1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
ヨシ!私が2げっとだ!!
,..-‐'''" ̄ ̄ `'丶、
,/ \ 無駄口を叩くな!!今から私のことをハク様と呼べ!!
/ ネ申 ヽ,
./ l .
>>3 おにぎりをのどに詰まらせて氏ね
/ | ||_|l__li_li__l|__| |
>>4 人間のくせに何を言ってんだ
l 「‐二‐-.._ __.-─ | |
>>5 氏んでも働け
.| | 、_(゚,;) l', '(゚,;)フ.| | .
>>6 今からお前を豚にしてやる
| | | /|. | .
>>7 ここはお前のような人間の来るところではない!!
.| |、_ `' ト'| |
>>8 千と昌夫の金隠し
.| |:::ヽ _ /::::| |
>>9 お前が氏ぬようにおまじないを掛けたんだよ
|_ |:::::::::\ ´ - /::::::::| |
>>10 人臭くてありゃしない
` - 、|::::::::;;;;:| `丶- '"|;;;;;;;;:::::|__, l
>>11 神隠しに遭って氏ね
_l. i '''‐-ゝ、___,∠>'`i─ 、 _
>>12 お前はクビ
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 13:01:40 ID:j9iqM8B2
>>1 朱子学くせえノリ強要する癖に簒奪者だから。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 13:07:04 ID:KDoMzKZI
勝ち組だからさあ
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 13:36:37 ID:ThCIwJxG
俺は普通に好きだよ
嫌いって言うやつの気がしれん
チビデブだから
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 13:48:53 ID:w3/HYlZJ
>>1 べつに俺は嫌いじゃないが
やっぱ最後のおいしいところもってったからだろ
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 13:50:07 ID:vaKq7Zzi
なぜ家康ばかりが簒奪者のイメージで語られ
秀吉はされないのか。
家康は秀吉の家来とは言い切れないのに対して秀吉は信長の家来以外の何物でもないのに。
事実リアルタイムの頃はそういう考えも有った筈で、小牧長久手のときに
榊原康政がそれをネタにした立て札をたてたら秀吉は激怒した。弱い所を突かれたからだろう。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 15:22:20 ID:iGAuW+GG
10ゲット(;´Д`)ハァハァ
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 18:38:31 ID:cf3jFkYC
ウィキがカワイソス(´・ω・`)
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 18:57:53 ID:QqGEiByd
やはり人間的魅力と性格の違いだろうね
例えば義賊てのがあるが
やってる事は普通の賊と同じ犯罪者だが
盗んだ金を派手にばらまいて陽気に騒ぐ賊と
部下にもあまり分け前やらずに金溜め込んでる賊がいたら
金溜め込んでるやつが何故か極悪人に見える心理と同じかと
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 19:19:44 ID:KDoMzKZI
お上はいつも人気がないもんさ?
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 19:39:03 ID:ISdM8KXd
尊敬する偉人の筆頭格じゃねーの?
作られた英雄像は別にして、200年の太平の世は評価に値すると
日本人は見ている筈だが。
それでいいじゃない。終了。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 19:49:33 ID:Yx53GEb6
タヌキ
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 20:05:49 ID:olg30G1w
本多正信とか筆頭に陰険な陰謀家が家臣に多い
それよりも家康自身が陰謀家のイメージ強い
三河人の気質が陰険な陰謀家気質なのかな?
それは司馬史観による妄想!
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 20:19:41 ID:olg30G1w
玉をかばう細川忠興は偉いなあ
信康と築山御前を殺した家康とは大違いだな
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 22:13:31 ID:ISdM8KXd
戦自体はそこまでうまくなさそうだし。
タヌキだし
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 23:10:02 ID:5CBUcrxw
明治政府のプロパガンダを信じ込む人や小説
の影響を受けている人が多いから。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 23:26:48 ID:nlCxe46N
活躍したのが、一度秀吉によって統一された後だから。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 23:42:50 ID:hKv4saih
やっぱり豊臣家を滅ぼす過程の泥臭い謀略が嫌悪感を感じるよな
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 23:48:10 ID:nlCxe46N
方広寺の鐘の件とかね。
家康の発案では無いが。
>>27御人良しでは天下(出世)は勝ち獲れんと思うが・・・。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 12:43:20 ID:o7FS59+w
>>29 家康のような泥臭い謀略で豊臣家を滅ぼさなくとも
別にお人よしとは言えないだろう?
しかしあれくらいの謀略でないと
寿命が尽きるまでに豊臣家を滅ぼせなかったと思うけど
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 14:45:41 ID:jwHnS+lq
>>30 晩年は嫌われ役に徹してたんだけどね
そうでないと、秀忠がやり難いからね
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 15:00:54 ID:z1NfhT04
>>1 徳川家康ブームも今は昔か・・・
1983年に大河ドラマをやった頃は絶大な人気を誇ったもんなんだが。
滝田栄は確かにいい
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 17:09:01 ID:HeJeFOCm
ヽ(*`Д´)ノ<焼き味噌じゃい!!
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 17:22:26 ID:ZOjryPg+
最後に神になろうとして
失敗して醜態を晒したから
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 21:08:52 ID:c4rwt249
目新しいことなにもしてないしなぁ。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 21:41:01 ID:kGg/K5x1
そういう手堅さが俺は好きなんだが
そそられない人はだからそそられないと言うだろうな
本多正信なんか石田のミッチーよか清廉じゃん
要するに、今の日本の政治家と同じタイプの人物だから
政治家の中に売国奴が居るのは現代だけなんです(><)
「内閣総理大臣織田信長」が家康にとって致命傷やったな……
策士的なキレを剥奪されて単なる癒着型のダメオヤヂと化してた。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 02:23:59 ID:pQ3ScHM1
まあ家臣にとっては頼りになる御屋形様だよな
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 12:49:29 ID:Dd7ylnCb
昨日
津川がミリオネアで
インタビューに出てたが
家康にしか見えない
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 15:36:08 ID:TWIxedtF
司馬史観も原因の一つだな。
司馬は家康嫌いだから家康に関係するもののほとんどを悪いほうに
解釈して書いてる。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 16:09:58 ID:QKyPy4tN
いろいろあるが、一つには華々しく散らなかったってのがあるだろうな。
信長は本能寺で死に、秀吉は2代で滅びた。判官贔屓が入って人気者になる。
その敵役である家康は、頼朝がそうであったように嫌われる。
もう一つは、大阪をそのまま大都市として維持したことだろう。
大阪が大きな勢力を残したまま、反徳川の気分を残していった。特に、庶民
層の文化は特に江戸初期は大阪発が多いからな。
経済の中心として維持せず、前政権の首都ってだけで放置しておけば、大阪
も衰退して、変な反徳川感情は全国には広がらなかったかもしれん。
>>48 そう考えると、割と一般庶民にとってはありがたい君主なのかもな、直接戦闘を可能な限り避けるし、
多分損失を嫌っただけ&論功行賞を避けるためとかケチな理由だろうけど。
方広寺の鐘も縁起が悪いとか言いながら鋳つぶさずそのまま残すし、ケチな君主の方が文化も残る、地味だけどな。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 16:38:17 ID:QKyPy4tN
>>49 いろいろ言われるが、家康ほど日本ってものを正確に見ていた政治家はいない。
また、人を殺さないと言われる秀吉より、はるかに人殺しを嫌っていた。
というか、感情で配下や庶民を殺すようなことは絶対にしなかった。それでいな
がら、どうしても必要な処刑はやり遂げている。それが、自分の愛する子供でも。
また、ケチとか言われるが、別にケチでもない。たしかに、度外れた倹約家であっ
たが、関が原の後の論功行賞でも、自分に味方した大名には気前良く領土を与えて
いる。信長を接待するときにも、多額の金を使っている。ほいほい貸すわけじゃな
いが、本当に困っているときは大金をあっさりと貸すなどしている。
ようするに、無駄金を使わないだけ。それと、対照的に秀吉は使いたいことには
湯水のように金を使った。しかも、自分の金じゃないってのに。
他人の金を自分勝手に浪費する人間が豪儀で、必要なことに集中投資する人間を
ケチっていうのだから、現代の評価も適当なもんだと思う。
確かに民衆への人望は当時は抜群だったろうな。
例えば家康と井伊直政の芋の逸話なんかケチと見るか、殿様の身分でここまで
下々を思っているのかと感じるかでだいぶ違うだろうな
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 16:59:53 ID:QKyPy4tN
>>51 人望があったかどうかは微妙だな。民衆は常に派手な人間を好むから。
当時の人気武将ランキングを作れば、加藤清正とかより下だろう。
ただ、天下人として頭上に載せたときの重みって点では、家康の足元に
及ぶ人間はいなかった。もっとも、それをよく感じていたのは、民衆っ
ていうより大名の方だろう。
ただ、支配される民衆側としては、無茶な搾取をしないと信頼感はあっ
たろうとは思う。その意味での政権に対する信頼感は、政治家の最大の
評価項目ではあるが。
家康が質素倹約だったってのは何とも言えないな、
ただ秀吉みたいに芸術や道楽に銭を使わなかったというだけだと思う。
側妾に着せてた木綿の着物だって当時としては新しい繊維だしね
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 18:22:59 ID:XeyTgxtg
次郎三郎に人気が無いのは、焼き味噌を漏らしたからです!
…て書いておきながら何だが、これって史実なのかね?
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 18:54:55 ID:Jjj7M3+N
俺は皇居の富士見櫓の造型が好きだ。何よりも品がある。皇居を見るとトヨタクラウンを思い出すのだ、わははは。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 19:00:56 ID:Dd7ylnCb
餅つきの例え話は民衆心理を表しているな
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 19:03:16 ID:jidryV7t
ヽ(*`Д´)ノ<焼き味噌じゃい!!
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 01:48:05 ID:uOmUiHbn
しかし、家康って城攻めが苦手って言われているけど、下手なんかな?
俺、家康が失敗した城攻めって、上田城しか知らんのだが。
馬に乗ったままウンコ家康
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 12:17:10 ID:g0YMiSVA
歴史ゲームやると一族全員、必ず殺すよ
「百姓は生かさぬよう殺さぬよう」という民政方針が大多数の庶民にはやっぱり不評だったとか?
徳川幕府天領の税率が七民三公にまで下がるのは後の話で、家康のころは三民七公だったっけか?
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 14:22:19 ID:EgjJYnsV
徳川家康「どないせっちゅーんじゃあーっ!!!」
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 14:56:45 ID:u/v06/Hj
>>61 百姓は…の件も家康ではなく三成という説を
聞いたことがあるが、実際どうなの?
豊臣の時代のほうが税率ガ高かった、七公三民はその頃、
>>63 家康の逸話を集めた落穂集に載ってるから家康のではないか?
あと七公三民は家康の税制でもあるよ
戦国時代は五公五民が当然で、北条氏の四公六民が評判になったぐらい(これでも税率40パーセント…)
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 16:20:40 ID:KVHzn8nB
晩年のデブイメージ。
戦国通の間でも腹黒さが目立つ。
一獲千金のアメリカンドリームに目がくらんでいる現代人が最もマネしたくない努力家だから。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 16:28:40 ID:Bh8axz8A
別に腹黒さ目立たないよ
わりと誠実なタイプじゃん
だとすれば余計現代人が嫌うタイプじゃないの
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 16:35:25 ID:uOmUiHbn
>>64 そうはいうが、俺だって直接税(所得税・住民税)で合計12%程度
とられている。さらには、これに消費税の5%が追加されて、17%。
さらに、年金・雇用保険・健康保険と自分の意思以外でとられるのだ
けでも、25%〜30%近くまでゆく。
もちろん、インフラ整備とか社会保障なんかで返ってくる部分も多い
が、現在の経済大国といわれる日本ですらこの程度はとられているわ
けであって、生産性が低いあの頃で累進課税もなく、しかも町人は
税金払わないのに4公6民ってのは、かなり穏当な税率だよ。
水戸藩でも初期は8公2民ぐらいとってたし
徳川は高税だったんじゃないか?
幕末も天領では税率が高くて苦しんでたから
新政府軍が来た時みんな喜んだけど税率変わらなくてガッカリした話しがあるから
幕末も高税だったようだ
ちなみに島津は一貫して8公2民で日本一の高税、毛利は7公3民でやはり全国水準以上
これじゃ徳川に取って代わっても変わらんわな
天領の一部では三公七民のところもあったけどね。綱吉時代だけど
統一した税制が全国に施行されてたわけではないし
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 20:36:41 ID:uOmUiHbn
>>69 江戸初期は別として、天領は基本的に4公6民だよ。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 14:09:25 ID:qcXT57/J
税率が高いのは江戸時代の農業機構が徹底した小作体制だったため。
つまり、元々「ちょっと無理あるかな?」ぐらいの税を課しても、
自分の土地じゃないから無理いえない。
しかも「税金高いっす、無理っす」→「ほなまけたるわ」の構図を
作りやすく、懐を痛めることなく民衆に恩と借金を売れる。支配者
にしてみたら奴隷量産体制ともいえる。
国掟で恣意的な税徴収を禁じた信長とか
四公六民と三税以外とらない、とした北条氏とかもいたけど
そちらは基本的に税をまけることはしなかったんじゃないかな
計画的な税収を優先したというか
>>1 はぁ?家康は普通に人気だろーが
信玄や謙信より人気が無いと思ってるの?
信長
秀吉=家康
伊達
信玄=謙信
その他って感じだろう
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 21:20:35 ID:Okwpabas
十九 七六五四三二一 戦
位位 位位位位位位位 国
キ
一一 一一二二三三六 ャ
二三 六七〇一二四五 ラ
票票 票票票票票票票 人
気
石お徳明武森上伊羽織 投
田 川智田 杉達柴田 票
三 家光信蘭謙政秀信 結
成濃康秀玄丸信宗吉長 果
歴史パラダイス 第四巻(光栄,H07-09-08)
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 21:33:35 ID:82lvwzAH
徳川家康が人気ないのは実績よりもぼっさい感じが要因じゃね?
その後の日本が貧乏くさい民族みたいになっちゃったのは幕藩体制によるところが大きい。
和風よりも洋風な感じがみんな好むだろう。クルマだって同じ、トヨタを見ると特にそう思う。
クラウンを見るとなんとなく家康を感じる。信長だったら御気楽なラテン系フェラーリ、秀吉はアメリカンゴージャスなキャデラック。
家康はあくまでもトヨタ車、しかも黒塗り。
78 :
aaa:2006/06/25(日) 22:05:47 ID:9GznyGFG
>>64>>69 そんなに武士はいないよ。
知行をもらえてない補欠的な武士ばかり入れても2割も居ない。嘘つくな!
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 22:11:42 ID:4RKg5JwI
>>75 お濃とか蘭丸とかなんだそのギャグランキングは
もっと本気でやってくれ
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 22:20:03 ID:xMOXqcI4
石川はソアラ。本多はマークU。
81 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/06/25(日) 22:27:11 ID:w+G5c/Wx
確かに家康を見直すべきだよな。これ程の日本人は他にいないかもな。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 22:29:36 ID:LA/C5aRA
源頼朝・足利尊氏・徳川家康・大久保利通
業績の割に不人気な人達ですね。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 22:30:26 ID:4RKg5JwI
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 22:43:05 ID:82lvwzAH
頼朝も尊氏も当時としては戦国時代みたいなものだが、次に控えし戦国時代が日本人の心(戦闘本能)に共鳴しちゃうために鎌倉、室町は人気ないんだよな。
でも足利尊氏ってめっちゃ字が綺麗。鎌倉・覚円寺に行くと行書体キチンと本堂天井に書かれている字を見ると驚嘆する。本人証明書まで残ってるんだから。
それに比べ戦国武将の字の汚さには閉口する。まず、読めない。
とうかそもそも「業績のある人物は相応に人気があるべき」という考え方自体がナンセンスだしなぁ…
イギリスでもメアリ=スチュアートは悲劇のヒロイン
エリザベス1世は権力欲の塊みたいな感じ
判官びいきはどこの国でも同じ
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 00:09:56 ID:NguK2nGu
>>82 どれも長年付き添ってた味方を殺したりしてるからじゃないの?
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 11:19:35 ID:w2RBx5nb
>>82 足利尊氏よりも足利義満を入れる方がいいな。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 12:44:31 ID:j4+jxSov
ヽ(*`Д´)ノ<焼き味噌じゃい!!
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 12:56:58 ID:pYNd2izL
徳川家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と日和見主義でズルイから
人気が無いんだよ。恐らく魅力の問題かと。しかしながら、その日和見主義的な
家康も若い時には血気盛んであって、あまり物事を考えずに何につけても
取り組んでいたらしいが、三方ヶ原で武田信玄に殺されそうになった時から
自分の性格を改めるように努めたらしい。
(ソース:司馬遼太郎の本)
まあ家康が腹黒いから嫌いとか言ってる奴は戦国時代を本質的に理解してない
厨だからな。どうせそんな奴こそ真田幸村は天才軍師だと思ってるだろうし
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 21:43:28 ID:w2RBx5nb
>>92 戦国厨は政治を理解していないからな。
戦術能力>=政治力だと思っているみたいだ。
判官贔屓もすごいしな。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 21:46:09 ID:w2RBx5nb
>>91 司馬遼太郎の目が曇っているのは、
(1) 昭和日本(特に陸軍に対しては怨念がありすぎ)
(2) 秀吉に対するクソやたらの高評価
(3) 家康と徳川時代への反感(大阪者のひがみかも)
の3点。ここには注意すべし。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 22:09:14 ID:3tQPPaOS
税の話出てたけど、これって耕地面積に対する固定だよね
ってことは、雨の降らねー年とかは死ぬな
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 22:35:01 ID:6efOEe71
凶作のときは税は安くなったんだけどね。
亨保のころから定免法になるけど
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 22:46:22 ID:gc9TJ688
司馬遼はホントなぜか家康を徹底的に叩くよなあ。俺も司馬しか
知らなかった時は家康特に好きじゃなかったし。
政治に興味もったり、人の上にたって組織を動かすようになれば
家康の体制維持力と機構創造力がわかるんじゃないかな。まさに
名人の碁でも見てるような緻密さと堅牢さにびっくりする。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 23:09:56 ID:w2RBx5nb
>>97 司馬遼太郎は説得力ありすぎな上に面白いんで、一回史観に染まると
なかなか払拭できない。
俺も、未だに出来ない部分がたくさんあって、結構こまる。
小説家は家康のようなキャラは書きにくいだろうな
それだけでも司馬が家康を嫌う理由はある
山岡荘八の家康はつまらないし
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 23:23:37 ID:QhWXedqI
松本清張の徳川家康(子供向け?)を小学生の時に
読んで以来、家康ファンです。
伝説半分でしょうが、ファンになるのは十分過ぎる
偉人振りです。
良い逸話も悪い逸話も全部が人間臭くていいよな
さらに只者じゃない雰囲気も十分感じられるし。
本当の偉人ってのはこういう人を言うんだろうな
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 01:13:05 ID:IKpD7G7h
昭和40年代に山岡宗八の「徳川家康」がサラリーマン必読書
(職場の上司から強引に読まされる部下=毎月配本される黄土色の読者化)
だったから、作家的戦略に秀でている司馬は道三・信長・秀吉(のちに明治維新賛美)路線で
流れを作ったというところだろうな。
>>94氏の評価が当たってる面も多いと思うが。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 02:16:29 ID:XOPY/gNJ
家康の活躍期がジジイ過ぎる。
手口もジジイの考えそうな、かったるいやり方多いし。
論功行賞の達人なのは認めるけど…それだけじゃん。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 05:28:42 ID:tksrS3sG
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 12:07:15 ID:s4Z3+3EW
覇王の家では司馬氏も良く書いてあると思うけどね
豊臣を書いた物では極悪人だけど
本多正信や安藤直次なんか人格崩壊した凶悪犯みたいな言われようだしw
「城塞」での安藤直次と本多政重の悪人ぶりにはワロタ
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 13:51:52 ID:a46wBnaf
>>106 「良く」というか「冷静」に書いている感じだな。
「本当は評価なんかしたくねーんだが、ぺっ」って気分が伝わってくる
ようで結構面白い。
勝者は黙っていても権力が賞賛してくれる
だから敗者とか、敗者に殉じた人間を作家みたいな人種が持ち上げたがるんだろう
反権力とかの思想絡みならどうしようもないが、普通の判官びいき感情でなら分かる気がする
別に司馬遼太郎の場合は単なる個人的な好悪であって問題視されるほどの
贔屓もない気はするけどなぁ。
あえて問題があるとしたらそれは思想面ではなく、純粋に作家として才能が
あり過ぎた事だろう。読者を引きずりこむ力が強過ぎた。
ここでわざわざ司馬遼太郎の名前があがるのだって、彼が「有名な作家」
だからであって「家康を殊更悪く書いた作家」だからではないよな?
探せばもっと悪し様に書いている無名な作家はたくさんいるんだし。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 16:10:15 ID:a46wBnaf
>>109 作家には誰でも傾斜があって、小説家は特にそうなんだけどな。
ただ、司馬遼太郎の場合、作品の力が強いんで、司馬作品=歴史的事実と
誤認しやすい傾向がある。だから、まぁ、作家の癖は掴んでおかんといか
んなということなんだけどね。
司馬氏は贔屓して書いているわけではないと思うよ
個人の創作ではなく現存している文書やその地域に残る伝承を元にして人物像を作り上げている
ただ、伝承などは眉つば物が多いし
文書も信憑性の高いものから講談に近い物まで取り入れている
まあ、あくまで小説として見るべきではあるね
112 :
名無しの雑兵:2006/06/27(火) 21:02:17 ID:Xr0ItEK3
>>111 「城塞」では家康が重砲を冬の陣以前から準備していた事を完全に黙殺してるけどね
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 15:15:15 ID:sdsAc7Y9
家康は鎖国嫌だ。
鎖国しそうだから
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 15:38:16 ID:hwuY/Q62
外国に金が流れ出て行かない為にしたんだろ
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 18:05:49 ID:N/htaStR
そもそも家康は鎖国してないってw したのは家光だ。
さらに言えば家康は国内のキリシタン勢力がきな臭い
動きをするまでは積極的な貿易政策をとっていた。
あと、「鎖国したから日本の技術力が遅れた」とか
思っちゃってる奴は世界史と宗教史を勉強するように。
そういう一面があったことは否定しないけどね。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 18:22:22 ID:K4v/6dld
日本の技術力全然遅れてないじゃん
自力で溶鉱炉作っちゃうんだから
日本の技術力が江戸期に伸び悩んだのは単純に戦争がなかったからだな
戦争の度に技術は飛躍的に伸びるからね
でも学問の点ではそれなりに進歩を遂げてる
幕末から急激に近代国家へ成長出来たのは江戸時代の下地があったからなのは間違いない
まあ、徳川幕府が閉鎖的で先進性に乏しかったのは確かだけど
西洋人が幕末の日本に来たときに
蒸気以外の技術は西洋に遅れをとらないって言われた記録もあるらしいし
戦国時代の著しい技術革新が江戸でツケが回ってきた感じかな
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 10:06:24 ID:KgKV00C3
識字率の高さは誇ってよい
ねえ〜『徳川家康』が人気ないか語ろうよ〜♪
幕府は板違いて感じ♪
私としては〜家康君は(・ω・;)な男だから
家康くんは『お茶どうぞ』とか言いそうで可愛い良家のお坊ちゃまって臭いで分かるもん!!
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 20:15:39 ID:fIDeF77c
>>120 鎖国を家康の人気のなさはかなり密接につながっているよ。
日本人のうち結構な割合で鎖国を家康がやったんだと思って
いるだろうし。
さらには、幕末の現象と家康を結び付け考えていたりな。
「家康が○○だったから、幕末にこんな苦労を、さらには、
それが現代にも□□の影響を〜」
ってな感じでね。
なんかこう・・・みんな日本語書かないか?
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 22:04:35 ID:QHFMmZfk
幕末苦労してないじゃん
あんなにすんなり中央集権化と近代化ができたのは奇跡的といっていい
124 :
名無しめじ:2006/07/01(土) 22:12:09 ID:XHToj742
カンジさんがペリーの頃にさかのぼれと・・・・・・。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 22:26:52 ID:pIdLHpFP
司馬遼太郎が家康を叩く理由ってもしかしたら「大阪人」だからじゃない?
家康が大坂城から江戸城に日本の中枢を遷した張本人だったから。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 22:45:04 ID:RyFqYYny
.
>>99 山岡荘八の家康面白かった俺は一体orz
登場人物がそれぞれ自分の信念に則って行動してる様に
書かれているのではっきりと誰が良い人、悪い人と
分かれていないのが良かった。
>>111 >>91が本当か知らないけど、もし本当なら
まず結論ありきで資料の取捨選択してる気がする。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 00:20:16 ID:/G43enYH
判官贔屓と明治維新が原因でしょう。
新政権が前政権の評判を落とすのは良く使われる手。
江戸時代の国家水準は世界的に見てもかなり高レベルでしたし、
家康の功績も素晴らしいものはあると思う。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 03:24:23 ID:Q96yuQ0D
>>126 大丈夫、俺も「小説」としては面白かった。哲学者、善人としての
家康を上手く描いた良作だと思うよ。多少余韻とかが文学的だった
り、爽快なエピソードに欠けたりするから合わない人には合わない
だろうけど。
なにより恐ろしく長いしw
通勤中にチョコチョコ読むのに最適でした。
もう皆で家康君苛めないでよ!!(イカシン!!イカシン!!
家康君の最大の功績は打倒豊臣家と浜松から江戸へ首都移転って感じ♪
そんで〜もって〜鎖国体制や偏見的法制度敷いたのは〜ホモちゃまの家光(キショ
お坊ちゃま家康君は三河武士!!
ホモちゃまの家光は陰険な政治家、独裁者。皆、家康君が良家のお坊ちゃまで三河武士でカッコいいからって苛めないでよ!!(イカシン!!×2
家康…泥臭い、貧乏臭い、田舎臭い。努力、我慢、忍耐。地味、はっきり言って華が無い。
ま、俺はそんなイメージの家康が好きな訳だが。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 11:54:07 ID:tEdc9xVa
司馬の小説読んで家康が嫌いになった?
司馬が家康を嫌ってヒドイ扱いをしてる?
なんというか
みんな素直なんだね
三国志演義読んで曹操嫌いになる、みたいな
俺は逆に家康好きになったよ
それはそれで素直だとは思うが
チビデブタヌキは嫌い
134 :
名無しの雑兵:2006/07/02(日) 14:27:47 ID:ye7OMeY1
>>133 偏見持ち過ぎ〜!(笑
家康君は年取って肥り出してからタヌキと呼ばれ始めたんだよ〜
それ以前は武田信玄と織田信長に領地を挟まれて辛い日々を送っていたんだよ〜。
信玄病死で信長焼死しちゃったから〜今まで蓄積されていたストレスが発散され急激に肥り出したのはこの頃からだよ〜〜♪
何時でも家康君が肥えたタヌキて感じるは大河ドラマの影響〜だよ〜
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 14:34:40 ID:/DnAYfS7
>>131 まぁ、いろいろだからな。
俺は司馬作品をかなりたくさん読んだが、その過程で家康好きになり、
秀吉嫌いになり、昭和陸軍の評価をいい方に改めたからな。
徳川家康=郷ひろみ(笑)
>>136 > 昭和陸軍の評価をいい方に改めたからな。
他はともかく、ここだけは理由を知りたいな。
もう少し実証的な書き方をする保阪・秦・児島らもあまり良い評価してないから、単なる司馬アンチだけではそこまで
評価が変わらないはずだし。
>>135 既知のことをわざわざ解説ありがとう。大河は見てません。
しかし、身長約153pでウエスト100p以上って晩年の家康凄いよな。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 15:11:07 ID:/DnAYfS7
>>138 長文な上にスレ違いでちょっとすまんが。
いい方といっても、別に30点が100点になったわけじゃないぞ。
−10点が40点くらいになった感じ。
年齢にもよるが、昭和陸軍ってのは悪魔のような存在だと教えられて
きたわけだよ。そのままを受け入れるほどアホではなかったが、それ
でも組織としてはどうしようもないものだと思ってはいたわけだ。
でも、司馬遼太郎はいろいろ陸軍に対して呪ってはいるけど、観念的
な部分が多くって、ただ、その中でも陸軍にいたころの事実もあるわ
けだが、そこでは悪魔じみた組織としての陸軍ではないんだわな。
たとえば、「陸軍ではことごとしい思想教育はなかった。兵というのは
反復した訓練でできあがるもので〜」といったことを本人も書いている
けど、つまり、軍としては普通の存在なんだわな。
もちろん、技術軽視とか観念的だとかって面はあるが、行く先々で虐殺
強姦したり、将校が平気で兵を殺してしまうような組織ではなかった。
つまり、二流の下の方の軍隊ってことになるけど、そんなこと言ったら、
フランス陸軍なんてドイツに勝ったことないしな。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 19:25:22 ID:2402XKw1
徳川家康=マラドーナ
信長と信玄に挟まれ同盟破棄されるか何時攻め込まれるか心配で眠れない
日々を過した家康君は相当ストレスが蓄積され豊臣時代にはタヌキつーかトドに変身した家康君はトド大名☆
家康君の食生活は麦飯を主食にした粗食中心の食生活♪
晩年になっていきなり油物(鯛のテンプ〜ラ)みたいな高血圧料理を好んで食べたからあの世へGOAL!!(泣
>>142 こいつ家康がタヌキオヤジと言われた所以をちゃんと知ってるのか?
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 12:37:57 ID:UE/lKZL8
でも太っていなければ狸と呼ばれていないのでは、
実際、狡猾さなら秀吉の足元にも及ばないし、
狸じじいと呼ばれるようになったのも明治からだし
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 12:41:24 ID:JL0DIu0Z
太っていなかったら狐と呼ばれていただろう
そういえば三成の「狐」とはどっちが先立ったんだろう?
どちらかが狐or狸と呼ばれ始めたから、もう一方も対比でそう言われ始めたのかもしれん。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 12:49:25 ID:JL0DIu0Z
猿の威を借る狐
>>145 でもさ家康がタヌキオヤジと言われた所以は、太ってたからってのもあるけど、狡賢い性格だったいう方が重要だろ?
トドとか後者を全く無視してるからさ。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 13:19:24 ID:UE/lKZL8
>>149 とどって言ったのは私じゃないから、
太っていなければここまで狸が浸透していない
と思う、それに現代でも狸と言われる人は野村
とか森みたいに丸顔タイプ。
>>150 トドって言ったのが君じゃないことは文面で分かってたよ。
気を悪くしたらスマンかった。
太っているからタヌキってあだ名が定着し易かったことも分かってる。
ただ重要なところを無視しているってことに
>>142に気付いて欲しかったから、
>>144みたいなことを書いたんだよ。
それに対してコメントしてくれた君にアンカーつけただけだから。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 13:45:33 ID:4JztXyfl
>>149 といっても、家康が他人を裏切ったのって、生涯2回だけだからなぁ。
桶狭間の後、今川家から離脱したときと、秀吉の死後、天下を取ったとき。
最初の方は責めているやつ見たことないくらい離脱して当たり前の状態だった。
そう考えると、生涯一回だけでタヌキ呼ばわりってのも、酷いもんだが。
一回は一回でも天下取りだからなぁ。
細々悪さするより、ためにためての大化かしの方がインパクトは大きいだろう。
別に、だから狸と呼ばれたと思ってるわけじゃないが。
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 14:20:29 ID:UE/lKZL8
>>151 わざわざご丁寧にどうもです、恐縮です、
気にしてませんから
狸というと謀略家のイメージがあるけど家康を
そう呼ぶのはかわいそうな気がする。
戦国大名の中でも彼はいい人の部類に入るし、
謀略家と言えば毛利、小早川、伊達、秀吉…と
ほかにもいっぱいいる。
家康君は御家再興と乱世終止符の為に裏切ったんらお〜
松永や秀吉とは別に考えて欲しいらお〜一緒じゃイヤ!!
乙女困る〜〜〜!!乙女イヤ!!絶対認めませんからね!!
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 16:48:59 ID:4JztXyfl
>>155 いや、別に一緒に考えてもらってかまわんけど。
ようするに、家康がタヌキなら秀吉なんて九尾のタヌキだってことだから。
松永は小物だからどうでもいいや。
九尾のタヌキって例え上なのか天然なのかちょっと迷うな
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 17:20:24 ID:DFdBIOEZ
家康人気が落ちたのと並行して秀吉人気も落ちて
マイナー地方武将に人気を取られて信長人気だけが一人勝ち状態
やっぱ信長って志半ばで逝ったおかげで妄想し放題だしさ
晩節が薄汚い猿や狸とその辺で印象に差を付けてんだよね。
長年いがみ合って来た猿と狸のヲタはここらで和解して
共に異常な信長人気へ警鐘を鳴らすべきだろう
159 :
ww:2006/07/03(月) 17:48:19 ID:iCc3w26C
軍才・政才・謀才・家臣団の統制・時勢を見る目・感情に流されない冷静さなど 君主に必要な器量を過不足なく
兼ね備えていた家康の器量はトータルで見た場合、信長や秀吉よりも一段上だったと思う。
このスレ読んでたらタヌキうどんが食べたくなってきました。
緑のタヌキ食ってくる!(^o^)ノシ
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 18:06:26 ID:fPfNuRD2
家康は人気がないというより、アンチが多い。
そんな気がする。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 18:46:06 ID:K4l17igo
地味だから
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 19:20:33 ID:Mi0D7EF6
アンチは多いけど、強烈に嫌っている人は少ないと思う
そうかな?嫌いな奴は容易にその史観から脱せてないような印象を受ける
ココはアンチ家康君を語る板じゃありませんよ〜〜〜♪
と言いたい所ですが家康君にアンチが少ないのは謙虚だし息子の信康を殺されても我慢する忍耐力!!
そして何と言っても文句無しの天下人になった事だよもん☆
逆に奥州の政宗君だとイケメンで派手好きな貴公子だし金山あるから軍資金に困らないけど〜〜〜
嫉妬心の塊でモテない君多くが政宗君に粘着アンチするけどキモイ自分の顔よく見ろって感じ(*^_^*)
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 21:40:11 ID:UE/lKZL8
政宗ってイケメンかあ?
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 21:49:54 ID:29/mvi2g
【警告】口調が史板の迷惑新選組腐女子に酷似しています。
糞スレになる前にスルー推奨!
家康嫌いはほぼ例外なく真田厨では?
逆に家康嫌いで幸村も嫌いって奴は見たことはない
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 22:09:57 ID:UE/lKZL8
いやアンチ家康のほとんどは秀吉厨でしょ。
秀吉の事は棚にあげて家康に関する事すべて
にケチつけるからね、2ちゃんでは定説にな
っていると思う。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 22:37:44 ID:ycqR3tMC
真田厨とか秀吉厨なんてレアキャラ滅多に見た事ないよw
家康嫌いが叩く為に引き合いに出しやすいだけでしょ
真田厨ってのは秀吉厨から派生したものがあるからな
それに秀吉厨って俺がウロちょろするスレにはよくいるよ
真田厨ってのは近年だいぶ減ったみたいだが心の奥底では真田マンセー家康アンチ
って奴はかなりの割合でいると思う。
議論とか発言の端々から秀吉>>>家康って感じに語る奴も多いし
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 23:40:17 ID:dtWdAI9n
秀吉厨(真田厨も同類)って歴史語る資格ねーんじゃないかってくらい
冷静な評価できないよな。秀吉ファンでもちゃんとしたやつはたいてい
は家康を嫌ってないんだが。
家康ファンに家康厨の割合はかなり少ないが、秀吉ファンには秀吉厨の
割合がかなり高い。
主観で妄想の相手を叩くのも程ほどにな
なんとか厨、ってのが持ち込むのが既になあ。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 00:16:49 ID:25U8MJJN
信長や秀吉に比べて派手さが無いからではないかな?
そんな家康が私は好きだが。
掲示板やチャットだと日頃、遜って物事を言う日本人が掲示板やチャットにカキコすると自分の解釈で物事を捉え
自分の理論や意見を相手に強要する形にならざるえない。
日頃から理論弁論を重ねていない日本人は物事を鵜呑みにし外国人みたいに『疑問』を持たないから簡単に周囲を洗脳出来、それによる偏見や差別が横行する。
家康や政宗、島津&毛利が人気がないのは野望というゲームの洗脳と大河ドラマで創られた虚像。
そうだね
家康に
過ぎたるものが
二つあり
〜〜〜〜〜〜〜〜
本田忠勝
〜〜〜〜〜〜〜〜の部分に入るのってなんだっけ?
島の左近
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 11:54:36 ID:W7rxG6TN
空の頭
183 :
y:2006/07/04(火) 12:04:46 ID:IEE1e8Ly
家康は英雄というよりも大政治家 大戦略家という感じだからな
人気のなさもそのへんにあるのかも。人間的な面白みを伝えるエピソードもほぼ皆無
だし。
なんか家康と三国志の司馬イはかぶるものがある。一時代の最後の勝利者という面においても
その後世の人気の無さにおいても。そして政治 軍事 家臣団の統制という能力をバランス良く
兼ね備えた超人としても
そうだね
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 14:07:27 ID:mMgOz5SR
何事にも効率というものがある
無駄な苦労をして良い環境を得るより、初めから良い環境で育った者の方が上に決まってる
独学による試行錯誤なんざ生兵法、経緯なんざ回り道、下積みなんざ単なる苦労
それが人を凌駕できるのは才能のある天才だけだ
無能な日本人はそれを認めまいと、美学として努力を用いりたがるだけ
サッカーをみても日本に生まれるかブラジルに生まれるかの違いだけで決定的だな
現実としてレベルの差は歴然
あくまで現実としての普遍的な事実だからな
ま、平和な時代わね・・・乱世にゃそれが通用しない。
それに、人心掌握術やらなんやらは苦労人の方が長けている。
そりゃそうだ。痛みを知らないものが他人の痛みを汲み取れるはずも無いもんな。
人の痛みが判らない者は、勝利者にはなれない。
ここまで延びたスレで言うのも今さらだが・・・家康は今でも十分人気が高いほうだろ
まぁ確かに中高年層からの絶大な家康人気に比べて
若い戦国ヲタからの人気はイマイチなんかも知れないが。
家康だけでなく秀吉だって若い戦国ヲタからの人気はイマイチでアンチもやたら多いぞ
両者の人気が落ちた一方で信長だけが異常な人気を独占し
各地の御当地武将の人気が上がってきたような気がする
まあ、時代のニーズと言うのもあるんかな?
今の、閉塞感を打ち破りたいっう願望と信長のイメージ(作られた?)が合致するのかも。
ヽ(*`Д´)ノ<焼き味噌じゃい!!
まぁそれを言ったら人気がないから何なんだ、て話だしな。
研究上の誤認が広まってるとかなら問題かもしれんが、ファンやアンチが
多いとか少ないとかは別に今生きてる人間じゃないからあんま関係ないし
人物の通俗的イメージが時代によって移り変わり揺れ動くのはある意味
当たり前の事だし。
若い戦国ヲタだが俺も戦国天下人の中じゃ普通に家康が一番高く評価されるべきだと
思ってる。
そもそも家康の一番優れてる点は領土拡大や戦闘指揮ではなく250年も安定した体制を
構築した点にあるわけで。大阪の陣の時点じゃほとんどの日本人は家康が死んだ時点で
体制が崩壊すると予想してただろう。
かなり感情的な理由で無駄に体制不安定化するような粛正をしばしば行った秀吉信長は
やはり優れた戦争屋に過ぎず国家を運営できる器では無かったと思える。
まあ、その辺の厨臭さが今の大衆には親近感が感じられて受けるのかも知れないが。
色々考察するのもいいが、句読点ぐらいはちゃんとつけないと誰も読まんぞい。
そうそう
260年つづく幕藩体制を築いたところが偉大
好きか?と聞かれればそうでもないけどね
とはいえ信長と秀吉が下敷きとなって、良いとこ悪いとこを見てるのんだろうけど
+頼朝、尊氏の失敗もあるかな
基本的には、タイプは違えど信長と秀吉はサクセスストーリー、家康はサクセスの部分は弱いから
っうのが一番の理由のような気がするけど。
ただ、秀吉はその後があるから、評価が辛くなるんでないかな?
ただ、今の日本の基礎を築いたっう点じゃ家康の評価は高いように思うけど。
あくまで、3人の連携プレー?だけどね。
信長が壊し再編しようとし秀吉が受け継ぎ再編を成し家康が盤石なものとした。
誰が欠けても今の日本はなかったんでないかな。
>>197 今の日本が無かった というのはその3人どころか足利義昭がいなくても無かった
ホントにギリギリのところだからな今川氏真がいなくても無いだろうし、そりゃ当たり前だろ
もしかしたら若かりし頃の信長の子分Aが欠けてるだけでも変わるかもしれん
大体そもそも秀吉か家康いなかったら信長死んでんじゃね
日本人って外国に変な憧れ持ってるから鎖国に厳しい意見があるのかもな
連携プレーというよりかは信長がシュート決めようとしたら光秀のケツに当たってそのこぼれ球で秀吉が決めた
だが信長も秀吉も交代した後凄い選手が誰もいないから余裕で家康が一人で点を入れた感じ
勿論一人で点を入れた家康 その後守りきった家康 まぁ優秀なんだが・・
信長や秀吉が居なければ家康が天下を取れなかった(と言うより取れたかどうかは分からないが正しいが)
ってのは当然同意だが、問題は三番手である為に信長や秀吉の行為を恩着せがましく言う奴や
その順番から勝手に考察して信長>秀吉>家康っていう不等号を付ける奴に問題があるだろうな
この三人は三者三様、軽々しく総合能力を不等号で表すことなんか絶対に不可能なのを理解
個々の政治能力や戦術能力、戦略能力ならば考察次第ではつけれるかもしれないけどね
200 :
199:2006/07/04(火) 19:21:19 ID:bBrAse1+
×理解
○理解してもらわんとな
>>196 頼朝、尊氏の失敗をきちんと取り込んでいるのが、江戸幕府なんだよ。
ある意味、家康は日本の幕府政治の集大成を作りあげたといっていい。
まぁ、人気はないのはしょうがないけど、私利私欲で天下をとったとか、
豊臣家滅ぼしたから悪とかいう極端に視野の狭い評価のされかたしてい
るのがなぁ。
>>199 でも、天下まで行かなかった信長はともかく、天下を取った後の行動を
比べれば、どうみたって家康>秀吉だよ。というか、秀吉の政権は悪政権
といっていいほどだ。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 20:02:48 ID:ijWmMyTv
豊臣政権ってのは大大名の多い不安定連合政権だったわけで
そのまま固定したらドイツ並みにゆるい連邦制で領邦間の紛争が絶えなかったと思う
あるいは遅かれ早かれ結局誰かが関ヶ原を起こした
諸侯では100万石が最高というレベルに抑え
中央権限の強い連邦国家を作り上げた家康たんは偉い
204 :
名無しの雑兵:2006/07/04(火) 20:24:09 ID:dyy4+7/c
>>203 三十年戦争に突入した日本か・・・
それはそれで面白そうだな
「ハンガリー・チェコスロバキアを含まないオーストリアとは合併してもいい」みたいに
「北海道・台湾を含まない関東とは合併してもいい」みたいな近代
「俺はドイツ人である前にバイエルン人だ」みたいに
「俺は日本人である前に畿内人だ」みたいな強い地方気質
そういう感じだったかもしらん
三十年戦争か・・・
鎖国したから近代化が遅れたと言うけど
そうじゃなくても多かれ少なかれ近代化は遅れそうだな
むしろ江戸幕府という安定した政権があったからこそ
明治維新のような急速な近代化に対応出来たのかもしれない
>205
豊臣政権はまさにそんな感じだね
地方によって言葉通じないって事もあったみたいだし
>>206 豊臣政権は、というよりは当時の日本列島という地域が、と言ったほうがいい。
ただし、この地域では言葉の統一については古代からずっと進められてきた。
良くも悪くも島国だからドイツほど民族意識希薄にはならないだろう。
バイエルン人から見たザクセン人、プロイセン人とピエモンテ人、オランダ人、フランス人は
そんなに変わらないように見えるかも知れないが江戸人から見た会津人、薩摩人と
清国人、朝鮮人、ロシア人じゃ歴然とした差がある。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 23:35:39 ID:Pyb/9i7W
>>206 ていうか産業革命の波が極東の小国に押し寄せるシチュエーションは
鎖国開国にかかわらずあんなもんじゃないかなあと思う。国土面積が
江戸日本と違えば別だが。
蒸気機関と小銃なんてペリー来航の寸前に大発展を遂げた技術だし。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 00:39:05 ID:ualkx5pH
ドラマなどではまず家康は悪人として描かれ
ているので嫌いになる。
↓
歴史に興味を持ち調べていくうちにそれほど
悪いと思わなくなる。
↓
2ちゃんに来るようになり秀吉厨のひどさを
見ていつのまにか家康を擁護している。
>>210 それはさすがに被害妄想が強すぎじゃないかな・・・
家康は今でも戦国武将でトップクラスの人気だし
家康を悪どく描写したドラマなんてのも最近はあんまり見かけ無いでしょ
むしろ信長の残虐さや秀吉の狡猾さをドギつく描くのが今の傾向で
相対的に家康は両者に比べればマシという善人描写になってる
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 01:47:12 ID:ualkx5pH
最近でもまだ悪役でしょ、
家康=津川雅彦が一般的なイメージだと思う。
西村雅彦の家康も
西田敏行はどうなるかな
津川家康はそこまで悪人っぽくも見えない。
戦国自衛隊?知るか
結局、江戸時代の評価なんだろうな。
明治維新以来の江戸時代への低評価が未だに続いている。
戦国時代はあんなにすごかったのに、江戸時代のせいで欧米に遅れを取ったっ
て感覚があるんだろう。だから、家康はまともに評価されていないんだな。
でも、戦国時代や信長・秀吉の政権が続いていれば、欧米に匹敵する軍事力・
産業力ができあがったかなんて、誰もきちんと考えていないんだよな。
産業革命が出来るだけの素地が、豊臣政権下にあったかどうか。正直、産業
革命どころが、その前提となる国内の安定すら豊臣政権には無理だったろう。
下手をすると、日本の各地に小国家が分立して抗争し疲弊し、それぞれが
欧米の殖民地になった可能性すらある。
国内が争っていて外国に乗ぜられなかった戦国時代はむしろ歴史的には珍し
い部類だし。(幕末もそうだが、こっちは幕府と薩長が外国の介入を阻止し
ていたから排除できた)
なんか、家康に対する評価は大量の無いものねだりが入っていて、それが
低評価に繋がっているじゃないかな。
未だに根強い秀吉人気の証明だ
秀吉もかなり嫌われているだろ。
つーか何でヌカ漬け臭いハゲネズミの話題している。
ハゲネズミの話題を持ち込むのは板違い、巣に帰れ。
ココは徳川家康を語る板ですよ。
徳川家康役はやっぱり中尾彬だろ。
石田三成は池畑慎之介。
家康を描いた漫画における定説
漫画のdでも具合と家康のカッコ良さは比例する
月ジャンの新連載読んで改めてそう思った
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 20:20:22 ID:mOekRnEd
明治維新
徳川幕府は朝敵だ 創始者家康も朝敵だ
↓
終戦後
山岡荘八ブーム 苦労人サクセスストーリー
↓
司馬遼太郎ブーム
↓
いまここ
津川の家康は別に悪人と言うほどじゃないし、
天下取りの際に家康が詐術を繰り返したのは事実な訳で、
あの程度の家康が許容できないとなる家康を善人として見過ぎだろう。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 23:05:20 ID:zMRSKOZi
善人悪人という前に、津川は家康に似ていない
むしろ信長似だろう
信長は渡哲也かなあ・・・過去の大河で一番のはまり役は役所だけど。
でも役所広司は藤堂高虎。黒田長政は王様のブランチの司会の寺脇康文。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 14:15:39 ID:HPo1UOz5
世間のイメージではあまりに晩年の太った政治家としてのイメージに偏りすぎていないか?
実際には武将としての実績だって凄いのに。
江戸幕府を築いたから政治面のクローズアップは仕方ない。
政治といったら秀吉政権下で勢力を保った点は凄いと思う。
一般的には小牧長久手と
大政所、旭姫が上げられてるけど
秀吉自体が大名にそんなに厳しくないような気もする
豊臣政権下で家康が勢力を保つ事が出来た理由は土地柄にある。
まず駿府金山経営と京に近く政や官位を貰う際には便利である。
一方の政宗は奥州と言う土地柄上、金山があるから軍資金には困らないが冬は豪雪で道が凍り、何と言っても京から遠い事である。
徳川家康は土地柄と生れた時代に恵まれた事
信玄病死で信長焼死、秀吉痴呆で幸運に恵まれた男である。
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 23:41:47 ID:KjR+N2As
>>228 お前はもうちょっと戦国史を勉強してから書き込むようにな。
オマエガナ
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 01:45:03 ID:9qaYZ6hv
家康の生まれた時代というか周りの環境が+になったのは確かだわな。
信長が生きていたら天下は取れなかっただろうし、秀吉が死亡したときに
しっかりとした跡継ぎが居たら、その先どうなっていたかも分からん。
つらいことがあっても耐え忍ぶのが美学ってのは家康の影響だよな?
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 03:19:59 ID:0UKVwm1L
頼朝も耐え忍んで来た気もする。
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 03:33:08 ID:V0EuGB35
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 04:03:08 ID:WqSTu0QZ
288が頭悪そうなレスをするのを待つスレ
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 04:49:45 ID:LVOJwrea
家康の天下取りが奸謀に満ちた悪事に見える最大の理由は
大義名分がないと言う事だな
別に家康が天下を取る必要性がない
信長や秀吉の頃は戦乱の世であり
誰かが天下を治める必要があった
だが豊臣家によって一応天下は鎮まったわけで
そこからわざわざ騒乱を起こしてまで徳川が取って代わる事を誰も望んでないし
秀頼を殺さなくてはいけないほどに悪政をしたわけでもない
あくまで家康の私欲によるものでしかない
家康もそれを知ってるから何とか正当化付けようとする内
巧緻に狡猾にならざるを得ず自然と奸謀地味てきてしまった
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 05:15:53 ID:eMD2lrxg
釣りですか?
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 05:34:00 ID:KMefMNuO
チョンが世界の汚物だと認識して殺しまくってた秀吉が一番偉いよ
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 07:52:50 ID:HRQ1crqk
>>236は豊臣政権が続いた場合特に問題なく日本が治まったことを
証明するようにw
>>236 必要性はあるさ。豊臣政権はその末期において悪政を続け、家臣は派閥を
作って争っていた。完全に統治者能力をなくしている。こういう政権を
叩き潰すのは当然。
家康本人は秀頼を殺すつもりは無かったとか、
一大名として残すつもりだったのかね。
>>241 基本的には残そうとしたんじゃないか?
ただし、ちゃんと臣従して、徳川家の監視が届くところで10万石程度の
大名としてだが。大阪の陣を始める前までは、何度も臣従するように促し
ているからな。
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 12:18:04 ID:sLSIgEGx
花の慶次のは原作者があんまり家康に好意的じゃなかった割にはなかなかかっこよかった
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 12:22:45 ID:8ffeAsP2
何でも都合の良い方へ、良い方へ…
政権のトップが幼少で周りの人が補佐してる状態の
時点で不安要素ありすぎ。
その上、実戦経験0天下人の子供として甘やかされて育った
秀頼に各諸侯をまとめ上げる能力は無かったと思うよ。
秀頼が政務を執れるようになるまで補佐するのが家康達の仕事じゃないか
その後、秀頼が暴政を行うようになったのなら豊臣を倒す事は正当性を持つけど
まあ七歳のガキに頭下げたくもないもんな
要は家康に時間がなかったんだろう。寿命ばかりはどうにもならん。
あるいは秀忠がもっと優秀だったら二代の計を立てられたかも知れんが。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 18:03:17 ID:HRQ1crqk
>>246 その「秀頼を家康が補佐して政権を維持する」体制を秀吉が整えておいて
くれなかったんだよ、家康が改革したら結局反家康派が内乱起こすし。
まあ外様が家政の中枢にいる時点で豊臣家の封建社会における脆さと異常
性は明白だ。
>>248 秀忠は優秀だぞ、軍人としては戦績が薄くて判断しがたいが。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 18:04:34 ID:3xPGdTnn
何が何でも正当化したいようです。
>>249 別に優秀じゃないとは言ってない。”もっと”優秀だったら、だ。
家康から見れば、それまで戦ってきた(自分を含めて)本当の
一流所と比べて見劣りすると感じたんだろうと思う。
秀頼はまだ実力が良く分からん年齢だから、もしかすると秀吉
レベルに化ける可能性だってないとは言い切れなかったわけだし。
秀康じゃなく秀忠を選んだ時点で優秀とかあんま関係ないんじゃね?
つまりは小早川秀秋も長生きすれば超名将になったかもしれないわけだ。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 21:20:03 ID:Nn7Z8rby
江戸時代は┬─暗黒時代だよ(基本路線)
│ ├─教科書で習ったよ(弾圧の歴史派)
│ ├─封建時代ってさー(ひどいよね派)
│ └─飢饉話(三大飢饉派)
├─暗黒時代じゃないかな(中道派)
│ │ ├─あれだけ暗黒なことあれば確実だよ(事例重視派)
│ │ │ └─理由あるんじゃない?(原因追及型)
│ │ ├─赤穂浪士はテロリスト(吉良悪人派)
│ │ │ └─ 高家にお金渡すの普通だったみたいだよ(浅野が悪い派=明石散人)
│ │ └─杉浦日向子がいない今もう江戸は・・(NHK見る模範的受信料払ってます派)
│ │ └─だがタモリ倶楽部は好きだ(古地図、江戸刑罰テロ朝派)
│ ├─NHKそのときを必ず見る(たまに重要人物が抜けてるな…戦国幕末なんか違うだろ派)
│ │ └─ 薩摩すげーな。(英国旗の上下間違えんなよ派)
├─全部暗黒だっつーの(全否定派)
│ ├─宗教弾圧し過ぎ殺しすぎ(天草簑踊り派)
│ ├─身分差別(江戸期最悪派)
│ ├─農民と胡麻は搾れるだけ搾れる(財政悪化を転嫁派)
│ ├─無駄無駄無駄(徳川家だけ繁栄すりゃいいんだ的機構派)
│ ├─民衆のこと顧みず(江戸廻米大塩憤慨の巻)
│ ├─一揆打ち壊し(とにかく暴動)
│ ├─財政悪化貨幣改鋳物価高騰(政策の失敗)
│ ├─鎖国(世界から遅れる)
│ ├─薩摩松前の横暴(首里城制圧、蝦夷反乱...理不尽な要求)
│ ├─兄弟喧嘩で人が死ぬ(皆殺しお由良派お家騒動)
│ ├─ とにかく人を殺すよ(強権大獄派)
│ └─強引にやっちゃうよ(無理がある派)
├─封建時代だからなんでも口出すのさ。
│ ├─犬殺したら死刑な(綱吉)
│ └─風俗の乱れってことでなんでも弾圧しちゃうんだヨ(昔至上主義派)
├─いい加減だな─林羅山って勝手に大名の家系作ってるだろ。
├─田沼時代ってよくないか?(重商主義派)─贈賄文化ちゃうのん?
│ └─吉宗より宗春の方が名君だで(紀州尾張)─つーか放漫財政に過ぎんよ
├─反動暗黒・・定信はとにかくアホだ(愚民主義)─家柄重視。田沼のようなの許せん。
│ └─水野は江戸を滅ぼす気なんだよ(帰農すれば解決、領地は幕府優先)
├─ええじゃないかええじゃないか(サボタージュ説)
├─宗教堕落(とりあえず寺格主義だからさー。あと金貸しやって稼げや─東叡山)
├─たった4杯で夜も眠れず。・・・危機管理がなってないな。
└─とにかくいやな時代だな。
>>249 秀吉が死んだらいきなり法を破って他の大名と婚姻を結びだしといて、
>「秀頼を家康が補佐して政権を維持する」体制
を秀吉が整えてくれなかったとは詭弁だろう。
だいたいそういう事をしたから反家康が表面化したわけで、
家康自身に改革する気なんてないし。
>255
おれも正直「後世のために」天下取りに動き出したというのはどうかと思う。
天下のためというより、徳川家のために動いたんだろう。
秀吉が三法師を後継に推したのと同じ理由。
ただ、同じ簒奪者でありながら家康のみその汚名を着せられるのは、
関ヶ原、鐘銘事件、大阪の陣とその過程に目をひくような事件が目白押し
なせいだと思うな。
秀信なんて当たり前のように家来にされちゃったのに。
そもそも家康は秀頼を補佐するのが当たり前なんて信じてる奴は
お人好しの上にバカがつくな
家康は仕方なく従属してただけの敵なのに何思い違いしてんだか
この時代は婚姻関係なんて何の保証にもならない
赤の他人に家の事なんか任せたら乗っ取られて当たり前だってw
なんか世のためにやむをえず秀頼を
討った、とかいってるのがいるからじゃないの?
そんなことまで正当化すんなよ、と。
家康に後見を頼んで権限渡した秀吉がアホっていうか老人ボケだった、ってことに落ち着いてしまうような・・・。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 02:39:16 ID:uhcxqoZs
>>255 いや、その場合の反論としては「秀吉はこんな風に政権存続の手を打ってた」
と言う方向でするべきでしょ。君の批判することも血族政治による権力の増大策
として考えたら政権の簒奪云々以前に政権担当者として必要な措置だったとか、
こじつける方法はいくらでもある。
それこそ問題の本質を家康に転化した「詭弁」だと言えるぞ。
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 09:20:26 ID:39h60X4k
>>258 実際に世の中のために討ったは事実だからな。
家康の行動をすべて私利私欲だと矮小化して考えるのが、アンチの
悪いところだ。
家康は政策上において、徳川家の安泰と日本全体の平和構築を両立
させた。豊臣家を放置すれば、徳川家の将来にもよくないし、徳川
家中心の幕藩体制の下に平和になりつつある日本に対してもよくな
い。放置して乱の元になってはいけないから、だからつぶしたわけ
た。もちろん、徳川家のためという私的理由もあるが、それ以上に
世の中を安定させるという大きな目的がある。
もし、豊臣家を滅ぼすことが徳川家のためにはなるが、日本のた
めにはならないと思ったら、家康は実行しなかったろうさ。実際、
徳川家は幕末に自家の利益よりも日本全体の利益を優先して滅びる
ことを覚悟しているしな。
幕末の事は全く関係ないだろw
ちょっと必死過ぎだよ、キミ
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 09:27:57 ID:39h60X4k
>>262 藩祖の行動は藩の性格の基本となる。江戸時代では良く見る例だ。
家康を藩祖とする徳川家の性格を見るために、例を出しただけ。
つうか、煽りだけで反論できないのか?
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 09:38:59 ID:tK4nqWF/
まあ結局三成も上杉も豊臣への義のために動いたんじゃなくて自分の利のために動いてたんだがな
>>261 意見の大筋には賛成だが最後の2行だけは余計だ
>>261 正論
最後の2行、とっぴに見えるが、大きな視野で見れば余計というほどではない
徳川家の安泰=日本の安泰って考え方が正統と思えるかどうかだよな。
結果を知ってる身分としては、大筋で正解と理解できるんだが。
豊臣方にしてみれば堪らん理屈ではある。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 10:14:44 ID:39h60X4k
>>267 正統とかそういう問題ではないんよ。両立できたかできないかってこと。
自家の利益のために、国家を犠牲にした為政者の例なんてたくさんある。
実際、家康の前政権である豊臣政権には、その傾向が濃厚にあった。
もし、自家の利益と日本の安泰を両立させたのであれば、日本の安泰を
築き上げた方を評価すべきであって、そこに私情が入っていようといな
かろうと、そんなことはどうでもいいことだろ。
いやだからそれが後代の人間だから分かるって書いてるでそ。
というか大義の前には、豊臣への同情は毛の一部も許されないのかい?
それは大義名分(正統ともいうね)を持つ側の傲慢じゃないかい?
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 10:31:09 ID:39h60X4k
>>269 後世の人間がどう評価するかってのが、このスレの趣旨だろ?
当時の人間は評価云々じゃなく、ただ必死なだけだわな。
また、豊臣家に同情を禁じているわけでもない。
ただ、歴史的事実の評価に対して「かわいそう」って感情を持ち込むの
は間違いだといっているだけ。
むしろ、豊臣家への同情の感情を持つことと、家康に高い評価与えるこ
とが両立できないって、考え方の方がよっぽど問題だろ。
うーん、人気論だからこそ、後代の人間のその感情が味噌だと思うんだけどな。
高評価と人気ってのは違うものだし。浪花節とか判官贔屓の類だ。
何が言いたいかって言うと、評価とか正しかったかってのはぶっちゃけどうでもいい
ってのが人気の無さに出てるんじゃないかと。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 10:49:43 ID:eTulYe9q
「国家の為=徳川家のため」というのは幕府成立以降なら通用するだろうけど、
征夷大将軍だって天から降ってきたわけじゃないぞ。
関ヶ原が起こった原因と家康の行動は決して無関係じゃないし
将軍宣下だって朝廷工作の結果だろう。
だからといって、おれはアンチじゃないぞ。
そういう用意周到な家康の方がよっぽど魅力的だと思うだけだ。
そうだよな、「家康のやった事は正しい、だから好き」じゃないんだよな。
「家康オモロイ、だから好き」なんだよね。そのオモロイって感情が一般に沿うか沿わないかだよね。
日本人は昔から世間の人気論や評価論に弱いからな。
誰が作ったか分らん評価を当にして損する民族。
現在でも血液型評価とか人気ブランドに弱いこれは日本人の負の遺産であり文化。
話題逸れたから戻します。
家康が人気がないのは何故だと思いますか?
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 11:04:04 ID:39h60X4k
>>271 事実の評価がちゃんとできないから、人気が出てこないってのは明確
にあるさ。
たとえば、家康がシビアに将来の禍根を絶つ目的で秀頼の男児を殺す
と「子供まで殺しやがって」となるが、秀吉が秀次の妻妾子供を全部
年端もいかない女児まで殺しても「晩年に得た子供が可愛くって、ま
ともな判断ができないんだ。しょうがないよ」って感じで、済ませて
しまう。
大阪の陣という、それまで日本最大の合戦の結果、敗者の一族が当主
とその後を継げる男子が処刑された。これは、比較的一般的なことで
あって、家康が残虐だったわけでもない。だが、子供可愛さに養子を
自害させ、将来に禍根にならない妻妾や女児まで殺害するのは、単な
る虐殺だ。
事実の評価を冷静にやってみないと、自分のダブルススタンダードに
気づかないだが、それをやらずに歴史を眺めて、好悪をつけている。
そういう傾向が多いのが、家康の人気のなさのひとつだろ。
だーかーらーそもそもの話
家康の人気が無いと思い込んでいる
>>1の前提からして間違ってんじゃん
今でも戦国武将人気トップクラスだろ
家康の人気が無いのがイヤなんじゃない(実際は人気武将だからな)
秀吉の人気があるのがイヤなだけじゃねーの
最近見直されてきた部分はあるかな
信長はイメージ先行・ビジュアル路線だし、
秀吉は知れば知るほど嫌いになる
ただ、まだまだ誤解されている部分が大きいから、
ID:39h60X4kのような存在は重要
秀吉厨は晩年は呆けたから仕方ないと誤魔化すね
逆にそういう暗黒面を含めて好きだというファンもいる
>>1が間違ってるならカキコしなきゃ良いじゃん
>>276 『秀吉が嫌い』とか個人的妄想を押付けてる奴は非常に厄介。
しかも毎回同じカキコで頭堅過ぎて低能。
周りが迷惑、不快であるのに関わらずカキコするから非常に厄介。
話題を戻して何故、徳川家康が人気がないのか?
まず人気がないのか?家康って
>>261 >実際に世の中のために討ったは事実だからな
結果論だろ?
タイムマシンでも作ってみてきたのか?
また人の心を読み取る装置でも発明したのか?
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 13:21:24 ID:nm7l1U5K
>>282 腐敗した旧政権を倒し新政権を樹立することは
歴史的に見ても珍しくもないし悪でもない。
それに豊臣家は平和な社会を築くための障害
になっていたわけだからそれを潰すことは十分
世のためと呼べる。
>>260 秀吉が打った政権存続のための手っていえば、
そりゃ家康が筆頭として5大老・5奉行が秀頼を補佐する体制だろ。
そんで君の言ってる事は君が書いてるとおりに単なるこじ付け、まさに詭弁。
それは秀吉の家康を信頼しすぎた秀吉の失敗であり、
>>249で君が言ってる、
>「秀頼を家康が補佐して政権を維持する」体制を秀吉が整えておいてくれなかったんだよ
という主張からはかけ離れたもので、君の言う問題の本質はピントがずれてる。
>>261 君の言ってる内容は結果的に家康が太平の世を築けたからの話に過ぎない、
家康が他の大名に難癖をつけて戦争をはじめたせいで関ヶ原っていう一斉蜂起が起きた、
関ヶ原があの一戦で決着がついたのは単なる僥倖に過ぎず、下手をすれば戦国の世に逆戻りの可能性もあった、
それをさしおいて世の為とはね。
>>283 別に当時の豊臣政権は腐敗してねぇよ。
てか、徳川が「日本のために」豊臣倒して天下統一、って本気で言ってるの?
私利私欲のためでしょ
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 14:10:12 ID:nm7l1U5K
>>284 関ケ原の認識がおかしくない?一斉蜂起etc…
秀吉政権を善政と呼ぶ人は少ないと思う、
それに外征の失敗を軽く見てる、日本史では
稀なことでありこの国は危機的状態にあった、
これだけでも政権交替するのに十分すぎる
理由だと思うが。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 14:22:29 ID:39h60X4k
>>284 結果を残したということは、少なくとも、その結果に向けた行動を
していたということだ。
家康は明確に自分の力で日本を安定させようとしていた。
その安定のために、阻害要因である豊臣家をつぶそうとした。
どうみたって、天下のために行動しているだろう。そして、その方針
が間違っておらず、しかも成功した。それのどこに問題がある。
行動理由の一部にでも徳川家の支配体制確立っていう自家の利益があっ
たら、それは、私利私欲の行動だからダメだってことか?
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 14:37:03 ID:cA6I3b7f
天下のためだから既に形式すら破綻しかけていたとはいえ主筋の母子をいびり殺すための戦を起こし何千人もぬっころして良し、か
愛国心ならぬ天下は悪党の羞恥心の最後の下着か?w
天下をとった後、太平の世を築いた
偉大な人なのはみんなわかってるんだから
そんな無理やり豊臣を滅ぼしたことを
正当化しなくてもいいじゃん。
>>289 だなぁ
「奇麗事だけじゃ済まなかった」とでも言ったほうがまだ良いのかも
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 14:52:56 ID:39h60X4k
>>289 豊臣家という平和に対する阻害要因を排除したのは評価される
べきことだぜ。
まぁ、こういっても首を縦に振るやつは少数派っぽいがな。
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 14:53:02 ID:WClm7kOt
平清盛にしろ源頼朝にしろ足利尊氏にしろ豊臣秀吉にしろ徳川家康にしろ、
天下を取っちゃった人はいまいちに人気がないね。
義経とか信長とか、散っちゃった人がやはり人気がある。
>>292 やっと泥沼の徳川VS豊臣論議から抜け出るスレタイに沿った意見だな
人気あり:クレオパトラ7世、岳飛、石田三成、西郷隆盛
人気なし:オクタウィアヌス、秦檜、徳川家康、大久保利通
判官びいきはどこの国でも同じだね。
>>291 評価はみんなしてる
ただどうしてそこまで正当化する必要があるか疑問なんだよ
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 22:52:39 ID:nm7l1U5K
秀吉厨みたいなのがいるから
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 23:12:16 ID:W0qR64XB
うんこ漏らしたから
攻められてる途中に信玄が死んだり、秀吉死去してすぐに利家が死んだり
どう考えても鬼運のお陰。やっぱ真田が最強だろ
だから!!家康はラッキーマンなんだよ!!
普通、信玄病死で信長焼死、秀吉性病死が重なる何てラッキーとしか言い様がないだろ。
戦国一の幸運に恵まれた男、家康は信玄と信長、秀吉と決戦する事もなく天下統一したのだから後世の人々は評価し辛い。
正当化?そこまでして家康を陥れたいのか
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 00:04:14 ID:kX2R37RY
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 00:25:59 ID:kX2R37RY
では秀吉の悪事も語れ
俺は家康が好きだが、正当化したがる厨はキライだぞw
現代人でも財産分与やら組織の運営やらを巡って肉親が骨肉の争いをするのに
戦国生まれの家康をつかまえて、あれは〜の為で…
とか、へそが茶を沸かしそうだよ
リクエストがあったので秀吉の事も語るが
秀吉って信長家臣時代と権力握ってからとでは露骨に性格違うよね
不殺の武将から権力に溺れた猿面冠者に変身したのも天下の為なのか?w
笑わせる、人間ってものがよく分かってないんじゃねーの?
天下のためと言えよう。
だから家康は人気あるだろって。いい加減に家康ファンは不人気ぶるのはやめろ
それにどんなに家康の正当性や幕府治世の素晴らしさを理解しても
それだけが武将を好きになる理由とはならない戦国ヲタも幾らでも居るだろう
志半ばで散った者、悪逆非道な謀略を駆使してのし上った者
愚直なまでに忠義を示して散った者、戦に明け暮れる世で風流に生きた者
みんなそれぞれが魅力的で固定のファンが付くのだよ
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 10:11:57 ID:ihVA693b
家康が天下のことなど考えず、全部私利私欲の行為にしたいやつ
がやたらといるが。
同じ理屈で言えば、たとえば信長と比べてみりゃいいけど、天下
布武って言って天下統一に乗り出した行動も、全部私利私欲から
出たものってことだよな。
秀吉が天下を統一したのなんか、完全に私利私欲ってことになる。
ま、そこまで人間の行動を私利私欲だけに限定するんなら、理解で
きないわけじゃないが、そういう人間理解の方法はえらく狭量だと
は思うけどな。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 11:28:32 ID:A+JjVS3Z
結局皆、私利私欲で動いている。
それが結果的に主君の為になったり、国の為になってるだけ。
「私利私欲」というより、自分の中の「内的衝動」というべきだろう
それで行動して、天下のためになる人もいれば、害を与える人もいる
家康の場合は大いに天下のためになったと思う
>同じ理屈で言えば、たとえば信長と比べてみりゃいいけど、天下
>布武って言って天下統一に乗り出した行動も、全部私利私欲から
>出たものってことだよな。
>秀吉が天下を統一したのなんか、完全に私利私欲ってことになる
これが私利私欲じゃなかったら一体何なんだよw
そもそも人間は生まれながらに悪人で他者から何かしら奪って生きてるもんだろ?
ここで私利私欲が汚いとか狭量とか言ってる奴はどんな生活してんだ?
もう死んでるのか?
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 13:03:49 ID:ihVA693b
>>310 まぁまぁ、落ち着け。論理破綻しているから、深呼吸してから書き込めな。
勝てば官軍
負ければ賊軍
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 14:14:10 ID:x2yKSJP9
戦国時代に天下のため、なんて口先はともかく実質考えてた人間なんていかほどいる?
みんな私利私欲でしょ、あるいは家のためとか名誉の為という実利目的
強くなければ食われるか潰される、それが嫌ならテメェがトップに立つか強いものに従ってその不興を買わないようにするしかない
結果、信長→秀吉→家康ということになっただけ
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 14:24:28 ID:ihVA693b
燕雀安知鴻鵠之志哉って感じだね。
もう誰々が正義だ何だ論ずるのはどうでもいい
主君と家臣、親子兄弟が騙し合い殺しあう
陰謀渦巻く弱肉強食な時代だから面白くて惹かれるんだよ
私利私欲しか縁のない人が大多数だからしょうがないか
まあまあ落ち着け
じゃ早速私利私欲に縁の無い人間は今すぐ自殺してくれ
当然俺の天下の為のにやってくれるよな
私利私欲言いたいんだけちゃうのかと。
そういう面はあったにせよ、
長宗我部元親が語ってるように「家臣達がいい暮らしできるように周りを侵略した」なんてのも本音。
領主といっても大概の戦国大名は下々に配慮しないとやっていけなかった。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 16:20:06 ID:FJaAFUjJ
ヽ(*`Д´)ノ<焼き味噌じゃい!!
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 20:17:44 ID:gbnDzLIF
私利私欲でしか物が判断できない武将は天寿を全うできないばかりか末路は哀れだろう。
松永久秀がよい例だ。
信長の天下布武の構想と実行力はただ私利私欲のみではあそこまでは難しかろう。
ただ小さい私利私欲が獅子心中の虫になり光秀に殺されたが。
私利私欲で権力を専らにした人間では人はついてこず兵卒の士気は低く必敗だろうな。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 20:26:58 ID:Vdv+wI5K
セリエファンがユベントスやミランが嫌いなのと同じでしょ?
まあ二つとも滅亡間近だが
ただ小説全般で家康があきらかに悪人に書かれてるのは絶対ある。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 20:35:35 ID:atsen4uj
私利私欲とか添加のためとかなんか道徳論つまんね
確かにフィクションでは家康に対して愛が感じられないことが多い
最近では戦国自衛隊とか…
家康はどうしても「地味」「天才性の無さ」「古狸」というイメージが一般から拭い去れないのかもしれない……
後の徳川時代の陰湿なイメージ(歴史の授業で習うような)も混ざってそうだ
実際のところ、調べてみるとそうでもなかったり、その通りだったり、これまた微妙。
面白いし嫌いじゃないんだけどなあ、古狸。
>>319 戦国時代は家臣が大名や主人を見限って他へ出奔するのも美徳とされた時代
家臣の裏切りや離反は逆に大名の不手際とさえ批判された時代である事を熟知しろよ
家臣の為はつまり自分の為でもあるんだよ
それにしても私利私欲じゃなかったなんて、今年一番大笑いさせてもらったぜ
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 23:48:07 ID:BEXNnmbc
>>325 だからどうした? その理屈で言えば「自分のための行動」
=「間接的に家臣のための行動」だってなりたつだろ。
結局自分の主張のための詭弁にすぎんよ、主観的なものを
取り扱う以上な。
0か1かでしか考えられない馬鹿が私利私欲とか言ってるんだろw
>>326 そう書き出したらお前の理屈だって通らないんじゃないか?
>>327 お前は俺の為に自殺しろ、話はそれからだ
これはみんなのためでもあるんだよ。分かるだろ?
ちなみに白と黒をはっきり出来ない、1か0で割り切れない日本人の
灰色主義が偉い訳じゃないから気をつけろよ
>>329を見ろ
反論出来なくなって幼児退行化しちまったぞw
タワラ
つーか、掲示板やチャットはネット上では顔が見えないから本音をカキコするから意見衝突が絶えない。
日本人の性格上、顔が見えない時点で本音をカキコする場は掲示板かチャットしかない。
しかも明かに嫌われているのに粘着質だから困る。
日本の掲示板やチャットではアンチや荒しは日常茶飯事。
それが嫌で真面な会話したいなら外国に永住しろ。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 10:06:49 ID:xK3ew8Lo
>>328 いや、だから「結局主観的な物を扱う以上詭弁に過ぎぬ」と言っている。
要するに「そういうことにこだわるのは水掛け論だから不毛だよ」と、
言っているわけだ。
せいぜい「天下のためだからオレが虐殺しても謀略使っても正義だよねw」ぐらいな使い方しかされてないだろ、戦国時代の天下なんて
そもそも正義のため、とか愛のため、なんていう空論を信じられるのは平和な時代の人間の道楽じゃないの
いつ寝首かかれるかしれん時代にんな真似やったらせいぜい玉砕がオチでしょ
家康不人気は
明治政府によるイメージ戦略の賜物
>>335 家康不人気ってのはお前の脳内だけでだろ
戦前は確かに国策として秀吉が過剰に持ち上げられる事はあったが
だからと言って別に家康は嫌われてるという程では無かった
倒幕直後はともかく昭和の頃には普通に偉人として讃えられてるよ
>>336 お前以前から家康人気あるって言い続けてるが
ちょっと家康を持ち上げる発言をすればアンチが次々に現れて否定する
実情を知らんわけじゃあるまい。
>>337 まぁ、人気がないっていうより、アンチが非常に痛いっていうのが
実態かもしれん。
けど、やっぱなんか人気もないよな。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 14:42:48 ID:Ezcbdgig
前になんかの日本史の偉人人気投票で家康は6位だったような
人気無いって本当なのかね
山岡小説以前は明治史観によって歪められてた。家康人気はせいぜい戦後高度成長期から
人気がないの前に「実績の割に」という枕詞をつければ万事解決
纂奪者のイメージが強調されてるよね
現在でも創業者一族追い払うと、格好のゴシップ記事になんからねえ。
創業者(もしくはその一族)が、組織&資金を私物化した結果が殆どなのに。
>>343 つうか、ライブドアの堀江を追い出して、買収されたライブドアオートの
社長がライブドアの会長になるようなもんだし。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 18:58:36 ID:HzINThtz
>>343 なんかまんま豊臣秀吉にあてはまるようなw
家康が天下のために泣く泣く非道を成した、とか思い込める人間にとってみれば異論持つ人間は痛いアンチ扱いかねw
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 20:02:22 ID:HzINThtz
>>泣く泣く非道を成した、
まさかwwどう考えても徳川の覇権の為が第一優先だろねw
ただ家康は他の連中よりも残虐な行為がまだしも少なく、内政能力があったからな。
>>346 家康の内政能力に匹敵する香具師がもっとマシな統治を出来る香具師がいるとでも?
非道は非道だが、他よりマシといっているだけ。
闇雲に批判して、功績やプラスの側面を無視してるからアンチ扱いされるんだよ。
>>346 普通につまらんカキコなのに何で笑ってる?
本来、秀吉ヲタがカキコする場所じゃないのに粘着質にカキコして『異論を唱えたらアンチ呼ばわり』だとか勘違い。
秀吉ヲタが家康板に来て異論を唱えたら反論されるのは当り前。
そんな事は幼稚園児でも理解出来る範囲。
なのに個人の感情だけでカキコする
>>346みたいな奴は非常に周りが不愉快になるし迷惑出てけ。
馬鹿は放置して家康の話題に戻ります。
>>347 それを言ったら秀吉も似たようなものだしね
勿論、秀吉が天下統一事業を成し遂げた偉人だという事を否定する家康ヲタは居ないと思うが
ここは家康板だったのか
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:43:52 ID:HzINThtz
>>349 天下統一そして統一後初期などにおいて秀吉の功績が大なのは確かでしょう。
これまたあの時分に、秀吉に成り代われる人物がいたかどうかといわれれば
いないよ。
そして秀吉は統一と初期的な筋道には遺憾なく才を発揮したが
創業から治世への移行、安定させるという重要な仕事には失敗してる
ゆえに家康の出番があったってことだわな。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:54:47 ID:HzINThtz
そういや上に家康は私利私欲で行動しているカキコしてる香具師がいるが
漏れは半分賛成で半分反対
家康の欲って―のは個人を対象としたもんじゃなく、組織(いわゆる徳川家)
てものを対象にしてるように見える。
組織を生かす為なら何者をも犠牲にするが、自分をも犠牲にしてる面もあるだろな
その組織運営の才ゆえに安定した天下を招来できたわけで、
そういった面が利己的に見えず、家康は天下の為に行動したって意見を呼びやすい。
漏れは家康を臆病な男と見るので、組織のためにという名文で自分の欲求を満たす面も
あったとは思うけど、組織の為という看板がなければ利己的な行為ができん小心者だと思う。
その反面秀吉ッツーたら完全に自己満足の欲求満たす為だけに行動する独裁者
大胆で自己正直ではあるが、迷惑のかけ方も半端じゃーない。
そしてどっちがまし?、と聞かれたら家康と答えざるを得ないってのが正直なところ。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 22:30:56 ID:cKzhMA0X
>>352 つうか、英雄ってのは、自分の欲望に添った行動が天下のためだと
思っているんだよ。別に英雄でなくてもそう思いたがるが、英雄は
その確信に対して迷いがないのだ。
信長は天下布武が日本のためだとおもっていたろうし、秀吉も天下
統一が日本のためだと思っていた。家康も日本を安泰にできるのは
自分だけだと思っていた。
だから、天下を取ろうとしたわけでね。
なのに、私利私欲と天下のためを分けるのに、何の意味があるのか
正直、議論するのも馬鹿馬鹿しいわな。
で、最終的には実際に行った行動が天下のためになったかどうかで
評価すべきだが、この点では秀吉と家康では雲泥の差があるわな。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 22:52:26 ID:AlMCviAS
私利私欲だけでは天下人にはなれない…
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 22:55:49 ID:cKzhMA0X
>>354 つうか、私的欲望の方向性と時代の要求が合致して、さらに
能力と努力を運があるやつが天下を取るんだよ。
天下を取ったから行為が正当化されるのであって、その逆じゃないわけだな、つまり
勝てば官軍、普通に考えれば自分が建築を進めた寺の鐘に刻まれた慣用句持ち出して無法な戦しかけるなんてやったら総スカンでしょ
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 23:23:19 ID:cKzhMA0X
>>356 方向寺の件がヤクザの難癖付けと同じレベルだってのは、家康擁護派では
たいてい共通した意見だよ。(たまに違うのもいるけど)
でも、じゃあ家康にそこまでさせたのが何が原因かっていうと、ほとんど
豊臣家の愚劣さが90%以上を占めるから。いちいち書くと長いんで、1
から読んでもらえばわかるかもしれん。
>>357 だからさ、もし豊臣家が悪い(官位斡旋問題とか、キリシタン容認とかの行為のことだよね?)のなら堂々とその点を糾弾すればいいのにわざわざヤクザチックに迫ったってことは
結局のところその豊臣家の行為は許容範囲だったってオチ
言い掛かり>愚劣さ、という構図が成立した事自体が無茶苦茶ってことでしょ
いいんだよ、ヤクザの難癖だろうとなんだろうと
最終的にそれを跳ね除ける武力なり知恵の無かった豊臣が悪い
そういう時代だったんだからさ
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 23:40:56 ID:YCx2IFWE
>>358 こんどはこっちに出てきたのか。
向こうと言ってることがほとんど同じなのだが。
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 23:41:48 ID:cKzhMA0X
>>358 は?
豊臣家が悪いのは、徳川家に臣従しなかったことだが。
そして、徳川家に臣従しない以上、自分達が天下を治めないをいけない
ことをまったく理解してなかったことだが。
天下に二君はないんだよ。
豊臣家はあくまでも徳川家と対等以上の関係であることを主張してきた。
それにたいして、家康は常にそれは許容できないから、臣従しろと示唆
し続けてきた。豊臣家は、それをほとんど無視するか、その場かぎりの
ごまかしをしてきた。
で、家康は自分の寿命を考えてもう待てないところまで待って、開戦した。
そういう経過だ。もうここまでくると、開戦事由なんて考えてもしょうが
ないわな。
秀吉死後、誓約を早速破りまくった家康が、実効的に約束させたわけでもない相手の行為を咎めること自体がそもそも軍事力の背景が無ければ笑えないジョークでしかない
その後のやり口が暴力団レベルなら尚更その陰湿さというか勝手さが際立つわけで
家康が好きな人も、晩年の暗黒事件は好きじゃないでしょ、そこらへんは秀吉と同じで
>>362 俺は家康ファンだが晩年の権謀術数でドロドロの家康も好きだよ。
そういう部分も含めて、家康の政治的手腕を高く評価している。
家康ファンはこういう考え方の人が多いと思うけどな。
青年壮年期もさることながら晩年こそ最も輝いている家康を
狂ったような殺戮、外征をして政治的に失点しか無い秀吉の晩年と一緒にしないでくれ
はっきり言って晩年の家康を理解し許容できない奴は戦国時代という時代を本質的に全く理解しておらず
いつまでも講談に躍らされるわけだ。極論だが真田幸村の突撃が戦国時代を象徴するのでなく
あくまで下剋上、裏切り、纂奪、醜い争いが主体の時代。その中でもどれほど己を保ち、野望を通すかが
大きな評価に繋がるんだ。だから秀吉のストーリーじみた人生を好むのは勝手だが
それは一種の側面でしか無いことを受け入れ、秀吉自信も敢行した纂奪にも目をそらすな。
それができないなら秀吉を、そしてよく知りもしない家康を語るな。偉そうに批判するな
そもそも、誰に対して人気が無いって定義は決まってないよねこのスレ?
TVでやるような好きな偉人ランキングとかに投票する人は、
そんな家康の黒い部分まで知らないだろ。
むしろ豊臣が滅んだのは淀のわがままのせいで通ってるんじゃないか?
>>362 >家康が好きな人も、晩年の暗黒事件は好きじゃないでしょ
いいえ、大好きです。
というよりこれこそが家康の真骨頂でありそれを微塵も悟らせない事に
意味があるんだが平和ボケした人間には理解出来ないんだろうね
孫子の兵法にも「まず処女の如き振る舞い…云々」ってくだりがあるでしょ
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 00:56:25 ID:efFifinA
>>364 禿同。
そもそも家康が秀頼を殺したことは歴史的に
見ても何ら珍しいことではない、
にもかかわらず、このことを情緒的にとらえ
て家康を非難している人は小説で得たイメージ
から抜け出せないだけではないか。
やたら秀吉を引き合いにだすな、このスレ。
秀吉のほうが悪いだの、秀吉と一緒にするなだの、
よっぽど秀吉がすきなのか
普通に家康は人気武将。
ただ、信長秀吉に較べて相対的に低めなのは何故かってだけだろ。
秀吉人気は江戸期からでこれは出自が最大の要因だったのは間違いない。
むしろ、現代に入ってからの信長の人気が何故なのかを考察した方が建設的。
>>368 家康のアンチテーゼとしては秀吉が望ましい。それだけじゃないの?
他に対称とすべき存在がいない。信長はちょっと異質すぎる、というか最終的に
何がしたかったかって事すらも議論が紛糾しちゃう存在だからなあ。
>>370 つうか、そもそも「なぜ人気がないのか」のスレだから。
家康が人気がない理由に秀吉と豊臣家は欠かせないだろ。
何しろ未だに大阪じゃあ、太閤を顕揚し「家康をののしる会」なんてのが
あるくらいだからな。
家康が豊家の力を弱めるために
朝鮮出兵を唆した可能性もある。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 09:09:54 ID:AH+9S/sZ
秀吉嫌いの挑戦人が家康を評価するスレに成り下がったな。また歴史の改ざんか…反論に「偉そうに言うな」とかまさに他人の意見に耳を貸さずに罵倒する挑戦人らしい発言。
板全体で論破されまくって秀吉厨がほとんど反論できなくなったみたいだな。
真面に反論出来ないのに粘着質に皮肉てる日本人多過ぎ。
しかも板違いだし、他の板でも現実社会でもアンチはハエやノミみたいに飛回り周囲から嫌われてる人間。
ノミやハエ人間は放置して徳川家康さんを語りましょう。
論破って( ´,_ゝ`)プッ
こんなアホな台詞久しぶりに見たよwww
オレは家康好きだけど今時脳内論破する奴と一緒の嗜好だったら嫌だな
好きなエピソードといえば体が不自由な福島家家老達を笑った小姓をたしなめたことあたりだけど
俺は信長、秀吉、家康の三人の中では一番の戦上手だと思ってるけど、
三方ヶ原の負け戦や、小牧・長久手の勝負に勝って試合に負ける感が強いよね。
大河で人気俳優つかってカッコいい家康の話やれば人気でそうだけど、
ここ数年のアットホーム大河向きでは無いよな。
戦国板の住人は最近の大河の流れ嫌いそうだし。
高嶋政宏だな
>>377 前半生は中程度の大名でしかないから、しょうがないけどな。
もっとも、三河一揆にしても三方ヶ原にしても敗戦をプラスに変える
しぶとさは特筆もの。
>>377 戦上手って言うより戦争や合戦で一番必要な事を分かってる人物って印象を受けるね
信長や秀吉も決して戦術戦略面で家康にひけをとらないが派手さや鮮やかさがある分
安定してない感が強い。彼等はそれでも別の才覚でこれをクリアしたが
家康は戦争をやる武将として最も重要なことを忘れない所がいいな
何だ、その一番必要な事とか重要な事って?
武将としては家康はそこまで安定してるとは言い難いと思うけど、
三方ヶ原での無謀な戦闘をやらかしたりすれば、
小牧・長久手の戦いでの見事な機動戦をしたりする、
しかし関ヶ原では戦術的には不利な地形に誘い出されたり、
大阪の陣では危うく首を取られかけたりする。
武将としてだけ見れば一番安定してるのは秀吉だと思う、
一番自分自身が危機に陥った事が少ないし。
>>380 言わんとしたい事が分からん訳じゃないが抽象的で分かりにくいよ
確に家康は戦のイロハを熟知してる様なイメージはあるな
若い頃から三河一国も持って無い時に一向一揆を再起不能にしたり
大敗した三方ヶ原でもすぐに復帰したり
小牧でも3倍の兵数相手に一歩も退かず結果的には臣従の割にいい立場だし
関ヶ原でも危うい戦いだが実際は自らの旗本三万騎を戦闘に投入せずに終えたり
大坂の陣でも損害を最小にするために、わざわざ一旦退き、堀を埋めさせたり
家康は合戦でどういう結果になろうとも被害を抑え、確実にいい方へ持っていく
つまり事後処理が的確な印象があるな
三方ヶ原の敗戦で家康は大きく成長したな
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 16:44:46 ID:dq2YrT9D
つうかそう考えると
三方が原敗戦→勝頼武田への抵抗→本能寺→甲信侵略→小牧長久手
と四六時中戦争と進出に明け暮れたのに国力維持し続けたのはすごいな。
>>383 姉川の戦いでは浅井軍の猛攻を徳川軍が打払い疑心暗鬼な織田信長から信用された事は凄い。
とにかく家康は戦に強く敗戦したのは三方ヶ原にて武田信玄率いる騎馬軍団の奇襲が原因。
その後は浜松城から武田軍へ夜襲をかけて武田軍を撤退させている。
かの秀吉も家康との決戦を避けた程、戦上手で卓越した政治力を持っている。
武田の騎馬軍団ねぇ…その奇襲をした軍団つうのは大体どのぐらいの規模の軍団だったわけ?
関ヶ原は別に危なくともなんともないだろ。
近年じゃ秀秋が東軍についたのが鮮明になったのは合戦中じゃなくて
松尾山を強引に占拠した時点という考えが有力なわけで、
そうなればあの布陣は危なくもなんともない。
毛利にも話が通っているとなればなおさらで、完全な西軍袋叩き態勢。
>>388 そうなんだよな。
西軍の包囲の中に入ったっていうけど、実際に動かなかった連中に囲ま
れていただけだし。あの状況なら、包囲に入ってゆくのが正しい選択。
メッケル少佐も配置を聞いて東軍必敗だといったが、事情を聞いて納得
していたらしいし。
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 18:40:51 ID:dkzmDjOt
家康は日本人の悪質を操る術に長け
そして最大限に利用した男
みんなでやれば怖くない
周りがやってるのに自分だけやらないのは怖い
という集団ヒステリーを起こさせ
主君と旧主の未亡人、さらに孫をよってたかってなぶり殺すと言う狂事をやってのけた
明らかに当時の倫理観念でも狂気地味た殺人であったが
集団心理により誰もそれを口にはできず
その上で平然と善良な支配者を演じていた恐ろしい男だ
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 18:56:55 ID:efFifinA
俺は徳川好きだけどな
マイペースな感じで
まぁそもそも戦国が好きな奴は戦う事を前提にしてるから激しい奴が好きなんだろ
じゃなきゃこんな板にこない 俺は偶然通りかかっただけ
家康は、平静時と戦のときはモードが違っていたらしいね
戦のときは、それこそ鬼神のようだったと・・
>>391 それは秀吉に限らず信長や信玄、謙信にも言える事だ。
つまり指導者は民族の性格を把握し、政治や軍事に生かさなくてはならない。
それを上手く活用したのがゲルマン民族代表アドルフ・ヒトラと日本民族代表の近衛文麿
彼らは自国民族が個人主義でなく政治に無関心を良い事に国民を洗脳し集団ヒステリーを起させ『鬼畜米英』を掲げ世界大戦に踏込ませた。
が結果は通信、大量生産技術を持つ米英には勝てず敗戦。
ナチスは米英とソ連に圧倒的物量で押され敗戦、ヒトラ自殺。
日本の軍部は天皇家が米軍に処罰される事を恐れ東条を政治犯として祭上げた。
結局、軍上層部の人間だけが生残った。
一番悪いのは政治に無関心な国民。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 19:46:05 ID:dkzmDjOt
家康は農耕民族の典型
良くも悪くも小さな世界を作りそこにみんな押し込めた
卓抜した政治手腕を持っていて
精巧な政治形態を造り上げたが
あくまで徳川家の保持でしかない
国家が安定した為にそれまであった文化は一応の発展を見せたが
全体的にみると停滞した事は否めない
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 19:48:36 ID:a5dPTxuJ
今時これで釣れるのか
今時、釣れる釣れないとカキコしている奴は板違い出てけ。
歴史板では歴史背景から人物を真面目に考察したいだけだ。
鎖国していなかったら文化的にはキリスト教化していた可能性大。
俺としては日本独自の文化を育んでくれた徳川政権に感謝してるよ。
とりあえずおまえら全員
山岡荘八の徳川家康と司馬遼太郎の覇王の家を両方嫁
敗者が善じゃない、勝者が悪じゃない、逆もまたしかり。
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 22:24:30 ID:vbcZpEES
俺、家康ファンだけど、山岡荘八の徳川家康は好きじゃないんだよなぁ。
覇王の家の方が、いろいろ突っ込みいれながらも面白かった。
好き嫌いは別として、視点の違いでこうも違うかがわかる。
好き嫌いは話題を語る以前の問題で板違い。
趣向や考え方が違えど家康が何故人気がないのか?を皆で意見をカキコし結論にで達すれば良い。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 23:28:19 ID:vbcZpEES
>>402 まぁ、要因としては、
・判官贔屓 : 秀頼可哀想感情。
・お上嫌い : 支配者=悪の感情と、単に、お上が嫌いだから家康が嫌い
・地味 : まぁ、派手さはない。当事者以外は派手さがとても好き。
・明治史観 : 薩長が政権とったから徳川を悪くいったのもあるし、
それより前に徳川家に悪口言えなかったんで、明治になって
すき放題悪口言えるようになったのがいまだに続いている。
・司馬史観 : 国民的作家の家康に対する悪意が流通してしまった。
こんなところかね。
講談、小説の類を持ち出して好き嫌いを語るのはやめろよ
武田騎馬軍団?今時こんなの信じてるのは信長の野望やっただけで
戦国通気取ってる○○だけだろ
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 00:37:12 ID:p3USR1ZI
>>404 それをいうと結局大学とかで歴史を本格的に学んだ人とか原書をあたれる
ような専門家、そういう人の著書を愛読する準専門家しかスレに参加でき
ないわけで。
まあ専門知識なしに語る人にはおいおい「〜っていわれてる」とか教えて
あげたらいいさ。どうせ結論が出ないこと前提の便所の落書きなんだから
楽しく各自の意見を語ろうや。
>>403で答えが出ている気もするけど…。
俺個人としては「地味」というのが原因としては強いんじゃないかな?と思うねぇ。
日本史の授業以外で得る情報媒体つったらドラマとか漫画でしょ?
描かれ方が大体どのドラマなり漫画でも地味だからなぁ。
そういうのを見ない人はそもそも好き嫌いすら感じてないと思うけど…。
やっぱ、人気を上げるためには家康本人の英雄譚がほしいよな、
苦労話じゃなく。
あーもちろん史料読んでいる人は別ね。世間一般の話だろうから。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 02:28:43 ID:kvNZ4XzV
>407
うーん、でも家康って主役で描くだけでも難しい人物だと個人的に思うんだよね
人間が複雑で深いんで、家康の視点に寄り添うだけで精一杯。
そこから英雄譚にまで発展させるのはなかなか難しい。
それに少年時代から描いたら大河で2年欲しいと言われるくらい、洒落んなら
ないほどの膨大なエピソードの持ち主というのもある。
そこら辺、大西郷に近い(彼も家康とタイプは違うけど、主役にしずらいタイ
プだよね)。
どちらも脇役だとめちゃくちゃ光るんだけど。
実際、家康ファンで有名だった松本清張は子供向けの伝記しか書いていないし、
山本周五郎も生涯描きたいと考えながら、結局、家康の人生をモチーフにした
「長い坂」を書いただけ。
まぁ、周五郎には彼の家康論とも言うべき「彦左衛門外記」もあって、情けな
くもせこく描かれる家康と三河武士団に、「こういう家康が書きたかったのか
なぁ」と妄想してみるのも面白いかも。
個人的には英雄譚よりも文学の世界の登場人物だと思う。
俺にはそこが魅力的なんだよねw。
豪放磊落な家康像
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 12:11:50 ID:fHmg/3R0
人気はイマイチだけど
ちゃんと評価はされてるよ
それだけ
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 12:50:21 ID:w5+ddxCZ
一般的な評価は高いが
コアなファン 熱心な信者 神聖視するヲタ
というのがいないから人気がないようにみえる
>>412 コアなファンは居るが他を貶めたり神聖視しないからファンが少ないように見えるんだろうな
貶してるでしょ、十分。
>>413 まぁ、確かに信者みたいのはいないわなぁ。
信者にはなりにくい人物ではあるが。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 15:35:20 ID:8Vopmj2k
戦前教育で全否定されたと聞いたことがある
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 15:39:06 ID:YazVrUch
前にどこかのスレで読んだシミュレーションがおもしろかったんで、記憶をたどりつつ。
もし、「今川義元が田楽狭間にて休息中」との斥候の報告が届かなかったならば、
圧倒的兵力の今川によって、織田家あぼーん。秀吉も無名のままあぼーん。
家康は、あいかわらず今川家の一部将のまま。
で、斉藤や浅井も蹴散らして、今川幕府成立。信玄、謙信らも幕府には一応臣従。
しかし、今川義元がいずれ天寿を終え、死亡。息子の氏真は無能。
この時点で信玄や謙信がもう死んでいたとして、氏真を廃して、
それにとってかわる者がいるとしたら、今川幕府家臣団のうち、
キャリアが長く人望のあつい・・・そう、徳川家康。
というわけで、禅譲の形で将軍位を簒奪した家康により、
以後、長い長い徳川時代が始まったであろう・・・という。
途中経路がどう変わっても、最終ゴールは同じになる。セワシくんの説明通りだ。
今川の上洛成功したとしても、
足利義輝存命だろうし、上杉武田がすんなり今川に従うとは思えないけどなぁ。
禅譲で簒奪より、徳川幕府初期の本多親子みたいに、
裏で牛耳りそうだ。
何の根拠もありませんが……
それだと、そもそも徳川家康なんて改名しなかっただろうし、
当然関東には移らないだろうから最終ゴールは別になっているじゃないか。
というか、今川上洛成功の大前提として血統重視な部分があるから
家康では執事(つか管領か)以上無理ぽ。
実際にかました「源氏認定してくれよん→氏の長者ゲトー」が無理な訳だし。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 22:36:50 ID:p3USR1ZI
今川氏が上洛しても近畿諸侯が反抗したりして大内氏の二の舞、陶晴賢の
乱を元康が演じる、ってことで終わるような。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 22:40:11 ID:BadNHTza
まぁ、どういう展開になっても、最後まで生き残っていそうな
ところが家康のすごさだわな。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 00:04:37 ID:fHmg/3R0
ちゃんと評価はされてると思うよ
好きかどうかは別として
凄い人だとみんな思ってるだろう
それに人気もあるんじゃね?
信長や秀吉と比べりゃ少し下かもしれないが
「偉人といえば?」「好きな偉人は?」みたいなアンケート・テレビ番組じゃ
必ずトップ10や5には入るし
>>409 確かに、家康に一番似ている人を考えると西郷しか思いつかない。
勝者と敗者に別れるが、時代が違うことによる部分が大きい。
彼らは作家によって偶像化して書かれるのを嫌うタイプだろうね。
実際、西郷は写真嫌いだったらしいし。
この人についてはいい面に比して悪い面が知られすぎているところが問題なんじゃないかと思う。
いい面と悪い面というのは、功績をいうんじゃなくて人間的な側面から見てだけど。
家康の場合、魅力的なエピソードは歴史に深く関わる前の、信長との同盟時代が一番多い。
律義者の徳川殿という人柄は主にこの頃の行動からできあがったものだし。
だけど、一般に徳川家康といえば関ヶ原で既存の天下を奪い、大坂の陣でいちゃもんつけて
旧主を滅ぼした狸親父というイメージしかない。
「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅. 座りしままに 食うが徳川」
なんて川柳が歴史の教科書にのってるくらいだしね(言いえて妙だとは思うがw)。
要は、好きになるために人並み以上の知識が必要な人物に人気が集まらないというのは
世の必然ではないかと。
>>425 家康をきちんと評価するのに、たくさんの知識がいるってわけじゃないと思う。
単に「家康=悪」ってのが先入観念になっているのが人気のない部分だし。
それだけでしょ。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 17:07:35 ID:iKS2zUKi
デブで脱糞王で卑怯だから
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 17:59:10 ID:ZZG063P5
東照大権現
430 :
真田幸隆:2006/07/13(木) 19:18:30 ID:Z4Hl/WQJ
家康は優秀な部下をもって羨ましい
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 19:31:18 ID:/5aHy8SP
徳川二十四将
たまらん
織田がつき 羽柴がこねし 天下もち
すわりしままに 食うは徳川
記憶では「織田がつき羽柴がこねし天下もち座って食うは徳川家康」だった気がするがどうでもいいな、
だからこれが何なのかと言われれば、
小学校の時に聞いた(習った)この一文で何故か家康嫌いになっただけだって話だ。
それが未だに尾をひいてるのが自分の問題。
好き嫌いで語れば西軍贔屓なので嫌いになるが、だからといって評価できないわけじゃない。
それでも・・・・・・
やはり小さい頃自分で持ったイメージってデカイよな。
つーか絵のイメージも凄いよね。
信長:ほぼ100%颯爽。たまに天魔王系の狂気なのもあるけど、それでも威風堂々。
秀吉:愛嬌ある猿。狡猾な場合も、どこか飄々として面白げ。
家康:デブ。図太い。無表情。颯爽たる家康、見た事ないw
子供の頃からそんな絵ばかりじゃ、そりゃ信長>秀吉>家康な人気になるわって感じだ。
俺大阪出身で豊臣洗脳を受けた(他スレで大阪人のコンプ書いた奴です)
五年くらい前まで豊臣厨で、真田厨で、アンチ徳川だった。
今考えるとよくこの史観から完全に抜け出せたと思う。
奇しくもネット環境が広まり盛んに戦国系のサイトとか見て
豊臣、真田マンセー論や、家康狸論を多数見た。最初はうなずいてたが、だんだん
ひどいように思えてきた。あんまり気になってよく調べていったら家康の深みにはまった
それでもしばらくは家康がどうしても受け入れられなかったよ。子供の頃のイメージを払拭するのは難しい
俺も昔は家康嫌いだったが、社会人になって会社組織の実態を見てから、会社のトップや上司には家康のような人物がふさわしいと思うようになった。
信長・秀吉タイプが育てた会社は、ワンマン社長の死後に崩壊すると思う。
俺の中では、信長の同盟者だったころは不思議と明るいイメージなんだが・・・・
>>435 しかもワンマン系って社長や幹部が頭狂って暴走したら止め様が無いしね
そのまま最悪の所まで行ってしまう
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 06:37:08 ID:zmRJFa/Z
家康もワンマンなんだけどな。自分から次代に移すときには、合議制に
変えて渡した。こういうことができた人間を、他に知らんなぁ。
司馬史観はともかく、実の父親や秀吉、その配下の有名な大名達ですらまともに
扱いきれなかった「鬼日向」水野勝成を唯一御したというところはすごいと思う。
まあ、もともと家康好きなんだけど、社会人になってからなおさら好きになった。
だって、信長とか秀吉とかって後継者が絡むと、判断があまりにひどすぎたからな。
あと、虐殺自慢の露悪趣味と、常時戦える大兵力の軍隊を維持するために無茶苦茶な
税金を搾り取るところも俺にとっては洒落にならないマイナス。
うーん。信長は後継者に関しては、問題ないと思うけど?
織田の家長は名分とはいえ信忠に既に渡して、自分は所謂大御所として行動。
ていうか家康と同じような事してね?中途で倒れたから、その先はどうしたかったか
ちょっと分からん部分もあるが。
とういか、司馬史観の解放を望みすぎて、振り子が逆に触れただけな気がする。
バランスもとうよ。どんな偉人だって良い所と悪い所の矛盾を抱えてるんだから。
ってのは、池波正太郎を呼んで学んだ俺w
大御所政治って合議制を否定するもんだし、徳川幕府初期は別に合議制でもないよ、
将軍というワンマンに側近が従うっていう別段珍しくも無い構図。
>>433 たしかに小学校とかで習った時のイメージはなかなか消せなかったな。
家康って色々と調べていくうちに好きになったって人が多いと思うのだが
日本史で初めて信長、秀吉、家康を習ったときにいきなり家康好きになった人っている?
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 12:18:48 ID:ORrZ4ZzO
うちの中学では歴史教師が「三大天下人で好きな人」のアンケートした
時に、なぜか俺のクラスだけ圧倒的家康支持だった。教師も「普通君達
ぐらいの年齢だと信長>秀吉>家康なんだけどねえ」って驚いてた。
まあ理由が「平和な時代を築いたから」っていうもので、担任教師の
日教組教育の賜物ですがねw
>>443俺は小学生の頃から家康ファンだったよ。
と云うより三河武士が好きだった。
家康ファンは直江状らへんのことはどう思ってるのかしら
直江状ってゲーム脳への反論批判文に似てるな
>>446 俺は別になんとも思ってない。家康は石田を誘き寄せるために上杉に対して
ふっかけた。別に褒めもしないし批判もしない。
直江状の返答のしかたは実に鮮やかだとは思うよ。上杉が徳川の敵だったからって
嫌いとかそういう白か黒か思考はしてないからね
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 16:14:22 ID:zmRJFa/Z
確かに、直江状のことなんてほとんど気にしたことなかったなぁ。
本当にあったかもわからんし。
あったとしても、家康に釣られた上杉の家老が調子の乗って手紙
出してきたって程度でしかないし。
>>447 ねえねえゲーム脳なんて存在しないって知ってる?
じゃあ直江状も本物かどうか怪しいと知った上で直江状を評価しているのか・・・・
は?
何でもないよ><気にするな。
今に伝わる直江状の文面の信憑性について?
>>443 俺はもっとずっと幼い頃に、徳川家康といえばものすごく偉い人という印象を
漠然と植えつけられていたから、他の二人は比べるようなものですらないと思ってたw
俺も中学の頃から家康好きだったな。
あと黒田如水とか以心崇伝も好きだな。
基本的に自分で派手に動くよりも間接的に人を動かして
目的を達成する方がカコイイ!という美的感覚の人に人気なんじゃなかろうか?
直江状の内容がどんなに素晴らしかったとしても
実力が伴ってなきゃただの紙屑だろ
現代社会じゃあるまいし実力=正義の世界で何言ってんだ?
負けて許されてるんだから、それも実力のうちだろ。
お情けで助けてもらうのも実力のうちだな
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 08:32:53 ID:mCYJ1eL0
しかし、上杉許すんだから家康も太っ腹だな。
謙信を敬愛していたし、
三成のおかげで天下を取れた、と言っているくらいだから
西軍に感謝している部分はあるんだろ
そうかあ、逆に家康が三成を追い込んで関が原(決戦)に持ち込んだっう面もあるんかな?
家康は、とろうと思えば懐柔策も取れたんかな?
すまん、素人意見で。
上杉の底力を評価してたんジャマイカ。
関ヶ原直後に自分のジャマするやつをテッテ的に殲滅できる程
の権威、権力はまだ無かったろうし。
つまり上杉が残ったのは多少謙信のお陰でもあるのかw
というか、上杉は確かに西軍よりの行動したけど、正式な
西軍扱いだったの?
>465
っていうか、家康が兵を率いて東上した元々の目的が「景勝討伐」。
その間隙をぬい、大阪で毛利輝元を盟主に石田三成らが家康討伐の兵を挙げたのが、
簡単な関ヶ原の構図。
当然というか、当たり前というか、西軍ですがなw
後、上杉に関しては、その後、一年近く抵抗を続けるので将軍就任が視野に入ってい
る家康としては早期に戦乱を集結させたかったってのもあったと思う。
名家好きであった。と司馬遼が書いてたね。上杉の名を惜しんだのかも
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 16:50:58 ID:L25ARNyy
取り潰して大量の不逞浪人(治安悪化の元)を出すより領地縮小で
ヒーヒー言わせたほうが良いからだろ。会津は江戸に割と近いか
らなおさら。
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 16:58:27 ID:SCoViFtJ
武田軍から逃げる途中小豆餅を食い逃げして
追いかけてきた婆さんにとっ捕まって金取られたからw
しかも婆さんに追われる恐怖でクソまで漏らした
さて、笑うか
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 20:03:42 ID:TWa7mmLW
>>467 まぁ、そういう言い回しも司馬遼太郎の歯茎臭さではある。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 22:52:44 ID:603Y4XWG
信長・秀吉・家康
愛知県民ツヨスw
今の愛知県民は
織田・木下・本多・松平・加藤・福島・大久保・榊原・前田・丹羽などなどが出て行った後の
残りカスでしかないのも事実なんですけど・・・
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 23:31:38 ID:603Y4XWG
そう僻むな
トヨタがあるだろトヨタ
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 00:08:59 ID:A2RgADy6
豊田佐吉は静岡出身じゃなかったっけ?
だんだんスレ違いになってるw
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 00:14:28 ID:/fZ+I/y8
今でも東海は日本を支える重要地点だよ
関東、近畿、中部、中国…
東北、四国、九州は今も昔も他地域にぶらさがってるだけの発展途上国w
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 02:44:36 ID:PrHIoG3s
お前の脳味噌が発展途上
雇われ店長みたいなもんだろ
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 20:35:04 ID:cGbfxJEm
競輪に例えると分かりやすいと思うが
若いときから、マーク、追い込みで勝負してたから?
漏れは、秀吉の方がえげつないことをしまくってるように思うがな。
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 01:48:33 ID:O4lO1lWK
>>481 競輪で例えられても…
わかる人にしかわからん。
>>482 やってる事は似た様なもんでも、大義名分を整えていた秀吉と、
大義名分を整えなかった家康(出来なかったのか、しなかっただけかは知らんが)
の違いがイメージとして大きいんでないの。
大義名分?んなもんねーよw
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 09:38:24 ID:ZwQ+aGAE
>>484 戦国時代の「大義名分」を現代の倫理観で判断して「大義名分がない」
というのは現代人の傲慢ですよ。当時の人の多数が「家康は外道」
とか評価してる史料がない限り、過去の道徳に口を出すべきではない。
家康を批判する大義名分がない
>>486 >過去の道徳に口を出すべきではない。
そりゃアンタの勝手だ、他人に強要出来るものではないよ。
また現代の倫理観で「大義名分がない」と判断した訳じゃないよ、
当時において家康がどういう大義名分を挙げたかというのを検証するのは大事、
征夷大将軍であった家康を批判する事自体がタブーだった時代という背景も省みず、
ただただ>当時の人の多数が「家康は外道」とか評価してる史料がない限り
では歴史を検証する意味が無い、それは極論史料に出てくる多数の評価以外の
評価を下す事を許さないという事だ、。
>>488 横レスで申し訳ないが、秀吉の大義名分というのはなに?
俺は当時の倫理観は分からないから、その倫理観に基づいて貴方が出した結論に
至る過程を書いてくれるとありがたいわけだが。
つーか人気あるなしのスレなんだから、説得力があるとかそんな問題じゃない希ガス
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 17:17:48 ID:jESQvHCw
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 17:40:17 ID:O4lO1lWK
>>488に代わってお答えします。
徳川が豊臣を滅ぼしたことは小説の世界では
非常に許されないことである、しかし秀吉が織田家を乗っ取ったことは
大変すばらしいことなのです、このことは多く
の作家もその作品で主張しており定説なのです、
みなさんも史料ばかりでなくもっと小説を読
んで勉強してください、(笑)
やはりそうでしたか
つまり(功績の割に)人気がないのは小説等、所謂広告効果のせいだな
あ、なんか正解じゃん
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 20:02:11 ID:O4lO1lWK
>>488様へ
>>492ですがこんなものでよろしかったですか?
できればあなたのご意見をお聞きしたいのですが。
冗談はさておきここからマジレス、
家康は最高権力者であったから彼を批判する当時
の史料がなかったというようなことを言っている
がこのことは秀吉の時代にも当てはまること。
あと徳川史観の影響を口にする人がいるが現代人
にとっては江戸時代を否定しまくった明治史観の
ほうがはるかに影響があるのだが。
あぼーん
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 23:04:45 ID:rWEY0+rj
小説や講談のせいで世間の評判が作られていったのか?
世間の評判に合わせて世間受けのいい小説や講談が作られたのか?
>>489 秀吉は織田家を乗っ取る過程でちゃんと大義名分を用意してから動いてる、
まず清洲会議での三法師擁立も織田家の家督を継いでいた信忠の嫡子を持ち出して筋を通してるし、
実際に重臣会議である清洲会議でそれを皆に認めさせおり正当性を勝ち得ている。
また賤ヶ岳に至る過程では、信孝が安土が復旧すれば三法師を安土に移すという約定を違えたりするような
信雄との共同の後見人という立場を守らない事や、勝家と同盟を結んで秀吉と対抗しようとした事で
名分を秀吉に与えてしまっており、信孝切腹も信雄から命令を出させるという根回しも怠っていない。
秀吉はこういう風に織田家から実権を簒奪する際は実に巧妙に名分を作り出して利用してるよ。
>>495 >このことは秀吉の時代にも当てはまること。
そりゃそうだが、ところで俺がいつ秀吉がそうでないと言ったんだね?
「当時の人の多数が「〜〜は外道」とか評価してる史料がない限り批判するな」
っていうを言ってるのは486だけども。
また徳川史観(こういう評しかた嫌いだけど)の影響があるのと、
>明治史観のほうがはるかに影響があるのだが。
とはまた別問題、この議論には関係ない話だよ。
>>498 要する裏でこそこそ動きまわって上手く乗っ取ったて事だろ
正面から堂々と因縁をつけた家康、性質は違うがやってる事は同じ
何処にも大義名分などないな、あるなら政権を信秀に返せよ
そういう約束だろ
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 05:52:14 ID:8wL9s/fT
大義名分?
いいがかりとどう違うんだろう?
たいぎ‐めいぶん【大義名分】
1 人として、また臣として守るべき道義と節度。「―にもとる」
2 行動のよりどころとなる道理。
また、事を起こすにあたっての根拠。「―が立つ」
>>498 それはあくまで賤ヶ岳に至る過程であって、織田家を簒奪した理由にはならんでそ。
当時秀信は幼少だった上、清洲での会議で守役となったから一時的に政治を代行
したと理由はつくとしても、元服してから返還していない理由は?
要は政権の簒奪に大儀もへったくれも無くて、秀吉と家康の違いは至る過程が
少々強引か強引でないか?の違いじゃないのかね?つまり手段の問題。
理屈なんて突き詰めれば通るわけないんだから。
主家を残している、という事も印象としてはプラスに働いているとは思うけどねぇ。
やはり滅ぼした、となると印象は悪いから。甘いとは思うけどね。これは現代の感じ方ね。
当時の倫理観については書かれていないが、それで言えば大儀よりも利だと思うんだが。
>>499 その質の違いが重要。
>正面から堂々と因縁をつけた、
と言っても所詮は因縁である以上道理は立たない。
>でこそこそ動きまわって上手く乗っ取った
という事であっても、表面で道理を立てれば大義名分がつく。
だから>何処にも大義名分などないな、というのは間違い。
っていうか具体的な反論になってない。
>あるなら政権を信秀に返せよそういう約束だろ
そういう約束でもない、信秀が継いだのはあくまで織田家の家督だという事。
>>502 簒奪できた理由は関白という日本の政務を司る事を公式に認められた権威を手にする事で、
織田家を超越出来たから。
元々信長が織田家の家督を信忠に譲った後も政治を執り続けた事が示すように、織田家≠天下人。
いや、政権の簒奪には大義もへったくれもあるよ。
>秀吉と家康の違いは至る過程が少々強引か強引でないか?の違いじゃないのかね?
だからこの違いがイメージとして変わってくるのではないかと言ってるんだけど、
>当時の倫理観については書かれていないが、それで言えば大儀よりも利だと思うんだが。
そりゃ違うな、大義<利、なのは生きる為にはどちらが重要なのかであって、
倫理観自体に「利」は入らん、利が大義を超越する倫理観ならば大義を主張する意味など無いが、
戦国時代、多くの大名が大義を掲げて自分の正当性をアピールしてる。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 13:19:43 ID:8wL9s/fT
一見まともなことを言っているように見えな
くもないがそれってただの秀吉びいきのダブル
スタンダード、
>>503 >戦国時代、多くの大名が大義を掲げて自分の正当性をアピールしてる。
諸家の「大儀」は、自分のせこい利欲を他人に認めさせるための言い訳
家康の「大儀」は、豊臣を滅ぼしたほうが天下国家のためという本物の「大儀」
>>505 とまあそこまで正当化するのもなんだけど
徳川の方広寺の大義名分だって言ってみれば戦国時代の大義名分と一緒
そもそも方広寺のみが特筆してひどいなんてのは根拠が無い。単なる贔屓、主観の問題
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 15:21:17 ID:m7/qmN6j
秀吉のやったことも家康のやったことも似たようなもんだよ
そんなことを今更言い争っているのか
語るべきは家康・秀吉についてではなく世間についてだ
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 15:53:18 ID:ROcaeoRl
で、結局「家康には大義名分はない」の根拠はあんたの主観以外だせない
わけだ。偉そうなこと言ってるけどこんなもんか。文章書きゃあいいって
もんじゃないぞ。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 16:05:00 ID:AjfjmkY7
陰湿で陰険でデブで幼女狂いで恩のある福島や
秀吉に頼まれた秀頼を潰した糞男だからだろ
こいつの人生見てても面白くない
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 18:35:34 ID:K6QPcEKI
織田 豊臣 徳川と順当に比較して
まあどれもひどいと思える面は当然あるわけで
織田の場合天下統一の道筋にはアレくらい必要だった。
つーかしないといけない状況下にあったから許せる。
徳川の場合も天下を安定させ平和に導くという面で必要と思われる。
これもまあ許せる。
豊臣の場合・・・?織田家簒奪云々は止むをエンと思える。
ただし・・政権獲得後にした行為で許せる行為が織田徳川と比較し少ない
だから比較して家康を高く評価するわけだが
むしろ盛れとしては豊臣贔屓の奴のほうが信じられん。
>>502 >簒奪できた理由は関白という日本の政務を司る事を公式に認められた権威を手にする事で、
>織田家を超越出来たから。
これ、家康にも同じこと言えるぞ。
家康は征夷大将軍となり、日本の全ての武家の最高指導者たることを公式に認められた。
豊臣家が武家であろうとする以上、徳川家の下風に立つのは当然のことだ。
>>506 >そもそも方広寺のみが特筆してひどいなんてのは根拠が無い。単なる贔屓、主観の問題
別に方広寺が特別酷いとか一言も書いてないが?
あと単に酷いor酷くないという問題でなく、道理を通したかどうか。
方広寺の一件はお世辞にも道理が通っているとは到底言えない、
いちゃもんレベルの言い掛かり。
>>508 秀吉の具体例も書いたし、じゃあ書いてみる。
まず家康は秀吉の死後に派閥拡大のために大名間の婚姻を結びだしたけれども、
大名間の婚姻は秀吉の定めた法令に反しており、これは前田利家等に非難されているとおり、
道理に合っていない行為だった。
次に利家死後は前田、次いで上杉に謀反の疑いを掛けて攻撃しようとするが、、
どちらも証拠さえない言い掛かりを付けての攻撃。
んで最終的には方広寺の一件になる訳だけども、
これも豊臣家を攻撃する名分を作れなかったからの言い掛かり。
以上、一旦は天下が定まっている中の天下取りという事もあって、
家康は秀吉とは対照的に自分から攻撃に走る場合が多い、
そうでもしなければ勢力拡大なんて出来なかったという事情からだろうと思うが、
それ故に総じて言い掛かり的なモノが多く、ここらへんが一般に流布するイメージが
悪くなり、狸親父とかいう謀略家のイメージが広まったんじゃないかと思う。
>>511 そこは家康も大義名分を立ててるんで否定はしない、それ以外がアレだからね。
ただ征夷大将軍って別に全ての武家の最高指導者って訳じゃあ無いんだよ、
公式の権限では全国的(拡大解釈)に軍政を敷く権利(守護・地頭等)、
またその行政を自分の幕府で受け持つ事が出来るという権利の2つを持つ武官ってだけ。
つまり将軍が武士の最高指導者に見えるのは、自分の配下を全国に配置してるっていう形をとるから
そう見えるのであって、権限として全ての武家の頂点であることを与えられている訳では無い。
特に家康は自分が開府したから余計にね。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 21:30:38 ID:8wL9s/fT
家康が汚いことをしているから嫌いと言う人が
いるが、そういう人が似たようなこと、それも
さらにひどいことをしている秀吉を嫌いかと言
えばそうでもない、むしろファンだろう、これ
ってどういう理屈?
小説やドラマのいうことを鵜呑みにして、歴史
は全然知りません、と自分から宣言しているよ
うなものなのではないか、それもわざわざ2ち
ゃんまで来て。
家康の大義は、悪政を行った豊臣を排除することにあったからな。
方広寺はそのための口実で、大義なんかじゃない。
実際に徳川が政権を握って政治がよくなったことは、歴史の証明するとおり。
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 21:47:44 ID:jnerpurU
>>512 ずいぶんと一方的な見方だな。家康より、秀吉の方がはるかに攻撃的だぞ。
・清洲会議で信長の子で成人している信孝、信雄を排除して幼児を当主にする。
・同じ織田家の同僚である勝家親子を仲たがいさせ、勝豊を自派に入れることで
柴田勝家の領土である戦略拠点長浜城を奪い取る。
・信孝を攻め、叔父の元で養育されていた三法師を奪い取る。
・同時に、織田家の同僚、滝川一益を攻撃する。
・信孝を救援に来た勝家を攻撃し、居城に追い詰め自害させる。
・信孝とその母親(信長夫人)を殺す。
・この時点で、三法師を主人とすることをやめてしまう。
これだけのことを一介の不浪人から取り立ててもらった織田家と
その織田家の同僚について行っている。
しかも、この間1年ちょっとの間でしかない。
豊臣対徳川の正当性についての議論なんて今更すぎるぞ、お前らw
みんな知ってること自慢げにいって「オレカッコヨスwww」とか思ってんの?
恥ずかし過ぎるぞ
>>512 秀吉は織田家に対して、一介の足軽から大大名にまで抜擢してもらった大恩があるからな。
それを思うと、最後まで家臣として織田家のために尽くさず、織田家を超越してしまった行為は明らかに不義だよ。
>ただ征夷大将軍って別に全ての武家の最高指導者って訳じゃあ無いんだよ、
>公式の権限では全国的(拡大解釈)に軍政を敷く権利(守護・地頭等)、
>またその行政を自分の幕府で受け持つ事が出来るという権利の2つを持つ武官ってだけ。
それこそが将軍が武士の頂点であることの証明でしょうが。
「武士固有の人的紐帯は、主人の従者への軍事的庇護(御恩)と
従者の主人への忠誠(奉公)という強固な主従制…」(「日本史広辞典」山川出版社)
とあるように、武士の主従関係とは御恩と奉公の関係によって成り立っているのであり、
本領安堵・新恩給与の権限を有するということは、すなわち主であるということである。
徳川幕府は北は陸奥から南は薩摩まで、日本全域の土地を差配する権利を実質的に有しており(寺社領等除く)、
幕府の首長である将軍が全ての武士の頂点に立つ存在であると考えることは間違いではない。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:12:42 ID:1ZTsrZY9
豊臣がどうの徳川がどうのっていう議論だけど、2ch初期の頃からあるよな。
もう5年以上にわたって水掛け論が続いてる。パターンはいつも一緒。
大抵最初は秀吉派の「家康は非道な狸」から始まって、
家康派が「戦国時代だから問題ない・秀吉も非道」と逆襲して、
水掛論の応酬が始まって最後はどっちかが飽きて収束する。
いやあ、毎度毎度よくやるもんだ。
>>515 >>498で書いてんだからちゃんと読んでからレスして欲しい、
攻撃的ではあっても秀吉は大義名分を用意して動いてる。
>・清洲会議で信長の子で成人している信孝、信雄を排除して幼児を当主にする。
織田家家督は既に信忠が継承、その嫡男である三法師を後継者に持ってくるのは筋は通っている。
また信孝と信雄が既に他家に養子に入った身であればなおさらね。
>・同じ織田家の同僚である勝家親子を仲たがいさせ、勝豊を自派に入れることで
> 柴田勝家の領土である戦略拠点長浜城を奪い取る。
>・信孝を攻め、叔父の元で養育されていた三法師を奪い取る。
>・同時に、織田家の同僚、滝川一益を攻撃する。
>・信孝を救援に来た勝家を攻撃し、居城に追い詰め自害させる。
>・信孝とその母親(信長夫人)を殺す。
まず安土が復興すれば安土に移すという約定を破ったのは信孝であり、
その信孝と同盟を結び対決の姿勢を見せたのは勝家・一益。
信孝殺害も信雄から命令を出させるなど巧妙な手口を使ってる。
>・この時点で、三法師を主人とすることをやめてしまう。
一応止めてはいない、織田家にたいして命令権を持つようになったのは
関白になってから。
>>517 不義ではあっても、道理では問題ない過程を踏んでるからね。
>それこそが将軍が武士の頂点であることの証明でしょうが。
ではないんだなぁ…それが。
機能上征夷大将軍が差配を認められたのは幕府傘下の武士だけ、何故なら幕府というものは
あくまで将軍の家政機関の形式をとっており、幕府傘下の武士で運営する事になっているから。
だから>本領安堵・新恩給与の権限を有する、というのもあくまで傘下の武士に対するものでしかない。
また守護・地頭という職務も幕府以外の権威付け(主に朝廷)で対抗できるものであり、
国人といった勢力もそれらの家臣という訳ではない(実態としては被官化されていったが)
つまり武士が全て将軍に従う事は決まりではないんだよ、徳川が全国を差配する権力を持ったのは
力をもって他大名を傘下に収めたからであって、単に将軍になったからではない。
元々全国を傘下に入れた頼朝が行政権を獲得しようとした抜け道が幕府であるしね。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 00:33:41 ID:137ZTjOg
>>519 結局あなたの言う大義名分とは言い掛かりを正当化
することなのですか、イメージというから志とか
正義とかもっと違うことを言うものだと思っていた。
まあ、江戸時代初期の非人道的な政策や
豊臣家の処遇関係の全ては
将軍秀忠のよって行なわれているわけですが
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 01:01:21 ID:CEPiNMK7
もちつけおまえら。ここで始まった議論は「秀吉と家康どっちがひどい?」
とかそういんじゃなくてID:CNEa3DoG の「秀吉は大義あり、家康は大義なし」
という主張が正しいのか、ってことだろ。互いに議論の的がずれている。
この場合の「大義」ってのは当時の時代に則した「大義」な。
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 01:02:31 ID:jujQS/xT
>>516 うんちく合戦もまた好し。
みんな語りたいのさ。
525 :
511だけど:2006/07/20(木) 01:03:03 ID:f8TTM6Bj
清洲会議の秀吉の行動は善悪はともかくとして、手順としては全く問題ないと思うよ。
織田家簒奪に至る経緯についても、非常に優れた政治手腕を発揮しているし。
それは秀吉に好意的な人には華麗・巧妙と見えるだろうし、そうでない人には悪辣・不義と見えるだろうし。
別の視点から見ると、
清洲会議の頃の秀吉はまだ圧倒的な存在ではなかったため、そういう手続きをひとつひとつ
確実に積み重ねていかなければならなかったんだよね。
逆に太閤死後の家康は、有無を言わさず相手を従わせるだけの実力があったので、
そういう面倒な手続きをすっ飛ばして「文句あんのか、オラ」という戦国時代バリバリの手法を
もって天下を取ったわけだ。
豊臣政権は一応は完成体となっていたから、それを無理矢理壊すためにはかなり強引な手法を
とるのはやむをえなかったろうし、家康自身の寿命がいつ来るかわからないという問題もあるだろうしな。
最後に、俺は征夷大将軍という肩書きが武家の頂点を意味すると書いたわけではない。
書き方が悪かったのは申し訳なく思う。
関が原の合戦から将軍宣下までは実質的に権力を持っていたのは家康だが、
形式的にトップの座にあったのは豊臣家だよね。これは関ヶ原の論功行賞が
秀頼の名前で行われていることからも明らか。
だが将軍宣下と源氏の長者襲名により、形式的にも徳川が武家のトップであることが認められたわけ。
将軍家康の名でもって全国の大名に本領安堵を行っており、これも文句の無いところのはず。
(ちなみに将軍が代替わりするごとにこの本領安堵は行われている)
そういうわけなんで、「将軍は武家の頂点である」は間違いかもしれんが、
「徳川将軍は武家の棟梁である」というのは間違いではないよ。
>>523 まさにあなたの言うとおりだと思う。
まあ俺なんかは戦国時代なんだから「実力がすべて」というのが大義だと思っているし、
秀吉による惣無事令の後も大坂の陣までは戦国時代だと考えてるんで、
家康の行為というのは非道かもしれんが当たり前のことだと思ってるな。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 03:08:19 ID:yy7FRbtC
今の世の中でも
同じようなことをしちゃっても
あんまり怒られない人と、なぜかひどく怒られる人がいる
なぜその差が出るのか
おもしろいことです
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 10:44:23 ID:hEOAkPzI
やっぱり秀吉厨が煽りまくらないとつまらんな、家康スレは
>>519 それをいうなら、方広寺だって秀頼側から喧嘩売ったでFIXだろ。
難癖つけはどっちも同じ、やっていることは秀吉の方が悪質。
そういうことだわ。
方広寺のアレはなんであんな言葉を選んだんだろう…
あまりに浅はかすぎじゃ…
そもそも、時代の大義というなら、秀吉の大義は戦国の統一というものだろう。
家康の大義も戦国の統一(豊臣家は統一を維持する実力を失った)と、悪政権で
ある豊臣家の打倒の二つ。そして、政権を取った後の実績からすれば、圧倒的に
家康の方が上ということになる。
秀吉政権が一旦まとまった平和とかよく言われるけど
全然まとまってねえ。すぐに朝鮮出兵だし
国内がまとまらなきゃ国外出兵は難しいよ
国内は家康がまとめていた
>>529 FIXな訳無い、アレを家康に喧嘩売ってると解釈するには相当の曲解が必要。
>難癖つけはどっちも同じ、やっていることは秀吉の方が悪質。
>そういうことだわ。
文章全く読んでないな、そういう事を話してるんじゃないのに。
>>530 あんな言い掛かりは古今東西でも珍しい。
方広寺建立自体は家康も賛同していたものであるから、
まさかあんな曲解をされるとは普通は思わんだろう。
>>531 後世から見た後付の大義だな。
>秀吉の大義は戦国の統一というものだろう
秀吉は信長の後継者争いの際に戦国の統一という大義を用いていないし、
織田家を超越した時も朝廷の権威を大義として使っている、
その後は関白として日本に号令できるという権威の利用だな。
同じく家康も、
>戦国の統一(豊臣家は統一を維持する実力を失った)と、悪政権である豊臣家の打倒の二つ。
を大義に掲げた事は無い、関ヶ原に至るまでと関ヶ原後の諸大名の処分は秀頼の名の下に、
五大老の家康として決定しており、豊臣家の政治機構を使ったもの。
豊臣家を超越した際も征夷大将軍になって諸大名を従えたという形式を執っており、
滅ぼす際は方広寺で難癖をつけた後に、謀反の疑いがあるっていう事で討伐しており、
君の言うような大義はないな。
たいぎ‐めいぶん【大義名分】
1 人として、また臣として守るべき道義と節度。「―にもとる」
2 行動のよりどころとなる道理。
また、事を起こすにあたっての根拠。「―が立つ」
>>535 ただ自分の見解を押し付けているだけで、燃料悪化してきたな。
当時言われたのは、周りの人を納得させるのに一番都合よかったもので、
本来の大義でないことは当然ありうる。
豊臣政権は打倒されて当然といえるようなしょうもない政治を秀吉が行った
ということを否定しないかぎり、家康に大義があったことを否定できないし、
それこそ方広寺の難癖と同じレベル。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:48:41 ID:kuY5L0ft
>>535 かなりのダブスタのようだが。まぁ、いいや。
たとえば、戦争に持ち込んだ理由についてだが、
家康の場合:
方広寺事件について詰問した結果、秀頼が浪人を集めるなど、開戦準
備を始めたことが、直接の原因。
なお、このとき、秀頼の立場はよく言って家康の旧主であり、二条城
の会見で秀頼が下風に立つことを了承している状態である以上、方広
寺事件での家康の詰問が理不尽だと思っていても、開戦準備をする理
由にはならない。それを行った時点で、徳川家への挑発行為である。
秀吉の場合:
秀吉の攻撃によって開戦。
安土城で三法師を養育するという約束が守られなかったからという理由
としてあげられているが、同じ家中で主筋に対して軍事力で約束履行を
強要するというのは、暴挙といっていい。
また、信孝サイドから攻撃したとされているが、勝家が動けない冬季に
わざわざ各個撃破されるような挙兵をするはずがなく、秀吉の一方的な
宣伝の結果であることはあきらか。
となる。
そもそも、開戦時の立場が全然違う。家康は、すでに下風に立っている
豊臣家に将軍としての立場から行っているが、秀吉は主筋と同僚に対し
て上記の行動を行っているわけだからな。
>>537 >当時言われたのは、周りの人を納得させるのに一番都合よかったもので、
>本来の大義でないことは当然ありうる。
ありうるってそれは単なる君の妄想、現実に家康には征夷大将軍に昇るまでは豊臣政権の機構を使い
勢力拡大をしており、征夷大将軍になって以降も、
>豊臣政権は打倒されて当然といえるようなしょうもない政治を秀吉が行った
から豊臣家を滅ぼしたという大義など主張していない。
>豊臣政権は打倒されて当然といえるようなしょうもない政治を秀吉が行った
なんていう大義は君の頭の中だけにあるもので、実際に家康がそれを主張したという
証明をしない以上、単なる空想だよ。
>>538 >方広寺事件について詰問した結果
単なる詰問でなく要求を突きつけてる。
それに対する反発が開戦準備であり、直接の原因は徳川の要求が始まり。
また臣下ならば主君の命に絶対服従しなければないらないという視点自体が間違いで、
武家のご恩・奉公の観点、論語の「君君たり」という言葉のように、
君主が臣下に命ずる時にも大義名分は必要、ただ君主は力で黙殺出来るだけ。
>同じ家中で主筋に対して軍事力で約束履行を強要するというのは、暴挙といっていい。
秀吉の主筋はあくまで織田家家督を継いだ三法師のみ、
信孝も信雄も本来は他家を継いだ身であり、立場は秀吉と同じく三法師の臣下。
そしてその主筋を不法に拘束するという行為を軍事力で攻撃するのは暴挙でもなんでもない。
>勝家が動けない冬季にわざわざ各個撃破されるような挙兵をするはずがなく
>秀吉の一方的な宣伝の結果であることはあきらか。
あきらか、って貴方の単なる推測に過ぎないんだけど。
他人にダブスタとかいってる場合じゃないよ、おまえさん。
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 01:53:18 ID:kuY5L0ft
>>539 方広寺事件の後で家康が出した内容は、ごく当たり前のこと。
人質を出し、大坂から出ること。
江戸・京と並ぶ戦略拠点である大坂から出ることも、人質を出す
ことも、徳川家の下風に立つなら当然のことでしかない。家康は
難癖つけたが、出した要求は臣従するなら当たり前にしなくては
いけないことでしかない。
だが、それに対する秀頼の回答は、浪人集めて開戦準備だった。
主筋が三法師のみというが、その三法師の居城を攻めている。
場合によって、三法師が戦死した可能性すらある。
そういう攻撃を秀吉はしている。
また、不法に拘束というが、当主の叔父が幼少の当主を養育
するなんて、ごく当たり前のことでしかない。本来なら、近江
全域を信孝ないし信雄に統治させて、どちらかの後見のもとに
三法師を養育させるべき。一介の臣下にそれをする資格はない。
各個撃破については、じゃあなんで信孝派が勝家が動けない冬季
に秀吉に個々に攻撃しかけたのか、ちゃんとした理由を説明して
くれな。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 01:54:06 ID:9sFWxQlN
>>539 あなたの文は何をいいたいのかわかりずらい、
自己完結するのではなく、もう少し人にわかる
ようにしたほうがいい、字数が多ければいいっ
てものではない。
あと>ありうる、や>あきらかなどの言い回
しに食い付くのもどうかと、話の本筋でもな
いし断定を避けた言い方にしかすぎないのだ
から、その辺にこだわるのは、主張の内容で
は勝てないと自らみとめているようなもの。
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 02:09:33 ID:wkrIQy9X
何でこいつらはいちいち議論を派生、派生の連続でグダグダにしていくんだか…。
横から失礼だけど、見てて痛々しいからもう少し議論のポイント絞ったら?
>>540 当然の事・当たり前、ではないからこそ家康は方広寺という過程を踏んでいるんだが?
>出した要求は臣従するなら当たり前にしなくてはいけないことでしかない。
方広寺後の要求は言い掛かりから発展した不当な要求、
本当に正当な要求ならば方広寺なんて言い掛かりから発展させなくても良い。
そして
>>539に書いた通り、この時の家康の要求は君主足り得ないもの。
>主筋が三法師のみというが、その三法師の居城を攻めている。
岐阜は三法師ではなく信孝の居城だな、それに包囲が基本で
結果として三法師は引き渡されてるんで、そういうifに意味は無いな。
>当主の叔父が幼少の当主を養育するなんて、ごく当たり前のことでしかない
確かに信孝は三法師の後見人ではある。が、それはあくまで信雄との共同後見人であり、
清洲会議での決定事項である三法師を安土へ移すという約定を破っていい論理にもならない。
>一介の臣下にそれをする資格はない。
全て清洲会議という重臣会議を通しての事です、一介の臣下の判断ではございませんと。
>ちゃんとした理由を説明してくれな。
理由ねぇ…信孝が愚かだったからとしか言いようが無いしな、
秀吉の三法師の件で信孝を非難する文書を見て怒ったとかいう話もあるらしいが。
実際に挙兵したという事実を否定したければ、
>勝家が動けない冬季にわざわざ各個撃破されるような挙兵をするはずがなく
>秀吉の一方的な宣伝の結果であることはあきらか。
という動きを書くと同時に論拠を示すしかないね。
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 02:24:59 ID:TnuXp4dn
>>528 家康スレの人気が他力本願な点で、
「徳川家康には人気がない」
ことを何より語っているなあ。
まあ、一筋縄じゃ行かない気質の持ち主なのは事実だしね。
大阪の陣の開戦に踏み切ったのも、実際のところは自身の歳が歳だったからって感じだし。
まだやってたの?
>>543 岐阜城が信孝の城だろうと、主君のいる城に攻撃加えたのは事実。
信孝が三法師の名で防戦しているのも事実。
こういうのを、「主君に弓を引く逆臣」という。
そもそも、信孝に問題があって攻撃するんなら、筆頭家老の勝家が
主体となって重臣の合意を得た上でやるべきこと。秀吉は一臣下の
身でそれを勝手にやっている。
おー、こんなスレあったんだねー
俺は旗印が気に入ってるなあ、家康のはかっこいいとおもう。
信長→天下布武 信玄→風林火山 とか有名だけど、家康のは長い仏教の話
だったような・・・。素人であんま覚えてないんだが、、難しい漢字だったw
意味は戦争のない世の中を作るためとかそんな意味だったとおもう。すこし
年食ってから、かっこいいとおもえるようになった(;´Д`)
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 11:33:43 ID:wkrIQy9X
なんとも・・・・・
>戦争のない世の中を作るためとかそんな意味だったとおもう。
全然違うw
「汚い現世を捨て、浄土へ赴こうではないか」なんて感じ。
浄土宗の文句だが、一向宗(浄土真宗の一派)と変わらん。
家康本人がこう思っていたかどうかは微妙。
戦場で唱えるにしてはあまりに浮世離れした文言だよな。
まぁ三河は一向宗徒も多かったし、彼らの戦意を高める為だったのだろうか?(一回内戦してるが)
内戦しているからこそ、一向宗取り込みの為の旗印なのだろう。
>>549>>550 ありがd!適当に覚えてたw
ググったら、桶狭間で今川方の武将として参加した家康が敗戦後
祖先の墓の前で自害しそうになった時、大樹寺13代住職の登誉上人に
諭されてこの言葉を送られたとかナントカ。それ以来、戦場ではこれを
旗印にしたらっすいねー。信心深いとみるか、一向宗の懐柔のためと
見るかは置いとくとして、戦場でコレを旗印にするセンスは好きだw
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 14:22:16 ID:5OG4V124
確かにかっこいい。俺も大好き。あと扇が半分くらい開いた旗印みたいなのもすき
>>549 もともとの意味は、
「穢れた世界を嫌い、清らかな世界を希求する」
くらいの意味だろうね。
家康は当然、これを宗教的な意味としてだけでなく、
世の中を変えていく自分に重ね合わせて使っていたはず。
だから
>>548はそんなに間違っていないと思う。
>>547 >岐阜城が信孝の城だろうと、主君のいる城に攻撃加えたのは事実。
>信孝が三法師の名で防戦しているのも事実。
おまさんの言う主君が居るというのはそれは拉致されているというだけ、
三法師の名もなにも信孝はそれを主張する名分が無い、
秀吉のやった事は主君の救出という立派な名分が立つ。
>「主君に弓を引く逆臣」
道理を照らし合わせれば、清洲会談の決定を無視して、
根拠無く主君を拘束している信孝こそがそうなる訳だか。
>筆頭家老の勝家が主体となって重臣の合意を得た上でやるべきこと。
勝家はその信孝と軍事同盟を結んでいるからね、信孝に対して三法師拘束の非難しようともしない、
立場で言えば不当に三法師を拘束してる側。
対して秀吉は丹羽・池田といった重臣連中から堀といった三法師の傅役まで味方につけており、
>秀吉は一臣下の身でそれを勝手にやっている。
というのは間違い。
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 17:39:00 ID:9sFWxQlN
>>555 そうですね、あなたの言う通り、名分はあり
ますね、名分は、では大義は?
んなもんを戦国に求めるかいな
京をおさえてりゃ大義名分なんてすべてひっくり返せるんだぞ
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 18:01:07 ID:9sFWxQlN
その通り、力こそ正義ってそれぐらい、言い
切っちゃえば気持ちいい、
なんかいつまでも姑息な言い訳をならべてる
からついつい、
姑息と断ずるなら正面突破しなさいな。
その方がおもろいし。
秀吉が大義名分を必要とするのは自陣営を固めるためくらいしか必要性がない。
義理人情の世じゃないんだから。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 18:38:26 ID:9sFWxQlN
>>559 >>555の場合、似たような悪事(便宜上)でも
家康は批判するが秀吉には擁護にまわるダブル
スタンダード、しかしそのことを悟られまいと
一見、中立を装うから何を言いたいかわかりに
くいし、言い回しがくどい、ポイントも絞れて
いないし、長文で疲れる。
最後に個人的には大義とはもっと大きな歴史の
流れで見ているが。
>>556 名分ってのはそのまま大義名分の事だ。
>>561 お前さんは今までのレスを見てないんかい。
元々の始まりは
>>484に書いたとおり、
似たような事は同じでも、
・秀吉は大義名分を用意して動いた
・対して家康は大義名分を用意しなかった
から来るイメージの違いが大きいんじゃないかな。
というのが始まりだ、
>似たような悪事(便宜上)でも家康は批判するが秀吉には擁護にまわるダブルスタンダード
だからこれは的外れな批判だというのも分かるよな、話にならんな。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 19:40:51 ID:9sFWxQlN
>>562 秀吉の大義名分の答えがそれ?たぶんみんな違う
答えを期待していたと思うよ、つまんね、
いくら体裁を整えても汚いものは汚いと感じる
のではないか、大体、イメージというところか
ら始まったはず、
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 19:44:27 ID:St/YxcuD
なんで秀吉と家康がいつも比べられるんだろうな。
信長は一歩上の評価されてる感じ
みんな愛知県民だから仲良くしようよ
家康の人気がないのは秀吉と比較されてるから?
違うだろ?
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 20:10:08 ID:St/YxcuD
まぁ違うけど、両方好きって奴をあまり見ないから
>>555 そもそも信孝が岐阜で三法師を養育するというのは清洲会議での決定ではありませんでしたっけ。
信孝は自分で勝手に岐阜に三法師を連れてきたわけではなく会議の決定に従っているわけです。
それなのに勝手に岐阜を攻めて三法師を奪った秀吉に大義名分があるとは思えませんが。
>>567 岐阜はあくまで繋ぎで安土が修復されれば安土に移すというのが清洲会議の決まり、
信孝はそれまで三法師を岐阜で預かるだけというのが清洲会議の決定。
つまり信孝が問題なのは安土修復が完了したにも関わらず、三法師を拘留しつづけ
移動要求を無視した事、これは清洲会議の決定やもう一人の後見役の信雄、
さらに傅役である堀秀政、等などの意向に沿わない行動で、自ら秀吉に大義名分を与えた行為。
つーか
>>543やそれ以前にも書いた内容なんだから、ちゃんと読めよ。
>>562 家康(だけじゃなく、歴史上の人物一般)が人気がないのは、
大義名分とあまり関係あると思えないから、そもそもあなたの前提は適切ではない。
家康の場合、彼の内的・外的経験を追体験するのが難しいタイプの人物だというにすぎない。
義経と頼朝を比較すればわかるよ。
爽快さ、華がない。適切な講談がない。→庶民受けしない。
こんなところだろ。
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 07:20:09 ID:MIiOUo79
義経は所詮一武将にすぎないから一概に比較できないだろ
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 08:24:23 ID:s1gMU3NW
>>566 そうでもないと思うよ。特に、家康ファンの場合は秀吉好きって
までいかなくても、ちゃんと評価をしている人間が多い。
信長・秀吉・家康は全部好きってのもの多いと思う。
ただ、秀吉好き=アンチ家康ってのもやたらといるんだよ。
ここしばらくもダブスタ名分論秀吉厨が騒いでいるからわかると
思うけど。だから、スレ関連の議論だと秀吉厨が暴れて家康ファン
に撃沈されるという展開が延々とつづくことになるわけだ。
秀吉は、織田の眷属を殺さなかったから、同列には論じられない気がするな。
鎖国も、お庭番も家康に関わりがないことだけど、江戸時代という印象の”照りの暗さ”が
全部家康の印象の悪さになっている。
淀の方、秀頼の死はしょうがない。が、秀頼の一子を僧にでもして生かしていたら、印象も違う。
まぁ、いいがかりだが。
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 09:54:08 ID:s1gMU3NW
>>573 信孝とその母親は秀吉に殺されているぞ。
秀頼の女児は殺されずに尼僧になっているし。
それに、お庭番というが、諜報担当であって暗殺してたわけじゃないし。
秀吉も場合はその悪事が知られてないのと、家康の場合は悪いほうに
誤解されているんだよな。
>信孝とその母親は秀吉に殺されているぞ。
信雄ではなかったですか。
信孝の辞世の句なんかは有名だな>秀吉
あと、畜生塚も明らかにやりすぎ
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 10:29:17 ID:8fg3OuOi
>>568 >安土修復が完了したにも関わらず
ケチをつけるわけじゃないが、安土城は一旦復旧したの?
となると、今の安土の城跡のみを考えると、
いつ廃城になったかが分からない。
>>571 人気のある歴史上の人物はどういう人物かということを考える上で十分比較対象になりうる。
あと570に追加するなら家康には「もののあはれ」を感じないというのもあるな。
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 10:39:51 ID:MIiOUo79
それなら今川義元なんかもっと人気があってもいいのにな
>>577 信長の時代ほどかどうかは分からないが、丹羽長秀によって修築された。
んで廃城にされたのも秀吉の時代らしい。
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 11:20:13 ID:8fg3OuOi
>>581 サンクス。
やはり、作った人(丹羽)が復旧させた方が早いということか。
最近のレスを読んで、秀吉が信孝を攻める前に安土城が修復していた
というならば、短期間ということで、小規模復旧かもね。
>>553 んだねー、あの昇り旗を掲げた家康が統一を果たしたのも運命だったかもね。
扇型の昇り旗は、小牧ながくての戦いの時、家康が金色扇を使ってたらしーい
扇型を使い出したのは、佐竹氏が始まりだとググったらでてきました(;´Д`)
他にも昇り旗は、ユニークなものも多くておもしろかったwググってみるべし。
白地に赤餅の藤堂高虎とか(日本国旗みたいな、無地に餅は定番なのか多い)
まんま御経を使ってた加藤清正とか、カブっててもOkみたいで使いまわしてる
武将もいたみたい。由来はしらない(;´Д`)スレ違い失礼〜
そもそも幼い秀信を後継者にして
その後見人になってる時点で織田家を乗っ取る気にしか見えんのだが。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 00:32:24 ID:J8NFEvOg
そんなことを言っているとまた奴が現れますよ。
よんだー
秀吉は爽快で聡明
家康は陰湿で陰険
秀吉は許される簒奪
家康は許されない簒奪
秀吉も家康も勝家三成など一部を除いて簒奪を公認されてるだろ
秀頼なんて日本人の95%以上に見捨てられてんだから殺されて当然だ
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 16:13:21 ID:kkPjqY7a
ところで最近の漫画に出てくる家康(センゴク、へうげもの等)は
、結構好感の持てる人物として描かれている。評価の基準がまた
変わってきてるのかな?
秀吉なんか大河じゃすっかり悪党だし。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 17:34:38 ID:loleNEmM
>>589 たぶん、最下層からの立身出世が「だから何?」状態になって
きているんだと思う。
たしかに、下から駆け上がってゆくのは魅力ではあるが、しかし、
為政者は権力を持ってから何をするかってのより重要だっていう、
基本的な部分への揺り返しがあるんじゃないかな。
ちょっと前は権力=悪だったから、お上のイメージが強い家康は
人気になる要素に薄かったからな。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 17:36:56 ID:9hO6NVKT
でも例に挙げられてるセンゴクとかだと秀吉も好人物だけど
秀吉 虐殺大好き
家康 切腹に追い込んだり自滅にもっていくのが得意
って感じはあるけどな。
593 :
近頃のNHK:2006/07/23(日) 18:15:54 ID:hDVwLlvU
秀吉の扱い、「利・まつ」以来厳しいね。
最近は朝鮮関連でうるさく言われてるからねぇ>秀吉
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 19:36:29 ID:kz01e7q4
NHKは単純に竹山路線を引き継いだだけじゃね? 一応視聴率は高かった
みたいだし>としまつ
まあ単に主人公=ヒーロー、主人公のライバル=ダークヒーローって描写
が芸風なだけなんだけどね、竹山。
大河ドラマ本編よりも、その後に流れる縁のある街を紹介するコーナーが好きだ
今年の大河はOPこそが本編という声が高い
むしろOP前の解説が好きだ
→ →
→
→ →
→
OPのこのシーンが好き・・・ってこれだと分からんか。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 22:08:18 ID:eY6FPPu9
分かる、分かる。
家康を比較的好意的に書いてる作家とかとなると。
堺屋太一は秀吉も信長も家康も均等に評価してるように感じるけどね。
でも彼が一番評価してる戦国時代の人物は豊臣秀長な気がする・・・・
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 01:49:42 ID:TDvutu0v
この人の評価は独特なものがあるよね、
ナンバー2とか参謀によくスポットを当てる。
個人的には世間一般の忠臣の三成よりこの人の
言うプロデューサーの三成が好き。
家康の影響であまり評価されることがなかった武将
今川義元、北条氏政、石田三成、とかかな?
今川は人質時代の嫌味なおっさんみたいなイメージがあるし
氏政は判断を誤った愚かな君主みたいな感じだし
三成は豊臣家を裏で操ろうとした奸臣みたいなイメージが明治ぐらいまであっただろう
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 00:45:29 ID:jHL1+OzP
今川は日本の歴史上最高のやられ役
>>603 三成に関しては同意だけど、他は違うような気が…。
義元は信長で氏政は秀吉の影響じゃないのかな?
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 01:34:58 ID:L594/EbZ
家康の不人気の一つは「あわれみ」だと思う
信長は苛烈に秀吉は陽気に生きたが人一倍、もののあわれみを感じる性質だった
それがかなしさに繋がり人をひきつける
家康にはそれがほとんどない
家康は先の二人よりも完璧な支配者としての性質を持っている
それは韓非子の言うような機能的人格であり政治家としては最良ではあるが
人間的魅力としてはマイナスでしかない
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 01:37:45 ID:XJoOKKis
>>606 家康は人情家だぞ。感情で政治しなかっただけで。
具体的に「あわれみ」とは?
まあ要するに信長、秀吉よりも俺たちが使う意味での人情が感じにくい
んだろうな。いわば「愛する人のために世界を敵に回す」という現実じゃ
できない、やらないことが物語り上では賞賛されるのと同じことで。
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 02:23:58 ID:XJoOKKis
単に作品でそう描かれてないだけのことだと思うけどな。
秀吉が政治的あわれみだろ。
人情ゼロ%
人物的には家康が最高にいい人じゃね
うんこ漏らして悔しいから肖像が描かせるとか並大抵の人格じゃない
信長=冷徹の中の優しさ 秀吉=陽性の中の冷徹
みたいな描き方をどの媒体、小説も描くのに対し家康はほんと描き手の
好き嫌いがはっきり出る人だよねえ。司馬読んだ後に池波読むと、同一人物
とは思えないしw
なんだかんだ言って一般的な人気なんて、史実なんて大した問題じゃないってのが何処かにあるから
スレタイ的には本来の家康は云々じゃなくて、一般的な家康像はどうなのかって事だあね。
そういう俺も池波家康の「空気嫁て冷徹で策謀家で、でも誠意には誠意で返す」って像が大好き
な口なんだけどねw。
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 15:35:37 ID:1180b92d
今大河で演じてる西田家康はなかなか良いよ。
615 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/25(火) 18:03:23 ID:SmOStSyG
俺は好きだよ
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:02:56 ID:wpvYU/or
小牧長久手戦い編の家康のしたたか腹黒さに萌えた
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:59:10 ID:ckcZ2lVF
西田は秀吉より家康のほうがはるかに似合って
いる、
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:09:16 ID:AXlZmRnw
イメージとして
信長はスラリとした鋭い目付きのイケメン
秀吉は小柄で変な顔
家康はジジイになってからの
しかも太ってるイメージが強い
長生きして、しかも老人になってから天下取りしたから
信長みたいに早死にすれば若いイメージのまま
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 05:31:53 ID:l7PTI19y
俺的には信長は明治天皇
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 05:40:42 ID:cPclNlzQ
家康の凄さは40過ぎるくらいに人生経験積んでみて初めてわかるからな。
驚異的な忍耐力と不屈の精神。
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 05:44:12 ID:l7PTI19y
家康はスーさん
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 18:08:01 ID:3u2M7RMY
信長は痩せていて背が高かったらしいね。顔はわからん
まあ三国志と違って肖像が残ってるだけありがたい
近年の大河みたいに、反町隆→年とる→舘ひろし みたいな
いえやすは…ん〜津川を少し太らせた感じか
でも西田もとってもとっても好きよ
ほんとうにタヌキだから
家康の魅力は凡庸さの中から垣間見せる閃きでしょ
そういうところが、ああコイツは信長や秀吉が一目置いた男なんだなぁと気づかされる
戦国の時代を渡り歩いたある種の『異常の人』なんだなと
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 21:02:42 ID:gDC+Cwo8
俺は家康の魅力は成長にあると思う。信長、秀吉は若いときからキャラ
が固定してるイメージ。対して家康は猛将→戦国武将→将の将、みたい
に第一印象が変化してるように思える。
家康のマイナスイメージは江戸時代に作られたんじゃないだろうか。民にとっては長年に
わたって支配した徳川政権への不満や判官贔屓。外様大名にとっては御家を取り潰す
明確な敵の、原因を作った人物。好意的には見られんだろう。
明治期にきまっとるだろ。
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 09:11:32 ID:MPRgJZLn
幕末期には既に形成されて居たぞ!
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 09:13:56 ID:YOvVla21
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 09:57:35 ID:LlfRujtK
>>625 極悪な狸爺のイメージは明治期だと思う。相手を追いつめる陰湿さは徳富蘇峰あ
たりも「大阪の陣の悲劇」として散々書いてるから、その影響も大きい。
江戸期の浄瑠璃には家康と見られる人物が登場するが、老獪だが外交力に長けた
賢者として 描かれ、それが一般的な江戸庶民の家康観だったらしい。
どことなく北条氏康的なイメージか。
歴ヲタで家康嫌いなやつなんているの?
>>624 普通は、家康はキャラが固定していなくてつかみどころないから人気ないんだろ
天才タイプではないが、学習能力は一番あったね
>>629 江戸時代に家康非難なんぞしようものなら即死罪、
浄瑠璃だろうと何だろうと狸親父的な家康像なんて描ける訳が無い。
>>632 即死罪なんだろうが、客が喜ぶなら間接的な政府批判や規模の小さい芝居や講釈などの
証拠の残りにくくすべてをチャックしきれない物なら可能だろう。忠臣蔵の幕府の対応や
生類憐れみの令への批判は当時からあっただろうし。狸親父家康はやっぱり
明治以降かな、立川文庫の真田がらみだろうな。でも講談を文庫化したらしいから
結構前からあったのかも。
変なイメージさえ持って臨まなければ、家康は決して難しい人物じゃない
と思うんだよね。家康が嫌いな人は大半が食わず嫌いか、
イメージが抜け切れてないかのどれかだと思うよ。
家康の人生を見れば信長や秀吉に劣らない魅力はあるんだし
戦国大名としてはすごくないよね。
家康には家康の考えがあったのかもしれないけど、信玄に負けてるし、
信長から見れば、自分の役割すら果たしてないもの。
途中で死んだとはいえ、天下統一に流れを持っていったのは信長だし、
それはすごいとおもうけど、ただそれだけのすごさだよね。
革命性も含めて、天下統一だけなら頼朝のほうがすごい。
徳川が何かをやったわけではあるまい
阻害する事はあっても推進した事などない
ひたすらに事なかれで内に内に篭っていったに過ぎない
日本の技術面が発展に向かうのは徳川幕府の衰退によりその抑制が薄れてきてからである
幕府の目を盗んで必死の思いで各分野を発展させていった人々の努力を
徳川の功績のように語るのはあまりに酷かろう
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 18:19:00 ID:9ocrwsG1
小説やドラマによるイメージがなかなか抜け
ないせいだと思う、心理学的には第一印象は
持続するということ。
そうすると最近、秀吉は悪役で描かれるかと
が多いが、何十年後かには「何故、秀吉は
人気がないのか」というスレが立ってるかも。
家康は人気はないけど嫌われているわけではないだろ
人間的に面白くないから人気ないのは仕方がない
笑える逸話も糞漏らしたのと天ぷら食い過ぎて死んだのぐらいだし
ウンコ1つで十分な気もしないでもない
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 22:22:13 ID:6OE6hhpV
>>635 戦国大名としては戦国時代でも飛びぬけてすごいと思うぞ、家康。
君の言う「戦国大名」が「なんかかっこいい強い武将」ってんなら
別だが。
一向宗との対立、三方が原合戦、対北条外交、小牧長久手と秀吉に
隷属するまでに何度も危機をむかえてるのに切り抜けてるし。
信長、頼朝に対して彼らの時代に生きた人々の功績を両人の功績に
しているのにたいし、徳川に対してだけ別評価と言う君のありかた
こそ「あまりにも酷かろう」。
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 22:29:32 ID:suy0O7J5
まぁ、戦国大名としての家康を計る指標としては、領土の増加率を
考えるといいだろうな。
最初の国力は、三河でよくて数万石ってところか。しかも、今川預
かりの状態だったわけだしな。
そこから、150万石まで持っていった。一代というか、半生でこ
れだけもっていったのは、ほとんどいないな。毛利元就でも、国人
レベルから100万までいってないくらいだろ。後の膨張は子孫の
代だし。比較できるのは、信長だけだろうな。
単純に領土の増加だけを見るのは危険だと思うが…。
取り巻く情勢や立場、時代、全てが同一でないと比較にはならんよ。
人気のあるなしの問題は、小説やTVや映画の影響が一番大きいだろう。
カッコイイ、憧れるとか思わせないとなあ。家康のというと関ヶ原がメインに
なり、そうなると謀略家・真田親子に翻弄されるとなる>人気下降。小牧・長久手を
メインにすれば秀吉の大軍を手玉に取ったが信雄に足を引っ張られ戦略的に敗北。
しかし秀吉に頭を下げさせた悲運な名将となり、カッコイイ>人気上昇とならないか?
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:16:45 ID:suy0O7J5
>>641 だが、目安としては一番妥当だろ。
それに、家康の周囲の状況は戦国でも一番過酷だし。
織田・武田・今川・北条。
よく、150万石までもってったよな。
>>643 まぁ、その点は同意なんだが…領土の拡大だけでは中々推し量れない魅力が
家康にはあるんじゃないのかな、と俺は勝手に思ってるんだわ。
例えば組織作りにしても、大名の転封にしても上手いとは思うんだが…。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:32:51 ID:suy0O7J5
>>644 そりはまた別のお話。
三河の国人から戦国大名に成長した家康の姿もあれば、
天下人としての家康の姿もあるの。
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:38:54 ID:r65ztct3
>>635 ちょっともう少し勉強したほうがいいと思うよ。
>徳川が何かをやったわけではあるまい
>阻害する事はあっても推進した事などない
>ひたすらに事なかれで内に内に篭っていったに過ぎない
これ、昭和30年代に確たる証拠もなしに徳富蘇峰とか和辻哲郎とかが
言い出したネタであって、はっきりいって現代の歴史学では否定されている
んだよなあ。…というかね、10年位前から「鎖国なんてなかったよ」とか、
「江戸時代の技術発展はすごい」とかいう話はマスコミでも度々取り上げられて
いるし、産経新聞では一時期毎日載ってたし、講談社現代新書の「新書江戸時代史」
シリーズとかで具体的に徳富・和辻の説は論破されちゃっているんだけどね…
>徳川が何かをやったわけではあるまい
家康が指示してやらせている政策は、五街道整備にせよ利根川流路変更にせよ
水道開設にせよ金山開発にせよ新田開発にせよ儒教などの文教政策にせよ
信長や秀吉を遥かに凌駕するレベルでやってるんだけどねえ。
つうか信長はともかく秀吉ってなにか社会的なインフラ整備なんかしてたっけ。
自分の城だけはやたら豪華だけど、民衆のためになることは豊臣政権は
驚くほど何もしない政権だよ。検地刀狩りなんて、民衆統制以外の何者でも
ないしなあ。
>>646 >秀吉ってなにか社会的なインフラ整備なんかしてたっけ。
関所の撤廃や秀吉の街道整備も知らんくせによく他人に物言えるなお前さん
ついでに豊臣政権時の直轄地・直臣の大名が納める国の年貢はほとんどの場合、
島原の乱勃発当時と大差ないくらいの重税だったしな。
藤原惺窩があきれ返ったくらいだし。
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:51:34 ID:suy0O7J5
>>646 300年停滞していた国家が、明治後の30年程度で近代国家に
生まれ変われるはずがないわけだからな。
徳川幕府が培った土壌は、種をまくだけで急成長する土壌だっ
たということだ。
鎌倉武士が「個人」を育て、江戸時代が「公人」を作った。
日本人のメンタリティは、鎌倉武士の「名こそ惜しけれ」の
個の表現と、江戸武士の「無私の精神」の両翼で成り立って
いるわけだから。
五街道は確かに発展したが、大名行列が通る道を限定したりして信長秀吉が整備した
道が廃れていったとか関所を作ったりして流通を停滞させる様なこともやったのでは。
信長は軍隊の迅速な移動のため積極的に街道を整備していた。
651 :
名無しの雑兵:2006/07/29(土) 00:17:24 ID:Zj5pnnbI
>>647 関所は以前から行っていたし、街道整備も畿内限定ですから
やはり道は遠距離を結んでこそなんぼかと
>>650 関所といっても金取ってるわけではない
後、街道衛日は金が掛かるから主要幹線以外は整理したとの考えは
いかがでしょうか
>>649 そういうのを全て培った土壌と言ってしまっていいもんかね?
既に戦国時代には日本は高い生産性や多様な文化を持ち合わせてたんだし、
結局は明治維新が来る300年までその土壌を生かす事が出来なかった訳だろ、
幕府上層部だけは海外の情報を入手していてもそれを握りつぶし続けたんだし。
250年の半分は徳川の治績だろうけど、もう半分は腐らせたという罪だと思うけど。
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 00:42:04 ID:k/u4tvKA
>>652 だからさ、どう腐ったのよ?
戦国時代が続いていれば、もしくは、豊臣政権が続いていれば、
日本はイギリスに先駆けて産業革命を起こすことができて、同時
に民主主義も発展させられたとでも言いたいわけ?
>>651 またあんたかい、家康の街道整備も関東限定&関所撤廃も秀吉以前は極限定的なもの、
インフラ整備にまで話を広げれば海路の整備や淀川等の河川整備など関西を中心に非常に幅広くやってる。
秀吉は信長の、家康は秀吉のそれぞれ成果を踏まえてやってるわけだから、その辺の比較はあまり意味がない気がしないでもない。
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 01:19:15 ID:dZXn9VlQ
>250年の半分は徳川の治績だろうけど、もう半分は腐らせたという罪だと思うけど。
250年の半分というと125年、家康死去から数えると1741(寛保
元)年だね。八代吉宗君が外国の図書輸入の禁を解いて青木昆陽たちに
翻訳を始めさせたころじゃない?「海外の情報を入手していてもそれを握りつぶし続けた」
という前提そのものがもうこの事実を挙げただけでダメになるね。
青木昆陽は海外からサツマイモ生産の技術を導入し、幕府が全面的にバックアップし、
日本全土に広めていますが?そして青木は民衆から神として崇められましたが?
あと、この頃の幕府が腐ってたとは余り言わないと思うぞ。
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 01:23:43 ID:+1XKvOX1
少なくても徳川の閉鎖政治がなければ
産業革命の中で刀差して駕籠乗ってるような間抜けな事態にまではならなかった
そして土下座外交するハメにもならなかっただろう
現代にまで尾をひいているのだから罪は大きい
>>657 支那や朝鮮と同じ運命をたどったかも知れんて。
要するに、豊臣厨は「豊臣政権が続いていれば日本はイギリスに先駆けて産業革命を起こすことができて、同時
に民主主義も発展させられた」と言いたいのね!
…生き残った豊臣恩顧の大名がどういう政治をやったか調べた上で言ってるのかねえ。
>>660 250年間に及ぶifはどっちにしろあまり説得力を感じないがな。
徳川の鎖国政策と言うのは貿易で得る利益を独占する為でもある
入ってくる物は全て徳川家に納まる
学問の面でも同じで徳川系列の一部の人間にしか漏らさなかった
常に徳川家の優位を保つ為のものしか許されなかったわけである
エリートは自分達のみで、あとは愚民のみがいればよいと言う
ポルポトの政策と凄く似通っている
そういうのを重商貿易っていうんだよ
その時代、別に徳川家だけがやってた事じゃない
それに何だよエリートって?
それは封建制の君主政治なんだから当たり前だろ
ポルポトとか言い出して何がしたいわけ?
家康の話から江戸時代についての話になってる気がするが、インフラ整備については
外様の弱体化取り潰しを狙った部分も大きいので素直に賞賛できない。信長秀吉と比べる
のは国の掌握状況が違うので正確には出来ないだろう。秀吉が家康と同じ様な
外様苛め的な政策を取ったら強い反発を受けただろう。
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 02:07:46 ID:+1XKvOX1
ちなみに東国に差別社会を持ち込んだのも徳川家である
古来から奴隷階級は存在したが
極めて緩い存在であり差別対象ではなかった
しかし、徳川が江戸に入り幕府を開きその制度の中でこの階級は士農工商の外に置かれ
不満の矛先をそらす餌とされて厳しい差別を強いられた
非人はその名の通り人ではないとされ
七人あってようやく人として認めるというものであり
非人が一人二人殺されても
人ではないから罪は問わずと奉行所も取り合わないという過酷なものであった
この差別制度は明治後も引き継がれ現代でも部落差別として問題を残している
ツッコミどころ満載だな。>FoA4lhgr、+1XKvOX1
>秀吉が家康と同じ様な
外様苛め的な政策を取ったら強い反発を受けただろう。
秀吉と家康は、外様いじめに関してはほぼ同一だよ。
蒲生氏郷を会津若松に放り込んで、氏郷が死んだら
「嗣子幼少」を理由にして蒲生を大減封、その後へ
上杉を移したのは秀吉以外の何者でもないよね。
>インフラ整備については
外様の弱体化取り潰しを狙った部分も大きいので素直に賞賛できない。
政権基盤を強固にするために、外様の力をそぐのはむしろ当然のこと。
>ちなみに東国に差別社会を持ち込んだのも徳川家である
ソースとりあえず出してね。
豊臣厨の哀れな話題そらし
幕府上層部だけは海外の情報を入手していてもそれを握りつぶし続けたんだ!
↓
幕府は学者に海外の文献を翻訳させ民衆に流布させましたが?
↓
学問の面でも同じで徳川系列の一部の人間にしか漏らさなかった!
君、自分で資料とか探して読んでないでしょ?いっとくけど、
先にあげた青木の同僚の野呂元丈の師匠は加賀藩儒だからね。
加賀藩は外様ですよ。
どうしてすぐに論破されるような言い訳を考えるんだろう?
>秀吉と家康は、外様いじめに関してはほぼ同一だよ。
同期間内での頻度が違うでしょ。功績のあった外様や譜代ですら取り潰されている。
>政権基盤を強固にするために、外様の力をそぐのはむしろ当然のこと。
徳川政権安定のためには正しい判断だろう。しかしその目的は政権の安定と言う内向きな
目的である所が好感が持てない。治水や街道整備はいいが、皺寄せは外様とその民衆に
いくことになる。スレは家康はなぜ人気が無いのか?だからこれでは人気が出ないだろう
と言うのが俺の考えだが。
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 04:16:05 ID:+1XKvOX1
徳川時代の放漫政治と自家保存政策は救いがたい
将軍家は大奥で多数の女を囲い浪費をするのみ
幕閣は難しい問題はすべて棚上げ
いかに我が身を守り通すかのみ
官僚達は私腹を肥やすのみに専念し
財政は緊縮する一方で改革は全て失敗
愚にもつかぬ諸侯の弱体化政策の皺寄せは全て民衆へ
生活に余裕を持てず災害の度に飢饉が起き
人々は累々と屍を晒すより他なかった
苦しむ民衆は度々一揆を起こし
江戸時代を通してその数は3200件に及ぶ
外様イジメは確かに良いイメージはないが仕方がないのも事実
封建制とか地方分権てのは大名の数だけ日本に独立国家が存在するって意味だからね
実際幕末には外様の毛利や薩摩によって滅ぼされてる
>>669 そんなのどの時代、場所でも起こってる事で珍しくもないな
>>665 江戸期に士農工商などという身分制度はない。おまえは小学生か?もっと勉強しろ。
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 07:40:49 ID:Azs35NjO
>>657>>662 をはじめやけに徳川は悪論ぶってるお方に一言。
それだと徳川なかりせばを逆にイメージしてみろ。
>>既に戦国時代には日本は高い生産性や多様な文化を持ち合わせてたんだし、
この多様性という香具師が曲者だろーが。
このような国を一つあげることが出来るぞドイツ・・ツ−か神聖ローマ帝国
足利幕府や豊臣家が続いてたら少なくともコノ帝国のような有様のまま
国が続いていくことになる。コノ帝国の悲惨さはご承知でしょ?
地域領主と国家が利権を争って到底国の発展を考えるように
ならないのは目に見えてると思う。
>>までその土壌を生かす事が出来なかった訳だろ、
それだと、生かすとは具体的にどういうことか小一時間・・
>>海外の情報を入手していてもそれを握りつぶし続けたんだし。
他の海外の情報が統制されなかった国が西欧列強を前に辿った姿を
拝見する限りにおいて
徳川があって開国したという状態よりもマシな状態だったとは
到底思えないのだが。
673 :
名無しの雑兵:2006/07/29(土) 08:49:20 ID:Zj5pnnbI
>>654 関東大名時の家康と全国政権時の秀吉を較べてどうする
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 09:46:57 ID:k/u4tvKA
>>669 >将軍家は大奥で多数の女を囲い浪費をするのみ
あんなのはたいした浪費じゃない。
大浪費っていうのは、側室に城ひとつ作ってやるような行動の
ことをいう。
>幕閣は難しい問題はすべて棚上げ
>いかに我が身を守り通すかのみ
具体的に何を先送りしたんだね?
>財政は緊縮する一方で改革は全て失敗
増税しなかったからな。財政難に陥いるわな。
>愚にもつかぬ諸侯の弱体化政策の皺寄せは全て民衆へ
幕府に対抗できる勢力を弱めるのは当然。さらには、参勤交代で
江戸が発展したし、他も公共事業をやらせて、地域の発展につな
がっている。
オムツも取れない餓鬼に大坂城をくれてやって、贅沢三昧の隠居
城作るのとはわけが違う。
>生活に余裕を持てず災害の度に飢饉が起き
>人々は累々と屍を晒すより他なかった
江戸時代を通じて、日本の人口は倍以上になってますが、何か?
>苦しむ民衆は度々一揆を起こし
>江戸時代を通してその数は3200件に及ぶ
260年で3200件なら、毎年12件くらいだな。
300諸侯で割ると、一諸侯あたり年30年に一回くらいですか。
しかも、武装蜂起した例なんぞないしな。
空気読まずに流れぶった切るけど、家康って人気ないの?(汗
20年近くずっと家康好きなんだけど…。
物事は最後までやって完成だと思う。
夢半ばで倒れるのは美しいけど、仕事としては失敗だ。
自分の周囲では、家康人気は根強かったからビックリだ。
>>676 ゴメン何が言いたいのか分からない。なにを最後までやったの?
>>676 >空気読まずに流れぶった切るけど、家康って人気ないの?(汗
地域性はあるんでないの。大阪だと多分人気ないね。
東京は、まあ、そこそこあるよ。愛知県三河地方とかは人気がありそうだ。
>>677 まあ、多分信長と比較していってるんだと思うよ。
江戸幕府否定厨房ってどこにでもいるよなあ。
よほど変な教育を受けたのか、ほとんど歴史学的に根拠レスな
妄想と思い込みに満ちた謎の江戸暗黒史観を声高に主張する香具師が。
司馬遼太郎ですら、「偉大な江戸時代」とか「江戸はよかった」とか
晩年になるとしきりに江戸幕府を褒め称えている。
石川英輔という江戸学研究者の本によれば、今の日本よりも遥かに
資源を無駄にせず、豊かな暮らしだったそうだよ。
というより、江戸暗黒史観の香具師は石川の「大江戸えころじー事情」
(講談社文庫)とかを一度読むべきだと思う。
スローソサエティの手本は江戸時代
>>677 元和偃武って知ってるかね?
どんな形にせよ、150年続いた大規模軍事衝突の連続を、最終的に終わらせたのは家康の
功績だって事実は変わらないよ。
これに関しては信長は志半ばで倒れたし、秀吉は天下人になったとはいえ、自身の支配力を
保つために、ひたすら戦争しまくったわけだしな。
安土桃山と言われた時代は、文化が花開いたとか言われもしたけど、その一方で支配階級に
因る凄まじい搾取の時代でもあったわけだから。
そのせいで洒落にならないほどの一揆が断続的勝つ全国的に発生した時期でもあるし。
682 :
名無しの雑兵:2006/07/29(土) 14:34:20 ID:Zj5pnnbI
>>681 安土桃山文化は大名・豪商によるパトロン文化
化政文化は庶民による国民文化
元禄文化はその中間
>>681 > 自身の支配力を保つために、ひたすら戦争しまくったわけだしな。
2回の唐入りの事を言ってるのか?
不安定な国内をまとめる方法として大きく分けて、「外に敵を作る事」「内の危険分子を
取り除く事」の2つがあると思う。時代を考慮して、外の敵に向けられる刃には好意的に
見られるが、危険な可能性は有るものの現時点で味方に向けられる刃には嫌悪感が残る。
2つの方法は同時に行われるが、主として信長秀吉は前者、晩年家康は完全に後者だろう。
この考えでは家康は嫌われ者になるが、実際はそんなことは無い。戦国時代を生き抜いて
天下統一した才覚と平和をもたらした功績があるからだろう。「尊敬は出来るが好きには
なれない」そんな評価の人も多いのではないかな。
>>683 島津氏をねじ伏せて九州を「平定」した後、秀吉はなびいた在地の国人達に約束した
本領安堵を軒並み反故にして、彼らに改易転封取り潰しを強要してる。
鎌倉以来の名族も多かったので、あまりに義理を欠いた秀吉のやり方に国人一揆が
連発して、佐々成政は責任取らされて切腹(検地を急がないと秀吉は国人達に約束して
いながら、成政にはとっとと強行しろと命じている)、その後に入った加藤や小西、他に
黒田なんかも平定に四苦八苦してた。
家康が嫌われ者に仕立てられたのは、明治政府の操作もあるけど、戦乱真っ盛りだった
信長秀吉の頃に比べて、平穏な時代になりつつあったから、記録が残りやすかったってのも
あったかもね。
秀吉は悪口言った奴に対して容赦なかったしな。
ちとスレと擦かも知れないが、江戸時代は素晴らしいというのも言いすぎだろう。
江戸は100万人都市というが、大名屋敷などが立ち並び、一般的な建物は平屋という
事を考えると相当狭い家で暮らすことになる。そこまでして一つの都市に集まる理由は
他では暮らせない若しくは、それでも江戸の方がいい暮らしが出来るからではないだろうか。
他ではどんな暮らしなんだ。上水道も紀元前のローマにあったし規模は大きいが技術はその頃並。
エコロジー=すばらしいも現代的考え方。貧しいなりの庶民の知恵であり、貧しい原因は
幕府に有るのでは。「江戸時代は思っていたよりは素晴らしい」以上の評価は出来ない。
>>686 江戸時代はすばらしい、ってのは当時の技術水準と世界情勢から
考えて群を抜いて清潔で安全な大都市を形成していたこと、封建
制度を採った国の中では最高度に発達していた統治機構、が主な
根拠かな。
江戸に人口が集中していたのは現代と同じで、都市生活のほうが
便利でたやすく収入が得られるから。封建社会においては農家と
言っても次男三男は相続権がないからね。
さらにいえば、君は「エコロジー」が現代的考え方、というが
「人民の幸福=素晴らしい」ってのも現代的な考え方だし。
「当時としては」、「他と比べて」という視点と知識がないと、
「21世紀の人は空飛ぶ車も持ってなくて可哀想だ!」みたいな
頓珍漢な指摘をして悦に入ってる未来人、という印象に写るよ。
最近の「江戸時代は素晴らしい」的なTVや本を見ると「江戸暗黒史観」の逆方向の
妄想を感じていたので書いてみた。
時代を考えるにあたっては、自らを当時の人間に民衆に置き換えて考えるだろ。
であるならば「人民の幸福=素晴らしい」は現代的な考え方でおかしいとはなら無いだろう。
あんまり江戸時代を持ち上げすぎるのもどうかと思うよ。
一長一短だし
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 19:49:05 ID:hi6MiRAF
狸だから
あの頃は良かったな
小牧長久手で秀吉を翻弄、信雄講和で仕方なく撤退、秀吉に頭を下げさせて
臣下に、ここの家康が一番カッコイイと思うのだが。この後豊臣家に忠誠を
尽くせば今ほど知名度は無いものの人気は出たかも。
江戸時代を素晴らしいと思うかどうかは、結局、その人の考え方とか趣味による。
家康が好きな人は、かなりの確率で江戸時代も好きだと思うよ。
豊臣家に忠誠を 尽くせばって、別にそんなことする理由がない。
伊達家だって徳川の世になっても忠誠なんか尽くしてないし
戦国大名なんて豊臣含めそんなもんでは。
ただ信長の臣下だった秀吉は、どうしても織田家に恩を仇で返したって
印象がぬぐえないから、家康に実験を取られても自業自得としか思えない。
史実がどうとかじゃなくて、単に個人的な感情論での感じだけど。
だから、家康が狸って言われてもピンと来ない。
>>694 いや、あくまでも「家康が今より人気が出る」ということを最大目的とした仮定の話
なんですよ。戦国武将として天下を狙うのは至極真っ当だと思うしその方法も批判
されるべき物でもない。
ここは家康の人気について話す所だと思ったんで…。
>>695 家康の人気を上げる為に不可欠なもの。
悲劇的な最期、哀れを誘う最期のような判官びいきの感情を呼び起こすものが無い以上、日本人が変わらない限り評価はされても人気はでない。
最終的な勝者より、能力はありながらも志半ばで倒れた人物の方が好まれるからな
場合によっては能力がないから順当に倒れたのに、能力があったことにされたりもする
家康は虚飾を嫌ったからミーハー的な人気は望んでないだろ
家康ファンとしてはしっかり理解して正当に評価していればいい
司馬でさえ、家康の功績は否定できないくらいなのだから
とはいえ、人気の有る無しは気にかかるものだが
正しい評価云々を語るスレではないからねえ。
日本人の琴線に訴える物があるかないかだから。
個人的には人気十分あるとは思うんだが。信長秀吉はある種別格だわな。
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 10:56:47 ID:1W9XEiQg
とはいえ、家康の人気のなさは日本人の歴史に対する感覚の
病的な一面をあらわしているからな。
701 :
凍傷大権現:2006/07/30(日) 11:20:18 ID:nKGp8vOI
秀吉に、お拾いを頼むと泣かれた時に、「え?ぬっころして、この城も燃やしますが何か?」
とでも言って、太閤に止めをさして、前田や治部の度肝をぬいたら、神だったけどw
まぁ、なんか陰湿すぎ。倹約しすぎ。
秀吉も嫌われているだろ。別格なんて思っている奴は大阪からそとにでたことないんだろうよ。
>>701 秀吉も信長の前はへいこらしてたわけで、陰湿さは秀吉のほうが上手か。
>>701 別にしすぎといわれるほど倹約してないぞ。
安土桃山の時代に生きた大名としてそれなりに数寄者だったし、当時は質素に木綿しか着なかったとか
言われるけど、実は高級衣料だった。大体、あの時代で自分で褌締められなくなるほど太ってたんだぞ。
安土城に黄金貼っちまう信長や、一般人まで巻き込んだ大茶会開いた秀吉と違って無駄に見栄を
張らなかっただけだ。
それに使える高級実用品には目がなかったって話だぞ。
朝鮮の使節からもらった時計が壊れて我を忘れたという津田助左衛門のエピソードもあるしな。
びんぼーくさいとかいうのは、「荷物背負ってうんちゃら」とかいうのと同じで勝海舟の捏造だと思うけどね。
数寄者はありえないありえない
>>704 激しく同意。
>それに使える高級実用品には目がなかったって話だぞ。
「使える」ものには金を惜しまないね。
特に漢方医学書とか兵法書の類は戦国武将の中でも一番読んでいたし、
持っていたんじゃないかな。
家康晩年に持っていた書籍の数はハンパじゃない。
徳川記念財団によれば「漢籍800余部をはじめ、古筆の歌書などを併せて、
約1千余部、1万余冊」持っていたらしいが、当時本は非常に高価で、
火事のときには家財道具として一番高価な本を一番先に持ち出すほどだったから、
1万余冊の本を集めるのには相当な金を使っているはず。
あと、儒教を広めるために活字をこしらえているんだけど、これも金がかかる。
それから将棋が好きだったらしく、将棋駒を駒つくり専門の公家に注文したり、
将棋名人を召抱えたりしている。将棋駒って専門の職人に作らせると
今でも10万くらい普通にするし結構高いから、これも金のかかる趣味だ。
ちなみに家臣の松平家忠は最古の将棋の図を残している。
ただ秀吉みたいに女連れでドカーンと金を使うのではなく、
家臣たちと「おお、やはり兵法は孫子が一番じゃのお」とか
「これ家忠、中飛車とはおぬしなかなかやるな」とか城内でやってる
だけだから世間的にはあんまり金を使っているイメージがないんじゃないかね。
無駄遣いしてこそ華とも言える。
そういう意味では家康は只管”実”しかない。
あるいは”実”しかないように見えない。
だから一般的には人気がないとは言わないが、決して高いとは言えない。
信長・秀吉と比較すると華やかな印象に欠け、もののあはれもないので割を食ってる部分も大きいとは思うけどね。
709 :
凍傷大権現:2006/07/30(日) 16:30:09 ID:nKGp8vOI
一回奢ったから、俺はケチではないと言い張るケチみたいだな。
徳川譜代は、働きに対し石高が少ない。
自分の城、息子の城を、外様の金と労力で建てている。
下着を、あらかじめ染める。
飛ばされた鼻紙を走って、取りにいき、小姓達に笑われたとき、俺はこれで天下を取ったと開き直る。
これは、総じてケチかと。
710 :
凍傷大権現:2006/07/30(日) 16:32:01 ID:nKGp8vOI
709は、708あてね。
>徳川譜代は、働きに対し石高が少ない。
>自分の城、息子の城を、外様の金と労力で建てている。
これはケチというよりも、家を保つための組織作りとしては上手いやり方だと思うけどなぁ…。
下二つを見てケチだというのは分かるにしろ。
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 17:29:33 ID:1W9XEiQg
>>711 外様大名には何十万石って単位で大判振る舞いしているしな。
譜代の領土が少ないのは、徳川幕府の統治方法の中心になっている
ものなんで、これをケチとしか見えないやつは、歴史を語る資格は
ないよ。
713 :
名無しの雑兵:2006/07/30(日) 17:54:11 ID:6KKo8Kqo
>>711 秀吉も伏見城の建築を家康に手伝わせましたな
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 18:22:16 ID:1W9XEiQg
さて、本日の馬鹿アンチはこのスレにくるかね。
>>712 豊臣恩顧の外様への加増は、豊臣家の領地からの加増で豊臣弱体を狙ったものだろう。
まあ、論功行賞の領土配置はケチどうこうではないな。
>>709 働きに対し石高が〜→他にも言ってる人がいるが統治上有効な手法
自分の城、息子の〜→自分の妾の城や隠居城の建設を諸侯の財布に
依存した人がいましたねw 諸侯の忠誠度を
計ったり力をそぐのには常識的な措置。
下二つは人によって評価したり幻滅したりと個人の主観による所が
大きいので触れない。もう少し勉強しろ、政治を個人の美徳で計るな。
717 :
凍傷大権現:2006/07/30(日) 19:31:35 ID:nKGp8vOI
>これをケチとしか見えないやつは、歴史を語る資格はないよ。
おやおや、権現さまみたいに大人気ないな。
ネタすれでしょ。
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 19:33:40 ID:1W9XEiQg
>>717 反論できないからって、ネタスレにしないでくれw
秀吉厨が家康の悪口いうだけのスレとは違うんだから、
まともな議論ができないんなら、オナニーでもしてな。
719 :
凍傷大権現:2006/07/30(日) 19:45:30 ID:nKGp8vOI
>徳川譜代は、働きに対し石高が少ない。
という事には、反論がないようなので事実と認めてるわけだろ。
石高が少ない理由は、働きが理由ではないので、他に理由があったと
考えるのが妥当だ。
理由として、
"家を保つための組織作りとしては上手いやり方"
"徳川幕府の統治方法"
を挙げてるが、これは現在からみた結果論的な分析でしかない。
命を懸けて、家康個人や徳川家に尽くした人間に、報いるのに、石高しか
ないのに、石高が少なく感じるのは、家康個人の資質、性格を考えるのは
妥当とおもえる。
2ch全てがネタというか暇つぶしでしょw。これは見解の相違かな
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 19:50:49 ID:1W9XEiQg
>>719 結果論ではないね。
家康は、譜代の石高は低く抑え、外様には厚く加増した。
だが、幕府の要職は譜代大名に担当させた。
たしかに、これだけでは家康の政策はわかりにくいかもしれないが、
大封を持つのは、外様だけではなく親藩もそうだった。
だが、親藩は将軍を出しても幕府の要職についていない。
これが、徳川幕府の基本的な統治方法だ。
権力と財力を分離した。それによって、乱の要素になる強力な第二勢力
が存在することを防いだ。
これは、室町幕府や豊臣家の失敗から学んだ家康が将来の手当てとして
打ったものであって、結果としてのものじゃない。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 19:52:09 ID:rj+zwQTs
ラジオで顔が見えないのをいい事に素っ裸で出演しようとする家康
>>717 歴史を語る資格のないヤツ>歴史を語る資格のあるヤツ
∴家康の人気あまりない
家康のケチは当時の同僚に言われていたから、個人レベルではケチだったと
思われる。倹約家と言うべきか。政治レベルの行動でケチと言うのは的外れ。
>720
幕府を開く前から、天下の権を握る前から、しぶかったから、それだけで説明するのは
無理だとおもいますよ。
やはり、家康個人の性格、徳川の家風を考えるのが妥当です。
秀吉の元に走って大封を得た人間もいますしたね。
正史三国志風に秀吉と家康の生活(晩年)を比べるとこんな感じ。
なんか秀吉がどうしようもないなあ。儒教的な生活態度から全く
外れているからな。
秀吉
「民の労苦をよそに一人栄華を極め、聚楽第や伏見城など無用の建築物を
立て、無名の師(大義名分のない戦のこと)を起こして隣国を攻め、
武を穢し(大義名分の無い侵略戦争をしかけること)、しかも負けた。
千利休のような茶坊主を召抱えて政治を任せ、美姫におぼれて
政治をなおざりにした暗君である。このような人物は滅んで当然」
家康
「若い頃から文武に優れ、陣中でも孫子や漢方医学書を手放さなかった。
天下を平定してからも儒教を奨励して学校を建て、民の労苦を考えて
質素な生活に甘んじた。(曹操と生活態度が同じ)
武を養うために老いても鷹狩りを好み、
鉄砲や剣術の訓練を止めなかった。また兵法の訓練のために囲碁将棋
を好み、本因坊算砂・大橋宗桂らを招いて自ら囲碁将棋を楽しみ武を
講じた。(基本的に曹操と同じなので、曹操を真似ていたのかもしれない)」
家康と曹操は似ているという話は吉川幸次郎も守屋洋も断言しているが、
やっぱりそうだったのかも。
ここは戦国板です
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 20:07:28 ID:1W9XEiQg
>>723 使うところには金を使う。
諸大名を使役するにしても、無駄なことには使わない。
家康が諸大名に命じたのは、江戸城の建築や国内の要衝の城つくりで
あって、単に金出させて無駄なことをしていたわけではない。
為政者として必要なのは、そういう感覚だよ。
むしろ、秀吉のように個人的な感情と政治を直結させているようななの
は、どこの国でも暗君と呼ばれる存在だ。
その暗君より、人気がないのは何故だろう。というのがスレの趣旨だろ。
信長、秀吉を悪くいっても人気は上がらない。
ケチといわれるのが嫌なら、倹約家でいいじゃない。東海一のな。
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 20:13:45 ID:1W9XEiQg
>>724 それは、単に家康の統治方法が関が原以前から確立していたと
見るべきだ。家康は、第二勢力を台頭させてしまえば、家が傾
くという考えが早くからあったのだろう。そして、これはべつ
に不思議でもなんでもなく、歴史の鉄則だから誰でも考えたこ
とだ。
幸い三河岡崎衆は、家康型の統治方法に従順だったから、家康
は天下を取る前からそういう型を作り上げていたといっていい。
でなきゃ、天下をとってから急にできるわけもない。
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 20:15:49 ID:1W9XEiQg
>>728 いままでの流れを読んでないだろ。
また書くのもめんどくさいから、1から読んでからレスつけろ。
731 :
凍傷大権現:2006/07/30(日) 20:18:01 ID:nKGp8vOI
おやおや、権現さまみたいに大人気ないな。
ネタすれだろ
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 20:21:28 ID:1W9XEiQg
そもそも秀吉もそんなに人気は無いんじゃない?
世間一般的には
信長>>>>越えられない壁>>>>>秀吉>家康
じゃないか?
734 :
凍傷大権現:2006/07/30(日) 20:27:29 ID:nKGp8vOI
反論者を、豊臣厨、荒らしと決めつけて、その先に何があるんだ?
>718のように人を煽る割には、耐性がないな。
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 20:35:01 ID:1W9XEiQg
>>734 お前のは、反論にすらなってないんだよ。
そもそも、反論されたからって、ネタスレだとか言い出したのは、
お前のほうでしょ。
>>734 そうだな。
それに
「家康は世間的にはケチと思われてることも人気の無さの一端」
というレスはスレタイに即してるが、
「いや家康はケチじゃないよ」
という反論はスレタイに即してない。
737 :
凍傷大権現:2006/07/30(日) 20:42:47 ID:nKGp8vOI
泣くなよ。それからsageろ。本当におかしな奴がくるだろw
嫁と息子を殺されても切れなかった公を、援護する人間らしくもない。
737は735あてね
>>736 ケチと言う根拠に異論があるから異論を言っただけなのだが…。
認める部分は認めている。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 21:29:24 ID:1W9XEiQg
>>737 おまいも、揶揄ってないでまともな議論しろやw
ageるのは、ageといた方が客がつくからだよ。
下げりゃいいってもんじゃないからな。
そろそろ喧嘩止めれ
742 :
凍傷大権現:2006/07/30(日) 22:10:01 ID:nKGp8vOI
( ´┏┓`) まったくだ。
・伏見城の屋敷が火事 家康「まだ使える材木はないか。あるなら流用せよ。」
・部下がろうそくを消し忘れれば怒る。
・穴を繕った足袋を履く。
・
>>709の鼻紙
・蒲生氏郷に「家康殿は名実共に供えたお人じゃが、天性のケチじゃから、天下人
たる器じゃなかろう」と言われる。
氏郷の言うケチはセコイの意味が強いんじゃないかな。家康に人間味を持たせる、
ほほえましいエピソードであるが、大名、天下人であるという事も考え合わせると
ケチと言われても仕方が無い。
だから好き、だから嫌いで意見が分かれる所でもある。
譜代の家臣には禄は少ないけどそのかわり老中とか重職につける権利を与えてる。
功あるものには禄を能あるものには権をってのが徳川の人事方針。
いちがいにケチとは言いがたいと思う。(外様は普請とかしょっちゅう押し付けられるは
家格とかもたまにかわってしまうと、江戸屋敷の門とかを変えなければならなかったらしいから
経済的にいっぱいいっぱいな状態になる)
権力と領主としての実力が大きくなりすぎないようにバランスをとってたようだ。
まあ結局は徳川家安泰しか考えてない部分もあるだろうけどね。
>>743 天下人家康だから、秀吉信長と比べての意味だと思ってた。歴史上の人物の中では
かなりあると思うよ。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 01:38:49 ID:lMyjfW9j
武士にとって倹約は美徳だと思うが、特に上の
者がそのように心掛けることは誉められこそす
れ非難されるものではない。
非難している人に聞くが、浪費をする領主がい
い領主とでも言うのですか?
>>706 >>707 すまん亀レスだが、数寄者ってのは芸術を好む者のことてことを言いたかった。
医学は芸術では無いし、料理を極めるならともかくグルメも別に芸術ではない。
古歌は芸術だが、家康がとくにいい歌を詠んだとも聞かない。
将棋は知的スポーツ。
馬術やら剣術もスポーツ。
趣味者ということには当たると思うが別に数寄とは思わない。
別に俺は家康がセコイとか思ってはいないし、まして大嫌いでもないので誤解無いように。
>>747 消費社会の活性化を促すためにどっかの尾張徳川家の当主は自分から浪費してみせたけどな。
まあ、当時の社会のありようでは、大失敗したけど。
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 05:13:42 ID:lMyjfW9j
宗春を引き合いに出すのもこの場合ちょっと違わ
ないか?彼は、経済政策として行なっていた訳で
多くの場合は、なにも考えずにただ己の欲望を満
たすためだけのものだと思うが。
\\ 脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!//
\\ 脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞!脱糞! 脱糞!//
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( ⊂彡. ( ⊂彡. ( ⊂彡. ( ⊂彡. ( ⊂彡. ( ⊂彡. ( ⊂彡.
ちょいと見なかったら大分進んでるな。
>>653 幕末になると不平等条約を飲まされるまでに海外と力の差が開いた事、
んで日本がそこまで発展したかは分からんが、徳川の鎖国政策は確実に進歩を停滞させた、
そういう徳川幕府が上手くやれなかった部分は存在してるって事だ。
>>652 半分ってのは年月じゃなくて250年間の功罪って事、
そんで吉宗は禁を解いてはいない、あくまで緩和しただけ。
そして青木昆陽とか幕府の要人だし、海外情報が盛んに民間に流出していた事にはならない上に、
オランダ風説書みたいな幕府にしか手に入らない情報も存在している。
>>673 比較対照の家康も全国統一時の時ですけど。
↑こういうレスの仕方するヤツってキモイな
どれかひとつに絞れよ
754 :
名無しの雑兵:2006/07/31(月) 10:39:03 ID:ornnGNaX
752
全国政権時での比較なら、秀吉は近畿限定、家康は関東、東海道、中仙道、奥州等と整備範囲が全く異なります。
>>754 そういう分け方でいいなら秀吉も大坂〜名護屋間の山陽・山陰道、
紀州道・大和道と整備していますが?
>>752 リスクの違いだな。徳川幕府は外国からの干渉を受けることで一度
収まった乱世が再びおこり徳川の世が乱れることを恐れて鎖国した。
一方君はそういうリスクを承知の上で(だよね?)外交を続けて技術
格差をなくしておくべきだったと考える。明治維新とかの事を例に
して。
俺の意見としては、外交をしていても資源に乏しい日本は技術革新
を起こせなかったと思う。現代日本が資源に乏しいのに世界第二位
の経済力を誇ることから勘違いする人が多いんだけど、今のような
加工貿易をするには当時植民地が必要不可欠だった。そして、日本
の外征力は秀吉が示したとおり。
そういう日本の限界を考えると徳川幕府があの時鎖国したのはbest
ではないがbetterな選択だったと思う。
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 15:22:37 ID:ornnGNaX
それはどの程度の?
伝馬制や宿場町、一里塚が整備されているの?
>>757 一塚塚は秀吉時代から全国的に配備され始めてる、
少なくとも大坂〜名護屋間では一里塚や駅伝制を施行してるね。
>>756 >俺の意見としては、外交をしていても資源に乏しい日本は技術革新を起こせなかったと思う。
事の善悪は別として、戦国時代に発達した兵器、特に火器、傭兵、絹織物、陶磁器、茶、金銀の
産出量も多く、交易をしていれば新たな産業が起こる可能性もあるだろう。無理とは断定できない
と思うが。
760 :
759:2006/07/31(月) 18:03:51 ID:UsfwHhgZ
あ、それに産業革命起こしたのは日本より人口少ないイギリスだしさ。
>>759 そういう「可能性」を前提にして江戸時代の評価を下すなよ。
少なくとも、戦国や織豊時代の延長であれば、産業革命に匹敵するような
現象が起こるという蓋然性を証明してくれ。
脱糞しすぎ。スレタイ百回読め。
>>760 英国は当時最強の海軍力を資本に海外植民地を持っていた。すなわち、
加工資源と加工品を売りさばく市場を持っていたということ。日本には
それがない。近隣は基本日本より格上の鎖国主義(東洋思想中のね)だし。
あと、欧州と日本、というか東洋では根底に流れる思想がぜんぜん違う
から。科学思想とか法制とか社会を形作るものが全く異なる以上、産業
の発達の可能性は肯定できてもヨーロッパ的な合理的で大規模なものに
なるとは思えない。
それこそ明治期のようにヨーロッパ思想を直輸入でもしない限りね。
764 :
名無しの雑兵:2006/07/31(月) 18:58:34 ID:CHHBM7iN
旧体制に風穴あけた側の家康が体制の象徴みたいに
言われてることに違和感を感じるんだが
やべっ直リンしちゃった。別ルートでよろ。
>>764 秀吉は朝鮮を攻める準備として名護屋〜大阪間を整備してますが。
>>766 得票数は2004年4月3日0時現在(笑)
>>769 ランキングは投票数が重要だと思ったんでね。そんなに内容がおかしいか?
もっと良い所を教えてくださいな。
>>766 あのさ、
>>761でも言われてるけど、「なかった」歴史を検証するなら
もうすこし「可能性」と「実現性」をしめしてよ。「逆もありうる」と
いうならそのビジョンを示して。
「どのようなことが」
「どのような事実から」
「どのようになると推察できるのか」
これがないと議論にならないしレスしようがないし話が発展しない。
772 :
名無しの雑兵:2006/07/31(月) 21:01:07 ID:CHHBM7iN
>>768 寛永年間の整備は寛永年間に道幅が二間半に統一され、三十六丁ごとに一里塚が道の両側に設けられた。
よって朝鮮出兵時の整備はそれ以前、恒久的な維持を考慮しないものであろう。
>>771 流れを見ると分かると思うが、「可能性」の話を前提とすると荒れるんだよね。
俺は只の戦国バカで、議論はしたいが喧嘩はしたくない。スレの主旨からもずれる
と思われるし。
>>773 え? え? 先に「可能性」で俺にレスしたのID見る限り君だよね?
「ポルトガルや〜逆も可能では」って。
んで、「中身のある発現してよ」って言ったら「可能性で話したくない」
って何よソレ。なんかナンパしてきた奴が「俺女に興味ないんだよねー」
とか言ってるような不条理を感じるんだけどwww
とりあえず会話する気ないならアンカーつけずに垂れ流してろといっておく。
>>774 >>774 意見は理に適っていて面白かったから、つい当時の日本にも産業革命は可能では?
と思って食いついた。話はしたかったが、>761> 762のレスが付いて過去を振り返り反省した。
>アンカーつけずに垂れ流してろといっておく。
そうする。
>>772 それは秀吉の後により整備されただけの話、秀吉の街道整備を否定できるもんじゃないし、
寛永年間に整備されたのは1630年頃だぞ、とっくの昔に滅んだ豊臣が恒久的に維持できる訳ない。
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 14:19:47 ID:Qho74w/C
ラッキーセブン
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 14:21:46 ID:ELeo6Yq3
(●ω・`)儂の777を…
779 :
名無しの雑兵:2006/08/01(火) 18:41:04 ID:0Df7STFJ
>>776 その秀吉の整備は「今度、軍隊が通るのでこれこれの月日までに補修する事」
という意味であくまで一時的なもの。
それに対し家康や幕府が整備させたのは「こういう整備をしそれを維持し続ける事」
という持続的なものである。
秀吉のはあくまで軍隊移動用に整備したというものであることを忘れてはならない。
>>752>>759 とりあえず交易という観点からいえば交易対象が
いずれも問題を抱えていたのだが・・。
イスパニアポルトガルは衰退基調に入っておりカソリックの強引な布教
の齎したトラブルから日も浅い。
なにより秀吉の朝鮮出兵にイスパニアの果たした役割(当然ご存知だよね)
を知っておれば、こことの交易など問題外
イングランドは史実で見られるように複合的要因によりインド経営に専念する
方向に向かいこれまた問題外
明は秀吉の砲艦外交の失敗とその後の衰亡からして対象外だし
清朝については外交的に難しい問題を抱えており(当然ご存知だよね)
こことの積極交易も問題外
他にもいろいろあろうが日本が国として積極交易を継続的に行なえる
国などオランダ以外に見受けられない。
それと内政重視の幕府の施策とがあいまって
あのような外交方針になっているんだが、それを覆す要因が見当たらない。
なんか決着ついたのかよー知らんが一言
>>ポルトガルやオランダも日本に来てたので逆も可能
ってのは不可能と断言しておく
彼らは独力で日本にたどり着いたわけではなくイスラム=華僑といった
海洋アジアの交易ルートと知識に頼っているところ大であり
彼らとの接触も頻繁であった。
そして積極的に交易ルートに介入したい切なる動機もあった。
(つまり香料ね。)
逆に日本の場合そういった切実な動機も無い。
せめて東南アジアへの日本人入植拠点作成を国策政治的意思で
行なう動機でもあれば話は別だが、そのようなものは存在しない。
>>交易をしていれば新たな産業が起こる可能性もあるだろう。
>>無理とは断定できないと思うが。
日本にとって不運なのかどうか知らんが、産業革命および技術革新が
日本では100%起こりえない。理由を述べろというと、
動機が無い。
イギリスの場合、欧州との交易圏と主食の小麦をやり取りするくらい
バックボーンとなる国外市場があった。
が日本の場合お隣の明(後の清も)海禁自足経営をメインとしており
日本の商業経済を成長させるバックボーン足るべき市場にならない。
日本は重農主義で国内の空き地を開拓して内需拡大して国内市場を
広げる以外の市場拡大手段が失われていた。
上記の消去法からしても交易国を増やすどころか減らす以外の
選択肢は無い。
このような場合人手不足による効率アップなど不必要
イフということで文句でるかもしれんが
一つだけ手段はあるがな・・
地勢的・文化的にイギリスの産業革命を取り入れることが容易だった
欧州ですら、イギリス流の産業国家になれたところは少ない。それが、
日本の場合は極東にあってすら、維新後半世紀たらずにまがりなりに
も産業国家を作りあげた。
これは、明治政府の功績もあるが、徳川幕府がそれを可能とする国民を
作り上げていたことの方がずっと大きい。
例えば、近代的な産業国家を作るには、基盤として国民意識が必要で、
日本人であるという意識が成長していないといけない。でないと、企業
とかですらまともに出来上がらない。維新後、封建体制から統一国家が
それこそ一瞬といってほどに出来上がった。こんなのは、奇跡に近いよ
うな現象だ。
もし、織豊時代が続いていた場合、この現象はなかったろう。海外に出
て行ったとしても、もっとも成功したとして、東洋のイスパニアになる
のがせいぜいだ。個人的な冒険心などで成功しても、それは大航海時代
に成功する属性であって、近代産業国家のものではない。職人の腕がよ
くてすごい工芸品ができても、その職人が機械力を使った大量生産を行
う企業における良質の従業員になれるというわけではなく、それができ
る国民を作ったのは江戸時代だった。
>>779 家康の政策が持続的なものなのは単に徳川幕府が続いたから、
秀吉の一里塚や関所撤廃は別に一定期間過ぎたからと言って消えるもんじゃない。
んで家康の五街道制定もあくまで幕府の公用路としての整備だぞ、
駅伝・飛脚が一般業者が営めるようになるのはもっと時代が下ってからだし、
幕府が用意させた宿泊施設もあくまで幕府要人用。
784 :
名無しの雑兵:2006/08/02(水) 06:35:07 ID:4kG9pYxx
>>783 宿場を定めたり、(後に)助郷制を定めたのは長期の維持のためです。
第一、秀吉のは戦争準備段階での整備ですが、家康は戦争を決断する前から整備をしています。
後、西国街道に一里塚を設置したのは幕府です。
この前テレビでやってたのでは戦国時代で3位だったから人気はあるんだろ
>>785 しかしその上位2名が信長・秀吉だったなら、三英傑限定という条件付きではあるが、スレタイは正しいという結論になるな。
>>784 >宿場を定めたり、(後に)助郷制を定めたのは長期の維持のためです。
助郷制が確立したのは1600年代後半、家康が設置したものではないし、
まさに>家康の政策が持続的なものなのは単に徳川幕府が続いたから
の証明のようなもんだよ、そして幕府が設置した宿場っていうのは
本陣・脇本陣・問屋場という幕府御用達のもので、秀吉の交通政策と大きな違いは無い。
>第一、秀吉のは戦争準備段階での整備ですが、家康は戦争を決断する前から整備をしています。
家康には西に豊臣家が存在したから、その違いでしょう。
>後、西国街道に一里塚を設置したのは幕府です。
西国街道には秀吉の設置した青木の一里塚とかが残っていますが?
788 :
名無しの雑兵:2006/08/03(木) 22:17:57 ID:KYITA7i7
>>787 だから助郷制には(後に)を付けたのだが
宿場は公的なものだけでなく一般用のものも同時に置かれ、宿場町として成長します。
これは公的な設備が設置されそれを中心に発展していったからこそのものです。
豊臣氏がいた為だけに五街道を整備・維持し続けたと言うのはどうかと
青木の一里塚が榎という点を見るとかなり胡散臭いですな
>>787 >だから助郷制には(後に)を付けたのだが
1690年代の事を繋げるように書いてたからね、もはや家康とは関係ない年代ですから。
>宿場は公的なものだけでなく一般用のものも同時に置かれ、宿場町として成長します。
それは幕府が任命したんじゃなくて、近辺の住人が勝手に営んでるだけの話、
幕府が任命したのはあくまで本陣・脇本陣・問屋場の3つの公用機関だけ、
それらが経済効果を近辺に与えるという点は秀吉の街道整備でも同じ。
>豊臣氏がいた為だけに五街道を整備・維持し続けたと言うのはどうかと
当初は中山道の整備は甲斐で止めているから豊臣を意識したのは間違い無いし、
その後は(家康が没してから大分後)には西国の街道整備を行ってはいるが、
大井川に橋を掛けるのを禁止してる事から西国自体を警戒してるんだろうね、
秀吉が関東に押し込めたように、徳川は西に胡散臭い大名を押し込めてる。
>青木の一里塚が榎という点を見るとかなり胡散臭いですな
胡散臭いってあんた、一里塚なんて大概は松や榎といった丈夫な木を目印に埋めるもんですが。
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 01:41:32 ID:e6/C2Nq2
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 03:15:03 ID:wSSpRvRf
3位で十分じゃん
信長・秀吉・家康の3人はずば抜けた人気だよ
4位以下に大差つけてる3位だ
武田だ上杉だ島津だ伊達だと
厨がギャーギャーうるさく騒いでも
一般的人気では家康に遠く及ばない
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 03:45:54 ID:OexdvXie
知名度と人気は別だとおもうけどな
793 :
名無しの雑兵:2006/08/04(金) 20:03:19 ID:5hTg28MA
>>789 助郷が制度化されたのは1619年と私は聞いてますが?
秀吉が宿場を定めているのは大津から柏原まですからやはり近畿限定かと
それから中山道は甲斐を通りませんよ。
>>793 >助郷が制度化されたのは1619年と私は聞いてますが?
臨時的に助郷が適用された時はあったが、制度として制定されたのは1690年代に入ってから。
>秀吉が宿場を定めているのは大津から柏原まですからやはり近畿限定かと
大坂〜名護屋間に駅伝制を敷いている、んでそもそも駅は宿舎と一体型なんで実態は
>本陣・脇本陣・問屋場
の機能と大差ない、本陣は御茶屋・御座所みたいなもんだしね。
>それから中山道は甲斐を通りませんよ。
ごめん、甲斐じゃなくて甲府だった。
795 :
名無しの雑兵:2006/08/05(土) 09:14:36 ID:XxXW6JOq
>>794 >臨時的に助郷が適用された時はあったが、制度として制定されたのは1690年代に入ってから。
制度化されていないとはいえこれは恒常的に整備維持が行わせていた説明になるのでは
伝馬制は既に戦国時代の中頃からすでに東国大名で広まっていました
注目すべき事は宿舎の恒常的な維持に注目すべきかと
・・・実はそういうものは東海道では「伝馬宿」として北条氏が行ってたようですが・・・
中山道は上野〜信濃を通るルートで甲斐を通るのは甲州街道です。
>>795 >制度化されていないとはいえこれは恒常的に整備維持が行わせていた説明になるのでは
ならんよ、それまでは不備が出た場合には臨時的に徴用していただけの話で
そこまで特筆すべき話ではない。
>注目すべき事は宿舎の恒常的な維持に注目すべきかと
その駅伝制を施行していた大名も宿舎を維持していたよ、
武田なんて宿駅のルートは江戸時代のそれとほぼ一致するし、
徳川が特別に宿舎の維持を目指した訳じゃ無い。
それに豊臣の伝馬も命令があって廃れた訳じゃなく、
豊臣に維持する力が無くなったから廃れた。
>中山道は上野〜信濃を通るルートで甲斐を通るのは甲州街道です。
うん、だから甲斐じゃなくて甲府までと訂正した。
ですが?
かと。
ようですが・・・・
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 19:07:46 ID:r/jvnHQj
>>798 そのことは、秀吉厨と言う存在が証明している
ようなものだな。
江戸時代の発展がすべて家康の貢献によると思ってる家康厨って面白いね。
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 07:25:39 ID:Hs28zfof
自分が働いている会社の社長が誰がいいかなら、やっぱ家康かなぁ。
直接の上司なら秀吉の方がいいかも。
802 :
部下なら石田三成か?:2006/08/16(水) 05:07:02 ID:uHdNHuOk
89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:02:04 ID:uHdNHuOk
家康が本多正信に語る。
「豊臣家子飼の大名達、ああも無節操に裏切れるものか。喜ぶ反面、心が、冷えたわ・・・せめて三成のような家臣がいて、太閤殿も初めてうかばれたであろう・・・これからは我が徳川家、三成のような家臣に恵まれれば良いが。義、忠義の家臣にのう」
後世、徳川幕府は、朱子学を取りいれ、武家の倫理を厳しく見るようになる。
90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:04:04 ID:uHdNHuOk
徳川幕府が朱子学を取り入れたのは、石田三成の義のおかげといっても
決して過言ではない。
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:21:55 ID:uHdNHuOk
関ヶ原合戦後、石田三成に対して、忠義の男、我が陣営にも三成のような男が欲しいってきっぱり言った
家康は男前だと思う。
だがそれを言われた三成も立派だった。
コピペしすぎで少々萎えた
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 17:31:41 ID:uHdNHuOk
いかで死んだから
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:15:15 ID:C/9wh//x
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 09:37:10 ID:Sj3wx0YM
だって家康は小牧長久手で秀吉相手に良い勝負したけど
結局後はでかい戦と言っても格下相手に勝っただけだし
面白みがない
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 10:08:50 ID:NeQ/zp7g
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 12:49:29 ID:FGnucJ1l
大阪冬の陣で豊富に戦仕掛けたやり方がえげつない
大阪城の堀埋めた詭弁も狸爺そのまんま
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 14:29:42 ID:R9ZWc4fR
裏切り者が続出する中、天目山まで勝頼に付き従った土屋も武士の鑑ですよ。
甲子園の再試合は関ヶ原を思い出させてくれた
ありがとう斎藤田中石田徳川!
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 10:16:01 ID:mODQCBXE
金で関西から北海道に移った能無し純粋な道産子は皆無
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 10:22:09 ID:OgWnvW3C
>>810 禿同
大阪人からみていいイメージはないけど
浜松や関東の人から見るとヒーローかも
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 14:50:38 ID:Y0rVzfpB
>>810 つーかあれは、家康に大阪城をあなただったらどうやったら攻略する?
って言われて当時調子こいてた秀吉が言った事まんま実行してるだけだろ?w
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 17:08:28 ID:t3Cu5Mmn
大坂攻めは、所詮女子供(淀、秀頼)を、百戦錬磨の戦国武将家康が
全身全霊をかけて、謀略と武力で叩き潰したという印象が強いからな。
国松くらいは助命してもよかったのでは?
>>816 武門の男子は殺さないと禍根を残す。下手するとさらなる乱の核になるからな。
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 18:45:22 ID:Ot7o2jwv
大阪城攻め加藤清正の死を待って動いたような
せめて福島には入城してほしかったもんだ
秀吉は頭いいが
秀吉厨はというと
猪武者タイプ
正則とか
妙に利にかなってるな
>818
>福島には入城してほしかったもんだ
念をいれて江戸で軟禁されてたw。人質ですな。
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 16:30:57 ID:EkUgPgrJ
福島は部下の部将と米を大阪城に送るのが精一杯
狸爺とは格が違いすぎたな先が読めたらさっさと入城し歴史を飾ったろうに
家も残せず、恥を残した福島は最悪のケースだね
人気はあるけど
「人気がない」という人が多いだけだと思う
信長、秀吉と比較してという意味だろ。
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 22:16:31 ID:OxYdZa6o
信長はともかく秀吉とは大差ないような気がするが
前の方まで見てないけど、ケチだから、てのはないの?
信長秀吉とも建築などで派手さを見せたが、家康は麦入り米を常食とか、
足袋はボロいままとか、質実剛健だけでつまらんというかさ。
結局最後に勝つのはそういう人間か、つまんねんな、みたいなのがあるのかもな。
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 22:35:06 ID:Lg4rIOQ0
しわいからな
829 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 22:42:33 ID:1jV77c6K
家康の説教ツマンネ
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 00:17:01 ID:+D51LOOa
今も昔も堅物は好かれんだろ。
ある程度やんちゃだったり、ユーモアがある人は人気も出やすい
家康はケチで、堅物で、先人の後を継いで天下餅を食ってるんだから
人気が出ないのは仕方ないんじゃない?
明治にどこだかの東照宮だかに安置してあった家康像が誰も近寄らなくなって朽ち果てていたから
今井信郎がもう一度造り直して奉ろうとしたが
協力者を探して幕臣の所をまわったらみんな迷惑がって厄介払いされて
勝海舟に頼みにいったら
ばーろー、そんなガラクタ捨てちまえ
とばかりに一蹴されて今井も怒って帰ったそうだが
結局だれも協力してくれなくて諦めた
幕臣ですら家康を信奉してない有り様だから
一般的に人気ないのはやむをえない
自分で自分を神呼ばわりしてる点が許せない。
罰当たりにもほどがある
あと、石田フタナリ先生をいじめていじめて苛め抜いた点とか
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 09:18:23 ID:8xyuMsWN
>>833 自分自身を神格化する事は
天皇ですらやってるんだから
信長と秀吉もやっとるわい
フタナリを苛めたのは狸だけ!
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 16:20:30 ID:GTH12q+l
福島正則や石田三成は秀吉が抜擢したもと商人出。
突然歴史上に出てきた賤財。
家康に勝てるわけがない。
思春期だの青年期だのは反抗したいんだな。勝ち組に。
>>838 まぁ、ある程度の年齢にならんと、家康がいかに権力を冷静に効果的に
抑制しながら使ったなんて判らんだろうからな。というか、そういう面
から評価するということも気づかないだろう。
こういう通ぶったやつが、国の動脈硬化を「保守」「伝統」を守れ
とか言い出すんだろうなあ。 まあ、どうにもならンね
君も通ぶってみてはいかが
人は通ぶって成長するのかもよ
>>836 石田三成は豊臣政権下でも敵が多かったはずだが
だから家康がつけ入ることができたわけで
>>842 石田三成がフタナリだったなんて珍説始めて聞いた
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 22:49:25 ID:z/Im1TBf
>>840 家康自身は全然保守的じゃなくて、徹底した革新家・革命家だけどね
家康が作り上げた政治形態があまりにも完璧だったので、
その後二百数十年はそれを保守するだけでやっていけたということ
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 03:00:37 ID:MpbWV5pb
なんせ坂本龍馬の師匠だからな
家康の政治手腕その他の凄さはわかるし、評価してるけど、好き嫌いは別
理屈じゃなくて感情だもんなぁ
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 04:29:10 ID:nfizMCvA
そりゃあ勝海舟
ちんちんがないからね。
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 08:32:04 ID:lHfjixFz
勝海舟を貶めても平気なのが狸おやじ擁護してる馬鹿連中、と。
江戸が丸焼けでもかまわない基地外かおまえらは
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 11:27:22 ID:qwdiVT24
それを言うならお前は、江戸を築き上げてきた家康を貶している大馬鹿の大基地外だろw
俺は織田厨だから秀吉は好きになれんよなあ
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 11:37:37 ID:Y7c8XMCd
>>852 江戸を築いたのは太田道灌だろ・・・
お前そんなことも知らずによくこの板で煽れるな
リアル馬鹿じゃねえの
特に嫌いな武将とかいねーなー…
道灌のレベルなら・・・江戸氏もいたよ
また、低レベルなアンチが来たか。
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 15:21:02 ID:mYTepHY7
ここの住民性格ワルソ
なんでもかんでもアンチ呼ばわりされたら、たしかに悲しくなるね
江戸氏や太田氏の功績まで否定されてるような気分になる
いや、馬鹿アンチは851のことだ。レス番つけないんで誤解させたかな。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 16:17:40 ID:bBzE0m+a
江戸の繁栄を語るのに太田氏や江戸氏はあまり関係
ないでしょ、それらを持ち出すのは徳川家の功績を
否定するためのこじつけとしか言い様がない、
家康入府の頃の江戸の状況を考えれば、自明だよ
>>861 いや、勝海舟の判断は正しいだろ
長岡や会津みたいになるよりはずっと良い
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 19:19:18 ID:0wB+bZBi
脱糞したからじゃね?
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 23:53:40 ID:h2eNefTI
最近の秀吉厨はもう脱糞しか言えなくなったな。
家康が人気じゃないのは多分性格。
秀吉…城を建てまくり豪華さをアピールした。民は苦しいが華やかに見える
信長…現代でも人気がある。安土城が豪華。
家康…見かけに派手さがない。質素倹約。
歴史を知らない現代人が見たらケチな家康より派手な秀吉がいいと思うはず。
なんで家康不人気となる
江戸城も大坂城と同じぐらい金かかってると思うけど
安土はデザインは凝ってるが案外無駄のない造りだし
870 :
867:2006/08/31(木) 00:33:03 ID:1IyElabL
>>868 家康は見た目は普通だが、利用しやすい城。
信長は権威を示すため?
秀吉は豪華さで人気があるから。
>>870 安土=攻めの城
大坂=守りの城
江戸=政治の城
と言った感じだと思う
江戸城が増築される頃は既に徳川にとって実戦向きの大規模城郭など必要なくなっている
諸大名の財力を削る目的と
動員する事で徳川家に服従していることを自ずと知らしめる目的が大と言えると思う
実用的と言うより政治的な城かと
虚飾を嫌ったってことでいいのかな?
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 02:21:21 ID:ZksZn4fl
ゴージャスで貴族的なものとか、都会的で洗練されていることに対するコンプレックスがあったような気がする。
もちろん、秀吉とは違った意味で。
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 08:37:05 ID:8xpmSpIL
とりあえず勝海舟馬鹿にしてた馬鹿な狸おやじ擁護野郎は、出てきて
江戸市民に謝れよ
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 15:24:00 ID:bKBhBWst
勝海舟殿!新撰組の近藤です
甲府に向かう途中捕まり打ち首になり
預かった一万両も行方知れずお詫び申す
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 13:28:57 ID:Jc2s1IsI
勝先生がいなかったら江戸も東照宮も灰にされて将軍家も殺されてたよ
忠誠心は微塵もないけど責任は果たす人だからね
勝先生も東照宮は大事にしろと言ってた
外国に恥じない立派な観光地にできると!
神君の廟所を見世物にしようと言うのもさすが勝先生…
褒めごろし戦術
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 17:30:11 ID:lmXrtZCP
>>875 江戸への功績はどう考えても家康のほうが上。
勝を持ち上げ家康を貶めるものは江戸のものではないな。どう考えても西国の池沼だろ。
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 09:47:42 ID:hsqDCdi8
どっちを持ち上げどっちかを叩くのは基地外だろ
はじめがよくても、最後丸焼けでいいのかお前は
これだからばかは困る
勝先生は幕府の体制に憤慨し常日頃から公然と非難しまくっていました
門閥だから馬鹿しかいないと
ばーろー、俺は幕府なんざ守る気ねぇよ
と家康が苦心して興した幕府も一瞬で切り捨てられました
家康公遺言
わが命旦夕に迫るといへども、将軍斯くおはしませば、天下のこと心安し、
されども将軍の政道その理にかなわず億兆の民、艱難することあらんには、
たれにても其の任に代らるべし、
天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり、
たとへ他人天下の政務をとりたりとも四海安穏にして万人その仁恵を蒙らばもとより、
家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし
(もはや我が命も終わりに近づいたが、秀忠がいるので天下のことは心配ない。
しかし、将軍の政道が道を外れ、多くの人々が苦しむようなことになれば、
誰でもその任にとって代わるがよい。
天下というものは徳川将軍一人だけのための天下ではない、天下は万人のものであり
たとえ誰か別の者が天下を治めようとも、四海安穏で万民の幸せに通じるのなら、
これは家康の望むところであり、少しもうらみに思うことはない。)
マジでそう思ってたら日光にあんなの立てないと思うw
あそこまで派手にして、二十八将とか決めて権威付けたのは家光じゃなかったっけ?
うい、日光東照宮に莫大な金をかけて霊廟を築いたのは家光。
なんだかなあ、趣味の板とはいえあまりにも知識が足りない奴
が多くてため息が出る
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 01:14:39 ID:g671cjSB
888
889 :
三木:2006/09/06(水) 04:49:56 ID:tVm6Rjzt
徳川の後進的な態勢を構築したのは家光かもしれない、専制政治の問題点だね・
そりゃ家康は旧体制に風穴あけて新時代を築いた男だからね
そもそも保守的とか思われてるのが不思議なことだよ
>>887 えらそうに言ってるこいつワロス、建設を指示したのは家康自体なのに
馬鹿じゃネーノ
「弥八郎、おぬしも悪よのぉ〜〜」
「いえいえ、上様ほどでは」
「うひひひひ」
「ケケケケケ」
↑
司馬のおかげでこんなイメージ
>>891 家康が「あんなの」って言われるぐらい豪華でキンキラキンの
建物を日光に建てるよう支持したソースプリーズw
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 19:22:02 ID:5WMxEyM0
松本清張が著した、徳川家康の少年向け伝記の中には、
「とにかく戦を止めさせて、国内を一本にまとめる指導者が必要だ…という時代の気運が、
(安定志向で内政重視の)家康を、天下人にまで押し上げる時代の波となったのであって、決して家康は彼独りの力量のみで、天下を取ったわけではない」 …という趣旨の論が展開されている。
そこのあたりを、当の家康自身も感じていたのは、例の遺文の内容からも推し量れるように思う。
見方を変えれば、その「人民の海」に波風が立って、「徳川丸」がひっくり返されることの無いようにと、彼は社会をガッチリ統制する、封建制度の確立に生涯腐心した訳で。。。
たしかに家康は遺言で日光に葬ってくれと指示しているけど
社殿の規模は小さくするようにとも付け加えてる。
実際秀忠が造営したものは質素なものだったが
それを家光が豪華絢爛なものに建て替えた。
というわけで、
>>891の指摘は的外れ。
家康公は晩年もしっかりしていた。
尾張の農民と大きく違うところだね。
日光東照宮は徳川家の為にはならなかったけど
徳川家が遺した業績の最もたるものかもしれない
文化的価値は非常に高いからね
勝海舟も東照宮だけは誉めてるw
日本が海外に誇れるものだと
>>897 徳川が残した最大の功績は「徳川幕府体制を築いたこと」に
尽きるだろ、とマジレス。
司馬の影響か知らんが「徳川は地味で保守的」って思う奴が
多い。実際は必要なことには出費を惜しまないし、徳川体制
は非常に革新的で強固なものだったのに。
典型的な名古屋人のA型人間だな
普段やたらケチるくせに、時々何を思ったか嘘のように使う。
自分も当てはまるのだが
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 05:12:11 ID:/LYqU+LC
世界史板の住人が「江戸時代は暗黒時代」とか言ってたような
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 05:16:05 ID:+ebVdEsS
まあ一理あるわな
せっかく戦国時代で劇的な進歩を遂げたのに
江戸幕府を開いてから、それが止まったんだから
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 08:37:15 ID:guA+39CV
日本人の気風が江戸時代を境にみみっちくなったのは事実だしなあ
悪いことばかりではないが、鎖国にせよ身分制度の固定にせよ家康〜家光の
支配体制の強化を狙った一連の政策のせいで日本人としての性格が変わったのは
事実だし。
豊臣幕府?
いまごろ日本は・・・。
>>903 江戸時代以前の日本人てどんなだったの?
>>905 俺が俺がのうざい奴がデフォ。
デフォだからうざいとすらも感じない。
>>900 それは、歴史を知らんのだろうな。
ポジティブ要素だけ積み重ねていって薔薇色の歴史シュミレーションを
描けば、どんな時代だって暗黒時代になるさ。
例えば、戦国時代が大きく発展したっていうが、基本的に軍事技術が中心
だし、また、発展の理由は小勢力がひしめきあって競いあってたからな
わけだ。つまり、その前提を維持しないと、戦国時代の発展(それがどの
ようなものかも漠然しているが)は継続していかない。「戦国時代の飛躍
的発展」なんていうが、じゃあ、幕末まで戦国時代やってればいいのかとね。
その場合は、よくってもルクセンブルクあたりの発展しているが小国家って
国家が日本列島に複数乱立して戦争ばっかしていたかもしれんな。
鎖国にしても是非論はあるが、江戸時代で大きく下がったの軍事力だけで、
経済や技術は大きく発展しているわけだし。むしろ、鎖国の弊害ってその
軍事的に劣ることになったって、部分に集約されるべきものだと思うがな。
なのに、司馬遼太郎を含めて、まるで、家康がいなければ、日本はイギリ
スに先駆けて産業革命を達成し、以降、世界一を突っ走るなんて感じの
妄想で語るからな。
江戸城を造った工人みたいな人を、皆殺しにした話は史実なの?
本田宗一郎の逸話みたいなので読んだけど。
世界で最初に先物取引を行ったり、幕府のマネーサプライ調節など
破綻した同時期のブルボン王朝など比べても桁外れに先進的な
江戸時代の経済体制をなんだと思ってるんだろうな。
まあ時代の変遷とともに適応した体制を築けなかった、って点が
現代日本とかぶるから「江戸時代で日本人の意識が変わって云々」
っていう結論になるのかも。
でもそういう奴に限って武士道マンセーするw
江戸時代に変化した価値観の最たるものなのにwww
>>908 機密に触れた人を処分する話は武田の金山やらでも良く聞く話。
真実かどうかは知らんが「あってもおかしくはない」レベルでは
ある。
>>910 250年も続けば制度疲労も起こす。
その末期に組織が硬直化し、新しい時代に合わせて体制変更をできないで
政権崩壊するなんていうのは、世界中を見てもごく当たり前の現象であって、
徳川幕府が特殊なわけではないし、ましてや、日本人を変革に対応できない
存在したなんてことはない。もしも、江戸時代に日本人が変革できない存在
に変わってしまったんなら、明治維新なんて存在せずに植民地化されたろう
しな。むしろ250年も耐えられる体制だったことの方が驚異的なわけで、
また、それが維持できるだけの変革は常に行っていたと考えるべきだな。
家康は好かんが同意だな。
俺も好かんが同意だな
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 08:03:30 ID:byn3JNOk
発足から50年位して、大奥を支えるための存在と化した江戸幕府。歴代老中が改革しようとしたがついに果たせず、ついに江戸幕府そのものが崩壊してしまった。
発足から50年位して、官僚役人を支えるための存在と化した自民党政府。歴代の首相が(以下省略)
歴史は繰り返すって本当だなw
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 10:25:30 ID:O/QgjEJB
家康公の遺訓と遺言碑
東照公遺訓
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
いそぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもえ、勝つ事ばかり知りて、
まくること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり。
慶長(けいちょう)8年1月15日 家康
(人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。
急いではいけない。いつも不自由していると考えれば、
不満が生じるはずがなく、欲心が起きたときには、自分の過去にあった苦しい時代を思い出すことだ。
「堪忍」こそが無事に長く安泰できる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
また、人生では勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動を反省し、人の責任ばかりを追求するな。
何かをやるとき、なかなか到達できないほうが、やり過ぎてしまっているときよりは良い)
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 10:27:27 ID:O/QgjEJB
家康公遺言碑
わが命旦夕(たんせき)に迫るといへども、将軍斯(か)くおはしませば、天下のこと心安し、
されども将軍の政道その理にかなわず億兆の民、
艱難(かんなん)することあらんには、たれにても其の任に代らるべし、
天下は一人の天下に非(あら)ず天下は天下の天下なり、たとへ他人天下の政務をとりたりとも
四海安穏(しかいあんのん)にして万人その仁恵を蒙らばもとより、
家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし
元和2年(1616)
(もはや自分《家康》の命が終わりに近づいたが、
将軍《秀忠》が政治を立派に行っているので、天下のことは心配ない。
しかし、将軍の政道が道をはずれ、多くの人々が苦しむことになれば、誰でもその座にかわるがよい。
天下というものは、一人のための天下ではない。
天下はすべての人のものであり、そのすべての人のために天から任されたものであった。
たとえ、誰かが天下を治めようとも、四海安穏で平安に万人の幸せに通じるのなら、これは家康の望むところである)
やっぱ良いよなあ。
たとえ作り話だがなんだかしらんが、
これは家康にふさわしい。
も、物凄く似合わないな…
間違っても家康がこんな生温い事言うとは思えないが
まったく生暖かくないよ
これこそ諸大名に対する圧制を伺わせる遺言碑でしょ
諸大名も舐められてたんだと感じるのも事実だけど
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:52:52 ID:KI7h+389
>>919-920 家康についての認識を改めたほうがいいと思うよ
家康=狸親父のイメージがそれだけ広まってるということだが
家康の遺言も真意なのか胡散臭いが
とにかく五、六歳の自分のガキ一人さえ良ければそれ以外の事はどうでもいいというような誰かの遺言よりはマシだな
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 14:56:51 ID:KI7h+389
真意も真意、大真意だろ
天下は一人のためのものではない
↓
天下は豊臣だけのものではない、
だから悪政を行った豊臣から政権を簒奪したのは正当だった、の意味があるわけ
薩長は素直に遺言に従った忠義者だから、家康も喜ばなくていけないな。
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 15:16:05 ID:/9mjAzfL
家康公屁理屈碑
わが脱糞(やきみそ)を侮辱する輩に、ぜひ聞いてみたい。
この世に生を授かって、失禁・脱糞をしたことがない人間がいるのか。
オムツ替えてもらっていた、幼児期(ばーぶー期)を思い出せや。
人(ワシ)のこと言えないだろ。このウンコたれどもが。
もっともワシの脱糞(やきみそ)は、大人になってからのことなのだが。
>>922 多分それ言い出したら平行線のまま相容れない様相になるよ。
まー俺はどっかの耄碌じいさんの方が好感持てるがね。
肉親が次から次に亡くなった爺さんには太陽のような存在
だろ秀頼は。
>>926 そのために、秀次とその妻妾男児女児あわせて何十人もブチ殺された
上に、墓も作られずに河原に埋めて「畜生塚」なんて呼ばれたが。
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 18:53:39 ID:KI7h+389
>>924 西郷のようなタイプなら好きだろ、家康は
西郷は道義重視の理想家だよ
現実主義の家康とは正反対
実利より感情を大切にする
だから結果より行動を選んだ大塩平八郎を尊敬していた
西郷と家康ではとてもじゃないが意見が合わないかと
それに西郷は徳川には好意を持っておらず
将軍の首を撥ねて徳川家滅ぼすまでは戦争止めないと主張していたし
>>928 家康は、むしろ長州を褒めてやれ。
関ヶ原でも幕末でも、徳川に踏んだり蹴ったりの目に合わさせてんのに、
まさに重荷を背負って遠い道を上りきり、天下のために新政府を開いたんだから。
>>929 >>928は家康の好みを言っているのであって「家康=西郷」とは
言ってないような…。まあ家康の好みに西郷があっているか、
なんて知らないけどw
三河武士みたいなのが好みなんだったら西郷ってより近藤だよね、
家康の好み。
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:25:03 ID:KI7h+389
家康もどの武将より道義を重視したし、
「厭離穢土、欣求浄土」を掲げた理想家だけどな
家康の時代は理想を掲げて行動することがそのまま現実に直結していたわけ
あの時代は男たちが理想を求めて戦い合っていた時代だから
西郷は「遅れてきた武将」
もはや理想にのめり込むしかなかった
西郷の時代には、家康が創設した当時の理想は影も形もなかった
だから倒幕に傾いて当然だろう
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:18:32 ID:dq6zWKNe
>家康の時代は理想を掲げて行動することがそのまま現実に直結していたわけ
>あの時代は男たちが理想を求めて戦い合っていた時代だから
>あの時代は男たちが理想を求めて戦い合っていた時代だから
>あの時代は男たちが理想を求めて戦い合っていた時代だから
脳内戦国時代、乙。
どんな三文小説だよw
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 09:12:27 ID:gYQMWBcb
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 13:16:30 ID:gin8LBzR
>>933 歴史は全部脳内構築物だろうな
まあ、内容で反論してみろ
>>935 いくらなんでも、贔屓の引き倒しでは・・・
家康の稀有なほどの現実家だったところが好きな自分には、
ちょっとお前の言ってることがわからん。理想のために戦うかよ。
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 14:17:04 ID:gin8LBzR
だから自分の理想を現実化できたのは戦国時代だけたったということ
>>937 理想とは?具体的にどういった理想を各国の大名は掲げていたわけ?
北条、伊達、織田、武田、上杉、毛利、長宗我部、有名どころでいいから言ってみて。
理想というよりも既得権の保護と利益の拡大を目指していただけだと俺は思うけどな。
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 14:52:05 ID:gin8LBzR
まあ他の諸大名はね
ただ実力次第で自分の領土を拡大して自己流の政策を実施できたというところに
今から考えれば一種の「男のロマン」があったと思う
>>939 戦国時代を美化しすぎ、というかロマンや理想など
綺麗事じゃすまない殺伐とした時代というほうが近
いと思う。戦時中なんだよ。
>>939 他の諸大名はね、という意味が分からないのだが、
徳川だけは自分の政策を実現させたいが為に、その欲求を満足させる為に戦争をしていたわけか?
その具体的な政策というのを教えて貰えないだろうか?
>>939 まあ言いたいことは分からんでもないし家康がその種の理想を持ってたのは
同意だがちょっと極論が過ぎるな
若い頃は食うか食われるかの戦国大名の一人だったろうけど
壮年、信長が死んだ頃からそういう家康もそういう「天下布武」のような
キャッチフレーズがほしかったんだろう。それが「厭離穢土、欣求浄土」
であり、家臣団、そして己をもその理念に忠実に動いていったんだろう
関ヶ原が終わって徳川の天下がほぼ決まった後も死ぬまでその言葉に忠実に
生きてきたんだろう。
北条家は儒学的理想主義を政の基盤に据えていると思うが
厭離穢土欣求浄土
やっぱ地味だから
やったことは偉大で遠大だけど着実になしとげたせいか地味に見える
遺言に、同志で尊敬していた明智光秀の存在が写る。
個人や幕府の功績を挙げてる奴はなんなの?
仕事できても嫌な奴は、今でもいるだろ。
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 20:13:24 ID:jB+oj+st
>>947 個人として付き合うんなら、家康はかなり付き合いやすいわな。
自己中じゃないし、たいていのことは向こうが我慢してくれるし、
粗暴じゃないし、金貸してくれなんて言ってこないし、よほどの非が
ない以上処刑とかされないし。
まあ、家康はただの人だから普通に付き合い易いと思うよ
信長なんかは異常人だからとてもじゃないが気楽に付き合えないと思う
>>948 大名や武将としての家康は付き合いやすいと思うけど、天下人・支配者としての
家康はとてもたまらんと思う。
そのあたりは秀吉もかわらないが。
>>950 それは豊臣系外様大名限定の視点じゃない?
あいつらはまあ虎視眈々と取り潰しの機会を狙われているが
支配者、天下人の家康が悪政してないのは散々言われているし
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 21:47:17 ID:jB+oj+st
>>950 無茶な改易なんて、加藤・副島くらいなもんだが。
それすら、家康以降の代に行われたことだし。
後は、武家諸法度のとおりなんだし。
要するに、基本的に大名家は減らす方針だったってだけで。
当時の軍人の大過剰状態を考えればそれもある意味当たり前
だし。秀吉みたいに海外に捨てるんでなきゃ、改易するしか
ないわけで。
少なくとも、子供可愛さに大名を改易したりする秀吉や、
働きが悪いってだけで、左遷どころか追放刑にする信長より
はるかに大名家にとっては安心できるそんざいだったろ。
というか、そういう安心感がないと、大名は家康に味方しな
いよ。三成がそうで、細かい非違をとがめて糾弾する性格
だったために、結局は大名を糾合できずに負けたわけだし。
そういや家康って祖父と父親が家臣によってやられているんだっけ
秀吉が織田家から権力を簒奪(言い方悪いかも知れないけど)したのも
見ているからやっぱり秀忠以降のことにはかなり気をつかっているな
>>1 >日本@名無史さん :2006/09/07(木) 23:34:00
>家康が早死にしてくれればもっと戦国時代を楽しめたのに
>信長は空気読んだのに
こういうことなんだろう、後世の人間に人気がないのは。
当時の人間は別として。
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 23:54:09 ID:jB+oj+st
それをいうなら、秀吉が早死にしててくれりゃあだと思うがね。
もっとも、家康がいなきゃ、戦国に逆戻りは十分ありえるが。
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:18:47 ID:K4tmbj8y
>>955 秀吉は、文禄・慶長の役の前か、秀次殺す前に早めに死んでたら
むしろ豊臣政権が安定した可能性があるからだろう。
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 06:23:09 ID:0VBSoKh1
徳川家康って何人くらい殺してるの?
まあ、10万人未満だと思う
スターリンよりは少ない
>948
>よほどの非がない以上処刑とかされないし。
豊臣秀頼に非があったかねw
>>960 あるだろうね。それも、でっかい非がね。
なにしろ、天下を治める気概も能力もないのに、大坂城で天下人は俺だって
言い続けてたんだからな。おかげで、どれだけの人間が迷惑うけたことか。
時代に逆行する大悪人だわ。
盗人猛々しいな。
せっかく戦乱が収まり天下が静謐になったのに
自分の欲の為に乱を起こした謀反人がw
>>960 例えにするのも恐れ多いが、君は今皇族の誰かが日本の統治権
を主張し挙兵したときそれを悪とは見なさないのか?
>>962 謀反人は誰を指すのかね?仮に謀反人=家康ならば、
高禄外様が政権中枢に入り込んだ豊臣の統治システムが長続きして
天下泰平(江戸時代)以上の「静謐」なる平和な社会が出現したとでも?
そもそも、三成と家康の政権を二分する大乱を起こした時点で
「天下が静謐」とはかけ離れた状態だけどね。
関が原当時は日向守は誰も受領したがらなかったから、1610年に水野勝成が笑い飛ばして受領するまで空位だが。
水野勝成=影武者明智説を提唱w
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 20:17:39 ID:pqWg09CS
>>969 家康の従兄弟(父方の叔母が家康の母)で備後福山藩初代藩主。日向守。
戦国武将としてはなぜか無名だが、ひとたび戦場に立つと陣頭に立って敵を殺しまくってる猛将。
関が原では、搦め手で大垣城攻めを行い、兵数に大差ない状態で、落城を成功させてる。
大阪夏の陣では道明寺の戦いで後藤又兵衛を蹴散らし、・最終決戦の天王寺の戦いで
大阪城一番乗り。一騎駆けを家康に咎められたが、それでも勲功は松平忠明についで二位。
島原の乱にも親子孫三代で参戦。
とてもじゃないが後藤又兵衛を蹴散らしたなんて言える内容じゃないと思うが
後藤基次の部隊に直接当たったのは伊達の片倉じゃなかったか?
水野の部隊が殺ったのは後半戦の薄田兼相の方だったと思ったが。
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 04:59:22 ID:p6KrGeb0
徳川吉宗は人気抜群
だだし10月に検定がきれる為、撤去されている。爆裂機よ永遠に
徳川吉宗だよね。やっぱり。
家康なら、けつ毛までぬかれそうだしw慶喜だと何かが終わりそう。
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 21:37:23 ID:idwRKmia
けつ毛バーガー
実際はどうだったとか関係無い話をするなよー。
ここは今現在人気があるかないか、その原因はなんだ?
を話し合うスレだろ。
書き込みしほうだいやね。
信長は美少女化して萌えキャラになってる事もざらなのに、家康と来たら…。
かわいいタヌキにできそう。
落ちるな
982 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 23:08:14 ID:cQtYtx17
田沼意次が開国やって松平定信が大政奉還してたら、家康の評価・鎖国の評価は変わってた。
後世の評価はいい加減なもんだ。
983 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 00:47:12 ID:b71omYMZ
ナゼ鎖国したんですかね…
諸大名に勝手に貿易されたら困るから。
秀吉の朝鮮出兵で受けた痛手からまだ回復してないから。
キリシタンうざいから。
(`・ω・´) 焼き味噌じゃい
ヽ(*`Д´)ノ<焼き味噌じゃい!
江戸時代を嫌う人間が徳川嫌いなんでは?
大半はあの陰湿な策略だろう
江戸時代が嫌い=家康嫌いは無理あるし、徳川全体を嫌うってのもどうだろうな
陰湿ってそもそもなんなんだろうな?
自分の息子に後継がせるために後継者を一族もろとも惨殺したりする事じゃね。