>>57のリンク先(
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/rail/1039679606/540-548n)
の
>>540は俺ですが、同じ電車を使い続けることが経費の削減にもなれば経費の増大になる場
合もあると思います。新幹線の100系もまだ使える車両ですが、スピードが出せず航空機と
の競争上不利で、「こだま」専用にするにしても全体の足を引っ張る原因になるため急速に廃
車が進んでいます。使える100系を潰して1編成40億近くする700系を次々と導入した
ほうが商売上は得策な訳です。阪急の100・600・920系など過去に半世紀近く活躍し
た形式は、不満足な点が少なかったからこそ長寿であったと考えられます。
2300系などを除き6300系以前は抵抗制御ですが、VVVF装置の購入費&改造費と、
それによって削減出来る電気代を考えると、メリットがないからではないでしょうか?廃車間
際の車両ならともかくこれから使っていく車両でもそのままなので、そう考えているのですけ
ど。それと一口に抵抗制御と言っても阪急のものは性能が良いのでは?もし抵抗制御で電気代
が高く付き過ぎるのなら機器を交換しているでしょう。JR東は「走るんです」の節電効果に
よく触れていますが、それはJR東にとってトータルとしてコストや手間を削減できる「走る
んです」のコンセプトの副産物でしかないと思います。節電効果があっても全体としてコスト
や手間がかかっていては意味がありません。
以前にここ(
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/rail/1042111467/143-146n)でも
書いたのですが、JR東日本が採用している所謂「走るんです」のコンセプトは、この10年
程の間に出てきた概念ではなく、昭和10年代には既に確立していた考えだと思います。つま
り膨大な数の車両を生産・管理する必要性から出てきた概念だと思います。リンク先では
103系や113系のことを書いていますが、急行形電車や旧型客車、気動車も国鉄形の車両
は「走るんです」になると思います。国鉄は保有車両数が多いので、比較的簡素な車両の導入
で車両の建造費の軽減と建造期間の短縮を図り、同タイプの車両の大量生産で更に車両単価の
軽減と建造能率の向上を可能にしたと思います。また全国に均一な車両を配置することで補修
費用の軽減と補修作業の効率化が可能になり、車両の広域的な配置替えなども実現していまし
た。だから国鉄車両は初めから比較的短期間で廃車されることを想定して作られていて、その
後はまた比較的簡素な車両を大量生産するというサイクルだったと言えます。20年以上も
103系を作り続けた国鉄はどうかしている・・・という意見もありますが、このシステムが
国鉄にとって最善の策だったと思います。だからコスト半分・寿命半分という考えは特に最近
始まったものではないと考えます。
だからJREや関東私鉄のコンセプトと阪急や関西私鉄のコンセプトは根本的に違うものだと
思います。植物に一年草と多年草があるのと似たようなものを感じます。
しかしながら、JREの車両の使用年数は国鉄時代より延びています。例えば「山手線の電車
は17年しか使っていないのにもう置き換えか・・」という意見がありますが、昭和30〜
40年代を見てみると、35年までは旧型車で運行されていて36年に101系が入線します
が、この2年後には早くも103系試作車が投入され101系はより性能を発揮できる線に転
じていきます。昭和45年には冷房の試作車が、49年にはATS対応の高運転台車が登場し
ます。これを考えれば「17年しか」ではなく「17年も」ということになると思います。別
の見方をすれば205系は初めから高性能で色々な機器や設備も備えており、17年経っても
不満足な点はなかったからこそそれだけの間使用できたと考えられます。今205系が
E231系の投入によって他線に転じていますが、別に性能が悪いわけではなく、車体幅の広
い231系を投入することで混雑が緩和出来るからだと思います。もし205系の車体幅が広
ければ、231系はそのまま現在205系が転じている線区に直接投入されていたでしょう。
補足ですが、1行目の「同じ電車を使い続けることが経費の削減にもなれば
経費の増大になる場合もある」の具体例ですが、
5200系・・・若かったものの冷房の試作車で欠点を改善するよりも
新車を導入したほうが得策だったのでは?
(製造初年:昭和45年 廃車初年:平成3年)
2100系・・・若かったものの最高速度が低く昭和50年代末期の
宝塚線では性能的に不満足であった。また能勢電の
旧型車を淘汰する狙いもあったのでは?
(製造初年:昭和36年 廃車初年:昭和58年)
1200系・・・既出の通り部品流用車で旧型車扱いのため、冷房改造
などはされず、同タイプの車体を持つ他形式より早く
終焉を迎えたのでは?
(製造初年:昭和31年 廃車初年:昭和56年?)
その他、昇圧絡みで廃車になった車両は、まだ若くても改造を施すのが
困難だったり、小型車は輸送力増強のために淘汰せざるを得なかった
と考えられます。