「実験はサイエンスで臨床はアート」という偏見

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臨床が実際に相手にしているのはパーソナリティに少なからず問題を
抱えたかたが多いので,完治・寛解というレベルで計測するのは
酷だし,あまり意味がない。

切羽詰ったクライエントをより生きやすくするという意味なら
学校・職場・家庭への介入はもとより関係機関との連携も
視野にいれるべきですが,そこまでやる・やれるセラピストはまだまだ少ない。
リエゾンを標榜する人も人脈使ってクライエントを厄介払いしているだけのように感じます。
ま,医者や公的機関も厄介なPt押し付けてくるからお互い様の面はありますが。

ただし,治療成績をあげるのは実は非常に簡単です。
対象を限定しちゃえばある程度の結果は出てきます。
実際はそういう訳にはいきませんけどね。

でも,中途半端な人間ほどサイエンス(というよりもアカデミズム)
を軽視する(というよりも馬鹿にする)傾向にあり,
アートを洗練する方向に向かいがちですが,
これは厳に戒めなければならないと思います。

アート(≒経験「智」)があるのは医療・学問・技術その他もろもろの分野
に共通ですが,それを共有可能な知としてフィードバックしていく
気概に欠けている面は否めません。
この点はサイエンスのシステマティックな部分を活用すべきです。
(よくn=1だなんて馬鹿にされる方もおられるようですがそんなことはありません。
医療も一例報告はよくあります。)

一方で,それを担うはずのアカデミズムも独善的というよりも,
党派・利権争いに堕している現状は憂うべきです。