1 :
計算機屋 (中立):
現象を調べることは内部構造を調べることと別次元なのか
内部構造を調べればボトムアップ式に理解が進むのか。
どうなんでしょうね?
2 :
すずらん ◆t4YnTEbg :01/10/19 20:24
>>2 自然言語処理。
あんまり書くとバレちゃうのでこの程度で勘弁して。(はぁと
>>1 面白くなってきたら茶々入れに来るかも知れません。ただ、行動主義と
やり合うのはもうこりごりだ。
議論の流れができあがってきたら、また来ます。
6 :
脳計測屋 ◆A7SFFo6c :01/10/19 22:20
1さんに労をとらせてしまった者です。どうも申し訳ありませんでした。
親スレのアフォーダンススレみたいに本格的な論客があつまるといいですね。
行動主義関係スレは「臨床強化士」も沈みっぱなしだし。
氏か育ちかという論争は現代においても、それぞれ
brain science、behavior scienceと名を変えただけで平行線のまま。
両者が手を取り合えるのはいつの日か。
私は専門外なのであまり詳しくないけれど、行動薬理学では
学習による行動の変化が引き起こす脳内の科学状態の変化や、
薬物による行動の変化を扱っているようですね。
行動主義と唯脳論・還元論を結び付けうる領域は今のとここれくらいかと。
誰か詳しい方います?
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 09:32
漏れは生物学者(生態学とか動物行動学も含む)とも仕事をしてるんだけど,
彼等はとにかく,ある種の個体群に普遍的な行動傾向や,その成立過程にしか
興味がない。そうすると個体が置かれた環境や状況,文脈とは独立に
機能する普遍的システムに研究の視点は注がれて,まあ進化生物学方面に行くか,
神経科学/脳科学方面に行くかだ。
一方心理学者としての漏れは常に「個体の行動」に目が向いている。動物を対象に
個体の行動を問題にするなら,当然その個体がおかれる環境や状況,文脈に主な
興味を持つし,その指向性は行動主義心理学的なものになる。
これは別に対立でもなんでもない。動物行動学の一般的な教科書だって,進化的に
形成された行動の問題を延々と論じた後で,「個体の行動は出生後の学習に大きく影響
される」みたいなことが必ずサラッと書いてある。そして,多くの生物屋は
「学習」の問題は(自分たちではなく)心理学の問題と思っているし,
そこでイメージされている心理学は行動主義的なものだ。漏れの同僚(動物行動学者)
は「そっちの方はスキナーでいいでしょ」と言っていた。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 09:32
状況や文脈と独立に発現する行動,および状況や文脈に受動的に「解発」される
ような行動は進化的に定まるし,その「定まり」はおそらく脳や神経に司られて
いるだろう。また,オペラント条件づけが可能になるためにわれわれが普遍的に
持っている「能力」が,主に脳神経系の機能によって支えられていることも議論の
予知のない事実だろう。
しかし,それぞれの個体が,実際の環境の中でどのような行動をするかは,脳や
神経についての知識だけでは説明も予測もできない。具体的な環境に対して
生体がどのように働きかけ,それに対して環境がどのようにフィードバックしているかを
具体的に(かつin vivoに)把握できなければ,個体の行動は分からない。
それを分析する枠組みが条件づけだし,行動主義心理学だ。
つまり,脳科学と行動主義は別に対立などしようがない。行動を支える機構がどうなって
いるかを解明するのが脳科学で,それがとくに個体のレベルでどう使われ,行動を生み出しているか
を環境との相互作用から分析するのが行動主義心理学だ。そういう意味では,
具体的な環境の中での個体の行動も脳だけでわかるというような「唯脳論」は,生物学者
からみたってドキュソだろうが,マトモな学者でそんなことほんとに主張している人が
いるとは思えないし,すくなくとも漏れのまわりの生物学者にはいない。むしろ現場では
種の行動と個体の行動とをつなぐ枠組みとして行動主義心理学への期待は大きいよ。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 09:48
>>1 たとえばコンピュータアナロジーの素朴な計算論をとるとして,
その出力の「精度」は第一義的には入力の持っている顕在的,あるいは
潜在的な構造をいかにうまく把握して,それに対してなんらかの意味で
最適化された出力が得られる程度でしか判断できないよね。
したがって内部構造を調べることでわかるのは,入力の構造を前提と
した上での入力と出力の関数的関係と,その関係を生み出す過程であって,
それをいくらやっても入力の構造を捨象して出力を説明したり
予測したりはできないでしょう。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 09:48
もちろん,内部構造がわかれば入力と出力の関数的関係の予測精度は
上がるから,出力の性質はより良く予測されるようになるよね。でも
それはやはり入力と,入力が「内部構造に先行して持っている」構造なし
には意味のないことだと思う。まあ人間行動について考える時には,
これは「人間は(なんらかの意味で)環境に最適化された行動を
追求するもの」なのか,「人間は(あらゆる意味での)環境への最適化に
制限されないもの」なのかという世界観(あるいは信仰)の問題に
なっちゃうけどね。でも後者の世界観は取りあえず持たないというのが
心理学でも認知科学でも暗黙の前提だと思う。
したがって現象を調べることと内部構造を調べることは
相補的(必ずしも別次元ではない),内部構造(だけ)を調べても
ボトムアップにわかってはこない,というのが漏れの見解。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 09:56
しかし,たとえば「行動主義コンピュータ学」とかいって,
コンピュータの機種や性能,動いているソフトウエアの種類などを
捨象して,入力と出力との関係だけからコンピュータを
理解する,なんてものがあったらナンセンスだよね。
行動主義への批判は,こういうことに行動主義が無頓着であったこと
とも関係が深いよ。行動主義は各種の生物における「学習の内的過程の
高度な類似性」をあまりに信じ過ぎている。だから最近は種による
遺伝的特性が学習に与える影響などをきちんと考慮することが
求められている。そういう目的ではそれぞれの種の脳神経過程などを
きちんと分析して,入力と出力との関数関係の「バリエーション」を
知っておくことは大切だよね。その点で行動主義と脳科学は
やはり相補的な関係にある。
ただ,人間なら人間,ある系のラットならラットというように
遺伝的特性(内的過程)がかなり共通している対象を考える時には,
個体間で条件づけのまったく同じ機構が働いている(つまり,同じ
環境の構造に対応して皆が同じ行動をする)と仮定するのは
いまだに間違いではないけどね。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 10:05
とりあえず「漏れ」はやめれ。
読んでて馬鹿っぽくてゲッソリする。
わざわざ文脈外した隠語を使うために 'm' を一つ多く押すのも無駄。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 10:15
それと、行動主義は環境情報から行動をすべて予測できるとする主張にも
疑念は提出されているよ。
>「人間は(あらゆる意味での)環境への最適化に制限されないもの」
>なのかという世界観(あるいは信仰)の問題になっちゃうけどね。
>でも後者の世界観は取りあえず持たないというのが
>心理学でも認知科学でも暗黙の前提だと思う。
この姿勢が問われているんじゃないかな。雌猫は必ずしも強い雄猫に
ついていくわけじゃないんだ。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 10:42
>>15 環境への最適化,っていうのには進化も含まれるんじゃ
ないの?
雌猫が必ずしも強い雄猫についていかないのは
繁殖可能性などでその方が「最適」である場合が
あるからでは?
いずれにしても,
>>15の指摘はここでの議論には関係ないね。
アフォーダンススレみたいにしないように,問題をきちんと絞ろうよ。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 10:52
species-specific defense reactionというのが1970年代に言われる
ようになったよね。つまり種によって行動の遺伝的特性が異なるという
話で、このことは動物行動学では昔から知られていたことなんだ。それが
1970年代になって心理学にも知られるようになった。そこで行動主義は
多少の変更を自らに加えて妥協しようとした。
>>13で言っていることだよね。
>>15 猿の群れで,群れから追放された弱い雄猿や,
他の群れを追放された迷い雄猿に,雌猿が
あえて近付いて交尾しようとする現象があるんだけど,
それは(自発性とかでなく)生殖可能性,遺伝多様性
など「環境への最適化」との関係できちんと説明されてるよ。
猿学の入門書にも載っている話。
この話はこれで終わり。
>>18 あれ、たとえばスキナーは1940年代からそのこと言ってるけど?
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 11:02
>>19 遺伝的多様性はねぇ、結果であって、その行動自体を説明したもの
ではないんだよ・・・ 当たり前だけど、雌猿が猿の群の遺伝的多様性を
高めようとして迷い雄ざると交尾するわけじゃないしさ。
>>18 そうした「種による学習過程の差」が進化的に作られてきたとすれば,
それは環境との相互作用の結果だから,それはそれで「環境への
最適化」なんだよ。逆に,その差が進化によって作られないとしたら,
何によって作られ,かつ世代を超えて維持されてるのか?
行動主義に対する批判と,生物の行動が「環境への最適化」を基準に
作られているかどうかの問題を混同してはいけない。たとえば進化生物学は
行動主義をいくつかの面で批判するけど,それは環境情報による
予測や制御を否定するような批判ではないよ。
どうも14,15,18氏は環境に制御されない行動(入力の構造に依存しない
出力)みたいなことの存在が,行動主義と脳科学の対立点みたいに
思っているようだが(それによって誰だか分かるのだが)それは
ぜんぜん間違った論点だよ。
>>21 やっぱりあなただったか。
生物学者ずらして進化の問題についてなにかいうなら,
せめて入門書程度の進化の知識を身につけてからにしてくれよ。
「結果であって」っていうけど,進化ってのは結果によって起きるもので,
生体の意志や志向性などによって起きるものでないと言うのは
最低限の常識でしょ。また同じことになるからあなたとは話さない。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 11:13
そう、その最低限の常識を疑っているんだけど。まだ無理だったみたいね。
今はやめとくよ。
それはこのスレの話ではないし、心理学の話でもない。
今は、じゃなくて永遠にやめるか、生物学板の「進化論批判」の
スレに行って創造論者の仲間になって下さい。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 11:33
要するに分かったことは、(行動主義)心理学はこの最低限の常識を
疑うことにかくも抵抗するということ。
これに対し、神経科学者や一部の動物行動学者はどう考えるかを知り
たいな。今の流れでは難しいかな。
26=164が言ってる「最低限の前提」とはどのことかな?
「人間を含めて生体の行動(およびそれを支える過程)は環境に最適化するように
作られている」
ということかな? これならここで議論してもよい(?)かもしれないが,
「進化とは結果によって生じるもので,生体の意志や志向性によるものではない」
ということかな? これはここで論ずるべき問題ではないだろう。
生物板で議論されていると思うのでそちらに行かれた方がよい。
まあどちらにしても,これは客観的事実によって正誤が判断できるような問題ではなく
まずアプリオリにどの立場をとるかによって研究(というか人間を扱う科学そのもの)
への態度が変わってくることだから,議論などしてもしかたがないと思うなあ。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 11:47
最低限の常識という言葉を最初に用いたのは
>>23だが、要するに
生体の行動は環境情報によって完全に制御されており、生体の意志や
志向性によるものではないというのが(行動主義)心理学者の立場で
しょう?
このことはOKね?
これに対し、神経科学はどう考えるかを訊いているだけ。べつに、
ここではまだ私の主張を展開していないよ。あくまで、異なる立場の
研究者の見解を伺いたいだけだよ。
あまりにひどい。164は自分が何に反論しているのかも分からないのか。
>>24ではあなたは明らかに「進化は結果によるもので意志や志向性に
よるものではない」ということを「最低限の常識」ととらえて,それに
疑問を呈したのではないの? また,
>>15ではあきらかに「生体の
行動が環境に最適化されることを目標にしている」ということに反論しようと
しているよね。そのことと,「行動が環境情報に完全に制御される」こととは
全く別でしょ。
その場の(短期的な)環境情報に制御されないことが,少し長いタイムスパンでは
適応的であるようなは環境はいくらでもあって,その場合生体は進化的にその場の
環境情報に制御されないように(あるいはそれに矛盾した行動をとるように)
なっていたり,それを学習することができたりする。でもそれは長期的に
は「環境に最適化」することだし,たとえばオペラント条件づけでそうした
行動(たとえば後の大きな報酬のために今の小さな報酬を無視する,といったこと)
を形成することもできる。だから164の「行動主義=環境による完全な制御」という
解釈は正確でないし,そのことと「生体が環境に最適化するように行動する」ことは
同義ではない。
少なくとも心理学の中では,行動主義もアフォーダンスも認知主義も神経心理学も
人間の行動が環境に最適化する方向で形成,維持,変化することは大前提として
認めていると思う。ただ,その最適化が環境が持つ随伴性やアフォーダンスによって
直接規定されるのか,内部の認知過程,情報処理過程によって規定されるのか,
あるいは神経生理的過程が重要なのか,それとも進化の過程で定まっているのか,
などの点でさまざまな考え方があるだけだと思う。
意志や志向性の問題でも,その存在や機能を認めるにしても,
そうしたものが存在し,維持されているのは,それが大きな意味で
人間行動の環境への最適化に役立っているからだ,と考えるのがふつうだろう。
その点で,自由意志というものが字義通りの意味で存在すると考えている
行動科学者,生命科学者は少ないのではないだろうか。もちろん,われわれが
自分の行動に「自由意志を感じる」という事実は全く別の問題。
結局164がアフォースレ以来ずっと反発しているのは
「生物が生きる目的は,環境に適応して生存し,子孫を残すことである」
「生物の行動は,上記の目的を達成するために最適化される」
という進化論から行動主義まで,いやおそらく今の生命科学,行動科学全体を
通じた前提となっているテーゼそのもの,そして,そのテーゼが人間にも
適用されること,なんだろうね。
164はきっと「生きる意味」とか,「人はなぜ生きるか」といった問いに,
上のテーゼが「生き続けて子孫を残すこと」と答えてしまうことが気に入らず,
またそれが自分にも当てはめられてしまうことが気に入らないんだな。
でもそれって,こんなところで問題にするようなことではないんじゃないかな?
漏れは科学者としては上のテーゼを受け入れているし,自分の行動も
客観的にはそういうものだろうと思っている。でも主観的には
自分が生きることに「生存と生殖」以外のさまざまな意味を感じている。
その二つは客観世界と精神世界という,別々の世界に属することで,
混同しては,あるいは矛盾をなくそうと変に努力してはいけないんじゃないかな。
>>29 少しねじ曲げつつ、行動主義の立場を拡張しようとする意図は感じる
けれども、今は心理学の人の発言ではなく、神経科学の立場の発言を
待っているんだけど。その方が本スレの趣旨に添うでしょ。一方の
立場からの意見ばかり書かれていてはダメなんだよ。(それと私の方からは
自由意志ということはいっさい言っていないよ。そうやって誤解を拡大する
ような書き方はやめてくれない?)
ただ問題はここが心理学板で、神経科学の人はあまり見てないという
欠点はあるんだが・・・
>>31 個人を中傷したり、分析したりするのはやめない?
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 13:04
>>31 悪いけど、「生物が生きる目的は,環境に適応して生存し,子孫を
残すことである」これは間違いだよ。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 13:20
けっきょくこの2人のかけあい漫才になるのね。
面白いからいいけど。
ところで
>>34、164の考える「生物が生きる目的」ってなんなの?
間違いだ、というだけで自説を示さないのはずるいよね。
また物凄い話に展開しそうなのであえて聞きたい!
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 13:22
>>34 私は子孫を残していないが私には生きる目的がある、
だから間違い、とかだったりして。
>>32 もともと
>>9〜
>>13の話に164が例によって問題を
混乱させるツッコミをしたのが悪いのでは?
「神経科学の立場の発言を待ってる」って164が待ってるだけだし、
神経科学者が来れば来たで、また「あんたのいってることは寝言に過ぎない」
って言われるだけだろ。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 13:35
逆にもっと暗いんだよ。生物に生きる目的はないのさ。
数十億年前に有機化学反応の結果、偶然、自己複製する化学物質が
出現した。この化学物質はそれゆえ、必然的に自己を増やそうとする
性質を持つ。なにか神秘的なものを想定していることを期待した?
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 13:51
ただし、自己複製する分子(遺伝子)だけでは増えることはできない。
必ず、それを行うための環境が必要だ。ここでいう環境が現在で言う
ところの細胞内環境だよ。それが酵素による物質エネルギー代謝の
連鎖を行っている環境だ。この連鎖が止まることがすなわち死。
つまり生命が誕生するためにはこの環境も同時に整えて連鎖を持続
させる必要があった。つまり、生命は本来、化学反応を持続させて
いるという意味で自発的でなければならない。
>>38 それなら,自己複製することが目的,つまり
生存して子孫を残すことが目的でしょう。
そうだとしたら,その自己複製がもっとも
効率的に行われるパターン,すなわち
環境への最適化が生物の基本システムになるね。
まあ「目的はない」というのは実際には正しいよ。
だって生物は164が考えるのとは反対に,
生存しようと意図して生存するわけでも,
繁殖しようと意図して繁殖するわけでもない。
生物が生きるということは「生き残り,繁殖したものが
そのあとも生き残り,繁殖する」だけのくり返しだからね。
結果によって制御されることを,本来「目的」とは
言わない。その通りだ。で,「目的のない」ところに
「意図」や「志向性」は生じるかね? あるいは,
目的のない時にそれが意図であるとか志向性であるとか,
どうして言えるかね? 生物に生きる目的がないなら,
生物が意図や志向性を持つということも言えないのでは?
苦し紛れに反論して自分の足元も崩してしまうというのは
164様お得意のパターンですな。
>>39 だったらその自発性はランダムなものだし,意図や志向性とは
ぜんぜん別のものだね。生物板でも言われていたけど,
結局164が自発性とか,意図とか志向性とかいった
メンタルな用語を無原則に使うから議論にならないし,
漏れみたいな「話のテーマより話の論理を問題にする」奴しか
来なくなって,まともな人は議論に入ってこないんだよ。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 13:57
>>42 そう。あなたがアフォスレで展開した「理論」は,
神経の自然発火という化学的現象を意志とか志向性の源泉と
考えるものだったよね。そうであれば,化学物質が
目的を持たない限り,神経の自然発火が意志や志向性を
生み出すことはないのではないの?
答えは簡単で,化学物質には目的はなく,したがって
意志も志向性もない。また,164様のご説の通り,
生物が生きていることも少なくとも生物の側には目的はなく,
(おもに環境から与えられる)結果によって制御されているだけ。
したがって,生物にも意志や志向性はない。
以上でした。
>>41 >>39、
>>40は自発性の最初の起源を言ったにすぎない。今でも、ゾウリムシは
学習させることができるが、ふだん自由に動き回っているその動作は予想できない
だろう。いや、行動主義では予想できるのか? 予想しようと思ったらゾウリムシの
体内の物質代謝を調べないと無理だろうな。
そして、それから数十億年の時間が経過している。その間に「自発性」の
の発現のために特化した構造が現れてもおかしくないだろう?
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 14:11
HN41は間違い。
くどいようだが,このことと人間が自分の行動に意志や志向性を
感じる,目的を「認識する」ということとは全く別の問題。
そのことにはそのことの仕組みがあり,機能がある。
しかし,意志や志向性が実際に行動の原因として働いていることはない。
そういう意味では,人間以外の動物のほとんどはおそらく
自分の目的や意図,志向性などというものは「認識」していない
(少なくとも表象してはいない)だろうから,動物の方が
事実をきちんととらえているとも言える(笑)。でも,人間が
目的や意志,志向性などを行動に随伴させて感じるようになったことには,
そのこと自体なんらかの適応的アドバンテージがあったのだろう。
つまり,目的,意志や志向性といったものも「環境への最適化」の
なかで生じてきたということだね。だから環境への最適化から
行動を説明することと,意志や志向性の存在は164が考えるような
対立関係にはないのだよ。
>>44 だから,それはオペラントでランダムだから,
体内の代謝物質など調べてもやっぱり予測できないし,
最初からランダムだとわかっていることを
予測しようとする人はいないよ。
あなた,乱数表の数字の並びをどうやって予測する?
それ以前に,乱数だと分かっている数値を予測しようとする?
また,オペラントはランダムだからこそ
不測の状況にもすぐ適応できるんだよ。
もしそれが意図的だったら,意図していない
状況がやってきたらお手上げだろう?
突然変異がランダムであるのもそれと同じ。
「〜してもおかしくないだろう」ってのはトンデモ科学の常套句。
UFOが飛んでいると考えてもおかしくないだろう,血液型と
性格に関係があってもおかしくないだろう,あってもおかしくないものが
みんなあるなら科学はいらない。ほんとにある,と確認できるものを
事実としようとするのが科学。
あー面白かった。では私は自分が繁殖させた奴の世話をするので
これにて失礼。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 14:19
まず生命現象はそれ自体が自発的だというのは了解した?
43氏は自分の主張をまくし立てているだけで、何も考えていないね・・・
>>49 その「自発的」とは「ランダムに行動が自発する」ということだよね。
そうであるなら了解する。それは「オペラント」だ。
しかしその「自発的」は164が他の場所でいう「自発性」とは
ぜんぜん意味が違うし,ましてや意志とか志向性などというものとは
「無関係」だ。これとおなじこと,生物板でぜんぜん畑違いの
言語学者にも指摘されていたよね?
「行動主義コンピュータ学」は漏れの今日最大の
ヒットだったと思うんだけど,笑ってももらえなかったなあ。
そう考えると,行動主義って良くも悪くも「みんな同じだよ」
「経験によって誰でも同じように成長できるよ」って考えるものなんだね。
そういう意味では行動主義がヨーロッパではなくアメリカで出てきたことも,
行動主義心理学がもっとも広範囲に取り入れられたのが教育の分野で
あることも,ごく自然なことなんだなあ。
これは164様へのレスではないから,あなたはレスつけなくていいよ。
>>51 >>44では飛躍したのは認める。この辺はもう少し練る必要があるね。
ただ、数十億年の間にさまざまな器官が生まれ、発達し、特殊化(分化)して
きたという事実を見落としてほしくないんだ。「自発性」の意味は同じだよ。
それと、確かに神経細胞が自発発火するとしても、それと「意図的な行動」との
関係だな。これは今はまだこれから、としか言いようがないんだよ。
ただ、その辺は脳損傷患者とかの観察からいろんな手がかりが得られている
でしょう。このことは忘れてほしくない。これは一つ上のレベルであるネット
ワークの性質から発生するはず。ただ、その素子は自発発火する神経細胞だ、
という、これはあくまで案であり、仮説だ。これが正しいと主張する気はない。
ただそれでも、根本的に、私は生体の行動は環境情報によってすべて
コントロールされているのではないという信念を持っているのは間違いない。
これは私なりに行動を観察してきたことから得た一つの洞察なんだよ。
そして、この信念は今までせんど君たちの主張を聞いてきたけれども
揺らがないんだ。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 14:58
とうとう自分の考えがしろうと意見であることを認めたな。
>>54 あなたは、すでに確立されたとされている学説に疑問を感じたことは
ないか?
あるが、それを自分の主観で批判しようとすることはない。
まずデータを取る。
アフーダンスのスレからずっと164氏の考えを読ませてもらっていたが、
彼の考えには研究の生産性もなければ応用性もない。
追従してそこから発展させていく、というのは楽な研究方法かも
知れない。そして、追従した理論が結局正しければ、その研究者は
成功するだろう。いったん追従できないと感じたら、そこから少し
戻って自分でもう一度始めないといけない。つまり戻ったところまで
既存の理論を捨てるんだから、最初は何も知らないといって誹られる
だろうよ。しかもそれが正しいという保証もないんだからな。自分の
信念あるのみさ。
応用できる研究がいいのか? この辺も自然科学とは若干違うな。
自然科学の報酬は本来、より深く理解すること、これだけなんだよ。
なんにしてもスレの趣旨どおりの展開なので
アフォースレみたいにイライラせず読めて楽しいぞ。
せっかくのタイトルなのに、目的論的な宇宙を主張する子の独壇場に。
ぁぅぁぅ。
>>56 >>53で行動を観察してきたと書いたが、もちろんデータは持っている。
ただし、今はとれる環境にないが。ただ、データをとるというと
それだけで客観的と感じるのかも知れないが、紙には残せないデータも
たくさんあるんだよ。逆に、ある見方に立ってデータをとったのでは
その見方に沿ったデータしかとれないということもあるしな。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 16:19
>紙には残せないデータもたくさんあるんだよ。
うひゃひゃひゃ、こりゃ笑った。それがOKなら何でも主張できるね。
神は存在するよ。ほら、手を広げて心を澄ませてごらん。
神の力を感じるだろう?
これで、データに基づいて神は存在すると理解できたね。
世の中には紙には残せないデータもたくさんあるんだよ。
まさに神には残せないデータってか?
お願いですから、紙(など)に残せるものをデータと呼んでください。定義です。
根拠なく主張したい場合はここではなくオカルト板か電波板でお願いします。
なんとでも煽ってくれ。紙にデータをとるときに、そのデータには
反映できていない抜け落ちたものがあるように思うことはないか?という
ことなんだけど。ビデオカメラがいつでも使えるわけでもないしさ。
データの取り方が下手なのかも知れないが。ほんの少しでも気持ちが
分かってもらえればいいよ。
主観的なものも「観察者はこう感じた」という形で
データにしようという提案をしている人もいるね。Sさんとか。
つまりデータにならないものを元に主張するのではなく、
第三者を説得し自分が正しいことを認めてもらうには
できる限りデータを元にして論述する努力を行わないといけない。
その努力を怠って記録に残せないものを根拠に主張したら、それは信仰の領域。
ついでに、お出かけして「ガスの元栓を閉め忘れた気がする」ことが
「ガスの元栓を閉め忘れた」ことを保証しないように、
データを出して「抜け落ちたものがあるように思う」ことは
「抜け落ちたものがある」ことを保証しない。
職人ではなく学者になりたいのなら自分の素朴な感覚もたまには疑ってみるべき。
164さんがイメージしている事は分かるような気がするけど
自分の考えの先進性だけをよりどころにすると煽られるばかりだと思います。
信条はともかくディベートと割りきって現在ある定義を疑る事ばかりでなく
ここにこーんな実証があれば自分の信条に近づく、
もしくはこの考えのこの部分は信条に近いがこーなればよりヨロシというような
議論をよろしくお願いします。
あの、心理と生理とで考え方が二極化しているように見えるのですが、
その「間」の考えを持っている方はおられないのでしょうか?
本気で行動主義を批判したいなら、164は行動主義に対する正確な
知識を身に付けた方がいいと思う。
現状では、自分の行動主義に対する誤った印象をもとに煽ってる
ようにしか見えないんだけど、どうなんでしょう。
>>67 世の「行動主義批判」のほとんどすべてはそういうもの。
行動主義へのきちんとした批判は,たとえばスキナーのいくつかの論文と
それに対する心理学者,生物学者,哲学者からの批判的意見,
そしてそれへのスキナーの返答で構成された興味深い本
「The Selection of Behavior」(Ed. by Catania & Harnad,1988)
などを見れば書いてあるが,そこで展開されている議論は164のような論点とは
ほとんど無関係だよ。(一部164的な議論をしてスキナーから完全無視されたり
嘲笑されたりしてる人もいるが,それはほとんど心理学者であって,
生物や哲学の人はそういうことを一切言わないのには考えさせられる。)
あるいはワン編の「行動主義と現象学」(だっけ?)は日本語でも読めるね。
164は「The Selection of Behavior」でも読んで理論武装してから,
もう一度行動主義に挑んではどうか。残念ながら現在絶版で
ちょっと手に入りにくいが多くの大学の図書館にはあるよ。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/20 23:58
sageで盛り上がるナゾのスレだ。
そして休日には順調に下がる。健全なスレだよ。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/21 16:34
生理学と行動分析学は、相補完的な分野である(少なくとも、対立するものではない)と思っていました。
私は臨床系だが、個人的には、大脳生理学に期待する部分はかなり大きい。
実行機能の話がどこかで出ていたけれど、動物は目的や意図があってはじめて、その達成のために実行機能が作動して、プランを立てたり注意を抑制したりするのではないの?実行機能が脳のどこかにあるからと言って、無目的に働くものなんでしょうか。
では「目的や意図」とは何か?
行動的に言えば「目的」とは強化であり、強化を示すものが「弁別刺激などの先行する刺激(空腹などの個体内の現象も含む)」であると理解しています。実行機能を作動させたければ、強化を示すように環境内の刺激を機能させればいい。
ここを読んでいると、生理学についても行動分析についても、自分の理解が単純すぎるような気がして不安になる。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 00:17
>71
細かいところだけど、最近では食物の遮断化や薬物投与は「確立操作」として
「弁別刺激」とは区別する方向にあるみたいですね。
哲学的、文学的、あるいは日常的な意味での「生きる目的」、「自由意思」、
これらは人間のみが持つ高度の言語行動が生み出したもの。
行動主義においても生物学においてもこれらは非合理的な概念ではあるけれど、
人間の場合はそれらを記述に組み込んだ「ルール」(←テクニカル・タームね)
によって制御されている行動が数多くあるのもまた事実。
そしてそれらは一般的には「認知」と呼ばれる。
行動分析が「認知」にメスを入れるには
言語行動の分析法を洗練させなければならない。
残念ながら行動分析学ではまだそれらの問題を扱えるほど
言語行動の研究が進んでいないように思える。道のりは長い。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 02:38
>>71 目的や意図というものを考えなくとも、実行機能(executive function)
が脳から開始するものなら、その行動は必ずしも環境情報だけでは予測でき
ないよね。言語の有無は関係ないんだ。
他の人に伺いたいんだけど、同じ価値の強化を得る方法が複数与えられて
いる課題、うんと、たとえば複数のレバーとフードディスペンサーを
備えたスキナー箱で動物を訓練した場合、各動物がいずれのレバーを
押すかをその都度予測できますか? 予測できる場合と予測できない場合で
それぞれ、その原因はなんだと考えるのですか?
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 06:39
>>73 164はちゃんと名前欄に164と書いてくれないと困るな。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 06:50
>>73 それらが本当に「同じ価値」であるなら,
各レバーが押される確率は同値,したがって
どのレバーが押されるかは「偶然」に支配されるから
予測できないし,する必要もない。
その選択の「原因」は「偶然」。
レバーの押される確率に意味のある差が生じるのは,
「レバーを押すことの価値が異なる場合」だけ。
100円を入れてどのボタンを押しても同じジュースが
出てくるとわかっている自販機で,あなたがどのボタンを押すか
はランダムになる。また,そこでなにかの選択が行われたとしても,
結果が同じであればその選択は「無意味」。むしろ,100円を入れて
押すボタンによって出るジュースが違う時に,自分の好きな
ジュースを選んで押す,って場合が「意味のある選択」。
たぶん164は,等価のレバーのどれを押すかを,例の「自発性」の
問題にしたいのだろうけど,どれを押しても同じであるようなものを
偶然に選ぶことを「自発性」や「意志」や「志向性」と呼ぶかね?
むしろ,なんらかの目的に基づいて,最も良い結果になるものを
自分の「主体性」で選ぶこと,つまり「自分の好きなジュースが
出るボタンを押す」のが「意志」なんじゃないの? であるなら
その「意志」は,押したボタンと出るジュースの関係という
「環境の構造」に制御されていることになるけどね。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 07:02
そうくるか(笑)
これでもかみつく方法はあるし、その説明では納得できない御仁も
いると思う。
しかし、もう少し分かりやすい例を考えてまた質問するよ。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 07:49
かみつく方法はあるなどともったいぶらずに質問を続けてみようかな。
ひとつは「無意味な選択」だってある。同じ価値を持つ方法が複数
あってもそれが同時にできない場合、どちらかから先にすることに
なる(たとえば使える前肢は一つで、複数のレバーのそれぞれが一度押すと
しばらく待たないと次が押せないような状況を考えてみる)。このとき
生体は何をしているのか。やはり単なる偶然で済ますのか。
二つ目は「偶然」という言葉は「分からない」ということを表明して
いるにすぎない、とする考え方もある。君たちは環境情報からでは
予測できない行動はすべて「偶然」で済ますが、それを「偶然」で
片づけずに生体側の内的要因に求める立場もある。
>>77 そう来ると思ったよ。だってこの議論は前のアフォスレでもしたでしょ?
それはそうと,ちゃんと164って書いてよ。まぎらわしいから。
まず,ある選択肢(強化なり随伴性)の「価値が同じ」ということ自体,
結果として起きる行動が等価,あるいは「選択肢が偶然の確率で選ばれる」
ことによってしか確認できない。つまり,164の
>>73における問い自体が
もともとトートロジーなんだよ。(他に「価値の等価」を確認できる方法を
教えてほしい)。
で,新しい方の質問だけど,もしオペラントを作り出す内的過程というものが
あるなら,オペラントもなんらかのアルゴリズムによって作られている
だろうから,それ自体は偶然とは言えないし,そのアルゴリズムを解明すれば
予測はできるのかもね。しかし,それを解明することには「知的興味」以外には
ほとんど何の意味もない。
だって,もし生体によってある選択がなされるとして,その選択が結果として
何の意味も生み出さない(どちらを選択してもその結果が同じである)とき,
その選択を予測することにどのような意味があるだろうか?
また,「無意味な選択」の過程を明らかにすることと,自発性や意図,
志向性,あるいは自由意志といった「有意味な選択」の過程を明らかにすることは
決して連続しない。
ちなみに
>>77,その「順番」になにか意味がある場合(結果の違いを生み出す)
場合には,そもそもそれぞれの方法が「同じ価値ではない」わけで,議論の
前提自体が崩れる。164が言いたそうなことを先に言えば,たとえば「選択肢」の
接近可能性や利用可能性が生体の「種」によって影響されているような場合には,
それは進化の過程においてその選択肢にすでに「意味の差」があったわけで,
それは「有意味な選択」だよ。
「偶然」であるかどうかは,それが顕然性行動としてランダムであるかどうかであって,
偶然を作り出すシステムがあっても一向にかまわないだろう。
乱数表は作られるわけだからね。でも,偶然を作り出すシステムをいくら調べても
「結果として生み出されるものは偶然である」ということに変わりはない。
偶然が作り出されているのなら,予測はできないからね。
はい,これでこの議論はおしまい。次の話はどんな話かな?
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 11:05
偶然の無意味な選択を自発性と結び付けようとしたり
自発性とランダムが結局区別できなくなってる164の
議論は,創造性とデタラメを区別できない「創造性研究」の
陥穽とよく似ているね。
客観的に生体から「自発」するのは遺伝的に(進化における
環境への最適化によって)決定された行動か,オペラントと
呼ばれるランダムでそれ自体は無意味な行動。前者は164的な
意味では「自発性」ではないだろうし,後者が「自発的」か
どうかは,事実そのものではなく観察者による解釈の問題。
もちろん,その解釈はその行動に対して環境が与える結果に依存する。
自発的と呼ばれる行動はあるが,それ自体が真に自発的であるような行動が
存在するとは考えにくいし,そう考えることが行動の科学的説明に
なんらかの意味があるとは思いにくいということ。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 13:13
>>78 >ちゃんと164って書いてよ。まぎらわしいから。
やだよ(笑 こちらだって今までずっと混乱させられたからね。
>「価値が同じ」ということ自体,
>結果として起きる行動が等価,あるいは「選択肢が偶然の確率で選ばれる」
>ことによってしか確認できない。
そうでしたね、確かに。しかし、これは私のミスであって今は本質的な問題じゃない。
>そのアルゴリズムを解明すれば予測はできるのかもね。それを解明することには
>「知的興味」以外にはほとんど何の意味もない。
これを読むと、ああやっぱり行動主義は行動を予想し制御するための技術であって、
自然科学ではないんだという思いを新たにする。しかし、これも今はどうでもよい。
問題は行動主義が環境情報から行動をすべて予想できる、したがって生体は刺激の
与え方でその行動を制御できる受け身の存在と見なしている点で、これだけは改めて
もらわなければならない。進化についても、行動主義の見方は環境一辺倒で、突然
変異などの生物側にこそ自ら変わる要因が存在することを軽視しすぎている気がして
ならない。これがなければそもそも環境への適応も起こり得ない。
すでに
>>38、
>>39で述べたように、生命は本来、化学反応を持続させているという
意味で自発的でなければならない。この自発性は細胞によって現れ方が異なり、神経
細胞では細胞内の物質エネルギー代謝の連鎖の結果、自発的に発火するという形で
その自発性が現れている。この自発的に活動する素子が接続し合って形成した回路、
細胞集成体は人工の集積回路と同じく、ひとまとまりとしてなんらかの情報または
機能を持ちうる。一方、集積回路の素子と異なり、細胞集成体はその素子が自発的に
活動することから、その機能も自発的に現れる。神経細胞自体の活動はランダムで
あっても、細胞集成体内では神経細胞が互いに相互作用することにより細胞集成体は
そのネットワーク構造に応じてさまざなま機能を発現する。
とりあえずここまで。また一歩踏み出したぞ。
>>80 単発の神経細胞自体の活動はランダム(という捉え方も可能)ではあるが
相互作用によって発展したネットワーク構造が
自発性を具現化させるって意味でいいのかな?
突然変異も自発性なのかな…ランダムな要素を抱えるというのが自発性…
自発性を否定しないで、あるとしたらでもいいから定義してみません?話としては(笑
164さんも自発性にいろんな意味を持たせず、どの程度の意味まで信念を妥協できるかためしてみません?
とりあえず突然変異などランダムな要素が疑われる場合は「自発性」から排除しましょう。
>>80 79までに書いたことは,別に行動主義の考え方ではないよ?
ごく普通の,論理の問題。164の自発性についての主張は
主義とか,考え方以前に「文章の論理」として破綻していると
いうだけのこと。
進化の問題についても,進化に対する行動主義的な見方なんて
ないよ。進化生物学の一般的な考え方があるだけだ。
そこでは,突然変異というランダムな変化の「自発」が進化の
出発点となっている。同じように(スキナーの徹底的)行動主義は
オペラントというランダムな行動の自発を条件づけの出発点と
している。
そういう意味で「自ら変わる要因が存在すること」は進化論でも,
行動主義でも同じように大切な前提にしているが,
164が理解していないのはそれらは「自発するがランダムである」,
つまり,それ自体には特定の意味や目的はなく,環境によって
結果として意味を与えられるものである,ということだ。
これも「行動主義的見方」ではなく,進化生物学の常識。
(たしかに,学生に進化の原理を教える時に一番苦労するのはここだし,
生物系の院生でもきちんと理解してないやつがいるけどね。)
とりあえず164は前に「自発性がランダムである」ことを
認めたはずだ。ランダムであるなら,それが「意志」とか
「志向性」といった意味を自ら生み出すことはない。
意味を生み出すのは自発された行動に環境から与えられる結果だけだ。
それとも,164は突然変異になんらかの目的や意志を認めるの?
そういう説は進化生物学でははっきり否定されているだろ?
164説でいう「自然発火による自発性」も,環境と相互作用することで
「結果として」意志や志向性と呼ばれるような行動を生み出すだけだ。
で,
>>81の書いたような(164ではない人だけど)
>単発の神経細胞自体の活動はランダム(という捉え方も可能)ではあるが
>相互作用によって発展したネットワーク構造が
>自発性を具現化させるって意味でいいのかな?
そのネットワーク構造は環境からのフィードバックがなければ
成立しないし,機能もしないだろう。
>>80 >とりあえずここまで。また一歩踏み出したぞ。
同じこと前にも書いてるだろう?自分が前に書いたことくらい確認しろよ。
したがって一歩踏み出したというより,またひとつ前に戻ったというのが
正しい。
まずい,最近2ちゃん専用ブラウザで書いてたから
長く書くと切れるの忘れてた。つまり164も漏れの
カキコ全部読んでない可能性が大だね(笑)。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 16:20
>>81 心臓の細胞、心筋細胞は1個を取り出してみてもちゃんと収縮運動を
しているんだ。しかし、バラバラにした心筋細胞1個1個をみると、その
収縮のタイミングはランダムだ。しかし、心臓という器官全体として
みると、どの細胞も同期して収縮している。おそらく、心臓を構成した
心筋細胞は細胞表面の受容体か電気信号を介して相互に連絡し合って
いるんだね(この正確な仕組みはまだ明らかにされていないと思うけれども)。
脳内でも類似のことが生じていると考えられる。神経細胞1個を取り出して
みると、その自発的な活動はランダムだろう。しかし、組織を形成した
神経細胞は数千のシナプスを介して相互作用して協調しているだろう。
ただ、必ずしも同期しているわけではないと考える(この辺も協調の実態や
仕組みについては未知だろう。未知だけれども細胞の協調の存在については
心臓から示唆されており、大脳皮質でも一つのカラム内では細胞の活動は
同期していると記憶している)。
ネットワーク構造はその構造によって機能が異なるだろうから、その機能は
なにであると決めつけるのは避けておきたい。またネットワーク構造は
固定したものではなく、可塑性に富み、流動的で重層的だろう。個々の
神経細胞の数千個のシナプスがそれを可能にしていると考える。
突然変異が生じる仕組みについてはよく知られている。ここではただ、
生体側に変化する要因があることを示したかっただけで、これが自発的に
起こると言っているわけではない。ちゃんとパラグラフも変えている。
>>80では自発性の原因を最終的に細胞内の化学反応の連鎖に求めていることに
気づいてほしい。この活動は1個の細胞全体を通して一様ではないんだな(たぶん)。
ちょうど太陽の表面をみると常時不規則に爆発を起こしているように。
>>84 心臓の細胞がそれぞれランダムに収縮しながら,
全体として一定の運動になっているのは,各細胞が
他の細胞と相互作用しながら運動しているからだ。
このとき,この運動は純粋に相互作用の産物であって,
どこかにそれを制御する中枢系があるわけではない。
たとえばベルンシュタインの運動論は,この心臓で
起きているのと同じようなことが,手や足,体の
運動でも起きていて,身体の運動は脳や中枢系によって
制御されているのではなく,身体の部分間の
相互作用によって「自発的」に生じている,という考え方。
この話がアフォスレででた時,164はこれを必死で否定して,
脳や中枢系による制御が運動を生み出しているという
主張に固執したし,もともとはその「脳による制御」が
「自発性」だって主張してたんじゃなかった?
矛盾している。164の中でも自発性の定義があっちこっちに
揺れ動いているんだ。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 16:31
で,164はその「協調」の結果生み出される心臓の運動は
脳によって制御されていると考えるの?
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 16:32
>>85 では、ひとつ質問。
それなら、なぜ自律神経系が存在するのですか?
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 16:35
>>82 君はさ、
>>80では神経細胞のランダムで自発的な活動と、その神経細胞がネット
ワーク構造を形成した場合のネットワークの機能との二重構造になっているのに
気がついてる? これは、先ほどやっとひねり出したものだよ。
君はあまり人を中傷したり攻撃的にならない方がいい。
いずれにしても
>>80と
>>84で、生体は環境情報のみによって予測できる受け身な
存在であるとする立場に反論する仮説を、とりあえず首尾一貫した形で提出した
ところだ。
ほんとうの議論はここから始まる。
89 :
魔女の宅急便:01/10/22 16:38
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 16:43
>>87 「それなら」って,どれなら?
自律神経系の存在と,この議論は矛盾も対立もしてないよ?
>>88 じゃあ,新しい考えになったわけ?
でも,間違った考えをいくらひねり回しても
正しい考えにはならないよ。死んだ細胞を
いくら組み合わせても動き出さないのと同じで。
「受け身」とか「能動的」とかいう言葉も「解釈」の言葉,
もっといえば「あなたの片寄った解釈の言葉」にすぎない。
たとえば,オペラントを自発し,その結果として環境から
与えられる結果を感知し,それ(随伴性)に合わせて行動を
増やしたり,減らしたりするというすばらしい能力を持っている
生物のどこが「受け身」なの? 漏れは人も含めた生体の
行動は,随意的なものについてはオペラント条件づけで
決定されると考えるが,人や動物が「受け身」だなんて,
全く思わないよ?
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 16:45
>>88 仮説が提出されたのなら,必要なのは議論ではなくて検証だ。
さて,164の仮説はどのように検証できるのかな?
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 16:46
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 16:54
2ちゃんの法則。議論の相手に対して,「焦ってる」とか「熱くなってる」とか
指摘する人は,自分が焦ってるし,熱くなっている。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 17:07
生物の行動には,受け身だとか,能動的だとか
そんなものはないんだよ。どれも環境との相互作用の結果。
環境と生体の関数的関係が行動を決めているのであって,
環境から「決められている」わけでも,環境と関係なく
行動しているわけでもない。
たとえば昔はパブロフ型条件づけは受動的行動の学習,
オペラント条件づけは能動的行動の学習と分類したけど,
いまはその分類はごく入門的な説明でしか使わない。
どちらも,実際には受動的とも,能動的とも言えないからだ。
生体は自分の行動が環境に最適化されるように,能動的に
行動している,ということだってできる。受動的とか
能動的という概念自体が,解釈の言葉に過ぎないんだよ。
ところで,「人間を含めて生体の行動(およびそれを支える過程)は
環境に最適化するように作られている」というテーゼについての
164の見解はどうなってたんだっけ?
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 18:56
ところで,164の
>>80,
>これを読むと、ああやっぱり行動主義は行動を予想し制御するための技術であって、
>自然科学ではないんだという思いを新たにする。しかし、これも今はどうでもよい。
では,なんらかの現象を予測したり制御したりするのにはまったく役に
たっていない(あるいは,具体的な現象を予測したり制御したりはできない)が,
偉大な発見であると認められているような自然科学上の発見の例をひとつでも
挙げてみて。
科学の目的は現象の説明,予測,制御であると大学に入った頃に
習ったけどなあ。あるいは,説明の妥当性はそれによる予測や制御の
成功によって保証されるともね。たとえば,164の仮説で生体の行動が
これだけ予測できる,制御できるということを示して初めて,164の
仮説の正しさが証明されるのじゃないの?
とどめかな・・・?
>>94 結局、君と私では興味の対象が異なるのだろう。
君はオペラントの自発は自明と考え、行動を予測したり制御する方法を明らかに
して患者の治療に役立てたいと考えている。
私はオペラントが自発する仕組みこそ知りたいんだ。アフォーダンススレで我々は
椅子を座ることもできるし、薪にすることもできるのはなぜかを私は問うた。私の
中ではこれらの疑問の由来は同じなんだ。このような問いかけをする動機は深く
知りたいこと、ただそれだけだ。君はそんな研究は発展性がないし応用性がないと
いうが、そんなことは分からないし、また私の関知するところでもないのだ。
自然科学というのは本来そんなものだ(これについては次)。
ただ、その興味の裏に各人の信念(信念だから好きな言葉を使うが)-行動は環境に
よって支配されている、と、動物の行動の原因は動物の体内に由来する-が隠れている。
環境との相互作用とか適応とかいうと聞こえがいいのでそのまま受け入れてしまい
がちだ。確かに多くの個体が生まれて死に、長い時間が経過した後はそのように見える
かも知れないが、個別の行動をみるとどちらを採ってもいいような行動がいやという
ほど認められる(得られる強化は同じということだね)。こういう行動を君たちは
偶然と呼ぶことで研究の対象にしない。一方、私は生物の行動は一本の連続した線の
ようなもの(個々の一個の動物の体内で行われる化学反応は連続的で、それが絶える
とは死ぬことだからね)で、その原因を知りたいと考えている。これだけのことだよ。
いずれにしても、ここでの議論を通じて私はますます、行動主義心理学は私が関心を
持っていることを研究する分野ではないことがはっきりしたという感じ。
>>95 科学論については
>科学の目的は現象の説明,予測,制御であると大学に入った頃に
>習ったけどなあ。
これも一つの立場にすぎないよ。あなたが指導を受けた先生はそう考えているということ。
ニュートンは確かに万有引力の法則を数式で示したけれども、万有引力というものは
制御できる? 君たちがよく引き合いに出す進化論で何かを予測したり制御できる?
そもそも、そんなことを意図した学説だろうか。その動機は自然現象をより深く理解
したいということだけじゃないのかな。
予測とか制御を目的にしない研究は意味がないのは、技術として応用できなければ
価値がないといっているのと同じだと私は思うんだけど、ただ自然現象を深く理解する
ことも私は価値のあることだと思うよ。物理学や化学の知識の多くは周辺技術が進んだ
おかげで工学に応用できるようになったけど、生物学はまだやっと遺伝子工学が生まれた
ところだよね。しかし、進化論を技術に応用することなんてできる? じゃ、進化論は
くだらない学説なんだろうか。利己的遺伝子理論はどうだろう? これは生物の進化に
対する新しい見方を提供したものとして評価するけれども、これで何かを予測したり
制御できる? 発生学で生物の発生がすべて理解できる時が来たら、今度は人間が
自由に新しい生物を創造する発生工学が生まれるかな。そのような技術は容認される
だろうか。発生学者はただ発生現象を解明することを目指しているのであって、そんな
ことを目指しているんじゃないだろう。
あなたの研究はなんの役に立ちますか?という質問は多くの生物学者が嫌うだろうな。
こんなことを考えるのは、せいぜい科研費をせしめるために申請書に書くときくらい
だろうなぁ。
ふっと思ったんだが、あなたは自分が習ったことや、(とくに海外の学者が書いた)
本に書かれていることを絶対的なこととして信奉する傾向があるんじゃないのかな。
私は人間の考えたことはすべて相対化してみる傾向があるね。習ったことや本に
書かれている人間の考えた説が間違いだったという経験をたくさんしているから。
ただ、そういう考えに至った過程を理解しようとする。そして、事実の前には
謙虚だよ。
>>94 >たとえば昔はパブロフ型条件づけは受動的行動の学習,
>オペラント条件づけは能動的行動の学習と分類したけど,
>いまはその分類はごく入門的な説明でしか使わない。
>どちらも,実際には受動的とも,能動的とも言えないからだ。
これはさ、今は入門書に書かれているだけというより、その考えが誤っていることが
徐々に分かってきたということじゃないの?
あなたはどこそこの大学の教官らしいけど、それはあなたが運良くそのポジションを
得たというだけのこと。あなたが大学の教官であることと、あなたの言うことが
正しいかどうかとは無関係だよね。
あなたを今のポジションに就かせたのはどこかの大学の教官の判断だろうけど、
その先生が大学の教官であることと、その先生の判断が正しかったかどうかとは
無関係だよね。
少なくとも私はあなたについていきたくない。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 06:32
>>97(164)
>結局、君と私では興味の対象が異なるのだろう。
うむ。164が興味を持っているのは,科学ではなく
「意味づけ」だ。偶然にも全て意味がある,という。
おそらくあなたの興味や,要求に応えてくれるのは
宗教だけだろう。哲学はだめだろうな。
分析哲学以降の哲学は,164みたいな考え方が
なぜ間違いなのかを検証するものだから。
私は,偶然であるものは偶然だというのも
科学者の勇気であると思う。人は偶然にも
意味を見い出したがるものだ。そのために人は
超自然の力やオカルトな概念をいろいろ考案してきた。
科学は偶然であるものは偶然とすることで,
それらのオカルトと距離を持つことができる。
>あなたが大学の教官であることと、あなたの言うことが
>正しいかどうかとは無関係だよね
そりゃあもちろんそうだ。問題は私がここで書いたことが
正しいかどうか,あなたがここで書いたことが正しいかどうかだ。
私はあなたの言っていることに多くの間違いや矛盾を発見し,
それに対して私が正しいと思う論理で反論した。もしあなたが
私の反論をきちんと論破できるのなら,私の職業や地位,あるいは
あなたの職業や地位に関係なく,あなたが正しい。
現に心理板では大学教員や臨床家が素人にどんどん論破され,
撤退しているではないか。でもあなたはそれが
できなかった。このことと私の職業等とは関係がない。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 06:33
「大学の先生だからといって言ってることが正しいとは限らない」なんて
いうふうに,私の主張の妥当性をここでの議論の外から低めようと
すると言うことは,少なくとも議論の中では自分が圧倒的に不利であることを
認めたことになっちゃうよ。164はもうちょっと骨のある奴だと思ってたよ。
ところで,
>君はオペラントの自発は自明と考え、行動を予測したり制御する方法を明ら>かにして患者の治療に役立てたいと考えている。
そんなこと全然考えてないよ。漏れは「生物の行動がなぜ決まるのか」という
ことに純粋に興味を持って,進化とオペラント条件づけの複合した
過程がどう働くかを考えているだけ。それが何の役に立つかは臨床家が
考えれば良いことだ。でも,現象についての妥当な説明は,かならず
妥当な予測や制御を生み出すとは思うから,漏れの考えていることが
正しいなら,きっと役に立つだろうね。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 06:41
>>98 あまり馬鹿馬鹿しいので一つだけでいいと思うが
>ニュートンは確かに万有引力の法則を数式で示したけれども、
>万有引力というものは 制御できる?
万有引力は制御できないが,物体の質量や距離から予測できる。
また,万有引力の考え方から物体の運動を予測したり,
制御したりできる。人工衛星はなぜ飛んでいる?
生物学者ってのはそんなことも知らないのか?
>君たちがよく引き合いに出す進化論で何かを予測したり制御できる?
ほんとに生物学者? ショウジョウバエや微生物などの適応的な変異は
すでに実験的に予測され,制御されてるよ。今後はもっと大きな
変異が予測されたり,制御されたりするようになるだろう。
ところで,君たちっていうけど,行動主義で進化をよく引き合いに
出すのは日本では漏れだけだと思うけどね(笑)。
いずれにせよ,いろんな発見は「予測や制御に役に立ってない」のでは
なくて,予測や制御に役に立っていることを164が知らないという
だけの話だ。
何を言ってるんだ。君の方こそ
>おそらくあなたの興味や,要求に応えてくれるのは
>宗教だけだろう。哲学はだめだろうな。
ということで、いつも私を貶めようとしているじゃないか。
>行動主義心理学は私が関心を
>持っていることを研究する分野ではないことがはっきりしたという感じ。
この発言は行動主義と語り合うのは私にとって意味がないから去る、と
いうことを表明しているんだよ。じゃ、な。
>ショウジョウバエや微生物などの適応的な変異は
>すでに実験的に予測され,制御されてるよ。今後はもっと大きな
>変異が予測されたり,制御されたりするようになるだろう。
え?笑 予測とか制御の用いている意味も違うのかも知れないね。
疲れるからもうやめておこうな。
なんで私が君についていきたくないかというと、
>宗教だけだろう。哲学はだめだろうな。
>超自然の力やオカルトな概念をいろいろ考案してきた。
>164はもうちょっと骨のある奴だと思ってたよ。
>あまり馬鹿馬鹿しいので
>生物学者ってのはそんなことも知らないのか?
こういう物言いで相手を暗に貶めようとする。しょっちゅうだ。
私は君の人間性が好きになれないんだよ。
宗教や哲学に答えを求めることが貶めることになるのか???
とゆー疑問はさておき(笑)
>>102
アポトーシスとネクローシスの区別もろくについてないと
思える相手を生物学者扱いするのは、生物屋さんに
あまりに失礼と思われ。。。(w
>>108 今の話題にアポトーシスやネクローシスがどう関連しているのだ?
君の方こそ、あまり知ったかぶりしない方がいいんじゃない?
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 10:55
>>107 164が相手を「大学の先生だからといって」みたいに
低めようとする内容は、ここでの議論とまったく関係がない。
いっぽう、164を「宗教だ」という人は、164がここで
科学というより宗教の領域の議論をしていることを
指摘しているのであって、議論の内容ときちんと関係している。
行動主義だろうと、脳科学だろうと、およそ科学と呼ばれるものは
164の疑問に答えることはないし、164が興味を持っているような
ことを問題にはしていない。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 11:16
だからもういいじゃん。あなたがたは生体の行動は内的要因を考慮せずとも、
環境情報をコントロールすることによって制御できると考えているん
でしょ。その方向で研究を進めてくださいよ。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 16:48
>内的要因を考慮せずとも、
>環境情報をコントロールすることによって制御できる
だからそれがあなたの(徹底的)行動主義に対する誤解なんだってば。
重視はしないが考慮は十分してるぞ。
意義のない、言葉遊びというのは、私のようなのをいうのであって、
「言葉遊び」をする者同士で、遊び続けていれば、それは「言葉遊び」に
とどまらない、事実上の影響を作り出してしまう面があるのではないですか?
言葉を聞いて、さしたる説得性も無いのに了解して行動する人間は、
大勢いるのですから。
そうであれば、遊びが節度ある範囲にとどまるように、ルールなり工夫なりを
しようとするのは、意義のあることだと思いますよ。
世の中には、沈黙しない人の方が多いのです。
決別ついでに話題振ってもいい?
行動主義と脳科学。どちらも人間の行動に科学のメスを
入れようとする営みである。
そのうち、行動主義には誤解と無理解を伴う
拒絶反応を示す人が少なくない。
しかし脳科学に関してはそうしたことは寡聞にして聞かない。
「脳が行動を制御する」という立場には専門的な知識が無くても
同意できるのに、「環境が行動を制御する」という立場には
よく知りもせずに誤った、危険な考えだというレッテルを貼ってしまう。
なぜ行動主義は脳科学と違って世間に素直に浸透できる素地を持たないのか。
行動科学の必要性と有用性を知らしめるためには何ができるか。
一般大衆に対してはどのような説明や教育が効果的か。
徹底的行動主義が脳科学と対等に認知され、手を取り合えるようになるには
これらのことを考えなければならないと思うのですがどうでしょう。
>>114 それはまるで「環境が行動を制御する」という立場がアプリオリに正しいと
いう前提に立った議論なのでは?
>>114 そうだ。114は第三者と言いながら徹底的行動主義側に立っているんじゃないの?
>>115 アプリオリどころか、そのように考えることが臨床場面などで
有用だった事例は経験的にいくらでも導かれているでしょ。
それをさらに繰り返して世に問うてみたいだけ。
>>116 そうですよ。でも第三者というのはただ単に新参者という意味で使っただけ。
自作自演やめろよー(笑)。何をどう書いたって
文体と用語法で誰だかわかっちゃうんだから。
>>114は,行動主義と脳科学はどちらも一定の
範囲で受け入れられている体系なのに,行動主義に
対してだけ異常な反発があるのはなぜか?
といってるんだろう?
漏れに言わせれば答えは簡単。脳科学(っていうか
脳に代表される「人間内の存在」が人間の行動を支配している
っていう考え方)は古くから人間が人間の行動を
説明してきたスキームと一致している,いっぽう
行動主義の主張はそうした「常識」や「伝承」と
対立している。だから行動主義にはしろうとほど反発する。
心理学者だって,学部生の頃から行動主義者って人は
少ないでしょう? 最初は違和感と反発を感じて,
きちんと勉強を進めて行くうちにだんだん理解できて,
そのすごさがわかるものでしょ。で,そこに至るまで
勉強する人はごく少ない。
ついでに補足させてもらうなら、私は115,116(=169?)のように
「脳が行動を制御する」という立場と
「環境が行動を制御する」という立場を
対立的には捉えていませんよ。むしろ相補完的なものと考えます。
ただ、互いに補い合えるようになるには両者が対等に認知され、
普及される必要があるだろうと考えるわけです。はい。
私の文体に癖がある? おかしいな、素直で分かりやすい文章と
言われているんだが。それ故に分かってしまうのか。
>最初は違和感と反発を感じて,
すごくよく分かるよ。私が学生時代だった1970年代に心理学に進んで
いたら、思いっきり失望してしたと思うよ。
>>118 ああ、なんかいいたいけれど言葉にできなかったことを
はっきり言ってもらった感じ。ありがとうございます。
ほんとにそうなんですよね。
そのことをふまえた上で114に書いたような問題に対する
生産的な解決法は何かないかなとずっと考えてるんです。
>>121 おーい,自作自演認めてるよー。
>思いっきり失望してたと思うよ。
まあそれから大学院に進んで,きちんと勉強していたら
その失望が驚きと期待に変わったかもね。
学部卒では心理学専攻でもなかなか行動主義の
入り口にも行けない。行動主義は自他ともに認める
「クロウトの心理学」だからね。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 18:34
当方、驚きと期待の真っ只中の学部生
たしかに道のりは長かった。一般人を導くための近道はないのか。
僕も
>>120に同意です。
脳を計測して、そのデータを基に洞察する種族から見れば、
いずれの立場も相補的であるべきだと思いますよ。
>>124 漏れは行動主義に目覚めてかれこれ十数年だが,
その時の驚き,世界が昨日までと全く違って見える
感じは今も忘れない。あれと同じくらいの感動は
高校1年の時に眼鏡を買って初めて見た鮮明な世界
くらいかな。その驚きや感動を忘れないことだ。
スキナーをきちんと勉強したらヴィトゲンシュタインも
読んでみな。もっと先へいけるぞ。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/24 09:43
宗教に目覚めた人も似たような感覚を持つらしいですね。
>>126
128 :
名無しさん@お腹いっぱい:01/10/24 12:33
漏れは精神分析に目覚めてかれこれ十数年だが,
その時の驚き,世界が昨日までと全く違って見える
感じは今も忘れない。あれと同じくらいの感動は
高校1年の時に眼鏡を買って初めて見た鮮明な世界
くらいかな。その驚きや感動を忘れないことだ。
フロイトをきちんと勉強したらラカンも
読んでみな。もっと先へいけるぞ。
一度はドグマにはまることのできない人は,
学者にはなれないYO。
164も断末魔ですね。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/24 22:30
っていうか,学問への出会いかたのパターンと,
その学問の妥当性や意義とは関係ないだろう。
たとえば
>>126,
>>128には行動主義や
精神分析ではなく「脳科学」だとか「流体物理」だとか,
どんな学問との出合いにでもあてはめることができるだろうけど,
(それにあてはまらないような「学問との出会い」は
むしろ不幸だろう?)そのことが,脳科学や流体物理が宗教だって
いう根拠になる?
>>164 >>126は単なる初学者へのオマージュでしょ。
ていうかおまんじゅって感じ
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 13:07
現象学が把握できた瞬間に眩暈を感じるという話を聞いたことがある。
そういえば認知言語学の山梨先生もそんなことをおっしゃっていたなぁ。
学問に「目覚めた」瞬間の離人的な体験をする学生は多そうだ。
誰か統計取らない?
>>114 なんで誤解と無理解を伴う拒絶反応が多いかっていうと、
やっぱし、スキナリアンはラジカルでアグレッシブな人が多かったので、
理解される前に、回避とか攻撃の類の情動反応が生起したのでわ?(笑)
とまぁ冗談はさておき、
>>120で言ってるように、
行動主義心理学と認知心理学と大脳生理学は、ヒトを理解する為には
どれも必要。。。ってゆーか、それぞれ相補的なものだと思う。
つまり、脳の機能局在や、その機能が発現するさいの分子生物学的メカニズム
は大脳生理屋さんの担当だけど、その機能の心理学的メカニズムは認知屋さん
の仕事で、お前らが言ってることは、行動的に環境と個体の相互作用で見ると
こーゆーことだぜっていうのが行動心理屋さんの担当。
これが全部満たされないと、その機能を理解したってことにはならないよね。
続く
135 :
名乗るほどのものでわ:01/10/25 13:59
続きです。
じゃあ、なんで流行り廃りがあるとはいえ、行動主義心理学って
対等に扱ってもらえないのっていうことだけど。。。
下世話なレベルに落としちゃうけど、
臨床的な応用を考えると、大脳生理学のレベルで何かわかってくれないと
対処(外科的にしろ薬理学的にしろ)のしようがないので、他のふたつは
おいといてもコッチをなんとかしてくれってことになるよね。
んで工学的な応用を考えると、仮説やモデルでいいから認知心理学のレベルで
何かないとどうにもこうにも困るから、ここ頑張ってやろうよってことになるでしょ。
じゃ、行動主義心理学はどうかってゆーところで、なかなか難しいのかなーと。。。
じゃね。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい:01/10/25 14:06
素朴で素人的な質問で恐縮なんですが、
行動主義の場合は、外界は実在してると
と言う、実在論の立場なのでしょうか?
レーニンの認識論における「反映−模写
説」は、行動主義的には、どの様な評価
が与えられますか?
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 15:13
>>135 大脳生理のレベルでからないと対処できない
臨床的な問題って,具体的にどんなものでしょう?
また,仮説やモデルはともかく,実際の
「工学的応用」の段階で,認知心理学と
行動主義心理学にどのような差があるでしょうか?
認知心理学も,方法論的には基本的に
行動主義であるし,その応用も行動主義的な枠組みに
おいてしかないと思うのですが?
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 16:15
>>137 絶対音感を持つ人間が音を聞いたときに、人によっては
「Cの音→青」のような「聴覚→視覚」の変換が行われることがある、
という証言を、真実と見なして説明するとき。
なんてのはどう?
>>136 こんな話題は心理板では放置されそうですが、
徹底的行動主義の立場からこの問題がどう考えられ得るかというのは面白いテーマだと思います。
ただ、ふだんはあまり考えたことのないテーマなんですよね。
実は以前、哲学板の「実在論についての調査」というスレで質問したことがあります。
優秀な人たちがいろいろと教えてくれて大変参考になりました。
過去ログ倉庫にあるはずなんだけど、
なぜか「ユーザー名とパスワードを入力せよ」と表示が出て入れなくなっていますが、
面白かったので個人的に保存しておいたものがありますので、読み返してみました。
とりあえず私としては、あえて実在論の立場を表明しなくても科学研究は成立すると素朴に考えていますが、
上記スレッドの諸賢によると、私自身は実在論者だと言ってよいらしいです。
ただし、素朴実在論かと思っていましたが、そうでもないようです。
また、レーニンの「反映−模写説」は存じませんが、
「写像説」か「構成説」かということでは、
どうやら「不完全写像説」=「不完全(再)構成説」という微妙な?立場のようです。
興味がおありでしたら、何とか過去ログ倉庫に潜入を試みて下さい。(笑)
なんなら該当レス部分をコピペしてもいいんだけど、コピペ荒らしに近いものになりそうなので。
伍長先生の書込み、久しぶりに見ました。
感動してます。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい:01/10/25 19:58
>>139 お答え頂きありがとうございました。
基本的には行動主義は、実在論的な立場だと感じら
れました。
それと「反映・模写」説に関しては、私自身も、ま
だ勉強不足なんですが、行動主義的な観点も含めて
レーニンの「唯物論と経験批判論」を、読んで行き
たいと思います。(勿論邦訳本ですが)
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 20:38
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/27 09:56
行動分析学にドクマティックな排他性があることは否めない。
しかし一度はそれにはまらないと完全な理解は難しい。
そこにはまれるかどうかという点でかなり人を選ぶ学問だと思う。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/27 12:15
age荒らしが沈めたかったスレ候補2
145 :
名無しさん@お腹いっぱい:01/10/29 17:02
>>136, 139, 141
これは刺激心理学の話。刺激があって、それが行動にどのような効果をもたらすか
という問いは、基本的には徹底的行動主義では意味がない。
徹底的行動主義では、行動に反映されない刺激はその人にとっては存在しないのと
同様であると考える。
146 :
名乗るほどのものでわ:01/10/30 00:00
>>145 行動に反映される・されないと言う場合の行動っていうのは、
どの範囲までが含まれると考えているの?
自発脳波・誘発電位等の中枢神経系の反応とか、
心電図・血流量・皮膚温等の自律神経系の反応は入らないと解釈してよい?
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/30 02:20
>>145 なんかズレたレスしてないか?
実在論がなんたらかんたらという話だろ。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい:01/10/30 15:00
人間の思考の源泉が、外界に存在すると言うのが実在論の立場でしょう。
これって、心は何処にあるかと言う問題とも近いんじゃないかな。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/30 23:16
「心」というあやふやで定義不可能な言葉の存在が心の理解を妨げる。
徹底的行動主義こそが言葉の呪縛を断ち切れる。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/31 08:08
>>149 スキナー学びはじめの学部生というところかな。
がんばれや。
でも「心という言葉の使用」も言語的随伴性の
産物。また,われわれが暮らしている言語コミュニティは
心という言葉の使用を含んでいる。
「言葉を追放しよう」というのは初学者の考えだと
スキナー先生もおっしゃっておるぞよ。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/31 18:27
実在論にもいろいろな種類があって,全て勉強途中ですが。
徹底的行動主義者は気付かなくとも実在論の立場に立って、心(個人と環境
との関係)について研究していた。
逆に認知科学、脳科学を進める人は、脳内の何らかの物質変化によって、
心(行動)が決定されるという唯脳論に立っていたと。
でもどっちかだけじゃなくて、お互い補完的なものだと認識されるように
なってきたのが最近のことである、ということでしょうか?
どっちが先に「心」を決定するか、といった論争は決着がつきそうもない
気もする反面、「相互作用」のように一言で片付けられるのも
なんだかなあと思ったりします。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/31 19:03
>>151 認知科学がみんな唯脳論なんてことはないだろ。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/10 03:27
「例の2人」にバトってもらうためのスレage
きのうのTBS「人間とは何だ3」を見た方、感想を聞かせてください。
どちらかというと唯脳論っぽい視点だったかな、という印象がありますが。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/18 17:46
>>154 そりゃ養老孟司が監修してるから基本的には唯脳論的視点だけど,
昨日の番組はむしろ唯脳論を超えて脳と脳の相互作用の重要性を
「共感」をキーワードに伝えようとしていたように見えたよ。
ちょっと構成に難があったが。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/19 00:31
知識人と言えば立花隆も唯脳論だよね。
何かの本で行動主義が終ったとも誤解してたし。
ああいう著名な人の中に一人くらい行動主義者がいればなぁ。
行動主義なんてとっくにおわってるじゃん
今さら行動主義なんて言葉を口にするだけでも恥ずかしい。
さっさと逝ってちょ。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/19 20:52
方法論的行動主義は科学的方法論の1つとして今でも現場で活躍してますが何か?
アフォースレ、唯脳論スレ、生成文法スレなどを転々とし、
はては「言語は生得的か」スレで見つけたと思った仲間にまで見捨てられて
またここに戻ってきた自縛霊がいるな・・・
操作的定義。
生物学的常識論。
同じ事をM御大にまで言われてるのに。
まだ分かってないのかな?
プ
>>160 ぎく(笑)
こちらの流れとあちらの流れは時間的にずれがあるだろう。
私だって少しずつ変わっていく。いまだ明示していなくとも、だ。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/22 03:18
,,,,,,,--'''''`''ー-
ri~ `_ ミヽ、
ミ ミ ̄ ̄ ̄ ヽ、ヽ
ミ / ヽ ヽ
ミ ミ ミi
ミ ┏.━.┓┏━┓ヽ、
ミシ┃ ==┣ | == レ^i i
レ ┗━┛┗━┛/
ヽヽ /、 ,ヽ イ i' / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
゙;` ' ー―- | ノ < 行動主義者たちよ
、l,ヽ| - // \ 無意味な論戦よりも実践をせよ
−i ヽ r‐ー' イヽ\ \
ヽ \ ノ /i `''ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ \_ ノ /
ヽ/\ノ\/
/ハ /
絶
対
に
効
く
薬
は
簡
単。
絶対といって絶対的に自爆するのが蟻地獄の正体だな。
タンバリ、オマル、ビンリンラ、便器氏。
《魔の寺小屋》
∇焦ってても、ゆっくり走っても同じなんだろうか?。
∇人が決めた、ある範囲の永久繰り返しな香りがする。
∇とりあえず意見と魔/~のcTンプルレベルで報告。
∇壁、魔が原因した~本位ゆえに魔論調が発生じうる。
∇金クレ的発想からの邪心の持続は地雷のようなもの。
∇一秒遅、十秒遅くし、すべて良い人間成果にはなる。
∇加減しないから加減してもらえない悪循環といえる。
∇《鳥かご》外にいる鳥たちは中に入ろうとするが、
(モンテーニュ)中にいる鳥は出ようともがいている。
仇敵が多いが、温いかごの中にいた連厨も、外へ出る
《過ぎたるは(及ばざるがごとし)》
善行は、お返しができると思われる限りは、快く受け取られる。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/23 12:16
age
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 19:20
>>160,161
M木先生のMLか。
「アフォーダンス」スレでみんなに言われていたことと全く同じことを
言われているじゃないか。
「生物学的常識論」は「心理学的常識論」でもあるな。
もっとも、2ちゃんのおかげで「操作的定義」を学習したから、
知らずに恥をかくことだけは避けられたわけだ。
感謝してますか?(笑)
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 22:24
>>156に問いたい(笑)
立花隆みたいな、とんでもオカルティストが、
行動主義者だったらいいと、本当に思っているのか、のか、のか?
いや、別に小一時間問い詰めたいとかわ思わんが(笑)
>>165 そのMLに、さきほどM木先生に対して反論を書いたからよく読んで
おいてくれたまえ。それから、私はあまりこちらとあちらを同列で
扱いたくない。ここで、あちらの話は控えてくれないか?
もちろん、あちらでもこちらの話は控えてほしいのだ。
>>167 相変わらず「自分のことを棚に上げて」だな。
「言語能力」スレで某爺さんに控えてくれと言われたのに、
控えてないじゃないか。
あっちの方がレベルも高いんだから、あっちに専念してくれたまえ。
邪魔はしないから。
控えているじゃないか(笑) 第三者としてのオブザーバーに徹しているつもり
だがね。
くだらないことで言い合いするのはよそうぜ。君もガキじゃないんだろう?ええ?
>>169 控えてないじゃないか,って
あなたちゃんと169に戻ってるよ(笑。
まあ心理板でも,生物板でも,某MLでも
基本的に同じことを言われるというのは
言う方の要因ではなく言われる方の要因に
有意な主効果がある,ってことだよね。
>>170 君は私の正体を知っているが、私は君の正体を知らない。これは不公平だろう?
なんだったら、あのMLでちゃんとメアドをさらして書いてくれよ。
それから生物板でも、私とやり合ったのはほとんどが心理板の連中であって、生物
板の連中ではないよ。生物板の連中の多くは現在は分子生物一辺倒で、あのような
議論に首を突っ込もうとする奴はいないのだ。
しかし、もしも生物板の人間がちゃんと読んでさえくれれば、私の味方になってくれた
はずと私は信じているよ。ただし、それでも私の主張は間違いなく主流派の生物学者の
考えとは異なっているがね。しかし、異なっているからこそ主張する意義があるのさ。
一方、MLの方は物理連中ばっかじゃないか。物理連中には私の主張の特異な点は
たぶんまだ気がついていないのだろう。それに、M木先生の本やI上先生の論文には
生物学者として批判したい点もある。機会があれば追々書いていくさ。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/25 00:00
オモイデあげ。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/09 00:36
これも名スレの1つと思うが。
さすがに旬を過ぎたか。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/09 14:30
だって出演者が全員2ちゃんから去ってしまったもん。
わたしは、すべての「経験」がなんらかの意味で脳に由来するという見解、
ことに、脳内で行われていると考えられるcomputationによりもたらされるという見解は、
すべてを説明するがゆえに、何も説明しないのではないかと疑った時期があったにゃ。
この逆理を克服するには、個々の脳内現象を具体的・数理的に記述していくことしかないにゃ。
要するに、自然界はあらゆる面で数的性質をもつという、
それじたいは証明されない仮説をもとに、自然科学が実証主義的に発展してきたのと同じにゃ。
ちょっと素朴だけどにゃ。
じつはわたしは、かなり古風な実証主義者で、
新カント派の巨人E・カッシーラの『実体概念から関数概念へ』(みすず)(だっけにゃ?)あたりに影響を受けてるにゃ。
抽象概念が「空疎」な概念になってしまうのでは?と悩んでいる方にはおすすめにゃ。
たしか相対性理論の発見以前に、それまでの数学・物理学の歴史をかんがみて、
絶対時空間が乗り越えられる可能性を予言した書にゃ。
要約くらいしたいところだけど、長くなるのでよすにゃ。
つまりは、ここでしめされている(構成主義的)「関数概念」による記述がないと、
唯脳論は空疎な抽象化になるというオハナシにゃ。
>>175 虚無好き先生、こちらでもこんにちは。
>脳内で行われていると考えられるcomputationによりもたらされるという見解は、
>すべてを説明するがゆえに、何も説明しないのではないかと疑った時期があったにゃ。
この疑問はむしろ、そのような客観的記述ではわれわれの主観的体験を
説明し尽くせない、と感じたせいではありますまいか。
>抽象概念が「空疎」な概念になってしまうのでは?と悩んでいる方にはおすすめにゃ。
うーん。いやむしろ、生物の恣意的な構造を「関数概念」で記述するのは意味がない
のではないか。これは悩んでいるというより、「関数概念」で記述する
ことをよし、とする考えに私は批判的なのですが。
>>175 面白そう、読んでみたいけど
哲学知らないDQNでも
わかんのかな…?
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/16 06:42
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/16 06:44
>>176 「関数概念」について。
つまりは、脳科学の立場であっても、インプット・アウトプットの「関数概念」を
用いなければ、空疎な抽象化になる、つまりは現存する有機体の行動の理解には繋が
らないということ何じゃないの。
そして、方法論的行動主義の立場をとる心理学でも、もちろんインプット・アウト
プットの「関数概念」を重視する(それが全てだとは言わない)。
つまり、脳科学・行動主義的心理学は、さんざん上で言われているように相補的な
もので、説明レベルが異なるということだけ。
それに対して、生物自発主義では、インプットの重要性は認めない。
209氏に聞きたいのだが、有機体の行動を理解するのに、インプットのパラメータは
「全く」考慮する必要がないと思ってるの?それとも、考慮しなくてもいい行動も
存在し、その部分に対する研究を行動主義では行っていないと批判したいだけなの?
前者であれば、その仮説はもう聞き飽きた。インプットのパラメータを考慮しない方
が有機体の行動をより理解できることを証明してくれ。後者であれば、現在の方法論的
行動主義を用いる心理学(徹底的行動主義だけでなくて)が扱っていない部分を補足
してくれ。もしその仮説が正しいのであれば。
いずれにせよ、話はもうついてるんじゃない?
また来た(笑)
>>179 >つまりは、脳科学の立場であっても、インプット・アウトプットの「関数概念」を
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>用いなければ、空疎な抽象化になる、つまりは現存する有機体の行動の理解には繋が
>らないということ何じゃないの。
私が想像するに、虚無好き先生の言いたいことはそうじゃないと思うな。
>>179 >209氏に聞きたいのだが、有機体の行動を理解するのに、インプットのパラメータは
>「全く」考慮する必要がないと思ってるの?それとも、考慮しなくてもいい行動も
>存在し、その部分に対する研究を行動主義では行っていないと批判したいだけなの?
これはね、インプットが有機体の行動を制御するのではなく、有機体の方が
インプットを選択する、またはインプットであるかどうかさえも選択すると考える。
だから、その部分に対する研究を行動主義では行っていないのではなく、
行動主義では行い得ないんだよ。
言い換えると、すべては有機体の外界である環境から考えるのではなく、
有機体から考える。外界が真に存在しているかどうか、ほんとうは我々
有機体にはけっして知ることはできない。外界があると思っているのは
すべて、有機体が、すなわち脳がそう解釈しているだけなんだよ。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/16 07:52
>インプットを選択する、またはインプットであるかどうかさえも選択すると考える。
>だから、その部分に対する研究を行動主義では行っていないのではなく、
>行動主義では行い得ないんだよ。
そうかなあ。刺激が感覚器から受容されて脳に到達してもなんら反応を
引き起こさないという現象も行動主義で議論し得ると思うけど。
レスポンデントを誘発する誘発刺激にせよ、
オペラントを喚起する弁別刺激にせよ、
行動の制御に関わる刺激がどのように選択的に受容されるかは
遮断化などの生理的状態や状況設定による確立操作のレベルに応じて
変わるものと考えれば十分環境レベルで検証可能なのでは。
182に関してはなんか卵が先か鶏が先かという議論に聞こえる。
>外界が真に存在しているかどうか、ほんとうは我々
>有機体にはけっして知ることはできない。
でもここは同意。
>>181、182
>インプットが有機体の行動を制御するのではなく、有機体の方が
>インプットを選択する、またはインプットであるかどうかさえも選択すると考える。
結局の所、209氏の「徹底的行動主義に限らず心理学全般は、有機体は刺激(インプット)
に対する受動的な存在であると考える」というバイアスを取り除かないことには話は
進まないみたいだな。
有機体は刺激に対する受動的、あるいは能動的な存在であるという主観による解釈を
止めて、「有機体は環境のなかに存在する」という事実をまずは前提にしてみては
いかが?
それから、「脳が解釈している」でも何でもいいけど、環境の重要性は認めるの?それとも
認めないの?
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/16 08:12
唯行動主義
思わぬところで議論をよんでるにゃ…
175は強引にハナシを終わらせてるので、ちょっとわたし的にも悔いの残るレスにゃ。
で、
>この疑問はむしろ、そのような客観的記述ではわれわれの主観的体験を
>説明し尽くせない、と感じたせいではありますまいか。
これはちょっと「心脳論」の文脈で深読みしすぎにゃ。
「すべてを説明するがゆえに、何も説明しない」とは、反証可能性についていってるにゃ。
たとえば「運命論的決定論」によれば、
あるひとがあるとき事故に遭ったのも、奇跡的に事故を免れたのも、運命で決定されていたと説明されるにゃ。
このような「説明」は、証明も反証も不可能であるし、
個別的な事象にいわば不必要な解釈をほどこすだけで、じつはなにものも予測しないのにゃ。
ところで、素朴な意味での唯脳論が、これと同様の反証不可能性に陥ることは容易に想像できるにゃ。
わたしの知覚も、わたしの意識も、「わたし」じしんも、結局わたしの脳であるというような見解は、
「事象の総体」すべてを説明するがゆえに、なにも説明しないのにゃ。
では、脳がセンスデータをベースに数理的処理を行ない、
客観世界を構成しているという、やや認知的な見解はどうだろうかにゃ?
じつは、一見科学的にみえるこの見解も、その一般化<そのもの>は、
素朴唯脳論と同じく、反証不可能だと思うにゃ。
ただ知覚されない不可視の「実体」と、脳に由来する仮想の、二本立ての議論になっただけにゃ。
すると結局この仮定も、運命論とおなじばかばかしい思い込みなのかにゃ?
で、ここで「関数概念」のハナシになるんだけどにゃ。
ちょっときょうはここでやめとくにゃ。
「唯脳論」が、主観的体験の記述にまでふみこんだものであるとすれば、
その「主観」が関数概念でなければならないと思うけどにゃ。
ひょっとして209先生は、固有の「このわたし」の話をしているのかにゃ?
だったら、わたしはお手上げだにゃ…
ちなみに関数には、インプットもアウトプットも不可欠にゃ。
ただし、これをただちにSR図式に結びつけるのは、混乱を招くにゃ。
難しい議論になってきたにゃ…
>>183>オペラントを喚起する弁別刺激にせよ、
弁別刺激がオペラントを喚起するようになるのは学習が成立した後のこと。
ではそもそも「最初に」フリーなオペラントを喚起するのはなにか?
私の考えでは、これは徹底的行動主義が予期していない問いだ。
>行動の制御に関わる刺激がどのように選択的に受容されるかは
>遮断化などの生理的状態や状況設定による確立操作のレベルに応じて
>変わるものと考えれば十分環境レベルで検証可能なのでは。
結局あなたは我々がこれから解明していくべき困難な問題の存在自体に
すら気がついていないものと思われる。行動主義がその問題から目を
逸らさせているとしたら不幸なことだ。行動主義から少し離れた文献に
接するのを勧めるよ。
>>184なにも心理学全般がそうだとは思っていない。一番の根っこは(徹底的)
行動主義にあると思っている。あなたにも
>>183と同じレスを返しておくよ。
>>186>「唯脳論」が、主観的体験の記述にまでふみこんだものであるとすれば、
>その「主観」が関数概念でなければならないと思うけどにゃ。
「唯脳論」の現状がどうあれ、いずれは主観的体験の記述まで進まなければ
ならないと思うけれども、
>ちなみに関数には、インプットもアウトプットも不可欠にゃ。
ここでインプットはどのように定義されるのか。感覚入力に限定するのか、
経験によって蓄積された記憶まで含めるのか、あるいは生得的に形成された
神経ネットワーク構造に保存された生得的知識まで含めるのか。後者まで
含めるなら、その知識はこの36億年間に生まれては死んでいった数限りない
「個体」のレベルにおいてインプットと言っていいのかどうか。進化の過程で
形作られた生物の身体の構造自体に情報が蓄えられていると考えるなら、
いったいそのような関数を構築することにどれほどの価値があるのか。
>>186>ちなみに関数には、インプットもアウトプットも不可欠にゃ。
>ただし、これをただちにSR図式に結びつけるのは、混乱を招くにゃ。
確かにその通りだと思います。なのでちょっと補足をします。
まず関数を、「2つの変数XとYがある時に、Xが定まるとそれに対応してYが定まる
時の対応関係」と定義します。Xがインプットであり、Yがアウトプットです。
そして有機体内の行動に関する関数は、生得的に備わっているものと学習により獲得される
ものの2種類があります。
行動主義の枠組みで考えると、この学習には2種類あり、それぞれレスポンデント条件づけ
とオペラント条件づけに対応します。
行動主義では、この関数関係に含まれる、刺激と反応の「観察可能なレベル」を扱い、
脳科学等は別のレベルを扱います。
あと、ここが誤解の多い所なんですが、刺激というのは、別にブザーとかライトとか
そういうものに限定されません。ここでは刺激を「受容器を通して有機体に影響を与える、
有機体内・外のエネルギーの変化」と定義します。
そして行動主義は、SRとかSRSとか物事を非常に単純化していると批判されますが、
上記の関数関係について、以下のようなことも考えています。
@インプット・アウトプットが非常に多様、複雑
もちろん、全てのインプット・アウトプットが現在特定されているとは考えていません。
あるいは、現在特定されていると考えられているインプット・アウトプットも、実はもっと
複雑なものかもしれないと考えています。そしてこのインプット・アウトプットの関数の
予測の精度を上げることに努めています。
A複数の関数が連鎖している
1つの関数だけで、あるインプット、アウトプットの関係が説明できるとは考えていません。
複数の関数が連鎖し、ある関数のアウトプットが別の関数のインプットになっているという
ことも考慮しています。
Bインプットなしの関数
これは私個人の考えなのですが、インプットパラメータで何も渡されなくてもある関数
がコールされるということはあると思います。フリーオペラントと呼ばれているものです。
そのコールはランダムにコントロールされていると考えられています。このことを生物自発
主義が行動主義とは別のレベルで研究を行い、「あるニューロンがランダムに自発発火する
のが原因です」と証明してくれることを私は期待しています。
もちろん、行動主義でも、@のように現在はフリーオペラントと考えているもののインプット
パラメータを、少しでも解明しようという動きはあります。でも、全てのパラメータが解明
され、フリーオペラントと呼ばれるものが無くなることはないと私は考えます。
以上のことを踏まえて、私は行動主義=関数関係と考えています。
上のレスと同じ口調で。
>>187>ではそもそも「最初に」フリーなオペラントを喚起するのはなにか?
>私の考えでは、これは徹底的行動主義が予期していない問いだ。
上でも書きましたが、ランダムであることを証明して下さい。
>なにも心理学全般がそうだとは思っていない。一番の根っこは(徹底的)
>行動主義にあると思っている。
また同じ展開になりそうなので、1つだけ確認させて下さい。
環境の重要性についてどう考えているのですか?生物自発主義だけで、有機体のあらゆる
行動を理解できると考えているのですか?
なぁなぁ生物自発主義って誰が言い出したの? 164である私?
179先生、洗練された行動主義のアウトラインありがとにゃ。
レスポンデントとオペラントの区別は、「メンドクセェスレ」みてもよくわかんないけどにゃ。
で、
>ここでインプットはどのように定義されるのか
これは、関数の定義と同義だと思うけど、つまりはプラグマティックな問いになると思うにゃ。
もし環境要因がアウトプットに影響されないというのなら、
それを表象する項を定数にするか、定式から除外すればいいだけの話にゃ。
ミサイルの弾道計算に、太陽・月の引力や、あるいは一般相対性原理の効果を考慮するのか、
みたいな問題にゃ。わたしは<概念構成>の話をしているわけにゃ。
ところで、「関数概念」については、なにかしら誤解があるみたいなので、
わたしが
>>186を書き込んだとき、ボツにした文章をあえて出すにゃ。
これを見れば、関数概念がつまりは自然科学的概念であり、ことさら行動主義的ではないことがわかると思うにゃ。
個々の色を個別に解釈して、たとえば青は青いものの集合一般の属性であり(トートロジーだけどにゃ)、
赤はやはりまた別の属性である、というような分析、
すなわち色の個別的・実体的な考察に徹する限り、色一般の正体にはけっして迫れないにゃ。
ところで「関係概念」とは、個別概念を、
ある関数、あるいは「産出規則」に従って構成された「値」としてみなおしたものにゃ。
そしてこの考え方は、まさに<構成的>であるがゆえに、空疎な抽象化を免れるのにゃ。
つまり、普遍のほうから、具体的個物を再構成することができるというわけにゃ。
(古典的普遍概念では、個物の特殊性をたんに捨象するだけなので、
上位の抽象概念ほど属性の乏しい空疎なものとなっていたのにゃ。)
で、
「関数概念」であるところの「色」はどう規定されるかというと、
物理的には、単純な変数である(量子論はムシ)可視スペクトルの、特定の部位が吸収されたものと考えられるにゃ。
そして、結局は知覚とは独立に、物質の電磁波(光子)の吸収特性の分布として規定されるのにゃ。
いっぽう「色の知覚」は、単純化すれば、3種の錐体細胞の反応を変数とする3次元分布
{p、q、r }(ただし0≦p、q、r≦1)に写像できると考えられるにゃ。だいたいにゃ。
(V4野とかの補正については、つっこまんといてにゃ。その補正に関しても、関数化可能にゃ。)
これによってなにがわかるかというと、赤、白、黄色、みたいな個別に考察されていた色概念が、
ひとつの関数的分布のなかに<定位>され、その個別性がみかけ上のものであることが解明されることだにゃ。
そしてなにより、このような自然科学にのっとった数理的合理性は、反証可能であり、
なにもかも説明する一般原理ではないということにゃ。
わたしは個々の知覚に対する関数的アプローチは、意味があると思っているにゃ。
そしてこれらを総合すれば、究極的には、心理現象を含めた世界概念が関数的なものになるかもしれないけどにゃ。
そのときには、「唯脳論」は、たいして興味をひかない議論になっているかもしれないにゃ。
長文・悪文スマソにゃ。
いちぶ「関数概念」が、「関係概念」になってるにゃ。
虚無好き先生にならって、私もコテハンを使用しますね。ミルク=209です。
>>179実は先ほど物理学の資料を読んでちょっとショックを受けたので、生物自発主義も
いったん取り下げた方がいいかな、と思い出したところなのですが、現時点で譲れない
点だけ書いておきます。
1.有機体が活動を開始するには必ずしもインプットは必要ではないし、アウトプット
されるとも限らない。また、刺激Sは環境に無限にあるが、有機体がどのSを受容
するかを外部から知ることはできない。したがって我々の活動のシーケンスはSORではなく
ORSとみなすべきである。
アフォーダンス理論では椅子は座ることをアフォードしていると言うが、椅子で
人を殴ったり、薪の材料にできるのはなぜか、という問いにアフォーダンス理論は
答えることができない。椅子にはさまざまな属性があり、それらの属性の全体が椅子の
Sを構成するが、我々は常にそれらすべてのSを受容しているわけでも、ある適当な
高さの平面があるという椅子の属性に相当するSのみを受容しているのはなく、
人を殴る時にはある程度の重さがあり固いという椅子の属性を、薪にする時には
燃やせる材料が含まれているという椅子の属性を、我々はその都度恣意的に組み
合わせているのである。どの属性が組み合わされるかはその時の環境の文脈に
ある程度規定されるとはいえ、本来外部からは知ることのできない事柄である。
2.自発性の起源はランダムとは限らない。
私は化学反応の連鎖の継続をもって生命の誕生(DNAの出現が生命の誕生ではない)
と考えているけれども、それは物理化学法則より上のレベルの秩序の出現であり、
その活動がランダムかどうかはまだ分からない。さらに、仮にランダムであったと
しても多細胞生物となった時には細胞間の相互作用により厳格な制御を受けている
だろう(ランダムを証明せよ、というのは行動主義から見た要求に過ぎない)。
>>虚無好き先生
>わたしは個々の知覚に対する関数的アプローチは、意味があると思っているにゃ。
私は以上からインプットとアウトプットの間に有機体が介在しているのではない
(つまりSORではなくORS)と考えているので、仮に譲って、インプットの
処理はそれで説明できても、Oによるアウトプットにまで関数概念が適用できるの
だろうか。
>>192>ところで、「関数概念」については、なにかしら誤解があるみたいなので、
>わたしが
>>186を書き込んだとき、ボツにした文章をあえて出すにゃ。
>これを見れば、関数概念がつまりは自然科学的概念であり、ことさら行動主義的
>ではないことがわかると思うにゃ。
非常に分かりやすいご説明ありがとうございます。
どうも、
>>189の「行動主義=関数関係」というフレーズが問題であっただろうこと
が分かりました。私が書きたかったのは、「行動主義は関数概念との親和性が高い」
ということでした。確かに「=」は問題かと思われます。失礼しました。
>レスポンデントとオペラントの区別
簡単に、なるべく分かりやすく説明します。
まず、反応には特定の刺激に「誘発(elicit)」されるものがあります。犬の口の中に
食べ物(刺激)をほりこむと、唾液の分泌(反応)が起こります。この刺激と反応の
関係を「反射」といいます。これはレスポンデントでもオペラントでもありません。
次に、食べ物を掘り込む前に、ベルの音(刺激)をいつも鳴らすようにすると(対提示)、
ベルの音が唾液の分泌を誘発するようになります。「条件反射」と呼ばれている
ものです。このように、反応を誘発しなかった刺激と反応を誘発する刺激を対提示
した結果、反応を誘発しなかった刺激も「同じような」反応を誘発するようになること
をレスポンデント条件づけといいます。
一方、オペラント条件づけとは、特定の誘発刺激を持たない反応(フリーオペラント
反応)が、生じた直後の「結果」により、将来の生起頻度が上昇/下降することを言い
ます。例えば、レバーが着いている箱の中に水の遮断化を受けている(喉が乾いている)
ネズミを入れた所、そこらじゅうを歩き回ったり、いろんな反応をランダムに示します
(フリーオペラント反応)。そして、なんらかの拍子でそのレバーを押してみたとします。
すると、実験者が直ちにそのネズミに水(結果)を与えるとすると、将来そのネズミが
レバーを押す頻度が高まります。このように、反応に結果を「随伴」させ、その反応の
将来の生起頻度が上昇することを「強化」、下降することを「弱化(=罰)」といいます。
さらに、今まではレバーを押せばいつでも水を与えていたのを、今度はライトがついて
いる時だけ水を与え、ついていない時には水を与えなかったとします。すると、ネズミは
ライトが着いている時のみレバーを押し、ライトが消えている時はレバーを押さなくなり
ます。この時のライトを「弁別刺激」といいます。
やっぱり長くなってしまいました。すいません。
>>194>したがって我々の活動のシーケンスはSORではなくORSとみなすべきである。
そういう単純化は、得てして誤解を生みやすいのであまり使いたくないのですが、
こんな用語はありませんが、レスポンデントに関してはSOR、オペラントに関して
はSORSあたりがいいんじゃないかと思います。
>アフォーダンス理論では椅子は座ることをアフォードしていると言うが、椅子で
>人を殴ったり、薪の材料にできるのはなぜか、という問いにアフォーダンス理論は
>答えることができない。
その問いに対するアフォーダンス理論による説明は、「アフォーダンススレ」で
なされていたと記憶しています。
>どの属性が組み合わされるかはその時の環境の文脈にある程度規定されるとはいえ、
>本来外部からは知ることのできない事柄である。
環境の文脈による説明の、精度・適応範囲の問題はありますが、「本来外部からは
知ることのできない」というのは違うと思います。
ネズミが水を見た時に、それを飲むか、それともそれで水浴びをするかを、観察
可能なものだけで説明すると、以下のようになります。もちろん、仮定の例です。
まず、そのネズミに「水を飲む」「水浴びをする」という行動レパートリーがある
かどうかが重要です。レパートリーにない行動は生じませんので。
(続き)
次は、そのネズミが水の遮断化を受けているのかいないのか、そのネズミの体温が
高いのかそうでないのか(体温が高いと水浴びをすると想定して)を考慮します。
これを「確立操作」といいます。そしてこの水の遮断化と体温の相対的な関係で、
どちらの行動が生じるかが決定されます。もちろん、他の変数も可能性としては
残りますが、ここではそれはないものと仮定します。
要は、水は、ネズミが水を飲むことも水浴びをすることもアフォードしているが
(アフォーダンス流に言えば)、そのどちらの行動が生じるかは、観察可能な要因
により説明可能である(少なくとも多い)、ということです。
誤解のないように説明すると、行動主義は、有機体外の要因「だけ」で全てを理解
しようとは考えていません。有機体内・外の観察可能な要因をインプットパラメータ
として、アウトプットである行動の理解をしようとしているだけです。
>ランダムを証明せよ、というのは行動主義から見た要求に過ぎない
別に証明しろと言っている訳ではありません。現在、徹底的行動主義が「ランダムで
ある」と説明しているフリーオペラントが、別のレベルから研究され、「ランダムで
ある」と証明されたら、それは有機体の行動の理解が進んだことになるのでいいことだ
というだけのことです。
>>179>>196くらいの説明なら虚無好き先生も私も知ってるって。私もラットの
オペラント条件づけをやってたしね。
>>197 >>198アフォーダンススレでの説明では私はまったく納得しなかったんだよ。
全体の回答を拝見して、私に言わせればあなたは問題の存在にまったく
気がついていない。まだ学部生くらいだろうけど、もう少し視野を
広げてください。
>>192>レスポンデントとオペラントの区別は、「メンドクセェスレ」みてもよくわかんないけどにゃ。
これを冗談として書いていたのなら、長々とご存知のことを書いて失礼しました。
>>199>>196くらいの説明なら虚無好き先生も私も知ってるって。私もラットの
オペラント条件づけをやってたしね。
あなたが間違った行動主義の知識を持っていることは存じ上げております。
>全体の回答を拝見して、私に言わせればあなたは問題の存在にまったく
>気がついていない。まだ学部生くらいだろうけど、もう少し視野を
>広げてください。
誰にどれだけ説明されても、「説明レベルが違う」ということが全く理解できない
ようですね。それがあなたの問題です。
心理学についての正確な知識を身に付けて、もう少し視野を広げてください。
なんなら、学部に入り直して。
>>200あはは、いや、煽るつもりじゃなかったのだが。
だいたいスレタイトルからしておかしいよね。
「説明のレベル」ね。いずれにしても、私は行動主義の説明レベルでは
満足できない。これでいいかな?
>>201200は私も別に煽っている訳ではないんですけどね。
「説明レベルが違う」ということが全く理解できない、というのをもう少し
補足すると、「ORS」の枠組みで考えると、生物自発主義(オカルトになって
しまう可能性あり)の方向に行ってしまうか、既存の知識を別の立場から説明
する、のどちらかにいくことになる。ただし、生物自発主義は取り下げたという
ことなので、後者に行くことになるので、それは別のレベルで説明を行うことに
なる、ということ。
なぜ既存の知識を別の立場から説明することになるのかというと、「脳が行動をドラ
イブ」していようがなんだろうが、脳が外界からの情報を一切使用せずに行動を行う
よう命令を下すことは考えにくい。もしそのような構造の脳を持っている種が存在する
と仮定するとすると、到底そのような種が環境に適応し、生存していくことが可能だと
は考えにくい。故に、脳が行動を行うよう命令を下す際は、環境とのインターアクション
が不可欠。結局の所、どのようなレベルの説明を行おうと、インプットである刺激(有機
体がそれを選択しているとしても)とアウトプットである行動を通らないで説明すること
は困難というか無理(フリーオペラントなどの若干の例外を除く)。
「説明レベルが違うことが理解できない」はそういうこと。
>脳が外界からの情報を一切使用せずに行動を行うよう命令を下すことは考えにくい。
外界からではなく、生得的に神経ネットワークに情報が埋め込まれている
としたらどうです?
あ、それから生物自発主義はまだ取り下げたわけじゃありませんよ(笑)
そうだ、哲学者ジョン・サールの「中国語の部屋」の思考実験はどう思います?
>>196無条件反射もレスポンデント行動だ。
無条件反射による反応は生得的なレスポンデント。
条件反射による反応は習得的なレスポンデント。
『行動理論への招待』佐藤方哉(大修館書店)でも読め!
むにゃむにゃ。
ミルク先生は、わたしが「概念構成」の話をしていることがまだわかってないにゃ…
>ところで「関係概念」とは、個別概念を、
>ある関数、あるいは「産出規則」に従って構成された「値」としてみなおしたものにゃ。
とは、アウトプットが「概念」であることをいっているのにゃ。
そして自然科学の生産性、あるいは関数概念のすぐれて生産的な特長とは、
この新しく構成された「概念」、たとえば色概念が、もはや通俗的なものでなくなり、
ふつうは想定しえない「色」である(ともいえる)、電磁波の不可視領域にまで拡張されうるところにあるのにゃ。
必ずしも自然科学史にのっとった議論ではないけれども、当面はこれでいいにゃ。
科学とは、けっきょく関数概念によるモデル論であり、
必ずしもその概念の実在性を問うものではなく、(「質点」のハナシはもうしたにゃ。)
人為的変数と、(演算上無視しうる因子や決定的因子を表象する)定数を媒介として、実際には測定されていない現象、
あるいは仮想上の現象
(たとえば太陽系の任意の位置に置かれた天体の軌道とか)の予測・説明可能性によって真価を問われるのにゃ。
この議論がミルク先生には、「生命現象」の本質的否定に聞こえるのは承知してるにゃ。
しかし、わたしは、ここで生命現象の決定論を問題にしているわけではないのにゃ。
ま、いいにゃ…
まあ、議論の流れからいって、これいじょう突っ込まないにゃ。
179先生、レスポンデントとオペラントの区別の話ありがとにゃ。
わたしは、ミルク先生の思うほど物知りじゃないにゃ。行動主義にはうといと、どっかで書いたはずにゃ。
それでもひとこと言っとくと、
行動主義は、システム論としては非常に理論装置が簡潔なために、
妥当性からみると、あまりに広範囲な現象を説明してしまう可能性があるにゃ。
わたしにはいま、それが心理学としての行動主義に好ましいことかどうか、よくわからないにゃ。
それはたとえば、国家有機体論みたいな議論にゃ。
9/11テロは、米国にとって刺激であり、報復行動は予測された反応ともいえるにゃ。
国家が「学習」するとはふつういわないけど、外交政策の変化は国際情勢からの関数ともとれるにゃ。
そして実際、政治学・経済学は行動主義的見解をとっているともみられるにゃ。とくに消費行動とかにゃ。
結局、脱線したにゃ。
ま、いいにゃ。次はちゃんと心脳論の話をするにゃ。
ちなみに、「中国語の部屋」の議論より、
わたしの提出した「掛け算をする、壊れたブラックボックス」の話のほうが示唆的にゃ。じゃにゃ。
>>205 虚無好き先生
先生のおっしゃる「関数概念」は、最近のNature論文
http://www.natureasia.com/japan/nature/hottopics/motan/index.htmlのような研究方向を指しているものと思います。
一方、私はあくまで脳へのインプット(入力刺激)とアウトプット(行動や、脳内
事象に限ると「思いつき」のようなもの)に限定して話していたに過ぎません。この
場合に、環境から脳へのインプットは事実上無限にあってその中からどのインプットを
受容するかは脳が取捨選択するのであり、アウトプットするかどうかも脳が決めるのだ。
したがって、われわれの行うこと、行動や思考はすべて、有機体=脳から始まるシーケンス
で考えるべきだと主張しているだけです。
「中国語の部屋」は虚無好き先生が言語学の先生であることから連想したのですが、
先生の提出した「掛け算をする、壊れたブラックボックス」の話は残念ながら覚えが
ありませんので再度お話ししていただけるとありがたいです。
ログインできないにゃ…
>>207natureのサーバーは時々不具合を起こすのですが、今はどうです?
念のため、日本語要約はこんな感じ。
Scaling effects in caudal fin propulsion and the speed of ichthyosaurs
Nature 415, 309 - 312 (2002)
Japanese summary (日本語要約)
進化:魚竜類の尾びれの推進力と遊泳速度に見られるスケーリング効果
系統の異なる4群の大洋回遊性大型脊椎動物(マグロ類、クジラ類、ネズミザメ類、
小骨盤類の魚竜類)は、マグロ型(thunniform)の体形を進化させた。おそらく、
周囲の水流から受ける厳しい物理的な制約が、進化における収斂を示すこのような
例を生み出したのだろう。本稿では、こうした制約を特定して定量化するための、
遊泳動力学および流体力学を取り込んだ数理モデルを提示し、実験データでこの
モデルを検証する。検証により、大型回遊脊椎動物では形態、運動、生理が実際に
密接に相関して変化することが、定量的に明らかになる。このモデルによって、
外寸測定から最適な遊泳速度を算出することが可能になり、また、マグロ型遊泳
動物に典型的な幅広の尾びれが、大型回遊動物に必要なものであるという予測も
できる。この知見は、マグロ型の尾びれが選択されたのは尾びれの縦横比が大きく
なって推進効率が上がったためだとする、どちらかといえば目的論的な通説とは
相入れないものである。本稿では計算をもとに、ジュラ紀魚竜類であるステノ
プテリギウス(Stenopterygius)の最適回遊速度および基礎代謝率が、現生マグロ
類のものに近かった可能性が大きいことも示す。
今更のレスですいません。
>>203>脳が外界からの情報を一切使用せずに行動を行うよう命令を下すことは考えにくい。
>外界からではなく、生得的に神経ネットワークに情報が埋め込まれている
>としたらどうです?
有機体内に生得的に備わっているものは、情報ではなく、特定の情報に対する処理機能
かと思われ。そもそも、情報だけが備わっていても、それに対する処理機能が備わって
いなければなんら有機体の生存に有利に働かない。
それから
>>206を読むと、結局外界からの刺激があることを前提に話を進めているように
見える。ようやく、外部環境の刺激が重要だということを認めたと考えてよい?
>そうだ、哲学者ジョン・サールの「中国語の部屋」の思考実験はどう思います?
「説明レベルの違い」ということに尽きる。有機体が「理解」しているかどうかを、
インプット・アウトプットを考慮することなしにどのように説明できるのかを知り
たい。それより何よりも、「理解」とはどう操作的に定義されるのか気になる。
>>204>無条件反射もレスポンデント行動だ。
>無条件反射による反応は生得的なレスポンデント。
>条件反射による反応は習得的なレスポンデント。
私の説明した所についてのレスなので、しょうがないから説明する。
まず、レスポンデント条件づけを考慮しない、反射のみの説明の所で、反射反応を
「レスポンデント反応」と呼ぶことはない。
それから佐藤先生の定義では、「レスポンデント反応」の中に、「条件反応」・
「無条件反応」の両方を入れる。しかし、「条件反応」のみを「レスポンデント
反応」とする研究者もいる。
重要なことはは、誰がどのように定義しているかという事ではなく、どちらの定義
が適切かということ。
私は、
・「無条件反応」は「レスポンデント条件づけ」により成立するわけではない
・手続きレベルで両者は異なる(両反応は異なる刺激により誘発される)
・「条件反応」と「無条件反応」は全く異なる場合もある
という理由により、混乱を招きやすい「レスポンデント反応」=「条件反応」+
「無条件反応」という定義には反対。
以上。これ以上のレスはいらない。
>>205(虚無好き先生)
時間が無くなってしまったので、宿題にさせて下さい。
>>209>有機体内に生得的に備わっているものは、情報ではなく、特定の情報に対する処理機能
>かと思われ。そもそも、情報だけが備わっていても、それに対する処理機能が備わって
>いなければなんら有機体の生存に有利に働かない。
これはレトリックの違いに過ぎないのかも知れないが・・・。生物の身体構造は遺伝的に、
つまり生得的に備わっているというのには同意するよね? 眼球には三種類の錐体細胞が
あって、これが色彩の弁別に寄与している。ヒトの五本の指のうち、親指は他の四本の
指と対面する具合に動かすことができる構造になっている。これは明らかに細い棒を
持つのに適した構造だ。この構造に情報や機能が蓄えられている、と私は言えると思う
んだよ。「言語能力は生得的か」スレの
>>588以降のカキコも読んで考えてくれないかな。
>それから
>>206を読むと、結局外界からの刺激があることを前提に話を進めているように
>見える。ようやく、外部環境の刺激が重要だということを認めたと考えてよい?
あれは外界に存在する刺激の場合についてのみ述べたもの。その場合でもSORではなく
ORSのシーケンスで考えるべきであることを私ははっきりと言ってるね。さらには
内部から生じる動機づけや、そもそも動物はじっとしておれない、など内部の原因に
よってわれわれは突き動かされることが多々あるよね。
いずれにしても、やはりあなたの見方は一面的で、行動主義に洗脳されているように
私には思える。今すぐに思いつく本として、ラマチャンドラン「脳のなかの幽霊」(角川)、
苧阪直行「心と脳の科学」(岩波)、茂木健一郎「心を生み出す脳のシステム」(NHK)
などを読んでご覧よ。(徹底的)行動主義は今となっては過去の遺物、現代の脳科学者に
とって行動主義にみるべきものは何もない、と感じていることが分かると思う・・・
虚無好き :01/11/23 05:30
【2】ブラックボックスの一般問題
これは生物板の繰り返しになるにゃ。
ある演算を行なうブラックボックスの演算プロセスをいかに知りうるか、という問題にゃ。
xとyを入力して、掛け算x*yを行なうデヴァイスがあったとするにゃ。
その掛け算プログラムとして次のような可能性があるにゃ。
1)yをカウンタとして、ゼロにxをy回足して、毎回、計算結果を出力する
2)すでに可能な計算結果は、九九の表のようにデータテーブルにあらかじめ置き、
(x,y)を座標とみなして答を検索し、出力する
3)新しい出題については、1)と同じく計算し、答は検索可能なように格納する。
同じ問題がでたときには、格納されたデータから出力する
ところでシステムは一般に一部が損傷する可能性があり、また
このようなシステムはエネルギーを消費するので、供給エネルギーを減らし、
意図的に誤作動させることも可能にゃ。そして、
もし一度目の掛け算は正答するのに、二度目以降かならず誤るばあい、
3)のプログラムで、メモリ機能が損壊したと推定されるにゃ。
また、x<5、y<8のとき、必ず誤答するとすれば、
2)のデータテーブルの一部が損傷していると考えられるにゃ。
このように、システムの演算プロセスの推測については、
システムじたいが不完全なときのほうが、より興味深い振る舞いを観測できるのにゃ。
言語のばあいは、ずばり言語習得中の幼児、および失語症の患者の発話だにゃ。
きょうは、「ぶっちゃけた」話をするにゃ。
わたしがなぜ「唯脳論」的見解に興味をもったかのハナシにゃ。個人的なものにゃ。
わたしは数年前まで、かなりの睡眠障害に悩んでおり、いわゆる「金縛り」もしばしば経験したにゃ。
なぜわたしがオカルティストにならなかったか不思議なくらいにゃ。
ま、ここではオカルト的内容にはふれないにゃ。
ここでは、身体のいちぶが、
「強靭な意志力」によって動かすことができるようになったとこのことを話すにゃ。
(わたしの金縛りは、だいたい覚醒プロセスが正常に作動しなかったときに起こるにゃ。立ち上げ失敗にゃ。)
まず、首から上が自由になったときの話にゃ。
あるとき首が左右に動かせたのにゃ。首をねじったときの筋肉の緊張感、その他三半規管の平衡感覚なんかも、
「わたしが首をねじっている」という「事実」を、覚醒時と同じように伝えていたのにゃ。
つまり動いているのはわたしの「首」であり、周りの世界ではないという情報にゃ。
じっさいわたしははげしく首を左右にふっていたはずなのにゃ。
ところが、わたしはそのとき目を開いており、
わたしの視野は、眼の表面に張り付いているように感じたのにゃ。
もちろん見えていたものは、ベッド上の頭部の位置からみた部屋の情景にゃ。
どうやら、後から考えれば、眼を開けたまま金縛りに陥ったらしいのだけどにゃ。(ブキミにゃ。)
なんとも、ぞっとしないハナシにゃ。
これだけじゃないにゃ。
もうひとつの例は、腕が動かせたときのハナシにゃ。
わたしはかねてから、金縛りの最中に腕が動かせたなら、なにか腕でやってみようと思ってたにゃ。
さてその機会が訪れたので、わたしは脇の壁をどんどんと叩いたのにゃ。
その音も、こぶしの触覚も、腕を振り回しているときの筋肉の内感も、やはりすべて覚醒時とおなじにゃ。
ところが正常に覚醒してみると、わたしが動いた形跡はなにもないのにゃ。
わたしの腕はあるべき位置にあり、掛け布団が乱れていたわけでもないのにゃ。
これらの異常感覚は、本人にしかわかんないけどにゃ。
そもそもすべて「夢」とかたづけられてしかたのないことにゃ。
しかしわたしからすれば、環境が主観によって構成される可能性を大いに示したものにゃ。
「金縛り」の生理学的説明はよく知っているので、解釈は不要にゃ。
以上、与太話でしたにゃ。
なんでみんなサゲ進行なのかにゃ?くだらないハナシをするとき困るにゃ!
>>208興味はあるんだけどにゃ。またあらためてにゃ。
>>213の問題はなにをおっしゃりたいのか、私にはよく分からないけれども、
いずれにしても、この問題を考える場合に行動主義はなんの力も持たないこと
だけははっきりしているね。
>>214私自身は金縛りの経験がないんだけれど、この現象は神経系には覚醒する順番が
あることを示唆しているのだと思う。感覚系だけが目覚めた時には身体は動かせ
ないと感じる。これがつまり金縛り。さらに中枢神経系の中で運動系が目覚めても
筋肉まで至る末梢神経系が目覚めるまでにはさらに時間がかかる、ということなんだ
と思います。
私はわれわれは脳で世界を解釈しているに過ぎず、世界が実際はどんな状況にあるのか、
そもそも外界は存在するのかどうかすら知ることはできないと思うけれども、それでも
唯物論者であり得ているのは、上のnature論文を挙げるまでもなく環境の媒体(水や
空気)の性質と、生物の身体構造(魚は水の強い抵抗や粘性をかわして移動するために
流線型の形状をしているなど)との間のミステリアスな符合は外界が実在することを
強く示唆していると考えるから。
にゃにゃにゃ。
議論の意味がわからないのに、行動主義はなんの力もないと決めつけるのは飛ばしすぎにゃ。
この「ブラックボックスの議論」の初出のときは、
理解してくれた人からレスがあり、
わたしはいわば「徹底的」認知主義にたっているという旨のコメントをもらった記憶があるにゃ。
認知の立場から「徹底的に洗い出す」手法だったかにゃ…?
それをふまえて、また読んでもらえればきっとわかるにゃ。
わかんなくても、文脈がない引用だから、気にしないでいくにゃ。
またくるにゃ。
思わずあげっちゃったにゃ。ま、いいにゃ。
「言語生得スレ」の失敗は、まず、言語板関係の人間が般化に論及しなかったせいにゃ。
わたしとしては、行動主義的な言語の見解には反対だけどにゃ。
しばらく、行動主義の方法論の正当性を考えてみるにゃ。
遅レスすいません。
>>205>行動主義は、システム論としては非常に理論装置が簡潔なために、
>妥当性からみると、あまりに広範囲な現象を説明してしまう可能性があるにゃ。
確かに理論上は、行動主義が対象とすることが可能な現象は広く、表面上の説明に
終始しているということは可能だと思います。
しかし、実際の行動主義は、その表面上の説明を高々に主張することは無い(少ない)
です。そしてその適応範囲を十分に吟味し、その表面上の説明よりは突っ込んだ説明
を行います(残念ながら、この辺はあまり紹介されていないのが実情ですが)。
具体的には、例えば「刻印づけ」を行動主義でどう説明するかというと、表面上の
説明では、刻印づけされた「刺激」に対して、その後をついていくという「行動」が
生じるとし、そのメカニズムにたいしては「ブラックボックス」であるということに
なるかもしれません。
ただし、実際の行動主義の説明では、ついていくという「行動」が、刻印づけされた
「刺激」が「誘発」している、ということに疑問を呈します。
それを検証する実験として、以下のようなものが行われました。それは、透明のガラス
で区切られた箱の片方のスペースにヒナを、もう一方のスペースに刻印づけされた刺激
である親鳥を入れます。そして、親鳥のいる方向のガラスに向かって歩くという以外の
行動をヒナが学習することができるかどうかが実験されました。なぜなら、ヒナの親鳥
の方に向かって歩くという行動が、生得的にプログラムされたものであれば、それ以外の
行動を行うことはできないからです。
(続き)
具体的には、親鳥の方向に向かって歩くという行動とは両立しない、ガラスと反対側の
壁にあるディスクを突っつくという行動が使用されました。そしてそのディスクを突っ
つくたびに、透明のガラスが動いて親鳥がヒナに近づくようになってしました。
結果は、ヒナはディスクを突っつくという行動を学習しました。つまり、刻印づけは、
刻印づけされた「刺激」がその方向に歩くという「行動」を誘発しているのではなく、
親鳥の姿が近くに見えるという「結果」が、その方向に歩くという「行動」を「強化」
しているものであり、その「強化子」として確立されるものは、生後一定期間に見る
ある特性を持った「刺激」である、と説明されました。
ここでの関数関係は、
インプット :親鳥の姿が近くに見えること(結果/刺激)
アウトプット:親鳥のあとを追いかける(行動)
です。表面上の行動主義の説明では、
インプット :親鳥の姿(刺激)
アウトプット:親鳥のあとを追いかける(行動)
と非常に似通っていますが、「が近くに見えること」の有無の差は大きいです。
要は何が言いたいかというと、行動主義に対する「表面的過ぎる」という批判は、得て
して行動主義の実情に即していない(場合もある)ということです。
もちろん、刻印づけが生じる際、脳内で何が起こっているのか、というブラックボックス
はまだ残っています。私個人としてはそのことに興味はありますが、行動主義そのものが
扱う対象ではありません。行動主義と相補的な、別のレベルでその説明がなされるという
ことです。
以前、別スレで刻印づけの話が出た時に書きそびれたものを、いつか書こうと思っていた
ので、今回刻印づけを例に説明しました。長文失礼しました。
>>205>ちなみに、「中国語の部屋」の議論より、
>わたしの提出した「掛け算をする、壊れたブラックボックス」の話のほうが示唆的にゃ。じゃにゃ。
>>216>わたしはいわば「徹底的」認知主義にたっているという旨のコメントをもらった記憶があるにゃ。
取ってつけたようなコメントなのですが、「データテーブル」というあたりなど、方法論的
行動主義に立脚した認知主義的な感じがします。
スキナーの徹底的行動主義では、「データテーブル」のような、仮説構成体を用いた説明
を良しとしません。なぜなら、観察可能なインとアウトのみで予測も統制も可能であれば、
倹約性の問題により、仮説構成体の必要性がないからです。
予測と統制の精度を上げるためには、インプットパラメータとして、掛け算の問題だけと
いうのは不充分だと思われるので、掛け算の問題が出された時のさまざまな環境的要因、
固体の特性(言語習得中の幼児、および失語症というのはこれに含まれるかと思われます)
等も考慮する必要があるかと思われます。
もっとも、徹底的行動主義が目指すものは、関数内のメカニズムの解明ではなく、言って
みれば関数そのものを見つけることということができるかとは思いますが。
すいません。今日はここまでにします。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/20 21:13
>>212>内部から生じる動機づけや、そもそも動物はじっとしておれない、など内部の原因に
>よってわれわれは突き動かされることが多々あるよね。
飢えという動機付けは「食べ物を摂取していない」という外部から観察可能な
条件によって決定されるものであるし、同様に「動物がじっとしておれない」という
ことも、例えば新奇刺激が長い間与えられないだとか、餌に対する確立操作が
なされただとか、なにかしら外部からの影響がある。
そしてその影響とは、刺激が与えられるということだけでなく、刺激が長時間
与えられないことである場合もありうる。まとめると、関数は
{インプットorインプットの遮断化→内部過程→アウトプットorアウトプットの停止}
になるでしょうか。これでいくと、インプットがあるときになされず、
インプットがなくなるとなされるアウトプットというのも論理的には可能ですが。
刺激の選択に関しても同じことが言える。
例えば満腹の時には餌に関連する弁別刺激が機能しなくなるように、
特定の刺激が選択されるかされないかはそのときの有機体の状態による。
そしてその状態とは外部から観察可能な条件によって決定される。
インプットはただ内部過程を中継してアウトプットを導出するだけでなく、
内部過程という関数を変質させる効果をもつものもある。
{インプット→第三者の内部過程→内部過程の変質(アウトプット)}
これがいわゆる確立操作と呼ばれる関数といえるでしょう。
いわば関数の関数。
変質した内部過程は前と同じインプットに対して
今度は異なるアウトプットを返すようになると。
外部からの働きかけに「刺激の遮断化」を、
関数に確立操作的なものを含めた上でお尋ねしたいのですが、
なお内部過程によってのみ突き動かされるアウトプットには何があるのでしょう。
>>210, 174
佐藤方哉の定義ではなく、レスポンデント・オペラントという言葉をつくった
人物(スキナー)の定義なのだがね。
レスポンデントは誘発反応、オペラントは自発反応。
誘発反応の条件づけがレスポンデント条件づけ、
自発反応の条件づけがオペラント条件づけ。
レスポンデントもオペラントも、習得されたものとそうではないものがある。
これらは最近の教科書(例えば、Catania の“Learning”の用語集)でもそうだ。
専門誌でも同じ。
何を誘発反応あるいは自発反応と考えるか(レスポンデントとオペラントの境界)
については研究者間で違いがあるが、無条件反射はレスポンデントじゃないなんて
話は聞いたことも読んだこともないぞ。
万が一、そんな定義をする研究者がいればそれは専門家ではないね。
少なくとも、行動分析の専門誌では通らない。
なお、無条件反応と条件反応の反応トポグラフィが同じかどうかと
この問題は直接関係ない。
レスポンデントとオペラントの意味もわからないできないのに、
スキナリアンぶって議論しないこと。
行動分析学・徹底的行動主義が誤解されるだろ。
>>222174ではないが。根拠を示してそう主張してるんだから別にいいじゃん。
問題はその概念枠組みが「正しい」とされているかではなく、その根拠では。
174氏が示す根拠のどこが不適切なのかもっと具体的に示してやるべき。
そして、それが問題であるとしても、他の議論にまで問題があるはずと
決め付けるような非難は良くない。オペラント・レスポンデントの区別以外に
問題発言は特にないでしょ?
罰はむやみに行使すべきではないとスキナー先生もおっしゃっておる。
いずれにしても、オペラント・レスポンデントの区別についての議論は
スレの流れからそれるので反論は「メンドクセェ」スレにて。
これに関するこれ以上のレスはここでは厳禁。よろしこ。
他の先生方、引き続きどうぞ。
・イン、アウトあり関数について
>>206>環境から脳へのインプットは事実上無限にあってその中からどのインプットを
>受容するかは脳が取捨選択するのであり
>>212>SORではなくORSのシーケンスで考えるべきである
前から聞きたかったのだが、「選択的注意(selective attention)」と言われている
ものとの違いが見えない(特に「どのインプットを受容するかは脳が取捨選択」という
あたり)。
それだけ新しい枠組みであることを強調するなら、まずは現在当たり前に研究が行わ
れているものとの違いを示すのが先かと。
・インなし関数について
>「言語能力は生得的か」スレの
>>588以降のカキコも読んで考えてくれないかな。
有機体の様々な器官が進化の過程でどのように発達してきたかという解釈としては
面白いが、残念ながら反証可能性がない。
それよりも、もともとは器官の話ではなく、インなしで生じる行動の話。「ある器官
に環境情報が蓄積」されていようがいまいが、外界からの情報を一切使用せずに行動を
行う種が、どのように環境に適応し、生存していくことが可能かと聞いている。それに
ついての解答がない。
レスポンデント、オペラントの区別ではなく、レスポンデントにもオペラントにも
習得性のものとそうでないものがあるということをいっている。
174の区分では、無条件反射、条件反射、オペラント行動
の3つしかない(そして条件反射だけをレスポンデントと勘違いしている)が、
スキナー初め行動分析家の区分では
レスポンデントかオペラントかという軸と習得的か否かという軸の2つを考えている。
習得的でないオペラントというと、「自然発火の自発性」氏の再臨をまねきそうだがな。
>>225 あなた方は行動をオペラント条件づけや行動分析理論で説明したいのか、行動その
ものを理解したいのか、どちらだね?
もしも前者なら本末転倒だろう。
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/23 02:01
行動そのものを理解するために枠組があるのではないかな?
枠組で説明できなければ、そこで初めて新しい枠組を模索すればよい。
これは心理学に限らず学問の基本。
それともミルク氏は現象学的な考え方がお好みかな?
それも枠組。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/23 03:43
新しい枠組みを考える前に、既存の枠組みで本当に説明できないのか、
徹底的に検証しておくことは必要。これは不必要に枠組みを増やすのを
防ぐためでもある。どこかで言ってたオッカムの剃刀だよ。
既存の枠組みに疑問を感じるひともいていいし、
既存の枠組みで間に合わせられないものだろうかと思う人もいてもいい。
両者が牽制し合うことが真に有用な枠組みの生成につながる。
こういう考え方にも反対?
だから私は、そもそも最初のフリーオペラントはどういう仕組みで生じる
のか?と何度も訊いている。あなた方はランダムだとしか言わないが、
私に言わせればそれは「分からない」と言っているのと同義だ。
私は36億年前に物理化学反応より上の秩序である化学反応の連鎖が生じ、
その連鎖が継続されるようになったことをもって生命が誕生したと考えて
おり、したがって現在出生してくる生命は生まれながらに自発的に活動する
のだ、だから行動は生命システムつまり有機体の側から説明されなければ
ならない、と主張しているんだよ。
君たちは私の主張をいったん認めると、徹底的行動主義の体系が崩壊する
ことを本能的に知っているんだ。だから、既得権益を守ろうとするあなた方は
頑強に抵抗するのだろう。行動分析の理論で行動を説明して、それで事足れり
とする姿勢がそもそも既得権益なのだ。
オッカムの剃刀だって? 笑わせるな。なんで、数百年も昔のスコラ哲学を
今時分持ち出すんだ?
生物は進化が生じた順番などのさまざまな制約のせいで不合理な体制を
たくさん抱えているんだよ。このことを何も知らなかった時代の哲学なんて
屁の突っ張りにもなりゃしない。
ちょっと入りづらいにゃ。
「ブラックボックスの一般問題」は、掛け算をするヒト(でも鳩でもなんでもいいが)
のたんなるシミュレーションではなく、
αRβの安定したインプット・アウトプットの関数的関係が確立されたときに、
ブラックボックス内部の(実在的な)メカニズムについて仮説をたてることが、
自然科学として正当かどうかの議論にゃ。
「中国人の部屋」で提出されたブラックボックスの不可知論、あるいは、
何通りものもっともらしい説明が可能なために、やはり原理的に知ることはできないという見解に対して、
わたしは単純に、ブラックボックスを<不完全に>コワせ、といっているのだにゃ。
そうすれば、メカニズムを推定できるようなコワレかたをする見込みがあるのにゃ。
(これが唯一の方法ではないにゃ。「非破壊検査」もあるにゃ。)
じっさい、動物の能力は、(脳などが)損壊したばあい、
機能的モジュールを推定させるような局所的な不完全さをみせることが多いと思われるにゃ。
で、
ここで不可知論が成立せず、メカニズム研究が正当な対象領域であることが確認されたとしても、
行動主義がそれについて無関心というのなら、それまでのハナシだにゃ。
と、そう思いたいところだけどにゃ。
どうも徹底的行動主義と認知的アプローチの単純な相補性は成立しないようにゃ。
問題は、徹底的行動主義の対象領域の限界が、自然科学の限界として規定されている(らしい)ことだにゃ。
これが、「知識・能力」の研究・考証に対して、
そのような問題は解決済みか、あるいは「おとぎ話」の領域であるという強力なバイアスを形成しているのにゃ。
というわけで、
わたしも反行動主義を標榜することになってしまったのにゃ。
論理の飛躍があったらそう言ってにゃ。
「関数の関数」については、また議論するにゃ。
じゃにゃ。
中国語の部屋のまちがいにゃ。
徹底的行動主義者の皆さんは、一度だまされたと思ってドーキンス「ブラインド・
ウォッチメイカー」(早川書房)を読んでみよう。
虚無好き先生には、そんなことはすでにラマチャンドラン「脳のなかの幽霊」
(角川)に書かれていることを指摘しておこう。
むにゃ?
ミルク先生わたしをあおってんのかにゃ?
アオリ上等にゃ!
うけてたつにゃ!
はっきりいって、PCはOSをたちあげたらナンニモしないと言ってる時点から、
システム論を語る素養あるのかと思ってたけどにゃ。
オッカムの剃刀についても、トンチンカンなこと言ってるにゃ。
行動主義の簡潔ではあるが、数論を思わせる整合性をもった壮大な論理体系が、
一冊の本で変わると思ってんのかにゃ。
ま、いろいろ批判されて当然にゃ。
とにかく、ミルク先生とは距離を置かないと、わたしもいろいろ誤解を蒙るにゃ!
ついでに、あの系統のちがう紡錘形の水棲生物のハナシは、
あれはアフォーダンス系の進化論のパクリにゃ。
そこんとこを指摘しておこう。
↑パクリは事実無根だったにゃ。
ただいえることは、結局ミルク先生はアフォーダンス理論についても、
環境が個体を操作するという側面しか理解できなかったのであり、
自分が思わずアフォーダンス寄りの発言をしても気づかないトホホな先生だということにゃ。
これ以上荒らすのもなんだから、ここにはもう来ないにゃ。
それにしても、とってつけたように、なにが「指摘しておこう」だ。
最初からそう言え!
ムカツクなーーーー
>>235-238 は全部、同じ虚無好き先生が書いてるの? 虚無好き先生って私が思っていた
よりはるかに若いんかな・・・
>ついでに、あの系統のちがう紡錘形の水棲生物のハナシは、
>あれはアフォーダンス系の進化論のパクリにゃ。
これなんの話? 覚えがないんだけど・・・
アフォースレと同じ良スレ殺しの164の匂いが…
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 19:36
もうしばらく保全あげ
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/21 16:16
休日にじっくり読みたいスレ。
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/07 19:10
土俵準備あげ
ほぜんぬ
さげんなよ。ざけんなよ。