2 :
CLB:2001/07/23(月) 21:32
前スレでの名無しさんの質問
信仰虚弱さんに対しての質問ですが、
横レスです。
>「セム的表現」とやらの意味について
は、ヘブライ語やアラム語などのセム語系の原語
でよくある語法、用例という程度の意味だと思います。
3 :
信仰虚弱:2001/07/23(月) 21:38
すいません。新しいスレが立ちましたか。皆さん、熱心ですねえ。さて、
>>770の私の発言は、
> ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ
> 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。(マタイ1:24-25)
の聖書の記載が、
>>751 > イエスを産んだあとはヨセフはマリアを妻として抱いたという事だ。
と荒唐無稽の発言をする人がいるので、フランシスコ聖書研究所訳注新約聖書の
注釈を引用して、「そうではありません」と申し上げました。
> 「著者は『まで』というセム的表現を用い、イエス誕生後のヨセフとマリアの
> 夫婦関係について言及しようとしているのではない。
> (サムエル下6:23の同語の使い方参照)。著者の意図は、ヨセフがイエスの
> 法的な父親ではあったが、いわゆる父という語が持つ一般的な意味での
> 父親ではないことを強調する点にある。」
「セム的表現」の内容まで立ち入って勉強していません。ごめんなさい。
しかし、「フランシスコ聖書研究所」の研究成果を私は信頼しています。
日本の聖書研究では最も優れていると評価しています。
4 :
CLB:2001/07/23(月) 21:38
>「天使祝詞」を唱えるようになったのは、どこからでいつ頃からなのか?
これはわかりません。誰かごぞんじありませんか。
ただ、エフェソ公会議以後だとは思います。
5 :
名無しさん:2001/07/23(月) 23:06
マリヤ崇敬は・・838 名前:名無しさん 投稿日:2001/07/23(月) 22:17
>>833
信仰虚弱さんがいうセム的表現とは、セム語系の言語に特徴的にみられ
る様々な語法のことだ、と思います。問題の事例では「兄弟」と多く訳
される語が「従兄弟」の事もさす、ということでしょう。イエスが話し、
使徒達のネイティヴな言語でもあったと思われるアラマイ語や旧約聖書
の主要言語であるヘブライ語はセム語族なので、ギリシァ語に訳する時に
意味のずれが生じ得ます。ここから、ギリシァ語としてはそのように理解
することは出来ないが、語られたもとの言葉や、書き手の頭の中でいいた
かったであろう内容について、セム語法による再解釈が聖書解釈の際に
なされることがあります。
とありますが、その頃の福音書の記者は「従兄弟」と「兄弟」の別を、
イエス語録のQ資料の記者から聞き正せ無かったほど、
イエス在世時の記憶は消えてしまっていたのでしょうか?
またはコイネーギリシャ語に「従兄弟」「兄弟」の語が別になかったのでしょうか?
それと、αマリヤ崇敬の間違いを正すωの
463 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2001/06/12(火) 17:30
>「ブーツラ・マリア」の「ブーツラ(年頃の娘)」を「処女」と誤訳した事から始まった事は今ではもう明らかなのに、
と言うのを同じ「セム的表現」の問題になるのでしょうか?
6 :
信仰虚弱:2001/07/24(火) 00:12
>>5 熱心ですねえ。
福音書記者はなぜ、「いとこ」ではなく「兄弟」と訳したのか私見を述べます。
まず重要なことは、福音書にしても書簡にしても、それが執筆された目的の
重要なひとつに、キリストの教えと信仰を敵対する者から守るという必要が
ありました。
最も古いマルコ福音書の著者は、「血縁が大事だ」と主張する人に反論する
ために、血縁よりも尊い霊的な人のつながりが重要だという真理を、信徒に強く
教えたかったのでしょう。
だから、マルコ3:31他を「いとこ」ではなく「兄弟」と訳したと思われます。
その後に書かれた3つの福音書も、それに追随したと考えるのが自然です。
マルコ福音書が書かれた当時、まだ12使徒の多くが生きていました。
「聖母にイエス以外の子がいた」などと考える人はいなかったと思われます。
また、2000年後に、そういうことを言い出す人が出てくることを著者は
想定していなかったということです。
私が福音書記者の立場でも、マルコ3:31は「兄弟」と訳しますね。
7 :
ピエール:2001/07/24(火) 00:25
>1
マリアの母アンナが娼婦だったという説がありますが、これについては
どうでしょうか? 情報をもっている人はいないでしょうか?
8 :
名無しさん:2001/07/24(火) 01:39
>7
マリアの母アンナの家系で揉めたレスなら判るが。
αマリヤ崇敬の間違いを正すω
572 名前: 伴天連K>566に 投稿日: 2001/06/13(水) 14:46
マリアの母系先祖はどこに行き着くの?
ルカの系図は母アンナの夫ヨアキムヘリの系図だが母系の系図は?
αマリヤ崇敬の間違いを正すω
581 名前: 名無したん 投稿日: 2001/06/13(水) 18:32
エリザベトとマリアが親戚ということから、アロン家だというのが定説
実はダビデ家だという説もある。はっきりしないのよ。
マリヤ崇敬は・・
508 名前:名無しさん 投稿日:2001/07/16(月) 18:18
イエスはソロモンの兄のナタン(Uサムエル五・一四、ルカ三・三一)
の血を受けたマリヤから生まれており、ナタンはソロモンの異母兄弟であるのです。
とあります。
マリアの両親ヨアキムとアンナのどちらがナタンの血筋なのでしょうか?
知ってる方、教えて下さい。
9 :
名無しさん:2001/07/24(火) 01:43
>>6 信仰虚弱さんへ、
「セム的表現」の続きですが、「いとこ」も「兄弟」で表現と言いながら、
新約にも旧約にも記述は希(まれ)ですが、【いとこ】の用法は以下のようにあります。
●歴代誌第1 :23:22
エルアザルは死に、彼には息子がなく、娘だけであったので、
彼らの【いとこ】であるキシュの子らが彼らをめとった。
●コロサイ人への手紙l: 4:10
私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。
バルナバの【いとこ】であるマルコも同じです。
――この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、
歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。――
それに「ブーツラ(年頃の娘)・マリア」の「処女マリヤ」への意訳の整合性からいって、
「いとこ」でない本当の「兄弟」が表記になるのではありませんか。
第一、以下に抜粋の「マリヤの子」と表記されて説明が出た福音書内でも、
整合性がとれなくなりますよ。
新改訳「子」新共同訳「息子」は「兄弟」と違って「実子」です。
「養子」なら「小ヤコブとヨセの母マリヤ」と「小」と断らないはずで、
主の兄弟の「大ヤコブ」と従兄弟の「小ヤコブ」とでヤコブ違いの区別が付いています。
●マルコの福音書: 6: 3
この人は大工ではありませんか。
マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。
その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」
こうして彼らはイエスにつまずいた。
●マルコの福音書:15:40
また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。
その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。
10 :
俺:2001/07/24(火) 02:19
出エジプト記23:24
あなたは彼らの神々を拝んではならない。仕えてはならない。また、彼らの風習にならってはならない。
これらを徹底的に打ちこわし、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。
11 :
俺:2001/07/24(火) 02:20
申命記4:16
堕落して、自分たちのために、どんな形の彫像をも造らないようにしなさい。男の形も女の形も。
12 :
俺:2001/07/24(火) 02:22
申命記4:17
地上のどんな家畜の形も、空を飛ぶどんな鳥の形も、
13 :
俺:2001/07/24(火) 02:23
申命記4:18
地をはうどんなものの形も、地の下の水の中にいるどんな魚の形も。
14 :
俺:2001/07/24(火) 02:24
申命記4:23
気をつけて、あなた方の神、主があなた方と結ばれた契約を忘れることのないようにしなさい。あなたの神、主の命令にそむいて、どんな形の彫像をも造ることのないようにしなさい。
15 :
俺:2001/07/24(火) 02:26
出エジプト記23:1
偽りのうわさを言いふらしてはならない。悪者と組んで、悪意ある証人となってはなってはならない。
16 :
俺:2001/07/24(火) 02:27
黙示禄2:18
また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる。
19
わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。
20
しかしあなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。
21
私は悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。
22
見よ。私は、この女を病の床に投げ込もう。また。この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。
17 :
神:2001/07/24(火) 02:37
ここの板に来るクソカスどもに告ぐ!
テメェらの拝んでる神やら仏やらがいったい何してくれるんだ!?
ほれ!答えてみろ。答えられる奴だけここまで文句にこいや。
[email protected]
18 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 02:43
福音派の教義でカトリックを裁くことも出来ない。
逆もまた然り。なぜなら、両者は別の歩みの中にいるからである。
汝はカトリックを兄弟姉妹と呼んでもいいが、
悪霊のものとは呼んではならない。
どの聖書の箇所を用いても同じである。
解き方が違うのだよ。
全ては神に任せるべきだろう。
むやみに神の名を使ってはいけない。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
/ ,――――-ミ
/ / / \ |
| / ,(・) (・) |
(6 つ |
| ___ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| /__/ / んなこたーない
/| /\ \__________
20 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 02:47
多重人格も悪霊の仕業といってしまう人の言う事なんて
聞けないな。
21 :
俺:2001/07/24(火) 02:51
>>18 空想話をするんじゃない。
聖書をどのように読んでもマリア崇敬は
間違いである。
裁くとか裁かないの問題ではない。
解き方が違うとか言う問題ではない。
主の前に、それが是か非かを考えろ。
22 :
俺:2001/07/24(火) 02:52
>>18 出エジプト記23:1
偽りのうわさを言いふらしてはならない。悪者と組んで、悪意ある証人となってはなってはならない。
23 :
俺:2001/07/24(火) 03:00
>>20 多重人格が悪霊の仕業と私が主張すると
どうして偶像礼拝が正当化されるのか?
24 :
俺:2001/07/24(火) 03:02
申命記4:16
堕落して、自分たちのために、どんな形の彫像をも造らないようにしなさい。男の形も女の形も。
彡ミミミヽ ノ彡ミミ)))
((彡ミミミミ)(彡彡)))彡)
彡彡゙゙゙゙゙"゙゙" """"ヾ彡彡))
ミ彡゙ .._ _ ミミ彡
ミミ彡 '´ ̄ヽ '´/ ̄ ` ,|ミ)))
ミ彡 ' ゚̄ ̄' 〈 ゚̄ ̄ .|ミミ))
((彡| | | ` |ミ彡
(彡| ´-し`)\ |ミミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ゞ| 、,!@ 」 |ソ < 口元の@マーク注意
ヽ '´ ̄ ̄ ̄'ノ / \__________
/⌒ \____/ ⌒\
\ / ¬ \ / ̄ ̄ヽ
\ /⌒⌒ヽ / \
\ ・ | \ ( 人 ) / ヽ
\ / ゝ ヽ \ / |
\ |;; | \/ | |
\ l |;; ;;; |\__/ | |
\ ̄ ―|;; ;;; |-/ | |
\ |;; ;;; |/ | |
\ |;; | |/ | |
| |; ;; ;;| /| |
;; / |
\ / ;; /
26 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 03:29
┌──────────────────────―─―┐
│ |
│ |
│ |
│ |
│ ∧_∧ |
│ ( ・∀・) |
│ ( ) |
│ | | | |
│ (__)_) |
| 2ちゃんねる |
│ |
│ スレッドを終了しています… |
│ |
│ |
| |
| |
└───────────────────────――┘
27 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 04:26
総理をコケにするな
28 :
俺:2001/07/24(火) 06:16
出エジプト記23:24
あなたは彼らの神々を拝んではならない。仕えてはならない。また、彼らの風習にならってはならない。
これらを徹底的に打ちこわし、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。
29 :
俺:2001/07/24(火) 06:17
申命記4:16
堕落して、自分たちのために、どんな形の彫像をも造らないようにしなさい。男の形も女の形も。
30 :
俺:2001/07/24(火) 06:54
マリヤ崇敬は明らかに間違いです。意地になって反発するカトリック教徒の心理状態は次のようなものである、と私は考えます。
1、組織の方針を持って、真理の代用とした方が楽である。
2、正しいと信じて罪を犯す事は、正しいと信じて正しい事をするのと大差がないのではないだろうか?マリヤ崇敬が正しい事であると信じ込んでいる振りをすれば罰せられないのではないだろうか?
正しいと信じ込んでいる事を装うには、この罪を平然と犯し、正当な行為だと主張していくべきだ、と考えている。
(注意:正しいと信じている事と、正しいと信じている振りをする事は正反対である)
3、自分の愚かな言動を見兼ねて、誰かが何とかしてくれるかもしれない。と期待している。
31 :
俺:2001/07/24(火) 06:59
32 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 08:25
荒れてますねえ
33 :
信仰虚弱:2001/07/24(火) 09:12
おはようございます。熱心ですねえ。今朝は、フランシスコ会聖書研究所訳注
新約聖書のマタイ12章の注釈(18)を紹介しましょう。
> 「イエズスの兄弟たち」とは、血のつながった厳密な意味での兄弟やまたは
> 義兄弟を指すのではない。ギリシャ語、ラテン語の本来の意味はそうであると
> しても、ヘブライ語とアラム語には、いとこを意味する語がなかったので、
> ユダヤ人たちは親族の者または同胞たちを呼ぶのに「兄弟」を使った。
> 福音書の著者も、このような慣習に従って「兄弟」という語をイエズスの親族に
> 対して用いている。実際、イエズスの兄弟と呼ばれる人が、聖母の子として
> 記されている箇所は、聖書には全然ない。マルコ6:3に記されているイエズスの
> 兄弟ヤコブとヨセは、聖母の子ではなく別のマリアの子と明記してある
> (マルコ15:40)参照。
福音書の著者は、「血縁が大事だ」と主張する人に反論するために、
血縁よりも尊い霊的な人のつながりが重要だという真理を、信徒に強く
訴えたかったので、マルコ3:31他を「いとこ」ではなく「兄弟」と訳した
と思われます。
マリアがイエスの刑死後、ヨハネに引き取られた事実(ヨハネ19:27)と
併せれば、マリアにイエス以外の子がいたという解釈は荒唐無稽です。
もっとも、他教派の信徒の方に押し付けるつもりもありませんが・・・。
34 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 09:28
>>33 あんたそんな言い方はないだろう。
>もっとも、他教派の信徒の方に押し付けるつもりもありませんが
そんな詭弁考えてないで。悔い改めなさい。
バチカンではなく神に従いなさい。
35 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 09:57
荒れてますねえ
36 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 10:09
>>33カトリックの人はここに来なくてよろしい!
福音派はプロテスタントだから
プロテストを止めてしまうと存在がなくなる。
相手をすればどんどん彼は偏屈になってしまう。
相手をするのは相手の信仰を曲けてしまいかねない。
混乱してしまうからおやめなさい!
37 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 10:21
38 :
名無しさん@1週年:2001/07/24(火) 10:54
>34
>バチカンではなく神に従いなさい。
プロテスタントは、聖書の自由解釈をゆるすゆえ、何十何百の教派に
分裂している。自由解釈者は聖霊に祈って照らしを受け、各自の
立場に置いて、それに適した解釈が示されると言うが、二人の解釈
が全く相反している場合、どう解釈したらよいのか。
何よりも心に留めておくべきことは、聖書の全ての予言(神の言葉)
は、勝手に解釈すべきでないということです。(ペテロ2-1-20)
イエズスは使徒たちにむかって、あなたたちは行ってもろもろの民
を教え、父と子と聖霊との名によって洗礼を施し、私があなたたちに
命じた全ての事を守れと教えよ。見よ、私は世の終わりまで常に
あなたたちと共にある。(マタイ28-19-20)
あなたたちに聞く者は私に聞く(ルカ10-16)
使徒伝承のカトリック教会はイエズスと聖霊に助けられ、信仰道徳
について誤るところは、ありません。
39 :
信仰虚弱:2001/07/24(火) 11:00
福音派スレや聖母マリアと諸聖人スレで
私のなりすましが出ました。
しばらく消えますので、
「信仰虚弱」の名前の書き込みは
ニセ者と考えてください。
よろしくお願いします。
やだなあ、やだなあ。
40 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 11:02
最近 天動説を撤回した駄ろ
バチカンの発表はころころ変わる
誤るところはありませんってことはないだろ
マリヤ雑煮頭ぶつけて死んで良いぞ
41 :
名無しさん@1週年:2001/07/24(火) 11:08
>40
天動説は信仰道徳の内にはいりません。
42 :
信仰虚弱:2001/07/24(火) 11:11
お騒がせしています。
私のなりすまし荒らしがまた始まったようで
しばらく板から消えます。
今後書き込まれる「信仰虚弱」は、すべてニセ者です。
すいませんが、どうぞよろしくお願いします。
本当にお騒がせし、カトリックの皆さんには
いつもご迷惑をおかけしています。
43 :
信仰虚弱:2001/07/24(火) 11:12
お騒がせしています。
私のなりすまし荒らしがまた始まったようで
しばらく板から消えます。
今後書き込まれる「信仰虚弱」は、すべてニセ者です。
すいませんが、どうぞよろしくお願いします。
本当にお騒がせし、カトリックの皆さんには
いつもご迷惑をおかけしています。
44 :
信仰虚弱:2001/07/24(火) 11:12
お騒がせしています。
私のなりすまし荒らしがまた始まったようで
しばらく板から消えます。
今後書き込まれる「信仰虚弱」は、すべてニセ者です。
すいませんが、どうぞよろしくお願いします。
本当にお騒がせし、カトリックの皆さんには
いつもご迷惑をおかけしています。
45 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 11:12
カトリックの人はここに来なくてよろしい!
福音派はプロテスタントだから
プロテストを止めてしまうと存在がなくなる。
相手をすればどんどん彼は偏屈になってしまう。
相手をするのは相手の信仰を曲けてしまいかねない。
混乱してしまうからおやめなさい!
46 :
信仰虚弱:2001/07/24(火) 11:12
お騒がせしています。
私のなりすまし荒らしがまた始まったようで
しばらく板から消えます。
今後書き込まれる「信仰虚弱」は、すべてニセ者です。
すいませんが、どうぞよろしくお願いします。
本当にお騒がせし、カトリックの皆さんには
いつもご迷惑をおかけしています。
47 :
信仰虚弱:2001/07/24(火) 11:13
お騒がせしています。
私のなりすまし荒らしがまた始まったようで
しばらく板から消えます。
今後書き込まれる「信仰虚弱」は、すべてニセ者です。
すいませんが、どうぞよろしくお願いします。
本当にお騒がせし、カトリックの皆さんには
いつもご迷惑をおかけしています。
48 :
名無しさん:2001/07/25(水) 18:48
>>4 CLBさんへ、
質問した当人ですが、結局、自分で調べました。
>「天使祝詞」を唱えるようになったのは、どこからでいつ頃からなのか?
エフェソ公会議以後、約8百年後に出来た物です。
フランス・トゥールーズの聖ドミニコ・デ・グズマン(1170〜1221)が、
ロザリオを体系化した際に作ったとされています。
(マリア神学綱要・某キリスト教辞典などを参考)
このレスのカトリックの方へ、少々苦情を。
カトリックのモノについての質問なのに、どうして教えられないのでしょうね。
上から(司祭様などから)言われれば、出所身元がわからなくても崇めるのでしょうか?
イエス様の兄弟の「いとこ説」だってフランシスコ会訳の聖書の解説を鵜呑みでしょ。
私はフランシスコ会訳を持っていて知ってて質問したのです。結局ソレ以上の説明が出ませんでした。
司祭様のツテがあろうから新奇な説を聞ける事を期待したのですが無理だったようです。
49 :
名無しさん:2001/07/25(水) 18:48
また、ギリシャ語の語彙→ヘブル・アラム語の意味で解釈。「兄弟は【いとこ】の説」
ヘブル・アラム語の語彙→ギリシャ語の意味で解釈。「ブーツラは処女の説」を、
自分たちの信条や都合(この場合マリヤは終生処女)によって読み替え方向を変える。
書簡や記事に対する読み方に一貫性がなくて可笑しいじゃないですか。
マルコ福音書の記者だけでなく、パウロもガラテア書でも「主の兄弟のヤコブ」と言ったら、
「血筋でいう従兄弟」でない「血筋でいう兄弟」って見ませんか?
血筋でない兄弟と言うなら例えば「兄弟ケパ」と呼ぶでしょ。でもソウは書いていない。
●ガラテヤ人への手紙: 1:19
「しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした。」
●コリント人への手紙第1: 9: 5
「私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、
信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。 」
別々の記者がイエス様の「兄弟」と書いていて、
パウロは「本当のいとこ」には「いとこ」と
>>9 にあるように記載するから、
普通、フランシスコ会訳の解釈の方を疑問に思うでしょ。
最初っからマリヤが終生処女である事を前提に読んで解釈するから、
ギリシャ語とヘブル・アラム語の差を逆利用した意図的解釈にするんですよ。
日本キリスト教団の解説本だと「兄弟」で「いとこ」とは断っていません。
一般的に読んでもプロテスタントの読みでも、
新約聖書の言う「ヤコブ」をイエス様の「兄弟」って見ているのです。
50 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 19:12
ごくろうさん。
>日本キリスト教団の解説本だと「兄弟」で「いとこ」とは断っていません。
では、日本キリスト教団の解説本で誰かを「マリアの子だ」と断じている?
そういう本があれば、どの出版社の何の本の何ページだと教えてほしいね。
51 :
名無しさん:2001/07/25(水) 19:46
>>50 古本屋や本屋でパラッと立ち読みした程度なので、正確な本の名と頁は、
再度探さなくてはいけませんので時間がかかります。気が向いたらにします。
ココでとりあえず言えることは、
正式名称ではありませんが、「新約聖書解題?」のような名前の本で、
出版社が日本キリスト教団出版社?だったはずです。
内容は、大まかな聖句の節ごとに解説を書いたものです。
マルコ福音書の「ガリラヤで受け入れられない?」という題名での解説箇所です。
解説文内には「マリヤの子」と言う語句は書いていなかったようでしたが、
ここでいうヤコブはガラテア書の主の兄弟ヤコブと述べられています。
聖句の対応箇所が「マルコの福音書: 6: 3 この人は大工ではありませんか。
マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。」です。
対応箇所に「マリヤの子」解説に「主の兄弟ヤコブ」って書かれていたら、
「マリヤの子は主の兄弟ヤコブ」なんだな、って解釈しませんか?
これ読んで逆に、対応箇所に「イエスの兄弟」と書いていない。
解説に「マリヤの子」と書いていない。
よって兄弟でないし子でない。と、普通、結論するでしょうか?
52 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 19:51
主の兄弟ヤコブがいとこであるというのはヨハネ福音書を読めば明かじゃないですか?
イエスに兄弟がいたら、なぜ残っている母マリアをヨハネに託したりするのでしょうね。
ふつうは、イエス以外の子供が面倒みるものですよ。
53 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 19:53
54 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 20:02
古本屋や本屋でパラッと立ち読みした程度の知識で、
他教派の聖書解釈にケチをつけるのは良くないですよ。
55 :
名無しさん:2001/07/25(水) 20:03
>>52 ヨハネは「兄弟」だったり「いとこ」でしょうか?子どもだったのじゃないですか?
十字架刑のとき主の兄弟も含む使徒ペテロなど大の男たちはどこにいましたか?
福音書記事では十字架刑で近寄れたのは女ばかりで、
十字架に付いているイエス様は男どもを呼び寄せず、
目近にいる「女・子ども達」にしか、
「お声ががり」をできなかったでしょう。
十字架のそばにいない男に声の掛けようがないじゃない。
兄弟が存在しないのでない。そばに不在だった。それだけの話じゃない。
56 :
名無しさん:2001/07/25(水) 20:08
>>54 逆に私がカトリック側に立って、フランシスコ会訳の解説を立ち読みし、
読みカジリで福音派を攻撃したら、同じ事を言いますか?
57 :
名無しさん@1周年 :2001/07/25(水) 20:11
58 :
名無しさん@1周年 :2001/07/25(水) 20:14
59 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 20:15
>>55 ヨハネがマリアの子供だったら「これはあなたの母です」「これはあなたの子です」なんて苦しい十字架の上から分かり切ったこというのもんですかね?
だいたいどこにヨハネがマリアのもとからの子供だったと書いてあるんですか?
60 :
名無しさん:2001/07/25(水) 20:23
>55 は、
>ヨハネは「兄弟」だったり「いとこ」でしょうか?子どもだったのじゃないですか?
と書いたのです。
>>59 さんへ、
私は「マリアのもとからの子供」とは書いていないですね。
「どこかの子ども」と言うつもりで書いたんですがね?
ほらね、あなたも文脈から類推解釈するでしょ。
自分の類推解釈はOKで、私のはペケなのでしょうか?
都合で是非を決めちゃうでしょ。
61 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 20:23
カトリックは、ただ漫然と新共同訳聖書を読んで思いつきで聖書を解釈しないんだよ。
古本屋や本屋でパラッと立ち読みしたぐらいで何を言ってもしょうがないだろ。
フランシスコ会聖書研究所の解釈を批判している権威ある文献でも引用してくれれば、
喜んで読むけどね。
>>59 終わってるな君は。
62 :
名無しさん:2001/07/25(水) 20:28
>55
ヨハネは「兄弟」だったり「いとこ」でしょうか?
いえ福音書にはソウは書いていません。
(どこかの)子どもだったのじゃないですか?
>59
だいたいどこにヨハネがマリアのもとからの子供だったと書いてあるんですか?
そうです、ソンなことは書かれていません。ヨハネは愛弟子とされています。
63 :
名無しさん:2001/07/25(水) 20:36
>>61 カトリック内からカトリックを批判する「権威ある文献」を、探す努力できればね。
まず内部でそう言う「権威ある文献」はありえそうにないが。
64 :
CLB:2001/07/26(木) 00:17
>48
名無しさん
どうもありがとうございます。
中世時期だったようには聞いたことがあるのですが、
11世紀ですか。感謝します。
>カトリックのモノについての質問なのに、どうして教えられないのでしょうね。
カトリックといっても、幅が広いですからね。
マリア論も教義神学の一部でしかないし、天使祝詞がいつできたか
については、正直、あんまり考えたことがなかったです。はい。
>上から(司祭様などから)言われれば、出所身元がわからなくても
崇めるのでしょうか?
というより、教会の中で、それが信徒達によって継承されてきた事実に
意味を感じているのだと思います。
>イエス様の兄弟の「いとこ説」だってフランシスコ会訳の聖書の解説を
鵜呑みでしょ。
これはカトリック教会の「数少ない」公式見解だから。ある意味で当然です。
この手の問題に関心がおありでしたら、
R・E・ブラウン「聖書に関する101の質問と答え」(女子パウロ会)、
同「新約聖書におけるマリア」(邦訳なし、アマゾンで注文されたし)など
が良いと思います。
あまり頻繁に2ちゃんねるに来ているわけでもないので、
十分にお答えできないのは申し訳なく思っています。
天使祝詞の件も正直、時間をかけたくなかったのが本音でした。
すみません。
ヤフー掲示板の方が親身になってくれるかもしれません。
65 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:43
>>60 >私は「マリアのもとからの子供」とは書いていないですね。
「どこかの子ども」と言うつもりで書いたんですがね?
ヨハネがどこかの誰かの子供なのは当たり前じゃないですか。
あなたは何を主張したいのですか?
類推解釈をしているのではなく、ヨハネ福音書の文章全体にわたってヨハネが愛弟子であったと書いています。
それを直視しないのですか。
イエスに兄弟がいたら、その兄弟が十字架のもとにいなくなって、マリアの面倒を黙っていても彼らがみるでしょう。
しかし、そうではなくイエスはヨハネに対して「これはあなたの母です」と言ったのです。
それ以来、ヨハネはマリアを引き取ったのですよ。
しっかり読んでください。
66 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:48
イエスは、一人っ子です。
67 :
名無しさん:2001/07/26(木) 01:42
イエスの兄弟とされている四人のうち、
熱心党のシモン、ユダ・タダイ、小ヤコブは
アルフェオと後妻のマリア・クロパとの間に生まれた実子。
姉妹といわれるスザンナもそう。
ヨセフ・バルサバは、アルフェオ亡き後、マリア・クロパが
再婚したサバとの間に生んだ子供だ。
イエスの実兄弟ではなく従兄弟。
どっちにしろ兄弟姉妹だよ、文句あるの。
いつまでも重箱の隅やってるなよ。ばからしい。
68 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 01:49
>>3信仰虚弱さんへ
> と荒唐無稽の発言をする人がいるので、フランシスコ聖書研究所訳注新約聖書の
> 注釈を引用して、「そうではありません」と申し上げました。
あなたの引用した注釈は、
『イエスはヨセフの血を継いでいないからダビデの血統ではない』
という批判に対して、
『いや、直接の血縁関係は無くとも、ヨセフはイエスを子として受け入れたのだから、
イエスはヨセフの子、ダビデの血統と言える』
というフランシスコ聖書研究所の見解なんですよ。
あなたが主張したかった『マリア永久処女説』とは全く何の関係も無い注釈であり、
まったく見当外れな引用をしてるんです。
ちゃんと文章の意味も理解せずに、
書いてある事は全部正しいと無批判に受け入れたりするから、
そういう恥ずかしい間違いを犯すんです。
69 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 01:55
カトリックが聖書を無理に解釈してまで
執拗に『マリア終生処女説』を言い立て、
他に子供はいなかったと言い立てるのは
マリアを人間以上の者として崇める根拠が欲しいから
『まずマリア崇敬ありき』であり
それに合わせて聖書を解釈する
まず聖書ありきで
聖書を解釈した結果として
マリア崇敬が生まれてきたわけではない
70 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 01:59
71 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 02:31
うんうん。
カトリック惨めだね。
72 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 02:44
73 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 03:32
74 :
名無しさん:2001/07/26(木) 04:37
>>69
ヤコブとヨセフの母マリアと、イエスの母マリアが、別マリアであることぐらい、
プロテスタントでもわかり切っていることだ(マコ15:40、47、16:1)。
彼女はクロパの妻マリアとも書かれている(ヨハネ19:25)。
クロパはアルパヨ(アルフェオ)とも呼ばれ、
子供はユダ・タダイと(小)ヤコブだろが
(マタ10:3、マコ3:18、ルカ6:15、使徒1:13)。
結果、ユダ(タダイ)と小ヤコブ、ヨセ(ヨセフ)の3兄弟の母は
アルパヨあるいはクロパの妻マリアであって、イエスの母マリアではない。
これは聖書の証言だ。マリア処女・非処女を論じる以前の問題だろが。
よく聖書を読め、この、たわけ者めが!
75 :
名無しさん :2001/07/26(木) 07:20
>>74 さん、
ガラテア書の言う「主の兄弟ヤコブ」の母は誰でしょう?
また小ヤコブとの関係はどうでしょうか?
76 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 12:55
>>75 フランシスコ会聖書研究所訳注新約聖書の注に書いてありますよ。
買って読んだらどうですか。
あなたも、カトリックに来て聖書を研究しましょうよ。
77 :
ヌマツダ:2001/07/26(木) 17:55
>>76 さんへ、私は「5 8 9 48 49 51 55 56 57 58 60 62 63 75」です。
フランシスコ会聖書研究所訳注(中央出版社)の新約聖書は、すでに買ってあります。
>74 さんの補足にもなりますが、
エッセンシャル聖書辞典(いのちのことば社)を参照して、引用箇所の間違いを訂正します。
>9
>「養子」なら「小ヤコブとヨセの母マリヤ」と「小」と断らないはずで、
>主の兄弟の「大ヤコブ」と従兄弟の「小ヤコブ」とでヤコブ違いの区別が付いています。
P625、
3(2)十二使徒の一人で、アルパヨの子(マタ10:3、マコ3:18、ルカ6:15、使1:13)。
おそらくマタ27:56、マコ16:1、ルカ24:10のヤコブと同一人物であると思われる。
そうであるとすれば、彼は「小ヤコブ」と呼ばれた人物であろう(マコ15:40)。
もう一人の使徒ヤコブ(ゼベダイの子)を「大ヤコブ」とか「年長のヤコブ」と呼んだのに対して、
「小ヤコブ」とか「年少者ヤコブ」と呼んだとおもわれる。
3(3)主の兄弟ヤコブ(マタ13:55、マコ6:3、ガラ1:19)。
・・・彼はイエスに次いで年長者であったと思われる(マタ13:55、マコ6:3)。
・・・4世紀の教父エウセビオスは、「義人ヤコブ」と呼んでいる。
主の兄弟は「義人ヤコブ」、アルパヨの子は「小ヤコブ」、ゼベダイの子を「大ヤコブ」と称した。
日本基督教団出版局の聖書辞典でも「小ヤコブ」はアルパヨの子でマタイやヨセを兄弟としている。
フランシスコ会訳の本では、「小ヤコブ」ヨセの兄弟が(マタ13:55、マコ6:3)の兄弟としている。
問題のガラテア書の注は以下のようになっている。
ガラテヤ【1】(13)ヤコブが使徒団の中に含まれているのかどうか、
ギリシア語原文では、どちらにも解される(一コリント15とその注(7)参照)。
このヤコブは「ヤコブの手紙」の著者と思われる。
日本基督教団出版局の解説のように(マコ6:3)の主の兄弟ヤコブとは解説していない。
>51
>古本屋や本屋でパラッと立ち読みした程度なので、正確な本の名と頁は、
>正式名称ではありませんが、「新約聖書解題?」のような名前の本で、
>出版社が日本キリスト教団出版社?だったはずです。
訂正します。「新約聖書略解」「日本基督教団出版局」「頁130」です。
78 :
ヌマツダ:2001/07/26(木) 18:04
自問自答になって恐縮ですが、
本や辞典の解説と文脈を見る限り、
「日本基督教団出版局」や「いのちのことば社」の「プロテスタント」では、
主の兄弟ヤコブは、イエス様と同じマリヤの子としての兄弟としていますね。
79 :
ヌマツダ:2001/07/26(木) 18:22
>78 自問自答になって恐縮ですが、
は、>75 の、
>ガラテア書の言う「主の兄弟ヤコブ」の母は誰でしょう?
の答えを、>78 の、
>主の兄弟ヤコブは、イエス様と同じマリヤの子としての兄弟としていますね。
と、>75 の、
>また小ヤコブとの関係はどうでしょうか?
を、>77 の、
>日本基督教団出版局の聖書辞典でも「小ヤコブ」はアルパヨの子でマタイやヨセを兄弟としている。
ので、使徒の関係で、イエス様の「いとこ」としての兄弟関係ではない。
と言っている事についてです。
>69 の 、
>まず聖書ありきで
>聖書を解釈した結果として
>マリア崇敬が生まれてきたわけではない
から、
プロテスタントは、(マタ13:55、マコ6:3)の兄弟を、
字句のまま、マリアの子でイエスの兄弟と見ているので、
イエスの母マリヤは、終生処女ではない見解を採っています。
80 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 18:30
◎プロテスタントでもカトリックのロザリオ
=「祈りの生活を豊かに」と独のヘリング牧師=
【ポツダム=IDEA・CJC】ドイツのプロテスタント教会でカトリックの
ロザリオをしばしば祈る牧師がいる。その人はベルリン近郊ポツダムのウォルフ
ガング・ヘリング牧師。教会でもカリスマ派に属している。「ロザリオは私の祈
りの生活を豊かにする」と言う。
マリアへの祈りについては、プロテスタントの間で激しく議論が交わされてい
る。しかしヘリング牧師は、ロザリオの言葉に何も間違ったことはない、と言う
。マリアは皆をキリストに向かうことを望んでおり、それ故プロテスタントもマ
リアに呼びかけることは出来る、と語った。
この八月、ヘリング牧師はローマで開かれた『世界青年の日』の催しに参加し
た。ヘリング牧師はまた、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世に「最高の敬意」を払
っている。しかし牧師はカトリックに改宗する意図はない。「神はプロテスタン
ト教会に私を召された。私はその旗を見捨てない」と言う。□
http://www.gospeljapan.com/skj/000925.htm
81 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 21:10
ヌマツダさん
あなたの
>>77-79 の発言は、どこが誰かのレスの引用で
どこがあなたの意見で、どこが何の書物の引用なのか
ぜんぜん分かりませんよ。
わざと分かりにくく書いてるのなら勝手ですが、
どの部分が、「マリアにイエス以外の子がいた」ことの
証明になっているのか、簡潔にわかりやすく、
聖書と研究書をきちんと正確に引用して述べてください。
あなたの勝手な思いつきなんか聞いたってしょうがない。
どれほど聖書を研究している有名な方か知らないし。
2ちゃんねるの書き込みよりはフランシスコ会を信頼するのは
当然ですからね。
聖書と研究書をきちんと正確に引用して述べてください。
82 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 21:33
まあまあ。
おれもワケワカランかったが、一生懸命書いてることだしよく読んでみた。
結局、「ヤコブの手紙」の著者でガラテアの信徒への手紙1章19節に登場するヤコブが、
イエスの母マリアの子だと主張しているんじゃないかな。
で、ヌマツダ氏に質問だが、そのヤコブが、マルコ15章40節「小ヤコブとヨセの母マリア」
の「小ヤコブ」と別人だという根拠は、何なのかな。
83 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 21:35
なんか、クロスワードパズルより難解。
84 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 22:06
>>78 >「日本基督教団出版局」や「いのちのことば社」の「プロテスタント」では、
>主の兄弟ヤコブは、イエス様と同じマリヤの子としての兄弟としていますね。
「新約聖書略解」「日本基督教団出版局」「頁130」にそう書いてあるんですか?
いま手元にないので、具体的に、どういう文言で書いてあるのか、ぜひ引用してくださいよ。
85 :
ヌマツダ:2001/07/26(木) 22:10
84 名無しさん@1周年さんへ、
残念ながら本は買って手元にないので、引用文を掲載できません。
86 :
ヌマツダ:2001/07/26(木) 22:11
81 名無しさん@1周年 さん、
エッセンシャル聖書辞典の625頁の「彼はイエスに次いで年長者であったと思われる」の部分と、
新約聖書略解(日本基督教団出版局)の130〜131頁にある、
マルコによる福音書の6章1節〜6節の「ヤコブはガラテア書の主の兄弟ヤコブ」の説明が、
「マリアにイエス以外の子がいた」ことの証明になっています。
82 名無しさん@1周年 さん、
エッセンシャル聖書辞典(いのちのことば社)や聖書辞典(日本基督教団出版局)で、
人物名ヤコブを調べると、同名別人の項目で説明されている為です。
小ヤコブと主の兄弟ヤコブは別人の項目になっています。
87 :
ヌマツダ:2001/07/26(木) 22:13
参照箇所
【新約聖書(新改訳)】
●マルコの福音書: 6: 3
この人は大工ではありませんか。
マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。
その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」
こうして彼らはイエスにつまずいた。
●マルコの福音書:15:40
また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。
その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。
●ガラテヤ人への手紙: 1:19
しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした。
【エッセンシャル聖書辞典(いのちのことば社)】
P625、ヤコブの説明
3(2)十二使徒の一人で、アルパヨの子(マタ10:3、マコ3:18、ルカ6:15、使1:13)。
おそらくマタ27:56、マコ16:1、ルカ24:10のヤコブと同一人物であると思われる。
そうであるとすれば、彼は「小ヤコブ」と呼ばれた人物であろう(マコ15:40)。
もう一人の使徒ヤコブ(ゼベダイの子)を「大ヤコブ」とか「年長のヤコブ」と呼んだのに対して、
「小ヤコブ」とか「年少者ヤコブ」と呼んだとおもわれる。
3(3)主の兄弟ヤコブ(マタ13:55、マコ6:3、ガラ1:19)。
・・・彼はイエスに次いで年長者であったと思われる(マタ13:55、マコ6:3)。
・・・4世紀の教父エウセビオスは、「義人ヤコブ」と呼んでいる。
【日本基督教団出版局の聖書辞典】
「小ヤコブ」はアルパヨの子でマタイやヨセを兄弟としている。
88 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 22:30
>>86 「兄弟」と書いてあるからと言って、それが
イエスの母マリアの子だという立証にはならないよ。
前に誰かがフランシスコ会訳の注釈を引用してたよね。
>小ヤコブと主の兄弟ヤコブは別人の項目になっています。
その聖書辞典では、「ヤコブの手紙」の著者ヤコブが、
マルコ15章40節「小ヤコブとヨセの母マリア」 の
「小ヤコブ」とは「同一人物ではありえない。絶対に別人だ」
とはっきり断言しているの?だったら、その根拠は
なんて書いてある?後学のために教えて。
89 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 22:45
>>87 へー。プロテスタントの人はこう解釈してるんだ。おもしろいねぇ。
マルコ15章40節「小ヤコブとヨセの母マリア」の「小ヤコブ」は
12使徒の一人「アルパヨの子ヤコブ」なんだと、
だったらどうしてマルコは「アルパヨの子ヤコブとヨセの母マリア」と
書かなかったのかなあ?
新約聖書の他の所で、アルパヨの子ヤコブを「小ヤコブ」なんて呼んでる所が
他にあるの?
90 :
名無し:2001/07/26(木) 22:49
マタ13:55
彼の母親はマリアで、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
マコ 6:3
…マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。
マコ15:40
その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリアと、サロメもいた。
マコ15:47
マグダラのマリアと、ヨセの母マリアは、イエスの収められるところをよく見ていた。
マコ16:1
マグダラのマリアと、ヤコブの母マリアと、サロメとは…
以上のことから、キリストの「実兄弟」といわれている(小)ヤコブ、ヨセ(フ)の母は、聖母マリアではない、別マリアである。
91 :
名無し:2001/07/26(木) 22:50
ではどのマリアか。
マタ27:55
そこには、遠くから眺めている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤから付いて来た女たちだった。その中に、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。
ヨハ19:25
イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹、クロパの妻マリアと、マグダラのマリアが立っていた。
この二つの個所から、小ヤコブとヨセ(フ)の母マリアが、イエスの母マリアの姉妹、マリア・クロパであることが傍証される。クロパとアルパヨとはアラム語において同義であるから、クロパの妻マリアとは、アルパヨの妻マリアのことである。アルパヨの子のヤコブ(マタ10:3、マコ3:18、ルカ6:15)は小ヤコブということだ。
92 :
名無し:2001/07/26(木) 22:50
マタ10:3
アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンと…
マコ3:18
アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモン、…
ルカ6:15、16
アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモン、ヤコブの子ユダと…
使徒1:13
…アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンと、ヤコブの子ユダであった。
ユダはタダイと同一人物であり、新改訳ではヤコブの子はヤコブの兄弟と別訳してあるから、ユダ、ヤコブ、シモンは、アルパヨの息子と結論できる。ユダも自らを、「主のしもべ、ヤコブの兄弟」と書いている(ユダ書1:1)。
結論:イエスの兄弟といわれる四人は、詳細に調べるとイエスの母マリアの姉妹、マリア・クロパの子供であるが、従兄弟であっても兄弟には変わりない。
93 :
ヌマツダ:2001/07/26(木) 23:00
私は以下の例から言って、
フランシスコ会聖書研究所訳注(中央出版社)の新約聖書の注釈をさほど権威ないと思っている。
例えば、>77 で引用した、フランシスコ会訳の本では、
ガラテヤ【1】(13)ヤコブが使徒団の中に含まれているのかどうか、
ギリシア語原文では、どちらにも解される(一コリント15とその注(7)参照)。
このヤコブは「ヤコブの手紙」の著者と思われる。
とあるが、
日本語百科事典の最高峰『世界大百科事典』を核にした『ネットで百科@Home』
ヤコブの手紙 ヤコブのてがみ Letter of James の項目では、
新約聖書中《公同書簡》と呼ばれる手紙の一つ。
著者はみずからをヤコブと称しており (1 : 1),
そこからイエスの弟ヤコブの手紙とする説もあるが,大多数の学者はそれを否定する。
おそらく 1 世紀末〜 2 世紀初めに 1 人のユダヤ人キリスト者によって書かれたものと思われる。
とあって、フランシスコ会訳の注釈はハズレのように感じる。
94 :
ヌマツダ:2001/07/26(木) 23:04
81 名無しさん@1周年 さん、
「マリアにイエス以外の子がいた」ことの証明と、聖伝の信憑性は、>86 以外に、
日本語百科事典の最高峰『世界大百科事典』を核にした『ネットで百科@Home』の
ペテロ Peter の項目によると、
《使徒行伝》の前半はペテロ中心に叙述されているが,
15 章 7 節以降はまったく言及されず,
その背後にはイエスの実弟ヤコブとの権力交代があったと思われる
(パウロの《ガラテヤ人への手紙》2 : 12 参照)。
使徒教父文書の《クレメンスの第 1 の手紙》5 〜 6 章によれば,
ペテロはパウロとともにローマで殉教死を遂げたとされているが,
その可能性は十分にあると判断されている。
しかし外典の《ペテロ行伝》37 章の伝える逆十字架での殉教の信憑性は疑問視されている。
また新約聖書中の《ペテロの手紙》も,大多数の学者は真正のものとは考えない。
となります。
項目説明を読むと、使徒教父文書や新約外典が聖伝の元だとわかります。
95 :
ヌマツダ:2001/07/26(木) 23:10
一般の百科事典が「イエスの実弟ヤコブ」と言っています。
プロテスタントの聖書辞典が、「主の兄弟」と言っています。
96 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 23:17
百科事典なんか引用するなよ。
鬱だ死のう・・・・・
97 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 23:18
>>89 私もぜひヌマツダさんに聞きたいです。
マルコ福音書の著者は15章40節を
「アルパヨの子ヤコブの母マリア」と書かずに、
なぜ、わざわざ「小ヤコブとヨセの母マリア」
などと分かりにくく書いたのですか。
それと「ヨセ」って誰ですか。
98 :
ブルネルス:2001/07/26(木) 23:24
そもそもイエスの身分自体が、キリスト教思想史の中でだんだんと昇格して、
ついには神にまでいたったものだと思われます。例えば、パウロの真正書簡
では、イエスは特別な存在ではありましたが、神のエイコーン(像)では
あっても、神ではありませんでした。これに対して、パウロの名による書簡
の内、テサロニケ第2では、主であることと神であることとがイエスに帰せ
られてますし。ヨハネ福音書ではイエスはヤハウェと同一視されるに至って
おります。
同様にして、マリアの地位も時代を経るにしたがってどんどん上昇していっ
たものと思われます。イエスの母であるという限りでは、はじめは特に処女
降誕であるという必要もなかったのが、そうなり、さらには、イエスを産ん
だ後も生涯処女で有り続けたのでなければならないとなり、そこで、では、
新約中で、イエスの兄弟への言及をどう説明するかというので、いろいろな
伝説ができ、無原罪の宿りだの、昇天(?)だのという尾ひれがついたもの
でしょう。そのようにして成立した伝承を信じるのは自由ですが、それはお
話に過ぎないという主張も十分成り立ちます。
プロテスタント系の方はマリア崇敬を馬鹿にしますが、そもそもイエスを神
として崇める理解が歴史的に形成されたものであるとする立場からは、マリ
ア崇敬と五十歩百歩なのです。まあ、違いといえば、イエスの神格化は新約
に収められた文書においてすでに現れているが、マリヤの方は少し遅れて昇
進しているので、新約中では処女懐胎程度にまでしかなってないところで
しょうか。
>>98 プロテスタントは自分の教派の信条にあう限り聖書が全てだから、聖書
執筆時期に未だ未形成な教理を受け入れるわけがない。
また、ごく初期にはない教理でも聖書にあれば受け入れる。
100 :
ヌマツダ:2001/07/26(木) 23:40
チョット遅れてなんなんだが、述べます。
90 名無し さん、
>以上のことから、キリストの「実兄弟」といわれている(小)ヤコブ、ヨセ(フ)の母は、
は、プロテスタントでは成立しないのですよ。
プロテスタントは、(小)ヤコブ、ヨセ(フ)の母の、(小)ヤコブ、ヨセ(フ)の事を、
キリストの実兄弟、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟と対応させない。と言う見解なのよ。
91 名無し さん、
>イエスの母マリアの姉妹、マリア・クロパ
と分けて記述されていて、血縁関係でない、
血縁関係でないアルパヨの子の小ヤコブは従兄弟でない事になるのよ。
で、
92 名無し さん、
ユダ書1:1「主のしもべ、ヤコブの兄弟」は主の兄弟ユダで、十二弟子のタダイ・ユダとは別人。
そう言う事で、キリストの「実兄弟」は「従兄弟」説。にはプロテスタントではならないのです。
101 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 23:40
>>94 結局、聖書をどう解釈するかで、その人の品性が分かってしまうのですよ。
ヌマツダさんのような人の書き込みを読むと、自分がカトリックであることに
誇りを感じますね。
自分が聖母の立場だったら、他に子供を産んだりせず、イエスの養育だけに
すべてを捧げるだろう、だから聖母もそうしたはずだ、聖書を読んで
そう解釈した信仰の先輩を、私は尊敬します。
しかし、そうは絶対に考えない、絶対マリアとヨセフには夫婦関係があった
はずだという主張に固執する人もいる。
ペテロとヤコブに権力闘争があったなどという発想もそうです。自分がヤコブの
立場だったら絶対そうする。自分の品性で勝手に決めつけているのです。
大切なことは、初代教会の人々は、私たちよりも1000倍も1万倍も信仰が
あったということです。神への愛や兄弟への愛、隣人への愛にしてもそうです。
それが理解できなければ、100年聖書を読んでもしょうがない。
102 :
あー:2001/07/26(木) 23:42
マリア様には、イエススの他に「兄弟」がいたかどうか?
それは、いただろうというのが自分の考えだ。
しかし、いなかったというのが信仰上の正しい立場だ。
乙女マリアからイエスス様がお生まれになったことは疑いようがない。
天使の訪問にもエリザベトの夫の目に表れた徴にもどの福音書の記述を
照らし合わせてみても処女でまだ男を知らないマリアに子供が授かった
ということは信じるに値する。
問題は、「終世処女」の教義は行き過ぎた解釈ではないかと思う部分が
ある。このことは聖書にはまったく根拠がないように思える。
逆にいえば、このマリア様への理解こそがカトリックの信仰の真骨頂
なのかもしれない、と言える。
続く。
103 :
あー 続き:2001/07/27(金) 00:01
ギリシャ語聖書を読むとき、その分岐点はヨハネ福音書19:25の読み方、
解釈のしかたにあると自分は考えている。
『イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアと
マグダラのマリアとが立っていた。』が本文の訳であるが、
ここでは4人の人物を指し示しているのではなく、「その母と母の姉妹、
す・な・わ・ち クロパの妻マリアとマグダラのマリア・・・・」
と読むことのできる可能性がある。写本原文にはカンマ(,)で区切られて
いる部分は「その母と母の姉妹,クロパの妻マリアとマグダラのマリア」
のように一箇所だけだ「と」と訳した部分は英語で言うand【και】で
つながれている。
104 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 00:02
>>93 『世界大百科事典』と食い違っているという理由で
「フランシスコ会聖書研究所訳注(中央出版社)の新約聖書の注釈を
さほど権威ないと思っている。」
っていう発想が、ぜんぜん理解できない。
その百科事典の執筆者はクリスチャンなの?
フランシスコ会よりも深く聖書を研究し
その結果そう書いているの?
105 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 00:12
ヤコブ書簡を書いたヤコブがマリアの子なら、
なんでマリアは愛弟子ヨハネが引き取ったんだ?
ヤコブと親子ゲンカでもしてたのか?それを誰か説明してくれ。
その説明がつかなければ、やはり無理があると思うがどうだろうか。
106 :
ブルネルス:2001/07/27(金) 00:22
>>105 ヨハネ福音書は、ヨハネに特別な位置を与える傾向があります。ですから、
「なんでマリアは愛弟子ヨハネが引き取ったんだ?」という問いはむしろ、
「なんでヨハネ福音書は、マリアをヨハネが引き取ったと主張しているの
か?」であるべきでしょう。
イエスとヨハネの親密な関係を、イエスは母マリアをヨハネに託したとい
うお話によって、さらに確実にしたいのではないでしょうか。
107 :
あー 終わり:2001/07/27(金) 00:24
クロパはイエススの父ヨセフの兄弟、マリアの叔父にあたると思う。
夫婦の間に当然子供ができるが、それがヤコブ、ヨセ(フ)、ユダ
ということになる。
ヨハネ福音書で、十字架上からイエススは愛弟子に母を託し、母は
愛弟子を息子として託される。このことは、イエススの母マリアが
クロパと子供たちとの縁を断って、その時からイエススの仰るように、
愛弟子を子供とし、愛弟子はマリア様を母とした瞬間であったかもしれない。
マリア様にとって「子」とはイエススのみならずイエススの愛される
弟子たちに及び、事実その弟子とならん人々がキリストを中心に集まっている。
それが、キリスト教会である。
乱文、失礼! 意味がわかりづらいところはお許しください。では。
>>105 概して百科事典の執筆者は一流研究者だから、最新情報が問題になる分野を除いては
かなり信頼できる。
>その百科事典の執筆者はクリスチャンなの?
聖書神学ならともかく聖書学の研究にクリスチャンかどうかは関係ないだろう。
日本では、田川健三でもない限り、百科事典執筆者クラスの聖書学者はほとんどク
リスチャンだが
そもそも、牧会書簡がパウロの手にならず、公同書簡が12使徒の手によらない事は
ほぼ常識。カトリックの聖書学者が聖伝に影響されているのとプロの一部の保守派が
否定しているだけ。
109 :
ブルネルス:2001/07/27(金) 00:25
>>106 補足:私は「イエスとヨハネは特別に親しい関係にあった」と認めている
のではありません。「ヨハネ福音書はそう主張したいのだ」と言っている
だけです。
110 :
名無しからあほのヌマツダへ:2001/07/27(金) 00:27
>100
それはテメーらが勝手にそうしているだけのことだろうが、このどあほ。聖書そのものが証言しているのだぞ。おまえらは、いつも聖書だけ、聖書だけと抜かしていながら、いざ立場がやばくなると、聖書の証言をそうやって無視するわけだ。だから、何100年たってもらちがあかないって訳よ。おまえらの詭弁のせいだ。この、たわけものめが!
111 :
あー>106ブルネルスさん:2001/07/27(金) 00:29
ヨハネが引き取ったと解釈する学者は多いですが、
福音書自体にはその部分を「愛する弟子」あるいは「愛弟子」
と表現していて、ヨハネと明言はしていません。
この部分は、後世のキリスト教の発展に色々な影響を与えた
と思います。色々な深い意味合いを探り、真意を求めながら
主に愛される弟子とはどういう人物か、誰なのか、などと研究
されてきたのだと思います。
112 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 00:34
>>109 「ヨハネ福音書の著者はウソを書いた」と
それがプロテスタントの主張ってこと?
>>103 古い写本である大文字写本にはカマなんかうっていないよ。
販売されているネストレ=アーランドなどは研究者がうっているの。
だから、打たれたカマは無視して自分で解釈上妥当だと思うところでうっていい。
114 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 00:36
101 名無しさん@1周年 さんへ、
誇りを感じるのは勝手だが、私はプロテスタントの信者じゃないし、未信徒なので、
口論で勝った所で新しい命の足しになりませんよ。
いままでスレッドを見た限りでは、CLB氏以外のカトリックの方は、
他派の見方は勉強しない。拒否する。と言った姿勢にしか見えない。し、
スレの流れを見て「俺」氏の福音派?の説明だけでは不足と思ったので、
一般やプロテスタントの立場で述べているだけです。常識的だと思う。
平信徒なら、考えなくて偉くなれるのだから、カトリックの方が楽に決まっている。
司祭やフランシスコ会を受け売りするだけで、あとは「違う」とだけ言っていれば良いからだ。
そういう在り方でありながら、誇りを感じられる方が異常だと思う。
私は、例えば福音書が4つあって、いろいろの見方をするよう構成されているのを見て、
一つの教派の見方だけでは偏見に陥るなと警戒しています。
私は新教・旧教・異教・一般から見るのが良いと思って聖書を読んでいる。
自分でフランシスコ会のを持っているけど、カトリックの方がカキコしてくるから、
楽して調べないで聞こうと思っていたが、天使祝詞の質問みたいに肝腎の答えが来ない。
カトリックって福音派のスレに勝手に来て、言いたい放題なだけか。とか幻滅する。が、
カトリックのすべての人間ではなく、まれにCLB氏のような方がいるので、
我慢していると言った感じだ。
あと別件、
97 名無しさん@1周年さんへ、
私も受け売りで単細胞な答えしかできんが、我慢して欲しい。
個人的には私も「アルパヨの子ヤコブの母マリア」の方が判りイイと思う。
ヨセについては、ただ聖書辞典には、小ヤコブの兄弟。としか解説がない。
ヨセフとかヤコブとかマリヤという名前は多くて、同名別人がゴロゴロしていたのでしょう。
明日、自分持ち以外の聖書辞典等調べる予定ですので、
何か新しい解釈ネタが出たらカキコします。
地方在住でキリスト教の調べモノだと、
東京みたいにサンパウロや友愛書店のような専門書店で立ち読みが出来ないので苦労する。
>>112 ヨハネに限らず四福音書の9割は歴史的には虚偽じゃない。
だから、その史的虚偽だらけの文書がいかにして神の言葉であり得るか、という議論
に苦労するわけで・・・・
116 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 00:42
《ペテロの手紙》も,大多数の学者は真正のものとは考えない。
プロテスタントの人たちは、ペトロの手紙が、
何者かのなりすましによってねつ造されたと
考えているのですか。
117 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 00:54
>>114 >カトリックの方は、他派の見方は勉強しない。拒否する。
別に拒否はしないけど、カトリックの教義を通じて聖書全体を読めば、
別に矛盾も感じないし、苦労もしません。こんなに美しい神話が、他の
宗教にあるだろうかと、感動するほどです。
拒否しているのはプロテスタントの人の方ではないですか。
無理に「マリアに子がいた」と解釈するから、愛弟子に引き取られた
ことが矛盾だ。
聖書は矛盾だらけの虚偽の書物だ。何故これが神の言葉なのか。
なぜそんなに苦労する必要があるのか、分かりませんね。
>>116 プロテスタントの半数以上の新約学者はそう考えているだろうね。
非信者の新約学者なら9割以上だね。
ペテロの手紙がペテロの手によらない事は、ほぼ論争外に間違いない。
牧会書簡じゃない、パウロ書簡の幾つかはパウロの手になるか否か議論
の対象になるが。(もちろん、ほぼ間違いなくパウロが書いたと一致し
て認められている書簡もある。)
119 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 01:13
プロテスタントでないが、
逃げていってしまった男達や兄弟に引き取りは無理だろう。
十字架の前にいもしない人に頼めないでしょう。
年も若いし愛弟子の方が安心な訳だ。
子がいても行方不明なら、養子は考えられる事だ。
兄弟が十字架刑で宗教活動で連座を怖れれば、行方不明にもなる。
ペテロも刑場に近づけずニワトリが鳴いて行方不明。
120 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 01:30
>>プロテスタントの人たちは、ペトロの手紙が、
>>何者かのなりすましによってねつ造されたと
>>考えているのですか。
>プロテスタントの半数以上の新約学者はそう考えているだろうね。
カトリック教会で教えられた説明はこうです。
もともと漁師でアラム語しか知らなかったペトロには、
ギリシャ語が堪能な秘書が何人か付いていました。
ペトロの手紙は、ペトロがそれらの秘書に命じて
自分の考えを書かせたか、秘書たちがペトロの死後、
ペトロの常日頃の教えや遺言のようなものを書いて送ったか、
どちらかと思われます。
いずれにせよ、なりすましが勝手にねつ造したものではなく
ペトロの教えが正確に誠実に書き記されているものです。
カトリックの方が、案外、聖書を大切に思っているのかな。
121 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 01:31
>105
親子げんかでなく、十字架刑に連座する恐怖で行方不明が理由だべ。
イエス方の男達が皆いないのに、愛弟子が刑場にいる方に、不思議を感じるね。
捕らえられて何されるか判らない。と普通考えるが。
122 :
あー:2001/07/27(金) 01:33
信仰というのは、見えない事実を確認したり確信することのようです。
聖書の研究よりも聖書の言葉を受け入れて神に応答することで、
信仰の第一歩を踏み出すのだと思います。神を愛して、人を愛する
というのは難しいですが、信仰者の中にはそのように普通に生きる人が
いるものです。神がその人を必ず生かされるという確信は、同じ「神」
を信仰するものとしてうれしいものです。
123 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 01:36
116 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/27(金) 00:42
《ペテロの手紙》も,大多数の学者は真正のものとは考えない。
プロテスタントの人たちは、ペトロの手紙が、
何者かのなりすましによってねつ造されたと
考えているのですか。
124 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 01:50
>>123 日本語百科事典の最高峰『世界大百科事典』を核にした『ネットで百科@Home』の
ペテロの手紙 ペテロのてがみ Letters of Peter
使徒ペテロによって書かれたとされている新約聖書中の二つの手紙。
しかし大多数の学者は両者ともにペテロの真正の手紙とは考えず,
《第 1 の手紙》は 1 世紀末,
《第 2 の手紙》は 2 世紀前半に (したがって新約聖書中最も遅く) 成立したとみなしている。
使徒ペテロの思想の反映を認めるのは困難であり,
最近ではパウロの思想圏内にあるとの説も出されている。
《第 2 の手紙》は主としてグノーシス主義者を異端として反駁しようとしている。
《ヨハネの手紙》,《ユダの手紙》とともに《公同書簡》と呼ばれている。
青野 太潮
125 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 01:54
>120 ペトロの教えが正確に誠実に書き記されているものです。
は、
>124 使徒ペテロの思想の反映を認めるのは困難であり,
>最近ではパウロの思想圏内にあるとの説も出されている。
で論駁される。
126 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 01:58
カトリックの聖書学者は、
ペトロ書簡の成立は55〜56年頃と推定しています。
127 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 02:03
信仰がない人と議論したってしょうがないですがね。
私はカトリックですが、聖書に理解できない部分があればそれは
聖書が悪いのでなく自分の頭が悪いからだと考えて祈るように
しています。それが信仰というものでしょう。
信仰のない人は、聖書に理解できない部分があれば「聖書が悪い」
と考える。そういう人とは、議論してもしょうがない。
「キリスト教に文句のある人おいで」スレでせいぜい文句言ったら
どうですか。
128 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 02:08
>>125 ペトロはパウロ書簡を読んで学んでいたと考えるのが自然だろ。
「互いに愛し合いなさい」とイエスから戒められてるんだからな。
129 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 02:10
>>119 > 子がいても行方不明なら、養子は考えられる事だ。
イエスの昇天の直後、「彼らは皆、婦人たちや
イエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと、
熱心に祈っていた」(使徒言行録1:14)とあります。
つまりこの時点で、イエスの兄弟たちはみんな
行方不明状態から戻ってきている。
この「イエスの兄弟」が聖母の子なら、なぜ、
ヨハネに預けたままにしておいたのですか。矛盾ですね。
130 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 02:30
>127 さん、私が聖書が悪い?って書きましたでしょうか?
私はマリヤ崇敬の非を導き出すのに、
まず「マリヤは終生処女」ではなかった事から始めて、
聖書辞典や百科事典など使いながら、
聖書学的見地、個人的意見と織り交ぜて書いている。
マリヤに対する信仰がないから、いろいろ見れますが?
でもなるべく、プロテスタント的見方に立っているつもりです。
私が目にする世に出ている解説書が新教系のものが多いものですから。
131 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 02:33
>124 執筆年代の諸説の補足。エッセンシャル聖書辞典では、
ペテロの手紙第一の執筆年代を63年頃、
ペテロの手紙第二の執筆年代を66年頃としている。
宗教史地図 キリスト教(朱鷺書房)諸留能興 氏では、
ペテロの第一の手紙、執筆年代を90年代、
ペテロの第二の手紙、執筆年代を二世紀中葉としている。
あげ
133 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 02:38
>129 ヨハネに預けたままにしておいたのですか。
使徒行伝には預けたままとの記述は見あたらないが。
使徒行伝でいう「兄弟」って、
キリストの兄弟達という意味になっているから、
別に扶養関係に拘る必要を私は感じないが?
使徒行伝の記述の趣旨は、
前半はペテロ、後半はパウロの使徒の働きだから、
マリヤを中心に見る謂われもないし。
134 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 02:48
>>133 >使徒行伝には預けたままとの記述は見あたらないが。
ヨハネ福音書は、イエスの刑死から60年以上あとに成立しています。
その書に「そのときから、この弟子はイエスを自分の家に引き取った」と
書かれてあるということは、イエスの刑死から聖母が死ぬまで愛弟子
ヨハネが聖母の面倒を見ていたと解釈するのが当然でしょう。
イエスが十字架上からそう言ったとしても、やっぱりヤコブか誰かが
後から引き取ったなら、ヨハネ福音書の記者はこうは書かないでしょう。
何か支離滅裂になってきましたね。
135 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 02:54
>>130 >127 さん、私が聖書が悪い?って書きましたでしょうか?
「ペトロ書簡の内容はパウロの思想だからねつ造だ」
みたいなこと、どこかで書きませんでしたか?
136 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 03:08
>135 「ねつ造」はどなたか他の方が書いたのでしょう。
ペトロ書簡の内容はパウロの思想だからねつ造=聖書が悪い、
になるのでしょうか?おかしな発想です。
ソレとは別件。
>128
以下のレジメを読んでの通り「愛」は主題でない。
ペテロの第一の手紙の執筆事情と特徴。
投獄・殉教・没収・皇帝礼拝の強要ではなく、
キリスト者に対する悪意からの非難や攻撃の試練の中にあることへの励ましと、
異教徒の生き方に巻き込まれる傾向を正す為に書かれた。
命令形を多く用い、キリストの苦難が強調された記述である。
ペテロの第二の手紙の執筆事情と特徴。
偽教師による異端が現れ、次第に広まる傾向にあったので、
それを警告する為に書かれた。
偽教師たちが誇示優越性を主張するのに対し、
「知る」「知識」を多用し、真の知識として、
聖書の霊感と聖書解釈の原則を示した。
137 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 03:15
>>128 さんは
ペテロ書簡の主題が「愛」だなんて言ってないと思いますけど.....。
ペテロ書簡の内容がパウロの思想に似ている理由を説明して
下さったんじゃないですか。
138 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 03:16
>>126 > カトリックの聖書学者は、
> ペトロ書簡の成立は55〜56年頃と推定しています。
失礼しました。65〜66年の間違いです。
ネロ帝の厳しい迫害の時期に書かれたと見るのが自然でしょう。
> 愛する人たち。あなたがたを試みる火のような試練を、
> 何か思いがけないことが生じたかのように、
> 驚き怪しんではなりません。むしろ、
> キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、
> 喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、
> 喜びに満ちあふれるためです。(1ペテロ4:12)
ペトロとその弟子たちが、どんな思いでこの書簡を書いたのか、
迫害に苦しんでいた信徒たちが、どんな思いでこの書簡を読んだか
黙想してみてください。
139 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 03:19
>134
マリヤが終生処女の為には、
ヨハネが引き取り手でないとマズイと言いたいのでしょ?
でも私には誰に引き取られていようと重要ではありません。
別に扶養関係に拘る必要を私は感じないが?
140 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 03:34
>>139 だから、あなたのように、聖母にイエス以外の子がいたとすると、
いろいろ説明しにくい矛盾が出るでしょうと言ってるんです。
聖母がヨハネにに引き取られたこととか、
マルコ福音書15章40節を 「アルパヨの子ヤコブの母マリア」
と書かずに「小ヤコブとヨセの母マリア」と書いたのかとか。
イエスが一人っ子だったと解釈すれば、何の矛盾もないんですよ。
>>138 >迫害に苦しんでいた信徒たちが、どんな思いでこの書簡を読んだか
この書簡の朗読を聴いたか、だろうね
一般信徒の多数に関しては「読む」はアナクロだよ
142 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 03:44
>137
>ペテロ書簡の主題が「愛」だなんて言ってないと思いますけど.....。
確かに言ってはいないね。>128 の言いたい内容を、
パウロ書簡を読んで「互いに愛し合いなさい」と学んでいた、
と読んだから、主題は「愛」と推定したまでですよ。
>137
>ペテロ書簡の内容がパウロの思想に似ている理由を説明して
>下さったんじゃないですか。
そうね、>124 の、
>最近ではパウロの思想圏内にあるとの説も出されている。
と言う「説」が記述されてないから、具体的には何とも言えないね。
>138 キリストの苦難を思って試練の中にあることへの励まし、じゃないですか?
耐えれば、死んだ後に天国がある。がんばれ。ってとこでしょう。
143 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 03:49
まだ続けますか?
144 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 03:54
>140 いろいろ説明しにくい矛盾が出るでしょうと言ってるんです。
そぉ?
ヨハネにに引き取られたことは、
>>121で矛盾と感じていないし、
「アルパヨの子ヤコブの母マリア」と書こうと
「小ヤコブとヨセの母マリア」と書こうと同じ意味で、さして重要でないが?
なんか結び付けなきゃならない目的とか有る訳?
145 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 03:57
>>143 うん。今、続けなくても良いよ。午後に続けるのであれば。
断って、別に寝てしまっても良かっただろうに。
146 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 04:03
あと続けようないし、とりあえず、おつかれさま、
私の方が先寝ますわ。
147 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 04:03
お二人さん、もうやめたら?
148 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 14:15
>>140 >いろいろ説明しにくい矛盾が出るでしょうと言ってるんです。
今日、古本屋から買ってきたのだが、該当箇所の解説を読んでも、
「イエスに実兄弟がいても」矛盾は感じないのですが?
増訂新版 新約聖書略解(日本基督教団出版局)1972年6月1日13版、
P129、マルコ6章、六・一−六a郷里伝道、
ユダヤでは軽蔑以外の場合(士一一・一、二)、
父親が存命しなくても母の名で子を呼ぶことはなかったと言われる。
四人の兄弟をイエスのいとこと見たり、腹ちがいの兄弟と解する説があるが、
聖母童貞の教理からの解釈で、そんな無理はしないほうがよい。
姉妹たちもあって、ナザレの一家がむしろなつかしくしのばれるではないか。
母と兄弟たちがイエスを取り押さえにきたことがあったのを見ると(三・二一、三一以下)、
郷里の人々も身内の者もイエスにつまずいたらしい。
P165、マルコ15章、一五・一六−四一 十字架、
東洋では婦人がしばしばそのむすこの名によって呼ばれるが、
小ヤコブとヨセの母マリヤはその一例である。
ヤコブとヨセは本書読者に知られた人であったかもしれない。
P319、ヨハネ19章、一九・一六b−三0 十字架、
イエスは従来自分につき無理解であった家族の者たちを(マコ三・三一以下)、
信仰に導くために、母を愛弟子に託された。
それは、イエスの死後、彼らが信仰にはいっている事実(行一・一四)の
説明としての意味を持っている。
149 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 14:17
>>142 の改訂補足。
>>137 >ペテロ書簡の内容がパウロの思想に似ている理由を説明して
>下さったんじゃないですか。
>>124 の、
>最近ではパウロの思想圏内にあるとの説も出されている。
についてですが、
増訂新版 新約聖書略解(日本基督教団出版局)1972年6月1日13版、
では解説の緒論の一 著者、時、場所、あて先で、
ペテロの口述を自分の文章で書いたとみる事に問題とする点を挙げた中で、
(二)内容がローマ、テサロニケ、エペソ人への手紙などにかなり似ており、
ペテロ単独の信仰思想と思えない。
パウロとシルワノが近い間柄であり初代の共通の福音理解があったのだとみればペテロと結ばれる。
とあり、
二 本書の特色
(一)・・・。パウロ的預言者的基調とヘブル書的祭司的基調がとけ合って
強く復活の救い主をあかししている。
としている。
150 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 14:19
>>138 >ネロ帝の厳しい迫害の時期に書かれたと見るのが自然でしょう。
>>136 >>131 ついて補足。
聖書辞典(新教出版社)1999年7月1日第51刷、
ペテロのてがみ
T ペテロの第1の手紙
[内容]・・・成立はヘブル書とほぼ同じく、
ドミチアヌス帝時代(81−96年)前期とみられる。
U ペテロの第2の手紙
[内容]・・・とくに2:1-22、3:1-3はユダ書と内容的に酷似しており、
おそらく著者がユダ書を利用してグノーシス主義者の攻撃をしたと思われる。
[著者・年代]シメオン・ペテロは偽名である。
使徒の名を借りてその語るところを信ぜしめんとした文章である。
成立年代は紀元150年頃であって、新約聖書中最後に書かれたものとなる。
151 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 15:58
婆痴漢の発表はコロコロ変動する。
そんなものを盲信するのはヤメロ。
152 :
信仰虚弱:2001/07/27(金) 16:34
熱心ですね。昨夜はすっかり夜更かしをしてしまい、今日は眠くて
しょうがないですよ。さて、忙しいのでひとつだけ。
>>150 > 成立はヘブル書とほぼ同じく、
> ドミチアヌス帝時代(81−96年)前期とみられる。
●ヘブル書(ヘブライ人の手紙)が書かれた時期は、
1,エルサレム祭司たちへ語る内容の全体から考えれば
ユダヤ教の荘重な儀式がまだエルサレムの神殿で続いていた時期
であるのは明らかです。よって、70年のエルサレム陥落の
前となります。
2,「テモテが釈放された」と書いてあることから
68年のネロ帝の死後となります。
つまり68〜69年ごろという蓋然性が最も高く、それを反証
する聖書学研究の成果は、今のところないと思われます。
トンデモ本ばかり読んでないで、あなたもカトリックに来たら
いかがですか。今日は忙しいのでお相手できません。ごめんなさい。
でも、この板にはカトリックの論客が多いから、誰かが相手して
くれるでしょう。
153 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 16:43
>>152 そんなにマリア像が好きなのか
それならば、おまえのキタネー
アソコに突っ込んでヒーヒー
言わせるぞ
154 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 18:57
>>152 >つまり68〜69年ごろという蓋然性が最も高く、それを反証
>する聖書学研究の成果は、今のところないと思われます。
>2,「テモテが釈放された」と書いてあることから
>68年のネロ帝の死後となります。
手紙と呼ばれてはいるが,
筆者、あて名、あて先などが明記されず、
それにふさわしい書出しの挨拶はみられず,
最後の部分のみがかろうじてそれらしい形式を整えているにすぎない。
手紙の様式からも遠く、表題は後代の付加とみられている。
したがって本書は手紙というよりも説教 (集) といったほうがふさわしい。
神学的内容はパウロの手紙やヨハネ文書とも異なり,独特な主張がみられる。
筆者の文体はパウロの手紙などと比べて修辞的に整い、
文学的な姿をより多く表しているので、「手紙」と言うよりも、
説教あるいは論述の著作と考えられている。
>1,エルサレム祭司たちへ語る内容の全体から考えれば
>ユダヤ教の荘重な儀式がまだエルサレムの神殿で続いていた時期
>であるのは明らかです。
この書の性質は「説教」に類するものであって、教理の解説や神学的比論
と思われる文章を含んでいる。
成立は96年頃に書かれた「クレメンスの手紙第1」に引用されているので
それ以前とみられている。
後 80‐95 年ころ,おそらくローマの教会にあてられた,
きわめて文学的価値の高い文書である。
155 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 20:00
信仰虚弱 さんへ、
百科事典や日本基督教団の本をトンデモ本だとは思っていません。
>>152 エッセンシャル聖書辞典は65−69年説のため同じ説明になってます。
ペテロTとヘブルの成立90年代説の根拠は、
ドミチアヌス帝時代(81−96年)前期が基準のようで、
何かしらの理由があるのだと思います。
迫害と手紙中の警告の種類の傾向で判断しているなどです。
テモテの名があるので、生存時のように思えますが、
作った説教を、パウロの手紙のように権威を持たせる為に、
パウロを装って13章20節以下の挨拶文を加筆したのであれば、
後世の作意だから、テモテ生存時でなくても良い事になります。
80−90年代説の論文が入手できないので詳しい事はわかりません。
156 :
ブルネルス:2001/07/27(金) 20:03
ペテロの手紙はペテロが書いたわけではない、と言うと、
「じゃあ、捏造だってえのか?」と問い返すのは、
現代の著作の作法を2000年前に当て嵌める時代錯誤です。
ペテロの権威を奉じる人々が、ペテロだったらこの状況でこう言ったであろうことを
ペテロに擬して書くということには、何の倫理的抵抗もなかったし、べつに「捏造」
したわけでもありません。
同様にして、歴史を書くという時にも、例えばパウロがアテネで哲学者を相手にして
語るとしたら、どのような内容が一番相応しいかと考えて、それを書くということも、
当時の歴史の書き方としてはなんでもないことです。それをもって、嘘を書いたとみ
なしたり、いや、そんなはずはない、書いてあるとおりにパウロは演説したのだと
言ったりするのも時代錯誤です。
ペテロの手紙にはパウロ書簡についての言及があり、それを擁護するような言及であ
ることから、これが書かれた当時、パウロ評価をめぐって意見の対立があり、ペテロ
の権威を奉じつつ、パウロの思想を取り込もうという立場で書かれた書物として位置
づけることが可能でしょう。――いや、これは特に事典とか研究書とか見なくても、
こうした書物の情報の見方を身につければ、すぐに推定できる事柄です。
使徒行伝もまた、ペテロとパウロを二大ヒーローとして扱っており、ある意味で似た
ところのある傾向を現しているといえるのではないでしょうか。
ヨハネ福音書が、ヨハネ(愛する弟子をこうとってのことですが
>>111さん、ご指
摘はそのとおり)とマリアの特別な関係を強調するのも、それが歴史的事実であるか
どうかは関係なく、書いた人ないしグループの当時の状況における都合を反映してい
るわけです。事実かどうかの問題ではないのだから、決して彼らは「嘘をついた」わ
けではありません。
157 :
WCC:2001/07/27(金) 20:23
ペテロの権威を奉じる人々が、ペテロだったらこの状況でこう言ったであろうことを
ペテロに擬して書くということには、何の倫理的抵抗もなかったし、べつに「捏造」
したわけでもありません。
158 :
WCC:2001/07/27(金) 20:25
>>157 投稿ミスです
156の引用の通り、著者名を偉大な先人に仮託して書く、というのは
オリエント世界ではしばしばみられる手法。非難されるほどのものではない。
159 :
名無しさん:2001/07/27(金) 20:34
木槌で一人ずつ殴ればそのうちもとの一人にもどる。
160 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 21:03
霊は殴れないよ
殴ったら本人も氏ぬ
161 :
ヌマツダ:2001/07/27(金) 21:43
スレッドの趣旨から外れてしまったので、元に戻したいのですが、
いままでのカキコからいって、
プロテスタント側は、マリヤを崇める理由を聖書上見いだしません。
カトリックの聖書上の根拠は、
聖母マリア様へ捧げられる御挨拶の言葉、有名なロザリオの祈りの前半部ですが、
ルカ福音書の1章41、42に記載されている、エリサベトが聖母様におかけになった言葉です。
ヨハネ福音書2章3-11節。
ヨハネ福音書 19:26-27。
創世記3:15の「・・・は蛇の頭を踏み砕く」の主語を女性形Ipsaで表記。
黙示録12:17。であり、
「永世処女説」の解釈、「ロザリオ」の信心に使われている根拠でしかなく、
共同贖罪者、「無原罪の御宿」、執り成しを説明する聖句はありません。
各スレッドで紹介のあった聖書以外の根拠は、
聖マキシミリアノ・コルベの言葉
ヴィルヌーヴの聖トマスの言葉
聖ベルナルドの言葉
福者アランへの啓示
聖アルフォンソ・リゴリオの言葉
無原罪の御宿りについての黙想・1 フランシスコ・カプチン会修道士 福者ピオ神父 著
ファティマの出現
ルルドの出現
第2ヴァチカン公会議の教会憲章の8章
エフェソ公会議のテオトコス(神の母)
「マニフィカト」の注釈
金口イオアン(多分5世紀の人)の説教
リヨンの聖イレネウスの「異端反駁」III,24,4
聖エピファニウス
聖ヒエロニムス
17世紀スペインのVenerableマリア・デ・アグレダの預言
でした。
ほか、執り成しを説明する為に引用できる5世紀以前の聖伝はありませんか?
162 :
江川:2001/07/28(土) 02:11
エドガーケイシー先生は素晴らしい。何しろ100パーセントの的中立です.このような人は市場かつていません。嘘ばかり言っていないで信じなさい。信じる人だけが救われます。善性を知らない限り、何度も間違いを犯しますよ。そうさせないためにケイシーはリーディングしたんでしょう。予言は人間が行為者であるから、はずれるのは仕方ないことです。人間が歴史を造るのであるよ。外れて良かったと思っているんでしょう。君たちだって。言い方がずるいんじゃないの。イエスがアダムだっていいではないですか。最後のアダムと聖書にも書いてあるではないですか。何処がどう間違っているのですか。わたしは最初であり最後であると黙示録でも言っているじゃないですか。最初のアダムで最後のアダムだったんでしょう.どこがおかしいのですか。最初に原罪を作ったのはアダムではない。アダムのコカインはノデの子らと結婚したではないか。アダム以前に人類がいたってことではないですか。アダム以前の人間には原罪がなかったというのですか。アダムは彼らアダム前の人類を救うためにつかわされた救世主ですよ。文句あるの
163 :
江川:2001/07/28(土) 02:12
Q ユダヤ史でマリアとイエス以外に、無原罪懐胎した人はいますか。
A マリアは無原罪懐胎をしていません。イエスがしたのです。他にもいましたが、ユダヤの歴史には載っていません。(2067‐11)
164 :
信仰虚弱:2001/07/28(土) 11:31
ずいぶんレスが付いてる。皆さん熱心ですね。
>>148 日本基督教団さんの聖書解釈を詳しく引用して下さってありがとうございます。
まあ、他人様の教団の聖書解釈にケチをつけるのは失礼ですからやめときますが、
いろいろ苦労してるんですね。
>>155 > 百科事典や日本基督教団の本をトンデモ本だとは思っていません。
新約聖書略解はぱらぱらと見たことはあります。とてもまじめな方々が
一生懸命苦労されて書いてる立派な本だと思います。
>>all
ペテロ書簡に関しては、
>>120 に書いておきました。
165 :
信仰虚弱:2001/07/28(土) 11:36
>>156 > ヨハネ福音書が、・・・・書いた人ないしグループの当時の状況における都合を
> 反映しているわけです。事実かどうかの問題ではないのだから、決して彼らは
> 「嘘をついた」わけではありません。
ヨハネ福音書は、著者が、事実かどうかを問題外にして自分の都合で勝手なことを
書いた福音書だが、それはウソではないと。あなたも苦労してますね。
カトリックに来られたらいかがですか楽になりますよ。
166 :
信仰虚弱:2001/07/28(土) 12:14
>>154 ヘブライ人への手紙は、私の好きな書簡のひとつです。
この書簡は、エルサレムでユダヤ人による反ローマの独立運動の気運が高まっていた時期に、
指導者の誰かがエルサレムの信徒に宛てて書き送ったものでしょう。
当時ユダヤ人たちは、絢爛豪華だった神殿に集まって礼拝し、祭りごとに祭儀し民族主義を
高めていました。それにあこがれる人が、キリストを信じる信徒の中にもいたと思われます。
そういう信徒たちに、キリストから離れないよう、著者は聖霊の助けを借り、何とかして
勇気づけようとの思いで執筆したと想像します。そういう見地からも読んでみませんか。
> 私たちは地上に永続する都を持っておらず、
> 来るべき都を探し求めているのです。
> だから、イエスを通して賛美のいけにえ、
> 御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。
(ヘブライ13:14)
これを「説教」とか「教理の解説や神学的比論」などと含蓄のない教えられ方では
読む気もしなくなりますね。
167 :
ヌマツダ:2001/07/28(土) 12:48
信仰虚弱 さん
>>166 > だから、イエスを通して賛美のいけにえ、
と、御自分で書いているのに、このスレの主題、
イエスを通さず、マリヤを通して賛美をしているのか疑問です。
引用の聖書には聖人を通して賛美する根拠はありません。
>>161 で質問と重複しますが、
何という伝承のどの章節に、そう言う記述があるのでしょうか?
168 :
ヌマツダ:2001/07/28(土) 13:09
マリヤ崇敬は・・40 名前:名無しさん 投稿日:2001/07/13(金) 17:56
聖母マリア (青土社)ヤロスラフ・ペリカン 関口篤 訳
にはプロテスタント側のマリア認識を次のように述べています。
マルティン・ルーテルは(マリア像について)こう述べている。
「この偶像崇拝はマリアを称えるものではなく、
むしろマリアを極端に貶めこれを偶像化する性格のものだった。」
Martin Luther,House Postil,
Luthers Werke:Kritische Gesamtausgabe,57 vols.
(Weimar:Hans Bohlau,1883-),52:689.
注:Bohlauのoはドイツ語のoの上に点々のo.
スイスの宗教改革者ウルリッヒ・ツウィングリ(1484〜1531)が
1523年にチューリッヒ市に突き付けた
『六十七ヵ条のテーゼ』の第20条は、
「我々は現世以降ではキリストの他には仲介者を必要としない」
と宣言している。
この根拠は、ハイデルベルク教義問答書の言葉
「キリストは我らの仲介者」にみられる。(第六主日 問18と答)
ルーテルの盟友フィリップ・メランヒトン(1497〜1560)が書いた
1530年のアウグスブルク信条の第21条「聖者のカルト」は、
新約の言葉「神と人との間の仲介者も、
人であるイエス・キリストただおひとりなのです」を引用し、
「キリストは神の前の唯一の高僧、唱道者、執り成し人であり、
キリストのみが我らの祈りを聞くことを約束されている」としている。
『アウグスブルク信条弁明』では、
特定の目的で聖者を呼び出すことは認めていない。
したがって、聖者の中の最高位の聖母マリアでさえ
キリストの「唯一なる仲介者」という職分を侵すことはできない。
としている。
中世のマリア崇拝に対するこの批判は、
プロテスタント側のスローガン「聖書あるのみ」からまず発する。
「聖書は言い伝えより権威があり、かつ権威は聖書にのみ存する」
との認識である。
1571年制定の英国国教会三十九ヵ条は、
「聖書に基づかず、他愛なく空虚で、神の言葉に反したカトリック教義」
のリストの最後に「聖者の呼び出し」をあげている。
「権威は聖書のみにあり」の排除の原則は、
マリアと聖者たちの「執り成し」の教義だけでなく、
中世に流布された聖書に出ていないマリアと
聖者たちの説話にも向けられる。
169 :
ヌマツダ:2001/07/28(土) 13:11
マリヤ崇敬は・・226 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/14(土) 07:10
カトリックは「信徒の祈りあい」を持ち出して
強引にマリア・聖人崇拝を正しいと強弁する。
ではこれが強弁であり、大いなる欺瞞である事を証明しよう。
「信徒の祈りあい」とはそもそもどういうものか。
病に苦しむ兄弟があったら、私はその人のためにイエス様に祈る。
「どうか兄弟を試みに遭わせず、その苦しみを取り去ってください」と。
また他の兄弟姉妹にもこう勧める。
「兄弟が病に苦しんでいます。みなさん、ともに兄弟のためにイエス様に祈りましょう。」
だが、兄弟姉妹に共にイエス様に祈りましょうと要請する時、
【決して、兄弟姉妹に向かって祈りはしません】。
兄弟を苦しみから救っていただけるよう、共にイエス様に祈りましょうと勧めるだけです。
ここに、カトリックの言う「マリア・聖人崇拝は信徒の祈りあい」という【いいのがれ】の欺瞞があります。
>>169 でも悩める人が他の信者に対して、この事を神に祈ってください、とお願い
することはあるでしょう。
マリアや諸聖人への祈りとは、この「お願い」でもあるのです。
171 :
ヌマツダ:2001/07/28(土) 13:28
>>168 >1530年のアウグスブルク信条の第21条「聖者のカルト」は、
>新約の言葉「神と人との間の仲介者も、
>人であるイエス・キリストただおひとりなのです」を引用し、
>「キリストは神の前の唯一の高僧、唱道者、執り成し人であり、
>キリストのみが我らの祈りを聞くことを約束されている」としている。
で言う、新約の言葉は、
よく「俺」氏が引用する、第1テモテ2:5です。
「神は唯一です。また。神と人との会いだの仲介者も唯一であって、
それは人としてのキリスト・イエスです。」
172 :
信仰虚弱:2001/07/28(土) 14:03
>>171 その「仲介者」とは、「新しい契約の仲介者」の意です。
パウロが「唯一」と言ってるのは、「モーセも仲介者だろう
と勘違いしないでね」、という意味です。
> (パウロの)その手紙の中には理解しにくい所もあり、無学な人や心の定まらない人は、
> 他の聖書と同じように、これを曲解し、自ら滅びを招いています。(2ペトロ3:16)
気をつけましょう。
>>169 > だが、兄弟姉妹に共にイエス様に祈りましょうと要請する時、
> 【決して、兄弟姉妹に向かって祈りはしません】。
> 兄弟を苦しみから救っていただけるよう、共にイエス様に祈りましょうと勧めるだけです。
> ここに、カトリックの言う「マリア・聖人崇拝は信徒の祈りあい」という【いいのがれ】の欺瞞があります。
聖母は、一般信徒と違って、すでに神に召されて天にいる方ですから、
その方に語りかける時は、当然「祈り」の形を取りますよ。
それが問題なのですか。じゃあ、プロテスタントの方は、
カトリック信徒が聖母に願う時に、直立不動で声を出して空に向かって
「マリアさまー。私のためにキリストさまにお祈り下さーい」と叫んで
と願うなら、それならマリア崇敬は認ようと言い出すのですか。
くだらないですねえ。
そういう、くだらない書き込みをコピペして来ない方がいいですよ。
173 :
ヌマツダ:2001/07/28(土) 17:02
仲介者は仲保者とも言い、互いに対立する二者の間に立ち、
敵意の原因を除くことによって和解と一致を得させる者を言う。
宗教的な意味では、神と人の間を「とりなす者」である。
>>172 >その「仲介者」とは、「新しい契約の仲介者」の意です。
「新しい契約の仲介者」(ヘブ9:15)のそれは、
イエスは祭司であると同時に犠牲であるからでしょ。
大祭司イエスは旧約の祭司と異なって、
みずから罪なく、ただ一度御自身を捧げて。
「永遠のあがないを全うされた」(ヘブ9:12)わけだから、
他の仲保者の「とりなし」を必要としなくなったわけだ。
他にマリヤや聖人のようにキリストへの仲保者がいるのは、
直接、神と人との「仲保」が出来ないから、
キリストの仲保の意味が無くなり、贖いが不十分と言う事になります。
仲保の神であるキリストに対して「あがない」も無しに、
他の「とりなし」があるのは可笑しくありませんか?
可笑しいと知っててカトリックは、マリヤを仲保者にしたいものだから、
マリヤには「罪がない」事にして、共同贖罪者に仕立て上げたい訳だ。
そうすれば論理的にはマリヤ崇敬による「とりなし」は正統化できるから。
カトリックが共同贖罪者にこだわる理由は、イエス様が、
みずから罪なく、ただ一度御自身を捧げて。
「永遠のあがないを全うされた」(ヘブ9:12)聖句を、
マリヤ信心のために無力化する為だとしか考えられない。
174 :
ヌマツダ:2001/07/28(土) 17:12
マリヤ崇敬は・・52 名前:俺 投稿日:2001/07/13(金) 18:28
カトリック教徒がマリヤを仲介者、共同贖罪者とするのは冒涜的行為である。
それは主イエスの贖いを不十分と言っているのと同じである。
マリヤ崇敬は・・62 名前:名無しさん 投稿日:2001/07/13(金) 18:43
>>52 主イエスの贖いを不十分と言っているのと同じである。
賛成。裏付けあり。
ハイデルベルク信仰問答
問15 それでは、わたしたちは、
どのような仲保者または救い主を求めるべきなのですか。
答_ まことの、ただしい人間であると同時に、
あらゆる被造物にまさって力ある方、
すなわち、まことの神でもあられるお方です。
問18 それでは、まことの神であると同時に
まことのただしい人間でもある、
その仲保者とはいったいどなたですか。
答_ わたしたちの主イエス・キリストです。
この方は、完全な贖いと義のために、
わたしたちに与えられているお方なのです。
175 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 17:32
ヌマツダさん、
カトリックのマリア崇敬を理解するには、
まずは正教のマリア崇敬を研究してごらん。
なぜマリア崇敬が成立したかも知るべきだよ。
176 :
ヌマツダ:2001/07/28(土) 17:55
>>175 正教のマリア崇敬の概要説明を書いていただけると有り難いのだが。
177 :
信仰虚弱:2001/07/28(土) 18:12
>>173 > 可笑しいと知っててカトリックは、マリヤを仲保者にしたいものだから、
> マリヤには「罪がない」事にして、共同贖罪者に仕立て上げたい訳だ。
ヌマツダさん。カトリックの教義に、「聖母が神と人との契約の中保者だ」
などという非常識なものはありません。
それと、「共同贖罪者」もカトリックの教義にはありません。
他にもいろいろと書いてますが、無知に無知を重ねた妄言の羅列を前提にして、
他教派を根拠もなしに誹謗中傷するのは止めてくださいませんか。
なぜそういうことをするのでしょう。理解できません。
178 :
ヌマツダ:2001/07/28(土) 18:17
>>177 マリヤはキリスト・イエスに対する仲保者(とりなし者)ではないのですか?
人→マリヤ→イエス→神、ではないのですかね?そう言う理解でしたが。
179 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 18:25
終わってるな君は
180 :
ヌマツダ:2001/07/28(土) 19:16
>>178 の理屈は、
神以外に祈るのは偶像崇拝だと思うから考えついた理屈なのだが?
マリヤに単独で祈ったら、神へ祈った事にならないだろう。間違いだったか。
181 :
ヌマツダ:2001/07/28(土) 19:26
カトリックでは、モーセやエリヤは聖人ではないのでしょうか?
イエスはモーセやエリヤに会ったので聖人ではないのでしょうか?
モーセやエリヤに「とりなしの祈り」を祈らないのでしょうか?
唯一の仲保者は、モーセはペケで、マリヤはOKという解釈でしょうか。
182 :
ヌマツダ:2001/07/28(土) 19:29
>>180 神でない人に祈るのは、皇帝崇拝と同じ偶像崇拝にならないのかなぁ。
183 :
俺:2001/07/28(土) 20:45
マリヤ崇敬は明らかに間違いです。意地になって反発するカトリック教徒の心理状態は次のようなものである、と私は考えます。
1、組織の方針を持って、真理の代用とした方が楽である。
2、正しいと信じて罪を犯す事は、正しいと信じて正しい事をするのと大差がないのではないだろうか?マリヤ崇敬が正しい事であると信じ込んでいる振りをすれば罰せられないのではないだろうか?
正しいと信じ込んでいる事を装うには、この罪を平然と犯し、正当な行為だと主張していくべきだ、と考えている。
(注意:正しいと信じている事と、正しいと信じている振りをする事は正反対である)
3、自分の愚かな言動を見兼ねて、誰かが何とかしてくれるかもしれない。と期待している。
184 :
ブルネルス:2001/07/29(日) 01:20
ヌマツダ氏のおかげで、なかなか読みがいのあるスレになってると思う。
故に、アゲとく。
185 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:36
>>181確か、みんな聖人だったと記憶しますよ。
聖母マリアはキリストの受胎を受け入れることのできる
祝福された母胎として特に高く上げられていますが、
他の方と同じ聖人に過ぎません。
ミサに式次第を見られたら分かると思いますが、
私たちの祈るべき対象は主キリストです。
聖人たちは共に祈ってくれる存在です。
取次ぎとはこのような概念です。
聖母マリアを通さなければならないというものは
私は習っておりません。
聖人崇敬についてですが、私たちがもし運良く天国へ行った場合、
どうするでしょうか?地上を見下ろすだけでしょうか?
地上の兄弟たちのことを天国で思い、祈ると思います。
そういう部分から出て来た信仰の形態です。
聖書には暗黙の了解があると、多くの現象を通し
教父たちや主の元へ戻った兄弟姉妹は感じていました。
それを教義化して現在の形態の元が出来上がりました。
聖人に祈りを頼むのは彼らの信仰が特に優れているためです。
それから守護の役割も担いますが、これも信仰が守れるように
その方々を模範にして生きていくことを指します。
洗礼名をつけるのもこういう習慣から行われています。
聖人はイエズスと一緒に天にあって見守って下さると
信じているのがカトリック信仰の考え方です。
ですから、悪いと思ったこともありません。
プロテスタントの信仰の形態をカトリック内で裁く
意見もあるようですね・・・。残念に思います。
プロテスタントの信仰形態は聖書から導くのは容易ですね。
我々は様々な現象を古代の教父を再点検したことを
信仰しております。聖伝には聖書に語られていないものが
隠されているという考え方をしています。
聖書は初期の文献から、聖人伝は口伝を含む数々の奇蹟を
まとめたものです。
186 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:38
>>183 俺は明らかに間違いです。意地になって反発する俺の心理状態は次のようなものである、と私は考えます。
1、俺の方針を持って、真理の代用とした方が楽である。
2、聖母信心は間違いだと攻撃する事が正しいと信じて罪を犯す事は、正しいと信じて正しい事をするのと大差がないのではないだろうか?俺が正しい事であると信じ込んでいる振りをすれば罰せられないのではないだろうか?
正しいと信じ込んでいる事を装うには、この罪を平然と犯し、正当な行為だと主張していくべきだ、と考えている。
(注意:正しいと信じている事と、正しいと信じている振りをする事は正反対である)
3、俺の愚かな言動を見兼ねて、誰かが何とかしてくれるかもしれない。と、私は期待している。
187 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:42
>>187 178のあなたの書き込みからして、あなたが全くカトリックにおけるマリア崇敬を
理解していないことがよくわかります。
マリア崇敬を叩きたいのであれば、先ずはカトリックのマリア論についての本を
数冊読んでからにしたほうがいいと思いますよ。
俺さんの場合もそうだけど、カトリック信者からみていると、勝手なマリア理解を拵えて
それを前提にマリア崇敬はどうのこうのと言っているだけのようにしかみえません。
とにかくカトリックのマリア論についての本を読んで、マリア崇敬とは何かを理解してから
議論したほうがいいと思います。とんちんかんなマリア理解の人に議論を吹っかけられて
まともに相手するカトリック信者はあまりいないと思いますから。
といってもどうせ読まないんでしょうがね(笑)
188 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 04:54
>>186-187
そうやって自分の陣地に引き籠もるのはよくない。
誤解を解きたいのなら、信徒以外にも解るように説けばよい。
それが宣教の第一歩なのではないのか。
初代教会を継承している自負があるのだろう?
189 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 05:04
>>183 俺は明らかに間違いです。意地になって反発する俺の心理状態は次のようなものである、と私は考えます。
1、俺の方針を持って、真理の代用とした方が楽である。
2、聖母信心は間違いだと攻撃する事が正しいと信じて罪を犯す事は、正しいと信じて正しい事をするのと大差がないのではないだろうか?俺が正しい事であると信じ込んでいる振りをすれば罰せられないのではないだろうか?
正しいと信じ込んでいる事を装うには、この罪を平然と犯し、正当な行為だと主張していくべきだ、と考えている。
(注意:正しいと信じている事と、正しいと信じている振りをする事は正反対である)
3、俺の愚かな言動を見兼ねて、誰かが何とかしてくれるかもしれない。と、私は期待している。
>>187 >178のあなたの書き込みからして、あなたが全くカトリックにおけるマリア崇敬を
>理解していないことがよくわかります。
以下のレスはカトリック側の説明ではなかったのでしょうか?
αマリヤ崇敬の間違いを正すω
116 名前: 信仰虚弱 投稿日: 2001/06/03(日) 14:42
マリアはイエスへの取り次ぎ者であれば、すなわち三位一体の神への取り次ぎ者と言っていいのです。三位はひとつなのですから。ただ、「父なる神への取り次ぎ者」と言うとペケです。
だから、
>マリヤはキリスト・イエスに対する仲保者(とりなし者)ではないのですか?
>人→マリヤ→イエス→神、ではないのですかね?そう言う理解でしたが。
と聞き直したのです。
カトリック側のレスを根拠に言っているのに、
カトリック側は「理解していない」「勝手」と言って、
>>188 信徒以外にも解るように説かずに、理解を混乱させている。
191 :
ヌマツダ:2001/07/29(日) 10:09
>>185 >聖人たちは共に祈ってくれる存在です。
>取次ぎとはこのような概念です。
祈祷書の文言を読むと、イエス様に取り次ぐ内容に見えなくて、
聖人を単発で賛美しているようにしか読めませんが?
公教会祈祷文(中央出版社)カトリック中央協議会編
ミサの祈 五五頁
【 元后、あわれみ深き御母 サルヴェ・レジィナ 】
元后、あわれみ深き御母、
われらの命、慰め、および望みなるマリア、
われらちくたくの身なるエワの子なれば、
御身に向いて呼ばわり、
この涙の谷に泣き叫びて、ひたすら仰ぎ望み奉る。
ああ、われらの代願者よ、
あわれみの御眼もてわれらを顧み給え。
またこのちくたくの終らん後、
尊き御子イエズスをわれらに示し給え。
寛容、仁慈、甘美にまします童貞マリア。
>聖母マリアを通さなければならないというものは
>私は習っておりません。
でも、以下のカトリック側と思われるレス(あなた=マリヤ)を読むと、
「マリヤ以外によりどころは、ありません。」と言っています。
αマリヤ崇敬の間違いを正すω
76 名前: ヴィルヌーヴの聖トマスの言葉 投稿日: 2001/06/02(土) 23:42
『私達は、皆、あわれな罪人ですから、あなた以外によりどころは、ありません。
あなたは、私達の唯一の希望です。私達は、私達の救霊について、あなた以外に、
より頼むべきものを持っていないのです。
あなたは、イエズス・キリストの御前における、私達の唯一の弁護者です。
ですから、私達は、皆、あなたを仰ぎ見るのです。』
>地上の兄弟たちのことを天国で思い、祈ると思います。
>それを教義化して現在の形態の元が出来上がりました。
>聖書は初期の文献から、聖人伝は口伝を含む数々の奇蹟を
>まとめたものです。
聖書や聖伝(古代教会の信仰宣言、公会議の決議、教導職の証言、教父たちの著作、
古代からの典礼など「カトリック要理」より)のどこに書いてあるのですか?
信仰虚弱 さん
>>167 の質問に答えて下さいよ。
私は出来る限り引用を載せているんですから、お願いしますよ。
192 :
ヌマツダ:2001/07/29(日) 10:18
>>191 補足。「代願者」の文言で、取り次ぐと読めますが、
「尊き御子イエズスをわれらに示し給え。」 では、取り次ぐように読めないのです。
193 :
ヌマツダ:2001/07/29(日) 10:42
>>191 補足。
>聖母マリアを通さなければならないというものは
>私は習っておりません。
マリヤ崇敬は・・331 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/14(土) 21:12
>>238 >聖母を通じてでなければ、誰一人として
>キリストに近づくことができない。
>レオ13世
教皇はそんなこと言うのか?
教皇は馬鹿なんじゃ姉の?
194 :
名無しさん:2001/07/29(日) 12:36
キリストに近づいている人は、本人が意識していると否とに関わらず、聖母の恵みにあずかっているのですよ。聖母はプロテスタントにおける聖霊の働きに対比できるでしょう。カトリックでは、聖母は聖霊を信徒の心に注ぐ器、あるいは通路のような存在です。
インドの聖公会で洗礼を受け、現代のパウロ、東洋のフランシスと呼ばれた近代インドの聖者、サドゥー・サンダー・シングは、プロテスタントに籍を置いていましたが、深い黙想を実践していた人で、諸聖人と交わりを持ち、カトリックやギリシャ正教の聖人並のエクスタシー経験を多くもちました。
彼はプロテスタント世界で広く紹介され、説教もプロテスタントのそれでありました。その彼が、2度目の世界宣教(1923年)の途中で、ブルガリアに立ち寄ったときに、ヨーロッパの危機について、警告のメッセージを告げました。それは、聖母マリアから託されたものでありました。
預言は正確で今も恐ろしい位に成就していますよ。
その最初の部分だけ。
195 :
名無しさん:2001/07/29(日) 12:37
'Don't be surprised by this kind of addressing,
I make it because you might be cheated
by the satanic frame - up that is so well developed now.
I know that Romania is designed by God
to accomplish some day its spiritual revival
and that it will become an example for the entire humanity.
Even if I say this you don't have to consider me
a fanatic sympathizer of Romanian people,
a person who imagines chimeras,
because in these prophecies I was inspired
by the Holly Maid who gave birth to Jesus.
196 :
名無しさん:2001/07/29(日) 12:37
これには本当に驚きましたが、以前から疑問に思っていたことが氷解しました。諸聖人の筆頭である聖母マリアのことが、何故、彼の本に出てこないのだろうという疑問です。しかし、やはり、彼も聖母マリアと通じていたのです。
諸聖人と交わるほどの聖なる人であれば、プロテスタントでも聖母と通じ合うのですよ。ですから、こんなインターネットでちまちま文字漁りする時間があったら、祈りと黙想をされた方がいいですよ。そうしない限り、人の本や文章からは何一つ得るものはありません。
197 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 14:08
>>191ええ。聖人の賛美は当然の事です。
よき信仰をした方々ですので。彼らの信仰を賛美します。
>聖書や聖伝のどこに書いてあるのですか?
私は書いてある箇所を知りません。
体で感じるので私はカトリックを選択しました。
しかし、もし書いていないのも当然のことです。
聖人の働きを理解するなら簡単に導けます。
当時はこの形態の信仰がキリスト教全体に及んでいた証しです。
特に迫害時代に数々の奇蹟が報告されました。
なぜ奇蹟が起こるのか?と考察した結果なのは容易に導けます。
ほとんどの信者は目撃者であり、考察者でした。
>>192聖人たちの聖人の信仰を通しても
私たちは神を見ることができると捉えています。
それがまさに聖母マリアをはじめ書生人たちの信仰心と
神の技によって起こされた現象と捉えています。
また、私たちの回心も神によって起こされた現象の一つです。
イエズス様は信じる人たちには奇蹟を示されましたが、
そうでない方々には奇蹟をお示しになることはできませんでした。
聖書はこうも証言しています。
神の奇蹟を体現した諸聖人はこういう理由で称えられます。
>>193文字通りに受け取ってはいけません。
父なる神は聖母マリアを通して御子イエズスを示されました。
そのことを忘れてはいけないという意味です。
聖母マリアの信仰による働きを軽んじることなくという意味です。
聖ヨゼフ同様に貧しさの中にあっても貧しさに負けず
罪に陥らなかった乙女マリアの信仰が深かったことから
神はマリアを選ばれたと私たちは解いています。
その現象を幻視した聖人の証言で「聖母マリアの無原罪」
という教義が出来上がりました。
198 :
CLB:2001/07/29(日) 14:22
>173 ヌマツダ氏
(1)
カトリックで言う聖母マリアが仲介者だというのは、キリストが「仲介者」(1テモテ2:5)だという意味と次元が違います。
受肉によって、キリストは真の人間となったわけですが、それは我々人間との連続性を得たことになります。つまり彼は「兄弟」(ヘブル2:11)になったわけで、聖母もその関連で、我々の母だという認識が教会の中で広まりました。母なら、「長男」たるキリストに、信徒達の祈りを取り次ぐだろうという感覚です。これは「共同体の祈り」の問題であって、贖罪論や十戒などとは、範疇が違います。
「義人の祈りは、大いに力があり、効果のあるもの」(ヘブル5:16−17)です。ならば、その母の祈りはどれほどのものか、ということでしょう(ヨハネ2:1−11)。
【言葉の問題】
聖書の記述では、キリストが「羊飼い」(ヨハネ10:14)でありながら、信徒も“羊飼い”(1ペテロ5:2)であり得ます(他にも類例はあるはず)。これは矛盾ではなく、言葉が多義的だということです。
それはあかたも、コロサイ1:24「キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体によって補っている」が、キリストの贖罪の完全性を否定しないのと同様です。
カトリックの信仰は、聖書の字句拘泥主義的な分析から生み出されたものではなく、初代教会からの「信仰の感覚」(救われた者たちが神の教会の中で教えを深め、保持する感覚)から派生・継承された信仰です。問題は、それを認めるか否かですね。
199 :
CLB:2001/07/29(日) 14:24
>ヌマツダ氏
(2)
>可笑しいと知っててカトリックは、マリヤを仲保者にしたいものだから、
マリヤには「罪がない」事にして、共同贖罪者に仕立て上げたい訳だ。
そうすれば論理的にはマリヤ崇敬による「とりなし」は正統化できるから。
と言われますが、「中保者にしたい」というこの主語は誰ですか。まるで陰謀史観のようですが、そういう反キリスト教的な企てをしていたのは誰なんでしょう。そう思った根拠(文献)を挙げていただけければ幸いです。「正当化」も誰に対してなさなきゃいけなかったのでしょうか。
聖書には、教会に対する保護が語られている点も重要だと思うのですが・・・。
>カトリックが共同贖罪者にこだわる理由は、・・・「永遠のあがないを全うされた」(ヘブ9:12)聖句を、マリヤ信心のために無力化する為だとしか考えられない。
これも同様です。
どちらにせよ、マリア論と救済論を対立させることは、カトリック神学からあり得ないのです。これはもう、全体像を勉強してもらうしかありません。
と言うと、「わかるように語れ」と言われそうですが、ある程度、固定化された反対意見を持っている人に説明するのは、時間がかかるのは当然です。
200 :
CLB:2001/07/29(日) 14:25
>191 ヌマツダ氏
「祈り」に対する理解は、プロテスタントとカトリックで大きな差があるようです。
わたしの印象では、プロテスタントでは祈りを、それ自体で礼拝行為のように考えているように感じます。
しかし、カトリックでは、天の居る人達との会話(あえて言えば情報通達)の要素があります。
教会とは、この地上にある教会だけでなく、天にある聖徒たちの教会をも指します。その共同の祈りで、「取り次ぎ」がなされるのです(黙示8:3−4、やや関連)。
>祈祷書の文言を読むと、イエス様に取り次ぐ内容に見えなくて、
聖人を単発で賛美しているようにしか読めませんが?
神の被造物である人間の中で、主のために生涯を捧げた人達を、キリストの栄光を讃えるために、「賛美」しているのです。その最終的な目的は、神の栄光を讃えることです。
もちろん「」付きの賛美であって、神のみに捧げるものとは質的に違いがあります。
エリザベトの聖母マリアに対する言葉(ルカ141−44)を、教会の中で継承したものです。
そもそも聖人崇敬とは、信徒が信仰の手本を求めるために生まれてきたものです。その目的はキリスト者として完成することです。生きた聖書解釈、それが聖人が教えることです。
201 :
CLB:2001/07/29(日) 14:40
一気に書きましたが、プロテスタントとカトリックでは、キリスト教としてのあり方が
異なっているんだから、他宗派の教義を自分の信仰理解から云々する必要なんて
ないじゃないのかな。
何度も何度も書いていますが、それだったら、キリスト教は「聖書のみ」で
なくては成立しない、と証明してほしい。
(また、信者でない人がマリア崇敬を正しい、正しくないと言ったところで、
何の意味があるのか、と思わざるを得ません。)
カトリックにもいろんな人がいますが、「プロテスタントの教派主義は
間違い」とか「聖書の禁じている分裂現象である」なんてスレ立てている人
はいないのに。
202 :
信仰虚弱:2001/07/29(日) 17:34
ヌマツダさん。1日レスしなかったぐらいで、「答えて下さい」と言われても
困りますよー。「仲介者」については、CLBさんが説明して下さいました。
マリア崇敬の問題とは関係のない語句です。新共同訳聖書の巻末の用語解説
にもありますから確認されたらいいでしょう。
何度も申しますが、マリア崇敬を理解しなくとも、キリストの恵みを受けること
は可能です。カトリック信徒の中にも、イエスさまにだけ祈っている人もいます。
聖母を崇敬する私たちとしては、非常に個人的で内面的で、心の奥の宝物の
ような悟りを、あまり他人に開陳したくないなあ、というのが本音です。
こういう議論をしても、何も得るものもないし。もうやめませんか?
CLBさん。いつもフォローして下さり、ありがとうございます。また、CLB
さんの発言はとても勉強になります。大して知識も信仰もないのに偉そうなことを
書いて、相手を不快にさせては嫌われているしょうもないあたしですが、今後とも
よろしくお願いします。何人かの名無しさんも、フォローありがとうございます。
203 :
信仰虚弱:2001/07/29(日) 17:43
> カトリックにもいろんな人がいますが、「プロテスタントの教派主義は
> 間違い」とか「聖書の禁じている分裂現象である」なんてスレ立てている人
> はいないのに。
笑いました。CLBさんも、たまにはこういう発言するんですねえ。
204 :
ヌマツダ:2001/07/29(日) 19:25
>>201 > 何度も何度も書いていますが、それだったら、キリスト教は「聖書のみ」で
>なくては成立しない、と証明してほしい。
聖書のみ「でなくては成立しない。」のではなく、
なるべく聖書のみ「で成立させようとした。」プロテスタントが本来的だ。と考えています。
私の個人的意見ですが、キリスト教が「聖書のみ」でなくては成立しない。とは考えていません。
歴史的な既成事実として、カトリックの聖伝でないプロテスタントの伝承はあるものと考えます。
安息日が日曜と比定してするのは「聖書のみ」から証明できませんが、この部分は伝承で、
十戒の安息日を覚えてこれを聖とせよ。と言う事から、主日礼拝(日曜礼拝)をするので、
やはり「聖書から」だと考えられるからです。
サクラメントでも、プロテスタントが洗礼と聖餐に絞ったのも「聖書から」だというのはわかります。
洗礼はマタイ28:19、聖餐はコリントT11:23〜26です。
私的意見ですが、聖人・聖遺物崇拝は、後世のキリスト者の習俗です。
カトリックは後世のキリスト者の習俗と初代使徒の言うキリスト教との混ぜモノです。
それをプロテスタントはキリストへの信仰を基に、
初代使徒の言うキリスト教へと純粋化したものだと考えています。
205 :
ヌマツダ:2001/07/29(日) 19:25
(つづき)
私の知る限りでの聖遺物崇拝の始めは、150年頃のポリュカルポスの殉教時に、
火刑後の遺骨を回収して崇めた事です。
そう言う風に知識的には知っていますが、私は殉教で非難したユダヤ人達と同じ考えです。
ユダヤ人達は偶像崇拝になるからと言って、
ローマの官憲にキリスト教徒に遺骨を拾わせないようにと要請したそうです。
聖遺物崇拝はポリュカルポス時代の信徒の自然発生的遺骨収集を先例とするのであって、
パウロはローマで斬首になる前に、パウロ書簡には、
自分について聖遺物・聖人崇拝になる遺言をしてないのですから、
パウロ的には根拠のない崇拝です。
パウロの時代にテサロニケT4:13〜18の携挙があると思われたわけですから、
死後の事を考えて遺体の処置について言及するはずがありません。
にもかかわらず、すでに2世紀から聖人・聖遺物崇拝は始まってました。
今まで読んだ使徒教父文書や新約外典に根拠がないが、
比較的古いと思われる聖遺物崇拝にサンチアゴ(聖ヤコブ)があります。
聖ヤコブの首が眠っているという、
スペイン・ガリシア地方のサンチアゴ・デ・コンポステラの話です。
このヤコブはイスラム・スペインが攻めてきた時に逸話があり、
キリスト・スペイン側の軍勢の中にヤコブは白馬にのって現れて、
それに勇気づけられたキリスト軍側が大勝したということです。
それでサンチアゴは、ローマとエルサレムに次いで3大巡礼地になりました。
攻めてきた軍勢に勝った「お陰話の奇跡談」は聖母マリヤにもあり、
626年にアバル軍に攻められたコンスタンチノープルで、
総司教のセルゲオスが敵軍に向かって「聖母のベール」と伝えられたベールを広げたら、
撃退することができた。のでこの時から聖母は勝利の女神に取って代わった。と、
有る本では書かれていました。
206 :
ヌマツダ:2001/07/29(日) 19:26
(つづき)
今日また書店で立ち読みしまくってきたのですが、
以下のようにマリヤ崇拝のネタには事欠かなかったのはわかりました。
431年のエフェソ会議で神の母を宣言することで、
アルテミス崇拝に取って代わった。
キリスト教が国教になってから、キリスト者の女性像として処女性が重視されて、
マリヤが持ち上げられた。
626年に聖母は勝利の女神に取って代わった。
天上と地上の仲介者としての教令は840年頃にあった。
9、10世紀に教会権力が強い時代に聖母子像が盛んになった。
11世紀頃には1000年期の終末思想の不安な時代に、
臨終のとりなしでマリヤの奇跡が起こる例が多かった事などです。
ですが、「十字架のイエス」を述べ伝えたパウロの説を読むと、
十字架のイエス像の前で、ミサで聖化したパンと葡萄酒を食べても、
「聖母に抱かれる幼子イエス」を述べ伝えるカトリックは、やはり違うなと思います。
聖母子像をみたら、パッと見、母が主で子が従に見えてしかたありません。
子どものおもちゃ売り場の店員のように「かわいいお子さんですね。」とか子どもが主人のようだが、
実は財布は御カーチャンが握っているので、店員の心は御カー様の方を向いていませんでしょうか?
心の中はのぞけませんが、形で表している部分で、聖像や聖画からして、
崇敬(ドゥリア)と特別崇敬(フィレドゥリア)と崇拝(ラトリア)を、
外目で見て区別出来るでしょうか?
人の信心にケチ付けるのはいかがなモノかと問われるので恐縮ですが、
人から新教と旧教のどちらがよりよいですか?と問われたら、
今までのスレからいって私の場合は新教の方を採ります。
異教の奇跡談やお陰話のように旧教は俗信的にすぎる気がします。
207 :
774:2001/07/29(日) 19:40
>>206 本屋で立ち読みされてきた割には、
ものすごい記憶力ですね。
別な意味で、感心しております。
208 :
ヌマツダ:2001/07/29(日) 20:18
>>207 774って名無しさん@1周年さん?CLBさん?
ありがとうございます。
でもマリヤ崇敬に反対していながら、
マリヤ様のお陰で記憶力よかったりしてね?
209 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 20:24
>>207 どちらでもありません。
単なる傍観者です。
210 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 20:25
211 :
信仰虚弱:2001/07/29(日) 20:35
> > 何度も何度も書いていますが、それだったら、キリスト教は「聖書のみ」で
> >なくては成立しない、と証明してほしい。
> 聖書のみ「でなくては成立しない。」のではなく、
> なるべく聖書のみ「で成立させようとした。」プロテスタントが本来的だ。と考えています。
いい機会ですから、このスレをROMしている方に私見を述べておきます。
新約聖書のそれぞれが書かれた目的の重要なひとつに、キリストが使徒たちに伝えた
普遍の教えを、異なる教えから守るということがありました。
それぞれの書物が書かれた当時は、「信徒は全員、律法の戒めを守るべきかどうか」
とか、「信徒同士の関係と血縁の関係はどちらが大事か」とか、
「キリストは復活したか、人は復活するのか」とか、そういう議論で信徒は揉めていた
ようです。だから、普遍の教えを守るために、パウロ書簡でも福音書でも、
そういうことを非常にくどくどと繰り返し書いた。
しかし、三位一体(イエスと聖霊はヤーウェと一体だという認識)や聖母への深い尊敬、
イエスは一人っ子だったとか、こういった問題に異議を唱える馬鹿な人はいなかったし、
議論にもならなかったのでしょう。だから、聖書にわざわざ、くどくどと書く必要も
なかったと思われます。でも十分に書いてありますけどね。
何百年もたって、反対する人が出てきたため、三位一体にしても、聖母が神の母であると
いうことも、公会議を開き、聖霊に導かれて再確認したというわけです。
あなたが、誰か大切な人に手紙を出す時のことを考えて下さい。書く必要のない
当たり前のことは、わざわざ、くどく書かないでしょ。私は聖書をそういう感覚で読みます。
212 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 20:40
ヌマツダさんへ。
あなたの感情や主観が入っていているのは
仕方がないと思います。
しかし、霊的意味合いを重視するか重視しないかで
解釈が大きく異なると思います。
なんでも俗習として一まとめにするには無理があります。
なぜなら、当時も霊的体験は重視されていたのですから。
聖遺物は拝む対象でなく記念物です。
これに霊的な力があると信じられているだけです。
この点についてもあなたの主観と本の記述が
合わさっていると感じます。
霊的意味合いを重視したのがカトリックと正教会など旧教系。
聖書に文字通りなのがプロテスタント。
聖公会はこの中間というところでしょうか?
何が正しいかは神にしか分かりません。
主流の福音派を含むプロテスタントも旧教の教会も
聖書的な根拠は互いが導き出したことは知っています。
ですから自分の教義は守りますが非難はしません。
神しかお分かりのないことと知っているからです。
これは間違い。悪霊の技と認識する時点で
既にキリスト教信仰からは遠いところへ離れているのです。
そういう意味でカトリック教会は現在はプロテスタントの
信仰形態を非難することはありません。
安息日ですが、これについてはユダヤ教できちんと土曜日と
定められています。本当の意味での聖書に忠実であるなら、
土曜日を安息日として遵守し、日曜日を主の復活の記念として
祈りを捧げるのが正しいかと思われます。
初期のユダヤ人信者たちはシナゴークにおいての礼拝を
守っておりました。あなたも知っておられるはずです。
213 :
188:2001/07/29(日) 20:43
スレッドを有意義な議論の場に戻してくれた諸兄に感謝する。
ヌマツダ氏の勉強熱心さにも敬服する。
余談になるが、
>>198-201 CLB氏へ
発言番号を指す場合は、半角の「>」を2つと記事番号で書き込んでくださると該当番号へのスレッドが繋がるので、
参照しやすくなるので助かる。>>の部分にマウスをあてると分かると思う。
214 :
俺:2001/07/30(月) 20:21
215 :
俺:2001/07/30(月) 20:30
>>189 少しは考えろ。
マリヤ崇敬が間違いである事は明確であり、間違いと知りながら、それを行うカトリック教徒の心理状態について、他に説明のしようはない。
216 :
俺:2001/07/30(月) 20:40
>>201 これはあなたの詭弁↓
一気に書きましたが、プロテスタントとカトリックでは、キリスト教としてのあり方が
異なっているんだから、他宗派の教義を自分の信仰理解から云々する必要なんて
ないじゃないのかな。
これは詭弁↑
聖書はマリヤ崇敬のような偶像礼拝を厳禁している。
しかも、マリヤ崇敬を行えなどと一言も言っていない。
したがって、マリヤ崇敬は明らかに間違いである。
それ故、やめるよう忠告しているのだ。
217 :
ヌマツダ:2001/07/30(月) 21:20
カトリックには「2.偶像禁止」がなく、対応聖句は、
4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、
どんな形をも造ってはならない。
5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、
三代、四代にまで及ぼし、
6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
です。
また「10.むさぼりの禁止」を分割して、しかも対応聖句とは順逆に、
第九 なんじ、人のつまを恋うるなかれ。
第十 なんじ、人の持ち物をみだりに望むなかれ。
としており、対応聖句は、
17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
となっています。
カトリック要理(サンパウロ)のP133〜137の第十八課 第一戒には「偶像を造ってはならない。」
事に関する説明がありません。
そのかわり、神への礼拝に反する罪には、として、
偶像崇拝、占い、まじない、霊媒、などがそれです。とあります。
また、第二十三課 第六戒(および第九戒)第二十四課 第七戒(および第十戒)と、
併せて説明があります。
マリヤ像と処女への拘りにつきマリヤ崇敬に関係してきそうですが、
なぜ偶像禁止を省き、隣人の妻だけ別になったのか経緯をご存じの方、
また聖人の呼び出しと霊媒の違いの説明も含めてレス下さい。
218 :
ヌマツダ:2001/07/30(月) 21:21
参考:公教会祈祷文(中央出版社)カトリック中央協議会編
天主の十戒
第一 われはなんじの主なり。われを唯一の天主として礼拝すべし
第二 なんじ、天主の名をみだりに呼ぶなかれ。
第三 なんじ、安息日を聖とすべきことをおぼゆべし。
第四 なんじ、父母を敬うべし。
第五 なんじ、殺すなかれ。
第六 なんじ、かんいんするなかれ。
第七 なんじ、盗むなかれ。
第八 なんじ、偽証するなかれ。
第九 なんじ、人のつまを恋うるなかれ。
第十 なんじ、人の持ち物をみだりに望むなかれ。
聖書辞典(新教出版社)日本基督教団
1.神の独一性
2.偶像禁止
3.神の名の聖性
4.安息日の聖別
5.父母の尊重
6.殺人禁止
7.姦淫禁止
8.盗みの禁止
9.偽証の禁止
10.むさぼりの禁止
219 :
ヌマツダ:2001/07/30(月) 21:22
参考:【新改訳】出エジプト記 -20:
2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、
どんな形をも造ってはならない。
5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、
三代、四代にまで及ぼし、
6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。
あなたはどんな仕事もしてはならない。
――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、
また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――
11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、
七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
12 あなたの父と母を敬え。
あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
13 殺してはならない。
14 姦淫してはならない。
15 盗んではならない。
16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
220 :
俺:2001/07/30(月) 21:36
>>217 偶像礼拝が十戒に反しているにも関わらず、それを行っている事を隠すために、
第ニ戒を削除、数を合わせるために第十戒を二つに分割。
ご協力感謝します。
221 :
俺:2001/07/30(月) 21:58
>>177 >「共同贖罪者」もカトリックの教義にはありません。
このような詭弁はやめてもらいたい。
現法王ヨハネ・パウロ2世はすでにマリヤを共同贖罪者と主張している。
ローマカトリックはマリヤを正式に共同贖罪者と認定はしていないものの、
実質的に共同贖罪者としている。又、間もなく正式に認定されるそうである。
222 :
信仰虚弱:2001/07/30(月) 22:16
「十戒」については、これまでも何度も申し上げています。
カトリックは、プロテスタントの方々と共同で翻訳した新共同訳聖書を
尊重しておりますので、十戒の内容についてプロテスタントの方々と
意見の相違は一切ありません。ある部分を削除したとは、事実無根です。
その上で重要なことは、十戒は古い契約の戒めです。新しい契約では、
人は、戒めを守ったり、何かを行うという「行い」では義とされません。
人は「キリスト」を「救い主」と信じる「信仰」によって義とされます。
「信仰」よりも「行い」が大事だというのは、キリストの教えとは全く
異質のものです。(ローマ3:21-)
旧約聖書をいくら引用したところで、聖母と聖徒の交わりを持つという
カトリックの信心を「聖書に反している」との論証にはなりませんね。
223 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 22:19
> ローマカトリックはマリヤを・・・実質的に共同贖罪者としている。
他人の教派を中傷するのに、
ウソを前提にしてしかできないということでしょう。
こんな主張は、敗北宣言にしかなりません。
224 :
俺:2001/07/30(月) 22:33
>>223 あなたはどっちだ?
はっきりしろ わけがわからん
225 :
俺:2001/07/30(月) 22:40
補足
>>177の>「共同贖罪者」もカトリックの教義にはありません。
という書き込みは、限りなく嘘に近いゴマカシである。
詳細は
>>211を
226 :
俺:2001/07/30(月) 22:42
227 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 22:46
>>225 しかし、実際教義ではない。
まだその段階に来ていない。
・・・が、いずれ教義になるだろう。
228 :
ヌマツダ:2001/07/30(月) 22:56
>>222 信仰虚弱 さん、
> その上で重要なことは、十戒は古い契約の戒めです。新しい契約では、
>人は、戒めを守ったり、何かを行うという「行い」では義とされません。
っておっしゃるけど、
カトリック要理(サンパウロ)第十七課 神の十戒 P132に、
愛の実践は、
神のおきてを守ることを含みます(マタイ7・21、Tヨハネ5・3参照)
ー略ー 新約においてもその意義と力とをもっています。
と書かれていますよ。
229 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 22:58
クリスチャンは、救われるために十戒を守るのではない。
救われたものの喜びの行為として神の戒めを守るのである。
230 :
俺:2001/07/30(月) 23:05
>>227 教皇が認定する以前に、
>「共同贖罪者」もカトリックの教義にはありません。
などと言った人は認定後にどうするんですかねえ?
※教皇が認定てもしなくても、マリヤが共同贖罪者で
ないという事実は変動するものではない。
231 :
ヌマツダ:2001/07/30(月) 23:16
>>222 信仰虚弱 さん、
>旧約聖書をいくら引用したところで、聖母と聖徒の交わりを持つという
>カトリックの信心を「聖書に反している」との論証にはなりませんね。
って旧約聖書の引用の無効をおっしゃるけど、
カトリック要理からすれば、旧約聖書は受け入れられねばならない。ものです。
カトリック要理(サンパウロ)第十課 聖書と聖伝 P89とP90-91に、
(A)旧約聖書
ー略ー キリストと使徒たちに教えられて、初代教会も旧約聖書を受け入れ、
一般に使用しました。
「そして旧約聖書は、ー略ー 神に対するいきいきした感情を表わし、
神に関する崇高な教えと人間生活に関する有益な知恵と祈りのすばらしい宝を納め、
かつまた、われわれの救いの秘儀を秘めているから、キリスト信者から、
敬虔をもって受け入れられなければならない。」(『啓示憲章』15)
とありますよ。
232 :
ヌマツダ:2001/07/30(月) 23:30
>>229 名無しさん@1周年さんへ、
>救われたものの喜びの行為として神の戒めを守るのである。
カトリック教徒は、神の戒めにてらされ、神のみ旨を果たすものではありませんか?
カトリック要理(サンパウロ)第十七課 神の十戒 P132に、
人間はすべての状況において、良心の判断にしたがって行動し、
神のみ旨を果たさなければなりません。(第一部、第三課、質問13参照)
良心は、神のおきてを伝えるキリストの教え、および教会の教導にてらされ、
つちかわれるべきであります。
とあります。
233 :
信仰虚弱:2001/07/30(月) 23:51
旧約の戒めの中で、異邦人の信徒である私たちが守るべきものは
たった2つだけです。
心を尽くして神を愛すること(申命記6:4)
自分を愛するように隣人を愛すること(レビ19:18)
234 :
信仰虚弱 :2001/07/30(月) 23:57
>>230 > >「共同贖罪者」もカトリックの教義にはありません。
> などと言った人は認定後にどうするんですかねえ?
別にどうもしませんよ。聖母への信心が変わるわけじゃなし。
しかし、こういう掲示板で、マリア崇敬を皆さんに説明するのは
少し難しくなるかも知れませんね。反カトリックの人々が
多少はカトリック攻撃がしやすくなるということでしょうね。
俺さん。今日はさえてますね。
235 :
俺:2001/07/31(火) 00:10
>>233 マタイ19:18〜19
黙示録22:15
236 :
俺:2001/07/31(火) 00:14
認定前に、そのような教義は無いと言い
認定後に変わるのか?
一貫性の無い、組織の方針ではなく、
聖書が信仰基準である。
237 :
俺:2001/07/31(火) 00:21
>>234 マリヤは最初から神の母でも共同贖罪者でも仲介者でもなかったし、
途中からそのようなものになってもいない。
なったというなら何時、どのようにしてなったというのか?
238 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 00:27
真理問題ですから議論の余地はありません
239 :
信仰虚弱:2001/07/31(火) 00:28
>>235 だから、そう戒めがあっても、
>>233 で上げた2つの戒めが律法を完成しているんですよ。
それが新約の教えです。(ローマ13:8-)
豚肉を食べても罪でないゆえんです。
パウロ書簡すら理解できない人間に、
マリア崇敬を批判する資格などないですよ。
>>236 意味不明ですね。何を言いたいのか。
>>237 の質問は、
>>211 に書いてあります。
240 :
ヌマツダ:2001/07/31(火) 00:33
>>233 信仰虚弱 さん、
イエス様は十戒を引き合いに出していますよ。警告の意味も。
以下は、
>>235 の参照聖句。
マタイの福音書
19:17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。
良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
19:18 彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。
「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。
19:19 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
ヨハネの黙示録
22:15 犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、
好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。
241 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 00:43
>>239 豚肉を食べる事は主が後に許可した事である。
それは聖書に記されている。使徒の働き11章
しかし、偶像礼拝を主が後に許可したことは無い。
許可したというならば、それは何時か?
聖書の何処にそのような事が記されているというのか?
242 :
ヌマツダ:2001/07/31(火) 00:45
>>233 そうです。ですが、ドウ愛するのか?
と言う事で十戒が引き合いに出されるのです。
マルコ-12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。
『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
という神の愛し方が、1.神の独一性 2.偶像禁止 3.神の名の聖性 4.安息日の聖別
で、
マルコ-12:31
次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
という隣人への愛し方が、5.父母の尊重 6.殺人禁止 7.姦淫禁止 8.盗みの禁止
9.偽証の禁止 10.むさぼりの禁止
と言う事です。
神を愛するのに、第二戒を破るような、マリヤ像や十字架のイエス像という、
偶像を造ってはならない。のが、プロテスタントの考えです。
宗教改革で聖像破壊があったのはその為です。
243 :
俺:2001/07/31(火) 00:47
犬どもとは男性同性愛者の意味。
244 :
信仰虚弱:2001/07/31(火) 00:50
新約聖書には、さまざまな言葉が書かれてますが、
大きく3つに分けられます。
1,イエスが、宣教中にユダヤ人に語った言葉。
2,使徒やその弟子が、ユダヤ人の改宗者の信徒に語った言葉。
3,使徒やその弟子が、異邦人の改宗者に語った言葉。
どれが誰に向けて語られた言葉か、きちんと区別して聖書を読むべきです。
少なくとも、カトリック教会ではそう教えられています。
ヌマツダさん。カトリックに来て聖書を勉強されたらどうでしょうか。
あなたのように、失礼ながら、我流で聖書を読んでも、苦労するだけですよ。
私が書いておいたローマ13:8-も読んで下さってないようだし、
あなたの
>>240 にはがっかりです。
245 :
信仰虚弱:2001/07/31(火) 00:55
何度も書いていますが、神への愛、隣人への愛、信徒への愛の動機から、
キリストへの信仰や聖母への深い尊敬を絵画や彫刻で表現し、
文字が読めない人々に伝えることは、新約聖書で禁止されておらず、
むしろ神の意志にかなうことです。
246 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 01:01
>>245 何時、偶像礼拝が許可されたときいている。
そんな事が聖書の何処に記されているのか?
聖書以外の文書に記されているというなら
それは何か?
247 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 01:01
マリアさまを愛することは、神を愛することになります。
神はマリアさまを愛していらっしゃいます。
248 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 01:03
>>245 伝道のためなら偶像を造っても良いなどと
聖書には書かれていない。
249 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 01:06
>>247 マリヤは神ではない
従って、マリヤを愛する事は神を愛する事ではない。
偶像を愛する事は悪魔を愛する事だ。
250 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 01:07
251 :
信仰虚弱:2001/07/31(火) 01:08
むちゃくちゃですねえ。(笑い)
それでは、神への愛、隣人への愛、信徒への愛の動機から、
キリストへの信仰や聖母への深い尊敬を、絵画や彫刻で表現し、
文字が読めない人々を含めて多くの人々に伝えることを、
新約聖書が禁じている箇所を引用して下さい。
252 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 01:10
>>249 一人でそうやって、ぼやいていなさい。
マリアの勝利は、近いです。
253 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 01:15
>>250「
>>241の問いに答えよ 」
「聖霊と私たちは、次の必要事項の他は、
どんな重荷をもあなた方に負わせないことに決めました。」
(使徒行録15:28)
その後は自分で読んで下さい。今日は低レベルで
面白くないので、そろそろ寝ますよ。
254 :
ヌマツダ:2001/07/31(火) 01:16
>>244 信仰虚弱 さん、
要約すれば、と言う事はわかります。じゃあドウ愛するのか?です。
引用の聖句は挙げておきます。
ローマ:13: 9
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、
またほかにどんな戒めがあっても、
それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
ということばの中に要約されているからです。
255 :
信仰虚弱:2001/07/31(火) 01:17
すいません。
>>253 は信仰虚弱です。
もう眠いや。タイクツ。
256 :
ヌマツダ:2001/07/31(火) 01:21
私の個人的考えですが、
聖人と言えども死者であるから主を賛美することはない。
黙示録の裁きの座に現れる時まで沈黙の国にいる。まだ第二の死ではない。
聖人への執り成しの祈りは、死人に伺いを立てる事に他ならないですよ。
ラテン語で唱えるのは、呪文を唱える事ですよ。
日本で呪文を唱えるって言うと、真言宗・天台宗・禅宗の陀羅尼(だらに)ですよね。
日本訛りですが陀羅尼は梵語(サンスクリット語)ですから、呪文唱えって外国語唱えなんです。
ルルドやファティマのマリヤに会ったと言うのは、一種の霊媒ですよ。
守護聖人や遺影を持つ崇敬は、旧約のテラフィムを持つ崇敬と同じですよ。
そうするとどうなりますか?
以下の聖句を参考にすると、神への愛に反する事になる。
私は未信徒ですが、クリスチャンの有るべき姿を考えるとプロテスタントの見方が正統に見えます。
申命記:18:11
呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。
レビ記:19:31
あなたがたは霊媒や口寄せに心を移してはならない。彼らを求めて、彼らに汚されてはならない。
わたしはあなたがたの神、主である。
イザヤ書 :19: 3
エジプトの霊はその中で衰える。わたしがその計画をかき乱す。
彼らは偽りの神々や死霊、霊媒や口寄せに伺いを立てる。
列王記第2 :23:24
さらにヨシヤは、霊媒、口寄せ、テラフィム(先祖崇拝に使った家の守護神)、偶像、それに、
ユダの地とエルサレムに見られるすべての忌むべき物も除き去った。これは、
祭司ヒルキヤが主の宮で見つけた書物にしるされている律法のことばを実行するためであった。
イザヤ書 : 8:19
人々があなたがたに、「霊媒や、さえずり、ささやく口寄せに尋ねよ。」と言うとき、
民は自分の神に尋ねなければならない。
生きている者のために、死人に伺いを立てなければならないのか。
詩編 115:17 【新改訳】
死人は主をほめたたえることがない。沈黙へ下る者もそうだ。
詩編 115:17 【新共同訳】
主を賛美するのは死者ではない、沈黙の国へ去った人々ではない。
257 :
だめさ、いくら話し合っても。:2001/07/31(火) 01:28
偶像とは英語に翻訳するとアイドル、イメージのことだと思う。
インターネットでキリスト教や偶像崇拝は語れないよ。
ネット自体、すべてが作られた虚像。
欺瞞と偶像崇拝、姦淫が暴れる可能性をわきまえるべき世界。
話の腰をおってしまってゴメンよ!
258 :
信仰虚弱:2001/07/31(火) 01:32
>>256 > 聖人と言えども死者であるから主を賛美することはない。
共観福音書で、モーセとエリアがイエスと語り合った事が書かれています。
ヨハネ福音書では、イエスは隣に十字架に付けられた罪人に
「あなたは、今日、私とパラダイスにいるであろう」と言っています。
死人のなかにも、パラダイスで主を賛美する人がいる証左ですね。
あのねえ、酒が入っているから言うけど、ヌマツダさん。
あなた少し頭が悪いんじゃないんですか。
それに、間違ったことを言っても謝らないし、CLBさんの大事な質問にも
黙殺ですね。人間としてのモラルも低劣ですねえ。
まあ、こういうところで、コテハンで議論を挑んできてるから
名無しでいろいろいってる人よりはマシだけど、恥ずかしくないんですかね。
259 :
CLB:2001/07/31(火) 01:33
>ヌマツダさん
十戒の区切り方は、以前、マリア崇敬批判のスレに書きました。
(「俺」氏あてに書いたのに、彼は全然学習していないようです)
参考文献は、いのちのことば社の「新聖書注解」の出エジプト記
の部分です。
簡単にいえば、十戒の区切りは、(1)ユダヤ教、(2)カトリックと
ルーテル教会、(3)改革派とギリシャ正教で、異なります。
「偶像」批判をかわすためにあえて変わった区切りをした訳ではありません。
これは極めて常識的なことなので岩波の出エジプト記の翻訳でも同じように
注解してあるはずです(多分)。
260 :
CLB:2001/07/31(火) 01:41
それと「俺」くんへ。
他の教派を「誤謬」だと批判するなら、まず自分が正統だと証明しなくちゃね。
キリスト教の一番正しい形は、聖書のみだと誰が決めたのかって質問、
今まで答えてもらえたっけ。
私は、理屈の通らないファンダメンタリストの「批判」を真に受けて
反応する気はないけど、反論となる成句を挙げて満足しているんじゃ
議論も何もないんじゃないかな。
そんなに簡単なら、プロテスタント内で教義くらい一致させてから物言ってほしい。
261 :
ヌマツダ:2001/07/31(火) 01:54
>>258 信仰虚弱 さん?
>それに、間違ったことを言っても謝らないし、CLBさんの大事な質問にも
>黙殺ですね。人間としてのモラルも低劣ですねえ。
どこを間違えましたか?間違った部分を教えていただけませんか?
大事な質問?ですか?どの番号のレスでしょうか?
>何度も何度も書いていますが、それだったら、キリスト教は「聖書のみ」で
>なくては成立しない、と証明してほしい。
は、
>聖書のみ「でなくては成立しない。」のではなく、
>なるべく聖書のみ「で成立させようとした。」プロテスタントが本来的だ。と考えています。
と答えているはずです。
>>259 CLBさん?こんばんは。
私の駄文にレスいただいてますんで感謝しています。
さて、十戒の区切りなのですが、確かに(1)〜(3)は前スレで読みました。
私の挙げた日本基督教団の区切りは多分(3)改革派の区切りですね?
(2)のカトリックは要理や祈祷書に有りますので確認できています。
ユダヤ教の区切りがどういうモノかは調べてみるしかありませんね。
ハイデルベルク信仰問答の区切りは日本基督教団と同じでしたよ。
ハイデルベルクのをルーテル派が使っておれば(3)のような気もするのですが?
ハイデルと同じくジュネーブの区切りも同じだった気がします。
いのちのことば社の聖書辞典に「十戒」が載ってないのでいぶかしく思います。
262 :
ヌマツダ:2001/07/31(火) 02:00
アモス書 : 2:12
それなのに、あなたがたはナジル人に酒を飲ませ、
預言者には、命じて、預言するなと言った。
失礼しますが、あす仕事ありますんで、もう寝ます。
263 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 11:09
>CLB
マリヤ崇敬が間違いである事は多数の証拠によってすでに明らかである。
しかも、それが正当な事であるというあなたの主張を裏付けるようなものは、全く無い。
いい加減に間違いは間違いと認めなさい。
>信仰虚弱
マリヤ崇敬のような偶像礼拝は十戒によって禁じられている。しかも、豚肉食のように後に解禁されたことは無い。
今でも禁じられたままである。したがって、ただちにやめなさい。
264 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 11:12
>信仰虚弱
偶像礼拝が解禁されたというならそれは何時か?
何処にそのような記録があるのか?
265 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 11:16
>>257 くだらない事を書き込むな。
カトリックが間違いを認めないから長引いているのだ。
266 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 11:22
>CLB
多数の証拠を突き付けられても、とぼけ続けるなどオウム教と一緒だぞ。恥を知れ。
267 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 11:46
>>266 カトリックなんて虚偽の上に成り立っているのさ
268 :
信仰虚弱:2001/07/31(火) 12:03
昨夜は、ヌマツダさんにひどいことを
発言してしまいました。
大変申し訳ありませんでした。
お酒を飲んで悪酔いして、何だかいらついて
弁解のしようもありません。
ヌマツダさん、ごめんなさい。
また、ROMの方々にも。
269 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 12:15
270 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 12:18
271 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 12:28
そうか
アル中で
酒乱で
酒飲んでカキコしてたのか
>233
そうです、信仰虚弱さんの仰るとおり、この2つです。
で、隣人を愛すると言うことが、姦淫しないお、偽証しない、殺さない、盗まない
盗まない、貪らない、という十戒の教えに一致します。
神を愛すると言うことがすなわち、創造主のみを神とし、その名をみだりに呼ばず、
偶像を作らず、安息日を守れと言う戒めではないでしょうか。
そういうと、カトリックの人の反論としては、お前たちは安息日を守っていない
といわれるかもしれない。安息日がいつか?という議論はまた別の問題。
274 :
なりすましを発見:2001/07/31(火) 15:17
275 :
ヌマツダ:2001/07/31(火) 19:10
>>268 信仰虚弱 さん、べつに良いですよ。
主の祈りにあるように、赦し合いです。
>>262 あすでなく今日の間違いでした。
>>274 ごくろうさん。怒ってもしょうがないし。
>>261 ユダヤ教の区切りがどういうモノかは調べてみるしかありませんね。
の補足です。
ユダヤ教史(山川出版社)には、第二戒が、像を刻むなかれ。で、
(3)と区切りが一緒でした。(2)だけ、像を刻むなかれの戒がないのです。
そうすると、なぜ(1)〜(3)と言う区分けという説になったのか疑問です。
CLBさんには、十戒の区切りを参考の本から載せて貰えると有り難いです。
お許しいただいて感謝です。
しばらく謹慎します。
277 :
CLB:2001/07/31(火) 22:46
>名無し君たちへ。
>マリヤ崇敬が間違いである事は多数の証拠によってすでに明らかである。
しかも、それが正当な事であるというあなたの主張を裏付けるようなものは、全く無い。
いい加減に間違いは間違いと認めなさい。
>多数の証拠を突き付けられても、とぼけ続けるなどオウム教と一緒だぞ。恥を知れ。
ホントかいな。そもそも「証拠」って発想がわかんないな。それが、聖書の言葉だというのなら、
聖書の解釈が一律にはいかないことを過去にも随分示したはず。
解釈の幅の問題。
どちらにせよ、キリスト教が「聖書のみ」からしか、信仰を構築しちゃいけないってことを
証明してくれれば、カトリック的な言い訳も通じなくなるわけ。
だからそれをやってほしい。そうすれば、ファンダメンタリストの勝ち!
それと、そんなに言うならカトリックの神学大に抗議文でも出したらいい(実名でね)。
「あなたたちは間違っている」って、議論すればいい。何なら、紹介するよ。
278 :
名無し:2001/08/01(水) 06:08
信仰虚弱さん、酔っ払いカキコしたのは、『本物の』信仰虚弱さんですか。それとも2chではやりの偽者?どっちにしても、未信者と福音派を騙る誰かをいくら相手にしても、無意味でしょ。ただ煽りに乗せられて時間を潰すだけですよ。まだお分かりならないのですか?もう相手にしないで。こんな議論が数百年続いているのでしょ。CBLさんも。はたから見てると、乗せられてるの見え見えよ。これ以上罠にはまらないで。それより、「マリア崇敬は正しい」スレッドをつくってくださいませんか。期待しています。
279 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 07:47
>>278 戯言を書き込む前に過去ログを見てこい。
>それより、「マリア崇敬は正しい」スレッドをつくってくださいませんか。
ここのスレッドのタイトル読める? そんな新スレッド立てても、「重複スレッドだ」って叩かれるだけだぞ。
280 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 12:39
>ユダヤ教史(山川出版社)には、第二戒が、像を刻むなかれ。で、
>(3)と区切りが一緒でした。(2)だけ、像を刻むなかれの戒がないのです。
違うのではないでしょうか?
カトリックの第一戒同様、ユダヤ教では、他の神々の否定と偶像の否定がひとつに
結びついているはずですよ。
そして他の神々の否定と偶像の否定をひとつに結びつけて解釈することは必ずしも不当とは
いえないでしょう。というのも4節(偶像の否定)には説明的付加(5〜6節)があるからです。
読めばわかる通り、5〜6節は他の神々に関する内容です。
だから5〜6節に着目して4節を捉えるならば、4節の偶像の否定は他の神々の像に関する規定
とも解釈でき、とすると他の神々の否定を定めた3節と4節を一体的に捉えることも可能でしょう。
現に旧約聖書には、他の神々の否定と偶像の否定を一体的に捉えて解釈している箇所が
散見されます(レビ記19:4、同26:1など)
カトリックはこのように、十戒では他の神々の像を造るのが否定されているに過ぎないと
解釈するので、聖母マリア像を造ることは偶像を造ることに当らないと解します。
ちなみにユダヤ教の分け方は、1節が第一戒、3〜6節が第二戒、第三戒以下はギリシャ正教や
改革派と同じです。
281 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 19:27
カトリックの人って、マリア像の踏み絵を踏めるの?
282 :
ヌマツダ:2001/08/01(水) 21:21
>>280 ユダヤ教史(山川出版社)が間違いなのでしょうか?
>カトリックの第一戒同様、ユダヤ教では、他の神々の否定と偶像の否定がひとつに
>結びついているはずですよ。
根拠になる本や説明者の実名と引用文を載せていただけませんか?
ユダヤ教史(山川出版社)では、
2節は前文、3節が第一戒、4-6節は第二戒になってました。
283 :
ヌマツダ:2001/08/01(水) 21:37
>>277 CLBさん、
>どちらにせよ、キリスト教が「聖書のみ」からしか、信仰を構築しちゃいけないってことを
聖書の解釈が、聖書自身で解き明かさないとイケナイのがペテロの手紙第2: 1:20の引用聖句で、
聖伝という「私的解釈」であってはイケナイのですよ。
そう言う訳で、聖書のみからしか信仰を構築できないのです。
ペテロの手紙第2: 1:20
それには何よりも次のことを知っていなければいけません。
すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、
ということです。
284 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 22:26
カトリックの方々は撤退ですか?
>>281 興味あります。
285 :
CLB:2001/08/01(水) 22:29
>ヌマツダさん。
「聖伝」は私的解釈なのでしょうか。むしろ教会のよって承認されてきた
公的解釈だと思います。信徒は「教会を通して、神の多種多様な知恵を知る」
(エフェソ3:10)のです。
教会は「真理の柱」(1テモテ3:15)ですから。
ヌマツダさんは、「聖書自身で解き明かす」と言われますが、媒介に人間が
入らないわけではありません。どの聖句をどう解釈し、どの聖句と結びつけるか、
は学者(立場)によって様々です。私的解釈も多々あるでしょうね。
さらに、その解釈の妥当性も神によって追認されたわけではないのです。
時間があったら、日本基督教団出版局の注解書といのちのことば社の注解書を
比較してみれば、「聖書自身で解き明かす」などということが現実的にいかに
困難かわかるはずです。
さらに、
>聖書のみからしか信仰を構築できないのです
とありますが、教理史的に見れば、「現実の」キリスト教はそういう風
には成立してきませんでした。
正統信仰の旗印である三位一体論だって、純粋に聖書のみで議論されて
きたわけではないのです。まったく聖書にないヘレニズムの概念を教義理解に
用いています。キリスト論のキーワード「同一本質」も、当時は危険な
グノーシス用語だったのでした。
286 :
CLB:2001/08/01(水) 22:33
>>284 >>281 相手に棄教させようという意志があるのなら、マリア像やキリスト像
だけでなく、聖書だって踏めないでしょうね。
要は、内面が問われるのでしょう。
287 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 22:37
>>282 例えばH.J.ベッカーの、
『古代オリエントの法と社会-旧約聖書とハンムラピ法典』(ヨルダン社)324〜325pです。
知っていると思いますが、ベッカーは旧約聖書学の大家マンチン・ノートに師事した
古代イスラエルの法制史の専門家です。
上述の本は、古代イスラエル法の基本文献表には必ずと言って良いほど挙げられています。
ヌマツダさんはなんだか、カトリックには偶像否定の規定がないように錯覚されている
みたいですが(違っていたらごめんなさい)、そうではありません。
プロテスタントの大部分が採用している第一戒と第二戒を、カトリックは一体的に
捉えているのであって、第二戒を否定しているわけではありません。
そしてこのように一体的に捉える解釈法については、プロテスタントの聖書学者の中でも
それなりに敬意が払われています(聖書学者以外はどうか知りませんが)。
288 :
CLB:2001/08/01(水) 22:47
十戒の分け方
(頭の部分だけ)
*ユダヤ教
出エ20章
2節が第一戒。3−6節が第二戒。7節が第三戒。
*カトリック、ルーテル
3−6節が第一戒。7節が第二戒。8節は第三戒。
*改革派ほか
3節が第一戒。4−6節が第二戒。7節が第三戒。
以上は、「いのちのことば社」の新聖書注解によります。他の文献
もほぼ同様なので、「ユダヤ教史」の記述は例外的のようです
(石田先生なのですが)。
カトリックの分け方は、3−4世紀までさかのぼれます(オリゲネス、
アウグスチヌス)。
(しかし、ことば社の注解と、教文館の「旧約新約聖書大辞典」では、
オリゲネスとアウグスチヌスについての記述がまったく異なるので、
注意が必要です。キリスト新聞社の「新聖書大辞典」は、教文館と
同じ内容ですが。)
ただ、カトリックでも「カトリック入門」には、改革派と同じ分け方
が掲載されているので、それでもいいと思います。
289 :
CLB:2001/08/01(水) 22:52
280、287さん、詳しい説明感謝です。
290 :
287:2001/08/01(水) 22:55
>>288 そうでした。
ユダヤ教の場合の、第一戒は1節ではなく、2節でした。
291 :
十戒について聞きます:2001/08/01(水) 23:40
ギリシャ正教とカトリックは中世に別れたのですよね。
ギリシャ正教の十戒は第二戒を「偶像を造るな」としています。
カトリックの十戒が歴史の中で区分を変えたのでしょうか?
それともギリシャ正教がある時から第二戒を「偶像を造るな」
ということに変えたのですか?
その辺りの教義の変遷をお知りの方は教えてください。
292 :
CLB:2001/08/02(木) 00:24
>ヌマツダさん。
山川の「ユダヤ教史」(石田友雄著)がどうしてあのような区分を
いたかについてですが、さっきヨセフスの「ユダヤ古代史」(ちくま)
を調べたら、ヨセフスは、通常のプロテスタントと同じ分類をしていました。
フィロンも同様のようです。
石田先生はそういう事例に従ったのではないかと思いました。
詳しいことは正直、わかりません。一応、参考までに。
蛇足ながら、ヨセフスは1世紀のユダヤ人の歴史家です。
フィロンは、パウロと同時期のユダヤ人哲学者です。
293 :
CLB:2001/08/02(木) 00:48
>ヌマツダさん
勉強になる問いを発してくれて感謝します。
明日から旅に出るので、しばし2ちゃんねるには来ません。
また来てみて内容があったら参加しますね。
けっこう時間を使ってしまったんで、反省してます。
294 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 10:53
ルル怒の水飲みすぎて腹を壊して氏ね
295 :
発条仕掛:2001/08/02(木) 12:20
277の CLBのアホえ マリやは偶像だと はっきりしてるだろう 馬鹿なこと言ってんじゃない おまえは 100円ショップで売ってるような 安物のマリヤ拝みすぎて アタマいかれたんじゃないのか?
296 :
発条仕掛:2001/08/02(木) 12:28
アル中の信仰虚弱え 飲みすぎて 泥酔コイテ ドブにはまって 溺死しやがれ
297 :
発条仕掛:2001/08/02(木) 14:07
CLBえ
マリヤ像の空洞に 犬のくそ詰め込んで
ウンコ崇拝してろ バカヤロー
298 :
発条仕掛:2001/08/02(木) 14:15
信仰虚弱え
CLBのチンボコ切り取って 酒の肴にしてイイゾ
299 :
発条仕掛:2001/08/02(木) 14:38
信仰虚弱は 飲みすぎて ゲロ吐いて キーボードがゲロゲロで 書き込めないようだ
300 :
発条仕掛:2001/08/02(木) 14:40
信仰虚弱はアル中で CLBはシャブ中か? はよ死んでまえ
301 :
しっこ爺:2001/08/02(木) 15:32
いい加減にしろ
302 :
発条仕掛:2001/08/02(木) 15:39
なんだとクソジジイ 背中にバキュームカーのホース突っ込まれて 逆流させられて クソ漬けにされてえのか?
303 :
マリールイーズ:2001/08/02(木) 16:21
あらまあ、福音派の人達って、こんなだったのかしら?
まあ、なんてお下品なのでしょう。
言い負かされてしまったのね。(ウフッ!
304 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 16:25
聖母を褒め称えましょう!
聖母を褒め称えましょう!
ルルドの水は、病人を癒すそうな・・・・。
ありがたや。ありがたや。
ルルドの水は、病人を癒すそうな・・・・。
ありがたや。ありがたや。
305 :
発条仕掛:2001/08/02(木) 16:29
303のオカマ野郎え
ウンコ崇拝しながら ウンコのてんぷら食え
306 :
発条仕掛:2001/08/02(木) 16:32
304え
ルルドの水と小便で水割りつくって 飲みやがれ バカヤロー
くそったれ
うんこくってろ
308 :
発条仕掛:2001/08/02(木) 16:45
307え
お前は 便所掃除でもしてろ ピカピカに磨けば 聖母マリヤが ウンコしに来るかも知れねえぞ
309 :
ブルネルス:2001/08/02(木) 18:19
私は大方において、ヌマツダ氏の主張に近いのだけど、教会の伝承ではなく、
聖書のみだ、というところについてはちょっと引いてしまう。
現行の新約聖書27巻を正典として認定したのは、教会だからだ。つまり、少な
くともこの「聖書のみ」の原点において、教会の伝承だか決定だかに乗っから
ないと始まらないからだ。
新約27巻ていったって、内容的には決して一本にまとまっているわけではなく、
これを基準に考えるといっても、すっきりした結論が出てくるわけではないか
らだ。
もちろん27巻が書かれた時代には、マリアはそれほど昇格してなかったから、
どこにも彼女を崇敬の対象とすることの根拠が書かれてないのは当然なのだが。
同じ理屈で、「27巻が書かれた時代には「新約聖書」なるものはなかったのだ
から、どこにも新約聖書は正典だ、神の言葉だとは書かれてないのは当然だ」
ということにもなるかもしれない(この論点に私自身はコミットしない)。
えーと、いいたいことは、マリア崇敬はナンセンス、しかし聖書のみはOKと
いうのは50歩100歩のようではないか、ということなのです。
310 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 18:46
>>304 ルルドの水で病気が治るなら、なぜフランスにも医者がいるのか?
311 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 18:48
312 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 18:49
313 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 18:50
314 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:08
>>310-313
それは、癒されるのが、全部じゃないからさ。
全部が癒されたら、仏のお医者さんオマンマ
喰えなくなっちまうだろう?
これも神の慈悲だな。
315 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:17
全然治らないんだろ
316 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:22
基地外も治るかい
317 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:25
エビアン混ぜて売ればいいじゃねえか
318 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:26
ボルビックに混ぜればいいじゃねえか
319 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:26
ビッテルに混ぜてうらねえのか
320 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:28
医者なんか失業したら転職すればいいじゃねえか
321 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:29
ごせいたいに混ぜればいいじゃねえか
322 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:30
こせいたいってなんだ?
323 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:31
水道水にも混ぜればいいだろ
324 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:31
>エビアン混ぜて売ればいいじゃねえか
>ビッテルに混ぜてうらねえのか
薬事法違反になるだろ
325 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:32
水枕もルルドの水にすればいいだろ
326 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:34
医薬品じゃないから問題ないだろ
フランスパンもルルドの水でこねればいいじゃねえか?
327 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:36
そんなに仰山湧いてるのかい、ルルドの水って。
328 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:36
カフェオレもルルドの水でつくればいいじゃねえか
329 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:36
厚生省の許可もなく、「病気が治る」と言って
そういうものを売ったら、薬事法違反になるんだよ。
330 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:37
少ししかないだろうから混ぜろって言ってんだろ
331 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:38
>>329 だったら、「健康に効果がある」ならいいだろう。
どっかのテレビみたいに。
332 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:39
厚生省なんかもうねえよ
厚生労働省だよ
333 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:39
ルルドに行けば、無料で、腹いっぱい飲めるぞ。
334 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:39
335 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:40
日本の厚生労働省はフランスまで影響力は無いだろ
336 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:41
マツモトキヨシで健康食品として売ればいいじゃねえか?
337 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:41
338 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:43
駅前の薬局でも売ればいいだろ
339 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:44
340 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:45
国民ドラッグでも売ればいいだろ
341 :
334:2001/08/02(木) 19:47
>>339 はーい!ぼく、おふろにはいってきまーす!
あ、お風呂の水にも混ぜたら?
342 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:48
コンビにでも売ればいいだろ
343 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:49
カキ氷もルルドの水でつくれよ
344 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:51
ルルドの水飲んで小便すればルルドの小便だ
便所虫が長生きするぞ
345 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:52
水!
346 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:52
水水!
347 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:53
カップラーメンもルルドのお湯を使えばいいだろ
348 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:54
ご飯もルルドの水で炊きやがれ
349 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:55
水!
350 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:55
水!
351 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:55
水!
352 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:55
キンギヨ鉢もルルドの水にしろ
353 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:55
ただの水だ!
354 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:56
洗濯もルルドの水にしろ
355 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:57
うがいもルルドの水にしろ
356 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:57
歯磨きもルルドの水にしろ
357 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:58
洗車もルルドの水使え
358 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:59
植木にもルルドの水やれ
359 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:00
気持ちは分かるがな、恥ずかしいぞ。
もう少し面白いこと書けないのかよ。
なさけないやつだな。
360 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:00
犬にも飲ませろ
361 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:00
鶏にも飲ませろ
362 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:01
水洗便所もルルドの水で流せ
363 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:04
猫にも飲ませろ
364 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:04
牛にも飲ませろ
365 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:04
ヤギにも飲ませろ
366 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:05
豚にも飲ませろ
367 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:06
ラクダにも飲ませろ
368 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:07
猿にも飲ませろ
369 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:09
ゴキブリにも飲ませろ
370 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:10
カブトムシにも飲ませろ
371 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:11
十姉妹にも飲ませろ
372 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:11
インコにも飲ませろ
373 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:15
ムジナにも飲ませろ
374 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:16
鳩にも飲ませろ
375 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:18
病人にも飲ませろ
九官鳥にも飲ませろ
共産党にも飲ませろ
焼け石にも飲ませろ
379 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:22
岩下志麻にも飲ませろ
380 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:22
黒柳哲子にも飲ませろ
381 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:23
森元総理にも飲ませろ
382 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:23
ミミズにも飲ませろ
383 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:24
タモリにものませろ
384 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:25
タケシにも飲ませろ
385 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:25
水割りにも使え
386 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:26
刑務所の囚人にも飲ませろ
387 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:27
味噌汁もルルドの水でつくれ
388 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:28
ラジエターにもルルドの水入れろ
389 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:29
朝顔にも如雨露でルルドの水やれ
390 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:29
横山ノックにもぶっ掛けろ
391 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:31
雑巾がけもルルドの水使いやがれ
392 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:32
もんじゃ焼きにもルルドの水使え
393 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:33
遠足にもルルドの水水筒に入れて持っていけ
394 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:34
田んぼにもルルドの水を撒け
395 :
CLB:2001/08/02(木) 20:34
>発条仕掛くん
悔しいんだ。でもキミがクリスチャンなら、見えないところで見ておられる
天の父に対して、恥ずべき態度をとらない方がいいと思うよ。
裁きの日には、その無益な言葉に対して言い開きしなくちゃいけないからね。
私は福音派が嫌いなわけではないけど、一部の人がするストーカーのような
カトリック批判はやめてほしいと思ってる。
もし批判したいなら、もっと勉強しなくちゃ。
私も福音派の注解から多くを学んでいます。中沢先生や榊原先生のはいいね。
しかし、一部の「福音派」との討論は、あまり実りもないし、無益ですね。
それだけはわかりました。
396 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:34
うなぎの養殖にもルルドの水使え
397 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:36
学校のプールもルルドの水にしろ
398 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:37
ジャガイモ煮るときもルルドの水使え
399 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:38
赤ちゃんのミルクもルルドの水使え
400 :
ふらんちぇすこ:2001/08/02(木) 20:39
>>395 CLB
おつかれ。大変なことになってるね。
でも、面白いからすこし受けたよ。>ルルド水ネタ。
どこまで思いつくか観察しよう。
401 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:40
大根洗うときもルルドの水で洗え
402 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:41
ウォシュレットで肛門洗うのもルルドの水にしろ
403 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:43
おでんのつゆが減ったらルルドの水を補充しろ
404 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:44
にんじん洗うのもルルドの水使え
405 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:45
消防車で火事を消すときもルルドの水使え
406 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:46
髭剃りにもルルドの水使え
407 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:47
ゴボウ洗うときもルルドの水使え
408 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:48
盆栽にもルルドの水やれ
409 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:49
習字の墨を磨る時もルルドの水にしろ
410 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:50
包丁もルルドの水で研げ
411 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:50
米もルルドの水で研げ
412 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:52
水鉄砲もルルドの水にしろ
413 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:53
散水車でルルドの水撒け
414 :
ふらんちぇすこ:2001/08/02(木) 20:53
ここまで来るとルルドも渇水が心配されるな。
415 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:54
∧ ∧
//ヽ //ヽ
.//--λ-─//--λ
/ ヘ
/ ヽ
/ ヽ
/. ._ .._ |
/ / ヽ ./ ヽ │
/ |Ο | |Ο | │
/ ヽ__/ ヽ__/ │
│ │
│ │
| │
. ゙ヽ / │
\ / │
ヽ-- --''"
Λ
┌──── ────
│どうやら
│ 僕の出番ではなさそうだ
416 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:54
カレー作るときもルルドの水使え
417 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:55
パソコンが故障したらルルドの水をかけろ
418 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:56
テレビが故障したらルルドの水かけろ
419 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:57
ビデオが故障したらルルドの水かけろ
420 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:57
携帯が故障したらルルドの水かけろ
421 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:58
アイロンが故障したらルルドの水かけろ
422 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:59
アイロンがけにもルルドの水使え
423 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 20:59
電子レンジが故障したらルルドの水かけろ
424 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:01
猫が死んだらルルドの水かけろ
425 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:02
犬が死んだらルルドの水かけろ
426 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:02
バイクが故障したらルルドの水かけろ
427 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:03
ガソリンが無くなったらルルドの水入れろ
428 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:04
目覚し時計が壊れたらルルドの水かけろ
429 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:04
腕時計が壊れたらルルドの水かけろ
430 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:05
はちに刺されたらルルドの水つけろ
431 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:06
犬にかまれたらルルドの水かけろ
432 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:06
1000まで続けろよ。
途中でやめるなよ。
433 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:06
キーボードにお茶こぼしたらルルドの水で洗え
434 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:11
ついにネタ切れか・・・。
435 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:13
436 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:13
437 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:18
>>432-436は、やめるにやめられなくなって自作自演をしたものと思われる
438 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:19
頑張れ、もっと続けろ。
応援してるぞ。
439 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:21
>>437 >>432-436は、やめるにやめられなくなって自作自演をしたものと思われる
なるほど、納得。
しかし、あんがい根性がないわりには、
姑息なやつだってことだな。
440 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:28
風呂に入って、ビール飲んで、戻ってきたら、終わってた。
何だ、つまんない。
結局、風呂とビールの価値しかなかったのか。(意味不明)
441 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 21:50
そうか、自作自演か、根性ねえなぁ。
442 :
ふらんちぇすこ:2001/08/02(木) 21:53
ついにルルド水も渇水したようだね。
話題再開のため、石を投げ込んどく。
>>309 ブルネルス
>ヌマツダ氏の主張に近いのだけど、教会の伝承ではなく、
>聖書のみだ、というところについてはちょっと引いてしまう。
ヌマツダ氏は「聖書のみ」ではなくて、「歴史学」「聖書学の成果」
という「伝承」も根拠にしてると思うが。
歴史学的、或いは聖書学的立場なら、ヌマツダ氏の主張は正しい。
いや、寧ろ、イエスの地位も上がったとするブルネルス氏の主張
がより正しいかもしれないね。
マリアの崇敬に、聖書に書かれた当時の根拠なんかないんだよ。
だからそこのみに拠れば、まったくヌマツダ氏が正しいけどね。
けどカトリック教会は「旅する教会。神は完成に導く」という
概念を持っていて、そのなかで、信仰のかたちを様々に思考錯誤
して来たわけだ。いわば完成途上にあるのかもしれない。
マリア崇敬は民衆からの求めより始まった。
民衆の「信仰」には、整合性の有る理論はない。
知識階級の信仰、教義とは違うレベルで発するからね。
理論付けはほんというとナンセンスかもな。
しかし、そういうのをあながちバカにするのもなんだよ。
何故、マリア崇敬が廃れなかったのかな?
むしろ、近代になってマリア崇敬がより盛んになったのは
何故だろうか?大衆心理を分析した方がいいと思うけどね。
それを存続させたいと思う民衆の欲求はなんだろうね。
僕はそれが前から不思議なんだな。
443 :
名無しさん@一周年:2001/08/02(木) 22:03
西瓜を巡る攻防を話します。
西瓜を等分に切ったのはいいが
切り損ないの端っこを上司にやったそうです。
「これで我慢して」と言って。
自分はいいところをしっかりいただいたそうです。
ちっぽけな欲ですが、何とも大人げない。
上司もあきれ顔で「だから嫁に行けないんだな」
と陰で言ってました。回りはブーイングです。
人を尊敬する事を知らないある種可愛そうな面もあります。
自分の上司を見下してるのです。
上司はなかなかの人格者なのですが、そこを見抜けない。
読めない。目先の損得しか考えられない。
むしろ人格者とは対局にあるヒステリック、自惚れ、
自意識過剰、言い訳、暴言....等が染みこんでいる人間と
波長が合う。つまり彼女とよく似た人間と合う。
類は友を呼ぶんですなぁ。
コントロール不能な人といいますか...。
彼女も自分の怪しげな精神に翻弄されて苦しんだでしょう。
そう思いますよ。
でも真光に入って克服されたかというとそうではない。
彼女の心はむしろ怪しさを残したまま、宜しくない面が
増長されているのです。宜しくない教義があるからです。
だから精神がおかしくなるのだよ。
嫁にも逝けず、精神を病んで、益々のめり込んで、カルトスパイラル
ですな。
444 :
名無しさん@一周年:2001/08/02(木) 22:15
>443
スレ違いなのよ♭♪♭♪♯
ララララ....
港ヨコ禿げ街明かり...
445 :
信仰虚弱:2001/08/02(木) 22:18
インチキ霊能者さんこんばんわ。
私が書き込んだ偽の相談を見抜けませんでしたねえ。
446 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 22:20
アル中ばばあ
447 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 22:30
448 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 22:46
>>442 同意だな。
プロは聖書のみ。カトは聖書と聖伝。こう言って
住み分けしてれば、お互いこじれないんだよ。
「マリア崇敬は聖書に基づく」説に執着する
信仰虚弱のようなのがいるから、相手は激怒して
カトスレを荒らしに来るんじゃないか。
449 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 22:55
450 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 00:23
451 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 02:25
452 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 13:09
>>448 全くもってそのとおりだと思う。
カトリックにしかないもの、例えばマリア崇敬(礼拝ではない)などは、
聖書に根拠を求めてもだめだと思う。
やはり、聖伝。
だから、プロテスタントの言い方もおかしいし、それを受けて立つ方も、変だと思った。
両方が、聖書に依拠するもの、例えば、聖職者の制度のようなものなら、
話し合っても実りがある、と思うよ。
そういう私は、プロテスタント。
私の仲間が、ご迷惑をおかけしました。m( )m
>>448 >>452 まあ、そういうことで円満に丸く治まるんなら、
別にいいですけど・・・。
最後に嫌みのひとつも言わせてもらえば、
よくプロテスタントの方が、聖母にイエス以外の子がいたことの
確証として「マリアは・・・初子を産んだ」との聖書の記載を
必ず持ち出すものです。「初子」というからにはその次の子も
いただろう、と。
しかし、ここのプロの方は、誰もこれを指摘しませんでしたね。
454 :
ふらんちぇすこ:2001/08/03(金) 16:42
>>453 信仰虚弱
ありゃ?
落ち込まないでくれ。僕もああは書いたものの
君のカキコには色々教わる事多かったし。面白かったよ。
何よりも粘り強さに驚いたね。
455 :
マリールイーズ:2001/08/03(金) 18:22
良い子のみなさーん、
イエスさまの下で仲良くなりましたかー?
マリア様は
「女のうちにて祝された御身」(ルカ)、
黙示録の「天の婦人」、
それで良いではありませんか。
それ以上付け足すことも削ることもないですね。
イエス様を愛する人は聖母からも愛されていますよー。
仲良くしてね。(ウフフッ!
456 :
ヌマツダ:2001/08/03(金) 23:16
問題提起として以下の聖句について一言。
コリント人への手紙第1 :11: 3
しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。
すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。
ヨセフのかしらはキリストであり、マリヤのかしらはヨセフになりませんか?
コリント人への手紙第1 :11:10
ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです。
女の長髪というかぶり物は、ミカエルの為ではあってもキリストのため出ない所が笑える。
テモテへの手紙第1 : 2:12
私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。
ロザリオの祈りなどによって、マリヤが教えたり男信者を支配する事は遺憾だ。
テモテへの手紙第1 : 2:15
しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。
だからマリヤの永世処女説はなくとも他に実子があっても女性に救いがあって良い。
テモテへの手紙第1 : 4: 7
俗悪な、年寄り女がするような空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛練しなさい。
マリヤ像が像刻みでないなど幾つかの詭弁的聖伝を鵜呑みにせず、
空想話に類する聖伝は切り捨てるべき。
457 :
ヌマツダ:2001/08/03(金) 23:20
>>456 書いた後でなんだが、我ながら右派だと感じる。支持や批評を待ちたい。
458 :
俺:2001/08/04(土) 00:20
まだわからないのか?
マリヤ崇敬は偶像礼拝である。
偶像を拝むことが、どうして偶像礼拝ではないのか?
カトリックの言うことは、こじつけである。
マリヤを拝んで何の得があるのか?
何の得も無い。
得が無いばかりか、偶像礼拝の罪を犯すことになる。
>>1の段階で既に、マリヤ崇敬が間違いであることを
裏付ける証拠が幾つもあがっている。
カトリック側は何一つ証拠をあげていない。
空想話と詭弁を並べただけである。
459 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 00:26
聖書に何て書いてあろうと、カトリック教会は
昔から聖母を崇めてきたんです。
教会の伝統に従うのは、悪いことではないです。
460 :
俺:2001/08/04(土) 00:32
>>459 その伝統が間違いだということがハッキリしているのだ。
だから、やめるように忠告している。
461 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 00:38
462 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 00:42
>>452 プロテスタント装ってくだらないことを書き込むな。
463 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 00:51
>>442 >何故、マリア崇敬が廃れなかったのかな?
>むしろ、近代になってマリア崇敬がより盛んになったのは
>何故だろうか?
そういうのを詭弁と言う。
廃れなければ正しいのか?ではイスラム教が廃れなければ
イスラム教が正しいのか?
464 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 00:55
ここにカキコしているカトリックはオウム幹部みたいな思考パターンだ
465 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 00:56
マリアは、宇宙一美しいのら〜。
466 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 00:57
467 :
俺:2001/08/04(土) 01:08
>>466 >しかし、しっかりと読めば創世記3:15や
>黙示録の太陽をきた婦人など、聖母に関連する
>箇所は出てくるし、どれも人間の救いになくて
>はならない重要な箇所だ。
でたらめな事を言うな。
それらはマリヤの事だなどと書いていない。
何処にもマリヤを拝めなどと書いていない。
それらは、偶像礼拝の罪を正当化するための
こじつけである。
468 :
俺:2001/08/04(土) 01:23
>>466 創世記3:15の
蛇(悪魔を意味する)の頭を砕くのはイエス・キリスト以外にはありえない。
黙示録12:1の女は、艱難時代のイスラエル民族と言われている。
469 :
俺:2001/08/04(土) 11:40
>>442 マリヤ崇敬の間違いを正す82 名前: 俺 投稿日: 2001/06/03(日) 01:53
森山諭の著書より
紀元三二五年ニカィア会議後、キリスト教がローマ帝国の国教になると、異教徒たちが今までの偶像を捨てないまま、教会に加わってきたので、彼らを包容するため、マリヤが偶像として代用されるに至った。
神の母の称号、無原罪説、永世処女説、被昇天説まで創作して、それを信じない者はのろわれるとした。
そこで、モーセの十戒中、偶像に関する第二戒を削除し、第十戒目を二つに分割して、十戒を並べるに至った。その欺まんを隠すために聖書の所持を禁じ、スコラ哲学のようなご用哲学を起用した。
また、彼らは、教会と法王の無謬説や、聖書にない煉獄説まで創作した。
442より>マリア崇敬は民衆からの求めより始まった
民衆の求めで始まったなら正しいという事にはならない。
そういうのをこじつけと言う。
470 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 12:14
結城麟という作家はカトリックの幼稚園に行ったそうだ。
入園してすぐ修道女と喧嘩して、マリア様を投げつけて
壊し、修道女を泣かせて、幼稚園を辞めさせられたそうだ。
471 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 12:23
472 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 12:28
473 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 12:59
>>467イエスのことも旧約に書かれておりません。ハイ。
現にユダヤ教徒はイエスを認めません。
イスラム教ではイエスは預言者であるともいいます。
ユダヤ側から見ればインチキにしか見えません。
どんなに数が多かろうがあなた方はインチキです。
結局どっちつかずなんですよね。この議論。
結論なんてあの世へ行かなくては分かりません。
知りたい人は死ねばいいのでは?
地上にいて分かりもしないことについて
騒いでもうるさいだけです。ハイ。
474 :
マリールイーズ:2001/08/04(土) 13:05
いたずらっ子のぼくたち、カトリックのお兄さんに、相手してもらえないの?
でもね、ぼくたち、お兄さんたちは忙しいの。
ボクたちの相手してる暇ないの。ボクたちだけで遊ぼうね。
カトリックお兄さんたちへ:
これ以上「あおり」作戦にのらないでね。
もう十分過ぎるほど、教えるべきことを教えたのですから。
ロムしている人には、十分ちしきが伝わります。
この子たちは、わざと反対して、遊んでもらいたがっているだけです。
だまされないでね。
ウフフッ!
475 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 13:09
>>473 どっちつかずではない。でたらめを書くな。
マリヤ崇敬が間違いだということは、多数の証拠によって
明らかになっているではないか。
カトリックが事実を認める事を頑なに拒んでいるだけである。
イエスの雛型は旧約聖書のいたる所に書かれている。
勉強不足にも程があるぞ。
476 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 14:05
>>475でたらめではありません。事実です。
ユダヤ人から見ればあなた方はインチキです。ハイ。
これは事実です。あなた方がどんな「詭弁」を使っても同じです。
聖書の解釈一つにしてもカトリック・プロテスタント双方とも
「聖霊の導き」の賜物です。
マリア崇敬の起こりも聖霊の賜物ですし否定も賜物です。
しかし真実は神しか知りませんです。ハイ。
所詮は人間の「聖霊の導き」という名による憶測にしか過ぎません。
だから彼らを説得させたければ
あの世へ逝って調べて来る以外手はありません。
ユダヤは聖霊の導きで人殺しもしました。
これは事実ですね。聖霊の導きの解釈はあります。
あなた方の先人たちも異教徒や
自然信仰の方に魔女という名をつけて殺しました。
薬草の名前を知っているだけで殺された方もたくさんいます。
子供に暗示がかけて薬を飲ませただけで魔女とも言われました。
あなた方の療法といえば、悪い血を出せばいいというものでした。
それで多くの人が衰弱して死に至りました。
これも聖霊の導きです。
プロテスタントが優勢なアメリカの州では
魔女狩り法が残っています。
これも聖霊の導きの一種です。全て聖霊の導きですね。
喧しく騒いでいるのは馬鹿のすることです。
こんなネタは騒ぐ価値もありません。ハイ。
しかしこれも聖霊の導きです。
聖霊の導きとはなんと都合のいい言葉でしょうか。
ついでに私がここに来たのも聖霊の導きです。ハイ。
神がこうするように言われました。ハイ。
477 :
俺:2001/08/04(土) 14:16
>>476 >>1と
>>10-16を見ろ
事実を認めろ
組織に盲従するな
あなたの発言はオウムの教祖が、証拠を示されながら
しらを切りつづけているのと同じだ。
478 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 14:20
は?あなた方も聖霊の導き。カトリックも聖霊の導き。
人殺しも聖霊の導き。みんなそうなんですよ。
さぁ、本物の証拠はあの世にしかありません。
逝ってみましょう!南無阿弥陀仏!
479 :
俺:2001/08/04(土) 14:31
子供でもわかる、よい子のたとえ話。
銀行に、強盗さんが入りました。
銀行員さんは、犯人は信仰虚弱さんだと証言しました。
防犯カメラには、信仰虚弱さんがハッキリ写っていました。
強盗が逃げる途中で落とした包丁には、信仰虚弱さんの
指紋が付いていました。
それでも信仰虚弱さんは「私はやってない」と
とぼけました。
このたとえ話であげた証拠は3つだけだ
>>1の段階で証拠が幾つ上がっているか数えろ。
480 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 14:32
何を言おうが喋ろうが所詮全て憶測なんですよ。ハイ。
全ては正解であり間違いであるのです。
そして間違いであり正解である。
神が初めであり終わりであるのと同じことですよ。
あなた、神から直接に私的な啓示でもあったのですか?
もしあったならあったとはっきり言いましょう。
聖書なんてすべて様々な現象について
考察したものが書いてあるものに過ぎません。
間違いなく真理でしょう。そして間違いなく真理ではないのです。
この世では全ては正しいものでありまた逆でもあります。
マザーテレサの善行はインドでは賛否真っ二つです。
カトリック教会内でも賛否が論じられることがあるようです。
あなた方が定義する「異教」の葬儀を認めていましたからね。
誰かは正しいと言っても誰かは正しくないという。
これも全て聖霊の導きです。
481 :
俺:2001/08/04(土) 14:33
482 :
俺:2001/08/04(土) 14:38
483 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 14:38
>>479信仰や感情の問題と現行犯とは同一視してはいけません。
強引なるこじつけです。ハイ。バカですね。
あなたは自分が正しいことを証明しようとして
様々な手を使います。しかし全て自己中です。
自己と神を同じにしているだけです。ハイ。
484 :
俺:2001/08/04(土) 14:44
>>483 馬鹿でもわかるようにたとえ話をしたのだ。
カトリックは詭弁の上に成り立っているわけだ。
485 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 14:45
あなたの拝んでいるものも偶像です。
自分の中で作り出した神でしかありません。
例えば第二次世界大戦ですが評価の仕方によって異なります。
実際どちらの理論も正しいとなりますね。
国同士の利害を巡る戦争ですが同じです。
一方から見れば正しく、他方から見れば正しくありません。
少数派は裁かれます。ハイ。
こんな単純な仕組みも分からないようなら
あの世へ逝って神の世界を見る以外にありませんね。
486 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 14:46
>>484そういうのを思い込みといいます。ハイ。
バカはみんなここに陥ります。
カトリックもあなたも同じですね。ハイ。
487 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 14:48
あなたがカトリックを相手にした段階で
あなたも詭弁に陥っているのです。ハイ。
488 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 14:49
バカを相手にすることが一番のバカです。ハイ。
だからあなたもバカなのです。ハイ。
489 :
俺:2001/08/04(土) 14:51
異議があるならばどのような異議があるのかはっきり言え。
490 :
俺:2001/08/04(土) 14:54
マリヤ崇敬は偶像礼拝であると言ってるだろ
491 :
俺:2001/08/04(土) 14:55
偶像を礼拝すると悪霊と交わると言ってるだろ
492 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 14:56
>>481逝って良しといった段階で
あなたが自分に逝って良しといっているのと同じです。
人間的に未熟だからこういう言葉を平気で用いられます。
あなたが神を偶像化してしまっている証拠でしかありません。
自己と神を同一視しているに過ぎない事を認めましょう。
地上でいる限り全ては憶測の域を出ないことも悟りましょう。
493 :
俺:2001/08/04(土) 14:56
人は、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められ救われるのであり、マリヤ崇敬によって救われるものではないと言ってるだろ
494 :
俺:2001/08/04(土) 14:57
神と人との間の仲介者は唯一、人としてのキリスト・イエスであり、マリヤは仲介者では有り得ないと言ってるだろう。
495 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 14:57
>>489思い込みが真理だと主張するところです。
カトリックもあなたも所詮は思い込みに過ぎません。
>>490-491これもそうですね。
496 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 14:58
>>493-494これもそうですね。
救われたとみんな思っている自己満足です。
497 :
俺:2001/08/04(土) 14:58
マリヤは神の母では有り得ないと言ってるだろ
498 :
俺:2001/08/04(土) 14:59
ファチマやルルドの奇蹟は悪霊による怪奇現象と人による演出等が合わさったものであると言ってるだろ
499 :
俺:2001/08/04(土) 15:01
>>496 お前が第三者を装ったカトリックの荒らしだということはわかっている。
500 :
俺:2001/08/04(土) 15:02
聖書のどこにもマリヤ崇敬をせよとは書かれていないと言ってるだろ
501 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:04
あなたがここに出てきてバカ騒ぎしているのは
救われていないからです。ハイ。
救われたという「思い込み」をしているだけです。
あなたの心には何かまだつっかえがあります。
つっかえが無ければこんなところで騒ぎません。ハイ。
それに気づきたくないのです。
それに気付けばあなたは崩壊すると思っています。
色んなことを言ってキリスト教スレを
活性化させている主人公になったつもりなのでしょうけどね。
こういうことをしたがるのは、霊能者マリア程度のバカです。
502 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:05
>>499そうでも言わないともたないようですね。バカですね。ハイ。
503 :
俺:2001/08/04(土) 15:06
私は、イエス・キリストを信じ救われた。
お前はマリヤを拝んで救われたとでも言うのか
馬鹿も休み休み言え
504 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:10
>>503ほらほら出て来た。バカ節が。
マリア崇敬をしている人でも
救われていると言い切る人もいるでしょう。
あなたも所詮はこんなものです。
何でもかんでも反対意見はカトリック。
バカですね。ハイ。
505 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:13
救われていると思っている人は人の悪口は言いません。
勘違いバカは罵りますがね。
506 :
俺:2001/08/04(土) 15:13
>>504 マリヤを拝んでも救われないと言ってるだろ
馬鹿じゃねえのか?
507 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:14
キリスト教の愛の精神なるもののみを人に伝えるでしょう。
508 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:15
>>506それは所詮はあなたの屁理屈でしかありません。
バカですね。
509 :
俺:2001/08/04(土) 15:16
死ぬまでマリヤの偶像拝んでろバーカ
510 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:17
あなたみたいな人が「他の宗教のものはみんな地獄逝き」といいます。
どんな善行をしてもイエスを信じなかったから地獄へ落ちると
決め付けます。バカですね。
511 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:18
>>509そういえるということはあなたは人を神の
子だとも思っていないバカだという証拠。バカです。ハイ。
512 :
俺:2001/08/04(土) 15:18
>>508 聖書の何処にマリヤを拝めば救われるなどと書いてある?
513 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:19
反対者は何でもかんでもカトリック。
こう言っていないと馬鹿は自分自身を納得できません。
バカですね。
514 :
俺:2001/08/04(土) 15:21
>>510 人は行いによって救われるものではない。
ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められ救われる。
515 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:25
>>512どこにも書いていません。
しかし聖書も所詮は人が作ったもの。
人の主観が入っています。
カトリックのものも所詮は人の主観。
そしてあなたのものも所詮は人の主観。
イエスが神というのも所詮は人の主観。
みんな人の憶測でしかありません。
そんなことにも気付かないあなたはバカです。ハイ。
そして私があなたの相手をしている理由も知りません。ハイ。
516 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 15:27
517 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:31
>>514そう書かれていますね。そう思ったから書いたのです。
全て人の憶測でしかありません。
あなたはそれを信じているだけです。
この地上にある全ての経典はそんなものです。
カトリックのものもそうです。
本当に救われたのなら人を卑下しません。
自分にやましい所があるから卑下します。
それが自分を守る方法なのです。
518 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:32
519 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:33
520 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:39
厳密に言うとそう感じたからそう書いたという事ですね。ハイ。
521 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 15:40
┌─────────┐
│ . │
│ キチガイ警報! │
│ . │
└―――──――――┘
ヽ(´ー`)ノ
( へ)
く
522 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:41
ええそうです。バカですね。
523 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:41
そんなことしか出来ないのですか?
524 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 15:42
お前ら 便所掃除してろ ピカピカに磨けば 聖母マリヤが ウンコしに来るぞ
525 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 15:45
マリヤ像の空洞に 犬のくそ詰め込んで
ウンコ崇拝してろ バカヤロー
526 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:46
俺君、さっさと55: α多重人格治療の間違いを正すω
に戻りなさい。
霊能者マリアやはしくれと頑固な名無しさんに
絞られればいいです。
私も暇です。さぁ早く殴りこみをかけてください。
527 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:47
528 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 15:48
ウンコを捏ねて マリヤ像造って 拝んでろ
529 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:49
また暇人が一匹きました。
530 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 15:52
便所掃除して ピカピカに磨いて 聖母マリヤが ウンコしに来たら そのウンコでマリヤ像造って拝め 馬ー鹿
531 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 15:54
>>529 自分の頭にウンコ塗って チャ髪に染めやがれ
532 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:55
君も暇なんだね。私は外に出たくないんだよ。
533 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 15:56
ウンコのマリヤ像に キスでもしてろ 馬ー鹿
534 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 15:57
しかし今日は晩は飲み会。合コンなんだよ。
535 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 16:01
飲みすぎて 泥酔コイテ ドブにはまって 溺死しやがれ
536 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 16:05
マリヤ像の空洞に 犬のくそ詰め込んで
ウンコ崇拝してろ バカヤロー
537 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 16:18
ウンコを捏ねて マリヤ像造って 拝んでろ
538 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 16:18
便所掃除して ピカピカに磨いて 聖母マリヤが ウンコしに来たら そのウンコでマリヤ像造って拝め 馬ー鹿
539 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 16:19
マリヤ像の空洞に 犬のくそ詰め込んで
ウンコ崇拝してろ バカヤロー
540 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 16:19
自分の頭にウンコ塗って チャ髪に染めやがれ
541 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 16:20
ウンコのマリヤ像に キスでもしてろ 馬ー鹿
542 :
名無し@歴史調査団:2001/08/04(土) 16:35
相当暇だね(笑)
543 :
ヌマツダ:2001/08/04(土) 17:36
>>516 ペテロの手紙第2 : 1:21
なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、
聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。
テモテへの手紙第1: 4:14
長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、
あなたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません。
544 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 17:55
世界中のカトリック信者が
聖母マリアを崇めているんですよ。
聖書になんて書いてあろうと
教会の伝統に従うのは正しいこと
じゃないですか?
545 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 17:56
546 :
ヌマツダ:2001/08/04(土) 18:02
>481 名前:俺 投稿日:2001/08/04(土) 14:33
>
>>478 >シンクレティズムは逝ってよし
シンクレティズム syncretism
ギリシア語シュンクレティスモス sygkr^tismos に由来する語。
本来は〈統合〉を意味し,のち相互に対立・相違する神学上・哲学上の見解を
和解・融合させようとする試みを指すようになった。
無節操,折衷などしばしば軽べつ的なニュアンスで用いられることもある。
具体的にはルネサンス期における東方教会とローマ・カトリック教会の合同の試み,
17 世紀におけるルター派と他のプロテスタント諸派,
ローマ・カトリック教会との合同の試みなどがあげられる。
転じて心理学 (混同心理) や言語学 (融合) の用語としても使用された。
日本の宗教では平安時代になって発達した神仏習合の試みがそれにあたる。
外来の〈仏〉を本地 (原型),土着の〈神〉をその垂迹 (変型) とみて,
神信仰と仏信仰の融合を説いたものである。
またこのような現象は,成立宗教が異地域で大衆化する場合とか,
一神教が多神教と接触するような場合にも生ずる。
たとえばキリスト教世界におけるマリア信仰や,
仏教世界における密教やラマ教などにそのような傾向が見いだされ,
一般的には信念体系の重層化,並列化の過程としてとらえることができる。
547 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 18:05
>>544-545
「教会の伝統は正しい」という前提が正しいかどうか
を吟味することを忘れるな。
伝統が正しいかどうかを判断する唯一の基準は聖書である。
548 :
霊能者マリヤ:2001/08/04(土) 18:13
>>543その程度のことならあたしにだってできるわよ!
イエズスは神人。釈迦も神人。マホメットも神人。
キリスト教徒はパウロに降った聖霊の賜物を基盤にしているのよ。
あんたたちはイエズスと使徒のものだけを真理と信じているのよ。
他の宗教の人たちと一緒なのよ。全然変わらないのよ。
神の世界に足を踏み入れてごらんあそばせ〜。
どれもこれもどんぐりの背比べと分かるわよ。
シンバルのように喧しく騒ぐのはおやめなさいよ。
信仰とは心のもの。自分の心を大事にすること。
こんなバカらしい問題でシンバルのように喧しく騒ぐのは
終わっている証拠。どっちも正しいしどっちも不正解。
こんなところよ!ってんのよ。
プロテスタントは大人しく聖書を信仰していたらいいのよ。
カトリックは大人しく聖書と聖伝に基づいて信仰してればいいの。
どっちにも別の聖霊は降っているわよ〜だ。
どっちの聖霊が正しいかって?それはどっちも正しいわね。
プロテスタント用とカトリック用があるみたいよ。
549 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 18:28
┌─────────┐
│ . │
│ キチガイ警報! │
│ . │
└―――──――――┘
ヽ(´ー`)ノ
( へ)
く
550 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 18:30
申命記18:10〜12
551 :
ヌマツダ:2001/08/04(土) 18:42
>>550 申命記-18:10
あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。
占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、
申命記:18:11
呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、
死人に伺いを立てる者があってはならない。
申命記-18:12
これらのことを行なう者はみな、主が忌みきらわれるからである。
これらの忌みきらうべきことのために、
あなたの神、主は、あなたの前から、彼らを追い払われる。
552 :
霊能者マリヤ:2001/08/04(土) 18:43
全て書いたのは人間。正しいか正しくないかを分けるのも人間。
妻子階級が霊媒をダメだといっているのは下記の理由もあるのよ。
特権階級に居座るためという理由も半分あるのよ。
神と人は離れていないと都合悪いもの。権力維持のためよ。
もう半分は悪い偶像崇拝を入れないためなのよ〜。
これをいいことか悪いことかを決めるのも人間よ〜。
いいと思う人にはいいし悪いと思う人には悪い。
こんな程度のものよ〜。
553 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 18:51
第二ペテロ1:21
554 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 18:57
レビ記19:31
555 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 18:59
イザヤ8:19
556 :
ヌマツダ:2001/08/04(土) 19:07
>>548 霊能者マリヤ さん、
私は未信徒ですが、
このスレッドでは仮に新教側に立って書いてみようと思ったので、
新教側の本を基に書いているのですよ。
霊能者さんの説には確かに一理ありますが、
キリスト者は「イエズスと使徒のものだけを真理と信じている」から、
どなたもが「神人」だとは考えないでしょう。
私も個人的には「神人」という霊能者さんの言う事には納得する部分があります。
でも、世界中の霊現象の中で、
ユダヤ神だけ「唯一」に拘った結果こうなったんですよ。
ユダヤ神は、自分の像を作らせないだけでなく、像だけでなく他の神も認めない。
死人の賛美も認めない。儂のみと言う「唯一病」なのですよ。
ヒトラーも唯一とか好きだった。民族は一つ、国は一つ、総統も一つ。と演説した。
そう言う意味で「唯一病」は危ない。が、
今仮に「唯一病」の中で、まだまともなのは新教の方だと思うから書いているのですよ。
イタリア(カトリック)・スペイン(カトリック)・ドイツ(カトリック)と、
旧教はファシズムを生み出したから。
ムッソリーニは政教協定で法王庁とグルだったし、
フランコは中世騎士団好きで教会の支持を取り付けた人だったし、
ナチス親衛隊のヒムラーはバリバリのカトリックだった。
ドイツのプロテスタントの人権牧師は強制収容所に送られた者もいる。
建前上人権主義の連合国側はプロテスタントのアメリカ、イギリスが主力でしょ。
共産ソ連もあったが。共産は新型全体主義だから。共産も「唯一病」。
コミンテルンのみが世界唯一の正義みたいだった。
557 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 19:16
レビ記19:31
あなた方は霊媒や口寄せに心を移してはならない。彼らを求めて、彼らに汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。
558 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 19:27
イザヤ8:19
人々があなたがたに、霊媒や、さえずり、ささやく口寄せに尋ねよ。と言うとき、民は自分の神に尋ねなければならない。
559 :
ヌマツダ:2001/08/04(土) 19:38
>>556 補足。
ファシズムが大衆文化の中で作り出されたのと同様、
マリヤ崇敬も民衆が作り出したので、
どこか思考回路が同じ部分があるのでは?と思っている。
レスを書いている内にソノ思考回路が判るのではと思い、
このスレッドに参加している。
560 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 19:44
561 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 19:48
562 :
ヌマツダ:2001/08/04(土) 20:22
>>285 CLB さんへ、
>公的解釈だと思います。信徒は「教会を通して、神の多種多様な知恵を知る」
>(エフェソ3:10)のです。
>教会は「真理の柱」(1テモテ3:15)ですから。
真理の柱また土台は教会ですが、教会はキリストのからだであり(コロサイ1:24)、
キリストのからだの部分部分は「あなたがた」から成り立っている(エペソ5:30)。
また「あなたがた」は使徒と預言者という土台の上に建てられている(エペソ2:20)。
そして使徒と預言者のことは聖書に記されている訳です。また、
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
(テモテへの手紙第2: 3:16)
教会の権威は従、主たる使徒や預言者の言葉である「聖書」の権威に依存します。
参照:
エペソ人への手紙
2:18 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、
父のみもとに近づくことができるのです。
2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、
今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、
キリスト・イエスご自身がその礎石です。
エペソ人への手紙
5:23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、
ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
エペソ人への手紙
5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
5:31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
コロサイ人への手紙
1:24 ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。
そして、キリストのからだのために、私の身をもって、
キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。
キリストのからだとは、教会のことです。
テモテへの手紙第1
3:15 それは、たとい私がおそくなったばあいでも、
神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。
神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。
563 :
マリア:2001/08/04(土) 20:26
霊能者マリヤさん。
あなたの言っている事、正しいこともあるわね。
適当に不快感があっていっているのだろうけど。
ヌマツダさん。
ドイツで色んな運動があったのは、ご存知でしょう?
カトリック系政党の中央党は、いつでもナチスに
反対していたのを御存知じゃないようね。
カトリックもプロテスタントも監視の対象だったのよ。
ポーランドではコルベ神父が収容所に入れられた。
カトリックもたくさんの聖職者が収容所へ入れられたわ。
ヒトラーはユダヤ系とも噂される劣等感の塊の市民だった。
黒魔術を嗜んでいたのは知らないのかしら?
イエズスのことを「ユダヤをアーリアに伝染させた悪者」と嫌っていたわ。
バリバリのカトリックというお方もよ。
イタリアと教皇庁は、グルだったわけではないわ。
ムッソリーニは元は急進主義の社会党員。教会嫌いよ。
むしろ、追い詰められた教皇庁を利用しただけよ。
教皇庁は、降伏したのよ。
スペインはバチカンが陥落して、司教たちも既得権益を
守らなければならなかった。仕方なく組んだだけ。
ポルトガルもそうだったわ。
多くの人たちが左派中心の人民戦線と共に戦った。
その人たちも、みんなカトリック教徒よ。
それに対する誤解は解くべきだわ。
教皇庁の態度は、別としてね。
教皇庁は、ユダヤ人を保護する方法に、
一度洗礼を受けさせる方法を極秘に指示していた。
でも、そんなことユダヤ人は受け入れないわ。ダメだったのよ。
ファシスト党の目が光っていたしね。
カト・プロ問わず、福音主義を、
おかしな方向に誤解している人たちがいるの。
そういう人たちをと言うの。他を攻撃する特性があるわね。
宣教のあり方が狂っている教会は、海外事情を見ても報告される。
プロテスタントも、原理主義から穏健派まで色んな教派がある。
カトリックにも、原理主義から急進改革派まで色んな司教がいる。
日本国内でも同じよ。
564 :
マリア:2001/08/04(土) 20:34
イギリスの国教会は、カトリックの分派よ。
即ち、イギリス王室を教会の長に頂く教会。
今は違うけど、元は国王が支配する教会。
基本的に、カトリックの教皇と同じ役割があったの。
565 :
ヌマツダ:2001/08/04(土) 20:48
マリア さん有り難う。カトリック=ナチスは間違いでしたね。すみません。
ただ「多くの人たちが左派中心の人民戦線と共に戦った。」は違うでしょ。
スペインのカトリック教会は内戦前の選挙では、
共和国側でなくファシスト側に投票しました。
ファシスト側を勝たせる為、修道女も投票に行けるようになったのをご存じない。
人民戦線側はリベラル・無政府主義者・共産主義者が殆どです。
スペインは圧倒的多数がカトリックで教会がフランコ支持だったから、
フランコは内戦に勝ったのであって、
大戦後も安定していたのはカトリック教会の忠誠心によるんですがね。
カトリックが反ファシストに回ったのはバスク地方で、反中央だったからですよ。
内戦の最初っからスペインのカトリックはフランコ側でした。
それにポルトガルには内戦がなく、スペイン内戦とは、ほとんど無関係ですよ。
そこは納得できません。
566 :
マリア:2001/08/04(土) 20:56
>>559最低限日本のカトリック教徒の主流から、
それを探し出すのは難しいわ。
ヒトラーは、キリスト教を捨てていたわ。
ルーン文字の研究、北欧の神話、
チベットの秘教なんかを研究していたの。
シャンバラの研究なんかをしていたの。
シャンバラはね、彼らの説によると碧眼金髪のアーリア人種の国。
ユダヤ人は、これを潰した不浄な連中だと考えていたの。
その系列のキリスト教に対しても、彼は非難していた。
567 :
ヌマツダ:2001/08/04(土) 21:04
>>565 追加。
コルベ神父はポーランド人だからであって、
カトリックだからナチスにやられたとは思えませんが。
>>564 ナチスと戦ったチャーチルが、マリヤ崇敬者だったのですか?
マリヤ崇敬という意味では、
英国国教会はカトリックという主張は可笑しいですが?
教皇の代役は国王よりカンタベリー司教でしょ。
分派の理屈ではプロテスタントもカトリックの分派ですよ。
568 :
マリア:2001/08/04(土) 21:13
>>565これはね、色々あるのよ。説明不足だったわね。
スペインのカトリック教会は、フランコに対する疑問もあったわ。
でも、人民戦線は反教会。既得権益を守るために連合したの。
バチカンもイタリアの手中だから、仕方が無かったのよ。
ただ、信者と教会は別物よ。
ポルトガルの場合もそう。カトリックも同じ。
既得権益が守りたいから、独裁主義を許したの。
後に左翼の軍が革命を起こして滅ぶわね。
でも、信者と教会は一体ではなかった。
今では両国の教会とも保守勢力だけど、
信者は昔と変わらず、教会=信者ではないわ。
ただ、信者と教会は、必ずしも一枚岩ではないのが
カトリックの特徴よ。いつの時代もそうなの。
証拠に、カトリック教会は司教にも色んなのがいる。
ヨハネス23世と前任教皇たちは、考え方が違うわね。
それから、ヨハネス・パウルス2世とも違う。
教皇とドミヌス・イエズスを作った枢機卿とも
方針が微妙に違うから解釈が異なっていたりする。
聖人たちのカラーも右から左までいる。こんなものよ。
569 :
マリア:2001/08/04(土) 21:28
>>567残念だけど、カトリックもプロテスタント同様、
ナチスからは忌むべき存在だったの。
だって、教祖はユダヤ人イエズス(ヨシュア)
確かに、ポーランド人だったからという理由もあるけど、
実際はカトリックの結社を彼が持っていたから。
英国国教会は、高教会・広教会・低教会と三派が中にあるの。
教皇の役割を果たしているのが国王で、
全教会に対する名誉的な地位を占めているのが
カンタベリー大主教。
高教会派は典礼・教義共にカトリックにほぼ近いの。
ミサもラテン語を使いたがるわ。
マリア崇敬に関しては正教会よりプロテスタントよりね。
低教会はプロテスタントに近い。広教会はその中間。
聖母マリアの扱いは、どの派も神の母マリア。
しかし、広教会派と低教会派はカトリックほど重んじない。
これを押さえておかないと、訳がわからなくなるわ。
570 :
マリア:2001/08/04(土) 22:07
もう一つ。カトリックは上層部は政教一致を
持ち合わせているのが特徴だけど、
そうでもない人がいつの時代にもいたの。
プロテスタントは、政教一致ではなく、政教分離。
教会=国家という概念は無いのよ。
プロテスタントは組織も民主的。
カトリックのマリア崇敬は、
たしかに異教的な習慣の流入も認められる。
けれど、数々の聖人伝や霊的な解釈を行うと
崇敬肯定に向かう事は容易な事よ。
プロテスタントが崇敬否定に至ったのも、
当然といえば当然。聖書には何も根拠は書かれていないわね。
しかし、霊的な根拠がある限り、カトリックは
崇敬をやめることは無いわ。オーソドックスも同じよ。
さて、お邪魔したわね。さようなら。
571 :
ヌマツダ:2001/08/04(土) 22:38
三位一体神にならざるを得なかった背景(宝殿イエス教会 内藤 正俊 氏)
http://www1.odn.ne.jp/~cam21960/dootimo/dootimo.html マリヤや聖人崇拝そして教皇崇拝の理由は彼らの"取りなし"である。
神と人との仲介者である。
しかし本来この仕事はイエスの役目ではなかったのか?
そういう時、イエスがいつまでも神を宿す神の子であり、
神と人をつなぐ仲介者であつては都合が悪い。
別の神の子や取りなし手(仲介者)が入り込む余地がないからである。
ではそのイエスを排除して彼らが居座るための余地を作る手は全くないか?有る。
それが意外と近くに有るのである。
イエスをただの人間にすると、抵抗は大きく非難される。
かと言って、ものみの塔の様に天使長ミカエルというのも愚作である。
そこで思いついた(というよりいつの間にかそうなってしまった)のが、
神の子なのだから神になつてもらえば良いという知恵である。
キリストを神に祭り上げて、その空席の開いた地位につけばよいという発想である。
そうなると唯一の神が何故複数なのか説明がいる。
そこで利用(考案された)されたのが異教に多く見られる三位一体神であつたろう。
(だからマリヤや教皇崇拝と三位一体説は車の両輪、
ローマ帝国の象徴ワシの両翼で、互いに保管しあう関係にある。
だから、一方を除いても他方が有る限り、
類似の役割を担う偽ものが入り込むのである。
その点不幸なことに宗教改革は不徹底に終わった。
マリヤや教皇崇拝を除いても三位一体神を本尊とする限り、
類似のとりなし手を必要とするからである。)
572 :
ヌマツダ:2001/08/04(土) 22:42
(追加)
古今東西、一度に大量改宗者が生まれたと言う場合、
無知文盲の大衆にどう福音を伝えるか。
過去の経験にもとずいて教えるしかない、
となれば偶像教徒には偶像をもって教え諭すしかない。
しかし三つ子の魂、百までの諺にあるようにナカナカ縁が切れないで、
本物を理解しないーーーーとなれば、
赤子ホルスを抱くエジプトの大地母神イシス礼拝していた庶民には、
ホルスに替えてイエスを、
イシスに代わって聖母マリヤを礼拝するんだと説く者も現れたろう。
それでそれが受けが良く、大勢力ともなれば、
総本山の大指導者も聖書にも伝統にも反するのでニガニガしくは思いながらも
無視は出来なくなる。
それがやがて体制ともなれば、こじつけでも「それは聖書に書いてある」と、
それなりの説明が出来なければならない。
573 :
ヌマツダ:2001/08/04(土) 22:46
>>571-572 の宝殿イエス教会 内藤 正俊 氏は、福音派ではなく、
ペンテコステ派である。
彼もまたマリヤ崇敬には反対で、三位一体にまで疑問を呈している。
574 :
7743:2001/08/05(日) 10:53
age
575 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 12:03
マリアとマリアムと2語出てくるけど
どうして2語使うの?
マリアで統一してつかやいいのに。
ルカなんか、マリアとマリアムとでてくるけど何で?
576 :
いのちとりのことばかり者:2001/08/05(日) 14:17
>573
三位一体に疑問を呈するというか
はっきり否定するのは荒井でもそうでしょ。
エホ証も。理由はちゃうけど。
おれも三一否定だよ〜ん。
577 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 16:26
聖書はイエスが人の子という言葉を使っているから
三位一体がOKになったのでしょう。
ヤハウェ・アドナイ・エロヒムという語もユダヤ教にあります。
生命の木は三本の柱からなっています。
日本の神道のようにユダヤ教も神を一柱、二柱・・・と数えます。
578 :
ヌマツダ:2001/08/06(月) 20:40
東京神学大学のパンフレット「礼拝」について、では、
パンと葡萄酒の聖化は人が肉や血を造る事になるので認めません。
とあります。
ジャン・カルヴァンのジュネーブ教会信仰問答では、
祈るために十字架のイエス像の前に出たり、
マリヤ像に何らかの敬意を表する動作をすることは、
あらゆる迷信と肉の儀式と見られ、
み使いたちやこの世を去った聖者たちに祈り求めることを、
偶像礼拝としています。
参考:
ジュネーブ教会信仰問答
すなわち牧師が問い子供が答える対話の形式で作られた、
子供たちをキリスト教に教育する文言集
ジャン・カルヴァン著
エペソ人への手紙二章二0節
教会の土台は預言者たちと使徒たちの教えにある
第二十三聖日
問一四四 神はどのような像を造ることも、全く禁じようとなさるのですか。
答... いいえ、ただ神をかたどるため、あるいはこれを礼拝するために、
.... どのような像を造ることも禁じられるのであります。
問一四五 何ゆえ神を、見える形に表わすことが、全く許されないのですか。
答... 霊なる、永遠の、知り得ざる神と、生命なく、朽つべき、
.... 目に見える有体物との間には、何らの一致もないからであります。
1.申四・一五、イザ四一・七、ローマ六、七章、使一七・二四、二五。
問一四七 どのような礼拝の形式がここでは禁じられているのですか。
答... 祈るために像の前に出たり、その前にひざまずき、
.... あるいはその他、あたかもそこに神がわれわれに現れておられるかのように、
.... 何らかの敬意を表する動作をすることであります。
問一四九 この戒めの目指すところを要約すれば何ですか。
答... 彼が人の礼拝しなければならない唯一のお方であって、
.... 他にはないことを第一の戒めで宣言なさったように、
.... 今度は、神はわれわれを、あらゆる迷信と肉の儀式とから救い出すために、
.... どれが正しい礼拝形式であるかをわれわれにお示しになるのであります。
579 :
ヌマツダ:2001/08/06(月) 20:41
ジュネーブ教会信仰問答(
>>578,つづき)
第三十四聖日
問二三四 ただ神にのみ祈り求めなければならないとあなたは思いますか。
答... はい。なぜならば神は、そのことを彼の神性に固有な栄誉として、
.... お求めになるからであります。
問二三八 そこからわれわれは、み使いたちやこの世を去った聖者たちに
.... 祈り求めることは正しくないと、結論できませんか。
答... はい確かに。なぜならば、聖者たちにはわれわれの求めに応ずるこの務めを、
.... 神は負わせなさいませんでしたから。
.... またみ使いたちについては、
.... たとい神が彼らをわれわれの救いに役立つために用いられるとしても、
.... 神はわれわれがみ使いに祈り求めたり、
.... 彼らに訴えたりすることはお望みにならないのであります。
問二三九 主が定められた秩序に適合しないことはすべて、
.... み心に反するとあなたはいうのですね。
答... その通りです。
.... なぜならば、もしわれわれが主のお与えになるものに満足しないならば、
.... それは明らかに不信仰のしるしでありますから。
.... さらにまた、神の律法に従い、神にのみわれわれの避け所をもつかわりに、
.... われわれの信頼の一部を彼らにおき、彼らにより頼むことは、
.... 神がご自身に留めておられたものを、われわれが彼らに移すことであって、
.... それは偶像礼拝であります。
580 :
ヌマツダ:2001/08/06(月) 20:54
キリスト者は、ただ神にのみ祈り求めなければならない。
ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、
心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕えよ。
主の憎む石の柱を立ててはならない。
十字架のイエス像・マリヤの彫像(比喩:石の柱)を立ててはならない。
参照:
申命記:10:12
イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。
それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、
主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、
10:13 あなたのしあわせのために、
私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。
申命記:16:20
正義を、ただ正義を追い求めなければならない。
そうすれば、あなたは生き、あなたの神、主が与えようとしておられる地を、
自分の所有とすることができる。
16:21 あなたが築く、あなたの神、主の祭壇のそばに、
どんな木のアシェラ像をも立ててはならない。
16:22 あなたは、あなたの神、主の憎む石の柱を立ててはならない。
581 :
ヌマツダ:2001/08/06(月) 21:01
>>577 ユダヤ人は神をよく一柱・二柱と数えたものだ。
イエス様は隅の頭石だそうだ。しかし石の柱は偶像だが。
582 :
ヌマツダ:2001/08/06(月) 21:07
ヤコブは枕した石を立てて油を注ぎ、
そこをベテル(神殿)と命名している。(創28:18,19)のに、
石の柱は異教の礼拝対象であったから、
神から破壊を命ぜられている。(王下3:2)
石の柱も良くされたり悪くされたり大変だ。
583 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 17:22
age
584 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 17:26
イギリスのジョークにこんなのがある
アイルランド人が水上スキーを買って
水面が斜面になっている湖を探しに行った
アイルランド人はカトリックである
カトリックの馬鹿さ加減が良く分かる
585 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 17:52
わら
586 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 19:32
詩篇148:13
彼らに主の名をほめたたえさせよ。
主の御名だけがあがめられ、
その威光は地と天の上にあるからだ。
587 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 19:40
マタイ6:7
また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
588 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 19:50
ヨハネ3:7〜9
そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。わたしの前に来たものはみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。
ヌマツダさん。
寂しそうですね。
590 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 20:02
ロザリオは繰り返し
591 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 20:14
使徒17:16
さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。
592 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 20:29
第一コリント10:14
ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
593 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 21:15
聖母を敬う事は
私たちの誇りです
594 :
ヌマツダ:2001/08/07(火) 21:26
>>589 旅行や自主規制でCLBさんや信仰虚弱さんがいないからね。
「俺」さんも出払っているし、霊能者マリヤさんは希にだから、しょうがない。
595 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 21:26
>>593 ガラテヤ6:14
私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。
596 :
俺:2001/08/07(火) 21:35
俺はいますよ。
数千のレスをやり取りして、感じました。
たくさんレスが入ると、どんなにいい事
書いても埋もれてしまって、読まれなくなってしまいます。
スレッドを(
>>1)の内容を充実させる他、無いみたいなんです。
早くこのスレッド一杯にしたいんです。
597 :
俺:2001/08/07(火) 21:36
そうすれば多少荒らされても問題ありません。
この版でやるべきではないんじゃない?
599 :
俺:2001/08/07(火) 21:39
もう、次のが下の方に有りますから。
600 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 21:44
「次のが」って何だよ。
601 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 21:44
しりとりでもしませんか?
偶像礼拝「い」
602 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 21:44
イサク
603 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 21:48
クレニオ
604 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 21:50
オバデヤ
605 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 21:50
ヤペテ
606 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 21:51
テモテ
607 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 21:51
テサロニケ
608 :
俺:2001/08/07(火) 22:00
けいきょ
609 :
マリア:2001/08/07(火) 22:02
俺さん、多重人格スレッドに帰っておいで!
610 :
俺:2001/08/07(火) 22:02
ヨブ
611 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:03
豚に真珠
612 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:22
ユーフラテス
613 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:29
スイカ
614 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:29
カリスマ
615 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:36
マナセ
616 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:37
いちご
617 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:38
チーズ
618 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:39
ゴリヤテ
619 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:40
テアテラ
620 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:41
ラオデキヤ
621 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:58
焼きそば
622 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 23:04
623 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 23:05
なんじゃここは?
624 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 23:10
カトリックは逃げたな
625 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 23:12
逃げたって、これじゃレスの付けようがないじゃないの?
626 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 23:14
つけられる門ならつけて宮がレ
627 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 23:29
教皇は不可謬であるというカトリックの教えは間違いである。
パウロ5世、ウルバヌス8世はガリレオの地動説を退けた。
628 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 23:32
歴代の多くの法王が、殺人、近親相姦、贈収賄、酩酊の罪を犯していた。
私生児を造り後継者にした者もいる。
629 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 23:40
カトリックの人が言ってた。
「プロテスタントの人は神社行って拝まないんですねえ」
と言うことは、カトリックは平気で神社参拝なんかすんのか?
ソーカ学会だってそんなことしないぜ。
630 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:02
ソーカ学会とプロテスタント教会を一緒にすんなよ。あほう
631 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:03
>630
残念なお知らせがあります。質的には同じです。
632 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:18
>>630 馬鹿ジャン
カトリックのアホの事を行ってんだよ神社ヤロー
633 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:19
カトリックのバーカ
634 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:20
かとは死ななきゃ治らない
635 :
プロテスタント:2001/08/08(水) 00:20
カトリックって生きてる価値あるの?
636 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:22
歴代の多くの法王が、殺人、近親相姦、贈収賄、酩酊の罪を犯していた。
私生児を造り後継者にした者もいる。
↑これでも不可謬か
637 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:24
638 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:26
639 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:26
歴代の多くの法王が、殺人、近親相姦、贈収賄、酩酊の罪を犯していた。
私生児を造り後継者にした者もいる。
↑これでも不可謬か
答えろオイ
640 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:27
641 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:29
642 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:31
ふらんさんも拝むのか?
神社とか、仏像とか、地蔵とかを
643 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:32
みこしとかも担ぐのか
644 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:33
ちょうちん持って先祖を迎えに行くのか?
645 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:34
ぢぞうはね。拝む機会があまりないな。
神社は拝むけど、目の前にあるご神体を無視して、
神様に祈っちゃってる。
仏像も拝むけど、目の前にある仏像を無視して、
神様に祈っちゃってるよ。
646 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:34
神社でお祓いしてもらうのか?
647 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:35
御輿は担がないよ。機会がないからね。
ちょうちん持って先祖は迎えに行かないなあ。
そういう習慣ないから。
648 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:36
神社のお払いはしてもらったことがないな。
お払いってのが良くわかんないからね。
649 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:36
650 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:36
サタン崇拝だ
651 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:37
ふらんは悪魔崇拝者だ
652 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:38
友達が地蔵拝んでたら一緒になって拝むんだろ
653 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:39
サタンが神だ
654 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:39
>>649 あ、そうなの?
でも、友人が死んだ時とか、仏式だったら、そのひとの
信仰に敬意をはらうのが人間的な気もするんだけどね。
友人の葬式で「偶像崇拝者め」とかやるのはどうもね。
655 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:40
聖書読んだことが無いのか?
656 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:41
そんなに神社が好きなら
カトやめて神主になれよ
657 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:41
658 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:43
>>656 神主はなりたくないな。
なるなら神父だけど勉強するのが嫌だからいいや。
659 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:43
イスラム教徒だってそんなことしないぞ
カトはイスラム教以下だ
660 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:44
神社拝んでるくせにえらそうなこと言うなよ
661 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:44
>>659 以下でもいいよ。別に。
ランク付けするほうがへん。とか思うな。
今日は遊んでくれる人が居て、楽しいね。
君、俺さん?
662 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:46
神父になって「神社参拝しましょう」って教えるのか?
663 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:47
神父になって「先祖を迎えに行きましょう」って教えるのか?
664 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:47
665 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:48
マジで神社なんか行くのか?
666 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:49
カトは神社で拝むなって指導しないのか?
667 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:49
>>665 友達に誘われて行ったよ。
あと、古美術の研究とかで行く事もあるな。
668 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:50
カトは偶像だらけだから
偶像拝むなって
教えるわけに行かないんだろ
669 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:51
>>666 いい数字を取ったねぇ。
そういう教え方してないよ。
670 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:51
古美術の研究と言う名目で
偶像拝んじゃうわけだ
671 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:53
聖書は「偶像を拝むな」の他に
「偶像を避けろ」とも言ってるんだ
672 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:54
家にも偶像あるんだろ
673 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:55
お札
べたべた貼っているのか
674 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:55
仏壇もあるんだろ
675 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:56
神棚もあるんだろ
676 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:57
>>668 人の作ったものに対し、それほど重要なものだという認識が
ないからね。神は超越者で、様々なものを通じて聖霊は働き
かけるからね。神の働きを「**は駄目」と限定することの方が、
どうもへんと思うな。
文字の読めない人で耳の聞こえない人にとって絵画が唯一の
イエスの物語を知る手段だったりする事もあるだろうし。
ま、あらゆる偶像が駄目というなら、聖堂で祈る時、どこに向かう
かもばらばらにやってるのかな?ある方向を向いて祈るなら
その「方向」其のものが偶像だったりして。それよか聖堂の空間
其のものが偶像だったりね。って言い方も出来ちゃうよ。
677 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:58
カトリックは教会建てるとき
神主呼んで地鎮祭するのか
678 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:58
お札も神棚もないな。
仏壇はあるよ。家族は仏教だからね。
お札¥は欲しいけどね。
679 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:59
やりそうだなあ
680 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:00
お守り袋とか持ってるんだろ
681 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:00
それで仏壇拝んじゃうわけだ
682 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:02
法事とかにも行って
平気で死人を拝むわけだ
683 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 01:03
お守りも持ってないなあ。
地鎮祭もやんないよ。
それより家建てたことないからな。
684 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:03
焼香とかもするんだ
685 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:03
家じゃないよ
686 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:04
もうすぐ先祖を迎えに行くわけだ
687 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 01:04
法事の時は、死者の事を思って神様に祈ってるよ。
家族はどう思って祈ってるか知らない。
仏教だから、御先祖に祈ってるのかな?
688 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:05
カトリックはドーユー教育してんだよ
689 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 01:06
690 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:06
仏壇に向かって神様に祈ってるなんて
冗談きついよ
691 :
霊能者マリヤ:2001/08/08(水) 01:07
プロテスタントは葬式にも行かなければ
もちろん焼香なんてしないんですね。
死人を拝むとはどのような事なのか解りませんね。
692 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 01:07
今日は遊んでもらって嬉しかったな。
じゃあね。
693 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:07
それで仏壇に十字架置いてるんだろ
694 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 01:08
>>690 ごめん。ついつい、そう祈っちゃう癖があるんだな。
695 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:08
∧ ∧
ヽ( ゜∀゜)ノ 喫煙者はガンで死ね!
へノ /
ε ノ
>
696 :
霊能者マリヤ:2001/08/08(水) 15:07
誰の目にも確認できる表層が書かれているものが聖書です。
目に見えない霊的背景が描かれているのが聖伝です。
表層にあるもののみがこの世の全てなら聖書が正しいといえます。
深層にあるもののみがこの世の全てなら聖伝が正しいといえます。
表層と深層の世界は表層のみを全てと捉えるなら
深層の世界を理解できません。深層の世界は見えない領域だからです。
どちらが優れているか優れていないかは人の思い次第ですね。
この話題を論ずることは非常に馬鹿らしいことです。
あの世へ逝って隅から隅まで見てくる以外ないと思われます。
俺氏を中心とする原理プロテスタントは
旧約の預言書と新約の黙示録は廃止するべきでしょう。
あれも一種の霊媒の業です。
悪魔も聖書の文句は知ってますから神勅は降ろせますよ。
697 :
ヌマツダ:2001/08/08(水) 18:56
>>696 霊能者マリヤ さんへ、
>俺氏を中心とする原理プロテスタントは
>旧約の預言書と新約の黙示録は廃止するべきでしょう。
廃止できません。
ヨハネの黙示録:22:19
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、
神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
とあります。し、
改革派系のプロテスタントは、ウエストミンスター信仰告白で、
聖書は旧約三十九巻、新約二十七巻と銘記されているからです。
>あれも一種の霊媒の業です。
聖書には「ケルビム」と「偶像」の矛盾と同様、
「聖霊によるもの」と「霊媒」に矛盾があります。
また「イエスは主です。と告白する人や霊」と「聖霊」は違います。
「霊」だからといって、みな信じてはイケナイのです。
キリスト者なら分かると思いますが、
「ケルビム」と「聖霊によるもの」は神の許可があり、
ケルビム以外の「偶像」と聖霊によらない「霊媒」は神が禁止しています。
参考:
ヨハネの手紙第1: 4: 1
愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。
それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。
なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
コリント人への手紙第1:12: 3
ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。
神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、
また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
ピリピ人への手紙: 2:11
すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、
父なる神がほめたたえられるためです。
698 :
ヌマツダ:2001/08/08(水) 19:10
>>697 追加。
>また「イエスは主です。と告白する人や霊」と「聖霊」は違います。
つまり、マリヤが「イエスは主です。」と言っても、
マリヤという人の霊は「聖霊」ではない。と言うことです。
聖霊の言うことでないのに、聖霊の代用でマリヤの霊の言うことなどしたら、
聖霊を汚す罪になるでしょう。
人の霊は聖霊に満たされた場合ばかりでなく、ソウでない場合がありうる。
他の霊に満たされて言った場合、誰が気づくのか?
人と神の仲介が人の子・神の子イエスのみ、と同様、
聖霊の代用にマリヤの霊を使うのは、
神の唯一性と三位一体の教義を変更することになるからです。
だからマリヤの霊を崇敬するのは反対です。
699 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 19:44
あー、そんなことを言っても、聖霊の判別は、まず、
「あなたの主はイエス・キリストですか?」に限るよ。
聖書には次のように書いてあるしね。
ローマ10:9
『口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から
復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。』
1コリント12:3
『ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、
だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊に
よらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。』
700 :
699:2001/08/08(水) 19:45
ごめんごめん、重複した聖書の引用になってしまった。
701 :
ヌマツダ:2001/08/08(水) 20:41
>>699 言わんとしていることは分かるが、私の疑問点はこうだ。
聖霊→人→「イエスは主である」発言は聖書の説く所である。
聖霊→マリヤ→人→「イエスは主である」発言は聖書の説く所でない。
だからマリヤの後に偽マリヤが出ると判断が出来なくなる。
聖霊...→マリヤ....→人→「イエスは主である」発言の後に、
ルシフェル→マリヤを語る者→人→「マリヤは宇宙の女王である」発言があると、
「マリヤの発言」に聖悪の区別はすぐには付けられない。ということだ。
コリント1:12: 3、
聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
のような、マリヤの発言を聖霊によるものと確定する聖伝の聖句はどこにあるのか?
検討の余地がある。
マリヤがイエスを身ごもった時の、
エリサベツの「あなたは女の中の祝福された方、」発言は、
聖霊によるものとルカ1:41に書かれている。
マリヤの「わがたましいは主をあがめ、」発言は聖霊によるものだったろうか?
マリヤがカナの婚礼での「葡萄酒がありません。」発言も聖霊によるものか?
ヨハネ2:3のソレは日常会話だろう。
だから、いつもマリヤの発言が何でも「聖霊によるもの」とは言えないだろう。
結婚していないクリスチャンが処女・童貞だとは限らないのと同様、
何でもカンでも「聖霊によるもの」と言えないだろう。
似たような例に、
「異言」スレッド
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=989758568&ls=50 でも、異言を語ったからと言って、聖霊によるものと決めつけられない、
内容によって「悪霊による異言」と「聖霊による異言」があると討論している。
702 :
ヌマツダ:2001/08/08(水) 20:50
>>701 読みづらい文なのに長文ですまない。
一言で言うと、マリヤの言葉(霊示)は、すべて聖霊のお言葉ではなかろう。
もしそうだというなら、聖伝の文面を証拠に見せろ。と言っているのだ。
703 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 21:16
ヌマツダさん
他に生き甲斐をさがした方がいいよ
704 :
霊能者マリヤ:2001/08/09(木) 09:30
ヌマツダさん。カトリックを諸悪の根源と捉えたいのは分かります。
はっきり言ってこの捉えは間違っていますね。
調べるならキリスト教の根源。この世に蔓延る一神教の根源の
ユダヤ教を考察した方が正しいです。
表層は私たちが普段見ている世界。それともう一つ世界があります。
深層という霊的な目に見えない世界。この二つの捉えが存在しています。
古代教父たちはユダヤの祭祀階級の習慣に従って
見えない世界を一神教的に解き明かしていったのです。
聖書は表層のものです。聖伝は深層のものです。
当然のことながらどちらも正しいと言えます。
プロテスタントは表層のものは文字として現れているので正しい。
深層のものは文字として現れないから正しくないと切ったのです。
霊的なものを重んじるプロテスタントもありますが
私の目から見れば怪しいですね。
霊的なものに対する捉えが非常に甘すぎます。
ほとんどが自己催眠ですね。霊狐もウヨウヨいますよ。ダメです。
神道の鎮魂・帰神法を取り入れた方がいいですね。
カトリック・正教の捉えの導入が正しいけども無理でしょうから。
マリアの言葉は聖霊に満たされて話していますね。
深層を見ればすべての人が聖霊によって動かされています。
よって、あなたの挙げた項目は全て聖霊からのものですね。
ぶどう酒の話はどのような話しですか?後の話も見てくださいね。
日常会話と言い切れませんよ。霊的意味がありますからね。
聖書は二つの読み方が絶えず必要なのです。
繰り返しますがプロテスタントはもう一つの読み方を捨てたのです。
それからイエスの前に現れたのはマリアとも解けます。
ですからマリアの出現は道筋としては正しいでしょう。
洗礼者ヨハネが現れなくてはならないと思っていますか?
彼は現れませんよ。
本人の自覚無きまま人として現れるかも知れませんがね。
ま、詳しくはユダヤ教でも研究してください。
ユダヤ教の表の姿だけでなく裏の姿もね。
ま、あなたは表層の姿だけでまたあれこれ言いそうですけどね。
そこに全ての答えが全て隠されてますから。
キリスト教なんていくら穿り返しても答えは出ませんよ。
705 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 08:15
age
706 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 08:45
>>692 忠告してもらったことに感謝すべきじゃないのか?
707 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 08:54
それから、遊んで貰って嬉しかったなんて言い方は陰険過ぎるぞ。
708 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 09:06
ルルドの商人はズルイ
中国製のマリア像売るなよ
御利益無いよそんなの
709 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 09:11
Tけ下節子ってミミ萩原と一緒かな?
710 :
ふらんちぇすこ:2001/08/10(金) 11:17
>>707 そおかぁ?僕はほんとに楽しかったんだけどねぇ。
マジレスも返したんだけど相手にしてもらえなかったからね、
これは遊んでるんだと思っちゃったんだがなぁ。
相手を知らないうちに傷つけてるなら一応「赦しの秘蹟」の
リストに入れとくよ。
尚「忠告」は前提の価値が双方共通に適用される場合に拠って成立する。
ここでは互いの前提の価値に相違があるので、成立しない。
711 :
ヌマツダ:2001/08/10(金) 17:40
財団法人 日本聖書協会
今日の聖句
2001年 8月10日
地上に平和を
わたしはお前の国の町々を絶ち
砦をことごとく撃ち壊す。
わたしはお前の手から呪文を絶ち
魔術師はお前の中から姿を消す。
わたしはお前の偶像を絶ち
お前の中から石柱を絶つ。
お前はもはや自分の手で造ったものに
ひれ伏すことはない。
わたしはお前の中からアシェラ像を引き抜き
町々を破壊する。
また、怒りと憤りをもって
聞き従わない国々に復讐を行う。
(ミカ書 5章10〜14)
712 :
霊能者マリヤ:2001/08/10(金) 19:05
まだやっているのですか。ユダヤ教を研究した方がよいですよ。
713 :
ヌマツダ:2001/08/10(金) 19:34
>>712 ミカ書は旧約だからユダヤ教も使うでしょ。
聖書協会のホームページを見ていたら、今日偶然この聖句が当たっただけ。
714 :
霊能者マリヤ:2001/08/10(金) 19:39
カトリックの悪い部分の根源は
全てユダヤ教に隠されているということなの。
いい加減気付けば?
715 :
霊能者マリヤ:2001/08/10(金) 19:39
ユダヤの祭祀階級の秘術を研究してごらん。
716 :
ヌマツダ:2001/08/10(金) 19:55
>>715 何か良い研究の本の書名と著者と出版社が分かると有り難いのだが。
出来れば研究の本論のさわりに引用文を掲載していただけるとさらに有り難い。
717 :
名無しくん:2001/08/10(金) 20:59
霊能者マリアさん、好きだ。気に入った。
718 :
マリア:2001/08/10(金) 21:45
>>716カッバーラの秘術の事じゃないかしら?
あれは現在ではいろんなバージョンが流布しているけど、
ほとんどがいい加減なものか、まがい物らしいわよ。
基本程度は、分かるかも知れないけどね・・・。
本来のものは、司祭階級のレヴィ族しか知らないはずよ。
原始キリスト教会にも、レヴィ族の信者がいたから
その影響を受けているわ。
当然、カトリック・正教の秘蹟も、その影響を受けているの。
それから、霊的な解き明かしもね。
聖伝の発生も、その影響があるわ。
聖書に書いていることだけが、真実だとは限らないわ。
正であり否であり正なの。
神道と同様、この意味を分からないと理解は難しいらしいわ。
イエズスが殺された理由も、レヴィ族の秘術の流出を
避けるということもあったという話しも、聞いたわね。
あたしも、文献などは知らないというか、
母方の祖父から、そんな話しをチラッと聞いただけだし・・・。
普通の人には近づけないらしいから、知らないわね。
ただ、むやみに近づくと、死を招くらしいという噂もあるわ。
それだけは気をつけてね。
719 :
ヌマツダ:2001/08/10(金) 21:49
>>718 なるほど!カバラですか。
でも自分の手持ちは今のところ学研のユダヤ教の本ぐらいだからな。難しいかも。
720 :
マリア:2001/08/10(金) 22:35
>>719マリア崇敬の意味も、
実はその辺りの事情から、来ている可能性もあるわ。
洗礼者ヨハネの父、エリザベトの夫ザカリアは司祭。
司祭=レヴィ族よ。
即ち、エリザベトの従妹のマリアは、
レヴィ族あるいは、関わりがある可能性もあるわね。
マリアが養育を担った理由も、これなら理解できるわね。
大きな事は小さなところに隠し、小さな事は大きなものに隠す。
これは、どこの秘術でもそうよ。
721 :
ヌマツダ:2001/08/11(土) 15:06
>>714 とりあえず調べられるだけ調べてみたが、
何でも「悪いのはユダヤ」って考え方自体が「カトリック的偏見」だな。と思った。
だからユダヤ人迫害が西欧北部・北欧以外で起こる。ロシアでも虐殺があった。
中世イスラムでは、カトリック圏ほどに迫害はなかった。
カトリックの悪い物をユダヤ教が抱えているとは言いがたい。
聖書の制定(カルタゴ会議397)や口伝や注解の仕方に影響を与えたかもしれないが、
応答レスで話題にあがった秘儀のカラバの影響があったとは言いがたい。
それにその影響自体が悪とは思われないからだ。
ユダヤの秘儀のカバラは、
どうしても文字では書き表せない部分をカバラとして後世に伝えたという。
これは《エゼキエル書》におけるエゼキエルの幻視を追体験することによって,
霊界参入を果たそうとする神秘主義である。
《セーフェル・ハ・バーヒール (清明の書) 》という古典的カバラの原典の出来た、
12世紀頃から出来てきたものと言われており、
ユダヤ教には珍しい〈魂の輪廻〉を説いている点で注目されています。
ロザリオの祈りを創作した13世紀頃のマリヤ崇敬の時期とは時期がずれます。
マリヤ崇敬はエゼキエルの幻視や輪廻転生を説かないだろう。
口伝=聖伝というなら、口伝律法=ミシュナの影響と言えそうですし、
聖伝の注解書がキリシタン書なら、ミシュナ注解書のタルムードの影響といえますが、
聖伝(古代教会の信仰宣言、公会議の決議、教導職の証言、教父たちの著作、
古代からの典礼など「カトリック要理」より)の発生が、
公会議が開かれ始めるキリスト教国教化時代の4世紀頃からと言うことと、
ミシュナの発生がラビ・アキバの2世紀と言うことからして、これも時期がずれます。
公会議の決定がミシュナやタルムードの影響を受けた内容だとは思えないでしょう。
722 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 15:33
>>721読みが浅い。まぁ、仕方がないと思いますがね。
私もこれ以上先のことは危険なためにカキコすることは出来ません。
ご自分でお調べください。
あなたの書いていることは表面に浮き出た表層の部分。
よって深層ではありません。正解ではあるが不正解である。
カトリックでも正教でも深層の部分を知っているのは
極一部の者であり教皇や総主教たちも知らないでしょう。
初代教会にはレビ人がいたことをお忘れなく。
そしてその系譜は脈々と続いてきていることもお忘れなく。
洗礼・堅信・告解・聖体・婚礼・終油という秘蹟
典礼・そして秘儀とも言われる祓魔等の儀式。
この系譜も全てそこにたどり着く
表層に現れているに過ぎないもの。
マリアへの祈りもじわじわと滲み出てきたものの一つ。
723 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 15:36
724 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 15:43
表層しか見ない人には何を言っても無駄だから。
725 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 15:52
>>724 > 表層しか見ない人には何を言っても無駄だから。
日本語に翻訳すると
「何も言い返せずグゥの音も出ないです」となりますね。(藁
726 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 16:06
ええ。その領域に入らないと解らない事がたくさんありますので。
727 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:16
>>726 議論に負けた「負け犬」さんはさっさと出て行ってくださいな。
お帰りはアチラで〜す♪(藁
728 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 16:21
なら一つだけ。カバラ秘術は太古から続いています。
ここ最近のものではありません。
729 :
名無し@歴史調査団:2001/08/11(土) 16:22
相変わらず皆さんお暇ですね。私も暇です。ハイ。
730 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:26
>>728 誰が「ここ最近のもの」って言ったんですか?(藁
731 :
名無し@歴史調査団:2001/08/11(土) 16:28
カッバーラは確かソロモン王の時代の成立と聞いております。ハイ。
732 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:29
はいマリア自爆ぅ!(藁
733 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 16:33
カバラはあの方が言われているような近年の成立ではありません。
世に表層が滲み出たのが最近のものだけのことです。
734 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 16:36
後はご自身でお調べください。
文献等は怪しいものですので信用されない方が無難です。
自分の目でお確かめ下さい。
735 :
名無し@歴史調査団:2001/08/11(土) 16:36
まだやっているのですか?暇ですね。
736 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:37
>>734 文献が信用できなくて何で調べるんですか?
自分の目でって、文献以外の何を見ろと?
またお得意の【霊感】ですかぁ?(ゲラゲラ
737 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:38
>>735 キチガイ煽るの楽しいもん♪
そとは雨降ってるし、最高の暇つぶし〜♪
738 :
名無し@歴史調査団:2001/08/11(土) 16:40
霊能者マリヤとマリアは別人のようです。
あちこちのスレへ出てからかっている暇人のもよう。
主な出没先は山幸彦スレです。
739 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 16:41
>>737そうです。害基地を煽るのが楽しいので出ています。
740 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:42
マリアって不思議。
何の知識も持ってないクセに
「自分は全てわかってる」って態度でどこにでもしゃしゃり出てきて
突っ込まれて答えに窮すると
「知識の無い人に何を言っても無駄だわ」と逃げる。
じゃああなたは何処でその知識を得たの?と聞くと
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・霊感よ」
マリアって不思議。
741 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 16:42
私の霊的話しももっともらしくて面白いでしょう。フフフ
742 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 16:50
さて、もっと語りましょうか。面白いです。
743 :
ヌマツダ:2001/08/11(土) 16:50
>>722 ,
>>741 答えられないから、相手の知らない事を言って煙に巻こうと言うのは、議論にそぐいませんよ。
分からせるためには教えるべきではありませんか?
相手に教える気がないなら最初から言わなければよい。
憑依や霊動や不幸が起こるので危険だから言えないのなら、
危険の種類を断っておいてから言わなければいい。
レビ人の事は、レビ記を参照して儀式の事を考えたが、
バビロン捕囚後に編集されたレビ記には、
捧げられるべき種々の犠牲を規定。叙任の際の儀式。潔 (きよ) い動物と不浄な動物のリスト。
儀式的不浄,贖 (あがな) いの日の規定。血,性,祭司,犠牲,祭りの規定。
儀式的誤ち,不浄,道徳的不倫が入ってきてはならない、誓願,十分の一の供物の規定。
と、以上のことが書かれており、悪魔払いの典礼だか儀式など書かれていませんよ。
どう考えても、洗礼・堅信・告解・聖体・婚礼・終油という秘蹟
典礼・そして秘儀とも言われる祓魔等の儀式。 が入っている内容ではないですよ。
洗礼や聖体のパンと葡萄酒の儀式はエッセネ派(クムラン教団)や
バプテスマのヨハネの様にレビ人とは関係ないですし、
堅信や告解や終油はキリスト教独自の物ですし、婚礼は世界的にもどこでも重視されていますし、
レビ人でなければならない理由などありませんよ。
マリヤ崇敬に繋がっている項目というか用語というか関係内容は考えつきませんが?
744 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 16:51
あれ?早く出てきてくださいよ。
745 :
ヌマツダ:2001/08/11(土) 16:52
>>743 つづき
霊能者マリヤ氏は、表層・深層と言うが、書かれた物で深層に係わらないものがあるでしょうか。
聖伝は古代教会の信仰宣言、公会議の決議、教導職の証言、教父たちの著作、古代からの典礼などで、
聖書と変わらず表層のものに感じられますが。
聖伝にある「教父たちの著作」と聖書にある「使徒たちの著作」を文書的に、
前者を深層に、後者を表層と分けられるものでしょうか?
黙示文学(終末論的色彩の強い一群の文書)である、
《ダニエル書》《イザヤ書》《ゼカリヤ書》のある聖書の方がより深層的に思えますが?
公会議で決議された聖書は深層なのですか?
公会議の決議(聖伝)って聖書の内容より深層なのでしょうか?
公会議ではグノーシス用語(
>>285のCLBの言う「同一本質」)まで使っているから、
深層的なのでしょうか?
そうすると、聖書を表層とし、聖伝を深層と区別するのは可笑しいです。
746 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 17:01
>>743答えて良いことと悪いことがあるのです。
詳しく語ることはなりません。
書かれていることは書いても良いことです。
書いてならないものは書かれません。
奥義は危険を内包しているので常に隠されているものです。
しかし時と場合に応じてにじませていくのです。
あなたも秘教の世界へおいで下さい。
747 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 17:11
>>745聖伝という類のものは深層の内の表層の部分です。
解き明かしのうちのある結果を書いたものに他なりません。
書かれているものについては全て表層です。
時代がたつごとに徐々に深層が滲んできますがね。
しかし神の真相は隠されます。
人はただ踊らされているのです。
騒がずに時間の流れを考察していれば良いのです。
知りたければ秘教の研究をして解き明かしの手順を
学ぶことしかありません。
これ以上のことを流すことは私は禁じられています。
以後のことは秘教に触れてくださいとしか言いようありません。
748 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 17:13
>>747 はいはい。
真実をなにも知らないんだね。
749 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 17:21
>>748ここまで来るとマリアっぽくていいでしょ?
750 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 17:23
>>749 まるでマリアっぽくないよ。
一番肝心な部分が抜けてるね。
751 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 17:41
オカマ言葉だろ?あれはつまらない。
最初に一度使ってみたが気持ち悪くてヤメタ。
内容で勝負したのさ。どうよ?
752 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 17:42
それにこの話題はつまらない。
神がいるならあの世に逝ってみてこないと分からんだろう?
753 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 17:43
>>751 違うね。
そんな表層的な事じゃないよ。
わからないの?
754 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 17:45
出た!表層的なことか。
755 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 17:47
分かっているけど書くことは禁じられています。
・・なんてどうよ?
756 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 17:47
>>755 ううん。
あなたには言っても理解できないだろうし無駄だから。
757 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 17:48
もっともだ(藁)
758 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 17:50
暇つぶしに付き合ってくれてありがとよ。
ちょっくら合コン逝って来るわ。
759 :
test:2001/08/11(土) 21:27
760 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:31
申命記18:10〜
あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、朴者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。
これらのことを行う者はみな、主が忌み嫌われるからである。
761 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:32
レビ記19:31
あなた方は霊媒や口寄せに心を移してはならない。彼らを求めて、彼らに汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。
762 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:39
>>710 もっと肝心なことがあるんじゃないのか?
そんな事を言って大事なところを無視するな
763 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:41
出エジプト記23:1
偽りのうわさを言いふらしてはならない。悪者と組んで、悪意ある証人となってはなってはならない。
2
悪を行なう権力者の側に立ってはならない。訴訟にあたっては、権力にかたよって、不当な証言をしてはならない。
764 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:41
出エジプト記23:24
あなたは彼らの神々を拝んではならない。仕えてはならない。また、彼らの風習にならってはならない。
これらを徹底的に打ちこわし、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。
765 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:42
申命記4:16
堕落して、自分たちのために、どんな形の彫像をも造らないようにしなさい。男の形も女の形も。
766 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:43
17
地上のどんな家畜の形も、空を飛ぶどんな鳥の形も、
767 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:44
18
地をはうどんなものの形も、地の下の水の中にいるどんな魚の形も。
768 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:45
23
気をつけて、あなた方の神、主があなた方と結ばれた契約を忘れることのないようにしなさい。あなたの神、主の命令にそむいて、どんな形の彫像をも造ることのないようにしなさい。
769 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:53
出た出た(藁)
770 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:17
771 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:29
皆さん、カトリック教徒のバカさ加減が、おわかり頂けたでしょうか
カトリック教会はウソとゴマカシの上に建っています
772 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:31
これほど聖書が明確に禁じているマリヤ崇敬を
いくら忠告してもやめないのはハッキリ言って
バカです
773 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:32
偶像礼拝をやめよ
774 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:33
組織に盲従するな
775 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:34
コロコロ変わる宗教会議の決定ではなく聖書に従え
776 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:40
マルコ7:8
あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。
777 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:45
マリヤ崇敬は迷信である
778 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:46
後から入り込んだ迷信である
779 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:46
何の役にも立たない迷信である
780 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:48
偶像礼拝にあたる迷信である
781 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:48
神に背く迷信である
782 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 22:49
聖書は偶像礼拝を厳禁している
783 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:19
ただちに偶像礼拝をやめよ
784 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:20
偶像に救いは無い
785 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:21
偶像は仲介者ではない
786 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:33
カトリック内部では聖書よりも組織の方針を優先する者が
出世するようだ。
従って、法王は最低の組織崇拝者である。
787 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:39
組織崇拝をやめろ
788 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:40
組織は神ではない
789 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:40
790 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:41
偶像は神と人との仲介者ではない
791 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:41
偶像は人と悪魔の仲介者だ
792 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:42
偶像を拝むな
793 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:43
拝めば悪霊と交わる
794 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:47
偶像を拝むな
795 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:48
偶像を拝むな
796 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:48
偶像を拝むな
797 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:49
あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ
798 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:50
偶像に仕えるな
799 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:50
偶像に仕えるな
800 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:50
偶像に仕えるな
801 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:51
偶像は神ではない
802 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:59
マリヤも神ではない
803 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:59
マリヤも神ではない
804 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:59
マリヤも神ではない
805 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:00
仲介者でもない
806 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:00
仲介者でもない
807 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:01
808 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:04
809 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:08
age
810 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:10
ごくろうさん
811 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:14
上げ
812 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:29
黙示禄2:18
また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる。
19
わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。
20
しかしあなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。
21
私は悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。
22
見よ。私は、この女を病の床に投げ込もう。また。この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。
813 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:32
18節
テアテラの教会とはローマカトリックのことだと言われている
814 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:33
19節
幾らかイイ面もあるようである
815 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:34
20節
テアテラの教会は偶像を礼拝している
816 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:38
20節補足
「偶像の神にささげた物を食べさせている」を
私は、テアテラの教会が聖餐のパンを神として礼拝している
ことを指していると考えている。
817 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:39
21節
まさにこの場が、それではないか
818 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:39
もう終わりにしたら?結論なんて出ないよ。
819 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:42
22節
その結果
820 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:45
>>818 バカな事を言うな、結論は出ている。
マリヤ崇敬は確実に間違っている。
結論が出ないのではなく
カトリックが意地になって反発しているだけである
821 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:47
820補足
カトリック教徒は悪いと知りながら
神に背くと知りながら、マリヤの偶像を
拝んでいるのである。
822 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:51
816補足
イエスは神が人となられた方である
霊においては神
肉においては人である
聖餐論争をするまでも無く
肉を礼拝するのは間違いである。
823 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:53
悪いとわかっていながら罪を犯すのはやめろ
824 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:54
時期法王を植木ひとしにするか?
825 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:55
その後継者は
ヒトシU世にしろ
826 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:57
827 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:58
悔い改めよカトリック
828 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:59
神父は神ではない
829 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:00
公教要理は信仰基準ではない
830 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:00
司教は神ではない
831 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:01
枢機卿は神ではない
832 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:02
教皇は神ではない
833 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:02
神の代理人でもない
834 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:03
マリヤは神ではない
835 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:03
仲介者でもない
836 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:05
837 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:06
悔い改めよカトリック
838 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:06
839 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:07
840 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 01:09
悔い改めよプロテスタント
841 :
ヌマツダ:2001/08/12(日) 09:18
悔い改めよ840 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/08/12(日) 01:09
842 :
儂:2001/08/12(日) 09:29
843 :
皆様へお願い:2001/08/12(日) 09:30
844 :
馬太:2001/08/13(月) 19:35
起初神創造天地
845 :
馬太:2001/08/13(月) 19:42
地是空虚混沌
846 :
馬太:2001/08/13(月) 19:45
迷羊的比喩
847 :
馬太:2001/08/13(月) 19:51
天使預言耶蘇的降生
848 :
馬太:2001/08/13(月) 19:54
天使加百列奉神的差遣
849 :
馬太:2001/08/13(月) 19:57
第七位天使吹号
850 :
馬太:2001/08/13(月) 20:01
天使又指示我在城内街道当中一道生命水的河
851 :
馬太:2001/08/13(月) 20:03
耶蘇是好牧人
852 :
馬太:2001/08/13(月) 20:05
城的北面四千五百肘
853 :
馬太:2001/08/13(月) 20:11
城内的街道是精金