織田信長は運が良かっただけでは?

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1名無しさん@お腹いっぱい。

まず地理的要因
尾張は石高的にかなり条件の良い国(全国二位)。
京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。
京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば
思い立ったら上洛できる位置。
西は木曽・揖斐川の大河に守られ
東と結べば背後に敵無し。

周りの大名も
今川義元は運良く戦死 跡継ぎの氏真は暗愚
松平家は独立 同盟で後方の安全を確保
斉藤家の義龍は早死して、跡継ぎの龍興は暗愚
朝倉家の朝倉義景は惰弱で暗愚の代名詞のような大名
六角家は観音寺騒動や対浅井の敗戦で弱体化しきっていた
三好家は分裂状態で統制が取れずバラバラ
織田と本格的に戦う前に信玄は病死 跡継ぎの勝頼は暗愚
織田と本格的に戦う前に謙信は病死 その後上杉家は内乱で自滅
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 14:57:40 ID:PzED1Se5
足利義昭が信長の所に来たのも
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:03:57 ID:VJTfYynY
運も実力のうち
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:05:00 ID:jhTg52gW
運がなきゃ成功しない
運がなきゃ英雄にはなれない

誰にだって言えること
「○○って運がいいだけだよね」とか
言いたがる奴は中二病
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:05:15 ID:LC2Ng7rc
うん、そうだね
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:10:40 ID:7p0abD3M
信玄・謙信に媚び続け、その内に畿内制圧したわけなんで、信玄・謙信が
凡愚だったということで。 謙信・信玄の方が先生まれの有利もあるし、
運というより、弱小時の低身外交にしてやられたってのがホントのとこ。
美濃も道三時代は同盟路線だったし、美濃が落ちないなら先に伊勢という
路線変更してたんじゃね?その辺はそつないよ信長。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:12:32 ID:tfHQ2A1+
これほど恵まれちゃ誰だって勢力拡大できるよ。
たまたまそのポジションに信長がなっただけ。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:56:13 ID:YuGbrodp
だけって…>スレタイ
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 16:57:50 ID:4+fo1Abr
弟に謀反起こされてそれから反抗勢力を鎮めたと思ったら今度は今川が侵攻してきた。これで恵まれてるというならかなりのMですね。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 17:55:43 ID:dTdgJlga
運だけ・・・夏だな・・・
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 05:27:06 ID:Paj67X5A
信長は立地条件が恵まれたからあそこまで昇り詰めたんだよ。
島津や伊達みたいに京都からほど遠い地域でもダメだし逆に京都に近すぎても天下は取れなかった。そうなると…信長は京都から近すぎず遠すぎない地域にいたから…昇りつめられたわけ。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 05:39:09 ID:XxwHQ11H
他のやつは運すらなかったということかの。
そりゃ言いすぎじゃろうて。
信長だけ運があったとは如何に如何に
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 05:44:11 ID:8eh0Jg6Q
内外に敵を抱えて織田信秀が急死
若年の世継ぎはうつけ
弟擁立派と真っ二つに別れて内戦
今川義元が大軍でもって攻め掛かる

むしろ普通なら確実に滅びるお膳立てが揃ってるが…
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 07:05:25 ID:+Zo7eUI7
何度か死んでもおかしくない場面に出くわしても運よく生き残ってる
運がいいのは確か。運だけとは言わないが。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 07:41:00 ID:SkJ2UsSH
運はもちろんあるが、実力が無ければ運はつかめない。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 08:05:31 ID:4ZrQjjP/
実力があるのはガチだけど運がいいのも事実
桶狭間も吉本討ち取れたからいいようなもんだし
信玄と謙信が健康おたくで120歳まで生きたならまた歴史もかわったろう
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 10:48:03 ID:j3ol6JYS
運も実力のうち…
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 11:25:34 ID:mzd2xZYa
運の良さも要因の一つであることは確実だろう
運の良さ「だけ」と言うのには同意できんがな
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 11:35:56 ID:6UevXqYi
俺らでは天下はとれません。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 12:00:40 ID:By4kBvqF
というか信長のスタートラインの状況、分かって主張してるかどうかだけ問いたい。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 12:49:40 ID:tFh/gh1g
運だけ議員の藤野真紀子が総理大臣になれると思うか。
衛星放送の料理番組に出っ放しなんだぞ。
委員会さぼって、料理の研究してんだぞ。すげーだろ。

尾張人に対する、かるーい嫌味か。……嫌味も味か。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 13:28:55 ID:atVCDWF5
すっかり夏ですね。
確かに、尾張という絶好の地理的条件を持ってたけど、
あそこまで行ったのは信長の実力がほとんどでしょ。
特に野田・福島で三好三人衆らが蜂起して、それを攻めたら、
横合いから本願寺に攻められ、背後には朝倉・浅井がやってきた辺りなんて、
運だけじゃ、どうにもならなかったと思う。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 13:37:27 ID:YX/acenn
[我を崇めよ!!!]

【都内限定】☆NOBUNAGA☆オフ【将軍万歳】

http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offreg/1153645469/
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24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 13:39:02 ID:YX/acenn
将軍☆NOBUMAGA☆スレ初OFF会・開催決定!!!

参加資格・☆NOBUMAGA☆がすごく嫌いじゃない者。

8/7(月)

新宿西口地下広場交番前
(駅員に聞いて下さい。)
20時集合

新宿の居酒屋 (未定)
会費 なるべく安く割り勘 3500円目標
空気合わなかったら5分で離脱OK、ドタキャンOK

スレに参加表明、ハンネ、その他希望・意見の書き込み、お願いします。

気楽にな…(人生考え過ぎても、良い結果はでんぞ。)
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 14:42:42 ID:mhKPca5v
>>1
そうだね、運だね。
頼朝も運だしね。

信長以外に天下人出たとしても、運だっただろうね。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 03:57:36 ID:ewkg4VCo
桶狭間は完全に奇跡じゃないか?
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 09:25:40 ID:nuptGZD+
そりゃ僥倖なんて人生に一度や二度はある。
でも人生最大のピンチって言えるシチュでそれが発生したのは
勝利の女神に愛されてるとしか思えんわな。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 13:37:31 ID:S/DCY5WZ
>>26
そんなことないとおもうよ。
いろんな説があるけど、ちゃんと勝てる要素があって勝ったんだと思う。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 15:09:40 ID:fzcxKknx
>>28
勝てる要素と言っても天候ぐらいだろ?晴れだったら、間違いなく大敗してたし、奇襲も大失敗していた。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 15:35:18 ID:S/DCY5WZ
>>29
>天候ぐらいだろ
違うよー
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 15:57:02 ID:e4HuRTUH
>>30
天候以外に勝てる要素があるなら教えてくれ。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 23:17:07 ID:xMQAl+eU
そりゃ田楽狭間奇襲説の奴には天候しかないだろうな
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 23:59:39 ID:yUeayfZl
運が無い奴に天下など望めない。
運が良いは絶対条件。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 08:59:01 ID:Aj9yMtRB
仕事やってりゃ分かると思うが、後は運のみって所まで段取りをする事が難しいよね。
本当に重要な時なんて例え99%まで完全に抑え込んでも、残り1%の要素が怖くて仕方ない。
その1%ってのは本当に運不運(所謂神頼み)だし。
そこ迄持ち込む事が出来るだけでも凄いとは思う。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 20:58:24 ID:7UrJLhGB
むしろ家康こそ運が良かった
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 21:57:17 ID:IwJBxRhX
運が良いのは信玄、謙信もだ。仮に長生きしたとしても織田か豊臣の
臣下になるだけだ。とても天下統一出来る連中では無い。信長と戦う
前に亡くなった為、戦国最強とか天下に号令出来たとか夢みたいな
事言ってられる。秀吉に2人は早く亡くなって良かったのだなんて
同情されたりしている。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:04:12 ID:Jx55PhhK
18歳で家督を継いでから桶狭間の27歳まで、
常に2倍以上を相手に勝ち続けている信長にまぐれ?なんてあるのか?
社会出ればわかるが、20代の社長に30代以上のベテラン重役が言うこと聞くか?

唯一の味方は、信長に惚れ込んでた斉藤道三だけなのに、
その道三の力も借りずに尾張をわずか8年で統一したんだぞ?
梅雨将軍、信長は運よく雨が降って毎回勝っているということも
言われているが、確率的にまぐれがそんなにつづくのだろうか?

朝倉宗滴は亡くなる前「あと三年は生きていたい。命を惜しんでいるのではなく、
ただ織田信長の行く末が気になるからだ。」と残している。
信長当事23才、うつけものと呼ばれ、家中から織田両守護代家、今川家すべてを
敵に回して悪戦苦闘している時期である。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:20:05 ID:pbt35IOH
>>36
歴史研究者の大半は、信玄と謙信の死が信長に幸運な天下をもたらした説だけどな。
てか、そもそも天下(京都)は取っても、全国平定してないわけだが。

>秀吉に2人は早く亡くなって良かったのだなんて
>同情されたりしている。

どの史料に書いてあるんだ??
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:23:57 ID:Dj2bBrdM
例え信玄や謙信が尾張に生まれてても信長のような業績が残せたとはとても思えない
100歩譲っても桶狭間であぼん

逆に信長が越後や甲斐に生まれてたらもっと楽に天下統一できただろうね
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:38:11 ID:7UrJLhGB
甲斐や越後は中央から遠く、田舎で石高も少ない
周りには大大名

尾張より数倍不利ですよ
とても楽に天下を取れていたとは思えない
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:58:44 ID:dLzkF06T
「戦国時代」板には、どうでも信長認めない厨がいるらしいな。
他のスレでも信長は無能だと放言しまくってる。
アレはサヨか?権力者が嫌いなのか?認めたくないのか?
普通に歴史を読めば、「信長の重要性」がわからないわけはないのに。

運だけっていうヤツに聞きたいが、信長以前に天下統一しようとした武将がいるのか?
証拠を提示して、答えてちょ。(信長の場合は天下布武の印)
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:59:40 ID:pbt35IOH
ま、想像はともかく。史実に基づいて語ろうや。

三方原合戦(元亀3年・徳川勢惨敗)の時に、佐久間信盛・水野信元ら織田勢が戦わずに壊走。
平手汎秀戦死(これも戦死の場所から考えて、戦わずに逃げてるところをアボン)・・・。

手取川合戦(天正5年・織田勢惨敗)の時に、秀吉は戦わずに戦線離脱。4万の軍を率いていた
柴田勝家は、急ごしらえの謙信軍に急襲され、ほうほうの体で撤退・・・。
爾後、天正8年まで加賀に進出できず。

いずれも信長は後方待機、もしくはビビッて出てこず。
谷口克広氏「織田信長合戦全録」によれば、いずれも「信長の動静については、不思議なほどわからない」
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:01:00 ID:Dj2bBrdM
>>42
まさかそれで信玄・謙信の方が優れてるとか言わないよな?
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:11:44 ID:cr5OfneT
どこかのスレでまったく同じのをみたような・・・
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:15:52 ID:dLzkF06T
>>42
で、なにが言いたいんですか?
信長はすべての戦に最前線にいなければいけないとでも?
あえて「逆に」いえば、信長の危機回避能力の証明か。
天正10年まで、多くの謀反にあいながらことごとく生き残ったんだぞ。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:23:56 ID:pbt35IOH
>運だけっていうヤツに聞きたいが、信長以前に天下統一しようとした武将がいるのか?
>証拠を提示して、答えてちょ。(信長の場合は天下布武の印)

名目だけの判子はともかく、永楽通宝(輸入明銭)で天下を治められる
と考えた信長の浅薄さがもの足りんのだな。家来に殺されたバカさ加減もさることながら。


甲州金は畿内でも発掘され、広範囲に流通していたことが明らかになっている。
近世(江戸時代)の貨幣システムの基礎でもある。謙信の天正越座小判は北陸一円に流通。
貨幣鋳造が流通統制および市場支配の根幹を成すことは、近代経済学の基礎知識。


 武田氏は領内の豊富な金を用いて、品質の純良な円形または長方形の金貨を発行した。
この金貨は、甲州金と称されているが、甲州金の場合、その通用価値が重量を基準として
定められるとともに、額面金額として表面に打刻されているところに特色がある。
写真の金貨の額面は「壱両」である。
 このほか甲州金で採用されている額面単位は、
       「両」=約15g、
       「分」=1/4両、
       「朱」=1/4分、
       「朱中」=1/2朱、
       「糸目」=1/2朱中、
       「小糸目」=1/2糸目、
       「小糸目中」=1/2小糸目
という4進法・2進法によっている。
この単位のうち、両・分・朱の4進法の単位は、
江戸時代の幣制において金貨の単位として踏襲された。

信玄と謙信のほうが先を見ていたと思わんか??
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:25:24 ID:Dj2bBrdM
むしろ見てたのは目先
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:31:34 ID:pbt35IOH
まぁ、どうでもいいんだが、自前の貨幣鋳造もできなかったんじゃ、天下人とは言えんな。
実際に畿内の外延部しか統括できなかったからかもしれんが。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:34:37 ID:Dj2bBrdM
確かに天下人にはなってないからな
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:59:25 ID:3qJeWaHR
信玄も謙信も川中島で戦わずタッグを組んで織田と徳川と本願寺を
滅ぼしていたら、天下を取っていただろう。
なんで信濃なんか取り合うんだよ。真っ先に取るのは尾張だろ。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 00:13:11 ID:25jyDPKT
本能寺の変がなくても信長は備中高松で討ち取られていただろう
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 00:31:13 ID:1tkPJE+a
ここのスレタイって、信長は運よく本能寺で討ち取られた、だったのか・・・・。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 03:09:29 ID:R+ezvhfz
>>39
信長が甲斐に生まれていたとしても、結局信玄と同じように勢力を拡大していきそうな気がするが。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 04:37:10 ID:QqkZMWCX
その手の仮定は無意味
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 05:08:06 ID:3TMQkib6
なぜ義元を倒した信長が運だけで棚ぼたで駿河を手
に入れた信玄が実力というのかよくわからない。
というか運だけとか言ってる時点で思考停止状態、
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 08:15:52 ID:l7ueHa/f
>>16
現代人ですらいくら健康に気を使っても
120歳まで生きることは不可能に近い。
泉重千代くらいだろう。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 09:58:52 ID:NfRv08oM
>>42
手取川の戦いは織田軍が敗走したのは確かであろう。でもこの戦いに関する
史料は「歴代古案」の謙信の書状しかない。よってこの戦いは、それ程
目立ったものでもない。上杉軍の勝因は、加賀の一向一揆を味方につけた事
で織田軍が上杉軍の動きをつかむ事が出来なかったことにつきる。
信長がびびって出陣しなかったんではなく、畿内が不安定な状態で北陸まで
出て行く事が出来なかっただけ。信長と敵対していた義昭から頻繁に信長追討
を頼まれても動かなかった謙信こそビビッテいたと思う。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 10:12:41 ID:1tkPJE+a
>史料は「歴代古案」の謙信の書状しかない

「信玄公宝物館文書」「上杉年譜」「仁科文書」「伊達文書」「芦名書状」
「浜崎文書」と、史料は豊富にあるわけだが??

>義昭から頻繁に信長追討を頼まれても動かなかった

義昭が謙信に追討を依頼した確実な史料はない。
京都は信長、関東は謙信に任せるという御内書はあるが。
むしろ、甲越和議を義昭に上申したのは信長。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 10:41:59 ID:SwSNKuHS
信長と同じ条件かそれ以上に恵まれてる
斯波義統とか織田信友はどうなるのだ
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 11:10:36 ID:NfRv08oM
>>58
42さんの愛読書 織田信長合戦全録・谷口克広著 よりおおまかに
抜粋したんだが気に入らなかったようだね。信長公記には無し
上杉年譜は1級史料?いずれにしても疑問の残る戦だ。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 11:11:21 ID:jcrkUSIo
秀吉も国内に流通する貨幣を鋳造してないし、
永楽通宝が駆逐されたのは1630年代に寛永通宝が製造され始めてから、
さらに20年後くらいで、
>永楽通宝(輸入明銭)で天下を治められると考えた信長の浅薄さがもの足りんのだな。
というのは天下統一に関してはあんまり関係ない。

>甲州金は畿内でも発掘され、広範囲に流通していたことが明らかになっている。
甲州金が畿内で発見されっても微々たる物で広範囲に流通していたとまでは言えず、
地方貨幣の域を出ない、上杉も同じ。

>貨幣鋳造が流通統制および市場支配の根幹を成すことは、近代経済学の基礎知識。
時と場合によりけり、金や銀をそのまま貨幣にしてしまうと対外貿易を考えた場合、
金銀が大量に海外に流出してしまい国内の総量が足りなくなってしまう事がある、
江戸中期に金山が枯渇し始めた日本がそうであったようにね。
まあ信長は天下統一も未完遂だったんで統一後の貨幣政策がどうだったであろうかは
分からんけどね、金山が豊富な甲州地方を治めて直に死んでしまったし。

>この単位のうち、両・分・朱の4進法の単位は、江戸時代の幣制において金貨の単位として踏襲された。
細かい事だが1両を4分とする4進法は武田以前から存在する。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 11:39:27 ID:5p/wnwLp
桶狭間は太原雪斎が生きていたら勝ててなかっただろし
てか起きてなかったな

結局1が言う
>尾張は石高的にかなり条件の良い国(全国二位)。
>京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。
>京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば
>思い立ったら上洛できる位置。
これが一番でかいな

信玄は不利杉だろ
濃尾両国=信玄最大領国
ぐらいでしょ
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 11:52:38 ID:0HydWrNQ
運良く天下を取れたってのは
江戸時代中期の将軍達のことさ
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 13:03:18 ID:z6HXwAbj
>>62
何で太原雪斎が生きていたら負けるんだ?
天候を読めたり奇襲を予知できたのか?
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 13:09:54 ID:1tkPJE+a
>いずれにしても疑問の残る戦だ

脳内史料かwww
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 15:00:21 ID:BRZOUIgF
>>64
負けるなら出陣しないし、
出陣したってことは勝てる見込みが十分あったってことだろ
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 16:03:26 ID:2fdg1z+O
今川義元は、太原雪斎の教育がなければ、氏真レベルの愚鈍だったって話は聞いたことがある。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 17:01:19 ID:z6HXwAbj
>>66
うん。そうだよ
いや、私が言いたいのは桶狭間に太原雪斎の生死
は関係ないだろと・・・
69名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 00:04:52 ID:FvxAmSuy
【ふつうの人間が抱く疑問】
信長厨はなんでこうも「天才、天才」と得意げに語るんだろう?
別にあんたらが天才なわけでもなく、何をした訳でもないんだろうに。

【臨床医学的な解答】
心理学的に云う「ヴァーチャル・アイデンティティ」(仮想世界に自分を仮託する)
つまり、自分がゲームの中の主人公に置き換えられてしまい、その主人公が危機に晒される
(批判される)と、自分の存立そのものが侵されたという危機感に陥る。
したがって、仮託した主人公(信長)のライバルや仮想敵を攻撃することで、
危機を回避する心理構造。歴史解説書やPCゲームで信長厨になった人間は、大抵の場合
これに該当する。現実世界では惨めな自分が、信長となって天下を統一するという
仮想世界に生きるのが、彼らの唯一の癒し。病人だから大目にみるように。

【理論的補足】
なぜ信長厨に特有の症状かというと、単純な最強英雄願望がその底辺にある。
秀吉(信長の部下)や家康(同盟者)では、その英雄願望は充たされず、
ましてや他の戦国大名は、信長に仮託した自分の攻撃対象にすぎないから。
ついでに付記すれば、信長が天下統一の途上で斃れたことも影響している。
信長が生きていれば、この閉塞感のある世界も変わっていただろう・・・・、と。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 00:08:53 ID:htBURoDy
必死になってコピペしすぎw
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 03:10:23 ID:mKRGlCD8
しかし粘着質な奴だなw
夏休みの宿題でもやってろw
72名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 09:36:36 ID:y+EAlORE
69が可哀想になってきた
73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 23:34:31 ID:4xJ4tl37
>>69
それって毛沢東、金日成のことだろ?
まあどっちも対非戦闘員戦を得意とするがなw

あいつらいろんな手段で日本人のやる気を削ごうとしてるしw
74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 02:09:50 ID:AViHXRKA
「信長はああいう条件にあったから運良く天下取れた」じゃなくて、
「ああいう条件があったから運と実力で天下取れる奴が生まれた」が
正解かな。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 15:40:57 ID:DA63DPfk
桶狭間で討ち取られる雪斎なんて見たくないよ・・
76名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 18:44:48 ID:bWJM8SCe
雪斎が命を捨てて逃がした義元が数年後敵討ちの為にもう一度尾張に侵攻すると考えてみるんだ。
77名無しさん@お腹いっぱい:2006/08/19(土) 20:44:05 ID:2qIwN4SJ
残念ながら、桶狭間(正式には田楽狭間)の戦いは晴れていた、
という説が今強いらしく、雨が降っていたという固定概念は、江戸時代に信長の伝記っぽいものを書こうとしたときに、
嵐が起こったほうがドラマチックという理由で付け加えられただけだった
しかも、奇襲という説も違っていて、今川軍から織田軍は見えていたらしい。
なぜ今川軍を倒せたかというと、ちょっとした隙に、信長が今川軍に正面衝突してそれにあわてた今川軍が陣形を崩して、今川軍に兵の数では足元にも及ばない織田軍が勝った、
という説が今は有力らしいです。
まあ、僕らみたいな歴史を一断片でしか判断できないような人が、信長が運が良いとか良くない、いや信長について語る資格があるのでしょうか?????
78名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 20:54:27 ID:rOly9smm
>>77

まあいいではないか
79:2006/08/19(土) 21:02:04 ID:rOly9smm
語ってもいいけど武将とか馬鹿にするのはよくないよね★
80名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 21:04:35 ID:/C54NE5+
天候が晴れてる状態で
圧倒的大軍を少数で真っ向から撃破したなら

運がいいとか天才とかじゃなくまさに軍神様だよ
81:2006/08/19(土) 21:05:01 ID:rOly9smm
運なんて語るもんじゃないよ◆
824回目じゃ〜 ◇:2006/08/19(土) 21:06:10 ID:rOly9smm
<<80

どーかん
83名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 21:30:11 ID:jUz/54L6
運が良かっただけでは、天下目前まではいかんな。
運と実力が揃って、初めてああいう事ができると思う。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 23:37:46 ID:KDB3ipjj
逆に運が悪いから天下目前で死んだんじゃ・・・・・・
85名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 00:04:54 ID:0dYvBjPH
>残念ながら、桶狭間(正式には田楽狭間)の戦いは晴れていた、
>という説が今強いらしく、雨が降っていたという固定概念は、江戸時代に信長の伝記っぽいものを書こうとしたときに、
>嵐が起こったほうがドラマチックという理由で付け加えられただけだった

「信長公記」も読んだことなさそうだな。www
楠をなぎ倒す荒天(風雨)で、信長が望んだ「天運」に恵まれたと
太田牛一が記述してんだがなwww つまり、一級資料では「運がヨカタ」とな。

「聞け、敵は宵に兵糧を使ってこのかた、大高に走り、鷲津・丸根にて槍働きをいたし、
手足とも疲れ果てたるものどもである。くらべてこなたは新手である。
小軍ナリトモ大敵ヲ怖ルルコト莫カレ、運ハ天ニ在リ、と古の言葉にあるを知らずや。
敵懸からば引き、しりぞかば懸かるべし。而してもみ倒し、追い崩すべし。
分捕りはせず、首は置き捨てにせよ。この一戦に勝たば、此所に集まりし者は家の面目、
末代に到る功名である。一心に励むべし」
 ここで、前田又左衛門利家・毛利十郎・木下雅楽助らがそれぞれに斬穫した首をもって参陣した。
信長公はこれらも手勢に組み入れ、桶狭間の山際まで密行した。するとにわかに天が曇り、
強風が吹き付け、大地を揺るがす豪雨となった。この突然の嵐によって、
沓掛の峠に立つふた抱えほどもある楠が東へ向け音をたてて倒れた。
人々はこれぞ熱田明神の御力であろうとささやき合った。
 やがて空が晴れてきた。信長公は槍を天に突き出し、大音声で「すわ、かかれえっ」
と最後の下知を下した。全軍は義元本陣めがけ黒い玉となって駆け出した。
 この様を目にした今川勢は、ひとたまりもなく崩れたった。
弓も槍も鉄砲も打ち捨てられ、指物が散乱した。義元の塗輿までも置き去られた。
未刻(午後2時頃)のことであった。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 02:17:44 ID:9KlRtJi+
>>85
>桶狭間の山際まで密行した。するとにわかに天が曇り、
>強風が吹き付け、大地を揺るがす豪雨となった。
>この突然の嵐によって、沓掛の峠に立つふた抱えほどもある楠が東へ向け音をたてて倒れた。
>人々はこれぞ熱田明神の御力であろうとささやき合った。

この部分は原文では↓
『人数寄せられ侯ところ、俄に急雨、石氷を投げ打つ様に、敵の輔に打ち付くる。
 身方は後の方に降りかゝる。沓掛の到下の松の本に・二かい三がゐの楠の木、雨に東へ降り倒るゝ。
 余の事に、熱田大明神の神軍がと申し侯なり。』
という風になっており、密行云々は例のサイトの翻訳者の意訳で、
だから悪天候が信長の望んだ天候なんて事は書かれておらず、
神様が自分達を後押ししているって風にしか書いてない。
そもそも今川勢に接近するまでの間は今川勢に丸見えで、攻撃時も晴れだから、
天候に左右されてる部分はそんなに多くはない。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 03:35:51 ID:0dYvBjPH
>>86 バカですか?? 俗説の「密行」とかが問題なんじゃないぞ、「天運」こそが問題。

>信長の望んだ天候なんて事は書かれておらず

「運ハ天ニ在リ」は間違いないよな???
天に運を頼んだ以上、この勝ち戦は「天運」だろ??

『人数寄せられ侯ところ、俄に急雨、石氷を投げ打つ様に、敵の輔に打ち付くる。
 身方は後の方に降りかゝる。沓掛の到下の松の本に・二かい三がゐの楠の木、雨に東へ降り倒るゝ。
 余の事に、熱田大明神の神軍がと申し侯なり。』

つまり、熱田大明神の神軍(神に祈った結果)だからこそ、このような記述になったわけで。
反論、よろしこ!!
88名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 05:28:55 ID:Igp1dDPy
あんまり詳しくないけど、当時はそれぞれの大名で自給自足できていたのでそういう野心はなかったんじゃないかな。信長だけあった
89名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 07:05:41 ID:Xu1YE/Zv
五十城はここにきてたのか
90名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 10:30:28 ID:uIsGHzpe
祈ったから勝ったわけじゃないだろ
91名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 11:22:48 ID:0dYvBjPH
本人たちが「天運で勝った」と言ってんだから、いい加減みとめてやれよww
92名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:32:21 ID:g2csi57v
運にかけて、後は運だけという状況に持ち込むのを器量っていうんだよ。
普通の武将だったら、桶狭間では今川に降伏するか、よくっても篭城して
自滅するかだ。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:36:00 ID:xQcksKDT
>>91
家康も自分が天下取れたのは運だと言ってるね。
94名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:48:44 ID:obzFFP9T
運がなければ英雄にはなれん
巡り合わせが悪ければ能力あっても意味を成さない
世界的に見ても覇者となるような人物は
何かにとりつかれたような異常な幸運悪運を持っている
生まれながらに覇権を掴んでいるんだよ
95名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:53:06 ID:+gR0Q8Hx
戦国時代は、戦の前に神仏に祈願するのは大抵の武将がやっていたこと。
で、戦後感謝を捧げるのも当然。
それを「天運」だの「神仏のおかげ」だの言ってたら、信玄も謙信も
運だけの愚将になっちゃうよ。
96名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:57:13 ID:MKeqWlpr
家康さんこそ運ですな。豊臣政権内での近江派と尾張派の対立が
なかったら、豊臣政権内での最高実力者で終わっていたと思う・・・
97名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:59:39 ID:u3aWKW1A
天、地、人が揃ってたからあそこまで登りつめたのだろう
地の利、人(信長以外名将が沢山)、それぞれ揃って(揃えた)いたし。
あとは天運 、武田信玄も運に見放され目前にして撤退。
信長には全てが揃っていた。明智光秀を除いては…
いつの時代も運は大事だろうね 運が悪けりゃ何やってもダメ
ここにいる俺達はみなロリコンだから運が良くても人がダメだなw
98名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 15:13:03 ID:g2csi57v
状況が訪れるのは運だが、その状況を最大限有効に使ってみせるから
名将なんだがな。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 15:18:55 ID:2y6oFjGQ
逆に運がなかっただけで実際は名将って奴いるか?
まさか伊達政宗とか言い出さないだろうな
100名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 15:26:35 ID:uIsGHzpe
今川とか途中で死んでった群雄は大体そうだとおもうけど

でも運の要素が皆無な名将はないだろうね
極論すれば生まれてきたのも運だろうから
いくらでも運のせいにできるもの
101名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 16:25:30 ID:TO0mvVdV
>>99
島津とか長曾加部じゃないかな?
伊達もその分類じゃないの?
102名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 16:29:48 ID:g2csi57v
>>101
んなことは全然ないだろな。
中央にいたら瞬殺されているような連中ばっかだし。
103名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 16:38:50 ID:TO0mvVdV
>>102
中央で生き残れる奴はそうそう居ないんじゃないか?
武田、上杉でも無理
104名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 17:02:06 ID:Qt7I+jvc
太田道灌とかじゃね?
105名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 19:26:43 ID:uIsGHzpe
むしろ伊達は運が良かった部類だとおもうが
106名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:12:03 ID:eRL+udP+
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。

※謙信自身が敗北を認めている書状↓
 晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
 かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]


【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。

1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。

上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。

謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである

本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:29:11 ID:WjM9NXkZ
こういう嫉妬と妬みに狂った無意味な歴史観は無条件でムカつく。>1は死ねカス
108名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 02:40:25 ID:zP8IUjL5
>>3で結論が出ているのだが
109名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:19:50 ID:aeu9YD4l
 
110名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 05:28:02 ID:hzTcV1WX
地理的な条件だったら斎藤もそんなに変わらないじゃないしょうか。   やっぱ織田家の優秀な家臣団とそれを使う信長様の器量があってこそ!だと思います。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 14:36:43 ID:TBP9Lb33
信長が天下トリの才能があったのは間違いなし。
運も良かったな。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 21:56:50 ID:EvQ0OcQw
信長には確かに運があった。
地の利があった。
しかし何よりも特筆すべきはその政治センスだと思う。
石高に固執して貨幣経済の導入が不十分な旧態依然とした諸侯に比べても、
楽座楽市をはじめとした重商主義的な政策の実現はその際立った政治力の発露だろう。
局地戦でどれだけ負けても次の年には体勢を立て直すことの出来る強大な国力を実現している。
戦術面での少々の敗北は揺るぎない戦略面での成功で十二分にカバー出来ている。
晩年の信長は力押しの戦いばかりで芸が無いと笑う者がいるが、そうじゃない。
勝つべくして勝つ。
その環境を整える政治力がずば抜けていたと思うんだ。
逆に尾張の地に謙信や信玄、元就や元親、義久や政宗が生まれていたらどうなっていたろうか?
興味深い命題だと思う。
古くから街道の集まるいわゆる「くち」(←漢字がわからん)ならば、
信長が身につけたような商業主義的な発想やそれにつながる政治的なセンスを学ぶ機会が与えられたかもしれない・・・。
運は確かにあった。
だが、政治的なセンスや戦略的な組み立てができる能力がなければ、
やはり天下統一にむけての流れは生まれなかったんじゃないだろうか?
113名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 21:59:55 ID:EvQ0OcQw
と、長文を書いてみたが、1と内容がほぼ同じだった・・・orz。
風呂に入ってきます。
114名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 01:08:08 ID:UNHSI/p5
>>110
義龍と同じ寿命では、信長も(ry
115名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 10:45:22 ID:ZEZGDvp5
尾張美濃伊勢で150万石ってのは凄まじく良い位置に
信長がいたって事ではあるな。
この時点で長宗我部どころか毛利上杉武田より上
116名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 00:38:38 ID:eXoaSYDF
で、その尾張美濃伊勢を統一支配できた大名が信長以外にいたのかね?
117名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 00:43:20 ID:ItYsqMyU
天、地、人
っていうじゃん。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 07:09:29 ID:AnH+58fO
>>115
そうか、信長は最初からそれだけの所領持ってたのか。
おりゃてっきり最初は守護の陪臣程度だと思ってたよ。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:41:31 ID:vRWlTQ80
半国守護代の四奉行の一家だね。
信長の時は下四郡の1、5郡位かな?領地は。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 13:12:02 ID:g2GBhAzO
家来に裏切られた糞

それが信長
121名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:58:45 ID:GhLrK+q2
>>116-118
こういうのを織田厨っていうんだろうな。
「良い位置にいた」とは書いてあっても「良い位置だから運だけ」
なんて書いてないのに些細な事でも信長が侮辱されたと感じてしまう
122名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:12:09 ID:tgSz11Ea
>>121
>>115の書き方がすさまじく頭が悪いだけだと思うが・・・
123名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:15:15 ID:GhLrK+q2
>>122
どの辺が?
124名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:16:58 ID:rR8GCuvS
尾張美濃伊勢の石高が高い=運がいい、ともいえないと思うけど。
尾張美濃伊勢に居た敵勢力の石高も高い訳だし、
豊かな土地は周りの勢力から狙われ易い、
結局は一長一短であって運が良いとも悪いとも言えない。
事実、尾張美濃伊勢に位置した信長以外の勢力は駆逐された訳だしね。
125名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:19:49 ID:tgSz11Ea
>>123
尾張、美濃、伊勢を最初から持っていたわけでなく苦心して領土を切り広げたんだろ

毛利上杉武田も支配地域を広げれば150万石の大名になれたわけで
いい位置だから上でなく切り広げることができた領土が上なわけな

つうか>>115のバカさ加減がわからないようじゃ君までバカ扱いされるぞw
126名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:26:30 ID:FA2CxOw6
>>125
友達だからでしょ
127名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:29:02 ID:GhLrK+q2
>>125
「良い位置にいた」ってのは決っして「実力が無い」
という意味ではないと思うよ。
事実として信長のいた尾張は豊かな土地なんだから。
128名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:32:42 ID:GhLrK+q2
もうひとつ言うなら伊勢北畠や内紛後の美濃を制する事は
毛利や武田が150万石に到達するまで領土拡大するよりは
容易なんじゃないかな。
そしてそれは信長が迅速に領土を拡大した手並みを損なう事ではない。
129名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:34:22 ID:tgSz11Ea
>>127
>>115の書き方が頭悪いと言っているのだが。弁護する箇所がおもいっきりズレてる。
130名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:37:50 ID:GhLrK+q2
>>129
「苦心して領土を広げた」ってのは
「信長は実力があり運だけではなかった」って事じゃないの?
だから>>115は少しもそういう信長を貶める
内容ではないんじゃないかって書いてるんだけど。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:47:50 ID:tgSz11Ea
>>130
勘違いされてもしょうがないぐらい頭の悪い書き方をしていると言っているのだが?
132名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:54:39 ID:GhLrK+q2
>>131
「凄まじく頭が悪い」とまで断言してるんだから
どんな面白い意見があるかと思ったらそんな事か。つまらん。
信長が地理的な情勢に恵まれていた事は事実。
「運だけ」と誤解されるうな積極的な表現も見当たらないな。
それをわざわざ一生懸命反論する奴は馬鹿。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:00:50 ID:tgSz11Ea
>>132
おまえ>>115本人?
>>112まででそういう視点で語ってるのな。
その後で>>115みたいな書き方したら普通煽りととられるぞ
134名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:07:24 ID:rR8GCuvS
>>132
別に地理的な情勢に恵まれた訳じゃ無いだろ、大国であった今川の侵攻をくらってるし、
下手すりゃあそこで滅亡しててもおかしくなかった。
135名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:08:56 ID:GhLrK+q2
>>133
いやw本人なら本人と言った方がいいでしょ。
「俺はそんなつもりで書いてない」で終わりなんだから。
ちなみに>>115

>尾張美濃伊勢で150万石ってのは凄まじく良い位置に
>信長がいたって事ではあるな。

「良い位置にいたって事ではあるな」
なんだから「信長は運も良かった」と解釈するのが普通でしょ。
「良い位置にいたんだから当然」とか書いてたならともかく。
君が「凄まじく頭の悪い」とまで断言してるから興味あったのに。
3国の石高は実は少なかったとか、そういう話でも聞けるかと期待したのに。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:21:53 ID:fMB1wWgV
で、なんで信長の運がいいんさ??
運がよければ本能寺なんて起こらないんでないの。
そこまでは運より実力やろ。地の利とか色々書いてるが、逆境の中でそれを
物にしてるんやし。
信長以外であれば100%いいとこ桶狭間であぼん。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:26:52 ID:C2xwsbmQ
本能寺は運が悪いから起きた話じゃないだろ・・・
138名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:36:30 ID:fMB1wWgV
そうだよ。けど運がよければおきなかった
139名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:40:15 ID:FA2CxOw6
運がない+謀反される失敗
140名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 23:09:18 ID:iY/5QDoq
本能寺直前に光秀が愛宕神社でおみくじひいたら、3回凶これは天下の事か
本能寺の事かわからん。信長の遺骸見つからないみたいだし、
141名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 03:10:37 ID:l4+45Baf
領地の穀高の事を言ったら。
近江は一国で七十数万石。
越前も一国で六十万石弱あるけどな。
142名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 05:13:57 ID:A8Y1yf/G
運が良いけど生かしきれなかったのは朝倉義景だな
143名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 06:42:09 ID:1QSiwW0B
運だけで今川には勝てなかったよな…。
144名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 12:55:56 ID:S8SO2aKP
145名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:11:19 ID:l4+45Baf
>>144
すげー信長公記全否定だね
146名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 22:29:02 ID:+M20n3Zw
>>135
きみおもしろいなあ。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 00:09:28 ID:+zBzX9TR
>>136=>>138も面白い
148名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 00:20:40 ID:dBUZM3FX
信長には運も実力もあった。
上杉や武田には運だけがあった
今川には運が無かった
149名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 13:41:47 ID:QI6f6mdj
つまり実力オンリーの毛利元就最強伝説。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 16:23:24 ID:B7IMPC9q
元就は
・兄貴が死んだ。
・宗主がアホだった。
・下克上かました奴がアホだった。
・尼子も良い感じで世代変わった。
・子供がナイスガイだった。
・中央が固まる前に昇天できた。
ちょっと浮かんだだけでこれだけ運が良い。




・・・自分で書いてて、虚しくなった。運不運論って不毛だねえ。
151名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 16:56:39 ID:QI6f6mdj
というより大大名なんだから運はあって当然。
その上でいかにそれを掴んで飛躍するかって話だろうな。
信長の場合、今川さえ倒せば一気に運勢は開けた。
そしてそれを実行し、周囲をねじ伏せていった。
毛利は運勢を掴むのが遅すぎた。
武田上杉北条はお互いの存在が不幸だった。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 10:30:50 ID:skAXo2Fp
桶狭間までの道程もかなりの苦境の連続な訳だが。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 11:04:05 ID:SQ69KIt6
思ったんだが本当に織田家、というか
信長ってこんなに天運を連想させる様にのしあがったんだろうか
実はもっと順当に伸し上がってある程度創作した部分もあるんじゃ?
専門じゃないんで常識ならゴメン
154名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 01:24:26 ID:4UfFBaIF
信玄や謙信が長生きしてたら、秀吉の天下はなかっただろうね。

本能寺の変があったあとだと、美濃や尾張を信玄が攻めただろうしね。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 12:08:14 ID:y2EKLiPS
信玄や謙信が健在なら光秀も謀反は起こさなかったろうし、
仮に起こすとしても信玄と内通してから事起こすだろ
156名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 15:25:35 ID:XwnFxh7t
織田信長の桶狭間だけは絶対評価するべき
157名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 17:10:08 ID:ZmZStB06
>155
それに、信長は複数の攻勢点がある時に、不用意に小勢で動かなかったから、本能寺の変自体が起り得ないね。
158あぼーん:あぼーん
あぼーん
159名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 17:16:23 ID:o5iYakXG
庵谷さんは、信長・秀吉・家康の中では、自分は信長タイプの人間だと思うそうです。

(携帯アドレスには織田信長の言葉を使っているとか)
160名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 21:53:01 ID:gt8Hk9Jl
ninngenn50@〜
161名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 23:14:25 ID:FnizcNp9
信長
実力6割運4割
秀吉
実力7割運3割
家康
実力8割運2割
162名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 06:43:24 ID:JQyHSAYK
>>161
割合の詳細求む
163名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 11:34:52 ID:1wTP1yux
100万石クラスの大大名がいなかったのは大きいな。
164名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 21:17:31 ID:WO0Mjk8t
信玄、謙信2人とも実は信長に暗殺されたんじゃねーの?信長としては、2人とも嫌な相手には
間違いないし、2人とも信長と戦う直前に死んでるってタイミング良すぎないか?
信長は古い仕来りを次々壊したし、今川にも奇襲で勝ってるし、暗殺する側もされる側、不名誉
っぽいからお互い歴史から消してんじゃないの?
165名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 21:22:48 ID:gmRFjsZf



541 :以下、名無しにかわりましてVIPが実況します :2006/09/26(火) 02:15:23.67 ID:GKmeUuVx0
部長の声久しぶりwwwwwwwwww


542 :以下、名無しにかわりましてVIPが実況します :2006/09/26(火) 02:15:23.89 ID:709G/7VB0
部長、大好きだ!


543 :以下、名無しにかわりましてVIPが実況します [sage] :2006/09/26(火) 02:15:25.87 ID:NqB9ETPM0
部長wwwwwww


544 :以下、名無しにかわりましてVIPが実況します :2006/09/26(火) 02:15:35.56 ID:FJtJ6qkh0
部長wwwww



166織田信長:2006/10/03(火) 01:19:29 ID:fsW7hHWk
上杉、武田は名門じゃが織田は成り上がりじゃ・・・
167狸伍長:2006/10/03(火) 06:42:39 ID:/gL2mmEB
上杉(越後上杉家=越後長尾家ね)は名門じゃない。
謙信の父親が、かなり悪辣な方法でのし上がったんだ。
つまり、ある意味、典型的な下剋上の二代目な訳。
そういう意味じゃ、親爺がヒドすぎたから、謙信がトンチンカンな事をしても「まだまし」と受け取られていたんだよ。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 14:18:45 ID:ty3XsOAy
武田も、家は名門だけど祖父の代は落ちぶれていたよな。
父の代でのし上がったという点ではどこも変わらない。
169名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 08:28:46 ID:DMFfU2Ts
>>1
まずその尾張からして、そっくり受け継いだならともかく、オヤジからしてやっと半国を支配下にしたかどうかって
とこだったし、それすらも跡目争いで分裂して、そこから信長が自らの手で統一していったのだが・・・
つまり「尾張四分の一以下からスタートして天下とった」が正しい。
170名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 09:56:44 ID:t5s7TPcg
アテナの英雄ペリクレスがどっかの小国の誰かに「あなたが名を上げられたのは、アテナに生まれたからだ」と言われたときの言葉「確かに私があなたの国に生まれたなら、成功できなかったでしょう。しかし、あなたがアテネに生まれても同じことです。」
171名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 02:36:56 ID:iK2IuXwe
信秀が死ぬ直前で清洲家は離反、信清も離反、服部に長島周辺を横領されるだから
半国も無いんじゃないかと思う。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 16:12:02 ID:Bp3n+tIc
のぶやぼベースで考える馬鹿は信長は最初から国持大名だったなんて
素っ頓狂基本で物を言う。
173名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 21:40:39 ID:uMxCj7rg

174名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/04(土) 21:54:45 ID:91b2FKd0
信長はあの性格だからこそ出来た成功とも言えるし、
だからこそ謀反も起こされた。

全部自然に感じられるポ。
175名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 07:22:50 ID:/6aLoYpD
結論から言えば織田信長はまちがいなく無能
天下統一目前まで行ったという結果も所詮「地理的な要因」、「有能な家臣団」による必然と運によるであり信長を有能とする材料になりえない

まず内政
・楽市・楽座や検地、関所の廃止などは信長が先進的に行ったものではない
むしろ、地方が先駆けて行ったものを、中央の信長が重い腰を上げて、猿真似した内容である。
・しかも、それらの実践は信長自身によるものでなく多くは村井を中心とした家臣の構想と進言によるもの
ただ信長はハンコ押しただけ。


戦闘

・信長の関与し、勝利した戦いは数多くあるが全て、元々の兵力的、装備な優位に基づいた当然の帰結であり
信長自身はそれほど戦争は得意ではなかった。坂本や長島など証拠に兵力的に不利な戦いは悉く敗退している
・桶狭間の戦いについても誤解が多いようだが、桶狭間の織田軍は実は今川軍の二倍ほどであり兵力的には織田の方が遙かに上回っていたことが明らかにされている
しかも、相手は大名というよりむしろ公家に近い指揮官であり誰が桶狭間を指揮して多も勝利は必然である
・なお、長篠は織田軍は画期的に三段打ちで武田を下したとされるがそれ自体創作であって、元々長篠での織田軍は武田軍の兵力を遙かに上回りべつに指揮官が犬であろうと勝てた戦いであり信長の実績とはいえない

家臣
・信長自身は無能であったが、運がよかったのか家臣には恵まれた。羽柴秀吉や徳川家康、前田利家など後の天下人や大大名にまで出世する有能な人物がせ数多く居る
・逆を言えば信長の実績は有能な家臣団に支えられたものであって、信長自身が有能でないことを指している
・その証拠に、信長に古くから付き従い織田家の筆頭家老であった人物から「織田家家臣こそ日本一有能な家臣団である。これらに支えられている信長は全く持って果報者である」と嘲笑されていねる記録も残る
筆頭家老でさえ、この意識なのだから末端までこういう意識があったものと見てよかろう
176名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 07:23:37 ID:/6aLoYpD
人身掌握
・信長の人心掌握は例えるとジャイアンの如く暴力にまかせた「小学生じみた」ものである
・その証拠に多くの家臣や同盟者に裏切られている。弟の信勝、柴田、林、荒木、松永、義昭、長政、本願寺、明智などはっきり言って枚挙に暇が無い
・特に明智に関しては誤解を招くので言っておくが、明智の謀反はむしろ氷山の一角であり、本能寺なくともどこかで信長は暗殺されていた可能性は濃厚である

信長死後の織田家の末路
・信長死後全く織田家の存在は省みられないまま秀吉の天下となる。これは織田家内部や諸勢力、朝廷などから信長がウザがられた証拠であり、信長に並の魅力を兼ね備えていれば
子子孫がこのような末路になることはなかったはずである。
・なおこの点において、秀吉の主家乗っ取りを非難する人がいるが適切ではない。仮に柴田が秀吉に勝ったとしても
信雄が信孝になるだけで織田家の末路は変わらない。織田家はそもそも日本中から内心キモがられた存在であったから、現実主義の柴田が織田家を担ごうとはないだろう

素行
・若い頃は、「うつけ者」といわれ領民からひどくウザがられた。博役の平手はついにあきれて割腹自殺を遂げるも素行は改まず。もはや情が無いというよりは知恵遅れなのだろうか。
・青年期になっても素行のひどさは変わらずで。多くの家臣がたいしたこと無い理由で手討にされている。鷹狩でだらだらやっていたお供がそれだけの理由で手討にされるなどがあったから、家臣は遊びに付き合うだけでも胃をいためていただろう。


もし織田家の当主が無能な信長でなく、秀吉や家康であったらどうだったか

・この二名は必ずしも英雄とは言いがたいがそれでも幾分か信長より人心掌握が出来なかった信長よりはマシであった。
もし、このような仮想をたてるなら。まず弟の謀反はなかったであろうし、浅井は裏切らず、朝倉は即滅亡
本願寺は敵対せず、松永や荒木の謀反は無い。義昭との対立は避けられなかったとは思うが、呼応する大名は無く、より早く天下統一事業を進めていたと思う
・当然、本能寺は考えられず、天寿を全うし、1582年にはすでに政権による幕府が成立したと考えられる
177名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 08:55:57 ID:k/zMs//J
箇条書の項目に接続詞つける馬鹿は死ね
178名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 09:53:13 ID:XyVdjSkR
運がなければ幼児死亡率が高い当時のこと、あらゆる名将が産声も上げられずに死んでただろうな
そういう意味なら運が良い
179名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 10:24:09 ID:dhINPA1K
一歩間違えば病気で簡単に死ぬ時代だから長く生きてた人は
みんな運がよいよな
180名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 12:25:58 ID:lLowlJ7Q
最大の幸運は義龍の病死だよね
これがなかったら尾張に封じ込められていた可能性もある
181名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 14:25:49 ID:ZJHIOxbD
信長の生誕地は尾張中島勝幡城だろ!
182人間七七四年:2007/03/10(土) 21:09:28 ID:3SKpNsGM
あの時期に尾張に領土を持っていたことは、
天下布武に向かう大きい要素と言えるだろうね。
足利義昭を擁して上洛するできたことも、
地理的要因が左右していた。
幸運もまた英雄の条件だ。
183人間七七四年:2007/03/10(土) 21:50:50 ID:JVHo9wu5
あらゆる条件、努力、才能、全てに勝るのが運だろ。
で、寡兵で勝つってのは例外だからこそ称賛される。
なら、臆病と言われても、大兵を催せるなら、そうした方が良いでしょ。
むしろ、臆病なくらいじゃないと名将とは言えないんじゃないかな。
万の軍が興せるのに、千の軍しか興さず負ける将こそ、まさに暗愚の将でしょ。万興せる土地から、万+α興せる将は名将。
つか、戦ってのは、負ける確率がほとんど無くなって初めて仕掛けるべきもので、そこまで行くのが大変で、五分五分で戦に持ち込む方がバカでしょ。


有能な家臣が集まるってのは、信長やその周囲が人事の偉才を持ってたんでしょ。
才能を見抜く目って、なかなか得難い素晴らしい才能だよ。

あと、良いものを取り入れるのも一種の才能だし、収入を削るのを恐れなかったのも偉大。

裏切られたのも、性格の悪さも、あそこまで行ったから目立つんじゃね?
他の大名だって、めっさ裏切られてるし。信長みたいなことしてるヤツいるし。

ってか、天下人とまで目された人物を名将と言わないで、誰を名将と言うの?
ちょこちょこ負けてても最終的に勝てば良いんだし。

俺は信長は名将だと思うなぁ。
184人間七七四年:2007/03/10(土) 23:55:35 ID:PZhJV5wA
>>183
最終的に負けてる訳だが
185人間七七四年:2007/03/11(日) 00:53:05 ID:kVdRiRPR
>>183
>>175-176みたいなバカは相手にする必要なし。
186人間七七四年:2007/03/21(水) 23:37:09 ID:fJqRLIeM
運も実力のうち
187人間七七四年:2007/03/23(金) 18:31:06 ID:g1jhmHK6
信長なんて全部運だろ
運が良かったから才能を持って生まれつけたし
運が良かったから夭折せずに成長できた。
また運が良かったから才能を磨けたし、実力を伸ばせた。
信長なんてどこからどこまで取っても運しかないよ。
188人間七七四年:2007/03/24(土) 00:33:46 ID:wluRp9nP
NHKその時歴史が動いた 

謙信恐るべし
〜上杉謙信 信長が恐れた戦略家〜(仮)
平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 総合

長篠の戦いで強敵武田勝頼に圧勝した織田信長を妨げる障壁は、皆無となりつつあった。
ところが織田信長を恐れもせず、立ちはだかる人物がいた。かつて武田信玄と死闘を演じた上杉謙信である。
信長は、信玄亡き武田には勝った。しかし謙信健在の上杉は一筋縄ではいかなかった。。。
189人間七七四年:2007/04/07(土) 11:50:17 ID:7v+6YXs0
結果オーライ
190人間七七四年:2007/04/07(土) 22:37:19 ID:CJlbeyAn
信長は第6天魔王って位だからそうといなことしてたと思うよ
リアル信長の写真ってどこにある?
191人間七七四年:2007/05/08(火) 21:22:05 ID:QVs2Svn4
>>190
「第6天魔王」は、冗談で言ってただけだと思う。
192人間七七四年:2007/05/08(火) 23:55:48 ID:7ZnhCtKL
信長の写真持ってるけど、upの仕方わからない (^_^;)
193人間七七四年:2007/05/09(水) 01:30:42 ID:sJAeYn5b
>>190
信玄坊主が天台座主を名乗って比叡山焼き討ちを非難したから、仏教の最大の難敵とされた第六天魔王を名乗って対抗しただけ。
194人間七七四年:2007/05/10(木) 00:44:53 ID:vZINhjCc
第六天魔王ってインドのシヴァ神を元に創られたみたいに言われるけどな
それと徳川豊臣は信長なんかよりもっと運に恵まれていたさ
195長門 ◆q8GdomS4XA :2007/05/10(木) 04:14:57 ID:UXIJNbuE
運なら天下統一するまでの秀吉がすげぇよなぁ
もちろん運の下には実力の下地があるわけだが
農民から信長の地方軍団長へ、信長死、明智打倒、
跡取り無能(信孝は評価別れるが)前田と仲が良い、関白職が空白
とか。まぁ晩年にそのつけ全てを背負う感じがまたね
恨み待て筑前だっけか
196人間七七四年:2007/05/10(木) 04:54:23 ID:sqIkbhBz
日本でも三族皆殺しとかの風習が定着すれば良かったのに。信長みたいな合理的な指導者が長期政権に立てば少しは良い国になっていたかも?
197人間七七四年:2007/06/07(木) 21:31:05 ID:e11mb/XO
>>196
その時は日本共産化でソビエトの元、世界が赤く染まってたよ。
今のアメリカは駄目だと思うが、冷戦時には資本主義側に巨大パワーが必要だった。
198人間七七四年:2007/07/03(火) 03:44:26 ID:rVzS1a8Y
俺徳川家康が一番運がよかったと思うんだけど
どうかな?
199人間七七四年:2007/07/06(金) 16:58:12 ID:FTYqhHxI
信長が運なら家康も利家も運だ
200人間七七四年:2007/07/10(火) 11:23:56 ID:gycGY5yW
>>198
正解
201人間七七四年:2007/07/10(火) 17:11:53 ID:oP5ktecC
楽に天下取った印象があるからな

運(luck)だけに
202人間七七四年:2007/07/16(月) 14:20:52 ID:8LjwzFnC
三方ヶ原の件があるからな

糞だけにw
203人間七七四年:2007/07/16(月) 14:36:01 ID:p8gKfFHW
運も実力の内なんじゃないかな。
204人間七七四年:2007/07/16(月) 19:57:06 ID:TTc1LEsM
それ言っちゃえばアレクサンダーもナポレオンもシーザーもチンギスハンも
運が良かっただけなのか
205人間七七四年:2007/07/27(金) 06:05:06 ID:LJu1aVGQ
 桶狭間
 今川の石高は70万石弱で動員兵力は2万1千、そのうち戦闘員は1万500。
織田方の石高は50万石以上で、動員兵力は1万5千以上、多くの普通なら非戦闘員の
奉公人も傭兵的戦闘員で実際の戦闘員数は今川より多い?
 今川の先手(三河遠江勢など)1万は大高鳴海攻めに縛り付けられていた。桶狭間
本戦の直前に佐々隼人正ら300に突入され、くぎ付け。義元の本隊は6千ほど。戦闘員
は3千。そこを戦闘員実数6千以上の織田方が急襲する。あわてて、退却にかかる今川
。しかし、逃げ切れず本陣は総崩れ。
206人間七七四年:2007/07/27(金) 06:52:59 ID:E3IXgTNk
× 運があっただけ
○ 運もあった
207名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 12:21:13 ID:XqWIbnTE
信長は確かに地理的条件に恵まれ、おそらくは
ここぞと言うところでの強運にも恵まれた。


ただし、そういった機会を逃さないのは
やはり彼の力量の優れている所を示していると思う。



まあ、名の通った大名は誰しも、ひとかどの力量を持っていると思う。
その中でも異彩を放つのは信長だろうけど
208人間七七四年:2007/08/09(木) 14:41:36 ID:ZosKuJja
>>205
当時信長は尾張全てを掌握していたわけではなく
尾張内部にも敵対勢力があった
鳴海上周辺は今川勢力
信長が掌握していたのは25万石前後だっけか?
隣の斉藤家に対する備えも必要だし兵力を一点集中するのは不可能


まあ>>205は釣りなんだろうけどね
209人間七七四年:2007/09/05(水) 04:29:02 ID:KVJJ2MNc
毛利も秀吉も家康も運に助けられた面が強い
運が絡んでない武将なんていないね
210人間七七四年:2007/09/05(水) 05:00:57 ID:lGhjBIQU
所詮は結果論だろ
武田・上杉・毛利・島津・etc
例え畠山が天下取っててもこういう奴は運がいいとか言うだろうな。
211人間七七四年:2007/09/29(土) 19:46:03 ID:E5O+Z5OF
運の強さも一流の証拠
212人間七七四年:2007/11/26(月) 00:25:36 ID:qok/eTJl
213人間七七四年:2007/11/26(月) 02:04:22 ID:UgD5GjPz
天下人は天が決める
214人間七七四年:2007/11/26(月) 02:39:54 ID:lZhbeUfz
↑ナイス!
215人間七七四年:2007/11/26(月) 12:18:27 ID:HQ8K49AC
>>1
の通り信長は強運に恵まれた、がしかしその強運をいかせず結局は重臣に殺されるというヘタレ大名。
216人間七七四年:2007/11/26(月) 15:00:49 ID:pxTPbOMd
重臣に殺されて何故へタレと言えるのか詳しく語ってもらおうか
217人間七七四年:2007/11/27(火) 09:17:03 ID:aRRWb7E7
実力があるから運を拾える、生かせる。
218人間七七四年:2007/11/28(水) 05:57:43 ID:I/snI3uQ
家康より信玄の方が強いし、その信玄も義元が生きている間は頭が上がらなかった。義元は信長に負けたし。
信長>義元>信玄>家康
……だな。
信玄が、強いのは信長のの物語を書く上で、信玄辺りが強いことにしないと面白くないからだと思っている。
219人間七七四年:2007/11/28(水) 14:52:33 ID:W4ud2GpN
悪運を使い果たして天下から脱落
220人間七七四年:2007/12/04(火) 22:02:21 ID:hSn5+Pgz
2007年最も検索された戦国武将名ランキング
http://news.ameba.jp/gooranking/2007/12/9106.html
221人間七七四年:2007/12/05(水) 02:26:31 ID:SF0hqYQT
>>220
すごいね。
222人間七七四年:2007/12/30(日) 01:10:56 ID:nGFV0Nml
もし姉川の戦いでお市のあずきがなかったら
信長は間違いなくそこで滅ぼされただろうな。
223人間七七四年:2007/12/30(日) 23:23:15 ID:TMMdw6cb
徳川家康、豊臣秀吉、織田信長
の中では、一番恵まれた環境に産まれたと思う。
家康は土豪の子、秀吉は百姓の子なのに対し
信長は織田家の子
織田家は三管領の筆頭である斯波氏の守護代として
日本中の武士が知っていたくらいの名家
信長の織田家は守護代家ではないが
守護代家から分かれた一族で小守護代を務められるくらいの織田一族でも名門。
同じく三管領の細川氏の守護代三好家と同じくらい恵まれた家柄だったように思う。
管領を出す斯波家中に産まれたことは他より
かなり有利だったはず。
三好家や織田家は、細川家や斯波家の家来でなかったら
足利将軍と接することもなかったんじゃないかと思う。
224人間七七四年:2007/12/30(日) 23:56:14 ID:TIhmYvmu
織田が名門とは思えん、特に信長の弾正忠家は諸説あってよくわかってない馬の骨だし、越前朝倉の初代でさえあの成り上がり者が死んでせいせいしたと書かれたから、名門とは程遠いだろ
他の二人より幾分家格は高いだろうが目糞鼻糞
信長が一番恵まれてたのは家柄じゃなくてやはり経済力だろ、まぁそれでも家督を継いだ時は尾張は分裂状態で危機的状態だが
225人間七七四年:2007/12/31(月) 05:13:25 ID:TUR+6MAG
京の将軍擁立に介入してきた三好・六角・朝倉・斉藤が疲弊し見事に衰退期に入っていく時期に信長が成長したのは運がいいとしか思えない。
また濃尾平野生まれも有利に働いている。
226人間七七四年:2008/01/02(水) 00:27:10 ID:6UPAPqvV
>>224は、織田信長の家が名門じゃないというが
オレは>>223のいうように、名門だと思うよ。
二流の守護代家を除いた織田家でも、かなりある。
めちゃめちゃある。
その中で弾正忠家は、どちらかといえば名門の方だと思うよ。
家康はともかく、秀吉と目糞鼻糞とは思えないんだけどね。
全国の武士で、この時代この階級の家で
正しい系図の分かる家は殆んど無いのではないかと思うよ。
系図に諸説ある家が馬の骨なら、日本じゅうの守護代以下の家は全て馬の骨になるのではないかと思うよ。
227人間七七四年:2008/01/02(水) 01:39:29 ID:9nwpfPVB
織田信長は気持ちが良かっただけでは?
228人間七七四年:2008/01/02(水) 02:53:35 ID:G3NsQ/GR
まあ、ナポレオンも運が一番重要だって言っているしなあ・・・・。
運の悪い奴は、何をやってもダメだよ。
これは現代社会でもたぶん同じ。
大成する奴は、総じて強運に恵まれている。
229人間七七四年:2008/01/04(金) 15:52:38 ID:5vRmFLrt
たしかに三管領家の斯波氏の家臣に生まれることが出来た運は良かったよねえ
230人間七七四年:2008/01/04(金) 19:02:52 ID:I2Mojq4C
農業以外の産業が育ち始めた経済力ある地に生まれた為に兵農分離の前身を形作る事ができ畿内情報も得られやすい濃尾の王覇の地に生まれたのは大きい。
ここは飛騨高地・飛騨山脈・木曽山脈・美濃三河高原の天険に囲まれ背後の心配がなく、敵の進軍経路も断定でき通商の要路である豊かな場所である。
231人間七七四年:2008/01/05(土) 18:26:59 ID:4ADTRc9A
織田家の家紋て、朝倉家から下賜されたんだってね。
もともとの家紋て何?。
蝶とかの答えは無しだよ。
232人間七七四年:2008/01/05(土) 19:09:22 ID:EtdtHCTc
織田神社の神紋とかでは?
233人間七七四年:2008/01/05(土) 23:09:25 ID:vs0+huqI
信長はどっちにしろ3日天下。他を受け入れない性格では、もし明智に
やられなかったとしても、他の者にやられるのが時間の問題。
あんな最後では運が良かったという事はいえない。

234奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/05(土) 23:13:45 ID:cgqoB2Yw
はい次。
235人間七七四年:2008/01/05(土) 23:46:05 ID:+cKDMM9K
>>233
具体的に誰?
236人間七七四年:2008/01/07(月) 10:47:24 ID:CbxeDjCE
はい次の次。
237人間七七四年:2008/01/13(日) 13:59:36 ID:iywgq4mS
天才信長は世界史上でも特筆するべき大改革をやってのけたが、
秀吉、家康は単に醜い権力争いをしてただけ。
器があまりに違いすぎる。
238現代に顕われた織田信長の霊:2008/02/02(土) 12:11:52 ID:4Gj1U2y9
http://www14.atwiki.jp/415mattari/
篩いの目は日毎、確実に大きくなっている。私から民衆に知らせられるのも、この形が精一杯。
今の世界に蔓延する仕掛けをあらゆる論争の中に仕込んだ。皆々御苦労であった。全て保存しなさい。
小さな一言にも意味がこもっている。各自で読み解いてもらうしかない。
私はミノオワリの魂。ミノオワリは美濃尾張ではない。
言霊を読み解きなさい。一人でも多く。この者はイチリンの仕組。

皆よく聞きなさい。この星は自浄作用に動き出し始めている。
風邪もひき始めならば軽い養生で治せるが、病状が進むとどうなるか考えてみなさい。
発熱や悪寒はなぜ出るのか考えてみなさい。
無駄に恐れおののいている場合ではない。もう目を覚ましなさい。次元上昇などと寝ぼけたことを言っている場合ではない。
人が思っているような神など存在しない。よく現実に目を向けて、人間としてできる事をいますぐ実行しなさい。
祝詞だ祈りだ瞑想だと非現実的な事ばかりに目を向けるのはもう止めなさい。

現実に今を生きて動いて、とにかく有効手段として自然環境を蘇らせるしか道が無い事に気付きなさい。
人間が自然にしたことが人間に返ってくるだけなのだから、天変地異などと呼んで自分ばかり生き残りたがっている場合ではないぞ。
人間が人間の為だけにした事によって、人間以外の獣、草木、虫達、みんな道連れになるのだぞ。

不思議ぶったまやかしの霊的世界から離れなさい。
神はお前達が思っているような霊的存在ではない。神と呼ぶものは生命の摂理、自然や宇宙の法則そのものを指す。
人が思っているような神は霊、それも大半はまともではない霊だ。今降りている神示も殆どまやかし。マコトは一部だぞ。
火水、艮はマコト。だが艮の器はおかげをおとしたぞ。ハナサクモノは偽物だぞ。日月地は鏡だぞ。片方は虚、うつし間違えるなよ。
私は神霊の一人。クニトコタチ、スサナルの直下、アマカケルタケイサオ。人であった最後の名は織田信長。
人が幻想を抱いてきた、無い神も無い霊も本当に無くなる時がやってきた。
239人間七七四年:2008/02/02(土) 15:53:44 ID:h/bRYzzv
そらそうよ

うんが悪けりゃ死ぬよ 戦争してんだから
240人間七七四年:2008/02/16(土) 16:31:06 ID:qVY+4/ir
運だけの男のくせに、その運も活かせず結局は家臣に殺されるという馬鹿な人。
241人間七七四年:2008/02/16(土) 17:29:41 ID:B1U9S0n0
>>1
>尾張は石高的にかなり条件の良い国(全国二位)。
 京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。
尾張内での同族争いに、譜代の家来を敵にしてまで弱兵の傭兵を用いて勝ち残った手腕も理解できんか・・・
信長以外で尾張統一できた可能性のある者はいない

>京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば思い立ったら上洛できる位置。
信長より京に近い位置にいた大名の存在を無視するペテン

>今川義元は運良く戦死
各砦を囮にして兵力を分散させた本陣急襲は緻密な戦略
マグレではない

>松平家は独立 同盟で後方の安全を確保
信長以外の大名なら、三河に攻め入っている
信玄なら間違いなくそうする

>斉藤家の義龍は早死して、跡継ぎの龍興は暗愚
美濃攻略は、銭で雇った兵による絶え間ない出兵で圧力を掛け続けた成果

>三好家は分裂状態で統制が取れずバラバラ
それでも織田以外誰も京から駆逐できず

>織田と本格的に戦う前に信玄は病死 
古い軍制の武田は、どのみち長期長距離の遠征は無理で、
補給も続かず、兵農一致の為農繁期前には帰国必至

>跡継ぎの勝頼は暗愚
当時の平均的標準的な思考をしていただけで、無能ではない
信長が天才すぎるだけ

>織田と本格的に戦う前に謙信は病死
武田と同じく百姓兵主体では、限界ミエミエ
242人間七七四年:2008/02/16(土) 18:50:24 ID:o8Of/5bN
信長が幸運だったのは畿内周辺にビックネームがいなかったことだね
本願寺以外は雑魚ばっか。本願寺も組織だって戦った集団かもわからん。
243人間七七四年:2008/02/16(土) 19:34:48 ID:O7aMTu2K
経験抱負な信秀の残した家臣団が優秀だったから
柴田はアホだがw
244人間七七四年:2008/02/16(土) 19:43:07 ID:pQR0UWkA
このスレを立てた奴はアホだな
245人間七七四年:2008/02/16(土) 19:44:37 ID:8vd6AtMk

>織田と本格的に戦う前に信玄は病死 
古い軍制の武田は、どのみち長期長距離の遠征は無理で、
補給も続かず、兵農一致の為農繁期前には帰国必至

WWWWWWWW
246人間七七四年:2008/02/16(土) 20:02:15 ID:O7aMTu2K
アホ朝倉の動き次第では
三河でさらにもうひと働きする気まんまんでしたよ。
247人間七七四年:2008/02/16(土) 20:12:01 ID:xr2ehJtt
>>245
こいつはなにが言いたいの??
248人間七七四年:2008/02/16(土) 20:18:34 ID:8vd6AtMk
いや井沢元彦がこんなこと言ってたなーwと思ってね。
249人間七七四年:2008/02/16(土) 20:34:54 ID:sS8yOgP6
信長の最大の幸運は今川義元の首が取れたということと、
それによって、徳川家康が三河の大名になることが出来
双方が固い同盟関係を築けたということに尽きると思う。
氏真が弔い合戦を避けたというのもある。

それによって美濃、尾張の国力を自らにプラスの方向に
向けることが出来た。
それが大きい
250人間七七四年:2008/02/16(土) 20:35:50 ID:WxqP63SY
運は良かったと思うけど、実力もあったと思う
251人間七七四年:2008/02/16(土) 21:31:56 ID:icXRB4aq
1
浅学ですが、意見を述べて良いですか。全国六十六国の中で、「陸奥」・「近江」・「武蔵」等は尾張より生産力の高い土地のはず。従って、尾張が全国二位というのは誤り!
252人間七七四年:2008/02/17(日) 06:01:40 ID:i6LMmPDU
>>233
当時から、信長の破滅を予想する連中はいたようだね。
安国寺や竹内季治とか。
253人間七七四年:2008/02/17(日) 06:40:20 ID:cUbASx4K
>>251
尾張50万石は確かに全国2位ではない
だけど隣接する地域一帯は当時では有数の大穀倉地帯だったんだよ
美濃50万石、伊勢50万石、近江80万石、越前60万石
これらを全て支配下したら総石高290万石!!
関八州を与えられた家康すら遥かに凌駕する石高なんだ
そりゃ有利だよね。加えて京、堺までも近く
鉄砲産地まで押さえてるんだから鬼に金棒

つまりはね、他の大名が苦労して敵国の領地を取ることと比べて
うまみ、増大力、これら全てが信長だけ桁違いだったんだ

さらに加えて、美濃も越前も近江も伊勢も
統治してる大名は暗愚、もしくは強敵とは言えないタイプの人種ばかり
この中に仮に信玄でも謙信でも混じってれば、
それだけで頭打ちになって先には進めなかったとも思うよ
でも、その外敵にも恵まれた
(勿論、信長が有能だったから恵まれたと表現できることだけど)

結論として、本人も一定以上の能力があったのは勿論認めるけど
それ以外の要因が、もっと+に追い風を与えてたというのは事実だと思う
254人間七七四年:2008/02/17(日) 06:53:17 ID:cUbASx4K
しかし、公平を規すために補足すると

恵まれた環境にあり、外敵にも恵まれていた信長は
早期から大勢力を築ける有利な面はあったが
それに匹敵する困難、強敵と、ワザワザ戦う道も選んだ。

それが本願寺を初めとする宗教という一大既得勢力だったんだ

この宗教という、
人々の心に永く根の張った概念、信仰を盾にする勢力との戦いは
本当に想像を絶するほど困難なことだったと思うよ

この道を選んだのは後にも先にも信長だけじゃないかな
秀吉や家康のやったことなんて、弱りきった相手にとどめを刺すくらいのもので
信長こそが、唯一、全てのリスク、困難を恐れず立ち向ったんだよね

これは本当に評価できるものだと思う

255人間七七四年:2008/02/17(日) 09:03:00 ID:mmic7O0X
尾張は石高もすごいが津料も莫大。
256人間七七四年:2008/02/17(日) 14:49:24 ID:KS1CFgRe
>>252
予測じゃなくて願望。
恵瓊のは現代人がこじつけて予言に仕立て上げたシロモノ。しかも予言として
見た場合は外れている。
257人間七七四年:2008/02/17(日) 15:10:13 ID:L3VuMeiY
一向衆との闘いは朝倉と上杉が戦ってるんだが…。
大坂本願寺よりも北陸本願寺門徒の方が厄介で
謙信の祖父の長尾能景が一向衆に殺され父の為景が敵討ちで激突し謙信の代では相当に遺恨があったくらい。
一向衆にやられた朝倉も謙信に救援要請しまくってる。
朝倉の主敵は一向衆でこいつらがむちゃくちゃ厄介で朝倉が弱体化した要因。
なんせ加賀が一向衆教国で越中や越前で暴れまくるからね。
258人間七七四年:2008/02/17(日) 18:21:24 ID:L3VuMeiY
陸奥や武蔵は中央から離れ過ぎてるし地方割拠レベル、まぁ畿内周辺の天下争いなら尾張は確かに2位だけどね。
陸奥167万2千石
近江77万5千石
武蔵66万7千石
尾張57万1千石
伊勢56万7千石+志摩1万7千石美濃54万石
常陸53万石
越前49万9千石
上野49万6千石
伊勢に養子を送り込み美濃を奪い浅井と同盟して六角滅亡させた時点で並ぶ者なき最強勢力だわな。
美濃攻略に10年かかったが斉藤道三→義竜→竜興と政権後退してるのがラッキーだったね。
259人間七七四年:2008/02/17(日) 21:54:47 ID:sCd8VKwh
信長の性格考えればたしかに
そのうち誰かに殺られるんじゃないの?とは普通に思うよなw
260人間七七四年:2008/02/17(日) 22:30:16 ID:PibmjCVg
どんな才能を持って生まれるかも運だろ?
>>1は何を当たり前のことを言っているんだ?

あそこまで勢力拡大できたのも運。あそこで死んだのも運
261人間七七四年:2008/02/17(日) 23:25:51 ID:DWVadiaE
世界史上に特筆するべき大改革をやってのけた天才信長を、
お前たちはなぜ誇ろうとしない?

日本史上、いや東洋史上でこれだけの偉人が他にいるか?

それでも日本人か?

信長を否定している奴はきっと韓国人だろう。
262人間七七四年:2008/02/17(日) 23:28:22 ID:PibmjCVg
>>261
信長と同じ日本人で運が良かったね
263人間七七四年:2008/02/18(月) 00:12:01 ID:uTAMqZ+v
昔から言うでしょ、運も実力のうち。
264人間七七四年:2008/03/05(水) 01:50:03 ID:1dgY6X/7
>>261
おまえの先祖殺されてないか?
265人間七七四年:2008/03/06(木) 18:14:47 ID:SWZLdqXb
>>259
普通の人間は「やべ。俺やりすぎちゃってる?」と判断できる。
信長は晩年、それができない病気だった。
秀吉はまた違う意味で病人だったが。

たしかに信長の運の良さは戦国時代で別格だよ。
もちろん凡人ではその運も掴めんだろうが。

一部の狂信者は、信長を神格化したくてたまらんようだが、
戦国大名でずば抜けていたとは思えんな。
266人間七七四年:2008/03/06(木) 20:39:07 ID:yFQKDfqv
信長はアスペルガーという精神病患者だからあの死に方は必然だった
光秀予備軍なんていくらでもいた
身内や従属勢力から殺されない安らかな死に方はあいつには無理だ
267人間七七四年:2008/03/06(木) 22:15:34 ID:eXBXY8T5
一番ずば抜けていたのは戦略・政略面での経済・政治の安定化を見越したセンスだろうな。
秀吉は実際のところ戦略・政治面では殆どが織田政権の模倣だ。あいつは劉邦みたいな補佐によって実力を発揮するタイプだと俺は推測している。
そして方針は固まっていたから後はそれを推進すればよかったのだろう。
少なくとも武家政権のために腐敗した宗教勢力と狂信者を殲滅したのは間違いなく江戸幕府の安定化につながったといえるだろうな。
個人的には自分を魔王といって悪と自覚していたであろうことも好感が持てる。逆に破戒僧でありながら臆面もなく大僧正を名乗った恥知らずは嫌いだ。

苛烈といえる所業ではあるが、少なくともやりすぎとは思えんな。
時間を考えると仕方なかったとも思える。あの人元々人生50年やらかなりさめた所があったみたいだし。
268人間七七四年:2008/03/25(火) 16:17:15 ID:WlQCmdDe
ナポレオンも言ってるよ。
269人間七七四年:2008/05/16(金) 05:22:37 ID:Nw+nIAW1
信長って運に恵まれている人というか
奇跡を起こせる人だと思う
270人間七七四年:2008/05/16(金) 05:37:06 ID:Nw+nIAW1
光秀予備軍 荒木 浅井 
271人間七七四年:2008/05/16(金) 06:31:12 ID:LLMPC/3q
>>270
松永も謀反したぞ、あと浅井は家臣ではないな…
272人間七七四年:2008/05/16(金) 15:29:11 ID:M+PymxKR
最初の10年で滅亡必至なのに尾張一国持つところまでいったからその運もひらけたんだろ
273人間七七四年:2008/05/16(金) 15:39:30 ID:/yDPN0Nl
>>267
早く厨二病を治した方がいいぞ
独善的な殺戮者だから一時は成功したように見えたが結果的に超失敗した典型例。
家臣に殺され、違う家臣に家を乗っ取られ、助けてやった家康にはアイツに関してはノーコメントなのはまったく慕われてない圧制者だっただけ
274人間七七四年:2008/05/16(金) 15:50:24 ID:Ljktv58P
中二病って相対的なものだよな?
全体において、多数を占める意見に対して、少数の意見をもつものに対する指摘
という事は、>>273は自分の意見は多数だと認識していると言う事だ
つまり中二病という指摘は、物事の正否は問わずに多数派に属するか否かを指摘していると言う事になる
それが>>267に対する>>273のレスにおいて必要な事なのか、はなはだしく疑問だ
275人間七七四年:2008/05/16(金) 15:54:35 ID:+FeV+g7z
>>274
日本語でおk
276人間七七四年:2008/05/16(金) 15:56:10 ID:Ljktv58P
抽象的だから理解しにくいかもな
具体的に言うと、中二病云々が>>267へのレスとして意味を持つのかという事
277人間七七四年:2008/05/16(金) 16:06:09 ID:7hUbjZLw
近頃の厨二病患者はBASARAやらでの知ったか織田厨が多いからなあ
278人間七七四年:2008/05/16(金) 16:22:38 ID:BiF1Av5x
>>274
もう厨二全開で意味不明な屁理屈空論はしなくていいからw

腐敗した宗教勢力と狂信者を殲滅したのは
自分を魔王といって悪と自覚していたであろうことも好感が持てる

これもろ厨二だろw

江戸幕府の安定のために本願寺は家康は東と西にわけて内紛するように仕向けただけだし、
そもそも近現代に政教分離の言葉が生まれ特定宗教に国家が振り回されたり予算を使われたりしないようになったが
当時は政治=宗教だったり、村を守る一揆と結びついていたりと別に悪いことでもなんでもない。政治が統治に利用するために宗教を利用してたと言える。
そもそも自分の言う事を聞かないから悪とか滅亡させる考えが厨二。
為政者は調停交渉力や相手の力を自分に組み込む政治力も必要。
こういう腹芸ができなかったから信長は謀反で死ぬことになった。
279人間七七四年:2008/05/16(金) 18:00:56 ID:Ljktv58P
>>278
407 名前: 人間七七四年 投稿日: 2008/05/16(金) 02:09:31 ID:BiF1Av5x
つか兵農分離って言っても織田領全土が兵農分離してたわけじゃねーんだろ?
要は兵農分離した兵以外は使えねー弱兵なんだろ。
その兵農分離した兵は畿内で釘付けなんじゃねーの?

こんな素敵なレスしといて屁理屈ねえ
屁理屈の意味と、俺のレスの趣旨を箇条書きにして、お前のそのレスが的確な指摘か思案して来い
280人間七七四年:2008/05/17(土) 16:49:55 ID:LEPclz/+
実際にシッタカ織田厨が織田領内で兵農分離した地域と旧態依然の地域を詳しく説明できないで逃走した件
281人間七七四年:2008/05/24(土) 18:17:54 ID:cIRnXPQ0
各国最盛期を演出した大名と跡を継いだ不肖の息子達

駿河 英主 今川氏親(北条早雲の姉の子で死没1526年)兄氏輝(〜1536年)の死後に家督争いに勝った
義元は補佐役太原雪斎(〜1555年)が死んだ後は迷走して歴史上でもレアなもっとも恥ずかしい大名の野戦での敗死。

越前 英主 朝倉孝景(〜1548年)
息子義景は補佐役朝倉宗滴(〜1555年)が死んだ後は迷走して最後は従兄弟に裏切られる。

南近江 英主 六角定頼(〜1552年)
息子義賢は最有力重臣で人望もあった後藤賢豊を惨殺し家臣から見放され浅井への内通を許し
六角氏当主権限を縮小する六角氏式目に署名させられた(観音寺騒動1563年)

美濃 英主 斎藤義龍(〜1561年)
13歳で家督を継いだ息子龍興は稲葉山城を家臣に乗っ取られたアホで家督継承しわずか6年で亡国。

跡を継いだ息子はみんな暗君だったと言える。

結果 主家の尾張守護代清洲織田家が衰退期に入り
清洲三奉行・織田家が商業都市津島や熱田を支配し隆盛拡大発展期に入り
円滑に家督を継いだ信長は実に運がいい男と言える。
しかも信長が1556年の斉藤道三の死から1567年に美濃掌握し11年で
尾張57万石+美濃54万石=111万石になり上がり、この濃尾平野に覇権を確立した時点で周囲を圧倒した勢力になっていた。

一方、北条氏康・上杉謙信ら隆盛期を迎えた各家に囲まれた信玄は家督継承し1542年に信濃侵攻を開始し
1553年に村上義清が謙信の元へ敗走し信濃を11年で掌握し(しかも村上家も領土が膨張しており勃興期を迎えていた)
甲斐22万石+信濃40万石=62万石と信玄は自分の領地の2倍の石高の地を併呑する奇跡を成し遂げている。
キツイ城ランキングを見ると信濃の山城ばかり目立つ。武田軍の精強さと攻城の苦労がわかる。
ttp://utsu02.fc2web.com/tozanranking1.html
282人間七七四年:2008/05/25(日) 23:57:25 ID:wajHxaLQ
はいはい結果論結果論
283人間七七四年:2008/05/26(月) 15:43:42 ID:AstcgFeo
信長の運の良さは異常。
信長の運が尽きた時の転落の速さも異常。
284人間七七四年:2008/06/18(水) 23:05:01 ID:BEprRkn4
>>278
別にこっちからしかけたわけじゃないでしょ。本願寺から襲っていったの知ってるよね。
まさか、どうやってそれを無視するの。
自分の言う事聞かないから、襲い掛かってきたのは本願寺のほう。
信長は応戦しただけ。
この事実を無視してる人が多すぎる。
285人間七七四年:2008/06/18(水) 23:59:22 ID:p3FlifhY
つかさ、第六天魔王云々は天台座主名乗った信玄に対抗するためだろ。

信玄「俺は天台座主様だ。てめえ、ようも比叡山焼き討ちしてくれやがったな。天魔め、払ってやるから楽しみにしとけや。な?」

信長「あ?じゃあ、俺は仏教滅ぼすとかいう天魔ん中でも最強の第六天魔王ね。ハイハイ、たかが人間や僧に興味ありません。仏、神、悪魔がいたら来なさい。」

謙信「私は毘沙門天だけど、何か?」

みたいな。

中二病もクソも、戦国武将なんて死後に神様になるために自分の神社作らせたり、最初っから勝手に神や座主名乗ったりする程度に中二病にかかってますよ。
現代で言うと、浪速の弁慶名乗ってみたりするのと一緒。

つまり、武将≒邪気眼
286人間七七四年:2008/06/21(土) 02:11:09 ID:rNkZ822R
>>285
お前いい奴だな
287人間七七四年:2008/06/21(土) 19:52:47 ID:aS6t+TVJ
信長は運が良かっただけじゃないと思うよ。
何ていうかな・・・
主君に対する忠誠心が全くなかったから、あそこまでになり下がったんだと思う。
信長の生家の家柄からすると、守護代の織田家に心底服従すべきだし
先祖代々からの主筋である
守護の斯波家には絶対服従をするべきだ。
家臣は主家のために働け!。
まあ信長は家臣の明智に謀反されて死んだわけだが・・・
最初から自身が主君に対して謀反しまくってるわけだから
自業自得で文句は言えまい・・・
288人間七七四年:2008/06/21(土) 20:58:15 ID:R3Lgt+xM
再び乱世がおとずれたらカリスマ独裁者に諸外国を統一させ、
統一目前で誰かに暗殺させて、
自分で暗殺者を殺してその地位につけば比較的恨みを買わずに権力の座につけるのですね?
289人間七七四年:2008/06/21(土) 22:27:11 ID:WhdfGL7V
運と実力、半々ぐらいじゃない。

仮に信長が甲斐の武田家や越後の長尾家に生まれていれば、
確かに天下を狙える位置に行くのは無理だっただろうけど、
信玄や謙信よりはもうちょっといい線に行けたかも知れん。
290人間七七四年:2008/06/21(土) 22:47:55 ID:TQvg+WZb
信長が信玄の立場だったら三条家とも親戚関係って事になるし、それなら六角本願寺とも親戚関係になるわけで、義昭招いて、三条家を通して朝廷使って上杉北条を大人しくさせて、斉藤からも兵を出させて上洛
六角本願寺と組んで、三好松永を近畿から排除して、そこに織田領を新たに置いて…

親信長派のメンツが変わるだけであんまり変わらないかも…
291人間七七四年:2008/06/21(土) 23:12:51 ID:YKSsi4BN
ゲーム脳w
292人間七七四年:2008/06/22(日) 04:47:49 ID:OIByu99T
いくら何でも幼稚過ぎないか…
293人間七七四年:2008/06/22(日) 10:12:42 ID:jzlqyUdQ
斉藤から兵を借りるのが無理なら美濃を攻略すればいい
実際信長は攻略してるしね
信玄に攻略できるかは分からないけど

謙信がどうしても邪魔するなら北信濃くらいやればいい
朝廷の執成しと北信濃なら謙信も頷くだろうし
領土にこだわる信玄では「小利を顧みるは、すなわち大利の残なり」という訳にはいかないかもしれないけど

三国同盟で西の押さえ
朝廷の執成しと北信濃で謙信の押さえ
史実どおり浅井と婚姻同盟を結び、美濃を攻略して、六角本願寺を懐柔して京への道を開けば甲斐信濃からでも充分天下を伺えるだろうに
294人間七七四年:2008/06/22(日) 13:28:48 ID:OIByu99T
妄想過ぎてワロタw
295人間七七四年:2008/06/22(日) 13:53:05 ID:jzlqyUdQ
>>294
だろ?
でも信長が史実で成した事も妄想的に難しい事なんだよね
でもそれを実際にやった信長だから、信長が信玄の立場だったらこういう可能性も考えられるって事なんだよね

信玄じゃムリだけどね
まずそんなバイタリティが無いから
信玄が信長の道歩んでたら寿命が更に15年縮む
296人間七七四年:2008/06/22(日) 14:08:41 ID:Cc8cnH+4
>>293
信玄と同じスタートという事は甲斐からですよね?
ならば信濃をとらなきゃいけないよね。
そうすると美濃を攻めるには北信濃を取らないといけないから
史実のように上杉と対立する事になると思うんだけど。
北信濃を譲った勢力じゃ美濃侵攻なんて無理だよ。残念だけど。
第一上杉に美濃攻めてる間に攻め込まれたらどうするのかな。
さらにいっておくと三国同盟と上杉との同盟は本質的に矛盾する。
北条は上杉の宿敵なのだから。
六角も本願寺も信長は懐柔できてないでしょ。
なんかもう無理ありすぎ。
>>295
どこが妄想的に難しい事なのかな。畿内には真空状態が生まれてて
当時距離的・実力的に畿内に踏み込めた唯一の百万石大名が織田だったというだけなのに。
いちいち信玄と比較する意味もわからない。
297人間七七四年:2008/06/22(日) 14:15:57 ID:W2JWtESN
このスレが上がっていたので、読んでいたけど…
もう2年近く論議してるんだなw

まぁ、どんな名将でも運が無い事には、歴史に名は残らない
298人間七七四年:2008/06/22(日) 14:33:35 ID:jzlqyUdQ
>>296
信玄の立場だったら三条家を通して六角本願寺が親戚関係になるわけでしょ?
三人衆引き抜いて、西から六角と婚姻結んだ浅井
東から自軍で攻めればいいじゃない
上杉と同盟なんて言ってないし
ただ朝廷の威光で北信濃やるから邪魔しないように、って約束取り付ければいいじゃない
本願寺も六角も武田と組んで義昭担いで覇権の一端を担えるってんなら悪く無い話でしょ
299人間七七四年:2008/06/22(日) 14:43:21 ID:3I9NRBHr
信長のすぐれているところは、岐阜おとしたときにすでに「天下布武」というおおきな戦略目標をもっていて行動したこと。
それにくらべて信玄は信濃一国おさめるのに30年かかってるし、謙信には戦略目標があったとはおもえないし、元なりは中国地方にしかしやがなかった。
すなわち、天才と秀才の違い。
信長は全国武力平定という、誰もそうぞうすらしない大きなな目的をもって、おそらくあと10年ながいきしたら実現させていただろう。
「運」がよかっただけなど、希代の英雄にたいしてシツレイだな
300人間七七四年:2008/06/22(日) 14:51:55 ID:Cc8cnH+4
>>298
だからね・・・。
本当にゲームかなんかの感覚で話してるような。
木曽路という狭い道から肥沃な北信濃を抜いた国力で美濃に攻めこもうという
発想がナンセンス。
上杉に関しては北信濃あげるからせめてこないでね、っていう約束するっていうけど
同盟相手の北条が攻め込まれたらどうするの?捨て殺し?
史実では武田と北条が連携してようやく上杉プラス関東勢力の連合を切り崩してるけど
北条単独でやらせて北条が上杉にやられたらどうするの?関東に大きな勢力を持つ上杉に
後方を脅かされる事になるんだけど。謙信が約束一つで未来永劫敵にならないなんて誰も
考えないと思うよ。
三人衆引き抜いてってどうやるの。三人衆にしてみてもなんで自分達の畿内の覇権を
信玄に渡さなきゃいけないの。義昭の問題はどうなるの?その仮定では信玄は
義栄と義昭のどっちについてるの?義昭なら義栄を奉じる三好や六角と対立する。
本願寺にしたってわざわざ用がなければ畿内政界になんか興味ないよ。
無理ありすぎ。
>>299
状況を見ないでそういうことをいえるのがなんとも素敵。
301人間七七四年:2008/06/22(日) 15:02:29 ID:jzlqyUdQ
三人衆って美濃三人衆だから

上杉に北条ともしばらく争わないように約束させればいいじゃない
長く続いた戦国を終わらせるためだよ、って言っても謙信は聞かないかな?
朝廷上等かな?
武田攻略に向かう信忠はどこを通ったんだっけ?
302人間七七四年:2008/06/22(日) 15:13:52 ID:Cc8cnH+4
>>301
その三人衆にしたって史実では信長が優位に立ってから内奥したんだけど。
上杉に北条と争わないように約束って・・・。
そもそも上杉が北条と戦うにいたったのは勢力拡大を続ける北条によって
関東の旧勢力が圧迫され、長尾一族が山之内上杉の要請を受けてその奪還を
任じられたから。上杉が北条と戦う理由は非常に根深い。
そんな戦国を終わらせるためだよ、なんていったって夢想か武田の勢力拡大の
名分にしか聞かないだろうよ。第一上杉は朝廷や将軍家から山之内上杉を助けて
関東における秩序の再構築に尽力せよと名分を預かっている。
こっちを放棄してそっちのいうわけのわからん言い分を聞くとはまず思えないが。
信忠が木曾路を通れたのは他ならぬ木曾を管理する木曾一門が内応したから。
国力差や武田の疲弊もあったしな。北信濃を欠いた状態で向かうのは無理。
さらにいっておくと1561年の第四回川中島の時点でさえ、斉藤家には経験豊富な義龍が
健在。死ぬのは1562年。義龍が死んでから幼少の竜興がついで弱体化してから
信長は美濃攻略に動きだすんだけど。タイムスケジュール的にも無理がある。
303人間七七四年:2008/06/22(日) 15:28:18 ID:jzlqyUdQ
最初の命には従うけど後の命には従わないと言う事はないだろ?
ついでに北条からも兵を出させ(1000でも500でもいい)れば帝の意に従った北条を脅かす事のないようにと名分も立つ
東西から脅かされれば義龍健在であろうと三人衆の引き抜きも有り得るだろう
信長が信玄の立場ならその木曽路が信長寄りって事だろう
甲斐南信濃で国力は美濃と同等だろ
それに浅井と六角(六角は君的にはムリなわけだよね)が加われば美濃も落とせるんじゃないか?
304人間七七四年:2008/06/22(日) 15:56:02 ID:Cc8cnH+4
>>303
なんだかな・・・。
根本的に認識が間違ってるよ。
もともと関東の旧勢力は将軍や朝廷の権威を受けて存在してるもの。
それを脅かしたのは北条。長尾は上洛して山之内上杉を補佐して関東の秩序再構築を
命じられた。それなのになんで朝廷や将軍家がそれと間逆の命令を出すの。
さらに言っとくと関東勢力だって北条に圧迫され領土とかを奪われてきたんだから
それをいきなりの和睦だかなんだかで容認する事なんか絶対できない。
関東管領となる長尾にとってはなおさら。となると北条が長尾達と和睦するにはその領土や
権益を返す以外になく、それは北条にしても飲めるものじゃない。
なんか朝廷や将軍家が都合のいい命令をいつでもだしてくれて、それに対して他の勢力が
なんでも従順に聞くと勘違いしてないか?そんなんだったらそもそも戦国時代になんかならないよ。
実力、利害調整その他の要素もあって初めて大義名分なんていうのは意味がある。
東西から誰が義龍を脅かすわけで?君のいう史実の信長は結局浅井と縁戚になるのは
美濃攻略以後だって事をわすれてない?
なんで木曾路がかたっぽだけ通るときだけ厳しい路になるの。西から入るのも東から入るのも大変に決まってるでしょ。
向こう側に橋頭堡がないと無理。
甲斐20万石は飢饉や水害に毎年のように悩まされて大変な状態なんだけど。
その国内整備も大変だね。裕福な尾張と違ってね。それに南信濃を加えても精精48万石くらいかな。
美濃は56万石。国内が大変な甲斐を基盤とし、さらには北に敵対勢力を抱えながら
木曽路という狭い路を通って同等以上の国力の相手と戦うわけですか。
無理ありすぎ。
305人間七七四年:2008/06/22(日) 15:59:42 ID:TTNUCPvo
信長が信玄の立場って考えたら
尾張は誰が治めてることにするの?
その辺でも状況が変ってくると思うが
まぁ上洛するには上杉倒すしかないと思うよ
尾張の信長だって徳川との同盟があったから上洛が可能になったわけだし
まぁ信玄のように拮抗してて
尾張を信長が治めてないとすれば
今川に尾張と美濃は取られそうだな

306人間七七四年:2008/06/22(日) 17:16:50 ID:jzlqyUdQ
>>304
まるで北条がめちゃめちゃ悪者みたいに言ってるけど、その北条と実際同盟結んだりしてるし
上杉を含めて

近畿の親戚大名を率いれたら美濃攻略も不可能じゃないよな
信長なら試しただろうね
親戚大名が呼応しなかったとしてもそれだけだし
せっかくの京への一直線の道の取っ掛かりがあるんだからそれを活かそうとするだろうね
307人間七七四年:2008/06/22(日) 17:34:41 ID:OIByu99T
織田厨がバカ過ぎて超ワロタw
308人間七七四年:2008/06/22(日) 17:45:38 ID:Cc8cnH+4
>>306
別に悪者だなんていってないが。
その北条と上杉が同盟を結んだのは上杉にとっては関東での勢力が後退して
しまったから。北条にしてみれば武田が敵に回ったから。
上杉が北条と結んだのを見て関東勢力は武田と同盟を結んで北条と戦う方向に動いたし
上杉は上杉で北条に結局ろくに協力しなくて同盟は数年で終わったんだけど。

だからその近畿の親戚大名とやらをなんで率いる事が出来るの。
六角は観音寺騒動とかで大変だし、浅井なんか信長だって同盟を結んだのは美濃以降でしょ。
本願寺は大阪。どうやって美濃を攻めるの。
そんでその親戚大名が呼応しなかったとしたら
飢饉や水害に悩まされる甲斐を基盤にして北信濃抜きの国力で大変な木曾路を通って
経験豊富な義龍がいて国内まとまってる国力上の美濃を攻めると。
むちゃくちゃすぎ。信長に夢を持ちすぎ。というか信長を超人化しすぎ。
信長の戦略だって豊かな尾張を背景に幼君がついで国内がたがたの美濃をせめて力を蓄えるというきわめて
常識的なものだったのに。
君の夢の中の信長ならともかく、史実の信長だったらそんなむちゃな事しないよ。
309人間七七四年:2008/06/22(日) 18:22:49 ID:jzlqyUdQ
>>308
おそらくあなたは武田厨の方だと思いますが、武田厨にしては珍しく現実的な事をおっしゃるので一つおうかがいしますが
信玄の西上作戦は倍の国力もある織田領に攻め行って上洛するのが目的ではなく、火事場泥棒的に徳川領を狙ったものだと考えてますか?
だとしたらあなたの言う事には一貫性がありますが…
310人間七七四年:2008/06/22(日) 18:27:09 ID:OIByu99T
織田厨基地外過ぎw
バカバカしいから反論する気もおきねぇw
311人間七七四年:2008/06/22(日) 21:32:57 ID:Q5eJt2Wh
>>287
あそこまで成り上がったW
でもそうだね、信長は基本的に斯波氏の家臣なんだから
ほんらいは斯波義銀を助けなくちゃいけない立場
自分が目立ったらイケナイねえー。
312人間七七四年:2008/06/22(日) 22:18:19 ID:rLOYDZcC
そしたら尾張は今川に呑み込まれてたよ。
秀吉もあそこまで成り上がれなかったし家康もどうなってたか・・・。
天下とりについても、武田は上杉と交戦中、朝倉だって義昭がいながら
何もしてないしさ。
313人間七七四年:2008/06/22(日) 23:31:51 ID:SNp3Hkth
jzlqyUdQで検索
314人間七七四年:2008/06/22(日) 23:34:13 ID:KMghAQDR
どっちみち織田信長なら天下の覇権を得る事は可能だと思うが………理由としては自由に動かせる兵力を作った事
当時は武田や長尾、毛利ですら豪族の盟主に過ぎず、支配下の豪族達の利益なども考えて行動しなければならなかったが、信長軍団は豪族もいたが信長直属の自由に動かせる兵力を持っていた事がアドバンテージになっていた。
315人間七七四年:2008/06/22(日) 23:41:14 ID:KMghAQDR
ゲーム脳の人がいるらしいのでゲーム的に言うと、信長を使った場合だけ命令した事がすぐに実行に移される。
他を選んだ場合、命令した後に実行までひと月程かかる。
更にたまに拒否や反対され、説得しなければならない事もある。みたいな感じかな………もちろん軍事だけじゃなく政策的にもだ。
316人間七七四年:2008/06/23(月) 00:26:36 ID:nJn8lYRX
>>314 >>315
んなわけない。
旗本の事を言ってるならそれはどこの大名にもいる。
317人間七七四年:2008/06/23(月) 04:00:24 ID:LBMmuWay
信長によって豪族連合から脱却出来た事が織田家があれほど躍進した理由なんだけどなぁ………まあ否定したいならどうぞw
318人間七七四年:2008/06/23(月) 08:15:14 ID:bOAxnNkH
でもまあ、信長が武田家や長尾家に生まれていたら、
豪族連合から脱却しようとしても、
織田家にいた時よりはかなり時間がかかっただろう。

尾張に生まれた時は、35歳で美濃を平定して上洛まで進めたけど、
甲斐の場合は、人生50年を過ぎてからの上洛になっていそうだな。
319人間七七四年:2008/06/23(月) 13:30:52 ID:8CY6zfBa
辺境の甲斐や越後で上洛するとか言い出して天下布武とか妄想したら基地外だと思われるわ。
濃尾平野とはわけが違う。
朝倉なんかは京から逃げてきた者達が文化華やぐ一乗谷を賞賛したから自分の都市を京になるように育成しようとしたんだろな。
320人間七七四年:2008/06/23(月) 15:10:48 ID:QJ0ZTJ8w
信長の同時代の大名で、本気で天下統一を狙っていた人物っていたんだろうか?
今川義元だって、西征の目的は上洛というより伊勢湾の制海権奪取だし
321人間七七四年:2008/06/23(月) 17:55:30 ID:us/hckez
織田信長が武田・上杉の立場だと
家督相続で尾張以上の波乱が起こるな確実に
322人間七七四年:2008/06/23(月) 18:17:24 ID:zI5CnfkB
家督継ぐ前に謀反で死亡だろうな・・・
323人間七七四年:2008/06/23(月) 19:30:49 ID:mlgek+o7
つまり甲斐も越後もクズばっかだから、いかに信長でもクズをまとめるのは難しいだろうという事ですね
なるほど

そ〜か〜、甲斐も越後もクズばっかで信玄と謙信の足を引っ張ってたのか…
二人ともかわいそうに…
324人間七七四年:2008/06/23(月) 19:38:02 ID:whzdBtLQ
>>320
勢力でかくなったら自然とそういう考え方になるだろ。
信長だって尾張統一以前に天下のことなんて考えてたかわからんだろし。
325人間七七四年:2008/06/23(月) 21:20:22 ID:qqb5RG05
織田信定が津島の海上貿易を支配し縁戚関係を結び、織田信秀が萱津の市場を支配し縁戚関係を結び、信長は吉野を娶って生駒の富と諜報組織を得た。
運ではなく3代にわたって尾張の実権を得たというのが真相。
326人間七七四年:2008/06/23(月) 23:01:26 ID:1UQX8t9w
>>323
まあ、仮に信玄が尾張の織田家に生まれたからと言って、
信長ほどの位置に行けたとは思えんけどね。
そもそも信玄は、豪族たちに擁立されたっぽい部分もあるし。

だから信長は、本人の実力と、
織田家に生まれたという幸運の両方が合わさって、あそこまで行けたということで、
どちらか一つが欠けても駄目だったということ。
327人間七七四年:2008/06/23(月) 23:08:16 ID:+S2gRu4D
勢力広げた大名で幸運や他力本願が絡まない大名なんていないと思う。
328人間七七四年:2008/06/23(月) 23:14:54 ID:SnsE7OoS
>>317
信長も立派に豪族連合だと思うけど。
他の有力大名の権力より絶対的というなら根拠示してみ。
後年になって相当な権力を確立したというなら武田も上杉もそう。
>>323
なるほど、信長様にたてつくものはくずというわけですか。
地域の事情は歴史によって形成されるもの。
それを一まとめに屑という姿勢は賛同できんね。
ま、君の好きな信長はそんな考えだから謀反おこされまくったんじゃないかね?
>>326
その擁立の立場からうまく手綱を取って勢力を広げ巧みに権力を拡大し最終的に巨大な権力を
確立するにいたった手腕は見ないのかい。
329人間七七四年:2008/06/24(火) 06:50:24 ID:ph2bhoEn
>>326
織田軍もほんとに豪族連合なら信玄の数倍の豪族連合を統率することになりますぜ
尋常じゃない統制力、調和政策力、人心掌握力、人事管理能力が要求されますぜ
泰平の世ならともかく、戦乱の世では発狂しやすぜ
だから他の有力大名も100万石前後から伸び悩むのではなかろうか?
ほんとに織田軍が豪族連合ならそれを統率する信長の統率力は神ですぜ
330人間七七四年:2008/06/24(火) 10:46:28 ID:GCgyaRTM
織田が豪族連合というのは誤り。
信長の織田弾正中家は元が家老の身分であり、むしろ豪族として支える側だった。
それが信定・信秀と津島と萱津の支配による財力を背景に主家をも凌ぐ力をつけた。
そして信長が家督を継いだ時は尾張国内で一族で団結せずにバラバラになった。信長は敵対する一族を討つ事で一族の権力を自身に集中していった。

だから武田や毛利みたいな豪族連合とはちと違う。
331人間七七四年:2008/06/24(火) 11:21:15 ID:qa7OegR/
織田はフリーターの軍団
だから転職したい奴はすぐに敵に寝返ったり独立しようとした
332人間七七四年:2008/06/24(火) 12:28:40 ID:ph2bhoEn
>>331
そのフリーターが支社長や重役になったり、他社を乗っ取ったり、中には伝統ある大手の(株)武田の支社長や重役が寝返ってきたりするんですね

恐るべし織田グループ
333人間七七四年:2008/06/24(火) 12:48:05 ID:CC1LHjlO
フリーターだから社長が死んでもノープロ
会社名もすぐに変わる 他のフリーターも前社長のことなどすぐに忘れた
334人間七七四年:2008/06/24(火) 12:57:57 ID:ph2bhoEn
>>333
フリーターだろうと正社員だろうと、それが真理ですからねー

主君は二柄をもって臣を治めるものですからねー
335人間七七四年:2008/06/24(火) 13:00:20 ID:CC1LHjlO
フリーターの連合体が織田家なんだな〜
そんでフリーターに殺されフリーターに乗っ取られる会社
それが織田クオリティー
336人間七七四年:2008/06/24(火) 13:03:45 ID:CC1LHjlO
むしろ正社員のつもりで働いてたらお前ら実はフリーターだからって
トチ狂いだした社長をフリーターみんなで抹殺したってのが正解か
337人間七七四年:2008/06/24(火) 13:46:55 ID:ph2bhoEn
客、斉王のために画くものあり。
斉王問いて曰く、画くこといずれか最も難きぞ。曰く、犬馬難し。
いずれか易きものぞ。曰く、鬼魅最も易し。
それ犬馬は人の知るところなり。旦暮に前にみえ、これに類すべからず。故に難し。
鬼神は形なきものにして、前にみえず、故にこれを易しとするなり。
338人間七七四年:2008/06/24(火) 13:54:45 ID:DZ4l2BNP
要は、徳川馬上脱糞守家康は運がよかっただけが結論でいいんだな
339人間七七四年:2008/06/24(火) 13:58:55 ID:hk4CorD1
運が良かっただけ
運が見放したら途端に
家自体を百姓に乗っ取られた。
340人間七七四年:2008/06/24(火) 20:27:02 ID:ZAi6ZK1l
ていうか、この当時の人間50年前後で死んだ武将って
どれも歴史を動かすために運命から強制終了みたくされて死んでない?

信玄・・上洛までして信長の首間近というところでポックリ(信長を殺しちゃダメだから?)
謙信・・信長討伐に先駆けて関東の北条を封じ込めようとして脳卒中(北条を平らげた後、信玄と同じになるから?)

この両者は本人の寿命もあるが、信長が50歳近くまで生きる設定だったので強制的に昇天させられたって感じかな

信長・・なんとか50歳まで生きれたが、思わぬ家臣の謀反でポックリ。これは多少なりとも自業自得の面も感じるが

清正・・二条城の家康秀頼会見を見守って後、ポックリ。毒殺という説もあるが、死ななきゃ歴史が動かなかったから?
如水・・もしかしたら天下を狙える運命だったかも知れないけど、家康が先に取ったのでコースアウト?
幸村・・大坂夏の陣で家康を殺しそうになったから?

341人間七七四年:2008/06/24(火) 20:29:45 ID:8j1gvnxZ
便利な言葉だな>運がよかった
342人間七七四年:2008/06/24(火) 20:37:12 ID:AAoDlR+3
天下採った人はみんな運いいだろ
343人間七七四年:2008/06/24(火) 20:45:22 ID:ph2bhoEn
運の悪い奴はきっと前世はイカかなんかだったんだろ
344人間七七四年:2008/06/24(火) 21:03:19 ID:ph2bhoEn
さしずめ前世を海の生き物に例えると
信長=サメ
信玄=タコ
謙信=イカ
ってとこだな
345人間七七四年:2008/06/24(火) 21:28:15 ID:hk4CorD1
弟が優秀だったから最後はブチ殺した頼朝や尊氏も運以外に取り柄がなかったからな。
346人間七七四年:2008/06/24(火) 21:33:05 ID:ph2bhoEn
>>345
板違いだが、頼朝が武士団まとめる為にあるていど鎌倉武士に手柄取らせたかった心底を見抜けずに、源氏の事ばかり考えてた義経の頑張り過ぎは少々問題ありだな
347人間七七四年:2008/06/24(火) 21:53:28 ID:VRWSNZpY
信長は徹底した合理主義者で空気読めなかっただけ
戦国時代は空気読んだら負け
348人間七七四年:2008/06/24(火) 22:11:25 ID:LUcfoqu3
信玄にガチでぶつかってたら、こんだけウダウダ言わんですんだのにな。
信玄・謙信に微妙に劣勢な感じなとこが悪い。
349人間七七四年:2008/06/24(火) 22:12:28 ID:CDeGvCFj
皆すごいなー!織田信長を直接見た事あるみたいな言い方だな
350人間七七四年:2008/06/24(火) 22:22:55 ID:ph2bhoEn
>>348
いやー、イカとタコが金玉引っ張りあってる間にサメは手当たり次第に御馳走頂きました
ついでに後でタコの巣とタコの息子も頂きました
も少し時間があればイカの巣とイカの息子も頂こうと思ってました
351人間七七四年:2008/06/24(火) 22:23:40 ID:hk4CorD1
>>348
確かにw
でも勇気を出してガチでぶつかって万が一にも大敗した日には…
352人間七七四年:2008/06/24(火) 22:23:42 ID:/a/nvbmc
>>348
信玄・謙信共にじぶんの土着領地とその周辺ちょっとを支配して死んだわけだしな。戦いぶりは凄いけど。
353人間七七四年:2008/06/24(火) 22:56:19 ID:ph2bhoEn
>>352
そりゃ凄かったさー
壮絶だったさー
引きちぎれそうだったもん

金玉が
354人間七七四年:2008/06/24(火) 23:12:04 ID:wLIsmh3I
運がいいかどうかはともかく、

信長が地理的に恵まれていたことだけは確かだわな。
355人間七七四年:2008/06/24(火) 23:14:35 ID:/a/nvbmc
>>354
地理だけじゃなく、祖父・父の才能も凄かった。もちろん本人も。
356人間七七四年:2008/06/24(火) 23:18:44 ID:zpkfn0Jx
>>355
その辺を踏まえて、運が良かったのは確か…だけど、
それを掴んで対応出来たのは才能だと思う
357人間七七四年:2008/06/24(火) 23:20:41 ID:AAoDlR+3
才能をもって生まれたことも運の一つだな
358人間七七四年:2008/06/24(火) 23:25:46 ID:/a/nvbmc
>>357
>>1は周りの状況が天下を取れるほど運が良かったと言いたいわけで、信長個人の才能は無かったと言ってるんだよ
359人間七七四年:2008/06/25(水) 02:08:54 ID:7z+Q7ni/
それは邪推だろ
俺は>>1じゃないけど確かに信長は運や環境に恵まれてた武将だと思うよ
でも、それだけで勢力拡大できるだけ甘くもないだろ
つまり本人の才能も充分恵まれてた。と

ただ、才能恵まれてた武将は他にも沢山いて
その中で天下人になれるのは一人だけ、それを別けるのが
やっぱり信長の置かれてた運や環境はズバ抜けてたな・・って素直な分析だろ

単純に考えりゃいいんだ
オマエらが戦国大名に生まれるとしたら
都から遠い山国か、都から近い開けた穀倉地帯か
で、周りが強敵ばかりがいいのか、強敵がタイミングよく死んでくれた方がいいのか
そーいうことだよ

360人間七七四年:2008/06/25(水) 02:43:39 ID:X8VyZnl0
確かに信長は運が良かったけど結局運をモノにするのは本人の才覚だからな。
361人間七七四年:2008/06/25(水) 10:37:05 ID:GGMs/CdC
光秀みたいなやつがいつ暴発してもおかしくなかった。
謀反死亡があんだけ遅れたのは充分に運がいい
362人間七七四年:2008/06/25(水) 13:05:53 ID:P/lAbY02
運と粘着力と構想力はズバ抜けていたと言わざるを得ない。

363人間七七四年:2008/06/25(水) 20:40:09 ID:2/YIMW8y
歴史の素人にありがちな意見だな
知れば知るほど信長はスゴイ人物だぞ
戦国時代でも、一人だけ格が違う、一人だけ物の見方がブッ飛んでるからね
だから、天才肌、天性にセンスで時代を生きてる
残念ながら、その凄味が、功績が、徳川史観の影響で過小評価されちゃってる
364人間七七四年:2008/06/25(水) 20:55:17 ID:UxY7mbQf
・今川義元は運良く戦死
今川の兵たちは圧倒的兵力差しかも本陣にいる兵たちは
自分たちは戦うことはないだろうと思っている
対する織田軍は生き残るために必死。
しかも兵農分離された戦い専門の兵士
本陣を奇襲すれば勝てると予測できてたんじゃ?
がいしゅつかも
365人間七七四年:2008/06/26(木) 00:10:32 ID:8aqJLNDn
まだ兵農分離とか言ってる奴が居るんだな。
366人間七七四年:2008/06/26(木) 04:24:50 ID:aAV2DU3r
上から下まで職業軍人とか先進的すぎだな
日本の軍制は江戸時代で随分退化したんだな
367人間七七四年:2008/06/26(木) 11:22:32 ID:11yxHm+f
天才信長は世界史上でも特筆するべき大改革をやってのけたが、
秀吉、家康は単に醜い権力争いをしてただけ。
器があまりに違いすぎる。
368人間七七四年:2008/06/26(木) 13:10:26 ID:1SBYXhlv
>>364
一つ言っとくが桶狭間の戦は織田、今川ともに同じ兵力だったんだぞ?
369人間七七四年:2008/06/26(木) 14:27:11 ID:nkctIg8V
信長は運が良かっただけ。
秀吉はもっと運が良かっただけ。
家康は更に運が良かっただけ。
これが事実です。
今あれこれ言うのは全て結果論。
理屈は何とでも付けられるけど、その理屈通り事が運ぶのは過去のことだけw
信長は越後に生まれていれば信長じゃなかったし
信玄は終わりに生まれていれば信玄じゃなかった
真面目に比較する時点で、小学生なみですよw
ひとつだけ言わせても貰えば・・・
どの戦国武将もあなた方よりは優秀だと思うけどねえw
370人間七七四年:2008/06/26(木) 15:06:08 ID:1SBYXhlv
>>369
いいこと言った。
だが…最後の煽りの一言はいらんな。
371人間七七四年:2008/06/26(木) 15:08:35 ID:87vWeKxz
本能寺は運とは関係なく実力が招いたわけですね、わかります
372人間七七四年:2008/06/26(木) 19:53:26 ID:FXbgHPhv
ナポレオン曰く、人生で最も大切なのは運だ。
如何に才能があっても、運のない奴は成功しない。
373人間七七四年:2008/06/26(木) 22:02:13 ID:K0wCgBKC
>>368
信長を推す信長厨ほど、そんな当たり前のことすら知らないよ
他の信長厨以外の戦国好きの人は皆知ってる当たり前の事実なのに

信長最高! 信長大好き! 信長が戦国最強!

って、言ってる信長厨が一番、信長のことを何一つ知らないで騒いでるというのが
この板のクオリティーなんだよw
だから、そこらかしこで信長厨は迷惑がられるんだけどね

374人間七七四年:2008/06/26(木) 22:17:31 ID:vez5FXcB
>>363
その「他者と隔絶した天才信長」というのがそもそも
織田家に仕え織田万歳の太田が書いた「信長公記」や
創作入りまくりの小瀬の書いた「信長記」や
本国に異教徒の庇護下で活動してるなんて報告しづらかった為に
信長を反仏者としてオーバーに書いた、宣教師の記録から
出来上がってるものなんだけどな。
徳川史観が信長を過小化したというなら信長を過大化させたのがこれらのいわゆる
織田史観。
>>366
兵農分離じゃないというのはそういう意味ではない。
375人間七七四年:2008/06/26(木) 22:31:44 ID:K0wCgBKC
放っておきなよ
徳川史観徳川史観騒いでるだけのゲーム厨だろ
他スレでも具体的に徳川史観の間違いを挙げてみろって言われて
トンズラしてた輩だよ

徳川史観=時の権力者の都合の良い視点=信長公記も同類

こういった自分で自分の首を絞めてることすら理解してないバカが背伸びしたいだけなんだよ
376人間七七四年:2008/06/27(金) 01:22:07 ID:Bi0GVbEj
たとえば、この2ちゃんねる
これが所謂、信長的な発想・センスなんだよ

確かに、ひろゆきがこのインターネット自由掲示板の最初の考案者じゃない
前任者が細々とやっていて、途中でやめたしまった
そこをひろゆきが継承して、今度は大々的にやって、今や新聞や雑誌やテレビに対抗しうる
存在として一角を為してる
しかし、難癖付けるやつは、ひろゆきが最初の考案者じゃないとか言い続けるだろう
それは事実であっても、歴史を正確に見ていない者の凡人の妬み、やっかみだ
ムーブメントを時代を先取りしてセッティングしてることがセンスなんだよ

ひろゆきは、他にもニコ動画やって、これはあまりムーブメントになってないけど、
凡人はそういう失敗を強調して主張するもんだが、それは本質を全く見ていない
失敗は付き物なのが当たり前、それでもその中から、何度当たりを引くことができるかが大事なんであり、
いろいろ意欲的に常に先進性を意識したようなことを
時代にセンスで切り開いてきた、それが信長の真骨頂なのだ
他の戦国大名に、先進性は一切見られない
他は、所詮凡人の延長線上にしかない
377人間七七四年:2008/06/27(金) 01:40:09 ID:Bi0GVbEj
徳川史観なんてものは、捏造されたもので、徳川の利権集団によるオナニー史観だ
そもそもルイス・フロイスが何で信長を過大評価しなくちゃならんのだ
一番、日本の歴史を正確に書ける立場にあるだろ

徳川史観なんて原始的な土人信仰と何ら変わらんぞ
最近まで、石田三成が徳川史観のせいで随分過小評価されていたんだけどな〜
378人間七七四年:2008/06/27(金) 01:50:55 ID:Bi0GVbEj
そもそも今川義元が過小評価され過ぎてる

オマエらが戦っても百戦百敗だぞ、フツーにそこそこ強いって
織田信秀も勝ったり負けたりしてる相手だからな

桶狭間は
あの勝利は信長の野生の勘と運の良さと、その運を引き寄せた用兵にある
自分が籠城すると、見せ掛けておいて
敵情を斥候を放って知らせて
常に敵の方に本隊を移動させ急襲した
おそらく急襲する本隊もそんなに揃えてはいない状況だぞ
2千くらいで、電光石火で攻めたろうよ
379人間七七四年:2008/06/27(金) 02:29:50 ID:CP6N2F06
信玄は運なかった
380人間七七四年:2008/06/27(金) 06:24:25 ID:3eoIqqks
>>378
太原雪斎>>>超えられない壁>>>織田信長>今川義元
381人間七七四年:2008/06/27(金) 06:28:40 ID:QaVpDI2w
>>379
いや、まったく同感だ
運無い、金ない、病弱
これで夢持つほうがおかしい
周りがいい迷惑だよ
大人しく甲斐一国を治めて戦国が終わるのを待てば良かったのにな
昔の偉い人も、自国の経済力を考えずに、隣の敵国を組やすしとするとき国は滅びる、と言ってるじゃないか
382人間七七四年:2008/06/27(金) 06:36:31 ID:3eoIqqks
>>381
財力
今川義元>>超えられない壁>>織田信長≠武田信玄
383人間七七四年:2008/06/27(金) 06:44:31 ID:QaVpDI2w
>>382
稀少価値がある今川厨の方ですね
頑張って下さい
もうすぐ絶滅危惧種に指定してもらえますから
384人間七七四年:2008/06/27(金) 06:49:41 ID:3eoIqqks
>>383
なんの知識も持ってない信長厨ですね?
385人間七七四年:2008/06/27(金) 06:49:55 ID:QaVpDI2w
>>382
ちなみにその偉い人は、民心が君主をはなれ宰相に集まっているのに、君主は宰相を信頼していて辞めさせようとしないとき国は滅びる、とも言ってましたよー
386人間七七四年:2008/06/27(金) 06:52:47 ID:3eoIqqks
>>385
387人間七七四年:2008/06/27(金) 21:59:06 ID:rH1JPeZh
>>382
義元のが好きだけどそれはないわ。

尾張の下四郡しか持たない織田弾正中家と、駿河・遠江と間接的に三河を支配していた今川家。
石高で比べれば今川だろうが、財力は津島と萱津を支配していた織田家に分がある。
388人間七七四年:2008/06/27(金) 22:10:11 ID:3eoIqqks
>>387
軍略・戦術
織田信長>太原雪斎

智略
太原雪斎>織田信長

謀略
太原雪斎?≠?織田信長
389人間七七四年:2008/06/27(金) 22:20:56 ID:rH1JPeZh
>>388
いや、俺が突っ込んだのはそこじゃなくて織田と今川の財力に関して
390人間七七四年:2008/06/27(金) 22:36:10 ID:JuaWfvxD
津島と萱津が一体どれだけの利益をもたらすというのか?
まさか、堺並みの港とでも思ってたりする?
当然、今川領にも整備された港があるわけだが
何故、財力だけ織田家>今川家なのか理解に苦しむ
391人間七七四年:2008/06/27(金) 22:41:48 ID:rH1JPeZh
>>390
Q.津島と萱津が一体どれだけの利益をもたらすというのか?



A.朝廷に四千貫文寄進できるぐらい。
392人間七七四年:2008/06/27(金) 23:20:21 ID:JuaWfvxD
ほほう4千貫分寄進はでかいな
上洛時に信長が堺に要求した2万貫に並ぶ勢い・・て

それほどでもないなw
393人間七七四年:2008/06/27(金) 23:34:38 ID:rH1JPeZh
>>392
今川と織田を比べるのに何故堺にこだわるのか非常に理解に苦しむ。
尾張の下四郡で40万石以上の財力があったって認めたくないのか、理解できないのか・・・
394人間七七四年:2008/06/27(金) 23:47:44 ID:DCL8NJnm
>>377
だから織田信長を持ち上げてる織田史観も立派なオナニー史観なんだよ。
宣教師が客観的とか本気でいってるのか?
対立する相手に対する筆の悪いこと悪いこと。
キリスト教を規制した秀吉に対しては罵詈雑言の嵐だが。
宣教師連中にしてみれば信長はキリスト教徒を布教していいといったから名君扱い。
そしてその庇護者がキリスト教を信奉せずに日本の仏や神を敬っていたら本国に
報告する上で都合が悪い。そこで信長を無神論や反仏者としてオーバーに書く必要があっただけ。
>>378
その信長自身が敵の本隊と敵の先陣を誤認して突っ込んでる状態なんだが。
義元は政略とか政治とかはいいけど実戦だと結構負けが多いな。
主要な勝ち戦は大抵雪斎。
>>381
周囲の国に英雄がどんどんあらわれて四方を攻めている時に
甲斐一国で引きこもってたら食い物にされるだけだが。
信虎の時代は他国に何度も攻め込まれている。信玄の時代では甲斐に攻め込まれた事はない。
一度もな。そして逆に他国を攻めて多くの戦利品と平和をもたらした。
>>392
当時の献金額では確か大大名の大内に次ぐ額だったはずだが。
尾張一国も持っていない男がな。これが大したことないと思えるなら重症。
そして堺はその要求額に怒って何度も抵抗したはずだが。
395人間七七四年:2008/06/27(金) 23:51:13 ID:JuaWfvxD
ではなく
織田家が今川家よりも財力がさも突出してるような言い方だったので
その織田家の財源を支える港は堺規模なのか?と聞いてるわけです。
そうでなく、ただの一地方都市の整備されただけの港なら
当然、今川領にも存在してるはずだし
財力という点で即、織田>今川には繋がらないんじゃないか?ということですね

勿論、織田家の国力が今川の比較にならないほど劣るとは言っていないし
桶狭間の戦いも大大名(今川)vs貧しい弱小大名(織田)の戦いなどではなく
兵力差も五分の普通の戦いだったというのは認めておりますよ
396人間七七四年:2008/06/27(金) 23:55:18 ID:rH1JPeZh
>>395
津島がどんな港だったか調べてから書き込まないと。恥ずかしいやっちゃな。
397人間七七四年:2008/06/28(土) 00:04:53 ID:fpt2yzSX
>>394
ド素人の意見乙

>>378
>その信長自身が敵の本隊と敵の先陣を誤認して突っ込んでる状態なんだが。


>信長自身が桶狭間に陣する今川本隊を指して
 「あの敵は丸根鷲津で戦って疲れてる敵で
 (実際は丸根鷲津で戦った松平勢などは大高城で休息中)
 こっちは新手だから勝てる。」とか
 敵情を誤認しまくった事いってるんだが。

403 :人間七七四年:2008/05/31(土) 13:37:36 ID:D9cXV75I
>>228
士気を上げるためのハッタリならいくらでも言うだろう
そんな問題じゃないだろ、
事実がどうだろうと構わない状況下での、士気向上のための文句だ


ちなみに、この403もオレだ
これだから、机上の空論者さんは始末に負えないね
398人間七七四年:2008/06/28(土) 00:07:19 ID:d7Ylj3oY
運を題材としたスレのはずだが、だんだん別方向へ向かっている気がする…
399397:2008/06/28(土) 00:10:39 ID:fpt2yzSX
こんなことも理解できない奴が信長を理解できるはずがないわ
400人間七七四年:2008/06/28(土) 00:10:43 ID:wfrlTmPC
>>397
おまえさんは歴史の専門家か?
そうとはとても思えないが。んで具体的な反論はないのか?

そんでその175レスたって相手がいなくなったころに書き込んだレスに
なんか意味があるのか?
本当にわかってないようだからいうが、
信長が相手してる今川勢をこれは旗本だ、とか言い出すのは本陣に突っ込んで
そこに大将が乗る塗り輿とかが散乱してるのを見た後なんだが。
それ以前に信長が本陣の位置を探らせた記述は存在しない。
馬鹿も休み休みにいっておけ。
401人間七七四年:2008/06/28(土) 00:11:17 ID:AyqY+NVB
>>396
つまりは財力という点において何一つ
織田>今川を証明するための判断材料がないということで宜しいんですね?
なければ終了としたいのですが具体的な証拠をお持ちなら、お教え願います
402397:2008/06/28(土) 00:15:48 ID:fpt2yzSX
>>400
義元の首を獲った後に、言ってるなら誤認してることになるが
首を獲る前なら士気向上の文句だろ
403人間七七四年:2008/06/28(土) 00:20:58 ID:wfrlTmPC
>>402
だからね、それ以前に信長が義元の本陣を探らせたりした記述自体がないの。
義元の本陣を知っていたなんていう記述は無論。
信長はもともと丸根・鷲津の砦が囲まれたと聞いて出陣してる。
これを救援する、もしくはその戦いで疲れた敵の先陣をこちらの元気な兵力で
撃破する、という考えだったとすればそのセリフにすべてつじつまがあうんだが。
404397:2008/06/28(土) 00:22:22 ID:fpt2yzSX
で、どっちなんだ?白黒付けようぜ
真実は一つだろ
405人間七七四年:2008/06/28(土) 00:23:24 ID:vA83d6jo
桶狭間では織田軍の死傷者は少なく、今川軍は義元とその側近らがことごとく討ち取られている
時間的には短期戦
織田軍は今川本陣を突いたとみるべき
406人間七七四年:2008/06/28(土) 00:26:04 ID:wfrlTmPC
>>404
どっちなんだ?というのは何にあてた答えなわけ?
俺は信長は丸根・鷲津を可能ならば助けようとして出陣した。
でも途中でそれが陥落したのでその戦いで疲れた敵の先陣を自分のもつ元気な戦力で
叩き、今川の戦力を削ぎその後の侵攻の動きを鈍らせ、撤退に追い込むつもりだったと
思うがね。それで敵の先陣だと思って突撃した相手が実は本陣だったというオチで。
407人間七七四年:2008/06/28(土) 00:27:30 ID:wfrlTmPC
>>405
そら本陣はついたよ。ただそれが意図的なものかというとその証拠がなく、
誤認だというのだとしっかり記述されてる。
408397:2008/06/28(土) 00:28:26 ID:fpt2yzSX
>>403
己を弁護する詭弁はこの場に必要ないぞ
通説では、斥候を放って本隊の位置を探らせたとあるだろう
じゃあ、あれは捏造か?

>これを救援する、もしくはその戦いで疲れた敵の先陣を
 こちらの元気な兵力で撃破する、という考えだったとすれば

それはない、敵の兵力分散が狙いで捨て城みたいなもんだ
あくまで義元の本隊を急襲する狙いは明白
409人間七七四年:2008/06/28(土) 00:31:14 ID:VL0MNBIr
>>401
>ただの一地方都市の整備されただけの港

津島
鎌倉時代から、木曽三川を渡って尾張と伊勢を結ぶ要衝「津島湊」として、発展した。また全国天王信仰の中心地である「津島神社」の門前町として、一時は尾張一の豊かな町として知られた。



で?今川の整備されただけの港がどうしたって?
410397:2008/06/28(土) 00:31:23 ID:fpt2yzSX
記述が資料に載ってなければ一々オマエの脳内妄想が優先されるのか?
411人間七七四年:2008/06/28(土) 00:34:42 ID:d7Ylj3oY
そろそろ、運について語りを再開しようぜ

正直、財力や意図的に本陣に突っ込んだのか偶然だったのかは、どうでもいい
412人間七七四年:2008/06/28(土) 00:38:41 ID:wfrlTmPC
>>408
あのな、詭弁をいってるのはお前。
その通説って誰の通説だ?漫画日本の歴史か?

その明白とやらの根拠が一切ないんだよ。お前の大好きな信長様の活躍を
同時代の人間である太田が描いた信長公記には。
後世の創作物にはあるけどな。
>>410
根拠なしで明白とかいってるお前のが妄想。
俺は信長公記に基づいて話をしてるだけだが?
413人間七七四年:2008/06/28(土) 00:39:54 ID:AyqY+NVB
>>409
そのどこかのHPの記述丸写し的な説明では
具体的説明という意味で今までと少しも変わっていませんよ

>一時は尾張一の豊かな町として知られた。

だから、これが全国区で見てどれくらい飛びぬけていたのかの説明を問うているわけです
今川領の財政を圧倒するような「堺のような規模、またはそれに近い港だったのか?」
この具体的な説明を教えて下さい。
その説明じゃ、ただの港案内ですよ

414397:2008/06/28(土) 00:45:18 ID:fpt2yzSX
>>412
じゃあ、日本の歴史番組は全て捏造してるってことになる
それはオレの責任じゃないぜ

>今川の戦力を削ぎその後の侵攻の動きを鈍らせ、撤退に追い込むつもりだった

これはあり得ないわ

まぁいい、お互い時間の無駄だから、どちらも譲る気はないので平行線で終わるとする
415人間七七四年:2008/06/28(土) 00:47:14 ID:VL0MNBIr
>>413
あのね、今川に港があったって港から大名に金銭は流れていないんだよ。
416人間七七四年:2008/06/28(土) 00:48:44 ID:wfrlTmPC
>>414
そうかい。
日本の歴史番組とやらで何を見ているのかは知らないけど、
たいていああいうのは視聴率ありきだからな。
作る人たちは面白さ優先でつくってそれで視聴率が出れば大成功。
質朴な記述を元に学者の一人語りみたいな感じのは大抵受けない。
まあそういう番組がやってることもあるけどさ。
417人間七七四年:2008/06/28(土) 00:52:48 ID:AyqY+NVB
>>415
では織田領内の港はどう違うのか?
他家とは違って、その港の収益が織田家の財政にどう直結して利益に結びついていたのかなど
あなたには説明の余地が残っているわけです
そういった、いろんな角度からのアプローチを試してみてもいいんじゃないですか?
それが事実で、内容を詳しくご存知だと言うのなら
418人間七七四年:2008/06/28(土) 00:52:51 ID:VL0MNBIr
>>413
君に足りないものがやっとわかった。

織田>米のほかに港や市場を支配して金銭を支配。
今川他諸大名>米を支配


この構造を理解してないから、堺はもっと金があるとか今川にも港があって織田より金がないはずないとか言ってるんだね。
堺に金があろうと今川に港があろうとそこから税を取るという考えが無かったんだよ。

ここまで説明しないとわからないんだよね。ごめんね。
419人間七七四年:2008/06/28(土) 01:01:51 ID:VL0MNBIr
>>417
津島は織田氏に反抗していたが、信長の祖父信定が1524年に焼き払って支配下に置いた。更に津島を代表する商人に自分の娘を嫁がせて縁戚同盟の関係も築いた。
萱津の市場は信定の息子信秀が萱津を支配していた豪族の土田氏と縁戚関係を結んで支配下に置いた。
織田氏は津島と萱津から運上金・矢銭という形で上納金を得た。

この市場や港を直接支配するという構図は当時の大名には無いもの。ついでに言うと津島からの運上金は石高に換算して20万石以上。
420人間七七四年:2008/06/28(土) 01:06:46 ID:AyqY+NVB
>>419
では、その記述のソースをお教え願います
421人間七七四年:2008/06/28(土) 01:07:55 ID:VL0MNBIr
>>420
大いなる謎・織田信長(PHP文庫)
422人間七七四年:2008/06/28(土) 01:13:52 ID:wfrlTmPC
>>418 >>419
んー、それはちょいと違うかな。
優秀な戦国大名達はみんな市場や銭に注目し
そこから財力を得ている。意外に思うかもしれないが
当時における税の納め方は江戸時代のような物納ではなく、
銭納が多い。武田も北条も今川も上杉も大内も。
港に入る船などから税を取るやり方も広く流通している。
瀬戸内海とかでは特に。
ただ>>419のレスは最後の一行の「他の大名にはない」以外は正しい。

津島や萱津の運上は大きな利益を生んでいたし、織田家がこれをうまくとりこんで自らの力に
したのも事実。そして尾張で忘れてはならないのはもともと石高自体も高いということ。
全国で2位。
ただその今川も商人の扱いについてわざわざ仮名目録に書いてるから
かなりにぎわっていたんだろう。信長よりもはるかに早く楽市楽座も起きるし。
423人間七七四年:2008/06/28(土) 01:19:35 ID:VL0MNBIr
>>422
クレクレ出せ出せのID:AyqY+NVBより理知的な人間がいて安心した。

まったく銭を得なかったとは思わないけど、織田家の様に完全に上納金のような形で銭を得ていたとも思えない。
今川仮名目録にしても米を使った借銭の記述はあるけど、だからこそやっぱり米本位なんだと思うよ。
424人間七七四年:2008/06/28(土) 01:20:20 ID:AyqY+NVB
>>421
ソースに大いなる謎・織田信長(PHP文庫)・・

激しくビックリしましたが、その著者は一体、どの文献や史料から
その記述を書いているのかは少しも考えはしませんでしたか?

もし漫画日本の歴史にそう書いてあるからソースだと言えば
あなたもそれが通用するとは考えていないでしょうが
あなたの提示したものもソースとして甚だ不十分です。

当時の史料や文献にどのように残されているのかの説明を詳しくお願いします
それが、普段このような場で求められるソースというものです
425人間七七四年:2008/06/28(土) 01:21:49 ID:VL0MNBIr
>>424
お前もなんか自説のソース出せよw
426人間七七四年:2008/06/28(土) 01:23:01 ID:AyqY+NVB
>>422
加えて言うなら富士・安倍の金山も今川家の重要な収入源になっていたようですね
427397:2008/06/28(土) 01:24:57 ID:fpt2yzSX
>なにより『信長公記』によれば信長自身、中嶋砦に入ったところで
 敵中に突出することを諌める家臣に向かって、敵は丸根、鷲津砦を
 攻撃した直後で疲れきっているはずであり、戦場に到着したばかりの
 新手の織田軍がしかければたやすく打ち破れるはずであるという主旨の
 発言をしている。
 この記述を素直に信じるならば、つまり信長自身は桶狭間に発見した敵の
 軍を、掛城から出てきたばかりの敵本隊だとは思わず、大高城から出撃して
 きた敵軍の先鋒隊であろうと考えてこれを一気に打ち破ってともかく
 劣勢を覆そうとしていただけだったということである。


ウィキで調べてきたぞ
所詮、これも仮説、決定的なものなどない
資料だからと、額面通りに受け取るのもまた危険な行為だ
428人間七七四年:2008/06/28(土) 01:29:01 ID:wfrlTmPC
>>423
その今川仮名目録で注目されるのは
「たとえ商売の役以上の額を払っても新規の商人は認めない。
取り次いだ寄り親も処罰する。」という項目。
これは義元の代のだね。今川から商売を許された商人には商売の役を払う義務があり、
わざわざ「取り次いだものも処罰する」と言っている以上、商売の役以上の額を払っても
今川領国で商売したいものがかなりいたんだろう。
こういった動きが進み今川は結局氏真の代で楽市楽座をやる。
こういう点を見ると結構商人の動きがあわただしいと思われるけど。
越後の謙信なんか港整備や青芋の交易を進めて死後に二七〇〇〇両の遺産をつくったね。
429人間七七四年:2008/06/28(土) 01:30:44 ID:VL0MNBIr
しかし、こういうスレに絶対いるよな。

・あなたの説は○○だから違う
 ↓
・ソース。
 ↓
・そのソースは違う。ダメ。別のソース出せ。
 ↓
・それもイマイチ。ソースだせ。

こういのに限って自説無し。自説のソース無しなんだよな。だから相手にするのもめんどくさくなる。
430人間七七四年:2008/06/28(土) 01:32:23 ID:wfrlTmPC
>>427
いや、wikiがどうの、じゃなくて実際同時代の資料である信長公記にあるんだから。
逆に信長が今川本陣の位置を知っていたとする記述が一切ないんだから。
一方が根拠ありで一方が根拠なしならどちらが信憑性高いかは自明だろ?
431人間七七四年:2008/06/28(土) 01:36:07 ID:VL0MNBIr
>>428
まあ、そうなんだけど、それは全部信定から見て30年以上後の話なんだよね。
この年代の違いは大きいと思う。
432人間七七四年:2008/06/28(土) 01:38:44 ID:AyqY+NVB
結局、ID:VL0MNBIrさんの言い出した
財政的に見れば織田>今川という主張自体
何の根拠も史料の裏づけもなかったということだと思います

それを覆すような両家の具体的な比較を
ソースを踏まえてお教えいただきたかったのですが
大いなる謎・織田信長(PHP文庫)を出されてしまっては残念です。

ただ、私の当初からの発言である
織田家は石高的に見ても財政的に見ても決して貧しくはない
という考え自体は揺るいでおりませんので
今回のID:VL0MNBIrさんとの質疑が全くの徒労にすぎなかったとしても
−材料にはなっていないことは、どうぞ、ご安心下さい
ただ表現がオーバーすぎると却って周囲からは逆のイメージを持たれることもある
ということもID:VL0MNBIrさん自身、どうぞ学んで下さい

433人間七七四年:2008/06/28(土) 01:40:04 ID:VL0MNBIr
>>432
自分のソースも出さずに勝ち宣言。


呆れて言葉も出てきません。
434397:2008/06/28(土) 01:44:22 ID:fpt2yzSX
>>430
オレは資料原理主義の立場を取らないので
一言一句、正しい供述を綴るとも思ってないしな

確かに、説の信憑性の話なら、信長公記のがあるだろう
435人間七七四年:2008/06/28(土) 01:47:22 ID:AyqY+NVB
少なくとも私は
大いなる謎・織田信長(PHP文庫)を元に、独説を人に主張したりはしませんよ
主張する際はちゃんとした文献や史料を元に独説を語ります。

独説を語るということは、それだけ知識と根拠が必要になる。ということですね

それを今回ID:VL0MNBIrさんが学ばれただけでも充分価値はあったんじゃないかと思います。
私の方は何一つ利益のない話でしたが・・(苦笑

436人間七七四年:2008/06/28(土) 01:50:11 ID:VL0MNBIr
>>435
はいはい、ソースソース
437人間七七四年:2008/06/28(土) 01:51:25 ID:VL0MNBIr
>>432
織田家は石高的に見ても財政的に見ても決して貧しくはない。

まずこの部分のソース。
438人間七七四年:2008/06/28(土) 01:57:13 ID:VL0MNBIr
>>390
>当然、今川領にも整備された港


どこ?津島と比べて規模は?今川家への運上金は?
ソース付きでどうぞ
439人間七七四年:2008/06/28(土) 02:40:51 ID:UdF02Bwi
このスレの信長厨をみると、
信長の野望が好きで、たまたま学校の図書館で「マンガ織田信長」を見つけて
「うぉ〜、信長の鉄船すげー!」とか思っていた俺の厨房時代を思い出したw
明らかに知識の差の窺えるやりとりだが、本人は気付いているのか?
440人間七七四年:2008/06/28(土) 03:33:26 ID:VL0MNBIr
>>439
信長厨なんているのか?
441人間七七四年:2008/06/28(土) 03:37:57 ID:wfrlTmPC
>>397とかの事では。
442人間七七四年:2008/06/28(土) 07:57:13 ID:By8gROa3
【宇宙最強の】織田信長総合スレ【天才】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194153414/

【世界史】第六天魔王・織田信長【最高の英雄】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1179062226/

織田信長公が現代の日本政府を築いた
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1182171203/

中国英雄は、誰一人として信長に及ばない
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1179742923/

おまえらは信長に対して失礼すぎる
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192939486/

信長帝国の統治体制に関する考察スレ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1191511445/

【日本史上の】 信長革命 【大転換点】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1191811194/

板名を信長板に変えろ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193239817/
443人間七七四年:2008/06/28(土) 08:56:59 ID:BqWRxAuj
>>442
全部アンチが立てたスレじゃないか

陰湿というか…
それじゃいつまで経っても人気一位は取れんなー
444人間七七四年:2008/06/28(土) 10:06:09 ID:VL0MNBIr
ソースソース言ってた奴が自分のソースを求められたら一切出さないなんて・・・
445人間七七四年:2008/06/28(土) 11:53:27 ID:5/Yrr56+
>>443
人気一位ってなに?
4462っじこ^_^):2008/06/28(土) 18:06:55 ID:GncZtT+u
議論と叩きあいは違うことだぞお前ら
447397:2008/06/28(土) 18:11:55 ID:fpt2yzSX
>>441
オレは自他共に認める信長厨だ

他の戦国大名には全く魅力を感じないし、凄味も感じない
他は、まるで凡人が必死になってコスト削減やらの凡人の知恵を出して
売り上げ伸ばそうと躍起になってる、凡人の知恵の延長を競い合ってる
トヨタ、ヤマダ、コジマといった企業みたいで気持ち悪い


戦国時代に信長がいなければ、戦国時代に価値はないと断言できる


鎌倉や室町と何ら変わらん、糞な歴史だ、プゲラ
448人間七七四年:2008/06/28(土) 18:18:20 ID:82Azndyr
>>447
とりあえず、
お前は゛戦国時代゛というものを楽しむのにむかない阿呆ってことがわかった。

「俺強ぇぇぇぇ!」ゲームでもしてろ。
449397:2008/06/28(土) 18:24:35 ID:fpt2yzSX

徳川家康みたいな土人が天下取れる時点で

所詮、どんぐりの背比べ、信長以外はな、プププッ

戦国時代は徳川の土人信仰に支えられている

『甲陽軍鑑』はその最たるもの
450人間七七四年:2008/06/28(土) 18:50:15 ID:82Azndyr
>>449
つまり織田信長はそのどんぐり背比べにも
及ばない奴てこてかw
451人間七七四年:2008/06/28(土) 19:35:47 ID:aRlBZJdP
>>449
信長という存在が居なければ、天下統一思想が生まれなかった可能性があるのは事実だが
家康という存在が居なければ、今の日本が無いって事だけは覚えておけ
あえて言えば、自分の存在そのものが無かった可能性がある事も覚えておけ
452人間七七四年:2008/06/28(土) 20:12:07 ID:NJyYcJ+B
天下統一思想程度そこそこ領土でかくなって京に近かったらどんなアホでも抱いただろ、アホか
中世になってやっとそんな思想が出てくるとかどんだけ世界から取り残されてんだよw
453人間七七四年:2008/06/28(土) 21:02:22 ID:82Azndyr
>>451-452
天下布武を一番に考えたのは北条早雲じゃないか?
454人間七七四年:2008/06/28(土) 22:54:51 ID:ERZtGEeU
天下統一思想なんて神武天皇の時代からあったぞ。

まあ信長がいなければお前が生きていけないのはわかったw
455人間七七四年:2008/06/28(土) 22:55:46 ID:ERZtGEeU
>>449
土人の意味をしていて使ってるのか?
456人間七七四年:2008/06/28(土) 23:05:53 ID:82Azndyr
>>454
応仁の乱以降の事を話してんだよ。
457人間七七四年:2008/06/28(土) 23:07:02 ID:82Azndyr
>>455
俺は知らない。
458人間七七四年:2008/06/28(土) 23:55:58 ID:AyqY+NVB
昨日もそうですが
根拠もなく織田家を持て囃そうとする人が多いみたいですね
それで知識が伴えばいいのですけど
459397:2008/06/29(日) 04:18:24 ID:d1/vbu1B
徳川史観では、まるで武田が戦国時代で最強で一番強かったことにされてるが、
ホントに、戦国最強に強かったのなら、
病死で決戦前にドタキャンなんてダサイことしてないで、その前に決着を是が非でも付けるべきだった
本当は、信玄も信長の天下が薄々見えていたから生に執着できずに早死にしたのかもしれん(これは、無論推測だけど)

三国志の孔明と司馬イとの対峙もその実、戦略的には司馬イの完勝で、
あれも孔明は心の底では裏腹に、自らの計画の無謀さを知っていたから
生に執着できずに早死にしたと思う
460397:2008/06/29(日) 04:19:54 ID:d1/vbu1B
>>458
どうせオマエの根拠は、『甲陽軍鑑』なんだろ、プププッ
461人間七七四年:2008/06/29(日) 07:33:28 ID:RzneC1j3
>>460
織田信長しか眼中になく他大名に関心がない織田厨は消えろ。
462人間七七四年:2008/06/29(日) 11:46:55 ID:6xV00e1/
でも実際は、その信長のことも録に知らないらしいぜ
463人間七七四年:2008/06/29(日) 20:24:41 ID:vyBarvUM
信長は英雄的にいわれるところもあるが、かなり部下を消してたらしい。
464人間七七四年:2008/06/29(日) 20:32:31 ID:RzneC1j3
>>463
織田信長は合理主義者だったらしいからな。
465北条早雲:2008/06/29(日) 23:40:10 ID:tSKEaR3x
尾張の周りって中小大名しかいないな。
466人間七七四年:2008/06/29(日) 23:53:08 ID:6xV00e1/
合理主義は大いに結構
むしろ、あの当時は
その合理主義に奔りたくても勢力の事情で断念した有力大名がごまんと居る
そんな中でその合理主義実現を達成した信長は偉大なる武将だよ

しかし、その信長の本質や偉大な業績の意味さえ知らずして
何が何でも信長最高とのたまう低能な輩には本当に嫌気がさす
ましてや信長がすごいのは戦が強かったからなんて思い込んでるゲーム脳はマジで死んで欲しい
467人間七七四年:2008/06/30(月) 00:10:11 ID:pXkutjQW
>>466
信長は管領の斯波氏の家臣なのに
足利幕府を壊した謀反人だよ?
本来は、管領の斯波氏を盛り立て、足利幕府を下から支えるのが正しい
織田氏は斯波氏の家来だし〜
信長自身も斯波義銀の家来なんだから
468人間七七四年:2008/06/30(月) 01:37:41 ID:clEnHzlg
んん?

取り合えず、何が言いたいのか全く意味が分んないんだけど

斯波の家来だから何なの?
469397:2008/06/30(月) 15:06:47 ID:kIMiPYja
>>466
勘違いされては困るんだけど、
オレは武田最強なんていう徳川の土人信仰の信奉者ではないよ

織田と武田は、歴史的に是非、白黒付ける決着が望ましかった
そして、強い方が勝つのが正しい

オレは時代に対して、常に先進性を発揮した信長が勝つと思ってるんでね
470人間七七四年:2008/06/30(月) 18:08:48 ID:LB/wyQJZ
信長様は宇宙最強の天才

武田ごとき山猿軍団が相手になるはずがないだろう
471人間七七四年:2008/06/30(月) 18:35:39 ID:tJzXsjRU
>>470
でたな無知織田厨。
知識を蓄えてからこい。
472人間七七四年:2008/06/30(月) 19:54:21 ID:68OPntWr
>>471
書き方はイカレてるけど、長篠の時点では織田と武田の動員兵力にはかなりの差があった。
長篠で決戦を挑まなければ更に圧倒的な兵力差で武田はやられていた。
473人間七七四年:2008/06/30(月) 20:34:37 ID:clEnHzlg
>>469
思ってるだけでしょ?どうぞご勝手に

>>472
書き方がイカレてんだろ?なら中身もイカレてるだろw
474人間七七四年:2008/06/30(月) 22:46:44 ID:Vog2xP6y
>>472
んな阿呆な。
当時の武田は信濃や甲斐に戦力を残してる状態だぞ。
メンバーは豪華だけど兵は集中できてない状態で織田に突撃してしまったわけで。
475人間七七四年:2008/07/01(火) 01:13:56 ID:aiEtqYdW
信長は隣国美濃を制圧しただけで
戦国最強大名になった
しかも、運よ近畿内は内紛で勢力弱体化しまくり

信玄は村上打倒してようやく
戦国大名としてスタートライン立った
しかし名門上杉、吸収した長尾を対決と
強国を抱えることになった
結論
信長は時の運も良すぎ
信玄はなにからなにまで運なさ杉
あったのは本人の才覚だけ
476人間七七四年:2008/07/01(火) 01:32:29 ID:1sNu8HTv
織田信長は(運が良かった)のは確かだが
(運が良かっただけ)というのは間違い
477人間七七四年:2008/07/01(火) 10:13:25 ID:luV+y9ND
>>476
織田厨の屁理屈にしか聞こえないw
478人間七七四年:2008/07/01(火) 10:23:34 ID:kQZvAjbF
>>477
君のも負け惜しみにしか聞こえない
運ごときであの巨大勢力を築けるなら、頑張ったのに滅んだ○○の才覚は相当ショボい事になる
479人間七七四年:2008/07/01(火) 10:47:18 ID:luV+y9ND
>>478
え〜っと
とりあえず俺はここで何の議論をしてるかは知らん
(過去レスは読んでない)
で、
>>476の書き方が
「運が良かった」
「運が良かっただけ」
↑この書き方がどう考えても“同じ意味”だから織田厨の屁理屈って言った。
480人間七七四年:2008/07/01(火) 10:56:53 ID:kQZvAjbF
>>479
そーか
ここではこんな感じだ
@運が良かっただけで才は無し
A運もあったが才もあった
B運ではなく、全て才

まっとうな思考があればAだろう
481人間七七四年:2008/07/01(火) 13:59:34 ID:1sNu8HTv
>>476だけどあえて多くを語らないレスをしたら>>479みたいな同じ意味にしか
捉える事の出来ない輩がいるから困ったもんだよな
オレが伝えたかったのはまさしく>>480が語っているよ
家康なんかも運と才に優れていた為、天下泰平の世を作る事が出来た
当時家康クラスの才覚を持った戦国大名も何人もいただろうけど、結局運に恵まれず
覇者に成る事が出来なかった
482人間七七四年:2008/07/01(火) 14:48:25 ID:luV+y9ND
>>481
忍耐じゃ徳川家康と伊達政宗って似てる。
才はあったけど政宗になかったのはとことん運がたりない。
まず生まれた年。
そして場所。
483人間七七四年:2008/07/01(火) 18:13:50 ID:lym/e5Mo
政宗なんて恵まれ過ぎて
運が良かったじゃんか。
484人間七七四年:2008/07/01(火) 18:30:21 ID:luV+y9ND
>>483
家柄がだろ?
485人間七七四年:2008/07/01(火) 20:14:17 ID:I50CCqte
「運が良かった」と「運が良かっただけ」が同じ意味とか、流石に日本語の常識を疑うわ
486人間七七四年:2008/07/01(火) 20:31:13 ID:luV+y9ND
>>485
「運がよかった」
に“だけ”を付け足しただけじゃん。
このスレを基準にみれば>>480の方が言ってるようになるが、
常識で考えろよ、お前が。
487人間七七四年:2008/07/01(火) 20:51:37 ID:SG5VCveC
>>486
ちょwww
本気でそう思っているのなら、小学校からやり直した方がいいよ…まさかまだ小学1年生って事はないよね?w

”だけ”が付くと、それ以外は否定されます、したがって…
・運が良かった → 運以外も良かった可能性が残る
・運が良かっただけ → 運以外は何も無かった
488人間七七四年:2008/07/01(火) 20:55:00 ID:luV+y9ND
>>487
はっきり言って、
「運が良かった」に
“だけ”をつけたぐらいで
お前みたいにそんな深〜く考えんわ。
489人間七七四年:2008/07/01(火) 20:59:53 ID:SG5VCveC
まぁいいや、そういうことにしておこうか

ただね、この件を一般世間で話題にしたら、笑い者になるだけって事を覚えて置いた方がいいよw
490人間七七四年:2008/07/01(火) 21:05:44 ID:luV+y9ND
>>489
まあ、
『「運が良かった」に
“だけ”を付け足したらどう変わる?』
なんて話題にも持ち上がらんがなw
491人間七七四年:2008/07/01(火) 23:23:36 ID:/Iicrypm
ID:luV+y9ND
は最近沸いてる批判ばっかして自分の意見を求められたらスルーする奴だろ
492397:2008/07/02(水) 00:19:46 ID:IfrAhITV

土人信仰・徳川史観による典型的な歴史オナニー

信長が徳川信康の資質を恐れて、武田内通の嫌疑でついでに処分www

プププッ(笑)プウwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwぷっ(これは笑いっ屁)
493人間七七四年:2008/07/02(水) 00:31:56 ID:E8SmRtTX
>>491
お前がいうその人はどこのスレに具体的に湧いてるんだ?
俺は煽りや誹謗はするが具体的に書けない信長厨なら知ってる。
494人間七七四年:2008/07/02(水) 00:51:21 ID:L2Bf2eOg
信長は運だけ
495人間七七四年:2008/07/02(水) 01:06:47 ID:LrKtdi4D
>>493
相手すんな
この板や歴ゲー板で自演ばっかりして叩かれてる有名な荒らしだろうよ
大方どこかのスレで、また自演でもバレてファビョってんだろうよ
496人間七七四年:2008/07/02(水) 01:33:39 ID:Ln4rQhpq
片や知識が不十分で片や日本語が不自由か
泥沼になるべくしてなった訳だ
497人間七七四年:2008/07/02(水) 12:05:29 ID:v5T5pxUo
天才信長は世界史上でも特筆するべき大改革をやってのけたが、

後に続くべき秀吉、家康は単に醜い権力争いをしてただけ。
器があまりに違いすぎる。

ましてや信玄、謙信など信長の足元にも及ばない。
498人間七七四年:2008/07/02(水) 12:41:24 ID:TwLq2GE0
>>497
はいはい信長厨乙〜
499人間七七四年:2008/07/02(水) 14:03:48 ID:00MjmKXc
信長が何か改革なんてしてたっけ?
どこでもやってるようなことしかしてなかったじゃん
信玄謙信の方がよっぽど革新的だ
500人間七七四年:2008/07/02(水) 18:44:47 ID:9xMeYvov
信長厨・伊達厨はむしろアンチのなりすまし
本当に痛いのは中途半端にローカルな家のファン
501人間七七四年:2008/07/02(水) 19:06:12 ID:Ln4rQhpq
全部なりすましかは知らんけど、>>497は釣りだと思うよ
502人間七七四年:2008/07/02(水) 20:29:04 ID:L2Bf2eOg
>>497
秀吉のが天才でしょ
信長の死から
10年程度で天下統一なしとけたんだから
信長だとまだ一波乱あったなw
503人間七七四年:2008/07/02(水) 20:55:22 ID:TwLq2GE0
>>502
とりあえず織田信長も豊臣秀吉も天才ではない。
まあどっちかって言うと、
“織田信長>豊臣秀吉”
こうなる。
織田信長は全ての事
(戦術、外交その他諸々)
をほぼ自分でやってる。
豊臣秀吉は周りに参謀やら軍師やらがいて
(影の実力者達)
いろいろ助言してもらってる。
504人間七七四年:2008/07/02(水) 22:07:26 ID:M7YPqzyj
>>503
信長は重臣の助言なんか聞かずほぼ独断で重要事項を決定していたんだろうけど
佐久間や林なんかの追放を目のあたりにした家臣達はどんな無理な命令でも
実行しようと死にもの狂いで足掻いていたんだろうなあ

有能かもしれんが自分の上司には絶対なってほしくないタイプだ
505人間七七四年:2008/07/03(木) 02:39:43 ID:lGtKqrp4
>>503
信長は堺商人の言いなり
利休があれだけ力もったのも
そのせいね
漫画ネタって言うかもしれんが
どの時代も商人が一番力をもっていて
信長は典型的
506人間七七四年:2008/07/03(木) 05:56:15 ID:Swr9ltG3
あれだけ押さえつけて酷い目にあわせたり怖がらせてもいいなりって言うんだな。
後付け解釈は好きにすればいいが、その時代に生きててそんなこと殿の耳に
入ったら即アボソだってのw

確かに尾張は地の利はあるが、それなら畿内でも若狭でも美作でもいいだろ。
経済先進地域という事が重要なんだよ。だから経済戦争の重要性をいち早く
最も深く理解していた男というのが正しい。光秀や秀吉を見いだし、使いこなせ
たのも信長なればこそ。堺なんて見て見ろ、秀吉時代には事実上滅亡してる
つうの。確かに信長殺しの陰謀に加担した臭いのもいるにはいるが、単独で
そこまで出来るわけがない。
507人間七七四年:2008/07/03(木) 09:23:48 ID:bunr6Wvr
利休が力をもったのではなく、信長に利休は茶の湯の偉い先生って事にされた
そして信長が率先して茶の湯を学び、今まで茶の湯に興味の無かった家臣にも茶の湯に興味をもたせた
こうなると今まで家臣にとっては価値の無かった茶器が価値ある物になり、信長は領土の代わりに褒美として茶器を与え、恩賞の節約にもなり、また新たに優秀な人材を招く余裕も生まれる
508人間七七四年:2008/07/14(月) 15:40:13 ID:8recGoLZ
>>506
若狭でも美作でもいいわけないだろw

石高も人口も雲泥の差があるじゃないかw
509人間七七四年:2008/07/15(火) 01:10:02 ID:zHo9A2oG
運が良かっただけで天下統一できるんかいな。
510人間七七四年:2008/07/15(火) 09:14:06 ID:jnr7uhUd
だけでは無理だよ
だけど運が悪いものよりは遥かに簡単に出来るね
そして信長の運は半端なかった
511人間七七四年:2008/07/15(火) 12:24:03 ID:MLRlwXLx
運は何もしないで向こうから勝手にくるものではないしね
機を見るに敏でなければね
ましてやハンパない運なんて、ハンパない情報収集とハンパない決断力とハンパない行動力が必要だよね
512人間七七四年:2008/07/15(火) 13:24:20 ID:zhcmTz6N
>>511
では最後の最後で最も最高の運の機を見た
“徳川家康”
が最強と言うわけですね?
513人間七七四年:2008/07/15(火) 13:54:21 ID:MLRlwXLx
>>512
事 運と機においては最後まで耐え忍んで、好機と見るや一気に仕掛けた家康が最後の勝者だしね

最強とは何の事かは分からんが・・・
514人間七七四年:2008/07/15(火) 16:12:59 ID:gNH2Hqx6
宇宙最強の天才だからな信長様は
515人間七七四年:2008/07/15(火) 16:57:04 ID:MLRlwXLx
>>514
何言ってんすか〜?
最強は信玄公に決まってるじゃないすか〜

信玄公が上洛の軍を起こせば
北条は自ら兵を差し出して信玄公のご機嫌うかがい
上杉はビビってるのを隠すために一向一揆で忙しいフリ
家康は恐怖でウンコをちびり
殿(信長様)は岐阜に引き籠もって震え上がるしまつ

その信玄公の影響力は現代においても尚薄れること無く
信玄ファンが街を歩けば皆が羨望のまなざしを向け、他家厨は蔭でハンカチを噛んで悔しがる
武田ファンが歩む先には遮る者は無く、ヤクザさえも視線をそらして道を開ける

織田厨の俺はそんな武田ファンが羨ましいっす
516人間七七四年:2008/07/15(火) 17:01:11 ID:hqzFN4/h
○○厨のなりすましして煽るのやめろ
517人間七七四年:2008/07/15(火) 17:12:17 ID:MLRlwXLx
>>516
一応マジで織田厨なんよ俺
でも普通のカキコには普通に応えるわけよ〉507みたいにな

ただ信長宇宙最強みたいな成り済ましは全部武田厨によるものだと勝手に判断する事にしたわけよ
実際一番多そうだからな
518人間七七四年:2008/07/15(火) 17:18:45 ID:wjLDVj5q
まあどっちも政宗の遅生まれに助けられたよなw
519人間七七四年:2008/07/15(火) 17:46:02 ID:zhcmTz6N
>>517
×織田厨成り済まし=武田厨〇織田厨成り済まし=他大名厨達(武田厨も入る)
520人間七七四年:2008/07/15(火) 17:47:34 ID:zhcmTz6N
>>519
すまんsageと改行忘れた…

×織田厨成り済まし=武田厨
〇織田厨成り済まし=他大名厨達(武田厨も入る)
521人間七七四年:2008/07/15(火) 23:58:54 ID:EE1mcRVz
織田厨ってついにこんな馬鹿なことまで言い出したのか
末期だな
522人間七七四年:2008/07/16(水) 04:53:47 ID:ziXhJJXN
一部の織田厨達(無知)は自分達がどれだけこの戦国板で嫌われてるかを
自覚していただきたい。


まともな織田厨達はとうの昔に自覚したが、
(まあそれは一部の織田厨達が信長最強を唱え続けた結果、他大名厨達が織田厨を嫌いになったわけだが…身内のせいで静観を余儀なくされるとは)
一部の織田厨達は未だに分かってない、逆に開き直る奴等が多い。

言っておく、
×アンチ織田=他大名厨達
〇アンチ織田厨=他大名厨達
別に織田信長って人物が嫌いってわけじゃないからね。
その人物を超過大評価してる一部の織田厨達が大嫌いなんだ。
523人間七七四年:2008/07/18(金) 16:16:57 ID:IBfG6B8p
あの時代で一番必要なものは運だと思うんだが
524人間七七四年:2008/07/18(金) 16:30:24 ID:gVxtXzmd
>>523
うんw
525人間七七四年:2008/07/18(金) 16:34:10 ID:CotKT3ni
武田が病死ときいて内心ホッとした信長ちゃん
上杉も病死ときいて歓喜した信長ちゃん
526人間七七四年:2008/07/18(金) 18:50:34 ID:ZmneNNwW
氏康死亡と聞いて、ふぅ〜んって言った信長ちゃん。
元就死亡と聞いて、ふぅ〜んって言った信長ちゃん。
527人間七七四年:2008/07/18(金) 20:21:11 ID:gVxtXzmd
>>525
織田信長「信玄は死去したか…これで存分に暴れられる!…えっ!?
甲斐の兵隊が強かったてのは信玄の謀略?おのれ信玄!!この信長を誑かしたな!!!たしか息子は凡将だったな徹底殲滅してやる!」

徳川家康「流石は武田信玄…信長公を見事に騙しおったわ…
(信玄て案外頭いいな…ふむ御手本にしてみようかな?)」

織田信長「上杉…~ガクブル、ガクブル~
上杉は恐ろしすぎる…あの時柴田を先鋒にやって正解だったな…」

徳川家康「ふむ…あの信長公があそこまで恐れるとは…軍神…まさにぴったしの渾名だ」
528人間七七四年:2008/07/18(金) 20:34:21 ID:gVxtXzmd
>>526
織田信長「北条氏康?…関東の三傑の一大勢力だったな」…だが遠くてあまり情報も入ってないし…美味しいの?」
徳川家康「上杉をあんなに怖がるのに、上杉を籠城戦で退けた北条を恐れないとは…信長公の価値観はよくわからないな…常識人とは少し違うようだ」

織田信長「元就は死去したか…だが息子の情報があまりない、まずは羽柴に先鋒を務めさせ実力をたしかめるか…」

徳川家康「信長公はなんというやつだ!あれでも武士なのか!?
武士たるもの戦を恐れていたら始まらん!!ほんとに武士の常識がないな、まるで“うつけ”だ」
529人間七七四年:2008/07/18(金) 20:56:15 ID:gVxtXzmd
明智光秀「おや?…信長様が毛利討伐を猿にまかして本能寺で少数で休んでる……これは……ウシシッ…」

徳川家康「何、明智が謀反!?
信長公が討たれた!?
…ふむ…戦上手の信長公を奇襲とはいえ討ち取った光秀…
明智を討ち取ればわしの三方ヶ原の評判も良くなるかもしれん!」

家臣達に“織田信長の敵討”と話した家康。

本田忠勝「殿!いけません、
いくら三河武士の我らでも劣勢では、とても明智の大軍には勝てません!
ここは再起を計るべきです」

徳川家康「そうか…分かった、
正成!伊賀越えをする、我軍の案内を頼む!」

服部正成「承知しました!!
(とは言ったものの…正直道分からない…そうだ!
移動をよくして道という道をしりつくしてる商人達に助けを求めよう!)」
530人間七七四年:2008/07/18(金) 22:06:45 ID:DYZXnrSI
>>527
凡将っていうか、勝頼とは直前まで姻戚関係結ぶはずだったんだよな
531人間七七四年:2008/07/19(土) 12:53:40 ID:D0NYOEMi
>>530
将としての質と婚姻関係結ぶとか関係なくね?
武田厨の自分だけどそこんとこ反応しなくていいだろ。
別にけなしてるわけじゃなし。
532人間七七四年:2008/07/21(月) 21:22:46 ID:dINGWRSh
鯨統一郎「邪馬台国はどこですか」に書いてあったんだけど(短編集)
桶狭間のとき作戦会議を一度も開いていないって本当ですか?
533人間七七四年:2008/07/21(月) 21:36:33 ID:55/+z4j2
信長アンチは基地外
534人間七七四年:2008/07/22(火) 07:35:38 ID:e5NolHJo
信長がどれだけ信玄と対立しないようにしてきたか、それを分かってるのか?そう考えれば、このラッキーは得るべくして得たという気がする。ちなみに信玄の死に関しては暗殺説があるよね。
あのタイミングだから仕方がないかもしれないけど
535人間七七四年:2008/07/22(火) 12:52:30 ID:YZOhgr5d
>>533
×アンチ織田=きちがい

〇一部の織田厨=きちがい
↑この結果、他大名厨達はアンチ織田になる。

織田厨の常識と他大名厨達の常識が違う。
536人間七七四年:2008/07/23(水) 15:03:46 ID:6Sp4iF06
基地外じゃない厨なんて存在しない
537人間七七四年:2008/07/23(水) 20:07:54 ID:JRNQHv+n
>>536
そうか、じゃあ
織田信長も武田信玄も上杉謙信も毛利元就も好きな
(その中で一番好きなのが信玄)

自分は自称武田厨だけど、厨じゃないってことですか?
538人間七七四年:2008/07/24(木) 21:47:07 ID:5n6/s9PQ
日本語でおk
539人間七七四年:2008/07/26(土) 00:54:13 ID:4GxA1b80
今日小牧山に行ってきたけどどこにでもあるような小山で当時は周りも
たんぼだらけだっただろうからあんなところに小さい城を作ってる状況で
天下を取るなんて考えてたなら信長はやっぱりある意味馬鹿だったんじゃないかな

頂上から景色みたけど岐阜城なんて見えないし、京都なんて論外だし
兵隊率いて歩いて戦いにいくわけだからそんな大変なことよくやろうと
したと思ったよ。

あんなところにいて全国平定を目標にしたとしたならある意味馬鹿と言ったけど
まじで馬鹿だな。
540人間七七四年:2008/07/26(土) 01:36:40 ID:nxbDVXzl
歴史にイフはあったら夢は膨らむけど 結果 信長はその当時の日本の第一権力者になってるから誰もその事実はかえらんない
運も定めのうちじゃん
その規定事実を信長がどーだこーだ言うのはどうかね〜結局
運だろうが実力だろうが信長は実在して つよーい 勢力あったんじゃん
このスレに書き込みしてる一部のやつら歴史の結果史実だけわかったふりしてる奴で んでお前だったらどうすんだ 結果歴史もしらないその当時の状況でっ
あんた県知事なれんすか?総理大臣なれんすか?村長なれんすか すきかってに言うのはワイドショーとおんなじずゃん おまえら信長なったら歴史に名を残せるなら 地方の首長に会社の長にでもなれんじゃん
あぁ〜うらやましぃー
ミッミッチィ輩どもへ
まぁあげあしとるならみなおなじか 兄弟輩
541人間七七四年:2008/07/26(土) 06:01:42 ID:hcCkzCE0
>>537
ほらな、基地外だろ
542人間七七四年:2008/07/26(土) 07:46:44 ID:NJvaXh4q
けっきょく上手くいった奴はみんな運ニダ
そいつが優れてるわけでもウリが劣ってるわけでもないニダ
努力も才も必要ないニダ
だから桃と葡萄でも作りながら運が巡ってくるのを待つニダ
543人間七七四年:2008/07/26(土) 07:59:15 ID:I7CCGsqe
>>540
バカだな

信長に生まれたことこそ運が良かったのだ。
544人間七七四年:2008/07/26(土) 15:13:52 ID:KDIfDcZ4
>>542
低能織田厨乙。
才能あって努力をして一流といわれるだけの力があっても
条件がなければ天下にはとどけないんだよ。
545人間七七四年:2008/07/26(土) 15:26:30 ID:NJvaXh4q
>>544
望まなきゃ手が届かないんだよ
信玄は所詮戦国に甘んじたから陣取りゲームで終わったんだよ
546人間七七四年:2008/07/26(土) 15:36:57 ID:KDIfDcZ4
>>545
望める位置も条件もなかった山国甲斐にむちゃいうな。タコ。
経済豊かで美濃は幼君で勢力が弱体化してた畿内に近かった尾張と一緒にするな。
信長が甲斐や越後にいりゃお前のいう陣取りゲームで終わりだ。
547人間七七四年:2008/07/26(土) 15:43:11 ID:NJvaXh4q
>>546
ではつまり信玄は陣取りゲームだったんだな
望めないから陣取りゲームしてたんだな


正解!
548人間七七四年:2008/07/26(土) 15:48:07 ID:KDIfDcZ4
>>547
どこでも最初は陣取りで勢力を拡大していくんだよ。
お前の大好きな信長さまもな。そうやって地力を蓄えて条件や状況を元に
つぎなる戦略を目指す。
信長の場合も他と同じように尾張と美濃で陣取りゲームをやって何度も負けながら
幼君のごたごたにつけこんで美濃を取って、政治的真空状態にあって弱体化してた
畿内に乗り込んだ。それだけのこと。
信玄は貧しい山国甲斐の振興から初めて信濃を攻め、各地を攻めて地力を蓄え、
後年において西を望む戦略を構築するまでに至った。
状況環境が違いながらもここまでの位置までいったのは十分大したものだと思うがな。
信長をいい加減特別扱いするのやめろ。
549人間七七四年:2008/07/26(土) 15:57:34 ID:NJvaXh4q
>>548
そんなに貧しいのに、ただでさえ領民は苦しい生活なのに、誰かさんの野心に付き合わされて更に苦しい生活を強いられてかわいそうに…
しかもその誰かさんのせいで家は滅びて…
それって名君?暗君?暴君?
550人間七七四年:2008/07/26(土) 16:00:54 ID:KDIfDcZ4
>>549
信玄が勝ち続けた事で莫大な戦利品が甲斐の兵士や民になだれ込み続けたんだけどな。
しかも信玄は甲斐の振興政策をいくつも行っているしな。
滅んだのは勝頼の代だし。
あ、それはそうと条件を生かして拡大したはいいけれど最後は家臣に裏切られて息子ともども殺されて
天下崩壊お家衰退嫡流断絶になった誰かさんもいるんだけど、
それって名君?暴君?暗君?
551人間七七四年:2008/07/26(土) 16:03:18 ID:NJvaXh4q
>>550
×名君暗君暴君

○英雄
552人間七七四年:2008/07/26(土) 16:04:38 ID:KDIfDcZ4
>>551
なら信玄も立派な英雄だな。
553人間七七四年:2008/07/26(土) 16:04:56 ID:77IUxp0D
流れを見たところ、

ID:KDIfDcZ4は知識を言ってるけど、

ID:NJvaXh4qは煽りしか言ってないな。
流石は織田厨と言ってやろうwww
554人間七七四年:2008/07/26(土) 16:10:19 ID:NJvaXh4q
>>553
天海に武田の資料は都合のいいように書いてあると言われた資料から得た知識かな?
555人間七七四年:2008/07/26(土) 16:14:53 ID:KDIfDcZ4
>>554
天海さんですか、そりゃすごいですねー。
山の上から第4回川中島の信玄と謙信の一騎打ち(爆笑)を見届けたお方ですからねー。
ちなみにどの資料で天海がそんな事いってたのか教えてくれる?
556人間七七四年:2008/07/26(土) 16:21:00 ID:NJvaXh4q
>>555
知識あるんだろ?
557人間七七四年:2008/07/26(土) 16:23:42 ID:VsHxScDt
>>556
お前は脳内資料だけだけどなw
558人間七七四年:2008/07/26(土) 16:24:13 ID:NJvaXh4q

つまりこういう事なわけだな


朝鮮人:海外で悪い事をする時は日本人のふりをする
山梨人:戦板に煽りカキコをする時は織田厨のふりをする

朝鮮人の趣味:放火レイプ
山梨人の趣味:同上&略奪

朝鮮人の歴史:歪曲捏造
山梨人の歴史:同上

金正日:百戦百勝無敗信玄:戦国最強

金正日:デブぶさいく短足卑怯病弱冷酷
信玄:同上

金正日の外交:裏切りハッタリ
信玄の外交:同上

金正日の内政:重税と恐怖(逃げたら死刑)
信玄の内政:同上(逃げたら鉱山送り)

金正日の軍隊:無敗の軍隊
信玄の軍隊:戦国最強の騎馬隊
559人間七七四年:2008/07/26(土) 16:25:34 ID:KDIfDcZ4
>>556
何をいってるのかわかんないんだけど。
>>553の人と俺は別人ね。
織田厨お得意の一人認定はやめてねw
早く答えてもらえる?
560人間七七四年:2008/07/26(土) 16:26:05 ID:8TplJDO6
武田信玄が尾張に生まれてたらとか、イフにも程があるね
もし生まれてても、結局生まれた環境と周辺人物が違うんだから「武田信玄」にはならないだろ
561人間七七四年:2008/07/26(土) 16:29:14 ID:KDIfDcZ4
>>558
全部お前ら織田厨にあてはまるな。
信長の失敗や敗戦や残虐行為は何がなんでも正当化。
その癖、他の大名に関しては得意げに叩く。
それだから織田厨は好きになれんな。

>>山梨人:戦板に煽りカキコをする時は織田厨のふりをする
つーかこれ明らかに織田厨の行動皮肉ってるだろww

今煽り書き込みしまくってるのお前だからお前武田厨なのか?w
馬鹿すぎwww
562人間七七四年:2008/07/26(土) 16:30:31 ID:KDIfDcZ4
>>560
ま、それはそうかもね。
だがそれは信長にもいえるって事。
563人間七七四年:2008/07/26(土) 16:38:22 ID:8TplJDO6
>>562
てかね、信長が甲斐や越後に生まれてたらとか言われても

だからどうした…

としかいいようがないわな
564人間七七四年:2008/07/26(土) 16:40:28 ID:KDIfDcZ4
>>563
結局は条件の問題だってことよ。
それを見ないで信長だけ持ち上げて他を叩くならそれは違うというだけ。
565人間七七四年:2008/07/26(土) 16:49:39 ID:8TplJDO6
条件って言われてもなぁ、甲斐源氏の信玄は甲斐源氏だからこそ武田信玄なんだし
別にいいじゃない、条件なんか揃わなくて人物が好きでさ
それこそ本当ファンだろ
566人間七七四年:2008/07/26(土) 16:58:21 ID:KDIfDcZ4
>>565
なんか誤解してるな。
俺は普通に天下に遠い貧しい甲斐に生まれ甲斐から周辺の強敵と戦い大勢力を築いた信玄が好きだが。
他の大名のファンも同様だろう。
だけど織田厨は条件の違いとかも見ないで信長だけを特別扱いして他の大名の行動や勢力の到達点を
馬鹿にしまくるのが問題だと言っているんだよ。
信長が好きならそれでいい。だけど「信長に比べれば〜は所詮〜」とか
「信長が〜に行動したんだから〜もそうすればよかったのにそうしなかったのは
やっぱり信長と〜じゃ格の違う証拠」とか電波なこといいまくるから
それは違うと反論せざるを得ないんだよ。
信長厨が信長の業績だけで完結してれば他も特にもんくなんかないだろ。
567人間七七四年:2008/07/26(土) 17:04:45 ID:8TplJDO6
ほっとけばいいじゃんw

何使命感感じてんだよ、くだらない

まぁ好きにしてくれ
568人間七七四年:2008/07/26(土) 17:49:05 ID:77IUxp0D
>>558
なんだこのニュース板厨www
569人間七七四年:2008/07/26(土) 19:18:06 ID:XteBq8I1
でも、信長が、戦国時代で最大の成功者だったのは事実だろう。

尾張一国の1/4程度の守護代の家臣風情の家を継いだ男が、
天下統一まで後数年といったところまで行ったわけで。
(10万石程度から、800万石近くまで登り詰めたって書いた方がわかりやすい?)

武田は、十数万石程度から、150万石くらいかな?
多分、信長、毛利に続く、第3位。
(秀吉、家康は、信長の後継として、カウントせず)
570人間七七四年:2008/07/26(土) 20:18:08 ID:74QoXQlX
むしろ運が悪いのに勢力を伸ばした人物を知りたいw
571人間七七四年:2008/07/26(土) 20:21:15 ID:FrQmzBL0
とりあえず一番運が悪いのは内ヶ島氏理だな
572人間七七四年:2008/07/26(土) 20:29:20 ID:NJvaXh4q
>>571
あれは運というより祟りであってだな
ガクガク((゜Д゜;)))ブルブル
573人間七七四年:2008/07/26(土) 21:37:48 ID:PlxqTHTk
>>570
徳川家康とか
574人間七七四年:2008/07/26(土) 21:47:45 ID:J46SFP1g
戦国も中期になれば、信玄と信長が天下獲りの最右翼と目されていたわけで、
その両者のガチバトルは見たかったよな、まじで。

弱兵で変態暴君だが、尾張の経済と知性と兵器や兵制の改革でのし上がった
信長、父を放逐するという大きなハンデを背負いながら若年で部下を掌握し、
領民から名君と慕われた教養人の信玄、革新と保守の違いはあれど、両者が
最も実力を有した群雄だろう。

信長がのした遠近江から畿内を、決戦で屠り、魚父の利を得て天下を取ろうと
する信玄の戦略は凄い。あと健康さえあれば・・・。まあ暗殺かもしれないが、
謀略でも最強の両者、信玄も簡単に暗殺されるとは思えないが。
575人間七七四年:2008/07/26(土) 22:23:51 ID:W4Gegw4h
あれを暗殺とするなら、
敵の軍勢の中を怪しまれずに一番大事に守られている人を殺したわけだから、
竜王の城に単身乗り込むロトの子孫並の勇者だよなあ。
576人間七七四年:2008/07/27(日) 00:12:08 ID:O82qnQuw
尾張の弱兵ってモロ徳川史観だな
577人間七七四年:2008/07/27(日) 00:26:30 ID:CUYP3i28
尾張の弱兵説って、どれくらい信憑性あるのかな?

個人的には、ある程度事実だったんじゃないかと思うけど。
少なくとも、幾内を押さえてからの織田軍は、
傭兵みたいな連中の比率が高かったんだよね?

当時の傭兵なんて、野党の集まりみたいなもんだし、
(形勢が多少悪くなると、すぐ逃げる。士気が低い)
そういう意味では、弱かったのかなと。
578人間七七四年:2008/07/27(日) 05:19:27 ID:zdkNC+Zz
支離滅裂
尾張関係ないじゃん
579人間七七四年:2008/07/27(日) 07:29:46 ID:HqyjGJny
>>578
たしかにw
傭兵に責任転換してるよなw
580人間七七四年:2008/07/27(日) 08:08:53 ID:hQMExcmO
道三健在中の美濃兵と当時敵対中の三河兵に比べての話だろ?
581人間七七四年:2008/07/27(日) 08:57:05 ID:Rz07TquB
いやいや孫の龍興にさえガチンコでは勝てなかったわけで、十分弱兵の
レッテルをいただく資格はあるなw
582人間七七四年:2008/07/27(日) 10:01:31 ID:SUqPM3ZF
>>577
意外と傭兵と国民軍の差とか、あんま関係ないと思うよ。
みんな知ったかでどっちが強いとか弱いとか言うけどね。一長一短じゃないかな。

越後兵が強いとか言うのも謙信が強いってことでしかないでしょ。
583人間七七四年:2008/07/27(日) 11:15:44 ID:CUYP3i28
>>580
それ、司馬遼太郎が、国盗り物語でそう書いたってだけの話しじゃないの?
モトネタあるのかな?誰かの日記にそう書いてあったとか・・
584人間七七四年:2008/07/27(日) 18:37:11 ID:HqyjGJny
自分は>>580とは別人

>>583
逆に問う。
尾張兵の弱いという通説がすべて傭兵のせいなら、
その証拠をここにあげてくれ。
何の文献に書いてあったの?
585人間七七四年:2008/08/05(火) 21:01:32 ID:QvFaR0HR
ドナルド「ハッハッハッハッハッハッハッ!上げちゃうよ?」
586人間七七四年:2008/08/06(水) 01:18:32 ID:78BBSRzF
たしか、信長って美濃を攻めた時は、三回は負けてるよね?義龍にフルボッコにされて結局、内部崩壊で辛勝(笑)
587人間七七四年:2008/08/06(水) 07:23:31 ID:1ylQg8uC
生涯で一番苦戦した相手だよなw
588人間七七四年:2008/08/06(水) 07:26:29 ID:2ijsvzwu
>>582
だいたい謙信は強かったのかと
589人間七七四年:2008/08/06(水) 10:20:00 ID:ewICIflc
>>586
美濃とはどっこいの国力だったからな
寄せ手だし負けるのは別に不思議なことではない
そこを飲み込んだからこそ圧倒的な国力を手に入れたわけで一番の難事業だったと思う
590人間七七四年:2008/08/06(水) 12:46:14 ID:NL52yTPT
>>589
国力小さいから負けて当然を正当化ですか、そうですか。

桶狭間の戦いの今川軍の本体は殆どが補助部隊の非戦闘員。
長篠の戦いは数で織田軍が圧倒的優位。

つまり織田信長の戦上手さは武田勝頼と変わらないってことですね?
591人間七七四年:2008/08/06(水) 13:05:21 ID:DvHUJEp1
>>590
考えてみたら信玄て時期も勢力圏も歴史的意味も狭いから話題が無いんだよな
だから寂しいんだよな
だから絡むんだよな




かわいそうだな
592人間七七四年:2008/08/06(水) 13:14:37 ID:NL52yTPT
>>591
それは上杉謙信と北条氏康にも当てはまるね。
593人間七七四年:2008/08/06(水) 13:20:19 ID:DvHUJEp1
>>592
上杉は謙信時代や長谷堂や大坂もあるから話題は豊富だし、北条は戦国終盤の大舞台小田原攻めで戦国オールスターと戦ってるじゃん
594人間七七四年:2008/08/06(水) 13:30:47 ID:NL52yTPT
>>593
ちょっとまて、自分で時期がどうのこうの言っといて
「長谷堂や大阪…」
上杉謙信と全然関係ないし。
小田原の戦いも北条氏康関係ないし。

武田は信玄時代があって話題豊富だな。
595人間七七四年:2008/08/06(水) 13:40:41 ID:DvHUJEp1
>>594
家としての話題の時期なら北条は早雲から小田原まで
北条の話題=下剋上から豊臣時代まで

上杉は…幕末とまでは言わないが大坂まで
上杉の話題=群雄割拠から徳川時代まで

長いではないか
596人間七七四年:2008/08/06(水) 13:47:56 ID:NL52yTPT
597人間七七四年:2008/08/06(水) 13:57:01 ID:NL52yTPT
>>595
あのさぁ、あんた…>>591じゃ武田信玄の時代話してるくせに、

自分が>>592で異論唱えたら、
>>593で長谷堂の戦いやら大阪の陣やら小田原の戦いやら戦国前期の武田信玄、上杉謙信、北条氏康とまったく関係ない話もちだしてきてよぉ…
家のとしての話題なんかもちだしてきてさぁ…卑怯すぎるぞ…

武田信玄時代
上杉謙信時代
北条氏康時代
どれも話題豊富だ。
598人間七七四年:2008/08/06(水) 14:03:31 ID:DvHUJEp1
>>597
ア-悪かった

信玄も謙信も氏康も話題は豊富だが、家としては武田は短いから、話題が出尽くし安い
それで寂しくて他に絡むのはかわいそう
と、言い直そう
599人間七七四年:2008/08/06(水) 14:07:39 ID:NL52yTPT
>>598
まるで後釣りのような展開だな、
そこまでして…
よっぽど武田が嫌いなんだなあんた…
600人間七七四年:2008/08/06(水) 14:15:54 ID:ghhgqaCf
つーかさ、国力が小さいなら別に負けて不自然じゃないよな、寄せ手が一回や二回で勝てるわけないし、調略できればそれにこした事はない
正当化も何も当然だろ?
>>590は相当織田嫌いと見える

それに勝頼は相当強いし、ゲーム脳なんじゃね?
601人間七七四年:2008/08/06(水) 14:30:20 ID:NL52yTPT
別に織田信長が嫌いってわけではない。
今まで織田厨達が織田信長は前期少数で大軍破った戦ばかりしてるから凄い戦上手と言ってて
「美濃で三回も負けてる」を国が小さいから当たり前。
とか言い出して…じゃあ信長は別に戦上手ってわけではないんですね?
602人間七七四年:2008/08/06(水) 14:39:20 ID:ghhgqaCf
>>601
別にその三回で全て決まるわけないだろ、拮抗した相手に一回二回の負けがその人物の全評価なのか?
他に戦果が残せれば充分強いよ、他の戦いで負けたから強くないなんてありえないからw
勝頼にだって言える事、お前さんは勝頼も嫌ってんのか
603人間七七四年:2008/08/06(水) 14:45:25 ID:ewICIflc
>>601
勝ったことがあるという事実は変わらないし、そこを評価してるんだよ
本来負けて当たり前の戦、稲生なんかもそう
負けて当たり前の戦で勝ったから評価されてるってだけ
負けて当たり前の戦で負けたから戦下手って言わないでしょ
604人間七七四年:2008/08/06(水) 14:49:06 ID:NL52yTPT
「戦国時代には勝者が正義」
まさにこのことだな。
605人間七七四年:2008/08/06(水) 15:00:57 ID:ghhgqaCf
>>604
だったらもう二度とこの板に来ない方がいいよ
勝者歴史(笑)に基づいてついて語ってんだから
606人間七七四年:2008/08/06(水) 16:14:33 ID:2ijsvzwu
>>590
>桶狭間の戦いの今川軍の本体は殆どが補助部隊の非戦闘員。

これのソースなんね?
607人間七七四年:2008/08/06(水) 20:25:23 ID:NL52yTPT
>>606
「戦国を変える新説15」
に書いてある。

あとこれには
「川中島の戦いの通説は机上で練られた想像上の戦争だった」
と言う新説も書いてある。
608人間七七四年:2008/08/06(水) 20:43:39 ID:2ijsvzwu
>>607
どんな風にという質問も
609人間七七四年:2008/08/06(水) 20:51:49 ID:dwXQ0g0+
>>607
いや別にそんなもの新説でもないし

秀吉だって「こんな愚かな遭遇戦で無意味な死者イパーイ出しちゃて、馬鹿なの?」って
言ってるし、なんかお互いきちんとした戦術を駆使したとか、軍鑑の創作だってすぐわ
かるって。
610人間七七四年:2008/08/06(水) 22:29:15 ID:nsNA93ds
>>598
お前はとことん後釣りだな。
武田を叩く結論ありきでございますか。
武田は江戸時代に高家や旗本になって過ごしてる。織田なんか江戸時代家が断絶したりしながら
分家が複数小禄で細々生きたんだが。
>>600
国力がちいさくはないぞ。信長が美濃を攻め始めた時は美濃と信長の勢力はほぼ対等だ。
しかも美濃は幼君で混乱中というのが大きいな。調略の成功もここに要因がある。
>>602
相手は幼君で内部がたがたですからねー。
>>603
負けて当然なわけないでしょ。国力は織田が互角かそれ以上、相手は幼君でクーデター騒ぎまで起きてる、
14条じゃ普通に斎藤勢に真っ向勝負して大敗してるし、河野島でも自分からいって痛い目合わされた。
長良川だけを例にしちゃいかんよ。
>>605
崩壊してる信長は勝者じゃないと思うが。
>>609
お前の書き方非常に特徴的だな。
秀吉の言い方では遭遇戦なんていってないんだが。
しかもそれは信玄・謙信の戦をたたえる家臣にこたえたもの。
周囲がどう思ってたかは明白だな。
611人間七七四年:2008/08/06(水) 23:51:26 ID:NL52yTPT
>>609
川中島の戦いの戦い方の疑問云々ではなく、
川中島の戦い自体がなかったかもしれないって説だよ。
612人間七七四年:2008/08/07(木) 00:20:27 ID:zW6sbkpD
信玄の弟が討ち死にしているから、大きな戦いはあったようだよ。

妻女山への道は、細すぎ&険しすぎて、
妻女山への別働隊迂回や、謙信が妻女山にいたことすら、否定という説だね。

ちなみに、その本の内容は、ものすごく良くできてて、優れた本。
しかも読みやすい。
613人間七七四年:2008/08/07(木) 00:22:14 ID:yym1n/NO
馬鹿にはうってつけ
614人間七七四年:2008/08/07(木) 00:37:15 ID:z3NOg5gJ
>>610
顔真っ赤だぞ?
615人間七七四年:2008/08/07(木) 00:37:30 ID:MeDMLdo0
>>613
お前のレスを見る限り、とても本を読んでる奴の言ってることじゃないな。
>>613のような本を読まないでインターネットソースばかりの奴には言われたくないw
616人間七七四年:2008/08/07(木) 00:38:50 ID:WyQA3EYk
>>614
反論はそれだけかw認定ばかりとはむなしいな。
617人間七七四年:2008/08/07(木) 01:09:38 ID:Ah8QFKE8
大体、運が良かったら本能寺で死んでねーつーのバカ
618人間七七四年:2008/08/07(木) 01:27:21 ID:97HXShD+
三回負けたって言っているヤツは、何回勝ったかも挙げて比較してから言え。
619人間七七四年:2008/08/07(木) 05:41:29 ID:WW1+03q9
運は大したことないのに、あんだけ勢力伸ばせたらそれこそチートだろ
運も良かったし、能力もあったでいいじゃねーか
620人間七七四年:2008/08/07(木) 06:14:39 ID:MeDMLdo0
>>619
あんた戦国板にくんな。
621人間七七四年:2008/08/07(木) 23:03:52 ID:WW1+03q9
>>620
やだよw
622人間七七四年:2008/08/07(木) 23:14:08 ID:MeDMLdo0
>>621
こんな単純な脳(>>619)してるやつに戦国時代を楽しむ価値はないな
623人間七七四年:2008/08/07(木) 23:16:12 ID:WW1+03q9
>>622
君の言う戦国時代を楽しむ価値とやらを教えてくれよw
624人間七七四年:2008/08/08(金) 11:37:20 ID:63aZrKs+
チートとか使ってる時点でお察し下さい
625人間七七四年:2008/08/08(金) 17:24:51 ID:x2JBB4Uy
>>624
チートという言葉を例えで使ってるのも分からないのかい?
じゃあ君にも分かりやすく、

運は大したことないのに、あんだけ勢力伸ばせたらそれこそ天才だろ
運も良かったし、能力もあったでいいじゃねーか

こうですね。分かります
626人間七七四年:2008/08/08(金) 19:14:08 ID:8D1wGN2r
チートって天才っていう意味なのか初めて知った
627人間七七四年:2008/08/08(金) 22:59:54 ID:SUYzhSOr
久々に
「織田信長は天才」
を唱える一部の無知織田厨をみたよ。
まともな織田厨達の方々に平穏な日々はこなさそうですね。
628人間七七四年:2008/08/10(日) 21:54:17 ID:DVY7jWxy
謀臣すらわからない奴に無知とかw
629人間七七四年:2008/08/11(月) 02:12:53 ID:gWDsQ4Pa
あの文面から信長=天才と読み取れるんだから文盲も甚だしいな、お前らww
630人間七七四年:2008/08/12(火) 15:41:34 ID:eWqaISaQ
ゆとり用に意訳してみる
>運は大したことないのに、あんだけ勢力伸ばせたらそれこそ天才だろ
>運も良かったし、能力もあったでいいじゃねーか

運という要素において他者より劣っているならば、あれだけの
結果を残した信長は神懸かり的英傑になってしまう
が、そんな馬鹿な話はない
単に有能であった信長に運も味方したと考えるのが妥当だろう
631あほのさかた:2008/08/12(火) 16:56:09 ID:HhpzAL0B
みんな知識がたりないね(笑)

ぷっ(笑)
632人間七七四年:2008/08/13(水) 06:51:13 ID:KNU+ApVl
たまに異説・新説をまとめた本やコンビニ漫画読んで知識人になったつもりの人っているよね
633人間七七四年:2008/08/14(木) 05:55:12 ID:H1HrhfIG
>>632
戦国板の9割方がそうだろうな
634人間七七四年:2008/08/15(金) 00:50:37 ID:LmqCr5y+
なんだ、どんなんかと思えば鈴木眞哉関連のスレで勉強不足を指摘されていたような内容ばっかりじゃんw
635人間七七四年:2008/08/15(金) 08:29:45 ID:cOmy8Gis
>>614
そりゃそうだ、お前と違って夜も必死で働いているからね。
暑くてたまらんよ。
お前のような糞ニートは2chなんかする前に職安行ってこい。
636人間七七四年:2008/08/15(金) 11:29:01 ID:MS3tE5Ro
亀レスとはこれまた必死すぎる
637人間七七四年:2008/08/16(土) 00:07:02 ID:T4KJJTZP
>>636
成り済ましているのかどうか知らないが、>>610のレスをしたのは俺。
>>635の人とは別人。ちなみに俺は>>614に対して>>616で普通に返答してる。
638人間七七四年:2008/08/16(土) 22:11:20 ID:WYrzkob7
織田信長は本物の最強だ!!!!桶狭間のときに今川側に徳川家康が付いていたことを忘れんな!!!!!!
639奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/16(土) 22:45:33 ID:xLBznmDg
その家康は、
1)武田氏最大版図時の木曾氏
2)北条氏最大版図時の千葉氏
3)毛利氏最大版図時の宍戸氏

このあたりと較べてどうだろう。
640人間七七四年:2008/08/19(火) 17:25:33 ID:RNLaI/MK
なんでそんなのと比べるんだよ
641奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/19(火) 22:25:39 ID:oVvRZKWO
4)今川氏最大版図時の松平氏

こう書いて>>639に並べて貼ってみたらわからんかなあ。
規模の大きさとか当主の若さとか。
642人間七七四年:2008/08/22(金) 06:30:20 ID:3Fx22z8c
悪辣であると言うことは、有能なのとは違う。
しかし戦国大名という立場では悪辣さは神に優遇されるのだ。

結論・・・信長は悪辣にして強運であった。
おそらく史実に残らない悪辣な手段が多々あったであろう。
強運と悪辣も事実を知らない後世の人間には区別もつかない。

その最期は、その手の人物によくある最期であった。
643人間七七四年:2008/08/22(金) 10:09:07 ID:g76Ky6NE
はいはい因果応報説おつかれ。

んなこと言ったら、毛利元就とか宇喜多直家とかどうするんだ?
644奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/22(金) 23:46:11 ID:k5jIuBHm
歴史は綺麗に終わる物語じゃないもんな。
645人間七七四年:2008/08/23(土) 06:24:21 ID:61MG5qQW
信長は本能寺までは天下一の強運の持ち主だった。
それを天才と言い換えてもいいだろう。

しかし、あれも信長の発明これも信長の発明というのは困る。
独創もあるけど、案外一般的だったり先がいたりするモンですよ。

それでも、今川氏真に信長なみの強運があってもやっぱダメでしょ?
その意味では運も最強、才能も一流ということでいいのでは?

646人間七七四年:2008/08/23(土) 07:01:10 ID:urWNV65f
>>645
なるほど、これが織田厨か。
647人間七七四年:2008/08/24(日) 12:58:00 ID:fsAvtqWJ
>>646
織田厨は簡単な資料しか読めない単純脳なのです、分かってあげてください。
648人間七七四年:2008/08/25(月) 00:46:51 ID:knSbGlzG
>>646
どう読めば織田厨と読めるんだ?
649人間七七四年:2008/08/25(月) 01:14:08 ID:lA1bKHhe
>>647
あ、長宗我部厨に成り済まして煽って武田厨だ
650人間七七四年:2008/08/25(月) 01:16:29 ID:qqeMHX3/
>>649
お前は織田厨に都合の悪い事をいうのは何でも武田厨認定する
織田厨だな。
651人間七七四年:2008/08/25(月) 01:26:00 ID:57A4j0Cm
盛り上がってんな、俺も混ぜてくれよ
652人間七七四年:2008/08/25(月) 02:10:22 ID:WsVaOkwp
>>646-650
この流れみてつくづく、戦国板ってあんまり長くいる場所じゃないなって思う。
だが止められん。
653人間七七四年:2008/08/25(月) 02:18:13 ID:E7ObMcyq
ほとんどROMってほくそ笑んでるだけで楽しめるから困る
654人間七七四年:2008/08/25(月) 14:12:53 ID:PRL84rWn
浅井、朝倉との対決を、後5年以上遅らせれば全然違った結果になったかもね。
姉川で負けたとはいえ、2万以上の軍勢と一進一退な攻防で時間を浪費したり
包囲網みたいな感じで、兵力分散して身動きできなくなってる。
浅井、朝倉、六角、三好など弱者連合ばかりで忙しいけど、武田に追い詰められた家康ほどの絶望感はなかった。

信長から手を出さなければ、浅井、朝倉が自分で攻めてくることはなかったから
東を省みずに西に勢力伸ばせてた。
655人間七七四年:2008/08/25(月) 19:15:20 ID:JUmW2C3J
織田信長と毛利元就または宇喜多直家などとの決定的な差は運だ。
656人間七七四年:2008/08/25(月) 19:41:26 ID:LjsyjP77
並の実力で強運の持ち主は
「徳川家康」
だろ。

徳川家康
実力4割:運6割

織田信長
実力7割:運3割
657人間七七四年:2008/08/26(火) 15:08:25 ID:sl7TL7qg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/%E6%9D%91%E9%87%8D.jpg
荒木村重、南蛮渡来のピザまんをおいしそうに食べる
658人間七七四年:2008/08/26(火) 15:18:41 ID:4HIb4207
>>656
いや、運9割だろ…家康
659人間七七四年:2008/08/26(火) 15:33:13 ID:9alVtbHt
定期的に沸くな家康コンプの信長厨w
660人間七七四年:2008/08/26(火) 19:14:37 ID:q3s3FsNX
>>658
どんだけ強運でも、
実力がなけりゃ戦国時代は生きていけんぞ?
661人間七七四年:2008/08/26(火) 20:14:51 ID:dY5WdjE8
>>658
だから実力もあるけど、それは横一線だと思う。
あとは運だ。
662人間七七四年:2008/08/26(火) 21:41:54 ID:3Aux1+BB
信長が戦国大名中屈指の強運であることがすごいんだろ
663人間七七四年:2008/08/27(水) 07:05:29 ID:wVkYdh/0
戦国時代でただたんに強運なら、たしかに生き残れるかもしれんが実力がないので時代の波にはのれない。

徳川家康は実力は並、運は強運。
織田信長は実力はまあまあある、運は並より少しした。
664人間七七四年:2008/08/27(水) 11:32:40 ID:p70k9/6O
>>663
信長は運も実力もトップクラス。
条件面で運がいいのに、性格の悪さ人徳の無さで必要以上に敵を作ってる。
665人間七七四年:2008/08/27(水) 11:48:25 ID:rrkEsKHE
運良く上手くいってただけのことを勘違いして自滅する典型だな>信長
666人間七七四年:2008/08/27(水) 12:12:04 ID:r3p/4ekJ
信長が運が良いだけと思うって奴は、【国取り物語(司馬遼太郎)】を読みなされ

667人間七七四年:2008/08/27(水) 12:59:36 ID:wVkYdh/0
>>664
あなたみたいな人がいるから織田厨は嫌われるのですよ?
織田信長に強運があったのなら“本能寺の変”で死なないから。
実力はあるにはあるがトップではないですね。
668人間七七四年:2008/08/27(水) 13:10:45 ID:46B3LY66
>>667
で、そなたが実力があると思う大名は誰?
669人間七七四年:2008/08/27(水) 13:16:04 ID:wVkYdh/0
>>668
織田信長、上杉謙信、武田信玄、北条氏康、今川義元、毛利元就、長宗我部元親、島津貴久
670人間七七四年:2008/08/27(水) 13:47:51 ID:oTFK1GH3
親の七光りだけじゃなく後世に名を残してるような奴は
皆、実力運ともに有ったでいいだろ
671人間七七四年:2008/08/27(水) 17:38:03 ID:ZrQnJ7LY
>>666
司馬ってそこかしこに嘘が出てきて辟易する。まあ小説なんだが。
672人間七七四年:2008/08/27(水) 18:38:39 ID:VoQqKmIw
自分を神なんて言い出すから
途端に運が無くなって
急落下で転がり落ちて、
家臣に親子そろって殺され、
違う家臣に家を乗っ取られるのもなぁ。
673人間七七四年:2008/08/27(水) 19:10:58 ID:Io0e8ZHz
尾張統一戦から桶狭間までは常に敵より少ない兵で勝ってるし、
兵農分離や楽市楽座や宗教などの政策や改革などみると、運だけの人ではないと思う。
674人間七七四年:2008/08/27(水) 19:25:52 ID:ZrQnJ7LY
>>>兵農分離や楽市楽座や宗教などの政策や改革
675人間七七四年:2008/08/27(水) 19:33:23 ID:pZNaeFS1
>>672
信玄の事ですね
わかります

不動明王www
676人間七七四年:2008/08/27(水) 20:10:25 ID:wVkYdh/0
>>675
武田厨だが初耳だ、詳しく教えてくれ。
677人間七七四年:2008/08/27(水) 20:54:20 ID:pZNaeFS1
>>676
恵林寺に行って自分の目で確かめておいで
678人間七七四年:2008/08/28(木) 01:11:32 ID:XysOCnir
そういう強烈な思い込みは稀によくあるな
上杉謙信の毘沙門天だとか海外ならリチャード獅子心王が自分の剣をエクスカリバーと称したとか
家康の南無阿弥家康は微妙なところか

というか信長の神格化強制説は随分と乱暴な事をやってる割りに
日本の慣習に不案内であろうフロイスの記述にしかないから信憑性に劣るって話なかったっけか
679人間七七四年:2008/08/28(木) 08:07:15 ID:tj2sTYqu
>>678
神格化は後世の創作だろ。
第六天魔王は実際言われてたらしいけど。
680人間七七四年:2008/08/28(木) 11:56:22 ID:fVKmKb7M
第六天魔王は神格化とは別問題じゃないか?
681人間七七四年:2008/08/28(木) 12:17:29 ID:amzqHc5Z
信玄が大僧正だから
信長がそれなら俺は第六天魔王だと言ったと
宣教師の記述にあるな。
682人間七七四年:2008/08/28(木) 12:27:59 ID:wUEYbsF/
謙信タン「俺、毘沙門天とった」
\(`▽´)

信玄タン「じゃあ、俺は不動明王とった」
(`▽´)丿

信長タン「フフ…、では我こそは第六天の魔王なり」
( ̄^ ̄ )ニヤリ

謙信タン信玄タン「魔王!?」
Σ( ̄□ ̄;)
Σ(゜Д゜;)




謙信タン(カッキー!)
信玄タン(チッ、その手があったか…)
683人間七七四年:2008/08/28(木) 13:38:31 ID:tj2sTYqu
徳川家康「そのような非現実的称号など不要…わしは“神君家康”の称号をもらう」
684人間七七四年:2008/08/28(木) 15:48:46 ID:ZFxVkGKo
三好が信長並に拡大しなかったのは運が悪かっただけということで。
685人間七七四年:2008/08/28(木) 16:29:03 ID:Jtw2+TXf
>>684
松永の謀略でやられ放題だったし。
686人間七七四年:2008/08/28(木) 17:03:24 ID:fVKmKb7M
三好の体質的な問題だろとマジレス
687人間七七四年:2008/09/05(金) 19:54:36 ID:lvsAMVsB
「運」派の勝ちのようですねw

「実力」派の反論はないか〜w
688人間七七四年:2008/09/05(金) 20:46:21 ID:WNzSzu0A
>>679
つーか、自称だね
689人間七七四年:2008/09/05(金) 22:19:05 ID:CQtGk7zS
>>684
運以上に、時代が早すぎたということもあるだろう
信長の時代よりも、まだ足利幕府の権威がそこそこ残っていたし

逆に言うと足利幕府の権威を低下させた三好長慶の成果は、
間接的には信長に受け継がれたとも言えるわけで、全部無駄だったわけでもない
690人間七七四年:2008/09/08(月) 20:27:41 ID:29kjAddL
結局、信長なんて死ぬ間際に本州の一部を勢力下に治めただけだから、
それほどの人物でもないよ。
日本の領土を増やした訳でもないから、
アレクサンドロス大王や始皇帝、ティムールなんかと比較すると小物、小物。

こんな奴が評価されているほうがなんかおかしい。
691人間七七四年:2008/09/08(月) 23:15:39 ID:d9QbOQMp
誰が大物と比較して同等またはそれ以上と評価してるんだ?
692人間七七四年:2008/09/09(火) 12:44:14 ID:xSMXeGcz
大内義興や三好長慶と比べてどう?
俺的には信長は高師直レベルなんだが。
でも戦は下手だね、信長。家康と同盟組んどいてよかったよ。
693人間七七四年:2008/09/10(水) 10:46:48 ID:pNc6mK9X
運を引き寄せるのも実力かと・・・
694人間七七四年:2008/09/10(水) 12:14:48 ID:yxXl8qgC
でも信長って世界全体から見れば大したことないところか
日本の歴史全体から見ても大したことない

曹操ですら自殺なんて末路を経ず、
次代に受け継がせることに成功した。
事実、曹丕は魏の建国をなして魏の皇帝になった。

だけど信長って?日本の皇帝にすらなれなかったし、
死ぬ間際に本州の一部を勢力にしただけじゃん。
運が強い?自殺なんて末路をへた時点でぜんぜん強くない。
皇帝にすらもなれない時点で全く強くない
一国の一地方の有力者で終わった時点で運なんてない

中国の歴史で信長を例えれば項羽や岳飛、白起、韓信程度の存在でしょ。
事実、韓信に近い存在かも知れん。

日本(中国)の皇帝でない+悲惨な末路
この辺では韓信に近い。軍事的才能がある点も似ている。
両者共に皇帝より下の存在でしかなかった。
695人間七七四年:2008/09/10(水) 12:17:57 ID:yxXl8qgC
アレクサンドロス大王>>チンギスハーン>>>始皇帝>>>>アショーカ王>>>ティムール>>
>>>ナポレオン>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>信長

信長はこの辺
696人間七七四年:2008/09/15(月) 03:04:56 ID:KywUUFiK
運「だけ」ではないが、幸運であったし、その運を活かす力もあったね。
ま、これは実績のある者皆言えることだけど。
。。。信長の実績って何だろう?
697人間七七四年:2008/09/15(月) 14:21:06 ID:zm8gqRIZ
>>694
日本の歴史全体から見ても〜と言うわりに
日本人の名前が信長しか挙がってないね、そんなに長文垂れ流してるのにw
698人間七七四年:2008/09/16(火) 02:05:11 ID:aa3ATKrA
第六天魔王
699人間七七四年:2008/09/17(水) 12:45:52 ID:PbVXT0bL
>>698
第六天魔王、この意味を詳しく説明して。
700人間七七四年:2008/09/17(水) 16:02:37 ID:ZRylLIXN
>>697
織田信長スレなんだから当たり前だろw
701人間七七四年:2008/09/17(水) 16:54:45 ID:4bqD95lM
戦に強いとかで信長を評価するのは矮小化しすぎだろ。
戦で言えばあんま上手くはないだろうな。ただ戦の記録(史料としての信憑性を割り引いても)
を見る限りでは、何故かランチェスター法則を知ってたようにも思えるので、近代性という部分では
群を抜いてたと言っていいんじゃないか。

それよりも信長が世界史においても評価されるべきところは「政教分離」を成し遂げたことだろう。
実際完成したのは家康の時だが、明らかに大半のプロセスは信長によるもの。
これは世界初であり、それまで誰も成し遂げたことの無い偉業だ。
近世、近代に至っても宗教による流血沙汰は枚挙に暇が無い。
忘れてやしないか?日本では宗教による戦争の類はこれ以後一切起こっていないことを。
カルトによるテロ行為は別として17世紀にこれを達成した君主は彼以外どこにもいない。

単に領土の広さや、終わりの全うの仕方で英雄を語るとは歴史の見方として
つまらなくないか?
702人間七七四年:2008/09/17(水) 23:18:31 ID:htscA7UB
>>701
>>日本では宗教による戦争の類はこれ以後一切起こっていないことを。
島原の乱は無視ですかそうですか。

たぶん釣りだと思うけど、本願寺とかは別に政治介入とかテロ行為を目指してた
わけじゃないんだけど。むしろ「戦国大名は戦国大名で勝手にやれ、宗教勢力は宗教勢力で勝ってにやる」
という流れだったんだけど。
それまで宗教勢力(護法)と俗世権力(王法)が並立して共存し国家の流れを決めていく感じだったのに対し
護法の自立化を図った本願寺達と
護法を完全に自分たちの支配下に置こうとした大名勢力との相克が戦国時代の一面。
信長はそれらの中で最も大規模な存在ではあったが特別な存在であったわけではない。
しいていうなら懐柔や禁教など宗教勢力に対してさまざまな対策を取った当時の大名達の中で
最も過激で大規模であったという事か。
703人間七七四年:2008/09/18(木) 01:51:30 ID:ocNT28MQ
>>700
文脈とか読めないの?
「日本の歴史全体」という言葉が出てきていて、信長と比較してるのが中国人ばかり。
しかも、詳細な資料がほとんどない古代レベルの人物ばかりという有様。
とりあえずシナ臭いので大陸へお帰り下さい。
704人間七七四年:2008/09/18(木) 07:40:15 ID:W6JO9Z+J
>>703
日本の歴史で見て
豊臣、徳川>>>>>>>>織田、武田、上杉、北条、毛利
だろ。
705人間七七四年:2008/09/18(木) 09:18:32 ID:9Ze8BnV/
>>702
確かに島原の乱はそうだな。>家康の時完成 これは誤りだ。
しかし、信長に始まる流れの中で宗教戦争が根絶されたのは紛れも無い事実だ。

宗教勢力の政治介入については君はとんでもない誤解をしている。
中世ー近世においての政治とは何か、といえば土地支配と徴税権に尽きる。
大名権力の介入を排除して領地を持っている時点で宗教勢力は大名勢力と並び立つ
政治権力であり、護法の自立(言葉の意味がおかしいが、君の表現をそのまま引用しておく)
などというおためごかしは、言いがかりの類に等しい。

>支配下に置こうとした
これだけなら日本に限らず世界史の上でもいくらでも先人がいる。
そしてそのことごとくが最終的に失敗に終わる。
結果として根絶した、ということが偉大なのであり重要で、まさかそれを
島原の乱の平定を持ってして徳川家光の功績、などという阿呆はいるまい。
706人間七七四年:2008/09/19(金) 01:10:03 ID:h3v9bE4d
>>705
本当に釣りかどうかわからなくなってきた。

もともと大名権力と宗教勢力が並び立つ存在だとは>>702でしっかり述べてるだろうに。
それ以前は大名権力と宗教勢力が並立しもたれあって国の成り立ちが行われてきたのに対し
宗教勢力たる護法はそのもたれあいから脱却して自立を図ったというわけ。
なにがおためごかしなものか。

ばからしいにもほどがある。
>>そしてそのことごとくが最終的に失敗に終わる。
終わってないよ。徳川は信長よりも先に三河で一向宗に勝利し
朝倉も長尾もその領内で一向宗に勝利を収めた。
他にも足利義教や細川晴元など宗教勢力を撃破した連中はいくらもいる。
懐柔して自らの権威を高めることによって従えた信玄のようなケースもある。
信長だけが勝利した成功したなどとは笑止千万。
707人間七七四年:2008/09/19(金) 12:38:37 ID:iwQCFLyY
スレ違いをなんでそんなに力説してるの?
708人間七七四年:2008/09/19(金) 13:39:12 ID:aoj9GuOQ
さお後は殺されてる
709人間七七四年:2008/09/19(金) 19:47:11 ID:w38t6pIN
一向一揆って、宗教目的でなく、モロに政治目的で政治問題に介入したシロモノなんだがな。
発端の加賀一向一揆ですら、守護大名家の権力争いに参加する形で蜂起したのだし。本願寺は
何度も中央の政局に絡んで戦争を起している。
710人間七七四年:2008/09/19(金) 19:55:51 ID:Gv5XF1lq
明治政府ってのは薩長連合政府だ
薩摩はあんな遠い所にありながら政権を執ったという事になる
京に近いかどうかは関係ない
711人間七七四年:2008/09/20(土) 02:44:00 ID:JgycCa/9
>>709
違うな。下の者たちが宗教の教義との組み合わせで結集下結果、大名権力と並立どころか
対立の軸に入りかねない存在となったのが一向宗だ。
だから自分達のテリトリーを定め大名権力からの乖離を狙った。
もともと寺社は領土をもった存在だからそれが先の段階に進んだわけだ。
>>710
薩摩は当時最強の実力をもった藩で、当時の幕末の状況では京都に兵を送り込むのは
別に妨害される事じゃないんだけどな。
明治維新が起きて各県の制度が整備され鎮台が設置された後では薩摩は大軍を擁しながらも
あっさりその動きを封じられ九州からも出られなかった。
712人間七七四年:2008/09/20(土) 12:54:51 ID:NrTpYRaS
このスレで織田厨が
「運も実力のうち」
とかぬかしてるが、それなら織田信長が戦国最強はおかしいな。

運も実力のうちなら徳川家康が最強であり、誰も彼を超えられない。

徳川家康≧豊臣秀吉>>>>>織田信長=武田信玄=上杉謙信=毛利元就=北条氏康=三好長慶
713人間七七四年:2008/09/20(土) 15:05:30 ID:6OIDVN2D
最強の定義ってなに?
714人間七七四年:2008/09/20(土) 19:42:30 ID:NrTpYRaS
>>713
知らん。
織田厨に聞いてくれ。
715人間七七四年:2008/09/21(日) 17:29:48 ID:UxWTUJ4t
自分自身で不等号使って最強の順位をつけてるのに分からないの?
716人間七七四年:2008/09/22(月) 05:02:45 ID:c+WycZs6
アレクサンダー・チンギスハーンクラスだったら1年で統一できる?
717人間七七四年:2008/09/22(月) 08:47:43 ID:FLAyb4lQ
チンギスハーンなんてただの戦馬鹿
騎馬隊で突っ込むだけで政治なんて何もしていない

信長は軍事よりむしろ政治が革命的だった
718人間七七四年:2008/09/22(月) 12:57:47 ID:9OnreCMd
>>717
だから織田信長は武田信玄との戦を避けてたのか。
719人間七七四年:2008/09/22(月) 18:29:21 ID:va0IAsOO
貧乏人はいつも後回しにされるのが常だお(T_T)
720人間七七四年:2008/09/22(月) 19:11:00 ID:9OnreCMd
>>719
弱肉強食の下剋上時代の戦国で織田信長は強い熱力から相手をし弱い熱力を後回しにしたわけか、





何という効率の悪さw
政治が革命的ってほんとかよw
721人間七七四年:2008/09/22(月) 19:27:31 ID:va0IAsOO
>>720
弱いとこに流れるから遅くなるんだお
強いとこを取って吸収すればギザ強くなれるんだお\(`○´)/
722人間七七四年:2008/09/22(月) 20:15:58 ID:9OnreCMd
>>721
君の脳内設定じゃ
武田信玄、上杉謙信、北条氏康、今川義元、毛利元就は小大名クラスになってるんだね。
そして織田信長が大大名クラス設定か。
723人間七七四年:2008/09/22(月) 22:09:04 ID:Zixvz0MA
信長に政策らしいものは別に無いよ。
あっても特に革命的ではない。
将軍や朝廷の権威を利用しているし、経済や軍事政策も他の大名と同じこと
をやっている。「革命的」とか「天才」と言う人は、信長の業績のみを調べ
たり、聞きかじったりしているだけで、他と比較はしていないんだよね。
兵農分離も、楽市楽座も、一向一揆の武力制圧も、皆他の大名もやっている。
人材登用も、彼の出自からすれば当然で、織田家は信秀の代に成り上がった
新興勢力だから譜代の臣というのが殆どいないのよ。
724人間七七四年:2008/09/22(月) 22:39:02 ID:va0IAsOO
>>723
分かるお!
みんなと同じ授業受けて
みんなと同じ時間しか勉強してないのになぜかテストの成績いい人
そういう人っているお
ムカツクお!!
嫉妬しるお!!
こき下ろすお!!
o(*`Ο´*)Ο
725人間七七四年:2008/09/22(月) 23:35:56 ID:BdPD0qDd
ちがうだろ。
多くの有能な大名とおなじことをやりつつも
彼が大をなせたのは条件を持っていた(地理的な事を含むいろいろな意味で。)
これに尽きる。
726人間七七四年:2008/09/23(火) 00:17:13 ID:A0jHFiMU
織田が京を押さえて勢力を拡大できた条件は西美濃とった時点でほぼ達成できてたと思ってる。
織田が凄いというからにはもっと語られるべきだよなぁ。
727人間七七四年:2008/09/23(火) 09:26:59 ID:WR8+iyIJ
濃尾平野を制した時点ですでに圧倒的
728人間七七四年:2008/09/23(火) 15:21:00 ID:/L00wgm9
>>717
チンギスハーンは、勇猛よりは知謀の人だよ。
自分から先頭に立つことは少なく、軍事は有能な部下に任せるスタイル。
軍事的才能だけなら、後裔のティムールの方が一枚上手だろう。

それにチンギスが築いたモンゴル帝国は、あれだけの広大な領域を支配しながら、
国家連合という形で1世紀以上は存続している。
領域内に無数の民族、言語、宗教を抱えて、一族間で数え切れない内紛を起こしながらも、
帝国が致命的な崩壊を免れたのは、
チンギスが有能な人材を集めて強固な政治システムを作っていたおかげ。

征服領域の広さよりも、むしろモンゴル帝国の基盤を築いたことこそ、
チンギスの真髄。
729人間七七四年:2008/09/23(火) 16:31:13 ID:3zyn54pG
>>727
なぜそれまで誰もそれが出来なかったんだろうという疑問だよな
今川なんてすぐ隣じゃん?
そこを制すれば上洛はなったも同然の地
なぜそんな黄金の地を東海一の弓取りがほうっておいたんだろう?
730人間七七四年:2008/09/23(火) 18:39:52 ID:WR8+iyIJ
>>729
その前に三河攻略があったから。
731人間七七四年:2008/09/23(火) 21:54:33 ID:/L00wgm9
濃尾平野の制覇は、信秀・信長の親子二代で成し遂げたって感じ。
732人間七七四年:2008/09/23(火) 23:52:05 ID:JjCYXROO
>>727
濃尾平野は美濃にもまたがっているのはわかっていってるんだよね?
733人間七七四年:2008/09/24(水) 22:51:51 ID:sn5js3tz
>>729
単純な話。
>>730もいっているが今川は尾張の前に三河をまず攻めなければならなかった。
織田信秀は守護代ですらない一奉行から身を起し弾正忠織田家を尾張最強に押し上げ
尾張中から兵を動員できる状態にし、美濃では斎藤を脅かし三河では安祥をはじめとして
多くの領域を得た。今川はこれと激戦を繰り広げ信秀の晩年にようやく三河をほぼ手に入れることに成功した。
そんで三河の統治体制を固め、尾張の一部に手を伸ばした所で起きたのが桶狭間だったわけ。
>>732
なにいってんのかよくわからん。
幼君の美濃を取った事を自慢したいのか?
734人間七七四年:2008/09/25(木) 02:17:25 ID:TQR1jNX4
幼君といっても、斎藤家による支配統治が乱れていたわけでもないしねえ。
735人間七七四年:2008/09/25(木) 03:56:44 ID:c5gpp2ju
>>718
土地の価値は
京畿>>>>>(超えられない壁)>>>>>甲信
だからな。
まず京畿を確保が最優先。
東方は徳川という盾もあることだし、畿内支配を確立するまで武田と無理して戦う理由は無い。
簡単に押しつぶせる勢力ならともかくね。
736人間七七四年:2008/09/26(金) 00:51:34 ID:mJA8XHyO
盾である徳川が危うくなっても正面衝突は避けていたんだけど?
信長ははっきりと信玄謙信は避けていたね。
それにキミのいう土地の価値の根拠は?
単位面積あたりの生産高でも調べたか?
地下資源はどうなの?
水産資源は?
まさかフィーリングで言ってるわけじゃあないよね。
でもオイラ馬鹿だから、ワカンナイ。根拠を教えてくんないかな。
737人間七七四年:2008/09/26(金) 00:52:46 ID:mJA8XHyO
言っとくけど「土地」の価値だから、朝廷や幕府の所在地云々は無しだぜ。
738人間七七四年:2008/09/26(金) 06:18:25 ID:FJc2lnDO
>>737
そういうのを含めて「土地の価値」と言うんだよ。
739人間七七四年:2008/09/26(金) 13:29:21 ID:sgPJESrj
近所に駅があれば土地の値段は上がる
740人間七七四年:2008/09/26(金) 21:07:56 ID:mJA8XHyO
>>738
馬鹿だね、お前。俺がせっかく水を向けてやったんだから、ウソでもいいから国力を比較した結果だよ
と書いときゃいいものを。
「幕府や朝廷の所在地という条件を抜きにしても土地の価値はあるんです」とね。
大体朝廷幕府があるから重要ってのは小学生でもわかるんだからさ。いくら俺が馬鹿でもわかっててきいてたんだよ。
やっぱりフィーリングか。
第一、上物を含めた戦略的価値なら、京が一等地ぬいてはいるものの、お前さんがいうよな甲信がそこまで下なんてありえないって
甲府や駿河の隣、相模に何があるか考えてごらん。

それとね、信長が甲信に手を出さなかったのは、第一にそこまでかまう余裕がなく
第二に信玄を刺激したくなかったからだよ。
後継者秀吉が全国を統一したせいで後付で解釈されているが、生前の信長も大勢力では
あるものの、近畿の地方政権。内部を固めるのに手一杯だから手が出なかった。
武田滅亡後甲信を領したのはどこの誰か、思い出してごらんよ。
741人間七七四年:2008/09/26(金) 22:37:14 ID:FJc2lnDO
>>740
> 第一、上物を含めた戦略的価値なら、京が一等地ぬいてはいるものの、お前さんがいうよな甲信がそこまで下なんてありえないって

じゃあ田舎でがんばってくださいとか言えんわ。

> それとね、信長が甲信に手を出さなかったのは、第一にそこまでかまう余裕がなく
> 第二に信玄を刺激したくなかったからだよ。
> 後継者秀吉が全国を統一したせいで後付で解釈されているが、生前の信長も大勢力では
> あるものの、近畿の地方政権。内部を固めるのに手一杯だから手が出なかった。

別にそれは否定しないよ。
ちゃんと>>735でも述べている。

> 武田滅亡後甲信を領したのはどこの誰か、思い出してごらんよ。

甲斐(除く穴山領)→川尻、駿河→家康、上野→滝川、信濃→森・木曽・毛利らだけど何が言いたいの?
742人間七七四年:2008/09/26(金) 22:42:36 ID:FJc2lnDO
ついでに言えば信長は長篠以後も対武田は慎重で天正10年の甲信侵攻の際も信忠が猪突猛進してヘマしないように戒めてる。
まあ結局、信忠は信長の忠告を無視して武田を滅ぼしてしまうわけだがw
ひょっとして>>740はオレが「信長は武田など敵ではないと思っていた」とでも主張してるとでも思ったのか?
743人間七七四年:2008/09/27(土) 00:00:08 ID:U2LBEUk4
本当に会話のできない人だね、お前さん。
もう一度聞くけど
>>>>>(超えられない壁)
の根拠はなんだい?
単なるフィーリングで歴史を語るなって言いたいのよ、俺は。
相模に近い甲信を織田がとったことからわかるように、それぞれの国の戦略
価値はきちんと把握すべきだよ。
それからね、田舎で頑張れって、発想自体が室町〜戦国を誤解しているよ?
それはお前さんがやはり織田を「天下人」と誤解しているからだよね。
744人間七七四年:2008/09/27(土) 00:18:37 ID:gZD5PfpF
>>743
> もう一度聞くけど
> >>>>>(超えられない壁)
> の根拠はなんだい?

甲信と京畿が同価値だと思ってるならそう思ってれば?

> 相模に近い甲信を織田がとったことからわかるように、それぞれの国の戦略

何を言ってるんだ?
まったく意味がわからん。

> それはお前さんがやはり織田を「天下人」と誤解しているからだよね。

天下人云々は関係ないよ。
現実問題として信長は桶狭間以降、東方でなく京畿方面へ進んだ。
それは何故か?と言うこと。
745人間七七四年:2008/09/27(土) 03:09:19 ID:U2LBEUk4
自分で掲げたランクの根拠を求められても説明できずごまかすだけ。
それぞれの国の戦略的価値を「意味がわからない」と逃げるだけ。
話にならんな。サイナラ。
746人間七七四年:2008/09/27(土) 03:11:06 ID:U2LBEUk4
ちなみに人の書き込みはよく読んでね。俺は京畿と甲信が同価値だなんて書いてないよ。
「京が一等地ぬいてはいるものの」と書いてるじゃん。
747人間七七四年:2008/09/27(土) 05:57:04 ID:pccsxxiu
>>723
見え透いた釣り狙いが臭すぎて、ウザいキモい
748人間七七四年:2008/09/27(土) 08:54:33 ID:pccsxxiu
>>670
>親の七光りだけじゃなく後世に名を残してるような奴は皆、実力運ともに有ったでいいだろ
小早川秀秋のように歴史に汚名を残しただけの武将は、実力も運もない


>>694
>信長って?日本の皇帝にすらなれなかったし、死ぬ間際に本州の一部を勢力にしただけじゃん
秀吉や家康のように朝廷から高位高官を付与してもらう程度なら、とっくの昔にそうしてる。

>一国の一地方の有力者で終わった時点で運なんてない
釣りか・・・
749人間七七四年:2008/09/27(土) 08:56:37 ID:pccsxxiu
>>702
>本願寺とかは別に政治介入とかテロ行為を目指してたわけじゃないんだけど。
「不輸不入・諸役不課」って言葉知ってるか?立派に俗世間に介入してるんだがな。

>「戦国大名は戦国大名で勝手にやれ、宗教勢力は宗教勢力で勝ってにやる」という流れだったんだけど
本願寺や比叡山延暦寺が大名勢力と連携して信長に敵対していた事さえ知らんらしい。

>護法を完全に自分たちの支配下に置こうとした大名勢力との相克が戦国時代の一面
それを実行したのは『大名勢力』ではなく、唯一信長だけ。

>懐柔や禁教など宗教勢力に対してさまざまな対策を取った当時の大名達
信玄や謙信らは一向衆に敵わぬと悟り、そそくさと妥協し折り合っていたんだけどな。
『懐柔』したんじゃなく、されてたんだよ。
750人間七七四年:2008/09/27(土) 08:59:21 ID:pccsxxiu
>>706
信長以外の大名は本願寺と和解妥協し、その走狗となって信長に敵対していた初歩の知識さえないらしい。
例外は信長の傘下に入った家康だけ。
751人間七七四年:2008/09/27(土) 22:18:22 ID:eq2RQcgk
単純に甲斐信濃と畿内比較するなら
信濃の面積と畿内の面積がだいたい同じで(正確には信濃の方がそれでも広いが)
石高は
信濃:40万8千石/10200
畿内は
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550

で約40万石と140万石で
単純に石高だけ見ても畿内のほうが圧倒的に上だと思う
752人間七七四年:2008/09/28(日) 08:56:00 ID:JIJRUMlf
>>747
自分に理解できないレベルに達すると釣りと判断してしまうんだね。
じゃあお前さんが考える信長の「革命的な」政策とやらを列挙してくれよ。
>>750
信長も本願寺と妥協しているんですけれど?
753人間七七四年:2008/09/28(日) 09:03:53 ID:JIJRUMlf
>秀吉や家康のように朝廷から高位高官を付与してもらう程度なら、とっくの昔にそうしてる
確かに。信長も高位高官を付与してもらったよな。上総の介を僭称したことを
はじめとして、最後には正二位右大臣。
いわゆる三職推任問題にしても、官位官職大系からの脱却を意味してはいないよ。
も少し史料を読んでね。
しかし東国を一度も「征伐」してないがゆえに征夷大将軍は認めてもらえず。
754人間七七四年:2008/09/28(日) 09:36:16 ID:8VOQ+4/x
>>753
> しかし東国を一度も「征伐」してないがゆえに征夷大将軍は認めてもらえず。

まず、信長が征夷大将軍を欲したというソース。
「東国」征伐が征夷大将軍になる必要条件であることのソース。
755人間七七四年:2008/09/28(日) 11:19:47 ID:MkljSfdL
>>752
>自分に理解できないレベルに達すると釣りと判断してしまう
理解できるから「釣り」だと判断してるんだが。理解できないと「釣り」だと判断できんでしょう。

>お前さんが考える信長の「革命的な」政策とやらを列挙してくれよ
反論するなら、それなりの知識を頭に入れてからにしましょうね。
己の無知を放置して、相手に説明を求めるのは落ちこぼれの所業。

>信長も本願寺と妥協している
戦局不利を打開する一時的な戦略。それを基本戦略と混同する愚。
756人間七七四年:2008/09/28(日) 11:28:17 ID:MkljSfdL
>>753
>三職推任問題にしても、官位官職大系からの脱却を意味してはいない
天正六年右大臣を辞官して以来、更なる高官の左大臣任官を正親町帝から勧められても拒否。
三職推任も拒否。これを官位体系からの離脱という。


>東国を一度も「征伐」してないがゆえに征夷大将軍は認めてもらえず
三職推任に征夷大将軍も含まれているんだが・・・も少し史料を読んでね。
757人間七七四年:2008/09/28(日) 11:39:13 ID:8VOQ+4/x
>>756
信長は官職は辞しても官位からは脱してなかったような……
あと三職推任は信長側から求めたという説もあるでしょ?
信長本人の意思というより村井の独断に近いものだと思ったけどね。
758人間七七四年:2008/09/28(日) 11:43:24 ID:MkljSfdL
>>757
信長は秀吉や家康のように朝廷の高官に就き、
それを己の権力の正統性にしようとは毛ほども思っていなかったのだから、
そんな区別は何の意味も無い。
759人間七七四年:2008/09/28(日) 11:52:12 ID:8VOQ+4/x
>>758
そのかわり後継者である信忠の官職を求めた件はどう説明するの?
760人間七七四年:2008/09/28(日) 11:58:40 ID:MkljSfdL
>>759
部下に官位を与えるのは、実子だろうと織田の諸将だろうと同じ。
天皇を超えようとする信長が、高官に就くのは自己矛盾もいいところ。
官位補任=天皇の臣下を意味するからだ。
天皇はいかなる官位にも就いていないと言えば理解してもらえるかな。
よって信長も無位無官で良い。
761人間七七四年:2008/09/28(日) 12:09:47 ID:8VOQ+4/x
>>760
信長は官職は辞したけど官位までは放棄してないはずだが?
762人間七七四年:2008/09/28(日) 12:17:27 ID:MkljSfdL
>>761
例えば?例示をどうぞ。
763人間七七四年:2008/09/28(日) 12:25:40 ID:8VOQ+4/x
>>762
天正六年、信長は右大臣・右近衛将軍を辞任してるが、正二位の官位はそのまま。
もっとも官位は官職のように辞せるようなものなのか知らんけど。
764人間七七四年:2008/09/28(日) 12:33:38 ID:MkljSfdL
>>763
参内するのに、都合が悪かったためにすぎない。
朝廷工作上、まあ仕方なく残していただけの事。
それを官位体系内というなら、朝廷はその後も熱心に左大臣就任や三職推任を要請したりはしない。
765人間七七四年:2008/09/28(日) 13:24:10 ID:EDFUNCfw
妄想の域をでてないなぁ
766人間七七四年:2008/09/28(日) 23:49:31 ID:Dfi/9/wr
天才信長は世界史上でも特筆するべき大改革をやってのけ、日本を中世から近世へ移行させた。
秀吉、家康は単に醜い権力争いをしてただけ。
器があまりに違いすぎる。
767人間七七四年:2008/09/28(日) 23:52:02 ID:JIJRUMlf
妄想の域をでてないなぁ
768人間七七四年:2008/09/29(月) 00:54:40 ID:m/4QPVAQ
馬鹿のひとつお
769人間七七四年:2008/09/29(月) 01:32:09 ID:xaPPMJ6B
オーボエ
770人間七七四年:2008/09/29(月) 19:13:10 ID:/Q4BKpTy
>>766はあきらかに吊だろ
でなければ、漫画やゲームを真実だと思っている純粋な子。
771人間七七四年:2008/09/29(月) 19:14:58 ID:/Q4BKpTy
>>764は信長がよほど嫌いなんだろうな。
愚弄するにもほどがある。
冷静に考えて当時信長は朝廷を必要としていたが、朝廷はそうではなかった。
それまでも天皇の権威を利用していたし、これからもそれが必要になることくらい
信長は充分わかっていただろう。
現に義昭のコントロールに失敗して、逃してしまうというへまをやり、その後も苦しめられた
経験を持つ。信長はよく失敗をするが、それをばねに強くなってゆくという長所がある。
武田が亡んだとはいえ、また毛利には押し気味に対峙しているとはいえ、その毛利は義昭を
抱え、さらに上杉、北条、長曾我部、島津など敵は多く油断ができない。
ことが有利に進んでいてもひっくり返されることもあるというのも経験済みだ。
こんな状況の信長が、朝廷をないがしろにしたり、とってかわろうとする野心を垣間見せる
などしていたら、本当の阿呆だろう。
772人間七七四年:2008/09/30(火) 02:01:51 ID:7S6WIACh
朝廷も必要としていたよ。主に金銭的な意味で。
当時の朝廷は禅譲すらままならない位に、金銭面で逼迫していたらしいしな。
お互いに依存しあっていた、と言える。
親父の頃から献金してたのもあって、信頼関係はそれなりに気付けてたと思うよ。
773人間七七四年:2008/09/30(火) 12:50:05 ID:IBb+13xW
本願寺が蜂起したとき、正親町帝は勅使を出して
「今度の義昭と信長の行動は天下平定の為のものなのに、それを邪魔するとは何事か。
 直ちに鉾を収めよ」
と、信長義昭に依頼などではない、自らの意志を発している。
774人間七七四年:2008/09/30(火) 13:28:27 ID:PJF738B2
まじ?できればソースを教えていただきたいです。
775人間七七四年:2008/09/30(火) 22:50:49 ID:cXF4wB6d
>>749
それが行われていた場所がどこだか知ってる?
寺領ってところなの。
当時は普通に寺や神社が領地もってたの。
宗教勢力たる護法、と俗世権力である王法がそれぞれ領土をもって混在してたのが
当時の世相なわけ。そして俗世権力と一線を画した存在である護法が俗世権力の
介入を阻止するのは当然。

もともと喧嘩を売ったのは信長だよ。信長は本願寺の富に目をつけて莫大な銭を要求し
それがもとで本願寺に警戒されたわけ。ここらへんくらい知っとけ。

信長だけなわけないだろ。北条は一向宗を禁教にしてるし、朝倉や長尾は戦って叩きだしてる。
信玄は縁戚関係や宗教的権威を高めることで取り込んだ。
信長だけなど笑止千万。

んなわけないだろ。謙信は実力で北陸の一向宗を平定してるんだけど。
信長だけ特別扱いはいけんな。信玄の嫁の三条夫人の妹が顕如の妻。
信玄からすると本願寺顕如は弟にあたるわけ。そして信玄自身は天台宗大僧正。
立派に顕如と伍してるのよ。
信長だけ特別なんてありえない。
776人間七七四年:2008/10/01(水) 03:50:31 ID:gwwUvlYn
信長は その当時の価値観からずれて無いと思うよ。
勤皇だし 神仏もそれなりに恐れていたようだ。
あと一揆勢とかには殲滅策をとるが
それなりの身分にたいしては懐柔策をとってるね。
特に主筋にあたる斯波氏と対立しても追放だけだし。
義昭も追放だと思うけど とにかく殺してないね。

やはり後世の創作というか
革命児信長が勤皇家で主従上下関係を気にしていたんじゃ
格好が付かないので 権威を利用するだけとか自ら王になりたかった
なんて話が作られていったのでしょう。
777人間七七四年:2008/10/01(水) 19:39:46 ID:hYWBddUh
>>775
別に信長は宗教それ自体を否定したわけじゃあないよ。それなりに尊重もしている。
寺社の商業的権威も保護しているしね。
ただし、宗教が俗世に介入してきたときは激しく拒絶している。比叡山がいい例。
基本的に、喧嘩を売られなければ敵対しないよ信長は。比叡山も本願寺も先に手を
出したのは信長じゃあない。

寺社への矢銭や賦課も信長だけじゃなく、この時代にあったことだしねえ。

それから、一向宗という宗教と一向一揆という在地自治組織体は別物だから。
778人間七七四年:2008/10/01(水) 22:09:05 ID:ZG9GXCc9
>>777
>>基本的に、喧嘩を売られなければ敵対しないよ信長は。比叡山も本願寺も先に手を
>>出したのは信長じゃあない。

ダウト。信長上洛の時本願寺や堺にかけられた金額は異常だよ。
堺なんかそれを拒否して信長に反抗し、本願寺は払ったけど強い警戒心を抱いた。
比叡山なんかもともと六角氏にも認められていた近江の所領を奪われて窮乏したし。
信長が敵対する原因を直接作ったのに相手が悪いってなんの冗談かと。
779人間七七四年:2008/10/02(木) 02:52:16 ID:/AWMGwV4
5千貫だっけ。法外だよ。よく払ったと言うべきだ。

立ち退き要求なんて無茶もいいところだなぁ。
他国なら被官の武将でも反乱起こすわ。
780人間七七四年:2008/10/02(木) 04:56:03 ID:BqGhZeWg
>>778
西洋人のせいで誤解がまかり通っているけど、堺は中立でもなんでもなく、細川後には三好に
与した都市勢力。矢銭拒否や抵抗の動きは三好に連動したもの。

>>779
立ち退き要求は本願寺の捏造だから
781人間七七四年:2008/10/02(木) 13:22:43 ID:eP/F6c9b
>>780
中立ではなく日和見ってことか>堺
782人間七七四年:2008/10/03(金) 00:04:49 ID:eJzVPiyb
>>780
あれだけ莫大な銭を要求すれば普通は拒否するだろ。
そして対抗するためにそれまでつながりのあった三好を引き込むというのも
自明の理。むしろあれだけ要求して素直に払ってくれると思ってたなら
そっちのほうがどうかしてる。

5千貫も払わせたことで本願寺に警戒意思を抱かせた事は完全な事実だが。
783人間七七四年:2008/10/03(金) 07:25:47 ID:gWQUsO3l
信長の親父が献じたのが四千貫か
良い場所押さえてるとはいえ、一地方大名がそれだけ献上できるわけだ
ましてや都会、信秀が抑えていた以上の好立地、しかも武備やらに使う必要が大名ほどには重要でない勢力
こいつらにとって別段異常と言うほどでもないと思うが
確かに額はでかいがな
自明の理なんていうほど明らかな事でもないぞ
784人間七七四年:2008/10/03(金) 07:54:05 ID:IGn0SRT/
信秀の四千貫がどれほど異例のことかはよく知られてるだろうに。
あと武具は普通に必要。
785人間七七四年:2008/10/03(金) 23:01:40 ID:gWQUsO3l
普通一般の大名との比較で言えば、信長のとっつぁんの四千は高額だ
が、堺は言うまでもなく経済が活発な場所だ
とっつぁんの抑えてた津島だったか、のアガリより遥かに収入が見込める

過疎の進む愛媛あたりから見れば、東京の経済力は異常だ
ではアメの経済の中心地(どこだ?NY?)の経済力から見た場合、東京の経済力は異常と映るか?
786人間七七四年:2008/10/04(土) 00:01:55 ID:M5S3gimT
>>783 >>785
おいおい。何を勘違いしてるんだ。
堺が要求されたのは2万貫だ。本願寺の4倍なんだが。
こんな常識外れの銭要求されりゃ普通は拒否するさ。
本願寺の5千貫にしてみてもなんでいきなりこんな大金巻き上げられるんだと
警戒したのは自明だろう。
787人間七七四年:2008/10/04(土) 23:14:12 ID:h6APQzsh
勘違いしてるのはお前だ
誰も堺が要求されたのが四千貫とは言ってなかろう

788人間七七四年:2008/10/04(土) 23:19:23 ID:DJLHlOT8
>>787
>>普通一般の大名との比較で言えば、信長のとっつぁんの四千は高額だ
>>が、堺は言うまでもなく経済が活発な場所だ
>>とっつぁんの抑えてた津島だったか、のアガリより遥かに収入が見込める

こんな書き方すれば堺なら4千貫くらい楽勝、っていってるように見えると思うが。
まあ実際は本願寺にかけられたのは5千貫で堺にかけられたのは2万貫だったわけだけど。
2万貫なんていきなり言われたら堺でもとてもはらえんわな。
789人間七七四年:2008/10/04(土) 23:46:56 ID:osps5g6x
当時の各勢力の収入がわからないから2万貫とか多いのか少ないのかさっぱりわからん

棟別銭とかだと一軒、年50文ぐらい?
790人間七七四年:2008/10/05(日) 00:17:33 ID:bB/DAxrB
>>789
さっぱりわからん、ってあんた……。
とりあえず上で挙げられてる信秀の4千貫は朝廷に一度に出した額としては当時異常な額だった。
大内でさえ何回にも分けて出して何とか上回る額だったような。

棟別銭は代表的戦国大名といわれる北条が50文。これを年2回。
まあいろいろ間接税とか勢力によって違ったりするから単純にはいえないが。
一貫は1000文。×2万で2千万文。
信長上洛当時の北条氏康の領国がおよそ100万石として大雑把に人口=石高として
100万人。一家4人(当時は大家族だからありえないだろうが。家数を多めに見積もるとして。)として25万家。
これが年に100文出すとして2500万文。さらに当然のことながら大名の勢力はそれに従う武将達に分けられ、
収入の多くはそれら武将達の手に入り軍事費などの費用になるから当主の手に入るのは大体3分の1くらいか。
となると約830万文。そしてこれも北条宗家自身の軍事費をはじめとするさまざまな経費に消えるから
余剰として貯蓄されるのは半分もないだろう。400万文くらいと多めに見積もるとすれば貫に直せば4000貫。
なんと100万石大名でさえ払うには5年分の貯蓄を吐き出さねばならないという事になりそうだ。
まあここまで単純にはいえないだろうが2万貫が常識外れの大金である事はわかると思う。
791人間七七四年:2008/10/05(日) 00:29:00 ID:qOvSYsSx
>>790
>さらに当然のことながら大名の勢力はそれに従う武将達に分けられ、
?棟別銭課せるのは守護というか大名のみだろ、
もっとも一家4人はないだろって感じするから結局半分程度にはなるだろうけど。

>軍事費をはじめとするさまざまな経費
この辺が不明だから、結局結論に合わせていくらでも数字を変えられてしまう。
792人間七七四年:2008/10/05(日) 00:44:30 ID:bB/DAxrB
>>791
課するのは大名や守護の名においてだろうが、棟別銭は配下達にも与えられていたと聞いたが。
中間マージンなしで全部丸ごと大名の手に入ってたのか?

とりあえず軍事費については
多くの大名の家臣達が相次ぐ出兵に苦しみ出兵拒否や替地要求とかが起きてる点から見て
普通に大きな負担だと思うが。さらに奉公人への給与も必要だし、
もろもろの維持費や活動費がかかると思うが。どう見ても楽勝な数値にはできんと思うよ。
793人間七七四年:2008/10/05(日) 00:55:56 ID:qOvSYsSx
>>792
>課するのは大名や守護の名においてだろうが、棟別銭は配下達にも与えられていたと聞いたが。
それは知らんかった、
何か参考文献も教えてもらえるとありがたい。
794人間七七四年:2008/10/05(日) 01:20:10 ID:bB/DAxrB
>>793
これに自体ついては前に見たうろ覚えだったが、
武田家では信虎時代には棟別張を作った形跡がないこと、
それは室町時代の守護共通のやり方であった事から
在地の豪族達の協力なしでは無理なため、中間を挟むからには
中間マージンが存在するのは自然かと納得してた。
違ってたの?
795人間七七四年:2008/10/05(日) 07:12:25 ID:brlS+hoA
>>788
お前がどう思うか、なんぞ知った事か
書いてない事を勝手に妄想して早とちりしたのは>>786だろ
796人間七七四年:2008/10/05(日) 11:46:30 ID:MMsKcYe/
>>795
そう読めるようにしか書いてないんだが。
他に解釈できるような文章を書いてから物をいえよ。
797人間七七四年:2008/10/05(日) 22:58:04 ID:brlS+hoA
この程度の文章で早とちりして、人に責任擦り付けるようなヤツに、正確に医師を伝えるだけの力は俺にはないわ
挑戦使用とも思わん
798人間七七四年:2008/10/05(日) 23:00:09 ID:dTa6yqM+
誤字突っ込み禁止
799人間七七四年:2008/10/06(月) 05:32:44 ID:KH8owlA6
>>775
寺領は戦国大名の領国内にあった治外法権の領域だぞ。
大名は年貢を徴収できず、末寺の住職と折半していたことも知らない厚顔無恥。
当然領内の一元的支配は無理だし、統治力は劣化する。

宗教勢力の世俗への介入を容認している信玄は、彼らの経済利権を何一つ奪っていないのだが、
そんな信玄のどこが信長と同等なんだ?頭大丈夫か?
腐った利権集団と妥協して自己の立場を安泰にしていた信玄など、日本を閉塞させている魑魅魍魎一派と同類だ。

謙信は天正四年、それまで弾圧していた一向門徒を容認し、本願寺と手を結んだことも知らない厚顔無恥のダメ押しw。

本願寺に矢銭を吹っかけた信長だけが真の改革者だったという初歩の知識さえない空脳君の厚顔無恥ぶりは底なしだなw

朝倉は有力寺社勢力の檀家だったので、宗教勢力と敵対などしていないのだがな。
後北条氏は結局一向宗を容認してるし。
恥も外聞もなくスラスラ嘘が出てくる精神構造は病気だよ。精神が病んでいるとしか言いようが無いw。
800人間七七四年:2008/10/06(月) 07:11:53 ID:UoCZ5aZk
横から失礼。
内容はもはや突っ込む気にもならない。775か他の奴に任せよう。

厚顔無恥 - 厚かましく、恥を知らないこと。 「無恥」であって「無知」ではないので注意したい。

あんま連呼すんな。恥ずかしいから。
801人間七七四年:2008/10/06(月) 07:18:21 ID:4B+aTost
>>799
だからそういってるだろ。
不輸不入や諸役不可が政治介入だの言ってたのはお前だろう。
いきなり寺が治外法権なんて事を言い出しても俺の言ってる事を補強してるだけなんだが。

いや、立派に奪ってる。信玄はちゃんと寺領でも検知をやってるし
僧侶にも税金をかけてるよ。知らなかっただろうが。
だから宗教勢力を腐った利権集団とか言ってるのが信長中心史観なんだよ。

謙信のは北陸の多くを攻略して織田と接した結果一向宗と利害が一致したんでな。
ちなみにいうと信長だって結局石山から顕如が退去したら一向宗を弾圧してないし。
そもそも領地内にもたくさん一向宗派の連中がいるし。

いや、んな事はない。課税だの焼き打ちだの宗教勢力との争いはいろんなところがやってる。
信長のは法外な額でただ単に金が欲しかっただけだが。改革云々なしで。
朝倉は普通に宗教勢力と何度もたたかってるんだが。
朝倉宗滴とか九頭竜川の戦いで調べてみろ。
802人間七七四年:2008/10/06(月) 20:13:12 ID:sZ+mZnac
信長は死せず...、野望は世界に...。

国盗り学習ゲーム世界戦国編β版公開
URL : http://soresuta.jp/
803人間七七四年:2008/10/06(月) 20:26:29 ID:QWwDGEZW
結局信長はスゴイ! とか天才だ、と言う奴は信長の事しか知ろうとしないんだよな。
他との客観的な比較が出来てない。
804人間七七四年:2008/10/09(木) 06:44:31 ID:2EYneGqd
>>801
こちらの主張を否定しようとして、逆に補足説明している間抜けは君だ。
こちらの
『「不輸不入・諸役不課」って言葉知ってるか?立派に俗世間に介入してるんだがな』
という問いかけに対する物的証拠がこれ。
『当時は普通に寺や神社が領地もってたの。
宗教勢力たる護法、と俗世権力である王法がそれぞれ領土をもって混在してたのが当時の世相なわけ。
そして俗世権力と一線を画した存在である護法が俗世権力の介入を阻止するのは当然』
寝ぼけんな。

朝倉は比叡山延暦寺の檀家であり、よって元亀元年比叡山に立て篭もる事ができたんだがな。
こんな有名な史実くらい知っとけ。

宗教勢力が信長に敵対したのは、彼らの世俗での既得権益を否定剥奪されたから。
宗教勢力とズブズブの関係の信玄に、信長と同じ政策を実施出来る筈も無い。
信玄は彼らの支持を背景に、自らの勢力を拡張しようとしていたんだからな。
家康は永禄五年、一向宗の既得権益を取り上げようとした結果一揆を起こされている。
信玄にそんな事例があるのか?
ホラ吹きもいい加減にせいよ。自尊心の欠片もない奴だ。

結局謙信は、本願寺の信長包囲網の手駒の一角にされただけだろ。
何の理念も信念もないから、ころっと巨大勢力の傘下に入っちまう。
情けなねえ奴だよ。所詮その程度の武将ってこった。改革云々無しとは謙信の事だ。覚えとけ。
信長は宗教勢力の世俗介入を弾圧したのであって、あらゆる信仰は例外なく容認しているんだがな。
この違いを混同しているボケっぷりに拍手!パチパチパチ(笑)
805人間七七四年:2008/10/09(木) 07:14:49 ID:xz+Aw8To
分かりにくいなぁ。宗教の世俗介入って何よ?定義してほしいな。
>>777で商業的権威は認めてたって肯定的に書いてるけど、それだって
定義によっては世俗介入と言えるし。
806人間七七四年:2008/10/09(木) 14:39:26 ID:aYhdZ9bt
結局信長の運って大河ドラマでもやってた占い師か易者か
あれのおかげなんだな
807人間七七四年:2008/10/09(木) 17:08:57 ID:aYhdZ9bt
加納随天って奴
808人間七七四年:2008/10/09(木) 23:16:45 ID:25aUFTf0
>>804
寝ぼけんな、だけじゃ何の説明にもなってないぞ。
なんか勘違いしてないかと。
当時は大名をはじめとする世俗の権力者である王法と宗教の権力者である護法が
並立してた時代なんだってば。それは古くは平安から続いており、戦国時代でも
自然に行われていた事。だから比叡山だの本願寺だのが寺の領土をもってるのは
きわめて自然、というか昔から行われてたことなの。そして護法と王法が一線を画しつつも
それぞれもたれあうのが普通の支配だったわけ。
いきなり後付けの理屈で権力をもってはならないとかいうのは暴論。

だから実際信玄は寺領土内で検知もやってるし税金もかけてるの。
なんで認めないものかな。
信玄は本願寺とも縁戚関係を持ち、自らの宗教的権威を高める事で
戦わずして領地内の宗教勢力を従えたわけ。
信玄は本願寺顕如とは義理の兄であり、宗教的地位でも天台宗大僧正。
これだけの宗教的権威をもってるのは当時でもそうはいないよん。

だから信長が宗教勢力の領域に介入してたの。
その富に目をつけて領土を奪い大きな金を要求するというやり方でな。
それで反抗されたのは極めて自然。
それから北陸の一向宗は君のいうのとは逆に謙信の軍役動員体制に組み込まれたりしてるんだが。
手ごまにされたとかいうより謙信が手ごまにしてる感じだが。

809人間七七四年:2008/10/10(金) 00:27:05 ID:zB0W+l/F
続けたいなら主張の都度、双方ソースを提示し合ってくれ
810人間七七四年:2008/10/10(金) 05:29:11 ID:N7mJzqPW
>>808
宗教勢力の世俗介入が、当時の世の進歩と発展を阻害していた有害行為だった事くらい理解しとけ。
信長の政策は、今日のEU圏拡大によるヨーロッパ経済の振興活性化策と本質は同じだ。
無意味な規制や流通の阻害を排除しなければ、国家の繁栄は無い。
それを認識し実現に向けて実行したのは信長ただ一人。
信玄は巨大宗教勢力に恐れをなし迎合しただけ。

寺領は大名権力を受け付けない治外法権だった事くらい理解しとけ。
そこに手を突っ込めば、たちまち一揆が勃発し、本願寺とは敵対関係となる。
信長が敵対し否定した旧体制の守護者である信玄に、彼らの既得権を侵す事など不可能。
腐った利権とズブズブの関係の為抜本的改革ができない自民党と信玄は全くの同類。
寝言を外に持ち込むな。

一向宗徒が帰依するのは本願寺の顕如のみ。
謙信は本願寺と和睦したからといって、一向宗徒への軍事指揮権など発生しないし、門徒らがそれを拒絶する。
義昭失脚後、対信長包囲網の中央司令部的役割を担っていたのは本願寺であって謙信ではない。
幼稚な嘘が過ぎるぞ、イカサマ師の坊や。
811人間七七四年:2008/10/10(金) 11:20:14 ID:LDlEKqL1
こういう唯我独尊馬鹿ってどこから沸いて来るんだ?
812人間七七四年:2008/10/10(金) 11:31:39 ID:zzAEkFBD
電脳世界
813人間七七四年:2008/10/10(金) 15:16:46 ID:83rWlDto
運が良かっただけ?
いいえ運も実力の内。例えば後10年生まれるのが遅ければ既に今川家の家臣になっていただけかもしれない、後10年早ければ有能な家臣が余りおらず他家に潰されていたかもしれない。歴史にifは無いという事だ。今(結果)が全て
814人間七七四年:2008/10/10(金) 22:51:06 ID:iHCVAQqD
よって家康が総合でトップとなるわけだね。
明石説と同じだ。俺も同意見だよ。

家康>秀吉>信玄・謙信>光秀>信長

となるな。結果重視でいくと。
815人間七七四年:2008/10/10(金) 23:37:50 ID:zB0W+l/F
よ明 家 と
って何?キバヤシ待ち
816人間七七四年:2008/10/11(土) 00:09:20 ID:ElNYPfuq
>>810
んな事はない。っていうかそもそもお前はもとから宗教が世俗に介入しちゃいけない、
って論旨だったはずだろ。論旨変えるなよ。
だから信長も結局のところ楽市楽座なんてものはごくごく一部でしかやってないし
しかもそれまでやってた大名の引き継ぎがほとんど。これで改革者なんていえないよ。
つか結局全部お前さんの思いこみやん。

だからお前さんの思いこみの世界はどうかしらんが、信玄は寺で検知もやってるし
税金もとってるんだっての。信玄は自身の世俗権力と宗教権威を増大させる事で
自然にそれらを従えたんだよ。一揆なしで。

イカサマと決めつける前に相手の言うことをちゃんときけ。
上杉謙信が七尾に入ったとき、末森城と連絡をとろうとしていた織田軍の一武将、
惟住長秀の書状では「能登の百姓共がことごとく謙信と一味し、末森までの通路が一切ない」
と述べている。謙信は一揆勢を従え、最後の関東遠征の時も能登勢に動員がかけられている。
少しは信長以外の大名の偉大さを認めなさい。
817人間七七四年:2008/10/11(土) 01:28:15 ID:Axef0hYp
まあぶっちゃっけどの大名も宗教対策はしていたな
一向宗禁止とかだと北条長尾上杉朝倉相良島津とかだし
寺社の焼き討ちも朝倉上杉浅井細川三好六角徳川などもしている
今川とかも不輸不入の権をはっきりと否定
無論弾圧一方ではなく、保護したりもしている
宗教勢力とも講和などを挟んだりしながら何年も戦いつづけたりと
決して信長だけではない
ただまあ信長ほど規模が大きくより妥協せずより宗教の力を削れた大名はいないということで
その点では信長の業績は他の大名より優れているだろうがな
818人間七七四年:2008/10/11(土) 03:06:12 ID:4My5nTUo
三好長慶や六角定頼、遊佐長教や朝倉宗滴など畿内の大物が世を去っていたのもでかいよな
819人間七七四年:2008/10/11(土) 07:18:36 ID:jbEzG0nb
>>818
百歩譲って六角は畿内の将でいいけど、宗滴は違うだろ。
820人間七七四年:2008/10/12(日) 01:09:50 ID:6DsST0ze
長慶や宗滴がいたら信長ほどうなってたんだ?
821人間七七四年:2008/10/12(日) 06:31:10 ID:EXpxDs3j
宗滴に補導されるうつけの図を思い描いた
822人間七七四年:2008/10/12(日) 07:11:06 ID:xMcVMcnq
伊達や島津のように端に信長誕生したら無理ぽ
823人間七七四年:2008/10/12(日) 07:33:33 ID:zUSSAqOF
別に信長は宗教勢力を否定してないけどねw
徹底的に叩くほうのが敵を作り多くの問題を抱えただけw

逆に信玄とかは寺社勢力を最大限に利用して
合理的、現実的な考えで宗教を道具として使ってるw
やってることは明らかに信玄の方が現代の感覚に近くて冷めているw
天理教とかは幕末、倒幕のために出来た宗教
簡単に民の支持を得て兵も鼓舞できる
戦争をするには洗脳は欠かせないわけ
倒幕運動を熱くしたのは宗教のちからだよw
竜馬も宗教を利用して倒幕の波を作ろうとしてたわけだし

信長の手柄が宗教勢力と徹底的に争ったことで
寺社勢力から武力を奪ったことだといってるやつもいるが
その武力、経済力が商人に移っただけ

歴史的には大した意味を持たない
日本人の宗教に対しての価値観が世界と違ったものになっただけw
824人間七七四年:2008/10/12(日) 12:46:37 ID:7ODV5C+x
>>823
宗教が武力を持っていない現代を同一視してどうするよ。
この時点で前提が間違っている=結論も間違っている。
825人間七七四年:2008/10/12(日) 14:04:53 ID:72ccHtRz
武田の場合は単純に甲斐信濃での宗教勢力が弱かったってのと武田と敵対する
勢力が一向宗と敵対していたため利用できただけのことじゃ敵の敵は味方ってことで

宗教勢力が強い地域で宗教利用しようとすると富樫細川三好みたいになりかねない
826人間七七四年:2008/10/12(日) 14:30:20 ID:zUSSAqOF
>>824
たいして変わらんでしょw
おまえがくべてるのは現代日本だw
世界の紛争のほとんど利権と宗教が絡んだ争い
宗教勢力に武力がなくても権威を貸して代理戦争してるだけw
信長がやったことは対宗教勢力との争いを分かりやすくしただけ
現代の米VS中東と同じようなもんw
本願寺や一向宗ですら
利用されて戦争したようなもんでしょw
827人間七七四年:2008/10/12(日) 15:22:02 ID:w1tsJuLK
>>826
お前はとりあえず一向宗の成り立ちから再勉強してこい。
828人間七七四年:2008/10/12(日) 17:30:43 ID:OD+ZFZ0m
どうもこの中に一人、井沢厨がいるようだな。
829人間七七四年:2008/10/12(日) 21:30:00 ID:EXpxDs3j
国際情勢の勉強もだな
830人間七七四年:2008/10/13(月) 12:35:42 ID:Rg14eA3q
>>816
俺がいつどこで論旨変えたよ?できるなら明示してみな。無理だろうけどw
信長の版図拡大につれて、楽市楽座の適用範囲も当然のごとく拡大している。
だから大商人は莫大の利益を上げ、その一部が運上金として信長の懐に流れ、兵や軍備の増強に寄与した訳だ。
まさか信長が例外的に残した京の七口の関所を指しての物言いではあるまいな。
例外的事例を全体像へと拡大解釈してすり替えるペテンを詭弁という。覚えとけ。

寺領とは寺の領地。信玄の領地ではない。だから信玄の威令は及ばない。
信玄は末寺の住職に泣きついて、年貢を分け合っていただけだ。強権で収奪していたのではない。
それをやったら一揆が起こるからな。
現に家康は永禄五年に末寺から強引に年貢を徴収しようとした結果、翌年には一揆を起こされ、
門徒を多数抱え込んでいた徳川家臣団も分裂した事例が証明しとるがな。
思い込みなのはお前さんの方だ。もっと勉強しとけ!

一揆勢は顕如の指令で動いていただけだ。
そもそも一揆勢に命令できるのは顕如だけ。なぜなら彼らが帰依する唯一の存在が顕如だからだ。

謙信は天正五年の北陸遠征以後、関東遠征など行っていないのだがな。嘘つきは泥棒の始まり(笑)。
831人間七七四年:2008/10/13(月) 12:39:12 ID:O6CGKa4f
まるで一揆を起こさせた者が偉大って言いたげだなwただ失敗なのにw
832人間七七四年:2008/10/13(月) 12:57:11 ID:Rg14eA3q
>>823
信長の目的は織田家の一元的支配による全国統一だ。
よって、あらゆる勢力を敵に回すことになるのは百も承知。
お前のような凡人が偉人の考えを理解しようってぇのが、どだい無理な話w

信玄は地方勢力として程々に栄華を貪りたい他の大名連中と同じ。
信長は煙たい存在だから、「反信長」という同じ考えの連中と共闘しただけの事。
そこには何の理念も将来ビジョンの共有も無い。
雑魚の群れとはこんなもんw

商人が潤ったのは信長の経済政策のお陰であるし、自治都市の堺は信長に隷従してからは武装解除してるのだが。
臭い嘘で釣りを謀るな。

歴史的に何の意味も持たないのはお前の存在だw
833人間七七四年:2008/10/13(月) 23:37:45 ID:WTWTdiWr
>>830
だから、
>>宗教勢力の世俗介入が、当時の世の進歩と発展を阻害していた有害行為だった事くらい理解しとけ。
>>寺領は大名権力を受け付けない治外法権だった事くらい理解しとけ。
この時点で矛盾が生じている。世俗に介入するのが禁忌な存在なら治外法権という言葉はあてはまらない。
>>『「不輸不入・諸役不課」って言葉知ってるか?立派に俗世間に介入してるんだがな』
この言葉が宗教がもともと権力や領地をもった存在であったとする俺の説を否定しているなら
治外法権を全面に出した時点で論旨を変えている事になる。

楽市楽座の範囲なんか拡大してないよ。
ぶっちゃけ信長が楽市を独自にやったのは安土だけ。
楽座をやったのは信長でさえなく、柴田が越前でやった例だけ。
拡大なんか全然してません。
>>例外的事例を全体像へと拡大解釈してすり替えるペテンを詭弁という。覚えとけ。
まさにお前だな。

寺領は寺の領地、というか。ならそれはお前のいう宗教の世俗介入という論旨を自ら否定するわけだ。
論旨変えのあらたな根拠発見だな。まあいい。
本来は及ばなかっただろうな。だが信玄は自身の世俗権力と権威を高める事で自然にこれを
従えているといっている。末寺も何も信玄によって領地内の寺は税を普通に取られ、さらには検知も行われてる。
信長だけを特別と思いたがるお前さんにはショックなことかもしれんが。

顕如の指令も何も普通に謙信に従ってるんだってば。いい加減認めろよ。
謙信に能登中の一揆が従い、織田勢が通路がないといっている状況を。

謙信死去直前の遠征準備のことね。このとき謙信の領土すべてに動員令がかけられ、
その中に能登勢もいたというわけ。知らなかったんだね。覚えておくんだよ。





834人間七七四年:2008/10/13(月) 23:42:33 ID:WTWTdiWr
>>832
別に最初からそんな事考えていたわけないんだが。
あちこちの勢力と同盟結ぼうとしたり味方につけようとしたりしてるので明白。
足利義昭にさえ追放した後でさえ戻ってきてくれるように交渉してる。

信玄には天下静謐という理念があったが。
信長と同様にな。どちらも同じく天下静謐の理念を掲げて行動した2極にすぎないんだが。
どちらかを隔絶に見ようとするのは笑止千万。

信長の経済政策なんかろくにないし、新興商人たちはそれ以前から動いてるし、
堺は金を要求されて拒否して反乱して負けて抑え込まれただけなんだが。
堺が信長に感謝なんかするわけないし、むしろ金も自治も奪われてえらい目にあっただけだろ。
835人間七七四年:2008/10/14(火) 00:29:33 ID:uWoZzkUj
まあ一向宗は北陸だと暴走して世俗権力に思いっきり介入しているし、
尾張でも長島が尾張統一前の混乱期に河内を横領したり今川に協力したり。

畿内でも天文一揆の時は思いっきり世俗権力に介入している、比叡山なんかも介入している、
まあこの時はどちらかといえば延暦寺と山科本願寺との争いに世俗権力が介入したと言うべきか?
また顕如というか本願寺は大名などと姻戚関係結んでいるしな。
836人間七七四年:2008/10/14(火) 00:51:13 ID:azaemNNR
運大魔王
837人間七七四年:2008/10/14(火) 02:45:23 ID:OfTvjFjh
つーか、例外というからにはそれが例外である根拠を示さなけりゃならんことがわからんのだろうか。
838人間七七四年:2008/10/14(火) 09:41:59 ID:52lwGQXD
他者を納得させるのが目的なら自己完結してないで資料名くらい出せよ
839人間七七四年:2008/10/18(土) 16:09:47 ID:kmW1ns7n
>>833
寺領に関する言及は、話にならん駄文。
論旨不明瞭でバカ丸出しw
いかにも社会に出た事が無いための空脳ぶりが丸見えだわなw

柴田がやれた楽座を信長がやれないと考える愚かさは凡人以下w
相当頭が不自由と見えるw

一向一揆が大名の命令に服するわけねえだろ。バカ杉w
顕如の指令で動いていただけだ。
戦国の世で謙信だけが一揆勢を統制する指揮権を持てたのか?
お前のホラ吹きは病気だからなw
840人間七七四年:2008/10/18(土) 16:13:13 ID:7HNngeYq
>>839
んで結局具体的反論はないわけか。

信長は実際やってない。むしろ座を保護してる。

謙信は実際一揆衆に軍役を課して遠征に動員しようとしてるからな。
指揮権持ってるとみていいだろうよ。
841人間七七四年:2008/10/18(土) 16:20:26 ID:kmW1ns7n
>>834
第一段落は笑止千万の妄言wお前お得意の妄想捏造糞歴史w

天下制覇を狙う大物は信濃の猫額の地欲しさに何度も戦闘などせんよ。
しかも今川義元が戦死した後も駿河に攻め込まず謙信と戦う信玄の愚行は、田舎大名のセコさ丸出しだw

お前、今井宗久や津田宗及も知らんのだなw
バカにつける薬は無いw
842人間七七四年:2008/10/18(土) 16:24:54 ID:kmW1ns7n
>>840
座は一部は容認してただけ。
叡山や本願寺らは、座のライセンス料を剥奪され、経済基盤を奪われたことも知らん無知w

何故謙信だけ一揆勢に指揮命令権を持てたんだ?
説明してみろ。論理的にだ。意味不明な駄文で誤魔化すなよ。
843人間七七四年:2008/10/18(土) 16:32:03 ID:7HNngeYq
>>841
いや、実際お前が書いたことなんだが。

美濃の寸土を狙って何度も侵攻してうまくいかず、
加治田の一領主が内応を申し入れてきた時大喜びしてる信長を見て
本気でそう思うのか。
第一謙信との戦いは信玄にしてみれば逆に信濃を奪われる危険性があったから
戦わずにおれないんだが。

堺は実際ほとんどの商人が信長に抵抗したから反乱になったんだろうが。
>>842
だから楽座なんか信長はやってないといってんだろ。
やったというなら資料だせ。
叡山が奪われたのは座じゃなくて領土なんだよ。
本来持ってた寺の領土を直接奪われた。

なぜも何も能登を制圧したからと、
一向宗を信伏させたからだろ。
844人間七七四年:2008/10/18(土) 16:34:51 ID:7HNngeYq
ああ、>>843訂正。
>>841の一段落というのはそっちの事か。
実際義昭に対して信長は追放した後も戻ってくるように交渉してる。
それで義昭は拒否しむしろ信長が人質を出せと言った事から決裂。
信長が同盟を結んだり引き込んでるというのは上洛前に
浅井や徳川、さらには失敗したけど六角も引き込もうとしてる。
845人間七七四年:2008/10/18(土) 16:43:36 ID:kmW1ns7n
>>844
>義昭に対して信長は追放した後も戻ってくるように交渉してる
天正何年だ?言ってみw
846人間七七四年:2008/10/18(土) 16:47:18 ID:7HNngeYq
>>845
天正元年11月。
847人間七七四年:2008/10/18(土) 16:52:37 ID:kmW1ns7n
>>843
美濃は上洛のため攻略必須な地域ということも知らん知的障害w

謙信は村上の領土など侵食しようとしてねえよ。村上のために戦っただけ。
お前のホラ吹きはまじ病気だw

楽座を広げたから豪商は潤い、信長は多額の運上金を手にできたんだろうが。
信長は寺領は奪っても座の特権は容認したとでも?
そうする必要性がどこにあるってんだ?
バカの発想は誰も理解不能w

謙信にできたなら、信長の一向宗徒に指揮権を発動できたはずなんだがな〜
だが、そんな史実は無い。
なぜなら全てお前の捏造だからw
848人間七七四年:2008/10/18(土) 16:55:21 ID:kmW1ns7n
>>846
義昭を追放した直後何故信長は呼び戻す必要があったのか、論理的に説明してみ。
849人間七七四年:2008/10/18(土) 16:57:14 ID:kmW1ns7n
>>846
あっちこっちで大嘘を吠えまくってるキチ外w
850人間七七四年:2008/10/18(土) 17:03:50 ID:7HNngeYq
>>847
上洛云々なんて当時信長が考えてたとは思えんが。

信玄にしてみれば村上や小笠原の領土を返したりとられたりするのは
領土の喪失。さらには謙信にしてみれば自分に従う豪族を入れる事で
勢力の拡大。

だから楽座令なんか信長は出してないんだよ。
領土を奪えばそのまま直接税金が手に入るだろうが。
文字通り座から丸ごと収入が手に入るんだよ。むしろつぶす理由がないんだが。

信長は敵視されまくってたからな。さんざん敵対し金を奪ったんだから当然だが。
>>848
義昭の権威が必要だったから。信長も結局その勢力を保つために大義名分として
将軍が必要だった。そしてうまくいかなかったのでしばらくは義昭の2歳の子供を
未来の将軍として擁立して大義としてる。
>>849
少しは自分で調べてみろ。
851人間七七四年:2008/10/18(土) 17:11:04 ID:kmW1ns7n
>>850
そりゃお前みたいな嘘を吠えるだけが取り得の能無しに、信長の戦略など理解できる筈もないw

だから信玄は天下など眼中にねえから、信濃の猫額の地にこだわってたんだろうが。
義元憤死後も駿河ではなく北信濃なんぞに血眼になってる近視眼は、お前同様の小者w

堺の新興商人と信長の関係も知らん童貞w

義昭は信長にとって、もはや用済み。お前も社会にとって、もはや用済みw
幼稚なホラだけは一丁前w

骨の芯まで腐ってんな〜お前w
852人間七七四年:2008/10/18(土) 17:18:16 ID:7HNngeYq
>>851
嘘というかお前はまともと事さえいってないだろ。
まあ結局ここでも反論なしか。

駿河はちゃんとその後攻めてるだろ。
第一信濃は41万石で川中島は10万石近い。
駿河が15万石だから十分とりあう価値はあるし。
第一ほっといたら北信濃だけじゃなくて小笠原とかの旧領土である中部信濃もとられる。
そして第4回川中島が終わった後は西上野20万石を得ている。

堺は信長に反抗してると何度もいってるんだが。

全然用済みじゃないから戻ってきてくれるように交渉してたんだが。

お前は魂の奥まで腐ってそうだなw
853人間七七四年:2008/10/18(土) 17:37:18 ID:kmW1ns7n
>>852
信濃の一部にすぎない北信濃の領有を信濃一円とすり替える詭弁w
お前お得意の幼稚なホラ炸裂w

戦略の優先順位について言及している。
天下制覇が目的なら、義元死後真っ先に駿河獲得に動いているのが道理。
そうしないのは信玄が戦略性の薄い寸土にこだわる間抜けだからだw

信長は堺に代官を置いたことも知らん童貞w
これこそ堺の信長への隷従の証しだ。いい齢こいて童貞だから、しょうがないかw

そんな交渉自体存在せず。お前、人間として賞味期限切れだw

ホラを吹くことしかできない知的障害のお前に、心眼を語るなど百年早いわw


854人間七七四年:2008/10/18(土) 17:39:52 ID:kmW1ns7n
>>852
お前みたいなチンケな屑を相手にしてやっただけでも感謝しとけ、童貞w
855人間七七四年:2008/10/18(土) 17:43:15 ID:7HNngeYq
>>853
だから北信濃で10万石。
さらには謙信ほっとけば中部信濃までとられてさらに大損。っていってる。

同盟者なんだからそんな簡単に攻めるわけないだろ。
第一あの時の関東情勢は巨大化した上杉に対する武田・北条の反撃という必然性が
まずあったんだが。そして武田と北条が連携して西上野と東上野、武蔵北部を平定するのに
5年を費やす。これは壮大な戦略なんだが。駿河云々はその後だな。

だから、最初は思いっきり反乱してるんだっての。
それに負けた後は代官置かれて「従わされた」の。お前のいうように自発的に協力なんかしてないの。

交渉は史実として存在してるんだが。適当なやつだな。

ゲーム脳かお前。
856人間七七四年:2008/10/18(土) 18:00:04 ID:kmW1ns7n
>>855
村上義清の領土を容認して謙信と和解すればいいだけの話。
それで謙信は矛を収める。
それで駿河へと転進すればいいのだが、阿呆の信玄にはそんな戦略さえ思いつかない。
だから田舎大名w

「今井宗久、津田宗及」に関して調べてみろ、ボケw

そんな交渉ねえよ。根拠出せ。絶対無理だが。
こちらの根拠はそんな史実はどこにも存在しない、だ。
加藤智大と同じく精神鑑定受けてこいw基地外野郎w
857人間七七四年:2008/10/18(土) 18:09:12 ID:7HNngeYq
>>856
謙信は小笠原の領土をはじめとする他の信濃豪族の領土も要求してるし
第一同盟者北条を追い込み関東に覇権を打ち立てようとしてる謙信を
放置などできん。そんな事をすれば自分がくわれる。

だ・か・ら、堺は信長に反抗してるといってる。

根拠あるぞ。この交渉は毛利側から安国寺恵慶が出て
織田側からは秀吉が出て義昭も出席して交渉にあたった。
その経緯は吉川文書にくわしい。
そして末尾に安国寺の有名な「信長はいずれ高ころびに転ぶだろう。
秀吉はなかなかのものだ。」という評価が出てくる。
858人間七七四年:2008/10/19(日) 23:41:59 ID:cJC5QFGh
sage武田はいい加減その武田贔屓がウザい
それと時々ぶっとんだ事言うからそこも嫌いだわ、謀臣を知らなかったりとか
そろそろカタカナ上杉と並ぶ戦国時代板名物になるぞ
859人間七七四年:2008/10/20(月) 00:22:27 ID:NZyqbIEb
>>858
謀臣を知らないって何のこと?
一応史実に基づいて話しているんだが。
俺はむしろ信長万歳他は雑魚の織田厨がうざいが。
860人間七七四年:2008/10/20(月) 00:24:02 ID:4q1yElbh
信長は日本市場で唯一の世界史クラスの人物

他の大名なんてそもそも比較対象にならない
秀吉、家康も雑魚
861人間七七四年:2008/10/20(月) 09:41:18 ID:zp09bmjb
ウザいどうとかより織田厨は会話が成立させる気がないな。
そもそも主張を繰り返すだけで資料が一つもでてこないのがいかんともしがたい。
そろそろコテつけてほしいな。
類似スレで農繁期出兵否定してた奴と同じすぎる。
同一人物なのか織田厨に共通する癖なのか。
862人間七七四年:2008/10/22(水) 21:19:05 ID:fXy8KAEz
織田だの武田だの関係ない
こんだけgdgd安価掛け合ってて吉川文書しか出てねーじゃねーか
863人間七七四年:2008/10/23(木) 11:30:46 ID:QG52ssw9
今川義元と小競り合いしながら同盟を結んだ武田信玄
今川義元と小競り合いしながら同盟を結んだ北条氏康
今川義元を寡兵で討ち取った織田信長
864人間七七四年:2008/10/23(木) 13:20:22 ID:01zY5pJ5
油断した義元を討ち取った信長
油断した信長を討ち取った光秀
865人間七七四年:2008/10/23(木) 23:36:04 ID:4lnydkot
>>863
休息中の今川本陣を勘違いで突っ込んだら偶然討ち取った信長、だろ。
866人間七七四年:2008/10/24(金) 06:03:35 ID:pAMPZHp1
たまたま義元を討ち取った信長
計画通り信長を討ち取った光秀
867人間七七四年:2009/01/30(金) 14:52:30 ID:jgv9TfiY
ID:kmW1ns7n

とりあえずコイツの精神状態はかなりヤバイな
第三者的にこーいうのとは話したくない
868人間七七四年:2009/01/30(金) 16:01:00 ID:W/WYX2wI
>>867
そいつ池沼だから相手にすんな
869人間七七四年:2009/01/30(金) 17:55:55 ID:Fa+s/j5w
>>864
光秀のあれが計画通り?
相当ずさんな計画だったんだな
870人間七七四年:2009/01/30(金) 18:17:14 ID:PJLdE7Cd
そうか?用意周到だと思うが?
871人間七七四年:2009/01/31(土) 02:12:00 ID:RJVFMNmd
>>869
杜撰な計画だとしたら、それで討ちとられた信長はもっと惨めだな
光秀を過小評価すると、信長も過小評価することになるんだぜ。
信長は光秀に負けたんだからな。
872人間七七四年:2009/01/31(土) 12:22:56 ID:sG6+afP3
そうはならないだろ
光秀に杜撰な計画で反乱を起こさせるほど
信長は部下掌握に関しては粗放な人間だったというだけ。
873人間七七四年:2009/01/31(土) 14:54:40 ID:RJVFMNmd
反乱が成功した事を忘れてないか?
信長が光秀に負けたことも。
874人間七七四年:2009/01/31(土) 15:06:42 ID:sG6+afP3
でも覇権掌握には失敗したじゃん
信長と信忠をぶっ殺したのは成功だけど
875人間七七四年:2009/01/31(土) 16:07:05 ID:6XjlM+14
光秀が成功したのは暗殺であって叛乱ではないな
せめて国替え命令前の自分の領国を維持できてればべつだったけど
876人間七七四年:2009/01/31(土) 17:29:38 ID:sG6+afP3
まあ織田家と共倒れで終わってくれたのは
秀吉からすればメシウマ状態ではある
877人間七七四年:2009/01/31(土) 22:07:03 ID:RJVFMNmd
光秀が失敗したのは、秀吉が奇跡的なスピードで戻ってきたからでしょう。
中国大返しがいかにすごかったかは、たいていの歴史書に述べられてる。
つまり秀吉が光秀を上回ってた訳で、それで光秀を責めるのは酷だろう。

またあれだけの軍勢を率いた行動を、暗殺とするのはどうだろう。
れっきとした軍事行動だと思うが。
878人間七七四年:2009/01/31(土) 23:59:22 ID:2/nePwqv
>>875
あれはれっきとした反乱、反乱という言い方が気にくわないのなら、典型的
なクーデターと言っても良い。

成功する見込みはあったと思うがな。
879人間七七四年:2009/02/01(日) 15:12:50 ID:WcGRwRvZ
暗殺という表現がまずかっただけで別に謀反である事自体をどうこう言ってるわけじゃないだろうに

>>877
大返しは秀吉が成功する上では重要だが光秀が打たれる過程としては重要とは思わない
朝廷や周辺諸将に日和見されている状態では早かれ遅かれ織田恩顧の大名に打たれてただろうし
880人間七七四年:2009/02/01(日) 18:47:46 ID:Ecgz6oyy
>>879
結果論だよ。
周囲が日和っている間に戻ってきたから秀吉は勝てたんだよ。
織田の有力武将は前線にいたから、すぐには動けない。どころか神戸や滝川のように勢力を失う者もいた。
遅かれ早かれというけれど、遅くなればなるほど明智に靡く中小勢力は増えただろう。
織田方であった者は違うだろうが、レジスタンスの必要もない。長いものには巻かれるのが世の常。むろん朝廷もね。
それに毛利や上杉だって介入してくる。

秀吉だからこそ明智を倒せたんだよ。もし秀吉が戻ってこなければ家康だったろうが、秀吉ほど迅
速でないし、織田家の武将ではないから、秀吉よりはてこずるだろうな。
柴田では駄目だったろう。後は論外だね。
881人間七七四年:2009/02/01(日) 18:58:48 ID:Ecgz6oyy
千載一遇の機を逃さず迅速に動いた光秀、秀吉、ともに並ではない。
だから戦前までは、両者ともに評価が信長より上だった。
光秀の戦歴だって秀吉にひけをとってない。
そんな光秀を背かせた。晩年の信長は己を過信したんだね。
882人間七七四年:2009/02/01(日) 21:22:28 ID:WcGRwRvZ
秀吉、勝家、家康どれかしかこないとでも言わんばかりだな
日寄ってる奴は直接やられでもしない限り趨勢が決まるまでは動かないし
勝家、家康が山崎の合戦の報を聞いたのがそれぞれ近江、尾張
余裕が生まれるとしても数日から十数日程度だ
秀吉も大返しではなくても早晩戻ってくるだろうしここ全部相手して勝てるとは思わんけど
883人間七七四年:2009/02/01(日) 21:27:18 ID:bIkoee+E
>>882
それだけ時間があれば、明智方の切り崩しも可能だし、反明智方の
主導権争いも起こりうる。もちろん明智側は積極的にそれを仕掛けて
くるだろう。

どちらにせよ核になる存在がいない状態で、全部を同時に相手にしな
ければならない状況にはならないと思われる。
884人間七七四年:2009/02/01(日) 22:24:08 ID:Ecgz6oyy
>>882
> 秀吉、勝家、家康どれかしかこないとでも言わんばかりだな

じゃあ君は彼ら以外の誰を考えてるんだい? 教えてくれ。

> 日寄ってる奴は直接やられでもしない限り趨勢が決まるまでは動かないし

時間が経てば経つ程明智は体制を固める。動くか動かないか、なんて断言できないよ。

> 秀吉も大返しではなくても早晩戻ってくるだろうしここ全部相手して勝てるとは思わんけど

だからそれが結果論なんだってば。
秀吉より先に毛利が本能寺を知ったら、秀吉とて講和撤退は無理。
そうでなくても釘づけの可能性大だった。
だから明智は反乱したんだよ。

それに秀吉家康勝家は一枚岩じゃないし、毛利上杉北条もいる。
短期でけりがついたのと、秀吉の外交力があったから介入が最小限になった訳で、
長期化すればそれもどうなってたかわからない。
将軍義昭も忘れちゃいけない。

それに光秀も馬鹿じゃないから、そこら辺は手をうっている。
その効果が出る前に秀吉が戻って来たんだ。
明智光秀を見くびるのは危険だよ。信長はそれで足元掬われたんだし。
885人間七七四年:2009/02/01(日) 22:33:47 ID:Ecgz6oyy
ゴメンゴメン、抜けていた。
>時間が経てば経つ程明智は体制を固める。動くか動かないか、なんて断言できないよ。

僕は先に「動く」と主張したけど、動いたか否かは本当はわからない。動いただろう、にとどめるよ。
886人間七七四年:2009/02/01(日) 23:17:38 ID:heDHz9ML
機内諸勢力が日和ったのは、信長の生死が確かでない、というのも大きかったと思います。
秀吉が信長生存のデマゴーグを流した事、それが効いた事からわかります。
機内諸勢力にとって、信長は義理立てする対象でもなんでもないですから。
だから秀吉が戻らず、光秀体制が一月くらい続いていたらわからないですね。
朝廷もそうです。光秀が工作を開始してから3日くらいで山崎の戦い。一月あればどうなって
いたか。
本願寺から光秀へ返書が来たのが11日。
やはり秀吉が迅速すぎたのです。

光秀の敗因は、信長の首を確保できなかったこと、秀吉が早すぎたことでしょう。
それがなければ明智は最低数ヶ月はもったかもしれません。

日付等はこちらで確認してください。
本能寺の変に関する資料
http://www.ksbookshelf.com/HJ/
887人間七七四年:2009/02/02(月) 08:34:44 ID:UGw6dKV7
明智など所詮寝込みを襲っただけのキンカ頭。
朝廷工作も着手するのが遅すぎ。変後十日も何やってんだか。
秀吉でなくても勝家で充分勝てた。裏切り者の軍勢は士気も低いから、
呼びかければ続々と投降しただろーな。
888人間七七四年:2009/02/02(月) 10:13:17 ID:m7zOXwGD
一枚岩じゃないからって、明智を後回しにする理由がまずないだろ。

内輪もめを始めるのなら、まず明智を倒してから。

それともう一つ重要なのは、核になる一本の統帥権に纏められている
軍ではないということは、てんでばらばらに侵攻され、それに対処する
ことになる。これは厳しい。

例えば、仮定の話として山崎合戦で明智が勝ったとしよう。しかしその
場合秀吉を討ち取るくらいはしなければ、秀吉は兵を退いて体勢を整え
直すくらいはできる。しかし勝った光秀は休む間もなく次は近江にまで
出てきた柴田に対処せねばならず。これに勝ったとしても次はおそらく
美濃まで出てきた徳川を相手にしなければならない。その間、細川や
筒井がまったく何もせずにいるだろうか?一端敗れた羽柴がだまって
見ているだろうか?切り崩しをすればいいともあるが、それは反明智
だって同じこと。明智についた小豪族たちが、光秀に死ぬまで従わねば
ならない理由などないのだから。
889人間七七四年:2009/02/02(月) 13:03:04 ID:UGw6dKV7
>>888
秀吉家康勝家以外の武将の件はいいのか?
890人間七七四年:2009/02/02(月) 18:19:36 ID:/Z+HkYND
武田信玄との戦みたい。
891人間七七四年:2009/02/02(月) 20:17:09 ID:TmNMTrgc
>>888
そうだね。君の言う状況ならそうだと思うよ。
だけど落ち着いて過去レスを見てくれ。
僕は>>877で光秀の敗因は秀吉の中国大返しだと述べたのに対し、>>879氏(君と同一人物かどうか走らぬが)の、
>大返しは秀吉が成功する上では重要だが光秀が打たれる過程としては重要とは思わない
>朝廷や周辺諸将に日和見されている状態では早かれ遅かれ織田恩顧の大名に打たれてただろうし
に対してずっと述べているのだから、前提が全く違うんだよ。

君(君たち?)はどうも僕達の述べている「秀吉が大返しをしくじった」という状況を理解できてないようだね。
>>882氏が
>秀吉も大返しではなくても早晩戻ってくるだろうしここ全部相手して勝てるとは思わんけど
と述べている時点で僕が気づけばよかったけれど、
秀吉の大返し失敗は、単に秀吉が出遅れる、または不参加ということだけを意味しているんじゃないよ。

もう一度ここから考えてみよう。
秀吉が大返し失敗したというのはどういう状況か?
この頃の秀吉の能力から考えて、それは
「毛利が秀吉より先に本能寺の状況をつかんだ」
というのが一番大きな可能性だと思う。

毛利と織田のパワーバランスはよく誤解されているから、後で述べるけれど、以上の状況で
秀吉が無事で帰れる可能性はあまり高くない。滝川一益のような状況になっていたかもしれない。

つまり秀吉の失敗は、毛利の中央進出を意味するんだね。
後継者争いで力を減じた上杉や、中央志向のない北条とは異なり、10カ国を領する毛利が明智の招きに
応じるわけ。なにせ毛利には「将軍」義昭もいるからね。
*念のためだけど、義昭が征夷大将軍を辞任したのは天正16(1588)年。だからこの時点ではまだ現役
の将軍だよね。
信長が義昭を奉じた時以上の兵力をもって上京した可能性がある。

そして光秀が一番頼りにしていたのもこの毛利(と義昭)なんだな。
毛利がこちらに来る、というだけで機内の諸勢力の動向は変わっただろうね。
>>886氏の指摘もお忘れなく。
だから秀吉の大返しは光秀には致命的だった。
第一に時間が稼げなかったので、反信長陣営をまとめることができなかったし
第二に秀吉の工作によって機内諸勢力が味方にならなかった
(勿論秀吉の工作が無くても日和っていたものもいただろうけど)
そして毛利の援軍は絶望的になったから。



892人間七七四年:2009/02/02(月) 20:25:32 ID:TmNMTrgc
次に、毛利はそんなにすごいのかということだけど。
時折
毛利は信長の一武将である秀吉に押されていた
毛利はすでに死に体
というのを見るけれど、そんなこたあないよ。
秀吉が対峙していたのは毛利方の地方勢力であって、毛利も両川も無傷だ。
信長も武田に自分の勢力圏をあらされてもあまり動じなかっただろう? 
あれに近い。
毛利は無傷。だから毛利本隊がやって来た時に秀吉は信長に援軍を仰いだ。
毛利としても秀吉が怖いのではなく、秀吉の背後にある信長が怖い。物量で
大差があるからね。だから「秀吉に押されていた」というのは半面は事実だ。
秀吉だけなら多少手こずるものの、毛利の総力を挙げればなんとかなるが、
信長が出張ってくれば総力戦。多大な傷を負うだろう。

ところが本能寺の変で状況は一変する。秀吉の後に来るかもしれない信長はなく、
明智はこちらに秋波を送っているんだから。
もし毛利が秀吉より先に情報をつかめば、小早川や安国寺ではなく、吉川が
主導して、まず秀吉をつぶしただろうね。

まあ、そういうことですよ。

じゃ、サイナラ〜
893人間七七四年:2009/02/02(月) 20:33:50 ID:VWWtk7Vj
半歩間違えば、秀吉が滝川一益の様になっていたという可能性は
かなりあるしなあ。
894人間七七四年:2009/02/02(月) 20:39:51 ID:mxR/liiu
一益の場合 後ろが完全に崩れてるから
895人間七七四年:2009/02/02(月) 20:51:37 ID:lJigbKEW
>>894
摂津の状況もかなり切迫してたぞ。
とはいえ>>891-892は毛利を過大評価しすぎだと思うが。
(10カ国の支配者とはいえ、実際の国力は北条と同レベルか、国内の
統治機構の差でそれ以下だし)

でもファクターとしての将軍義昭や、毛利をはじめとする非織田方諸侯の
動きは考えておくべきかと思う。
896人間七七四年:2009/02/02(月) 22:12:00 ID:rln522+Z
滝川一益と秀吉を同列に扱うとか毛利が義昭担いで上洛とか無茶苦茶言うなよ
結果が全てだと言うつもりはないがそんな仮定を並べて結果論だと言われても困る
まあ、光秀のご都合主義な打算としてなら正解かもしれないけど
897人間七七四年:2009/02/02(月) 22:23:05 ID:lJigbKEW
>>896
滝川一益が置かれていた状況と、秀吉が置かれていた状況と、
どこまで差があると思ってる?
むしろ結果が全てな訳だが、その結果を生むために時間がどれ
ほど貴重なものであるか、考えてみた方が良いと思うが。

あと、信長というオンリーワンが失われた場合、旧来の権威機構
を利用して求心力を高めるのは当然の策だろう。
(信忠が生存してれば、これも情勢が大きく変わるが)
898人間七七四年:2009/02/03(火) 00:13:03 ID:blKWDkBA
史実として、毛利は織田に全力で当たれなかった>織田以外にも敵がいた
もう一つ、やはり史実として、毛利は本能寺を知っても秀吉を追撃しなかった

この二点は重要。
899人間七七四年:2009/02/03(火) 08:25:57 ID:IByCyo7y
>>898
勉強不足。何故秀吉を追撃しなかったか調べなさい。

つか秀吉家康勝家以外の人物の件はどうなったの?
900人間七七四年:2009/02/03(火) 09:00:02 ID:Ny3/9a2s
三七と長秀が距離的には一番近かったな
901人間七七四年:2009/02/03(火) 12:01:21 ID:IByCyo7y
そう考えると、秀吉は勿論、家康や勝家も迅速に行動できた方だよな。
勝家は秀吉よりは状況が有利だったけど。
やはり秀吉と家康はずば抜けてるなあ。
純粋に能力だけを比較しても、光秀に対抗できたのはこの二人くらいだろーよ。
902人間七七四年:2009/02/03(火) 16:58:47 ID:E1EwztGT
つうか毛利って小領主南条すら滅ぼせず宇喜多とも一進一退だったじゃん。
高松も鳥取も三木も救出できず。大友は領土内での宗教問題で混乱し島津が
北上して耳川で大敗して以来落ち目一方で龍造寺にも侵略されまくって
筑後半分と豊後にまで追い詰められてて毛利の背後を脅かす余裕なんて
なくてなかったのに。ついでに言うと滝川の背後が崩れるのは滝川が神流川で
負けた後です。諏訪、佐久、小県、筑摩、安曇までは上杉も徳川もまだ進出できてない。
903人間七七四年:2009/02/03(火) 17:05:52 ID:E1EwztGT
あーすまん、もうちょい先に領土内一揆が起きてたか
904人間七七四年:2009/02/03(火) 19:08:44 ID:6vYfn8C+
>>899
誰もそんなこと言ってないと思うが
一番近い奴は>>881だろうけど「以外はこない」じゃなくて「どれかしかこない」だし
905人間七七四年:2009/02/03(火) 23:45:15 ID:EcD2QtKH
再びゴメン。>>895氏のご指摘通り、僕の書き込みは過小評価にこだわったために、過大評価になってしまっているね。
諸氏の言うとおり、毛利には無論弱点はある。それは承知している。
しかし、だ。現在の我々がデータにある絶対値で当時を論ずるのはいかがなものか。
無論無意味とは言わない。多くの場合はそれが一番だと思う。
しかし今語られているような流動期には、絶対値に劣らず、相対的な味方が重要だと思う。

まず、我々がここで語っているデータのどこまでを当時の機内中小勢力が知っていたか、を考える必要がある。
無論まったく知らないわけではないけれども、やはり織田が亡ぶ/分裂した場合は、武田が既にない以上、毛利
が相対的にもっとも強い、というイメージがあったんじゃないかなと思うのね。
ある程度の年齢の人はわかると思うけれど、ソ連なんかがそうで、専門家の指摘がいろいろあったけれど、ソ連がああも
簡単に無くなってしまったのは衝撃だった。
19世紀末の清なんかもそうで、「張子の虎」であれ、欧米列強を含む諸外国はある時期までどこか恐れていた。
僕が先述した「過大評価」(中国10カ国の太守)は、当時の機内の人々がもっていたイメージじゃないかな。
その毛利と明智が結託した、となれば、機内の情勢は大きく変わると思う。

次に毛利が機内に出兵する余裕はあるか、無いかだけれど、機内には与党である明智勢1万数千が既にいるので、国内に
充分な押さえを残しても出兵することはできると思う。

最後に僕は秀吉と一益を同列に論じたつもりはない。
秀吉も一歩間違えれば命まで危なかったと指摘しただけ。
当時の秀吉の能力から考えれば、毛利より先に本能寺の変を知れば、大返しをしくじる
ことはあまり考えられない。だから、そもそもの前提(>>879氏の提示した)大返しがなくても
を充たすためには、毛利が秀吉より先に情報をキャッチした、という状況しか、僕は考えられないんだね。

当時は織田なきあと、毛利、上杉、北条あたりが、それぞれの事情は置いといて、「列強」だったわけで、
それらが動いたとなれば、影響は大きいよ。反織田諸勢力も勢いづくだろう。

時の勢いってのは無視できない。
信長横死後の真空状態を明智が制御できなかったのは、やはり秀吉の早すぎる帰還だ。
激動期の1日2日は平時の何週間、何ヶ月間に相当する。幕末もそうだね。
そして日本史ではしばしば雪崩現象が見受けられる。これも幕末を参考にしてもらえば
わかると思う。

つまり光秀には勝算はあったし、状況によっては充分勝てたというのが僕の考え。
無論状況によっては負ける可能性もあることは認める。
906人間七七四年:2009/02/03(火) 23:52:27 ID:EcD2QtKH
まあシミュレートなんだから、絶対というのはないね。
毛利が明智と結託したと思い込ませて、光秀を討ったかもしれないし、
家康がうまく立ち回って、信長の遺児と遺臣を纏め上げたかもしれない、
といわれれば、それもありうるね、と思うよ。
ともかく当時の状況を考えるに、織田領と接していた北条、上杉、毛利や将軍義昭、
旧本願寺勢力を無視できないし、それらにうまく渡りをつけた秀吉がやはり一つ上を
いっていると思う。

教まで長々述べたけれど、
光秀は決して無能じゃないから、彼の失敗を定まったものと決め付けるのがいやなだけだよ。
907人間七七四年:2009/02/03(火) 23:56:49 ID:c2OpfTCf
私は北条びいきだけど、あの混乱の中で甲信両国を抑えることが出来る
とは思えないし、それをするとは思えないんだよね。

甲斐の郡中や信州佐久平辺りは制圧できたかもしれないけど。
それより関東の支配権確立を優先するだろうし、時間が与えられて、外部
からの干渉が少なければ(関東制圧の)実現性は高いと思うんだよ。
908人間七七四年:2009/02/04(水) 00:16:12 ID:neZghDBB
それは僕もそう思うよ。
先述したけど、上杉にかつての力なく、北条は中央に目を向けていない、
だから光秀が最もあてにしたのは毛利だとね。
北条上杉を考えに入れる、というのは、何も彼らの軍勢を味方として引き入れるということ
じゃなくて、彼らと同盟を結ぶ、あるいは友好的中立を保たせるという手も
ある、ということだよ。時間があればね。
場合によっては家康もね。
909人間七七四年:2009/02/04(水) 01:29:43 ID:wlzJAAK9
今川義元は桶狭間にピクニックにいっていたところに織田軍が攻めてきた。
ピクニックの邪魔してだめだおー。
910人間七七四年:2009/02/04(水) 23:10:09 ID:MfjXY58Z
個人の能力を大きく見積もりすぎてる感じはする
この人物ならこのくらいはやってのけるはず、という見方をしてると言うか
まあ、運の介在を認めた時点で全て推測になるからってのもあるんだろうけど
911人間七七四年:2009/02/06(金) 05:23:13 ID:VHEKZmVM
yahoo戦国武将人気投票
http://weekly.yahoo.co.jp/97/busho/index.html

1位 真田幸村 12% 1463 票

2位 伊達政宗  11% 1360 票

3位 織田信長 10% 1258 票

4位 上杉謙信  10% 1256 票

5位 前田慶次 9% 1060 票
912人間七七四年:2009/02/22(日) 18:45:20 ID:u0MRSxJI
なんと言うか、今はブームだな…
前田慶次って…資料も不確かなのに…
ちなみに運の要素で言えば家康だろ。
913人間七七四年:2009/02/23(月) 11:27:33 ID:rdeLrl0y
>>912
ネタ武将としては10年以上前から人気が有る前田慶次だが、最近は
無双やらBASARAやらで、今までとはチト毛色が違う層から人気が有るみたいだなぁ。
まぁ、その傾向は慶次に限った話でもないけど。
914人間七七四年:2009/05/08(金) 12:36:20 ID:X7UINEZj
>>1
「暗愚」としか語彙のない暗愚が立てたスレかwww
915人間七七四年:2009/05/08(金) 13:21:49 ID:X7UINEZj
>>1
「暗愚」しか語彙のない暗愚が立てたスレかwww
916人間七七四年:2009/05/08(金) 14:00:45 ID:Wa6M+MKO
必死な2連投
917人間七七四年:2009/07/13(月) 00:38:32 ID:HUxHlz+W
そうだね実際信長が天下布武目指したのも斉藤家倒した後だし
自分自身でも 運がいいな行けるのでは
と思ってたんでないか 始めから天下なんて考えてないだろ
918人間七七四年:2009/07/19(日) 22:13:02 ID:0H00BEhJ
そもそも本能寺の変で信忠が生きていれば。
織田の天下はしばらくは続いて間違いなく全国統一は織田の手によってされていたと思う
そうなると、信長の政治は継承され、鎖国なんかはなかったし、もっと違った国になっていただろうと思う。
たらればを言い出すと切りがないけど。
信玄と謙信が生きていればというのもそう。当時の信長という人の考え方というのは他の戦国大名に
はない考えの持ち主だからこそあれだけのスピードで天下の目前まで上りつめたのだと思う。
やっぱり信長でないとここまでの事業はなしとげられなかったと思う。
結局は武田も謙信も信長の勢力に屈するしかなかったと思う。彼の時代と時を読む目はやはりどの戦国大名よ
りも優れたものであったと思う。信玄が生きてたとしても、もうあれだけの勢力があれば、最後は国力の違い
で滅ぼされるか屈するかがオチなのではないだろうか。
919人間七七四年:2009/07/19(日) 22:36:02 ID:HTWDs2md
信長は合理的すぎるから、絶対にどこかで反動が来る
光秀が変心を起こしてなかったとしても、誰かに殺されていただろう
920人間七七四年:2009/07/20(月) 09:23:00 ID:C/YcjRj7
>>918
> そうなると、信長の政治は継承され、鎖国なんかはなかったし、もっと違った国になっていただろうと思う。
10年以上前の考え方だな
信長の政治は基本現状維持だ。そして中世体質を濃厚に残している。
信長型の政権が続けば日本は、ずっと立ち遅れた国になっただろうよ。

信長の政治を知りもしない人間ほど、未だにこんな事を言う。


>>919
> 信長は合理的すぎるから、
これも10年以上前なら通用した言い方だな。合理的という意味では秀吉や家康のほうが、
特に家康の合理性は時代的にもぬきんでている。

信長の「合理性」とやらは、同時代の平均値くらいだ。

921人間七七四年:2009/07/20(月) 19:18:32 ID:vj1wHRSq
平均値ぐらいなわけねーだろ
あんな人を機械のように扱う能率主義者はいない
秀吉も家康も、信長の死に様を見て、「心」に重点を置いた
922人間七七四年:2009/07/20(月) 19:20:56 ID:S0Baj6hO
10年以上前の考え方といえば優位に立てると思ってる馬鹿
印象操作って10年以上前に淘汰されたと思ってたよ
923人間七七四年:2009/07/20(月) 19:58:39 ID:MWUHIaTn
古い考えだからといって新しい考えより劣っているとは限らない。
しかし、研究が進んでいない古い考えより、研究が進んだ後の新しい考えが
勝っているのは事実。
研究者間で信長優性論が盛んだった時代は他の大名の研究が盛んでなかった。
あるいは、知られていなかった。
この時代の信長優性論は同時代の大名同時代の大名と比較して信長が優れていたという
性質でなく100年程度前との比較。

一般人に現在の信長像の作られる要素はこの時代の研究を基にした司馬の小説。
司馬は近代合理主義を連呼する作風だからさらにそのイメージが形作られた。
現代人の共感や理解を得なければならない小説だからある意味当然の姿勢。
あとは、そのイメージを引きずった経済やら経営関連のビジネス書が巷にあふれたってとこ。
924人間七七四年:2009/07/20(月) 21:48:59 ID:rzAvTuv1
>>920
信長の時代はあくまでも戦国時代。政治なんて物はその後の段階であって。
中世の風習を継続しているのは当たり前。
彼が本能寺の変で死んでいなければ間違いなく政治についても天下を統一後に
日本を治めるのは信長になっていたわけだから。
家康なんかは天下統一後にそれまでの失敗に乗じた政治なわけで。信長が治めていれば
彼は力で押さえ込む性格だからもっと個性の強い政治になっていたのは間違いない。
天下統一後に治めた政治なんてのは信長の失敗に乗じた政治であって
家康や秀吉とは違った政治をとっていたはず。
それが優れているかいないかは別として。
彼が生きたのは政治をやる前の段階天下を統一する作業をやったに過ぎない。
その作業は間違いなく信長がいないとこんなに早く治める事はできなかった。
その天下統一の作業において彼より優れている戦国大名はいない。
政治は信長もまだ未開発の事業の段階よって政治についてはどうこういう段階にない。
925人間七七四年:2009/07/20(月) 22:34:39 ID:xQs+Dh86
>>922
現実に司馬遼太郎の頃の考え方だぜ?信長が合理的とか先進的とか言うのは。

>>924
> その天下統一の作業において彼より優れている戦国大名はいない。
「武力」だけならね。仕組み、組織において信長よりずっと先を行っていた戦国大名はいくらでもいた。
926人間七七四年:2009/07/22(水) 00:10:02 ID:AWWmQ1eX
>>921
なにを基準に機械みたいといってるのかがようわからん。
司馬小説っぽい言い方だな。
>>922
実際10年以上前の考え方なんだから仕方ないんだろう。
最近は信長の先進的といわれてるものが大抵虚像だったり先駆者がいた事が証明されてる。
>>924
正直な話、信長のは中世の色が非常に強いというより自身でもそれを保存してるような傾向があるんだよな。
信長自身も本能寺の時にはもはや隠居してて「自分はいいから息子の官位をあげてくれ」といってるような状況だし。
信長政権が秀吉・家康のように公儀としての性格を持っておらず、その性格は戦国大名領国の枠におさまっていた事も
最近は指摘されてるな。正直本能寺がなかったら近世社会じゃなかったかもな。
>>その天下統一の作業において彼より優れている戦国大名はいない。
まあずいぶん運や条件があったけどな。
>>政治は信長もまだ未開発の事業の段階よって政治についてはどうこういう段階にない
上にも書いたが本能寺直前までを見てもある程度の材料がある。
927人間七七四年:2009/07/22(水) 07:59:28 ID:1mgM5sVr
信長政権というもの自体がおかしな捉え方されてる気がする。
後の豊臣政権や徳川政権のような統一政権と同じに見ようとするのが間違いで、
織田政権はあくまで織田領内の家政機関。
まあ、豊臣政権も徳川幕府も形式的にはそうだけど両者は公権力といっていいからね。
織田政権は公権力にはまだ届いていない、その辺の大名と同じ。
どうも、安土桃山時代なんて既存の時代区分を無理やり維持するために政権にしてるような気がする。
安土桃山時代の始まりの義昭京都追放=室町幕府滅亡も無理やりだし。
安土桃山時代は文化史以外は桃山時代という区分でいいと思うんだよなぁ。
文化史は安土桃山時代でいいと思うけど。

928人間七七四年:2009/07/22(水) 12:32:22 ID:pYKrm4Ef
>>925
仕組みの事をいっているじゃなくて、天下統一に対する行動力つまり、武力
国を広げていく力みたいな事を言っているのであって。
政治や仕組みは抜き。
>>926
信長の時はあくまでも一大名としての事業であって、公権力のあるような
政治を行う前の段階であって。まだそのレベルに達していなかったわけで。
全国統一後かなりの政治的な動きがあったはず。隠居だってただ家督を譲った
だけで彼の影響力というのは決してなくなったわけではない。
むしろ野望だらけの状態で退いて彼はいわゆる院政を強いただけ。
929人間七七四年:2009/07/22(水) 12:49:22 ID:pYKrm4Ef
>>926
>>政治は信長もまだ未開発の事業の段階よって政治についてはどうこういう段階にない
上にも書いたが本能寺直前までを見てもある程度の材料がある。

彼の本能寺の変の段階では、全国をいかに支配しようかと躍起になっている
状態であって、公権力なんてまだない段階での話。むしろ政治なんて考えてる
よりもいかにして次を倒そうかと考えている段階。
秀吉と家康は公権力の働いている段階での話。そもそもそれ自体を比較するのは
おかしいと言っているだけ。
930人間七七四年:2009/07/22(水) 21:54:42 ID:uQSmeqKk
その一大名としての信長は、同時代的に「公儀」化した広域大名の中でも非常に後進的なのだよ。

信長は既に公権力であったと言う事を忘れてはならない。そしてその公権力は
非常に古臭く、とても時代をリードするようなものではなかった。
この後進的体質は、後に秀吉の政権にも受け継がれる。

豊臣政権の、足利幕府以下の機構、組織を見れば、それはわかるでしょ?
931人間七七四年:2009/07/22(水) 23:55:55 ID:1mgM5sVr
公権力(こうけんりょく)とは、政府の統治行為のうち、物理的な力により執行されるもの、
あるいは服従しなければ刑罰を科せられるものを指す。
また、公権力を執行する機関である警察・検察・裁判所・税務署・軍隊も指す。

信長はこれの一部でも他大名に対して影響を及ぼせているとは言えない。
総無事令を出してそれを理由に他大名を討てた豊臣政権とは違う。
他大名を臣従させて、加増改易をほしいままに行えた徳川政権とも違う。
何を持って公権力というのかな?
932人間七七四年:2009/07/23(木) 00:18:46 ID:Kb0Zm42g
>>928
>>信長の時はあくまでも一大名としての事業であって、公権力のあるような
>>政治を行う前の段階であって。まだそのレベルに達していなかったわけで。

たとえば、信長の後で秀吉は織田領土を制圧していくわけだが、
家康さえまだ屈伏してない状態でありながら秀吉は足利将軍の養子になろうとしたり
関白の位を貰えるように運動し、公儀としての体裁を作る事を目指している。
実際秀吉が関白となり、公儀としての政権を作り上げたのはまだ島津も家康も屈伏してないころ。
この時点で秀吉は豊臣政権をつくり全国に総無事令を出して
全国をまとめあげる動きを起こしている。
これに比べると信長はあくまでも戦国大名の領土の取り合いの域を出てないんだよね。
>>929
上記の通り。秀吉もまだ全国統治なんかしてない状態で公儀としての政権を作ってる。
933人間七七四年:2009/07/23(木) 05:38:46 ID:8JGMJkyq
>>931
つーか戦国後期の広域大名、北条や毛利、武田、上杉、大友、そして少し後の徳川や島津、
長宗我部なんかも、その影響圏にある大小名、国人に「公儀」として君臨している。
彼らは自他共にその影響圏において、公権力として見られ、またそのように振舞った。
この認識は戦国以後も継承され、基本的に大名権力は公儀と呼ばれ、その上にある
幕府は「大公儀」と呼ばれた。
934人間七七四年:2009/07/23(木) 15:37:37 ID:pE8vbW+n
>>933
そりゃ、おっしゃる通りだね。公権力という言い方に問題があったようだ。
つまり、日本大部を影響圏とする公権力ではなかったといいたい。
要は数ある広域大名の一つであって、畿内の大部分を制圧していたにせよ、
それはまだ豊臣政権やら徳川政権と同列に並べられるものではなく、
もし織田政権を認めるのならその他の大名政権も同列に認めざるを得ないので、
戦国時代の後にわざわざ安土桃山時代という時代区分を作る必要はないといいたいわけ。
桃山時代でいいじゃないと。
935人間七七四年:2009/07/24(金) 00:55:59 ID:L9e2dSMB
>>934
しかし信長の晩年は既に、地方の公儀の上に立つ「大公儀」として振舞っていたとも思うぞ?
他の公儀化した大名、関東の北条や東北の伊達、九州の大友、島津などは実質的に屈服していたし。

その上で、例えばその次の豊臣政権と比べると政権としての実態はまだまだ弱体であった、
とは思うけどね。
936人間七七四年:2009/07/24(金) 01:49:56 ID:4vHAayan
信長は運も良かったかもしれないが運が良かっただけじゃないだろ。秀吉や家康こそ運がいいんじゃないの。
937人間七七四年:2009/07/24(金) 01:54:27 ID:L9e2dSMB
運の悪い奴に天下盗りなんて出来ない。
運は英雄を作る重要な要素だ。無論その運を最大限に活用できる能力があった上で、だが。
938人間七七四年:2009/07/24(金) 02:08:13 ID:e8LUgogz
>>935
>>934とは別人だがそれはどうかな。
池氏とかは島津と信長のやり取りを見る限り
信長は格においてあくまでもまだ戦国大名であり、
他の大名達を統括する公儀としての論理も権威も体制も持っていなかったと
みているが。
実際島津は織田と対等な格式で話をしてる。
相対的に力の強いものに低いものが従う形で同盟するのは戦国大名では普通だし。
てか伊達は味方豪族に天下の軍(織田か)が来たら防ぐとか言ってたし、
大友に対しても信長は毛利攻めに協力したら2国やるとかいってるように
その関係はあくまでも同盟という感じだが。
939人間七七四年:2009/07/25(土) 10:44:26 ID:x3Z6iWeV
本人の努力により運が転がることってあるよ。
信長が凡人なら、生涯尾張の守護代の奉行で終了。
940人間七七四年:2009/07/26(日) 00:19:20 ID:0HnSlkRg
信長が凡人なら家督も信行に行ったまで。平凡な信行付の家臣になるか、
とっくに殺されていた。非凡だから父から特に家督の後継者に指名され
義父から美濃を与えるという約束状ももらえた。信長秀吉家康の流れで
最も偉大な信長の功績は一向宗とを殲滅したこと。どれだけ後の二人が
助かったか。心を鬼にして日本のために戦った。あまりに大変だったから
結果的に短命に終わったのだろう。それだけでも天才だといえる。

現代でもまだ中世以前の地主が幅を利かせている国が多数ある。その国々には
かつて信長型の政治家が現れなかったものと思われる。近代国家に移りそこなった
国から比べると信長一人で本当によく頑張ったと思う。日本を近代国家にした
恩人。彼を天才と呼ぶのになんの違和感もない。秀吉家康が果たして一向宗を
殲滅できたかな。
941人間七七四年:2009/07/26(日) 00:29:46 ID:cREjXz9l
信長は一向宗を殲滅していない。日本の為に戦ったわけでも無い。
ついでに言うと信長は政策的にも感覚的にもむしろ守旧派。
信長が長く生きたらそれこを日本の発展は遅れまくった事だろう。
942人間七七四年:2009/07/26(日) 01:27:25 ID:obq5vA8m
信長は裏切られるまで守護斯波氏を奉じ、義昭に何度も裏切られても義昭を奉じ。
公権力の正当性を利用して勢力を築いた信長。その重要性を認識してないはずないじゃない。
戦国大名を見ても信玄は信濃守護を手にいれ、すると謙信は上洛までして関東管令。
信長は右大臣にもなってるし、最後は三職問題。
結局秀吉や家康とは比べものにならない軍事的実力を背景に信長は朝廷を克服しようとしていたのが確実だと思うな。
943人間七七四年:2009/07/26(日) 04:28:30 ID:RuTIFSLf
> 結局秀吉や家康とは比べものにならない軍事的実力を背景

すまん。久々に鼻で笑ったw
944人間七七四年:2009/07/26(日) 04:48:11 ID:03cVHzDW
兵の出る打ち出の小槌でも持ってたんかねぇw
945人間七七四年:2009/07/26(日) 05:28:50 ID:obq5vA8m
>>944
人間七七四年くんは歴史に知識ないのを知ってるから気にもしないよ。
946人間七七四年:2009/07/26(日) 05:52:11 ID:03cVHzDW
>>945
人間七七四年くんとは自分のことですね。よーくわかります。

経済力も領土の広さも領内の人口も天下統一した秀吉や家康に遥かに劣る織田信長が
『秀吉や家康とは比べものにならない軍事的実力』を手に入れて、なおかつ維持できないよ。

どうでもいいけど、こういう子って確実でもなんでもない根拠薄弱な時に限って『確実』っていうよね。
根拠も示さず自分の頭の中だけ確実みたいな。

947人間七七四年:2009/07/31(金) 20:39:21 ID:gV7mIqVM
>>934
928だけど、だから、最初っからそういってんじゃん。
なんかいいたそうだけど、最初から信長と秀吉、家康じゃ同列にならないと
なんか結局皆同じ事を言ってるしね。言葉は違えどね。
言葉は悪いけど最初からそのような事を言ってるんだよ。結局は信長が突破口
を開けなけりゃ家康や秀吉なんかありえないし、彼の行動力がないと戦国時代
はもっと長く続いていただろうね。皆のいう公儀というので、あるいは分割して
日本はいくつかに別れてその中で独自の政治が行われたかもしれないし、あるいは信長
に変わる、誰かが全国統一していたかもしれないし、とにかく彼の出現は中世日本史にとって
とても重要だったとはいえるだろうねだからそれを受け継いだ秀吉や家康と同列で比べられるんだろうしね。
948人間七七四年:2009/07/31(金) 23:51:57 ID:lGAIdOzi
>>947
同じとは言ってるが傍から見ると
なんかずいぶん隔たりを感じるのだが。
なんか君がいう理解と結論が他の人が言ってることと随分違うように見える。
949人間七七四年:2009/08/01(土) 15:12:05 ID:YY/HAA45
>>948
あほか。母体に知ったかの変な理論つけてるだけじゃん。
他のやつのは。結論一緒じゃん。あんた頭おかしいんじゃないの。
信長と同列にしないと言うことに変わりは無いじゃん。
あんたあほ。比較しないと言ってるのにそれは違うとか変な理論つけて
バカじゃないの。お前じゃ話にならんあほ・・・。
950人間七七四年:2009/08/01(土) 18:44:17 ID:B53OgkjV
信長がいないと秀吉も家康も出て来れなかったのは事実だろうが、
この二人が信長に非常に貢献したのも事実。
951人間七七四年:2009/08/01(土) 18:53:22 ID:g9fnneno
アホとかバカとか小学生レベルの人間がいるな。
952人間七七四年:2009/08/01(土) 23:00:32 ID:1cB/tSzi
>>949
その母体自体がずいぶんずれてるだろ。
その同列にしない、という事が
そっちは過程の段階だからと言って
他は本能寺の段階で秀吉が天下統一前に関白就任して豊臣政権作ったよりも
公儀としての性質を持ってないと言ってる。
全然意味あいが違う。結論をこれで一緒といわれてもな。
953人間七七四年:2009/08/02(日) 16:26:39 ID:2iy761wy
要するにあの時点では織田信長は一大名に過ぎなかったといいたいんでしょ?
統一後には分からなかったと。豊臣徳川と並ぶ近世的なものが作れた可能性があると。
いいじゃん。その程度の妄想の余地は残してやれば。
あのまま生きてればある日突然信長が近世的組織への移行方法を思いついて
実行に移せるかもしれないということなんだから。

ただ、少なくとも信長が生きていた時にはまともな根拠もない。
生きていたら〜とかは妄想にすぎない。それだけのこと。
954人間七七四年:2009/08/02(日) 17:16:52 ID:oJLRbDRi
そもそも中世と近世の違いってどんな風なの?
955人間七七四年:2009/08/03(月) 22:25:31 ID:iH9wCiXy
>>954
いろいろ有るけど、一番象徴的なのは荘園体制の崩壊だな。
956人間七七四年:2009/08/03(月) 22:51:44 ID:a+j2GHXr
>>946
>経済力も領土の広さも領内の人口も天下統一した秀吉や家康に遥かに劣る織田信長が

天下統一に至る話しをしてるのに、天下統一半ばで死んだ信長の勢力と、天下統一後の秀吉、家康の勢力を比べるなんてどんなにおかしなことかわかってる?
ちなみに領国で比較すると信長700万石、豊臣250万石、徳川将軍家400万石
957人間七七四年:2009/08/03(月) 22:58:33 ID:iH9wCiXy
>>956
…君自分で何言ってるか、もうわかってないだろ。
958人間七七四年:2009/08/03(月) 23:09:51 ID:a+j2GHXr
信長は右大臣になってるし、三職推任問題では朝廷と信長の間で将軍や太上大臣などの話しをしてるし、天皇に譲位させて天皇の曾祖父狙ってるし、
秀吉や家康より大きなスケールで朝廷の権力の纂奪を狙ってるのは明らかじゃないか。
秀吉のやりかたじゃ天皇の臣の立場を克服できない。
秀吉の勢力は250万石程度で信長の1/3、かつての同僚にたいしての上位者の地位も手に入れなければならない。
義昭の養子を断られ、朝廷で官位を得る必要に迫られたのは当然だろう。
そのため天皇の臣の立場を克服できないこととなった。
959人間七七四年:2009/08/03(月) 23:19:51 ID:a+j2GHXr
>>957
君の頭じゃわからないのも無理ないね。
本能寺がなければ信長がほとんど軍事的に統一し、秀吉家康より徹底的な絶対王制を築いたのは間違いない。
関白や将軍にならなかったから信長は統一できなかったと言うの?
馬鹿?
960人間七七四年:2009/08/03(月) 23:22:55 ID:a+j2GHXr
>>957
なあ君が言ってるのは、
「関白や将軍にならないから信長は天下統一できなかっただろう」論なんだぜ。
頭悪いのかな?
961人間七七四年:2009/08/03(月) 23:26:12 ID:iH9wCiXy
どうしようこの人、妄想に妄想を重ね始めた。
962人間七七四年:2009/08/03(月) 23:47:30 ID:a+j2GHXr
>>961
毛利は滅びるか領土の大幅な割譲で和を請う。
景勝と長曽我部は滅亡するしかない。
北条は一応従っているが武田攻めのとき貢献度0、不信感から言って滅ぼすだろう。
大友は同盟だし、竜造寺も島津も伊達もまだ台頭する前。
秀吉や家康と全然条件が違うじゃないか。
関白や将軍にならなきゃ天下統一できなかったというわけ?
963人間七七四年:2009/08/04(火) 00:57:39 ID:eII3izoq
信長は右大臣を辞めてるな
964人間七七四年:2009/08/04(火) 01:27:33 ID:4rKGp7w1
>>956
統一に至る前の話?じゃあ、
>結局秀吉や家康とは比べものにならない軍事的実力を背景に信長は朝廷を克服しようとしていたのが確実だと思うな。
この部分がなんの根拠も示されていない妄想にしかならないけど。
日本語のつながりが変だよ。

>ちなみに領国で比較すると信長700万石、豊臣250万石、徳川将軍家400万石
信長の領国と徳川、豊臣の直轄領とは全く意味が違う。
豊臣、徳川は全国の大名を臣従させているので、信長の領国が700万石なら
彼らは1800万石超えている。
その上、領地のほとんどを差出検地で済ませている信長が太閤検地なみに
700万石の領地を把握して税収を確保できていたかと言われれば疑問だしね。
まあ、差出検地じゃ難しいでしょ。
直轄領で言えば信長の直轄領なんて同時代の水準的には100万石あればまあ多い方。
当たり前だよね。家臣に領地を一切与えないとかありえない。
信長厨御用達の信長公記の記述にも反してる。
965人間七七四年:2009/08/04(火) 01:57:34 ID:KcvftL1C
>>964
君の論法でいくと信長が天下統一してたら信長、秀吉、家康の三人は同じ石高じゃないかW。
天下統一したら日本国の総石高を支配することになるんだからあたりまえだ。
君は自分が何言ってるか分かってないだろ?
困った子だね。ボクちゃん。
966人間七七四年:2009/08/04(火) 01:59:44 ID:Y8OCoR5h
>>965
君は支離滅裂にもほどがある。
967人間七七四年:2009/08/04(火) 02:09:21 ID:KcvftL1C
>>964
本能寺の変の前で信長は毛利を滅ぼすか大幅な領土を割譲させて降伏させるか、景勝と長曽我部は滅亡、北条は武田攻めで協力せず鷹を贈答するも拒否され、下手すりゃ滅ぼされる。
大友は同盟、伊達、島津、竜造寺は台頭する前。
軍事的に統一目前じゃないか。
秀吉や家康とくらべ朝廷にたいしはるかに優位だ。
対応が違ってあたりまえだわ。
968人間七七四年:2009/08/04(火) 02:20:10 ID:KcvftL1C
>>966
秀吉や家康については天下統一した後の日本国全部を彼らの勢力だといって、
天下統一前に倒れた信長の勢力と比べてる
お前が支離滅裂。
その間違った比較を使って、
信長は秀吉や家康よりはるかに強大な軍事勢力で天下統一する間際だったという俺の説を、
天下を統一した後の秀吉や家康は信長より強大な勢力だと批判するお前は論理も日本語も分からない馬鹿。
あんたは決定的馬鹿。
969人間七七四年:2009/08/04(火) 02:42:42 ID:4rKGp7w1
>>968
おまえが自分の信長の700万石って記述見直せよ。
豊臣、徳川が直轄領は直轄領なのに、
信長だけ領国全部っていうおかしな比較について指摘してんのに。

>君の論法でいくと信長が天下統一してたら信長、秀吉、家康の三人は同じ石高じゃないか
当たり前だよ。お前の信長は700万石っていう恥ずかしい発言を見直そうよ。
お前がその当たり前を理解してないから言ってるのよ。

ところで、
>信長は秀吉や家康よりはるかに強大な軍事勢力で天下統一する間際だったという俺の説
唐突にでたね。どこにも示されてないわけだが。主張だけで説になると思ってるの?
説とは根拠を要する。君は

>結局秀吉や家康とは比べものにならない軍事的実力を背景に信長は朝廷を克服しようとしていたのが確実だと思うな。
と自分が思ってるだけで人に伝えようとしてないじゃん。それは説じゃないね。妄想だ。

まあ、どうせ三行以上読めない子に言ってもしょうがないんだろうけどね。
俺の前のレスも三行くらいしか読んでなさそうだし。
970三行で理解できるまとめ。:2009/08/04(火) 02:50:15 ID:4rKGp7w1
信長だけ領国全部で豊臣徳川が直轄領の比較はおかしい。
直轄領比較なら豊臣250万石織田は良くて100万石程度。
お前の考えは根拠が無いから妄想
971人間七七四年:2009/08/04(火) 02:55:29 ID:4rKGp7w1
以上、頭の悪い子でも理解できるように三行でまとめました。
ID:KcvftL1C君は>>964が難しすぎて理解できていないようなので、
>>969も理解できないかもしれないと心配しています。
もし、難しすぎたのなら、>>970にレスしてもらって結構ですよ。
972人間七七四年:2009/08/04(火) 03:10:03 ID:KcvftL1C
>>969
君は困った子だね。

第一に、
統一した後の秀吉や家康の勢力と統一前にたおれた信長のその時点での勢力を比較してる間違いに答えてない。
まずそれを認め「間違ってました」て言うべきだな。

第二に、
信長の支配領域みてごらん。家康のほかはみんな家臣だぜ。最後にゃ家康も事実上の家臣だぜ。
信長の勢力は信長が切り取った領域だ。秀吉も部下なんだぜ。
対して秀吉が何万石だね。言ってごらん。子飼いの家臣が大名になったの入れてもたかが知れてる。
その他はもと同僚ばっかりじゃないか。

信長の勢力はそのまま信長の勢力。

秀吉の勢力はまず初めは、織田政権内での多数派の形成、そして外部の上杉、毛利との連合して築かれた。
その上で主家を排除し家康を取り込んだ。
信長より全然はるかに脆弱じゃないか。

だからこそ、最初は義昭の養子、断られて関白、朝廷に対してさんざん苦心して工作しての関白が必要だったわけさね。

君みたいな子は歴史勉強したら?
973人間七七四年:2009/08/04(火) 03:18:47 ID:KcvftL1C
>>969
それから、
秀吉も家康も天下統一してから領土増やしてるから。
家康なんか徳川本家が関八州に駿河それに大阪や様々な蔵入地で400万石、
御三家が尾張50万石、紀伊40万石、常陸25万石、その他松平など全部で7、8百万石になるらしいが詳しくは知らない。
当然信長も統一後に領土増やしたろう、もっとえげつなく。なにしろ絶対君主じゃんか。
974人間七七四年:2009/08/04(火) 03:26:48 ID:KcvftL1C
>>971
まず>>970に答えてもらっても結構ですよ。
秀吉家康は天下統一後の勢力と言って日本国全部、
それと信長の本能寺までの勢力を比べるなんて
どう考えてもおかしい。
このくらい噛み砕いて説明したらこの子にも分かるかしら。
975人間七七四年:2009/08/04(火) 03:35:53 ID:KcvftL1C
調べたら徳川は本家が250万石、尾張50万石、紀伊40万石、水戸20万石、その他の松平など合わせて約600万石ということらしい。

日本国の支配者になってこれだ。
信長がいかに軍事的に強大かわかる。
976人間七七四年:2009/08/04(火) 03:43:44 ID:KcvftL1C
>>971
君の文句は支配領域の考え方の話しだ。
しかし君の間違いは、
君は天下統一したあとの日本国全部を秀吉家康の勢力だとして、信長の勢力とくらべ、秀吉家康は信長より勢力が大きいと言っている。
これは根本的な間違いだろ?
考え方とか捉え方じゃない。
根本的な間違いってか、ハッキリ言って君馬鹿じゃないの?
ま、答えられないだろ。
答えは「間違ってました」しかないもんな。
977人間七七四年:2009/08/04(火) 05:21:48 ID:4rKGp7w1
恥ずかしいからスレを埋めたいのかい?
まあいいや。ちゃんと説明してあげるよ理解できないと思うけど。
第一の部分
>統一した後の秀吉や家康の勢力と統一前にたおれた信長のその時点での勢力を比較してる間違いに答えてない。
答えてるね。君の>>964>>942の以下の部分がでおかしくなるよと指摘している。
君にも分かりやすいようにいちいち説明してあげるね。
>結局秀吉や家康とは比べものにならない軍事的実力を背景に信長は朝廷を克服しようとしていたのが確実だと思うな。
この部分で君自信が信長と秀吉や家康と比べているのがわかる。>>942の文章から信長が統一前だから区別するという
君が言う風に読み取ることは困難。その後も君は信長と家康、秀吉を比較している。
つまり、これを統一前だからと言って比べないのであれば君のただでさえ水のように薄い根拠がなくなってしまう。
都合が悪い部分だけ統一前を言い訳にわざわざ信長を特別扱いしているってことかい?。

第二の部分、
何度も言うとおり、信長の支配領域が家康の他はみんな家臣といっているが、そこの区別もおかしい。
信長の支配領域がみんな家臣であるのは当たり前で秀吉、家康は治下の日本全国の大名も臣従している。
あらかじめ釘をさしておくが当然、信長の支配領域にも臣従の度合いの低い外様家臣は沢山いる。
信長公記に国侍と表記されているのがその例の一つだね。
他大名と同じくその影響力を排する努力は見られるがそれ自体はどこでもやってる。
最後に秀吉の部下時代は関係が無い。(誤魔化しかい?)
それに秀吉は大名化してからは元同僚を家臣にしていったのだから。

>秀吉の勢力はまず初めは、織田政権内での多数派の形成、そして外部の上杉、毛利との連合して築かれた。
>その上で主家を排除し家康を取り込んだ。
>信長より全然はるかに脆弱じゃないか。
譜代の家臣を追放した結果が本能寺であり、清洲会議でしょ。
あの清洲会議の面子と結果みて何も思わないってのもどうかね?
信長の政権が朝廷の権威を要したことは右大臣になったこと、
やめた後も嫡男に官職を求めたことからも必要としていた事はわかるね。
ちなみに右大臣をやめたからといって、朝廷の権威を捨てたというわけではない。
位階は返上していないのだから。その上、先任の右大臣にも権威はある。

>>973
だから根拠を言おうね。『〜したろう』だけじゃ妄想だから。

>>974
>秀吉の勢力は250万石程度で信長の1/3
958で自分で比べてるね。統一後の秀吉の直轄領(用語注:家臣、一門衆のうち、大名分を除いた領地。)と
信長の全領地(用語注:外様、譜代、一門、直轄領、全ての合計。)という馬鹿な比較だけどさ。
理解していないようなので、注つけといたよ。これくらい噛み砕いてあげればわかるかな?
噛まずに飲めるほど噛み砕いてあげたけど、君は吐き出すんだよね。分かってるよ。

>>975
日本の支配者の直轄領、一門で600万石。割合としてはかなり大きいね。
この上、譜代家臣も加わるのだから相当だね。
信長の全領土700万石、うち直轄領はまあ100万石ちょっとってとこ。多めに見積もってね。
ちなみに、家康は関東に入った時点で250万石うち直轄領100万石。
比率では信長とは全く比較にならないね。既にこの時点で家康のが組織として強固。

>>976
君は勝手に人の意見を決めるねぇ。
俺は君の意見を妄想に過ぎないと否定した。
『信長が天下統一したあと、秀吉家康よりはるかに軍事的に強大な勢力になる』という意見をね。
しかし、これを否定したからといって、
『天下統一したあとの日本国全部を秀吉家康の勢力だとして、信長の勢力とくらべ、
秀吉家康は信長より勢力が大きいと言っている』なんて意見の持ち主になるわけないだろ?

前々から君は根本的、確実と勝手に自分の主張を自明のようにと言ってるけど、ちゃんと説明しないとね。
全く自明じゃないよ。君は独り言のように主張を繰り返しているだけだねえ。
まあ、このスレには君みたいなのは昔からいるからわりと慣れてるよ。そういうのと戯れるスレだここは。
ちゃんと全部答えられたかな?君もちゃんと全部答えようね。
978人間七七四年:2009/08/04(火) 07:02:28 ID:dR3kW5cH
>>956
他の人にも言われてるけど
なんで家康秀吉のは直轄領で
信長のは家臣全部を含めた総合なんだい?
>>959 >>960
天下統一自体はできるんじゃないかな。
でも全国政権としての論理も正統性も体制ももってないのなら
時間はかかりそうだし、支配も強固にならなそうな。
979人間七七四年:2009/08/05(水) 13:38:42 ID:BTZeddf2
全くだ織田秀信が3万石だから清洲会議直後の織田家は3万石だったというようなものだ、
家康秀吉の250万200万の基準で言うなら信長の場合は何万石になることやら。
980人間七七四年:2009/08/06(木) 13:15:45 ID:0IHWGAFo
そもそも前にも言っているが一大名と公権力を駆使している人を比較しよう
とするからおかしくなるのであって。
ありもしない事を想像で論じているだけじゃん。
剥きになってるけど。想像の域を他人に押し付けるからおかしいと前から
言ってるジャンよ。
981人間七七四年:2009/08/06(木) 20:21:16 ID:rPkz5geA
Part2 立てるん?
982人間七七四年:2009/08/06(木) 21:05:50 ID:rPkz5geA
俺は、信長と信忠がそんな少数部隊でなぜ京に滞在したのがわからん。
その部隊で中国地方に行くつもりだったのか?
あるいは光秀の部隊と一緒に行くつもりだったか?
983人間七七四年:2009/08/07(金) 07:02:35 ID:LREiK71/
いらないだろ
信長関係のスレは無駄にあるんだしさ
984人間七七四年:2009/08/07(金) 22:56:36 ID:FC3Z6182
>>983
じゃあそこへ誘導するけど、オススメのスレある?
985人間七七四年:2009/08/08(土) 05:44:52 ID:zLrmpksZ
このスレと似たようなのだと
織田信長は日本最高の過大評価
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1229883791/
か逆の方向性で似ている
織田信長は日本最高の天才 その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1176470722/

似たような糞スレ多いから少しは統合しようぜ
986人間七七四年:2009/08/08(土) 08:33:11 ID:qsHFd1pW
>>985
サンクス
さっそく覗いてみるわ
987人間七七四年:2009/08/09(日) 07:26:12 ID:2Yn0fMgd
>>979
この3万石って旗本なんかの分も含んでなのかそれらを含まない純粋な生活費に関してなのかな?
988人間七七四年
>>987
弾正忠家の直轄でしょ