◆心理板・スレ立てるまでもない質問箱part11◆
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1044713034/l50 スレの、651さんへ
>政治学では(?)「実際の社会現象というもの」の定義は?
私は単に歴史的事実として使いました。
この歴史的事実というのは曲者で、人は自分の好む事実を手に入れようとするものなので
「実際の社会現象」を捉えた時、既に不可避的に受け取り手の解釈が入ってしまいます。
それは社会現象に関わらず、全ての現象を受け取る際に言えることですが。
という事で、
>またそれを根拠づける客観的な情報としてなにを用います?
社会現象を、自分で実際にみることはあまりないので、
ほとんどの分析は、社会現象について書かれたもの(言葉と数字による情報)になります。
テレビによる情報もありますが、番組製作者のバイアスにまみれている事もありますよね(鬱
ってことで、「現場視察の重要性」を説かれますた。
それと同時に、大学4年間だけでは学問をやるのは無理だとも(苦笑。。
>説明し、解釈するのにはなんらの規則性・法則性もいらないのでしょうか。
という発想は一体どこから来たのでしょうか・・。
むしろ質問箱スレ
>>643 の通り、社会科学は、規則性・法則性を探し出すことが目的です。その為に、因果関係を見いだせそうな社会現象を取り挙げます。
蛇足ですが、私のいたゼミでは虚構設定は使っちゃだめといわれましたが、
他所ではどうなんでしょ?
社会科学では実際に実験することは難しいので、
恣意的な虚構設定も上手く使えれば良いのですが、恣意的になりやすいという
難点があるという理由で、禁じ手でした。
91訂正 × 恣意的な虚構設定も上手く使えれば良いのですが、恣意的になりやすいという ○ 虚構設定も上手く使えれば良いのですが、恣意的になりやすいという
社会心理学も面白そうなんですけど。。 私も、社会心理学と社会学の接点は気になりますし。。 でも今は進化ゲーム理論と行動分析学の本で手一杯(涙。 それから対象関係論も気になるし… でも欲張りすぎで、なにか絞らないと、共倒れになりそうな罠。 うえーん・・(涙。
ステ助やステ助や。 こういう場合は、ageてやるものだ。
95 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 02:05
>>91 ありがとうございます。向こうの651です。私もこっちに来ました。
そうですよね。事実認識の仕方は私もまったく同じです。つか、一般的にこうですよね、とりあえず。
特種なコネクションでもあって、一般人の知り得ない特殊な事実を知らないかぎりは。
ごめんなさい。当たり前のことを聞いてしまって。でも安心しました。
私は、説明し解釈するためには、その段階ですでにそれをする者の頭のなかに、ある一定の思考方法があると考えています。
政治学なら政治学における、その者が信用している学説とか「常識」ですね。
そして、それらは規則性・法則性のものではありませんか?
自然科学の方法もそうですが、すでに真とされた規則性・法則性をもちいて現実を観察し説明・解釈し、そして新たな規則性・法則性を
見出してゆこうというやり方は、基本的に人文・社会科学も同じと思いますがどうでしょうか。
虚構設定についてですが、私ならセンセイにこう質問したと思います。
新たな学説=(≒)規則性・法則性を求めるべく学ぶ(学問する)のであれば、それでもって人間社会の近未来を予想することは当然なことと思います。
そうでなければ会社は社の方針を決められず、行政もよかれと思う政策を立てられません。
で、過去や現在の現実の各事例について、虚構設定の「遊び」をせずに柔軟な近未来の予想ができるだろうか?
と。
虚構設定をしないというのは、近未来は過去と現在に起こったことのみを解釈し法則を見出しておけば、
近未来は絶対にその法則に従う、というのをアプリオリに設定した考えです。
でも現実を観察してみるとどうですか? 実際の人間社会は予想予測のつかないことだらけです。
私は、虚構設定による思考シュミレーションは多いにやるべきだと思っています。
えーと…(汗。
>>95 >私は、説明し解釈するためには、その段階ですでにそれをする者の頭のなかに、ある一定の思考方法があると考えています。
は、その通りですが、
>政治学なら政治学における、その者が信用している学説とか「常識」ですね。
>そして、それらは規則性・法則性のものではありませんか?
各人の常識は、「社会現象の」規則性・法則性ではありません。
確証バイアスについてはどうお考えでしょうか?
虚構設定とは過去には実際に起こらなかったことを仮定することです。 未来を予測することではありまへん。。 社会現象の中から因果関係が見つかりそうな出歴史的事実(出来事と結果と思われるもの) を抜き出し、因果関係があると仮定する。 その出来事(説明変数)と結果(被説明変数)の因果関係を明らかにする為に、 もしこの出来事がなかったら、結果はどう変わる/変わらないだろう? というような思考による近似的実験が虚構設定でつ。 このような思考実験により、法則性・規則性を取り出そうとするのが目的で 未来予測とはちょっと違います。
社会心理学とはかけ離れていく訳ですが。。(汗汗 ちなみに政治学の目的は、社会学の目的とはちと別な気がしてきますた。 政治学は権力を中核概念とする社会科学なので、 人間や事物を動かし、ある結果をもたらすような 能動的に働きかける戦術としての学問ですた。 歴史の法則性を見出すことは大きな関心事の一つですが 歴史の法則と社会の二人ないしそれ以上の人間の間の関係性も検討した結果、 じゃーどういう戦略を取りましょう?という「戦略」の部分が、政治学の対象領域です。 勿論社会科学たらんとする、経済学・政治学・社会学を厳密に切り分ける事なぞできないので 野暮な気もしますが。。 >94 なんとぉ(汗
99 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 13:52
>>96 95です。居場所がないまま書き込みます。
常識と呼ばれるものが社会現象の規則性・法則性でないとするのであれば、
地域・国・文化・人種・民族等の違いによる常識の違いをどう説明します?
「違いは単なる違いだ」とでも?
それとも政治学においては別の、固定的な前提があるのでしょうか。
確証バイアスですか・・たしかに前提は必要なものですが、
あまりに固定的に考えることは私はしません。あくまでも便宜的なものととらえています。
「物」を固定的に考えることはかなりの程度できますが「概念」はそこまでするのは無理だと考えています。
虚構設定がそのようなものであることはわかっています。
どうも意図と違うふうに伝わってしまいましたね。
もう少し適確な表現ができるよう、がんばります。
私の言いたいことはこうです。
政治学の戦略を考える(つまり近未来の状況をどうやってゆこうと考える)場合にも、
もしこういう戦略を取れば近未来はこうなるであろう、
こっちの戦略をとればこう違ってくるだろう、との予測を立てる(=思考実験)をする場合に。
過去に起こったこと、実際に起こったことはたしかに「一つ」なのですが、
では今、権力を行使し他者に働きかける場合、その結果は近未来において「たった一つ」と現時点で考えてそれをするのかどうか。
もし近未来が自分たちの思う結果にならなかったケースを「仮定」し、
そのケースの場合は次にこうこうこういう戦略を取ろうとシュミレーションしてみることは戦略的に無駄でナンセンスなことなのか。
過去の現実の「一つ」のみを重視し虚構設定をブレインストーミングとしても禁止してしまうということは、
たしかに過去から現在へ至る力学を分析する方法としては曖昧さのないものでしょう。
だがその方法がそのまま、近未来への予測(現時点で権力をいかに行使するかを考えることと一体のこと)、にそのまま使えるのかどうか。
シュミレーション(現時点における、近未来への虚構設定)は無効なのかどうか。
と、いうことです(長い。それにたぶんスレ違いだがまあいいや汗汗)。
100 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 13:53
現実にも、たとえば米の政治などではコメント発表や政策において、官僚はともかく政治家は、 ありとあらゆる質問や反撃をお抱えスタッフがシュミレーションし、 そのなかで最善の戦略を取るといわれています。日本はまったくですが。 私はそうしたシュミレーションのやり方は非常に有効であると考えています。 「過去の事例からして近未来はどうせこうなる、だから俺たちはこういう政策を立てた、お前たちは俺たちの政策に従うのが当然だ」−−みたいなのは、いかにも官僚的な感じがしないでもないのです。
貴方のレスを読めば読むほど、社会科学からも遠ざかっていくのを感じるのですが(汗。 >地域・国・文化・人種・民族等の違いによる常識の違いをどう説明します? 常識が地域・国・文化・人種・民族によって違うなら、 常識は、社会現象の規則性・法則性ではないでしょう。 貴方の発言は支離滅裂ですよ〜(汗 分けて考えましょう。
>こっちの戦略をとればこう違ってくるだろう、との予測を立てる(=思考実験)をする場合に。 だから、未来のシュミレーションは、「虚構設定」ではないんですってば。。 未来の予測を標榜しない政治学があるとでも?(汗
そういえばステ助は社会科学が専門なんだっけ。 がむばれ
てゆーか、正直95さんが何をしたいのか分かりません。 >英米人はどうしてああまでして他国民族・人種を殺すことに夢中なのでしょう? という疑問が、この板に書き込みした動機でしたっけ? 問題提起の仕方に問題があるように思われます。 「英米国が他の国家に比べて侵略戦争を行う頻度が高い」 という歴史的事実があったとしても、それ即ち 「英米人が本当に、他国民族・人種を殺すことに夢中だった」 という事になるのでしょうか?
>103 嗚呼、ロボ氏発見。。 専攻は政治学ですた。。 素人が素人と話すっつー図式に寒さを覚える私。。 でもまぁ、よいかなぁ?(汗 95さんのレス読んでいて、社会学ってどんなのろう?という疑問が。 私の中ではざっくりと、政治学→権力、社会学→関係 って感じだったのですが。 (対象領域は隣接していて重なってるけど) 本当は進化心理学スレに行きたいのですけれども・・。 (言語学スレは、ちょっと成り行きにハラハラしましたが、 もう大丈夫そうですね。) とゆーか、美容院に行こうと思うので、席はずします。。
……美容院?
ステ助は。。 1)女だった 2)ニューハーフだった 3)誠心美容院の常連だった
若者は男性でも美容室に行きます。 床屋なんて行きません。
A とてもそう思う B ややそう思う C あまりそう思わない D 全くそう思わない
110 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 16:12
>>101 95ですが。
うーん・・これだけ説明しても伝わらないか。
あなたの言う社会現象の規則・法則性は「普遍的に人種民族等を超えて存在する」と。うーむ・・。
基本的に私と立場は違いますね。私の考え方は人類学や構造主義等における相対的なものの見方に近く
決して支離滅裂なことはないのですが。でもそれは法学や政治学の方向性とは相容れないものでしょうか。
たとえば・・言語における文法は規則・法則性のものですね?
で言語によって人びとの考え方や概念に違いはあり、もちろん共通点や要素も多いですが、
決して完全に一致ではありません。
それぞれに規則・法則性がありながらも、「すべて」に渡って一致した規則・法則性はアプリオリにあるのではなく、
共通概念というのは「便宜的にすり合わせて決めているもの」と、私は考えています。
「虚構設定」については、わかっています。過去の事実について「のみ」なのでしょう?
でそれを使わない、と。誤解してないですよ。
それは過去の事実についての「もし」の思考シュミレーションをしないということは違うのですか?
違うのなら私の理解が間違っているのですが。
私もしかし、なにげに心理学板に書き込んだことを「絶対に証明」はできません。
ですから、私の考え方によっても英米人うんぬん・・は「仮説としての設定」です。
私は限りなく事実ではないかと現時点では考えていますが、厳密には「仮説としての設定」です。
ですから、理論的に厳密でないことを前提とするな、と言われればその方に対しては沈黙するしかありません。
また、仮に私と同じ情報資料を持っていても私と同じ仮説設定に至らない方に対しても同様ですし。
110さんは質問スレで質問していた社会学の人ですか? >問題提起の仕方に問題があるように思われます。 >「英米国が他の国家に比べて侵略戦争を行う頻度が高い」 >という歴史的事実があったとしても、それ即ち >「英米人が本当に、他国民族・人種を殺すことに夢中だった」 >という事になるのでしょうか? という点に関して少し説明いただけないでしょうか? あとできれば捨てハンでいいんで何か使ってもらえると流れを把握しやすくて助かるんですが。
112 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 16:21
ただ、私は絶対に厳密に証明できる前提などあり得ないという立場です。 絶対がないからこそ、仮説を立ててそれをある分野の理論(規則性・法則性)で考察してみて、 そこに「矛盾が少ない」ようならその分野の理論においてはその仮説が「そう大きく間違っていないのではないか」 とする考え方をとっています。理論構成のすり合わせです。
絶対が無いからと言ってその努力を捨てていいとは言えないのでは?
114 :
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115 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 16:38
116 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 16:49
>111、113 そうです。 113のように私は考えていません。が、そうするためにはどのような努力をすべきですか。
私の周りにいた心理学専攻の生徒や、 実際にカウンセラーを職業にしてる人にも 何度か会ったことがあるけど、皆さんどこか曲がってると いうか、変わった人たちばかりだったので、 本当は助けを求める人たちが心理学を選んで勉強してるのかという先入観を 持ってしまってます。たとえば、カウンセラーの人とは 友達のお父さんだったのですが、会うたびに「君は鬱病」と 言ってきて、別に落ち込んでもいないし、なんでだろう?って 思いました。その人は奥さんに(友達の母親)暴力を振っていて 怖かった。心理学専攻の友達には、彼氏から性的虐待受けてる人、 「人間観察が好き」といって、常に他人の欠点を荒探ししている人、 またいつも明るいのに暗くなったときに暴れまくる人など、 怖かったです。もしかしたら研究とかに必要なのかも 知れませんが、一般人には恐れ多き場所だと 思います。
118 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 17:40
>117 ありがちな話だ。 精神科医にも同様のがおる。
>117 どういう文脈でこのスレに書き込んだのかと小一時間(略
>>116 そのように考えていないというのはどの点に対してでしょうか??
英国人が云々という最初にあった主張も含めてですか?
ちょっとその辺が分からないんですが・・・。
113の書き込みのみに対してです。
>>121 ということは、
「侵略戦争に執心だった英米国の国民(英米人)は他国民他民族を殺すのに夢中だった」
という主張は相変わらず支持されているのですね?
ならば
「1600年以降江戸、明治と安定した長期の国家体制が確立するまで数百年に及んで小国、
多勢力が政権を争い続けてきた日本人はお互いを殺し合ったりするのに夢中だった」
という主張も可ですか?
123 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 18:05
>>122 スレの流れを読んでいただければ分かるのですが今はそれは「仮定前提」ということで説明しています。
私はいちおう、私なりに情報資料を集めて現時点での一つの結論「英米人は・・」に達しています。
一つの仮定前提です。
あなたの出される日本国内の・・について私はそうたくさんの情報資料はありませんので、
それについて賛否は単純には言えません。調べてみないとわからないので。
ただ、仮定前提としてはなんの問題もなく「可」と思います。
ではそのあなたが情報を収集してその仮定前提というものを構成するに至った論理の展開を 少しお聞かせ願えませんか? 当方は高校まで世界史を勉強した程度なんで、教科書レベルの英米国の植民地主義的な政 策の歴史しか知りませんが、歴史的な記述、資料から「夢中である」という非常に情動的な結 論を導き出されたのが非常に違和感があるわけです。
つまり 「侵略戦争に幾度も行った英米国、及びその国民は結果として多くの他国民、他民族を殺すに至った」 というのであれば納得できるのですが 「夢中であった」 というのはどうにも解せない気がするのです。 ちなみに人間が物事を思考する時に「論理的錯誤」ということを犯すことがある可能性を御存知でしょうか?
>>124 理論展開の前にかなりの数の書籍や資料を読破する必要があるのですが。
「そんなバカな。嘘だろう?」と考えるのであれば、最初からお勧めしません。
また、「侵略戦争を幾度も行った英米国、・・殺すに至った」というのが納得できるといいますが、
それとて高校の歴史教科書レベルでは私は納得できませんでしたよ。
論理錯誤してしまうのは、判断資料が少ないためであると私は考えています。
>>126 ん〜、確かに同じ過程を経ようと思えば確かに95氏が当たられたのと同様の大量の資料に
当たらないとなりませんが、そこをかいつまんで要約はできませんか?
社会学の論文なんかでもアブストラクトと言ったものを用意するとは思うのですが、あんな
感じで主張に至るまでの論理展開とそれらを支持するような専攻研究などの引用などを
簡単にしてもらえないでしょうか?ホントに簡単でいいんです(どうせ専門外のことなんで
ちんぷんかんかと思いますので)
ゼミとかで口頭で発表するぐらいの簡単なものでいいんです。
ちなみに論理的錯誤とは
1.Aという人は攻撃的である
2.攻撃的な人はしばしば残酷である
3.よってAは残酷である
というように考えてしまう傾向があるというような現象のことです。
あ、では少し論点を変えてみましょうか? 「夢中である」ということを立証するにはどうすればいいと考えますか? こっちの方が回答しやすいでしょうか?
>>127 やれますが、そのために私は2週間ほど時間をもらい働かねばなりませんが?
まあ半ば冗談ですが、ゼミ発表とてそのくらい時間とエネルギーを使いますよね。
実際上、ムリです。わかってくれますよね。
私の場合、本気でやろうとすると歴史事実だけでなく考古学・地理・環境・宗教・科学史・言語等
様々な分野の資料もまとめなければならないので。
ですからもし興味があるのでしたらまず、教科書に載っていない、両国の海外覇権の事実から調べてみればいかがでしょうか。
それだけでもけっこうキますよ。
あるいは2ちゃんで世界史スレや、ちょっとアレですが国際関係スレなどの過去ログ調べたり訊いたりするのもテでしょう。
時々、ですがちゃんと資料を勉強しているコもいますし。
130 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 18:45
>>129 おいおい、勉強しているおまえでもまとめるのに2週間もかかるものを、
自分で調べろ、と他人に言うのかい?
この場合、他人が知らないことを責めるんじゃなくて、
一般的ではない自分の認識を伝えられない自分を責めてはどうかな?
心理学板には世界史資料を読む責任はないけど、
議論してもらおうという君にはわかりやすく自分の主張を伝える義務があるぞ。
>>129 2週間後でも構いませんので是非お願いします。
と言うのはまあ半ば冗談ですが、関心はあるので半ば本当でもありますが、まあそちらの仕事なり
何なりあると思われるので勿論強いてお願いはしません。
ちなみに>128の点についてはどうなんでしょう?
これは結局の所「夢中」の「操作的定義」という奴を暗に尋ねたわけですが、つまり「夢中である」
「夢中でない」の違いは何で、どうやってそれを区別するのか、測定するのか、ということです。
それを明らかにしない限りでは他人に「夢中である」ことを説明できませんからね。個々人の脳内
基準に留まってしまうわけですから、長嶋前巨人監督のバッティングコーチと大差無くなるわけです。
先ほど挙げたように「大量に殺した」という事実にのみ即して言えば死傷者を累計することでその
指標は出せますが(もちろんその際も「大量」の定義が必要になりますが)、95氏が「夢中」と言う
のをどういう基準ではじき出したのか、ということに興味があるのです。おそらく美容室に行った
ステ氏もその辺りが気になっていたのではないでしょうか?
あと130氏の発言にも半ば同意ではあります。
「英米人は他民族殺戮に夢中」というセンセーショナルな発言をされているわけで、そこに衆人の疑義
が向けられることは当然予想される事態であると思われるので、95氏の方でもFAQとして即応答する
ような準備(「そら来た、いいか、それはだな〜」という感じ)があるものだと思っていたのですが・・・・。
>>130 スレの流れを最初から読み返してもらえるなら分かると思いますが、最初はたしかに議論してもらおうと思いました。
が今は「英米人は・・」の仮説前提の信用度が問題になっています。
それに、世界史資料を読む責任のない方に、それを要約しても分かってもらえない可能性のほうが高いと思います。
なぜなら、私の資料のメインは膨大な史実の一つ一つですから。
それから、2ちゃんねるというものの性質上、誰かに責任はあっても義務はないと私は思っていますが。
>>131 心理学において「夢中」はどう定義されているのか私は知りません。
心理学用語ではなく、どの辞書にも書いてある一般概念で言ったと思っていただいてけっこうです。
FAQ・・国際関係スレなどでは私の意見はセンセーショナルでも珍しくもなんともない意見です。
で、ふと心理板を覗き、「今をときめく英米人」の心理についての考察が皆無なのに興味を持ち、
ハッキリ言って私も興味半分に質問してみただけです。
定量的に計れないものを心理学板に持ってくるな、曖昧な前提を持ってくるな、と言われればそれまでですが。
134 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 19:04
>>132 馬鹿にしている、と捉えられることをおそれずに言えば、
君は相手を見下して話をしているね。
「おまえらは自分ほど資料を読んでいないんだから、
俺の主張が本当かどうか何て理解できるはずもない。
だから、ことの真偽は置いといて、真だとして議論しろ」
という風に読める。
なんだかアニオタが
「このアニメ面白いから見れ。何が面白いかは見なければわからない。いいから見れ」
とアニメのDVDを押しつけているのに似た構図だ。
相手にして欲しければもっと真摯な態度を取り、
自分と相手をせめて対等に置くことだ。
あ、なお「夢中」という言葉づかいはいちおう、半分嫌味を込めました。 英米人を侮辱したかもしれませんね。一番侮辱されてるのは彼らの被害者ですけど。
>>133 > 心理学において「夢中」はどう定義されているのか私は知りません。
> 心理学用語ではなく、どの辞書にも書いてある一般概念で言ったと思っていただいてけ
> っこうです。
心理学では一般概念を定義しなおすことなく垂れ流して使うようなことはしません。
辞書的な意味でさえ、人によって解釈が違うのは認めるでしょう?
だからこそ、議論するときはそれをきっちり定義しないと議論がすれ違いになること間違いなし。
だから聞きたい。あなたは「夢中」というのをどう考えているのか。
心理学でどう定義されているかは関係ない。
あなたの考えを聞きたいのだから。
>>135 失礼。135を読まずに書き込みました。
それでは、夢中というかわりに、正確に表現するとどうなりますか?
そしてそれは誤解が生じないように説明すると、どうなりますか?
>>136 広辞苑のB、「物事に熱中して我を忘れること」になりますね。
けれど、くり返しますが私は「夢中」という言葉について心理学的な厳密性を前提に
使ったのではありません。
なんらかの差を論じる時は まず、比較するものと 比較されるものをはっきり明示しなけりゃダメよ。 で 95は 英米国とどこの国を比べてるんだ どうやら、英米国と日本ではなさそうだが。
クロスしてすいません。 夢中=他人より頻度多くそれに熱中する、です。
「夢中である」ということを、どういう「行動(行動の記録?)」 から証明するんだろうか? アメリカは歴史の浅い国だし、イギリスは海に囲まれた国だし、 二次変数が結構多そうなヨカーン
>140 じゃあ自動車通勤している人は電車通勤している人よりも自動車の運転に夢中ですか?
現象: 「英米国が他の国家に比べて侵略戦争を行う頻度が高い」 原因推測: 「英米人は他国民族・人種を殺すことに夢中だ」……A このペアは,確かに因果関係を説明しているように見えるが, たとえば,原因推測2: 「人類は元来そういうものであり,比較的技術の進歩が早かった英米国が, 他国・他民族を蹂躙する機会にたまたま恵まれただけ.現在の状況も国力の大小で説明できる」 というような仮設を否定できるものじゃない. 妥当性に疑義を挟まざるを得ない命題Aを持ってきて,「何故でしょう?」 と問われても,答えが得られないのは仕方ないんでないか? すくなくとも,質問の元になった命題の説得力を検証しない限り,偽問題として処理されてしまうと思うのだが.
>>143 熱中という言葉に誤解の余地があるんだろ。
誤解の余地がないように表現してみたら?
>>140 仮にその頻度としてもいいのですが、それが適切に計測されていますか?
またその保証はどのような形で行いますか?
それこそが非常に難しいことだと思うのですが。
むしろ何らかの形で歴史的な記録というものを根拠にするのであれば、そこで既にデータに
選択的な操作がされていることになりませんか?
つまりそういった社会的な記録というのはある種、記録者による選考を経てきているのであって
忠実に事実を反映したものとは言い切れないのではないでしょうか?
例えば昨今メディアでは少年犯罪だの欝だのが日々報道され、その記録からすればここ数年に
急激に犯罪件数や鬱病患者が急増したかのような印象を受けますが、実際はそうでしょうか?
ミッシェルまで辿り着きそうなヨカーン #いつも同じようなパターンになってる気がする・・・確証バイアス?
昔な、第二次大戦でナチスがユダヤ人を虐殺したときによ、 「ドイツ国民は上からの命令に服従的な民族だから、 ナチスの命令通りにユダヤ人を躊躇なく殺した」 と考えられていたわけだ。 ところが、ミルグラムっつー心理学者が、 非人道的な命令が権威者から下ったとき、 実はアメリカ人でもかなりの割合で人殺しに近いことをやったわけだ。 つまりよ、歴史から考えられる民族に対する常識、っつーのは 当てにならねぇんだよ。 だからこそ、95の主張が本当かどうか、ってのが常識かどーかをおいといて、 実証されにゃならんのよ。
149 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 19:47
>>146 歴史的記述というものはまさにあなたの言うとおりのものです。
記述者によって選択的に操作されています。TVもそうです。
ですから、一つの事実に対し複数の資料をすり合わせその一つを推察する必要はあります。
おそらく、このやり方は実験心理学等の前提にはなり得ないのでしょうが。
「適切に計測」という手法もまあ、使えないでしょう。
だからでしょうか。心理学者以外の学者たちのほうが、世界や社会の様々な出来事にかんして
「あの心理は・・」と「心理」という言葉を安易にもちいることが多いのは。
>だからでしょうか。心理学者以外の学者たちのほうが、世界や社会の様々な出来事にかんして >「あの心理は・・」と「心理」という言葉を安易にもちいることが多いのは。 この板で一番肝心なことなんですが(w、上記のようなことを言っているのは心理学者ではない人たちです。 少なくともその点に関して95氏は心理学を随分と誤解されていることは明らかと思われます。
あ、すみません読み間違えました。
>>150 の書き込みは無かったことに・・・・
宇津田詩の宇
っていうか どうも95の主張には、曖昧な部分が多いんだよね。 「英米人」「夢中」とか 言葉の使い方もそうだが 検証の仕方も、導出の仕方も あまつさえ根拠さえ良く分からん。 言葉の定義や論証をはっきりしないと 議論することも難しいし その問題を科学で扱えん。 もちろん、心理学でも取り扱うことができんよ。
>149 つうか、まともな心理学者がマスコミで喋らせてもらってるのを、見たことない。 #どうでもいいが、「ヴァルキリープロファイル(古っ!)」では「心」という言葉が #乱用されている気がして、結構気分悪かった。
>ですから、一つの事実に対し複数の資料をすり合わせその一つを推察する必要はあります。 別にこれだって心理学で使わないことはありません。 例えば多変量解析なんかは複数の因子間の確率的な結合の度合いを判断し、それらをその まとまりの強さによっていくつかのグループに分けたりします。IQテストなんかで示されるような 知能の各因子もそうやって推定されたものです。 ただあくまでその判断は統計上の確率論で行います。 個人の主観では主張内容に公共性が伴いませんから。 >「適切に計測」という手法もまあ、使えないでしょう。 それは言い換えれば「不適切なデータである」ということを認識されているということですか? ではその不適切なデータから導きだされた理論でもって英米人数億の人間の行動を説明して しまうんですか? それはちょっとやりすぎじゃありませんか???
帰ってきたらこんな事に・・。
レス全部読めてないし。。
とりあえず
>>110 >あなたの言う社会現象の規則・法則性は「普遍的に人種民族等を超えて存在する」と。うーむ・・。
それを目指すのが、社会科学だと思ってます。
「存在する」と言っているのではなく、「目的」です。
シンプルな原理を目指すのは、科学と銘打った以上、それは使命に近いかと。
(社会科学も自然科学と同じ手続きを踏むと仰ったのは、
95さんですよー。)
でもって私は本当に社会学や政治学が科学足り得るかどうかに懐疑的ですが、
やるしかないだろーっていうのが社会学・政治学の立場だと思っています。
(よって、科学的思考は必須という事で。。)
社会学・政治学が、しかし自然科学と並ぶような「科学」になるのは
非常に難しいだろうと思います。
政治学ではせいぜい10年から、、30年、、いや20年くらいの予測ができれば
凄いという事になるかと。
(10年〜30年先を予測できただけでも凄いでつけどね。)
>「虚構設定」については、わかっています。過去の事実について「のみ」なのでしょう?
>でそれを使わない、と。誤解してないですよ。
>それは過去の事実についての「もし」の思考シュミレーションをしないということは違うのですか?
違わないですよー。
でも未来予測の事を仰ってたじゃないですか。
いや、責める訳じゃないんだけど。
>>156 お帰りなさい、お邪魔してます。どうぞお構いなく。
>>155 史実を語る際には、実験室内でのように「適切に計測」はできません、という意味です。
けれどそれが不適切なデータと=とは思いません。
>>158 では適切なデータとはどういうものが適切なデータになりますか?
もしくは社会学が扱うデータの中で適切なデータとはどういった条件が整ったものを差しますか?
歴史的な事実ということでいえば、可能なかぎり得られた論文・報告書・マスコミ情報を分析し、 統合し、最大公約数的に事実を推定し、その推定が正しいかどうか常に外部に問うて行き、 磨きをかけていったもの。というところでしょうか。 一義的に「適切に計測」はできないデータのことです。
あと自ら現地調査したデータも追加。
>161-162 そういったものをデータとして扱う時に客観性ということは社会学では問題にならないのですか? つまり自説に都合のいい部分だけピックアップ、もしくは都合のいいように解釈してしまう危険をどのように 回避するのでしょうか?社会学においても反証可能性ということは考慮されますか? データを分析、統合、最大公約数的にと言われますが、具体的にどういった作業になるんでしょうか? 心理学ではデータの分析は主観的な判断を排除する為に確率論の上で行いますが、社会学ではどうなん でしょう? 外部に問うと言われますが外部が正しい判断をするという保証はどのような形で為されるのでしょうか? 外部に問うたことが真実であるのでしたら今だって太陽は地球の周りを回っていた恐れがあるわけで。 むしろそういった主観や多数意見というものを多分に含んだアプローチで現実に社会的事実と接点を保て ていると社会学の研究法の中では考えられているのですか?
>>163 手っ取り早くいえば、同じ研究をしている者どうしで「共通認識をすり合わせる」ということです。
「これはこうだけどあれは違うよねー。うん。え? 俺の言うことが違う? じゃあお前の資料見せて。あ、なーるほどね」といった具合に。
もちろん、歴史事実認識など、ばりばり主観要素入りまくりです。
外部の批判にさらすのは、心理学の論文でも同じことをやっているはずです。その際、外部の批判が正しいか正しくないかを問題にしますか?
また、心理学において「客観的方法である」として数学、とくに確率論を用いることに対して、
心理学者のなかにも「それにだって恣意的要素が入る可能性を取り除けない」と言っている方はいませんか?
>外部の批判にさらすのは、心理学の論文でも同じことをやっているはずです。 >その際、外部の批判が正しいか正しくないかを問題にしますか? もちろんしますよ! そもそも正しい、正しくないを論じ合うの為に批判するんじゃないんですか? そうでなかったら声のでかい者の勝ちですよ? それぞれ論拠を出したり反証実験をしたりするわけですよ。 正しい、正しくないを問題にしない外部の批判って一体何ですか? >また、心理学において「客観的方法である」として数学、とくに確率論を用いることに対して、 >心理学者のなかにも「それにだって恣意的要素が入る可能性を取り除けない」と言っている方はいませんか? 統計を用いることに対する批判はありますが、それは「恣意的要素の可能性」と言う観点ではありませんね。 そもそも恣意的要素を排除する為に導入したものですから。
>164 >心理学者のなかにも「それにだって恣意的要素が入る可能性を取り除けない」と言っている方 山のようにいるでしょう。(だから、ロボ氏は「学問なぞ出口のない迷路」といっているわけで。) では、 >歴史事実認識など、ばりばり主観要素入りまくりです。 「主観要素入りまくり」なのは諦めて、その程度の妥当性で手を打つ、ということですか?
斜め読みしかしてないけど、とりあえず。
>>157 いえいえ、こちらこそ。。 お構いなくw 勉強になります。
>>148 人種的偏見を持つ人間の形成過程とはどのような物か?という事に興味があります。
個人的にも、ナチスの話はトラウマですし。。
(アンネの日記を読んでから、もし拷問されても私は口を割らないでいられるだろうか
という悩みを抱えるアンニュイな小学生になってしまいますたとさ…涙)
また、戦争のような状況下で、人間がどのような行動を取るのか?も。
これは政治学・社会学の人間も、興味深いところだと思います。
ミルグラムの実験は、今も支持されているのでしょうか?
>>144 スマートでつな(涙。
>
>>106-109 遅レスですけど、ちょっと待ったぁ…
人がいない間に…(しくしく。
>95
>手っ取り早くいえば、同じ研究をしている者どうしで「共通認識をすり合わせる」ということです。
それでは科学になりません。
多数決の論理でつ(涙。
>163
社会科学の場合だと、巧みな例証を挙げるしか術はないと思います(涙。
統計的に体系的に分析することも、実験で、条件や変数を操作しながら
分析することも出来ないからでつ・・。
>>166 それって統計という手続きの中における恣意的要素の可能性ですか?
それとも統計という手続きを適用する場面での恣意的要素の可能性ですか?
後者なら分かりますが、前者なら自分の勉強不足です・・・
>>164 どんな手法を用いたって、恣意的要素が入る可能性はある。
しかし、問題となるのは
入る可能性が大きいか小さいかでしょ
論理をすり替えてはいかんよ。
で、その可能性で言ったら
そりゃ、資料収集>統計的手法になるんだから
客観的に研究したいのなら、統計を用いた方がいい。
それと
社会学でも統計を使うだろうが
お前は知らんのか?
>それでは科学になりません。 >多数決の論理でつ(涙。 そうですね。 多数決で現象が把握できるのであれば学術研究なんてものは必要ないわけで。 みんなで「光速度は一定不変だと思いますか!?」って多数決取ればいいだけで。
>>165 申し訳ない。書き違えました。「外部の批判が正しいか正しくないか」ではなく
あなたがいう「外部が正しい判断をするという保証」です。
おっしゃることはもっとも。
>>166 そういうことです。それでも、すり合わせ作業・磨き作業を続けてゆくことによって
主観性より客観性が強まってゆく、と考えています。
>168 後者です・・・すいません。
>>171 そうですか。
では「外部が正しい判断をするという保証」という文章を脳内置換して考えると、
それは反証実験という形で行えます。
自分が何か特定の仮説を立てて実験を行いこうこうこういう結果になったという論文を発表します。
それに対して他者が批判するときは、あなたのその仮説に基づいてこうこうこういう条件の実験を
行ったが結果はあなたの仮説からは説明できないものであった、よってあなたの仮説にはこうこう
こういう不備がある、というように為されます。
つまり再現性というものが主張の正当性を保証してくれます。
現実に生じている特定の現象を説明しているのですから、当然それに対する反論、同意はは現実
に即することによって為されます。
思わず時が止まってしまいますたね。 >171 政治学なら、多数決の論理も、余裕でアリなのでつよ、戦術として。 上でも書きましたが、政治学は社会現象の法則性の追求ではなく、 戦術の学問でつ。 そして、それは科学じゃありません。 自分のゼミ内のすり合わせ作業・磨き作業の妥当性だけで手を 打つっていうのはどういう、科学的ではないでしょう。 それから、英米人という括り方は、社会学の近接領域にある政治学でもNGです。 行動遺伝学まで標榜されての話でしょうか。
174訂正 × 打つっていうのはどういう、科学的ではないでしょう。 ○ 打つっていうのは、科学的ではないでしょう。
>>176 で話は元に戻るのですが、そういった外部との議論における互いの主張の正当性は社会学的研究において
どういった形で具現されるものなのですか?
外部の人間との共通認識を得ることによってより、その仮説が現象を説明するのにより適切なものになった
という判断は何によって行われるのですか?
>>174 同じ研究をしている者どうし=世界中の学者、ということです。
多数決なんかやっていませんよね。
それから、私は政治学に即して考えてはいませんが、100%の政治学者がNGとしているのでしょうか。
>>177 再実験できないのが歴史学やほとんどの社会学なのでは?
仮説の無矛盾性は、ですから個々の主観です。
自然科学者からも同じようなことを聞かれますが、理論的にそれは仕方のないことです。
これら分野のエラい教授たちにも聞いてみてください。
>178 質問箱スレ625 >質問。 >英米人はどうしてああまでして他国民族・人種を殺すことに夢中なのでしょう? >彼らの「勝つこと」への執着はすごいものがあります。 >というか、彼らはすべてを勝ち負けでしか判断しません。 >まあどんな人種、民族にもそういう傾向を持つ者はいるでしょうが、 >彼らはとくにその傾向が強すぎるように思います > >このことについて心理学的になにか語ることができるでしょうか? は貴方のレスですよね? 上記レスでは、「英米人」と言った際、人種・民族・国民の区別がつきません。 政治学者は100%、人種・民族・国民の区別をつけて語ります。 「英米人」という言葉を、例えば、「英米人は、英国人・米国人を指す」等 定義をしないで話し始める人はいないという事でつ。 万一例外がいれば、その人は、偽政治学者だと判断できます。 というか、社会学ではOKなんですかね?
社会学における主張の妥当性ってどうやって測るのか、 それを聞きに誰か社会学板に出張してこい。
>179 開き直ってどうするのよ? とほほ。 開き直るくらいなら、社会科学なんて看板降ろさないといけない。 少なくとも私の政治学の教授は、社会学も社会「科学」にならねばいけないと 騒がれているが、実際に科学になるのは難しいという見解でした。 それでも、科学的思考は必要であると。。 って、ここでつまらない議論するよりは、どうやったら、社会科学も科学足り得るのか? また、社会心理学との接点を検討していく方がはるかに有意義だと思われます。
>178 多数決と同じですよ。 世界中の学者とすり合わせして、説得できればって事でしょ? んな馬鹿な?
>>179 つまりよ、
「俺はこう思っている。おまえ反対? そっちは賛成? あっそう。で?」
の世界なわけ?
>184 その通りだと思われます。。 学問としての政治学はともかく、政治の世界なら、それでオッケーなのですが。。 そして、それは科学ぢゃない(涙。
考えてみますたが、やはり社会学の妥当性を問われた場合、 巧みな実証例を挙げるしかないと思うのですが。。 「たとえば○○」という事に、説得力があればいいのでつ。 統計を使えば更に説得力は増します。 それも、学問なのです。 叩きたかった訳でなく、社会科学を目指す若者っぽかったのと なんとなく人種的偏見を持っていそうなのが気になって 放置できませんですた・・。
>>186 ん? 過去形で語るってこたぁ、もうこのスレにレスする気はねぇと?
それともヤツは帰ってこないと確信したのか?
>187 帰ってくるかどうかは分かりません。 それから、私は人に教示できるような立場ではありません。。 一介の会社の家畜でつ(爆。 なのに…と、自分が鬱になっただけでつ。 私も学部生の頃全然分かってなかったので、95さんはここで 通行人さんらと話せたことは有意義だったと思われ。 生産的な議論になったら、こちらがお勉強させて頂きたく思います。
*たとえば生物学では「歴史」と「科学」がどう区別されているか? メイナード・スミス「進化とゲームの理論」より --進化は歴史的な過程である。それは1回きりの出来事の系列である。 このことから、科学的な理論を立てて検証することに特別の困難が 生じる。 --立てるべき理論には2種類ある。一つは過程全体に潜むメカニズムに 関して言及する一般理論で、もう一つは特定の出来事を説明する特殊理論である。 --だから(一般理論としての)ゲーム理論は、むしろ特殊理論、つまり進化上の 特定の出来事を説明するための理論を定式化するための手段なのである。もっと 正確に言えば(意訳すると、ある現象が生じたとき、その発生に関与した原因が 何であったのかを論理的に追求していくのが、一般理論の目的である)。 --しばしば、この種の特殊理論は検証不可能であると指摘されてきた。という のは、歴史的な過程をある一つの要因だけ変えて再現させて結果が異なるか どうかを見るのは不可能だからである。しかしこの指摘は、因果的説明をする 限りは、常に検証可能な仮説の上に立っているという点を見落としている。 (ここでオランダ北部では独立運動が成功したのに、南部では成功しなかった という例を紹介。従来は北部-プロテスタント優勢、南部-カトリック優勢、 ということで説明されていたが、Gyleは反乱勃発時に、両地域でカトリックの 割合に差がないことを示して、この仮説を退けた)
#一般理論は抽象的であるが故に、複雑な歴史的事象の背後に存在する 「メカニズム」を言及するのに適している。個別の事象を扱う「特殊理論」は、 「一般理論」を基礎として記述されることにより、科学へと近づく。 「科学へ近づく」とは、一般理論を使うことで、複数の「歴史的事象」を 同一の土俵(=用語・概念・メカニズム)上で扱うことが可能となること。 また、それにより「ある特殊理論の真偽を判断することが容易となる」こと。 これは社会科学にも当てはまる。それでは、社会科学における一般理論とは 何か?今まさに、この点を巡って、活発な議論が繰り広げられている。
↑という考えもあるので、議論のたたき台に使ってくださいな。
おぉ。。 そしてまた、メイナード・スミスへ。。 177氏が教えて下さっている進化ゲーム理論がこんなにも気になるのは、 そのせいだったのでしょうか。。 >191 ありがとうございます(涙。 そして190氏がさり気なく190番をgetしているのを見ますたw
入浴中に付いていけなくなったので整理しておきたいのだが,95は
「英米人は他国民族・人種を殺すことに夢中なのは何故か」という問いに対しての疑義に,
1.これは偽問題ではない
2.偽問題かもしれないが,それは社会科学において仕方が無い
3.とにかく自分のやり方はそれなりの根拠があってのことだ
の,いずれを主張したいのだろうか?なんだか話題が拡散してるのだが.
個人的には,1.や3.ならスルーしてしまいたいし,2.の方向へ議論が進むなら,
折角
>>189-190 みたいな話題も出てきたし,もうちょっと見物したいと思うナリ.
最初から参加しておくべきだったと思いつつ、 いまさら200レスも読み返す気になれないおねむロボです
>>194 リサイクル使用なので実質この話題が始まってるのは>91からですよ、と。
>>165 有意水準5パーセントというのは恣意的じゃないのか?
>193 >171 >166 >そういうことです。それでも、すり合わせ作業・磨き作業を続けてゆくことによって >主観性より客観性が強まってゆく、と考えています。 多分2に近いのではなかろうか、と。
実験はできなくとも、比較社会学なら変数を操作したのと同じ条件を与えられる訳ですね。 被説明変数の差を比較すれば、法則性が浮かびあがるだろうと。 英米国と同程度に侵略戦争を行う国家を探し、夢中度(汗を比較すれば良い訳でつね。 「夢中度」をどう測定できるのか?もしくは夢中に代わる操作的定義を見つけると・・。 同程度の侵略行為というのも曖昧なのでつが。 メイナード・スミスの社会科学にあ95さんの仰る法則性を特殊論理とし(常識という考えは却下して欲しいでつが、妥当性の測定は一時保留)この特殊理論を説明するのが一般理論となる。
↑訂正 ×特殊論理 ○特殊理論 社会学共通の用語は確かありますた。 古典ウェーバーさんの社会学の根本概念・・うろ覚え(汗 95さん見てたらフォローpls。。 そこでは確か妥当性を二つに分け、1+1=2みたいな客観的原理?と、 感情移入のような経験的事実だったに求めていたはず。。 究極価値が異なる場合感情移入できないので理性で補うしかないという話だったような。 E.H.カーも歴史家は感情移入なしに歴史を書けないと言ってたし。 それはそれで意義深いのでつが、敢えて科学に近づけようとするには、やっぱり一般理論が必要・・。 面白そうでつ。
社会学板質問スレより > 403 名前:某板より 投稿日:03/03/02 22:00 > 失礼します。 > お聞きしたいのですが、社会学において主張内容が妥当であるかどうか、 > ということはどのように吟味されるのでしょうか? > 某板で以下のようなレスがあり、社会学で本当にそのような認識なのかどうか、 > ということを知りたいのですが。 > > > > 手っ取り早くいえば、同じ研究をしている者どうしで「共通認識をすり合わせる」とい > > うことです。 > > 「これはこうだけどあれは違うよねー。うん。え? 俺の言うことが違う? じゃあお > > 前の資料見せて。あ、なーるほどね」といった具合に。 > > もちろん、歴史事実認識など、ばりばり主観要素入りまくりです。 そろそろ丸一日放置ですか。
科学観の問題になると思いますが、私は科学というのは 「何かをしようとしたときに役に立つ知識の総体」だと 考えるのがよかろうと思っています。 もともと、「正しい知識」が一般に尊重されるのはそれが 何かをしようとするときに役に立つ有用な知識であるからです。 もちろん、異論もあると思いますが、知識の有用性に着目 することで、「何が正しいか」とか「正しいとは何か」と いった結論の出ない問いをかなり回避できるだろうと思います。
プラグマティズムにはプラグマティズムの落とし穴があっけどな。
まあ、近視眼的になりやすかったりするので一長一短ですけどね。 ただ、話が袋小路に入ったなと感じるときには、「有用性」の クライテリオンを思い出してみるのも一つの方法になります。
うーん。 国際法も知っておけば役立ちますが別に科学でもない訳で・・ 知識の指す意味が違うのかしらん・・。 いかんせん、自然科学と違い、社会科学では何もかもが違いすぎるのかな・・? ああ、どうも今頃風邪ひいたみたいでつ。
「ニュートリノの研究は何の役に立つのでしょうか?」 「何の役にも立ちません!」 小柴昌俊(2002年ノーベル物理学賞受賞) インタビューより
>205 なるほろ。そー言う意味では >「有用性」のクライテリオンを思い出してみる ってのもちょっと問題をはらんでいるかもしれませんなぁ。
↑ すてきだ〜〜 社会科学ののろい?かにゃ。 どうもインフルエンザっぽいが知恵熱だったりしてw ○年ぶりにOB主催の勉強会行ってみよ〜かなぁ・・
この場合の有用性って、「議論を堂々巡りにさせず、何らかの目的へ向けて 突き動かす」という程度でとどめておく方が良いのではないか、と。それが 「実用性」を意味するならば、工学的アプローチの出番だし、「(何であれ) 新しい知識を生み出す」ことを意味するならば、一般理論に依拠することが 有効だし。 #要は「議論/研究の目的は何か?それに向かって進んでいる?」が有用性の 基準でしょう。 >実験はできなくとも、比較社会学なら変数を操作したのと同じ条件を与えられる訳ですね。 被説明変数の差を比較すれば、法則性が浮かびあがるだろうと。 今度は、帰納的研究と演繹的研究の区別をした方が良いのでは? しばしば、帰納的研究は、一般理論に繋がらず、特殊理論を乱立させるだけで 終わることが多い。 というか、一般理論は、個別の事例から導出されるものではなく、「研究者が 自ら設定した前提に基づいて作り出すモノ」であって、当然、出発点が異なれば 異なる一般理論が作られるし、現実から乖離していることも多い。 けれど、上にも書いたように、一般理論の強みは「個別現象を扱うための共通の土俵」 を提供できる点にある。また、一般理論から「演繹された仮説」を、個別の現象に 当てはめることで、一般理論の「強さ」も検討できる。 >英米国と同程度に侵略戦争を行う国家を探し、夢中度(汗を比較すれば良い訳でつね。 「夢中度」をどう測定できるのか?もしくは夢中に代わる操作的定義を見つけると・・。 で、一般理論にも、「国」を単位として扱うマクロ理論もあれば、個人間の相互作用 から「国の行動」が決定されると考えるミクロ→マクロ理論もあるし。分析方法もまた、 「研究者が採用する一般理論」によって定められる。
上のすてきだ〜は、小柴さんのインタビューに対してでした。 堂々巡りはしてないつもりでつ。 95さんの集めた資料がどんなものか分からないけど まずはなの仮説を修正して行ってみたらどうなるだろうかと。 質問箱スレの他レス見るとどうも人間の残虐性について知りたかったようなので、 気乗りしないお題ですが考えてみるのも一興かと思いまして。 二者以上の間の関係性の延長上に社会があると単純には言えないので 集団心理に興味を持ったのかな・・とか。。 政体は自律性があるからミクロ→マクロとすんなり繋がらないけど 一つの方法なのかと。
スキナーの行動分析学を基に、人間の行動から社会学を研究した人がいたようで。 面白いの見つけたと思ったら、心理学徒のお気に入りスレでとっくの昔に紹介済みでしたw マクロの国際政治は調整ゲームそのものですが、 政体(社会)と個人の関係はどう説明がつくのかなーと。。
メイナード・スミスさんは、社会学の一般理論として、やっぱり進化論を想定してたのかしら? 私はそこまで考えてなくて、帰納法的に、例えば戦争終結後政権交代が起こる事が多いという史実から 何か一般理論を抽出できないかとか考えてました(汗
携帯からなので支離滅裂気味になってるかも(汗 恣意的に史実を集めて自分の望む主張を論理的に構築する事も出来るので、 なんか確とした理論があったら良いのに・・と思うのでつが。。 史実の妥当性という問題は依然として残りますが・・
>>203 >408 : :03/03/04 23:21
>≫403
>その某板某スレのリンクを貼れや。
(^^)
>>211 メイナード・スミスは社会学者ではなくて生物学者ですけどね。
具体的な社会現象を扱うときに、生物学的なアプローチは無用と
いうか有害な場合もありますが、「社会はいかにして可能か」
みたいな根本問題を考える場合には、生物学的な視点が必要不可欠
となります。
>帰納法的に、例えば戦争終結後政権交代が起こる事が多いという史実から
>何か一般理論を抽出できないかとか考えてました
戦争終結(マクロ現象)→ 政権交代(マクロ現象)
というモデルですと、マクロ・マクロモデルですね。
こういうアプローチも良く行われますが、さらにその背後の
マイクロプロセスまで明らかにしようとするとコールマン
ボートのような感じになります。
ちなみに全然おそレスですが、小柴氏の素敵なインタビューにも かかわらず、ニュートリノの研究は太陽の内部構造の研究や、超新星の観測 宇宙の起源や将来の研究など、多方面にわたって非常に役に立っています。 確かに、直接のお金儲けにはあんまり役に立ちませんけどね。
「太陽の内部構造を調べる際に役に立ちます」 「太陽の内部構造を調べることは何の役に立ちますか」 という無限問答を封じるにはああ答えておくのが一番いい。
>>211 やっぱり本の引用がまずかったですね。本を持っているようなので
実際にイントロを読んでみてください。
あと、「数多くの現象から一般原理を抜き出す=帰納的作業」は、
実際に研究をやってる人たちならば、必ずどこかの段階でやっているはずです。
けれど、こればっかりやっていると、細かな原理ばっかり見つけて並べ立てる
「夏休みの昆虫採集」と非難される結果になりがちです。
そうならないために、何でも良いから、研究者が仕事をしていく指針となる
「一般原理」が必要なんですよ。「適応」というのもその一つ。それが有望
そうな原理に思えるから使っている。
「説明レベルをどこにおくか」も、まず研究者自身が定めることです。
マクロ・マクロか、マイクロ・マクロか。まずは特定のアプローチにしがみついて
いけるところまで行ってみる。ダメだとおもったら、別のアプローチに乗り換える。
#研究者の能力の一つは、有望そうなアプローチを、他人に先駆けて見つけること
でしょうね。
だから、「〜という原理には限界がある。〜にも限界がある。どのアプローチ
も完璧ではない。自分の原理にしがみついて他のアプローチを否定するような
奴は許さない」と言われても、無視すれば良いんです。
#「新しいことが言えるかどうか」だけが、「擬似的に特定の原理に寄りかかる」
態度を正当化できる。そして、「複数の原理はどれもが正しくてどれもが
間違っている」なんてことを言ってるだけでは、何も新しいものは生まれてこない。
>>215 >「社会はいかにして可能か」みたいな根本問題を考える場合には、
>生物学的な視点が必要不可欠となります。
そうですね。
人間が何かというのを分かっていないと、とんでもない間違いを
犯すことになりますし。
>>218 >実際にイントロを読んでみてください。
数理社会学に手を出す前に、進化とゲーム理論を読み終えることにします。
それから、なるほどです。
私の頭の中で色々混沌としていたみたいです(汗。
役に立てようと思ってした研究よりも、ただただ好きで研究して発見された
ものの方が有用になることがある…というのを聞いたことはあります。
通常の「研究」のフォーマットにしたがって研究を行っていれば 何がしかの役に立つ知識が獲得できるように、研究のフォーマットと いうものは工夫されているのでいす。(特に自然科学の研究は)
なんつーかシニカルな流れにも思えるのだが....
今一度
>>218 >「適応」というのもその一つ。
ここでいう「適応」ってなんですか?
>なんつーかシニカルな流れにも思えるのだが.... 科学ってそーいうものだと思います。 知りたいことに比べ、同時代における同業者の数と一人の研究者の人生は有限。 その中で少しでも前に進みたいのならば。完璧を追い求めるより、いろんなもの を切り捨てたとしても、「生産性」を優先させるのは、自然の成り行きでは? 個人的な話ですが、「理解の複雑さを高め複層的な物の見方を養う」ことって、 「まともな人」なら、社会経験を積んでいけば自ずと獲得できる物だと感じます。 けれど「ほほう。それは知らなかった」と人が思うような物を見いだす=前に進む ことは、特殊な訓練や方法論が必要となる。実際、私たちが大学、大学院と教育を 受けて学んだのも、皆さんがクラリスにたたき込んでいるのも、そういう物でしょう? >ここでいう「適応」ってなんですか? 「エージェントは、自らが暮らす環境の中で様々な課題に直面する。 諸課題は“個体が子孫を残す”という究極的な目標を達成する上で 解決すべきサブゴールである。適応とは、エージェントが諸課題を 解決する能力を備えていること」。 故に、巨大な視点をとれば、適応とは=子孫を残すことであり、 マイクロな視点をとれば「適応課題」と呼ばれる、様々な問題を 成功裏に解決することです。 もし「周囲を取り巻く音声刺激の集合体から言語を獲得すること」が適応課題で あれば、それを達成することが(狭い意味での)適応であり、それを可能とする 「心理的・認知的メカニズム」を特定することが、適応論の使命となるでしょう。
えっと,流れを押さえず書き込んだバカレスに応答いただいたことで.... まぁ,シニカル云々はともかく, >「エージェントは、自らが暮らす環境の中で様々な課題に直面する。 >諸課題は“個体が子孫を残す”という究極的な目標を達成する上で >解決すべきサブゴールである。適応とは、エージェントが諸課題を >解決する能力を備えていること」。 >故に、巨大な視点をとれば、適応とは=子孫を残すことであり、 >マイクロな視点をとれば「適応課題」と呼ばれる、様々な問題を >成功裏に解決することです。 .................いろいろ聞きたいことを思いついたんだが,そのどれもが あたしのバカレスにしか過ぎないと気づいてしまった........... まぁ,いろんなことをごった煮にして申し訳ないのですが, >適応とは=子孫を残すことであり、 てのについて「フェミ」的な(笑)ラインはどうなのでしょう? ............視点の違いはあると思うのでつ. でも,あたしがどうしても,進化心理に馴染めないのは 個体発達への注意が薄いような気がして........ どうなんでしょ.的外れかと思われますが,気が向いたらDQSにご教授を.
どうかご気楽に。 退役する前に、子育てスレかどこかで一緒に話したような気がすますが、 進化心理学者は一般的に、発達心理への関心は非常に高いはずです。 日本で活躍されてる進化心理学者の皆さんは、それぞれの分野に忙しい ので、発達心理にまで手を出し切れてないようですが。 これは進化心理学の非常にマズイ点なんですが、実際の研究は「あれも ユニヴァーサル、これもユニヴァーサル。ここに遺伝の影響が。あそこにも 遺伝の影響が」という研究ばかりやってるように思います。それじゃ、 小難しい理論パートを知らないひとから、誤解されても仕方ない。 たとえば発達で著名な豪傑女史の先生も、最近は進化心理に関心もっていると 聞いてますから、これから状況は改善されていくんじゃないでしょうか。
すけべえ心を出せば,私がドナを抜け出すのに欠くことのできないラインの気がするのでつが(ワラ まぁ, >発達で著名な豪傑女史の先生も、 某学会で長谷川先生に窘められたセンセイのことかしら(藁 あたしゃ,あのときに思わず拍手をしちゃったんだけどねぇ.... まぁ,自分なりにゆっくりやるつもりです. そのとき機会があれば,ご教授ください.
>窘められた なんと読むのでしょうか....
たしなめる
おお..どもども。しかし長谷川先生(T大?)にたしなめられるとは、 いったい何が起こっていたんだ...
229 :
没個性化されたレス↓ :03/03/16 15:21
>>228 いえ,長谷川先生(W大)です.
たしなめられたっつーか,
某豪傑女史先生が牽強付会なコメントをした際に,
スパッと切り捨てておられたので.
ま,ドナの歪んだ認知ということにしておいてください(笑
なるほど。どんな光景が繰り広げられたのかまぶたの裏に浮かぶようです。
自然科学も余裕ぶっこいて多数決で動いてる世界です。数学以外は。 社会の中で「この人たちは専門家である、出してくる研究結果には信頼がおける」 と思われている=真偽の決定権が研究者にある程度委譲されているから、 普通の人には理解できないような理論が真となっているのであって。 絶対普遍の法則を操っているのは数学だけです(数学の聖性を言いたいわけではない)。 ほかのすべての自然科学の領域はあくまでコンセンサスそのもの。 つまり、社会に対してある種のインパクトor説得力を有しており、数学的な手法を 一部採用していれば、どの領域も科学になれます。 その意味では、現在、社会心理学や社会学が社会科学たらんという動きは、 単純に数学的な手法をもっと積極的に導入しようということになりますが、 そういう理解であってるのでしょうか。
ちなみに、↑のほうでも少しでてましたが物理学に関しては生産性の向上を 目的とする学問ではなく、「この世界ってどうして存在するんだろう」「 人間ってなんだろう」という哲学的な疑問を解決するための学問です。 これまた他の自然科学とは目的が大きく異なっています。 探求する手法として数学を採用しているのは、数学が「現時点では」 もっとも疑いようのない手法であり、我々にリアリティを与えてくれる手法だからです。 小柴教授が「なんのやくにも立たない」と言ったのは、「哲学が客観的には 何の役にも立たない」と同義であると言えます。 人間存在に対する主観的な疑問や不安を解消するために物理学をやっているわけですから、 それをインタビューみたいな公的な場で開陳するのは憚られたのだと思います。
>232
>自然科学も余裕ぶっこいて多数決で動いてる世界です。数学以外は。
ガ━━━(゚Д゚;)━━━ン
医学や生理学もですか?(泣
実験などにより検証されるものがあるような気がしますが、
実際のところどうなんですか?
>つまり、社会に対してある種のインパクトor説得力を有しており、数学的な手法を
>一部採用していれば、どの領域も科学になれます。
疑似科学になれるという事ですかね。。
というか、文系の人間には、科学に対する憧れ?が強すぎるという話でしょうか?
>その意味では、現在、社会心理学や社会学が社会科学たらんという動きは、
>単純に数学的な手法をもっと積極的に導入しようということになりますが、
>そういう理解であってるのでしょうか。
これを社会科学と特に呼んでいるのかどうかは知りませんが、
こういうサイトに見られるように、理想社会のモデル化の為に数学的な手法は
取り入れられているようです。↓
ttp://www.ier.hit-u.ac.jp/~yosihara/
>理系の人 また、専門分野をお伺いしてみたいでつ。 理系の方には色々伺いたいことが。。 って、義理兄か姉に聞けば早いんですけども。 普段そんな話しませんし(汗
>>232-236 経済学は100年前から物理学の精神を手本として存在してきたことをお忘れなく。
>自然科学も余裕ぶっこいて多数決で動いてる世界です。数学以外は。 ソーカル事件のような話なんでしょうかね・・。
>>236 多数決で決まっていると書きましたが、なあなあで済ませているというわけではないですよ。
誤解を招いたのであればもうしわけありません。
物理学に限らず、世界を統べる原理がどこにも見つかっていない以上、
絶対的真理などというものは存在しないといってよいでしょう(数学以外)。
もちろん数学も世界の成立を説明できない以上、統一理論たりえません。
物理学者たちは「こうなっていると考えなければこの実験結果を説明できない」
という思考を積み重ねて学問を進めています。
例えば、恐らく高校の頃に学ばれたであろう運動方程式、というか
ニュートン力学の体系は、確かに正しい理論だとして学校で教えられていますが、
これは私たち人間の日常のスケールで見た限りにおいて正しいと「認められている」
だけであって、もっともっと小さなスケールで見た場合、電子や陽子、中性子等の
一つ一つ独立した振舞いにおいては古典的ニュートン力学は通用しなくなります。
光速に近い世界でも同様のことが起こるわけです。そういった限界を広げるために
アインシュタインの相対性理論や、ボーア以降の量子力学が生まれました。
しかし、素粒子レベルの話はまだ説明しきれない現象が多数存在します。
現在の素粒子物理学者は、この現象をどうにかして説明できないか=他の研究者も
納得するような理論を編み出せないかと四苦八苦しています。
つまり、やはり確証というよりは説得力の世界なのです。もちろん舌先三寸の
テクニックで落とそうとか、プレゼンでごまかそうとしても誰も相手にしませんが。
説得の手法として数学的な手法が用いられているというだけです。
これが現在のコンセンサス醸成の原理です。
私の説明能力と時間には限りがありますので、少し話がずれてしまいますが、
「シュレーディンガーの猫」にまつわる物理学上の諸問題について
Web上ででもいいので、少し触れてみてください。
う〜ん。 考えていたんですけど。 哲学であっても、ギリギリまで妥当性を求めていますたが。 客観性、普遍性を追い求めてきますた。 >(数学の)ほかのすべての自然科学の領域はあくまでコンセンサスそのもの。 現実にそういう傾向がある事を否定するものではありませんが、 これにはやっぱり疑問です。 単純な話、液晶の開発などでは、実際に開発する際、開発者の多数決や コンセンサスで決まるという事はないと思われます。 理論を立て、実験を重ねて、結果が得られて初めて決まるのではないでしょうか。 コンセンサスそのものと言い切ってしまえば、 時代を超えて尚強度な妥当性を持つ理論の追求を諦めてしまうことになります。 特に社会学・政治学のような、妥当性の検証は難しいが、 現実社会に影響力をもつ分野で、 コンセンサスだけで決まるのだからしょうがないと諦めてしまえば、 知の無法地帯になると思われるのですが、どうでしょうか。 政治学は戦術なので、いかにコンセンサスを得られるか?という話にもなりますがね(w でもだからといって、理想的社会のモデル化を放っておいて良い理由にもならないと思うんですよ。。 民主国家だって理論上穴だらけなんで(汗
かぶりますた。
>>240 シュレディンガーの猫は存じ上げてます。
絶対的真理の話はしてません。
>>241 の通りでつ。
>>237 専門分野は明かせない身なのです。もうわけない。
>>238 そうですね。物理学というよりは数学といったほうがより正確と思います。
>>239 ソーカル事件のようなものとは関係ないでしょう。
さすがに各学者のエゴが入り込む余地はありませんから。
ただ、すべての人間の営為には、確証というものは存在しえないということを
言いたかっただけです。
× もうわけない ○ もうしわけない って絶対真理の話ではないのでしたら大丈夫でしょう。
えいえんはあるよ ここにあるよ 手を伸ばしても届かないけどね
エヴァレット解釈の出現までアインシュタインが生きていれば 彼は量子論者になったろう、とはよく言う話 これが説得の手法というものだ。 ファイヤアーベントはそのような説得の価値すらも斬って捨てる。 知のアナーキズムの危険性はまさにここにある。
247 :
心理学徒 ◆DBGCfyrbr2 :03/03/23 13:54
>>241 液晶開発を例にあげるのはどうなんだろう?
そういう工学的な課題には具体的な到達地点があるわけで、
言ってみたら完成後の青写真みたいなものがあるわけじゃないでつか。
だとしたらみなで統一的な方向性で持って取り組むことは容易なわけ
ですよ。
言ってみたら雪祭りでみんなしてギコの雪像とか作るのは下書きがして
あってみんなで取りかかるから、すんなり一つの作品ができあがるわけ
で、あれが下書き無しでみんなで「さあ作りましょう!」ってな具合で始め
れば、やはりあっちこっちで個々人の取り組み方に差が出て、それらが
接す場所では当然齟齬が出てくると思うのでありますよ。
つまり工学のような個別具体的な問題を解決する時の過程と、物理学や
経済学のような一般抽象的な問題を解決しようとする時の過程はやはり
異なってくると思われますよ。
>>241 >コンセンサスそのものと言い切ってしまえば、
>時代を超えて尚強度な妥当性を持つ理論の追求を諦めてしまうことになります。
いややはりコンセンサスそのものですよ。
なぜなら、人が正しいと思っている数学的手法を採用することが正しいかどうかの
確証はどこにもありませんから。再帰的に(という逆説的に)数学を信頼するとしても、
やはりゲーデルの不完全性定理により、数学の無矛盾性を数学では証明できませんし。
>特に社会学・政治学のような、妥当性の検証は難しいが、
あまり究極的な話をしても揚げ足とりっぽくなってしまいますが、
究極的には、妥当性の検証ができる分野など一つもないのではないでしょうか。
>現実社会に影響力をもつ分野で、
>コンセンサスだけで決まるのだからしょうがないと諦めてしまえば、
>知の無法地帯になると思われるのですが、どうでしょうか。
あきらめているわけではありません。
むしろ、逆にコンセンサスによって人間は真理を認知しているという
現代のシステムは恵まれているなとすら思います。
私たちができるのは、こういった問題や状況があるなかで自分らしい生を
全うすることでしょう。私たちの場合は全うする手段としてたまたま
研究者・学者という選択をしたにすぎませんよね。メタ的ですが。
249 :
名無しさん :03/03/23 14:02
結局のところ、本質的には、むしろ、逆なんだ。 ステ助、おまえは、自らの信仰を、科学を主体化できていない。 だからそんなにも、相対化されることに怯えるんだよ。 俺は科学を信じる。それがコンセンサスであるが故に。
>>243 >ただ、すべての人間の営為には、確証というものは存在しえないということを
>言いたかっただけです。
それには同意です。
それでは、妥当性をどこに求めるのか。
現代では有望視されている実験を行うことが出来ない社会学関係は、
一体どうすればよいのか・・・と思うのでありますた。
まぁ、割り切れば良いと言われそうですがね、なかなか割り切れない(汗汗。
だから、逆に、どんな時人は後の時代から見たら誤っていると思われる理論でも
人は信じてしまいコンセンサスを得てしまったのか、とか
偏見はどうして生まれるのか、とか、
なんかそういう事に興味が転じてしまいますた。
ああ、なので心理学板にいるのかもしれまへん(汗。
また逆に自分は、ルール支配行動で「偏見イクナイ」と思ってるだけで、
偏見は本当に偏見なのかどうか、とか。
もしそうなら、判定する基準はあるのか、とか。。
疑い出したらキリがないのですが。。
>>250 ロボ氏の私に対する読みはことごとく外れてます。
的外れな相対化されても、今まで黙って来たのがいけなかったのかすら。
おまえはやはり素人厨房だ。クラリスにすら劣るよ。
>>251 >それでは、妥当性をどこに求めるのか。
この発想の仕方自体が、ロボ氏のいう「主体化できていない」に該当するのでは
ないでしょうか。
>偏見は本当に偏見なのかどうか、とか。
>もしそうなら、判定する基準はあるのか、とか。。
>疑い出したらキリがないのですが。。
疑い出したらきりがないのは自明ですよね。
では、どこまでいったら納得できるのかのラインを明確にする必要が(人として)ある。
この線引きを、相変わらず妥当性であるとか科学などの基準を利用しよう
という態度が、「科学を主体化できていない」ということだと思いますよ。
この線引きはやはり個人のそれまでの体験であるとか経験であるとか
スキーマであるとか、さまざまな個人的なことによるのが健全だと、
私は思います。そして、「私は思います」という言い方しかできません。
このことを踏まえた上での、社会学関係がどうすればよいのか、というお話は
お聞きしたいですね。人間は真にメタ的な存在として振舞えるのかどうか興味があります。
>この線引きを、相変わらず妥当性であるとか科学などの基準を利用しよう >という態度が、「科学を主体化できていない」ということだと思いますよ。 そうかもしれません。 しかし、私は科学はいま現在最も妥当性な方法であると思っているので 取り入れたいと思っています。 学者同士のすり合わせやコンセンサスではなく、もっと確かな方法として。
× しかし、私は科学はいま現在最も妥当性な方法であると思っているので ○ しかし、私は科学はいま現在最も妥当性のある方法であると思っているので
自分の襟首を自分で掴まえて持ち上げることは、誰にもできんのだよ。
>>256 あなたが取り入れようとしているその科学自体が↑で言ったような
構造を孕んでいるというのに…。
やはり、科学に対する浪漫というか投影が拭い去れていないのではないでしょうか。
では、紹介されたスレを、3歳時神話とあわせて読み始めます。
>>259 まあ、もちろんそうでしょうね。
メタ的存在って何? 定義可能な概念なのかしらん。
しかしだから人は空を飛べないかというと、そういうもんでもないわけで。
メタフィジカル的ドタバタ 略して メタバタ
>260 理系の人さん。 私についてどう思われようと結構ですが、 理系の人さんは、あきらめようとしていないとの事ですが、 科学的手法は使わずに、どのようにあきらめないつもりなのですか? また、投影って何ですか?
でも僕は自分を信じてるもん 信じていればいつか夢は叶う! 藤田和日郎 『からくりサーカス』
>>247 今レスに気づきますた。
政治学や社会学でも、経済学同様の研究は進んでいるようです。
実際に、パレート原理やアローの一般不可能性定理などまだ全然
勉強途中ですが、色々出てきています。
>そういう工学的な課題には具体的な到達地点があるわけで、
理想国家モデルのような抽象的な概念であれば、適用可だと思いますが、
どうでげしょ?
>>265 願わないよりマシ。
というスタンスでつ。
富士鷹ジュビロほど少年漫画の王道をど真ん中で突っ走りながら 王道からかけ離れた狂気の描写が上手い作家はいねえ 人の苦しみは我が喜び 人は生かしてやろう だが妖怪は要らぬ 我以外の妖怪はみな死ね
料理を仕込んでからきてみましたが、色々補足。
>液晶開発を例にあげるのはどうなんだろう?
(266に補足して)卑近例で咄嗟に出ますた。
>>240 >ニュートン力学の体系は、確かに正しい理論だとして学校で教えられていますが、
>これは私たち人間の日常のスケールで見た限りにおいて正しいと「認められている」
>だけであって、もっともっと小さなスケールで見た場合、電子や陽子、中性子等の
>一つ一つ独立した振舞いにおいては古典的ニュートン力学は通用しなくなります。
間主観性のアナロジーでしょうか。
ちょっと違う気が。
なぜならば、「人間の日常のスケールで見た限りにおいて正しいと「認められている」」
という事で、ある一定の条件下においてどの人間が実験を行っても同じ結果が得られているでしょう。
しかし、間主観性は、人間それぞれ異なる恐れがあります。
そこで、美というのは普遍的な感覚ではないか?という哲学的問いも出てきて、
そこを足がかりに「内在」という発想が生まれていますが、
この辺りのレベルまで来て、初めてそのアナロジーに追いつくと思いますが、
どうでしょうか?
>つまり、やはり確証というよりは説得力の世界なのです。もちろん舌先三寸の >テクニックで落とそうとか、プレゼンでごまかそうとしても誰も相手にしませんが。 >説得の手法として数学的な手法が用いられているというだけです。 >これが現在のコンセンサス醸成の原理です。 私は物理学はよく分かりませんが、それでは、 物理学も反証可能性に開かれていないのでしょうか? 社会学や政治学では数学的手法を用いるのはまだメジャーではありません。 (なので多くの理論は反証可能性に開かれていません。) その動きはありますが、新しい理論はまだそれ程出てきていないようです。 現在進行中らしいです。
>>248 >むしろ、逆にコンセンサスによって人間は真理を認知しているという
>現代のシステムは恵まれているなとすら思います。
「コンセンサスで決まった事=真理」とおく貴方の仮説にはどうにも
受け入れられないものを感じます。
という事でつ。
>>268 心配しなくても、化け猫扱いされて退治に人が集まる位ならとっとと消えます。
すでにそういう状況なのでしょうかね?
そんなコストをかけるつもりはないので、ご心配なく。
もしそういう状態なら、煽りとかじゃなくて、出てけと言って下され。
そうすれば、大人しく消えます。
お互いのコストが少なくて済むでしょう。
272 :
没個性化されたレス↓ :03/03/23 18:56
ステ助はコンセンサス以外による真理の発見があると本気で思ってるの? 何か一つでも例を挙げてみてくれよ。煽りじゃなくて聞きたいよ。
>>254 >この線引きはやはり個人のそれまでの体験であるとか経験であるとか
>スキーマであるとか、さまざまな個人的なことによるのが健全だと、
>私は思います。そして、「私は思います」という言い方しかできません。
それはそれでいいと思います。
私もよく使いますもの。 「〜と思います」って。
ただそれを科学や真理と呼ぶつもりはない、という、それだけです。
>>272 えーと(汗。
>ステ助はコンセンサス以外による真理の発見があると本気で思ってるの?
まず、コンセンサスが得られれば真理である、というスタンスに懐疑的です。
コンセンサスというのは、改めて辞書引いてみましたら、
an opinion that everyone in a group will agree with or accept
って事です。
ある集団内で全員に賛成されたり受け入れられたりする意見の事です。
全員一致すれば、真実です。
皆が信じていれば真実なのです。
それが真理の正体だと思われますか?
真理の発見方法なんていうのが存在するのかなぁ。
でも出来るだけ妥当な方法で努力をするのは無駄ではないでしょうって話です。
>>274 >真理の発見方法なんていうのが存在するのかなぁ。
>でも出来るだけ妥当な方法で努力をするのは無駄ではないでしょうって話です。
そうやってたどりついた一番妥当な基準がコンセンサスだったわけで。
自然科学だってコンセンサスで成立している学問だ ということの意味がわかっているか? 「多数決で出た結論だけじゃなくて、少数派の意見も聞かなきゃいけないと思います」 とかいう小学校の学級会レベルの話じゃないだろ? 君がどんなに妥当な方法だと思っている方法も、 どこかに必ずコンセンサスが含まれているはずだ。よく考えてみてくれよ。
ある程度は趣味の問題なので、とやかくいってもしょうがないかも しれませんが、こういう話は一般論で話してもあんまり得るところは ありません。液晶プロジェクターでも、ぎこの雪像でもいいので、 ある程度の目的を設定してからお話することをお勧めします。
方法論なんて、ある意味スポーツのルールと同じですよ。 必ずどこかにコンセンサスを前提とした恣意性が潜んでいる。 プラグマティカリティを妥当性の基準にするのも一つの道です。 行動分析がそうであるように。
ちなみに、自然科学にとってコンセンサスというのは、 どちらかというと2次的な性質だと思います。
研究を共同作業化するときに必要な性質で 一人で雪像をつくるときにはコンセンサスは不要です。
一方、知識を共有しようとするときには コンセンサスが必須となります。
猫をお風呂に入れていて、レスが遅れますた。
>>275 >そうやってたどりついた一番妥当な基準がコンセンサスだったわけで。
そうでしょうか。
コンセンサスで真理が決まるというのは納得がいきません。
皆が、天が動くと信じていた時代、天が動くの真理であるという事になります。
科学のようなフレームを持っている学問ならばそれも良いでしょう。
でも、それを持たない社会学や政治学では?
そういう話をしています。
なので、コンセンサスそのものでは困るのです。
>>276 >君がどんなに妥当な方法だと思っている方法も、
>どこかに必ずコンセンサスが含まれているはずだ。よく考えてみてくれよ。
それは否定しません。
しかし、そういう話ではなく、コンセンサスで真理が決まるというのは
どうかと思っています。
>>277 ほぼ、巻き込まれた形ですが。
>>93 の通りです。
社会学については、前から何度も言っているように、
板違いの心理学板で特に進めたいお題ではないです。
>>278 なるほど。
その中で、一番妥当性があると思われるものを使いたいというだけです。
科学以外の分野を否定している訳じゃないです。
コンセンサスで真理が決まるというのは……やはり納得がいきません。
全員が信じていても、反証があれば、それは真理ではなくなるでしょう。
その反証可能性とかいう科学という方法論でさえも、
コンセンサスによって支えられているのだ、といえばそれまでですが。
ちなみに、私は科学以外の学問を否定する訳ではありません。
>>279 どのような意味でしょうか?
>>280 >>281 そうですね。
皆様のコンセンサスが得られなかったようなので、
このスレでは、命題:「真理とはコンセンサスそのものである」という事で。
はは。
では。
裁判では法律がコンセンサス
>>284 「ある命題の真偽」がコンセンサスで決まると考えるのでなく、
「ある命題の真偽を判断できる基準」が人々の間で共有されている、
と考えて味噌。
当然、「命題の真偽を判断できる基準を持っていない=微分方程式の解き方を知らない」
人々が、多数決によって「式の解の真偽」を判断する、という状況は意味がないでしょ?
>全員が信じていても、反証があれば、それは真理ではなくなるでしょう。
結局、このような「言明」が成り立つのも「ある事象を、ある命題に対する
反証だと理解するための基準」を人々が共有しているから。
#コンセンサスの「対象」を間違えているから、他の人々はステ助氏の
当惑を理解していないように感じるし、逆に、ステ助氏も他の人々の意見を
理解できないのだと思いますた。
「先生の言っているも疑え」
288 :
没個性化されたレス↓ :03/03/24 01:07
ステ助さん、「理系の人」氏が「絶対的真理などというものは存在しない」と言っていることの意味を考えてみては?
読み返してみた。
ALL>
少なくとも、ステ助は「絶対的真理などない」という命題は理解している点を
お忘れなく。
「それでもどこかに妥当性(真理ではない!)の基盤があるのではないか」と
戸惑っているだけ。理系の人も、「妥当性=科学的な説得性」と「真理」を区別した上
で議論をスタートさせていたけれど、ステ助が「コンセンサス」の意味を読み違えた
ために、いらぬ対立が始まったように見える。
ロボはステ助が「真理があると信じている」と考えて、不埒な言葉を投げつけて
いるが、これはカンチガイも甚だしいので放置が妥当。
ステ助氏>
>>240 の第2段落を熟読されたし。理系の人は「コンセンサスがあれば何でもあり」
と言ってる訳ではない。故に、彼の言ってることは「知の無法地帯」を招くような
話ではない。くどいようだが、コンセンサスの対象は「命題の真偽を判断する基準」
である。
この基準が「共有されている」限り、命題の真偽は「基準」に基づいてなされるので
あり、命題そのものが多数決で決まる訳ではない。故に「その反証可能性とかいう
科学という方法論でさえも、コンセンサスによって支えられているのだ、といえば」
ということが、理系の人の言いたいことにより近い。
再びALL>
おわかりですか?ステ助氏は、この程度のことは理解している人間。ただ、言葉の
使い方や定義が、科学者とは少し違うために、意思疎通がスムーズに逝かない点が
あるだけ。その点はお忘れなく。特にロボ。
ついでに加えると
>>254 での理系の人さんは、ステ助のいう「妥当性」の意味を取り違えている
と感じる。「妥当性=真理に近づいた度合い」として、この言葉が使われて
いる訳ではないので、そこでまた、いらぬ誤解が生じているように見えまつ。
個人的な感想:
「両方とも、同じこと言ってるのに、コンセンサスという言葉が一人歩きして、
互いに、相手の言ってることを誤解する→「だからそんなにも、相対化される
ことに怯えるんだよ」という、的外れな言葉が飛び出る→ステ助の言葉を誤解
する理系の人さんも、それを見て、いっそうステ助を誤解する」という構図が
濃厚であるように見える。
くどいようだけれど、ロボ>
毎回、思うのだけれど、本質的には同じことを言ってるのに、細かな言葉の相違
を拡大解釈して、相手をがっつんがっつん叩きすぎ。
ただ、「客観性」とか「妥当性」とかいう言葉を不用意に連発すると その手のちゃちゃが入れられやすい罠。
欠けた心の補完 不要な肉体を捨て 全ての魂を今、一つに
ていうか ネタ古っ!(自分つっこみ)
批判すなわち矛盾の摘発が 我々をして我々の理論を変えさせ、 そうすることによって我々を前進させるのは、 ひとえに我々のこの決心によるものである カール・ポパー 『弁証法とは何か』
>>292 そこがポイントですね。言葉の使い方が不用意な人間なのか、
本当に変なことを言ってる人間なのかを見極めるのは、
余力のある側がやっても良いと思う....ということでつ。
>>261 分かりやすくSF的にいえば
「ある世界の構造を高次から分析・操作する存在」
具体的には
ユダヤ・キリスト教神話体系の世界におけるY.H.V.Hの立場。
クトゥルー神話体系の世界における「大いなる深淵の支配者ノーデンス」の立場。
「海賊版」に対する CAW-systemの立場。並びに、全ての作品に対する神林長平の立場。
もっとミクロな系に即していえば 死刑囚篇に対するみっちゃんの立場。
明快な訴求力が必要とされる現代の学問の流れの中で 衒学趣味とは感心しませんね。
_,、―― 、_ /´ `\_ / \ / `ヽ / , __ \ | ,_ノ ニ―こ、 `l `l ,−、  ̄―― ,ヽヽ―、| -―/| //)\ | )`― 、| llllllllll|:|'( (/| | ,-==ミ, /`/ llllllllll|::|'ヽ ν \ ヽ、 `'フ /=、ノ llllllllll|:::|ノ入 ヽ、 \_>'´ |`')'. / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ lllllllllll|:::|ノ( ノ イ l、フ < 300ニシティ lllllllllll|::::|/ヽ イ / _,、-'´ `ヽ__,、ノ) . \_______ llllllllllll|::::ヽ |`ヽ/|| /―=、‐-、/_ |/´ lllllllllllll|::::::| )、 >、 |ヾ、_冫`フ// llllllllllllll|::::::| / Y 、,―ミヽミ彳ノ lllllllllllllll|:::::::|/ _ ヽ、 / `―l´´ lllllllllllllllll|::::::|/::::::`| ̄`――'´ lllllllllllllllll|:::::::|:::::::::/| llllllllllllllllll|:::::::|:::::::|::|
>>290 誤解を解いて下さって有難うございます。
私が同じ事を言おうとしても上手くいえなかったでしょうし、
その間ロボ氏に煽られ続け、いつか自分がキレて終わるだろうと思ったので、
誤解するなら勝手にしてくれ…と諦めておりました。
感謝致します。
コンセンサスの対象は、 A 命題の真偽を判断する基準 B ある命題の真偽 との事で、私は前者(A)は了解しておりますが、 後者(B)については理解し難いです。 190氏は理系の人さんが述べているのは前者(A)であって後者(B)ではないと ご説明してくださいましたが、それなら彼に同意できます。 しかし、どうも彼が述べているのは両方(AとB)だと思うのです。
ちなみに、
>>302 の話は、法学や社会学、政治学等についてではなく、
自然科学に限った話です。
(また、私は科学以外の学問を否定している訳ではありません。)
まず、いらぬ誤解を生まないようにするために、
>>233 の実用性の話については
なるほどと思いました。
>>302 の
>しかし、どうも彼が述べているのは両方(AとB)だと思うのです。
についてこれから書きますが、科学素人の素朴な疑問だと思って読んでください。
>>232 >自然科学も余裕ぶっこいて多数決で動いてる世界です。数学以外は。
まずこの時点で、「真偽の判定は多数決で動いている世界だ」と
仰られているのだと理解しましたが、これは誤解でしょうか?
次に、
>社会の中で「この人たちは専門家である、出してくる研究結果には信頼がおける」
>と思われている=真偽の決定権が研究者にある程度委譲されているから、
>普通の人には理解できないような理論が真となっているのであって。
>絶対普遍の法則を操っているのは数学だけです(数学の聖性を言いたいわけではない)。
>ほかのすべての自然科学の領域はあくまでコンセンサスそのもの。
そして、真偽の決定権は研究者に譲渡されており、研究者内のコンセンサスが
命題の真偽を決定すると書かれていると理解しました。
そこで質問したところ、>240のご回答を頂き、それは誤解ですと仰られていました。
>>240 の中で、私が理解できていないのは下記の部分です。
>現在の素粒子物理学者は、この現象をどうにかして説明できないか=他の研究者も
>納得するような理論を編み出せないかと四苦八苦しています。
>つまり、やはり確証というよりは説得力の世界なのです。もちろん舌先三寸の
>テクニックで落とそうとか、プレゼンでごまかそうとしても誰も相手にしませんが。
>説得の手法として数学的な手法が用いられているというだけです。
>これが現在のコンセンサス醸成の原理です。
「確証というよりは説得力の世界なのです」というのは具体的にどのような意味になるのでしょうか?
物理学の知識がないと理解が難しいのかと思い、色々調べてみましたが急に分かるものではなさそうです。
という事で、教えて頂きたいのは、
【質問1】ここでいう「確証」と「説得力」とは具体的にどのような事を指しているのでしょうか。
確証=実験結果
説得力=ロジック(数学的手法を含む)
と思っていましたが、この解釈で合っていますでしょうか?
>>306 に続き質問です。
>これが現在のコンセンサス醸成の原理です。
もし、確証=実験結果、説得力=ロジックと解釈して良いならば、
理系の人さんが仰る物理学におけるコンセンサス醸成の原理とは、
「確証というよりは説得力の世界なのです」つまり
「実験結果というよりはロジックの世界である」という事になります。
過去に、クウォークなどは理論上存在するという仮説が立てられており、
後は発見を待つばかりという状態にありましたが、
実際に発見されたのは、理論が立ってからずっと後でした。
【質問2】理系の人さんの仰る「コンセンサス醸成の原理」とは、
実際のクウォークの発見でやっとコンセンサスが得られるのではなく、
説得力のある仮説(ロジック)が立てられた時点でコンセンサスが醸成されるのである
という理解して宜しいでしょうか?
>307訂正 ×という理解して宜しいでしょうか? ○という理解で宜しいでしょうか?
>>243 >ソーカル事件のようなものとは関係ないでしょう。
>さすがに各学者のエゴが入り込む余地はありませんから。
【質問3】これはロジック(理系の人さんがいう説得力)の中にはエゴ等の恣意性が
入り込む余地はない、という解釈で宜しいでしょうか?
>ただ、すべての人間の営為には、確証というものは存在しえないということを
>言いたかっただけです。
念の為誤解のなきよう、もう一度書いておきます。
これには同意です。
究極的に確証というものは存在しえないと思います。
以下は、私の素朴な作文になります。
正直、絶対的真理が存在するのかどうかは私には分かりません。
(また存在する、というのがどういう事かも分かりませんが…)
いずれにせよ、絶対的真理が認知することが出来ないと思っています。
絶対的真理が存在しなければ、存在しないものを認知できないでしょうし、
万一存在したとしても、人間には認知し得ないと思っています。
だからいずれにしても、
「究極的に確証というものは存在しえない」と思っています。
【質問4】この作文の中で、誤解の原因となるものがあればご指摘下さい。
こんばんは。皆さんの真摯な姿勢に心を打たれております。 と、同時に偉そうなことを言ってしまって大変心苦しいのですが、 恥ずかしながら私はまだ学部生の身ですので、私の言葉は話半分に 聞き流していただければと思います。先に申し述べておくべきでした。 今からもう一度読み直し、質問にお答えしたいと思いますので 時間を頂きたく思います。
>>310 いっぺんに沢山書きすぎてしまい、すみません。
ご解答を待つことにします。
よろしくお願いします。
312 :
心理学徒 ◆DBGCfyrbr2 :03/03/24 23:14
>>310 この板で学術的な会話に参加するような人は人を肩書きで判断することはありません。
発言の内容で判断します。
学部生であろうと、至極まっとうなことを言っていれば耳を傾けますし、
例え教官であろうとよく知らないことに半可通振りを披露すれば遠慮なく叩かれます。
ageてしまった すみません
学部生どころか宣伝に来た業者でも耳を傾けてくれる時がごく稀にあったり。
>絶対的真理が存在しなければ、存在しないものを認知できないでしょうし、 >万一存在したとしても、人間には認知し得ないと思っています。 存在し得ないものを認識するのが人の認知のなせる業だし、 そもそも存在するのは「真理の認知」だけなんじゃないのかなあ。 「命題の真偽を判断する基準」と「ある命題の真偽」って本当に分けられるのだろうか。 「真であるが、未だ認知されていない命題」があるとしたら、それはとりもなおさず 「命題の真偽を判断する基準」が共有されていないだけなのでは? ステ助氏を煽るつもりはないのだけど、 ふっと浮かんだ疑問を書きなぐってみるテスト。 終わった話でしたらすみませぬ。
とりあえず前半部分に関することをレスしておきます。後半はまた後ほど。
一応、私は
>>290 での190さんがご指摘なさったことは把握していたつもりです。
>ステ助さん
>>256 >>この線引きを、相変わらず妥当性であるとか科学などの基準を利用しよう
>>という態度が、「科学を主体化できていない」ということだと思いますよ。
>そうかもしれません。
>
>しかし、私は科学はいま現在最も妥当性な方法であると思っているので
>取り入れたいと思っています。
>学者同士のすり合わせやコンセンサスではなく、もっと確かな方法として。
構造上に現在の科学はやはりコンセンサスなので、「最も『妥当性のある』方法」として
科学を選ぶのも、心理学を選ぶのも社会学も社会心理学も、本質的には変わらないでしょう。
誤解をおそれず述べるとすれば、信頼に足る理論体系として韻文を採用することと、
物理学を採用することは本質的には同じことです。
世の中で唯一純粋な体系を持つ理論(すなわち数学)を選ぶかそれ以外かという
二択なのではないでしょうか。現時点では、この2つの選択肢しか発明されていないでしょう。
なぜ、ここまでこの細かい部分に拘泥するかというと、今、話題になっている
議題は、コンセンサスと絶対的真理との混同に関するごくデリケートな領域に
触れていると思うからです。
もちろん190さんはこのことは既に理解済みでいらっしゃると思いますが。
>>264 >理系の人さんは、あきらめようとしていないとの事ですが、
>科学的手法は使わずに、どのようにあきらめないつもりなのですか?
2003年現在ではこのコンセンサスによって自然科学が成立しているという事実自体が
まだコンセンサスになっていないので、まずは過渡期的な段階として、この事実を
共有していくための方略をとっていくのが「妥当」だと考えています。
次世代の手法の探求は、この後の問題になるかと思います。
> >ニュートン力学の体系は、確かに正しい理論だとして学校で教えられていますが、
> >これは私たち人間の日常のスケールで見た限りにおいて正しいと「認められている」
> >だけであって、もっともっと小さなスケールで見た場合、電子や陽子、中性子等の
> >一つ一つ独立した振舞いにおいては古典的ニュートン力学は通用しなくなります。
>間主観性のアナロジーでしょうか。
アナロジーではないです。
私が挙げた例は物理学の原理と構造そのものです(多少相似的なニュアンスも含んでいますが)。
>「人間の日常のスケールで見た限りにおいて正しいと「認められている」」
>という事で、ある一定の条件下においてどの人間が実験を行っても同じ結果が得られているでしょう。
この場合、「ある一定の条件下において」というのが非常に大切な条件で、
得られた結果がたとえ同じでも、それはある限定された条件下でのそれですから、
どんなに頑張っても真理を言い当てていることにはならず、必ず誤差を丸めた数値しか
意味を持ちません。つまり、このことは、繰り返しになりますが、
例えば社会科学による成果と本質的に変わらないということです。
最先端の物理学においてももちろん事態はまったく同様です。
>>270 >私は物理学はよく分かりませんが、それでは、
>物理学も反証可能性に開かれていないのでしょうか?
開かれています。
>>271 >>むしろ、逆にコンセンサスによって人間は真理を認知しているという
>>現代のシステムは恵まれているなとすら思います。
>「コンセンサスで決まった事=真理」とおく貴方の仮説にはどうにも
>受け入れられないものを感じます。
ここからはまさに個人の信条めいたものでしか発言できないと思いますが、
やはり私は、絶対的真理は絶対的には認知できないと思っています。
>>279 (←名無しさんのご発言)
>ちなみに、自然科学にとってコンセンサスというのは、
>どちらかというと2次的な性質だと思います。
横レスですが、手続き的には2次的かもしれませんが、
しかし、本質的なことだと思います。
>>282 またしても横レスですが、
> 皆が、天が動くと信じていた時代、天が動くの真理であるという事になります。
科学もまだこのコンセンサス決定システムから脱しきれていないというのが現状です。
>科学のようなフレームを持っている学問ならばそれも良いでしょう。
>でも、それを持たない社会学や政治学では?
>そういう話をしています。
>なので、コンセンサスそのものでは困るのです。
おっしゃることはわかります。しかし、自然科学はステ助さんが考えているような
純粋理論的なものではないのです。(この意味で
>>260 では投影と表現しましたが、
投射でしたかね。しかし、それでも不適切な表現でしょう。もうしわけない)
社会科学の現状を存じ上げませんが、導入しようとしているアプローチは
数学的な手法であって科学的な手法ではないはずです。
では、また後半に関するレスを書く作業に入ります。
この板に迷い込む理系マンセー厨房は数知れないが、ここまで哲学の造詣がある人は珍しいな。 頑張ってけろ。
322 :
没個性化されたレス↓ :03/03/25 00:58
本当は今の時代これくらい学部で仕込んでおくべきことではあるのだが 教えてもここまで到達できる生徒はなかなかいるものじゃないだろうな
精神分析用語まで使いこなす理系の学部生。。。 後世恐るべし
20年後、彼の手によって精神分析は実証科学的手法としてのブレークスルーを手に入れます。
どうでもいいが正しくは「後生恐るべし」だった んだが検索すると「後世恐るべし」のほうが多く引っかかるのな
ちなみに投影と投射はいずれもprojectionの訳語であり意味は一緒だ。 使用法に誤りはないと思われる。
まず、190 ◆eWnaXs9/M2さんをはじめとする他の方々、ありがとうございました。
自分のボキャブラリーの不足を痛感しています。
>>302 > 190氏は理系の人さんが述べているのは前者(A)であって後者(B)ではないと
> ご説明してくださいましたが、それなら彼に同意できます。
> しかし、どうも彼が述べているのは両方(AとB)だと思うのです。
いえ、Aだけです。
>>305 > >自然科学も余裕ぶっこいて多数決で動いてる世界です。数学以外は。
> まずこの時点で、「真偽の判定は多数決で動いている世界だ」と
> 仰られているのだと理解しましたが、これは誤解でしょうか?
そうですね。↑でも出ていたようなAとBの違いを最初から示すべきでした。
>【質問1】ここでいう「確証」と「説得力」とは具体的にどのような事を指しているのでしょうか。
> 確証=実験結果
> 説得力=ロジック(数学的手法を含む)
> と思っていましたが、この解釈で合っていますでしょうか?
私がここで用いた確証は、絶対的な真理を証明するものという意味でした。もちろん通常の語彙レベルでは
このような意味で用いることはしません。わかりにくかったかもしれませんね…。
説得力に関しては少しややこしいですね。 まず、生のままの現実を扱うことはできませんから、 現実をある一定の条件でモデル化した空間上で考え始めます。 その空間上で物事をモデル化し、要素化し、数値化し、数学的な手法を駆使して ある一つの真なる命題を導き出します。導出する手法はまさしくステ助さんが おっしゃっているロジックと呼んでよいものですが、ロジック自体ではなんの説得力もありません。 ロジック自体は簡単に言ってしまえば単なる計算問題みたいなものでこれは物理的には瑣末な作業です。 (実際には数学を専門にしなければ太刀打ちできないほど高度な数学を解く必要がありますが) では、何が説得力を持つかというと、導出された「そのモデル空間上での」 (の但し書きがついた)真なる命題こそが説得力をもちうるものです。 換言すれば、真なる命題の描き出す物理的現実がどれだけの魅力を備えているか というその度合いが説得力となります。 ただ、これだけではもちろん駄目です。 あるモデルを設定してそのモデル上で計算問題を解いてでた答が、 そのモデルの中で真であることは当然のことですから。このまま放置していたのでは 「知の無法地帯」になってしまいます。 最終的に、その「モデル空間上での真なる命題」が「物理学的に真なる命題」として 昇格するプロセスは、実験結果と符合するかどうかのチェックです。 もっと言えば、「モデル空間上での真なる命題」は予言を含んでいる必要があります。 「これこれこういう実験をすれば、こういう結果がでるに違いない」と。 (実験方法までは示せませんが) そして、その実験をして、多くの物理学者が「新しい」と感じれば、 その「モデル空間上での真なる命題」は「物理学的に真なる命題」となります。 こういう構造なので、今の物理学は、理論屋と実験屋がわかれている分野があります。 具体的にどこそこと名前を挙げることは、無責任かつ不勉強なのでできませんが。
ということですので、
>【質問2】理系の人さんの仰る「コンセンサス醸成の原理」とは、
>実際のクウォークの発見でやっとコンセンサスが得られるのではなく、
>説得力のある仮説(ロジック)が立てられた時点でコンセンサスが醸成されるのである
>という理解で宜しいでしょうか?
違います。
>【質問3】これはロジック(理系の人さんがいう説得力)の中にはエゴ等の恣意性が
>入り込む余地はない、という解釈で宜しいでしょうか?
ロジックには恣意が入り込む余地はありません。
恣意が入り込む余地があるのは、
@一物理学者or研究チームの理論的モデル化
A実験によって検証されたと思わせる説得力(というより物理的魅力)を
物理学者たちがどう受け止めるか。
です。
>【質問4】この作文の中で、誤解の原因となるものがあればご指摘下さい。
>>318 で述べましたが、その点に関してはまったく同意です。
>>322 さん
> 心理学徒さん
> ロボさん
この文章の理系の書き手としての説得力をさらに減ずることになりますが、
私は工学系の人間です。将来は研究者ではなく普通に実務に進む心積もりでいます。
研究も捨てがたいのですが、まあ実務もエキサイティングですから。
肩書きなんかどうでもいいってば。 俺なんか、ただのロボだ。 まあ工学はプラグマティストの牙城であるから そういう発想に馴染みやすいということはあろうけど。
冗談だって
>>329 で機種依存文字を使ってしまいましたね。
# なぜ私はこのスレに来ていたのかしばらくわからなくなってましたが、
# 社会心理学の学び方についての情報がないかと立ち寄ったのでした。
# とりあえず『現代社会心理学』(東大出版)でも読むことに。
>理系の人さん 丁寧なレス、有り難うございます。 10回ほど読み直してやっと、物理学?における作業過程の概要をなんとなく推測できた気はしてきましたが、 自分の理解が正しいかどうか自信はありません。 コンセンサス醸造の原理についても、あまりに私が推測していた内容と異なるものでありました。 またレス書いてしまうと思いますが、お時間かけてレスして下さった事への御礼だけを先に。
>行動厨さん 遅レスになりますが、すみません。 ご指摘でしたら有り難いです(本当に)。 哲学的な話だと思うのですが、私はどうも不用意な言葉ばかりになってしまうので、 日を改めて素朴な作文を書くことにします。
336 :
没個性化されたレス↓ :03/03/25 07:10
μηκο ВАКА СОЯО∫μ
最近ずーっと考えていたのだがわからなかった 症例研究などを含む質的研究の妥当性・信頼性に関するヒントが このスレの一連の議論の中にあるような気もするのだが ログが長すぎて読み切れないという罠。 いや、やっぱしちと勉強させてもらいます。
質的研究の妥当性・信頼性とは、具体的に言えば どのようなことをイメージしてるの?具体例を使うと? それはそれで、なかなか意味のあるテーマになると思いますけど。 ただ、質的研究の話こそ、具体例を挙げて考えていかないと、 恐怖のカオスの神が降臨してくると思いますが。
他スレでも何度か書いていますが 例えば、症例研究(症例「報告」ではない)ってのは 従来の推測統計学に依拠する科学主義に基づいた実験系の心理学研究とは 研究のパラダイムそのものが異なっているのではないかと私は考えています。 症例研究というのはどうしても方法論に厳密さを欠きますし (応用行動分析などを除いては)条件の統制や操作も困難で さらに科学的実証研究には必須の「一般化」もしにくいと言えるでしょう。 で、私が考えていたのは症例研究が科学的な妥当性を持つためには 何が必要なのかな〜ということであり・・・ 言い換えれば「科学的な症例研究」というのはありえるのかなぁ・・・と。 過去ログをまだ読んでいる途中なのですが 「コンセンサス」なんてのは症例研究の科学的妥当性を支える 一つの根拠になるんじゃないかとなんとなく可能性を見出したりしてます (そういう文脈で出てきた用語なのかどうかは未確認です・・・申し訳ない)。 まあ、他スレではロボ氏は「結局、プラグマティズムか」というような 主旨の発言(恐らく揶揄している訳ではないと思います)もされていますが。
む・・・自分で書いた後で これでは「具体例」は何一つ挙げていないことに気がつきました。 ・・・修行してきます。
>例えば、症例研究(症例「報告」ではない)ってのは
従来の推測統計学に依拠する科学主義に基づいた実験系の心理学研究とは
研究のパラダイムそのものが異なっているのではないかと私は考えています。
もし、これが次のような例と同じことを意味するならば、紹介できる情報は
あるんですけどね。
「医者が、ある患者から“自分が手術を受けて治癒する確率はどの程度か?”と
尋ねられた。しかし、人間の体には個人差があるし、何よりも患者と同じ年齢、性別、
病歴、体質をもったケースが過去に存在していないため、この患者の“治癒率”を
見積もることはできない」
「ある研究者が、コソボ紛争の将来について予測をしている。歴史上の類似した
ケースはいくつか知っているが、どれもコソボの事例と完全に合致するはずもない」
要するに「情報が限定されている状況下での予測」であり、この問題は現在主流の
統計学(確率論)では扱えない、という訳ですよね。
ところが、こんなに制約が多い場面においても、「その制約下で予測の妥当性を
最大化する方法」を研究している確率論の研究者とかいるんですよ。
http://www.tau.ac.il/~igilboa/Inductive_Inference/Index.html ↑のCognitive foundations of probabilityのMotivating examplesとか
みれば、この人達が何をやってるのか分かるでしょう。
正直いって、詳しい内容は分かりません。ただ、こうした確率論に基づいた
統計手法(=科学的研究法)は、いずれ世に出てくるのではないかと思います。
#数学素人が「こんな場面に科学的手法を適用するのは不可能だ!科学など意味ない」
と叫びかねない問題についても、地道に「妥当性のある科学的手法」を探している
人たちはいる。こうした人たちを見ていると、「科学の先端を知らずに、
安易な科学批判に走る」のは、いかがなものかと感じる→あくまで余談。
>>341 情報ありがとうございます。ゆっくりと読んでみたいと思います・・・が
その例は実は少し意味合いが違っていたりもします。
>「情報が限定されている状況下での予測」
というか、それ以前に症例研究が「科学的な研究」であるためには
どうすれば良いかということであり、私の興味・関心としては
「予測」というよりはむしろ「一般化」の方に重きを置いています。
数値化できない質的なデータからどのように一般性を導き出すかってのは
「予測」と関連しないわけではないと思いますが、やはり別のテーマになるでしょう。
その意味ではこのスレの転換点(今年の3月に入ってから)になった
社会学・政治学がらみの論争は一つのヒントになるのではないかと思われます。
とはいえ、190氏が提示してくださった研究は非常に興味深いです。
なので、ちと腰を据えてじっくりと読んでみたいと思います。
なんだかスレの流れを止めてしまって申し訳ないです。
また加われそうだったら、是非議論に加わりたいと思います。
おそらく今夜は来る事ができないので今少々書いておきます。 理系の人さんにとって実験結果は、「説得力」の一部であり、それをどう受け取るかは研究者の多数決で決まるとの事でした。 考えていたのですがやはり、社会学・政治学での説得力やコンセンサスは、自然科学のそれとは、内容が全く異なります。 社会学・政治学は実験をできるものではない。 物理学は、実験によりがかろうじて疑似科学のそしりを免れていると聞いた事があります。 お尋ねされていた通り、社会学では数学的手法(記号論理学)を取り入れるだけでこれもまだ進行中です。 また後日。
>>343 >社会学・政治学での説得力やコンセンサスは、自然科学のそれとは、内容が全く異なります。
私もこの点が自然科学と社会科学の「パラダイム」の違いを生み出している・・・というか
パラダイムの違いそのものなのではないかと思っています。
仕事に戻りますので、とりあえず1行レスで失礼します。
>数値化できない質的なデータからどのように一般性を導き出すか 一つだけ念押ししておきたいですけど、事象をいくつかのカテゴリに 分類することさえできれば、「確率」という概念を適用できるわけですから。 そこでいう「一般性」とか「原理」という言葉が、何を意味しているのか 良く分かりません。 極端な話をすれば、(図で表現すると)点が事象を表し、矢印が因果関係を 表すような形で「一般性・原理」を表現できるところまで持ち込めるならば、 数値化もなにも関係なく、「いわゆる科学的手法」を適用できます。 おそらく、もっと別のところで「質的研究」の特殊性を感じているのだと 思いますが、それって何?
プラグマティズムもコンセンサスの一種だす。
>>337 「質的研究の妥当性」という概念に、何を期待するかということだと思います。
その概念になにを求めるかが明らかになれば、どのように妥当性の概念を構成
すればよいか、かなり分かってくるのではないでしょうか
「質的研究におけるコンセンサス」も同様で コンセンサスに何を求めるか、が手がかりになると思います。
>>347-348 そうなんですよね。ロボ氏のプラグマティズムという発言が出てきたのも
正にその文脈においてでした。
>>345 質的研究というよりも
この場合は(特に私が関心のある)「症例研究」の話に限定させていただきます。
>一つだけ念押ししておきたいですけど、事象をいくつかのカテゴリに
>分類することさえできれば、「確率」という概念を適用できるわけですから。
確かにその意味では数値化も可能だと思います。その視点は抜けていました。
>そこでいう「一般性」とか「原理」という言葉が、何を意味しているのか
>良く分かりません。
私がここで「一般性」と言っているのは、ある症例の治療過程で得られた知見を
他の症例において適用できるかどうかということです。
それができない場合は一般性に欠けるということになるでしょうし
症例研究の意義がないと思われます。
「ロボ症候群(仮)に対して有効に作用する心理療法を開発する」 とかいう目的に際して症例研究が役に立つかどうか、ってとこ?
>>345 で190氏が述べている「いわゆる科学的手法」というのは
どういったものを指すのでしょうか?
問題はどのようにして「一般性・原理」を導き出すのかということなのですが
その際の方法論が妥当であるかどうかというのが
その研究が「科学」として成立するかどうかを決定するのではないかと思われます。
で、
>>347-348 に対する現時点での私の意見ですが
結局「症例研究の妥当性」や「症例研究のコンセンサス」ってのは
そこで導き出された一般性が臨床的に有用かどうかが問題になるのではないでしょうか?
ま、それってプラグマティズムなわけですが・・・
だからと言ってそのための方法論ってのはどんなものでもいいんでしょうか?
従来の症例研究においては方法論における「科学性」ってのが乏しいように思うのですが
それも研究のパラダイムが異なるのだから、仕方ないのかもしれないし・・・
なんだか書いていて混乱してきました。
もう少し整理してみたいと思うのですが・・・というか、整理する手助けが欲しいです。
支離滅裂で申し訳ないです。
>>350 究極的にはそういうことかと思います。
まあ、少なくとも「ロボ症候群(仮)に対する一つのアプローチ」くらいは
見いだせないと症例「研究」の意味はないかと・・・
ただ単に「症例を提示しました」ってことになってしまうのではないでしょうか?
書き散らかしたままで何なんですがちと仕事に戻ります。 明日までに書き上げなければいけない所見がたまっているので。 まとまりがなくてすみません。
ところで心理臨床以外の臨床領域における症例研究の位置付けってどんな感じ?
比較軸となる介入前のデータを取ったりはしますか?
>>354 >ところで心理臨床以外の臨床領域における症例研究の位置付けってどんな感じ?
私の個人的な意見になりますが、少なくとも精神医学の場合は
精神病理系の症例研究だと
○Aというケースがあります→このケースは精神病理学的観点ではこう理解されます→
治療しました→治りました(or 治りませんでした)
という様な流れであり、精神薬理系の症例研究だと
○Bというケースがあります→先行研究を参考にCという薬物を用いて治療しました→
治りました
というような流れではないかと・・・これって科学か?
なので、恐らく基礎研究の方が「価値のあるもの」とされています(されているはずです)。
>>355 >比較軸となる介入前のデータを取ったりはしますか?
この場合、何をもって「データ」とするか、つまり「データ」の定義が問題になるかと・・・
「質的研究」という観点から考えると
例えばインテーク面接の情報も一種の「介入前のデータ」と言えるのではないでしょうか?
なんだかスレの流れをどんどん逸脱させているような気がします。
この話、続けてもいいんでしょうか?個人的には非常に興味があるところなので
色々な分野の方の意見を聞いて、自分の考えを整理したいと思うのですが・・・
>ロテ職人殿 私が言う事ではないですが、お話続けて下さって問題ないかと。 パラダイムが違う為かもしれません。 自然科学では真偽の判定は研究者内のコンセンサスで決まる。 確証より説得力であるという説明が、反証可能性を重んじていないように見えたのが、誤解の源泉でした。 理系の人さんは確証=認知しえない絶対的真理の証明として使い、 私は確証=実験データと受け取っていたので。 また研究者内に真偽判定の権利が委譲されているという所にも、 少々ひっかかっていました。 自然科学では堅固なフレームがあるので大丈夫かもしれませんが。
通勤中で携帯からなんで、流れが読めていない書き込みになっていたらすみません。 社会学・政治学ではプラグマティズムにしても同様の危険があります。 ある政党を支持するのに役立つことも、入ってしまうからです。 多数決も同様です。 にも関わらず、堅固なフレームはありません。 一生かけて、あるコンセンサスが取れている言説を反証する為に反証例となる歴史的事実を探していた研究者を見ていたので、 つい気になってしまいました。 私の高校一年の時担任だった高校教師で、卒業前に亡くなられたので、つい気になってしまいました。
>>351 一般論として考えると、ある症例の知見が別の症例の治療に役立つためには
2つの症例の間になんらかの「共通性」があることが、必要条件だと思われます。
(まったく違う症例の知見は、ほとんど役に立たないでしょうから)
この場合の共通性としては
A 症状の共通性(≒類似性)
B 原因の共通性
の2つのケースが考えられると思いますが、認知しやすいのがAで
治療に役立つ度合いが高そうなのがBということになるでしょう。
その事の印象が強いので、気になってしまいました。 誤解があったようなので申し訳ない。 で、実験の出来ない学問における「妥当性」の話は気になります。 先生の話も疑えというレスがありましたが私宛て? 当然疑って反論していました。 支離滅裂ですみません。 プチですまでいつ来られるか分からなかったので。。
とはいえ、サンプル数1で原因を特定するのは至難の業なので困る というのが、主要な問題なのだろうと思います。 この場合、可能なのは「原因の候補」をリストアップすることに とどまるでしょう(沢山あがってくると思われますが)。 その後の手ですが、 「原因の候補リスト」「症状」「治療方法」「結果」 1 ○○ ×× △ ■ ○ 2 ◎◎ ×× ▲ ■ × ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ といったデータベースを構築していくことが考えられます。 沢山症例があつまれば、「○○が原因の候補に入るときの■という 治療法の治療実績」・・などを算出することが可能になるでしょう。 そうすると、○○が原因の候補の時は、どの治療法が最も成績が 良いか、といったことも分かるようになって有用なのではないでしょうか。 まあ、取りあえずの思いつきなので、実態に合わない部分もあるかと 思いますが何か参考になることがあれば幸いです。
>>360 そうそう。わりと古いテクですが「対象となる事例と類似したケース」を
いくつも探してきて、そこで得られた「ある治療X->結果Y」に関するデータを、
「対象との類似性」によって重み付けし、「対象となる事例において、
ある治療が効果を持つ確率」を求める、という手法があるそうです。
#上で紹介したGilboa(ゲーム理論にcase-based reasoningを持ち込んだ
人ですよ)は、それとは違うアプローチを取っているというんですよね。
良く分からないのですが。
そもそもその「原因」というのがな…… 原因の種別の数だけ学派があると言ってもいい状況なわけで。 そもそも一番はじめにフロイトが目指した「科学的な」治療法としての 精神分析にしてからがそういう方向性を模索してたわけなんだが。
名前忘れた。 実際、何でもかんでも「性的抑圧」だの「エディプスコンプレックス」 だののせいにして済ませられるなら実に経済的だったんだが。 やっぱこれからの時代は方法論的多元主義(平たく言うと國分流か)が キモだと思うのだが、因果モデルの構築に混乱をもたらすのが玉に瑕。
もとが複雑なので、モデルが複雑でもしようがない罠。 複雑化と単純化の螺旋アプローチが必要でしょう。
>>362 >とはいえ、サンプル数1で原因を特定するのは至難の業なので困る
>というのが、主要な問題なのだろうと思います。
そう!私が一事例あるいは少数事例の「症例研究」の妥当性や意義を考える上で
ひっかかっていたことの一つが正にそれにあたります。
あと、私自身が
>>352 で言っていることに対するツッコミなのですが
かならずしも治療法にまで言及する必要はないのかもしれません。
とりあえず、少なくとも理論モデルを構成することを
目指す必要はあるのではないかと思います。
177氏が
>>362 で挙げているのは
結局は多数の事例の蓄積というのを踏まえて・・・ということなんですよね。
>>363 で190氏が言及している方法もそうですが
いくつかの事例の積み重ねでモデルを構築するという意味では
従来の「科学的研究法」と同じパラダイムの研究であると考えられます。
なんだかこのままだと、結局は「一事例の」症例研究では 臨床的妥当性は持ち得ないということになりそうですが・・・ で、この点に関して最近読んでいた本で述べられていたのが 司法領域での事例研究とも言える「判例」研究との類似点です。 判例とは「(最高裁での)裁判の理由中に示された“法律的判断”」であり それは他の事件でも適用可能な一般性を備えていなければなりません。 なので、事実の認定や刑の量定などの判断は千差万別であるので判例には含まれない、と。 で、これを臨床心理学における症例研究に適用すると 個々のクライエントに行う臨床的判断の中で他の事例にも適用可能な 本質的判断のみを事例として同定するとということで この本質的判断がいわば「理論モデル」に相当するのではないかと思われます。
で、そうした本質的な判断内容を多くのクライエントに適用して 有効性が確認されていくことで、やがて一般法則としての位置を獲得していくというのは ちょうど「判例」が蓄積され、「判例法」として確立していくのと同じ道筋である とその文献では述べられていました (山本 力 2001 研究法としての事例研究 山本 力・鶴田和美(編著) 心理臨床家のための「事例研究」の進め方 北大路書房 Pp. 14-29.) 「判例」なんてのはほとんどコンセンサスのみに基づいたものでしかないわけで そうした考えを心理学にも持ち込める・・・のでしょうかね? 判例の場合は「最高裁」という非常にわかりやすい「偉い人」によるものなので コンセンサスは得られやすいわけですが 臨床心理学においてはそうしたアプローチは難しいのではないかと思われます。 もちろん、臨床実践の初心者がそうしたコンセンサスを得るというのは 不可能に近いのではないか、とさえ思えてきます。
この辺はステ助氏の意見も是非お聞きしたいところではありますが・・・
>>364 >そもそも一番はじめにフロイトが目指した「科学的な」治療法としての
>精神分析にしてからがそういう方向性を模索してたわけなんだが。
で、その精神分析も「判例法」型の理論モデルなわけですよね。
>>365 >やっぱこれからの時代は方法論的多元主義(平たく言うと國分流か)が
>キモだと思うのだが、因果モデルの構築に混乱をもたらすのが玉に瑕。
実践レベルでは(プラグマティズムに基づいて考えると)
いわゆる「國分流」は重要だと思われます。
そうじゃないと、やはり多種多様なケースには対応できないですしね。
ただ、
>>366 で177氏が「複雑化と単純化の螺旋アプローチ」という語を用いていますが
実践レベルでも自らの中核、軸となる理論は持ち合わせている必要があるかと
(実はその点も國分氏は主張しているわけですけど)。
私個人としては
>>362-363 のアプローチが性に合ってるし
少なくとも、今の私の能力では
「コンセンサスを得られるような一事例の症例研究」
を行う自信はないんですけどね・・・。
司法の世界にだって、それ一つでその後の司法・行政の流れを変えるほど 大きなインパクトをもった裁判事例ってのがあるわけで。朝日訴訟事件みたいな。 それが強力な影響力を持つのは、まさに一般化するに足る「論理」が内包されていればこそ。 そもそも司法ほど論理にやかましいものもない。それが「説得」の役割を果たしてるわけで。 まあ行政的な判断が絡むとしょっちゅう詭弁に陥るのが我が国の司法の欠陥だが
一言だけ。 >「判例」なんてのはほとんどコンセンサスのみに基づいたものでしかないわけで >そうした考えを心理学にも持ち込める・・・のでしょうかね? >判例の場合は「最高裁」という非常にわかりやすい「偉い人」によるものなので >コンセンサスは得られやすいわけですが >臨床心理学においてはそうしたアプローチは難しいのではないかと思われます。 法律と臨床心理の間に、決定的な違いがあるのは分かりますよね? 「歴史の差」、「原理の確立に人々が費やしてきた時間の差」 まだ臨床心理がその段階に至ってないだけで、臨床心理がその段階に 至るのが不可能な訳ではないと思いますよ。まぁ、自分たちの目が 黒いうちにその段階に至れると思えないと、厭世観にとらわれるのは 仕方ないと思いますが。
>本質的判断のみを事例として同定する というのは「他の症例の場合にも効いていそうなメジャーファクターを抽出する」 というのと、ニアリーイコールでしょう。私見ですが、症例研究というのは 「これはメジャーファクターかも」という予想を立てる上で大いにご利益が あると思いますが「本当にメジャーファクターか」どうかを判定するには 力不足で、後者を判定するには大規模データベースの構築が不可欠ではないかと 思います。法学では、その手の判例データベースの蓄積が半端ではない のでしょう。
ちなみに、大規模データベースの構築には個人の力では限界があるので、 研究者の共同作業が必要になります。共同作業の前提として、 「データフォーマットの共有」「研究の方法論の共有」が必要となるでしょう。 これがコンセンサスと呼ばれているものの中身だと思います。図にすると 「方法論の共有」 ↓ 「データベースの共有」 ↓ 「有用な知見の共有」 となるでしょうか。 さらにちなみに、この手のプロセスには規模の経済が働きますので、 有望そうなデータベース構築が進行し始めると、そこに人が集まってさらに データが集積し、さらに有望さが増して・・・やがてデファクト・スタンダード が成立する、というストーリー展開が期待できるかもしれません。
要するに事例研究を沢山集めてメタ分析にかけろと。
もろもろの病をなにもかも癒すことなどできないが、せめて 病気を見てその病源を知ることができるものではありたい。 もしわたしの集めたものをよく考えることができる人なら、 きっと合点してくださるだろう。 張仲景 『傷寒論』
漫画の話でなんだが 「蒼天航路」で、この張仲景と「神医」華佗が対比的に論じられている。 張仲景は自らの知見を遺すべく史上初の臨床医学書を執筆したが、 華佗は医の伝達は徒弟制によらなければならないと主張し、 曹操に命じられた医学書の執筆を拒絶して処刑される。 張仲景がそれまで一子相伝の秘術に過ぎなかった東洋医学を 学問にまで高めた立役者であるというのは史実だが、作中一貫して 徹底的なプラグマティストとして描写されている蒼天版曹操は それを後押しするような形で「秘密主義派」を粛清、一掃しているわけだ。 別にこれが現実に起こった医学の歴史だというわけではないが。
>>372 やはり「論理」に基づく「説得」が必要なのですよね。
それさえできれば、症例研究も妥当性を持ち得るような気がします。
>>373 >法律と臨床心理の間に、決定的な違いがあるのは分かりますよね?
>「歴史の差」、「原理の確立に人々が費やしてきた時間の差」
「原理の確立」のために実証的な研究とともに、個々の事例(=症例や判例)の研究も
必要なのではないかと思います。
法学において、要因統制に基づいた実証的な研究などがなされているのかどうかはわかりませんが
少なくとも事例研究の積み重ねによってその原理が確立されてきたわけで
今、臨床心理学はその確立の過程にあると考えることも可能なのでしょうか?
>>374 つまり、症例研究は仮説的な理論モデルを構築するのに有用であるということですよね。
で、その仮説的理論モデルは大量のデータを用いた実証的研究によって
その妥当性が検証されなければならないと。
ただ、その仮説的理論モデルの検証は必ずしも症例研究の蓄積による
データベース構築によってなされる必要があるとは限らないのでは?
要因統制に基づいた実験研究・調査研究の積み重ねによっても
それは可能なのではないかと思います。
少なくとも、従来の心理学における理論の構築は
そうした過程でなされてきているはずですし。
少なくとも一事例の症例研究の限界が
「予想を立てること」であるというのは理解できますし、納得できます。
ところで法学の分野では、
>>341 で190氏が挙げられているような
統計学的手法は用いられているんでしょうかね?
>>378 蒼天版華佗の主張も一部では納得できる部分があります。
ロテ「職人」を名乗る漏れですが、やはり徒弟制によるトレーニングは重要ですし
(スーパーヴィジョンなんてのは正に師匠-弟子の関係です)
「臨床の知」というのも存在はするのではないかと思います。
それを明文化して伝えるのは困難ですし、読み手に曲解される可能性も往々にしてあります。
結局、事例研究が臨床的妥当性を持つためには
「臨床の知」と「研究の知」の融合が必要なのではないかと
ちと妄想めいたことを考えた次第であります。
科学以外は学問ではないとか、非科学的=トンデモという風潮が問題なのだと思うのですが。。 一方、数学的手法を取り入れれば科学になれるというのも、 個人的には安直すだと思うのでつ。 社会科学者の猪口孝のように、「より真実らしく見せる為の理論武装」と割り切って確信犯的にやっているなら良いのですが、そうでないならソーカル事件で指摘された知の欺瞞に陥るかも。 (行動厨さんのレスも理解はしてるんですが、この事件を考えると、 なんと答えてよいか慎重になってしまうのですた。)
こんな話はご承知だと思いますが、誤解されないよう念の為・・。 その上で科学的手法を取り入れられる所はドンドン入れたら良いと思うのですた。 >ロテ職人殿 何故、私の意見なぞ・・?(汗 判例のような理論構築方法は、その時代・文化における「妥当な」一般法則を帰納的に導き出すのだと思うので フロイトの場合は母集団に対する考察が手薄であっただけではないかと個人的には思いますた。 作文です。 すみません。
親愛なるユング、決して性理論を棄てないと私に約束してください。 それは一番本質的なことなのです。私達はそれについての教義を 作らなければならないのですが、あなたはそれがゆるぎない砦だとわかります。」 シグムント・フロイト
恐縮ついでにカキコ。 徒弟制度という話について、 弓道でも、工学的なアプローチが可能な部分と、論理的に捉えられない部分があります。 本多流では後者の極意をつかむ事が免許皆伝になります。 学生弓道くらいの私が後者について語るのは、ただの精神論に陥りトンデモない事ですが八段の名人級の射を見たり、指導を受けたりすると、伝わるものがありました。 矢が的から外れる方が不思議という感じで。 矢が的に吸い込まれる不思議を不思議と思わなくなります。 ただここに至るまでに、 精神論はNGで徹底して型を叩き込まれます。
>385 またかぶっていますた。 性理論は、性欲が人間に生得的に備わっている限り リビドーという概念ははる程度妥当性を持つと思います。 ただ、性的事柄が文化的にタブーとされている文化とそうでない文化で比較したりする等色々やれば良かったのに・・と思います。 書き殴りすみません。 デスマに戻りまつ。
>>387 よく知りもしないものについて、
イメージだけで発言するのはやめとけ。
387について 意見を聞かれてしまったので、一素人が書いた文でつ。。 気にしないで下さい。
>>383 >科学以外は学問ではないとか、非科学的=トンデモという風潮が問題なのだと思うのですが。。
ステ助氏がこの文脈で用いている「科学」とは「自然科学」のことですか?
だとしたら、私もそれに同意します。
私がこのスレに書き込んだ背景には
従来の(例えば心○臨床学研究などに載っている)症例「研究」が
妥当性を持つということはどういうことなのか考えていたということがありました。
で、皆様の意見を色々とうかがって
社会科学の分野の研究などで用いられているような、専門家における「コンセンサス」が
症例研究における臨床的妥当性を支える可能性があるのではないかという
一つの結論(というよりも仮説ですね)にたどりつきました。
>>383 >一方、数学的手法を取り入れれば科学になれるというのも、
>個人的には安直すだと思うのでつ。
所詮は説得力を持たせるための一技法でしかないですからね。
ただ、非常に強力な技法であるとは思います>数学的手法
というか、おそらく質的なデータを質的に処理(?)する場合
その研究に妥当性を持たせるのは数学的手法を用いる場合よりも
難しいのではないかと思います。
なので、安直に「症例研究」を謳う臨床家には不信感を抱いてしまうのかもしれません。
で、ステ助氏の意見を求めたというのは 臨床云々よりも、社会科学の徒としてステ助氏が 社会科学的手法(つまり質的データを質的に分析する)によって どのようして妥当性が得られると考えているのかというところを聞きたかったわけです。
>>384 >判例のような理論構築方法は、その時代・文化における
>「妥当な」一般法則を帰納的に導き出すのだと思うので
>フロイトの場合は母集団に対する考察が手薄であっただけではないかと
>個人的には思いますた。
だとすると
>>373 で190氏が述べている
>法律と臨床心理の間に、決定的な違いがあるのは分かりますよね?
>「歴史の差」、「原理の確立に人々が費やしてきた時間の差」
という意見に対してはどうお考えですか?
「原理の確立」というのは
ステ助氏が言うところの「理論構築方法」に当たると思いますが・・・
>>387 確かにフロイトの説(特に性理論)は当時のヨーロッパ文化において
有効であるという批判はよくあり、確かにその通りだと思います。
むしろフロイトの功績はそうした個々の理論よりも
臨床実践から帰納的に体系的理論を構築するという
先鞭をつけたことにあるのではないかと、個人的には思っています。
事実、精神分析理論をベースとした
力動的心理療法(まあこの呼び名については色々なんですが)は
現在の日本においても広く用いられていますし
臨床的な妥当性は確かに包含していると思われます。
こちらも書き殴り申し訳ありません。
死なない程度にお仕事がんがってください。
>>388 確かにそういう方向性は目指していないわけですが・・・
ただ、応用行動分析の強みの一つはそのデータベース構築のしやすさにあると思います。
私が想定しているような症例研究も介入法の体系化は可能だと思いますが
やはりデータを数値化するそのし易さもうらやましかったりします。
しかし有り体にいってしまえば 所詮ローカルルール
>>397 む・・・ローカルルールに抵触している部分はどこでしょ?
ステ助氏が学問としての心理学を理解していないという点でしょうか?
もし私の一連のレスに問題があるのならば、この辺で撤退しますが・・・
そうじゃなくて 行動分析学の持つ独自のコンセンサスが 心理学内部のさらにローカルなルールであると。
さらに有り体にいってしまえば 400ゲット
失礼。了解しますた。 ・・・しかしローカルルールとは言え、力動的心理療法と比較した場合には 他の心理学の分野からもコンセンサスは得られやすいと思いますが。 結局、臨床心理学ってのは心理学の「鬼っ子」なんですかねぇ・・・
ローカルにでも役に立てば、それなりに有意義でしょう。
だから結局、基礎系厨房からの「行動療法・認知行動療法 以外の臨床はクズ」とかいう発言が出てくる現状なわけで。 問題は「他の心理学の分野から」というより 臨床の中でのコンセンサスをまとめていくことなんじゃないか?
個人的には「多様性は必要」ってことで コンセンサスはまとまっているような気がします。 学会でも(少なくとも若い世代の研究者では)それぞれの立場の有用性を認めた上で 議論も始められていると思います。 結局、従来の自然科学的な妥当性を求める他の分野からすると いつまでも >「行動療法・認知行動療法以外の臨床はクズ」 ってことになるんじゃないでしょうか? そういう意味では症例研究以外の質的研究が 心理学界でコンセンサスを得るということも、実は重要なのではないかと思えてきました。
結局、プラグマティズムが現段階では一番のコンセンサスの目安なわけですが。 そういう視点に立つならば、症例研究は具体的な問題に対して働きかける方法を 生み出し得るという点で、ただ現象を「解釈」するだけにとどまる他の質的研究とは 性質が異なるため、うまくすれば質的研究そのものの枠組みを創り上げる手段に なる可能性もありますね。 妥当性の高い質的研究の枠組みを症例研究というプラグマティックな営みを通じて 構築し、しかるのちにその妥当性を心理学界に問うという道順のほうがいいような。
ローカルルールの違いは、扱う対象の違いに対応するような気もしますが。 そうでなければあるいは、「対立関係ではなく相補関係」という、 毎度おなじみの結論に落ち着く可能性もあります。 応用行動分析が採用する視覚的分析では、確率論的なコンセンサスは得られない 代わりに、統計的分析が埋没させてしまう「時系列的傾向」や「個性」を分析できるように。 もっとも、そうでない場合もありますが。例えば行動薬理学者は、 行動系以外の薬学系ジャーナルに投稿するときには、視覚的分析だけで 明らかな効果が認められる場合でも規定に従って統計的分析を添えています。 たとえそれが、自らのパラダイムから見て何一つ情報量を増やさないとしても。
思うところがあるので、ここらで全く異なるネタを投入。 臨床に話を絞れば、もっと別の視点も必要だと思う、という話。 (ロボ>臨床叩きではないので、早とちりしないように。念のため) 簡単な思考実験をしてみます。小中高校で一学級20人制が取られている 場合、不登校児の発生率が0.01%であるとします。一方、一学級45人制が 取られている場合には、発生率が1%になるとします。かなりデカイ効果ですよ。 この2つを比べれば、不登校児の発生の「原因の一つ」が学級体制にあること は一目瞭然です。しかし、現実には後者のケース=45人制しか世の中に存在 していないと考えてみましょう。 「この時、数学的に洗練された研究法(=ロテさんが考えているやり方)を 適用していくことで、不登校児の減少に向けて有効な対処法をとれるでしょうか?」 おそらく、できないと思いますし、ここにこのスレで「臨床を科学的にしよう」と する議論の落とし穴があるのではないか、と感じます。
どういうことか? 統計を使おうが、数学を使おうが、基本的にこれまでのやり方は「症状を持つ人/ 持たない人の対比を通じて、原因を特定していく」ということ。しかし、上のケースに この手法を当てはめていっても「不登校児は心理的に他の子供と何かが違う」という ことが明らかになるだけでしょう。たとえば、不登校児は他の子供よりもストレス耐性が 低いとか。けど、それが分かっても不登校児を心理的に変えていく手法を見つけるのは 容易な話ではないでしょう。 この例では2つの問題点が指摘されています。「臨床が扱うべき対象=精神科医に回しても 薬で治療することができない心理的問題」の多くは、患者が元から持っている心理的 傾向性とその人が置かれた環境の相互作用から生じているのでしょう。遺伝子と環境の 相互作用のように。このようなタイプの問題を扱う時には、前者の要因=個体に特有の 要素にだけ目を向けていても、1)「より大きな効果を持つ要因」には目が向かないし、 2)治療法の効果も薄いかもしれない。 当然、環境・制度を変更する方に大きなコストがかかる場合もある。しかし、上のような 視点を取れば「臨床におけるプラグマティズム」とは、「個人の内的特性を変えるタイプ の対処法」におけるベネフィット(治癒率)とコスト、「環境・制度の側を変えるタイプ のベネフィットとコストを相対的に評価して、「社会的にみて効率の良いタイプの介入 法を選ぶ」という点につきると思います。そして、これが真の臨床ではないのか? 「症例研究という特殊なデータから一般原理をどう取り出すか?」−−このタイプの 問いは、それ自体で意味はあります。 しかし「プラグマティズム」という視点を取り込むなら、単なる統計的な議論に終わる はずもないのでは?という話。特に「臨床における科学性」という話をするならば。
付け足した方が良いかな。 最後の文章はこういう意味です。「症例研究」という特殊な手法から一般原理を導いて いっても、実験的手法などに比べれば、精度も劣るでしょう。けれど、臨床の存在意義 は「一般原理」を導くことだけにはないはず。全体として「臨床家(当然、制度デザイン に関しても口を出せる人々のこと)がいる方が、いないよりも良い」状況が生まれて いれば、一般原理の精度が劣っていても相殺されるはず。 臨床では当たり前に出ている議論でしょうが... 「わずかな症例から原理を導く」ということだけが臨床の問題ならば、それこそ統計的・ 手法的な問題だから、誰か政治力のある人が本腰入れて巨大なデータベースを作るのが 一番なんですよ。あとは、データ・マイニングの手法に長けた統計屋さんやバイオ・ インフォマティクスでもやってる人を引っこ抜いて、データ解析だけ担当させれば良い。 出てきた結果の解釈は、臨床屋さんたちがやるとしてもね。 けれど、ロテさんや他の人たちが「臨床における原理」云々の話をしてる時には、 それ以外の問題も紛れているように思います。
携帯からでゆっくり読めていませんが、誤解なきようこれだけ。れ 論理的な学問=科学、非論理的な学問=非科学という認識は私にはありません。。 科学の目的の一つは一般法則の発見をだと思っているので 全ての学問が何か大事なものを捨ててまで科学になろうとする事はないし、実質無茶な話かもしれなと思って来ています。 また今まで自分を社会「科学」徒と名乗った事はないです。 法学は「科学」という看板を欲しがらず堂々としています。 質問箱スレに「社会科学は自然科学と同じ手続きを踏む」と仰る方が現れたので、この話題となったのでした。
法学は近代自然科学などより遥かに年季の入った由緒ある学問だしなぁ
法学におけるコンセンサスとプラグマティズムの関係は?
プラグマティズムもなにも、法律というのははじめから実用品なわけで……
そもそも法ってのは、それ自体がコンセンサスそのものだわな。 少なくとも、建前の上では。 日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し, われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と, わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し, 政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに することを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する。 『日本国憲法 前文』
漏れも生き残りの為、研究室の面々に隠れてこそーり公務員試験の勉強なぞしてますが、 正直なところ科学的姿勢と法学は相容れないものであるな(少なくとも現在の在り方では)、 と実感しております。 例えば法的に責任能力が認められるのは12歳以降とされておりますが、これだって本当 に確認しようと思えば、道徳性の研究に並ぶ発達心理学的研究になるわけですが、勿論 そのようなことは問題にならないわけです。 また学問の在り方としてもどの程度健全な研究者間の意見の交換ができているのだろうか? ということも予備校のビデオを見ながら思うわけで。
前に誰かが言っていたが、法というのは、『洗練された偏見』なのよ。 たしかにそのナイーヴさは我々から見れば鼻につく。 しかしだからって責任能力の有無をたとえば個別的に 心理検査によって判断することにするなんてことにしたところで、 それはそれで多大な問題が引き起こされることも疑いを待つまい。
誤解なきようもう一つだけ。 私がずっと反対してきたのは、「コンセンサス」と「プラグマティズム」そのものではありません。 社会「科学」と名乗るならば、現象の一般法則を追求するのが目的になるはずと考えるので、 「操作的定義が出来ない仮説の真偽判定が学者内の『コンセンサス』で決まる」という事に反対してきました。 科学と名乗らないならば、反対はしません。(問題はあるけど、それが現実なので)
>>416 もちろん、個別に責任能力の確認をするのは非常に煩雑な作業となり現実的な運用には
ほど遠いのは承知の上ですが、それでもせめて12歳以降に責任能力有りとする根拠、その
検証ぐらいはしておくべきではないかと思うわけですわ。
ピアジェの発達段階説においても何歳から何歳が具体的操作だの形式的操作だの言うわけ
ですが当然そこにも個人差があるわけで、それでも有る程度社会生活を営む上で最低限共
通する文化的社会的環境から保証されるであろう環境要因、言うなればコンセンサスに乗っ
取った妥当性から、有る程度の共通認識として認知発達の段階が大ざっぱな年齢で区切る
ことが可能なわけです。法的文言において能力云々と触れる場合その程度の妥当性を保っ
て置いてもバチは当たらないだろうになぁ、と素朴に思うわけです。
>>418 しかし、具体的にどのような理論に基づいてどのように得られた結論を採用するべきかという
問題はさらに深い。研究者にとってみれば、司法の公認をいただけるかどうかというのは、
それこそ死活問題に直結するから。臨床心理士の資格化に関する大きな問題点の一つは、
そのような特定の学派の特権化や政治的問題にあるわけで。
法律に関しては今のままそっとしておくのがいいのかもしれない。
本心を言えば、こう言うのは非常にはばかられるのだけど。
>>417 ちなみに法学は一応社会科学を標榜してますな。
で、憲法や民法の解釈において多くの場合判例というものと通説というものが存在するわけです。
通説というのは結局の所、学者間の大勢を占める見解というわけで、これに筆頭されるような学者が
常に特定の人物であることが、勉強している中で非常に鼻についてなりません。つまり、ほとんどの
場合通説となる見解を主張するのは東大の先生であったり京大の先生であったりするわけです。
研究者としての有能さ、業績と所属する研究機関の社会的評価というのは無相関であるとは言いま
せんが、必ずしも強相関であるとも言えないと思うのです。
所詮、日本の法律の研究をするのはほとんど日本人ですから、結果として物理的に非常に狭い
コミュニティーを形成してしまっているんじゃないかと思うのです。このことが学術研究においていい
影響を及ぼすとは余り思えません。
「遠くに居る者の悪口は言いやすいが、近くに居る者の悪口は言いにくい」
という状況を生むのではないかと思うのです。
例えば自然科学であればデータが命です。何度も述べられている数学の持つ説得力というものが
ここで物を言います。例えば身分が旧帝教授であろうと、一介の地方私大の院生だろうと、適切な
手続きで得られたデータであれば互いに対等に物が言えるわけです(一応)。ところがこういった
公共性を保たれた論拠を持てない学問が、いかに公平なる検討力を維持できるのでありませうか?
某スレの社会学政治学の反証可能性討論ではありませんが、「声のでかいものが勝つ」という世界
になっているのではないか、という危惧すら感じるのです(他人事ですが)。
まあ言いたいことは「法と心理学」学会は何をしてるのかと。
書いてから気が付きましたが「某スレの社会科学云々」って こ の ス レ じ ゃ ね え か 欝だ氏脳
>まあ言いたいことは「法と心理学」学会は何をしてるのかと。 あれって、もとは冤罪被害者の救済が目的じゃなかったっけ。
不用意な用語の使用が問題であると指摘されましたので 誤解されたままだと気持ち悪いですし、ここ数日補足させて頂きました。 今後も誤解されたままかもしれませんが、 とりあえず(スレの流れを考えず 汗)自分の能力最大限で補足させて頂いたので、 今後はこのスレは見ないようにします。 >190氏 規範経済学をご紹介頂き有り難うございます。 今アマルティア・センなどからあたっています。 皆様もお世話になりますた(w では、さようなら。
所詮、法は、政治だもの。 どの法解釈が「通説」と認められるかというだけで ときに国家の政策そのものが変動してしまう、それが法。 まあ、自衛隊の違憲審査請求に印紙代3兆4千億円が 請求されたときには俺も革命を起こしたくなったが。
>>422 目撃証言に関する記憶の研究がその発端となったという話は聞いたことがありますが
学会員の友人に聞くと、法学サイドの人間と心理学サイドの人間の期待するもの、求めるものが
微妙に食い違っていて、不細工な2人三脚状態のようです。
どんな学問だって政治性と全く無関係ではありえないが、 たとえ量的な差に過ぎないとしても法学はそれが桁外れだからな。 明らかにどう考えてもそれはおかしいだろというような法解釈が、 現実的要請に基づいて押し通されてる例は枚挙に暇がない。
しかしそういう「強引かつ現実的な法解釈」というのは、 ある意味ではとても公共的ではあったりするのよ。 要するに「そういうことにしとかないとみんなが (あるいは政府与党が)困る」というわけで。 我が国の現状は、声のでかいものが勝つというより、 要するに、「親方日の丸」。これしかない。 おまえらは違憲立法審査権を放棄しているのかと問いたい。 問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。モンテスキューが泣くぞ。
皆さんの意見をなかなか自分の中で咀嚼できないでいるわけなのですが・・・
>>409 こちらも煽りでも何でもなく純粋に質問です。
>けれど、ロテさんや他の人たちが「臨床における原理」云々の話をしてる時には、
>それ以外の問題も紛れているように思います。
前にもそれらしきことを仰ってましたがこれはどういった意味なのでしょうか?
この「それ以外の問題」とは?
実は190氏が一番仰りたいのはその点なのではないかと。
既に示されてはいるのかもしれませんが・・・。
髪かきあげ 図面引いて 奇妙な話を熱く語った あの男は狂っていた 本当に人を救う気でいた 「ホラごらん 天使呼ぶための機械さ これで消せる 人の哀しみを」 空へ…… 今 彼女が空へ向ける機械は 誰にも愛されぬ彼の思い出 彼女だけが一人男を信じた きっと彼女だけには見えるのでしょう 天使、翼が 「ホラごらん 天使呼ぶための機械さ これで消える 人の苦しみも」 星へ…… 今 彼女が星座へ向ける機械は 誰にも愛されぬ彼の思い出 彼女だけが一人男を信じた きっと二人だけには降ってくるでしょう 今、二人が空へむける機械は 誰にも愛されぬ人の哀しみ 天使、その羽根 天使、翼よ 筋肉少女帯 『機械』
はて?法学の話は、アナロジーとして以外に、臨床の話と結びつくのでさうか?
#法学における究極のプラグマティズムは「法と経済学」であり、一言で言えば
「経済的な効率性が最大となるような法を制定しよう」。
それはともかく、
>>429 のロテさん。私も、最近の話は咀嚼できてません。
で、質問に絞って反応すると....
結局何が言いたいのかというと、「臨床における原理」という話をする時、
「手法」に関する話と、「そもそも臨床においてどんな原理を抽出すれば
良いのか?」という話が、2つあると思うんですよ。最初は前者に絞って
話をしたけれど、前回は、後半の話に焦点を移してみた。けど、後者の話は
前者と密接に絡む。
前者の話は2点に絞られます。1)症例という特殊な形式を持つデータから
原理を引き出すのは、「精度は落ちるけど」不可能ではないのではないか。
2)しかし、いかなる手法を使おうとも「症例=問題が発生したケース」だけを
取り出して分析していく手法には、本質的な問題があるのではないか。
基本的に、「ある原因Xが存在しているならば、事象Yが生起する」という
原理を確認するためには、事象Yが存在しているケースだけでなく、事象Yが
生起していないケースについてもデータを集めなければならない。これは、
簡単な統計の話ですが、理解できますよね?
これが「単なる統計分析」の話ならば「全く問題がない人たちについても
多くのデータを集め、問題がある人たちとの比較をしましょう」というだけで
済みます(とはいえ、臨床屋さんが、こうした比較を本格的にしているかどうか
知りませんが...してないように感じますけど、いかが?)。
要するに、「原理抽出における問題点=“臨床はアートだ!”という批判」は、
気合いの入ったデータベース構築&「正常人をも対象としたデータ収集」という
ことで「ある程度」回避可能なようにも思える訳です。だとしたら、これは
「臨床において原理抽出が可能か?」というideologicalな議論ではなく、
「まずデータベース作って、どれだけ役に立つ原理が抽出できるか、ともかく
やってみまさう」という、pragmaticな議論になる。
ところが。
そうやって臨床が科学化されていっても、やはり、今のままではとても効率性が
悪いのではないか、と「個人的に」感じるんですよ。それが「そもそも臨床は
どんな原理を抽出すれば良いのか」という話。
その例として出したのが、学級数の話です(これは上述カッコ2にも関連)。
つまり「問題の原因を患者の心の中に求めていくこと」に対する個人的批判です。
「臨床の対象となる問題の多くは、個人の心のあり方を変えるよりも患者を
取り巻く環境を変える方が、より早く解決できるのではないか?」という
「私的な考え」です。たとえば、心理学ワールドに掲載された宮台真司の
臨床批判をどう思います?
#「臨床で扱われるほぼ全ての問題において、原因を心の中へ追い求めていく」
という基本的な態度が取られる限り、治療の効率性がかなりそがれるのではないか?
不登校の例を出したのも、そんなことが念頭にあるから。たとえば登校拒否の問題は、
「心理的な原因と心理的な療法」では解決できない、「制度デザインに関する問題」
ではないのか?
参照:
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1022943881/403
age
434 :
没個性化されたレス↓ :03/04/02 13:50
>>431 >基本的に、「ある原因Xが存在しているならば、事象Yが生起する」という
>原理を確認するためには、事象Yが存在しているケースだけでなく、事象Yが
>生起していないケースについてもデータを集めなければならない。これは、
>簡単な統計の話ですが、理解できますよね?
一応、理解しているつもりです。
で、そのための一つの手段としてアナログ研究があると思います。
ここでのアナログ研究とは
「ある精神疾患の心理的な過程を解明するために、非臨床サンプルに
精神疾患の症状を測定する自己記入式の質問紙を使って行う研究であり
非臨床サンプルの間で調べようとする精神疾患の症状を有している人と
そうでない人との比較を通して、臨床的なレベルにおける精神疾患の心理的過程を
類推(アナログ)するという研究法」を指します。
これまでは症例研究に話題を絞ってきたわけですが
実際的には症例研究などの質的研究はアナログ研究などの調査研究などと
相互補完的に用いられて初めて妥当性・有用性を持つのではないかと思います。
そうした方法が有効であるとすれば
必ずしも大規模データベースの構築は必要ないのではないかと・・・
(もちろん、それがあるに超したことはないと思いますが)
>>432 >「臨床の対象となる問題の多くは、個人の心のあり方を変えるよりも患者を
>取り巻く環境を変える方が、より早く解決できるのではないか?」という「私的な考え」です。
プラグマティズムを追求するのなら、最も効率がいいのは他職種との連携だと思います。
不登校の事はあくまでも一例なのは理解していますが
個人的にはスクールカウンセラーというのは不完全な制度であり
本来ならば(社会制度を変えるまではいかなくとも)社会資源をより有効に活用するために
スクールソーシャルワーカーが必要なのではないかと私は考えています。
ところでお恥ずかしい話なのですが >心理学ワールドに掲載された宮台真司の臨床批判をどう思います? これって第何号ですか?今ちょっと手元にないもので・・・ よかったら教えてください。 もし私が的はずれな反論をしていたら、その点はご指摘お願いします。
システムズアプローチ と呟いてみる
ここまで読んだと言う足跡を残しておくね。ロテは私が何も読まないで レスを書いていると思っているようなので。念のため。 ここで言われている症例研究って私たちの症例報告に似てるね。一人の 獣医師が珍しい症例に出会うと、症状、自分のした治療法、予後などを 発表する。その後、出席者全員で症例検討会をするときもある。 私たちは、こういう会合を少人数の仲間同士でやる場合もあるし、もっと 大規模な学会などの集まりの時にすることもある。症例報告して、雑誌に 載ったものを、全国の獣医師が参考にすることもある。 ここまでできるのは私たちの業界が守秘義務に無頓着だからかも知れない。 でも、医者を呼んで勉強会を開くと、顔は隠してあるけど、かなりすごいもの までスライドで見せてくれるけど、医者の守秘義務はどこまであるのだろう。 私たちはこういう勉強会や、色々な分野の専門家に講演してもらったり して、難しい症例の勉強をしていく。もちろん、外国文献なども参考にする。 私たちの症例研究とか言われているものは、もっと大規模なもので、当然 客観的データを要求される。個人の臨床家が半ば趣味的に出した研究か 大学などの臨床系の先生が組織的に出してきた研究データが主流に なると思う。
とりあえず,ドナも システムズアプローチ,いやさブリーフ とかなんとかつぶやいて,化け猫を隔離してみる.
あぼーん
不幸のレス】 このレスを見た人間は十三日以内に死にます。 ※あなたに訪れる死を回避する方法が一つだけあります。 それはこのコピペを一時間以内に7つ、別のスレに貼り付ける事です 【不幸のレス】 このレスを見た人間は十三日以内に死にます。 ※あなたに訪れる死を回避する方法が一つだけあります。 それはこのコピペを一時間以内に7つ、別のスレに貼り付ける事です
>>438 申し訳ないですが、2,3年前の号、としか記憶してません。
>>436-437 ふーん。そのあたりの話をもっと具体的に教えてもらえないでしょうか?
たとえばどんな精神疾患について、どんな項目を調査するのですか?
患者と正常な人を対象にして。
また症例研究・調査研究というのも、具体的には、どんな疾患について
どのような項目を調査・検討するのでしょう?統計的な手法が有効か否か
という話は、もっと現場に踏み込んだ具体例を聞かないと、何とも判断が
つかないように思います(あくまで第3者からの視点ですが)
「システムズ・アプローチ」>
「個人の内部」から「個人と個人の関係性」に視点を移すというのは当然だと
思いますが、言いたかったのとはちょっと違います。つまり「現在の心理学が
持つ程度の理論・手法では、マイクロな部分を詳細に分析していっても、臨床
屋が使えるような道具はでてこないのではないか?」という予感。
念頭に置いていたのは、医学で言えば公衆衛生のような方向性かも知れません。
「個別の症例に応じて、治療者が手を加えて治療法をその場で作り上げていく」
タイプの療法も「あり」だけど、それよりは「家族、学校、職場、組織、社会等が、
どのような構造を持っていれば、心理的問題の発生が低く抑えられるのか」という、
公衆衛生っぽいやり方の方が、実は対症療法よりも効率が良いのではないか?
不吉なので445 それにしてもあげておくとゴミが入るな
446 :
没個性化されたレス↓ :03/04/04 17:46
ブロンフェンブレンナー と呟いてみる
447 :
没個性化されたレス↓ :03/04/04 17:51
ついでに ウォールデンII とも呟いてみる
あげんな と呟いてみる
一番偉い人へ 俺たちは 今何をするべきか? 卒業する事で終わった 大人たちを非難すること 社会とは窓ガラス割らないルール いつからか壁のこちらで 仕掛けられたマイクに怯え 建前を振りかざし演じているよ 群集になんてなりたくなかった 俺は俺だと叫んでいたいよ ラッシュアワーに踏まれている 安いプライド 一番偉い人へ 俺たちは 今何をするべきか? 心にもどかしい カタルシス 一番偉い人へ 俺たちは 今何をするべきか? どこかで忘れてた もっと大切な何かを 教えてくれ
450 :
没個性化されたレス↓ :03/04/05 12:09
age
既に呆れられているような気もしますが
少なくとも回答を求められてはいるようなので、続けさせていただけたらと・・・
>>444 >たとえばどんな精神疾患について、どんな項目を調査するのですか?
>患者と正常な人を対象にして。
アナログ研究の具体例としては、例えばBDI(ベック抑うつ尺度)にカットオフ・ポイントを設け
「抑うつ群」「非抑うつ群」を作成、比較するというものが挙げられます。
Pyszczyski & Greenberg(1985)は抑うつ的な人によく見られる
自己注目の仕方についての仮説を検証するため、大学生を対象とする個別実験を行っています。
実験計画は抑うつの程度(抑うつ・非抑うつ)×課題の困難度(成功・失敗)の
2×2の要因配置で行われました。
抑うつ群・非抑うつ群のスクリーニングの後にアナグラム課題をさせて 課題の難易を操作することで、被検者に成功もしくは失敗の経験をさせます。 その後で、被検者の注意の向け方(自己に注意を向けるか)を測定しました。 結果はともかくとして、とりあえず 抑うつが重くなると動機づけが低下するため アナグラム課題のような複雑な課題に取り組むのは困難であり、 また、抑うつが重い者に、例え実験であったとしても失敗事態を経験させることは 倫理的に問題があると言えるでしょう。 こうした場合、臨床サンプルを用いることは難しく 非臨床サンプルを用いたアナログ研究を行うことが望ましいと言えます。
こうしたアナログ研究は非臨床サンプルにおける軽度の疾患状態と 臨床レベルでのそれとの間の連続性を仮定しています。 おそらく190氏の手元には各種学会の抄録集などがあると思いますが 日心の抄録集の「臨床・障害」分野の研究の半分程度は アナログ研究なのではないかと思われます。 例で挙げたのは抑うつ(抑うつ傾向)に関する研究でしたが 例えば人格障害(傾向)に関する尺度や摂食障害に関する尺度などもあり 様々な疾患に関連するアナログ研究が行われています。
>>444 >また症例研究・調査研究というのも、具体的には、どんな疾患について
>どのような項目を調査・検討するのでしょう?統計的な手法が有効か否か
>という話は、もっと現場に踏み込んだ具体例を聞かないと、何とも判断が
>つかないように思います(あくまで第3者からの視点ですが)
代表的な調査研究がアナログ研究であるのに対して
広義の症例(事例)研究とは
「一事例(N=1)または少数事例(Small-N)について、各事例の個別性を重視し
その個性を研究していく方法」と定義されるでしょう。
特に生体に生物学・生理学的メカニズムを研究する場合には
そこで見出された知見が他の生体についても共通していることが充分に想定されるため
一事例研究で明らかになった事例に基づいて他の生体にも適用できる
普遍的法則を定立することが可能になります
その代表例が、パブロフやスキナーの研究でしょう。
狭義の症例研究とはフロイトやロジャーズなどの研究のような 「症例の治療過程の記述とその考察」と定義されるでしょう。 少なくともそうした学派の創始者の症例研究を見ると 症例研究は臨床心理学的理論の形成のための主要な研究法であったと言えます。 それらは心理統計学的、確立論に基づく量的研究法とは 異なるパラダイムに基づき、個別の事例から人間の心理を探っていく方法論です。 月並みですが、調査研究と症例研究を相補的に用いるのが 科学性を高めるために最も有効なのではないかと思われます。 こんな感じでいかがでしょうか?>190氏
>>既に呆れられているような気もしますが 呆れてはいません。のちほど。
(^^)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
どこからともなく聞こえてくるその声に. ほしゅ.
おまえは、キチガイ
>>460 >>459 のレスは190先生宛でしょ。
最近没個性化しながら書き込みされているようなので。
それから、177先生も没個性化して書き込みしているような気が。(こちらは自信なし) ついでにロボ氏も最近没個性化して時々書き込んでいるような気が。
ロボの自作自演は本人も明言していること。
>>463 いや、それもそうだけど、
自作自演という意味だけでなく、普通のカキコを没個性化で
しているってこと。
というか、こんな地下スレで速攻のレス驚きました。 チェックしている人いるんだね。
あ、ちがった。 177先生は没個性化されてたわけじゃなかったのかも。 雑談でごめんなさい。 以上
それこそ
>>463 がロボの書き込みに思えてならない,俺のヒューリスティック.
んなことはどうでもいいんだが,
社会心理でなにかネタないですか?
あたしゃぁ,振るネタすら思い浮かばないDQSなもので,
勉強させていただきたく.
>>467 一行目は勘違いだと思う、に100モナー。
それよか、科哲の本届いた?
あぁ,その節はご親切にどうもでした. 例の本は,書店到達予定が14日, で,私の手元に届くのは18日の予定です. 届きましたら,今後ともご教授賜りたく.
>>469 ううっ。 漏れはそんな大層なものじゃないんで
謙遜でなく、本当に。
本届くの18日っすか。
確かに先生方はおられる(ようです)が、
そのように気を使われたくないのではないかなぁ・・
18日っす.
>確かに先生方はおられる(ようです)が、
>そのように気を使われたくないのではないかなぁ・・
いや,気をつかっているのではなく,
ただ単に,「教えてくれくれクン」なだけでつ.
この板で,自分のDQS加減にようやく気づきかけた晩春.
なんかの機会があれば,
>>470 氏もご教授たもれ.
472 :
没個性化されたレス↓ :03/05/24 02:51
agemasu
kudasai
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
475 :
没個性化されたレス↓ :03/07/01 22:22
.com
/manco
今弁護士は共産党です。 この弁護士には大変、頭にきています。夫ともこの件で離婚しました。 実は『はまなすの会』の紹介で、釧路の今弁護士に債務整理をお願い しました。これまで今弁護士の事務所の方の言いつけを守り、苦しい 家計の中から毎月1万円ずづを今弁護士指定の口座宛に振込んで 来ましたし、現在もまだ払い続けています。 その間、今弁護士からの経過報告は一度もなく、現在の債務状況 がどうなっているのか、あといくら残っているのか全く判りません。 ところが先日、ある金融会社から「全然入金がないので裁判を起し ます」という通知(請求額200万)が来て腰を抜かしてしまい ました。夜も眠れません。 今○美弁護士は、私が骨身を削る思いで送金をしているというのに 全く整理をしてくれていない事が判ったからです。。 つまり今弁護士は私のような依頼者から返済資金として数百万円の送金を 受けながら、実際に金融会社への解決金として支払ったのは約半分以下に 過ぎません。差額の半分は一体どうなったので しょうか?私の頭の中で『今弁護士が着服しているのでは?』 という疑念が次第に大きくなって来た時、『業務上横領容疑』で 今弁護士に対する告訴状が釧路地方検察庁に提出され、弁護士会にも 今弁護士への懲戒請求が出されている事を知りました。 考えられない実態なのです。(自分はせっせと私腹を肥やす事に 余念がないのに!) 更に驚いた事は、私と同様の被害にあった債務者が多数いるという事です。 今弁護士のやっている事は借金で悩む私達に言葉巧みに近づきカモになる と思えば、その生血を吸う悪らつ非道な吸血鬼と同じです。 こんな弁護士は市民の敵です。一刻も早く除名し、厳正な法の裁きを して貰いたい。なんとか出来ないものですか? あたかも弱者の応援、正義の味方を装いながら、弱い立場の依頼人を裏切る 不義の弁護士。決して許すことは出来ません。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
480 :
没個性化されたレス↓ :03/08/31 19:10
クソだな
481 :
毛無しさん :03/10/12 06:30
あげ
482 :
没個性化されたレス↓ :03/10/21 02:08
マン毛
483 :
没個性化されたレス↓ :03/11/16 00:28
ほしゅ
484 :
没個性化されたレス↓ :03/11/18 20:21
この板には社会心理学を専門としてる人はあまりいないんですか?
485 :
没個性化されたレス↓ :03/11/18 20:27
朝鮮のことわざ 「女は三日殴らないと狐になる。」 「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。」 「他人の家の火事見物をしない君子はいない。」 「弟の死は肥やし。」 「梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる。」 「死んだ息子のちんこに触ってみる。(死んだ子の年勘定)」 「母親を売って友達を買う。」 「いとこが田畑を買えば腹が痛い。」 「営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る。」 「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。」 「あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを。」 「人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる。」 「死ぬ女が陰部を隠すものか。」 「家と女房は手入れ次第。」 「娘は盗人だ。」 「ただの物は苦くても甘い。」 「銭は汚く儲けても、きれいに使えばよい。」 「野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ。」 「ひとつ釜の飯を食べて訴訟を起こす。」 「らい病患者の鼻の穴に差し込まれたにんにくの種もほじくって食べる。」 「一緒に井戸を掘り、一人で飲む。」 「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。」 「倒れない木はない(あきらめずにくどけば、落とせない女はいない)」 「ニ人で食事をしていて、片方が死んでも気が付かない。(すごく美味しい)」 「女の話は良く聞いても破産し、聞かなくても恥をかく。」 「川に落ちた犬は、棒で叩け。」 「泣く子は餅を一つ余計もらえる。」 日本とあまりにかけ離れた思考の民族とは、親日、反日問わず難しいでしょう。
>>484 お高く気取っているからうろちょろせず潜伏しているだけ
>>484 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
●_● | いるはずだから
( ´∀` ) < 手紙書いて置いておけば
● ● | きっと返事が来るパンダ
( )○ \_________
●'⌒●
488 :
没個性化されたレス↓ :
03/12/20 23:36 age