝川にとっては茶器>>>関東管領だったけどなw
249 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 12:02:23 ID:tAO+c9H9
>>246 そんなもので諸大名が足利につくなら、そもそも戦国時代にならない。
信濃守護をもらった信玄も、その条件は越後との和睦だったのに、
その後も無視して争っている。
そもそも幕府から任じられる前に勝手に信濃守護を自称していたりもするしね。
幕府の権威なんてその程度のもの。
250 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 13:56:36 ID:T4s9LTIY
歴史のたらればほどおもしろい話はないんだけど
いつも思うんだがスレタイのように10年長生きと仮定したら
病気自体が無いんだから 一般にいわれる上洛の進行度が変わってくるのでは?
って思うんだよね 例えば二俣城に2ヶ月もさくなんて
いくら信玄が慎重だからって時間かけすぎなような気がすんだよね
高天神城はおとしにくかったって聞くけど 二俣ってきかんし
城自体も小さかったってどっかでみた覚えがあんだよね
251 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 14:56:18 ID:CPzBQYTy
>>250 一度二俣城を見に行ってみなさい。規模は小さくとも天然の要害。
信玄も力では落とせず、水場を断って干上がらせる戦術を取ったほど。
252 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 21:39:56 ID:PYRfIylR
>>250 上洛戦の道中、最後には織田との決戦。
二俣城で損害出すわけにはいかないわけだが。
同じ理由で浜松や高天神はスルーしたし。
253 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 22:51:38 ID:T4s9LTIY
>>251 そうなんだ あの辺の要害といえば高天神城だけだと思っていたので
あんまり二俣って要害ってより 要衝の要で重要程度と思っていた
>>252 武田の主力がカコまなきゃいけないような城だったのかなって思ってさ
2万近くの兵があの辺で2ヶ月も動けないのはもったいないと思ってさ
254 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 22:57:24 ID:T4s9LTIY
あとそれから2ヶ月もただ囲んだだけてことは
信玄の健康が原因では?思った次第であります
信玄オタの妄想でありますがお許し願いたい。
255 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 22:59:46 ID:xGzawNPK
信玄は駿河方面から東海道沿いに補給路を確保して進軍するつもりだったみたいだが
高天神城が落とせなかった為これを果たせず、信濃から青崩峠経由の補給線に頼らざるを得なかった。
二俣を落とせなければ武田軍主力は先に進んでも枯れ死にする羽目になる。
256 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 12:55:41 ID:j30p+pj3
そういえば浜松城って要害なんかね?
ちまちま小城落とすより徳川自体を降伏させたほうが早くね?
浜松城にどれくらいの兵力が残ってるかと、落城時家康を脱出させないのが条件だが。
信長は援軍に来れないし、来たとしても濃尾決戦より遠州決戦のほうが条件いい。
257 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 13:06:47 ID:dHounMbp
>>256 堅城かどうかはともかく、徳川氏の本城なんだからそれなりの規模だろうし、
三方ヶ原敗戦後でも少なくとも5・6千それ以前なら1万以上の兵がいるはず、
その城を2万5千で落すのはちょっと難しいでしょう。
そして信長が武田軍と同等くらいの援軍を引き連れてきた場合、
城内に数千もの敵兵がいる状態で、それを迎え撃つのは物凄く不利だから撤退せざるを得ない。
結局浜松攻めは上手くいかない公算が高い。
258 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 13:16:09 ID:j30p+pj3
三方ヶ原敗戦後で5・6千なら、3倍法則から城攻めは可能。
1万残ってたらきついね。
あの状況で信長が遠州まで出向いてくるのは無理かと。
259 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 13:20:47 ID:59n4JHdj
門あいてたんたから楽勝だろ
260 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 13:58:30 ID:7Wmbojls
>>256 当時としては珍しい石垣城だったそうですからそれなりに堅固な城だったと思われます。
地理的に見ても南に遠州灘、西に浜名湖、東に天竜川があり寄せ手が進軍できるのは北側に限定されますから
短期に浜松を落とそうとするならば攻撃側は相当な損害を覚悟しなくてはならないでしょう。
261 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 16:24:50 ID:3aIrgaCD
信玄別部隊が東美濃で信長の抑えの役割をしていた
262 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 22:05:06 ID:dHounMbp
>>258 3倍法則ってなんのことよ?普通力攻めするなら5・6倍必要と言わない?
まあ、どっちにしろ、ほぼ全軍を動員した兵力で、
少なく見積もっても5分の1程度の兵力が篭る城を力攻めになんてしたら、
あまりにも被害が大きすぎて、その後の戦略に支障をきたす。
兵糧攻めにするなら大名の本城ともなれば、場合によっては年単位の期間が必要。
263 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 22:38:41 ID:j30p+pj3
>>262 城攻めは3倍以上の兵力が必要と言わんか?
まあ多いほうがいいのは間違いないが。
三方ヶ原で惨敗した徳川勢にどれだけの士気と兵力があったのか。
案外なだれ込んだらあっさり落城なんて展開もあるかもよ。
264 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 23:02:46 ID:dHounMbp
>>263 言わないと思うよ。
普通に堀や土塁といった防護施設で守られた側を攻撃するのに、
3倍程度では何とも心もとないし。
で、そういう展開も確かにありえるかもしれないが、
そんなあやふやな可能性に賭けて城攻めをするなんてのは愚策。
265 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 23:18:05 ID:MeRiUwMr
言うだろ
攻城戦に三倍は必要って
そりゃ多いに越したことはないが
266 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 23:27:30 ID:dHounMbp
それは包囲するだけに必要ってことではないかね?
少なくとも3倍で力攻めは無謀でしょう。
まあ、どっちみち「3倍法則」なんて言えるような、
確立した法則なんて存在しないわけだからあまり関係ないけどね。
267 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 23:35:51 ID:j30p+pj3
>>266 「城攻めに3倍必要」と書くのが面倒だったから「法則」と略しただけだ。
つまらんことを突っ込むなよw
あやふやな可能性と言うが、開門の話が事実なら家康は半分観念していたと思うのだがな。
268 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 00:18:05 ID:0RKbIiwb
城攻めは5倍〜10倍が必要とか
言われてたんじゃないか?
269 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 00:57:08 ID:AaKY7Glu
>>267 どっちみちそんな「法則」はないのでしょう?、だったら関係ないことに違いはないよ。
もしも、その言葉を根拠に城攻め可能と言いたいなら、
せめて誰がどこでそう言っていたかくらいは示してもらわないと。
それから、開門の話の信憑性は低いし、仮に事実だとしても、
逃げてくる味方の兵を出来る限り収容しようとするのは、
観念するなんてのとは全く逆。むしろ今後のことも考えたことですよ。
270 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 01:11:52 ID:GwJtav7+
「攻者三倍の原則」というのは知ってるが、原典がどこかは知らんなあ。
逆に必死に5・6倍必要と主張する論拠は何よ?
誰がどこで言ってたの?
271 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 14:43:19 ID:ryr2A/6V
それぐらい城に篭られると苦戦しますよって事だろ
額面どおりに言葉受け止めてどうする
孫子の「勝ちは五割程度で良い」ってのも、五割以上勝ちそうになったら後は意図的に負けろってことじゃないだろ
重要なのは、深追いして余計な損害出すなって事で
272 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 18:53:08 ID:AaKY7Glu
>>270 そりゃあ私も聞いたことがあるってだけで、詳しい根拠なんて知らないがね。
ただ、もし今後もそれを根拠に論を進めるなら、
挙証責任があるのは、最初に言い出した
>>258だと思いますよ。
しかし、そんな事に特にこだわる必要もないでしょう。
仮に浜松城を力攻めにする、それも最初の
>>256も述べているように、
この場合家康に逃げられては意味がないのだから、逃げ道を封鎖して力攻めなどすれば、
城兵も必死に抵抗せざるを得ないから、攻城側の損害も大きくなる。
後に信長も控えているし、上杉という敵もいる状況では武田も大きな被害を出すわけには行かない。
よって浜松城一気に力攻めにするなんてことはあまりにも無謀。
273 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 19:14:56 ID:7qk1ReIN
>>270 五倍必要論は孫子が言ってるな。
でも孫子の場合は攻城自体に否定的だけど。
>>272 何1人で顔真っ赤にしてるの?
「攻城戦に三倍は必要」ってよく聞くのに、君が完全否定したのが事の発端だろ。
まあ五倍必要とも十倍必要とも言うから、時と場合によりけりでしょ。
スレタイ的に身体的不調が解消されて急ぐ必要が無いなら浜松攻撃も無くはないが、
浅井・朝倉あたりが持ちこたえられるかが問題だね。
274 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 19:45:33 ID:AaKY7Glu
>>273 別にそんな興奮していないけどね。
無理な力攻めをせずに攻囲戦を行う場合は、信長の援軍を全く気にしないというわけにはいかないでしょう。
浅井はもう小谷城に籠城している状況だし、朝倉も陣中から裏切り者が出るような有様で、
仮に信長の本隊が留守にしても、その隙に美濃を窺うような力があったかどうかは疑問。
信長としても、徳川が丸ごと降伏するなんてのは最悪の事態だし、
それを防ぐ為に多少のリスクを背負ってでも主力を率いて援軍に行くこともありえるでしょう。
275 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 21:52:27 ID:GwJtav7+
>>274 援軍来るなら来させればいいと思うが。
尾張なり美濃なりで疲弊してから決戦するよりはいいかと。
意図してかそうじゃないかはわからんが、長篠の戦略と同じ。
いわゆる後詰決戦というやつ。
でも長篠と同等・もしくはそれ以上の兵じゃないと来ないと思うけど。
そうなるとおそらく無理。
276 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 22:50:22 ID:YTNoih7d
城攻めには10倍の兵力が必要とかいう話しもあるしなー
史実じゃ前年浅井朝倉は秀吉を抜くことさえできなかったから
織田がそこそこの兵力で援軍出すことは可能だろう
277 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 10:15:13 ID:cTHRfOFx
信長を引っ張り出したいなら、浜松包囲しかないだろね。
でも信玄は、来ないと読んだか、あるいは美濃で包囲網で袋叩きにするつもりだったか。
病魔と上洛への妄執で前に進むことしか考えてなかった可能性もある。
278 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 16:40:45 ID:oDxz6l51
>>277 一応書状によるなら信玄は美濃に進んで協力を申し入れていた遠藤氏を組み込み
秋山とも合流、伊勢長島や朝倉と連携して美濃で信長を袋叩きにするつもりだったらしい。
279 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 01:12:36 ID:TnDsiv1v
秋山を東美濃で送ってる時点で「信長来るな」って信玄の意思
信長本隊はあくまでも朝倉や伊勢と戦ってほしいって意味しょ
書状でもみんなで信長袋叩きにしようって言ってるから信長を引っ張りだしてくるなんて考えてないだろうね
ただ補給路を重視する信玄にしては無謀。
280 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 02:05:18 ID:bOM4KPY3
そうでもない。
岩村は三河のほうのルートにも通じているから
三河から美濃に軍を差し向けるルートとしては使える。
ただ信長が美濃から三河に来る事を防ぐだけじゃなく攻勢用としても使える。
信玄本軍に秋山・遠藤で3万近い。これに伊勢長島や朝倉が加われば相当な大軍だ。
あの当時の信長が美濃で動かせた兵力相手ならこれだけそろえばかなり面白い戦いができたと思うが。
281 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 19:24:05 ID:TnDsiv1v
美濃で袋叩きになったら武田滅亡のように謀反人続出かもな
信長、最後は天皇や将軍に泣きついたりね
282 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 21:53:10 ID:WZ3kVw/k
普通に各個撃破されるだけだと思うが。実際にそうなったし。
そもそも連携が全く取れない烏合の衆状態でいくら兵隊をかき集めても統制の取れた軍には勝てない。
第一、長島一向衆には岐阜まで出征できるだけの力は無いし、浅井朝倉は長期化した対織田戦で疲弊して当てにならない。
上洛を急ぐ信玄がもし本気で美濃で信長を袋にできると踏んでいたなら
わざわざ遠州などに行かず、岩村から中仙道を西進して岐阜を直撃したはず。
283 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 22:04:32 ID:wJL8WyPK
中仙道って大軍動かすのに適してるか?
信長親子も長篠前に攻め込もうとして散々な目にあってるのだが。
それ以上に徳川ほったらかしはまずいだろ。
284 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 22:21:29 ID:bMpqhqGL
実際勝頼が中仙道ルートで明智に攻め込んでるからなぁ。
信長親子の場合は、中仙道で往生したと言うより山県率いる別働隊に背後を突かれて敗走したみたいだし。
徳川は織田本隊を潰せば勝手に帰服してくるでしょ。岐阜落とせば包囲されたも同然だし。
しかし、朝倉、長島一向衆と連携して短期間に織田本隊を潰すのは困難と信玄は考えたからまず徳川を叩きに遠州に出てきた。
まぁ、
>>278の構想は織田と武田を両天秤にかけてる美濃や奥三河の豪族を取り込むのに
有効な口説き文句にはなったと思うが。
285 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 23:09:01 ID:bMpqhqGL
追記
信玄が死んだ後なのか先なのか分からんが、岐阜近辺に馬場勢が数百人で威力偵察みたいな事をしてたな。
ひょっとしたらいよいよ死期の迫った信玄は死ぬ前に信長と決戦に持ち込もうと、
急遽作戦を変更して中仙道から岐阜に攻め込もうと考えていたのかもしれん。
あと、信玄が1〜2ヶ月長生きしていたら信玄信長のガチバトルが岐阜で行われていたかも。
それはそれでスゲえ面白そうなんだが。
286 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 23:47:00 ID:bOM4KPY3
>>282 各個撃破は信玄死後で信長包囲網の攻勢が止まってしまったから。
なんで武田や朝倉、伊勢長島が烏合の衆だと?
いずれも当時としては強豪に属する軍団なのだが?
なんで長島が岐阜にいけないと?長島は当時は北伊勢一帯に勢力を持っているんだけど。
よしんば岐阜にいけなくても美濃に伊勢長島数万と武田3万が同時に活動することは
信長にとって十分すぎる脅威なのだが。朝倉浅井だって腐っても鯛。
その軍勢は2万近いのだからその動向は十分な威力を持つ。
家康ほったらかしはまずいからまず徳川領土を蹂躪して拠点を確保し、
その本軍に打撃を与えた。家康は三方ヶ原後ですぐに反撃には出れないし
動こうとしてもそれまでに武田が攻略しておいた拠点や山家三方衆や武田方についた城主とかが
その動きを封じ込める。そしてその上で三河から岩村に抜けるルートを確保しそこから美濃に向かって
進軍すればいい。
287 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 23:47:42 ID:wJL8WyPK
三方ヶ原時に家康が篭城続けたらどうなったのかねえ?
中仙道行きもそうだが、信玄にとって1万の徳川勢野放しは脅威でしょ。
後年家康は三成相手に同じことをやり野戦にひっぱり出してる。
若年の家康と三成はよく似ていたということだ。
負けた後クソ漏らしたのも同じw(三成は神経性下痢でだが)
288 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 01:03:58 ID:e0CVPiQS
伊勢長島は拠点に篭っているから強いのであって。長島の勢力範囲はあくまで河の
流域のみ。
また朝倉浅井にこの時点で攻勢に出られる余裕はない。信長が去った後に残された
木下隊のみにすら勝てずに撃退されて城に篭る始末。
当時の畿内の反織田勢力はもう青息吐息で、信玄が出てきたから信長がその対処の
ために兵を東に返したおかげでようやっと一息つけた、助かったという惨状。
上洛スレでも言われていたが、なんで信玄ファンは畿内の反織田勢力も数に加える
のに、信長の見方勢力は徳川以外に加えないで語るんでしょうかね。
289 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 01:15:20 ID:yHg5lj57
>>288 ん?別に畿内の反織田勢力なんか話に出してないんだけど。
今のは朝倉や長島が話題であって畿内のは関係ないだろ?
なんで拠点にこもると強いのが拠点にこもるしか出来ないになるの?
他地域の一揆勢は普通に他国に進出して戦ってるだろうに。
長島だけ出来ないとするのは無理だろう。長島の勢力範囲が河の流域だけだとするなら
信長が信玄死後に行った第2次伊勢長島で獲得した領域はどうなるの。
朝倉は疲れてたから一回引いた。でも来年の春には戻ってくるつもりだったようだし
秀吉に撃退されただけが力の全てでもあるまい。
体制を整えた2万を超える大軍の攻撃を寡兵でいつまでも防ぎ続けられるかな?
畿内勢も本願寺はまだまだ元気。三好も六角もがんばっとる。
信玄が死ななければ信長を引きとめ続けることになるから体制建て直しも十分可能だろう。
義昭とかもそれに乗じるつもりで挙兵したんだろうし。
290 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 01:36:23 ID:JaLdMXZK
藻前らホントに暇だな
291 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 02:30:02 ID:xyVTbkFO
>>289 他地域の一揆勢?
他国に進出できたのは加賀だけじゃね?
第2次伊勢長島は一揆勢が攻めとったんじゃなくて一揆に呼応したんじゃ?
朝倉はまあ全力で攻勢を続ければ、秀吉を倒すぐらい容易だろうけど
そんなことする義務は朝倉にはないだろうし、義景がしたくても家臣は了承しないだろ
畿内勢が元気?元気な勢力なんていたのか?
松永とかはそもそも筒井に滅ぼされなきゃいいが
六角頑張ってるって山奥の城に篭ってるだけじゃ
三好が頑張ってるって、四国の方は内部で揉め出したり、毛利と争ったり
畿内の三好は細川畠山荒木と抗争したりしていたんじゃ
本願寺は元気だが動いてくれないしなー
義昭の構想通りに各勢力が動くのであれば十分勝算あったろうけど
みんな好き勝手に動いただけだしなー
まあ各個撃破される可能性の方が高いだろうな
292 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 03:15:36 ID:yHg5lj57
>>291 加賀もやっているし大阪の連中も野田・福島のときとか元気なもんだ。
志賀の陣やそのほかのときでも朝倉浅井と連携して一揆勢が進軍しているのがあるな。
とりあえず西別所にいたのは一揆勢だったみたいだが。
ここで問題なのは北伊勢に長島一揆に味方する勢力がかなりの規模で存在しており
伊勢長島が進軍するときはその援護を受けられるという事。
なんで朝倉がしないと?ここで朝倉が動かないでどうする。
せっかくのチャンスなのに。
チャンスがある時に南下しないならこれまでの織田との戦いをしてきた意味がない。
だから本願寺は立派に元気だろうに。何をいってるのだか。畿内中心に本願寺があり反信長勢を扇動すりゃ十分。
松永なんか筒井と殴りあってりゃいい。
三好はそれでも岩成とか頑張ってるけどな。六角も山奥で自分の出来る事をやってればいい。
こいつらは自身で信長と単独で戦うのは無理だが当時の信長は信玄が元気であるなら
美濃から動けん。後は畿内で自分の体制を立て直すなり当面の織田方と戦うなりしてればいい。
ここでの主要因は美濃を始めとする東方戦線がどう動くか。武田・朝倉・伊勢長島といった連中と
美濃での信長が対決してその動向如何で畿内の状況はひっくり返る。主力は東方なんだから。
包囲網では主要因さえちゃんと動くなら後の有象無象は自分のやれる事を好きにやっていくのが
一番いい。それによって状況に影響を与えられる。
この場合武田が主要因である以上他の連中は自分なりのやり方で織田と対する事が何より。
武田と織田の対峙が長引くだけで他の包囲網勢も体制を立て直せる。
東方戦線の動向如何で十分に勝機はある。
293 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 08:03:03 ID:IAJ81bc9
朝倉軍はそもそもちょっと戦って帰ったって訳でもなく、戦線維持できるギリギリレベルまで頑張っただろうに
それを批難する信玄の方がどうかと思うが
この時点で粘ったら朝倉軍壊滅してすべてが終わるぞ
まず積雪の時期であることと積雪の地域を本拠地として持ってること、朝倉側の補給および当時の輸送技術まで考えるべき
更に付け加えると、冬の日本海は荒れるって点も考慮に入れるべき
後は浅井単体では朝倉の大軍を維持するだけの物資が不足してるという点も考えるべき
どう考えても朝倉軍は帰る以外の選択肢を持てなかったって結論が出るとは思うんだが
294 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 12:25:50 ID:yHg5lj57
>>293 それで朝倉が撤退しても春には出てくるように信玄も本願寺も要請した。
そして朝倉は実際春には動き出すつもりだったから信玄もその申し合わせを
東老軒に要請してる。信玄が10年生きながらえるとするなら時間的余裕は十分。
勝負は春からだ。信玄も5月からの出兵を朝倉に要請してる。
もともと美濃で協力を要請した遠藤氏にも春に美濃に出兵するといっている
事からも計画の進行に問題は無い。
295 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 12:49:06 ID:e0CVPiQS
北伊勢で長島に呼応した豪族たちは、所詮豪族レベル。自分の城に立てこもるくらいしかできない。
そして信長が兵を向けたら、一月と持たずに壊滅された。
296 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 13:04:08 ID:yHg5lj57
>>295 戦国時代の勢力は豪族の連合体。長島の連中だけ城に立てこもるしかできないと
考えるのは早計。
297 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 16:32:48 ID:IAJ81bc9
>>294 5月までに信玄が信長軍に敗れるという考えには至らないのだろうか
信長本隊の行軍速度は異常だし(恐らくインフラ整備もきっちりしてたんだろう)、数でも信玄相手には有利
地形も徳川の本拠地であることもあって地形的にも有利
どう考えても信玄に勝ち目はないんだが
帰って来るまでに武田も朝倉も引きこもるなら状況は織田優勢、その状態で外交カード(朝廷)出して強制的に和睦で朝倉はもう動けなくなるぞ?
結局武田単体VS織田連合軍になるのは目に見えてる
下手すると越中方面片付けた謙信も喜んで信濃に攻めてくるんだが
298 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 16:34:20 ID:e0CVPiQS
史実として攻勢にでていないんだが?>長島の連中
志賀の陣のとき、信長の本隊が留守で無防備状態の尾張や美濃に攻め込んだという
話はきかないなあ。せいぜい、川の対岸にある小木江を攻撃したくらいで。攻勢が
できるのなら、なんでこの時に小木江からさらに清洲なり岐阜なりまで攻めこんで
いかなかったんだ?
299 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 21:31:11 ID:UwqAy9HH
>>298 補給体制ができていなかったからだろう。
遠征には十分な準備と綿密な計画が必要だが、それを支えられる人材も戦費も無かった。
所詮は一揆に過ぎない。
あと、信玄派は反信長勢力が上手い事呼応して信長を攻撃する事を前提にしてる様に見受けられるが
指令系統もバラバラで連絡線も敵領を跨いでる状態で上手く連携が取れるとは思えない。
結局のところ、朝倉本願寺が織田勢を釘付けにしてる間にできるだけ遠江、三河の勢力圏を拡大して
しかるのち武田単独で織田と決戦って事になるだろう。
300 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 01:38:46 ID:+PS3e2mq
>>292 浅井と連携と言っても江北の一揆勢が江北で活動しただけじゃ
西別所ってそこと長島の近距離で遠征出来たって言うの?
北伊勢に長島に呼応した連中はいるが北伊勢じゃ他国じゃないんじゃ
また一向宗が美濃方面に進出するんじゃ援護すら受けれないんじゃ?
>なんで朝倉がしないと?(ry
全くその通りなんだけど、織田を滅ぼすのに全力尽くして朝倉が滅ぶんじゃ意味無いし
義景が絶対的な権力を持っているわけじゃないので、
短期的には家臣の利益にならないような軍事行動を家臣が許容するわけじゃない
事実、離反や軍役拒否などが出ているし、家臣に犠牲を強要出きるわけでもない
>畿内中心に本願寺があり反信長勢を扇動すりゃ十分。
より有利な志賀の陣の時じゃ結局大坂周辺を荒しただけで終わったし
近江の一揆は70年から71年と多くが潰されて無力化してきている
東方戦線がどう動くかだが、地理や兵站では織田有利だし
戦績でも織田の方が有利、まともに同兵力程度でぶつかれば織田が勝つんじゃ?
武田と織田の対峙が長引くとしても、武田は10月から遠征続けていて
本拠地は遠い、いつまで対峙出来るか?
301 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 01:44:32 ID:+PS3e2mq
>>293 あれはそもそも武田が8月に出兵するはずだったのに
武田が約束守れなかったため朝倉が帰る羽目になったんだと思う
>>294 武田が10月から5月まで遠征続けるとしたら
その時点で半年以上
第2次川中島の時はまだ本国や策源地の深志などから近距離で兵も少なかったが
この遠征ではどれだけ軍事行動が続けられるんだ?
>>296 豪族の連合体と言ってもそれらを束ねあげるような強力な勢力がいないと
やっぱし個々の勢力が城に立て篭もるだけになるんじゃないか?
伊賀みたいに
302 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 02:22:23 ID:hX0A9P4y
朝倉が一番天下取りレースの上では有利だったのは確かだな
時勢を読めなかったの敗因
303 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 02:27:26 ID:FdSHSEHO
8月のはずが10月1日に。さらに4日?に。
普通はできるだけ早く遠征しようって思うけど民の多忙な時期と遠征開始を重ねるのは…ってことで10月になり信玄が1日に調子悪くなって4日に。
信玄は各村?に1年以上遠征することも考慮し働き手の数は大丈夫か確かめさせてる。補給うんぬん除けば1年以上遠征するつもりだったらしい
春には南アルプスで「俺がいない間に越後が来ないように」ってお願いしてる。
長島の連中は攻撃勢力にならんと言っておられますが圧力になるのは確かで、信友さんなどの圧力もありますから信長が美濃から動けないというのは確実ですな。美濃で信長はボコボコにしましょうぞ
304 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 09:16:08 ID:oPUtjfIM
フルボッコにするつもりで意気揚々と出てきた信玄がフルボッコされるまで読んだ
305 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 10:10:40 ID:cGmXoslp
>>301>>303 「10年長生き=健康」とすると、予定通り8月出陣もありえたと思う。
「三方が原後に悪化しない」が条件だと史実通りだが。
306 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 16:42:22 ID:FdSHSEHO
健康なら年内に信長と対決してたかもね
朝倉もいるし
307 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 20:44:25 ID:ymxIqtvI
>>303 >信友さんなどの圧力もありますから
逆。秋山は岩村城を落とせたが見方を変えるとそれだけ。周辺はまったく手付かずで
他の織田についた遠山氏などによって逆包囲されて身動きがとれなくなっていた。
後年、勝頼の出陣で周辺十八城を落としさらに明智城を落とすことにより、東美濃
一帯を勢力圏と確立でき、岐阜に対するプレッシャーを与えられることになる。
もっともその状態ですら信長は周辺に押さえの武将と城で封じ込めているんだがね。
史実において、長篠のときにどうして秋山は岐阜を狙うなどの囮陽動でいいから何か
動きを見せなかったのでしょう?
308 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 21:33:16 ID:tqR/UV6d
>>297 5月までにそんな簡単に信玄軍3万を壊滅させられると?
簡単に見すぎだろう。あの時の信長が3万を越える大軍を用意できたか?
そしてよしんばできたとしてもそんな簡単に武田3万を撃破できるとでも?
信玄にすれば守りを固めて信長主力をひきつけて他の味方が動くのを待てばいいだけ。
無理して勝つ必要もない。どう考えても勝ち目ないなんて決め付けじゃなきゃありえんよ。
切羽つまった他の連中がこの時点ではいそうですかと和議を聞くとでも?
309 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 21:37:28 ID:tqR/UV6d
>>298 答えは簡単。小木江を落としたときにはもう信長と反信長方の和平交渉が始まっていたから。
むしろ絶対にできないなんていうほうがどうかしてる。
>>299 他の地域の一揆はちゃんと攻め込んでいるのだが。
所詮は一揆なんて言い方が出来る相手でもあるまいよ。
だから包囲網連中は主体を中心にして自分が好きに動いていけばそれだけで
好影響を与えられるんだっての。
武田に織田が向かってきたら手薄になった所を朝倉浅井や本願寺がつめていけばいい。
310 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 21:43:18 ID:tqR/UV6d
>>301 信濃で争っていたときとは国力は段違いだが。この時の武田は。
中国からはるばる京都まで長期遠征していた大内や尼子戦の毛利の例もある。
これだけ重要な戦いなら少々の無理をしてもおかしくない。
伊勢長島はその勢力の要として不足はあるまい。
でなきゃ周辺地域がなびいてた理由がつかん。
三河一向一揆とかみたいに一揆勢が束ねをやることもある。
311 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 21:48:37 ID:tqR/UV6d
>>307 意味がないから。
主力は長篠にいて秋山の手元には数千の兵力しかないのに岐阜周辺に侵攻なんて
できるわけがない。
だが信玄が美濃にいくというなら主力は武田本軍が信長と対峙できる。
これなら信友は絡め手から圧力をかけていく事が可能。
312 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 21:56:36 ID:ur2YUNTB
まず、朝倉だが筆頭家老の景鏡が義景の出陣命令を疲労が酷いといって拒否するほど厭戦気運が家中にあった。
当然、この状態で士気があがる筈も無く兵数では互角であったはずの織田勢にあっさり負けそのまま本国越前まで蹂躙され滅亡に追い込まれている。
信玄が健在でもこの状況が大して好転するとは思えず、当てにならない。
長島一向一揆も他の人達が指摘しているように、攻勢に出る好機がありながら出撃しなかった事から
打って出られるだけの戦力が不足していたと考えるべきだろう。
最後に武田本隊だが、東美濃から岐阜を衝くのは困難だと思われる。
何故なら当時は物資の輸送手段が人力か馬しかない貧弱なものだから3万の大軍を長期間支えられる能力は無い。
加えて武田の補給線は雪国・信濃だから冬場はさらに補給が細くなる。
必然的に現地での徴発や至近の味方の城での備蓄で賄う必要がある訳だが
山深い東美濃では3万人の物資を調達できる国力は無い。
信長の本拠である岐阜を攻撃する以上、長期戦は覚悟せねばならず従って東美濃からの大兵力の侵攻は難しい。
実際、信玄は1572年の時点で家康の本拠・岡崎と至近距離にある足助城、作手亀山城を確保していたが
この方面から岡崎を衝く作戦は行っていない。
だからこそ、信玄は美濃でも三河でもなく肥沃な遠江に攻め込んだ。
以上の考察から信長を美濃にて包囲攻撃する作戦は無理だと思われる。
313 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 21:59:25 ID:tqR/UV6d
>>300 西別所に一揆がいたというのはそもそも北伊勢の伊勢長島勢力は伊勢長島に呼応した
武士団なのでは?という問いに答えたもの。
実際畿内の一揆は志賀の陣やそのほかでも元気に動いてるだろう。
北伊勢と美濃は本当に近距離なんですけど。これで美濃にいけないというほうがおかしい。
援護というのは兵力や補給に関しての事。美濃で伊勢長島が活動できればそれは十分な脅威。
それでも朝倉は結局崩壊まで大軍を動員して織田と戦った。
さらには信玄が織田をひきつけている状態は朝倉にとっても領域拡大、というか失地拡大のチャンス。
チャンスがあっても動かないなんておかしすぎるだろう。
それでも足利が動いた。松永も動いた。信玄の動きで畿内は動揺している。
これから東方戦線次第でいくらでも変わる。
数万の軍が対決する状態において普通に勝つとかあっさり勝つとかまずないだろ。
信玄は信長がこれまで戦ったどの相手よりも経験豊富な人物である事をお忘れなく。
無理に押し切らなくても対峙してひきつけるだけでも好影響を与えられる。
兵農分離は虚像なんだし、無理すれば大内や毛利の例をみてもわかるように
まだまだ戦えるだろう。
314 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 22:05:16 ID:oPUtjfIM
>>308 信玄は多く見積もって25000
30000も居ない
更に言うと各個撃破の準備が整ってしまっていたら30000ぐらいは余裕でかき集められるだけの経済的余裕は織田側にはある
更には上杉の動き次第ともなるためほぼ詰んでいると言っても過言じゃない
美濃方面、長島方面には既に理由が挙げられてるのであえて述べない
ってか信玄上洛スレの過去ログみてこい、大体その辺の疑問についての反論あるぞ
315 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 22:08:22 ID:ur2YUNTB
>>309 >武田に織田が向かってきたら手薄になった所を朝倉浅井や本願寺がつめていけばいい
そういう連携が不可能だと
>>299は指摘しているのですが。
各勢力が勝手気ままに活動していても各個撃破されて大して効果を上げられないのは
戦史の知識が少しでもあれば分かる事だと思いますが。
316 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 22:26:28 ID:ur2YUNTB
>>313 >北伊勢と美濃は本当に近距離なんですけど。これで美濃にいけないというほうがおかしい。
それは素人の考え。
機械化された現代の軍隊ですら1日の行軍距離は40キロ程度とされている。
織田方の砦が無数に点在している敵領内を突っ切って美濃に進軍するには相当の時間と損害を覚悟せねばならない。
317 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 22:33:54 ID:vZeNZeDU
>>313 >数万の軍が対決する状態において普通に勝つとかあっさり勝つとかまずないだろ。
つ【川越夜戦】
つ【関が原】
この時代の大軍同士の激突は意外とあっさり決着がつく場合が多い。
大軍同士の戦いは一度流れが一方に傾くと負けている方は収集がつかなくなり総崩れに陥りやすい。
318 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 22:53:00 ID:tqR/UV6d
>>314 信玄が西上の時点で率いてる軍が2万5千、秋山遠藤を含めて3万だといってるんだよ。
信長が3万集めてくるなら兵力ではちょうどいいくらいだ。
詰んでる?越中一向一揆に絡みつかれててそいつらとの戦いがひと段落して
信長と勢力圏が接したら敵対した謙信がどうしたって?
謙信は信長に対する無二の盟友なんかじゃ断じてないぞ。北条という敵もいて
そっちも大変なんだし。
319 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 22:57:59 ID:tqR/UV6d
>>315 で、その好き勝手な連携に信長は志賀の陣とかで随分危うい目に合わされてるわけですが?
各個撃破できる状態になければ、主体を切り崩して状況に流れを作らなければ
逆に包囲網勢に推し包まれて多方向から切り崩されるのは戦史の知識があればわかるはずですが。
北伊勢において織田の砦が無数といえるほどあるとはおもえないんだけど。
第一その砦たちがあるならむしろ好都合でもある。信長はそいつらを見捨てるわけにはいくまい。
信長はさらなる兵力の分散を強いられる。見捨てるなら砦をつぶして美濃にいける。
320 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 23:02:31 ID:tqR/UV6d
>>317 そんな極端な例を挙げられても…。川越夜戦なんてあったかどうかもわからんのに。
関ヶ原なんか多くの勢力が長く戦いが続くことを予想してたのに
西軍が内部崩壊してたから一日でケリがついただけだろうに。
関東甲信越における武田・北条・上杉の長期対陣の例を見てもわかるように
大抵はにらみ合いで時間が流れる事が多い。志賀の陣もそうだった。
信玄にしても状況が整うまでは無理して短期決戦なんか狙わずに守りを固めて対峙するだろうし。
321 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 23:09:54 ID:cGmXoslp
>>316 別に長島勢単独で岐阜に行く必要無いのだが。
尾張まで来た武田勢と合流すればいいだけ。
322 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 23:14:43 ID:tqR/UV6d
>>312 刀根坂は追撃戦。普通の戦いとは違う。あっさり負けたという言い方は御幣がある。
信玄健在なら朝倉は信長が信玄の動向に注意してる間に本軍じゃない相手に対しながら
失地回復及び勢力拡大を目指せる。反信長勢も信玄西上で勢いづいてきたのだから流れもある。
これで動かないと考えるのは早計。
だから志賀の陣の時は11月21日に伊勢長島が小木江を攻略してからすぐにもう信長と反信長勢の
和平交渉が始まるんだってば。信長が浅井にへりくだりまくった起請文だすのは11月28日だよ。
こんな状況で動かないのは当たり前。これで動けない根拠といわれてもな。
雪国信濃といったって信玄の予定では動き出すのは春から。特に問題はないのだが。
よってそれ以後の推論は前提から間違えている。
信玄はまず徳川封じ込めの為に遠江三河を侵略し家康本軍に打撃も与えた。
この上で春からは奥三河から岩村に向けて進軍し美濃に入ればいい。
春からの行動なら雪に惑わされる心配はない。
以上から美濃で信長と戦うのは十分可能と思われる。
323 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 23:21:04 ID:vI+fVe8U
たらればの塊だな
謙信が動かなかったら
朝倉が動けば
長島が信玄に呼応すれば
信長が十分な軍を集められなければ
家康が背後を脅かさなければ
324 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 23:28:22 ID:tqR/UV6d
>>323 そっちなんか都合のいい断定の塊だろう。
晩年でさえ信長攻めるより関東優先しようとした謙信が越中も抱えながら信長の為に動く。
朝倉はこれだけのチャンスでも絶対動かない。
信玄と書状を頻繁に交換している一向宗で信玄の書状でも有効な味方とされている
伊勢長島は信玄に絶対呼応しない。
美濃から不思議なくらい動かなかった信長が当時の状況で十分な兵力を集められる。
三方ヶ原で大敗し、領土を散々蹂躙された家康がどうやってか知らないが信玄の背後を脅かせる。
むしろ俺からすればそっちがたらればの塊に見える。
俺はちゃんと上の要素に対する説明をした上で可能と言ってる。
325 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 23:44:30 ID:JsLcmsYA
>>303 >普通はできるだけ早く遠征しようって思うけど民の多忙な時期と遠征開始を重ねるのは…ってことで10月になり信玄が1日に調子悪くなって4日に。
信玄の戦歴見ると8月9月の収穫期に入るような遠征は多いと思うが
北条と戦った時の関東遠征も9月からだし
川中島の戦いの多くが8月だったと思うが
>信玄は各村?に1年以上遠征することも考慮し働き手の数は大丈夫か確かめさせてる。補給うんぬん除けば1年以上遠征するつもりだったらしい
>春には南アルプスで「俺がいない間に越後が来ないように」ってお願いしてる。
ソースは?特にその一年以上遠征することって部分知りたい
あと秋山は岩村落としたけど、それだけなんじゃ
美濃の数%程度で圧力なんてあるのか?
>>309 志賀の陣で手薄になった織田に対して本願寺は織田を追い払うだけで
動かなかったから、期待は薄いと思うが
>>310 大内は一応名目上は山城や畿内支配していて現地調達もある程度可能だし
毛利も出雲の大部分を支配した上での包囲
その上両家とも経済力は非常にあるんじゃ?
武田にはそのような経済力あるの?
伊勢長島は戦力の要といっても北伊勢の豪族と被官関係にあるわけでもないし
単に織田の支配から逃れるため靡いただけであって、自分らの権益守れれば
それ以上のことは望まないんじゃ
326 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 23:48:28 ID:vI+fVe8U
>>324 どっちもどっちだよww
謙信は、信玄が死んだ時「信長さん一緒に武田攻めましょうぜ」って言うくらい、チャンスだったら攻め込むかも
朝倉は信長との戦で疲弊してる。 家康とそんな状況が違うとは思えない
それに、奥三河から美濃に攻め込むならその経路を家康が抑えれば補給線を脅かせる
一方朝倉が攻め込んでも勢力境界が動く位の意味しかないと思う
327 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 23:55:30 ID:tqR/UV6d
>>309 江州の門徒勢は濃尾のルートを積極的に断ち切ろうとしてるが。
木下・丹羽勢も突破したとはいえ
328 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:01:38 ID:tqR/UV6d
途中で送信してしまった……。
>>327の続き。
>>325 江州の門徒勢は濃尾のルートを積極的に断ち切ろうとしてるが。
木下・丹羽勢も突破したとはいえ 建部で妨害されてる。
後の話になるが朝倉浅井と連携して羽柴勢に襲い掛かったりしてる。
伊勢長島より規模の劣る江州の一揆でさえこれ。
伊勢長島や本願寺勢には期待をしてもいいと思うが?
なら武田も現地調達すればいい。武田とて百万石を超える当時有数の大大名にして
経済の進んだ駿河や金山を保有している。長期遠征不可能とは思えん。
なら何も行動しないと?織田が盛り返せば織田支配に逆戻りだ。
それなら伊勢長島を応援して自分達の自主性を保全する方向で動くのはおかしくない
判断では?
329 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:02:39 ID:JsLcmsYA
>>313 畿内の一揆は各地元で元気に動いていたのであって、
各地域に遠征したわけじゃないと思うが、
伊勢長島が美濃に行けるって、そりゃ単純に美濃の一部地域や尾張の一部地域は
対岸だから行けるだろうけど、それ以上はどうなの?
岐阜まで行けとは言わないけど織田を牽制する以上はある程度の遠征能力が無いと
意味が無いんじゃ
援護って言ってもそれは北伊勢では補給などの援護受けれるかもしれないけど
美濃や尾張に出兵する時は援護受けれるの?
足利は動いてあっさり潰された、松永も動いて筒井に押し込められた
状況判断間違っていたとしか思えないが
>>318 史実じゃ織田と上杉が敵対するまでは、冬場以外に武田が大兵力で遠征というか
北信濃を手薄にした例が無いから、遠征続けて春になっても北信濃が手薄なら
上杉が北信濃に攻めこむ可能性はあると思うが。
もっとも関東に攻め入る可能性の方が高いだろうけど、それならそれで武田も北条に
協力する必要が出てくるだろうし、少なくとも北条の援軍は返す必要が出るかな?
>>319 その各砦城を潰すだけの能力と時間がどれだけあるのか
ついでに長島から出撃して砦攻めている時に織田に襲われたら?
>>321 尾張(か美濃)を横断して武田と合流するって言うの?
そんなの不可能か合流前に織田の主力に攻撃されて壊滅するんじゃ?
330 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:10:13 ID:eC1kQ1Me
>>329 武田が尾張を制圧すれば合流できるだろ。
要は武田が合流可能な所まで侵攻してくれればいいだけ。
そもそも織田の主力は岐阜でしょ。
長島の留守を襲う部隊がいるかも疑問。
この状況なら織田に余裕はないし、伊勢の豪族は様子見するだろ。
331 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:15:16 ID:f5nrCPQT
>>326 まあ謙信のスケジュールを見ているとこれからますます北上してくる北条、
越中の一向一揆との戦いにかかりきりになっていくのだけど。
朝倉はこの時まだ2万の兵を動かせる。家康と違って本領は犯されてないし
大敗して兵力が大打撃受けたわけでもない。
家康は三方ヶ原の傷がいえてない状態で信玄がそれまで攻略してきた武田方の城達を
抜いて背後を脅かせるかな?特に二俣城は大変だよ。信玄死んだあとも6月に攻めたけど攻略できず
長篠の後に攻めたけど結局年末に城兵の退去を条件に開城させたほどの城。
さらに山家三方衆とかもいる。家康は信玄死後も天野氏に犬居城で敗れたりしてる。
この状態で脅かせるのかな?
朝倉が動いて羽柴が撃破されてしまえば近北も回復さらには美濃へも進出が可能になる。
この影響を軽視するわけにはいかんでしょう。
332 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:26:07 ID:C6HHOI9j
>>322 >失地回復及び勢力拡大を目指せる。
動かないというより、動けないんじゃ?それに秀吉に勝てるかという問題もある
そもそも織田の主力が余所に行ってる時期はそれまでに何度かあったが
今までも碌に動いていなかったような
長島は9月に蜂起して2ヶ月かけてそれだけでしょ
しかも先に動いたのは一揆側で先手、織田のふいをつける状況だったのに
東美濃の輸送はそれ以前に雪解け水が無くなれば木曽川使えるんじゃって思うんだけど
滝とか多かったっけ?
家康は武田撤退後、小規模とは言えすぐ駿河に攻めこんでいるし
奥三河への侵攻も行った
徳川は封じ込められたと言うのはちょっと
徳川牽制のための兵力はそれなり必要になるんじゃないか?
>>328 でもそれって地元であって遠征したわけじゃないし
そもそもそれらの近江の一揆勢は71年にほとんど鎮圧されたんじゃ
武田が本当に長期遠征出来るのであれば、
何で71年に徳川攻めた時、一ヶ月の遠征を2回したのか
北条と駿河を取り合った時も何で数ヶ月遠征しては帰国してまた再出陣を繰り返したのか
一度に遠征したほうが効率いいんじゃないか?
また70年か71年の棟別銭を倍額にしたのは?勝頼時代に財政が苦しくなったという逸話や
棟別銭の増額は?
あまり余裕があったようには思えないが
現地調達といっても、大内は畿内を支配して毛利は出雲と経済的に発展している豊かな地域
それに対し武田は東美濃で数万を現地調達するというのは厳しいんじゃ
>なら何も行動しないと?織田が盛り返せば織田支配に逆戻りだ
それが分っていて、実際に行動できれば話は凄いがな
現実にはそんな行動とる人はほとんどいないでしょ、
そんな理論で行動するなら伊賀とか北畠とかも積極的に織田と戦ってくれるだろうし
こんな話し合いする必要もないと思うぞ
333 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:28:14 ID:C6HHOI9j
>>330 武田が尾張を制圧するという仮定が成り立つんじゃ
長島なんていようがいまいが織田の滅亡は決定的じゃないか?
334 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:28:50 ID:f5nrCPQT
>>329 一応戦国大名の軍隊構成と一揆勢にそこまでの差が無い以上
一揆勢に無理とは思えない。加賀一揆はそれをやっているのだし。
足利も松永も目当ては信玄が信長をひきつけてくれる事。
信玄が死んでしまったからあっさりやられてしまったが
信玄が10年長生きし信長をひきつけ続けるなら彼らの活動が意味を持ってくる。
可能性は無くはないだろうが、史実の謙信は1573年四月に越中から帰国し後も
8月にまたまた越中に行ってる。この戦いは後数年にわたって続く。
関東においても1574年から北条との戦いは激化していく。ちなみに1573年は
越中でつかれた兵を休ませるために越山を取りやめてる。
とても武田攻める余裕があるとは…。
北条の援軍を返すとして2000か。この時の武田してみれば一兵でも欲しいけど
まあ3万が2万8千になると思えば大丈夫な範囲か。
援護できる兵力も無い状態でその砦たちはどれだけ頑張るのか。
第一その砦はどれくらいあるの?長島の行動を制約しえるものなのか?
長島から出ている時点で一揆勢は数万の兵力。これを背後から襲えるだけの兵力を
当時の織田は避けるの?美濃で武田に備えるためにも兵力が惜しい時なのに。
335 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:31:25 ID:eC1kQ1Me
>>332 なんか後の実績で秀吉・家康を過大評価してないか。
朝倉が本気で攻めてきたら秀吉単独ではどうにもなるまい。
押さえの兵置いとけばたいしたことはできまい。
336 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:43:42 ID:C6HHOI9j
>>334 軍隊の末端部の構成は似たようなものだろうけど
遠征や長期的な戦略行動、戦闘にあたっての短期的な損害の強制などは
可能なのか?
また同じ一揆勢といっても加賀の一揆勢は何度も大軍での戦いや国外への出兵を
経験しているのに対しそのような経験のない他国の一揆勢にいきなり同じことやれと
言っても出来るようなものじゃないと思うが
足利はともかく松永は織田が動けない隙に大和の支配権を広げるのが目的だったんじゃないか?
結果は織田とは関係無く筒井に大敗という結果だったが
そもそも長島の一揆勢は動くのか?動くとしたらどこまで動くのか?
武田との合流を考えるならかなり動かないとならないと思うが
それと石高から考えれば織田には十分な兵力があると思うが
>>335 といっても史実じゃ秀吉は浅井朝倉を破っているし
家康は駿河に出兵して、奥三河に攻めこんでいるし
あなたこそ史実を踏まえて考えてるのか?
337 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:48:15 ID:eC1kQ1Me
>>336 なら当時の秀吉の兵力は?
破ったというけど、どういう状況で?
338 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:55:15 ID:Wk5Zmm25
武田信玄って圧勝した戦ってどんくらいあるの?
もちろん村上とか格下相手は抜きで
339 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:55:17 ID:f5nrCPQT
>>332 一回秀吉の防御を朝倉浅井の一部隊が突破できなかったからといって
それで勝てないものと考えるのはいかがなものか。
2万を超える大軍の攻撃を秀吉はいつまでも防ぎつづけられるのかな?難しい気が。
朝倉浅井は元亀争乱では大抵織田と対してたような。
そうでなかったとしても信玄や本願寺と打ち合わせし連携して作ったこのチャンスに
動かないとも思えないが。
志賀の陣では長島は蜂起した後にいつ小木江に襲い掛かったのか確定はしてなかったはずでは。
元々一揆だしこれからの長期戦に備えるためにも準備があったと思えば2ヶ月とは
言い切れないのでは?
徳川は単独では結局大した影響を与えられてないはずでは。
信玄死後に二俣や犬居を攻めて失敗してるはずだが。本格的な攻勢がうまくいき始めるのは
長篠以後では。それでも随分時間かかってゆっくりとだけど。
三方ヶ原の直後の家康にそれほど大きな影響力があったかね?
一応信玄は三河の一向宗の寺を蜂起させて家康を絡めとるプランもあったらしく
三河の勝曼寺が進発すると顕如に伝えているらしいが。
それら近江一揆の連中でもこれだけ動いてますよ、という事。
これより規模の大きな伊勢長島に期待してもおかしくないし、加賀一揆は他国攻めもやってる。
長期遠征なんてそう何度もやるもんじゃない。家康の時だってまだ北条との再同盟は
なってなかったし様子を見る必要はあった。北条との戦いも関東や徳川、上杉の動きも
注意して行わなければならないし。そもそも長期遠征なんて何度もやるものではないのだし。
余裕がふんだんにあるとはいわない。でもそれでも武田は勝頼末期ほどに逼迫してない。
勝頼時代でさえ2万近い兵力を何度も動かしているのだし。
さらにはこの遠征で信長を倒すもしくは力を削げるならそれは長期遠征するに足る事柄。
三河や遠江といった占領した地帯から調達したものを運んでもいい。この2国も中々豊か。
武家と一向宗が連携して行動をとった例はこの時期には多い。
伊賀や北畠と違い、戦力の大きな要として伊勢長島があり信玄を始めとする
反信長勢が動き出そうとしているのにそれでも動こうとしないと断定するのも危険では。
第一仮にそれが無くても伊勢長島は数万の大軍。
340 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 01:04:08 ID:eC1kQ1Me
なんか「真田は上田で徳川破ったからいつでも勝てる」と同類なような。
守りきると勝てるは別儀だと思うし、小勢なら無視されたらそこまで。
341 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 01:07:48 ID:f5nrCPQT
>>336 一揆勢は戦闘においての短期的な損害はかまわず進みそうだけど。
人海戦術だし。
どんな勢力でも初めてのときは初めて。
そしてその初めても経験ないからやりません、じゃすまされないのが戦国時代。
戦略的に必要であり、出来る力があるなら経験無くてもやるだろ。
まあ松永は誤算だったわな。それでも本命の足利が残っていれば京都周辺における
影響力は期待できる。松永とてこのままでは終わるまい。少なくとももうちょい粘るだろ。
それらが頑張ってくれれば東方戦線の影響次第で織田に敵対する流れを広げられる。
個人的には武田と合流せんでもいい気もするが。
数万の兵力を持つ両者が同時に織田の領域を脅かせるならそれは十分な攻撃。
石高であっても各地にいる敵に備えなければならずそれを考えれば織田もそんなに
余裕があるとはいえまい。急激に成長した織田は日和見勢も内部に抱え込んでいる。
遠藤みたいな手合いはこれからも出てくる可能性はあるし。
342 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 01:14:31 ID:C6HHOI9j
>>337 1572年の10月ぐらいだったはず
浅井朝倉が虎御前山の砦だか、堤だかを破ろうと出兵したがそれを秀吉+一部の馬廻が破ったと
当時の秀吉の兵力だが
始末記などでは磯野と合わせて5000
堀樋口などの坂田郡の勢力に宮部など浅井郡の勢力の一部が与力
それに竹中などが与力でしょ
某スレの石高によるなら坂田郡だけで8.4万石だから、近江で付けられた兵力だけで数千
1568年の上洛時の時点で秀吉は一軍率いているぐらいだから少なくとも1000を超える兵力だったろうし
この時期の秀吉の兵力は5000前後ぐらいあってもおかしくないと思う
343 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 01:44:17 ID:C6HHOI9j
>>339 秀吉が横山入ってから数年間、ついに破れなかったしなー
犠牲を省みないで必死に攻め続ければ絶対落とせるとは思うが
朝倉は何度も攻め続けられるのか?そんな犠牲を出すことを家臣は承諾するのか?
更に言うなら秀吉倒した所で援軍である朝倉軍には直接的な利益にならないだろうし
長期戦と言っても対岸攻めるだけだしなー、相手だった用意は出来ていないのは同条件だろうし
徳川はそれでも奥三河はかなり取り戻しているが、
(もっとも信玄が生きていれば同様に取り戻せたかは怪しいが)
それを考えれば徳川を放置することは出来ないだろ
どれだけ抑えの兵力が必要となるかは分らないが
別に徳川北条との争いに限らずそれ以前の上野攻めでもいいけど
それに様子見るって何か根拠あるの?
>勝頼時代でさえ2万近い兵力を何度も動かしているのだし
減ってるんじゃ?
それに信長を倒せるならリターンは十分あるだろうけど
力削ぐ程度とか何ヶ月か対峙して短期的に武田に利益が出ないんじゃ
財政的にきついんじゃ
三河遠江は豊かかもしれないけど、武田が占領したのは山間部ばかりじゃ
伊勢長島にそれなりの兵力の抑え残しても、織田は武田とある程度戦える兵力あるんじゃないか?
344 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 01:49:02 ID:G3WmPTbG
>>341 その「できる力」の有無について話してるんじゃないのか?
それが経験であり、長島にはそれがほとんど無いと
テキスト読んだだけで、車の運転をパーフェクトにこなすのは無理だ、それこそ教官なみに
勿論、そこいらにぶつけながら、人をプレスしながらならいけるだろうが、それで「運転できる」と表現できるかは微妙だな
それからさ、急激に拡大したのは武田も同じじゃないか?
織田は尾張半分ぐらいから、美濃、伊勢、近江などなどに支配を広げた
武田は甲斐一国から、信濃、上野、駿河に支配を広げた
織田において、その急成長による内部不安を特記するのは、ちょっと偏ってないか
345 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 02:03:29 ID:C6HHOI9j
>>341 長期的な兵糧や軍需品の用意は?
>戦略的に必要であり、出来る力があるなら経験無くてもやるだろ。
それは無茶じゃないかな?
まあ足利はそれなりの兵力だろうな、7月の挙兵時にも数千の兵力だったし
ただそれも細川明智らに牽制させれば取りあえず牽制は出来るんじゃ?
松永は粘ってもあんま影響無いような
ついでにいくら松永が頑張っても筒井ら大和国人勢力と寺社とは敵対しつづけて動けないんじゃ
織田に敵対の流れといっても筒井らは松永に敵対しているのであり
細川畠山荒木らも三好と敵対しているのであって、力の差が隔絶しない限り
織田上洛前からの敵対関係は変わらないで、それらの反織田勢力を牽制し続けると思うが
長島は自分も合流する必要はないと思う、無理に合流するのは危険だし
地元で織田を牽制して、できれば美濃尾張に荒して
ある程度織田の起動兵力を引きつけれればそれでいいと思うし、それぐらいしか出来ないと思う
日和見勢力はいるだろうけど、当面は織田家に従うだろうからなー
史実の遠藤が実際には動かなかったように
どこかで信長が大きなミスをするか、
どこかの勢力が全力で攻勢に出てどこかのバランスを崩せばそこから連鎖的に崩壊していく可能性は
十分あると思うが、その最初に攻勢に出るやつが実際にはいないと思う
346 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 02:06:58 ID:C6HHOI9j
>信玄は各村?に1年以上遠征することも考慮し働き手の数は大丈夫か確かめさせてる。補給うんぬん除けば1年以上遠征するつもりだったらしい
>春には南アルプスで「俺がいない間に越後が来ないように」ってお願いしてる。
個人的にはこのソースが知りたい
だれか知ってる人いない?
347 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 02:13:56 ID:f5nrCPQT
>>343 秀吉が横山入ってから朝倉浅井の本格攻勢はついになかったからなー。
大抵1部隊が攻める方式で。信長の後詰もあったし。
2万を超える軍勢による大規模攻勢なら攻略できそうな気が。
秀吉倒せば近江北部や美濃に領域拡大できるようになる。
しかも信長本軍は信玄を向いてるときたもんだ。ここで信玄と連携して信長の領土を削るもよし、
信長を倒しに行って大きな領土獲得を目指すもよし。美味しいもんだと思うが。
長期戦というのはそれから始まる織田勢との戦いに備えた準備という事。
もともと一揆なんだから小木江攻略だけで終わると普通は考えないとすれば
そこらへんの準備は時間がかかるもんだと思うが。
相手の小木江城は軍事拠点なんだからもともと城に物資兵員その他の準備はしてあると思うが。
様子見だけじゃないって。そもそも長期遠征自体が普通はまずやらない事だといってる。
加えて北条・徳川の時は戦略的状況の問題から様子見をする必要性があったという話。
確か最初の駿河攻めを終えた後、甲越和与を使った後で北条攻めをするかしないかで武田家中が紛糾した
事があったように思うが。家臣達は謙信に備えるべきだと言ったけど信玄は謙信は動かないと判断して
小田原攻めに向かったと。そんで小田原攻めも謙信や徳川が気になるし、本来の目的は駿河だから
北条に対する牽制と陽動、越相同盟の不和を浮き彫りにするという観点に絞り数ヶ月の遠征で済ませたり。
このように武田は駿河をめぐる戦いでは随分周辺環境に注意しながら戦略立ててる。
そういうのが無くても普通は長期遠征はしないもんだけど。でも信長を追い詰めるチャンスである西上では
長期遠征する価値があるという話。
長篠は本来は7千というなら偉く少ない気がするが、謙信に備えて1万残してたともいうし
織田や徳川や北条との戦いでも勝頼は2万近い兵力を動かしていたはずでは。
最後の戦いでも木曽攻めには1万5千くらい動員してるし。
これだけあるならまだまだ財政的には大丈夫だろう。勝頼時代は9年持ったわけだし。
ここで織田の力を削いでその打倒に向けた流れを作れるならそれでも十分。
徳川攻めで得た領土だけでも結構なもんになってるし。
遠江にいたっては結構平野も占拠してるはずでは。三河でとった領域も悪くは無い。
伊勢長島に押さえの兵力を残し、信長は武田とある程度戦える兵力でもって対峙する。
そうなると意味を持ってくるのが朝倉だ。信玄が朝倉の動向に注意していたのはこういう理由なんだろう。
信玄としてみれば織田をひきつけてる間に畿内の足利たちが味方を増やすのも良しだし
朝倉が動くのも良し。織田本軍をひきつけ反信長勢力が活性化する事で信長を追い詰めていけるという判断だったのだろう。
もちろん朝倉と連携して一挙に信長を倒せれば一番なのだろうけど。
個人的にはもう少ししたら毛利が参戦してくるのではないかという気もするが。
348 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 02:24:34 ID:f5nrCPQT
>>344 戦国時代には一国も持たなかった状態から勢力をつくり他国に攻め込んだ連中はいる。
そいつらが他国を攻められるだけの規模を持っても「経験無いから他国攻めません><」
って言って他国攻めずに引きこもってた事ってまず無いと思うんだけど。
最初だから戸惑う事もあるかもしれないが出来ないとは思えない。
時間や規模が織田と武田ではかなり違う。
織田は1568年までに得た尾張美濃伊勢はともかく、それから畿内の多くの領域を数年で
取り込んだ。それは統治は十分に貫徹された状態ではまだなかったはず。実際武田西上までの戦いで
随分いろんな勢力が入り乱れてる。武田西上時に心の座らないでいた連中は結構いたろうさ。
349 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 02:47:53 ID:f5nrCPQT
>>345 伊勢長島が北伊勢に大きな力を持っていることからそれらの調達も可能ではと
思うけど。
無茶かな?
>>348にも書いたけど、戦国時代には一国も持たなかった状態から
勢力を作って他国に攻め込んだ連中は結構いる。そいつらも経験無かった状態から
攻め込んで成果を挙げている。出来ないと断ずるのはいかがなもんかと。
足利の持ち味は軍事力だけではなく、そのマスコット性にあるからな。
足利将軍が直々に兵力を率いて信長討伐を叫んでそれがある程度の勢力を維持していると
なれば周囲への影響も大きいだろう。明智や細川は軍事的な意味での牽制は出来ても
その足利将軍としての影響力まで封殺できるとは思えない。
もちろん足利将軍と言ったって実力や裏づけがなしに叫んでも駄目だろう。
だけどこの時点では数千の兵力を持ち義昭を担ぐ信玄を始めとする勢力たちが
大きく動いている状態でなら周辺の日和見勢とかに影響を与えられる可能性はある。
三好に敵対している勢力も筒井に敵対している勢力もそのままではそれぞれ争うだろうけど
ここで将軍家を上においた休戦状態なら作れなくも無い気が。
将軍の命令などこれまた裏づけが無ければ無視されるだろうが、義昭を名目上でも盟主と仰ぐ
信長包囲網が活性化する状況なら松永や三好の敵達も様子見の為に将軍家の仲裁を名目として
休戦する可能性はある。
まあ信長の兵力をひきつける事が出来ればそれだけでも武田にとっては大きな利益。
数万の兵力を持つ長島が本当に信長領土に侵攻できないのかというと個人的にはおおいに疑問だが。
遠藤は信玄に美濃に春に来るからその時に寝返ってね、と言われてそのまま信玄が死んでしまったからなー。
その後で朝倉とかもやられちゃって遠藤にしてみれば寝返りを思いとどまったんだろう。
どんなもんだか。日和見勢力が動かなければ武田にとっては利益。織田にとってはマイナス。
この状態で武田・朝倉・伊勢長島が美濃周辺でそれぞれ信長領土を蚕食していけば
寝返りは現れてくるような気が。この3勢力全てに対処するには信長は少し手が足りない。
そして東方戦線で信長がジリ貧であればそれは畿内の日和見勢にも飛び火すると思うが。
そうでなくてもあなたの言ってるように緊張状態が続いている間に毛利が参戦してきたら
それでチェックメイトだと思うが。
350 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 03:04:49 ID:C6HHOI9j
>>347 >秀吉が横山入ってから(ry
戦なんて大抵は先陣の部隊が戦ってみたいなものじゃ
それ言うなら信玄だって砥石攻めた時や小田原攻めた時も
信玄直卒の部隊は戦っていないから、大規模攻勢かければなんて言えてしまう
領土拡大に関しては実際にそれが出来ればな
>長期戦というのは(ry
ごく近距離の城攻めるのにそんな準備なんて時間かかるものか?
長島だって対岸に城が造られたり、服部が殺されたりしているのだから
ある程度の準備は小木江城同様にしていたと思うが
>様子見だけじゃないって(ry
それらの理屈が通るなら織田との戦いでも様子見する必要があったんじゃ?
上杉だって動くかもしれない、北条だって再同盟したばかりと不安要素は残る
>長篠は本来は7千というなら(ry
だから減ってる、それに国許に1万残すのと、その兵力を遠征に向けるのとでは
費用が異なると思うが
それに織田や北条や徳川の戦いで2万近い兵力というが、
それだって長期間の遠征じゃないし、これだけあるといっても
年に短期間兵を動かすのと、長期間兵を動かすのは費用は異なるだろ
9年持ったと言うが、その間信玄時代並の兵力と期間を動かしことは無いんじゃ?
>徳川攻めで得た領土
結構な量か?ほとんど山間部で、話が広がり過ぎるのを避けるため上洛スレに頼るなが
遠江は20%で三河は15%じゃ
>伊勢長島
まあ織田が各地に守備兵力残して、徳川に抑えの兵を残した武田と対峙して、
取りあえず長期戦になったとして
兵站やそれまでの遠征の疲労考えれば先に兵を引くのは武田なんじゃ?
朝倉や足利ら各勢力が頑張ってある程度戦果を得ていたとしても、
武田が兵を引いたことで自由になった織田が戻ってこればそれらの戦果もすぐに
取り返されるんじゃないか、一度に一地域に投入出来る兵力は織田家の方が多いんだから
>個人的にはもう少ししたら毛利が参戦してくるのではないかという気もするが。
この時期の毛利家は織田家と同盟
この時期毛利は浦上宇喜多を支援して東瀬戸内に影響力を持つ三好と抗争中
毛利が対織田に参戦するということは、ある意味三好の没落も兼ねている
毛利が東に勢力伸ばすことはある程度までは織田家にとって有利になる
351 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 03:18:18 ID:C6HHOI9j
>>348 そいつらは一から徐々に勢力範囲広げて経験積んでいるだろ
最初は一日でいける範囲それから郡単位、国レベルって感じで
伊勢長島はそうでなくてそれらを飛び越えて一気に国外遠征レベルをする
これじゃ無茶だろうってことに
実際の所織田は1568年に一気に領土増やしてから4年たっている
それを言うなら駿河支配が完了したのが1571年の武田の駿河支配の方が
より不安ってことになってしまう
>ここで将軍家を上においた休戦状態なら作れなくも無い気が。
そんなことが可能なら室町の混乱は無かったわけで・・・
休戦というが松永や三好の敵どころか松永や三好自体がそもそも従うかどうか
松永や三好にしても自分の敵のほうが重要だろうし
地元の敵を放置して織田家と戦うために近江方面まで進出した隙に
休戦破られる可能性だってあるしな
>この3勢力全てに対処するには信長は少し手が足りない。
根拠は?
あと緊張状態が続いたら上杉が自分の問題片付けて、武田も東を気にする必要が出てくるがな
毛利に関しては上に書いた
352 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 03:40:37 ID:f5nrCPQT
>>350 いや、VS秀吉の場合本当に動いているのが一部隊だから。
つまりその1部隊でも本陣があって先鋒がいてryとなるわけだね。
それが2万を超える朝倉浅井の本格攻勢とは別物な事は明白。
複数の部隊が一気に襲ってくるのだから。
いや、だから。近距離の城「だけ」攻めるだけで戦いが終わるわけないでしょ。
蜂起した以上伊勢長島は織田勢力との長期戦も覚悟した。
となるとそれに耐えうる準備を時間かけて整えた上で進撃しまずは手近な小木江を襲ったって事でしょ。
数万の兵力で動かせるだけの準備はとてもしてなかったと思うけど。
北条は関東に夢中。再同盟したあとで武田は北条にちゃんと協力して信頼関係作ってる。
北条は上杉や関東諸勢力と戦う必要上武田と事を構える可能性は低い。
上杉はその北条と激突する。さらに念入りに越中一揆を扇動して絡みつかせてる。
周囲の多くが敵で注意しながら戦わざるを得なかった駿河攻めの時とは違うだろう。
とりあえず勝頼は3ヶ月くらいの信玄時代のコンスタントな遠征なら信玄死後の徳川攻めとかで普通にやってるよ。
遠江はそんなもんだったか?犬居・只来・飯田・各輪・匂坂・二俣・伊平小屋と西上だけでも
ざっとこれだけ攻略してるのだけど。
さすがにすぐには無理だろう。元亀争乱を見る限りは。
まあこれは朝倉や足利がどれだけ成果を得ているかにもよるが。
武田が長期戦をやるなら本軍の居ない所で朝倉その他はかなりのびのびやれると思うんだけど。
それで日和見勢に動揺が走ったならかなり大変な事になりそうな気が。
信長はそれを果たして座視していられるのか。そして織田の方も長期対陣の疲労は
存在しないのだろうか。
毛利は何気に足利家と縁が深いからなあ。
後一年くらいすると東に接した毛利の勢力圏が織田に近づいてくるんだが。
果たして三好はどう出ることか。
義昭はこの状態でも毛利をひっぱりこもうとするのだろうか。何気にやりそうだな。
将軍の名の下に休戦せよー、ってな感じで。この状態で毛利と三好の両者が聞くかはわかんないけど。
353 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 03:55:42 ID:f5nrCPQT
>>351 んな事いったら加賀の一揆とかどうなる。
国外遠征っていってもとてつもない遠距離攻めるわけじゃないんだから。
そんでその領域はいろんな勢力が入り乱れてるでしょ、って事。
その4年間に信長の敵があちこち動き回ってるんだから。
駿河は何気に信玄の最初の駿河攻めの時に多くの今川家臣が武田に寝返った関係で
結構な領域が武田についてたんだけど。
だから普通にやれば無視される程度のものだよ。
三好の敵も松永の敵もそれを受けるとしたら自分のためだ。
普段は拒否するだろうが、反信長勢力が活発化した状態なら自分達で動向を見るために
将軍の仲裁を名目にして休戦し様子見する事は十分ありえると思うが。
実際戦国大名も自分に都合がよければ足利将軍の仲裁を名目にして休戦する事はあッたことだし。
根拠は信玄西上の時に朝倉浅井に対しては寡兵の秀吉に丸投げしてる事。
美濃にいる時の信長が偉く静かな事。これで朝倉浅井の本格攻勢が来たら?
伊勢長島が動いてたと仮定するなら?信長はそれに余裕で対抗できたかな。
謙信が問題片付けるのはいつだと?北陸で一揆との戦い終わるのは1576年だったか。
史実では足利将軍の仲裁で本願寺と和睦し信長包囲網の一角に入るんだが。
信玄生存時なら和睦すんのかねえ。するとしたら信長包囲網の一角に仲間入り。
入らないなら本願寺との泥沼が続くのでは。関東の問題は死ぬまで終わらなかった品。
354 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 04:01:38 ID:f5nrCPQT
とりあえずもう寝ます。
355 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 08:07:47 ID:MjV3LG3L
とりあえずID:f5nrCPQTがゲーム脳だってのは良く解った
〜だと思うって言葉が多いわけだが、自分の妄想を確定条件にしたら当然何だってうまく行くわ
まず浅井朝倉は瀕死の状態であったことから既に動けないってのはもう確定事項だぞ?(まずこの時点で無理な事を言っている点は考慮に入れるべし)
これは既に戦力外通告としておk
畿内も基本的に自分たちの利益によって争い合ってる状況なので信長打倒なんて二の次
自分たちの世話で精一杯の連中だからこいつらも動かないと見てほぼ間違いはない(当然信長側もここはあてにできない)
反信長も親信長もたんなる名目にしてるに過ぎんって点も考慮に入れるべきだな
後、朝廷という外交カードは常に信長が保持してたということは頭の片隅に置いておくといい
それこそ畿内、浅井朝倉方面とのみ朝廷仲介で和睦しておいて全力で信玄に戦力を向けることも可能なんだが?
この和睦を蹴ることは当時の中央方面の大名にはできない、朝敵の汚名を被る結果になるから(周りからフルボッコされるため)
この状況を仮定して信玄と戦闘すると織田は圧倒的多数になるぞ?
この状況で信玄は勝ち目無しと判断して間違いないのでは?
356 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 10:18:17 ID:eC1kQ1Me
>>355 瀕死と言うが、浅井はともかく朝倉もそうなのか?
朝倉は最後の出陣で「疲労で行きたくない」という連中(結局こいつらは裏切った)除いて2万以上動員している。
この時期ならそれより余裕も希望もある。
勝手に確定事項にして勝手に戦力外通告できるなら、どうとでもほざけるわな。
357 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 10:23:13 ID:m3bttDLG
>>352 >2万を超える朝倉浅井の本格攻勢とは別物な事は明白
なんで史実でやらなかったの?史実において、信長本隊が他戦線に出向いていて
江北は留守部隊の木下しかいないって状況はいくらもあった。ぶっちゃけると、
元亀三年十一月以降は信長はおらずに朝倉の援軍はあるという絶好の機会。にも
かかわらず、義景は秀吉と対峙するだけ。
>数万の兵力で動かせるだけの準備はとてもしてなかったと思うけど
していたのなら、なんでそのまま進撃しなかったの?
また、上杉はこの時期越中から加賀にまで攻め込んでいる。顕如が信玄に、兵を
越後に進めてくれと援軍要請するほどに。もし長期間対峙ということになれば、
北陸を片付けた謙信が関東なり北信濃なりにでてくる可能性は非常に高い。何せ、
信玄死後に信長に「この好機に一緒に武田攻めようぜ」って提案しているくらい。
信玄が留守に北信濃に攻められれば?信濃でなくも上野にも武田領はある。また、
謙信に攻められた北条が武田に援軍要請をしたら?信玄の上洛軍に北条は援軍を
出してくれたけど、北条の援軍要請にこちらは出せません、ですむのか?
>駿河は何気に信玄の最初の駿河攻めの時に多くの今川家臣が武田に寝返った関係で
結構な領域が武田についてたんだけど
それいったら、美濃は長期間信長の調略によって多数の斉藤家臣が織田に寝返った。
また江南の六角もほとんどの家臣が信長に降服している。
358 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 10:25:01 ID:G3WmPTbG
>>353 確認したいんだが
まず、前例が無いから、経験が無いからできないということは無い
つまり、そこに能力と、必要性があれば、前例がなくともできるということだな?
そして、織田は支配構造が不安定で、武田は強固だと(少なくとも織田との比較で)ということだな?
359 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 12:43:56 ID:f5nrCPQT
>>355 そんな事いったら織田側が主張する謙信はこれだけ困難な状況でも
織田の為に動くだの朝倉は絶対に動かないだのはどうなる。
自分に都合のいいように諸要素は動かないと断定するならどんなのだってうまくいくだろうさ。
なんで朝倉浅井が動けないと?実際刀根坂でさえ2万の兵力を動員してるだろうが。
むしろ絶対出来ないだの確定事項だのいうのがわからん。実際動いてるのに。
畿内の連中がなんで動かないと?足利はちゃんと動いてる。
他の畿内連中も織田と単独で戦えなくても織田がいないならその影響力は十分。
第一自分の利益で織田と戦うならそれで十分なんだが。
動かないというならそもそも織田と敵対はしない。
それから朝廷というカードが全てにおいて絶対の価値を持つわけではない。
比叡山は志賀の陣の時でも最後まで朝廷の和議を渋ったが度重なる説得で妥協した。
朝廷だけで全部うまくいくなんて考えるのは異常だ。
その朝敵になった場合にフルボッコするのは誰だ?
織田と反織田の2極化してる時点でわざわざ鞍替えなんかするか。
そっちは随分無理な断定が多いようだが。
360 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 13:00:57 ID:f5nrCPQT
>>357 機が熟してなかったからだろう。
確たる展望なしで単独で動く為に全力を出すのはあんまりやらないだろう。
今信玄を初めとする反信長勢が大きく攻勢にでようとしてその打ち合わせも
進んでいるのだから全力攻勢はありうるだろう。
言葉が簡略化しすぎていてよくわからんが小木江の後になんで伊勢長島が動かなかったか、
っていう事?何度も言っているけど11月21日に伊勢長島が小木江を攻略したすぐ後には
滋賀の陣における信長と反信長勢の和平交渉がはじまっているんだってば。
謙信は四月末には一回越中から戻ってきてるんだけど。
そんで8月にもまた越中攻め。そんで疲れたのでその年は越山も取りやめてるくらい。
これで武田攻めに動くとは思えないが。
それから関東に侵攻してくる北条との戦いはこれからますます激化してくるぞ。
1574年の謙信のタイムスケジュールは北条との戦いで一杯だ。
晩年でさえ信長攻めるより関東を優先しようとした関東管領謙信が
火がつきまくってる関東を放っておけるとは思えないが?
だから、1568年までの信長が制覇した尾張・美濃・伊勢は時間をかけて制覇してる
以上その支配はかなり固まってるとみていいと言ってるよ。
近江南部に関してはそれでも六角が一揆扇動とかしちゃえば随分動揺してしまう所が
あるわけだが。
361 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 13:43:08 ID:Vlz6k+ZR
>>352 朝倉に関してはそれまでチャンスがあったのに何で動かなかった?
また堤に水まで引き込んだ虎御前山は守りが固いんじゃないか
朝倉からは寝返りが出たり軍役拒否と士気は落ちる一方で
状況はそれまでの数年より悪くなってると思うが
長島は動きながらだって準備したっていいんだし
>北条は関東に(ry
これまた都合がいいような、駿河で争っていた時も他の勢力にたいして
似たような理由で武田とことを構える可能性は低い、長期出兵も可能と言えるんじゃ?
>勝頼は3ヶ月くらいの(ry
だから何?
年に短期の出兵を何度かと長期出兵とじゃ費用がまるで異なると思うんだが
それに兵力も減っているし
遠江はそんなもんじゃないか?周智郡を中心にほか引佐豊田郡の一部に
71年に落とした榛原郡の一部ってとこじゃ
>さすがにすぐには無理だろう。
浅井朝倉大坂本願寺伊勢長島はともかく、他の勢力は史実から考えると
ごく短期間で潰されると思うが、信玄死後の話だけでなくそれ以前からも
71年から一つ一つ潰されていると思うが
朝倉などがそれなりに戦果を出せればあるいはな
ただ日和見勢といってもそれは反織田にも言えることだし
織田の方の長期対陣の疲労というが、武田は織田と対陣するまでで既に半年経過
本拠地との距離も織田の方が圧倒的に有利だし、経済力も恐らく織田の方が上だろう
どっちが先に疲労が蓄積するかなんて、議論の必要無いと思うが
毛利は1575年に三村を滅ぼしてようやく1569年以来の騒動に蹴りがつくんだが
そして織田と毛利の間にあった三好も1573年の篠原の死や、畿内の三好勢力の衰退
1575年には織田に通じるとなって、織田と毛利の勢力圏が接するようになったのだから
もし三好が史実より頑張るとすればそれだけ織田と毛利の開戦の時期は1576年より更に
後になると思うが?
362 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 13:56:37 ID:Vlz6k+ZR
>>353 加賀には100年の歴史があるだろ
国内の内乱から始まって、国外勢力の侵入を退けて
後に国外へ侵攻
長島にはそれまでどれだけ戦闘の経験があった?
まだ対岸にしか攻めたこと無いような連中がいきなり遠征が出きるのか
>だから普通にやれば無視される程度のものだよ(ry
だったら様子見るために反織田勢力も碌に動かないんじゃ
>根拠は
単純に冬だからじゃないか?信長は冬は基本的に軍事行動避けているし
武田の方も徳川との勢力圏の境をちょこっと動くだけだったし
春になったら武田のことは気にせず上洛しているし
織田が上洛した時点じゃ武田の今後の行動が撤退かどうか判別つかないのに
謙信は越中の問題は1573年にひとまず終えて
1574年には上野に出兵して、勝頼とも対陣している
史実では後に織田と敵対したが、それは武田が長篠で惨敗して脅威では無くなったのと
織田が1575年に加賀の半国まで支配するようになって勢力圏が近づいたことと
本願寺や加賀一向一揆が織田との戦いに手いっぱいで上杉とも対立する余裕が無くなったからじゃ
あとはまあ他の人と一緒
363 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 14:16:08 ID:Vlz6k+ZR
>>359 謙信については謙信が自分の為に行動することがこの時期の織田に都合の良い行動となるってだけじゃ
1573年の春じゃ一向宗と戦っているだろうがそれだって本願寺の牽制に繋がるわけだし
>第一自分の利益で織田と戦うならそれで十分なんだが。
畿内連中には織田以前に自分達の敵がいるんだが
まずそいつらをどうにかしないと、織田と戦うなんて出来ないだろ
>織田と反織田の2極化してる時点でわざわざ鞍替えなんかするか。
1573年の初めあたりに、細川藤孝や荒木が織田に鞍替えしたな
岩成は逆に反織田を鮮明に、あと山本も反織田を鮮明にしたのはこの時期か?
どっちがどっちに鞍替えするかはわからないが両勢力とも日和見勢力がいる以上
鞍替えとかは起きそう
筒井だって最初は反織田だったと思うし
>>360 近江南部に関していえば動揺していた時期もあったがそれも73年には落ちついているだろ
六角は山奥に追い込まれて、一揆は鎮圧され、甲賀の豪族までも織田に従いだしてと
それ言うなら駿河だって今川が煽動すれば一揆とか起きて動揺してしまう所があったわけだが
知らないのかもしれんが
364 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 14:31:08 ID:f5nrCPQT
>>362 美濃も尾張も北伊勢の本当に近くではないか。
これで攻め込めないというのがむしろ不可解。
伊勢長島は本願寺系の中でも有数の由緒と実力と歴史をもった存在である事をお忘れなく。
反織田の足利も松永も実際動いてる。動かないならそもそも織田に敵対しないって。
彼らは信玄が動いて織田をひきつける事で勝算ありとみてここで蜂起した。自分の為に。
でもそこまで腹もくくってない松永や三好の敵達は反信長勢が勢いづいたのを見れば
休戦して様子見するのはありえると思うが。織田に義理立てする必要はないのだし。
信長が動きだすのは3月25日か。信玄が2月10日に野田を攻略してから動きを止めてしまった
事は信玄の病気によるものだが、信玄死後にこれがあっさりばれている事から見て
信長方にもこの情報はある程度流れていたのでは?
3月25日からの信長の動きは義昭と和睦を結ぼうとしていることを目的としており、
その目処がたったら4月11日には岐阜に帰還してる。
信長としてもそう長く岐阜をあけて置く事は出来ないと判断していたのでは。
1574年の謙信のタイムスケジュールは関東での戦いで一杯だよ。
1月26日に陣触れ、2月5日に上野沼田に着陣。その後一年に渡って各地で北条と戦い
その年の閏11月には重要拠点関宿が陥落してしまっている。
史実でさえ謙信にとって望ましからざる結果に終わった関東の戦況を手を抜けるとは思えないけど。
まして武田攻めなんて。
確か1575年10月には謙信は武田勝頼と和議を結んでいるはず。
そんで越中での戦いは1575年にも反乱鎮圧という形でおきている。
1576年にも9月に越中に侵攻している。
そしてこの年の12月には能登の遊佐達から能登への出兵を要請されている。
これは足利義昭からの干渉以前の事。謙信が北陸に深入りしていく背景は構築されている。
謙信としても武田や北条と争うより北陸のほうが勢力拡大しやすいだろうし。
実際1577年からは能登に侵攻。北陸経営に専念していく。
このように謙信は北陸を目指しており、それを狙うなら信玄生存でも武田との和議も1575年の段階でありうる。
もともと駿河をめぐる騒動では甲越和与を結んだ仲でもあるし。
勝頼と和議をした時点で勝頼は反織田である事からも織田との同盟も関係なさそうだし。
だから加賀一向一揆の力が衰えない状態なら上杉は北陸の本願寺勢との戦いを続けて
泥沼になるので信玄に介入する余裕は無いのでは?関東もあるし。
365 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 14:44:34 ID:f5nrCPQT
>>363 北陸一向宗はこの時期の反織田勢の牽制となりうるか?
北陸は北陸で勝手に展開している状況だし。反織田の本部は大阪の石山で
こっちもこっちで独自に展開してるし。
まあもともと北陸にも関東にも忙しい謙信が何故か信長の為に武田を攻めてくれる
という主張に反論しただけ。
その自分達の敵と戦ってくれる事でまずは十分。その自分達の敵は畿内における信長方であり
それとの戦う事はは畿内における信長の力の削減でもある。
いや、今川旧家臣の一揆扇動は知ってるよ。第一次駿河攻めにおける武田の撤退要因の一つでも
あるわけだし。でもそれはもともと武田になびかなかった連中が北条という後ろ盾を得て蜂起し
抵抗していたもので駿河攻めを通してそれは鎮圧されてる。
まあ六角に関しては確かに1573年4月の段階で放逐されているか。
東方戦線次第ではまた再起はありえるか?微妙な所か。
366 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 14:53:35 ID:Vlz6k+ZR
>>364 海西や石津に攻めこめることは誰も否定しないだろ
史実でもしてるわけだし
問題にしてるのはそういった対岸だけじゃなく、それ以上の遠征能力があるかということ
>伊勢長島は本願寺系の中でも有数の由緒と実力と歴史をもった存在である事をお忘れなく。
だから何?としか言えない、問題の焦点は現実にどのような軍事能力と実績があるかだろ
松永や三好の敵達は松永や三好以上に腹くくって三好松永と敵対しているんだが
何度も負けたり国追放されたりしてもなおしつこく勢力取り戻しては抵抗してきたと思うが
信玄の病状を知っていたと?そんな憶測に憶測を重ねられては議論なんて成立しないと
思うが、長く岐阜を開けていられないと言う割には帰りはノンビリと百済寺に滞在して
六角を攻めようとして付け城築いたり、百済寺を焼き討ちしたりしているがな
謙信に突いては史実じゃ勝頼は上野に出兵したが、信玄はしなくていいのか?
自分は援軍出してもらった以上信玄も兵を出す必要があるだろ
武田との上杉との和議は本願寺や加賀、武田が元気なら成り立たないだろ
そして上杉に北信濃に出兵する余裕は無くても、武田は無警戒ではいられない
上杉が関東に出陣するなら武田は北条の支援と上野の防衛の必要があるし
上杉が一向宗と戦うなら本願寺は加賀を支援する分、織田に回せる力は減るし
あるいは史実で本願寺が武田に加賀の支援を頼んだように、加賀の支援をする必要も出て
どっちにしても結果的には織田に有利になるだけじゃ
367 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 15:03:54 ID:Vlz6k+ZR
>>365 顕如は信玄に対し一向宗支援のため上杉と戦うように書状出してるな
顕如にとってはまず自分達の利益の方が大事なんだろうけど
それと完全に独自と言う訳ではない、一応顕如も全国の一向宗に呼びかけて
加賀の一向宗を支援させたりとかしている、加賀の一向宗を支援すればする分
大坂の方は全国からの支援がその分減るだろうし
謙信の行動が結果的に信長の為になるってことでしょ
史実じゃ北信濃を固めていたから謙信が信濃に攻め入ることは無かったが
手薄なままなら攻め入る可能性だってゼロじゃないしな、可能性は低いだろうけど
>あるわけだし。でもそれはもともと武田になびかなかった連中が北条という後ろ盾を得て蜂起し
>抵抗していたもので駿河攻めを通してそれは鎮圧されてる。
つまり信長の江南支配の過程と似たようなものでしょ、織田だけ不安定ということにはならない
氏真はこの時期は掛川だったと思うが、主力が東美濃に拘束されているなら一騒動はあるかもしれない
可能性は六角の再起よりもっと微妙だと思うが
368 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 15:17:07 ID:f5nrCPQT
>>366 だから何?といわれてもな。
それだけの力の裏打ちがあるんだから軍事的侵攻を行うのに不足はあるまいという事。
その機会が無かったからしなかっただけで、蜂起してまだ数年しか立ってない
伊勢長島に実績実績いっても仕方ないだろうに。少なくとも出来るだけの力は持ってる。
そこまで頑張ったのは何故か?自分の勢力や権益を守りたいからだろう?
だったら反織田勢が勢いづいたのを見れば自分の今もっている勢力や権益を守る為に
とりあえず休戦して様子を見るのはおかしくあるまい。
まあ風聞くらいはあったのでは。まあ憶測を使うなというなら事実の話をさせてもらうが
現実問題として信玄の動きが野田攻めの後で止まってしまった事になんらかの意味を見出すのは
おかしくないだろう。まあ朝倉が動き出すのは春だろうし、武田もそれを待っているのだろうから
それまでならある程度の間隙をつけるという風に判断したのかもしれんが。
それでも実際岐阜に帰ったのは4月12日でしょ。出陣が3月25日である事から見て
さらに和睦を行動の主体として居る事からも長く岐阜をあける気があったようには思えんけど。
それがどれくらいの兵力になることかね。北条の援軍が2千なのならそれくらいで済むなら安いのだが。
信玄が東にかかりきりになってる状況で北条も全力救援までは求めるかね。
武田が元気なら何故成り立たない?武田だって出来るなら和睦して西に集中したいはずだ。
もともと西上直前には謙信は信長を介して信玄との和議を申し込んでいたはずだろう。
無警戒でなくても武田の西侵攻を妨げるほど兵力を割く必要は特に無い。当時の上杉の状況を見ても。
1574年の北条と上杉の戦いから見れば上杉には武田に構うゆとりはなさそうだけど。
北条が送った2千の援兵に見合うくらいの支援ならだせるだろうよ。
北陸の本願寺はもともと上杉との戦いを主体としていただろうに。朝倉潰れた後で
織田と戦うことになるがそれまでなら織田との戦いは朝倉浅井がやる。
畿内の本願寺も独自に動いてるし。
加賀の支援は実際の歴史で武田そんなにやってないし。だから謙信の北陸経営進んだともいえるが。
少なくとも優先順位で言えば織田との戦いのほうが優先でしょ。
369 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 15:29:20 ID:f5nrCPQT
>>367 でも史実においては大阪石山は1580年まで守り通した。最後も攻略された
わけではないし物資を織田に渡すのが嫌で破棄したんじゃなかったっけ。
つまり史実において謙信が北陸攻め続けても大阪にはそれだけの支援があり
力を生み出したと。
そう可能性としては低かった。実際も動かなかった謙信は。
そしてその行動が朝倉浅井が織田と対する状況においてどれだけ織田方に利するかというと
実に微妙な気がする。
ここで問題なのは1573年当時において不安定であるかどうか。
4月に放逐されたあとも六角は一応火の種くらいはもってる。
武田の場合は数年の侵攻・支配過程を経て駿河の一揆を鎮圧して安定してしまっているという事。
織田の江南支配は信玄の西上開始時点ではそこまでいってなかったし
4月以降も六角は一応火の種くらいはもってるだろうよ。
氏真が動く可能性は本気で低い気が。
370 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 15:40:22 ID:G3WmPTbG
>>368 具体的に遠征できるだけの力というのは何?
言い換えると、遠征に必要な要素というのは一体何?
そしてそれが長島の連中にあったとする根拠は?
371 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 15:53:05 ID:f5nrCPQT
>>370 伊勢長島はもともと本願寺系列でも蓮如の六男を祖とする伝統と由緒を持ち
一説には18万石ともいわれる寺領に流通による経済力、数万の兵員、
さらには地域国人層まで取り込んだ地域支配体制まである。
これは生半可な戦国領主よりもはるかに強力な存在といえる。
これで遠征が出来ないというのは不可解極まりない。
372 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 15:58:47 ID:G3WmPTbG
>>371 歴史が遠征に関係があるのか?
すると、遠征に必要なのは経済力と、数万の兵員と、支配体制と?
逆に言えばこれらがひとつでも無ければ遠征できないということだな?
373 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 16:07:18 ID:f5nrCPQT
>>372 何がいいたい?数万の兵員は無くても遠征はできるだろう。
数千で遠征してるのもごろごろいるのだから。
常陸の佐竹や謙信は支配体制ではなく盟主という立場で軍勢を動員したがそれでも
結構な距離を遠征してる。
このように数万の兵を持たず、支配体制なくとも遠征してるのがいるのだから
それらを持つ伊勢長島が出来ない理由がわからん。
374 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 16:18:34 ID:G3WmPTbG
>>373 いや、確認というか言質とりたいだけなんだけど
で、歴史は遠征に必要ないのね?
そして、兵員も支配体制も遠征に必須ではないと?
>>346 聞いたことある。今は出先なんで
家の本に載ってたような気がする
またあとで。
376 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 16:49:18 ID:f5nrCPQT
>>374 なんか随分嫌な言い方だな。
歴史的に蓄積された地元の崇敬や支配体制は遠征においてプラスのファクターになる。
必須とはいわんが。
兵員も支配体制も必須ではないんじゃないのか。やれる状況であればやるというだけで。
ただそれだけの力を持っていればやる事は実力的には確実に可能であると。
377 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 16:54:45 ID:f5nrCPQT
>>374 こっちも言質をとらせてもらおうか。
これだけの背景を持ちながら伊勢長島が遠征できないとする根拠は?
伊勢長島より実力的に劣る連中でも遠征をやってるのに。
遠征をできなくさせる要素というのは何?そっちも答えてもらえる?
378 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 16:55:18 ID:f5nrCPQT
とりあえず外出する。
379 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 17:00:02 ID:Vlz6k+ZR
>>368 力というか経済力はあるだろうけどさ
でも長島以上に力がある大坂本願寺延暦寺高野山などは遠征したか
軍事的侵攻を行ったか?
まあ細川や六角などと協力して近距離の軍事的?侵攻ならあったが
経済力はあるだろうけどそれを長期の侵攻に活かす能力は持っているのか?
>だったら反織田勢が勢いづいたのを見れば自分の今もっている勢力や権益を守る為に
これよりもっと不利な状況で戦い続けた彼らが何でこの状況で休戦に応じる必要が?
また休戦に応じた所で、三好や松永は彼らを放置して背後に不安要素抱えて織田と戦うのか?
また三好松永が織田と対峙してる隙に蜂起されたら?
織田に対し全力で攻勢に出て織田は倒せても弱体化したところを本来の敵に襲われたら
本末転倒
だったら三好や松永も休戦したら織田とは戦わずに様子見してもおかしくない
普通に戦後処理や地元豪族への根回し書状の発給などやることはいくらでもあったんじゃ?
信長だって上洛後何度か京都に長期間滞在したりとかあったはずだし
>それでも実際岐阜に帰ったのは4月12日でしょ(ry
そりゃ普通に用が済んだからじゃ、信長は尾張統一美濃攻めなどはどれも数日で帰っているし
姉川などでも戦いが終わったあと事後処理済ませて義昭に挨拶してすぐ岐阜に帰っている
この2周間ほどでの帰国も別に普段と変わらない行動のうようにしか見えないが?
>それがどれくらいの兵力になることかね。
勝頼は上野に出陣したがな
>北陸の本願寺はもともと
実際書状で顕如が助けを求めているんだが
それでいて自分は織田とは積極的戦っていない、というか一応織田とは和睦状態
380 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 17:08:35 ID:Vlz6k+ZR
>>369 あっさり焼き討ちされているところから考えると、最後はいつでも攻略できたんじゃ
80年まで持ったといっても本格的に戦いだしたのは1576年からだし
しかも大坂の近くの付け城を攻めるぐらいの動きしか見せなかったような
六角が火の種があるという根拠は?
70年ならともかくこの時期は織田に対して攻めこむまでするような
六角の味方勢力なんて残っているのか
>>371 そんな伝承を真に受けなくてもいいんじゃ
またそれだけの力があったとしても戦国時代に入っても守りを固めるばかりだったのが
伊勢長島の限界なんじゃ
また地域国人層を取りこんだといっても被官関係を結んだり人質をとったりするような
強固な関係ではないし
>>376 >歴史的に蓄積された地元の崇敬や支配体制は遠征(ry
長島が遠征するのは尾張や美濃であって、そこじゃ崇拝や支配体制はないんじゃ
381 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 17:25:35 ID:Vlz6k+ZR
>>377 端的に言えば
今の日本は世界でもかなり上位の軍事国家で、その装備も練土も大抵の国よりは強いな
経済力も十分にある、大抵の国が攻め込んできても撃退する能力はある
しかし、日本の装備は自衛用に特化していて、遠征にはあまり向いていない
現在の国際情勢じゃまあ戦争は無理だが、
紛争解決に軍事力の行使程度なら国際的にはある程度黙認されるだろうが
現在の日本の政治情勢じゃそれは許さないし、それどころか自衛隊による海外支援さえ
難しい状況だ
他にも例えば豊臣家は何度も大遠征を行い奉行ら官僚が兵站らの組織などを整えて
それなりにうまくこなしてはいた、朝鮮は別として
で徳川が関ヶ原の時に中仙道の部隊が軍資金が無くて慌ててとりに戻ったり
大坂の陣で兵糧が高騰して、兵站に不安が生じたりと
徳川には大遠征の経験が少ないからか、いろいろと不備を生じさせた
関ヶ原の時の徳川家は十分な軍事力と経済力があったにも関わらず
単純な経済力と軍事力は伊勢長島にせよ他の寺社にせよあっただろうけど
侵攻を行うにあたっての、政治体制と経験が乏しいから、侵攻するのは難しいんじゃないか
攻勢に出たら弱体化するのではないかと言っている
382 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 17:27:34 ID:G3WmPTbG
>>376 言質って表現が?
単純にこっちが風呂でイロイロ考えるときの指針というか基というか土台を作り出してるだけよ
ということは、遠征に絶対に必要なのは経済力だけってことになるけど
>>377 それ言質って言わないと思うが
可能だと主張してるのはそっちなのよ
で、可能だという要素をこっちは聴いてるの
あんたが主張する、遠征に必須な要素が否定されれば、それは即ち遠征ができないって事
383 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 17:41:39 ID:uVMXSSf9
お前ら必死だなw
スレタイからして妄想スレでしょ。
できないと主張するほうが立証するべきだと思うが。
結局「〜だろう」「〜だと思う」のレベルは抜けれないよ。
下手に断言してる奴はマヌケ。
384 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 18:26:46 ID:MjV3LG3L
>>383 IDまで変えてご苦労さん、と言えばいいか?
妄想だろうが何だろうが、基本的にはできる方を立証するのが先な
まず、伊勢長島に関しては本願寺とは独立行動とってて好き勝手動いてた、とも明記しとく
伊勢長島は基本的にあてにならない戦力としても問題ないだろ
この辺信玄上洛スレでことごとく論じられてる訳だが(当然信玄存命という条件付で)
それで「無理」って言われてるんだがな
どうしても納得いかないなら信玄上洛スレの過去ログ全部眺めてこい
つか既にここ重複スレ化してきてる件
385 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 18:39:46 ID:uVMXSSf9
>>384 何勝手に勘ぐってんの?
今日初めて書き込んだのだがw
386 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 21:09:18 ID:G3WmPTbG
>>383 簡単、実際しなかったという事が、遠征しないorできないとする証になる
仮定してみようか
遠征できたけどしなかったとすると、何故しなかったのかということになる
つまりは長島の意思の問題
武田も反織田で起って、これ以上無いタイミングなのにも関わらず、動かなかった
織田信長の弟を討った時も、近場の城落としてそれで終わってしまっている
これは致命的な事で、遠征する意思がなかったならば、それはもうどう覆りもしない
では遠征したかったけど、できなかったとすると、何故できなかったのかということになる
つまりは長島の遠征を困難にした要因の問題
それを問うたのが俺の一連のレス
後者はその要因しだいでは長島の遠征を仮定することができる
さて、どっちの見方を採るかは論者次第
春 法善寺 「これから1年間、越後が信濃上州に向かって来ないように。これが、かなったらまた礼をしに来ます」
ただこれは1年間の出陣表明か春から1年なのか不透明だな。ただ2月に信玄がまだ戦っていることから考えて1年間の出陣表明だろか。
388 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 23:58:32 ID:xnCXrpBA
ID:tqR/UV6dの者ですが
規制中につき、レス代行者さんに代行レスをお願いしております。
現在私は規制に巻き込まれている関係でレスを返すことが出来ません。
そういうわけで規制が解除された時にまた改めてレスをさせていただきます。
>>384 ID:MjV3LG3Lの人。私は
>>383の人とは別人です。
貴方はどうも今朝のレスも読みましたが具体的に根拠を挙げずに断定されることが多いようですが。
それから過去スレを挙げるだけでは意味がありません。過去のスレのどこにどういう議論がされ
それが果たして現在の議論に対して重複しているのか、今の議論において納得できる解答なのかが問題です。
いづれ規制が解けた時にでもこちらから改めて反論レスを出させていただきます。
389 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 01:26:59 ID:+kwAWJiQ
>>360 >何度も言っているけど11月21日に伊勢長島が小木江を攻略したすぐ後には
滋賀の陣における信長と反信長勢の和平交渉がはじまっているんだってば
だから何?はっきり言いますがあなたの認識には致命的な間違いがあります。
それは、反信長勢力は一体化したものではないということ。
信長は自分と戦う勢力と和平交渉にはいりましたが、それはあくまで朝倉(浅井)、
本願寺、比叡山、六角、三好それぞれと個別に交渉して和議を結んでいる。
だから、朝倉は紆余曲折あっても最終的には和議に同意したが、利益が調整
できなかった比叡山は和議を最後まで結ばなかった。
長島も同じこと。信長と朝倉の和議交渉に長島は全く無関係で、信長と朝倉が
和議を結んだとしてもそれで長島とも和議がなったなんてならない。長島の
の動向なんて、織田と朝倉の交渉に直接の関係はない。長島からしたら、朝倉が
織田と結ぶのは朝倉の事情で、長島がなんで朝倉の停戦決断に同調しなければなら
ないんだ?
390 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 13:36:45 ID:2sXhR3So
結局のところ、長島一向衆は史実として岐阜も尾張にも侵攻していない訳で
それが単純に岐阜、尾張のような比較的近距離の敵領にも侵攻できる能力が欠如していたのか、
それとも政治的な判断で攻撃を控えたのかは現存する資料を見る限りでは判断できないわな。
ここでの議論はあくまで憶測という不安定な根拠の羅列に過ぎず水掛け論になるだけだ。
実際に遠征を行っていない以上、長島衆は遠征しないと定義して話を進めた方が建設的だと思うが。
信玄のような慎重に慎重を重ねるタイプの武将が、
長島本願寺が織田勢の包囲網を破って尾張なり美濃なりに進出してくる事を前提に作戦行動を取るとも思えないし。
391 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 14:54:42 ID:L1bDzqJp
いくら長島が強豪でも、武田より先に進撃するのは愚かだろ。
史実みたいに武田が撤退したら、梯子はずされた状態になる。
実際問題、武田が尾張に入ってみないとなんとも言えんのでは?
どちらにしても憶測なので、長島抜きで話を進めたほうがいいというのは同意。
長島抜きでは勝てないというなら、武田は詰んでるだろ。
392 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 15:57:24 ID:w6rCA6N5
393 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 14:36:12 ID:5XE6+1Vq
ID:f5nrCPQTは結局逃亡しちゃったのか
394 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 22:45:04 ID:VF26X+9b
きっとまだ外出してるんだよ
395 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 23:58:11 ID:jiYMgMZa
>>393と
>>394 ID:f5nrCPQT=ID:tqR/UV6d=
>>388ですが今日もまた代行レスをお願いしております。
現在も規制は継続中です……。想像を絶する長期規制になりそうであり
解除は来週以降になりそうです。出来る事なら今すぐにでもレスを返したい所ですが
現状では叶いそうにありません。逃亡したわけではないので悪しからず。
まあ気長に復帰を待ってくださいとしかいえません。
もし他の話題があるなら気にせずやってください。今の所いつ規制が解除されるのか
まったく見通しが立たない状態なので。
396 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 01:13:58 ID:dU8NoCLR
ID:f5nrCPQT=ID:tqR/UV6dだったのか
しかし代行頼んでまで熱意に満ち溢れてるんだな
397 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 16:04:19 ID:IJYKTC+V
今信玄上洛スレで似たような流れになってるから参考に読むといいかも
398 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 12:29:58 ID:CQm+QiaI
織田滅亡 2ちゃんのばかがどういおうが 一般的な常識。
399 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 22:42:23 ID:4RC+A1RF
↑
こいつ2ちゃんのばか
400 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 15:10:16 ID:LpI3s7vh
↑
こいつ2ちゃんの馬
404 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 18:13:12 ID:3gxEWSqH
信繁どうした?
405 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 22:41:26 ID:d8z0AzkN
信玄が長生きしてても、信長包囲網が崩れてかたら信玄は帰国して甲斐を守り続け
信長は本能寺もなくて、織田、武田、北条、上杉、毛利がけん制しあう時代が
ダラダラと長引いて、結局は年齢が若かった家康が生き延びて天下人になった
だろうね。幕府が江戸だったかどうかは判らないけどね、秀吉の飛躍が無い歴史だから。
406 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 23:20:16 ID:nJB8yJ3T
いや、別に包囲網って一瞬の奇跡みたいなもんじゃないし。
ほつれたらいくらでも繕えばいい。
407 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 01:26:25 ID:d2plPTWm
一揆って言うのは支配に対する解放が目的であって
それ以上のものではないんじゃないの?
農民に対して納得させるだけの理由があったのかな?
結局のところ長島は動かないし動けないというのが妥当だと思う。
包囲は時間がかかると各個撃破の対称にしかならない。
なぜならば一人では対応しきれないから連携して包囲するわけだから。
包囲する側一つ一つに利害関係があるし、包囲する側単独なら
包囲される側を恐れているわけだから。
結局のところ武田は単独で織田と勝負して勝利しなければその後の展望が
開けないということになる。
ところが、武田は浜松を落としたわけでも岡崎を落としたわけでもない。
補給路における障害を完璧に除去したわけでないのが最大のネックとなる。
美濃どころか尾張〜三河の境あたりで信長に対峙されたら身動き取れないのではないか?
408 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 01:52:21 ID:awtvvaBc
まあ三方ヶ原のすぐ後に死んじゃったからな。 あの野戦軍撃破はインパクト強いから
早晩三河あたりは武田の物になった気がするけどな。
まあでも信長も朝倉が引いたあと動いてないんだよな。
今武田とぶつかるとマズイとでも思ったのかねー信長。
409 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 02:05:38 ID:BsCEq3o3
信長が全力を傾けてきたら信玄の進撃も押しとどめることはできるだろう。
でもそうなると、ようやく制圧しかかっていたそれ以外の地域がまた火を噴くことになる。
410 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 05:02:08 ID:zMwXAW/a
>>406 中に獲物がいるときに網は繕えない。
ほつれる包囲網を動かしてしまった時点で計算が甘いか時期尚早。
時間がたてばたつほどに有利な信長に対して時間がたてば上杉の
足止めが切れる、徳川が息吹き返す、織田が足枷を解いてくる、
兵站に限界が来ると信玄の抱える爆弾が大きすぎ。
411 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 08:56:18 ID:Ek33oS18
>>407 一揆の多くは食糧をはじめとする物資要求
解放一揆なんてむしろ珍しいぞ
加賀・長島の一揆ってのは稀な一揆がたまたま有名になってしまった例のうちの一つだ
412 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 10:11:52 ID:64qZSlmF
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{! / >、ミ= 、ヽ . ,;ィェ、.. ,rェゝ))´ノ!
lヽ、 ,' (  ̄`ヾ.)......::'''ン .., .:::'''/'´ ハ
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.l/=-'´ ̄ヽ、 `{´ { {{{i、_ノr";;二二二,ヽ∧ ! ヾ!,ノ
/´/ ,,. ‐={ヽ、 ``ヽ ̄rニン、  ̄二..イリノ' ヽ |l!
./ ,,.=l/ ,,.=={ヽ、` = _ 、ヽ ` 、 ,.イ ,,.ノ l ノ==、
l/ ,r=f//´ ̄ト、 `= __ ヾ、ヽ ', `´ !/ _,,,.ノヽ==、ヽ
/〃/ f/ - ― ->ミ=、___`ヽ ヽ リ ! /⌒ヾヽヽ}`ヽヽ}
!{{l {'、 //´ _,,,..{/´_, ==`ヾ, }} ! |l/ ,.==、ヽヽ}⌒ヽリ
'、'、 '、{ / { /==- 、 リノヽ. ヽ {(⌒))ヽソ- 、 リ!
>{ / 〉///= 、ヽ. ! ヽ、 ノ ``=/((⌒)ノノノ
f `! ,.=彡!!|l/ /⌒)) }、リ' ̄``''‐-、___/"´ ̄ ̄| `( ((<
ヽ、{{ヽf // ヽY´,,.==、 リ|;;;;;;;;;;;;;;;;;ヾ!;;ヾ;;;;;;;;;;;;;;;;;! (__)) ) ',
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413 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 10:18:23 ID:BsCEq3o3
>>410 たとえ話で何かを言った気になられても…
朝倉が春になったらまた出てくるとか、いくらでもあるだろうに。
414 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 17:15:39 ID:VJ0dZ2ws
>>413 出てきたところですぐ丸め込まれるのが朝倉家の良いところ
415 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 19:44:35 ID:bUg7B6SG
>>413 朝倉さんはもう充分責任を果たしたのに、
許容範囲以上の期待をされても・・・
416 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 21:01:56 ID:BsCEq3o3
いや、て言うか、史実で実際に翌年また出張って来てるんですが。
それが最後の出陣になったけど。
417 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 22:43:43 ID:wftNYhQw
だからさ。もうその時点で朝倉は厭戦機運が蔓延しててまともに戦えるような状態じゃ無かった訳。
近畿方面の交通も主要街道を信長に押さえられて財源も細っていたから財政も相当きつかった筈だしな。
信長はその辺を見極めて、戦術のセオリー通りに弱いところから各個撃破した。
信玄が動いた1571年の冬の時点で既に信長包囲網は崩壊寸前だったって訳。
418 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 22:57:10 ID:OHUkMwF9
10年というか、三方ヶ原の戦いを終えた時に信玄が元気だったとして
そのまま京を目指して三河を超え、尾張に進軍していったかどうかだろうな。
生きていたとしても、野田城から甲斐に帰還してたら、もう再度上洛は
信玄なら考えなかった可能性が高いと思うんだけどな。織田が予期せぬアクシデントで
混乱したら別だけど、やはり織田と武田の情勢がひっくり返る事が難しいのは明らか。
で、信玄は領国を固めつつ、長い年月の果てに織田方と和議(配下になる)か徹底抗戦か
の選択なんだが、これも信玄は武田存続を優先して和議になったと思う。
だから、野田城の時点でも元気だったとして、上洛を目指してたか否かが問題。
朝倉がひいて、織田本軍も加勢してくる可能性があるけど、ここで帰還したら
次が難しい。で、どうしたか?俺はやはり帰還したと思うんだよな。
要するに、信玄が生きていたら甲斐武田が滅亡しないですんだ可能性こそあるが
信玄が天下人になる事は無かったと思える。川中島と駿河切り取りに時間をさいてる間に
織田が伸してしまった時点で、信玄の天下の目も無くなっていたという結論だと思う。
しかも武田は義信が幽閉、自害の後に勝頼を支持する派と、そうでない派があり
その亀裂も抱えていて、それは信玄が生きている存在感ど、益々領土を広げて
ゆくゆくは上洛という餌で家臣団をなんとかまとめていたのが現状。
甲斐の国の武田が、京に上って日本を治めるって想像以上に難しい話で、
武田だって今川義元が戦死して今川が弱体したの見て、はじめて上洛に色気を
だしたのだろうし。それでも距離はあるし、織田徳川も伸してるし。
信玄が万が一美濃で織田本軍と決戦になって、それに勝って上洛したとして
その間甲斐が余所に攻め入られる問題もあるし。
やはりどう足掻いても、信長、秀吉、家康の世の中か、もしくは信長の子息(信忠、信雄、信孝その他)が
世継ぎとなり、秀吉家康がそれを支えた天下なのは揺るがなかったような気がする。
個人的には織田より武田のが好きだけどね。
419 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 23:26:13 ID:7/sYMhv0
1573年の正月
もし本当に信長が危機的状況だったなら若しくは武田を恐れていたのなら
信長は朝倉が雪で動けない隙に行動に出なきゃいけないはずなんだが
(でないと春になって朝倉が動けるようになるとますます苦しくなる)
実際には動いていない
このことから織田は危機的状況では無かった若しくは武田のことを恐れていなかった
考える方が論理的だと思うのだが
単純に冬だから織田も兵を休めていたとかそんなところじゃないかと思うが
まあ武田の兵站の限界を見切っていたとか信玄の病状を知っていたとか
あるいは朝倉は春になっても恐れる必要がないという何らかの情報を得ていたのか
もっとも織田が完全に追い詰められていて動くことも出来ないって可能性もあるけど
その後の2月3月の織田の行動考えると、その可能性は低いかな?
420 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 23:32:48 ID:wftNYhQw
>>419 信長が動かなかったのは恐らく浅井、朝倉、足利といった近距離の勢力を叩く為の準備期間だったのではないかと。
事実、この時期に細川や荒木を諜略してるし浅井朝倉の家臣団にも引き抜き仕掛けてる。
武田の兵站は素人目で見てもきついのは明らかだし、当面は正面から事を構える必要は無いと判断したんじゃないかな。
421 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 23:43:00 ID:bUg7B6SG
>>419 確かに信長なら朝倉撤退でできた時間的余裕を最大限に利用して、
得意の機動力を活かして対武田問題を片付けにかかるかもしれないね。
だけど対武田戦が短期間で片付けられたら問題ないが、長期戦となり泥沼化したら拙い。
対武田にてこずっていると同時に、その間に朝倉が息を吹き返すチャンスを与えるという事となる。
やはり信長の置かれた状況からすると、対武田は保留してまずは弱らせた浅井・朝倉の首をそのまま絞め続けて
北近江戦線を収拾するのがベターな選択だったんだと思う。
本当に信長が危機的状況だったら、朝倉撤退の時間的余裕の間に状況を打破しようと
思い切って武田本隊を叩きにいくかもしれないね。
そう考えると、動かなかった(武田本隊を叩く必要に迫られてなかった)信長はそこまで危機的状況ではなかった可能性が高そうな気がするね。
完全に追い詰められて動くに動けない状況でも、
史実での行動を考慮すれば信長は座して滅亡を待つよりも、積極的に動いて状況を打破を試みるタイプぽいしね。
422 :
421:2008/01/27(日) 23:45:56 ID:bUg7B6SG
途中で送信してしまったから続き↓
だから完全に追い詰められて動くことが出来ない状況ではなかったんだと思う。
やはり動けなかったのではなく、北近江を収拾するために動かなかったんだと思う。
423 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 00:04:27 ID:A/eXVYbW
織田は普通に終わってたろうな。
424 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 00:15:55 ID:BpJEe7Ce
ここにきていきなりの一言ワロタw
425 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 00:21:51 ID:pWSVAl3j
織田はいずれにせよ本能寺が発生するお
426 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 00:34:24 ID:4jXsfoFC
>>417 いや、それはこの際別の話だろう。
要は1572冬の状態から包囲網の前進はあるかないかと言う話。
朝倉を見ただけでも再出陣はあったし、
さらに仮想を言えば毛利だのといったその他の勢力を引き込む外交は普通に考えられる。
427 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 00:40:29 ID:4jXsfoFC
>>419 それで東美濃の城が落とされるのを黙って見てたって言うのか?
明らかに動きたくても動けなかったとしか見えないが。
428 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 01:11:30 ID:4jXsfoFC
まあとりあえず織田の戦力はさほど消耗してないし、
「追い詰められて」動けなかったってことはないだろうが…
なるべく有利な態勢での決戦を行うべく苦渋の選択として動いてなかったんだろう。
「必要に迫られてなかった」なんて気安い状況ではない。
429 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 01:19:44 ID:BISIND8V
430 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 01:48:47 ID:xGXXnQuf
>>426 毛利はまずないだろ
この時点じゃ対三好と言うことで織田と同盟しているし
そもそも大友尼子三好宇喜多浦上武田山名村上などの諸問題があるため
対織田戦線に加わることは不可能
>>427 秋山が東美濃取ったのは11月で朝倉が近江にいた時期だし
岩村取るまでは織田と武田は一応同盟しているのだから
動く動けないを計るには適しているとは思えないが
431 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 02:11:43 ID:4jXsfoFC
>>430 毛利を引き込んで、その辺の勢力と和睦させて、
それらの勢力を対織田に向かわせるとか。
432 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 02:13:18 ID:yu/EhCCP
信玄が健在なら
ある程度、戦況の動きは遅くなるでしょ
で義昭がどう動くかどうなるかだね
433 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 02:23:57 ID:xGXXnQuf
>>431 そこまでのIFが可能なら織田を倒す方法なんて他にいくらでもあるんじゃないか?
畿内の三好松永と筒井池田荒木細川畠山なんかを和睦させて織田に向わせるとか
まあそれでさえも実行はかなり厳しいだろうが
434 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 02:27:09 ID:n3cgZVYw
>>431 そう簡単に引き込めるわけ無いだろ。
中国・九州地方の諸勢力間の問題を放棄して一応友好関係を築いていた織田と戦わせるとか都合よすぎでしょ。
様々な利害が絡んで争ってる勢力と簡単に和睦なんて・・・
この場合毛利側が和睦相手にかなりの譲歩が必要になるわけだが、自身の勢力圏内の対立する敵と譲歩してまで和睦して、
勢力圏外であり友好関係でもあった織田と敵対する利点なんて毛利にあるのか?
勢力圏内の敵に譲歩して和睦なんてしたら毛利家の中国・北九州・瀬戸内海における勢力・影響力はかなり削られる。
そして勢力圏外の織田討伐の為に遠路はるばると出費が膨大な遠征。
こんなアホな事やらかす奴は古今東西そうそういないだろw
第一、中国・九州と何の関係もない武田が仲裁しても誰も聞く耳持たんでしょ。
仮に義昭名義での和睦仲介でも無理だろうな。
435 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 02:50:46 ID:4jXsfoFC
>>431 書いた文章の行数が少ないからと言って「簡単に引き込める」と言ってるわけではないのだが。
毛利が一方的に譲歩するってのがどこから出てきたのかわからないな。
普通は現状維持とかじゃないの。
要は大友が仕掛けている毛利包囲網を崩せばいいわけだ。
勿論、お膳立てが全て整っているような容易な外交ではないが、
提携関係の組み換えなんて別に珍しいことじゃない。
超難易度とみなす理由も乏しい。
436 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 03:07:22 ID:4jXsfoFC
毛利の参戦の仕方として、必ずしも毛利の本隊が遠征することを想定してはいないが、
仮にそれを行うとしても、別にばかげた話などでは全くないと思うぞ。
無論隣国に攻め込むよりコストがかさむのは言うまでもないが、
この程度の遠征は大内氏の旧領の大部分を手に入れた毛利にとっては過大というほどのものでもない。
また、この時点で織田と事を構えると言うことは中央の政局に一枚かむということ。
全然無意味ではない。
437 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 03:16:57 ID:BISIND8V
>>435 現状維持ならわざわざ織田と敵対するメリットはまったくないじゃん。
そもそもその時毛利が織田とは利益の衝突は全く存在しないから、
抗争中の敵に譲歩して戦いに行くために納得のいく理由が必要だがそれもまったくない。
空想とは違って現実では損得の計算で動くのだから、明らかに損する毛利が動くわけない。
438 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 03:43:02 ID:n3cgZVYw
>>435-436 毛利が対織田戦に参加するための和睦なら当然毛利からのそれなりの譲歩が必要だろ。
別に毛利の敵にとっては対織田戦なんて関係ないんだからね。
毛利が織田相手に戦いに挑んでいる間、どうしても毛利の勢力圏は手薄になる。
そのような状況は毛利の敵にとってはこれ幸いなんだから、毛利側からの譲歩が無い限り和睦は成立しないでしょ。
現状維持とか毛利にとって利点になるどころかマイナスにしかならんよ。
自身の勢力圏内で危険極まりない尼子残党の存在をお前は認められると思うか?
その他利害関係があって衝突していた敵と現状維持だとか言って簡単に和睦なんて出来るわけないだろ。
第一、それぞれの敵と直接利害関係がある国人衆達をどうやって説得するんだ?
下手すりゃ中国地方における毛利氏の支配体制が揺るぎかねんのだぞ。
当時毛利が抱えていた問題は現状維持だなんて生温いことでお茶を濁すような問題ではない。
自身の支配体制の強化の為の問題を一時保留にしてまで中央の政局に一枚噛むメリットなんて皆無だろ。
全然無意味というかそんなことしたら愚の骨頂だよ。
同じ様なことして支配体制が揺るいだ大内義興という先例を見てきた毛利家なら尚更そんな無茶はしないだろうね。
439 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 03:53:42 ID:n3cgZVYw
>要は大友が仕掛けている毛利包囲網を崩せばいいわけだ。
>勿論、お膳立てが全て整っているような容易な外交ではないが、
>提携関係の組み換えなんて別に珍しいことじゃない。
どうやって毛利包囲網の面々と毛利が提携関係とやらを結べるのかな?
提携を結ぶには共通の敵が必要になうわけだがもしかして織田家を共通の敵にするのか?
尼子残党や来島の村上水軍等と協力して織田家討伐軍を進軍させる・・・アホス
440 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 04:26:20 ID:BpJEe7Ce
毛利に頼るって時系列が無茶苦茶だよ。
1569年に大友攻めを再開したが尼子残党が挙兵したのを見て直ぐ様撤退して尼子討伐に全力をあげている最中
なのに信長を討伐しろなんて言われても到底無理な話だ。国内安定、発展が急務な時期に長距離派兵迫られても無理。
しかもまだ浦上などの諸大名がどんばちやってる備前等の地区を抜けてどうやって挟撃などするというのか?
しかも元就自身71年に死ぬ訳だから元就にも10年生きてもらわなくてはならない。
輝元程度じゃ役者が足らん。
441 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 05:08:10 ID:4jXsfoFC
>>437 >現状維持ならわざわざ織田と敵対するメリットはまったくないじゃん
対毛利包囲網の打破。
毛利は、例えば対大友などに専念できる。
対毛利戦から開放された諸勢力を織田包囲網に加える。
>>438 毛利が対織田戦に参加するための和睦ではない。
それと、反毛利勢力は全部が不可分のセットになってるわけではない。
挙げているのは、和睦では普通に見られる障害ではないの?
細かい障害が邪魔で和睦不可能なんていったら和睦なんて物自体が稀有なことになると思うが。
戦国時代の和睦って、機が熟したような和睦ばかりかね?
>>439 共通の敵がいれば和睦は成立しやすいが、不可欠な条件じゃないだろ。
例えば戦線を広げすぎて労力の割りに戦果がはかばかしくないときなど、
ひとまず和睦して態勢を立て直したり戦線を整理したりとか。
>>440 まあ尼子を片付けるのが先決ではある。
信玄の寿命が延びた設定なら秋くらいからでも間に合うだろう。
浦上は織田が後ろ盾だったはず。
織田が対武田戦に忙殺されているなら再起できない。
442 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 05:50:07 ID:4jXsfoFC
そもそも、1573年も後半になると毛利の東部戦線もあらかたかたがついて、
備前を巡って織田と対立し始める時期じゃないか?
史実通り夏に朝倉が壊滅してしまうと一進一退だが、信玄存命でにらみを利かせていれば
そう簡単にはことは進まないかもしれない。
443 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 08:54:45 ID:kfGmQgvv
>>441 毛利包囲網を打破して、大友に向かうのが毛利の目的というなら、西国のほとんどの勢力は織田へのプレッシャーにならないってことではないか
それから、和睦締結したら直ぐに安全地帯が形成されるような認識してない?
織田も朝倉浅井と何回も和睦したり、本願寺とも何回も和睦したりしてるように、絶対的なものじゃないよ
毛利が仮に和睦後大友に傾注して、毛利領内に手薄な部分が出てきたら和睦した連中がおとなしく和睦を維持しているかどうか
まさにそういう戦略を浅井朝倉は取ってたわけだが、さて反毛利がそういう戦略を採らないと判断する材料は?
そして、仮に毛利が大友に向かわずに、織田に敵対しようと思えば、織田は反毛利の連中を利用するだろうな、丁度信玄が朝倉らを利用したように
どうも、織田の場合は不利に不利に、武田よりにする勢力(この場合は毛利)は武田に有利に見てるような印象を受けるんだが
444 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 10:33:10 ID:L0NTowxt
武田信玄があと10年長生きしていたら?
・勝頼が継ぐ時期が大幅に遅れた
・長篠の戦いが無かった
この辺は間違いと思う。信玄以外に、謙信もあの1578年より長生きしたら
さらに違っていたしね。そして、この二人が長生きしてたら、本能寺も
無かった気がする。逆に信玄、謙信が息災で、本能寺じゅなくても信長が
先に死んでいたら、さらにややこしい事になる。織田の跡目争いと
信玄の野望が複雑に絡んで、その構図と上杉や他の勢力との立ち居地や
その状況でこそ起こりうるアクシデントとかは予測不可能。
445 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 11:19:45 ID:BISIND8V
>>441 一致団結させるためには対毛利包囲網の諸勢力にとっても毛利にとっても
今の抗争より遥かに重要な目的と利益を与えなければいけない。
毛利にとって織田と戦うことはナンセンス、和睦など不確かたものに頼って国内を手薄にして大金使ってまでやることじゃない。
そんなことに戦力を割くなら尼子残党を確実に潰した方がいい。
そもそも信玄も義昭も彼らを対織田戦に参加させるほどの力はないし、与えられるものもない。
彼らにとって東国の一大名のために自家のための戦いを放棄して関係ない織田と戦う義理はないし、
そこまでさせるメリットを信玄も彼らに与えられない。
歴史にはない状況を仮定するにしてももっと現実性のあることを考えた方がいい。
446 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 12:28:38 ID:/qrLbliG
>>444 長篠は詰みの状態の武田が唯一残された戦略(決戦で一発逆転を狙おう!)な訳で
どの道詰んでしまっている武田は信玄だろうと勝頼だろうと長篠は起こしたと思うけどな
あと織田は信忠が後継で盤石
447 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 12:35:26 ID:vJUgc40x
>>443 もう数百レス前からそんな感じだよ
ここは既に議論スレじゃなくて完全な妄想スレとして認定されてるんじゃないかな?
448 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 13:15:59 ID:L0NTowxt
>>446 確かに武田は詰んでたけど、三方ヶ原以後大きな損失なかったから、領国の
守りを固めて堪える選択をしてる可能性も、信玄ならあった気がするけどな。
明らかに部が悪く、包囲網すらなくなった状態で、信玄もノコノコ長篠やるかな?
コレって一か八かとかじゃなくて、確実に負けると予測できる筈だけど。
手取川の例もあるように、棟梁次第で間抜けな負け戦をするか否かも違ってるく
気がするのと、駿河は比較的早く失ってただろうけど、長篠みたいな戦を
しなければ、武田はああいう滅亡のし方にはならなかった気がする。
ただ、上杉は江戸時代も存続し、武田が滅んだという歴史はそのままだった
可能性高いのは否定しない。景勝は羽柴秀吉の軍門に下ったが、勝頼は
その時代まで武田を存続させていたとしても、秀吉に徹底抗戦してたと思うし。
その頃まで信玄が国主でいる事もないだろうし。1586年だと10以上経つしな。
信玄が死んだの1573年だから。
個人的に信玄息災でも長篠を起こした可能性は五分五分と思う。
ただ、武田がどの道滅んだんだろうなって思ってるけどね、勝頼が継ぐんだから。
>あと織田は信忠が後継で盤石
信忠は弟達より評価が高い後継者だったし、上昇志向の塊秀吉も黙らせて
織田政権を存続させてた可能性高いだろうね。たとえ信長がいなくても。
449 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 13:25:48 ID:Mj3im+wB
>>442 信玄存命中なら朝倉が多少生き延びるかもしれないが、三好も同じ。
そしたら毛利と対立するのは織田ではなく三好になるから、
史実のような状態を2、3年延ばすだけになるだろ。
その後織田が弱ってる敵から片付いて、対浅井、朝倉の兵力を他所に転用できるほど余裕が出来るが、
信玄が長生きしようと対徳川に関して勝頼よりうまくやれる可能性は低い。
そしたら織田と和睦するか長篠のように一発逆転を狙うかしか信玄に残される選択はない。
450 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 13:35:54 ID:SEMSmhy2
つうかあの状況で毛利が対織田戦線開く、なんてまるで予兆の無い『IF』
が許されるなら、信長急死のほうが余程効果的で理想的だよw
ま、本能寺のようにありえない予兆無しの『IF』がままあるから歴史は
面白いんだけど。
451 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 13:50:31 ID:uwbcnJiy
>>441 >浦上は織田が後ろ盾だったはず。
それはもっと後年、しかも史実なのかはっきりしていないと思う
この時期はまだ三好が浦上宇喜多の後ろ盾
>>442 >そもそも、1573年も後半になると毛利の東部戦線もあらかたかたがついて、
>備前を巡って織田と対立し始める時期じゃないか?
その時期は毛利は浦上と離反した三村とそれを支援する三好大友と対立状態
時系列もう一度見なおしてくれ
452 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 19:50:34 ID:n3cgZVYw
>>443 >どうも、織田の場合は不利に不利に、武田よりにする勢力(この場合は毛利)は武田に有利に見てるような印象を受けるんだが
たしかに ID:4jXsfoFCは武田に有利な状況をまず妄想してから、どうやったらその様な状況になるかの過程をこれまた都合よく妄想してるんだよなw
毛利にとって最大の問題である尼子残党に関してどう対処するかも述べずに、
毛利は大友に向かい毛利包囲網の面々は織田に向かうとか醜すぎる・・・
織田に向かう面々の中に尼子残党が加わっているのかな?w
453 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 19:53:01 ID:EIbeiRlo
ようやく規制が解除されて久しぶりに復活してみたものだが
もうこのスレでは伊勢長島の話はしない方がいいのか?
とりあえず今話されている議論で気になった点について
>>443 実際史実として毛利は大友に背を向けたまま、四国方面にも気を配りながら
織田と敵対する方針を選んだわけだが。
実際起きている事をむげに否定するもんでもないだろう。
>>445 上に同じく。義昭が京都を追放されてしまった後でさえ
毛利は織田と敵対して滅亡寸前まで戦うことを選んだ。
謙信が北陸一揆と義昭の仲介で結んで信長包囲網に参戦したように
毛利が義昭の要請にこたえる可能性は無いとは思えん。
>>447 織田に都合の悪い想定=妄想とするのはいかがなもんかねと思うよ。
>>448 詰んでた?どうして?
信長の優位が確立するのは信長包囲網勢が撃破されて畿内に信長の力が確立してから
でしょ。信玄はそれが確立される前に包囲網勢を率いて戦いを挑んだ。
織田を一挙に打倒できなくとも時間を稼げれば十分次の展開につなげられる。
まだ詰んではいない。
>>449 弱っている敵を片付けるとは誰から?
信玄が生きているなら信長は簡単に本拠地を空けられる状況かね。
長篠にうった得るしかないというのは早計。あの状況で信玄が信長を拘束するなら
それだけで包囲網勢は息を吹き返し後の展開は混沌としてくる。
勝頼よりうまくやれる目算が低いというのも何故?なんか決め付け多くない?
>>450 あの時開かなくても信玄顕在で戦線膠着が続いて時間がたてば毛利参戦は
十分ありうるよ。
454 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:17:24 ID:r0ffpXkC
朝倉が一端帰還してしまったから、あのまま武田は進軍しても朝倉が出てくるまで
領国を離れて時間潰すのには兵糧が持たない。あのまま進軍してたら
信長軍と退陣して、背後には家康がまだ健在だった構図にもなる。
武田は織田ほど完璧な兵農分離をしてないのと、領国こそ甲斐、信濃、駿河を
結ぶ大大名だけど、全軍2万5千での出撃で、長い遠征も厳しい事情もあるはず。
では、三河から一端信玄が息災なまま帰還して、勝頼の長篠の時より多少ましな
タイミングで再度出撃したとして、その時の信長包囲網の状況もあるけど
いずれにしても、時間が経てば経つほど信長軍の体制が充実していうからな。
信玄は信濃の一部でも犠牲にして、早めに上杉と同盟を結んで、とっとと上洛を
目指した方が天下の可能性もあっただろうけど、相当遅かった気がする。
あとは信長配下を寝返らせる調略とかを時間かけてやるにしても、それも
難しいだろうしね。
455 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:24:32 ID:Mt2Z/YPg
そもそも信玄が生きていれば信長は動けなかった、動きが鈍ったと言うこと自体が決め付けでは?
俺は信玄が生きていようが死んでいようが史実どおりに信長は動いていたと見るね。
武田軍主力が三河に展開していた3月の時点で織田軍は岐阜をがら空きにして足利義昭の篭る二条城を攻撃してる。
武田には岐阜まで進める余力が無い事を見切っての事だと思うよ。
俺は信玄の作戦行動は上洛目的ではなく、遠江を占領する為の物だったと考えている。
でなければ貴重な前線基地になる浜松を放置して三河に進む事が考えられない。
現代の火力と物量にモノを言わせて短期に決着がつく時代ならまだしも
輸送手段も兵力の移動手段も乏しい戦国時代に大軍が飛び地を作って長距離遠征を行うなどまず有り得ない。
ましてや慎重の上に慎重を期す信玄がいくら自身の健康状態に不安があったとしてもその様な行動を取るとは思えん。
おそらく信玄は野田、吉田あたりまで進出して遠江を孤立させた上で撤退するつもりだったのだろう。
信長もその辺を読みきっていたから、あえて武田の攻勢を無視して対朝倉、浅井の撃滅準備に専念した。
結論としては信長はほぼ史実通りに動いて、家康は大半の領地を失い事実上天下取りレースから脱落。
武田は更に領土の拡大を目指して尾張、三河、東美濃方面に兵を出して、いずれかで長篠同様の合戦が行われたと思われる。
流石にその合戦の勝敗やら、その後の事までは予測がつかん。
456 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:31:12 ID:EIbeiRlo
>>454 あの…完璧な兵農分離って釣り?
当時の軍制度は軍役衆だよ。つまり大名が配下の武将に与えた領土に応じた軍役を課し
それが集まって大軍が構成される。それは武田も織田も同じ。
家康は二俣を始めとして領土を蹂躙され山家三方衆も寝返ってさらに三方ヶ原で
叩きのめされてグロッキー状態。史実でも信玄が死んだ後に犬居や二俣攻めて失敗してる。
家康が遠江の領土奪還を本格化させるのは長篠後。しかもこの時でさえ二俣攻めて
年末までかかっても落とせず城兵の退去を認めて開城に持ち込んでる。
信玄存命時の家康にどれだけの事ができたろうか。
一応長い遠征を邪魔する要素はあの時はほぼ無いんだけど。
上杉は北陸と関東に夢中。1573年も1574年も。
時間がたてばたつほど信長軍の体制が充実していくかね。
信玄存命で織田をひきつけていけば浅井朝倉足利伊勢長島その他が体制を建て直し反撃に出られるんだけど。
信濃犠牲にして上杉と同盟結んでって……そんでどうするのとしか正直いえない。
457 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:33:10 ID:uwbcnJiy
>>453 >実際史実として〜
それは毛利と織田が敵対した時には三好が衰退して、浦上三村は滅び
お互い播磨にまで進出したからだろ、信玄が生きていてなおその状態になれば
織田と毛利は敵対するかもしれないが、今問題としているのは
織田と毛利の間にいくつもの勢力が存在している状態で毛利が対織田に参戦するかという話し
その前提条件を無視して後の史実から毛利と織田が1572年の時点で敵対するというのは
やっぱ妄想といわれても仕方がない
>上に同じく。義昭が京都を追放されてしまった後でさえ〜
これも一緒、上杉の参戦も朝倉の滅亡や加賀一向一揆が追い詰められていたことが
あってのもの、そのことを無視しているのか知らないのかは判らないが
>あの時開かなくても信玄顕在〜
その場合はその前段階として毛利が三好を西から圧迫して、滅ぼすか屈服させるかするのだろうけど
三好がその状態になる前に三好は対織田に拘っている余裕がなくなるから
織田は対三好の兵力を転用することが出来て織田にも有利になるんじゃ。
その後毛利と織田が戦う時にお互いどのような状況になってるかは
変動要因多すぎてわからないが
458 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:39:48 ID:EIbeiRlo
>>455 義昭攻めたときは最初から和睦狙いで
出陣しても16日くらいですぐに岐阜に戻ってきたんだけど。
そんで結局余力を残した義昭は後でまた信長に対して反旗を翻す。
信玄あてにして挙兵だけど信玄死んで武田が動けなかったから信長にあっさり
やられてしまったけど。
信玄本人が美濃行くといってるんだけどね。ほかの勢力ともそう連絡とってる。
当時の家康は別に天下取りレースとか考えてる場合じゃないはずだけど。
そんな事言われても信玄動いてるときは実際浅井朝倉に対して動けてないし。
459 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:48:00 ID:Mt2Z/YPg
>>456 >信玄存命時の家康にどれだけの事ができたろうか
>信玄存命で織田をひきつけていけば
あんた信玄を過大に評価しすぎ。
信玄が生きていようが死んでいようが、それらの要素には史実との大勢に影響は無い。
何故なら信玄が死んでも家臣団は健在で、在命中と大差ない作戦能力を武田は持っていたからだ。
信玄の生死に関わらず、軍事作戦を行える余力が武田にあったなら阻止行動に出ているはず。
それをしなかったのは単純に兵の疲労が癒えていなかったか、財政的に軍事作戦に出られる余力が無かったか。
信玄は名将だが、スーパーマンではない。
460 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:48:49 ID:kfGmQgvv
>>453 伊勢長島はこれが落ち着いたらね
毛利どうこうについては
>>457が
付け加えて、
>>441が大友に向かうと述べてるんで、おいらに言われても仕方ないのです
前提として「毛利が反毛利と和睦して大友に向かって、反毛利が織田に向かうという筋書き」があるので、よろしく
実際にその前提を推敲するとどうなるかを述べてるんですよ
461 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:50:00 ID:EIbeiRlo
>>457 もともと俺は即座に毛利が敵対するなんていってない。
信玄存命で戦線が泥沼化すれば数年して毛利の状況が整えば
毛利の参戦は十分あるという話。その時まで信玄存命でほかの反信長勢力が
勢力を残していれば信長は相当苦しいはずだけどね。
結局対する勢力の力が弱まれば毛利も参戦できるという事でしょ。
状況変われば信長と長く同盟相手だった上杉だってあっさり鞍替えするのが現実。
そもそも毛利を利を与えられない武田が動かせないという事に反論したレスなのだが。
三好に割いていた兵力でどれだけの事ができるかね。1573年の時点では正直微妙な気もするが。
まあ変動要因が大きすぎるというのは事実かね。
とりあえず「織田が勝って当然、武田は詰んでる」とはとても思えん。
信玄が生きて戦線を維持する事ははそれだけで与える変動要因が巨大すぎる。
462 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:50:00 ID:uwbcnJiy
>>456 一応家康は1573年に
駿府焼き討ちして
野田長篠足助などの城を取り戻しているが……
二俣は一応後回しにされていたからなー
先に諏訪原落としていることから家康は東海道の方を重視していたんだろ
勝頼は1574年に関東で上杉と対峙しているが
というか上杉の出兵を受けて徳川を攻めている時に撤兵したりしていたと思うが
>時間がたてばたつほど信長軍の体制が充実していくかね。
そりゃ支配体制は固まっていくんじゃないか
まあ同様に武田の駿河奥三河北遠江も固まっていくだろうが
敢えて言うなら織田は信孝信雄の成長が徐々に神戸北畠の家中を握っていくかもしれん
>信玄存命で織田をひきつけていけば浅井朝倉足利伊勢長島その他が体制を建て直し反撃に出られるんだけど。
根拠は?というか信玄一度も兵を引かないで出兵し続けるつもりか?
浅井に関しては小谷から声が届くような位置に砦作られているのだから時間がたてばたつほど
不利になると思うが?足利なんて史実じゃ一瞬で鎮圧されたような勢力に何が?
朝倉はまあ体勢立て直せるというか、体制立て直すための帰国だから、反撃出切るかはともかく
体勢は立て直せるとは思う
463 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:53:33 ID:Mt2Z/YPg
>>458 >信玄本人が美濃行くといってるんだけどね
本気で美濃に行くつもりで信玄が発言したとでも思っているのか?
遠江に侵攻する為の名分という発想は無いのかね??
信玄が作戦行動中に信長が動かなかったのは単純に準備期間と重なっただけだろう。
和議して16日で戻ってきたとか言ってるが、信長が武田軍が作戦行動中に動いたのは事実だろう。
つまりまだまだ余力があったという事。
君の言っている事はただの揚げ足取りとしか思え無い訳だが。
464 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:53:53 ID:uwbcnJiy
>>458 >義昭攻めたときは最初から和睦狙いで
それ前にも反論されていたろ
実際には六角攻めたり寺焼いたりしているのに何でそういうことさらっと無視して
自分に有利なような印象操作するかな
>信玄本人が美濃行くといってるんだけどね。ほかの勢力ともそう連絡とってる。
他の勢力うんぬん言うなら、武田は越後に出兵するとか言ってるし
どこまで信じていいのか
>そんな事言われても信玄動いてるときは実際浅井朝倉に対して動けてないし。
>>419あたりから読みなおしてくれ
465 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:54:08 ID:kfGmQgvv
>>458 信玄が美濃に行くといっても、それは反織田を鼓舞する為のリップサービスという見方ができるわけで
例えば、秀吉は家康関東転封を「関東領国加増」で釣ったけど、実際は関東八州だったわけで、しかも佐竹領除いて
書状にあるから実際にやるぞ!っていう主張はどうかな
起請文とか誓詞とかならともかくね
それでも、まま裏切るのが戦国の世だけど、それでも外交文書よりは信頼が置けると思うんだがどうでしょ
466 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:54:13 ID:EIbeiRlo
>>459 んな事はないっての。
そもそもの問題として経験豊富な当主であるか否かは大きな要因。
ましてあの状況で当主が体調不良で退却を余儀なくされた武田が
あのタイミングで兵を引かなければその後の状況に大きな歯車の違いが
生まれるからだ。文字通りあそこは歴史のターニングポイント。
そもそも当主の代替わりで即座に動けるもんでも前当主と同じ力を組織が発揮できるわけでもないだろうに。
467 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:02:31 ID:4jXsfoFC
>>455 織田が動けたのは、武田の動きが異様にゆっくりなのを見て取ったからでしょ。
それと、上洛を考えてないってことはないんじゃない?
まあ戦況が許せば、の条件付で、まんまと上洛できる可能性は高く見積もってはなかったかもしれないけど。
>>457 1572年から交渉したとして、1572中に毛利が参戦してくるというほど
急速な展開は想定してないよ。
武田が反織田勢力として活発に活動していれば、
近畿以西の親織田勢力も動揺して毛利に付きやすくなる。必ずとは言わないけど。
少なくとも、信玄健在なら、毛利と織田の敵対を早める方に働くのは確かだと思う。
毛利が三好を滅ぼす必要はないと思う。
和睦すれば良い。
毛利は三好の領国を直接欲してはいないから十分可能かと。
468 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:03:46 ID:Mt2Z/YPg
>>466 北条家は当主が死んだ直後でも軍は機能してる訳だが・・・?
要するに貴方の脳内では信玄は超人か何かな訳ですね。
469 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:08:44 ID:4jXsfoFC
>>468 陣中で病気だったり死なれたりするのはまた別の話で。
病気の総大将が動けなくなったとして、
信玄をおいてきぼりにして家臣だけで作戦続行するのか?
470 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:09:09 ID:uwbcnJiy
>>461 >毛利の参戦は十分あるという話。その時まで信玄存命でほかの反信長勢力が
>勢力を残していれば信長は相当苦しいはずだけどね。
そりゃ毛利が参戦するのがいつかはわからないが
史実じゃ1570年代後半、三好を自力で退ける分時間がよりかかるとして10年ぐらい?
その間、織田の勢力はさほど変化せず、反織田勢力が残っていれば
かなり苦しいかもね
>三好に割いていた兵力でどれだけの事ができるかね。
三好の存在はその程度なのか?
471 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:09:43 ID:EIbeiRlo
>>460 そすか。その前提をいったのは俺じゃないんで俺も答えようないか。
とりあえず
>>457に対する反論としては俺は
>>461で。
>>462 1574年における謙信のタイムスケジュールは北条との戦いで一杯なのだけど。
関宿攻防戦とかで大変な状況。
勝頼が対峙したのも謙信に対する牽制と北条への義理立てでは。
勝頼の徳川への遠征は基本的に3ヶ月の信玄時代のコンスタントな遠征と変わらないスパンだからなあ。
普通に3ヶ月攻めて帰ったら上杉来てたので対峙しただけでは?
まず浅井朝倉は信長が来ない間に息をつけるし反撃にも出られるでしょ。
元々春に出てくる予定だったのだし。
足利に対しては信玄が死んでしまって織田の主力が向かってきたからあっさりやられてしまったが
数千の兵力を持つ中々の勢力。織田主力が来ないならその力も名分も威力を発揮できるだろうよ。
数年の長期遠征をした大名はいるしこれだけの勝負どころではしてもおかしくはない。
というか信玄がほかの勢力と連絡をとりあって計画していた春からの一斉反撃が炸裂するだけで
信長の力を削ぐもしくはその行動ペースをかなり落とすことができそうだが。
そうなれば史実とまるで違った状況になる。
>>463 実際ほかの勢力とも頻繁に連絡をとって進めているのだしね。
遠江侵攻の名分だけというのもいかがなものか。
武田が停滞している間隙をついて16日だけ動いたのをそんな大仰にいわれても困る。
足利相手に和睦狙いで急いで動いてるのに。
そっちはただ織田がわずかな期間動いたのを過大評価してないか?
472 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:10:47 ID:Mt2Z/YPg
>>467 ゆっくりと言っても武田軍が野田を落としたのが2月16日でそれから1月ちょっとですよ。
当時の軍事行動では異様にゆっくりとは言えないのでは?兵に休養させる必要はあるし、武器兵糧の補給も必須。
自分は武田の行動如何に関わらず信長は動いたと見ていますが。
473 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:12:35 ID:BISIND8V
>>466 武田が勝頼に代わって動きが鈍く軍事行動に出られなかったのならそうかもしれないが、
実際動けなかったのは信玄が死んだ直後の短時間だけで、半年余りですぐ美濃へ出兵した。
これだけ短時間で動けたのは恐らく信玄が死ぬ前の計画を実行したとしか考えられない。
だから信玄が健在だったとしても取る行動は同じだろう。
信玄を評価したい気持ちは理解できるが、信玄は老練であっても万能ではないし信長も馬鹿ではない。
奇跡でも起きなければいったん大きく開いた力の差を埋めるのは無理。
474 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:15:01 ID:r0ffpXkC
>>456 >あの…完璧な兵農分離って釣り?
いや釣りのつもりはないけど、ただ365日を数年続けてってなると
織田の軍より武田の軍のが厳しいんじゃないかなと思っただけだよ。
配下の武将達にそれそれ兵がついててそれの結集だとしても、その兵のなかに
農作業も兼用の部分もあったろうし、武田では赤備え、織田も単なる浪人が
金で雇われて集まった連中もいて(勿論武田にもいる)、農作業を兼用してた兵は
武田の方が多かったんじゃないかなと思ったから。
俺が思っただけの話だから、ふざけてるように取れたかも知れないけど、釣りでは無い。
>>458 >信玄本人が美濃行くといってるんだけどね。
あのまま、あのタイミングで進んで織田がそれを阻もうと立ちはだかって
織田対武田(信玄存命中)での頂上決戦は相当興味あるけどね、俺も。
そのタイミングなら浅井、朝倉や伊勢長島などもあって
信長も苦しい状況での決戦だしね。
あと、
>>455の書いたように、この度の出陣は、あくまで領土拡大目的だったとして
一端帰国した後、またタイミングを見計らって(いいタイミングを自分でこさえて)
次は織田討伐&上洛目的で再度出陣という流れはあったと思う?
コレも興味あるけど、ただこの場合は織田も体制を整える時間を得てるから微妙だけど。
475 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:15:12 ID:Mt2Z/YPg
>>471 >そっちはただ織田がわずかな期間動いたのを過大評価してないか?
岐阜から京都までどれだけの距離があると君は考えているのかね?
16日で義昭を撃破して周辺の敵対勢力を一掃して岐阜に戻っている事自体が凄い事なのだが。
貴方はひょっとして軍事知識がほとんど無いにわかさんですか?
476 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:16:35 ID:uwbcnJiy
>>467 >織田が動けたのは、武田の動きが異様にゆっくりなのを見て取ったからでしょ。
根拠は?軍の動きがゆっくりだからって安心だとなるようなものなのか?
というか武田は信長上洛中に長篠から北上して東美濃の方に向っているようにも見えるんだが
差し迫った脅威と認識されていないんじゃって気がするが
>近畿以西の親織田勢力も動揺して毛利に付きやすくなる。必ずとは言わないけど。
1572年の段階じゃ毛利はまだ中国地方の西半分でしかないから
毛利につくってのはこの時点じゃ妄想が過ぎるんじゃ
三好につくとか足利につくならまだわかるけど
>少なくとも、信玄健在なら、毛利と織田の敵対を早める方に働くのは確かだと思う。
何でそうなる?
>毛利が三好を滅ぼす必要はないと思う。
>和睦すれば良い。
>毛利は三好の領国を直接欲してはいないから十分可能かと。
瀬戸内海の権益巡って対立しているから、ある程度力関係がはっきりしないと
和睦は難しいんじゃないか
ついでに毛利は淡路取らずに畿内に進出することは難しいから
三好と対立するんじゃないかと思うが
477 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:17:53 ID:EIbeiRlo
>>466 いやいや。武田だって勝頼継承後だって普通に動いてるよ。
でも信玄当時とまるで同じだけの力を急に発揮してるとはとても思えないけど?
氏康死後に北条は武田と結ぶ方向に切り替え武田と連携して上杉に向かってるでしょ。
体制立て直しは大切だろう。当時は戦国時代で当主の力が大きく左右するのだから。
そんじゃあなたはあの時信長が死に信忠になってもまるで影響ないと思うわけ?
>>470 いや、10年もかかんないだろう。毛利が数年で周辺環境片付けて
接近してくれば織田との戦いもあるから三好が義昭の仲介で毛利と和睦する
可能性もあるし。
三好さんにはもともと三好さんの敵がいるからねえ。そいつらは織田がどうこうより
自分の利権の為に織田について三好と戦ってるような連中。
織田の直接兵力に変動がでるのかね。
478 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:23:00 ID:4jXsfoFC
>>472 三方ヶ原の後、野田に向かう動きも緩慢に見える。
あの情勢、信長が迎撃の軍を出さないのであれば、別働隊なども仕立てて
活発に切り取りに走るような気がするんだけど。大将が元気であれば。
479 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:24:07 ID:BISIND8V
>>477 >でも信玄当時とまるで同じだけの力を急に発揮してるとはとても思えないけど?
長篠までの勝頼の戦果を知らない?
信玄が指揮をとっても同じ程度の戦果しか上げられなかったと思うが?
戦に関して勝頼は強いとされてるのに信玄が勝頼以上の戦果を得られる根拠があれば挙げてほしい。
480 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:24:27 ID:Mt2Z/YPg
>>477 >そんじゃあなたはあの時信長が死に信忠になってもまるで影響ないと思うわけ?
混乱はあるとは思うが少なくとも、敵の侵攻を指を銜えて見ている状態にはならないと思うが。
何らかの軍事行動は起こすだろう。
当主交代で混乱しているから攻めてきても反撃できないと言うのは普通に考えにくい。
別の要因があったと考えるのが妥当だろう。
481 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:24:54 ID:kfGmQgvv
>>467 なんで織田と強調してる毛利に、親織田の人が願えるわけ?
>>469 そんな病態を押して軍事行動を続けたってのは将器としてどうなんだろうか
>>471 伊勢長島楽しみにしてる
といってもeoが永久規制に入らなければの話だが
謙信は関東での影響力を喪失して以後はあんまり関東に深入りしようとはしてない
大軍率いて手薄な信濃と、北条が勢力を伸ばす上野と、どっちを狙うかといえば…信濃じゃない?
信玄の計画してた、朝倉による織田のけん制って計画は頓挫したけど、春からのそれは成功するはずってのはどうなのか
そもそも、朝倉から離反者が出てるから、朝倉の状況は決して楽じゃないと考えるんだが
482 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:26:02 ID:vJUgc40x
>>477 信長が討ち死になのか病死なのか暗殺なのかにもよるし、信長死後の信忠の行動によっても変わるだろうから信忠に関しては未知数過ぎて答えられん
信忠まで死んだら「無理」って言うが
甲斐攻め・松永攻め・雑賀攻め見る限りでは期待できそうだぞ?
483 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:27:09 ID:Mt2Z/YPg
>>478 三方ヶ原で大打撃を受けたといっても、浜松に徳川主力が未だ健在なんだから
追撃を警戒して動きが鈍くなるのは当然だろう。
ましてや敵中のど真ん中。進軍速度が著しく遅くなるのは普通。
そんな状況で兵力を分散させるなんて愚将と呼ばれてる人達でもやらんよ。
484 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:27:11 ID:EIbeiRlo
>>474 まああの状況では武田はまず織田を押し込む方向で動くとおもうんだけどなあ。
あれだけの好機だし。
一回引くとなると信玄もどう動くかよくわからない。予測がつきにくい。
信玄は外交手腕が特徴だから妙な手を打つかもしれんし。
>>475 随分上から目線ですが現役自衛官の方か何かですか。
とりあえず「16日」では「義昭も周辺の反織田勢力も」撃破してません。
義昭とは和議結んだだけで義昭は戦力を保持したまま、また後で挙兵します。
またほかの反織田勢力も健在です。
485 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:28:39 ID:4jXsfoFC
>>475 直線で100kmだな。
敵が急に動いても、十分後詰の間に合う距離では?
486 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:32:28 ID:uwbcnJiy
>>471 >勝頼が対峙したのも謙信に対する牽制と北条への義理立てでは。
そうだろうけど、その時間のロスが織田にとっては十分利益となる
ついでに反織田から見れば織田徳川は短期間で屈服できるような相手じゃないが
織田から見れば短期間で滅ぼせるような勢力があるので
その点でも織田は包囲網側を各個撃破しやすい
>数千の兵力を持つ中々の勢力。織田主力が来ないならその力も名分も威力を発揮できるだろうよ。
主力が来たらあっさりやられるってことじゃ?
>数年の長期遠征をした大名はいるしこれだけの勝負どころではしてもおかしくはない。
武田が実際に長期遠征したのならともかくそうでないのに出きると言われても
また長期遠征するための何らかの準備とかはあったの?
>というか信玄がほかの勢力と連絡をとりあって計画していた春からの一斉反撃が炸裂するだけで
これ何らかの根拠あるの?妄想乙としか言えないんだが
>>472 まあ小笠原を滅ぼした時も砥石に向うまでのんびりしていたし
新たな支配地域への仕置もあるから
1573年ものんびりしていたのではなく普通の軍事行動だったのかも
487 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:32:32 ID:4jXsfoFC
>>483 つーか三方ヶ原の前、しっかり分割してるんですが。
浜松城下に押し寄せるときとかは当然合流するとしても、
それ以外の場所、特に敵の動きが低調になったときはガンガン行かなきゃ駄目でしょ。
488 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:36:29 ID:Mt2Z/YPg
>>484 上からの目線なのは貴方が知識が乏しく、その不足分を妄想で補ってる嫌いがあるから。
和議を結んだだけ?六角や百済寺への攻撃はご存知ありませんかそうですか。
>>485 現代人の感覚だと車で2時間もかからん距離だが、当時の交通手段では・・・
それに軍事行動となれば機械化された現代ですら軍団の移動距離はせいぜい40キロとされている訳で。
489 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:40:02 ID:Mt2Z/YPg
>>487 三方ヶ原の前はまだ駿河が近いしある程度、地理にも明るく武田家の影響力も浸透してる場所だったからでしょう。
しかし、浜松から西となると状況は変わってきます。完全に敵地に入ってますからね。
そんなところでの兵力の分散は危険極まりない。
490 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:40:30 ID:BISIND8V
>>471 >実際ほかの勢力とも頻繁に連絡をとって進めているのだしね
実際はあんまり連絡取ってないけど。
反織田勢力は織田領に分断された形だし、今と違って連絡を取るのに文書に頼るほかない。
そんな状況で頻繁に連絡が取るなんて脳内でしかできない。
朝倉との連携を見ても連絡は明らかに取ってない。各々が自分の都合で出兵してるだけ。
491 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:43:47 ID:BISIND8V
>>487 つい10年ほど前に桶狭間があったから、家康を見逃したまま信長と戦うために敵地の三河に入るのなら、
兵力を集中して慎重に行軍するしかないだろ。
健康状態はどうであれ義元の二の舞だけはごめんだろう。
492 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:46:53 ID:EIbeiRlo
>>479 勝頼の戦歴は知ってるけどね。高天神と東美濃のほかはなんか徳川領土横断や
荒らしに精を出してるように思えるのは気のせいだろうか。
というか問題は信玄があの時死なないまま春からの一斉反撃を開始すれば状況に与える
影響が大きいはずという事。こういう事なら外交に優れた信玄のほうが有利。
徳川相手でも調略は信玄のお家芸ですよ。
>>480 まだ獲得したての領土なんだし体制固めは仕方ないだろうに。
第一、信玄死後すぐには徳川は武田方の犬居や二俣攻めて失敗してるはずでは。
武田の屋台はこの時点ではまだ健在。
それでも翌年には戦いを開始してるんだから十分と思うが。
>>481 まず謙信はこの当時越中を抱えている。これがただでさえ大変。
1573年にもう一回謙信は出陣して帰ってきた後は兵を休めるために関東出陣をやめてるほど。
それから謙信は晩年においても信長と戦うよりも関東を優先しようとしたように
関東への執着はかなり強い。そして1574年から始まる関東の戦いは北条を相手に
一年をまたいで展開され、年末には北条により重要拠点関宿陥落がおきてしまう。
北条相手にただでさえこれだけ力を注いでいるのに片手間で信濃狙えるとはとてもとても。
>>482 結局未知数要素が出てしまいかねないような状況ではあるわけでしょ?
当主の代替わりというのはそれだけの大事なわけだろう。
信忠の能力論議に関してはとりあえず置いておく。
>>483 実際信玄が死んだ後で武田主力が引いた後でも徳川主力は大きな反撃に出られてないのだけど。
それまでに攻略した城たちが徳川に対する封じ手になるし、進軍における拠点にもなる。
信玄には本願寺と連携して三河一向宗を蜂起させ徳川を絡めとるプランもあったらしいが。
493 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:47:01 ID:uwbcnJiy
>>474 東美濃で対峙となれば、お互い守りを固めてやがて武田が兵を引くとなりそう
武田は既に半年出兵していて、兵站も岐阜からの距離考えると織田の方が有利だし
で武田が兵を引いた間に、浅井朝倉が西である程度戦果を得ていたとしても
あっさり取り戻されそう
>>477 >いや、10年もかかんないだろう。毛利が数年で周辺環境片付けて
まあ、何年かかるか判らないが、史実と異なり織田が三好を弱体化させる余裕が
無ければ、その分余計に時間がかかるだろう
>接近してくれば織田との戦いもあるから三好が義昭の仲介で毛利と和睦する
>可能性もあるし。
信玄が生きていて織田が三好との戦いができないなら
三好が毛利と和睦する必要性も無いんじゃ?
>織田の直接兵力に変動がでるのかね
織田が摂津河内和泉に出兵する頻度を減らしても大丈夫と言うことで
十分変動は出ると思うが
494 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:48:57 ID:4jXsfoFC
>>490 いやいや、別に軍の進退のような日単位、時間単位で進むようなことを連絡取り合おうって話じゃないんだから、
>>471の話の目的上では十分「頻繁」なんじゃないか?
本人じゃないのでなんだけど、
この「頻繁」はタイムラグのことを言ってるんじゃなくて
一度ならず口にしている、ということを言いたいのでは。
495 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:51:48 ID:r0ffpXkC
俺は心情としては織田より武田や上杉の方が好きな人間なんだけど、
相対的に見て、織田は実力と運が重なってて、やなり武田が不利の状況と
しか言えないんだよな。
ただ、甲斐の国主が信玄のままなのと、勝頼とでは、武田が滅びる速度やその状況は
まったく違ったと思う。信玄の出陣は信長包囲網ありきでの事で、勝頼の場合は
そこまで考えていなくて長篠に向けて出陣してしまった。勝頼の出陣は、それ自体が
大失策だったしね、かりに長篠より手前で撤退してても帰国までに相当被害を
免れなかった。信玄ならそこまで間抜けなタイミングで出陣しただろうか?
496 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:52:49 ID:4jXsfoFC
>>493 三好と毛利は何で対立してたわけ?
海上交通権みたいな話なら、
義昭の介入で適当なところで手打ちできる話じゃないの?
上手くまとまるなら徒に争うより得でしょ。
本領の奪い合いとかだと妥協は難しいかもしれないけど。
497 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:53:20 ID:Mt2Z/YPg
>>492 >徳川相手でも調略は信玄のお家芸ですよ。
その調略を1572年の時点で何故やらなかったのか小一時間
>まだ獲得したての領土なんだし体制固めは仕方ないだろうに
だったら尚更後詰せにゃならんだろ。他の豪族にも武田に見捨てられる危機感から離反者が増える。
救援行動を起こさなかったのはやはり後継者問題以外に原因があったと見るのが妥当だと思うが?
>実際信玄が死んだ後で武田主力が引いた後でも徳川主力は大きな反撃に出られてないのだけど
あの〜??議題が何なのか分かってますか???
武田軍の進軍速度が遅いかどうかですよ???
498 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:54:53 ID:BISIND8V
>>492 >信玄があの時死なないまま春からの一斉反撃を開始すれば状況に与える
春になれば徳川も息を吹き返すから状況は変わらんと思うが。
勝頼は荒らしただけというけど、あれは武田の戦略方向と考えられないのか?
朝倉撤退の時点で信玄は単独上洛を諦め、できるだけ所領を増やして体制固めに入ったのなら、
三方ヶ原後の武田軍の行動も勝頼初期の行動も説明がつく。
そういう可能性も考えず信玄なら一気に徳川を滅ぼして織田領になだれ込むという前提で考えるからおかしくなる。
駿河攻略でも時間がかかったのになぜ徳川が簡単に片付けられると思えるのか不思議。
499 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:55:00 ID:4jXsfoFC
500 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:57:11 ID:4jXsfoFC
勝頼は別に荒らしただけじゃなくて城も落としてると思うけど。
501 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:57:52 ID:Mt2Z/YPg
>>499 少なくとも大勢を大きく変えるほどの成果を上げた記憶は俺には無いな。
502 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:58:23 ID:uwbcnJiy
>>479 >長篠までの勝頼の戦果を知らない?
言うほど凄い戦果あるかな〜?
>信玄が指揮をとっても同じ程度の戦果しか上げられなかったと思うが?
これは同意だが
>戦に関して勝頼は強いとされてるのに信玄が勝頼以上の戦果を得られる根拠があれば挙げてほしい。
そもそも勝頼の方が強いとされている根拠がないと思う
>>483 あと冬だしねー
>>484 兵力的には織田の方が有利だろうし
信玄が無謀に織田と戦うとは思えない、やっぱ徳川攻め続けるんじゃないか
>>489 勝頼の吉田攻めでも、兵を分割したりしているし
そこまで危険とも思えないけど
>>492 だから1573年には徳川は駿河に攻め込んだり、長篠野田足助などを取り返したりと
いろいろしてるだろうに
503 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:58:36 ID:EIbeiRlo
>>486 いや、勝頼は戻ってきてたから義理立て自ら出陣したろうけど
信玄が自ら出張ってる状況で信玄自身が戻るのを北条も期待するかね?
だからこそ春からの一斉反撃を計画した。ここは押す所でしょうに。
ここで織田の力を削いでおけばその局面を変えられる。
だから主力を武田そのほかがひきつける。そうすれば足利の行動が意味を持つ。
そんな事いったら長期の遠征できてるほかの大名が泣きそうだけど。
妄想なんていわれてもね。実際信玄が書状を出して美濃の遠藤、朝倉、伊勢長島、
その他を動員して自らも美濃に出陣して信長と戦う予定だったんだけど。
何故にそんな妄想とかいわれにゃならんのか。
>>488 とりあえず自信があるならもうちょい言葉を抑えたほうがよく見えますよ。
六角がどうしたんですか…。もうあの時は六角はそれまでの戦いで大打撃うけてるんですが。
それを帰りに追放したからといって大仰に言われても。浅井も朝倉も足利もそのほかも健在ですよ。
>>490 文書で連絡をとってれば十分でしょ。
それなのに朝倉が自分で帰っちゃったから信玄もびっくりしたわけで。
その後でも朝倉が春から動くと聞いて東老軒に今後の申し合わせを頼んだりしてますよ。
504 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:05:47 ID:uwbcnJiy
>>496 >海上交通権みたいな話なら、
これはかなり手打ちが難しい部分じゃないか?
一応は備前での権益を巡って対立
505 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:11:14 ID:Mt2Z/YPg
>>503 あんたはまずココに書き込む前に物事をよく勉強したほうがいい。
二条城を落とし、六角を叩いた事で南近江の安全を確保した事はとても重要だ。
これによって後の浅井、朝倉攻撃を円滑に行えた。
しかもそれをわずか16日でやり遂げたのだから素直に評価すべき。
それと文書で連絡取り合えば十分って・・・・普通の人間には絶対できない発想だな。
重要な打ち合わせも、工程の詰めもメールでオーケーって人ですかそうですか。
506 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:19:18 ID:BISIND8V
>>502 >勝頼の吉田攻めでも、兵を分割したりしているし
ここらへんは性格からくる違いじゃない?
慎重な信玄とは違って勝頼は総大将でありながら自ら最前線に出て戦う人だから。
507 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:21:11 ID:r0ffpXkC
ココが
信玄が生きていたら上洛の可能性が極めて高いと強調したい人と、
勝頼が辿った末路を信玄存命でも辿ったと強調したい人が頑張るスレなのは
よくわかったけど、やはり感情は感情で、それとは別に現実的な予測を
優先した方がいいと思いました。
☆今宵は、ここまでに致しとう御座います、ノシ☆
508 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:23:32 ID:EIbeiRlo
>>493 あっさりになるかね。ここらへんも変動要因が大きいなあ。
とりあえず美濃で伊勢長島・朝倉・遠藤と連携して戦う計画がうまくいけば
大きく展望があるのだが。
伊勢長島を考えるなというなら泥沼しか思いつかん。
接近してきた毛利に対して三好がどう動くか、これも義昭が鍵になるが
やっぱり変動要因が大きすぎて正確な予想がつきにくいな。
>>497 調略やってるよ。普通に。美濃の遠藤氏は武田に協力を申し入れるに至る。
それまでの徳川領土侵略においても犬居の天野氏、山家三方衆は武田に寝返ってますよ。
ちょいまち、勝頼の継承問題だしたり信玄の進軍速度が遅いといったり
どっちなんだよ。論点しぼってくれ。
実際その獲得したての領土達は家康を相手に防戦してるといってるだろうに。
家康の失地回復が本格化するのは長篠後。さらにいっておくと総大将が遠征途中でいきなり
死んだのに混乱が起きるのはとうぜんだろうに。
あんたのあげた北条だって普通に政策転換してるだろう。
というか氏康の場合は早くから病気で食べたいものを手で指すような状態がしばらく続いてたり
してたから氏政への継承準備も氏康死去においてはある程度整っていたとみるべきだろうよ。
とりあえずいつにおいての進軍速度が遅いって?それはっきりさせてくれる?
>>498 ちょっと待て。そもそもこっちは徳川をすぐに片付けられるなんていってないぞ。
家康は三方ヶ原の打撃及びそれまでに武田に攻略されてり従属した連中に封じられて
美濃へ向かう信玄を追うのは難しいといってる。実際家康の反撃がうまくいき始めるのは
長篠後。それでも結構時間かかってるが。
というか駿河攻めでは今川あっさり倒したんだけど。あとは北条との戦い。
あと荒らしただけとは言ってない。美濃18城や高天神とかを攻略してるのは知ってる。
でも荒らしにたり横断したりしてるのが信玄とくらべて多い。
朝倉撤退に関してだけど、まず信玄は自身で朝倉に書状を送って詰問し
本願寺の働きかけもあって朝倉は春からまた動く気になり、信玄もその事と
申し合わせの程を東老軒に頼んでいる。健康さえあれば春からも戦う気は
あったと見るのが妥当では? 信玄が死に計画がお釈迦になったから勝頼は
戦略を変えざるをえなかったのでは?
>>501 体勢かえるほどの調略ってどんなのよ。調略ってのは積み重ねで敵の力を削いでいくもんだろ。
509 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:30:56 ID:EIbeiRlo
>>505 だからね。落としてないんだってば。二条城は。義昭の戦力はそのまんま。
天皇を仲介にして和睦しただけ。だから再挙兵がある。
とりあえずの応急処置としては悪くないとは思うがね。応急処置は応急処置以外のものでは
ない。浅井朝倉滅亡は義昭再挙兵の後の追放後だよ。
あんたの論法だと16日のほうは特に意味が無かったことになるね。
あのね、時代によって通信手段は違うの。打ち合わせのやり方も。
この時代の大名が一々皆顔つき合わせて打ち合わせしてたとでも?
使者というものがあるでしょう。口上を伝えるのも使者の大切な役目。
510 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:33:28 ID:BISIND8V
>>508 >信玄が死に計画がお釈迦になったから勝頼は戦略を変えざるをえなかったのでは?
勝頼が東美濃へ出兵したのは1574年の2月だから、信玄が死んでも変えなかったと考えるべきだろ。
そもそも勝頼の立場を考えれば信玄の方針を継承する以外選択肢がなかったはず。
信長も勝頼は信玄の言い付けをしっかり守ってると評してる。
そこで信玄が生きてたら情勢が大きく変わったという仮定自体無意味。
511 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:34:31 ID:EIbeiRlo
とりあえず今日はそろそろ失礼する。
512 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:38:35 ID:EIbeiRlo
>>510 とりあえず最後に答えておこうか。
東美濃に少し出兵したのと浅井朝倉伊勢長島遠藤と連携して
1573年の春から開始するはずだった作戦を同一視されても困る。
そもそもこの頃には信玄の時と前提がかわってるのにどうしろと。
信玄の遺法を良く守り、でしょ。戦いのやり方とか国の治め方という意味で
戦略を遵守していたというわけじゃないでしょ。前提がちがうのだし。
あれだけの状況で信玄が動いてなお状況変わらずというほうが強引。
513 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:43:18 ID:uwbcnJiy
>>503 >信玄が自ら出張ってる状況で信玄自身が戻るのを北条も期待するかね?
いつまで出兵し続けるつもりなんだ?
謙信が関東に出兵という状況だから一応1574年以降の状況なんだが
>だからこそ春から〜
上洛スレに基づいて兵力考えるなら武田が参戦して
ようやく五分程度じゃないか?一斉反撃したところで現状維持が精一杯なんじゃ
>とりあえず自信があるならもうちょい言葉を抑えたほうがよく見えますよ。
時間を問題にしていたんじゃないの?
あなたの主張は長く岐阜を空けておけない
それに対し織田は寄り道する余裕がある、例として寺焼いたり六角包囲したり
何も見えていないのはあなたのほうじゃ
>>505 この時二条城はまだ落としていない
514 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:50:30 ID:BISIND8V
>>512 信玄なら絶対大規模攻勢に出るという根拠がある?
先も書いたが、国人領主の寄り合いである武田家が当主の一存で戦略を変えるのは難しい。
特に当主になって間もない、権力基盤の弱い勝頼が信玄時代で決めた戦略を変えられるとは思えないし実際変えてない。
信玄ほど外交、調略に長けるわけじゃなくても信玄時代の末期に定められた戦略は守ってた。
いくら空想スレとはいえ史実を全く見ずに「信玄なら」と一方的に妄想するのは強引だろ。
515 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:54:18 ID:uwbcnJiy
>>508 遠藤は織田の主力が東美濃にいる状況で蜂起なんてしたら孤立して
そく潰されそうだし、そもそも動くのか?
遠藤1572年の夏頃はそれなりに武田に好意的だったけど、
書状を見ると徐々に中立になっていってるような気がする、
信玄は何とか慰撫しようとしてるみたいだが
浅井朝倉は半ば要塞と化した虎御前山横山を抜けるのか?
一度に投入出きる兵力は織田の方が上だからなー
武田が兵をひいて織田の主力が戻ってきたら投入兵力が大きい分
織田の方が効率よく取り戻していきそう
毛利は考えなくてもいいんじゃないか?
そもそも浦上宇喜多三村の問題に三好がどれほどかかわって
それを片付けるのに何年係るかわからないし、
その後、毛利がまた九州に行く可能性も高いし、織田が播磨に進出して
尼子の残党を支援したから織田と敵対したという側面も大きいし
516 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 03:50:25 ID:ILxOY5q5
っか朝倉家って本当に一万五千〜二万も動員出来たの?
517 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 10:00:11 ID:uq09WYOJ
>>492 元亀元年は上野の領内整備、二年は目立った成果なく、三年に閏正月に武田の城落とし、天正元年は由良に領土をとられ、
二年二月にはこれの奪還と由良領の一部を落として、十月に関宿救援のためのよう動を各地で行い、反北条の面々は北条に下ったり、和睦したり
三年と五年に由良領を攻めるも成果なく、五年にはイロイロと同盟して影響力を再構築しようとしたところで、翌年死去
意志はあったのかもしれないが、とてもじゃないが関東で満足な結果が得られるような状況じゃない
兵を休めるという理由もひとつかもしれないが、攻めたところで成果が得られないという側面もある
そして晩年の関東出兵も佐竹ら反北条と話が付いて、対北条作戦が有利に運ぶと見たからじゃないか?
ついでに言うならば、この反北条連中は当然北条との対決を期待してるわけで、上杉が織田を攻めるぞと号令しても、また影響力の低下を招くだけで、愚策としか表現できない
では、武田が大軍率いて手薄な信濃と、北条がてぐすね引いて待ち受けている、しかも反北条勢の協力は得られそうに無い関東、どちらを攻める
ひとつ言っとくけど、反北条の人たちは上杉の配下じゃなくて、味方衆みたいなもんだからね
518 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 21:04:19 ID:zdiz9zJZ
信玄が生きていたか否かで、一番気になるところは、信玄が息災だったら
あのまま尾張、東美濃まで進軍していたのか?信玄という棟梁が死亡したため、
病む終えず帰還したのか?だよな。
もし信玄の有無に関わらず、武田全軍の統率に問題がなくて(勝頼体制)、
美濃での長期戦も見越していて、兵糧などにも余裕があれば、あのまま勝頼を
棟梁に進んでいても可笑しくないはず。
信玄の死が理由で帰還したのなら、やはり信玄があそこで死んだのと、生きていた
のとでは、多少なりとも歴史は違ってた可能性もあると言える。後の勝頼の長篠出陣よりは、
三方ヶ原戦終了後のあのままの織田本体との決戦だと、やはり後者の方が武田にも
分があると思えなくも無い。この決戦が実現していて、そこで武田軍が大敗を喫していたら
1575年6月の長篠大敗→1582年4月天目山での武田滅亡よりも、滅亡が何年も
早かった可能性があり、むしろ1582年まで武田を持たせた勝頼より、信玄の方が
無能だった評価にもなりかねない。
あの時信玄が生きていたか否かは、信玄にとっていい意味でも悪い意味でも
相当違っていたとも言える。
あと、信玄は本当に美濃に進むつもりはあったが、朝倉が帰国した知らせを
受けて予定変更した可能性もあると思うが、その場合はやはり信玄の寿命がのびて
いても、勝頼が辿った末路に近い状況に陥った可能性が高い。その場合は、信玄なら
織田との和睦の選択があったかもしれないが。
いすれにしても、信玄よりの人にとっても信長よりの人にとっても
あのまま信玄が信長と直接対決してた方が、その優劣はクッキリついてた
可能性が高いから、その方がよかったかもね。個人的もその戦に興味深々な
反面、あそこで生涯の夢半ばで死んだことで、信玄の生涯の切なさやカリスマ性
様々な想像をめぐらせる機会も与えられて、名将として語りづがれとも思えるし
微妙ですな。直接対決で、信玄も義元同様にみしるしでもあげられてたら、
それこそ、武田大膳大夫源晴信は、今ほど英雄視されてないかもしれないし。
(あ、別に今川義元を批判した訳じゃないからね、義元も名将だった)
519 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 21:31:40 ID:L/AYZhLh
>>514 家督を継いだ直後ならともかく、この頃の信玄がそんなに掣肘を受けていたとは思えないね。
勝頼でさえ長篠で負けるまではかなり自由に行動していた。
520 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 22:45:21 ID:7OD2K11z
>>513 どうかね。とりあえず信玄生存なら1573年中に大きく状況が動いたはずだが。
現状維持になればそれこそ後の天下の行方は混沌としてくる。
そっから先は変動要因が大きすぎて予測しきれん。泥沼だな。
ただ朝倉・伊勢長島・遠藤その他と連携した美濃での戦いがうまくいくなら
織田はすぐ滅ぶとはいわんがその天下制覇への道筋は大きく後退を余儀なくされるのだが。
そんな事はないって。その日数を込みにしても16日でしかないでしょ。
まさか16日を長期だなんていうまい。足利相手にしても最初ッから和議を狙って動いてて
長期にわたって美濃空ける予定だったとは思えないのだけど。
521 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 22:55:05 ID:7OD2K11z
>>514 だから何度も言うけど信玄自身が1573年の春から朝倉浅井・伊勢長島・遠藤その他と
連携して美濃で反撃に出るといってるんだってば。
本人が言ってるのに根拠は?と聞かれても困るぞ。
その戦略を実際に信玄の死後勝頼は継承できていない。
こっちはれっきとした信玄の書状や動向から美濃侵攻計画を出しているのに
妄想と決め付けるのは強引すぎる。
そっちのほうが「信玄はするはずない」というきめ付けで話しているじゃないか。
国人領主の連合体は織田だって同じだろうに。
>>515 そのまま動けば潰されるだろうよ。だからこそ武田軍の侵攻にあわせて動く計画だったのでしょうが。
浅井朝倉は刀根坂でさえ2万以上動かしているのに砦を抜けないとするのは強引だろう。
投入兵力も状況の進展次第で大きく変わるもんだしね。武田とにらみあってるうちに
勢いづいてきた反織田勢力連中の動向を軽く見れるものかな。
どうだかねー。毛利を考えなくてもいいといわれても。
毛利は重要なファクターだからなあ。史実であれだけ頑強に織田と戦った毛利が
周辺事情を片付けて義昭の要請受けても戦わないもんかね。まあ変動要因大きいか。
522 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:02:11 ID:7OD2K11z
>>517 実際上杉は関東侵攻してるわけで。
1574年においては勝頼があちこち侵攻してるけど信濃じゃなくて関東攻めてる。
結局謙信は味方衆である関東勢を完全に切り捨てることは出来てない。
謙信に意志があるならそれは十分すぎるほどだと思うが。
北条が手ごわいから戦いません、で済ませられるもんでもない。
関宿防衛の為に1574年頑張ってた謙信の動向を見ればそれは一目瞭然。
523 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:12:42 ID:7OD2K11z
>>518 とりあえず朝倉撤退は1572年12月。
信玄はその後本願寺と一緒に働きかけて春にはまた朝倉が出てくるという知らせを
受け、東老軒にその申し合わせを頼んでる。
1573年春からの美濃進撃による反抗計画は朝倉浅井・伊勢長島・遠藤その他を
引き込んでの一斉反撃だから孤軍で織田徳川連合と相対した長篠とは大きく違う気が。
まあ結局の所この計画が発動した時点で変動要因が大きすぎるんだよな。
こうなってくるとその後の展開を正確に読み取れるもんでもない。
ただ一つ言えるのはこの計画発動で歴史は良きにせよ悪きにせよ変わっただろうという事。
伊勢長島の侵攻があるなら織田撃滅の可能性もあるが
無いと仮定するなら泥沼になる可能性も高いなあ。
その泥沼の中で最終的に勝つのが織田なのか武田なのかあるいは他の誰かなのかは
別の問題になりそう。
524 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:15:03 ID:uq09WYOJ
>>522 関東侵攻してないとは言ってないんだよ
以前ほど強力な軍事動員はできてないってことを示したつもりだけど
主力が帰ってきた武田と、真っ向から衝突しろと?
武田は織田と真っ向勝負を避けるために朝倉やらを利用したのに?
このちがいは何?
謙信が切り捨てることができないというより、謙信が関東で権益を広めようとすれば、関東味方衆の協力がいるってこと
誰かが信玄はスーパーマンじゃないって言ってたけど、謙信もスーパーマンじゃないんだよ
北条が権益を広めつつある上野に…と思ったけど、上野にも武田領国は広がってるんだよね
ならその関東勢で武田領西上野攻めるというのも無くはないだろうが、それでも北条が救援に来る可能性もあるわけで、それよりは信濃じゃないかな?
とりあえずの緩衝地帯が存在する上野、のど元に匕首を突きつけられてる形の信濃
しかも北信濃は肥沃な土地
攻める条件は十分だけど
525 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:24:46 ID:zdiz9zJZ
>>523 >1573年春からの美濃進撃による反抗計画は朝倉浅井・伊勢長島・遠藤その他を
>引き込んでの一斉反撃だから孤軍で織田徳川連合と相対した長篠とは大きく違う気が。
そこは俺も長篠とは全然違うと思うんだよな。長篠が10対0の確率で負けなら
あのまま武田対織田、その後の朝倉浅井・伊勢長島との連携がうまくいけば
5対5とか6対4くらいの分があったかもね。
長期戦だと武田軍の食物とか不安材料もあるけど、その間織田配下にジワジワ
調略(徳川、明智あたり)で寝返らせたりする可能性も無いと言えない。
ただ、ここで甲斐まで一端戻ったら、信玄存命でも後退の一途だった可能性が高い。
いろんな意味で、ほぼ最期の最大の好機でもあったかもな。
526 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:30:00 ID:zXfvW5DY
>>525 > 長期戦だと武田軍の食物とか不安材料もあるけど、その間織田配下にジワジワ
> 調略(徳川、明智あたり)で寝返らせたりする可能性も無いと言えない。
信玄が調略するのに信長はしないのか?
信玄よりの予想は基本的に信玄ならもっとよく出来て、
信長陣営は史実以下のことしかできないという予想で考えるのか?
527 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:30:15 ID:uq09WYOJ
>>525 逆も考えられるよね?
徳川が、織田が武田、朝倉の家臣に謀略を仕掛ける
なぜそっちは考慮しないの?
528 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:31:01 ID:uq09WYOJ
529 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:31:08 ID:7OD2K11z
>>524 何か話しの流れがわかりにくいのだけど。
結局以前ほど強力な軍事動員できない状態でも謙信は実際関東に侵攻してる。
氏康死後に再び敵対し関東制覇を狙って進撃する北条と戦う為に。
それが何か問題が?
だから1574年の段階でも勝頼は美濃攻めたり徳川攻めたりしてるよ。
それでも謙信は信濃ではなく関東を優先し関東に進んだ。
これで謙信が結局関東における北条との戦いを優先してると見ておかしくないはずでは?
そう。結局謙信は自身の権益のためにも関東味方衆を切り捨てられない。
スーパーマンでもない謙信は北条と戦っていくためには味方衆を捨てるわけにはいかない。
そもそも北条と戦いだしたのだって本国越後に北条の勢力が迫るのを危惧したという面もあるのだから。
その北信濃は飯山において緩衝地帯がちゃんと存在してる。
謙信は信濃において本当にわずかだけど北端地帯を維持しそこの守りを強固に固めてある。
信玄の駿河侵攻直前に攻められたけどこの防衛網はその攻勢を防ぎきった。
謙信自身が謀反した本庄の相手をしてるのにも関わらず。
まあこの時の武田はその合間に北信濃の領国化を進めてるから本気だったかは微妙だが。
守りの堅い緩衝地帯が存在し安定してる信越国境。
北条の攻勢で関東味方衆が大変な事になっている関東。さてどっちを優先する?
史実の結果が雄弁に語ってると思うけど。実際謙信が関東を攻めてさえ関宿は陥落してしまったような
状況なのにあの状況で手を抜くというのは見捨てるに等しいのだけど。
530 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:32:48 ID:zXfvW5DY
531 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:36:40 ID:7OD2K11z
532 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:36:47 ID:zdiz9zJZ
>>526 >信玄が調略するのに信長はしないのか?
そりゃ可能性あるよ、否定しない。
ただ、朝倉と伊勢長島は織田と完全な同盟とか難しい気がする。(休戦和議はあっても)
足利幕府再建(もちろん嘘)を名目にすると、明智がなびく可能性はゼロじゃないと
勝手に思うけど。
だから、あそこで直接退陣してたら織田と武田は五分五分くらいと思うな。
今日もう寝ます
ノシ
533 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:42:14 ID:uq09WYOJ
>>529 以前ほど強力な軍事動員ができなくなった上杉
そこで越中で実力を蓄える
勿論不安定になったという要因もあるけどね
構図は似てるね
関東は大勢力の北条が直ぐに対応できる、信濃は大将が長期遠征で不在
攻めるのは信濃のほうが楽でしょ
勝頼が信玄と同じ規模の軍事動員で、徳川攻めたり、美濃に侵攻したの?
信玄の場合は仮にも「上洛」と銘打っての軍事行動、勝頼のそれと同一視するのはどうなの?
だからさ、関東の反北条のひとらを「謙信が」見限るんじゃなくて、「反北条の人たちが」見限ったのよ
これは史実、臼井城か白金城攻略失敗でなだれをうって北条へ離反して、佐竹らは和睦してる
北信濃の防衛が強固で、武田が駿河侵攻の前にちょこっと攻めただけで強固で磐石というならさ、浅井朝倉への押さえは秀吉たちで十分ってことも支持するよね
どっちを優先するって質問は、まずそっちの謙信感が言わせて貰うなら「義将」っていう色眼鏡とでも言うべきもので曇ってて、とてもじゃないけど相手できない
534 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:44:41 ID:zXfvW5DY
>>532 >足利幕府再建(もちろん嘘)を名目にすると、明智がなびく可能性はゼロじゃないと
明智なら義昭を切り捨ててたはずだが?
それに、京を抑えた信長なら調停を使う手もあるし、実際成功したから、
反信長包囲網を崩すくらい難しくない。
535 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:44:58 ID:uq09WYOJ
>>531 その可能性について、武田観点しかないから、織田観点もつけたしたとご理解を
>>532 完全な同盟ってなに?
またそれが織田と朝倉らとの間で困難とする理由は?
なぜ幕府と明智が結びつく?
明日よろしく
536 :
534:2008/01/29(火) 23:45:30 ID:zXfvW5DY
調停じゃなく朝廷ね
537 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:48:41 ID:uq09WYOJ
おいらも寝るわ
538 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:50:05 ID:7Bp5TKJp
>>519 今川攻めでの山県の家宝焼き討ち
小田原攻めでの馬場の勝手な従軍
これらをどう取るかだな
勝頼の方は信玄死後長篠前に、評定衆が割れて対上杉か対徳川どちらにするか
という逸話があったと思うが
また飯井狭間?の城を攻める際に先方衆の意見に引きずられて城攻めをしたという逸話も
あったと思う
>>520 長く岐阜を空けておけないというのなら、それこそ余計な城攻めしないでさっさと帰っているだろ
更に言うなら和議が成立した以上無駄に出兵している必要もないのだし、帰国するのは当然なんじゃ
また16日と言うが半月ほどでも織田は十分戦果を挙げる能力があることを史実では証明していると思うが
まあ信玄が生きていたら朝倉滅亡は難しいと思うが、それ以外の小勢力はちょっと美濃空けるだけで
それなりに対処出きると言うことになると思うが、そして半月ほどなら信玄が生きていても岐阜を
空ける余裕はあると思うが
>>521 >そのまま動けば潰されるだろうよ。だからこそ武田軍の侵攻にあわせて動く計画だったのでしょうが。
これって遠藤のこと?武田の動きにあわせて動いても、東美濃と遠藤の八幡は距離ありすぎて孤立しちゃう
岩村から直線距離でも60キロはある、武田が支援しようと思ったら山の間抜けて一旦飛騨の近くまでいかないといけない、
逆に織田の方は平野部通れば近い。
織田と武田が東美濃のどこで対峙するかは分らないけど、遠藤は位置が悪い武田が平野部まで出ないと孤立することに
まあ地図でも見ればわかると思うが
浅井朝倉は前年までに何度か秀吉軍攻めて失敗しているしなー
>勢いづいてきた反織田勢力連中の動向を軽く見れるものかな。
各方面守る分には織田も十分な兵力あるしなー、武田が織田の主力を引き付けている間は
他の方面も現状維持、武田が兵をひいて織田の主力が動けるようになったら、
各個撃破されていくとなりそうだが、織田の畿内制圧が数年遅れるぐらいであとは
基本的に変わらないんじゃ
>どうだかねー。毛利を考えなくてもいいといわれても。
1573年の段階じゃ織田と戦う戦わない以前の問題、上の方のレス読むなり自分で調べるなりして
当時の毛利の状況を把握してくれ
539 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:55:38 ID:7Bp5TKJp
>>525 徳川は武田に裏切られているし
よほど追い詰められるか織田が不利にならない限り抵抗すると思う
明智は寝返るとしたら足利にだろうけど、可能性は低いんじゃないか?
この時期畿内方面は細川荒木などが織田に寝返っているし、武田の影響はあまりないんじゃ
540 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 00:00:01 ID:Qp4rurrF
>>533 おいおい。こっちは「義将謙信」なんて信じてないぞ。
何度もいうけど謙信が関東味方衆を助け、さらに振り返ってそもそも北条と
戦い始めたのだって関東における自身の利益拡大及び越後の保全。
いうなれば完全なる利害によるもの。だからこそ謙信は緊迫してる1574年の関東情勢を
ほっておけないんだよ。関東味方衆は謙信自身の為に必要なんだから。
楽とかそういう問題じゃないんだってば。関東の味方勢がやばいからまず救わなきゃ手遅れになり
そうだったんだよ。これは別に義将でもなんでもなく利害打算と戦略によるもの。
勝頼は少なくとも1574年の遠征に2万近い大軍を動員してるよ。
信玄の2万5千で狙えるというなら狙ってみてもおかしくないわな。
そう。反北条の連中は結局の所謙信が頼むに足りずと見れば見限る可能性は高かった。
なんか付け焼刃で話してないかい?とりあえず臼井の話は1566年だよ。1574年とは関係ない。
そして1574年の関宿陥落を持って関東味方衆は再び多くが北条に着く。
だから謙信は関東における自身の権益や味方衆をつなぎとめておくためには
関東に出陣しなければならなかった。必然性のある出陣だっただけの事。
都合悪くなると色眼鏡というのはいかがなものか。
それとこれとは違うだろうに。謙信はまず関東にいかなきゃならない状況だったのだから。
実際北信越の戦線は膠着してる。謙信にしてみればある程度の緩衝地帯があるし
なおかつ武田の主力が攻め込んでくる可能性は出陣してるから無いのに
緊迫してる関東情勢を放り出してなんで北信濃せめにゃならんという話。
ぶっちゃけそれしたって得をするのは織田だけだぞ。北信濃攻めれば信玄が戻ってきて
戦いになるんだから。緊迫しまくりの関東ほっておいてまでやることじゃない。
義将謙信とかじゃなくて戦略的に逼迫してるから関東にいかなきゃならなかっただけの話。
色眼鏡とかやめてもらおうか。
541 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 00:05:32 ID:n5EHfKtg
>>532 休戦和議でもその間織田は他の勢力攻められるから十分だしなー
更に言うなら
>足利幕府再建(もちろん嘘)を名目にすると、明智がなびく可能性はゼロじゃないと
これは小説の類じゃないか?明智がそういったものを大事にしているとかいうのは
まあ史実じゃ織田は調略で浅井配下朝倉配下三好配下足利配下と
どんどん寝返らせているな
>>533 史実じゃ武田は謙信の足止めしていた越中の勢力が壊滅した後は
北信濃の守備兵力を増強したということになっているからなー
だから謙信は北信濃ではなく関東を選んだかもしれないってのはあるな
542 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 00:14:34 ID:n5EHfKtg
まあ謙信に対しては武田は1574年以降は史実通り北信濃西上野の守備兵力増加
その分武田の遠征兵力低下、たまに関東に北条への援軍を出す
冬は謙信が雪に閉ざされるので武田は対上杉用の守備兵力も動員可能って感じでいいんじゃないか
>>540 楽ってのは一応あるだろ
景勝時代に北信濃に攻めこんでいるんだし、できれば取りたかったんだとは思うぞ
まあ武田が健在の状況では攻めこむ可能性は低いだろうけどな
543 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 00:18:51 ID:Qp4rurrF
>>538 今川の家宝焼いたのも小田原従軍したのも馬場さんだよ。
いや、だからね。戦果挙げてないでしょ。
二条城は落ちて無いし、そもそも落とすつもりじゃなくて和議狙いで最初から動いてる。
3月25日に信長は出陣するがその前から何度も和議を申し込んでる。
そんで聞いてくれないから出陣して包囲して天皇の仲介を使って和議をした。
もう六角とか本当にあの頃は弱ってたからなあ。それまでの数年で何度も織田勢にやられてあの頃はもう灯明みたいなもの。
あの状態の六角を行きがけの駄賃でへち倒したのをどうだ、といわれても。
体勢に影響なさそうだとしか。
朝倉に宛てた書状によれば信玄は遠藤に鉈尾に砦を築けと指示してる事から
武田が織田と東美濃で対峙してる間に後方をかく乱して欲しかったのか、
持久させるつもりだったのか、あるいは直前まで潜ませておいてここぞという時に
寝返らせるつもりだったのかさてさて。
本格攻勢ではないしなー。あくまでも1部隊だし。
朝倉浅井の本軍による本格攻勢なら望みありだと思うが。
その数年のタイムラグ、というか武田と織田による膠着が生まれればそれは
反信長勢によるチャンスではあるのだが。
まあまず春からの美濃における一斉反撃が行われれば織田も楽には出来ないと思うが。
だから、1573年の段階で参戦しなくてもいいと何度も言っているんだけど。
信玄が春からの反撃その他で織田に打撃を与えるなり、そこまでいかなくても
状況が泥沼になって数年が立てば毛利が参戦できる状態がかみ合うだろうという話。
544 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 00:22:45 ID:Qp4rurrF
>>542 そりゃ取れれば取りたいだろうけどねえ。
1574年の緊迫状況で関東ほっといてでも取りたいかと言うとかなり微妙かと。
簡単に取れる状況でも無いし。
545 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 00:30:25 ID:Qp4rurrF
とりあえず今夜はここらで失礼する。
546 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 00:32:40 ID:HbsbVwhB
武田家に何度も大規模遠征の余裕があればの話だけどな。
あるにしても織田の畿内制圧が数年遅れるだけだし。
毛利に関して織田が畿内制圧して東中国で利害衝突の状況にならなければ参戦はない。
利益衝突もない大勢力にわざわざ戦いを仕掛けるほど毛利は安泰じゃないし暇じゃないから。
547 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 01:03:55 ID:n5EHfKtg
>>543 馬場だったな失敬
>3月25日に信長は出陣するがその前から何度も和議を申し込んでる。
外聞気にしたんだろうな、三好松永や古くは赤松の例もあるし
>もう六角とか本当にあの頃は弱ってたからなあ。
六角はこの時はまだ包囲だが、それはともかく数日ここで過ごす余裕があるというのは
武田の脅威をあまり感じていない、岐阜を空けても空けても平気だと思っている証拠じゃ
徳川の1573年4月の近江に出陣しようかって書状はただの外交辞令だろうけど
>それまでの数年で何度も織田勢にやられてあの頃はもう灯明みたいなもの。
それ言うなら浅井だって似たようのものだとは思うが、六角や寺社焼いたのだってそれなりの
戦果だと思うが、これで江南はほぼ安全になったわけだし
>朝倉に宛てた書状によれば信玄は遠藤に鉈尾に砦を築けと指示してる事から
遠藤氏の勢力じゃ撹乱しようにもたかがしれてるし、長島と連携するにも武田と連携するにも
距離ありすぎるし、持久なんてしても、武田が兵をひいたら即座に潰されそうだし
武田が可児辺りまで進出でもしない限り日和見するんじゃ
>本格攻勢ではないしなー。あくまでも1部隊だし。
城攻めなんてたいてい一部の部隊が攻めて強襲に失敗したら持久か撤退かだと思うが
大名直属の備えまで投入なんてほとんど無いだろ
また、軍役拒否などが出ている朝倉が家臣にそのような力攻めを強要出きるのか
強要して落とせたとしても疲弊しきってはその後が続かないし、
織田が主力を率いて戻ってきたらまたもとの位置まで撤退しそうだが
>その数年のタイムラグ、というか武田と織田による膠着が生まれればそれは
>反信長勢によるチャンスではあるのだが。
何がどうチャンスなんだ?織田が畿内制圧するなら、ほとんどの反織田勢は壊滅してるんじゃ
まあ、俗に言う第2次包囲網は史実より反織田勢側に有利な状況で戦える思うが
>まあまず春からの美濃における一斉反撃が行われれば織田も楽には出来ないと思うが。
まあ一斉反撃が行われてる間は織田勢も守勢に入るだろうけど、武田も朝倉もいずれ兵を
引くだろうし、そしたら弱い勢力から各個撃破されるんじゃ
>だから、1573年の段階で参戦しなくてもいいと何度も言っているんだけど。〜
そりゃ織田が(史実に合わせるなら最低でも5年以上)勢力伸ばさず、
反織田勢は健在で毛利が三好を何とかして播磨なども影響下にして
九州に攻めることなく織田を相手にするなんて都合が良い状況が起こるならな
548 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 01:19:54 ID:PD1s7hGT
伊勢長島の集団は動くの難しいぞ
伊勢長島はちょうど木曽三川が合流する場所で濃尾平野最大の氾濫原
動きたいときに動けるかどうか解らない集団だからこいつらはやはり数に入れない方がいい
大氾濫の対策取れたのは江戸時代徳川義直が藩主になって大規模な堤を築いてから
この時代では伊勢長島周辺の牽制や直通の道を通れなくするだけのゲリラ的な存在だと割り切った方がいい
慎重に事を進める信玄がこのような博打はまずしないだろ?
549 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 07:39:45 ID:7ZpY3YIr
>>540 ○○という理由で、関東に固執したといわなければ、そりゃ義将感に支配されてると表現されてもおかしくないでしょ
味方衆を「助け」とかという表現使ってることからもなおのこと
当初の目的は反北条連合の旗手という立場だっただろう、しかしそれが元亀天正期間の関東介入の意思と関係あるのかな?
で、えちご防衛という観点から見れば、元亀天正初期の時点では、北条の侵略は下総とかあのあたりが中心
また越後防衛のためには沼田が必要だが、それも謙信側、これは謙信が死ぬまで沼田は謙信で安定している
いうなればひと時の小康を得ているわけで、その点だけみれば信濃越後の隣接地と変わらないという事になる
小金城臼井城落城で関東での求心力を喪失した謙信は、越相同盟で上野にひと時の勢力回復を見せたが、それでも積極的に関東情勢に介入してない
佐竹ら反北条が武田を中心にすえて、北条徹底抗戦を志向したから、謙信じゃ頼りなくなってしまったから
つまり、まったく協力が得られないというのは極論だが、ほとんど期待できないから、関東に行くか信濃に行くかは「女性を得られる」という観点からはどちらも同じ
越相同盟では上野と武蔵の一部割譲という条件に釣られて、関東勢の期待を裏切って北条と同盟した
この行動見ても、関東勢のためにというよりは、自分の権益を最優先という、至極全うな思考を謙信がしてたと考えるべきだ
つまり、越後防衛という目的は当分安泰、有利に軍事作戦を進められるか否かという点からみると、信濃も関東も遜色無い、義将という観点もどうやら否定してる
これだけだとどっちつくかは判断できない
しかし、これに武田が上洛と称する軍事行動中であるということをあわせれば、信濃に向かうのが自然じゃないか
それとこれとは違うって浅井朝倉の押さえのことかな?
「武田の主力が攻め込んでくる可能性は無い」と、「北信濃攻めれば信玄が帰ってくる」は矛盾してるように思うけど
前者の理解に立てば、謙信はますます越後を攻めたくなる、武田の援軍が来ないと謙信が判断するのだから
後者の理解に立っても、武田は敵領土の真っ只中で、早急に信濃に帰るというのは困難
またそんなに早急な対応が可能ならば、織田の整備されてる道路、しかも自領土内の移動で、距離的にも武田のそれよりはるかに対応しやすい
仮に帰ったとしても、川中島再来になって終わりじゃないかな
少なくとも信玄は謙信と直接的な衝突は避けようとしてるし
>>541 仮にそれが本当なら、武田の上洛軍は減少するわけで
それでなくても、遠征できる期間というのは短くなる
その間に決着をつけなければならないとすると、武田が長期戦というのは考えにくくなる
短期戦で挑もうと思えば、反織田が再度立ち上がって大勢を整えるのを待っていられるのかな?
550 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 18:46:10 ID:F2otdpyn
なんか明智が裏切る可能性が書かれてるけど、
もし本能寺で裏切った印象があるからこの時期にも光秀が裏切るんじゃないかと思ってるのなら不適切じゃね?
本能寺は大部分が謎なんだから、ただ本能寺の変があったという事実だけで=光秀は常に謀反の可能性を秘めている
とするのは間違いだと思う。
第一本能寺の変が起きる10年以上も前の時期の光秀と本能寺の変当時の光秀の境遇・考え等を同一視するのは不自然。
この時期の光秀は数々の戦功をあげて、前年には志賀郡の領土を拝領して坂本城を築いている。
流浪の身から城持ちに出世した当時が、光秀にとって一番充実して人生最良の時だと感じていたはずだし、
織田家と信長に対して最も感謝していた時期だと考えられる。
下記でも述べるけど、幕府再建を名目云々もこの時期の光秀には効果は皆無だと思う。
堺屋太一著の「秀吉」で光秀はこの時期に幕府の者に賄賂(地子銭二十一貫余)を出してまで義昭と切れたがっていたと記されている。
幕府お詰衆の曽我兵庫頭助乗宛ての手紙↓(小説本文から抜粋)
「お恥ずかしいことだが、早く足利義昭公からお暇を頂くようにお願いして欲しい。自分などはどう見ても見込みのない身だから、
頭を剃るように将軍にお取りなし頂きたい」
小説内で登場するこの書状が実在するものかどうか自信がない。
光秀が曽我兵庫頭助乗なる人物に宛てた上記のような手紙が実在するのかどうか知ってる人いたら教えてちょうだい。
551 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 21:21:24 ID:MsR9s7u8
こんばんは、昨日の
>>518,
>>525,
>>532です。
>>532 >明智なら義昭を切り捨ててたはずだが?
その可能性の方が高いだろうね。俺はただ自分の考えで
光秀が寝返る可能性もゼロじゃないと思ったから書いただけだよ。
別に書いてもいいんだよね。このスレって史実を精密になぞるんじゃなくて
そもそも1573年に亡くなった信玄の寿命が10年延びたらどうなったかを
予測(ある種の、妄想)を書いていいスレでしょ。
>それに、京を抑えた信長なら調停を使う手もあるし、実際成功したから、
>反信長包囲網を崩すくらい難しくない。
そりゃそうだね、その可能性のが高い高い、全然異論ないよ。
そもそも俺も
>>518で、信玄の寿命が延びてた方が、勝頼体制よりも
早く武田が滅んでた可能性(つまり信玄が存命で、そのまま進軍してたほうが
武田家滅亡が早まった失策に繋がってた可能性があり、信玄が陣中で亡くなり、
一端武田軍が帰国した事が不幸中の幸いだった可能性もある)も述べてるしね。
ただ、ここのスレの人は武田にマイナスな事を書く分にはスルーか同調で、
少しでも武田に好転な可能性を書けば、目くじら立てる傾向があるが、俺は
両方書いてるだけなんだけどな。
552 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 21:24:03 ID:MsR9s7u8
>>535 >完全な同盟ってなに?
>またそれが織田と朝倉らとの間で困難とする理由は?
別に俺の中でのイメージだよ。可能性が低いんじゃないかなって思っただけ。
まあ朝倉氏としては織田に寝返る可能性ももっと高いだろうけど、義景の心情としては
織田と同盟を結び、武田(場合によれば、浅井、伊勢長島)を討つ心境にいたる
可能性は、無いとは言えないが低いんじゃないかなってね。
そう思い、書くのは自由だよね。
>なぜ幕府と明智が結びつく?
>明日よろしく
これも俺が個人的にそう思っただけだよ。例えばさ、1573年に信玄が生きててあのまま
戦が長引いたとして、その退陣のさなかに織田徳川の調略で穴山信君が武田から
寝返った可能性もゼロといえないし、こっちの話なら明智が武田に寝返った可能性の
話ほど突っ込まないんだよね?
そもそもこのスレってある種空想の話をしてるんだよね、1573年に死んだ人の。
だから色んな人が色々な内容書くけど、全て想像の域で、後は可能性の高い低いくらい
でしょ。度々「信玄が生きてても、勝頼と全く同じ末路を辿った。武田はすでに終わっていた」
と強調される人もいるけど、それだって可能性の問題で、現実には判らないでじょ。
信玄が息災なら美濃まで進んだか、息災でもあの時点で陣を引いたかの有無も。
色んな意味で織田に分があったと、俺も思ってるけどね。
553 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 21:25:48 ID:MsR9s7u8
>>539 >徳川は武田に裏切られているし
>よほど追い詰められるか織田が不利にならない限り抵抗すると思う
それの方が可能性高いだろうね。基本俺の書いてる事は可能性低い話が多いよ。
そういう話を書くの嫌いじゃないもんで。いいでしょ、可能性低い話もあったほうが。
その前に、美濃方面で織田本体と武田が激突して、武田が大敗して徳川が寝返る云々
以前の状況になってる可能性もあるしね。
>明智は寝返るとしたら足利にだろうけど、可能性は低いんじゃないか?
>この時期畿内方面は細川荒木などが織田に寝返っているし、武田の影響はあまりないんじゃ
そう、可能性大いに低い。でも色んなパターン想像したい方だからさ俺は。
バカにされるのも慣れてるし、それも仕方ないだろうけど、書くの自由だと思ってるし。
その先どうなってたか計り知れないけど、織田と武田の直接対決になったとして
情勢が混沌としてれば、光秀に限らず織田方からも、武田側からも寝返りの
可能性はゼロじゃないしね。
554 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 21:26:40 ID:MsR9s7u8
>>541 >休戦和議でもその間織田は他の勢力攻められるから十分だしなー
だからさぁ、俺織田が更に優位になって、武田滅亡が1582年より早くなった
可能性も結構書いてるんだけどね。
>これは小説の類じゃないか?明智がそういったものを大事にしているとかいうのは
足利に対して光秀がどんな感情を持っていたかも、年をおうごとに変化していくし
足利云々になびく可能性も極めて低い話なのは否定しない。そも、信玄が
生きてたらどうのってスレだから、そういうのも思い浮かべてもいいと思ってる。
>まあ史実じゃ織田は調略で浅井配下朝倉配下三好配下足利配下と
>どんどん寝返らせているな
そうなんだよね、身内を調略されて最後を遂げたんだよな義景。
555 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 21:28:12 ID:MsR9s7u8
>>550 >光秀は常に謀反の可能性を秘めている とするのは間違いだと思う。
>下記でも述べるけど、幕府再建を名目云々もこの時期の光秀には効果は皆無だと思う。
間違いと思われても仕方ないし、効果は皆無だと思われるのも仕方ないな。
それでも俺は可能性が無いととは思ってないけどね。調略の餌も足利云々に
限定しないし、その時の戦況、予期せぬアクシデント等も含めて何がおきたか
神のみぞ知るといえるくらい何がおきる判らないと思ってる。
前にも書いたが、信玄があのあと存命してた体で、一番気になるのはやはり
信玄が生きてたら進軍したが、死んだから陣を引いたのか、信玄が生きていても
やはり引いたの是非。生きていても引いたなら、棟梁が信玄でも勝頼でも
そんなに変わらなかった可能性が高い。逆に生きていて織田と退陣してたとしたら
それこそ、勝頼体制より早く滅んだ可能性も、織田を退けて尾張、美濃を切り取った
可能性もある。結局はそこが大きなポイントだと思う。
だから歴史には多かれ少なかれ影響あっただろうね、信玄の寿命が延びてたら。
これからも、思いついた事は書こうと思ってる。
まあ、もうあんまり思いつかないけどね。
556 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 21:44:31 ID:dBk0tV5X
>>550 そりゃま、一理あるけど、それを言い出したら
「史実から外れた10年も後の展開なんぞそもそも予測不能」の一言で終わってしまうじゃないか。
起きないかもしれないが絶対に起きないとは言い切れない。
であれば、ひとまず起きるものとして考えておけばいいんじゃね?
557 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 22:12:17 ID:GdI4nLW4
妄想書きたいならチラシの裏にでも一人で書いてればいいのに、
それともスレを活性化させるためのネタか?
558 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 22:34:21 ID:F2otdpyn
武田と国境を接する遠山氏等の豪族や領国を蹂躙されつつある徳川氏およびその家臣団を対象としたり、
史実で寝返った経験のある人物はその是非は別として調略の対象として考えてもいいと思うが、
それ以外の人物は何か特別な根拠がない限り可能性がゼロじゃないとか言って調略対象として考えたら収拾がつかなくなるでしょ。
その人物の史実での言動、1573年以後の立場、周囲の状況等から調略に応じるか否かの考察って必要だよ。
確かにこれも妄想みたいなもんだが、妄想でもそれなりに考察するってのは議論するうえで最重要な事の1つだしね。
明智光秀に関しては謀反に際しての動機等の情報が全てといっていいほど謎なんだから、
調略対象としては考慮するのは不適切だと思うんだがね。
>>556 この手の話題で可能性はゼロじゃないというのを根拠にするのはタブーでしょ。
ゼロじゃないのならある程度の根拠を提示してくれないとね・・・
559 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 22:37:15 ID:dBk0tV5X
このスレの話の方向性は、一番あり得そうな展開を探るというものになってるけど、
それだけじゃつまらないんじゃないかな。
例えば、武田の勝つ確率が30%くらいだとして、
その30%が起きるのはどんなケースか、みたいな議論もアリだと思うんだけど。
560 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 22:41:15 ID:HbsbVwhB
いくら仮想スレでも根拠なしに持論を展開するのはおかしいだろ
そういう妄想は脳内だけにしてくれ
561 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 22:52:21 ID:F2otdpyn
>>559 その30%を考える場合も根拠は絶対不可欠な要素でしょ。
例えば調略に関してだけど、
史実で秀吉に水攻めにされ落城が必至な状況下になっても調略に応じなかった清水さん。
これを根拠に史実では恩賞や絶対絶命な状況下でも転ばなかった清水さんを調略で落とすのはかなり困難な業。と推測できる。
毛利家の扱いがあまりにも酷くなった、他家の流言で毛利家から忠誠心を疑われて毛利家から離反せざる得ない状況に追い込まれた等で
清水さんが調略に応じる可能性はゼロとも断言できない。
だけど、上記のような根拠を提示する努力は怠ったらいかんでしょ。
努力もせず義務も果たさないのならレスするなと・・・
562 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 22:53:48 ID:Qp4rurrF
>>547 外聞を気にしたのはもちろんあっただろう。
だけどそれだけと断じるものでもあるまい。
あれだけあわただしく動いてさっさと戻っているのだから。
それで結局16日で最後には岐阜に戻っているじゃないか。
出陣にいたるまでの動向、それまでの沈黙を数日小勢力の打倒に費やしただけで
脅威にあらずとはいかがなものか。
遠藤は使うにはタイミングを必要とする駒ではあるな。
ただ主力が対峙してる状態で後方かく乱されると鬱陶しいのは確か。
武田が進軍してここぞという時に寝返らせるのがまあショッキングな使い方ではあるな。
別に1部隊だけじゃないだろ。城攻めは。
大将が本陣に座し複数の部隊が包囲して行うものだろう、本格攻勢は。
刀根坂では軍役拒否が出てても2万の兵を朝倉だけで用意してるのだから
兵力に問題はあるまい。
織田は戻ってこれる状況になるかな。武田・伊勢長島・朝倉が連携したこの攻勢が
うまくいけば織田はそんなに余裕綽綽ではいられまい。
武田と織田が膠着していれば畿内連中がそんなに簡単に潰されることは考えにくい。
朝倉浅井は失地回復を足利その他は影響力の拡大を鬼のいぬまに目指せる。
そして第2次包囲網が優位な状況で戦えるとしたらそれは信長にとってかなり不利だと思うが。
その攻勢で各地を切り崩されると織田は相当辛いだろう。下手すりゃ流れが傾く可能性もある。
武田や朝倉その他がどこまでこの一斉反撃で切り込めるかはやっぱり変動要因が大きすぎるかな。
ま、実際九州攻めずに毛利は織田と滅亡寸前まで戦う道を選んだわけで。
足利将軍の要請その他の影響力は侮れんよ。
ここまで書いといてなんだが、もう話が平行線にしかならんような。
すでに変動要因が大きすぎて正確に予測は出来なくなってきている。
このまま続けても折り合いがつかなそうなのでここらで切りにしないかい?
とりあえず俺個人の見解としては信玄の春からの一斉反撃が始まれば
最終的な勝者が誰になるにせよ、史実どおりにはいかなかったのは硬いと思ってる。
とりあえずそれだけ。
563 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:09:26 ID:HbsbVwhB
>>562 > 刀根坂では軍役拒否が出てても2万の兵を朝倉だけで用意してるのだから
> 兵力に問題はあるまい。
数はな。
軍役拒否が出る状況で集められた兵の士気も素質も知れたもの。
実際朝倉勢が織田とぶつかってあっさり粉砕されたし。
> 織田は戻ってこれる状況になるかな。武田・伊勢長島・朝倉が連携したこの攻勢が
> うまくいけば織田はそんなに余裕綽綽ではいられまい。
だから信玄上洛の時のベスト態勢のときも余裕があったんだろ。
ましてや織田は内線作戦、反織田は隔離されてる。
お互いの準備時間を見計らって連絡取って一斉攻撃しようにもその前に織田が反撃に出れば連携が崩される。
これに関してなぜか信玄有利と予想する人は織田が一斉攻撃を待ってくれると信じて疑わない。
桶狭間ですら出撃した信長が他人に主導権を握られたまま待ってるだけだと予想できる根拠はどこにあるか知りたい。
> 武田と織田が膠着していれば畿内連中がそんなに簡単に潰されることは考えにくい。
> 朝倉浅井は失地回復を足利その他は影響力の拡大を鬼のいぬまに目指せる。
浅井は小谷の目の前の要塞に封じ込まれて風前のともしび、朝倉は動員すれば動員するほど崩壊していく。
どうやって失地回復する?
> ま、実際九州攻めずに毛利は織田と滅亡寸前まで戦う道を選んだわけで。
> 足利将軍の要請その他の影響力は侮れんよ。
毛利と織田が戦う経緯を完全に無視して「九州を攻めずに織田と戦う」?
史実では織田と戦ってる最中にも大友と戦って尼子や南条などと戦って疲労困憊だったはずだが?
> とりあえず俺個人の見解としては信玄の春からの一斉反撃が始まれば
> 最終的な勝者が誰になるにせよ、史実どおりにはいかなかったのは硬いと思ってる。
信長が反織田勢力が体制を整えるまで待ってくれれば、の条件付きだけどな。
564 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:19:41 ID:MEqRFkPs
朝倉が動くとしている人がいるが、根本的に、志賀以降の朝倉は浅井への援軍以外に兵を出していない。
そして浅井が危機にならなければ、自分から仕掛ける余裕もなくなっていた。
73年の江北対陣では、信長が帰国して残っているのは木下隊だけだというのに、朝倉軍は虎御前山砦に
攻撃をしかけるなんてもっての他でただ見ていただけ。そして自分も帰国。
74年の刀根坂でも、そもそも阿閉が調略されて織田に寝返り、その報に接した信長がその日の内に出陣。
それを受けて援軍として出張ってきた。つまり、受身でしか動いていない。
ついでに言えば、この時の兵力が二万というのもかなり怪しい。なにしろ前年から越前武将たちに織田
への寝返りがおこり、この時は一族重臣から出兵拒否される始末。それで二万はないだろう。正直、軍記
講談の誇張された数字としか。
565 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:25:01 ID:MsR9s7u8
根拠として示せるモノは、少なくとも俺には一つもないな。
「武田は信玄存命から万策尽きていた。信玄の寿命が数年延びても勝頼と同じ行動をとり
同じ末路だった筈」
「武田は、あのまま美濃に攻め上がれば、それに歩調を合わせて浅井朝倉、伊勢長島も
連携していけば、武田及び織田包囲網の軍が、かなり優位にすすんでいた筈」
これ両方根拠ないでしょ?
兵力が何万対何万何千になる筈だからとか、ホームだとかアウェイだからとかも正確に断定できない。
過去の史実をなぞるだけじゃなくて、それを参考に架空の歴史を語る上で、参考データこそ
あれ、コレが根拠って言っても何一つ根拠になりえない。
光秀が寝返る可能性がゼロと断定されても、それはそれでしょうがないし
俺の書いてることが、チラシに書いてるのがお似合いな脳内妄想って言われても
仕方ない。ただ、ココに何か書くのが、そんなに敷居が高いのかなぁ?
それと、織田に有利な話だと、内容が薄っぺらくても殆ど突っ込まないのに
それが武田になると、物凄い勢いになるのは特徴的だね。俺は両方書いてるから
それを実感した。直接対決で武田が大敗したって書いたら、何も反論ないけど
コレだって根拠ない妄想なのに、こういう話は根拠なくても気にならないんだよね?
俺は色んな可能性を計りたいのと、1573年信玄はどっちにすすんだかに興味あるけど、
どちらがかが(織田,武田)優位じゃないと気がすまないってのとは違う。
566 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:25:52 ID:Qp4rurrF
>>549 おいおい。戦国時代において利害において自分の為に必要な味方を助けるのを
義将なんていうのならそれは戦国時代のほとんどの武将が義将だよ。
なんか苦しい言い訳になってるよあんた。
大いに関係あるって。なんで関係ないと思えるのかむしろ不思議だ。
つかぶっちゃけ俺があんたの臼井を関係ないといったのをあて返してるだけだろ。
因果がむちゃくちゃな所で使ってるから滅茶苦茶になってるよ。
謙信が最後まで沼田を維持できたのは最終的な結果。
それまでにいたる謙信の様々な努力あっての事。
1574年当時の謙信がそんな楽観で動けたとでも?現実に北条の脅威は迫ってるのだから。
1574年当時においては謙信は関宿を守り関東の味方を自分につなぎとめるために
関東のあちこちで戦った。しかし力及ばず関宿は陥落し関東味方衆も多くが北条と結んだ。
これは謙信にして見れば最悪の事態だった。その最悪の事態を避けるために謙信は1574年に
関東に出兵したのであって武田が出払っていて攻め込まれる心配の特にない信越とはその
緊迫性は比べ物にならん。
謙信としては自分の関東での権益の為に味方衆を繋ぎ止めたかったし関宿も守りたかった。
だから関東に出陣したという当たり前の理由があるだけ。
それは結局越相同盟があったから。越相同盟がなくなった後では北条との戦いは再開してる。
だから北条と戦い自分の権益を守るためには関東の味方勢は必要だった。
信濃攻めて誰の助成が得られると? 信濃で謙信の為に戦ってくれる勢力なんかないぞ。
飯山は謙信の領土でほかは武田が制圧してる。
だから最初から言ってるだろう。こっちは。謙信は純然たる利害で動いてると。
そっちがありもしない義将謙信を俺が描いてるとか決め付けだしただけ。
謙信は北条との戦いにおいて自分の利益の為に関東味方勢が必要だった。
だから守ろうとしたそれだけ。
なんで越後防衛が安泰だと断言できるわけ?未来人じゃないんだから。
関宿が陥落し関東諸勢力が北条につけばそのまま北条が北上してきて越後防衛が
危機に瀕する可能性は高い。だから関東に出陣した。ただそれだけ。
この程度の事をなんど言わせるのか。
それで? 結局勝頼が2万近い兵を率いて出陣を1574年にしても謙信は関東に首っ丈なんだけど。
これについてはどう思ってる?つーか人には散々根拠根拠といっておいて
自分は都合のいいところだけよりぬこうとする姿勢は不快だ。
そっちに聞いておきたい。謙信が1574年にあれだけ力を注いだ関東をほっぽりだしてまで
信濃を伺おうとするという事になんか根拠はあるの?まず示してもらえる?
全然矛盾してないよ。馬鹿らしい。
武田主力が出払ってて攻め込んでくる可能性が無いのだから謙信は逼迫してる関東に向かった。
なんでこの状況で信濃攻めなきゃならんの。
そしてその信濃を攻めれば武田とて黙っては居られまい。戻ってくるなり兵力を割くなりする。
そうすれば第5回川中島のように謙信は武田の防衛網によって動きを封じられる。
その間に関東はぼろぼろだ。それで得をするのは北条と織田だけ。其の程度の事を考えない謙信じゃないだろう。
言い方を変えるとなんで織田の為に関東の権益を捨ててまで信濃攻めにゃならんの。
謙信は実際勝頼が2万近い兵力を動かしてるけど関東に向かっただろう。
つかね、敵領土真っ只中ってどういう状況想定してるの。美濃東部の岩村から信濃の木曽は武田の領土だよ。
なんでこれで帰って来れないと思うのだか。
とりあえずこちらが要求した根拠をまず出してね。
567 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:26:44 ID:F2otdpyn
>>564 二万という数字はどうなんだろうな。
領土防衛の為なら通常の遠征時・攻勢時よりも無理な動員ができるから
それ程非現実的な数字ではないのかもしれない。
寝返り組み・軍役拒否組みを差し引いても、1万5千程度は動員できていた気がする。
詳しい人いたら解説頼むよ。
まあと刃根坂で二万を動員したといっても、その数をそのまま遠征・攻勢に出た時に捻出できたかというと不可能だろうね。
攻勢時と守勢時とでの動員力を同一視してはいけないよな。
568 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:27:37 ID:Qp4rurrF
569 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:30:32 ID:HbsbVwhB
570 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:33:53 ID:Qp4rurrF
>>569 とりあえず俺はこの問題においては
>>547とは平行線になりそうで切り上げようと思ったが。
そっちがやる気なら反論してもいいけどどうするね?
つーか他人の議論の最中にくちばし入れてくるのは感心しないね。
571 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:35:11 ID:WBY01hou
>>550 >堺屋太一著の「秀吉」で光秀はこの時期に幕府の者に賄賂(地子銭二十一貫余)を出してまで
>義昭と切れたがっていたと記されている。
この時切れたがっていたかまでは分らないが義昭への取り成しの例として地子銭を出したのは
『古簡雑纂』
>「お恥ずかしいことだが、早く足利義昭公からお暇を頂くようにお願いして欲しい。
>自分などはどう見ても見込みのない身だから、頭を剃るように将軍にお取りなし頂きたい」
これは『神田孝平氏所蔵文書』の光秀の曽我兵庫頭助乗宛の書状
572 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:40:33 ID:MEqRFkPs
>>565 >直接対決で武田が大敗したって書いたら〜
たぶんだが、直接対決が兵力互角くらいなら、史実の実績からいって信長が勝つ可能性の方が高いと
コンセンサスが取れているんじゃないかね無意識にでも。
二万五千スレを持ち出すが、両家の国力は石高で織田が倍近くあったそうだから。そこから兵力を同数
まで持ち込むのでも偉業だと思うがな。
それから昔の二万五千スレでもあったんだが、何故武田側は全ての味方勢力を足して織田より上回って
いると主張するのに、織田には味方は徳川しか加えないんだ?
例えば畿内の反織田勢力がというが、その反織田勢力には当然敵の敵は味方の理屈で敵対している親織田
勢力がいるわけで。そういった勢力を無視して反織田勢力だけが一斉に攻勢に出られるなんて有り得る
わけがない。
573 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:42:47 ID:WBY01hou
>>562 本当に武田の存在が脅威なら、岐阜から離れること出来なかっただろうし
義昭の挙兵の影響力が非常に大きいというなら、全速力で行って戻ってくるだろう
16日でというが織田にはそれ以上出陣している必要も無いのだから帰国するのは
当然のことなので、それだけの期間しか岐阜から離れられなかったのかは判らない
ただ、武田を脅威に感じていたのであれば寄り道などしないだろうから、これらのことから
論理的に考えるなら、織田は武田を差し迫った脅威とは考えていないになるんじゃ
574 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:47:36 ID:Qp4rurrF
>>572 >>565じゃないけどいわせてくれ。
だから美濃における反撃の主体は武田・朝倉浅井・伊勢長島・遠藤。
こいつらは特に美濃の織田に影響を与えるのに過不足あるまい。
大抵畿内の親織田勢力は織田の勢力として組み込まれて計算されてるだろうに。
前から思ってたのだが織田方の人はなんか断定がすぎるように思えてね。
信長が寡兵で大を破った戦も完全に真正面から行ったのは少ないし、
信玄は敗けぬ事に長けた将。これで大敗当然と織田方が断じるのが俺には不思議に思えて
仕方ないのよ。
575 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:47:44 ID:WBY01hou
>>564 2万は怪しいだろうな
『信長公記』では桶狭間で4万5千ときろくしているが武田北条の書状では2万5千
かなり誇張しているのでは
朝倉が1万〜1万5千とするなら石高から考えると妥当な数値になるし
朝倉を1万〜1万5千としてそれぐらい兵力差があるなら一戦で滅亡してもおかしくないし
朝倉が退却しようとしたのもわかる
576 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:50:27 ID:WBY01hou
577 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:52:14 ID:Qp4rurrF
>>573 最初から和睦を目指して動いて攻めて天皇仲介にしてすぐに和睦しているわけで。
余裕綽綽なら普通に攻めて時間かけて落とすでしょ。
六角はもうあの時は弱りきってる。それを行きがけの駄賃で撃破したのが大した時間に
なるとは思わなかっただろうし実際そうだった。
武田進軍により美濃に戻り動かず、動いても16日。これは普通に考えて警戒してると見ていいのでは?
578 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:53:00 ID:WBY01hou
>>574 >大抵畿内の親織田勢力は織田の勢力として組み込まれて計算されてるだろうに。
上洛スレの兵力計算じゃ織田の勢力としては組みこまれていないな
あそこは基本的に織田に不利なように算定されているし
579 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:54:36 ID:Qp4rurrF
>>576 おお。ID変わってるけどあんたか。
どうだろうか?ここら辺で切りにしとかないかい?
これ以上続けても正直変動要因が大きすぎて平行線にしかならないような気がしてね。
580 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:00:34 ID:WBY01hou
>>577 本当に余裕が無いなら時間かけずに義昭を攻め滅ぼしていると思うが
またこの時動く必要があったのなら、雪で朝倉が動けない冬の間に動くか
武田が兵をひいたあと、すぐに動くべきだが、実際には動いていないから
別に16日以上動く必要は無かっただけとなると思うが
結局義昭が再度挙兵するまで兵を動かしていないのだから
武田はあまり関係無いんじゃ
581 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:04:43 ID:h9HEo7rc
>>570 ピリピリするな
カルシウム飲め
横からレスされたくなけれな無記名掲示板に出てくるな
582 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:07:15 ID:J8C2zXpu
>>565 別に織田に有利な話に限ったわけではないが、
その意見に同意あるいは自信の知識不足等の理由からレスできない場合はレスしないって人が大半でしょ。
信長と信玄が直接ぶつかったらの話題は上洛スレ等いろんなスレで幾度となくされている議論で、
何の根拠も提示されずに信長が勝利という場合に誰も突っ込まないのは、
各々がそれらの議論を根拠として脳内補完してるからだと思う。
織田に有利な話でもそりゃないだろって内容だと突っ込むし、自分が知らない場合だと質問する。
同意だとわざわざレスしない。そういった背景があることも考慮してくれ。
>>571 情報激しくサンクスです。
機会があったらその資料を見てみるよ。
>>570 おいおい1対1の議論がしたいのならメールかなんかでやれよ。
>>569は煽ったり茶化したりするのではなく真面目にレスしてるんだから全然無問題だろ。
ここは1対1で議論する場ではなくみんなで議論する場なんだからね。
>>574 信長の実績+戦は数を揃えたほうが断然有利+戦場は織田家領国(もしくは徳川家領国)
これらを考慮したら断定はいきすぎだが、信長勝利濃厚だと言うのはいきすぎじゃなくね?
信玄は負けぬに長けたというが、逆に言うと勝ちきれないわけだし・・・
583 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:08:16 ID:5GeM1nbB
>>580 城攻めなんて時間のかかるもの。
予定外に時間がかかり美濃その他を放置できなくなり
兵を他に転じなければならなくなったりしたら
信長の威信に傷がついてしまう。
こういう状況では手堅くさっさと和議ですますべきだと朝廷を使ったと考えれば
つじつまはあうと思うが。
それまでは足利に何度も和議の打診をしながら中々動かなかったように
武田の動きを警戒していたのでは。
というかこの話も平行線になりそうな。
584 :
571:2008/01/31(木) 00:09:27 ID:esk2FUXv
>この時切れたがっていたかまでは分らないが義昭への取り成しの例として地子銭を出したのは
取り成しの礼 の間違いだった
585 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:15:18 ID:5GeM1nbB
>>581と
>>582 とりあえず
>>547と話していて平行線になりそうだから切り上げようとしてる所に
横槍来られるとこっちも継続する気なのか気になってね。
>>582 最後のところについて答えておくが、行きすぎだと思うね。
負けぬに長けた信玄が織田を拘束すれば朝倉浅井・伊勢長島・遠藤の跳梁が始まる。
というかあの当時では織田が美濃で動かせた兵力も武田の信玄本隊プラス秋山隊合わせた
数はそれほど変わりがないと思うのだがね。
状況をイーブンにしつつ外交戦略などを駆使して敵を切り崩すのは武田の常套手段。
そこらへんを踏まえずにただ織田大勝!ですまされるのはどうもねえ。
586 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:16:19 ID:esk2FUXv
>>583 >城攻めなんて時間のかかるもの。
>予定外に時間がかかり美濃その他を放置できなくなり
史実じゃ一日で落ちたが、それはおいておいて
だったら冬の間にとか信玄が死んだら即座に行動を起こすとかすればいいはず
武田を恐れていたとするとこの時の織田の行軍もその前後の織田の行動も少々おかしくなると思う
>信長の威信に傷がついてしまう。
ということ考えて和議で済ませたとするのはつじつまあうが
それに武田を無理矢理絡ませようとするからあなたの論理だとおかしくなってくるんじゃないか?
587 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:17:57 ID:J8C2zXpu
>>565 >ココに何か書くのが、そんなに敷居が高いのかなぁ?
よくは知らんがここはvipとかみたいな感じのスレではないんだから(そうだよね?)
ある程度の前知識・責任を持ってレスする必要があるんじゃね?
妄想だとか言われるようなレスしても何も文句言われず、
スレ全体がそういった感じのレスで埋め尽くされているのならそれはそれでいいと思うのだが、
このスレでは何の根拠もなしに妄想すんなとレスされている。
そして妄想するなという意見が今のところは大半なんだからそれが一応スレの主流な考え。
それに対して敷居が高いと感じるのなら別のスレを立てればいいよ。
588 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:23:41 ID:h9HEo7rc
>>585 切り上げるとかあんまり気にせず普通に議論すればいいじゃない?
あと、老獪な信玄が信長の引きつけ役を引き受けてくれるのか疑問だな
信長の本隊を引きつけても防御兵力が十分な織田に対して浅井、朝倉、足利はどれだけ動けるかも疑問
三好に関して毛利と東中国で衝突する以上あんまり余裕がなそうだし、
伊勢長島は他の人も言った通り織田領に深く侵攻する可能性は低い
遠藤に関しても立ったら孤立するだけ
589 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:24:31 ID:esk2FUXv
>>585 >というかあの当時では織田が美濃で動かせた兵力も武田の信玄本隊プラス秋山隊合わせた
>数はそれほど変わりがないと思うのだがね。
根拠は?
上洛スレによるなら織田の方が上になると思うが(単純に兵力なら伊勢長島だけで4万とかになるが)
ただ数がそれほど変わらないとなると暫くは泥沼になってやがては最大勢力が有利となりそうだと思うが
590 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:25:39 ID:5GeM1nbB
>>586 冬の間は武田の動向注意で
信玄死後においては信長はすぐに信玄死亡を知れたのか?
確信できたのだろうか?その後も武田はしばらく信玄生きていると偽装するし。
というか信玄死んだのは4月12日で信長が岐阜に戻った次の日では。
恐れていたというか東方から信玄本隊プラス秋山で3万近い軍勢が押し寄せてくれば
警戒するのは当然だと思うのだけど。
信長が威信が少しでも傷つくのを恐れたのは武田という脅威が現実に東方から
迫っており反信長勢がこれを機に活性化することを恐れたとすれば不思議でないと思うが。
緊迫した状況では少しでも威信に傷がつくのを避けたがるのは戦国大名として自然だろう。
591 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:30:14 ID:J8C2zXpu
>>590 武田の西進時の軍勢は3万もいたっけ?
上洛スレのテンプレでは2万5千程度と計算されてるんだけど。
592 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:34:20 ID:kU2aRNU8
>>585 朝倉浅井 >564を参照
伊勢長島 敵領内深くへと進攻できる勢力ではないというのはすでに指摘されているところ
遠藤 で、史実で遠藤はその手紙をうけて実際に敵対行動にでたのでしょうか?例えば、信玄
死後でも勝頼は攻勢を強めていて、美濃に限って言えば明智城をおとし優勢でも遠藤は動かなかった。
>状況をイーブンにしつつ外交戦略などを駆使して敵を切り崩すのは武田の常套手段
まったく同じことは信長にもいえるわけで。さらにいえば、そもそも領国からはなれた遠征で
敵領内で敵軍を拘束とかいっている時点でおかしい。時間がすぎれば当然信玄にも弱点はある。
ついでに付け加えると、侵攻側の武田と防衛側の織田ではそもそも勝敗の条件が違えば難易度
も異なる。
織田からすれば武田が軍を退けば最低限の勝利。しかし武田からすれば、信長本軍を野戦決戦
なりで撃破して勢力として瓦解に持ち込まないと勝利とは言えない。
「大勝利」が必要なのは信玄であって信長ではない。この状況で、負けないことに長けていても
勝つことには史実からして難がある信玄と信長の対峙なら信長の勝利は濃厚と見るのにどこが
不思議だと?
593 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:36:22 ID:esk2FUXv
>>590 春になったら朝倉が動けるようになるのだから武田の動向を気にしているのなら
冬に無理しても動くんじゃないか、西か東かはわからないが
織田が次に動いたのは7月だからなー
武田を恐れていたのなら、信玄の死を知った5月に
もっと言うなら武田が本国に撤退した隙に少しでも動いていると思うが
ついでに3月に細川荒木が織田についているのだから武田の脅威はあったのかどうか
たまたま織田が岐阜にいた時期と武田が三河にいた時期が同じだっただけって感じがするが
594 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:37:31 ID:5GeM1nbB
>>588 とりあえず深く進みすぎると変動要因が大きすぎて平行線にしかならないのを
確認してこのまま平行線つづけるのが不毛に思えて仕方なかった。
朝倉浅井に対して秀吉だけで対抗すんのに十分とはいえんだろう。
伊勢長島については納得いかず。それだけの実力ある勢力なのだが。
遠藤はいざという時の奇手として使えそう。
>>589 上洛スレでは織田は武田に向けられる兵力として2万8千ほどをあげているが。
武田も本隊2万5千に秋山を加えれば同数近く行くだろう。
595 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:40:17 ID:vmEi4TGj
>>592 >勝つことには史実からして難がある信玄
そういう法則化は著しく主観的に思うが。
上杉のような互角の大名家との戦いでは決定的勝利が得られないのは当然。
信玄も小笠原などが相手のときは決定的な勝利をしばしば挙げている。
596 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:44:08 ID:h9HEo7rc
>>594 なるほど
まあ、深夜だし気楽にいこう
武田の兵力に関してだが、上洛の全軍は北条の援軍3千を含めて2万8千だと思うが、
いったん引いてから再びの出兵になっても北条が援軍を出し続けるのか?
そうでなければ武田氏の外征最大動員力は2万5千と考えるべきだろ
実際勝頼の代の最大動員兵力も2万5千だったし、その数字の方が妥当かと
597 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:45:03 ID:kU2aRNU8
>>594 どうやって秋山が合流するの?当時の秋山はむしろ岩村に封じ込められている状態で、
周囲の遠山氏およびその城はまだ信長所属。岩村周辺十八城、明智城を落として東美濃
の秋山が行動の自由を得るようになるのは信玄死後、勝頼の遠征によって。
秋山だけではむしろ守るのに精一杯。
598 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:47:44 ID:5GeM1nbB
>>591 信玄本隊が2万5千とされているから美濃決戦なら美濃に先発している秋山隊が
参戦して3万近いだろう。
>>592 あんたのアンカー付けはリンクになってないよ。ちゃんとリンクできるようにつけて。
朝倉浅井は何度か秀吉に攻撃しかけてるよ。一部隊だけど。攻撃してないなんて事はない。
なんどか秀吉も危なくなってる。
伊勢長島が進出できないなんて前提はおかしい。それだけの実力を持った勢力を
無理やり除外されても困る。
信玄死後の勝頼の美濃攻めなんて美濃東端で動いただけ。
あの状況で遠藤動くいわれないよ。そもそも1574年では前提だった反信長連合の連中は浅井も朝倉も
やられちゃったのだから。もう遠藤も寝返りたくないだろう。信玄存命時とは状況違う。
それで?織田は武田に対してどこをぶつける?美濃を3方向から武田・朝倉浅井・伊勢長島で
包んでいるのにどうして織田大勝が前提になるのか不可解極まりないね。
その勝利の定義はあんただけのもの。信玄にしてみれば織田を拘束してる間に
他の勢力を跳梁させれば織田の力を十分削げて自らの戦略的チャンスにもつなげられる。
勝手に武田は大勝利が必要!なんて前提を決め付けて押し付けるのはやめてもらおうか。
599 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:50:01 ID:J8C2zXpu
上洛スレでは1万石あたり250人で計算していて、
兵力は織田が総勢5万1千程度、武田は2万6千程度になる。
織田は5万1千程度の兵力から江北・畿内等への守備の為の兵力を差し引いて対武田は2万8千程度と計算している。
しかし、織田同様に武田も総兵力として計算された2万6千から各地の守備要員を差し引いたわけではなく、
あやふやな計算の上で2万5千が遠征軍と計算されている。
織田はきっちりと1万石あたり250人動員の計算をされているのだが、武田は1万石あたり250人以上の計算がされているという矛盾。
武田同様の動員率にすれば織田の動員数は更に増えて3万を優に越すよ。
更に徳川勢もプラスされるしね。
なんにせよ上洛スレの兵力のテンプレは武田に甘い計算式だから鵜呑みにしない方がいいよ。
600 :
599:2008/01/31(木) 00:50:36 ID:J8C2zXpu
601 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:54:24 ID:5GeM1nbB
>>593 つうか義昭が再挙兵したのも7月だったような。
和議してる間の相手に問答無用で切りつけるわけにもいかんだろう。
>>596 ちゃうちゃう。一応武田軍は北条の援軍は2千。これをあわせて2万5千。
秋山が美濃で動いているからこれをあわせれば2万8千近く行くだろう。
仮に2万5千でも織田2万8千なら渡り合うには不足な兵力差とは思えないけど。
>>597 誰が封じ込めたの。誰が。織田は岩村を秋山に攻略されたばかりだろうが。
それで秋山は本隊合流を待ち、さらには織田の牽制を受け持っていた。
信玄が美濃まで進軍して岩村から普通に合流すればいいだけの話。
602 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:57:03 ID:5GeM1nbB
>>599 とりあえず徳川さんは三方ヶ原の後だし領土蹂躙されてるし、
戦場は美濃だしで決戦場にはあんま関係ない気が。
とりあえず武田は実際2万5千から3万近くをこの遠征で使ってるしなあ。としか。
603 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:03:06 ID:J8C2zXpu
>>602 だから武田が1万石あたり250人以上の動員率で計算された兵力なのに、
織田だけ1万石あたり250人の動員率計算し、織田の対武田の兵力は2万8千程度。
武田2万5千〜3万対織田2万8千だから兵力互角とか言われても矛盾でしょうよ・・・
徳川さんはグロッキーとはいえ、織田本隊に合流できんでも武田の背後をおびやかすには充分な兵力を保持してるでしょ。
織田が畿内・江北に兵を分散したんだから、当然武田も3万?の兵力から対徳川の兵を分散する必要があるよね?
604 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:04:26 ID:h9HEo7rc
>>602 徳川の主力が温存されたままだから遠江、三河方面を留守にできない
ほったらかしたら信玄死後の局面を繰り返すだけ
605 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:04:51 ID:ZriF/b36
てか織田包囲網はどの時点で
崩壊したのやら
武田のせいなら
やっぱ信玄の存命は歴史を変える
606 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:05:02 ID:kU2aRNU8
>>601 書いてあるとおり、他の遠山一族とその城。秋山は岩村だけしか落としていない。
もともと明智城も遠山氏の城で、74年に勝頼が出てくるまで秋山はまったく身動き
とれず。明智城をうしなってはじめて、信長は池田と川尻という大物を東美濃への
手当てとして置くことにした。
それから、美濃決戦は確定なの?尾張は武田の蹂躙されるにまかすのか?
607 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:06:01 ID:5GeM1nbB
>>603 ま、目安は目安か。
とりあえず徳川に対して信玄は三河の一向宗を蜂起させて
家康の足を絡めとるプランを持っていたらしいが。
家康にも体勢立て直しの時間が必要でもあろうし。
608 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:09:40 ID:esk2FUXv
>>594 >武田も本隊2万5千に秋山を加えれば同数近く行くだろう。
それ徳川を完全に無視している
>信玄死後の勝頼の美濃攻めなんて美濃東端で動いただけ。
1573年の状況はそれより更に東端だと思うが
>>598 いっちゃなんだが包囲網側は武田・朝倉浅井・伊勢長島で分断されている
609 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:10:55 ID:kU2aRNU8
>>603 まったくもってその通りですね。ついでにいえば、武田は総兵力二万五千ほどから、
北信濃や上野の防衛戦力も残していかなければならないはずですしねえ。
上杉が他方面に出ているからって、まさかまったく守備兵力を置かないですむわけ
ないですし。
610 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:14:21 ID:5GeM1nbB
>>604 >>607を参照
>>606 遠山一族は秋山に反撃に出て1572年12月に上村合戦で撃破されていたはずだが。
つかもともと岩村には織田信広と川尻が在するほどの重要地点です。
信玄の計画は三河から美濃に抜けるというもの。尾張は信玄は放置だろう。
信長も尾張の兵力は美濃に集めてあるだろうし。美濃決戦だろう。
611 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:17:05 ID:esk2FUXv
>>601 >つうか義昭が再挙兵したのも7月だったような。
武田を恐れているなら武田が体勢を整える前に何らかの行動をする必要があるのに
相手が動くまでのんびり待っている、余裕がある証拠じゃないか
義昭は討てないにしても他にも織田に敵対する勢力、攻めれるような城はあるというのに
>>602 領土蹂躙言うなら浅井の方が酷いような
武田が蹂躙したのは徳川領の一部なんじゃ
>>607 史実じゃ武田撤退後、すぐに駿河に攻めこんだり、奥三河取り返したりと
元気に動き回っている
>とりあえず徳川に対して信玄は三河の一向宗を蜂起させて
これは史実またこの時の三河の一向宗にそこまでの力はあるのか?
612 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:17:41 ID:J8C2zXpu
>>607 三河の一向宗は鎮圧した後徹底的に根絶やしかつ徳川領内では一向宗禁制になった。
一向一揆に加担した家臣団の掌握は出来ているし、
一度完全に力を失った一向宗の力なんてどれ程期待できるのかな?
613 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:18:11 ID:h9HEo7rc
>>610 そのプランが可能なら徳川領侵攻のとき合わせて実行すればいいはずなのに、
武田単独の侵攻になった時点で何か問題点があるとしか考えられない
史実でも三河一向一揆が1560年代の後半ではほとんど収束したし、
いくら本願寺がけしかけるからってそんなにうまくいかない
本願寺が信徒に対して呼びかけは出来ても命令はできないから
614 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:19:14 ID:5GeM1nbB
>>608 徳川に関しては
>>607参照。
1573年においては信玄本隊が到着してからが勝負でしょ。
あの状況だけでいわれても。
分断ともいえるけど包囲してるともいえる。
>>609 でも実際動いているのが2万5千以上。
つか武田の場合は参戦すると免税とかついたりすんだよね。
織田はどうなのかね。
615 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:20:10 ID:esk2FUXv
>>599 あれはもともと
織田に関しては石高から計算したけど
武田に関しては兵力が2万5千だったので、
それに合わせるために武田は1万石あたり250人以上の計算して出しているから
616 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:25:47 ID:J8C2zXpu
>>614 何も武田の遠征軍二万五千を否定しているわけではないよ。
1万石あたり250人は比較的低い動員率で、無理をすればもっと動員する事も可能。
なぜ織田は攻め込まれている立場なのに比較的低い動員率で計算し対武田兵力を2万8千とするんだ?
守備側は攻撃側よりも更に高い動員率を用いる事も可能なのに、
なぜか低い動員率で計算とか・・・
617 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:26:35 ID:h9HEo7rc
>>614 免税の件に関してあれはあくまでの一時的な処置で長期間維持できない
実際勝頼をかなり悩ませてたし
織田ほどの大勢力に短時間で決着がつく可能性は限りなく低いし、
短時間で所領の大幅増も見込めないから、
租税の免除は自分の首を絞めて戦力低下を招くだけ
あと、すでに他の人が言ってたけど、織田対武田では必勝が求められたのは武田の方
織田は負けさえしなければ勝ちだから、
そんな状況で信長を有利な状況で捉えて撃破することはほとんど不可能
史実を見ても信長が自分にとって有利な状況を作り出してから武田と対決して撃破したから、
例え信玄が動いても短時間で勝負がつかなくにらみ合いが続くだろ
618 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:31:06 ID:esk2FUXv
>>614 包囲といえば聞こえは良いけど、この時代の通信能力じゃどうだか
しかも包囲網側は山などによって分断されているが
織田の方は平野部を支配しているため平野部を移動できる
それに一応この時代は外線より内線の方が有利とされているはずなんじゃ
>でも実際動いているのが2万5千以上。
誇張しているのか無理して動員しているのか、更に言えば織田も250人役以上で
もっと動員出来る可能性あるな
まあ義昭攻めでの10万とかは誇張だろうけど
>つか武田の場合は参戦すると免税とかついたりすんだよね。
税収削ってまでかき集めた兵の質はどうなのか?それに税収削っているんじゃ
財政的に厳しくなったり、長期遠征が困難になるのでは
勝頼時代に財政が悪化したというし、
この1573年の出兵では織田と互角に戦えたとしても長期的には武田は不利になるんじゃ
619 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:32:05 ID:5GeM1nbB
>>611 信玄が本隊を率いて攻めてきたから警戒。
しかし武田が引いて信玄死亡も知ったので余裕を持った。
まさか当主死んだばかりですぐに動けるわけでもなし。
ただそれだけの事だろう。
実際朝倉浅井も足利義昭も7月からの織田の反撃で滅亡するのだし。
信長が信玄死んだのを知ったのが5月だとして2ヶ月の準備期間はそれほど不審かね。
信玄死去の報を知った状態でも。
つうか東方から大軍を率いる勢力が寄せてくれば警戒するのは当然だろうに。
余裕綽綽にしようとするのは無理だろう。
重要地点二俣は陥落し、犬居の天野も山家三方衆も寝返り、これまでの武田の侵略で
10を超える城が攻略されている。一部だけといえたものか。
まあ浅井は悲惨だが朝倉がいるし朝倉にくっついていくくらいは出来るだろう。
まあ信玄死亡もしったし間隙もついたしね。
とりあえず静岡県史によれば三河国勝曼寺が近日蜂起すると顕如にしらせてる。
>>612及び
>>613も同様。
620 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:36:09 ID:5GeM1nbB
>>617 通常ならそうでもこの勝負時ならやる意味はあるだろう。
実際この時の動員は武田で最高だろう。
逆だって。なんで武田が無理に勝ちにいかなきゃいけない。
そりゃ勝てればその方がいいが武田が織田主力に対して負けない戦いして拘束すれば
其の分ほかの勢力が動ける。
連合軍のいるあの当時の状況と孤軍の長篠の状況はまるで違うよ。
621 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:36:32 ID:5GeM1nbB
とりあえず30分ほど中座する。
622 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:44:54 ID:esk2FUXv
>>619 余裕綽々とまではいかないが、織田の行動を掣肘するほどのものじゃないってことでしょ
取りあえずは無視出来るようなレベルで
>実際朝倉浅井も足利義昭も7月からの織田の反撃で滅亡するのだし。
滅亡するのがわかっていればノンビリしているのもいいだろうけど
時間稼がれてまた武田が前年のように大軍率いてきたら困るだろ、
本当に恐れていたのなら一刻も早く動きたいだろう
それとも当時の信長はもう浅井朝倉足利ともに簡単に滅亡させることが出来るという
確信を抱いていたというのなら話しは変わってくるが
>信長が信玄死んだのを知ったのが5月だとして2ヶ月の準備期間はそれほど不審かね。
凄い不審だと思うが、何でそんな準備期間が必要なんだ?もし武田を恐れて
三河や東美濃へ行くつもりだったのなら臨戦体勢整えているはずだからすぐにでも
出陣できると思うが
>重要地点二俣は陥落し、犬居の天野も山家三方衆も寝返り、これまでの武田の侵略で
>10を超える城が攻略されている。一部だけといえたものか。
浅井に比べれば一部、というか浅井が酷過ぎるだけだが
あと武田の侵略範囲上洛スレによるなら2割程度じゃ
>とりあえず静岡県史によれば三河国勝曼寺が近日蜂起すると顕如にしらせてる。
原文はなにだろ、取りあえず情報感謝
623 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:47:29 ID:h9HEo7rc
>>620 織田主力と五分の戦いするために武田が最大限の動員をした
この状態で織田と負けない戦いをしてどうなるかというと、ジリ貧
堺を掌握して畿内という大経済圏の大部分と美濃、尾張、
伊勢の一部を手中にした信長相手に持久戦すれば結果が見え見え
第二次大戦の日米を武田(日)対織田(米)に例えればわかりやすいかな
織田は負けさえしなければ圧倒的な国力差で各個撃破できるが、
武田は織田との差がさらに開く前に織田主力を撃破しなければいずれ敗北する
624 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:53:15 ID:esk2FUXv
>>620 他の勢力に対しても織田はそれなりの守備兵力置いているし
他の勢力が動いてもあまり戦果は得られないんじゃ?
逆に織田が武田を拘束しているから徳川が其の分動けるとなるし
でこの織田と武田の対峙で両軍が兵をひいたら、織田は他の勢力に反撃に出るだろうし
他の勢力が多少戦果を得ていても取り戻される可能性高い
また武田は兵力的にも財政的にも無理しているから、徐々に国力は落ちていって
動員力か遠征期間が落ちていく、そしたら織田はますます自由を得て各個撃破していくんじゃ
結局消耗戦となったら国力のある織田が有利になっていくと思うが
武田はこの一戦で何とかしないとあとはジリ貧だと思う
ただ織田も史実よりは畿内制圧に時間がかかるので、
織田が北陸中国に勢力伸ばして第2次包囲網が出来たとしたら史実より
包囲網側に有利になっている可能性はあると思うが
625 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:54:35 ID:J8C2zXpu
>>619 勝曼寺が放棄したとしても三河全体に波及し永禄の時みたいな大規模な一揆に発展するのかな?
永禄時みたいに一揆に参加する徳川家臣団はかなり減少するだろうし、
一度完全に力を失った一揆の組織が短期間に徳川を苦しめる程の強さを取り戻せるのかも疑問だ。
それに徳川はグロッキーとはいえ永禄時と比べてかなり強固になっているから、
小規模な一揆だと短期間で殲滅されると思う。
長期間足止めされるような規模の一揆が再発できないように根絶やしにしてると思うんだが。
626 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:08:08 ID:esk2FUXv
武田は徳川への防衛体制が悪いのも不利な一因かな
武田と徳川領は駿河と遠江の国境から北遠江奥三河と非常に広い範囲
武田が攻める場合は徳川は広い国境に兵力を分散させる必要があるけど
武田が守る場合も奥三河二俣駿河と兵力を分散させる必要があると思う
それに対し織田は浅井朝倉とは、堅田衆を支配して琵琶湖の水運握っているから
横山周辺と志賀の周辺に兵力集中して固めればいいし
長島も長島周辺固めるって感じで兵力を無駄に分散しなくていいぶん
数値以上に守りやすそうな感じがする
武田が東美濃から攻めてくるのなら、東美濃の山岳地帯の峠道を封鎖するで
これまた守りやすそうだし
下手したら織田は東美濃は守りやすそうな地形だから小兵力で武田の攻撃に耐えさせて
主力を別に向ける可能性もある
627 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:11:19 ID:5GeM1nbB
>>618 そうかな?他国の歴史まで紐解けば外線が内線を制した例も
見つけられる。
まあ可能性としてはどうなんかね。
織田の兵力招集制度とかはどうなっているのか。
武田は信虎の代から石高にあわない大軍動員をやってのけてるからなあ。
上意の足衆とかで。
この1573年のチャンスを武田その他がどれだけ生かすかでもあるか。
まあ深くいきすぎると変動要因が大きすぎて平行線にしかならんが。
628 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:22:32 ID:5GeM1nbB
>>622 信長の動向を見てもとてもそうは思えんが。まあこれも平行線か。
武田は当主死亡でゴタゴタ。しばらくは動けまいと踏んだのだろうし実際そうだった。
簡単に滅亡させる事を知っていたというより、
自分からこの機会を逃さず一挙に滅亡させる為に2ヶ月準備して反撃に出たという事だろう。
一挙に滅亡させるためだと思うが。自国内で戦うのと他国に遠征するのとでは違うし。
5月に信玄の死を知ってからそれを判断し他国に遠征してこの機会に一挙に滅亡させることを
ねらって動いたならそれは不審じゃないと思うが。
山家三方衆は何気に家康の三河平定戦では何気に駿河勢を駆逐したりしてるほどだからなあ。
その武田の領域を徳川は長篠以後まで取り戻すのに苦労してるよ。侮れるものではあるまい。
629 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:23:39 ID:esk2FUXv
>>627 一応一般的には19世紀半ばまでは内線のほうがもてはやされていたと思うが
>武田は信虎の代から石高にあわない大軍動員をやってのけてるからなあ。
>上意の足衆とかで。
軍記物の兵力や誇張混じっていそうな史料による大量動員信じるなら
織田も(ry
まあ織田に限らずどこの大名の記録でもそうかもしれんが
>この1573年のチャンスを武田その他がどれだけ生かすかでもあるか。
それは同感、このチャンスを活かせなかったらあとは徐々に包囲網側が追い詰められていくと思う
630 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:29:33 ID:5GeM1nbB
>>623 だからこそ武田は織田をひきつける。
この時の武田は他勢力と連携して織田に立ち向かっている。
武田を相手に拘束されている間に朝倉浅井・伊勢長島その他が動き出すと
いってる。そんな悠長にしてられないのは織田のほうだろう。
>>624 畿内の反織田に関してはその織田の守備兵力と戦うだろうしそれで十分。
伊勢長島・朝倉浅井に関しては動きを封じられるほどの兵力が配置してあるとは思えないけど?
その徐々にの前に武田・伊勢長島・朝倉浅井で織田を切り詰めて流れを変えればいい。
とりあえずあのままだと1573年の間に状況は変転するだろうし。よきにせよ、悪きにせよ。
631 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:30:41 ID:esk2FUXv
>>628 なるほどつまりあなたの意見だと
信長は浅井朝倉を一挙に滅亡させれると考えていたと
それぐらい朝倉までもが追い詰められていたんなら、武田が何しようともう手遅れじゃないか?
>一挙に滅亡させるためだと思うが。自国内で戦うのと他国に遠征するのとでは違うし。
史実見れば織田は簡単に兵を動員して上洛軍事行動などを行っていると思うが
1569年正月三好の報せを受けての出陣や1570年刈安などの内応受けてすぐの出陣
他にも多数いろいろ
史実から考えるに準備なんてさして必要無かったと思う
>その武田の領域を徳川は長篠以後まで取り戻すのに苦労してるよ。侮れるものではあるまい。
だから1573年には足助野田長篠とそれなりの範囲取り戻しているよ
何回も書いていると思うけど何で無視するのかな
632 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:32:33 ID:esk2FUXv
>>630 さきほどまでの上洛スレによる織田は守備兵力は置いてあるという意見は無視ですか
633 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:36:43 ID:vmEi4TGj
>>629 >内戦
ジョミニ辺りが騒いでただけでしょ。
項羽と劉邦の戦い(楚漢戦争)なんて外線の勝利じゃない?
634 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:37:41 ID:esk2FUXv
635 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:41:21 ID:5GeM1nbB
>>625 この徳川グロッキー状態で動揺している地侍その他の動向は一揆勃発でどうなることか。
ただでさえ武田に取られた城や寝返った城主達の相手でも大変なのに
これに一揆地侍が蜂起すればどうなるか。楽にはならんような。
>>626 徳川に関しては武田制圧地点及び徳川のダメージ及び三河一向宗でかなり封じられそうな
気がしなくもない。まあこれも変動要因大きすぎて平行線だろうなあ。
まあ細かい戦術面は非常に変動要因が大きいからなあ。
そうやって少数の兵力で十分だと踏んで兵力をほかに向けたらあっさり陥落!
とかいう事もいえてしまうわけで。
636 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:43:03 ID:M6k+EAKG
637 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:50:14 ID:5GeM1nbB
>>631 違うって。滅亡させられると考えていた、ではなくて
この機会に一気に決着をつけようと考えていた、という事。
朝倉に対する刀根坂にいたる動向その他など明らかにこの時の織田の行動は朝倉との雌雄を
決する方向で動いているだろう。
いずれもそれって防衛戦に近い戦いのような。
この時の朝倉との戦いは上にもかいたように一気に決着をつけようとしてると
思えるけど。実際戦いも追撃からそのまま本国乱入というかなり強引な戦い方だし。
別に無視してないって。でも二俣や犬居に失敗してるのも事実でしょ。
取り戻したのも信玄死亡武田軍撤退の間隙をついての事だといってるでしょ。
信玄健在で三河一揆が動いたりしてる状態できらくに動けるかな。
>>632 無視して無いって。朝倉浅井に対する押さえは秀吉、伊勢長島に対する押さえ
いずれも数万の兵の本格攻勢を防ぐに足るものではあるまいといってるの。
638 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:56:08 ID:5GeM1nbB
>>636 規制受けてる間に来たレスか。いい機会だからここで返しておこうか。
>>389 あの当時の状況が本当に朝倉だけ単独和議で動いているとでも?
実際この朝倉との和議が終わった事でほかの反信長勢力も兵を引いて
信長も息をついているだろうに。山門その他にまで及んだ和議が、さらには
足利義昭を元に朝倉たちが連携して動いたのに朝倉達の和議がどうして
影響しないと思うのか非常に不思議だね。
>>390 実際に信玄が伊勢長島を重要な戦力として考えているのだから仕方ない。
伊勢長島の動向はそれだけの意味を持つし、それだけの力を持っている。
639 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 03:00:08 ID:cGCf7/+F
>>635 『ふたを開けてみなけりゃわからない』
『客観的な数字と経験則に基づく考察』
この二つを混同して考える事、調べる事を放棄してないか?
というよりも、みんなが『状況から考えて猫は死ぬだろ』って
いってるときに頑なに『ふたを開けてみないとわからないよ!』
っていってるような印象を覚える。
640 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 03:05:46 ID:5GeM1nbB
>>639 例えとして非常に不可解。
んじゃ言うけど
>>626には数字と経験側出て無いぞ。
というのもありうる、という観測にすぎないのだけど。
織田が少数で武田達の行動を防げるというなら
その少数の兵力が当たり前に武田その他の大軍に押しつぶされるのも
極めて自然だと思うが?片びいきだろう。
織田派は数が多いしねえ。少なくともちゃんと根拠と論理をあげているだけだが?
それを印象論で否定するなら心外だがね。
641 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 03:12:57 ID:5GeM1nbB
結局平行線にしかならなかったか。なんか疲れてきたな。
>>639みたいに言われるのも心外だしそろそろお暇しようか。
俺はとりあえずこの議論からしばらく抜けます。
相手をしてくれた皆様お疲れ様でした。では失礼。
642 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 03:28:00 ID:h9HEo7rc
>>640 平行線になるのは他人が経験法則に基づいて説明しても
「そんなのやってみなければわからない」と一点張りして、
自分の論理も偏った前提で展開して頑として譲らないからだろ
史実にあるものを出しても納得せず延々と独りよがりの論理を展開するだろ
ともかく、お疲れ
643 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 03:36:01 ID:h9HEo7rc
>>640 あと、あなたの論理は反織田包囲網がみんな見えない司令官によってうまく運用されるのが前提であるが、
そんなことは事実上無理
織田側の指揮系統ははっきりしてるし、国力も交通の便もあって信長によってうまく運用されるが、
反信長包囲網というと指揮系統がはっきりせず誰がどう動くべきなのか連絡取りあわないと無理だが、
各々の国力が織田よりはるかに劣る上作戦の決定、連絡に時間がかかる
そもそも信玄が他の反信長勢力を指揮できる権限もってないから、作戦がうまくいくかどうか完全に運任せ
これじゃ勝てる要素ゼロだよ
644 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 04:38:43 ID:6rwiOhOa
>>643 単純な総戦力では反織田の合計のほうが上回っているわけで、
あんたの言うような織田のアドヴァンテージは既に計算に入ってるんではないの?
645 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 05:31:23 ID:cGCf7/+F
>>644 それが頭に入っていれば『織田をひきつければ武田は勝てる』
とかいう発言は出てこない。
信長包囲網が戦略目標が統一されている(同一の目標に向かって
統一行動が取れる)集団である、と仮定している時点でこいつは
武田が置かれている立場、織田の優位性を何も理解していない。
646 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 10:08:17 ID:V0mGommf
なにこのクソスレ?
647 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 10:34:31 ID:BqBRT/Ng
一方は史実などに基づいてある程度客観的でそれなりに信頼性ある予測だけど
一人が延々と妄想繰り広げているようなスレだし。
648 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 10:52:28 ID:h9HEo7rc
>>644 総戦力が上回る計算はどうやって出した?
まさか反織田包囲網対織田家の計算じゃないでしょうね
織田家には同盟者や利害関係が一致する勢力がある、それらも計算されてる?
649 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 12:35:02 ID:IqHRK5Wc
前の人が述べてるように、領土が離れ、意志統一も十分に出来ない弱者連合なら
各個撃破されるのがオチだろ。
650 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 13:26:49 ID:kU2aRNU8
>>644 二万五千スレでは、単純な総戦力でも織田およびその同盟勢力の方が上のようだが?
651 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 13:48:14 ID:kU2aRNU8
>>630 史実として、朝倉浅井は押さえ込まれているわけですが?
元亀三年七月に信長は江北出陣、朝倉も援軍として来る。その後九月には信長帰国。
ところが現地に残った朝倉は十二月に帰国するまで、信長本軍がいない木下隊に何も
せず傍観するのみ。
それからもう一つ。朝倉浅井には虎御前の木下以外に、高島郡一職を委ねられた磯野、
また若狭の豪族達も信長につき、この側面にも気を配る必要があった。それを無視して
攻勢に出られると?
>>638 あなたちゃんと読んでます?
>389で、信長は朝倉以外とも別個に和議交渉をしているのだと言ってますが?
朝倉や三好や六角は和議が成立したから兵を退いた。比叡山や長島は成立しなかった、
あるいは最初から交渉をしていなかった、だからそのまま戦い続けた。
何が不思議なのかさっぱりわかりません。
そもそも当時、反信長連合軍なんてものはなく、めいめいが勝手に信長と戦っていた
だけで、当然朝倉がその盟主なんてものでもない。あたりまえの帰結として、朝倉
には三好や六角や長島に対する命令・指揮権なんてありはしない。
この有様で「朝倉が信長と和議を結んだから自分も自動的に信長と和議を取り結んだ
ことになる。だから兵を退こう」なんて摩訶不思議なことに、なるわけがないでしょう。
すでに何人もの人が指摘していますが、あなたの間違いの根本は
反織田連合軍というものが存在し、それは一人の盟主の元に纏められ指揮権が存在し、
参加勢力はその作戦指示にしたがって動いていた。
と思い込んでいることです。
652 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 18:36:27 ID:h+OiajTg
>>644 第二次大戦の序盤、何故数に劣る枢軸が連合を圧倒できたか
それは指揮系統が複数あったからだぞ?
反攻に出る頃には指揮系統を統一した、だからこそ今の国際連合があるわけで
指揮系統が統一されてないと結局は各個撃破されて乙だ
包囲網だって実際そうなっただろう
653 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 19:14:17 ID:J8C2zXpu
朝倉に関しては
>>564で書いてあることがもっとも可能性高く感じられるな。
654 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 19:40:56 ID:J8C2zXpu
>>635 グロッキーといっても史実で徳川は武田撤退後すぐに動き出したんだから、
短期間で軍を立て直せる程度には元気でしょ。
武田に奪われた城、寝返った城は山間部の城ばかりで、
三河・遠江の平野部(動員できる兵力が大きい土地)は依然として徳川が握っている。
山間部の武田方の城に徳川勢全兵力を引き付けるだけの力はあるのかな?
彼等に徳川の後方をかく乱できる程の兵力はなく、できるという事は城に篭ることしか出来ない気がするんだけどね。
勝曼寺の一揆蜂起なんだけど、徳川を混乱させる程の規模の一揆が蜂起が可能だったのなら、
なぜ史実では蜂起しなかったんだ?
信玄が死去して武田が撤兵するまでの間に蜂起させるべきタイミングは幾度かあったのに蜂起させなかった。
永禄の三河一向一揆が勃発した時、徳川は(まだ松平時代)今川から独立後に西三河を平定した程度の勢力で、
家臣団の掌握も不十分な段階だった。
そういった要素もあって一向宗徒の一部家臣団が一揆側に加担した。
しかし一揆終結後には徹底的に一向宗の組織は徹底的に潰し、一方で一揆に加担した家臣団には温情措置を施すなどして、
元亀の頃には家臣団の掌握は充分にできている。
一度完全に組織が解体した一揆がそう簡単に復活できないだろうし、昔一揆に加担した家臣が再び参加するかどうかも疑問。
史実で蜂起すべきタイミングの時に蜂起しなかったという事は、徳川を苦しめる規模の一揆を蜂起できる状態ではなかった可能性が高いのでは?
元亀の頃の徳川領内の一向宗等の情勢に詳しい人いたら解説ヨロシクです。
655 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 20:20:17 ID:1q1+xNU7
>>654 勝曼寺の一揆蜂起が計画されていたかもしれないが、史実では起きなかった。
信玄は蜂起させて徳川をかく乱する計画があったし、勝曼寺側もやりますという文面を残してたのなら準備はしてたはず。
にもかかわらず信玄存命中も勝頼の代になってもなかった。
本当に計画通りなら三方ヶ原後はベストだったのに何もしなかったし、野田城陥落後も何もなかった。
つまり蜂起するほどの力が無いか未然につぶされたかと考えられるが、どっちにしろ、
三河一向宗が当時の徳川を牽制できる程の力は持ってない。
だったら朝倉が出られる春を待つために信玄が領国に引き返してる間、史実通り徳川がすぐ反撃に出て領地を取り戻す。
もちろんその間に信長も他の勢力をつぶすだろ。本能寺後の秀吉がやったように。
だったら信玄は朝倉を待たずに再び出陣して信長を引きつけて三好三人衆や松永、浅井など助けるのか。
多分ないだろ。信玄はそこまでやるほどお人好しじゃないから、落とし所を探して信長と和睦でもするじゃないかな。
656 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 20:47:20 ID:J8C2zXpu
>>655 なるほど、やっぱり三河の一向宗には徳川を苦しめる力はなさそうだね。
信玄が領国に引き返した場合、史実みたいに徳川はすぐに領地を取り戻せるかな?
657 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 21:31:49 ID:V2g3r5nL
浅井朝倉・伊勢長島などの織田包囲網と言われてる軍勢は武田配下ではなくて
織田と敵対しているという共通の利害ありきである事から、武田上洛は武田家
単独の悲願(もちろん足利義昭が命じた件もあるが)
信玄があのまま存命で兵を進めたとして、織田といい状態で対陣するには、武田以外の
反織田の勢力と、正確に歩調を合わせることが不可欠で、それは至難の業ではあるが
万が一他の勢力との連携が神がかり的に成功した場合、それなりに好機が生まれていた
可能性はゼロじゃないと思う。確立は極めて低いけどね。
それはそれとして「信玄の寿命が10年のびたら」ってスレなんだが、
「信玄の寿命が10年のびたら織田を滅ぼして上洛したか?」ではないのと、
たとえ奇跡的に織田軍を撃退したとしても、足利や浅井朝倉と、その後対立する
可能性もある、別に朝倉は武田の配下ではないし。
「信玄の死期が延びた=信玄が上洛してたかも?」の話に限定しないで
・信玄が存命で、そのまま進軍したことで、足利、浅井、朝倉などの歴史も微妙に変わったかも(これらの滅亡も早まったかも)
・信玄が存命で、そのまま進軍したことで、足利、浅井、朝倉などの歴史も微妙に変わったかも(逆に浅井、朝倉が奇跡的にながらえた)
・信玄が存命で、そのまま進軍したことで、75年の勝頼の長篠より早い時期に武田は致命傷を負ったかも
・信玄が存命で、そのまま進軍したことで、その武田との決戦にそなえて織田が浅井、朝倉を調略したかも(あくまで武田を楽に潰すため)
・信玄が存命で、そのまま進軍したのだが、対陣が長期化して織田と武田が和議(織田優位な)になり、織田&武田対その他包囲網になったかも
・信玄が存命で、やはり美濃まで行く前に甲斐に戻ることにして、その後は勝頼と似たよう晩年だったかも
・信玄が存命で、やはり美濃まで行く前に甲斐に戻ることにして、その後はとにかく領国を固め国境の警護を
強化し、織田徳川の甲斐侵略にそなえ上杉、北条との関係にも気を配り、82年の滅亡より遥かに武田家を
永らえさせたかも(武田存続、信玄存命中に本能寺的織田家クーデターがあれば、なお混沌とする)
信玄が存命したことで、武田家にとって更なる好転や悪化の可能性もあり、それ以外の勢力にとっても
いい意味でも悪い意味でも影響を与えただろうし、歴史は何があるか分からないのが魅力でもあるな。
チラシの裏に書くより、このスレに書く方が楽なので書いてしまった、ゴメンネ!
658 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 00:06:25 ID:fNafP50a
>>640 自分としては経験則に基づいて考えたつもりだし
無理矢理数字を出そうと思えば出せるが
峠など山地などの要害は平地よりも小兵力で守りやすいのは常識だと思うが
また現実に浅井朝倉は織田への侵攻路は琵琶湖沿いの狭い地域のみ
守る方はそこだけ重点的に守れば侵攻は防げる、
無理矢理数値にするなら面している部分は10キロほど
それに対し武田徳川は面している部分は100キロほど(まあ大半は山地だが)
武田は徳川がどこを攻めるかわからないから、すべての地点を守るために
ある程度の兵力比を保たせると、抑えに必要とする兵力は多くなると言っているのだが
そんなに難しいことか?
仮に織田が浅井朝倉2万を横山方面で防ぐのに5千必要として
武田が徳川の攻撃を防ぐのにも同程度の兵力比が必要とするなら
徳川の兵力を6千とするなら三河方面にも1500遠江方面にも1500駿河方面にも1500ほど
必要になるだろ、そしたら結果として武田は徳川抑えるのに徳川にやや劣る程度の兵力を
必要としてしまう
>その少数の兵力が当たり前に武田その他の大軍に押しつぶされるのも
>極めて自然だと思うが?片びいきだろう。
文章読めば普通は理解出来るとも思うがそこまで少数などは想定していない
武田相手に時間稼ぎや消耗戦が出来る程度の少数を意味している
はっきりいって挙げ足取りしているとしか思えないんだが
659 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 00:26:08 ID:ahHCpsq/
普通に考えて
信玄存命なら史実以上の悪化はないだろ
家中の新旧家臣のいざこざも起きないし
660 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 00:35:05 ID:fNafP50a
>>656 領地を取り戻せるかだが
まず史実では信玄の死の影響がどれほどあったのか
武田首脳部は信玄の死は当然知っているだろうけど
三河の豪族が知っていたかはまた別なので、三河の武田勢の抵抗は生死関係ない可能性もある
徳川は信玄の死は知っているかは確信は得ていないだろうけど、
それでも戦意や戦略に影響力はあるだろうから、信玄が生きていればもう少し慎重に動いたかもしれない
また信玄が生きていて、十分な抑えを残して東美濃に行くとしたら、
領地を取り戻すのは困難じゃないかと思う、その分織田は楽になるだろうけど
史実みたいに全面的?に兵をひいたらある程度は領地取り戻せると思う
抑えをあまり残さず織田と武田が長期間東美濃で睨み合うような形になれば
史実以上に取り戻せる可能性もあるかもしれないけど
武田は抑えを残して東美濃に行くか、東美濃は放置してそのまま徳川領切り取りに
動く可能性の方が高いだろうと個人的には思う
661 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 00:55:01 ID:hJRaOOXn
>>660 信玄は慎重だから、兵力を分散させるミスはしないだろう。
三方ヶ原で敗れたとはいえ、浜松には徳川の主力が控えてるし、岡崎にも信康がいる。
これらを抑えるには相当な兵力を残していかないと無理。
下手したら東美濃に行く時兵力が1万台後半になるかも。
こんな状況で信長領に乗り込むのはリスクが大きすぎ。
かといって徳川領で悠々と切り取り合戦やると織田に衝かれるリスクもあるから、
可能性が一番高いのは美濃、三河に抑えを残していったん帰国して作戦を練り直すだろ。
他の反信長勢力が振るわない場合、そのまま徳川領を分捕って長期戦に備えるか、
有利な立場で和議して次のチャンスを狙うかが上策だろ。
662 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 01:55:34 ID:0VS3Arz9
>>660-661 なるほど、徳川が領地を取り戻せるかどうかはやはり信玄の動向次第ぽいね。
信玄が仮に東美濃に留まる場合には兵糧調達が課題ぽいな。
徳川から奪った領土は山間部だから兵糧調達は期待できない。
織田領内で兵糧調達も勿論期待できない。
あとは本国からの兵糧輸送だが、海路からの輸送は無理で輸送はもっぱら陸路オンリー。
三州街道を利用すれば糧道を断たれる心配はないだろうが輸送は困難。
遠征が長期に及べば武田家の財政もそれだけ苦しくなる。
信玄の代末期から金山の採掘量が減少し、財政が悪化していた説もあるしね。
その説は誤りで信玄の代では財政は大丈夫だったとする。
しかしこのスレでは信玄があと10年長生きしていた場合を想定してるんだよね?
となれば勝頼が財政難に悩まされていた時期を信玄も経験するという事となる。
信玄でも勝頼が経験した財政難を克服するのは劇的に領土を拡大できない限り困難だろうね。
1573年辺りでまだ武田家の財政状況が大丈夫だったとする。
しかし上記の兵糧問題で財政悪化への道に進む気がする。
武田家が尾張・東美濃方面に長期出兵すれば兵糧の大半を本国からの陸路輸送で賄わなければならないと上記でも書いたが、
武田家が支配する領土には穀倉地帯が無く、本国からの兵糧調達も短期間ならどうにかなるかもしれないが、
長期になればなるほどに本国への負担も他の大名家の場合よりも増大になるだろう。
尾張・美濃方面で兵糧を買い集めることも短期間なら可能かもしれないが長期的にはやはり不可能。
穀倉地帯を支配していない武田家としてはやはり短期間で勝負を決するなり、どこかで矛先を収める必要性が感じられるね。
ID:5GeM1nbBとかは武田は負けない戦いをすればよい、織田を引き付けたらよいとかいってるけど、
そんなこと信玄が実際にして長期戦になれば食料調達担当の武将が涙目になるだろうなw
663 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 03:46:54 ID:w2NUQGUz
武田は大勝しないとダメだろ
兵糧:濃尾平野だけでも織田が他を圧倒(この時代では既に他を圧倒するほどの穀倉地帯)
金銭:堺(南蛮貿易拠点のひとつ)を抑えてる時点で織田がほぼ圧勝、金山は限界があるが商業で得る金銭は基本的に限界は無いと考えて良い
鉄:南蛮貿易で輸入可能な時点で織田が有利、この時代は国内の産地は出雲方面で既に毛利が抑えてる&毛利と織田は友好関係で包囲網側が鉄を得るのは厳しい、織田裕利
鍛冶職人:この時代は関、備前、相州の3大刀鍛冶&国友・雑賀・種子島だったか鹿児島だったかの鉄砲鍛冶がメイン→刀も鉄砲も織田が抑えている&武田自信は抑えてない、織田有利
人的資源:産業が発展してたり物資の集まる場所に人が集まる時代、そりゃ織田が圧倒的有利でしょ。逆に信玄は略奪が過ぎて民が逃げるという記載も(妙法寺記、違ってたらスマン)
まぁ他にも物資あるけど合戦にゼッタイ必要って訳でもないor差がでないor金銭に直結するんで割愛
この状況で長期戦やったらだんだん織田が有利になるだけだぞ?
ちなみに職人に関しては技術の流出を防ぐ為に同盟国であっても流そうとしなかったという事は追記。
この状況から考えると織田は負けなくてもいいが、武田は勝たなきゃいけないって結論が出てくるはずなんだが…
ちなみに戦争は気合で勝てるとか言わないでくれよ
気合だけで勝てるんだったら60年ほど前に実に身近な国は勝ってるはずなんだからw
664 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 17:36:17 ID:0VS3Arz9
>>663 鉄や鉄砲は生産地を押さえていれば流通価格より低めの値で大量に入手可能だろうが、
産地を押さえていなくても金さえ出せば入手可能。
堺や国友が鉄砲を甲信地方に流通させるのを信長は規制していない(規制できない)ように、
敵国とか商人にとっては関係なく需要・儲け話さえあれば敵地だろうが遠路だろうが売りに出向く。
兵糧は常に消費しつづけるものだし、消耗品である火薬に関しては織田がかなり有利だろうけど、
鉄や鉄砲等の武具は常に消耗するものではないから、
長期戦になった場合産地外価格で購入することはどれくらいの影響を及ぼすんだろうな?
塵も積もればということで結構ボディーブローのように聞いてくるものなのだろうか?
詳しい人ヨロシクです。
665 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 18:56:17 ID:w2NUQGUz
>>664 鉄に関しては錆びる、破損する、戦闘中に失せる等消失することが多いので消耗品として扱った方が良い
鉄砲に関しては元値が高いので産地外価格で数割の価格増でも相当差が出る(逆に産地価格での割安も相当差が出る)
それに表向き規制しなくても山賊等に手を回して流通を阻害させることなんて金さえあれば容易
距離や地形・季節によって安定供給が厳しい場合も存在するしな
666 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 20:20:17 ID:ke6tZNKF
>>665 錆びるとかはタイムスケールが違くね?
手入れを怠らなければ何十年ともつだろ。
その他の要因に関しては、不利は不利だけど金で片付く問題のような。
667 :
あ:2008/02/01(金) 20:25:27 ID:SzR33XKg
武田今川北条厨のキチガイ小和田哲男
668 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 20:44:11 ID:i0IUjJ5k
で、京都あたりでは とうとう信長もこれで終わりだとの噂されてた件
669 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 20:49:27 ID:PedHGezS
京都の噂は全くアテにならないのは歴史が証明している
670 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 21:45:16 ID:xwbnZlQj
信玄があと10年生きていたらという話になると、信玄の行動を予測することでもあると思う。
信玄が生きていたら、大将が勝頼に移らずに信玄のまま。信玄の過去の行動パターン、性格、
彼の中の優先順位などを参考に、信玄が1573年6月以降にとるであろう行動を予測して、
それが失敗したか、成功したかを予測する事が、信玄が10年長く生きたらどうなったかを
計る事にもなるよな。
彼は終始他国に攻め入り、領土を拡大して家臣に恩賞として与えてそれを続けていた
村上に二度敗れたり辛酸もなめてるが、領土拡大路線は全く変わらない。
上杉と5回も戦い、その後は駿河を切り取った。
信玄は基本しぬまで領土拡大の野望のままに行動した可能性が高いから、1573年にも
あのまま進んだ可能性も高いように思えるが、北条との戦いなどをみると、不利な情勢の
時は一端潔く引くことも学んでいるようにも思える。だから進軍したとしても、他の
反織田勢力との歩調が合わなければ甲斐へ撤退した可能性もある。
織田にとって唯一恐れる状況は、浅井朝倉伊勢長島と各方面の敵が同時に挙兵してしまう
こどえ、逆にコレさえなければ織田軍対浅井、織田対朝倉、織田対一向一揆軍、と
個別で対陣すれば、史実が結果を物語り、それが信玄存命の武田対織田であったとしても
分は織田にあると予測する人が多い。武田は遠征であることもまた優位と言い辛い。
信玄と勝頼との違いとすれば、信玄は過去の度重なる戦の中で、情勢を冷静に分析して
不利であれば兵を引く、無謀な戦は避けるという選択肢を胸に留めていて、勝頼に
それが若干欠如してる違いがあると思えなくも無い。
武田、浅井朝倉、一向軍等が一斉に織田を叩くという神業が起きたら、わからない
情勢に持ち込めただろうが、可能性は極めて低い。
で、信玄は撤退を決意した可能性が高いと思うが、その展開だと、信長はやはり敵軍と
個別に戦える状況が生まれ、やはり包囲網といわれる物は、信玄が存命でも
持続、成就は厳しかった可能性が高いと思う。ただ、長篠的分の悪すぎる戦を
信玄が仕掛けなかった可能性が高いと個人的に思う。そして長篠敗戦後、圧倒的な
武力の差で追撃されて、比較的良い条件での和睦も拒み天目山で滅亡した勝頼時代より、
捲土重来を胸に秘めつつ甲斐の国を長期に守ったのじゃないかなと思えなくない。
そうこうしてる内にスレタイの、”延命10年”が過ぎ、その後はやはり武田が滅ぼされたか、
細々と家名だけは持続させたか、可能性は低いが織田側にアクシデントが起きて
情勢がガラリとかわったか、これくらいの予測しかできない。
あと余談になるが、10年長生きしたら孫の信勝の1979年の元服を祝うことや、信勝の初陣を見ることが
出来たかもしれないのと、織田軍に勝利や、織田との和睦等の理由で信玄が生まれてはじめて
畿内方面に足を踏み入れ、あわゆくば30数年ぶりに父信虎との、老衰死寸前対病死寸前の
くたばりそこないヨボヨボ親子対面が実現してた可能性も、ないかなぁ〜
まぁ、でもそんな事は天下とりが主軸的なこのスレではどうでもいい話だよな。
671 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 22:07:24 ID:ke6tZNKF
少なくとも長篠と同じ状況にはならんだろ。
672 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 22:37:17 ID:w2NUQGUz
>>666 鉄は血液に触れると案外早く錆びる
それに山賊等はより金払いの良い方に靡くモノ
それに略奪自体賊側にはメリットがあるが、やらないのはメリットが無い、どっちを取るかを考えるとどうだろうな?
更に言うとやらせるのは楽だが、防ぐのは難しい
673 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 22:46:22 ID:F7OaOFNm
金で何とかなる問題ではあるけど
それらを何とかするだけの金が武田にあるのか
ただでさえ税を減らして無理に動員しているのに
674 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 23:23:28 ID:ke6tZNKF
山賊?ナンセンス。
普通に交易路を通すに決まってる。
675 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 23:25:05 ID:0VS3Arz9
>>665>>666>>672 なるほど。
他にも詳しい人いたら解説よろしく。
>>673 2年後の長篠の起きた年辺りからは財政悪化が目に見えてきているから、
1573年頃にも財政は悪化していたと俺は思う。
まさか勝頼の代になってから急に財政状況が悪くなったとも考えにくい。
長篠で敗北するまでは東美濃の岩村城周辺の城を落として東美濃における橋頭堡の強化に成功しているし、
遠江の要の1つ高天神城を手に入れるなど領土は増えていることだしね。
勝頼の失策・失敗によって財政が悪化したとはどう考えても思えない。
676 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 23:28:07 ID:0VS3Arz9
>>674 確かにそれ+当時の商人は武装してたわけだし
完全な交易の邪魔は不可能だよな。
677 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 00:04:30 ID:7kF5LckW
>>675 逆にいうと、勝頼は万以上の軍勢を動員して、手に入れた領土権益は明智城と岩村周辺、
三河北部の山地、遠江の高天神。
武威という点では勝利だが、経済的な面でみれば極めてコストパフォーマンスというか、
採算が合わない。
信玄のわかいころのように戦の規模が小さければ(比較の問題ね)ともかく、敵も万以上の
軍勢を動員可能な国持ち大名クラスになると、戦に勝って領土を得るだけでは割りに合わ
なくなる。(駿河のように一国を得ることができればともかく)
信玄の始めた拡大政策の破綻、勝頼はそのつけを負わされたと言えるね。
678 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 00:14:53 ID:8pAOpHVN
>>677 勝頼が健全な財政状態で家督を相続していたら、
東美濃の橋頭堡の強化と高天神城の奪取はもっと大きな効果をあげてたかもね。
特に高天神城の攻略は例え短期的視野では経済的にマイナスでも長期的に見ればプラスであり、
万単位の兵馬を動かしても充分割りに合う戦果だよ。
679 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 00:14:55 ID:j3zzAaLM
拡大政策自体は間違ってないと思うが、立地が悪すぎたから破たんした。
武田が山のど真ん中に位置してなければ採算が取れたかも。
680 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 00:17:14 ID:iOoh+onU
戦に勝って領土を得るのがだめなら何すりゃいいんだ。
言い方が悪い。
大方、主力同士の決戦で勝利しなければ戦果は小さなものしか得られない、
というようなことを言いたいのだと思うが。
勝頼は家康を撃破したかったが、家康は信長の本格的援軍が来るまで良く耐えた
(「耐えた」と言っても家康に攻勢がなかったといってるわけではない。
しかし、家康の方から勝頼との主力決戦を望むフシはなかったので「耐えて」いたと言って良いかと)。
別に勝頼の狙いが悪かったわけではなく、家康が上手くやっただけだと思う。
681 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 00:53:27 ID:IQ2OWsBU
決戦をさけて消耗戦に引きずり込んだと言ってもいいな
武田と徳川の争いであるならば、消耗戦は徳川がジリ貧となるかもしれんが
徳川には織田の支援があるからなー
軍事的にも数年徳川が時間を稼げば織田が畿内を安定させて援軍に来てくれる
経済的にも高天神の折に黄金の袋を贈ったというように援助があるし
682 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 01:02:45 ID:EkU8h+ji
結局、
信玄なら織田に戦の強みをみせて
織田と優位な同盟を結んだと思うよ
>>1の意見とおなじで
信玄の思考ならまともに織田と戦うのも疑わしいな
それより織田北条との同盟を生かして
上杉と徹底抗戦するでしょ
無駄に格上の織田と戦い消耗するより
越後の海を得た方が上
683 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 01:13:52 ID:8pAOpHVN
>>682 上杉と徹底抗戦するのなら織田と対立した意味がなくね?
「信玄のやつは絶対に許さねえ!」と激怒してるのが分かる手紙を謙信に送ってるくらいだから、
一時的な和睦なら可能だが長期的な和睦は不可能でしょ。
信長が畿内方面の問題を処理し終えて、その時信玄と謙信が泥沼の戦いをしてたら、
積年の恨みを晴らしてやろうと謙信のほうに加勢する可能性だってある。
織田に戦の強みをみせてというが、信長は信玄TUEEEEEE!!!!という感情よりもきめええええええという感情の方が圧倒的だろうな。
684 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 01:45:23 ID:v0qHxMq3
正直三方が原で徳川に致命的な打撃を与えるか、余勢を駆って浜松落とす
かしなかった時点で武田の東海侵略は頓挫している。あの状態から何とか
五分以上の講和に持っていくならそれこそ信長を討ち取るぐらいしないと
結局史実どおりに天目山だろうな。
685 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 02:15:29 ID:iOoh+onU
遠江に居座り、勢力を浸透させながら信長の来援を待ち受け、
合戦に及んでそれを打ち破る、って辺りが普通じゃないの。
信長が総力を挙げてきた場合には決戦を避けつつ他の地域の反信長勢力に期待、
半端な戦力で来たら合戦で撃破。
信玄必勝とは言わないが、そこそこ分のある勝負だと思う。
686 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 04:33:02 ID:7kF5LckW
>>678 >勝頼が健全な財政状態で家督を相続していたら
矛盾したIFだと思います。
それから、高天神はそれほど遠江において重要な城ではないんですよ。
「高天神を制するものは〜」なんて後世に付け足された俗説。
687 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 05:16:13 ID:QB7p6ent
>>669 ここの話は あてになるんだ。
きみにはw
688 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 06:23:10 ID:2OZ/22Mm
↑素晴らしき2進法脳
否定排他的論理和ぐらいは高校で習うはずだぞ?
689 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 12:08:18 ID:a0eRAsAZ
実際、信玄はどういった意図で動いたんでしょうね?
単独で織田軍を打倒するのは無理なんで、いくら統一した動きが出来ない包囲網だ
としてもこの機会を逃してはチャンスなしと見定めて本当に信長と雌雄を決する為
に動いたのか?
それとも他勢力に信長を牽制させその間に徳川を攻略して動員力を大きくしてから
決戦の時期を探る、もしくは徳川領の攻略だけが目的とする?
私としてはそもそも徳川を倒すか降伏させていない状態では、後方に抑えの戦力を
かなり置いておかなければいけず、補給線の分断の危険もありとても信長と決戦
なんてできないと思っていますので表向きは別として本心は西上の為に動いたんで
はなかったと思ってます。
朝倉の撤退と病状の悪化で武田軍の動きは止まったと思うんだけど、朝倉の撤退は
動かしがたいとして、信玄の健康状態が悪くならなかったらその後はどう動いた
んだろう?
とりあえずギリギリまで徳川領を削り取ってから一度甲斐に帰国。
春になったら朝倉と呼応してもう一度徳川領に侵攻。
援軍に信長が出てくれば、浅井、朝倉等に牽制させて全軍でこれないようにして
おいてそこで信長と決戦、もしくは不利になれば一度引き返して、信長がそこで
各個撃破に動いたら再度侵攻。
上杉に動かれるとこれは出来ないですけどね・・・
信長が徳川を見捨てて各個撃破に動いたなら今度こそ三河から尾張侵攻を目指すと
いうことになるかな?
徳川も信長に見捨てられてまで、滅亡覚悟で武田軍と頑張って戦う理由も無いし、
例え家康が頑張ろうとしても家臣の相次ぐ寝返りで頑張りきれないと思うし。
京都まで行くとかいう状態にはならないと思うが、徳川がいなくなれば尾張まで
なら入れたような・・・
確かに織田軍は強大で両家が総力を挙げてのガチンコ勝負なら武田も勝てないとは
思うけど、信玄が死なないでいれば・・・という仮定の話なら信長も常に武田の動
きを警戒しなくてはならず、史実の様に各個撃破に大手をふって動く訳にもいかず
浅井、朝倉ももう少し寿命が延びて結局膠着状態が続くような気がします。
屋台が大きい信長だけに包囲網を引かれたといっても圧倒的に有利ですけど、全く
危機がなかった訳ではないと思います。
もちろん軍事活動にはお金も掛かるので、長引けば他の勢力は財政的に信長より早く
限界が訪れるので財力、国力に勝る信長の有利は動かしようがないと思いますけ
どね・・・
とりあえず信玄があと10年生き続けたら歴史の流れはもうちょっと鈍化したんで
はないかと思います。
畿内があらかた片付いたからこそ長篠の戦いがあった訳で、信玄が生きていれば
それほど簡単に片付かなかったと思いますので・・・
信長が徳川を見捨てた場合もしかしたら似たような時期に武田対織田があったかな
なんて夢想もしますが・・・
690 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 15:15:03 ID:j3zzAaLM
>>689 史実では野田城落して甲斐に帰国してから半年の間朝倉、浅井が滅ぼされて、
さらに3ヶ月以内に信長が伊勢長島に出陣しては三好、足利を潰した。
そっちの仮定通り信玄は単独で動かないのであれば、
信玄が生きてても史実より1、2年遅れて畿内を平定するだろ。
例え信玄が生きていても朝倉が冬にこもるのだから、
その間信玄の動きを警戒しつつ他の勢力をつぶせば終わり。
実際秀吉がそうやってたし。
それに、すでに指摘されたように反信長勢力の連携は難しい。
いったん甲斐に帰国してからの再出撃は他勢力と連絡取りあわないと不可能だし、
その間情勢の変化と信長の動きを読み切れなければあっさり各個撃破されるだけ。
だから、朝倉が動いたら信玄も〜というのはあくまでも机上の空論。
なぜなら朝倉は信長に近い、朝倉が動いたら信長もほぼ同時に動くから信玄は遅れを取るだけ。
ましてや信長が先に動いたら一方的に主導権を握られて終わりだからまったくの無意味。
本人同士がテレパシーできれば話は別。
691 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 16:17:19 ID:iOoh+onU
いくら戦力に差があるとは言え、朝倉氏が出陣した瞬間に潰せるわけじゃないだろうが。
692 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 16:29:38 ID:j3zzAaLM
>>691 1573年の朝倉なら史実を見ればわかるじゃない?
あと、軍隊は一言声かければすぐ出撃できるわけじゃない。
防衛戦と違って大軍率いて敵地に攻め入るのには色々準備が必要。
さらに情報の伝達にも時間がかかる。
朝倉か信長が動いたという情報を信玄が受け取ったときすでにそれなり進行したし、
そこから信玄が信長をけん制できるほどの軍を整えて出撃するまでさらに時間がかかる。
逆に信長は信玄の出撃を徳川か自領で待ち構えていればいいだけだから、
その近くに兵力を事前に用意すればすぐ対処できる。
各個撃破は弱いものから潰すのが定石だから、
他の勢力をつぶす間信玄に対して信長はひたすら防御態勢を固めればいいのだが、
信玄がけん制するために敵地に攻め込まなければいけない。
これじゃジリ貧になるだけ。
693 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 16:46:07 ID:iOoh+onU
史実では…
阿閉氏が寝返ったのが八日で、朝倉氏が前面敗走に移ったのが十三日。
最大五日か。一瞬だなw(スマン、もうちょっと長いと思ってた)
ただ、この例を見ると、必要があれば一声かけるだけで出陣できるようだけど。
それに、武田が健在なら「出撃するときは言ってくれ」的なやりとりはしてるんじゃないの。
武田は朝倉が動くのを見てから自分で判断して行動するよりは早めに情報を得られてもいい。
また、朝倉軍が潰走したのは撤退しようとした隙を衝かれたみたいだから、
武田の来援が期待できるならもう少し粘れるかもしれないし、
武田の活動が活発なら、史実ほどは寝返りが続出しないかもしれない。
694 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 16:56:46 ID:j3zzAaLM
>>693 遠征なら事前に兵糧の集積などが必要だから、
準備なしで行けるわけじゃない。
信長みたいな金満大名ならともかく、信玄が上洛の時すでに全力投球だった。
そこからいったん甲斐に帰国してからさらに同じ程度の兵力で遠征しようとすると、
それなりの準備期間が必要だし、甲斐の財政があと何回支えられるかも問題。
信玄存命中ならもうちょっと朝倉が粘ってたかどうかも未知数。
結局信玄が出ても役に立たんじゃんと史実通りになってたかも知れないし、
ここを凌げば信玄が来るともっと頑張れたかもしれない。
ただ、信玄死後からわずか4か月であれだけの壊れっぷりだから、
もともと駄目だったと思う。
信玄が生きてても崩壊の時間をほんの数か月伸ばす程度じゃないかな。
695 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 17:03:53 ID:iOoh+onU
「再出撃は他勢力と連絡取りあわないと不可能」というのも意味がわからない。
そりゃ連絡は取るだろうが、対信長戦への戦意の確認くらいでも別に。
各個に撃破される奴も出てくるだろうが、全く隙を作らずにはできない。
史実では信玄という屋台骨が抜け落ちたために同盟が脆弱になったということを差し引けば、
信長だけが戦果を拡大するというわけには行かないと思う。
696 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 17:06:03 ID:iOoh+onU
勝頼がロクに実にならない遠征を繰り返してたところを見ると、
全然余裕だったんじゃないの。
697 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 17:13:09 ID:j3zzAaLM
>>695 それぞれがバラバラに戦うなら連絡取らなくていいのだが、
それなら
>>689の前提が崩れるだろ。
現代の違って昔の情報伝達手段は限られてるし、
裏の取れる確かな情報ならもっと時間かかる。
たとえば信長が出陣したとわかってもどこへ行くのかある程度観察しないとわからないし、
どこを攻めるかとなると信長がその地について軍を展開してからでないとわからない。
すでに何人もの人がレスしたように、隔離されて指揮系統が存在しない弱者連合が都合よく
一本の指揮系統にまとめられた強者の隙をついて出撃するのが無理。
その弱者連合が隙を作らないとか言ってる時点で理解していない。
力関係がはっきりしない、領土がバラバラで1か所に固まってない、
指揮系統が存在しない弱者連合自体隙だらけ。
698 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 17:18:55 ID:j3zzAaLM
>>696 遠征に準備時間が必要かどうかの話じゃない?
699 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 17:39:27 ID:iOoh+onU
>>697 相対的に言えば一大名家より連合の方が隙があるのは確かだが。
だからと言って信長に全然隙がないわけでもない。
要は集中しなければ勝てないわけだ。
信長は兵力を上手く工面しない限り相手の隙をつくことは出来ない。
包囲側は工夫しなくても隙が目の前に現れる。
まあそこまで言うと大袈裟だけど、全然主導権を握れてない弱者が
信長の弱みをしばしばつけたのはこういう理屈だと思う。
包囲側と被包囲側で全く対称なわけではない。
700 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 18:44:41 ID:7kF5LckW
>>699 その隙をつくってしまったのが志賀の陣。
そしてこの最大の危機を乗り越えた信長は、各地の勢力に蠢動を許さぬよう手当てを行っている。
信長が留守中にも木下と磯野に睨まれて何も出なかった朝倉がいい例。
もう一つ指摘すると、各地の反信長勢力の敵は信長だけではない。敵の敵は味方で信長についた
勢力だっている。そういった至近の敵対勢力を無視してフリーで信長を攻撃できるなんておこり
えない。
例を挙げると大和の松永。彼が信長についていたときは筒井が反信長だった。しかし松永が反旗を
翻して信長と敵対すると、筒井は信長について松永と戦った。元亀三年から四年の情勢はというと、
松永は大敗して引きこもり、結果大和は親信長勢力が強い国となった。
摂津や河内和泉なども同様。三好のように将軍方・反信長もいれば、長年三好と敵対してきたという
理由で信長について三好を戦う豪族達もいた。そもそも三好ですら、一本化された勢力でもなく、
反信長という理由で呉越同舟しているだけ。三人衆と松永・義興の対立はもちろん、三人衆でも岩成は
一時期三人衆の残り二人と袂を別って信長に従っていたこともあるのだから。もちろん、昔から反長慶
な三好一族だっていた。
701 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 18:52:10 ID:j3zzAaLM
>>699 だから、弱者の指揮系統が一本化されてないから信長の隙を突くのは完全に運任せってことだろ。
戦争は運だけでは勝てないし、これに関して何度も指摘されてる。
織田に不利な状況だけ想定してりゃそれは勝ち目はあるが、現実ではそうはいかない。
702 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 19:17:25 ID:8pAOpHVN
>>686 >勝頼が健全な財政状態で家督を相続していたら
矛盾したIFだと思います。
↑
何が言いたいんだ?矛盾したIFって?
>高天神はそれほど遠江において重要な城ではないんですよ。
高天神城が遠江においてどれくらいの重要度だったかまでは知らんが、
武田にとっては高天神城は堅城だから遠江攻略の為の前線拠点としてかなり有効活用できるし、
徳川にとってはじわりじわりと武田の侵攻が進められてかなりの痛手でしょ。
武田と徳川の二者の間では高天神城は結構重要な城と思うんだが違うのか?
二俣城を武田に奪われてくさびを打たれた形となっていた状況で、
高天神城も奪取されたのは徳川にとっては第二のくさびを打たれたような気がするんだけどね。
703 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 19:18:25 ID:8pAOpHVN
704 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 22:16:36 ID:ArIxSP1S
信玄って強いの?
705 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 22:45:21 ID:a0eRAsAZ
信玄が動いたのでそれに備えるのに信長は岐阜に帰還したんだよね?
その後武田軍が4月に甲斐に帰還した後、信玄が死んだというのを調べてほぼ間違
い無いということを確認してから8月に朝倉攻めを3万の軍勢で行っている。
信玄健在の状況で話を進めているんだから大軍を率いて各個撃破に動くというリス
クは犯さなかったと考えるべきではないかと思うけど・・・
そもそも信玄健在の状況で各個撃破に動くことが出来るなら朝倉が越前に引き上げ
た時に直ぐに行わないと春になって朝倉が動き出す可能性があるよね?
岩成友通程度すら放置してた信長に各個撃破に飛び回る余裕があったのかは少し疑
問だ(内応工作位はやってのかもしれないけど)
基本的に連携なんて取れなく、自分の為だけに動いている連中だとしても信長を倒
したいという利害の一致だけである程度時期を決めて動くのは事前に打ち合わせて
いたとしても電話やテレパシーがないと100%無理なことなのか?
別に同日、同時刻に一斉に蜂起しなくてはいけないこともないと思うが。
実際に1次、2次とも後世の跡付けとは言え多方面で信長に対しての蜂起が成立し
ているし。
1次、2次とも確かに信長の各個撃破にあい失敗していることが多分各個撃破が
成立することの根拠なんだろうが、1次、2次とも信玄、謙信というある程度信長
と戦える戦力を持った人物の死んだからこそ安心して各個撃破に動けただけ。
織田軍とて車や新幹線がある訳でもなく移動時間は掛かるし、兵は必ず疲労する。
確かに遠征には十分な準備がいるが、時期を決めてやるなら出来ると思う。
武田が織田に国力で数段劣ることは事実だし、遠江に動かした軍勢は総力を挙げて
準備したものだと思うが、長篠で大敗した後でも何度も1万以上の軍勢で戦ってい
る武田がまさか一度の遠征でもう2度と同規模の遠征できなくなるほど経済的に逼
迫するというのもおかしな話だと思う。
そこまで逼迫するんなら信玄ほどの将が遠征などする訳などない。
706 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:03:33 ID:Um5y3RCv
信長の隙というか
金ヶ崎は浅井の突然の裏切り
志賀の陣小木江落城は本願寺の突然の決起
そして岩村落城は武田の突然の裏切り
運任せとかじゃなくてある勢力が最初に不意討ち騙し討ちした時だけ上手くいったんで
二度目はもうなさそう
707 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:06:28 ID:cItClHTu
小木江は自分の弟がいるんだし救援に行きたかっただろうし行こうと思えばいけたはずだよ
でも見殺しにしたのは周りの状況から動けなかったということ
708 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:17:53 ID:Um5y3RCv
>>702 高天神は東遠江でも割と外れた位置にあるので遠江支配や遠江全体への影響はかなり低いと思う
今川も高天神を奪われる前や取りかえした後の徳川も東遠江の領地支配の中心として
使ったのは掛川だし山内も掛川を本拠としている
遠江の主用街道は東海道だけど高天神はそこから離れているし
浜街道は、武田も徳川もそれ以前以後の大名もほとんど使用していないことから交通面からも微妙
特別重要じゃないと思う
また家康も高天神が固いからあとにした可能性もあるけど
長篠後にまず東海道の要衝・諏訪原を落として後に二俣を攻めている
高天神は南方から掛川を包囲するためにと南東部支配のための城なんじゃないかと思う
709 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:39:06 ID:j3zzAaLM
>>705 レスの内容は読んでる?
信玄が単独出撃しないというのなら信玄がいったん帰国したら、
もう一度出るのに連絡を取り合わないとだめと書いてあるのだが?
それに対して
>>695は「なぜ連絡取らないと無理なのかわからん」
「○○が動いたらそれに合わせれ動けばいい」と書いたから、
それに対して「無理、テレパシーでもなければ」と返事した。
あと、信長は信玄を警戒してはいたが、それに縛られて動けないことは一度もなかった。
確かに信玄が死んで4か月経ってから浅井攻めに出たのだが、
事前調略が完成したからという解釈もできる。
実際このとき阿閉が内応したり、朝倉家臣が出兵拒否したりしてたし。
あと、領内の交通網が発達して道路も整備された織田と甲斐を本拠地にする
武田の遠征にかかるコストは全然違う。
武田に対して防衛作戦を実施する織田と甲斐から大軍を率いて東美濃や三河に遠征する武田と、
どっちの負担が大きいかというと、圧倒的に武田の負担が大きいし兵の疲労度も大きい。
しかも信玄は動員のために税の軽減をしてる。
さらに言うと、長篠の大敗後でも大軍を動員してるというが、
莫大な軍役を強いられたのに得るものがないことが武田家崩壊の理由じゃなかったのか?
遠征して領土を得て家臣に褒美を与えることが武田家の求心力を支えた。
それがわからない信玄ではない。
実利もなく織田と泥沼な切り取り戦をやって家を崩壊させるより上杉や北条に手を出す方が無難だろ。
両方とも織田と比べれば組みやすい相手だし。
710 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:45:28 ID:Um5y3RCv
スレを最初から読みなおしたら?
>>705 >信玄が動いたのでそれに備えるのに信長は岐阜に帰還したんだよね?
そんな事実は確認できないと思うが……
>その後武田軍が4月に甲斐に帰還した後、信玄が死んだというのを調べてほぼ間違
>い無いということを確認してから8月に朝倉攻めを3万の軍勢で行っている。
阿閉が内応したから江北に出陣しただけだと思うが
>そもそも信玄健在の状況で各個撃破に動くことが出来るなら朝倉が越前に引き上げ
>た時に直ぐに行わないと春になって朝倉が動き出す可能性があるよね?
それだけ織田に余裕があっただけじゃないか?69年みたいに冬に出陣して凍死者出すのもあれだし
>岩成友通程度すら放置してた信長に各個撃破に飛び回る余裕があったのかは少し疑
>問だ(内応工作位はやってのかもしれないけど)
それがいつを指すのかはわからないが岩成とは基本的に敵対していないし
>織田軍とて車や新幹線がある訳でもなく移動時間は掛かるし、兵は必ず疲労する。
それを言うなら織田軍よりも移動距離が長く険しい上に半年も既に行動している
武田軍のほうにこそ不利に働くと思うが
>長篠で大敗した後でも何度も1万以上の軍勢で戦っている武田がまさか一度の遠征で
>もう2度と同規模の遠征できなくなるほど経済的に逼迫するというのもおかしな話だと思う。
それは詭弁だな、7年の間に何度も遠征しているだし
問題なのはこの1572年の遠征時での支出からどれだけ短期間で次の遠征が出来るまでの
財力を蓄えられるかだ
これで時間がかかるようならその間に織田は各勢力を討ちにいくだろうな
711 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:47:07 ID:1ed0Enqe
まあ信玄だけに縛られたとは言えないが包囲網全体の話で
動けないというのはあったと思うぞ
小木江しかり岩村しかり
712 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:48:27 ID:bUNzISL5
もし武田が限りなく低い可能性に賭けるとしたら、野田城攻めののちそのまま進軍して
織田軍と激突(この展開になった時の織田と武田の兵力の差の正確な数字は分からないが)
したとして、相当織田に分がある。ただ、長篠の戦いのように織田徳川連合軍が
万全の体制で、用意周到に待ち伏せた戦ではないので、あそこまで短い時間で
大敗をきする事も無いように思える。
@ここで撤退したのなら追撃されながらも甲斐に戻る訳で、長篠と比べる術こそなかれ(一つは架空の戦)
相当武田はダメージを負う。その後史実と似た展開(織田や徳川が各個に敵対勢力を破る)で
次の標的が甲斐の武田に向けられた時、痛手を負い、財政も潤っていない武田は信玄存命でも
結局は和睦か滅亡の選択を迫られるのに、時間はかからないだろう。
Aここでしばらく持ちこたえつつ、浅井朝倉に援軍の要請を執拗に出す(場合によっては他の反織田勢力にも)
ココで他の反織田勢の参陣は各個で違うだろうし予測は難しい。例えば浅井に関しては、織田が武田と
ドンパチやってるなら、そこは黙って情勢を見守りながら自軍の静養に勤めるか、織田を
背後から突くかの選択で、コレは朝倉も同様。ただ情勢を見守る選択視があるにしても、その後
武田が大敗で撤退、全滅となれば遅かれ早かれ次にいずれ自分達に矛先が絞られる時期がくるが、
待つも地獄ならせめて、武田との共闘作戦に一つ賭けてみるかという選択視もなくはない。
武田が織田と対戦してる最中に別方向から浅井、朝倉(場合によればさらなく援軍)が突いたとすると
それは、反織田にとって唯一にして最期の最善のチャンスにもなりえなくもない。
同時期に武田、浅井、朝倉、その他が個別に織田領内に侵入して、どこと対峙するかを織田が選択するか、
もしくは兵を何手かに分散(コレは桶狭間などの経験がある信長は避けそう)するという状況でなく、
あくまで織田と武田の戦いが織田領内で勃発(この時点で戦場の位置は明確に決定される)、
浅井、朝倉が駆けつけるか否か(武田がそこまで持ちこたえるか否か)が重要になる。
これらが、すべて武田側に良い方向に転がり続ければ、それなりに面白い展開の目もでてくるかと思う。
あくまで、コレはいくつもの奇跡に近い幸運が武田側に続いた上での架空の話であり、極めて
可能性は低い話であることを、重ねてことわっておく。
あと、単なる武田が優位な情勢を妄想してるからチラシにでも書いてろって言われるだろうから
更に付け加えると、もし今述べた方向(武田及び反織田に有利)に進んだとしても、それでも信長には
正親町天皇および朝廷を利用して和睦に持ち込むなど、切り札もあり、財力でも兵力でも優位なのも
また事実で、さらに地理に関しては完全にホームになる。
今回は、あくまで武田があの時織田に対して一泡吹かせるにの、どれほどの運が偶然が重なれば
可能足りうるかについて個人的な意見を書かせてもらった。改めて美濃を手にし、すでに上洛している
織田信長と、甲斐の山奥の信玄では、双方個人の力量云々を分析するのは別として、天下取りは
完全に織田優位なのは動かない。信玄も貢物をされて安心していた自己責任もあるし。
武田にとっても、信玄に人生にとっても三方ヶ原の勝利がピークだったんだろうね。
信玄はあそこで死んでこそ、信玄なのかもと思う。
713 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:10:16 ID:rl9ykoLg
織田が武田に勝ったのも史実だし近畿一帯支配したのも史実なのだから
その線に則って論陣はる方が数倍楽だわな
714 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:18:26 ID:HEHcSsUX
ようやっとeo解除
>>566にレス仕様と思ったけどもう逃亡しちゃったのよね?
715 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:27:58 ID:zai0q7cQ
>>713 武田は好きだけど、さすがに擁護するのに材料がなさすぎる。
信玄が長生きしてもうまく勢力を保ってれば上出来だろう。
信玄の裏切りに対して信長がマジギレしてたから、隙があらば武田をつぶすだろうな。
実際残党狩りがすごかったし。
716 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:19:57 ID:L14Rcl2j
勝頼の場合、自滅に近いわな
信玄なら奥平親子の裏切りもなかったでしょう
717 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:39:18 ID:L8Y+I6+C
>>708 なるほどそうなのか。
>>716 武田家滅亡の原因の大半は親父の信玄の代にやらかした負債が原因なんだから
そんな役回りを親父から押し付けられながらも頑張った勝頼に対して自滅とか言いすぎじゃね?
718 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:15:09 ID:ArHNQTO2
>>712 >にいずれ自分達に矛先が絞られる時期がくるが
問題は、大名レベルの危機感と配下豪族レベルの危機感がイコールにはならないことだと思う。
朝倉や浅井(後年の武田も)などは、自家が滅ぼされないために無理な動員も行おうとするだろう。
しかし配下の豪族達からすれば、必ずしも大名家を残す為に自分たちが無理を強いられる義務
などないと考えるだろう。実際に斎藤家が滅んだときも、また朝倉や浅井が滅んだ後も残った
豪族達は普通に織田に仕えて領土を安堵されたりしている。豪族たちからすれば、自分の権益を
守ってくれない、守るちからのない大名に従う義理はない。だからこそ朝倉の最後では従軍拒否
が生じることになったのだろうし、武田の最後が崩壊というしかないほど無残なものになった。
719 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 06:30:33 ID:D9Mv/SRE
上杉謙信と結婚
浅井長政が絶望する
さよなら長政先生
720 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 20:26:03 ID:L8Y+I6+C
突如スレの勢いが戦国板でも随一の勢いになったかと思いきやいきなり静かになったな。
721 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 22:23:22 ID:HEHcSsUX
だからなんだ?
722 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 19:27:15 ID:TMsEo9iQ
自演の人が秋田らしい
723 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 00:21:17 ID:J1DZ+P5V
一応結論が出たからじゃないか
10年長生きしても織田の優勢は変わらず数年遅れる程度
ってことになる可能性が高い
724 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 12:15:25 ID:aeD/qRGn
武田厨が他のスレに行ったし
725 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 19:28:11 ID:LtdsIdHD
>>724 なんでここで語らずに他スレにいったの?
726 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 03:21:29 ID:+5ugIXDu
>>725 どう考えても勝ち目がないからでないか?
段々劣勢になってきてたし
それどころか脳内妄想炸裂させすぎて叩かれ始めたってのもあるんだろうな
727 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 20:43:42 ID:zj8nXyzU
印象操作は良くないと思うけどね。
728 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 23:22:53 ID:NSFLhzim
>>726 あのスレは話題がまるで違うやん。決め付けと印象操作イクナイ。
729 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 01:23:46 ID:V+36yTm+
信玄マンセーなのは同じだけどね
730 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 13:47:56 ID:u3a6HxZW
あと100年長生きしていたら?じゃなかったのか・・・
731 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 14:09:26 ID:t3KcpVEu
そしたらギネス入りだけだろ
732 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 20:11:54 ID:VTCYi/H/
過疎ってるからあげとく
733 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 14:57:38 ID:fYEyjmN4
三方ヶ原で震源にチンチンにされてウンコ漏らしながら逃げ回った男が
天下獲るくらいレベル低かったからなw
ウンコマン徳川ってホントウンがいい男だわwww
734 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 22:19:08 ID:2KlGZHxE
@他の大名が病んで死んでく中で、健康面に気を使った家康が戦国最終覇者
A日本統一も時間の問題だった床まで上り詰めたのに
臣下の恨みを全く問題視してない事で墓穴を掘った信長
B貢がれて安心してほかって置いた間に、手に負えないほど信長に伸された上に
重い病で倒れた信玄
まあ、どれも悲惨な生涯でしかないな。
所詮戦国時代なんて地獄絵巻。
735 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 23:06:55 ID:+VfooX4A
皆よく勉強してるなあ。実は俺も上洛自体は無理があると思っていたんだが、
兵力が同じだとしたら何故攻勢方が勝てるのかと言う問題があるが、現実問題
武田軍は、織田軍より数倍強いというのはただの噂に過ぎないんかね。
どっかのすれっどの書いてあった刀にウンコ付けて殺傷能力高めてたのはウソで
いいのね。
736 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 11:15:26 ID:Bu3D/Nhi
もともと信玄は上洛なって考えていなかったでしょ。
晩年になって将軍に呼ばれて上洛を考えた程度。
737 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 20:44:57 ID:73mwQXia
>>734 どいつを擁護したいのかは知らないが、特定の武将を擁護したいがために他まで十把一絡げにして
印象薄めるのは姑息だからやめろ
738 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 18:05:06 ID:fuRyd1uz
何を読んでも必ず特定の武将を擁護していると思えるのもどうだろうな
739 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 15:56:26 ID:tKYEs9Yn
北条氏康があと10年長生きしていたら信玄は東国の有力大名にフルボッコされていただろう。
740 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 16:44:00 ID:B9iCanHc
信玄が後10年生きていれば信勝に直接武田家を継がせることもできた
これは非常に重要な点
741 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 16:50:29 ID:lIJavCcD
一番いいのは信玄が2、3年だけ長生きして、死ぬ前に織田徳川への出兵をやめて勝頼への引き継ぎをしっかりやって
中央集権体制をしっかり整えて、死んでから織田と和睦するようにと勝頼に言い残したらだいぶ変わるだろう。
742 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 17:27:42 ID:lARbZxYj
信玄があと10年長生きしていたら
→衆道に引き込まれる若侍があと5〜6人増える
→そのうちの何人かが本格的に目覚める
→その何人かが子孫を残さない
→その分今の人口がちょこっとだけ減る。
ま、その程度だなwwwww
743 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 20:31:59 ID:Y6zjj/Fp
信玄健在時の昌幸の働きが気になる
744 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 07:08:07 ID:ZicvlhGb
氏康が10年長生きしても何も変わらんだろ。
5万の兵で駿河に攻め込んだけど結局信玄に取られてる。
745 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 07:52:32 ID:f5blpp6T
いや変わる。
甲相同盟の締結がかわるわけだから。
下手したら信玄は上洛戦自体が出来なくなる。
746 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 08:29:26 ID:HVMxubc5
>>744 健康面での問題がなければ駿河は武田に取られてなかったんだけど
747 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 22:39:46 ID:2pkr3QDY
信玄が死んだときに勝頼がそのまま尾張、美濃に進軍してればどうなっていたか
当時の織田家はご承知の通り、信長は武田家に全力でぶつかれないもで、勝つかのうせいはあったと考える
748 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 23:08:06 ID:HVMxubc5
>>747 >信玄が死んだときに勝頼がそのまま尾張、美濃に進軍してればどうなっていたか
織田本隊と対峙中に徳川に退路を遮断されて、前に進めず引くにも引けず長篠パターンへ突入
749 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 23:08:49 ID:HVMxubc5
>>747 >信玄が死んだときに勝頼がそのまま尾張、美濃に進軍してればどうなっていたか
織田本隊と対峙中に徳川に退路を遮断されて、前に進めず引くにも引けず長篠パターンへ突入
750 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 23:18:18 ID:2pkr3QDY
749
なるほど、でも三方が原で大負けした家康が城を出て、信玄と一戦交えれる事できるかな
751 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 23:29:02 ID:HVMxubc5
あのクソ漏らしの家康が信玄が引いた後すぐ攻めに出たから、
武田の主力が織田と対陣中で動けないとわかれば、好き放題に荒らすだろう。
752 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 23:29:17 ID:svVHoQtT
またその話題でループかよ
信玄スレは本当に非建設的だな
753 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 00:21:52 ID:2Z7GADAB
>>750 自分の命を救うので精一杯だろ
北条がなんとかしてくれるさ
754 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 21:42:57 ID:Qv9GA4X6
徳川は無かったろうな・・・
健康なら追撃は相当なもんだったろう。
755 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 21:49:32 ID:LqbhMfWd
747が言ったのは「信玄が死んだとき勝頼が引き返さずそのまま進軍」
というのだから、徳川の活動は史実通りになるだろう。
そもそも徳川が打って出たとき信玄が死んだという情報がまだ流れてなく、
武田の動きが鈍った→ちょっとちょっかい出してみよう→大した反撃はないからやっちまおう
だったから、勝頼がそのまま進軍して尾張か美濃で織田本隊と睨みあったままなら、
徳川がこの失地回復の好機を逃がすわけがない。
756 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 14:00:19 ID:cd/ycl6O
というか信玄死んだ状態で遠征続けたらその情報を手土産に裏切り
かます奴続出だろ常識的に考えて。
757 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 18:58:22 ID:HrSNm1MU
高坂弾正のアナルがゆるゆるになっていた・・・
758 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 19:06:51 ID:HrSNm1MU
>>756 というより、広義に指揮系統が乱れる危険性があるってことじゃね?
武田は小領主連合みたいなもんだから信玄死ぬとすぐ
あいつの命令をここで下手にうけてしまったら今後ずっとこの関係を維持するにちがいない
みたいな腹のさぐりあいが起こっちゃって、
うかうかしてると戦に負けるし今後の権力闘争にも気が行くしってことで、
こんな戦役疲れてしょうがないということで、撤退が無難じゃね?ってことで撤退したんじゃね?
759 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 23:01:27 ID:U4rZt33d
>>756 情報を売り渡す人間が居ても「信玄が死んだ」ほどの情報は裏が取れないと誰も真に受けない。
たとえ徳川がそういう情報を受け取ったとしてもそれを前提に反撃するわけではなく、
自分の動きに対する武田の反応を探りながら行動するだろう。
760 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 19:14:42 ID:98M7QekJ
>>759 真に受けるかどうかを問題にしてないだろ、756は
その情報を手土産に、武田から裏切りが続出するって言ってるだけ
761 :
人間七七四年:2008/03/14(金) 10:15:47 ID:voih/tDL
死せる信玄
762 :
人間七七四年:2008/03/14(金) 14:14:06 ID:68grK/vw
生ける勝頼を走らす
763 :
人間七七四年:2008/03/14(金) 20:17:06 ID:P2c9fn9A
先走る肉棒
764 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 15:29:45 ID:sLNxU82y
このスレも、このあたりにしとう御座いまする・・・
by 文子♪
765 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 16:01:58 ID:JGLepYOs
よく思うけど
信玄が朝倉の撤兵を非難してるけど
あそこまで戦った朝倉が何故非難されるんだろうな
どう考えても武田信玄が包囲網で役立たずだったのに
766 :
人間七七四年:2008/04/22(火) 23:11:23 ID:06F2BSDm
それだけで義景バカと言われてるわけじゃないだろう。
その滅亡の仕方から何から、れろれろw
義景は毛利輝元とそっくり 中途半端でそのくだぐだなところが。
767 :
人間七七四年:2008/05/29(木) 15:44:11 ID:Mctt2E/I
せめて死ぬ前に家康を降伏させていれば流れ変わったかもな
768 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 20:43:13 ID:EjB1nwYq
初めから読んでいて気づいた点が一点
このスレで大きく抜け落ちている点があるよ
戦国時代における敵地での「略奪」なんだよな
つまり敵地に進軍して城下を焼く、もしくは村を焼く、城を囲むとあるのは
そのほとんどが敵地に進軍して敵地内の国人ないしは領主が降伏・寝返ら
ない限り、その領地内の人・物のほとんどを奪い去る、もしくは消費すること
なんだよな
武田領内は険しい山に囲まれて盆地が点在し、平野と呼べるものが領内に無い
となると織田軍にとっては武田領内に進行するメリットが比較的少ないし
信長は畿内平定を優先するだろう
一方織田領内には穀倉地帯の平野がある
武田軍側は、敵が寝返らない限り兵糧の現地調達が可能
穀倉地帯は人口も多いいから略奪の対象は健康な「人」に対しても行われる
この時代、人間の売買は当たり前のように行われている(市場などで)
敵地の国人なり領主が寝返れば本領安堵で味方につけることが可能(一時的だが)
信玄なら織田の主力との戦闘を避けつつも、毎年織田・徳川領内へ進軍し続ける
と思うよ
両軍決戦は、勝算が無いと見たら信玄は避けるから武田側に大きなダメージは無いし
少しずつ織田・徳川領内が武田側に削られていく
が、結局は国力・兵力の差で信長に勝算あり
信長が概ね畿内を平定した後、どうなるか…
769 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:22:50 ID:gIWStKTS
ちょっとスレ違いかもしれないけど
武田信玄の名言って
「人は城、人は石垣〜」
であって
「人は城、人は生垣〜」
ではない?
770 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:45:12 ID:Dlb2ob87
生牡蠣は新鮮じゃないとおなか痛くなるよ
771 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 23:09:55 ID:WPlzWhM+
そもそも信玄の名言じゃねえし。
信玄は関係無いし名言でもない。
772 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 23:22:44 ID:Dlb2ob87
家臣「お屋形様、処女を貴重だと思う男は多いです」
信玄「その通りだ」
家臣「しかし逆に童貞は気持ち悪がられます」
信玄「そんなことはない」
家臣「・・・」
信玄「そのほう、さては妬いておるな」
家臣「すごく・・・有り難き仕合わせです・・・」
773 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 23:31:21 ID:uB7uxbcE
>>768 史実の武田の遠征中(旧暦で十月〜翌四月)に、田畑に略奪できるほどの作物があると?
774 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 06:13:56 ID:66M2V4aq
>>771 いや、wikipediaには「信玄の名言」と書いてあったからさ
あれは後世の創作ってやつなの?
775 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 08:20:13 ID:h1zJQ6cW
>>768 信玄が決戦避けてたらどう考えても勝てないよ。
国力半分の信玄が信長打倒するためには、すみやかな野戦での大勝しかないって。
野戦避けてチマチマやってたら、国力の差がもの言う。
野戦を避けたうえでの持久戦なんてのが1番最悪。
信長が城に篭っての持久戦とかなら、俺らのが戦は強いぜってな宣伝で国人の引き剥がし
とかが効くだろうけどな。
信長が大兵擁してきたとしたら、それこそ本気だしいよいよ避けられん。
避けてたら逆に引き剥がしやられるだけだからな。
当時の信玄や謙信には戦術的打開しかないよ結局んとこ。
意外と主力の同士の決戦は近かったかもしれん。
信玄からすると浅井・朝倉健在の状態のうちに大きな戦闘に持ち込みたかったと思うけどな。
三方ヶ原で評判とか自信の面でピークだったと思うし。
776 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 23:30:34 ID:iWZT3KoM
信玄も田野で終焉か・・・
777 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 13:37:37 ID:d1j+j+xi
例
肥水の戦い
778 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 16:02:04 ID:JqvJeEei
>>774 名将言行録だと伊達政宗の逸話に古歌として出てくるよ。
779 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 13:43:46 ID:Lq5uyDxw
信長との戦いはわからんけど
三河を平定できてたのは恐らく間違いないな
というか包囲網自体信玄は本格的に信長と戦うつもりはなかったんじゃないかな
どちらかというとあくまで三河進行への口実作りと信濃や甲斐の国人に対するアピールや知行を与えるための進軍のような気がする
三河は領地もそこそこ肥沃だし、三河衆は屈強だから多少なりとも取り込んでおけば武田軍の力にもなるだろうし
内部争いが起こっても信玄は優秀だからうまくやりこめる自信はあっただろう
んで三河を平定して内政や国人や家康旧臣の取り込みを行って信長と同盟あるいは大きな戦闘を起こさず
鍔迫り合い程度を美濃か尾張でしつつ謙信と戦って越後越中攻略に全力を傾けるような気がする
あくまでも気がするだけ反論は優しくお願いしますorz
780 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 01:52:44 ID:lTFnCdWg
まあ、西にいくより、東の北条を攻める方が与しやすしかもな
でも、信玄の年齢的な問題と京への憧れ、本願寺の縁戚関係などから
信玄は西にかなりの牽制をかけてたと思うけどなあ
当時データがないから国力差はそれほどはっきり分からないし、大名の手持ちの金(出資金額や動員力やら)などで
判断してたのだと思うが
やっぱり戦争は戦略面を考えると思想戦が大きいと思うなあ
今の日本が北朝鮮におちょくられているのを見るとつくづくそう思う。
781 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 06:25:19 ID:SUYzhSOr
織田厨は小者の武田信玄
(織田厨達の脳内じゃそうらしい)
、徳川家康、豊臣秀吉とばかり実力を比べて、
「織田信長どんな大名より凄い」
を唱える馬鹿。
例:
一つの教室で(戦国板)
一人のいじめられっこがいる(織田厨)
その子は自分より下の子達(徳川厨、豊臣厨、武田厨)をいじめて
自己満足してる。
782 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 11:08:32 ID:iqqvhss4
信玄は天下を取りたいと思ってても、内情がダメだったんだろ。
家臣がなかなかまとまらないし、甲斐の治水に二十年はかかってるし、そのために経済的に疲弊
戦を蔓延してさらに悪化 家臣領民からの不満を抑えるのに苦心しつつってやつでは?
783 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 13:20:06 ID:SUYzhSOr
784 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 17:18:39 ID:ELEj20W7
甲斐の領民は攻められることは無く
逆に他国へ兵として駆り出される時に略奪しててホクホクだっだらしいね
785 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 19:35:26 ID:SUYzhSOr
786 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 11:43:34 ID:hFAKhr83
>>785 いやそんな事ここ見てる人ならみんな知ってるから
同盟国でも軍を維持するためにある程度の略奪は許されてたし
甲斐は信玄の時代略奪することはあっても
されることは無かったので結構豊かだったんだよ
787 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 20:11:35 ID:m0/lSIU6
788 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 20:17:29 ID:hFAKhr83
789 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 02:30:48 ID:emsTI8zY
いわゆる植民地主義みたいなものか
他国から収奪して本国を豊かにするというシステム
問題はこれだと本国は豊かになるが、衛生国は悪化する
本国のみを豊かにするこのシステムと、それとは別に全体を豊かにするシステムとで
領国全体の経済力を考えるとどっちの方がより経済力はあるか?成長するか?
ただ前者だと現時点の家臣領民の支持は得られやすい、後者だと短期的には家臣領民に負担を強いることに、
代わりに、前者だと新たな支配国となる家臣領民の支持は得られにくく、後者だと支持は得られやすい
豪族の力が強かったとされる甲斐で家臣の力で当主となった信玄では前者のシステム以外採りようが無い気もするが。
790 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 20:42:39 ID:zYUrBvP+
信濃も駿河も西上野も信玄の領国化に入った後はその政策を普通に受けている
はずだが。
攻めた時に略奪はしても領土にした後は別に略奪しないだろ。
791 :
人間七七四年:2008/09/17(水) 03:00:39 ID:pgEJ4hI8
なるすれ
792 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 03:19:07 ID:t79lxSvA
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ;;;;;;;;;;;;;;; 二二二 ;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;;;;;;;;'''''_ ''''';;;;;;; ☆ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; \/ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;;;;;; ヽ ヽ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ‖ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;;;;;;; ノ ,ノ ;;;;;;;;;;;;;;(⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
;;;;;;;;;;;;;;;,,,, ̄ ,,,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;( 生き甲斐だった上洛スレが
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;Ο( 終ってしまった・・・
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ο;;;;;;;( 今夜から、何を楽しみに生きて
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;。;;;;;;;;;( いったら いいんだ・・・
;;;;;;;;;;;;;;;/⌒ ̄ ̄\;;;;;;;;;(______________
 ̄ ̄ / | |( 武田厨 ) ̄|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;‖;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
| | | ∨ ∨ヽ |::::::::::::::::::::::::::::::::‖::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
__| | | \| _|_ |:::::::::::::::::::::::::::::::‖::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ヽ、(_二二⌒)__) \::::::::::::::::::::::::::‖::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
____| |__ ,⌒ヽ__\"""":::""~":::::::""~~"~:::::::::""":::
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::::::::::::::::(__)::::::(__):::||:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
793 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 18:05:48 ID:leozoNP/
武田征伐
794 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 18:07:56 ID:WR0uyydl
795 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 21:03:24 ID:kbHjCSHa
信玄生きてても大勢に影響なしか
796 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 21:04:33 ID:mrNfD98x
何も変わらない!
797 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 11:43:14 ID:0h3iLwqa
享年63才になったと思う
798 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 23:47:45 ID:i8WtxyO/
その前に謙信か信長に殺られてる
799 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 01:10:30 ID:o9g6vUjh
生きてても辛い思いするだけだろ
信玄にとっては史実通り死んだほうが幸せ
800 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 21:12:48 ID:3tZuUXoj
どっちにしろ武田征伐で殺されただろうな
やり方が残酷卑劣だから、敵が多かったからな
雑魚相手に連勝しても、上杉、村上クラスの強豪に苦戦してるから
それより上の織田には間違いなくやられてる
801 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 07:13:39 ID:TMeFKDtV
てか
このスレは
信玄が10年長生きして
家督を信勝に継がせてからの妄想でしょ
802 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 13:01:57 ID:N/Tk6Aql
武田征伐ってw
>>800ってなぜ甲斐に織田軍が入れたかも知らない小学生レベル
803 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 16:08:39 ID:y9G3jcXP
>>800は
戦国前期の当時では大大名の上杉家を“強豪”などと言ってる時点で無知だ、そして
戦国前期の当時では小大名(守護代だっけか)の織田家を“大大名”扱いしてる馬鹿。
804 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 18:40:09 ID:EwJzk3wB
@長島一揆勢3万、武田勢3万、浅井勢1万が濃尾平野へ集結する。(徳川は三河における人心を失い追撃不能)
Aこの情勢下一旦は退却した朝倉勢2万が濃尾平野へ侵攻
B織田勢5万 武田連合10万の最終決戦が始まった
C数と戦意に勝る連合軍が早々のうちに織田を打ち砕き信長は自刃
D京までの道を易々と侵攻する信玄公
E入京後は足利義昭公に迎えられ管領職に就任
F足利家を通じ、諸大名が参内しここに天下静謐を宣言
805 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 20:04:08 ID:Ax9dmGqT
806 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 20:14:24 ID:HNYbXXei
@長島一揆勢3万、武田勢3万、浅井勢1万が濃尾平野へ集結する。(徳川は三河における人心を失い追撃不能)
Aこの情勢下一旦は退却した朝倉勢2万が濃尾平野へ侵攻
B織田勢5万 武田連合10万の最終決戦が始まった
C数に勝る連合軍であったが朝倉勢壊走を切っ掛けに崩壊。
D信玄公退却するも国本に残っていた徳川勢の攻撃により討ち死に。
E信長京に入り足利義昭公追放
F本能寺の変発生
807 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 23:56:26 ID:WgRtJz6S
やっぱりナガシノで鉄砲の音にびびって馬から振り落とされて腰が痛くて動けないところを
一般兵に討ち取られるのかなあ
808 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 17:50:14 ID:412mrqNz
809 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 18:39:41 ID:aPWXTEV/
追撃は無理でも待ち伏せは出来た、ということか?
810 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 16:34:46 ID:0VSWciHz
811 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 03:55:30 ID:N3B8n1YT
信玄負けて逃げ帰ってきたら徳川も息を吹き返すだろう
812 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 01:47:25 ID:Fte/PYZO
略奪は今でも庶民の楽しみのひとつだしな。
海外で暴動起きたときのやつらの表情見てれば誰でもわかる。
店襲うときとかみんな目が輝いて生き生きしてる。
戦国時代でも遠征のときはみんなワクワクしてたはず。
813 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 04:54:28 ID:H7xs9reo
いいれす
814 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 07:48:00 ID:kn8q7TWV
おまえら何も分かってないな。
信玄の西進の本当の目的は三河の徳川領を完全に奪うことにあるんだよ。
慎重に慎重を重ねてきた信玄がいきなり上洛目的で美濃や京に全軍進ませるとでも思うか?
本来の目的は悟られまいとするのは当り前の話で、それをわかってない故に徳川家康は焦って三方ヶ原で討たれたのだ。
それを察知していたのは信長だけだろう。故に家康に篭城し徹底防御を尽くすよう進言したのだ。
しかしだ。
たかが遠江と三河が武田家の所領になったところで織田方は動揺するとでも思うか?と言う諸氏の質問に対し私はこう答えよう。
これは織田詰みの一歩手前である!!
何故ならと言いたいところだが、そこまで教えてしまうと諸氏にも失礼千万であると察し、ここからは各々意見を聞こうと思う。
答えは諸氏の意見を聞いた後に進言いたすことにしようではないか!
815 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 21:21:09 ID:KG4mhT11
>>814 下記より元亀年間の一連の戦は上洛が目的と思います。
@浜松城を横切り尾張を目指したこと。
A濃尾平野で信長を撃滅できればその後の東海道は敵なしであること(確固とした補給線は尾張までで十分であること)
B北条軍が同行していること
C将軍家からの上洛督促
D包囲網の完成
E自らの病を受け、後継のために早々な地盤を固めの必要
816 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 22:28:11 ID:4ctrSj0S
>>815 濃尾平野で負けたら、退路に徳川が待ち受けてる上に織田の追撃があるんだから十中八九信玄は死ぬわけで、
どんなに信玄を過小評価した所で信玄はそんな危険なマネするとは思えないわけで、
確実に勝てる算段が無ければ信玄の織田領侵攻の理論は成り立たないわけで、
その算段を何年にも渡って武田ファンは必死に畿内や浅井朝倉に求めてるわけで、
でもなかなか上手く行かないわけで、
ま、頑張ってチョ
817 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 22:55:12 ID:IGS2g5tF
そもそも上洛して天下取りを目指すって考え方自体が、当時どれほど主流思想だったか?ってことを検討しなければならない。現代人の考え方じゃダメなんだよね。
今川だって武田だって西には向かうけど、上洛というのはそこまでの領域を確保した上での話として考えるのが自然。
田植えや稲刈り時期には兵を退く必要がある戦国時代に、点と線だけの発想で京まで数万の軍勢を進めたとしても、政治的意味はあっても戦略的にはない。
東海道、中山道から織田徳川勢力を掃討した上で上洛するというが信玄の基本思想だったと思う。
818 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:06:30 ID:pd4YV3a3
>>816 いや、十分だろ、実際。
包囲網は十分だし。信玄が死ぬとも思えんし。病気では死んだが。
>>817 田植えや稲刈りの時期も武田は普通に兵を動かしてるよ。
819 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 11:34:06 ID:IaArSpkF
信長を囲む包囲網
武田本軍3万
武田美濃侵攻軍1万
朝倉2万
浅井1万
本願寺3万
とても支えきれん
三好1万
松永5000人
820 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 12:44:43 ID:1RQayCGx
815様へ。
@徳川を欺く作戦である。
Aそれを信長も恐れている。しかし、それが信玄の狙いである。(恐れさせることが)
B武田・北条連合軍という名目での進軍は一層武田東への備え憂いなしと織田・徳川に思わせる。
実際の効果より東より危機迫るという恐怖を与えるのが目的である。
C大義名分を得ることも武田西進の正当性及び信憑性を高める効果有り。
D織田・徳川連合へ対する危機感を高めること及び混乱を招く効果。実際に包囲網が機能すればそれは尚良しとする。
Eここが信玄最大の誤算である。死の床にあると気づいている者が流石にこれより戦に出陣するというのはまずもってない。
821 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 13:04:51 ID:1RQayCGx
当時の戦において大事なのは、現実のデータなどはっきりしない(昔の記録などかなりあやふやで曖昧なものである。兵数や国力など現在の研究から割り出されているものの、
当時の書物ですら過大表現であったり、大まかなことが多い。)
かなりの戦が相手方の戦意喪失で決着が着く。大将がその気であっても、家臣や兵も生活の方が大事なのである。家族や命があるものなのだ。
戦を実際に左右するのは風評であったり、イメージであることが多い。
無論例外もある。
信玄はおそらく三方ヶ原の後徳川切り崩しの調略にかかるつもりであっただろうと思われる。
いかに徳川家臣団の結束が固くとも、大敗を喫し、家断絶の危機迫るなか、一部の家臣は別としても、大半が寝返りに応じるであろうことは容易である。
実際現実には勝頼の例をみれば明らかである。(史実では奇しくも逆の立場になったわけだが。)
頼りの織田はわずかな援軍のみしか送らず。
三河・遠江はほぼ切り取り確実。
先の大敗及び徳川の事実上崩壊により織田劣勢との風評が蔓延している。
人心はどのように動くだろうか?
822 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 02:16:14 ID:yMlBLjkm
つーか寿命がまだあるのなら信玄は急いで征西なんかしたりしない罠
んでそのうちに、信長はあの性格からして光秀じゃなくても
どうせ誰かに寝首かかれるから終了
信玄もその頃に寿命で死亡
んで何年もかけて中央握った誰かえっちらおっちら東征
823 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 05:42:27 ID:1qN17M1V
>>821 昔も今も戦争における情報戦が一番勝敗を左右する。
イラク戦の情報とかも米の情報戦略の流布で
確かな情報とは思えない
9.11もね
太平洋戦争も情報合戦で日本の機密がダダ漏れだったり
長篠の戦も
実際、織田方の被害も寛大で
戦直後の情勢はさほど変化してない
じゃなぜ織田圧勝になったかは
織田が京、中央を抑えて商人の力、中央の権力で
情報操作したから織田圧勝になったわけだな。
武田は戦の損害より
情報戦で完敗したのが痛手
名声権力で全国の大名、民は左右される
三方ヶ原時は
信玄存命で中央は不安定
まだまだ武田最強の情報操作で勝敗を動かすことができた。
結局、戦った事実さえあれば
武田にとってはなんでもありで書き換えられる。
織田は武田の名声を恐れ
勝てる戦でもやりたくなかったと考えるね
この時は戦況が不安定で情報操作ができないから
戦っても消耗するだけで得がない。
武田は織田と是が非でも戦いたかった
小競り合いで十分で
いろいろな情報をばら撒けるから
強い大名は情報戦が得意で
重要視している
忍者が有名な土地柄で
824 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 07:00:50 ID:ZU6nQL8l
825 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 07:08:57 ID:LVv4weMo
>>823 被害も”じんだい”(甚大)
”かんだい”ではないぞ
826 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 07:27:33 ID:88qZLUSW
頭の悪い妄想爆発って感じだな
827 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 07:35:11 ID:ZU6nQL8l
冬休み始まったから、優しく。
828 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 11:32:10 ID:aVeoN3Z7
武田家にダイスワカーレット見たいな最強馬はいないのだぁ〜
織田家にはスルー織田イナがいるのだぁ〜
829 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 12:10:44 ID:3tTCTI3u
大内義興氏と同じように管領代として中央政界で活躍できたかも?
織田上総介を葬れば御所様に多大な恩を売れたわけだから
将軍家を蔑ろにするような行動さえしなければ大丈夫でしょ
830 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 02:30:45 ID:qvPNMi5A
武田軍団は三方が原の後三年の月日を経て徳川の内部を崩し、三河及び遠江を完全に手中にした。家康は信長の元へ落ち延びていった。
信長は僅かな援軍を差し向けるものの、武田軍団に悉く返り討ちにあい、又、畿内の平定を優先したために、浅井、朝倉連合を完全に抑えるのに三年をかける。
その後両家のにらみ合いは続くもの、五年後には信長は流石に東方の大勢力武田家に尾張の根元を押さえられているために不用意に動くことができず、
畿内の平定がやっとであった。一方信玄は信長との決戦のためにまずはかねてより宿命のライバルであった上杉との同盟を実現。その間関東を巡って争っていた北条と上杉の関東支配の仲介を見事な采配でまとめる。
北関東は上杉、関八州は北条の支配とし、お互いの支配権を認める同盟に成功。見事に後三国同盟の盟主となる。
一方信長はその動きを感じ、毛利と同盟を成立。
信玄は万を辞して信濃より美濃へ山県率いる別働隊一万、東海道からは信玄率いる本体二万に北条一万の計三万の軍勢を尾張に進める。
更に三河より武田・北条水軍三千が伊勢へと侵攻開始。
時を同じくして謙信率いる一万五千の軍勢が北陸より近江を目指す。
対する信長はそれを向かい討つべくかねてより安土城を完成させていた。ここを突破されるわけにはいかず、苦心の末信長本体三万は安土より動けず。
柴田、明智率いる三万は尾張清洲城へ立て篭もるも、伊勢は武田の支配下に、周辺の支城は次々と陥落。美濃へと北上する信玄本隊が木曽川を渡りかけたところを狙い、一気に決戦に持ち込む。
しかしそれはやはり信玄の計略であり、小牧にて柴田討ち死に。尾張を完全に支配下に押さえ、美濃にて山県部隊と合流。この時にはすでに信長を見限った美濃を守っていた丹羽は岐阜城を開城し、武田家に帰参する。
一方安土に残り謙信の南下に備えていた信長だったが、謙信は現れず。なんと険しい琵琶湖対岸を渡り、畿内に流れ込む。それに乗じ、三好、松永らは信長に叛旗を翻し、上杉隊と合流。
かねてより信玄より内通を受け、日和見を続けていた毛利であったが、流石にこの時に至ってはそれでも動こうとしない兄に小早川が武田方につく様説得。毛利軍四万はついに信長との同盟を破棄し、畿内侵攻を開始。
西より毛利四万、畿内にて膨らんだ上杉三万が再度北から、東より武田三万の計十万は安土城を完全包囲。
信長「是非もなし!」城内に火を放ち、敦盛を舞う。
831 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 04:08:12 ID:/cxYpP3A
…という夢をみた
832 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 01:06:12 ID:9qquyYZv
武田軍団は三方が原の後三年の月日を経て徳川の内部を崩し、三河及び遠江を完全に手中にした。家康は信長の元へ落ち延びていった。
信長は僅かな援軍を差し向けるものの、武田軍団に悉く返り討ちにあい、又、畿内の平定を優先したために、浅井、朝倉連合を完全に抑えるのに三年をかける。
その後両家のにらみ合いは続くもの、五年後には信長は流石に東方の大勢力武田家に尾張の根元を押さえられているために不用意に動くことができず、
又、武田との同盟を強化したものの、畿内の平定がやっとであった。一方信玄は信長との決戦のためにまずはかねてより宿命のライバルであった上杉との同盟を実現。
その間関東を巡って争っていた北条と上杉の関東支配の仲介を見事な采配でまとめる。
北関東は上杉、関八州は北条の支配とし、お互いの支配権を認める同盟に成功。見事に後三国同盟の盟主となる。
一方信長はその動きを感じ、毛利、長曽我部と同盟を成立。 西に憂いをなくし、
畿内で唯一反抗を続ける本願寺を完全に降伏させるために包囲を開始したが、これが全ての事の発端となった。
本願寺は毛利の庇護を受けていた将軍義昭および上杉、北条、武田に救済を求める。
遂に天下の逆賊となった信長に対し、信玄は万を辞して出陣を決める。
信濃より美濃へ山県率いる別働隊一万、東海道からは信玄率いる本体二万に北条一万の計三万の軍勢を尾張に進める。
更に三河より武田・北条水軍三千が伊勢へと侵攻開始。
時を同じくして謙信率いる一万五千の軍勢が北陸より近江を目指す。
対する信長はそれを向かい討つべくかねてより安土城を完成させていた。ここを突破されるわけにはいかず、苦心の末信長本体三万は安土より動けず。
柴田、明智率いる三万は尾張清洲城へ立て篭もるも、伊勢は武田の支配下に、周辺の支城は次々と陥落。美濃へと北上する信玄本隊が木曽川を渡りかけたところを狙い、一気に決戦に持ち込む。
しかしそれはやはり信玄の計略であり、小牧にて柴田討ち死に。尾張を完全に支配下に押さえ、美濃にて山県部隊と合流。この時にはすでに信長を見限った美濃を守っていた丹羽は岐阜城を開城し、武田家に帰参する。
一方安土に残り謙信の南下に備えていた信長だったが、謙信は現れず。なんと険しい琵琶湖対岸を渡り、畿内に流れ込む。それに乗じ、三好、松永らは信長に叛旗を翻し、上杉隊と合流。
かねてより信玄より内通を受け、日和見を続けていた毛利であったが、流石にこの時に至ってはそれでも動こうとしない兄に小早川が武田方につく様説得。毛利軍四万はついに信長との同盟を破棄し、
宇喜多と共に畿内侵攻を開始。同時に村上水軍も瀬戸内より織田の畿内を脅かす。
西より毛利四万、畿内にて膨らんだ上杉三万が再度北から、東より武田三万の計十万は安土城を完全包囲。
信長「是非もなし!」城内に火を放ち、敦盛を舞う。
833 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 01:45:19 ID:RlPfliPz
映画化決定!
834 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 08:57:02 ID:pBDENVkU
北関東は上杉、関八州は北条の支配としってさ。
支配地域ダブってない?
俺の勘違いかな。
835 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 09:18:18 ID:5sFIw8cp
>>786 信玄の時代から甲斐の領民は周辺諸国(特に北条領)へ逃散しまくりって文章が残ってたはず。
836 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 16:52:09 ID:XcnTbB8K
植民です
間接統治への第一歩、これも計略なのですよ
837 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 23:10:41 ID:CQIpnBs2
>>835 逃散は北条領でも起こってる。
氏康も呼び戻しにおおわらわ。
838 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 01:34:29 ID:cGP12lT7
>>837 で、北条領から武田領に逃げた人はいるの?
839 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 01:38:08 ID:wDhkQxbp
北条領から逃散した連中がどこにいったかなんて
記録にあるわけないと思うが。
840 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 07:03:35 ID:1SCsJn4A
香ばしいスレでつね
841 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 23:33:09 ID:cGP12lT7
>>839 でも武田領から北条領へ逃げ込んだ連中の記録はあるのね?
842 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:16:07 ID:yLs/CMJP
>>841 あるのか?むしろ知りたい。詳しく教えて。
843 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:44:17 ID:FJYzCRp1
浅井朝倉足利滅亡の時点で、武田単独では織田に勝つのは不可能になる。
信玄は兵力で勝ってない戦は行わない。
となると信玄は武田・上杉・北条の三国同盟を考えるはず。
足利が滅亡しておれば上杉との同盟は脈があるが、加賀越中の一向衆の扱いが課題となる。
844 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:50:25 ID:orulTP/+
浅井朝倉足利滅亡の前から
武田単独で織田に勝つのは不可能だったと思うが
845 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:55:58 ID:yLs/CMJP
そのための包囲網だし。
信玄生きて兵を進めてれば朝倉浅井足利も簡単には滅びなさそう。
846 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 04:02:24 ID:EFCFoI4U
武田軍団は三方が原の後三年の月日を経て徳川の内部を崩し、三河及び遠江を完全に手中にした。家康は信長の元へ落ち延びていった。
信長は僅かな援軍を差し向けるものの、武田軍団に悉く返り討ちにあい、又、畿内の平定を優先したために、浅井、朝倉連合を完全に抑えるのに三年をかける。
その後両家のにらみ合いは続くもの、五年後には信長は流石に東方の大勢力武田家に尾張の根元を押さえられているために不用意に動くことができず、
又、武田との同盟を強化したものの、畿内の平定がやっとであった。一方信玄は信長との決戦のためにまずはかねてより宿命のライバルであった上杉との同盟を実現。
その間関東を巡って争っていた北条と上杉の関東支配の仲介を見事な采配でまとめる。
北関東は上杉、関八州は北条の支配とし、お互いの支配権を認める同盟に成功。見事に後三国同盟の盟主となる。
一方信長はその動きを感じ、毛利、長曽我部と同盟を成立。 西に憂いをなくし、
畿内で唯一反抗を続ける本願寺を完全に降伏させるために包囲を開始したが、これが全ての事の発端となった。
本願寺は毛利の庇護を受けていた将軍義昭および上杉、北条、武田に救済を求める。
遂に天下の逆賊となった信長に対し、信玄は万を辞して出陣を決める。
信濃より美濃へ山県率いる別働隊一万、東海道からは信玄率いる本体二万に北条一万の計三万の軍勢を尾張に進める。
更に三河より武田・北条水軍三千が伊勢へと侵攻開始。
時を同じくして謙信率いる一万五千の軍勢が北陸より近江を目指す。
対する信長はそれを向かい討つべくかねてより安土城を完成させていた。ここを突破されるわけにはいかず、苦心の末信長本体三万は安土より動けず。
安土城には信長が決戦に備え鉄砲二千挺を配備し磐石の態勢を整えていた。
柴田、明智率いる三万にも鉄砲千挺を配備し、尾張清洲城へ立て篭もるも、伊勢は武田の支配下に、周辺の支城は次々と陥落。美濃へと北上する信玄本隊が木曽川を渡りかけたところを狙い、一気に決戦に持ち込む。
しかしそれはやはり信玄の計略であり、まんまと野戦に狩り出された柴田は小牧にて討ち死に。明智は秋山に捕らえられ投降した。尾張を完全に支配下に押さえ、美濃にて山県部隊と合流。
この時にはすでに信長を見限った美濃を守っていた丹羽五千は鉄砲五百ごと岐阜城を開城し、武田家に帰参する。
一方安土に残り謙信の南下に備えていた信長だったが、謙信は現れず。なんと険しい琵琶湖対岸を渡り、畿内に流れ込む。
本願寺包囲の継続を任されていた羽柴一万はまさか突如現れた謙信に対応できず、
本願寺包囲を一旦解除し、摂津に逃れる。それに乗じ、三好、松永らは信長に叛旗を翻し、本願寺と共に上杉隊と合流。
かねてより信玄より内通を受け、日和見を続けていた毛利であったが、流石にこの時に至ってはそれでも動こうとしない兄に小早川が武田方につく様説得。毛利軍四万はついに信長との同盟を破棄し、
宇喜多と共に畿内侵攻を開始。羽柴は毛利、上杉に挟撃にあい討ち死に。同時に村上水軍も瀬戸内より織田の畿内を脅かす。
西より毛利四万、畿内にて膨らんだ上杉三万が再度北から、東より武田三万の計十万は安土城を完全包囲。
信長「是非もなし!」城内に火を放ち、敦盛を舞う。
847 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 04:23:44 ID:EFCFoI4U
逆賊信長を討ち、信玄は京都に凱旋する。
武田家の直轄領は畿内及び東海道、中仙道に至り、義昭より征夷大将軍を禅譲される。
国の宗教として仏教及び本願寺を保護し、キリスト教を排除するものの、貿易には積極的に取り組む。
その後、九州は島津、奥羽は伊達家が勢力を伸ばすものの、総無事令を発し、戦国の世に幕を下ろす。
五大老に島津、毛利、上杉、北条、伊達を任命し、(長曾我部は総無事令に従わず毛利と戦う姿勢を見せたために改易。武田の直轄領となった。)
大阪に幕府を開く。あえて中央集権化を強化せず、それぞれの地方の自治をそれなりに認め、地方文化が開花し、明治維新に至るまで長き平和を維持していくこととなる。
848 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 10:01:05 ID:X/J3XNr3
という夢を見た。
849 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 23:13:08 ID:GVAaNS9W
武田信玄、逮捕されたそうです。
850 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 01:23:23 ID:5QudL+lR
上洛スレもあるんだから違う話しないか?
851 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 02:19:18 ID:u970qcHu
できるものならな
852 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 06:53:15 ID:30OzgQZW
>>847 ↑
…信玄タマ(ハァハァ)
し…信玄タマ(ハァハァ)
(´ρ`)ハァハァ
ι Ωυ シコシコ
シコシコ
シコシコ
シコシコ
シコシコ
シコシコ
(゜д゜)ハウッ!
ι Ω'. ドピュ
853 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 13:12:51 ID:GGhcF4FB
信玄って脳卒中でしょ?
寝たきりでただ10年生きても・・・
854 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 16:08:49 ID:0Oi0E8CU
それは謙信。
信玄は結核。
855 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 20:13:39 ID:UYP5OR/i
ストレス性胃潰瘍から胃癌になった。軍略の細やかさは神経の細さでもある。
856 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 21:53:57 ID:t6zCZv0w
>>839 寺社に逃げ込んだとかいう記録は多々あったと思う
857 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 20:58:24 ID:n1JRYCVV
信長は信玄顕在なら東進できず西進する 中国四国九州平定する
信玄は西進できず 東海、南関東を平定
謙信は東北、北関東を平定
その後1588年石高の多い織田に武田滅ぼされ
1590年上杉も滅び 信長天下統一
858 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 01:13:29 ID:LgglESMc
>>857 信長が西に主力を向けたら手薄になった東が
信玄に平定されるんじゃね?
859 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 05:58:43 ID:BEfUzHdO
そして信玄が西進すれば、手薄になった東を上杉が平定
そして手薄になった上杉領を本願寺が平定
さらに手薄になった本願寺領を織田が平定
以下エンドレス
860 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 16:08:35 ID:YZsrMY/2
武田信玄 甲斐 信濃 西上野 駿河 遠江 三河 飛騨
織田信長 尾張 美濃 近江 越前 京
石高や人口、経済だけでみれば信長の版図の方が優るだろうが、戦や地理的条件で見るとどちらが勝ってもおかしくない気がするが。
それにまだまわりには
摂津 本願寺
中国 毛利
越後 上杉
関東 北条
これらの勢力の動き次第でどちらに転ぶか全く予想できない。
861 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 16:12:36 ID:YZsrMY/2
↑おそらく信玄が死ななかったらその一年後には浅井・朝倉と徳川がそれぞれ滅亡していると思われるので。
862 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 16:13:16 ID:YZsrMY/2
↑おそらく信玄が死ななかったらその一年後には浅井・朝倉と徳川がそれぞれ滅亡していると思われるので。
863 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:31:49 ID:SWyi5VvV
謙信の死に泣いて、遺志を受け継ぐとぬかして越後侵略するよなw
864 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 23:30:11 ID:E1Yo8PwX
865 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 16:56:34 ID:lX1iaAlE
>武田信玄 甲斐 信濃 西上野 駿河 遠江 三河 飛騨
(;´Д`)…
866 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 03:20:08 ID:sAKMogjO
>>865 別に悪くないんじゃないのか?
遠江と三河は全部を持ってたわけじゃないけど結構持ってるし。
ほかは特に問題ないと思うけど。
867 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 05:51:04 ID:Wek2O7YM
そんな遠慮せずに
>武田信玄 天下統一
>織田信長 滅亡
にした方が手っ取り早いよ
868 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 01:42:15 ID:ZiCcQndR
信玄、諏訪攻めのときのように御館の乱に便乗して越後盗っちゃうかもな
869 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 06:12:36 ID:I7r06azI
とりあえず徳川は落とせたと思う。
だが逆に織田&上杉の包囲網に北条が参加してアボン。
870 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 08:32:10 ID:uVOdMwGN
普通に考えたら濃尾平野で信長は討ち取られるだろ
その後三河尾張伊勢美濃は武田が併呑し石高も100万石から400万石へ
その圧倒的戦力の前に近隣諸国は静謐されたであろう
871 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 09:01:27 ID:JNATpkAF
>>870 どうした?
熱でもあるのか?
今日はお休みだからな、ゆっくり寝てなさい
872 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 10:03:58 ID:i4/q6hM6
武田の古い軍政じゃ三河制圧辺りが、攻勢限界、
そのあと10年ぐらいさらなる西進の準備をして、信玄死亡、
秀吉の調略やら外交戦に負けて甲斐一国の大名になるぐらいが
関の山じゃないの?勝頼の器量によっては史実の徳川と同じ位置に
立てるかも知れんけど望み薄だなぁ
873 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 11:05:54 ID:pVtAq7Ad
>>872 古い軍制ってなに?兵農分離とか都市伝説を信じてるのか?
874 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 11:46:19 ID:i4/q6hM6
武将達が、地方豪族の性格を多く持っていて、
中央集権が進んでいない点、そもそも、
これが進んでいれば、後継者の勝頼が健在なのに
西進をやめる必要なんかなかった。
結局相当苦労しないと、外征が出来ない軍団なんだよ。
875 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 11:51:32 ID:pVtAq7Ad
>>874 それいったら信長の政権なんかがらんどうだぞ。
書状数が領域のわりに異常にすくないから。
あれ見るなら下手すれば信長の政権は武田より後進的になりそうだ。
地方豪族たちが信長にただ引っ付いてるってだけでかなりいびつな構造。
当主が死んだら体制整える時間が必要なのはどこも同じだと思うが。
876 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:05:29 ID:i4/q6hM6
逆だよ集権が進めば、
きちんとした指揮系統が出来て
適切に権力の委譲がなされて書状が減る。
まぁ信長は、やり過ぎた面もあるけど。
織田みたいに内紛でしかも後継ぎごと
死んでいればともかく、以前から定められた後継ぎがいるのに
侵攻計画頓挫するのは、どう考えても組織に欠陥がある。
877 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:12:36 ID:pVtAq7Ad
>>876 そんなわけないだろ。
第一その理屈でいうなら地方分権的って事になる。
小田原北条氏とか異常に書状が残ってるから
集権的な大名だと評価されてるんだが。
大名権力が地方に指示を的確に出して集権するためには書状を発給するしかない。
信長政権の場合それが異常にすくない。ほとんど放置してたのは明白。
そんで織田家の息子が何人もいるのに崩壊しちゃったんですけど。計画頓挫どころじゃないぞ。
878 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:21:34 ID:JNATpkAF
問題発生→書状発給
問題発生→書状発給
問題発生→書状発給
問題発生→書状発給
問題発生→書状発給
問題発生→書状発給
問題発生→書状発給
問題発生→書状発給
問題発生→書状発給
問題発生→書状発給(怒)
問題発生→書状発給(怒)
問題発生→書状発給(怒)
問題発生→書状発給(怒)
問題発生→書状発給(泣)
問題発生→書状発給(泣)
問題発生→書状発給(泣)
うまくいっている
<(`^´)> エッヘン
879 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:24:09 ID:pVtAq7Ad
>>878 何がいいたいの?
その理屈なら信長は
問題発生→放置
問題発生→放置
問題発生→放置
うまくいってる!
って事にならんか?
880 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:26:21 ID:i4/q6hM6
実際上手くいってるじゃん。
放置してたせいで問題でた件って何?
881 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:30:27 ID:pVtAq7Ad
>>880 だからそれは地方の裁量に任せてたって事で
中央集権の逆だ。
北条とは領国の端々にいたるまで細かく指示をして領国を統治してる。
中央が領国を把握し権限を集中するのが中央集権なら
北条氏のほうがよっぽど集権的ということになる。
てか伊勢とか伊賀とかは織田に対してひどく恨みを持ち
伊勢では織田の軍勢に宿を貸すのも嫌がったため、それに苦慮したりしてるな。
そういった関連の問題は放置してるから何かあると反乱が起きてる。
882 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:35:17 ID:i4/q6hM6
織田の場合は、病死でなくて内乱だから仕方ない
仮に、信長が病死して信忠が次いだ場合、
中国なり北陸の軍団がすぐさま、戦いをやめて
安土に戻ったと思うか?
883 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:38:51 ID:pVtAq7Ad
>>882 進撃は一時停滞しただろうな。モンゴル軍もオゴタイハンが死んだら進撃が停滞したし。
てかその理屈でいうなら武田家臣団も甲斐に戻らずに占領した地帯にとどまってるから
問題ないことになるんだが。
てか信長が生きてる時点でも越前を占領したばかりのとき、ろくに手をつけずに地元に丸投げして
反乱が勃発し越前が数年にわたって敵になったりしてるんだが。
884 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:39:11 ID:JNATpkAF
>>881 特殊な地域で特殊な事があったからね
第一関東みたいに村ばっかの地域と幾多の影響力のある組織がひしめき合う畿内をくらべられてもね
(´・_・`)
忙しいんだよ
885 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:42:04 ID:i4/q6hM6
>>881 中央集権は置いといて遠征に向いてるのは織田武田どちらの軍政だ?
大体、党首が一緒に遠征に出る時点で結局支配地域はかぎられてくる、
まぁ信玄病没当時は織田そこそこ信長自身が遠征してるけどな。
886 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:42:53 ID:pVtAq7Ad
>>884 忙しい以前にそこまで介入する気がないように見えるんだが。
一度も織田が領地に介入した事のない浅井の事を書状で家臣とか言ったりしてるように
丸投げがデフォなような。そう考えればなにかあると反乱が勃発する事も納得できる。
887 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:45:31 ID:pVtAq7Ad
>>885 もとから中央集権ではじまった話題なのだが。
信玄病没の時は信長自身ががんがん遠征してるだろうが。
何を言ってるんだ?
信長が後期に方面に軍を割いたのもある程度大きくなってその方が効率がよくなったからだ。
それでもここぞというときには大将が率いて集中してる。
それいったら武田だって各方面に担当司令官がいるんだが。
888 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:47:18 ID:i4/q6hM6
>>887 で武田の方面軍は何処の国を占領しました?
889 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:49:59 ID:pVtAq7Ad
>>888 美濃岩村を攻略してるな。北条の武蔵の城も攻略してるな。
三河の城も攻略してるな。
てかこれらは単に規模と相手の問題だと思うが。
890 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:50:50 ID:JNATpkAF
総理大臣が○○村に道を作れだとか
アメリカ大統領が○○病院の衛生管理がなってないから…とか
そんな細かい指示出せるか!?
(ノ-o-)ノ ┫オリャ
丸投げ上等!
891 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:53:21 ID:pVtAq7Ad
>>890 さすがに大名が全部出す必要はない。
家臣の代行者が細かい書状とかを出す。
奉者とか奏者とかいわれる連中ね。
名義は主君のだったりするけど。
892 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:53:32 ID:i4/q6hM6
村とか城のレベルじゃ・・・
相手はいくらでもいるじゃん、
規模か?たしかに武田は規模が小さいよね。
それが10年掛けずに上洛とか・・・
893 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 12:56:39 ID:pVtAq7Ad
>>892 相対的に相手が自分たちより大きいかどうか、って事。
武田の周りは同格の北条とか上杉ばっかり。
織田も武田生存のときは似たり寄ったりだが。
秀吉も浅井を滅ぼせたわけでもなく、朝倉を倒せたわけでもない。
浅井・朝倉・伊勢長島、長篠といった戦いでは織田の本軍が出てる。
これらをクリアして領域が大きくなったから方面にわけられる兵力になっただけ。
894 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 13:02:17 ID:pVtAq7Ad
>>892 あと君美濃岩村っていうのが文字通り村だと思ってるのか?
895 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 13:10:44 ID:uVOdMwGN
真田はほぼ上野を平定し、北関東に触手を伸ばしていたがな
北信濃総督…高坂
上野攻略司令官…真田
木曾谷総督…木曾
伊那谷総督…仁科
諏訪総督…諏訪
松本総督…馬場
駿河総督…山縣
896 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 13:17:51 ID:pVtAq7Ad
>>895 付け加えるならば、
伊那総督は最初秋山。
伊那及び美濃方面総督…秋山、岩村が陥落して秋山が死んでしばらくたってからは伊那に仁科。
上野司令官も真田以前に内藤がいる。内藤が長篠で死んでから真田になる。
897 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 16:23:32 ID:i4/q6hM6
どれも、パットしないですな。
まぁいくら議論をしたところで、結局
史実の長篠で武田が織田にかなわないのは、
証明されてるからなぁ。
898 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 17:31:03 ID:5E2Rh3Ih
武田はさきの長篠城攻めでの疲弊、『まるで城攻め』と思わせるような
かなり強固な陣城への雨でぬかるんだ地面のなかでの突撃
さらには大量の鉄砲やかなりの数的不利
こんな状況で無理して突っ込むから負けただけです
899 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 18:19:56 ID:G64FCbWB
周りの強国と勝った負けたで敵の多い織田の勢力拡大をふせげなかったのはどーかと
むしろ攻めどきを逃してたのでは?
900 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 19:09:35 ID:pVtAq7Ad
上杉がいたからねえ。北条と連携してまず上杉の力をそがないと
武田がピンチだった。
901 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 19:17:29 ID:i4/q6hM6
>>898 どうだろう、双方の戦力差と被害数を見ると、
そこそこ武田勢が有利か互角の戦いを続けた後
攻めきれず力尽きて敗走みたいに見えるけどね。
少なくても一方的に鉄砲で迎撃って感じじゃないのは確か。
902 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 19:29:46 ID:pVtAq7Ad
>>901 それわかってんだったら
>>897みたいなレスいらないやん。
武田は兵力を甲斐とか信濃に結構残してきてたし。長篠では。
903 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 19:53:38 ID:i4/q6hM6
>>902 勝頼が無謀だから負けたのでは無く、
国力差でどうやっても負けたって事だよ。
904 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 21:02:51 ID:pVtAq7Ad
>>903 引けばよかっただけの話。あそこで突っ込んだのは無謀だろ。
決戦するなら全力出せる状況じゃないと。
905 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 21:09:03 ID:i4/q6hM6
武田ガ有利な状況での決戦とかありえないだろう、
そういう状況では、織田の方が避けるよ。
で武田はジリ貧になってゆくだけ。
906 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 21:16:29 ID:pVtAq7Ad
>>905 織田が避けたら武田が徳川領土侵食すればいいだけの話。
長篠の時点で徳川はもう既に「今度だめだったら武田に寝返ろう」と言い出すくらい
追い詰められてる。
徳川が武田に従えば織田領土に直接進撃。織田は各戦線に兵力がさけなくなるな。
907 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 21:22:01 ID:S8/4jtgp
>>906 信康の件かな
何処まで本当だったのか信憑性に疑問符が
908 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 21:24:49 ID:pVtAq7Ad
>>907 信康だけじゃなかったようでもあるが。
当時の状況から見てありえるとは思うが。
909 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 22:32:49 ID:i4/q6hM6
>>906 最初に、戦いをさけて、後退するのは武田だよ。
で決戦をさけていれば、武田側が侵食されてゆく、
織田の方が数が多いから基本は織田有利なんだから。
結局、あの多少不利でもあのタイミングで決戦して
徳川を脱落させるしかない。
910 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 22:43:33 ID:pVtAq7Ad
>>909 なんで後退すんの?理由説明してもらえる?
長篠は武田が徳川を攻めて織田が救援に来たことでおきた戦いなんだが。
武田が引いても徳川の長篠城が確保されるだけで武田の城が取られるわけじゃない。
武田の家臣もいってるけどな「ここは引いて織田をこちらの領地に誘い込み地理を利用して撃破しよう」と。
織田も長篠の後で西にかかりっきりになってるように武田を攻めてる余裕はないぞ。
911 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 23:02:28 ID:i4/q6hM6
なんで後退しないの?
決戦もせず、城にもこもらずぼーっと、物資を食いつぶすの?
西側なんて、もう部下に任せて、ほって置いても問題無い状態だし。
2万ぐらい置いて置ける余裕は十分あるよ。
その上で他に侵攻を掛けることも十分可能。
912 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 23:10:21 ID:pVtAq7Ad
>>911 何をいってるわけ?
武田が徳川の勢力に攻め込んでおきたのが長篠の戦いなんだから
武田が引いたって長篠城が確保されるだけで武田の勢力圏が減るわけじゃないんだが。
大丈夫か?
全然だめだが。天王寺の時とか危なかったし、越前がやばい状態になったりしてるし、
北陸情勢も不穏。毛利も参戦しつつある。全然ほっておける状況じゃないんだが。
913 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 23:15:23 ID:i4/q6hM6
>>912 お前こそ何いってるんだ?
武田が引いて徳川の勢力が確保された時点で織田方の
目標達成で勝利だろう。少なくてもその時点では武田の敗北。
そんで、西で2万程度の兵力がどうしても必要な場所って何処よ?
914 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 23:18:16 ID:pVtAq7Ad
>>913 だから織田が戦略目標達成しようがそれはただの防衛戦なんだから
武田の勢力が減るわけないだろうって言ってんだよ。
どうやったら武田の勢力が減るのか説明しろよ。
大阪本願寺でも北陸戦線でも毛利戦線でも兵はいくらでも必要だが。
天王寺前の戦いじゃ原田が万を超える兵を率いて本願寺と野戦して完敗してるし。
915 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 23:58:52 ID:CdcHVC2D
当時はまだ毛利とは戦っていない。というか、中国地方にまで手を出していない。
越前に関しては丹羽・武藤、羽柴で抑えられている。
本願寺も基本篭城戦で、基本は城砦の奪取。
本願寺は野戦でも篭城でも雑賀の軍がないと立ち行かない。
>天王寺前の戦いじゃ〜
野戦ではないですよ。
原田が三津寺砦を攻撃、雑賀衆の鉄砲で戦死。
雑賀軍は退却する織田軍を追撃して天王寺砦を包囲。
信長の援軍で攻囲軍撃破。そのまま追撃して本願寺城下まで。
916 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 00:16:37 ID:qFLswk3I
>>915 羽柴はこれから中国方面にも転用され始めるし
そもそも越前だけじゃなくて北陸一揆やら謙信との関係も微妙になり始めた時期。
別に雑賀なくても大丈夫だと思うが。あればいいだろうが。
本願寺が攻勢かけてきて原田が完敗してるし。十分脅威な勢力。
あらそうだったか。
雑賀軍は、じゃないぞ。本願寺勢1万数千だ。雑賀勢はそのうちの数千にすぎないから。
917 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 05:05:45 ID:wGspTdMX
武田の求心力が凋落した場合の外交方針と、そうでない場合の外交方針はそりゃ変わるだろ
一揆やら謙信がどうとかは、お前にとって希望的観測にすぎるぞ
本願寺の押さえ、なくて大丈夫なら兵を割く必要ないだろ
そりゃどこの大名も大群を動員できるならそうしてるさ
あくまで動員できる中でやりくりして、戦略やら対策やら立てるんだぞ?
過剰な投資をして兵を遊ばせるより、適切な投資で兵を運用するほうがよほど賢い
お前が本願寺の抑えがあればいいだろうがって言ってるのは、結局兵を遊ばせる方針でしかないぞ?
自分でそう認めてるんだぞ、「別に無くても大丈夫だと思うが」ってのはな
918 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 09:47:07 ID:7NfddCDT
>>916 >羽柴はこれから中国方面にも転用され始めるし
これからってのがどの程度かは主観になるのでなんとも言えませんが、
長篠が75年5月。羽柴の播磨入国が77年10月。ちょっと同時期と見なすには
無理がないですかね。
>越前だけじゃなくて北陸一揆やら謙信との関係も微妙になり始めた時期
越前は本願寺から派遣された坊官と地元豪族との間で内ゲバ発生。
謙信とは対武田・北陸一向一揆で同盟中。関係がこじれてくるのは、長篠
で武田が大打撃を受けて弱体化&織田が越前一向一揆を殲滅してさらに北陸
まで手を伸ばして謙信との権益がぶつかるようになってから。
どちらにせよ、武田が健在なら謙信が織田と敵対する理由はまだ発生しない。
>本願寺が攻勢かけてきて原田が完敗してるし。十分脅威な勢力
戦力は脅威ですが、攻勢をかけてくる敵という意味ではないんですよ。
本願寺は基本篭城で、自分から攻勢をかけたのは石山戦争十年で最初の野田
福嶋とこの天王寺くらい。さらにいえば、この天王寺も織田から三津寺に
攻撃をかけたので、砦を守るために出勢したもの。それが思いもかけない
大勝利がつかめたので、追撃したら逆激をくらったという経緯で。
本願寺には、最初から最後まで、自分から攻勢遠征して野戦で決戦する
という発想・行動がなかったんですね。
最初の議論に戻ると、74年から75年にかけての織田にとって、本願寺が大きな
脅威をもった敵勢力であったことには賛成です。ただ、その脅威というのは、
武田のように放置しておくと攻勢をかけられて領土を奪われてしまうという
意味での脅威ではなかった。
919 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 11:15:01 ID:qFLswk3I
>>917 何をいってるのかよくわからんが。
史実として大阪本願寺の押さえが必要だったんだが。
兵を遊ばせるってなんだ?
あれだけ苦戦しておいて遊ばせるも何もないだろう。
>>自分でそう認めてるんだぞ、「別に無くても大丈夫だと思うが」ってのはな
俺が書いたのは下の文章な
「別に雑賀なくても大丈夫だと思うが。あればいいだろうが。」
雑賀衆っていうのは本願寺の一戦力であって全てではなく、
むしろ圧倒的多数を他の本願寺門徒が占めているっていう意味なんだが。
その意味で雑賀衆があればいいだろうが、っていみなんだが。
どうやったら本願寺の押さえがなくていいなんて解釈になるんだ?
920 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 11:23:10 ID:qFLswk3I
>>918 織田は既に1572年からの尼子再興軍を支援してる。
そしてその窓口が羽柴。
だからその越前で織田が大軍を派遣して方をつけるんでしょ。
兵はいくらでもほしいところだが。越前の多くが一揆方だし。
織田のは付け城戦術なんだが。付け城で固めてる相手には普通対峙戦がセオリーだろ。
逆に言うと織田も本願寺相手に攻勢ができてないわけで。
付け城を維持していくには膨大な兵力を張り付かせる必要があるんだが。
発想がなかったわけじゃないのは上記のとおり。
野田福島でも天王寺前でもやってるんだからやれるならやるだろう。
付け城戦だったからやらなかったけど。
だから兵を張り付かせて付け城を維持しないと突破されるんだけど。
膨大な兵力とられるよ。
921 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 12:53:50 ID:wGspTdMX
>>919 その一文の主語は雑賀か、こりゃ失敬
つか、時代はナガシノ前後の設定か、見誤ったな
ちょっとヌイてくる
922 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 14:21:42 ID:+Kjcq+Wc
>>920 >織田は既に1572年からの尼子再興軍を支援してる。
これってどこまで信用できる?
ついでに信長の浦上三村支援はどこまで信用できるのだろうか?
和睦の斡旋ぐらいしかしていないような気もする。
それとも浦上氏による3カ国支配の朱印状が支援にあたるのだろうか?
923 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 14:42:44 ID:UMmlkyIl
>>920 信長が付け城戦略を取るのは天王寺以後のことなんですが。
>>922 >これってどこまで信用できる?
個人的には、かなりあやしいと思っている。実力者の支援はあればあるだけ
ほしいから、尼子残党側が信長と接触を持とうとしただろうとは思うし、信長
からも将来利用できそうな手ごまを抱えておくことは普通だから、両者に
まったく関係がなかったとは思わない。
ただし、正直72年の時点で信長に中国へ手を伸ばす余裕があったとも思えない。
この後山中らは山名氏に属して戦うことになるが、この山名が当時織田とは
ほぼ没交渉。
924 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 15:46:01 ID:qFLswk3I
>>923 そんなわけないだろ。
天王寺以前から砦を複数に築いてるよ。公記から明白。
だから天王寺砦が攻められたんでしょ。
925 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 00:18:44 ID:WCPHeGil
篭城・防衛施設がまるでない天王寺砦で包囲しようとしたんですか?
なにしろ、四月に原田直政が修理をほどこした天王寺砦は、堀も整って
いなくて、柵も城壁もロクになく畳や牛の死体を盾にするような砦ですが。
もともと信長は天正三年には本願寺を攻撃するつもりだったが、長篠や
越前一向一揆などで大きな戦と、それによる朝廷方面での立場の強化の
必要性などから、本願寺から講和を持ちかけられると応じている。
しかし双方とも戦力を立て直すための時間稼ぎとしか考えていなかった
この講和は翌年すぐに破られる。
そして信長は「当初の予定どおり」攻勢をかける。そして三津寺から天王寺
へと流れるわけだが、本願寺の周囲に砦を築いて包囲体勢を構築するのは
この天王寺以降。
単純に砦といっても、その役割がそれぞれに違う。
926 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 00:22:45 ID:WCPHeGil
公記でも
「是れより大坂四方の塞 に、十ヶ所の付城仰せつけらる」
と、天王寺合戦の後と明記してありますが。
927 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 00:52:42 ID:uQNxB/Bs
>>925 >>926 妙に偏った知識だな。
信長公記読んでるなら、天王寺砦以前に各地に砦がきずかれてることには
当然触れるはずなんだが。
具体的にいうと大阪北野田に3箇所、大阪東南の森口、森河内にも砦構築。
そして原田が天王寺に砦を構築した。
信長公記を読んでるなら普通に書いてある事だから。
928 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 20:34:36 ID:fqPtbA6F
俺思うんだが、三方が原の戦いも
武田と徳川の兵力が同数なら、信玄負けたんじゃね?
929 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 22:56:39 ID:2I13ZVCc
>>928 同数だったら信玄は決戦避けるんじゃね?
930 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 00:00:09 ID:EaTWIFOw
決戦避ける時点で「やべっ、勝てね」ってことじゃね?
931 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 11:11:53 ID:lwPZsbyx
>>928 その理屈で言うと長篠も同数だったら織田徳川負けてたんじゃね?
>>930 まあ勝てるかどうか5分なら無理に戦う必要ないし。
932 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 22:52:45 ID:3jr4gRsx
負けると分かっていても戦わねばならんときがある
例え数パーセントでも可能性があれば、それにかけてみるんだ
ってゲームで言ってた
933 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 22:27:31 ID:Qbqt1tBG
信玄が家督を継承したときの石高が21万
信長が17万だったっけ?
武田の最大時が140万くらいで、織田の長篠のころは250万くらいだったかな?
増加率は織田の方がかなり高い
もし今後武田と織田が同じくらい増やしたとしても
手持ちの金山が枯れかけてる武田と近畿の商業圏を押さえてる織田では
やはり武田がジリ貧かと
武田にしてみればどこかで勝負をかけて流れをかえるしかないね
934 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 11:46:24 ID:fPwofEA9
金山って武田にとってはそこまで大きなものじゃないんだが。
武田の収入も多くが交易や年貢。
てか武田滅亡の後も金山採掘は続いてて江戸時代まで掘られてるんだけどな。
935 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 13:05:38 ID:QDbP3AMH
一旦廃鉱になったが技術の発展により再度採掘されるようになったとも言われているな。
936 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 14:30:46 ID:767EkvCQ
野田城攻略後も信玄健在なら、朝倉撤退の報を聞いたあとは、
浜松を囲むと思う。
信長が浅井朝倉を滅ぼす代わりに、家康を失うという構図になりそう。
937 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 13:49:00 ID:GoDsnUUE
sage
938 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 17:29:45 ID:hlNW5LES
とりあえずさ、信長は家康に対して3000の援軍しか送れなかったわけで。
信長にとって、信玄の出兵は、家康はもちろん自分にとっても脅威だったはず。
にも関わらず3000しか援軍を送れなかったという事は、それだけ当時の信長は
包囲網によって余裕がなかったんでしょ。慎重な信玄もそれを分かって出兵した。
だとすれば、信長が動けない間に徳川を降伏させることは普通に出来たでしょうな。
信玄は上洛を考えていなかった可能性もあるし、考えていたとしても、徳川を滅ぼさずに
西進することは慎重な信玄にとってはあり得ないことだろう。なのでまず、対徳川で
どうであったかから論じるべき。対信長はその後で語ればよい。
939 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 01:04:28 ID:5xxOdRSX
信長は勝てる戦しか基本的にはしない。まして信玄相手にバクチを打つわけ
がない。また信長包囲網自体が利害が一致しただけの単一指揮系統さえ持って
いない状態でしかも浅井は瀕死。名目上の盟主義昭は数千程度の兵力しか
持っていない。朝倉は武田不信及び家中全体が厭戦状態。他の松永とかの畿内
の反織田の諸勢力は放っておいても筒井辺りが相手をしてくれる。
また織田が中国地方にちょっかいを出さなければ尼子残党、大内残党それを裏で
操る大友と何かと忙しい当時の毛利がわざわざ動くわけがない。
信玄存命中の上杉も同様。加えて朝廷は信長寄り。
まあ一向宗だけはよくわからんが・・・。
以上を総合すると朝廷を間に立てて各個和睦していき畿内に抑え用に1万5千ぐらい
兵を残しておいて残りを尾張と美濃に集結させ、武田軍との決戦を避けつつ
膠着→長期化→武田根負けして撤収。という流れだろ現実的に考えて。
940 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 01:17:24 ID:Hk00g54L
>>938 とりあえず、徳川に必死こいて迎撃させて、疲弊したところで信長が本気でたたくつもりだったのかもよ。
941 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 01:18:09 ID:B6tI8wUF
>>939 朝倉は武田不信どころかもっと教えを請いたいと
行ってるくらいだが。
冬には2月末には動きだしてるし。
942 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 01:19:42 ID:B6tI8wUF
>>940 特に疲弊してなさそうだが。
つかそれなら徳川可哀想すぎだな。完全な捨て駒。
徳川もそれが織田の真意だと知ったら激怒しそうだ。
943 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 01:33:34 ID:Hk00g54L
>>942 あの後、さらに三河にとどまって城攻めとかしてりゃ、いくらなんでも疲弊する。
最低でも、豊かでない財力や兵糧は、確実に削れる。
944 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 01:45:55 ID:B6tI8wUF
>>943 別に疲弊はしてないんだが。
財力や兵糧も特にひどいもんじゃないし。
てか信玄自身が春から美濃に進出し、5月には共同作戦を行う予定だったんだが。
945 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 01:48:39 ID:Hk00g54L
>>944 あれだけの兵力を長期にわたって外部に侵攻させ続けて、疲弊しないわけない。
してないんだがって、何を根拠に言ってるんだ?
946 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 01:53:05 ID:B6tI8wUF
>>945 その後の軍事行動から言っても、その軍の動きから言っても。
大内とか1年以上遠征してる事もあるが。
947 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 01:56:39 ID:Hk00g54L
>>946 大内みたいに武田は経済都市なんてない。
浜松城や岡崎城なんて、そう簡単に落ちるもんじゃない。
徳川を屈服させずに西進なんて不可能。
948 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 01:59:43 ID:B6tI8wUF
>>947 甲府も駿府もかなりにぎわってるぞ。
先入観だけでいってないか。
できるだろ。信玄もそのつもりだし。
三方ヶ原で家康は大打撃。後は数千程の部隊を残して押さえれば十分だろう。
その穴は岩村の武田勢と合流すれば埋められるし。
949 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 02:05:05 ID:Hk00g54L
>>948 賑わっていたって、西国の流通の要衝と比べるほどの規模じゃないでしょうに。
岩村組と合流って、信玄側が尾張まで侵入しないと合流なんてできないぞ?
浜松・岡崎も落とせるだろっていうけど、二俣城ですら攻めあぐねたのに、そう簡単に落ちるとも思えないが。
950 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 02:13:51 ID:B6tI8wUF
>>949 東じゃ相当にぎわってるが。
浜松・岡崎を落とせるだろ、なんて言ってないぞ。
よく読め。落とす必要がないといってる。
できるだろ、は西進できるだろってことね。
尾張までいかなくていいよ。
北三河から美濃に抜けられるから。それで岩村組と合流できる。
951 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 02:15:26 ID:Hk00g54L
>>950 浜松・岡崎を落とさないで、徳川が健在のまま尾張入りなんてしたら、間違いなく兵站が切れる。
徳川だって、三方原で敗走こそしたけど、壊滅したわけじゃない。
952 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 02:17:34 ID:B6tI8wUF
>>951 だからその為に数千の部隊を残して徳川を押さえればいい。
その穴は岩村組と合流すればいい。
岩村は尾張じゃなくて美濃なんだけど。
岩村までくれば信濃からも補給は可能だし。
953 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 02:27:17 ID:Hk00g54L
>>952 数千で抑えられるわけないだろ。徳川だって、1万は動員できるぞ。
岩村が美濃だってことくらいしってる。
岩村と三河から侵攻して合流するとしたら、尾張になるだろって話だ。美濃なんだけどって、何いってんだ?
954 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 02:30:11 ID:Hk00g54L
大体、岩村だって、下したとはいえ昨日まで敵対していた相手ばかりいるところだ。
維持に相当の兵力を残さなきゃならないのに、元から少ない兵力から合流に差し向けられる兵を割けるわけがない。
955 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 02:49:40 ID:B6tI8wUF
>>953 少なくとも遠江・三河にかなり武田が侵食した地域があるから
それら在地勢力と連携し、本軍から数千をさけば十分だな。
三方ヶ原の痛手から徳川は一万も出せないし、兵力各地に分散してる。
尾張にならんて。北三河から美濃に出られるんだっての。
信玄自身が書状で春から美濃に侵攻するって書いてるんだっての。
尾張いかないで美濃に直接言って岩村勢と合流だ。
>>954 いやいや。岩村は武田に呼応して味方に付いたものだし、
もともと武田とは長いつきあいの城だから。岩村勢も取り込めるな。
956 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 02:53:56 ID:hCh3AAgN
>>955 三河遠江統治になんら裏づけが無い武田に、即軍事動員かけるなぞできるのか?
957 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 02:56:41 ID:B6tI8wUF
>>956 何をもって裏付けがないと?
山家三方衆とかの有力豪族は武田に従ってるし、
天野氏とかは古くから武田とつながりあるぞ。
こいつらは立派な協力勢力だな。
958 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 03:26:01 ID:Hk00g54L
>>955 徳川は、別に押さえと真っ向勝負する必要なんて無い。
伸びきった兵站をゲリラ的に狙えばそれで十分。
岩村が武田と長い付き合いって……織田との付き合いの方が圧倒的に長いわけだが?
>>956のいうとおり、即軍事動員なんて駆けられるわけがない。
ましてやそれらを先兵にするならともかく、抑えに使うとかありえないから。
959 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 03:27:03 ID:Hk00g54L
>>957 古くから付き合いっていうけど、相手方との付き合いの方がもっと長いし、最近まで敵対していたのに
日和見でちょっと寄ってきたくらいで、完全に武田側として扱ってるのがどうかしてる。
そんな危険を信玄が冒すわけがない。
960 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 03:45:29 ID:B6tI8wUF
>>958 だからどうやって襲うんだよ。
武田の抑えの部隊が邪魔するし、
岩村からなら信濃から補給できるともいってる。
岩村はもともと武田に従属してた勢力で途中で織田と武田の両属になった勢力
なんだが。織田のが圧倒的に長いなんてあるわけがない。
実際出陣命令とか出てるから。
抑えにも使われてるし。天野とか徳川防いでるし。
勝手に決め付けんなよ。
>>959 上にあるとおり、岩村はもともと武田に従属してた勢力。
織田と武田が同盟した時に両属になった。織田のが長いなんてあるわけないだろ。
実際武田が来たら呼応したしな。
961 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 04:13:54 ID:mEtqn1cU
織田としても戦わざるを得ないだろう。
徳川を見殺しにすることは出来ないだろうから。
ただ、多分負けるだろうな。
962 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 07:02:43 ID:cGOZdr+A
領民からすれば武田の領民になるのは普通に嫌だろ
さっさと徳川さんに取り戻してもらって、織田さんに天下取ってもらって、戦国終わらしてよって感じだろ
そんなのを兵として駆り集めたって戦力にならんだろ
信濃の領民を懐かせるのに信玄がどれだけ苦労したか考えてみろっての
963 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 09:38:39 ID:hCh3AAgN
>>957 「協力」であって上から下への命令系統の確率ではないよな
つまりは家臣らとはまた従属度が違う
「協力」なんだからいつでも解消できるという不安定性を内包している
まあ具体的に言うなら官職やらだな
964 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 12:57:03 ID:zydsikiL
>>962 どこのゲーム世界の話か知らないが
領民が織田にそんなに従順だとか期待してるとか思ってるのか?
織田領国で反乱やら宿泊拒否やら起きてるのが知らんのか。
織田を持ち上げすぎだ。
>>963 言葉のあやを必死に取ろうとしてるようにしか見えんが。
しっかり出陣命令も出してるって下に書いてるだろうが。
天野も山家三方衆も立派に武田の配下になってる。
何が具体的なのか知らんが、官職とかいったら
徳川の配下も協力勢力ばっかになるな。
少なくとも知行宛がいとかは立派にされてるから当時の基準でいえば
立派に領土だが。
965 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 09:18:07 ID:3YmOnqJB
>>964 土地は取っても心まで取るのは どこも苦労するんだよね?
でも信玄上洛作戦に関してはゲームみたいに土地を取ったら漏れなく心も付いてくるでヨロシイか?
966 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 20:25:05 ID:3J2AHYrX
>>965 それいったら武田の敵である信長は
急速に拡大したばっかだから心がつかめておらず、
武田の侵攻によって
ぼろぼろ崩れていくでよろしいな?
967 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 00:08:05 ID:VbZDu2tO
>>966 形勢不利になったらそうなるんじゃね
武田征伐の武田みたいに
事実信長信忠が死んだあとバラバラになってるんだし
だが信玄上洛の時は織田のほうが国力は上で、信玄上洛を語ろうとしたら武田は取ったばっかりの領土まであてにしなければならないわけで
しかもその時武田は財政力にも乏しく、どうやって兵を集めるのかと
968 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 18:08:58 ID:LPg9mqHy
>>964 あんたの主観なんぞ知らん
出陣「命令」なら協力者ではなくて、配下だよな
つまり、武田には支配の裏づけがなく、不安定な支配体制だったということだな
勢いがあると、ミクロ的にでも判断したほうに味方する人たちの寄せあつめだったと
これを自領土として軍に編制するのはなかなか大変だな
969 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 11:55:09 ID:URXR3lqq
>>948 駿府は焼いちゃったせいで今川時代みたいに栄えるようになるのは江戸時代からと聞いたことあるが
970 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 13:42:01 ID:YF/ZylGc
>>967 財政力に乏しいわけないだろう。
何を根拠にしてるんだ?
普通に百万石の大大名として兵力も財力もあるが。
>>968 頭大丈夫か?
普通に命令だしてるが。書状もあるが。
裏付けも何もしっかり信玄死後勝頼の継承において
領土安堵の代替わり書状出てるっての。
これこそお前の主観以外の何物でもないわ阿呆。
971 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 14:27:11 ID:L4GU42wZ
実際のところ三方ヶ原の時点では、浅井も朝倉もいる分織田のほうが不利だわな。
長篠の逆バージョンになるんじゃないか?
そうさせないために、浜松に篭城しろと命令出してるぐらいで。
徳川が打って出てあぽーんした以上、
武田としては抑え程度の兵を浜松に睨みの利く城に残せば良いわけだから。
織田と同数以上の兵力にはなるんじゃないか?
勝頼の代でも長篠までは兵力少数の武田有利に戦争が行われているところを見ると
敵が三河にいるうちに、決戦を強いられる織田が不利だと思うけどな。
972 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 16:05:29 ID:63/z4P/u
強いほうに付く・・・これが弱小土豪の常でしょ?
甲斐源氏の当主にて戦上手、信濃を制圧し、今川を飲み込んで
京都への道筋がたったのであれば、新しい領地での経営はそれなりに
上手くいくんじゃない?兵を集めるにしても。
誰しも勝ち馬に乗りたいものでしょ?
973 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 19:15:35 ID:SK0xJ/dd
>>941 教えを請いたいってそれって文化面というか相伝の話だろ
974 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 19:22:57 ID:Qnx/8Xf/
>>972 甲斐源氏の党首にて戦上手の信玄に、さんざん抵抗した信濃の弱小土豪たち
975 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 21:18:12 ID:63/z4P/u
で、だから甲斐一国から信濃制圧へ向かうときと、
甲斐、信濃、駿河、飛騨、西上野と手にしたときでは
状況は違うでしょ?
実際三河攻略では随分寝返りも出ていたわけだし・・・。
976 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 00:01:23 ID:0bmOsz1a
>>973 軍書相伝をこいねがう、つまり軍略についてもっと教えを請いたい
って事だろ。
977 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 06:55:25 ID:1nicPB67
978 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 09:08:40 ID:l8qMynbZ
あくまでも国人連合の盟主だった武田だと尾張、美濃辺りまでの進出、略奪が限界だと思うが
979 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 10:53:19 ID:TNUUo3tf
信玄が長生きして、そこまで支配できても、その後、瓦解しそうだよな・・・・
980 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 11:29:41 ID:J0ZABHlv
>>976 流石にその訳は無理だろ
秘術の験とかどう解釈するんだ
981 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 12:45:07 ID:0bmOsz1a
>>980 今は出先なんで戻ったら確認してみるが、確か
「信長に勝ちました。これは玄東相伝の験によるものです。
まだ残る軍書があるというので、教えをこいねがっております。」
てな文だったと思うが。
982 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 12:46:37 ID:0bmOsz1a
>>978 武田家当主の権限は結構強い。
信玄末期ともなれば相当なもんだよ。
983 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 13:34:43 ID:TNUUo3tf
結構っていうけど、どれくらいのもんなのかねぇ、いつも思うんだが。
ホントに権力あれば、木曽をあんな危ない位置に留めておかないだろ。
984 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 13:56:58 ID:0bmOsz1a
>>983 木曾は最後に寝返ったからそう思うかもしれんけど、
武田の一門でもあり、最後以外は忠実だったから別に
外す理由もないんだけどな。
てか織田方面担当はもともと伊那・美濃の武田領を統括する秋山だから
木曾じゃないんだよな。
985 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 14:04:22 ID:TNUUo3tf
最後以外はって、諸にアレが引き金であって、木曽さえ手中なら、そうそう突破されてないんだぞ。
武田が裏切られた後に攻めて撃退されたように、あの地形は圧倒的に守備側が有利なのに。
986 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 14:44:07 ID:dHeWdvAo
>>983 木曾に関しては、時代的に無理。武田家が、信玄がという問題じゃない。
鉢植えのように領地を移し変えるなんて、信長政権からはじまって豊臣でようやく、
江戸時代になって完全にできるようになった。
987 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 14:48:55 ID:0bmOsz1a
>>985 まあね。
でもそれっていわゆる結果論で
織田に権力あったら
織田家重臣だった明智にあんなに危険な位置で大軍を与えておかないだろ、
っていうのと同じだと思うよ。
木曾も明智もその行動までは特におかしな事してないんだから。
>>986 まあ信玄は子飼いの連中とかあちこちに動かしてるけどな。
988 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 15:05:36 ID:5mmMwFyf
出陣→領土増加→田植えのために撤退→出陣→領土増加→刈り入れのために撤退
これを10回繰り返す訳だから近江くらいまで行けたかどうかだな。
989 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 16:02:38 ID:0bmOsz1a
>>988 だから田植とか刈り入れは関係ないって。
武田は農閑期も農繁期もばんばん戦してるから。
990 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 16:58:44 ID:pxR5KvOn
長生きしてたら結果的に勝頼より酷い大敗を喫してたと思う
991 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 18:34:39 ID:oyxY6yFn
>>987 それは子飼いだからです。自分が取り立てて、自分が領地を下したからこそ、
領地替えができるんです。征服された豪族も同じで、領地の一部没収くらい
ならともかく、全とっかえなんてその一族を滅ぼすくらいでなければ無理。
これは信長も同じで、柴田や羽柴丹羽明智などは自分の裁量で領地替えが
できましたが、筒井や荒木などもともと先祖代々その土地を支配している
あるいは自力で切り取った領地などは、信長も安堵や一部没収はできても
領地替えはできませんでした。いわゆる織豊系大名と外様の異なる点です。
関が原始末により新たに徳川系の大名や、さらに領地替えで先祖代々の
地縁から切り離された大名が多数生まれたことにより、ようやく鉢植えの
ような大名政策が採れるようになった。
992 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 18:59:21 ID:uxVLcaII
>>991 家康の国替えは忘れてないか?
織田信雄も国替えの案を呑まなかったため所領が没収された
家臣の国替えができるかできないかはあくまでも当主への
権力の集中によるもの
当主の力が大きければ豪族上がりだろうと国替えところか
没収もできる
993 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 19:31:47 ID:AUKK/2xJ
994 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 00:14:50 ID:H5M3Dj84
>>981 その場合は『行之模様』とか『申合』とか他の表現使う、
相伝や秘術、など使うのは○○流の伝授とか、細川の古今伝授とかみたいな
そういう場合に使うのが普通かと思う。
ただ書状には軍書とも書いてあるので、兵法関係の古書の伝授かと思う。
995 :
人間七七四年:
>>992 そうやって、豊臣政権が統一政権として、それまでの日本になかったくらいの
強大な力を振るうようになった頃から、外様にも領地替えを強制できるように
なったんですよ。
>当主の力が大きければ
そのとおりです。そして戦国大名レベルでは、当主の権限はいかに強かろうと
領地替え国替えが可能なほど強くなることは、まだ無理だったんです。