日本のカウンセリングのトップ國氏と臨床心理学のトップ川氏を日本の
未来のためのカウンセリングだの臨床心理学とかいう議題で戦わせたら
らどっちが勝つと思う?ちなみに、カウンセリングに資格は必要?臨床
心理学だけでやってける?
あなた勘ちがいしてませんか、根本的な。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/14 01:45
>1
もちっと問題を整理して書いてくださいな。
「日本の未来のための」って良く分からん。
どういう流派や治療方針がいいのか競わせろというの?
あと、(広義の)カウンセリングと臨床心理学と
どう違うのだ?
ちなみに、3つ疑問がでてるけど、この3つの疑問の相互関係は
どうなってる?
口調が似てしまった(笑)。
前提がナンセンス。何が聴きたいのかも不明。
学部生ですか?
5 :
社会心理学専攻生:01/11/14 10:15
と言うか、どっちも科学性ゼロだし必要ない、と思ふ。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/14 12:26
科学で人は癒せないよ
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/14 12:53
>>5 必要ないわけはないだろ。
あと、何をもって「科学性」と言ってるのか知らんが、
心の問題については、狭義の科学性では捉えられない
解釈学的視点がどうしても必要であることを解っていないのでは。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/14 13:00
>>6 匂いの研究などは、ちゃんと科学論文も出ていると思うが。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/14 15:30
うんこのにおいの研究だろそれ。
10 :
社会心理学専攻生:01/11/14 23:56
うむ? 科学性ってのは取り敢えず、「哲学的な意味での学問的功利性」とでも。
まあそれはともかく。
1の大学生さんの言ってる資格って多分臨床心理士だと思うけど、
(間違ってたらごめんなさい! そっちの方面は敬遠してるので……)
そっち系のカウンセリングって有害な事が多い。
未だにフロイトやらユングやら引きずってる人たちの事です、ちなみに。
カタルシスやらアホらしい事を言いまくる、「記憶」の性質を知らない人たち。
『傷つきやすい子どもという神話』(岩波書店)に詳しいですが。
心理学的な調査でも、相談相手(カウンセラー)として最も有効なのは、
常にお友達やらの隣人である事が言われてるし、
しかもカウンセリングって言っても、ただ話を聞いてあげて、
情緒的に共感する事が方略として最も有効である、と。
神経症やら精神病やらのレベルまでいくと精神医学者のお仕事だし、
中〜軽度の抑鬱とかなら、お友達のケアで十分だし。
カウンセラーができそうな事って、せいぜい「お友達を作る場」を提供する事。
それなら社会福祉士が専門だしね。
だから、いらない、と思ふ。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/15 00:06
川が分からなかった。誰?
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/15 17:38
あー、私も分かりません、11さん。誰なんでしょうね。
思い当たらない……。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/17 11:50
>>10 深いレベルの力動精神療法ができる精神科医は少ない。
もしくは、やる環境が整っていない。
で、薬ばっかりになるんだけどね。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/17 13:10
>>5 社会心理学なんぞを専攻してる身で
他の分野を「科学性ゼロ」などと批判できる立場にはないと思うぞ。
Patricia S. Churchlandの“Neurophilosophy”でも
社会心理学の命題のようなものは
いずれ消え去るべき非科学的な素朴心理学に分類されていたと思うが。
まあ,俺も社会心理屋なので,
青臭い議論がちょっと気になっただけ(苦)。
15 :
社会心理学専攻生:01/11/17 14:37
14さん、いつの時代の社会心理学の事を言っておられる?
ちゃんと最近の動向に追いついてこれていますか?
例えばJPSP、ちゃんと読んでます?
私は概ね社会的認知をやってるので、その他はさほど詳しくはないですが、
少なくともその分野は科学的にやってますよ?
10に書いた哲学的基準に照らし合わせて。
医学やら脳科学やらとの連携も進んでますしネ。
青臭い? 最先端はそう見えるのかな?
>>15 その「科学性」とやらを金科玉条としてるところが
「青臭い」といわれる所以では?
最近は社会心理学徒にもこんな「科学主義者」がいるのかね。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/17 18:14
>>15 人の症状とか悩みというのは、その人の全人格が背景にある。
そして、治療のために全人格的に向かい合うのには、
今の「科学的な体系」だけではぜ〜んぜん足りない。
そこが分かっていないから、青二才呼ばわりされてしまうのだよ。
特に
>>10 「心理学的な調査でも、相談相手(カウンセラー)として
最も有効なのは、常にお友達やらの隣人である事が言われてる」はお話にならない。
もちろんだからといって、科学的方法論を標榜する
行動主義心理学が、臨床の場で役立っていることは否定はしないが。
科学的な方法の緻密さに触れ始めたばかりで、それについていくのが
やっとだから、他のところが全く見えないんだな…
19 :
社会心理学専攻生:01/11/17 22:12
別に金科玉条にしているつもりはないですがネ。
ただ学問である以上、科学性は重要ですので、そういう言い方をしたのデス。
それと18サマも、いつの時代の社会心理学?
行動主義、それはせいぜい80年代後半までのお話。だと思ってましたが……?
心理学は、もう少し先の段階に行ってる、と私などは実感してマス。
全人格が症状の背景としてある、という考えも納得はできませんが、
科学的に治療してやろう、なんて馬鹿げた野心を抱いている心理学者は少ない。
だから、相談相手がお友達なんでしょ?
似非科学的な方法でやろうとする臨床心理士とかカウンセラーへの批判であって、
社会心理学の理論が人を最終的に癒せるなんて思ってない。
せいぜい、環境の分析と改善への示唆、程度まででしょう。
癒す主体は自分自身であって、そのサポーターが隣人。一般に言うカウンセラーじゃない。
訪ねてきた患者(こういう言い方は多分ダメですが)の事を何も知らない人間が、
いきなりその人の話を聞いてもどうにもならない。むしろ有害だ。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/17 23:39
>>19 臨床心理ではないけど心理学を専攻してます。
「癒す主体は自分自身」は良いのですが、そのサポーターは隣人
で、カウンセラーではない、というのは
>>18さんの言う通り、
かなり外しています。
心理臨床では、一般的な社会関係(友人や、夫婦関係等)
とは異なった特殊な人間関係が設定されます。
ここが心理臨床の最も基本的なところです。確かに
一番分かりにくいところではあり、カウンセリングとは
世間話をするところ、ぐらいの認識の人も未だに多いですが。
例えば…
人助けをするなら、より多くの時間を共
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/17 23:40
有するのが当然の
ように思えます。が、むしろ時間を区切る方がより良いと
されます。特殊な場(「治療構造」)というある種の
坩堝で、クライアントの治療的変化が起こるのを待つ、
というのが基本です。
また、カウンセリングの期間も一概には言えませんが
「時間を区切る」ことの意味を利用したブリーフ・サイコセラピー
でも最低10回、普通は2,3年から数年間にわたって続けられる
ものです。だから「何も知らない人間が、いきなりその人の話
を聞く」というのはテレホン人生相談ではないんだから、
批判にも何にもなりません(笑)。
22 :
社会心理学専攻:01/11/18 08:11
私は抑鬱をテーマとして扱ってるから話がそっちにいきますが、
重度の鬱病なら、ちゃんと精神科医に抗鬱剤を処方してもらって、
まあ例えば、自律訓練法やら受けた方が良いと思いますよ?
けど軽度の抑鬱は隣人への相談で十分だし、相談する隣人がいないとしたら、その事が問題。
心理屋にできる事は、自助グループをコーディネイトしたりして予防に努める程度だと思う。
臨床はどうしても、患者を創り出そうとしますからネ。金儲けのために。
私が批判しているのは、そういう今なおいるフロイト・ユング派の人たち。
ただの精神的な風邪を大きく見せて、患者を増やしてしまった過去がありますし。
私の知り合いがカウンセリングを受けに行って、よけい症状を悪化させましたしね。
そういう場にいくような人は、緊急のサポートが必要としている(求めている)わけで、
一ヶ月以上もウダウダ話すだけってのは問題ありでしたし、
色々な医者をたらい回しにされたりもしましたしね。
まあ、これは日本の制度が未熟なせいでもありますが。
別に臨床を全否定するつもりはありませんが、
サポートの効果は被サポート者の期待の方向に大きく左右されますから。
望む人から望むサポートを得られて、初めて効果がある。
で、多くの場合、それは隣人である。と。
私はカウンセラーってのは、困ったこと解決屋みたいに思ってたんですが。
エイズのカウンセラーとか、職業カウンセラーとか色々あると思うんですが、
心理療法的なアプローチもするのかもしれませんが、エイズか何かだったら、
きちんと情報提供し、必要があれば教育し、もっとも適切な手段をとるように
動機づけるってのが仕事でしょう。カウンセラーってのは、クライエントの
持ち込んできた問題の解決に責任を負ってるんですよ。話友だちなんかじゃ
ありません。というか、のはずなんですけどねェ。しかし、日本の現状は?……
カウンセラーという職種が成立しないのは当然でしょうね。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/18 12:16
上で言ってるのは心理臨床の事で、
職業カウンセラーとかの話ではないね、23さん。
そういう相談は、分野ごとの専門機関がやるべきです。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/18 20:25
>>22 軽度の抑鬱はともかくとしてさ、
神経症や境界例などの人格障害はどうするんだ?
精神力動的治療のできる精神科医もしくはセラピストが
必要だろ。
つまり、向精神薬飲んでるだけではダメ、周りの人間でもどう
しようもない、という領域。
26 :
社会心理学専攻生:01/11/18 21:54
25サマ、精神科医まで否定しているつもりはないですよ?
自律訓練法なんかは、いわゆる健常者がやっても気持ち良いものだし。
それほど詳しいわけではないので強くは言えませんが、
精神力動的治療、これには少し疑問を持っていたりしますが。
何度も言うようですが、私が否定しているのは主に、
いわゆるフロイト流のカタルシスを目指すようなカウンセリング。
無意識だとかをやたらと強調して、トラウマ理論を振り回す輩。
これは明らかに、有害です。
アメリカの現状を見れば一目瞭然。と思いますが。
>>26 あのう、フロイトはカタルシスを目指していませんが。
それから、精神力動的な理解は、ある種の境界性人格障害、ある種の神経症、
ある種の分裂病の症状の推移を理解するには役に立つ時があります。遠回しな
言い方になりましたが、やはり知っていると便利ですね。ただ、解釈を用いた
アプローチには?です。アプローチはやはり折衷的(薬物療法も含めて)になって
しまうのが現実ではないかと思いますが。
すまん。
君の言うことを否定する気はないが、
「フロイト流のカタルシスを目指すようなカウンセリング」って
何ですか??
心理学って楽しい??主にどんなことしてるんですか??
大学とか卒業したら何になるの??
なんか複雑そうで難しそう・・。。。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/18 22:16
フロイトは、えっと何でしたっけ、自由連想法?
思った事をどんどん言わせるやつ。あれの考案者だしたよね?
違いましたか? カタルシスはその流れの中にあると思いますが。
といか、例の「水を怖くて飲めない女性」(でしたっけ?)の治療例。
あれなど典型的なカタルシス理論の背景では? あれってフロイトですよね?
過去に封印された記憶を掘り出す、とかいう。
そういう意味で「カタルシス」と使ったんですが……。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/18 22:18
>いわゆるフロイト流のカタルシスを目指すようなカウンセリング。
>無意識だとかをやたらと強調して、トラウマ理論を振り回す輩。
正統フロイト派カウチで自由連想してから象徴解釈
みたいなのでしょうか?
今どき,そんな治療やってる奴なんているの?
精神分析寄りのカウンセラーったって,ほとんど精神力動的治療
では?それに27氏も言うように,実際には折衷的になってる
でしょうね.Higher-border以上だったら,結局ロジャリアン
みたいな対応してたり,Lowerだと,認知療法みたいなこと
ことやってたり.
>>24 了解。ここでのカウンセラー=サイコセラピストのことなんですね。私は臨床
心理ではないので、カウンセラーというと、ソッチのイメージがあるんですわ。
ただ、クライエントに対して責任を負っている点は同じですよね。専門的な
知識と技術をいかして、クライエントの訴えに対応していくという点では。
催眠浄化法のことですか??
なんとまあ、古い...。
もう少しフロイトの理論を勉強された方がいいかも。
おっと、私は、あなたの仰ることは否定しませんが、
精神分析をその程度に理解しているなら、あまりに不公平というか、
精神分析を語る資格はないと思われましたので...。
34 :
社会心理学専攻生:01/11/18 22:21
おや。書き込んでいるすきに二つも。しかも名無しになってるし。
>中学生さま
心理学って一言でいってもたくさんあります。
記憶、視覚などの五感、認知、発達、脳、対人関係……等々。
多くの人は、他学部と同じように普通に就職します。
>カタルシス
私のイメージがあっているとしたら、ですが。
過去にあった事を、人間はそれが不快であるがゆえに無理に忘れている事がある。
抑圧ってやつですが。
その抑圧を解放してやれば、つまり過去の記憶をきちんとした形で再現できるようになれば、
そこに端を発する脅迫観念などから逃れられる。という理屈。
私的には、この理屈は完全否定したい所ですが。
35 :
社会心理学専攻生:01/11/18 22:29
何かいっぱい見てる?
31サマ、そういう輩がおるから大問題なんですよぅ。
期待して言った臨床心理士の講演が延々その話で、思わず途中退室して、
後援者に睨まれたりしました(涙)。
そういうのは臨床心理の中でも異端ですか?
意識的に、そっちは避けてきたところがあるので、内情にまで詳しくはないですが。
一応テキスト的な本を何冊か読みましたが、納得はできませんでしたね。
記憶の性質を見落としてる、というのが感想です。
分析を一つのとっかかりとして利用する程度なら、容認できるんですけどね。
>>35 学部生ですか?
院生だったら、もう少しまともなことが書けるだろうし...。
どちらにしてももう少し勉強されて発言された方がいいかも。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/18 22:44
國分と河合はやってることが違うから。
38 :
社会心理学専攻生:01/11/18 22:57
まあそれはお互い様ですね。私から見ると。36サマ。
精神力動的治療、私の知識が正しければ、
「治療者と被治療者という対人関係の中で、患者の自己理解を助ける」
事を目的とした方法だったと思いますが。
これがそもそもの誤解なのかな? 違ってたら教えて下さい。
それはあまりに人間の認知的な側面を無視していると思われます。
ちなみに、37さま、前者はまだ容認できますが、
後者ははっきり嫌いです。憎し、ってやつですかね。
彼のせいで、日本の臨床心理が歪んだ(学問的にも制度的にも)、と思ってますので。
私は精神分析の訓練しているわけじゃないので、間違ってるかもしれませんが、
フロイトがブロイエルと一緒に仕事をしていた時は、催眠術を使ったカタルシス
によってヒステリー症状が改善すると主張していたと思うんですが。しかし、
すぐに再発するんで、自由連想、解釈、洞察という方法に鞍替えしたんじゃ
なかったかと。
以前、対象関係論を中学生にも分かるように説明しろなどという
スレッドがあったが、正直、それはなかなか難しいこと。
精神分析にしても、学部生にフロイトの理論の変遷を、一から分かるように
説明してするのは同じようにやっかいな事です。
教育分析を受けてみないと分からないこともあります。
ですから、このスレッドで言われている程度のことは、是非、自分で
勉強していただきたいものです。
その上で批判されるのはご自由でしょう。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/18 23:21
>>35 >期待して言った臨床心理士の講演が延々その話で、思わず途中退室して、
>後援者に睨まれたりしました(涙)。
>そういうのは臨床心理の中でも異端ですか?
マジでそれを現代の治療法として話してたとしたら,その講演者は
DQNでしょうね.単に精神分析の初期から歴史的に説明
してたのならまだしも.
受講者によるんじゃないの?
分析理論の基礎知識がないものに、分かりやすく話をするのは
難しいよ、ほんと。
44 :
社会心理学専攻生:01/11/18 23:40
39さま、ええ、確かそうです。
顔面痙攣(だっけ?)の未亡人の治療の中で、連想法を考案したんだと。
えーと、使い慣れない用語を使っているので間違いがあるかもですが、
フロイトを認められないのは、無意識を意識化する、って点です。
夢判断、カタルシス、連想、エディプス、などなど。
『精神分析入門』に始まり『精神分析学概説』(でしたっけ?)に終わる流れ。
無意識とか、抑圧とか。馴染めませんねぇ、どうしても。
実際、ウソの記憶があたかも無意識から出てきたものだと錯覚して、
裁判沙汰になった事もありますしね。ここ10年の事ではなかったですか?
そもそも無意識とか記憶とか、過去の産物に焦点をあてるのは、生産的ではない気がするし。
治療法としては、どうも。
というように、記憶とか認知をえらく気にする分野をやってる人間からすれば、
件の治療法のような場面では、人格の構造は変わらない。少なくとも変わりにくい。
そう私などには思えるのです、40さま。
そもそも、認知方略を変える事に焦点を置きますから。
精神力動的治療の言う正しい自己理解は、必ずしも適応的ではない、とも思いますし。
専門分野の違いからくる意見相違ですかね。
とい言うか、あまりに話が食い違うので、
私の精神力動的治療に対するイメージ、間違ってるのかな?
>42さま
そうですか。それは良かった。
日本の心理臨床にも、若干の希望が持てますね。
ちなみに、彼はマジ熱弁でした。
>>44 40ではありませんが
>件の治療法のような場面では、人格の構造は変わらない。少なくとも変わりにくい。
::
>そもそも、認知方略を変える事に焦点を置きますから。
精神力動的治療で とくに人格障害のような場合,
結局,とりあえず治療目標は,認知方略の変更まででしょう.
それが出来れば万々歳.
特に人格障害のような重いケースでは,それで十分であり,
実際に人格構造(人格とは何かという問題もありますが)
を変えるなんてこと,まで目標にして,達成できることなど
なかなか難しいのではないでしょうか.あとは,終結後のクライエント
自身の生活の中で変わっていくのを期待するだけで.
>精神力動的治療の言う正しい自己理解は、必ずしも適応的ではない、とも思いますし。
実際,精神力動的治療が目指しているのは,言い換えれば
自己物語の再構築であり,客観的に正しい自己理解である必要は
ないのだと思います.本人にとって整合的でかつ社会的にも不適応
でないような自己物語が出来れば,治療は成功かと
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/18 23:58
>>38 どうしてこれが人間の認知的な側面を無視していることになるのかが
全くわかりません。
というのは、「対人関係の中で自己理解を助ける」
というのは、それまでクライアントが背負ってきた、人や世界に対する
歪んだ(というのがいいすぎであれば、その人なりに形成してきた)
イメージが、そのイメージを深く検討したり味わったりしながら
変化していくこと、つまり力動的に変化していくことを意味している
わけです。
あと、カタルシスを得て治療に結びつく、というのはほんとに
フロイトの初期の研究で、それを目指して治療している人は
いません。
フロイト自身も到底そのような単純なモデルでは対応しきれない
ことに気付き、以後試行錯誤していたからこそ、後世に大きな
影響を残すことになったわけです。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/19 00:08
>>46 たしかに、カタルシス云々で満足しなかったことが、
フロイトの偉いところといえよう。
特に、理論的なところはいろいろと?も多いのだろうが、
臨床の技法的な側面に対する貢献は大きいよね。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/19 00:10
夢の解釈が責任逃れのための理論だったってほんとですか?
49 :
社会心理学専攻生:01/11/19 00:20
42サマの言う話ならば、かろうじて理解できマス。
「物語」だとか言うタームには、拒絶反応が出ますが。
まあ自己概念、と同義でしょう。ですか?
私がやってるのは、まさに終結後の人間関係を助ける、場合によってはコーディネイトする。
そういう事なのかな? そちら側に合わせて言うとしたら。
で、しばしばそっちの方が治療自体よりも重要である。と思っているので。
しょせん、人は自分で立ち直るしかない。周囲にできるのはそのサポートだけ。
だと思っている所に、「人格構造を矯正する」的な事を書いた本を読んだので。
やぱり少し、極化したイメージを持っているようですね。たぶんお互いに。
ステレオタイプの典型ですね。これも私の専門ですが。
社会心理学では、適応的な認知スタイルとは、ややポジティブに歪んでいる、とされてます、ちなみに。
>46サマ
というわけなのですが。
もう少し言うと、「世界や人に対するイメージ」っていうのではなくて、
それをどのような方法で見る傾向にあるか、って事を「認知方略」って呼んでます。
イメージ自体を対象にしているわけじゃない。
比喩的には、目に見えたものじゃなくて、視覚機能そのものを対象にする。
まあ例えば、精緻化の具合などは個人差がありますし。
「力動」よりも、もっと器質的なレベルの認知です。脳内のネットワーク表象とか。
脳科学に近いですね。この辺になると。脳の反応を見ながら実験している人もいますし。
あとフロイトですが、無意識に関するほとんど全てが納得不可。
自我やらエスやらは、比較的後半のものだったと記憶してますが、
それも馴染めないですネ。記憶の性質への誤解があるように見える。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/19 00:21
>>48 ゴラァ、中途j半端な聞きかじりだろ。
「ドーラの症例」は治療者としての態度等、
批判されることが多いが、その批判の一つと思われ。
>>44 ウソの記憶が裁判沙汰…の件はトラウマの記憶が云々の話ですよね。アメリカで
近親相姦の記憶を思い出して、父親を起訴したが、今度は父親がセラピストを
訴えたという話だったと思うんですが(記憶だけではっきりしないところがあり
ますが、間違いがあれば指摘してください)。フロイトは、患者さんが自由連想に
よって想起した記憶が、他の人の話と食い違うことがしばしばあるのに悩んだ
様子で、結局、それは「事実」ではなくて、「心的現実」となんだと言って、
いわばごまかしていますね。要するにフロイトは患者の記憶はウソのことがあると
はっきり言っているんですよね。
それから、精神分析の焦点は基本的には「Here and Now」で、「いまここ」での
できごとなんですが。
ただ、専攻生さんのおっしゃるように、「ぼく分析の専門家」って言う人にはかなり
???の人が結構おられるんで(門外漢の私が聞いてても???の時があるくらい)、
無理のないことかも。ただ、(門外漢の私が読んでても)ちょっと違うような気が
というところがあるんで、あんまし、ムキになって専門外を批判されるのはいかがな
ものかと。ちゃんとした人がするちゃんとした分析はやっぱし大したモンです。
高橋哲朗先生のセミナーを聞いてて、そう思いました。
52 :
社会心理学専攻生:01/11/19 01:05
もう少しで、獅子座流星群デス。
27サマ。
裁判の件は、概ねそうです。幾つも似た裁判があったらしいですが。
改めて生起した記憶が、完全に正しい事なんてない。
心理学でもチャレンジャー号事件の実験で有名です。
フロイトはそれを「ごまかし」ましたが、まさにその「ごまかし」が気持ち悪いんです!
しかも、上の話によると最近ようやくいなくなったようですが、
「それは真実の記憶だ」なんて臆面もなく言う輩がおりましたしね。
だから裁判になったりしてるのでしょうが。
イエスの教えが歪んでいく過程に似てるかも。(教徒ではないですが)
あと、専門外からの批判だから、意味があるんじゃないですか?
私は批判されるのもするのも、有用な事だと思ってますが。
刺激になるし、学問にありがちな閉鎖性も回避できる。と思うので。
同じ考えの人が集まると、どうしても考えが極化しますし。
これも社会心理学ですが(笑)。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/19 08:53
このスレを通じて、日本の心理学に蔓延する「精神分析」への誤解が修正されるのは
いいね。
日本の心理学の人は、精神分析を何も知らないで、精神分析ではまったくないものを
精神分析だと思っているからね。
「カタルシス」が分析だなんて、フロイトが精神分析を始める前の考えにすぎないものな。
日本には精神分析家が極端にすくないからね。高橋哲郎先生はそのかずすくない一人。
クライエントのあいだで、いまここで間主体的に流動的に動いている事態に
誠実に向き合うと言う点では精神分析でしょうね。ロジャースのように
「共感」なんてわけのわからないものに逃げないし、ユング派のように
夢なんていうどうにでも歪曲できるものだけに焦点化しないし。
行動療法のほうに「協力できる」主体そのものを疑わないこともないし。
騙りに釣られるのはマニアのかたでしょうけれども、
実際に心理学徒だったりしたら、将来を思うとちょっと寒気がしますね。
…誰かちゃんとした添削してやれ
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/19 23:35
>>54 そういうあなたの立場は?
@心理学徒
Aマニア
Bプロ
C通りすがり
ベッテルハイムが「フロイトと人間の魂」という本を書いてます。この本は面白い
ですよ。フロイトはもともとドイツ語で書いていたんですよね。それを英語圏の
学者さんが英語に翻訳して、それが基本文献になりました。でも、ベッテルハイムは
この英訳のプロセスに歪曲が入っていると主張してるんですよ。例えば「意識」と
「無意識」は英語で「consciousness」と「unconsciousness」です。でも、独語では
「Bewusstsein」と「das Unbewusste」なんです。直訳すれば、「意識していること」
と「意識されていないもの(の総体)」なんですよね。フロイトは抽象的な無意識という
もの、あるいは機能を想定してるわけじゃないようですね。他にも意図的な誤訳と
言ってもいいようなものがたくさんあると、ベッテルハイムは言ってます。フロイトは
もっぺん独語で読み直さなければ、フロイトの臨床的経験をきちんと評価できないんじゃ
ないかという気がします。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/20 00:54
社会心理専攻生さん、
申し訳ないけど、あなたはフロイトを誤読してます。いろんな意味で。
臨床体験をもたないでフロイトを読んでも仕方ないんです。
臨床体験をもたずに内科学書を読んでも、医者からすると困ってしまうのと同じ。
お茶をやってない人が茶道の本を読んでも、だめでしょう。
精神分析は学問ではないんです。実践なんです。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/20 09:31
>>57 学問でないものがどうして大学や大学院で教えられるんですか?
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/20 11:11
大学で「精神分析」を教えているところはありません。
大学では教えられません。
大学を買いかぶりすぎ。
こういうのもあるよ、と陳列棚に並べているだけです。
あるいは精神分析的考えを利用した臨床的マネジメントが教えられてるだけ。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/20 11:23
精神分析学の専門家を標榜している大学教授は、実は精神分析を教えてないんですね。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/20 14:10
精神分析を学ぶ場所は、国際的標準としては
postdoctralのインスティチュートです。
学部や修士のような駆け出しのひとはまだ無理なんです。
「自我」「超自我」「イド」は英語で「ego」「superego」「id」です。独語では
「Ich」「Ueberich」「Es」です。素直に英訳すれば「the I」「over-I」
「the it」でしょうか。
自我心理学関連の文章を「自我」を「私」、「超自我」を「私の上」、「イド」を
「それ」と置き換えて読めば、かなり違った印象を受けるんではないかと。
いずれにしても、フロイトの用いた用語は、ドイツでは日常的に使われる単語なん
ですよね。英訳の際に、それをかなりラテン語に置き換えちゃったわけです。
同じことは哲学でもありますね。ハイデガーの「世界内存在(In-der-Welt-Sein)」
は「この世に住みついていること」ですよね。でも、哲学の専門家はわざわざ難しく
言わないと、商売あがったりなわけです。でも、わかりやすい言葉をわざわざ意味
不明の言葉に置き換えるのはいかがなものかと。
この程度のことさえ、一から説明しないと知らないような輩が
聞きかじった知識で分かったように分析を批判するのが怖い...。
64 :
社会心理学専攻生:01/11/21 00:36
えーと、最後に聞いておきたいのですが。
カウンセリング、フロイト一連の理論(特に精神分析「学」)、現在の臨床心理士がやるような臨床心理「学」、
その三者には、まあ共通する部分も多々ある事と思いますが、その辺りをよ〜くご存じの皆様は、
いったいどれが、学問(或いは「科学」)として定義して良いものであると思っておられるのでしょう?
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/21 01:01
科学をもともとのWissennshaftだと考えるか、
natural scienceと考えるか。
「科学」という日本語も翻訳語だからね。
精神分析「学」などというものはないです。精神分析psychoanalysis
があるのです。日本の大学に適応しようとして「学」をつけたわけ。
phylosophyなんかも同じだろう。どこにも「学」なんてない。
だいたい「学問」という言葉と科学はまったく違うだろうし。
精神分析は哲学や社会学やマルクス経済学が学問であれば、学問でいい
んじゃないか。
64さん、あなたの「科学」「学問」の定義を聞こうじゃないか。
66 :
社会心理学専攻生:01/11/21 01:20
ずーっと上にも書きましたが、「哲学的な意味での学問的功利性」とでも。
全ての理論はトートロジー、なんていう偉い学者サマもおられる昨今、
まあ間違っても、真理などとは言いたくないので。ちょっとひねくれた定義ですが。
学問っていう方は、何だか混乱と一波乱を巻き起こしそうなので、忘れて下さい。
「科学」で。
あと、フロイトの最後の著述が邦訳で「精神分析学概説」だかになっているのを見ましたが、
あれも65サマの言う理由からですか?
67 :
66の補足。:01/11/21 01:21
まあ私的には、学問は科学的であらねばならぬ、と思っているので、
同義的に書いたのです。どうも。
翻訳者にきいてほしいんだけど、そうなんじゃないか、と私は思う。
もっともOutlineは最後ではないと思ったが。最晩年のもののひとつだが。
科学的というのが、できるだけ公共性をもたせようとする文化的知的努力
についておっしゃるのなら、精神分析は科学的たりえようとしてきたと
思う。しかし、実証主義positivismを科学的な営みのしるしと考えるなら
精神分析は、絶対に、絶対に、科学的ではない。
ふたりの主体の重なり合いをひとりの主体が捕まえる営みは、絶対に実証的には
語ることはできない。
69 :
社会心理学専攻生:01/11/21 01:35
フロイトの著作については、今見てみましたところ、やっぱり最後です。
遺稿として、死後に出版されてますね。ちなみにやはり「学」となってマス。
ああ、やっぱり科学ではないんですね。
(哲学史とか分かる人かな? とドキドキしつつ)
ええ、まさに実証主義的な意味で、です。
端的には反証可能性など、絶対に不可欠な要素だと思いますが。
ノイラートやら、概ねあの辺の人たちが提唱した基準で。
他の人の見解も聞きたいなぁ。
65サマの意見も、精神分析以外についても。
遺稿としてでたのはそれだけではなかったはず。あしたSEをみてみよう。
実証科学ではないです。臨床的営みにおいて、実証性を追い求めては、
本質を踏み外します。
観察主体が歪曲され、一時的に破壊されるということが転移の本質ですから。
71 :
社会心理学専攻生:01/11/21 01:47
あー、やっぱりそうですか。
だから馴染めないんですねぇ、私などには。
社会心理学とか、認知心理学とか、発達心理学とか、
各心理学分野に知人がたくさんいますが、誰も彼も否定的ですからネ。
というか、科学でない、って言い切ってやってくれる分には良いんですけど、
たまに科学だって顔をしてるのを見かけるので(某河合など)。
援助交際は魂に悪い、なんていう輩ですから……↑↑↑この人)。
まあそれで本当にクライアントの自己理解を助ける事ができるなら、
それでも構わないんですがネ。
来年からやや現場に近づくので、自分の目で確かめます、現場を。
ご丁寧に、どうも。(てか、他の人の見解も、あれば……)
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/21 02:05
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/21 08:05
65さんはいいねえ。
ごまかさずにビシッと自分の意見を言ってる。
清清しいね。
私は河合さんが好きではないが、
河合さんも「実証」科学と言う意味で科学だとはいってないだろう。
私も「実証科学」だけが科学かどうか疑問だと思う。
原理的に実証困難な領域で何かの実践をしないといけないとき、
それでもなおかつ万能的超越的非合理的論理に頼らずに
語りきろうとする試みは絶対必要である。
そうしたものも科学かもしれない。
そうでないかもしれない。それは「科学」の定義の問題だ。
「実証科学」でないものを全部カルトだという人があるが、
それは「修行」だとか「職人の知恵」をカルトだというに等しい。
そうしたものも人間知、人間の文化のなかで尊重されねばならないだろう
精神分析はそうした領域に位置する、きわめて洗練された何かだ。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/21 12:27
>>66 「精神分析学概説」、Gesammelte Werkeで調べたところもともとの
タイトルはAbriß der Psychoanalyse だった。どこにも「学」はなか
った。おそらく翻訳の時点で紛れ込んだものと思われる。
私の印象では(印象で申しわけないんすが)、フロイトは精神分析を自然科学に
したかったんじゃないかと。例えば、自由連想という方法ですが、あそこまで
治療者の匿名性にこだわり、治療構造にこだわったのは、自由連想という方法を
取れば、誰でも同じデータを取れる。すなわち再現性があり、普遍性があると
言いたかったのではないかと。確か、どっかの論文でそんなこと言ってたような…。
でも、実際は転移に引き続いて、逆転医なんて現象が出てきて、フロイトの
目論見は見事外れてしまったと言うことなんでしょうね。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/21 15:27
>>76 フロイトは自説をメタサイコロジーとも言ってたしね。
エネルギー論や生物学的知見など、自然科学モデルの借用も多い。
それがメタファーやアナロジーとしてもね。
精神分析を仮説だ、って言っているのも、将来それが証明される
ことを考えていたんだろうと思うけどね。どうだろ。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/21 15:55
>>76 >>77 なるへそ〜
そういう見方もありますか〜。
ただ、フロイトはマイナーな自説を広めることに心を砕いていた人
なので、科学性の衣がほしかっただけともいえるのではないでしょうか。
社会的な圧迫も相当なもので、だんだん味方ができるまで相当な努力と
歳月を要したから。
治療構造にしても、ゆるやかなものでは却って治療の妨げになり、
自我を鍛えることにならないということを臨床上の経験から敏感に
感じ取っていたのではないでしょうか。
フロイト派のカウンセラーでなくても、フロイトが発見(発明?)した
諸々の臨床上の「知」というのは、評価している人が多いですね。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/21 16:00
>>1 のあんまりなスレ立ての割には、比較的まともなレスが
ついてますね、ここ。
フロイトは自由連想という、とーっても厳しい治療構造を要求しましたが、
自分じゃそこまできちんとやってないそうですね。「狼男」の症例では、患者に
お金を貸してやったりしてるそうですよ。他の症例でもあんまし厳密にやって
ないんじゃないでしょうか。フロイトって感情的で神経症的なひとだったみたい
だから、そのくらい厳しい治療構造を自分に課せないと、治療者=クライエント
関係がぐちゃぐちゃになっちゃいそうな人だったんじゃないかって、思ったりします。
81 :
社会心理学専攻生:01/11/21 22:06
まあともかく、実証科学ではない、と。
しかし某ハヤオなどは、何かのエッセイで科学である事を力説してた記憶がありますネ。
そりゃ明らかに、推計論の誤用だろ。と思うような事を平気で口にしたりしてますし。
けどまあ科学(=学問)でないとするなら、どうやら今の私には必要なさそう。
やろうとしている事は、ずいぶんと違いますから。
どうも。皆様、ご丁寧なレス。65サマは特に、調べてくれたりなど。どうも。
……と、こうしてしまうと、ここ、終わっちゃうかな?
特に2chでは臨床派かそれ以外か、みたいな構図があって、
やたらめったらお互いをけなし合う事が多い中、まともなレスになりかけてるし、もったいないなぁ。
続けませう。どんどん。
という訳で今度は、社会心理学のここが理解不能!というかダメ!
みたいな批判をお聞かせ下されば幸いかと。
>>81 社会心理学ってどんな科学なんですか。実証科学なんですか。私は社会心理学の
ことは何も知りません。臨床に役に立つことがあるんでしょうか。わかりやすく
教えてください。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/22 00:40
>私も「実証科学」だけが科学かどうか
::
>「実証科学」でないものを全部カルトだという人があるが、
>それは「修行」だとか「職人の知恵」をカルトだというに等しい。
でも伝統的?な心理学では,そのように言われてますよね.
実証というより「自然科学」だけが科学であり,心理学もその一分野であると.
よって
>原理的に実証困難な領域で何かの実践
はすべきではない,する必要はない,よって行動療法だけが認められる,
と,実験心理系の大学などでは教えているようですが.
>それでもなおかつ万能的超越的非合理的論理に頼らずに
>語りきろうとする試みは絶対必要である。
私も,そう思いますが.
83は
>>74のつもりで書いたものでした.書き落としました.
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/22 02:04
>という訳で今度は、社会心理学のここが理解不能!というかダメ!
>みたいな批判をお聞かせ下されば幸いかと。
そうだなあ,自我同一性尺度なんてのがあるみたいだけど,
そもそも,質問紙において自己報告をする形式でアイデンティティなんて測定できると本気で思っているのかな?
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/22 02:27
>>85 確かに、質問紙法も厳密に運用したり、いろいろな工夫は
されているとは思う。
しかし同時に、どうしても浅薄なイメージを受けてしまうのは
自分だけかなァ。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/22 04:39
通りすがりの酔っ払い.
このスレだけを読んだので,正直なところ理解できたとはおこがましくていえないが,
ずいぶん,精神分析に対して印象が変わったなあ.やっぱ,勉強しないで思い込みで批判するのはよくないねえ.
でもまあ,個人的には科学=実証的であると叩き込まれたので,
実証ではない,まさに「匠」の世界をどう後世に伝えられるのかってところには
「危うさ」を感じてしまいますが.
あ,そのためのスーパーバイズなのか.
でも,伝達過程で内容が歪むことは伝言ゲームをやったことのある小学生でも知ってるしな.
どうも「匠」「技」となると,そこに「努力帰属」ではなく「能力帰属」を感じてしまうんだけどなあ....
個人の資質に帰するものを「科学」とするのは如何に?蛸に?とか思っちゃうんだな.
なんだか自分でもワケわかんなくなってきたんだな.
ま,ヨッパの戯言だ.てへ.
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/22 05:01
↑なんだか落語の熊さん八っつあんみたいだね。
いずれにしても視野が開けるというのはいいことだ。(にっこり)
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/22 14:20
>>74 精神分析が職人技の世界っていうのはいいんだけど、
精神分析学とか臨床心理学、精神医学の肩書きをつけた先生たちが相変わらず
問題行動起こした奴が出るたびにマスコミに登場して会った事も無い人の『分析』してる。
これって職人として主体的にその人と関わった結果を語るってるんじゃないと思うけどね。
本屋へ行けばそんな調子の本が山ほどあって、それがまた売れている。
『XXについて分析してください』ってスレ立てる奴が後を絶たないのもこういう背景があるから
のように思うけどね。
『セラピーの職人』って来談者に対してあんなにぺらぺら喋らないでしょ。随分傷つけるような
事も言ってるし。
精神分析がセラピーという特殊な関係、限られた場所と時間における主体的な関りの中で、
どう問題解決していくかを職人的匙加減で探るテクニックではなくて、何か客観的・科学的に
人の心が分かるものなんじゃないかという一般的誤解は、マスコミに露出している先生たち
の責任だと思うけどね。これについてはどう思います?
放送タレントで精神分析の臨床持ってた奴なんておるのかね?
>>87 う〜ん。実のところ、分析だけではなく、臨床が科学なのかどうかが、私にはよく
分かりません。中井久夫が言ってるんですが、臨床には「技術」と「熟練(スキル)」
がありますね。技術はほぼ何時でも成功する手続きの集合であり、それは「マニュ
アル」にする事が出来るそうです。しかし、スキルは特に勝つか負けるかという状況
で問題になるそうですね。ここでは「意外性(カオス性)が現れるからだそうです。
そう言えば、実証のための実験やリサーチの手続きも、実際にはスキルの側面があ
りますよね。あいつがやったらちゃんと結果が出るのに、おれがやったら、なんで
結果が出えへんね!! てやつですね。そうすると、実証科学も実はそのベースは
微妙なものだったりして……。
92 :
社会心理学専攻生(体調不良……):01/11/22 23:14
社会心理がどういう学問かっていうのは、ちょっと答えにくいデスが。
臨床系との最大の違いは、厳密な統計処理に耐え得るよう被験者を圧倒的に多くする、という所でしょうか。
だから質問紙法なども、数がそろわないと無意味です。一人だけでどうこうっていうのじゃない。
心理テストでたまにそういうのを見かけますが、あれば明らかに似非です。
例えばアイデンティティ尺度、これは厳密には教育心理系なのですが、
それをやったからと言って、85サマのアイデンティティ地位が分かるわけじゃない。
尺度の有用性を検証するため、臨床系との知見との相関を取る事は勿論していますが。
全体の平均的な傾向を探る事を得意としているのです。だから一対一場面には弱い。
この辺りに「科学」としての限界があるのでしょう。
けど、社会心理学は「真実のココロ」を探ろうとしているのとは少し違って、
ある場面において説明力の強い(つまり説明体系として有益な)モデルを構築しようとしている。と思っています。
本気で頭の中に、スキーマとかあるって考えてる人は、たぶんいないでしょう。
私的には、例えば精神的健康などについて、社会心理は全体としての促進が得意ですが、
もちろん、その一般的に良い環境が、ある人にとってはストレスだって場合もあるわけで、
だから社会心理学は集団レベルでの予防、臨床系は個別的なケア。
そういうふうに、得意分野ごとに活動して交流していけば良いのに、と思っていますが。
89さん、精神分析の誰が発言してますか。あなたは印象論で語っておられませんか。
私の知る範囲では誰もしていないです。
精神分析系では和田氏だけですが、彼は分析家ではないし、分析家候補生でもないです。
彼を精神分析のインサイダーだとは誰も思っていないでしょう。
まして町沢などは精神分析とはなんのゆかりもありません。
分析家で有名な人、たとえば土居健郎がそういうところでコメントしますでしょうか。
しないです。北山修ももと「芸能人」でそういう求めは絶えずあるでしょうが、
不用意なコメントはしてません。
そういう自分の分(ぶん)を守れない人は分析家たりえません。
転移のなかにいるクライエントにとって突然セラピストがマスコミに出ることは、
破局的な体験でさえあるからです。
87さん、その問題を何とかするために、たとえば、日本で育てばだいたい日本人になる、
というような文化的な再養育のために、訓練を10年くらいやることになったのです。
分析状況という特殊な間主体的状況を生き生きと生きていくための訓練ともいえましょう。
ふたりの個人の主観的体験が問題になるところでは、実証科学の手法は適用が難しく、
私は精神分析のとった道もひとつの道だと思っています。唯一の道かどうかは疑問です。
精神分析とは精神分析状況を営むこと以上でも以下でもなく、
見ず知らずの人を「分析」することは荒唐無稽です。
「精神分析」というものを日本人がまったく知らないということは、
ほんとうに、外国の知識人と話していると、その違いに驚きます。
日本に精神分析家は10数人しかいない、ということを皆さんに前提と
していただきたいと思います。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/23 01:53
酔っ払い前の通りすがり=87です.
>>91さん
>実証科学も実はそのベースは
>微妙なものだったりして……。
なんてことを言われると,こっちもちょっと弱腰にならざるを得ないなあ..
私個人は科学論なんかをちゃんとやったわけでもないし.
ということで,科学の定義について論を続けても平行線なんでしょうね.
やっぱり「臨床は科学ではない」という言質も前提なくしては意味がないってことだわな.
>>93さん
了解しました.
唯一の道かどうかはともかく,
「匠の技」として実践的手法を磨いてきたということでよろしいか.
精神分析からまだ1世紀そこそこ.これからの発展を期待しましょう.
....ただ,このあたり,ラカニアンとか対象関係論者とかどう思ってるんだろう?
あ,一つ.
>>95の前提は承服できるんですが,
>>89で指摘されているような現状について,10数名の精神分析家のみなさんは
苦々しく思ったりしないのでしょうか?
>>92 社会心理学専攻生さん.
体調不良ですか?お大事に.研究は身体が資本ですよ.
しかし,それにしても
>>92の書き込みは私には納得いかない.
>臨床系との最大の違いは、厳密な統計処理に耐え得るよう被験者を圧倒的に多くする、という所でしょうか。
>だから質問紙法なども、数がそろわないと無意味です。一人だけでどうこうっていうのじゃない。
>心理テストでたまにそういうのを見かけますが、あれば明らかに似非です。
おいおい,調査系の質問紙法と,標準化された心理テストをごっちゃにするなよ.
ってことで,じゃ,連休だし,帰って酒飲むか.
97 :
社会心理学専攻生:01/11/23 02:26
>96サマ
お見舞いの言葉(?)を頂いてしまって……どうも。
ちょっと誤解のある書き方をしてしまった模様。
被験者が少ないと正規分布しないから、ノンパラになる、という意味です。
まあノンパラで分析すれば良いかもしれませんが、検定力が格段に落ちるので、
私はあんまり信用していないもので。
例えばBDIとかは、私が上(92)で言ったものの内には入らない、と思いますよ。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/23 08:20
小田晋は精神分析家ではないの?
小田さんは臨床さえあやしいひと。もちろんちがいます。
彼の言っていることはどっちかというと、アンチ精神分析です。
精神鑑定をやる人は分析家ではないです。もちろんちがいます。こういう誤解
があるんですよ。福島章も高橋紳吾もちがいます。
福島さんは精神分析が「好き」なようですが、何の訓練も受けていません。
精神分析家は週4回以上の訓練分析を500セッション、週4回以上の分析例についての
スーパービジョン2例以上、などとという基準を満たした人がなるものです。
>96
英国はもっとも訓練が厳しいところです。
基本的には考えは変わらないと思います。
ラカン派は国際分析学会を出てしまいました。しかし、
彼らも何らかの訓練組織をもち、そのなかで文化的養育を
していることは確かでしょう。
>>96 科学は実証的じゃないというわけじゃないんですよ。というか、科学は実証的で
なくちゃ困りますよね。ただ、実証する手続きにスキル(熟練)が要るんだろうな
ってことですわ。生化学や生理学の実験でも、気むずかしい機械というのがある
らしくて、例えば、Aさんがやった時だけきちんとした測定結果が出るんですわ。
BさんやCさんが全く同じ手順でやった(はずの)時でも、結果が出ない。これがA
さんの横についてずっと実験やってると、ちゃんと結果が出るようになったりする
そうです。これってスキル(熟練)の問題ですよね。
心理療法でも、最初はどないなるんやらわからんわけですが、熟練してくると、
同じタイプのクライエントが来ると、お決まりのコースでよくなっていったりする
わけです。これも一種の再現性ですね。ただ、これじゃまだ科学的な実証性とは
いえませんね。う〜む……
101 :
社会心理学専攻生:01/11/23 10:35
ふと思ったんですが、精神分析ってartなんですね、きっと。
技術と芸術、両方の意味を包括している英単語、という意味ですが。
日本語では、そういうのはないですねぇ。
芸術学のように、アーティストでない人が学問できる部分もたくさんあるけど、
その技術の運用になると、やっぱり高度の才能が要求される。
少しずつ輪郭が見えてきた……って、65サマこんなでいいのかな?
101に座布団一枚!
分析の話は止めてくれんか?
毎回同じ事の繰り返しだしな。
啓蒙含めてレスしている人もいるが、そうしてある程度共通の土壌に
たった上での話には意味があるが、勉強不足な人も多いしね。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/23 14:14
>>103 あなたにとっては毎回なんでしょうけど、別にいいでしょ
消された便所の落書きに何度同じ事書いたって。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/24 05:38
通りすがりの泥酔野郎....
ってことで,あげるのが精一杯....あげ.うげええええ,トイレトイレ....
>>104 あまりに基本的知識の欠如、無知による誤解、煽り...、
同じ事の繰り返しで、疲れるのです。
106=103さん、あなたの気持ちもよくわかるんです。
ですからとりあえず、あなたはここに来なければいいのかもしれません。
こうした掲示板では同じレベルの文化的教養的背景を想定できません。
そのなかで議論したり、知らないことにお互いに開かれたりするしかないでしょう。
私も疲れたら休みます。
このスレの進行を変化させようとするのでなく、
ご自分がとりあえずお休みになるのがよろしいと思います。
厨房にとって精神分析という言葉には何か魔術的な魅力があるらしく、
その反動含めて、分かったような中途半端な理解をしている人が多い。
ここはカウンセリングと臨床心理のスレなんだから、別でやってもらいたいね。
どのみち臨床経験のない素人に説明するのは難しいし、必要のないスレ
かも知れないがね。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 03:11
とりあえず今日も酔っ払い.書き込みは控えてあげておく.うげえ.
心理カウンセリングと心理療法ってどう違うんですか? 同じことのような気も
するんですが。違うとしたら、どう違うんでしょう?
臨床心理士の資格を作るときにさんどうした16?の学会ってわかりますか?もしくは、どんなものを調べればわかりますか?
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 16:17
フロイトは、単に心理学発展の歴史の一部であって、化学ではありません。
未だにフロイトを信じている人はもう一度大学で学び直した方が
よいと思います。
フロイトを本気で信じているのは心理学を勉強していない一般市民です。
ついでにフロイトは当時、お金持ちの奥様方を相手に商売していました。
性的な抑圧等との関連づけは、時代背景等を考えれば、
奥様たちから引き出せる当たり前の情報だったようです。
>>↑
というような、知ったかぶりの単細胞も出てくるしなぁ。
精神分析の上っ面を勉強した、学部生か院生だね。
批判するのは結構。もう一段深く、勉強してね。
深く勉強したところでフロイトの理論の妥当性は
変わらないと思うけど。
「もう一段深く勉強すればこんな批判はでない筈」
っていう考え方は宗教と同じ匂いがする。
115 :
一精神科医:01/11/25 20:06
112,
あなたはフロイトを読んだのかな。
世界中のインテリが当時ひきつけられたのはなぜだと思うのだろう。
科学でしょ、化学でなくて。
フロイトを「信じる」人は精神分析家ではありません。
フロイトの理論は精神分析の内部でも徹底的に批判され尽くしています。
クライン、ビオン、ウィニコットがフロイトの理論を「信じて」いたのでしょうか。
何かを疑うことの価値について、深く思索したのがフロイトだからです。
フロイトの患者は「奥様」は少ないです。あなたは資料に当たりましたか。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 20:35
>>110 あまり違いはありません。特に、広義に捉えた場合は。
ただ、カウンセリングを狭く解すると、
@対面法で、A言語的に(言葉のやりとりにより)、ACLとCPが一対一で、
といったことになるでしょうか。
しかし、行動療法の指導や、その他フォーカシング等の非言語的治療法
と称されるものも、「カウンセリング」という場合があるので、両者はあまり
違いません。
ちなみに精神医学の分野では心理療法を精神療法ということが多いようです。
>>114 一部115さんが指摘しているが、あまりにものを知らないので
書いただけ...。
気に障ったら、ごめんね。
でも君が専門家の端くれだったら、私としてはちょっと驚くよ。
精神分析は大いに批判の余地のある精神療法です。
しかし君のレベルで批判されると、やはり、ちと違うと思うからね。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 21:09
>>114 深く勉強する必要はないですね。ただ、最低限エレンベルガー
くらいは読んでおいてね。あとフロイトを批判するなら、原著も
ね。117さんも言ってるように、あなたレベルの批判は、「ネズ
ミの心理学で人間が治せるか」って言ってる厨房と同じレベル。
あと、分析やっている人でフロイトを「信じている」人なんてそ
うそういません。ご期待にそえなくて申しわけないけれど。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 21:20
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 21:26
>>119 そうです。「無意識の発見」です。買う価値はありますよね。
内容がすばらしいのは言うまでもなく、訳がまたすばらしいと
思いません? 弘文堂もたまにはいい仕事しますよね。
ちなみに「フロイトと後継者たち」ももはや古典と言ってよい
のでは?
両者とも、あのアイゼンク先生の推薦図書であります。
やっぱりギャラリー同士の叩き合いになるのか?
122 :
社会心理学専攻生:01/11/26 03:49
久しぶりに来てみると、何だか色々進んでる。
眠いので一言だけ。
精神分析において、フロイト的な意味での「無意識」ってどう位置づけられてるんでしょ?
たぶんごく真っ当な(?)心理屋にとって、これほど取っつきにくい概念はない。結局はナゾ。
そもそも「無意識」なんて意識されないものだろうから、「発見」なんてできんだろう。
と考えてしまふ。のですが……? 無意識の証明はトートロジーに陥りそう。
こういう論理展開は、精神分析においては無意味なんですかね?
別に厨房的批判をした覚えはないんだけどな。
流れからすると,そうとられても仕方ないかもしれないが。
精神分析的なアプローチの意義を否定するつもりは全くない。
ただ,意義があることと科学的に妥当であることは全く別で,
いくら深く勉強したところでその妥当性が見出せるわけでは
ないだろう,ってことを言いたかっただけ。
112の求める科学性はいくら勉強したところで手に入らないのは
自明なのに「もっと勉強しろ」的な言い方は宗教の勧誘みたい
なので気持ち悪かったんだ。
あと,私は臨床心理領域の人間ではないので,安心してくれ
>>113
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 05:47
112だけど、現在はBiopsychologyの発展がめざましく、
フロイトは歴史としてしか学ぶのが普通で、学問としてではない、
といことが言いたかっただけです。
だからね、精神分析とかフロイトの話は止めてくれんか?
結論、こうなることは見えてるし、あまり建設的じゃないよね。
だいたい言葉の意味がかみ合っていない。
>>124 Biopsychologyって何ですか?
そんな言葉、誰が造ったの?
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 09:14
認知心理学でも「無意識」はある意味で前提だろう。
行動主義を主張したい、ということなのか、122は。
>123、
実証科学でないということと勉強しないといけないことと、どうつながるのか。
実証科学でなければ勉強しなくてもいいのか。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 09:36
>125
ジャーナルとか読んでないの?
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 10:35
>>127 いまどき、実証出来ないものを勉強しても自慢にはならないよ。
言い訳してるとしか思えんがね。
精神分析を非常に狭義に捉えられてるようだが、
健保適用になる標準型精神分析のうち、
あなたの言う精神分析をしている人が何パーセントにしかあたらないか
考えてみて欲しいね。
130 :
社会心理学専攻生:01/11/26 11:01
>>126サマ
認知心理が無意識を前提としている?? 寡聞にして知りませんが。
閾下(サブリミナル)とか、自動処理(ヒューリスティック)とかは想定しますが、
「無意識」は前提とはしてないと思いますよ?
閾下とかは意識の連続体として実験がされていると思いますが、
「無意識」は意識とは非連続で、洞察でも何でも良いですが、
そういう特殊な技術によらねば出てこない、という類のもの。ではないですか?
私は万人に学べる「科学性」やら「実証性」を大事にしていますが、
別に役立てばそれで良いんじゃないかな? 何であろうと。
さも学問的な体系として俗流の本(しかも心理学とか銘打った!)とかを出されるのは迷惑だけど、
その人のartとしては、認められる。と思っていますが。
それにまあ、こういう分野は概して現場が理論(実証科学)に先行するから。
>129
いまどきも何も、実証できないものがかならず臨床のなかに登場する
ことは事実。
健保とか、そういう日本の特殊事情については私はよくわからない。
資格のある精神分析家が10数人しかいない(世界に1万人いるのに)国なので、
日本のほうが特殊なのではないかと思いますので。
>130
「無意識」は意識というものとつながっていて、夢、いい間違いやり間違い、日常の
人間関係(転移)のなかで出てくる、というのが精神分析の考えですが。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 13:08
>>131 >>いまどきも何も、実証できないものがかならず臨床のなかに登場することは事実。
「良く分かんないんですけど、治っちゃいました」とか「治りませんでした」とか、
そんな言い訳をするために心理療法は「実証できない」とか言ってるんじゃないのか?(笑)
俺に言わせればそんなものは来談者に対して無責任以外の何ものでもない。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 13:31
行動療法万歳!
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 14:04
酔っ払っていない酔っ払い.
馬鹿なことやってる間にずいぶん進んじゃってるな.
分析系の方々はいわゆる実証科学とは異なるアプローチを進めているのであり,
そのアプローチ法について,揶揄されるのは勘弁だってのは今までの流れでわかるんですが,
だからといって分野外からの批判を拒絶するってのはどうかなあ.
ま,それは実証系にもいえること.
あまりにも実証系マンセーだと,科学哲学あたりから突っ込みが来るぞ.
ってことで,建設的にもっていくことはできないもんかなあ....
>>125さん
>だいたい言葉の意味がかみ合っていない。
どの言葉でしょう?
>>97 社会心理学専攻生 さん
これ,ちょっと意味不明.
まず,サーベイのための質問紙と標準化された質問紙の違いについてご高説賜りたい.
時間ないので,以上.
>>1 名前:大学生 01/11/07 00:59
日本のカウンセリングのトップ國氏
↑ 学会 行って来た。これが発表って言うのがあった。まあ、
専門に研究していないから、まぁ、仕方ないかとも思うけれども、
はずれ、多すぎ。行くだけ、無駄だった。参加費と交通費、返せ。
○○カウンセラー、実力、わかるかなぁ。
>>134 まあ、2chに建設的なレスを期待する方が無理というものでしょう。2chのレスは
煽りと攻撃ばっかしですからね。
でも、このスレ、結構まともなレスが来ていて、私は好きなんですが。ただ、患者
さんの相手ばっかししている私としては、とっても内容が難しい。よくわかんない
です。もうちょっとわかりやすうならへんもんでしょうか。ボケと言われるかも
しれへんけど。
アホがいっぱいやしな。
厨房ばかり...。
けどほっとくと、好きなことやりよるさかい、アホには時々釘を差しとかなね。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 21:15
自然科学のそばで科学のふりしてる心理学者め!
おまえら全然、人間の精神なんてわかってないじゃん。
とか煽ってみたりした。
>132
それはちがいます。主観的体験を扱い始めたとき、純粋な実証的検証は
できなくなると申し上げています。
137のように何がアホかを明確にしないで優越感をむきだしにするのは、
いただけないように感じます。高みから見物すれば、自分はえらい、ということに
なりますけどね。
洞察指向的な心理療法って、どっか胡散臭いとこがあるんですよね。例えば、「頭
痛い」って訴えてきた患者さんがいるとしますよね。で、カウンセリングするうち
に、治療者の援助によって「対人関係上の問題が頭痛の原因だった」と患者さんが
洞察した、そして、頭痛は治ったとします。でも、それって、「あなたが困って
いたのは、本当は頭痛じゃなくて、対人関係だったんだよ」って、うまいこと
言って主訴をすり替えただけじゃないかって。まあ、患者さんが納得してくれた
からよかったものの、洞察って、ひょっとしたら主訴のすり替え作業じゃないかって
、思う時がありませんか? 不安になることありませんか?
141 :
社会心理学専攻生:01/11/26 23:48
究極的には、人間は何ものをも実証できないんだし。
功利性があれば、私としましては、それで十分。
心理学が人間(のココロ)を解明できるなんて、誰も思ってないでしょ。
ある理論やモデルで人間をどこまで説明できるか、って事が問題だと思ってますが。
ただまあ、実証性がないと即ち反証可能性が考慮されにくく、
自己反省をしにくいのは事実かとも思われるので、
こういう場所で批判し合うのは有意義かと。2chには珍しく(笑)。
極化した某国のセラピストが、自己反省をしないが故に暴走した好例だと思いますが。
臨床系の方も、そういう自己を疑うっていう科学的な「態度」さえ捨てなければ。と。
>>134サマ
もしかしたら質問紙の区分に誤解があったかもですが、
たとえば医療現場なんかでも使われているような100項目近くあるやつは、
あれはたった一人の測定である程度、その人の状態をつかめます、たぶん。
けど心理学がよく使うようなやつは、そもそも大量の被験者を調査する事によって作られていて、
しかも正規分布を前提としており、更に心理学で使う統計も正規分布を仮定しています。
ノンパラメトリック(邦訳は非正規分布?)もありますが、私はあまり信用してません。
で、被験者が少ないと、うまく正規分布してくれないので、それを前提とする質問紙としての意味がなくなる、と。
(ああ、分かりにくい説明……スミマセン)
解釈って、ある種いかがわしいトートロジーみたいなところがあって、A=A'(A
って実はA'だったんですね)、A'=A''、A''=A'''、…=B。で、解釈によって
主訴は、最初と似ても似つかぬところに導かれてしまうだけなんじゃないかって。
この辺は論理学的に言うとどうなるんでしょうね。詳しい人がいたら、教えてください。
143 :
社会心理学専攻生(親不知を抜いて凹む):01/11/27 00:00
おっと、忘れてた。
65サマ、言葉足らずの誤解なのか、私の理解が間違っているのか。
精神分析では、「意識」と「無意識」って、質的に同一のものだと考えるんですか?
「無意識」が「意識」に影響する、っていう仮説(?)は当然知ってますが。
私の理解では、少なくともフロイト的な「無意識」は、「意識」とは質的に違いがある。
抑圧されてて、何だか得たいのしれないもの、みたいなイメージですが。
今ぱっと見てみたところ、『心理学小辞典』でもそういう説明がされてますね。
心理学では、何て言うか上手く説明する自信がありませんが、
覚醒水準の違い、みたいな感じで、質的な違いは想定しません、たぶん。
単に意識の閾下における感覚や表象(同書より)。
と言うか、同書の同項、精神分析「学」となってますね。やれやれ。
>27、
精神分析が洞察を求める治療だ、とはほとんどの分析家はおもっていません。
洞察は結果として生まれることもあります。
心的変化は洞察の結果ではなく、分析的な営みのなかから生まれてきます。
その副産物として言葉による洞察がついてくることもあります。
>143
人間の心的体験を構成するふたつのものなのではないでしょうか。
えたいのしれないものを無意識とする中期理論から、
防衛機制を働かせる「自我」の活動のほとんどを無意識領域に含みこませる
後期理論にフロイトは変化しました。
1920年代以後のフロイトにおいて、10年代のメタサイコロジーはそのまま
通用しないようにも思えます。
フロイトが一貫していないわけです。
たとえばクライン派の無意識的幻想概念は、抑圧とは何の関係もないです。
抑圧されてできたのものでなく、本能と言う生物学的実体をこころが体験
する道筋として、文脈性を帯びた幻想の形になる、というアイデアです。
しかも幻想は無意識的「思考」の形で体験されず、思考の前駆態としての
'preconception'の形、で体験されていると言います。
無意識と言う言葉の意味もフロイト以後さまざまに解釈されなおしている
のです。
>>65 すみません。私は精神分析と言っておりません。洞察指向的とわざわざ申しております。
洞察指向的という言葉を、わたしは「わかれば治る」と自分にわかるように翻訳
しています。しかし、実際には「わからなくても治る」こともよくあるので(そんな
場合、洞察指向(洞察好き)の方は「そういうのは本当にわかったとはいわないのだ」
とおっしゃいますが(合理化、知性化というそうですね))、洞察は必須ではないと
考えております。
ところで、分析的な営みというと、素人の私にはちんぷんかんぷんです。徹底操作
(work through)と言うやつでしょうか。それ以外にも何かあるんですか。よろし
ければご教示ください。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 03:01
ここを読んでいると、日本の心理学はアメリカで2、30年前に流行った心理学を
そのまま信じているような感じがいたします。これらは「ポピュラー サイコロジー」と
呼ばれ、一般人の娯楽的興味をひくものであり、学術的な分野とは異なります。
日本の大学でも購読している「Psychology Today」という雑誌が娯楽としての
心理学の良い例です。
>>147 日本の心理学じゃなくて、2chの心理学厨房が...、でしょう。
もちろん貴方も含めてですよ。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 09:18
>147
具体的にはどのような点ですか。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 09:21
>147
高みの見物、そして権威からの批評、あなたはそういうことしかできない、という
ことはないでしょうね。
アメリカを権威にしておけば、それで一刀両断、他人を軽蔑できる。
あなたはどう考えるのかを語らないから楽ですね。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 11:38
飲まずにはいられない@修正再審査
奇遇だなあ,俺も明日親不知抜くんだ.
>>141 社会心理学専攻生さん
>たとえば医療現場なんかでも使われているような100項目近くあるやつは、
>あれはたった一人の測定である程度、その人の状態をつかめます、たぶん。
ということでしょ.決してY-GやMMPIが,
>>92のように
>臨床系との最大の違いは、厳密な統計処理に耐え得るよう被験者を圧倒的に多くする、という所でしょうか。
>だから質問紙法なども、数がそろわないと無意味です。一人だけでどうこうっていうのじゃない。
>心理テストでたまにそういうのを見かけますが、あれば明らかに似非です。
となっているわけではない.
むしろ,Y-Gの作製手続きなんかは,大数調査をして正規分布に則った上で,
個人のプロファイルがどこに位置するかから,性格特性を把握しようとするものでしょう.
#個人的には好きではないが,功利性はあると思うよ.
もちろん,あなたがここで「心理テスト」という言葉をもって
意図したいことはよく分かるんだけど,
あまりにも「臨床」=「事例」=「1ケース」という直結した図式を持っているようにしか思えない.
分析系の話が盛り上がってるところ悪いんだが(しかし,スレタイトルには合致するか?)
病院臨床などで用いられている心理テストは比較的統計的な手続きで得られているし,
それは決して「臨床心理学」という領域固有のものではないということをいいたかったんだ.
あなたに限らないんだが,
どうも,「臨床」って言葉のイメージが先行してしまっているのが,どうにも歯痒いんだなあ.
個人的には,
「臨床心理」というのはすべての基礎心理(認知,教育,社会,発達)を
踏まえた上での応用分野だと考えていて,
それらの基礎心理では実証性を踏まえつつ,実利をも念頭におかなきゃいけないと思うんだが.
こういった考え方ってどうなの>ALL
........と,とっ散らかったので,下駄を預ける(w
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 12:42
151に同意
> 個人的には,
> 「臨床心理」というのはすべての基礎心理(認知,教育,社会,発達)を
> 踏まえた上での応用分野だと考えていて,
> それらの基礎心理では実証性を踏まえつつ,実利をも念頭におかなきゃ
> いけないと思うんだが.
臨床系院生です。たった6年でも(教養課程含まず)勉強していると
151の意見が痛いほどわかるし,臨床心理及び臨床心理士養成のカリ
キュラムの欠点が見えてくる。
もう一度,日本心理臨床学会は謙虚になってほしい(会員だが)
そうしないとあと数年後心理学から孤立して結局純正培養のオバカ
さんばかり生み出すことになる(その時代がもう見えてきている)
基礎とか臨床とかじゃなく
思想としての精神分析・分析心理学っていうのはどうよ?
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 13:16
読みましたけどね。
やっぱり思想としての心理学があってもいいですね。
私はこのスレでは精神分析のインサイダー的な発言をしています。
でも151や152には基本的に同意します。
アメリカでも、phDをとって分析家になろうとインスティチュートに
入る心理の人も少なくはないですが、
MDやphDをとるということは、実証的科学的な思考体系のなかで
一定水準をクリアしているはずで、
精神分析だの、分析心理学だのはその後、
臨床事実を実証的にのみ構築することが
主観や主体性を問題にしだすと難しいということに気づいた人のうち、
わざわざそういうことを専門的にやりたい人がやればいいものだ、
と思います。
日本の臨床心理はそういうところがなくて、いきなり、ユングだ何だといってるから
困ったものなんです。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 14:50
Psychology Todayは娯楽心理の面がありますが、それには知的娯
楽という面も含まれます。
アメリカではニューズウィークのような一般誌や新聞でも心理学
についてよく話題が出ます。かなり認知的なものの見方というの
はメディアに宣伝されて根付いているような気がします(つまり
文化になっています)。
一方の日本ではどの雑誌でも星占いとか、血液占い止まり。心に
対する科学的な態度というのはあまり根付いていません。したが
って娯楽にもなりにくいのかも。
そういう意味でも良い悪いは別にしてアメリカは心理学の裾野が
広ですね。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 15:16
こころの科学(日本評論社)と臨床心理学(金剛出版)の
違いについて誰か蘊蓄をかたむけてくれ,漏れには区別が
つかない。イマーゴとの違いならわかるのだが
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 15:44
こころの科学! 学生時代に手にとってみたが、なんか
くらーい本だったね。デザインが悪い!
そういえば心理学研究も心理学ワールドも本のデザイン
は悪いねぇ。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 16:50
ちゃうちゃう(笑い
内容だよ
>>159デザインは悪いのはこれはもう
不問だよ。
執筆陣とかコンセプトだね雑誌としての
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 20:01
>>156 >>日本の臨床心理はそういうところがなくて、いきなり、ユングだ何だといってるから
>>困ったものなんです。
これは誤った偏見。
いきなりユングだでどこが悪いですか?
アメリカだってカウンターカルチャー思想の中からユング思想の素晴らしさが出て来た。
臨床とは違った形でののユング理解がもっとされてもいいでしょう。
臨床ユングは理論がいい加減です。
だけど思想ユングは知的に厳密なのです。
僕に言わせればあなたは井の中のカワズです。
精神世界は広くて深い。
意欲ある人には誰あろう与えられるものなのですよ。
おやおや、本当の厨房が出てきたようだね。
>>161 >これは誤った偏見。
意味が重複しています
>いきなりユングだでどこが悪いですか?
方言です
>臨床とは違った形でののユング理解がもっとされてもいいでしょう。
”の”の重複です
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 23:42
臨床心理学と呼べるのは行動療法だけ.
行動療法ですべての不適応は改善可能だ.
他の技法など知る必要なし
165 :
社会心理学専攻生:01/11/28 00:04
>>151サマ
ええ。言葉足らずで申し訳ない。
けどY−Gなんかにしろ、ちゃんとした医学的診断との相関を見て作成されているはず。
で、たまーに臨床系の雑誌なんかを見ていると、そうでもなく、
調査的に被験者を100人ほど取って、因子分析かけて尺度にしてる時がある。
しかもそれを、次はたった一人の被験者への判断に使ったり。
もちろん全ての臨床心理学者を否定するわけではないですが、それこそ平均として、
臨床系の人は統計に疎いなぁ、と少なくとも学部レベルでは思えます。
まあ自分の分野へのひいきもありますが、臨床心理が応用する社会心理って、既に時代遅れだったり。
そういう面も含めて、統計に比較的強い(と思われる)社会心理との連携をとれれば良いんですがネ。
どうも両者は敬遠しあっている所がある。心理学と哲学、或いは社会学がそうであるように。
やれやれ。悲しいことです、功利主義者としては。
>65さま
ココロの二側面と言うことは、やっぱり無意識と意識は違うのですね。心理学的な意味において。
馴染めないなぁ、やっぱり。その辺の概念が。
どうもそちらの分野の方は、無駄に説明体系を増やしてややこしくしているように見えます。
オッカムの剃刀の出番ですかネ、そろそろ。
166 :
名無しさん:01/11/28 00:14
167 :
社会心理学専攻生:01/11/28 00:17
何だか、えらく極端な人が複数現れたようですネ。
私的には、そんな専門知識があるわけではないですが、
行動療法が万能だなんて思えないし、ユングは鼻から否定したいデス。
あれは学問ではないし、まして心理学では絶対にない。
そして今、思想がどうとかいう話はしていない。
ユングの言ってる事、ファンタジーとしては面白い。
あ、それと変にアメリカ信仰が流行りだしているので、一応。
アメリカの心理学って、言うほど裾野は広くないしオープンでもない。
最近はずいぶんとましになったそうですが。
アメリカ心理学しか心理学でない、って連中がたくさんいて、
進歩と交流を阻害していましたしね、少し前まで。
JPSPにしろ、論文の掲載には政治力学が働くらしい。
というわけでまあ、157サマなどは当然わきまえておられる事とは思いますが、
アメリカ万歳はマチガイのもと。
確かに英語が公用語になっていて、学問のターミナル的な面もありますが、排他的な面もかなり。
アメリカの学会が優れている事も事実なんでしょうが、どうもプライドが高すぎる。と思ふ。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 00:38
>>146 あなたの言うような洞察志向の療法家は今や少ないと思います。
また、おっしゃる通り洞察は必須ではない。
「そういうのは本当にわかったとはいわないのだ」
という表現の中に、
@治療を通して洞察が生じ、その洞察が治癒をもたらすという意味
が含まれているとすれば、少々行き過ぎと思います。
しかし、
A心理療法には、洞察(あるいは「気付き」)が時として大切な役割を
果たすことがある、というのには賛成です。
というのは、心理療法は時として日常の社会生活に適応的な心構え
から離れたところで心理的な新しい体験をし、そして結果的には
より適応的な現実の世界に戻ってくる、という性質を持ちます。
そのときに、せっかくの「治療的体験」を現実の場面で生かすときに、
「知性化」といいうるかもしれない、現実的・論理的理解が必要に
なる場合があります。これまでにない新しい感情体験をした場合に、
ではそれを現実でどう生かすのか、ということを考え、言葉では
あらわせないものを一旦知的・論理的な世界に引き戻す
意識的な努力が必要になる、ということです。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 01:07
行動療法は科学的な手法によって分散分析などの統計で
立証された知見に基づいて実験的に実証されている.
よって,その効果も明らか.
また目に見える行動だけが科学性を持つというのも心理学の常識.
そして目に見える行動は,行動療法による再学習で
大半が修正可能.本人の情緒状態だとか,内面の洞察などは
関係ないし,治療する必要はない.行動療法は科学的なのだから
それで治療できないものは,そもそも治療する必要のない
個人の錯覚でしかない.
(一応,行動療法の権威とされる某センセから教わった内容ですが)
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 01:10
じゃ、他の療法は淘汰されちゃってるでしょ。とっくの昔に。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 01:13
淘汰されないのは制度上の誤り.
本来なら,他の療法は淘汰されるべきでしょうね.
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 01:25
>>社会心理学専攻生さん(165)
了解.だいたいご主張は理解できました.
ただ,
>調査的に被験者を100人ほど取って、因子分析かけて尺度にしてる時がある。
.............ちょっと痛い.....
いや,尺度だなんて大仰なことは言わないけどさ.
>まあ自分の分野へのひいきもありますが、臨床心理が応用する社会心理って、既に時代遅れだったり。
>そういう面も含めて、統計に比較的強い(と思われる)社会心理との連携をとれれば良いんですがネ。
これを進めるために
基礎心理系がもっと現場にフィードバックできるようにすることを
念頭においても良いように思うんだが.
もちろん,そういう研究者もいるんだろうが,
全般的にみて社会心理系ってなんだかそこで閉じてしまっているようにも思える.
↑反論待つ.
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 01:32
さらに書き込む酔っ払い.
>>152さん
こういった意見を臨床系の方から聞くと救われた気になる.
なにしろウチの臨床系は
「研究したって人は救えない」とかわけわかんないことを言うもので....
ホントに「オマエは人を救えるのか!」って小一時間ぐらい問い詰めたいよ.
>>156(65)さん
>日本の臨床心理はそういうところがなくて、いきなり、ユングだ何だといってるから
>困ったものなんです。
御意.
>MDやphDをとるということは、実証的科学的な思考体系のなかで
>一定水準をクリアしているはずで、
>精神分析だの、分析心理学だのはその後、
というのは非常に重要なことだと思います.
むしろ私は分析に行きたくてもいけない実証どまりの人間なのかもしれない
と思う今日この頃.
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 01:34
あ,172&173は書き間違えた酔っ払いね.
ついでに,
>JPSPにしろ、論文の掲載には政治力学が働くらしい。
なるほどねえ.なんか「らしい話」ではあるな.
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 01:40
176 :
社会心理学専攻生:01/11/28 02:01
うーむ、どうやら行動療法バンザイサマ(169)は、統計というか科学というか、
その限界を誤解されておられる模様ですネ。私も2回生の頃はそうでしたが。
もちろん、実証的な心理学にとって統計は命にも等しいですよ。
だからこそ、絶えず自省を繰り返して、統計のワナに引っかからないようにしないと。
科学哲学をもう少し学んで下さい。そして統計やら科学やらの限界を知って下さい。
としか、現段階では私には言えませぬ。社会心理学を専攻している身としましては。
まあ取り敢えず、ヴィトゲンシュタインの特に前期を概観した上で、
カルナップやノイラートを読んで下され。ウィーン実証主義だっけか? その道の初歩デス。
あと、権威主義はいけませぬ。
>172サマ
どうも。何だか卒論で認知的資源が枯渇しているらしく、言葉が上手くありません(涙)。
それにしても、どっちもどっちですねぇ。
実験系といたしましては、「何で現場はこっちにフィードバックしねぇんだ!?」と。
前にも書きましたが、理論よりも実践が先行する分野ですからね、こういうのは。
そちら側の直感を理論に反映させて、より能率的に現場技術を洗練する。というのが理想かと。
とまあ、こんなふうに考えている社会心理学者(の卵)も珍しい。(というかその分野では異端か?)
指摘、痛いですね。その変は十分に反省しないと、お互いに。
けど、医学とかとの連携はやってたりするんですよ?
臨床心理とは、たぶん近親憎悪というか、同じ「心理学」であまりに手法が違うので、
本能的に嫌悪を感じてしまうのかもしれませんね。
社会的比較過程に、交流の貧弱さの原因があるのかも。
社会的比較なんて、まさに社会心理の得意技なのに、自省できていませんね。やれやれ。
177 :
社会心理学専攻生:01/11/28 02:11
ちなみに、心理学ウラ話。
JPSP、社会心理学で最も権威ある雑誌であり、素晴らしい論文が多々ある事もまた事実。
しかし、厳然たる学閥が存在し、同じ学閥出身者を食わすために、掲載するウラの別枠があるとか。
本当かどうかは、わたしゃ知らん。真偽に責任も持たん。
ただ、そういうウワサはあるデス。
しかし、ありそうな事ですねぇ。
アメリカの心理学者は、80年代以前は外国の雑誌や研究者に見向きもしませんでしたから。
イギリスの雑誌に掲載されていた重要な70年代の論文が、
今更レビューされてその知見を活かそうとかする流れが、90年代ですらあったそうです。
やれやれ。閉鎖的な学会はこれだから……。
まあ、アメリカの学会も反省して、ターミナルとして重要な役割を担っているし、
今はすごくスバラシイ!(フォローできてますか?)
178 :
行動分析家:01/11/28 02:42
>176
私も社会心理学に関しては無知であるが、あなたも行動療法に関してはあまりご存知ないようだ。
ほとんどの行動分析、行動療法の臨床研究では現在までのところ統計はさほど用いられていない。
主にシングルケースデザインが用いられている。
あまり詳しくない分野には口を出さないのが賢明であると思われる。
>169
>本人の情緒状態だとか,内面の洞察などは
関係ないし,治療する必要はない.行動療法は科学的なのだから
それで治療できないものは,そもそも治療する必要のない
某先生が誰であるのか非常に興味のあるところだが、情緒状態というのはレスポンド条件づけで説明できるかもしれないし、内面的な問題は認知行動療法の立場からは治療対象になりうる。
また、徹底的行動主義の立場からも内的な言語行動として考えることができ、強化随伴性により変容可能である。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 02:49
>>169 前半はいいけど、後半はダメだね…
科学で捉えられる範囲に絞った「心」は、
浅薄すぎる。
所詮、価値観の差異。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 03:34
psychology todayは、ただの娯楽と心理学者から非難される理由としては
未だにフロイトをとりあげて、楽しい話題作りをしている点です。
又、この雑誌は精神医学や行動心理の研究の結果を湾曲解釈し、
記事を書く事が多々あります。この雑誌の記事を書いている記者は
論文や統計を正しく読めない、又は一般人が楽しめるように
わざと湾曲していると思います。
176に同意。
一般に、○○があればあとはいらない、○○は絶対、といっているのは、
全部あやしいでしょう。心的な現象がひとつのパラダイムで切り取れるとは
とても思えないので。そういうふうにいう態度は不安の表れなんでは
ないでしょうか。
行動療法にのらないクライエントはいっぱいいるし、精神分析を利用しない
クライエントもいるのです。そういうことは虚心に自分の実践を跡付けていけば
わかるはずなんです。教条主義は実践を腐らせてしまいます。
私は精神分析をやりますが、それですべての人が恩恵を受けるとも思いません。
やれることをやるしかないのが臨床家です。
>180、フロイトにせよ、誰にせよ、あるパラダイムの創始者のいったことは
たえず見直す価値があると私は思います。ただアメリカ心理学はフロイトを
誤解していますので(フロイトの自我心理学的読み方がアメリカ精神分析
をかつて席巻し、それを心理学がまに受けた。たとえばジンバルドーの
教科書をみるとわかる)そこは問題です。
182 :
社会心理学専攻生:01/11/28 13:10
>>178サマ
それは逆じゃないですか? 専門家でない人の見地こそ、その分野にとってクリティカルなことが良くある。
専門家集団って言うのは、共有されている知識が比較的均一なので極化しやすい。
自分たち以外の分野からの批判を受け入れられなくなったとき、その分野は閉塞して滅びます。
だからその道以外の人からの批判、ものすごく重要で控えるべきものではない。と思ふが。
とまあ、それはおいといて。
臨床でどうやってその効果を調査しているのかは全く知りませんが、
仮に169サマの言うような、分散分析などでその効果の証明としているなら、
その限界について述べてみただけデス。気になりますね、誰なんだろ、その権威ある先生サマ。
実証性という点から見て、シングルケースなら尚のこと危険だし。
まあ学問を名乗り、科学者たろうとするなら、科学哲学の初歩くらいは必須かと。
169サマがそうなのかは知らないですが。
と言うか、行動療法って、認知行動療法と同じですか? 後者は前者の発展形?
ベックの「認知的歪み」の大理論やら、「抑鬱のリアリズム」やら。
現場のことは知らんが、理論に関しては、たぶん少しは知ってマスヨ。
専門家を気取るつもりはさらさらないですが。どうも。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 14:32
親不知を抜いた酔っ払い.
>>182さん
おいおい,虚心坦懐になりなされ.
確かに
>>178の行動療法マンセーは,認知主義者としてどうかと思うが,
>実証性という点から見て、シングルケースなら尚のこと危険だし
は間違い.
俺も詳しくは知らんが,ABAデザインとか,そのあたりを指していってるんだろ.
一事例の実験デザイン : ケーススタディの基本と応用 / D.H.バーロー, M.ハーセン著
なんてのを見るといいかもしれない.訳書が出てる.
ざっと見るただけだが,科学的実証性を念頭に置いているなあとは思ったよ.
卒論大変だろうが,まあ,がんばってくださいな.
#進学希望か?なら,いずれ学会で会うこともあるだろう(w
あ,でも
>まあ取り敢えず、ヴィトゲンシュタインの特に前期を概観した上で、
>カルナップやノイラートを読んで下され。ウィーン実証主義だっけか? その道の初歩デス。
この辺,適当な本があったら紹介して下され.
我ながら,不勉強だとこのスレ見て実感....
>>181 >フロイトにせよ、誰にせよ、あるパラダイムの創始者のいったことは
>たえず見直す価値があると私は思います。
最近,故あって古典といわれる研究の原著を読む機会があったんだが,
あんがい後世に伝わるときに曲解されていたりするんですよね.
アルバート坊やの実験なんか,これがどうして,なかなか.....
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 22:30
社会心理学専攻さんの学問は、どう社会に役立つの?
185 :
社会心理学専攻生:01/11/29 01:25
抜きましたか、親不知。私は翌日も血が出てて気持ち悪かったデス。
酔っぱらいサマ、挫けないで頑張って下され(笑)。
ABA? 寡聞にして知らないなぁ。これは私の勉強不足が原因ですが。
と言うか、ケーススタディは避けて通ってきましたからね。
けど、どうやって単一の事象を全体の平均として一般化するんだろう?
少なくとも、統計は使えないし。たぶん。
うーむ。卒論終わったら、勉強してみます。
ちなみに、私はいったん社会福祉士として現場に出てみようかと思っています。
社会心理学というツールを片手に。やはり統計的と言える調査は、ほとんどない分野ですからネ。
あと、参考文献ですが、私は授業やら哲学科の友人やらとの議論の中で知識を得たので、何とも。
ただまあ興味があるなら、『翔太と猫のインサイトの夏休み』(永井均:ナカニシヤ出版)をご一読下さい。
哲学科でない人が哲学をやろうとした時に、最適の入門書っぽい本です。
ヴィトゲンシュタインの章もあったと思うので。参考までに。どうも。
>>184 難しく、かつ答えにくい質問ですね。
意地悪く、役に立つとはどういう意味で?と問うてみたくなりますが。
そうですね、まあもろに日常(?)という面では、例えばIQなんかは確か心理学者が開発したはず。
因子分析などの統計的な技術も心理学者ですし。
認知行動療法への理論的背景を洗練していたりもします。
あと、医学との連携で免疫や精神的健康とストレスの関係などを調べたり。
私は抑鬱の認知的研究をしていたりしますが。ソーシャルサポートをやってた時期もある。
伝統的な所では、リーダーシップやら組織論やら。
変わったところでは、実はAI(人工知能)の開発に一役かってます。
その他諸々。これはもう、研究者個人の嗜好の問題ですね。
アカデミックは一般社会から独立であるべきだ、ゆえに社会への貢献など考えんでよろしい!
なんて極論を吐く方もおられますし。少数派ですが。念のため。
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/29 09:51
酔っ払うヒマなんかないんだってば@消毒済み
>>185 わざわざご心配ありがとう(笑
行動計量分析なんかは恐らく俺がごちゃごちゃいいかげんなことをいうよりも,
>>178のご教授を賜った方がいいだろう.
ただ,統計的検定だけが実証科学の方略だと思っているのなら,
その認識は改めた方がいいんとちゃうかなあ.
>ただまあ興味があるなら、『翔太と猫のインサイトの夏休み』(永井均:ナカニシヤ出版)をご一読下さい。
はい,重ねて感謝.
>>184 こっちから聞いていいかな.社会に役に立つ学問ってどんなのだろう?
187 :
行動分析家:01/11/29 12:45
>183
>実証性という点から見て、シングルケースなら尚のこと危険だし
は間違い.
俺も詳しくは知らんが,ABAデザインとか,そのあたりを指していってるんだろ.
一事例の実験デザイン : ケーススタディの基本と応用 / D.H.バーロー, M.ハーセン著
なんてのを見るといいかもしれない.訳書が出てる.
ざっと見るただけだが,科学的実証性を念頭に置いているなあとは思ったよ
その通りです。
>1それは逆じゃないですか? 専門家でない人の見地こそ、その分野にとってクリティカルなことが良くある。
専門家集団って言うのは、共有されている知識が比較的均一なので極化しやすい。
私の経験上では「クリティカルな専門外の人の見地」というのはあまりお目にかかったことがない。
むしろクリティカルなのは専門家同士の批判のことのほうが多いような気がする。
特に行動系は「先代の過去負の遺産」のおかげで現場でも批判を受けることがおおい。
もちろん、臨床で関わる人たちには色々なことを一から説明することが当然であると思う。
しかし、少なくとも心理学を学ぶ者ならば、ある程度は勉強してから批判をするべきだ。
「クリティカルな意見」をお待ちしている。
188 :
社会心理学専攻生:01/11/29 13:41
ええ、卒論後に読んでみます、ケーススタディ系。
私は統計バンザイ主義ではないですが、数字として出るので誰にでも分かりやすい。
そういう事も含めて、実証性の究極は確率論に至る、と思っています。
例えば、重力があるっていうのは、それ自体が真理ではなくて、
そう説明したら確率論的な功利性が極めて高い、っていうだけの話。
素粒子の世界なんてもろにそうですし。という意味で、科学の究極は確率。
けど、数字はウソをつかない、っていうのは特に社会科学の統計に関しては間違い、ってのは自覚しているので。
心理学の歴史に、認知革命ってのがありましたが、
あれこそ他分野からのクリティカルな批判的影響、ではなかったですか?
過去の某国のセラピストを黙らせた、心理学の記憶研究とか。
専門が違うと視点が完全にずれたりしますし。
卒論をするときでも、メインの論文とは全然違う方向の論文から示唆を受けましたし。
最新の認知行動療法がどうなのかは知識不足ですが、
例えばベックの抑鬱理論を修正したのは、心理学の原因帰属理論や自己注目理論という、
およそそれ以前はあまり考慮されていなかった要因だったと記憶していますが……。
素朴な意見が重要、っていう意味です。はい。
勿論、全てがクリティカルという訳ではないですが、他者からの批判や疑問を塞ぐのは、少なくとも科学的態度ではない。と思いマス。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/29 20:56
>>188 君が「社会」心理学徒を名乗るのなら,
卒業する前に後期のウィトゲンシュタイン,
ガーゲン「もう一つの社会心理学」,
クルター「心の社会的構成」なんかを読んでおいて欲しいな。
福祉の分野で仕事をするにも役立つと思うぞ。
ところでハイダーは当然読んだよね?
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/29 22:49
>185
無躾な質問に丁寧に答えてくださって敬服します。
無躾な事を書きたくなったのは、ずっと前の「ユングは鼻から否定したい」との文を読んで、単純に反応したからです。よく考えれば「ファンタジーとして・・」は認めておられるのでしょう。ただ学問としてはどうか?という意味なんでしょうか。
ユングは学問というより宗教に近接してると思います。河合氏の著書によれば、臨床心理学は医療モデルと宗教モデルの間にあるとのことです。私が読みかじった実感は、「科学的世界観」が広まる前に宗教が果たしていた役割を担いつつある、という事です。
人の持つ苦しみにたいして、「個性化」という視点を与えてくれる意味は大きく、フロイト的な人間理解は絶望をもたらすと思われます。また、現在、日本の臨床の場面においてユングの理論が大きな支えとなっている事もあきらかと思われます。
社会福祉士のお仕事?それは立派ですね。(皮肉じゃないですよ。)学問の世界と行き来したりするつもりなのですか?
>186
「社会に役立つ学問て何か」
残念ながら、私にはこれだという定義をするほどの学はないです。
自分は国際関係論を専攻しはじめた者ですが、学問することが現実の国際問題を解決するのにどうつながるのか、つねづね問題意識があるので、無躾ながらカキコしたわけでした。
ところで、「役に立つ」ってなんでしょう?
自動車は便利だが事故があり、排気ガスがあり、忙しい生活になる。それはそれで解決すればいいのか。
「進歩」することで何を目指しているか?人類が無意識的に共有してるものってあるのか?などと考えていくとユングのいう「普遍的無意識」の概念など、考えるヒントになると私は思う。
言葉と論理を尽くさぬ文にて頭を痛くする方がいたらゴオメンナサイヨオ。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/29 23:06
>190
日本の臨床はユングもフロイトも偽者ばかりだと思うが。
とくにユングを好きなほうに贋物を贋物と思わないのが蔓延している感じ。
あなたのいうフロイト的人間観ってなんですか。
あなたはフロイトをちゃんと読んでいますか。
どうもあなたは読んでいないのではないかと感じますね。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/29 23:49
「ユング」・・ナチスの政策に積極的に関わった人物
193 :
社会心理学専攻生:01/11/30 00:06
>>189サマ
ハイダーって、帰属理論の? 三角形のやつとか。バランス理論だっけ?
彼の論文を直接読んだことはないと思いますが(あったかな?)、レビューくらいは読みました。
まあ、心理学の授業でも避けては通れない理論なので。
後期のヴィトゲンシュタインは、少しだけやりました。授業と友達との議論の中で。
「言語ゲーム」とかですよね。ザラザラした大地へ!とか。私は前期の方が好きですが。
ガーゲン、クルターは読んだことないです。どういう人なんです?
>>190サマ
ユングの打ち立てた説明体系は、学問としては役に立ちません。というか有害です。私には珍しく、完全否定です。
そして、およそ心理学者の中で一番嫌いなのがカワイハヤオ。っていうか、心理学者を名乗って欲しくない。
援助交際の是非を問う場で、「援助交際は魂に悪い」と宣うた御仁デスし。
宗教っぽいユング理論などは、科学がまだ説明できない領域への説明であれば十分で、
決して科学領域を浸食してはならない、と思ってます。
人間のココロは永遠に解明できないでしょうから、クライアントが救われたと感じられるならば、
ユングもまた結構でしょうが、そういうことを意識しないで、さも「ユングはこの世の真理だ!」って顔のおバカが多くって。
ユング理論はユング本人にしか正確に解釈できない。あの人の直感を描いたもの(ファンタジー)だろうから。
それを誤解の上に更に曲解して、極化する輩が多いのもまた事実……。
ユング本人に関しては、彼の直感は重要な示唆に富んでいる事もあったらしいので、先達として尊敬はしています。
けど、ユングの言葉を解釈して自分なりのartにまで昇華できていない人は、危険です。と思ふ。
優れた理論ほど役に立たない(涙)……と言われますね、よく。
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 00:15
そう。河合は駄目。やっぱみっちーでしょう。
195 :
行動分析家:01/11/30 00:31
>社会心理学専攻生
>ええ、卒論後に読んでみます、ケーススタディ系。
私は統計バンザイ主義ではないですが、数字として出るので誰にでも分かりやすい。
シングルケースデザインはさらにわかりやすい。
「グラフを一目見れば分かる!」
一言言っておきたいのは「統計上有意」というのと「臨床上有意」というのは、また違ったものであるということだ。
例えば「施設の職員の顔面を全力で殴る行動を頻繁に示す知的障害者」がいるとする。
一日100発殴っていた人が50発に殴る回数が減少しても、介入効果はあったとしても、それは決して問題の解決とはいえないだろう。
また、100人中99人に効果がある介入方法があったとしても、私たちは残りの1人に注目して、何とかしようと試みる。
そういった意味でも、シングルケースデザインは有効であると実感している。
例えるなら、世界でただ一匹でも猿に人間の言葉を話させれば、やはりそれは「凄い研究」であると思うが・・・。
シングルケースデザインを用いた研究が、世の中の役に立つために、それらの研究では再現性を徹底して重視している。
論文を読んだひとが、実際にその手続きをリプリケーションできるように記述されている。
そこには、独立変数と従属変数からなる因果関係があるだけで、神秘主義的なものは一切排除されている。
あなたがイメージするケーススタディとはまた一味違ったものであるはずだ。
私も行動系以外の日記帳のような事例研究にはうんざりしている。
しかし、確かに「一般化」という点では確かにシングルケースデザインは弱点を持っている。
すなわち「一個人に対して有効であった手続きが、他者に対しても有効であるのか?」ということだ。
しかし、これは「数多くのよく似た事例」に対する研究の積み重ねでかなりカバーされてきている。
詳しくは上述した文献を読んでいただきたい。
>素朴な意見が重要、っていう意味です。はい。
勿論、全てがクリティカルという訳ではないですが、他者からの批判や疑問を塞ぐのは、少なくとも科学的態度ではない。と思いマス。
素朴な疑問や論理的な批判は歓迎するが、「根拠なき批判」はごめんこうむりたい。
わお! 今度はユングですか。話題が精神分析から、分析心理学へ移るのかしら。
河合隼雄のお話も面白いし、いいんですが、あれはやっぱしお話、エッセイで、
学問じゃないと思いますね。でも、面白いから、話のネタにはなりますね〜。
個人的には好きですね〜。
197 :
社会心理学専攻生:01/11/30 00:53
頭のシャッフルに、ここは最適デスネ。個人的な感想ですが。
ええ、行動分析家サマ。まさしくその通りだと思いますよ。
私のようなアプローチと、そちらのようなアプローチ、得意な分野が違うわけです。
社会心理の応用で、私は全員を救えるとは思っていないし、救おうとも思っていない。
ただ全体として(平均として)、良い方向へは持っていける。
で、そこからあぶれた人たちに対しては、臨床の出番です。
だからまあ、上の例に従うならば、100発殴ってた人が50発に減ったとしたら、
もしかしたら元々50発以下しか殴らない人は、完全に問題が解消されるかもしれない。
そういう視点です。100発の人だって50発に減っていれば、臨床だってしやすいでしょうし。
科学的(或いは職業的?)棲み分け、とでも言いましょうが。
もちろん、お互いの交流が不可欠な要素です。弱点を補いあえれば良いんですがね。
どうも学会というのは自己保存の本能が働くらしく、しばしば不用意に他者否定をしてしまう。
功利主義者的には、役に立てば何でもよろしい!
198 :
行動分析家:01/11/30 01:06
>197
その通り!!
高い確率で役に立つものは何でもよろしい!!
私個人的には学問的な関心やプライドもあるのだけれど、究極の目的はいかに世の中を良くするかということだ。
私たちの仕事で一人でも多くの人のQOLが向上することを願ってやまない。
同じ志を持つ者を潰す気は毛頭ない。
あなたとは気が合いそうだな。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 01:19
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 01:22
どうも行動分析家さんと社会心裡さん、明るく意気投合、ってかんじだけど、
私、そういう明るいのが苦手です。
よい世の中、ってどんなんでしょうね。そういうものができたためしもないし、
できるはずないと思って生きています。
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 01:23
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 01:25
ガーゲンを知らない社会心理学専攻生君って、
もぐりとまでは言わないけれど、
ちょっと視野が狭すぎやしませんか。
203 :
行動分析家:01/11/30 01:49
>200
>よい世の中、ってどんなんでしょうね。そういうものができたためしもないし、
できるはずないと思って生きています。
かなりネガティブな内的言語行動の頻度が高いようだが・・・。
過去にどのような経験をされてきたのか・・・?
先ほどはかなり安直に「良い世の中」と書いてしまったが、実は「良い世の中」や「個人の幸福」というものの定義で、私自身未だに答えを出せずにいる。
私の知るケースで、訓練によって理解言語の能力を向上させた自閉症児がいる。
この子は、学校で自分に対する他人の悪口まで理解できるようになり、辛い思いをするようになった。
それまでは楽しく学校へ行っていたのに・・・。
果たしてこの子は理解言語を身につけない方が良かったのか?
「幸福」や「良い世の中」の定義は難しいように今の自分には感じられる。
しかし、あるていど具体的に自分自身の中で設定できれば、「できるはずがない」ものではないと思う。
難しいのは「世の中をよくすること」というよりはむしろ、200さんの言うとおり、「どのような世の中が良い世の中なのか?」ということになるのだろう。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 04:44
科学って言うのはポパーのいう「反証可能性」によって定められる。
だから実証よりも反証だ。
まあ、反証主義は、自らの反証主義に照らしてその基準をみたせるかどうか?という問題はあるけどね。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 07:18
実証出来ないのに、反証可能性は示せないよ。
もうちょっと勉強しなさい。
206 :
社会心理学専攻生:01/11/30 11:46
ウィーン学派における論理実証主義の中心が、反証可能性だったと記憶しておりますが。
ガーゲンなどは小耳に挟んだ程度ですね、残念ながら。
私の興味とは、やってる事があまりに違う。詳しい主張までは知らないですが。
生態学的アプローチに似たような事をやってるなぁ、という漠然とした感覚しかない。
私がやっているのは、主に社会的認知ですから。特にLinville周辺。
まあ、卒論が終わったら、オススメもあった事ですし、読んで見マスネ。
その上で、捨てるか拾うか判断します。
でましたね、得意の言語行動分析(笑)。かく言う私も、反射的に同じ事を考えてしまったのですが。
発達心理学などでも、発達する事によってあらたな問題が発生する、なんて事はよくあるわけで。
幸福なんて、定義できん。個人の主観デス。
私は極論、「死にたい奴は死ね」って考えてますからね。
人間には生きる権利ではなくて、自分の生命への権利を有していると思ってます。だから当然、死ぬ権利もある。
ただ、何だか分からずに錯乱状態で自殺、とかは阻止して、考える時間を持ってもらいたい。
自己理解を助ける、或いはそういう意志がある人の主観的幸福に寄与する、苦しさを低減するにはどうすれば?
そういう事を命題としていますが、社会福祉士の卵として。
専攻生さんのなろうとしている社会福祉士って、まあケースワーカーのことですよね。
仕事柄、ワーカーさんとはいろいろお付き合いがあるんですが、なんとなく、
専攻生さんがカキコしておられる内容とワーカーの仕事はごっつう距離がありそうな
気がするんですが。
208 :
社会心理学専攻生:01/12/01 00:44
ケースワーカーというんではないです。社会福祉士にも色々ありまして。
私の場合は、福祉制度の知識獲得と、あと資格があれば何かと便利そうなので、っていう動機です。
いつかは大学にも戻るつもりでいますし、どちらかというと研究職的な仕事をしたい。
まあ、得意(?)の社会調査的な技術に磨きをかけて、そういう分野のバックボーンとなる理論を洗練できれば。と。
それに、何度も言ってますが、現場と研究室の距離は予想以上に遠い!
その架け橋になれれば、最も良いんですがネ。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 01:14
>190
私は、社会科学専攻(予定:国際関係論)です。無味乾燥と思える論理構成が広がる世界を前にして、ユングは魅力的に思えます。
社会科学にありがちな?浅はかな人間理解から離れ、自分の世界観を鍛えるのに役立ってくれている。河合氏の著書は現実に対処する多岐にわたるヒントを与えてくれている。
私にはユングはおろか、河合氏の著書の世界さえも広大であると感じられる。一生かけても理解できるか疑問です。当然、ユングが心を解明したはずもないのに。(一生かけて何が分かるか疑問)
天才が直感によって得たユングの理論は役立たずでしょうか?モーツァルトに例えるのはどうでしょうか?
音楽を聴いて「よかった」と思う程度は人様々で、優れた耳を持つものならば、モーツァルトの旋律が、風景に共鳴して響くことを感じとるでしょう。その共鳴もモーツァルトには及ばない。という例えです。
嫌いなものは嫌いでしょうが、社会心理学専攻氏が持っておられるのと同様に(恐らくそれ以上に)河合氏は、バランス感覚、合理性、判断力、そして、他者に開かれた態度を持っていると思われる。
自身のスタイルと「科学」とのズレなど、かなり問題意識を持って取り組んでいると思う。否定されるのは残念です。
河合氏が「学者」を名のるのは、例えて言うなら、本を選ぶ際に、巻末に示された著者の学歴・肩書に信頼を寄せる人が多いためでしょう。
河合氏自身が、非合理・非科学と批判されそうな自分の為す仕事に確信を持ち、仕事を実現していく上で「学者」の肩書を利用している。
「援助交際」についての発言は、「大衆」とか「大衆に近い人々」に働きかける要素を持つからと思われる。(「厨房」「工房」と教育関係者向け?)
そのような俗なる仕事を為す強さを持っているのだと思う。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 01:19
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 01:21
河合氏の著作は、硬めのものからエッセーまで、実に素直に心地よく読めます。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 01:26
それは好き嫌いのもんだい。
私はつまらないとしか思えない。ユングの一番面白いところを毒消ししている。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 01:31
毒消しこそセラピーの真髄なり
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 03:16
久しぶりの酔っ払い.人生はいつも急転直下だな(意味不明
しかし,数日の間にこんなにレスがついてるのはびっくり,
いつのまにやら
>高い確率で役に立つものは何でもよろしい!!
ってことで,話に落ち着いてすごい展開になってるし.
いや,異論はありません,ってゆーか,禿同なんだけどな.
ってことで,おぼつかないところで,なんだが
>>190 真摯なご回答ありがとう.
私も基本的には「役に立つ」ってことがいったい何なんだろうと思いながら研究してるよ.
ただ,困ってる人に喜んでもらえるようになれればいいんだがなあ.
>>209 なんだか意図がよくわからんが,
> 自身のスタイルと「科学」とのズレなど、かなり問題意識を持って取り組んでいると思う。否定されるのは残念です。
あなたがここで書いてる「科学」ってなにを意味するのだ.
少なくともこのスレでは「実証性」がひとつの「科学的たるもの」としての必要条件に挙がっていたように
私には思えるのだが.
>>203(行動分析家さん)
>私の知るケースで、訓練によって理解言語の能力を向上させた自閉症児がいる。
>この子は、学校で自分に対する他人の悪口まで理解できるようになり、辛い思いをするようになった。
>それまでは楽しく学校へ行っていたのに・・・。
>果たしてこの子は理解言語を身につけない方が良かったのか?
難しい問題ですよね.
ただ,恐らくは理解言語を身につけたことによってその子は
一定の起こりうる問題を回避できたのだろうと,援助者側は思うしかないんじゃないでしょうか.
これが,
>発達心理学などでも、発達する事によってあらたな問題が発生する、なんて事はよくあるわけで。
ってところに対応するんだろうけど,
ちょっとここ,「発達すること」ってどんなこと?って
社会心理学専攻生さんに聞いてみたい.
なんか,酔っ払ってワケわかんなくなってきた.スマソ.
215 :
行動分析家:01/12/01 11:49
>214
>難しい問題ですよね.
>ただ,恐らくは理解言語を身につけたことによってその子は
>一定の起こりうる問題を回避できたのだろうと,援助者側は思うしかないんじゃないでしょうか.
そうですね。
>209
私も河合氏の本は5,6冊読んだが、読み物としては面白いし、非常に読みやすい文章だった。
ユングの分析心理学を真剣に勉強したこともある(正直、理解できたとはいえないが)。
河合氏の著作から「ユング」に関心をもたれる方がたくさんいるのも分かる気がする。
ただ、私の疑問点はユング派の心理療法がいかに現実に、援助の必要な人の役に立っているかということだ。
理論的な面では私自身が理解をしていないため、批判はしないが、実際的な面においてはやはり疑問である。
1点目はユング派のセラピーが本当に有効かということである。
私はユング派の論文をほとんど読んだことがないので、もしかなり介入と改善の因果関係が明白に示された事例研究などがあれば、論文の出典と共に教えていただきたい。
2点目は仮にユング派のセラピーが有効であったして、どれだけの人がそのサービスを利用できるかということである。
ユング派のセラピストというのは「名人」であって、誰でも容易にはその境地に達することができないというような雰囲気を私は感じる。
なにやら「簡単にはわからないこと」が「凄いこと」という雰囲気を感じるのだ。
行動分析学ではある施設のスタッフや、クライエントの親や、教師の行動までが介入の対象となる。
つまりクライエントの周りの人を共同治療者としてスキルアップさせる研究が盛んに行われている(日本ではまだまだだが)。
セラピストとクライエントの数を考えれば、当然の働きかけであると私は思う。
ユング派はそのあたりのことをどう考えているのだろうか?
河合隼雄がいくら有能なセラピストでも、援助できる人数には限界があるような気がするのだが。
216 :
社会心理学専攻生:01/12/01 22:50
>酔っぱらいサマ
いやはや。どうなんでしょうね、発達。
最近の発達心理学での最大公約数的定義は、「生まれてから死ぬまでに起こる心身の変化の全体」。
でも私が使った発達の意味は、「機能レベルの上昇」という一般的な意味のものです。
結果を予測する認知機能と、自尊感情の発達が一定レベルに達すると、失敗への恐怖が生じて課題達成が困難になることがある。
で、その子が例えば自閉症的な素因を持っていたら、それ(認知機能の発達)がきっかけになって発症する事がある。
そういう意味で、「発達による障害」って事デス。
と言うかね、ハヤオ氏が自分の世界で何をしてようと構わないんだけど、
科学性を装うのと、少なくとも心理「学者」を名乗る事は止めて欲しい、と心理学徒は思うのデス。
ハヤオ氏には彼なりのartがあって、もしかしたら悩める人への貢献ができるのかもしれないけど、
それは彼個人のartでしかない。一般化を前提とした科学ではなく。
何も学問を名乗る必要はない。極端な話、ハヤオ教で良いんだし。
人間ハヤオは面識ないので知りませんが、科学者としての彼は尊敬できませんネ。
科学者として、「援助行動発言」は問題外。
ユングの説明は、「科学理論」としての価値はゼロです。ここで言う、科学ではないから。
よく言って、科学への「示唆」デスネ。
かと言って、彼自身を否定してるわけではないです。
artとしてのそれは、もしかしたらその時代のある人々にとっては価値あるものだったのかもしれない。
まさに、モーツァルトと同様に。けど、それが科学として価値がある、という事を意味してはいない。
もしかして、論点がずれていませんか? 科学として、という話デスヨ。
教義主義的にユングを応用しても無駄で、その教義はユング自身にしか役に立たない。
だからユング教義の運用者は、それは指針の一つでしかない事を自覚して、自分のartへと昇華しないとネ。
という事です、私が言いたかったのは。
(artという表現、我ながら気に入ってしまって連発……(恥)
それに、社会科学の理論は人間の一側面を表現したものであって、
様々なそれを繋げて色づけし、全体としての意味を構築するのは、きっとあなた自身の仕事デスヨ、209サマ。
人間や世界は、例えるなら球体デス。科学のある一分野は、その球を一つの方向から見て説明したものにすぎない
あなたの言う「人間理解(世界の意味)」は、あなた自身のartであるべきで、科学とそれは分離して考えないと。
科学はそのパズルを組み立てる、一つの指針にすぎない。
パズルはたった一つのピースでは意味を持たないのデス。と思ふが。
217 :
行動分析家:01/12/01 23:13
>216その子が例えば自閉症的な素因を持っていたら、それ(認知機能の発達)がきっかけになって発症する事がある。
>そういう意味で、「発達による障害」って事デス。
?
これはあなたの意見か?
それとも誰かの文章の引用か?
いずれにしてもアヤシイ文章だ。
誤解を招きかねない。
自閉症の原因(厳密には原因はわからないのだが)は「脳の何らかの生物学的原因による機能障害」であることは今や常識である。
よって自閉症の人は生まれた時から自閉症になることが運命付けられているといえるだろう。
ゆえに「認知機能の発達がきっかけになって発症する事がある」ことは絶対ない。
それとも誰かの引用か?
いずれにしても怪しい文章ではあるが。
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 23:13
面白いスレですなあ・・・通りすがりですが、精神分析学に関して考えさせられましたよ。
臨床に興味がある素人ですが、トラウマ好きの臨床心理士は糞だと思っている人間です。
友人に心を病んでいる人が何人か居ますが、薬も精神科医も糞の役にも立たず、小生が
愚痴の聞き役となるはめになり(笑)しかたなしに関係書物を読みあさり、認知療法が
使えるのではないかと結論して勉強は投げたのです。はい。
いい精神科医が居れば友人を連れていきたい、素直にそう思いました。
三重大の精神科はうつ病の投薬治療に関しては、それなりに実績を上げているらしいのですが
七年通って良くならない人もいるんですからね・・・・難しいですわ。
通りすがりの一言です。無視して議論の続きをどうぞ。
219 :
行動分析家:01/12/01 23:15
すまない、文章を繰り返してしまった。
217の最後の2行はなかったことにしてくれ。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 23:16
>>216 でもまあ、河合さんは「臨床心理学」の人であり、
かつ臨床心理は解釈学的要素を多分に含んでいて狭義の科学には
納まらないということを合わせて考えると、
臨床心理学者を縮めて「学者」でいいんじゃないの?
あと、実際の臨床では一対一でCPとCLが会う、というスタイルが
中心で、しかもCLは個人の中に矛盾や葛藤を抱えて苦しんでいるのだが、
これは社会の方が矛盾しているのではないか、という疑問は折に触れ
出てくると思う。そうすると、臨床家はどうしても治療構造の枠の中から
外の世界に目を向けざるを得ない。
そこで、河合氏もいろいろと著作が多いのでしょう。
221 :
社会心理学専攻生:01/12/02 00:13
うーん、言葉足らずか? 発症、という単語がまずかったかもしれませんね。
WHO(1981)の「障害の階層モデル」を前提として書いたのですが。
障害には「機能・形態障害(impairment)」「能力障害(disability)」「社会的不利(handicap)」という三種があって、
WHOのモデル自体には少し問題があるんですが、分類はこれでまあ問題はないと思います。
三者のダイナミクスの中で、障害(症状)の全体を見なければならない。
impairmentは、行動分析家サマのおっしゃるとおり、生物学的な機能障害です。
認知機能に問題が発生する。端的には、物事の因果関係を上手く理解できなかったり。
けど、それだけで障害の全てが決まるわけじゃない。
後天的な環境要因が大きく関与して、disabilityやhandicapへと至るのです。
で、逆にそれら2つができない事で、環境からあるべきフィードバックを受けられず、
impairmentが更に悪化する……という悪循環に陥ったりもします。
例えば、機能障害のために対人関係が上手くいかず、「社会的スキルの未熟さ」に至り、
更にコミュニケーションの中で獲得されるべき機能発達が阻害される。などです。
つまり、認知機能が発達した結果、それまで見えていなかった世界が見え始め、
いわゆる健常児ならば対人関係のスキルを学ぶ素地になるはずが、
自閉症的な素因を持つ子は逆に対人関係のこじれを味わったりして、
それこそ抑鬱的な状態に陥ることがある。で、上述した悪循環へと陥ってしまうのです。
結局のところ、認知機能の発達が、逆にストレス要因となって、他の認知機能の発達を遅らせたりする事がある。
だから教育の現場は、そういう「特別な教育のニーズ」をわきまえ、disabilityやhandicapを最小にしなければならない。
という結論に至るのですが。
正確な意味で、「認知機能の発達がきっかけになって発症する事がある」っていうのは間違いかもしれませんが、
機能障害が悪化する事はありますし、それによって外から見る分には健常児だった子が自閉症的な症状を見せ始める、という事はあります。
私的には、自閉症もADHDもLDも、「健常−障害」の二分法で見るのは危険かと。
連続的なものだと思ってます。どうも。(まだ言葉足らずかなぁ……)
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/02 00:18
あー、つまりですね、行動分析家サマ、
「自閉症の人は生まれた時から自閉症になることが運命付けられている」
というのを、私としましては、二分法から脱却して、
「自閉症的な素因(機能障害)を持つ人は、自閉症的な症状を呈しやすい」
と言い換えて、
「よって後天的なアプローチ如何によっては、“disability”“handicap”を表出しない、
或いは表出するにしても程度をましにする事は可能で、
しかもその事によって機能障害の程度も抑制し得る」
としたいわけです。はい。
224 :
社会心理学専攻生:01/12/02 00:23
ああ、222サマ、ありがとう! そう言ってもらえると!(^o^)/
225 :
行動分析家:01/12/02 01:00
>223
>「よって後天的なアプローチ如何によっては、“disability”“handicap”を表出しない、
>或いは表出するにしても程度をましにする事は可能で、
>しかもその事によって機能障害の程度も抑制し得る」
大体は賛成だ。
“disability”“handicap”の軽減で機能障害の程度を抑制することが可能であるかどうかは疑問ではあるが。
>221
>逆にそれら2つができない事で、環境からあるべきフィードバックを受けられず、
>impairmentが更に悪化する……という悪循環に陥ったりもします。
そのようなデータを示した研究があるのか?
もしあれば、私は知らないので出典を教えていただきたい。
>自閉症的な素因を持つ子
これがよく分からない。
DSM−Wの広汎性発達障害を指して言っているのか?
>外から見る分には健常児だった子が自閉症的な症状を見せ始める、という事はあります。
あなたの臨床経験か?
それとも事例研究の引用か?
>>203 果たしてこの子は理解言語を身につけない方が良かったのか?
身につけてよかったんだと思いますよ。
自閉症の患者さんの治療経験はありませんが、小児分裂病の患者さんの治療でも
似たことがありますね。精神症状がよくなってくると、周りの出来事がだんだん
しっかりわかるようになってきて、自分がいろいろ言われていたり、仲間外れに
されていたり、他の子どもたちに比べて劣っていることに気づいて、落ち込んだり、
被害的になったり、ひどい時には妄想的になったりしますね。でも、治療関係が
しっかりしていたら、いろいろ波風はありますが、乗り越えていきますね。
むしろ、この危機はある意味で発達のプロセス上の壁と似ている面があって、見かけ
上いったん悪化して、それを乗り越えて、初めて本当の改善の1クールなんじゃないかと。
チックや爪噛みの神経症圏の子どもでもよく似た悪化と乗り越えのプロセスがありますね。
227 :
行動分析家:01/12/02 01:10
しかし、自閉症の診断基準(DSM−W)を要約すると
1.社会的な交流活動の質的障害
2.コミュニケーションの質的障害
3.限定された行動・関心・活動の常同的反復
とあるので、後の環境や教育をはじめとする関わりによってによってある意味「自閉症は治る」といえるのかも知れないな。
228 :
社会心理学専攻生:01/12/02 01:37
スミマセン、出典までは……。授業で身につけた知識ですので。
ただ、木下孝司先生の文章を元ネタにしていたのは覚えてマス……。
臨床経験のある人のお話でしたので、たぶん信頼はできると思いますが。
けどご指摘も考慮して、機能障害の悪化を防ぐ、とした方が穏当な意見かもしれませんネ。
私は児童福祉志向が強いので、どうしてもそっちの話になってしまうのですが、
小児自閉症って確か広汎性発達障害の下位概念でしたよね?
特に広汎性発達障害、これは連続的な体系として考えるべきだろう、と思っています。
更に言うならば、引用しておいて何ですが、私は実は、DSMの基準は嫌いなんです。いかにも二分法的で。
しかも、症状を中心に基準を設けているので、原因がバラバラな事がある。と聞いたことがあります。
自閉症にも色々あるだろうし、軽度〜重度の全員に同じアプローチをして良いとも思わない。
私が相手として想定しているのが軽度の人で、まあ一般生活に支障ない程度にはできるのではないかと。
特別な教育的ニーズを満たすことによって。
それはある意味「自閉症は治る」として良い。と功利主義者は思うわけなのですが。どうも。
あー、そう言えば、少し違うかもしれませんが、こういう例えを聞いた事があります。
聴覚に障害を持って生まれた子を、音を吸収するような部屋で育ててしまったので、
聴覚に関する脳機能の発達が阻害された。もちろん、それによって聴覚能力(ability)も未発達。
音を吸収するような部屋っていうのは、やたらフカフカな絨毯を敷いた部屋、とかの事ですが。
つまり、確か生まれた直後から一定期間、脳は環境に適応するようにフォーマットしなおされる部分があったと思いますが、
機能が使われないことでフォーマットが阻害されて、機能障害を必要以上に悪化させる事はあるのでは?
アプローチとしては、ただでさえ使われにくい機能を、無理にでも使わせるようにする。という。
手話に頼るのではなくできるだけ発話させる、というアプローチに似ているのかもしれません。
生半可にかじっただけの知識で申し訳ないですが……。
自閉症の本態は治りません。
二次的なコミュニケーションの障害は、特化した教育訓練により
ある程度改善してきますが。
改善の度合いは、障害の程度によります。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/02 20:12
>215(行動療法家氏)
私は心理療法・心理学などについて門外漢であり、そのような者が「ユングは臨床で役立っている」などと述べたのは大それた事であったと思い、お詫びしたいです。(と、まず謝るのは日本人の習性でしょうか?)
さらに大それた事を書くのは、まさに恐いもの知らずの発言であり、以下の発言も、単なる無責任な思い付きでしかありません。
私のカウンセリングに対する理解は、内向的な視点です。読みかじったロジャースや河合氏の著作から、治療の中核は「クライアントを受け入れる」だと考えています。
その場合、ユング派の理論・概念は、カウンセラーとクライアントとの間に生じる内的な心の動きを「理解」するための手掛かり(指針・ヒント)になります。
「アニマ、アニムス、元型、共時性、個性化」などという概念を手掛かりに、「無意識」のレベルを意識化するのだと思います。
河合氏の著作は、西洋のユング派の概念を材料として、東洋人である日本人の心の働きを理解する手掛かり(指針・ヒント)を与えてくれている。
ユングや河合氏の著書は、そういう役割を持つと思うのです。
ユングの概念をすべて理解しなくても、少なくとも、治療過程での出来事や、クライアントの夢などを、どういう態度で扱うか、どう受け止めるか、について示唆を(深浅さまざまなレベルで)与えているのではないでしょうか。
私は「行動分析」とはいかなるものか、全くしりません。的外れでしたら失礼いたしました。
\ユング派のセラピーの事例について
私は、ユング派の全体像は知りません。日本語で出版された本を読みかじったに過ぎないのです。治療の事例を扱った本は一つだけ読みました。
「自己愛障害の臨床」カトリン・アスパー著・創元社2001
(カトリン・アスパーはユング研究所での育成にも携わるとの事です。ユングの概念の不備を指摘している箇所もあります)
河合氏の著書の中で、「ユング派」と「特にユング派ではない」臨床家とを含めた対談集があります。その中で、河合氏が臨床の事例についてコメントを掲載しています。
「閉ざされた心との対話(心理療法の現場から・上)」河合隼雄、著・講談社・1999
「人の心はどこまでわかるか」河合隼雄、著・講談社2000
題名に抵抗を感じられるかもしれませんが、編集者の考えた題名だそうですから!
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/02 20:31
(231のつづき)>215(行動療法家)
]ユング派分析家の数が少ないこと
私には分かるはずのない事ですが、以下の記述は関係あるかなと思います。
「(ユングは)ユング研究所をつくることに最後まで反対であった」
「(ユングの教育は)(分析を通じてなされる)個人の内的体験を、もっとも重視するものであり、何か確定した知識を多くの人に分け与えるようなものではなかった。」
(「母性社会日本の病理」河合隼雄、著・中央公論社・1976)
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/02 20:36
>216(社会心理学専攻氏)
なるほど、論点はズレていたようです。私はユングや河合氏が「科学」や「心理学」としてどうか、という問題意識はなかったです。
なんとな〜く!「ユング・カワイが否定されてる」印象を受け取ってしまったのは、論題をずれて軽率かもしれませんが、このスレの本題からすると、私の発言は意味あったと思われる!!
経済学者・政治学者が「人間はウンヌン」と言及するのを見聞きするたびに「やめてくれ」と言いたくなったことを思い出すと、社会心理学専攻氏が河合氏をどう感じているか、分かるような気がします。
(この先、議論でなく、私の自己主張)
世界観を育てることは、まさにartですね。
私の中では、科学は素材(ピース)にもなっていなかった。高校で習いかじった物理・化学の知識も忘れてしまった。ニュートン力学を越えた物理のイメージはどうしたら分かるのか??地道に学ぶしかないのか??
(>214氏「科学?」への答えでもある・・)
大きな素材は、自分が生きてきた経験・窓の外に見える自然の風景、であり、育ちつつある素材は国際関係や世界史を理解すること・絵画や音楽・ユングや河合氏が教える概念、といったところです。
自分を取り巻くすべての事柄を統合するのが世界観であると、どこかで読みました。
ただ、深層心理が何もかも説明するかのような思い込みも離れがたかったので、社会心理学専攻氏の指摘はありがたかった
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/02 20:46
>>215 行動分析家さん
ユング派のセラピーは有効かどうかという疑問について書きます。各種治療法の
効果を測定した論文をあつめてメタアナリシスした結果、どんなセラピーも同じ
程度に有効だそうです。やらないよりはやったほうがましってレベル。ま、実際
のセラピー場面だと、実際に打てる手ってのはどうしても限られてくるわけで理
論的前提がどうであれ、やってることは似通ってくるのでは。(なくなった頼藤
先生の「心理療法:その有効性を検証する」を参照。朱鷺書房だったかな)。
理論的立場の違いより、誰が治療にあたるかの方がセラピーの成否には大きく
寄与するってのもメタアナリシスの結果判明したこと。
行動療法って、プリンシプルが明確だから誰でも容易に習得可能かと思われが
ちだけど、現場は結構名人芸の世界なのでは? ご本人は嫌がるでしょうけど、山
上先生のセラピーなんてArtって気がするなあ。
クライアントの周りにいる人たちを共同治療者として利用するのは、現場の人なら
誰でも多かれ少なかれやっていると思うよ。じゃないとセラピーすすまないもん。
235 :
行動分析家:01/12/02 21:42
>231
>私のカウンセリングに対する理解は、内向的な視点です。読みかじったロジャースや河合氏の著作から、治療の中核は「クライアントを受け入れる」だと考えています。
>その場合、ユング派の理論・概念は、カウンセラーとクライアントとの間に生じる内的な心の動きを「理解」するための手掛かり(指針・ヒント)になります。
これは「治療」というものをどうとらえるかという問題に絡んでくるような気がする。
まあ、ようはユーザーに決めてもらえればいいと思うのだが、例えば「一日中手を洗い続けなければ気がすまない人」の治療に関しては私たち行動屋は通常「手を洗わなくすればいい」という発想をする。
なぜなら「あなたは手を洗いまくりたいのですね!」なんて共感しても、その人の生活の質は向上するとは思えないからだ。
つまり「クライエントを理解する(・・・とセラピストが思う)」ことと「治療」とは別物であると私は思うのだ。
ちなみに意地の悪い(?)行動分析家がロジャースのカウンセリングのやり取りを分析して、実はロジャースはクライエントのポジティブな言語行動を分化強化していたに過ぎないということを証明した研究もあるが・・・。
色々な症状があるなかで、一概には言いづらいと思うが、あなたは「治療」とはどういうことであるとお考えですか?
>231
世界的に見て、かなりの少数派であるユング派と分析心理学が日本でとてももてはやされるのは、
あなたのような読み方がされているせいだとよくわかりました。
河合さんの語り方がわりと口にやさしいからですね。
臨床のなかで「人を受け入れること」はそう簡単ではないです。
クライエントを憎まない限り、クライエントと真に触れ合えない局面もあるわけです。
とくに苦しみの深いクライエントは苦しんでいるのもむりのない、ふつうの意味では
嫌な人たちであることがおおいですからね。
河合氏と日本のユング派はとにかく口当たりがいいんですよ。
237 :
行動分析家:01/12/02 22:12
>234
>各種治療法の
>効果を測定した論文をあつめてメタアナリシスした結果、どんなセラピーも同じ
>程度に有効だそうです。やらないよりはやったほうがましってレベル。
そうではないことを何とか証明したいものだ。
もしかするとその意見に反論できるデータが過去の研究で出されているかもしれない。
また、見つけたらお知らせしようと思う。
>理論的立場の違いより、誰が治療にあたるかの方がセラピーの成否には大きく
>寄与するってのもメタアナリシスの結果判明したこと。
これには納得。
まあ、そりゃそうだ。
>行動療法って、プリンシプルが明確だから誰でも容易に習得可能かと思われが
>ちだけど、現場は結構名人芸の世界なのでは?
確かに「うまい人はうまい!」
思わず名人と思ってしまう!
しかし、かなり前にも書いたが「staff training」の領域では、どうすればセラピストのスキルが向上するのかということが行動論的に研究されている。
やはり「知識を得ること」だけではスキルは向上しないというデータが多くの研究から出ている。
まだまだ発展の余地のある領域ではあるが、少なくとも「名人芸」を分析する努力がなされている。
将来はかなり具体的な「研修員プログラム」のようなものが開発されることが期待される。
「名人芸」も分析すれば一つ一つの「行動」から成り立っている。
>山上先生のセラピーなんてArtって気がするなあ。
ほ〜、山上敏子さんだな?
私はセラピーは見たことがないが・・・。
やはり上手かったですか?
>>234 >各種治療法の効果を測定した論文をあつめてメタアナリシスした結果、
>どんなセラピーも同じ程度に有効だそうです。
孫引きの弊害が。しかも20年以上も前の結果。
リンゴとオレンジを混ぜるやり方として批判されたものだよ。
もっと良質な最新のメタアナリシスを参照してください。
技法の効果が3割程度だなんて,過去の主観的な意見です。
私の印象では、行動療法家の著名な人(講演とかで接することができる人)は、
温かい人が多いですね。行動療法って、手法の記載は冷たい感じがするんで、
行動療法の名人は、手法の冷たさを補う暖かい人が多いんじゃないでしょうか。
そういや、境界例の治療で有名なマスターソンは、ひたすら見捨てられ抑鬱に
直面することを求める厳しい方法を主張されてますが、ご本人は暖かい感じの
方だそうですね(という話を何処かで読みました)。
いや、231さんは読んでいるようで読んでいないように思えます。
241 :
行動分析家:01/12/02 23:53
>239
>行動療法って、手法の記載は冷たい感じがするんで、
>行動療法の名人は、手法の冷たさを補う暖かい人が多いんじゃないでしょうか。
確かに事例を論文にするときには「客観性」「再現性」を重視するために冷たく感じるかもしれない。
しかし、セラピー自体は、少なくとも私のところ(障害児臨床が主)ではとても「楽しげ」である。
正の強化を用いることがその要因であると思われるが、笑いが絶えない。
もちろん、深刻な場面もあるが、極力「楽しく」「温かく」することが目指される。
この辺りのことに「客観性」「再現性」を持たせることが今後の行動屋の課題なのかもしれない。
まだまだ「楽しく」「明るく」「温かく」することは「名人芸」の域を脱していないのが現状である。
>>241 ふ〜ん。そうなのか。逆に、受容とか共感とかを強調した暖かい感じの理論というか
方法を強調されている方には、意外と冷ややかな感じの人もいますね。
私は、臨床はバランスが大切だと思うんで、暖かい人はそれを補うために厳しい
突き放した方法を、逆に、厳しい人はそれを補うために共感的・受容的・支持的な
方法を強調するんだろうなって思いますね。
243 :
行動分析家:01/12/03 00:19
最近、あまり自分の仕事が進んでいない。
自分の行動をマネジメントする必要があるな・・・。
>242
あなたの意見が本当かどうかはわからないが、私も行動系の人間は何となく似た者同士という感じを抱く。
まあ行動屋が「感じ」などといってはなんなんだが、やはり似た理論にひかれた人間は似た人間なのかもしれないな。
>242
訓練というものの厳しさがわかっていないのかも。
そういう素人っぽい人柄論議では語れないと思われます。
10年近い学派の文化的な再養育のなかでもまれることが一人前の前提なわけですので。
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/03 01:02
242は半可通だね
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/03 01:58
>240
ええ、ワタクシ読んでませんワ。
だから窓の外を見てる時間があるのです。
失礼しました。
247 :
社会心理学専攻生:01/12/03 10:30
ユングはよく分からん。著作を読む気にもならなかった。
フロイトの無意識でもアレルギーなのに、ユングは更にその下までいっちゃってるし。
う〜む……役に立つならまあそれでも良いんですが、学部レベルの臨床系でユング万歳の人って、
しばしば自省に乏しくて、えらい飛んでる人が多いのは気のせいか?
そういう学生が将来の臨床を担うとすれば、それはそれで問題だが。淘汰される事を願いつつ……。
一般社会での「心理学」のイメージが歪むのも悲しいし。
未だに友達とかに、「夢の解釈」とか聞かれるのは虚しい。
読心「術」と心理「学」を勘違いされているのも切ない……。
>行動分析家サマ
スミマセン。いきなり話、飛びマス。
そちらの現場で抑鬱がどう考えられているのか、軽く教えて頂きたいのですが。
認知的にどうだから抑鬱は起こる、と考えられているのでせう?
ベックとかは、前にも書いたことありますが、分かります?
気が向いた時にでも、ご教授頂ければ幸いデス。
248 :
行動分析家:01/12/03 11:25
>247
行動屋における抑うつは主にセリグマンの「学習性無力感(learned helplessness)の研究(Seligman,1975)が基本になっていると思われる。
かわいそうな話なのだが、犬に回避不可能な電気ショックを与えつづける。
そして、次にある行動をすれば電気ショックが回避可能であるセッティングに移行する。
回避不可能な電気ショックを経験していない犬はじきに回避することを学習するのだが、経験した犬の多くには全く学習が生じなかった。
電気ショックがきても、回避しようとする行動が生起せず、床に寝そべってクンクン鳴くだけであったという。
この「学習性無力感」は他の多くの生物においても観察され、なんとゴキブリ(Hughes&Jones,1988)でも観察されたらしい。
もちろん、人においても多くの基礎実験がされている。
ここから示唆される治療法としては「失敗のありえない状況におき、成功体験を繰り返し経験させる」、つまりセリグマンの実験でいえば、「犬に回避行動を行うようにガイダンスし、その結果、電気ショックが来ないことを繰り返し学習させる」ということが考えられる。
また、抑うつの分野では最近では認知行動療法の分野から多くの論文が出ている。
従来の行動療法の理論にベックやエリスをはじめとする認知的な技法を取り入れたものだ。
不合理な信念(Ellis,1962)、論理的誤り(Beck,1963)、セルフエフィカシー(Bandura,1977)、原因帰属(Abramson et al.,1978)なんかが扱われている。
私は少し専門から外れてしまうのだが、あなたの方が詳しい分野かもしれないな。
詳しくは「認知行動療法、坂野雄二、日本評論社」などに書かれている。
まあ、行動屋の中でも認知行動療法をよろしく思っていない人はいるんだが。
私は「役に立てばよい」と思っている。
249 :
社会心理学専攻生:01/12/03 13:45
どうも、ご丁寧に。ええ、学習性無力感は知ってマス。絶望感理論やら一連のものも。
えーとですね、大体概要は分かったような気がしますので、少し具体的な話に。
ベックによると、抑鬱の人は自己認知がネガティブに歪んでいる。
しかし「抑鬱のリアリズム」によると、抑鬱の人の自己認知は極めて正確で、
逆に抑鬱でない人の自己認知がポジティブに歪んでいるんだ、と。
直感的でも良いんで、どっちが正しいと思います? プロ(?)の目から見て。
重ね重ね、私事でスミマセンが・・・。
行動分析家サマ以外の方も、こうではないか、と思うところがあれば是非!
卒論の考察に使われる可能性があります(笑)。
ちゃんと考察できたら、フィードバックしますので・・・。どうも。
250 :
社会心理学専攻生:01/12/03 13:48
えーとですね、補足です。
もしかしたら、「成功体験を積ませる」ことよりも、
「失敗体験を積ませない」ことの方が重要なのではないか、という考察です、今のところ。
同じじゃん、と言われればそれまでなのですが、
まあ私から見るとだいぶ違う気がしているのです。特に認知スタイルの点から見ると。どうも。
251 :
行動分析家:01/12/03 15:47
>249
>ベックによると、抑鬱の人は自己認知がネガティブに歪んでいる。
>しかし「抑鬱のリアリズム」によると、抑鬱の人の自己認知は極めて正確で、
>逆に抑鬱でない人の自己認知がポジティブに歪んでいるんだ
これは面白いな。
私は抑うつは専門に研究したことがないのだが、普段の生活を思い返してみてもなるほどと思わされる。
私の直感からするとどっちもあるんではないかという気がする。
すなわち、ネガティブに歪みすぎてうつになる人もいれば、ポジティブに歪んでいるオプティミストもいるんだと思う。
また、冷静に事実を把握しうつになる人もいれば、「大した事ないじゃん」と開き直る人もいるのだろう。
臨床的な話をすれば、自己認知がきわめて正確な抑うつの人が「もっと明るく生きたい」と思うのならポジティブに歪めてしまえばいいような気がするが・・・。
少しあなたの質問からは脱線してしまったが、質問に対する私の意見(直感)は「どっちもいるんじゃない?」である。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/03 20:28
>>238 >>各種治療法の効果を測定した論文をあつめてメタアナリシスした結果、
>>どんなセラピーも同じ程度に有効だそうです。
>孫引きの弊害が。しかも20年以上も前の結果。
>リンゴとオレンジを混ぜるやり方として批判されたものだよ。
>もっと良質な最新のメタアナリシスを参照してください。
>技法の効果が3割程度だなんて,過去の主観的な意見です。
これについては、水曜以降にレスしますね。なぜならそれまで
図書館に行けないから。
各種心理療法間の効果測定って、大変興味があります。「最新」
の「良質」のメタアナリシスって例えばどんなものがあるのです
か。純粋に好奇心からですが、教えてくださると幸いです。
自分でサイクリットで検索すればいいんだろうけど、学校はもう
出ちゃってるしなあ。あんなもんは個人ではもてないし・・・。奇
特な方、調べてくださらないだろうか。
この手の研究って、どの流派からも「自分のところは不当に低く
扱い、他の流派は贔屓目に見ている」と批判されがち。一番信用
できるのは、「行動の変容がセラピーの眼目」であることを証明
するはずの研究が洞察の重要性を示唆してしまったり、「クライア
ントとセラピストの情緒的な結びつきの大切さ」を示すはずが、
結局のところ関係なんてどうでもよくてクライアントのモチベー
ションが一番ものを言うことを示唆してしまったりする研究ですな。
253 :
行動分析家:01/12/03 21:14
>252
>一番信用できるのは、「行動の変容がセラピーの眼目」であることを証明
>するはずの研究が洞察の重要性を示唆してしまったり、「クライア
>ントとセラピストの情緒的な結びつきの大切さ」を示すはずが、
>結局のところ関係なんてどうでもよくてクライアントのモチベー
>ションが一番ものを言うことを示唆してしまったりする研究ですな。
よくわからない文章だな。
「示唆してしまったりする」研究が一番信用できるのか?
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/03 21:29
>>252 わかりにくかったね。たしかに。
一言で言うと、論文の著者が意図しなかった、もしくは出てほしくなか
った結果がでてしまった研究が信頼できるのではってことです。
それにしても、心理療法間の効果測定に関するよい研究ってしりません?
255 :
行動分析家:01/12/03 21:56
>254
>一言で言うと、論文の著者が意図しなかった、もしくは出てほしくなか
>った結果がでてしまった研究が信頼できるのではってことです。
何となく言いたいことはわかった。
筆者が望むであろう方向に結果が出ていない研究はデータを捏造している可能性が少ないということか?
ところで、自分の学派、もしくは自分自身を売り込むためにデータを捏造する輩というのはいるのかな?
もしいればこの場でざんげでもしてもらいたいが・・・。
みなさん、興味あるだろ?
>心理療法間の効果測定に関するよい研究ってしりません?
知らないな。
というか、剰余変数の統制が難しいのだろうな。
「治療法」という変数以外に「クライエント」「治療者」などに関する無数の変数が絡むだろうからな。
純粋に各治療法の治療効果の比較をするのなら、かなりデザインをしっかりくむ必要があるだろうな。
論文を見つけたらまた教えてください。
256 :
jkllio:01/12/03 23:07
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257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/03 23:39
>235(行動分析家氏)
私の考える治療のイメージですが、身体的な病気の治療を例に、思いつきを述べます。
身体的な病気に対する治療にも様々な手段があると思います。
患者(ガン?肝臓病?)が高熱を発したとします(肝臓病で高熱?)。解熱剤を与えれば、患者の抱える苦しみを軽減し、もしかすると脳が受けたかもしれないダメージを回避できます。
即効性のある解熱剤を与えることが一つの治療だとして、病原そのものに働きかける治療(投薬?手術?放射線?)もあろうかと思います。
そのためには、比較的長い時間が必要とされるはずです。
患者の体力を見極めて対処しなければ、症状を悪化させる危険もあるでしょう。
治療の目標として、病気と共存できるレベルまで体力をつけさせる事が選ばれるかもしれません。
で、私(超・ドシロウト=一般大衆)の印象からすると、行動療法は解熱剤の役割で、ユング派のセラピーは病源への働き掛け、という印象があるわけです。あくまで印象です。(現実の場面は、多種多様と思われる)
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 00:18
>>257 心理療法における病原とは具体的にどういうこと?
その病原はだれにでも納得いかせることが出来るもの?
その病原はだれにでも認識できるもの?
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 00:33
>>258 だからさあ、257は素人なりの感覚的理解の仕方なわけ。
そんなのに具体的に突っ込んでどうするの? わかるわけないじゃん。
あなたが専門家なら、具体的例をあげて説明を補強するなり反論したりする役割をしてちょうだい。
あなたが素人なら、だまっているか、専門家に説明を求めるような書き方をすること。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 00:38
>>259 心理学というのは感覚的理解でいいということですね。
なるほど。なるほど。
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 00:38
>>259 あなたが専門家なら、具体的例をあげて説明を補強するなり反論したりする役割をしてちょうだい。
あなたが素人なら、だまっているか、専門家に説明を求めるような書き方をすること。
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 00:53
私は専門家の卵だが、257はちょっと違うような気がするね。
その理由は、(以下省略)
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 00:55
>>262 あなたが専門家なら、具体的例をあげて説明を補強するなり反論したりする役割をしてちょうだい。
私は257の言っていることは本質的に
間違っているように感じます。
ユング派の理想化、行動療法の脱価値化、という感じがしますね。
というか、私は「素人だ」、という形でこられると、
その人のいうことを「素人」だからしかたない、と受け入れるしかないので、
議論にならなくなる気がするのです。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 10:36
>>260 どこにそんなことが書いてあるの? どうやったらそう読めるの?
絶句。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 13:15
>264
私は行動分析家氏の「あなたは治療をどう考えるのか?」という問いに答えたのです。
私の述べたことは、行動療法を正確に評していないと思うし、自分の言うことを受け入れてもらうために「素人」を表明したのではない。
「行動療法には〜のような側面もある」「行動療法の理念は〜である」というような、専門家の説明・反論・突っ込み・を期待していたのです。
さらに、ユング派の理想化としてうけとめられることは心外。(曖昧な文章に責任があると思いますが)
正式なユング派分析家の資格を得ることができるのは、ごく少数でしょうが、その資格を持つ分析家の著書にさえ、疑問を感じることはあります。
河合氏その他、日本人のユング派分析家も、限界があることを認めている(と、思われる)。
「ユング万歳型オバカチャン」にならぬよう気をつけます。私は個人的にユング関係の本が気に入っているにすぎないのだ。治療とはウンヌンと述べたのは間違いでありました。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 14:01
>>265 あなたが専門家なら、具体的例をあげて説明を補強するなり反論したりする役割をしてちょうだい。
絶句は反論にならないよ。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 14:25
>>257 そうだね、ひとつだけ言ってみるとすれば、行動療法でも根治することがあるということ。
だから「解熱剤」という見方は当らない。
(解熱剤だけで何か病気が治る人は、別に解熱剤なしでも自然治癒力で直るはず)
これだけでも十分でしょ。この257のトピックはあまり議論してもしょうがないよ。
よって終了。
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 15:12
>268
そうそう。議論してもしょうがない。
しかし、もう少し詳しく知りたかった。それは本を読めってことか。
一つ質問させてください。
行動療法で言う「根治」を、ユング的な観点から見た場合に、「個性化、成熟の進展、自分と他者にたいする新たな気付き」と呼べる事が生じているのでしょうか?
言い換えると、行動療法が、クライアントの人格的な変容を伴うことはあるのか?と、いうこと。
>>269 行動療法における根治は、不適応的な行動がなくなることではないでしょうか。
不適応的な行動がなくなれば、それが妨げていたその人独自の人格の発展がまた
進むわけでしょう。その意味では、行動療法は個々の人間の人格の成長に干渉しない。
逆に、フロイト派にしろユング派にしろ、ある種の題目を掲げてアプローチするのは、
ある種の治癒像というか好ましい方向を押しつけているとも言えますね。
>>269 ごめん、全然知らないんだ。(昔やったけど全部わすれちゃった)
俺はバリバリのユング派だからね。
話は違うけど、ユング派の欠点は、やっぱり時間がかかることと、あと「意味のある偶然」に期待しすぎることかな。
実際に苦しんでいるクライアントにとってはつらい場合もあるだろうね。
でも、いわゆる「来談者中心」とか「傾聴」とかいって、そのバックグランドに何もよって立つものがない
(あるいは何でもできるとかいってころころ変わる「折衷的」?)カウンセラーがいるけど、あれは最悪だ
と思うぞ。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 15:58
>>271 俺はバリバリのユング派だからね。
ほう。チューリッヒでも行って資格を取られたのですかな。
>>271 別に最悪のカウンセラーは、ロジャース派、折衷派に限らず、ユング派にも多い
ですよ(特に自称ユング派には)。で、271さんは、如何ですか。最悪ですか。
それとも、受けてよかったと思ってもらえるほうですか? 自己申告をどうぞ。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 17:10
>>269 行動療法とユング派では「人格」の定義からして違うので
その問いはズレを生じると思います。
行動分析では「人格」あるいは「性格」とは
獲得された行動レパートリーの集まりと見なします。
この場合の行動は思考など内的な言語行動も含みます。
>>273 そのとおり。自称ユング派はあまりに程度にばらつきがある。
他の板でもやってるが、あの盗作疑惑の田口ランディもユング派カウンセラーを目指していた時期があったとか。
恐ろしい時代になったものだ。
ただ、確か河合ハヤオ氏は、
「ロジャーズのやり方は単なる基本的態度のひとつで、いわゆるスクール(学派)にはなりえない」
とか言っていたように記憶しているし、いろんなやり方をごたまぜにすることも賛成しかねているようだね。
271はそれの受け売りなんだろう。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 17:27
>>273 自己申告を待つまでもないと思います。
ユング派の名人のセラピーは、速いときは速いし、
意味のある偶然に期待することもないです。
意味のある偶然に対して開かれた態度というのは、
意味のある偶然を期待することと正反対の立場ですから。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 20:06
ユング派は簡単に資格が取れるからね。チューリッヒに行けば3年くらいで
とれる。だから日本人が飛びついてるところもあるね。
精神分析はアメリカに行ってもロンドンに行っても10年はかかるだろうし、
そもそも候補生にしてもらうのが大変。
その地で分析実践をしてスーパーバイズされないといけないし。
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 20:26
>>271 >でも、いわゆる「来談者中心」とか「傾聴」とかいって、そのバックグランドに何もよって立つものがない
>(あるいは何でもできるとかいってころころ変わる「折衷的」?)カウンセラーがいるけど、あれは最悪だ
>と思うぞ。
来談者中心には「パーソンセンタード」ってバックグラウンドがあり
ます。失礼ですが、ロジャーズの原典を読まれたことは?
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 20:28
>>277 >精神分析はアメリカに行ってもロンドンに行っても10年はかかるだろうし、
>そもそも候補生にしてもらうのが大変。
>その地で分析実践をしてスーパーバイズされないといけないし。
パリの事情はどうなってるのですか。ご存知でしたら教えてください。
パリもほぼ同じ。フランス協会は週3回でもいいらしいが。
ただラカン派(IPAにはいっていない)は事情が違う。
全然訓練規約が違うでしょう。
レス、メルシー
聞きかじりだけど、ラカンって人は既存の分析家訓練システムを批判し、
最後には「分析家の資格を根拠づけるのは分析家の団体や、その規約、
そのシステムではなく当該の分析家のみである」って言い切るところま
で行っちゃったみたいですね。まあ、破門されるわけだわ。
一理あるけど、「俺が分析家だ。俺が言ってるんだからまちがいない」
って言えるのはラカン、フロイトクラスでしょうねえ。自分のように
なることを凡人たちにも要求したとしたら、やっぱりラカンはすごい
人だ。
282 :
クライエント:01/12/04 22:24
現在ユンギアンのカウンセリングを受けているクライエントですが、
自分の体験から言って、すごく自分自身が解放されて認知の歪みが無くなった、
行動変容といえるようなセルフイメージの変化があったように思います。
素人に毛がはえたようなものですので、ここの方々のように楽しく
議論に花をさかせることはできませんが、行動分析家の方、社会
心理学専攻の方、そのほか学部生、院生と思われる方々に、
どうして科学的でない、という理由でユングが嫌われるのかちょっと
不思議におもったので。クライエントとしての発言ですので、
多分に感覚的で「科学的」ではありませんが、十分私には有効です。
それをアートであって、それが問題、再現性がない、妥当性がないから
科学ではないので、論ずる必然はない、というのはちょっとよくわかりません。
統計を否定するという事はないですが、非科学的であるから価値がない、
とは行動分析家の先生もおっしゃってはおられませんでしたが、
その辺りはどうなのでしょうか。臨床の人がやたらに検定使ったりしてる
として、それって、統計使わないと科学と思われないから、っていう
理由だったりする事もあり、正しい統計を使っているとは限らないですよね。
とりあえず、クライエントとしては、偶然と言う名の必然、しかるべき
時にしかるようになった、という気持ちになっており、それが現在の
セラピーゆえである、と感じているので、その点でユンギアンのカウンセラー
にであったのもまた偶然ではなかった、と思っております。
とはいえ、クライエントに有効であれば、どのセラピーも否定しません。
だけどなんでそんなにユングが嫌われるのか、は疑問ですが。
突き詰めるとやってる事はみんな一緒、というのがクライエントとしての
私の感じている事です。曖昧な事いうな、って言われそうですが、
曖昧さ、というのは科学でないから否定されるべきものなのでしょうか。
それから、ここ最近であった、基礎系の方々がおもしろいくらい、心
(ナイーブな言い方ですが、まぁ平たく言うと臨床分野、でしょうか)
の領域に足をつっこんできておられますが、不思議ですね。
とある神経認知心理学者は、宗教的な催しに足をはこんで、心への回帰
をしているとおっしゃておられます。要はどっちも必要なんでは?
あと、心理系の人って、科学でないといわれることに神経使いすぎでは?
新しい学問なんだから、色々自分で定義できる余地があっておもしろい
と思いますけど。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 22:35
>>282 よく言った。アンタは勇気があるよ。
「嫌う」とは「影」を見いだすからじゃないか?
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 22:39
>>282 嫌われるのは多数派だからでしょ。ポジションが変わったら今度は
そちらのほうが叩かれるようになるのでは。ユング批判をしている
人間でユングの著作を1冊でも読んだことがある人間ってどのくらい
いることやら。印象批評でしょう。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 22:45
>>284 そのような議論は不毛だろう。印象批評されて揺らぐものに最初から価値はない。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 22:52
>>285 いやいや、批評する前にその対象を知ろうとするのは、最低限の学問的
誠実さでは? これは批評の対象がユングであろうとなかろうと。じゃな
いと怠惰のそしりは免れないでしょう。その点、鏡台の〇〇先生(失念し
た。誰か教えて)のフロイト、ユング批判はえらかった。原典を原文できっ
ちり読み込んだ上での批判だったね。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 22:59
>>286 「フロイト、ユング批判はえらかった」えらかったとは印象批評やな。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 23:02
285のような人間に学問をやる資格はない。
なんにせよまず原典に当たり、自分の頭で考えないと、
大政翼賛会みたいになるぞ。
自分の先生や学派のボスに尻尾をふってるんじゃないぞ。
印象批評で充分だと。フロイトやユングを克服することが
どれほど大変かわかっているのか。
いっておくが私は実験系だ。だが285のようなやつは許さん。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 23:03
287、
言葉尻をとるな。286は鏡台の人の発言をちゃんと呼んでいるのだから
印象批評とは言わん。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 23:09
>>286 いえいえ、芸のある印象批評ならよいのですよ。小林秀雄みたいなね(
自分のがそうであるとは申しません)。印象批評でもその対象を知らなく
ては批評の営みは不可能なのでは? 「その対象についていろいろな人が言って
いること、もしくはその対象について一般い抱かれているイメージにつ
いての印象批評を目指すのなら別ですけどね。
しかし、原典に当たれってのはごくごくあたり前のことではないですか?
分野を問わずにね。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 23:23
巨匠の功績はくだらん議論を越えて偉大だと思うわ。
>>291 それゆえ後進の更なる前進を阻害することもある。
ユングしかり。小林秀雄しかり。
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 23:30
ユングと小林秀雄の壁を越えられない奴の本は読む気がしない
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 23:35
>>293 うわ、要求水準高すぎ。
教祖にまつりあげないってことですよね?
295 :
行動分析家:01/12/05 02:25
>282
>統計使わないと科学と思われないから
応用行動分析ではあまり統計は使わない。
シングルケースデザインを主に使っている。
例えばAという介入をして、次に介入を除去する。そしてまたAという介入をして、状態(操作的に定義するのだが)が介入に依存して良くなって悪くなってまた良くなったら、恐らくこの介入は有効であったといえる。
これはABABデザインというものだが、他にも数種類ある。
とまあこんな具合に統計を使わなくても因果関係は明らかにすることができる。
>クライエントとしては、偶然と言う名の必然、しかるべき
>時にしかるようになった、という気持ちになっており、それが現在の
>セラピーゆえである、と感じているので、その点でユンギアンのカウンセラー
>にであったのもまた偶然ではなかった、と思っております。
あなたがそう思っているのなら何よりである。
ただ、同じセラピストの立場からするとやはり引っかかる部分がないわけではない。
「偶然と言う名の必然」というのが良く分からないが、例えば医者がインチキな薬を出して、クライエントはそれを飲んで偶然治ったとする。
人間生きていれば色々なことがあるので、薬がなくても他の要因でよくなることもあるだろう。
これをこの人は「なんてありがたい薬!」と思ってしまう。
また何年も長々とセラピーをやっていたら他の要因で改善に向かうこともあるだろうし、自然と良くなることもあるかもしれない。
「本当に治療が効いのか?」と一言いってやりたくならないか?
「100%成功する驚異の雨乞い」とは雨が降るまで祈っておくことだという皮肉を聞いたことがあるが、因果関係を明らかにしていなければ、このような批判に耐え切れないだろう。
ボランティアでやるのならともかく、それでクライエントから金を取って、感謝されて、まつりあげられている輩をみると「なんかなあ・・・」と正直思ってしまうのだ。
もちろん別に羨ましいわけではないが・・・。
>心理系の人って、科学でないといわれることに神経使いすぎでは?
例えばフロイトやユングの理論が、ある種の「仮説」として、または「文学」として存在するのならこれほど文句をいう人もいないと思う。
問題なのは「臨床場面で用いられていること」であると私は思うのだ。
クライエントに関わる以上、その介入方法はできるだけ科学に裏打ちされたものが望ましいと思う。
場合によってはクライエントの命にも関わるのだから。
まあ、これらは私個人の意見なので、「こんな人間もいるのか」という参考程度にしていただきたい。
あなたのこれからの人生が豊かになるようお祈りするばかりである。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/05 16:05
ゆっくり「意味」を考えたい人にはいいんじゃないの?
フロイト、ユングの分析系って。
自然に治ったとしてもさ。
私もそう思います。
クライエントにはそういった事を期待している人も少なくないし...。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/05 22:06
本当に苦しんでいる人に「長い目で見た方がいい」とか、「意味のある偶然がいつか起こるでしょう」
とか言ったらぶん殴られるよ。(実際にそんなケースを見聞してる)
言わないにしても、そう考えていることがなんとなくわかっただけでもアウトだね。
とにかく、相手の一刻も早くなんとかしたいという苦しみがわからなくちゃ話にならないと思うけどね。
それほど苦しんでいない人は、ユングでも何でもどうでもいいんじゃないの。
>>238 >>各種治療法の効果を測定した論文をあつめてメタアナリシスした結果、
>>どんなセラピーも同じ程度に有効だそうです。
>孫引きの弊害が。しかも20年以上も前の結果。
>リンゴとオレンジを混ぜるやり方として批判されたものだよ。
>もっと良質な最新のメタアナリシスを参照してください。
>技法の効果が3割程度だなんて,過去の主観的な意見です。
図書館行ってきたのでレスします。
リンゴとオレンジを混ぜるやり方ってMeltzoff & Kornreich(1970)や、Bergin(1971)
なんかのことですか? 20年以上前というよりもほぼ30年前の論文ですね。そのあと
Luborsky(1975)がボックス法を用いて解析し、Smith & Glass(1977,1980)や
Andrews & Harvey(1981)、Shapiro & Shapiro(1982)、Dobson(1989)、Crits-Cristoph(1992)
などが、メタアナリシスを用いて各種心理療法の効果測定を行いました。
結果は総じて、心理療法全般の効果は認めるものの各療法間の治療成績の
ちがいは認められないというものでありました。
続きは後でね。
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/06 00:43
科学的と呼べるのは臨床心理学は基礎心理学の理論に基づいた行動療法だけ.
精神分析(含ユング)やそこから派生したあらゆる投映法検査や
プレイセラピーは全部非科学的なインチキ療法.
カウンセリングも,話してるだけで行動変容が起きるなんて科学的根拠がない
から偽物.
今どき,そんな時代遅れの呪術のようなもの信じてるのは少数派でしょ.
301 :
社会心理学専攻生:01/12/06 00:50
ちょっと見ない間に、えらい話が飛んでマスネ。
古い論文ですが、こういうのもあります。レスを全部読んではいないのですが、たぶんタイムリー。
Journal of Consulting PsychologyのEysenck(1952)では、
「心理療法に関する19の研究をレビューした結果、心理療法がノイローゼのクライアントの回復に、
促進的に働くという事を証明することはできなかった」
統計的な思考が優先する私などは、やっぱり臨床のケーススタディはちょっと怖い。
データが臨床のものしかなく、あまりに一元的すぎるから。
本当に効果があるかどうか調べるには、「クライアント−健常者(2)」×「心理療法の経験の有無(2)」
のようなモデルを立てて縦断的に精神的健康を検証すべきだし、
少なくともクライアントを治療群と非治療群に分けてもらわないと、何だか気持ちが悪い。
ちょっと人道から外れるような発言かもしれませんが、純粋に実証科学の立場から、
真の意味で臨床的な治療の効果を実証するには、これが一番分かりやすい。
で、実際にこういうのをしている臨床系の研究は本当に少ない。私はお目にかかったことがない。
各種心理療法のメタ分析以前の問題として、各々の心理療法の効果測定における統計的実証性に問題がある以上、
ほとんど如何なる統計的分析も、私には信用できないなぁ。
299の続きです.
また,上記の著者らによれば,治療の成否を説明するのは第一に,
クライアント側の要因.その中でも知能がセラピーの経過を一番よく予想
するそうです.それに治療者の要因,最後に治療で用いられる技法と
続く.しかも,技法の効果は238さんのおっしゃる3割も行かず,10%
どまりだとか.
ところで,238さんのおっしゃってる論文て,誰がいつ書いたやつですか.
知りたく思います.あと,良質の最新のメタアナリシスのおすすめも
お教えいただければ幸いです.
今日,データベースで調べたところ,ここ10年くらいは上記の論文
のような心理療法同士を比較する研究は少ないように見受けられました.
どちらかというとある対象に対して,ある心理療法は有効かどうかを
調べたり,薬物療法との比較,薬物療法と心理療法の併用の研究などが
目立ちましたね.
最近,灯台の下山さんが編者でだした,臨床心理の本に筑波の金沢
さんが心理療法の効果について書いています.金沢さんによると現在では
心理療法同士を比較する研究は最近ではあまり行われず(結果が
見えているから),「いつ,どんな状況で,どんなクライアントに,
どんな心理療法を,どんなセラピストがどのように行うのがより効果的か」
という研究のほうがさかんになっているそうです(大意.現物にあたる
ことをおすすめします).
また300みたいな厨房が出てくる。
自分のやっていることだけが正しい、というようなのが。
世界中に精神分析家が1万人いて食っているのは事実だし、
そういうひとはMDかphDをもっている(いわゆる科学的思考の中で
一応もまれた経験がある)ことも事実だと、何度も言ってるのだけど。
実証科学的な手法で主観的こころを扱うことに原理的困難があることを
否認することこそ科学的ではない。
あなたの大学やあなたの知っている範囲だけでない、そういう世界も
あるし、排他的にならず、パラダイムの並立を認めるというのが、
ふつうだろう。
これしか正しくない、という主張が正しいことは、人間のこころを
相手にしてる場合、まずないでしょう。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/06 01:38
本物の資格を取ったユング派分析家の意見が知りたい。私は、ユング派の治療の有効性は疑わない。しかし、それは直感的な理解。
行動分析家氏や社会心理学専攻氏が疑問を抱くのは尤もと思われる。
茶化した言い方になってしまうが、疑う方々がユング派分析家の分析を受けて試してみるのが早いかも。
河合隼雄は、やはり夢分析を前にして同様の疑いを持ったと述べている。その時に説得された言葉が、たしか、「経験してない事を否定するのは、非科学的ではないか」という内容だったと思う。
恐らく、その説得はユーモアを含んだものであろうが。
冗談めいた事を書いてしまったが、行動分析家氏と社会心理学氏の真摯な姿勢は敬服するしだい。さらに、そのお仕事の有効性も信じたい。(何をされてるのか、良く知らんが)
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/06 01:43
>経験してない事を否定するのは、非科学的ではないか
そうだろか?まさに科学的態度そのものでは?
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/06 02:10
いいえ非科学的。
>>301 社会心理学専攻生さん.
Eysenck(1952) The effect of psychotherapy: An evaluation.
Journal of Consulting Psychology, 16(319-324)ですね.
古典ですね.しかし50年前.古すぎますね.
心理療法の科学的効果測定にその時期に取り組んだという歴史的意義は
ありますが.レビューした論文の数,19と言うのも少し少ないのでは.
あと,現代における効果測定の研究では対照群は当然とっています.
だって,保険,つまりお金が絡んでるんですよ.この種の研究には.対照群
をとらない研究に保険会社が納得すると思いますか? それに対照群
なしにどうやって心理療法が効果があることを示唆できるのです?
ちなみにLuborsky(1975)の研究では,対照群があるのはもちろん,
治療者の経験,治療目標に即した治療効果の測定,期間,頻度などを
統制して分析しているそうです.また,Smith & Glass(1980)は
1766の比較研究をデータとしました.この研究は質の高くない研究が
含まれていることで後に批判されましたが,Shapiro & Shapiro(1982)
の対象とする研究(その数143)を厳選したメタアナリシスでも同様の
結果が得られたということです.
以上は外国の事情です.日本でこれに類する研究が行われたかどうか
は寡聞にして知りません.おそらく,あるにはあるのでしょうが,
質,量ともにまだまだといったところでは.社会心理学専攻生さん
の批判はそちらにむけられているですか?
308 :
社会心理学専攻生:01/12/06 02:35
300サマには、まあ半分程度しか同意できませんねぇ、たぶん同じ心理学徒だろうけど。
確かに、私は精神分析は(厳密な意味での実証性において)科学だとは思わない。
けど「非科学=インチキ療法」というのは、狭量というか、実証科学の限界を知らなさすぎるというか。
かなり究極的な極論になろうかと思いますが、
現場で働いてる人たちにとっては、それが役に立てばなんでも良いわけで、
呪術だろうが妖術だろうが魔術だろうが宗教だろうが。
私は宗教は大嫌いですが、それでも歴史的に見て、人間の精神的健康に寄与した事実は否定できない。
「告白」なんて、もろに自己開示、或いは言語化による問題解決の促進、という心理学の理論に合致する。
たぶん、経験からくる直感によって、その効果を悟っていたんだと思う。
神父はそう言う意味で、臨床訓練を受けたアーティストだった。
そもそも、理論は実践に遅れるのが臨床の常。
あやしいと思う療法は、はなから否定するんじゃなくて、
まず自分で検証しようとする態度が「科学的」。と思うが。
実際に癒された人(或いは癒されたと思っている人)がいるんだから、それが何によるのか要因を考察して絞っていく。
そして要因間のダイナミクスを検証して、より効率の良いものへと洗練していく作業は、心理学の得意分野でしょう。
まずはそこを活かす事を考えるべきです。他者を否定する前に。
臨床現場にいる人の直感によって引き起こされている事を言語化(理論化)してこそ、科学的です。
というか、相互交流と、実験系の臨床への貢献、その正しいあり方。と思うが。
もちろん、実証されなかった事については、警告を発するべきですが。
残念ながら、精神分析に関してそこまで研究した社会心理学者は、たぶんまだいない。
よって、まだ否定も肯定もできない。役立ってるならそれでよろしい、という段階ですネ。
309 :
社会心理学専攻生:01/12/06 02:47
ほう? これはこれは。臨床系の統計を少しあなどっていたようで、252サマ。スミマセン。
まあ、こういうのもあるよ、という軽い気持ちデス。さすがは欧米の研究者たちデスネ。
まあ、ケーススタディへの実験系からの警句、と受け取ってもらえれば。
もちろん、ケーススタディが無効という意味ではないですが。
しかし古典という意味では80年代も一緒。しかも日本であまりされていない、というのは問題ですネ。
私は抑鬱を専門にやってますが、日米では全く違ったパターンが見られたりする。
で、気になるので教えて頂きたいのですが、「治癒度」みたいなのはどうやって測定してるんです?
対照群とはいかなるものを対照としているのでしょ? ちゃんと2×2になってるんだろうか?
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/06 09:44
311 :
行動分析家:01/12/06 12:58
>304
>行動分析家氏と社会心理学氏の真摯な姿勢は敬服するしだい。さらに、そのお仕事の有効性も信じたい。
ありがとう。
これからも信じていただくに値する仕事をしていきたいと思う。
>「経験してない事を否定するのは、非科学的ではないか」という内容だったと思う。
これはおかしいだろう。
人間を除く動物は実際に強化随伴性に曝されなければ(つまり実際に経験しなければ)学習は生じない。
しかし人間には「言語」がある。
現在の科学の進歩は過去の科学の積み重ねの上に成り立っている。
個人が経験したもの以外をその個人にとって「非科学的」とするのなら、科学者は過去の研究のりプりケーションをシコシコやっている間に、寿命が尽きてしまうだろう。
>本当に効果があるかどうか調べるには、「クライアント−健常者(2)」×「心理療法の経験の有無(2)」
>のようなモデルを立てて縦断的に精神的健康を検証すべきだし、
>少なくともクライアントを治療群と非治療群に分けてもらわないと、何だか気持ちが悪い。
群間比較のデザインを組むのなら当然そうだろう。
しかし、臨床研究において群間比較のデザインはいくつかの弱点を持つ。
まず考えられるのは「平均化」についてである。
例えば治療群において100人中70人が改善し、30人がやや悪化したとする。
平均化すれば「効果あり」と考察されるだろうが、果たして本当にその治療法は有効なのであろうか?
本当に有効な治療法にするために最終的には、個人個人において「なぜ効果があらわれて、なぜ悪化したのか」という変数を同定する必要があるだろう。
次に考えられるのは統制群に対する倫理性の問題である。
「非治療群」に対しては倫理性の問題がつきまとうだろう。
卒論で忙しいだろうが、是非あなたにはシングルケースデザインについて学んでいただきたい。
一般化しづらいという弱点を持つが、群間比較のデザインと弱点を相補うものであると思う。
>252
お疲れ様でした。
できれば簡単にレビュー(できれば1992のもの)をしていただければありがたいのだが・・・。
>それに対照群なしにどうやって心理療法が効果があることを示唆できるのです?
だからシングルケースデザインがある。
312 :
社会心理学専攻生:01/12/06 13:23
>行動分析家サマ
ええ。シングルケースについてはこれから知ってると便利そうなので、学ぶつもりでいます。
けどまあ、訂正というか補足というか。
心理学の統計は、あなたのいう「平均化」で終わったりしない。もちろん、個人個人の変数を考える。
効果(主効果や交互作用)ありと判定されたら、更に要因を考えて絞っていきます。
例えば、治療の効果が「なかった群」「あった群」に分けて、両者の差に何が介在しているのかを考えます。
デザインの中ではそれが、統制変数であったり、介在変数であったりするのですが。
で、今度はそういう個人の特性を変数にして、一つずつ変数を削ったり増やしたりします。
最終的には今流行の共分散構造分析でもして、全体の構造の当てはまりを考える。
地道な作業ですが、理論はこうして洗練されていきます。
決して「個人」を無視するわけではない(無視されやすいですが……)。という事を言いたかったのですが。
ただご指摘の通り、この手法は最後の一人まで説明できるような類ではなし、そこを目指してはいない。
相関などでも.8以上が出たら涙ものですし、と言うことは偏回帰は.64くらい出れば狂喜乱舞。
何パーセントかはこぼれ落ちる運命にあるんでしょうね、心理学だと。
まあ、だからこそ棲み分けと協力が必要なのですが、現場と研究室の。
現場は直感的に変数を知ってる事が多いし、研究室はその変数の効果や、他の変数との兼ね合いを調べるのが得意。
という事ですネ。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/06 17:42
315 :
行動分析家:01/12/06 18:51
ほお、これはなかなか。
>>209 社会心理学専攻生さま
>で、気になるので教えて頂きたいのですが、「治癒度」みたいなのはどうやって測定してるんです?
>対照群とはいかなるものを対照としているのでしょ? ちゃんと2×2になってるんだろうか?
さて、治癒度ですが、おそらくMMPIなどの心理テスト、患者自身の自己
評定、第3者(当然、訓練された専門家)による評定などで測るのでしょう。
治療前と治療後の数値の差をもって「治癒度」としているのでは。他の
測定法もあるのでしょうが、今は思いつきません。誰か知っていたら教えて
ください。
対照群についてはすでに行動分析家さんがおっしゃってますね。補足すると、
Luborskyの研究では、心理療法なしの患者、心理療法待ちの患者、入院治療を
行っているものが対照群として使われたそうです。他もそう大差ないで
しょう。
あと2×2のデザインになっているかについての質問ですが。これはどう
言う意味でしょう。患者の他に健常者のグループを用いているかどうか
ということですか? て、ことは健常者(治療あり)、健常者(治療なし)
の2群を用いるってことですよね。つまり、それをするには健常者に
セラピーを受けさせることが必要になりますよね。でも、セラピーって
普通何らかの不具合がある人が受けるわけで、そもそも健康な人間は
セラピーの対象にならないのでは?
たとえて言うなら、抗がん剤の薬効を調べる試験で、癌患者の他に、健康
な人間にもその薬を投与するようなものでしょう。倫理的にも問題が
あります。
もし、こちらの誤解のようなら、ご容赦、ご指摘ください。
あと、社会心理学専攻生さんは、4年生なのですか? 卒論がんばって
ください。2chで卒論落としたなんてことのないように。
以上、老婆心から
このスレは「カウンセリングと臨床心理」のはずだけど、実際の内容が治療効果の
検証がテーマになっていますね。まあ、それはそれで充実したやりとりが行われて
いるので、結構なことです。
社会心理学専攻生さんは、なかなか生真面目な方のようですが(いい意味でですよ)、
あんまし臨床されてないんじゃないかという感じを受けますが。臨床効果に関する
コメントを読んでいても、ずれを感じてしまいます。まあ、実際には臨床で治療
効果の研究をされることはないでしょうから、問題はないんでしょうね。その点、
252さんは、意見を読ませていただいて、いかにも臨床しておられるんだなという
感じです。臨床では、まず患者さんがいて、その治療があってと言うことなので、
実際、なかなか都合のよいデザインはできないというのが本音ではないでしょうか。
>>311 行動分析家さま
シングルケースデザインについて、ご指摘、ご教授ありがとうございました。
おかげでひとつ賢くなりました。
あと、文献のレビューについてですが、以下の書籍が参考になると思います。
講座 臨床心理学〈2〉臨床心理学研究
下山 晴彦 (編集), 丹野 義彦 (編集) 単行本 (2001/11/01) 東京大学出版会
心理療法―その有効性を検証する
頼藤 和寛 (著), その他 単行本 (1993/05/01) 朱鷺書房
最初の方は、発行年が今年と新しいのが利点です。そして後者は科学的な
効果測定のレビューだけではなく、心理療法という営みを医療人類学的な
視点をも用いつつ醒めた目で考察しています。読み物としても面白いのですが、
アマゾンで調べたところ品切れのようです。図書館でどうぞ。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/06 23:21
このスレ、心理学板ひさびさの良質のスレですね。煽りをきちんとはねのけて議論が
続いてます。社会心理専攻生の若いに似ず広い視野、行動分析家の冷静で理性的な態度、252の
謙虚で実直な様子、65の精神分析インサイダーとして限界をわきまえた構えなどなど
いい感じですよ。
>>245 >242は半可通だね
これはその通りです。ただ、一時、ずっとBPDのお相手をしていたことがあって、
幾つかその手の本を読んだんですが、同じBPDの患者さんの相手をしていて、どうして
こんなに書いてることが違うんだろうかって不思議に思ってたんですよ。で、幾つか
セミナーとか受けに行った時に思いついたことが242だったんですよ。
244=65さんは、カキコに注目というか結構傾聴していたもんで、
>訓練というものの厳しさがわかっていないのかも。
で片付けないでほしかったですね。残念です。私は確かに訓練の厳しさは知りません。
しかし、ちゃんと訓練受けてるのに、立派な分析家の人がどうして、主張することが
バラバラで、食い違っていたりするんですか。それは、対象が違うとか、教育分析
した人が違うからというだけなんですか。私は、治療者の気質とか性格がやはり
大きな要因だと思うんですが。それとも、訓練を受ければ、そういった偏りを意識化し
排除できるんですか。その辺は、一度教育分析を受けた人に正直なところをうかがって
見たかったんですよ。
322 :
行動分析家:01/12/07 02:15
>318
わざわざどうもありがとう。
ここに書き込みつつ言うのもなんだが、実は大変忙しい身なので、また機会があれば読んでみたいと思う。
>320
私もこの板で楽しく議論できていることをうれしく思っている。
このような匿名の条件では難しいものなのだが・・・。
今では仕事の合間での強化子として機能している。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/07 02:26
242さんが、分析家のどういう状態を良しと考えているか
いまいちよく分からないんですが、分析家がこういう人格だから
こういう手法をとるとか、そういう話じゃないと思うんですね。
いや、最終的にはそうなるのかもしれないですけど・・・。
以前の書き込みでも「セラピーの核はCl.を受け入れること」という
のがありましたけど、これも似たような感覚から書かれているような・・。
多分この感覚は門外漢であるとかないとかいう問題ではないような
気がするんです。
つまり、Cl.を受け入れるのはTh.の器ですよね。(ここではあくまで
受容という文脈で話しますが。)基本的にCl.が投げかけてくるものは「毒」
で、それを受け入れる器はヒリヒリしたり、時には腐りかけたりすることも
あると思うんです。で、やっかいなのが、その毒に反応する器がTh.の人格だと
いうことで・・・。つまり毒は器との反応で現れてくるもの。
もちろんその器が腐ってボロボロになってしまってはいけないので、
その器の変容自体が必要になってくるんじゃないですか(これってユングはもちろん
河合も外してませんよね)。でもそれは器がこういう偏りだからこうすればいい
なんてもんじゃなくて、器のヒリヒリ感があってはじめて可能になるもんだと思うん
ですよ。で、そのヒリヒリ感は決してなくなってはいけない。つまりそれぞれが
それぞれの所にいなくてはいけない。じゃないと、変容もないじゃないですか。
変容って、自分はこういう性格だからこういう手法をとろうってことで起こるもんじゃ
ないように思えるんですが。
324 :
社会心理学専攻生:01/12/07 12:06
>>252サマ
うーん、やっぱり気持ち悪いですね。社会心理のほとんどがかかる統計病(?)な私としては。
まだまだいくらでも統制できる条件がありそうだ。重箱の隅をつついてしまいそうですが。
社会心理の実験では、時間以外のあらゆる条件を統制しようとするので、
他の分野の調査を見ているとちょっと怖い。
テレビに出てるような臨床系の推計論誤用は、目に余るものがあったりしますし。
2×2のデザインは、そういう事への警句と受け取って下さい。
人道的でない事は、上にも書きましたが重々承知です。
純粋に推計論として、心理療法の効果だけを抽出するならば、そのようにすべきだな、と。
まあ、何を調査対象にするかによて、群をどう想定するかも変わるのですが。
実際の実行可能性の事などは、考慮の外です。抽象的思考の範囲でのお話デス、これは。
一度大々的に、心理療法の効果のありようを日本でも調査すべきでしょうね。
あ、だからと言って、私は心理療法の効果を疑ってるわけじゃないですよ?
ただ、ちゃんとした制度がないだけに、ちゃんとした訓練を受けていない似非がいたりするので、
それを排除するためにも、って事デス。念のため。
一度知り合いが心療内科に行って、ひどい目にあってますから。
まだ日本にはトンデモセラピストがたくさんおる模様……。
というか、卒論への励まし、どうも。
手を伸ばしすぎて、こぼれ落ちるをたくさんのものを見ながら、自分の手の長さを知った所です(涙)。
>320サマ
どうも。
私にとってもここは、行動分析家さまと同様(?)の効果が見込まれてます。
煮詰まったときなどは、ここで思考転換。(つまり今煮詰まってるわけですが……)
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/07 22:32
>>320 なぜこの人はこんな上から見たような言い方ができる?
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/08 00:10
上というより横では。観客席と言う感じだが。
社会心理学専攻生さま
>一度大々的に、心理療法の効果のありようを日本でも調査すべきでしょうね。
うーん,心理療法一般の効果そのものを検証するって研究よりも,前に述べたように
「どのようなクライアントにどのようなセラピーを行うのが効率的か」をしらべる研究に
流れはシフトしているようです.つまり,前者の研究については「心理療法には一定の効果
は認められるが,各流派間の成績にはほとんど違いがない」というところにひとまず
落ちついたので,あえて屋上屋を架すことはしないのでしょう.
それぞれの心理療法の得意分野と不得意分野,ある種の症状に適している技法と禁忌な
技法,セラピストとクライアントの特性のある組み合わせ(性,年齢,既婚・未婚,価値観等々)
が治療に有利に働くか,不利益に働くかなどが研究の対象となっているようです.おそらく
日本の臨床心理学者(社会心理学者でもいいですよ)が研究すべきなのはそこだと思います。
この分野での研究はいくつかはっきりした結果が出ているようでもありますが,まだまだ
不明なところが多いものですから.どんな場合に行動療法が使えて,どんな場合にユング派の
セラピーが使えるのか,それを知ることはクライアントの利益に直結します.
たとえば,恐怖症には行動療法が他の療法より高い治療効果をあげるという研究がある一方で,
ちがいはないという研究が他方にあるようで,まだまだはっきりしたところは僕にはわかりません
(ここのところは,行動療法家さんに聞けば最新のところがわかると思います)。
あと,卒論ですが,卒論はいずれ終わるもの,いつまでも続くわけじゃありません.それに結果に
満足が行かなくても後々の研究でそれを生かせばよいことですよね.風邪を引かずにラストスパート.
>320さま
謙虚で実直,そんなこといわれたの初めてです.面映い.
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/08 01:21
320サマをめぐるレスは公家階級の会話か?
329 :
社会心理学専攻生:01/12/08 12:09
各流派間に違いがない、っていうことは、違う治療法を施しても結果は一緒、ってこと?
とするならば、治療法自体には効果がない、ということになりかねない。
かなり意地悪な言い方ですが、患者の「この治療は有効だ。だから私は回復する」という思いこみ、
つまり薬なんかで言う、プラセボ(プラハボだっけ?)による回復、とされかねない。
まあ、最近のそういう論文は読んだことがないので、直感で言ってしまってますが。
しかも日本ではやってないんでしょう? 欧米の結果をそのまま信じるのは、こういう分野では禁忌です。
もちろん、主張なさってることも分かりますし、そっちの仕事もすべきでしょう。
心理学の得意分野です。ちゃんとやってる所なら、指導を受けつつ学部生でもできるでしょう。
その中で、効果のある療法は残るでしょうし、効果のない療法は淘汰されるはずです。
同時にできることだと思いますよ、効果一般と、それぞれの療法の効果の違い、という調査的研究は。
さて卒論ですが。結果は非常に満足のいくもの。というかハマりすぎて怖いくらいデス。
だから張り切って書いてはいるのですが、まさかこんなに綺麗に出るとは思ってなかったので、
全ての仮説における結果について詳細に説明しなければならず、苦戦中です……。
ありがたいお言葉、どうも。
あ、ちなみにやってる分野が、今の話に近いかも。
欧米での結果を日本で追試しつつ、新たな理論を組み立てる、というものです。
Beckやらですから、認知行動療法の背景的理論の洗練、と言えば、ちょっとカッコ良いかも(笑)
私は抑鬱に関してだけしか言えませんが、やはり欧米とは決定的に違う部分がある。
だから当然、欧米で有効な治療法が、日本でそのまま有効であるという保証はない。
という事です。
>>329 社会心理学専攻生さま
プラセボについてですが、おっしゃる通り心理療法の効果を完全に分離することは
できません。心理療法の効果にはプラセボ、暗示による効果も含まれます(こんな
こと言うと他の人たちから怒られるかもしれませんが)。心理をやっているものに求
められることは、こうした暗示、プラセボの力を最大限有効に働く条件を明らかに
することだと考えます。一つの条件として、クライアントの世界観、価値観、要求と
そのセラピーが矛盾しないということが考えられます。例えば、河合さんの本を読ん
で感銘を受けたクライアントは症状だけを対象にした行動療法を物足りなく感じる
でしょうし、フロイトやユングは捨て去られるべき過去の遺物だと考える心理学徒に
深層心理学的アプローチは効きにくいでしょう。クライアントの要求とセラピーの
理論がドンピシャとはまったら、プラセボの効果がマックスになるだろうことは想像
に難くない。
実際のクライアントはさまざまな人がいるわけだから、その人たちのニーズに応えら
れるために多様な技法を身につける必要があると考えています。が、いかんせん自分の
引き出しはまだまだ少ないですね。せめて、リファー先や連携先を増やして行きたいと
思ってます(そっちのほうが手っ取り早いですから)。
また、効果がある療法が残り、効果のないものは淘汰されるというご意見について
ですけど、セラピーの効果は対象別に検証されるべきだと思います。対象が異なれ
ば、測定すべき効果も違ってくるはずですから。すべてのクライアントにオールマ
イティに効くセラピーなんてちょっと想像できません。
ダウン症の子どもに衣服の着脱などの生活スキルを獲得させることには行動分析
に勝るものはないでしょうし、実存的な空虚感に悩むD3生(フランス哲学専攻)は
ラカン派のところに行くでしょう。
抑鬱の治療に関して、欧米と日本では決定的に違うところがあるという研究結果
については大変興味があります。時間があるときでかまいませんから、さわりだ
けでも教えてくれませんか? 抑鬱に苦しむ、日本人のクライアントには、どの
ようなセラピーが有効なのでしょうか?(もちろん、セラピーを受けないという
選択肢もありますね)。
訂正
>>329 >プラセボについてですが、おっしゃる通り心理療法の効果を完全に
>分離することはできません。
↓
プラセボについてですが、おっしゃる通り心理療法の効果からプラセボ
による効果を完全に分離することはできません。
332 :
社会心理学専攻生(煮詰まった!):01/12/08 17:10
プラセボについてなら、こういうモデルはどうでしょ?
ある心理療法を受けさせるに際して、その療法の効果への信頼するかしないかを聞いておいて、
信じていない群にも回復傾向が認められたなら、プラセボでない効果あり。
荒すぎるモデルですが。思いつきで。しかも非人道的だ……。
こういうのは、現場での調査は事実上不可能なのでしょうね。
実験室実験で擬似的にやるくらいでしょうか。
思考パターンの差でしょうか。
たった一人に有効な療法は体系化されないだろうから、
養成施設などで教えることに意味はないだろう、と思うわけです。
(「療“法”」ではない、と思えてしまう)
認知行動療法なんかは、かなり大部分の人に効果ありですし。
一つの療法だけが生き残るとクライアント側に選択の自由がないですから、
もちろん様々な療法があるにこしたことはない。とも思いますがね。
あまりに限定的な療法は……と疑問を感じる。
もちろん、それでしか治らないクライアントがいるならば、その価値は絶大なものがあるのでしょうが。
(言ってることが矛盾してる? 認知容量の枯渇だ……)
抑鬱については、上にも少し書きましたが、完全に結果が出きってから、
興味のある方用に少し言ってみようかと思ってます。
反論疑問も欲しいですし。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/08 22:36
>>330 「プラセボ」や「暗示効果」が、理論的な不備を押し込んだゴミ箱として使われていませんか?
>>332 社会心理学専攻生さま
うーん、自分が効果がないと思っているセラピーを受けようと思う奇特な
クライアントがいることが前提ですね。実験室で擬似的にやる分には面白い
と思います。
335 :
社会心理学専攻生:01/12/09 18:20
そろそろここもおしまいかな?
まあ、デザインが単純すぎますが。
それに実際問題、プラセボも含めて、回復してくれさえすれば何でも良いですしね。
では新たに、こういうのどうでしょ?
確かに信じている人しか治療は受けないでしょう。
しかしながら、信じている程度には差があると思う。
まあ信じている、かなり信じている、絶対に信じている、などなど。
それを量的な説明変数にした回帰分析をして、「信じる度」がどれくらい治療に影響しているのか。
色々統制しないといけないよういんがありそうですが……。
他の変数(時間とか、治療者の経験とか)も投入して重回帰、ってのも面白そう。
社会心理の性ですかね。こういうデザインを考えるのは結構好き。
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/09 20:10
>>335 信じる/信じないをアンケートするわけですか?
意識的には信じていたとしても、無意識的に不信感を抱いているケースは?
まあ、無意識を前提としてると言われるかもしれないけれど、
「私は信じています」って言っていても、実際の行動を見てると全然、ってこと
はあるし。そうすると、本人の主観をいくら聞いてもしょうがないんじゃない?
逆に、あの先生嫌いだ、って言っていながら、ラポールはしっかり取れていて、
面接が途切れることはないことだってある。そうさせるカウンセラーは優秀。
分析系のカウンセリングの場合だと特にそういうことあるでしょう。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/09 20:19
純粋に、プラセボの影響力を測定するためのデザインです。
思いつきで書いてるので、荒いすぎですが。
プラセボは主観が現象を作り出すものと理解しておりますが、私は。
だから、主観が聞ければ十分。
話題が錯綜しておるもようですね。
あと、「無意識」ってナニ?
しばしば安易に使われるけど、科学性を重視するなら、使わない方が良い単語ですね。
精神分析などがいう意味での無意識の存在は証明できない。
(精神分析家は、それを承知の上で、功利的に使用している、と私は理解しています。)
>>337 プラセボ効果の研究で面白い話がありました。手元にネタ本がないんで、詳しく
書けませんが、(1)何の効果もないプラセボ(生理的食塩水)を静注した群、
(2)効果のあるプラセボ(ビタミン剤で皮膚がチリチリしたり不快感があるが、
質問項目には何の影響もないもの)を静注した群。両者の比較では(2)のほうが
改善率は高かったそうです。つまり、本来なら副作用のはずの効果でも、効果が
ある方がプラセボ効果は高まるんですね。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/09 23:12
>>338 心理療法を訪問する患者の悩みは何だったか?
注射をした医者の人格はどれだけ尊敬に値するか?
「プラセボ」効果はどれだけ続いたか?
改善の程度は、どの程度であったか?
テストを実行した人は、どういう立場なのか?
(何をより所とする人物なのか?)
338のレスをした人物の学問的な背景はいかなるものか?
その人物は人間の心理を把握してるのか?
このスレを読む人々の考えは、どっちの方向を向いているか?
ぜーーんぶ、答えられますか?
これは、簡単に終わり(終了)としていい、問題ですか?
かなーーーり疑問。
>>338 正しいです、下記は心理学板を荒らし回る例の厨房です。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/09 23:44
>>340 のレスのほうが、厨房的です。
340さん。疑問に回答してみたらどうですか?
>>339 必要であれば、調べておきましょう。ちなみに、このプラセボ効果の報告は心理畑
ではありません。医学畑です。だから、心理的な考察は抜きですね。でも、興味が
ないなら、終わりにします。お邪魔しました。
343 :
社会心理学専攻生:01/12/09 23:46
「良薬口に苦し」効果と名付けましょう。(笑)
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/10 00:12
プラセボは本来なら新薬の治験などで使用されるものなので、
有効性の有無を確認する以外で使用する338の書かれているよ
うな例は本来であれば倫理規定に違反するものだと思うのです
が。どーでもいいことなんですが、念のため。
>>335 社会心理学専攻生さま
プラセボについてはこんな実験があるそうです.蛇恐怖症のクライアントを2群に
分け,一方にはオーソドックスな行動療法(内破法)を施し,別のグループには偽
の心理療法を行い,それぞれのグループの効果を比較するというものです.偽の心理
療法とは,縄跳び,ランニング,重りのついた棒の巻き上げ運動などを40分行わせる
といった内容です.もちろんクライアントにはもっともらしい説明をしたそうです.
結果は,偽の心理療法が本物の心理療法と同等の効果をあげたということです.(孫引
きです.リアリー著 (1898) 安藤・渡辺・大坊訳『不適応と臨床の社会心理学』
誠信書房 p244.興味がある方はそちらを参照してください).
また,狭心症の外科手術などの心理療法よりはるかにマテリアリスティックな治療に
もプラセボの効果は見出されると言うこと(ここらへんは医療人類学の分野ですね),
もう,こうなったらプラセボを最大限に生かす条件を明らかにしていくほうが建設
的ですね.
あと,心理療法一般の効果測定と「どのクライアントにはどの心理療法が効くか」を
調べる研究はやはり,後者の方を先に行うことになると思います.メタアナリシスを
おこなうにはその材料となる研究がなくてはいけないわけですから.
この間,あるところで摂食障害の研究者の話を聞く機会がありました.摂食障害の治
療にはどれが有効なセラピーかがいろいろ言われているけれど,今のところ飛びぬけ
て効くものはないとのこと.また長期的なスパンでみると,治療群と非治療群の間に
差異はないとも.補足すると,長い時間が経つうちに非治療群が治療群に追いついて
くるらしいとのことです.
>>333 >「プラセボ」や「暗示効果」が、理論的な不備を押し込んだゴミ箱として使われていませんか?
いや,プラセボ(暗示)はプラセボ(暗示)です.すべてをそれでは説明できないでしょう。
ただ,プラセボによる効果を心理療法から排除できないのもまた事実.また排除
すべきものでもないです.大体のセラピーがそこそこの成果をあげ(自然治癒よりを
上回っている),しかもそれぞれのセラピーの効果には顕著なちがいはないという
(欧米の)知見を説明するには,プラセボの概念は欠かすことができないでしょう.
プラセボ以外に,上記の知見を説明するものとして次の3通りの場合が考えられます.
@それぞれのセラピーは違った仕方でクライアントに働きかけ,クライアントはそれ
に応じて違った仕方で治癒していく.Aそれぞれのセラピーで実際行われていること
は実は類似している,または類似している部分が多い.精神分析家がそれと知らず認
知療法をやっていたり,ロジャリアンが正の強化を行っていたり,行動分析家が解釈
投与を行っていたりする可能性.Bすべてのセラピーに共通するとてもシンプルな要
素が効いている.一定の間隔で継続的に決まった人間と会うということや,自分の問題
を解決するために特定の人間の立会いのもとある種の作業をすることなど.つまり,
理論的な内容よりも,セラピーを成り立たせている,ほとんどのセラピーに共通する
基本的な骨組みが効いているという可能性.
上記の3つの可能性は,もちろん相互に排除するものではありません.おそらく,3種の
混合がセラピーの効果を決定しているのでしょう.私に思いつくのは今のところ,これ
くらいです.見落としているところがあったらご指摘,補足をお願いします.
>>342 その研究,興味あります.お時間があったら報告してください.お手数ですが.
346 :
社会心理学専攻生:01/12/10 10:50
まあ、実際上の問題はクライアントの変化であるべきで、
プラセボ含めた回復効果で問題ないと思うんですけどね、現場では。
ただし、実験室的には、やっぱりその効果を排除してなお効果のある療法を探ってみたい気がする。
療“法”である限りは何か体系的なものであってほしいし、「信じる者は救われる」じゃ宗教と変わらんし。
「どのクライアントにはどの心理療法が効くか」というのは、セラピストの直感でしょう。
そこにセラピストとしてのartが表現されるような気がしますが。
個別事例は一般化できない。同じ症状の人でも、ある人には効いてある人には効かない療法は存在しそうですし。
だから、「どのクライアントに……」というのは、厳密には調査不可能ではないかと。
心理学的に、「こういう特性を持つ人は、こういう療法が有効だという傾向がある」ということは言えますが、
それはやっぱり平均としての現象で、一つの指針にはなりますが、完全にそれに依存するならセラピストはいらない。
プラセボなんかと合わせていけば、素人でもできちゃうってことにもなりかねない。(実際は絶対にできない)
まあつまり、そういう心理学的な調査ならば、同時にできますね。やってみたいなぁ。と。
あと、どうでも良いことですが。
偽療法(笑)、鬱には効きそうですよ。
鬱は自己に注目することから始まり、自己に注目することで持続されますから、
とにかく注意の方向を自己以外に向けさせれば、鬱は回復することが多い。
ので、あながち偽でもない……?(笑)
社会心理学専攻生さま
>まあ、実際上の問題はクライアントの変化であるべきで、
>プラセボ含めた回復効果で問題ないと思うんですけどね、現場では。
>ただし、実験室的には、やっぱりその効果を排除してなお効果のある療法を探ってみたい気がする。
>療“法”である限りは何か体系的なものであってほしいし、「信じる者は救われる」じゃ宗教と変わらんし。
たしかに、「何がなんだかわからないけど治ってしまいました」ってのはき持ち悪いです
よね。しかし、実際にそのプラセボやらその他の何がなんだかわからない要因が治療に
少なからぬ影響を与えているのだから、まずはそれらが何であるのか一つ一つ明らかに
し、それらが作用するメカニズムに関するモデルを作る方が、「不純」な要素を排除して
整合性のあるモデルを作るよりも建設的だと思います。だって「不純」でもなんでも
現にそこにあるわけですから。
>「どのクライアントにはどの心理療法が効くか」というのは、セラピストの直感でしょう。
これは私の書き方がまずかったですね。正確に言えば、「どんな問題(症状)をもっ
ているクライアントには、どんな心理療法が有効か」ということです。クライアントの
さまざまな特性すべてに関して、それぞれの心理療法との相性がわかったらそれは望
ましく、興味深いことですがね。現時点では、特定の問題(症状)と特定のセラピーの
相性を調べることが課題でしょう。そしてそれをセラピストの直感ではなく、客観的
な手続きで明らかにしようとしているのが、今のevidence-basedと言われている流れ
です。そちらの卒論と関わっているらしい認知療法、認知行動療法の分野でそうした
研究が盛んなようです(evidence-basedの潮流については、上記のことぐらいしか
知らないので詳しい方がおられたら補足、修正をお願いします)。
鬱に対する偽療法について。効果を上げているのだから、偽療法とはやはり呼べないと
思いますね。
プラセボ効果って、ある意味で「自然治癒力」や「自然回復力」と言われるものの
中核部分じゃないかって気がするんですね。だから、プラセボ効果がどんな時に
最大になるかを考えれば、患者さんがより改善することになるんじゃないか。
もっとも、安易に「自然治癒」なんて言ってますが、その中身は曖昧で、きちんと
整理する必要があると思いますが。
>>348 >プラセボ効果って、ある意味で「自然治癒力」や「自然回復力」と言われるものの
>中核部分じゃないかって気がするんですね。
自然治癒とプラセボは分けて考えたほうが混乱がなくてよいと思います.つまりプラ
セボによる効果はあくまでその個人が何らかのセラピーを受けた場合にのみ使用し,
自然治癒はプラセボを含む治療による影響から独立した因子と考えるということです.
個人的には,自然治癒は「人生と言う名のセラピスト」の力による部分がかなり大きい
のではないかと思います.まあ,それは半面,「乱暴な分析家」でもあるのですが.
>もっとも、安易に「自然治癒」なんて言ってますが、その中身は曖昧で、きちんと
>整理する必要があると思いますが。
同意します.整理は必要だと思います.
それにしても,自然治癒を説明するものとして他にどんなものがあるのでしょうねえ.
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/11 09:59
セルフがある
351 :
一精神科医:01/12/11 14:27
身体疾患では自然治癒は確かによく起こるし、
たとえば小児喘息のほとんどは自然治癒する。
分裂病の再発もあるところからはおさまりはじめ、
消退しはじめるとある一定の経過でなおっていく。
医学的に見て、自然治癒は存在する。
あなたも私も毎日ミクロに癌になっているのだが、自然治癒と自然発生のバランスの
なかで私たちは生存し続ける。
生体システムの自生的な均衡維持とゆらぎについての能力を侮らないほうがいい。
おそらく、こころという脳の一機能の病理についても、それはいえるだろう、
と私は思うが。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/11 14:53
↑
ニセ精神科医発見
353 :
一精神科医:01/12/11 15:29
どうしてそういうつまらない煽りをするのか、悲しくなる。
私は20年以上やってるんだけれど。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/11 15:56
>>353 放っておきましょう。
通常はレス読めばDQNかプロかが分かるはず。
>>349 私は、自然治癒・自然回復力がメインで、プラセボ効果にしろ、心理療法にしろ、
「改善への期待」「希望」「生への意志」と言った関数で、自然治癒・自然回復力が
賦活されるんじゃないかと思っていました。しかし、「人生という名のセラピスト」
とはそれとは逆の発想ですね。なるほど、そうも言えるわけだ。
>>精神科医さま
人間の生体システムの力も自然に治癒に与っていることは想像に難くないです。補
足&指摘ありがとうございます。
ところで医学の立場の方に聞いてみたい質問があります。小児の疾患が成長するに
つれて自然治癒する例につれて上で触れられていましたが、逆に老化に伴って自然
治癒する場合にはどんなものがあるのでしょうか。お時間があったらお願いします。
>>355 どのようなセラピーであれ、そのクライアントが本来持っている自然治癒の力を利
用している、あるいは当てにしているのだと思います。それは広く、クライアント
の資質、力と言ってもよいでしょう。「人生という名のセラピスト」から有益な治
療を受けることのできる力や、経験から学ぶ力に乏しい人はおそらく自然治癒も起
こりにくいのではないかと。経験に対して開かれていることや、人格の可塑性、成
長する可能性などの資質が大事ですね。まあ、そんなこと言ったら年少のクライア
ントが圧倒的に有利ですけど。
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/11 22:23
>>351 「こころという脳の一機能」と言われることには、抵抗があります。
「脳内の神経を行き交う電子信号を解明すれば、心の働きを解明しうる」という漠然とした誤解をイメージしてしまうのですが。
どのような文脈で述べられたのでしょうか?
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/11 23:35
>356
精神医学では分裂病の晩期寛解という概念がありますし、境界人格
も40代では多くの人が診断基準を満たさない程度に改善します。
>357
こころが他の臓器の活動の反映であるとはとてもおもえませんね。
人間のすべての活動はからだの活動だと思っております。
「解明できる」かどうかはわからないにせよ、こころは脳という臓器の
機能以外のものであるとは思えないです。
359 :
一精神科医:01/12/11 23:36
358は私のレスです。
360 :
社会心理学専攻生:01/12/12 02:12
ココロが脳に局在している証拠はない。
なのに何故、我々は「常識論」として脳への局在を信じてしまうのか?
それは、「脳以外にはココロの座が想定しにくい」という極めて消極的な理由からである。
脳にココロが存在する証拠を見つけた人は、未だかつて存在しない。
そもそも、ココロという概念自体、人間の創作物であろう。
ならば、他にココロの座として妥当である(功利性がある)とされる場所があるならば、
我々は何も「脳こそがココロの座だ」という強迫観念に従わなくて良いのである。
という、極論な論文風味で。
新たな議題ですね。ココロはどこにあるのか? そもそも本当に存在するのか?
臨床家や厳格な実証主義者に怒られそうですが、
最近の社会心理学で、ココロの一部が社会の中に表象されている、と説明しても良いのでは?
という動きがあります。本当にほんの一部ですが。
一歩間違えばオカルトです。けど、かなり刺激的な論調で面白いです。
あと、出典は覚えていないのではっきり言えないのですが、
末梢の神経系も含めてココロだ、とする文章を読んだ記憶があります。
神経生理学者の文章だったと記憶していますが。
ひとまず、皆さんが考えるココロの定義を聞きたいですね。
ちなみに私は、ココロは「自己self」に近いもので、
精神活動や行動など、内外を問わず、社会生活の中で表現されるものの総体、と考えています。
駄文の見本市みたいな定義ですが。
361 :
社会心理学専攻生:01/12/12 02:31
あー、卒論が煮詰まったー(ToT)。
自然治癒の話題になってるようで。
得意の鬱な話題ですが、鬱に関しては、自然治癒どころか自然悪化(?)が起きます。
抑鬱スキーマを持ってる人は、ネガティブなイベントの後に注意が自己に向いて、
自己のイメージがまたネガティブなもんだから、ますます鬱になっていく、という。
介入しないと治りません。……ちょっと話題とズレるか?
>どんな問題(症状)をもっているクライアントには、どんな心理療法が有効か
というのは、心理学的な調査をすれば、平均としての傾向は明らかになると思います。
けど、やっぱりその平均上にいない人もいるし、そういう人を切り捨てるなら臨床の意味がない。
という意味で、やっぱ臨床家のartでしょう。
まあ、一つの指針にはなるでしょうし、そういう指針を洗練していく調査、
極めて有益で重要だとも思うのですがね。
臨床家に発破をかけるためにも、私はart重要説を唱え続けます(笑)
362 :
社会心理学専攻生:01/12/12 02:52
あ、というか精神科医の人が来てるの? ちょっと質問してもよいかな?
半年ほど前のことなんだけど、知り合いが心療内科にかかるような状態になって、
嫌がるのを無理にとりあえず連れていったんだけど。そこの病院がひどいのなんの。
「今日は青少年専門の者が来ない日なので、とりあえず違う人が話を聞きます」
みたいなことを言われて、まあ仕方ないと思って受けさせたんだけど、
次にその専門家がいる日にいったら、その医者は「ああ、これは家族系の専門家の方が良いね」
とか言われて、たらい回しにされた挙げ句、同じ話を三回もさせられたらしいのだが。
しかも、話すことすらしんどい内容のことを。
で、もう私の方も嫌になって、病院を変えたんだけど、そこも同じようなもの。
ちゃんと医療法人っていう看板があったから、似非ではないと思うが、
現在の日本の精神医学会はどうなってるんです?!
ちゃんと指導してくれないと困る……。
こういうのは例外ですか?
というか、こういう臨床では、例外を許してはいけない、と思うが。
制度的な不備なんだろうか? どう思います?
363 :
一精神科医:01/12/12 10:01
>362
日本の精神医学の現状は、臨床的にはあまりよくないですね。
精神科医の初期訓練は大学病院でおこなわれることがおおいです。
研修医としてそこで働くわけですが、そこの教授たちはほとんど
リサーチ(分子生物学とか生化学とか)でIFを積み重ねた人ばかりなので、白手袋だし、
まったく臨床能力のない方々も少なくないです。
私は卒後24年になってますが、私の大学の同世代周辺を見ても、
あまり臨床ができない人が指導者になってますね。
私は人文系のfacultyになり、臨床をパートタイムでつづけてますが、
臨床志向の人は医学部にはいられません。
臨床教授という制度が日本にはないですから。
そういう感じなんで、上のれすのような臨床的なマネジメントの基本さえ、
たたきこまれていない精神科医が量産されていますね。
そういう教授たちはevidence based などといって、社会心理学専攻生の
おっしゃるartについては知りもしないし、尊重しようともしてませんね。
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/12 15:57
>>362 社会心理学専攻生さんへ。
私も精神科医なので、一応レスしておきます。
心療内科にかかるような状態というお話が気にかかります。心療内科では心身症、
摂食障害、軽症うつ病などが中心のはずですね。普通は、心療内科を受診すべき
患者さんが精神科を受診することはないのですが…。
一精神科医さんも書いておられますが、精神科医の研修は、普通大学病院で行われ
ます。教え込まれるものは診断と主に薬物療法を中心とした治療ですね。系統的な
精神療法は知らないままの人が多いんじゃないでしょうか。ただ例外はあります。
少数の児童思春期を担当するグループ、精神病理・精神療法をやっているグループが
あります。ただ、大学によって差は大きいようですね。これらのグループがほとんど
機能していない大学もあるようです。その辺の事情は
>>363ということなのかも
しれません。
メンヘル板ではないので、詳しくはふれませんが、心理療法的な配慮の必要な患者
さんの場合は、病院や精神科医によって当たりはずれが大きいので、事前に病院に
問い合わせてみるか、それでもはっきりしなければ、保健所の精神保健相談を利用
されてはいかがでしょうか。保健所は周辺の精神医療状況をほぼ把握していると
思うので、適切なアドバイスはもらえると思います。
366 :
一精神科医:01/12/12 23:51
>364
いずれも話にもなりません。単なる自己満足です。相手にしないほうが。
367 :
社会心理学専攻生:01/12/12 23:53
抑鬱の研究をしているとはいえ、臨床レベルの鬱病の診断まではできるはずもないので確言はできませんが、
彼女は鬱だったと思います。まあ、中度くらいだと思われます。摂食障害(過食)も少し。
というか、心療内科は精神医学会の管轄ではないのですか?
精神科医と名乗る人に、診療を受けたようなのですが。まさか似非?
しかしまあ、一精神科医サマのお話を聞く限り、似非と言われても仕方ない人もおるようだ。
何か、医師会で新たな資格とか作れないんですかね? そういう臨床の訓練を受けた、という証のような。
ちゃんとやって下さい。そういう運動を、是非起こして下さい。
できないような人は現場に出してほしくないし、被害にあった当事者としては、資格を剥奪してほしいくらい。
クライアントの期待に応えられないなら、心療内科の看板を外させるべきです。
しばしば精神科医はクライアントを薬漬けにする、と言われるのも、この辺に由来するのでは?
何回か行かせましたが、その都度、抗鬱剤を処方されるだけ。
治らない、と文句を言ったら、ちゃんと飲ませて下さい、だって。どういうことよ!?
飲ませてるし、そもそも「薬を飲んでいる」という事実自体がストレスにもなるというのに。
内省して制度を立て直して頂きたいものです。
医学会は政治力が強すぎて、外圧を屁とも思っていない所があるから。
もちろん、ちゃんとした方もおられることはわきまえているつもりですが、そういう人のためにも!!
どうも。愚痴と憂さ晴らしでした。
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 00:22
文句言ってるくらいなら自分が
臨床心理か医学部に鞍替えして
問題だらけの現状とやらに風穴
あけて下さいよあなた自身で。
369 :
社会心理学専攻生:01/12/13 00:25
おお、良く読めば自助グループのリーダーが来ておられる。
私、学部レベルのデカイことは言えませんが、ソーシャルサポートの理想的な発現の一形態として、
セルフ・ヘルプ・グループの勉強をしていた時期があります。
と言うか、素人が「治療」としてのカウンセリングをしてはいけませんし、させてもいけません。
危ないです。ネットが横行する昨今、安易に掲示板でやってたりしますが、素人が一丁前の顔して。
相談する側は本気で期待してるから、なおのこと危険です。
自助グループのように、対等の立場での情報交換とかなら良いのですが。
まあ、自助グループの正否はコーディネーターの力量による所が大きい。
リーダー殿、頑張って下され。
370 :
368サマへ:01/12/13 00:28
だから、私は社会福祉士になる予定なのです。
そっちからは言っていこうと思ってますよ?
制度の刷新は、目標の一つです。
取り敢えず、臨床心理士の資格を一度潰した上で、新たに構築すべきでしょうね、国家資格として。
独占資格にすべきだ。
精神科医でも、それがないと現場でクライアントに接する事がでいない、といったものが望ましい。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 00:33
>>368 社会心理氏は自分の専攻で活躍していくのだろう。
文句を言うべき事のすべてに深くコミットできるか?社会心理氏に臨床をやってもらいたいというような言い方なら分かるが(笑)
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 01:29
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 01:37
制度的な不備がある、と私は考えています。そもそも基準が甘すぎる。
私は有資格者ではないし、そのための勉強もしたこともないのですが、
「資格を取るために」みたな本を読んだ限りでは、勉強すれば誰でも取れてしまう気がした。
つまり、センスのない奴まで。
臨床っていうのは、学問するものではなく、技術です。言うまでもないですが。
実習もあるようですが、もっと厳しく、例えば精神分析のように候補生から始めて、
何年もかかってようやく取れるようにしないと。と思っています。
人のココロ、のようなものに触れるのですから、今の基準では……。
あと、医学会とケンカしたのも不味かったですね。
これは世俗の政治的なお話ですが。
業務独占の国家資格にしてしまわないと、いつまでもトンデモ・カウンセラーが跳梁跋扈する。
という理由です。
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 06:04
社会心理学専攻氏は学部生にしちゃよく勉強してるし頭も悪くなさそうだが,
精神科と心療内科の区別もつかんようでは世間知らずの謗りは免れまい。
学者ならそれでもやっていけいるのかも知れんが,
福祉の仕事に就くのか...
現場で浮きまくり潰されやしないかと今から心配じゃ。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 10:18
>>374 「精神科と診療内科の区別」が曖昧だとして、それは医学者の側に責任があるように思う。精神科の医者自ら混乱を認めている文章を読んだ記憶がある。
その区別が、一般大衆にまで明らかにされてないなら、どうやって病院を選ぶのだ?
社会心理専攻の学生さんが訪れた病院で、そのような説明もなかったのだろうか?
論題は、そのような点にあったのではない。
「曖昧だ」などと言う瑣末な点を攻撃する前に、自ら解説してみるべきだろう。
そもそも、あなたは精神医療について社会心理専攻の学生さんが述べたような状況を改善するために、どれだけ働いたのだろう?
あなたが働く環境と日本の精神医学界に対し、どれだけ働きかけたのか?
学生が世間知らずと攻撃する前に、あなたは社会人として、どれだけ責任を果たしているのか?疑問だ。
376 :
社会心理学専攻生:01/12/13 10:57
???
心療内科にいた医者、精神科医と名乗っていたが?
本当に似非だったのか? だとすれば犯罪だが。
精神科がどうとかではなくて、「現場知らず」の精神科医を現場から駆逐したいのですが。
科の区別なんてどうでも良い。やってる精神科医を名乗る人が問題なのであって。
あの分厚い壁の精神科病棟の中での苦闘は、それなりに評価してますよ。
そういう一人にお会いして、お話を聞いてみたこともあります。
彼は「マトモ」な精神科医でしたが。現場に出しても問題ないくらい。
と言うか、精神医学を学んだ者が心療内科にいる以上、そっちの勉強もさせるべきだろう、と。
一精神科医サマのおっしゃりようでは、ほとんどの人が何も知らないようですが。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 11:52
精神「科」医、と書くから議論が錯綜したのかもしれませんね。スミマセン。
精神医学者、とした方が良いかな。
それとももっと広く、医師免許を持っている、精神医学を学んだ者。そして現在、心理臨床にいる者。
彼ら(その一部でしょうが)は現場から心理学的なアプローチを排除しようとした経緯がありますから、
それならば責任を持って頂きたい、と。
精神医学の範囲として、心理療法などの現場技術も修得させろ、ということです。
まあ、あの当時の臨床心理士では、仕方がなかったとも思いますがね。
>>367 繰り返しますが、心療内科は内科であって、精神(神経)科ではありません。心療内科で
診るのは原則、内科疾患です。精神科的な問題なら、精神科へ行くべきです。
精神科医が心療内科を標榜する場合、私の印象では、何らかの意図があると思います。
クリニックの場合、患者さんが、精神(神経)科の看板は入りにくいと苦情を言われる
ことが多いので、同時に心療内科を標榜している開業医が多いのでしょう。
しかし、病院で心療内科を標榜しているとなると、どうでしょうか。特に単科精神病院で、
心療内科を表看板に出しているのは、患者を集めるためにはなりふりかまわずという感じで、
商売気が表に出過ぎかなと首をかしげてしまいます。
>>367 続けて、マジレスです。反論も多いかもしれませんが……
社会心理学専攻生さんの意見はもっともな点が多いですね(汗)。実際には、私の周囲は
真面目に臨床に取り組んでいる精神科医が多いです。しかし、その診療状況はけっこう
厳しいものがあります。
以前、私が総合病院精神科外来で診療をしていた時は、午前9時から午後1時までの
間に、約40人の患者を診療しなければなりませんでした。その中には、分裂病、うつ病、
てんかん、パニック障害、ヒステリー、人格障害(BPD様)、痴呆などが混じっており、
本当にゴッタ煮状態です。そのため、どうしても薬物投与中心の外来治療になって
しまいます。心理療法的アプローチが必要な人も多く、適当に織り込むようにはして
いましたが、全く不十分です。一人の診療が長引けば、他の患者さんからどんどん
抗議が上がってきます。それぞれの患者さんはさぞかし不満だったでしょうね。
私自身は多少の心理療法の経験はあります。約20年前、研修医時代に、臨床心理の
方と一緒に、あるいはスーパービジョンを受けながら、親子の面接、成人神経症の
行動療法やクライエント中心療法的面接をそれぞれ10例あまり経験しました。その後も
症例検討会などを続けています。が、その経験をこのような外来診療に生かすことは
非常に困難ですね。
大学ではかなりの程度分化が進んでいます。特化したものには、痴呆・老年期、
児童青年期、神経症圏、人格障害などがあると思います。それぞれ得意があるわけ
です。しかし、これは大学を出ると、全部ひとまとめになってしまいます。俺は
神経症しか診ないなんて言えば、どこも雇ってくれませんから。
そこで、実際的なお勧めです。精神科を受診する時には、保健所などで評判のよい
病院を捜すこと(相談員は直接病院を批評したりしませんが、しばらく話をすれば
わかると思います)、それから、その病院のPSWに前もって相談されたらいかがでしょうか。
PSWが、病院の中で例えばうつ病、神経症などを得意な精神科医の外来に導いて
くれると思うのですが。
本来、これはメンヘル板の話題だと思いますが、しつこいカキコミお許し下さい。
380 :
社会心理学専攻生:01/12/13 21:47
いいえ。十分にここの話題、と思いますが。心理学と心理臨床と精神医学。の関係について。
PSWの道も考えたんですけどね、私。社会福祉士の後なら半年で取れたりするので、後回しにしたのですが。
というか、これは私の世間知らず? 病院=大病院なのですかね?
私が「病院」と表現したのは、開業医っぽいところです。5,6名の医者がいたと思う。もっといたのかな?
心療内科の看板を掲げていたのは、たぶん365サマの言うとおり、入りやすくするためだと思います。
たぶんですが、小児自閉とかもいました。素人の目から見た感じですが。
大病院に行くと、薬漬けにされそうな気がしたので、そっちを選んだんです。
しかし、どっちもどっち、という感じデスねぇ、お話をうかがっていると。
スバラシイ精神医学者もおられる反面、トンデモない奴もおる。
忙しいなら、なおのこと心理学者や臨床家と共同ですれば良いのに。
大学に入る前、医者になろうと思った時期もあったんですが、結局こっちにきた。
で、今更目指すつもりもないし、何とか365サマのようなマトモな精神医学者に頑張ってもらって、
改革を志向してもらいたいものです。改革断行。
被害者になって本当に腹が立った。マジで。
何とかならんかなぁ。厚生省とかの官僚、保身に聡いだけのアホばっかだしなぁ。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 22:41
>>379 一日に40人の患者さんを相手にしたら、身(心)が持たないのでは?
分野は異なるが、カウンセラーが一日に相手できる人数は4、5人?ではなかったか?(直接聞いた話ではないが)
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 22:49
>>381 繁盛してる精神科クリニックなら1日40人は当たり前でしょ。
診断をつけて薬を処方するのが仕事だから。
カウンセラーとは役割が違う。
病院やクリニック現場の印象としては、心理療法が行われないのは、やはりお金に
ならないというのが一番大きいです。実際、単科の精神病院に勤めていると、予約で
1時間前後の精神療法をすると、白い目で見られることがあります。今は、仕事をきちんと
こなしていると、週に2〜3人は大目に見てもらえます。この数は病院の方針によって
違うと思いますが。そんなわけで、医師でもこんな状況なので、臨床心理士の方が
きちんとした心理療法を担当するのは、現行の医療保険制度のもとでは難しいですね。
医療心理士の制度には賛否ありますが、私は何らかの形で医療心理士を病院におくことが
義務づけられるのならばそれも意味がある、と期待しているのですが…。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 23:30
>>382 診断をくだすにしても話を聞くでしょう。
それだけでも心理的負担が大変ではないか、ってことです。
精神科を訪れた「患者」の中に、精神科にくる必要のない人がいたとしても、薬を出すのか?
相手の状況を「理解」しようとするのに、話を聞く時間があって、それはカウンセリング的な要素を含まないのですか??
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 23:32
街の開業医の場合だけど、初診のときは30分近く話を聞くこともあるけど、その後は3分以下だよ。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 23:42
>>384 >精神科を訪れた「患者」の中に、精神科にくる必要のない人がいたとしても、薬を出すのか?
そのような医師は少なくないですよ。
>相手の状況を「理解」しようとするのに、
>話を聞く時間があって、それはカウンセリング的な要素を含まないのですか??
せいぜいひとり15分でしょう。それはカウンセリングとは似て非なるものだと思います。
もちろん自ら本格的な精神療法を手がける医師もいますが,それは少数派です。
今まで出た話をまとめると、今の日本ではきちんとサイコセラピーを訓練する機関
は圧倒的に少なく、またある水準以上の技量を保証する資格もないということです
ね。その上、経済効率から言うとサイコセラピーは割に合わない。うーん、どこか
ら手をつければいいのでしょうねえ。
セラピストの初等教育の重要性は感じます。〇〇療法や××技法以前のミニマルエ
ッセンシャルを徹底的に教える段階が必要なのではと。ファストフード店のマニュ
アルみたいなやつがあればよいのにと夢想します。そこらへんは口伝や「体で覚え
ろ」や「見て盗め」の世界だったのでしょうけど、臨床家のスキルを底上げするには
今まで言わずもがなできたことを一度、記述・整理する必要があると考えます。ア
ートにはほど遠い、不粋な作業ですけど。
>精神科医さん、
358のレス、どうもありがとうございました。境界例は加齢とともに穏やかになっ
て行くといいますよねえ。私自身は境界例のクライアントさんの長期にわたる経過
を観察した経験はありませんが、話には聞きますね。
あと、実際の臨床があまり得意ではないドクターがartについては知りもしないし、
尊重しもしないということに関してですが、それはサイコセラピーが薬物ほどには
効果をあげないからですかね。evidence basedとartは相互排除するものではない
でしょうに。投薬もまたサイコセラピーでありうるのでは?
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/14 23:10
今まで出た話をまとめると、クライアントにとっては、どこにいいセラピストがいるかの情報が必要だね。
精神科医のセラピーは実際問題として非常に稀少なので、やはりスレ表題の「カウンセリング」ということになる。
たとえば、山王のスタッフはあるレベルには達しているというのは、実際的には知らないが、ともかく、大方の見方(業界の常識)だろう。
(何せ昔は小川氏、今は河合氏が代表だしね)
バブル臨床心理士の弊害が叫ばれてるけど、結局は実力本位で淘汰されるような気がするね。いいことだろ?
>>387 精神科薬物療法に心理的配慮が必要なことはかなり広く認められていると思います。
例えば、治療全体が鎮静・静穏化を目指す時、薬物療法も鎮静、薬物服用の際の
オリエンテーションも鎮静を目指したアプローチが必要です。このオリエンテーションが
不十分な時、鎮静を目的とした薬物の副作用などがかえって不安を高め、治療が混乱
する場合があります。つまり、治療全体の方向性をそろえる必要がありますね。
ただ、こういったポイントはサイコセラピー的な配慮というより、むしろ常識的な
配慮と言ったほうがよいと思います。
390 :
社会心理学専攻生:01/12/15 00:06
まずは、精神医学者の方たちに、
「私たちは基本的に、カウンセリングの技術者ではありません」
と宣言してもらいたい。
一般の認識としては、精神科医=カウンセラーみたいな誤解が間違いなくあるでしょう。
それを説くことから始めないと。
その上で新たな資格を作って、その取得者のみ心理臨床に立ち会える、という制度を作る。
或いはそういう業務独占の資格を心理屋用に作って、その人とのチームで治療にあたる。
そういう感じが私の理想なのですが……精神科医サマなどはどう考えておられるのでしょうね。
というか、学会なんかで問題になったりしないんでしょうか?
内部事情(というか内部告発?)、聞かせて欲しいデス。後学のために。
391 :
しょうもない訂正。:01/12/15 00:07
ああ、認知資源の枯渇……。
説く→解く。
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/15 00:11
もし精神科医がカウンセリングを有効と思っているのなら、保険点数如何にかかわらず使うのが医者としての良心のはず。
(有効と思っていないなら、それはそれでいいけど)
次に、有効(のはず)と思っていても、本人がスキル的にできないのなら、↑のようにすべきだ。
393 :
社会心理学専攻生:01/12/15 00:20
精神医学者の大部分は、良心的であると思う(そう信じたい)。
けど、医学界全体が拝金主義に近い面があるのは、否定できない。
個人の意志の総和が、必ずしも集団の意志とならない。
という社会心理でよく言われる事の好例ですね。
だから、ことは個人の良心という次元を超えているのだと思います。
やりたくてもやれない、そういう事情もある。
だからこそ、制度面での改革をやってしまうべきだと思うのですが。
医者って技術者なんだから、能力給にしたら良いのに。
というのは、極論?
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/15 00:25
いや、極論でもなんでもないよ。
もともと、腕のいい医者や歯医者は繁盛する、というのが市場の原理だもんね。
開業医でなくても、そのような「腕」が反映されるシステムにすべき。
(ふるい落とされていくとかね。)
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/15 00:28
私がふと考えたのは、医者を技術レベルや資格の有無などでランク分けして、
保険得点なるものに算する、という……ダメ?
つまり、分かりやすく例えると、
上級者は1ポイントで100円だけど、下級者は10円にしかならない、とか。
医者には猛反発をくらうこと、火を見るより明らかですが。
(ああ、怖い怖い医師会に暗殺されるやも……)
>>388 >今まで出た話をまとめると、クライアントにとっては、どこにいいセラ
>ピストがいるかの情報が必要だね。
そうですね。でもそれ以上に「かかってはいけないのは誰か」の情報も必
要かと。セラピストとクライアントの間には相性があり、すべてのクラ
イアントに対して有効な援助ができるセラピストはいない、もしくはご
くごく少数なわけですが、ひどいセラピストはすべてのクライアントに
対していい影響を及ぼさないわけですから。これは私の偏見かな?
>>389 一精神科医さま
レスありがとうございます。投薬に際してのクライアントさんに対する
心遣いの件、サイコセラピー的と言うより、常識的なものとおっしゃっ
ていますが、私はサイコセラピーで大事なのはそうした常識なのだと思
っています。常識的な配慮をおろそかにしないことがミニマルエッセン
シャルの大事な部分をなしているのだと。村瀬嘉代子先生の本を読むと
そのことをひとしお強く感じます。セラピストの訓練では、そうした基
本を徹底的に身につけることが主眼に置かれるべきだと考えます。でも、
「それこそがセンスでありアートです。トレーニングで身につくもので
はない」と言われてしまったら二の句がつげませんが。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/15 03:43
全部読ませていただきました。
素晴らしいスレだと思います。
読むだけではなく、参加したいと強く思ったのですが
悔しいかな「今」の自分には参加できるほどの知識がないです。
皆さんとわくわくするような議論が出来るくらい、
「これから先」勉強していきたいと思いました。
私は、こころの病を治すということに興味があります。
(「こころ」「こころの病」「治る」の定義が自分の中であいまいなので
皆さんの意見を聞いてみたいですが……)
治すという目的のための手段は沢山あると思いますが、
私は今は個人的に、ミルトン・H・エリクソンについて勉強しています。
勉強といっても、書籍を買って読んでいるだけなのですけどね。
勉強して自分自身で納得のいくレベルになったら書きこみたいと思います。
それまでは、一読者として読んでいます。
もしかしたら、勉強の途中で色々聞くこともあるかもしれません。
そのときは、暖かく迎えてください(笑
(話題の流れに合ってなくて申し訳ない)
398 :
あれ?うまいの?どーよ!:01/12/15 03:50
この日本の医療制度の中で実現不可能で荒唐無稽な理想論を説く方が
おられるようですが、もう少し現実を踏まえた話になりませんか?
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/15 09:49
理想論も現実論も両方必要だと思う。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/15 12:49
進むべき方向性を探るのに、現実論ばかりを追求しても意味ない。
実現不可能だと諦めてしまうのも、悪い意味でのオトナだと思いますが?
というか、397は某レスの1サマだろうか? エリクソン……。
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/15 12:51
理想論と現実論をくっつけろということ?
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/15 12:57
現実ばかり見て、理想を追求しなくなったら人間終わり、ということですヨ。
何もしないうちに諦めるなんて、私にはできません。
不可能だと思っていたことも、もしかしたら、やってみたらできるかもしれない。
ある現象を予測するために必要な全ての要因を、人間は見つけられるわけじゃない。
良い意味で予測外、ということは、よくあるでしょう?
ということです。
誰も理想を追うなと言っていないだろうが。
それをどう実現するかが問題なんじゃないの??
勝手に好きなこと言っていて、自分が正しいと思ってても仕方ないだろ?
現実は諸事情のバランスの集大成であり、ある意味ではこれが本来の
あるべき姿なのです。
それを変えていこうとするなら、それなりの方法論を持たなくてはなりません。
396の訂正
ミニマルエッセンシャル・・・誤
ミニマムエッセンシャル・・・正
二の句が告げませんが・・・・・誤
ぐうの音も出ませんが・・・・・正
エリクソン(ミルトン)について思うこと。エリクソンというよりその
お弟子さんたちについて思うことなのですが、偉大なマスターセラピス
トを特別な存在として神棚に祭らず、その名人芸、artを分析して誰に
でも習得可能な形で提示しようとしたことには感服します。
当たり前のことですが、、、
薬物療法の適応・・・・精神科を受診するほとんどすべての患者
心理療法の適応・・・・外来患者のごく一部
心理士がいても、適応となる患者が少なく、そのうえ適応であっても
定着しない患者も多い、という問題あり。
>>390 >まずは、精神医学者の方たちに、
>「私たちは基本的に、カウンセリングの技術者ではありません」
>と宣言してもらいたい。
>>406ぷし公さんのおっしゃる通りです。
病院勤務の精神科医はカウンセリングを希望してくる患者さんほぼ全員に、カウンセリングは
していないと言明しているはずです。もしする能力のある人がいても、時間や労力の
問題から現実にはできません。クリニックでもきちんとしたカウンセリングを保険で
行えば、経営が成り立ちません(客寄せにすると宣伝するクリニックはあるとしても)。
それでも、カウンセリングを希望して食い下がる患者さんがいます。人格障害、性格因性
神経症、自称ACの方が多いですね。そういう方に適当なカウンセリング・センターの
ようなところを紹介したいのですが、どこにあるのかわかりません。
すでに、カウンセリングを受けたという方もいましたが、合わなかったとか、料金が
高かったという理由で中断することが多いようです。信頼できるカウンセラーがいるなら
症例は多くないかもしれませんが、患者を紹介したいという精神科医は多いのでは
ないでしょうか。
>そういう方に適当なカウンセリング・センターの
ようなところを紹介したいのですが、どこにあるのかわかりません。
『臨床心理士に会うために』は、社会資源の開拓には役に立たない?
「臨床心理士に出会うには」日本臨床心理士会編 創元社 ですね。読んでみます。
これまでの経験では、カウンセリングを希望する患者さんを保健所や精神保健センター
などに紹介しても、どうもよいカウンセラーには紹介してもらえないようです。
下のような書き込みもありますが、根付かないのは、料金の問題もあるのかもしれませんね。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/996540908/l50 134 :名無しさん@お腹いっぱい :01/11/11 01:42
133
それはまちがい。だって私はセラピストで食えているので。
開業でもう4年年収800万円は維持している。スーパービジョンなども含め。
より正確には、日本では100人くらいしか食えない、が適当かと。
137 :134 :01/11/21 23:39
わかったわかった。
都内開業。
家賃16万。他の必要経費月5万。週25セッション。料金は平均1万。あとセミナー
を有料で月2回で10万。他講演料、印税など雑所得50万。
25×42(週)+10×11(月)+50−21×12
だが、25全部埋まるわけでないし、開業資金返してるので、800くらいだ。
人は一切使ってない。掃除など全部自分でやる。
138 :名無しさん@お腹いっぱい。 :01/11/22 00:33
一回平均1万で客が付く心理療法家なんて,
そうそう多くはないだろうね.
少なくとも若手じゃ,その料金設定じゃすぐ潰れそう.
>より正確には、日本では100人くらいしか食えない、が適当かと。
は納得
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1007467666/l50 73 :名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/12 09:50
>70
事実上、ということではそうかもしれないが、独立して食べている人も(私も含めて)います。まだ
少数ですが。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/19 19:05
冬休みにまとめて読むのでage
>>409 うそつき。
それだけ仕事をしている臨床家が、2chに書き込む暇などないはず。
オレも専門家だから、開業して喰っている奴は沢山知っている。
ところで、あたなは国民年金ですか?
>>412 そういうあなたは、仕事がなくって、暇で、臨床家でなくって、書き込んでるわけね。
なるほど。だが、自分がそうだからと言って、世の中みんながそうだとは限らない。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/22 08:38
age
>>413 おれは開業してないが臨床家だよ。勤め人だがね。
問題は時間なんだ、409(365)が書き込んだ時間は、
01/12/16 19:30なんだよ。
事務所を借りて開業している奴が、2chを見ている時間ではないと思うがね。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/22 13:33
士
>>415 409(365)自身は開業しておりません。病院勤務の雑用担当の一精神科医です。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 09:30
ある大学の院生から聞いた話です。心理テストの実習の機会は結構あるそうですが、
カウンセリングの実習の機会はほとんどないそうです。
カウンセリングの実習ってあまりしないものなんでしょうか?
臨床心理学では、カウンセリングはあまり重視されていないんですか?
他の大学や大学院ではどうなんでしょうか?
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 09:43
>412
409の記述を見ればおわかりのように
それほどいそがいしいわけではありません。
ひとを何の根拠も無く嘘つきだとかいう煽りは、
板全体を貧困にしますのでおやめになってください。
1週35セッション以上入れれば忙しくなるでしょうが。
クライエントが一定以上のお金をきちんとはらってくだされば、
大もうけはできませんが、ゆったりと食べてはいけます。
もちろんそれは、一定数以上のクライエントが紹介されて来るという事実に
基礎付けられていますが。
>>418 実習しようにも臨床現場がないのに実習しようがないでしょう。
カウンセリングなり心理療法の実習を重視したいが、出来ないのが
現状です。大学は病院、相談所関係などの現場と繋がっておりません。
センセもまともな臨床現場を踏んでいる人は案外少ないですよ。
日本のカウンセリング、サイコセラピーの実情はその程度のものです。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 11:45
>>418 どこの大学院の話?
>>420 よっぽどドキュソな大学院なんだね。
一般論として語らない方がいいと思うな。
>>420 学生相談室というのは、普通は臨床現場には入れないでしょう?
そのことかな?
423 :
社会心理学専攻生:01/12/24 13:32
むむむ。卒論で山籠もり(?)して暫く見てなかったら、
話題が変わっておるな。クソスレまっしぐら? でもないか?
臨床の現場や、臨床家の養成について、私はあまりしりませんが、
問題あると思うなぁ。
日本にはマトモな臨床家がほとんどいないってのが現状だし。
臨床心理士なんてその惨たるものだしねぇ。
ふー。
>>423 ご立派だね。
卒論書いている人がそこまで分かっちゃうとは。
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 16:52
>>423 >日本にはマトモな臨床家がほとんどいないってのが現状だし。
スタージョンの法則ってやつね。
「SFの90パーセントはクズである。ただしあらゆるものの90パーセ
ントはクズである」。
臨床家の絶対数が増えることは、10パーセントの良質の臨床家の数
も増えるってことだから、相対的に見たら望ましい。後は、いい
臨床家を見抜く目を人々が持つことでしょう。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 16:53
「誰でも介入さえきちんと学べば成果がある」という認知―行動系でない限り、
内的準備に相当の時間がかかるのが、心理療法の常。
おそらく臨床はじめて7−8年くらいで7割がた脱落。
残った3割のうち、能力と運に恵まれた人が、きちんとしたトレーニングを
開始し、そこそこ1人前になるのが、臨床開始後15年位か。
>>「誰でも介入さえきちんと学べば成果がある」という認知―行動系
>>でない限り、内的準備に相当の時間がかかるのが、心理療法の常。
認知行動療法系をなめちゃいかんよ。
おれは2年間、某外国人臨床家にトレーニングを受けたが、
そんか単純なもんじゃない。
それぐらい、イメージ沸くだろ? いくら初学者でも。
>428
でも、原理的にそういうもんだ、といっていたよ、某大先生が。介入を客観的に条件を
そろえれば、誰がやっても同じだ、それが科学的だということだ、
と。「科学的」というのがだいじなのは、普遍性のためだ、と。
訓練の途上で内的に自己を探求したり、訓練の結果離婚したり、なんてことは、
認知ー行動系では計算に入ってないだろう。
分析だとそういうことよくあるよ。訓練分析が相当の人生の変化を生むことが。
そういう原理的なことをいってるんだよ。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 17:06
実はセラピストとしての訓練の長さや、経験の長さと治療成績は比例し
ないという研究が複数あるそうな。つまりセンスのある人はそこそこ
の訓練・経験で腕のよいセラピストになり、反対にだめな人はいくらや
ってもとほほだとか。
それを言っちゃあ、おしまいよ、って話しだけど、臨床やってる人はう
すうす気付いているのでは?
>>428 その某大先生って、臨床歴どれぐらいあるの?
理論の紹介だったら誰でも出来るぜ。
クライエントの改善意欲を高めるような、よき関係を造るって
ことは単純ではないと思うがね。
人間は機械じゃないんだから。
ま、そういったことを含めて介入の条件なんだろうけど、
だとしたら、それを揃えるのは単純じゃないぜ。
臨床を知らない奴の戯言に聴こえるがね。
失礼があったらご容赦。
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 17:16
じゃあまり、科学性だの再現可能性だの、強調しないで、
精神分析みたいに、artだ、パーソナルな交わりだ、などと
言ってしまえばいいだろう。
どうも行動系のひとたちのいうことは、ああいえばこういう、というかんじで
潔くない気がするのは「臨床を知らない奴の戯言」なのか。
>>431 なんだか誤解しているようだな。
誰も科学性、再現可能性を強調するとは言っていない。
「誰でも介入さえきちんと学べば成果がある」と単純に
考えていると間違うと言っているだけ。
しかしそれが基礎であることは間違いなし。
認知行動療法でも、臨床の現場ではそれなりのノウハウがある。
その重大性が分からないようなら、本当の臨床の現場を
知らないと言わざるを得ない。どのようなアプローチでも
同じだと思うがね。
433 :
社会心理学専攻生:01/12/24 17:50
臨床は基本的に技術であって学問ではない。それが私の結論ですね、今のところ。
つまり、センスないやつは一生ダメ。
で、臨床心理士は、はっきり言ってマジメに勉強さえすれば誰にでも取れてしまう。
そういう大学受験レベルでプロを養成しよう、というのが、そもそものマチガイですね。
精神分析みたいに、コミュニティ的(?)な中で直接教鞭を受けたりしながら、
センスない奴は容赦なく切り捨てられる体制を作らないと。と思いますが。
あと、認知行動療法の理論的背景、というやつをやっている手前、その科学性は主張したい。
基本的に、誰がやっても効果はあると思います。
けど、それは純理論的なものであって、やっぱり現実のクライアントとの対面場面では、
その治療者の人柄とか、そういうセンスが問われる部分もあるでしょう。
心理臨床は時として、既成の理論を超えますからね。
個別事例として捉えないといけない場面も、あるのでは?
実際、上手い下手っていうのは、あるようですし。
どちらにせよ、センスのないおバカが日本の心理臨床に跳梁跋扈している現状は、何とかしたいですねぇ。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 18:07
いや、学問になるでしょう。ただ、臨床場面てうんざりするほど変数が
多いわけでね、難しいたあ思うけど。センスと呼ばれているものを、分
析して、それを訓練しシステムに還元するのは社会的にも有用な研究だ
と思うけどな。
あと、セラピストの資質の向上を資格に求めるのも、おいらは悲観的。
ロジャーズがはじめ、臨床家の資格制度に奔走し、それを確立した後
で、「やっぱ資格は作らないほうがよかった」と述懐している。
精神分析の訓練にしても、教育分析の経験の有無と治療成績は無関係と
いうデータが出てるらしいし、あまり期待しないほうがよい。
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 18:10
私の知る限り、まだそういう研究はされていないと思いますが。
その研究を具体的に教えてほしいな。教育分析の定義も明確にしないと。
まあ、医者でも名医とヤブがいるわけで
それとおなじと思えば腹も立たないのでは?
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 19:09
>>435 了解。ただし、時間がかかると思われ。スマン。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 22:43
>臨床は基本的に技術であって学問ではない。
認知行動療法や行動療法を除く,臨床技法ですね.
まあ,知人の実験屋に言わせれば,そんな技法はそもそも
消滅すべきであって,認知行動療法や行動療法だけで
心理的問題はすべて解決する筈,というんですがね.
よって,センスが必要な心理療法,臨床など不必要であって
「誰がやっても効果がある」技法だけが生き残る筈なんですが.
>>438 このスレ読んでるの??
認知行動療法にもある程度のセンスが必要。
こんなことは本当の臨床家なら百も承知のはずだが...。
440 :
社会心理学専攻生:01/12/24 23:27
うむ。ものすごく極端な例え話、
デ★婦人とかサッ★ーが超一流の認知行動療法の学識を持っていたとしても、
私は治療されたくない。
ま、極端すぎますが。(笑)
あと、認知行動療法にも色々種類がある。詳しくはないですが。
で、このクライアントにはA療法が効くだろうな、とかいう洞察は、やっぱり技能でしょう。
人のココロに触れる以上、一定水準以上のセンスが要求されるのは、当然でしょう。
私自身は現場の人間ではありませんが、現場での経験談を聞く限り、やっぱりそうです。
危ないですねぇ、実験屋の独りよがり。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 23:30
430みたいな人と438みたいな人は、同じ「認知―行動系」でも違うようだね。
「誰がやっても効果がある」方法があるなら、結局誰が子どもを育てても
成功する方法がある、ということにならないのかな。
私からいわせれば、こういうことを信じられる奴はほんとの馬鹿だ。
以上。
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 23:33
あと334サマ。
いや、学問になるでしょう。ただ、臨床場面てうんざりするほど変数が
多いわけでね、難しいたあ思うけど。センスと呼ばれているものを、分
析して、それを訓練しシステムに還元するのは社会的にも有用な研究だ
と思うけどな。
との仰せですが、それは人間には不可能です。
不可能というのは言い過ぎでしょうが、全ての要因のダイナミクスを調べる、なんて夢物語。
少なくとも、今の科学技術レベルでは不可能でしょうね。
だから、大きな影響力をもつ要因を、日々調べているのです。
しかしそれは、「大きい」というだけで、どうしても数%はこぼれ落ちる。
重回帰のモデルがイメージとしては近いでしょう。
決定係数が.6を超えている研究なんて、滅多にお目にかからない。
それほど複雑なんです、現場の要因というのは。
すごいですね、人間って。そういうのを、直感で乗り越えるんですから。
やはり、学問にするには限界があります。
私はセンスがかなり重要だと思うのですが……?
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/25 00:28
>>442 ごめん、434の書き込み、書き損ないがあった。
× ・・・・・・それを訓練しシステムに還元するのは・・・・・・
〇 ・・・・・・それを訓練システムに還元するのは・・・・・・
いやあ、そりゃあ、臨床で効いているものをすべて記述し尽くすなんて
ことを今の心理学に期待してはいませんよ。できる範囲のところからで
いいんです。とりあえず、今使える方法で扱えるところから手をつけて
くれれば、それでよし。若き科学者はもっと果敢でなければ。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/25 01:51
いかにどんな勉強をするかよりも、いろんな
知人・友人を持ち、様々な経験をするのが
とっても大切だと思う。
445 :
行動分析家:01/12/25 05:56
久しぶりに来たが、すごく話がすすんでいるな。
卒論は無事に完成したかい?社会心理学専攻生さん?
私の考えは基本的には434に近い。
「センス」といわれるものをいかに分析し、具体化するかということがこれからの課題であると思われる。
行動分析学の立場からは、Staff Trainingという領域で「○○という介入をスタッフに行ったら△△という結果になった」という研究がかなり行われてきている。
Journal of Applied Behavior Analysisで検索すれば100件くらいはヒットする。
行動分析学はクライエントの行動だけではなく、セラピストの行動も研究対象にする。
しかし、いずれも「センスを分析したもの」ではない。
>442
>との仰せですが、それは人間には不可能です。
>不可能というのは言い過ぎでしょうが、全ての要因のダイナミクスを調べる、なんて夢物語。
今現在、私自身もスタッフトレーニングの研究にも着手しているが、我々の立場では「全ての要因のダイナミクス」を調べるというアプローチは行っていない。
しているのはスタッフへの介入とその効果の因果関係を明らかにしているということだ。
ただ、介入のバリエーションとしてはレクチャー、セルフモニタリング、ロールプレイ、フィードバックなどのかなりベーシックなものが主である。
今後、「優れたセラピストの要因」が明らかにされればさらに介入方法が洗練されていくかもしれない。
介入の変数のバリエーションがもっと増えればと願っている。
また、国内においてはこの領域の研究はないに等しい。
「若き科学者はもっと果敢でなければ」である。
セラピストのクライエントに与える印象というものも、結局はセラピストの具体的なある行動に依存するものであると思われる。
まだまだ「夢物語」であるかもしれないが、それらを分析し、具体的なターゲット行動を選定し、トレーニングすればそれらの印象というものもか変えていけるはずである。
446 :
行動分析家:01/12/25 06:31
結局、「センス」というのものは「まだ具体化されていない治療者の変数」という気がするな。
私の意見としてはこれからの研究でそれらは徐々に具体化していけると思う。
例えば、「このクライアントにはA療法が効くだろうな、とかいう洞察」にしても結局は治療者がクライエントのある弁別刺激に対して反応しているわけだから、マニュアルのようなものは作成できる気がする。
「これにはこれ」ではなくて「これにはこれからやっていきましょう。〜セッション介入しても効果がないときには次にこれ」というような、何かフローチャートのようなものを作成してはどうだろうか?
もちろん、セラピスト側、またクライエント側の個体差があるから、ある程度の結果のばらつきは生じるだろうが「大外し」はなくなる気がする。
やはり「センス」も実は「具体的な行動の集まり」なのであってそれらは学習可能であると思うのだが、みなさんはどうお思いになるだろうか?
>知人の実験屋に言わせれば,そんな技法はそもそも
>消滅すべきであって,認知行動療法や行動療法だけで
>心理的問題はすべて解決する筈
であればいいと私も思うが、現実はなかなかそうはいかない。
例えば、「私はどうして生きているのか、何のために生きているのか分からない」と悩んでいるが、特に日常生活に支障をきたしていない人に私はどうアプローチしていいのか分からない。
「くよくよ考える行動」の頻度や持続時間を低減させるというアプローチはできるかもしれないが、それはさすがに意味があるのかどうか私にも疑問である。
行動系の研究ははまだまだ、様々な領域において未開拓であり、特に国内においてそうである。
研究者の絶対数が少ないというのもその原因と思われるが、なにせ現在のところは「すべての問題を解決できるもの」ではない。
>>446 「センス」は「具体的な行動の集まり」と書かれましたが、行動よりまず「認知」
じゃないでしょうか。治療の際にまずクライエントが「見える」か「読める」か
しないと、以後のセラピーの流れが組み立てられないでしょう。この「何が見えるか」が
問題ですね。行動療法だと、非適応的な行動が学習され、成立したプロセスなのかも
しれないし、分析だと自我、超自我、エスの力関係みたいなものなのかもしれないし。
これが見えれば、その後のセラピーの流れもおおよその見当がつく。それも、クライエントと
どんなやり取りをするかまで、具体的なおおよそのイメージとして浮かんでくるように
思うんですが、いかがでしょうか。
行動療法やってる方も、その辺のイメージがありそうな気がするんですが、実際の
行動療法のマニュアルは、本当に骨組みだけという感じですね。
そうだと思うんですが。
>>447 ごちゃごちゃ書いてみましたが、やっぱり見える人は見える、見えない人は見えない
ってことですね。これでは、センスがあるないとあまり変わりませんね。いわゆる
センスの中身をちょっと考えてみたかったんですが。まあ、厨房には難題ということで。
誰か、センスのある方、教えてください(笑)。
>>433 センスって訓練や経験で身につけられないもんなんでしょうか。バイザーにはよく
「あなたはセンスがないね」っていわれるもんで、ないやつは一生ダメって言われると
辛いもんがあるっす。
450 :
行動分析家:01/12/26 02:56
>447
「認知」を持ち出されるといつも議論が噛み合わなくなりがちなのだが、447のいう「認知」とは我々のいうところの「弁別」に相当すると思われる。(もちろん447の文脈のみの話であるが)
要するにセラピストの行動は「クライエントに関する情報(弁別刺激)→介入(行動)→効果(結果)」という三項随伴性で成り立っているのだと思う。
447のいう「認知」は恐らく三項随伴性の最初の段階に相当するのではないか?
優れたセラピストを養成するのはいかにこの随伴性の中でセラピストの適切な治療行動をシェイピングするかということになるだろう。
この学習のスピードや効率が「センス」といわれるものなのかもしれない。
しかし、この学習のスピードや効率も何らかの変数に従属している気がするのだ。
それは例えば、一般的に「経験」といわれるものかもしれないし、または「動機付け」といわれるものかもしれない。
また、実際的な面からすれば、「学習のスピードや効率を制御するもの」を同定することはさておき、それらをより望ましい方向へ変化させる手続きの開発が行われればそれでいいのかもしれない。
>449
>センスって訓練や経験で身につけられないもんなんでしょうか。
私はある程度までなら、身につけることができると思う。
例えば人間に「鳥のように空を飛ぶこと」を教えることは遺伝的に絶対不可能だが、適切な治療行動は、基本的には誰にでも(発達障害を持つ者、または精神病などを発症している人は除く)可能であろう。
ただ、ある程度と書いたのは、いかに完全なトレーニングをしても、すべての野球選手がイチローのような結果を残すことは恐らくできないからだ。
しかし、クライエントに望ましい変化を起こさせるのに、何も「MVPクラス」である必要はないだろう。
>>449 >>センスって訓練や経験で身につけられないもんなんでしょうか。バイザーにはよく
>>「あなたはセンスがないね」っていわれるもんで、ないやつは一生ダメって言われると
>>辛いもんがあるっす。
本当のスーパーバイザーなら、センスがないと思っても、絶体にそうは言わないもの
です。少なくとも、無いセンスを出来るだけ引き出していくよう、様々な形で勇気づけて
いきます。少なくとも私だったらそうします。
おお、久しぶりですね。行動分析家さま。
センス、訓練についての意見には同意です。センス、という言葉は禁じ手でしょう。
センス、名人芸についてはその存在は否定できませんが、どうも「普通の人には
到達できない能力」という含みがあって、研鑚に必要な努力を怠る口実を与えて
しまう危険性があります。
>>449 えー、スーパーバイザーはどのような意図で「センスが無い」と言ったのでしょ
う。「では、センスとは何だろう」と自問させるために言ったのでしょうか。それ
ともそんな教育的配慮は全然無くて? 後者であれば、451さんの言う通りだと
思います。せっかく金払って行ってるんだから、具体的にどうしたらいいか改善
のヒントがほしいものですね。
>>452 センスという言葉の使用があまり好ましくないという点は賛成ですね。クライエントへの
対応を傍らで見ていて、「うまい!」「さすが!」という人がいますよね。ところが、
こういう人が自分の行動をうまく説明できないことがありますね。これは、自分と
クライエントのことを感覚的・非言語的に理解しているが、言語化できないと言うこと
なんでしょうか。こういう人は名人かもしれないが、いいスーパーバイザーには向かないかも
しれませんね。
ジェイ・ヘイリーが書いていましたが、スーパービジョンの際のスーパーバイジーの報告は
事実とは違うそうですね。ワンウェイ・ミラーで観察された面接のプロセスと、スーパー
バイジーの報告したプロセスはかなり食い違うそうです。と言うことは、当然、
症例報告も現実に起こったプロセスとは食い違っているだろうということでしょう。
回想的に記録を残している症例報告の妥当性、再現性はそれだけで怪しいということに
なるのかもしれませんね。
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 11:41
age
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 16:36
>>453 名人が感覚的・非言語的に伝えようとしてるものを理解出来ないから、
だから449にはセンスが無いとも言えるだろうて。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 16:46
資質欠格者は排除せよ
何なんだ? 同じことしか言えない所を見ると、自閉症か?
早く病院に行って、診察を受けませう。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 08:52
>454
そんなことはあたりまえでは。
ひとが自分の関与している対人過程を正確に認識できるはずもない。
よいスーパーバイザーはスーパーバイジーの言語的報告をきいているのではない
と思います。
スーパービジョンセッションのなかでの、非言語的交流のなかで、
バイジーのクライエントについての、本人も気づいてない想定や情緒を明確にするのです。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 18:22
臨床心理屋というのは儲かるのか?
儲かりません。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/31 18:23
>>458 病院へ行って、相談しようとしましたが、門前払いをされました。
>>462 だけど、犯罪には走るなよ。
何でもOKになった訳ではないんだからナ。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/01 14:27
カウンセリングというのは儲かる商売なのか?
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/01 16:22
>>435 かなーり遅くなってしまったがようやくレスできる。
えー、教育分析経験の有無、またはその期間の長短が、分析家の治療成績に反映す
るかどうかを調べた研究についての質問だったね。たしかソースをあげろと。以下
に挙げる。
岡野憲一郎 1999 『新しい精神分析理論;米国における最近の動向と「提供
モデル」』 岩崎学術出版社 \3800
はじめ俺は岡野氏の著書を妙木浩之氏の著書と取り違えていた。いくら妙木氏の
本をめくっても探している内容は見つからず、今日になって勘違いに気づいた。
そんなわけでレスが遅れた。
で、岡野氏はそこであちらの分析家、Carlo Strenger(1991)の著書を引用して
いる。つまりもともとはStrengerがそれまでの(1991年当時)リサーチをまとめ
てレビューしたものを取り上げたわけだ。日本とちがいあちらでは、精神分析(に
限らないのだろうが)の効果に対する科学的研究が相当やられているらしい。あ、
心理療法の効果測定は精神分析にかぎらないか。
それによると、@教育分析経験の有無がその分析家の治療成績に反映するかどうか
については実証されていない、A分析家の治療成績が臨床経験の長さに比例すると
いう証拠は非常に薄弱である、ということがいえるらしい。Aについては前にも
書いた通り、分析に限った話ではないけどね。
詳しくはStrenger(1991)を読んでくれ。ほかに良い資料があるかもしれないが、
俺は知らん。あったら教えてくれ。
ちなみにStrengerの本の書誌情報を知りたかったら下をクリック
ttp://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0823604977/qid=1009868930/sr=8-2/ref=sr_8_1_2/104-4158729-8430313
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 01:28
↑おもしろい。
たださらに面白いのは、こういうものを引用している岡野氏自身が、
アメリカでインスティチュートのキャンディデートになり、
週4回の教育分析とスーパービジョンを受け、
渡米10年あまりで、ようやく分析家資格がえられそうだ、
という事実ですね。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 14:38
そもそもカウンセリングで金を払ってまで何かメリットあるのか?
ただ話しを聞いているだけで金を貰えるとは美味い商売だな。
>>467 坊やが大人になったらわかるかもね。
今はわからなくてもいいと思うよ。
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 15:16
>>468 カウンセリングで金を稼いでいるのか?
いらないなカウンセリングなんか
茶飲み友達だろ、簡単に言えば。
講釈だけは立派だな
過去レス読めよ。
ただ話を聞いてるだけじゃないよ。
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 15:40
>>470 カウンセリングを行うには相当なレベルが要求されるはずだ。
そんな人間が日本に多数いるのか?
下手なカウンセリングを行えば逆に悪くなる。
これが重要な事だ。
だから茶飲み友達だろ、と言ったんだ。
知識があるのと、実際相手を良い状態にしていく事とは
全く別問題だ。
機械を相手にするのではないから、相当な心理プレッシャーと
能力が必要になる。
逆に言えば優れたカウンセラーならば高報酬を与えても良い。
そのかわり責任は重大だ。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 16:03
カウンセリングでクライアントが満足するケースは何%ぐらいなわけ?
>>466 >↑おもしろい。
>
>たださらに面白いのは、こういうものを引用している岡野氏自身が、
>アメリカでインスティチュートのキャンディデートになり、
>週4回の教育分析とスーパービジョンを受け、
>渡米10年あまりで、ようやく分析家資格がえられそうだ、
>という事実ですね。
そうだね。精神分析のインサイダーからの発言だから余計重みがある
ね。勇気があるというか。
>>471 んー、カウンセラーの報酬については市場原理で決まるんでは。支払
いに見合う対価があると思えば、そのクライアントは通い続けるだろ
うし、さもなくば、中断したり、他のところに行ったりするのでは?
金払って通っている利用者の目が一番信用できる。クライアントの満
足度についても同様。100パーセント満足ってのはほぼないだろうけ
ど、そもそも「こりゃだめだ」って人の所には通いつづけないでしょ。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 17:13
そうだ。嫌なら行かなきゃいいだけだ。カウンセリング。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 19:42
馬鹿だな
誰がカウンセリングなんかに行くか
そんな無駄な時間は無い
行ったこともない
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 20:31
ん、行かなくていいよ。
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 21:19
他人には止めるように言っている
止めたほうがいい
だから、過去レス読めって、471。
そういうことも含めて、上の方に書いてあったと思うゾ?
ちなみに、日本にマトモなカウンセラーは少数だ、確かに。
トップだと言われている資格が、あのどうしようもない臨床心理士だしな。
そういうことも、上の方に書いてある。
けど事実、ちゃんとした人もおる。
精神分析家の有資格者なんて、あれほど高度に洗練された技術を持つ人はそうおらんだろ。
このスレ風に書くなら、彼らは超一流のアーティストだ。
あと、行動療法家とかもちゃんといるしな。
>>478 2chで勉強したつもりだろうが、アフォ丸出し...。
いや? 知人に精神分析系の人がおって、たまに話を聞くのだが……(資格は持ってないが)。
あと、私自身は行動療法の理論的背景、という奴をやってるし。
まあ、心理臨床もそれなりに足掻いている最中だし。
カワイ某が逝かなくては、どうにもならん面もあるが。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 21:45
ひとを馬鹿だとかなんだとか、煽るのはやめてほしい。
つまらんから。
議論に物をいわせろ。
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 21:55
>>481 物をいわせろ?
この言葉自体つまらんから。
カウンセリング被害者の為に
カウンセリング排除運動実施
不安心理に陥った人間が、最適な手段を選択できるか?
不可能であろう。
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 22:01
昨今の社会情勢に乗じて
うつ病関連の商売激増
弱者の弱みに付け込んで儲ける人は誰だ
あー、それ、オレだわ。鬱の論文書いてる。
けど、弱者の弱みにつけ込み気なんてないが?(儲けてもいないし)
むしろ鬱病患者のためにやってるが。(まあ、そこまで大袈裟に言うほどのことでもないが。)
現在の日本の心理臨床は、確かに酷い状態にある。
けど、だからと言って臨床関係者の全員が劣悪なわけでもないし、
心理臨床が必要ないわけでもない。
カウンセリング被害者は実際にいるし、私の知人もそうだけど、
現場の質を向上させるというベクトルの方が、生産的な気がするが?
何でもかんでも否定して、破壊して、ほったらかしっていうのは、どうかと。
482さんも否定するのは良いが、腹案はお持ちで?
それとも心理臨床自体を否定する極論者ですか?
485 :
社会心理学専攻生:02/01/04 22:58
それにしても、久しぶりに来てみたら……やれやれ。
あ、そういえば行動分析家さんは、まだいらしているのかな?
卒論、ほぼ書けましたー。あとは推敲です。
現場からのご意見なども頂いたことがありますが、どうもでした。
あとがきに「スペシャル・サンクス」として書こうかな。(笑)
ってことで、ageとくか。
>>482 >不安心理に陥った人間が、最適な手段を選択できるか?
>不可能であろう。
それはクライアントをバカにしすぎというものです。一番信用できるのがクライア
ントの目です。その次は同業者の目でしょうか。
>社会心理学専攻生さん
おお,戻って来られましたね。若き科学者の発言がなくて,淋しく思っていたとこ
ろです。卒論できたら,概要をぜひご報告願います。
487 :
行動分析家:02/01/05 05:32
>社会心理学専攻生
お疲れ様でした。
私などがお役に立てたとは思っていないが、ご丁寧な挨拶感謝する。
卒論はほんの通過地点。
あなたはこれから現場で活躍されていく人であると思うから、より一層の健闘をお祈りする。
488 :
社会心理学専攻生:02/01/05 06:35
おお、行動分析家サマだ。どうも。
助言、かなり役立ちましたよ、実は。
行動分析家サマの予想(?)通り、「認知的歪み」と「抑鬱のリアリズム」の中間的結果が出ました。
いやはや、推敲がまだ残っているんですけどね。
前後バラバラで書いたもんだから、「★★に前述する」って書いてるのに、
★★には「後述する」って書いてあって、結局書けてなかったりする(涙)。
口頭試問が怖いデス……。
では。激励(?)どうも。
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/05 10:15
大体、批評的なことを書くとすぐに全面否定と受け取る
単細胞が多すぎる。
臨床だろうがカウンセリングだろうが
同業者内で悪徳を排除する動きが無い。
これが最悪だ。
現場の質を向上出来てないで、金儲け人間が増えている
内部統制が全く出来てない。
早い話し、臨床にしろカウンセリングにしろ
偽者を野放しにするなというとこ。
同業者間で徹底的に悪い物を排除すること
今すぐやれ
490 :
社会心理学専攻生:02/01/05 14:27
んじゃ、そういう自浄を促進するためには、どういう制度がいると思いますか?
491 :
行動分析家:02/01/05 19:56
489の言っている通りだとは思うが、実際にはなかなかに難しい。
「悪徳」を定義するのが難しいしな。
要はユーザーが「良し」と思っていればそれで「良し」となってしまうのが現状。
結局、臨床家は「自分だけはきちんとしよう」と落ち着いてしまう。
他の臨床家をとやかく言う前に、自分の目の前の仕事を片付けなくてはならないのだ。
490のいうシステムや制度が必要になるだろう。
みなさん、何かアイデアはありませんか?
>「悪徳」を定義するのが難しいしな。
>要はユーザーが「良し」と思っていればそれで「良し」となってしまうのが現状。
同意。刑法にも引っかかるような明らかな犯罪行為は別ですけど。
悪徳の定義をまず聞きたい。
それにこの業界だって決して一枚岩じゃないから、誰が監督・指導・処
罰を行うのかって問題もある。統一する資格がないからね。
自浄っていうのも、うーん。心理に限らず、法曹や警察、金融、動燃
などなど、見渡してみると「自浄」がまともに作用している分野なん
て果たしてあるのでしょうか? やはり他者が必要だと思います。利
害関係のない他者の目が。
一番手っ取り早いのは、利用者の人たちに自分が金を払って得られる
サービスに対する知識をもってもらうことだと考えます。
治療開始の時点で、サービスや料金などの治療契約をきちんと結ぶと
いうのも、クライアント、セラピスト双方の行き違いから生ずるトラ
ブルを防ぐ最低条件でしょう。医療の世界では患者の権利についての
認識がだいぶ広がってきたみたいですが、そうした流れはもちろん心
理の世界でも必要だと思います。
>>491 現実には、ユーザーの情報が一番確かなんじゃないでしょうか。492さんの意見も
その通りだと思います。思うに、カウンセラーを紹介、かつ苦情受け付けの相談センター
みたいなものを作れれば、いいのではないでしょうか。勿論、営利的なものであっては
だめで、相談は1回完結型、料金は徴収せずで。出来れば、公務員のほうがいい。
というのは、臨床心理とは関係ないかもしれませんが、精神保健相談の第一線機関は
保健所なんですね。実にいろいろな相談が持ち込まれるようで、現にかかっている
病院やクリニックに対する不安や苦情などが集まってくるんじゃないかと思います。
随分詳しい情報を持っているようですよ。その情報に基づいて、相談内容によって
クライエントに合いそうなクリニックや病院を幾つかあげて、その中から自分にあった
ところを選びなさいというわけですね。それと同じような機能を持つカウンセリング
に関する相談センターを作るわけです。もっとも、情報は公開はできないでしょうけどね。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 00:45
専攻生さ〜ん。行動分析家さ〜ん。カキコ期待age。
495 :
呼ばれてやってきた人。:02/01/12 01:15
はー、卒論提出してしまったよー。
あんなんで良かったんかなー。口頭試問が怖い……ワナワナ((;゚Д゚))ワナワナ
ネタがないので、今日はここまで。
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 23:05
>>495 何故そこまで卒論にこだわりを持てるのだ?不思議。私は卒業さえできれば良し、というクチでしたので。というか、そこまで思い入れを持って論文に取り組む姿勢が羨ましいな。
社会心理学専攻生さんは、卒業後の進路は社会福祉士だっけ。プライベートで失礼かもしれませんが、4月から就職ですか?
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 23:08
来年から大学生で心理学部が決まったんだけど、どういう系の授業がおもしろいの?
498 :
社会心理学専攻生:02/01/12 23:15
>496
もうすぐこのHNも使えなくなる切なさ。
4月から、社会福祉士の養成学校に参ります。
と言うか、周囲のヤツでこれを見てるのがいたら、絶対に正体バレてるな。
卒論はまあ、4年間の集大成ですからね。やっぱり、それなりのものを書きたい。(あくまで願望……)
>497
あなたの興味次第ですね。
私としましては、やはり認知心理の基礎を学んだ上で、社会心理へいらっしゃい。
一つだけ忠告しておくと、学部でいきなり臨床をやるのは止めた方がよいですね。
しっかりクリティカルな考え方を身につけるためにも、まずは統計のお勉強をして下さい。
あと、心理学をしっかりやるなら、英語が読めないと話になりません。
DQN大なら尚更そうなるでしょう。要自学自習。あなたの行く大学がそうかはしりませんが。
ちょっとした学会なら学部でも入れてもらえるので、定期的に視野を広げる努力を。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 23:29
ちょっとスレ違いかも知れないけども、
コンサルティングは臨床心理学に含まれるのかね?
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 23:31
企業コンサルティング?
コンサルティングと言っても、色々あると思うが。
そう、企業コンサルティング。ベタな言い方をすれば、
飴と鞭を効果的に使って目標を達成させたり「やる気」を出させたり。
臨床心理学ってぇと精神的に「不健康」な人を扱うことが多いけども、
そうでない人を扱う場合でも、現場で人を扱うのだから
「臨床」心理学といえるのではないかなと。
そこでの実践に必要な社会的スキルや技能は
「不健康」な人を扱う臨床心理学と何が同じで何が違うのかなと思って。
502 :
社会心理学専攻生:02/01/13 00:07
あれは少なくとも、臨床心理じゃないです。
どっちか言うと、社会心理学のグループダイナミクス。
産業心理学・組織心理学、などと言われてるもののことかな?
臨床心理学の「臨床」は、あくまで「心理臨床」のことだと思います。
でもやっぱり生身の人間を相手にするわけだから当然
クライエントとの間に軋轢や葛藤が生じることもあるでしょ。
それらへの対処法には臨床の知が求められるのではと思う。
どちらの現場も知らないものの想像だけど。
臨床やってる人ならどう考えるのかなと。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/13 01:02
>499
極めて興味深い問題です。
「心理臨床から得る知見や理論的な枠組みを、他の場面に応用する可能性」なんて書くと、反論・批判ばかりでそうだけど。
私は社会的な紛争の場面への対処にヒントを得ることができないかと考えています。
議論が発展することを希望。
>>499 おっしゃっているコンサルティングは専攻生さんの言うように、普通臨床心理の
くくりには入れないでしょう。広く心理学の応用と言ったほうが適切と思いま
す。また
>>502で挙げられている社会心理学・組織心理学・産業心理学のほかに
も、応用行動分析を用いたマネジメントもあります。たしか鳴門教育大の島宗さ
んが本を書いていたと思います。
>>504 >でもやっぱり生身の人間を相手にするわけだから当然
>クライエントとの間に軋轢や葛藤が生じることもあるでしょ。
>それらへの対処法には臨床の知が求められるのではと思う。
うーん、広く心理学の対人場面への応用に際しては、上で言われていることに対
する基礎知識と対処法が必要だとは思います。いろいろな人が来ますからね。カ
ウンセリング、もしくは心理臨床の基礎(知識とスキル)を踏まえ、それぞれの
心理学の知見を応用していくのが理想なのでしょう。
そこで、このスレの1で挙げられている臨床心理とカウンセリングの立場の違い
が出てくるのです。つまり、カウンセリング心理学の立場の人からすると、種々
の対人援助技術の基礎にあるのはカウンセリング心理学であるべきだと。健康な
人間が人生の途上でであるさまざまな問題に対して、他者が適切な援助を行うの
がカウンセリングであり、臨床心理は病的な、言わば不健康な人間に対象が限定
されると。だから、踏まえておくべき基礎(スキル、知識)はカウンセリング心理
学だと言うわけです。他方、臨床心理の立場は、健康な人間とそうでない人間の
間に明確な違いは存在しない、そもそも両者は質的に違わないと主張します。
「健康な」クライアントだと思っていた人が、病的な兆候を示すこともあると。だ
から、「健康な」人間のみに対象を限定するカウンセリング心理学を基礎とするの
は無意味であるというわけです。
少し、誇張して、またたぶんに主観を交えて書きましたけど、大きくはずれては
以内と思います。499さんはどちらの立場がもっともだとおもいますか?
506 :
行動分析家:02/01/13 19:44
>499
505で書かれている通り、島宗さんが行動分析学の立場から「パフォーマンスマネジメント」という分野で色々と研究されているな。
詳しくは「行動分析学会」のホームページで。
学会誌「行動分析学研究」で小特集が組まれていたと記憶するが。
ええと、遅レスすみません。
あ、断っていませんでしたがワタクシ、一応行動分析家の卵です。
>>252 >どちらの立場がもっともだとおもいますか?
…難しいです。すくなくとも、健康と不健康の間に質的な差がないという点は
行動分析の考えに照らしても同意できます。ただ、機能的な行動に関しては両者に
差はないにしても、適応か不適応かという点で考えるとやっぱり違いますよね。
適応的行動を扱うのがカウンセリング、不適応的行動を扱うのが臨床心理という
ところなのでしょうか。
コンサルの場合は企業で働く人を扱うのだから当然社会には適応できているわけで、
そうなると基本にすべきはカウンセリングになりますかね。
まあ、適応と不適応の違いも難しいところですが。
パフォーマンスマネジメントや組織行動マネジメント(OBM)については
少々かじっております。島宗さんにもお会いしました。
行動分析学の実践としてはこの上ない領域だけど、でもやっぱり
行動理論だけじゃだめで、カウンセリングの(理論や知識でなく)スキルも
持ち合わせてないとダメなんじゃないかと思いまして。
障害児教育などに比べるとこの分野の応用行動分析はまだ日本では
絶対数が少ないですよね。いわゆる「臨床」には興味はないけれど、
行動分析を役立てていきたいと思っている身としては
そこらへんがちょっと不安になったんです。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/16 07:45
>>507 >行動理論だけじゃだめで、カウンセリングの(理論や知識でなく)スキルも
>持ち合わせてないとダメなんじゃないかと思いまして。
スキルというのを何を指しているか分からないので何ともいえないのですが、
それを障害児教育などで使用される、理論を実践に落とし込むスキルとでも
いうようなものとして話を進めます。
私は、組織行動マネジメントの日本での発展には、もちろんスキルの充実も必要
ですが、それよりむしろ理論の更なる発展の方がより重要なのではないかと思い
ます。
どういうことかといいますと、どんなコンサルティング理論でもいいのですが、
それを企業が導入するには、現場レベルでの問題行動の解消(おそらくスキルが
必要とされるもの)などよりも、もっとダイレクトに、コスト削減・利益増加が
決定要因になることが多いのではないかと思います。
もちろん、現場レベルの問題行動を解決したいというニーズはあると思います。
実際、安全管理の分野では、組織行動マネジメントが取り入れられていると
どこかで読みました。でも、コンサルティングに対するニーズの大半は、お金に
絡んだものだと思います。
私も「パフォーマンスマネジメント」などは読みましたが、目的志向システム
デザイン(でしたっけ?)以外の話は、現場レベルの問題行動を解消することに
主眼を置いているように見受けられます。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/16 07:46
(続き)
今後は、目的志向システムデザインのように、一企業をシステムとして捕らえ、
インプットとして人的リソースなどと、アウトプットとしてのコストの削減/利益
の増加などを、よりビジネスの現場に即した理論体系として発達させることが
必要なのではないでしょうか(もちろんこのためには、ある程度業種に特化し、
業務の実態を捉えることが必要です)。こうした、よりビジネス側のニーズに
即した理論を構築することによって、初めて企業での導入も加速するのではない
かと私は考えます。
恐らくは、こうした理論は他の分野で既に確立されているものがあるかと思います。
ただ、組織行動マネジメントの強みは、こうした理論を行動レベルにまで落とし込む
ことができることだと私は思います。
しかしながら、このように行動レベルまで落とし込んだ組織行動マネジメントの
理論体系があるかというと、残念ながらそこまでは行っていないようです。
なので、まずは理論体系をさらに発展させ、その理論を実践に落とし込むための
プログラムの作成、そのプログラムの運営のためのスキルというように発展させて
いく必要があるように思えます。
そしてさらに、導入実績が増えていけば、組織行動マネジメントも日本でちょっと
は認知されるようになるかもしれません。
510 :
社会心理学専攻生:02/01/16 10:23
ほほぅ。そんな分野があったとは、知らなかった……未熟!ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!
しかもメッチャ面白そうじゃないですか?! 島宗さん、と。メモメモ。
あと、ついでに出版社とかの詳細を……お願いします。m( _ _ )m
しかし普通は個別的にされる行動分析を集団に応用するのは、一筋縄ではいかない気もする。
集団サイズにもよるんだろうけど。ある利益集団を一個人と見なして分析するのかな?
どっちか言うと、心理学や行動学というよりも、経営学的な集団研究の方が近い?
うちの大学はそっちの方が強いから、社会心理はその分野での研究は弱いなぁ……。
だからグループダイナミクスは少ししかやってない。
しかし数年前、広大の研究者たちがリーダーシップとソーシャルサポートを混ぜた研究をしていた。
それが上のお話と近いかもしれない。
あと社会心理的には、たぶんソーシャルネットワークの研究が応用可能でしょう。
生活集団を対象とした研究はかなり細部までされていたと思います。
おかれた状況とネットワークの特質のダイナミクスが、適応にどう影響するか、とか。
一時、卒論のテーマとしてこれに「個人内要因としてのパーソナリティ」を加えたダイナミクスを予定していたんですが、
テーマが壮大すぎて断念。(TxT)
>もっとダイレクトに、コスト削減・利益増加が決定要因になる
学部素人が口出すのも何ですが、たぶんこの予想は正しいでしょう。
私がやってたのは家庭とかの生活集団ですが、この場合も様々に想定された要因の中で、
「集団の良さ」に最も寄与するのは「収入(金)」である、というのは常識。
それが純粋な利益集団ともなれば、もっとダイレクトに出るはず。理論的には。
日本の文化的特質でしょうが、会社への満足度への寄与が高いのは、概ね対人関係です。
(ストレスイベントは、概ね「対人領域」と「達成領域」に分割できることが知られていますが。)
とすると、上記と矛盾するなぁ。
「集団への満足度」と「仕事への満足度」は異質なのかな?
どっちが「問題行動の解消」につながるんだろ?
面白そうですねぇ。がんばって研究して、本でも出してほしい所ですね、499サマには。
>>510 >あと、ついでに出版社とかの詳細を……お願いします。m( _ _ )m
島宗理「パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学」米田出版。
私はこの前の版の「パフォーマンス・マネジメント入門」しか読んでいないので、
何ともいえないのですが、目次を見ると旧版の方が企業よりのように思えます。
>しかし普通は個別的にされる行動分析を集団に応用するのは、一筋縄ではいかない
>気もする。
科学としては、シングルサブジェクトデザインの欠点である「一般性」の問題は
残ります。でも、それはシングルサブジェクト/グループデザインの両者に良し悪しが
あるので、なんとも言えませんよね。
しかし、実践としては、それはあまり問題ではないと思います。要は、費用対効果
の問題です。一人一人の行動をターゲットにするだけのコストをかけても十分に
ペイするのであれば、全員の行動をターゲットにすればいいと思います。そうで
なければ、効果を最大化できるような対象(人)を選べばいいと思います。最も、
言うのは簡単で、実際にそれを行うのは難しく、実践家が導入する企業の業務知識
を十分に持っていることが必要とされるとは思いますが。
>「集団への満足度」と「仕事への満足度」は異質なのかな?
行動主義に毒された私の考えでは、2つの概念が測定しているものが違う(曖昧な)
ために、異なる結果が出ているように思えます。
ちなみに、私が「コスト削減・利益増加が決定要因」と言ったのは、組織行動マネジ
メントのプログラムを導入するか決定する際に、経営陣が考慮するのはお金である、
という意味です。分かりにくくてすいません。
組織行動マネジメントのプログラムの従業員の「満足度」の評価は、プログラム導入前
と導入後の離職率の変化を見るようなこともするようですが、もっと単純に、どっちが
好きか聞く(笑)とか、新旧2つのプログラムを並立させて従業員に選択させるという
ようなこともあるようです。
あるいは経営陣が、「従業員の満足度なんて関係ない」と言ってしまえば、利益が
上がると(想定される)新プログラムを有無を言わさず導入ってこともありでしょう
ね。心理学の実験じゃないので。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/17 21:51
経営の現場で科学的な手法を用いるケースは少ないと思うよ。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/17 22:02
だからこそこれから導入していこうってゆー話なんじゃないの?
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/17 23:11
「科学的な手法」とか、漠然と期待して働いてみたんだけど、そういうところではなかった。上司を見ても、経験的な判断力が重要という印象だった。外資の経営手法では有名な会社だったのだが?
>>508さん
懇切丁寧な解説、ありがとうございます。マイナーなだけに、
まさかここまで詳しい方にここでお会いできるとは思っていませんでした。
企業に組織行動マネジメントを売り込むにはやはり、現場レベルでの
問題行動の解決よりも、より利益に直結した目的志向システムデザインのほうが
受け入れられやすいのですね。個別の問題行動はその後でマネジメント
していくと。なるほど。このようなステップが理想的ですか。
>恐らくは、こうした理論は他の分野で既に確立されているものがあるかと思います。
集団力学やリーダーシップ理論など、他の心理学に基づくものや
515氏が言及している経験に裏付けられた経営手法を発展させて利用している
コンサルティング会社はいくらでもあるでしょうね。
もうすぐプロジェクト・マネジャーなんていう資格もできるみたいですし。
>ただ、組織行動マネジメントの強みは、こうした理論を行動レベルにまで落とし込む
>ことができることだと私は思います。
これをどこまで徹底して既存のコンサルティング手法を超えられるか。
そこが鍵になりますね。
満足度の話ですが、私はやはり、「従業員の満足度なんて関係ない」と割り切る
経営者の下では行動分析を用いたくありません。仕事から奪われて久しい
「やりがい」や「生きがい」を復活させ、精神面でも社会を豊かにしたいと
考えるからです。「やりがい」を感じられる強化の与え方。
行動分析はそれまでも可能にできる有用なツールなのですから。
あと、
>>507で「スキル」と書いたのは、
「理論を実践に落とし込むスキル」という意味でもありますが、
「クライエントに信頼されるような話術やソーシャルスキル」
という意味もこめていました。
マネジメントについて納得させ、衝突が起きてもうまく調整しながら
信頼関係を構築・維持できないことには実践は成り立ちません。
カウンセラーの人たちはそういう社会的な「スキル」に秀でているだろうと。
>>510グループダイナミクスにソーシャルネットワーク…
私は行動分析の基礎ばかりやっててそっち方面は弱いから
鍛えておきたいところです。
>がんばって研究して、本でも出してほしい所ですね、499サマには。
いえいえ、とんでもない。まだ学部生厨房ですよ。
社会心理学専攻生さんはもう卒論出したんですよね。
こっちは追い込み真っ最中…。テーマはもちろん行動分析で。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/08 18:54
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520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/10 01:18
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あげるんだったら、なんかネタ書きこめや