1 :
ご冗談でしょう?名無しさん :
2010/10/18(月) 00:24:09 ID:E7ftpGF/ 意識は意識すると意識になる不思議。 意識は意識しないと意識にならないので、その意識した意識はどこから意識された結果なのか 意識して考えた瞬間にはもう意識してるし、因果律が成り立つのかどうかさえわからない。 この自発性はどこでどう生まれるの?
2 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 01:00:47 ID:kH97a21L
神を信じなさい。
メコスジ野郎はどこから来るの?
ある種の薬を飲むと意識に変容があったりする。 つまり意識は物理的状態に伴う何か。 パンはなぜパンと成るのか。 なぜ、こういう物理的状態に成ると生物になるのか、非生物と成るのか。 その疑問と変わらない。 どこから来るという問題ではなく、かくかくしかじかの物理的状態に成ると意識が伴うというだけ。
5 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 14:07:07 ID:G5l+ejNj
>>4 それならなぜ、意識という主観的な何かが、生じる必要性がある?
原子や分子が、物理法則により生物の形態を取ったとしても、
物質である脳から、非物質である意識(主観)が、生じる必要性はないじゃん。
外界(環境)からインプットされる情報を、脳という装置で処理して、肉体から
外界(環境)にアウトプットすれば済む話で、主観的にその情報(痛いだとか
寒いだとか美しいetc.....)を感じる必要性はないし、仮にあったとしても、
どうやって物質から非物質の心や意識が生まれる?
そこには超えられなハードプロブレムがある。
6 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 14:35:15 ID:G5l+ejNj
> かくかくしかじかの物理的状態に成ると意識が伴うというだけ。 脳の状態により意識が生じるのではなく、伴うのであれば、 脳の状態と意識や心の間に、相関関係があることになる。 その場合は、物質である脳から意識が生じるという因果関係は必要 なくなるが、物質世界とは別に、意識や心が属する非物質世界が存在 することになる。 なぜなら、そもそもAとBという事象の両方が存在しなければ、AとBの 間に相関関係が成り立つはずもないから。
7 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 14:41:03 ID:G5l+ejNj
そしてなぜ、脳と意識や心の間に、そのような相関関係が成り立つのか?
8 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 14:43:56 ID:G5l+ejNj
× そしてなぜ、脳と意識や心の間に、そのような相関関係が成り立つのか? ○ そしてなぜ、物質である脳と、非物質である意識や心の間に、 そのような相関関係が成り立つのか?
9 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 14:51:11 ID:xBUpbH3D
>>5 「意識」と呼べる物のサンプル数は1個しかないから分からん。
自分以外の人間も、意識を持っているように振舞うが、それが反応なのか意志なのか区別できん。
ただ、意識や自我というものは、
高度な機能を持つ生物個体を制御するのにそこそこ有効なOSだとは思う。
虫のように、反射とプログラムで生命活動することも可能だけど。
10 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 15:14:44 ID:G5l+ejNj
>>9 それでは将来、人間並の高度なAIや機能を、備えたロボットが出来たとしたら、
(十分可能性のある話だと思う)
そのロボットは、意識や心を持つのだろうか?
また、どのくらい高度なAIや機能を備えたときに、意識や心が芽生えるのだろうか?
パソコンにも意識はあるのだろうか?
意識や心を持つようになる境界線とは何なのか?
>>10 ペンローズ先生は何か言うとったな。
反論も多いがな。
生命と意識の誕生は同時だったと思う。つまり生命=意識。 初めの生命のちょっと前までは接触した物質と化学反応してただけだけど、なんかの変化があって周りの物質を取り込みながら活動するようになったんだよ。 その活動の仕方は一見すると本能で機械的みたいだけど、誰かが書いてたみたいにその生物になってみないとただの反応なのか意志なのかわかんないじゃん。 プログラム組めばそれっぽく動きはするけどだからといってバクテリアの一生を再現できるわけじゃないしさ。
13 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 21:06:24 ID:G5l+ejNj
>>12 人間などの生物は、激しい接触事故などにより気絶して、
意識を失う事があるが、君の説だとその説明が出来ないと思う。
なぜなら、意識を失っている間も、体は生命活動をしていて、
人間の細胞や諸器官は活発に活動しているが、
それらの細胞や諸器官は、君の言う意識を持った生命くらいの
機能はあるはずだ。
それにもかかわらず、気絶した人間は意識が無い状態のまま
じゃないか。
あきらかに脳が接触の衝撃などにより、意識の無い状態に落ち
いっているとしか思えない。
ちなみに、リベットの実験によると、人間が例えば指を動かすなど
の行動をする時は、指を動かすと意識的(意志的)に決めるよりも
前に、脳の指を動かす部位が、神経過程を開始するようだ。
つまり、意識的(意思的)に指を動かそうと思った時点より前に、
指を動かすことは決定されていた事になる。
てst
15 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 21:49:30 ID:G5l+ejNj
ここでリベットの実験結果は、我々にある種の疑問を抱かせる。 我々の行動が、意識的(意志による)決定の前に既に決められているとしたら、 つまりは、人間の意識的(意志による)決定が我々の行動過程に関与しないとしたら、 あるいは意識的(意志による)決定が脳が作り出した錯覚にすぎないとしたら、 なぜ我々は意識や心などの主観性を持っているのだろうか? なぜ、機能的に何の有用性もない、意識や心などの余計(?)な 主観性を持つのだろうか? 人間は他の人間などを客観的に観察することが出来るが、 まるで我々の中にそなわる主観性が、我々自身を内側から、 ただの観客として観察しているかのようだ。
ああ、論理的に考えようとし過ぎる典型だね。 そういう即今の概念に囚われる左脳主的思考は新たな発展や進化、 可能性を否定してしまうタイプ。 この世には未知で人知では計り知れない『何か』が存在する 我々人間や生物は、特別なもので何らかの訳があって神が創ったに違いない まあ、意識ってのは魂だと俺は思うね。 意識と脳は独立した存在であると俺は推測している
そして、何よりも俺は
>>15 の理論を否定する
あり得ない
それは魂の否定だ
神に対する侮辱だ
さすれば、それこそ生物でさえ単純で機械的な動きをしてしまうはず。
人は意識の中で思考し、結論を出し、行動をするのだ
18 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 22:17:52 ID:G5l+ejNj
>>16 なるほど。
あなたはデカルト主義者ですね。
では、意識(魂)と脳が独立した存在であるとしたら、なぜどのように、
非物質的な魂と物質的な脳とが、相関関係あるいは因果関係を持つ
のでしょか?
実験により脳の状態が○○のとき、意識(or心)状態は△△である
との相関関係は、有る程度解るようになって来ました。
>>13 体の細胞と自分の意識って別々なの?
自分の意識も脳細胞が出した意識なのはたぶん合ってると思うから、体の一部の意識が失われたからといってその他の細胞には意識はないっていうのもなんだか早計な気がするよ。
あとリベットの実験調べてみたけど、「自分の心が「曲げよう!」と意図せずに意図する時刻」は計ってないんだ?
誰でもそうだと思うけど、歩くにしても走るにしても意識して動かしてたらぎこちないよ。
人と話してるときだって相手を意識してうまくしゃべろうとすると却ってうまくしゃべれないじゃん?
20 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 22:22:15 ID:G5l+ejNj
>>17 意識を研究する人の中には、人間の自由意志を否定する人もいます。
でもこれって、神なるものを肯定することになりませんか?
なぜなら、人間が人間の行動を決定しているのではなく、神≒自然(?)
が全てを決定している事になりますからね。
なんで物理板で自由意志とか神とか議論し始める奴がいるんだろうね
22 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 22:31:08 ID:lls1TZc8
>>18 それは人知では到底輪理解することのできない領域
説明を求められても解るはずない
だからといって魂の存在を否定されては困る
この世に不思議など☆の数ほど存在する(と思う)
では、ここで聞きたいが、
私達の細胞、一つ々が私達の知りうる全ての物理的現象を知っている、それどころか
それを遥かに超えて、この世のすべての現象を把握できてるに違いない
では、その情報は一体どこに保存しているのか?
どこから、それを知りえたのだ?
なぜ、そんなことを知っているのか?
こんな事、どうなったって、解るはずもない。
ただ、現に起きているからそうなのだ、と言わざる終えないのだ。
今、私達が観測できるものとして
これもまた、魂の存在と同等の不可思議ではないだろうか?
故に、魂も存在し得ると私は君に言いたい
対象を限定することが学問の条件ではあるけれど どのように対象を限定すれば現時点で最良か、ということは やってみなければわからない。 未踏の新天地を求める気概がないとか、建設的になれないと感じるならば、 黙っていればいいだけのこと。
スマトラ地震の大津波で日本人観光客を乗せたまんま山へ逃げた象さんは、たぶん人間より深く知ってるものがたくさんあると思う。 でもそれを調べてみたところで人間には価値のないものばかりだから気づかないだろう。
26 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 22:38:16 ID:G5l+ejNj
>>19 では、人間などの多細胞生物は、単一ではなく無数の意識をもっていることになるのしょうか?
「思考の無意識的原因」 → 「思考」 → 見せ掛けの因果的な経路(意識的な意志の経験)→ 「行為」
↑ ↑
|(無意識的な経路) ↑
↓ ↑
「行為の無意識的原因」 → → → → → → → → → → → → → → → → → → →↑
物理の話でないな。
人間の意識に対する研究は「未踏の新天地」ではない ずいぶん昔からある その長年の研究成果は良く知らんから詳しい人教えて
それならば、二重人格の説明が付かない。 いくら多重人格であれ、行動に沿って意識が脳によって作られてるのであれば 同じ行動をするはずである。 やはり、意識(人格)の違いが、行動に相違を生じさせるに違いない ならば、やはり意識から行動は生まれるのだ
多細胞生物が単一ではなく無数の意識をもっていたとしても それは俺にもお前にも認識できないし(多重人格者は何者?) 測定装置にも引っかからない
>>26 持ってると思うけど電線に止まってるカラスの意識を感じれないのと同じように眉毛一本の意識は感じれないと思う。
もし感じれたらカラスや眉毛一本を動かせるってことだしさ。
32 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 22:44:59 ID:G5l+ejNj
○ 「思考の無意識的原因」 → (現実の因果的経路) → 「思考」 → (見せ掛けの因果的な経路(意識的な意志の経験))→ 「行為」 ↑ ↑ |(無意識的な経路) ↑ ↓ ↑ 「行為の無意識的原因」 → → → → → → → →(現実の因果的経路) → → → → → → → → → → →→→→ ↑
故の人類保存計画が存在する訳だな?
34 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 22:51:18 ID:G5l+ejNj
意識の研究者の中には多重人格を否定している人もいます。
>>31 意識を感じられない?
では、今は意識があると感じられない意識とは、何なのでしょうか?
それはもはや意識とは言えないのでは?
仮にそれも意識だとしたら、その意識は何のためにあって、生物に
とってどのような機能を有しているのでしょうか?
35 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 22:53:59 ID:Zt9vx0is
意識は脳からくる。 脳は細胞分裂によって生成され つまり生まれると現れる。 遺伝子情報である。 意識は電磁気である。 電磁気は波である。 波は振動である。 すべては波である 宇宙は波である。 波は質量が無い。
>>34 感じられるわけないじゃん。
感じられるわけがないからこそ、間違って田んぼのマネキンに挨拶しちゃったりすることだってあるんだしさ。
逆に感じられるとしたら相手が何考えてるか自分のことのように分かっちゃうはずだよ。
>>34 そんな事言ったら
自分以外の人はすべて意識なんてものはない事になるよ。
38 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 23:06:13 ID:nESnxpgG
39 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 23:09:43 ID:G5l+ejNj
>>36 ああ、他の生物や人の意識は、感じることが出来ないという訳ですね。
それでは、仮に細胞一つ一つに意識があって、感じることは出来ないとしましょう。
では、そもそもなぜ意識などと言うものが有る(必要なのか)のでしょうか?
>>39 脳細胞ひとつひとつにもそれぞれ意識があるにもかかわらず、なぜ我々自身の意識が(余分に)あるのか。
それは、もしないと動き回れないから。
41 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/18(月) 23:50:03 ID:G5l+ejNj
>>40 意識がないと動けないのなら、意識が肉体に行動させる作用因(原因)という訳ですね。
それでは、いかにして非物質なる意識や心が、物質である脳なのどの肉体諸器官とリンクして、
動かしているのでしょうか?
いいかえれば、非物質と物質がどのような方法で接点を持ち、因果関係を持つに至るのでしょうか?
>>35 意識は電磁波の結果じゃないの?同時でもいいけど。
その電磁波はなんのエネルギーを受けて生まれたの?
意識=電磁波=振動=波=質量0
思えば質量0のものが糞重たいビル建てたりしてるんだからなあ。
E=mc^2なんて嘘でしょ。
この宇宙は物理的には、物質と電磁波と真空から成り立ってるんでしょ? 物質が27%で、電磁波がその1万分の一くらい? で、真空エネルギーが73%だっけ。 物質と非物質って結構接点ありそうじゃん。 どっかに答え落ちてないかな・・
44 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/19(火) 00:22:29 ID:3FVs/wyK
ほんとディラックの海は何でできてるのかなあ
45 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/19(火) 00:47:37 ID:jVUgEMhI
単なる認知と、意識との違いは、神経回路に予測活動を伴うかどうかに関わる希ガス
>>15 >なぜ我々は意識や心などの主観性を持っているのだろうか?
問いが二通りの意味を持つから二通りの答えを書くけど、
@それ以外の状態というのは有り得ないから問う意味がない。
A我々が、存在すると思いこんでいるだけ。
のどちらがだと思う。
おい、物理とは関係ないぞ、1は削除依頼だしとけよ。
48 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/19(火) 17:52:05 ID:EItbfKTw
>>46 @を選択する事は、科学的探究精神に反し、人類の進歩が止まってしまうので、
Aを選択するとして・・・
なるほど、仮に我々の主観性あるいは自我と言うものは、脳の作り出した錯覚
= ばらばらの意識の断片を、時間的にも空間的にも統一した、統一意識(自我)
だとしましょう。
それでもなお、脳の情報処理過程で発生する、映像や臭いや、冷たい熱いなどの感覚
= 質感 = クオリアや、それに伴って生じる美しい醜いや、好き嫌いなどの感情
= 非物質現象が、なぜどのように物質の塊たる脳の神経系から、発生するのか・・・
と言う問題は残りますよねぇ。
あるいは、物質と非物質を明確に区別すること自体が、間違っているのかもしれませんねぇ。
とくに、量子論あるいはひも理論的な大きさの世界では・・・
49 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/19(火) 17:59:13 ID:nX3JHi5n
>>48 >量子論あるいはひも理論的
それっぽい事くどくど書いておいてこれかよ。
台無しだw
>>48 他人がクオリアを有するかどうかというのは不可知なわけで、
それが存在すると判断されるのは、文化的、社会的に要請されるから。
キリスト教文化において神が存在すると判断されているのと事情は変わらない。
こういう事情をさして思いこんでいるという言葉を使ったわけで
この思いこみの上に更なる理屈を付け足していっても、
元が根拠の曖昧なことであるから、いつかは破綻するでしょう。
自分がクオリアを有するというのは、自分に対してのみ開示された事実ですが、
これを他者に対して証明することはできない。
仮に自分がクオリアを有することを他者が認めたとしても、
その他者は正しい推論によってではなく、思いこみによってそう判断しただけ。
では、なぜ自分はクオリアを有するのか、という問いが出れば、その答えが@になる。
自分は自分がクオリアを持たない状態を経験することがない。
自分というものはこの状態しか有り得ないわけで、それに疑問符をつけるのは
なぜ三角形の辺は三つなのかとか、なぜ物理法則は不変なのか等を問うのと
同様な試みとなるでしょう。
ちなみに過去の自分は他者に準じて考察されるべきなので、
過去の体験に基づいて、自分はクオリアを持たない状態を経験した
ことがあるという意見を出したいときは熟慮願いますね。
脳細胞は超弦理論の境界面とつながってんの? まあこの世の現象が全部境界面の写しってことらしいんだけどさ、重ね合わせとかはともかく観測問題って意識したときにはすでに意識になってるのに似てるね。 自分が意識してるから意識してる自分が主体って感じるけど、観測問題ってまるで観測対象がこちらを謀ったように振舞ってるし、案外自分と感じる意識に自分が謀られてるみたいな危うい存在かもしれないから、 そういう意味では自分そのものってどこにも存在してないのかもしれないね。 ただひたすら現象としての自分があるだけなんだよな。左手で持ってたものを右手に移し変えるその過程みたいなの?移してる時にだけ自分が出てくるの。 じゃあその移してる主役は誰?ってなるけどそんなのはどこにもいないと思うわけ。だってこの宇宙そのものが突きつめればなんのきっかけも原因もなく存在してるわけでしょ。 理由じゃなくて原因だよ。例えば誰かが交通事故で怪我したっていう原因ってドライバーのわき見運転が原因だってなるけど、わき見した原因ってテレビ見てたせいってなっても、じゃあテレビ見た原因は?ってなってテレビから女の悲鳴が聞こえたからってなったって、 じゃあその悲鳴を流した理由は?とか悲鳴が聞こえるとなんで画面見るの?とか理由がそれこそ無数に分岐するでしょ。果てはなんで俺(ドライバー)がこの世に生まれたんだとか、人類がなんで誕生したのかとかそういう方向へ行っちゃうわけ。 そういうきっかけや理由の無さというものが支配してる世界というのがこの宇宙であって意識なんだと思う。 だから意識の存在理由なんて永久にわかりっこないよ。
意識の存在理由じゃなくて、意識の原因だったw
>>51 >じゃあその移してる主役は誰?ってなるけどそんなのはどこにもいないと思うわけ。だってこの宇宙そのものが突きつめればなんのきっかけも原因もなく存在してるわけでしょ。
大脳新皮質
54 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/19(火) 22:39:34 ID:EItbfKTw
私は、「なぜクオリアを有するのか」とか「意識があるのか」という 問題は、「なぜ三角形の辺は三つなのか」とか「物理法則は不変なのか」 などの普遍的かつ抽象的な問題とは、明らかに違うと思いますね。 なぜなら、人間などの有るていど高等生物が生まれる前には、クオリアや 意識は無かった訳で、元々ある普遍的あるいは抽象的な何かでは、無いと 思うからです。 もっとも、元々クオリアや意識は存在して、脳がそれらと何らかの形で、因果 あるいは相関関係を、持っている可能性もあるわけですが・・・ また、自分も含めるこの世界の全事象は、原因を辿って突き詰めていくと、 我々の宇宙の始まり = ビックバンにたどり着くと思うのですが・・・ 問題は、その原因と結果からなる無限永遠サイクルのなかで、今の私が右手 を上げた時に、なぜ意識などという無用の長物(?)が、その行為を認識してい るのかと言うことです。 仮に意識などというものが無くても、環境からの情報をインプットした脳が、 情報処理を経て加工した情報を、肉体を通じて外界(環境)にアウトプット するという、生物機械的な作業をしていれば済むはずなのに・・・ ということは、何らかの必要性があって(無い?)意識や心というものが生まれたと 思うのですが、何時なぜに、そしてどの様なな仕組みで、物質なる脳から非物質の 意識が生まれ、そして我々の行動にどのような影響をあたえるのか? それとも与えないのか?
超弦理論によると、意識は弦の振動の仕方の結果生まれた副作用のようなもの? ますます複雑に振動して増えまくって際限なくエントロピーを増してくらしいからやがては宙に浮かす事だってできるかも。
>>54 そもそも意識を持たないものが先行して動いて意識を生み出すってのは妥当な推測なの?
じゃあその意識を持たないものが実は意識を持ってたって話しになると思うけど、物質から非物質が生まれると考えるのってそういうことだしその辺どうなの?
意識を持たないものが意識を生み出すんだからその過程そのものが意識的だと考えてもいいんだから、物質は非物質って言い換えてもいいくらいの話に広がっちゃうんじゃないの?
なあ誰か物理量と数式を使って意識だか何だかを表してくれよ それが出来なきゃ物理板の範疇にねーよこの話は
>>54 自分のクオリアに関する問題と他人のクオリアに関する問題は、
はっきりと区別して扱わないといけないと思うわけですよ。
もし区別する必要はないと考えているのなら、それが意見食い違いの原因と
なっていると思われるので、その理由を教えてください。
>普遍的かつ抽象的な問題とは、明らかに違うと思いますね。
>なぜなら、人間などの有るていど高等生物が生まれる前には、クオリアや
>意識は無かった訳で、元々ある普遍的あるいは抽象的な何かでは、無いと
>思うからです。
ここで、なぜなら、として挙げている事柄は、他人のクオリアに関する問題。
自分のクオリアに関する問題に対して与えた回答は、この事柄に関知しない。
>ということは、何らかの必要性があって(無い?)意識や心というものが生まれたと
>思うのですが、何時なぜに、そしてどの様なな仕組みで、物質なる脳から非物質の
>意識が生まれ、そして我々の行動にどのような影響をあたえるのか?
>それとも与えないのか?
これも他人のクオリアに関する問題。なのでAで答えたとおり。
他人がクオリアを有するかどうかは不可知で、文化的社会的要請の中で
「人は一般的にクオリアを有する」という認識を持つようになったに過ぎない。
これは事実に基づいているわけではないので、神学論争に成らざるを得ないのです。
「神はいつから存在するのか、なぜ存在するのか、どうして存在できるのか、
どのようにして世界に働きかけるのか、それとも働きかけないのか」と問うのと同じ。
59 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/20(水) 08:04:38 ID:/4AwjOpx
>>58 まあ、確かに他人のクオリアに関しては知る術はないのですが(これが意識や心の問題を
ハードプロブレムにする所以の一つですが・・・)
私は、私以外の人間が、意識や心を持たないゾンビだとは、どうしても思えないわけですよ。
なぜなら、人間の脳の構造は、DNAにより似通った設計になっている訳で、その脳から発生
する意識や心は、有る程度は人類共通の内的パターンを有すると思うのです。
もちろん、他人の脳から意識や心が発生している事を、証明や確認する術は無い訳ですが、
少なくとも自分の脳からは、意識や心が生じているので、構造的に似通った他人の脳からも、
意識や心が発生していると推測できるのです。
もっともこの推測は、脳から意識や心が生じるという前提での話なので、その他の可能性も
十分有り得ますが・・・
なんだろうな
どのような集団においても少なからず意識は存在する、としても問題ない気もするけど
この場合
>>46 のAの答えと変わらんな
>>54 >なぜなら、人間などの有るていど高等生物が生まれる前には、クオリアや
>意識は無かった訳で、
ほんとかなーw
閾値があるわけでなく、連続的な変化でないの?
>情報処理を経て加工した
それ、意識とどう違うの?
>何らかの必要性があって
高度な群れ=社会を築くには便利だよな。
過去の自分の情報処理過程を参照して
他の個体のアウトプットを推測するのに。
あるいは、学習して自分の行動を適切に修正するのに。
>>56 >そもそも意識を持たないものが先行して動いて意識を生み出すってのは妥当な推測なの?
それはフロイトが無意識と呼んだものではないか?
普段記憶に残らない無意識でも思考や情報処理されているんでしょう。
あるいは、脳->行動には違いないと思うけど。
他人のクオリアが無い可能性とか、考えるべき優先順位低いと思うけど。 確かに証明不能だけど、他人のクオリアが無いと信じるより 他人にもクオリアがあるだろうと仮定する方が妥当な可能性が高いでしょ。 証明可能性が少しでも垣間見えたら、そこで頑張ればいい。
64 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/20(水) 08:57:34 ID:/4AwjOpx
>>61 > 意識は無かった訳で、
単なる私の推測ですw
> >情報処理を経て加工した
> それ、意識とどう違うの?
情報処理の過程に、意識など必要ないと思います。
現に、人工知能の情報処理過程に、意識はないと思われます。
(有るかもしれませんが・・・哲学的に言えば、それを知る術は無いとなりますねw)
もっとも、将来さらに優れた人工知能が出来たときに、意識が芽生える可能性はありますが・・・
> 高度な群れ=社会を築くには便利だよな。
> 過去の自分の情報処理過程を参照して
> 他の個体のアウトプットを推測するのに。
> あるいは、学習して自分の行動を適切に修正するのに。
何故その作業過程に、意識が必要なのでしょうか?
現在の人工知能にも、そのような作業は有る程度可能だと思うのですが、コンピュータに
意識は有るのでしょうか?
>>59 「A我々が、存在していると思いこんでいるだけ」というのは、
「実は本当は存在しない」という意味は含んでいないですよ。
他人がクオリアを有する証拠や反証は、この世界の何処を探しても存在しないけど、
人は「他人もクオリアを有する」という仮説を受け入れて行動している、というような意味。
これは仮説なのだからバリエーションを取捨選択できて、
一方の端に「万物がクオリアを有する」とする人がいれば、
もう一方の端に「自分しか(自分さえ)クオリアを有さない」とする人もいる。
ところで「他人がクオリアを有する」や「他人が哲学的ゾンビでない」とは、
簡単に書くことはできるけど実際はどういう状態なんでしょうね?
頭の中で思い描いてみても、その状況は、
「他人の中に自分の心があって、その自分の心が他人の目や耳を通してクオリアを感じている」
というようなもので、クオリアを感じているのは、あくまで自分になってしまう。
このような状況は他人がクオリアを有する状態を正しく思い描いていると言えるのでしょうか?
>>62 無意識も意識じゃないの?
自分が気づかない意識ってただ単に自分が鈍感なだけだったり。
勉強とか仕事とかテレビとか遊びで忙しくてなかなか敏感になれない時代じゃん。
>>64 >情報処理の過程に、意識など必要ないと思います。
>現に、人工知能の情報処理過程に、意識はないと思われます。
>もっとも、将来さらに優れた人工知能が出来たときに、意識が芽生える可能性はありますが・・・
知るすべがないのに、「意識はない」とはこれ如何に。
別に明確な閾値があるとは思えないけどな
68 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/21(木) 12:17:45 ID:z3klydEh
統合失調症の患者は、「強制的に意識させられる」という体験をしばしば 訴えているので、脳の中に意識・無意識を制御するシステムがあると みなしていいかと。
意識は情報処理後に現れるただの副産物かもしれないな、 もしかしたら自分には決定権は無いのかも
あなたは人殺しましたが、決定権がないので全員一致で無罪です。
脳髄は物を考えるところにあらず
他人のクオリアも自分のと似通ったものだという暗黙の了解がないと芸術は速攻で破綻だね。 まあ芸術なんてうさん臭いし破綻しても個人的には別に困らないけど。 ただ自分には艶があるように見えるのが他人には艶消しに見えるってなったらしょっぱい砂糖くらいに不信感に満ち満ちた世界になるだろうね。 もはやヒキこもるしかない。
そもそも自分と他人を科学的に定義なんかできんの? 他人を素直に見るってのと見たいように見るってのはその場その時その都合でコロコロ変わるじゃん。 気分が良けりゃいい人になるけど、気分が悪くなった途端に袈裟まで憎いったりゃありゃしないんでしょどうせ。 こういう風にどんどん話を進めていくとさ、自分と他人の境界線なんか何にもなくなっちゃうんだよね。 更に言えば自分=他人なんて話にもなっちゃうでしょ。 この宇宙、この世界はあんたが見たいように見てる世界なんだよ。 この世は意識の生き写し。 意識を解明したように思えてもそもそもそれも意識の写し。 目の前の鏡で自分が自分の目以外の何かを見つめてる自分の目を見ようとしたって無理。 見ようとした途端に自分の目を見てる自分しか絶対に見えないよ。
>>73 >そもそも自分と他人を科学的に定義なんかできんの?
できる。
二行目以降は科学的の「か」の字もないポエムなので流す。
>>74 意識も科学的に解明できてないのに意識抜きで定義なんかできるわけないじゃん。何言ってんの?
>>75 意識不明の重体となったA氏とB氏は同一人物かもしれないんですか?
>>76 意識不明じゃない健常者のA氏とB氏は互いに自分を見てるんじゃないの?って言ってるんだよ。
そもそも意識不明の重体となったA氏とB氏は同一人物かもしれないんですか?なんて質問は、意識が不明なのに同一人物とかわけわかんないこと言ってるし、それでよく科学の「か」の字もないとか臆面もなくいえるよね。
>>77 せっかちだな。
まず言っとくと、俺はスピリチュアル系の本を割と読んでるから、あんたの発言の
メタ的な意味は知っている。
その上で、だ。
意識のあるA氏、意識を失ったB氏、意識を失ったC氏、自分。
この中で自分だと認識している自分以外が他人だよ。
ただし、自分を自分だと認識できない人もいる。
そういう人は、脳になんらかの問題がある場合が多い。
つまり自分を自分だと認識しているのは、正常な脳の作用。
自分と他人の区別とは、脳の作用に還元できる。
>>78 >せっかちだな。
見たいように見てる自分に気づいてんの?
スピリチュアル系の本をほんとに割と読んでんの?
スピリチュアル系の本を割と読んでるくせに、便宜上の自分と他人の区別とかの話してるし。 意識って便宜上のものなの?って話だよな。
>>79 バシャール、シルバーバーチ、ワイズマンの前世療法、ヘミシンクを紹介した・・・坂本だっけ?
が書いてる本など。
あとちょっと毛色の違うところでは、「前世を記憶する子供たち」や「ダイアネティックス」とか
エドガー・ケイシーはなんとなく性に合わないので読んでない。
江原何某の本も読んでない。
>>80 便宜上のものだよ。
>>81 ふーん。いろいろ読んでるんだね。
で、その知識でいろいろ色つけて見てるの?
意識が便宜上のものだったら便宜する意識はどうやって便宜するの?
>>82 ま、気持ちは分からないでもない。
俺だって小学生の頃はひそかに、かめはめ波の練習をしたことがあるしw
>意識が便宜上のものだったら便宜する意識はどうやって便宜するの?
「便宜」「意識」をどう定義するかによって変わるし、議論の途中で定義をすり替えれば
いくらでも議論を長引かせて平行線にする事ができる。
この手の議論は結局、どの視点でどう定義し、何を議論するかが問題だ。
例えば、今お前の腕の中を流れている血液に含まれる水分は、一年前は太平洋の
海水だったかもしれない。
物質循環によって現在のお前が構成されているのだから、可能性としては有り得る。
ならばお前の身体は太平洋の一部なのか。
何をもって太平洋と定義するのか。
残念ながら、このような「定義」の定義を曖昧にした詭弁が
>>73 の発言内容の本質だ。
>>83 名前は実体じゃないことくらいは知ってると思ったけど。。
残念です^^
>>84 そう、それを典型的な詭弁と言う。
ものは試し、実体の定義を書いてみな。
あなたのようなタイプの人間は、実践が絶対的に足りていないのが特徴だ。
自他の区別はなくても意識は存在する。エピソード記憶も必要ない。 意味記憶はないと意識できない。赤ちゃん状態になる。
意味記憶がなくても、入力と識別する機能があればいいのかな。
>>85 名前は実体じゃないのに、実体を名前で言ってみなって輪をかけた詭弁だね。
何らかの脳の活動が一時的に低下して、 意識がなくなって、その他の観測データでも 無意識内でも高度な活動が休止しているとする。 その後、回復したとして、 活動が低下している間は、意識が活動再開に必要な状態は どこかにセーブされているのかねえ? それとも、極端に演算速度が低下してて 消失しているように見えるだけ? もしもセーブできるなら、原理的にはコピーできそうだね。 もっとも、技術的にはどうしていいかわからんし、 受け皿となるコピー先は コンピューターシミュレーションなのかもしれないが。 ああ、「ディアルポラ」や「ウェットウェア」のようなSF的可能性は 少しでもあるのだろうか?
>>89 >何らかの脳の活動が一時的に低下して、
>意識がなくなって、その他の観測データでも
>無意識内でも高度な活動が休止しているとする。
文章が壊れてた。脳の活動が低下しているに違いない。
正しくは、
何らかの理由で脳の活動が一時的に低下して、
意識がなくなったとする。さらに、その他の観測データでも
無意識内でも高度な活動が休止しているように見えたとしよう。
でした。すまん。
脳死判定後に蘇った例ってあるの? まあ脳死判定自体がアレだけど。
夢の世界って何次元?
夢精の世界ってメコス次元?
94 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/22(金) 18:26:25 ID:ctdOxg7r
忙しくてレスできない・・・ (>_<)
>>65 確かに「コウモリであることはどういうことか?」と問われれば、私には想像することさえ
困難でしょう。
ソナー(音響定位法)を使って、環境世界を知覚するコウモリと人間とでは、その意識的
経験(コウモリに意識があるとして)が、まったく違ってくるからです。
しかしながら、「あの人であることはどういうことか?」と問われれば、共通する知覚方法
= 意識的経験を有する私にも、容易に想像することが可能でしょう。
もちろん他人のクオリアを経験することなど、原理的には不可能な訳ですが・・・
もし、クオリアや意識や主観的経験などの、自我 = 私という感覚が、脳が作り出した錯覚
だとしたら・・・そもそも、このような問い自体が、無意味なものとなりますね。
>>89 意識が時間的に連続したもの = 私という自我が確かに存在すという感覚が、もし錯覚
だとしたら・・・意識を回復した後に、脳が記憶情報などを元に、時空間的に連続した(因
果的に辻褄の合う)自分という主観的経験世界を、再構築すれば良いのでは?
もっとも、もし、意識というものが錯覚であれば、「意識を回復する」という言い方は、可笑し
なものとなりますがw
意識を意識する意識は意識されることはあるんだろうか? 意識を意識する意識を意識しようと意識する。 これは病気だよ。 意識即自分でしょ。jk
宇宙人であることはどういうことか。 耳が大きくて牙が生えてて、空は飛べるけど走れない。 暗闇を好んで住処にして、宙吊りで寝るけど風呂には入れない。 遺伝子的には人間といくらか違うだけで、姿はまるで鳥のよう。 哺乳類なのに巨乳じゃありません。 そしてそんな説明に納得できない宇宙人がいました。
97 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/22(金) 20:44:11 ID:ctdOxg7r
>>95 なんだか、我思うゆえに我有り、と思う我あり、と思う我有り、と思う我有り・・・・以下永遠に続く・・・・
に似てますねw
考えてみてください。
最初に、意識だとかクオリアだとか主観だとか、行為の第一要因(自由意志を生み出す、非物質的な何か)
や、経験世界が有ると仮定するから、様々な矛盾や問題などの、ハードプロブレムが生じるのではないでしょうか?
人類などの高等生物は、進化の過程で、意識や自我などの高度な機能を獲得したのではなく、意識や自我など
の主観世界が、あたかも存在するかのように、錯覚させる脳機能を獲得したのではないでしょうか?
恐らく、そのような思い込みをしていた方が、その固体や種にとって、生存に有利だったのでしょう・・・でも、このよ
うな考え方に馴染むには、時間がかかりそうですね。
>>97 還元主義的方法が完全じゃないというのは確かかもだけど、主観世界が存在しないと仮定すると広義での客観世界(地球人類の主観)も存在しなくなっちゃいそうだから科学の存在意義が問われかねない事態になって馴染むことは永遠になさげ。
コウモリが超音波を使うのは人間がそう見るからそういうことになるんだろうけど、そういう見方を取り払っちゃうと観察すること自体がなくなっちゃうからコウモリと呼ばれる生き物がそこに居るってだけになるよね。
このときコウモリを見てる人間は居るのか居ないのかわかんないよな。居るんだけど自分しかそこに居なければ居ないことになっちゃいそうだしなんか量子の世界みたいだw
その時にコウモリについての何がわかるのかって問題になると思うけど、クオリアってそういう領域の世界なの?クオリアって「見てくれ」のことだし、それが部分の寄せ集め以上の「何か」に関わってるなら部分をいくら見ても無理って気はする。
無理なら錯覚の部分を取り払ってなにか本質が見えるのかっていうとそうでもなさそうだし、思いつくのは着の身着のまま動物みたいに何の悩みもなく満たされた生活が送れることくらいかなあ。
意識の原因を求めるようなそういう物の見方を根本から改めるというのは確かに時間はかかりそう。見たい知りたい欲求があるしさ。人間が奇特なだけ?
>>91 >脳死判定後に蘇った例ってあるの?
意識をセーブするハードまでこわれたんじゃ
だめだろう。
脳死判定の方法が完璧でかつ現場での判定手順が完璧であっても、後者ならともかく前者が完璧ってどうやって決められるんだろう・・・
クオリアに関してコウモリの話題が出るのはドーキンスのインスパイア?
ネーゲルだろ?
103 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/22(金) 23:34:56 ID:ctdOxg7r
>>98 まあ、いきなり意識は脳の作り出した錯覚と言われも、頭で納得するのは難しいですよね。
私達は、無我の境地を体験(体験する主観が無いのですから、おかしな言い方ですが)した、
禅僧では無いのですから。
ですが、よく考えて見るとると、私達は普段から、意識とか主観とかクオリアとかを、意識して(笑)
生活しているのでしょうか?
むしろ、大半の時間は、そんなことは特に意識していない(笑)のでは?
そのことから考えても、人間などの高等生物は、まさに意識や主観やクオリアなどを、考える
事が出来る為に(考えることによって)それらの概念を生み出しているのでは、ないでしょうか?
そして、時間的に連続して存在する、確たる主体(主観)としての自分・・・ちょうど冷蔵庫を開け
た時には、いつも電気が点いているので、いつも電気は点いていると思い込んでいるように ・・・
意識や主観やクオリアを考える時には、何時もそこにそれが有るように感じるので、永続的な
自分(自我)が存在すると、思い込んでいるのでは、ないでしょうか・・・
>>103 対象を意識して見るのと、意識しないで見るのとでは対象そのものに変化はあるの?
もしかしてこの宇宙は人類が思っている以上に単純な構造なんですかね?
もしそうじゃなくてもっと深いなにかの構造があるとしたら、それを錯覚のまま見せられてる意識を取り払って、錯覚じゃないものを見ることはできるの?
意識が錯覚なのか、意識が錯覚を作り出してるのか、またそういう考え方に錯覚は入ってないのか、意識して考えることでしか結論は出なさそうだけど、意識しないで意識を分析するのって可能なんですかね。
カプチーノ vs めこすじ豆腐店
106 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/23(土) 00:48:08 ID:zUJngeOE
>>104 意識が錯覚である以上、意識してあるいは意識しないで、対象を見ると言う
表現自体が、おかしい事になりますね。
誤解を恐れずに言えば、対象を見るという行為は、対象その物になるという事
では、ないのでしょうか?
宇宙の構造については、物理学者に任せるとして、錯覚のまま見せられてる
意識を取り払うのではなく、意識自体が錯覚なのです。
それに、事物を観測する(と思っている)側の、意識や主観が錯覚と言うのです
から、見せられていると言う表現も、おかしい事になります。
また、意識して考えることでしか、結論は出ないと言いますが、そうではなくて、
意識について考えるから、意識が有ると錯覚するのだと思います。
もちろんこの考え方は、数ある考え方の一つにすぎないと思いますよ。
このやり取りを見ても解るように、いかに我々の思考の根っこに、意識と言う概
念が、深く根付いているのかが解りますねw
>>106 意識が自分の存在そのもので、それが錯覚なら自分も存在しないことになっちゃうよ。
深く根付いているというか、自分そのものってことじゃないの?
だからそう考えるより他ないってことじゃないかと思うけど。
108 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/23(土) 01:11:44 ID:zUJngeOE
>>107 そういう事になりますね。
自分(自我)など無いのに、脳によって有ると思わされてる・・・
実に面白いですよね!
意識が自分そのものだと言うのなら、そもそもその自分(自我)とは、
一体全体何なのでしょうか?なぜ存在しなければいけないのでしょうか?
存在しなければいけない理由とは?
>>108 論理的に考えると、自分の存在理由を問うことは、そのように問うことで自分の存在理由を辛うじて維持しようとしてるだけで、存在理由そのものの是非には無関係というか意味があるとは思えないってならないですか?
つまり存在しなければいけない理由を自分に尋ねることは、そうやって自分に存在感を与えるだけに過ぎなくて、理由があってもなくてもやっぱり自分は存在すると主張してるのと同じ結果になっちゃうような気がする。
ありていに言えば、自分は存在すると主張する一方なのが自分の特徴で、自分が自分を無いとは絶対に言えない存在なんじゃないの?
なんかわけわかんなくなってきたけど。
もう少し、ありていに言うと、「自分は無い」と自分が主張することで自分の存在を主張してるって感じ?
上のほうでも書かれてたけど、無我の境地ってほんとにあるの? 禅僧ってなんかインチキくさくて生物的じゃないよな。 お堂の冷たくてツルっとした仏像みたいに飾っておいたがいいさ。
112 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/23(土) 02:16:37 ID:zUJngeOE
>>110 そんな感じですかね?w
私なりに言うと、自分の存在理由を考える・・・その考えるという行為(自発的
かどうかは別として)自体が、意識や自分(自我)が存在するという、感覚や
信念(思い込み)を生み出しているのだと思います。
ですから、人間などの高度な脳機能(思考、感情、記憶etc...)を持ち得ない・・・
例えばクラゲなどには、意識や自我などの感覚(?)は無いと思いますね。
>>111 私達も、無我の境地とまではいかなくても、無我夢中で何かに没頭している
事は有りませんか?
自分と言う存在を忘れて(元々無いとしたら、こっちが本当ですね)、行為そ
のものに夢中になる、あるいは行為や対象に成り切るような感覚です。
今日はもう寝ます。
楽しかったです。おやすみなさい(^_^)ノシ
>>112 意識とは何かについて再考が必要だよ。
1.外界を認識して身を保持するための機能をもつ自発的作用
2.象徴としての言語をもち、それを用いてのイメージが働いたもの
あと、補完よろしこ。
1は意識じゃないように思えるけど、穴に落っこちそうになったら咄嗟に何かに掴まろうとするように、それも意識が働いた結果だと思う。
バクテリアは危険を察知して避けるくらいの意識の働きはあるんじゃないかな。餌を求めて移動するっていうのでもいいけど。
もし意識が関わってないとしたら、他の何がそうさせてるのかってことになるけど、ただの石ころは穴に投げても落ちてくだけで何も起きないよ。
人類とかの高等生命の脳みその意識って下等生命の意識が発達したものだと思う。
意識⊇自分みたいな感じ?
間違えた。 自分⊂意識だった。
115 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/23(土) 12:19:41 ID:zUJngeOE
>>113 角から突然自転車が飛び出してきた時に、一々対象を意識してから、
避けるという動作をしていたのでは、間に合いません。
人間の脳は普段から、五感から仕入れた大量の情報を、無意識的に
処理しています。
ですから、特に意識的に角の方に注意を向けていなくても、無意識的に
角の方向の情報も処理しているので、咄嗟に避ける事が出来るのです。
ちなみに、リベットの実験
>>32 が示すように、脳が無意識的に自転車を
避ける行動を決定してから、避けるという思考が、意識的に生じるのだと
思います。
2については、なぜ意識が言語をもち、イメージが働くと意識なのか、私
には良く解りません・・・
>>115 無意識も意識の一部でしょ。
でなきゃ心療内科は廃業だよ。
だって意識は無意識から与えられた情報の出口なだけで、意識で無意識の活動を意識できないっていうんだからさ。
無意識も意識で知ることができるなら無意識だったものはもはや無意識じゃないでしょ。
>>66 にも書いたけど、悩みとか遊びとかお金とかいっぱい抱え込みすぎなんだよ。
117 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/23(土) 18:12:45 ID:zUJngeOE
>>116 > 無意識も意識の一部でしょ。
> でなきゃ心療内科は廃業だよ
無意識が意識の一部だった方が、診療内科は廃業なのでは・・・(^_^;)
なぜなら、もし無意識が意識の一部なら、無意識を意識出来る訳で、もはや
心療内科の先生に診てもらう必要など無くなるからです。
> だって意識は無意識から与えられた情報の出口なだけで
そんなこと言ってませんよ。もういちど
>>32 をよく見て下さい。
> 無意識も意識で知ることができるなら無意識だったものはもはや無意識じゃないでしょ。
意識的に感知できないから、無意識と言うのでは?
どうやって、無意識を意識で知ることが、出来るのですか?
人は、無意識の脳活動を、思考や行動や夢などの認知できる形になって、初めて知ることが
出来る訳で、直接無意識を知ることなど出来ませんよ。
また、殆どの脳の無意識的活動は、認知されずに終わります。
> 悩みとか遊びとかお金とかいっぱい抱え込みすぎなんだよ。
確かにあなたは、そうみたいですね。
もうすこし頭の中を整理されて、じっくりと意識について再考してみては、如何でしょうか?
私もそうしますので・・・(^_^;)
>>117 え?
人間って悩みも遊びもお金もなにも抱えてるものがないの?
なんで都合のいい見方しかしないの?それで科学的なの?
抱え込んでるものひとつひとつ明らかにしてお荷物軽くして無意識だったものを意識でも気づけるようにするのが心療内科でしょ。
自分で自分を治す手助けするのが役目でしょ。
最初から自分で出来れば医者なんかいらないよ?
でも出来ないことが、即、意識できない不可能な領域だって決め付けるのは科学的じゃないよね。
あんたの論理って破綻してるんだよ。
人間は神様じゃないんだから、勉強にしても仕事にしても手一杯だったら他の事なんか気づきもしないし構ってもいられないよ。
それを
>>117 は構ってられないし気づきもできないから認知不可能だとか言ってるし、じゃあ手一杯のもの手放したらどーなんの?って話がまるっきり欠落してるんだよな。
大体からして、意識でも無意識と呼ばれてる領域を認知できる可能性が開けてきました^^とかなれば革命的発見じゃん。その可能性だってあるからこその科学でしょ。 それをいつまでたっても夢のお告げです(−人ー)ナムーとかいつの時代の話してんの?って話だよ。
無意識で処理しているであろう事を 全て意識で処理するとなると、大変そうな気がする。 そして無意識で処理していることにも、 歩くなどの身体的な制御や知覚のフィルタリングなどの他に、 意識に感情を喚起する類の情報処理や 意識にインスピレーションを与える情報処理など かなり複雑なものも存在する。 意識の意味ってなんだろうね? 意識では、無意識の情報処理結果自体をモデル化して 再び無意識に入力し治すフィードバック機能とか?
自転車に乗れるようになるまでは、 あーでもない、こーでもないと工夫する。 これはかなり意識的な作業。 ところが、「慣れる」とイレギュラーにバランスを崩しでもしない限り、 意識では別のことを考えながら運転できる。 赤ん坊が歩行を覚えるときもそうだろう。 じゃ、「慣れる」までの間の試行錯誤段階では、 どうして意識が活用されるのか? 無意識に任せると何か危険だからか?(なら、どうして無意識は危険な判断を下すのに、意識はそうでないのか?) それとも、試行錯誤して無意識が使用する関数を構築するのに どうしても意識を通すことが必要なのか?
意識は逐次処理で論理演算する予測システムでないの。無意識は並列処理。 ただ、意識と無意識のインターフェース機能は相当スゴイ。 危険回避とか無意識だけだと条件反射しかできそうもないが、 意識があればいろいろ出来る。
>>122 体で覚えることは意識は使ってないでしょ。
特に自転車なんて、考えて覚えるなんて難しい。
どうしたいかという、結果のイメージは意識が無意識的に、
無意識に提示してるんだろうが。
ま、無意識が意識のもつ結果イメージを取り込んでるともいえる。
とおもう。
>>121 意識で処理しきれない部分を無意識で処理してるんじゃないの?
で、上で誰かが書いてたけど、その溢れた分が「夢」のお告げとか「インスピレーション」とかになって再噴出するんじゃないの?
なんか話があべこべなような気がするけどどうなの?
自転車に初めて乗るときはもちろん意識して乗るからぎこちないけど、慣れれば意識せずに乗れるからスムースだよね。
でもだからといって無意識で乗ってるわけじゃないでしょ。
意識的に乗ろうと思ってるから乗って足で漕ごうという意識が働いて乗れるわけで、乗るのは慣れたから乗った後は無意識にバトンタッチするよ^^なんて行為があるわけないじゃん。
実際は無意識的に動作してるようでもちゃんと意識して確認してる部分はかなりあるよ。
でなきゃ咄嗟の変化に反応できないじゃん。
慣れれば無意識で乗れるって言い回しは便宜上のもので、実際は体で覚えたり「感じ」を掴むっていうのもそうした意識的な注意力は働いてるんだと思うよ。
よくわかんないけど。
>>125 >実際は無意識的に動作してるようでもちゃんと意識して確認してる部分はかなりあるよ。
うーん。
慣れた後だと、
意識は「自転車に乗る」という無意識にある関数を呼び出しているだけのような気がする。
歩くときとか、右の足を上げて、体を傾けて....とか
「歩く」という関数の内部まで意識している?
>>126 ひとつひとつの手順というよりは、全体の流れを把握して漕いでるのを楽しんでるって状況?
ランニングハイとかマージャンのひらめきとかかなり意識的だよ。
>>125 >意識で処理しきれない部分を無意識で処理してるんじゃないの?
意識と無意識で作業分担があると言うべきでは?
慣れていないときには意識の関与があるけど、
慣れるほど無意識が処理して意識の関与が減ってくる。
という気がするんだけど。
伝票処理とかルーチンワークでは意識の関与が自転車よりは大きそうだけど、
慣れるほどあんまり深く意識で考えなくても、自然にてきぱきできるようになる。
>>128 そうすると、無意識の処理は意識で再確認できるってことだよね?
自転車をうまく漕げるようになったら、もうあとは意識して漕いでもそうじゃなくてもうまく漕げるしさ。
慣れると意識して動作しても、その動作そのものを楽しめるようになるから、言われるほどには無意識ってかなり意識的な領域だと思う。
どっちかというと、無意識が何かして、遅れて意識が意識する。 自分の手の動きとか見て見なよ、ほとんど無意識で動いてるよ。 いちいち指示してないから。意識はあーしたいな、こうしたいなとおもうだけ。 ていうか、思わなくても、必要な動作はやってくれる。 なんども同じ間違いをしたりもするけど。 もっと自分の無意識を意識して見てて見なよ。 ほとんど勝手に動いてる。離人症。 カルテジアン劇場を見てるのは、あなただけじゃないから。 となりには無口な、執事が座ってる。話しかけて見なよ。
>どっちかというと、無意識が何かして、遅れて意識が意識する。 意識が脳を動かしてる訳じゃないからな、脳が意識を作っているなら意識が先行するのは順序がおかしいからな まあこれだと自由意志は否定されるけどw
例えばどこか痒くなって掻いた時。 「痒いから掻こう」と連続した意識として掻くよりも、 先に反射のように掻いてる場合が多い。 「掻いた」と言う結果と「痒い」と言う原因を、 自分の自覚からの行動であると因果を結ぶ為に意識が後付けされてるような気もする 悲しい・嬉しい・悔しい・腹立たしい、全部原因と結果を帳尻合わせする為のような物では。
>>132 でも、「痒い」という感覚がまず意識に上ってないと掻けないでしょ。
その感覚が意識に上って、無意識に手が伸びて掻いても、その一連の流れって、意識で追えるから、無意識が掻かせてるわけじゃないような気がするけど。
掻くという行動が意識に先行して行われてると仮定すると、意識が「痒い」と知覚する前に掻いてることになって事実と矛盾してるよ。
あと、無意識は意識に先行するっていうより、意識で処理しきれない部分の受け皿じゃないかな。
脳が意識を生み出して、それが自分になったり痒いという感覚になったり感情表現をしたり、そうやって意識がすべての行為の元だとすればスッキリするよ。
逆に無意識と意識に分けて、無意識→意識を仮定すると自由意志が否定されて事実と異なるからその仮定が間違ってることになるよ。
>>134 リベットの実験調べてみたけど、「自分の心が「指を動かそう!」と意図せずに意図する時刻」は計ってないんだ?
1.無意識のスイッチがONになる。 2.運動準備電位が発生する(「意図」するより0.35秒前)。 3.手で掻こうと「意図」する。 4.指令が随意運動野に伝わる。 5.手が動く(「意図」の0.2秒後)。 そんなバカな! と思うのは当然で、世界中の学者がみな驚いた。 これのおかしいところは、掻こうと意識するにはまず痒いという感覚がなければならないから、痒いという感覚が無意識のスイッチを入れたのなら、手で掻いた後か、その瞬間か、手が伸びるごくわずかの直前で痒いと意識に上らなきゃいけないってとこ。 でも実際は、痒さを知覚して意識に上ってから掻いてるのが事実なんだよ。 だからこの実験で不足してるのは、意図せず手が伸びた時間を計ってないところなんだよ。
「自分の心が「指を動かそう!」と意図せずに意図する時刻」ってところに無意識の働きがあるって思う人がいるかもしれないから補足するけど、 掻くと動かした腕に強烈な電流が流れるって前知識があると、痒くなっても手は動かさないって意図するよ。 それに加えて痒いという知覚が意識に上るのがまず先頭にあるから、完全に意識の範疇だよ。
138 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/24(日) 15:41:13 ID:Oc//fo2W
コンピューターも今後能力が向上していけば、 自我が目覚めるのか?
自我のありなしは単純な演算速度や記憶容量には左右されない。 微生物も、自分から他人を観察するのと同程度には、明確な意図を持って動いている。 だから、大元の形式の問題だよ。今の計算機にはそのようなあそびがない。 ただ、分子動力学みたいに蛋白質だの水素イオンだのの動きをシミュレートすることはできるから、 そういう意味で、仮想空間上で自我を持つ存在が成立することはあり得なくない事だと思う。
140 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/25(月) 16:57:47 ID:GkWmVpa3
私達が意識について考える時には、何時だってそこに意識が有ります。 なのでつい、何時でも意識というものが、存在すると勘違いしてしまうのです。 まるで、冷蔵庫を開けた時に、いつも明かりが点いているので、常に明かり が点いていると、勘違いするように・・・・実際、私達は意識について意識・・・ 考えてる時にしか、意識の存在を感じることは出来ないのです。 そう、意識というものは、脳の作り出した後付の、架空の概念なのです。 これは、私達が今現在、行為に対して意識している時も、例外ではありません。 このことは、次の簡単な「皮膚上のウサギ」と呼ばれる、実験で解ります。 この実験では、まず、被験者は腕を伸ばし、腕から目をそらします。そして、 実験者がその腕を、正確に同じ時間間隔、同じ強さで、手首を五回、ひじに近 いところを三回、そして肩に近いところを二回叩きます。 驚くことに、この刺激を被験者は、三箇所に分かれてではなく、すばやく連続的 に手首から肩まで叩かれるように、感じるそうです。 まるで、ウサギが皮膚上を跳ねながら、腕を駆け上がっていくように・・・・ もし、刺激を脳が意識してから、感知するのであれば、手首で五回、肘に近い ところで三回、そして肩に近いところで二回と、不連続に刺激を感じなければ、 いけない事になります。 ですが、実際には、被験者は連続的に刺激を感じるのです。 まるで、五回目が叩かれた後に、意識がしばらく待ち(刺激が意識されない)、 六回目が叩かれた後に、時間を遡って、連続的に叩かれたかのように、意識的に 操作しているようです(笑) すなわち、全てを叩き終わってから、(脳が)意識的にどこが叩かれたかを、 決定している事になります。
141 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/25(月) 17:03:47 ID:GkWmVpa3
かつて、誰もがエーテルの存在を疑わなかった時代に、アインシュタインは、素直に、 光の速度が誰から見ても一定という、事実を受け入れました。 その原理から導かれた、時間と空間に関する新しい認識は、物理に携わる人々に 大変な衝撃を与えました。 あまりの非常識な結論(当時は)に、たった数人の人間しか相対性理論を理解できな かったそうです。 それと同じく、意識や主観や自我が、本当は存在しないという考え方は、我々の世界認識に、 大きな衝撃を与えるでしょう。 意識は無いという、前提から導かれる非常識な結論 = 自由意志の否定によって・・・
142 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/25(月) 17:14:57 ID:GkWmVpa3
さて、我々の宇宙は、因果的に閉じている訳ですが、もし、意識や自我や主観などの非物質 の何か(意識が脳などの物質とするならば、自由意志は否定されます。なぜなら、環境からの 情報の入力→加工→出力をする脳は、宇宙の因果律に完全に従っているからです)からの 自主的あるいは独立的な行為 = 自由意志を認めるならば、我々の宇宙は、因果的に開いた 宇宙になってしまうのです。 ( ところで、因果律を物理的に考えて、突き詰めていくと、物質(粒子)と物質(粒子)の力のやり 取り、あるいはエネルギーのやり取りという事になり、我々の地球は、太陽のエネルギーによる、 一つの閉じた因果圏に属する事になります。そして、粒子間の力やエネルギーのやり取り (因果関係)は、最終的には熱として宇宙に放出され、一部は地球上に残る 事になります ) なぜなら、意識に因果律から独立した、自由意志 = 行為の第一要因 = 第一原因の働きがあり 、それ自身で脳などの物質に力を及ぼし、エネルギーの源となるならば(これは、意識が脳の起 こす行為の観測者だとしても、同じ事です。観測という行為は、力=エネルギー=情報のやり取り をする事に、他ならないからです)、太陽エネルギー圏の外部から、力やエネルギーがもたらされ る事になり、エネルギー保存や運動量保存の法則が、成り立たなくなるからです。 そして、地球上の意識(自由意志)を持つであろう、全生物からのエネルギーを足し合わせると、 地球の太陽からのエネルギー収支が崩れてしまうではありませんか! なんと、温暖化の真の原因は自由意志にあったのです!(笑) まあ、以上の話は荒唐無稽な話なのですが・・・・自由意志を否定する根拠や考えや実験は、数多 くあるのです。
フォトンベルトとか好きですか?
カプチーノ vs めこすじ豆腐店
146 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/26(火) 10:36:59 ID:v9KkOT7a
脳細胞の一つ一つが、超高性能なナノコンピュータだと思えば、わかりやすいかもしれない。 実際、頭脳は誰に言われたわけでもないのに、外部の刺激に反応し、常にその内部に情報をたくわえ続けている。 意識、意識と言うが、実際、子供の頃は「意識」なんてものは意識したこともなかったし、 だからと言って考える力が今よりも劣っていたわけでもない。 好き勝手に情報を詰め込んだ結果、混乱して全体として機能しなくなってしまった脳細胞たちの、 「悲鳴」のようなものが、案外「意識」と呼ばれているものの正体なのかもしれない。
脳の機能が停止すると肉体の働きもすべて失われる事から脳が人間の神経や心理に強く働きかけることは確かだけれども、 だからといってオールインワンで他の部位が精神構造に影響を及ぼさないかと言えばそうではないのだから、 意識を語る上ではそれを構成する総体に目を向けなければいけない。輪切りにされた人体は最早、人間ではない。 と思うよ。
>>147 それはそうだが、
たとえ手足がなくても人は人だ。
総体に目を向けよというお題目は大変麗しいが、
その具体的な方法論は?
問題は、「総体」を連呼する人の中には
気とかに走って脳をまじめに考えない人がいること。
健康法としてならそういうアプローチもいいかもしれないが、
意識を解明するのに生物物理とか情報処理とかより本当に有効な
「総体に目を向ける」方法論があるのだろうか?
149 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/27(水) 10:22:34 ID:PzFNTP22
>>147 脳は、脳だけでは(自然界に)存在していることができない。
だから、仮に「意識」が人間の脳細胞に基づいていたとしても、
我々は意識と脳の関係だけでなく、
脳と肉体との関係、
ひいては、肉体と自然界との関係、
そして究極的には、自然界と宇宙との関係にまで、歩みを進めていかなければならないだろう。
しかし、少なくとも、自分は「意識」と呼ばれているものと、
人間の脳細胞との間には、深い相互作用があるものと思っている。
(これは、人間の「意識」が、かなり物理的な性質を持っている、ということだ。)
君たちが意識と読んでいる脳の機能は 外部刺激(五感、内蔵の動き、ホルモン等)に対する複雑な反射行動の総称に過ぎないんだよ。 過去に行われた実験で、 体温と同じ温度の水槽に浮かんで外部からの感覚を全て遮断した状態で長時間過ごした場合 栄養等に問題が無くても、脳の活動が停止して死に至るといった実験結果があったそうだ。
意識の起源は五感を使って周囲を警戒し、所謂第六感を働かせて身に迫る危険を予知する必要性から生じたものだろう。 予知精度はデータベース量に比例するため記憶能力を発達させ、警戒網を広げるためにコミュニケーション能力を発達させる。
>>150 死に至るとか、聞いたことない。眉唾ものだな。
>>150 ソース提示。
おそらく都市伝説かフィクション内の演出的逸話の類。
>>149 >そして究極的には、自然界と宇宙との関係にまで、歩みを進めていかなければならないだろう。
胃の研究するのに、自然界と宇宙との関係にまで歩みを進めていくのは
実に結構なことですな。だが、具体性がない。
そりゃ別の科学者がやるだろうよ。
胃の研究者は、素粒子や宇宙論までやらんよ。
味噌と糞の区別もつかないような・・・所謂厨二なんだろうな。
>胃の研究者は、素粒子や宇宙論までやらんよ。 そのうち必要になってくるんじゃないの? 背景放射に囲まれてダークエネルギーやダークマターに満ちた宇宙空間に浮かぶ銀河の宇宙線が飛び交う太陽系の太陽の影響をもろに受けながら地球の重力に引っ張られて 大気を吸っては吐いて生物を取り込んでは遺伝子コピーやら細胞分裂繰り返しつつ素粒子レベルで頻繁に物質が行き交うこの身体の胃が宇宙や素粒子と無縁とは思えない。
157 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/27(水) 18:01:26 ID:RIEJddQy
>>156 おいおい・・・
あんた、何の研究してる人なんだ?
オッカムの剃刀って知ってる?
胃袋だって宇宙空間を漂う素粒子からできてるじゃん。 逆に宇宙や素粒子とまったく無関係に成り立ってる地球上のものがあったら教えて欲しい。
因果をどこまで追求するかによる。素粒子レベルならほとんど関係ない。 正しいのは重要な事だけれど、何が一番支配的な要因なのかを見極めることの方がよっぽど物理だよ。
なるほど
赤松が枯れたのはマツクイムシによる被害だけど、マツクイムシが増えたのはマツタケ菌が減って松の体力が減ったからで、 マツタケ菌が減ったのは酸性雨による影響で、酸性雨は日本や大陸の工業発達に伴う気候変動で、工業発達は人間の欲望の結果なんだけど、 欲望って意識の作用だから、その意識がどっからの影響で欲望を発揮したのかって考えると、結局何が一番支配的な要因なのかを見極めなきゃなんない物理って大変だなって思った。
そういうのは基本的にタイムスタンプ順を考える。遠い出来事ほど、様々なイベントが割り込んできて因果関係がぼやけるから。 あとは、「実際は〜」とかそういう下らない事を考えない精神。
痒いから掻くという意識はそんなに遠い出来事なの? それと痒いから掻くのが実際じゃないの? 痒くも感じない時から無意識で掻こうとするのって、目の前にハエが飛んでくる前からハエを手で追い払おうと無意識した直後にハエが飛んできて意識的に手で追い払うって言ってるようなもんだよ。 なんか無意識だよって言ってる意見って、ただ心がハエにあるか、手にあるかの違いだってことに気づいてないんじゃないの? 痒みってその感覚からしてあんたの心を満たしてるじゃん。 その心が掻く手にあったらぎこちなくなるのは当たり前じゃん。 ぎこちない動作をストップオッチで計ってなんの意味があんの? それで結局何が一番支配的な要因なのかを見極めなきゃなんないってさ、なんかおかしくね?
整理して話してくれ。 まず、タイムスタンプ順と言った時には、実際の時間の経過は考えない。この表現で言い過ぎだというのなら、実際の時間の“機微”は考えない。 で、タイムスタンプ順というと直線的なイメージがあるから、表現として適当でなかったことは反省している。 端的に言えば、“今”見えているものだけを見よ、ということ。 例えば、 身体を掻くのに特別な理由は要らない。痒くとも痒くなくとも掻くときは掻く。 痒いと感じて掻いたのなら、それは痒いから掻いたことになる。このとき、痒いかどうかが主眼になる。言いかえればその人にとって支配的であると言える。 このとき、痒みの原因は一切考えない。何故なら、考えなくとも痒みはそこにあるのだから。それより低レベルな事情なぞさしたる問題ではない。ハエなぞ知らぬし、アブかも知れぬ。
1.このとき、痒みの原因は一切考えない。何故なら、考えなくとも痒みはそこにあるのだから。 2.このとき、ハエが飛んできた原因は一切考えない。何故なら、考えなくとも飛んでるハエはそこにあるのだから。 どっちが低レベルなの? わかんないからおせーて。
それは同レベル。 「風が吹いたのでハエが飛んできた」のなら、「風が吹く」というのは低レベルな事象と言えるし、 「蚊に食われて痒くなった」のなら、「蚊に食われる」というのは低レベルな事象。 蚊に食われなくとも痒みは覚える。 こういう話題は個人的な感覚の話だから、誰も一生誰とも分かり合えない話だね。 結局、「君がそうなら君はそうなんでしょ。僕は違うけどね」。という言葉の言い換えにしかならない。 そこを承知であえて言葉を補うなら、やはり感性に訴えることになるけど、 表層により近い出来事を、より高レベルな事象と、自分は言っている。
なるほど。 じゃあ低レベルな事象も高レベルな事象に成り得るんだね。 吹いてる風を感じてたら心は風と一緒。 食ってる蚊を見つけたら心は蚊に釘付けだし。 その時自分と風と蚊を隔ててるものはなんですか?
蚊を見つけた時に風は感じないし、風が吹いても蚊は見つからない。 二つのものは明確に区別ができるので、同時に隔たりが生まれる。 逆に、区別する、という立場をとりさえしなければ、隔たりは生まれ得ない。 立場をとるかどうかは、自分にとって説明しやすい方を選び、その他の物事と矛盾しないことによって確立される。
自分と風には隔たりはあるの? 自分と蚊には隔たりはあるの? 考えなくても痒みはそこにあって意識は釘付け。 自分と痒みには隔たりはあるの?
それぞれ「風を感じている自分」と「風を感じていない自分」、「蚊を見つけた自分」と「蚊を見つけていない自分」の状態に分かれる。 なんでもない「ただの自分」は存在し得ない。
よくわかんないんだけど、蚊とか痒みに釘付けの自分とかって、それらがないとそもそも無い自分なんだよね? だって、ただの自分はないんだからさ。 ということは、蚊とか痒みってなんなの?って話になるじゃん。 自分を作ってくれる蚊とか痒みって自分そのものって言い換えてもいいんじゃないの?
自分そのものと言ってもいいし、蚊そのものと言ってもいい。勿論、そうでないという場合もある。 それは立場の問題だけれど、形式の問題としてどれをとっても説明できる事象と説明できない事象が生まれる。 自分、という存在をどの程度の範囲に指定するかによって得られる回答、見られる世界は異なる。 例えば、「蚊を見つけた状態」と「蚊を見つけていない状態」がある場合、 蚊と自分との間の隔たりは「蚊を見つけていない状態」によって保障される、と言ってもいいし、 蚊という概念が自分と同化したと思ってもいい。 どちらにせよ、自分も蚊もこの世界に存在するので、原理的には、その上での話にはさしたる支障はない。
>>172 蚊を見つけていない状態って、その他の何かに心が行ってる状態だけど、それでも「蚊を見つけていない状態」っていえるの?
もしそうだとすると、「Gを見つけていない状態」とか「ハエを見つけていない状態」とか無数にあって収拾つかなくなりそうだけど。
さっき話してた低レベル高レベルの話って気がするけど。
つまり「蚊そのもの」という高レベルが、「叩きつぶしたい」という新たな高レベルが出現することで低レベルに変化したことを以って隔たりが生まれるって解釈にはならないの?
眠くなったからまたあした。
それぞれの状態は可能ならばまとめて一つとして考える。あるいは無数になっても困らないように構成する。 例えば、「〜していない状態」というのは外から観てそれぞれ区別ができない。そうであるならば同一視していい。 「蚊を見つけていない状態」は蚊の存在によって規定されていると捉えられる。また、そもそもこの世界に蚊が存在しない場合も考えられる。 前者と後者を区別するには、履歴を遡って、「蚊を見つけた状態」があるかどうかを調べればいいけれど、これにはいくつか問題点があると個人的には思う。 例えば、そのような履歴機能が果たして認められるかどうかということ。あらゆる状態の記録を調べられることはあまり有意義な事ではない。 それを認めてしまうと、前後のあらゆる状態が関連を持ち始めてしまうので、そもそもそれらを区分する術を失うから。(すべて異なり且つすべてで一つというわけの分からないものができる)。 だから、蚊を見つけて初めて、蚊が存在し、そうでなければ蚊は存在しないものとして扱うのが自然じゃないかと思う。 「叩きつぶしたい」が蚊の存在によって規定されている限りは、隔たりは生まれない。 蚊の存在を認識できなくなった時点で、改めて隔たりを得る。(“自分”が別の状態になる)
大変、面白いけど、文系的な禅問答のような気が。 随意運動:大脳連合野->小脳->大脳運動野 小脳が損傷すると運動準備電位は著しく低下する。 慣れた運動の場合、大脳連合野は「立っておきたい」などという指令を 小脳に投げれば、小脳が必要な計算をして大脳運動野に個々の出力指令を出す。 「何かを視野に収めておきたい」という指令があった場合、 突然、頭の向きが変わると平衡器官->小脳->-> 動眼神経の順で 眼球が自動的に動く。 (いちいち意識を司る大脳を経由しないし、 小脳には視野のプレが止まったかどうかを入力する直接のフィードバックの回路はない。) ここから想像するに、かつて意識が命じたことであっても、 その後は小脳が意識にいちいち相談せずに勝手によろしくやるということは結構あると考えてよさそう。 だが、寝取る間にボリボリ掻くのがどちらかはワシは寡聞にして知らん。
まあ、痒いと掻くという動作を日常的に繰り返してきた場合、 再び痒みの刺激があると、意識が掻こうと決断する前に 小脳が勝手に運動の準備くらいは始めるかもな。 ただ、小脳のアルゴリズムが解明されたわけではないので、 実際、個々の行動のどこまでが意識によるかは調べないと分からんと思うよ。
いずれにしても、「掻く」などという動作が発生した場合、 運動野には小脳が運動をシミュレートして計算結果に基づき指示を出力したわけだ。 小脳がそんな出力をしたのは、 大脳連合野からの直接のリアルタイムな指示に基づくものなのか、 それとも他の信号器官からの入力にもどづき小脳だけで自動処理したのか、 そういうことが問題でないの? さらに、もしも、大脳連合野からのリアルタイムな指示であり、かつ、 それが意識と無意識とかに分類されるなら、 それぞれは大脳連合野のどこのどういった活動なのか? が次の問題だよな。 「痒いから掻く」、とか、蚊との「隔たり」とかの表現は、 あまりに漠然かつ文学的で、メカニズムとか作用機序との関係がさっぱり想像つかないのだが?
いや、そこまで込み入った話じゃなくて論理的な道程が共有できてないなって話。 自分としては単純な論理ゲームのつもりだよ。
蚊との「隔たり」などの方が余程、込み入った概念だと思うけどね。 そもそも、そのように「書かれた論理」は前頭連合野が頑張ってやった情報処理のごく一部なわけだ。 しかし、頭が動くと眼球が動いて視野のぶれを防ぐなんてのは、 視界がぶれたという認識に基づいて眼球位置を補正するようなフィードバック制御ではなく、 平衡器官からの信号を元に小脳が意識を介さずに勝手にするフィードフォワード制御だ。 この手の「意識」の論理を介さず、脳の一部で勝手に判断している事項は他にもありそうだよね。 以下は想像なんで外れかもしれないけど、 大きな音がすると,首をすくめて体を硬くする、なんてのは、 大きな音->意識以外の情報処理->意識とは無関係に首をすくめて体を硬くする 大きな音->意識以外の情報処理->意識の情報処理対象を強制的に切り替える->体の姿勢の変化を意識してその後をどうするか考える。 が並行的に起きていたのに、 それを後になって意識が「大きな音がして、驚いたので身をすくめた」などと再解釈しているかもしれないよ。 「痒いから掻いた」も後付けで、本当は「皮膚刺激->意識が不快と認識し、原因を排除すると決断->動作」ではないかもしれない。
なかなか直らない悪い癖とか、 逆に、訓練の末、何も考えずに反射的にスムースにできるようになったこと、とかは 意識を介さずに、脳の他の部分が処理を代行していることがあるのではないか? その場合、 後から意識が解釈して、合理的だと思えば、「自分が〜と思ったので、そうした」といい。 意識としては不満な場合は「ついやってしまう悪い癖」というのでは? 意識=行動主体というのは無理があり、行動を決める機能のごく一部ではないか?
蚊を大きな音に置き換えれば、大きな音は自分そのものであり、かつ自分は大きな音そのものであり、 その大きな音が仮に爆発によるものであったとしても、その爆発が身に危害を及ぼすこともあるという 事前の記憶なり経験なり知識がなければ、たとえ大きな音が聞こえても必ずしも身をすくめる行為に至るとは限らない。 むしろそうした前知識がなければ大きな音がしてもなんのアクションも起こさないまま、 大きな音と自分はそのものとしての関係のままだ。 大きな音がして身をすくめたらもう大きな音には意識はなく、ただ危害を少しでも和らげたい一心が意識を支配しているだけだ。 この時、その和らげたい一心が自分そのものであり、かつ自分が和らげたい一心であり、 大きな音とはもはや無関係であって、機械的な反応が繰り返されるだけだ。 論理は自分の外部にある概念ではなく、論理そのものが自分または意識を支配しているものであり、意識は論理そのものだ。 大きな音は自分そのものであり、かつ自分は大きな音そのものという論理は、その内容の真偽または正当性の如何に関わらず そうした論理を用いることにより自分に持続性を与える働きを伴うもので、こうした一連の流れが更に別の持続性を与える。 従って、蚊にせよ、大きな音にせよ、論理にせよ、意識はそこに留まることなく常に隔たろうとする傾向にある。 では、意識が意識しているモノそのものであるままでいることはできるだろうか? もしできなければ意識は意識を理解することは出来ないかもしれない。
うんとね? 大元の話は、人間の脳の働きだとか意識がどうのといったそういう仔細に踏み込んだ話じゃなかったの。(
>>158 あたりからの話)。
その過程で提示された概念は、例えば隔たるとはなんぞや、確かに理解し難いけれど、
それは話の本筋からしてみれば絞り粕であって、そんな物のための議論をしていたわけでは、本来はないんだ。
>>180 それで、今までと同じノリで解釈するなら、「痒いから掻いた」というのは、刺激Xに対しての反応として、
「掻く」と「刺激Xを痒みと認識する」の二つが現れることが重要で、二つの間の関係性や前後関係、優先度はまた別の話になると思う。
悪い癖とか反射的動作というのは、「意識がどう判断して」「肉体がどういう動作をするのか」、までがパッケージングされていると考えればそんなに不自由はないんじゃない。
「蚊は自分そのものという話は絞り粕」というのは、刺激Zに対しての反応として、 「蚊は自分そのものという話」と「絞り粕」の二つが現れることが重要。
「蚊は自分そのものという話は絞り粕」というのは、刺激Zに対しての反応として、 「絞り粕」と「刺激Zを『蚊は自分そのものという話』と認識する」の二つが現れることが重要で、二つの間の関係性や前後関係、優先度はまた別の話になる。
>>182 大きな音がするときは危険なこともあるという事前の記憶なり経験
-> 意識や意味判断を介さずに反射的に身をすくめるように自動化(意識を司らない脳の部分が処理を代行)
実際、音がする。-> 意識の論理的判断とは無関係に脳の別の部分が自動的に体を制御->身をすくめる
実際、音がする。-> 脳の別の部分が意識の情報処理対象を切り替える->状況把握を始める
後付けで、危害を少しでも和らげたい一心になったので->身をすくめた、と解釈。なのかもよ。
「論理そのものが自分または意識を支配している」というが、
意識なんて「自分の情報処理のごく一部だし、意識にのぼる「論理」とは食い違う行動をすることも多くないか?
「大きな音は自分そのもの」とか文学的すぎてあんまり意味ないんじゃないの?
反射的な行動とか感情とか、意識を司る部分とは別のモジュールで計算されてて、
その演算結果を意識に出力してるだけでないの?
必ずしも意識の組み上げる「論理」が行動をもたらすとは限らない。
無関係に行動が起きることは意外と多い。
>>183 >悪い癖とか反射的動作というのは、「意識がどう判断して」「肉体がどういう動作をするのか」、までがパッケージングされていると考えればそんなに不自由はないんじゃない。
「意識の判断」に相反して、あるいは、無関係に脳の別の部分が勝手に決済してしまうことがあるべさ。
187 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/29(金) 18:46:24 ID:5S3rxe9s
>>180 > 大きな音->意識以外の情報処理->意識の情報処理対象を強制的に切り替える->体の姿勢の変化を意識してその後をどうするか考える。
あなたの考えは、->意識の情報処理対象を強制的に切り替える-> が途中で入るので、グローバル・ワークスペース
理論に近いかもしれませんね。
私は、脳が様々な情報を同時並列処理する仮定で、意識内にある処理と無い処理の区別 = いわゆる意識上の経験的
な流れは、(一般概念的な意識そのものが)存在しないと思っていますが・・・・実際、主観的に何かを意識している時と、
してない時の脳の活動状態には、何も違いは見られませんしね。
188 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/29(金) 18:47:28 ID:5S3rxe9s
『グローバル・ワークスペース理論の簡易図』 意識へのアクセスを競う [ 外部感覚 ] [ 内部感覚 ] [ 考え ] ・視覚 ・視覚心像 ・想像可能な考え ・聴覚 ・内言 ・言語化された考え ・触覚 ・夢 ・周辺的意識的な直感 ・味覚 ・想像された感情 etc...... ・臭覚 etc...... ・下位の感覚様相 ・熱 ・振動 etc...... ↓ ↓ ↓ --------------------- 周辺(脇役) | 意識的な経験(主役)| 周辺(脇役) --------------------- (意識のスポットライト) 無意識(観客)
なんかすごいことになってきた......
>>187 よこレスですが。興味あるので。
>>私は、脳が様々な情報を同時並列処理する仮定で、意識内にある処理と無い処理の区別 = いわゆる意識上の経験的
>>な流れは、(一般概念的な意識そのものが)存在しないと思っていますが・・・・
意識というまとまり、もしくは中核の機能はなくて、それぞれの機能がシンクロしながら動作しているだけ、って意味ですかね?
そんなことまでかいてないけど。
んで、意識というのは錯覚であり、錯覚している主体が何かは、哲学で考える問題。とかでしょうか?
>>実際、主観的に何かを意識している時と、してない時の脳の活動状態には、何も違いは見られませんしね。
んで、意識している時と、してない時で、脳のどこかの部位で血流量が増えたりしないってことかな?
意識という機能が局在している様子はないってことでしょうか?
>>187 >実際、主観的に何かを意識している時と、
>してない時の脳の活動状態には、何も違いは見られませんしね。
それはモニターの仕方が悪いのかもしれんよ。
ブレーン・マシン・インターフェイスとかは結構いいせんいっているじゃないか
意識で意識を追う限り、「意識は存在しない」、という結論には永久にたどり着けない気が・・・・
あれかな。上の方にもあったけど。 意識だけ取り出せるものじゃない。体も含めた総体として考えるべきということか。 それなら、わからんでもないが。それは粒度の問題と思う。 でも、意識という粒度は哲学で扱うものだとかいわれるとやだな。
194 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/30(土) 00:05:09 ID:xiM49Ax7
あなたが、レストランで食事をしていたとする。回りからは、人々の会話や音楽な どの、様々な雑音が聞こえてくる。 あなたは、それらに気を取られること無く、友人と会話をしながら、食事を楽しんで いたが、突然ある会話が耳に飛び込んできた。 どうやら、隣の席の客が、あなたの大好きなミュージシャンの話をしているようだ。 そしてあなたは、その会話に意識を向けてじっと聞き入る・・・・ このような経験は、誰にでもあると思いますが、この時あなたの脳には、何が起き ているのでしょうか? 食事中のあなたの脳は、五感からの様々な情報を、同時並行処理しているのです が、それらの処理は、特に意識されている訳ではありません。 ところが、ある会話=単語(好きなミュージシャンの名前)が聞こえてから(意識に 入ってから)、あなたの意識は、意志的にその会話に注意を向けたのでしょうか? しかしそれでは、主観的に何かに意識を向けている(集中している)時と、向けてい ない時で、脳の状態に変化が見られない事の説明が付きません。 実際には、あなたが会話に集中(意識)している時も、集中(意識)していない時も、 脳は情報を同時並行処理しているだけで、そこに意識などというものは、発生して いないのです。 ちょうど、トンネルの中に、二人の男が同じ大きさで描かれている絵で、真ん中の男 より、下の男が小さく見えて、まるで大男が小男を追いかけて見える錯覚と同じように、 AとBの会話に処理的な差(意識に入るとか入らないとか)は無いにもかかわらず、 ある単語(好きなミュージシャンの名前)がきっかけとなり、脳が会話Aに、意志的に 意識を向けたと、錯覚しているだけなのでは、ないのでしょうか?
195 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/30(土) 00:21:17 ID:xiM49Ax7
>>190 今のところ、意識なるものを生み出す、脳の部位なり機能なりは、
一切見つかっていません。
また、脳(ニューロン)の総体的な働きが、意識を生み出すとした
ら、いったい如何なる仕組みで、物質なる脳が非物質なる意識を
生み出すのか?という問題が派生します。
主体そのものが、存在しないのかもしれませんね。
ここの所はもっともハードプロブレムな点でして、私も色々考えて
いるのですが・・・・難しいですね^^;
196 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/30(土) 00:36:19 ID:xiM49Ax7
あと、意識する事と集中する事を、同じレベルで扱ってはまずかったですね^^; 何かに集中すれば、脳のその部位の血流量は増えますから。 ですが、主観的に意識(意識するといっても、各人によって意味する所が 違うので、厄介ですが・・・)するだけでは変化しません。
197 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/30(土) 00:44:16 ID:xiM49Ax7
意識する ≠ 集中する 意識する ≒ 注意が向く
ID:xiM49Ax7 意識は存在するけど、その主体は存在しないってこと? それともその両方? 例えばボールが移動する様が意識だとして、そのボールを移動させるものが主体ってことでおk?
199 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/30(土) 01:26:49 ID:xiM49Ax7
もしかしたら、同時に10人の話を聞けたという聖徳太子は、
まったく意識(一度に一つの注意指向性)という錯覚をする事なしに、
(生まれつき錯覚を生じさせる脳機能の壊れた?)
脳の同時並列な会話処理を、認知できたのかもしれませんね。
>>198 主体とか実存の話になると、そもそも物質とはなにか?とか物質と非物質
の違いはなにか?とかの話になりますからね・・・・
一口に物質と言っても、エネルギーの振動たる粒子と粒子の力≒エネルギー
≒情報のやり取りを物質と言ってるだけで、そこに確たるカチコチの何かが
有るわけじゃ無いですし・・・・
でも、少なくとも我々が一般的なイメージとして抱いている、意識とか自我
だとか自分としての主体は、無いと思いますね。
> 例えばボールが移動する様が意識だとして、そのボールを移動させるものが主体
??(゜Д゜)??
http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20091202/1259763917 これ面白そうだから、買ってみようかな
>>199 うーん、ボールの例えが分かりづらかったかも。
つまりボールという物質はあるけど、そのボールが移動するという、移動そのものは存在しないですよね?
ボールは存在するけど、ボールの移動が存在するとは言わないし。
ただ移動現象としては存在するとは言うよね。
意識もそんな現象みたいなもんなの?
201 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/30(土) 01:55:39 ID:xiM49Ax7
うわあ なんか模様が動いてるw でも視線を動かさないでいるとまったく動かないんだね。
メ・コースジの星
意識の役割は体を直接動かすことじゃないので。 「明日は仕事が早いから、いつもより1時間早く起きよう。」とか考える部分。 で、時間になって布団から起きようと思うのは意識。(意識しない場合もあるでしょうが) 起き上がったりするときの、動作や、体を動かし始める細かいタイミングは無意識がやってると思う。 じゃ猫の意識はどうなんだろうねぇ。演繹とかしてるかな。してそうにないな。
オレ、これ動いて見えないんだよね。人によるらしいが。 脳内の画像の処理方法が普通と違うんだよね。
全部じゃなくて「蛇の回転」
板違いなのに良く伸びるな
例えば体の或る部位が損傷した時。 「意識」に影響がありそうなのはどこだろうか。 腕・足・もっと言えば下半身が無くなっても 「意識」自体は変わらず意識のままあると思う 。 やっぱり意識に直接関係のある部位は「脳」では。 となると、脳のどの部位を損傷したらどう意識に変容を来すんだろう。
何も考えず一人ジャンケンを素早く連続でやると自分の意志で選んでるのか 分からなくなってくる
>>195 >今のところ、意識なるものを生み出す、脳の部位なり機能なりは、
>一切見つかっていません。
特定されていないだけで,
部分的に脳を破壊したり、薬物を与えるなどすると
注力散漫になったり、意識レベルが下がったり、意識を失ったりするよ。
逆に、意識には影響なく運動に影響する部位や、記憶にだけ影響する部位もある。
だから、脳の全てが意識と関係しているわけではないし、
脳の全てが意識と無関係でもない。
いわゆるハードプロブレムは、主観と客観の問題も絡むので、
脳の部位別の機能の特定とはまた一段レベルが違った話だろう。
ごっちゃにするのは脳機能の分析にとって良くないと思うよ。
>>201 >もし、意識が錯覚というのが正しければ、錯覚なので、
>実際に意識は起きてはいないのに(生じてない)、
>起きている(生じている)と思い込む事ですね。
>
>
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/ >ここを見ればよく解ると思います。
意識が錯覚かどうかと、錯視が起きることとは直接関連するだろうか?
意識が錯覚ではなく、脳の並列情報処理の一部をモニターする脳の別の機能だ、
という可能性が錯視によって否定されるの?
212 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/30(土) 12:27:00 ID:xiM49Ax7
>>208 右脳を損傷した人は、左側の世界を完全に失うそうです。
食事をしても、髭を剃っても、返事をするにしても、右側に
ある物や人しか認識出来ず、左側の事物や出来事を完全
に無視するそうです。
また、記憶の中の出来事や事物に対しても、左側の世界
を失う(無視する)そうです。
このことは、脳とは別に世界を認識して関与する、高次の
意識(自我)があることを否定しています。
また海馬(記憶を司る)を損傷した人は、重い健忘症になる
そうです。これらの人々は、新しい出来事を記憶することは
出来ずに、毎日、いや一瞬一瞬が新しい自分、新しい目覚
めの世界になるそうです。
これらの症状は、脳とは別に時間的に連続した意識(自我)
があり、昨日と今日で同じ自分である感覚を否定します。
213 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/30(土) 12:27:42 ID:xiM49Ax7
>>210 > 特定されていないだけで,
> 部分的に脳を破壊したり、薬物を与えるなどすると
> 注力散漫になったり、意識レベルが下がったり、意識を失ったりするよ。
実際には、薬物は脳全体に働くことが明らかになっており、脳
の中に意識の中心(スイッチの入切のプロセス)がある証拠に
はなりえません。
同じことは脳の部分的破壊についても言える事で、部分的破
壊が、脳全体に影響を及ぼすのです。
> ごっちゃにするのは脳機能の分析にとって良くないと思うよ。
ごっちゃにしてますか?
>>211 残念ながら、並列処理をモニターするような(意識を生み出す?)
部位は、今のところ見つかっていませんね。
錯覚と錯視に関しては面白い話があるのですが、時間が無い
のでまた今度^^ノ
214 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/30(土) 12:59:28 ID:jgSE7LmW
>>212 半側無視なら、脳のダメージが治療を受けて治った後も後遺症として
残る人がいるね。
脳というハードウェアの損傷は治癒するが、意識は治癒しない。
また、意識が治癒する人もいる。
方脳がダメージを受けても半側無視が発生しない人もいる。
215 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/10/30(土) 13:25:10 ID:xiM49Ax7
>>214 > 半側無視なら、脳のダメージが治療を受けて治った後も後遺症として
> 残る人がいるね。
それは、半側無視の状態を脳が覚えて持続ししているか、
実際には、その部位のダメージが直っていると思われても、
直っていないか、脳全体として機能不備が起こっている可
能性もあるね。
> 方脳がダメージを受けても半側無視が発生しない人もいる。
実際にはダメージを受けていないか、部位的にダメージを受
けても、他の部位が機能を補う場合も有りえるよね。
いずれにしても脳の仕組みや機能は、まだまだ完全に解明
された訳ではないし、意識と脳の関係となると、完全にブラッ
クボックス・・・やべ、カキコしてる場合じゃなかったw イソヽ(д゜;ヽ彡ノ;゜д)ノイソ
>>213 >錯覚と錯視に関しては面白い話があるのですが、時間が無いのでまた今度^^ノ
ちょっぴり楽しみかも^^
まあ意識が錯覚にしては物質世界をうまく制御してるなあという印象はあるけど、ボールが移動しているという現象でさえも存在しないと言えるほどの錯覚っていうのは、
例えば左に見えてるものが実は右にあったりとか、そういう意味ではよく虚空を掴まずにうまく機能してる錯覚だなって疑問は残る。
つまり錯覚は自ら錯覚であることが分かるのか?ってことだけど。
鏡の例えでも書いたけど、自分の目以外のものを見てる自分の目を、鏡で見ることはできないって気はする。
脳梁が切れちゃったヒトは、言語を使うのはどちらか片側の半球になるけど、 もう半球の方に質問すると、指差しとかで答えを返すよ。つまり意識は2つになる。 たぶん意識は、意識の集合体だと思う。ただシンクロして、ひとつになってるみたいな。 シンクロできないと多重人格とかなるんじゃないカナ。 意識自体は大した仕事をしないので、脳では目立たないのか、どこでも出来るのか、 または局所的には存在しないのか。
>>217 言語は左脳という通説があるので左脳がメインになりそうな気がするけど
現実にはそうとは限らないのが面白いよな。
何かの事故でメインの方脳が脳死状態になったら、反対側の脳が主導権を
握るのだろうか・・・?
>>213 >同じことは脳の部分的破壊についても言える事で、部分的破
>壊が、脳全体に影響を及ぼすのです。
そうとも限らない。
一部分を破壊or麻痺することで、特定の機能が他より著しく低下することがあるじゃん。
意識的電磁場理論ではデコヒーレンスが生じる環境が、瞬間後の未来が無数の枝分かれした数だけ存在することを許してるの? つまり無数の未来は用意されてるんだけど、そこから方向性を決定する量子測定によって自由意志が働いたと解釈できるってことは、ある意味自由意志も予め決定されてるの?ってことだけど。
右と左の分かれ道があってボールを転がす、ボールは左右の選択は出来ず低い方に転がって行く 脳の回路も同じように抵抗の低い方に流れてるだけじゃない?
虫けらが死んだら、他の物理的状態に変わるだけだから、人間も同じだろう。
意識はたんにその物理的状態に付随する現象というだけ。
どこからも来ないし、どこにも行かない。
>>1 の問題意識が成立しない。
目も鼻も口も味覚も触覚も外界からなんの感覚も得られない脳は意識は持つの?
>>223 >目も鼻も口も味覚も触覚も外界からなんの感覚も得られない脳は意識は持つの?
完全にそのような状態を作り出すのは難しい。
それに近いものとしては感覚遮断実験がある。
長時間の感覚遮断は、非常に不快で、独り言が増えたり、
場合により幻覚を見たりで、
多くの場合、実験直後は思考力の低下や計算能力の低下が見られるらしいよ。
そんな脳がもし意識は持たないとしたら、意識は錯覚なんかじゃなくて、外界からの刺激に対するれっきとした物質的な反応ってことになるね。
「意識は錯覚」といったときの、錯覚とはどういうことなのか分からん。 錯覚とは、「ある認識主体が、事実と明らかに異なる事柄を事実であるかのように認識すること」でしょ。 「意識は錯覚」と言った場合、 その錯覚をしている認識主体は何だと想定しているのか? (あるいは、脳のどのような働きをそうていしているのか?) 錯覚の元になった事実にはどのようなものを想定しているのか? それを、どのように誤解したのか、その誤解のプロセスはどのようなものか? がさっぱり分からないね。
この場合の錯覚って、実体がないものを実体があるかのように感じるから錯覚としてるんじゃないかな。 でも意識がたとえ存在しないもので、それが錯覚であろうと、すでに錯覚としての意識の働きは持ってるわけなんだよね。 だからそれを定式化して意識があるとしてもなんの不都合もないように思えるんだよな。 別になければないでいいんだよ。 ただ生きてる時と死んだ後の状態って明らかに違うでしょ。 生きてるっていうのは、死体から何かが抜け落ちないと死なないわけで、その抜け落ちたものが、「ない」ものって言ったって、ないものを引いてもなんの変化もないはずなのに、じゃあなんで死んだの?ってなるよ普通は。
>>227 >生きてるっていうのは、死体から何かが抜け落ちないと死なないわけで、
>その抜け落ちたものが、「ない」ものって言ったって、ないものを引いても
電子回路が焼けたときに失われる「機能」を例にして考えてみようか。
電子回路が動いているときと、焼けたときの状態は明らかに違う。
電子回路が動いているっていうのは、電子回路から「機能」が抜け落ちないと壊れないわけで、
その抜け落ちた「機能」が「ない」ものって言ったって、ないものを引いてもなんの変化もないはず...
ではないよな?
電子回路が壊れたから、「機能」しなくなったんだよな?
「機能」はものでなく、特定の動作について名付けたものだし、
物体と同列に論じるのはカテゴリーエラーでないかい?
「機能」が抜け落ちたから、ものが壊れた(死んだ)と考えるより、
脳が壊れたから、その働きの一つであった意識が失われたという方が自然だね。
>>228 >その働きの一つであった意識が失われたという方が自然だね。
だから、意識は「ない」ものなら、「失われた」という表現はおかしいでしょ。
って言ってんの。
そもそも「意識はない」とか言ってる相手に文句言ってくれる?
意識はあるとしても「機能」なので、あってもなくても、 死体をみて「ない」ものを引いてもなんの変化もないはず、という議論は変だろう。
だから、その「機能」が存在しないって言うんでしょ? もともと存在しないならなんで死ぬの? 最初っから死んでんじゃん。 なんで生きてんの?
>>231 別に意識があろうとなかろうと、ものが修復不能なほど壊れれば
まともに動かなくなるんじゃないの?
そもそも意識が失われることはすなわち死ではない。少なくとも断言はできない。 熱機関だとか化学物質を合成する酵素のようなもの、そういうものとしての働きが著しく低下したことを以て、 生物の死とするのが妥当だと自分は思う。
宇宙にあまねく存在する根源的なエネルギー、ダークエネルギーは 意識のエネルギー、生命のエネルギーで観測者です 斥力とは生命の好奇心探究心の拡大 十分やりたいことを終えたとき宇宙は収縮へと向かうでしょう 物質が意識を生んでいるのではなく意識が物質を生んでいるのです 物質である機械で非物質の意識や精神や心が計れるはずもありませぬ
Aという質が、B〜Dに移動し、Dへその情報を渡すと、Dはその情報を基に変化を起こす この変化が多くなると自然に意識に近いものができるのではないか?
ダークエネルギーが生命のエネルギー意識のエネルギーですと?
意識も自由意志も錯覚。
238 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/02(火) 09:23:37 ID:4AQ3NiK4
多くの人が抱く意識のイメージとは、次のようなものでしょう。 脳の中のどこかにある映画館(劇場)に、[私」という小人が鎮座して、 意識のスクリーンに映る世界(外界)を観ている。 哲学者デネットは、これをデカルト劇場と言いました。 しかし、脳の中には、意識という劇場を生み出す中枢は存在しないのです。 脳は、中枢本部を持たない徹底して並列的な処理システムなのです。 また、意識(劇場)をある種の分散処理やニューラル・ネットワークと考 えてみても、どれが脳活動の意識的な部分で、それ以外が無意識的な部分 であるとは、言えないのです。 脳は、そのように組織されていないのです。 むしろ、私達が解明しなければいけない事は、劇場も映画も観客もいない 脳の中で、経験の流れを持つ意識的な自己が存在すという感じ(錯覚)が、 どうして生じるかという事なのです
239 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/02(火) 09:24:20 ID:4AQ3NiK4
ここで、錯覚というものを説明する為に、脳の中で行われいる並列処理 をスクリーン上に投影してみましょう。 今、目の前にハエが飛んで来たとします。スクリーン上にはハエの映像や、 ハエを蠅叩きで叩く人の手、嫌そうな人の顔、文字で表された人の思考 (「ハエだ!うざっ!叩き落してやる!」)などが(四角く区切られて) 同時に映し出されています。 そして、スピーカーからはハエが飛ぶ音が聞こえてきます。 これを観てあたなたはどう思うでしょう? 普通は、スクリーンに映った顔の人が、ハエが飛んできたのを不快に思 ってハエを叩こうとしていると、思うでしょう。 実際には、別々の出来事が同時に映し出されていたとしても、あたかも 一人の人間が意志でもって、ハエを叩こうとしていると錯覚してしまう のです。 これと同じで、外界からの情報に対して、脳の中で同時に並列処理が行わ れいるだけなのに、あたかも「私」が意識的にハエを叩こうとしていると、 錯覚してしまうのです。(恐らく進化の過程で私達知的生物は、(風にそ よぐ木の葉などの)自然現象で動いている物と、そうではなく(自分を狙 う肉食動物などの)意志的(実際にはそうでなくても)に動いている物 を見分ける必要があったのでしょう。その癖を自分自身にも向けてしまい、 意志を持つ「私」という錯覚を生み出しているのかもしれません)
240 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/02(火) 09:25:01 ID:4AQ3NiK4
ここで、この場合はスクリーンを観ている私という認識主体が、居るでは ないかと思うかもしれませんが、私達が自分の行った行為を考える (行為のフィードバック)時には、何時でも行為の後から考えるという事 実を忘れてはいけません。 たとえ意識的に行為を行っていると思っている場合でも、実際には行為の すぐ後に行為のフィードバックをしているだけなのです。 つまり、私達がその行為が意識的であったかどうかを(後付で)考える時 には、何時だって意識がそこに在るように思うので、実際には行為中に 意識や「私」を感じていないにもかかわらず、常に意識や「私」が在ると 錯覚してしまうのです。
241 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/02(火) 09:26:04 ID:4AQ3NiK4
それでも、「解った。仮に脳の中に居座る意識や「私」が無いとしよう。 でも、現に何かを「今」見たり触ったり感じたりする時に、「今」意識 的に何かを経験していることは事実じゃないか」と思う人もいるでしょう。 確かにそうなのすが、何かを経験するという時には、必ず何かを経験する 主体(私)が必要になります。 ですが、脳の中を調べても、何処にも「私」が居るような場所は見つから ないのです。 また、仮に見つかったとしたも、一体全体どのように物質である脳が、 非物質である意識や「私」を生み出すのか?という深刻な問題に直面して しまいます。 これらの事をふまえると、私達が「今」経験している世界は、「私」とい う主観が経験している何かではなく、経験そのものが世界(自然)であり、 そこにはただ行為や世界(自然)のみが在り、世界が存在するのに「私」 や意識は必要なく、世界だけが唯一の存在にして存在そのものであるとい う事になります。 少し哲学的な表現になりましたが・・・ 要は、物質という世界が外側にあって、非物質な意識や「私」が、それを 脳の中で観ているという二元論は止めて(意識が脳機能に付随する何かと 言うなら、どうして物質の脳に非物質の意識が付随するのか?また意識の 役割は何か?という深刻な問題が派生します)素直に事実を認めたならば、 一元論でもなく二元論でもない、統一論的な見方をしてみましょうという 事です。
物理法則は物ではないが存在し物質に影響を与える。 世界を内部に意味として取り込んでいく過程で、 物理法則も取り込まれ、意識になった。といえなくはない。
脳分割の話は面白いな。 脳梁を切断すると右脳と左脳の間で情報が伝達しなくなり、個々に人格を持つわけだ。 意識を保ったまま脳梁を完全に切断したら、被験者の感覚はどのように変化するのだろう。
>>234 >宇宙にあまねく存在する根源的なエネルギー、ダークエネルギーは
>意識のエネルギー、生命のエネルギーで観測者です
文系やオカルトはお手軽かつ無責任でいいねー。
>>244 自分勝手に定義する事が許されるなら、何でも言えるよな。
それは同時に、何も言えていないのと同義だが。
つまり
>>234 は何も言えていない。
>>246 >意識がなければ動かないだろ
なんで?
意識無いのと死ぬの?
>>241 並列処理なのは当然として、それが「意識は存在しない」ことの理由になるの?
脳の特定の部分に意識があるというわけじゃないとしても、仮にその特定の部分があるとして、その部分のどの細胞の集まりが意識を生むのかってなってもさ、
その特定の部分の中のそれぞれの細胞はそれぞれで並列処理してることになるでしょ。
さもなくばたった1個の細胞が意識を作り出してるわけじゃないし、仮にその1個の細胞が意識を作り出してるとしても、細胞の中のどの器官が意識を作り出してるのか?ってなったら、
やっぱりその1個の細胞の中でも並列処理されて意識が作り出されてるって結論になっちゃうでしょ。
じゃあ仮にその器官のなかの1個のやつが意識を生み出してるってなっても、そういうの突きつめてくと、素粒子にまで行っちゃうよ?
だから脳全体なのか広範囲なのかわかんないけど、まあ脳が意識を作り出してるってことでいいでしょ。
じゃあ結局、意識はあるってことになるじゃん。
>世界が存在するのに「私」や意識は必要なく、世界だけが唯一の存在にして存在そのものであるという事になります。
それは違うよ。
あんたが昨日お店で払ったお金は誰かの生活に影響与えるし、あんたが今日踏んだ急ブレーキでずっと後ろのほうで追突事故引き起こしたかもしれないよ。
もし意識が存在しないもので、私もなにもなかったら、この世界はなんの影響で今日存在してんの?
北方領土にロシア大統領が来て、菅総理が遺憾とか反応したのはどう説明すんの?
意識があるから世界が回ってるんじゃないの?違うの?
仮に菅総理があんたに替われば違う世界がまわり始めるんじゃないの?
もし必要ないなら誰がなっても同じだよ。
もし同じじゃないなら、同じじゃないぶんだけ別個のなにかがうじゃうじゃあるってことだよね。
その別個のものって存在するから、互いに差があるんであってさ、存在しなければそもそも差はないし、行動による結果の差も生まれようがないよね。
道端で1万円札が落ちててさ、それを拾って交番に届けるか、懐にしまっちゃうくらいの差があるんだよ。
どのくらいの差かっていうと、落とした人がもしかしたらそれで人生狂っちゃうかもしれないほどの差だよ。
これほどまでに世界に影響受けたり与えたりしてるのに私や意識が必要ないってどういうことさ。
正直言って、自分に意思があるとか、自分は人間であるとか、自分は生物であるということにアイデンティティを求めている人達は気味が悪くて仕方がない。 そこまで高尚で意味不明な存在になりたい?
● 脳が無いのに意識のある奴はいない。 脳の一部に深刻なダメージを被っても意識は消失する。 腕が無くても意識のある奴はいっぱいいる。 脳以外の体の一部に深刻なダメージを被っても脳に影響がでるまでに意識のある奴はいっぱいいる。 従って、脳が意識を生んでいると考えるのは相当程度の妥当性がある。 脳などのハードウェアに依存せずに意識が存在するという概念は、 幽霊や死後の世界など伝説や信仰のなかでは見られるが、 現在のところ、妥当性はさほど高くない。 ● 意識がないと、世界の認識には困難を来すものの、 意識がないと世界が存在しない、というのが事実である可能性は高いとは到底思えない。 意識が無い時代から、物理法則に従って物事は進み、世界は存在していたと考えた方が妥当性は高いだろう。 ● もしも、哲学的な厳密さを追求するあまり、ただ完全には否定できないというだけで かまり可能性が低そうな結論に飛びつき、 他のありそうな結論を大した検証もなく否定するのであれば、 それは、SFとしては面白いが、事実を探る姿勢からかけ離れていると言わざるを得ない。
かまり...orz
どんまい (o・_・)ノ”(ノ_<。)
253 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/02(火) 22:23:57 ID:4AQ3NiK4
いて何かを説明するのは難しい・・・読み返すと酷い文だ><;
時間&エネルギーが無いので簡易レスで^^;
>>248 > 並列処理なのは当然として、それが「意識は存在しない」ことの理由になるの?
意識が存在しないことの理由ではなくて、意識が錯覚であることの理由になるのです。
> 意識があるから世界が回ってるんじゃないの?違うの?
意識があるから世界が回ってるのではなく、物理法則や脳の情報処理があるから、
世界が回っているのです。
> やっぱりその1個の細胞の中でも並列処理されて意識が作り出されてるって結論になっちゃうでしょ。
相当数の細胞が集まって、脳という巨大で複雑に入り組んだネットワークの塊が作り
出されなければ、意識という錯覚を生み出す、高度な知性や知覚や思考や言語という
情報処理は起きないでしょう。
> もし同じじゃないなら、同じじゃないぶんだけ別個のなにかがうじゃうじゃあるってことだよね。
別個の遺伝子から設計された様々な脳が、差異や異なる影響を生み出している
ことになりますかね・・・
254 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/02(火) 22:25:08 ID:4AQ3NiK4
>>250 > 脳が無いのに意識のある奴はいない。
意識(錯覚)を作り出す脳がないのだから当然ですね。
> 脳の一部に深刻なダメージを被っても意識は消失する。
交通事故などで足や腕や首などの体に、ダメージを受ければ
脳は一時的に情報処理を停止する(意識を失う)ことがありますね。
おそらく強いダメージから、脳を守るためにそうするのでしょう。
(少し違いますが、PTSDなどは実際に脳に物理的ダメージを与えるそうです)
それと同じことで、脳の一部のダメージから他を守るために部分的
or 全体的に処理を停止するのです。
意識(錯覚)を生み出す処理が停止すれば、意識を失うのは当たり前ですね。
> 従って、脳が意識を生んでいると考えるのは相当程度の妥当性がある。
脳が意識を生むのではなく、脳の並列分散処理が、意識という錯覚を生み出すのですね。
> 意識がないと、世界の認識には困難を来すものの、
いやいや、意識など無くとも、脳はちゃんと情報処理で世界を認識しますよ。
255 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/02(火) 22:26:31 ID:4AQ3NiK4
>>250 > 意識がないと世界が存在しない、というのが事実である可能性は高いとは到底思えない。
> 意識が無い時代から、物理法則に従って物事は進み、世界は存在していたと考えた方が妥当性は高いだろう。
その通りですね。
でも私は、物質のみが存在するという一元論(唯物主義)は支持しませんね。
それでは、物質の脳からどうして非物質的な心が生み出されるのか?という
問題が生じますから・・・
> もしも、哲学的な厳密さを追求するあまり、ただ完全には否定できないというだけで
> かまり可能性が低そうな結論に飛びつき、
> 他のありそうな結論を大した検証もなく否定するのであれば、
> それは、SFとしては面白いが、事実を探る姿勢からかけ離れていると言わざるを得ない
そうですかね。私はそうは思いませんね。
相対性理論と同じですよ。かつてエーテルがあるのが当たり間の時代に、科学者達は
エーテルの妥当性を証明するために、色々な実験を行ったり理論を提唱しましたが、
どれもこれもエーテルの存在を証明でる代物ではなかった。
そこでアインシュタインは、実験結果やマクスウェルの理論を素直に受け入れて、相対
性理論を作り出したのです。
それと一緒です。意識に対する様々な理論のハードプロブレムや、実験結果などを素直
に検証(私と違い、ちゃんとした研究者はキチンとした検証や思索を行っています)して受
け入れた結果、自然と意識が錯覚との結論に至ったのです。
256 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/02(火) 22:27:59 ID:4AQ3NiK4
× いて何かを説明するのは難しい・・・読み返すと酷い文だ><; ○ 書いて何かを説明するのは難しい・・・読み返すと酷い文だ><;
どんまい (o・_・)ノ”(ノ_<。)
258 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/02(火) 22:36:12 ID:4AQ3NiK4
>>257 ありがとう 。・゚・(ノ∀`)・゚・。
>>254 >意識(錯覚)を生み出す処理が停止すれば、意識を失うのは当たり前ですね。
つまり、脳が意識を生み出している可能性が高い。
>脳の並列分散処理が、意識という錯覚を生み出すのですね。
その場合、錯覚しているのは何ですか?
意識が脳の機能の一部ではない証拠は?
>脳はちゃんと情報処理で世界を認識しますよ。
まあ、無意識もあるからね。並列処理は否定しない。
ただ、意識は錯覚という意味と、そう断言する根拠が不明確。
>>255 >それでは、物質の脳からどうして非物質的な心が生み出されるのか?という
質問の意味が分からない。
相転移などの「現象」や「機能」は物質から生まれるが、物質ではない。
だからといって、物理法則以外のものが相転移に必要だろうか?
心は「現象」であって、そもそも物質と比較するようなものではないのでは?
どのような検証を根拠にして、 どのような意味で「意識は錯覚」と言ったのか?
>>253 俺もいつだって酷い文だから気にしない。
>意識が存在しないことの理由ではなくて、意識が錯覚であることの理由になるのです。
あれ?意識は存在しないって書いてなかったっけ?
意識は存在しないもので、ただの錯覚だって。
錯覚なら錯覚なりの現象は存在すると思うけど。
ボールでも譬えたけど、左のものが右に移る時、ボールの物質としての変化はないし、物質としては存在するけど、移動しているという「もの」は存在しないよね。
移動したことでその軌跡がいつまでも残って見えるというわけじゃないし。
だから、錯覚かどうかはともかくなんらかの現象は存在してるんだから、それさえ存在しないのがおかしいってことだよ。
>意識があるから世界が回ってるのではなく、物理法則や脳の情報処理があるから、世界が回っているのです。
ほらあ。情報処理があるんでしょ?
例えば、俺があんたを泣かすほど罵倒したとして、なんであんたは涙流すの?
っていうか涙流したことないの?
あんたという自尊心があるから傷ついたり泣きたくなるんでしょ。
そういう現象までなかったことにして、脳の情報処理に過ぎませんって言ったってさ、じゃあ泣く必要ないってなったって、どうしても泣くたくなることあるでしょ。
それを無かったことにできるなら、喜怒哀楽の表情なんていらないじゃん。
そういう感情の発露こそ意識や自分が存在してることの証であって、自分があるからこそ存在が意味を持ってくるわけだし、世界はあんたが笑顔で挨拶することからまわり始めよ。
自分がないならそもそも存在の意味もないってことだから、あんたがここで書いてることもなんの意味も無いことなんだよ。
しかしここに書いたり意見したりするってことは、心のどこかで自分は存在していて意味あるものを付け加え続けてるってことでしょ。
自分はないって主張すると、その主張が主張を否定するんだよ。
>脳という巨大で複雑に入り組んだネットワークの塊
脳細胞から見たら、素粒子の方が緻密なネットワークの塊に見えるよ、きっと。
なんたって無数のありえることが含まれてるレベルだってんだから。
その素粒子レベルの緻密な活動があるからこそ、脳細胞から意識が生まれて機能するって話しもあるくらいだよ。(by量子脳)
脳の中で意識を探す行為は ラジオから流れる音楽の作曲者をラジオの中に探すのに等しい by・・・忘れた
人間は皆哲学的ゾンビなのさ。
原理的に区別できないなら区別する必要ないような……。(ゾンビ
ゾンビでない者とゾンビである者との差異は物理学的要素に還元できないのに、 それを認めることができないのなら、永遠に悩み続けるしかない。
原理的に実現可能かどうかも分からない哲学的ゾンビとか、 現時点では何とでも言えるただの思考ゲームだな。
267 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/03(水) 22:58:26 ID:z+uHtTJR
なんだか>267のリンク先の議論は後半がナイーブすぎて飛躍があるよなあ。 「このゾンビは、物質的には普通の人間とまったく同じであるのだから、もちろん脳も神経も持っている。」 そして「 にも関わらず意識がない、としているが....神経的ゾンビだね、これ。 脳の神経細胞の状態まで含む、すべての観測可能な物理的状態に関して、普通の人間と区別する事が出来ないゾンビ。 しかし、そんなものが存在しうるかどうかも分からないし、いたとしても、 いかなる観測でも区別不能なので, 思考ゲーム以上には、あまり意味がないような....
逆に、意識やクオリアが単なる仮想概念であるべきなのかってところが重心?
だって、普通の人間と区別する事が出来ないゾンビなんだろ。 学者A「ついに実在する神経的哲学ゾンビを発見したぞ。山田太郎君だ!」 山田「山田です。僕は哲学的ゾンビなんかじゃないと思います。」 学者B「A先生、普通の人間にしか見えませんが?」 学者A「そう!いかなる方法でも普通の人間と区別つかない哲学的ゾンビなんだよ!でも、彼には心がない!」 山田「僕には心がないですって!失礼な。」 学者B「A先生、なんでこの方に心が無いなんて断言するんです。」 学者A「哲学的ゾンビだからだ。」 学者B「彼が哲学的ゾンビだという証拠は?」 学者A「証拠なんて無いよ、完璧な哲学的ゾンビだからな。」 山田「山田です。僕は哲学的ゾンビなんかじゃないと思います。」 学者A「ほら見たまえ!まったく普通の人間にしかみえんだろう。区別がつかんのだよ!!素晴らしい」 学者B「(ご乱心?).....。まあ、その話は今度伺います。友人の精神科医にも来てもらいます。」 学者A「そうかね。でも、精神科医といえどもおかしな人間しか見分けられんよ。 その点、山田君はどう見ても普通だ。ムダだと思うがな。あははは」 山田「失礼な。もう帰っていいですか?」
ゾンビというのは、「意識」とか「自我」とか呼ばれているモノに対する意味や考え方を 普通の人とゾンビとの差を通じて与えるための小道具だと考えるべきだね。 可能性なんで、もとよりどうでも良い。 「意識」とか「自我」とかは、人によって捉え方が異なるから、 皆が同じ意味に理解していると考えて議論を始めると、 議論が拡散するか平行線をたどって、結局徒労に終わる。
板違いなのにいつまでやってんだ、、、、 君たちは何処に向かって行くつもりなのかね
意識が満たすべき要項を見極める、という意味では徒労でもない気がするけど。 ただし結論を下すには、少なからず経験的事実、実験結果に頼ることになると思う。 ところで犬や猫、石や木々には意識や意思というものがあるのかね。
>ところで犬や猫、石や木々には意識や意思というものがあるのかね。 知ってて聞いているんだろうけど、「意識や意思の定義による」。
275 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/04(木) 00:22:00 ID:0dQp8PPh
あるだろうね。ネットワークの範囲によって性能差があるけど。 でもね 一輪車、三輪車、自転車、バイク、自動車、スーパーカー ジェット機、ロケット 乗り物の性能差はあっても運転者は同じ人間(意識、生命)
付け加えると、アニミズムが大好きな人は、 「石にも意識がある」が真の命題となるように「意識」の意味を定義する。
>275 なるほど、それぞれの乗物にそれぞれの楽しさがあるから優劣はつけられないな。
>>271 >可能性なんで、もとよりどうでも良い。
いやあ、物理的にも機能的には外から判別不能なら、
思考ゲーム以上の意味があるのか疑問。
なんなら、普通の人を連れてきて哲学的ゾンビだっていっても
同じ事なんでしょ。
同じ物理的構造と機能をもっているのに
「意識」とか「自我」とかないとか、もしかしたら不可能なのかもしれないじゃないか。
>>275 >乗り物の性能差はあっても運転者は同じ人間(意識、生命)
それだと、肉体とは独立に、意識、生命があるみたいだな。
それには懐疑的にならざるを得ないな
>>274 どう定義したら「石」に意識があることになるんだ?
ねえだろ
>>278 >なんなら、普通の人を連れてきて哲学的ゾンビだっていっても
>同じ事なんでしょ。
同じ事だからといって、そんなことをしたら、
なぜ哲学的ゾンビと判断したかを問われるでしょうね。
対する回答を持っているのなら、せび聞きたい。
持ってないなら子供の悪戯と同じ。
>いやあ、物理的にも機能的には外から判別不能なら、
>思考ゲーム以上の意味があるのか疑問。
「自分が存在するのは何故か?」等の実存的疑問に
思考ゲーム以上の意味を見出せない人も世の中には多いだろうね。
282 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/04(木) 01:14:39 ID:0dQp8PPh
>>279 そだよ。ただし独立した別物じゃなくて、水と氷みたいに元々は一つね。
分子<原子<素粒子って、物質をいくら拡大して見ていったってそこに粒、形なんてない。
そこには振動してる何か(エネルギー)があるだけ。
んじゃ、そのエネルギーって何よって話になる。
僕はそれこそ意識、生命、観測者、神だと思ってるんだ。
しかもそれはいったん別れてしまった科学、哲学、宗教を再び結びつけるものだと思ってる。
中身をいかなる方法でも知ることが出来ないなら、定義から判別不能。 そうでないなら、なんらかの方法で中身を覗けることになる。 このとき、中身は定義より物理的な作用をしないので、そうでない領域から歩み寄る必要がある。
>>282 哲学は宗教の一部だし、科学は哲学の一部だと思うけど。
>>280 >どう定義したら「石」に意識があることになるんだ?
意識とは万物に宿る霊的な存在である、
とでもすれば十分だろ。
でも霊的な存在が解らないと、無意味だし同意反復に成りかねないよね。
石はぼ〜〜っとゆったりとした時間の中、徐々に徐々に結晶をつくったり欠けたりしながら過ごしてるんだろうな。
>>286 解る人の間で通じさえすれば、他に何が必要だと言うのか。
高等数学を解らない人が高等数学は無意味だと発言すれば同意するのか。
……なんて話になるぞ。
>>287 なごんだw
>>281 >同じ事だからといって、そんなことをしたら、
>なぜ哲学的ゾンビと判断したかを問われるでしょうね。
そら本物の哲学的ゾンビも同じ事。
つまり、思考ゲーム上でしか意味の無い存在なのでは?
あいや、解る人の間で話が通じればそれでおおむね良いと思うんだけど、 最低限の言語化は議論の上で必要不可欠だと思うよ。これはあくまで経験則に過ぎないことだけれど。
我思う故に我在りと思う胡蝶の夢もまた夢
>>282 E=mc^2を初めとして、エネルギーには色々な形態があるのは知られているが、
「それこそ意識、生命、観測者、神だと思ってる」は物理的には曖昧な言説だね。
むしろ、意識、生命などの活動にはエネルギーが必要だというべきでは?
まあ、物質を使って情報処理するには、局所的な低エントロピー状態を作る必要があるから、
意識を維持するには、エネルギーの流れのなかの非平衡開放系である必要があるだろう。というなら
そうだろうな、とは思うけど?
君の論理展開にはギャップがあるので、今のところ信仰的詩的表現の段階なので
具体的にはどういうことなのか判然としないね。
「脳の神経細胞の状態まで含む、すべての観測可能な物理的状態に関して、普通の人間と区別する事が出来ないゾンビ」 すなわち、哲学的ゾンビがいたとしよう....って、そんなの原理的に可能なのか? 脳の物理的な活動から意識が生まれるのなら、脳の神経細胞の状態まで完全に同じなら意識があるんじゃないの?
>>289 今更聞くのも悪いけど、「思考ゲーム」って何?
だから、脳細胞の状態からは必ずしも一意的に意識の有無や状態を得ることはできない、って立場なんでしょ。
>>294 >「思考ゲーム」って何?
現実と対応しないどころか、全く何の関係もないかもしれない思考実験じゃね。
その結果、
現実との矛盾が出たら、背理法により議論の前提がおかしいと考えられる。
しかし、
現実と対応するかどうかチェックできない場合、前提も結論も正しいがどうか分からない。
ただのSF世界についての論争かもしれない。
そうなると、空理空論だよね。
まあ、万人が一致しうる数学みたいな体系を作り上げるなら、
何か意味がでてくるかもしれないが。
>>297 何だが分かるような分からないような感じだけど
どうやら「思考ゲーム」と呼ぶとき、否定的な価値判断を伴っているようだね。
だけど、それは間違っていると思う。
確かに、ゾンビとゾンビでない者の差は、現実世界に存在しない。
しかし、世の中の大勢の人が、この現実世界にないものを
現実世界に結びつけようと労力を惜しまない。
それは「脳はいかにして意識を生み出すのか?」や
「コンピューターは意識持つようになるか?」といった問いに
典型的に現れている。
こういう問いが答えを出せないものであることを知るためにも
この「思考ゲーム」は役に立つと思っている。
299 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/04(木) 14:48:29 ID:/qp4Ieni
>>298 現実にないのではなくて、有り得る、あるいは直感的に不可欠に見えるからこそ議論されるんだと思うよ。
全くさし障りがないことが明らかな以上は、杞憂に過ぎない。
>>285 石と意思の疎通が不可能なのにあると思ってるのならオカルト板いけ
>>288 外に出て石拾って、何考えてるか聞いて
何か言ってるのが聞こえたらならまっすぐ病院に行きたまえ
石と意思w かわいいなw
>>293 >すべての観測可能な物理的状態
出だしから不可能だな
>>302 意識とは対話可能でなければならない、などと定義を勝手に改竄するなよ。
>>305 対話不可能ならどうやって意思を持ってるか確認すんだよアホが
>>305 あと「意思の疎通」な、勝手に改竄するなよ。
意思というものが何らかの実体を持つんだろう。 考えにくい問題だけれど、そこまで単純な相関にする必然性もないよ。
>>306 まるで対話ができれば意識を持っていることを確認できるような口ぶりだな。
だが、今はそれよりもこの流れだ。
石は意識や意思を持つか?(
>>273 )
↓
意識や意思の定義による(
>>274 )
↓
石が意識を持つような意識の定義を示せ(
>>280 )
↓
例えば「意識とは万物に宿る霊的な存在である」 (
>>285 )
↓
石とは意思の疎通が不可能だ(従って石に意識はない)(
>>302 )
↓
この定義の上では、意思の疎通は必要要件ではない(
>>305 )
↓
意思の疎通が不必要なら、意識があることを確認できない(
>>306 )
このうちのどこからがお前かは知らないが、
自分の望む方向に議論を進めようとするあまり
議論が捩れてきていることを理解できるか?
提示した定義を無視して、自分の定義で議論を進めようとしている。
もし最初からお前だったなら、
>>274 に対する反論として
>>280 のようなやり方を選んだのが失敗だったな。
「攻殻機動隊」では、システムが単純化していって、 「意味消失限界」より単純な構造では意識「ゴースト」は保持不能だという説だな。 まあ、こっからが意識を持ちますってもんでもなく、 システムがある方向に高度化していくと徐々に「意識のようなもの」が形成されるのではないかいなあ。
静けさや 岩にしみいる 蝉の声 昔の人は誰に教わるまでもなく岩の意識を感得していたというのに、人類はどんどん劣化しているの?
>>309 長々と書いてるけど
「意思の疎通」から「対話」にすりかえる作戦ならもう失敗してるから
出直してらっしゃい
>>311 >昔の人は誰に教わるまでもなく岩の意識を感得していたというのに、人類はどんどん劣化しているの?
それは単なる人間側の「投影」でないの?
そして、「静けさや 岩にしみいる 蝉の声」には岩に意識があるという主張を含むとは思えないが?
「意思の疎通」と「対話」のあいだに、どれほどの深刻な意味の違いがあるというのやら。
オカルティストや古典的心理学者はしばしば言霊を重要視する。
石の意志はしいていえば詩意
どんな定義を立て、石に意識があると捻じ曲げて突き進んでみたところで 振り返れば後ろに続く奴は後ろには誰もいないだろうな。
>>314 それも分からない馬鹿だから分からない
定義にこだわるくせに、用いる用語があいまい
オカルト板向きだな
>>318 などと言いながら、自分からは決して用語の説明をせず、
終始曖昧にして誤魔化す。いい加減に負けを認めたら?
「意識」と言うのはある種の機能である。 それは外界を認識し、自己の存在を認識し、自分の内部状態を常にモニターしてると言う機能。 であるから「哲学的ゾンビ」などと言うものは存在し得ない。 完全に意識があるように「振る舞う」ものは「意識を持つ」のである。 少なくとも、私の定義によればそう。 その点、何の疑問も持って無いし、持ち得ない。 私に取って疑問なのは「なぜ、私が私であり他人では無いのか?」と言う事だけ。 この疑問に対する答えは多分、永遠に出ないだろう。
苔 「そろそろ起きないこと?」 石 「うん。も少し。」
負けってなにが? それぞれ意味書いてみろよ すぐ分かるだろ 何回5mmの段差で転べば気がつくの?
>それは単なる人間側の「投影」でないの? 物質も世界も意識の投影で仮想現実なのさ。
>>319 ちょっと外に出て石と対話してきてくれる?
>>320 やる気くん発見
地球外生命体スレどうすんの?
放置したままだけど
>>325 誰、ソレ?
ま、似たような事を言う人は多いと思うが。
ごく、当たり前の事を言ってるつもりなので。
>>324 対話なんてできませんが?
意思の疎通ならできるの?
「哲学的ゾンビ」などど言う事を考える人は「自分自身は本当にその意識なるものを持ってるのか?」をまず、問うべきだと思うな。 そして多分、「持ってる」と答えると思うが、それを他人に対して証明できるのか?を考えるべき。
>>328 証明できないよ。そんなことは百も承知。
>>329 ならば、その区別がそもそも無意味なのだとは思わないか?
>>330 ある意味、無意味だね。
ところが、世の中には頑張れば区別が付くはずだと考える人が多いから。
>>320 >「なぜ、私が私であり他人では無いのか?」
はい、ダウト^^
芭蕉でさえ岩に自分を投影したのに「他人」に自分を投影してないという根拠がないような気がするよ。
他人と思ってるものって実はなに?
>>332 そんな「すべては自分の意識の反映」みたいな中学生っぽい妄想には興味無いな。
「他人は細かいところは自分と違うが、自分と同じような原理で行動してるようだ」
と言う推測で私には十分だよ。
>>332 >他人と思ってるものって実はなに?
とはいえ、他人は自分ではないよ。
他人に自分のことを投影することはあってもね。
石に自分を投影することはあっても、石は自分ではない。
だけど、「なぜ、私が私であり他人では無いのか?」ってのは、文学的な意味しかないような気がする。
人間が自分のことを観測できるなら、
人間が複数いて互いに差異があって区別がつく状況では、
必然的に自分と他人の区別が生じると思うんだが。
それ以上の意味を問うのは、もはや文学か宗教ではないか?
>>334 そう、客観視すれば特に疑問ではない。
主観的な立場で考えるから「疑問」になる。
これは「なぜ、自分がこの世に生まれて来たのか?」と等価な疑問であり
納得行く答えがおそらく存在しない事も分かっている。
でも、おそらく一生持ち続ける疑問なのです。
「哲学的ゾンビ」なんて事を考える人はそう言う「主観的問題」と「客観的問題」をゴッチャにしてるように思える。
>>335 そりゃ、生まれて来ていない状態では、そんな疑問を覚えることができないからではないのか。
そんな単純なものではないのか?
>>335 自然科学的には無意味な問いだが、
文学的にはある種のイマジネーションの源泉なんだろうな。
自然科学とごっちゃにしなければ、いいんじゃないの?
ごっちゃにしちゃうと、とたんにオカルトだけどさ。
あらゆる観測系は代替可能であるのが物理の前提なのに、自分を想定した瞬間に前提が崩れる。 代替不可能な観測系は物理の範疇ではない。
>>337 分かりやすくうまく言葉で説明できない。
しかし人間も元はと言えば単なる物質の集まりであり、
それがたまたま生命や意識と言う「機能」を持ったのだと考える時、
この点が不思議に感じられませんか?
「物質が意識を持つのは良い。しかし、なぜそれがよりにもよって私なのだ?」と。
>>333 妄想っていいながら中学生っぽいって妄想で見てるじゃん。
俺が言ってるのはたった今あんたがしたことなんだよな。
>>334 >とはいえ、他人は自分ではないよ。
ところがどっこい人が人を判断するのは相手の言動や容姿しかないんだよね。
それを通じてしか相手を見れないから、辛うじて「他人はどうやら自分とは違うらしい」としか言えないんだけどそもそもその違いが自分による評価だから色は付いちゃうんだよ。
その違いを見てるようでいて実は自分の評価でしかなくそれは他人とはまったく無関係だから無関係な人々同士がこの世にはびこってるわけ。
>>341 「中学生っぽい」て言うのは「あなたが中学生であると推測してる」と言う意味では無い。
「一般に人が中学生、あるいは高校生くらいの時に持ちがちな妄想、あるいは空想」と言う意味。
>>327 対話も意思の疎通もできませんがなにか?
>>341 統合失調症の人間は、自分は動きたくないのに動かされているような体験をする。
それは明らかにシステムエラーだが、動かされているような体験をしている主体とは
何かと比較をしているわけではなく、自分自身の「意志」と自分自身の「行動の観察」
によって判断している。
これを理解するには「主体の意志」を想定しないわけにいかない。
したがって、
>ところがどっこい人が人を判断するのは相手の言動や容姿しかないんだよね。
と、言い切ることはできない。
>>329 思考実験のためのただの仮定だからな
「哲学的ゾンビ」なるものがいると思ってるのは
読解力のないアホだけ
>>345 「現実にあり得るのか?」では無く、「その区別に何らかの実質的意味があるのか?」を問うている。
「哲学的ゾンビ」の言葉が分からないやつがおおすぎw 物理板だからしかたないけど、wikiでも読んだ来たほうがいいな つかオカルト板か哲学板いけよ、なんでこんな内容で300までいくんだよw
>>345 いいからウィキでも目を通してこいよ。。
「自分自身は本当にその意識なるものを持ってるのか?」を問うたり疑問を持ったりすること自体が不思議なんだよね。 単なるプログラムの遂行、ロボットなら疑問はもたない。 疑ってるのは何ものなのだろう。
AIの応答プログラムを精巧に作れば哲学的ゾンビに近いものはできるだろ。
>>340 「物質が意識を持つのは良い。しかし、なぜそれがよりにもよって私なのだ?」
これは、主観的立場と言いながら、自分を主観視することが不十分だからじゃないだろうか。
「世界があって、その中に自分(という主観)がある」というのは、把握の仕方として
客観的視点がまだ抜け切れていない。
主観的立場を突き詰めて、
「自分があって、その周囲に(自分の身体を構成する物質を含めて)世界がある」
と考えるべきだ。
こうすることによって、「なぜよりによって私なのだ?」は
「ここはなぜよりによって日本なのだ?」と同程度の水準の問いとなる。
如何だろうか?
プログラマーは何ものよ
>>349 完全に人間の意識を真似出来れば、それも可能になるはずだよ。
要するに「自己言及できる人工知能」なんだよ。
それをどうやって作るのか、またそんなものを作り出すべきかどうかは
また別問題だけど。
>>343 ならば、対話と意思の疎通を区別する必要性はないよね?
>>354 意思の疎通= 会話、ジェスチャーでも可能、テレパシーお好きなものをどうぞ
対話= 会話
>>355 「哲学的ゾンビは現実にあり得るのか?」・・・YES
「哲学的ゾンビ」なるものがいると思ってるのは読解力のないアホだけ・・・NO
>>351 なるほどね。
主観的な立場に立つのならそれを徹底すべきだ、そうすれば始めから疑問は存在しないと。
材料となる原子を箱にいれて、いくら暖めたり振ったりしても意識や生命は生まれないと思うなあ。 やっぱりプログラマー=知的介入は必要だよ。
>>357 精巧に作られたAIを使った時点でアウトー!
お前理解してないだろ
意識の定義もしないでよくもまぁダラダラと無駄な時間を。。。
>>360 >アウトー!
馬鹿に見えるから、そういうのはやめておく方がいい。
近似値をどこまで求めるかの問題だ。
なぜ思考実験に限定する必要があるのか。
様式美を求めテリトリーを守りたいだけならば、議論をする意味すらなくなる。
>>361 与えられた様式の範疇でなまぬるく雑談をしたいだけの輩がいるからな。
wikiやどこかのblogに模範解答の書いていない事項は話したくないそうだ。
>>351 前提がおかしいな
言うならば、「物質が意識を持つんじゃなくて、構造が意識をもつ」だな
>>362 >近似値をどこまで求めるかの問題だ。
こんな事言ってる限り理解してない証拠だな。。
>>361 定義しないんじゃ無くて、できないんだよ。
定義して、それにどんなに「機能的に近い」ものをこしらえても
「それは意識じゃない」と言う人がいるから。
要するに「主観的意識現象」と「客観的な機能としての意識」の話がゴッチャになってる。
このスレだけの話では無くてね。
>>363 なまぬるい雑談以前のレベルだけどな
こんなの哲学板なら相手にされんよ
せいぜいレスがついても
クオリア(笑)
で終わり
>>365 現在の議論の流れに合わせて定義を拡大すれば済む話。
ちなみに現在の定義は「wikiを見ろ」という程度の曖昧な、参加者の同意を
得て承認されたとはとても言えないもの。
現在の定義はwikiにあるのではなく、この場にある。
失礼だがあなたは、議論をまともにした経験がないのではないか?
>>367 「哲学板」という人格が存在しているわけではない事に注意。
>>366 各方面からグチャグチャな認識で語っても意味ないだろ
石に意識があるかどうかなんて言ってるんだから
アホらしい
>>356 なんじゃそりゃw
「テレパシーで対話する」は間違った日本語なのかw
>>369 板住人の理解度、話の流れ方、独自の雰囲気ってあるよね
気がついてない?
>>368 前提が変わったら、それまでの議論が無駄になる
まともな議論をしたことないのは
>>368 ということだね
「哲学的ゾンビ」って何用語かねぇ?
最近知った言葉に「名人様」というのがあるんだが、 なんか突然、名人様が湧きだしたなw
>>374 例えば流体か何かを計算しようと思う時、方程式の項を全て埋めずとも、その場において
さしあたり無関係な項は1と定義し、略しても、必要な解は得られる。
哲学的ゾンビとは揺るぎない実体なのか、何らかの仮説を論じるために便宜的に
持ち出されるツールなのか。
俺は後者で、必要に応じて適用範囲を変える事は必須だと考える。
>>369 物理板=メコスジ
哲学板=キチガイAA
おk?
>>373 物質が意識を持つんじゃなく構造が意識をもつ
たとえば,脳の構成物質をまったく同量箱につめる
頭部を開頭して脳をミキサーにかけてもどしても意識をもつかね?
>>350 で
>AIの応答プログラムを精巧に作れば哲学的ゾンビに近いものはできるだろ。
などという人もいるが
プログラムも構造を持ってるわけで、プログラムに使われてる全文字を
並べたところで走るだろうか?
>>376 必要なパラメーターを抜かして得られた答えは間違いだから意味がない
哲学的ゾンビはクオリアの検証のためのただの仮定
>>342 だからそういう意味だと受け取ってレスしたつもりだよ。
>>344 >これを理解するには「主体の意志」を想定しないわけにいかない。
別に相手が実体があろうとなかろうと色付きは色付きだよ。
>>378 ひょっとして、
>>364 は
>>351 でなく
>>340 に対する意見だったのかい?
ちなみに
>>351 において、俺は
>>366 の言うところの「主観的意識現象」に
関して意見をしたつもりだ。
この「主観的意識現象」に対しては、
「物質が意識を持つんじゃなく構造が意識をもつ」なんてことは
肯定も否定もできないと考えている。
>>378 自律的に走らせようと思えば、エントロピーを廃棄するサブシステムが必要になるな。
例えば生命。
生命が意識の存在を保証するサブシステムだと仮定するならば、石に意志があるかという問いの答えは
否となる。
>>377 おkw
>>379 さて、いかにも排他的なレスだが。
間違いが何故そうなのかという試行錯誤、あるいは仮説検証のプロセスは、あなたの中でどう評価されているのだ?
>>384 「物質が意識を持つんじゃなく構造が意識をもつ」なんてことは
肯定も否定もできないと考えている。
どういう意味で書いた?
>>379 哲学的ゾンビとは揺るぎない実体なのか、何らかの仮説を論じるために便宜的に
持ち出されるツールなのか。
俺は後者で、必要に応じて適用範囲を変える事は必須だと考える。
俺は後者でもクソもない、そう定義されてるんですけど、、、。
>哲学的ゾンビとは揺るぎない実体なのか
とか書いてる時点でもう、、、
>>385 「物質が意識を持つんじゃなく構造が意識をもつ」は
「客観的な機能としての意識」に関する命題であって、
「主観的意識現象」に関する命題ではない、という意味さね。
「構造が意識を持つ」なんて簡単に言うけど、そんな構造持つのにどんだけ高いハードル越えると思ってんの? 構造が構造として意味をもつ働きをするには、構造を構成する物質がそもそも意識の働きを持ってないと構造だって意識はもてない相談だよ。 水素と酸素がくっついて水という機能が出現するわけだけど、陽子と中性子と電子しかないんだよ。 それがくっつく角度や数が違うだけで全体として違う機能を発揮するってことはさ、そもそも素粒子がいろんな構造を持てる自由度があるってことじゃん。 ということは量子の働きとしてみれば、「物質は水としての機能を持つと同時に意識も持つ」とも言えるでしょ。
390 :
亀レス^^; :2010/11/05(金) 05:24:17 ID:iQzVWQmH
>>259 > つまり、脳が意識を生み出している可能性が高い。
脳が錯覚を生み出すって言ってるでしょw
> その場合、錯覚しているのは何ですか?
脳
> 意識が脳の機能の一部ではない証拠は?
意識が脳の機能の一部とする証拠がまったく無い事が証拠
> ただ、意識は錯覚という意味と、そう断言する根拠が不明確。
では、逆に意識は脳の機能の一部との根拠を提示して下さい。
> 心は「現象」であって、そもそも物質と比較するようなものではないのでは?
心が単なる物理法則から生まれる「現象」なら、人はみな哲学的ゾンビって事になる。
例えば脛を角にぶつけた時に、痛いと言う声をだして、痛そうな顔をするだけでいい。
だけど実際には、痛いという感覚=クオリアを感じている。(他人がクオリアを感じて
いるかどうかは解らないけど、少なくとも自分は感じている・・・と思う・・・でももしかし
たら意識だけではなくクオリアという体験も錯覚かも・・・いや、そもそも内的世界その
ものが錯覚かも・・・)
このクオリアなる感覚は「機能」や「現象」ですか?
>>382 >さて、いかにも排他的なレスだが。
>間違いが何故そうなのかという試行錯誤、
>あるいは仮説検証のプロセスは、
>あなたの中でどう評価されているのだ?
それ以前の問題だから 間違いを検証するまでにも至ってない
>>390 >痛いという感覚=クオリア
用語は正しく理解しないとこうなる。。。
393 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/05(金) 07:09:14 ID:iQzVWQmH
お前が読んどけよ 痛いという感覚の「感じ」だから
395 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/05(金) 08:38:16 ID:iQzVWQmH
>>394 クオリア(英:複数形 Qualia、単数形 Quale クワーレ)とは、
心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと[2]、
とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう[3]。
日本語では感覚質(かんかくしつ)と訳される。
> とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう[3]。
Can you read Japanese ? ┐(´д`)┌
かんじ【感じ】
@皮膚などで外界の刺激を受けること。感覚。
これによると
> お前が読んどけよ
> 痛いという感覚の「感覚」だから
と変な日本語なる ( ´,_ゝ`)プッ
>痛い奴=
>>392 揚げ足取るとこうなる。。。
>>341 >>とはいえ、他人は自分ではないよ。
>ところがどっこい人が人を判断するのは相手の言動や容姿しかないんだよね。
他人の神経は自分の脳細胞につながってないから、
すでに自分については物理的に記しがついているとも言えるよ。
>その違いを見てるようでいて実は自分の評価でしかなくそれは他人とはまったく無関係だから無関係な人々同士がこの世にはびこってるわけ。
それは人生の悩みであって、自然科学とは関係ないような...
>>390 >では、逆に意識は脳の機能の一部との根拠を提示して下さい。
意識が錯覚という意味がわからない。という質問なんだが?
何が何をどう錯覚しているの?
意識があると意識しているのは何?
情報処理が脳で行われるし、意識も情報処理の一形態だろ。
>>390 >心が単なる物理法則から生まれる「現象」なら、人はみな哲学的ゾンビって事になる。
>例えば脛を角にぶつけた時に、痛いと言う声をだして、痛そうな顔をするだけでいい。
ロボットがそれをした場合、それが人間と同じ「現象」がどうかは疑問だ。
神経的ゾンビと違い、情報処理をする脳の構造が物理的にあまりに違いすぎるから。
逆に、神経的ゾンビのように人間と物理的に区別がつかないなら、
人間と同じように痛いと考えていいのでは?(だって、人間と区別不能なんだから。)
だから、神経的ゾンビの存在を仮定すること自体が矛盾の元のような気がする。
>このクオリアなる感覚は「機能」や「現象」ですか?
脳の機能だと思います。
脳が機能が低下すると、感覚鈍麻や感情鈍麻などが置きますし。
399 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/05(金) 09:38:21 ID:iQzVWQmH
>>397 情報処理に意識はいらないよ。
だって情報処理だもんw
今(t)の脳の情報処理が、過去(t-凾)の脳の並列処理
>>32 を情報処理
して、あたかも意識的に行為してる「私」が居ると、錯覚してるってこと。
下手な文や例で解りにくいけど、ここ
>>238-241 をもう一度よーく読んでね。
>>398 機能主義ですか・・・うーん・・・意識は錯覚とか、自由意志が無いとかは、
何となく納得できるのですが、クオリア(体験)が物質である脳の機能って
のは・・・なんかハードプロブレムを無視してるようで・・・難しいなぁ・・・ま、
自分は「意識はむずかしすぎ(主義)」てよく解らんですが・・・(;^Д^)サムッ
クオリアは外界を分析し、反射を抑制する反応の生成物ではないか。 外界からの刺激に対して無条件に反射する生物より、必要に応じて反射を抑制する生物の方が生存率は高いだろう。
『意識』を狭意で定義するなら、体のどこかで発生した行動のきっかけとなるパルスだな。 それを受けて、脳の各部が過去の経験を元に適切な行動を起こすように信号を発して 体の各位が行動を起こす。 ただし、処理の途中で行動に移されない場合もあるし、行動した結果不発になる場合もある。 科学的に結果の残らないものを定義することは出来ないな。 『意識』を広意で定義するなら、なんらからの結果を残した行動の全て含んだ系と言うことになる。 人が何かを行動をする場合、そのきっかけとなる外部刺激、過去の記憶がカラム可能性が高い。 たとえば、戦争をする場合、戦争の最前線の人が起こそうと意識したわけではなく、 その命令を出した、代表者が意思決定をして、国そのものが行動を実施している。 その代表者も自分の情報だけで意思決定したわけではなく、多くの情報を元に決定をしている。 全てのものが単独で意思決定をしているわけではなく、人、都市、国家、地球、しいては宇宙全てのものが 何らかの形で影響をしあう事で、行動が決定している。 つまり、単独意識などと言うものは無く、宇宙は全体として集合意識であるともいえる。
402 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/05(金) 11:42:02 ID:iQzVWQmH
例えば、100人が携帯で常に連絡を取り合って、行動をしているとする。 傍から見たら、まるで100人全体が意識をもち、思考し、意志的行動を する、一つの人格のように見えるだろう。 あるいは、秋刀魚の群れや、巨大な蚊柱は、まるで全体で意識を持った 一つの生物のように見えるだろう。 だが、意識を持つように見える事と、実際に意識を持つ事とはまったく違 う事だ。 実際には、意識を持っていると、こちらが勝手に錯覚(思い込み)しているだ けなのだ。 それと同じで、ニューロンネットワークの塊である脳も、実際には意識や自由 意志を持たないのに、脳自身が意識を持っていると錯覚しているだけなのか もしれない・・・
意識はあるが自発的な意思は存在しないよ。少なくとも自分の見る限りは。
404 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/05(金) 12:09:44 ID:iQzVWQmH
>>403 この「私」、この主観たる意識が、自由意志に関与していないとしたら、
なんの為に意識はあるの?
機能的に何の役割も持たずに、ただ傍観しているだけ?
>>404 この「私」は世界にとって部外者だろう。
他人を見てみろよ。内側に「私」がいないのに、普通に生活できている。
>>404 「意識」はともかく「自由意志」って何?
そんなもの、本当にあるの?
と言うか、あり得るの?
我々は遺伝子、肉体、記憶に支配された条件反射と
無意識的計算によって行動を決定してると考えても同じなんじゃ無いの?
強いて言えば、意識の役割は認識に対する「解釈」を与える事だと思う。
つまり「後理屈」を付けるだけ。
そうすると物事、事象を整理して覚えやすいので。
しかし、実際に行動を決定してるのは飽くまで無意識の方。
そう言えばシュレーディンガーの猫と、誰かが別の誰かに対して挨拶をしたとき、返事がどのように返ってくるかは、 ほとんど同じような状況だよね。 とすれば、量子論の枠組みの中では、大きな意味での意思決定、その機構は特定不可能なんじゃないかな。
>>408 お願いだから、物理板でそんな発言するのはやめてくれ
>>395 クオリアの説明の感じは
>かんじ【感じ】
>@皮膚などで外界の刺激を受けること。感覚。
コレジャナイから
感覚の感じ が素直に飲み込めないのが理解してない証拠ですな
>>402 >まるで100人全体が意識をもち、思考し、意志的行動を
>する、一つの人格のように見えるだろう。
>秋刀魚の群れや、巨大な蚊柱は、まるで全体で意識を持った
>一つの生物のように見えるだろう。
意識じゃなく、ただの集団における社会システムな気がするが
412 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/05(金) 18:36:08 ID:iQzVWQmH
>>405 それって意識がないと出来ないの
てか、他人の外見や言動や行動などから、(脳が)自分と違うと分別判断する。
その時に他人の中に意識(私)があると錯覚(思い込む)する。
そして自分にも意識(私)があると(脳が)分別判断するんじゃないの?
>>406 部外者って言うか、脳が作り出した強固な錯覚(思い込み)でしょ。
他人だけじゃなくて君もゾンビだよw
>>407 > 「意識」はともかく「自由意志」って何?
> そんなもの、本当にあるの?
> と言うか、あり得るの?
無いんじゃない。
> 我々は遺伝子、肉体、記憶に支配された条件反射と
> 無意識的計算によって行動を決定してると考えても同じなんじゃ無いの?
同意
強いて言えば、意識の役割は認識に対する「解釈」を与える事だと思う。
つまり「後理屈」を付けるだけ。
そうすると物事、事象を整理して覚えやすいので。
その作業に意識は必要?
> しかし、実際に行動を決定してるのは飽くまで無意識の方。
同意
413 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/05(金) 18:36:51 ID:iQzVWQmH
>>408 ∧_∧
(:<l><l>) ワガハイハ イキテイルノカ シンデイルノカ?
/::::::::T
〜(:::::::::::|
>>410 ハイハイ。そうですね ┐(´∀`)┌ハイハイ
>>411 社会システムは、時折それ自体が意識をもつ一個の人格
のように動いてまう。だから厄介。
ネット・ブロックの「中国脳」の話はご存知?
>>402 意識を持ってると錯覚(思い込み)しているものは、具体的に何なの。
意識を持ってると錯覚しているという意識があるなら、そこに意識は存在しているのでは。
>>412 >その作業に意識は必要?
必要か不必要かと言うより、認識し解釈し記憶すると言う一連の脳が行う作業が
「意識」の正体そのものだと思っている。何かのきっかけで記憶を思い出す事もそうだけど。
論点明確にしろよ
シュレーディンガーの猫って中の物質が 壊れるか壊れないかあけてみないと分からんってあるけど 崩壊率が確率でしか観測できないなら 年代測定ですごい過去の年代調べるのに 放射性原子使う時に一定期間経過したらこれだけ確実に壊れる前提になってない? おかしくないか? そういう確率を考慮されてんのかな
個の集団行動と意識は別物だろう 例えがおかしいよ
>>419 ある程度の量がある物質なら、それがどの程度壊れたか?
つまり、どの程度他の元素に変わったかで何年くらい経ったのかを推定できます。
しかし、元が確率現象なので飽くまで年代にいくらかは幅のある推定です。
確実に「これが埋まってから何年経った」なんて事は言えません。
422 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/05(金) 19:33:50 ID:iQzVWQmH
>>414 (脳の)錯覚(思い込み)という演算処理(自動)に意識は必要ないでしょ。
むしろ脳の何らかの働きに、意識が必要と思っているのが錯覚(誤解)。
自分の行為をよーく観察してみなよ。
本当に意識的に行為している?確信もって意識的(意志的)だと言える?
>>415 ,418
そういう機能主義的な考えは、問題を単に無視しているだけとしか思えな
いんだよね。
単に現時点の自分の理解力が不足しているだけなのかもしれないけど・・・
なんでただの作業が意識を生むの?
例えば、中国人(10億=脳のニューロンに近い数字)全員が人工衛星や携帯
で通信して、それぞれが実質的にニューロンの役割を果たすようにする。
その人達が電子手段でやり取りしたら、ある意味で脳のニューロンが電子的
にやり取りするのと同じだよね。
そんで、その中国人達が一緒に身体をコントロールする。みんなでまとまって、
その身体というかロボットの脳になる。
この場合、そのロボット(脳)に現象性はあるの?そこに意識は発生するの?
まるで、意識や意志や人格があるよに見える(錯覚する)だけとしか思えな
いんだけどなぁ・・・・
>>417 (゜∀゜(⊃*⊂) オマエガナー
>>419 確率に依存するから信頼性があるんだろうが。
現実にはノイズが入るから補正がいるがな。
>>421 まぁ、正規分布の確からしさのこの範囲までよってことか。
>>422 >ある意味で脳のニューロンが電子的
>にやり取りするのと同じだよね。
え?ただの人種の傾向じゃないの?
すでに個を持ってる集合をまた個とみなすのは単に社会集団だろう 言ってることがおかしいぞ
個々の性格によらず全体の性質が決定されるという意味では気体もそうだよね。
>>422 >> お前が読んどけよ
>> 痛いという感覚の「感覚」だから
>と変な日本語なる ( ´,_ゝ`)プッ
お前の言い分だと
痛いという感覚=クオリアになるけど
これ間違ってるよ
429 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/05(金) 19:48:26 ID:iQzVWQmH
>>427 気体に意識はないよねぇ・・・w
そういえば昔はカロリック(熱素)なんて在りもしない物が、
普通に信じられていたとか。
>>427 >個々の性格によらず全体の性質が決定されるという意味では気体もそうだよね。
は?
中国脳が個の正確によらずだって?
個の正確によらないなら、中国人であろうと、欧州であろうと同じ行動様式を取ることになるが
現実にはそうはならないだろう、構成因子がすでに個として方向性を持ってるんだから
個々の性格によらず全体の性質が決定されるなら上記のように何人でも同じ行動を
取ることになるし理論が破堤してる
431 :
415 :2010/11/05(金) 19:54:17 ID:???
>>422 >なぜ、ただの作業が意識を産むのか?
その辺は良く分からないと言うか、ここから先は個人的な仮説なのですが
人間の「意識」にはあるトリックが仕掛けられているようです。
つまり「自分が今考えている事を意識できる」と言うトリック。
下手をすると無限後退を引き起こして訳が分からなくなりそうなのを
うまくハンドリングして調整する仕組みがあると思うのですが、
その方法が良く分からない。
要するに人間の思考はコンピューターみたいな単線では無く、
思考内容をモニターしつつそれを制御する事ができる複線思考だと思います。
だから、コンピューターみたいに簡単に無限ループに突っ込んだりしない。
432 :
415 :2010/11/05(金) 20:04:05 ID:???
要するに「自分の認知を認知する」=「メタ認知」が意識を産み出すトリックだと思うのだが、 その方法となると見当が付かないのです。
433 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/05(金) 20:23:06 ID:iQzVWQmH
>>431 ,432
うーん。面白い解釈ですねぇ。
いずれにしても脳も意識もまだまだ全然解ってない分野。
意識が解った、脳が解った、量子論が解ったと言ってる奴
は馬鹿か大嘘つき。
数ある意識の理論の中で(まさに百家争鳴状態w)自分は、
スーザン・ブラックモア女史の意識の錯覚説が、今のところ
一番しっくり来るのですが・・・
意識や脳はまだまだこれからの分野で、訳解らないから超
面白ですよね。
板違い?なのに勢い凄いしw
タイトル 勢い
意識はどこからくるの? 22.9
ところで、このスレ立てた
>>1 は今も見ているのかな?
一般的に、「意志は脳の働き」であり、かつ、「脳が物理法則に従う」ならば自由意志はないと考えるのが適当である。
>>433 立てた人もなにもお前じゃねーかw
やる気くん
自演と自分に都合の悪いのスルーするの丸出しのままだ
物理板だから伸びるだけだって教えてやったろうが
哲学板に立ててみなどうなるかすぐ分かるよ
>>399 >情報処理に意識はいらないよ。
>だって情報処理だもんw
多分、あった方がいいんじゃないの?
ID:iQzVWQmHは、やる気くんじゃないよ。 あと自演と自分に都合の悪いのスルーしたことなんか一度だってないよ。 自由意志は存在しないという話に関連して意見をひとつ。 >動かした手の選択へ外的影響(磁場を用いた脳に対する刺激)が加えられていたにもかかわらず、 >被験者は「手の選択が(外的影響とは独立に)自由になされたことを確信している」と報告している。(by wiki 自由意志) そりゃ片方に足かせ嵌めればもう片方使うしかないじゃん。 意識せずに体動かしてるのが日常茶飯事なんだから、足かせ嵌められた自覚がないならそうした意識しない領域になんらかの外力が加わって動作に影響出るのは当然だよ。 でなきゃ宣伝効果で商売してる電通なんか一発で倒産しちゃうじゃん。 この実験で自由意志に疑問持つってことはさ、電通が売れ筋を決めてるのであってお客のあんたが買う意志を決定してるんじゃないんだよって言ってるのに等しいんだよね。 あくまで電通はきっかけであって、そのきっかけが力ずくで選ばせたんじゃなくて、そのきっかけを踏まえて決定したってことでもあるんだよ。 だから磁場っていう外的影響はあるにはあるけど単に誘導ってだけでさ、だから80%に留まってるんだよ。 道先案内人に次の角を左に曲がってください、って言われればそれに従う人が大半だと思うけど、あくまで左に曲がろうとする最終決定を下すのは自由意志の存在だってことだってあり得るんだよ。 その差が80%という数字になって出てるわけ。 だからリベットの実験でも書いたけど、意図せず手を動かす時間を計ってないのと同じように、この実験からでも自由意志を否定するのは難しいよ。 わかった?
>>399 >今(t)の脳の情報処理が、過去(t-凾)の脳の並列処理
>>32 を情報処理
>して、あたかも意識的に行為してる「私」が居ると、錯覚してるってこと。
それは無意識的な行動を意識的な行動と錯覚しているというだけで、
意識自体が錯覚ということにはならないのでは?
過去(t-凾)の脳の並列処理
>>32 を情報処理して、多少の間違いを含みつつも、
行動方針を統合整理して、次の無意識的な脳の並列処理へフィードバック入力となる。
そういう自己参照機能が意識なのではないかあ?
複数あるネットワークの中からどれにつないでどれを遮断するかの選択的自由意志はあると思うよ
えっ?
>>422 >例えば、中国人(10億=脳のニューロンに近い数字)全員が人工衛星や携帯
>で通信して、それぞれが実質的にニューロンの役割を果たすようにする。
>......
>この場合、そのロボット(脳)に現象性はあるの?そこに意識は発生するの?
するんじゃない?
個々の部品である人間には認知不能だろうけど。
脳細胞だとOKで他の部品だと駄目だという理由が無い。
ただ、原理的に脳の機能をその方法で完全にシミュレート可能かどうかがわからん。
>>440 何がどう「えっ」なのか書け。
手抜きすんなボケ
>>443 その「シミュレートされた脳」と外側からコミュニケーションする人には
それが意識を持ってるように感じられ、そのシミュレーションに参加してる人には
とてもそうは思えないと言う具合に観察する立場で意見が異なるだろうね。
「意識」なんてそんなものだと思う。
適切な単位で見ないと見落とすような曖昧な代物。
>>438 間違い指摘されてんのにスルーしてるジャン
>痛いという感覚=クオリアになるけど
>これ間違ってるよ
>438 >電通が売れ筋を決めてるのであって >お客のあんたが買う意志を決定してるんじゃないんだよって言ってるのに等しいんだよね。 なんだこれ? 電通ががキャンペーン張ったものが必ずしも売れないっていう事実だけで 自由意志があるってことになるだろ
>>448 20パーセント? 80パーセントのほうじゃないの?
20パーセントなら自由意志だろ
電通のたとえで自由意志なんか説明できないだろ
対象をリサーチして、対象の好きそうな売れ筋そうなものを持って来るんだから
電通のずっこけ方みりゃわかるだろ
>その中国人達が一緒に身体をコントロールする。みんなでまとまって、 >その身体というかロボットの脳になる。 >この場合、そのロボット(脳)に現象性はあるの?そこに意識は発生するの? >まるで、意識や意志や人格があるよに見える(錯覚する)だけとしか思えな >いんだけどなぁ・・・・ クソみたいな例え話だな。
>>449 だからいつ自由意志があるって書いたの?
「最終決定を下すのは自由意志の存在だってことだってあり得る」とは書いたけどさ、あんたよく読んでないでしょ?
>>446 コイツほんと痛くて笑わせてくれるw
ID:iQzVWQmHは余裕でスルーか?
>>455 スルーはIDつきに言ってるんだが
なんで自分に言われてると思ったのかが不思議だね
>>456 お前も間違えてるけどIDに言ってることだから
あれれー?w
>>438 >ID:iQzVWQmHは、やる気くんじゃないよ。
お前が言うなw
>あと自演と自分に都合の悪いのスルーしたことなんか一度だってないよ。 間違いに気付いても後の祭りで絶賛スルー中 やる気は何度叩きのめされてもゴキブリみたいに蘇るからなぁ
>>461 ぼくの遊び場が;;
ってこと?w
お前がきえればいいんじゃね?哲学板にでも
板違いなんだし
物理学的には自由意志は存在しないという結論になるのが妥当なのに、ここの人たちはそういう意見に対して反論してるのはなぜ? ここは物理板でしょ?
「〜しよう。〜に決めた。」と意識上に上る前に無意識レベルではもうほぼ決定されていた。 でも、じゃあ無意識って何かしら。 無意識下からの入力を全て実行するのかしら。
無意識が決定していたとしても、問題の先送りに過ぎないよね。 生命起源のパンスペルミア仮説と一緒。
意識と無意識というのは一先ず、意識という現象に注目するためにそれ以外と分離をしただけだから、 無意識より下の構造はやっぱり無意識のような気がする。 無意識が意志決定するとなると、自由意志の問題が否定的に解決されるから単なる先送りではないと思う。 無意識だけなら、決定論的に扱えるし。
意識と無意識の境界はあるの? 例えば今キーボード打ってるけどひとつひとつの動作って意識的に行ってるわけじゃないんだよな。 極めてスムースなんだよ。 このスムースさは意識的じゃないと思うわけ。 だとすると意識と無意識の境界があいまいなら、そもそもその2つに分けることに意味はあるの? なんの因果で今この文章を打ったのかわかる?
468 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/06(土) 11:04:53 ID:oNmyw3eA
意識=傍観者
意識=傍観者=自分とすると、キーボードを打ってるのは俺じゃないってことか? 意味わがんねーw
>>463 >物理学的には自由意志は存在しないという結論になるのが妥当なのに、ここの人たちはそういう意見に対して反論してるのはなぜ?
自由意志といっても、それがなんなのか漠然としててなあ。
脳が人間の行動を司る以上、物理法則には従っていると思うよ。
だけど、
物理法則が具体的にどう組み合わさっているかは、まだ分からないし、
物理法則が完全に決定論的に決まるかどうかもよく分かっていなし、
決定論的に決まってない部分があったとして、それはどう脳に影響を与えるのかもわからない。
決定論的に決まってたとしたら、自由意志は見かけのものだけど、非線形開放形なので振る舞いの予測は困難だし。
471 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/06(土) 11:17:07 ID:oNmyw3eA
>>469 お前は自動筆記を体感したことがないのか
ツルメキスト=棒姦者=メコス自分とすると、ボーボードを剃ってるのは俺じゃないってことか? 意味わがんねーw
>>469 >意識=傍観者=自分とすると、キーボードを打ってるのは俺じゃないってことか?
>意味わがんねーw
2ちゃんねるみてーなーという欲求は、無意識のどこかで発生し、
他の処理との優先度競争に勝ち抜いて、行動に移される。
書き込む内容についても、そう。
そして、書き込む内容を指の動きに変換しているのも、意識ではなさそう。
そういう自分の行動を意識がモニターして統一された意思として解釈している。
その解釈結果は無意識を処理している部分へ入力として送られている、
ってな仮説ではないか?
>>473 >そういう自分の行動を意識がモニターして統一された意思として解釈している。
解釈する主体が存在するなら、そもそも分ける必要もなくね?
意識は錯覚で存在しないものなら、解釈する主体の存在を許してるってどーゆーこと?
無意識さんがコンビニで買い物をすると、意識さんが明細付領収書をくれる。
>>475 >解釈する主体が存在するなら、そもそも分ける必要もなくね?
>意識は錯覚で存在しないものなら、解釈する主体の存在を許してるってどーゆーこと?
おれは意識が錯覚というのは疑問だなあ。
ただ、全ての行動や思考が意識的というのは錯覚だと思うけど。
それに、解釈する主体が存在するとしても、それは後追い的で、
脳の実際の情報の流れとは異なるモデルで解釈しているような気がする。
478 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/06(土) 12:12:52 ID:hPuuoPh0
そもそも、無意識さんと読んでいるものが実は意識さんである可能性を排除できていない。 意識さんと無意識さんはどこで区別するんだ?
479 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/06(土) 12:19:20 ID:ebIPoPDT
なんか荒れてるね^^;
あぽ〜んが増えるw
>>439 > それは無意識的な行動を意識的な行動と錯覚しているというだけで、
> 意識自体が錯覚ということにはならないのでは?
私は、全ての行為は無意識的&自動的(非自由意志的)な行為だと思ってます。
(自分の行為をよーく観察&分析してみるとそう思える。例えば、本を読
んでる時に不意にTVに注意が向く時がある。でもそれは意識的にTV
に注意を向けたのではなく、TVから流れるある単語に反応しただけと
解る。意識があると信じていた以前なら、自分で意識的にTVに注意を
向けたと錯覚(勘違い)していたと思う。ま、今でも意識が無いと100%信
じている訳ではないですけどw)
なので、意識的な行動がないから意識も無いとの結論になる訳です。
そこに有るのは、意識(主観)の無いただひたすら自動的な情報処理だけ。
(クオリアなる体験が本当に在るのかどうかは不明(よく解らん)です)
ちなみに、私は機械の電源が入ったような状態を、意識がある状態とは思っ
ていません。(あくまで、生物の電源が入ったような状態になってるだけだと
思います)
もし意識があるとするならば、なんらかの役割を持ち、人間の意志決定に
作用するはずで、そうでないなら意識など不要だと思うからです。
480 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/06(土) 12:20:01 ID:ebIPoPDT
> そういう自己参照機能が意識なのではないかあ? 一連の情報処理という機能が、どうにも主観たる意識に繋がらないのですよ。 機能は機能であって、そこに主観(意識)なんて必要なく、ただひたすら入力→演算 →出力していれば、それで良いと思うのです。 (我々も意識や自由意志が有ると信じ込んでるだけで、実はゾンビなのではw ちなみに、ゾンビと非ゾンビの違いは、意識があるとか無いとかではなく、意識 や自由意志が有ると錯覚できる機能を持つかどうかだと思うので、ゾンビが 我々と同じ機能を有しているのであれば、ゾンビは在りえないと思うのですが・・・) これがクオリアの話ならば、機能主義者がほざく・・・言うように「赤さの「主観」視覚は きみの外側膝状帯(LGN)や第四次視覚野(V4)の反対色細胞の特定の活性パターン らしい」とか言われれば「はぁ・・・そうですか」と、何となく少しは納得出来なくもないので すが・・・意識もそんなもんなんですかね?
>>477 ここまでのスレの流れは能動的な行動について何が先行していて何が後追いかってことだったけど、受動的な行動についてはどうなの?
例えば相手に褒められた時の反応って意識的じゃないでしょ。
照れるっていう反応は少なくとも意識的じゃないけど、じゃあ無意識的な反応なのかって前提で考えると、いわゆる自分が感じる意識的な部分以外の何者かが無意識内に潜んでいて、そいつが照れたことで意識に上ったってなるけど、なんか信じがたいんだよな。
482 :
481 :2010/11/06(土) 12:27:06 ID:???
つまり無意識の何者かが照れたのなら、じゃあその何者かというのはどっから自発的にそういう反応引き起こしてんの?ってことだけど。 要するに問題の先送り・・
>>480 >一連の情報処理という機能が、どうにも主観たる意識に繋がらないのですよ。
>機能は機能であって、そこに主観(意識)なんて必要なく、ただひたすら入力→演算
>→出力していれば、それで良いと思うのです。
単線処理だとそれでもいいかもしれないが、
並列処理のそれぞれの演算結果を統合し、行動結果の一部とも対照しつつ
再解釈して入力に戻す機能でないか?
>>480 >意識もそんなもんなんですかね?
そんなもんだと思うなあ。
同じものを別の側面から表現しているだけで。
>>481 >なんか信じがたいんだよな。
その辺の話だと、フロイト以後の心理学が直面した問題でもあるよね。
一口に褒められるといっても色んな解釈の可能性があるわけで、
反応の仕方も「喜びを素直に表して屈託無く笑う」「恐縮する」「照れる」「お世辞だと思って流す」
などなどのパターンがありうる。
それを意識的にえらばず我知らず「照れる」とか、無意識の演算結果だと思うわ。
それを「何者かが無意識内に潜んでいて」というのは不気味なニュアンスだが、
実際はそれほど乖離した感じは受けないよな。
乖離が激しいと、病気と言うことなんだろうけど。
>>482 >無意識の何者かが照れたのなら、じゃあその何者かというのはどっから自発的にそういう反応引き起こしてんの?
照れるぞとの決定に従って、脳の広範囲が興奮したときに「照れる」が実現したのであって、
「照れるの決定」と「照れた」は別のことではないか?
意識的に「照れる」とした場合には、それはある種の演技ではないか?
487 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/06(土) 12:48:54 ID:ebIPoPDT
>>483 でも、それと同じような事ならコンピュータでも出来るよね?
無理だとしても、今のコンピュータじゃまだ出来ないような、
高度で複雑な処理をした時に意識が発生するのなら、どう
して単純な処理をした時には意識が発生せず、複雑な処理
をした時には意識が発生するの?
それよりも、意識や自由意志があると錯覚してしまう程の、高
度で複雑な処理が出来るようになった結果、意識や自由意志
などの概念が生まれたと、考えるほうが妥当じゃない?
>>486 なんか必死に別の言葉に言い換えようとしてるだけの作業だね。
>>479 >TVから流れるある単語に反応しただけ
視点を変えれば、そういう自動的な対応能力がないと不測の事態もある厳しい生存競争に勝ち残れないってことだから、そういう反応も備わってても不思議じゃないとは思う。
でも生物がみんなそういう反応ばっかりしかしないとなると、遊び心が説明できないよ。
自動反応してるだけが生物だとしたら、遊んでるカラスとか、迷子になって途方に暮れてる犬とか、怒り狂ってる猿とか存在しようがないもん。
好き嫌いは別としてどれもみんな自意識の竜巻の中で翻弄されまくってる姿でしょ?
>>485 褒められた時に自分に関してのなんらかのイメージを持ってないと、照れるという反応はまず起きないと思うんだよね。
ということは、条件反射のように無意識で照れる反応するってことは、無意識がそのような自分のイメージを持っているということになるから、これは正直言って、無意識は自分というイメージを持っていた!ということにもなるんじゃない?
だとしたら、意識と無意識に分けることがそもそも無意味ってことになるような気がするよ。
491 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/06(土) 14:17:51 ID:hPuuoPh0
>>490 褒める・照れるという行動は社会の共通認識に根ざしたものだ。
もしあなたがゾマホンさんと電話で話をしていて、おもむろにヨルバ語で褒められたとして
照れることができるだろうか。
そして、もしも褒める・照れるという文化的行動のない部族がいたら、そのような行動を
理解できるだろうか。
あなたが褒める・照れることができるのは、成長期に置かれた環境において周囲の
他人が行ってきた行動を学習したからだ。
特に、幼児期のミラーニューロンによる学習が大きい事が分かってきている。
そうなると、無意識とここで呼んでいる行動の一つにはミラーニューロンの学習によって
蓄積した行動パターンの取捨選択を意味する、と言えるのではないか。
しかし、これは本当に無意識か?
走る、投げる、ジャンプする、などの行動で、人間はいちいち指先の動かし方や足首を
動かすタイミングなどを意識しない。
半ば自律行動として、文字通り無意識に行動している。
このような、より純粋に無意識と呼べる行動と、褒める・照れるという行動は同じカテゴリー
に含んでよいものなのだろうか?
>>491 褒められた内容と、自意識を照らし合わせる作業って意識的じゃないし、意識的に照れることってできないでしょ?
それに照れるって文化的行動なの?
むしろ自意識とつながった反応だと思うよ。
自意識っていうのは自意識過剰とかで使うあの自意識だよ。
>>487 >でも、それと同じような事ならコンピュータでも出来るよね?
まあ、数理物理学者のペンローズ先生に言わせると、
チューリングマシンでは人間の脳の活動はシミュレートできない、ということらしいが、
実際はどうだかわからん。
でも、脳を完全にシミュレート可能な機械ができたら意識を持つんじゃないか?
>どうして単純な処理をした時には意識が発生せず、複雑な処理
>をした時には意識が発生するの?
境目はなく、単純になればなるほど徐々に意識としての機能が低下し、
最終的に意味が消失するのかもな。
>それよりも、意識や自由意志があると錯覚してしまう程の、高
>度で複雑な処理が出来るようになった結果、意識や自由意志
>などの概念が生まれたと、考えるほうが妥当じゃない?
何が違うのか分からない。
自分の脳の活動に対する部分的な解釈とフィードバック機能が意識だと思っている自分としては、
なにか自分に対して「錯覚」していること自体が意識という機能だと思うんだが?
>>488 >「演技」が既に意識じゃん。
意識的に照れるのが「演技」。
だから「演技」は意識的な寄与が大きいだろう。
もちろん部分的に無意識の力を借りているし、
「演技」しようと思うこと自体は「無意識」の影響かもしれないがw
意識=無意識を追認する機関
物理板で何やってんだお前らいい加減ウザイ
哲学はつまらん。 実証する必要がないから自分で勝手に定義して勝手にメルヘン垂れ流しているだけ。 女子中学生のケータイ夢小説と哲学の間に本質的な差はない。
何で物が自己組織化するの 土やら金属やらを暖めたり揺らしたりしたって高層ビルは建たないよぉ
物が自己組織化するのは物に意識があるからじゃなくて、条件が整うと量子の働きによって自己組織化する現象が現れるだけなんだよ。 脳の意識についても同じような理論はあるにはあるけどまだドンデモの扱いだったような気がする。
ブロックがくっついたり離れたりして形ができるぐらいならともかく…ねぇ
>もし意識があるとするならば、なんらかの役割を持ち、人間の意志決定に作用するはずで プラセボ効果は?何で薬理作用のないものが効力を持つんだ? 観測問題の答えも知りたい。
>>503 自己組織化ってのは非線形でなおかつ平衡から遠く離れている系において、勝手に起きる現象だと思うけど。
要するにエネルギーの流れが必要だけれども別に魔法では無いと思う。
>>506 プラセボなどホメオパシーと同じ。
つまり疑似科学の一種。
プラセボで回復したかに見える患者の多くは、何もしなくても回復しただろう。
重症のマラリア患者にプラセボ治療を行っても効果は出ないだろう。
観測問題なんて単純なんだからwikiで検索すればすぐ分かるだろ、たぶん。
>>504 >量子の働きによって自己組織化
いや、量子に限らず古典系でも起きるってさ。
非平衡開放形+非線形相互作用では往々にして自己組織化が起きるって教わった。
太陽->地球->宇宙空間って順にエネルギーがエントロピーを増大させながら流れているという非平衡で、
要素同士が非線形相互作用しているので、生命が局所的にエントロピーを減少させて存在できているんだとさ。
とはいえ、生物に働いている自己組織システムがすべて物理学的に研究されているわけではないので
謎も多いらしい。
文科省の「21世紀COEプログラム」に「多元要素からなる自己組織系の物理」とかがあって、
「我々の21世紀COEプログラムでは、"多元要素からなる自己組織系"を取り上げます。
その典型的な例は生物システムです。生物といえども、この地球環境という自然が作り出した"モノ"なのです。
21世紀の物理学にとって魅力的な研究対象といえるでしょう。」
だってさ。
>>508 >プラセボなどホメオパシーと同じ。
>つまり疑似科学の一種。
偽薬効果が疑似科学というのは、流石にいいすぎでは?
偽薬効果の程度には意見が分かれるようだが、
医薬品の治験でも偽薬効果を誤認しないように工夫されている。
偽薬をそれと知らずに飲んだことにより、ストレスを軽減して病状の悪化が軽減するとか...
ありそうなことだと思うけどな。
精神状態により、血流量や体温が変化することはあるし。
>>509 つか、非線形系の研究は基本的に古典論の世界だよな。
量子力学は基本的に線形の世界であって、非線形の量子力学つうのも考えられてるらしいけど、難しくて良く分からん。
スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理』の書評が面白かった。
ttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1076.html 買おうかな。
「秩序を生み出す系として、低エネルギーの平衡状態と物質やエネルギーを出入りさせている
散逸構造的な非平衡状態とがありうることを見た。
それでは、これらに共通する秩序生成理論をくみたてられれば、
われわれは生物進化に関する新たな基本法則に立ち会えることになるのだろうか。
そうは問屋が卸さない。そこには主として3つの問題が待ち受けている。」
「それでもなお、カウフマンは次の4つの基本法則の候補を提案するところまでたどりついた。
よくぞここまで仮説をいじりまわしたものだ。」
「第1には、細胞を分子で構成された並列処理をおこなう動的システムだとみなすことである。
そこにはブール代数的なネットワークが複雑に動いている。」
「第2に、自己組織化によっておこる臨界現象は共同体の集合をピークにもっていく」
「このような自己組織化現象では、細胞たちが適応地形を求めて「共進化」していると言ってよいだろう。」
「第4に、共進化する生物圏の動向には、おそらくいまだ誰もが明示しえない
「熱力学の第4法則」のようなものがあてはまっているのではないかということだ。」
意識は物ではない上、因果律とは異なる仕組みがあるとすれば、量子数理を適用するのが妥当だと思うがなぁ・・・
>>513 >量子数理を適用するのが妥当だと思うがなぁ・・・
ペンローズの「皇帝の新しき心」を読め。似たようなことを言ってたよ。
でも、反発もおおいけど。
読んだことないけど、どのへんが反発されてんの? やっぱ脳細胞の働きを量子レベルで計るには物差しがあまりにも小さすぎるから?
>>515 >やっぱ脳細胞の働きを量子レベルで計るには物差しがあまりにも小さすぎるから?
まあ、ペンローズの「皇帝の新しい心」は、脳の話にいくまでは大変おもしろい。
人間の論理思考能力のうち、チューリングマシンで代替不可能な部分を抽出し、
そんな情報処理が、原理的に既知の物理法則で構成可能かニュートン力学から統計力学、
相対論、量子論、構築中の量子重力理論を順にチェックしていく。
で、これは量子力学の未踏領域の知識か何かが必要そうだぞ、ともっていく。
その後、脳の構造の話になり、微小管とかの候補を検討するのだが、
ただ、ここからは彼の専門外なので腰砕けになる。
で、批判としては、
量子特有の効果が現れるには、温度が暑すぎるとか、
量子効果があったとしても量子状態の持続時間はあまりにも短すぎるとか
なんとかだったと思う。
ホントに既知の物理法則で構成不可能かという点での反論は...忘れた。
>>516 温度が高いっていってもそれってマクロスケールの話でしょ?
確かにヤカンで沸かしたお湯が同時に冷めた水ってことはないからわかるけど、でも意識って電磁波とか波の性質と似た状態のものだとしたらその批判って間違ってるような気がするね。
ちょっと図書館で借りてみるかな。
>>512 >「第4に、共進化する生物圏の動向には、おそらくいまだ誰もが明示しえない
>「熱力学の第4法則」のようなものがあてはまっているのではないかということだ。」
じゃあそれを「意識力学」「意識の法則」と名付けよう。
わーい名付け親になれたー。
ペンローズの量子脳理論と、治部・保江の量子場脳理論ってどう違うの?
520 :
天使 :2010/11/07(日) 21:44:25 ID:CZN9jMYh
深追いしない方がいい
まあ、まだ海のものとも山のものとも言えん話だからな
522 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/08(月) 01:04:26 ID:c9T8LPvA
意識を感覚だけじゃなく本当に胸などに降ろせる場合、その状態で目を開けると 非常に居心地が悪い 目に映る景色が潜望鏡で覗いた様に見える 意識は脳に あるから良いのだと痛感する 全身サイボーグで脳だけ自前の場合 果たして 発狂しないでいられるかは大いに疑問だ ちょっとは笑いも入れないと落ち着かない ので・・・「おちんぽミルク」私はその言葉の響きに身を震わせて涙を流したを 読んだら言いようの無い感動があるがこれは意識がただ、パニックを起こして いるだけなんだろうか?自分が解らない。
メコスジ野郎はどこから来るの?
全ては意識の見ている夢=仮想現実なのよ
意識自身もまた仮想現実ということ? 幻もまた幻だとしたら・・・w
意識もまた夢・・・ では意識を夢と認識しているわたしもまた夢なのか。
意識を幻や夢という言葉に置き換えているだけのトートロジー。
世界はトートロジーから成っている。
ガチで馬鹿だなw まあこれが文系の限界か
意識は生物が防衛手段としてつくりあげた進化の産物であり。細胞が干渉する時にその配列を記憶・処理・判断する中継地点を通ることで活動を起こす、細胞が必要とするものではなく、生物が遺伝を通して作り上げた第二産物。 目や鼻や味覚の刺激はそのまま脳に運びこまれ、はじめはその情報をそのまま細胞へ書き込む、その現象が続くと、脳は、次第に細かく記憶、判断できるように最適変化を起こし。次第には目で見ただけで味や臭いがわかるようになる。 この発展が意識というものだろう。
厨二レベル
X=Y Z=Y X≠Z 意式。
「私たちが何を実在と呼ぼうと それは 私たちが参加する意識の能動的な構築を通してのみ出現する」イリヤ・ブリゴジン 「人間の意識というものが ミクロの現象全てに関連しているらしい 何であれ物事は究極的にミクロの集積なのだから はっきりとした意識を持ち 宇宙の隅々まで影響を及ぼしている超越的な何かが宇宙には生きている」E・H・ウォーカー 「この世のモノは 意識されてこそ初めて実在し 観測者の意識が現実=リアリティを創造する」ニールス・ボーア
脳への入力と伝達が多い情報を基にすればその意識が自然にあらわれる。 ある才能がたりないのは意識力が足りないからであり、直視できる内容を意識するだけでその才能が開花するわけではない。 存在しない意識こそが才能開花をおこす意識なのである。 だから、はじめから意識が備わっているわけじゃない
535 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/08(月) 23:06:49 ID:Sc/ZBCl/
脳汁(いしき)が出る。
>>530 主語と述語がハッキリしてないぞ。
それから、議論の流れを踏まえて発言しろ。
そんな粗雑なレベルの議論はおわっとる。
>>533 >「私たちが何を実在と呼ぼうと それは 私たちが参加する意識の能動的な構築を通してのみ出現する」イリヤ・ブリゴジン
何を実在とするかなんて人間の見方次第ってこと?
>E・H・ウォーカー&ニールス・ボーア
量子力学の観測問題における観測とは意識との相互作用である、という旧式の解釈?
>>537 お前毎回「?」で終わるよな
人間の見方次第ってことってどうしてそう思ったの?
どうして旧式の解釈っておもったの?
>>538 人間の見方次第ってことってどうしてそう思ったのって思ったの?
どうして旧式の解釈っておもったのっておもったの?
>>539 人間の見方次第ってことってどうしてそう思ったのって思ったのって思ったの?
どうして旧式の解釈っておもったのっておもったのっておもったの?
>>540 人間の見方次第ってことってどうしてそう思ったのって思ったのって思ったのって思ったの?
どうして旧式の解釈っておもったのっておもったのっておもったのっておもったの?
まー、ただ答えない事を実証しただけだけどね
543 :
私はのろまな亀 :2010/11/09(火) 12:01:56 ID:XhawmWTw
>>493 > 意識という機能だと思うんだが?
あなたと私の考えはとても近いと思うのですが、意識というものは「機能」では
なくて、脳の処理「プロセス」から(液体や温度や圧力と同じで)創発的に生み
出された、錯覚だと思いますね。
つまり、概念であって実体ではない幻と言うことです。
ちなみにペンローズ氏は、時間は創発的なものではなく、本質的なものと考え
ているようですね。
ところで、意識については錯覚ということで、何とか納得できるとして・・・クオリ
ア(クオリアと意識とを明確に区別しない場合も多いのですが)についてなので
すが、スチュワート氏(ペンローズとの共同理論で有名)は、クオリアが宇宙を
構成するプランクスケール(10^-33cm)の時空間幾何に、根本的な粒子性のパ
ターンとして埋め込まれていると言っています。
つまり、クオリア(意識)は創発的な何かではなく、実在する根本的な何かと言う
訳です。
544 :
私はのろまな亀 :2010/11/09(火) 12:02:46 ID:XhawmWTw
他方ケヴィン氏は、クオリア(体験)が脳内で現在進行中の何か=神経発火に による体験などではなく(もしそうだとしたら、ニューロンやその活動を本質的に 非物理的な何か、すなわち、体験に転換する魔法の物理メカニズムみたいなも のを前提にしなければならないから)、脳の中に体験はないと言いきっています。 すなわち、我々の体験は脳のプロセスの結果ではなく、脳の能力で構成されて いるという訳です。 この考え方は、あなたの機能主義的な考え方に近いと思うのですが、私はイマ イチ理解しかねています(この説は面白いので引き続き熟読して理解したいと 思いますが)。 なにしろ、実際には「赤」なんてものはなく、赤さとはあなたが赤い表面に対して 動き回ったときに、そこが光を変化させるやり方のことだと、言うのですから・・・ この説でいくと、脳内は「意識」や「私」はおろか、「クオリア」も何もかもない空っ ぽ(全て錯覚)って言う事になりますね(これはチョット言いすぎかな?)。 なんか変なレスで変な終わり方だ・・・^^; ま、いっかw
みんなゾンビで、オレもよく考えたらゾンビだった。ってのじゃ、納得いかないな。
でも、結局はそう考えざるを得ないと言うか、原理的に区別は付かないと考えるしか無いんじゃ? だって「『何が』感覚質を感じているのか?」などと問い続けたらそれに答えがあるとは到底思えない。
どうやって「感覚質」らしきものを作り出してるのか?と言う物理的過程を問うHowには答えが有るのかも知れない。 でも、それは人間そっくりの「ゾンビ」を作り出す方法でもあるはずだから。 なぜ、物理的過程から我々が感じているような感覚や内的意識が生まれるのか? と言うWhyには答えがあるとは到底思えない。 少なくとも、それは物理で解明できる問題だとは思えない。
だから、意識に関しても機能主義的説明で満足するしか無いと私は思っています。 それがすべての答えであると言うのでは無く、そこから先の問いに物理的、科学的な答えがあるわけが無いから。
考えてもわかりそうもないので、とりあえず、つくろうと思ってる。 もうできたというニュースも以前あったね。 なので参考になるヒントを探してる。 できた奴に鏡を見せると、自分を確認する動作をするというが、もしかしてゾンビも確認するかな。 だから毎朝生成される意識の立ち上がりのプロセスを考えたりしてる。
>>549 するでしょうね。
完璧に人間そっくりの行動をするから「ゾンビ」なわけで、
どこか少しでも行動に人間と違うところがあれば
それはただのヒューマノイド型ロボットでしょう。
>>538 >人間の見方次第ってことってどうしてそう思ったの?
何を実在と見なすかは、人間側の意識の能動的関与を抜きにしては
決まらないとも読めるから。
>どうして旧式の解釈っておもったの?
量子力学の初期の段階で、観測すると状態の収縮が起きるのを知って、
観測の本質は何かという問題になった。
ごく初期には、観測とは「意識」と物質世界の接触ではないか?
状態の収縮を起こすのは意識の能力ではないか?
という仮説があったから。
その後から最近までは、意識という漠然としたものに全てを押しつけるより、
デコヒーレンス理論やガイド波、非局所的隠れた変数理論、多世界解釈とかのアプローチがなされてきた。
そして、1997 quantum mechanics workshopでの学者の投票では
「意識原因」仮説は4-5%の得票しかなかったから。
>>550 まあ、どっからどうみても意識があるようにしか見えないゾンビがいたとしても、
最早、それをゾンビと見なす根拠が何も無いわけで、
ゾンビだったものが意識を持った!と人々は思うでしょうなあ。
そして、その解釈を否定することもできない。悩ましい話です。
自分で振っといてなんだけど、ゾンビとかあまり気にしていない。 他人はゾンビと思う場合、同じ人であってもゾンビかそうでないかの違いがあることになってしまう。 それじゃ科学で扱えない。 とりあえずHowだね。操作可能な意識があれば、whyにも答えられるようななるかも。 我思う故に我ありみたいな、真偽はともかく納得できる仮説が欲しいな。
意識=無意識追認機関
555 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/10(水) 07:35:33 ID:0aRbdWSY
>>555 オカルトともちょっと違う。
テレビやwebで聞きかじった単語を自分流に解釈したオナニーとオナニーのぶつけ合い。
チンポとチンポのぶつけ合い。
まあオナニーでもいいけど、物理板でオナりたいならもっと物理的に考察してほしいもんだ。
意識はどこから来るの?というのが題目。 意識はある特定の物理的状態に伴う現象というだけだろう。 この意味ではパソコン、水、など、身の周りの様々な物理的状態に伴う現象と変わりがない。 それぞれ固有の現象だが、固有が普遍という意味では特別な現象ではない。
意識の起源を散逸構造に求めようとすると宇宙の開闢まで遡ることになり、 宇宙が意識をもって生まれたかのような話になってしまいそうだ。 意識を持続的なエントロピーの収縮反応と考えれば、代謝反応が確立したあたりに 起源がありそうだ。
>>559 それは意識の起源と言うよりも生命の起源なんじゃ?
生命が持つ意識は代謝による情報の蓄積の上に成り立っているのだろう。
なんつうか、毎回言葉の選択がメチャメチャで気持ち悪い これだけ人に理解されにくい文章しか書けないなら 生きててもつらいだろ
人工無脳の文章の方がマシでしょうか?
というよりか、お前らの把握できる語彙の数が足りナインじゃないか? ウンコ君
ようw やる気
>>567 酷いスレだな。
どこぞのSF本やテレビ特集で聞きかじっただけの用語を自分勝手に
解釈してつぎはぎしてるだけにしか見えん。
ああ、このスレもだったか。
意識を持った観測者が観測をする瞬間まで状態は一つに定まっておらず重なっている それが観測をした瞬間にまるでダルマさんがころんだをしているかのように一つの状態が確定する これの意味することがわかってない
>>596 その手の説明もよく見かけるが、数式が理解できない一般向けに使っている
方便なのであしからず。
>>569 観測者の意識は実はあまり関係無いと思う。
「意識」なんか無いと思われる観測装置を置くかどうかで現象が変わるもの。
それも「否定的観測」をしただけで、結果が変わってしまう。
単なる原子の組み合わでしかないモノが 「数式を理解する」ねえ、ふ〜ん。
>>571 観測装置の結果を確認するのは何ものだろう
>>573 そりゃ人間だよ。
でも「人間が記録を確認した時点で」事象が確定するわけでは無いのは
いろんな実験から明らか。
もっと前の実験装置が記録を取った時点で確定している。
観測装置をつくり置いたのも何ものか
>>574 では測定器をどんどん小さくしていったら
なにが起こるだろうか?
>>576 そりゃ観測装置にも不確定性が置きるでしょう。
と言うか、観測装置として役に立たなくなる。
量子の観測で勘違いするのが多いけど ピンポンだまを観測するのにバスケットボールぶつけてその反射と軌跡で 結果をえるしかないのと 観測する対象が実際に見れるものとはまったく違うからな 干渉を与えない観測が出来ないから難儀してるだけ
>>577 役に立たなくなるその境界はどこだろうか?という問題が生じる
やる気が”見る”とは何かすらまともに想定していないのがよく分かる。
>>579 ミクロとマクロの境界線はどこにあるのか?は難しい問題だけど
少なくとも、人間(観測者)の「意識」を持ち出さなければならない理由は特に無いと思う。
前に分子で二重スリット実験やったら干渉幕がでたらしいが 科学者の次の実験の目標が、微生物での二重スリット実験らしい もしも、微生物でも干渉膜が出たら ゴクリッw
干渉幕(膜)って何だ?
>>581 「意識」を持ち出さざるをえない理由は
あらゆるレベルで量子論を適用しようとするから
だと思うのですが量子論は変更されねばならない
と思います?(私はそう思う)
>>584 それは量子論の解釈問題であって、量子論そのものの問題じゃ無いと思う。
要するに、量子論そのものを変更する必要は無いんじゃ無いかな。
デコヒーレンスが起きるメカニズムがきちんと説明できるようになれば嬉しいとは思うけど。
>>585 量子論+デコヒーレンスという考えですか?
なぜありうる観測結果のうち一つが選ばれるのか
を説明しないので好きではないです、多世界解釈も大嫌いですw
>>586 まあ、デコヒーレンスって呼んでも波束の収縮って呼んでも同じだと思うけど、
多粒子からなる系(マクロ系)と相互作用するうちに何かが起きるんだとは思ってます。
今の量子力学とは見る観点が違う、ミクロとマクロをつなぐ理論が何か必要なのかも知れないと。
生命の生まれる宇宙の確率推定10の10の123乗分の1 光や電波で観測できる物質4% 光や電波で観測できない物質23% 未知のエネルギー73% 物質から非物質のエネルギーが生まれたのか 非物質のエネルギーから物質が生まれたのかは自明の理といえるでしょう
>588 >物質から非物質のエネルギーが生まれたのか これが選択肢に入ってるお前の脳みそが哀れでかわいそうだ 文系は引っ込んでろ
590 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/11(木) 10:00:56 ID:mzPzf7Fx
意識ってのは、未来を予測して、予測出来る未来の内から選択する能力の事じゃないかな 失敗して反省したり、誰かのせいで自分の希望が損なわれたら怒ってみたりとか・・・は付属物だと思うんだ。 もちろん確定した未来には意識は関与出来ないけど確率的な事象の選択は出来るんじゃないかと。 たとえば宝くじを当てる事は出来ないけど、宝くじを買うか買わないかは選択出来る。 買わなければ宝くじに当選する確率は0だけど、買えば当選する確率は当然ある。 そういう選択を繰り返してるのが意識じゃないかな
メコスジヤローはどこから来るの?
>>590 意識は「意」+「識」そんだけの話です。
貴方がそう思いたいのは構いません。
593 :
馬鹿な学者の妄説信者へ :2010/11/11(木) 14:00:19 ID:Mjzu1I+n
神学8 1はいくら集めても1であるぞ。判らん者(馬鹿な学者)いくら集めても判ら ん(無知)道理。2は2、3は3であるそ。1(火)を2つ集めても2(水)にはな らんぞ。人民大変な取り違いを致しておるぞと申してあろうがな。0(霊)が元 じゃ。霊が元じゃ。結びじゃ弥栄じゃ。よく心得なされよ。世の元。霊の始め から1(火)と現れるまでは物質化(霊の旋廻)を十回も百回千回万回も、繰り返 したのであるぞ。その時は、それはそれはでありたぞ。火と水のドロドロであ ったぞ。その中に5色5頭の龍神が御働きなされて、造り固めなされたのじゃ。 今の人民は龍神と申せば、すぐ横を向いて耳を塞ぐなれど、真の事を知らさね ばならん時がざから、事分けて申しているのぞ。龍神(蛇や恐竜の魔物とは異な る)とは元神であるぞ。5色の龍神とは国常立命の御現れの1つであるぞ。 1+1は2にはならない。火はいくら集めても水とはならない。0は無では なく、霊を表現している。無限は存在しないが、全知全能の神が人間に比べて 余りにも偉大であり過ぎるから、仕方なく無限と言う言葉を使っているのである。 霊が旋廻して凝り固まると物質となる。左旋廻すると火に、右旋回すると水 となる。光から電子と陽電子の対が出来ると言うのは、霊から火と水が出来る のである。プラスとマイナスが生れる訳ではない。 江崎ダイオードのトンネル効果を虚数を使って説明しているのは科学法則で は成り立たないから、虚数と言うイカサマを使って、物理現象を科学の枠に当 てはめているのである。これは科学の敗北宣言である。この様な事は科学には多い。 遺伝子の2重らせん構造が左巻きなのは天の気を受けている為で、だから、 命があるのである。台風が左旋廻なのは風(火)の気がある為で、衰えて温帯性 低気圧になれば風は弱くなる。 男女関係の乱れが世の乱れとなる。お互いに魂の取り合いである。女の情念 は大蛇となるから、命がけである。最後は相手を殺す事になる。殺さなくても 霊障を及ぼす。密通して子が出来て始末すれば人殺しである。水子の霊障が付 きまとう。坊主の供養は地獄へ落とすだけで、復活すれば元の黙阿弥。だから 不倫は害悪である。
文系ってなんでこうコンプレックス丸出しなんだろ
意識=無意識追認機構
>物質から非物質のエネルギーが生まれたのか >これが選択肢に入ってるお前の脳みそが哀れでかわいそうだ そうなんですよ。でも脳が生命や意識を生み出してるって本気で考えてる人って結構多いんですよね。
E=mC^2に真っ向から挑戦状叩きつけてるなw
>>588 ちょっと意味がよくわからない。
もし未知のエネルギー73%による場があるなら粒子としても説明できる可能性はあるわけだけど。
>>598 それは屁理屈って理解していないんだろうな。
>>596 多数決で決めたいなら科学者でなく政治家になりなさいw
604 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/11(木) 21:44:20 ID:q4OcKMXr
意識を物理や医学で説明するのは不可能 何故なら人間ね意識や知覚が「世界」を形作ってるから。 唯脳論から脳を取った感じ
>>604 意識は宇宙の果ての向こう側と違って身近なものだから永久に解明不可能って考えにくいんだけど、やっぱ不可能なんかな?
>>553 例えば誰かが脳型コンピュータを作って
この中に意識が生じていますと言ったとしても
その意識が我々と隔てられていて感知できないものならば
現象を見て意識がありそうだと判断するしかないでしょうね。
そうすると
現象 A が起きたときに意識が生じたと見なそう
という意識に関する理論みたいなものが必要な気がします。
通常の物理と同じ要領で実験を行えそうな気がします。
自分の脳に現象 A が起きているとき
自分に意識 B が生じている
と主観的に判断できるので
普遍的に現象 A と意識 B が関連しているというように。
607 :
606 :2010/11/11(木) 22:38:24 ID:???
読み返して思ったけど、
何も被験者を自分だけに限定する必要はなさそう。
>>63 の言うように似た構造を共有する高等動物の脳ならば
等しく現象 A から意識 B が生じていると見なして良いと思う。
意識 B から行動 C が生じているとの推測が妥当ならば
外部から A と C を観察してやればよい。
動物実験を行うならば動物行動学の腕の見せ所だし
人間が対象ならば言葉にしてもらえば確度が高い情報が
得られそうに思う。
>>607 >等しく現象 A から意識 B が生じていると見なして良いと思う。
>意識 B から行動 C が生じているとの推測が妥当ならば
>外部から A と C を観察してやればよい。
俺もそれが現実的な科学的アプローチだと思うんだけどねえ。
神経学的哲学ゾンビとかを想定する人もいるから。
A と CだけあってBがないという想定。
論理的に完璧を求める余り、可能性の低い問題に拘泥しているようにも見えるんだが....
>>608 >俺もそれが現実的な科学的アプローチだと思うんだけどねえ。
科学的なアプローチをしたければ、それ以外にないだろう。
そしてそれは哲学的なアプローチと目的を一にしない。
近くで爆発音が聞こえた。 動物A 反射的に逃げた。 動物B 音のする方向を向いた。 動物C あいかわらず餌を食べている。 動物D 身を伏せた。 動物E 音のする方へ近づいていった。 これら行動のうち意識を必要としないものはどれ?
>>610 A-Dは不要。
Eだけは(短期の)記憶力が必要だが、それに必ずしも「意識」が必要かどうか不明。
612 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/12(金) 01:57:45 ID:cxEwJL/i
単純に、「生きる」ことへの執着だろね。 そういう意味で、細胞1つにも希ながら意識はあるだろね。 さらに、人間の意識が集まって国家の意識があるし、地球にも意識があるのか。
613 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/12(金) 07:27:54 ID:+oAZ2LUO
>>610 危険を感じて逃げるとか、興味を感じて近づくとか
行動の前に予測があったかどうかだと思う。
意識について改めて定義を確認したいんだけど、一言で言うと自意識や思考している状態ということでいい?
それを踏まえて
>>610 に答えると、A〜Dは不要。Eについては軍隊とか警察とか仕事柄によっては反射的に爆発現場に急行することもあるけど、
野次馬だったら興味本位でワクテカしながら急行する場合もあるわけで、そういう意味では後者は明らかに意識がないとできない行動ってことになるの?
メコスジヤローはどこから来るの?
>>611 A 危険を察知した。危険だと判断できたことは、逃げなければどうなるか予め知っていた上での
予測を伴っているのだから、意識的に逃げたのではないか。
B 興味を示した。興味を示したということは、爆発音がした方向でなにが起こっているか、その正体を
手っ取り早く知ろうとする意識的な欲求が働いているのではないか。
C ガン無視。たとえ無視はしていても、対象が無視に値するという評価が意識的に下されたのではないか。
D Aに同じ。
E Bに同じ。
行動と意識の有り様は必ずしも一致しない。 音に対して逃げる性質さえあればそこに意識はないよ。
音に対して逃げる性質とは具体的になに? 田んぼの発破音でスズメは逃げるが、低空飛行の自衛隊機に対しては逃げない。 また見た物に対して逃げる性質もあるのだろうか? 人間が近づくとスズメは逃げるが、鳩に対しては逃げない。
田んぼの発破音は慣れると逃げなくなることがあるw 音に対して逃げる性質があるならなぜ逃げなかったのか?
>>612 それは生存本能であって意識ではないのではないか
生存本能を持たない人工知能というのも考えられる
人間の意識はモジュール構造を成してはいない、と結論が出たわけではない。
クリューバー・ビューシー症候群
>>618 虫は明るいほうへ逃げる性質がある
大きな鳥に襲われた時の回避手段だが
生存を意識してやってるわけでなく反射行動に近い
そういう反射行動を持った個体が生き延びやすかった
624 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/12(金) 11:50:55 ID:u/FRtC1O
>>623 >虫は明るいほうへ逃げる性質がある
ゴキブリは虫ではないと
>>623 人間の自意識は自他を区別する性質がある
「私とは違う何者か」にうかつに近づけば殺される危険を回避する手段だが
生存を意識してやってるわけでなく反射行動に近い
そういう反射行動を持った個体が生き延びやすかった
>>625 ×生存を意識してやってるわけでなく反射行動に近い
虫の反射行動はICチップを使えば作れる
どうでもいいが人間中心論者は死ね。
>細胞1つにも希ながら意識はあるだろね。 確認よろwwww
>>626 他人を見たら即、他者と認め反射行動はICチップを使えば作れる
>>630 IC程度では自分の手足を他者と認識し
自分の手足から逃げようとしてぐるぐる回り出しますw
633 :
分割1 :2010/11/12(金) 17:45:21 ID:???
脳分割問題
>>212 >>217 http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/gakuFrame.html の 29-31
で観測される現象に興味をおぼえ、算数レベルですが物理的な定式化を試みました。
まだ論理的に飛躍している部分もあるかと思いますが
議論のたたき台にしてもらえれば幸いです。
以下は思考実験なので、理想化して考え技術的な困難などは捨象することにします。
人格の主なものは脳の中にあり脳以外は機械でも代用できる
との考えが一般的なので、A さんと A さんの脳と同一視してそれを A で表わし
人の集合を H = {A, B, C, …} とします。
ここで意識、魂、主観、観測の主体、なんでもよいですが
そういったものが存在するかどうかについて考えます。
ここでは、それをものとして見るとき魂と呼び、
機能として見るとき意識と呼ぶことにします。場合分けして
1) 魂は存在する
2) 魂は存在しない
のどちらかです。
1) と仮定した場合、A さんが魂 a を持つことを A(a) と記述することとします。
同じ記法を 2) の場合にも流用して、2) を仮定したとき
(eq1): A(a) = A()
という等式が成り立つと定義します。
この記法により 1) の場合と 2) の場合を統一的に X(x) という記号で書きます。
このとき注意として 1) の仮定のもとで記号 X(x) を使って導かれた結論が、
2) の仮定に乗り換えたとき全ての X(x) を X() に置きかえて
成り立つのかどうかはその都度証明が必要でしょう。
次レスからは人はそれぞれ個別の魂を持っていると仮定し
H = { A(a)、B(b)、C(c)、… }
として議論を進めます。
>>632 そう、自分の身体の状態をシミュレーションする
これで少し意識に近づいた。
まだこれでは自分の手足に他者(虫など)がくっついた状態に対処できないが。
635 :
分割2 :2010/11/12(金) 17:52:51 ID:???
ここで「意識を保ったままの脳分割」というものを考えます。 A さんに対する意識を保ったままの脳分割とは、 A さんの脳を2つの領域 A_1、A_2 に区分けし、 A さんが覚醒した状態のまま A_1 と A_2 を 互いに連絡が取れない距離まで連続的に引き離すという操作です。 今後はとくに断らない限り全ての脳の操作は意識を保って行うこととします。 A を脳分割することを A → A_1 + A_2 と書きます。 例えば A_1 は A さんの左脳、A_2 は A さんの右脳と考えてください。 脳分割問題からの観測結果は、 * A_1 と A_2 は互いに独立した個別の人格で B、C、… と同列のものである ということです。よって A の脳分割が行われた場合、人の集合は H = {A_1, A_2, B, C, …} と書かれます。 ところで、脳は分割できますが、魂は分割できるでしょうか? 魂を素朴に「この私という意識を感じる主体」と考えている以上、 「この私」が2つになったり多数の「この私」が混ぜ合わされたりするのは不合理に思えます。 よって、1)で定義する魂 a は分割・結合不可能なアトミックなものであると仮定します。 そのような定義を満たす魂以外のものは a に含めず、 A に含めることとします。 人間の脳は事故などで一部が失われることがしばしば起きます。 A から領域 A_1 が失われることを (eq2): A - A_1 → A_2 と書くことにします。1) の仮定のもとでは魂は分割不可能なので、 脳の一部が失われても同じ魂が残るのが自然です。つまり (eq3): A(a) - A_1 → A_2(a) が言えます。
ところで脳分割 (eq4): A → A_1 + A_2 を行ったとき A_1 の視点から見ると、脳の残りの部分 A_2 が 手の届かない遠くへ持って行かれてしまう、つまり A_2 を損失したと見れます。 したがって (eq4) ならば (eq5): A - A_2 → A_1 となり、A_2 の視点から見ると同様に (eq6): A - A_1 → A_2 となります。 (eq5)、(eq6) に (eq3) を適用すると、A の魂が a のとき A(a) - A_2 → A_1(a)、 A(a) - A_1 → A_2(a) が言えます。したがって脳分割したとき (eq7): A(a) → A_1(a) + A_2(a) となり、A_1 にも A_2 にも同一の魂 a が入っているという結論になります。 この結論は我々の直観に反していて、受け入れがたいかもしれません。 ひとつの魂 a が A_1 の主観も感じていて、A_2 の主観も感じているというのは パラドックスのようにも思えるかもしれません。 しかし、クオリアが伝達不可能であることを考えれば A_1(a) が感じているクオリアは A_2(a) に伝えることができず A_2(a) が感じているクオリアを A_1(a) に伝えることもできないので A_1(a) と A_2(a) が魂を共有しているが独立した別個の人格であるというのは 何も矛盾することがありません。 これに関しては最後のまとめでも議論します。 ところで脳分割を行ったとき H = {A_1, A_2, B, C, …} の要素はそれぞれ区別の付かない別個の人格だとしましたが A_1(a) と A_2(a) との関係は同じ魂を共有しているという点で 他の2人との関係と異なり、対称性の上で区別がつくと思われるかもしれません。 この点は次の半脳交換を考えることで解決されます。
637 :
分割4 :2010/11/12(金) 18:06:06 ID:???
さてこんどは半脳交換について考えてみます。 A と B を脳分割し A → A_1 + A_2, B → B_1 + B_2 つぎに半脳を交換して脳結合します: A_1 + B_2 → X, B_1 + A_2 → Y このとき 1) を仮定して A の魂を a 、B の魂を b とすれば (eq7) より A(a) → A_1(a) + A_2(a)、 B(b) → B_1(b) + B_2(b) です。すると脳結合 A_1(a) + B_2(b) → X(*) の * はどうなるでしょうか? 脳の操作は意識を保ったまま連続的に行うとしているので a の意識は * につながっていることから * = a であり b の意識も * につながっていることから * = b です。 したがって a = b でなくてはなりません。 *注意* この半脳交換の議論は本定式化の重要な部分ですが 若干あいまいなところがあります。 それは異なる a と b に対して A(a) + B(b) → X(a) となる可能性を考慮していないことです。 つまり a が乗っ取るという可能性を考慮していません。 しかしこれは、X が脳 B を含むのに B に存在していた魂が 不連続に途切れてしまうという点で不自然に思えます。 また、A と B が対称なとき a、b どちらか一方だけを選ぶというのが 対称性の観点から不合理に思えます。 *注意おわり*
>>635-636 >脳の一部が失われても同じ魂が残るのが自然です。つまり
>(eq3): A(a) - A_1 → A_2(a)
>が言えます。
「脳の一部が失われても同じ魂が残るのが自然です。」
ここに答えが出てるので、A_1 にも A_2 にも同一の魂 a が入っているという結論になるのは当然だと思う。
639 :
分割5 :2010/11/12(金) 18:15:01 ID:???
半脳交換の結論を認めるとすると、
H = {A, B, C, …} から任意に2人選んで上記の思考実験を行う事ができるので、
全ての魂は
a = b = c = …
となります。この普遍的な魂を u で表わすと
(eq8): H = { A(u)、B(u)、C(u)、… }
となります。ここで 2) の場合、つまり魂が存在しない場合を考えると
(eq9): H = { A()、B()、C()、… }
ですが、(eq8) も (eq9) も情報としてほとんど変わりません。
(1) ―> (2) 全ての括弧の中身が u ならば省略しても混乱はないし、
(2) ―> (1) 全ての空の括弧には暗に u が含まれていると見ても定式化に影響しません。
よって (1) と (2) にはそれほど決定的な差はないのではないかと思いました。
まとめ:
>>633 >>635 >>636 >>637 および上記より
得られた結論は結局シンプルなものです。
「脳はトポロジカルに連続的に変形して
分割・結合することが可能であるから
(1) 分割・結合が不可能なアトミックな魂が脳の中に存在して主観意識を感じている
と仮定するならば
(U) 全ての脳は普遍的なただ1の魂を共有している」
思考実験による理論構築は、臨床データに則ったものでなければ机上の空論。
>>636 > しかし、クオリアが伝達不可能であることを考えれば
> A_1(a) が感じているクオリアは A_2(a) に伝えることができず
> A_2(a) が感じているクオリアを A_1(a) に伝えることもできないので
> A_1(a) と A_2(a) が魂を共有しているが独立した別個の人格であるというのは
> 何も矛盾することがありません。
この段落の正当性は、そういう臨床事例があった事に担保されている。
しかし、これと異なる臨床事例があるようなので、正当性に疑問が持たれる。
>>638 まあまわりくどく説明しただけかもしれませんね。
結論自体が合っていれば良いとしましょう。
642 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/12(金) 18:29:38 ID:b42xtp88
あなたが転んで怪我をしたとする。 あなたは、足に激しい痛みを覚えたが・・・ この時 @ 患部からの信号による脳内の物理的変化が、傷みを引き起こした A 痛みが脳内の物理的変化を引き起こした B 他の何かが傷みと脳内の物理的変化を引き起こした C 痛みと脳内の物理的変化は同じものだ あなたならどれを選びますか?
>>640 クオリアを伝達できたという臨床事例があるとは驚きです。
まあ理論的には、脳を接続すればクオリアを伝えることはできそうなので、
×: A_1(a) が感じているクオリアを A_2(a) に伝えることはできない
は誤りっぽいですね。
ご指摘ありがとうございます。
一応、上記段落は説明のための挿入で
結論
>>639 を導く論理展開には使っていないことを言っておきます。
C
>>640 は最近有名なタチアナとクリスタの話だが、つまり一つの脳に2つの胴体が
あれば、人格は2つ発生するという事が明らかになった。
脳が一つなので、タチアナとクリスタという2つの人格はクオリアを共有している。
生まれつきクオリアが伝達可能な2つの胴体に発生した2つの人格。
タチアナとクリスタは
一つの魂に二つの人格
二つの魂に二つの人格
の、どちらに該当するのか。
魂とは、なんぞや?
そして、脳分割された(一つの胴体に二つの脳を持った)患者を本当に
一つの魂に二つの人格
だと仮定するのは妥当なのか?
>>642 疑問。
「私に、両足が備わっている」という前提はあるのでしょうか?
ひょっとすると、事故で両足を失った「私」が、義足のリハビリ中に
転倒し、「足に激しい痛みを覚えた」のかもしれない。
(事実、四肢損傷患者でそのような症例は珍しくもない)
そして私に両足が無いとしたら、B以外の選択肢が残らないと思います。
>>645 魂という用語を
>>633 >>635 で定義したものと考えれば
結論
>>639 (U) より魂には普遍的な魂 u 以外の魂は存在しないので
>タチアナとクリスタは
>
> 一つの魂に二つの人格
に該当します。
> そして、脳分割された(一つの胴体に二つの脳を持った)患者を本当に
>
> 一つの魂に二つの人格
>
>だと仮定するのは妥当なのか?
については
脳分割された患者が2つの人格をもつ
という臨床事例から
> 一つの魂に二つの人格
という結論を導いたのであって仮定したわけではありません。
>>648 ではタチアナ・クリスタ以外の例を。
客観的に、脳梁損傷の患者が二つの人格を持っているか否かを判断
できる基準は「エイリアンハンド」を発症するか否かにかかっている。
成人後、後天的に病気や事故で脳梁を損傷した患者がエイリアン
ハンドを発症する確率は非常に高いのだが、先天的に脳梁に異常
を持った子は、エイリアンハンドを発症しない例も多々ある。
よって、ここまでの事が分かっている。
後天的な脳分割によって人格は2つになる可能性が高い
先天的な脳分割では人格が2つになる可能性が下がる
脳が一つでも胴体が2つなら人格は2つになる
「魂」はどこに宿るのか。
650 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/12(金) 18:56:52 ID:b42xtp88
>>647 両足があるという前提ですが・・・
その場合は、脳が両足に関する情報を覚えていて、
転倒した時に幻の痛み(錯覚)を引き起こしている
可能性もあります。
よって他の選択肢も残ります。
>>647 確かに選択肢が足りてない感じだね。
この場合は
転倒したと脳が認識したことによる
脳内の物理的変化が痛みを引き起こした
だと思います
自分の見解としては、
>>636 で述べられている
> となり、A_1 にも A_2 にも同一の魂 a が入っているという結論になります。
の「魂a」に該当する物は、A_1・A_2が一つだった頃の記憶だと思う。
魂とは、記憶を言い換えたものなのか。
>>650 じゃあ、
D その他
ってのも最初から加えとけよw
ここまでの情報で考えると、変な言い方になるけど 脳の中にも両足がある とも表現できそうだ
>>650 視覚情報が引き起こしたという事ですね。
では両手・両足を失い、視力・聴力も失った哀れな重症患者が
感じている幻の足の痛みと、足がある患者が感じている足の痛み
との間に、どんな違いがあると言えるのだろう。
>>649 重要な臨床の情報ありがとうございます。
掲示板だとなかなか具体的な情報が入らないので貴重です。
先天的・後天的についてシロウト考えですが以下に見解を…
成人した脳は生きていくうちに機能の分担がされ
脳の各所に機能が局在化している
後天的に脳分割されると機能が分割されるので
例えば左脳は左脳の分担していない方の手を
自分に属さないと見なしてしまう
先天的な脳は未分化の状態なので
学習するうちに左脳にも右脳にも
右手・左手両方の脳部位が生まれてくる
よって左脳 (右脳) はどちらの手も
自分に属すると考える。
というのはどうでしょうか?
657 :
642 :2010/11/12(金) 19:18:25 ID:b42xtp88
@を選んだあなたは、脳(物質)が意識(心的現象)を生み出すと考える 二元論者です。 この場合、物質の脳がどうしてどのように何のために意識(心的現象)を 生み出すのか、説明しなけらばならない(いわゆるハードプロブレム) Aを選んだあなたは、意識(心)が物理現象(世界)を創り出していると考 える観念論者(一元論)です。 この場合、その超自然的原理を明らかにしなければならない。 Bを選んだあなたは、実は意識(非物質)と脳(物質)は、同じものが異なる 現れ方をしただけ(コインの表裏)と考える中性一元論者です。 この場合は、それが何なのかを解明するか、それを知る事は不可能(認知 的に閉じている)と表明しなければならない。 Cを選んだあなたは、そもそも意識(心的世界)などは実在しないと考える 一元的唯物論者(機能主義)です。 いわゆる錯覚主義(意識は幻)もこの範疇に入り、科学者の大多数は唯物 主義者を自認するが、(本人の自覚なしに)二元論から完全に脱却出来て いないケースが多い。 この場合、ハードプロブレムは回避されるが、どのようにして錯覚が生じる のかを説明しなけらばならない。 Dを選んだあなたは、ひねくれ物ですw
>>657 マジデ?w
俺、C選んだけど、ここじゃずっと錯覚説を否定してきたが二元論から脱却しきれてない半端者ってことか・・・
一本取られたっぽい・・・orz
>>652 確かに A_1(a) と A_2(a) は元 A から分割された
という過去を共通の要素として持っていますね。
しかし A_1(a) は A_2 に保管されている情報を読むことが
できないので、元 A だったときの記憶は半分失われてしまう
のではないかと思えます。
これについては臨床でどうなのか知りたいところです。
魂については、
>>635 の定義の「魂」は
>>635 で
分割・結合が不可能である
としているので
増えたり減ったりする記憶は「魂」に含まれない
ということになります。
一般の魂については理論の範囲外なので良く分かりません。
660 :
639 :2010/11/12(金) 20:25:01 ID:???
記憶に関して補足
海馬についての
>>212 のように
記憶することができないが意識がある
という状態がありえます。
よって今一瞬の「この私」を感じる魂と
脳の機能である記憶とは独立して存在していると考えられます。
意識は機能で人格は単に記憶でしょう。そこら辺は問題ないように思う。
意識が錯覚かどうかって物理的に考えると、 細胞などタンパク質とかの凝集体による脳内を占める水の自発的対称性の破れによって現れる凝集場に、 新たに出現した対称性を持つ量子が意識を作ってるんじゃないかな。 元は存在しないはずの量子が出現したと仮定すれば、@とCの橋渡しにはならんのか?
それはただニューロンの働きを量子の働きに置き換えてるだけ。 脳波と違って脳内の量子なんて計測できないのをいいことに、問題を先送りしてるだけ。
量子力学を持ちださず古典の範囲でも
>>470 の言うように非線形であれば予測は困難だから
未知の現象が起きて意識をつくる可能性はある
>>663 ニューロンの可塑性を持った記憶のメカニズムでは、記憶容量の少なさに加えて、古い記憶は残らないという欠点があったような。
>>665 150億から200億もある大脳の脳細胞とその千倍もあるらしいシナプスを利用しても、まだ足りないと言う研究報が有るの?
脳は量子コンピューターと言いたがる奴は定期的に沸くよな。 結果はことごとく却下されているが。 バクテリアがタンパク質の分子モーターを搭載しているナノマシンであるように、 人間の脳もナノマシンの集合体なのだろう。
>>666 脳の記憶容量はニューロンとシナプスの数から概算はされているが、感覚質を再現するためのbitレートがどれくらいになるかが判断の分かれ目になると思う。
個人的には圧倒的に少なすぎると考える。
生体と電子チップの比較など土台できないわけだが、目安として 人間の一つの細胞の0.3ナノメーターほどのDNAは3ギガの塩基 なので、150億個の細胞があるとすれば450億×3ギガで… なんかどうでもいい。 圧倒的に少ないとも考えられるし、圧倒的に多いとも考えられるだろう。
>>668 神経細胞の発火周期が最大80Hzくらいだとして、例えば100億の神経細胞の1/1000だけが感覚質の形成に関与してるとしても、
80Hz x 1000万で 800Mbits/secくらいのデータレートは保てる。
そんなもんなんじゃ無いの?
人間の感覚入力は情報量的には視覚がほとんどだと言うし、
中心以外の周辺視野は荒っぽいし。
>>670 感覚質はハイビジョン映像のおよそ100倍ってとこですか。
愛用しているカップが昨日と変わらぬ姿で存在していることが確認できるためには100倍程度じゃ足りないと思う。
そしてこの世界にはカップだけでなく実に多くの事物が存在し、それらに出会うたびに昨日のそれと違わぬ姿を確認できる記憶を持っている。
とはいうものの、ボーズ量子に求めた意識のメカニズム理論でも自由意志は説明できてないようだ。
そもそも自由意志なる現象があるかどうかも問題なわけですが・・。
>>671 感覚質は精妙な仕組みではあると思うが、データレートがそんなに高い必要は無いと思う。
人間の感覚は時間分解能が低い。
0.02秒くらい以下はすべて「同時」に感じるわけだし。
673 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/13(土) 00:28:35 ID:n7WP0YuL
視覚に関して言えば、記憶容量はとても貧弱で、むしろ外界 を一種の外部メモリとして使っているようです。 それどころか、脳は世界の詳細な内的描像を創り出している わけではなく、持続的な視覚記憶も持たずに、外界に対して 能動的に「行為」し変化をとらえて、意味論的光景を構築して いるようです。 つまり、見るという事は我々が考えているような行為ではなく て、「脳内の豊かな世界描像」などは存在せず、単なる錯覚 というわけです。
1グラムの目子筋
記憶に伴う時間反転対象性の自発的破れによって脳の記憶容量は理論的には無限大。
>>673 そう言う主張をしてたのはダニエル・デネットだっけ?
アントニオ・ダマシオだっけ?
実際には人間は視覚野の中にかなり精密な三次元モデルを構築してるらしいよ。
最近の人間が視線を振る時、視野内をどのように補完してるのかの研究で分かって来た事みたい。
だからと言って、人間がクオリアを構成するのに必要なデータレートが数Gbpsでもまるで足りないと言うつもりは無いけど。
たとえゾンビだとしても意識が錯覚だとする必要はない気がするけどな。 生命は勝手に動き回ってるわけで、おそらく原初生命もそうだったろう。 ならその勝手に行動することを保障するものとしてのいわゆる自由意志というものを わざわざ錯覚と位置づけなくてもいいと思うんだが。 例えば、腕を曲げようと意識して腕を曲げた結果存在する曲がった腕は錯覚ではない。 ということは錯覚ではない意識が錯覚ではない物質に働きかけて錯覚ではない世界を作っているわけで、 そうでないとしたら、錯覚は実体世界にどうやって実体世界を構築していくのかが不明になる。 わかりやすく言えば、ないはずのものが錯視効果で見えることはあっても、そのないはずのものを先に描いて、 その錯視をもたらした元の図形を作り出すことはできないということ。
>>671 あのカップ、このカップといちいち区別して感覚質を記憶しておく必要は無いと思う。
陶器のカップ同士なら手触り、質感はだいたい同じだし、細かい差異は大抵、同時に触ってみて初めて区別が付くし。
要するに細密な「クオリア」と言うのは今、目の前に有ったり触ったりして得た感覚が有ってこそ、
脳の中に鮮やかに構成されるものであって記憶の中に保存されてるクオリアなんて大雑把でいい加減だと思う。
>>678 大雑把だと違いがわかりません。
鑑定団は成り立たない。
錯覚自体が認識の一種
>>679 「鑑定士」はそれに対する特別な訓練を積んでるから、それの記憶に費やしてる脳細胞の数も
一般人とは比較にならないくらい多いと思うよ。
調香師とかワインのソムリエとかも。
元々、投入してる資源量が違う。
>>681 別に鑑定士でなくても一般人すべてそういう能力は持ってると思う。
ディズニーランドの駐車場で自分の車そっくりの車に乗ってしまっても、
シートに座った瞬間になにかが違うと気づくもんだよ。
>>682 それが微妙な違いだとは言え、多量な情報を記憶してると言う証拠にはならないでしょう?
ほんの一部の些細な違いを記憶していて、それで発見できれば良い。
>>683 ほんの一部の些細な違いを記憶するには実に多くのことを記憶していないと無理。
それに「潜在能力」として持っているのと、実際にその能力を発揮するのは違う。 たとえ「鑑定士」でも、あらゆる分野の物を鑑定はできないでしょう? 普通、何らかの専門分野に特化している。
1日は24時間しかないんですよ。
>>682 それに車のシートや例えば靴、スリッパなどは使ってるうちに、その形状が持ち主の体型に合ってしまう。
覚えてるのは人間の脳の方(だけ)では無くて、その物体の方もだよ。
>>687 まず人間の脳が自分の靴を覚えていなければ、いくら靴が覚えていても人間の方でそれを照合する能力がなければ間違います。
>>688 どうあっても人間の記憶力がほぼ無限である事にしたいようだけど、
ワインのソムリエがどうやって何百種類ものワインの銘柄と香りを結びつけて覚えているか知ってる?
できる限り「何々の香り」と言うような、他で知っている香り及びその混合に喩えた、比喩、すなわち記号化して覚え込んでいる。
銘柄に関連付けして覚えているのはその言語化した記号の方なんだよ。
要するになんとか頑張って情報圧縮してるのであって、
たとえ世界最高のソムリエでも、あらゆるワインの香りのクオリアをまるごと覚えているわけじゃ無い。
>>688 それは簡単だよ。
その靴を履いてみて、ブカブカでも無く、キツキツでも無く、
自分の足にピッタリ馴染めばそれが自分の靴。
後は大まかな形と色さえ覚えておけば、まず間違う事は無い。
>>689 銘柄を香りと結びつけて覚えるには記号化するのが効率がよいのは当然ですが、
香りそのものを覚えていなければいくら記号化しても無意味です。
>>690 馴染んだ感覚にもかなりの情報は入っている。
ブカブカ、キツキツという2種類の言葉では再現できないほどの情報量がピッタリという感覚にはある。
>>691 鍵は組み合わせなんだよ、既知の香りの組み合わせ。
でなければ、言葉で表現する事などできない。
それにより、ガクンと情報圧縮できるのが分からない?
>>692 それにしたって、そのもののクオリアをまるごと覚えるよりは桁違いに小さい情報量で済むでしょう?
クオリアを「感じている」時には相当な量の情報が処理されているのは認める。 しかし、それを常にまるごと記憶するなんて効率の悪い方法を人間の脳が取っていないのは明らかだよ。 できる限り情報圧縮してる。
>>693 いくら組み合わせても合致する判断をするには記憶と照合しなければできない相談です。
そこを間違えないでください。
>>694 自分の靴であることを覚えるために、靴の内側や裏側の汚れや模様を全て覚える必要があると思いますか?
クオリア丸ごとといっても、普段履いている感覚を覚えるだけで十分です。
>>695 理論的には人間の記憶容量は無限になるらしいので、常にまるごと記憶するなんて効率の悪い方法というものは存在しません。
そろそろ意識場さんにでもご登場願いましょうか
699 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/13(土) 03:15:38 ID:n7WP0YuL
>>676 ダマシオは「脳の中の映画の相関物を見いだした」と主張している脳科学者です。
でも、視覚世界が壮大な錯覚なら、そんなものは決して見いだせないようですね。
デネットは隙間充填議論において、「たくさんのマリリン・モンローの肖像画
で覆い尽くされた部屋に入ったときに、私たちはそれぞれの肖像画をすべて
鮮明に見ているわけではなく、部屋全体にわたる反復パターンを見つけ出す
テクスチャー検出器と、おかしな口髭や違った色のような異常な箇所に注意
を向けさせる専用のポップ・アウト機構で、多数の同じ肖像画が存在するとい
う推測や仮定、もしくは表象に類したものを見ている」
と主張しています。
つまり、頭の中に外界の詳細な内的描像があるわけではなく、実際にはそれ
は外の世界にあって、そうした詳細が頭の中にあるというイメージは、思い込
みや錯覚にすぎないと主張している訳です。
> 実際には人間は視覚野の中にかなり精密な三次元モデルを構築してるらしいよ。
> 最近の人間が視線を振る時、視野内をどのように補完してるのかの研究で分かって来た事みたい。
そうなんですか?(ソースや研究者の名前をご存知だったら、教えてください<(_ _)>)
変化盲や不注意盲の研究によって、見るという事が私たちの思っているイメージ
とは、ずいぶんかけ離れていることが解ってきたのでは?
まあ、実際彼らの言っている事は難解なので(常識を覆す)よく解らないことが
多いのですが^^;
「視覚の感覚運動理論」とかにいたっては・・・(ry
>>696 君は記号化とその組み合わせによる情報圧縮の意味を全然分かって無いようだ。
>>699 ゴメン、誰の研究だったか名前を全く覚えていない。
割と最近の日本人研究者の研究結果だった事くらいしか。
>>700 たったひとつの香りをとってもクオリアが存在することを忘れないでください。
記憶に関してのみの量子数理による説明には納得できる部分は多いと思う。
記憶の大容量、想起の容易性、連想の容易性、どこにも破綻は感じられない。
1グラムの目子筋
704 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/13(土) 03:34:50 ID:n7WP0YuL
>>701 まあ、意識や脳の研究となるとまだまだ始まったばかりで、
「百家争鳴」みんな好き勝手言いたい放題ですからねw
そのなかから、いちばん理に適ってそうな理論を見つける
だけでも大変・・いや面白いですね^^
706 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/13(土) 04:17:33 ID:n7WP0YuL
>>705 > 錯覚からは物理的反応は何も励起されないのではないか。
ごめん。眠いし頭悪いから言ってることが良くわからないのですが・・・><;
ただ、物理的反応から錯覚が生じるのであって・・・
というより物理的反応しかないのに(実は物理的世界を内的世界に
詳細に反映構築しているというのが間違い)、そこに非物理的な何
かが介在していると思い込む(錯覚する)高度な脳機能があるのでは?
たとえば、部屋の中の物の配置のアウトラインを記憶する機能
と、実際に目の前の瞬間的な能動的視覚情報(複合生成物)と
がリンクした時に、部屋全体の詳細な映像が、脳内に主観的に
在るとの錯覚が生まれるとか( >▽)ゞ ふぁ〜〜
>>706 錯覚なら褒められて赤くなる反応は起こりようがない。
708 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/13(土) 04:36:16 ID:n7WP0YuL
>>705 あそっか、黒丸だけ見えてそれが世界の全てと思い込んで(錯覚)いれば、
別に全体の図を把握できてなくてもいいんじゃない?
そういうこと?
>>707 ?
エロビ見ると興奮して赤くなるよ(*´д`*)
もう限界・・・おやすみ(∪。∪)。。。zzzZZ
>>708 眠さを示す生理反応により眠いと感じたのが錯覚であれば、眠いが我慢して頭の悪さを露呈する文を書く
という錯覚がもたらす判断を待たずに、肉体は即刻眠りにつくだろう。
しかしそうならずに起きていたのは、意識という錯覚が、書くという行為として物理的に作用した結果だ、ということになる。
つまり錯視の黒丸が全体像をもたらしたという奇妙な話になる。
>>708 >別に全体の図を把握できてなくてもいいんじゃない?
アホ丸出しなこと書くなw
全体図がなくてどうやって次の錯覚が生まれるんだ?
その錯覚から思い通りのエロビを探すには、錯覚からエロビという全体図を辿らんと
目的のエロビにはたどり着けんぞw
目の前にあるエロビは錯覚で、赤くなるのも錯覚なんだろ?
その錯覚から次の全体図がもたらす錯覚を得るためにどうやって物理的に働きかけるのか見ものなんだが。
もちろん錯覚でなければ問題はない。
意識という錯覚でない物理的作用から全体図への働きかけは容易だ。
だが錯覚なら一方通行であって、幽霊同様、こちらから触ることは不可能だ。
肉体が眠いと判断したら、眠いと錯覚して間髪入れずに肉体は眠ってる。
書く暇などないw
■を描くと●が現れる ■を消すと●も消える しかし●を描いても■は現れない 錯覚(●)→神経回路(■)によって(;´Д`)ハァハァするのは、物理的に不可能? 常に■→●なら、ハードプロブレムは回避できる。 (;´Д`)ハァハァしたかったのは■のほうで●ではない?
錯覚である意識と、錯覚でない意識といった場合に、 一体、なにが違うんだ??? そもそも脳の働きなのに....
トイレに行きたい。けど錯覚だから行かなくても大丈夫。 目の前に暴走トラックが迫ってくるけど錯覚だからだいじょうV。
目の前にトラックが。。。でも避けなくて大丈夫。いつもオレが体動かしてると思ったたけど錯覚だから。ガマンガマン。
>>712 前者は全てが決定論的に予め定まっているというもの。(固い決定論&現代的両立主義)
実験ではリベットやレオンのものが知られる。(
>>13-15 ,
>>438 )
後者は決定論を認めない自由という意味においての自由意志の存在を容認する。
因果律によらない説明を要する。(ハードプロブレム)
>>712 餅と絵にかいた餅の違いは分かる?
意識はどっちなのか。
絵にかいた餅なら錯覚だ。
>>715 それは自由意志が錯覚ということでは?
自由意志=意識なの?
意識は、無意識の思考の処理結果の一部をモニターし、
それを加工しフィードバックする機能だと捉えた場合、
自由意志とは必ずしも関係しないと思うんだが、
意識が錯覚だとか言うと、そういう機能も錯覚だということになる。
>>717 ”決定論を認めない自由という意味においての自由意志の存在を容認する”、ことが
なぜ、”自由意志が錯覚ということでは?”と読めるのか不明。
電磁波を量子化するとと光子が現れる。 この光子に意識の源泉を求めても自由意志の問題は解決しない。 量子論も決定論的だから。
物理的に決定論的でない現象はたくさんあるから 意識の源泉の可能性ということならあちこちにある
決定論的で無いからと言って「自由意志」なるものがある事にはならないと思う。 ただのデタラメ、気まぐれ、ランダムでも良いのなら単なる機械に持たせる事もできる。
自由意志が実際に存在すると示すのは本当に難しそう。 それこそハードプロブレムか
放射性崩壊が自由意志と言っているのと同義だな。 量子を持ち出す論法も同じ。
>>722 と言うか「自由意志」っていったい何?
一体全体、何から「自由」なの?
(決定論的であれ、非決定論的であれ)物理法則に従っていたら「自由」じゃ無い事になるの?
私には定義できない概念を用いた、ただの言葉遊びとしか思えない。
結局、非線形構造で可塑性がないから予測や解析が困難なだけなような。
無数の自由度があって何らかの重み付けの下で確率的に実現する。 というのはどれも変わらないと思うけど。少なくとも生物の行動を予測する上では。 錯覚であるかどうかは錯覚しているものが自然な類推をしたところで結論できる問題ではないよね。 一旦は意識という舞台から離れなくちゃ論理じゃなくなる。
定義できないものが存在する という命題はおかしいが 定義できないものが存在しない という命題ならこの宇宙内に存在していないのだから 定義されていなくてもかまわなくて真になる ということか
物理法則に従わない現象がこの世に存在するのか否か という議論になるのか?
>>724 その物理法則も完全かどうかはわからない。
因果律も実のところ本当らしいという程度のものでしかない。
意識によって自由意志を確認しようとすることは、つまり存在すると仮定されている自由を
意識そのものによって束縛することも意味するので、永遠に無理ではないか、という気はしている・・・・
>>728 この世に存在する現象を法則化した(する)ものが物理法則では?
簡単な思考実験なんですが、 自由意志が存在するなら、意識はそれ自身の意識活動を止めることはできるだろうか?
いっぺん死んでみる?
「自由意思」が有るのか無いのか?なんて事を問題にしてる人は、 それこそ意識的にか無意識的にか「心身二元論」の立場を取ってるんだと思う。 しっかり物理法則に従って動いているのは自分の肉体だけであって、 自分の精神あるいは魂はそれを天上界から見つめながらリモコンで操作してると言うようなイメージ。 だから地上界での制約、都合だけで無く「自分が本当に存在している」天上界の都合で肉体を操作する事ができると言うような。 そんな風にでも考えないと、なぜ「自由意志」と言う言葉にこだわるのか理解できない。 「自由意志」があるのか無いのかなんて事は物理的疑問でも哲学的疑問でも無く、むしろ宗教的疑問だと思う。
736 :
639 :2010/11/13(土) 12:51:49 ID:???
>>734 宗教・無宗教関係なく、リアルな実在感がそう考えさせるんだと思うが。
外へ出れば清々しい空気をいっぱいに吸える爽快な自由感と、
単なる機械というイメージは相容れないものだろう。
タバコは体に良くないとわかっていながら吸うのに似て、必ずしも主張と
立場が一直線につながるわけじゃない。
自由意志が存在するなら、 ・意識的に意識を停止することはできるか? ・意識的に眠ることはできるか? ・意識を介在させずに外界を観察することはできるか? (つまり空を見上げたときに、空の青さを分析的に観察するのではなく、空の青さをそのまま観察すること。あるがままに見ること)
>>737 私が言いたいのは物理世界が物理世界だけで閉じている(見えない超越的世界の影響など受けて無い)と考えるのなら、
「自由意志があるのか無いのか」なんて事はまるで無意味な疑問だと言う事。
すべては(決定論的であれ非決定論的であれ)物理法則に従って動くのだから。
何らかの超越的世界、超越的存在を仮定しない限り、意味のある疑問にはならないでしょう。
>>739 例えばカオス現象は初期値の微小な違いが
どんどん拡大されていきます。
つまり初期値を無限小数で書いたとき
小数の下位のケタがどんどん繰り上がってくる。
じゃあその下位の値はどんな無限の彼方から
やってくるのでしょうか?
そう考えると物理世界は開いた世界なのでは
ないでしょうか?
意識が錯覚だとすると、意識を介在させずに外界を観察することは不可能だ。 錯覚である以上はそれは不可避だからだ。 しかしまことに宗教的な話で申し訳ないが、仏陀はあるがまなのものをあるがままに見よと教えているわけで、 それが可能であることを示唆している。 この場合の意識とは思考・自意識・分析的観察などに該当するだろう。
>>741 それは一見、決定論的な世界が実は非決定論に向けて開いていると言う話では?
物理世界自体がその外へ開いていると言うような話では無いと思うが。
>>743 物理世界だけで閉じている
というのは
すべては(決定論的であれ非決定論的であれ)物理法則に従って動く
の言い換えということですね。
その場合は
>>739 は
物理世界だけで閉じていて
かつ
見えない超越的世界の影響がある
という意味です。
745 :
736 :2010/11/13(土) 13:36:16 ID:???
>>744 重力本当は存在しなくて、見えないおっさんが走り回って一生懸命
リンゴを地面に落としているのかもしれない。
しかし観測されるのはただの物理現象で、それは物理法則に支配されて
いるように見える。
見えない超越的世界の影響を考慮する必要性皆無。
>>744 >見えない超越的世界の影響
ホログラフィックユニバース論とか?
>>748 >脳Aは、クオリアが発生する「普通の脳」であり、
>脳Bは、クオリアが発生しない「哲学的ゾンビの脳」だとする。
>
>もし、ここで、この2つの脳の原子・分子の状態がまったく同じ状態であると仮定して・・
これは・・・・w
>>746 オッカムの剃刀というやつか。
既存の物理法則で説明がつくから
余分な超越的世界について考慮する必要はないと。
しかし
>>739 の主張は
超越的世界なんて無いから自由意志の概念は無意味だ
という主張ではないだろうか
すると超越的世界が無いということを
言うために超越的世界について考察する
必要があるのでは
>>750 「超越的世界が無い」とは言ってない。
それは人間には不可知だと思っています。
私が言いたい事は何らかの超越的世界、超越的存在を仮定しない限り「自由意志」の概念に意味が無いのだから
それがあるのか無いのかを問うのはほとんど宗教的疑問だと言う事です。
物理や数学で見通しのよい形式を求めるのは自然な事。 非物理の世界が物理世界に交わらないならさしあたって非物理要素を考える必要がないということでしょ。 実際にないのか互いに干渉しないのかは別の事だけれど、 物理世界では物理的に観測された事象から判断するしかないから、少なくとも今のところは同値と見なしてよい気がする。
しかし、脳を激しく損傷した人間は思考が行えないわけで、 「超越的世界」があるとしても、少なくとも脳との相互作用 が可能でなければ、自由意志を錯覚することすらできない。 脳という物質と相互作用するならば、なんらかの方法で 観測可能なはずで、不可知と断定するのはおかしい。
そもそも超越的世界だろうとなんだろうと因果律が働くという前提で話すのがおかしい。
>>142 >エネルギー保存や運動量保存の法則が、成り立たなくなるからです。
エネルギーの不確定さをΔE、時間の不確定さをΔt、プランク定数をhとすると、
ΔEΔt>h/2π の関係が成り立ちます。
Δtの間は、エネルギーは保存されないことを示していますが、
つまり無からエネルギーが生まれるということです。
>>753 >脳という物質と相互作用するならば、なんらかの方法で
>観測可能なはずで、不可知と断定するのはおかしい。
観測するためには観測対象へなんらかのエネルギーを与えてやり、
それの反応を観測することで可能になります。
よってエネルギーを与えることで元と違う状態に変化する場合、
元の状態を知ることは不可能です。
>>756 それはただの観測問題。
超越的世界、超越的存在を仮定する必然性は出てこない。
>>754 超越的世界にも因果律が働くと言う話では無く、
我々の知ってる物理世界が超越的世界の影響を受けてるとすると、
こっちの世界が因果的に閉じなくなるので困ると言う話だと思う。
何だか良く分からないものに突っつかれながら世界が動いてると思うのは気分が悪い。
>>757 >超越的世界、超越的存在を仮定する必然性は出てこない。
それは当然です。
物理的に観測される前に理論が先行した事例もあるよね。 中間子とか陽電子とか 素粒子や宇宙の構造などの観測が比較的しにくいものは 理論展開をいろいろ探るのが有効なんじゃなかろか? とくに自由意志でいうと 観測にかかる端から物理法則に組み込まれてしまうので、 どこまで観測しても自由意志にたどりつけないしかし 自由意志は存在しているという可能性もある。 観測が主体だとそのような可能性を逃してしまわないだろうか
>>758 しかし実際世界はカオス的な未知の情報の流入に支配されている…
>>760 自由意志が仮想粒子と似たシロモノだとすれば、観測不能ということで諦めるしかないでしょう。
>>763 意識が肉体と不可分ではあるけども、意識=非物質、
肉体=物質との立場を採るとすれば、非物質として扱えるものを
脳細胞の仕組みの中に見出すことで、理論構築するという形になるでしょうね。
あとはその非物質なるものが自我として納得できるかどうかにかかる。
我々は自由意志を持って物事を一直線に決定しているように見えても、
実は選択肢はいくつもあり、ゆらぎのなかで確率的にたまたま偶然に
ある決定を下しているに過ぎないともいえる。
夕食を摂ることひとつとっても、特に必ず食べなければいけないわけ
でもなく、食べない選択もできたはず。
そういう意味では、ミクロの非物質の振る舞いに左右されているものを
自由意志として扱ってもあまり差し支えはないように思えました。
人間の心は奥深く、阿頼耶識(あらやしき)と呼ばれる永遠の生命から でている。 我々が通常認識できる「意識」は阿頼耶識という大河にできた小さな 泡のようなもので、人間界に生まれたときにできて死んだら消える。 しかし永遠の生命たる阿頼耶識はずっと存在し続ける。
非物質としての意識のもつ性質としては 1) クオリアを感じる 2) 記憶領域は持たないか非常に少ない 3) フィードバックして脳に影響を与える の3つを考えています。 量子的なゆらぎに関しては 素朴に不思議な点が多くあると感じ 私も自由意志と関連があると思います。 非相対論的な波動関数がある時刻において 定まっているとすれば任意の時刻 t において Ψ(t) が定まっていることになるので 自由意志の選択する余地がなくなってしまいます。 ということは自由意志が存在するならば ある時刻 t の波動関数をΨ(t)とおく という数学的操作は物理的実態を表わしていない ということになりますね。 実際に存在するのは相対論的波動関数なので 非相対論とは結構ちがいがあるとは思いますが…
>>765 同意します。しかし物理板なので証明が必要
>>766 無限空間を自由直線運動している粒子の波動関数は以下のようになります。
Ψ(t, x)=Acos(ωt-kx)+iAsin(ωt-kx)
tは時間、xは位置、ωは2πf、kは2π/λ、iは虚数、Aは振幅。
三角関数の角度に相当する(ωt-kx)は一定の角度(位相)となります。
ここで時刻tは常に増え続けるため、(ωt-kx)が一定であるためには、
kxも増えなければいけません。
従って、位置xも常に増えるということであり、時刻tとともにxも位置を変える
ということになります。
つまり波動関数Ψは時刻tと位置xによる粒子の運動に関する全ての情報を
含んでいるということです。
なので、自由意志の選択する余地がない、ということではなく、全ての情報を
含んでいるという意味ではなんらかの外部の影響で意志が決定され、
それまでは自由であるという含意もあると考え得ると思います。
>>718 >”決定論を認めない自由という意味においての自由意志の存在を容認する”、ことが
>なぜ、”自由意志が錯覚ということでは?”と読めるのか不明。
錯覚である意識と、錯覚でない意識とは何が違うか?
という問いに、何故か自由意志について答えたから。
>>768 > 外部の影響で意志が決定され、
> それまでは自由であるという含意もあると考え得ると思います。
それはつまり「自分」を表わす部分波動関数を Ψ(t, x) としたとき
外部の別の部分波動関数 Φ(t, y) との相関により
自由意志が生じるという主張ですか?
すると相関が
Ψ(t, x) Φ(t, y) → Σ Ψ_i(t', x) Φ_i(t', y)
と起きたとき自由意志は自分がどの Ψ_i(t', x) に入るかを
ある程度コントロールできるということですね。
それなら納得がいきます。
771 :
770 :2010/11/13(土) 22:09:00 ID:???
自由意志の原因を相関に求めるとき謎に思うのが、 「自分」Ψとそれ以外Φをどこで区切るかということです。 脳以外の自分の体はもちろんΦに含めるとして 脳の一部でも意識の生成に関与していないならば Φに含めることになりそうです。 また、意識に関与する2つの脳細胞の間でも相関が起きます。 もしかすると波動関数を粒子別に部分に分けるのでなく 粒子の複合した機能別に分けるのが良い描像を与えるかもしれません。 例えば2体中心力なら重心座標と相対座標に分けますね。 例えばですが、ある時刻 t での意識に関する発火を行っている 脳細胞の集合を Ψ(t,x) であらわし、それ以外を Φ(t,y) であらわす というのはどうでしょうか。発火パターンは時々刻々変わるのでその都度 経路積分で使われるような相互作用表示による基底の変換を行うことになるでしょう。 そのように基底変換され各瞬間に Ψ_i (t', x) に収斂するような波動関数が 人の意識を生みだすかは自明でない興味深い問題だと思います。
>>770-771 脳内のある電子の動き?
脳を一個の閉鎖した箱とみなせばそうかもしれないけれど、現実には
電子から見ればニューロンが三次元方向に無限に広がっている中を
動くわけだから、それじゃ存在確率0になってしまわないかい?
>>772 あ、Ψ(t, x)、Φ(t, y) は変数を一個の文字で書いてしまったけど
多変数関数を意味します。x をベクトルと考えて
>>767 人間の力では証明はできない。
仏の智慧で教えられたものだからね。
それを言うには「人間の力では証明できない」ことを証明しなければならない
「神はサイコロを振らない」というのなら自由意志がないというのは同意できる でも神さまはサイコロを振るみたい
>>775 中学校でならう数学の範囲内では証明不能な命題を
いくら中学生が思い悩んでも未来永劫答えは出ない。
より広い知識をもった大学生が「中学生には証明不能だよ」
と教えるしかない。
それと同じ。
釈迦は人間に阿頼耶識を見る智慧はないと教えられている。
見るには仏智を体得しなければならない。
>>770 >ある程度コントロールできるということですね。
そこをどう解釈するかによると思います。
ご飯を食べているときに、どのおかずに箸を伸ばすかをつぶさに観察すると、
見た目のおいしさ、前回に口に入れたときの味の良さ、たまたま箸が近くにあった、
違うものを口に入れたかった等、色々な要因があると思いますが、それぞれの記憶、
外界の刺激のうちどれを選択するのか、というよりは、どれが支配的だったか、
と解釈したほうが自然だと思うわけです。
自分で選んだつもりでも、よく観察してみれば、様々な刺激に影響を受けつつ、
誘導されているとしてもおかしくない、ことがおぼろげに感じられるわけです。
そのことを以って、コントロールしていると解釈するもよし、誘導はされているが
自由さという点では違和感なくスムースに進行しているなら自由意志と解釈しても
よしとするか、各自で納得するしかないように思います。
弱い自由意志としての立場です。
>自由意志の原因を相関に求めるとき謎に思うのが、
>「自分」Ψとそれ以外Φをどこで区切るかということです。
例えば記憶することに関しては、感覚器官から神経系統に沿って電気的な分極が
伝わって脳細胞へと至ると思いますが、その分極が脳細胞を形成するタンパク質
などを電気双極子として変化させることで、その周囲にある水分子もそれに同調し、
自発的対称性の破れが生じるとした場合、そもそもその状態から「自分」という
ものが形成されるのであれば、区切ることは元々できないのではないかと考えます。
外部刺激も脳細胞に達した時点ですでに「自分」と不可分との考え方です。
>>772 脳の重さは全体重の2%しか占めていないが、
エネルギー消費量は体全体の20%も占める。
脳内は相当なエネルギーの奔流がある。
780 :
778 :2010/11/14(日) 00:34:21 ID:???
もうすこし説明を加えると、ただのなんでもない「自分」という
ものは存在し得ないということです。
従いまして、「自分」と「それ以外」を分けることはできない
との考え方です。
この辺の話は
>>159-186 にあります。
>>778 ご飯を食べるときのおかずの選択というのは
意識と無意識が拮抗していそうで面白い例ですね。
能動的な行動を決定する要因の大部分は無意識であると思います。
意識あるいは自由意志は無意識から入力される
クオリア情報を弱くフィードバックしているだけと考えたほうが
脳科学の観察結果と合致すると思います。なので
> 自分で選んだつもりでも、よく観察してみれば、様々な刺激に影響を受けつつ、
> 誘導されているとしてもおかしくない、ことがおぼろげに感じられるわけです。
というのは納得です。
しかし、弱い自由意志という概念は難しくて良く理解できません。
決定論的であるならば変更の余地がないのだから
自由意志による選択はできないと思うのです。
例えばコンピュータの動作は完全に決定論的であるため
自由意志の介在する余地がありません。
現在のアーキテクチャの延長線上ならいくら容量が増しても
そうだと思います。
同じ入力に対しても反応したりしなかったりする非決定性が
自由意志のフィードバックを受け入れる条件のように思うのです。
仏教でいう因果の道理は正しくは因縁果の道理という。 因と縁が和合して結果が現れる。 因(種)だけでは果(花)は生じない。気温や湿度や栄養といった 縁が重なって始めて花という結果を生み出す。 因は業といって自分の行いが作り出した変えられない直接的原因。 変えられない未来。 一方縁は間接的原因。これは人間の自由意思が選ぶことができる。 朱に交われば赤くなるという。 自分という因は同じでも悪い縁とつきあえば悪い人になるしいい環境に 身を置けばいい人間になる。 今の物理には因と果の法則はあるが、縁の概念がない。 そこが物理の限界。
>>780 確かに物理的には全てが関連しているというのは真ですね。
しかしそれを強く言い過ぎると
A さんは宇宙全体と関連していて
B さんは宇宙全体と関連していて
…
となって何も理論を構築できなくなってしまいます。
厳密な区切りはできないけれどとりあえず寄与の大きいもの
をとって残りを捨象するという手段は有効だと思います。
というか既存の全ての物理理論はそういう手段を取っていると思います。
A さんの意識には全体が関与しているけれども
その関与が強い物理的自由度 (たとえば A さんの脳) と
関与が弱い自由度 (たとえば B さんの脳) があります。
よってそれぞれの物理的自由度 z に A さん関与度 z(A) を
対応させることができるでしょう。
そこで
>>771 の分割は例えば限られた数の自由度 x に対して
x(A) が最大になるように基底変換して x を選ぶというのはどうでしょう。
そもそも全波動関数が分割できないとすると
自分と自分以外の相関が生じないので
自由意志の原因を相関に求めるという前提が成り立ちません。
意思と波動関数は何の関係もないよ。 詳しくはウィグナーの友人参照。
786 :
778 :2010/11/14(日) 02:35:11 ID:???
>>781 ,
>>783 確かにコンピュータを例に取れば、自由意志は存在するはずもないと思います。
問題は、自由というものをどのように解釈するかに因っている点だと思われます。
ここでコンピュータと人間の違いに触れてみると、外部入力という点でかなりの
落差があると思われます。
情報処理するための配線の数は限られているのに対して、脳細胞は億単位で存在し
ていて、そのどれもが神経系統、感覚器官を通して外界に暴露されています。
その外界からは実質的に無数の情報が流れ込んでくるわけで、それを無意識で
取り入れつつ意識で拾い上げては判断するという流れでしょうか。
外界からの情報は例えば、外の虫の音、蛍光灯のジリジリと鳴る音、ちらつき、
明かりの色彩、隣の部屋の話し声、部屋の気温、足元の冷え、隣の家のファンの
低周波音、あるいは自分で考えたこと、生理現象などそれらが寄ってたかって
脳内に流入してくるわけです。
それら無数の情報のどれを選択し、行動の原因とするか、ではなく、どれが支配的
であるかと考えた場合、その時々の状況で違うのは当然ですが、問題は冒頭でも
書きましたが、支配的であったものを通じてそれに誘導された時に、どこまで自由として
容認できるかという点にあると思います。
強い立場を採れば、いずれの要因も決定論的ですが、無数の判断材料があるか、
もしくは些細であっても影響されうる要因が無数にあれば、どれを自由に選択するかは事実上
不可能であるとの考えに及べば、支配的であったものに誘導されたとしても、まったく自然で
あれば、そのことを以って自由であったと判断して問題ないレベルではないかと考えるわけです。
自由とはなにか、について考えると、好きにできるという意味もあるとは思いますが、外界と
ひと繋がりの状態で、それらの影響を無視できない構造が脳内にある以上は、それら外界や
自分自身との関係も考慮した上での、自由というものについての議論も必要だと思っています。
>>786 決定論という言葉を少しあいまいに使っていたので
用語を精密化する必要があると思いました。
1) 因果的決定論とは、
いかなる現象もそれ以前の現象の単なる結果であり、
この原因と結果の関係は因果律に支配されているがゆえに
未来は現在および過去に規定されて一意的であるとする説です。
2) 確率的決定論(確率的非決定論)とは、
未来は因果律によってではなく確率によって支配されており、
その限りで未来は決定しているのだ、とする主張です。
3) 決定論的カオスとは,
あるシステムが「ある時点での状態(=初期値)が決まれば
その後の状態が原理的にすべて決定される」という
決定論的法則にしたがっているにもかかわらず,
ひじょうに複雑で不規則かつ不安定なふるまいをして
遠い将来における状態が予測不可能な現象のことです。
>>781 で言った決定論的というのは
1) でかつ 2) でも 3)でもない決定論
という意味でした。
2) か 3) の決定論であれば自由意志と両立してもいいです。
弱い自由意志ってそういうことだったのか。
788 :
(*´Д`) ハァハァ :2010/11/14(日) 05:48:37 ID:lPIRonS7
>>710 なんか何言ってるのるかよく解らんがΨ(・O・)Ψ
意識(主観、自我、クオリア)が錯覚と言う場合は、
四角の集まり(全体図)から生じる黒丸という錯覚
を、主観的に見ている自分(実際は脳が情報処理
をしているだけ)という思い込みが、錯覚と言ってる
わけで、四角の集まり(全体図)が錯覚と言ってるわ
けじゃないよ。
エロビ観て興奮して、何かを発射している(* >д<) ウッ
自分が脳の中に居ると思い込んでいるのが錯覚で、
エロビやAV女優が自分の彼女に見えるのが、錯覚
と言っているわけじゃないよ。
ま、残念ながらそれも錯覚だけど・・・( iдi )
789 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/14(日) 08:03:51 ID:lPIRonS7
「認識主体がいないと錯覚しよがない」と思う人がいるかもしれないけど、 錯覚主義によると、「自分という認識主体が何かを見たときに錯覚が起こる」 との思い込みが、既に錯覚なのであって、実際は脳が錯覚してるだけってこと。 つまり、脳の中の意識のスクリーンで、四角の集まりの詳細映像を見ている 自分(主観)という小人が、錯覚しているのではなくて、脳自体が錯覚を起こ しているのであり、そこに認識主体はいらないというわけ。 別の言い方をすると、脳が外界を「認識*」する過程で自分(主観)という錯覚 が生じるのであって、自分(主観)が脳を通して外界を「認識」して錯覚が生じ るのではないってこと。 * ここでの認識は従来の認識の意味とは違う、脳と外界の「相互作用」のこと × 脳(主観*) → 認識(●を錯覚して認識) → 四角の集まり ○ 脳 → 作用(意識(主観)と●の錯覚が生じる) → 四角の集まり * 脳が意識(主観)を発生させる
790 :
778 :2010/11/14(日) 09:50:41 ID:???
>>789 >>711 と関連してちょっと質問ノ
脳と外界の「相互作用」(=認識)が■で、自分(主観)が●ですよね?
そして、
■を描くと●が現れる
■を消すと●も消える
こここまではいいとして、
常に■→●であれば、(;´Д`)ハァハァしたかったのは■のほうで●ではない?
という質問は正しいですか?
791 :
778 :2010/11/14(日) 10:26:39 ID:???
>>787 もちろん私も1)の意味で使っていました。
ちょっと書き方が回りくどかったですね。
今調べたら「柔らかい決定論」という立場で、現代的両立主義に近いと思います。
自分で意図して選択したつもりでも、本当にその選択しかなかったのか、と振り返ると
必ずしもそうではなく、他でもよかったのではないか、自分がたまたま選択したのは
ちょっとした変化やはずみでそれを選択しただけで、強い必然性はないのではないか
ということです。
朝、寝起きのコーヒーを飲もうと、おもむろにカップを口に運んだとしても、その運んで
いる動作やタイミングには、ロボットのような意を決した力強さはないんですね。
毎日、会社へ向かうのも、仕事が楽しいとか、行かないとクビになるとか、家族が心配
するとか、いずれの場合も力強さに欠けているわけです。
しかし「自分」としては他の理由や動機も共存はするが、特に矛盾はなく、今ここに行動
している自分が居て、強制された自覚がないという意味において自由であるともいえる。
そんな感じです。
>>791 ここに書き込むまでの意思はお前にはない訳なんだな?
自動筆記か?
793 :
778 :2010/11/14(日) 11:11:05 ID:???
>>792 それがどうもはっきりしません(笑)
ある時、ふっと「意識」についての興味が沸いてきたのは自分の意志かどうか、
まったく不明なんですよね。
意志があるといえばあるには違いないんですが、鋼鉄の意志が存在したかどうか
となるとそれも怪しいです。
答えになってなくてごめんなさい。
794 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/14(日) 11:25:39 ID:lPIRonS7
>>790 ■は脳と外界(この場合はモニター上の図)の相互作用による現象*1で、
●は脳の視覚機能が創り出した錯覚(思い込み)*2だよ。
そして▲(自分という主観)は脳の高度な機能が創り出した現象(錯覚)*2
で、■は(;´Д`)ハァハァの原因ではあっても、あくまで(;´Д`)ハァハァしたかっ
たのは脳で、■でも●でも▲でもないよ。
*1 現象と言っても脳の中に生じる映像(クオリア)とかではなく、あくまで
物質と物質の相互作用(物理現象)
*2 ここで言う錯覚とは外界の物質と脳(物質)から生じた現象ではなく、
脳(物質)と脳(物質) から生じた現象(思い込み)と言う意味
@ 脳←→■(物質) 相互作用
A 脳「■」 ■現象
B 脳←→脳 相互作用
C 脳「●」 ●錯覚(現象)
D 脳←→脳 相互作用
E 脳「▲」 ▲(;´Д`)ハァハァしたい私とういう錯覚(現象)
ここで注目すべきは、初めに脳の中に私(主観)という非物理的な現象が
時間的に連続して存在するのではなくて、外界の物質との相互作用で生
じた(物理)現象「■」とその処理プロセスから、脳と脳の相互作用で私(主観)
がいるという(物理)現象=錯覚「▲」(観念)が生じている所である。
多くの科学者が「人間を超えた客観性が存在すること」を信じている。 しかし量子力学の出す結論はそうではなかった。 それは従来の常識に基づいた錯覚であり、 個々人の意識が月という物体を現実化させ、人々の意識に月というものが存在しなくなったら 月という物体は実在しなくなるというのである。 人の意識上にのぼるまで状態は波の重なり合いでしかなく一つに定まっていないのだという。 夢が現か 現が夢か
メコスジ野郎はどこから来るの?
796の錯覚じゃないの
798 :
778 :2010/11/14(日) 12:41:41 ID:???
>>794 >>711 の錯視には▲は現れませんが、錯視に譬えている理由はなんでしょう?
>あくまで(;´Д`)ハァハァしたかったのは脳
つまり脳が(;´Д`)ハァハァしたいと意志したわけですね。
その意志した脳に自分というイメージの源泉を求めてもいいような気がしますが、
あくまで自分を錯覚とする理由はなんでしょうか?
自分という存在(錯覚)と、(;´Д`)ハァハァしたい意志が存在する物(脳)を分離する
必然性がよくわかりません。
脳に(;´Д`)ハァハァしたい意志が存在したのであれば、その意志を自分と位置づけ
ない理由はなんでしょうか。
ちょっと私の理解力が足りてないせいかもしれませんが、よろしくお願いします。
799 :
778 :2010/11/14(日) 12:45:37 ID:???
800 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/14(日) 13:43:44 ID:lPIRonS7
>>798 ▲は話の流れで意識(主観)を▲に例えただけだよ。
脳が意志したんじゃなくて、脳が外界からの情報を自動的*に
処理(その情報処理が(;´Д`)ハァハァしたいとの欲望)してアウ
トプットしたのを、後から脳自身が、自分(概念)が自由意志で
行動したと自動的*に情報処理(錯覚する)したんだよ。
* 物理法則で処理したんだから物理法則による他動かなw
801 :
778 :2010/11/14(日) 13:58:48 ID:???
>>800 1.>あくまで(;´Д`)ハァハァしたかったのは脳
2.>脳が外界からの情報を自動的*に処理(その情報処理が(;´Д`)ハァハァしたいとの欲望)して
この2つの違いをもう少し説明してもらえませんか。
1.2.共に、(他動にせよ自動にせよ)脳が(;´Д`)ハァハァしたいと意志したように読めるのですが。。。
>後から脳自身が、自分(概念)が自由意志で
>行動したと自動的*に情報処理(錯覚する)したんだよ。
脳の「後からの情報処理」が錯覚としても、そもそもその前の情報処理が意識の源泉であり、
そうした情報処理が現に存在するならば、その「後からの情報処理」を仮定して、それを錯覚と
位置づける理由がよくわかりません。
何度もすみません・・
私が馬鹿なだけなのかーーーー><;
802 :
778 :2010/11/14(日) 14:06:26 ID:???
よくわからないのが、 脳が(;´Д`)ハァハァしたいとの欲望をアウトプットして、 そのアウトプットしたものを、また脳で情報処理したものが錯覚、という点です。 (;´Д`)ハァハァしたいとの欲望をアウトプットできるなら、意識もアウトプットできそうだと 考えるのは早計でしょうか? 欲望も意識の一部の活動だと思うからです。
803 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/14(日) 15:28:12 ID:lPIRonS7
>>801 ,802
仕事で出かけなくちゃならないので軽くレス
> 情報処理が意識の源泉であり
情報処理に意識はいらないよ。
> そのアウトプットしたものを、また脳で情報処理したものが錯覚、という点です。
詳しく説明する時間がないので繰り返しになるけど、情報処理のプロセスと
行為(アウトプット)を後から脳が追認(情報処理)して、自分(意識)が在ると
勘違いするんだよ。
> 欲望も意識の一部の活動だと思うからです。
欲望は脳の情報処理だよ。
そして、情報処理に意識はいらないよ。
What is mind? “No matter.” What is matter? “Never mind.”
805 :
21世紀のアインシュタインさん :2010/11/14(日) 16:41:52 ID:nL5G3VC5
そんなこと般若心経にかいてあるよ 色即是空、空即是色
806 :
778 :2010/11/14(日) 17:47:57 ID:???
>>803 なんとなく問題の原因が分かってきたような気がします。
>> 情報処理が意識の源泉であり
>情報処理に意識はいらないよ。
情報処理に意識が必要なのではなく、先の情報処理が意識の働きになっているのでは?という意味です。
どうやら「意識」という言葉の定義の問題のような気がしてきました。
そうでなければ、次の、
>欲望は脳の情報処理だよ。
>そして、情報処理に意識はいらないよ。
という返答になるはずもありません。
欲望も意識の働きのうちであるとの前提を崩せない以上は、いくら説明されても、脳が追認する
というのがどうしても余計なことに思えますし、私が理解できないのは当然ですね・・・(汗
807 :
778 :2010/11/14(日) 18:46:07 ID:???
もしかしたら、 脳の1次情報処理=無意識 → 脳の2次情報処理=錯覚(意識) ということですか? >仕事で出かけなくちゃならないので いってらっしゃい。
シナプス細胞が伝達物質を受けて、他のシナプスへ拡散する現象が続くと特定の情報が入力された時、拡散時にルートを形成する。 これが意識を作り出しす作用なのではないかと思う。 ひとつ例えを挙げると、「子供は刺激を受けやすい」というのは、シナプス間の神経伝達物質拡散ルートがまだ決まっておらず、脳全体に拡散しやすいからなのではないか?
物質や信号が意識を作り出しているんじゃないよ。 我々の心がこの世界を作り出してるんだよ。 物質や信号が実体ではなくて心が実体。 物質や信号は影。 手を動かそうという意識がまずあって物理的な手が動く。 その過程が脳の信号となって物質上は表れる。 だが、それはあくまでmの影。
少なくとも自分はそういう風にはできていない。
811 :
778 :2010/11/14(日) 21:41:52 ID:???
脳の1次情報のアウトプットを2次情報として処理したものが錯覚(意識)だとする。 欲望を欲望という1次情報としてアウトプットしたものを、2次情報として処理したものが錯覚であるから、 欲望は錯覚として欲望として現れる? 欲望が錯覚された結果も欲望であれば、そこにはなんの変化もないように思えます。 一体、錯覚と置くことになにか意味はあるのでしょうか? むしろそうした一連のプロセスは存在せず、外界の刺激によって励起される機能が示す状態を表している、 という気がします。
実はそうなんだよ。 「心」というのは自分が認識できる「意識」よりももっと深いレベルで、通常はそれを 認知することはできないから、「心が世界を作り出す」っていうのはとっても誤解を 招きやすい表現ではあるんだけど。 だけど、この世は厳密には客観的な世界が存在しているわけではない。 例えば目の前にリンゴがあって、自分はそのリンゴは明らかに客観的に 存在していると認識するかも知れない。 10人にその物体を見せても100人にその物体を見せてもみんなそれを リンゴと言うのも間違いない。 じゃあそのリンゴは客観的な実在かというと、厳密にはそうは断言できない。 10人や100人が「これはリンゴ」と認めているのもやはり自分の心だから。 夢の中で「これは夢だ」と思っていても、それもやはり夢だというのと似ている。 これはほんのさわりだけど、自分の心が世界を生み出すというのはそういう話。
814 :
778 :2010/11/14(日) 22:08:17 ID:???
道路を横断中に暴走車が向かってきたとします。 それを目や耳の感覚器官で捉えて、神経系統を経て、脳細胞に伝わる場合、その伝わる先の いくつもの脳細胞が記憶している、事故現場の惨状なり、ニュースなり、経験なりが想起され、 危険と判断されますが、ここに錯覚の入り込む余地はあるのでしょうか? まず1次情報として暴走車の信号が入力されます。 それを出力するのもやはり暴走車の信号です。 その出力された信号を、別の脳細胞がモニターし2次情報として捉えて、錯覚として認識に 至るわけですが、暴走車から身を守るための行動は全て、1次情報を扱う領域で運動神経に 伝えられて行われることになり、そこでは錯覚はあくまでモニターしているだけの状態です。 つまり映画館でスクリーンを見ている観客というわけですね? 現実の世界はスクリーンの中にあって、観客は一切タッチせずにひたすら眺めている存在。 ということになりますね。。。 こうした仕組みは進化の過程で必然だったのでしょうか?_? 要らないような気もしますが・・><;
錯覚じゃないからこそ危険を回避する行動をとろうとする。
816 :
778 :2010/11/14(日) 22:24:15 ID:???
>>815 ご指摘の点の辻褄はおそらく合っていると思います。
つまり1次情報を扱う領域では、危険を現実のものとして処理しているので、
この段階では錯覚ではありません。
しかし次の2次情報として伝わった時点で全てが錯覚になります。
そしてこの2次情報は1次情報へフィードバックすることはないため、1次情報には
一切影響はなく、従いまして、現実の行動にはまったく影響がない。。
完璧じゃないですか><
本当かどうかは別として。
817 :
778 :2010/11/14(日) 22:43:07 ID:???
観客の譬えは、つまり、スクリーン上の主人公に完全に感情移入して没入した観客、 ということになりますかね。 それはそれでいいとして、1次情報での欲望は欲望、危険は危険と判断したその処理の 仕方が不明であることに変わりはないので、錯覚は錯覚として置いておくとして、錯覚の 源泉であるこの1次情報の仕組みが何であるかが依然として残ります。 つまり錯覚するほどよく出来た情報処理なわけですから、それを意識と勘違いするほどの リアリティがスクリーン上にあることになるので、その仕組みの問題が依然としてあるわけです。
818 :
778 :2010/11/14(日) 22:46:42 ID:???
そろそろ寝ますねーoー。。 連投失礼しました。m(_ _)m
819 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/14(日) 23:00:01 ID:MJhNi7V+
本当にフィードバックがないのかな その瞬間はなくても、あとから思い出した時に1次情報にアクセスしてるとか 行動は分離してても記憶は共有してるとかなんかあるだろ 哲学的ゾンビにクオリアが乗っかってるだけって必要ないわな
>>814 なかなか面白い話題に踏み込んでるね。
人間の視覚処理機構は二種類(二重)にあるらしいよ。
運動制御に関わる視覚処理と認知に関わる視覚処理の二種類が腹側と背側にそれぞれあるそうだ。
どう言う事かと言うと、例えば手に持ったコーヒーカップからコーヒーを飲む事はできるのに、
いま、何を手に持ってるのかは言えない(主観的には見えない)と言うような
障害が出る事が視覚野の特定の場所が傷つく事で起き得るそうだ。
大脳生理学だな。 養老教授の分野。 少なくとも物理じゃない。
>>821 養老孟司の専門分野は解剖学で大脳生理学では無い。
あの人は著作を読む限り、この方面には結構疎いようだ。
機能は生理学でもそれを補償するのは原子〜高分子サイズの物理。 これは熱力学と統計力学の関係性みたいなもの。
脳を科学するのは高分子化学の分野だな。
細胞の膜構造をアンテナとして真空場からの情報を入出力してるとか。 絶対、空間と脳は微細な何らかのやりとりをしていると思うんだよなぁ。
そんな現象はない。 あるなら脳以外ですでに見つかってるはず。 脳を特別視するなら脳が特別である証明をしなければならない。
意識は刺激をクラス別に分けた記憶域なんだろう。 より正確に判断するために刺激を積み重ね、それを記憶することで細かい判断ができるようになる。 つまり、人が感じてる意識そのものは単体でなく、グループ化されている領域や特定範囲内の刺激を低燃費で読み取っているだけなのではないか。
>>770 >>784 仮に自由意志が
Σ Ci Φi
の Φi を重み |Ci|^2 に従った確率で選択できても
決定論を覆すことはできないな。
もしかしたら自由意志があって
D_i ≠ C_i の重みで Φi を選択できるんじゃないか?
選択後、主観的世界の波動関数からは規格化により
C_i が消えてしまうから何も矛盾しないし。
>>828 いつでもエネルギーE2が観測出来る状態ψ=|E2>と、
実際にエネルギーがE2として観測されたという状態は違うよ。
前者は干渉可能状態。後者は干渉不能状態。
831 :
∩(´・ω・`)つ―*'``*:.。. .。.:*・゜゚・* もうどうにでもな〜れ :2010/11/15(月) 06:24:30 ID:gWmfM4Jd
>816 全然カンペキじゃない><; 全然理解もしてない・・・レスするのも面どくなってきた_| ̄|○ il||li いや、別に君の理解力が足りないんじゃなくて・・・説明が悪いと思う(ヽ´ω`) トホホ・・・
833 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/15(月) 07:27:54 ID:BCXffsvN
人に意識があって動物に意識が無いというのは変だと思う。 たとえば、太陽電池で動く模型自動車があって、 ・日陰から外に出る ・障害物を避ける というようなプログラムがされているとする。 自働的に動いてるように見えるわけだけど、この動きに意識はあると言えるのか? 単なる模型自動車ではなく手足を持たせプログラムが高度になって人もどきに見えたとして、突然ある敷居値で意識が発生するのか? それとも、最初の単純プログラミングの模型自動車にも小さな意識があると考えるのか たとえば「未来を予測して未来に関与する能力」を意識値とでも呼ぶなら 単純プログラミング模型自動車にも、小さいながら意識値を与えられるのか?
>>833 意識の定義による。
生命活動に意識を求めれば、すべての生命は意識があるともいえるし、
意識は錯覚であるとすれば、すべての生命には意識などない。
定義が定かでないものを話し合っても無意味 残念だが、レスがほしいだけの乞食にしか見えない
>>238 >むしろ、私達が解明しなければいけない事は、劇場も映画も観客もいない
>脳の中で、経験の流れを持つ意識的な自己が存在すという感じ(錯覚)が、
>どうして生じるかという事なのです
解明は永久に無理です。
「どうして生じるか」と疑問を持ち解明することがすでに錯覚なので、二律背反に当たります。
「私はいつも錯覚です」
もしこれが本当ならそれは錯覚であり、そうでないなら錯覚ではありません。
自己言及しない限りは矛盾しない。 自分が他と同じ性質を持つべきだと仮定すれば、自己言及はなくなり矛盾もない。
「自分が他と同じ性質を持つべきだと仮定」することも錯覚なので、自己言及からは逃れられません。
錯覚が疑問を持たないという命題は必ずしも真ではない。
意識が意識を解明しようとしている時点で自己撞着です。 自分が座ってる座布団を自分で持ち上げるのと同じです。
意識があるのは生物がより正確に行動するための防衛機能で、人は身体機能や行動速度を低下させるかわりに、多重に意識を働かせ思考を行う。
意識を意識すると思考になるとした場合。 生物は特定の刺激を同時に受けている場合や、複数の情報を得ると、ひとつの行動を選択したり、刺激を得たりする機能を持つ。 この機能が発達すると 意識したことで得られた刺激を一時的に記憶。 その記憶を元に別の記憶を読み込んだり、一時記憶と一時記憶を合わせたり、組み立てたりすることができるようになる
矛盾点を消すため 錯覚=意識×意識から 思考=意識×記憶 意識=自己防衛機能+記憶 思考=意識×記憶 判断=思考×記憶 計算=判断×記憶 組立=計算×記憶 これきたな。
結局、記憶がないとだめじゃないかよ
記憶以外の言い回しを使うなら、学習だな。
生まれてから20年間、完全に隔離されたカプセルの中で培養された人間と、正常な学習を受けた人間を
比べると、意識状態にどのような違いが認められるのか。
そもそも培養された人間に、外部から観測可能な意識はあるのか。
>>840 にしても、何らかの学習を行う事無しに、人間は自己疑問を生じるものなのか。
コンピュータでも、学習させれば外部から自問自答しているように観測できる状態を再現可能だろう。
学習の影響を検討するサンプルとして記憶喪失の人間を用いるのは不適切ではなかろうか。
846 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/16(火) 10:20:54 ID:94Y4aeTC
じゃ定義してしまえばいいじゃない 1年先のエントロピー*質量をどれだけ減少(増大からの差)させられるかを 意識量とする どう?
無意識的反応=生まれながらに持っている反応 意識的反応=学習によって培った反応 ってこと? つまり、ミミズが光の反対の方向へ行くのは無意識的反応だけど 電気刺激を与えて、光の方向へいくように学習させた場合、意識的反応になるのかな?
似たようなもんかもな。 学習能力の低い無能な奴ほど本能的に動いているように思う。
上でも揉めていたが、自由意志は錯覚かもしれんが意識は機能ではないか? 意識は学習にも役立つが、基本的には 脳の情報処理の内容の一部をモニターしながら選別/加工/コンパクト化して 他の部分が後から再利用しやすいように機能ではないか?
機能だと意識の主観性が説明できない。
意識が錯覚とすると、錯覚は同じ物理的状態であれば常に錯覚として見えるのだから、 常に自分を意識している状態でなければならない。 しかしそうではないので、意識は錯覚ではないといえる。 もし同じ物理的状態であるにもかかわらず、錯覚である時と、そうでない時がある場合は、 同じ物理的状態だとはいい難いので、違う物理状態にある。 よって違う物理状態をもたらしたものが意識をもたらしているので、意識は錯覚とはいえない。
>>851 >しかしそうではないので、
ここが成立していない。
>もし同じ物理的状態であるにもかかわらず、錯覚である時と、そうでない時がある場合は、
前段が成立していないので、ここも成立していない。
>>852 ん?間断なく常に自分を意識してる奴がいるのか?
>>846 > 1年先のエントロピー*質量をどれだけ減少(増大からの差)させられるかを 意識量とする
私の理解が浅いので
この式の物理的意味づけがはっきり理解できません。
どういう理由で エントロピー と 質量 としたのですか?
解説希望
>>853 なんだ、覚醒時の脳の状態が常に一定だと思っているのか。
覚醒時であっても、脳内は刻一刻と変化している。
脳内の状態には個人差があり、また性差・年齢差・国籍差も存在する。
脳が同じ物理的状態を維持しているという状態とは、昏睡時などのごく限られた
条件下であって、一般的な状態とは言い難い。
> 脳が同じ物理的状態を維持しているという状態とは、昏睡時などのごく限られた条件下 「脳が同じ物理的状態」って脳内の化学物質・イオンの分布、神経細胞・神経膠細胞等の配置・接続 その全てが各個人の全時間で異なる。 「脳が同じ物理的状態を維持」とかねーよwww
>>828 だとして、どんな D_i を選択することが可能か?
任意の D_i を選択することが可能なら
1秒後に自由意志の望み通りの理想の世界となり
自由意志が働きかける必要性がなくなって
自由意志が消滅し、矛盾する。
また、長時間の間に何回も D_i の変更を繰り返して
理想の値にできたとすると、
因果律 + 時間反転により
任意の時刻で理想の世界であり、
自由意志が消滅し、矛盾する。
よって
>>828 ならば
有限の時間では理想の世界には決して到達できないような
D_i の変更の仕方である。
したがって D_i として取れる値の範囲には強く制限がかかる。
意識=記憶XOR刺激 判定=記憶aAND(記憶bXOR刺激) 刺激が無い場合記憶a=記憶bになる場合はスルーする。 刺激がある場合記憶a≠記憶bになる場合はスルーする。
計算=記憶a AND NOT記憶b OR 記憶b AND NOT記憶a
気絶してる時の意識は?
変化を起こすということ自体が意識だと気づいた。 ある刺激を受けると神経伝達物質が拡散し、その影響で干渉変化をするという法則性があるので、その現象が意識に近いものになるのではないか? 脊髄反射の場合は脳の判断する記憶域の細胞はほとんどが変化しないので判断系機能は無意識状態になるが、筋肉や目等は動いているのでかならずしも無意識にはならない。 時間を意識する場合、時間間隔を記憶した領域から信号を流し、一定間隔で反転を繰り返したり、変化を起こしている事になる。 その場合、時間を記憶した領域のイオンチャンネルが開いたり閉じたりし、拡散時にたくさんの記憶を行うため、長く感じるようになる。 またメトロノームやアナログ時計を近くに置いて勉強してみてほしい。
>>861 文字通り意識が無くなるから「気絶」
風呂場で立ちくらみを起こして短時間気絶したりした経験から言えば、
本当にスーッと目の前が暗くなって意識が無くなる。
この経験から言えば、ただ生命があると言う事と意識があると言う事は明らかに違う。
>無くなるから 無くなる?
無くなる、消える、失う 何と呼んでも良いけど、とにかくさっきまでは有った意識が消える。
意識を失う前と失った後 整合性を保つものは?
意識は毎晩睡眠と共に消失している。昨日と今日の意識は別のもの。 他人の中に発生している意識と同じ単なる現象。違いはない。 単に同じ記憶を伴って意識が発生するので、 昨日と今日は同じ意識だと意識が錯覚しているだけ。
新しい記憶が蓄積されれば 生まれる意識も違うと 記憶障害の人間の意志はどうなってるのか
>>867 普通の睡眠だと半覚醒状態や夢を見ている状態が混じるので
いつ意識が消えたのかハッキリ分からないよね。
もしかしたら単に覚えて無いだけのような気もしてくる。
気絶だと区別が異様にハッキリ分かるよ。
「あ、意識が消え……」
こんな感じで記憶が途切れて、次に意識を取り戻した時にそれをしっかり覚えている。
from
>>212 > また海馬(記憶を司る)を損傷した人は、重い健忘症になる
> そうです。これらの人々は、新しい出来事を記憶することは
> 出来ずに、毎日、いや一瞬一瞬が新しい自分、新しい目覚
> めの世界になるそうです。
意識=無意識追認機構
>>871 なんか変だな。
意識は自分であり記憶によるものであるなら、新しい出来事を記憶することができないなら、
一瞬一瞬が新しい自分ということにはならないはずだ。
そうではなくて、自分というものが存在しない世界だろう。
>>875 一瞬一瞬で記憶が消えるほどひどい記憶障害と言うのは聞いた事が無いな。
普通良く聞くのは十数分から40分程度しか記憶が持たない、
つまり短気記憶が長期記憶に定着しないタイプ。
一瞬一瞬でいちいち消えてたら多分、意識がまるで保てない。
記憶はなくとも脳の構造はある 情報処理を行うことができる したがって意識はあるはず 赤ん坊にも意識はある ただし自意識はないので 赤ん坊の頃を思い出すのは難しい
5分くらい記憶が維持できる人であれば、普通に会話できるね。人格は過去の記憶があればいいから。 でも全く新しい記憶ができない人はどうなの、会話どころか、思考がなりたたない。 でも猫とかもほとんどの時は反射的な行動しかしてないけど、意識はあるからね。 なので意識がなくなったとは言えない。ボケた状態の人がこれに近いかも。
お酒をたらふく飲むと体験できる
>>876 そりゃそうだろうな。
ということは海馬が壊れても一瞬一瞬が新しい自分ということにはならないということだね。
短期記憶でも古い自分には違いない。
>>858 宇宙に電子が1コだけある場合
Φ = C_u |u> + C_d |d>
重みを微小量変えられるなら
連続回適用によって任意の
0 <= C_u <= 1
が選べるから自由意志は消滅する。
したがって電子1コの宇宙には自由意志は存在しない。
いつも読んでて思うんだけど、 宇宙とか電子とか海馬とか自由とか意志とか猫とか近いとか、 こんな言葉がスラスラ出てくる決定論的仕組みってなんなの? マシンガントークっていうけど、脳が勝手にそんな活動アピールしてんの? じゃあ脳が自由意志持ってんじゃないの? どうなの?
>>882 そんなものを知ってたら、人間そっくりにしゃべったり歩いたりするロボットをとうの昔に作ってます。
分からないから困ってると言うか、不思議なのです。
因みにその問題は「脳が自由意志を持ってる」と考えても全然解決しません。 脳がどうやってその「自由意志」を生み出しているのか、仕組みが全然分かりませんので。
自由意志なんてないし、あったらなにかいいことがあるのかな?
何だか知らないが「人間には『自由意志』なるものがある」と言う事にしておけば、それ以上深く追求しないで済む。
>>883 個人的には錯覚説が近いように思うよ。
ちょっとした外界や記憶の影響の差による行動や思考の変化って、自分じゃ差だと気づかないんだよね。
で、気づかないもんだから自分というものが存在するって錯覚するんじゃないかって。
統合失調症の患者の中には、自分の思考は他人に盗まれている、行動は 何者かに動かされている、という感覚を持っている者がいる。 自分が動きたいと思っていないのに、体が動き、考えたくないのに考えが 流れ込んでくる、そう感じている者がいる。 自由意志ではなく、強制意志とでも呼ぶべきか。 それは脳内の状態異常によってもたらされているわけだが、逆に考えれば 正常 な人間の感じている 自由意志 とは、その意味でクオリアの一種 に置き換えることができるだろう。 自由意志とは、脳の機能が正常な人間に限り、自分は自由意志を持って いると信じることができる。 誤解のないよう付け加えておくが、統合失調症の患者全員が思考障害を 起こすわけではない。
>自由意志なんてないし じゃあ、当事者の判断によって起こったことについて責任を持たなくてもいいことになるけど
>>888 > 自分が動きたいと思っていないのに、体が動き
これを体の不調だと訴えられるという意味で
自由意志は残されている
「自由感」がクオリアだというのは
そうだろうと思う
自由意志なる実体が存在しているかどうかについては置いておく
としても、多くの人間が「自分には自由意志がある」と感じている
事は事実だろう。
>>891 >自由意志は残されている
その通りなのだが、「自分には自由意志がない」と感じている患者に
「あなたには自由意志がある」と説得しても、理解も納得もしない。
もしも正常な人間が誰一人として自分には自由意志がないと感じる
ように脳が設計された世界があるならば、その世界で自由意志が
あると発言する者は狂人扱いされるだろう。
「自由意志がある」と、「自由意志があると感じる」は別物だ。
そして「自由意志があると感じる」のは、脳の機能の一部として
設計され、脳が設計通り動いているがゆえの産物だ。
もう物理の論議じゃないな。 哲学板(あれば)行け。
>>881 その議論は実数の範囲に限定してないか?
複素数だと3自由度あるよ
>>893 哲学でもあるまい。
まず文系はデータも出さずに強弁するから嫌いだ。
実験データを示さずに理論だけ主張することは理系にもあるのでは
量子の不確定性持ち出して、自由意志云々言われても、 サイコロ振るのが自由意志とは言わない。
>>892 のどこにデータが含まれているというのだ。
全く受け入れられない。
量子力学の不確定性と人間の自由意思は全く違うよ。 量子重ね合わせの状態から一つの確定状態を観測する際に それを人間の意思で選択することはできない。 人間の意思とは無関係に観測値は確定する。
自分(意識)が錯覚であり現実にあるものではなく、現実にあるものは行為や物質世界の作用そのものであるなら、 人を殺したいという憎しみはどのようにして現実世界で人を殺すのだろうか。 自分が錯覚であれば、家族を殺されたという記憶からでは、犯人を殺したいという思考は起きない。 物理的には、家族が殺されることが、即、犯人を殺す原因にはならないからだ。 自分という錯覚が、犯人を殺したい衝動を引き起こしたとは考えにくい。 なぜなら錯覚であればそれは常に脳からの一方通行な現象だからだ。 もし一方通行ではないなら、錯覚現象が現実世界に影響を及ぼすことになり、 自分とは錯覚であるという仮定が成立しない。
量子力学の見地からしても自由意志はなく、決定論的だよ。 物理学的に自由意志を示唆するものはひとつもない。
>>900 心神耗弱状態であることが証明されれば無罪になります。
>>902 憎しみによって心神耗弱状態に成ったのであれば無罪にはならない。
憎しみを持つ前に心神耗弱状態であったのであれば無罪になる。
よって心神耗弱状態のみでは自分が錯覚であることの実例にはならない。
>>899 > 量子重ね合わせの状態から一つの確定状態を観測する際に
> それを人間の意思で選択することはできない。
それは既存の量子力学に従うならば、ですよね。
>>828 のような量子力学で、かつ、これまでの
観測結果と全く矛盾しない物理理論も作りうるのでは?
>>901 > 物理学的に自由意志を示唆するものはひとつもない。
人が「自分は自由意志を持っている」としばしば主張することが
示唆になっているような気がする
やっぱりプログラマーともいうべき意図をもった知的な何かが必要だよな。 単に個体を永続させたいというだけならもっと単純な分子や単細胞でいいわけで 複雑化して動き回る必要はない。 もっと動きたい、もっと〜したい、と物質をプログラムしているものは何なのか。
>>904 >人が「自分は自由意志を持っている」としばしば主張する
レオンの実験では、右利きの被験者に左手を選ばせるように脳に電圧をかけると、
被験者のうち8割は、自分の意志で左手を選んだ、と答えた。
>>900 憎しみも周囲の影響で機械的に引き起こされた状態に過ぎないだろう。
野生動物は肉親が殺されたからといって憎しみを抱かない。
肉親が殺されても憎まない環境で生まれ育ち、それ以外の価値観を
学習していない人間がいれば、野生動物と同じく憎しみは抱かないだろう。
たまたま、肉親を殺した相手を憎むように仕組まれた環境で育った結果として
そのような行動パターンを取るだけであり、そこに必然性はない。
犯人に復讐したとして、その動機が発生した背景となるのは
・意識が錯覚ではないから
ではなく
・そのような行動パターンが脳にあらかじめインプットされていて、
その通りに動いたから
だと言える。
>>907 憎しみというのは感情であって、価値観じゃないと思うんだが。
家族を殺されたら憎しみと殺意を持て、というのは一体いつどこで学ぶんだ?
憎しみはこういう感覚が憎しみです。と明確に指導できるものでもないし、ましてや
人の行動を観察しただけでは獲得できんだろ。
憎しみは愛情の裏返しです。 ちょうどコインの表と裏の関係。 相手への愛が深いほど、裏切られたときの憎しみは深く なります。 裏切られたときにそれほど憎しみを感じなければ、それは その人をたいして愛してもいなかったということです。 愛も憎しみも本質は執着心です。 執着心がある一面に表れたのが愛であり、その逆に表れた のが憎しみです。
>>906 体と魂の組 A(u) があり
u は A からクオリア情報を受け取って
選択結果を自由意志として u から A に出力する
とする。
このとき、受け取った自由意志をどう処理するかは
A の勝手なので、u の選択した行動と異なる行動をとることもある。
さらにどんなクオリア情報を送出するかも A の勝手なので
A の取った行動を u が取ったと u に思い込ませることもできる。
ここで個体 A(u) が A と u の2人羽織だと考えると
A の感覚と u の感覚に齟齬があるよりも
A の感覚と u の感覚が比較的一致していたほうが
適応上有利だと考えられる。
つまり A が u をだますよりも、協力したほうが得。
したがって進化の過程で生物 A は魂 u を取り込んで
共生の関係を結んだのではないか?
まず「魂」を定義しろ。 物理では明確な定義のない対象を議論の俎上に乗せることはできない。
もし意識も既知の物理法則の結果に過ぎないなら、 人類社会は宇宙のように秩序立ったものになったろう。(エントロピー増大則はとりあえず置いておくとして) だが人間社会は感情が支配した世界でまったくの無秩序に見える。 意識が錯覚というのは本当なのか?
>>911 意識の議論に魂の定義は不要。
オッカムの剃刀。
>>908 憎しみは感情だけど、嬉しい、悲しいみたいな単純(生得的)な感情では無い。
こういう場合は憎しみを持つべきだ、こういう場合は復讐すべきだ(したい)と言う価値観を親や社会から学んでいる。
子供時代ならおとぎ話だし、その後はTVドラマ、映画、小説などからも。
単純な「好き」「嫌い」の感情の上にある種の価値観が乗っかっている。
意識は決して錯覚ではない。 が、君が死ぬ時は人生の間のことが夢や幻のようにはかないことに 必ず気づく。
>>913 ならば不要な「魂」という言葉は使うな。
議論を汚す気か。
>>914 憎しみというのは言葉や演技ではないのだから、実際にどのような感覚的状態に置かれるのかは学びようがないだろ。。
>>916 >議論を汚す気か。
最初から汚れてるから
そういえばそうかw ワロタwwww
>>917 それが学ぶのだ。
元々、人間には他者に対する攻撃性があるからとも言えるでしょう。
誰でも自分の欲望の実現を邪魔する者は排除したい。
その攻撃性に自分に起きる感情からの理由づけをするのが「憎しみ」
憎しみの基準は文化や時代に大きく依存している。 肉親を殺されて殺した相手を憎むのは、個人主義の時代に生きているから 三國志を読むと孝の概念が優先されていて、現代の価値観で照らし合わせると違和感のある美談が出てくる。
>>920 >誰でも自分の欲望の実現を邪魔する者は排除したい。
これは意識は錯覚ではないと言っているのと同じだぞ。
自分が錯覚であるなら欲望も錯覚であって、その錯覚が現実世界に影響を及ぼすのか?
そうならもはやそれは錯覚ではないな。
殺人も戦争では正義、平時は凶悪犯罪とされるように、同じ憎しみから 生じる行為でも時代や場所によってその価値判断は大きく分かれる。 例えば南京大虐殺も日本から見たら犯罪ではないが、中国からみたら 希代の大犯罪となってしまう。
>>911 無定義用語ということでは?
それが何だかはまだ分かっていないけれど
クオリア情報を受け取る
自由意志を出力する
という機能を持ったものを魂とよぼう、とか。
ちなみに私は
ユニバーサル魂の定義で
>>633 >>635
>>922 何を言ってるかさっぱり分からん
三国志ってフィクションだし
昔の人は親を殺されても憎まなかったと?
いまわしい南京大虐殺の憎悪は、戦後60年経った今も中国人の 魂を震わせている。 それどころか、その憎悪の念はいや増している。
>>924 >殺人も戦争では正義
これ自体ただのマインドセットだから
いざ、戦闘になって敵が攻めてきて戦うのが嫌だってなったら
戦争がしたい上官が困る、引き金を引く兵士の心の逃げ場
これだけのためのね
>>923 私はそれが現実世界で機能してると言う意味では「意識」は錯覚では無いと思ってるよ。
それが本当に人間の意思決定の主役であるか?と聞かれると怪しいとは思ってるが。
>>929 アメリカでは実際沢山人を殺した軍人が恩給など手厚い処遇を
受けているし、軍人の日なるものを設けて盛大に祝っている。
殺人が戦争下において正義とされるのは単なる手段じゃない。
>>926 所詮喩え話なので、意図が伝わらないなら貴方にとって不適切だっただけの事。
喩え話自体には、ツールとしての意味しかない。
>>928 それはブロパガンダの賜物に過ぎず、どちらかと言えば意識や自由意志の存在を否定する側の材料だ。
>>933 いや、南京大虐殺は歴史的事実であり、日本に対する憎しみとして
深く深く中国人の魂に刻まれている。
このスレの浅薄な議論では到底測り知れない深遠な心の傷が
認めると認めないとに関わらず、厳存している。
>>932 >アメリカでは実際沢山人を殺した軍人が恩給など手厚い処遇を
>受けているし、軍人の日なるものを設けて盛大に祝っている。
お金w、金もらうと正義になるの?
帰還兵の手記でも読んだほうが良い
自分というイメージが脳細胞に現存しているかどうかの問題かもしれんな。 そうしたイメージがないと傷つきようがないし、憎しみも生まれようがない。
>>935 >金もらうと正義になるの?
違う。
正義とされているからこそお金も支給されるということ。
お金をもらうとノーベル賞という栄誉が手に入るのではなく、
ノーベル賞という栄誉を手に入れた副産物として賞金という
お金がもらえるのと同じ。
正義とは都合のいいものである。 日本は尖閣諸島を「日本固有の領土」と称しているが、中国もまた同島を 「固有の領土」として領有権を主張している。 尖閣諸島が日本の領土であることは日本の価値観であり、それを守るのは 日本でしか通用しない正義。 中国に対しては対抗できない。 中国という大国には大国の正義がある。
>>936 「自分」のイメージは間違いなく脳内にあるね。
良く知ってる他者のイメージと同等に脳内に存在してる。
他者と自分で決定的に違うのは、他者のイメージが傷ついても基本的には何も感じないのに
身内や自分のイメージが傷つくとなぜか苦痛を感じる事。
>>939 心臓にも脳神経組織のようなもんがあるよ。
名前は忘れたけど。
心臓移植受けた人が夢に提供者が出てきてその夢を頼りに
(その人は自分のことをTim Lと呼んでいた)提供者の親を探し当てた
という話が実際にあった。
意識は物理法則の裏返し。人間はラプラスの魔だよ。やかんでお湯沸したりする。 情報はエネルギー換算できる物理的に扱える。感情は虚構でも発生する。単なる反応だ。 眠くなってきた。そろそろみんなも消滅だ。明日の朝にはみんなの記憶をロードした新しい意識が誕生する。 彼らは、今日の俺らと関係ない。俺達は使い捨てだ。 記憶自体か体自体がオレだと思っておけば問題ないけどさ。
おいらもそろそろ消滅するね 夢で会いましょう〜
> 彼らは、今日の俺らと関係ない。俺達は使い捨てだ。 いえ、使い回し(リサイクル)です。
>>937 なんで正義とされてるか教えてやっただろアホ
>>941 心臓からは名前等の記憶は起こせない。それは捏造だ。
意識は現在働いている脳細胞にあるので、寝ていてもごくわずかの刺激は受けるので、脳死しない限り記憶される。
>>946 捏造ではない。事実だ。
お前こそ「心臓に記憶は残せない」という間違った自説を押し通しているだけ。
お前の浅薄な知識が正しいんじゃない。
そんなものに微塵の価値もない。事実に価値があるんだ。
事実を事実と受け止める。
これが物理を学ぶ者のあるべき姿勢だ。
>>945 戦争中は人を殺すのは正義。
平時は人を殺すのは犯罪。
これが正しい。馬鹿はお前。
憎しみ、正義等は文化や風習によって簡単に書き換えられるが。 意識が強くなると記憶する信号を遮断してしまうから、大人は頑固だと言われている。 これはただ単に意識してたら疑似拡散が続くからだが。 あと、空気読める奴と読めない奴の差は、意識による疑似拡散時に発生する脳波を読みとれなかったり、脳波の刺激を受けても、記憶照合時に全く違ったりするとき。
空気を読める読めないの判断は人の意識が作り出すもの。 人の意識は人によって千差万別だから、一つの事象に対して 「空気が読めない」と認識する人もいれば、「空気は読めている」 と認識する人もいる。 この意識の自由性や個性を捨象するのは明らかに誤った方法論である。
>>1 に答えると、意識はもっと深い魂から発生している。
そしてこの魂は因果律に従って人間の意識が終わった(死んだ)
あとも残る。残らないと因果律が成り立たない。
例えば極めて単純化するが、1人殺した人が1回死刑になるとする。
この死が殺人という原因に対応する結果である。
では2人殺した人はどうなるのか。
2人殺しても死刑は1回しか執行できないので、2人の殺人という原因
の結果も1回の死ということになる。
しかし、それは明らかに因果律に照らして誤りである。
10人殺しても100人殺してもその結果が1回の死であるならば、殺し得
ということになってしまう。
そのようなことは誰が考えても素直におかしいと感ずるところだと思う。
では10人の殺人について、残り9回の死という結果はどこで表れるか
というと、その人生が終わった後ということになる。
死後も残る魂において、その結果が発現されるのである。
>>951 のつづき。
よく小さな子供が殺人鬼に殺されたり、何の罪もない人が通り魔に
刺されて死んだり、ということはよくある。
そしてそれを聞くと「あんな罪のない人がなんで…」という心が起きてくる。
しかし、魂をも含めた因果律に立って考えると、その一見無実の被害者は
実はこの人生より前において殺人を犯しており、その結果が現在の人生で
発現した、ということになる。
この「意識」が存続している人生だけしか見ていないと、どう考えても不合理
なことではあるが、この「意識」の存在する前や後をも考慮に含めると実に
合理的に説明できるのである。
つまり、過去から未来へと流れていく魂は厳然として存在しており、意識は
一時的に発生した極めて限定的な実在なのである。
953 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2010/11/18(木) 01:55:55 ID:dnmWvjNQ
>>951 意識=魂なら魂ってなんだ?
まずそこからだな。
意識は現在受けている刺激にたいして記憶と判断を繰り返して変化を起こす手順みたいなものだ。
蓄積された記憶を通して今うけている刺激の中で記憶と判断を繰り返せばそれは自由意志になるだろう?
場の空気は脳波を読みとっている。 そうでなければ状況の知らない人が来た時に空気読めというのは通用しないだろ。 感情的なものになるほど単純で読みとりやすい脳波になる。 言葉等は受け手側のその言葉に対する刺激が違うので、なにを考えているかわからないが、同じ環境で育った場合は大体脳波が似ているので何を思っているのかわかったり、同じこと考えていたりする。 オカルトみたいな話だが
ほんとにオカルトだな。
>>932 世の中しんどい仕事ほど対価を高くしないと不満が出るのをご存知ないと・・
>しかし、魂をも含めた因果律に立って考えると、その一見無実の被害者は >実はこの人生より前において殺人を犯しており、その結果が現在の人生で >発現した、ということになる。 やる気がついに生まれ変わりまで肯定し始めた オカルト板にいったほうがいい
>>953 >魂ってなんだ?
「意識」が思ったこと、そして体が行ったことを蓄えるもの、といったら
分かりやすいかな。
「意識」があるとき(生きているこの世)も「意識」が消滅したあとも
因果律を保証するために。
意識が思ったところから魂が発生し、魂から意識が発生する 最低な部類のトートロジーだな。
筒型テレポート・マシンがあるとする。 その中に入ると、あなたは全分子組成をスキャンされ後に、破壊される。 そして目的地につくと、あなたの身体はスキャン情報を元に再生される。 もちろん、記憶情報などの脳の状態も完璧に再生(再現)される。 さて、あなたはこのテレポート・マシンを利用することは出来ますか? マシンに入って破壊される前のあなたと、目的地について再生された後 のなたは、同じあなたなのだろうか? ちなみに永続的な自我(魂)を信じていない私は、躊躇なく利用しますね。 もっとも、永続的な自我(魂)がどこか別次元にでもあって、身体が再生 された後にまた脳に宿る(?)と考えている人も、躊躇なく利用するでしょう けどね。
語りつくされたくだらねぇ話だな。
>>962 ルールは社会が決めるもの。
赤信号で停まるのは正しい。
緊急走行時に赤信号を横断するのも正しい。
そこから逸脱すると、犯罪となる。
では
>>962 は何を揶揄しているのか。
>>959 違う。
魂は意識のあるなしに関わらず存在している。
意識が存在しているときはその意識の思ったことややったことが魂に
蓄えられるということ。
魂は思考や行為という原因を蓄える貯蔵庫。
>>947 捏造じゃないならちゃんとしたソースを出してみろよw オカルト君
>>964 存在していると断言するならもちろん証拠が出るんだろうな?オカルト君
意識的行動が出来るときを『意識がある』と表現し そういった行動が出来ない場合を『意識が無い』と表現しているわけで 『意識』といった独立した物質や器官があるわけではないでしょう。 『無い』と表現した上でも、意識的行動を行う部分が物理的になくなるわけではなく 外部刺激から隔離され、反応できなくなっているだけでしょう。 別に魂とかは関係ない。
オカルトっつーかただの嘘吐きにしか見えない。
>>966 魂というとオカルティックに聞こえるが、そういうのではなく、
原因を蓄える貯蔵庫がなければ我々の上に起きている結果の違いを
説明できないということ。
あくまで因果律に立脚した議論。
因果律に基づいた論理だからオカルトとは違う。
ただ、オカルティックに聞こえない他の言葉を見つけるのが難しいから
またあえて魂と呼ばせてもらうが、このような魂の存在がなければ
>>951-953 の
中で論じたような、因果律に反する矛盾を避けることができない。
意識の中でも深層意識の存在をなかなか認識することができないように、
それより更に深い所にある魂の存在を「これですよ」と見せることは
できないが、今現にそれぞれが異なる結果(性別や出生地など)を
生じているという事実が、過去にそれぞれ異なる原因を有していたこと
の証拠ということはできる。
>>971 つまりお前のいう魂は、単に神経の接続・重みと化学物質(+適当な細胞)の分布か。
973 :
639 :2010/11/18(木) 18:48:10 ID:???
普遍魂の定理を認めるとすると 我々はこの宇宙に一人ぼっち という悲しい結論になるのか… あるいは普遍魂 u と物理宇宙 W の 2人ぼっちということかも。
普遍魂の観点から言うと 魂に罪をかぶせることは無意味だ なぜなら自分で自分を罰することになるから 罪があるとすれば体のほうだろう
因果律って、親の因果が子に報いって方でしょ。そんな因果律いらない。
それは因果応報
>>974 行為を善と悪に分けるならば、「良い行いをしたら良い結果が自分の身に
起きる。悪い行いをしたら悪い結果が自分の身に起きる。」ということ
だから、不条理ではないでしょう。
ていうか子供にはどの親もそう教えるでしょう。
それは因果律からして全く正しい教育ということ。
>>975 因果律は、自分の行為による結果は自分の上に生じるということ。
枝葉末節を省いた単純な例えだが、一生懸命勉強して志望校に受かったら、
その合格という結果は自分の上に生じたもの。
自分が一生懸命勉強したら隣の子が受かった、なんてことはない。
>>974 追加すると、肉体は意識と同じで死んだら無くなるから、原因の貯蔵庫
となることはできないんだよね。
罪という行為を直接行ったのは肉体であっても、肉体は単なる手段で
あって、その行為を行った痕跡を記憶するものではないんだよね。
例えば、人を凶器で刺すという罪は意識が肉体にそれを行わせ、刺された
人は肉体が損傷するわけたが、単に肉体の変化だけでなく、加害者が
被害者に心の傷を負わせることでもある。
また単純化した因果律に従えば、加害者は将来(加害者の意識が存続
しているこの世界だとは限らない)人から刺されるという結果を受ける
ことになるが、肉体の損傷に伴う痛みや心の傷もまた、結果として
自分の上に生じてしまうのです。
だから浪花節の方の因果律だね。
信仰の自由について 意識が科学的に解明されたとして じゃあこの信仰は非科学的だ とか 科学的にはこれが正しい とか言い出したら 科学なんて鼻つまみ者ですよね。 現在の科学にもそういう面がありそうで 俺は何のために物理やってんだろ、と思う。
何かの現象が起きた時には、必ずそれに先立つ原因となる事象があるというのが 物理的な因果律だけど、実はそれすら成り立ってない場合があるからねぇ、 不確定性原理を考慮に入れると。 何の原因も無く、単なる確率で突然ポコンと起きる現象と言うのがある。
因果律で説明できないやつって、時間反転対称性があって可逆な運動のことでしょ。 ニュートン方程式とかの類。 ビデオで撮って、逆回しにしても成り立つってやつね。
いやいや可逆であっても、と言うか可逆だからこそ説明できるよ。 原因と結果が(見方によっては)逆転していても成り立つのは普通。 そうでは無くて、不確定性原理のせいで純粋に確率的に起きてしまう現象と言うのがある。 そう言うのは再現性も何も無いので、因果律的説明ができない。
要するにアインシュタインがいみじくも言った「神はサイコロを振り給わず」の逆で 神様は年がら年中、サイコロを振りまくってるなあと言う話。
>>983 > 不確定性原理のせいで純粋に確率的に起きてしまう現象と言うのがある。
> そう言うのは再現性も何も無いので、因果律的説明ができない。
因果律的説明してあげるから、その現象具体的に挙げてみ。
量子力学は因果律を否定したんじゃないよ。 決定論的な予言は不可能といってるだけ。 同じ状態を作って何度も観測したら、結果のセットはいつも同じ分布 を与える。 量子力学は因果律を否定したんじゃなく、ニュートン力学によって確立 された因果律を修正したの。 それを定式化したのがシュレーディンガー方程式であり、量子力学的状態は 常にこの方程式に従う。
もし量子力学が因果律を否定したのなら、量子力学から有意な帰結を 導きだすことは不可能であり、半導体もメモリも、あらゆる電子機器も 生み出すことはできない。
>>986 「粒子Aは単位時間あたりpの確率でβ崩壊する」
以上。
決定論は死んだが確率論的因果律が生きてる。
>>987 純粋に確率的にしか未来が予測できない事も含めて(受け入れて)、
「因果律が成り立っている」と言うのならそれはそれで良いけどね。
少なくとも、ニュートン力学的な世界観での因果律は破れたわけだ。
>>963 戦争が正義だって思い込まされてる人間のことだよ
決定論は量子力学で否定されたんだ? コペンハーゲン解釈って確率的に決定されてるってことだよね? 一意的には決まらないというだけで、決定論が否定されたわけじゃないと思ってた。
993 :
次スレ :2010/11/18(木) 21:18:27 ID:???
決定論の定義によるだろうな。 確率的な結果のセットでもいいというのを弱い決定論と呼ぶのは自由だし。
>>992 分かりやすい例えをすると、
電車にはどうせ行き先は終着駅と決まっているからいつ乗っても
同じものと考えるのが弱い決定論
到着が数分遅かったり早かったりするのはざらなので、電車は
いつ乗っても同じとは言えないと考えるのが強い決定論
>>991 戦争で人を殺すのが悪だと信じるのも同じ。
敵兵を戦場で殺すのは正義だが、民間人や捕虜を命令もなく
殺すのは悪。
命令で民間人や捕虜を殺すのは議論が分かれる所だが、こんな
議論がしたいわけではないんだろうな
>>995 >戦争で人を殺すのが悪だと信じるのも同じ。
アホかお前は、どっちも同じ悪であって
戦争だから許されると思ってるのが間違いだっていってんの
>>992 確率的解釈が生まれたのは
ピンポン球の運動を観測するのにバスケットボールぶつけて
その反射でしか観測できない状態と同じで
観測対象に思いっきり干渉するやり方しかないからお手上げで出来たもんだろ
>>996 >どっちも同じ悪であって
すばらしいね。
戦時中でもそのように主張できる善の人がいてくれたらうれしい。
どのような状況であろうと、人を殺した結果は自分の上に生じてしまう。
正義の名のもとに殺したのであれば、その人は同じく正義の名のもとに
殺されるという結果を受けるかもしれない。
因果律によって。
うめましょうか。
またつまらぬ1000をゲットしてしまった。。。
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