1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
景虎さまこそ上杉次代に相応しいと思うのだが・・・
2なら景勝様最強
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 02:30:01 ID:UwIztxZc
直江のせいとか言ってみる
景虎が継いだら上杉潰されてたと思う
春日山城内の景虎屋敷が景勝屋敷より位置的に不利だったからってのはだめ?
兄貴の動きが鈍かったからさ
夢を見たいならせめて河田長親を口説き落としてからにするんだな。
むしろ景虎だったら北条に同調して織田に恭順したかも
金蔵ってそんな簡単に占拠できるもんか?
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:49:12 ID:eRL+udP+
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 16:20:48 ID:Tx0cj5gO
関東一の美少年だったってね
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 17:03:22 ID:Y3e2rfvs
近衛の小説はどうよ?
芦名や最上も織田の誘いに乗ってたんだっけ?
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 18:29:07 ID:tU4GZ6Ee
謙信は景勝より景虎を後継者にしたかったかもしれんな。
「景勝は上杉の一族なので謙信も景勝を後継者と見ていた」
とえらそうに講釈垂れる人がいるが、
上杉(長尾)家は伝統的に養子相続は多いし、
謙信も景虎を後継者にするのに抵抗はなかんったと思う。
むしろ景勝の法が油断ならん男で謙信の前でも隙を見せなかったそうで、
謙信の愛情と信頼は景虎にあったと思われ。
>謙信の愛情と信頼は景虎にあったと思われ。
必ずしもそうとは言い切れんのだよなぁ。
謙信の書状で「雪が降るからもどっておいで」と、
飯山の守備に出陣中の景勝宛書状もあるし、幼いころの
溺愛ぶり(書道のお手本)は周知のとおり。
官途をそのまま譲ってることを考えても、越後国主は景勝移譲だろ。
景虎は北条との鎹にと期待し、名目だけの関東管領を譲るという説に説得力がある。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 20:40:26 ID:EnvARBjU
>雪が降るから戻っておいで
軍神様カワユス。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 18:06:02 ID:XxaCjzsk
>>16 そうだとしても証拠がないんだよね。
有名な仙桃院のインチキ遺言で
謙信の遺言を捏造した件もあるし。
>仙桃院のインチキ遺言
直江実綱未亡人が正しい。
これも江戸時代に編集された「年譜」の記事なんだけどね。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 18:51:42 ID:XxaCjzsk
まあ、書面が残ってるわけでもなし、
景勝が胡散臭いのは事実だけどね。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 18:55:22 ID:kjuyS6JO
謙信は景虎を後継者と考えていたに一票
根拠は
謙信が春日山の本丸に近い、二の郭に景虎を住まわせ、景勝を下方に置いたこと
景勝には他の諸将と同様の扱いで軍役を課しているが、景虎には何も課していないこと
自分の旧名「景虎」を与えた事
ふと思ったが、景虎を後継者にしようと考えたとしたら、何が謙信の決断の要因になったんだろう。
景勝の場合はまぁ血縁関係という分かり易い背景があるから納得するの簡単だけど。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 20:03:43 ID:XxaCjzsk
>>22 まあ、ようするに可愛かったという事か。
別に謙信は変人だから、特におかしいとも思わんが。
>>21 たしかに二の郭は本丸(実城)に近かったんだろうが、
景勝の中城も、当時の春日山(鉢ヶ峰)では実城とならぶ
2大城郭だった説もあるからなぁ。
景虎には軍役を課してないのではなく、知行地がないから軍役衆もいない。
兵を出せといわれても困るわけだ。この場合も、謙信の直領を相続するはずだった。
とかの推論では結論まで出せない。従五位下弾正少弼は謙信生前に景勝が継いでるし。
越後国内での権威付けのために喜んでもらったけど
国内が安定してしまうと結局コストだけかかって実益のない関東管領職。
これを穏便に手放すための口実に使えないかな>>三郎景虎
>>25 変わり者の謙信はそんなこと考えてないだろ。
景虎室も上条室も男子あげてるのに景勝が未婚子なしって上田的にやばくない?
一族唯一の成人男子で後がないのに容赦なく前線に立たされて。
謙信乗っとる気満々じゃん。
春日山の景虎屋敷跡ってさ四畳半ぐらいしかなくない?
土手が崩れて狭くなったんかな
昔見に行った時
こんな所に掘っ立て小屋でも建てて住んでたのだろうかと想像して悲しくなった記憶が…
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 01:39:42 ID:J/TM6o/O
ここで支持した家臣をざっと挙げて見よう
上杉景勝支持→直江信綱、斎藤朝信、河田長親、千坂兵部など
上杉景虎支持→本庄秀綱、北条景広、神余親綱、上杉景信など
よく、謙信時代に政権の中枢にあった連中が景虎派に属しているから、
謙信の真意は上杉景虎に後を継がせたかったというが、上を見る限り
そうでもないような気がする
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 06:59:20 ID:2ed5KjJt
>>27 いや、いくら何でも上条は論外だろうけど・・・
謙信に取りたてられた重臣は景勝
越後国内の昔からの豪族は景虎
って気もする
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 14:29:19 ID:8lSj6CRe
勝頼が景勝に調略されたのが全てでしょ?
仮に景虎が勝ったとしても、余所者の彼が国内を
まとめることができたかは疑問だ。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 14:35:16 ID:4MqdH/3X
もし勝頼が変心しなければ滅亡せずに済んだやも…
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:08:00 ID:bcvau+8h
景虎が継いでたら、上杉家は北条家に乗っ取られる事になるんじゃないの?
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 18:18:45 ID:2ed5KjJt
>>34 ならないだろ。
養子相続なんて日本ではゴロゴロある。
血の繋がりよりも家の繋がりが大切。
例えば芦名盛氏の養子も佐竹の人間だしさ。
そもそも上杉綱憲は吉良家の人間。
上杉鷹山も秋月家の人間。
そもそも上杉自体が上杉憲政の形式的養子の長尾景虎が
継いだのたが。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 18:33:40 ID:VioZtHQh
あのさウホッな謙信が関東一の美少年の貞操を放っておくはずなくない?
やっぱできてたの?
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 18:44:24 ID:2ed5KjJt
>>36 つーか、それで有名なんだが、
なんせ北条と喧嘩別れしたあとも手放すどころか
養子にまでして可愛がった男だし。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 20:06:00 ID:60YNYCof
軍神様って女性に対しては貞節守ったけど
男とはヤリまくりだったの?
うん
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 20:52:29 ID:60YNYCof
なんかがっかりだな。
欲情を酒にぶつけて、その結果、突然死したと思ってた。
有名な話なんだけどな。
信長、政宗、信玄と
当時の英雄はみんな男色にハマってたし、
そんなガッカリする程のことではないが。
あと、景勝と兼続も夫婦ね。
>>30 いやつまり景勝がうっかり死んじゃうと
上田長尾の血をひく男子は景虎嫡男と上条嫡男しかいないってことでしょう。
実際上条の息子は子がない景勝のために人質に出されたりしているし。
>>41いや、その辺は知ってたけど、まさか毘・軍神様までとは。
毘沙門様に不犯を誓って酒だけに生きたのだと思ってた。
ショックだけど勉強になりました。
p,sこれで消えます。スレ違いごめんさない。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 23:04:47 ID:2ed5KjJt
>>44 消えるそうだけど、
ホモが最低とか変態行為いうのはあくまで現代人の価値観で
当時は男色は女色とは比べ物にならない程、
豪快で爽やかなイメージがあったのであって、
少なくとも当時の価値観ではその人物のイメージを
下げる性質のものでは全くなかったとだけ言っておく。
男色は元々は女色を仏教の戒律で禁止されていた僧侶のための
代替品として盛んだったのだが、
昔ですらこっそり妻子を囲っている愛人が居て世間に眉を顰められてたのに対して、
男色しかしない僧侶はきちんと戒律を守る清僧として尊敬されてたほどなんだよね。
謙信も男色しかしないというのは清い人物と見られてたんだが。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 23:07:40 ID:2ed5KjJt
当時の価値観
両刀=普通
女色しかしない奴=付き合いの悪い奴、変人
男色しかしない奴=カタブツ、清い人
両方しない奴=変態、病人
つまり秀吉は(ry
武家の子息が幼少の頃寺に送られてたらそこで稚児修行だしな
男色と言ってもガチムチ六尺兄貴系じゃなくて、爽やか美少年系だけだろ
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:07:50 ID:EQ63EnBi
昔の人は痔が多かったんだろうな(´・ω・`)
イギリスのパブリック・スクール
つまり、貴族の息子もホモばっか。
衆道の契りは義兄弟の関係になり親子や主従よりも密接な間柄になった
戦国期には大いに流行ったが
江戸時代に入るとだいぶ廃れた
>>51 うーん、本格的に廃れたのは江戸時代というか明治維新以降だと思うぞ。
幕末には会津や薩摩の衆道話も有名だし、
庶民レベルでの男色も盛んになった。
もっとも維新の後も海軍とか学校で男色は盛んだったようだが。
景虎の本名?って、北条氏秀の説は今は時代遅れなのかい?
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 01:52:54 ID:Ipq3Tjpq
保守
今は景虎・氏秀別人説が有力っぽい。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 04:18:58 ID:JBwyiC4S
氏堯・氏忠・氏光も一時期は氏康の子供とされていたけれど、
氏堯は氏康の弟で、氏忠・氏光は氏堯死後氏康の養子にされたらしいしな。
なんかごちゃごちゃしてきた
北条一族はマイナーな連中は紛らわしいよな
特に箕輪城のあたりな
結局「上杉景虎」って誰の子で本名は何というのですか? 教えて下さい(o_ _)o))ペコリ
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 01:27:16 ID:/F5azo73
age
>>62 織田信秀の第11子で織田信長の実弟。本名は織田長益
景勝との政争に敗れた後に豊臣秀吉、徳川家康に仕えた。
茶道の有楽流の祖になった程の文化人でもあった。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 00:48:16 ID:esCmY5ux
(゚Д゚ )ハァ?
67 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 05:54:28 ID:Re6tgkrQ
謙信旗揚げ当時からの地盤中越豪族はみんな景虎派。謙信存命中彼らがよほど横柄だったのでその反感が一気に来た?
景勝はれっきとした長尾氏の血筋
景虎は所詮、人質として送られてきた長年の宿敵北条氏の子
当時の価値観からすればどっちを選ぶかは大勢が決まるだろう
北条氏の後援が鈍かったのも、自分達がしゃしゃりでれば却って少ない景虎支持派にも悪影響を与えかねないとかの思いがあったんじゃ?
69 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 09:16:50 ID:Re6tgkrQ
景勝弾正少弼就任がよく言われるが謙信は出家したのだしもしかして景虎も関東管領に就任していたのかもしれない。
関東管領職就任の理由だった北条家と同盟し、その人質に管領職を継がせるか
よく考えてみればかなりアホらしい構図になるな。義はどこに隠れた?
71 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 10:13:05 ID:Re6tgkrQ
はっきり言って謙信は三島由紀夫のような人物。自分の正義に酔いしれるためにはその正義自体の捏造など平気。
景虎なら美貌で信長の目にとまり(おけつさしだして)御家安泰!
は無理ですか?
73 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 08:00:50 ID:jnDTA4oa
米沢人書込禁止!
>>70 すべて憲政のためだけの壮大なドッキリカメラ。
75 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 15:16:41 ID:vJA1kSRJ
御館の乱の上杉家内 (wikiとその他資料で補足してみた)
* ○は、一門衆
景勝側 VS 景虎側 中立?
○山浦国清 ○上杉憲政 河田長親
○上条政繁 ○上杉景信
○山本寺定長
○椎名景直
直江信綱 北条高広
本庄繁長 北条景広
斎藤朝信 本庄秀綱
色部長実 河田重親
吉江宗信 堀江宗親(後に景勝側へ寝返る)
吉江景資 加地秀綱
安田顕元 神余親綱
安田能元
安田長秀
新発田長敦
新発田重家
三条道寿斎
毛利秀広
直江兼続
樋口兼豊
山崎秀仙
柿崎憲家
須田満親
狩野秀治
間違いや不足分があったら、補足してくれ。
関東管領上杉景虎
越後守護上杉景勝
>>68 小早川とか吉川とかそのにもいくらでも、養子が家を継いだ例はあるよ。探せば
血縁がある一族がほかにいたにもかかわらず。
ちなみに当時は同じ一族血筋で何十年も争って因縁が残る例もいくらもある。
実際に謙信の出身である府中長尾氏と景勝の出身である上田長尾氏は長年抗争を
続けた間柄。父親には謙信よる謀殺説すらある。
無能な血縁者より、有能な養子かな? 戦国時代の習いとして。
景勝はパッと見が優秀に見えなかったのかも……。
>>67 景勝を推した直江ら与板衆って、そんなに嫌われてたの?
>>77 それは他家を乗っ取るための謀略での養子入りじゃん
抗争してようが血筋が重視された時代には違いない
景勝は別にそれまでに無能とか性格劣悪とかの評価があったわけでもない
当然の結果だよ
80 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 14:56:43 ID:OgZ+PYGe
身内の抗争こそ後に引くんだよ
古くは木曾義高、下っては津田信澄など
あっさり謀殺された遺児など挙げればきりがない
史実として御館の乱の場合、引いてないじゃないか
第一例に挙げられたものがことごとく当主争いとは別種だというのは何だよ
82 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 16:24:22 ID:OgZ+PYGe
引いたじゃん
府内長尾系はことごとく景虎派
例外は琵琶嶋弥七郎くらいで、それにしたところで
息子と目される琵琶島善次郎は景虎派の主力
ちなみに津田信澄は明智光秀が織田新当主として担ぐことを
恐れたので旗色鮮明にする前に殺されたんですよ
>>82 ことごとく、と言いながら自分で違う人物がいるとしっかり認めるとは如何にw
津田の件なんて証拠あんの?
84 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 16:42:54 ID:OgZ+PYGe
家名存続のために名目上親子で両陣に分かれただけであり
琵琶嶋家の主力は景虎側であったことが言いたいだけですが
いちいち御館の乱の基礎知識から説明しなきゃならんのはなんなんですが
大半の家は両陣に分けられていたわけです
例として、山本寺上杉なら兄の定長が景虎、弟の孝長が景勝
河田なら伯父の重親が景虎、甥の長親が景勝
斉藤なら兄の朝信が景勝、弟の三郎左衛門が景虎
下越本荘なら親の繁長が景勝、子の顕長が景虎
ちなみに本荘顕長は繁長謀反の降伏後に謙信に人質として出され
以後春日山にいた人です
85 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 16:48:57 ID:OgZ+PYGe
86 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 19:05:25 ID:ajteuEQW
山吉没後の三条城主神余親綱は恐らく越後最大の兵力を預った謙信最大の側近と思われますが景虎自刃後も延々と抵抗を続けました。彼をそこまで駆り立てたのはやはり義だったのではないでしょうか。
87 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 19:42:07 ID:OgZ+PYGe
神余氏は直江氏と同族かと思ったら安房の出なのね
安房忌部氏の系だとかで
88 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 21:11:54 ID:ajteuEQW
神余親綱の前任三条城主山吉の軍役を見ると越後最大ではあるが人数では景勝と大差ありません。注目すべきは騎馬武者の多さです。これぞまさに謙信の兵力である証拠でありだからこそ簡単に城主を変えられたのではないでしょうか。
89 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 22:23:01 ID:OgZ+PYGe
三条は越後長尾の本貫地ですから
重要視されたのは間違い無いでしょうね
90 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 19:11:30 ID:G9Atzkga
祖父姉甥殺し極悪人景勝
山吉といえば系図の混乱が激しいわけだが
久盛が応永年間と長森原の合戦と2回出てきたり
豊盛と景長は兄弟ではなく別家かもしれないとふと思った
盛を通字とする家(行盛・久盛・能盛・正盛)
政を通字として孫五郎を継ぐ家(義政・政応・政久)
景を通字として玄蕃を継ぐ家で(景久・景長)
全部別だったのをムリクリ合わせたとか
孫次郎も豊盛ともう1人長森原の合戦に出ていてたぶん親子だよね
92 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 23:12:32 ID:WiHBalm7
>>70 越相同盟は本当に義の無い場当たり的なものだね。
義昭の支持による信長包囲網では?
御館の乱で名前が挙がる毛利秀広、こいつは北条とか安田の越後毛利一族と見ていいんですよね?
他の越後毛利一族と違って本姓を名乗っているのはなんでだろう
もしかしてかなり宗家筋に近かったのかな?
95 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 16:55:51 ID:uY8aq0X7
氏秀のお付きとして北条家から移籍してきた武将って誰がいた?
遠山なんとかってのがいなかったけ
家帰って調べたらあった
3)『戦国人名辞典』遠山康光項
(…)相模国中郡白根のうちに三百四十一貫文を領し、天文年間の末頃から永禄年間にかけて奏者となる。北条氏康の命により上杉謙信との講和の交渉にあたり、元亀元年、氏康の子氏秀(景虎)が謙信に養子入りしたとき従い奏者となった。
遠山直次ってのと同一人物かな?
>>82 以前ニュース速報+で信澄が信長頃した犯人だって誤報が出てた証拠か何か発見されたニュースのスレがあった。
それで頃されたんじゃないかな。
どんな顔だだったのかな。
子孫残ってないんですか?
101 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 14:48:29 ID:MuSujSU/
103 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/19(月) 02:31:45 ID:mk6oH8sU
その当時、北条の勢力は群馬県辺りまで及んでいたと思われる。何ゆえ氏政
の近親者といわれる影虎を北条が見捨てたのだろう。影虎が後継者になれば
上下から武田を挟み撃ちに出来ると思うのだが。影虎が北条出身だけに
北条側の動きの悪さに疑問を抱く。
104 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 02:50:36 ID:0oXtktqd
臣従してきたばかりの壬生氏のために援軍派遣を決めたところだから身内は後回し
臣従してくれた高天神城見捨てて身内が所領増やすために上野出兵した武田勝頼とは真逆の家風
105 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 03:08:09 ID:8oyHwqy6
>>102 すげー甘い処分
やっぱり春日局がとりなしたのかねえ
それとも俗に言う天海?
106 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 13:21:07 ID:JnqxRDB5
>>103 とりあえず、関東情勢を頭に叩き込んでおかないと
氏政の行動は理解できないと思うぞ
御館にしかり、小牧長久手にしかり
あと氏邦勢の一部は越後進出済
107 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 07:57:00 ID:bRVYAifj
108 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 02:48:43 ID:73Rd3pLb
三郎景虎美少年説の直接のソースは関八州古戦録の
「武田の三郎どのと 一夜ちぎらば梨地鞍 召さぬは泣いて御座べいな 辛苦て有もすべい」
という戯れ歌だから武田人質説が崩れれば美少年説も崩れるんじゃないか?
というツッコミはしないお約束なんでせうか
109 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 08:03:36 ID:TqVyQpvm
言うまでもないことだから、今更誰も言わないだけの話。
武田人質説なんて、もはや支持者ほぼゼロだろ。
110 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 22:37:17 ID:73Rd3pLb
逆、逆
武田人質説が否定されるならば美少年説も
否定されてしかるべきなんじゃないかと思うんだが
111 :
人間七七四年:2007/04/26(木) 19:20:09 ID:wPAhxYpM
112 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 14:43:40 ID:UctOvMjA
景虎は引き立て役にされそうだ…
113 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 21:03:17 ID:TGC5121N
桶狭間の義元と同じって考え方だろ?<引き立て役
それならそれでいいんでないか。
弱い奴を倒しても、何の名誉にもならないことを考えると、
それなりに強く描かざるをえないと思うが如何。
特に昨今、義元なんかはものすごく見直されてるじゃないか。
114 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 23:30:25 ID:f3GyXvs5
景虎よりも正室の華渓院のほうがクローズアップ
さらに側室の妙徳院(釈)も出てきて昼ドラ的展開に
115 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 17:57:41 ID:TkOppZ/f
北条軍が景虎支援のため越後に侵攻したが、大雪の為間に合わなかったと
いう説と、武田軍が邪魔をしたという説があるが史実ではどうなってるの?
116 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 20:51:09 ID:C0vd+1Vf
引き立て役ならまだ良い方
今川義元には海道一の弓取りという尊称もあるしな
少なくとも原作の景虎は悪どくも卑怯、かつ無能という役回り
というか兼続に敵対する人は多かれ少なかれ皆そういう薄っぺらい役回り
その薄っぺらい悪役との対比によって兼続の義気を描く物だからこれまた非常に薄っぺらいw
そして兼続の不義はどれもこれも必ず、行きがかり・不運・世の倣いで正当化される
ドラマが原作通りなら見る価値全く無いねえ
これ言うと言った方が阿呆に見えるからあんまり言いたくないんだけど敢えて言う
「こりゃシロウトの俺が書いたほうがなんぼかマシな話になるわ」
117 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 21:44:25 ID:ZHGuvfhI
>>115 関東管領上杉謙信が死んでから、織田が武田上杉を滅ぼして関東に攻め込んでくるまでの間に
関東を平定するのが最優先事項だったので適当なところで引き上げた
ってのがもしも勝頼スレでは有力だった気がする。
北条の悲願は関東制覇だし、この時点では既に織田と通じていたようだ。
三郎も北条一門なら自分が謙信足止めのための捨石だと承知していただろう。
118 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 22:33:01 ID:C0vd+1Vf
景虎敗死直後さっそく厩橋城が武田に開城降伏
それにより関東から孤立した名胡桃城小川城が開城
翌1580年には最後まで抵抗していた沼田城の藤田信吉が開城
これを見ればやはり勝頼は早い時期から北条に対して軍事攻撃を見せていたと思われる
その後大胡城膳城など利根川東岸をも席捲する一方で
遠州高天神城には援軍を送らず、守城側の奮闘空しく翌81年3月に落城
このことにより信濃国人衆からの信望を失い、木曾氏保科氏を始めとした
大量離反を招くこととなり武田家は内部から崩壊する
119 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 04:24:58 ID:oJweYrNQ
どこか民放で近衛龍春原作景虎ドラマを大河にぶつけてほしい。
120 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 21:33:09 ID:Fg4h2tbS
その原作、本で出てるの?
121 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 21:45:57 ID:lbRipyYw
出てるよ
しかも民放が単発でやったら終わらなさそうなボリューム
ドラマチックな展開や描写が大好きで何度も読み返してる
主人公(景虎)は絶世の美青年・息子(道満丸)も美形、
敵対する勢力(景勝)の参謀(兼続)は腹黒美少年
美男だらけの中最後は儚く散る主人公…フジあたりが好きそう
でも景勝が癇癪持ちで兼続は義も何もあったもんじゃないから
2009年大河にぶつけたら喧嘩売ってる以外のなにものでもないw
122 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 23:33:21 ID:+uljJ6nI
むしろ御館の乱を題材にした2時間ドラマを見たい
何かどっちかだけが片寄って腹黒いとか悪役とかそんなんじゃなく
それぞれいい所も悪い所も魅力的に書いてさ
俺景勝も景虎も好きだし
123 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 03:10:35 ID:tg1QtPwk
あぁ、昨年末にやった明智はそういう意味で悪くなかった。
誰それが悪いとか権力欲しくて謀反とか違うのかもな、と思わせる点で。
秀吉嫌いだったけど少し考え直したし。
124 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 21:17:48 ID:fJMDKjj5
>>121 >敵対する勢力(景勝)の参謀(兼続)は腹黒美少年
兼続じゃなくて信綱じゃね?
125 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 10:42:52 ID:BifdxcjF
二人共極悪人
126 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 13:41:38 ID:58YJlZo6
春日山城内で二派に分かれて篭城戦やるってのも面白いよな。
この当時の双方の兵力てどんなもんだったんだろう。
127 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 16:02:43 ID:kFbdbZhY
春日山城内戦では兵力は景虎方、物資は景勝方だったとか
景勝が農民まで徴用してまわったみたいな逸話が残ってるとか残ってないとか
128 :
人間七七四年:2007/05/18(金) 19:01:51 ID:OHZu9S0+
御館ってなに?読みが解らない
129 :
人間七七四年:2007/05/18(金) 19:37:15 ID:OHftsbfg
みたて
130 :
人間七七四年:2007/05/18(金) 19:40:05 ID:OHftsbfg
やべ、しれっと勘違いしたことを書いてた
おたて、ね。
131 :
人間七七四年:2007/05/18(金) 21:37:01 ID:Q/HuG5aX
新手の保全屋か?
132 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 20:36:41 ID:5bI3AhPU
龍春の本見つからないなぁ
133 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 21:08:42 ID:EMtHUy5v
北条氏を研究している黒田先生が
氏秀と景虎は別人だった!
という説出してたけど、結局撤回した んだっけ?
134 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 21:49:46 ID:SNW8omf9
ありえん
治部少輔氏秀は天正11年に死んでるのに
幼少時に出家して、久野北条家の新三郎氏信が討ち死にしたため
還俗して養子として仮名三郎を名乗ったが
偏諱を受ける前に越後行きが決まったために
実名は無しってことでいいと思う
135 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 23:21:39 ID:kEDdhkSM
氏秀=景虎否定説は有名だが、
それを撤回したというのは初耳だ
どこでそれを発表したか、どういう理由で自説を覆したか、
それがわかるまでは信じられんな
136 :
景虎:2007/06/08(金) 01:19:45 ID:LlC3el+k
おれgackt。
137 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 09:22:44 ID:ANKb0HiI
ああああ
138 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 07:59:33 ID:hPv2VUwM
>>121 近衛龍春の「上杉三郎景虎」は勝頼が景虎に説教垂れるシーンに爆笑してしまったw
言ってる内容は一応尤もなんだけど、お前が言うなって感じで。
出来は良いし、景虎好きなら読んで損は無い出来だよね。
139 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 21:15:37 ID:7Byti/jF
読みたくて探してるけど見つからないよ
web注文できるっけ?なんか重版予定なしとか見かけたけど…
でさ、2社からでてるっしょ?内容同じかね?
140 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 22:39:15 ID:Z6RUezho
141 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 22:50:23 ID:fS9kAVFn
戦国大名の後継ぎなら戦に出てたほうが後継ぎ候補なんじゃないか?
戦えない後継ぎとか困るじゃん。
なんとなく、僧侶として生きたかったのに戦国大名になってしまった謙信が、
子供の頃寺に入れられていた景虎に若い頃の自分を重ねて見ていたような気がする。
142 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 04:03:29 ID:74/3u3hh
龍春の三郎景虎本読んでるんだけど…
341ページの一行目を見て、この作者がミラオタだと確信した。
うん、いいことだ。
しかしのっけから虐められてて読んでるこっちが辛くなったな。
謙信に会わなきゃ人質人生だからって諦めた生活してたかもな。
143 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 14:58:23 ID:sT0ftNWu
本厚すぎ
144 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 21:24:24 ID:h1Mek2Tj
謙信が上杉景虎に「景虎」の名前をやったの、
たんに景虎が寅年生まれだったからって話もありそうな気がする。
謙信自身名前に虎を付けられたのは寅年寅月生まれだからって話だし。
145 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 03:21:45 ID:QtZ6+A8C
その法則でいくと景勝は景兎(かげうさ)か。
146 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 07:16:57 ID:NKBdlgGY
景兎可愛いなw
147 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 23:54:24 ID:xDjfodUs
.∧
;へ | |
(_人ヽ_/ ノ
/ 。。!
( ,,,,Y,,,)
/ (,,゚Д゚) <呼んだ?
i(ノ |)
C l
゙:、 丿丿
U"U
148 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 23:55:43 ID:xDjfodUs
って、敵方の景勝を可愛くしてどーすんだよ自分(景虎派)!?
149 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 08:26:07 ID:Ate6IOF5
景勝の幼名は「卯松」な件。
150 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 03:08:44 ID:G4Yvym0M
なんとなく牛丼屋が脳裏にひらめいた
151 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 23:48:52 ID:/+sIoige
干支の字が幼名、通称に付くのは基本中の基本だが
いみなに付くのは「虎(寅)」「龍(竜、辰)」くらいじゃね?
152 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 23:34:23 ID:t8gMyHxl
太田牛一の牛は通字だから例外。
153 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 20:32:28 ID:+i8fbRsz
この人は戦場に出て戦ったことあんの?いつどこの?
154 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 11:40:30 ID:NQ/T944g
あるんじゃない
155 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 14:30:00 ID:cWcLpIBx
156 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 19:16:59 ID:h1seyYrv
南無頓証菩提
157 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 20:18:20 ID:6gFVBIcs
本読んだ。
景虎がえらく短慮に書かれててちょっと不憫だったな。
まじでそんなに後手後手だったのかな・・・。
甘やかされて育った坊ちゃんじゃあるまいし、
これだけ先読みができないならお家騒動なんか乗り切れるわけないわな。
と創作物にマジレス。
個人的には直江兼続大好きなんだが、はじめておれの直江像がぴたりと来た感じ。
でもあれだけ無礼なら普通斬られてるだろと思ったがw
158 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 02:25:39 ID:brbQuAfu
童貞野郎共よ押忍、押忍、
全く上杉厨共の書き込みを見てると情けなくって涙が出てくる。
30代になったいい無職がまだ「デカマラの六尺謙信公」とか言ってデカマラの六尺謙信公を求めてひた走る
この健気さにうっとりだ。
アホかこの童貞が!
いずれ謙信公が女狐と結婚したら後悔するぜ
男ならもっとビシッ!とズリ道を極めろってんだ!
俺はその為に毎日1000回のゼンズリを欠かさない。
「オッス!!オッス!!」と気合を入れながらデカマラを振り下ろす度に菊門にギュッ、と力を込める。
こうして鍛え抜かれた俺の性根は「衆道」なんて立派なシロモンとは対極を成す、まさに「男の極み」だ。
そのあまりのデカマラっぷりにご近所じゃあ“デカマラの毘沙門天”って呼ばれてる。
そんな俺だが、俺でさえ家を出たくなるほどの形のいいデカマラの六尺謙信公の出現を心待ちにしている。
勿論、最悪のアウェイを味わいたい命知らずの衆道彼も受付中だ!
毎週金曜14時頃はだいたい衆道の結婚相談所&出会い系の衆道サイトにいる。178*74*48角刈りにねじり鉢巻がユニフォームだ。
俺のほぼ不可能な衆道&糞尿離れ!離せるもんならハナしてみやがれ!!
この書き込みに勃起した包茎ミニマラ上杉厨房もオレと一緒に
ズリ道極めようぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
159 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 00:59:57 ID:LAjMHCAC
単純に北条方が景虎を助ける気が無かったとか。
160 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 11:34:10 ID:MB+1vn5Q
一応、援軍を送っていたけど間に合わなかったんじゃない。
武田勝頼にも景虎支援を要請し、受け入れられたけど、武田
軍が上杉景勝に買収されちゃったんだよ。
景勝は、春日山城の本丸をまっ先に押さえたけど、そこには
謙信が貯め込んだ金蔵があったわけで、その検診の遺産を遣
って上杉景勝は、有利に戦いを進めたわけだ。
161 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 14:07:14 ID:U5xtYmJ5
景虎は援軍に来た勝頼に領土割譲を要求していたと北条スレで読んだよ
それで勝頼は支援をやめてしまったとか
北条も本格的に動き始めるのは秋になってからだし事情はあるにせよ遅い
162 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 16:15:55 ID:vz8R5prX
勝頼自身が出陣してるのに肝心の北条が動かないからな。
形勢逆転したのは武田が買収されたからだが
根源は北条側にある。
163 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 00:35:53 ID:PlbNVJt8
氏政は本気で景虎を応援しようとしたの?
164 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 01:37:52 ID:5BVWaOfx
越後守護上杉景虎なら助けてたように思うが、関東管領上杉景虎は内紛の元にしかならない気がする。
そもそも人質として送られた、まぁ捨駒だよね。そんな人間が実家並の国力、兵力、実家以上の官位を
持ったりしたらどう考えても難しいコトになると思うんだが…
165 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 07:17:55 ID:M8EMXjnC
兵力は無いだろ。
166 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 15:31:37 ID:xoBH/f7l
武田としても景虎が勝っちゃうと自国が北条上杉連合に囲まれる形になっちゃうわけで
結果として武田は景勝に付き北条はやる気が無かったと
167 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 11:21:20 ID:YauHLc6B
北条も助ける気があったんなら三方ヶ原の時の信長みたく
3千でもいいからさっさと兵を送るべきだったと思う。
兵力が少なくても軍監として武田や上杉の牽制、監視にはなるし
援軍の将に譜代の重臣、或いは北条一族の人間を遣わせば
北条の本気度合いのアピールにもなるし。
ただ、景虎が勝ったアトの扱いが問題だわな。
168 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 11:33:00 ID:a6/oHF22
氏政も弟が関東管領ってのは微妙だったんじゃねえ?
169 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 19:42:40 ID:MXDHtqjO
>>167 いや、一応氏邦(氏照も?)が軍勢を率いて三国越えしているんだが・・・・
170 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 21:08:36 ID:Vd44O4O/
その一応、っていう北条家の空気にみんなツッこんでるのではないかと
171 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 11:20:09 ID:Fm21tXWx
>>169 謙信が死んだのが3月、戦争勃発が5月、武田の救援が6月、北条の援軍が9月。
長篠で大敗したばかりの武田に多くを期待するのは有り得ないとなれば北条の動きは遅過ぎだろ。
援軍も行ったら行ったで坂戸城を攻略出来ず雪で身動き出来なくなるといって樺沢城に
守兵を残して帰るってのは助ける気を疑われてもしょうがないような。
とりあえず見殺したらバツが悪いんで助けるポーズだけでもしました。ってのなら
納得もするんだが。
172 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 13:22:22 ID:pQQTfICZ
冬は仕方ないだろ。
数メートルも雪が積もる土地で軍事行動なんて無理。
動きが鈍いというのには賛同するけれど。
173 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 13:23:47 ID:Fm21tXWx
援軍を好意的に解釈して越後まで何とか来たけど雪で本当にどうにもならなかったんです。
というのを真に受けたとしても、戦争勃発!早速援軍をという流れにならなかったてコトは
北条の中に景虎を助けるコトに微妙な空気があったと思われても仕方無いわな。
つーか、景虎って一族の中で嫌われてた?
景虎が乱の勝者になって関東管領になったりすれば北条宗家とのあいだで諍いが発生するかも
という意見も景虎側が宗家に管領職を禅譲するか宗家と管領の間で婚姻なり養子縁組なりして
両者の縁者というか宗家というか氏政の血筋が管領職を継ぐようなカタチで手打ちをが出来そうな
ものなのに…景虎が管領になったら宗家に従うかどうか判らないと思わせる何かがあったのかな?
174 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 13:39:12 ID:Fm21tXWx
あと、あれだけ北条にやられた上杉憲政が景虎を支持してたってのも気になるね。
175 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 01:36:08 ID:n8Uqudzy
謙信存命時に景虎の方が後継に近かったからとか?
もう年も年だし長いものに巻かれてたかったんじゃないかな。
だから最後道満丸を手土産に和睦申し入れで敵陣訪問、とか空気読めないことしちゃったんだよきっと
176 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 02:02:08 ID:6AeErvYd
御館に入って来られて巻き込まれちゃった感のが強い
あれよあれよと流されるままというか
177 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 11:38:11 ID:zumHkSjX
三郎景虎には所領も自分で動かせる兵力も無いから
例え勝ったとしても越後の諸豪族の傀儡になるのみえみえだし
どっちが勝っても大した旨味が無いから北条もやる気なかったんじゃ。
178 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 09:43:30 ID:G4ZvggPa
うるさい関東管領が死んでから織田徳川連合軍が関東になだれ込んでくるまでの
わずかな時間内に関東平定しなくちゃならないんで北条は忙しいんです。
武田上杉は緩衝地帯なので、織田徳川と和睦しない限りは放置でよいのです。
もし三郎に本気で肩入れして上杉家を継がせたら
織田上杉戦線は北条の外交上の負担にしかなりません。
甲相同盟破棄・甲越同盟締結・消耗した上での景勝の勝利
すべて北条の対織田外交的には完璧なシナリオなのです。
179 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 02:34:23 ID:i4/pKDKs
>>173 事が起きてから、小田原まで使者が着くまでの時間を考えると仕方ないような?
農繁期に田んぼを放置して、援軍に大軍を送るわけにも行かず。
>>174 両者の仲裁を図るが、一緒に殺されたと思うよ。
180 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 03:56:52 ID:WZPuFMwk
ブクオフで買った上杉三郎景虎読んだ。
すげー切な過ぎる話だな。
作者の描き方が上手いのかわからんけど終盤の悲惨さはムゴすぎ
だから小説として面白いのかも知れんけど
181 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 20:35:48 ID:QEOqPCI7
でもこの人、これ以外の小説は、すっ
ごく出来が悪い。
182 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 22:12:55 ID:2Mw1uQjr
人質としてたらい回しにされた人生が可愛そう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・家康
183 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 15:32:06 ID:tTUQc98J
再来年の大河、「天地人」でやるかな?
御館の乱。
景虎は美形じゃなきゃだめ!
184 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 21:41:23 ID:UntMEd92
やるだろう。憂いを帯びた美男になるだろう。
185 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 22:10:06 ID:ffKsIkLk
>>183 まあ、間違いなく触れるだろうけど、「天地人」原作の景虎は
それこそ嫌みなだけの奴だからな。期待しない方が良いよ
186 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 10:38:50 ID:REJKudEN
>>184 トン
景虎さま、三国一の美丈夫だからそうだおね!
>>185 えぇぇぇぇぇ
景虎さまが嫌味な人として、テレビにでたらいやだおw
敵の立場でも、共感できるようなかんじが見たいお
187 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 19:47:30 ID:sV90k8Fk
最近のNHKは原作破壊ぶりがひどいわけだが、
それが逆に良い方に作用するのではないかと睨んでいる。
どうせなら景虎方の重臣たちも何人か出してもらえんかな。
古志の十郎とか、北条景広とか。
188 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 20:48:24 ID:vMAvqNRb
脚本家がそこまでもの知ってる人間とも思えんが
189 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 13:43:35 ID:xIxDCp2s
景虎さま陣営がでないと、見ないお!
190 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 01:50:38 ID:CdCS5EDY
>>188 勉強はするだろう。
何を見て勉強するか、というのが最大の問題だが。
191 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 20:43:35 ID:9z9xpuDm
今ごろ炎の蜃気楼全巻読破してるよ
192 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 22:08:37 ID:krGrCNOz
>>191 噴いたw
しかし、冗談に聞こえないのが恐ろしい。
193 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 02:17:26 ID:3kmuCmGN
>>192 ソースがウィキペディアとか普通にありそうで怖い・・・
194 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 18:01:50 ID:bqxp43YC
炎のラノベのキャラ設定を120%参考にしてくれないと、見ないお!
195 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 23:10:53 ID:VZbGRxAX
んーなの冗談でも言わんでくれ!
誰が見るかっ、そんなもん!
また春日山とか腐れどもの巣になるじゃないか
196 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 00:21:07 ID:3+eoXdfb
197 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 00:43:22 ID:3+eoXdfb
198 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 21:02:47 ID:fO5BW72w
>>191-195 では冗談ような実話を。
今から10年は前になるが、横浜の駅ビルの本屋でラノベのコーナー(当時この言葉があったか?
とにかくそーゆーレーベルがあつまっている一角)をぶらついていたら、なぜかこんな場所には
相応しくない分厚いハードカバーの本があった。なんじゃこりゃと手にとって見てみると、もう
想像がついただろうが近衛龍春著『上杉三郎景虎』だった。
なんでこんなところにと周囲を見渡してみると、そこはコバルト文庫のコーナーで炎の蜃気楼の
フェアがやっていたとさ。
とりあえずげんなりしながら、本を歴史小説のコーナーに移したことを覚えている。
199 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 23:11:25 ID:a4yx7fTI
>>198 いや、その本屋のやり方は正しい。
近衛のその作品は明らかに蜃気楼を意識しており、
その読者層に向けて色々と暗号みたいなものを送っているw
内容は蜃気楼を知らない読者が楽しめるぐらい面白くて重厚なんだけれどね。
ただし、謙信の描写は稚拙。
この人、知識は深いと思うけど、史料の理解力に欠けているぽい。
200 :
人間七七四年:2007/12/04(火) 07:42:44 ID:PNHYDg4c
歴史小説ってピンじゃ大して売れないからな
ラノベと一緒に展開しておけば中高生が買ってくれるから売上が跳ね上がる
201 :
人間七七四年:2007/12/09(日) 17:04:43 ID:7zg/2nnY
>最近のNHKは原作破壊ぶりがひどいわけだが、
それが逆に良い方に作用するのではないかと睨んでいる。
そうなんだよ。俺もそう思うんだよ。
真田氏研究家で知られる小林計一郎氏が「天と地と」の時代考証担当した時の
話読んだ事あるけど、「原作のように信玄を悪く書かない方がよい」と
アドバイスしたら、信玄の人物像は改善されたそうだ。
良識のある人間が、時代考証担当してくれる事を願う。
202 :
人間七七四年:2007/12/15(土) 02:37:47 ID:Raxv93Z5
原作破壊ってか、天地人は原作自体…
まあ出来はさておき、あれの景虎は犬に喜平次って名前つけて
部下たちが犬虐待してるの見て高笑いしてるような人だ
どんだけ原作破壊しても景虎が景勝に負けて死ぬのは避けられないし
カッコいい景虎しか見たくない人は見ないほうが無難だろうなぁ…
203 :
人間七七四年:2007/12/15(土) 11:41:03 ID:CDMmpoGu
景虎は、景勝直江の敵だからなあ。
いやな人物で描かれちゃうのかなー。
しかし、景虎のTV登場は「おんな風林火山」以来だから
見るしかないかな・・・。
204 :
人間七七四年:2007/12/15(土) 13:15:59 ID:cgysM0XD
それでもまだマシな描き方はあるだろうに・・・
景虎の描写がアレでは、その景虎を見込んで養子にしちゃった
謙信公は何なんですか?って、話になっちゃう。
205 :
人間七七四年:2007/12/15(土) 14:49:27 ID:yI0Bn4We
簡単な話じゃん。北条との駆け引き。
別に三郎景虎を個人的に見込んで養子にしたわけじゃないぞ。
206 :
人間七七四年:2007/12/15(土) 15:09:51 ID:CB4Lm+ji
謙信が三郎を気に入って養子にしたと思ってる景虎オタって多いんだな
越相同盟の条件として、最初から両家の間で決められてたことだから
景虎の名乗りを与えて姪と結婚させたから丁重に迎えたのだろうと思うが
とにかくあの原作は兼続父子とお船と幸村、泉沢以外はロクな扱い受けてない
でも三郎はドラマ版で救済措置あるんじゃないの
悲劇のイケメンってことで
207 :
人間七七四年:2007/12/15(土) 18:24:23 ID:Hs+mDYAX
むしろ三郎はイケメン度すらも主役陣の中で埋没しそう。
208 :
人間七七四年:2007/12/15(土) 21:35:49 ID:CDMmpoGu
数年前のライバル日本史という番組で、一番見たいライバルの
アンケートで1位になっていたのは「景勝VS景虎」だった。
その事をNHKが覚えていたら、前半の見せ場「御館の乱」での
景虎を原作通りの愚将には描かないと思うのだが・・・。
209 :
人間七七四年:2007/12/15(土) 21:38:09 ID:cPSjwNUb
マニアックなランキングだな
210 :
人間七七四年:2007/12/15(土) 21:54:55 ID:k/MyaJT1
北条が本気で援軍出さないから
つまり実家の北条氏政はアホ
景虎が上杉家当主になれば、越後どころか加賀・能登・飛騨まで北条の勢力が伸びて天下も視野に入ってくるというのに
211 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 00:14:11 ID:wYL/V4s6
実戦経験が少なかった景虎が仮に当主に就いたとしても、越後の国人衆を統率できるかな?
北条という後ろ盾だけで、従えられるほど甘くないと思うが。
212 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 01:04:37 ID:7bUWBB93
景信&憲政が後見でキタ条さん&揚北衆が裏切らず 嫡男が上田長尾の血を引いているのならなんとでもなる。 まあ、勝てればの話だが。
213 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 05:21:53 ID:2so0gC1s
景虎の支持層って春日山からわりと近いとこに城が有る連中だよな。
景勝の支持層は阿賀北衆が殆どな感は有るし
214 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 07:33:35 ID:tnN8bgGc
景勝を支持したのが、一門衆では山浦源吾ぐらいか。
他の一門衆は、古志派だったのだろう。
215 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 09:54:55 ID:Dkid155b
謙信に取り立てられた奴らと直江って感じだな<景勝派
古志長尾派というより三郎景虎なら北条とつながりができるし
なにより兵も土地も持たないので御しやすしと見た土豪&景虎優勢と見て
日和った連中、な感じ。
216 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 10:34:59 ID:8DKNe7kq
北条は汚いよな。
援軍出さなかったばかりか、この件を利用して武田を切って織田に近づいたり。
217 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 10:48:16 ID:JdGpmE3a
北条にとっては、元々単なる捨て駒だった景虎が越後国内を
乱してくれてラッキー、くらいの気持ちだったのかもな。
本気でやり合う気は最初からなかったように見える。
218 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 11:30:27 ID:tnN8bgGc
謙信は景虎を北条に返すべきだったね。
景虎は、他家の跡目争いに巻き込まれ(自分が後継者と主張したから
巻き込まれたわけではないが)、異国の地で死んでしまったんだから
悲惨だよ。どうせ滅びるなら、実家の北条と共に滅んだほうがマシだったか。
そして、古志長尾VS上杉弾正少弼景勝の戦いになり、景勝も妹を死なせなくて
済んだはずだ。
219 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 12:32:38 ID:TOI+oshs
三郎景虎を手元に置いておいたおかげで
北条と上杉は謙信が死ぬまで戦争しなかった説もあるけど。
220 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 13:03:20 ID:UinF6G6J
確かに同盟が破綻しても三郎を手元に置いておくことで、
北条への牽制になっただろう。同盟を仲介した国衆との関係も無視できないし。
しかし越相同盟って本当に何だったんだ。
領土割譲だってしょせんは謙信の自力にかかってたわけで、
割譲を受けた土地の大半は領有できず、むしろその後は北条の分国に編入され、
反北条で結びついてた関東の諸勢力との関係にも亀裂が生じるし。
不利な条件で締結しながらも、実は北条が取っていった感じ。
221 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 14:07:30 ID:nhChK4gN
北陸方面に専念できたからいいんじゃないか。
港湾利権もあるし、結果的に謙信死後の織田の侵攻の時間稼ぎにもなったし。
222 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 17:28:00 ID:Dkid155b
越後にとっちゃ国境の安全さえ守られてりゃ
関東なんて行くのも帰るのも大変な土地いらなさそうだしなあ。
223 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 21:56:57 ID:Ot8NpQ0n
名族たちに担がれたジャニーズ系
224 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 14:03:07 ID:E0ZR31B/
景虎は上野の支配権とセットだから謙信としても手放せない。
北条方も景虎が死ぬまで上野の領有権は主張できなかったし。
225 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 20:19:14 ID:1kpv13Bk
関東一の美少年なのに
何故かゲームとかだとイケメンにされないね・・・。
226 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 21:22:17 ID:+ytTDcby
>>225 そうだよね?小説(正史、IFや某ラノベ)などはちゃんと「三国一の
美丈夫」または「関東一の美青年」になっているのにゲームでは....。
もしかしてコー○ーに彼のことを嫌いな人がいるのかな?
227 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 21:25:43 ID:7nuTnEmN
子孫がいないからじゃないか。
○ーエーは子孫からの突き上げに弱い。
うちのご先祖様は出てこないのか、うちのご先祖様はそんなに弱くない、等々。
馬鹿丁寧にそれらのクレームを全部聞いた結果が、
戦国SLGだったはずのものが、いつのまにか武将萌えゲームになってしまった。
228 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 22:35:23 ID:Ce2YKKic
一級資料に「三郎景虎は美形」と判断できるような話無いし。
229 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 03:38:01 ID:GGYaNQen
230 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 08:57:48 ID:0RkHrYlq
ゲームをその程度と思ってのにそこでされてる評価は気になるって姿勢が分からん。
ツンデレなのか?
231 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 11:21:53 ID:MO/hJc2k
>>228 悲劇のヒーローorヒロインは美形補正されるからね。
232 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 13:03:03 ID:qXv6o5QP
真田幸村なんてイケメン説ないのに絶対にイケメンにされるからな
BASARAが政宗とセットで売り出してるのもあって
女人気がやたら凄いから
イケメンにしなきゃ駄目みたいな感じがあるし
それでも当時イケメンとされてた武将はイケメンにしないと
信長とか蘭丸みたいに
知名度ないから冷遇されてるのか?
233 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 14:25:11 ID:iNPp55M7
そもそも上杉景虎が美形だったというのも一次史料にはないわけだが。
234 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 15:13:53 ID:dePSkZTe
悲劇の美青年にしたくて作った創作話っぽいもんなあ。
三郎景虎三国一の美少年伝説って。
景虎の名前も下手すりゃ「何、寅年生まれ?
じゃあ俺も寅年生まれで景虎になったからお前の名前も景虎ね!」
って程度な気もするしw
235 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 18:31:31 ID:yE3kepvu
いや、それでも自分の名前は名乗らせないだろ。
一字与えるとかならまだしも。
236 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 19:18:33 ID:dePSkZTe
いやだって上杉に養子として入る時点で「景」の字が入るのは確定だろ。
家臣じゃないんだから。
あと残りの一字はやるとしたら「虎」で確定じゃん。
もしかしたらそのうちに「憲」を貰う事になったかもしれんが。
237 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 19:32:12 ID:cwlVx1lY
関東管領山内上杉を貰ったとして、憲景?憲虎?
なんか物凄くしっくりこない名前…。
238 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 19:52:17 ID:FuLL8g6q
三郎イケメン説の流布は炎の蜃気楼のお陰だしなぁw
腐女子層以外には知名度無かったりするしる
239 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 21:40:06 ID:m45WEJJE
240 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 21:57:01 ID:cwlVx1lY
上条政繁と山浦国清は上杉を継がせる前提で養子に入れたわけじゃないから
また別なんじゃない?
三郎景虎は上杉の子になって関東管領を貰う予定だったんでしょ?
景は一族扱いとして入れた時点で一字あげるまでもなく付くのが普通、
輝虎の輝は将軍義輝から貰った字だからそう勝手に人にあげる訳にはいかない、
政をあげた事もあるけど「政景」も縁起悪いというか景勝にも悪いし
景政だと上杉から貰った政を長尾家通字の景のケツに付けるのは失礼かも。
で一字あげると虎景か景虎にするしかないかねえ。
憲虎に将来なったかもと思ったら微妙ー。
241 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 22:06:10 ID:m45WEJJE
そもそも景の字にこだわる理由が分からない。
長尾ならともかく山内上杉なのに
242 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 22:08:26 ID:yE3kepvu
>>236 景を通字として使わせるのならば、他に一字与える必要なんて無いだろ。
243 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 22:13:07 ID:m45WEJJE
江戸時代になってからでも、景勝の「勝」はともかく
他には戦国時代以前に山内上杉の通字だった「憲」とか「定」が復活しているんだから
「景」を与えなきゃいけない理由なんて無いだろ
244 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 22:21:13 ID:dePSkZTe
一字くれてやるならまだしも、という話だったから
「一字くれてやるなら虎をやるしかないだろ」という話をしている。
そもそも、本当なら「政」の字を貰ってるべきだよな。
関東管領継がせるつもりだった説なら。
なんで政じゃなくて景をやったのかは不思議だ。
上杉政虎でいいじゃんと思うわけだが。
謙信は輝虎なんだし。
>>240 よその家を継がせたときにその家の通字を貰うかどうかは
先代が生きていて貰えるかどうかなんじゃないか?
山内上杉が上条・山浦の主家とはいえ
勝手に他人の名前をくれてやるわけにもいかんだろう。
直江家も信綱は通字の綱使ってるが兼続は樋口の通字で通してるし。
245 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 22:32:47 ID:iNPp55M7
景虎になる前の三郎がどんな名前名乗っていたか、
ちゃんとした史料ってないんかね。
246 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 00:18:32 ID:75WFcBbP
氏秀説は否定されちゃったからな。
247 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 09:17:39 ID:3sL5z5Ff
幻庵の娘貰って養子に入ったのは氏秀で三郎とは別人なんだよね?
上杉に来る前の三郎はどこまで分かってるんかね。
248 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 13:01:56 ID:OIVSseF1
三郎の美男説って、例の武田人質時代の流行歌なんかが否定されるとすると、
あと残ってる史料にってどれなんだろう。
上杉家御年譜とか?北条メインの軍記物なんかは完全にアテにならんだろうが・・・
景虎の名乗りは、同じ寅年生まれだからという説は他でも見たな。
養子として関東管領を継がせる予定だからこそ、山内の「政」や「憲」を使わず、
現管領である輝虎自身と深くかかわりのある名を与える必要があったと思う。
それまで謙信を関東管領と認めてなかった関東の諸将に対して、
北条の子が養子となって、その子に先代の憲政に関わる名ではなく、
謙信の従来の名乗りが与えられた、ということは大きな示威になったと思う。
でもそこまで深く考えず、若い子は好きだし可愛いし、
「ああ、寅年同士?じゃお前も景虎ねv一緒vv」という方がイメージなんだが。
僧門に入っていたことも酒豪であることもシンパシーを感じる要因になったはず。
249 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 17:24:51 ID:fdcvyMbl
「虎」の一字にはわりと謙信もこだわりを持っていたのか?
改名するときも、通字の「景」ではなく「虎」を残しているし。
250 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 18:05:30 ID:MMAgM18T
こだわりなんて本人に聞かんとわからんが、
政虎は憲政の「政」、輝虎は義輝の「輝」を受けたもの
通常、権力者から頂いた一字を上の字にし、下の字は残す例が多い
直江景綱→実綱→政綱もそうだし
251 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 18:25:38 ID:4sIXVHWd
お偉いさんから貰った字をケツにつけるって
やっぱちょっと印象悪いんでないかい?
上に付けると語呂が悪いから…とかそういうのはありそうだが。
おかげで名前が変わっても
謙信は「お虎さん」とか言われていたという話は聞いたことがある。
252 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 18:47:11 ID:Z+bXeliM
謙信直筆の手紙で署名が「虎」の一文字になってるものもあるね。
253 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 21:16:20 ID:fdcvyMbl
>>250 直江氏の場合「綱」は通字っぽいし・・・・どうなんだろうな
254 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 22:44:35 ID:3sL5z5Ff
謙信は上杉家になったんだから長尾家通字を残しておく意味もないだろう。
虎も一緒に消して政○と全く新しい名前にする選択肢もありそうだけど。
あと将軍から賜った一字を尻に付けたパターンって誰がいたっけ。
普通は偉い人から貰った字は頭に付けるもんだと思ってたが。
255 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 22:58:11 ID:4sIXVHWd
ぱっと思いついた連中だと
柿崎景家
中条景資
中条景泰
吉江景資…とか。
元の通字を残してる人も、通字の方消して景貰ってる人もそれなりに。
ケツに付けてる人はあんまり見当たらないかな。
256 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 23:14:04 ID:ebiIKiNk
将軍じゃないが、ぱっと思いつくのは豊臣秀次が下の「次」をやって「○次」で偏諱してるな。
257 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 13:03:47 ID:Od4h8MW+
>>218 いくら電波な謙信とは言え
養子が二人もいたらこうなるのは分かってただろ・・・。
最初から自分の子供作っておけば良かったんだよ
仮に女に興味ないとしても
258 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 18:35:24 ID:DxvAZDOR
謙信に電波なところはあまりないぞ。江戸期に作られた軍記ものの謙信像は電波ビンビンだがw
養子二人いたけれど、本来なら家中は分裂しないものになるはずだった。
景虎には直属の兵団はないし、それを擁して活動しかねない古志には、
河田を送り込んだりして動きを封じていた。
内部を固めなおそうとしているさなかに急死したから結果として分裂したんだけれどね。
259 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 20:04:22 ID:pO4uolQ0
電波出てなかったら なんのご褒美もない謙信に誰もしたがうわけもなく。
非常に悪い例だが 麻原しょうこうの何百倍もの電波出しまくりだったのだろう。
日本の北から南の隅々にまで それは飛びまくったのだよ。
飛びます飛びます。
260 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 23:15:35 ID:DxvAZDOR
お前のほうがなかなか
261 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 01:44:47 ID:a86jGkUA
動きを封じるけど春日山城代とか言ってることが支離滅裂だな
まさに電波
262 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 04:40:42 ID:PUZCRqr8
263 :
人間七七四年:2007/12/28(金) 01:11:16 ID:ubz3E8cK
動きを封じるってことはないよな>景信
天正3年の軍役帳でも席次は3位だし
依然影響力は大きかっただろう
ただ、河田長親を養子として跡目にさせられたのは正直痛かったろうなと思う
栖吉衆が河田の命を聞かずに謙信の叱責を受けた記録も残ってるし
まぁ越中で実績を積んでからは反感も和らいだろうが…
結局長親が長尾姓を名乗ることもなく、謙信のもくろみは中途にして終ったが
264 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 19:11:37 ID:0FcI0tui
今日やる「天と地と」ってドラマ
上杉のなんだけど景虎って出る?
265 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 20:48:47 ID:vWIhNp9o
出ないでしょ。
266 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 20:50:48 ID:EJWBHtOv
あらすじや登場人物見ても長尾家兄弟喧嘩と
川中島くらいしかちゃんとやらない予感。
267 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 23:26:23 ID:0FcI0tui
天と地と見てきますた
川中島がほぼEDの様だった。
女たらし共め(・ω・)
268 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 03:52:45 ID:9rEI+Xqe
来年の大河の小説(天地人)読んだけんど、直江側に創り過ぎて醜い!
憲政と道満丸を殺してしまったいきさつを守備兵が事情を知らずに勝手にしたこと、なんてあり得ねえ!
爺さんと赤ん坊を事情を知らない上杉兵が切るか?
知ってるからこそ切ったんだろうに…
その他、捏造創作盛り込み過ぎて大河見る気薄れた!
流石NHK出版!
269 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 04:35:57 ID:/I+iPrxP
直江側に創り過ぎというよりは
あれは贔屓の引き倒しと評するべきモノだと思う
常に最善を期する完全無欠の正義の人
起こった不幸は全て不運のせいか卑怯な敵のせい
これほどまでに魅力の無い主人公が今までいただろうか
あ、1人いた
滝田栄の徳川家康
270 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 13:05:11 ID:Dnsr/Wih
それでも山岡荘八の家康は読めるぜ。
問題は天地人。あれは直江贔屓の連中から見ても、
満場一致で駄作だからなあ
271 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 18:32:22 ID:Y8+cJrHB
腹黒なら腹黒でいいんだけど、
無理に善人にされるのは萎えるよな。
冤罪で領民を処刑→異議を申し立てた家族ももろとも斬殺な直江のどこに正義があるというのか。
272 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 18:39:32 ID:J4xDz2AP
それ良く聞くエピソードなんだけど、元の史料って何?
なんか中国の公案小説風だから大岡裁きみたいに他の所から
パクったネタっぽいと思ってるんだけど……。
273 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 19:26:00 ID:/I+iPrxP
普通にパクりなんだろうが
それが美談であるかのように流布されてんのが非常にアレ
でもなにかの暗喩らしいね
三宝寺庄蔵が山本寺だか大宝寺だかに比類されるとか
274 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 20:13:52 ID:pn1dYwB5
天正大判エピにしろなんかみんなネタっぽいよね
直江状出版にむけた中村五郎右衛門の宣伝だったとか…ない?
275 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 21:50:52 ID:P0u0aZgk
>>268 おれもこの原作はひどいと思ったが、
憲政と道満丸を殺したいきさつは火坂の創作ではない。
信憑性はともかくとして、越佐史料にも載ってるよ。
ま、景勝の指図があったんじゃないかってことも書いてあるけど。
276 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 11:45:01 ID:+a9hbQ6v
>>275 「よくわかんない」的な感じなんだよね。
正直上杉憲政を殺したところで、どうこうなる段階じゃないしな。
従ってこの部分は許容範囲内だが、ほかの部分も全体的に酷い
277 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 19:00:18 ID:1FAM13qZ
景虎派処分の過酷さをみるに別におかしいとはおもわんけどな
公的に助命が認められたのって本庄繁長嫡男の顕長と
武田勝頼が取り成した北条高広くらいだもの
鮫ヶ尾で寝返った堀江宗親も所領安堵どころか
その後の一族の動向も全く掴めてないので
多分皆殺しになってんじゃないのか
278 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 19:41:05 ID:G8p+5qv/
黒川清実とか長尾景直とかも助命されてるし
279 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 19:58:33 ID:1FAM13qZ
椎名小四郎は遁走でしょ
後に織田の旗下に属してるし
景勝処断がエグいのは男子2人はともかく
血を分けた姪まで殺してるところ
信長だってそこまでしない
景虎側室腹のもう1人の娘はどうにか落ち延びたようだけど
280 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 21:14:30 ID:4zMH3L8L
景虎の娘って殺されたの?
母親の華渓院が自害してるからてっきり母親と一緒に自害したと思ってたわ。
281 :
人間七七四年:2008/01/14(月) 01:35:01 ID:JClXQuLn
加地秀綱なども降伏が容れられているしな
282 :
人間七七四年:2008/01/14(月) 01:45:28 ID:w0AWB2nw
>>279 椎名は降伏後、領地削減に不満を持って出奔じゃないのか?
283 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 07:51:47 ID:evn6+6Xd
道満丸は生きていたという説があるだろ。
俺もその説を聞いたとき、一笑したが、米沢の
林泉寺でその研究文を読ましてもらい、
まんざら嘘でもないな、と思った。
284 :
斎藤越後目:2008/01/15(火) 10:44:42 ID:6NeUjQLx
所詮敗者の泣き言
285 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 11:14:35 ID:was6Neg5
嫡子の道満丸が生きていたなら
三郎景虎と夫に従った華渓院が死亡、
子供たちは出家させられるなりどっかに養子に入るなりして
生き延びた可能性も高いな。
憲政の孫たちも生き延びてるし。
286 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 12:10:23 ID:5bZ0ga53
無い無い有り得ない
憲政からして惨殺されてんのに
孫だって三男の子だし
景勝に付いて憲政に討たれた方の
その話から理解できるのは
憲政惨殺が一応上田の負い目になってるということだけだな
287 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 12:19:21 ID:5bZ0ga53
足利晴直を追放して管領職取り戻したりなど覇気のあるところも見せているのに
未だに軍記丸写しで完全無能扱いされてる憲政(´;ω;`) かわいそうです
龍若丸の件だってただ妻鹿田が裏切っただけの話やん
288 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 12:27:39 ID:3lsCyBQL
箕輪にでも留まればあそこまでボロカスに言われることはなかったのかもしれんね
憲政としては一発逆転を期したんだろうが
289 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 13:37:02 ID:RtnNsY7x
やっぱり講談として面白くない人物だからな
290 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 15:49:25 ID:ew+Bjyk6
長生きなスレだなw
291 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 16:55:33 ID:mqww68dt
むしろ妻鹿田に裏切られてから覇気が無くなった気がする
1月の三國峠越えは幼子にはそれなりに厳しいだろうし
それならば要地とされた御嶽に一旦留めておくのも
そうおかしな判断でもないような
292 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 20:11:50 ID:7ijZWEq+
のりまさはもっと評価されるべき
293 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 20:27:50 ID:evn6+6Xd
道満丸の生存説を皆さんは知らなかったのですか?
わかりました
次回は長文になりますが、ご報告いたします
294 :
関連スレ:2008/01/15(火) 21:18:51 ID:/bNd5N3I
295 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 08:04:19 ID:6ydU4k6/
●落城の炎 おにぎり焼く 鮫ケ尾城跡で出土
戦国武将・上杉謙信の没後に起きた跡目争い「御館(おたて)の乱」で落城した妙高市の鮫ケ尾城跡から、
当時の戦火で焼けた「おにぎり」が出土した。21日、同市教育委員会が発表した。同城の米蔵跡からは、
焼けた備蓄米が多数出土しているが、おにぎりは初めて。出陣や籠(ろう)城に備え、携行食として用意されたものとみられる。
鮫ケ尾城は、謙信と武田信玄が覇を競った信越国境近くにあった山城で、上杉景虎の最期の地として知られる。
「おにぎり」は、2006年6月、山頂に近い通称三の丸地点を調べた際、大量の焼けた米などとともに出土した。
いずれも泥が表面に付着した、うずらの卵大から拳よりやや小さい大きさの塊だった。
市教委は昨年3月、その中から比較的大きな4点の鑑定を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に依頼。
その結果、〈1〉もみ殻のある米ではなく、炊かれた飯の塊〈2〉外側の曲線が手で握った時の形に近い
〈3〉笹のような植物の上に置かれたか包まれたような痕跡がある――ことなどから、おにぎりが焼けたものと判断した。
「おにぎり」は炭化していたが、麦や雑穀類は混ざっておらず、米100%だった。
調査を担当した同市教委の佐藤慎さん(31)は「戦いに備えて城内で用意されたものとみられ、
城や武将と運命をともにした貴重な遺物」と話している。
26日から長岡市の県立歴史博物館で公開される予定。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/niigata/news/20080121-OYT8T00761.htm
296 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 10:15:24 ID:R0QLLPhg
おにぎり食べたい
297 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 14:19:35 ID:uL2PkeUD
>>295 その記事、朝日で一面だったのには吹いたw
まさか新聞の一面で上杉景虎の名前を見る日が来ようとは。
298 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 01:37:03 ID:7v3zab1j
戦国時代のおにぎり出土 上杉謙信の家督争い跡の遺跡で
戦国武将・上杉謙信の養子・景虎が家督争いの後に自害した新潟県妙高市の鮫ケ尾城跡から、
当時のものと思われるおにぎりが4個出土したことが21日、分かった。
06年6月の市の調査で見つかった炭化米の塊を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で鑑定、「ほぼ間違いない」と結果が出た。
おにぎりは平均で直径約7センチ、重さ約40グラム。城が戦火で焼け落ちたため、全体が黒く焦げている。
鑑定結果によると、(1)米粒が糊化(こか)して接着している(2)外側がおにぎりを手で握った時の丸みに限りなく近い
(3)植物の葉や布などで包んでいたと思われる跡が一部に残る――などの特徴からおにぎりと断定。
また「炭素14」による年代測定や、同じくるわで同時代に流通した陶磁器が焼けた形で見つかっていることなどから、
1579年の落城時のものと判断した。
蒸し焼きのような形で炭化したことなどから、微生物の繁殖がなく、原形のまま残ったと考えられている。
市や同博物館によると、理化学的な分析などを加え、おにぎりと断定されたのは全国的にほぼ例がないという。
新潟県立歴史博物館(長岡市)で26日から展示される。
ttp://www.asahi.com/culture/update/0121/TKY200801210427.html
299 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 03:08:50 ID:ZPbG+cgK
>「おにぎり」は炭化していたが、麦や雑穀類は混ざっておらず、米100%だった。
篭城末期のわりにはいいもん食ってんな。
それとも最後の最後のとっておきだったのか。
300 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 12:39:56 ID:AvMI4c2t
301 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 12:49:00 ID:I0e/EiEe
>>299 でも出土したって事は食えなかったわけで、とっておきだとしたら心残りだったろうなw
302 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 07:18:37 ID:zvJGFjqJ
御館の乱で、影虎が勝ってればどうなったか。
上杉・武田・北条の三国同盟が成ったとすれば、その勢力は織田・徳川に匹敵する。
史実の様に武田領が短期間で切り取られる事は無くなるとなると、
徳川は東海3国のままだし、4年後に信長が死ねばこの3国同盟が日本最大の勢力。
秀吉も天下人でなく、近畿の大大名でしかなくなる。
303 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 07:23:53 ID:suPpzYW5
>>302 毛利も上杉と同盟してる事を考えると、
織田徳川を凌駕するんじゃないか?
304 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 07:31:38 ID:EDfGqmOb
さらに関東諸侯が、景虎を総領継がせる事を条件に北条に恭順する。
305 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 07:37:46 ID:zvJGFjqJ
>>303 それに、織田―徳川は磐石だけど、家康は秀吉よりは北条に近いですよね。
北陸、中部、東海、中国に、それぞれ上杉・武田・徳川・毛利を受けて
信雄・信孝も存命なら秀吉政権は厳しいのではと。
306 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 09:13:31 ID:LCQbGp0j
>>305 その前に史実通りの本能寺が起きないだろ
秀吉政権が出来るかも不明
307 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 12:45:21 ID:+8JeWPj1
そりゃ北条の天下になっただろうな。
そりゃ武田も景勝に付くわ。
308 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 18:33:09 ID:gEAaglfh
き・・・北条?
309 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 18:56:44 ID:suPpzYW5
キタジョウの天下になる位なら
ホウジョウだって景勝につくw
310 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 22:18:48 ID:1+xP3f6R
景虎が自力で天下取る頃には
キタジョウ>>>>>ホウジョウくらいになってるかもね
当然大江毛利の棟梁もキタジョウさんで。
311 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 11:44:37 ID:KBsupToY
きたじょうという武将も関わっているからボケになってないw
それともそれを見越した釣りか。
312 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 10:05:35 ID:ywfT1LWX
本当は謙信生前にもう後継者決めてたんじゃないの?
三郎景虎に。
じゃないと憲政が加担してるのが不思議。
景勝が春日山を占拠したのも焦ってるように感じる。
勝ち残った景勝だったら事実をねじ曲げるのも可能かと。
景勝一派のクーデターだったのでは?
313 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 10:14:39 ID:x2GSZZF4
何回議論してもループだから。
新証拠でも出ない限り
景虎=関東管領職、景勝=越後国主が妥当って結論にしかならん。
314 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 13:17:57 ID:+jZMH8sf
でも仮説を推し進めていけば何か見えるものがあるかも知れない。
「景虎=関東管領職、景勝=越後国主」
という図式もそういう仮説の一つに過ぎない。
315 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 13:31:05 ID:KTKTdx21
新証拠でも出ればな
316 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 13:39:25 ID:j7rsJu+/
なんで春日山城はどー見ても大手門を搦手と言い張ってるの?
317 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 20:46:33 ID:xcgzJ7/r
>>313 そうか?景勝の官位名乗りがどう見ても自称にしか見えんので、
>>312の方が妥当に見えるけど。
そもそもその頃は名乗ってたかどうかすら怪しい弾正小弼が越後国主の・・・ってのも怪しすぎる。
正式な役職で言えば一人しかありえない弾正小弼をこの時期には既に松永弾正が正式に任じられてるし。
しかも同一人物の将軍義輝から。
318 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 21:01:46 ID:jolsyoIy
景虎もそう呼んでるんだから単なる自称って事はないな。
正式な役職だったのかは別として、公の場でそう呼ばれていたという意味で。
319 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 22:27:58 ID:x2GSZZF4
当の三郎景虎が第三者宛ての手紙で景勝を「小弼」と呼んでるんだから
御館の乱以前から周囲に景勝が「小弼」と呼ばれていたのは確定してるだろ。
320 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 22:43:00 ID:KTKTdx21
はいはいループ
過去スレ読むだけで事足りるだろ
321 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 01:50:33 ID:QqE/EjBn
>>302 匹敵しない。
指揮権バラバラの大勢力よりは、指揮権がまとまった小勢の方が強い。
しかも織田は小勢などと言えるほど小さな勢力ではない。
北条の話するんなら、河越合戦思い出してみろ。
322 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 02:05:56 ID:ZvktQKpK
憲政はなんで景虎についたんだろうな。
彼はいわば謙信の先代なわけで、景勝・景虎、双方とも謙信の意志を尊重していて後継者だと言うのであれば
どちらが勝っても憲政は尊重されなければおかしいはず。
そこであえて仇敵である北条家の流れである景虎にわざわざつく理由とはなんだろう?
憲政にとって景勝が謙信の後継者ではなく同じく仇敵である長尾為景の孫・・・と映ったなら話は別だが。
結局彼は殺されてるので謙信の意思はなんら尊重されなかったが、真実も闇に隠れた。
なんとも見事な手際と言う他無い。
323 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 02:07:16 ID:i6MpJCoN
織田も指揮権が混乱してるとこを信長の強権でムリクリふんじばってたんだけどね
324 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 07:24:49 ID:j8vWZyGq
>>322 一族郎党率いて押しかけてきた景虎御一行様を
門前払いできる憲政だったらそもそも越後に来ていないw
理性的には景信、心情的には道満丸の存在がガードをゆるくしたとも思う。
特に道満丸は可愛い盛りだし、管領上杉一族の未来を担う男子。
じ−じがかわいがらないわけがない。
325 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 00:18:19 ID:p3uEDuLN
景虎を後継にするという謙信の意思を知った景勝は、
謙信が死ぬ前から謙信の側近達に密かに
クーデターに協力するよう呼び掛けていたが、
思っていたよりも早く死んでしまい、
手を回していない重臣も多かった。
なるべく謙信の側にいた者を優先していたから、
景勝派には直江等、謙信が晩年重用していた
人物が中心だった。
逆に、謙信の晩年にあまり活躍していない
家臣達は、謙信の意思通り景虎派についた。
ってのはどう?
326 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 00:59:20 ID:8rD2TdS4
だからなんだ
327 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 13:08:08 ID:p3uEDuLN
ごめ。
「景虎こそ後継者」派の立場から、
御館の乱の時の家臣構成の理由を
なんとなく考えてみただけ。
328 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 13:39:34 ID:mHE83Io0
謙信が壮健な時でさえ側近達に手を回せるぐらい軽んじられてる
後継指名の意思なんてそもそもあんまり意味なくね?
329 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 13:52:50 ID:7/VnFOK3
>>322 >>324 半ば景虎に脅迫され、憲政は仲裁役をさせられたってことかな?
それで景勝に殺されちゃうんだから悲惨だね。
330 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 21:42:45 ID:AhvcBxiR
>>329 脅迫は無いだろ、あの時期の景虎に脅迫できるほどの力があるとも思えんし。
憲政がどう思ってたかは知らんけど、何らかの理由でやっぱり景虎につくべき理由があったんだと思われる。
ただそもそも景勝からしたら邪魔だったのかもね。
その後の行動から見ても景勝にとって必要だったのはあくまで、越後の国主の地位であって
もはや関東管領も含めて肩書きなど必要なかったろうし、現にその後、鎌倉公方云々で動く事も無いし。
謙信から受け継いだ弾正小弼でさえもその後すぐに参議へと叙任されてるし、あまり愛着とかなさげ。
正当な後継者であるならば憲政は重要だろうが、
そもそも謙信の死から2日で春日山を占拠するという暴挙に出てる時点で正当もクソも無い変わりに
大勢も決してるので折を見て先代の抱えた負債を処分する気だったんだろな。
331 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 21:54:10 ID:GEeVJ+lB
柿崎とか当日ぬっ頃されてるしな
それを以って宣戦布告と見為していいくらいなのに
飛び道具は卑怯発言といい景虎はやっぱり甘い
332 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 08:42:34 ID:yp4HeMIV
そもそも柿崎の誰が殺されたんだ?
晴家もいつ死んだのかはっきりしてないんだよな?
333 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 09:33:51 ID:HG6lwr7r
殺されたとすれば消去法で晴家ってことになるだろうけど。
景家はもうこの世にいないし憲家は生き残ってるから。
他の柿崎一族ってことはねえだろ。
わざわざ暗殺する価値があるのは当主だけだ。
334 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 10:25:18 ID:yp4HeMIV
晴家自体信長に密通して謙信に成敗された説、
信長に密通して景勝に成敗された説、
御館の乱で景虎に付いたために景勝に殺された説あるじゃん。
「晴家は景虎に付いたために暗殺された」って確証がなきゃ
前提にして話すの無意味だと思うんだが。
まずこっから立証してほしいんだが。
335 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 12:24:10 ID:pK08qdGz
余ったれんな。
「柿崎の誰なのか」という質問だったんなら、
「景家と憲家の線は無い」という返答がもらえりゃ上出来だろうが。
そこまで分かってんなら、残りは自分で調べろよ。
336 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 12:25:51 ID:mdijcuJC
>>334 そういうことが言いたいんであれば、最初から「晴家の死因は?」と質問すべきだな。
332の文章からそこまで読めるのは電波か馬鹿か神だけだ。
337 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 12:30:07 ID:yp4HeMIV
上のレスの流れで「晴家の死因は?」って訊くのも変だと思うんだが。
で、実際当日殺されたと分かってるのか?
338 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 15:55:05 ID:mZR9cy0L
ま、自分で調べなさいな。
諸説まとめるところまでやってて、それで分からないって、どんだけ頭腐ってんだよ……
339 :
関連スレ:2008/02/14(木) 17:09:25 ID:sh+UqVsB
340 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 10:10:37 ID:mCDfxXx+
晴家の死も同時代の一次史料では不確定
憲政の景虎加担も巻込まれた可能性を否定できない
新たな証拠もない
景虎正統後継説も願望に過ぎない
もちろん景勝後継説も同様
いまの時点では両派がどんなに頑張っても単なる各論
関連レスの過去ログで腐るほど読んだw
341 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 12:01:44 ID:LEk4cK7s
まだ謙信がそこまで考えてないあるいは、例の越後を景勝・管領職を景虎が今のとこ妥当じゃないか?
ただ、謙信の側近層(鰺坂長実、中条景泰、河田長親など)は軒並み景勝に味方している。
一方で、謙信政権を構成していた大豪族の中には景虎支持が多い。
342 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 18:29:39 ID:PJX+m2lQ
春日山常駐組に景勝派が多くない?
343 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 18:38:27 ID:JtC5pSyl
それは単純に「城に常駐してる面子は城主の側近」という図式じゃね?
344 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 19:30:00 ID:m+fO2FD9
神余親綱って御館の乱ではバリバリ景虎派の重鎮だったけど
実は謙信の死後、景勝の家臣に「神名をもって私曲なし」って手紙送ってたんだな
どう考えればいいのやら
結局、謙信による後継者指名はなかったけど
景勝が後継でも別におかしくはない空気があったのか
上田長尾への対立軸として、諸々の理由で景虎にも大きな期待が集まってたろうけど
北条との関係が深い諸家ではもちろん景虎に後継者になって欲しかったろうし
しかしこの話題結局ループなんだわな
345 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 19:41:53 ID:iZOYAS3S
誰もが両睨みだったっつーこったな
焼けただけでほとんど同じもんが景虎側近にも行ってるハズ
346 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 01:11:39 ID:f0yN3Cxq
>>341 謙信に関してはそこまで考えてなかったが一番妥当だろう、管領と越後で分けるってのは一番信憑性が薄いと思う。
そんな御館の乱を自ら誘発するような事を考えていたというのはちょっと信じ難い。
その件に関してはなんら根拠が無いし。
どちらかに決めていたという方がまだ説得力ある。
347 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 14:35:29 ID:nkKy3qgr
管領と越後守護が同一人物だったのは謙信の代だけでは。
348 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 16:21:28 ID:THMtLSFT
だって越後守護家は無嗣断絶しちゃったもの
349 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 20:48:16 ID:nkKy3qgr
つまり管領と越後を分けないという慣習も無かったと。
350 :
関連スレ:2008/03/05(水) 20:26:16 ID:0qdNHcqw
351 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 01:36:42 ID:hAY8NhUT
>>349 そういう問題以前に単純に権力を分割すれば内乱の元になるのはこの時代の常識。
織田・毛利・北条など大領土を持つ大名ほど嫡男以外への権力の分散をなるべく避けて
年の近い次男以降は他家へと養子に出したりしているわけで。
そもそも自分自身がお家騒動の中から兄を実力で押し退けて当主になった謙信が
この辺りの事を意識してないと言うのは到底考えられない。
景勝・景虎が実は物凄く仲が良いというならともかく。
実はどちらかに決めていたがはっきり示す前に死んだか、全く決めていなかったかのどちらかだろう。
権力分割論は客観的に見て一番ありえない。
352 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 02:39:34 ID:xJeh2Val
越後守護職と管領職を分けて考えるんじゃなくて、
単純に「長尾を景勝に」「上杉を景虎に」(あるいは逆に)
それぞれ継がせるとしたら、どうなるかな?
上杉を支える者が景虎側に、長尾を支える者が景勝側にそれぞれ分かれていたとか。
んで、上杉の旗のもとに長尾が従うのか、長尾の庇護のもとに上杉がつくのか。
ってのが問題になって、支持豪族達の手前お互いに退くわけにはいかずに御館の乱発生……。
うん、、ゴメン。無理があるね…。
353 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 02:49:26 ID:xJeh2Val
自己レスごめん。
>>352の一行目と二行目の間に
「上杉と長尾の二家を立て、長尾の立場は管領補佐と仮定して、その上で」
と補間して下され。間が抜けてると意味がワカラン。
354 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 21:50:49 ID:VzORVDpu
もし、どちらかに決めていたというのなら クーデター起こした方が不利な状況にいたと考えるのが普通。
355 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 21:59:48 ID:a/qYwIwX
そもそも景勝のあれってクーデターなのだろうか?
356 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 22:03:41 ID:aRHiLEYw
柿崎左衛門大夫に聞いてみればいいんじゃね
357 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 22:37:04 ID:MbERWErs
>>355 当主が急死した直後に話し合いの場も設けずにいきなり本拠地を占領する事は普通クーデターと呼ぶと思う。
358 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 02:45:31 ID:GETa+fUr
管領上杉を景虎にやるのが北条との密約だった説もあるよな。
謙信が国内の意見を纏めきれていれば
例え分権しても内乱にならない目算は普通にあると思うが。
景虎自身には軍事力無い訳で。
359 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 02:56:03 ID:QRQNbaOX
>>358 その仮定であれば御館の乱自体起こりえないんじゃね?
360 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 03:26:38 ID:WNhz635v
そもそも謙信の死の直後に晴家を暗殺しただの
葬儀も終らんうちに実城を占拠しただの
それって確実な同時代史料から立証できてたっけ?どの史料だっけ?
3月24日の景勝書状(家臣達の協議の結果実城に移りました云々)までの間、
両者の去就って不明だったんじゃ?
後世編纂の軍記ものを史実であるかのように語るネタ雑誌とかは別にして
361 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 01:22:44 ID:Y3kWzTBG
弾正少弼の景勝が春日山。
実権を持たない景虎が御館。
何もおかしい事はない。
ただし、景虎側にも
憲政や景信のような実力者がいたので
景勝が賊軍と称呼された可能性も否定できない。
362 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 01:56:50 ID:BCDLF+SP
景虎が御館に住んでたわけではないのだが。。。
363 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 02:01:39 ID:VVrTliDm
>>361 弾正小弼はただの官位であってそれこそなんの実権も無い。
朝廷の官位は謙信個人が譲る性質のものじゃないし。
関東管領は世襲制だけどね。
364 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 02:19:11 ID:JuCWXzAv
支持層を考えると、旧来からの豪族に景虎支持が多く、謙信個人が引き立てた連中に
景勝支持は多い印象を受けるけどね。
無論、親兄弟で分かれているものも多く、一概には言えないけ
365 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 00:12:19 ID:O9O8liVi
中国GPで モンゴル人ドライバーデビュー
366 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 20:51:11 ID:y6rhksYH
景勝が弾正少弼貰ってるっていうなら景虎は名前を貰ってるね。
どっちの方が優遇されてるんだろう?
367 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 22:53:53 ID:uVJXt9Nq
実質を伴う優遇なら景勝
それ以外なら両者同等かな
368 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 10:52:11 ID:F1tYucVo
景勝への優遇って上田長尾へのそれを継承した様なものじゃない?
景勝の軍役の構成って上田衆が大半でしょ?
369 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 11:30:27 ID:v1GW87a6
お前の言う「優遇」とやらは景勝や景虎個人に対してなされた「何か」のみ指すのか?
370 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 14:01:13 ID:t/h1nR3j
実父の政景は一門衆扱いしてもらえず
上田長尾の勢力を削る口実はいくらでもあったのに
そっくり景勝に返してるだけでも十分優遇だわな。
上田長尾当主の地位だけってなら元亀三年あたりから
謙信と同陣でしか出陣しなくなってるのも怪しいし。
景虎は領土無し家臣無しだから軍役担うのは
物理的に無理という事を考慮してもな。
371 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 00:23:49 ID:tC3WmC6w
上杉が織田に攻められヤバイ状態になったのは
御館の乱より新発田の乱が大きい
新発田重家だけでなく安田顕元という有能な人材も失ってしまった
つまらない論功行賞さえ無ければ
越後から越中への後詰めも送れたろうし
むざむざ小島、竹俣、中条らを死なせずに済んだ
本能寺の変後には、能登まで一気に切り取る事も出来たろうし
関ヶ原まで新発田、安田、小島、竹俣、中条らが生きていたら
全く違う物になっていたに違いない
景虎側についた関東方面の諸将は
御館の乱が無くても裏切っていた可能性が高いだけに
まったくもって新発田の乱だけは余計だった
372 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 11:34:40 ID:8euxuOKK
後詰をさせないために
織田方が仕組んだのだろう。
こんな事態になろうとは
重家の兄が生きている内は
予想も付かなかったんだろうな。
373 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 17:07:49 ID:Os68HHCi
謙信の死の直前の大動員令は、名目は関東遠征だが、
実際は北条家と和睦して鶴岡八幡宮で上杉景虎の
家督相続を盛大に行う予定だったのではないか。
その後謙信を盟主とし、北陸道・東山道・東海道から
それぞれ景虎・勝頼・氏政が織田・徳川領へ侵攻。
関東や奥羽からも、将軍お墨付きの関東管領の権限で
援軍を要請し、信長に滅ぼされた大名家の残党も招集。
時を同じくして西からは義昭を盟主に、毛利家が
総大将輝元、山陰道・山陽道から吉川・小早川が進軍し、
中央は本願寺、荒木、別所、波多野他が荒らし中。
この反織徳大連合により、織田・徳川両家は壊滅。
うん。電波な妄想なのは分かってるんだ。
でも、よく「信玄がもう少し長生きしたら」
ってのを見掛けるが、謙信が長生きした方が
歴史が変わる余地がまだあった気がする…
374 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 20:38:50 ID:Itv01QEY
>>373 夢のある話ですね。
でも結局行き着くところが幕府再興だとしたら、
夢のない話ですね。
375 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 22:39:44 ID:tC3WmC6w
>>372 不当な論功行賞で新発田が怒り、
新発田を景勝側に引き入れた安田が必死になって
景勝、直江(信綱)、山崎を説得
これが受け入れられず安田の面目が潰れ、
新発田に申し訳ないと安田切腹
ますます新発田が怒り狂い
景勝への恨み、不当な論功、安田への哀憐を書き綴り
文末に謀反の決意を書き残す
同族の五十公野、加地らを誘って着々と反抗の準備を進め
竹俣の港を押領して新発田の乱スタート
ここまでの流れに信長って関わってたっけ?
信長と新発田が連絡を取り合うのは、この後だろう
だいいち新発田が信長を頼みにして乱を起こしたのなら
〜本能寺の変後、新発田が孤立し、
秀吉から新発田を赦免せよ、と命を受けた景勝が
再三再四会談を申し入れても新発田は聞く耳持たない〜
こんな事は起こり得ないと思う
信長なんて関係無く、新発田は景勝政権を恨んでいた
この巨大な憎悪は信長が仕組んで生じたものではない
むしろ謙信麾下として共に戦い、
節義を通した安田への餞(はなむけ)も有ったように思う
376 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 23:10:35 ID:bmHoKx/m
このくらいの時は戦国大名の生き残りは何処も中央集権に躍起だったからなぁ
同じように血を流した島津もあれば、上手くやった佐竹見たいな所もある
ぜんぜんやらなかった(やれなかった)毛利は関ヶ原で醜態晒すと
377 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 13:04:04 ID:6zWNRV1V
ただでさえ信長が巨大化してる時にって思ったりする。
上杉、武田、北条が一時でも良いから組めば、織田潰せたろうに。
378 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 13:05:38 ID:6zWNRV1V
えっと謙信、信玄、氏康いなくなった後の3強ね。
379 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 15:26:29 ID:+tjo1dqb
上杉は武田や毛利と既に誼を通じてるから、景虎が継げば北条とも連携して、
織田に匹敵、もしくは凌駕する包囲網は形成出来たかもしれないね。
連合軍が、まとまりのある織田軍に本当に勝てるかは分からないけど。
上杉の家督を誰が継ぐかで日本史が大きく変わる可能性があったのかも。
380 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 18:39:20 ID:onl5ArEP
第3次包囲網が出来たとしたら本能寺は無く、
毛利上杉北条くらいまでは史実の武田と同じ運命を辿ったかもな
381 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 18:40:56 ID:onl5ArEP
おっとifスレじゃ無かったな、すまん自重する
大河の天地人、この役は玉鉄に決定だそうな
383 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:40:31 ID:t7GYuTcR
(><)きゃー
384 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:58:27 ID:KcC3z/or
景虎様ー!
誰?
重臣粛清は石山本願寺平定に連なるもので
本能寺の状況は無かったとしても重臣の決定的な暴発は
起きてたと思うが
後は岡崎三郎に期待
387 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 06:22:30 ID:jsdY9Lov
>>375 何をもって不当な論功行賞と見做すかには個人差がある。
兄と違って弟が強欲だったという可能性も高い。
そこに上杉と対立していた織田が手を突っ込む余地がある。
少なくともこの時代、一武将が単独で反乱を起こすことは考えにくく、
根回しや後ろ盾はあったと考えるべきだろう。
388 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 14:23:11 ID:7R3XbDYf
('∇')
389 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 14:45:22 ID:YK8Hg/lo
新発田の乱に関してはスレ違いなので
上杉景勝スレに移動してください。
該当の話題もしております。
390 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 14:53:58 ID:lTIGX35S
御館の乱と明確な関わりがあるからいいんじゃないの?
一時期寂れていたわけだし。
391 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 17:17:47 ID:8ch0UACx
景虎は上野だけでいいよん
と景勝にいえばよかった
392 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 19:19:18 ID:cGffp2tY
実際のところ景虎が勝ったらどうなったんだろうな
傀儡化しそうな気がするが
393 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 20:59:51 ID:YK8Hg/lo
景虎が勝ったら景勝派が粛清され
あっと言う間に織田に上杉は滅亡させられてたかもな。
394 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 21:11:45 ID:Z2Xx4Yxj
まあ景勝も本能寺がなけりゃどの道滅ぼされていたわけで。
395 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 22:07:29 ID:MAaNUoZE
越中に逃げて織田に亡命するんじゃない?
396 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 22:07:48 ID:6yS5xmuY
上杉家という名前は保てても事実上北条の家臣扱いになるだろうなぁ
そしたら重臣たちが暗殺か謀反起こされるか、武田とかに逃げちゃうような
そのまま北条家の傘下としてやってても秀吉によって北条家滅亡
どうがんばってもいい方向にはいかない気がするのが切ないな
397 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 23:33:17 ID:uxfoXp2Q
北条の家臣化はありえないだろ、そんなんだったら最初から誰も担がん
まぁより重臣の発言権の大きい豪族連合にはなるだろうな
398 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 23:37:23 ID:4ISmCOV2
あの状況で内乱が起きた、で滅亡確定。
どっちが勝とうが関係ないよ。
本能寺という奇跡によって助かっただけ。
399 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 00:21:05 ID:5nvLBKNI
景虎が勝ったら本能寺前に滅亡するだろ
400 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 00:24:12 ID:xYR/8ti/
逆に、織田に既に恭順していた北条を通して信長の配下大名にさっさとなったかもね。
401 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 06:27:56 ID:1jxNekHo
景勝派についた連中がどれだけ早く降伏恭順してくれるかもかなり大事。
下手すりゃ景勝を倒しても上条に旗印が変わって乱続く可能性さえあるな。
402 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 13:15:57 ID:5nvLBKNI
上田衆がそう簡単に屈服するとも思えないしな。
403 :
人間七七四年:2008/06/16(月) 12:39:02 ID:C+Qvm4lb
>>400 北条が信長に恭順したのは御館で武田と手が切れた後じゃなかったっけ?
間違ってたらすまない。
404 :
人間七七四年:2008/06/16(月) 23:41:33 ID:wPcTYzXl
>>403 通説ではそう。
だけど不審な点も多いんだよね。
織田徳川とのあまりにも速い同盟締結や、御館の乱での消極的な動きなど。
謙信が死んだ時点で交渉を始めていたんじゃないかとも考えられる。
405 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 16:26:03 ID:htQFnRGs
>>404 交渉自体はずっと前からあったことは確かだろうね。
406 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 10:38:09 ID:c0RWe+P2
謙信がなくなった年の三月に、北条氏政は信長に馬を贈った記録が
あるらしいので、交渉があったのは確実。
407 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 12:37:10 ID:t0OexKgk
>>406 で、その情報が「なぜか」スムーズに武田側に流れる。
で、それを察知した勝頼は景勝に体重を移し、結局景虎はあぼん。
怒った「ふりの」氏政は大義名分を得て徳川、織田とつるむ・・・。
戦国外交は複雑怪奇・・・。
408 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 14:04:04 ID:rBiozWDC
409 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 14:34:26 ID:BMhZONOK
>>408 北条に吸収される可能性も含めればあり得る話かも
案外景勝より上手く立ち回った可能性も無くは無いんだよな
410 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 15:25:33 ID:8/lRsCp5
可能性だけなら無限
411 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 15:35:01 ID:e+rskHOL
412 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 19:56:36 ID:luV+y9ND
413 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 16:12:54 ID:jyNeAIVr
伊達家
伊達成宗:奥州探題就任
伊達尚宗:上杉氏から正室を迎える
伊達稙宗:再び奥州探題就任
伊達実元:上杉氏の養子となるが長尾家の妨害により失敗
長尾家
長尾景春:関東を争乱状態にして、管領上杉家の勢力を衰退させる
長尾邦景:上杉家をないがしろにし、専横を振舞う
長尾実景:越後守護家に謀反を起こす
長尾為景:上杉房能、八条定宗、上杉顕定らを殺害して上杉家を傀儡化
長尾晴景:上杉実元の家督継承を妨害
長尾顕景:上杉憲政、上杉憲重らを殺害して上杉を僭称
さらに上条上杉政繁を追放
どちらが上杉を継ぐに相応しいかは、バカでもわかるわな
414 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 07:56:07 ID:MeYrCvlX
,,,--─===─ヽ/へ
/iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ
iiiiiiiiiiii/ \iiヽ
iiiiiiiiiiiiiii《 ━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ
...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii|
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iiiiiiiii《《《《《《《《 《《 \ ̄ ̄/ 》》 |iiiiiiiiiii|
iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》  ̄ ̄ 《《 》》》》》iiiii| 俺 は 神 だ
iiiiiiiiii《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii|
iiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》》》IIII 俺こそが上杉を継ぐに相応しい
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii
415 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 21:01:33 ID:ZSdG+nha
春日山に登ったら、景虎屋敷跡の看板に『炎の蜃気楼』の文字が。
景虎人気ってやっぱり、あの小説が1番の原因なんだな…
416 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 21:23:44 ID:9fj5wQh2
勘弁して欲しいな
417 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 22:08:59 ID:ti96YPVG
だってどんな人物だったか、ほとんどわかってねーし
ほかに人気の要因が無い
418 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 23:44:29 ID:ppn2HBQn
功績も何もないしなー。
謙信の後継者の座を景勝と争って負けた相手、しかないよな。
イケメン説も信頼できる史料にはないんだろ?
景勝憎しの余りに景虎贔屓になった奴とラノベオタしかいないんじゃね。
419 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 23:54:04 ID:YTBkZ1TG
>>418 >景勝憎しの余りに景虎贔屓になった奴とラノベオタしかいないんじゃね。
景虎憎しって感じだな。
420 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 00:31:20 ID:5viugfyz
は?別に景虎憎くとも何とも無いぞ。
功績もなければ上杉家で何してたかも人物像も何もわかってないだろ。
好きようも嫌いようもないわ。
あーあ可哀相に、くらいしか思えん。
421 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 00:33:36 ID:yaMNszdb
景虎が憎いなんて奴いないと思うよ。
中ボス程度の存在だもんな。
422 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 00:47:21 ID:5CQn5cFv
家督争いで景勝に負けて死んでしまったから
功績が乏しいのは仕方無い
423 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 01:16:57 ID:6HWVt2kT
そういや最近手取川〜御館の乱が舞台の小説出てたな。学研M文庫だがw
デキはともかく景勝と景虎が仲が良いという珍しい設定だった
424 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 02:37:58 ID:57A4j0Cm
仲がいいのに相争う運命になったっていう筋書きか
信長&信勝、元就&元綱、政宗&小次郎あたりにも使えそうな設定だな
425 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 02:42:06 ID:2EhXlxtq
>>424 足利尊氏・直義など仲が良かったのに対立せざるを得なかったケースもあるしな。
景虎については実際にどういう形で領国経営をしたかだとか、どんな戦績があるかなど
ほとんど判らんから評価が難しいよな
426 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 07:48:14 ID:cztn1+k8
家督を継ぐ前に死んだ武将でも
初陣で功績を挙げたとか副将としてなんかしたとか
大将から評価されていたとかある奴もいるけど
景虎は唯一の戦績が「御館の乱で景勝に敗北」しかないからな…。
人質としてたらい回しにされた薄幸の美少年設定も
武田に人質?行ってませんけど。美少年?それも創作だろ。
という状態だしな。
427 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 19:22:22 ID:DOndinbp
政治も軍功も、傀儡君主の候補に過ぎなかっただろう。
428 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 20:32:45 ID:vUP8tqnL
まぁ景勝も時勢が見れなかったから大減封されちゃったし
どっちが継いでも謙信時代のような栄華は誇れないしな
429 :
人間七七四年:2008/08/26(火) 00:29:30 ID:n4OPU6Rw
時勢を読めなかったんじゃなくて、単純に負けた、と言うのが正しいかと。
430 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 01:32:48 ID:dnklUMfi
そういえば上杉氏年表だったかをパラ読みしてたら
景虎屋敷は春日山城内三の丸ではなく
春日の町中にあった可能性があるっちゅー話が出てたんだが、
やっぱ景虎は憲政の近くに置かれてたんかね。
431 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 23:50:13 ID:PmgyYN2m
それだと戦端を拓いてから1ヶ月近く平屋敷に篭る意味がわからん
432 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 23:55:16 ID:cDTiHoY4
一ヶ月後に戦端が開いたのかもな
だとすれば直江未亡人の遺言捏造は創作になる
433 :
人間七七四年:2008/09/10(水) 01:59:20 ID:FJeGNxZ4
御中城様なあたり景勝が春日山城内に住んでいたのは確定だろうし
謙信の死の直後に春日山城内が景勝方で占められたのも
景虎が春日山城内に住んでいなかったとしたら頷けるような。
簡単に暴力に訴えるまでもなく城内から景虎一派を閉め出せる。
434 :
人間七七四年:2008/09/10(水) 07:04:15 ID:OOiUJ5d4
本当に春日山城内に二人がいたのなら実城の占領より相手の暗殺が先決だと思う。
435 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 21:07:02 ID:x5U9ngjl
こんばんは。
御館の乱で景虎側に最後まで(死ぬまで)ついていた人ってどれくらいいますか?
436 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 21:51:39 ID:YFyGWScZ
景虎が死ぬときに景虎派として生き残っていた連中のこと?
437 :
人間七七四年:2008/09/12(金) 00:26:39 ID:dUzDM0od
神余親綱などは景虎死後も抵抗してたような
438 :
人間七七四年:2008/09/12(金) 07:36:01 ID:F/DFWi+Q
寝返えらなかった人という意味で
439 :
人間七七四年:2008/09/16(火) 22:28:23 ID:sgL3jBm8
かなり微妙な質問
440 :
人間七七四年:2008/09/19(金) 07:38:37 ID:j+bBPZ3d
神余って最初は景勝に付くと言ってたけど
武田と北条がいる景虎の方が優勢っぽかったから景虎に付いたのに
景虎が負けちゃって、最初に裏切ってるから景勝と和解できずに
結局城内で山吉に内応した山吉家臣に殺された人じゃないっけ。
441 :
人間七七四年:2008/09/19(金) 11:47:32 ID:A3hbj/Wd
神余はずっと京都にいればよかったのに。
いつごろなんで帰っちゃったんだろ。
三条城の町奉行を追放された五十公野たんかわいそ。
442 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 11:26:36 ID:l/3crnlH
寝返らなかったというか、見捨てたというか
443 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 22:42:10 ID:YnzWjn7i
>>434 試みたかもしれないが、そうそう簡単に成功するわけでもあるまい。
城内が初めから景勝派一色ではなかったから
暗殺に成功しなかったのかもしれない
444 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 22:50:55 ID:UYMhb+x7
オイラの母校の小、中学校は五十公野城跡にあるんだが
子供の頃、よく先生にここで戦があって城兵が最後武器がなく
自分の腹掻っ捌いて内臓を投げつけた。と脅かされたんだが
それって御館の乱の頃の話かなぁ。
445 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 23:36:17 ID:lpEOVXXr
新発田の乱じゃないの?
446 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 19:17:38 ID:wlvNlkpe
「御館の乱」って、ローカルなイメージだけど
来年の大河ドラマで再現されそう! 密かに期待している。
447 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 19:30:54 ID:J5BLik50
そりゃやるだろうな。どう経過が描かれるかは楽しみだ
448 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 17:24:50 ID:Nc6haFpO
景虎は美形の悪役、そして非業の死を遂げる。
どっかの層に人気が出そうだな。
449 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 01:03:50 ID:2bngYt5Q
悪役じゃないだろ。
原作はともかく、ドラマのプロット見る限り悲運の美青年って扱い。
華姫との純愛と悲劇性だけが強調されて結構おいしい役どころになりそうだ。
側室もスルーみたいだし。
450 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 04:16:23 ID:qlnc5RAw
軍役がない→謙信直属、後継扱い
名前が景虎→先代の旧名
家督争いで後手に回る→そのまま平穏にいけば家督を継げる流れだった
いろいろ挙げてみると
景勝を正式な後継だったとするには
無理がありすぎるなあ
451 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 06:37:07 ID:HwWg3Ba5
>>450 織田家とのさらなる交戦が予想される状況で、直属の兵なし・指揮経験なしの当主はあり得んだろ
御館のときも本人の資質は不問で反景勝でまとまっただけ。
謙信・景勝はどちらも戦で自ら陣頭に立ってるんだから。
名目だけ関東管領だけついで憲政みたく毎日遊んで暮らすならいいかもしれんが
452 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 07:04:23 ID:rJ0hB5wy
景虎の権力補強は越相同盟決裂まで。
一方景勝はなぜかその後着々とその基盤を固められている。
これで景勝が後継者じゃないとする見方は無理がある。
453 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 08:10:25 ID:hUsGWx+s
実際越相同盟中も特別待遇といえるのは景虎の名前だけじゃね?
養子と妻の件は北条から来た子なら誰でも同じ条件だったわけだし
上杉景虎がいるのに後発で長尾顕景を上杉景勝にして
弾正少弼を与えるなんて景虎が後継者だったらやらんよ。
454 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 10:28:24 ID:/hS8lz/K
もう少し時間があれば、
上條弥五郎を畠山に正式に戻して上條景虎にするとか、
山本寺を継がせて山本寺景虎にするつもりだったかもね。
455 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 10:35:03 ID:lkuccsaf
武田北条が連携取れてたら勝ったかな
456 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 23:59:56 ID:iSETptVV
後継者で軍役がないというのは他の家では普通に見られた事なのだろうか?
後継者だからこそ軍役がありそうなものだが。
>>454 俺も景虎はそのうち山本寺辺りを継ぐ事になったと思う。
457 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 00:32:29 ID:6uCMIIlr
軍役っつーか普通は後継者なら軍の副将として部隊を任せられるだろう。
だが景虎にはその痕跡さえ見えない。
458 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 00:56:59 ID:K1la/nK1
畠山義真が景勝の養子に入った時に上条の軍役が免除された。から来てんじゃない?
459 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 02:46:36 ID:sBlczQtI
>>451 もう少しまともな反論がくると思ってたけど……
反景勝でまとまっただけ?
どこの資料からそんなことが読みとれるんだ。
景勝が先に軍事行動をとってるんだから、後になって
戦力が集まるのは当たり前じゃないか
軍役を持たなくても不思議ではない。家督継承時に直轄部隊も引き継げばいいこと。
>>454 想像を言われてもキリがないね
上条政繁を実家に返す理由もないし
山本寺家は跡継ぎがいなかったわけでもない
山本寺家は唯一の越後守護上杉男系なんだから
景勝にしろ景虎にしろ養子にするなんてことはありえない
460 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 06:38:08 ID:tp1HIKOh
山本寺も長尾から養子が入ってるよ
461 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 07:15:09 ID:6uCMIIlr
政繁を実家に戻す理由は大いにあるだろ。
実家の畠山が謙信の晩年どんな状況か、
謙信がその能登にどういう行動取ったか知ってるか?
大体指揮経験のない当主がいきなり本陣任せられるかよ。
信玄も義信も秀忠もみんな父親の率いる軍の中で
部隊を任せられ戦ってるぞ。
462 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 08:30:31 ID:ZiskQRS7
謙信は戦えない当主が家臣達からどう見られるか
その足元にがんがん戦ってる血縁の弟がいたらどういう事態になるか
自分の経験でよく知ってるだろうからなー。
463 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 11:25:12 ID:K1la/nK1
>>459 漠然とした理由しか書いてないのに、まともな反論求めるのはどうかと
464 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 14:38:25 ID:sBlczQtI
>>460 入ってないよ
>>461 状況を考えても必然性はない
政繁が上条を継いだころから、能登越中などの
北陸の統治には計画があったはずだ
謙信は能登周りの海路を重要視してたからね
だから直轄部隊にいたんだろうということを言ってる。
軍役無し=従軍経験無しというのは、おかしい
>>463 たしかにやや漠然としていたけど、景虎派=ただの反景勝派
っていう思いこみによる反論はいただけない
ミラオタ?にうんざりしてるのはわかるけどさ……
465 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 15:20:08 ID:6uCMIIlr
景虎が部隊指揮をしていたことが分かる史料は?
後継者として部隊指揮を任せられたならそれなりの武将も付いてるはずだが
誰を指揮していたんだ?
一体どの戦で副将を勤めたんだ?
政繁が上条を継いだ時は兄は追放されていたがまだ畠山義慶が活動してたよな。
その後義慶は死にその弟もまたすぐに死んだ訳だ。
残った畠山嫡流はわずかに幼い子供。
政繁を畠山に戻すことを考える必然性が無いと思う理由が分からん。
466 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 20:22:36 ID:Ts2tCXNi
どちらを後継と想定していたかより
それが妥当だったかという論点に
移って欲しいぞ
467 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 20:23:19 ID:8ig26Ads
指揮してたかは分からないけど元亀3年の正月は謙信と一緒に
上野に出陣してたね。
468 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 21:37:22 ID:wXdGnduC
>>467 元亀3年の景虎の出陣は、その前年、
まだ越相同盟が破られる前に、越後を立った陣じゃなかったっけ。
2年の12月に同盟破棄が通告され、謙信はそのまま新年(3年)を上野で迎えた。
つまり、元亀2〜3年の出陣はあくまでも同盟決裂前の待遇の一環と考えるべきじゃ?
それ以後、謙信生前の軍における景虎の活動は、傍証になる史料も全く残っていない。
そして翌元亀4年(天正元年)には、敵対していた越中松倉城主・椎名康胤が、
謙信へ帰順するに際して、景勝にとりなしを頼んでいる。
(当時の景勝は、まだ景勝を名乗る前の長尾顕景だが。)
もし謙信が同盟決裂後も、景虎を上杉家の後継者と目されるような立場で従軍させ、
自身と直轄部隊に同行させていたのなら、
ふつうは景勝(顕景)ではなく、景虎に周旋を依頼した方が有効と考えるもんでは?
要するに、少なくとも天正元年には、
景虎よりも景勝に頼んでもらう方が妥当と考えられていたのであって、
景虎が後継者として謙信の直轄軍に存在していたという説には無理があると思うのだが
469 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 21:53:21 ID:wXdGnduC
天正元年以後も、景勝が着々と地位を強化されているのに対し、
景虎には明確な地盤の補強もないまま、ある意味放置ともとれる待遇がなされた。
(この辺の景虎の処遇は、例の管領職の通称の件とか、解釈次第のところもあるけど。)
だいたい、謙信が直轄部隊を家督継承時に景虎に譲るつもりだった筈、
その直轄部隊に同行もさせていた筈、という459みたいな人は、
その謙信の「直轄部隊」とやらを、具体的にどの辺の将たちだと想定してるわけ?
470 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 22:53:53 ID:yuMEuL6r
血の繋がった甥っ子で、しかも同じ氏族出身の可愛がった男子がいるのに、
姪婿とはいえ血の繋がらない、自分の晩年にあまり友好的でない家出身の養子に
後を継がせるのってどうなんだ?
普通はどっちが継いでも家が繋がるなら、血の繋がりを優先したいと思いそうなものだが。
471 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 23:15:32 ID:sBlczQtI
>>465 あなたの言う通り、景虎の軍役に関する明確な資料はないから
そのような反論はあって然るべきだと思う。
しかし大名の養子に軍役が無いという時
通常は大名直属になっている場合が多い
上杉家の場合、景虎が関東管令の名代として
厩橋に入っていたという可能性もあるがね
いづれにせよ、当主の養子であるわけだから、何らかの
地位にあったと考えるのが自然だろう
畠山義春について
まず、御館以前の復姓の動きは資料には
全く見えないから、君が言うのは推論ということになる。
問題は、その推論が正しいかどうかだ。
義春(政繁)が畠山を次ぐとしたら、本人の意志によるものだろう。
上条政繁は、謙信が上条上杉の
断絶を惜しんで、家を継がせたわけだから、
政繁が畠山に戻るとしたらそれは本人の意志だろう。
実際、景勝の下を出奔して復姓したがそれは景勝への反抗だろう。
しかし政繁が謙信に反抗する理由は無い。
政繁を以て上条家の再興ができた謙信
からみれば畠山に戻す必然性もない。
第一、七尾城攻略の際、謙信は遊佐続光へ工作を行い
寝返れば畠山の旧領を与えると言い、その後
実際に七尾の守将となっている
472 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 23:22:36 ID:sBlczQtI
>>469 直轄部隊に同行というのは推論の域を出ないが
逆に言えば、当主が自らの養子を本隊に同行させる
ということは不自然でもない
あなたの言うとおり解釈次第のところも大ですがね
>>470 謙信自身が上杉の血を引いていないし
妻帯もしないから子もいない
このような人である謙信が実甥と姪婿を
血縁の近さで比べるということは考えにくいと思うが
473 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 23:57:47 ID:BWi9eNg8
>>472 469だが、解釈次第と書いたのは、あくまで管領職継承に関する部分で、
景虎の従軍に関することではない。
498-469に書いたように、同盟決裂後、
景虎が謙信の軍の中枢にいたとは考えられず、椎名氏の例に見るように、
軍において存在感の重さを示しているのは景勝の方であり、
景虎の従軍の可能性は低いと述べたつもり。
474 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 00:09:23 ID:QBmPZ495
血縁から見たら姪婿より実の甥の方が有力。
血縁無視の実力主義だったなら有能だと思えば部隊指揮を任せたり
当主の名代として行動させてるだろうが
その事跡に関しても景勝>景虎
=実力主義でも景勝のが有力。
結局年齢が景虎の方が上ってのと景虎の名前だけか。
475 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 01:00:07 ID:K9H6Syx8
景勝を抑えてまで景虎に継がせて何か得になる事あるか?
北条相手にも立場弱くなりそうだし…
第一景虎より景勝の基盤を強大化しちゃ駄目だろ。
476 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 03:06:49 ID:1ibx4avX
>>473,474
景勝の強大な軍役は「上田長尾」のものを
引き継いでいるということを加味する必要がある
上田衆の地盤は強力だが、謙信と疎遠な将も多いから、
多大な軍役を任せて牽制する意図もあったのかもしれない
景勝と謙信の仲が疎遠だったとは思わないが。
当主である景虎が越後の軍役の中枢から離れているというと
関東管令名代として上野に滞在していたとしか思えないが
中枢から離れていると言われても、推論にとどまっているから
実際景虎はどこに構え、何を任されていたと考える?
>>475 景虎が北条に従うような人物であれば、
同盟決裂時に返しているはず
477 :
関連スレ:2008/11/05(水) 03:42:01 ID:PNUvBArm
478 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 04:50:04 ID:hlklvqFS
479 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 07:27:02 ID:9J2P3edx
>>476 >景勝の強大な軍役は「上田長尾」のものを
>引き継いでいるということを加味する必要がある
もちろん、その通り
そして、もし景勝の力を削ぎたいのであれば、
上田長尾の勢力を弱体化させるのが最も有効な方法だと思うが、
そうした経過は認められず、むしろ信濃や故山吉の家臣が景勝の家臣に加えられ、
地盤はより強固なものとされている
その点についてはどう考える?
>上田衆の地盤は強力だが、謙信と疎遠な将も多いから、
天正年間、謙信の晩年の時点でそれは誰と誰? 具体的に教えて欲しい。
>当主である景虎が越後の軍役の中枢から離れているというと
>関東管令名代として上野に滞在していたとしか思えないが
当主である景虎?当主の養子である景虎という意味?
管領名代としての上野滞在の根拠は?
傍証として考えられる状況はどのあたり?
>中枢から離れていると言われても、推論にとどまっているから
中枢から離れていると考えた理由
1)同盟期間中でさえ、北条家への支援の要請を、景虎が直接謙信ではなく、
謙信に依頼してくれるよう直江大和守に頼む手紙が残っていることから、
たとえ「景虎」の名乗りを貰い、一門に加えられたとはいえ、
謙信に対して遠慮のある立場であったと考えられる
2)同盟が破棄されたあと、越中攻略において、敵方からの帰順のとりなしを依頼される景勝に対し、
景虎がその存在に対抗しうるような状況を示す史料・傍証が何も無い
上杉家の後継として従軍していたのなら、なぜその後継たる景虎ではなく、
当時まだ長尾顕景と名乗り、養子ですらなかった景勝の方に依頼するのか?
3)乱の勃発後、晩年に謙信が重んじた旗本の多くが景勝に組しているが、
もし景虎が、上杉の後継として軍に深く関与していたのであれば、
なぜ彼等は謙信の意図を汲み取って、景虎に味方しなかったのか?
等々。
それと、謙信の「直轄部隊」がどの辺りの将だと考えているのか、質問返しする前に答えてね。
480 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 09:06:46 ID:8P6Yw+Cd
景虎は春日山にいたんじゃないのか?
上野に謙信の名代として入っていた様子はないだろ。
名代として上野にいたなら関東衆との交渉の形跡くらい残ってそうだが。
じゃあ謙信出征中の春日山城番していたかというとそんなこともないみたいだが。
個人的には後継者として特別待遇というより
むしろ重要な任を与えない飼い殺し状態に見える。
景勝より年上なのだから謙信の片腕としてバリバリ働いてていい年だし。
481 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 16:03:51 ID:L9nVgKFg
家臣でさえ後継が明確でなかったから乱が起こったわけじゃないの
482 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 16:34:31 ID:8P6Yw+Cd
例え後継者が分かっていても明確に謙信が宣言してない以上
謙信が死んだ途端黙殺することもありえるだろう。
大体先代が後継者を明確に指定していても御家騒動やった家はいくつもある。
古志衆は上田に政権譲りたくないだろうし
上田はうちの殿こそ血筋からいって正当と思ってるだろう。
483 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 17:32:42 ID:8x31bb/s
後継を指定していなくてもお家騒動が起こることがあるが、
後継を指定していないとさらにお家騒動が起こりやすくなる
とも言えるんじゃないかな。
どっちにしろ明確でなかったことに違いはないでしょう。
484 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 17:34:07 ID:8x31bb/s
あ、一行目は後継を指定していてもの間違い
485 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 18:22:41 ID:8P6Yw+Cd
さあねえ。
明確な宣言があったとする史料が無いから無かったんじゃないか?と言う話で
宣言が「無かった」ことを証明するのは無理だからな。
(景勝が弾正少弼を継いだ事が後継者宣言だったと見る向きもあるが)
ただ、宣言をしたかという話と景虎を後継者として扱ったかはまた別の話。
486 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 21:22:21 ID:c+EwX22x
天正3年5月の菅原為繁に宛てた謙信と景勝の書状の形式から
二頭制(謙信と景勝の)だったのでは?っていう説もありますね
487 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 20:56:59 ID:FX8C+lOB
488 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 18:03:09 ID:X4TNW8Hc
ほぼ片桐氏の論文から引用ですが
・書状は菅原為繁が関東に無事帰国したことを報告したことの対する
謙信と景勝の返事で2人は同日に同内容の書状を送っている。
景勝の書状は宛名の脇付けもなく書止文言も「恐々謹言」で
謙信の書状と同じスタイルなので副状ではなく、謙信と同様の立場から発行したものと言える。
(ただ景勝の書状には花押がありません)
・実城と中城は春日山城の二大曲輪
あと父が隠居して家督を譲ったとき、父が出家して「官途+入道」で呼ばれ
子が併行して父の官途名を名乗るのは一般的にみられること、とも。
489 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 19:43:20 ID:K0M5BBDj
じゃあ景虎は何のために上杉家で飼い殺しにされていたのか‥ってことで
謙信の死で取り止めになった関東遠征で景虎か果たすはずだった役割について考えてみないか?
もし景虎に上杉家に連なる武将として兵役が課せられていたとしたら
地元&降将の軍法に従って、ここは先陣をきらなきゃならんだろう。
逆にここで戦わないんだったら上杉家における無為徒食ニートでしかなくなる。
御館の乱においてはただ唐突なだけに思える景虎・憲政の連帯は、関東仕置きにおいては非常に重要だと思うんだ。
むしろ関東攻めの布石として、両者の仲を取り持ってたのが、
謙信の頓死であんな形で暴発してしまったんじゃないかな。
490 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 20:25:45 ID:IJvTtK+o
養子入り待ち、後継者のスペア、いわゆる部屋住み
491 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 21:30:54 ID:aO3oxaMQ
実際のところ春日山が景勝派でいっぱいだったとしたなら
景虎が後継主張の「大義名分」のために依るのは御館しかない訳で
憲政とともに越後に来て謙信に仕えた山内上杉家臣さえ景勝に付いてる辺り
本当に憲政自身は景虎を支援連携する気があったのだろうか?
景虎も戦闘を考えれば平城の御館などより
景虎派の誰かの城に入った方が戦う上では良かったのでは?
戦闘よりもまず憲政の身柄を確保をしようとしたのではないか。
492 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 23:19:35 ID:wL41E1L5
憲政は本来中立で、景虎に頼まれて和解を仲介しようとして消されたのでは?
493 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 23:39:14 ID:aO3oxaMQ
和解の可能性があるなら勝頼の和睦交渉で和睦できている。
憲政の死は憲政が景勝に渡す人質を連れて逃げたところ事故死したんだろう。
憲政が景勝支持するなら景勝に憲政を殺す理由はないし
景虎の嫡子を連れて武力もなく敵本陣に行って景虎庇うほど
非常識な能天気でもあるまい。
494 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 00:22:05 ID:GZLd9rzg
景虎嫡子の道満丸が助命される可能性がないのは
いくら何でも分かるだろうしなあ
和睦なら華溪院が行ったほうがまだ可能性がある気がするんだけど
495 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 00:35:49 ID:vXOf+fwj
>>476 上田衆でも栗林政頼なんかは謙信から相当重用されてる。
有用な人質を簡単に返しちゃ駄目だろ。
496 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 00:55:43 ID:AuhlHmFF
名前が謙信の初名と同じだったから後継者は景虎って意見あるけどさ、
北条高広も息子の一人に自分と同じ名前つけてるのに後継は景広な件。
497 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 01:08:21 ID:Btdkwoez
後継者が官位や通称は引き継いでるところ多いけど、親の旧名は聞かないね
そんな風習は当時あったのかねぇ
498 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 01:09:14 ID:vXOf+fwj
>>496 確かに。
謙信・景勝→弾正少弼
高広・景広→丹後守
やはり官職の方が名前より重要じゃないか?
高広は安芸守も名乗ったよな。
499 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 10:31:56 ID:4YZuxJbd
政宗は数代前の当主の名前名乗ってるけど
あれとはちょっと違うかな
500 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 12:18:38 ID:CnotDjgy
小山田信有が二代か続けて信有名乗ってたよな。
ただ子の信有の方は兄だが側室の子、弟の信茂は正室の子で
父親の信有が若くして死に、弟の信茂はまだ幼かったので
兄の信有が病弱ながらも家を継いだという流れで、
後継者だから信有だったのかはわからんけど。
501 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 14:37:29 ID:Btdkwoez
小山田は3代続けてか、無い事はないんだな
502 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 15:47:05 ID:1HimMzCA
上杉家、長尾家にそういった前例があるならともかく、
初名=後継候補、ってのは厳しいんじゃない?
仮に後継者だから名を譲るというのであれば、景勝改名と弾正少弼譲与の際に、
それこそ山内上杉の名跡を継ぐ予定であることを示すためにも
景虎を政虎に改名させてるんじゃないか?
503 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 15:50:20 ID:WG8N+gMa
上田政景の政に、現関東管領上杉○虎の虎なら、
後継者らしいね。
本当にそうするべきだったのではないかw
504 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 15:52:52 ID:WG8N+gMa
あー、景勝のことと間違えた。
でも何でこの人も顕景から改名する必要があったんだか。
505 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 16:10:01 ID:CnotDjgy
顕の字は上杉の通字の一つで上杉顕景だと
ちょっと問題があったという話を聞いたようなうろ覚え。
景勝も景虎も上杉の通字を避けてるしどちらかを完全に上にしてしまうのは
家中の権力闘争的に問題があったんじゃ?
506 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 13:30:15 ID:/MNcsH+Y
>>480 >>489 >>490 飼い殺しだの部屋済みだの言っているが非現実的だと思う
御館の乱は一年におよぶ内乱で上杉家を真っ二つにした
それだけ景虎に味方する武将も多かったってことだ。
もし景虎が飼い殺しだったら、求心力も無く
内乱もすぐに決着が着いただろうな。
>>479 謙信がもし景虎を後継と考えていたとしても、景勝の権力強化は矛盾しない。
一門衆の権力強化は他の国人への威圧になる。
越後国内にも不穏分子はあるしな。上田への不信感はあるが、
本庄・北条を抑えるには一門衆の強化は不自然ではない。
>天正年間、謙信の晩年の時点でそれは誰と誰?
詳しく上げろといわれてもねえ
上田房景の初期の動向や、上田政景のあんな死に方を考えれば
謙信に不信感を持つ人間が居ないわけ無いだろうに。
507 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 13:43:54 ID:/MNcsH+Y
>>479 景虎は「後継者候補として」謙信と共に従軍していたか
あるいは関東管領名代として上野にいたかというのは推論。
景虎が何もせず、ただ遊んでいたわけではないだろう
506でも言ったように、なにか任せられていたと考えるのが自然だが
そのような史料もあまりない・あるいは消失しているかもしれないので
確かなことは言えんが
直属部隊というのは何を指して言ってるの?旗本?
508 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 13:59:19 ID:/MNcsH+Y
>>479 結局、決定的なことは言えないが、飼い殺しというのは考えにくいと考える。
そのつじつま合わせ的に推論したまでで、正当性があるわけではない。
だからあなたが指摘したがるのは無理もないだろうと思う。
>中枢から離れていると考えた理由 1
景虎後継者説を少しマイナスにする一件だな。ただ後継を定める時期と比べて
心証に変わりがあるかもしれないが、そんなことは反論にはならないだろうな
2) 景虎に出すのであれば謙信に出すだろうな。現当主だから。
そして顕景も、上田の「現当主」だ。
3)多く、というが大身の旗本が景勝に味方する傾向にあったのは事実だな。
北条家に反発する武将も多かったのかもしれない。ここらへんは見解次第だが
景勝の春日山占拠の時点で景勝勝利の気配を感じた武将もいるかもしれんが
景勝から先に軍事行動をした事実はあらゆる意味で重大だと考える
509 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 14:04:29 ID:/MNcsH+Y
>>493 仮にも、養祖父なんだからそう簡単に殺されるとは思わないだろう
憲政にしても、最初から景虎を支援しようとしていたとは考えにくいがね。
御館の憲政にはほとんど軍事力が無いから、景勝が落ち延びてきても
景虎が落ち延びてきても、これを拒むことはできなかっただろうしな。
以上 連投スマソ
510 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 15:45:46 ID:2LzkHin6
軍役がないだけでは後継者とは言えず、単純に率いる軍がなかった、
若しくは他家の四男五男のような立場ではなかったのか
家臣名簿で景勝も名前がないことから、軍役帳に乗っている=家臣扱いでもない
旧名を当主が世襲する習慣のない上杉で旧名=後継者とする根拠
さらに通称・官位を引き継いだ景勝より景虎を上とする根拠
謙信側近が付いてる景勝が迅速な行動を取れるのは当たり前であり
逆にそういった者を持たなく、さらに旗本の指揮権がなく直轄軍も持たないからこそ
景虎が出遅れたとも考えられる
終始三郎殿の景虎に対して御実城様と対になる御中城様という称号をどう捉えるか
後継者より上とも取れる地位はありえるのか
景虎が後継者だとしてその動きがまったく残ってないのはどういったことか
後継者=当主代理な訳でかなりの書状を発給してなければおかしいわけで
仮に景勝が隠蔽したとしても会津に転封されるまでの帰還で全てを隠す事が可能なのか
また他国にも残ってないのはなぜか
他の傀儡を見るに本人の資質や業績は必須条件とは言えず、
逆に幼君に代表されるように力がないがゆえに制御しやすいと見られたのではないか
また景虎の資質によった戦いならば十一月から半ば見殺し状態にはならないはずで
その後一年も乱が続くのもおかしい
よく出される↑辺りに説得力のある根拠や反論を提示しないといけないわけで
通説の後継者不在論を覆して、景虎後継者論を進めるのは茨の道、まぁ頑張って
511 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 16:33:27 ID:RuLs3GJs
畠山なんか家臣同士の対立で擁立した主君立て続けに死なせてるな。
内乱に主君の器量なんか必要ない。幼児だってかまわん。
景虎はその血筋だけで北条とその同盟国の支援が見込める訳で
古志長尾と北条武田葦名など諸外国がぞろりと付いた景虎を
保身の為に謙信の意志を無視して支援する国人衆がいても不自然じゃない。
御館落城に際して景虎を守る諸将が殆ど残らず
景虎が死んでも乱が終わらなかったあたり、景虎を擁立した諸将にとって
三郎景虎個人でなくてはいけない訳じゃなかったって事だ。
512 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 22:27:13 ID:540ee6vl
>>507 ちょw
あなたがた景虎後継者説の人達が
「謙信の直属部隊を引き継げばいい」
と主張してるのにそれが誰の事を
指すのか把握してない訳?w
513 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 22:54:55 ID:VgPtVt/s
景虎後継者説の大半は結論を決めてから主張しているのではないですか。
514 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 23:38:22 ID:jgI585vS
>>512 ここ一連の流れを読み直したけど、507の人は、
>軍役がない→謙信直属、後継扱い
>軍役を持たなくても不思議ではない。家督継承時に直轄部隊も引き継げばいいこと。
と、この「直轄部隊」という言葉を
>>450や
>>459で、
自分が使い始めたことを忘れているのでしょう。
>>469でも、
>>479でもその直轄部隊がどの辺りを指すのか、
聞かれているのに応答なしで、いきなり
>>507で質問返し。
>>507 景虎が家督継承時に「直轄部隊」を引き継げばいいこと、
と言い出したのは貴方ですよ。ご自分のレス見直してみて下さい。
515 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 00:02:35 ID:DF+ngRFC
直轄部隊とやらが謙信の馬廻衆のことなら山吉氏なんかいるけど
山吉は豊守の死によって家法により家臣団半分召し上げになったあと、
召し上げた一部を景勝の五十騎組に編入しちゃったりしてるな。
あれー?景虎に任せるどころか景勝の親衛隊になっちゃってるぞ。
516 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 00:04:14 ID:hBaxL2/D
>>507 479ですが、
>謙信がもし景虎を後継と考えていたとしても、景勝の権力強化は矛盾しない。
そうですか?
謙信がもし景虎を後継に考えていたならば、
景勝には最晩年の時点で家中最大の兵力を与え、地盤を強化したのに対し、
景虎にはそれに類するような痕跡が全くない、
というようなパワーの偏りは避けるはず、矛盾する、と考えているので見解の相違ですね。
貴方は、景虎が
軍役がない→謙信「直属」、後継扱い、
謙信の「直轄部隊」に従軍していた、
あるいは管領名代として関東にいたかも知れない、と言うが、
それを裏付ける根拠は、長いレスの割りに、結局、
>景虎が何もせず、ただ遊んでいたわけではないだろう
>そのような史料もあまりない・あるいは消失しているかもしれないので
と述べているだけなので、こちらとしては何とも答えようもない。
ちなみに景虎の手紙は全く残っていないわけではなく、
北条支援を奉行衆に頼んだ手紙や芦名氏宛のものなど、残っていますよ。
貴方に推論ばかり、と言われたので
>>479で推論の根拠を述べたが、
自分は?人のレスに絡む前に、自分の説の裏付けをして欲しい。
517 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 00:12:12 ID:hBaxL2/D
>>506 >詳しく上げろといわれてもねえ
>上田房景の初期の動向や、上田政景のあんな死に方を考えれば
>謙信に不信感を持つ人間が居ないわけ無いだろうに。
そうですか?
政景亡き後、上田衆の要として多数の軍事活動をしていた樺沢城主・栗林政頼は、
謙信から送られてくる手紙を見ても、景勝の地位向上に伴って、
いっそう尊重・信頼されていく過程が読み取れるし、
まして上田衆にとって、自分達の若君が謙信から厚遇され、
大事にされていることがわかるのであれば、
たとえ俗説と言われる謙信による政景謀殺を疑っていたとしても、
不信感を拭うには十分な時間の経過があったと思いますが。
少なくとも景勝や政頼が重用・厚遇を受けていれば、
それに対して不穏な空気が漂うような傾向も必要も無かった筈と考えますが。
>>508 >2)景虎に出すのであれば謙信に出すだろうな。現当主だから。
>そして顕景も、上田の「現当主」だ。
上田長尾の当主であることが越中の椎名氏にとってどんな意味が?
当主であること以前に、謙信に手紙を披瀝し、
周旋してくれる影響力をもつ人物、当時の陣中にあって
最も近しい人物として 顕景を選んだものと考えているので。
>ここらへんは見解次第だが
>景勝の春日山占拠の時点で景勝勝利の気配を感じた武将もいるかもしれんが
>景勝から先に軍事行動をした事実はあらゆる意味で重大だと考える
占拠の時点で勝利の気配を感じても、その後の情勢は移り変わり、
景虎が優勢であった時期もあるのはご存知ですよね。
そして、一度は景勝派になったのに後に景虎に組した家臣もおり、
そうした中で、謙信の晩年の側近だった人々は、終始景勝派だったということです。
以上、長文で申し訳ないが、
このうえでなお越後を二つに割って戦うことができたのだから景虎は後継と目されていたはず、
とおっしゃるのであれば、その点に対しては、
>>510さんの下の方の書き込みに同意なので、そちらを読んでください。
所詮ずっと平行線のままだろうと思わざる得ない。
無駄にスレ消化するだけなのでもう消えますね。
518 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 00:56:44 ID:Sm8174a6
政景は春日山城留守役を任されるなど重用されている。
本城の留守役は余程信頼されてないと任されない。
出奔の際も政景の説得で越後国主に復帰した。
ここまで信頼する政景を暗殺する理由が謙信にあるのか?
政景の死後に上田衆が解体されたわけでもない。
上田領内に政景暗殺の噂が広まったというような記録でも残っているのか?
この政景暗殺説といい、景勝による謙信暗殺説といい、完全な俗説だな。
519 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 01:23:41 ID:i8ovxAFR
景勝暗殺説なんてあるのか
景勝の権力強化があったというなら
むしろ少しでも生きてもらっていてほうが良いと思うんだけど
話は変りますが景勝スレ見て気になったんだけど
遠山」の側室はいつから傍に上がったのかな
520 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 11:10:48 ID:DF+ngRFC
妙徳院は実在?
華渓院との間に結婚一年で子供生ませて4人も作ってるんだよな。
命中率が高いな。
521 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 12:56:13 ID:hThqrSMN
御館の乱で景勝派から景虎派に鞍替えたのは神余とキタ条だっけ?
522 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 17:49:40 ID:SFXnTGwv
転載
402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 17:40:53 ID:3UseZuXc
珍しく微妙に荒れ気味のところブタ斬りですまん。
今日、本屋で久々に大河便乗の直江関連雑誌いくつか手に取ってみたんだが、
後継者問題に関してはほとんどのものが景虎贔屓で萎えまくった。
皆さん見た?
たとえば歴毒の別冊、冒頭の永岡慶○助による「ドキュメント直江兼続の生涯」は、
あまりに電波飛ばしすぎな妄想小説なのでどうでもいいとして、
文化財専門員という某氏による章では、景勝が謙信の養子であったことさえ疑問視されている。
以下、その要約。
軍役帳に上杉一門筆頭の立場で記されていることから、上杉景勝への改名は事実である。
(同姓の場合は名字を省略するという当時の慣例から見ても上杉改姓は確かである)
しかし、弾正少弼譲与に関しては、県史の指摘にあるように、後継正当化のための創作。
景虎が芦名盛氏宛に出した書状に「少弼」とあったとしても、それは謙信死後のことであり、
あくまでも謙信在世中には景勝を弾正少弼とする史料はない。
景勝が謙信の養子となったことについても確証がとれないことから、
謙信在世中は、上田衆を率いる上杉一門として遇されたとみられる。
軍役帳で「御中城様」と尊称されている点については、
謙信の養子となったことが確認できないため、これも後に創作された可能性が捨てきれない。
以上。この某氏は割と確実に史料にあたっており、
むやみに景虎後継説を述べている訳ではないので念のため。
景虎については、元亀2年の関東出兵の際に謙信の側に景虎がいるのを見て、
関東諸将は景虎を上杉の家督継承者と認めただろう、という記述にとどめている。
しかし、その後に続く景勝の項目が上記の通りなので、景勝の家督継承に疑惑の色が非常に濃い。
「養子になった」という史料が見当たらず確証がないから養子ではない、
養子じゃないから「御中城様」という記述も創作の可能性が高い、ってどうなんだ?
説として成り立つのか?
この文の中では触れられていなかったが、
謙信在世中に景勝が弾正少弼を名乗っていたことを示す史料として、
他に、(年不詳だが)謙信の花押がある「上杉弾正少弼」宛の年賀への礼状、
景勝自筆という普光寺への官途祝いの礼状が考えられるが、いずれも「捏造」の一言で片付けられそうな勢い。
先月発売されたばかりの歴毒だけど、これを見る限り、
片桐氏の論文ってやはり広く出回ったわけではなく、実は殆ど受け入れられていないのか?
また、景虎が二ノ丸、景勝が三ノ丸(中城)というのも、あちこちで書かれていた。
実際に確定されたの?自分が知らないだけ?
523 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 18:38:21 ID:rO0LHzQq
またループか、他にネタないのかね
524 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 18:50:31 ID:3UseZuXc
書き込み直後に転載されててワロタ
確かにループといえばループだが、養子ですらない、と言うのは珍しいかと思ってw
ぼやくならネタ探してくれ
525 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 19:18:25 ID:vmUGD7Od
後継者が景勝だと困るのかな。
526 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 21:52:11 ID:qI4tlJSh
都合の悪い史料を反証となる史料も無しに全部捏造ってことにしたら
そりゃどんなトンデモ説でも成り立つわな。
直江や山吉や中条や上条や山浦といった
謙信の寵臣たちが即座に景勝支持をしていることをどう思ってるんだろうかね?
謙信の養子ではなく上田家頭領というだけでは全く説明がつかんのだが。
あと三郎景虎は春日山城内に住んでいたのかすら確定してなかったような。
527 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 21:34:48 ID:abUFoAhQ
越相同盟時…景虎
同盟破綻後…景勝
おそらくこうだろう。
同盟締結時は北条側が謙信を関東管領として認める代わりに後継を北条家出身の
男子とする盟約が水面下で交わされてるor暗黙の了解だったような気がする。
で、同盟が破綻してしまえばそれも意味がなくなり、謙信と血縁的に最も近い
景勝が後継者として浮上。(越相同盟前にも後継者と目されていたなら再浮上か)
取り敢えず二者分権説はないと思うよ。
>>505 謙信自身上杉家の通字を使ってないから、憲政に遠慮したんじゃない?
528 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 21:59:04 ID:OAFBPd+T
>越相同盟前にも後継者と目されていたなら再浮上か
そんなわけねえだろ。
529 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 22:35:09 ID:x2p89cHo
越相同盟が破綻するまでは顕景は可愛くても
顕景を取り上げると上田長尾家を継ぐ人間がいなくなるから
誰か他の有力な名家の子を後継ぎにして
顕景を上杉家の当主にするつもりは無かったのが
越相同盟の破綻でやはり同盟者からとった養子では越後を任せるには
心許なくなり顕景を後継にする気になったんではないかな?
他国者でも力なくても良かったなら憲政の子が越後で生まれてるのだから
その子を謙信の養子にして山内上杉家の家督を戻しても良かっただろうが
そうしてない辺り上杉を継ぐ者には権力を保持するための背景となる武力が
必要だと思っていたんだろう。
景虎は実家から見捨てられたことでその条件から落ちたのでは。
530 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 23:15:00 ID:abUFoAhQ
>>528 もし謙信が同盟以前から後継について考えていたとしたら、まだ景虎もおらず、
景勝(顕景)くらいしかいないから、その場合は同盟期間を挟んで後継候補筆頭に
なったのでは、という意味で、語尾は別に断定している「か」じゃない。
というより俺の言いたい事としてさして重要じゃないから括弧書きなのに…
強い口調で否定するような事でもないだろうし…
531 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 23:41:32 ID:MJVPUG9C
>>527 どっちか片方が一貫して跡継ぎ最有力候補だったとすると
色々辻褄が合わないとこがあるから、オレも時期によって
最有力候補が違ったってのに賛成だな
532 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 23:48:13 ID:OAFBPd+T
>>530 一行レスしただけだが、強すぎる口調で悪かった。
でも後継者が変化したなんて突飛な説は聞いたことないわ。
533 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 08:38:58 ID:phC/R04Y
後継者候補が景虎から景勝に変わったのではって説は話題の片桐説じゃなかったか?
534 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 00:08:38 ID:aN0X4o3U
>>517 横槍ですまないが、上田家も謙信の重臣なので、
椎名が上田に対して斡旋を期待するのも不思議ではない
景勝が後継者候補だったかどうかは別にして
535 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 01:00:37 ID:lkqveNOm
上杉は名前の基準がわからないからな。
定勝=越後上杉通字+景勝の一字
綱勝=綱吉通字+景勝の一字
綱憲=綱吉通字+上杉通字
定勝だけ徳川のなじゃないがこれも景勝が意図的に上杉の名跡を強調するためじゃね。本当なら忠勝や忠景が相当する労に
536 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 10:51:05 ID:LuXx1h5z
>>510 >軍役帳に乗っている=家臣扱いでもない
普通は家臣扱いであることが多い。
迅速な行動の可否を論じたのではなくて、動機の問題。
景勝がなぜ軍事行動をとる必要があったのか?
当主として内定しているのであれば
この時期の混乱は一番避けたいはず。
景虎が後継者として春日山に入り、これを追放して
景勝が当主の座を奪ったという説も考えられる。
>終始三郎
山内上杉は代々「上杉四郎」を名乗っている。また、犬懸上杉も
「上杉三郎」がいる(朝房、重方、持房、政藤など)
犬懸・山内は関東管領歴任の家である。
まあ弾正少弼も扇谷家が名乗っていたことがあるけど
>仮に景勝が隠蔽したとしても会津に転封されるまでの帰還で
全てを隠す事が可能なのか
全てを隠すのは無理でしょう。でも隠せなかった少数が、数百年間失火などで
失われてしまった可能性も否定できない。
ここらへんは創造の領域なのでなんとも言えませんがね
>他の傀儡を見るに本人の資質や業績
なぜ傀儡と決めてかかるのか?それはおかしいのでは?
十一月には既に景虎劣勢となっており、景虎方の兵力がかなり減っている。
「見殺し」というがこれは仕方の無いことでは?
乱が続くことで、景虎の正当性を揺らがせる意味があるのだろうか?
当主となるべき景虎を倒した景勝には従えないから反抗を続けたのではないか?
>>511 大名が滅亡するときというのは離反・投降が相次ぐもの。
景勝後継者論の人は、景虎を無理矢理お飾りだったことにしたがるようだな。
537 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 11:38:29 ID:LuXx1h5z
>>514 聞き方が悪かったかな?直轄とか直属とか言われるけど
どのへんまで含まれるか、あなた側の見解を聞かないと
書く前に整理してい置きたかっただけ。
ところで、「質問返し」されるのに過剰に反応されなくとも
その意図はないですよ
こちらとしては本庄・松本・直江・庄田・山崎(秀仙)・河田・
山吉・神余・和田・蔵田・堀江・香取・下平あたりのことを指したつもり。
この内 河田(長)・松本・直江・山崎・山吉が景勝方
そして、河田(重)・神余・堀江・下平が景虎方
538 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 11:46:36 ID:iq483n1j
まず第一に「景勝が先に軍事行動を起こした」ということ自体が分かってない。
先に後継宣言をしたのは景勝のほうだったが、
単に関東出征目前での当主の急死だったため
さっさと後継がつつがなく活動を開始することで
周辺への混乱の波及を抑えようとしただけかもしれない。
それに景虎側が異を唱えて春日山を出て
大場で交戦が始まったというようにも受け取れる。
大体春日山城がそんなに簡単に不法占拠できるほど
景勝側の家臣が春日山に詰めていたなら
それこそ景虎の後継としての立場は危ういだろう。
後継者景虎の家臣は何をしてたんだ。
今川家も武田家も豊臣も滅亡するときには大量の離反者を出してるが
それにしたってある程度の武将達が最期まで当主を守って死んでるわな。
わざわざ落ち延びる景虎から離れていって自城に戻り抵抗する理由は?
景虎と一緒に死んだのは相模から来た遠山くらいだっけ。
539 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 12:23:30 ID:jlhv1Zbl
傀儡言われるのはやはり譜代家臣がいないせいでは。
この譜代家臣の無さのせいで負けた部分も実際あるし。
景勝の上田衆は圧倒的多数の北条軍に取り囲まれても必死に抵抗してたしなー。
他国から来た景虎を後継にするつもりなら早くから家臣を任せて馴染ませておくべきだったわ。
行使できる武力の無い主君なんてよほど平和な時代でもなきゃ
否が応でも有力家臣による傀儡と化す。
そして家臣を抑えようとして追放されたり殺害された主君がどんだけいることか。
景勝後継説以上に景虎後継説の謙信の態度はまずいよ。
弟に自ら使っていた官位を与え更に家臣団を拡大させるとか、
16歳でひょっこり敵国からやってきた姉婿とそんなに敬愛しあってるように見えたのか?
実の兄弟同士でさえ弟の力が強いと争いが起きることくらい
謙信は自分自身の体験で知ってるだろうに。よほどの甘ちゃんだったのか。
景虎に官位を与えた上で通称を使わせ、名代として指揮経験を積ませ
景勝は長尾顕景のままにしておくべきだった。
540 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 22:31:37 ID:fwyxX6iX
>>538 わかってないっていうか
あなたが事実を曲解してるだけでしょ
>それに景虎側が異を唱えて
状況にも適合しない推論ですな
景勝が春日山を奪うことができたのは戦の準備をしていたから
景勝が当主第一候補なら、なぜ春日山を
軍事占領をする必要があったのか
事を荒立てて困るのは一番上に立つ人間であるはずなのに
541 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 22:40:47 ID:7NHpy+DF
??
542 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 22:59:52 ID:7DzwmHmD
>>535 綱勝の初名・実勝も越後守護系の字だな。
>>538 >わざわざ落ち延びる景虎から離れていって自城に戻り抵抗する理由は?
そんなの解りきってる、理由は二つしかない。
1.景勝に今更帰属しても領地削減は必至。
2.景虎派諸将から見れば、上杉家が簒奪されたような物なので
簡単に屈するわけにはいかない。
だったら抵抗して織田なり北条なりの援兵を期待するのは自然。
なんであんたがムキになってそこに拘るのかもイミフ。
543 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:07:17 ID:jlhv1Zbl
景勝が軍事行動で占拠したなんて史実は確定してないんだよ。
一次史料には春日山城内で戦闘があったとか
戦死者負傷者が出たなんて話はない。
景勝が後継として諸外国や家臣に書状を出してること、
景勝派についている家臣が謙信の遺産整理をしていること、
大場で景勝派と景虎派による戦闘が起きたことしか分かってない。
創作だかなんだかわからない事を根拠にしてる人と
一次史料しか明確な史実と認めてない人が話してるから話が噛み合わない。
544 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:10:09 ID:fnUl3ijx
正当だろうが何だろうが、春日山城占拠と言う既成事実を作ってしまえばその後の争いが有利になるのは確か。
だから景勝が正統な後継者でも春日山城を占拠する必要性は十分すぎるほどある。
逆に景虎は正統な後継者でなかったとしても春日山城を占拠すれば、景勝派が動揺して崩壊には至らすとも景虎派に奔る者が出た筈。
545 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:20:27 ID:fwyxX6iX
>>543 おいおい、軍事的な準備をしていたのは事実だろう
景虎方はまさか景勝が当主の座を奪いにくるとは
思わなかったから武装していなかった
だから城内の戦闘は起きなかったんでしょう
546 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:28:38 ID:ZF4p89r5
>>540 >>543 にちゃんで話を噛み合わせようというのがそもそもの間違い
結局、どちらも自分の都合の良い解釈してないしね。
547 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:29:56 ID:ZF4p89r5
× 解釈してないしね。
○ 解釈しかしてないしね。
548 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:30:10 ID:jlhv1Zbl
じゃあ景勝だけが戦闘準備をしていて景虎以下春日山詰めの謙信側近衆は
何も気付かず何の抵抗もせずおとなしく従ったことが分かる
一次史料を提示すれば皆納得すると思うよ。
景虎はすぐ近くの中城の不穏な動きもわからないほど
愚鈍な人物だったって事でおkと思うけど。
549 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:39:22 ID:fwyxX6iX
軍事的な準備ができず城を出るしかなかったんだろう
景勝もその時点では素直に城を出れば命を許すということだったんだろう
実際に兵を集めたのも中城ではなく城外に
百人くらいの小勢を密かにあつめていたかもしれない
君、景勝擁護のあまり感情的になってないか?
一次資料のみしか認めないと自称するわりには。
550 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:41:56 ID:eVbAQ5Jg
景勝擁護の人は感情的で異論を絶対認めないイメージがある。
551 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:42:02 ID:g9crcI/5
景虎が春日山城内に住んでいたという一次史料ってあったっけ?
552 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:46:44 ID:ZF4p89r5
だからおまえらウィキペディアでやれよ
553 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:53:33 ID:+M1p5ZAG
ウィキペディアでやるよりここでやるほうが適切だろう。
554 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 00:19:20 ID:Lu8CAH9Z
後継がはっきりしていたなら春日山城には景勝以外にも
沢山の重臣達がいたはずなのだから問答無用の不法占拠というのは
不可能だと思ってるからなあ。
特に謙信が死んだのは関東征伐だか上洛だかの直前だったわけで
景勝が兵を手元に置いていても別に怪しくない状況だったのだろうと思う。
(ただしそれは他の重臣達も同様)
ここで景虎が出遅れたのは一重に手足となって動く譜代家臣がいなかったためだと思う。
景勝には即座に動かせる兵がいるのに対し
景虎は兵を動かすには支援者を集めなければならず
そのために景勝に出遅れたのだろう。
俺はどちらも明確に後継とは分かってはいなかったと思ってるよ。
感情的に敵視してるように思うならどうぞ。
555 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 00:24:52 ID:Zh1XKBpg
>>551 ある程度謙信の近く辺りにはいたんだと思うぞ。
ただ、春日山城内にいたとするのが一般的な見方だが、
城内ではなく城下町の中に景虎は住んでいたのではないかと見る説もある。
上杉氏年表にその説は載ってるな。
景虎が城内に住んでいなかったのなら、
景勝が春日山城に、景虎が御館に拠点を構えるのもごく自然なことだから
面白い説ではあると思うが。
まあ景勝も春日山城内に居を構えたのが何時の話なのかは確定してないしな。
坂戸城と春日山城を行ったり来たりしていたようだし。
556 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 01:07:00 ID:nHjtRKtQ
557 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 11:10:00 ID:gQ0qWr+2
神余とか北条毛利とか乱の初期には景勝に追随する動き見せ
乱最中に死んだ北条毛利はともかく神余なんか景虎見捨てて自領に戻り
景勝との和議も決裂し旧主に呼応した家臣に殺されると
俺にはどう見ても日和見した挙げ句景勝に許してもらえなかったようにしか
見えないんだが簒奪者に膝は屈しない!織田でも北条でも来い!だったとは
ずいぶんかっこいいな。
死んでも簒奪者に抵抗する気概があるなら景虎死ぬまで守って
相模に逃してやればいいのに。
関東に出るには景勝本拠の近くを通る危険を犯さなきゃいかんくらい
分かり切ってるのにな。
558 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 20:40:54 ID:6TT5fbqH
所詮細川政元と同類じゃん
559 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 08:23:49 ID:kh+85/tv
つまり政元=謙信、澄之=三郎景虎、澄元=景勝ですね。
560 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 08:52:04 ID:uUJ+sXDV
景勝は成功した高国だな。
561 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 13:32:46 ID:b34wIF7O
>>535 >綱吉通字
分かってると思うけど、この場合「通字」じゃなくて「偏諱」だな。
562 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:24:02 ID:+n8RKvCg
上杉家を語るスレって落ちた?
563 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:48:52 ID:H7cXXKCS
564 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 09:11:58 ID:g8Vv4YNl
北条本スレも落ちたままだ…
565 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 10:10:20 ID:4kTzHpCz
レス
>>980超えてたのに次スレ立って無かったからなあ。
566 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 19:04:01 ID:ljtgkY7I
567 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 23:05:18 ID:HwRTij8D
御館の乱って結局
上田派+北陸勢 VS 古志派+関東勢 の抗争でしょ?
で、謙信旗本の3分の2が上田派に加勢して勝利
568 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 23:16:25 ID:JJjwSFGh
あとそれに謙信側近衆が景勝側として参加
569 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:01:26 ID:aQxE2VT2
570 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 10:37:09 ID:whwA7nvs
598はドジッ娘
571 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 18:54:14 ID:U630CgxY
>>567 大河のガイドブック本よんだが、ドラマではその辺が殆ど描かれないっぽい
ほんの少しの掛け違いで・・・って大筋のようだが、
正直、長年の越後の権力闘争を背景にしてくれないと、なんか薄っぺらな印象というか、
本当の悲劇として伝わらない、単なる景虎一人の悲劇に集約させる感じ
まぁ景虎好きには満足な設定だなと思った
572 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 22:44:53 ID:kBft9jB4
単なる景虎一人の悲劇に集約させる感じで、景虎好きが本当に満足するか?
>>570 ロングパス乙。
573 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 00:21:12 ID:ZElVikp5
大河は持論主張の場ではないから、
人間ドラマとして片付けてくれた方がいいや。
574 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 01:57:44 ID:JPr3TNBT
越後豪族の混沌ぶりは、深く書こうとすると、かなりこんがらがるので、
景勝vs景虎の人間ドラマに集約させてしまったほうがいいかもしれんがね。
575 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 14:09:25 ID:zm4W8E6n
中には鎌倉時代からの因縁を持ってる家もあるしな
576 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 23:22:45 ID:2Mj8v6XC
揚北衆でも比較的不遇な側が景虎に加担しているな。
景虎本人も実家から見放された形で不遇だな。
577 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 20:04:14 ID:Nk6VXsSL
北条軍は大雪の中で越山できなかったらしいな
578 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 20:52:09 ID:CR0b1Kce
御館の乱が始まったのは春なのに雪が降りだすまで援軍に来なかったのを
見捨てられたと言われてるんだぞ。
579 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 21:13:56 ID:Nk6VXsSL
武田も当初は景虎を支持していたから
北条軍も楽観視していたんだろう・・・・
580 :
仙台藩百姓:2008/12/25(木) 17:36:10 ID:8/jw/60j
あの状況では勝頼と氏政で無用な景勝を攻め殺して三国で対織田の防衛線を敷くしかなかったおね┐ (´ω`) ┌
たまたま信長が殺されたから助かっただけで
あのままでは武田上杉北条仲良く共倒れだったお
勝頼も北条の支配が越後まで及ぶのを恐れたのか知らないけど
和睦とか有り得ないおね┐ (´ω`) ┌
581 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 18:21:03 ID:nuYU53oi
語尾がキモいおね
582 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 00:12:13 ID:bVmi44X2
583 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 03:23:47 ID:pFD7Tabz
なんか…本当にすまぬね、上杉ファンの皆さん。
百姓もたまにとてもまともで意外な時があんだけどね…。
584 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 11:49:34 ID:b2nXPyo0
585 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 19:42:01 ID:cZozv3nT
この御方がカワイソスで景勝と兼続アンチになりそう
586 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 19:46:45 ID:LZ/eSsXm
怨む相手を間違えてる。
どうみても氏政が一番悪いだろ。
587 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 20:02:40 ID:a9TUJeSy
景勝派の買収に乗って景虎を見捨てた勝頼も。。。
588 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 20:47:23 ID:crJ8zIGh
勝頼は景虎に領土割譲要求されたともいうし
自分は景虎助けに来てるのに実兄の氏政が全然動かないのに
上杉武田の共倒れを狙われてるのではと疑っても仕方ない。
やっぱ悪いのは氏政じゃね。
589 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 21:06:45 ID:7HzSufGS
武田も北条も結局のところ、得はしなかったな
590 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 09:09:56 ID:Zx/X1FHv
自分の子供かわいさに弟を人質に送り飛ばして裏切りしてんだぜ。
越相同盟破綻時に三郎が殺されてもおかしくなかった。
御館の乱でもちんたらやっててやる気なし。
591 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 13:33:19 ID:bLl86P/h
でも同盟が破綻する前から謙信お気に入りの養子だったんでしょ
やっぱり協力して上杉軍をもりたてなかった景勝と愛の兜の人が悪い
592 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 14:03:57 ID:vaWDPLd1
それを言うなら謙信に最も近い血縁者である景勝に
譲って後継争奪戦を辞退しなかった景虎の自業自得ともいえる。
「同盟が破綻する前から謙信お気に入りの養子」という主張は変だな。
「同盟破綻後も謙信お気に入りの養子だった」というなら
何を言いたいかは分からなくもないが。
ちなみに本当に謙信が景虎を気に入っていたのかは謎。
何せ景虎は謙信に交渉するのにわざわざ謙信側近に
奏上を頼まなければならない身だったからな。
593 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 15:00:28 ID:1lVi82GT
>>591 その愛の兜の人が御館の乱に積極的に関わったかも不明です。
ドラマの話は大河板でどうぞ。
594 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 15:45:36 ID:kbNEY2YP
景勝だって景虎が越後に来る前からお気に入りだったよ
景虎が来てからもそれは変わってない
あと景虎絡みで兼続が関わった史料はない
595 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 19:20:56 ID:bLl86P/h
お気に入りじゃなきゃ血の繋がらない養子に自分の幼名与えないでしょ
その点はどうなの?
596 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 19:43:36 ID:1lVi82GT
お気に入りかそうでないかの問題ではなく、
北条家に謙信が山内殿と認めさせる代わりに、
三郎が家督を継ぐという、北条家に対するアピールかも。
しかし北条家が氏康の死後に同盟を破棄し、
その年に出陣した関東遠征以降は、三郎の様子が
御館の乱まで一切史料に現れなくなる事から、
後継者候補筆頭から脱落したものと思われます。
因みに、景勝が可愛がられ、政治や軍事にも多く
関与しているのは多数の書状等で確認できます。
597 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 19:53:06 ID:3gVFgA0/
>>591 どっちが協力しようとしなかったのかは、今のところ不明じゃないかな。
598 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 19:56:17 ID:HoUYL1mF
北畠さん家で
木造具政
北畠具教
と同名さんがいるけど仲は良くないと思うが?
599 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 20:07:29 ID:1lVi82GT
600 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 20:14:43 ID:ftEVCfbw
>>595 謙信が景虎を養子にしたのは、越相同盟の約定の一環だよ。
両家が同盟の条件を交渉していくなかで決まったことで、
謙信が景虎に実際に会う前から、養子にすることが決められていた。
姪との祝言も同じく。
当時の謙信や氏康の手紙が残ってます。
謙信は同盟の条件事項に従って行動したまで。
したがって、謙信が景虎に好意をいだいたかも知れない、と史実から予想できるのは、
自分の初名である景虎の名乗りをあげた点。
(そして初名をあげたことが後継候補であることを示す訳でもない)
同盟期間中は、戦にも同行させたが、破たん後にはそういった記録はなく、
景勝への厚遇が目立っていくなかで、景虎への親愛を示すような史料はない。
景勝スレ、御館の乱スレでもいろいろ語られてましたよ。
601 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 11:52:17 ID:gF4PzUMv
>>598 同名?
>>600 景勝への厚遇ってのも、旧上田長尾当主としての
権力強化もあり、必ずしも後継者として厚遇されたとも
言い切れないけどな
602 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 12:18:29 ID:KsNx+fW8
だったら上田当主を厚遇する前に後継者様の基盤を強化してやれよ
なんで山吉旧臣を景勝隊に組み込んだんだ
603 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 12:55:54 ID:0UJQuq/G
まーまー冷静に。
601も後継者が景虎とまでは言っていない。
過度に景勝後継者説を絶対視することへの戒めとして受け止めようよ。
まだまだ景勝後継者説でもしっくり行かない事があるんだから、
じっくり検証を重ねないとね。
604 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 13:00:32 ID:gF4PzUMv
なに怒ってるんだ?
山吉の兵力が景勝に付与されたのは山吉の事情であって
その兵力が付与される先は後継者に限らず、
一門衆であってもいいじゃないか。
景勝は「後継者だから」山吉の兵力の一部を継いだ という
記述はどこにもないだろ。
だから上田当主としてなのか後継者としてなのか
どうか言い切れるわけないだろ?
605 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 13:01:41 ID:gF4PzUMv
606 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 13:04:29 ID:gF4PzUMv
それと同じで景虎が北条高広の家臣に軍役を命じたってのも
一門衆としての権力の中でやっていたのか
謙信の後継者としてやっていたのか決定的なことは言えない。
607 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 13:07:19 ID:rCdpXqpb
山吉・直江が景勝派なのはこのあたりのことが
からんでいるのかね
608 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 13:59:48 ID:KsNx+fW8
>>603-604 いや、熱を上げてもいないし怒ってもいない
初め語尾に「w」付けようとしたくらいだが
気分的に冷めていたので自重した
上田長尾氏当主としてなら府内長尾氏直臣の
山吉旧臣を組み入れるのはいかがなものか
しかも山吉の事情というより謙信の意向だな
景勝が上田当主と主張する場合、景虎が後継者と仮定されると思うが、
後継者の基盤を強化する絶好の機会を奪ってまで一門を強化する必要はない
謙信自身の官途である弾正少弼まで譲られ、
様という尊称で呼ばれ上田当主としての厚遇?
上田当主や単なる養子なら山浦や古志同様に殿で十分
609 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 14:30:01 ID:yIGNozLg
景勝後継説でしっくり来ないことってなんすか?
>>606 いつのことですか?
610 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 16:14:48 ID:0UJQuq/G
>>609 一応前以ていうけど俺も景勝後継者説を支持してる。
だから次の疑問をすっきり解消したい。
景虎が改姓改名もせず小田原に還らず越後にいる
景虎が家督を譲り受けたと称している(それが通用する余地があったということ?
景勝が景虎以上に正統な後継者らしい名前を貰ってない
十郎、北条、枇杷島らがなぜ景虎に味方したかが不鮮明(どういう派閥が?
他にも細々とあるけど、これらを知りたい
611 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 16:24:19 ID:nxsGFY7P
つーか上田長尾家当主として扱う気なら上杉の名を与え弾正少弼を与え
上杉分家一門である上条・山浦・山本寺より上に来て
一門衆より格上敬称の様付けまで行われてるのは何故w
そして長尾顕景から上杉景勝になると謙信の書状において
上田長尾筆頭家老が陪臣扱いから直臣扱いに変化している。
その上謙信最晩年に出された家臣名簿からは景勝の名が外れている。
後継かどうかはともかく景勝は山内上杉家であり
謙信の身内として扱われてるようにしか見えない。
上田長尾家当主扱いはないだろ。
612 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 16:30:54 ID:nxsGFY7P
北条毛利は謙信死後すぐの辺りでは景勝に国元の報告を行ってる。
つまり一旦景勝を当主とする行動をしてその後景虎方に参加。
古志十郎は、もともと古志長尾家は上田長尾家と対立していた事が指摘されており、
景勝が当主となれば当然上田長尾家臣衆が与党勢力となるため
古志が政権与党から野党へと落ちてしまうことを危惧して
景勝に反発し景虎に付いたと言われる。
613 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 17:01:54 ID:0UJQuq/G
古志と上田の対立はよく耳にするけれど、
根拠が気になるね。
614 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 18:07:54 ID:L4d5iR0F
むしろ琵琶島や神余、そして上杉憲政らが景虎派なので
ここらへんの疑問を解決しない限りは
「景勝後継者説」を有力とすることはできない
615 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 18:45:17 ID:0UJQuq/G
憲政を景虎派とするのは無理があるね。
景虎のために積極的に行動していない。
謙信と晴景の調停をした上杉定実が晴景派とは言えないし。
それより気になるのは仙桃院がなぜ景虎の側に?
616 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 18:57:35 ID:K53nC6DJ
仙洞院が景虎側にいたことは確かなんだろうか?
617 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 18:58:16 ID:7SHnk0Ky
神余も当初は景勝派だったと思うが。
仙桃院がどうして御館にいたのかは、ちょっとわからん。
娘と孫の世話でもしてたんだろうか。
まあ、景虎側からすれば、格好の人質となった可能性あり。
618 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 19:16:13 ID:nxsGFY7P
憲政は景虎方といいつつ先代山内上杉当主として元家臣や周辺諸国に対し
景虎後継支持の旨を伝えたような痕跡一切無し。
山内上杉家臣も憲政を奉じるわけでもなく普通に景勝方に付いてる。
まさに御館にいただけ。あと景勝方の兵に殺されたとする伝承しかない。
神余は北条と同じく当初は景勝に従いながら景虎派に転向した。
上田と古志の対立は市史でも見たらいいんでは?
謙信政権以前に何度も対立してるようだが。
上田長尾家が越後守護上杉傘下の府中長尾や古志と違い
関東管領領郡司という立場だったので(魚沼は越後守護領ではなく関東管領領だったとか)
越後長尾氏より関東の長尾氏に近かったらしいってのは言われてるな。
619 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 19:37:51 ID:0UJQuq/G
古志と上田の対立は事実だとは思うが、
では府内と上田はどうなんだろう。
府内は上田より古志と緊密な歴史が長い。
上田と府内は仙桃院の存在一つで繋がっているような関係で、
言わば仙桃院は府内に古志より上田を重視させるキーパーソン。
古志には邪魔な女性なのに景虎の側にいる。
ここに何かありそうで、なんとも気になる。
620 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 20:01:51 ID:7SHnk0Ky
新潟には仙洞院が争いをやめさせようと努力していたという俗説もあるらしい。
自分夫婦の画像に死んだ娘と孫の戒名を入れさせたぐらいだから、
御館の乱は彼女にとってまさに悲痛のきわみのような争いだったと思う。
621 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 22:51:40 ID:QKQwxS/e
622 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 22:51:59 ID:Y2ZFJDfT
岩びつスレでの論争するならこちらへどうぞ
623 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 00:58:01 ID:n3XRQfMO
>>622 由良の話が出てきたのは、武田や北条、滝川間での上州の領主の動向
というより、由良氏や陸奥の蘆名氏が、景勝ではなくて景虎に
謙信死去のお悔やみや家督相続云々という話をしているという話ではないか?
624 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 16:24:17 ID:i7haG04O
由良は北条と上杉を行ったり来たり、
家督相続祝いの文も景虎唯一の側近で北条家から従ってきた遠山宛て。
葦名は越後を狙って虎視耽々。
625 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 20:57:13 ID:oCd6gubx
当時の由良は形式的には古河公方の配下、実質勿論北条。
越相同盟破綻後の謙信の関東出兵の多くは由良攻めに費やされたのだから、
上杉の筋目を重んずるはずもないだろう。
しかし成繁も惜しいタイミングで亡くなってしまった。
626 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 04:08:18 ID:J+DpHNK+
玉山景虎がイケメンすぎるw
そして脚本がイタすぎるw
627 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 16:55:45 ID:hFpG8emF
>>625 景勝派に暗殺されてたりしてなwタイミングよすぎだろ…
628 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 00:48:19 ID:V17sLm9N
景虎派の考える景勝の暗殺能力どんだけ凄いんだよ。
ある意味宇喜多直家を遙かに越えるだろwww
629 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 01:13:13 ID:iUHE/IHj
天翔記2では、景勝の技能に「暗殺」をw
630 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 08:54:03 ID:YvivrrqG
いわびつスレってどこのこと
631 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 16:32:53 ID:+o/SKRsz
もう落ちてるから探しても無いぞ
632 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 00:08:19 ID:Llfqiti6
良スレだったのに
633 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 08:37:06 ID:/neYP2Nx
(^ρ^)<アウ
634 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 10:14:08 ID:v2ddB/7R
景勝に味方したのが武田滅亡の第二の要因だな(一つ目は人材失った長篠)
北条を敵にまわすの痛いな。なんのかんので関東を押さえてる北条の物量は大きい
景虎に味方して上杉、北条、武田の三国同盟なら結構善戦したと思う
635 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 10:28:37 ID:5QaQkxTT
あまり変わらないと思われ
北条が上杉と武田に援軍を出しても挽回できるとは思えん(織田は昵懇の佐竹と手を組んで北条を圧迫)
636 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 11:29:45 ID:wQk0mxOQ
関東大事で景虎の時みたいに小手先の援軍出すくらいだろ
話が終わったころに甲斐国境に八王子軍参上とか
北条と戦わないで、最初から徳川織田と正面から事構えてたら、
余計滅亡早まったんじゃないかな
637 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 16:17:58 ID:cLgRIVw/
北条に上杉武田と完全に手を組まれたら
佐竹は厳しいんじゃね?
638 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 22:06:22 ID:gyBDUHEj
佐竹・宇都宮・里見で北条を牽制?
639 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 21:03:13 ID:OtCLPkHl
想像だけど、謙信の構想
関東管領(現代でいえば持ち株会社、社長景虎、権威&お飾り)
傘下に@上杉(景勝社長)
A北条
B武田
三国同盟で信長に対抗しようとしたのでは。ソース無し。
640 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 21:16:33 ID:rvEMnnAU
641 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 00:54:47 ID:xp+nzSIS
>>639 なるほどね……
かつて、父為景が越後で上杉定実を守護にいただいて、
自分は守護代となって実権をふるったのを、
謙信は関東甲信越全域で、景虎と景勝にさせようとした、と。
景虎が御館の乱を起こさなければ、景勝が謙信の遺志を継いで、
実現していたのかな?
642 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 01:28:52 ID:x3ljn1bj
景勝:越後統轄
景虎:上野統轄
上条:北陸統轄
山浦:信濃統轄
根拠はない。妄想したかっただけ。
643 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 01:32:22 ID:TvCH3Ac0
>>642 謙信が跡継ぎを明確にしなかったのは、そういった分割統治の構想が
有ったからなのかもしれないよね・・・・・。
644 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 20:03:40 ID:8Ah2kjW3
>>642 そのつもりなら上条・山浦は旧姓のほうが都合よくね?
645 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 20:27:27 ID:xJkeAx1+
>>644 謙信・景勝の家格を最上級におくため、
山浦を上杉の支流にする必要がある、
と妄想。
越中には河田が指揮する古志上杉や椎名の継いだ下田長尾が代官役。
646 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 22:52:39 ID:2k3yuCme
>>644 それじゃ、「上杉」としての統一性がないだろ
647 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 17:49:51 ID:Tscj1rSy
景勝 出世物語
1 御館の乱に勝利
2 信長の死で滅亡を免れる
3 秀吉と同盟、秀吉の天下取りに貢献、小田原攻めにも参加
新発田、佐渡も奪取、5大老、120万石の大大名に
4 朝鮮にも出兵
5 西軍に与してこけるも30万石の大名で存続、長寿
ライバルの武田、北条は滅亡、上杉のみ生き残る
648 :
人間七七四年:2009/04/12(日) 21:12:35 ID:RG1pusDk
天地人で遠山康光は景虎を見限って北条へ逃げちゃったね
649 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 00:24:47 ID:h+hN6KBt
遠山殿は本当(実在)はいい人だよね?
650 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 00:34:49 ID:xu/99xgw
とりあえず逃げたりはしない
651 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 02:54:06 ID:7hGGcU5n
御館の乱は
側室にひどいことした景虎と華姫への
遠山の復讐劇でした。
652 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 23:44:41 ID:KQqFHXpr
あれ、遠山の娘ってドラマ出てた?
しっかり見てないから見落としてるかも?
653 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 02:28:15 ID:KjnLljl0
出てないよ、天地人は我々の知らないパラレルワールドだもん
654 :
人間七七四年:2009/05/15(金) 02:33:08 ID:gEpC19DP
景勝と景虎は不仲だったんだろうか
ていうかろくに会話する機会もなかったんだろうか
655 :
人間七七四年:2009/05/15(金) 02:37:24 ID:2zHxxdtd
んなこた無いだろ
656 :
人間七七四年:2009/05/15(金) 02:38:58 ID:2zHxxdtd
会話ぐらいはするだろ
657 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 12:44:14 ID:Crq8Bnag
景勝の実の姉の夫だから
会話したり顔を合わせたことくらいはあるだろ。
不仲だったかどうかは不明だが。
658 :
人間七七四年:2009/05/31(日) 10:01:34 ID:96tnhWxG
華姫は俺の嫁
659 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 14:13:39 ID:JBG7vLMK
景虎に付いた家臣の考えが分かる気がする。
道満丸の存在が大きい。
謙信の姪が産んだ男児だし、血縁的にも大義名分は残る。
景虎のバックには北条、信頼しきったら痛い目に遭いそうだけど、
適度な距離を保ち割り切りながら付き合えば良い相手。
景虎&道満丸に付きたくなるわ。
660 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 14:38:13 ID:RrEaH9mv
武田・上田 VS 北条・古志 の代理戦争だったな
661 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 15:17:28 ID:v+ZLlkj7
それにしても、武田はなんで景勝についたかね
北条と険悪になるとか思わなかったのか?
662 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 15:22:48 ID:Qbf0153u
武田は景勝についたんじゃなくて、仲介の労をとっていたら、
いつの間にかハメられて景勝派にされてしまったんじゃない?
663 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 15:25:38 ID:RrEaH9mv
景勝から春日山の金の一部を貰ったんじゃないの?
664 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 19:29:52 ID:4Hnn8Mjt
どっちにせよ上杉対北条で上杉側に立てば北条と敵対するのは読めただろ。
ただの身内争いで片方を北条が支援しただけならともかく、
北条氏一門が一方のトップなんだから武田が上杉に入れ込めば北条からすりゃ裏切りにしか見えん。
北条も武田は当然景虎支援だと思ってたろうしな。
勝頼は本当にどういうつもりで景虎支援をやめたんだろうな?
仲介するならしたで景勝が景虎を滅ぼすことだけは阻止すれば北条も納得したろうに、
二人の間を取り持とうとしました。上杉からお金貰いました。景虎が滅ぶのを黙って見てました。
そりゃ北条も怒るわw
665 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 22:41:58 ID:yW5CmD0M
9月に景虎が「武田と北条が助けてくれてる」と言ってるから
勝頼は北条の動きを怪しんで
マジどっちつかずな態度をとってただけなんじゃね。
北条を攻撃できず、かといって北条が助けてない景虎を助けるために
景勝と戦闘して自分ばかり損するのも、
景虎を助けても北条が武田と敵対する気が無いかもわからん、と
既に北条を信じてなかったんだろ。
666 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 00:19:11 ID:m4HFvYSR
>>664 当時は織田に対抗馬として期待できる唯一の存在が上杉だったからでは?
もしこの内乱で北条が越後・上野を得ても、加賀・能登・越中が織田に取られたら、
一番困るのは武田。
北条は一方的に裏切られたのではない。
彼らが武田の事情を理解しなかったため、ここに齟齬が生じたんじゃないか?
667 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 00:30:08 ID:AroStIeI
>>666 理由になってないじゃん。景虎が勝てば景虎が上杉家を相続しただけ。
上杉家は北条と同盟関係を保ちながら存続。
武田から見れば、どっちが勝っても同じだろ。
内乱が起きた時点で、織田のチャンス。
景勝が勝っても景虎が勝っても、北陸路はあきらめるしかない
668 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 00:42:18 ID:VqZFgTkc
背後に織田徳川抱えてるのに頑張って軍勢そろえて越後まで行きました。
講和取り持ちながら北条くるまで時間稼いでいました。
しかし待てど暮らせど北条来ない、何してるかと思ったら関東固めに邁進。
おいおい便利に使ってくれるじゃない。
そっちがその気なら、こっちもそれ相応の対応取らせてもらいますよ。
ってとこじゃない?
669 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 02:09:58 ID:H/n11ihB
>>665 信じてないなら信じていないで構わないが、わざわざ敵に回すことはないだろう。
北条が敵になれば敵の敵は味方の法則で織田・徳川と結ぶのは十分考えられたはず。
北は政情不安定な元敵性勢力、東南西は全て敵という愚は避ける事ができた。
北条が信じられないのなら中立にしとけばよかった。
>>666 667も言ってるが、勝頼が景虎を助、その景虎が勝てば能登・加賀・越中・越後は上杉、
上野・信濃・甲斐・駿河は武田、関東は北条という、
西から迫る織田徳川連合に対抗する東の上杉武田北条連合という図が可能だった。
結果として景虎が負けたとしても、武田北条連合は存続できた。
北条にしてみても上杉は北陸で織田勢とせめぎあい、
武田は濃信境で織田と、駿遠境で徳川とにらみ合い、
北条はその両方を支援しつつ関東制覇に邁進するといういいとこだらけのはずだった。
上野方面で北条と武田のいざこざはあるだろうがね。
ただ、勝頼から見て北条の動きが鈍かったのは決断を悩ませる種であったのは確かだと思う。
北条武田連合と上杉が不仲だったとはいえ、謙信晩年に上杉の脅威に悩まされたのは武田だしな。
北条に原因があるのもわかるが、しかし勝頼の判断はやっぱ間違ったよなぁ。
670 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 03:14:11 ID:AroStIeI
無駄に敵を作ってしまった感じだよなあ
内乱でボロボロの上杉(どちらが勝っても)と、北条のどちらが味方として頼りになるか・・・・
671 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 04:00:46 ID:mLgBuwVB
>>668 だからって、そこで我慢しきれずに独自に行動すれば北条と敵対するからさらに状況は悪くなるわけで
実際、北条は景虎に援軍送る予定だったんだし、もうちょっと待ってればな……
672 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 15:38:07 ID:mRgRlV4e
敵に回したといっても勝頼は北条にも景虎にも攻撃してないし
景虎が追い込まれはじめたところを景勝と和睦させてやったくらいにしか
思ってなかったんじゃね。
てこずってたとはいえ甲越同盟が成った時は景勝は既に春日山包囲を引っ繰り返して
景虎側に逆転しつつあったし北条自身が放置してる奴を
なんとかしてやったから十分だろ、くらいにしか思ってなかったのかもな。
673 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 16:30:04 ID:VqZFgTkc
>>671 もうちょっと待てばって1年後だろw
帰る家無くなってるどころか、越後で飢え死にしてるわ。
結果論で言えば、北条は織田と共同で武田滅ぼして良い事なにも無かったんだから、
逆に、どうにか勝頼を懐柔して援助して関東制覇までの盾にしとくべきだった。
唇滅びて歯寒しを地でいっとる。
674 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 05:33:22 ID:0cancGE9
>>673 とはいえ御館の乱に関わらず甲相同盟を維持していたら、
景虎派が多く北条や武田に流れた旧上杉家臣らもそのまま上杉に残って厄介な存在のまま。
その上越中で上杉軍は大打撃を蒙り、織田は木曽路から武田攻め、徳川は北条の抑え。
北条は武田を支援しようにも、上野は上杉勢がいるので思うように動けず、
甲斐路から武田を支援しようとすれば相模に徳川勢が雪崩れ込むのは明々白々。
宇都宮や佐竹を敵に回してる北条が全力を武田支援に回せるとは到底考えられないが、
織田や徳川が実際に武田攻めに大勢をつぎ込んでることを考えれば、
武田北条同盟が続いていたなら武田も北条も浅井朝倉と同じように一緒くたに滅ぼされたろうな。
>結果論で言えば、北条は織田と共同で武田滅ぼして良い事なにも無かったんだから
結果論とはいうが、信長が生きていれば良い事はあったろう。
北条にしてみりゃ武田が景虎を見捨てたのも意外なら、
信長が関東仕置する前に急死したのも意外だったわけだから、
武田を懐柔すべきだったかどうかはやっぱわかんねえんじゃね?
675 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 09:43:27 ID:llN3o+4q
>>672 同意。武田は充分甲相同盟の役割を果たしている。
難攻不落の春日山を勝頼が攻めるのは厳しく、
追い込まれた景虎のため和睦調停をするほうが現実的。
だいたいなんで能無しどもの尻拭いを武田が全部やってしまわないと駄目なんだよw
676 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 10:56:31 ID:uY4RB1tR
まぁ、それでも甲相越三国同盟しか生き残る道はねーんだけどな……
やっぱ勝頼が死ぬ気で景勝倒すしかなかったんじゃね?
677 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 11:40:49 ID:6LzJTJGQ
>>674 >上杉に残って厄介な存在のまま
誰にとって?どういう意味で?
678 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 12:07:46 ID:0cancGE9
>>677 あー、「上杉に残って」じゃなく「上野に」だわ。
文字数調整のとき訂正し忘れてた。
すまん。
679 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 13:28:08 ID:llN3o+4q
>>676 どう考えても助け出せっこない景虎を北条が無視して、
景勝と勝頼と氏政で仲良くすればよかったとしか言いようがない。
自力で助けられないくせに「武田さんよろwwwww」
と全部押し付けた北条が一番頭悪いわ。
680 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 14:37:55 ID:kqwGmtop
北条からの要請があったかどうか定かではないがな
681 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 15:53:49 ID:qu1OExFO
滅んで書簡が残ってないからな。
しかし武田の動きを見る限り個人的に上杉領削ってやるぜと来たと見るより
北条か、景虎が北条の名を出して要請してきたかだと思うけどな。
682 :
人間七七四年:2009/06/15(月) 14:35:53 ID:IADjxueh
>>681 景虎の書状をみるかぎりそんな感じだね。
683 :
人間七七四年:2009/06/27(土) 15:15:25 ID:qaqwMPfu
684 :
人間七七四年:2009/09/07(月) 21:59:38 ID:bjZ/exkO
685 :
人間七七四年:2009/09/07(月) 23:38:40 ID:/u+5+grY
伊達も北条と推したのに・・・
686 :
人間七七四年:2009/09/11(金) 12:24:10 ID:wv1g8gu7
後北条の動きが何で鈍かったのかがわからんよね。
勝頼にしてみれば、別にどっちでも良かったんじゃないか?
ただ要請があったから出張ってきたんじゃないかと。
でも、後北条の軍来ないし・・・どうしようかな、って時に景勝側からの懐柔
があったんじゃないかと思う。
687 :
人間七七四年:2009/09/11(金) 17:01:01 ID:D6cHi8yC
御館の乱タイムテーブル
3月 御館の乱勃発
反北条連合の壬生攻め-氏政出陣-鬼怒川対陣
5月下旬 勝頼越後入り
6月初め 勝頼-景勝和睦
勝頼、景勝-景虎の和睦を斡旋
7月初旬 鬼怒川対陣が解消
中旬 氏政、上野衆を越後入りさせる
8月 北条本隊上野入り
勝頼-景勝同盟締結、勝頼帰国
9月 氏政甲相同盟を破棄
氏邦越後入り上田衆と戦闘開始
これで合ってる?
688 :
人間七七四年:2009/09/21(月) 21:28:36 ID:JIoRIkMC
本当に3月から御館の乱が起こったんだろうか?
689 :
人間七七四年:2009/10/04(日) 12:21:42 ID:pp/xthMT
景虎正統後継者説を先駆けて発表していた赤坂大輔先生による
「愛・直江兼続の敗北」新人物往来社刊行が好評だ。
在野の研究家である氏の再登場に我々ハードコア
歴史ファンは喜んでいる。是非一読をお勧めする。
690 :
人間七七四年:2009/10/04(日) 13:37:29 ID:WgC+EALO
兼続による謙信暗殺説を主張した電波な人だっけ?
691 :
人間七七四年:2009/10/04(日) 15:27:45 ID:CvuDyU8V
陪臣の小姓が完全犯罪でお屋形様を暗殺できるのか、
上杉のセキュリティの高さ怖るべしw
謙信の前に景虎から殺れよって話だよな。
692 :
人間七七四年:2009/10/07(水) 11:32:09 ID:vLSXRN6H
景勝も景虎も謙信の男色相手だから早晩敵対し合う運命にあったのサッ!
戦国時代を語るのに衆道の鞘当てを失念しては、ゆめゆめ成らぬぞゑ。
よいナッ!
肝に銘じよ。
693 :
人間七七四年:2009/10/07(水) 11:42:52 ID:wEClJXVz
また変なのが沸いてきたなw
694 :
人間七七四年:2009/10/07(水) 14:21:41 ID:Hl5iAgWk
ナッちゃんという荒らしだよ。語尾にナッがつく同性愛者。
日本史板やその他で昔からいる。
695 :
人間七七四年:2009/10/08(木) 12:11:47 ID:0hpJOaGV
玉山鉄二は共演した男優と69や兜合わせをして同時射精するっていう噂だよナッ!
大河ドラマの撮影時には阿部寛や妻夫木たちのチンポをベロベロ、シャブシャブと
しゃぶりまくって雄汁を飲んでは悦に入ってたという話だしサッ!!!!!!!!!!
伊藤英明とセックスしてたという情報もあるゼッ!!!!!!!!!!
696 :
人間七七四年:2009/10/08(木) 15:57:47 ID:0hpJOaGV
玉山鉄二がガタイのいい野郎のマラを旨そうに舐め回してる最中の画像って
誰か持ってないかナッ?
697 :
人間七七四年:2009/11/06(金) 10:07:12 ID:/0DR2ctx
ないよ
698 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 18:44:23 ID:jH7uAUNg
華姫ハァハァ
699 :
人間七七四年:2009/12/22(火) 19:16:54 ID:zEY1sS11
華姫ハァハァ
700 :
人間七七四年:2009/12/22(火) 22:59:55 ID:qAGiDueY
700get!
701 :
人間七七四年:2010/01/20(水) 08:16:38 ID:Ei1Jqr6n
>>691 確かにw
景虎暗殺する方が楽だしリスク少ない
702 :
人間七七四年:2010/03/12(金) 10:15:35 ID:IvhUQzr0
北条みたいなクズの血縁が勝てるわけがない
703 :
人間七七四年:2010/03/12(金) 21:28:04 ID:zg0U2RWf
704 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 18:52:22 ID:JkeK/K9D
うじざねたんもほうじょうのけっとうなんだ!
705 :
人間七七四年:2010/04/21(水) 14:44:31 ID:rMiupW48
柿崎城とか猿毛城をあっさり景勝方に取り返されてるのが間抜けすぎる。
どうも最初は景虎方だったというよりも、城内で分裂してただけみたいだけどな。
せっかく春日山包囲が最初の時点では出来てたのにたった一ヶ月で崩されて
逆に包囲される羽目になってるじゃねーか。
706 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 04:42:17 ID:XvABNlQb
柿崎晴家は御館の乱で景虎方に立って殺されたとよく言われてるけど、
研究者(片桐昭彦氏や市村清貴氏)は、柿崎晴家は、謙信の死の直前、謙信によって誅されたとしてるよな。
707 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 14:53:58 ID:7MBfy10d
それは意見が分かれていてハッキリしない
708 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 19:38:58 ID:Ky9oWbdN
柿崎晴家が景虎派っての相当嘘臭いと思うんだけどな。
だって景勝派として家督相続許された憲家は当時ガキで
伝承に寄ればこの時まだ3才だったと言われる。
だとしたら、柿崎家で景勝派が勝利できるほど人数いたと言うことは
・晴家は景虎派だったが、多数の家臣達が晴家に従わないほど
(当主が不当に暗殺されても景勝に付くほど)求心力がなかった。
・柿崎家が景勝派景虎派に別れたのは晴家の意志。
・そもそも晴家はこの時既におらず、家中を纏める人がいなかったので
家臣達が分裂した。
のどれかってことだろ。
709 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 20:28:26 ID:iF8hLILb
山本寺家や岩井家だって家中で分裂してるんだから、特別不自然な話しではないよ
710 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 20:41:12 ID:Ky9oWbdN
山本寺や岩井は両派にある程度の年齢の家督相続できる男子がいるじゃん。
当主として晴家が景虎派で動いていたなら、
自分でどっちに付くとか決定できない息子だか弟だかの憲家が
景勝派としての功績を組んで家督相続なんて可能性は低いと思う。
711 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 22:02:41 ID:XlU2lhuD
関ヶ原よろしく両属だろ。
712 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 01:55:50 ID:cY5bfa5U
両属って言っても柿崎・猿毛が景勝方勝利になったのって
乱が始まってたかだか1ヶ月くらいだろ。
しかもここの城が景勝方になったことで景勝有利に大きく傾いた。
この時柿崎家家中ではガチな殺し合いが起きたとされてるし。
晴家はやっぱ当時いなかったんじゃね。
柿崎家が景虎派にされるのも証拠は
「景勝方から攻撃受けてるから」って事しかないし
景虎方主導者も「家臣2,3人討ち取り」としか言ってないからな。
713 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 08:22:34 ID:QKHPJAKe
柿崎家中で反逆者が出たのを幾人か誅したのはたしかなようだな。
で、天正十年ごろには柿崎の当主が若輩で軍役も続かないという
ことで直江や狩野が後見のようなポジションについてるんだよね。
ホントに晴家はいつ死んだのか。御館の乱のときのどさくさで
死んだにしても、名前がさっぱり出てこないし…
714 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 22:45:36 ID:kZE1UNao
柿崎家の権力争いに景勝方に味方して介入
715 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 00:03:14 ID:mPW8kPYV
景虎との交換で北条家に人質に行ってたのも関係してんじゃないの?
柿崎は同盟破棄で返されたみたいだけど
716 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 09:24:35 ID:DhakPNBT
そういえば柿崎景家が織田信長への内通を疑われ謙信公に誅殺されたっていうのも、
なんか変な話で事実と違うのではないかという説を小耳にはさんだことがある
717 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 20:53:47 ID:oeTs0onr
718 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 00:21:32 ID:ccnZ+y98
244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 21:22:39 ID:zOAZKpkt
>>242 信長に馬売った罪で景家・晴家の親子が討たれたって奴だな。
あれはウソっつーか「年譜」の間違い。
天正五年時点で晴家が当主だよ。
柿崎親子の処刑云々は、実際には景勝が景虎派の晴家とその子某を誅した話なんだろう
↑このレスのことか?
719 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 00:31:06 ID:UUPVrkfu
>>716 俺は景家は誅殺なんかされてないと思うが、根拠は
・上杉家と織田家が敵国になったのは天正五年
・天正五年の段階で柿崎家当主は晴家
・柿崎家菩提寺には景家は病没
・晴家の継いだ柿崎家は勢力が全く減衰してない
敵国への内通で誅殺されたのであれば晴家が連座してないのはおかしいし
柿崎家に処罰が及んでいないのも変。
そして天正五年から天正六年の間で処刑されたなら、それは晴家。
俺は晴家は御館の乱の前に謙信によってすでに殺されていて
憲家は没落していた家を「御館の乱の功績で景勝により復興した」
と想像するけどな。
晴家が御館の乱当時に景虎方としていたなら、
当時自身でどちらの陣営につくか決められるような年齢ではない憲家が
当主が景虎方に付いたにも関わらず
景勝方についたと許されるのはありえないと思うし
晴家が景勝に殺されていたなら、晴家の死がどこにも報じられてない上
柿崎家での景虎方が「二、三の家臣討ち取り」だけで済むとは思えん。
720 :
人間七七四年:2010/06/22(火) 14:48:11 ID:OXCcibbM
華姫ハァハァ
721 :
人間七七四年:2010/06/23(水) 15:07:20 ID:bX1nGToV
柿崎憲家と憲政の娘の婚姻はいつごろ?
憲政の娘は景勝か山本寺あたりに保護されてたのか?
722 :
人間七七四年:2010/06/23(水) 22:27:35 ID:WAQzcMiI
柿崎憲家は御館の乱当時3歳だったという話が残ってるが、
だとしたら御館の乱後だろうなあ。
723 :
人間七七四年:2010/09/11(土) 17:29:23 ID:Zqb50E1P
憲政の娘が景勝の元に渡ってたら、間違いなく殺されるだろう
724 :
人間七七四年:2010/09/11(土) 20:12:30 ID:y7M9ZhAs
憲政の娘がいたのか?
景虎の側室腹の娘の伝説なら聞いたことあるが。
米沢の旧家臣の家の言い伝えに娘を預かってたとかなんとか。
725 :
人間七七四年:2010/09/12(日) 16:03:39 ID:jn5qeXbx
wikiの憲政の項に
旧山内上杉家臣に北条氏との関係を重視する意見もあって、憲政は景虎を支持したとされる。
と書かれていたんだが山内旧臣て亡命確認されている者すべて景勝方ではなかったか?
726 :
人間七七四年:2010/09/12(日) 16:16:07 ID:W+QrqmNe
>>725 大石なんて言わずもがなだし、倉賀野なんかも与板衆に編成されているな。
727 :
人間七七四年:2010/09/12(日) 20:29:58 ID:0Li1CQWo
>>724 越後を逃れて羽生に隠棲した孫のように、会津・米沢とは無関係な場所に居たかも
728 :
人間七七四年:2010/09/12(日) 23:15:33 ID:pZkNdNHM
>>727 憲政の末裔ていうのは確かなのかねえ。
景虎の家族と違い、逃れる必要はなかったような気もするんだけど。
確か御館の乱の翌年の三月に、上杉家が二人の供養を高野山に頼んだ記録が残っていて、
謙信と憲政の二人の供養だろうとされてたけど。ちょうど三回忌と一周忌になるから。
729 :
人間七七四年:2010/09/13(月) 06:25:40 ID:ULWtO67X
そんな史料初耳なんだが
730 :
人間七七四年:2010/09/13(月) 09:32:10 ID:fIiTj8Of
うろ覚えだけど、2008年の上杉謙信の祭祀について書かれた論文に紹介されてた。
史学系じゃなく、高野山関係だったけ。
年号が書かれてないから年代比定しなけりゃならないんだけど、
景勝時代の閏三月で一番可能性があるのが1580年だったかな。
確かに景勝後期は謙信謙信で、完全に憲政忘れられてる感じ?
731 :
人間七七四年:2010/09/13(月) 15:04:12 ID:gg9Rk54Q
米沢藩にとっては謙信が全てで憲実ら山内上杉も、為景ら長尾も完全に忘れられてる傾向があるからな。
米沢に寺作ってもらえた憲政だけが唯一の上杉前史の名残だ。
上杉景虎は、反対派から「小田原殿」とか「氏秀殿」と呼ばれていたというのは真実ですか
733 :
人間七七四年:2010/09/13(月) 20:12:27 ID:xj+zoYPe
氏秀は景虎ではないよ
734 :
人間七七四年:2010/09/13(月) 20:28:29 ID:xj+zoYPe
あ、久しぶりに書き込めた…
氏秀と景虎は別人と分かったので「氏秀殿」はないよ
御館の乱の最中でも景虎は景勝側から「三郎」と呼ばれてたはず
ところで柿崎憲家の「憲」って上杉家由来?
735 :
人間七七四年:2010/09/14(火) 00:15:00 ID:YhfPVaMa
史料によれば、「憲」の字は、元服に際して景勝が与えたものだね。
同じ日には斎藤に「景」の字を与えてたと思う。
柿崎景家とだぶらないように、柿崎家の要望か景勝の配慮で、
「景」じゃなく「憲」の字を与えたんじゃねえの。
736 :
人間七七四年:2010/09/14(火) 02:19:52 ID:SyBbDNyc
柿崎顕家でいいだろうに。
他に憲もらった人いた?
737 :
人間七七四年:2010/09/14(火) 17:16:32 ID:n6PVQLBY
wiki情報だから微妙だが故憲政公の娘婿だからじゃね
738 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 01:55:05 ID:S7Bpe1Pt
魚津関係で憎い勝家の名は使いたくない。
景家は近親にいる。
景勝はすでに山内上杉当主
て条件じゃないか
て
739 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 03:15:34 ID:cWA7O7OO
あああああああああああ
740 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 08:34:56 ID:I0KRtAmY
wiki情報なんか信憑性ゼロだろ。
景虎に拠点を貸した憲政の
一字を使うなんておかしい。
上杉憲盛の憲じゃね?
741 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 10:25:12 ID:DCIobDrE
それ言ったら深谷上杉も当時は北条傘下やん
742 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 12:23:51 ID:f52lhxkk
そもそも元服いつしたか記録あるのか。
743 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 17:13:55 ID:pQ7Qu6Eu
元服というか、「憲」を与えられた史料はちゃんと残ってるよ。
天正12年(1584年)8月14日の日付のある「上杉景勝一字書出」で「上杉氏文書集」にも収録されてる。
ちなみに、同年8月12日には斎藤乗松丸に「景」が与えられてる。
やっぱ景家と同じ名を避けるためじゃないかな。
744 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:37:34 ID:gw1qBIJ0
景勝は特に憲政を敵視したりしてる節もないから
(謙信崇拝過ぎて若干どうでもよさそうではある)
別に憲政を嫌って憲の字をやらないってこともないと思うけどな
745 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 19:52:22 ID:DulP4nhI
景勝って越後守護家の後継を自認してそう
じゃなかったら息子を定勝なんて名前にしないでしょ
746 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 22:36:16 ID:QoZapr9c
謙信も景勝の実父も越後守護家じゃないぞ
747 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 22:40:21 ID:gw1qBIJ0
景勝の上田長尾家は越後守護上杉よりも
関東管領上杉の方が繋がり深いしなあ
748 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 23:01:56 ID:stkZsBqk
749 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 00:33:13 ID:QHGajX3O
>>748 おお、面白そうだな。
値段もそんなに高くないし、買ってみようかな
750 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 00:54:39 ID:FZG+iom7
同著者の兼続本も良かったしね。
しかし影虎とは?
751 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 01:59:27 ID:weO8rzys
「憲」の字は関東管領家として徳川に対し露骨過ぎ。
と考えたわけ無いよな。
元禄期の綱憲は吉良・千坂等文官系統が決めたから名門意識強いが。
スマン。相川史観に汚染されているわ。
752 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 03:12:12 ID:KuC2JlOq
憲が与えられたのは、どうも憲家だけみたいだ。
そんなに神経質に考えなくてもいいんじゃないの。
綱憲だって勝の字は使えないから(先代は綱勝)どうすべって、
たまたま憲使っただけだろ。
綱憲の行動みても、謙信、景勝廟を補修したり、
二人の御書集や年譜を完成させたり、
家祖と藩祖を崇めること普通ならずという感じだ。
特にかつての山内上杉や関東管領を意識したりしてねえと思うが。
753 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 11:39:10 ID:+PpiTska
定勝って名乗りも不思議だな。
なんで憲勝にしなかったのだ?
754 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 15:38:45 ID:TC2+eRy6
景勝は憲政を殺してしまった以上、ホイホイと憲の字を仕えなかったんだろう
755 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 16:08:40 ID:FZG+iom7
>>753 定勝の子綱勝の初名は実勝っていうらしい。
二人合わせて〜定実!とするためじゃね。越後上杉家復活!
756 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 17:45:39 ID:J3Of81Yz
憲は現関東の支配者徳川に喧嘩売ると判断したんじゃないか
757 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 18:51:28 ID:nC3KJqW9
ホモだったから負けたのさ
758 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 20:26:07 ID:QHGajX3O
>>748の景虎本は「反主流派の盟主」とサブタイトルにあるけど、今福氏は
景勝後継者説を採るのかな?
たしかに景虎の越後国内の支持層をみると、サブタイもしっくりくるというものだが
759 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 22:59:17 ID:J3Of81Yz
盟主はちゃうだろ。 実質的には古志景信に推されたもんだし。
スレチながら何故綱憲以降、勝は庶流に回し憲を主流にしたんだろ
760 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 00:18:06 ID:ZHTkPoyT
>>759 推されただけじゃないと思う。
越相同盟締結の条件で、謙信を関東管領と北条が認めた背景には、
いずれ養子になった氏康の孫が関東管領を継ぐという目論みが北条にはあったからだ。
証拠の氏康書状も残っている。
結局孫ではなく、子の三郎が養子に入ったが、当然三郎も北条の期待と野望を背負っての
養子入りだったことは明らか。
761 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 00:57:01 ID:vhLg1h2R
まあ決定権を持つ謙信からは越相同盟破綻以降
微妙な扱いになっちゃったわけだけど。
762 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 01:44:54 ID:MozTzzMp
某大先生が天地人講演会で言ってたように、
微妙な扱いなら、いっそのこと帰せばよかったのにね。
謙信自身も、反晴景勢力に担がれて兄を退けた歴史があるのに。
あくまでも、景勝後継説(後継移行説)に基づけばだけど。
景虎後継者説を支持する人は景勝のクーデターとか政権纂奪とかよく書いてるけど、
当時の謙信政権中枢がそのまま初期景勝政権中枢に移行している事実はどう解釈してるんだろ?
763 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 10:34:02 ID:8BnF9YBL
別にそのまま移行してるわけじゃないだろ
764 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 11:29:17 ID:vhLg1h2R
鰺坂や長親は織田との戦いに忙殺されてたからな。
とはいえ謙信の奉行衆の殆どが景勝についてしまったのは事実だろ。
景虎に付いたのは神余くらいじゃね。
最初景勝に付く素振りを見せながら景虎に付いて
景虎が負けたら景勝に命乞いして黙殺されるという
なんとも情けない最期を迎えてるが。
765 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 17:09:32 ID:ZdIVKLp4
>>762 政権中枢とは別の関東管領の名跡の問題とかもあるんじゃねーの?
あるいは政権中枢にあったからこそ政治のまずさが出ていたとかな。
乱後の論功賞罰とその後の下手さを見れば危惧されたのも解る。
766 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 18:00:15 ID:ZHTkPoyT
乱後の論功賞罰問題って、もしかして新発田のことか。
新発田のことは研究者の研究によればそんな単純なことじゃないみたいだよ。
矢田氏や片桐氏が書いてたけど、1580年を境に上杉氏の発給文書の形式が変わってる。
景勝は今までの、国人衆連合体から上杉氏中心の近世大名政権を樹立しようとしたって。
新発田の反乱はそうした動きに対する反乱だってね。これはずいぶん昔から指摘されてる。
俺が最近読んだ論文では(斜め読みなんで文意を間違ってるかもしれんが)、
それに揚北衆のトップをめぐって、新発田と本庄繁長の対立が、実は御館の乱からあったらしいとか。
年代不明の新発田重家の鮎川宛の文書に、本庄との争いに景勝が仲裁に入ってくれたとか
書かれてるとか。景勝に敬語が使われてるので、新発田の乱前の文書らしいけど。
むしろ、独立意識の強い越後国人衆を新発田の乱だけで抑えたのを褒めるべきか。
あの謙信でさえ、晩年の越中分国でその片鱗を見せたとはいえ、当時北条や今川がしたような
大名権力の確立は越後ではついに確立できなかったのだから。
もっとも、謙信が道を切り開こうとしてくれたから、景勝は出発できたのかもしれんが。
767 :
人間七七四年:2010/09/23(木) 21:55:33 ID:gSgOXunc
どっちにしろ下手打ってピーピーになるじゃないw
768 :
人間七七四年:2010/09/23(木) 23:40:36 ID:hV00tbzN
>>762 北条に返さなかったのは童満丸が生まれてたから、という可能性はあるかな?
この時代って息子は父が、娘は母が親権を持つんじゃないっけ(違ったらごめん)
景虎を戻したら童満丸も一緒じゃないといけないし、上杉と北条の血を引く童満丸は迂闊に渡せないのでは
769 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 02:22:55 ID:9gw+Ban1
>>768 信康の妻徳姫も娘残して信長の元に帰ってるし、黄梅院も娘がいたようだけど、
一人で甲斐に帰ってるるからねえ。ケースバイケースの気がするが。
確か謙信が氏政征伐を誓った願文に、氏政は弟の三郎と遠山を見捨てたとか書いてるよね。
おそらくそれが、謙信の認識であり、見捨てられたものをまた見捨てるなんてことは、
義の精神に反するとか思ってたのかも。
それに遠山は最近の研究によれば、ずっと三郎のそばにいたわけではなく、
同盟が破綻してから、越後の三郎のもとにやって来たらしい。
770 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 03:03:57 ID:agJdM72M
破綻してから?
破綻直前じゃない?
771 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 10:56:51 ID:aufkEm8R
破綻直前の元亀2年10月まで北条家臣として活躍していたことは判明してる。
丸島氏は同盟破綻を受けての亡命とするのが自然としてたけど。
772 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 13:23:49 ID:OvYef7lq
景虎の側室も遠山家出身なんだっけ
今福氏の本、楽しみだね
どちらの後継者説を採ってもいいからしっかり考察した本が読みたい…
773 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 15:05:09 ID:LWEBqCm1
>>769 義に反するとかjなくて政治的判断だろ
裏目に出たけどな
774 :
人間七七四年:2010/11/02(火) 08:27:23 ID:a9VReoXi
謙信は氏政を倒し景虎を(相模)北条家当主にするつもりだったんだよ
775 :
人間七七四年:2010/11/02(火) 09:20:30 ID:epBidx0S
景勝を越後守護に、景虎は関東官領にってやつか
776 :
人間七七四年:2010/11/02(火) 13:02:56 ID:a9VReoXi
チャウチャウ
景勝に関東管領山内上杉を、景虎に相模守護格伊勢氏流北条氏をだよ
つまり親上杉な後北條の擁立
777 :
人間七七四年:2010/11/02(火) 17:47:21 ID:E0zI8iQH
778 :
人間七七四年:2010/11/03(水) 14:51:09 ID:Z8c3Xetq
>>777 椎名や畠山にもしてるし、お家乗っ取りだよ。
同母兄弟の団結力
779 :
人間七七四年:2010/11/03(水) 16:34:19 ID:J0xSdxPQ
天正6年の上杉に北条を潰す力あるのか?
確かに北陸地方を制圧し、
それまでの倍近い国力を持ったけど、
肝心の関東領主の心が謙信から離れてて、
関宿も北条側でしょ。
謙信には古河公方も関白もいない。
永禄4年の再現すらおぼつかないのでは?
景虎を表に出して北条と上野国で和睦して、
西に進み直すならわかるけど。
780 :
人間七七四年:2010/11/03(水) 16:40:59 ID:dY7l/TwY
よく相手する気になるな。
781 :
人間七七四年:2010/11/04(木) 00:52:26 ID:VSO7s76W
天正6年の大動員令で北条討伐に
過去最大級の動員掛けてるから
実際関東に乗り出したら関東領主はバタバタ寝返って
結果毎度おなじみのシーソーゲームだと思いますよ
782 :
人間七七四年:2010/11/04(木) 04:52:33 ID:xpI2sEZ5
それはどうかな
ある程度のシーソーゲームはあるしにろ
あんまり関東に積極的じゃない時期に結構関東も勢力分布変わっているし、
謙信自体が関東での求心力は目減り甚だしいからね
783 :
人間七七四年:2010/11/05(金) 15:02:24 ID:UL1RgRmA
天正6年は越中方面まで動員をかけてるねえ。謙信がどこまでやるつもりだったのかわからんが。
天正2年に剃髪した日から北条氏調伏祈願の願文の日数が真言宗豊山派の四度加行の日数と等しいなんていう
最近の論文もあるぞ。
軍神様は、仏法の力で北条氏を滅亡させようとされていたらしい。もはや我ら凡人には計り知れぬわ・・
784 :
人間七七四年:2010/11/06(土) 01:50:41 ID:/6Q9d5wB
加澤論文やな。
謙信は呪殺を実践して効果あった節がある。
785 :
人間七七四年:2010/11/06(土) 02:08:49 ID:YSOM8IGg
何に載ってます?読んでみたい
あと
>>748の本ってまだ出てないよね
786 :
人間七七四年:2010/11/06(土) 02:15:00 ID:V6VLCovx
>>784 で人を呪わば穴二つで、自身も厠であぼ〜んか
787 :
人間七七四年:2010/11/06(土) 09:13:06 ID:3sC0LcVf
>>783-784 謙信に限った話でなく、昔から神仏の力で敵の調伏を図るというのはあったみたいだね。
元寇のときの「敵国降伏」というのもそうだし、得宗の御内人が安達泰盛の滅亡を祈願させたりというのもある。
ただ、謙信の場合はとりわけ仏法への傾倒が強いのは確か。
788 :
人間七七四年:2010/11/06(土) 22:42:37 ID:SxAjmQtz
佐竹連合哀れ
789 :
人間七七四年:2010/11/08(月) 19:56:09 ID:Vr/IXSY5
>>785 加澤って書いてあるんで多分
加澤昌人「上杉謙信の崇敬と祭祀」仏教大学大学院紀要(2008年3月)
だと思う。
宮帯は新参の出版社故か、作家泣かせの鬼編集長さんがいて、
納得するまで出版させないとかいう噂を聞いたよ。
書店の注文書は出来てるみたいだから、何らかの原因で遅れてるんだろ。
あの出版社じゃよくあることみたい。
でも宮帯から出版された直江本や上杉の甲冑についての本は素晴らしかったし、
著者があの今福さんということで、凄く期待してるよ。
790 :
785:2010/11/08(月) 22:00:03 ID:ZBH4yK70
>>789 ありがとう!早速読んでみました
>>784の「四度加行の日数と等しい」の他に
「景勝に弾正少弼を与えた天正3年2月21日が8道加行を終えた日と同じ」ってのもあるね
今福さんのサイトで編集さんとのやりとりが少し書かれてた
>>748の情報見たら何かミーハー的な内容で心配だったけど大丈夫っぽいね
甲冑の本はすごく良かった
791 :
人間七七四年:2010/11/08(月) 22:03:05 ID:ZBH4yK70
あれ、2月21日だっけ?1月21日だった気がする
誤植かな
792 :
人間七七四年:2010/11/26(金) 23:55:21 ID:3+tUlN2c
ほしゅ
793 :
人間七七四年:2010/12/05(日) 23:56:51 ID:QLPQ0Daz
あぁ上杉家
794 :
人間七七四年:2010/12/23(木) 14:14:28 ID:slAaOdki
>>789 宮帯出版社の鬼編集長さんって、お馬鹿な社長さんのこと?。
795 :
人間七七四年:2010/12/24(金) 00:30:39 ID:zWslS12J
796 :
人間七七四年:2011/01/28(金) 14:01:07 ID:Zytsm98u
本、出たね
797 :
人間七七四年:2011/01/30(日) 14:51:02 ID:L07lLwxI
注文してきた。
読んだ人いる?
798 :
人間七七四年:2011/01/30(日) 15:22:42 ID:peEWCtek
よんだ
799 :
人間七七四年:2011/01/30(日) 19:22:26 ID:POtdcp7d
イシマタラ
800 :
人間七七四年:2011/01/30(日) 21:47:41 ID:agWfhtlu
800get!
801 :
人間七七四年:2011/01/31(月) 03:11:52 ID:OU8+k6wB
御館の乱って2年ぐらいは続いたんだね
だったら北条は武田に頼らなくても自力で景虎を勝たせられたんじゃないの?
802 :
人間七七四年:2011/02/02(水) 16:41:44 ID:R9rzXOt1
>>797 読んだよ
乱の発端に三条の地の利権関係を上げていた
803 :
人間七七四年:2011/02/02(水) 21:18:34 ID:MexTnXx6
804 :
人間七七四年:2011/02/02(水) 23:24:57 ID:Ml8u3hDM
>>797 弾正少弼の書状偽書説には否定的な見解を示していたね。
805 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 13:10:02 ID:s9Sz5wx1
景勝×景虎
806 :
人間七七四年:2011/02/07(月) 08:51:13 ID:0Wwtp7yx
807 :
人間七七四年:2011/02/11(金) 20:39:59 ID:DpuGc/i7
近いうちに御館跡に行ってくるよ
808 :
人間七七四年:2011/02/11(金) 21:20:54 ID:slhM1+BB
809 :
人間七七四年:2011/02/12(土) 13:31:51 ID:XzvFJxUj
>>807 はっはっはっ
上越市は大雪だ。すごい。たぶん5月にならんと、御館あとの地面は見えないぞ。
マジで雪国辞めたい
810 :
人間七七四年:2011/02/14(月) 01:20:39 ID:n//9V5gq
上杉景虎を山内殿と呼んだ文書は無いの?
景勝の方は勝利後だが反北条連合から一応呼ばれてたらしいけど
811 :
人間七七四年:2011/02/14(月) 22:07:28 ID:k8d9KZJs
今福さんの本によるとないらしい。
景勝が弾正少弼と呼ばれているのに対し、軍役帳作成後も
謙信自身が山内殿と呼ばれていて、景虎に関東管領を継が
せて〜という話も怪しいとのこと
812 :
人間七七四年:2011/02/15(火) 21:21:38 ID:rHoy1K/J
今福説はイマイチ説得力が無い
とくに山本寺家や後期上条家について
813 :
人間七七四年:2011/02/16(水) 11:00:18 ID:qfeAR3C4
814 :
人間七七四年:2011/02/16(水) 13:10:25 ID:luV9wnaR
こんなところからコメントに出向いても迷惑だろう。
フツーにブクログで感想を書いたりしておけ。
815 :
人間七七四年:2011/02/17(木) 20:15:02 ID:mRVE19fC
山内殿ってどういう意味? なにかの称号?
816 :
人間七七四年:2011/02/17(木) 20:50:54 ID:CdNRADrW
817 :
人間七七四年:2011/02/18(金) 00:40:30 ID:lijqE/6H
>>815 山内上杉家の山内。謙信を「山内殿」と認めるということはつまり、
山内上杉家の家督、ひいては関東管領と認めるということ。
818 :
人間七七四年:2011/02/18(金) 19:36:23 ID:cfOQB23q
>>817 おおそうだったのですかサンクスコ
上杉景虎が山内殿と呼ばれてたとすると、謙信公が景勝に越後、それ以外と
関東管領職は景虎に継がせる予定だったという説が有力になるわけですな
819 :
人間七七四年:2011/02/18(金) 20:36:08 ID:Fxc/X/ka
ただそんな資料は無い。てかその前に滅ぼされた。
景勝が山内殿呼ばれているのは統一後
確か武田勝頼.佐竹義重.宇都宮国綱.結城晴朝が手紙に書いている
820 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 05:41:57.55 ID:4HDV7qsn
景勝が弾正少弼に任官された公宣案だっけ?
あれ偽者っぽいらしいよね
821 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 12:33:37.72 ID:QmpmAByS
謙信からの官途譲り状のことかね?
「喜平次」の字が景勝の筆跡に似てるというのが根拠らしい
けど謙信生前から景勝が弾正少弼を名乗ったことは間違いな
く、改名もこの時期なので内容に嘘はないらしいよ。
822 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 14:04:01.89 ID:pEMZTnnM
それ以前に三郎景虎自身が景勝に対して弾正少弼と呼んだ手紙が現存してたはず
823 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 17:14:27.97 ID:4HDV7qsn
824 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 18:50:46.26 ID:DuYY4/XW
蘆名盛氏宛(上越市史1523号)
825 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 18:51:46.14 ID:hj82hfO9
筆跡が似ているっていっても晩年の書状だよ
若い頃の景勝の自筆書状と大分印象が違う
826 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 21:27:49.01 ID:51nWppaN
とりあえず、
>>808の本を読め。このスレの疑問は結構氷解するよ。
827 :
人間七七四年:2011/02/23(水) 09:08:55.60 ID:PQEGx1cv
謙信は49にもなって跡取りを公言してなかったのかね
828 :
人間七七四年:2011/02/23(水) 12:43:45.21 ID:2OoMN3K7
ループ入りますー
829 :
人間七七四年:2011/02/23(水) 23:00:08.46 ID:476lyTqq
>>826 景勝陣代説はどうも根拠が弱いと思うが。面白いとは思うけど。個人的には、
やはり景勝が後継者とみるのが一番妥当なんじゃないかと。
830 :
人間七七四年:2011/02/23(水) 23:47:11.30 ID:2OoMN3K7
景勝と矛盾ないよね
831 :
人間七七四年:2011/02/24(木) 00:41:44.47 ID:vTOWU2yb
三郎景虎が謙信の後継者でなかったことは確かだな。
832 :
人間七七四年:2011/02/24(木) 02:01:17.11 ID:IDR+4Zr2
越後が居心地良いから帰らなかったのか
833 :
人間七七四年:2011/02/24(木) 08:47:54.39 ID:RiS41MEs
景勝陣代は矛盾がない。
834 :
人間七七四年:2011/02/24(木) 22:47:59.41 ID:K00oC6hF
景勝:越後国主
景虎:上野国主
政繁:越中国主
835 :
人間七七四年:2011/02/25(金) 02:05:12.72 ID:MYBndTWJ
>>829 同盟が破棄されてるのに景虎にそこまで気を使う必要も無い気がするね
確かに境遇は気の毒だと思うけど
836 :
人間七七四年:2011/02/25(金) 02:14:56.85 ID:yYVCfplf
景勝自体、その後も子ができないというか作ろうとしていた気配ないからなあ
837 :
人間七七四年:2011/02/25(金) 02:44:36.66 ID:MYBndTWJ
例の「上杉息女」って誰なんだろうね
838 :
人間七七四年:2011/02/25(金) 20:13:15.30 ID:/TpFSok3
自分は越相同盟による勝→虎→勝の後継移行派だが政虎はあまり深く考えていなかったと予想。
景虎は上州領有権の根拠だとか。
スレチだがあのオカンは景勝夫人考えなかったのか。古志や上条などの同族・佐竹や深谷といった同盟相手・織田武田などの緊張緩和か
または案外憲政娘(後の柿崎嫁)あたりをつけるつもりだったのか。
839 :
人間七七四年:2011/02/25(金) 23:29:31.86 ID:XNk4G/C9
840 :
人間七七四年:2011/02/26(土) 01:33:45.13 ID:YGnAlekP
憲家じゃあ
841 :
人間七七四年:2011/02/26(土) 01:55:30.50 ID:rYfd2NWs
柿崎関係はどうもおかしい
だいたいあれだけ上杉軍主力だった柿崎景家が織田信長に馬をやったとかやらないとかで
いきなり謙信公に誅殺されるってのがおかしい 謙信公はそんなちっちゃいお方じゃない
どうもおかしい 裏があるぜ・・・
842 :
人間七七四年:2011/02/26(土) 16:16:44.76 ID:d6+eh5/b
843 :
人間七七四年:2011/02/26(土) 16:28:57.46 ID:HsFSF02N
スレ違いだけど、直江の養女になった子かな
844 :
人間七七四年:2011/02/26(土) 16:30:42.90 ID:d6+eh5/b
誰の娘やねん
845 :
人間七七四年:2011/02/26(土) 21:02:44.24 ID:gnBX7yJ3
>>839-840 景虎(憲政)側に付いてるから、晴家で合ってる。
憲家は景勝側について柿崎某の実子のはず。
846 :
人間七七四年:2011/02/26(土) 23:15:40.00 ID:wV46qiJc
景虎本を読んでもらわないと
議論にもなりませんよ
847 :
人間七七四年:2011/02/27(日) 00:58:09.59 ID:lsp26II3
848 :
人間七七四年:2011/02/27(日) 10:52:25.31 ID:I/x1BJGA
戦国時代って家を束ねる御屋形の力がすごく重要だな
謙信公のときは関東を制覇するかしないかって巨大勢力だったのに・・・
849 :
人間七七四年:2011/02/27(日) 11:31:45.40 ID:agienX3I
領国における大名権力の強大さは景勝時代の方が数段上
850 :
人間七七四年:2011/02/27(日) 19:48:37.62 ID:z58AQ3Gk
そら時代が違うからな
851 :
人間七七四年:2011/04/07(木) 21:32:22.11 ID:t4HztRg2
柿崎家督は景家→晴家→主勢→憲家?
852 :
人間七七四年:2011/05/01(日) 05:23:47.07 ID:eSzrbr9i
知らん
853 :
人間七七四年:2011/05/06(金) 16:31:14.81 ID:HgNHZ6+b
北条に見捨てられたから負けた
854 :
人間七七四年:2011/05/06(金) 16:33:27.58 ID:ZCmUvJEG
まあね 武田に頼るのは筋違いだわ それを逆恨みして・・・
さっさと北条氏政がそれなりの軍勢を送ればよかったのよ
855 :
人間七七四年:2011/05/06(金) 19:54:21.09 ID:7rikEdgu
関東が忙しいのに越後くんだりまで来いってか
856 :
人間七七四年:2011/05/07(土) 11:09:47.69 ID:jtDVSLy+
上野まで来てたけどね
857 :
人間七七四年:2011/05/07(土) 12:08:15.01 ID:kAn8hyS0
魚沼郡に展開して上田長尾に圧力加えても影響はそれほど無かったんだろうな
858 :
人間七七四年:2011/05/07(土) 23:57:54.79 ID:qVw91Z9+
北条って関東地方(狭い意味で)以外には行軍できないの?!
859 :
人間七七四年:2011/05/08(日) 00:38:04.07 ID:Yxzp1z0j
できるよ。でも戦うと負けるから出たくないんだ。
860 :
人間七七四年:2011/05/08(日) 00:46:37.16 ID:4WF8G09z
だから上杉は関東から撤退したんだね
861 :
人間七七四年:2011/05/13(金) 21:50:40.15 ID:USu+QucJ
完全撤退はしてないやん
上野3分の1は確保してた。御館の乱までは。
862 :
人間七七四年:2011/05/14(土) 19:54:17.78 ID:pl0LD2GY
無能な前関東管領&山内系側近がいたから北条流の戦いができなかったのでは
863 :
人間七七四年:2011/05/14(土) 20:14:03.04 ID:YWsruS+6
なんで憲政は憎き北条の血が流れる三郎影虎に味方したん?
864 :
人間七七四年:2011/05/15(日) 02:01:30.84 ID:1SAnCPwN
勝ち馬に乗ろうとしただけだろ。
当時の周囲の予想は景虎圧倒的優勢だったし。
865 :
人間七七四年:2011/05/18(水) 15:09:28.75 ID:vkID0FgI
そもそも積極的に加担したかどうかもわからん。
866 :
人間七七四年:2011/05/18(水) 16:55:03.30 ID:kx9Nc34b
加担してるじゃん
867 :
人間七七四年:2011/05/18(水) 17:25:18.54 ID:vkID0FgI
憲政の動きが分かる史料でてきたの?
ぜひ内容教えてもらいたい
868 :
人間七七四年:2011/05/18(水) 18:52:45.76 ID:kx9Nc34b
資料は出ないけど、景虎の本格評伝が出てる。
三条の利権で景虎を巻き込んだ説明がなされている。
869 :
人間七七四年:2011/05/21(土) 02:41:03.25 ID:pYqtmNtH
三条の利権ってなあに?
870 :
人間七七四年:2011/06/02(木) 12:20:20.80 ID:xHWca4Ur
景虎なんて紛らわしい名前だ
871 :
人間七七四年:2011/06/02(木) 14:09:14.18 ID:buhPor17
上杉政虎
上杉輝虎
上杉憲虎
上杉定虎
上杉実虎
上杉朝虎
義氏から
上杉氏虎
上杉義虎
872 :
人間七七四年:2011/06/02(木) 16:49:57.41 ID:bIBiXRWx
>>863 景虎勢がなだれ込んできて、巻き込まれただけだろ?
景虎の子が次の上杉家当主になる予定だった説もあるし。
とりあえず
>>847の本を読めば、最新の流れが分かる
873 :
人間七七四年:2011/06/02(木) 22:03:35.49 ID:xuOEQwE/
>>872 その本だと景虎が憲政に招かれたことになってるよな
874 :
人間七七四年:2011/06/02(木) 22:40:17.29 ID:WiUaHE1s
その本で得た知識を少し披露してけろ
875 :
人間七七四年:2011/06/04(土) 11:26:26.01 ID:zQgkaM7e
>>873 憲政が黒幕だったんじゃないかってことは、
すでに伊佐早謙が指摘してたような気がする。
wikipediaにも当初は謙信は名代に過ぎなかったのではという説(久保田氏)も書かれてるし、
謙信晩年のやりように、権力を奪われた憲政が不満を持ってたとしてもおかしくない。
876 :
人間七七四年:2011/06/05(日) 03:52:18.17 ID:jt3sV1jn
>>847の本では平等寺薬師堂の落書きの「御名代あらそい」を
道満丸の後見争いにしてたけど、憲政の名代争いだった可能性もあり?
もしかして謙信も憲政の名代にすぎなかったってこと?山内殿と呼ばれてる書状はあるけど。
でもその方が史料と照らし合わせるとしっくりくるよ。
謙信の後継者争いといいながら、謙信政権中枢はスムーズに景勝政権中枢に移行してるし。
877 :
人間七七四年:2011/06/07(火) 16:09:53.29 ID:LWOSXGN3
憲政が楽隠居で過去の人という見方は間違いっぽいな。
878 :
人間七七四年:2011/06/07(火) 18:33:26.82 ID:Hf4jRvOX
鳩ポッポみたいなもんだろ元首相の肩書き下げて不信任案騒動引っ掻き回したように
前関東管領というだけで相続問題に介入しようとした迷惑なオッサン
879 :
人間七七四年:2011/06/07(火) 22:30:11.73 ID:JCkLDcfv
率先して介入したかどうかもわからん
880 :
人間七七四年:2011/06/08(水) 08:59:22.14 ID:tkGEyfeL
乃至氏によると、景虎は私利私欲からではなく、
政治理念やその方法論の違いから景勝打倒を目指したと美しく書いてるが、
謙信死んで列強か虎視眈々と狙ってる中で、内乱起こせばどうなるかわかってたはずだ。
景虎が蘆名に出した書状が紹介されてたけど、
「この時に限っては、領土を切り取りすることも黙認しましょう」って・・・
戦乱の地になった越後は悲劇だよな。昔から内乱が多い国だったとはいえ。
城の取り合いで人質となった妻子を殺されたものも多かったろうし、
府中や魚沼の多くの壮麗な寺院は灰燼となり、民衆への被害も甚大だったって自治体史には書いてある。
東国に静謐をもたらす人は、越後には動乱を呼んだだけのような気がするのは時が時なだけかなあ。
福島や宮城の被害地の人の気持ちなんか考慮せす、
あの大震災でさえも、己や党の利益に利用しようとするむかつく政治家の顔が浮かぶよ。
戦国時代を現代にあてはめるっつ−のも間違ってるとは思うけどね。
伊東氏の小説の方は、景勝が謙信を毒殺し、クーデタ−をおこすという、
超景虎ファンお決まりのコ−スで、ここまで景勝を悪人にされると返ってもやもや感もなく、スッキリする。
881 :
人間七七四年:2011/06/08(水) 10:11:31.29 ID:UW79SYlO
景虎が当主になれば、越後・相模・甲斐の新三国同盟か。
882 :
人間七七四年:2011/06/08(水) 10:26:10.47 ID:GRs1rjIJ
>>881 御館の乱の状況を見ると、簡単には越後の当主にさせてもらえなかったと思うけどね。
たとえ南と東を武田と北条が切り取ったとしても、揚北が独立するとか。
883 :
人間七七四年:2011/06/08(水) 13:01:27.77 ID:Sphmtwbf
揚北衆は元々独立性高いからな
本庄繁長なんて何度も敵に内通しようとするし
新発田重家も景勝に対して反乱起こしたでしょ
884 :
人間七七四年:2011/06/08(水) 20:54:41.48 ID:l6yMEdlo
景虎自身の基盤が脆弱なことを考えると、景虎に越後をまとめられるだけの実力があるとは思えん。
乃至氏の著書は興味深かったけど、ちょっと景虎に夢見すぎな感があった。
しかも、阿賀北衆などは基本的に自分の利害関係で行動している。竹俣慶綱ですら「景勝には恩
義はないし、謙信からも特別な恩寵をうけはいない」と言い放っているあたりからも独立性の高さが伺える。
885 :
人間七七四年:2011/06/09(木) 00:12:39.05 ID:sd0L0NBM
886 :
人間七七四年:2011/06/11(土) 00:11:14.14 ID:TRNZO4+v
887 :
人間七七四年:2011/06/18(土) 10:07:15.83 ID:BJWchtJk
888 :
人間七七四年:2011/06/18(土) 23:04:15.80 ID:u/c6LQrN
勝ったところで北条の傀儡になるのは目に見えてたしな
889 :
人間七七四年:2011/06/19(日) 01:18:16.29 ID:I73TNGtC
それはわからんでしょー 実の親子、実の兄弟で本気で殺し合う時代
890 :
人間七七四年:2011/06/19(日) 14:09:23.24 ID:JXjuFKvC
権力地盤が景勝より脆弱な景虎がどこまで領国を掌握できるものかなー
891 :
人間七七四年:2011/06/19(日) 15:23:20.11 ID:EHoIcyq1
上田長尾系は最後まで抵抗するだろうし
国人衆も掌握しきれんだろうし
北条の要求突っぱねたら景虎孤立は目に見えてるんだが
どうやって景虎が北条と殺しあえるんだろうか
892 :
人間七七四年:2011/06/19(日) 22:33:21.21 ID:aYhHgbYH
北条の傀儡にならずして領国維持は難しいだろうね。
北条と上杉の関係は毛利と吉川小早川みたいな感じになってただろうね。
893 :
人間七七四年:2011/06/20(月) 00:04:32.97 ID:I73TNGtC
するってえと、北条の勢力範囲はそれこそ400万石とも500万石とも
思える巨大勢力になるな・・・ 武田勝頼とももはや対等ではなくなる・・・
勝頼はそれを恐れて景勝を支持したのだろうか
894 :
人間七七四年:2011/06/20(月) 01:00:01.27 ID:2/SQy7s7
でも景勝に対してそうだったように、織田が景虎が勝利した上杉をターゲットに
しない保証は無いよ?
例え北条が史実通り織田に接近したとしても上杉の領土安堵は別物だろう。
はっきりいって草刈り場になるんじゃないか?
895 :
人間七七四年:2011/06/20(月) 01:14:14.78 ID:2/SQy7s7
あと、やはり国人衆も自立を強めて独自に織田へと接近すると思うけど
景虎に彼ら制する力はあるかな?
景勝だって新発田重家を滅ぼすのに7年もかかって、秀吉に臣従して
助力も得なければならなかった
896 :
人間七七四年:2011/06/20(月) 03:05:32.46 ID:0b+a/+gD
新発田を滅ぼすのに秀吉の助力は関係ないと思うが
むしろ秀吉の存在が足かせになって秀吉の意向を伺わなければ
滅ぼすこともできなくなったって方が正しい
897 :
人間七七四年:2011/06/21(火) 00:05:34.35 ID:6gmjmlbW
>>895 たぶん無理だろうな。権力基盤が脆弱で、軍事的なバックボーンもほぼ皆無といっていい
景虎が、仮に内乱を勝ち抜いたとしても、その後の越後を纏め上げるというのは現実的じゃないと思う。
阿賀北衆は基本的に自分の利害関係や、従来の敵対関係に基づいて景勝・景虎に与しているだけという
趣が強いのでなおさら。
898 :
人間七七四年:2011/06/21(火) 00:21:08.42 ID:TUkZaSsG
よく考えたら景勝の場合、本能寺がなけりゃ織田軍団の柴田、森、滝川の
3ヶ所攻めで即死だった 北条兄弟の景虎ならどうだったか・・・
899 :
人間七七四年:2011/06/21(火) 01:51:55.86 ID:GVn9ul+g
御館の乱をみるかぎり、北条の援助は期待できなさそう
900 :
人間七七四年:2011/06/21(火) 03:09:26.12 ID:4LEf1zlO
揚北衆とかが独自に織田に臣従して景虎に伺候する人が居なくなって衰退してそう
901 :
人間七七四年:2011/07/01(金) 02:29:40.10 ID:1BJBGy97
>>900 なんで揚北衆が織田に付いただけで、伺候する人が居なくなるの?
902 :
人間七七四年:2011/07/01(金) 04:43:55.37 ID:wSJgxt+0
どうやっても切り抜けられそうにない・・・ ああ、謙信公さえご存命なら・・・・
903 :
人間七七四年:2011/07/01(金) 17:36:56.82 ID:zJWD6EeI
簡単に景虎が勝ったらと言うけど、景虎が勝つためには、
大多数が景勝派だった謙信側近衆や鎌倉以来の歴史を誇る本庄や色部や中条といった国人衆を、
押さえ込まなきゃならないから、例え勝ったとしても越後はかなり悲惨な状態になるんじゃないの。
信長によって、武田よりも早く滅んだ可能性もあるんじゃない。
大名として残ったのは武田のほうだったかもね。
904 :
人間七七四年:2011/07/01(金) 20:52:42.36 ID:T7ygIssd
北条が関東後回しにして全力で支援しなければ早期統治はまず無理だろうな
ただ信長公記の書き方だと武田だけはどうしても潰さなくてはという感じだから、
順序が逆になっても大名としては残れなさそう、もちろん穴山武田みたいのは抜きにして。
905 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 15:08:41.58 ID:qPXa479k
伊東潤の小説読んだけど、いくらなんでも景勝悪く書きすぎで、
こんな三下悪役に負けた景虎って…という感じで却って景虎貶めるレベルになってないか?
ある程度敵にも魅力のある描写しないと、
主人公側をどれだけ文章で持ち上げてもむしろ滑稽になるんだなと思った
これよりは近衛の本のほうが面白かったな
906 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 16:41:29.41 ID:eFFDk8yc
まっ、小説だし、イトー先生が景勝を良く書くはずはないでしょう
アホ−掲示板の景虎ファンの人の書き込みもそんな感じだし、
北条ファンはみんなあんな感じで景勝のこと思ってんだと思うよ
それにイトー先生の持論は、小説的に悪は悪として書いたほうがいいとか
しかし最後の2、3ページの内容は凄かった
自分もちょっと引いたわ
907 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 18:16:04.65 ID:tYCSXCTs
ちょうど北天蒼星の話か
>>906 そういう信念があるんか。それを差っぴいても件のラストはちょっとヒドイな
景勝に対する憎悪もだけどちょっと結婚しただけの北条時代の室使って景虎持ち上げたりするとことかもちょっと気持ち悪かった
どうも上杉扱った小説って作家に恵まれないイメージがある
908 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 22:44:37.39 ID:AY6kDaJL
おまいらちゃんと読んでるんだなw
909 :
人間七七四年:2011/07/03(日) 01:24:28.67 ID:HWLyPLCH
伊東氏はブログで小説に自分の考えを主張してはいないとされてたけど、
あの最後のページの書き方、数年前のウィキペディアの編集合戦が思い出されて、
自分もちょっと気持ち悪かった。
北条ファンではあれが普通なのか。
乃至氏の共著では、景虎後継者説が有力とされていたけど、
黒田基樹氏は「戦国関東の覇権戦争」で今福氏の後継者景勝、反対派に擁立された景虎説をとってたね。
910 :
人間七七四年:2011/07/03(日) 23:41:49.85 ID:QsRTvU1a
というか共著が意外とまともで驚いた
もちろん気持ち悪いところも当然在るが
911 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 13:39:06.97 ID:DMr9SUJO
景虎腐女子もイヤだが
景勝妄信者も気持ち悪い
912 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 19:18:20.19 ID:nY4jMHhl
>>910 景虎は平和の象徴!とか意味不明なところもあったな
913 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 20:55:39.57 ID:HEFuNX3W
914 :
人間七七四年:2011/07/08(金) 03:07:21.14 ID:3fGW3YhA
>>912 景虎が上杉の当主になったら北条武田はもとより、
伊達葦名も含んでの東国連合で織田に対抗や!!なんてのもあったな
贔屓はまあ、小説でやるならまだいいけどさぁ…学術書でこれはちょっと
915 :
人間七七四年:2011/08/04(木) 21:30:40.17 ID:c7JGmdfB
あげ
916 :
人間七七四年:2011/08/04(木) 22:57:24.50 ID:MoVVeNDc
『北天蒼星』読んだけどいくらなんでも・・・。
景虎を主役にする以上、景勝・直江兼続が敵役になるのは当然といえば当然なんだろうけど、
堀江宗親の最期からその後の景勝・兼続の動向が触れられるラスト数ページは引いたわ。
「勝頼が得たものは一時しのぎの黄金だけだった」とか「信長の死に乗じて北信四郡を掠めた」とか
挙句の果てにはもはや謙信・景虎の義は死んでおり「上田長尾」に過ぎないくらいのことまで言い切ってた。
敵役とか悪役とかそういう問題じゃなくて、ものすごい悪意を感じる文章だったなあ。
>>909 北条ファンというか一部の景虎ファンにそういう傾向が顕著な気がする。そういう手合いは大抵
氏政のことも冷たい兄弟だくらいにしか思っていない。
北条も上杉も嫌いじゃない人だって結構いると思うんだがw
>>914 ちょっと景虎ひいきが過ぎるというか、夢見すぎな感はあったけど、内容はまあ興味深かったよ。
今福氏の『上杉景虎』も興味深い話が多かったし、平山優氏の著書といい、2011年上半期は東国戦国史の本が熱かったな。
917 :
人間七七四年:2011/08/05(金) 10:25:01.57 ID:qg7LE4j+
乃至氏のパートはよかったけど伊東潤の所はアレだったという感想
918 :
人間七七四年:2011/08/10(水) 22:59:26.33 ID:Mu78zElr
お家騒動は上杉家の伝統
919 :
人間七七四年:2011/08/11(木) 13:23:31.69 ID:pIvovKh6
偉大すぎる父に苦労するのは武田勝頼といっしょだが、景勝は結局30万石で
生き残ってるからなあ けっこうな大封だよ
いったいどこで差がついたのやら・・・・
920 :
人間七七四年:2011/08/11(木) 14:01:33.79 ID:BusOVV5Y
本能寺
921 :
人間七七四年:2011/08/12(金) 18:52:46.13 ID:4W71fl5+
景勝が景虎側の加地を徹底的に没落させた事からも
謙信亡き後の、守護代として入国する以前の旧国人衆に対してへの危機感の表れで
上杉の権力基盤はそう強固なものではなかったね
その後も庶家の新発田が論功行賞の不満等と言われる理由で葦名とかに扇動されてるし
結局、国大将を中心にまとまっていた旧国人衆をうまく組み込めなかったのかな
922 :
人間七七四年:2011/08/13(土) 04:50:46.81 ID:dcwxqnKJ
よく考えればあの軍神上杉謙信も越後国内の内輪もめにずいぶん悩まされたからねえ
若い景勝じゃなかなかうまく行かなかったろう
そういえば後に思い入れの深い越後から会津に国替えになっちゃうけど、
逆に家臣団の領地をリセットできるから喜んだという説をどっかで聞いた気がする
923 :
人間七七四年:2011/08/13(土) 04:53:38.12 ID:t/ZNvjlx
説も何も、それが豊臣政権の基本方針
924 :
人間七七四年:2011/08/13(土) 09:10:25.64 ID:W+epfSrI
地縁血縁を切り離してからは有力国人を取り潰してある意味やりたい放題。
恨みは全部直江が背負う形で非常にうまくやってる。
関ヶ原では毛利とは対照的に離脱者の出ない強固な家臣団に生まれ変わってた。
925 :
人間七七四年:2011/08/13(土) 15:45:18.94 ID:jyfM2XCv
白峰氏の関ヶ原本では、三成はいずれは上杉を越後に戻し、堀を京近辺に移す計画があったみたいだけど、
それは上杉の希望をを入れて、ということだったんだろうかねえ。
後、加地って本当に景虎方だったの?新発田の乱では、反乱側に立ったみたいだけど。
武田宛の景勝重臣連署の書状に加地の名前があり、新潟県史は景勝方としてたよ。
926 :
人間七七四年:2011/08/13(土) 16:05:43.81 ID:+/AZU9pC
断絶したからな
どっかに末裔仕えてないの
新発田は弟が母方名字変えて生き残ったけど
927 :
人間七七四年:2011/08/14(日) 00:02:19.66 ID:2ulWUxQz
景虎が家督を継いでたら甲相越同盟が成立し
日本が近代に突入するのはだいぶ先と言われてる。
そう考えると惜しい逸材だったな。
928 :
人間七七四年:2011/08/14(日) 08:50:53.96 ID:g/KwkMFF
929 :
人間七七四年:2011/08/15(月) 00:12:53.40 ID:/z14MqTp
そんなもん、わからんだろう
930 :
人間七七四年:2011/08/15(月) 00:20:32.50 ID:vYOXz3w9
上手く行く理由が見つからない。
931 :
人間七七四年:2011/08/15(月) 00:27:46.33 ID:uvPgj+KW
あの当時の同盟が長期維持されるには完全なる利害の一致が最低条件。
932 :
人間七七四年:2011/08/15(月) 05:10:05.38 ID:QntgoRQz
甲越同盟は対信長でそれなりに強固だったぞ。
越相同盟にしても兄弟なんだから強固だろ。
933 :
人間七七四年:2011/08/15(月) 19:46:39.16 ID:NoadS58Q
兄弟愛に縋ったけど内乱勝てませんでしたぜ
934 :
人間七七四年:2011/08/15(月) 20:50:18.32 ID:vYOXz3w9
兄弟は関東大事で見捨てましたから
935 :
人間七七四年:2011/08/15(月) 23:49:50.90 ID:5mR/RyZa
勝頼の奥さんって北条の娘で、御館の乱のときは兄(弟?)の景虎に力を
かしてあげてくださいと何度も言ったのにあなた(勝頼)は聞いてくれなかった、
だから今さら北条には帰れませんと勝頼といっしょに死んだらしいね アワレ
936 :
人間七七四年:2011/08/16(火) 01:25:38.33 ID:u7srjkw3
あんなに頑張ってる勝頼をどうか勝たせてあげてください
とかいう願文も書いてるし仲良かったんだろうなーと思ったな
937 :
人間七七四年:2011/08/16(火) 02:56:29.12 ID:zGxRuiOs
越後在住の関東管領家と公方家外戚の実力者
どっちを上にするんだよ
謙信の前例で氏政は景虎に山内殿とへりくだるのか
938 :
人間七七四年:2011/08/16(火) 03:53:44.99 ID:15ni36tI
両者とも、かつて謙信公に寵愛されし美男上がりの養子だという矜恃が強いしナッ!
939 :
人間七七四年:2011/08/18(木) 01:25:53.57 ID:vPgEqLte
景虎後継派の人がよく言う景虎が可愛がられてたって主張、
同じ名前をもらったことと同盟が破られても実家に帰さなかったこと以外に
具体的なエピソードとかあるの?
前者はまぁともかく後者は政治的な意味が強いのかもしれないし
可愛がられてた!っていうわりには具体的な話を聞かないから気になる
940 :
人間七七四年:2011/08/18(木) 01:53:04.59 ID:+MxvlsMX
かなりどうでもいい
941 :
人間七七四年:2011/08/19(金) 18:07:19.46 ID:jqemyVhN
ひょっとするとかわいがってたんじゃなくて、北条との戦いでうまいこと利用するつもりだったのかも
しれないよね 北条の領土を奪い取るつもりはない、ただ景虎に相続させるという・・・
上杉謙信公は意外とえげつない人かもしれない
942 :
人間七七四年:2011/08/21(日) 23:42:59.81 ID:aqtdclq1
景勝もそんなに可愛がられた感じはないけどね。
養子にしたのはあくまで長尾政景遺臣の懐柔のためだろうし。
943 :
人間七七四年:2011/08/22(月) 00:51:36.48 ID:7cJTMLZh
後継はあまり考えてないまま、酒と塩分の取りすぎで死亡でFA
944 :
人間七七四年:2011/08/22(月) 01:23:33.76 ID:dGCfKtP7
景勝は手紙とか残ってるから
945 :
人間七七四年:2011/08/27(土) 02:37:07.89 ID:jXC0Jpg5
景勝が可愛がられていたという具体的な話→直筆書状の諸々
景虎が可愛がられていたという具体的な話→名前
946 :
人間七七四年:2011/08/28(日) 22:00:36.78 ID:hZ3tpFxm
>>939 やりとりがあったとしても、景勝派によって滅却されているか
御館の乱で焼失しているでしょう
947 :
人間七七四年:2011/08/30(火) 02:00:02.66 ID:iUtUdk4z
>>946 つまり今のところ物証はないってことね、ありがとう
948 :
人間七七四年:2011/09/05(月) 23:10:47.13 ID:UeBMnFf4
まあ当主格としての扱いはされていたんだろう。
寺院への文書とかを見るとそれは確か。
でも越相同盟の破棄でグダグダになって、景勝の力が強まった。
949 :
人間七七四年:2011/09/09(金) 01:14:19.28 ID:i1zTjrj4
謙信公が本気で能力を買ってたとしても、越後出身ではなく、それどころか敵国の人間が
越後の当主になれたのかしら
950 :
人間七七四年:2011/09/09(金) 08:25:20.30 ID:aCT9PtpR
同盟前は景勝
同盟中は景虎
同盟決裂後は景勝ただし上州確保用に景虎扶養
かな
951 :
人間七七四年:2011/09/09(金) 09:48:23.56 ID:MRSWs9xZ
>>949 越後の国衆らの支持があれば可能だと思うよ。
同盟国である北条家の後ろ盾を頼る政治情勢なら、なおさら。
乱後、当主になった景勝は国衆を制約する専制体制を指向するから、
景虎を見限った一派は後悔したろうなw
952 :
人間七七四年:2011/09/09(金) 10:56:32.80 ID:n6ObS52O
専制体制は時代の流れだからしょうがない面がある
佐竹のように撫で斬りされないだけましかもよw
どの道、集権化を目指さなくてはならないのは景虎も一緒だしな
953 :
人間七七四年:2011/09/10(土) 21:07:04.43 ID:bS7wM4NJ
>>949 景勝とて、かつては敵対していた上田家の人間。
国清は信濃だし、義春は能登。
そういう異質な人を養子にすることに対して抵抗が無かったんだろう。
954 :
人間七七四年:2011/09/11(日) 21:59:01.38 ID:42yZyTcG
上田の人間って言っても母親が実姉で
幼少期から手元で養育してた近親者は相当違うと思うが
他は全く違繋がってない赤の他人であるし
955 :
人間七七四年:2011/09/12(月) 17:56:40.66 ID:/Mtd/uek
>>951 >>953 あ、 そういえば忘れてたけどいちおう景勝の姉か妹を娶ってるから、
景虎の子は越後の子になると言えば越後ナショナリストもなんとか説得できるかもしれない
956 :
人間七七四年:2011/09/12(月) 20:08:39.00 ID:/U8UBKxN
越後の諸将達はあまり長尾家の血筋とかに拘ってなかった感じがある。
謙信の遺志をちゃんと継いで戦にも強い人物なら別に他家出身でも
構わなかった感じ。
957 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 03:22:35.38 ID:sd6YMqjP
景虎は戦績絶望的だからな…
958 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 12:19:30.84 ID:cXexolVX
よそ者としてのマイナスが大したことがなかったとするとやっぱり作戦ミスかなあ
景勝側は自分たちの利益のためになんでもしたけど、景虎側は亡き謙信公の
教えどおり行儀よく礼節をまもったためにやられた気がする
結局まずは勝たないとだめってことかな 正しくても負けたら意味がないってことか・・・
959 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 15:16:36.46 ID:hOcT01gc
よその国の軍勢を呼び寄せて今なら領土の切り取りも目をつぶりますよっていうのが
亡き謙信公の教えどおり行儀よく礼節をまもった戦い方かどうかは意見がわかれるところだと思うけどな
960 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 17:44:09.96 ID:Ut8nPloR
景勝側の長尾景憲や佐藤甚助みたいに景虎側に
妻子を人質に取られた挙句殺された武将もいるから・・・
961 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 21:29:16.24 ID:AISutj1e
お互いの部将の親族が死ぬ凄惨な内乱ですね
962 :
人間七七四年:2011/09/21(水) 20:37:42.06 ID:o8ACaI4E
御館様〜
963 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 11:32:53.25 ID:DlNWIy+R
やっぱり勝頼は景虎に味方するべきだったな。
964 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 12:34:05.17 ID:nrBvd79n
どこまでいっても景虎のアドバンテージは景虎が勝つ方が隣国にとって都合が良い、
というところのが辛いところよなあ
965 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 14:24:16.64 ID:Wrx01t2A
景勝と、景虎のどちらにもいえることだが、
本人は正義のため戦ってるつもりでも、
勝てば勝つほど正義じゃなくなる宿命なんだよな。
御館の乱って。
966 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 15:09:07.45 ID:eLJ7ofzZ
結局謙信の真の後継者って誰だったんかね
最近景勝後継者説の本がいくつか出てるけど、
北条研究者の黒田基樹まで新著で景勝が後継者とされていたと書いてるぞ
967 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 15:14:19.57 ID:wx/4+XfL
>>966 あっしは学術本はさっぱり読まず、歴史小説ばっかりですけど、そこにはたいてい
越後守護と越後の国を景勝に、その他の領土と関東管領の職を景虎に、
という説が多いですな ただそれだと景勝が景虎の家臣になるのに領土は景勝の
ほうが多いという逆転現象・・・ いや、謙信公は北条家を滅ぼして関八州ぜんぶとったうえで
景虎を入れるつもりだったのか・・・ うーん わからん
968 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 15:59:18.98 ID:owqARjWQ
景虎後継派…花ヶ前盛明、矢田俊文氏の上杉研究大御所2人
景勝後継派…乃至政彦、今福匡、平山優、丸島和洋、黒田基樹氏らの新鋭や他氏研究者
最近出た本だとこんな感じかね、
ただし景勝後継派は景虎しか後継候補がいなかった時期も
あることからどちらかと言えば後継移行派というべきか
小説家は面白ければ史実はどうでもいいから波乱の多い景虎後継説ばっかだな
作家でも真剣に研究している桐野作人は景勝後継派だけど
969 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 21:02:57.83 ID:RCaZ6V5k
970 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 22:41:55.87 ID:35QyEU1B
971 :
死:2011/09/23(金) 07:14:07.08 ID:3plBFeYD
>>963 勝頼はこれに乗じて越後に攻め込むべきだったな、
織田・徳川に攻められても越後に逃げ道作れるし
972 :
死:2011/09/23(金) 07:16:49.25 ID:3plBFeYD
景勝から金2万両貰って喜んでたけど
景勝滅ぼしたら金2万両ただで入手出来るからな
おまけに領地まで手に入る、戦国の世ならばこの隙に乗じて攻め込むべきだったね勝頼は
973 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 08:07:44.24 ID:U342ZoB5
信玄存命なら迷わず攻め込んでただろうな
974 :
死:2011/09/23(金) 08:16:45.34 ID:3plBFeYD
な?
その辺がぬるいよな
徳川潰さなかった信玄もぬるいけどな
975 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 08:20:59.32 ID:4aoJAivx
>>972 なわけがねえだろ。景虎まで敵にまわすことになるじゃねえか。
自動的に北条も敵だから、越後攻めしてる間に北条と徳川・織田に後ろから同時攻撃
食らってあぼんだ。
976 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 13:58:12.28 ID:ybyFPKJR
>>968 後継移行による景勝後継者説を初めて発表したのは矢田門下の片桐昭彦氏だろ。
一番重要な人抜かしてる。
最近武田氏研究者の人たち、どんどん新著を出してるね。読んでないけど。
甲越同盟の時の勝頼への賄賂は軍鑑の捏造で、菊姫の結納金にすぎなかったとか、
武田への上州の割譲も再考が必要とされてるとか。
それに比べたら、最近上杉研究者の方々はおとなしいね?
大河史上最高駄作とされた天地人ショックから抜け出せないのかね。
977 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 02:04:06.97 ID:RtVo6Dpv
なんだそりゃ
978 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 11:46:20.54 ID:nzUM5inI
景虎は地力で劣り外圧頼りなのを払拭できないまま押し負けた
979 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 00:01:38.50 ID:jor3+rd8
初動で資金を抑えられなかったのが主因
980 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 13:57:35.52 ID:V5py4wHV
山本寺は親子なの?兄弟なの?
981 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 18:21:18.92 ID:KFTD2Wxc
年代的には子か甥だと思うが不明
982 :
人間七七四年:2011/09/30(金) 18:25:36.07 ID:nk7xElp6
山本山なら聞いたことがあるが
983 :
テンプレ改:2011/10/01(土) 06:24:06.86 ID:v6zeF/3H
984 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 14:13:29.35 ID:IHZiUizH
出自は確定してるんじゃ?
985 :
人間七七四年:2011/10/01(土) 15:20:21.13 ID:AEwTyW2/
名は氏秀でなく三郎で確定
986 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 03:30:33.35 ID:m1HugIsG
986
987 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 05:38:17.93 ID:ne5NZ3L8
華姫LOVE
988 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 13:15:00.92 ID:5+a7p99L
後北条にとって景虎が関東管領になるのは望ましいことじゃなかったのかな
989 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 13:44:01.29 ID:3+Lh3P4v
氏政より上の家格だからな
990 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 00:37:04.02 ID:oX3nlpQq
991 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 01:17:27.47 ID:2QsXxs2z
990乙〜
埋めるのじゃあ
992 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 01:28:11.65 ID:kfGos9ca
うめ
993 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 01:27:44.07 ID:g3gZ2zWr
>>988 そりゃ身内だし、そうだろ。
古河公方が義氏の時代は北条家が関東管領格だったし。
994 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 15:58:12.29 ID:ybzifNAN
うめ
うめ
996 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 00:41:03.96 ID:dffkIY3J
996
997 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 08:27:43.92 ID:z4OdPwdD
997
998 :
愛宕権現:2011/10/05(水) 14:17:38.74 ID:02/A7otJ
何故景虎が負けたか…
それは景勝公、直江殿が春日山の金銀財宝、謙信の遺産を占拠し、
直江殿達が「謙信公は遺言で跡目は景勝にと言った!」など嘘をついて
当初景虎側に居た上杉家家臣が景勝公に就き戦うが景虎には後ろ盾の
【北条】【武田】がついていて、大軍で押し寄せたため景勝公は不利に…
しかしそこで金を武田に送り同盟を結んで何度も北条側の城を攻撃したり
北条家家臣に寝返りさせたりして調略攻めをして景虎の兵力を分散させ
少数の景虎軍を襲い勝利したということです。景勝公と景虎仲が悪かったらしく
絶縁状を叩きつけたりしたことがあるとか…
999 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 14:36:18.28 ID:EKoMT8uD
うめ
1000 :
人間七七四年:2011/10/05(水) 15:27:35.41 ID:LCuyWNFP
千姫
1001 :
1001:
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ー┬――─‐ァ
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/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
---‐ヽ -' / 〃ィ ヾ'‐,--
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