1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
秀吉の恩を忘れ、豊臣家を滅亡に追いやった最低の裏切者。
家康に踊らされた大馬鹿者。
何を今さらの2ゲト
最低の裏切者はおね
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 23:24:23 ID:wddlH/wA
( ´゚ω゚` )
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 23:45:17 ID:Q+/rwupC
豊臣家最低の裏切者リスト
北政所
加藤清正
福島正則
黒田長政
加藤嘉明
山内一豊
京極高次
京極高知
小早川秀秋
前田利長
以下続刊
彼らを裏切り者扱いする人は、自分の会社の役員が、「昔世話になったから」という理由で自社の資産を勝手に無謀な投資につぎ込んでも文句を言わない人達なのかな?
それで自分への給料の支払いがストップしても、何ヶ月もそれが続いて貯金を削り続けて生活する事にも、それでもただ働きさせられ続けて、結果として会社が潰れて路頭に迷っても、きっと文句は言わないよね。
彼らは秀吉に取り立てられた「恩」もあったろうが、同時に「配下として働く者達」の「生活」の面倒を見る「責任」があった。
「恩」と「責任」のどちらに重きをおくかはその人の価値観にもよるが、「恩」に重きを持つなら上記の事は覚悟すべし。
私には自分に出来ない事を他人に押し付けるような真似は出来ない。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:14:40 ID:kkWcAUa6
まあ、その秀吉自身が、最も恩を感じるべき主家に
対して何をやったかを考えると、「最低」という言葉は
外したほうがいいかもしれんな。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:22:59 ID:cjZCvQXh
結局2家とも改易されてるし
この二人本当に馬鹿だな
三成への私念を優先させて家康の罠にハマった馬鹿
>>5 北政所が家康に協力したというのは俗説なんじゃ・・・
現に三成との結びつきは強いし
一族も半分以上は西軍についているし。
石高低いのばかりだが。
まあ戦場でいきなり敵味方取り違えるよか良いよ。
豊臣厨さん、今度は裏切り者叩きですか?
ホント懲りないよなあw
>>9 状況証拠としては充分だけどね。
関が原以前から親交があり、その後も徳川家から化粧料を貰い続け、その実家(浅野家)も生家(木下家)も大名として存続している。
それ以外にも、不思議と北政所が動いた後に家康が有利になるよう状況が推移している。
勿論、北政所からしたら諸侯筆頭であり、御奉行衆の長としての家康に配慮しただけかも知らん。
昔より 主を内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴築前
三成も本当苦労しただろうなぁ
池沼達の相手は
織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 喉に詰まらせ 苦しむは徳川
まあ裏切り者かは別として
どうしようもない馬鹿チンてのは同意
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 22:38:23 ID:BW8ueHn+
しづが岳七本槍も実際は裏切り七本槍ですからwwwwwwwwwwww
お前糟屋武則に謝れ。
関ケ原は許せても大阪の陣は言い訳できないよ、市松。
事実とは違うが三成に言った
「よくもおめおめと腹も切らずに姿を見せれたものよ」
これはおまえだわ
賤ヶ岳も書けない馬鹿が糟屋を知ってるとは思えん。
久々の良スレだな。
別に秀吉は好きでも嫌いでもないがこいつ等は最低の恥さらしの糞。
家康に簡単に踊らされた能無しのカスの分際で何が武官派だww(・∀・)ウンコ派がお似合いだろww
福島正則氏ね
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 22:59:09 ID:n7MW3jc+
死んでるが
加藤清正は地元でも割りと人気があるそうだけど、福島正則はどうだろう。
豊臣を分裂させて、しかも自分の家も守れず、正則に残ったものは燦然と輝く馬鹿の称号、か。
戦で暴れることしか出来なくて、戦の無い世でどう生きるべきか分からなかった人って感じ。
戦場で果てたらここまで生き恥を晒すことも、なかっただろーなー。
家康「くっくっくっ、お前らなんか用が済んだらポイよ」
三成「大人って汚いよな、なあ吉継」
吉継「わう」
>1小早川秀秋よりは全然まし
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 23:40:21 ID:+5uPot1o
福島も加藤もいやらしキモイ猿親父秀吉とチクリガチンコ頭三成への恨みがあったから裏切られても仕方がない。
>>27 虎之助は野心丸出しだったが市松は太閤への忠臣気取り。
中途半端に大阪城に兵糧だけ送ったりしてる件。
秀吉厨だか豊臣厨だかのクソスレ乱立は
もうええ。やめてくれ。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 00:50:16 ID:EYc9Ziy1
秀吉の自業自得だな
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 01:09:26 ID:hVv+PoDF
福島正成と北条綱成は忠臣
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 02:57:59 ID:76rD6wA+
福島は裏切りじゃない
流れの意味を読めない単なるバカ
同意
やつは完全に脳筋
虎は怪しいが
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 03:30:45 ID:dKkoCcVN
市松はアル中だろw
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 04:20:17 ID:gTn6Grzk
いや清正も同類だろ
朝鮮の馬鹿ぶりを見ろよ
酔った勢いで家臣を斬殺して、素面に戻って号泣するような奴だもんな >福島
まあ、嫌いじゃないがw
福島叩いて徳川の思う壺ですね。
加藤と福島の先見の明の程を秀吉や三成のそれと比べて叩くのと、
家康の豊臣潰しの意思とは別だろうな。利用された事を言うならまだしも裏切った
認識がどこまであったのかよく分からないし。藤堂や黒田のように家康に従ったのとは
場合も違うし秀吉との関係も違うし。正則に教科書見せてみたい。
それと地元での人気は熊本城があるからだろな。いまも修築増築されつづけてるそうだし
熊本は秀吉にまかせられた地だし。むかしは猛将=清正だったようだし。詳しくは知らない。
それ以外にも清正は治水やら産業を発展させたりとかいろいろあるが
正則はひたすら農民から絞り上げて贅沢三昧一揆誘発
年貢軽減を訴えに来た農民を酒宴で歓迎する振りして皆殺し。
こと統治に関してはそれなりに実績を残して善政と言われた小早川秀秋の
方が上だな。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 18:32:39 ID:UVW4Pww8
福島は大バカ
大阪の陣の時の中途半端な対応は何だよ
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 18:58:19 ID:HJfgwIDd
福島は土木作業に大量の農民を人夫に徴発しておいて、食事もなにも与えなかったからな。
「手弁当持参で働きにこい」という事で。
普通ならはそういう場合は日当は与えないまでも最低二度の食事は出す。大概は握り飯だ。
すると農民たちは普段食えない、米の握り飯目当てに喜んでやってくるという寸法だ。
加賀藩にいたっては「だら(アホとかいう意味)の四度汁」とかいって徴発された百姓に一日四回も食事を出して物笑いの種になった。
福島が徴発した農民に食事などの見返りを全く与えなかったのは
経費節約のためかもしれないが農民はさぞや不満でいっぱいだったろうなとは思う。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 19:10:54 ID:HJfgwIDd
>>43 豊臣家への手切れがわりに大阪に備蓄しておいた四万石の米を
豊臣家からの借用の要求のままに接収させた件ね。
当然、福島は改修不可能なのはわかりきってた。
せっかく、安芸の百姓たちが精魂こめて作った米を
こんな形でドブに捨てるとは困った男で藩主としてはとんだ背任行為だと思われ。
しかも四万石とは桁違いの資産だ。
福島家は五十万石なので、せいぜい三十万石程度の年収で、
しかもその多くは武士たちに直接入るわけだから、
四万石の米は藩の余剰資産の大半かもしれない。
その四万石をロストするとはさぞや福島家の財政に打撃があったと考えられる。
本来は大阪で売って換金して領内開発などにあてるべきの資産なのにね。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 20:17:08 ID:QOPyD1Kg
福島家からは正則の弟と筆頭家老の息子が大阪の陣で豊臣方についている
福島家中では圧倒的に親豊臣が多かったが、肝心の正則と息子が屁垂れ全開で徳川にびびりまくっていたため
この二人しか参戦できなかった
強いのにヘタレって劣化呂布みたいだな
清正はともかく正則がヘタレなのはガチ
広島での扱い
元就様>>>>>山本浩二>>>浅野>(誰それ?の壁)>福島
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 05:24:01 ID:JvNih97n
バカ無能とか暴君とかも所詮歴史の後付けだからあてにならないお
勝ち組が自分が正当として記すから滅んだ奴に関しては曲がって書かれる
豊臣恩顧で廃された大名なんか祖先の出自が不明だったり卑しかったりってケースある品
正則だって良い統治をしつたけどそれらの記録は消され愚かな点ばかりにされた可能性もある
無能な統治→取り潰し、だから良い記録は幕府側には邪魔だからな
そういうの前提にしても正則はバカか世渡り下手と思ってしまう
潰されるには潰されるだけの理由がなきゃならんからな
少なくてもそれを回避する頭は無かった訳だから
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 07:31:12 ID:en607aDw
秀吉が家康を信じろと言ってたし、秀吉を家康に全て託してたし、
何よりあの状況では石田三成が漁夫の利で天下を狙ってたのは、明らかな事実だったと思う。
だけど、どっちも化け狸だったんだよね。
家康っていうより徳川の権力闘争があるからね
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 11:28:53 ID:Zf3Z4Q7Q
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 12:03:15 ID:Fodm3ZFr
清正公さんな熊本じゃ英雄ばい。
悪う言うやつはおらんばい。
大河のせいで三成厨が大増殖か・・・ほんと感化されやすい連中だ
そんなもんよ。
徳川の歴史がどうとか言っといてこれだからな。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 12:57:38 ID:uUjMQb51
>>55 同意
当時の状況も見れんでやれ裏切り者どうこう言ってる奴は歴史勉強し直せよ
俺は加藤も福島も好きじゃないが最近の豊臣厨には呆れるわww
両雄、知恵が回らない人物って意見には賛成
正則・清正>>(越えられない壁)>>>>家康なのは同意だが
正則>>(越えられない壁)>>清正だとも思う
久々の良スレだな。
別に秀吉は好きでも嫌いでもないがこいつ等は最低の恥さらしの糞。
家康に簡単に踊らされた能無しのカスの分際で何が武官派だww(・∀・)ウンコ派がお似合いだろww
>>久々の良スレだな。
別に秀吉は好きでも嫌いでもないがこいつ等は最低の恥さらしの糞。
家康に簡単に踊らされた能無しのカスの分際で何が武官派だww(・∀・)ウンコ派がお似合いだろww
↑
「何が武官派だ」この部分で自分は三成厨です。と証言してるようなもの。
あとコピペ自粛しろ。歴史上の人物叩いて憂さ晴らしする社会の屑め
豊臣厨はクソスレ立てすぎです。
きおつけてください☆
豊臣厨必死杉wwwwwwwwwwwww
しかし「を」と「お」の区別がつかないのも恥ずかし杉wwwwwwwwww
豊臣厨はいちばんあたまがわるい。
ドクターにみてもらったほうがいー。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 14:04:25 ID:wcJKVuke
大阪の陣までに豊臣恩顧の武将が集結して徳川打倒の兵を挙げるなら
関が原での行動も容認できなくはないんだが。
結果そうじゃないから弁護のしようもない。
福島なんて豊臣御為と唾を飛ばしながら叫ぶ自他称共に認める
生粋の豊臣武将筆頭だったんだが。w
>>39 それは違うだろ
農民を酒宴で歓迎する振りして皆殺しした件は
あるとき正則の士が夫銀を多く取りすぎていたと、
広島の百姓六人が江戸まででてきて訴状をもって訴えてきた。
正則はこれを聞くと台所役人に遠方よりわざわざ来たことであるから
充分に馳走をせよ、と申し付けた。百姓たちはこの扱いに大いに喜び、
夫銀を取りすぎていた士は覚悟を決めて沙汰を待っていた。
4〜5日が過ぎると正則は百姓六人を白州に呼び出し、ことごとく首を刎ねた。
正則が語るところによると
「銀五百目や六百目のことで正則の先途を見届けようと不憫な妻子を捨てる覚悟で
忠を尽くしてくれる家臣たちに迷惑をかけようとはするとは思いもよらず、
さても憎き百姓たちよ」
これを聞いた諸士は皆感涙した。
という正則の名君振りを伝える話しだ、曲解は良くない。
アレ?何か話しに違和感も覚えるがwww
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 16:56:50 ID:uUjMQb51
>>64 現実的に無理に決まってるだろ
上でも言われてるけど自分ひとりの意地のために家臣・その家族・領民を道連れにする方が異常
ましてや、ほぼ勝ち目の無い博打だぞ?
彼らも大阪の陣まで生きてる+改易されてりゃ喜んで入城してたろうよ
まあ、すべて片付いてから潰されてるから知恵は足りないかもだが単純な正義論で攻撃すべきではないぞ
>>65 三戦板の市松スレでもその話が出てたけど有名なのか?
そういやこのてのスレで嘉明とか脇坂が槍玉にあげられることって少ないね
助作はえらい言われようなのにな
>>66 家臣も覚悟して仕官してきているだろう。
豊臣の恩顧たる福島家に仕官して美味い汁にはありつけたんだ。
当時は現実的な判断で、と名より実をとった以上
叩かれるのはむしろ当然だ。
少なくとも忠義というのは権力者が使いまわす道具だから
自分らが危険になったからそんな事はいってられないという論理は
居直り強盗に等しいんじゃないか?
それを振りかざしていた側の人間だったのだからな。
>>69 こういうまともな意見の人がいると安心するな
もちろん、豊家恩顧大名が名より実を取ったのは事実だけど
大所帯になればなるほど現実的に生きなけりゃならないのは仕方ないと思うんだよね
家康と秀頼の対面の時も彼らなりに秀頼の身を案じて動いてる
俺はあくまで一個人としての豊家への忠誠心はあったと思うよ
悪戯に忘恩の輩と罵る奴はどうかと思うね
忘恩の輩だろ?
上の人も言っているが豊臣へ忠義を尽くせと迫った側だろう?
七本槍の筆頭として大名に取り立てて個人的にも忠誠心もあったが
家臣や身内の手前には仕方ない
だから、と大阪城に籠もって主君秀頼を護る兵にそう言うのか?
無論、功名心も金銭目当てもいたろうがね
与えられた恩を仕方なかったと言訳にしてるが
主君や死んでいった浪人らにとってはまさに忘恩の輩でしかないし
後世からの謗りは免れないよ
俺ならできるかと聞かれたら怪しいから言ってる意味は解るんだがね
でも当時には当時の常識や責任はあったと思う
私は何を熱くなってるのか
日本語じゃないな
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 21:10:28 ID:uUjMQb51
すまん、籠城してくる。
>>71は要するに当時の人から見た印象を言ってると解してでおk?
当時の豊家への報恩の為に戦死した人物からしたら忘恩の徒と見られて仕方ないということかな
確か、大阪陣後に福島家臣が宿屋かなんかで軽んじられた逸話があったね
確かに一般的な評判は悪かったろうな
加藤は死んでたからよかったけど福島は相当自責の念に悩まされたろう
それを考えるとやや同情的になってしまい俺ガイル
福島、切腹はしなかったの?
>一個人としての豊家への忠誠心
なんですかこれは。意味不明ですが。
とにかく関が原の戦いは、福島だって徳川様御為の戦では
なかったんだよ。あれほどの豊臣武将なら関が原戦後に徳川を牽制するため
福島あたりが音頭をとって策略をすることだって可能性としては十分できる
こと。
それを徳川絶対主義というか、生き残るためには仕方ないで脳内停止するなら
何も面白くないよ。そんな人間はむしろ日本史板で史実に忠実な堅苦しい話を
やればいい。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 00:50:49 ID:NS+71aab
「秀頼は淀の子だから」
そんなの関係ないじゃん。秀吉の息子だろ。何で見捨てるんだよ!!!
>もちろん、豊家恩顧大名が名より実を取ったのは事実だけど
>大所帯になればなるほど現実的に生きなけりゃならないのは仕方ないと思うんだよね
そんなありきたりのレスして意味あると思うか?
>家康と秀頼の対面の時も彼らなりに秀頼の身を案じて動いてる
そうだよ、そんなの誰でも知ってる。 だ か ら 何?www
>俺はあくまで一個人としての豊家への忠誠心はあったと思うよ
意味わかんねwwww
>悪戯に忘恩の輩と罵る奴はどうかと思うね
お前の意見はこの一文だけじゃね。www
偉そうな割には意味のない、又は意味不明な文章ばかりなんだって。
次回からは気をつけてな、じゃあなwwwww
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 02:12:56 ID:I7g64Dh+
立花宗茂みたいに外様でもはっきり窮地を救われたという経験が
ある方が恩を感じてるよな
虎や市は餓鬼の頃から秀吉にべったりだったから
自覚が薄いんじゃないか
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 02:15:11 ID:I7g64Dh+
田丸真紀の爪の垢を煎じて飲ませたいな
つうか田丸の言はどう思ってたんだろ?バカ島とバカ藤は
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 06:50:10 ID:xEzWo4gr
田丸は別に忠臣とかではなく
中立主義だっただけ
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 07:05:47 ID:OcV93uyl
大阪の陣で豊臣は滅んだけど、
豊臣家の財政と豊臣恩顧の武将を集めれば、まだ互角の勢力はあった。
秀頼を大阪城一城まで貶め、全国一の財政を底がつきるまで使わせたけど、
それでも徳川の勢力の3分の1はあった。
清正と正則が死ぬまで秀頼の側で守ったけど、死後、それでも4分の1の勢力はあった。
大阪の陣で家康がとどめをさした。二人は大馬鹿者だな。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 07:12:45 ID:xEzWo4gr
>>65 農民にしてみればたまったもんじゃないだろうね。
伊奈事件といい、福島には現代人には理解しがたい逸話が多い。
>>53 ピンピンしてたよ。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 07:23:54 ID:xEzWo4gr
俺は個人的には「加藤や福島は忘恩の徒ではなかった」
と言っている連中の方が正しいと思う。
もしも豊臣側につくことにより犠牲になるのが
自分ひとりの命ならいざしらず、
加藤も福島も一人の武士ではなく50万石の大藩の指導者であり、
個人的な感情で負け組について多くの家臣を落命させあるいは路頭に迷わせてはいけないと思う。
武士だけならまだいい、その妻子や家人はどうなるんだか?
加藤・福島は豊臣につくへきだったと主張している連中は想像力が足りない。
そもそも、そんな事をしたら加藤・福島の家臣が何人死ぬか想像もつかない。
何百人、何千人と死んだのではないだろうか?
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 07:31:10 ID:xEzWo4gr
例えて言えばある会社の社長が
小さいころから世話になっていた大恩人の会社が
潰れそうになっているのを見て、
再建の可能性もないのに大量の資金援助をしたら、
その社長は単なる背任罪になるのと同じ事だ。
だいたい、会社にしろ藩にしろ
指導者一人の努力で作ったものではないのだし、
指導者が自分私情で好き勝手に動かしてはならない。
安芸50万石にしろ肥後50万石にしろ
福島や加藤とその多くの家臣や領民と協力して成し遂げたものの筈。
俺も、もし自分の勤めてる会社の社長がそんな勝手なことをしたら怒るぞ。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 09:29:16 ID:DyWOfGlY
家康の方が先に死ぬだろうから待ちに徹してたんじゃないか?家康死去後に豊臣恩顧を秀頼のもとに糾合すりゃあ勝てるだろう。その前に三成を排除しとかなきゃ秀頼の名で逆に減封とかされかねん。
前田にしろ浅野にしろ、加藤にしろみんな都合よいタイミングで死ぬあたりマジで毒殺テクが家康にはあるのかも…
やっぱり秀次事件は痛いな。秀次存命なら伊達・最上の東北勢は取り込めただろうから上杉も南下できたろう。藤堂はどう動くかわからんが。
山内・中村・堀尾の東海筋だって家康の西進に制限を加えてくるしな。
となれば佐竹・蒲生も生きてくる。
秀次は尾張・北伊勢に100万石の大領が控えてるから存命なら家康は逆に袋叩き。
内政専念の秀次は朝鮮の確執にも絡んでない。太閤死後は三成と武断派の絡みは、自らが関白で執務するから三成排除で終了。
よってバカなのは残念ながら末期の秀吉。
そのとおり。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 10:01:22 ID:DyWOfGlY
>>127 栃木無職は危険だな!
未履修問題でもプールの排水設備不備でもたくさん発覚するのはいつも栃木。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 10:02:42 ID:DyWOfGlY
誤爆です。すみませんです。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 10:08:55 ID:6et07fVF
たしかに福島・加藤は家康死ぬの待ってたかもね。
でも本当にバカなのは三成。佐和山で蟄居してればよかった。
大谷の言に従って大人しくしてるのが豊臣のため。
三成の性格じゃ佐和山で引き篭もってたらストレスで氏にそう
男子に恵まれない豊臣氏一門は姻族で構成されていました。
この中にあって福島・加藤は木下浅野と同様の準親藩です。
七本槍の他の5人とは初めから格が違います。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 11:42:24 ID:I7g64Dh+
何か勘違いしてる人がいるが、仮にバカ島やバカ藤が
家臣領民のためを思って挙兵を思い止まっていたのだとしても
それが「忘恩の徒じゃない」って根拠にはならないだろ
理由はどうあれ豊臣家から見れば裏切者に間違いないじゃん
家臣領民を思ってようが単にビビってようが結果において同じ
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 11:44:36 ID:I7g64Dh+
>>82 バカ島は中立に徹する度胸すらなかったわけだが
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 12:04:01 ID:8yxIX43x
一攫千金狙いor死に場所求めてる食い詰め牢人が
大坂に籠城さえすれば忠臣か
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 12:06:50 ID:I7g64Dh+
バカ島バカ藤よりゃマシだわな
中立ってのは最悪
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 12:38:43 ID:lVvEJUpL
ようするに加藤・福島が豊臣に味方すれば
長い間、共に苦労してきた家臣裏切ることになり、
逆に徳川に味方すれば家臣を裏切ることになるってことだな。
それだったら、生き残るほうがマシだろう。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 12:41:03 ID:a6KM02eO
福島って死ぬ寸前まで東軍についたことを後悔してなかったのか?
改易きまったとき篭城しろと・・・
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 12:47:10 ID:I7g64Dh+
>>99 >>1は豊臣家に対して裏切者だと言ってるわけで
そんな風に言い換えても駄目よ
家臣に対する裏切なんてこの場合関係ない
そもそも秀吉自身が主家を踏み台にして権勢を手に入れている
自業自得。戦国武士に江戸時代を先取りしたような忠義を求めるほうがおかしい
しかし最近妙にID:I7g64Dh+みたいな忠義を漫画っぽく考える奴が多くて困る
無双とかゲームで歴史覚えた奴は歴ゲー板行った方がいいぞ、仲間も多いだろうしww
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 12:55:09 ID:I7g64Dh+
そんな教訓言われてもw
何の因果関係もないのに
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 13:12:39 ID:I7g64Dh+
>>103 はぁ?
何だよそれw
反論したいならちゃんとしろよ
俺は家臣領民に関することは豊臣家に対する裏切行為と無関係だと
言ってるだけだが?
裏切ったことはまぁ良い
問題は裏切った結果が悪い方向に働いたことだろう
戦国期でも裏切りは悪徳とするのなら、二重の意味で駄目だ
家臣つっても重臣の一部のみの話で、
領民はもちろん在地の末端の家臣も同じ土地に留まって
新しい領主に仕えるだけだろ。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 13:24:04 ID:NS+71aab
関ヶ原で徳川についた武将のほとんどがこの戦で勝利すれば家康の天下というのは分かってたんだろ。
アホの福島と加藤ら恩顧武将が気づかなかった単細胞でよかったな
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 13:34:02 ID:lVvEJUpL
つーか、豊臣家の方がよっぽど加藤・福島らが
江戸幕府の世でやっていけるように磁力したのを
強硬姿勢で裏切ったんだと思うが。
福島はともかく加藤は二条城の会見に命をかけたことで
恩義を果たしてるとは思う。
あと豊臣が屈従して江戸幕府の中でうまくやっていけるように
自分たちで努力するしかないだろ。
忠義はともかく、
勝ち馬に乗ったのに負け組
>>110 加藤は勝ち組みだよ
死んだ後のことなんか解しゃしないよ
秀吉にしても家康にしても
福島正則は先見の明が無いバカ の方がいいな、スレタイ
あのド派手で格好いい兜を残しただけで充分な功績です。
正則はロード中に連打してるタイプ
なんか凄いのがいるな?
江戸期の忠義を戦国期に求めるなって
釣りか?
秀吉生存時に豊臣の重臣として屈伏と忠誠を求めたんだろう?
武断派として強行に。
大阪の陣においては主君秀頼に大砲打ち込まれていた訳だな
秀吉の遺命で秀頼を護れと受けた訳だ。
そして死なせた訳だ。
豊臣家を見殺しにした以上
言訳できない忘恩の輩だ
先代に子飼い武将として世に出て
大大名に取り立てて貰い代が移れば
もう遺命も関係ないし豊臣の家臣ですらないのか
ほんの数十年前に他の大名家に臣従を求めたのにな
大阪の陣の前後問題は豊臣家が馬鹿すぎるだろ
個人としての忠義がわからんとか言ってる奴がいるがそのままの意味だろ
二条の会見で彼らのとった行動は徳川に睨まれるのは覚悟の上、これが報恩じゃなかったら何よ?
身代が肥えて一個人として動けなかった彼らにとっては豊臣と徳川が干戈を交えないようにするのが精一杯じゃない?
加藤・福島が忘恩の輩って言ってる人は両名にどういう行動を期待してたの?
119 :
名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/08(水) 15:52:11 ID:CxAe4m3N
加藤・福島 マンセー
将軍様 マンセー
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 16:11:08 ID:I7g64Dh+
身代が何万石だろうが裏切者は裏切者なわけで
このスレは、全く意味が無い。
秀吉が織田家に対してやった裏切りは許されても、福島・加藤が豊臣家に対してやった裏切りは許されない、とでも言いたいのだろうか。
豊臣家が誕生した理由を考えると、福島・加藤を裏切りと非難出来ないはず。
豊臣秀吉が戦国時代最悪の裏切り者です。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 17:56:42 ID:I7g64Dh+
アンタのレスこそ意味がない
>>118 大阪の陣において徳川が兵を進める時に兵を起こす事を期待してたに
決まってるだろう。関が原の戦いの後に二条会見において豊臣との中を取り持つ?
言ってる意味が解からんが関が原は三成の反乱を豊臣正規軍の東軍が鎮圧した戦いでは
なかったのかな?家康は独立した大名連合軍の大将で一松は家康の臣下ではない。
少なくとも戦の大義名分はそうだっただろう?
だが、なぜ関が原後に東軍が豊臣を滅ぼそうとするのだ?
そちらの仮定に合わせたとしても、わざわざ睨まれる事を二条に為したのは何故だ?
豊臣家を残すためだろう。
大阪の陣において、まさか大阪まで徳川が兵を進めて戦火を交えないと
一松が思ってたとでも言うつもりか?
結果見殺しにして結果主君は亡くなった。
それを精一杯やったとは甘えだ。せめて豊臣家を残す様に動くべきだった。
これを忠義だと言ってる意味が解からない。
>>121 お前の論理はどこかの将軍様と同じだな。
秀吉が裏切ったから福島が裏切るのは批難できないはずって。
因果応報で豊臣家が滅ぶが仕方ないのと、福島が裏切ったのは別。
また豊臣を持ち上げてるのではない。市松の行動を批難してるのだ。
このスレの趣旨に従って批難してる俺と、秀吉の裏切りを持ち込んで
議論をそらしてるのは俺とお前どっちだ?
秀吉の裏切りを批難するスレを立てる事をオススメする。
そしたら俺がそっちでは秀吉も批難してやるよw
秀信は立派な大名になった。
秀頼は殺され、秀信も間接的に殺された。
秀吉が織田家にした事と家康が豊臣家・織田家にした事と一緒ではないよ。
まぁ、それぞれの関係は違うけどさ。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 18:01:43 ID:lVvEJUpL
>>107 徳川方として出陣すれば花見のような戦いでほとんど死なないが
豊臣方として出陣すれば極めて死傷率が高くなるうえ、
戦後の落ち武者狩りを食らうだろう。
実際、その追求は厳しく、大阪の陣から五年くらいは
豊臣についた将士の追求は続けられた。
>>124 家康の口添えで右大臣にまでなってんじゃん>秀頼
デブの引きこもりで城で蒲鉾食ってるだけの秀頼には十分だろ
>>123 実際、関ヶ原以後も豊臣はそれなりの権威を有して残ってるじゃないか
豊臣恩顧の連中はそれでよしと思ったんじゃないか?
大坂の陣で挙兵しろとは無茶を言うなよ
そんなの本人は忠義を尽くしたって満足だろうが、上に立つものとして取れる選択じゃない
「せめて豊臣を残すように動くべきだった」には同意だけどそんなことは可能かな?
家康の提示した条件を全て飲んで大坂退去するように勧めなさいってことか?
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 18:38:50 ID:I7g64Dh+
「それでよし」と勝手に思ったからってそれが何だよ?
裏切は裏切です
>>128 ずっと同じようなレスしてるけど、あんたがそう思う理由を聞かせろよ
だから豊臣と徳川間が平穏であれと二条の会見でも動いてるだろ?
俺の意見が正しいとは言わんがそれぞれの意見を論議するスレだろ
反対ならそっちの意見も聞かせてくれ
ただの煽りだろうけどな
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 18:57:56 ID:I7g64Dh+
理由も何も豊臣家に呼応して挙兵しなかったんだから裏切じゃないか
「家臣領民のため」だの「存続させりゃいいと思った」だのは
加藤福島の事情であって裏切行為を否定するものじゃない
こんな簡単なことも分からんのか?
>>127 上に立つ者として取れる選択ではないというが
主家存亡の危機に救援に駆けつけない理由には弱くないか?
現代的な感覚での人の命は地球より重い、かな?
家臣にしても武士はニュアンスは異なれど職業軍人であり戦場にて滅ぶ覚悟を
持って重要なのは福島家に自ら好き好んで仕官した連中だろう。
主家の存亡に軍を起こす事に誰が批判する?
上のレスでも家臣は親豊臣で戦意は高かったとあるぞ。
忠誠の対象は国土ではなく、この場合は主たる正則。
更にその主家たる豊臣家に向けられるものだと言っている。
自身が滅ぶ可能性がある時にはその選択はできないとは
豊臣政権下の重臣であり係わり合いのなかった他家に臣従を求めるという屈辱を
与えた本人が言えた義理か?
豊臣家から見たら49万石の戦力を保持し動かさなかった正則は裏切り行為に等しく
後世から見ても批難されて当然であろう。
関が原後、豊臣家がある程度の権威を残し存続すればいいと
正則が思ったとしても主家たる秀頼の意見が否定するのなら従うなり
妥協を求めつつも徳川を牽制する行動を取るなりできただろう
安芸49万石の大大名だぞ。
君の論によれば上に立つ者として家臣や国土の民を鑑み
結果見殺しにして主家が滅んだ。
これは否定のできない事実であり忠誠の対象たる主家から見れば
明らかな裏切り行為だ。
訂正
職業軍人であり戦場にて滅ぶ覚悟を持って重要なのは ×
職業軍人であり戦場にて滅ぶ覚悟を持って仕官してきている。重要なのは ○
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 19:07:05 ID:I7g64Dh+
>>131 同意
立派な理由がありゃ裏切りじゃないと思ってる人はおかしい
議論が噛み合ってないな
>>127は領民や家臣への大名としての責任には
裏切ってないと言っていて
糾弾派は豊臣家からしたら裏切りと言ってる。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 19:13:19 ID:I7g64Dh+
>>134 いやそれが本来の主旨ですよ>豊臣家からしたら裏切
>>127が勝手に関係ないこと言ってるだけで
>>134 なんだそれw
言っておくが大名としての責任も豊臣恩顧として立身出世した正則には
主家及び自国・友好国の安全保障も重要な役割で求められていたぞ。
そしていわずもなか彼は武断派として槍働きに重きをおかれた武将。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 19:18:42 ID:SDxL3imq
裏切り者の正則と清正は最低だよな。
汚物そのものだ。吐き気がする。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 19:20:51 ID:I7g64Dh+
福島は死ぬ間際三成のことを思ったかしら
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 19:22:29 ID:hLMWudOc
つうか池田・黒田・浅野あたりはいいのかYO?
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 19:24:00 ID:I7g64Dh+
良くはないけどあの二人の方が酷い
>>136 俺に言われても困る
議論が噛み合ってないように見えたので
そういった迄だ。
意見には同意してるよ。
>>139 スレタイ見ろ
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 19:32:31 ID:I7g64Dh+
全然無関係の事を持ち出されたら噛み合うわけないよな
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 19:33:58 ID:SDxL3imq
正則と清正はチョン
>>131 確かに君の言うとおりには違いないと思う
福島ら恩顧武将が最終的にわが身可愛さを取ったのは否定できない
ただ前田らへんと比べて同じ裏切り者ってのには抵抗がある
ちいさな裏切りも大きな裏切りも裏切りは裏切りって言われればそらそうだろうけど
俺の意見としては自家が潰されないギリギリのとこまでは豊臣に忠だったと思う
そんなのは意味ないとは俺は思わないわけで・・・
加藤も福島もさして好きでないのに何を必死になってるんだろう、俺・・・
>>145 そちらの意見の気持ちは痛いほど解かるが多感な頃に新世代武将である
福島加藤の秀吉旗下の双璧二人に惚れて詳しく調べる内に落胆して
好きだった分落胆してなw
期待していた分だけあって強烈なアンチとなってしまったんだ。
魅力的な武将ではあるんだがね。大阪の陣から最後までがあまりにも。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 19:49:20 ID:I7g64Dh+
東西和睦か
ID:I7g64Dh+はなんなんだ、一体www
つまんねースレ
批判てなにがおもろいのかね。
正則と清正は豊臣家がかつての豊臣政権下での織田家のように一大名として存続するのを望んでたんだろ。
どうせ三成が関ヶ原で勝っても、群雄割拠で豊臣政権は維持できないだろうしさ。
>>146 どうも江戸時代の忠義観を持ち込んでいるようだけど、
この時代は甲斐性のある人に忠義を尽くす時代であって、無条件に主君に忠義を尽くす時代ではない。
後世の価値観を持ち込むのは無粋にも程がある。
この時代に家臣が主君のために命を懸けるのは、
・自分の既得権益を守るため
・自分が死んでも一族を取り立ててくれる事を期待して
・或いはもう行き場が無い、窮鼠となってしまった為
など。
真田らが大坂方で壮絶な死に様を魅せたのは、豊臣への報恩ではなく、
もう行き場がなく、死に場所と定めていたから。
御輿は豊臣ではなくても良かっただろうよ。
福島・加藤らは豊臣恩顧としては褒められた態度でないのは確かだが、
家臣への忠誠を求める為には、家臣の利益になることを選ばねばならない身分だよ。
逆に言えば、豊臣家が両者に対して忠誠を求めるのならば、
その甲斐性を示さねばならない。
最低かは別として裏切りは裏切りだな
ま、それがどうした?裏切って何が悪いんだ?
一族だろう大恩あろうがそんなの知るかとしか思わないが。
でもこいつらが忠臣面してるのはムカツクわな
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:19:40 ID:NS+71aab
加藤嘉明って大阪夏の陣の時には豊臣攻めに参加してるけどこいつは何様よ。
豊臣政権の中枢大坂城攻めによく参加できたよな。秀忠を攻め殺すくらいやってみせろよ
>>154 そんな事言ってたらキリが無い。黒田長政、細川忠興や前田利常だって大坂夏の陣に参加してるよ。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:02:26 ID:VLCi/DqU
裏切り者のカス二人
死後、御家取り潰し
ワロス!
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:07:05 ID:JbJNISWH
加藤嘉明の父親は徳川家に仕えていた武将だから
豊臣家に仕えるほうがおかしいだろ
大阪の陣も喜んで戦ったはずだよw
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:10:25 ID:6iTB5297
加藤福島はゼロから秀吉に取立てられた癖に挙兵しなかったから
責められるのでし
>>1がどの時期を指して二人を裏切り者だと
言ってるのかがよく分からん。
関ヶ原?なら家康と三成の争いであって
豊臣に対しての裏切りにはならないんじゃ?
家康の上杉討伐は豊臣に認められてたんだから
とりあえず名目では東軍が豊臣軍。
西軍に秀頼がついてたんなら裏切りだけど。
関ヶ原後だと福島はともかくw
加藤に関しては二条城の会見に尽力してたりで
裏切りとは違うと思うし。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 01:37:07 ID:qtCXgEm4
しかし何でも現代の企業にたとえてるバカがいておかしいな。
当時の気風では、現代の外資系並みに人が転職(主君変え)
するのが普通なんだから。
家臣の生活守ること考えてるんなら、
少なくとも広島城無断改築なんかしないだろ。
清正は死後だからともかく、正則はダメだろ。
家(雇用)も保障できなかったんだから。
ドラマで(「葵」や「関ヶ原」は除く)、普通三成役を演じるより、
遥かに格下の役者が演じていることから、正則のバカは確定。
現代会社に例えるより、ドラマの役者で判断する方が馬鹿だと思うが
とは言え市松が賢くないってのには同意
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 06:43:44 ID:UwryMmTy
>>160 無断改築で改易の件はほとんど幕府の詐欺なんだが、
「無断改築」と言っても実際は天災で城のある部分が壊れたのを
補修しただけ。
しかも福島は何ヶ月も前から幕府に届けを出したが、
いつまで経っても受理されないので、仕方なく雨漏りしないように
部分補修しただけなんだが。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 07:10:57 ID:hpb5q5Gr
「なんなら、兵でも挙げてもよ」
死の床にある家康に煽られ、枕元で罵倒され、さめざめと泣いた福島正則。
これほど惨めな大名もいない。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 07:25:43 ID:UwryMmTy
関が原で捕縛された石田三成に「自らの欲望で兵を挙げてこのザマか」と
罵りに行ったところ、
逆に「おぬしのような不忠者とは違う」と反論され、
言い返せずに去っていった県もミジメだな。
>>162 本多正信に届け出てたけど正純が聞いてないって言い出して潰されたんだっけ?
同情の余地はあるけどいくらなんでもバカすぎる
自分が徳川にとってどういう存在なのか考えればもう少し慎重になれただろうに・・・
こう見ると秀吉はホントに血縁に恵まれなかったよな
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 09:34:26 ID:6iTB5297
優遇すべき武将を小禄にしちゃったからなぁ
>>165 その正純も改易になるから権力闘争は厳しいね
木下一族は全ての力を秀吉と秀長に注いじゃったんだよ
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 14:20:58 ID:5tDzpow8
福島正則は、太閤死後の家康の早速の誓約破り(大名間の婚姻)の共犯
実は一番速く豊臣家を見限った一人だから、今更という感じがする
この件での前田利家による家康討伐が実現してたら、それでも家康についたんじゃない?
蜂須賀伊達福島だっけか
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 14:28:27 ID:s+CxYDz2
結局、この二人は本当の馬鹿なんだよな。
不義者にして大たわけ。
馬鹿だよなー。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 14:29:39 ID:bI4ANlp+
正則はある時点までは、「家康は年寄りだから、長くないし家康さえ死ねばどうにでもなる」って考えてたのかもしれない。
秀頼が天然痘にかかったときには見舞いに駆け付けるなど不忠の恩知らずの集合体の武闘派の中では、一番忠誠心が残ってたのだと思う。
清正は、豊臣への忠誠も感謝も全くもってなかったんじゃ?仮に大坂の陣のときに生きていても何の役にも立たなかっただろうし、秀頼が討たれても平然としてたんじゃないかな?
関ヶ原後に北政所に「自分が忘恩呼ばわりされても家康に尽くしたのは、家康に豊臣恩顧の大名が貸しを作っておけば秀頼に滅多な事はできないからだ」と正則は述べたという
目論見は思いっきりはずれたわけで、主観としては裏切ったつもりではなく苦肉の策だったのかな
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 15:30:03 ID:wZzleN7x
せめて黒田・細川くらいの知恵があればなぁ・・・
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 16:45:01 ID:VLCi/DqU
裏切り者のカス二人
死後、御家取り潰し
ワロス!
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 17:16:24 ID:6iTB5297
>>173 後付けクセー
そんな深慮遠謀を考えられるほど脳みそなさげ
おまいさんほどではありませんことよ。
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 18:31:50 ID:UwryMmTy
清正は自家も豊臣も存続するように頑張ったが、家康には力及ばず暗殺されてしまった
正則は自家も豊臣も存続するように頑張ったつもりだが、家康の掌の上で踊っていただけだった
糞まみれになりながら精進した老獪家康の前では、清正・正則と言えど障害になり得なかったのだ
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 19:00:10 ID:+HNaDkIs
じゃあ織田家最低の裏切り者リストを出すぞ
羽柴秀吉
前田利家
池田恒興
丹羽長秀
山内一豊
織田有楽斎
堀秀政
蒲生氏郷
こりゃ豊臣も裏切られてもしょうがあるめぇ
山内なんていれる意味あるの?
>>172 全く忠誠も感謝もなかったら二条城で秀頼に付き従うわけ無いと思うけどね。
徳川政権に睨まれるだけで清正には全くメリットが無い行動だし。
せめて豊臣の家名存続くらいは命を懸けてやり遂げようと思ったんじゃないのかなぁ。
自家の存続こそが戦国武将の行動理念であるともいえるな
>>180は挙げてないが柴田にしろ秀吉との覇権争いに敗れただけだからなぁ
上で言われてるとおり江戸期の武士とは倫理観においてまったく別物だから
後世からみりゃ大概裏切り者と言えるかもね
>>180 どうも最近山内を過大評価しているヤシが多いが
わざわざリストに入れるほどの大物じゃねぇって
もともとの主家と兄貴は信長に滅ぼされてたはずだし
はなから日和ってるのは分かりきってる
つーか、光秀入れてやれよw
最低かどうかは知らんが
じゃあ浅野幸長も裏切り者か
前田利家は豊臣に忠義を果たすべく行動し
遺言にもその意思が如実に出ているのだが。
家の存続が義に優先する大名が多いのは事実だが
それをもってその時代の倫理を断定するなんてDQNにもほどがある。
江戸時代の忠義感に毒されてると書いてあるのか?
俺には資料原理主義に毒されてる様に見えるなー
家を残す事を大っぴらに認める事で主家への背信行為に当たたらない?
資料にはなかったから当時存在しなかったと?
人は教育を受けなければ主家への存亡すら意にかいさないのだな。
さすがに知らなかったよ。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 19:50:43 ID:I9JlDR/l
>>184 光秀の場合は複雑な裏がある話であって、別の話
市については、やはり狂人だったんだろう。死ぬまで江戸の町は恐怖し続けたし、
尾張の皆さんも、あの人殺しDQNが大大名として帰ってくるって聞いたときは
卒倒しそうになっただろうね。猪武者の典型wwwのw
戦国時代に2ちゃんねるがあったら
と言うスレを株主優待で立てて見たいわw
誤爆っす
あらあら。(*´∀`)
>>187 卑怯なようだが俺が断定してるのは江戸期・戦国期では倫理観が違うってことだけだぞ
>自家の存続こそが戦国武将の行動理念である「とも」いえるな
>後世からみりゃ大概裏切り者と言える「かも」ね
俺はあくまで
>>180のを受けて言ってるんだが・・・
ただ例えば織田系列の武将達が豊臣傘下にうつって
徳川が立つと今度はその下につくってのは決して少なくない例じゃないか?
俺の意見で恐縮だけど家を残すために強いのに味方するってのは非難されるべきことじゃないと思うんだが
>>186前田利家ほどのヘタレは見たことないです。
利家は日本史上に燦然と輝くヘタレ
世間で律儀者として扱われてるのが理解出来ない。政治的嗅覚は凄いけどな。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 21:40:05 ID:6iTB5297
つうかさ、当時としても裏切りは責められる行為だっただろ
結果的に江戸時代より多かったってだけで
主家が斜陽だからって裏切りが認められてたわけじゃねーよ
>>196 意見は同意だが落ち着け
そしてsageろ。
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 22:06:08 ID:X6g9ifxG
何じゃこの糞スレ。
また三成マンセーの奴らのスレか。
三成ファンは逝ってよし。ホントにしね。
>>199 そのスレの趣旨に従って意見を言うと
自分と同意見の人間がsageてない事を理由に論の中身を見られずに
糾弾派はsageも空気も読めないと議論をまぜっ返される懸念がある為、同陣営から嗜めた
第二に自身の意見や論旨を交えずただ裏切りものだの無能だの煽りをいれるだけの連中がワラワラ湧いて出るスレでありスルーするにしても好ましくない為sage進行にしたい。
第三に長文書くのめんどくさい。
>>196 そら、戦場で敵味方取り違えたとかは非難される行為ではある。
でもそうでない限り褒められる行為ではないが、責められる行為でもない。
主君が主君たる理由は、家臣を養っていけること。
家臣に対して甲斐性を示せない家は衰退してしまうのは当然。
そんな中、甲斐性のない秀頼の事を気に留めていた福島・加藤の忠義は本物だろ。
時代が読めなかっただけで。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 22:59:13 ID:6iTB5297
気に留めるだけで忠義が本物なわけないだろ
衰退するのが当然とかそういう次元の話はスレ違いだ
三戦の福島スレで見かけたんだけどこれは事実なの?
詳しい人、これが小説や妄想かどうかお願い
出来ればソースなんかもあれば助かるんだが
>114 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2005/12/17(土) 09:01:53
>大阪の陣で豊臣家がピンチになったとき江戸で人質になっていた正則は家老に手紙を書いている
>「我らは故太閤から大恩を受けていた、もし正勝(息子)に武将としての資質があるなら決起せよ、俺のことは気にするな豊臣方として戦え」と
>一人の家老は「我らが決起すれば他の大名も立つはず、勝てばいいが、たとえ負けてもその武名は末代まで残る」
>もう一人は「もっともだが、そうなると正勝は父を見捨てることになり子の道に外れる、それにもはや天下は家康殿のもの
>ここは家を守ることに専念すべし」と答え結局この意見が採用された。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 23:48:46 ID:GcAvnp34
加藤、福島らは、三成にくしのあまり、
徳川の天下取りのいくさに関が原が
『転嫁」していったことが読めなかった。
とにかく、三成を除きたかった一心で
徳川に味方したのが、実は徳川の
天下取りに協力したことになった。
しかし、福島正則は、家康が
なかなか清洲城にこない時、
『この戦い、まさか、徳川家康、
天下取りのいくさにするんじや
なかろうな。豊臣家を滅ぼすんじゃ
なかろうな』と黒田長政に一応聞いて
おる。その時、黒田は『そんなことは絶対
ない」と言い切った。だから正則は安心
して関が原に行っただから、石田にもうすこし、
手腕があれば、秘密裏に秀頼郡を関が原の松尾山
山麓に布陣させてたら、おもしろかったろうな。
福島、小早川は全くうごけず、しぶしぶ、東軍を
うらぎったであろうな。そこに毛利秀元が吉川
の横をすり抜けて、徳川に打って出てれば、
案国寺、長束、長宗我部、もなだれをうって
池田らに打ちかかっていたであろう。
これで、家康は負けた。やはり、関が原は
家康の大博打、石田の采配次第で負ける確率
は高かったな。なぜ、半日で決着ついたのか、
いまだ、不思議だな。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 00:01:06 ID:AAvyhq38
福島は何で関が原戦後にあんなにムキになって軍備を増強したか不思議。
普通なら清洲20万石から安芸50万石に栄転して余裕ある統治が出来るはずなんだが、
実際は検地の徹底と高い税率で民を苦しめ
木造長正はじめとして勇将・豪傑を多数召抱え、
広島城に大金を注ぎ込み、
民にとってはかなりの地獄統治を行った。
「故太閤の恩に報いいざというときは豊臣を守るため」の
軍備増強なら少しはカッコイイのだが、
実際はそれも不完全燃焼なままだったしな。
加藤・福島は徳川の天下を認めた上で豊臣を象徴当主として徳川を執権者とする体制を目指していた
ところが三成のアホが勝手に挙兵し西日本の大名などを道ずれにしたため
家康はあっという間に巨大な権力を手に入れ独立できるようになった
さらに淀の電波女が強硬に臣従を拒否したため大阪城に武装浪人が流入してしまい
アルカイダのような危険集団と化してしまったので滅ぼさざるを得なかった
つまり石田と豊臣が加藤・福島・徳川を裏切ったんだよ
司馬のような捏造作家達の暗躍でさも史実と逆に思えるよう世論操作が行われているが
石田と豊臣こそ最低の裏切り者なわけだ
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 00:13:26 ID:mBbKsWIS
何ですかこの馬鹿
釣だろ
一番良いのは加藤福島が徳川に付かないIFだろうけど
それが無理なら関ヶ原が起きずに有力大名が無力化され
徳川に政権奪われる方が関ヶ原で負けた後よりは望みが繋げそうでは有る
>>206 関ヶ原直後は、意外かも知れないが空前の軍拡時代だったりする。
予想外デス
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 00:35:16 ID:0U9SjmBW
江戸時代に残った大名は全員カス
逆臣徳川とその一族、家来ども
東軍についた裏切り者、忘恩の徒
こいつらは言うまでもない
そして西軍についたくせに戦後徳川に頭を下げた変節漢ども
何生き残ってるんだよ
死ぬまで戦え、降伏するな
大坂で篭城して戦え、領国に帰って戦え
焦土と化してでも全滅するまで戦え
真の忠臣は西軍について死んだ者達のみ
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 00:38:33 ID:D7B3jZFQ
加藤清正は、頼宣(紀州)の舅になる訳で、半ば身分は保障されてたんだよね?
二条城で秀頼に付き添ってたのはパフォーマンスだったし、三成を悪人にするために清正の忠臣説は多分に脚色されてたんじゃない?
>>212 じゃあお前もそのカスの子孫じゃねぇかw
天皇家が認めた以上逆臣ではないな。
だが徳川ってそんなにひどいか?むしろ快挙にみえるんだが。
>>204 司馬の小説でそんな文章を見た気がする
資料に基づいた部分なのか、創作なのかは分からない
でも司馬自身はその話の真偽に対して否定的に書いてたような気もするから、
何らかの資料はあるのかもな
幽閉中の正則が息子に豊臣方に付けと言って騒いだという話はたまに聞くんだが、
逆にお家存続のために徳川に媚売ってたとも聞く
まー両方やってた可能性もあるけどね
>>216 つながり悪いな。ちょっと補足
>でも司馬自身はその話の真偽に対して否定的に書いてたような気もするから、
>何らかの資料はあるのかもな
司馬は否定してるっぽいから、司馬自身の創作ではないんじゃないかなって意味ね
講談か何かで使われる創作なのか、文書資料が残ってる話なのかは知りません
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 01:31:28 ID:lehWbQ8W
加藤と福島をいっしょに考えてる時点で話にならん。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 01:38:08 ID:7HWON2C0
豊臣方の最後は取り潰しの連続だから、すごく不完全燃焼な印象が残るな。
宇喜田ぐらい華々しく逝ってくれたならな。
やっぱ、宇喜田って他の大名からは尊敬されてたんだろうな。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 01:39:48 ID:mBbKsWIS
半世紀も孤島で暮らす気持ちってどんなんだろう
島の動物達の王者も悪く無かったのかも。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 02:19:19 ID:mBbKsWIS
西洋の宇喜多ことナポレオン
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 03:03:35 ID:7HWON2C0
やっぱ、戦国好きとしては、宇喜田みたいなのを褒め称えないとな。
宇喜田みたいなのがいたから、戦国時代が盛り上がったのよ。
秀吉のコバンザメでなりあがった奴らとは格が違うよな。
戦国は親兄弟とか親族での様々な物語がキツイよな
>>220 1655年まで生きてるんだから、死ぬほど悪くは無かったんだろうな
83歳って、関ヶ原の大名では一番長生きじゃないのか?
息子より長生きしてるし
ああ、でも天災とか飢饉とか疫病とか多かったとも聞くな
一説には家康死後の赦免を断ったとも言うが、どうなのか
徳川の臣に下るのを拒否したらしいが、本当なら筋金入りの矜持ではある
常人としては子孫のことも考えろといいたいが、当人たちが納得してたなら余計なお世話か
明治までつづいた事を考えれば、忠義心というより貴人のプライドかなという気はするが
秀家はだれよりも秀吉や豊臣に愛着や恩義を感じてたんだろうな。
秀秋の裏切りに一番激怒したのもこの人かも知れない。
ある意味馬鹿な面もあるが、戦国だからこそ爽やかさも感じるな。
寡聞にして
>>225の話は知らないが気持ちのいい話だね
立花宗茂もそうだけどこういう心術の爽やかな人物が特別なんだと思うなあ
だからこそそういう話が美談として残るんじゃないか?
自家を守るために新政権に膝を屈して仕えるのは確かに醜く見えるかも知れないが
それをもって裏切り者呼ばわりあまりに人情を解さない意見だと思う
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 10:05:22 ID:5+Dq25kB
ウッキーは島にいるときに徳川に送られる酒を勝手に飲んでしまったりしたんだろ。
のんびり暮らしたんじゃないのか。
大河ドラマの春日局では、宇喜多家の一族が落魄して遊女になり、若い家光と悲恋の末死ぬという場面があったな
>>227 泳ぐ方じゃない宇喜多スレにもう少し詳しいのが出てた
八郎はアホぼん呼ばわりされることも多いみたいだけど根性はあると思う
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 10:44:25 ID:5iGjWBnC
命を惜しむな、名こそ惜しめ に反すると後世にはこのように
裏切り者として語り継がれる。儒教思想がまだ未浸透のこの時代には
三成や秀家らの方が特別だったと言う方が適切なのかもしれない。
清正や正則が秀吉の親戚で子飼い筆頭という位置で武断派などと
言われるほどに最後のヘタレぶりが引き立ちますな。
結局は欲得にまみれた長いものには巻かれろ主義の魅力の無い人達だよ。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 11:21:34 ID:mBbKsWIS
学研の「立花宗茂」の描写がピッタリ来るよな
良く言えば子供っぽさ、悪く言えば剛毅さに包まれた女々しさ
って感じの
徒党を組んで夜襲をかけるとかホントヘタレだと思う
秀家って結構豪快な人柄にまつわる逸話多いよね。戦国武将としては割に若い方なのに
俺は関ヶ原後で逃亡中の時の矢野五右衛門との逸話も好きだ
落ち武者狩りの猟師が秀家の風格と人柄に魅了されてかくまうって下りとか
矢野は前田家の元家臣だったつながりでかくまったって異説も有るけどさ
つーか、秀家は関ヶ原で敗軍の将になってからの良い逸話が多い
当時の人間にとってもかなり好ましい人柄だったんだろうなという感じがする
戦国時代って権謀術策や損得勘定だけじゃなくて、
結構素朴で素直な感情や動機で人が動くことも多いんだよね
初対面の相手でも、その人に感じ入って自分の立場や利害をうっちゃって行動した人とかも結構いる時代だし
若いときは任侠ものの仁義みたいな価値観で動いてるくせに、
大名になったらそれが出来なくなる人も多いんだけどさ
>>231 後世そうか?徳川の為に命を落した大名がどのくらいる?
むしろ朱子学の大義名分論とかの影響だろう
しかし所詮机上の学問で終わったあたりがどの程度現実に合っていたかを何より雄弁に表しているw
だが、忠義が美徳とされていたのは戦国期でも変わりない。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 18:41:25 ID:AAvyhq38
>>236 その忠義とやらがいくらでも違う方向に解釈可能なのだが、
加藤・福島にしろ関か薔薇以降は徳川家に禄を得ている徳川家の家臣で
豊臣ではなく徳川に忠誠を尽くすのがスジなのだが・・・
>>236 身代が肥え、人が多いほどそういう忠義の家臣を守るのが主人
元主家見捨てて新政権下に加わるのも一概には否定できなくないか?
>>237 ありがとう。
だが一通り見たが3年早ければ〜3年遅かった〜の話から使者を追い返した
話はあったが私が求めた話は見受けられなかったのだが
読み進めばあるのか、それともこう言う事だから存在しないという意味なんかな?
>>241 ならその部分を出してくれ。
お薬飲んで落ち着いてからでいいから無理しないでな
>>ならその部分を出してくれ。
>>お薬飲んで落ち着いてからでいいから無理しないでな
該当するリンク貼ってこういう言われ方するのははじめてだな
最終行がスタート、残りは次ページ以下
>>243 申し訳ない!今までに記述がなかったもので
悪質な騙りかと勝手に判断してしまいました。
読み進めていったら確かにありました。
折角の親切に仇で返して誠に申し訳ない。
まさに俺こそが福島正則でありました。
再三申し訳ない。
吊ってきますorz
反省するだけまだマシだろうな。開き直って「先に言わねえお前が悪いんだよ!」とか言い出したら、ああ・・・福島正則って感じだなぁ・・だけどな。
いやもう本当に言い訳できない。
2chでも有益な知識あって親切な方だったのだが
ここでは騙り・煽りあいが当たり前でも自分で確認する
手間を惜しんだ俺が全面的に悪かった。
6YKYG5Yo本当にすまない。
スレ汚しなんでこれで消える。
るろうに剣心だったかな?
「お前たち維新志士は自分たちの力で明治を作ったと思っているようだが、
俺たち新撰組も敗者と言う形で新時代の構築に命を賭けた」
このセリフで関ヶ原で石田三成が果たした役割は大きいと思えるようになった。
では福島と加藤はどうなんだろうか、と聞かれると
その、困る。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 22:39:33 ID:mBbKsWIS
バカ島バカ藤の裏切りはコトしようがない
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 23:25:11 ID:nP13V7vN
>>225 断ったのは事実らしいよ
大老で同格の徳川に下るのはプライドが許せなかったんじゃないかな
立花宗茂が仕官を求めた田中吉政の家臣を雇用しなかったのは事実なのかな?
石田三成を裏切り徳川に突き出した吉政を許せなかったらしいからね。
なんで吉政が裏切り者よばわりされなきゃならんのだ
田中吉政は柳川の藩主だったからじゃないか?
得てして前の領主と後の領主の仲は悪い物。
単に改易される前の家臣たちを呼び戻してたから、他所のを雇う余裕がなかっ
たからじゃないかと、まあ、宗茂が肥後にいた頃に食料を仕送りしてくれた柳川
領民が吉政に処罰されたって話もあるし、実際嫌ってたのかもしれんが
>>250 dクス
>>251-252 柳川は元々は立花宗茂の領地だし、そこに田中吉政が入って、また宗茂に戻ってるし
何かしら確執あったかもね
柳川には立花に仕えてた人間もいるだろうし、わざわざ改易された田中の家臣を
召抱える必要も無いんじゃないか
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 00:45:18 ID:WwjFE2/X
吉政は裏切り者だろ
正則だて、おどれらよりはお頭ありまっせ。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 04:01:05 ID:11yc+lB7
吉政は大恩ある三成を裏切ってるからね。
吉政が三成から受けた大恩ってなに?
出身が近いこととか旧知の間柄で三成の形見の脇差を受け取ったこととかは知ってるが、
三成から受けた恩というと、何のことか分からないから知りたい
何かエピソードとかあるのかな?
>>257
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 07:02:30 ID:11yc+lB7
彼が取り立てられるように口添えした。
秀次事件で吉政がピンチに陥ったときに便宜を計ってもらい助けてもらった。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 07:09:43 ID:11yc+lB7
三成のバックアップもあり出世したにもかかわらず東軍につき、
戦後に小早川、脇坂らと共に佐和山城を攻めるように命じられた。
それで石田三の父、兄が切腹するかわりに場内のものの命は助ける
という講和条件がまとまりかけた段階で
突如、田中は搦め手から佐和山城に侵攻し、
大混戦となってしまい女子供も含む無駄な死者が何百人も出たという。
これはいつぞやのノブヤボのハントブックに書いてあった。
>>259 ありがとう
いろいろ口ぞえもらってたのか
秀次事件はずっと在国だったから無関係扱いだったのかと思ってた
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 07:20:20 ID:11yc+lB7
だから当初は誰もが田中は関が原の時に西軍に付くと予想され警戒されたが、
意外にも彼は東軍についた。
それでも周りから猛烈に疑われてたので、
関が原では三成を憎む黒田らと一緒になって三成に猛攻をくわえ。
戦後は降将らと共に佐和山攻め、そして三成狩りに必死で努力と
大恩ある三成を攻撃して
家康にコビを売る事しか考えてなかったように思われる。
初めから自分の意思で明確に東軍についたんだから裏切りではなく武略と言うものだろう
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 10:40:01 ID:Vg5dCITm
しかしここでも家康の糞っぷりが凄いよな
福島ほどの功労者をよく潰したよね
寝床での暴言といい、家康と徳川家は本当に糞
つまらないよ、こいつのやることなすこと
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 11:48:57 ID:24an3kSQ
安芸50万石を改易された際、
「これまでの功績を考慮して、川中島に5万石を与える」と言われたらしい。
本当にバカにされてるよな w
その後正則の遺言で、「幕府の下っ端役人に遺体を見せるな」と言い残し、遺体を焼却してしまったので、5万石も取り上げられた。
子孫は旗本として、細々と生活したようだ。
本当に、哀れな一族だよな。
司馬の小説で書かれてた福島像のせいでこいつ嫌いになった。
あと隆慶一朗も、なんかどっちも秀頼一途だけど頭は弱いみたいなキャラ
じゃあなんで大阪の陣であんなへたれた対応しかできなかったんだよって
読んでてむかついた。
小西並みに損得勘定で動く小ざかしいキャラのほうが俺的にはしっくりくる
>>267 小西って息子と家康の養女だか娘との縁談持ちかけられて断った説もある
小西に忠義があったとは思えないが市松みたいに開き直るよりはよほど好感が持てるな
でも小西は関ヶ原で凄まじく頑張っただろ。
あれで商人出身なんだぞ。勇名をはせた部下がいるわけじゃないのにな。
家康が巧いのは、三成や小西のような頭の良いヤツではなく
加藤や福島みたいなバカを操ろうとしたことだろう
そうでなければ絶対に成功しない、まぁもともと石田は家康を嫌っていたけど。
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 15:30:18 ID:11yc+lB7
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:27:22 ID:WwjFE2/X
ホント加藤や福島は馬鹿だね
熊本人もこんなの崇めるのは止めたがいい
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 17:50:40 ID:11yc+lB7
>>268-269 小西は朝鮮の焼くの見事な指揮ぶりからわかるとおり、
商人の出でありながら、巧みな戦術能力を持ってたんだよね。
という当時の商人自体が結構、武闘組織を備えてることも多かったんだが。
斉藤道三とかも商人の出自だし。
>>266 最初は津軽5万石の予定だったが、津軽家が嫌がって運動したため、
川中島に変更になったというだけの話。
あと、福島が幕府の検視の前に火葬されたのは
一説、福島が屈辱のあまり切腹してからだとも言われる。
もしも切腹したのがバレたら幕府の処置が不満だったことになり、
さりらに福島家はピンチに追い詰められてたと思う。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 18:22:29 ID:WwjFE2/X
やく ではなく えき と読みます
朝鮮の役ね
275 :
273:2006/11/11(土) 18:27:22 ID:11yc+lB7
詩ってるけど、簡易ネット機器で書いてるので勘弁してね。
タイプミスが多いのもね。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 18:47:15 ID:UjRy8KlO
>>273 朝鮮の役における小西行長の問題は戦術能力より、期待されていたはずの交渉能力の方では?
講和を当てにして奇襲を喰らうわ、敵の離間工作にはまって清正との対立が激化するわ、ともかく講和してしまえばイイとばかりに秀吉にウソの報告しちまうわ……
正直言って三成といい、行長といい、清正、正則といい、秀吉の子飼いの大名には碌なのがいない。
小西は福島より武功があるような・・・
関ヶ原じゃ主力を肥後に置いてきたのか清正が行長不在なのに苦戦してる
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 22:24:28 ID:WwjFE2/X
福島はともかく加藤は
・仲の悪い薬売りを隣に置かれる嫌がらせを受けた
・朝鮮で酷使されてボロボロにされた
・三成の告げ口を聞いた豊臣はためらうことなく謹慎処分を課した
ここまでされたら加藤の行為なんて裏切りですらない
仮に加藤が大阪城を攻撃しても豊臣は文句を言える立場じゃないな
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 22:55:32 ID:jRkT5wgL
>>280 なんていうか、そこら辺豊臣も詰めが甘いというか対処が杜撰というか
きっちりとした落とし前をつけてないんだよなぁ。まぁ肝心の秀吉が耄碌してたのも
あるんだろうが、これじゃ絶対に抑えが無くなったら爆発するのは誰の目にも明らかなのに。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:39:04 ID:WwjFE2/X
>>280 はあ?
そんなの我慢するのが当然だろガキじゃあるまいし
チクられてキレて逆恨みなんて圧倒的にバカ藤が悪いだろ
裏切りでないだのアホかよ
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 00:46:23 ID:kV3M5QkF
>>282 チクった人物にも問題あり。
三成は友人である小西行長の言い分だけを聞き、秀吉に言上した。
他にも三成は自分の与党ばかりをかばったり取り立てさせたりと、えこの沙汰の多い人物。
豊臣譜代大名たちの内部抗争の激化のほとんどは彼の仕業。
だが、本人にはまったくその自覚が無く、自分を棚に上げて加藤や福島を不忠もの呼ばわり。
少なくとも関が原で家康に天下を取らせたのは彼の功績といってもいいくらい。
間違いなく本物の不忠者は彼だろう。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 01:14:01 ID:7fOM8NRV
それ根拠があるのか?
贔屓だっていう…
どっちにしろ裏切りは裏切りだが
朝鮮役で武断派の所行について実際になかったこともいくつか報告してたというのは
資料等から判断して、まず間違いないだろうとは言われているな。
そもそもあの外征は派閥争いを利用して勢いよく攻めようとしてた側面もあるのだが、
実際はそれが思いっきり裏目に出て、足の引っ張り合いになってしまったというところだろう。
286 :
283:2006/11/12(日) 02:52:08 ID:kV3M5QkF
>>284 本人がどう思っていたかは知らない。
私の印象からすると、本人は「豊臣家の御為に」良かれと思っていたんだと思う。
しかし、自分の友人知人ばかりを引き立てて、同僚の陰口ばかりたたいている人物を見て世間はどう考える?
本人が「豊臣家のための権断者」を自覚すれば自覚するほど、世間的には「えこ贔屓」に見えていく。
本人としては「人物として間違いがないから取り立てたり優遇した」んだろうが、端から見たら「自分の権勢を拡大するためにやっている」というふうに映るだろう。
致命的だったのは、朝鮮陣における目付けの始末。
清正らの訴えで熊谷ら目付けの非違が問われ、御奉行(俗に言う五大老)の会議で熊谷らの処分が決まったとき、執行機関であるはずの三成ら年寄衆(俗に言う五奉行)が処分を保留したこと。
司馬風にいえば「家康の決めたことなんか馬鹿らしくてやってられない」んだろうが、熊谷は三成の縁戚だし、他の目付けも三成の部下。
これじゃ「えこ贔屓」といわれても仕方がない。
彼が「豊臣家の権断者」で「豊臣家の為」を思い「清廉潔癖な能吏」であるなら、裁定期間である御奉行の決定に粛々と従うべきだったし、家康の挑発に乗るべきじゃなかった。
そうすれば三成についていた「えこ贔屓」の評判も消え、清正らが和解することはなかっただろうが、
他の諸将からすれば「三成はいざとなれば自分の縁戚さえ処断する、能吏の鏡」と見える(仲良くなっても何かあってもかばってもらえないことから、仲良くしたいと思う奴は減るだろうが)。
そうすれば家康の権勢が一時的に揚がっても、関が原につながる内部分裂も起きず、豊臣家は何らかの形で残ることもできたかもしれん。
おそらくは三成も清正も正則も「豊臣家のため」を思い「忠義を尽くしていた」「つもり」だったんだろうが、結果が伴わないのは同じ。
家康からしたら、清正や正則よりも三成に感謝したかったかもしれない。
加藤は西にはつかないでしょ。
朝鮮で受けた事を考えれば普通に打倒三成・小西になる。と思う。
彼の場合は家康にのせられてる云々の問題じゃない。
っと言ってみる肥後人。
福島はエピソードなんもしらねーや。
>>280 チクったってwwwwwwwwwwww
お前はリアル清正みたいな思考回路だな
三成はそういう仕事(秀吉に報告する)を任されてるんだから当然だろ?
※最初の朝鮮出兵の撤退時に、三成と加藤清正は激しく対立した。
即時撤兵を考える三成と、交渉を有利に運ぶ為にも最後に戦果を挙げるべきとする清正で口論になった。
清正は戦線を無理に拡大して友軍まで窮地に追い込んでおり、勝手に“豊臣清正”と名乗るなど問題行動もあった。
三成は日本にいる秀吉に“清正が和睦の邪魔をしている”と報告。怒った秀吉は清正を帰国させ謹慎処分にした。
これを逆恨みした清正は「三成を一生許さぬ。たとえ切腹を申し付けられても仲直りなどできぬ」と激怒した。
どう見ても池沼清正の逆ギレです本当にありがとうごさいました
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 04:25:47 ID:kV3M5QkF
>>288 >三成はそういう仕事(秀吉に報告する)を任されてるんだから当然だろ?
実のことを言うと、三成はその種の仕事に向いていない。本人のせいというより、秀吉の人選ミスという気もしないでもない。
家康ならば、こういうときは三成のような才覚走ったような人物(本多正純のような)を使わず、安藤直正や村越茂助のような才覚は無くとも愚直な人物を使っただろう。
案の定三成は才覚を誇るがゆえに「見たままの事実」というより「小西行長の言い分」や「清正の非違の拡大解釈」を報告し、(自覚があったかどうかは不明だが)「清正の言い分」をシャットアウトした。
>即時撤兵を考える三成と、交渉を有利に運ぶ為にも最後に戦果を挙げるべきとする清正で口論になった。
正確には即時撤兵を主張したのは小西行長。でもって彼は即時講和にこだわるあまり明軍に騙し討ちされたり、秀吉にウソの報告をした。
さらには清正が捕虜にした朝鮮王族を無償で返還したのも小西で、その友人である三成はそのこと如くを行長に都合よく秀吉に報告した。
せっかく彼が稼いだ戦果を無駄にされて、清正が怒るのも無理は無いと思うが。
>清正は戦線を無理に拡大して友軍まで窮地に追い込んでおり、勝手に“豊臣清正”と名乗るなど問題行動もあった。
豊臣姓を名乗るのは確かに問題はあるが、戦線を拡大するのは彼に与えられた役割から言えば妥当。
戦略眼が不足していたのは確かだが、即時講和に拘り秀吉にウソの報告を流したり、同僚同士の対立を(本人にその気が無くとも)煽ったり、それだけの危ない橋を渡って講和をしながら、結局は講和自体ご破算にするような政務官もいるからな……
漏れとしてはやはり、清正や正則もそうだが、三成や行長も含む秀吉の子飼連中が駄目な奴にしか思えん。
駄目というよりこの点では資料が整いすぎて人間的な部分が見えてしまうのだな。
>家康ならば、まで読んだ
豚厨の書き込みはイラネ
石田のような存在だった本多正信正純も他武将からは嫌われてた
本多親子が嫌われる理由は親と子で微妙に違う気はする。
一度徳川を離れた身だからね。
元々家康とは懇意だったそうだが重臣等は面白くはないだろうな
ただ役割として汚れ役だったとするのは同意。
>>289 加藤の方がアホだと思うよ。
なんか戦前の軍部を彷彿とさせるね。
裏切り裏切り言ってる奴はどうなれば満足なわけ?
正則は息子に器量あったら立て言ったし
清正は二条城で忠義示して死んだろ
責任は果たしてる
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 10:28:03 ID:7fOM8NRV
>>296 勿論家康に対して挙兵若しくはそれを覚悟して真っ向から詰問だよ
秀頼と会見させたとかそんなショボい事実で
忠義果たしたとか言われてもな
299 :
決定版:2006/11/12(日) 10:52:57 ID:1rQAdRU/
t5t
市松の養子の子供もバカじゃなかったか?
福島家を再興させると言って母親に毒殺されてるし
清正は清正で小西を薬屋とばかにしているが自分もばかにできるほど大層な家柄じゃない
市松だって桶屋の子供だろ
バカではないかもしれないが度量が狭い
日本史板にも同じようなスレたてて
相当清正と正則が憎いんだな
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 11:12:15 ID:7fOM8NRV
出自に対する侮辱など最低である
二条城の会見は徳川の同意の元、若しくは戦争せずに豊臣取り込みたい徳川の要請
という可能性の方が高い気もするが。
>>303 そうだよ。
それに加藤、福島のみならず、
徳川派の浅野幸長や家康の娘婿の池田輝政まで積極的に協力した。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 11:45:19 ID:7fOM8NRV
加藤福島は最低の裏切り者だね
ワロス。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 14:28:33 ID:xyzJhy6E
>>289 何で三成へ責任を押し付ける流れになってんだ?
仮に三成に非があったとしても、
豊臣への忠義より三成への私怨を優先したんだから加藤福島が叩かれるのは当たり前だろ
家康本人が「三成のお陰で天下がとれた。」と言ってるからなあ。
なんとも。
三成がいなければ天下が取れなかったのも確かだろうが、
それより武断派が三成襲撃なんてアホな真似をした事実の方がよっぽど大きいだろう
三成がいなくたって天下とれたんじゃないかな
前田や上杉に行ったように政敵を排除しながら奪った所領を分配すれば諸将は付いてくるだろ
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 16:43:41 ID:WoG1Yoae
>>308 ほんとだよ
それぞれ大名として残ってて失脚してるわけでもないのに
怨み優先してアホみたいに家康に使われただけだからな
>>309 いかにも狸豚らしい発言だな
勝者だからなんとでも言える
秀吉本人が「光秀のおかげで天下取れた」
信長本人が「義元のおかげで天下統一未遂できた」
とは言わないしな
現実は関ヶ原でなかなか裏切ってくれない小早川に
苛立って爪噛んでたのにw
妙にレベルの低いスレですね。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 19:08:49 ID:9/g3yXpj
>>314 なら賢明なあなたがレベルを上げてください
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 20:40:54 ID:drmJJYpV
裏切りかどうかはわからんがマヌケにしか見えない
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 21:12:46 ID:EfpuMatl
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 21:13:53 ID:7fOM8NRV
加藤福島は最低の裏切者だね!
こいつらの何がムカつくって、半端に忠臣面してるとこだな
自分の身が可愛いなら可愛いで、藤堂並に開き直ればいいものを・・・
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 21:41:28 ID:2d1JtMCr
石田三成は ほんとうに{このままでは、豊臣の天下は
家康に奪われる。危ない。自分をここまで、引き立てて
くれた秀吉様のご恩に報いるためにも徳川家康を倒すし
か方法がないと思って、{悲痛の思い出関が原の戦を起した」
だが、秀吉公だったからこそ、大名が心服。大名を統制できたが、
秀吉様が生きていてこそ、自分が働けた。動けた。ことがわからず、
秀吉公亡き後は、自分はもう、何の権力もなくなった。到底、家康に
勝てまい。ということがわからなかった。{勝てる。と思っていたのだ。
しかし、石田は蜂起しなかったら、どうなっていたであろう。
上杉の次はきっと石田が攻められていた。いずれにせよ、豊臣はつぶされていた。
石田の功績は、豊臣が、{徳川といくさをせずにつぶされた。のではなく、
いくさして、つぶされた」このことである。
豊臣を守りたいなら、喧嘩ナンカするな。
頭良いほうがうまくやるしかない。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 22:46:51 ID:7fOM8NRV
確かに三成は加藤福島の馬鹿さ加減を過小評価していたのかもね
まさかここまでガキだとは思わなかったのかも
>>321 政争に敗北=破滅という位抜き差しならない状況にまでしてしまった以上
双方に過失があるとはいえるかもしれないね。
加藤・福島が忠義の臣であるとは決して思わないけれども、
果たして、三成がそうであったのかというと疑問の残るところ。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 00:02:58 ID:Nz84+3LD
なぜ?
gd
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 00:19:00 ID:4dnl1xGm
>>310 禿同
三成を逆恨みして襲撃しようとした清正らは最低。
アホで恩知らずの売家奴だな
>>317 その辺は大河の脚本に文句言っとけよ。
敵として分かりやすくするためか知らないが
加藤と福島をひとまとめにして
福島を朝鮮に行ったことにしたんだろ。
同じように前田派の加藤を徳川邸警護に参加させたり
その辺はいい加減なんだよ。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 00:48:51 ID:4dnl1xGm
加藤・福島らの7バカは、前田利家が死んだ日に三成を襲撃しようとしたんだからね。
何だか前田利家が死ぬのを指折り数えて待ってたみたいでキモイ
こうやって三成を称えて、福島と加藤を罵るのが供養代わりだよな
報われない結末を辿ったわ、後世の人からも空気嫁ない呼ばわりじゃ、どうにも哀しすぎる
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:32:29 ID:PibQIxOz
関ヶ原のあとは家康のガキの城普請までさせられてるんだからな
加藤や福島みたいなアホの末路。いいように利用されて捨てられるだけ
先が読めない人たちってこと。
福島と加藤みたいなバカを使うだけ使って暗殺した家康様GJ!
バカの末路は惨めだなwww
豊臣を救った猛将 福島正則
本来であれば、主君の秀頼も向こう側にいるし、妻子も人質にとられてるから
積極的に西軍に加わらないまでも、豊臣諸将が家康から離れるのが自然だと思う
がなぜそうならなかったか
口火を切ったのは秀吉子飼いの 福島正則
彼が家康側に付くと宣言したのがきっかけで、豊臣系の諸将は雪崩を打つように
東軍に加わることを表明した
大久保彦左衛門 三河物語
下野小山の陣営で窮地に陥った家康 あの時福島正則と池田輝政の二人
が首を横に振っていたら家康はとても西上などできなかっただろう、それでも
輝政の場合は、家康の婿だったから当然いえば当然だが、
正則の忠節は比類がないといっている
正則の徳川家に対する忠節は、豊臣家に対する裏切りにほかならない、
薩摩島図毛家臣の覚書
清洲の福島左衛門大夫という人が心変わりして家康に内通した
山崎や賤ヶ岳あたりの清正のエピソードは感動的だよ。
親代わりの秀吉のために、馬廻の先頭を切って、精強な柴田勝政の備えに
突撃を駈けるところは、本当に美しい。
それから比べると、三成と秀吉の付き合いは、首から上の付き合い
でしかないね。濃密さがまるで違う。
全体の物語の主題は、清正らの「若年の秀吉」に対する「忠義」と
「晩年の秀吉」に対する「恩讐」と「離反」だと言える。
三成は、その途中で結果的に踏みつぶされた「アリん子」みた
いなものだろ。「気が付いたら踏んでいた」ってところか。
三成を貶めたって、清正と正則のクズっぷりは正当化されませんよ?
エピソードワロタw
それなら三成と吉継のエピソードなんてその比ではないくらい感動的だよ
三成がすばらしい人だってことがわかりますよねー
まぁエピソードですけど^^
>>336 三成がすばらしい人って・・・
三成びいきの小説でも読んだのか?
彼が本当の意味で忠臣であったかは結構疑問
後世から見て豊臣のために逆臣家康を討つなんて美化されてるけど
まあ、それでもあの徳川に喧嘩いどんで天下分け目の立役者になったわけだし
加藤福島と比べてさすがに人物は大きいな
疑問疑問と繰り返すが、どう疑問かは一言も言わないのな
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 06:43:11 ID:wyZJPqXc
なら秀吉の天下分目の賤ヶ岳で裏切った金森や前田はお前ら的にどうなんだ?
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 10:45:11 ID:zXmvhSga
秀吉はなんだかんだ言って織田家は残してるし。
豊臣を本気でつぶしにかかるようなやつに忠義を尽くすなんてアホとしか言いようがない。
いや、それは酷すぎる
あの時点で家康が豊臣家根絶まで考えてたと予期できるほうがおかしいでしょ
秀吉は賎ヶ岳の時点で信長の側室まで殺していた
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 10:56:39 ID:zXmvhSga
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 10:59:43 ID:4dnl1xGm
秀吉は、人質になってた織田信孝(信長の三男)の母親を殺したんだよね?
家康は、ある時点までは秀頼を殺さずに済む事を考えてたかもしれない。三成の直系子孫も存続してるし、大谷吉継の息子も生きてた訳だから
まぁ、幼君を主にごり押しして織田家の庇を借りて母屋を則った秀吉に協力したのも
後継に幼君以外に選択肢が無かったことを利用して実権を握った家康に合力したのも実質同じだよね
もし福島正則の逸話(豊臣系大名が家康に恩を売れば秀頼に手は出せないだろうと考えていた)が事実だとすると、積極的共犯というわけでもないんだろうが
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 11:17:05 ID:zXmvhSga
三成の評価とからめても意味ないだろう。三成の忠義の具合は家康が豊臣に対して
ひどい仕打ちをすればするほど過大に評価されて期待値が含まれていく。
比べるとすれば秀吉晩年から死直後あたりでどれだけ豊臣と自家に危機感を持っていたか。
黒田藤堂あたりは予見していたし目的と手段が合致していた。三成も立場は逆だけどそう。
清正正則は朝鮮出陣組で7年のブランクで政局が見えてなかったようだけど、二人だけじゃないし
裏切りと言うよりやはり先見の明の問題だと思う。裏切り裏切らないと考えると小西あたりも
どれだけ先を読んでたのか分からないし。
その主観的動機がどこにあったにせよ、秀吉死後直後から積極的に家康と縁を結ぼうとしていた福島らは自分達なりの公算があったと見るべきだろうね
特に誓紙破り組はかなり踏み込んでいたわけだし
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 17:37:27 ID:bG4b4oaT
賎ヶ岳で秀吉と勝家のどちらにつくのが
織田家に対して忠なの?
三法師を擁してる秀吉の方?
でも秀吉は逆臣だったから、やっぱり勝家の方だよね
だから関ヶ原では三成より家康につくべきだな
秀吉を逆臣とするなら家康も逆臣だがなー
>>349 信長が信忠以外の嗣子を決めていたり実質的な立場が定まっていたならともかく
信雄なのか秀信なのかは周りが判断するしかないでしょ。
少なくとも秀信は立派な大名になった訳で、
秀頼を殺して秀信も間接的に殺した家康とは違うんじゃないかな。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 19:03:10 ID:gIB+z5uJ
つうかスレ違いだし
秀吉が織田家に対してどうだとか関係ないだろ
加藤と福島は最低の裏切者ということには
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 19:04:41 ID:EzAKtIqi
関が原敗戦処理確定後から1614年の間に死亡した、
主な徳川幕府での外様大名
加藤清正
堀尾吉晴
生駒親正
田中吉政
真田昌幸
浅野長政、浅野幸長
池田輝政
前田利長 など
(大河の人は、影響力一番なさそうなので書かなかった)
彼らが例え全員、大阪冬の陣の時に存命であったとしても、
趨勢は変えられなかっただろうな。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 19:07:54 ID:gIB+z5uJ
池田はヘタレ度では加藤福島以下だと思うが
元織田系大名だから最低の裏切者とまでは言えない
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 19:08:42 ID:gIB+z5uJ
訂正
ヘタレ度では加藤福島以上
織田家を尊ばずに寧ろ織田家を踏み台に天下取ってる豊臣政権が短期で崩壊するのは必然かと
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 20:32:16 ID:JnlMhk90
>>344 信孝は清洲会議で織田家の正等な後継者と決まった三法師に
対して反乱を起こしたわけだから殺されても無理はないが。
359 :
358:2006/11/13(月) 20:35:34 ID:JnlMhk90
あと信孝の生母を殺したのは
信孝が人質として差し出したのだから
約束を違えて殺されるのは当然といえば当然だが。
そのための人質だろう。
戦国時代に裏切ってない奴の方が少ないと思う。
汚い手を使ってでもいかに生き残るか、のし上がるか、
それが戦国時代。
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 22:17:30 ID:vDvGZZcO
清洲会議は正しいのか?
ばばばば
>>360 こいつらの場合、のしあがっても生き残ってもいないからw
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 23:06:16 ID:gIB+z5uJ
そういう意味でも加藤福島は最低の裏切者ってわけだね!
秀吉の行動を正当化するなら、
家康及び東軍は勅許を得た上で豊臣公儀から金、兵糧を
下賜されてから出陣した豊臣正規軍だし。
石田及び西軍は内府という宰相が居ない間に挙兵した反乱軍だからなあ。
しかも秀吉は主家の三男を直接攻めて纂奪させたのに
家康は豊臣一門には手をだしてないで、あくまで主家に対しては平和裏に
主家の上位にたった訳で。
↓秀吉厨乙
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 23:59:26 ID:gIB+z5uJ
だから秀吉が織田家に何したかなんて関係ないだろうが
とに馬鹿が
極悪非道の秀吉を裏切って清く正しい家康様につくのが当然、とでも言いたいのかねぇ
そうね
清正が家康より長生きして忠広が壊れてなかったという条件があったら。
たぶん前田家に次ぐ大大名になっていたと思う。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 00:18:52 ID:V36aj3c2
「朝鮮出兵」に関する様々な偏向報告を三成は相当、秀吉に行っていた。
三成自身は良かれと思って、真実を捻じ曲げただけかも知れないが、
事の本質は秀吉を不機嫌にさせたくなかっただけで、三成自身は忠義者でも正義でもなんでもない。
大本営の嘘の戦果発表が、善と信じて疑わない、矮小な官僚大名、それが石田三成。
無論、福島正則はそれ以下のイノシシ大名。
捻じ曲げてねえだろ
清正のアホが勝手に逆恨みしただけだ
____
/ \ /\ キリッ
. / (ー) (ー)\
/ ⌒(__人__)⌒ \ 福島・加藤は裏切り者
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
ノ \
/´ ヽ
| l \
ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、.
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
____
/_ノ ヽ、_\
ミ ミ ミ o゚((●)) ((●))゚o ミ ミ ミ
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\ /⌒)⌒)⌒)
| / / / |r┬-| | (⌒)/ / / // だっておwww
| :::::::::::(⌒) | | | / ゝ :::::::::::/ 三成の泥舟なんか誰も乗りたくないおwww
| ノ | | | \ / ) /
ヽ / `ー'´ ヽ / /
| | l||l 从人 l||l l||l 从人 l||l
ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
最近、このAAをよく見かけるんだけど元ネタ知ってる人いる?
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 01:11:44 ID:2vyxQDxd
半年ROMってろ
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 01:34:27 ID:BG4NjttN
秀吉自体が織田に対して不忠で恩知らずな事したのは否定できない。
しかし清正は己の非を棚にあげ三成を逆恨みして襲撃しようとして主家を崩壊させたことは不快に思う。三成が悪人で、清正は善良で清廉潔白な忠臣だというイメージが幅をきかせてるのがむかつく。
清正は関ケ原後に浅野幸長あてに加増を期待してるような内容の手紙をだしてたとか。腹立たしい
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 01:41:21 ID:dHWDRiY4
何この幻想水滸伝みたいなレスは
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 02:01:45 ID:HlEDfvYO
まあ、裏切りも糞もないわな
豊臣系の過半数は家康に加担してる
80万石も貰って秀頼を後見する立場であった前田ですら裏切ったわけだし
関ヶ原で西軍であった連中も徳川の世になった途端に手のひら返して大坂に攻めかかった
大将であった毛利や首謀者の一人であった上杉でさえね
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 02:17:52 ID:L1n51Cmu
家康が死んだら秀忠にはつかないだろうな
秀頼になびくだろう
忠義面してるのが気に食わない
同意
そこがこの二人が叩かれる所以だろうな
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 03:19:43 ID:BYARDWpv
もし、西軍が勝っていたら切腹もさせて貰えなかったと思ふ・・
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 03:34:54 ID:L1n51Cmu
たしかに福島や加藤は豊臣恩顧だろうけど前田や毛利は元同僚や敵だったんだから別に咎められる必要はないと思うぞ! 秀吉が自分がしたコトを棚に上げて勝手に頼んだだけのコトじゃん!!
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 12:44:48 ID:dHWDRiY4
毛利や上杉は外様だしそれで一時は家の存続をかけて
豊臣家に尽したんだしな
加藤福島より遥かにましだわな
そもそも外様だの譜代だのって考え方自体が江戸期の物なので
それでどうこういうのは違う気がするが
豊臣家に尽くしたってより、家康が嫌だったんじゃないの?
秀吉が死んでからの家康の行動は誰から見ても不快だっただろうし。
即効で屈服した利長は最強のヘタレと金沢から書き込んでみる。
大体豊臣家の奴らは恩着せがましくて、自己中で、世間知らずで、他人を信用しようとしないで、過去の栄光にすがりつていつまでも自分が一番だと勘違いしてるから自滅したんだよ!
自己中で、恩着せがましくて、他人を信用しなかった徳川家が大成したのは
豊臣家と違って世間を知ってたが故ってことか
大坂の陣で豊臣恩顧の大名が秀頼を見捨てたのは当然
大坂城に引きこもって「もっと蒲鉾食べたいブー」とか言ってる豚に尽くす奴なんていないだろ
豊臣清正はないわな
逆に言えば、清正はその時に全盛期の豊家にとって
自分はその程度の存在に過ぎないと思い知ったのかもね。
だから忠義の方向が豊家ではなく秀吉個人に向いたのかも知れない。
つまり、秀頼と豊家は秀吉個人への義理で守りたいとは思っていたが
豊家自体に恩義を感じていたわけではなく、政権としての豊家を自家を犠牲にしてまでも
守り抜かなければならないものとは思ってなかったんじゃないだろうか?
織田厨が定期的に涌くが、
信長自身が斯波氏や本家を裏切り、義昭を追放。
では光秀に殺されて当然で光秀は裏切りものでないということか?
光秀も裏切り者だし、正則も裏切り者、動機なぞは別の話。
そうなるとあえて織田や豊臣や福島・加藤に拘らず裏切る行為自体を教育によって
効率的に悪徳と認識させる事に成功させた徳川”政権”は見事だと思う。
>>394 自分らに都合の悪い集団を裏切り者認定して排除し続ける手腕は本当に見事だと思うよ
ヘドが出るけど
って、加藤福島スレだったな
忘恩の裏切り者は市ね
福島、加藤はけっこう批判の対象になっているが、
浅野幸長は何も言われていないが、史料からも、
彼は福島・加藤とは別ものと認識されているの?
浅野、加藤が二条城へ秀頼についていって、
福島が大阪城で待機していたんだよね?
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 18:20:33 ID:hZ66m1Fi
浅野幸長忠臣説は講談。
浅野領は単に豊臣領の隣なので
家康の指示で秀頼を説得し同行しただけ。
xx
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 18:27:39 ID:hZ66m1Fi
あと秀吉の同輩で遠い親族だった浅野家なんてのは
親父の長政の代ですでに徳川に日和ってるので幸長責めてもしかたない。
幸長にはすでに豊臣など他人であったろう。
秀次失脚での遺恨が残ってたんだろうな
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 18:40:00 ID:hZ66m1Fi
徳川の関東移転で豊臣恩顧大名が多数、旧徳川領に封じられたが、
こんなとこは統治が難しく旧領主の家康の支援を得ないと、
とても支配できない土地だしね。
三河、戸尾と臣はもちろんのこと、
甲斐なんて昔、川尻秀隆が一揆軍に攻め殺されたような土地だ。
浅野をはじめ旧徳川領の大名は皆、家康に「旧領の安定に力を貸してください」と
頭を下げてしまった。
>>400 正則は高野山の秀次を攻めてるしその後に清洲に入ってるから、どうなんだろ?
正則も姉の子を跡取にしてヤッチまったから、秀吉と同じような事をしてるな
関ヶ原の時点で三成に従わなくても不忠とは言い切れないし、
また大坂の陣の時点で豊臣に従えというのは酷というもの。
つまり、加藤福島はそんなに悪いということでもない。
どうでもいいじゃん豊臣なんて
豊臣の子孫が怒るならわかるが
なんで400年後の人間がわざわざ自分を豊臣の立場に置いて
その視点から加藤福島に文句言うの
自分を引き立ててくれた織田から纂奪した政権なのに
その秀吉の政権には忠義を尽くせなんていう建前は反吐がでる。
石田は自分が失脚したから謀反を起こしたら、うまくいきかけた。
だけど最後は実力通りに敗北。お陰で秀頼は地方大名へ転落。
石田の実態は単に徳川の天下取りに協力しました。ってだけ。
福島、加藤は秀吉の真似てうまくやったつもりが失敗。
加藤、福島、石田は三人とも豊臣にお似合いの家臣だろ。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:15:33 ID:YYwbWlPx
>>403 その間何も出来ずにブルってたんだけどな
肝っ玉は三成の5分の1ぐらいじゃないか
>>395 秀吉が邪魔になった秀次を埋めた塚に
悪逆塚と名付けたからな。
もっとも、秀吉の反吐がでる行為に京洛の人間は畜生塚といって
唾棄してるから、悪辣非道の上に間抜けだよな。
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:17:24 ID:5pYR6FQp
大阪城攻めの際に
gkbrしてた福島ワロス!
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:21:07 ID:5pYR6FQp
たとえ潰されても大阪城攻めの時に江戸を脱出して徳川勢にささいな反抗をするなり
家康とどこかしらの局面で刺し違えてたら真田幸村や石田三成級の賛辞を正則は受けてたのにね。
留守番言いつけられて一人でガクブル
こ・・・小物すぎる!!!
ワ ロ ス
>>406 三成が権力欲に取りつかれて自分が見えなくなって
逆噴射してたのといい勝負しゃねえか?
>>409 石田の暴発の為に言い掛かりで潰されてるから
間抜け度はいい勝負しゃねえか
三人とも秀吉にお に あ い
下克上の世の中に忠義も恩顧も関係ないってコトだね!( ̄ε ̄〃)b
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 01:01:07 ID:YYwbWlPx
>>413 だから加藤、福島、石田の三人は豊臣にお似合いなんだろ
三人がかりで自分等のあるじの首をしめた
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 01:28:28 ID:YYwbWlPx
三成は別に首を絞めたわけじゃないだろ
実質関ヶ原が最後のチャンスだったわけだし
加藤福島はなーんも出来んかったヘタレ
確かに、あそこで三成が立とうが立つまいが上杉が挑発に乗った時点で
もう先は見えてるからな。
三成はし方がないにしても豊臣の奉行たちの見通しの甘さだろ
だったら内府ちがいの何とかなんて出さなきゃいいの
豊臣にとっては戦国大名の世代交代の前に家康のかたをつけられなかったのがアウトじゃなかろうか
>>415 関ケ原がなけりゃ徳川四百万石はありえない
少なくとも絶対権力はてにしてないから
国家安康の言い掛かりで潰されることはなかっただろうな
失脚したから謀反ついでに豊臣家も崩壊させました。
馬鹿だろ
三人とも己の欲と保身であるじの命も縮めました!
はいはい空気の読めない三成叩きはもうウンザリですよ
そんなんいいから清正正則叩こうぜ
豊臣自体が謀反で奪ったもんだしな
忠義とかいうなら秀吉にそういえよwwwwwwwww
結局石田も自分の権力のためじゃん
三人ともたたこうぜ
スレ違い
>>422 だから何?
織田が裏切ったから豊臣もおーけーってか?
じゃ豊臣を裏切ってもおーけーってか?
>>419 徳川に次ぐ上杉120万石が家康の采配の元にチリにされると言う事が一旦行われたらもう終わりよ、
諸侯も家康について上杉を潰したと言う経歴が残ってしまう以上、
下手に後になって豊臣にもつきにくくなってしまう、これは関ヶ原と同じ。
後はひよっこども相手に政治で追い詰めて一つ一つ潰していけばいいだけの事。
この時期の最早妖怪の域の大狸の手にかかればもう赤子の手を捻るより簡単。
それを誰が止めてくれると言うのよ。上杉がいたって勝てなかったのに。
>>425 どこが?
あるじの命を縮めました
忠義者です
じゃ同じだぜ
>>427 その追討は豊臣軍ででてるんだが
もうダメったって関ケ原後の強権がいきなり振るえるとでも?
寿命もあるのにな
じわじわやって史実並みの幕府ができたとでも?
無理だな
>>426 >豊臣を裏切ってもおーけーってか?
こっちが聞いてんだよボケ
秀吉自身が不忠者だから仕方無いって流れに持ってってんのはおまえだろ
>>429 本題は史実通りの幕府ができるか否かなのか?
糞徳川のことなんざ、それこそどうでもよいわ
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 02:19:00 ID:f3PhYmnU
つーか織田は天下掌握してないだろ
織田信雄と幼少の秀信で中国四国はじめ天下統一できるとは思えんしな。
それに秀吉と勝家の家臣同士の争いすら止められない織田家は終わってる。
>>430 自業自得だな。だからどうした?
糞豊臣もどうなろうと知らねえな
だから三人は豊臣にお似合いのトリオだろっつってんだが?
豊臣自体が石田と徳川の家臣同士の争いを止めれない時点で終わってるんだろ
何が忠義者ですだよ。権力が欲しかったもの同士がよ
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 02:28:26 ID:YYwbWlPx
>>419 だから関ヶ原で勝てば良かったんだよ
その可能性はあったわけだし
あそこで挙兵しなかったらそれこそなし崩し的にカイライ化されてた
三成の挙兵が家康の狙いだったかも知れないが政略はそこまで
後は合戦次第だった
>>429 関ヶ原だって豊臣軍で出てますが。
上杉を潰す事で何の問題も無くいければ、
次は毛利でもけしかければいいだけ、関ヶ原みたいな賭けをするよりずっと楽なわけだが。
別にじわじわやる必要性も無い。
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 02:30:10 ID:f3PhYmnU
淀殿は秀頼を西軍の依頼に応じて戦場にだしていればその後の運命は180度変わっていたのにな
あそこが豊臣存亡のターニングポイントだよ
>>434 勝っとけばって負けてるんですが
そんなことは事前に分からなかったで許されるなら、
福島加藤も潰されるとは分からなかっただろーな
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 02:33:46 ID:YYwbWlPx
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 02:37:02 ID:YYwbWlPx
>>437 だから勝てる可能性があるのは関ヶ原が最後だったんだよ
結果負けたけどやらない方が良かったとは言えないだろ
加藤福島は潰されるとは思わなかったってもしそうなら
認識が甘い読みが浅い馬鹿なわけで
>>437 清正はともかく、正則は
潰されるのが決定的になってもロクな行動を起こしてないけどな
>>436 で関ケ原で負けて一大名になったようになると
関ケ原なしで関ケ原のように400万石の土地を何年でどうやって得るんだよ
関ケ原がなけりゃむりだな
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 02:44:01 ID:YYwbWlPx
>>438 >>426は
>>422は
>>423のアンカー間違いだな
可能性があった。加藤、福島も家康が勝っても
生き延びる可能性があったと思ったろうな
第一、失脚したから挙兵したんじゃ単に権力回復だな
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 02:53:53 ID:YYwbWlPx
>>443 生き延びる でよしとしてるのがもう裏切りなんだがな
三成は豊家が天下を掌握し続けるために挙兵したわけだし
意識の差は歴然
三成が失脚してから挙兵の準備始めたとでも思ってるのか
まあ、豊臣子飼いにはろくなやつがいねーな
加藤、福島、石田が筆頭衆だな
>>444 で石田は結局言い掛かりで殺されるようにしましたと。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 03:16:11 ID:YYwbWlPx
それは結果論だし
スレ違い
>>441 つーか上杉だけでも120万石、それを直接潰すのは家康だし
家康と前田、伊達辺りで拝領しても徳川家は300万石くらいにはなれる。
他の大名に恩賞が必要だろうが、それを与えるのは豊臣であって家康じゃない。
もう充分日本最大の勢力な上に鍋島や島津、真田など、
関ヶ原で西軍になってしまった連中も本来上杉征伐で家康の元につこうとしていたわけで、
今後も繋がりを作れるだろう。
後はもう十分すぎるほどに内部分裂を起こしてる宇喜多、毛利をゆさぶるだけ。時間も必要ない。
三成の挙兵が正しかったかは知らんが、関ヶ原は所詮歴史上の通過点に過ぎず、
どっちにしろ流れは変わらなかったと言うのが事実かと。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 03:19:30 ID:YYwbWlPx
加藤福島は最低の裏切者
せめて取り潰しにならなければカッコもついたんだが
カッコはつかなかったけど、オチはついたって感じw
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 03:50:37 ID:YYwbWlPx
最低の裏切者にふさわしい末路だね
,-、 ,.-、
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/ ヽ、::::|
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` 、 (_人__丿 、、、 / <ボクも関が原で活躍したかったなぁ〜
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` 、 (_人__丿 、、、 / えへへ・・・♪
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上杉征伐って家康が上杉に出した詰問状の返事に家康が怒った(ふり)のが原因だよね?
でもそれって石田と直江が密談して家康を誘い出す作戦でもあったわけよね!
んでもってそこまで想定していた家康にまんまと乗せられて関ヶ原で敗北して家康を天下人にしちゃったわけだね!
てことは石田と直江が豊臣家に対する一番の裏切り者ってコトじゃない?
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 07:13:36 ID:vxwbK8IU
福島正則の遺骸を速攻で荼毘にふしたのは成功だったろう。
幕府に切腹がバレたら取り潰しどころか福島一族皆殺しかも。
>>456 >石田と直江が密談して家康を誘い出す作戦
それ、講談クラスの憶測に過ぎないから
そなんだw(゚o゚)w
なら石田三成が一番の裏切り者ってコトで!( ̄ε ̄〃)b
福島と片桐且元は、自殺の可能性が高そうだな。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 08:33:20 ID:vxwbK8IU
当時は自殺という事だと都合が悪いので、
病死にするという事があったみたいだね。
やや不自然な急病死の場合、他殺を疑う意見は多いが、
「実は自殺だったが病死にした」という事も多いと思うよ。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 08:43:53 ID:vxwbK8IU
なんか、戦国時代の場合、
失脚とかした人物が「失意のあまり程なくして病死した」
とかいう事がよくあるけど、
ああいうの本当は自殺っぽい。
例えば香川親和とか後継者になれなかったというだけで
失意の病死を遂げるとかとても思えん。
加藤福島石田が豊臣を追い詰めるというか、既に太閤が死んだ瞬間もしくわ
死ぬ前から豊臣は追い詰められてるだろう。朝鮮派兵の出費に秀次一族排斥。最大は後継ぎが幼少。
豊臣の存続自体を話しにしても家臣の三人の行く末とはまた別。直接支指示がだせる太閤が
いない時点で家康にとっての豊臣と同じように大儀名分にしかすぎない。その上で問題なのが
どれだけ家を残す可能性に賭けたか、豊臣保全やその後の天下掌握は2の次。
豊臣に縁が深く家康の信を得られなかったのに徳川に荷担して命運たくした加藤福島の判断ミスは
否めないし、その点石田は戦勝を条件に家の保身に可能性を見出してた。敗戦する
実力のなさは叩けても、可能性の計算を最初の時点で間違えてる加藤福島よしはマシ。
石田がそのあと豊臣をどうかしたとかはまた別の話しだが、家の保全の可能性ない上に
徳川を見ている加藤福島は忠義すら疑われて叩かれてもしょうがない。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 10:38:50 ID:YYwbWlPx
加藤福島は最低の裏切者
やっぱこの手のスレにはIDは必須だな
誰が必死なのかよくわかる
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 10:46:17 ID:YYwbWlPx
必死
まともに反論出来ない奴がとりあえず一矢報いたい時に使う言葉
同じ寝返り組でも藤堂は譜代以上に信頼された
関ヶ原の口実になった上杉は、大坂の陣ではまったく疑われることもなく出陣
寝返るなら徹底しないとね。毒をくらわば皿まで
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 19:20:26 ID:05OoaAOV
加藤清正暗殺説は、まあよくある話だが、
池田輝政→「武蔵」で、柳生が暗殺
浅野長政→「あずみ」で主人公が暗殺
いくらフィクションとは言え、
強引すぎるぞ。
当時の彼らのスタンス無視ですか。
>ID:YYwbWlPxが必死過ぎてワロスw
>>467 そうだな。
家康が生きている間はまだいい。
秀吉に尽くしたように家康に尽くしていることを理解してもらえるから。
しかし家康が死んだらどっちに尽くすんだよ? 豊臣か? 徳川か?
結局、徳川にとっては危険な存在でしかなくなる。
>>473 優秀な政治家の清正と同列なんて光栄です^^
そうかそうかwww
この時代、「後世の歴史家に笑われようぞ」みたいな台詞言った人はいないのかしら?
今現在生きることに必死だからそんな余裕はないんだろうが。
孫子の代まで笑われるとか、子々孫々に語り継ぐとかって感覚はいつ生まれたんだろう?
命を惜しむな名こそ惜しめとかは、ある程度は死後を意識してるわけだし
意識してるのは死後の自分の家の行く末だろう。殉死した家はその功で
重く用いられる。別に後世の名誉のためではない。末代までの〜てのも。
後世の恥辱にならぬようにってのは死後、子孫に不利益が被らないようにという話しだと思うけど。
一所懸命の言葉からも、
所領に命を懸けるのは、所領があれば家が保持できるって事は鎌倉くらいから考えられていたと思うがな。
>>478 後は輪廻転生思想が広く信じられていたこともある
それも現在のようにただ単に生まれ変わるんじゃなく、同じ家に生まれ変わるとされていた
つまり家系が途絶えたらもう生まれ変わることが出来なくなるという事になる
>>480 伊達政宗、朝倉孝景の先祖に同じ名前がいることって、その信仰に大きく関わっているの?
>>481 伊達○宗とか朝倉○景しばりが長く続きすぎてネタがなくなっただけでは
>>482 いや、子孫が続いていますってw
つ、釣りだよな・・・・・・・
9世政宗は伊達家中興の祖と言われる人
17世政宗は元服するときに9世にあやかって名付けただけだろうな
ちなみに、昔読んだ本には
輝宗の嫁が弟の方を次の当主に推していたこともあり、
弟との家督争いが起こりかねない状況だったため
輝宗は政宗に家督を継がせることを内外に示す目的で
伊達家の歴代の中で大物の政宗の名を名乗らせたと書いてあった
連投スマンが、政宗はむしろ神の生れ変りの伝説があり信仰されていた修験者か何かの
生まれ変わりを主張してたと思う
死ぬときもその伝説が残る山に遺体を埋めさたはず
連投すまん
すれ違い
ああ、名前と輪廻転生は関係ないって言いたかったんだが・・・
途中で話がズレたな 悪かった
>>486 小説だとそれ、最上の策で、伊達家中で神様のような存在に持ち上げておいて、
母親自らさらってきて人質にしてしまおうと言う中野宗時と義光のえげつない策だった気がする。
もっとも人の良い輝宗がそれを信じすぎて本当に神様のように扱い過ぎて、
厳重に育ててしまったため、共に勉強仲間として育った小十郎や藤五郎以外、
母親ですら近寄れなくなってしまって頓挫すると言う、なんとも間の抜けた策になってたがw
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 06:12:21 ID:f3xtn3V5
文禄の役の際、幸州山城の戦いで負傷したとされる。朝鮮の役には参加しないで日本国内の安全な場所にいたと
誤解される彼だが、意外にも激戦の真っ直中にいたのである。
(余談だが、武断派とされた福島正則は、文禄の役でも殆ど戦いには参加せず、慶長の役では日本国内にいた)
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 06:13:04 ID:f3xtn3V5
↑三成のこと
福島は切腹したとしか思えない。
そうじゃないと論理的に幕府の検死の死者が来る前に
燃やすなんてバカなことをするわけがない。
死ぬまで皆に迷惑かけた男だなる
そうだなる。
簡易ネット機器で描いてるので
変換ミスや誤字は勘弁してくれ。
これが見にくく打ちにくいんだ・・・
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 12:10:03 ID:SwqVsUu2
それは大変だなる。
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 12:31:32 ID:GdUa5TPt
正則は悪いやつだなる
二条会見の清正は無意味なパフォーマンスにだなる。
<丶`∀´>ニダ?
大河ドラマの影響で三成に思い入れるあまり三成と対立していた虎と市松を
親の仇のごとくけなす痛い連中が集う糞だめはここですか?
誰かのファンになるのはいいんだがそこから他人をこきおろして満足してる
ようじゃなぁ・・・
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 17:08:40 ID:SwqVsUu2
500ゲット!
馬鹿はスルーで
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 18:41:12 ID:5dE2p2Y/
福島や加藤より毛利輝元の方がよっぽどむかつくんだが
西軍の総大将になったんならその優柔不断はやめろ!
2人は裏切り者ではあるだろうけど、
それだけを持って最低の人間というのには反対。
まあ福島はトータルでどうしようもなさそうだけどね。
そもそも、豊臣政権に命をかけて護るだけの価値がないでしょ。
と流れも読まずに言って去る。
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 19:34:45 ID:MfLVAFIM
>>501 吉川が家康と領土安堵の約束をしてたんだよ。毛利は吉川を信じて動かなかったの。
でもいざ戦が終わると家康が吉川との約束を知らん振りしたの。
毛利は家康に領土取られて、吉川は輝元の怒りを買い今の岩国の方にとばされたの。
家康なんてのは平気で約束破る卑しい人間ですからね。
そもそも豊臣を一番裏切ったのは家康ですから。
石田陣が崩壊後、吉川が東軍と合流したのに対し毛利秀元は
東軍と戦いつつ、大阪に引き返したことから見ても毛利内部でも事前に
東軍との手打ちの意思決定は徹底していない。
つまり手打ちは吉川独断の戦術によるものと考えられる。
三成じゃ人が動かないから輝元の名義を借りただけだろう。
実際毛利が弾劾状に名を連ねたから、あれだけ人が集まった。
所詮外様の大名なんだし、それだけでも感謝しないといけない。
人のフンドシは借りてもいいが、それ以上は当てにしちゃいかん。
>>503 >吉川が家康と領土安堵の約束をしてたんだよ。毛利は吉川を信じて動かなかったの。
じゃあ毛利は東軍が勝つと思っていたのか?
東軍が負ければ領土安堵も糞もない
東軍が勝つと思っていたのに西軍の総大将なんてわけわかんねえぞ
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 21:11:25 ID:f3xtn3V5
毛利秀元は西軍に加勢しようしたが吉川広家に妨害された感じ
毛利家は吉川が家康と内通してるの知らないでしょ
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 21:17:17 ID:6TfTvef4
小早川秀秋が怪しいのは、大谷吉継らがそう見ていたが、
吉川広家が怪しいのは、安国寺も秀元らも見抜けなかったか。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 21:20:37 ID:BhEY4Knw
>>503 正確には本多忠勝、榊原康政と領土安堵の約束をしていたが
その書状は巧妙で家康の名前がどこにも載ってなかった。
そのため、戦後、家康は
本多、榊原が家康に無断で所領安堵の
約束をしてただけでわしは知らぬと言い逃れたわけ。
毛利輝元はいろんな意味でお坊ちゃんだから、自分に都合よくしか物事を考えなかったんだろう。
・東軍勝利→吉川広家内通の功で本領安堵
・西軍勝利→西軍総大将の名義を貸しただけで筆頭大老&所領拡大
ただ、東軍が勝とうと西軍が勝とうと毛利は潰されたろうな。所領が大きすぎ、家康にとっても三成にとっても邪魔臭い。
あと、けして何もしなかったわけじゃなく「大坂城内に内通者がいて、輝元が出て行ってしまうと内通者が秀頼をさらい大阪城を乗っ取る」という風説があり彼は動けなかった。
事実、西軍参加諸侯には、小早川、吉川、脇坂の他にも鍋島や蜂須賀のように態度不明なものや戦意に乏しいものが多く、結局寄せ集めに過ぎない状況を見たら、「内通者による大阪城乗っ取り」はリアルに思えたんだろうな。
>>509 その書状っていうのは現物が残ってるの?
伏見城、安濃津城、大津城
九州にだって入ってるし
これで安堵とはちょっと虫が良すぎるぞ
関ケ原後、預かっていた小西の嫡男を処刑したのが毛利だというが本当なんだろうか
外国人神父の書簡には大坂で処刑とあるらしい
三成や秀家の子供は全員助かってるのに毛利がわざわざ処刑するのは理解できないんだよなあ
徳川ならまだしも
>>513 それ、毛利の重臣かつ一族の熊谷(キリシタン)が、棄教命令に従わず、
主君に処刑されたのと関係あるかな?
>>510 毛利一族はちゃんと戦ったぞ。
九州に出兵して大友支援、四国にも出兵。四国の豪族に宛てた手紙も最近発見されてる。
元康、秀包も大津城を攻略して関ヶ原へ向かう途中。
秀元もやる気ありあり、ほぼ毛利全軍が出陣している。
輝元が大坂を動かなかったのは裏切りの噂、風邪、三成の出陣不要との手紙による。
広家や福原の独断でorz、その後はへろへろ。
>>515 いや、家康と内通してた淀が毛利輝元を大坂城に足止めしてたという話。
なんか小説とかドラマのイメージだと福島加藤より黒田の方が裏切り者って感じが
するんだけど・・福島あたりは最低の裏切り者というより最低の馬鹿という印象。
長政に関しては松寿丸の時の恩はさておいて、確信犯的に描かれてるし。
でももしかしたら本当の正則・清正は意外と現実主義者だったのかもしれないね。
にしても譜代と一代の違いがあるとは言え、もし豊臣と徳川の状況が反対だったら
井伊、大久保、本多、榊原その他の諸将達ってここまで秀吉や三成に屈服・調略されたかな?
イメージ的には間違っても「徳川VS徳川」のような逆関が原状態にはならんと思うが。
それを考えるといくら本音が「御家第一」っていっても豊臣恩顧連中・・ちょっと情けないなあ。
豊臣は滅ぶのは必定だったね。
「キレイごと言ってる場合じゃない!」っていう正論はわかるんだけどね。
>>516 テレビでは相変わらず三成と淀のロマンスだが、実は三成と淀は余り親しくなくて、淀は親家康派。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 11:30:40 ID:sRNJb0fu
駿河人質時代から散々隠忍自重をして来てどん底を知ってる
徳川家臣団と
上り調子からしか知らない加藤福島の甘ったれとじゃ意識が違う罠
>>517 長政に関して言えば、裏切り者って言う名称に違和感。
裏切り者って賤ヶ岳の前田利家とかみたいに、忠義者の印象だったのに、
恩を無視し相手へついた〜みたいなイメージあるけど。
長政が忠義者なんてイメージは初めっから無いので、裏切りって言うか処世って感じ。
豊臣はダメそうだから家康につきましたが何か?って感じ。
家康は鳥居を伏見に餌として置いたからな。徳川家臣団はそもそもやる気が違う
裏切りかどうかで言えば東軍についた豊臣恩顧は全員そうだろう。
西軍についた人間は輝元や三成が豊臣残す仮定があるから言いきれないけど。
それでいて福島、加藤が特別に裏切りというならそれは秀吉の急造した大名、
それに縁戚の説もあるからだろうな。黒田・細川なんかは秀吉以前からの言えなんだし
身を守るのは騒然だし、そのあと生き残ってるから正しい判断だったといえる。
福島、加藤は生き残りも失敗してるし忠義持ってる雰囲気だけで豊臣は滅ぶしどっちも駄目。
裏切りって言うのは裏切られた方がどうとるからだから
だったら福島とか加藤なんか大坂城に一切入れなきゃいいさ
>>519 家康が先に死ねば徳川家臣団も一緒だろ、勢力争いは長安事件で表面化している。
正信・正純等が武功派の忠隣等に家康公認で勝利したが家康が死んだ後は正純が
失脚、鉄の結束の三河家臣団なんて嘘だよ。
なんで、「君、君たらずと雖も、臣は臣たらざるべからず」なんて江戸時代になってからの儒学的価値観で語ってるヤツが居るんだ?
当時なら「君、君たらざれば、臣、臣たらず」の思想の方が強かったんじゃないの?
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 18:57:35 ID:sRNJb0fu
そんな思想あったのか?
いつの世も裏切りは恥ずべき行為だと思うが
うわ〜これは見事な無知ですね。
>>519 豊臣家臣団は出自もバラバラ仕える経緯もバラバラ
天下統一、朝鮮出兵、常に外に外に目を向けてないと
中に目を向けたら目障りな奴がウヨウヨしてる職場だもんなw
そりゃ何代も前から家族付き合いのある「家」と比べちゃ分が悪い
まあ、こっちはこっちで排他的になりやすい欠点はあるけどねww
その程度の思想を知らんのなら
中国の易姓革命説なんて完全に理解不能かね?
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 20:13:38 ID:sRNJb0fu
いずれにしても第三者が勝手に言ってることだろ
当の豊臣家が承知してるわけねーし
加藤福島に後ろ暗さがないわけない
うわ〜これは見事な無知ですね。
はいはい馬鹿はスルーで
ちゃんとした事を言える人よろ
つーか、君臣関係を結べば絶対の忠誠を誓わせることが出来ると思ってるヤツが居るからなぁ
当時はそれこそ「君、隙あらば、臣、臣たらず」だろ
戦国時代に江戸時代の思想を求める求める人がよく言うよww
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 21:33:08 ID:sRNJb0fu
求める求める人って言われてもなぁ
リアルタイムで裏切行為を正当化することなんて無理だろ
後世の学者が「あの頃は裏切りが多くてねぇ…
ひょっとするとホニャララなんて思ってたのかも知れませんなぁ」
あくまで豊臣家と加藤福島の問題だからね
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 22:31:51 ID:ZdjzOcvs
>>528 徳川過信団もほめられたもんでもないだろう。
謀反人や旧今川の家臣もいる、家康が家臣を水?かなんかに例えたせりふなんざ
家臣は信用出来ないって言ってるしな。
まあ秀吉よりましなのは仕方ないか。
いやまあ求める×2になったのは俺のミスだ。
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 23:14:26 ID:AvAuliqW
最大の裏切り者は淀、秀頼は秀吉の子ではない
豊臣家崩壊させたのは秀吉自身
秀長が生きていれば‥秀長に子供がいれば‥
秀長こそ真の天下人
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 00:06:14 ID:jpSQjw3S
戦国を終わらせた、徳川三代以前は、下克上の世
何があってもおかしくない。
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 00:55:23 ID:WfUeQVNh
この問題の根幹には、見落としがちだが、
信長公を失った人々の喪失感と不安がある。
そこに思いが至れば、百万石が二百万石になろうが、十万石になろうが、
それは一時的なこと。例えるなら目先の株価変動の如きもの。「田分け」である。
当時は儒学思想なんて無いと考えた場合、もし秀吉がマトモなまま長生きして
徳川滅亡を画策してたら、状況によっては徳川譜代家臣団が(家臣団同士の
対立とか関係なく)純粋に家康見限って攻める可能性有・・って理解でいいの?
自分的には「もう徳川やばいな・・鞍替えすっか!」と言って江戸攻めする忠勝
とかってあり得ない気もするが、想像するとちょっと面白い。
想像だが、地元における代々の主従の関係は尊ばれるけど、
物や切取った土地や金の関係は、状況変化でも非とはされない時代だったのでは・・・。
儒学の考えにも色々あるんだが。。。
元々の礼を重んじる孔子、仁義の孟子、朱子学、陽明学、、、と大きなところでこんな感じ。
孔子は春秋時代の人だから紀元前。「君主が身を慎んでちゃんとして無ければ、下がそれを見ていい加減なことをす
るから国が乱れる」と言っている。
孟子は中国戦国時代の人だからこれも紀元前。仁義を中心にした思想で、「私利私欲に走る君主は臣下から見て敵
も同然」とまで言っている。これが「君、君たらざれば、臣、臣たらず」の思想。
唐代に孟子の復古運動が起こってるから、遣唐使や朱印船貿易を通じて日本に入ってきたんじゃないかな。
メジャーにはなってないけども。
朱熹は宋代の人だから、日本で言えば平安時代から鎌倉時代の人。朱子学は身分の上下なんかに厳しくて、これが、
江戸幕府の吹聴した(官学になってる)「君、君たらずと雖も、臣は臣たらざるべからず」の元になっている。
王陽明は1528年没だから、当時としては最新の考え方で朱子学に真っ向から対立する……まぁ、これは江戸時代に
日本に輸入されて大塩平八郎とか吉田松陰に影響を与えたんだから今この話題では関係ない。
普通に考えると、儒教はある程度輸入されていたけども、よく知られていたのは孔子か孟子の考えたかじゃないかと。
下克上を正当化するのは孟子の考えの敷衍だし。
活発になるのは朱子学の輸入以後だけど。
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:40:22 ID:1WJObp6h
結論:加藤福島は最低の裏切者
加藤福島は行政・戦においては良し。
豊臣への忠誠心もある
ただ家康に利用された馬鹿
裏切った挙句にあの結末じゃなあ
最低の裏切り者という
>>1の評はそんなに外れてないと思う
小早川秀秋はいいタイミングで死んだな。
もし生前に改易されていれば、批判はこの男が負ってたんじゃないかなあ
一番悪いのは木下サルだろ。
裏切ったの主語は「秀吉の大恩を」だよな?もちろんご恩と奉公の原理から言えば
君主に対して臣下は恩があるからだけど、それは戦国のならい織田の没落もそうだけど
そんな理屈の上での恩は契約程度と考えるなら、それでも恩と言えるのはなんだろう。
それはやっぱ小姓から異例の抜擢で大名にされた人間だろう。加藤福島石田も。
他にも前田なんかも秀吉だからこその地位だし恩がある。島津や長宗我部も恩はあるけど
外様の従属だから除外。加藤と福島は他の東軍諸侯とは違うよ。
>>551 島津と長宗我部は恨みこそあれ恩なんかねーべ。
>>552 毛利も徳川も伊達も外様の大名はみぃぃぃぃぃぃぃぃんな恨んでるね凸(`、´X)
>>551 「与えればそれを奪うのも自由」じゃなくて、君主というのは与えたものを守ってやる機能も要求されると思うんだよ。
豊臣政権は臣下を守る機能を失っていたんだから、裏切りとか何とか言う資格はないと思うんだ。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 01:54:30 ID:inIj8603
加藤福島は最低の裏切者だと思うんだ
加藤と福島は人間の屑だね。
大恩ある関白殿下を裏切って
その報いに改易されてやんの
ワ ロ ス !
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 04:45:35 ID:tTqkc/Bl
何を持って裏切りとするのか良く分からんけど?
本人の自覚の問題か?だとしたら大阪の陣の後の福島正則や片桐且元なんかは「豊臣家を裏切った」気持ちでいっぱいだろうが、
加藤清正は関が原の前から「天下の権は家康に移る」「秀頼は徳川政権下で元主家として相応の礼遇を受ける」ことを目標として考えていて、「二条城の会見」である程度目的を達成した直後に死んでいるので、心残りはあろうが「裏切った」という感覚はないだろう。
主家を滅亡させたというなら、石田三成や小西行長も同じ。あいつらがうかつに動かなければ「豊臣政権」は鎌倉幕府における「将軍家」くらいの形で残った可能性が高い。
大名として、部下に対しての責任を負っている以上、加藤清正が秀頼に対してした以上の行為を示すのは難しいし、現に加藤家はそれで潰されている。
誰が一番豊臣家に対して忠義だったかというなら、簡単なんだが。つ古田織部
加藤も福島も江戸期になってからは
徳川に禄を受けたれっきとした徳川家臣であり、
徳川を裏切るほうがよっぽど裏切りなんだが。
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 07:10:14 ID:Kc7DbF5E
>>558 その徳川の禄を受けてるのが忘恩行為なんだがwww
福島は清洲20万石から広島50万石に転封。
加藤は肥後の半分を分け合ってた小西領を武力併合してそれを家康に追認してもらった。
どう見ても恩人は家康だし、徳川家臣だろ。
徳川も豊臣も立てわうとした二条城の会見は間違いではないぞ。
>>557 >「豊臣政権」は鎌倉幕府における「将軍家」くらいの形で残った可能性が高い。
つまりあれ?家康が秀頼を病死させて
関白を皇室から戴き、家康が執権として日本の実質的王様になるという意味か?
五大老とか五奉行とかいう制度が残っても豊臣の血なんか、どこにも残さないという意味だよね。
だったら意味ないじゃんw
北条政子がやったやつだよね。
酒井忠清も同様の手法で江戸幕府の将軍を徳川家から出すのを廃止して
京から皇子を連れてくる算段をしてたようですが。
>>554 まるで近代の国家権力の理論だな。政府だとか警察じゃないんだし、臣下は軍事力を
持って分国の管理警護を司るわけだし、それはすなわち政権の保全を意味する。
権力として中央集権を目指しても軍事力は分散してるわけだし、いざ軍事面での話となれば
それぞれが保全に努める責務はあるし豊臣が守るべきは土地の保証。幼い秀頼になく家康にあった
というのは東軍視点の意見で関ヶ原以前はまだ豊臣ほ保全して土地の保証を得ることもできた。
個々に軍事力があって選択できて、豊臣政権の一翼を担うのにその豊臣がまもってくれないは矛盾する。
>>560 まさにそれは家康の狙い通りじゃないか。結局は豊臣恩顧の西国飛ばしは戦略だし
領地加増はその焦点をぼかすための要素。家康個人に恩はあってもその加増時の名分の根源は
豊臣秀頼。恩があるかどうかで論じるとスレの話しから逸脱すると思うけど。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 11:49:29 ID:inIj8603
>>557 豊臣家を唯一無二の主君として仰がなくなった時点で裏切だろ
本人の自覚ってそんなもん関係あるかよw
加藤清正が勝手に低い目標を定めたならそこから裏切は始まっている
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 12:15:59 ID:NDwYAyeU
豊臣家への忠義をうたっている清正が、関が原後に、
長曽我部家を崩壊させた、あの奸臣久武親直を
召抱えたことが理解できん。
しかも相手は稀代のトラブルメーカーだろ。
自分の家がゴタゴタに巻き込まれるかもしれんし、
危ないやんか。
傍からは理解できない理由で召抱えることもあるんじゃないか。
会ってみたら、意外に気が合ったとか。
>>565 >長曽我部家を崩壊させた、あの奸臣久武親直を召抱えたことが理解できん
二重の意味て未確認な主張
まず加藤が久武を召抱えたのは一説でしかない。
久武が本当に長曽我部家を崩壊させた首班かどうか不明、
本当は兄を殺したのは久武の讒言ではなく盛親自身の意志らしいが。
>>566 そんなこといってるから、いつまでたってもニートなんだよ
>>568 さすがに現役ニートの語るニート話は説得力が違うな
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 21:29:20 ID:iAjl99Vv
>>564 唯一無二の主君ってw
じゃあ、自分が主人だった三成も行長も裏切り者だな。豊臣が主君ならウソの報告をして手前勝手に前線報告作ったり勝手に講和するか?
結論、豊臣家には忠義者は一人もいなかったということで……だから滅んだんだな。
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 21:56:27 ID:inIj8603
>>570 厳密に言えば裏切になるかも知れないが
その行為自体は豊臣の天下のために行われたわけだし
加藤福島とは比較にならない
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:23:20 ID:iAjl99Vv
>>571 そういうのを「五十歩百歩」といわんか?
関が原の時点で清正が「豊臣家を存続」させるために、次代を家康に託したのは妥当。
仮に三成らが勝っても、家康ほどの実力者がいなければ再び戦国に逆戻りする公算が高く、そうでなくても政争の中で秀頼がまともに生きられるとは考えにくい。
その実
>>557における清正の方針は「豊臣家の存続」という点では現実的。いっそ、豊臣家の領地も返上して今川家のように高家になればいっそう安全だったろうが。
ちなみに三成が「豊臣政権の存続」に固執したのは、「豊臣家の存続」よりも、年寄り衆としての自分の権益を回復させるためと考えるほうが妥当じゃないのか?
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:37:02 ID:inIj8603
だから加藤が勝手に目標を低く設定してることが裏切なんだよ
三成はあくまで豊臣の天下という前提で動いていたわけだし
仮に権勢欲があったとしても豊臣家あってのこと
三成の地位が上がったところで豊臣の天下が悪く転ぶかもわからない
それだけで裏切者とは到底言えないだろう
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:38:24 ID:iAjl99Vv
はっきりいって、清正の失敗は「元主家としての相応の礼遇と実力」を保持したままで、徳川政権下に残そうとした事。
始めから領地も返上していれば、家康は意外に無害なものには優しいから、生き残れた公算は高い。
自身は家康の下で大領の主として認められつつも、わざわざ危ない橋を渡ってまで「豊臣政権の存続」に尽くした。
「自分の権益回復を目的にしている」と疑われる三成よりは、忠義に見えるが?
まあ、その本心がどうだったかは本人達にもわかってないだろうが。
正則は……ヘタレだと認める。
家康に従うなら従う、逆らうなら逆らうで旗幟を鮮明にしない。
かといって清正のように明確なヴィジョンがあったとも考えにくい。
徹頭徹尾感情だけで動いて先が見えていない。
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:47:12 ID:iAjl99Vv
>>573 じゃあ、君は主君の維持を勝手に振り回して殺すのは忠義なわけだ。
まあ、秀吉の意志すら捻じ曲げるような事も容認しているわけだから、主君の遺児の命なんざ虫みたいなもんなんだろうが。
ねえ、それって忠義?
人間生きていればいろんな困難があって、そのたびに現実的に処理していれば、「出来る事」と「出来ない事」があり、その時に何を優先させるかということで、その人の価値観手見えてくるもんだと思うが。
私には、三成はないものねだりをしている小僧か、自分の主君の遺児の命より自身の権力欲を優先させているようにしか見えん。
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:54:01 ID:NDwYAyeU
>>574 ということは、織田秀信が関が原までの間は、家が存続できたことが大いにヒントになるのでは?
重臣(木造長政や百々綱家?)
母(信忠妻)
どうなんだろう?
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:05:52 ID:iAjl99Vv
>>576 「主君面をしない」
「領地は十万石程度でそのほとんどを儀礼費に回す」
「江戸に人質として本人かその母親を送る」
って、冬の陣の前に家康が出している条件がまさにそれ。
関が原の直後に伊達政宗も「秀頼の身に何かが起こっては太閤に顔向けできないから、間違いが起こらないよう秀頼は家康の手元で養育し、成人後改めて新しい封土を送ればいい」と言っている。
当時でも物事のわかった人達は「秀頼公は織田中納言に習うべし」と思っていたらしい。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:06:52 ID:inIj8603
>>575 豊臣家の天下の維持の為に秀吉の意思を曲げたから
秀頼の命を軽視してるだなんて無茶苦茶なこというなよ
まるで反対のことじゃないか
だから「出来ないこと」を勝手に決めた時点で裏切りが始まるんだよ
ましてや加藤福島は子飼いなんだし
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:30:44 ID:iAjl99Vv
>>578 >豊臣家の天下の維持の為に秀吉の意思を曲げたから
>秀頼の命を軽視してるだなんて無茶苦茶なこというなよ
>まるで反対のことじゃないか
もし、「豊臣政権」にとって三成が忠義なら、死をとしても秀吉に諫言すべきだった。
それもせずに、秀吉の意思に反して自分の企画を優先させたことで、三成がどういった人物か想像できんか?
彼は「自分の思っている正義だけが全て」「自分の思っている忠義だけが全て」で、それ以外のものは例え秀吉のいうことでも聞く気はなかったんだろう。
>だから「出来ないこと」を勝手に決めた時点で裏切りが始まるんだよ
決めたのは清正でもなければ正則でもない。
社会状況がそうなった以上人為でどうこうできる物じゃない。
そのなかで「何が出来るか」を模索した結果、どうするかは本人の責任。
「秀頼の命を守る」か「秀頼を危険に晒しても政権を維持する」か「いっそ自分の家を守るために全力を尽くす」か。
ちなみに秀吉の死後、政治上の秀吉の代理人は家康だぞ。三成じゃない。家康の指示に従うのは「豊臣政権を重じている以上」仕方のないことだと思うが。
加藤、条件次第では西軍についてたと知ってがっかりだよ。
福島は馬鹿だけど馬鹿だから好き。
裏切ってもそれ以上に活躍すればそれなりの賛辞があったと思うのだが・・・
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 00:07:16 ID:TYuU1TZG
>>581 微妙。
清正ほどに領民に尽くし、主家に尽くし、現実として出来る限りの対処をしてもこうだから。
まあ、清正にしろ三成にしろ、あれこれ言われるだけの事はやっているからこそ名が残っている。
非難も褒められもせず、無視されるよりはなんぼかまし。
583 :
名無しさん:2006/11/21(火) 00:29:38 ID:FdhA9qbL
清正と正則が愚か者だとは認めるが豊臣家は秀頼で終わりだよ
あんな超ボンボンがあの時代にいる事自体無理があるよ
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 00:42:34 ID:N0CFUG3b
福島家の船が難破して八丈島に着いた時に、宇喜多秀家らしき老人に酒を所望されて渡したらしいが、
その話を聞いた福島正則が涙を流して「よくやった」と家来を誉めたそうだ。
秀吉思いの秀家に申し訳ないという謝罪の気持ちから出た涙なのかね?
清正も正則もいっそのこと出奔して牢人してたら
こうまで言われることも無かっただろうに。
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 03:15:34 ID:kMyj8CFd
それが出来ないのがヘタレの加藤福島です
>>586 その後、両家とも取り潰し
大量の家臣・その一族が路頭に迷う
仮にも一国の太守たるものがそんな無責任なことできるかよ
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 06:19:35 ID:kMyj8CFd
ま、最低の裏切者とは無関係だけどね
自ら、阿呆とかウンコだと自分を生涯けなし続けた生きた荒木村重の方が男だね。
彼のように、さっさと出奔してればよかったんだ。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 12:25:35 ID:kMyj8CFd
隠居後は加藤恥垢と福島インキンに改名しろ
確か加藤清正は「大和一国くれるなら西軍につく」と
持ちかけてたんだな。
ついたとしても熊本築城で頭いっぱいだから関ヶ原のときは九州にいるんだろう
福島って、牢人してた後藤又兵衛を召抱えようとはしてたんだね。
ここで又兵衛ゲトしても大阪の陣には参戦しなかったかもしれないけど。
でもなんで黒田長政はあんな陰湿に又兵衛再就職を妨害してたんだろ?
>>594 自分が戦で死にそうなときに傍らで見ていただけだから、如水が自分以上に可愛がったから
とか諸説あるな。ただ実際は、叔父の反逆で一族追放となっていた又兵衛を
再び召し抱えたのは長政だし、家老並の扱いに引き上げたのも彼。
再就職を妨害したのは、黒田軍の内部事情を知り尽くしてしまっている又兵衛を、
他家に仕官させるわけにはいかなかったからと言われている。
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 07:56:46 ID:UvGp+xPJ
>>595 内部事情というか、軍事機密といったほうがわかりやすくないか?
ちなみに後藤基次は黒田家の軍事機密をごっそりと持ったまま、隣藩の細川家に再就職しようとしていたわけで……
現代で言えば、国会議員が中国に内通していたようなもので……アレ、たいした問題じゃないように思えてきたぞ?
黒田長政が変人だったという話しも聞くけどね。
デレツンツンツンツンツンなんだよ。
モーニング「へうげもの」で清正公が大変なことに...
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 01:34:02 ID:O6IzNSFU
AGE
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 02:07:05 ID:YQ13OZmp
福島正則、加藤清正は最低の裏切り者だな
逆に最高の裏切り者って誰だろう?
松永宇喜多?
それとも100万石残した前田利家とか準譜代となった藤堂高虎か
でも家康も一応豊臣家を裏切っているから裏切りの結果得た結果で
考えるなら家康が一番か
家康は別に豊家に何の恩も所縁もなく、ただ敵わないから一時的に臣従してただけってイメージで
あんま裏切り者のイメージはないな
藤堂もどっちかっていうと主君が滅亡したり断絶したりで仕方なくふらついてたって印象の方が強い
それならまだ織田を裏切った秀吉の方が裏切り者度が高いと思うが
これも本能寺ありきなのでそれほど強い印象は残らないなあ
結果ぬきのイメージのみでの最高の裏切り者なら圧倒的に松永弾正
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 03:50:43 ID:gkjVeFuC
>最高の裏切り者
「何に」という部分が問題だな。
清正の場合「豊臣政権の存続」を捨てて家康に走った、といえばその通りだが「豊臣の血筋を守ろうとした」というなら、出来る限りのことはしているし、彼の死後のことまで攻めるのは酷だろう。
逆に三成は「豊臣政権の延命」を図ったことは評価できるが、豊臣政権の抱えていた諸問題に根本的な解決手段を持ってなかったし、「主君の遺児を危険にさらす」という自覚というか、意識がまるでなかった。
家康の場合、「豊臣政権を裏切って天下を簒奪した」といえばその通りだが、結果的には豊臣政権のみならず日本の代々の政権が抱え込んでいた、政権の脆弱性やそれにまつわる諸問題を解決したのは彼で、「天下の期待」を裏切らなかった。
大体秀吉も織田政権を裏切っているし、信長は「足利政権」を裏切っている。
ようは「裏切ってまで何をしようとしたか」「何をなしえたか」というところだと、私は思う。
藤堂高虎や前田家なんかは、家を存続せしめているから「家臣を裏切ってない」し、松永弾正は諸改革を行って商人職人に仕事のしやすい環境を提示しているから「庶民を裏切ってない」。
むしろありとあらゆる期待を裏切っているのは、今川氏直とか足利義昭だが、血筋を後代に残しているから「血筋を裏切っていない」な。
光秀を見捨てた細川は最低の裏切り者だな
豊家の為に尽した宇喜多は最高の忠臣だな
関ヶ原後の伊奈事件は、自分は徳川の家臣ではなく、
豊臣政権下で同格の存在だというアピールであると思う。
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 10:40:25 ID:4QH+sWHC
>>607 どうだろう?
「秀頼の命を守る」ことに腐心した清正に比べて考えが足りなかったか、現実認識に欠けてたと思う。
だが、少なくとも三成よりは純粋に見える。
豊臣家のために尽くしたというなら、小なりと言えど立派な大名でありながら、冬の陣の時にどう考えても勝ち目のない大坂方に参陣した古田織部だろう。
関が原の時に西軍についた野心家、或いは現実認識に欠けている連中よりは、純粋な忠義を感じるが?
>605
いちいちごもっともなんだけど、そこまで話を広げるときりがないよ。
ならば家康も「世界の期待」を裏切ったって事になっちゃうし。
もともとスレ的には「豊臣政権の存続」に対しての福島らの最低ぶりをコキおろし
カタルシスを得るのがメインとも思うんで、ミクロ視点でOKだと思うよ。
妄想として自分的にはタイムマシンで現代に連れてきた正則に「葵三代」あたり
でも見せて「お前ってご覧の通りの最低馬鹿扱いなんだけどどう思う?」とか
訊ねてみたい。
まあ、斬り殺されない様刀没収しとくけどw。
「世界の期待」って何だ?鎖国のことか?
家康の死後にアンボイナ事件などによって日本に来てまで商売したいのが
オランダだけになってしまったというのが真相なんだが?
「世界の期待」を裏切るというなら19世紀になってロシアやアメリカが来る頃まで待たねばならないぞ
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 13:18:59 ID:SLDXJxGd
まあまあ、とりあえず加藤福島が最低の裏切者なんだからいいじゃない
>>609 >冬の陣の時にどう考えても勝ち目のない大坂方に参陣した古田織部だろう
史実ですか?
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 14:33:56 ID:c4lYu+OM
「世界の期待」というより「キリスト教文化圏の期待」だろ
世界的には、非キリスト教文化圏で高度の文化を発達させた日本はとても貴重な存在
>>609 ん、「参陣した」というのは初耳。
何の本で書いてあった?
関ヶ原が家康の天下取りの行動と見るべきか、
それとも三成が野心剥き出しにしたのかと見るかで違うわけだがな。
どっちの解釈にせよ、勝った側の権威が絶大になるわけで、現実的
な行動をせざるを得ない。福島・加藤から見れば、家康に付かなければ
将来の目が無いと思ったんだろう・・・。
という解釈がなりたつと思うんだが、
ぶっちゃけ藩屏(忘れがちだが秀吉の親族)として九州の中央と東海道の要所を与えられたわけだ。
つまり、武断派の中でも優遇されていた。
普通なら、有事に際して防衛措置をとらにゃならんのだが、個人的経緯やらで
逆に攻め入る側になっちまっている。
そもそも関ヶ原にいたった経緯を考えれば、普通に家康の行動を掣肘する事
考えなければならんのに、結婚までやってるわけだからな。
他の武断派と違って非難の対象になってもおかしくはないわな。
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 15:36:52 ID:mcPilaOV
清正は久しぶりに大坂城に足を運んだ。
秀頼「なぜ徳川の家臣でもないそちが城普請の役目を果たさないといけないのか」
清正「・・・」
秀頼「天下人は徳川殿か?それともこのワシなのかどちらなのだ?ワシにはわからん・・・」
清正「恐れながら、徳川家康殿はさきの戦にて勝利をあげられ征夷大将軍に任ぜられました。そして秀忠殿が継いでおります。
今や全国津々浦々の諸侯までもが屈している状態です。武家政権の中枢に徳川公があるものと思われます。」
秀頼「むむ・・・今や徳川公は故父よりも地位が上なのか?」
清正(苦悩の表情で少し間が空き)「・・・・・・それは私のような無知無学の男には分かりませぬが、
故殿下の御威光にひれ伏していた武士の大半は豊臣そのものに臣従していたわけではございません。
太閤殿下亡き後、徳川公の威力に屈し、今や天下は豊臣には無いものと思われます。」
秀頼「ど、どうすればよいのかのう・・・」
ここで大野治長が割り込む
治長「主計頭殿!上様に言葉が過ぎるではないか!慎みなされ。上様は立派な天下人じゃ。そなたは徳川の回し者か!」
清正「・・・ぬぬ・・・ははー・・・失礼つかまつりました。加藤清正、これにて退出いたします。」
>>609 古田織部は別に忠義秦から大阪についたわけではない。
大阪の豊臣方と自分で徳川軍を挟撃すれば、
徳川を倒すことが出来自分の天下取りもありえると考えたDQN
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 17:08:29 ID:2XyNOBYd
まあ、あれだな。
関が原で福島が中立だったら結果は分からなかっただろうし、大阪の陣で
入城して数年持ちこたえていれば家康も寿命で逝ってたわけだし。
よく「加藤福島は家臣と家族を守るため豊臣につけなかった」とか擁護する
奴もいるけど、まともに考えれば用済みになれば消されることぐらい分かりそうな
もんだけどな。
先の見えないおばかさんとしか言いようがない。
ところで、関が原で清正は三成に「味方してもいい」って書状を送ったって本当?
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 17:20:28 ID:PfxPFLv2
嘘だろ・・・・
>>619 三成から手紙に中央に
一国を貰えれば味方してよいとかいたっぽいね。
利害関係は、朝鮮とか行長関係で色々あったんだけど・・・。
ちなみに福島は実は奉行派との利害関係の衝突は実質ない。
それに他の連中と違って家康に恩があるわけでもない。
福島は単純な好き嫌いで判断したんだろうな。
福島は秀吉の従兄弟で血縁上は一番近くて秀吉に優遇された。
加藤は多少は理由はあるが、福島は・・・。
加藤は関ヶ原の時期、家康からの命令で小西をやったのか?
そうでないなら、裏切った事にならん気がするが
福島はどうしようもないが
裏切り者かどうかはさておき。
両氏が自らの保身だけを考えて兵を動かさなかった
最低の人間だという議論は間違ってるんじゃないかね?
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 18:43:35 ID:mcPilaOV
福島も加藤も豊臣と徳川の会見を取り持つなどがんばったじゃないか
秀頼は危険ですぜ、ダンナ。みたいな。
>>918 詳しく教えてくれませんか?
古田織部は大阪方の武将として幕府軍と戦った史実があるのですか?
随分、視線が先行ってる奴だなw
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 21:27:00 ID:SLDXJxGd
つまりそれまでは教えてやる必要はないってことだ
629 :
おす:2006/11/23(木) 23:14:55 ID:wvMQJ/4u
おっす!
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 00:11:58 ID:VU+4L88u
>>629 よう!
福島正則と加藤清正は最低の裏切り者だと思うんだ!
古田織部に天下取り構想があったなんてのは講談だろう。
実際は兵を出す準備が遅れてまごまごしてたのを咎められ切腹させられただけ。
大阪の陣には全く参加してない。
血つながって優遇されていたからこそ、藩屏としての役割を期待されたわけで
保身を考えちゃいけない身の上だったんだよね。豊臣家の盾なわけで、
それをしなかった以上豊臣家からは裏切り者と見られてもおかしくないわな。
あ、あと無責任な一般大衆からもな。
まあ、関ヶ原の戦いを天下分け目じゃなくて、筆頭大老家康と追い詰められた三成
の私戦と見るかどうかで話が変わるけどな。
>>632 加藤も福島も戦国の男。そんなに単純じゃないよ。
とりあえず家康の力を借りて三成を倒そうとしたんでしょ。
そもそも、外国と戦争状態なのに6歳の子供に天下はまかせられない
ので一時的に家康に覇権が渡っても仕方がないと。
家康の歳を考えれば秀頼が成人するころにはもう死んでるだろうと。
計算違いは家康が長生きしすぎたことと、
淀君があくまで自分たちが「主家」という立場を崩さなかったこと。
>そもそも、外国と戦争状態なのに6歳の子供に天下はまかせられない
そういう事を家臣の分際で考える事自体が不敬。
藩屏として秀吉に期待されてた事は、そんな小賢しい計算じゃなく
理屈抜きに、どんな状況に陥っても命が尽きるまで秀頼を味方し
秀頼を守り抜くことだ。
秀吉も草葉の陰で泣いてたと思うぞ。
秀吉の遺志を最も忠実に守ったのは宇喜多秀家という事で間違いない。
忠誠無比な彼等と比べたら福島やら秀秋など人間を名乗るのも許されないような
腐った奴等だ。
損得勘定やら、その後日本どうたらじゃなくて
豊臣家の天下を簒奪する事を企んでる事が明々白々な家康に噛み付いて
叩き殺されても最後まで忠誠を誓う事こそ、土民から大名に引き上げてくれた
大恩ある秀吉に恩返しする唯一の方法だったのにね。
犬 畜 生 に も 劣 る わ
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 22:23:30 ID:3dqGpX/0
アンタ俺の出来がいい分身じゃないか?
秀吉自身が地獄で信長にボコられてなきゃいいけど。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 22:31:31 ID:BnVfrH6p
秀信を高野山に追放した家康がぼこられてるだろ
>そういう事を家臣の分際で考える事自体が不敬。
江戸時代に徳川が自分の天下の維持の為に都合よく入れた儒教思想って今だに生きてるのね。
忠義者の名誉と所領を得た人:徳川家譜代
裏切り者といわれながらも所領を得た人:藤堂、黒田など
忠義者といわれながらも所領を失った人:宇喜田、大谷など
名誉も所領も失った人:小早川、加藤、福島
元から何も無い人:ぬるぽ
豊臣家からすりゃそうに違いないじゃん
それに鎌倉にも室町にもそれ以前にも忠義は美徳だったろ
江戸幕府が強調していたからと言って恰もそれまで無かったかの様に
言うのはおかしい
結局裏切りの反証にはならんし
そんなもの、本音とたて前に過ぎない。
たて前を貫き通せれば確かに美徳だが、
貫かなくても別にそしられるような事ではない、程度によるけどな。
戦場で敵味方取り違えた、などならともかくな。
結局どっちつかずな福島・加藤らはピエロ。
明確に徳川に乗り換えた黒田・藤堂はリアリスト。
自家の保全が武家の第一目標と考えれば家臣の分際で府警なんて言葉は出てこないんじゃない?
たしかに加藤と福島は秀吉と同じ百姓だったかもしれないけれど大名になった時点で家臣もいるわけで
その家臣たちのほとんどは元々の武家だろ?
その時点で武家の常識で動くに決まってるじゃん。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:37:41 ID:3dqGpX/0
だからそれが豊臣家から見て裏切りなんだよ
朝廷と豊臣の許可を得て徳川が遠征をしようとしたところ
失脚した元奉行がクーデターを起こしました
そこで一致団結してクーデターを鎮圧して首謀者を処刑しました
しかし裏切り者の数が多かったことや豊臣家が冷淡な態度を取ったことに
徳川は心を痛めてしまい思い切って独立しました
すると豊臣は浪人を集め武装を始めました
徳川は15年ほどかけて説得を続けましたが豊臣は聞く耳を持たず篭城を続けたため
豊臣を滅ぼして平和な世の中を築き上げました、めでたしめでたし
日本の平和のためこんなに頑張る徳川に協力しない方が日本そのものに対する裏切りだな
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:39:53 ID:Lu3+GyxX
>>645 だったら羽柴の織田家への裏切りは最低どころじゃないよな?
一説には奴まで身を落とした秀吉を人がましい身分につけてくれた大恩人に対して
あれだけのことをやったんだから。
身から出た錆じゃないの?
福島も加藤も育ての母のねねが東についたから東についたんだよ
家康とねねは仲良かったしね。
清正はちょこちょこ気骨のあるとこ見せてるけど
正則の完璧に徳川の犬。
いや、犬でも三日飼った恩は忘れないというからな
犬以下だ。
旧主を裏切って、必死に徳川に尻尾ふり続けてたのに
必要なくなったらあっさり放り出されてやんのw
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:51:36 ID:3dqGpX/0
>>647 だから何?
としか言えないな
何の因果関係もないし
清正と正則の人生紙風船ビューテホーピーポーのコーナー
正則「こんにちは!わたしは正則です!お元気ですか!?
みなさんに出会えてとってもうれしいです!これからもよろしく!!
ところで私は燃やされました。」
清正「暗殺されました。徳川に。」
正則「わたしはーーなあんでーーこのようなーー♪ つらーいつとめをーーせにゃならぬーー」 ボエーーーーッ
清正「徳川に暗殺されました。」
正則「昼にしおれてー夜になくー 用がすんだらまわれみぎー」 ゴロゴロゴロゴロゴロ
清正「徳川に・・・・」
完
藤堂高虎ってどこ行っても裏切り者扱いされてるけど
長政とか秀長、秀保父子とか仕えてた大名が死んでしまって仕方なく・・・みたいな所もあるんだよな
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 03:44:05 ID:ufwL7UzC
藤堂藩は鳥羽伏見でも裏切り、
「血は争えん」と嘲笑されてる。
豊臣厨は都合が悪いと開き直るらしいな。
豊臣が織田家乗っ取ったことと、豊臣が誰かに裏切られることは関係ないだろ。
それを自業自得だから仕方ないというなら、足利の天下簒奪した織田家が
乗っ取られたのも仕方ないこと。
>>654 主君が没落・病死して家臣もそれに習わなければならないのならば、
大半の武士は裏切り者ですが?
まあ、藤堂藩の変節っぷりは目に余るものがあるのは事実だが。
まあ、藤堂・黒田・細川あたりは上手くやったよな。
こいつらの世渡り術は代々見事。それでいて小早川的イメージも少ない。
これだけの遊泳力があれば関ヶ原で西軍が勝ってても
なんとか生き残ったかもしれん。
なおさら福島のピエロぶりが引き立つな。
秀吉と縁が深いのに江戸幕府下でも生き残れるっていう計算が外れてるのが傷をひろげてるな
豊臣本体が素直に臣従してくれれば恩顧への締め付けも少しは軽減されていただろう
やはり一番悪いのはいつまでも権力にしがみついて空気を読まない豊臣家自身
加藤も福島もとばっちりを受けた被害者
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 12:06:53 ID:gyad3+hR
>>656 足利の天下?
そんなもん何十年も前に壊れて形骸化してたろ(プ
しかも羽柴は織田が足利を諌めたような大義名分になる形でさえなかったんだぜw
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 12:08:11 ID:ufwL7UzC
≫657
江戸300年のフィルターを通すと、赤穂浪士が忠臣になり、
幕末の藤堂、まして関ヶ原大坂役の市松は不忠になる。
昔の女性の結婚年齢を、今の感覚で批判するみたいなもの。
当時、虎・市松は裏切者扱いされてないでしょ。
批判するのは今の感覚じゃない?
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 12:28:26 ID:HRrsa5eA
>>663 このスレの根本に関わる問題でしょ。
於虎と市松が最低の裏切り者ではないって言うことに関することなんだから。
>>664 あーつまり「最低」かどうかについてってことか?
それらと比較しても最低だと思うよ
信長ははなから義昭の面倒みてやってただけだし
秀吉は自らとって代わるだけの才覚と覚悟があった
ぶっちゃけ、浅野、黒田、細川って豊臣恩顧と見られがちだけど、
実は秀吉の締め付けも厳しくて秀吉生前から徳川派なんだよね。(浅野はちょい複雑だが)
疎まれた連中が転身するのはまあわかるが、
福島、加藤は秀吉に可愛がられていて、九州と東海の鎮将としての役割を期待されながら
秀吉死後、とっと徳川と縁組するほどの無節操さ。
そもそも、家康の秀吉死後の各大名に対する懐柔策って露骨で、縁組か豊臣家の土地を
恩賞と称して分け与えるという露骨な代物、福島、加藤ってそのへん全然スルーしているんだよね。
福島、加藤の豊臣政権っていうものに対する軽さが良くわかるな。
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 14:40:01 ID:34JZbQBS
まぁ君らも清正や正則のようなクズと一緒になりたくなければ
恩人のために黙って死ぬことだな
命が惜しいとか家族がとか見苦しいこと言わずにね
>>662 654で藤堂を批判したようだから、
いやいや高虎はマシだよ、主家に殉じるのは悪くないよ、と言っただけだが?
あれ、日本語がおかしいな。
主家に殉じなくても、それは悪いことではないよ、だな。
日本語勉強してから出直してくる
>>667 それじゃ本来の武士はなりたたねーな。
江戸から先の戦争まで有効だった朱子学の成果である国家奴隷の見本みたいじゃん。
ほとんど口先野郎だがw
それとも
>>667はお殿様気分?
別に裏切りを推奨してるわけじゃないが
>>667の言ってることは破綻してる。
皮肉も見分けられないバカがいるのはここですか
>>667 恩人の為に黙って死ぬか
しっかりと裏切るかすればいいんじゃ
福島と(加藤)が最低と言われるのは
主家を裏切って
しかも福島が関ヶ原で西軍についていれば勝てたかもしれないのに
結果として主家の滅亡に手を貸し
挙句に自分の家さえ保つことも出来ず
すべて中途半端だからじゃないか
もし、秀吉が福島・加藤並に無能で
本能寺の変後、毛利や徳川に与して主家の織田家を滅ぼし
仮に毛利政権の大名となって、なおかつ後に改易されたら
最低の裏切り者となっていた。しかし事実は違う。
福島・加藤が最低の裏切り者だと言われる理由がまだ分らないのか?
福島だけはガチに親徳川(ヲイ)なんだけどね。
嫁もらうは、三成追い回すは、小山で最初に立ち上がるは空気読めない位親徳川。
ちなみに、福島は奉行派との軋轢って基本的にないので、純粋に自分の勢力扶植にしか興味なかったわけだ。
そーなると、ある意味三成以上の獅子身中の虫という事になる。
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 16:53:42 ID:ugKoUPvr
秀吉マンセーのスレかアホかw
そもそも秀吉が最悪の裏切り者だろうよ
織田家を乗っ取ったのだから 農民のの分際で
何でそこで秀吉が出てくるんだ?関係ないだろ。
>>673 福島・加藤が最低の裏切り者だと言われる理由がまだ分らないのか?
でもなあ。
福島正則ほど魅力的なキャラもなかなかないじゃん。
葵の蟹江福島にやられてるだけだけどさ。
福島、加藤がいてくれたからこそ、関が原のドラマが今だにこんなに愛されてるんだ。
自分は福島大好きだよ。
たとえて言えば
ある社の社長が死んで、役員同士が派閥争いをした。
その激しい争いに勝って新社長になったのが秀吉。
前社長の息子の秀信の養育もし成人後、名誉職を与え大事にした。
秀吉新社長が社を繁栄させて一部上場も果たし日本一の企業にした。
また無能だけど身内だった加藤や福島などの親戚の子も
それぞれ部長や平取にしてあげた。
社を拡大する途上で吸収合併した岡崎の会社から来た家康副社長は
秀吉社長から可愛がられて重用された。
社長の秀吉が闘病生活に入り、ボンボンの秀頼を
次期社長にするように枕頭で涙を流しながら副社長等に後を託した。
しかし家康副社長は平取クラスの福島等を自分の派閥に組み込み
クーデターを起こした。
旧社長派を一掃して、後に自派閥に組み込んだ犬福島等を
役員から追い落とし、先代の忘れ形見の秀頼をも因縁をふっかけて
打ち殺した。
そういう構図なんだよな。
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 17:19:25 ID:x/xU7m7R
秀信は飾りの名誉職後見人なしで好き勝手された。
秀頼は判断する能力がないので母親が無能だったため名誉職になる機会を逃した。
それだけだろ。
ここのサルまんせーの頭の中を見てみたいもんだ。
また他のたとえでは
孔子が宰相代行した魯国は名目しか残ってない周王朝に礼を尽くした。
これは秀吉が秀信に対して行なった態度と重なる。
一方、項羽は天下を獲るや旧主だった楚の懐王を打ち殺して長子江の魚の餌として。
これは家康が秀頼に対して行なった態度と重なる。
クーデター?
石田課長に利用された直江部長補佐が上杉部長をそそのかして徳川副社長にクーデターを起こした件か?
>>671 「皮肉も見分けられないバカがいるのはここですか」って
悦に入っているバカがいるのはここですか?
でも安心してほしい。
福島よりはマシだから。
当時の実情はこんな感じだと思う。
黒田、細川 ・・・ 反政権。元から家康の立場に近い。
加藤、福島 ・・・ 反政権。秀吉に可愛がられたせいか立場的に中途半端。
秀吉死後は親徳川に傾く。
大谷、浅野 ・・・ 親政権、秀吉死後徳川によるが中枢にいたせいで立場的に
中途半端。秀吉死後も行動も中途半端
上杉、石田 ・・・ 親政権。現状維持組み。
670 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/11/25(土) 16:07:13 ID:x/xU7m7R
>>667 それじゃ本来の武士はなりたたねーな。
江戸から先の戦争まで有効だった朱子学の成果である国家奴隷の見本みたいじゃん。
ほとんど口先野郎だがw
それとも
>>667はお殿様気分?
別に裏切りを推奨してるわけじゃないが
>>667の言ってることは破綻してる。
675 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2006/11/25(土) 16:53:42 ID:ugKoUPvr
秀吉マンセーのスレかアホかw
そもそも秀吉が最悪の裏切り者だろうよ
織田家を乗っ取ったのだから 農民のの分際で
680 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2006/11/25(土) 17:19:25 ID:x/xU7m7R
秀信は飾りの名誉職後見人なしで好き勝手された。
秀頼は判断する能力がないので母親が無能だったため名誉職になる機会を逃した。
それだけだろ。
ここのサルまんせーの頭の中を見てみたいもんだ。
599 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2006/11/25(土) 16:58:21 ID:ugKoUPvr
秀吉が一番嫌い
・農民の出だから
・織田家を実質乗っ取った
・信孝追い詰め自害させる
・貧乏人が天下を取るとろくなことにならない典型
・秀次及び一族処刑
・秀頼の愛着ばかりでアホ
600 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/11/25(土) 17:27:30 ID:x/xU7m7R
>>599 ・信雄の家中を滅茶苦茶にして信雄を丸裸にして追い出した。
・信長の姪を無理やり妾にした。
・唐入りで諸侯が留守なのを言いことに女房狩と称して諸侯の奥方達を連続レイプ。
・自分一人の贅沢三昧と計画性のない無謀な唐入りで上は大名、下は庶民にいたるまで塗炭の苦しみを味わわせた。
ほかにもなんかあったよね。
要するに全部家康が悪いでおk
↑秀吉の間違いね( ̄ε ̄〃)b
つーか、家康が本来ならつかっちゃいけない加増。つまり人事権の行使をしたせいで、
現政権に不満がある諸侯から特に不満のない諸侯まで家康の味方をしたせいだね。
まあ、問題は鎮将としての役割を期待された加藤や福島まで家康と踊ったという点だね。
黒田、細川は元から反政権的、大谷、浅野は政権から干された立場。
つまり、徳川にすりよる理由はあるし、徳川も懐柔した。
加藤や福島は朝鮮の役での恩賞がなかったという甘えじみた理由で鎮将として
役目を放棄して反乱に加担してあわよくば恩賞にありつこうという推測になるんだよね。
加藤が福島より、批判が少なくて済んでるのは
関ヶ原の場所に、たまたま居合わせなくて済んだ事と
大阪城冬の陣前にチャッチャとおっ死んだ事だよね。
もし、大阪城攻めの時に生存してたら清正の後世の評価は
現在より滅茶苦茶落ちてた事は想像に難くない。
本当にベストタイミングで死んだと言えるだろうね。
また、福島は名を挙げる最後のチャンスを逃した。
真田幸村なんて浪人が戦国時代有数の名声を後世に残せたのだから
最後の返り忠で正則が家康に蜂の一撃をお見舞いし
あっけなく叩き落とされて改易でもされてれば攻勢の正則の評価は大きくなり
幸村(信繁)、正則>>>清正 という評価にも十分になりえた。
豊臣厨の火病もひでぇな。
>>690 お前の馬鹿さは際立ってるね
もう逝け
引き際を誤るなよ
細川なんて仕方なく豊臣に従ってただけ
こいつらは家を残すことしか考えてない
晩年の秀吉は秀次殺したり秀秋追い出したり、血縁にやたら酷い態度取ってるから
加藤福島も言うほど可愛がられてたとは思えないんだが。
加藤なんか豊臣朝臣名乗って怒られたぐらいだし、
その程度の血縁ってだけで一緒に心中しなきゃいけないもんなのかな?
すべて秀吉が馬鹿なのさ!(o^ー’)b
>>694 >その程度の血縁ってだけで一緒に心中しなきゃいけないもんなのかな?
それ以前の問題で、普通に政権維持する勢力として家康の勢力扶植に
対抗するべき所を家康におもねって自家の事を考えているというのがおかしいっつー事。
マッチポンプ役やってるようなもんだからな、豊家の忠臣謳っておきながら、
政権の基盤を崩す事やってのけたからな。
主家の豊臣家を裏切って家康に売り飛ばした正則清正は犬畜生以下だ!
顔に「犬」と刺青入れて放逐すべき!
秀吉の政治は80もないな
秀長が優秀だったんだろうな
>>697 それ以前ってことはないだろう。
「豊臣政権を維持するべく動くべき」かどうかについて話してるんだからさ。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 01:10:42 ID:Tv5c+ECt
・加藤福島は豊臣家を存続させるためにがんがったぞ!
天下を掌握していたはずの豊臣家に対する忠誠の証としての行動が
何故そんなに低い目標に基づいているのでしょうか?
もう裏切りは始まっています。
・清正は秀頼と家康の会見に尽力したぞ!
同上。
六条河原で首を討たれる心配もありませんしね。
・加藤福島は家臣領民のためを思って徳川に従ったんだよ!
そうですか。家臣領民思いの良い大名ですね。
しかしそもそもそれは誰のお陰で得たものなのでしょうか?
豊臣家の御恩が無ければ彼等はただの足軽と桶屋です。
それを忘れ主家を蔑ろにして家臣領民の心配なんて
おこがましい限りですし、そもそもそれは個人の事情であって
豊臣家に対する裏切りの事実は何ら変わりありません。
・秀吉だって織田家を裏切って乗っ取ったじゃないか!因果応報だ!
そうですね。歴史は繰り返すと言いますからね。
…えっと、そろそろ本題に入っていいですか?
・忠義なんてものは徳川幕府が垂れ流した儒学思想ニダ!
ではそれ以前の日本には忠義を美徳とする考え方は
無かったのでしょうか?
そんなことはありません。裏切り行為が蔓延していたからと言って
それが是とされていたなんて考え方はナンセンスです。
信号無視をする人がどれだけいようと
いけないことに変わりはないのです。
家康が勢力を扶植している事に、同調する危険さを理解
していないという事から、豊臣政権は磐石という前提の下に
火遊び(マッチポンプ)をしたとみると福島・加藤の行動が理解できる。
つまり、福島・加藤は豊臣政権の維持という視点がすっぱり抜けていた
と見るべきかもしれない。
>>701 >・加藤福島は豊臣家を存続させるためにがんがったぞ!
>天下を掌握していたはずの豊臣家に対する忠誠の証としての行動が
>何故そんなに低い目標に基づいているのでしょうか?
秀吉が秀次をぶっ殺し、朝鮮出兵に失敗し、家康の力も削げなかったから
低い目標になったんだろ
天下を掌握していたはずの豊臣家に対する忠誠の証としての行動が
>何故そんなに低い目標に基づいているのでしょうか?
>もう裏切りは始まっています。
それは既に豊臣家に天下の実権がなかったからでしょう。
盲目に天下天下と叫び、結果として主家を滅ぼすよりも
現実的に可能なレベルでの主家維持を図る方が
よほど忠臣と言えるのではないでしょうか?
そもそも、天下を掌握していたのは豊臣家ではなく
あくまで秀吉個人であったとの見方も出来ます。
>豊臣家の御恩が無ければ彼等はただの足軽と桶屋です。
>それを忘れ主家を蔑ろにして家臣領民の心配なんて
>おこがましい限りですし、そもそもそれは個人の事情であって
>豊臣家に対する裏切りの事実は何ら変わりありません。
加藤福島が受けた恩とは、
家臣もろとも心中しなければならない程のものなのでしょうか?
>>694さんのようなことも考えられますし、
そもそも豊臣家がなくとも自分の才覚で成り上がっていた可能性すらあります。
また、彼らは豊臣政権下で多大なる功を上げており
それによる豊臣政権への貢献を考えれば、彼らの得た恩とは
仕事に対する正当な報酬であり、ある程度の厚情はあったでしょうが
家臣もろともの心中を強いる程のものではないように思えます。
そして、そんな彼らが家や家臣を守りつつ、出来る限りの擁護として
行ったのが、二条城会見や堅牢な熊本城だったと思います。
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 02:01:40 ID:Tv5c+ECt
>>704 まず、結果滅びるとは決まっていませんよ。
彼等が機会を誤らず私怨に拘わらず行動を起こせば
成功した可能性もあると思います。
それから加藤福島の豊臣家に対する御恩は
外様と違い文字通りゼロからのものであり一生かかっても
返し切れるという類のものではないと考えます。
また秀吉の存在無くして二人がこれだけの身代に
成り上がれる可能性は非常に低いと思います。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 02:39:12 ID:/2SpkUWN
ていうかさ、加藤福島を忘恩の徒だ!と罵る事は、
それを見抜けなかった秀吉はものすごい間抜け野郎で、
加藤福島を馬鹿だ!と罵る事は、
そんな馬鹿も懐柔できなかった三成も相当のアホだということになるんだが。
わからん?
秀吉は組織作りに向いていなかったが、個人としての能力も魅力もあった立派な人物で
三成はその心底や客観性に怪しいところはあるが、非常な秀才であったことは間違いない。
同じように、不幸にしてその目的は遂げられなかったものの、加藤も福島も忠誠心に厚い優秀な武将であった。
その時の人々がどういう行動をとるかは、表層でしか物事を観ていた人間がどうこう言えることじゃないと思うが?
少なくとも「裏切り者だ」「馬鹿だ」「アホだ」と罵るのは、罵られている人より罵る人間の人間性の貧しさを感じるが?
誰だって、事情もよく知らん他人に「ニート」だの「ロリコン」だのと言われたか無いだろう?
女子高生と一発やったあとベッドの中で「このロリコン野郎が」とか言われたら嬉しいが。
>>706 このスレの主旨と全く無関係なレスですね。
福島と加藤が結果的に豊臣家を崩壊させてしまった愚将と言うことに変わりはありませんね。
そもそも個人的な私怨で内府殿に協力し兵を挙げた時点でその程度の武将というのは伺えますね。
後世の人間から見れば主家を裏切った恩知らずと言われても仕方ない部分はあるだろ。
まぁ、どうせこんなカス共はどうせ潰される運命になったからいいけどなww
内府殿の天下を脅かす膿(豊臣恩威の連中)は残らず潰さないと厄介だからね(^_^)
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 03:19:39 ID:ZT/Jiax5
まぁ加藤や福島は単細胞だから家康の「秀頼を立てる」という言葉を真に受けてしまったわけで、
徳川が豊臣から天下を奪うことを悟っていれば、勝てそうか負けそうか関係なく石田についてたはず。
城普請で徹底的に金を使わされたあたりで「騙されたか」とやっと気づいたんじゃない?
石田三成や大谷といった同僚を殺したことをかなり後悔したと思うよ。もう遅いけどさ
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 03:31:53 ID:ip+pkb5Y
>徳川が豊臣から天下を奪うことを悟っていれば、
いや悟ってただろ〜。そこまで馬鹿じゃないだろ。
100万石ぐらいで残ればいいとか思ってたそうじゃないか。
秀頼(というか淀がか?)がいつまでも主筋面して下らないから
みんな潰されてしまったんだよ。
三成はともかく、大谷刑部のことなんざ覚えてすらいなかったんじゃないかとオモタ
>>709 福島と加藤は豊臣を潰すだけの力がやっぱあったのかね
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 09:00:24 ID:O7nY0NhC
自分が不利になると「関係ない。」を連呼する豊臣厨さらしage
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 09:38:49 ID:Tv5c+ECt
自分が不利になると「関係ない」ことを連呼する擁護厨晒しage
>>704 >それは既に豊臣家に天下の実権がなかったからでしょう。
あった。あったので家康は秀頼の名の元行動したし、三成も秀頼の名前を使った。
武断派はぶっちゃけ、三成が普段から秀頼の名の元自分たちに不利益な行動をするので、
同じくもっと権威があり、自分たちに近い考えの持ち主の家康と手を組んだわけです。
当然豊臣政権の名の元で。
>加藤福島が受けた恩とは、
>家臣もろとも心中しなければならない程のものなのでしょうか?
積極的に、主家を潰すほど恩を受けていないわけじゃないしね。
家康の工作で、武断派を使った工作がなけりゃ笛吹けど踊らずな
部分があったので武断派の中心の福島・加藤がいなければ半減する。
そもそも、婚姻はご法度なんだが。
>そして、そんな彼らが家や家臣を守りつつ、出来る限りの擁護として
>行ったのが、二条城会見や堅牢な熊本城だったと思います。
それは豊臣家に対する忠誠心で、豊臣政権に対する忠誠心じゃないですよ。
家を保障するのは政権なんですが、家康とかの生粋の大名家とか毛利とか
地盤があるとかの他の出来星大名が、その地域で勢力を維持するのは、
政権の保障がある程度必要。
とくに、この時期は、朝鮮の役が終わったばかりで、
一部の大名(筆頭は家康だけど)を、除いて領地整備は完備されていない。
政権自体が保障するというのは大きいはずなんですが。
そういった意味合いで彼らの行動は、政権の利を享受しながら政権に
抗し続けた。政権に対する忠誠心ってものがないんですよね。
717 :
ワシ:2006/11/26(日) 11:09:04 ID:EyerwxPU
まぁしかたないよ。加藤も福島もまさかワシが毒殺の名手だとは思わなかったんだから。
ただの薬研究家だと油断したのが悪かったね。
信玄毒殺は言うまでもなく、実は本能寺の黒幕もワシだよ。薬で光秀を基地外にしたんだよ。
秀吉だって基地外にした。
利家だって邪魔になったからね!
関ヶ原前夜は佐竹譜代筆頭北賢哲を毒殺し上杉擁護に圧力をかけたし、戦後佐竹の領地安堵を東義久に約束しといて毒殺し反古にした。
浅野幸長だってもちろん毒殺だよ。
毒殺うまくいかなかったヤツらは転封だな。
ただね、秀吉だって蒲生や堀を毒殺したに違いないからワシだけがやってたわけじゃないぞ!
ワシから言わせりゃ秀吉配下はみなバァカ揃い。簡単に手玉に取れたよ。
でもまぁ上杉と本格的に交戦中で尚且つ会津奥深く入り込んだあげくの苦戦中に三成が挙兵し佐竹に退路を絶たれてたらさすがに危なかったな。
秀吉自身が家康に執政を委託したのであり三成なんてあくまでもその補佐役でしかない
そもそも三成に豊臣を代表する権限なんか無いんだよ
家康か三成かと聞かれたら家康に付かないと秀吉の意向に背くことになる
だいたい秀吉が海外遠征に失敗し秀次一族を粛清するバカだったから
そのバカの遺言に加藤・福島はバカ正直に従っただけだろ
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 11:54:44 ID:a+oQlkt8
>>717 >上杉と本格的に交戦中で尚且つ会津奥深く入り込んだあげく
三成はなぜ上杉と家康軍が干戈交えてから立たなかったのかね。
交戦前でないと、家康軍への不参加組を期待できないと考えたのか。
実際は真田以外ほとんど降りる武将はいなかったわけだから、
結果論だけど上杉と交戦中に立つ方が勝ったような。
戦い始めると退却するのは危険を伴う、(追撃側が有利)
よって迅速な撤収は困難、
その間に空城同然の東海道を東上するのは用意だったはず。
江戸に迫れば戦上手の内府も焦っただろ。
そうなれば利家みたいな者も出たかもしれんし、
真田はそうする確率高いだろう。
甘い戦略かもだが意見乞う。
細川家の見事すぎるコバンザメぶりというか処世術を考えると
福島正則のそれは無様という他ないね。
清正も暗殺されたっぽいし。
ここまで差があると三成への七将の乱の時でさえ、本気で三成罵倒する
正則の隣で、家康の意を受け彼らを誘導し「正則、もっと踊れ!」と内心
ほくそ笑む忠興・・なんてトンデモ構図まで想像してしまうよ。
清正については福島ほど馬鹿では無かったと思うが微妙だな・・。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:00:29 ID:EyerwxPU
それはワシが威圧感ある会津五路侵攻作戦を発表したからじゃ!
米沢口は最上など出羽軍勢
信矢口は伊達など陸奥軍勢
津川口からは前田・堀の北陸勢
白河口はワシら本体じゃ!
仙道口は面従腹背の佐竹じゃ!
これではさすがの上杉直江主従もびびったに違いない。まだ会津の人心を掴み安定経営とはいってない事もあり動揺も激しかろう。
三成との密約も不安感とともにあれば早く約定を守ってもらわなければ内部崩壊もあろう。
だいたい三成は速攻をもって早めに清洲城を押さえてれば福島は無力化させ田中・中村・堀尾・山内を動揺させられたのに、モタモタしてるから逆に岐阜城を取られたんじゃバァカなヤツじゃ!
小山を越えたワシが猪苗代湖近辺にまで進めば当然に佐竹・岩城・相馬に弟の蘆名坊主も腹を決めてワシを襲ったかものぅ。
内府殿、名無しに戻っておられますぞ。
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 14:08:46 ID:uDmKoONQ
確かに津・大津・田辺に大軍を釘付けにする愚を犯さずに一路秀吉並みの神速をもって長駆清洲城あたりを奇襲で落としてれば面白かったかもね。
三河に進出し岡崎の南の額田郡あたりか、あわよくば浜名湖あたりで防衛線を築ければ…三河湾からの伊勢・津への交通路も遮断できるし、勢力伸長により前田などを中立化できれば田辺も役に立たなくなるし、逆にあやふやな毛利の決意も固まるだろうしね。
三成は自らの佐和山城や大谷の敦賀城を絶対安全圏にする事に固執し小にこだわり大事な時を逸した感があるね。ここらあたりが三成の限界だろうが。
関ヶ原の時も大津城攻めに兵を割いてたし。大津なぞは牽制の軍を駐留させ決戦場に兵力集中すべきだった。小勢とは言え立花宗茂なんかは糞毛利と違い戦意高かっただろうから本戦でも敵を突き崩すだけの突破力はあったろう。
宇喜多が立花嫌いだったから左遷しての大津城攻めだったらしいが。
尾張を落とせば武断派中心人物福島を追い落とす事は可能だったし、豊臣恩顧大名を東海道筋を中心に家康から離反もしくは猜疑の目で見られるように仕向ける事は可能だね。さすれば福島はさらにカコワルイ事にwww
724 :
ワシ:2006/11/26(日) 14:50:24 ID:EyerwxPU
まっバァカ太閤はワシがばらまいた流言のうちでもっとも劇薬であった秀次への讒言という薬を飲みこんで、豊臣一門唯一の成人と言ってよい秀次一族を虐殺したのがマヌケであったな。
尾張・伊勢を領地とした秀次がおれば東海道の山内・堀尾・中村などは絶対に離反しなかったじゃろうのう。
おまけに朝鮮での諍いについては全く関係ないエロ好き秀次が婚姻政策を推し進めていたら、
とてもワシも天下への野心をむき出しにする隙はなかったじゃろうのう。
浅野あたりも秀次存命なら裏切らなかったかも…そもそも池田・森を討ったのはワシじゃ!秀次生存なら重く用いられ気脈を通ずるのもむずかしかったかもしれんでな。フロイスが秀次を評価したようになかなかの人格者だったからのぅ。ゆくゆくは秀長以上になってたかもの。
福島を踊らすには池田など人数が多いにこしたことなし。
藤堂や黒田、細川だけじゃ不安じゃだからのう。
加藤は近くにおらなんだし、福島は感情だけで暴発するアホだから常にみんなで扇動しなきゃならんし途中で気がかわったりしたら大変じゃ。
>>724 まさに御神眼とも言える大御所様のお見立てを拝聴つかまつり、
我ら利回り3将身に余る栄誉にござりまする。
〜藤堂、細川、黒田連名
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 16:14:44 ID:a+oQlkt8
太閤は明智討伐に向かう前、居城姫路城をほぼ空にし、
乾坤一擲の勝負に出た。
田辺・大津・伊勢などに戦線が東に伸びると、後ろを突かれる危険もあるが、
いちいち各方面に手当てせず、時の勢いを得れば良かったものを、
それが出来なかったのが治部の限界か。
あれこれ仮定しても、結局そこに行き当たる。
どの仮定も秀吉なら上手くいったはず。天下人と敗残者の違いか。
しかし内府殿に措かれては武運めでたく、
大和大納言、関白殿下、加賀大納言、方々ご逝去召され祝着至極。
特にお拾い君ご誕生は、馬を牛に乗換えた如くの太閤殿下。
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 16:53:39 ID:uDmKoONQ
婚姻政策と言えば池田勝入の娘が豊臣秀次や浅野幸長、森長可に嫁いで、勝入の息子の池田輝政が家康の次女を妻にして、輝政の娘が伊達二代藩主忠宗や京極高知の息子に嫁いでる。
黒田長政が蜂須賀正勝の娘、のちに家康の養女と婚姻。
福島の養子が家康養女と婚姻だろ。
蜂須賀家政の息子至鎮と家康養女が婚姻。
細川忠興の後を継ぐ忠利が徳川秀忠の養女と婚姻。
いろいろと婚姻関係も東軍の同盟に影響及ぼしたんだろうが藤堂高虎は何もないんだっけ?
福島の場合は婚姻が豊臣と徳川の和平に貢献するとマヌケな事を考えていたらしいが。
秀吉が秀頼だけでなく娘の1人くらい生ませて毛利か伊達あたりに嫁がせておればまた関ヶ原の行方もかわったかも?
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 18:31:54 ID:a+oQlkt8
大バカ2人を擁護するわけじゃないけど、
虎・市松が家康の本心にいつ気付いた、で裏切ったか決まるのじゃない?
太閤の力、家康の阿諛を間近で見てた両人が、
関ヶ原勝利=家康天下人と理解できたかどうか。
実際、戦後家康は秀頼に伺候してるのだから。
1603年の将軍宣下で初めて気付いた・・
家康は巧妙に豊臣家や世論を刺激しないよう3年待ち、
その間に400万石の勢力の浸透を図った。
家康の本心を再確認させられたのが秀忠に将軍譲位。
だが相手は400万石、しかも黒田細川池田などは家臣同然。
そこで次善策として豊臣家の名家としての存続を願った。
事実、家康はあと1年で死んでるんだから、
淀殿が短気起さず人質になってれば、徳川家にも
家臣間の権力闘争があったのだから、どうなってたか分からない。
市松か誰か、大御所の寿命云々って、手紙出してなかったっけ?
ただ、戦になると大坂方に味方はできないだろう。
家康が死ねば話は違ってくるが。
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 19:27:29 ID:rKWxITiv
福島、加藤は三成が政権を握って
秀頼を亡き者にするのを恐れてたんだがな。
実際、その可能性もないとは言えないと思うのだが、
そうは思わないのは結果だけ見て詩ってる現代人のたわごとだろう。
>>729 >実際、その可能性もないとは言えないと思うのだが、
その飛躍がよくわからないのだが・・・。
殺して得するの?
生かして政権首班に成り上がるのなら
のなら判るのだが。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:43:24 ID:rKWxITiv
>>730 俺も他人の書いた本の受け売りなのでね。
本の名前は忘れたけどね。
ただ、加藤・福島が奸臣石田が秀頼を
ないがしろにして自分が政権徒労としてると思いこんだのはうなづける。
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:45:23 ID:rKWxITiv
どっちにしろ現代人だから三成が義兵を起こしたととれるので、
当時としては三成がおかしなことをしようとしたと写った
連中はたくさんいたろう。
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:07:15 ID:ZT/Jiax5
家康が秀吉の言いつけを守らないから征伐しようとしただけ
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:15:03 ID:Tv5c+ECt
加藤福島の場合は嫉妬でしょう
現代人だから三成が忠臣だと言えるのであって公式には
家康=豊臣政権の大株主兼専務
三成=社長秘書で部長待遇
ぐらいの差がある。
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 22:03:49 ID:ZT/Jiax5
しかし秀吉が本当に信頼してたのは前田大納言利家なんだろ
家康を大坂ではなく京都に留めたのも秀頼に何かしでかすかもと思ったからでしょ。
秀吉死去して1年余りで利家の寿命の尽きたのも家康には運がいい
利家も賤ヶ岳でのヘタレぶりを見るに
対して役にたたんと思う。
というか、簡単に懐柔されそう。
秀吉が大老格の中で最も信頼していたのは、恐らく小早川隆景だっただろう。
利家も隆景亡き後、家康の押さえとして対抗できる唯一の人物として重用し始めるが
それ以前はそれぞれ東西の法度・置目などを一任された家康・隆景に比べれば
扱いだけ同格という感じだった。輝元・秀家よりは上であったが。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 00:58:48 ID:EWJYVPc4
まっ結局は後継争いにシノギを削った叩き上げの上杉直江ペアが一番頼りになったんだから
もう少し重用してあげてもよかったのにな上杉。
佐竹なんか常陸統一を許してやったくせに肝心な時に動かんしな。
小早川・前田・蜂須賀・毛利あたりはヘタレ後継者だったが、
細川・黒田は父も封地で健在だから領国の心配しなくてすんだしいい仕事したよな。
どうなんだろ上杉の移封、遺民一揆って対徳川で言われるけど
新領主が入った時から起きてんじゃないの
佐竹は義宣が三成マンセーだが、
父の義重や家臣が西軍につくのに猛反対したからしかたあるまい。
ゲームみたいに当主の一存でなんでもできるわけではない。
なんつーか、関が原で西軍についたから忠臣とか親豊臣とかいう事は言えないだろう。
勢力や人物の対立関係の都合で西軍についただけという例も多いんだし。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 09:46:32 ID:L5YWz2ZZ
だが死ぬまで家康は義宣を恨んでたので秋田転封も諸大名中で一番最後に言い渡されたらしいからな。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 12:15:45 ID:6+G7vVJ/
農民の分際で>何てほざいてる奴、てめーの血筋はなんだアホ。
徳川も乞食坊主の出だろうがよ。
>>745 それを言ったら酒井の立場がないじゃないかw
織田は田舎神主だし。
豊臣はどうなるんだw
要は二人とも中途半端な態度だったから叩かれてるだけ。
本気で不忠者とかいってるやつは豊臣厨。
秀吉自体忠節は信長一代のみなんだから。
黒田や細川みたく上手く立ち回るべきだった。
まとめるとこんな感じか
黒田や細川と違うのは、その後取り潰されているところ。
だから家康にだまされていただけじゃね? という見方をされやすいが・・・・そもそも選択肢がなかっただけかと。
潰されてるところなんか松平だってあるし
まぁ改易なんざ幕閣の気分次第ってとこか?
潰されれば、やはり間抜けなイメージはぬぐえない。
前田家あたりは、腰抜けのイメージはあっても賢い選択をしたわけで。
賢く立ち回っての徳川選びならそれはそれでひとつの生き方だが、福島加藤はそうじゃなさそうだからな。
福島は伊奈事件がまずかったよな。それと大阪の陣の際の兵糧援助。
福島にしろ加藤にしろ結局どうあれ改易されてた気もするがな
江戸期の大名なんて大半が改易されてないか?
由比正雪の乱が起きるまで改易天国だったみたいだし。
>>740 あれでヘタレに見えるなら、馬鹿な挑発に乗った上杉&三成が優秀って事になるが
とてもそうは思えないな。
売られた喧嘩を買う奴は、子供か単なる馬鹿だろ。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 21:41:15 ID:EalnI6HN
上杉やらが優秀とは言わんが小早川とか毛利の後継者の秀秋や輝元ってどう考えてもヘタレだろ?
秀秋が優秀だったなんて説聞いたことない。
>>636 亀レスすいませんが、これが結論ですね!!
>土民から大名に引き上げてくれた大恩ある秀吉に恩返しする唯一の方法だったのにね。
秀吉自身が、信長の大恩にどう恩返ししたんだっけ?
しかし、土民に戻っちゃったんだからけっきょくどうなんかな
>>726 信頼できるのが
宇喜多立花大谷のみ
背後を不安定にしておけば
ますます離反されて不利になる
秀吉とは状況が異なる
>>760 小早川に関しては、もともと勇猛で名を馳せていた秀包が小早川を継ぐはずだったのに、
秀吉が毛利を乗っ取ろうと一族のバカ秀秋をねじ込んだのが全ての原因。
別に秀秋の件で毛利はさして損はしてない。
まず秀吉が後継者からは余った養子の秀秋で毛利を乗っ取ろうと画策、
その動きを察知して小早川隆景が「秀秋殿を是非、当家のの養子に」と訴える。
小早川宗家の領地は元々、秀吉から与えられたチなので毛利本来の領地ではない。
と実質、損はしてない。
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 09:20:27 ID:0A42nvFC
東軍に組したやつらはほぼ小山に一緒について行ってる中でこれ以上背後での大きな破綻要因はない。不安定要因は如水や清正だが毛利領を超えて進軍するより九州で小西領などが危険に晒されるくらいだが天下の覇権に比べたら九州は後回し。
三成方は万が一にも大阪城を突かれても毛利を抱きこんでるし余裕で数ヶ月は持つ。
一方の徳川は伏見が落城したように留守居部隊が配置してあるだけで主力は関東に集結。
一路尾張への道をとり戦略的に優位さを天下に知らしめる方がよいかと。
小牧山→清洲と進軍するのは秀吉vs家康時の家康主力がいた時と異なりそれほど難しくない。
福島の権威失墜させ濃尾平野を支配下に置ければ豊臣恩顧の東海筋は中立化も狙えるから一気に江戸への道も拓く。
大略奇才をもって一気呵成に東軍の離反を呼び込むには迅速な行動が必要。
田辺や津・大津なぞ陸の孤島で伊勢湾の制海権も西軍だから津に戻ろうとする時に見つかり西軍に味方すると嘘をいったくらい。
京極とて尾張まで三成が進出すれば援軍なしで動揺するから淀から手紙出させろ。
>>767 まあ、ガラシャ人質作戦ですら下手をうつ西軍(三成)に、
そんなダイナミックな行動を期待するだけ無駄なわけで。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 10:16:22 ID:WaRqqQ0b
四国勢とて留守居部隊での大阪進出は逆に危険が伴うな。
一領具足軍団がどんどん湧き出るぞwww
九州や四国の旧国主長宗我部・島津が留守を良いことに反乱を煽るぜ。
上杉・佐竹で江戸に威圧加えたら万事休すだな家康。
そしたら浅野の甲州や細川・黒田はあくまで徳川側かも知れんが四国勢の藤堂・蜂須賀・加藤あたりわかんねーぞw
絶対優位を築けば秀頼出陣もあるなwそしたら黒田・細川も叛旗・・・
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 10:26:51 ID:yjdt+9Q1
鍵は福島だけ。
黒田や細川単独では豊臣恩顧武将を煽る事は無理だから福島を煽って東軍に加担すると言わせて従わせてる。
その主力福島が尾張を失陥すれば豊臣恩顧武将は西軍と内通する可能性とてある。
毛利とて暗黒寺の意見が主力となり吉川の出る幕はない。ましてや小早川が裏切る状況は皆無。
三成はまずは自らやってみせる必要があったのに関わらず佐和山〜大垣に駐留し無駄な時を重ねたのが敗因。
桶狭間や中国大返しなど天地人が驚愕する歴史に残る知略があれば三成こそが天下人になれたろう。
それだけの野心家ならもっと仲間を増やせたろうが。
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 10:31:21 ID:0ZCvUO+e
>秀吉とは状況が異なる
状況は器量によってどうにでも変わる典型。
諸大名が領地安堵を誰に託すか、と考えた時、
官位・石高・温厚な人格、(演技であっても)全てを鑑み、
「内府なら悪しゅうはせんだろう」「三成では難癖付けられかねん」
と思うのも無理はない。三成と反目だった連中は言うに及ばず。
関ヶ原の布陣、戦闘、結果を見るにつけ、
三成は優秀な能吏であったが、政治家ではなかった。
金吾の寝返り、島津との齟齬、毛利の裏切り、
あれがなければ、こうなっていれば、と色々言われるが、
結局最後は家康と三成の「器」の違い。
家康は好かんがその点は認めざるを得ん。
三成が勝機を掴むとしたら、時の勢いを得るしかなかったろう。
いかに背後に敵があろうと、東海道を攻め下って行けば、
状況は分からなかった。
吉川も金吾も西軍が勢いづけば裏切ったかどうか。
(京極や細川も追撃する兵力は無かった。)
命懸けの大バクチを、あれやこれや理詰めで打とうしたのが大間違い。
秀吉も背後に敵(毛利)がいたが、迅速な明智討伐で
付け入る隙を与えなかった。
あれが尼崎でモタモタしてたらどうなってたか。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 10:54:14 ID:0A42nvFC
清洲落城と濃尾平野を手に入れたら明らかに西軍優位。福島脱落は豊臣恩顧武将の空中分解すら引きこむ。
今度は瓦解せぬよう家康自らやってみせなくちゃならなくなる。
なんせ背後は気になる以上に豊臣恩顧大名がさらに信用できなくなる。
岡崎の南の額田郡か浜名湖あたりの狭い地形の高地によって家康の進軍を数ヶ月のあいだ阻みつつ
山内・堀尾・中村を調略し、
上杉に伊達最上を牽制させ、
佐竹・岩城・相馬に江戸の背後を蹂躙させれば必勝の構えにもっていける。
いくさは勢いなんだよな。
家康は理解してたが三成は理解してなかった。
でも三成が兵力分散してチンタラ行進してた理由がいまだに分らない。
押し込んだ方が有利で押し込まれた方が損なんて別に知恵者じゃなくて
誰でも分る道理なのに、なんで悠長な行軍をしてたんだろう?
背後に不安を感じてたのか、それとも意地でも毛利本軍の出馬を待ってたの?
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 11:12:16 ID:0A42nvFC
津や田辺に行った諸隊が集結するのをチンタラ無策で待ってたって事だろ。
その間の家康は調略の手紙攻勢で関ヶ原の下準備。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 11:17:08 ID:WaRqqQ0b
おまけに田辺城の細川幽斎はさんざん時間稼ぎしたあげくに
天皇の助命嘆願で戦略的成功を収めている。
さらにマヌケさが漂う三成・・・
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 11:48:44 ID:0ZCvUO+e
>でも三成が兵力分散してチンタラ行進してた理由がいまだに分らない
島津提案の夜襲を退けたように、三成は潔癖で「正義の戦」の意識があって、
時を稼げば味方が増える、とでも考えたのかね。
正義みたいなもんは、勢いに付いてくると考えなかったのだろ。
多感な時期を秀吉のごく身近で過ごしたから、
なぜ諸侯が秀吉に従うのか、錯覚したんじゃない?
幽斎や京極など家康に付いた、戦略的には重要でない連中を
執拗に攻めたのも、その潔癖さの表れ。
(保元の乱で夜襲容れなかった頼長と三成がよく似てる)
行軍の遅さに関しては、輝元が大坂を出れなかった理由が、
城内に寝返りの流言だから、それと同じならやはり家康が一枚上手
だったことになる。
味方有利となれば裏切りは出ない(現に金吾は迷った)のだから、
不利な兵力を(秀忠軍が合流すれば東軍が多い)更に細かく割かず、
清洲を落すのが上策だった。
ただ、真田昌幸が幸村に言ったように、
どんな上策でも用いる人間によって成否は変わる、
諸将の信頼度が違うから。
やはり三成の限界、に行き当たるね。
関ヶ原前提に考えてるから三成の分散がきになるけど、大津も攻めてるし
三成としてはまだ豊臣恩顧を割れる可能性があると思ったんだろう。そもそも
家康もひとつき江戸にいるし三成はそれで長期にかまえてたけど、家康が
いっきに手をうってあせりだした。
というか三成の手際の悪さをまた評してもスレと関係なくなっていくと思うけど
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 13:21:01 ID:WaRqqQ0b
やはり三成が勝ちを収めるには内府得意の野戦での戦術ではなく、尾張を落とし戦略的優位に立つことだな。
福島ら先陣が清洲に集結し、岐阜城を襲った時点で、三成が背後の小牧山→清洲を突くのは難しくなった。
それどころか岐阜城を奪われるなど失策だよ。これで決戦へむけて機先を制せられた。
逆に機先を制して留守中の清洲を奪えば泥縄的に三成側へ寝返るものも増え、毛利も従属せずにはいられないだろう。
岐阜を落とされ大垣を迂回して進軍する家康の策に乗せられ野戦決戦に持ち込まれるなどは下策でしょう。
自分の居城佐和山城を落とされる危険から腰が浮いてしまっている。これも安易に岐阜城を落とされ織田秀信を見殺しにした大きなツケ。
大津を攻めた軍勢がもうすぐ合流するというのに焦って1日で破軍になるとは島左近の能力も???
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 14:01:00 ID:0ZCvUO+e
>だったら留守中の伏見城を攻撃するなよ
だったらとは、どの部分を指してるの?
>>774-778 そういうのって本当に三成の指示なのか?
あと夜襲提案説は疑問視されてるんだが。
>>782 三成は、作戦案とかは殆ど自分で決めて、
諸将の独断先行は許さないイメージはあるが。
美濃も伊勢もみなこっちに付いてるよ楽勝だよ〜
実際行って見たら、何か話と違うな
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 17:56:06 ID:yjdt+9Q1
時をできるだけ稼ぐ意味でもやはり家康が上杉と本格的な交戦状態になってから三成挙兵するのがベストだよな。
田辺城なんて500くらいで籠もってたんだろ?あんなん放置しときゃよかったんだよ。
津に別働隊を派遣するのも大魚を釣ろうとする前に蛇足に過ぎない。
なにより優先して討つべき敵は誰か?決戦に勝ってなんぼな時期には周辺を固めてるより軍の機動的運用と攻勢限界点までの進出で動揺を誘う方がよいだろう。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 18:15:02 ID:K7Xmt3FY
福島も加藤も秀吉亡き後は母親代わりの寧寧に従っただけじゃないのかな。
家にたとえると子供が父親が死んだら母に従うみたいに。
寧寧は母親として清正や正則が可愛いから死なせたくないし豊臣の将来に
悲観的だったから徳川に従わせることで生きながらえさせたかったんだと思う。
いくら石田憎しでも寧寧が「豊臣家に就け」といったら二人は東軍には就かな
かったと思う。秀吉亡き後は寧寧が二人にとって至上の司令塔だったんだよ。
いいスレだな
>>786 黒田さんは秀秋にママンに従おうよね?ね?みたいな手紙送ったらしいしね
つーか、ここ関が原スレじゃないんだけど・・・
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 19:02:05 ID:K7Xmt3FY
>788
そうっすね。寧寧への忠心を逆手に取って長政さんひどいわねえ。
でもこんな養嗣子じゃいくら主家助けとはいえ隆景がカワイソス
また無双厨か
ようは、西軍の首謀者が三成じゃなきゃいいんだよな。
三成は蟄居したままで、別の人物が西軍を仕切ってたら
福島、加藤も加担してたかも。
でも、適当な人物がおらん…。
淀や秀頼には無理だろうし…。
放っておけばっていう感じかな、上杉じゃ徳川だってそんなに増えないし恩賞も出ない
後で何も協力しなかったとか難癖付けられるのも嫌だから
後ずめで我々が内布様をお守り致しますって大挙して江戸に押しかけちゃえ
>>793 宇喜多秀家がいるではないか。
彼くらいなら織田秀信が無茶するのを制止するのもできただろうに。
>>795 それはやってんじゃないの秀家
別に三成が大将じゃないし
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 20:25:33 ID:WaRqqQ0b
ただ加藤って関が原では積極的に家康に協力したとは言えないんだよな。
積極的といえば如水でしょ。まぁおのれの野望の為の行動で家康の為ではないだろうが。
それに加勢したのが加藤。一説には豊臣の為に動いた立花を救い、改易しないように
動いていたらしいし、立花の家臣を引き取ってる。鍋島も結果的に豊臣方に従うハメに
なったが戦後に家康に立花潰したら安堵してやると言われたが仲裁してるらしい。
明らかに豊臣の力を温存させようと動いてる。
福島の関が原で武功を上げ加増して豊臣恩顧武将の肥大化する結果になり西国は豊臣で占められてる。
家康が早く死んでれば豊臣の天下になる情勢だった。加藤毒殺はありえる話だ。
福島も大阪の陣が始まると聞いて大阪の無策に「5年早く、5年遅い!」と嘆息したらしいし。
加藤が死ぬ前か家康が死んだ後に挙兵すべきとの意で、いま戦端を開くのはもっともまずいとのことで
一応は対家康戦略ってのが福島にもあったんじゃないかな?
誤算は黒田や細川、藤堂が同志だと思ってたら家康の犬だったって事。
その事実を知ったとき、初めておのれの安易な考えを悟ったんじゃないかな。
スレタイに反して良スレだね
面白い
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 21:05:12 ID:yjdt+9Q1
そして時代から背を向けて豊臣を守ろうとした加藤・浅野は毒殺され、福島は改易。
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 21:11:21 ID:6xE8uJxg
800なら加藤福島は最低の裏切者
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:00:46 ID:yjdt+9Q1
他の豊臣恩顧大名達と言えば…
阿波の蜂須賀家政は息子の至鎮と違い関ヶ原で西軍に付きたくて配下を大阪に送ったり前田利長の弟は西軍についたりしてたね。真田と同じ二枚舌かな?
そういや大藩となった前田利長や池田輝政もなぜか若くして死んでるな。
死なない加藤嘉明は警戒されて大阪の陣では江戸留守居役を命じられてるし、伊予松山から江戸の近い会津に転封だが、本当は藤堂が行くはずだったのをうまくかわしたとか。
関東への入り口にあたる福島白河は築城技術が高い丹羽が前田利長と戦い西軍として行動したが立花と同じく珍しく再興を許され対伊達用に白河城を作ったね。
加藤嘉明ってなに考えてたのかイマイチわからん。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:20:44 ID:0ZCvUO+e
関ヶ原の恩賞で、西国は豊臣恩顧大名で満ちたが、それは結果論。
福島や加藤が意図していたなら戦略家だが、
秀忠遅参の結果であって、もし遅参しなければどうなっていたか。
三成を殺した後の勢力分布など、考えもしなかったのだろう。
だから伊奈図書の関番の首で納得せず、図書本人の首を所望した。
ここに彼の本質がある。
つまり、怒りに任せて戦ったが、その結果がどう変化するか読めなかった。
黒田・細川・藤堂などとの決定的な違い。
福島は福島なりに君側の奸を除いたつもりだったのだろう。
よって、スレタイは裏切者ではなく、たわけ者だろ。
797は良い説だな。
もし虎之助が生きてたらどう動いただろうな。
風説や常識と思っていた事実からこのスレを見る様になって
正則は裏切り者ではなかったかもと思うようになった俺だがこのスレの人って
そこまで考察して文書やら見てるのかね
オレは
>>204とソースを見せられて完全に転んだよ
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 23:21:48 ID:2QF7rH5x
>>801 >そういや大藩となった前田利長や池田輝政もなぜか若くして死んでるな。
考えすぎ。当時は医療記述も低いからコロっと人が死ぬこともある。
ましてや家康の娘婿の池田輝政はバキバキの家康シンパで豊臣恩顧というより徳川恩顧だし。
利長も今更、警戒などされないだろう。
あと浅野幸長は単に家康の命令で二条城の会見で秀頼を説得しただけ。
加藤清正すら前から健康を害してたようで
普通に病死と見たほうが妥当だろうね。
家康が死ぬまで待てなかったのか池沼光成は
忠義の精神も戦国期じゃ無かったのかな?
義を立てる対象が曖昧な時期というか、
何を以て「義」なのか?
何となく分かってたつもりが、難解な現実を突き付けられて両者共に困った。
だから、家康もその辺を巧く利用し得たんだと思うな。
大阪の陣の前に豊臣家は書く大名に援軍要請の使者を出して全て断られたんたが、
加賀や行政の息子が当主だった池田家だけは断るどころか使者を捕らえて江戸に送っている。
家康はその使者の手指十本を全てきり、額に「秀」の焼印を押して追放したとか。
池田がいまさら豊臣恩顧なんて頭が痛いよね。
>>804 うまい事言うな
場違いみたいなんでここは消えよう
西暦200年もたたないで関羽という義にあついおとこがいるのに
1500年代のこいつらときたら・・・
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 23:50:51 ID:0ZCvUO+e
「義」は徳川260年に醸造されたから、当時はまだ希薄だったんだろう。
(光圀は三成を誉めてる)
だから諸将は三成出馬の真意を訝った。
犬猿の仲の七将、一時は三成の讒言で領地召し上げの秀秋、
親の代から豊臣嫌いの吉川・・・
秀長・秀次・利家の死、多々要素はあるが、
三成がいなければ家康は早々と天下を取れなかっただろう。
上杉が上洛し、三成が自重してれば、
家康が諸侯と縁戚婚姻を続けてもそれだけの事。
乱が起こらねば豊臣徳川地位逆転の劇的変化は難しい。
あとは家康もやった寿命比べ。
秀頼が成人すれば関白宣下は前例だし、
乱なくては将軍猟官は出来なかっただろ。
家康は三成を触媒に利用し、三成はそれに乗ってバクチを張った。
>>810 白馬の戦いじゃ顔良を不意打ちしたり、同僚や上司に反発する性格が災いして糜芳達に裏切られたりしてるけど
仕事じゃどこぞの裏切り者のように公私を混同しなくて、常に実直だったよなあ。
三成はアフォ
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 00:19:30 ID:IlqgmCvV
三成が戦を仕掛けなくても家康は豊臣を滅ぼしたろうね。
なんていっても性格が強欲陰険恩知らずだから。
豊臣筆頭大老として権限を逸脱し婚姻政策で着々と人脈作り。
これは秀吉の遺言にも逸脱した行為だから、病気がちの前田利家さえ
無理をして徳川に物申している。これは利家の豊臣に対する最後の奉公に
なったのだが病躯を押しての必死の行動には涙をさそいます。
そして豊臣の重鎮、利家が死ぬや家康はさらにやりたい放題。
前田に難癖をつけ、屈服させ高大院を人質に。浅野長政も難癖をつけ
隠居においこんだ。
お次は上杉征伐ときた。豊臣の看板を盾にやりたい放題で三成が
立たなければ、上杉の次は毛利、宇喜田と難癖をつけ屈服させただろう。
そして最後には豊臣をも平和的に取り潰したでしょう。
関が原は豊臣に忠誠を誓う燃える武将達が歴史に刻んだ
せめてもの義の証でしょう。
結果として敗れたのだが、武将達の生き様は我々後世の日本人の
心に熱きものを伝えてくれる。
関が原に勝ってなんで10年以上も豊臣生かしといたの?
>>810 どこぞで見たが(wikiだったか)
関羽は部下には優しかったが同僚、士太夫を軽く見る性格
張飛は同僚、士太夫には敬意をもって接するが部下を大事にしなかったらしい
なかなか言いえて妙だと思ったな
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 00:48:42 ID:qsNC7oeU
>上杉の次は毛利、宇喜田と難癖をつけ屈服させただろう。
確かに芳春院(まつ)を江戸に送ったのは「無法者の横車」
もし手切れとなったら息子に気を遣わせぬよう自害しただろう。
それ位の覚悟があって自ら赴いたと思う。
しかし上杉の場合、法的には秀頼に伺候すれば済んだ。
しなかったのは三成との密約があったからとされてる。
上杉・三成が自重したならば、
家康が難癖つけたとしても、例えば減封までは理由なくできない。
せいぜい人質、これは当時の常識だから現在の感覚で、
悲憤するほどのことではない。秀吉も母や妹を送っている。
しかも法的には君主は秀頼。
そんなもの家康なら何とでもした?
否、やはり大儀名分がなければそこまでは出来ない。
つまり、乱なければ家康はどこまで行っても、
「豊臣政権の大老」に終わった。
強引にやると、悪名が歴史に刻まれる。
「命惜しむな名こそ惜しめ」の時代、しかも頼朝の故事に
精通した家康がそこまでできたかどうか。
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 00:59:30 ID:qsNC7oeU
>関が原に勝ってなんで10年以上も豊臣生かしといたの?
それが大儀名分だよ。
秀頼に直接の責任を被せたなら、
家康が不忠の三成を討つという名目が立たない。
つまり謀叛になる。
よって豊臣直轄地より恩賞を出し、220万石から65万石に落し、
自領は400万石に加増、金山や商業地を支配し、
朝廷に将軍宣下の猟官運動をした。
自然に己の声望が高まるのを待った。
将軍になって2年後秀忠に譲位し、将軍世襲、つまり豊臣に政権を
戻す考えがないことを宣言した。
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 01:10:05 ID:xxuw7+DQ
>>814 家康も同盟相手や主君と仰いだ相手から様々な難癖をつけられているが。
それで潰されるなら所詮それまで……というか豊臣家なんてそんなものだったのだろう。
ちなみにいうと、家康ほど感傷的で恩の深い天下人もいないよ。
散々苦しめられた武田家の旧臣を丸抱えにしただけでなく自らの息子に武田家の後を継がせて再興しようとしているし、旧主であり色々と屈辱的な目に合わされた今川家や吉良家をも高家として保護している。
織田家にも嫡男信康を殺されているが、有楽の家と「あの」信雄の家を残しているし、豊臣の一族(外戚ではあるが)でも木下浅野の両家を残している。
関が原以降、家康は様々な形で豊臣家に交渉を持ち、(配下としてではあるが)豊臣家を残そうとしているし、伊達政宗も「豊臣家は徳川傘下の一大名として残す」よう具体的なプランを書き送っている。
それをいちいち拒絶して立場を悪くさせたのは豊臣家の方。
大体天下は回りもちで、昨日の主君がかつての臣下の靴を舐めるなんて当たり前の時代に、かつての栄光にしがみついてどうする。
そもそも秀吉自身がそうやって成り上がったんだし。
>関が原は豊臣に忠誠を誓う燃える武将達が歴史に刻んだせめてもの義の証でしょう
夢を壊して悪いんだが、三成が自身の権勢維持のためにクーデターを起こしただけなのはココで何度も語られているし、義もくそも、皆欲の皮が突っ張っていたのは史料からも明らか。
(宇喜多は関東入り、毛利は筆頭大老の地位、小西は肥後の統一などを恩賞として望んでいたし、石田大谷の双方は事実上西軍を取り仕切っていた事から、政権壟断を図っていたと推察される)
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 01:14:55 ID:1Io+CS47
>>817 なんで まつを大坂じゃなく江戸に送ったんだろう?
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 01:19:54 ID:npUTYc0b
>>819 お前もいい加減しつこいな
スレ違いも大概にしとけよ
>>819 三成のデタラメじゃないのか。
特に宇喜多が自分からそんなことを本当に望んだと考えるには無理がある。
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 03:12:46 ID:xxuw7+DQ
>>820 前田家は徳川家を実質的に天下人と認めていたという証左だろう。
そして、前田家が自発的に家康に人質を送ったことによって、他の親家康派の大名達が続いて江戸に人質に送るようになった。
だから家康はその功を賞して、戦後ただでさえも巨大な前田家に、反逆した利政の所領だけなく新たに30万石を加増した。
山内一豊が掛川城を家康に進呈して、土佐一国を貰ったのと同じ。
>>821 じゃあ、スレ通りの話題を。
当時の事情も良く分からずに清正や正則だけに豊臣家滅亡の責任を押し付けるような行為は、結果として秀吉や三成の器量を下げるだけにしかならないから止めたほうがいい。
>>822 別に三成も秀家も「欲」だけで行動したとは言わないが、充分に疑うにたる状況があり、同じく清正や正則も「欲」だけで行動したとは思いがたい。
家康なんかは、「自家保存」の気が強いが、そこに触れなければ
>>819で示したように、意外に人情に厚い。
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 03:30:34 ID:npUTYc0b
>>823 当時の事情wwwww
お前それこの板の全てのスレで言ってこい
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 03:41:08 ID:npUTYc0b
・当時の事情をよく知らんくせに言うな
・自分は出来んくせに言うな
これが出たら110番
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 06:37:31 ID:10X2TFyC
家康の娘婿と言えども大勢力と化したら池田輝政もさすがに疑われるだろw
播磨や備前をもらい、さらに弟が因幡をもらい、美作津山に輝政と姉妹にあたる女をもらった森長可(池田恒興と一緒に小牧山で戦死)の弟森忠政
がいる状況で「播磨宰相」・「姫路宰相」・「西国将軍」と呼ばれ親類縁者を含めれば100万石以上の大領を持つ輝政は家康にとってある意味脅威だと思うな。
そもそも長可も義父の恒興を尊重していたし、信長死後は池田家と共同歩調をとっていた森家も輝政が指示すれば動くだろうし。
小牧山で恒興と長可が戦死した後は準・豊臣一族として遇され、羽柴侍従の称号も授かっており、輝政の妹が関白秀次の正室にまでなっている。
秀次事件での大量処分の際も連座もなく逆に一の台は助命され丁重に送り返されてるほど。不満分子の毛利・福島の抑えでの配置だが逆に取り込まれた場合は手におえない。
あんだけ関が原で暗躍した黒田長政でさえ大阪冬の陣では江戸で留守居だもんな。使者を捕らえるってのは池田家も家康の信用を勝ち取るために必死だったんだろうけど、
大阪と西国の連絡線にあたる輝政は家康も常に気を使う存在になってたと思うぞ。黒田・細川・加藤・鍋島・島津の九州勢にこの中国勢が同じ武断派の輝政とりこんだら・・・家康にとっては悪夢だし。
827 :
808:2006/11/29(水) 07:00:23 ID:Z8b+Ltnr
誤 加賀や行政の息子が当主だった池田家
正 輝政の息子が当主だった池田家
何でこんなわけのわからない書き損じをしたんだか。。。。
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 07:04:32 ID:hFlWMxVO
池田輝政の三男は淡路一国をもらってる。
のちに兄が死に岡山に入ったが31才で死に毒殺説がある。
ちなみに小早川秀秋は21才で死んでるので毒殺説がある。その秀秋の後に岡山をもらった兄に至っては冬の陣後に発病し17才で死んでる。
これにより急速に池田家は求心力がなくなった。
829 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 07:11:32 ID:P7L/NddK
>>828 求心力 もともとないよ。輝政の息子の家。家康の孫の家で別の家。
それに信長の乳母の家として出てきた家なので秀吉に義理はない.
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 07:25:04 ID:hFlWMxVO
ちなみに池田輝政の弟長吉の子である長幸は森忠政の娘を貰い備中をもらった。
浅野幸長の弟長晟が家康の三女をもらい兄の急死により和歌山を継ぐが福島の改易により安芸広島42万石を貰う。
だがこの三女は以前は下野の蒲生家に嫁いで関ヶ原後に蒲生家は宇都宮から会津60万石に復活したがなぜか30才で死に二人の息子も早々に死に改易される。
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 07:33:33 ID:18E6MqWi
求心力あるだろ〜そんだけの大領と関ヶ原の武功あれば。
その中心たる当主や兄が次々に死ねば求心力は低下するわな。家臣団だってまとめるの大変だし。
疑う側から見れば義理も何も関係ないだろw
だいたい家康が万が一自分が死んだらを仮定して、家康死後に秀吉死後に豊臣の求心力が低下したように徳川の求心力が低下したら西国がどうなるかわからんと思い政策を進めてるんだしな。
婚姻政策だってそのためだろう。でも家康だって婚姻や人質をとればバッチリ安心なんて思うほど甘い男じゃないしね。
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 07:36:34 ID:10X2TFyC
九州・中国・四国など大阪以西を統御しようとする老齢の家康は苦心したろうな。
とても安心して死ねる状態じゃねーな。
死後は西国に向けて遺体を安置しろといった気持ちがよく理解できるな。
>>797 加藤は単純で小西行長を除くために東軍よりの行動したと予測
できるんだが・・・、そもそも、黒田如水と行動を同調した時点で
明らかなんだが、怒りに任せたとと言えるのは加藤の方。
そーいや、関ヶ原後、武断派同士でも利害の対立(黒田と細川)
が起こったよなぁ。なに考えているんだが。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 09:08:05 ID:18E6MqWi
加藤は当初中立で傍観してたろ。
大友軍が再興をかけて豊後に上陸したので空き家同然の如水が危険なので支援に行っただけ。ゆえに自然に西軍化した。
そしたら如水がにわか仕立ての軍で大友軍を打ち破るから、仕方なく西軍として仲の悪い小西領に侵攻したんだろ?
しかも如水自体が関ヶ原がそんなに早く終わると思ってなかったので空き家の九州を蹂躙しようと策してたしな。
戻ってきた西軍の立花や鍋島に徳川への執り成しを斡旋した加藤に同調して、
ついでに恩を売る如水が薩摩に目を向けたから徳川も焦って島津に侵攻しようとした如水に停戦を命じたくらい。
如水台風に加藤も巻き込まれた感すらある。
>>834 一部、西軍と東軍がごっちゃになってて、わけのわからん文章になっとるぞ。
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 09:20:41 ID:hFlWMxVO
あっスマソw
みんな西軍になってたw
ところで関ヶ原や二条城での会見前後で家康にとって死なれたら打撃になるようなヤツで死んだり毒殺説がおきたようなヤツっていたっけ?
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 09:22:50 ID:hFlWMxVO
策してみたw
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 09:26:19 ID:OcDnbDyy
>>819 ちなみにいうと、家康ほど感傷的で恩の深い天下人もいないよ???
散々苦しめられた武田家の旧臣を丸抱え、自らの息子に武田家の後を継がせて再興。
>武田の勢力の取り込み、普通に良くやる事。
旧主であり色々と屈辱的な目に合わされた今川家や吉良家をも高家として保護。
>家臣団は苦労してるが、家康は義元に恩がだいぶある、野心も力もない氏真の面倒位見てもおかしくない。
織田家にも嫡男信康を殺されている。
>最近の説では内紛の可能性が大、信長を悪者にする徳川史観。
有楽の家と「あの」信雄の家を残している
>有楽は早くから屁たれて家康に媚び、信雄なんぞに価値もない、担がれる危険がある直系の秀信は追放して殺害。
豊臣の一族(外戚ではあるが)でも木下浅野の両家を残している。
>味方についたものも一族縁者皆殺しなんてしない。
関が原以降、家康は様々な形で豊臣家に交渉を持ち、(配下としてではあるが)豊臣家を残そうとしている
>大坂城を退去させる狙い、あとはどうとでもなる、正則や秀信の末路。
夢を壊して悪いんだが、三成が自身の権勢維持のためにクーデターを起こした、皆欲の皮が突っ張っていたのは史料からも明らか。
>そもそも三成を追い出し、前田、上杉を排除して権力奪取を企てたのは家康。
大谷は、政権壟断を図っていたと推察される
>大谷は親家康、伏見事件の時もそう。関ヶ原の時も三成の息子を上杉討伐に連れに来ただけ。壟断なんて意思あるわけなし。
あなたは全部家康に肯定的に書きすぎてる、否定的に見ればこんなもの。
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 09:46:31 ID:gS8QJ+5F
たしかに家康は温情あるとは思えないね。高野山に追放したんだっけ秀信を。
あそこは祖父信長が虐殺した地だから冷たい扱い受けて追い込まれたって言うしね。
島津が本領安堵なのも如水の抑えのためって側面もあるかもね。
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 10:16:53 ID:gS8QJ+5F
家康にとって他者の死をもって有利に時勢が動いたことはあっても
死なれたことで時勢が不利に働いたことはないんじゃないかな??
家康がその死を惜しんだなんて話あったか?伏見の鳥居元忠すら見殺しじゃねーか!
家康に関しては結城秀康・忠直親子の、あんまりな扱いも
腹が立つな。
まあ、天下人に、縁者の選り好みは付き物だが。
>加藤清正は豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、
>朝鮮で相当暴れてきた武将でもあります。
>熊本ではその勇猛さをたたえる祭りなどもあったようですが、
>段々「清正の朝鮮征伐」も色あせて来ざるを得なくなってきたようです。
>熊本で聞いた話ですが、韓国で海外旅行が自由化されて以来、
>九州を訪れる韓国人観光客は相当増えたそうですが、
>福岡を訪れる観光客に比べて熊本へ来る人は僅か10分の1。
>どうやら福岡から長崎へとは向かうものの、熊本には来てくれない、というのです。
>その原因が、韓国では朝鮮出兵の敵方武将として
>評判の悪い加藤清正をたたえている熊本の雰囲気や、祭りなどにもあるそうなのです。
http://www012.upp.so-net.ne.jp/globers/essay/kato.html この祭りというのが、「ぼした祭り」
>この藤崎宮秋の例大祭なんですが、熊本では別の名前で呼ばれています。
>その名前とは「ぼした祭り」です。
>元々この名前が正式名称だったのかどうかは分かりませんが、
>地元民には長年この名前で親しまれていたわけです。そ、それが・・・。
>はい、ここで韓国の登場です。
>あの国は「ぼした祭りの『ぼした』は、朝鮮を滅『ぼした』からきている!ケシカランニダー!!!」
>とイチャモンをつけ、それに屈した運営側が名称を変更してしまったのです。
>それまでは「ぼしたーぼしたー!」と叫びながら練り歩いていたのが、
>いまでは「どーかいどーかい!」に変えさせられています。
>これはもはや「ぼした祭り」ではありません。
>熊本に昔から根付いた祭りが韓国の干渉によりまさに滅ぼされてしまったのです。
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 10:50:36 ID:qsNC7oeU
819も指摘してるが、天下回り持ちは当時の常識、
淀殿と側近が我慢できなかっただけ、
正則や清正も主家の自重を望んだはず。
スレに戻れば、
当時の常識を覆してまで、主家に殉じなければ裏切者なのか、
また、どの時点で裏切になるのか。
清正は死ぬまで豊家に尽くしたと思ったろうし、
正則の「5年遅く5年早い」は、結果的に見捨てることになった、
悔恨の念の表れだろう。
この時初めて裏切を自覚したのじゃないか。
将軍宣下、つまり豊臣が徳川の風下に立つ事に関しては、
清正・正則は裏切ったとは思わなかっただろう。
その本意は別にして、あまりに潔い三成や秀家の行動が、
現在人の嗜好に合うから彼らを高く評価するわけで、(判官贔屓でもある)
江戸〜戦前を通して「お上」に殉じる儒教的教養が培われた結果だろ。
家康は「律儀温厚」の看板を最晩年で汚し、
400年経った今もタヌキ親爺の異名。
豊臣恩顧の大名が次々死んだから、との説もあるが、
逆に、だから自分の寿命を思い、焦ったとも言える。
二条城会見で、秀頼が気位を捨て、ちゃんと伺候し、(同格だった)
淀殿を人質にすれば家康も糸口を掴めず、寿命は尽きただろう。
そうなれば将軍は凡庸の秀忠、家臣団は割れてる(武断派・文治派)
状況だったから、どうなってたか分からない。
それでも家康は攻めたと反論あるだろうが、
人質出せば領土安堵は当時の常識、
その人質もほとぼり冷めれば返される。(奥方江戸在住はもっと後の事)
家康の死をひたすら待つのが最上の戦略だった。
>>843 それに加えて、秀頼は有楽を見習って、
茶道にうつつをぬかしてればよかったんです。
いわゆる大石内蔵助戦法ですな。
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 11:09:09 ID:gS8QJ+5F
福島正則
「それがしが忘恩の凶徒と罵られながらも内府(家康)に忠節を尽くしてきたのは、ひとえに秀頼公を思っての事であります。
これだけ恩を売っておけば、内府も秀頼公に滅多なことはできまいと存じます。
このたびの戦後処置で豊臣家は摂津和泉河内の一大名に落とされました。それがしは豊家を少なくとも80万石、
いや100万石の大名として存続させる事を願っておりました。65万石は余りに少のうございますが、これで辛抱するほかございません」
小早川秀秋
世間では関ヶ原における裏切りを非難・中傷する声も多く、石田三成の祟りと噂された。
そして関ヶ原の合戦からわずか2年後の1602年に死去した。享年21
ウィキペディアからだが、やはり忠義ににたものは当時からあったんでは?でなければ家臣団統御もできんだろう。
戦国期の忠義というのは、御恩と奉公の鎌倉以来の双務的関係の延長線上では?
君、君たらずんば臣、臣たらず。主君を選ぶ自由があった
朱子学的な忠義は明らかに江戸期に広まったものでしょ
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 11:35:12 ID:qsNC7oeU
大和朝廷の頃から見ても、日本には義に殉じる思想は少ないね。
源平の頃なんか、大将が不利になればすぐに旗の色を変えてるし。
だからたまに出る、楠木正成・児島高徳や、
一族が殉じた平家、郎党が最期を共にした義経の名が残った。
清正・正則が非難されるのは、親子同然に育てられた恩を
忘れたとされる為だが、高台院が指示したなら仕方あるまい。
指示はあったと思うよ。
仲の良かったおまつ(芳春院)は夫の遺言に従わず、
自ら人質になったのだから、同じ戦国夫人だった高台院も
そうしただろう。
この頃の夫人は江戸期とは違う。
>>843 天下回り持ちは戦国の常識かもしれないが、
それだと延々と戦国が続くことを意味する。
家康はその常識を覆すために無理したわけだが。
平和を希求するとすれば天下をどこかで安定させないといけないが、
その能力を持っていたのは徳川だけだし、
天下が徳川で固定したことは日本全体にとってはそんなに悪くはなかっただろう。
(控え目に言って)
でも、戦国武将がみんな藤堂高虎みたいな
変節感ばかりだと萌えん。
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 11:43:29 ID:gS8QJ+5F
吉川広家
毛利家中では裏切り者扱いをされ続け、その扱いは幕末まで解消されることはなかった。
義理人情的な下地が多少あったから朱子学が受け入れられやすかったんじゃないのか?
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 11:46:35 ID:1pu+4MQN
でもみんな吉川経家みたいだったら秀吉国家統一できてたかなー。
藤堂高虎は変節漢というより主が次々と倒れていったわけだから一種の被害者では
豊臣秀長家の家督相続問題がなければ豊臣家を見限ることもなかったかも
>>852 まぁ実力のある営業マンが次々と勤務している会社が倒産して最後に潰れかけた会社を辞めて有望な新しい会社に行ったようなもんだな。
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 12:43:57 ID:qsNC7oeU
>家康はその常識を覆すために無理したわけだが
そしてその無理が今でもタヌキ親爺と呼ばれる所以。
まあ、豊臣は北条同様、滅びるべくして滅んだのだから、
批判される謂れはないのだが、太閤の異例の哀訴にも拘らず、
最後は無理難題を吹っかけ滅ぼしたからね。
天下人の寡婦と遺児を、策を弄して天下簒奪しては、
400年経っても汚名は晴れまい。
理はあっても、人気は情によるからね。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 13:25:00 ID:npUTYc0b
>天下回り持ちは戦国の常識
じゃあその常識に則って禅譲した奇特な天下人を挙げてくれ
忠義は江戸期云々言ってる奴と同じで結果論的な見方に過ぎない
当時頼りないなら勝手に主家を見切っていいなんて権利を
家臣に認めた大名を挙げてくれ
分国法に定めてる大名がいたら教えてくれよ
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 13:34:39 ID:qsNC7oeU
>平和を希求するとすれば天下をどこかで安定させないといけないが
854で論旨が反れたから改めて。
秀吉が死んだ時点で、天下はそれなりに安定していたわけで、
それを騒擾(そうじょう)させたのは家康の陰謀。
彼の戦略は、三成と武断派を争わせ、その間隙を縫って天下を簒奪する。
挙句の果て、言い掛り的な大坂の陣。
後世からはそれが見え見えだからねぇ。
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:09:21 ID:qsNC7oeU
>じゃあその常識に則って禅譲した奇特な天下人を挙げてくれ
回り持ちとは、そういう意味じゃないよ。
力ある者が次の天下人になる、の意。
家康は正則に「秀忠に不服なら兵を挙げよ」と言った。
お前に力があるなら天下を取ってみろ、と同意。
>頼りないなら勝手に主家を見切っていいなんて
後藤又兵衛、武田勝頼の諸将。
長政は激怒し、武田は滅亡。
主従間が濃密になった戦国末期は減ったが、
応仁の乱頃までは割と簡単に寝返ったよ。
それと、郎党と部将は違うよ。
部将は、例えば真田昌幸かな。武田→北条→上杉→豊臣。
臣従したと言っても、譜代家臣とは意味合いが違う。
>>856 秀吉が死んだ時点で天下が安定しているように見えるのは、
家康の力に寄るところが大きいからなんだが。
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:23:40 ID:npUTYc0b
>>857 だから認められたものじゃないだろうが
んなもん何の根拠にもならんわ
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:31:07 ID:npUTYc0b
加藤福島は最低の裏切者に話を戻せ
わざとらしい脱線すんな
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:32:21 ID:8penjiPn
>>855 主家を見限っていいなんてわざわざ分国法で定める間抜けがいるわけない。
実力ある者が天下を奪う、弱い主家は見限って次の天下人につく、これの何が悪い?
それぞれ自分の家を持ってるんだから存続させるためには当たり前。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:36:09 ID:npUTYc0b
>>861 それがわかってるならもう間抜けたこと言うなよ
あと裏切りは悪いだろ
社会通念上はあくまでも
裏切られた主家も裏切った本人も言い訳せずそれが正しいなんて
言えるわけない
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:37:16 ID:npUTYc0b
つうか900近くになってもまだ
>>861みたいな馬鹿がいるのかよ
勘弁しろよ
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:42:32 ID:npUTYc0b
・忠義は江戸幕府が広めた
・天下は回り持ちは戦国の常識
・自家を守るための裏切りは当たり前
結果論から誤認かスレ違い
徳川家康は忠義好きだった
武田勝頼を最後まで裏切らなかった土屋氏の遺児達をわざわざ探し出して旗本に加えている
家を残す、というより名を惜しめという感覚だったんだろうかね。どちらかといえば個人的な美学であって社会的な要請ではなかったと
> 家康は正則に「秀忠に不服なら兵を挙げよ」と言った。
> お前に力があるなら天下を取ってみろ、と同意。
仮にそれが本当に家康が言った言葉だったとしても
それは「俺が死んだら何か企んでるのかも知れないが、
出来る物ならやってみろ、どうせそんな度胸無いだろうけど」だろ。
あと、忠義心なんてのは江戸時代に入ってからって言ってる奴頭大丈夫?
世界中探しても主君を裏切っても悪くないなんて民族いねーよ。
そんなもの儒教や朱子学なんぞ無くても
社会や身分が形成されれば自然発生的に生まれるだろ。
ただ、混乱期だったから裏切り行為が往々にしてあった、
とか江戸期の忠義とそれ以前の忠義とは少し意味合いが異なるってんなら良いけどね。
江戸初期でさえ、悪い主君がいたらみんなで「押込」めろ(家臣が強制的に隠居させる)という気風があった
あの葉隠にすら出てくる事例だ
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:55:43 ID:8penjiPn
喧嘩はよせ
喧嘩なんてするやつは人間として劣ってるやつが(ry
>>856 文治派と武断派は、朝鮮でいがみ合ってる間に
修復不能の仲になってた感じなので、別に、家康が煽らなくても
いずれ乱を伴う、大規模な決裂を生じてたと思う。
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:59:38 ID:npUTYc0b
思うに
「忠義の精神は江戸期になってから徳川幕府が意図的に広めた」
とか記述を読んで考えなしに飛び付いてしまったのだろうね
普通に考えればわかることなのに誤読の上思考停止してしまったと
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:59:54 ID:gS8QJ+5F
忠義=朱子学というのは違うと思う。
そもそもそれ以前から論語や孟子などいろんな思想が流入してる。
朱子学は大義名分論にすぎず、それによって天皇と将軍の位置づけが
盛んに論議され、解釈の違いでさまざまな説がでてきただけ。尊王攘夷思想もそう。
普通に裏切りは不快だし、世間は恩知らずと噂してたと思うし、恥を知るものは
裏切りはしないし、主家にしたら重要機密を知ってる人間に出奔されるのは嫌がるから
忠誠を求めたはず。
そんな忠孝の道を外す行為をした常識外れの松永久秀を信長は大した男だ!と言ったが。
忠臣蔵
忠誠に代価を求められるのが戦国期のシビアな主君関係
君主がバカだろうが只管忠誠を尽くす無私が誉めそやされたのが江戸期の忠義
誤解を恐れず極端に分類すればこんなとこかな
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 15:02:09 ID:npUTYc0b
>>867 だからそれが社会的に是とされてたのかよ?
>>868 900近くなって平気でスレ違いしてくる奴を他にはどう言えと?
馬鹿だろ?
>>875 されてたよ
極端な例を一つ挙げれば、竜造寺家の一門は無能な政家を隠居させて縁戚とはいえ主筋ではない鍋島氏を推戴したような話もある
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 15:05:12 ID:qsNC7oeU
>加藤福島は最低の裏切者に話を戻せ
高台院が親徳川だった以上、裏切者ではない。
(秀吉在世時)20万石以上の大名だったのだから御家大事は当然。
小身の頃とは違う。
それを見てた家康は譜代家臣に高禄を与えなかった。
>世界中探しても主君を裏切っても悪くないなんて民族いねーよ
譜代家臣と、天下人と諸侯では形式は同じ臣従でも違うよ。
857で書いたけど。
幕末の薩長は裏切りか?
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 15:06:28 ID:npUTYc0b
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 15:08:01 ID:8penjiPn
>>875 戦国武士に倫理観を求めて悪だの言ってる方が馬鹿。
自家保全と自家の伸張が第一に決まってんだろ。
忠義だのなんだのは建前、二の次。
裏切りもの!!!
>>878 押込の本読めよ。何でもかんでも人に聞くな
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 15:12:32 ID:npUTYc0b
>>877 加藤福島はねねの家臣ではありませんが
あと何万石貰ってようが裏切りには無関係だろ
てめえの家が大事とかてめえの事情だし
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 15:13:42 ID:npUTYc0b
押込研究で有名な人(名前失念したorz)によれば、江戸時代でも主君の不当な命令には従わないのがむしろ武士道の本質だったという意見だね
そうなると極端な忠義思想はさらに後代の明治以降にそれこそ後から作られた幻想ということに
ただこのスレを見てると、戦国時代に忠義はないと極端なこと言ってるやつがいるが
これも幻想
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 15:20:55 ID:npUTYc0b
>>881 今すぐ読めるわけないだろ
流れで聞いてんのに見当違いのチャチャ入れんな
とは言え、鳥居元忠級の忠義を、どの武将にも
求めるのは酷。
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 15:22:56 ID:npUTYc0b
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 15:38:50 ID:TEhlixNd
結局、戦国期にも忠義とかそういう概念はちゃんと存在したが、
江戸期ほどガッチガチではなかったということでしょ?
無能な主君を隠居(押し込め)させようと家臣Aは家臣Bに提案。共謀すると見せ掛けて話に乗ってきた家臣Bを
家臣Aは主君に密告。家臣Bを謀反のかどで失脚させる。
実は家臣Aは主君のスパイだったのです。
これが世に言う「押し込め詐欺」の実態です・・・
武田討伐で土壇場で裏切った小山田は、不忠として殺されてる。
関ヶ原で小早川に乗って急遽裏切った連中も、良くて本領安堵ていどの評価。
>>891 まあ、戦いの真っ最中に寝返る奴らには、世の中は冷たいわな。
藤堂高虎なんかも、主君を定めてる間は、どの主君の下でも
抜群の戦功を挙げてたわけで。
(子孫の、鳥羽伏見での寝返りはアレだがw)
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 16:03:28 ID:qsNC7oeU
npUTYc0bは裏切は悪だ許せんと言うのか?
君は855から書いてるが、批判ばかりで自説がないね。
ただ裏切は許せんでは単なる感情論だよ。
裏切肯定派を納得させる前例や論証出してよ。
子飼いでも高台院の指示があれば情状酌量せねばなるまい。
芳春院は亡夫の遺言を反故にして御家を守った、これも裏切かい?
理不尽は世の常だよ。それを感情で批判するのは書生論。
三成だって、純粋に忠義心か野望だったか知る術はない。
武断派には、君側の奸を除くという大義名分があった。
形式は豊臣家の大老が逆臣上杉と三成を討った、
正則はそれに従った。
秀秋が嘲笑されたのは、西軍から戦中に寝返ったから。
その後家康が将軍宣下されて政権取ったのと、
正則の関ヶ原での行動は別。
上杉や前田という大勢力になん癖つけたり、当時徳川の意図は誰でも分かっていたと思うけど。
豊臣大老としてなんて正論つける為に言い聞かせてるだけ。
895 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 16:15:00 ID:npUTYc0b
>>893 >批判ばかりで自説がない
スレタイ通りだよ。最初から言ってんじゃん。
批判を受けるのは見当違いを繰り返してるからだろ。
>裏切りは許せんでは単なる感情論
豊臣家からみたら裏切りは許せる行為じゃないのはわかりきったこと
>裏切肯定派を納得させる前例や論証出してよ
裏切肯定派?裏切行為を認めた上でそれを肯定してるのか?
そんな奴をどう納得させるんだよw
>>894 あとまあ、「三成ぶっ殺す!」って追い回す事件を起しちゃったから、
退くに退けなくなったってのも有ると思う。
897 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 16:20:39 ID:npUTYc0b
>子飼いでも高台院の指示があれば情状酌量せねばなるまい
何で?加藤福島はねねの家臣じゃねーし
第一仮に情状酌量した所で裏切者には変わりない
>芳春院は亡夫の遺言を反故にして御家を守った、これも裏切かい?
豊臣家や利家からみりゃな
結果で正当化出来るもんでもないし
>理不尽は世の常だよ。それを感情で批判するのは書生論。
はいスレ違い
既出だろうが福島は息子と家康の養女の縁談、加藤は家康の養女を側室にしたっけ。
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 16:28:32 ID:npUTYc0b
>三成だって、純粋に忠義心だったか野望だったか知る術はない
そう考えてるなら持ち出すなよ
>武断派には、君側の奸を除くという大義名分があった
三成にも家康を除くという大義名分があったし、武断派だって純粋に(ry
>その後家康が将軍宣下されて政権取ったのと、
正則の関ヶ原での行動は別
じゃあ関ヶ原後に何かしたのか?
家康に将軍宣下や豊臣家に対する真意がどうか
戦も辞さぬ覚悟で詰問するとか
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 16:56:15 ID:idaZfwHG
結局豊臣厨は感情論だけか。
>>877 俺が言った意味分かってる?
戦国時代に「忠義」という概念が無かったっていう考えをしてる奴に対して
そんなアホなって言いたいだけなんだけどな。
何でそんなレスになんだよw
あと、
> 譜代家臣と、天下人と諸侯では形式は同じ臣従でも違うよ。
> 幕末の薩長は裏切りか?
藩主(若しくは国主)とその譜代家臣の関係と
天下人とその諸侯との関係という事?
もちろん、譜代の家臣が主君を裏切った方がより裏切りの色彩は濃くなるだろうけど、
状況に拠って変わるだろうから何とも言えんわな。
そもそも俺のレスとは関係ない。
素朴な疑問なんだが、加藤・福島の話をしてるのに秀吉の話をする奴はなんなんだぜ?
スレタイは酷いが、ただのアンチスレだろうに。
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 18:24:17 ID:hFlWMxVO
器量を正当に評価されての離反という裏切りを肯定的にみるならば秀吉が上杉の直江や伊達の片倉、佐竹の東などはなぜ主家に遠慮せずに秀吉の元で大名にならずに主家に裏切りませんなどと言うんだ?
徳川の石川などは裏切りもんだと言われたぞ。
>>903 >器量を正当に評価されての離反という裏切りを肯定的にみるならば秀吉が上杉の直江や伊達の片倉、佐竹の東などは
>なぜ主家に遠慮せずに秀吉の元で大名にならずに主家に裏切りませんなどと言うんだ?
そいつの個性
>徳川の石川などは裏切りもんだと言われたぞ
三河武士団の気風
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 18:43:07 ID:qsNC7oeU
>そう考えてるなら持ち出すなよ
話の筋が違う。三成だって純粋に忠義だったか分からん、の意だ。
>豊臣家や利家からみりゃな
だからさ、戦国夫人と江戸期の夫人は違うの、
彼女は創業者の未亡人、旦那と作った領地だから影響力大だった。
正則は高台院の家来ではないが、天下人の奥方、その言は重い。
だから正則が最低の裏切者なら、高台院は最低の悪女になる。
忠義心がなかったとは言わないが、江戸期のような濃厚なものでは
無かったろう。
源平の昔から、武士の忠義は領地安堵にあった。
御恩奉公と言えど、ドライな関係だった。
土地争いや恩賞で、平氏の裁定が不満だったら源氏に靡く。
これが武家の棟梁と家来(御家人)の関係。
家の子郎党とは異なる。
正則清正を批判するのは、彼らを郎党並みに見るからだろう。
確かに台所の飯を食って育った2人だから批判が出て当然だが、
大名として独立した時点で郎党ではないし、
彼らが慕う高台院が、三成こそ簒奪者と言えば、仕方あるまい。
(最近の研究では三成と高台院が疎遠ではなかったらしいが)
家康の専横を許した非はあるが、
秀頼が家康に伺候して、寿命勝負に出るのは、決して悪い戦略ではない。
ただ、淀殿と側近が愚鈍だっただけで。
愚鈍な主家に付き合って滅びることもあるまい。
それが許せんと言うなら不倶戴天、水と油だね。
直江や片倉は陪臣だね、家の子郎党。
天下人と諸侯の関係は謂わば同盟関係、領主と家臣ではないよ。
同じようでも天と地ほど違う。
直江やら片倉なんてのも徳川フィルターかかってなければ
ただの無名武将・・とは言わないまでも凡将の評価でおわってたんじゃなかろか
というか、数正のケースは異例だわな。
豊臣側に例えたら、秀長あたりが家康側に
移籍しちゃう級の事態だし。
家康側は「秀吉に手の内が全部バレた!」って
軍法からなにから全部変えたらしいし、記録にも
良く書かれんのは当然な気が。
しかし、ただの「福島&加藤のアンチスレ」と、ここを
位置づけるのは惜しいな。
冷静になれば結構楽しく語れそうな話題だし、
次スレはこういう↓スレタイにするといいと思うのだが。
【福島加藤は】戦国の忠義を語る【裏切り者?】
よそでやんなさい
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 20:10:35 ID:IlqgmCvV
>>忠義は江戸時代に広めたもの
山中鹿之助っていうの時代だっけか???????
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 20:31:47 ID:Z8b+Ltnr
>>910 山中鹿之助は主君たる尼子勝久を切腹させて
毛利家の家臣になるために投降している。
そんな奴のどこが忠臣なんだろう。
自分本位なだけのような気が・・・
少なくとも尼子勝久にとっては疫病神でしかなかったが。
ついでに言うと鹿之助が還俗させて主君とした尼子勝久は濡れ衣気味とはいえ
主家にそむいて殲滅された尼子新宮党の遺児で
しかも主家たる尼子宗家の面々は毛利家によって安芸に南京されており、
彼らを無視してなにが忠誠なんだろう。
結局、鹿之助は自分の願望をかなえるために
尼子家を利用したとしか思えない。
>>912 鹿之助のアンチ意見は初めて見るな
興味深い
鹿之助はぶっちゃけ、判官贔屓されているだけだと思うぞ。
真田幸村を忠義の士とかいうのと同じレベル。
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:22:13 ID:18E6MqWi
>>872たしかに一般的には忠義に近い感覚はあったと思う。
源平期〜室町初期は貴種を尊ぶ気風があり、源氏の旗に集い、一所懸命に働き恩賞を得る。土地の所有や諍いを判定してくれると言うパターンだが、一方で帝に忠節を尽くす南朝という存在が現れる。
室町後期ともなれば貴種と言えども盲目的に従って労多くして利少なしではたまらないってんで、事情をよく知る守護代や執事や家宰に実権が移る。
だが自由に日本全国を歩きまわって仕える君主を探すとはまた違う。
なぜなら一族朗党や婚姻などがあり土地に定着してるから。
そこでは合議制が働き傍若無人な当主は追放されたりするが余程の理由がなければならない。
竹中は岐阜城を乗っ取り主家を諌めて返却する事で忠節を尽くしてる。
基本的には主家を尊び忠節と武功で認められ地位や家の格をあげ発言力をあげたいと望んでる姿がある。
また民衆も裏切りなどは流言飛語で伝わり、他国は内乱を好機と捉える。
大内氏に返り忠した陶氏や信長に返り忠した明智氏は他者から協力を得られずに滅んだように不義理は支持を得られない気風がある。
でも史実じゃ高台院は中立じゃないか
立場的には三成に近いけど
高台院が福島や加藤に直接指示出したりとかはまだ証拠見つかってないだろ
浅野黒田が勝手に高台院の名前を使ってるだけじゃないか?
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:48:00 ID:npUTYc0b
つうか忠義の不存在なんて証明するのは不可能だし
誰かも言ってたが根元的な思想そのものは人間が集団形成し始めた
頃からあるわけだから、反対派はもっとアプローチ変えてこいよ
>>916 別に会うのが難しい立場の人でもないから、
黒田が勝手に名を使ったら、裏を取られて後で大変な
事になるから、そういう事はせんだろ。
>>918 しかし高台院が東軍に味方したという証拠は無いんでしょ
西軍との繋がりを示す証拠はあるみたいだが
>>918 そもそも加藤、福島とすら親しいという資料は存在しないよ。
豊臣を貶める徳川史観の影響かも知れないな。
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:47:11 ID:qsNC7oeU
905だが、行きがかり上、正則擁護発言したら、
そのまま後に引けずに正則派になっちまった。
長宗我部盛親の気分。このまま議論はするけど。
>根元的な思想そのものは人間が集団形成し始めた頃から
恩義忠義義理、そういったものを全否定しないよ。
言いたいのは、武家の棟梁に対しての忠義。
源義家の代、東国武士は義家についた、源氏が衰退すると平氏に、
次は義朝、平氏、頼朝、北条、それが武家の忠義。
(棟梁に対する忠義はドライ。それじゃ困るから徳川は朱子学を重用した)
何度も言うが家の子郎党は違うよ。
親代々、地縁血縁で結ばれてるから強固。
表題の正則を含め、豊臣家臣団が脆かったのは、
家累代の家臣がいなかったから。
主君に対する忠義は何代にも渡る積み重ねが必要だから。
正則に戻るが、法的には豊臣に殉じる必要はないが、
一人間として考えると薄情な気もするね。
かと言って、最低と罵るつもりもないが。
>豊臣家や利家からみりゃな 結果で正当化出来るもんでもないし
結果良ければいいんだ。お家を守れば忠義なんだよ。
安っぽい書生論でお家を潰しちゃ何にもならない。
君は現実を知らず豊臣家を潰した淀殿と変らんね。
>>921 >結果良ければいいんだ。お家を守れば忠義なんだよ。
正にその通り
そして正則は結果が悪くお家を守れなかったから裏切り者の上に最低なんでしょ
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:11:22 ID:npUTYc0b
905「心ならずも馬鹿島の擁護をしてしまった…。
こんなはずじゃなかったのに…だが言ってしまったものは仕方がない。
俺はもう後には退けないんだ! 無駄と分かっていても
馬鹿島を擁護し続けるしかない! 長曽我部盛親の霊よ、
俺に力をくれ!!」
こうして孤高の勇将905の悲愴な戦いの幕が切って落とされた――。
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:24:05 ID:Axo0B+cf
純真な正則君と清正君を誑かした家康君が一番悪いと思います!!
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:25:05 ID:Dg2U4MMD
905は滅びの美学を追求する人だったのかあ
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:26:04 ID:npUTYc0b
>>921 加藤福島は父祖の代からの家臣ではないが正しくゼロから
引き上げて貰った子飼いなわけだから実質譜代と言ってもいい
関係性があると思うのだが
討伐されて負けたわけでも臣従して所領安堵されたわけでもないから
御恩は外様と段違いに大きいだろ
生涯返しきれないほどに
>結果良ければいいんだ。お家を守れば忠義なんだよ。
結果悪いしお家も守れてないけどそれ以前に間違っとる
忠義と言うのは行動の原理根底にあるもので
結果付いてくるものじゃないだろ
終り良ければ全て良しとはいかない
>安っぽい書正論でお家を潰しちゃ何にもならない
忠義=安っぽい書生論ならそれも見当違いだし
三成の挙兵を指しているのならこれも当てはまらない
力づくで打倒するタイミングとしてあの時しかなかったわけで
結果敗北したからといって悪し様に言うのはおかしい
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:30:17 ID:xxuw7+DQ
>>921 気持ちはわかる。
私も別に清正や正則の擁護をしたいわけじゃないんだが、二人を何としても「裏切り者」にしたい人たちが「清正や正則の側の事情」を全く考慮していない論を見ていると……
前々からいっているが、清正の「詰めが甘かった」とか、正則が「状況が読めず、勇気が無かった」という論には同意するが、変な正義論忠議論を振りかざしての「裏切り者」呼ばわりには同意できないし、そういうことを言う人間の器も小さいと思わざるを得ない。
書いてから気が付いたんだが、二人を裏切り者呼ばわりしている人って何歳なの?
自分も十代の頃は司馬遼の「関が原」を読んで、「三成は忠義の士」なんて思い込んでいたから、十代や二十代で仕事を始めたばかりなんて人に小説やドラマで描かれたものに感化されるのはしゃあないと思うが。
ちなみに当方三十代。歴史ヲタ。連れ合いなし。職場では利の割に落ち着きが無いと言われているが。
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:32:24 ID:hFlWMxVO
>>921 言いたい事がブレまくってて何を言いたいのかわからん。
時代のともに権力者がかわりその都度、国司・地頭・守護・守護代または本家・分家・兄弟などの対立が利用されて任命変更を受けてるだろ。何も1人の人間が次々に主家を変えまくってるわけではない。
そもそも平忠常の乱を追討したのをきっかけに関東進出してきた源氏が朝廷から陸奥守に任命され赴任してるだけで関東の者達はさほど協力してないので苦戦続きだった。しまいには豪族清原氏に臣下の礼までとったくらい。
基本的には朝廷の指示に従って行動してたまで。
鎌倉時代の守護と室町時代初期の守護配置もまったく異なっていて興亡が存在してて主をころころ代えてはいない。
例として上野国は比企氏→上杉氏
越後国は佐々木氏→上杉氏
美濃国は平賀氏→土岐氏
播磨国は梶原氏→赤松氏
などなど。
>職場では 利 の割に落ち着きが無いと言われているが。
職場の方はちゃんとあなたを評価していますね。
ピンポイントに誤字なんて、相当なおっちょこちょいw
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:38:04 ID:npUTYc0b
>>927 「清正や正則の側の事情」は「裏切り者」ということとは無関係だし
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:03:15 ID:own5HW1d
ちなみに福島や加藤が裏切りもんだとは私は言ってないぞ。
むしろ家康より若い福島や加藤が時を待つ戦略をとっていたのでは?
ただ淀がバカなのと黒田・藤堂・細川が家康の犬になっていた事実に気づかなかった過失が破綻に導いたと論じてるだけだ。
そして忠義や義理を完全否定してその論拠に江戸期の朱子学などと言う書生論を持ち出す事に違和感があるからだ。
加藤・福島「実は自分たち松永久秀の大ファンだったんです」
こう公言しておけばよかったんだよ
下手な言い訳をするからだめなんだ
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:08:09 ID:mG6Qxrmf
≫922≫923
面白いな、バーチャルは。休みを1日使っちまったよ。
豊臣家が滅んだのは正則清正の責任かい?
伊達の言うように器なりの道を行けば助かった。
それをしなかったのは淀殿や側近の不覚だろ。
家康が将軍になった時点で勝負あった。
官位も領土も経験も上の相手に忍従すべきだった。
秀吉は格下の家康に人質を送った。
家康は秀吉が死ぬまで待った。
三成は待てない性分だったが、せめて秀頼は待つべきだった。
書生論は忠義に対してでもないし、三成でもない。
当時の事情を鑑みない理想論に対し。
927が指摘してるが若いんだろう。
そんなんじゃ家康や佐渡が舌なめずりするよ。
私も司馬の関ヶ原を読みDVDで関ヶ原を見る時は、
家康の嫌らしさに悲憤するが、今も現実はあんなもんだよ。
>「清正や正則の側の事情」は「裏切り者」ということとは無関係だし
バーチャル世界で現実を説いても詮無きことだが、
戯れに色々言ってみて予想通りの反応で楽しかったよ。
事情は一切関係ない、そこが若いんだよ。羨ましい。(本心)
18の頃に関ヶ原読んで30年近く経ったけど、人間洞察に役立ったよ。
家康は嫌いだけど大政治家、三成は好きだけど小物。
正則はただの矯激なバカだと思ってたけど、
弁護に回ってそれなりの葛藤があったのかな、とも思った。
腹は立つけど、結局は家康みたいのが勝つんだよ。
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:14:11 ID:+Z5ZsE3r
これは余りにも悲しい負け惜しみだな…
オッサン、明日も仕事頑張れよ
痴漢に間違いわれないよう吊革に両手つかまっとくんだぞ
関が原終わった時点では家康は豊臣の家臣の一人でしかない
だから福島らも裏切りではない
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:17:59 ID:own5HW1d
自己満足乙
自分だけが正しく世間を知ってるかのような傲慢さがワラタw
前提条件がなぁ。
福島や加藤がどうにかしても豊臣家はどうにかならなかった
と見るべきかどうかという点に集約される。
まず、第一に関ヶ原に至る第一歩は家康の婚姻政策である。
(まあ、その前に利家の家康と他大名との離間策があったわけだが)
そこで、豊臣家との関連が深い3武将(福島・蜂須賀・加藤)が、徳川と
婚姻政策をしたわけだ、弁解の仕様のない、ご法度を犯したと言ってよい。
ぶっちゃけ、この時点で豊臣家はともかく豊臣政権に喧嘩を売ったような
ものである。
政務代行者と政権が作り上げた大名自ら法規を破っているようなものだからな、
どうしようもないわけだ。
938 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:31:33 ID:t4zUlE9e
家康が勝ったのはかなり運が良かったからだと思うぞ。
人質時代に義元死んで遠江ゲット、三方が原大敗で信玄死んで駿河ゲット、本能寺で信長死んで信濃・甲斐ゲット、臣従中に秀吉死んだ時には関東王国化、対立した途端に利家死んで歴戦の強者皆無、二条城の会見後に加藤と浅野がなぜか同じ病気で死ぬ。
なんだよこの天運は…
とりあえず影武者徳川家康の漫画よんで寝る
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:40:15 ID:jiTbtsd2
滅亡寸前のナチス第三帝国で
首都ベルリンの最後の守りについた兵士たちはドイツ人ではなかった。
驚くなかれ、フィンランド人部隊、ノルウェー人部隊、スラブ人部隊といった。
ヒトラーが唾棄していた外国人連中が守っていたのだ。
なぜならドイツ人はナチスドイツが敗れてもドイツという国は残るが、
彼らナチスにきくょう力した外国人はナチスが敗れれば祖国で処刑されるだけだったからだ。
滅亡寸前の豊臣の篭る大阪城を守ったのも、
福島や加藤のような親族連中ではなく、
真田とか後藤とか豊臣にたいした義理もない将兵たち
極めつけは豊臣のせいで四国全土ばかりか
土佐を失ったような長宗我部盛親のような男までもが戦った。
本来、豊臣を守るべき加藤や福島らは懐柔され一国一城の主となり、
どこにも行くとこのない敗残連中が豊臣のために戦った。
>>938 軽々しく言っている「ゲット」の裏にどれだけの辛苦があるか考えてみたことがあるかい?
確かに運が向いて天下を取ったのは事実だが、
その運を手にする実力を備えていたのもまた事実。
実力のない者は、千載一遇のチャンスが脇を通過するに気付かないからな。
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:51:46 ID:own5HW1d
だが家康ほど天運がついてる男も本朝の歴史を見ても珍しい。
だからこそ毒殺説が指摘されてきてる側面がある。当時の人々も噂しあってるくらいだ。
またドイツ第三帝国と戦国期は同列に論ずる事は難しい。
だいたい大日本帝国はあくまで日本人がサイパンでも硫黄島でも沖縄でも玉砕まで戦い続けている。
943 :
940:2006/11/30(木) 00:59:50 ID:jiTbtsd2
いや、大阪の陣で大阪方として戦った将兵について語りたかっただけ。
加藤や福島のよう太閤恩顧は豊臣のために命がけで戦わなかったのに、
長宗我部のように統一した四国のほとんどを豊臣に侵略され奪われ、
命令で出陣した九州で理不尽な命令をされて嫡男ょ失い。
挙句は関が原で無理矢理、西軍につかされて土佐まで失った
豊臣に恨みこそあれ恩義のないものが
大阪の陣で戦い命を落とした皮肉さを言ってるんだな。
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 01:08:52 ID:t7YTsr5k
>>940 じーさんから子供までベルリン市民は戦ってたわけだが?
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 01:09:48 ID:s+JYA/dw
>>942 >天運のついている男
織田信長はすごい天運持ちだったけど、しっぺ返しがついてたからなあ。「運がいい事に慢心して身を滅ぼす」タイプ
一族は含めない個人としての天運だったら秀吉かな。「運に乗ってアクティブに実力を発揮する」タイプ
家康の場合「運もあったが、それに慢心せず、不遇も乗り越える」タイプ
>ドイツ第三帝国と戦国期は同列に論ずる事は難しい
起きた現象は良く似ている、という事でいいんじゃない。
三成にしろ信繁にしろ、豊臣家に「恩」を掛けられていた云々じゃなくて、豊臣家(政権)に依存していて離れがたかった、という事だと思う。
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 01:25:26 ID:own5HW1d
信長こそ自らの才覚で運命を切り拓いてるだろ。尾張統一やら桶狭間やら苦労の連続だ。基本的には天下布武のもと正面きって戦い切り従えて拡大している。
秀吉は苦労人ゆえ、人の気持ちを読めるしその人格を武器にしてる。また決断力に富み戦術的な迅速さが抜きんでてる。
家康は武力で切り従えてると言うよりも武田の駿河侵攻に便乗して遠江を奪い、本能寺後に草刈場になった旧武田領を北条と争い奪っただけ。
その北条が滅亡して後がまに座った時点で大領ゆえ文句が言えるやつがいなかった。
他の大名と比べてもこれほどリスクが低い勢力拡張はあまりない。棚ボタに近いものすらある。
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 01:29:33 ID:DqjITGnN
>>945 逆を返せば三成にしろ信繁にしろ実力があれば豊臣を無視した行動をとった
というわけだな。
福島正則、加藤清正の裏切りというが
例え西軍が勝ったとしてもその後の政権は豊臣とは名ばかりの
別物になったとおもうし
結局のところ
福島加藤浅野は、そして徳川ですら豊臣縁故だが
三成とか毛利や宇喜多上杉はみな新参者か外様でしかないわけで
この連中の連合軍に加担して勝った所で
豊臣が無事と思えないのは当たり前だろう。
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 02:13:07 ID:yXmtkybB
福島の馬鹿が小山会議で血迷わなければ徳川はどうなったもんかね。
大体、徳川につく大名なんていないだろ。
徳川本体が4−5万の兵力とはいえこれだけで大阪に進軍するのは
心もとない。おそらく北条のごとく関東諸城に篭城しつつ
西軍に許しを請う様になっただろう。
>>948 「武断派に力を貸して、秀頼にまとわりついてる奸臣を排除する」ってのが
家康が三成と事を構える名目だから、その前提が無くなる事になるな、
小牧長久手で、信雄が勝手に秀吉と和睦しちゃった状況と同じだ。
ただ、正則が間接的にでも、三成の利になる事をしでかすとはとても
思えないので、その状況は想像もできんがね。
950 :
940:2006/11/30(木) 03:43:02 ID:jiTbtsd2
>>944 まあスレ違いだが陥落寸前のベルリン市民は戦ってないよ。
そんなことしても命を無駄にするだけだし。
そこまでヒトラーに尽くすバカなドイツ人はいなかった。
ただ外国人部隊のみが全滅するまで戦い続けた。
951 :
237:2006/11/30(木) 07:39:11 ID:10mUgsq8
>>933 激しく乙です。
このスレは書生論みたいになっているのでとばして読むことが多かったのですが
久々に読みごたえのある意見を目にすることができました。
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 07:54:08 ID:s+JYA/dw
>>948 年寄衆(五奉行)が一番恐れていたのは「家康が関東に立て籠もり出てこない」という展開だった。
家康が関東に立て籠もり持久戦を始めると、秀吉時代より求心力の無い西軍では関東攻略は難しく、また家康が粘れば西軍内部の不穏分子が離反し、各地で独立してしまう。
勿論家康も「天下を取る」為には、そんな混乱した状況は回避したいだろうから、諸将を味方につけて短期戦に打って出たわけで……
だが家康の価値観は「自家保全>>>>>天下取り>>>>>豊臣政権」だろうから、いざとなれば「関東立て籠もり」「全国攪乱」「戦国再来」なんて展開は充分考慮していただろうし、そう行動していただろう。
実際に岐阜城が落ちるまで家康は江戸にいて、万一の事態に備えていた。
はっきり言えば、どうころんでも秀吉が死んだ時点で、「家康の勝利」が確定しなくても「豊臣政権の崩壊」は確定していた。
せめて秀次が生きていれば……家康も無理はしなかったろうから、それなりの存続が出来たかも知らん。
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 08:00:23 ID:t7YTsr5k
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 08:03:37 ID:zCq75mn6
>>952 秀次ではどうかなあ、短期戦になったのも結果論な気がする。
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 09:06:34 ID:own5HW1d
秀次は側室たくさんいて子作りに励んでるから、婚姻政策で有力大名と手を結び尾張伊勢をキッチリ統治してれば豊臣政権は盤石だよ。東海筋だって離反の可能性皆無。
ドイツの話は比較対照にすらならない。
まぁ本当は秀吉が生前に家康を潰しておくべきだったな。それか五大老などいらなかった。
また福島らが全て悪いわけではないが三成憎しが災いし大を棄て小を取ってしまい豊臣崩壊の責任の一端を作る、後世に批判されるのもやむを得ない。
その成り立ちは豊臣を守る藩鎮としての性格が強いし、豊臣あっての自分と言う事を理解せず結果的に自らの大領すら奪われた先の読めない不明ぶりは充分に批判されよう。
ただ生前に秀吉がやっておかなければならなかった事や秀吉の失策も多々あるので全ての責任を押し付けるのは酷であろう。
また三成の人望の無さは致命的で雄略な作戦を立てながら策が成就しなかったがゆえに三成にも豊臣崩壊の責任はある。
大谷の娘をもらった真田繁が西軍に付いたのはおかしな事ではないな。
>>955 秀次が生きてたら、家康は「律儀者」のまま生涯を終えただろうし。
(源氏政権下における北条氏みたく、長期的に実権奪取の可能性は有るが)
家康を排除した場合、もっとたちの悪いのが、天下を狙う側に廻るだけのような
気がする。
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 09:48:07 ID:own5HW1d
それと毛利も相当なバカだな。
西軍大将に祭りあげられ、もはや後戻りができない状況にいながら煮えきらず戦後に縮小する事になったくらいだから先が読めてない。下手うったから吉川家存続で毛利改易と言う恫喝まで受けて右往左往する始末。
吉川が嘆願して助かったが吉川にしてみれば騙されたと言える結末だな。
毛利一族が関ヶ原の雌雄を決する最高の好地にいながら指を加えて傍観などしていて史上まれにみる失策ぶりだ。
ここで加藤福島を非難している奴の本音は、
裏切ったことが気に入らないんじゃなくて、家康方に就いたことが気に入らないんだろ。
裏切りなら大なり小なり誰でもやってる。
あの時代、それを非難したらとめどなくなるぞ。
必ずしも書生論が悪いとは思わないが、
気に入らない奴だけをとり上げて叩くのはフェアではない。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 10:26:07 ID:/XmPUmbH
書生論書生論って喚いてるヤツが意味わからん。
なにをもって書生論なぞと言い放つのか論拠を提出しろ。
豊臣の藩屏たる人間が軽挙妄動して結果的にすべてを失ったんだから、その責の一端を負うのは
やむ負えないだろ。
大東亜戦争を引き起こした東条がいくら東京裁判で自己弁護したって非難を免れないのと同じだろ。
東条に擁護や同情はあるが、それで連合国が許すなんて事はないし、それが理不尽だと非難する方が書生論と言うもんだ。
まあ、その後、福島家も、加藤家も子々孫々安泰だったら
良かったが、あの結末だからねぇ。
ただ小山会議で「内府にも治部少輔にも味方せん!豊臣に
お味方し申す!」と言って清洲に戻って篭城して、家康の
挙兵を腰砕けにする功労者となったとしても、三成は、自分を
殺そうとした男には、過酷な処分を下すと思う。
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 10:56:47 ID:own5HW1d
家康を利用し三成を除き、さらに西国を糾合し第二次関ヶ原をやり家康を滅ぼすくらいの器量があればな。
せめて戦略級の軍師の補佐があれば
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 13:45:36 ID:+Z5ZsE3r
>>959 ここは加藤福島は最低の裏切者ということについて語るスレなのに
裏切りを許せないのは書生論とか言ってること自体が
スレ違いなんだよな
昨日の中年といい今日の中年といい根本から間違ってるのに
気付かないんだから始末が悪いよ
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 13:46:31 ID:+Z5ZsE3r
>>953 一応、国民突撃隊やヒトラーユーゲントも投入したけど、
彼らは期待したほど戦ってはくれず、
最後まで必死に戦ってくれたのが外国人部隊ね。
繰り返しになるけど、ドイツ人は戦争に負けても生きられるが、
外国人部隊は生きられないので。
彼らはドイツが負けた時点で祖国に裏切り者として処刑される運命だから。
裏切った上に家さえ残せなかったから叩かれるんだろ特に福島は
一応最終的に旗本として家は残しているけど
あと加藤は本人の死後何年も経ってのことだから仕方が無いけど
ついでに裏切ったくせに忠義者面してるのが気に食わないって人もいるだろうけど
主家裏切って主家の衰退滅亡に一役買って
その上で改易されているんじゃただのアホ
目先の欲に釣られて利用されて使い捨てられただけの小悪党みたいなものじゃん
藤堂みたいにしっかりと家を残していれば叩かれることも無いだろ
>>966 加藤の子孫もニ家ほと家臣として家を残してるよ。
六千石と三千石ほどもらってたはず。
それよりもたった二千石の少ナとして残された福島の方がよっぽど地獄な気もするが。
まったく全領地没収なら他家に仕えてそれなの所領ももらえるが、
独立で二千石の法がよっぽどつらいだろうね。
ID追ってみると、変なのが一人孤独に必死で裏切りだ不忠だ喚いてるだけみたいだね
都合が悪くなると論点ズラすか「スレ違い」しか言わない
加藤福島貶めて遊びたいならチラシの裏へどうぞ
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 19:22:00 ID:t7YTsr5k
4月30日 ヒトラー自殺
→武装親衛隊が国会議事堂に立て篭もり抵抗
5月2日 ベルリン防衛軍司令官ヘルムート・ヴァイトリンク大将降伏
→ベルリン陥落
5月8日 ドイツ無条件降伏に調印
何がドイツ人は最後まで戦わなかっただボケ
だからスレタイを読めない奴は来るなって
スレ違いだからスレ違いだと言われてるだけの話
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 19:48:17 ID:jiTbtsd2
>>969 無論、最後まで戦ったドイツ人も幾分いるだろうけど、
市民から構成された国民突撃隊やヒトラーユーゲントは期待したほどには戦ってくれなかった。
それよりも外国人部隊の方が勇敢に戦ってくれたってことだ>
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 20:02:32 ID:jiTbtsd2
つーか、
>>969みたいな表を見せられたところで、
ベルリン攻防戦でベルリンを守ってた兵力が
SS第11ノルトラント義勇兵師団のような
外国人部隊だから意味がない気がする。
つまり武装SSの外国人部隊だったという事だな。
>>967 加藤も旗本になっていたんだ
なるほど
>>968 無理に弁護しようとしている人間のほうがよほど必死な気がする
相手を子供扱いし様として人格批判までして
まあ人によって最低と思う基準は違うだろうね
秀吉の一門の上に秀吉に取りたてられたくせして
裏切ったから最低という人もいるみたいだし
自分のように裏切ったのに結果は旗本で終わったという
名誉も地位も残せなかったことに対して最低と言う人もいるし
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 20:37:54 ID:/XmPUmbH
>>968 ものすごく必死だがもしかして子孫?それとも熊本県民?
福島も加藤も大減俸される運命なんだから
関が原の戦以降に諸将を束ねて徳川に対抗すれば
筋が立つのに。
W加藤、福島、蜂須賀、小早川とか集めれば家康もそうそう
軽く扱うことは出来ない。
当然この核に豊臣を立てればまだまだ徳川に対抗できたはず。
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 20:53:46 ID:303tIO8Q
単純に三成と仲が悪かったんじゃ?
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 21:33:41 ID:jiTbtsd2
言われてみれば福島・加藤にとって
裏切りだの不忠だのがどうこうの問題ではなく
豊臣がつぶれれば自分たちも生きてはいけないという
実利的なメンがあったというのが理解できなかったのね。
>>978 「とりあえず、家康にウザイ文治派一掃してもらって、
家康が死んだ後に、豊家の復権を図れば万事OK!」
とか、思ってたっぽい。
>>960 当時の三成にそこまでの権限と能力があったかな?
加藤福島が西軍について西軍が勝っても
毛利宇喜多上杉がいるし
増田長束もいる石田が復権できても味方を処分できるほどの力は持てないと思う
三成が全て悪いみたいな狸史観も考えものだな。
昨日の人格批判中年がまた見当違いの電波撒き散らしてまつ
>>982 一般論として、そういう意見を言うからには君も人格批判は辞めような
>>980 権限と能力が無きゃ、22万石の分際で西軍を仕切るなんて
できませんって。
論功行賞の権限が無い奴の約束事なんて、誰も耳を貸さない
だろ。
三成は奉行中4位。
でも、役割としては官房長官みたいなもんだし。
普通に権力も能力もある。
むしろ、秀吉の影響力なくなっても、
あれだけの力を行使できるのは、
個人的コネもきっちりもっていたということでしょ。
いろんな事を策定して実行に移す政権の中枢のだろ、何をするにしても
988 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 09:56:33 ID:7xIR/Xmf
三成に西軍を取り仕切る能力は無かった。
ていうか、取り仕切れていないから負けたんだが。
ただ、外から見たらどうだったかな?
西軍は毛利が総大将と言っておきながら事実上の企画立案から実行まで三成がやっていた事はわかっていただろうし。
>>978 生き延びるだけだったら、大藩を維持しながらやっていく方法がある。
前田家のように積極的に人質を出し、家康の手元から目付けを出してもらって、藩政の首班にそいつを据える。
そうすれば「家康のいうがままに動く大藩」を作れて家康としては問題無いし、加藤だろうと福島だろうと生き延びる事が出来る。
利長卿のように多少窮屈な生涯を送ることになると思うが。
それなりにユーモア精神があったことは評価するが
言ってることは相も変わらずスレ違いと誤った思い込み
>>31 またそんな暴論を…
黙認なんてしてないし
最低でもない
つうか前スレつったろ話聞け
991 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/01(金) 21:18:30 ID:MOCfRpyl
(´゚ω゚`)
誰か次スレ作ってくれ
994 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 06:58:04 ID:kuNxOGjy
埋め立てせんの?
995 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 07:01:45 ID:kuNxOGjy
埋め立て
996 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 07:07:44 ID:kuNxOGjy
埋め立て
997 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 07:43:13 ID:kuNxOGjy
埋め立て
998 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 08:15:30 ID:kuNxOGjy
埋め立て
999 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 08:16:19 ID:kuNxOGjy
埋め立て
1000 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 08:17:56 ID:kuNxOGjy
はいおわり
1001 :
1001:
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