【仏教3.0】山下良道 Part1【一法庵】

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9おじゃる
 
Twitter に登録してみたけど
Twitter の使い方が、わからなかったので
 ↓ ここに貼り付けさせて頂きます

山下良道さんに質問させて頂きます

とりあえず仮設として↓こんな感じで良いですか?

雲は
前五識・第六意識・末那識(我愛・渇愛)・阿頼耶識

青空は
成所作智(じょうしょさち)    - 前五識
妙観察智(みょうかんざつち) - 第六意識
平等性智(びょうどうしょうち) - 末那識(我愛・渇愛)
大円鏡智(だいえんきょうち) - 阿頼耶識
  _  _  _

青空のところから客観的に『雲を観察する』みたいな感じですか?
10おじゃる:2014/06/13(金) 01:34:16.94 ID:VLqFyLeL
 
http://www.onedhamma.com/
山下良道(スダンマチャーラ比丘)法話
14/06/09 マインドフルネス入門

Podcast の55分位の所から、身体の感覚を観察する

眼 - 色
耳 - 声
鼻 - 香
舌 - 味
身 - 触

色受想行識の色(身体)

とりあえず仮設としての身体の感覚を観察して
『苦しみ・悩み・不安など』を

掴み捉えようとしている『想い』を
過去からの、心の流れ(心相続)を一旦停止させてみる
11おじゃる:2014/06/13(金) 01:36:45.40 ID:VLqFyLeL
 
http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 227ページ参照

ウィパッサナーを通じて実際に経験した時には
あなたは解放されるためにそれ以外の道が存在しないことを理解します
解放されるための唯一の道は
これらの肉体的と精神的なプロセスを
ひたすらずっと観察することなのです

http://www.youtube.com/watch?v=iWrvjWvDfUk
成瀬雅春
身体の感覚を観察する
12おじゃる:2014/06/13(金) 02:25:19.23 ID:VLqFyLeL
 
卍 仏教 質問箱 卍 パート33
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1379880304/661

661 :神も仏も名無しさん:2014/06/05(木) 22:08:48.31 ID:nWFG+jBL

仏教は何らかの思想や見解を主張しているのではなく
実在論的な見方を鎮めるために無常・無我・空を説き

無常・無我・空を思想・見解として掴んでしまった人に
その見解を鎮めるために常楽我浄を説いた

無常・無我・空も常楽我浄も導きの教えであって
教えも寂静の境地に至った時は、鎮めなければ寂静にならない、と

〔教えも寂静の境地に向かい逝こうとする時には、(想受滅させて)鎮めなければ寂静にならない〕
13おじゃる:2014/06/13(金) 02:44:48.80 ID:VLqFyLeL
 
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm
中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二

如来は、戯論を過ぎるが、而し
人は、戯論を生じているので
それ故に

諸法の、実相は、性空であるが故に
如来の滅後を、こう思惟してはならない

有るか?、無いか?、有であり、無であるのか?、と
如来は本より、畢竟じて、空なのだ
況して、滅後は言うまでもない

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm
中論觀四諦品第二十四

衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ!と説いた
何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる
是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である!但だ

衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
  _  _  _

教えも寂静の境地に向かい逝こうとする時には
何かについて「ある・ない・肯定・否定」と掴み捉えようとしている「想い」を滅させて
鎮めなければ寂静にならない
14おじゃる:2014/06/13(金) 04:05:00.05 ID:VLqFyLeL
 
例えば「仮設としての」という意味で

 ↓ 青空のところから客観的に『雲を観察する』みたいな感じでしょうか?

http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 248ページ参照

過去に起こってきたことを考えたり、思い出したりすること
そして、それを賢明に利用することは、私たちのすべきことです
ブッダでさえ、自身の過去生について語りました
それについて語ることは有益です

しかし
(この現世においての過去と
  そして前世について
  掴み捉えようとしていると
  「過去からの、心の流れ(心相続)がある」という想いから離れることが出来なくて
  輪廻から解脱することが出来なくなるので
  世俗から解脱することが出来なくなるので)

過去についてあまり考えすぎたり
それを習慣にしたりはしないでください
15神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 05:34:56.70 ID:ym/VI6iG
ウィキペディアの山下良道のページの
仏教1.0、2.0、3.0の説明が間違ってるから
誰か修正してあげて

正しくは、
仏教1.0=慣習仏教、葬式仏教
仏教2.0=修行仏教
仏教3.0=現代人に役立つ仏教
16おじゃる:2014/06/13(金) 05:39:33.21 ID:VLqFyLeL
 
http://www.onedhamma.com/
14/05/11 五歳だった頃の自分、そして父と母を抱きしめる
Podcast の1時間18分位の所から、『認知の歪み』

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
無明の暗闇に覆われて
誤ったあり方を
掴み捉えようとして離すことが難しい
渇愛の働きが現れ(滅し)ている
 - これに対して -
渇愛の働きの滅は
無明の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである

第十八章 自己と実在物の考察
行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる
これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである
作り出されたものは空性によって消滅する
行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある
17神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 05:44:38.43 ID:tV5/c05g
一法庵 公式サイト
http://www.onedhamma.com/

のお勤めの音声聞いていると、
南方仏教臭プンプンするなあ・・・・

南方仏教センスにウェイト置いてんだろうなあ・・・・と
ミャンマー系の禅定に入るな、音声聞いていると・・・
般若心経すらも・・・・。
18おじゃる:2014/06/13(金) 05:51:29.93 ID:VLqFyLeL
 
ウィキペディアの説明の場合は
1.0 上座部
2.0 大乗
3.0
  _  _  _

 ↑ 上座と大乗が入れ代わってるような気がする
19おじゃる:2014/06/13(金) 06:04:07.69 ID:VLqFyLeL
 
> 南方仏教臭プンプンする

山下良道さんは
「一旦、大乗を捨てて、南方だけで修行した時がある」
と Podcast で言ってた気がする

今現在では
『只管打坐 3.0 - 上座(南方仏教)+大乗』だと思います
20神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 06:12:27.53 ID:tV5/c05g
おじゃるさん、おはよう・・・・。

ま、左脳シフトしてんだろうなあ・・・というのは予測できるな。
21神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 06:13:32.76 ID:tV5/c05g
俺は仏教∞かもなw
22おじゃる:2014/06/13(金) 06:14:59.52 ID:VLqFyLeL
 
山下良道さんは
ミャンマー(ビルマ)出身の上座部仏教のパオ・セヤドーの全コースを修習したらしい

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%9E%91%E6%83%B3
マハーシ・サヤドー、S.N.ゴエンカらが省略または取捨選択して用いたサマタ瞑想を重視し
「ヴィスッディマッガ(清浄道論)」に紹介されたサマタ瞑想をすべて修習することをうたう
ミャンマーのパオ・セヤドーの教えを基にした「パオ・メソッド」と呼ばれる流派も注目を浴びつつある

日本人では鎌倉在住の山下良道(スダンマチャーラ比丘)及び
カナダ在住の水源徳性禅師(ボーディパンニャーグニカ比丘)及び
新座市在住の智鐘聖耀(ウ・アッセイナ比丘)が

パオ系の全コースを修習したとされている
23神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 06:20:48.00 ID:tV5/c05g
オレ先に禅定入ったのマハーシ系か、
修業が事なれども、音声聞くだけで禅定に入れる、器用だなwオレw
24神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 06:25:14.22 ID:lC5ddyNZ
>>23
禅定に入っている時は、心から五蓋が滅して、禅支が出ているはずだが
その時の心の状態はどうだった?
25おじゃる:2014/06/13(金) 06:29:10.78 ID:VLqFyLeL
 
> おじゃるさん、おはよう

私の場合は密教にも興味があるので

普礼真言 - オン・サラバ・タタギャタ・ハンナマンナ・ノゥ・キャロミ

礼拝帰依 - ブッダン・サラナン・ガッチャーミ

準提功徳衆、寂静にして心常に誦すれば
一切諸々の大難、よくこの人を犯すこと無し
天上及び人間、福を受くること仏の如く等し
この如意珠に遇はば、定んで無等等を得ん
もし我、誓願大悲のうち、二世の願を成ぜずんば
我、虚妄罪過のうちに堕して、本覚に帰らず大悲を捨てん

准胝観音
ノウボ・サッタナン・サンミャクサンボダ・クチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
26神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 06:35:08.90 ID:tV5/c05g
南方仏教て、密教に似ていて、物質構成要素感覚が皮膚に感じるなあ・なんか生滅智とか、本にあったなあ・・・禅だと軽視されるべきものだけど・・。
清涼感、軽安ていうやつだろうね。マハーシの本や、このスレの人のお勤め音声で結構入れるなあ・・・。

禅に比べりゃ、南方仏教は楽だろうなあ、在家のフィールド範囲だと・・・
まエロ好きが問題と言う処だろう、南方仏教路線で・・・・。
27神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 06:37:01.36 ID:tV5/c05g
24氏、おはようさん・・・
スレもりあげようぜ・・。
28おじゃる:2014/06/13(金) 06:42:38.38 ID:VLqFyLeL
 
ID:tV5/c05g さんに「禅支がなんちゃら?」という質問が来てますよ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%A6%85%E6%94%AF

禅支
尋(じん、ヴィタッカ) - 認識対象把握
伺(し、ヴィチャーラ) - 認識対象維持
喜(き、ピーティ) - 喜悦
楽(らく、スカ) - 安楽
一境性(いっきょうせい、エーカッガター) - 集中
29神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 06:45:08.41 ID:tV5/c05g
このスレタイの人の曹洞宗、沢木興道の流派でない、
通う寺が仏教1・0の方のせいか、町寺のせいか・坊主のせいか、・・寺の空気がヌルイせいか
禅定ゾーンを陥落させるの、やけに苦労したな・・・・禅定決まるのに最長期間記録だったw
ほぼ無師独悟だったから、余計に・・・
臨済宗師匠付きよりも時間食ったのがw

沢木興道派、現安泰寺か・・・は、
沢木興道の本を読むだけ十分な禅定ありなんだがなあ・・・・。
30神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 06:48:14.79 ID:lC5ddyNZ
戒が保てていないと五蓋を抑制できないため、禅定に入ることも難しくなる。
というか、不可能。
31おじゃる:2014/06/13(金) 06:57:03.86 ID:VLqFyLeL
 
> 生滅智

http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2013/10/24/230312

パオ・メソッド

生滅随観智
壊滅随観智
行捨智
随順智から果智まで
32おじゃる:2014/06/13(金) 07:06:22.54 ID:VLqFyLeL
 
> 戒が保てていないと五蓋を抑制できないため、禅定に入ることも難しくなる。というか、不可能

だからこそ
『戒定慧を修して、様々な障害を浄化して滅諦へ』
と言うことなんですね?

http://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html
チベット・ニンマ派
3)仏法の本質
(基本的には)
煩悩障と所知障を取り除くための方便を示すのが、仏法です
(作り出されたものは空性によって消滅する、それ故に)
戒律・禅定・智慧の三学を修して、様々な障害を浄化したところで
(苦集滅道の)滅諦へと到るのです
33神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 07:10:48.88 ID:tV5/c05g
尋(じん、ヴィタッカ) - 認識対象把握
伺(し、ヴィチャーラ) - 認識対象維持
喜(き、ピーティ) - 喜悦
楽(らく、スカ) - 安楽
一境性(いっきょうせい、エーカッガター) - 集中


なるほどな、マハーシの本を読んで禅定入ったのは・・・・。
臨済宗師匠付きで、見性仕留める時の前だったか、後だったか・・・
マハーシ―の本を買ったのは・・・・

臨済宗師匠付きで、見性仕留める同じ年だったな・・・・。
34神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 07:12:47.09 ID:tV5/c05g
30 :神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 06:48:14.79 ID:lC5ddyNZ
戒が保てていないと五蓋を抑制できないため、禅定に入ることも難しくなる。
というか、不可能。



突っ込んだ割に、学問的返答だな・・・。
左脳寄りという意味が・・・・・。
左脳で全てわかるとかな。決まっているととかな・・・。
35神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 07:17:56.37 ID:lC5ddyNZ
ポエム唱えられても意味不明っていう宗教が多い。
特に瞑想について明瞭に語る人は希。
36おじゃる:2014/06/13(金) 07:43:16.86 ID:VLqFyLeL
 
相手の能力に応じて
相手に理解できるように、初心者向けに、わかりやすく、説明するのは難しい

だからこそ
> 特に瞑想について明瞭に語る人は希

と言うことでしょうか?

http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2013/10/24/230312
パオ・セヤドーが教えてるダンマは、ひとりひとりに対して指導法が異なる

http://kotobank.jp/word/%E5%AF%BE%E6%A9%9F%E8%AA%AC%E6%B3%95
対機説法(たいきせっぽう)
相手の宗教的能力に応じて
相手に理解できるように、初心者向けに、わかりやすく、法を説くこと

http://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E6%82%89%E6%AA%80
四悉檀(ししつだん)
仏が人々を教え導く四種の方法

世界悉檀    - 人々の心に合わせて説く
各々為人悉檀 - 各人の宗教的能力を考えて説く
対治悉檀    - 煩悩を打ち砕く
第一義悉檀   - 真理に直接導こうとする
37神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 08:04:59.99 ID:tV5/c05g
なるほど、学問上語る病だな、仏教ver.学問上語る主義・・・・。
学問上語らなきゃ何もできない・・と
程度がわかりました・・・・それでは・・・さよなら・・・・。


会話しても具体的展開に至る事は無い・・・・
相手の力量を見分けて進退を素早く、決める・・・
ま、これも観察眼・と適切な判断力・・・
南方仏教でもアラカン・グレードだと読めるらしいな、心理が・・・。
アラカン・グレードだと、もはや学問やらんでしょう、洞察力で対機説法、いや、指摘かな、
余裕だろうね・・。タイ日本人僧侶に聞いた事あるけどな。
38神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 08:11:03.78 ID:lC5ddyNZ
音声を聞いているということは、聴覚およびその感覚に伴う思考が動いているため
音を聞いて禅定に入るっていうのは、通常はあり得ない。
何か別の感覚や心理状態、例えば恍惚感などを想起、再現しているのではないか
と思われる。

禅定に入る時は、心は集中すべき対象に一極集中しているため、その他の思考や
感覚はすべてスルーされているはず。

これを“学問的”に言い換えると、
禅定とは五蓋が滅し、禅支が出ている(残っている)状態です。となる。

別に責め立てるつもりで言い始めたのではないが、せっかく瞑想しているなら
ちゃんと禅定まで進めるべきなので、そこで止まらないで欲しいという意味で。
39神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 08:13:12.23 ID:tV5/c05g
>ポエム唱えられても意味不明っていう宗教が多い。
特に瞑想について明瞭に語る人は希。


文脈の底に見える慢心が読めましたよ・・・・
40神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 08:18:42.35 ID:lC5ddyNZ
そりゃ慢はあるけど。
五上分結は阿羅漢になるまでなくならない。
わたしは預流果にすら至ってないのだから、瞑想していない時は凡人と大差ない。

ただ、禅定を目指して瞑想をしている人が感じる戒の重要性は、体験的な理解で
あって、決して知識だけの話などではない。
41神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 08:30:33.54 ID:tV5/c05g
三毒のチェックされては・・・・・。
貪りとかね・・・・。知識、学問知って偉いのだぞ地位貪り
スレタイの人の曹洞宗だと、
道元禅師は名利を求めず・だそうだ・・知識学問自慢ていうのはね・・・。

学問より、重要なのは普通は内面心理観察だな・・・・実践が欠けると哀れなものです・・。
内面、精神から文章に出るもんです・・・・。
42神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 08:33:42.85 ID:lC5ddyNZ
仏教でいう三学の「修習」には、座学と実践の二つの意味を含有しているのです。
また、お釈迦さまの時代、仏弟子はお釈迦さまの言葉を暗記していましたね。
43神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 08:36:03.77 ID:tV5/c05g
文字寄り、実地実践ですよ・・・
禅なんて実地実践無きゃ成り立ちません。
曹洞宗宗門主流派は仏教1.0と揶揄されるべきですし、
実地の訓練が、形式、知識で終わっていますからね・・・
44神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 08:38:51.39 ID:lC5ddyNZ
禅定について語っているのに、禅支を知らない。
これでは禅定について話はできません。

お釈迦さまが指導された通り、お釈迦さまのご遺言通りに修行するなら
(1)教えを学んで理解し、(2)実践し、(3)涅槃に到達してください。
ということになるはずです。
45神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 08:54:51.20 ID:tV5/c05g
今、この一瞬を仏教に順じて把握行為でいているか否かの問題でしょう・・・
禅と聞いて、ポエムと出てくるようじゃ…スレタイの人物の修業経歴で想定した場合・・・・。
ま、そういうポエム丸出しで不明瞭自己陶酔で禅を語って垂れ流している人物が2ちゃんに居る事も確かですが・・・・。
46神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 08:56:59.44 ID:w/hyehYx
なんかすごい専門用語並んでてびっくりしたw
禅ってこんなに難しいの?もっと感覚的な話がしたいなあ。

青空としてのわたしがサラリとした印象だから、ここの書き込み見てビビった...
オウムの話もあるし、きちんと理論立てて頭でよく考えないといけないのはわかるけどさ。
47神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 08:57:40.55 ID:tV5/c05g
>禅定について語っているのに、禅支を知らない。
これでは禅定について話はできません。


学問知識上の会話拒絶しているのはあなたですよ、
いきなりポエムだのと
あなたの内面を観察された方がよろしいか・・と。
それとも、あなたにとっては、南方仏教の禅定には内面観察は無いのでしょうか?
48神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 09:01:25.57 ID:6l6VJL13
こないだ、Eテレに師が出てて、話してるの聴いたよ。
彼のような坊さんが、もっと出てきてほしい。
坊ちゃん刈りの世襲坊主は袈裟を着るな。存在自体が詐欺。
49神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 09:34:33.77 ID:tV5/c05g
禅も南方仏教も、ありのままに見る、物事を正確に把握するという点では同じでしょうね。
44氏は学問仏教用語走りたい御仁らしいですけど・・・。

ひょっとして、ありのままに見る、物事を正確に把握するというのもポエムかもしれませんが・・・・。
50神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 09:44:29.53 ID:tV5/c05g
>坊ちゃん刈りの世襲坊主は袈裟を着るな。存在自体が詐欺。

まったくですね。
世襲でなくとも、
教団自体が修道システムができていなくて・・・ 
通う寺の曹洞宗禅マスター狙いがこれでして・・・・
内面の押さえ方の為、禅定の為の学問が・・・学問が中心とか、
自分のアクセサリーの三宝とかね。
オレもう運よく臨済宗禅で良い師匠縁があったんで・・・・奇跡的好条件環境で・・・
一応レスは臨済宗禅は放棄したスタンスだけどな、スレタイの人物に合わせて曹洞宗禅的無レスにしちょるけど。

曹洞宗禅で悟った奴で。タイ仏教出家修業して悟れず、2ちゃんで暴れ回った曹洞宗禅の故人坊主の下で
悟った奴がいたなあ・・・対話して面白かったが、
税金無駄遣いの公共事業で仕事が忙しいのか、最近見えんけどなw
51神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 10:01:08.52 ID:tV5/c05g
一応、俺は今の処、南方仏教はダメで、禅が正しい路線で
意見は一度もしていないけどな・・・
基本南方仏教視点よりで
レスしている方だな、
一度も、曹洞宗禅の正法眼蔵・弁道話の次元で書き込んでいないからなあ。
52神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 10:17:29.36 ID:tV5/c05g
臨済宗僧侶小説家玄侑宗久とスマサナーラの対談本は、あれはおもしろかったな。
教外別伝、不立文字の臨済宗の余裕か、スマサナーラの挑発を余裕でスイスイかわす、かわす・・・。

http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%8F%E5%BC%9F%E5%AD%90%E3%81%AE%E4%B8%96%E9%96%93%E8%A9%B1-%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%8E%84%E4%BE%91-%E5%AE%97%E4%B9%85/dp/4901679333
仏弟子の世間話 (サンガ新書) [新書]
玄侑 宗久 (著), アルボムッレ スマナサーラ (著)
53神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 10:33:05.97 ID:tV5/c05g
http://blog.goo.ne.jp/komamenet/e/9192ccb7270671089089fbaaff1484ea
出版記念対談「仏教を『更新』する 藤田一照・山下良道」を聴講しました
10月3日(木)に朝日カルチャーで行われた、
曹洞宗僧侶の藤田一照師と、鎌倉一法庵住職の山下良道師の対談集「アップデートする仏教」(玄冬舎)の出版記念対談を聴講しました。


藤田「3.0では呼吸を見るのではなく、呼吸が見えてくる」
山下「どうして呼吸が見えないのか、どうして(ラベリング)で怒りが消えないのか。
それは  シンキングマインドでは物事を客観的に見る事はできないから。シンキングマインドが   脱落した雲のない青空に入っていくと怒りは消える。
なぜなら怒りは単なる現象に過ぎな  かったから」
54神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 10:46:50.76 ID:tV5/c05g
山下「2.0は心に直接アプローチするが、1.0は心に直接タッチしない」
藤田「道元さんはタッチしていると思う。
最初の摂心で心の深いところにタッチされたと自分  は感じた。
言い訳を許さない、裸で鏡の前に立たされたようで、己に直面せざる得なかっ  た」



だ、そうだ・・・・・。
普通、基本的問題は、ここだろうな・・・・
と言う事で、おいらの今日の仕事も・・・・。
55神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 10:49:49.38 ID:tV5/c05g
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-211.html

下良道(スダンマチャーラ)式ヴィパッサナーというのは、
筆者が勝手につけた名前です。

山下良道(スダンマチャーラ比丘)(敬称略)は元々曹洞宗の僧侶でしたが、
その後ミャンマーのパオ僧院にてパオ式の過程を全て修了しました。
しかしパオ式の複雑なメソッドでは一般の人は救われないしまた必要もないとし、
テーラワーダ(上座部)仏教も大乗仏教も根本は同じである、またヒンドゥー教や、
エックハルト・トールや池田晶子などニューエイジ系も根本は同じだとして、
ワンダルマ(一つの法)を唱え、鎌倉・稲村ガ崎に一法庵という庵を結び、
教えを説いています。




なるほどな、南方仏教流、ラーマクリシュナ主義風てか。
俺は全部分離非統合肯定主義だけどな・・。
56神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 11:03:56.54 ID:tV5/c05g
http://d.hatena.ne.jp/logues/20130901/p2
山下良道師の法話を読む

https://docs.google.com/document/d/1vshkEEd6ewnvBdyEcQzQoJK4J0f57dOHhHW5Ei0ZZKc/edit?pli=1
3_01_26 名古屋座禅会 自分のこころが、自分を苦しめる 於:名古屋・MySOUL8

う・・・・まさに・・・南方仏教流、ラーマクリシュナ主義風(統合主義)や・・・・

俺はシヴァナンダ・ヨガの禅定を決められるが・・・
分離して語るけどなあ・・・・・。オレ分離主義・・・
57神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 11:21:49.22 ID:tV5/c05g
12_06_24 紫陽花接心 摩訶般若波羅蜜が輝き出す 於:一法庵
https://docs.google.com/document/d/1CwrjST2RsuQw8aOa38f3qBKj3OqqywF02zfiBILOyCo/edit?pli=1


チベット密教ねえ・・仏教修行の入門編やったなw正式な師匠が欲しいぞ、独学じゃなあw・・・。
禅定の見解を聞いてみたい…秘密仏教やからなあ…ニンマのユルイ坊主に会えんかなあ・・・w。
リンポチェ・クラス、おいらの近所にきてくれえええ・・・見解を聞きたいぞお・・・・。
密教の禅定確認したいぞおおお・・・・・・・w



本題に戻り、方法が無い・・・。曹洞宗安泰寺の問題が出てるな・・・
おれかあ・・・・困った、多くはニンマ派坊主みたいな得体の知れないセンスでやっちゃうから大方なあw学問不要派のw

2ちゃんで暴れた故人曹洞宗坊主は確かに方法論はあったんだろうなあ・・。
悟った人との問答が方法論でしょうね、

臨済宗禅は、空中戦だからなあ、一撃的w一言、言葉以上の内容が、飛び交う。一年がかり、腹が読めてくるのは・・
当人の執念の有無が決め手かw
58神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 11:32:25.96 ID:tV5/c05g
チベット密教の援護で完成なのね・・・このスレタイの人は。
それで、ヨガ要素が必要だったのか・・・・。

俺は独学wチベット密教は大乗仏教訓練、禅修業の予備訓練だった・・・
農作業中、真言唱えて、外見ハアハア息が上がるが、
禅定力で体元気、精神強靭とやっていたなあ・・・10年前・・・
チベット密教の先生が欲しいよ・・・・ww
密教の禅定質問する機会が無いじゃないかw
59神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 11:36:12.86 ID:tV5/c05g
とすると、スレタイの人は、南方仏教風禅定をベースにチベット密教ニンマ派解釈をブレンドしたような・・・
生滅智の禅定感覚、物質構成要素の感覚で、空間に至り、般若波羅蜜ということだな。

シヴァナンダ・ヨガの雰囲気に近いが・・大乗仏教なんで・・的なセンスか・・
と予測を建てて見るw
60神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 11:56:03.93 ID:tV5/c05g
生滅智の禅定感覚、物質構成要素の感覚で、チベット密教ニンマ派風教学解釈で空間慈悲パワーか・・・



オレwニンマ派坊主的な得体の知れない禅定ハッカー状態かもw
【仏教3.0】山下良道の禅定をハッキングしているかもw
61神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 12:22:35.13 ID:tV5/c05g
>青空としてのわたしがサラリとした印象だから、ここの書き込み見てビビった..


チベット密教ニンマ派解釈風・・・だな。
南方仏教の禅定の生滅智の禅定感覚、物質構成要素の感覚で、空間に至り、般若波羅蜜に至るのを狙っているんだろうなあ・・・。
62神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 12:25:47.06 ID:tV5/c05g
確かに、俺もたまに、勝手な解釈をやって、オリジン禅定を想定しないこともないか、
日蓮の南無妙法蓮華経で禅定に入り、法華経解釈で…空間制圧を狙ったり・・w
マニアw
63おじゃる:2014/06/13(金) 16:58:15.90 ID:VLqFyLeL
 
> チベット

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)と現代
ゲシェ・チェカワ 『 心の訓練法 』
2
諸法は夢の如しと訓練しなさい
道の本体は阿頼耶の自性に置くことです
坐(瞑想のセッション)の間は, 幻術師としてありなさい
3
(作り出されたものは空性によって消滅する
  それ故に
  「縁起・空・五蘊の仮和合の観察など」は
  世俗を掴み捉えようとしている「想い」を滅させて
  世俗から解脱する為には)
空性は防御の最上のもの
64おじゃる:2014/06/13(金) 17:09:45.24 ID:VLqFyLeL
 
> 道の本体は阿頼耶の自性に置くことです

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)

瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を得て教理にまとめ
(「仮設としての」という意味で)
とりあえず心(識)は仮に存在すると考え
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)
の二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり
仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
65おじゃる:2014/06/13(金) 19:54:36.46 ID:VLqFyLeL
 
> 南方仏教て、密教に似ていて …

南方仏教の場合は『中有』という考え方は、ないかも

だけど
瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は

http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
人が死ぬときに
我愛と戯論(けろん)と善悪業によって
中有身が形成される
この中有身が次に生まれる処を求めて母胎に入り
又、次の、この世に戻り来る

http://www.pideo.net/video/pandora/13ef7b9363498cd6/
【心霊】TV■魔界潜入!! 怪奇心霊(秘)ファイル

男の人の後ろに ↑ 女性の霊が映ってます
66おじゃる:2014/06/13(金) 21:05:19.70 ID:VLqFyLeL
 
五蘊の仮和合の「仮設としての」という意味で
仮に現れ(滅し)ているものなので

因と縁の縁起の働きに依存して
前世からの異蘊相続によって

『心と体の性が一致しない性同一性障害やその疑いがある子ども』が現れている
と、衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いてみる

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140613/k10015207421000.html

心と体の性が一致しない性同一性障害やその疑いがある子ども …
67神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 22:07:13.12 ID:ce6pagiB
わかります?
いいですね?
理解できます?

いやみな話し方だなぁ。
洗脳のように感じる。
68おじゃる:2014/06/14(土) 00:02:40.77 ID:TJBhrU8I
 
例えば
実践をする前段階として
基本的な教学を説明する必要がある、と思われます

> わかりますか?
> いいですね?
> 理解できます?

と言うような感じだと思います

http://www.onedhamma.com/

Podcast を参照
69おじゃる:2014/06/14(土) 12:43:16.07 ID:TJBhrU8I
 
http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf

自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 211〜212ページ参照

自由になろうと欲することは、つまり清浄(純粋)になろうと欲することです
本当に自由になりたいのであれば、自身を浄化(純化)しなくてはなりません
つまり戒を浄化(純化)し、定(禅定)を浄化し、慧(智慧)を浄化すること
浄化することなくしては、自由になることはできないのです
  _  _  _

五蘊の仮和合の「仮設としての」という意味で
仮に現れ(滅し)ているものであるからこそ
因と縁の縁起の働きに依存して

前五識  を浄化させて − 成所作智(じょうしょさち)に
第六意識を浄化させて − 妙観察智(みょうかんざつち)に
末那識  を浄化させて − 平等性智(びょうどうしょうち)に
阿頼耶識を浄化させて − 大円鏡智(だいえんきょうち)に転ずる、とします
70おじゃる:2014/06/14(土) 13:18:12.93 ID:TJBhrU8I
 
大念住経(大念処経)
http://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757

努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて
「身」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)身であると絶え間なく知覚して住むことである

「因と縁の縁起の働きに依存して
  五蘊の仮和合が
  仮設として仮に
  現れ(滅し)ている状態なので

  それ故に、それは
  自分ではない - 我ではない
  自分のものではない - 我所ではない」と

青空のところから客観的に『(現れ滅して変化している)雲を観察する』というような感覚で

青空のところから客観的に『(仮設として、現れ滅している変化を)観察して知覚して住むことである』
71おじゃる:2014/06/14(土) 13:40:55.05 ID:TJBhrU8I
 
実践した事がないものは
教学として勉強する事も無理でしょうか?

法華経
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/X/0070410.html
ワイド版 岩波文庫 法華経(上) 31ページ参照
…修行する幾人かの求法者
かれらは仏の智慧を熟考し、尊重し、それを忠実に遵奉して
愛欲の心を残らず捨て、自我を抑えて、所行清く、神通力を具えて…

仏(仏性)の
禅定と智慧を通して生じた
身体から光輝を放ち
地獄に堕ちた衆生を救い上げ、そして彼らを鼓舞して「さとり」に導く

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し

五蘊の仮和合が、仮設として、仮に現れ(滅し)ているものであるからこそ
因と縁の縁起の働きに依存して

双方が相応一致することで
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
72神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 14:33:47.43 ID:Bo51McO4
>>71
教学するのは、素敵なことです。
73神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 14:40:45.35 ID:Bo51McO4
とくに>>70で紹介されている経は、仏陀の教えの最重要経典だと思います。
74おじゃる:2014/06/14(土) 14:51:11.15 ID:TJBhrU8I
 
私は
落武者の霊を見たことが切っ掛けで

密教 → 唯識 → 根本仏典 → 中論 → 般若経
などを教学として勉強させて頂いてます

今現状の段階では
実践したことはないけど
何を実践するのか? を決めてないけど
最終的には ↓ これを実践させて頂くかも

http://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html
チベット・ニンマ派
3)仏法の本質
(基本的には)
煩悩障と所知障を取り除くための方便を示すのが、仏法です
(作り出されたものは空性によって消滅する、それ故に)
戒律・禅定・智慧の三学を修して、様々な障害を浄化したところで
(苦集滅道の)滅諦へと到るのです
  _  _  _

ここのスレは議論スレではないので
霊についての『肯定・否定』は議論スレで、お願いします

仏教議論スレッド104
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1402587209/
75神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 15:01:59.46 ID:Bo51McO4
>>74
チベット仏教は、誤解されたりしているけど
素敵だと思います。
76おじゃる:2014/06/14(土) 16:04:03.22 ID:TJBhrU8I
 
議論スレなどで
「チベット とか言う奴は オウム信者に決まっている」
と頭ごなしに コテンパンに叩かれた事があります
77おじゃる:2014/06/14(土) 17:07:31.05 ID:TJBhrU8I
 
> 禅定とは五蓋が滅し、禅支が出ている(残っている)状態です。となる

 ↓ こんな感じでしょうか?

最終的には
色受想行識の、受と想を滅させて

禅支が「ある・ない・肯定・否定」と
掴み捉えようとしている「想い」を滅させて
世俗を掴み捉えようとしている「想い」を滅させて
世俗から解脱して

縁起したものを離れ
輪廻から解脱して

それこそが苦しみの終わりである
すべての苦しみから解放される

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
78神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 17:38:47.09 ID:Bo51McO4
>>77
素晴しい経典を見つけましたね。
おじゃるさんの、眼力はすごい。
僕も教学しなくちゃ。
7962:2014/06/15(日) 04:51:16.88 ID:DbtHmtuQ
76 :おじゃる:2014/06/14(土) 16:04:03.22 ID:TJBhrU8I
 
議論スレなどで
「チベット とか言う奴は オウム信者に決まっている」
と頭ごなしに コテンパンに叩かれた事があります


自称チベット密教者2ちゃんの方が、意味不明で・・・ということが・・・
8062:2014/06/15(日) 05:10:49.91 ID:DbtHmtuQ
一法庵 公式サイト
http://www.onedhamma.com/

での慈悲の瞑想ていうのは極めるのが意外と難しいだろうと・・・・・
6月13日の書き込み以降に、レベルが上がって、解ったな・・・・。

付き合う師匠のレベルの高さが慈悲の瞑想による成果を左右すると・・。
81神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 07:01:26.05 ID:DbtHmtuQ
12_06_24 紫陽花接心 摩訶般若波羅蜜が輝き出す 於:一法庵
https://docs.google.com/document/d/1CwrjST2RsuQw8aOa38f3qBKj3OqqywF02zfiBILOyCo/edit?pli=1

にも慈悲の瞑想、南方仏教流があるな、ニンマ派も、やるらしい・・・。
禅は坊主の修業の蓄積、本物グレードで勝負だから、本物禅坊主と問答できないと・・・
ニンマ坊主が、本物の禅を学びたいとかあったな。
オレにコンタクト取ってくれwと思った。
ゾグチェンの禅定点検と引き換えに本物を教えるぜw
と思った処で・・・w
82神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 07:28:01.71 ID:DbtHmtuQ
慈悲の瞑想は、俺はやらんだろうけれども・・・・。
慈悲の瞑想の目指すところの重要性は、
レベルが上がって来た最近、理解できたなあ・・・・・・。


特に、天台、華厳、真言、禅、チベット密教は
南方仏教流の慈悲の瞑想よりも、ある意味別の次元の慈悲的エネルギーが要求されている事を知った・・・。
83神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 07:37:41.50 ID:Fwaku9lW
>>82
ダライ・ラマ14世と、スマなサーラ見比べたら
一目瞭然ですよね。
84神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 07:46:16.98 ID:0jovyGDr
スダンマチャーラ(山下良道)比丘
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1195034864/

スダンマチャーラ(山下良道)比丘第二禅定
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1245478426/

スダンマチャーラ(山下良道)比丘第三禅定
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1252983935/

スダンマチャーラ(山下良道)比丘第四禅定
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1257074526/
8582:2014/06/15(日) 08:09:26.30 ID:DbtHmtuQ
>>83

スマ・グループは学問的分別オンリー傾向過ぎるんだよね、
実践上での精神の働き要素を軽視気味で・・・・
スマ系はその分、やはり本を読んでも強烈には禅定力が上がらないなあ・・・。
マハーシ―の本は読むと強烈に禅定力が上がる感じがするけどね。
8682:2014/06/15(日) 08:45:09.91 ID:DbtHmtuQ
84のリンク先は、スマ的正統派趣味のお方が・現れているなあ・・・・。
44が、リンク先に現れるスマ的正統派趣味のお方だったのね・・・・・。
87神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 09:11:56.95 ID:Fwaku9lW
ダライラマ法王の日本講演のときのある大学での講話録の本読んだ。
大学の女子生徒が、自閉的な自分に悩んでいると言う悩みを
法王に打ち明けたんだけど
そのときのやりとりで、この人は慈悲の実践者なんだなって確信したよ。
8882:2014/06/15(日) 09:42:03.87 ID:DbtHmtuQ
>>87

チベット密教の方が、大乗仏教慈悲禅定の本物は多いだろうなあ・・・

俺は運よく、禅坊主の大物に縁があって・・・・むろん、ニンマ派、ゲルク派の如く、隠者意識ある人だが・・・。
最初の出会いから、見事な慈悲を転じていたなあ・・・・。
14年も内容理解できんのだからな・・・・。臨済宗はややこしいので余計に・・・・手の内が読めんw
慈悲の瞑想の向う処が一番難しいだろうなあ・・・。
禅定才能の怪物のワイですら・・・・この方向先がつかむのが14年もかかったということだな。
チベット禅定我流、観察眼は自在に使ってはいたが…成作所智等の慈悲のグレードが低かった訳だな・・・。

>大学の女子生徒が、自閉的な自分に悩んでいると言う悩みを
法王に打ち明けたんだけど
そのときのやりとりで、


こういうの禅定力が板に付かないと無理だろうなあ・・・・。学問正邪論やっている次元じゃ無理だろう。
俺も、最近、自殺念慮の強い人に一緒にいると心が和むと言われる様になってきたw
人間らしくなってきたんだろうw
8982:2014/06/15(日) 10:10:50.75 ID:DbtHmtuQ
スダンマチャーラ(山下良道)比丘が納得に苦労するほどに、
南方仏教、禅は困難だと思うなw
故に密教禅定&ヨガ禅定応用で、仏教3.0とやったんだろうな。

密教の禅定て、入りや易いケースがあるからなあ・・・
ま、俺は前世からのw密教の申し子wだったらしいから、余計に、そう思うのかも知れんが・・。
チベットは基本、普通の人がやると精神がやられるらしいw
俺なんか、2度ぐらい精神ヤバくなった事がある、
日本語訳のチベット死者の書を読むだけで精神エネルギーが暴走して、危険にw禅寺に逃げ込んだけどなw
禅定レベル上がるまで、しばらく、家に、その本置かず、勝手に図書館に置いて放置していたけどw
9082:2014/06/15(日) 10:47:50.84 ID:DbtHmtuQ
サッカー試合始まったな・・・・
昨日ザックのチーム運用のやり方、考え方て・・・・
あの方向性は禅の方向性に近いんだよね・・・
宗教色無しで他者に影響を与えるみたいな・・・
こういう志向性が、
スダンマチャーラ(山下良道)比丘の狙っている処との違いだな。

本田が臨済宗的気合い的マゾサド・キャラで、今一点入れたw
遠藤が、曹洞宗マイペースキャラだな。
91おじゃる:2014/06/15(日) 10:57:32.94 ID:BZfVWGgU
 
>> 議論スレなどで
>> 「チベット とか言う奴は オウム信者に決まっている」
>> と頭ごなしに コテンパンに叩かれた事があります

> 自称チベット密教者2ちゃんの方が、意味不明で … ということが …

私は、どこの宗教団体にも所属していません
今現状では、チベットの修行・実践もしたこともありません

例えば、議論スレなどで
「俺はチベット密教者だっ!」と宣言したこともありません

「チベットに興味があるので、教学として勉強させて頂く」ということが
「俺はチベット密教者だっ!、と宣言してる」と勘違いする人も居るのかもしれませんね?

「チベット」と言うと
「自称チベット密教者2ちゃんの方が、意味不明で … 」と勘違いする人も居るのかもしれませんね?
9282:2014/06/15(日) 11:06:19.64 ID:DbtHmtuQ
サッカー試合始まったな・・・・
昨日ザックのチーム運用のやり方、考え方て・・・・
あの方向性は禅の方向性に近いんだよね・・・
宗教色無しで他者に影響を与えるみたいな・・・
こういう志向性が、
スダンマチャーラ(山下良道)比丘の狙っている処との違いだな。

本田が臨済宗的気合い的マゾサド・キャラで、今一点入れたw
遠藤が、曹洞宗マイペースキャラだな。
93おじゃる:2014/06/15(日) 11:14:32.39 ID:BZfVWGgU
 
>>91 の続き

どこの宗教団体にも所属してないけど
私は、密教にも興味があるので

伊勢山皇大神宮とか
成田山横浜別院などに
お参りさせて頂いてます

普礼真言 - オン・サラバ・タタギャタ・ハンナマンナ・ノゥ・キャロミ
礼拝帰依 - ブッダン・サラナン・ガッチャーミ

準提功徳衆、寂静にして心常に誦すれば
一切諸々の大難、よくこの人を犯すこと無し
天上及び人間、福を受くること仏の如く等し
この如意珠に遇はば、定んで無等等を得ん
もし我、誓願大悲のうち、二世の願を成ぜずんば
我、虚妄罪過のうちに堕して、本覚に帰らず大悲を捨てん

准胝観音
ノウボ・サッタナン・サンミャクサンボダ・クチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
94神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 12:03:31.73 ID:DbtHmtuQ
サッカー負けた・・・・
熱帯地方故に、熱帯地方のアフリカ南米が肉体持久力で優位で、
ブラジル悲願の優勝かもな・・・・。
95おじゃる:2014/06/15(日) 12:10:28.23 ID:BZfVWGgU
 
>>91 >>93 の続き

今現状では実践したことないけど
最終的には ↓ どれにするのか?、決めてません

テーラワーダ
http://www.j-theravada.net/

チベット・ニンマ
http://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html

直貢噶舉教派(ディクン・カーギュ)
http://www.gloje.org/jp/

チベット・サキャ
http://www.tibethouse.jp/culture/buddhism_4categolies.html#3

チベット・ゲルク
http://rdor-sems.jp/

広済寺 チベット
http://www.kosaiji.org/Buddhism/Tibet.htm

四天王寺大学 クンダリニ 瀧藤尊照
http://www.shitennoji.ac.jp/ibu/toshokan/images/kiyo53-09.pdf
96神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 12:29:02.98 ID:Fwaku9lW
スマさんは、お勧めできません。
なぜなら、死者を侮辱する発言を本か何かで見たから。
97神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 12:30:31.74 ID:DbtHmtuQ
スマは知能学問にシフトし過ぎている・・・
南方仏教故に、他者への精神的作用は重んじないだろうし・・・・。
98おじゃる:2014/06/15(日) 12:32:34.18 ID:BZfVWGgU
 
>>95 の続き

> クンダリニ

http://svrec01.kosei-shuppan.co.jp/page.jsp?id=2583

新アジア仏教史 09 チベット 須弥山の仏教世界 165ページ

チャンダーリーの火とは
臍(へそ)のチャクラに宿る熱である
この熱の力で「風(ルン)」を中央脈管の中に導き入れ
それが脈管に入り、留まり、溶け込むことに習熟した時
菩提心である精液が溶け出し
それが中央脈管の中を上下に移動しながら
四つのチャクラを通過する時に
四段階の歓喜が生じ、最終的には
源初から存在する(倶生)大楽を元に
楽空無別の智慧を獲得する
99神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 12:51:03.61 ID:Fwaku9lW
>>97
僕もそう思いました。

>>98
こういう記述見ると、面白そうと思う。
100おじゃる:2014/06/15(日) 13:04:56.35 ID:BZfVWGgU
 
> スマさんは、死者を侮辱する発言を本か何かで見た

私(おじゃる)は
「仮設としての」という意味で
中有肯定派だけど

http://www.samgha.co.jp/products/jissen/jissen5.html
第五巻 「 業と(カルマ)と輪廻の分析 」 145ページ参照

(スマナサーラの論説としては)
中有(中陰)はない

中有とは
魂とか自我があると考えている
バラモンなどの人々が
「死んでから生まれ変わるときにも変わらない何かがあるはずだ」とか
「死んでから『魂』が生まれ変わるまでに、時間的な間(中有・中陰)があるはずだ」など
と考えて、できた概念だと思います
  _  _  _

こんな感じで ↑ あるらしい
101神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 13:06:57.93 ID:DbtHmtuQ
正統派志向の天台、華厳、真言、チベット密教、禅の禅定以外の
日本仏教の非正統的空気感のある仏教(念仏、山伏、観音信仰等)の聖者の世界観も、
大乗仏教故に、菩薩的志向、
他者への影響感覚作用感覚がありそうです・・・
むろん、正統派志向の仏教は、一切の空間へ作用意識的なモノがあるんですが・・・
そういうのが無い、日本仏教の非正統的空気感のある仏教(念仏、山伏、観音信仰等)の聖者
も、最近、他者への作用がある感じがしてきました・・・。
102神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 13:25:40.20 ID:DbtHmtuQ
スダンマチャーラ(山下良道)比丘氏の感覚は、下記を点検しないと、どの程度の範疇かわかりませんが・・・
まだ精読しておりません・・・。

http://d.hatena.ne.jp/logues/20130901/p2
103おじゃる:2014/06/15(日) 13:34:38.39 ID:BZfVWGgU
 
> 非正統的

例えば
私の場合は
バラモン(ヒンドゥー)とか
クンダリニ(チャンダーリ)とか
神秘的なものとか
(現実には起こり得ない、超自然的な事象など、架空の出来事を題材にした)
幻想文学的なものなどにも興味があるので

私は非正統派の立場で
青空のところから客観的に『(現れ滅して変化している)雲を観察する』というような感覚で
青空のところから客観的に『(仮設として、現れ滅している変化を)知覚して住むことである』

と観察してみたいと思います
10482:2014/06/15(日) 13:40:23.51 ID:DbtHmtuQ
スダンマチャーラ(山下良道)比丘氏の感覚は102をサクッと読む限り、
雰囲気的に、シヴァナンダヨガを菩薩道的解釈したスタンスなのかもな・・・と。

法華経天台、華厳経華厳の禅定解釈の域(当然、チベット密教、禅も含む)にあるかは疑問が残る・・・
すなわち、禅定における、外部存在、空間の扱い、一切のものとして・・の。
南方仏教の論理性を重んじた故に、こちら方面の禅定意識は薄いかもしれない・・・。
105おじゃる:2014/06/15(日) 13:50:09.97 ID:BZfVWGgU
 
> シヴァナンダ

 ↓ これですかね?

http://www.gaiajapan.co.jp/books/healing/meditation/360/

スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる
シヴァナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ
106おじゃる:2014/06/15(日) 15:05:36.65 ID:BZfVWGgU
 
https://docs.google.com/document/d/1vshkEEd6ewnvBdyEcQzQoJK4J0f57dOHhHW5Ei0ZZKc/edit?pli=1
2013/01/26 自分のこころが、自分を苦しめる - 2ページ参照
ヨーガも仏教の瞑想も、元々は非常に近い場所にあった

http://www.samgha.co.jp/products/jissen/jissen5.html
第五巻 「 業と(カルマ)と輪廻の分析 」 55ページ参照

(スマナサーラの論説としては)

初期仏教の時代には
サマーディ瞑想という ヨーガ的な瞑想を先にやって
心の働きの訓練をしっかり身に付けて

煩悩の働きを制御するための訓練をしてから
智慧の働き・感覚を鋭くさせて

それから ヴィパッサナーに入る
という プロセスで、ずっとやっていました
107おじゃる:2014/06/15(日) 15:40:31.22 ID:BZfVWGgU
 
http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 241ページ参照

涅槃は
縁起したものを離れたものなので
だから
涅槃とは、生じたり起こったりするものではありません

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
迷妄を性質として壊滅するもの
その〔ようなもの〕を離れることは
思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり

縁起したものを離れ

ブッダは
〔そこに〕来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない
それこそが苦しみの終わりである
108神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 16:21:45.14 ID:DbtHmtuQ
今の処・・・
スダンマチャーラ(山下良道)比丘氏の感覚は、

やはり、テーラワーダの生滅智の感覚を、禅で言う仏性の意味で捉え、
スワミ・シヴァナンダのヨガの感覚(チベット密教の禅定風)で他者に慈悲を与える…風的に感じるなあ・・・
109神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 16:40:59.37 ID:Fwaku9lW
>>107
上の方のサイト、素晴しいです。
お気に入りに追加しました。
110おじゃる:2014/06/15(日) 16:50:23.79 ID:BZfVWGgU
 
例えば
私(おじゃる)の場合は
「前世からの異蘊相続がある」とか
「この現世においての過去からの、心の流れ(心相続)がある」など
と掴み捉えようとしている「想い」が現れ(滅し)ている
だからこそ

http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
永遠ばかりを探して
凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
縁起を、空を、無我(五蘊の仮和合)を観察することがうまくない

 - これを対処するために -
色受想行識の、受と想を滅させるためには
縁起・空・五蘊の仮和合の観察をするための練習が必要だ

何かについて「ある・ない・肯定・否定」
と掴み捉えようとしている「想い」を滅させて

煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)
の二種の障害を根絶させて

世俗を掴み捉えようとしている「想い」を滅させて
「輪廻している」と掴み捉えようとしている「想い」を滅させて

「解脱すれば仏だ」と、気づくまでは、気づくことは難しい
111おじゃる:2014/06/15(日) 17:13:48.09 ID:BZfVWGgU
 
>>107 の上の方のサイト、素晴しい

八正道の正見と ↓ 関係あるかも

http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 241ページ参照

汚れ(煩悩の働き)がなくなればなくなるほど、あなたはますます明らかに見ることができる

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り
自分の心身を厭う思を起こし
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である

このように現実を厭うことは
人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として

真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである
正見は「四諦の智」といわれる

この正見は
正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の七種の正道によって実現される
112おじゃる:2014/06/16(月) 01:44:30.65 ID:3xrXakmM
 
仏教議論スレッド104
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1402587209/250
250 2014/06/16(月) 01:08:30 ID:1bbo049K
全ての想いは実際に対しての嘘なのである
この意味が普通人には解らない故に、人が人である限り度し難いのである

http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 252ページ参照
実際のところ、思考とは私たちの入っている牢獄なのです
(青空のところから客観的に『五蘊の仮和合の、雲の観察』に)
100%の注意を払っている時には、心に貪欲は存在しません
貪欲とは、実のところ思考なのです

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
無明の暗闇に覆われて
渇愛の働きに依存して
誤ったあり方を掴んで離すことが難しい固執も生じる

 - これを対処するために -
渇愛の働きの滅は
無明の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである
113神も仏も名無しさん:2014/06/17(火) 00:09:01.86 ID:UL8yKrDL
青空 は。。昼間
星空 は。。夜

ですね、ね。
114神も仏も名無しさん:2014/06/17(火) 05:11:51.80 ID:1JK2w+QK
昨日はキリスト教にハマり、書き込みしなかったぞ・・・・。
115神も仏も名無しさん:2014/06/17(火) 05:50:56.96 ID:1JK2w+QK
13_01_20 はじまりの仏教 於:一法庵・日曜ワンダルマ坐禅会
https://docs.google.com/document/d/1M_wXIDbbskeNUDyy5mVoM6MuAUpDIdnMZk5h_7NtjRY/edit?pli=1

テーラワーダの瞑想を取り入れ大乗解釈な・・・
恐らく、ゲルク派の修道システムを少々参考にしたんだろうな・・・。
古くは玄奘三蔵の唯識論も、その部類。
玄奘三蔵の唯識論視点をゲルク派が導入したとも言えるか・・。
玄奘三蔵の唯識論は、日本では法相宗だが、鎌倉期の密教、神仏習合化の影響か・・・
ヨガの修行体系が崩壊して、勤行と正座しての唯識論を読むという風な修業に変化しているようだな。
116神も仏も名無しさん:2014/06/17(火) 05:54:24.81 ID:1JK2w+QK
12_09_16 名古屋座禅会 瞑想としてのヨーガ 於:名古屋・MySOUL8
https://docs.google.com/document/d/1Q0s7pr8PuIm8hP1oucS2t29_G5wG_0i9BXqUhXc75e4/edit?pli=1

仏教とヨガの関係は・・・
噂によると・・
真言密教の少数エリート専門の秘密のヨガ修行体系があるという噂を聞く

http://www.amazon.co.jp/%E7%A9%BA%E6%B5%B7%E3%81%A8%E3%83%A8%E3%82%AC%E5%AF%86%E6%95%99-%E5%B0%8F%E6%9E%97-%E8%89%AF%E5%BD%B0/dp/4054035779
空海とヨガ密教 [単行本]
小林 良彰 (著)
117神も仏も名無しさん:2014/06/17(火) 06:33:10.05 ID:1JK2w+QK
https://docs.google.com/document/d/1WlqnUKEsyyPV2K5R9Alu8FVmTE-_kLpZSpO-KOKxvGw/edit?pli=1
12_04_08 春桜接心 法話 「ゾーン」に入るだけでは、 於:一法庵

上手いポイントを付いたネタだと思う・・・。
曹洞宗のゾーン日常は極めるのに苦労したな・・・・・。
118神も仏も名無しさん:2014/06/17(火) 10:18:07.40 ID:xSwjzypR
>>116
真言宗の理趣経は、タントラの教えですよね。
今更ながら知りました。
119神も仏も名無しさん:2014/06/17(火) 13:42:41.55 ID:/ZfiO6Jy
山下さんはパオの頃、マハシなどの最初からヴィパッサナを指導する団体をさんざ
んに批判してたよね。
でも今は、ティックナット・ハンなど最初からヴィパッサナを指導する人を賞賛してい
るね。

こういう思想転向は、はっきり自己批判してからやってほしいね。
120神も仏も名無しさん:2014/06/17(火) 21:47:41.38 ID:iUA3p556
>>119
なんとなく、うわついた印象が否めないのは、そういう背景があったのか。
121神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 07:44:46.61 ID:kfG1e+D4
ティクナット・ハンは、マハーシ系のヴィパッサナーのやり方を批判してたよ。
確か「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」で読んだ。
呼吸と一体にならないと、真に呼吸を観ることはできないと書いてたと思う。
122神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 08:43:30.46 ID:MjvAJmJn
119 :神も仏も名無しさん:2014/06/17(火) 13:42:41.55 ID:/ZfiO6Jy
山下さんはパオの頃、マハシなどの最初からヴィパッサナを指導する団体をさんざ
んに批判してたよね。



結局、チベット密教の坊主の大乗仏教解釈で落ち着いたらしいですから、・・・・
チベット密教の大乗仏教解釈得れるまで満足できなかったという事でしょう。

禅なんかは余程優れた師匠縁が無いと、定まらないし、日本の世襲坊主体制だと難しいだろうね。
世襲坊主寺でない、安泰寺でも、内山さんの力量不足で、ミャンマーに出かけたのでしょう。
123神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 10:10:35.11 ID:MjvAJmJn
禅の語録は曹洞宗にしろ、やはり、それを独学で読むには、大乗仏教の基礎知識がいるのかもな。
優れた師匠縁があれば、聞法で行けるだろうけれども・・・

海外で活躍するチベット密教坊主は、インテリだから、
日本の坊主より、はるかに大乗仏教の基礎知識はあるからな。
修業も真面目にやっているから、他者への感化能力が高いだろうし・・・・。

チベット密教の影響で、仏教3.0を思いついたんだろうけれども・・・。
124神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 10:35:54.38 ID:MjvAJmJn
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1402587209/l50
仏教議論スレッド104


このスレのハッタリ禅の連中は、まず、大乗仏教の基礎知識無いからな。
125123:2014/06/19(木) 08:02:25.09 ID:mFUKHPWg
126神も仏も名無しさん:2014/06/19(木) 12:32:14.31 ID:mFUKHPWg
加藤耕山の禅定力ヒントにレベルが上がったw
加藤耕山ネタを公案にして今朝練っていた、
127おじゃる:2014/06/19(木) 20:20:01.32 ID:8IhAnGNC
 
例えば仮に
肉体が消えても
地(ち)+水(すい)+火(か)+風(ふう)=空(くう)

『青空として』と観察してゆく

DVD
蛍火の杜へ(ほたるびのもりへ)
貸出開始日: 2012/02/22
夏休みに、祖父の家に遊びに来ていた少女・蛍は
妖怪たちが住むといわれる『山神の森』へ迷い込んでしまう
途方に暮れ、泣き出した蛍の前に現れたのは、狐の面を被った少年・ギン
ギンに助けられた蛍は、毎年夏になると、ギンのもとを訪れるようになる
そして、ふたりはいつしか惹かれあってゆく
だがギンは、人でも妖怪でもない
触れると消えてしまうという不思議な存在だった
128おじゃる:2014/06/19(木) 20:41:56.39 ID:8IhAnGNC
 
>>127 の続き

DVD
東京マグニチュード8.0 第5巻
貸出開始日: 2010/02/24
収録時間: 68分
夏休みに入ったばかりのある日
東京をマグニチュード8.0の大地震が襲った
弟とお台場に来ていた中学生の未来は、世田谷の自宅へ向かうが…

第09話 今日、さよなら
第10話 おねえちゃん、あのね
第11話 最終話 悠貴へ…
https://www.youtube.com/watch?v=Q6I5BmWB0rw&list=PLE2EFDE20D1C29F93&index=11

東京タワー倒壊時に
姉の小野沢未来(おのざわみらい)を助けるために
弟の悠貴(ゆうき)に
瓦礫が頭部に直撃して死亡した
  _  _  _

大切な人の死を

肉体が消えても
地(ち)+水(すい)+火(か)+風(ふう)=空(くう)

『青空として』と観察してゆく
129おじゃる:2014/06/19(木) 21:15:40.09 ID:8IhAnGNC
 
>>127 >>128 の続き

年齢も若くて、たぶん、ほぼ主人公と思われる人が
事件とか、事故などに、巻き込まれて死亡する場合もあるかも

魔法先生ネギま! 麻帆良学園中等部2-A Magic 6
貸出開始日: 2006/01/25
収録時間: 96分
第21話〜第24話を収録
https://www.youtube.com/watch?v=AEsdh5m-8QQ
https://www.youtube.com/watch?v=GA68lUAhmmo
130おじゃる:2014/06/20(金) 03:02:39.66 ID:SeWmjukU
 
( ↓第28話の物語で)
戦争で一面が焦土と化して焼け野原になって
「絶望している」という『想い』が現れ(滅し)している

(「戦争で勝ち続ける」ということは出来ないのに)
「戦争で勝ち続けていかなければならない」という『想い』が現れ(滅し)している

ふたりはプリキュア 7
貸出開始日: 2005/02/16
収録時間: 101分
第25話 いざ光の園へポポ!私たちも!?
第26話 さよならメップルミップル!?やだー!
第27話 新たな闇が迫る!迷子のポルンを救え
第28話 レギーネ登場!ってもう来ないで!
131神も仏も名無しさん:2014/06/20(金) 06:42:15.61 ID:uHfiOj5P
【仏教3.0】山下良道の狙いに近いのが、
明治期の浄土宗、山崎弁栄上人。

要約すると・・・
山崎弁栄上人は
なにせ、阿弥陀仏と言う人格仏に唯識要素の組み合わせで、解釈が難しかった。
特に世界観イメージが・・・・。
世界そのものが阿弥陀仏、人格仏であり、法界、すなわち仏の世界であり、光明であり、浄土であると。
なかなかダイナミズムのある禅定の持ち主の聖者さんだな。
他人を感化する阿弥陀仏の優しい禅定感の広がりのある聖者だったんでしょうね。
132神も仏も名無しさん:2014/06/20(金) 06:43:46.99 ID:uHfiOj5P
区分した要約

念仏行の前提として

「一切衆生悉有仏性」すべての人々の中に、
仏に成る種(仏種)が蔵されていると考える(如来蔵)。
を信じ、念仏行を行う。

そして、霊的人格たる阿弥陀仏との全面的な交わり(念仏三昧)をなす。
阿弥陀仏と一つになりて
「彼」すなわち如来は、他者を愛すごとく存在者を愛すのではない。自らを愛するように万物を愛す。


禅定、
自己の内側と外側も、阿弥陀仏の法界と禅定で感じる。
「阿弥陀の身心は法界に満ちている」
「一心に専念すれば能所亡ぶ」一心に念仏する時、そうした衆生と仏との区別がなくなる
「果満覚王が独り了了と現れる」「宇宙を包含する法界身なる阿弥陀仏」


修業と他者救済。
行者個人のいわば「神秘体験」により、阿弥陀如来の光明の感得
この光明により、三毒の煩悩が消滅し、心と体が柔らかくなり、喜びの気持ちで体が踊りはね、
清らかになり仏となる道を得る。
各自の「霊性」が開発(かいほつ)されて「相互真実親愛」の社会が実現する
そして「霊光」に照らされ本来の「霊我」に目覚めた行者は、宇宙の真理と一体になって、この世に浄土を実現すべく努力するのである
・光明主義ではこの現世において霊性を発現し、この娑婆世界を、その本来の姿である浄土に変革する
本物の念仏者を育成し、多数の人の仏縁をむすぶ
133神も仏も名無しさん:2014/06/20(金) 06:51:39.63 ID:uHfiOj5P
ま、近いといっても教義でなく、ヨガ的な禅定の感覚ね・・・・・。
134神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 16:16:18.66 ID:kHpil5H9
高野山へ行って来た・・・・
密教てパワーが強くて禅定に関する情報流入量が多い

ま、それ故に・・・・密教パワーを利用して・・・・
【仏教3.0】山下良道を思いついたんだろうなあw
135神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 16:40:27.35 ID:7Q3PEsX8
山下氏の「右手の微細な感覚に集中する」って、なんか自律訓練法みたい…
136神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 16:49:00.61 ID:kHpil5H9
>微細な感覚に集中

微細なと言うのは、テーラワーダだと生滅智と思っている、批判したマハーシ―文献だけど・・・。

シヴァナンダ・ヨガも微細な身体感覚の禅定・・・

むろん、チベット密教も、確認したいのだけど…恐らく・・・・。
137神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 16:52:35.45 ID:kHpil5H9
密教の方が禅よりも、自動的な流入情報量は多いからな。
禅はホントに真剣に自己追及しないと何年坊主やっていようとも、満足できないからなあ。
山下氏の様に・・。
138神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 16:53:57.54 ID:kHpil5H9
禅はライフル射撃の精密さが無ければ役に立たないが・・・。
密教はマシンガンだからなあ・・自動で・・・。
139神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 17:06:17.45 ID:kHpil5H9
【仏教3.0】山下良道は、マシンガン的テーラワーダと言う処やろね。


空海には次のような禅定悟りに関する表現がある・・

五大にみな響きあり
     十界に言語を具す
     六塵ことごとく文字なり
     法身これ実相なり 
140神も仏も名無しさん:2014/06/22(日) 19:18:09.06 ID:0R0F1YC5
法話の文章化は中止してるのかな?
141おじゃる:2014/06/24(火) 03:21:14.38 ID:X+SduG00
 
http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 205ページ参照

…私ではなく、私のものではなく
執着されるべき何ものもなく、保つことのできるものは何もなくて
煩わされる価値などないものだ、ということをあなたは知る

全ての気づきにおいて
それが私ではなく、私のものではないということをあなたは観察し

それに関心をもつことがなく、全く無頓着でいるのです
この段階では、危険ではなく、好むこともなく、また同時に嫌うこともありません

vippahAya は、「根絶して」、「克服して」という意味
恐怖と執着を克服して

ちょうど中間にあること
こちら側でもなく、あちら側でもないのです
142おじゃる:2014/06/24(火) 04:12:18.94 ID:X+SduG00
 
http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 57ページ参照

…彼は、「砂糖という名称は現実かね? それとも概念かね?」と言いました
「名称はただの名称、概念です」と私
そこで彼は、「名称は甘くないよ…」と
私は「ええ、おっしゃるとおりです…。名称は甘くありません」と言いました
すると彼は、「甘いとは何だね?」と言ったのです
それはもはや砂糖ではない
ただ、甘いとは甘いである、と言うことができるだけです
この甘いという名称でさえ、ただの名称に過ぎない
では、それは何なのか
あなたは舌で感じるある感覚を甘いと呼び、その観念を組み合わせているのです
名称や味を告げることなくそれを誰かに示した上で
これの味は何かと尋ねたとしたら、彼はそれを言うことができないでしょう

http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
872
名称と形態とに依って感官による接触が起る
諸々の所有欲は欲求を縁として起る
( - これに対して - )
欲求がないときには、<わがもの>という我執も存在しない
形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない
143おじゃる:2014/06/24(火) 05:02:48.02 ID:X+SduG00
 
http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜

115ページ参照
「無明を原因として形成作用があり、形成作用を原因として意識がある」
ということを観察しはじめるでしょう
そして縁起の全体のプロセスが続きます

128ページ参照
過去、現在、未来が、連続的ではないことを観察することができる
このことはつまり、これらの物事を、この順序で見る必要はないことを示します
何であれ過去に起こったこと、また何であれ未来に起こるであろうこと
あるいは現在に起こっていることを、この人は全体として受け取る
そして、無常・苦・無我と見ること
無常・苦・無我を観察しつつ、精神的と物質的の現象を見つめること

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
第二十七章 見解(邪見)の考察
3.意訳
「私は(この現世においての)過去に存在していた」と言うことは妥当ではない
(この現世においての)過去に存在していたものは
その者(今現在の私)と同一ではないからである
144おじゃる:2014/06/24(火) 05:45:18.96 ID:X+SduG00
 
http://www.onedhamma.com/
山下良道(スダンマチャーラ比丘)podcast 法話
14/06/22 人生で一番大事なことを十代で考えないと

地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう) → 空(くう)

空(くう) → 地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)

(相手によってさまざまに工夫しながら、いろいろに法を説いていくのです)
(衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた >>142 の名称を参照)

http://kotowaza-allguide.com/si/shikisokuzekuu.html
色即是空・空即是色

この世にあるすべてのものは因と縁によって存在している
その本質は空であるということ
また、その空がそのままこの世に存在するすべてのものの姿であるということ

すべてのものは、永劫不変の実体ではない

http://nhikaru.blog.so-net.ne.jp/2009-01-04-2
色から → 空へ
空から → 色へ
145神も仏も名無しさん:2014/06/24(火) 15:41:55.33 ID:6qNu6qvK
思いの中に、この世界はある
146神も仏も名無しさん:2014/06/24(火) 20:38:59.35 ID:qp/qxocr
アップデート..の本のひとつぼしレビューのとこの
コメントを読み終えた。

ダメダメじゃんこの方。
というかなんでいまだに褐色の着物着てるの? コスプレ?
147神も仏も名無しさん:2014/06/24(火) 20:53:58.54 ID:c4P9YXH1
青空としてのわたし
p223 1行目は誤植です。
誤 色即是空
正 空即是色
148神も仏も名無しさん:2014/06/25(水) 04:00:51.91 ID:gUsU1Rsw
>>143
そのPDFファイルを読むと、心が静かになります。
149神も仏も名無しさん:2014/06/25(水) 09:02:48.76 ID:RGUyo1GH
>アップデート..の本のひとつぼしレビューのとこの
コメントを読み終えた。

ダメダメじゃんこの方。
というかなんでいまだに褐色の着物着てるの? コスプレ?



テーラワーダ、禅的にアウトだろうね。
密教ヨガ風なんでしょ。
150神も仏も名無しさん:2014/06/25(水) 10:50:20.32 ID:RGUyo1GH
http://onedhamma.com/howa/onsei.files/OneDhamma_111022.mp3
この内容を聞くと・・・・・


実人生の問題視点はあるんだが・・・
彼の不幸は、優れた指導の師匠縁が無かったということ。
チベット密教坊主の縁があって当人は解決したんだろうと・・・・・。
151神も仏も名無しさん:2014/06/25(水) 11:43:34.76 ID:RGUyo1GH
山下良道の微細な意識は・・・。
俺はシヴァナンダ・ヨガで知る。
それに南方仏教の解釈を乗せ、
チベット密教風教義解釈、「慈悲」を乗せる。
152おじゃる:2014/06/30(月) 03:34:27.02 ID:tQ33EpDK
 
 ↓ なぜ瞑想を続けていくのが難しいのか?無明について

http://www.onedhamma.com/?p=4860
山下良道(スダンマチャーラ比丘)podcast 法話
14/06/29 法話のアーカイブ、そして自分の中の爆弾の解体

http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 113〜114ページ参照

一部の非常に深い理解をもっている人たちは、縁起を最初から観察します
「無知」や「知らないこと」を意味するアウィッジャー(無明)は、何を知らないのでしょう?
真実を知らない、現実を知らないのです
私たちは知らないから
(私たちを本当に幸せにしてくれるものなど、全く存在しないのに)
もし私が『これを行えば、私は私を幸せにしてくれる何かを得るだろう』と考えてしまう
これを「知らないこと」と呼ぶのです

何かが私たちを幸せにしてくれるだろうと信じること、そして
物事を、それが私たちを幸せにしてくれるだろうという希望をもって行うこと
それは幻想。それは無明です。そしてまた、四聖諦を理解しないこと
それもまた無明です

ある人が深く瞑想する時、彼もしくは彼女は
「無明を原因として形成作用があり、形成作用を原因として意識がある」
ということを観察しはじめるでしょう
そして縁起の全体のプロセスが続きます
153神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 05:16:40.04 ID:v74UiZrZ
山下さんの話は分かりやすくていいね
抽象論で煙に巻こうという意識が全くない
ほんとに人々の人生・生活に役立つ仏教を
広めたいという熱意が伝わってくる
154神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 05:58:38.61 ID:pWceuBHN
おはようさん・・・・。
ま、日本坊主自体が世襲制で堕落してたり、
世襲制故に全体的グレードが低いからね。山下氏も含めて優れた師に会う事は難しい・・・。
山下氏は、修業さかんなチベット密教のヨガに近いインスピレーションで解決したからね・・・。
その感覚に説明丁寧なテーラワーダ教義を乗せた感じですからな。
ま、禅より解りやすいかもしれんなあ・・・。
ワイも案外密教の申し子みたいな処があるからね。
155神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 06:01:11.89 ID:0I/ogEOJ
それと、まことはオレの書き込みを死に狂いもので調べていたと思ったんだよ。
それに、ハッタリも数多く言えば、たまに当たることもあるだろ。
でも、おかしいと思っていたぜ。
ハッキングと考えれば明白だもんなww

http://bbs7.aimix-z.com/mttbbs.cgi?room=kike&mode=view&no=2&list=all
156神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 18:43:01.95 ID:EOw4iJFc
法話はスマさんの方が為になる。
3.0とか青空とか、わかるようなわからないような。
今は、興味本位で注目が集まってるのかな。
157神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 00:02:58.37 ID:cI61++ni
そのスマさんのやり方で行き詰まってた
人達が山下氏のやり方でうまく行ったという
話が多い

実体験からテーラワーダの足りない部分が
分かってるから適切なアドバイスができるの
だろう

なんせ一番オーソドックスなパオメソッドを
修了してるからね

マハシやゴエンカ式で何の疑問も感じない
なら、それはそれで別にいいんじゃない?
158神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 05:15:36.83 ID:A5qPbc2p
>なんせ一番オーソドックスなパオメソッドを
修了してるからね

そこでも満足してないですよ、、山下は。
チベット密教のヨガ風禅定で解決したんですよ。

証拠は。
http://onedhamma.com/howa/onsei.files/OneDhamma_111022.mp3
山下良道師の法話と瞑想を慕う一法庵コミュニティです。
一法庵 One Dharma Forum



やっぱり、修業のやり方はワイの見立てどうりだな・・・・
南方仏教生滅智+チベット密教ヨガ風。
159神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 06:09:45.82 ID:cI61++ni
いやだから、大乗も加味した仏教3.0や
言うてますやん

山下さんがチベット仏教も勉強して参考に
したり、ダライラマとも時々会ったりしてるのは
本人もしょっちゅう言うてることやし、
少し知識ある人なら「微細な身体」っちう
概念が出てきた時点でピンと来るでしょ

そんな鬼の首取ったようなドヤ顔せんでも
みんな知っとるで
160神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 06:15:10.03 ID:A5qPbc2p
参考というより、ヨガセンスの禅定が中心で、
教義が南方仏教でしょうね。

これ批判しているんじゃなく、分析ですよ、
スレタイ上、尊重しますから、批判は一度もしてないですよ。
161神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 09:35:20.92 ID:X7d/Bb/c
微細な身体と言うのは

寒いとか、暑いといったのは粗雑な感覚になります。
微細な感覚とは、ジワー、ツツー、モヤー、じんわりといった感覚です。
あと、気が流れているような感覚とかですね。

「オノマトペ」なんて最近は言われていますが、
この「オノマトペ」的な感覚の世界が、身体意識の世界になってくると思います。
とても微妙な感覚ですね。

で、日頃、手を使っている職人は、
こうした微細な感覚に鋭いところがあったりします。

東京の下町の旋盤工の中には、精密機器でも測定できない
マイクロレベルの誤差を、手で触って分かる人もいるくらいです。
人間の微細な感覚とは、素晴らしいですね。

そして、日本人は、この微細な感覚が大変優れたところがあります
162神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 11:52:23.14 ID:A5qPbc2p
>微細な感覚とは、ジワー、ツツー、モヤー、じんわりといった感覚です。
あと、気が流れているような感覚とかですね。



はい、南方仏教、生滅智、
シヴァナンダ・ヨガ、
チベット密教、ルン、
真言密教、六大無碍、重々帝網。

オレ、体験済みです。
故に、オレ的には禅や南方仏教よりも禅定的安定はしやすい感はあるな。
快楽と慈悲の感覚の安定は得やすい事は確かだ。
高野山じゃ余裕でVIP待遇だなw



>そして、日本人は、この微細な感覚が大変優れたところがあります


左脳的過ぎです、禅定感覚じゃないので意味がありません。
163神も仏も名無しさん:2014/07/02(水) 13:46:14.53 ID:ubpP8I/f
 
仏教議論スレッド105
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1403710418/610

610 名前:コレ悟りかよ!?

人間も輪廻転生してるんだから
この宇宙も同じように輪廻転生して破壊と再生を繰り返しているじゃね

我が無いんだったら、それって俺も宇宙も同じじゃん
うわ、チョーヤベーことに気づいた
164おじゃる:2014/07/02(水) 14:05:05.49 ID:ubpP8I/f
 
>>163 に対して

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察
8.
ダルマについてのブッダの教えは
世俗諦(せぞくたい)と勝義諦(しょうぎたい)に基づいている
9.
この二つの真実の間に引かれた区分を理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも理解しないであろう
10.
現象的真実の中に存する根拠なしに
究極なるものの重要性は説き得ない
究極なるものの重要性を理解することなしに
解脱(涅槃)は達成され得ない
165おじゃる:2014/07/02(水) 14:52:55.20 ID:ubpP8I/f
 
>>164 の続き

例えば仮に、世俗の人は
「五蘊の仮和合の仮の状態だから我ではない」と言うことに気づくことが出来なくて

「前世から現世に異蘊相続している」とか
「この現世においての過去からの心の流れ(心相続)がある」など
と掴み捉えようとして離すことが難しい渇愛の働きに依存して

永遠ばかりを探して
凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
縁起を、空を、「五蘊の仮和合の仮の状態だから我ではない」と観察することがうまくない

 - これに対して -
行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる
これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである
作り出されたものは空性によって消滅する
行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある[中論18-5]

だからこそ、それ故に
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
(色受想行識の)受と想を滅させる為の滅尽定を以って、第一と為し、終に、無余涅槃に帰する
[中論觀法品第十八]
166神も仏も名無しさん:2014/07/06(日) 10:00:56.47 ID:Ku8nUgpO
Namo tassa baghavad arahat samma sambuddassa
167神も仏も名無しさん:2014/07/06(日) 10:02:36.01 ID:Ku8nUgpO
Namo tassa bhagavato arahato samma sambuddhassa
168神も仏も名無しさん:2014/07/06(日) 15:13:47.39 ID:mAQ/mrUs
マハシ式のヴィパサナが身体感覚だけだという意見があるがそれは違うと思うな。

ある外人僧侶が日本にきてセミナーをしたときとき、その僧侶の指導では、「身体
感覚へのサティは、心の感覚に気づくための手段にすぎない」と言っていた。
それで私は「じゃあ、身体感覚へのラベリングは心を観察するための手段にすぎな
いんですね。心の観察のほうが重要なんだ」と質問したら、そのとき通訳するために
東京の事務所からきていた女性通訳者が本人の返事を待たずに「そうなんですよ」
と答えました。

だから、マハシ式でも心の観察は重要視している。
ただ、初心者にはそれは難しいので、最初は身体感覚のラベリングをさせているだけ
なのです。

先の外人僧侶は「身体感覚の観察だけなら、それはヴィパッサナとはいえないのでは
ないか」とまでハッキリ言ってました。
169神も仏も名無しさん:2014/07/06(日) 16:31:43.81 ID:OzX/KBJp
>マハシ式のヴィパサナが身体感覚だけだという意見があるがそれは違うと思うな。



おっしゃる通りに間違った解釈だったと思います。

山下氏の感覚はヨガの精神と身体の感覚でしょうね・・・とわかる。
170おじゃる:2014/07/07(月) 05:26:40.51 ID:QFoZOHkZ
 
 ↓ 「俺が頑張る」という想いで瞑想することは出来ない

http://www.onedhamma.com/?p=4864
山下良道(スダンマチャーラ比丘)podcast 法話
14/07/06 「思い以上の自己」がヴィパッサナーする

雲から「俺が頑張る」という想いが現れる
「俺が頑張る」という想いから離れたところが青空なので、だからこそ

「俺が頑張る」という想いから離れて
何かについて「好き・嫌い・肯定・否定」という想いから離れて

青空のところから客観的に「(仮設として仮に現れ滅して変化している)雲を観察する」というような感覚で

色受想行識は、自分ではない - 我ではない
色受想行識は、自分のものではない - 我所ではない

と知覚して住むことである

http://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757
大念住経(大念処経)

http://mindfulness.jp/ma-therapy/newtherapy/73-acceptance.htm
アクセプタンス
171神も仏も名無しさん:2014/07/07(月) 06:00:59.47 ID:Y2mUsn7l
大乗仏教の教義は青空を出現させるための
方便てことか
なるほどね
172神も仏も名無しさん:2014/07/07(月) 09:35:04.81 ID:5Jygb/sL
>大乗仏教の教義は青空を出現させるための
方便てことか

チベット密教の流用でしょうね。
173神も仏も名無しさん:2014/07/07(月) 09:49:02.19 ID:26EmH2kH
リリーフピッチャーを持ち出すと
さて、何人居るのだろうかと考えてしまう
お前はダメだ、交代、と指示を出すのがシンキングマインド
青空に当たる確率は1/5、、1/10、、、エゴ次第なのか
174神も仏も名無しさん:2014/07/07(月) 10:20:10.09 ID:5Jygb/sL
ま、密教・ヨガ系はオレ的には禅より楽だろう。
安定を得易い、
ま、ライフル精密射撃の要求される射撃の禅でなく。故に山下氏得られず。
マシンガン射撃の密教、ヨガだからなあ。
175神も仏も名無しさん:2014/07/07(月) 12:45:54.23 ID:Y2mUsn7l
やたらとチベットや密教とばかり結びつけ
たがる奴がいるけど、般若経にしろ、
如来蔵や仏性にしろ、阿弥陀信仰にしろ、
全部この「青空と雲」図式に当てはまるだろ
山下本人も言ってることだけど

うまいまとめ方を見つけたと思うよ俺は
176神も仏も名無しさん:2014/07/07(月) 20:46:09.22 ID:Fb0ejjZm
大乗経典は、虎の巻、アンチョコとでも言う様な
ものでは無いかと思っています。
177神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 02:57:30.06 ID:d9uDEUAx
アビダルマ=シンキングマインドだから
空や中観が出て来ざるを得なかったわけだ
178神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 03:36:19.70 ID:Vlqf8xNN
山下氏に個人的感情は無いが思う事を乞われたので書く

比丘のコスプレをして説法を続けるのは戒律に違背する
何故なら、屋根の有る居所に基本的に住している為、それは既に比丘とは言えないからで
出家戒を知らない素人をまんまと騙してる事になる
これはスダンマチャーラに限らず、スマナサーラも同じである
糞雑衣の為に法を説く必要など無く、今現在還俗しているのだから糞雑衣を着る必要も無いのである
成道していても、対象は一般素人なのでその内容や果報を告げる事も比丘なら禁じられている
しかし、売りは成道させる目安をちゃんと教える事なのだから、比丘のコスプレに拘るのは
本末転倒なのである
カタカナを混ぜ英語風に言いまわすフリは斬新で新鮮だが、要するに抹香臭さを払拭したいだけである
それなら糞雑衣は脱ぎ、一般人の格好で会得した法を説けば良いのである
法は衣類着衣の違いで劣化したり等しない
それが分からないならスダンマチャーラも所詮カルトであり
詐欺行為紛いの何ものでもないと言える
21世紀の仏教は比丘のコスプレなど不要である
179神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 04:01:19.15 ID:d9uDEUAx
そういうのいらんから
180神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 04:12:44.43 ID:Vlqf8xNN
私は、比丘と言う立場や出家と言う制度を批判する気は無い
それで得るものを得られるであろう事も批判する気は無い
大徳は雨季の時だけ仕方なく、屋根の有る建屋に一時的に宿泊はしていた
しかし、基本的に無一物であり、雨季が過ぎればそこへは長居しない
しかも、宿泊する精舎は全て寄進された他者のものである
大徳は一生乞食をされ、臨終の際も殆ど野垂れ死にである
大徳の場合、出家から臨終まで一度も捨戒されて居ないのでこの通りの生き様を呈したのである
スダンマチャーラはどうか、捨戒したから日本へ帰り鎌倉に住んでいるのであろう
捨戒せねば飛行機には乗れないのである、捨戒しているから住所があるのである
何故捨戒をしたものがそれを告知せず、比丘コスプレで法を説くのか
端的に言えば食う為であろう
大徳は比丘に袈裟の為に法を説くべからず、と教えた筈である
一般の衆生はその容姿に騙され易い
捨戒して居ないと言い張るなら、ホームレスを慣行すべきなのである
捨戒したのなら法名を捨て、元の名前の普通人として、平服にて教導すべきなのである
学林は破戒したもの以外なら何度でも受戒を許しているのだから
その都度比丘に戻れば良いだけの話しなのである
181神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 04:22:41.13 ID:Vlqf8xNN
>>179
戒を守ってこその比丘であり、修行を続けていてこその比丘なんだよ
衣食住の問題に矛盾がある比丘など比丘とは言えず、格好と権威で飯を食う邪師と何ら変わらない事になる
比丘として修行するならあの格好で十分なのだが、世俗の中で混じって生活して行くなら
あの格好とその職業は法に対して不敬となるんだよ、戒を保っているなら家に住んでる自体で破戒となる
比丘の格好のままでは「成道者無戒」も言う事が出来ない、戒律にもそうある
一般にはどうでもよい事だろうが、戒律にはちゃんとある事なので、分かってやってるなら
スダンマチャーラは破戒僧、若しくは詐欺師と言わざるを得ない
182神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 05:26:58.71 ID:Lu5H0gM4
青空というのも、本当は「青い雲」なのかもしれない。

青雲 それは 君が見た光
僕が見た希望
青雲 それは ふれあいの心
幸せの青い雲♪

ちなみに僕は 青い空で抜きました。
183神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 06:03:22.11 ID:d9uDEUAx
>>181
あんたさ、山下とかスマナサーラに
wikipediaやamazonのレビューとかで
粘着してるNozawa Onsenなんたらって人?
184神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 06:29:14.65 ID:4fnIFOMV
75 :神も仏も名無しさん:2014/07/07(月) 12:45:54.23 ID:Y2mUsn7l
やたらとチベットや密教とばかり結びつけ
たがる奴がいるけど、


事実だけど、当人の音声でほぼ確定ですよ。

正統派スタンスだと、山下氏は、コスプレだろうな・・・
ま、ヨガ仏教行者扱いにした方が、ただの批判にならずに済むぞw。
185神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 06:37:32.86 ID:NN9kosPu
>>183
いや違うな
よく知らんが俺は比丘を名乗って現在に矛盾を抱えてることを指摘してるまでで
個人的に恨みも無いし、商売としてやってる事に異論は無い
ただ、騙すのは良くないんじゃないかなと
186神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 06:42:10.35 ID:NN9kosPu
>>184
行に何を採用しようとそれは教師次第だから
別に美容体操して悟りを目指そうでも構わないと思う、効果の程は別の話だからね
問題は、比丘って立場を利用しちゃダメだし、それを飯の種にするのはもっとダメだろと
観光用のアボリジニやマサイ族やネイティブアメリカンの見世物じゃないんだしね
187神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 06:43:37.75 ID:4fnIFOMV
正統主義だと仏教の坊主といしては…騙しているという
意見ももっともだな。
オレも一応正統主義とスタンスだが。
山下氏の禅定感を批判せずにサイコメトリーして遊んでいるだけだな。
188神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 06:49:35.19 ID:4fnIFOMV
ま、密教風ヨガに逃げん込んだ心情は、理解できなくもない・・。
優れた師匠縁が無く、曹洞宗禅、南方仏教坊主生活の遍歴を重ねたにも関わらず、
精神的解決ができなくて、密教風ヨガ禅定で精神安定を得たという気分は解らなくもない。
禅スタンスだと比丘って立場を利用ていうことになるわな。
むろん山下氏の最初の沢木流の師匠内山興正師の意図を少しも解って居なかった。ともいえる。
189神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 06:51:36.01 ID:4fnIFOMV
密教風ヨガ禅定の溢れる慈悲感覚が病みつきになって・・・。
今の山下氏なのでしょう。

禅スタンスだと陰徳の欠ける…扱いだけどな。
190神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 06:52:11.61 ID:d9uDEUAx
>>185
なんでID変わってんの?
191神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 06:58:18.72 ID:NN9kosPu
>>188
曹洞宗も横浜系列だと密教修法はやるみたいよ
どうしたんだ曹洞宗って感じだけどね
俺は密教自体は仏教にバラモン由来の儀式所作が混ざった亜流と考える
大徳はバラモンの祭式儀礼を採用していなかった訳で
例えば数珠とか鈴とかもそもそも仏教のものでは無い
巧みに混ざりこんじゃってる現在では一々指摘もアレなんだけど
それなら逆に、一切の余方を省いて只管打坐で良いとさえ思う

それじゃインパクト弱いよねw
お飯の種には程遠い、と素人でも分かりそうでしょ
もうミエミエなんだよなぁ
192神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 07:00:36.74 ID:ongly0kL
>>190
変わっちゃ拙いのか?
こんなのAP次第で絶対固定なものじゃないだろう
193神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 07:08:38.68 ID:4fnIFOMV
191 :神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 06:58:18.72 ID:NN9kosPu
>>188
曹洞宗も横浜系列だと密教修法はやるみたいよ
どうしたんだ曹洞宗って感じだけどね




ま、基本現在曹洞宗本流(沢木流は支流扱い)は作法=印みたいな思考システムらしいです。
さらに、内山後、曹洞宗本流僧侶か、やっていたみたいですが、場合によっては弟子丸泰然系かもしれませんが・・。
山下氏が曹洞宗を止めるぐらいに曹洞宗本流は悟りのシステムが崩壊しているらしいです。
ま、曹洞宗本流の禅定決めるのに山下氏の大好きな慈悲の瞑想も含めて。
俺は3年6カ月か・・・慈悲の瞑想をゾーン除いても、3年5カ月w師匠無し独学修業は苦労するわw

密教修法は、大衆向けに関東で派手にやったらしいです。
194神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 07:19:07.64 ID:d9uDEUAx
>>192
突如深夜に批判長文書き出して、IPコロコロ
変えながら投稿し続ける様に狂気を感じる
んでね

そんなに山下やスマナサーラに粘着する
ってことは元参加者なんでしょ?
195神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 07:29:01.27 ID:4fnIFOMV
192は何らかの原理主義者だろうね。

オレの本性も・・・w
変態能力のspecがあるから、
批判せずに山下氏を推定しているからなあ。
オレの山下氏のイメージは南方仏教教義風シヴァナンダ。
196神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 07:34:26.78 ID:4fnIFOMV
http://www.sivananda.jp/what-is-sivananda-yoga.html
シヴァーナンダ・ヨーガ・ジャパン 東京センター > シヴァナンダヨーガについて


http://healthut-japan.com/?page_id=373


一応オレ、シヴァナンダ・ヨガは余裕で禅定に入れる。
身体が固いまんまだけどw
197神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 08:14:14.40 ID:zM+yf8EO
おかしいな、仏教って禅定入るのが目的だったっけ?禅定は手段だった筈だろw
198神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 08:16:44.96 ID:4fnIFOMV
変態能力のspecで、遊んでいるから。
このスレでの俺への追及しているつもりなら、無駄だぞw
山下禅定と遊ぶスレだから、本性は出さねえw
199おじゃる:2014/07/08(火) 09:23:47.61 ID:2RApZOHM
 
例えば、シヴァナンダ・ヨガ とかの場合などでも

青空のところから客観的に「雲を見る感じ」ですか?

http://www.gaiajapan.co.jp/books/healing/meditation/360/
シヴァナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ・センター
スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる 33ページ参照

心からの分離
心がさまよう状態
そこから離れて映画を見るような感覚で心を客観的に眺めてみましょう

https://www.youtube.com/watch?v=iWrvjWvDfUk
成瀬雅春
「身体の観察から始める」と言うことであるらしい
200神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 09:25:25.64 ID:4fnIFOMV
>青空のところから客観的に「雲を見る感じ」ですか?

はチベット密教を
ヨガ風に解釈した・・という処やろ。
201おじゃる:2014/07/08(火) 09:33:17.90 ID:2RApZOHM
 
>>200

(私が意味が理解できてないけど、とりあえず)了解です
202神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 15:43:59.42 ID:zM+yf8EO
おじゃる、お前の手かざしには関係ない話だろ
203神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 18:09:44.21 ID:potGL5CA
あれ?今朝の人トンズラしちゃったの?

やっぱりwikipediaやamazonレビューで
山下やスマナサーラに粘着してた
Nozawa Onsen Pottaとかいうハンドルネームの
おっさんだったのかな?

山下にこき使われたとか根に持ってストーカー
みたいな粘着してたからなぁ
しかも山下への未練タラタラで

やっぱこういう変性意識が絡む世界は
グル的崇拝やそれが愛憎反転したストーカーを
生み出しやすいんだな
204神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 05:55:37.96 ID:bEtRo3hI
批判の傾向なんて大抵似てくるもんだろ
それをみんな同一の者の仕業と思い込む時点でメンヘラとかなんじゃね?
思い込みとか先入観は反仏教だから自らも戒めなきゃダメだが
205神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 06:11:07.20 ID:bEtRo3hI
これかw
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Nozawa_onsen_potta

Wikipediaのフレーム対応も大変だな
辞典で持論展開して馬鹿を晒す方もどうかと思うが
細かい点とかを気付く方も大方信奉者で仏法者なんだろう
議論しちゃダメな気がするな、同じ穴の狢に過ぎん
206神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 08:23:50.27 ID:bvztjggU
こっちの方がもっとひどいぞw
http://www.amazon.co.jp/review/R34JOKZG7R6TBY/ref=cm_cr_pr_cmt
207神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 16:59:47.28 ID:bEtRo3hI
スマ氏や山下氏が無学の位なら、既に僧侶のコスプレは不要であろう
有学の位(出家修行者)なのであれば、俗人と交わって屋根の下に暮らすのは破戒行為と言わざるを得ない
釈尊は法衣の為に法を説くな、食の為に説法はならぬと教えた筈
有学の修行者は世俗を離れて一般から見れば奇異な格好で色を好まず好悪も離れて
乞食の生活に明け暮れて悟りを目指す
その必要が無くなったものが無学なのであり、悟った事を語りたいなら
法衣を脱ぎ捨戒をし僧団を離れて世俗の中で普通人として説けばいい
釈尊は生涯を乞食の生活で全うしているし捨戒もしていない、だから生涯糞雑衣のまま法を説いたのである
スマ氏や山下氏はどうか、既に僧団を離れているし人里の中の屋根の下で大いに暮らしている
日本は法律に基づいて乞食行為を禁じている国である
ならば、出家修行者の行自体がこの国では成り立たない筈なのである
それなのに袈裟を着て坊主頭で偉そうに法を説き、浄財を煽り貪る

話は簡単である
僧の作法は守ったとしても、比丘の格好を止めれば良いだけなのである
いい歳したおっさんが裸紛いの比丘の学生服のまま御託を並べるのがおかしいのである
日本でそれは成り立たないのであるから
208神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 17:11:59.83 ID:bEtRo3hI
>>206
あえて書きます
>なぜ仏教がアップデートしないかは、需給だけが頼りの仏教だから、
>曲がった社会需要を満たす為の仏教しか流行らないのと、正統な仏教が、
>曲がった社会需要を満たす術を、ろくに持っていないからです。

仏教にとってアップデートが有るとするなら私は人の生活様式に昔と今との違いがあるだけで
仏教は道理を外れて法を説かない以上、人に即して説法する事がアップデートだと思います
しかし、仏教自体は、畢竟に於いてアップデートなどには無縁です
有る、事を仏教は目指さず、無い、事をも仏教は目指さない為
アップデートと言える様な有事がそもそも成り立たないのです

スマ氏や山下氏を「おかしい」と思う人は法に因っておかしいと直感しているのであり
単なる批判の為の批判では無いと思います
比丘の立場と格好は、道理に即して成り立っているのであり、さすれば成道無学位も道理なので
道を為したら権威を捨ててる筈なのです、スマ氏や山下氏は道を為したから説教しているのではないのでしょうか?
であれば、法衣の権威は最早不要の筈なのです
209神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 17:34:29.08 ID:bvztjggU
日本の伝統宗派は外道だらけなのに、小者の
山下やスマナサーラにばかり執着する

そんな己の偏向っぷりを自覚できないアホが
仏教語っちゃいかんよw
210神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 17:37:39.25 ID:bvztjggU
ストーカーは自分がストーカーだと自覚
できないからストーカーなんだよ
無明すなぁ
211神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 17:44:53.97 ID:danyOKsM
>>209
私は伝統仏教だろうが何だろうが、権威に縋って法を説くものは一様に批判しますよ
経典や理法を伝えた功績はそれでも見過ごせないので、教団を維持している少数は
訳経僧の如くだとも思っています、でもそれは所詮事務職と同じなのであり
経の解説は出来ても教導は出来ない立場な筈なのです
そんな事も分からない様じゃまだまだだと思いますよw

>>210
ストーカーは寧ろあなたなのでは?
私は別人ですよw 証明は出来ませんがそれは好悪両端に於いて同じことです
212神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 17:50:40.05 ID:bvztjggU
>>211
うんだからさ、こんな小者のスレに来ないで
伝統宗派のスレで思う存分批判してくれよ

あと、NGしやすいようにコテハン付けて
213神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 17:55:25.06 ID:g90tcoXF
都合が悪いことは書いてくれるな、と言う訳ですかw

乞われたから書いてるまでなのであり、どこで書こうが公序良俗に反しない範囲で自由な筈です
214神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 18:00:51.90 ID:bvztjggU
「僕ちゃんの考える仏教」はチラシの裏に
書いてろってこと
215神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 18:07:30.24 ID:bvztjggU
あと誰も乞うてないんだけどね
ちょっとお薬飲み忘れちゃったのかな?
216神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 18:10:02.74 ID:g90tcoXF
ID:bvztjggU

ここは自己紹介するスレじゃない筈ですよ?w
そして小物はお前の事だw
217神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 18:26:19.83 ID:bvztjggU
リアル糖質っぽいな
相手して損した
218神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 18:58:00.96 ID:g90tcoXF
>>217
ああお前統失だったのかw
大変だな

っつかね、ストーカーってメンヘラしかやらないと思うから分かってたよ
全然他人に対して「お前あそこの○○だろ」ってやたら特定したがるのも2chじゃ大抵メンヘラだし
大変だね、お前みたいな心の病持ちの人はw
219神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 19:00:56.34 ID:g90tcoXF
あああと、このスレ立てたおじゃるはマジで頭が壊れてる人だから今更キチガイも珍しくない筈
220神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 05:28:25.82 ID:gWBfWxzY
キャラ崩壊しててワロタw
221神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 05:38:13.30 ID:gWBfWxzY
山下やスマナサーラ叩いてるのはこういう
人格障害者ばっかだよな

彼らの瞑想会参加して救われなかったのは
彼らが悪いんだって私怨持ったタイプなん
だろうな

キチガイ相手の商売も大変だなぁ
222神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 05:52:38.06 ID:WHIy/y5J
キチガイ相手の商売と認めてるんだな

流石外道は一本芯が違うなw
223神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 08:16:02.26 ID:gWBfWxzY
おまえが不幸なのは山下やスマのせいじゃなく
おまえ自身が原因だよ
気づいて欲しいなぁ
224神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 08:21:08.10 ID:WHIy/y5J
不幸は不幸に非ず、それを不幸と名付ける
そんなもん妄想に過ぎんのに何ほざいてんのw
思いを離れたらどこに不幸などあろうかw

まだ分かんないのかねw
225神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 08:23:32.32 ID:gWBfWxzY
お薬切れちゃってますよ
ちゃんと飲みましょうね
226神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 08:25:09.27 ID:WHIy/y5J
お前がなw

衣の権威にころっと騙されてるアホが良く言うw
227神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 08:28:51.02 ID:gWBfWxzY
ほらほら顔真っ赤で手が震えてるじゃないの

青空の瞑想して心落ち着けましょーね
228神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 08:32:34.35 ID:WHIy/y5J
そこまでして庇う奴らなのかねw
俺には良さがちっとも分からん

って言うよりそこまで擁護してくるとアセンションとか何とか言ってつべとかで
動画垂れ流してるキモいインチキ連中と何ら変わらんと思うよw

鶴太郎の方が黙ってヨガってるだけまだマシだわw
229神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 08:39:36.54 ID:WHIy/y5J
ほらよ、スマナサーラさんすら認めてる釈尊の教えだ

カーラーマ経
あなたがたはある説かれたものを真理として受け取るときに
人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文じゅもん、神の啓示などに頼ってはいけない、
世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない、
古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない、
自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない、
経験によらず頭のなかの理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない、
理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない、
人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない、
自分の見方に(見けん)に合っているからというようなことだけで納得してはいけない、
説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない、
説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない、

疑いのあるところに惑いは起こるものである
230神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 10:12:07.68 ID:5TTKMcNn
なんか、三毒まみれな展開だな、specで、山下禅定を分析する方が有意義だと思うがな。
231神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 10:21:31.58 ID:qvCRlDvD
山下さんは悪くない。
山下さんを止められるような禅僧がいないことが悪い。
232神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 10:47:23.11 ID:5TTKMcNn
>山下さんは悪くない。


悪くないよ、ヨガ仏教でユニークだと思うな。

>山下さんを止められるような禅僧がいないことが悪い。

山下を正確に指導する禅僧が居なかった運の悪さの方が正解でしょうw
また、冴えた禅僧を道元禅師の様に、過去の禅者の様に優れた師匠を探し求める決定をしなかった山下氏の責任でしょう。
233神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 10:49:22.04 ID:5TTKMcNn
ま、冴えた禅僧に遭遇している立場からの意見だがな。
俺は、山下批判は一度もしていない。
変態specで山下禅定を分析させて楽しませていただいているだけだ。
スレタイを尊重する派である。
234神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 11:02:02.50 ID:qvCRlDvD
>>233
冴えた禅僧はどこの方ですか?
235神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 11:08:39.47 ID:5TTKMcNn
隠者だからなw、冴えた風を装わず苦しみ悩む者を救うのに大忙し、念に、1、2回ぐらいしか顔を拝めんなあw
禅語録にあるように、解る奴には解る、見出す者、見つけられ・・。
見出す能力の無いものは見出される事が無い・・・。
http://ameblo.jp/realroleplaying/entry-11615501896.html
『趙州従諗』
【第30則 《趙州大蘿蔔》】


チベット密教のニンマ派も本来隠者の傾向があったそうだ、
中国の悪支配のせいで、布教せねばならんようになり・・・。
236神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 11:14:19.16 ID:qvCRlDvD
>>235
あなたには徳があったんでしょう。
237神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 11:17:56.02 ID:5TTKMcNn
参考資料。間違った、語録忘れてた
こっちだな、
南泉の鎌、だ。
http://www4.plala.or.jp/mumonekai/Chapter/ka33.html
葛藤集第三十三則・南泉鎌子                               
238神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 11:18:52.61 ID:5TTKMcNn
三三   南泉とカマ

 ある僧が、南泉の名声をたよって、南泉の住む庵(いおり)を訪ねてきましたが、山の中なので迷ってしまいました。
すると丁度その時、南泉自身が鎌で草を刈っていましたが、僧は彼が南泉であることに気がつかず、彼に南泉の庵への路を聞きました。「南泉さんへの路はどっちに向かって行けばよいのでしょう」

 すると当の南泉が、鎌をひねるように持ち上げ、
「この私の鎌は、三十銭で買ったものです」と答えました。

 驚いた僧は「私は鎌のことを聞いているのではありません。南泉への路はどっちに向かって行けばよいか聞いているのです」と言いました。
 南泉が言うには「私が使って見て、随分使いやすくて気持ちよく切れますよ」
239神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 11:22:24.57 ID:5TTKMcNn
チベット密教風にいえば、生まれる母の腹を選び、冴えた禅僧の近所に運よく生まれて・・・・

化もな、前世ゆずりみたいな密教specが自分の志向と別におまけについているからなあ・・・。
オマケ能力故に、山下氏を批判せず、山下禅定を楽しめるという変態ブリがでるんでしょうなw
240神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 17:25:38.02 ID:WHIy/y5J
それは悟りと正反対の糞知識だな
所詮そんなもんだ
241神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 17:28:32.40 ID:WHIy/y5J
それと、SPECスペックってドラマにかぶれ過ぎだ
242神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 17:32:22.06 ID:gWBfWxzY
変態vs糖質は別スレでどうぞ
243神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 22:41:51.26 ID:vUjAASUk
エックハルトとか池田とか誰ぞ?
テーラワーダ系?
244神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 23:45:45.48 ID:qvCRlDvD
エックハルトは、「今ここ」の人。
245神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 02:32:56.34 ID:mZvkdzcB
エックハルトトールは良くそこまでたどり着けたと賛意を表す
相当な高みに於ける悟りだと思える
但し、仏教の悟りとしてエックハルトの説が最上位なのなら、エックハルトの言説は一段下となる
何故なら、涅槃に「今ここ」の思いすら無いからである
時間的立ち居地を教えているのだから、多分戯論を用いた方便なのだろう
涅槃には涅槃と言うものすら無いのだから、彼もそれは知ってるのだろう

仏教は仏教に非ず、それを仏教と名付ける
246神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 02:58:26.96 ID:mZvkdzcB
霊的な探求はもうやめましょう、とエックハルトトールは教える
同じ様な趣旨を釈尊も経典を通じて教えたいた
エックハルトの言説の殆どは中論に言う内容と同じである
誰しも悟って畢竟を論ずると同じ内容になると言う事実でもある
もし、三者の言説が全く次元の違う事だと思う人が居たなら
その人は増上慢によって眼が濁っている、と言わざるを得ないだろう
エックハルトは涅槃を説かないので、一見異質に感じるかもしれないが
キリスト教圏の人がこの域に、仏教を用いず至れる事は稀である
故に、キリスト教圏の聴衆に涅槃を説いても理解不能なので
或いは省いているのかもしれない

仏教を用いずに言う所の涅槃は何と言うのか聞いてみたいところ
247神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 06:05:45.54 ID:Ta2C3AEW
241 :神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 17:28:32.40 ID:WHIy/y5J
それと、SPECスペックってドラマにかぶれ過ぎだ


ま、軽くジョーク風な方がおもしれえだろw演出w
山下みたいにカッコつけすぎるのはキモいと思うタイプなものでw

別スレ誘導かまわんが、来ている奴は、エックハルトとか、異端キリスト教みたいなのがいいのかw?
248神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 07:36:45.69 ID:Ta2C3AEW
240 :神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 17:25:38.02 ID:WHIy/y5J
それは悟りと正反対の糞知識だな
所詮そんなもんだ




何に関して意見しているのかは不明だが・・・・。
ま、一応、俺のスタンスは悟りなんて、臭いものとは無縁と断言しておこうw
山下氏は悟りのゾーンで話になるでしょうな。ヨガ仏教だからな。
249神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 08:18:18.74 ID:isb8cC6k
>>248
悟りとは何か?
それを知らずに「悟りなんて」とほざく者は多い
山下氏がヨガだかどうかは別にして、釈迦の瞑想は紛れも無いヨガそのものからの転用である
座禅に呼吸法を合わせる瞑想はヨガの作法まんまである
その方法を以って釈迦は自身も無我である事実を知ったのである
さて改めて問い直そう
悟りとは何か?
何を以って悟ったとするのか?
250神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 08:56:29.76 ID:Ta2C3AEW
>悟りとは何か?
それを知らずに「悟りなんて」とほざく者は多い



ま、この件に関してオレが本気で会話するレベルの相手ででない事は解る。
不毛と言う事。ま、こういう見切りの才能が・・・・w。

山下禅定以外は会話しねえぞw
251神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:08:00.96 ID:HYBGid4c
>>250
逃げる訳か姑息だな
精神修養をしているなら自己欲求を満たすだけの論も不毛な筈だが
姑息な奴にはそれすら関係ないか
252神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:08:39.89 ID:Ta2C3AEW
>釈迦の瞑想は紛れも無いヨガそのものからの転用である
座禅に呼吸法を合わせる瞑想はヨガの作法まんまである
その方法を以って釈迦は自身も無我である事実を知ったのである



ちなみに、正確な知識としては、
釈迦はヨガの師匠に付き、マスターし無我を知ったが、それでも満たされなかった、
苦行等の修業して・・・・。

この程度の話の認識が無い次元では・・・・。議論しても・・・。
253神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:09:55.54 ID:csjbhRs0
おじゃるは直ぐ逃げる
自分の知りたい話しかしたがらない
254神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:12:49.61 ID:csjbhRs0
>>252
>マスターし無我を知ったが、それでも満たされなかった

それはおじゃるの知識で誤謬だな
さすが無我が分からないだけの事はあって未だに間違えてる
255神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:15:21.44 ID:Ta2C3AEW
知識の基礎のできていいない自己陶酔お山の大将相手に、
指摘してもなあ・・・。
結果は見えている。
議論できるレベルであるかを見極める才能というのも・・・。なんちゃらの働きの上ですな。
唯識だと、妙観察智と言うそうです。


おじゃるかwまあ、いいや。
256神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:31:31.53 ID:Ta2C3AEW
自己愛性人格障害クンかw
事実の捻じ曲げ専門の病んだ・・・・w
ま、自己陶酔のプライドが絶対で悟ったつもりクンのおめでたチャンねw
257神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:33:40.84 ID:csjbhRs0
議論?
最初から間違ってる奴に議論は出来ないだろ
ものには道理ってものがある
思考が破綻したお前に議論なんか望むほうが無駄だ
既に今だってちゃんと解答できてないw
258神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:34:26.89 ID:csjbhRs0
>>256
必死だなw
259神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:40:29.84 ID:Ta2C3AEW
257は自己愛性人格障害の典型だなw
山下は基本大乗仏教も取り入れているが、
こいつらのレベルでは大乗仏教の知識ゼロで、俺は悟って偉いんだと能書き垂れ流しているようだなw

中坊書き込みで『僕ちゃん偉いんだ」モード自己愛全開wで、僕ちゃん偉くなったつもりw可愛いなあw
ホント。カスだなw僕ちゃんw


で、強烈な自己愛丸出しが、自慢の無我で悟りらしいなw
僕ちゃん偉いねえwおお勉強になりましたw
260神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:44:53.36 ID:csjbhRs0
案の定始まったなw
妄想の修行を成道すると人身攻撃で煙に巻くインチキ野郎になるんだな
261神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:46:55.18 ID:Ta2C3AEW
悟り、無我とは自己愛全開であり、知ったかぶりであり、他者批判である・・と
260は申しておりますw
いや、じつに勉強になるなw
これが、自慢の悟り、無我らしいですなw
262神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:50:10.88 ID:csjbhRs0
先ず、真の仏法者なら大乗小乗の区別は今時付けない
そして無我は仏教の基本
更に、問いに答えず人身攻撃に終始するバカは仏法者には居ない
よって>>261は外道

そしておじゃるは一切の修行をしていない知ったかなのは有名
263神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 10:14:54.69 ID:Ta2C3AEW
262の自己愛で間違いを認めぬ病人臭さが解ったのさw
262の病的自己愛=無我、仏教の基本であると力説中ですなw
自己愛、自我が肥大化した奴が説く無我、不思議だなwどういう修業したら、こんなになれるんだw?
いや、勉強になるわw
無我になる為にはまず、一切の修業をし262の様な病的自己愛に目覚めるべしと述べております・・。
合掌・・・・・ちーーん。
264神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 11:28:36.73 ID:Ta2C3AEW
262の自己愛で間違いを認めぬ病人臭さ
254 :神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 09:12:49.61 ID:csjbhRs0
>>252
>マスターし無我を知ったが、それでも満たされなかった

それはおじゃるの知識で誤謬だな
さすが無我が分からないだけの事はあって未だに間違えてる





http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
、29歳の時、12月8日夜半に王宮を抜け出て、かねてよりの念願の出家を果たした。出家してまずバッカバ仙人を訪れ、その苦行を観察するも、
その結果、死後に天上に生まれ変わることを最終的な目標としていたので、天上界の幸いも尽きればまた六道に輪廻すると悟った。
次にアーラーラ・カーラーマを訪れ、彼が空無辺処(あるいは無所有処)が最高の悟りだと思い込んでいるが、それでは人の煩悩を救う事は出来ないことを悟った。
次にウッダカラーマ・プッタを訪れたが、それも非想非非想処を得るだけで、真の悟りを得る道ではないことを覚った。
この三人の師は、釈迦が優れたる資質であることを知り後継者としたいと願うも、釈迦自身はすべて悟りを得る道ではないとして辞した。


http://www.geocities.jp/avarokitei/go-tamaryakuden/go-tama-shugyo.htm
265神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 18:25:57.89 ID:+GN6txDr
>>264

空無辺処は所謂仏教で言う無我の事ではない
そして非想非非想処も所謂仏教で言う無我の事ではない
無我が分からないおじゃるはそれを仏教の言う無我の事だと間違えて覚えている
その間違いも一向に改めず、行もせず、知識の上だけで知った気になり
2ch上でその生半可な知識をひけらかして知った風な事を言い悦に入る
お前はそんなんだからいつまでもいつまでもダメなんだよ
266神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 18:31:38.25 ID:+GN6txDr
因みに、Wikipediaの仏教カテの執筆陣はどう言う人達なのかも良く考えた方が良い
267神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 05:49:46.09 ID:5QHUcqB+
namo tassa bhagavado arahato samma sambuddhassa
268神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 06:11:18.07 ID:wLMPoLou
265、お前もな、自我肥大化で無我より遠いぞw
269神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 07:35:18.57 ID:OOSvUvJb
と、自意識過剰が申しております
270神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 07:54:06.27 ID:wLMPoLou
と、自我肥大化クンは偉いぞ虚勢=(269の自称無我)をはっております。
271神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 08:01:30.08 ID:wLMPoLou
自我肥大化による虚勢と詭弁の反応しかねえ分際の奴が妙に張り切るなあw
272神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 09:12:44.45 ID:B3yDv4Et
増上慢は無知より悪い。
先を行くものは、後進を蹴落としてはならない。
助け励ましてあげなくてはならぬ。
かように賢者は語った。
273神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 09:16:14.16 ID:wLMPoLou
そのとおり、増上慢は、柔和さ、感化する能力が無い。
自我肥大化によるオナニー勝利宣言の永久輪廻の繰り返し。
274神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 12:26:43.71 ID:4lwOrSD/
自我肥大化以外に言うこと尽きたのかw
275神も仏も名無しさん:2014/07/13(日) 18:00:42.93 ID:cVzNxXgS
namo tassa bhagavado arahato samma sambuddhassa
276神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 00:02:48.50 ID:e/1CbP5N
坐禅は捨てた
277おじゃる:2014/07/14(月) 00:18:59.89 ID:MQgkruzI
 
 ↓ ネガティブシンキング(Negative Thinking)を堆肥(たいひ)にする為には

http://www.onedhamma.com/?p=4868
山下良道(スダンマチャーラ比丘)podcast 法話
14/07/12 自分のなかの「生ゴミ」が一瞬で「堆肥」に変容する

周りの環境から → (自分の)色 → 受 → 想 → 行 → 識へと
(自分以外の)他の所が原因で『(自分の)ネガティブシンキングが現れる』と言う想いが現れる

 - これを対処する為に -
他の所からの批判・非難とかに影響されることのない『あおぞら、がある』と知覚して住むことである

この他の所からの批判・非難とかに影響されることのない『あおぞら』から客観的に
『(仮設として仮に現れ滅して変化している)雲を観察している』と言うような感覚で

五蘊の仮和合の仮に現れている状態だからこそ
他の所からの批判・非難も

そして(自分の)色受想行識も
自分ではない・自分のものではない、と知覚して住むことである
278おじゃる:2014/07/14(月) 00:58:18.37 ID:MQgkruzI
 
>>202 > おじゃる、お前の手かざしには関係ない話だろ

手かざし真光(まひかり)は、前世は一在家さんです
私(おじゃる)は、どこの宗教団体にも所属していません

>>253 > おじゃるは直ぐ逃げる、自分の知りたい話しかしたがらない

落武者の霊を見たことが切っ掛けで密教とかにも興味を持つようになったので
これからも、とりあえず興味のあるものを、教学として勉強させて頂きたいと思います

>>254
>> マスターし無我を知ったが、それでも満たされなかった
> それはおじゃるの知識で誤謬だな

 ↑ 私(おじゃる)の発言ではないと思われる
279おじゃる:2014/07/14(月) 01:06:23.62 ID:MQgkruzI
 
>>255 > 唯識だと、妙観察智と言うそうです

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
第六識は妙観察智(みょうかんざつち)に
末那識は平等性智(びょうどうしょうち)に
阿頼耶識は大円鏡智(だいえんきょうち)に転ずるとされている

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)と現代
ゲシェ・チェカワ 『 心の訓練法 』
2
諸法は夢の如しと訓練しなさい
道の本体は阿頼耶の自性に置くことです
坐(瞑想のセッション)の間は, 幻術師としてありなさい
3
(作り出されたものは空性によって消滅する、それ故に
  「縁起・空・五蘊の仮和合の観察など」は
  世俗を掴み捉えようとしている「想い」を滅させて
  世俗から解脱する為に)
空性は防御の最上のもの

http://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html
チベット・ニンマ派
3)仏法の本質
煩悩障と所知障を取り除くための方便を示すのが、仏法です
(作り出されたものは空性によって消滅する、それ故に)
戒律・禅定・智慧の三学を修して、様々な障害を浄化したところで
(苦集滅道の)滅諦へと到るのです
280おじゃる:2014/07/14(月) 01:56:20.13 ID:MQgkruzI
 
http://d.hatena.ne.jp/hotokenomichi2008/20091011/1255250353
有相唯識派は
阿頼耶識は実有なるものとする派です

無相唯識派は
阿頼耶識も縁起なるものとして空とし、その実体・自性を否定する派です

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
末那識(まなしき)は
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心(末那識・我愛)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
世親の「唯識二十論」では「世界は個人の表象、認識にすぎない」と強く主張する一方
言い表すことのできない実体があるとした

(だけど最終的には、阿頼耶識も縁起なるものとして空とし、その実体・自性を否定して)
煩悩障(自己に対する執着)・所知障(外界のものに対する執着)の二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
281おじゃる:2014/07/14(月) 02:49:08.38 ID:MQgkruzI
 
>>202 > おじゃる、お前の手かざしには関係ない話だろ

 ↓ この人が『手かざし真光(まひかり)』の人だと思われる

仏教議論スレ 107
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1404752518/479
479 名前:前世は一在家[] 投稿日:2014/07/13(日) 00:05:20.55 ID:w+cz4nOM
  _  _  _

>>262
> おじゃるは一切の修行をしていない知ったかなのは有名

これから実践するか? どうか? 自分でも決めてないけど

例えば、教学の一環として
『縁起・空・五蘊の仮和合だからこそ…、と知覚して住むこと』などについて

ID:csjbhRs0 さんと議論できる位には勉強させて頂きたいと思います
282神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 10:02:12.24 ID:3kXYvUOs
自己肥大化クン以外の有意義なレスを期待したい。
283おじゃる:2014/07/14(月) 11:16:58.32 ID:MQgkruzI
 
>>282 ID:3kXYvUOs さんへ
> 自己肥大化クン以外の有意義なレスを期待したい

仏教議論スレッド106
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1404308683/195
195 名前:晃[] 投稿日:2014/07/04(金) 10:46:04.23 ID:0mNYBmJ7
釈迦如来は寿量品で 『 自我を説くよ 無我は方便 』

例えば ↑ この人の場合は

『自我がある』とか
(この現世においての)過去からの『心の流れ(心相続)がある』などと
掴み捉えようとしている『想い』が現れ(滅し)ている

このように
『縁起・空・五蘊の仮和合だからこそ
  (自分以外の)他の所からの批判・非難も
  自分ではない・自分のものではない、と知覚して住むこと

  縁起・空・五蘊の仮和合だからこそ
  (自分の)色受想行識も
  自分ではない・自分のものではない、と知覚して住むこと』などについて

教学として勉強したことがない人が
(意味を理解できずに)実践すると
よけいに自我を増大させる場合もある

それ故に、教学として
(『縁起・空・五蘊の仮和合だからこそ…』と)勉強してから
その次の段階として実践に進んで行く方が良いと思われる
284神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 14:11:02.82 ID:CUPSRAL8
69 :神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 08:41:39.32 ID:QIh5P2++
李氏朝鮮王朝は土地を国有化し、住む土地が簡単には与えられなかったため、
国民は路上や空き地を不法占拠して粗末な掘立小屋を建てて住んだが、
糞便を処理せず、不潔を極めた。
彼らは悪臭を気にせず、糞尿まみれの生活を当たり前と考え、見てくれに良いと信じて、
「小便」で顔を洗い、「人糞」を結核の特効薬として食べた。

李氏王朝の役人(両班)など有力者は、自分の労働を嫌い、国民を奴隷として酷使した。
国民は結婚したくても、毎年多くの若い女性が中国へ献上されるために取り上げられたので、
適齢の女性が不足し、その性的欲求解決のため、密かに「試し腹」の風習ができ、
李氏王朝が崩壊するまで継続して、親族間の近親相姦に明け暮れた。

英国人が、何故人糞まみれになって汚い暮らしをしているのかと聞くと
「清に責められたとき身を守るためわざと汚くしている」だと言った。
 
 
【東亜日報】調査結果に愕然、韓国人の71.2%が人格障害
20歳男性の45%が対人関係障害の可能性
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2003021117138
285おじゃる:2014/07/15(火) 01:40:54.42 ID:UMzhMiKu
 
仏教議論スレッド104
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1402587209/685-

685 :神も仏も名無しさん:2014/06/23(月) 01:04:33.07 ID:KnZcQnmz
「法」には様々の意味があるが
「釈迦の教え」などと解釈したら
自灯明・法灯明が
「自分の頭で考えよ、しかし俺の言うことには従え」という滑稽な意味になり
この句の 持つ優れた意味が台無しになってしまう
「釈迦の教え」などと卑小化せずに
「大自然 の摂理」「真如としての衆生心」とでも解釈すべき

688 :神も仏も名無しさん:2014/06/23(月) 01:18:51.58 ID:djG+jor0
四念住(四念処)
四正断(四正勤)
四神足(四如意足)
五根
五力
七覚支
八正道

689 :神も仏も名無しさん:2014/06/23(月) 01:28:37.02 ID:KnZcQnmz
そんな意味は岩波仏教辞典には無いよ
286おじゃる:2014/07/15(火) 01:59:05.07 ID:UMzhMiKu
 
http://kotobank.jp/word/%E6%9C%89%E7%82%BA%E6%B3%95
有為法(ういほう)
因と縁の縁起の働きに依存して
形作られたもの。また、その在り方
生滅する現象世界の一切の事物をいう

http://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E7%82%BA%E6%B3%95
無為法(むいほう)
(色受想行識の)受と想の働きを滅させて
縁起したものを離れ
生滅変化を離れた常住・絶対の存在
因縁の支配を受けない解脱の境地などにいう
287おじゃる:2014/07/15(火) 02:02:53.56 ID:UMzhMiKu
 
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
四禅を超えて想受滅
原始仏教では「四禅三明」の教説、あるいは、単に「四禅」の教説が広く説かれている
「四禅」の後に、さらに、無色界の四処定(空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処)を説明することが多い
想受滅は、それをも超えた位置に置かれていて、この想受滅の直後に「解脱」するとされる

(D)四禅にもとどまらず、四処にもとどまらず、非想非非想処を超えて、想受滅を成就する

(C)は、想受滅においては
諸根(眼耳など)の働きはあるが、心作用のうち受、想、行が滅している

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
無明滅 → 行滅 → 識滅させて

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
迷妄を性質として壊滅するもの
その〔ようなもの〕を離れることは
思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり

最終的には
縁起したものを離れ

ブッダは
〔そこに〕来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない
それこそが苦しみの終わりである
288おじゃる:2014/07/15(火) 02:51:43.99 ID:UMzhMiKu
 
『自我が実在する』とか
『自分の周囲・環境が実在する』とか
(この現世においての)過去からの『心の流れ(心相続)が実在する』などと
掴み捉えようとしている『想い』が現れ(滅し)て、そして

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron00.htm
諸の因縁を、受けるが故に、生死の中を輪転する
如実に、顛倒を知らないが故に、五受陰に因って、生死を往来する[中論觀涅槃品第二十五]

 - これを対処する為に -

八聖道分を修習して、我・我所を滅する因縁の故に、無我・無我所を得て、智慧を決定する
(色受想行識の)受と想の働きを滅させる為の、滅尽定を以って、第一と為し、終に、無余涅槃に帰する[中論觀法品第十八]

諸の因縁を、受けなければ、是を、涅槃と名づける
如実に、顛倒を知るが故に、則ち、復た、五受陰に因っては、生死を往来しない
無性の、五陰は、復た、相続しないが故に、説いて、涅槃と名づける[中論觀涅槃品第二十五]
289おじゃる:2014/07/15(火) 03:14:55.73 ID:UMzhMiKu
 
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron00.htm
衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ!と説いた
何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる
(因と縁の縁起の働きに依存して現れ滅している)

是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である、但だ

衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた[中論觀四諦品第二十四]

 ↓ 仮名の空を『実在である』という『想いの働き』に依存して現れている

http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
スッタニパータ 872

名称と形態とに依って感官による接触が起る
諸々の所有欲は欲求を縁として起る

 - これを対処する為に -

(色受想行識の、受と想の働きを滅させて)

(欲求が「ある・ない・肯定・否定」と掴み捉えようとしている「想い」を滅させて)
欲求がないときには、<わがもの>という我執も存在しない

(形態が「ある・ない・肯定・否定」と掴み捉えようとしている「想い」を滅させて)
形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない
290神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 04:25:24.46 ID:hp9XdbFn
>>283
>教学として勉強したことがない人が(意味を理解できずに)実践すると
>よけいに自我を増大させる場合もある

釈迦は教学として仏教を学んでから成道した訳ではない
教学から成道へ到る道もない
説明書をいくら読んで深く理解した所で、実践行動以外に勝るものは無い
この世界の言語を駆使する知的生物以外に、説明書や解説など存在しない
ただ、実践行動があるのみ

釈迦の成道の極みは、畢竟に於いて「座ったまま何もしてない」事によって成し遂げられた事を
お前は見逃している、だからダメなんだよ
お前は無とか虚無とかを先入観から無価値と看做し見逃している
だから智慧の正体も結局判らず、行動・実践の本意・真意も分からない
だからダメなんだよ
仏は衆生を引導するが故に、戯論を用いて仮設の空を説いた
仮設故にそれは実在しない、何れにあっても有無を概念出来ねば実在の意味も不要
どこに学びなどあろうか
291神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 04:34:00.68 ID:hp9XdbFn
価値とは思いによって作られ認識される
思いが無ければどこに価値など有ろうか
無と言う事実はそう言う意味に於いて絶大な価値を有している
凡愚にはこれが無価値に観える
292神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 05:47:17.28 ID:MDPPwQJP
290は自己陶酔だな、山下禅定の勝利、山下未満だな。
293神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 06:15:24.80 ID:3wxvCBAu
勝負は分別
まだまだだなお前
294神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 06:30:32.73 ID:MDPPwQJP
ヒンズー無分別でお山の大将気分てかw
山下禅定の方がはるかにマシw
295神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 06:38:29.77 ID:3wxvCBAu
ヒンズーに無分別なんか有るのか?
神を概念するのは思いであり、それこそ分別だろ
仏教は神を概念しない
296おじゃる:2014/07/15(火) 06:39:33.63 ID:UMzhMiKu
 
> 釈迦の成道の極みは、畢竟に於いて「座ったまま何もしてない」事によって成し遂げられた

> 無とか虚無とかを先入観から無価値と看做し見逃している

例えば↓この場合は『虚無ではない』

Machine Doll Special 4
https://www.youtube.com/watch?v=5o2JVtUVzxs

地水火風 = 空

色受想行識 = 縁起・空・仮設として現れて滅しているもの

前世からの『異蘊相続が実在する』とか
(この現世においての)過去からの『心の流れ(心相続)が実在する』などと
掴み捉えようとしている『想い』が現れ(滅し)ている

この渇愛の働きに依存して、中有身が現れる
この中有身は次に生まれる処を求めて母胎に入り、この世の生に戻り来る

空 = 又、次の、この世の生に『色受想行識の、動き・働き』が戻り来る

空 = 又、次の、この世の生に『地水火風の、動き・働き』が戻り来る

因と縁の縁起の働きに依存して『(何かの)動き・働き』が現れ滅している
297神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 06:40:49.87 ID:MDPPwQJP
>ヒンズーに無分別なんか有るのか?


んな事知らないのか?
神は案外君だったりして。
298神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 06:45:01.14 ID:3wxvCBAu
>>296
>空 = 又、次の、この世の生に『色受想行識の、動き・働き』が戻り来る

戻らないし来ない

>空 = 又、次の、この世の生に『地水火風の、動き・働き』が戻り来る

来ないし戻らない

そもそもどこにも行ってなど居ないし去ってなど居ない

>因と縁の縁起の働きに依存して『(何かの)動き・働き』が現れ滅している

不生不滅不常不断不一不異不去不来、故に一度だって滅していない
浅いなお前
299神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 06:47:24.60 ID:3wxvCBAu
>>296
おじゃる、お前は自分で調べてきて自分で矛盾を垂れてるんだよ

仮和合は滅する事が無い
300おじゃる:2014/07/15(火) 07:39:59.37 ID:UMzhMiKu
 
(色受想行識の)受と想の、動き・働きを滅させて
最終的に、縁起したものを離れて
不滅・不生・不断・不常・不一・不異・不来・不去

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)と現代 80〜85ページ参照

ゲシェ・チェカワ 『七事の心の訓練法』
2
諸法は夢の如しと訓練しなさい
道の本体は阿頼耶の自性に置くことです。
坐(瞑想のセッション) の間は, 幻術師としてありなさい
3
(世俗から解脱する為の「我所ではない・我でもない、と知覚して住む」と観察する)
空性は防御の最上のもの

(そして最終的には、縁起したものを離れて)
『中論』冒頭の帰敬偈において
不滅・不生・不断・不常・不一・不異・不来・不去という八不によって仏陀が形容されている

〔何ものも〕滅することなく (不滅)
〔何ものも〕生ずることなく (不生)
〔何ものも〕断滅ではなく (不断)
〔何ものも〕常住ではなく(不常)
〔何ものも〕同一であることなく (不一義)
〔何ものも〕異なっていることなく (不異義)
〔何ものも〕来ることなく (不来)
〔何ものも〕去ることのない (不去)〔ような〕
〔また〕戯論 (想定された論議) が寂滅しており …
301神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 07:44:25.54 ID:qlgu2zbY
経典類はあまり、分析しないで
詩を味わうように読んだ方がいいかもしれない。
仏陀が詠まれた美しい詩。
302神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 08:07:12.00 ID:MDPPwQJP
無に理屈で執着すよりも良いかもね。
303神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 08:16:10.31 ID:3wxvCBAu
>>300
まだ解らんのか
仏は衆生を引導する為を以って、戯論を用いて仮設の空を説いたんだろ
空も仮設なれば実体無く、全ての事物事象は空を免れないのだから
五蘊も是複空に異ならず、五蘊空故に縁起して現象する
故に五蘊は五蘊に非ずして、これを五蘊と名付、而して空なり
なんだろ
散々お前が引っ張ってきた事だろこれは
五蘊は仮和合なんだろ、仮和合は最初から生じて居ない
生じて居ないから滅しない、これが道理だろ
調べたお前が一番理解出来てないってどう言うことなんだ?w
304おじゃる:2014/07/15(火) 08:17:36.94 ID:UMzhMiKu
 
> 仮和合は滅する事が無い

大念住経(大念処経)
http://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757

因と縁の縁起の、動き・働きに依存して
五蘊の仮和合が、仮設として、仮に現れて滅して変化しているものだからこそ

(この現世においての)過去からの『心の流れ(心相続)』は
自分のものではない
自分ではない
と知覚して住むことである

今、現在の一刹那も
自分のものではない
自分ではない
と知覚して住むことである

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6299/repo1.htm
上座部も
大衆部も
実体我の存在は否定する
(「我・我所は実有である」とするなら世俗から解脱することは出来ない)
(「仮設としての、我・我所の、動き・働きは実有ではない」だからこそ世俗から解脱することが出来る)
305神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 08:25:25.96 ID:3wxvCBAu
>>304
>五蘊の仮和合が、仮設として、仮に現れて滅して変化しているものだからこそ
>五蘊の仮和合が、仮設として、仮に現れて滅して変化しているものだからこそ
>五蘊の仮和合が、仮設として、仮に現れて滅して変化しているものだからこそ
>五蘊の仮和合が、仮設として、仮に現れて滅して変化しているものだからこそ
>五蘊の仮和合が、仮設として、仮に現れて滅して変化しているものだからこそ

衆生を引導する故を以って、戯論を用いて仮設の、仮設の、仮設の空を説いた

仏に限らず、言葉は全て戯論、而してそれは全て仮設と化す
出世間無分別の境には言語や想念の類は通用しない
お前が道端の石ころと意思疎通出来たなら俺の指摘は全て間違いと化し
お前の引用資料も全て誤用となる
306おじゃる:2014/07/15(火) 08:41:49.19 ID:UMzhMiKu
 
> 五蘊は仮和合なんだろ、仮和合は最初から生じて居ない

それ自体の自性で成立しているのではなくて
因と縁の縁起の動き働きに依存して
五蘊の仮和合が、仮設として、仮に現れて滅して変化しているものだからこそ

渇愛の動き働きを滅させていない人の場合は
過去からの『心の流れ(心相続)は実在する』という『想いの動き働き』に依存して

その人が死ぬときには
我愛と、戯論(けろん)と、善悪業に依存して

中有身が形成される
この中有身は、次に生まれる処を求めて母胎に入り、この世の生に戻り来る

http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
307神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 08:50:41.35 ID:3wxvCBAu
>>304
>(「我・我所は実有である」とするなら世俗から解脱することは出来ない)
>(「仮設としての、我・我所の、動き・働きは実有ではない」だからこそ世俗から解脱することが出来る)

世俗は世俗ではない、それを世俗と名付けて呼んでいるに過ぎない
ならば当然「我」も「我所」も我・我所ではない、それらをそう呼んでるに過ぎない
世俗と言う実なるものが無い以上、当然解脱と言う実なるものも無い
実なるものなど初めから無いのに「有る」と思いたがるのが世俗と呼んでいる世界に住する
無明に無知なる人々だ

>>306
>渇愛の動き働きを滅させていない人の場合

渇愛は思いに起こる、思いは思いに非ず、それを思いと呼んでいる
ならば渇愛などどこにあろう

>我愛と、戯論(けろん)と、善悪業に依存して

何が依存すると言うのか

>中有身が形成される

戯論で作った中有なるものも実有に非ず戯論に過ぎない
仏教は中有を認めない、一切が空故に中なる有など有り得ない
何故なら中有は中道に反する邪義でありバラモン由来の邪説に過ぎないからだ
308神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 09:02:39.35 ID:3wxvCBAu
オカルトな連中の心霊探求は心と呼ぶ思いによって為されている
思いは思いに非ず、それを敢えて思いと呼んでいるに過ぎない
もともと思いと呼ぶそれも何ものでもない唯の現象である
現象が考え、想起し、煩く喋る故に実有とか中有とかの妄想を抱く
無明に無知なるものどもはこれが分からない

この世界の実なる姿は暗闇である
そもそもこの世界そのものが無明なのである
人故に光を好み色を求む、無明なれば暗いと不平も垂れる
明かりを工面するに必死になれても、暗闇無明が何故有る何故起こるかを考えない
故に無明なのであり無知の人なのである
309おじゃる:2014/07/15(火) 09:21:19.85 ID:UMzhMiKu
 
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察

無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為・言葉による行為・心による行為を行う(カルマを積む)

渇愛の動き働きに依存して
何かに対して『ある・ない・肯定・否定』と
掴み捉えようとして離すことが難しい固執が現れ(滅し)ている

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心(末那識・我愛)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落とさせるものである
1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り越えることができるであろう
このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない
310神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 09:25:51.24 ID:3wxvCBAu
如何に中有なるものが邪義でオカルトか

>この中有身は、次に生まれる処を求めて母胎に入り、この世の生に戻り来る

おじゃるの切望としては「死んで」のち中有なのだとされる
中有なる身が起こって「生まれる処を求めて」、つまり探したり選んだり思考するのである
仏教は畢竟に於いて涅槃を説き、それは無分別であり出世間なのである
無分別にして出世間なる涅槃は、一切の妄想・思い・戯論が悉く滅している目出度き境地なのである
どこに思考や選択や探索などあろうか
世俗と呼ぶ世間の人々すら、財産一切を墓へは持って行けないと悟っている
その足元にすら及んで居ないのが中有説なのである
311神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 09:27:08.99 ID:/2NXG8mN
執着を絶てと言いながら、仏教自体が
大いなる執着であるというアイロニカルな
構造に、いつも仏教徒は嵌まり込むよな
312神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 09:31:04.76 ID:3wxvCBAu
>>309
>頭を裂け落とさせるものである

仮に、実際頭を裂け落とされたらどうか?思考出来るか?
普通に考えれば頭を裂き落とされたなら機能しない筈であろう?
解らんか?頭を裂け落としたかの様に思いを捨てろと大徳は教えてるんだよ
313神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 09:32:20.54 ID:MDPPwQJP
311の意見に陥るのは、この流れだと当然だワナw
314神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 09:34:31.15 ID:3wxvCBAu
daio-はおじゃるのオカルトを擁護するんだな
破仏法だぞそれ
315神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 09:37:17.24 ID:MDPPwQJP
311の味方よんw
316おじゃる:2014/07/15(火) 09:44:41.34 ID:UMzhMiKu
 
>>311 さんへ
> 執着を絶てと言いながら、仏教自体が大いなる執着である …

例えば
私(おじゃる)の場合は
煩悩に依存しているので

『 可愛い女性とデートしたい 』 とか
『 焼肉、カルビ、キムチとか食べたい 』 などと

掴み捉えようとして離すことが難しい
渇愛の動き働きが現れ(滅し)ているけど

ID:hp9XdbFn さんの場合は 『 虚無 』 であるらしい

>>290
> (おじゃるの場合は)無とか虚無とかを先入観から無価値と看做し見逃している
317おじゃる:2014/07/15(火) 10:37:54.82 ID:UMzhMiKu
 
>>309
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落とさせる
の続き

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%BC
ヨーガの実践や宗教の各種修行によって穏やかに活性化し始めると
生涯をかけ各チャクラが徐々に開発されていくこととなる
クンダリニー・ヨーガあるいは瞑想などによりクンダリニーが上昇し
それによりサハスラーラが押し開けられればクンダリニー覚醒となる

http://www.7chakra.net/modules/contents/index.php?content_id=10
第6チャクラ
霊性の目覚め

http://www.feelbliss.co.jp/oil6.html
第7チャクラ
頭頂に位置し、霊性の領域、神との接点
肉体、感情、知性、霊性の全てが統合される場所
無の境地、悟りと関係がある

第6チャクラ
眉間に位置し、霊的な意味での明瞭な視覚が位置するところ
318神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 10:53:56.54 ID:r9BAn53E
哲学しても仏教はわからんよ。
瞑想しないと。
319神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 11:26:27.35 ID:MDPPwQJP
んだ。
320神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 18:15:38.38 ID:4kcJdiSx
同意
321神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:05:57.47 ID:qlgu2zbY
教学するのはいいことです。
いい経典は読んでるうちに瞑想状態になります。
322神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:16:28.97 ID:mgq4PA4L
そんなの自己満足に過ぎんな
何を以って経典の良し悪しを判別するのかも主観だろうし
そんなんじゃ真実は観えない
323神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:18:35.11 ID:mgq4PA4L
読んでればご利益あるって考えがそもそも甘い
書や経に拘ったら誤謬にも気付けん
そもそもスコトーマが外れない
324神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:27:37.32 ID:qlgu2zbY
こだわることなく読んでいると、だいたいいい経典かどうかわかりますよ。
余計な分析を挟まずに。
教学によりスコトーマが外れ、理解が得られます。
325神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:28:51.30 ID:G1ENS0Pm
仏教は得るものではないし、得られるものが無い
外れてないだろスコトーマw
326神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:32:02.00 ID:qlgu2zbY
瞑想してから、教学したほうが、深い理解が得られやすいのはありますね。
運動してから教学するのも個人的には気にいっている。
327神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:37:38.08 ID:G1ENS0Pm
釈尊は教学研鑽などしていない
それなのに成し遂げている
何かを読まなきゃ為せない訳ではない
読書は書に依って成り立つ、書が無ければ読書は成り立たない
仏教は有無の範囲に収まらない事を旨とするので書に依らない
自分の見識に合っているからと言っても重用しない
そもそも瞑想は何かを得られないし得るものも無い
326はスコトーマが外れてないとこれすら解らんと言う手本だなw
328神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:40:00.49 ID:7QKQfj+q
正法眼蔵随聞記はどの版がおすすめでしょう?
山下さんは岩波新書をすすめてましたが
amazonだと筑摩のほうが人気あるようです。
329神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:47:38.22 ID:G1ENS0Pm
仏教は瞑想が全て、と言っても過言ではないのだが
ひょっとしておじゃるなんかの類は瞑想を美容体操の類と看做して
先ず学で知って行はオマケとでも思ってるのだろうか
学は行を説明している訳だが、行が無ければ学も無かったのであり
その行も何ら難しい事など一つも無い、にも関わらず難癖を付けたがる愚者の為に
教学は成立していったのである

釈尊は教学など学ばずに事を為している
これは釈尊が特殊なのではなく、万民に向いている一般作法である
書を重用したがる者は多分龍樹でも気取りたいのであろう
あれこそ特殊で、読みに読み漁って一つの誤謬も起こさなかったと言われる
おじゃるなどは読むだけ読んでも尚オカルトに走り未練たらたらで未だオカルトのまま
龍樹の方法は万民に向かず、龍樹本人も釈尊をちゃんと稽首して立てている
330神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 20:58:43.97 ID:/2NXG8mN
スコトーマとか苫米地信者かよ
仏教スレに来ないでコーチングオナニー
しててくれよ
331神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 01:18:14.20 ID:OKhwge6t
苫米地は間違っている
それに気付かない信者も哀れだが
アンチも哀れ
332神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 06:52:07.74 ID:HsFjbLK8
自己陶酔お山の大将が相変わらず跋扈しているなw
333おじゃる:2014/07/16(水) 08:30:55.84 ID:KamI90VN
 
> 釈尊は教学など学ばずに事を為している

釈迦は三学の実践などを説いた

『なぜ戒律の実践をしなければならないのか?』などを勉強して
教学として理解してから
その次の段階で
実践として
身口意(しんくい)の三悪(さんまく)を止め善を修すること。律蔵に相当

『なぜ禅定の実践をしなければならないのか?』などを勉強して
教学として理解してから
その次の段階で
実践として
禅定を修めることで、心の散乱を防ぎ安静にするための方法を修すること。経蔵に相当

『なぜ智慧の実践をしなければならないのか?』などを勉強して
教学として理解してから
その次の段階で
実践として
智慧を修めることで、煩悩の惑を破って、すべての事柄の真実の姿を見極めること。論蔵に相当

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AD%A6
334神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 09:05:23.20 ID:p2r1fLGr
>>333
戒律を定めたのは釈尊ではない
提案はしただろうが決めたのは僧伽である
そして、釈尊が成道した時は、それ以前に学んだであろう
各種の教学的要素は一旦全て苦行その他と一緒に捨棄されている
先入観は捨てたほうが良い
335神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 09:15:17.03 ID:p2r1fLGr
>>333
>智慧を修めることで

智慧とは具体的に何の事か
これが解らんと修め様もない
言葉だけで言うなら至極簡単で、智慧とは悟りそのものの事だ
それは何か? 
阿耨多羅三藐三菩提とか無上正等覚とか色々言われてるが
それは何のことか?

解らんと修め様もないだろ
鎌倉一法庵の主人もこれ答えられなかったよ
だからダメな訳だが
336おじゃる:2014/07/16(水) 09:38:56.25 ID:KamI90VN
 
> 各種の教学的要素は一旦全て苦行その他と一緒に捨棄されている
> 先入観は捨てたほうが良い

例えば仮に
教学として勉強しないで実践すると

私(おじゃる)の場合は
『「我は実在である」
  「我所も実在である」
  前世からの「異蘊相続も実在である」
  (この現世においての)過去からの「心の流れ(心相続)も実在である」
  と知覚して住むことである』
と実践することになります

 - これを対処する為には、やはり -

五蘊の仮和合が、仮設として、仮に現れ滅して変化しているので
変化しないものではない - 自性ではない
自分ではない - 我ではない
自分の周囲・環境ではない - 我所ではない

と教学として勉強してから
次の段階として、実践する方が良いと思われる

http://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757
大念住経(大念処経)
337神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 09:44:10.52 ID:p2r1fLGr
>>336
道元師は解りやすくちゃんと教えてる
「修証一如」

修とは仏道を修める行為の事、証とは証果でつまり悟りの事だ
道元師はこれらは別々ではないと言っている
どこにも学など無いし、只管打坐は難しい事を言わないで今座れって事
釈尊も同じで、苦行とかで右往左往したが結局只座ったんだよ
338神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 09:46:37.45 ID:p2r1fLGr
>>336
>と教学として勉強してから
>次の段階として、実践する方が良いと思われる

カーラーマ経
自分の見方にに合っているからというようなことだけで納得してはいけない
339神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 09:49:14.55 ID:p2r1fLGr
>>336
勿論カーラーマ経にはこうもある
自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない
理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない
説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない

鵜呑みに出来ないのは言うまでも無く、思考にも依らず知識にも依らない
さあ、智慧とは何かね?
340神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 09:53:10.67 ID:HsFjbLK8
>言葉だけで言うなら至極簡単で、智慧とは悟りそのものの事だ


やはり、山下禅定以下だな。
341おじゃる:2014/07/16(水) 09:55:23.65 ID:KamI90VN
 
> 鎌倉一法庵の主人は
> 智慧とは具体的に何の事か
> これ答えられなかった
> だからダメな訳だ

とりあえず仮に

『「あおぞらのところから客観的に
  (仮設として仮に現れ滅して変化している)雲を観察してゆく」
  というような感覚で』

と解かりやすく説明しいる所は
良い部分であると思います
342神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 09:58:47.16 ID:p2r1fLGr
>>340
彼は答えられなかったよ
修証一如で分からなかったんだからしかはないさ
343おじゃる:2014/07/16(水) 10:20:41.18 ID:KamI90VN
 
>>335 >>337 >>342 ID:p2r1fLGr さんへ
> 修証一如で『智慧とは悟りそのものの事だ』と分からなかった

だからこそ
1.0 → 2.0 → 3.0 という流れがあると思われる

私(おじゃる)の場合は
(「実践したことがないので教学としては」という意味で)

2.0 は教学として勉強しやすいような感じがする

だけど
『「実践する場合は
  あおぞらのところから客観的に … 」
  という 3.0 が重要である』

ということであるらしい
344神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 10:23:27.46 ID:HsFjbLK8
342も、山下も、修証一如解らんでしょう。
>智慧とは悟りそのものの事

なんて言っている次元でアウト。

ヨガ禅定で気持ちよかの山下禅定の方が救いがあるでしょう。
345おじゃる:2014/07/16(水) 10:45:23.95 ID:KamI90VN
 
> どこにも学など無いし、只管打坐は難しい事を言わないで今座れって事

今現状の私(おじゃる)には↑(只管打坐 1.0 は)無理っぽい感じがします
  _  _  _

(実践するか? どうか? わからないけど)
とりあえず ↓ これに興味があります

>>317 クンダリニー

http://www.gaiajapan.co.jp/books/healing/meditation/360/
シヴァナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ・センター
スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる 28〜33ページ参照

心がさまよう状態
そこから離れて映画を見るような感覚で客観的に

チャクラに焦点を合わせて瞑想する
346おじゃる:2014/07/16(水) 10:52:17.45 ID:KamI90VN
 
> ヨガ禅定で気持ちよかの山下禅定の方が救いがあるでしょう

(どのような救いがあるのか?わからないけど、とりあえず)了解です
347神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 11:15:36.08 ID:IqfX+JEE
>>344
>なんて言っている次元でアウト。

智慧と悟りが別の事だと思ってる時点でアウトですよw
知ったかの人はみんなここが大抵間違ってます
お前も例外ではなかったなw
348神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 11:20:43.15 ID:IqfX+JEE
>>344
たまにはお前の論も言ってみたらどうだ?自信ないのか?間違いを否定されちゃうから
修証一如、これの意味解ってないだろお前w
何故修行と悟りが一如なのか
悟りとは一体何か
スシーマ経にも「智慧によって解脱」とある
智慧によって解脱の要点が分かり、解脱は智慧の事である事もそれで分かるんだよ

お前全然ダメだな
鎌倉行ってやり直して来いや
349神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 11:30:51.77 ID:IqfX+JEE
ヒント1:阿耨多羅三藐三”菩提”
ヒント2:無上正遍”智”

これらは悟りで”得る”とされる所謂智慧の事だ
仏教で悟りと言えば”涅槃”を証する事だ
涅槃は一切の戯論が滅した目出度き境地の事だ
故に一切の妄想もそこには無い
つまり智慧とは?w
350おじゃる:2014/07/16(水) 12:15:07.55 ID:KamI90VN
 
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)の、動き・働き・変化を、通して
(色受想行識の)受と想の、動き・働き・変化を、滅させて

世俗を掴み捉えようとしている『想い』の、動き・働き・変化を、滅させて
世俗から解脱して

縁起したものを離れ
不滅・不生・不断・不常・不一・不異・不来・不去という八不によって仏陀が形容されている

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
351おじゃる:2014/07/16(水) 12:53:26.16 ID:KamI90VN
 
>>350 の続き

最終的には

受と想の、動き・働き・変化を、滅させて

智慧の、動き・働き・変化も、滅させて

縁起したものを離れ

不滅・不生・不断・不常・不一・不異・不来・不去
352神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 18:59:37.06 ID:/+ST58JV
>>350
>世俗から解脱して

解脱すべき世俗とはつまり何か

>縁起したものを離れ

離れるとは離れないと相依関係にあり結局縁起は離れていない
八不は広義に於いて仏陀形容でも構わんが、狭義では仏陀の事ではない
そして仏も縁起を離れる事はない、離れたら道理を語る事が出来なかった
不昧因果故に仏も因果道理を離れる事は有り得ない
道理を語れないのは法を説けない事であり、そうであれば仏教は何も残らなかった事になる
353神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 19:15:51.75 ID:/+ST58JV
おじゃる、お前は他人が言えば「ぼくのかんがえるぶっきょう」として認めない
その癖おじゃる自身が気に入ったものを集めて「おじゃるのかんがえるぶっきょう」は由とする
仏はそれはダメだと教えている
お前は縁起を離れたら仏だと顛倒さえ起こしている

縁起は縁起ではない、それを縁起と名付けて居るに過ぎないのである
仏は衆生を引導する為に、仮設の空を説いて教えたのである
空が仮説なら縁起も仮設なのである
何故仮設なのかを良く考えるべき
仮設とは何か
離れる筈の世俗とは一体何の事か
354おじゃる:2014/07/16(水) 19:30:40.50 ID:KamI90VN
 
> 解脱すべき世俗とはつまり何か

例えば仮に、私(おじゃる)の場合は
無明の暗闇に覆われて
誤ったあり方を
掴み捉えようとして離すこたが難しい
渇愛の『動き・働き・変化』に依存して
(この現世において)過去からの『心の流れ(心相続)は実有である』と考え
『自分も、自分を取り巻く周囲環境も実有である』と考えいる

これが、私(おじゃる)にとっての『世俗である』かも

> 仏も縁起を離れる事はない、離れたら道理を語る事が出来なかった

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察

ダルマについてのブッダの教えは
世俗諦(せぞくたい)と、勝義諦(しょうぎたい)に基づいている

この二つの真実の間に引かれた区分を理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも理解しないであろう
10
現象的真実の中に存する根拠なしに
究極なるものの重要性は説き得ない
究極なるものの重要性を理解することなしに
解脱(涅槃)は達成され得ない
355神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 19:43:23.20 ID:/+ST58JV
>>354
>『自分も、自分を取り巻く周囲環境も実有である』と考えいる
>これが、私(おじゃる)にとっての『世俗である』かも

そうだろ?その思いに固執してそれ以外をお前は認めない
だからダメなんだよ
お前にとっての世俗とは、お前の思いから起こる一切の行為の事だよ
その行為から一切の世間にお前は繋がってて、縁起してる故に免れ得ない
この理屈は戯論なれども、全ての人に当てはまり、勿論俺も例外ではない
だからそれを脱却したいと望むなら、仏道と言う道になる訳であり
修証一如の修とは仏道行為を以って、自分の従来の世俗行為を止める訳
世俗行為としての従来の思いもその時同時に止める
本当に止まるか否かは問題じゃない、止めようと行う行為こそが重要なのである
自分の思いと行為一切を、最低限必須なもの以外を除いて
全て座禅瞑想の乗っ取らせ、世俗行為一切を強制停止させるのである
それは結局釈尊も龍樹も達磨も道元もみんな行った唯一の行である
そこに本当の意味がある
356おじゃる:2014/07/16(水) 19:46:26.02 ID:KamI90VN
 
> 仮設とは何か

「空」(空性)も
「仮」(仮名・仮説・仮設)も
「縁起」「無自性」の言い換えであり
同じ内容を違う言葉・表現で言い表している
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE

> お前は縁起を離れたら仏だと顛倒さえ起こしている

迷妄を性質として壊滅するもの
その〔ようなもの〕を離れることは
思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり

(最終的には)
縁起したものを離れ

ブッダは
〔そこに〕来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない
それこそが苦しみの終わりである
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
357神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 19:50:15.20 ID:/+ST58JV
>>356
縁起は縁起ではない、それを縁起と呼んでいる

縁起と言う本質的なものなどどこにあろうか
358おじゃる:2014/07/16(水) 20:09:02.26 ID:KamI90VN
 
> 全て座禅瞑想の乗っ取らせ、世俗行為一切を強制停止させるのである

http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
原始仏教では「四禅三明」の教説、あるいは、単に「四禅」の教説が広く説かれている
「四禅」の後に、さらに、無色界の四処定(空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処)を説明することが多い
想受滅は、それをも超えた位置に置かれていて、この想受滅の直後に「解脱」するとされる

(D)四禅にもとどまらず、四処にもとどまらず、非想非非想処を超えて、想受滅を成就する
(C)は、想受滅においては
諸根(眼耳など)の働きはあるが、心作用のうち受、想、行が滅している

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
(色受想行識の)受と想の『動き・働き・変化』を滅させて
無明滅 → 行滅 → 識の『動き・働き・変化』を滅させて

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
(最終的には)
縁起したものを離れ

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
不滅・不生・不断・不常・不一・不異・不来・不去
359神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 20:26:14.83 ID:/+ST58JV
>>358
それもそう言う流派からの方便
やらないからいつまでも分からんでいるのがお前だ
いくら学んでも無駄だぞ、やるには何時まで経っても「今」しか無いんだから
360神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 20:31:57.88 ID:/+ST58JV
>四禅三明

四禅が日常を離れた不思議な境地と思い
三明が日常ではない超能力的なものと思う
そう誤解している者は確かに多い
四禅三明と言えども所詮は戯論に過ぎず、それは方便なんだよ
だからと言って嘘って訳じゃない、見方の問題・視点の問題だ
知りたきゃ仏門入って道を行うしかないし、行えば直ぐ判る
361神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 20:36:16.89 ID:/+ST58JV
>>358
>この想受滅の直後に「解脱」するとされる

左利き用のキャッチャーミットと同義
362神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 20:46:54.21 ID:7v4xFF2b
>>358
経文を読んだり、論説を読み耽ったり
君は一体何が望みなのかね
読んで納得するまで行わないつもりなんでしょ?

それって、読むだけで理解して成道したいって言う我儘だよね
不可能だけどね
363おじゃる:2014/07/16(水) 21:03:08.93 ID:KamI90VN
 
> いくら学んでも無駄だぞ、やるには何時まで経っても「今」しか無いんだから

今、現在の一刹那も
我ではない
我所でもない
と知覚して住むことである

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6299/repo1.htm

上座部も、大衆部も、実体我の存在は否定する

上座部である部派仏教徒の一部は
五蘊(色・受・想・行・識)
十二処(眼・耳・鼻・舌・身・意の六根処と色・声・香・味・触・法の六境処)
などの法は存在するという「我空法有」を主張し
そしてその法は現在だけでなく
過去にも未来にも三世にわたって常恒であるという
説一切有部の「三世実有法体恒有」の思想を展開させたのである

 - これに対して -
大衆部の場合
五蘊、十二処などの法について「現在実有過末無体」を唱えた
現在の一刹那のみが実有であって、過去と未来は実有はないとするのである
364おじゃる:2014/07/16(水) 21:14:59.99 ID:KamI90VN
 
私(おじゃる)の場合は
実践するか?、どうか?、決めてないけど
今、現状においては
教学として勉強している段階です

http://postingjoy.com/users/26091114103522/diary/show/118680

信あって解(げ)無ければ無明(まよい)を増長し

解あって信無ければ邪見を増長する

信解円通して方(まさ)に行の本と為る

http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落とさせるものである
1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り越えることができるであろう
このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない
365神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 03:05:34.11 ID:7e0YKSRZ
>>363
>我空法有

これは「三世実有法体恒有」の礎に過ぎず
終いは龍樹によって木っ端微塵に論破されている

>現在実有過末無体

こっちは木っ端微塵にされた一派の残骸が推して実有を言って
未だに尾を引く邪義に過ぎない
実有するものなどこの世界に存在できず、もし存在したらそれは無常ではない
この世界に無常ではないものなど一つも無い
「今」ですら常住ではない、ずっと「今」なのだが変わっていない訳ではない
今が実有なら人は死なない、死は変化なのであり無常の象徴とも言える
どこに実有などあろうか

>>364
信あって解(げ)無ければ無明(まよい)を増長し
解あって信無ければ邪見を増長する
信解円通して方(まさ)に行の本と為る

行の本なので学では得られないと言っている
信とは自灯明法灯明の事、書や他所や他人に信を以っても意味を成さない
366おじゃる:2014/07/17(木) 04:20:01.71 ID:6+ha12oN
 
身体について…感覚について…心について…諸法について…
(それらを)観察し、熱心に、明確に理解し
よく気をつけていて、世界における欲と憂いを捨て去るべきである

みずからを灯明とし、みずからを依処として、法を灯明とし、法を依処として

四念処(四念住)の修行を実践するように 「 自灯明法灯明 」 の教えを説いた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
  _  _  _

道元禅師が「正法眼蔵」の第六十で
「この三十七菩提分法、即ち仏祖の眼晴鼻穴、皮肉骨髄、手足面目なり
  仏祖一枚、これを三十七菩提分法と参学しきたれり」と書かれています
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1483660814
  _  _  _

中阿含経などに説かれた、悟りに至るための三十七菩提分法

四念住(四念処)
四正断(四正勤)
四神足(四如意足)
五根
五力
七覚支
八正道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81
367神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 04:50:07.05 ID:3OLa+1Hq
>>366
>みずからを灯明とし、みずからを依処として、法を灯明とし、法を依処として

自らが灯明なのであり依処であれ
法とは依処たる自らに作用する一切が法なのである
一切とは眼耳鼻舌身意に受ける色声香味触法が一切であり
これ以外を一切と仏陀は認めない
また、この他からの何ものをも受ける事は無く
この他からの何ものをも受けて人は世界を認知出来ない
三十七菩提分法と言えど、この一切法を離れる事は無い
368神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 04:54:38.32 ID:3OLa+1Hq
>>366
いい加減他所から引っ張ってきた鵜呑みコピペバカは卒業すべき
読んで腑に落ちるものだけを選ぶ行為を仏道は認めない
369おじゃる:2014/07/17(木) 05:05:01.34 ID:6+ha12oN
 
大念住経(大念処経)
http://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757
仮設として、仮に現れ滅して、変化しているので

色声香味触は
変化しないものではない(自性ではない)ので『自分ではない(我ではない)』
「自性でもなく」そして「我でもない」ので、だから『自分のものでもない(我所でもない)』

(動き働き変化している有為)法も
変化しないものではない(自性ではない)ので
自分ではない(我ではない)
自分のものでもない(我所でもない)

と知覚して住むことである

http://kotobank.jp/word/%E6%9C%89%E7%82%BA%E6%B3%95
有為法(ういほう)
因と縁の縁起の動き働き変化に依存して
形作られたもの。また、その在り方
生滅する現象世界の一切の事物をいう

http://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E7%82%BA%E6%B3%95
無為法(むいほう)
(最終的には)
世俗から解脱して
縁起したものを離れ
生滅変化を離れ
因縁の支配を受けない
370神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 05:10:21.78 ID:3OLa+1Hq
>>369
大念住経は行の実践を教える経であり観念論ではない
行なくしてどこに念住や念処などあろうか
身体は行為なのであり、身体に備わって念なのである
行為無く念は有り得ず、念は行為に依存する
故に身体も空なればどこに念なる実体などあろう
371おじゃる:2014/07/17(木) 05:37:00.27 ID:6+ha12oN
 
> 読んで腑に落ちるものだけを選ぶ行為を仏道は認めない

私(おじゃる)の場合は
どの宗教団体にも所属してませんが
伊勢山皇大神宮にも
成田山・延命院にもお参りさせて頂いてます
だけど

> どこにも学など無いし、只管打坐は難しい事を言わないで今座れって事

今現状の私(おじゃる)は↑(只管打坐 1.0 には)興味がないので(只管打坐 1.0 は)無理であると思います

実践するか?、どうか?、わからないけど 「 3.0 」 の
「あおぞらのところから客観的に
  (仮設として、仮に現れ滅して変化している)雲を観察してゆく」というような感覚で …

この説明の方が↑わかりやすいと思います

そして、これ → >>317 >>345
372神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 05:44:55.21 ID:3OLa+1Hq
>>371
では一法庵へ行けばよかろう?
結局は自分の見に合ったものだけを選ぶ身勝手を思いっきり叱られて凹むのがオチだがな
373おじゃる:2014/07/17(木) 05:56:38.12 ID:6+ha12oN
 
> 故に身体も空なればどこに念なる実体などあろう

実有ではない、だからこそ、例えば仮に、私(おじゃる)の場合は

無明の暗闇に覆われて
誤ったあり方を
掴み捉えようとして離すことが難しい
渇愛の『動き・働き・変化』に依存して
(この現世において)過去からの『心の流れ(心相続)は実有である』という『想い』が現れ
『自分も、自分を取り巻く周囲環境も実有である』という『想い』が現れ

そして

渇愛の動き働き変化を滅させていない人の場合は
過去からの『心の流れ(心相続)は実有である』という『想い』の動き働き変化に依存して

その人が死ぬときには
我愛と、戯論(けろん)と、善悪業に依存して

中有身が形成される
この中有身は、次に生まれる処を求めて母胎に入り、この世の生に戻り来る

と掴み捉えようとして離すことが難しいので、だから

> どこにも学など無いし、只管打坐は難しい事を言わないで今座れって事

今現状の私(おじゃる)は↑(只管打坐 1.0 には)興味がないので(只管打坐 1.0 は)無理であると思います

http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
374神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 06:19:50.27 ID:3OLa+1Hq
>>373
>今現状の私(おじゃる)は↑(只管打坐 1.0 には)興味がないので(只管打坐 1.0 は)無理であると思います

何故興味が無いのか、興味が無ければダメなのか
本当に興味が無いと言い切れるのか、その根拠は何か
そもそも興味とは何か?それは有るのか無いのか

そんなんだからダメなんだよ
375神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 06:23:58.87 ID:3OLa+1Hq
毒矢の例えが分からない様じゃ外道しか好まないし行わないだろう
要するに面倒くさいのか、見た目や印象だけで選んでるに過ぎない
ヨガですら実践行の賜物なのに、おじゃるのバカは読んで納得しようとさえ居る
アホかとw
376おじゃる:2014/07/17(木) 06:26:38.22 ID:6+ha12oN
 
> 結局は自分の見に合ったものだけを選ぶ身勝手を思いっきり叱られて凹むのがオチだがな

私(おじゃる)の場合は

無明の暗闇に覆われて
誤ったあり方を
掴み捉えようとして離すことが難しい
渇愛の『動き・働き・変化』に依存している状態なので

例えば仮に、議論板の「紐君(ひもくん)」のように
「ぼくはこう思う」というよな主張をするつもりはないけど

山下さんの場合は唯識は専門外かもしれないけど、山下さんに質問があります
『あおぞらのところから客観的に、変化してゆく、雲を観察してゆく』というような感覚で

睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心(末那識・我愛)の動き働き変化を滅することによって
我々は初めて真の無我行を実践することができるのか?、どうか?、について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98

瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を得て教理にまとめ
とりあえず、仮設として、仮に心(識)は存在すると考え
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE
377神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 06:31:08.53 ID:3OLa+1Hq
>>376
>無明の暗闇に覆われて
>誤ったあり方を
>掴み捉えようとして離すことが難しい

読書だけでどうやって無明を確認するのか
読書だけでどうやって誤りや掴むだの離すだのを確認するのか
読書で得られよう事が本当なのかをどうやって確認するのか
お前は何年読書三昧なのか、昨日今日ではない筈
毒の成分や矢の持ち主や射角などが明らかになって納得するまで矢を抜かないのは自由だが
お前の間違った知識を垂れ流すのはお前の自由の範囲を超えている
行いは自由だが指摘もまた自由
お前のオカルト論はこれからもガンガン否定させていただく
378おじゃる:2014/07/17(木) 06:55:31.73 ID:6+ha12oN
 
無明の暗闇に覆われて
誤ったあり方を
掴み捉えようとして離すことが難しい
渇愛の『動き・働き・変化』に依存して

> お前のオカルト論はこれからもガンガン否定させていただく

という『想い』の動き働き変化している依存が現れ滅している

 - これを対処する為に -

無明の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)の動き働き変化している依存を通して生じるのである

最終的には

受と想の動き働き変化している依存を滅させて
因と縁の縁起の動き働き変化している依存を滅させて

縁起したものを離れ
生滅変化を離れ
因縁の支配を受けない

不滅・不生・不断・不常・不一・不異・不来・不去
379神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 07:14:03.62 ID:yqdjFh+c
>>378
お前はスシーマの過ちを繰り返してるだけだよ
380おじゃる:2014/07/17(木) 07:20:23.81 ID:6+ha12oN
 
http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html

無明と渇愛がうまく絡み合って
無始なる過去から終わりなく苦しみをつくり出しています

 - これを対処する為に 「 3.0 」 -
(あおぞらのところから)客観的に
(縁起の働きに依存して変化している「雲を観察してゆく」というような感覚で)

自分(の色受想行識は
  変化しているので、だから
  自性ではない、だから
  自分ではない
  自分のものでもない
  と知覚して住むことである)

を観ることによって
無明と渇愛を消していきましょう
というのがお釈迦さまの教えなのです
381神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 07:29:19.07 ID:Yf46U8M/
>>380
>無明と渇愛を消していきましょう
>というのがお釈迦さまの教えなのです

行じて無いのに何故断言できるんだ?
無明も渇愛も実体が無いのに消える訳がない
何を言ってるんだお前は
382おじゃる:2014/07/17(木) 07:51:55.07 ID:6+ha12oN
 
スシーマ
http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/susima.html

56 と 57

「色(色形)を超えて、形のない寂静である解脱に身体によって触れて住する」というような法に到達することなく

(身体のある有余涅槃として)解説していること、それが、スシーマよ、わたしたちのなしたことなのである
  _  _  _

そして
色受想行識は
自性ではない
自分ではない
自分のものでもない

として、最終的には

身体から離れて → 無余涅槃
383神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 07:58:39.64 ID:ygkwFKVW
>>382
25.わたしたちは、智慧によって解脱したのです、友スシーマよ。
384神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 08:02:29.48 ID:m6nG/IjS
347 :神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 11:15:36.08 ID:IqfX+JEE
>>344
>なんて言っている次元でアウト。

智慧と悟りが別の事だと思ってる時点でアウトですよw
知ったかの人はみんなここが大抵間違ってます
お前も例外ではなかったなw






お、山下禅定以下の病的自己陶酔音頭の程度が低いのが、暴れておるなあw
おかしい空虚な内容の自覚が出来ぬらしいw
385神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 08:03:37.18 ID:m6nG/IjS
行じていない自己陶酔音頭の批判て意味があるのか?
386神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 08:06:22.02 ID:ygkwFKVW
人格攻撃しかもう手が無いのか
哀れだな
387おじゃる:2014/07/17(木) 08:12:35.64 ID:6+ha12oN
 
私(おじゃる)の場合は
実践したことがないので、だからこそ

ID:Yf46U8M/ さんの「ぼくはこう思う」という主張よりも

実践の中での体験を得て教理にまとめたと思われる
経典・論書・解説書などを参照したいと思います

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron00.htm

衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ!と説いた
何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる
是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である、但だ
衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた[中論觀四諦品第二十四]

諸の因縁を、受けるが故に、生死の中を輪転する
如実に、顛倒を知らないが故に、五受陰に因って、生死を往来する[中論觀涅槃品第二十五]

 - これを対処する為に -

八聖道分を修習して、我・我所を滅する因縁の故に、無我・無我所を得て、智慧を決定する
(色受想行識の)受と想の働きを滅させる為の、滅尽定を以って、第一と為し、終に、無余涅槃に帰する[中論觀法品第十八]

諸の因縁を、受けなければ、是を、涅槃と名づける
如実に、顛倒を知るが故に、則ち、復た、五受陰に因っては、生死を往来しない
無性の、五陰は、復た、相続しないが故に、説いて、涅槃と名づける[中論觀涅槃品第二十五]
388神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 08:17:39.15 ID:ygkwFKVW
>>387
俺もお前が繰り返す「ぼくはこう思う」という主張よりも
お釈迦様が教える行からの真実を取るよ
389神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 08:21:44.02 ID:m6nG/IjS
と、自己肥大化、自己陶酔音頭を繰り返す・・・。
人格攻撃と思う被害妄想豊かw空より遠いw
自覚の問題なんだがなw
390神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 08:22:53.19 ID:m6nG/IjS
自覚できるのも智慧なんだがw腐った説明で自己陶酔音頭を繰り返すw
391おじゃる:2014/07/17(木) 08:45:58.45 ID:6+ha12oN
 
> 俺もお前が繰り返す「ぼくはこう思う」という主張よりも
> お釈迦様が教える行からの真実を取るよ

それ故に

私(おじゃる)の場合は

極力、自分の論説を織り交ぜないように努力して

そして、極力、リンク も貼り憑けるように努力しいる

ということです

http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜
392神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 09:02:41.08 ID:g+Uxczmt
>>390
>自覚できるのも智慧なんだが

智慧は自覚できるものではない
お前が言ってるのは知恵
智慧と知恵は似て異なりベクトルも正反対の別ものだ
知恵は一般人にも駆使できる上、それで好ければ仏道は不要となる
智慧は知覚できるものではない、お前は涅槃を知覚できるとでも言うのか
バカも休み休み言いたまえw
393神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 09:10:02.69 ID:g+Uxczmt
智慧とは普段お前らが価値の無いものだと錯覚してるそれが智慧なんだよ
仏道はその錯覚・錯誤・誤解を解き放ち、一切の緊縛を開放出来る唯一無二の手段
394神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 09:11:49.96 ID:m6nG/IjS
392自己陶酔自覚反省できず、野狐の典型。
これを外道と呼ぶw
395神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 09:13:19.56 ID:m6nG/IjS
野狐392は他者を批判する資格なしw
自己肥大化、自己陶酔俺様は偉いんだ音頭を繰り返すw
396神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 09:13:42.49 ID:g+Uxczmt
>>394
ではお前が答えてみろ

隻手音声、是如何?
397神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 09:16:43.13 ID:g+Uxczmt
>>395
野狐禅のお前には到底無理かw
即答どころか返答すら出来ずにいつも直ぐ逃げる
398神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 09:31:49.98 ID:m6nG/IjS
小理屈垂れ流し常習の君に応えても無駄だろうw小理屈と自己陶酔を放棄してから質問しなさいw
自己陶酔の穴倉でよく、あんあん吠えているなあw
弱犬ほどよく吠えるw
399おじゃる:2014/07/17(木) 09:58:30.39 ID:6+ha12oN
 
隻手の音声
http://www.saikoji.net/houwa/houwa0607.html

世俗において
「片手だけで打つことは出来ない」という思い込みが現れている

もし仮に
妄想の働きに依存して「世俗は実有なるものである」という想いを前提としているのなら

例えば仮に
優れた瞑想を得るために智慧を以て思惟観察する(観如意足の)働きに依存して

「両手で打って音も具現化させる」みたいな?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E8%B6%B3
400神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:11:05.70 ID:m6nG/IjS
おじゃる、馬鹿の話に馬鹿な話に乗るんじゃねえw
401神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:12:00.68 ID:xPHHUORp
>>398,399
自分は賢いと思ってるバカには絶対に正答を答えられないんだよw
何で正答出来ないかも良く考える事だな
402おじゃる:2014/07/17(木) 10:20:56.04 ID:6+ha12oN
 
> おじゃる、馬鹿な話に乗るんじゃねえ

了解 おじゃる

ID:xPHHUORp さんの場合は

机先生の主張と似てる気がするけど

机先生よりも

経典・論書・解説書をまじめに勉強している

という気もする
403神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:24:11.06 ID:iyfm6EPX
因みにこのサイト
http://www.saikoji.net/houwa/houwa0607.html

解説としては間違って居ない
但し、これが問答に対する返答なら大間違いなんだよ
内容は合ってるが返答として間違い
自分が賢いと思ってる奴ほどこれは難解で正答出来ない
白隠師はちゃんと計算してこの公案を出してんだよ
サイトの書き手は曹洞宗の僧侶だから間違えて当然さw
家風が違うんだから
404神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:30:54.03 ID:m6nG/IjS
弱犬自己陶酔自我肥大401であんあん吠えるw

犬の鳴き声レベルで文章に意義はないでしょうw

俺は頭がいい強いんだあんあんw永久輪廻あんあん吠えw

吠える事が仏教らしいw

俺は401の性格異常を指摘しているだけなんだが。賢いとか馬鹿とか空想が豊かですな。
自我肥大化の修業の成果かもなw
405神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:34:01.34 ID:iyfm6EPX
おじゃる
額面だけで言うならお前は純粋なのかもな
本音はわからんが

ところで

>>404

こいつを見ておじゃるはどう思う?
406神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:34:47.76 ID:m6nG/IjS
因みにこのサイト
http://www.saikoji.net/houwa/houwa0607.html

解説としては間違って居ない






爆笑、偉くなったつもりか、片腹イタイw
ま、だめだな、計算?馬鹿か?
小理屈が抜けていないし、現実喪失丸出し、さすが自我肥大化の自己陶酔だなw
407神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:37:10.45 ID:iyfm6EPX
>>406
お前の答えがまだな訳だが?

俺の答えはわからん
408神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:40:36.94 ID:iyfm6EPX
>>406
どうした、生禅よ
早く答えろ
409神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:49:45.72 ID:m6nG/IjS
偉そうに公案出して、小理屈で偉くなったポーズw竜頭蛇尾という言葉に当てはまる典型だなw
410おじゃる:2014/07/17(木) 10:50:15.13 ID:6+ha12oN
 
臨済宗 片手の音-禅の教えと悟り
http://www.myoshin-zen-c.jp/c_record/record_h171819/record_8.htm

相対の世界では二つに分けないと理解し合えないのです
ですから言葉や文法の奴隷となってしまうのです
本来の世界は分けられないのです
だから我というものも抽出できないのです
このような世界が対を絶した世界です
だから左右の両手の世界から片手の世界に入りなさいということです
片手の世界が本当にわかったら、現実の相対の世界の真の姿が見えます
左右の手をパチンと合わせると音がする。これは現実の世界です
音を出す以前の音は片手の中にある
この聞こえない音を聞いて初めて聞こえる音がわかるのです
  _  _  _

 ↑ この「分けられない・対を絶した世界」というのが

3.0 の
他の所からの批判・非難とかに影響されることのない『あおぞら、がある』と知覚して住むことであり
「あおぞらのところから客観的に変化している働きを観察してゆく」ということのような気がする

>>277 参照
411神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:51:13.00 ID:iyfm6EPX
詭弁で負け惜しみか
いいご身分だw
412神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:51:45.36 ID:m6nG/IjS
自己陶酔輪廻行為をまず、やめろw
自我肥大化の自覚反省しろw

リンク先に、自己を習うと書いてあるだろw
自己陶酔、自我肥大化の病んだ自己を直視しろw
質問は、それからだw
413神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 10:57:52.39 ID:iyfm6EPX
>>412
お前が自己を習うべき
その結果がそれか、大層な事だなw

>>410
音は分別、両手・片手も分別、聞くも分別
仏道の目的は涅槃を証する事、ならば涅槃に分別は有りや無しや?
音も手も聞くも空ならどこに分別などあろう
分別無ければどうして知り得よう
414神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 15:40:53.29 ID:n2F/r610
自我肥大化した病人は、自我肥大化した病人として正確に認知して指摘する。
これぞ、直指人心w智慧だw
自覚のできない馬鹿は妄想と呼ぶw
415神も仏も名無しさん:2014/07/17(木) 21:15:37.49 ID:li3ki0Mb
君らのような理念大乗馬鹿を絶滅させる
ためにもやっぱりテーラワーダの普及は
必須だな
416神も仏も名無しさん:2014/07/18(金) 02:49:59.98 ID:gLl/uRAR
禅僧のティクナットハン師は、大乗ですよ。
417神も仏も名無しさん:2014/07/18(金) 06:40:41.70 ID:y2f+5xsi
415、ま、そんなところだ、ここは支持してやろうw
418おじゃる:2014/07/18(金) 06:50:29.00 ID:p28j5+NM
 
空海と衛門三郎(えもんさぶろう)の輪廻について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9B%E9%96%80%E4%B8%89%E9%83%8E

稲川淳二「四国巡礼・恐怖の現場」〜本当にあった‘死国’88霊場〜 VOL.2
貸出開始日: 2010/07/02
収録時間: 81分
「四国巡礼」シリーズ第2弾
生霊たちの館…悪魔霊場 高知・廃ホテル
http://shinreydouga.info/blog-entry-1599.html
419おじゃる:2014/07/18(金) 11:19:22.41 ID:p28j5+NM
 
友人・知人・親族・親しい人などが亡くなった場合は

『あおぞらのところから客観的に変化してゆく雲を観察している』というような感覚で
(愛しい人への)悲しみ、そして、(加害者に対しての)憎しみに
影響されることのない『あおぞらがある』と知覚して住むことは難しい場合もあるかも

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140718/t10013104481000.html
マレーシア航空機 ウクライナで墜落 撃墜か 7月18日 9時12分

ウクライナのポロシェンコ大統領は
「ここ数日間でウクライナの軍用機2機が撃墜されていて
  マレーシア機が撃墜された可能性は否定できない」と述べています
これに対して
親ロシア派は、「ウクライナ軍が撃墜した」として、主張が真っ向から対立しています

http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20140717/407969/
エボラ出血熱、累計患者数が1000人に迫る
日経メディカル オンライン 2014年7月17日

今年3月以降
西アフリカで流行が確認されているエボラ出血熱は
累計患者数が1000人に迫るなど、かつてない大流行となっている

7月15日のWHO発表によると、7月9〜12日の間に、新たに85人の患者が報告された
この間の新規死亡は68人だった。これまでの累計患者数は、964人となった
420おじゃる:2014/07/18(金) 12:40:36.23 ID:p28j5+NM
 
親しい人などが亡くなって、この現世に残された人が輪廻肯定派の場合なら
(親しい人などが)どのような悲劇的な最期を迎え逝ったとしても

我愛と戯論(けろん)と善悪業を、掴み捉えようと、想っている働きに、依存して
(眼耳鼻舌身意の)意によって成っている身体(意成身)が現れ(滅す)る

この意成身は、次に生まれる処を求めて母胎に入り、この世の生に戻り来る

色受想行識から → 空へと
空から → 色受想行識へと

地水火風から → 空へと
空から → 地水火風へと

3.0 の場合は、空(そら)には
(愛しい人への)悲しみ、そして、(加害者に対しての)憎しみに
影響されることのない『あおぞらがある』と知覚して住むことである

と、このように、その相手によってさまざまに工夫しながら、いろいろに法を説いていくのです

http://www.geocities.jp/kokoronoshikumi/hokekyo.016.html
如来寿量品 第十六 自我偈(じがげ)
421おじゃる:2014/07/18(金) 13:25:22.47 ID:p28j5+NM
 
この現世に残された人が輪廻 「 否定 」 派の場合なら

 ↓ これが良いかも

般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
世尊の時代の人々は輪廻を信じていたので、だから、方便として輪廻を説かれた
世尊は輪廻を説かれたのではなくて、輪廻からの解脱を説かれた

例えば仮に
私(おじゃる)の場合は
永遠ばかりを探して
凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない

 - これを対処する為に -
「縁起・空・五蘊の仮和合」が働いて変化して現れ(滅し)ているので、だからこそ
変化しないものではない
自性ではない
自分ではない
自分のものでもない
と知覚して住むことである

悲しみ、怒り、喜び、妬み、執着する、世俗の人達も

世俗から『解脱すれば仏である』と
422神も仏も名無しさん:2014/07/18(金) 14:17:01.03 ID:9cmcMnlY
>>197
>これこそが自然界に対しての最大の矛盾なのであり

自然界には、自意識を持たない動物はいない。自意識がなければ、動物
はそもそも生存できない。どんなに小さな動物でも、己が捕らえられよ
うとすると、必死で逃げる。

宗教とは、そんなに大それたものではない。精神医学的には、開祖の精神病
の集団的一大感染に過ぎない。己(我、肉体、生命)を忘れた「精神性
のオナニー」という狂気こそが、自然界の摂理に真っ向から反する宗教
の病理なのである。宗教者こそ、自然界における「唯一の欠陥生物」である
ことを自覚されたし。

生存に無関係な妄想のために、同じ種属同士で殺し合い、争い合う愚かな
動物が、他にどこにいるか。

宗教とは、時代遅れの古代人の妄想の惰性的残存以外の何物でもない。

現在の中東の惨状を直視されたし。「一神教の聖地」であるはずの中東
は、今や世界で「最も呪われた地」ではないか。

宗教の撲滅こそ、現代人が次世代に対して負う喫緊の責務である。
423おじゃる:2014/07/18(金) 14:31:48.52 ID:p28j5+NM
 
> 宗教の撲滅こそ、現代人が次世代に対して負う喫緊の責務である

議論スレの隠居先生かしら?

これからも隠居先生のことを応援させて頂くので

宗教撲滅運動、頑張って下さい おじゃる
424神も仏も名無しさん:2014/07/18(金) 14:39:43.13 ID:SgQy2bu7
他所でやれアホ
425神も仏も名無しさん:2014/07/18(金) 16:16:16.84 ID:1B84YfRW
北朝鮮隠居がキターーーーwwwww
426神も仏も名無しさん:2014/07/18(金) 21:38:11.17 ID:GyEMknuj
山下氏は座禅の際、姿勢の指導もして下さるのかな?
427神も仏も名無しさん:2014/07/18(金) 22:31:04.12 ID:SgQy2bu7
うん
428神も仏も名無しさん:2014/07/19(土) 07:02:15.77 ID:HmX1jC7A
>>427
レスありがとう。
429おじゃる:2014/07/19(土) 07:35:05.86 ID:4c5TDmO9
 
すべての人が持っている↓心の地雷を安全に解体することは出来るのか?

14/07/13 「こころのケア」入門
http://www.onedhamma.com/?p=4872

心の地雷と↓ミュンヒハウゼン症候群は関係ないかもしれないけど、とりあえず貼り憑けて置きます

うっかり地雷を踏もうものなら、その日はもう台無し【人格障害の嫁を持つ旦那】
http://yamisoku.com/jinkaku/754.html

ミュンヒハウゼン症候群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
虚偽性障害に分類される精神疾患の一種
症例として周囲の関心や同情を引くために病気を装ったり
自らの体を傷付けたりするといった行動が見られる
1951年にイギリスの医師、リチャード・アッシャーによって発見され
「ほら吹き男爵」の異名を持ったドイツ貴族ミュンヒハウゼン男爵にちなんで命名された

代理ミュンヒハウゼン症候群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E7%90%86%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
ミュンヒハウゼン症候群の一形態であって
傷害の対象が自分自身ではなく何か代理のものであるような精神疾患である
多くの場合傷害対象は自らの子であるため、児童虐待と同列に挙げられる
しかしながら傷害行為自体は患者の目的ではなく
手段として傷害行為に及び自分に周囲の関心を引き寄せることで
自らの精神的満足を他者から得ようとしているものである
子が患者の傷害の対象である症例では
患者は傷害を目的として行っているわけではないとはいえ
行為が反復・継続し、重篤な傷害を負わされる危険がある
430おじゃる:2014/07/19(土) 08:06:39.46 ID:4c5TDmO9
 
因と縁の縁起の働き変化に依存して

自己破壊の傾向の働き変化をもっている彼氏と
代理ミュンヒハウゼン症候群の傾向の働き変化をもっている彼女の

この双方が相応一致することで

例えば仮に
無意識的もしくは意識的に

彼女が彼女自身の地雷を踏ませるように仕向け
彼氏が彼女の地雷を踏んで

そして → >>429 に続く
431神も仏も名無しさん:2014/07/20(日) 06:44:49.34 ID:iMfR6HJa
50代ニートが掲示板の言い争いで負けたくない!?愚の骨頂だな!

http://bbs7.aimix-z.com/mttbbs.cgi?room=kike
432おじゃる:2014/07/20(日) 10:00:11.26 ID:TT7qjl7U
 
http://bbs7.aimix-z.com/mttbbs.cgi?room=kike

例えば仮に↑この No.1 のところに書かれていることを前提として

嘘をついてでも他人を攻撃しているような言動があるのなら
「代理ミュンヒハウゼン症候群の傾向」があり

そして更に最終的に
「その人の周囲から叩かれることになる」のなら
自分自身みずからの「自己破壊の傾向」もあるのかも
433おじゃる:2014/07/20(日) 10:54:15.97 ID:TT7qjl7U
 
https://www.youtube.com/watch?v=qPPXUawkRa0

 ↑ 33分以降の所から

ベッドの横で中に浮いている女性が白い塊に変化して、ベッドで寝てる女性の口の中に入った

これを境にして
口の中に入られた女性が「周囲に迷惑を掛ける」という傾向が現れてきた

因と縁の縁起の働きに依存して変化して

最終的に
口の中に入られた女性は首を吊って最期を遂げていた
434神も仏も名無しさん:2014/07/20(日) 13:27:51.93 ID:JWX0nExT
Namo tassa bhagavado arahato samma sambuddassa
435おじゃる:2014/07/20(日) 14:57:06.15 ID:TT7qjl7U
 
http://ameblo.jp/anashi0429/page-40.html
ナモー タッサー バガヴァドー アラハトー サンマー サンブッダッサ
Namo  Tassa  Bhagavado Arahato Samma Sambuddhassa
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼(きょうらい)したてまつる
という意味だそうです

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
〔何ものも〕滅することなく (不滅)
〔何ものも〕生ずることなく (不生)
〔何ものも〕断滅ではなく (不断)
〔何ものも〕常住ではなく(不常)
〔何ものも〕同一であることなく (不一義)
〔何ものも〕異なっていることなく (不異義)
〔何ものも〕来ることなく (不来)
〔何ものも〕去ることのない (不去)〔ような〕
〔また〕戯論 (想定された論議)が寂滅しており
吉祥である (めでたい)
そのような縁起を説示された
正しく覚った者 (仏陀) に
もろもろの説法者のなかで最もすぐれた人として
私は敬礼する『中論』帰敬偈
436おじゃる:2014/07/21(月) 09:33:56.82 ID:1tcGIpdJ
 
妄想から離れて ↓ 『 微細な体 』 を感じることが出来るのか?

http://www.onedhamma.com/?p=4879
14/07/20 映画の世界を出たくないエゴ

http://www.gaiajapan.co.jp/books/healing/meditation/360/
シヴァナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ・センター
スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる 27〜33ページ参照

チャクラは
アストラル体(エネルギーの塊で、肉体に重なる微細な体)の中に存在し
背骨の延長線上にあります

心がさまよう状態が続くようなら
そこから離れて映画を見るような感覚で客観的に

眉間の中心(アジュナー・チャクラ)などの
チャクラに焦点を合わせて瞑想する

http://www.7chakra.net/modules/contents/index.php?content_id=10
第6チャクラ
霊性の目覚め

http://www.feelbliss.co.jp/oil6.html
第6チャクラ
眉間に位置し、霊的な意味での明瞭な視覚が位置するところ

https://www.youtube.com/watch?v=iWrvjWvDfUk
成瀬雅春
「身体の観察から始める」と言うことであるらしい
437神も仏も名無しさん:2014/07/21(月) 09:43:36.71 ID:IdcGd1mP
おじゃる、山下禅定の内容が、シバナンダと一致する箇所に気付いたようだね。
438おじゃる:2014/07/21(月) 09:51:43.00 ID:1tcGIpdJ
 
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
スッタニパータ
195
身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり
196
鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある
197
九つの孔んらはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢
198
鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く
全身からは汗と垢とを排泄する
199
またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている
しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす
200
また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない
201
犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む
202
この世において知慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する
なんとなれば、かれはあるがままに見るからである
203
(かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)
と内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである
204
この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した
439おじゃる:2014/07/21(月) 10:17:00.66 ID:1tcGIpdJ
 
> 山下禅定の内容が、シバナンダと一致する箇所に気付いたようだね

私(おじゃる)の場合は
「実践したことがないので教学として」という意味で

似てる↓気がする

サーンキヤの場合は
プルシャは〜のような展開を観察するのみで、それ自体は変化することがない
変化することがないプルシャから客観的に
プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆくことを観察してゆく

サーンキヤは、ヨーガを理論面から基礎付ける役割を果たしている

3.0 の場合は
むさぼり・怒り・無明の働きに影響されることのない『あおぞらがある』と知覚して住み
この『あおぞらから変化してゆく雲を観察していく』というような感覚で …

3.0 の場合は
(たぶん「仮設として」という意味で仮に)
微細な体を瞑想の入り口にしている
ということなのかも
440おじゃる:2014/07/21(月) 11:29:58.63 ID:1tcGIpdJ
 
前世からの
再生へ向かう シパ・バルドゥ の働き変化に依存して

この現世においての
肉体に重なる微細な体の働き変化が現れ(滅し)ているような気がする

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/theme/otherworld/samsara.htm
死の瞬間の チカエ・バルドゥ が滅して

再生へ向かう シパ・バルドゥ が生じ現れて
再生へ向かう シパ・バルドゥ が滅して

母胎より誕生してこの世に生きる キエバエ・バルドゥ が生じ現れている
441414:2014/07/23(水) 07:33:39.02 ID:yxSvnQh5
山下が否定するであろう、曹洞宗宗門主流派について、今朝閃いた。
曹洞宗宗門主流派は禅定力のシフト、山下の好む慈悲の瞑想志向が薄い。
その教義教学の範疇において使える重要なポイントがあるらしい、と。

それは、三宝。仏、法、僧を敬うという意味であるが。
この任務に忠実であろうという日常生活への執念。
これを真面目にやるだけでも、相当いい仏道修行者になれるかもしれない、と。

むろん、曹洞宗宗門主流派の修業体系に含まれながら、ホントにこの任務に忠実に
遂行する意識がある坊主すら少ないのは明白である。

この路線は、山伏系、真言系天台系の念仏信仰、大衆寄りの真言天台でも、
有効な修業志向かも・・・・と。
442神も仏も名無しさん:2014/07/23(水) 08:07:52.64 ID:yxSvnQh5
443おじゃる:2014/07/23(水) 09:13:28.61 ID:0jDhbPGO
 
http://minby.blog.ocn.ne.jp/blog/files/yellowbook.pdf
黄色の書 35〜36ページ参照

瞑想の際に
多くの種類の光が現れる
明るい光を知覚する

その光は 「 眉間 」 にある智恵の目に対応したものである

超感覚的元素からなる粒子である

光り輝く 「 ビー玉 」 が現れる
444おじゃる:2014/07/23(水) 09:26:45.18 ID:0jDhbPGO
 
プルシャからの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れ
プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆく
プラクリティから知の働きの根源状態であるブッディ(覚)またはマハット(大)が展開され
さらに展開が進みアハンカーラ(我慢または我執, 自我意識。アハンは「私」、カーラは「行為」を意味する)が生じる
アハンカーラの中のトリ・グナの均衡がラジャスの活動によって崩れると
これから
マナス(意, 心根、思考器官)
五感覚器官(五知根、目・耳・鼻・舌・皮膚)
五行動器官(五作根、発声器官・把握器官(手)・歩行器官(足)・排泄器官・生殖器官)
パンチャ・タンマートラ(五唯または五唯量、五微細要素, 五つの端的なるもの)が展開して生じる

パンチャ・タンマートラは感覚器官によって捉えられる領域を指し
色(視覚でとらえる色や形)
声(聴覚でとらえる音声)
香(嗅覚でとらえる香り・匂い)
味(味覚でとらえる味)
触(皮膚でとらえる感覚)
445おじゃる:2014/07/23(水) 09:42:16.83 ID:0jDhbPGO
 
ブッディの中のラジャスの活動で展開が進み、アハンカーラが生じる

これは自己への執着を特徴とし、個体意識・個別化を引き起こすが
ブッディと同様に物質的なもので、身体の中の一器官とされる

アハンカーラは、物質原理であるプラクリティから生じたブッディを
精神原理であるプルシャであると誤認してしまう

これが輪廻の原因だと考えられた

プルシャはプラクリティを観照することで物質と結合し
物質に限定されることで本来の純粋清浄性を発揮できなくなる

そのため、「ブッディ、アハンカーラ、パンチャ・タンマートラ」の結合からなり

肉体の死後も滅びることがない
  『 微細身(みさいしん、リンガ・シャリーラ) 』 はプルシャと共に輪廻に囚われる

プルシャは本性上すでに解脱した清浄なものであるため
輪廻から解脱するには、自らのプルシャを清めてその本性を現出させなければならない

そのためには、ヨーガの修行を行わなければならないとされた
446おじゃる:2014/07/23(水) 10:01:00.71 ID:0jDhbPGO
 
http://www.eonet.ne.jp/~jinnouji/page9/houwa08/page240.html
帰依三宝

我執を離れ心空しくすれば
己の我執も個性も阿耨多羅三藐三菩提に溶け込み滅却する
道元禅師はこれを感応道交(かんのうどうこう)するといわれた
  _  _  _

阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
一切の真理をあまねく正しく知る仏の智慧。仏の悟り

道元(どうげん)
鎌倉時代初期の禅僧。日本における曹洞宗の開祖

感応道交
衆生の機感と、仏や菩薩の応赴とが交わり相通じること
447神も仏も名無しさん:2014/07/23(水) 23:17:29.80 ID:lXNzJDg3
シンキングマインドがなくなって
ああ、青空から観てる と気づくとき
気づいたのはだれなんだろう
448おじゃる:2014/07/24(木) 00:02:20.69 ID:lZNb01lI
 
私(おじゃる)の場合は
「実践したことがないので教学としては」という意味で

たぶん↓こんな感じ?

雲からの働きに影響されることのない『あおぞらがある』と知覚して住み
そして、この『あおぞらから変化してゆく雲を観察していく』というような感覚で

雲が変化している時は『雲が変化している』と
変化してゆく雲が滅した時は『変化してゆく雲が滅した』と

『あおぞら』が知覚して住んでいるのかも

第六意識の階層においては妙観察智(みょうかんざつち)が
『変化してゆく雲が滅した』と知覚して住んでいるのかも
449おじゃる:2014/07/24(木) 00:15:00.06 ID:lZNb01lI
 
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として
それを自分であると考えて執着し続けている

末那識・我愛を滅させるのは
かなり難しいような気がするけど

仮に、末那識・我愛を滅させることが出来たのなら

その時は
末那識(まなしき)の階層においては
平等性智(びょうどうしょうち)が
『末那識・我愛が滅した』と知覚して住んでいるのかも
450おじゃる:2014/07/28(月) 02:44:55.95 ID:kqa2K3Hu
 
微細なエネルギーを感じ↓想いの手放し

http://www.onedhamma.com/?p=4883
14/07/27 「思いの手放し」に新しい光りをあてる
451正理会:2014/07/28(月) 13:12:07.60 ID:As3NOwTN
宗教から歴史、政治経済まであらゆる情報の宝庫!

本日の講義は『妙とは蘇生の義なり』です。

ぜひご覧ください!

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
452神も仏も名無しさん:2014/07/30(水) 06:04:19.27 ID:YDM1d5Bx
青空としてのわたしが判れば、感じることができれば
衆生、社会とうまくやっていけるのかな?
瞑想は現実逃避ではないのだろうか?
ハン氏やトール氏の教義が理解できれば
瞑想の意義はなんだろう?
453神も仏も名無しさん:2014/07/30(水) 09:58:56.58 ID:3Lct1f+9
青空の状態って言うのは
考えが落ちている状態だから
自分の考えていることを、思い出してもらいたい
まずろくな事しか考えていない
ネガティブ思考のオンパレードです。
これが少なくなることは、とてもすごいことだと思うよ
現実逃避の考えの中に、ネガティブな感覚を含んでいる事に
気がつかないだろうか

そういうものが起こらなくなるのだから
毎日が以前と比べて充実した日々となるだろうし、そしてその状態があることを
多くの人に知ってもらいたいと思うようになるよ

人と対応しているとき、青空の状態で対応すれば良いのだと思うよ
454神も仏も名無しさん:2014/07/30(水) 12:19:31.57 ID:ym0rmLOo
>>452
仏教ってのは詰まる所、古代インドの
認知行動療法だから、実践して行けば、
昔は怒ったり苦しんだりしたことも
そうでなくなりますって話だわな
455おじゃる:2014/07/30(水) 15:43:34.48 ID:HmifG+Mx
 
http://www.gaiajapan.co.jp/books/healing/meditation/360/
スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる 27〜33ページ参照

エネルギー・センター(エネルギーの出所)を、チャクラと呼び
このエネルギー・センター(エネルギーの出所)に焦点を当て
そこに蓄積されたエネルギーを放出して意識の拡張をもたらします

チャクラは
アストラル体(エネルギーの塊で、肉体に重なる微細な体)の中に存在します
眉間のエネルギー・センター(エネルギーの出所)に焦点を合わせます

心がさまよう状態が続くようならば
そこからいさぎよく離れて
映画を見るような感覚で心を客観的に眺めてみましょう
456おじゃる:2014/07/30(水) 15:55:07.86 ID:HmifG+Mx
 
http://minby.blog.ocn.ne.jp/blog/files/yellowbook.pdf
黄色の書
イエローブック 35〜36ページ参照

瞑想の際に
多くの種類の光が現れる
明るい光を知覚する

その光は 「 眉間 」 にある智恵の目に対応したものである

超感覚的元素からなる粒子(タンマートラ粒子)

光り輝く 「 ビー玉 」 が現れる
457おじゃる:2014/07/30(水) 17:17:01.71 ID:HmifG+Mx
 
この現世において
過去からの「心の流れ(心相続)」を掴もうとしている
想いの働きに依存して変化が現れ(滅し)ている

 - これを対処する為に -
3.0 の場合は
むさぼり・いかり・おろかな働きに影響されることのない『あおぞらがある』と知覚して住んで
この『あおぞらから雲を観察してゆく』というような感覚で

因と縁の
双方が相応一致しようとしている働きに依存して変化が現れ(滅し)ているので

因だけではない
縁だけでもない

自分だけではない(我だけではない)
自分の周囲環境だけでもない(我所だけでもない)

と知覚して住むことである

http://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757
大念住経(大念処経)
458おじゃる:2014/07/30(水) 18:48:26.51 ID:HmifG+Mx
http://www.onedhamma.com/
募集人数:約45名まで
日程:8月12日(火曜)〜17日(日曜)五泊六日
8​月12​日は、午後3時までにおこしください
会場:嶺雲荘 東京都青梅市御岳山57
吾妻先生のヨーガは、吾妻さんの体調しだいで、​中止の場合もあります
04:00 a.m. 振鈴 卧禅
04.15 a.m. 起床 洗面
04:35 a.m. ヨーガ(吾妻麗子先生 指導)
05:00 a.m. 三帰依 五戒 般若心経読誦
インナー・ボディワーク+慈悲の瞑想 (1)
06:30 a.m. 朝食
07:40 a.m. ​慈悲の瞑想(2)+アナパナサティ+チッタヌパッサナー​
08:40 a.m. 経行(きんひん=歩行瞑想)
09:10 a.m. 坐禅
10:10 a.m. ウォーキング・メディテーション (御岳山)
11:30 a.m. 昼食
01:00 p.m. 経行
01:30 p.m. 坐禅
02:30 p.m. 経行
03:00 p.m. 坐禅
04:00 p.m. ヨーガ(吾妻麗子先生 指導)
05:00 p.m. 坐禅 (入浴開始)
06:00 p.m. インタヴュー(質疑応答)
07:10 p.m. 坐禅
08:10 p.m. 立禅(站桩)
08:30 p.m. 坐禅
09:30 p.m. 終了 就寝
459おじゃる:2014/07/31(木) 02:12:15.43 ID:c4bznyQP
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%99%82%E6%B3%95
認知行動療法(にんちこうどうりょうほう)
近年では「マインドフルネス」と「アクセプタンス」を共通の治療要素とする第三世代の行動療法が展開されている

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B9%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%99%82%E6%B3%95
マインドフルネス認知療法
マインドフルネス(気づき、注意コントロール)を基礎に置いた認知療法で、第3世代の認知療法の1つ

http://mindfulness.jp/ma-therapy/newtherapy/ch1-act.htm
アクセプタンス=
与えられているもの(感情、思考、症状、身体感覚など)
「今、ここ」で経験しているものを、判断を介さず受け取ること

コミットメント=
具体的なホームワークや行動的エクササイズを使って
価値の沿った(障害からの回復に)効果のある行動をする

マインドフルネス=
「マインドフルネスの状態とは
  「ある特定の仕方で注意を払うこと、つまり、目的にそって
    当該時点において、無評価的に注意を払うこと」
  を含むものである」

「アクセプタンスを行うためには、当然、注意を向け続けること
  判断を避ける(あるいは素早くそれを解き放つ)こと
  さらに覚醒の程度に気を配ることなどに対して、マインドフルネスに関わる必要がある」
460おじゃる:2014/08/04(月) 02:17:14.44 ID:d9ybrvAW
 
むさぼり・いかり・おろかな働きに影響されることのない『あおぞらがある』
この『あおぞらから雲を観察している』というような感覚で


 微細な感覚を感じて
 そこに意識を集中させて
 世俗を掴もうとしている
 想いを手放しする


14/08/03 誰でも出来る「思いの手放し」
http://www.onedhamma.com/?p=4889
461おじゃる:2014/08/07(木) 21:45:17.93 ID:+0ilWeRl
 
中論25-11
もし涅槃を
存在でもあり
まったく存在しないものでもある
とするなら

越して行くこと(解脱)が
存在であり
まったく存在しないもの
の両方であるというのは馬鹿げている

中論25-14
どうやったら涅槃が
存在でありながら
まったく存在しないもの
でもあり得るというのだろうか
これら二つは同じ場所を占められないのである
光と闇がそうであるように
462おじゃる:2014/08/07(木) 22:01:35.66 ID:+0ilWeRl
 
> 「依らずに」はどの程度の厳密さなんですかね

例えば仮に
食事の食材食料は、周囲環境(とか周囲環境の人々)で
食事を食べるのが自分である

と↑このように想定した場合は

自分と周囲環境の双方が相応一致して
因と縁の双方が相応一致して

縁起に依存して食事を食べることが出来る

こんな感じだと思います
463おじゃる:2014/08/07(木) 22:15:03.49 ID:+0ilWeRl
 
中論25-6は反論者からの問いかけです

6.意訳
もし涅槃が(普通の意味での現象的な)存在なら
(依存的で無常のものである輪廻からの開放である)涅槃が
(そのように)依存的でないものであり得るだろうか
依存的でない存在など、どこにも存在しないからである

7.意訳
(これに対してあなたがた反論者は
  そのように存在でないような涅槃なら
  そんなものはまったく存在しないものではないのか
  と言うかもしれない。しかし)

涅槃が(現象界の)存在でない場合
それが「まったく存在しないもの」であることなどはあり得ないのである
(なぜなら、存在する、とか存在しない
  とか言い得るということ自体が
  言葉による現象界の問題だからである)

涅槃が(現象界の)存在でない場合
それは(現象界の言葉で表現可能であるような)「まったく存在しないもの」とも表現できないのである
464神も仏も名無しさん:2014/08/07(木) 22:38:47.48 ID:aW8+5B1x
>>462
中論の想定と釈迦の想定が一致していなければナンセンスかなと思いました。

>>463
最初(25-1)だけが反論者からの問いかけで、
2以降は、有説の否定、無説の否定、有&無説の否定、非有&非無説の否定、で結
という流れだと思ってました。
465おじゃる:2014/08/07(木) 22:49:03.71 ID:+0ilWeRl
 
9.
やって来て、また去るものは
依存的で変化するものである
依存的でなく変化しないもの
それこそが涅槃として説かれたものである
10.
師は
生成と消滅の放棄を説かれたしたがって
涅槃は
『存在』でもなく
『まったく存在しないもの』でもない
というのが正しい
17.
涅槃へと行かれてしまった後、勝利を得た征服者は
存在しているとも言われず、まったく存在していないとも言われない
その両方だとも言われず、両方でないとも言われない
19.
輪廻にある存在と涅槃との間には
わずかな違いすら存在しない
涅槃と輪廻にある存在との間には
わずかな違いすら存在しない
20.
涅槃の終わり(限界点)がどこまでであるにせよ
それは輪廻にある存在の終わりである
両者の間にはわずかな違いも
最も微細な違いすらも存在しない
466おじゃる:2014/08/07(木) 23:02:18.82 ID:+0ilWeRl
 
> 中論の想定と釈迦の想定が一致していなければナンセンスかなと思いました

例えば仮に

輪廻にある存在と
涅槃との
両者の間にはわずかな違いも
最も微細な違いすらも存在しない[中論25-19・20]

それ故に
中阿含経などに説かれた
悟りに至るための
『菩提分法(ぼだいぶんぽう)』によって
涅槃へ導くことが出来る

みたいな感じだと思います
467神も仏も名無しさん:2014/08/07(木) 23:17:21.21 ID:aW8+5B1x
>>466
中論は龍樹と釈迦の想定が一致していると信じる者にとっては正であり、
そうでない者にとっては正とは言い切れないと言いたいのです。
468おじゃる:2014/08/07(木) 23:28:46.34 ID:+0ilWeRl
 
>>467

縁起

仮設としての五蘊だからこそ
因と縁の双方が相応一致して

五蘊の仮和合が
現れ滅して変化している

と↑この視点に立てば

釈迦と龍樹が一致しているように見える
と思います
469神も仏も名無しさん:2014/08/07(木) 23:30:47.57 ID:qqpIVZJ3
中論は龍樹と釈迦の想定が一致していると信じる者は正と思えない
一時はそう思えたとしても正とは言い切れないと言い出すのである
中論に於いて龍樹と釈迦の想定が一致していると信じても信じなくても
正とは思えなくなり正とは言い切れなくなりそれを言い出すのである
何故かを考えれば明らかに答えは出ているのだが、多分気付けない
470おじゃる:2014/08/07(木) 23:37:02.11 ID:+0ilWeRl
 
例えば

具体的に、どの部分が一致してないのか?

ご教示願います
471神も仏も名無しさん:2014/08/07(木) 23:47:52.85 ID:aW8+5B1x
>>469
>中論は龍樹と釈迦の想定が一致していると信じる者は正と思えない
ではどちらにせよ「正とは言い切れない」ですね。

>>470
一致してないとも言えませんよね?
472神も仏も名無しさん:2014/08/07(木) 23:53:13.80 ID:aW8+5B1x
>>469
あああー。なんかスッキリしました。
ありがとうございます。
473神も仏も名無しさん:2014/08/07(木) 23:57:26.78 ID:EFKUQi0w
>>472
龍樹は仏弟子なので釈尊の弟子だよ
釈尊の教示に龍樹の見解が一致してる訳でも一致して居ない訳でもない
それが真の正であり中道の見解

間違ってるのはお前だよ
一致し無い事に一喜一憂するのは答えを得た事にならない
474おじゃる:2014/08/08(金) 00:26:46.05 ID:M05S08yd
 
>>471
> 一致してないとも言えませんよね?

今現状においては >>468 です

例えば↓これは根本仏典と同じように見えます

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm
中論觀法品第十八
八聖道分を修習して、我・我所を滅する因縁の故に、無我・無我所を得て、智慧を決定する
(色受想行識の「想と受を滅させる」為の)滅尽定を以って、第一と為し、終に、無余涅槃に帰する

http://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
長部経典 第9経 「 ポッタパーダ経 」
決して 意思 せず、また 意思活動 をしない彼に
それら 諸々の想 はもちろん消滅し、別の諸々の粗い想 も生起することがない
彼は、滅 に触れる
このようにして、順々の正知 による 『 想滅定 』 が生起するのである

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
無明の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである[中論26-11]
475神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 00:33:03.19 ID:BSGDQg7x
皆さんは「背乗り」って
ご存知ですか?
読み方は、はいのりと読みます。
主に朝鮮人等が、日本人に成り済ますために、
戸籍を乗っとる行為を言います。

第二次世界大戦などのどさくさに紛れて、
日本人の土地に不法占拠したり、
関東大震災では、被災した住宅等に朝鮮人が
火をつけて、駅前の一等地を乗っ取ったりしたのです。
476神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 00:40:34.27 ID:O6zNq/sq
>>473
いえいえ、間違ってるとも言い切れませんよ。
そもそも中道を求めていたわけではないのでどうでも良いのです。

>>474
今回の質問は締め切りさせていただきます。
ありがとうございました。
477おじゃる:2014/08/08(金) 00:46:56.51 ID:M05S08yd
 
>>476

又、何か、ありましたら

よろしく、お願い致します
478神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 01:01:59.36 ID:Gqk7ITbX
涅槃って中道と同じ事なんだけどな
縁起と空の場合と一緒で、同じものを違う角度で言ってるだけなのに・・・
479おじゃる:2014/08/08(金) 01:33:47.39 ID:M05S08yd
 
「有である」
「無である」
「空である」
「有為法である」
「無為法である」
と掴もうとしている想いから離れて『思いの手放し』

非想非非想処
「想う」ということでもなく「想わない」ということでもなく
  _  _  _

むさぼり・いかり・おろかな働きに影響されることのない『あおぞら』がある
この『あおぞらから雲を観察している』というような感覚で

微細な感覚を感じて、そこに意識を集中させて

世俗を掴もうとしている想いから離れて『思いの手放し』

14/08/03 誰でも出来る「思いの手放し」
http://www.onedhamma.com/?p=4889
480おじゃる:2014/08/08(金) 03:24:28.33 ID:M05S08yd
 
http://www.onedhamma.com/?p=4893

14/08/06 第三回「アップデートする仏教を体感しよう」in 東京

藤田一照 山下良道
481神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 06:36:11.60 ID:Up/KnD1C
有我→ヒンズー・ヨガーーーーーーーーー
                  ↓
無我→テーラワーダ・原始仏教→山下良道

プラス仏智プラス他者救済→唯識

さらにプラス空間作用→天台、華厳、真言、禅・・・・・。
482神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 06:37:03.36 ID:Up/KnD1C
有我→ヒンズー・ヨガーーーーーーーーー--------
                      ↓
無我→テーラワーダ・原始仏教ーーーーー→山下良道

プラス仏智プラス他者救済→唯識

さらにプラス空間作用→天台、華厳、真言、禅・・・・・。
483おじゃる:2014/08/08(金) 12:12:40.21 ID:M05S08yd
 
5.意訳
もし涅槃が(現象界に存在する普通の事物と同じような)存在なら
涅槃は部分の集まりによって構成され
原因によって(つまり言葉の原理によって)構築されたものであるだろう
 - 有為法においては無為法のような -
(現象界の存在として)部分の集まりから成らず
原因によって構築されていないような存在はどこにもないからである

6.意訳
もし涅槃が(普通の意味での現象的な)存在なら
(依存的で無常のものである輪廻からの解放である)涅槃が
(そのように)依存的でないものであり得るだろうか
 - 有為法においては無為法のような -
依存的でない存在など、どこにも存在しないからである

涅槃は瞑想や知恵、功徳に依存して達成できるということが−
−この世界の側からは−
−言葉によっては説明できるが、涅槃それ自体は−
−瞑想の境地にあっては−
−何かに依存するようなものとしては現れない
したがって依存的であり依存的でない
という二重の言うい方ができるのである
こういう二重性格の上に
 - 有為法においては無為法のような -
涅槃はまったく存在しないものである
という反論も出てくるであろう
それについては次ので答えられている
484神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 15:43:39.55 ID:fGiWq4Jp
ご託はいいから、まずは瞑想しろよ(笑)
485おじゃる:2014/08/08(金) 16:23:36.67 ID:M05S08yd
 
非有 非無 非有無 非非有 非非無

有でもなく無でもなく
「有でもあり無でもあり」ということでもなく
「有でもなく」ということでもなく
「無でもなく」ということでもなく

非想非非想処
「想う」ということでもなく「想わない」ということでもなく

http://www.gaiajapan.co.jp/books/healing/meditation/360/
スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる 27〜33ページ参照

エネルギーの出所を、チャクラと呼び
エネルギーの出所に焦点を当て
そこに蓄積されたエネルギーを放出して意識の拡張をもたらします

チャクラは
エネルギーの塊で、肉体に重なる微細な体の中に存在します
眉間のエネルギーの出所に焦点を合わせます

心がさまよう状態が続くようならば
そこからいさぎよく離れて
映画を見るような感覚で心を客観的に眺めてみましょう
486おじゃる:2014/08/08(金) 16:30:34.09 ID:M05S08yd
 
http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 166ページ参照

瞑想の最初の段階では、まず物質的・精神的現象の自然的性質を観察します

その後
私たちは無常、苦、無我、恒常的な実体がないこと、コントロールが存在しないこと

ある意味での空を、一般的に観察する
それから私たちは、生成と消滅を観察します

現象の生成消滅を観察しはじめた時、最初
私たちは生成を観察しますが、消滅は観察しません

一つの現象の消滅を見る前に、私たちは別の現象の生成を見る
一つのものが生じ、また別のものが生じる、といった形で、観察が進行します

その後
私たちは、生成、消滅、すき間
次の現象の生成、消滅、そしてすき間が一つ、といった様相を観察する
私たちは生成と消滅のあいだのすき間も、また観察するのです

しばらくすると、ただひたすら消滅していくことに、より多くの注意が払われるようになる
もう生成にあまり注意を払わなくなるのです

この段階では、無常がますます明らかになる
全てのものが、非常な速度で消滅していくのです
487おじゃる:2014/08/08(金) 16:36:45.57 ID:M05S08yd
 
>>486 の続き

> 一つの現象の消滅を見る前に、私たちは別の現象の生成を見る
> 一つのものが生じ、また別のものが生じる、といった形で、観察が進行します

私(おじゃる)の場合は
食欲・性欲・煩悩が99%以上なので

例えば仮に

『美人で可愛い女性(K・I)と一緒に鮨とか食べに逝きたいっ!』

と言う妄想を意図的に消滅させようとせずに、在俗側としての自然の流れとして次の妄想が始まり

『又、次の、ある時に、その美人で可愛い女性(K・I)と一緒に、キムチとか、カルビとかも食べに逝きたいっ!』

と『↑このような妄想が現実(幻術)のものと成れば良いのになっ!』

と言う妄想に満ちあふれています
488神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 16:42:09.58 ID:7P06sNFe
山下スレなんだから、山下の表現使えばいいじゃない

空とか中観というのは山下が言うところの「青空」。

概念的思考(シンキングマインド)としての「雲」を
超えたところにある感覚であり、仏教の瞑想で
目指すところのもの。

概念や言葉を超えたものなので、空とか、
中観とか、帰謬論証とか、八不とかいうような
否定的な形でしか言及できない。
489おじゃる:2014/08/08(金) 16:54:55.84 ID:M05S08yd
 
私(おじゃる)の場合は
人徳もなく、人望もなく、そして更に
食欲・性欲・煩悩まみれの妄想に満ちあふれているので

「悟りを求めたり想念をはたらかすことなく、ひたすら座禅する 只管打坐 1.0」は無理でしょう
  _  _  _

実践するか?どうか?わからないけど↓これに興味があります

http://minby.blog.ocn.ne.jp/blog/files/yellowbook.pdf
黄色の書
イエローブック 35〜36ページ参照

瞑想の際に
多くの種類の光が現れる
明るい光を知覚する

その光は 『 眉間 』 にある智恵の目に対応したものである

超感覚的元素からなる粒子(タンマートラ粒子)

光り輝く 『 ビー玉 』 が現れる
490神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 17:02:29.68 ID:pYM/Qneb
思うに、おじゃるは道教向き。

仏教は一切皆苦なので、苦の根本的な解決をめざすけど
おじゃるは、ここではないどこかへの憧れをもちつづけたいんだろう
そういうやつは山下読んでも、意図的に誤解すると思う
大周天とかやってた方がいいと思う
ほら、こことか見てみな
文息武息とか見知らぬ言葉が魅力的に響くぞ
ttp://home.att.ne.jp/red/enku/sendo/sendoIndex.html

チベット仏教もヒンドゥ譲りの瞑想使うけど、あれは密教だからきちんと用法容量を心得ている
師につかないといけないという縛りがあるから無害なんだけど
2chの神秘主義者は少々悪質だから、道教へ流れてくれないかなと思う次第。
491神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 17:09:20.95 ID:wah2qwhn
>>489

>無理でしょう

という『想い』の動き働き変化している依存が現れ滅している
 - これを対処する為に -
無明の停止は止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)の
動き働き変化している依存を通して生じるのである

最終的には受と想の動き働き変化している依存を滅させて
因と縁の縁起の動き働き変化している依存を滅させて

縁起したものを離れ、生滅変化を離れ、因縁の支配を受けない

不滅・不生・不断・不常・不一・不異・不来・不去
492神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 17:22:05.92 ID:wah2qwhn
修行に於いて「滅せさせる」とは「意図的に停止」させる事である
結果的に無くなる事にもなっているが、消滅させてる訳ではない
容易に停止出来ない筆頭なのが人の機能である想いであり
想いの中核は意識であり、それは容易に停止させる事は困難である
故に数息観等の代償行為を以って、無駄に働いてしまう意識=雑念
を代償して乗っ取っる事により、意識の無駄な働きをさせない様に仕向けるのである
おじゃるは精神病者なのでこの様な平易な代償行為すら我慢出来ないと告白している
大変正直でよろしいとは思われるが、残されてる道は想いを使うその他の行しか無く
奢摩他以外で智慧を蓄える方法は皆無となる
奢摩他は智慧を蓄え、毘鉢舎那は智慧を執行するのである
この両者は最低限度の涅槃へ向かえる方法なので
おじゃるは絶望的、と言える
493おじゃる:2014/08/08(金) 17:25:16.41 ID:M05S08yd
 
私(おじゃる)は戯論を生じているので

概念や言葉を超えたもの
帰謬論証
無為法
八不

とかを体感するのは難しい

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron00.htm

中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二

如来は、戯論を過ぎるが、しかし、私(おじゃる)は戯論を生じている
戯論は、慧眼を破る、それ故に、私(おじゃる)には仏を見ることが出来ない

諸法の、実相は、性空であるが故に、如来の滅後を、こう思惟してはならない
有るか?、無いか?、有であり、無であるのか?と

如来は本より、畢竟じて、空なのだ
況して、滅後は言うまでもない
494神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 17:26:14.68 ID:wah2qwhn
道元師は修証一如と言い、修行する姿そのものこそ果報としての「証し(あかし)」だと教えている
道元師の畢竟に於いて言うなら、その修行とは只管打坐以外に無く
その姿は身口意の三業を止めた姿そのものの事となる
座禅中は趺坐の行為と無心以外は何も出来ず、何もしない
この、何も出来ず何もせず何も思わないとは、自然の非情類は全て悉く
その様に出来ている当たり前の状態なのである
その当たり前の状態を疑似体験させるのが座禅の修法なのである
故に、座禅に打ち込むその己の姿こそが仏そのものなのだと道元師は言うのである
仏は畢竟無分別である、座禅で何もせず何も思わないのと何が違うと言うのか
自然物は畢竟無分別である、座禅で何もせず何も思わないのと何が違うと言うのか

この様に一応理解出来たならそれがある意味悟りの一種なのである
悟った以上、それは涅槃を証した事と同じであり、仏道の目標は涅槃を証す事であり
涅槃を証せたならその状態は有余なのである、故に有余涅槃なのである
身体が有余のあらましだと思っている者も多いがそれは間違いなのである
自然物だって体は持っている、故に身体は余りでは無い
仏に対して我らが余っているものとは「想い」の事なのである
隠居などは「無我では生活出来ない、生命こそが云々」と言うであろう
生活したいなら、その余りものの「想い」を使って面白おかしく暮らせば良いだけなのである
495おじゃる:2014/08/08(金) 17:59:20.96 ID:M05S08yd
 
http://www.1-kikou.com/keiraku/what-keiketu/

経絡 (けいらく)とは
古代東洋の文化の中で
主に生存していく上で重要とされる
気血の通路の総称として位置づけられております

経絡の
経は経脈(けいみゃく)を
絡は絡脈(らくみゃく)を表わし
この経脈と絡脈の総称が経絡として現代では位置付けられております

経穴(けいけつ)とは
気の通り道である経絡上に点在する点
とイメージするとわかりやすいかもしれません
一般的にツボとも呼ばれているが厳密的には異なります

生理機能や病気などで、体が正常でなくなると
その情報が体に影響を与え
特定の部位に知覚反応がおこることは確認されております
496神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 18:09:26.00 ID:f+N61tnB
遂に外道の本音が出てきたなw
針灸や経絡を否定する気は無いが、仏教に照らせば
それらも結局、対処の対象となる症状は思いから起きて悪化している
と言わざるを得ない
針灸を以って経絡を修養するのは対症療法に過ぎず
根治させるには行為を正す以外に無く、それは生活態度を正すことになり
つまり、日ごろの思いの傾向を正す事により、行為が正されていく、となる

仏道が以下に理に適っているかと言うお話
497おじゃる:2014/08/08(金) 18:23:52.31 ID:M05S08yd
 
> 仏教に照らせば

バラモン(ヒンドゥー)とか
サーンキヤとか
プルシャとか
プラクリティとか
瑜伽(ヨーガ)とか
チベットとか

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%BC
ヨーガの実践や宗教の各種修行によって穏やかに活性化し始めると
生涯をかけ各チャクラが徐々に開発されていくこととなる
クンダリニー・ヨーガあるいは瞑想などによりクンダリニーが上昇し
それによりサハスラーラが押し開けられればクンダリニー覚醒となる

http://www.gaiajapan.co.jp/books/healing/meditation/360/
スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる 27〜33ページ参照

エネルギーの出所を、チャクラと呼び
エネルギーの出所に焦点を当て
そこに蓄積されたエネルギーを放出して意識の拡張をもたらします

チャクラは
エネルギーの塊で、肉体に重なる微細な体の中に存在します
眉間のエネルギーの出所に焦点を合わせます

心がさまよう状態が続くようならば
そこからいさぎよく離れて
映画を見るような感覚で心を客観的に眺めてみましょう
498神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 18:46:54.02 ID:NRqyqtNR
スダンマチャーラ師の前でそれ言って見ればいい
叱責どころか口も利いてくれないと思うよ

あの人は外道に寛大だが容認するほど甘くない

おじゃるがいままで引いていた仏教関連
あれだけ意固地になって「自分の意見より引いてきたテキストのが良い」と
我を張って言い張ってきたのに、本心は外道のオカルト論本意だから
全く意味無かった訳だ

チャクラの教え側から見れば仏教を擁護するのは外道であり利敵行為そのものとなる
仏教側からしてもそれは同じ事なのであり、それが道理なのである

おじゃる、お前は支離滅裂な統合失調の人とやってる事は変わらないな
お前と言う人が行う行為に信憑性の欠片も無い
故に、何を引っ張ってきてもお前はフルボッコにしかならない
499おじゃる:2014/08/08(金) 18:56:22.60 ID:M05S08yd
 
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/theme/otherworld/samsara.htm
中有
死後、新たな肉体を持って生まれ変わるまでの
中間状態を、中陰、ないし中有(チュウウ)という
これを輪廻のサイクル全般に当てはめ
生と死の過程を
生有(しようう)、本有(ほんぬ)、死有(しう)、中有の四段階に分けることもある

『マーンドゥキャ・ウパニシャッド』では、意識の状態を
覚醒、夢見、熟眠、第四、に分けるが
チベット仏教ではこれらをあわせて以下のように分類する

シパ・バルドゥ      再生へ向かう迷いの中有
キエバエ・バルドゥ   母胎より誕生してこの世に生きる姿の中有
ミラム・バルドゥ     夢の状態の中有
サム・テン・バルドゥ  禅定・三昧(瞑想状態)の中有
チカエ・バルドゥ     死の瞬間の中有
チョエニ・バルドゥ    存在本来の姿の中有

つまり、 ここでは輪廻の状態と意識の状態が同列に扱われている
そもそもインド思想では
死後の世界は(そしてこの現世さえも!)人間の意識が作り出しているもので
意識の状態が変われば世界の様相も変わるという発想が濃厚である
500おじゃる:2014/08/08(金) 19:19:58.82 ID:M05S08yd
 
http://www.mikkyo21f.gr.jp/
エンサイクロメディア空海

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派
中観自立派と中観帰謬派

http://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html
チベット ニンマ派
3)仏法の本質
煩悩障と所知障を取り除くための方便を示すのが、仏法です

http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html
渇愛(タンハー)

無明と渇愛が絡み合って
無始なる過去から終わりなく苦しみをつくり出しています

 - これを対処する為に -
客観的に自分を観ることによって
無明と渇愛を消して
無始なる過去から解脱しましょう
というのがお釈迦さまの教えなのです
501神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 19:22:09.37 ID:pYM/Qneb
善男子、信に二種あり。一つには信、二つには求なり。
かくのごときの人、また信ありといえども、推求にあたわざる、このゆえに名づけて「信不具足」とす。

信にまた二種あり、一つには聞より生ず、二つには思より生ず。
この人の信心、聞より生じて、思より生ぜず、このゆえに名づけて「信不具足」とす。

また二種あり。一つには道あることを信ず、二つには得者を信ず。
この人の信心、ただ道あることを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず、これを名づけて「信不具足」とす。
また二種あり。一つには信正、二つには信邪なり。
因果あり、仏・法・僧ありと言わん、これを信正と名づく。
因果なく、三宝の性、異なりと言いて、もろもろの邪語富闌那等を信ずる、これを信邪と名づく。
この人、仏・法・僧宝を信ずといえども、三宝の同一性相を信ぜず。因果を信ずといえども得者を信ぜず。
このゆえに名づけて「信不具足」とす。

この人、不具足の信を成就す、と。
502神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 19:25:59.42 ID:pYM/Qneb
智慧には、聞・思・修がある。
経を聞いて、智慧を起こすこと。
それらを考え論じて、智慧を起こすことを仏教は認めている。
だが、それらは行を修める智慧には及ばない。
聞思して遅慮するなかれとはそういうことだ。
503おじゃる:2014/08/08(金) 19:41:10.34 ID:M05S08yd
 
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-life/test/post-122.html

ある朝、空海は
行場の「神明窟」で虚空蔵求聞持法の修法に入り虚空蔵菩薩の真言を唱えつづけていた

ノウボウ アキャシャギャラバヤ オン マリ キャマリ ボリ ソワカ

するとある瞬間
虚空蔵菩薩の象徴である明けの明星が飛来して
真言を唱える真魚(空海)の口に入った

真魚という小宇宙(人間)が
大宇宙(虚空蔵菩薩という宇宙の仏)と無二一体となったのである
この超常状態を密教では「成就(シッディ)」という

具に言えば
真魚の誦ずる虚空蔵菩薩の真言のなかに言霊のように内在していた虚空蔵菩薩が
明星の姿となって真魚の口のなかに顕われたのである
504神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 20:02:17.44 ID:BVesB4bq
>>502
世間一般では同一と看做すが、仏教に於いては厳密に違う別物となる
その別物とは

>それらは行を修める智慧には及ばない。

と、行を修める智慧に対する、日常人が使う知恵である
これらを人々は同一に扱い言うが、仏法に於いては別物であると智者は知っている
が、愚者はこれがわからない、故に智慧とは何かもわからない
わからない筈である、悟りそのものなのだから
505神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 20:04:58.57 ID:BVesB4bq
敢えて言うならば、知恵を以って智慧に至る、とでも言おうか・・・

釈尊も龍樹尊者もその他の師々も皆
同じ道を通って智慧の完成に至ってきたのである
506神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 20:16:14.98 ID:pYM/Qneb
別物ではないよ

聞思の知恵は正しい。
それらを通ることなしに修は成り立たないのだから。
聞思をいたずらに否定する教えは神秘主義に陥りやすい。
大切なのは、修によって聞思に不足があると知ること。
聞思を否定したいのは、その人があまりにそれに依存していたからだと思う。
507神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 20:21:35.24 ID:EMp4uZ7Y
>>506
>聞思の知恵は正しい。
>それらを通ることなしに修は成り立たないのだから。

知恵としてそれは正しいが、それは智慧ではない

>聞思をいたずらに否定する教えは神秘主義に陥りやすい。

それはお前が仏法を「分かり難い」と思ってるに過ぎない

>大切なのは、修によって聞思に不足があると知ること

それで得るのは知恵に於ける知識に過ぎない、故にそれは智慧ではない

智慧は悟り直結なのであり、智慧は涅槃直結・と言うよりそのものなのである
涅槃は一切の戯論が寂滅した目出度き境地なので、一切の戯論も思いも存在しないのである
知恵(非智慧)などどこに有ろうか
508おじゃる:2014/08/08(金) 20:24:51.82 ID:M05S08yd
 
空海を平安京に呼んだ嵯峨天皇が
「修得した密教はどんなものか?」と尋ねると

空海は
「即身成仏をお見せしましょう」
と言って印を結んで真言を唱えると

天皇の目には空海が真っ赤な炎に包まれ
大日如来に変身したように見えたと言う
509神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 20:26:36.07 ID:pYM/Qneb
智慧=涅槃ではないと思うよ
涅槃とは煩悩の火が吹き消された”状態”であるから力用ではない。
智慧は光だよ。無明を払うのための。
それは、知識でも、体験でもない。
その人をそのように思わせる根源的ななんらかの力用とよべるもので
どこからくるか全くわからないもの。如去如来するものとしかよべないものだと思うよ。俺は。
510おじゃる:2014/08/08(金) 20:36:24.90 ID:M05S08yd
 
http://www.b-family.org/public_html/omoi/022/kukaidoc.htm

空 海 【 774〜835 】

「ならば、そちの説く即身成仏 そくしんじょうぶつ の現証を見せよ」
嵯峨天皇の声にその僧は静かに
結跏趺坐し手に印を結び、口に真言を唱えました
と、見る間に僧の肌は金色に輝き
眉間に白光を放ち頭上に宝冠を載せ
五色の光明を放散しました

芳しい香りを秘めた絢爛たる光が周囲を満たし
すべてを包み込んでゆきます
「大日如来さまだ」
弘仁2(811)年正月15日
平安京の宮中で弘法大師空海が現した
511神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 22:04:20.97 ID:pYM/Qneb
自己レス
>そのように思わせる根源的ななんらかの力用とよべるもの

普通に考えると、これ業だよな・・・
なんつーか、簡単な言い訳をするとだね
惑業苦、戒定慧との対照関係からして、
定によって業を作らないようにすることで、業を制御し、間接的に慧に導いてるんじゃないかな?

とにかく今の俺には一般化された形の智慧がなんなのかはしかと分からん
その場その場では、あっこれだとは感じることはできても。

説教くさくて失礼しました。
512神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 22:50:20.08 ID:7P06sNFe
仏教はどこまで行っても瞑想者の宗教であり、
仏教の教義はどこまでも瞑想体験の話

瞑想体験を経ずに言葉や概念でいくら考えても
智慧には到達しない

「雲」「戯論」が湧いて出るだけ
513神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 23:11:53.79 ID:pYM/Qneb
うーん。
”瞑想”に固執するのは、自分はオススメしないなぁ。
おそらく修行者でもないんだろうから。
その人が今世で悟ろうとしているのでないかぎり、それを強制するのもどうかと思う。
瞑想は別段、特別なことではないよ。
欲に惑わされず、落ち着きを保っているだけで、智慧は起こるんだからね。
世間の人の方が逆に智慧に優れていたりすることがあるのはそのせいだろう。

智慧が顕現する形に、聞・思・修の三つがあると考えておくだけでいいよ
所詮、智慧とは最終目的地に着いた者にしか判断できないものだろうからね。
多くの人は、体験と経典の言わんとしていることの一致によってそれを智慧と思っているに
すぎないのだろうけど、それが間違っているかどうかの判断は誰にもできない。
あえて、判断できるとすれば、その微妙な境地の平安によって確かめられるというだけだよ
514神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 03:32:13.94 ID:cxCW7Gzf
>>509
智慧と悟りと涅槃と中道
これらは同じ事を違う角度で言っているに過ぎない
故に涅槃が力用で無い以上、智慧も悟りも中道も力用ではない
光は力用である、なれば智慧は光ではない事になる
智慧は人に何かを思わせる力用でも無い
それは知恵の方であり、智慧ではない
何故そう言えるのか

悟り(解脱)は智慧によって為され、その境地は涅槃に至るからである
涅槃は思いと戯論一切が寂滅した境地なのであり
思いや知恵を以って解脱には至れない
思い一切を手放し尽くして至る解脱涅槃には、一切の力用など在り得ないのである
もし、これに反論が起こるなら、只管打坐等にみる座禅三昧で涅槃を証すことを否定する事になり
それは、座禅修養を根本から見誤っている事にもなる
515神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 03:42:18.01 ID:cxCW7Gzf
悟りと智慧と涅槃と中道
これらは第一義(勝義)を角度を変えて言っているに過ぎない
第一義そのものは言語に尽くす事が出来ないので、結果的にそうなり
それを以って世俗諦と言うのである
516神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 06:17:41.83 ID:ZGhzOyYB
>智慧=涅槃ではないと思うよ

509正解です。誤説の御仁が多いのでよろしくお願いしたく・・・
517神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 07:52:43.94 ID:q2QuJ2Uc
雲=感情・思考
青空=感情・思考を成り立たせる前提・背景としての意識自体
ということなのかな?それなら青空より意識自体と言ったほうがいいような
amazonで見ただけで本はまだよんでいないんだが
518神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 07:54:13.01 ID:ZGhzOyYB
よくも、まあ、ここまでデタラメ知識を垂れ流せるなあw
山下の方がマシだなw


494 :神も仏も名無しさん:2014/08/08(金) 17:26:14.68 ID:wah2qwhn
道元師は修証一如と言い、修行する姿そのものこそ果報としての「証し(あかし)」だと教えている
道元師の畢竟に於いて言うなら、その修行とは只管打坐以外に無く
その姿は身口意の三業を止めた姿そのものの事となる
座禅中は趺坐の行為と無心以外は何も出来ず、何もしない
この、何も出来ず何もせず何も思わないとは、自然の非情類は全て悉く
その様に出来ている当たり前の状態なのである
その当たり前の状態を疑似体験させるのが座禅の修法なのである
故に、座禅に打ち込むその己の姿こそが仏そのものなのだと道元師は言うのである
仏は畢竟無分別である、座禅で何もせず何も思わないのと何が違うと言うのか
自然物は畢竟無分別である、座禅で何もせず何も思わないのと何が違うと言うのか

この様に一応理解出来たならそれがある意味悟りの一種なのである
悟った以上、それは涅槃を証した事と同じであり、仏道の目標は涅槃を証す事であり
519神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 08:43:47.83 ID:tbKE8goB
>>518
その山下氏が直接今でも言う内容に相違無い訳だが、それが何か?
彼が曹洞宗を離れ、パオ・セヤドーの門を叩いたのは
曹洞宗には元来正しき教えが有りながら、今現在に於いての教団の
志向する道に家風違いで済ませられる本来のものとは掛け離れた何かを
感じずには居られなかったからである
その何かとはズバリ「座禅宗」で有る筈の曹洞宗が密教の修法を取り入れ
葬式仏教に成り下がっている現状そのもの以外の何ものではない
その氏が抱いた疑念をパオの家風は諦びらかに教えてくれた訳です
彼は今でも、本来の曹洞宗は正しかった、とそう証言しています
ポッドキャストばかり聞いて分かった気になってないで
たまには鎌倉に出向いてみる事をお勧めします
気さくな良い人ですよ、スダンマチャーラ師はw
520神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 08:48:17.53 ID:ZGhzOyYB
修証義
http://teishoin.net/sutra/501.html
第一章(総序)
我々が生きているということは、どういうことか、死とはどういうことか、その真実をはっきり見極めるのが
仏教者として最も根本的問題であります。生まれてから死ぬまで、我々は迷い、
苦しみのまっただ中に生きているようですが、


その生まれてから、死ぬまでの生きている現実の
中にこそ仏(覚ったひと)はいるのですから、迷い苦しむ生活としての生死はないのです。
ただこの生まれてきてから死ぬまでの現実そのものが、不生不滅の涅槃(さとり)の境地と心得たらいいのであって

うなると、いやがり、きらうべき生死という迷いの生活もなく、ねがいを求めるべき
涅槃(さとり)の境地というものもありません。


494が、いかにハッタリ知識を垂れ流しているか明白である。
521神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 09:11:23.23 ID:ZBebx5O1
>>520
>生死の中に仏あれば生死なし

仏とは何だ?あ?
あるは麻三斤と言い、あるは乾いた糞と言い、あるはしこたま引っ叩き、あるは指一本を差し出す

分かるか?仏とは何の事だ?あ?
修証を実現するのは他人じゃない、己そのものだろう?違うのか?え?
自分の都合最大限なのが仏道だ、これのどこにハッタる必然性があるのか説明してくれ

daio-さんよぉw
522神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 09:22:12.35 ID:ZGhzOyYB
>その何かとはズバリ「座禅宗」で有る筈の曹洞宗が密教の修法を取り入れ
葬式仏教に成り下がっている現状そのもの以外の何ものではない
その氏が抱いた疑念をパオの家風は諦びらかに教えてくれた訳です
彼は今でも、本来の曹洞宗は正しかった、とそう証言しています



ま、山下当人 が曹洞宗でスッキリしなかったんだろうなあ・・・・。
ま、オレが寺男やって居る寺も、禅定パワー不足だからな・・・。
つまるところ、優れた師匠縁が無かったのさ、山下には・・。
優れた師匠は日常生活すべて、あらゆる振舞いが禅定に叶って行う。見るだけで学べる・・・。
曹洞宗禅は、本来、優れた師匠縁による修業と悟りの道を設定している。
無師独悟はむりだという(道元禅師の言葉)体系システム。
この言葉が語る様に今居る寺だと曹洞宗禅定力向上は、これ以上困難さを感じるなあ・・。
オレは、山下禅定否定派ではないが・・・・。
仏教。禅、視点だと不足している点が、目につく・・・。
何かと言えば、物事を随時的確に把握する智慧。
故に、520では。
>ただこの生まれてきてから死ぬまでの現実そのものが、不生不滅の涅槃(さとり)の境地と心得たらいいのであって

という訳であって、この観点ね。


しかし、521は自己を忘るる事ができない哀れな奴よのおw
故にハッタリの確定wクダラン虚栄心だけだからなあw
523神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 09:27:29.80 ID:4EBlSAlz
>>522
>不生不滅の涅槃(さとり)の境地と心得たらいいのであって

方便としては否定しないが、実論としては大間違いだw
涅槃は心不可得、心得ることなど不可能なんだよ
そんな事言ってるからお前は未だに智慧が何だか解らんのさ

いい加減分かったのか?
智慧とは何か
524神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 10:04:56.54 ID:ZGhzOyYB
523では正法眼蔵(道元著)引用が気に食わぬらしいw

で、あの494ハッタリ知識かw
自己を忘れれられん(正法眼蔵、現成公案 、引用)外道は、めくらめっぽうに球を打つww
支離滅裂な自己すら学ぶ事が出来ぬのだろうw(これも正法眼蔵、現成公案、引用w)

523のハッタリの、お智慧、いや、お痴壊には驚くねえw
525神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 11:02:41.94 ID:172dhVMr
>>524
>ねがいを求めるべき涅槃(さとり)の境地というものもありません。

お前はここが既に分かってないだろ
涅槃の境地と言うのは「無い」のであり、故にねがいを求めるべき縁すらも「無い」と言っている

これが何だか、何のことだかまだ気付かんのか?
気付けん事を「悟ってない」と言うんでありお前の事だろw
俺はそれが分かってるから自信満々で上から目線なんだよw

金剛般若とは不壊の智慧の事だ
絶対壊れない智慧とは何か早く悟れ
それがお前の言う涅槃だ
526神も仏も名無しさん:2014/08/09(土) 12:53:16.97 ID:jM51yymZ
だから瞑想せずに言葉で表現しても
無駄だって

仏教はどこまでも瞑想実践の宗教
527神も仏も名無しさん:2014/08/10(日) 12:36:58.95 ID:Qe2zR+N/
525、ホントくだらねえw反論w政治屋トークだなw
自己を学んで(正法眼蔵、現成公案 、引用)、ハッタリに気づけww
528神も仏も名無しさん:2014/08/10(日) 12:38:12.43 ID:Qe2zR+N/
525ハッタリしても負けたくねえという絶対壊れない智慧とは何か早く悟れと言われてもなあww
529神も仏も名無しさん:2014/08/10(日) 20:18:54.84 ID:4UITJRF+
修証一如てのは結構多義的、抽象表現だと思うなぁ
証とは仏覚そのものではないんだよね
修覚一如ではない。
証とは、行因に対する証果、仏教が処方した薬を飲んだその効果の自覚
という意味だろう?
証はあかしとも訓じる
最終的には仏覚に通じているが証=仏覚ではないよ。
禅では、行因による証果が別時にあるのではなく同時。
だから、修証一如になるのじゃないかな
また修は広義には瞑想状態そのものを表すものではないだろう
日常生活の中でも、感情の生成消滅に執着することなく
心をきれいに保っていく。ゆえに修とは日常そのもの。
では、日常が悟りということはどういうことか?
悟りはなんらかの特別な状態を表すのではなく、日常の中にあわられてくる
ものということ。一時の体験に惑わされず
何かがわかったと楽しい日も、何もかもうまくいかずうちのめされる
苦しい日も、座る中に禅の中に証を見ていくということではなかろうか。
だから自分には木や石の状態が悟りってのはまったくピンと来ない言い方だなぁ
大木や石の泰然自若とした姿をイメージして瞑想に入ることはあるだろうけど
木や石の状態が悟りというのは、少し科学的世界観にすぎると思うよ
530おじゃる:2014/08/10(日) 23:54:29.77 ID:8E8r9iIs
 
http://www.onedhamma.com/?p=4901
14/08/10 青空としての「自己ぎりの自己」

身体の感覚に意識を集中させて
想いが現れ滅している変化を観察していると
『この曖昧な想いを前提とすることは出来ない』
と気づいて『思いの手放し』『思いが落ちる』

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4905425824/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
別冊サンガジャパン 1 実践! 仏教瞑想ガイドブック 2014/07/24 アルボムッレ・スマナサーラ、山下良道、その他
カスタマーレビュー
ヴィパッサナー瞑想の日本における現状がほぼ網羅されている
監修者による仏教瞑想の概論で
Part1が始まり、Part2 で技法論、Part3でマインドフルネスを詳述し
Part4で体験談、Part5で瞑想指導者七名の現況と道場の概略を載せる
それぞれ充実した記述で、写真も効果的である

http://www.samgha.co.jp/
http://www.samgha.co.jp/images/top/news/samjaposhi20110317.pdf
サンガジャパンVol.18 2014年08月下旬発売
531神も仏も名無しさん:2014/08/11(月) 00:25:03.02 ID:J5TXOj/q
>>530
おおすごいね
日本の有名どころが網羅されてるじゃん

サンガってスマにベッタリかと思ったら、
意外と懐深いんだね
532おじゃる:2014/08/11(月) 00:47:06.78 ID:SgMeuWcw
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E6%88%91%E4%B8%80%E5%A6%82
梵我一如(ぼんがいちにょ)
梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と
我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること
これらが同一であることを知ることにより
永遠の至福に到達しようとする思想
古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる

http://totutotudojin.jimdo.com/%E5%85%AB%E5%AE%97%E7%B6%B1%E8%A6%81/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97/
地水火風空識の
大日如来が
宇宙すべての存在として現れている
それ故に
一切諸法は大日如来と異ならない
大日如来は法界(世界)に遍満している

http://kotobank.jp/word/%E6%9C%89%E7%82%BA%E6%B3%95
因と縁の双方が相応一致して現れ滅して変化している有為法(ういほう)

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
輪廻にある存在と涅槃との間には
わずかな違いすら存在しない[中論25-19]
両者の間にはわずかな違いも
最も微細な違いすらも存在しない[中論25-20]
533神も仏も名無しさん:2014/08/11(月) 00:58:50.00 ID:mCuqpotP
>>529
>修証一如てのは結構多義的、抽象表現だと思うなぁ

「思うなぁ」←これが無明からの戯論なんだよw
仏道の目的をお前は完全に見失っている証左だな
だから修証一如の「修」によって何を証すのかすら分からん訳だw
多義的?バカな戯論を吐いちゃいけない
仏道の目的は煩悩の克服以外に何があるんだ?
四苦八苦の苦悩から解脱する以外に、仏道には何の目的が有ると言うんだ?
喩えて言うなら木や石のどこに四苦八苦があると言うんだ?
もしあるなら木は所を選んで着床し発芽する筈であり、石は人に踏まれない所に転がってる筈である
これら非情物は所を選ぶ事などしない、そんな当たり前をお前は理解出来ない
喩えで言ってるこの話をお前は怒りと嫉妬と増上慢から実論と区別見境すら出来無くなる

修によって煩悩解脱を目指し、涅槃を証す

これ以外に仏道の目的があると言うならお前は外道だと断ずる
534おじゃる:2014/08/11(月) 01:13:32.35 ID:SgMeuWcw
 
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/490450772X/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
サンガジャパン Vol.4(2011Winter) 2010/12/25 アルボムッレ・スマナサーラ、正木晃、その他

後期密教の悟り 正木晃 107ページ参照

初期仏教の段階から
性機能が健全でなければ
出家は許されなかった
性欲が頂点に達する思春期以前に出家する必要があった

その理由を
簡潔に表現するなら
性欲を修行によって悟りへの原動力に変容させていた

と私(正木晃)は思う
535528:2014/08/11(月) 06:18:11.79 ID:7Ig6rE3H
>最終的には仏覚に通じているが証=仏覚ではないよ。
禅では、行因による証果が別時にあるのではなく同時。
だから、修証一如になるのじゃないかな
また修は広義には瞑想状態そのものを表すものではないだろう
日常生活の中でも、感情の生成消滅に執着することなく
心をきれいに保っていく。ゆえに修とは日常そのもの。


ま、そんなところです。
大乗理解不能の533は小乗の域なんですw
536神も仏も名無しさん:2014/08/11(月) 07:44:08.78 ID:7Ig6rE3H
ま、禅なんて、基本、大乗仏教学が解らんとシンドイだろうなw
学が無い場合でも、優れた師匠縁と当人の本物偽物を見分ける眼力があれば可能だけど。

やはり、スマや、山下の方が解り易いかもしれん。
537神も仏も名無しさん:2014/08/11(月) 14:00:43.06 ID:uYlaP5wP
>>535
仏教は具に観れば大乗も小乗もない
それを設えたのは勘違いした後発の弟子
経典や化儀だけしか観えない愚か者はこの点を見誤る
釈尊の悟りに大乗も小乗も無い

>>536
釈尊の仏法に師匠は居ない、居たのは嘗ての外道の師匠だけだ
大乗が優れてると思うならそれを黙ってすればいい
世間解に於ける無分別智に大も小も無い事は証せばわかる
538神も仏も名無しさん:2014/08/11(月) 14:05:53.51 ID:uYlaP5wP
お前らは所詮証せてないから大小の分別を拘るんだよ
証せてないから智慧とは何かがわからんのさ
それが仏法を誤解してる証左だと気付けない
539神も仏も名無しさん:2014/08/11(月) 21:02:25.81 ID:J5TXOj/q
大乗も小乗も無いというか、後発の自称
大乗仏教が偽経を作るわ、呪術をやるわで
一方的に仏法を破壊してるだけなんだけどね

キリスト教やイスラム教をユダヤ教と呼ばないように
大乗仏教も本来仏教と呼んじゃいけないものだわな
540神も仏も名無しさん:2014/08/12(火) 05:54:16.81 ID:zuAQEC/D
ま、くだらぬ修業無縁の輩が舞うw
山下の方がはるかにマシだw
541神も仏も名無しさん:2014/08/14(木) 02:11:02.44 ID:w7BWeiz7
ここには一法庵に通っている人はいないの?
542神も仏も名無しさん:2014/08/14(木) 06:32:45.01 ID:ClN86jNc
いたとしても書かないんじゃないかな。
543神も仏も名無しさん:2014/08/14(木) 23:28:11.34 ID:cmyzMvF5
529だけど
賛成してくれる人も、反対する人も
あまり的をえてないので困るなぁ
2chで話し相手見つけるってのが間違ってるのかもしれないけどさ
544神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 05:30:24.33 ID:sS7tw5Os
>>543
修証一如の「修」も「証」も己自身の問題を言っている
的を得るではなく「射る」なのだろうが、それはさて置き
話の論点が合わないのも己が無知だからなのであり己の問題
ましてや証の何たるかを云々するなら尚更であろう
相手の所為にしてる時点でお前自身が論点を
欠いていると言わざるを得ないのである

修証一如の修は仏道を習い行じる事と分かるなら
仏道の目的は涅槃を悟り証す事以外有り得ないと知るべきなのである
勿論それは他人に施して貰って成る訳ではなく
どこまで行っても己自身の問題なのは言うまでも無い
545神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 10:07:43.63 ID:vBlPlAVP
>修証一如の「修」も「証」も己自身の問題を言っている


ハイ、失格、大乗仏教学の基礎からやり直しなさい。
546神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 14:03:58.80 ID:i8B9Cvb+
中国で仏教は道教と儒教の影響を受けていますよね。
仏教・道教・儒教の三教合一もありましたし。

儒教と道教も学んだ上で上で、東南アジアの仏教と、
中国と日本の仏教の照らし合わせをした方が良いなと思うようになりました。
道教の勉強をはじめたばかりですが、儒教も勉強したいと思います。
古代中国の歴史、文化と風習、道徳・倫理も学ぶ必要あるかなと思ってます。

中国で初めて仏教を受け入れたのは後漢の明帝という説が有力ですが、
明帝の父は後漢を起こした光武帝なんですよね。
光武帝から始まる後漢の歴史と文化も勉強したいです。
ちなみに光武帝は三昧に達していたそうです。
そして、中国史上屈指の名君だった。
547おじゃる:2014/08/15(金) 16:58:51.33 ID:QIn9pt1A
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99

儒(じゅ)の起源については
胡適が「殷の遺民で礼を教える士」として以来
様々な説がなされてきたが
近年は冠婚葬祭
特に葬送儀礼を専門とした集団であったとするのが一般化してきている

東洋学者の白川静は、紀元前
アジア一帯に流布していたシャーマニズムおよび
死後の世界と交通する「巫祝」(シャーマン)を儒の母体と考え
そのシャーマニズムから祖先崇拝の要素を取り出して礼教化し
仁愛の理念をもって、当時
身分制秩序崩壊の社会混乱によって解体していた
古代社会の道徳的・宗教的再編を試みたのが孔子とした
548おじゃる:2014/08/15(金) 17:11:22.44 ID:QIn9pt1A
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%95%99

「三洞」とは、洞真経・洞玄経・洞神経の3つであり
元々はそれぞれ上清経・霊宝経・三皇経(三皇文)と言い
別々の集団によって伝えられた

三洞最上位の上清経を伝えた一派の開祖は
山東省任城の女性・魏華存である
彼女は2人の息子と戦乱を避けて江南に移住し
そこで天師道の祭酒(指導者)になったという
その後仙道を極めて仙女となり、紫虚元君・南岳夫人を名乗った
東晋の役人・許謐は霊媒の助けを借りて紫虚元君らを仙界から降臨させ
教示を書き残した
これが時代を得て上清経になったという

『 精神を研ぎ澄ます瞑想法の存思法などの修練を通して汚れた人間界を脱し、神仙界へ至ることを説く 』
後に活躍した道士の陶弘景は、この上清経をとりわけ重視した

霊宝経の起源は禹の時代に遡り
邪鬼を排し昇仙を成すという神人から賜った「霊宝五符」とその呪術にある
これは江南の葛氏道と呼ばれる一族が伝え、経典として整備されたという
その内容は仏教
『 特に大乗仏教の影響を受け、輪廻転生や元始天尊が衆生を救済するという思想を持つ 』
549おじゃる:2014/08/15(金) 17:23:25.61 ID:QIn9pt1A
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99

仏教においては、迷いの世界から解脱しない限り、無限に存在する前世と、生前の業
および臨終の心の状態などによって次の転生先へと輪廻するとされている
「天・人・修羅・餓鬼・畜生・地獄」の六道の転生先に生まれ変わるとされる
生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では良き境遇(善趣)に生まれ変わり
悪業を積めば苦しい境遇(悪趣)に生まれ変わる

また、神(天)とは、仏教においては天道の生物であり、生命(有情)の一種と位置づけられている
そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である
仏教はもともとは何かに対する信仰という形すらない宗教であった
時代が下るにつれて開祖である仏陀、また経典に登場する諸仏や菩薩に対する信仰を帯びるようになるが
根本的には信仰対象に対する絶対服従を求める態度は持たない
仏教における信仰は帰依と表現され、他宗教の信仰とは意義が異なっており
『 たとえば修行者が守るべき戒律を保つために神や霊的な存在との契約をするという考えも存在しない 』

ただしこれらの内容は
『 民間信仰においては様子が一変していることが多く、それが仏教を分かりづらくする原因の一つとなっている 』
550神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 17:46:02.13 ID:i8B9Cvb+
おじゃるさん、お疲れ様です。

私も今勉強中ですが、
仏教が道教の一派のような形で根付いていったことを知りました。
戒律面においても、道家や儒家の戒律に合わせたものが設けられるようになっていったようです。

僧侶達は田畑を持たず托鉢で食を得ていたけど、限界がきて田畑を持つようになった。
仏教僧が田畑を耕すこともなく托鉢で食を得ていたことで、
儒家や道家から非難もあったようですね。
仏教僧側としては田畑を持つことは無所有に反する、
また耕す際に虫達を殺しかねず殺生に繋がるという意見もあって揉めたようです。
551おじゃる:2014/08/15(金) 17:47:12.79 ID:QIn9pt1A
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0
シャーマンとは
トランス状態に入って
超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信する現象を起こすとされる職能・人物のこと

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9_%28%E6%84%8F%E8%AD%98%29
トランス状態とは
通常とは異なった意識状態、つまり変性意識状態の一種であり、その代表的なものである

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%89%E6%80%A7%E6%84%8F%E8%AD%98%E7%8A%B6%E6%85%8B
変性意識状態とは、日常的な意識状態以外の意識状態のことで

変性意識状態は「宇宙」との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴い
この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言われ

その体験は精神や肉体が極限まで追い込まれた状態、瞑想などによってもたらされ
トランスパーソナル心理学ではこれを人間に肯定的な効果をもたらすものとして研究する

また精神疾患に対する有効な療法として、一時的にこの状態を患者に与える方法が活用されている
552おじゃる:2014/08/15(金) 17:59:21.24 ID:QIn9pt1A
 
>>550 さんへ

私(おじゃる)の場合は
瞑想とか呼吸法などの実践はしたことがなくて
教学も初心者にも及んでいない段階で
更に
儒教とか道教などについては
まったく知りませんでした
  _  _  _

仏教は儒教とか道教など採り入れて

儒教とか道教などは仏教とかを採り入れた

 ↑ こんな感じでしょうか?
553おじゃる:2014/08/15(金) 18:23:50.23 ID:QIn9pt1A
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%89%E6%80%A7%E6%84%8F%E8%AD%98%E7%8A%B6%E6%85%8B
変性意識状態は
『 宇宙との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴い 』
この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言われる

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E6%88%91%E4%B8%80%E5%A6%82
梵我一如とは
梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と
我(アートマン:個人を支配する原理)が
同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより
永遠の至福に到達しようとする思想
古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる
  _  _  _

地水火風空識の
大日如来が宇宙すべての存在として現れている
一切諸法は大日如来と異ならない
大日如来は法界(世界)に遍満している
  _  _  _

虚空蔵菩薩の象徴である明けの明星が飛来して、真言を唱える真魚(空海)の口に入った
真魚(空海)という小宇宙(人間)が大宇宙(虚空蔵菩薩という宇宙の仏)と無二一体となったのである
  _  _  _

空海は
手に印契を結び、口に真言を唱え、心を仏の三昧に住するという三密行を示し
自身金剛身(大日如来)となり即身成仏の境地に入ってみせ、体から黄金の光を放ちます
554神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 18:41:13.20 ID:i8B9Cvb+
>>552おじゃるさん

影響の及ぼし合いはあったようですね。
ただ、先に根付いていて倫理道徳の基準となっていたのは、
儒教や道教の方なので、仏教僧側が合わせていった面の方が強いようでした。

まだまだ勉強をはじめたばかりですが、もう少し深く学んで整理したいと思います。
儒教と道教を学んだ上で、儒家と道家、中国仏教僧達の影響の及ぼし合いを知ることで、
色々見えてくることもあるように思いました。
555おじゃる:2014/08/15(金) 18:48:54.67 ID:QIn9pt1A
 
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-life/test/post-122.html
虚空蔵菩薩の象徴である明けの明星が飛来して、真言を唱える真魚(空海)の口に入った
真魚という小宇宙(人間)が大宇宙(虚空蔵菩薩という宇宙の仏)と無二一体となったのである

http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-art/cat25/post-50.html
空海が
手に印 契を結び、口に真言を唱え、心を仏の三昧に住するという三密行を示し
自身金剛身(大日如来)となり即身成仏の境地に入ってみせ、体から黄金の光を放ちます

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1483660814
道元禅師が「正法眼蔵」の第六十で
『 この三十七菩提分法、即ち仏祖の眼晴鼻穴、皮肉骨髄、手足面目なり
  仏祖一枚、これを三十七菩提分法と参学しきたれり 』

空海がその著書「弁顕密二教論」の中に『 三十七菩提分法是れ法宝なり 』

http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落とさせるものである
1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り越えることができるであろう
このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない
556神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 19:03:24.04 ID:++T+WxTf
>>545
何言ってんだお前w 失格なのはお前だよ
仏教はそもそも学問ではない
修行もその成果も受けるのは自己意外に誰が受けるのか
大乗だから一人の修行がその他大勢に伝播し、とか考えてるなら大間違い
仏教に大小はそもそも存在せず、後世の後付を真に受けるバカしか信じてない
自分が行わねば何も起こらず、行ったそれを人に伝播するから証得が広がるのであり
一人が行ってその他大勢が証得を得る訳ではない
もし、大乗なんだから個人の修行が大勢を自動で救う、と考えるなら
今頃は外道を駆逐している筈なのである

仏教はあくまでも個人が行い、その成果を他人へ啓蒙して始めて伝播して行くのに相違無いのである
これは抗い難く覆し難き事実であり道理なのである
557おじゃる:2014/08/15(金) 19:13:17.51 ID:QIn9pt1A
 
>>554 さん了解です

後期大乗密教の場合は
(例えば仮に 『 土着的なものも含めて受け入れて 』)
… その教えが余すところなく伝えられたことを称して「瀉瓶(しゃびょう)の如し」と言うらしい

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%86%E6%95%99

密教成立の背景には
インド仏教後期においてヒンドゥー教の隆盛によって仏教が圧迫された社会情勢がある
ヒンドゥー教の要素を仏教に取り込むことでインド仏教の再興を図ったのが密教である

しかし結果的には
インド仏教の密教化はヒンドゥー教の隆盛とインド仏教の衰退を変えられなかった
558神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 19:21:04.16 ID:++T+WxTf
仏教は集中力と超明晰な頭脳を酷使するのが常である
だから愚者は自分の愚かさの半自覚から意気消沈し放逸してしまう
バカだから悟れない、得道出来ないと諦めてしまう
そんな愚かな者共を見捨てなかった大乗仏教標榜に夢を見て妄想を抱く前に
仏教を究める為には頭脳は使うが知識は不要なのだと進言しておく
愚人は大量の書物・テキストを読み漁り、類稀なる量の知識を溜め込んで
必死に無学を目指そうと試みる、仏道に於いてこれは大間違いなのである
所謂大乗だろうが小乗だろうが、その道の目指す畢竟は涅槃であり解脱であり仏(成仏)である
掛かる時間の長短は本人の努力次第だから一概には言えないが
通常、愚人が仏道を志すと「知る事、覚え究める事」を目指すもんだと勘違いする
そこが大間違いの元であり根源であり、いつまでも極らない原因なのである
涅槃は一切の戯論が悉く寂滅した目出度き境地である
仏は煩悩の火を全部吹き消せと教えた
煩悩も戯論なのである、ならば寂滅せずにどうして吹き消せよう
愚人は気付くべきである
知識を溜め一杯考えて悟りに至るのではないと
大量の知識が仏智なのではない、逆である
全て悉く空っぽで、漏れなく寂滅出来るそれこそが仏智=金剛般若=智慧なのであると
559神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 19:22:38.61 ID:i8B9Cvb+
>>557
僧侶達は信じる教えを滅ぼしたくないために、
頑張ったという面でもあるのですよね。
変化する社会、また文化風習の違う国で
その宗教(便宜上こう書きますね)を守っていく為に、
そこでの文化・風習や他教とのすり合わせをせざるを得なかったのでしょうね。

それ故に大局をきちんと把握したいとつくづく思いました。
560神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 19:26:27.94 ID:++T+WxTf
>>559
仏道を究めれば三明を習得する
それを以って仏教の大局すら天眼通で分かる

習う必要がどこにあるのか
561神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 19:31:07.94 ID:RFTcz9fz
生煮えだなぁ
562おじゃる:2014/08/15(金) 19:38:41.25 ID:QIn9pt1A
 
>>559 さん了解です
563神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 21:37:00.50 ID:RFTcz9fz
結局、道教はどういうものだったんですか?
564神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 22:23:31.36 ID:i8B9Cvb+
>>560
最初はソーティングが目的でしたが、その考えはもう捨てました。
今では、文化風習が違う地で教えを守ろうとしていった
僧侶達の尽力について学びたい、敬意を持ちたいという気持ちが強いです。
あと個人的に、光武帝と明帝、後漢を好きになりまして...

>>563
まだ勉強をはじめたばかりなので、書くのは控えますね。
一応wikiを貼っておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%95%99
565神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 22:31:18.83 ID:RFTcz9fz
誰か、うまくまとめてくれる人はおらんのかいな
566神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 23:38:38.59 ID:RFTcz9fz
神仙
五行陰陽

煉丹
経絡
道家哲学

中国の固有性が高いのはこれらかな
567神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 23:42:16.89 ID:RFTcz9fz
道家哲学は適切じゃないな

老荘か。
568おじゃる:2014/08/16(土) 01:29:39.10 ID:urxUyIE3
 
道教の展開

宋の時代は、中国の大きな転換期であった
そのような中、道教も民間からの様々なものが持ち込まれた
唐代までの仙人とは
『列仙伝』や『神仙伝』などで語られる存在だったが
宋代には民間から信仰される対象が仙人に列された
その代表が呂洞賓という唐後期から五代に生き弱者や善良な者を助け
道教の布教を行ったと伝わる人物である

また、金丹が衰え内丹術が隆盛になったのもこの頃である
内丹とは瞑想などを通じて体内の気を練り
神(しん、こころ)を通じて体の中に金丹を生み
不老長寿に至る方法論である
これも過去の金丹が莫大な出費を要するのに対し
基本的に身体のみを使う内丹は誰でも取り組める上
出版により手軽に広がった事もある
内丹も当初は2系統があり
ひとつは「気」の修練を重視し肉体的な不老不死を目指す「命宗」と
もうひとつは「神性」の修練に重きを置く「性宗」であり
こちらは禅の思想に近い
この2つの系統ややがて性宗が優勢になり
道教は内面化・精神化の傾向を強めてゆく

道教の一側面である呪術にも「雷法」という新しい概念が持ち込まれた
雷を天の意思を代行する雷部の神将(雷官)による正義の力と考え
内丹で練った神気を外に向ければ強烈な力を使役できると考えられた
569おじゃる:2014/08/16(土) 04:15:12.94 ID:urxUyIE3
 
http://www.onedhamma.com/?p=4903
14/08/15 一粒の麦もし死なずば

例えば
仮設としての( ← 『変化して逝くもの』という意味で)
今まで『雲の自分』として生きて来たけど
何かの切っ掛けで
(『微細な感覚に意識を集中させて』というようなものも含めて)

因と縁の双方が相応一致して
分厚い雲の隙間から『あおぞら』を見て
『雲の自分』としての想いから離れて『思いの手放し』『思いが落ちて』そして
自分の本質は『あおぞらである』と気づくことである

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%84%A1%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E4%BB%8F
機法一体
機とは衆生の信心(=南無)
法とはその衆生を救う阿弥陀仏の本願力(=阿弥陀仏)
衆生の機と阿弥陀仏の法が一体不離となって「南無阿弥陀仏」となっているとする解釈

http://www.asahi-net.or.jp/~cn6k-inb/02/nukigaki.html
内山興正老師語録
570神も仏も名無しさん:2014/08/16(土) 06:13:42.74 ID:HUwOy2iG
>僧侶達は田畑を持たず托鉢で食を得ていたけど、限界がきて田畑を持つようになった。
仏教僧が田畑を耕すこともなく托鉢で食を得ていたことで、
儒家や道家から非難もあったようですね。
仏教僧側としては田畑を持つことは無所有に反する、
また耕す際に虫達を殺しかねず殺生に繋がるという意見もあって揉めたようです。



禅仏教は自給自足です。唐後期以降。
571神も仏も名無しさん:2014/08/16(土) 06:18:35.71 ID:HUwOy2iG
558 :神も仏も名無しさん:2014/08/15(金) 19:21:04.16 ID:++T+WxTf
仏教は集中力と超明晰な頭脳を酷使するのが常である




やっぱり、空想修業はなはだしいなw
大乗仏教学一からやりなおせw
基本知識が必要ww
君は小理屈が好きそうだからw

ま、当人今回の人生では自己陶酔の穴倉から出て来れんようだがな・・・。
572神も仏も名無しさん:2014/08/16(土) 13:27:12.88 ID:gv1VP2FK
>>568
ほぅ、外丹隆盛は唐代であったか
でも、道教って結局よく分からんよな
不思議な術を示して、それを仙人て名付ければ道教になるだけだからな
573おじゃる:2014/08/16(土) 14:15:36.71 ID:urxUyIE3
 
>>569 の続き

やって来て、また去るものは
依存的で変化するものである
依存的でなく変化しないもの
それこそが涅槃として説かれたものである[中論25-9]

師は
生成と消滅の放棄
(『縁起したものを離れること』)を説かれた
したがって、涅槃は
存在でも、まったく存在しないものでもないというのが正しい[中論25-10]

涅槃は非構築的なもの(無為)である
存在するものも、まったく存在しないものも
部分と原因で構築されたもの(有為)である[中論25-13]

(輪廻にある存在は
  自分を掴もうとしているけど
  周囲環境を掴もうとしているけど
  因と縁を掴もうとしている想いから離れ、そして『思いの手放し』『思いが落ちて』
  『自分の本質が涅槃であると気づくことが出来るので』それ故に)

輪廻にある存在と涅槃との間には
わずかな違いも
最も微細な違いすらも存在しない[中論25-20]
574神も仏も名無しさん:2014/08/16(土) 14:26:05.95 ID:L83BuFRt
道教と聞いて浮かぶのは、ザックリとだけど宇宙・星宿への信仰かな。
二十八宿星曼荼羅は影響を受けているんじゃないかと思ったけど、どうなんだろ。

余談だけど、ある星神について調べていた時期があって、
日本では星宿信仰はあまり盛んではなかったという記事をたくさん見た。
575神も仏も名無しさん:2014/08/16(土) 14:35:24.35 ID:gv1VP2FK
星宿か、そんなのもあったな
たいてい五行陰陽で体系化していくよね、ああいうの

二十八宿って黄道星座(星宿)じゃなかったっけ?ちょい調べるわ・・・
やっぱそうだわ
ということは、太陽暦と関係あるのかな
にしても、シナは暦でインドに遅れているからなぁ
星宿も、おおまかには輸入されたものの可能性はあるかもね
576神も仏も名無しさん:2014/08/16(土) 14:39:17.75 ID:gv1VP2FK
陰陽寮ではわりと研究されてたっぽいけどね、星宿も、陰陽の分野に入るから
破軍とか聞いたことあるわ
でも、日本の庶民信仰となると、されてないかもね
577神も仏も名無しさん:2014/08/16(土) 14:47:48.95 ID:L83BuFRt
二十八宿は確か白道だったと思います。
578神も仏も名無しさん:2014/08/16(土) 15:07:22.96 ID:gv1VP2FK
>>577
ごめん、たしかに黄道ではないね
Wikiによると天の赤道らしいけど
それが日常、観測するときにおける何の軌道を意味しているのかよくわからんな
他のサイトによるとほとんどが白道のようだ。
28も月の公転周期に起因するらしいし、ほぼまちがいないかな
忠告ありがとう
579おじゃる:2014/08/16(土) 15:10:49.17 ID:urxUyIE3
 
二十八宿とかについても、まったく、わからないけど↓貼り憑けて置きます

http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/mandara/hosiku.html

星曼荼羅は
中国の陰陽五行説や占星術
『 道教の影響を強く受けた曼荼羅です 』

内院中央には釈迦金輪を配し
第二院には十二宮
『 外院には二十八宿を配します 』

http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/lec44.html

国土交通省 - 風水で見た都市のあり方

江戸というのも実は 『 風水 』 で造設されたまちなのです
関東平野にある江戸は必ずしも理想的な土地ではありませんでした
それを徳川家康や 『 天海僧正 』 が「言霊法」というものを使って
あちこちに霊力のある山の名前を与えています
また、もともと江戸のまちに流れてくる 『 龍脈 』 から吹き上げてくるよい 『 気 』 を集めて
それを循環させるために甲州街道、東海道をつくりました
それらと、富士山や秩父山系から神田明神を通る3本の 『 龍脈 』 が江戸を支えています
580神も仏も名無しさん:2014/08/16(土) 15:12:43.01 ID:L83BuFRt
すみません。
白道を持ち出す箇所が違ってました(汗)
失礼しましたm(_ _)m

日本では、天武天皇と持統天皇が道家だったそうで、
星宿信仰を取り入れていますね。
古墳の天井に二十八宿図が描かれるようになったしましたね。
581神も仏も名無しさん:2014/08/16(土) 15:19:08.65 ID:gv1VP2FK
道教っていわれても道教自体、核のない宗教だから影響もなにも
たんなるサブカルチャー群でしかないんだよねぇ

あえて固有性をあげれば>>566かなという感じ

五行陰陽は斉から起こったらしく
儒学に五行陰陽を取り込んだ学派が漢代に政権中枢に入ったことで
道教が隆盛していくってのが、自分のイメージかな
でも、秦漢移行期を読み解くのは難しいから、なんとも言えないけど。
582神も仏も名無しさん:2014/08/16(土) 15:48:12.78 ID:L83BuFRt
>>579
乙です!

>>581
566の書き込み見ました。
乙です!

中国における三教の関わり合いの歴史に興味が沸いてきました。
583おじゃる:2014/08/16(土) 16:28:14.06 ID:urxUyIE3
 
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/6329/1/003-%E8%A6%8B%E7%94%B0%E5%85%88%E7%94%9F.pdf
法門寺は
中国・西安から西に約120キロ離れた陝西省扶風県法門鎮に位置し
創建は西魏時代に遡るであろうことが指摘されており
唐の時代には釈迦の舎利を安置する四大寺院の一つとして隆盛した

特に唐王朝の第十七代懿宗皇帝は仏教に厚く帰依し
『旧唐書』には咸通十二年〔871〕8月に
九隴山の師益という禅僧が法門寺塔下で舎利を発見したという記録も残り
懿宗の時代に法門寺から都長安へ仏舎利を迎えるという行事が行われ
これに関係する遺品が現代に伝わるものと思われる

http://kotobank.jp/word/%E8%98%87%E6%82%89%E5%9C%B0%E7%B5%8C
『蘇悉地羯羅経(そしつじからきょう)』
中国、唐代にインドから長安に来た善無畏によって訳出された密教三部経典の一つ
3巻、34品から構成され、真言の持誦、護摩の法を述べている
なお蘇悉地とはサンスクリット語 susiddhiの音写で
真言を称えることによって達しうる妙果を意味する

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%95%8C%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85
胎蔵曼荼羅
内側から外側へ向かう動きを暗示していて
大日如来の抽象的な智慧が
現実世界において実践されるさまを表現している

金剛界曼荼羅
すべては大日如来の悟りが形を変えて現われたものであり
すべては大日如来一尊に由来するということを表現している

胎蔵曼荼羅が真理を実践的な側面、現象世界のものとして捉えるのに対し
金剛界曼荼羅では真理を論理的な側面、精神世界のものとして捉えていると考えられる
584神も仏も名無しさん:2014/08/18(月) 20:05:42.35 ID:XbQtlVBK
>>581
『道徳経』を読むと、道教の核が見えてくるはず。
585おじゃる:2014/08/18(月) 21:05:43.94 ID:p/3KZ+p5
 
↓こんな感じでしょうか?

http://www.ginzado.ne.jp/~okoshi/rousi.html
老子 道徳経
第十章
(魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気)
(『微細な感覚を感じて意識を集中させて』)

魂と魄を一つに統一し、離れないようにできるか
呼吸を調和集中させ、嬰児のようにすることはできるか
自分の中の曇った鏡をきれいにし、何もないようにすることはできるか
人々を愛し、国を統治して、しかも知られずにいることができるか
無存在の領域に出入りし、行動を自分で起こすことができるか
明るい照明を知らなくても、あらゆる方面へ及ぼすことはできるか

それを養い、育てよ
(自分の本質が『あおぞらである』と気づくこと)

生み出しても、それを所有するな
(『雲を手放し・雲が落ちる』)
(『思いの手放し・思いが落ちる』)

はたらかせても、それに頼るな
導いても、それを統御するな

これは神秘の徳と呼ばれる
586神も仏も名無しさん:2014/08/18(月) 22:52:14.88 ID:X+sbx6v8
老荘は道教そのものではないんだよねえ・・・残念ながら。あくまで道家。
その思想は、確かにインドの影響を受けてはいるだろうが、(随所に痕跡は窺うことができる)
さりとて影響を受けたと言うには、まだあまり洗練されておらず、原初的。
のちに多くのシナ人が気づくが、仏教とはちがうといった趣き。
瞑想を重視するインド的修行者より、神道のシャーマンにより近いと言うべきだろう。
シャーマニズム自体世界的に見られるものなので、それを中国固有と言うことはできないが
文字や言葉にしたことによって自然に固有性が現れていると思う。
何より、シャーマンがおこなう行(幽体離脱的なものか?)を文章、文学に高めている点で
その文化圏における画期になっていると思われ、一つの型を形作ったのは間違いないだろうね。
それを道教と言うことはできないけど。
だって、道教は仏教の教義体系の緻密さに圧倒されて、作られたからね

なんせ、儒家、道家は言行録、随筆的なもので、まったく体系化されなかった。
また漢文そのものが学派内でのみやりとりできるもので、おおよそ口論に使われるように洗練されていなかった。
それに文字そのものの限界からか、あまり複雑な思想のやりとりができなかった。
587神も仏も名無しさん:2014/08/19(火) 00:28:48.51 ID:+7WdEQTF
始皇帝は道家でもあったよね。
588神も仏も名無しさん:2014/08/19(火) 00:41:43.61 ID:+7WdEQTF
でも、中国でもっとも影響力が強かったのは儒教だよね。
中国三教に踏み込んだなら、道教の歴史と仏教との関わり合いだけでなく、
儒教の歴史と儒教の影響まで学んだ方がいいかもしれないね。
589神も仏も名無しさん:2014/08/19(火) 01:50:07.24 ID:vHveGClD
儒教もいわくつきだね

春秋戦国において、圧倒的であったのは儒家と墨家。
ひとくちに儒家と言っても、いろんな学派が林立していた。
法家と呼称されているものがあるが、そもそも法家の名が与えられたのは漢代になってからの可能性がある。
より性悪説の立場にたった統治方針をとった儒家であった韓非が、以前の政治家を参考評価し
書にまとめた者たちを、後の時代の人たちが法家と呼んだと思われるから。
法家の李斯によって、始皇帝が焚書坑儒を行ったと言われるが、
実際を見ると、始皇帝はすべての学問を皇帝公認制にするという異常な統制を布いたものの
王宮に書物を保管していたし、埋めた儒者も食客になるために詭弁を弄すような輩たちばかり。
保管していた書物を焼いたのは項羽こと項籍。
ただ、始皇帝の統制によって、儒家諸学派の思想が争われ、経典の整理やイデオロギーの収斂がおこったこと
は否めないだろう。法家は易や陰陽五行を重視しなかった。
だから、それらを尊重する儒家が尊重され、のちに漢代になって復讐されたのだと思う。
儒家が一つの学派にされたのは董仲舒が儒家を国教化し、
白虎観会議において整理されて以後だろう。
これによって正学が定まり、その方針によって国家を統制する宗教が生まれた。
ただ、儒教が教義体系をもつのは朱子学において。

ちょと半端な知識だが、そう言う感じでしょ
590神も仏も名無しさん:2014/08/19(火) 01:58:50.63 ID:vHveGClD
訂正
>それらを尊重する儒家が尊重され、のちに漢代になって復讐されたのだと思う。

→ 秦代は法家とよばれるような儒家がもてはやされたが、漢代になって彼らは没落したのだと思う。


孔子は怪力乱神を語らずと言ったし、荀子は易を経典に入れていない。
もちろん、論語を書いた学派と易を採用した学派がちがったと解釈すればまたちがう見解にもなろうが
とにかく法家は漢代になって、虐げられたんだろうね
591神も仏も名無しさん:2014/08/19(火) 02:10:00.71 ID:vHveGClD
すまぬ
白虎観会議は、董仲舒のときではなく、古文経が発見されてのちのことみたいだね
中国ではよく起こること()らしいけど
592神も仏も名無しさん:2014/08/19(火) 02:10:33.39 ID:vHveGClD
ねます
593神も仏も名無しさん:2014/08/19(火) 19:11:58.87 ID:+7WdEQTF
拝読しました。
ありがとうごいます。
594神も仏も名無しさん:2014/08/20(水) 17:40:10.82 ID:oiEwZ1DS
中国は皇帝がどの教を重んじるかによって、
厚遇されたり弾圧されたりしてきたのですよね。
道教も仏教も弾圧と厚遇の繰り返しだった。
中国の歴史をみんると残虐なんですよね...
僧侶も道士も、あの残虐で過酷な歴史の中で信を守ってきたと思うと、頭が下がります。
595おじゃる:2014/08/25(月) 02:56:36.57 ID:dzd3aeTF
 
http://www.onedhamma.com/?p=4908
14/08/24 仏教 3.0 元年

厚い雲の隙間から「あおぞら」を見て
『「むさぼり・いかり・おろか」に影響されることがない「あおぞら」がある』
と気づいて、そして

「仮設としての」という意味で仮に
煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく
また他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができる

そして、微細な感覚を感じて、そこに意識を集中させて
妄想を掴もうとしている想いを放して「思いの手放し」「思いが落ちて」そして

http://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
決して 意思 せず、また 意思活動 をしない彼に
それら 諸々の想 はもちろん消滅し、別の諸々の粗い想 も生起することがない
彼は、滅 に触れる
このようにして、順々の正知 による 想滅定 が生起(心作用が消滅)して

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
縁起したものを離れることがある
それこそが苦しみの終わりである
596おじゃる:2014/08/25(月) 03:07:30.09 ID:dzd3aeTF
 
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
2
諸法は夢の如しと訓練しなさい
道の本体は阿頼耶の自性に置くことです
坐(瞑想のセッション)の間は、幻術師としてありなさい
3
空性は防御の最上のもの

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる
これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである
作り出されたものは空性によって消滅する
行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある[中論18-5]

http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落とさせるものである
1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り越えることができるであろう
このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない
597おじゃる:2014/08/26(火) 19:12:37.44 ID:KKh2cJ1y
 
http://www.higan.net/ebn/2014/08/post-20.html
仏教1.0(日本の伝統的な大乗仏教)の人たちは
浄土にも禅にもいくらでも青空をさす言葉はあるし
考え方としては青空があるわけですが
ぜんぜんピンと来ていない人たちが多いですね

(『「あおぞら」を知覚して住む』ことが出来てない人が多い)

http://www.higan.net/ebn/2014/08/post-21.html
仏教1.0だけだとロジックすらはっきりしなかったわけですよ
2.0(日本で最近受け入れられつつある上座部系)を通って
3.0(1.0と2.0を修正して「あおぞら」)になったときに
色即是空、空即是色がきちんと論理的に言えるようになる

(厚い雲の隙間から「あおぞら」を見て
  その「あおぞら」を知覚して
  その「あおぞら」に住んで

  この「あおぞら」の立ち位置から
  「雲を観察していく」というような感覚で

  微細な感覚を感じて、そこに意識を集中させて
  世俗を掴もうとしている想いを放して

  「思いを手放し」「思いが ストッンと落ちる」)
598神も仏も名無しさん:2014/08/26(火) 19:42:58.41 ID:DZfxAexk
>「思いを手放し」

執着を手放すことですか?
599神も仏も名無しさん:2014/08/26(火) 23:38:48.31 ID:oBevJUf4
1.0と2.0を理解することが3.0なのか?
青空を感じることが3.0なのか?
仏道は心の鍛錬ではないのか?
podcastを聞いてるとアビダルマを
崩して崩して話してる様にも聞こえる。
600おじゃる:2014/08/27(水) 02:09:54.16 ID:TkDW3U7Y
 
> 執着を手放すことですか?

時間の余裕が有る時に↓podcastを少しずつ聞いてみて下さい

http://www.onedhamma.com/
14/08/24 「仏教3.0」元年
14/08/15 一粒の麦もし死なずば
14/08/10 青空としての「自己ぎりの自己」
14/08/06 第三回「アップデートする仏教を体感しよう」in 東京
14/08/03 誰でも出来る「思いの手放し」
14/07/27 「思いの手放し」に新しい光りをあてる
14/07/20 映画の世界を出たくないエゴ
14/07/13 「こころのケア」入門
14/07/12 自分のなかの「生ゴミ」が一瞬で「堆肥」に変容する
601神も仏も名無しさん:2014/08/27(水) 07:45:18.24 ID:rgcelLu8
>>600
おじゃるさんおはようございます
情報ありがとう。
602おじゃる:2014/08/27(水) 10:15:15.94 ID:TkDW3U7Y
 
14/07/12 自分のなかの「生ゴミ」が一瞬で「堆肥」に変容する
http://www.onedhamma.com/?p=4868

「今日は何かを掴んでやるぞっ!」と掴もうとしている想いが有ると
変化が現れるのが難しい

 - これを対処する為に -

身体の感覚を感じて、そこに意識を集中させて

厚い雲の隙間から「あおぞら」を見て
その「あおぞら」を知覚して、その「あおぞら」に住んで

この「あおぞら」の立ち位置から
「雲を観察していく」というような感覚で

世俗を掴もうとしている想いを放して
「思いを手放し」「思いが ストッンと落ちて」

微細な感覚を感じて、そこに意識を集中させて、そして、最終的には
集中させている「想いも放して」

http://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
決して 意思 せず、また 意思活動 をしない彼に
それら 諸々の想 はもちろん消滅し、別の諸々の粗い想 も生起することがない
彼は、滅 に触れる
このようにして、順々の正知 による 想滅定 が生起(心作用が消滅)していく
603おじゃる:2014/08/27(水) 11:13:14.88 ID:TkDW3U7Y
 
1.0(日本の伝統的な大乗仏教)と
2.0(日本で最近受け入れられつつある上座部系)と
吾妻麗子さんの『青空のヨーガ』を
織り交ぜているようなので

> アビダルマなどを崩して話してる様にも聞こえる
のかも

http://shri-shanti.com/
ヨーガを学び始めることは、『平安』『青空』へ向かう道を歩み始めることです
ヨーガで生きるとは、『青空として生きる』ことです

http://mandalaya.com/shintai.html
密教では身体は肉体から意識まで、粗大な身体(波動)と微細な身体(波動)で構成されていると考えています
現代社会は物質と意識が分かれていると考えていますが、密教では身体と意識は分離できないのです
六大とは地水火風空(固体・液体・火エネルギー・気体・氣エネルギー=物質)の5エレメントで出来ている物質と
意識エネルギーを合わせた6つの構成要素で出来ています
宇宙は6つの要素で出来ているのです

http://totutotudojin.jimdo.com/
真言宗では六大(地・水・火・風・空・識)を立てて、総じて仏の体をあきらかにする
六大のうち、前の五大は理である。 第六の識大は智である
智は即ち金剛界、理はこれは胎蔵界である。これを両界両部の大日如来という
六大がつまり大日如来を成している
一切諸法は六大と別では無い。六大の法性は諸法に遍満している
一切諸法は大日如来と異ならない。 大日如来は法界(世界)に遍満している
604神も仏も名無しさん:2014/08/27(水) 16:57:12.09 ID:vxiAZmwk
おじゃるさんは、山下氏の法話を聴いた後に実践していますか?
時々スッタニパータの偈を書いていますが、どんな意図で選んで書いているのですか?
605おじゃる:2014/08/27(水) 19:32:43.19 ID:TkDW3U7Y
 
> おじゃるさんは、山下氏の法話を聴いた後に実践していますか?

実践した事は、ありません
もし仮に、実践するのなら
山下良道(スダンマチャーラ比丘)の直接指導の方が良いと思います

今は教学として勉強しています

> スッタニパータの偈を書いていますが、どんな意図で選んで書いているのですか?

スッタニパータにも興味があるので私が勝手に「関係があるかも」というような意図で書いてます

ブッダのことば スッタニパータ (ワイド版 岩波文庫)1991/1/24 中村元(翻訳)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/400007007X/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

スッタニパータ
872
名称と形態とに依って感官による接触が起る
諸々の所有欲は欲求を縁として起る
欲求がないときには、<わがもの>という我執も存在しない
形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない
1037
識別作用が止滅することによって
名称と形態とが残りなく滅びた場合に、この名称と形態とが滅びる
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
606神も仏も名無しさん:2014/08/27(水) 19:59:47.56 ID:DO1Xln9W
寄付(謝礼?)ってぶっちゃけいくらつつめばいいわけ?
607おじゃる:2014/08/27(水) 21:16:37.77 ID:TkDW3U7Y
 
> 寄付(謝礼?)ってぶっちゃけいくらつつめばいいわけ?

一時間 3200円、10分で約533円、3時間40分の場合で計算してみました

3時間40分の場合で約 11732円ぐらいだと思います

例えば仮に、吾妻麗子先生によるヨーガ入門講座の場合は
毎週金曜日13:30〜16:00 (全10回)25時間 8万円
(一時間 3200円×25時間= 8万円)
http://shri-shanti.com/

土曜早朝坐禅会
日時:毎週土曜日(ただし接心期間中はのぞく)
内容:微細な意識の瞑想

07:20 am ウォーキングメディテーション(稲村ケ崎海岸)
08:00 am ストレッチング(フェルデンクライス+真向法)
08:20 am 立禅(站桩気功)
08:40 am 微細な意識の瞑想(インナー・ボディワーク+慈悲の瞑想+アナパナ・サティ)
10:00 am 茶禅 質疑応答
11:00 am 終了

参加費:お志で結構です
http://www.onedhamma.com/?page_id=1361
608神も仏も名無しさん:2014/08/27(水) 21:29:41.18 ID:vxiAZmwk
おじゃるさんなりの意図があって、ブッダの言葉とされている偈を、ピックアップして書いているのですね。
その偈を用いるのにあたって、自身の境地は伴っていると思いますか?
609おじゃる:2014/08/27(水) 21:50:38.88 ID:TkDW3U7Y
 
> おじゃるさんなりの意図があって、ブッダの言葉とされている偈を、ピックアップして書いているのですね
> その偈を用いるのにあたって、自身の境地は伴っていると思いますか?

私は瞑想などを実践したことがないので
その偈を用いたような境地に成ってません

例えば
私(おじゃる)は
無明の暗闇に覆われて
誤ったあり方を
掴もうとして離すことが難しい
渇愛によって

例えば仮に
「何か旨いものを食べたいっ!」
「可愛い女性とデートしたいっ!」
というような煩悩に満ち溢れている状態です

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
中観自立派は
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

中観帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します
610おじゃる:2014/08/27(水) 22:34:45.75 ID:TkDW3U7Y
 
> 何か旨いものを食べたいっ!

例えば具体的には↓焼肉を食べたいです

安楽亭
http://www.anrakutei.co.jp/menu/grand/grand_niku1.html

七輪焼肉 安安(あんあん)
http://www.fuji-tatsu.co.jp/menu/k-meat.html

牛角
http://www.gyukaku.ne.jp/menu/index.html

ペッパーランチ
http://www.pepperlunch.com/menu/regular/

立ち食いステーキ専門店 いきなりステーキ
http://www.pepper-fs.co.jp/IkinariSTEAK/MENU.html
611おじゃる:2014/08/28(木) 00:21:10.41 ID:zA7VyhEg
 
例えば仮に
カルビの焼肉を食べて旨いと感じて
このような「自相がある」と掴もうとしている想いが現れている

 - これを対処する為に -

妄想に影響されることがない「あおぞら」がある
この『「あおぞら」から雲を観察していく』というような感覚で

成所作智(じょうしょさち)から「眼・色 :耳・声 :鼻・香 :舌・味 :身・触」の感覚を感じて、そこに意識を集中させて

妙観察智(みょうかんざつち)から「第六意識」に意識を集中させて

厚い雲の隙間から「あおぞら」を見て
その「あおぞら」を知覚して
その「あおぞら」に住んで

この「あおぞら」の立ち位置から「雲を観察していく」というような感覚で
世俗を掴もうとしている想いを放して
微細な感覚を感じて、そこに意識を集中させて

平等性智(びょうどうしょうち)から
阿頼耶識(あらやしき)を掴もうとしている
末那識(まなしき)を放して(滅して)
「思いを手放し」「思いが ストッンと落ちる」と知覚する
612おじゃる:2014/08/31(日) 14:22:06.66 ID:eyJZubNo
 
>>611 の続き

http://totutotudojin.jimdo.com/%E5%85%AB%E5%AE%97%E7%B6%B1%E8%A6%81/%E6%B3%95%E7%9B%B8%E5%AE%97/

第九節 菩提と涅槃
第一項 転識得智と四種涅槃

初地に入る時、第六意識と第七末那識を転じて妙観察智、平等性智を得る

悟りを得る時、前五識と第八阿頼耶識を転じて大円鏡智、成所作智を得る

この瞬間に四智は完全に備わり、煩悩障・所知障は菩提・涅槃へと転換する
613おじゃる:2014/09/01(月) 00:16:33.27 ID:dxtC7qss
 
http://www.onedhamma.com/
14/08/31 自己ぎりの自己の中「ワンダルマ仏教僧」誕生

http://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%C6%BB%CB%DC%B1%DF%C4%CC
道本円通
仏への道。正しい方法によって悟りへと至る修行は元来全ての存在に円かに行き渡っている

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A9
ビハーラ
僧院、寺院あるいは安住・休養の場所

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E6%8F%90%E6%9C%A8%E5%8F%89
比丘戒 菩薩戒

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804613528/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
坐禅の意味と実際 生命の実物を生きる 内山興正

http://homepage3.nifty.com/junsoyo/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
内山興正著 思い手放し 『生命の実物』より
614おじゃる:2014/09/01(月) 01:18:00.33 ID:dxtC7qss
 
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804611975/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
坐禅の意味と実際 生命の実物を生きる 内山興正

禅を求める欧米人のために、平易に説いた坐禅入門書
アタマの中の“思い”を手放し、生命の実物に目覚めて生きる深い坐禅の内的体験も明かす
名著『生命の実物』に「道元禅師の祇管打坐」を加えて新装改訂
615おじゃる:2014/09/01(月) 02:12:26.32 ID:dxtC7qss
 
>>613 >>614 の続き

一人々個人々それぞれの「あおぞら」

妄執分別に影響されることのない「あおぞら」

平等性智・妙観察智・あおぞら
616おじゃる:2014/09/01(月) 03:06:47.02 ID:dxtC7qss
 
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/4735/1/KJ00004859535.pdf

有相唯識は識の内容検討に重点を置いて
われわれが知覚する花や本の像は
識の相(姿)として心内に存在する真実なものであると主張する
それらが実在するので
われわれはある時にある場所であるものを認識することができると考える

無相唯識では花や木という心内の像はすべて虚偽なものであって
心内の像は阿頼耶識に蔵されている種子がこの瞬間に顕現したものにすぎないと主張する
これらはすべて虚偽な存在であり
真に実在するのは心内の像を照らし出す「心の輝き」だけであると考える
無相唯識は識の内容ではなく、識の作用を重視する

(何らかの認識において)あらわれるもの
それが「他によるもの」であり、いかにあらわれるか(という様態)が
「妄想されたもの」である
(前者は、他の)東西にもとづいて起こるから(「地によるもの」) であり
(後者は)分別のみとしてあるから(「妄想されたもの」) である(第二頌)

そのあらわれる主体(依他起性)にとってかのあらわれた様態(遍計所執性)が
常に(まったく)存在しなくなった状態
これが「完全に成就されたもの」(円成実性) であると知るべきである
それは(もともと)変化するという性質のないものだからである(第三頌)
617おじゃる:2014/09/01(月) 03:16:52.16 ID:dxtC7qss
 
>>616 の訂正

(何らかの認識において)あらわれるもの、それが「他によるもの」であり

いかにあらわれるか(という様態)が、「妄想されたもの」である

(前者は、他の)原因にもとづいて起こるから(「他によるもの」) であり

(後者は)分別のみとしてあるから(「妄想されたもの」) である(第二頌)
618おじゃる:2014/09/01(月) 03:54:18.31 ID:dxtC7qss
 
一人々個人々それぞれの「あおぞら」は
妄執分別に影響されることのない「平等性智(あおぞら)」なので

一人々個人々それぞれの側面は
別の諸側面と繋がっている

http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf

シーラ(道徳)、メッター(慈しみ)、ウィパッサナーバーワナー(洞察の瞑想)は
全て同時進行で育てていくものです
それらは同時にあるもので、どれかを
分けて扱うことはできません
私たちにはものごとを分けておこうとする傾向があります
(しかし)
私たちの人生の一つ一つの側面は

別の諸側面と繋がっているのです
このことはとくに瞑想者にとって重要です
私たちの人生の一つ一つの側面は
別の諸側面と繋がっているのです
619おじゃる:2014/09/01(月) 09:55:14.54 ID:dxtC7qss
 
ブッダのことば スッタニパータ (ワイド版 岩波文庫)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/400007007X/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

ブッダの真理のことば・感興のことば (ワイド版 岩波文庫)(ダンマパダ:ウダーナヴァルガ)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4000070401/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 (ワイド版 岩波文庫)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4000071947/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

[DVD] NHKスペシャル チベット死者の書/パドマ・チョルダン:ツプタン・ツェリン
<映像特典>《Disc2》 ダライ・ラマ 単独インタビュー(1993年2月ダラムサラにて)
「チベット仏教の叡智を語る 瞑想・死・輪廻転生・日本人へのメッセージ」約60分
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B001IB7076/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

チベットの生と死の書 ソギャル・リンポチェ 大迫正弘 三浦順子
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4062066890/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4882823578/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

別冊サンガジャパン 1 実践! 仏教瞑想ガイドブック 2014/7/24 アルボムッレ・スマナサーラ 山下良道 その他
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4905425824/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

魔のJR中央線 自殺霊の撮影で判明したこと 斎藤斎霊
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4812702828/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
620おじゃる:2014/09/08(月) 05:38:36.31 ID:G68GeUz2
 
犯罪の加害者になる直前までには
煩悩・妄想に影響されることのない『あおぞら』に触れることは出来るのか?

http://www.onedhamma.com/
14/09/07 般若心経が邪悪なものを鎮める

厚い雲の隙間から
煩悩・妄想に影響されることのない『あおぞら』を見て触れて知覚して住んで
この「あおぞらから雲を観察していく」というような感覚で
「眼耳鼻舌身 :色声香味触」を知覚して、そして
「微細なエネルギー」を知覚して
妄想・世俗を掴もうとしている「思いを手放し」「思いが ストッンと落ちる」
  _  _  _

それ自体の自性で成立しているのではなく
因と縁の双方が相応一致して現れ滅して逝くので

自分だけではない
周囲環境だけではない

色受想行識も空である
621おじゃる:2014/09/13(土) 00:40:32.08 ID:RroTyP6b
 
鎌倉一法庵 一法良道 Sudhammacara より

最近強調しているのは、週末の坐禅会に来るためには、月曜から金曜まできちんと社会生活を送れることが最低条件だということ。
もし社会生活を送れないなら、まずはその点をきちんと、精神医療など​で治療し、普通に学校に行けたり、​職場で働けるようになってから初めて、
週末の瞑想会に出席する資格を得ることになる​。この点をこれから、はっきりと言ってゆく必要がありますね。​

つまり、社会生活を送れないのを治療するために瞑想をするというのは、少し(かなり?)筋が違うということ。
このことは、強調しても強調しすぎることはないでしょう。順番が違うということです。​

そして、もし、サンガのなかにこういう「黒いネガティブなエネルギー」があったときは、すぐに対処する必要があります。
でないと、他のメンバーのネガティブなエネルギーを刺激してしまい、一緒になってサンガ破壊活動をしてしまうという最悪のことがおこります。
たとえば、ネガティブなエネルギーのかたまりのかたが、「悪意のあるうわさ」を流したとき、その噂の真偽を確かめず、
それに刺激され、それを鵜呑みにして、サンガを攻撃するということが、実際におきるのですよ。

サンガを破壊することぐらい、恐ろしいカルマもないのですが、、、仏典にいくらでも例が出てきますね。

でも大丈夫!何故なら、われわれには般若心経があるから(笑)。
何故、般若心経が、邪悪なものを鎮める力があるかは、日曜の坐禅会のなかでたっぷりと話したので、どうぞお聞きください。

ただ、勿論、実際のストーカーにつきまとわれているひとは、般若心経をよみながら、同時に警察とも緊密に連携して対処してくださいね。
自分のこころの中のネガティブなものを乗り越えるということと、
ダンマパダーの「恨みは恨みによっては止まらない」のような真理を無視して生きている「邪悪な存在」と、
正面から向かいあい適切に対処することは、まったく別の話です。
そこをごっちゃにすると、非常に危険です。くれぐれもお間違いないように。
勿論、最後にはそのような怪物も般若心経によって鎮められますが、すぐではないです。とにかくそれまでは、生き延びろ!
622おじゃる:2014/09/13(土) 19:47:33.66 ID:RroTyP6b
 
>>621 の「黒いネガティブなエネルギー」について

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf

ゲシェ・チェカワ 『七事の心の訓練法』
2
諸法は夢の如しと訓練しなさい
道の本体は阿頼耶の自性に置くことです
坐(瞑想のセッション) の間は, 幻術師としてありなさい
与え - 受け取る (トンレン) の二つを交互に訓練してください
その二つを, ルン (呼吸) に乗せなさい
3
迷いの現われを [仏陀の] 四身と瞑想する, 空性は防御の最上のもの

トン (与え) レン (受け取る) は
息を吐く時に自分の 『 幸せを 白い光の形で衆生に与え 』
息を吸う時には 『 衆生の苦しみを 黒い煙の形で受け取る 』 と考える瞑想法である

何も心に浮かぶことのない座禅や, 複雑な曼荼羅を観想する密教の瞑想法は,初心者がうまく実践することは容易ではないが
これであれば, 日常生活の中で何時でも誰でも実践できるのが, 関心の高い理由だろう

しかし,何も知識がなくいきなりこれを実践しろと言われたら, 尻込みする人がほとんどではないだろうか
そもそも, これがどうして苦しみの解決に役に立つのだ, 苦しみを増やすだけではないかと疑問に思う人もいるだろう

心の訓練法は, 大乗仏教の実践のエッセンスとも言うべき教えで, そこには様々な修行法のエッセンスが凝縮されているが
そのねらいを正しく理解するためには, かなりの仏教理解を必要とする
623神も仏も名無しさん:2014/09/14(日) 00:01:50.44 ID:VQ7jFfWD
>>621
>>622
良道師は本来のお寺の存在意義を!ってのを言ってらっしゃるけども、結局話の上で西洋の精神医療などに初期の治療は任せるって感じなの?
1995年の事件で、ってところをやはち心を痛めてらっしゃる感じではあるが、有る程度に達しないと私は相手にしませんよ、ってのはどうなんだろうか。
1995に関しては、ゼロから墓場、刑罰ってなるが導入時点ではないもない。
良道師のそこらへんのお考えはどうなんだろうか
624おじゃる:2014/09/14(日) 06:08:30.35 ID:iKFIUfvv
 
> 西洋の精神医療などに初期の治療は任せるって感じなの?
> 有る程度に達しないと私は相手にしませんよ、ってのはどうなんだろうか

14/09/13 ZZ’線を立体的に覚蝕する

この podcast を聴いた感じだと

『相手の立場を理解することが出来なくて
 自分の妄想を頭ごなしに一方的に、ぶつけて来るような人の場合は

厚い雲の隙間から
 煩悩・妄想に影響されることのない「あおぞら」を見て触れて知覚することは難しい』ということかもしれない

http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 12ページ参照

全ての存在に対する慈しみの念を育てることは、心の栄養になって、たくさんのエネルギーをくれるでしょう
そうすることで、あなたは自分が慈愛に満ちた人間であると感じ、そして同時に、自分が愛を受けるに値するとも感じるのです
自分がメッター(慈愛)に値すると感じること、何か善いものに値すると感じることは、とても重要です
それがなければ、瞑想することはできません
  _  _  _

『全ての存在に対する慈しみの念を育てていくことの出来ない人の場合は
 瞑想を続けていくのは難しい』 ということかもしれない
625おじゃる:2014/09/14(日) 06:58:44.96 ID:iKFIUfvv
 
>>624 の続き

学校に通って、そして、職場で働いて、社会生活を送って
人間関係として、この世の中には

「相手の立場を理解することが出来なくて
 自分の妄想を頭ごなしに一方的に、ぶつけて来るような人も居る」

ということを体感・経験して

「たぶん自分も妄想して生きてるのだろう」と気づいて、そして
「どのような方法で妄想を手放し出来るのか?」と考えて

「その方法は?」と考えて

日本の伝統的大乗仏教 1.0
余念を交えず、ただひたすら座禅する 只管打坐 1.0

90年代後半から顕著に日本に入って来た上座部仏教 2.0

アップデート 3.0
(チベットとかも 3.0かも → 「道の本体は阿頼耶の自性に置くこと」)
626おじゃる:2014/09/14(日) 07:21:46.71 ID:iKFIUfvv
 
>>624 >>625 の続き

http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
般若経の解説

例えば仮に、私(おじゃる)の場合は
永遠ばかりを探して、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
縁起・空・仮設としての五蘊とかを見ることがうまくない

  …  …  …

学校に通って、そして、職場で働いて、社会生活を送って
人間関係として、この世の中において

悩み怒り悲しむことのできるもの、迷うものだけが、気づくことができる
悩み怒り悲しむ心を持つものだけが、悩み怒り悲しみ妬むものを理解することができる
悩み怒り悲しみ妬む心を持つものだけが、慈悲の心を持つことができる
悩み怒り悲しみ妬む心を持つものだけが、悩み怒り悲しみ妬むものを解脱に導くことができる

  …  …  …

妄想・世俗を掴もうとしている「思いを手放し」「思いが落ちて」
「解脱すれば仏だ」ということに
気づくまでは、気づくことは難しい
627神も仏も名無しさん:2014/09/14(日) 14:14:00.97 ID:8uokMfyG
韓国旅行を愛好する日本人に、衝撃のニュースが飛び込んできた。
韓国で性犯罪に遭う外国人の数が、昨年までの4年間で何と約3倍に急増しているというのだ。

慰安婦問題で「女性の人権」を声高に叫ぶ隣国で、一体何が起きているのか。

韓国紙・朝鮮日報(日本語電子版)が先月末、ソウル地方警察庁のまとめとして報じたところによると、
外国人に対する性犯罪の発生件数は2009年の76件に対し、昨年は213件に増えた。
韓国人に対する性犯罪を含む全体件数も増えているが、増加率は約1・7倍にとどまっている。

犯行の内容もむごい。韓国陸軍1等兵(21)が酔いつぶれたスペイン人女性(20)を無理やり暴行したり、
韓国人の男6人が米国人の女性英語教師(23)をカラオケに誘って集団でレイプしたり…。

朝鮮日報は、外国人への性犯罪が増える理由として、「スマートフォンのアプリなどを使って外国人と簡単に会えるようになり、
外国人への性犯罪が増えている」という警察関係者の分析を紹介している。

同紙は問題の記事に「恥ずかしいコリア」というタイトルを付けており、自国の犯罪傾向にじくじたる思いを持っているようだ。

新著『ディス・イズ・コリア』(産経新聞出版)がベストセラーとなっているジャーナリストの室谷克実氏は
「正直、外国人が被害者となる性犯罪が増加している理由は分からない。ただ、白人や日本人に憧れを持っており、被害に遭いやすいようだ」
といい、警戒を呼びかけている。

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140909/frn1409091530009-n1.htm
628おじゃる:2014/09/14(日) 14:55:53.85 ID:iKFIUfvv
 
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/393304/
韓国で外国人旅行者の性的暴行被害が急増 2014年08月26日
  _  _  _

因と縁の双方が相応一致して

この現世に現れて
この現世から滅して逝く

衆生は無始からの(輪廻に依存して)無明の暗闇に覆われて:中論26-1

渇愛・我愛に依存して
誤ったあり方を
掴もうとして離すことが難しい想いが現れている :中論26-6

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空經(勝義空經、真実空經、勝義空契經)

此の陰滅し已らば異陰相續す
耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く
俗數法とは
無明 → 行 → 識 → 苦 → 犯罪衝動が現れる場合もあるらしい

 - これを対処する為に -
「思いを手放し」「思いが落ちて」
無明滅 → 行滅 → 識滅 → 苦滅 → 犯罪衝動も滅する場合もあるかも
629神も仏も名無しさん:2014/09/19(金) 13:49:34.85 ID:zWKdHAj1
人はアルコール類の飲料を飲むと、自分の感情、情念、衝動、本能、
話し言葉、身体の動きをコントロールすることができなくなり、
獣のレベルにまで落ちる。

肉を食べれば、暴力的な傾向が育ち、動物が罹る病気になる。
ラジャシックな(ラジャシックフード)食物を食べている人の心は、
強情で扱いにくくなる。
そのような食事を好んで食べていると、
心を作り直すのは困難になる。

by ラマナ・マハルシの教え
630神も仏も名無しさん:2014/09/19(金) 13:54:53.64 ID:wmdzTRMN
種種の肉と葱と酒と韮(にら)と蒜(にんにく)とを、
ヨーガ行者は常に離れ、遠ざけるべきである。

肉を食らう者どもは、最悪なる叫喚地獄などのなかで
悪業の報いを受ける。

肉を食らうと「食肉鬼の種族に生まれる
賎民の種族に繰り返し生まれ
狂乱した者として生まれる
http://ameblo.jp/nibbaana/entry-10804919561.html


仏教経典 楞伽経(りょうがきょう)より」。
(『現代語訳大乗仏典5』中村元著)
631神も仏も名無しさん:2014/09/19(金) 15:39:21.60 ID:gSx1ReCl
不忘念
とは

観じ続ける事である。
632おじゃる:2014/09/19(金) 19:10:33.53 ID:VHoZZh8C
 
五戒 基本的な五つの戒のこと
不殺生戒 生き物を殺してはいけない
不偸盗戒 他人のものを盗んではいけない
不邪淫戒 不道徳な性行為を行ってはならない
不妄語戒 嘘をついてはいけない
不飲酒戒 酒を飲んではいけない

http://www.performanceship.com/blog/2008/04/post_4c99.html

自ら動物を殺して食べるのは禁止です
しかし、すでに死んでいるものを、食べることは禁止しませんでした

初期の仏教よりも
大乗仏教の方が戒律がゆるくなったと思っている人がいますが、それは逆です
大乗仏教になって、一層厳しくなった面があります
そのひとつが肉食禁止です

今の日本の伝統仏教教団は、ほとんど肉食を禁止していないと思います
高野山の僧侶も普通に肉魚を食べています

真言宗では
加行(修行場にこもり外との接触を断って行なう修行)の間は
肉、魚、にんにくなどは一切禁止、いわゆる精進料理しかありません

加行が終われば普通に肉魚を食べています
他の宗派も、だいたい同様ではないでしょうか
633おじゃる:2014/09/19(金) 19:41:39.28 ID:VHoZZh8C
 
仏教と精進料理

インドの初期仏教においては、
部派仏教の律による十種肉禁を除いた三種の浄肉
(見聞疑の三肉
 僧侶が、殺された現場を見なかった動物の肉
 僧侶本人のために殺されたと聞かなかった動物の肉
 前記二つの疑いがない動物の肉)
であれば食べることができ、
釈迦も乳糜(牛乳で作った粥)の布施を受けて大悟したなど、乳製品の摂取も禁止されていなかった

これに対して
大乗仏教では、後に肉食そのものが禁止されたため、中国、朝鮮、日本までの大乗仏教文化圏では菜食料理が発達した

http://cookpad.com/category/801
豆腐 ハンバーグ

http://cookpad.com/search/%E6%8F%9A%E3%81%92%E5%87%BA%E3%81%97%20%E9%95%B7%E8%8A%8B
揚げ出し 長芋

http://cookpad.com/category/798
揚げだし 豆腐

http://cookpad.com/search/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%80%20%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%BF
サラダ パスタ

↑卵、ハム、マヨネーズなどを抜いたら旨くないかも
634神も仏も名無しさん:2014/09/19(金) 22:14:32.54 ID:RGiYTUqz
興味を持ったのでワンダルマ座禅会に一度参加したいと思うのですが
初心者、入門者はどうしたらいいのでしょうか?
座禅会にいきなり行って参加してもいいの?
635おじゃる:2014/09/19(金) 22:43:02.16 ID:VHoZZh8C
 
> 座禅会にいきなり行って参加してもいいの?

http://www.onedhamma.com/?page_id=19
問い合わせ: メールか電話で願います

http://www.onedhamma.com/

一法庵で吾妻麗子先生によるヨーガクラスが開かれています
http://shri-shanti.com/
http://www.onedhamma.com/?page_id=1671
毎週 土曜 午後1時〜、日曜 午前10時〜のクラスが開かれて、大変ご好評を頂いています
内容はパタンジャリのヨーガスートラに基づいたトラディショナル・アシュタンガー・ヨーガです
八番目のサマーディまでみすえた、アーサナとプラーナヤーマを実践します

一法庵のフェイスブック・ページもご覧ください。最新の文章化された法話が紹介されています
https://www.facebook.com/onedhamma
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法話の中で取り上げたテクストの解説・翻訳を、メールで毎週配信しています
一法庵の活動の詳細も、リアルタイムでお伝えしています
送付ご希望のかたは、下記の「申し込み」より、ご自分のメールアドレスをご連絡下さい
容量が大きいので、なるべく携帯ではなくPCのアドレスをお知らせください
636おじゃる:2014/09/20(土) 02:10:43.47 ID:FBnJI7BG
 
http://www.onedhamma.com/
14/09/15 「生命の実物」は青空からしか見えない

無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為・言葉による行為・心による行為を行う(カルマを積む)

末那識(まなしき)・渇愛は睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けて
誤ったあり方を掴もうとして離すことが難しい固執が生じて

「今の自分には妄想は無い(だから瞑想は必要ない)」と掴もうとしている想いが現れている

この誤ったあり方を掴もうとしている「思いを手放す」為には
厚い雲の隙間から
煩悩・妄想に影響されることのない「あおぞら」を見て触れて知覚して住んで
この「あおぞらから雲を観察していく」というような感覚で

「眼耳鼻舌身 :色声香味触」を知覚して、そして
「微細なエネルギー」を知覚して
妄想・世俗を掴もうとしている「思いを手放し」「思いが ストッンと落ちて」

平等性智の立ち位置から「末那識・渇愛を手放し」「末那識・渇愛が ストッンと落ちて」
深層的な自我心(末那識・渇愛)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

決して意思せず、また意思活動をしない彼に
それら諸々の想はもちろん消滅し、別の諸々の粗い想も生起することがない
彼は、滅に触れる
このようにして、順々の正知による 『 想滅定 』 が生起(心作用が消滅)していく
637神も仏も名無しさん:2014/09/20(土) 03:18:13.03 ID:zE0767SQ
>>633
はい、嘘ね

テーラワーダ仏教(上座部仏教)の豆知識


ワンプラ(仏陀の日)と菜食
http://ameblo.jp/cafe-asia-soi99/archive-201009.html
タイはワンプラには菜食をする人が結構いるようですが。
その菜食を อาหารเจ(アハーン・ジェー)と言います。
もう一つ菜食を表す言葉にมังสะวิรัติ(マンサ・ウィラット) があります。

この二つどちらも,動物の肉を食べないという事では同じです。
มังสะวิรัติはいわゆる動物の肉NGですが,
卵や牛乳など動物由来のものはOKだそうです。

เจは卵も牛乳など動物由来のものもNG。
おまけにニンニク,ニラ,タマネギなどの香りの強い刺激物もNG。
638神も仏も名無しさん:2014/09/20(土) 03:21:47.38 ID:zE0767SQ
第42代元アメリカ合衆国大統領
 ビル・クリントンの仏教菜食についてのインタビュー(CNN)


2004 年、心臓発作で命を落とさなかった事はラッキーだった、
その後、ハンバーガー、チキン、バーベキューなどの摂取量を減らしたが
2010 年、再び心臓発作で命を落とし掛けた。
最先端の医療・手術を受けても、根本的な問題は何も解決しなかったのだ。

もう娘の孫の顔を見ずに、自分の命が尽きる事を覚悟した。
しかし、最後の希望を菜食に託して見る事にしたのです。

今、私は、野菜、果物、豆が好きだ。乳製品を避け、肉を避ける、
これ程素晴らしい事はない!未練は、全くない。
もちろん、心臓発作で死ぬ事より、肉食する事を選ぶのは個人の勝手だけどね

もう自分は、天に身を任せるのは止めたよ、
だって、こんなに気分が良いんだから!肥満体を卒業、血圧、脈拍、
全て正常、まるで生まれ変わったかの様に、活力に満ち溢れて居る。

今、私は、とてもハッピーだ、妻ヒラリー、娘チェルシー、婿のマークと共に
人生をエンジョイしてる。孫の顔を見届ける為にも菜食を続けて行きたい。
http://macveg.blog68.fc2.com/blog-entry-458.html


Former president is taking private classes
from a Buddhist monk to better relax his mind and body.
元アメリカ大統領ビル・クリントンは、 彼の心と体をよりリラックスするため
仏教僧から瞑想のプライベートレッスンを受け始めた。

https://www.facebook.com/permalink.php?id=184538238229420&story_fbid=139596662867315
639おじゃる:2014/09/20(土) 08:21:54.92 ID:FBnJI7BG
仏教では肉食を「にくじき」と読む
原始仏教では
比丘(僧侶)は糧(かて)をその日ごとで乞食(こつじき)することにより食を得
与えられた余り物の食べ物に肉が入っていようがなかろうが差別なく食べることになっていた
とくに南伝(上座部のパーリ経典)および北伝(大乗仏教)のなかでも古い経典においては、釈迦その人が肉食をしたことが記述されている
さらに
釈迦仏の弟子であった提婆達多が違背した原因は提婆達多が菜食主義を戒律に含める主張を釈迦が明確に否定したからである
と記されているだけでなく釈迦が亡くなった原因は豚肉の食中毒であるとされている
(肉食を否定する大乗仏教においては豚の好むキノコを使った料理とされている)

生き物の殺生を禁止する仏教において肉食が禁止されていない事は矛盾である
ように思われるがこれは当時の肉食に関する宗教論争と関係する

仏教の起こった当時のインドにおいては仏教だけでなくジャイナ教などの多くの宗派がアヒンサー(不殺生)を標榜していた
特にジャイナ教においては畑を耕すことによって虫が殺されることなどを指摘し
肉食する、しないにかかわらず生存する限り間接殺を免れぬことを理由に、無食による自殺を最上の行とした

これに対して仏教は間接殺を理論的に突き詰めることの限界を理由に中道を掲げ実際に生き物を殺す直接殺のみを明確に禁じ
間接殺においてはあくまでも貰い物の肉が

殺す所を見なかった肉・供養のために殺されたと聞かなかった肉・自分の為に殺された疑いの無い肉
という「三種浄肉」であれば食しても問題はないとされた

さらにここで重要なのは古代仏教において比丘はあくまでも家庭の余った食事を物乞いすることによってのみ食を得るため
肉食=肉の購買による間接殺という矛盾が成り立たないことにある

これに対し、北方に伝来した大乗仏教の経典、『楞伽経』では「浄肉というものは存在しない」と明確に説く
しかし
大乗の理論的基盤を提供した龍樹も肉食を禁ずるにおいて、肉食が殺生戒を破るという主張は行っていない
代わり肉食は慈悲心に基づく菩薩道において勧められるとの主張を行っている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89%E9%A3%9F
640おじゃる:2014/09/26(金) 05:50:23.57 ID:rEqk5IDz
 
↓「説一切有部の人は慈悲がないのか?(小乗なのか?)」などについて

http://www.onedhamma.com/
14/09/21 仏教史で二回目のアップデートがいま始まる
14/09/15 「生命の実物」は青空からしか見えない
14/09/13 ZZ’線を立体的に覚蝕する
14/09/07 般若心経が邪悪なものを鎮める
14/08/31 自己ぎりの自己の中「ワンダルマ仏教僧」誕生
14/08/24 「仏教3.0」元年
14/08/15 一粒の麦もし死なずば
14/08/10 青空としての「自己ぎりの自己」
14/08/06 第三回「アップデートする仏教を体感しよう」in 東京

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E4%B8%80%E5%88%87%E6%9C%89%E9%83%A8
説一切有部(せついっさいうぶ)は
現在有体・過未無体を主張する大衆部と対立し
また西暦紀元前後に興った
大乗仏教も”無自性・空”を主張して、説一切有部の説を批判した
しかし
大乗も中観派についで登場した唯識派になると
説一切有部の分析を積極的に取り入れるようになった
641神も仏も名無しさん:2014/09/26(金) 19:17:07.10 ID:PHiFZBSn
>>640
唯識派が阿毘達磨を分析しだしたのはそれを知る人間が居なくなった後代の話
中観派が引き継いで掲げる「現在有体過末無体」は理解できても
「現在有体」としての有体すら仮有であり仮和合であり実体が無い事を
唯識派は認められなかった、仮和合等を認めてしまうと阿頼耶識などが成立しなくなる
この点で唯識派と中観派には対立の溝があり、結果として唯識派は阿毘達磨論蔵を漁る事となる
唯識派は賢過ぎて「樹を見て森を観ず」に陥ってしまった訳である

電球や蛍光管は、二点間に生起した電位の差の間に接続されるとそれを縁として作用し現象して光る
電球や蛍光管の光には実体は無く、その光自体も物質や物体ではないので
そこで光ってはいても物理的に「有る」訳ではない
一般論としては光ってる時点で「光が有る」と言えても、道理としては光は見えてるだけに過ぎず
決してそこに有る訳ではない、この場合、有ると出来る必須要因は「自立・自発」で無ければ成らず
電球・蛍光管の光は単立してそこに見えるのではなく、結線の縁・電位の差の縁・材料の縁・工作の縁
と各種の縁に縁起して光るので単立で光る訳では決してない

阿頼耶識などの識もこれと同じである理屈を唯識派の連中は如実知見出来なかったのである
642おじゃる:2014/09/26(金) 19:54:00.27 ID:rEqk5IDz
 
> 如実知見

無明の暗闇に覆われている厚い雲の隙間から
妄想に影響されることがない「あおぞら」を見て触れて知覚して住んで
この「あおぞらから雲を観察していく」と言うような感覚で

世俗を掴もうとしている
思いを手放し、思いが落ちて

平等性智に触れて知覚して住んで
この平等性智の立ち位置から
末那識を手放し、末那識が落ちて

そして

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り
自分の心身を厭う思を起こし
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である
このように現実を厭うことは
人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として
真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである
643神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 05:18:49.26 ID:FBuxHonj
おじゃる
釈尊はカーラーマ経で
古来から伝わる伝承や経典や仕来りや呪術などに頼るな、と教えてる
それと同時に、自分の見識に合ってるからと言う事実や想いにも頼るな
自分の思いつきや考えに頼るな、とも教えてる
これはどう言う事か分からないか?
頼るなと教えてる以上、そう言う思いや想定があるなら捨てろと言ってるんだよ
捨てられないならそれは増上慢から意地を張ってるに過ぎないと言う事だ
仏道に於いては自分の思いの上に展開されてる思念一切を捨てねば道は成らない

一切捨てたら何も残らないじゃないか、そう思ってるんじゃないか?
その思いこそが増上慢なんだよ、捨ててみれば全て漏らさず分かる
644神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 05:32:02.29 ID:FBuxHonj
それとなおじゃる
良く勝義諦は言葉に出来ない・語れない・文字に出来ないと言われる
これはどう言う意味か分からないか?
絶対に正しくて間違え様が無く、八正道の眼目たる正見の正の字の意味する根幹にあたる
それが勝義諦なんだよ
本当に正しく否定出来ないからこそ正誤の認識にすら当たらずその両極にかすりもしない
その実、中身としては何も成立出来ない
それが勝義諦の事実なんだよ

その勝義諦を別の角度から言うなら金剛般若となり
また別の角度で言うなら無上正等覚、無上正遍智ともなり
更に別の角度で言うなら阿耨多羅三藐三菩提となる
これらは全て同一なのであり別異ではない
故に一触即発で煩悩は微塵に粉砕され吹き飛ばされる
それは何か、何の事か、良く考えてみればいい
645おじゃる:2014/09/27(土) 07:16:34.83 ID:eX+f71Yk
 
> 金剛般若経

http://yusan.sak☆ura.ne.jp/library/buddha_kongohannyakyo/
第三章
想のあるもの、また、想のないもの
想があるでもなく、ないでもないもの
無余涅槃に、導かなければならない
生きものという実体に、囚われたり
自我や生命という実体に、囚われたり
個体や個人という実体に、囚われるなら
それは、菩薩とは、言えないからである
第四章
菩薩の道に向う者は
果報を求めるという、思いに囚われずに、施すのだ
646おじゃる:2014/09/27(土) 07:25:27.47 ID:eX+f71Yk
 
>>645 の続き

第四章
菩薩の道に向う者は
果報を求めるという、思いに囚われずに、施すのだ

それ故に
平等性智の立ち位置から
末那識を手放し、末那識が落ちて、そして

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
ゲシェ・チェカワ 『七事の心の訓練法』
2
諸法は夢の如しと訓練しなさい
道の本体は阿頼耶の自性に置くことです
坐(瞑想のセッション) の間は, 幻術師としてありなさい
与え・受け取る (トンレン) の二つを交互に訓練してください
その二つを, ルン (呼吸) に乗せなさい
3
空性は防御の最上のもの

トン (与え) レン (受け取る) は
息を吐く時に自分の 『 幸せを 白い光の形で衆生に与え 』
息を吸う時には 『 衆生の苦しみを 黒い煙の形で受け取る 』 と考える瞑想法である

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E4%BB%8F%E6%95%99
大乗(この偉大なる乗り物)
全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心
つまり大乗の観点で限定された菩提心を起こすことを条件とし
この「利他行」の精神を大乗仏教とし「利他行」と「利自行」の中道を精神とする
647おじゃる:2014/09/27(土) 07:55:51.74 ID:eX+f71Yk
 
>>645 >>646 の続き

「生きもの」を掴もうとしている想い
「自我や生命」を掴もうとしている想い
「個体や個人」を掴もうとしている想い
「想う」を掴もうとしている想い
「想わない」を掴もうとしている想い
「想うものでもあり想わないものでもある」を掴もうとしている想い
「想うものでもなく想わないものでもない」を掴もうとしている想い

妄想に影響されることのない「あおぞら」の立ち位置から

この思いを手放し、この思いが落ちて

http://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
意思し、意思活動をするならば
無所有処の想のは消滅し
無所有処より劣る、識無辺処などの諸想が生起するだろう

 - これに対して -

決して意思せず、また意思活動をしない
それら諸々の想はもちろん消滅し、別の諸々の粗い想も生起することがない
滅に触れる
このようにして、順々の正知による 『 想滅定 』 が生起(心作用が消滅)する
648おじゃる:2014/09/27(土) 08:39:45.57 ID:eX+f71Yk
 
>>645 >>646 >>647 の続き

妄想に影響されることのない「あおぞら」の立ち位置から

世俗を掴もうとしている想いを
この思いを手放し、この思いが落ちて

この段階で
「 余念を交えず、ただひたすら座禅する 只管打坐 1.0 」
「 想滅定(心作用の消滅) 2.0 」

想を手放し → 有余涅槃 → 色受想行識を手放し → 無余涅槃

http://yusan.sak☆ura.ne.jp/library/buddha_kongohannyakyo/
大乗経典。一切法の空(くう)・無我を説き、特に禅宗の系統で重んじられた。金剛般若波羅蜜経。金剛経
金剛般若経

第三章
ありとあらゆる生けるものを
無余涅槃に、導かなければならない

http://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html
チベットのニンマ派
(妄想に影響されることのない「あおぞら」の立ち位置から)
煩悩障(自己に対する執着)と所知障(外界のものに対する執着)を掴もうとしている想いを

「 この思いを手放し、この思いを落とす 」 為の方便を示すのが、仏法です
649おじゃる:2014/09/27(土) 09:51:36.10 ID:eX+f71Yk
 
>>645 >>646 >>647 >>648 の続き

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為・言葉による行為・心による行為を行う(カルマを積む):中論26-1

http://www.mikkyo21f.gr.jp/cat46/post-192.html
エンサイクロメディア空海
即身成仏
「即(すみやか)に身、仏と成る」(三密(用))とは
三句目の「三密加持すれば速疾に顕わる」(用)のことで
仏に成る修行とは
手に(修行の際本尊とする仏尊の)印(サイン)を結び
口に(その仏尊の)真言を唱え
心に(その)仏尊の姿を映じて
深い三摩地に入れば「すみやかに」本尊と一体になる(「仏と成る」)というのである

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81
加持(かじ)
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し

それ自体の自性で成立しているのではなく
因と縁の双方が相応一致することで

死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
650神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 10:01:43.45 ID:ajDp+G6k
>>645
【スブーティよ、菩薩の道に向かう者は、
次のような心を、起こさなければならない。
生きとし生けるもの、
卵から、生まれ出たもの、
母胎から、生まれ出たもの、
湿気により、生まれ出たもの、
他から生れず、自ら生れたもの、
形のあるもの、と、形のないもの、】
想のあるもの、また、想のないもの、
想があるでもなく、ないでもないもの、
【私は、】無余涅槃に、導かなければならない。
【しかし、こうして、永遠の平安に導こうとも、
実は、誰一人、永遠の平安には導かれていない。
それは、何故かと言えば、スブーティよ。
もし、生きものという実体に、囚われるなら、
もはや、かれは、菩薩と、言えないからである。
それは、何故かと言えば、スブーティよ。】
生きものという実体に、囚われたり
自我や生命という実体に、囚われたり
個体や個人という実体に、囚われるなら
それは、菩薩とは、言えないからである。
651神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 10:04:19.11 ID:ajDp+G6k
>>646
悪意故の切り文
お前は徹底的に性根が余す事無く腐り捲くってるな
そんな勝手都合に取捨選択しかしない恣意的引用に
信憑性の欠片も無い

お前の引用はゲスの極み以外の何ものでもない
652神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 10:11:43.46 ID:ajDp+G6k
>>648
無余涅槃とは「余り無く全て涅槃す」る事
我々は修行の末に涅槃する事は出来ても
生きている限りは有余涅槃しか出来ない

それが何の事だか分からないお前は
仏教をツマミ食いして、都合が悪い部分は読み飛ばして
密教に逃げる

オカルト根性を捨てない限り、お前に有余涅槃・無余涅槃の違いは分らないし
涅槃が分らない以上、お前に真言密教も文字通り「無理」

絶対に無理
653おじゃる:2014/09/27(土) 10:44:02.28 ID:eX+f71Yk
 
> オカルト根性を捨てない限り、お前に有余涅槃・無余涅槃の違いは分らないし
> 涅槃が分らない以上、お前に真言密教も文字通り「無理」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
末那識(まなしき)が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けている
  _  _  _

私(おじゃる)の場合は
「焼肉食べたいっ!」「可愛い女性とデートしたいっ!」と言うよな煩悩に満ち溢れているので

「 余念を交えず、ただひたすら座禅する 只管打坐 1.0 」 の実践は無理でしょう
654神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 10:57:49.29 ID:ajDp+G6k
>>653
>「 余念を交えず、ただひたすら座禅する 只管打坐 1.0 」 の実践は無理でしょう

だから密教も無理でしょう
655神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 11:00:16.50 ID:ajDp+G6k
>>653
因みに、青空の実際は「無色透明」
それを認めず「青い」と思い込むのがお前であり
認めないのは増上慢
656おじゃる:2014/09/27(土) 11:42:20.79 ID:eX+f71Yk
 
> だから密教も無理でしょう

そして更に
私(おじゃる)の場合は
人徳もなく、功徳もないので
止(サマタ禅定)も観(ヴィパッサナー智慧)も無理でしょう
  _  _  _

無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為・言葉による行為・心による行為を行う(カルマを積む):中論26-1

渇愛によって
誤ったあり方を掴もうとして離すことが難しい固執も生じて:中論26-6

> 青空の実際は「無色透明」
> それを認めず「青い」と思い込むのがお前であり
> 認めないのは増上慢

など 「 むさぼり・いかり・おろか 」 な想いが
この現世に現れて
この現世から滅して逝く

無明薫習
衆生は無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生ずるのである
657神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 11:50:26.13 ID:ajDp+G6k
>>656
つまり、いくら学んでも無駄、と認めてる訳だ

無駄、と思う事すら夢幻泡影の如し世迷言に過ぎない
658おじゃる:2014/09/27(土) 11:54:59.65 ID:eX+f71Yk
 
> つまり、いくら学んでも無駄、と認めてる訳だ

人徳もなく、功徳もない人の場合は

「 余念を交えず、ただひたすら座禅する 只管打坐 1.0 」 の実践は無理でしょう

と言うことでしょう
659神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 11:57:00.51 ID:ajDp+G6k
>>658
>人徳もなく、功徳もない人

と言う思いを捨てればいい
そこに根を持っている以上なにも良くならない
そもそも人徳も功徳も涅槃に導く役には立たない
660神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 11:59:53.63 ID:ajDp+G6k
>>658
あと、
>「 余念を交えず、ただひたすら座禅する 只管打坐 1.0 」 の実践は無理でしょう

は試してみてから言うべき
試してみても「やっぱり何も起こらないし良くなってる気すらしない」
と言う事実をも甘んじて受けるべき
そこに大いなる意味がちゃんとある
661おじゃる:2014/09/27(土) 12:02:50.92 ID:eX+f71Yk
 
>>657

人徳もなく、功徳もない
このような、私(おじゃる)に絡でいて
「楽しい」ですか?

「楽しい」と掴もうとしている想いが
因と縁の双方が相応一致して

この現世に現れて
この現世から滅して逝ってますか? どうですか?
662神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 12:17:33.67 ID:ajDp+G6k
>>661
ほう、終に根負けかw
お前は煩悩の火のひとつなんだよ
煩悩の火は消えるとも消えないとも分らずも
吹き消し鎮める努力を怠らない
それが菩薩道でもある

お前が消える消えないと言われてるんじゃない
お前を依り代として不特定多数の眼に触れる事
それが菩薩道に繋がっている

実際に吹き消すのは己なのだがな
663おじゃる:2014/09/27(土) 12:58:23.31 ID:eX+f71Yk
 
> ほう、終に根負けか

勝義坊として頑張ってくりゃしゃんせ
  _  _  _

私(おじゃる)は
「自相(自性)あり」と掴もうとしている段階で、そして

例えば仮に
紐君(ひもくん)ように
「自相(自性)あり」と掴もうとしている段階の人に対して

無我である「無である」と言っても
意味が理解できないでしょう
と言うことです

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B

中観自立派は
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

 - これに対して -

中観帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します
664神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 18:00:26.90 ID:ajDp+G6k
>>663
おじゃる、
夢を失うよりも悲しい事は、自分を信じてあげられない事
愛を学ぶ為に孤独があるなら、意味の無い事など起こりはしない
この世界では必ず同行二人で全ての人は洩れなく如来と一緒だ
https://www.youtube.com/watch?v=K7rob0JVlfE

なんてなw
665神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 18:11:50.38 ID:ajDp+G6k
>>663
>中観帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します

それは当たり前、釈尊の見解・見地はあくまでも中道出世間だったのであり
それを俗衆に言って聞かせても理解出来ない為に巧みな方便を用いて
中観自立派の執った立場の如く世俗の次元では承認したのである
つまり、中観両派はどちらも正しく、断て分けて語るからどちらも間違いになるのである

お分かりかな?
俺はあくまでも釈迦派なのであり、全ての派閥見解を包摂して認める立場なのである
釈尊の結論なんて簡単なものさ、単に一言「なんでもいい」だけだからな
666おじゃる:2014/09/27(土) 18:43:23.70 ID:eX+f71Yk
 
無明の暗闇に覆われて:中論26-1
誤ったあり方を掴もうとして離すことが難しい固執も生じて:中論26-6

> 自分を「信じる・信じない・肯定・否定」と掴もうとしている想いが

それ自体の自性で成立しているのではなく
因と縁の双方が相応一致して

この現世に現れて
この現世から滅して逝く

http://www.asahi-net.or.jp/~cn6k-inb/02/nukigaki.html
内山興正老師語録(著作の抜粋)

(ある老医師が「死後の霊魂はあるかないか」についてアンケートを送ってきた話の続き)
こんな算術に対しては,はっきり「霊魂はある」「いま貴方がたたかっている相手がそれなのだ」といわねばなりません
こんな先生にもし亡霊など全くないことが科学的であり,仏法の「諸法無我」は現代の科学と一致するなどといえばとんだことになります
「諸法無我」はまったく人間的倫理道徳の破壊につながってしまいます

仏教では昔からのインド人の信仰であった輪廻転生説を受け入れ,そのまま説いているわけですが
もしこの「諸法無我」を客観的真理のコトバとするならば,この輪廻転生を荷う主体がなくなり,因果歴然の教えも無意味となってしまいます
それが有部の『倶舎論』などでは無我とはいわず,破我といい,そして業感縁起を説きます

さらに無著・世親の唯識系統では阿頼耶識説を説くことにより,いまいうような霊魂についてばかりではなく
われわれ日常行為における因果関係についても,まったく詳細巧妙に説明する心理学を展開しています
そういうつもりで唯識教学などを勉強すると,われわれの実際修業における日常生活の心構えにも大いに役立つと思います

(『いのち楽しむ 』-3死者の霊魂や死後の世界は本当に存在するものか?(p17-)より)
667おじゃる:2014/09/27(土) 19:05:27.10 ID:eX+f71Yk
 
>>666 の続き

http://homepage3.nifty.com/junsoyo/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
内山興正著 思い手放し 〜『生命の実物』より〜

思いの手放し

坐禅中の心構えを一口にいうならば,坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
そうして「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません
「思いを手放しにする」とはどういうことか

われわれの思いは,いつも「何か」を思うわけですけれど
この「何かを思う」ということは,思いをもって,その「何か」をつかむことです

ところが今
その何かをつかもうとする「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって,何ものをもつかまないでいることです

すなわち思いの手放しです。実際には何ものかの思いが浮かぶかもしれません
しかし思いがそれをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう

例えば花が思い浮かんだとしても,それに美しいということがつづかないかぎり花が美しいという意味が成り立たず
美しい花という意味としても捉えられないようなものです

とすれば
たとえAがアタマのなかに思い浮かんでも,思いをつづけさえしなければ,Aは意味形成以前であって無意味なのだし
そのまま意識の流れとともに立ち消えてゆきます
668神も仏も名無しさん:2014/09/27(土) 22:30:08.59 ID:thl2e3Ep
>>666
「正しい行いをしよう」
そう思って行動する事は全て自分の行為を信じて行う事に異ならない
違うのか?
勝手に行動してしまうならそれは単なる反応・挙動の虜なのであり
仏道修行でそれが起こるのは好ましくない
正しい行いをしないと決めても、それも自分の行為を信じてそうする事に異ならない
違うのか?
人間は四句分別の何れをも免れて行為に至る事など出来はしない
現にお前はお前の考えが正しいと信じてそう言う御託を並べ続けている
青空だろうが無明だろうが、それを受け入れ認める時点で
お前はお前の行為と信念を信じて行為しているに過ぎず
信念に基いて行為している事に異ならない

お前の知りたい霊魂などの解明は、解脱出来れば必ず全て分る
それをお前は頑なに拒絶し、拒絶する信念に基づいて行為し続けているに過ぎない

中観派も釈尊も、言わんとしているのはその行為と信念を止めろと言っている
お前は止めるのが怖くて怖くて怖くて怖くて仕方が無い
だから、御託を並べて違う道を探し続けている

お前は臆病者の極みなんだよ
669おじゃる:2014/09/28(日) 01:20:29.39 ID:J1/AKEAW
 
> 「正しい行いをしよう」
> そう思って行動する事は全て自分の行為を信じて行う事に異ならない
> 違うのか?

違うでしょ

無明の暗闇に覆われて:中論26-1
誤ったあり方を掴もうとして離すことが難しい固執も生じて:中論26-6

「正しい行いをしよう」
そう思って行動して

そして

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html

無明 → 行 → 識 → 苦が

この現世に現れて
この現世から滅して逝く

無明薫習
衆生は無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生ずるのである

末那識(まなしき)が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けている
670神も仏も名無しさん:2014/09/28(日) 01:35:34.45 ID:/Oqz5tzO
>>669
>違うでしょ

ほら、反発心からの憤りが出てるよねw
俺に対しては初めてじゃないかな?感情を露わにした一言は

>衆生は無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
>真如に薫習し、その薫習によって妄心を生ずるのである
>根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けている

で、どうすんの?どうしたいの?
行っても、行わなくても、行うと決めかねても、行い自体を考えない事を選んでも

>誤ったあり方を掴もうとして離すことが難しい固執も生じて:中論26-6
>衆生は無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
>真如に薫習し、その薫習によって妄心を生ずるのである

と言う事実を免れえず、どれを選んでも行為の選択に過ぎない
それらはお前自身の心が選択する事を免れ得ない
例え行わない考えない事にしても、そうする事を「選 ん で い る」
仏はその選択自体を最初から否定して居ない
真に正しいたった一つの行動をしろと、七仏は懇々と教え続けてきてもいる
671神も仏も名無しさん:2014/09/28(日) 01:52:21.26 ID:/Oqz5tzO
おじゃるよ、答えを書いてやる

仏は矛盾を用いて無矛盾を説き教える
完璧な仏ですら、矛盾を一度は用いるんだよ
矛盾を用いて円教たる純円教を教えるんだよ
俺らにそんな凄い事は出来ないけど、体現なら簡単にできる
仏の曰く矛盾を用いて無矛盾を行う事が出来る

それが仏道を選ぶ事であり、只管打坐を行う事なんだよ
座禅は何も行わない行為を行う純粋な止行だ
道元曰くの修証一如の極意もここにある
無上の智慧も座禅にちゃんとある

お前がどんなに嫌嫌言ったところで、信じようと信じまいとそこにあるんだから仕方がないんだよw
672おじゃる:2014/09/28(日) 02:01:29.83 ID:J1/AKEAW
 
他の人に向かって 「 お前 」 呼ばわりするような人は

相手にしたくないので、絡んで来ないで下さい
  _  _  _

ID:ajDp+G6k ID:thl2e3Ep ← ID使用しているPCが違うからか?

↑勝義坊として頑張ってくりゃしゃんせ

(↑「俺は勝義の立場で語ってるんだっ!すごいだろっ?」と自慢している人のことを勝義坊と言うらしい)
  _  _  _

ちなみに
私(おじゃる)は
「自相(自性)あり」と掴もうとしている、中観自立派の段階です

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
中観自立派は
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
末那識(まなしき)が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けている
673神も仏も名無しさん:2014/09/28(日) 02:05:24.51 ID:/Oqz5tzO
それとな、スダンマチャーラさんは曹洞宗を挫折した訳ではない
表面的に言うなら挫折したと言われても間違いではない
あの人は曹洞宗の政治行為(宗の運営方針)に嫌気が差して
宗門を離れて上座部へ移ったんだそうだ
あっちの僧団はバカ正直に赤字運営とかお構いなしの本物だからね
現時点での曹洞宗じゃ相当頑張らなきゃ修証一如の本意には辿り着けない
気の毒と言えば気の毒な話さ
今は十分満足だそうだよw
674神も仏も名無しさん:2014/09/28(日) 02:09:36.87 ID:/Oqz5tzO
>>672
お前は本当に弱いよなw
だから見込みが有るんだが

臆病者が増上慢から憤った所で何も生まないよw
五分でも自分の妄想を止める行為を集中してみろ
出来ない癖に御託並べてるから俺はお前を容赦なく叩くんだよ
ググるだけならキチガイにも出来るし、それこそ紐でも隠居でも容易に出来る
文字上だけを額面で解釈するのだって彼らにはお手の物さ
お前はその次元でしか仏教を捉えて居ない

だからダメなんだよw
675神も仏も名無しさん:2014/09/28(日) 02:18:16.88 ID:qHnqlgZr
>>672
因みに、中観両派を名乗りたいならせめて座禅瞑想くらい行え
名乗るんじゃなくレベルを言いたいだけでもだ、そのレベルには座禅瞑想が重要で
嘗ての中観派でもちゃんと思考所以の見解は排除して語っている
あの龍樹でさえ思考の見解を言ってた訳じゃないんだよ
だから言説が難解なのさ、考えたって分からない事しか言ってないからな
釈尊が解り易いのは帰謬派も自立派も兼ね備えてたからなんだよ
釈尊の表側の顔は自立派のそれだ、だからお前も容認に傾けられたのさ

釈尊は両方具えてるから片方だけじゃダメだとおもうぞ?w
676おじゃる:2014/09/28(日) 02:25:15.59 ID:J1/AKEAW
 
> 曹洞宗じゃ相当頑張らなきゃ修証一如の本意には辿り着けない

それ故に

私(おじゃる)の場合は
「焼肉食べたいっ!」「可愛い女性とデートしたいっ!」と言うよな煩悩に満ち溢れているので

「 余念を交えず、ただひたすら座禅する 只管打坐 1.0 」 の実践は無理でしょう
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E5%8F%AA%E7%AE%A1%E6%89%93%E5%9D%90/m0u/
  _  _  _

http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-writing/post-105.html
エンサイクロメディア空海

大菩提の果
覚りを求める心(菩提心)を起し、最上の果報を仰がねばならない

六波羅蜜を筏とし、八正道の舟にのって愛欲の海をわたり
七覚支の馬にまたがり、四念処の車にのって迷いの世界を越えねばならない

そうすれば
十地の菩薩が修行する長い道も僅かの時間で経つくし、無限に長い劫も究めることは難しくない

そうして煩悩を転じて菩提を得ることができる
677神も仏も名無しさん:2014/09/28(日) 02:32:45.24 ID:qHnqlgZr
>>676
>「焼肉食べたいっ!」「可愛い女性とデートしたいっ!」と言うよな煩悩に満ち溢れているので

焼肉食べれば良いでしょうよw
可愛い女性も口説いてデートすればいいでしょうよw
これらは確かに煩悩だが、仏道も煩悩なんだよ?
あらゆる行為一切を考えれば煩悩、選択して行うのも煩悩さ
もちろん、解脱を目指し涅槃を目指して修行するのも煩悩の行為以外の何ものでもない
だから一切行苦なのであり、苦を免れ得ないのさ

何が行けないのかな?w
何でもいいんだよ、お釈迦様の教えの通りさw
何を疑ってるのさ、自分自身がそもそも自分の物じゃないのに
疑った所で切が無い、その疑いだって疑わしいのに疑いようも無い

それらを止めればスッキリするのに勿体無い話さw
678神も仏も名無しさん:2014/09/28(日) 02:41:24.56 ID:qHnqlgZr
>>676
因みにな、青い空の本当は無色透明、しかも極めれば漆黒の闇である事を言ったら

彼、絶句してたよw
悪い人じゃないみたいだから遊びにいったっら良いよw
679おじゃる:2014/09/28(日) 03:02:10.48 ID:J1/AKEAW
 
> 何でもいいんだ

例えば
「何でもいい」のなら
「落武者の幽霊を見た」と掴もうとしている想いも良い
「目で見たり、触れて感じたりすることのできない、オカルト」を掴もうとしている想いも良い

「電磁相互作用をせずかつ色電荷を持たない、光学的には観測できないとされ
  "人間が見知ることが出来る物質とはほとんど反応しない"などともされ
  そもそも本当に存在するのか、もし存在するとしたらどのような正体なのか
  何で出来ているか、未だに確認されておらず、不明のままである、暗黒物質(ダークマター)」を掴もうとしている想いも良い

「前世から現世に輪廻して来たのだっ!」と掴もうとしている想いも良い

「バラモン(ヒンドゥー)とか、サーンキヤとか、チベットとか、瑜伽師地論(ゆがしじろん)など」を掴もうとしている想いも良い

「六大(地・水・火・風・空・識)が大日如来を成している
  この大日如来は法界(この世界)に遍満している」と掴もうとしている想いも良い
http://totutotudojin.jimdo.com/%E5%85%AB%E5%AE%97%E7%B6%B1%E8%A6%81/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97/
680神も仏も名無しさん:2014/09/28(日) 03:05:32.33 ID:qHnqlgZr
おじゃる、別にな、座禅したからって解脱する訳じゃないんだよ
座禅したからって涅槃に至れる訳でもない、座禅したからって仏になれる訳じゃないのさ
仏なんかにはどうやったってなる訳がない
最初から仏なんだからな、なってるものはこれ以上なりようが無い
しかも、見渡せばみんな凡夫だ、俺もお前も例外無くな
仏は存在ではないからどこそこに居るって訳じゃない
誰にもあるのに誰にも無い、それが仏だ
仏には実体が無い、俺らと同じさ
如来蔵とか本覚とか阿頼耶識とか、みんな方便なのさ
仏も如来も全て、そんなものなんかどこにも無い

どこにも無いと言う事実こそが如来蔵の本意や本覚や阿頼耶識などの本意なのであり
どこにも無いと言う事実こそが仏なのであり如来なのさ
阿耨多羅三藐三菩提たる無上の智慧も「無いと言う事実」としてあるんだよ
だから座禅で一時的にでも一切の行為を止める行為を行うのさ
何も無いと言う事実を体現する為にね

全ては苦を知り、苦を克服する為の理由なのさ
681神も仏も名無しさん:2014/09/28(日) 03:08:29.89 ID:qHnqlgZr
>>679
>「落武者の幽霊を見た」と掴もうとしている想いも良い
>「目で見たり、触れて感じたりすることのできない、オカルト」を掴もうとしている想いも良い

ああ、結構だよ
釈尊もそれを無下に否定しないだろ
お前の思いの上に展開された一切はお前にしか処遇出来ない
苦しいなら抜苦与楽の法に従うべきだ、と言うまでだね
682おじゃる:2014/09/28(日) 03:13:17.68 ID:J1/AKEAW
 
> 彼、絶句してたよ

↑山下良道さんのこと?

「おじゃるって言う奴が、山下さんの悪口言ってたよっ!」と報告しといて下さいませ
683神も仏も名無しさん:2014/09/28(日) 03:18:56.19 ID:qHnqlgZr
>>679
>「前世から現世に輪廻して来たのだっ!」と掴もうとしている想いも良い
>「バラモン(ヒンドゥー)とか、サーンキヤとか、チベットとか、瑜伽師地論(ゆがしじろん)など」を掴もうとしている想いも良い

ああ、なんでもいいよw
仏の教えに従うならそのままでも別に構わないさ
言った所でどうせ聞きゃしないんだし、増上慢に増上慢と言った所で
お前の様に怒るだけでしょ?
仏の教えに従って行うなら別に何でもいいんだよ
所謂仏教とは
善い行いをしなさい、悪い行いは止めなさい
そうすれば心は浄らかになりますよ
これが仏様の教えです

と言う事なんで、善い事に着々と専念する様に仕向けていければ
最初は仕方の無い事さ
684おじゃる:2014/09/28(日) 03:31:47.71 ID:J1/AKEAW
 
> 最初は仕方の無い事さ

ものごとは段階的に

功徳を植えて

人徳を具えて

そして

思いを手放し、思いがストッンと落ちるかも

http://yusan.sak☆ura.ne.jp/library/buddha_kongohannyakyo/
第四章
菩薩が、囚われることなく施しをすれば
その功徳が重なり、計り知れぬ程になるからだ
685神も仏も名無しさん:2014/09/28(日) 08:50:12.20 ID:DuEnKXRm
焼肉食べたければ、もうたくさんと思うほど食べてみるのもあるよね。
そうすると、肉食に弱い日本人は下痢気味になり
翌日不快な状態で過ごす羽目になる。

女もデートすると、あれやこれや考えて、気づかれする経験をすると
苦しみの因だと思うことでしょう。
686おじゃる:2014/09/28(日) 10:03:34.45 ID:J1/AKEAW
 
> 肉食に弱い日本人は下痢気味
私(おじゃる)の場合は
医師から
胃炎(いえん)
過敏性腸症候群(かびんせいちょうしょうこうぐん)
「にんにく、わさび、カフェインなどは良くない」と診断されたことがあります

> 女もデートすると、あれやこれや考えて、気づかれする経験
美人で可愛い K・I と言う女性とデートしたことがあるけど
(私(おじゃる)が世間一般には女性は何に興味があるのか?わからないので)
会話が全く噛み合わなかったので
見た目・外見が美人で可愛い女性でも
私(おじゃる)と付き合っていくのは「無理だなっ!」と感じたことがあります
(こちら側から話を合わせることが、すごく精神的に大変なことなので)
今ふり返ってみても
やはり「会話が噛み合わない人とは付き合わなくて正解だったなっ!」と感じています

http://yamisoku.com/jinkaku/754.html
うっかり地雷を踏もうものなら、その日はもう台無し【人格障害の嫁を持つ旦那】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E7%90%86%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
代理ミュンヒハウゼン症候群の傾向がある女性とは、お付き合いしないほうが良いかも
687おじゃる:2014/09/28(日) 11:13:16.83 ID:J1/AKEAW
 
>>686 の続き
私(おじゃる)は実践したことがないので、わからないけど、とりあえず

金剛般若経
第四章
渇愛による想いに
囚われることなく施しをして
計り知れぬ程に功徳を植えて

末那識(まなしき)に影響されることのない「あおぞら」の立ち位置から
この「あおぞらから雲を観察していく」と言うような感覚で

思いを手放し、思いがストッンと落ちて

平等性智(びょうどうしょうち)に触れて知覚して住んで
この平等性智の立ち位置から

末那識を手放し、末那識がストッンと落ちて

息を吐く時に自分の 『 幸せを 白い光の形で衆生に与え 』
息を吸う時には 『 衆生の苦しみを 黒い煙の形で受け取る 』 と観察して

自己破壊の傾向も
代理ミュンヒハウゼン症候群の傾向も

思いを手放し、思いがストッンと落ちる

 ↑ このような段階的な手法もあるのかも
688おじゃる:2014/09/28(日) 11:55:52.86 ID:J1/AKEAW
 
>>687 の続き

衆生の苦しみの 『 黒い煙を、護摩の火によって浄化させていく 』 と観察していく

http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-walk/cat29/post-99.html
エンサイクロメディア空海

護摩の思想は
インドから中国を経て空海に及ぶ頃にはこの火の行事が高度に思想化され

『 火を真理とし、薪を煩悩とし、真理をもって煩悩を焼くという 思想に至った 』 と解説する

さらに、拝火の起源はバラモン教や釈よりも古いゾロアスター教にもある、とその歴史を解説する

http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
スッタニパータ
426 (悪魔)ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきて
428 ヴェーダ学生としての聖火にに供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる
430 かの悪魔がこのように語ったときに、尊師(ブッダ)は次のように告げた
431 わたしはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい
927 わが徒は、アタルヴァーダの呪法と夢占いと相の占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行ったりしてはならない

だけど
567 結髪の行者ケーニヤに、師は次の詩を以て、喜びの意を表した
568 火への供養は祭祀のうちで最上のものである
689おじゃる:2014/09/28(日) 12:33:11.06 ID:J1/AKEAW
 
>>687 >>688 の続き

思いを手放し、思いが落ちて、そして 『 幸せを 白い光の形で衆生に与える 』
  _  _  _

「輪廻にある存在」を掴もうとしている想い
「仮設としてのもの」を掴もうとしている想い

「涅槃」を掴もうとしている想い
「生滅変化ではないもの」を掴もうとしている想い

この想いは 『 掴もうとしている状態にある 』 と言う意味において
わずかな違いも、最も微細な違いすらも存在しない :中論25-19・20の超訳

行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる
これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである
作り出されたものは空性によって消滅する
行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある :中論18-5の

スッタニパータ
872
名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る

 − これに対して −

1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、< 死の王 > は、見ることがない
872
欲求がないときには、< わがもの > という我執も存在しない。形態が消滅したときには < 感官による接触 > ははたらかない
690おじゃる:2014/09/28(日) 13:20:37.01 ID:J1/AKEAW
 
>>687 >>688 の続き

http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-life/test/post-122.html
虚空蔵菩薩
ノウボウ・アキャシャ・キャラバヤ・オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ
虚空蔵菩薩の象徴である明けの明星が飛来して、真言を唱える真魚(空海)の口に入った
真魚(空海)という小宇宙(人間)が大宇宙(虚空蔵菩薩という宇宙の仏)と無二一体となったのである

http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-art/cat25/post-50.html
第十章 即身成仏

嵯峨天皇は南都六宗と北嶺(比叡山)の高僧
および空海の八人を宮中の清涼殿に召集、それぞれの宗旨の真髄を聴聞します
これは八宗論として伝えられています

空海は
「自心の源底を知るものは仏の心を知る
  仏の心を知るものは衆生の心を知る
  仏の生命を覚り、これと一体化して生きる肉体そのまま で速やかに仏になることができる
  それは仏の三密と人間の三業とが不二になる境地である」と真言宗の即身成仏を説き
天皇と高僧たちの前で
手に印 契を結び、口に真言を唱え、心を仏の三昧に住するという三密行を示し
自身金剛身(大日如来)となり即身成仏の境地に入ってみせ、体から黄金の光を放ちます

八宗綱要(はっしゅうこうよう)
六大(地・水・火・風・空・識)が大日如来を成している
一切諸法は大日如来と異ならない
この大日如来は法界(この世界)に遍満している
691おじゃる:2014/09/28(日) 23:02:17.48 ID:J1/AKEAW
 
1.0でもなく2.0でもなく↓「あおぞら」を見て触れて知覚して住ことなどについて

14/09/28 ZZ’線を突き抜けて、無時間の場所へ
14/09/21 仏教史で二回目のアップデートがいま始まる
14/09/15 「生命の実物」は青空からしか見えない
14/09/13 ZZ’線を立体的に覚蝕する
14/09/07 般若心経が邪悪なものを鎮める

14/08/31 自己ぎりの自己の中「ワンダルマ仏教僧」誕生
14/08/24 「仏教3.0」元年
14/08/15 一粒の麦もし死なずば
14/08/10 青空としての「自己ぎりの自己」

妄想に影響されることのない「あおぞら」の立ち位置から
「雲を観察していく」と言うような感覚で

この思いを手放し、この思いがストッンと落ちて、そして

http://homepage3.nifty.com/junsoyo/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
内山興正著 思い手放し 〜『生命の実物』より〜

坐禅中の心構えを一口にいうならば,坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
そうして「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません

例えば
花が思い浮かんだとしても,それに美しいということがつづかないかぎり花が美しいという意味が成り立たず
美しい花という意味としても捉えられないようなものです
692神も仏も名無しさん:2014/10/01(水) 06:12:59.48 ID:IRhTeyVA
>>688
「火」は智慧の象徴であり、煩悩の闇を照らし、苦の原因を焼き尽くす。
693神も仏も名無しさん:2014/10/01(水) 17:50:43.64 ID:kTDQyccF
苦の原因を焼き尽くしたら
他者に迷惑がかかり、自己の存続は不可能である
焼き尽くすのではない、遠離するのだ
と言う事を知らない内はまだまだ浅い
694神も仏も名無しさん:2014/10/01(水) 22:46:07.07 ID:dW6mono1
苦の原因は、生きているというそのものだからじゃ無いですか

だから苦を滅尽することは、死ねと言っている事になりますから
695神も仏も名無しさん:2014/10/02(木) 00:59:21.44 ID:V7i3vWfo
死んだってまた輪廻すれば同じ事
696神も仏も名無しさん:2014/10/04(土) 21:22:29.25 ID:ySWxUjUn
だから苦から逃れられなくなる

だから苦の正体を知ること

知ればそこで終わるから
697神も仏も名無しさん:2014/10/06(月) 01:44:19.51 ID:AqdDYNOD
苦の正体を知っただけでは苦は終わらない
そもそも始まっても居ない苦が終わるわけも無い
苦はどこに於いても始まらない
それが分らないのは苦を知らないからに過ぎない
698神も仏も名無しさん:2014/10/10(金) 13:14:17.56 ID:HKZQGXRr
私は長年にわたり、真言行者の方々の食事を調理してまいりました、
もちろん精進料理です。

 真言宗の精進料理では戒律に従った制約がいろいろとあります。
まず、肉魚はもちろん卵もだめです、野菜でもニンニク、ニラ、ネギ、
タマネギ等ユリ科の根菜、お寺では五辛と言っていますが
唐辛子、胡椒など香辛料もだめです。

ただ他のご本山では許されていないかもしれませんが当山では乳・
乳製品は殺生をしていないので食べても良い事になっていますし、
お酒も飲むのは御法度ですがお料理に使用するならば良い事になっています。

例えば普段何気なく食べているあんパン、これも皮の部分に
卵が含まれているのでだめ、ソース焼きそばもソースに
タマネギと胡椒などの香辛料が含まれているためにだめです。
http://samaya.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/index.html
699神も仏も名無しさん:2014/10/10(金) 13:18:01.82 ID:hlink7Mg
>>698
搾乳って牛の寿命を縮めるものだと思うのだけど…
700神も仏も名無しさん:2014/10/10(金) 19:44:00.58 ID:rLaPVALe
701神も仏も名無しさん:2014/10/10(金) 22:22:06.56 ID:HKZQGXRr
動物を殺戮すると、死と同時に血液の循環は即座に止まる、
するとその肉体を組織している生活物質は直ちに第一の腐敗期に入る。
然し未だこの時期には、その肉の味いが食してもうまくないため、
多くの人は好んでこれを食さない。

それから暫く経過すると第二腐敗期に入る。しかしこの時期はその死肉が
俗にいう硬直状態になるために、食用に供するのに不適当であるが故に
これまた人は食さない。

人々の好んで食すのはその後この硬直状態が分解期に入り、
死肉に柔らか味の生じた時である。  が然し焉んぞ知らん。
この時その死肉は、第三腐敗期に入る。
しかして体内の毒素はその腐敗期を重ねるに随い加重し来たり、
第三腐敗期には、既に相当の多量毒素がその死肉の中に沈積しているのである。
だから動物性食餌を愛好する人々の多くはかなり多量の毒素を
滋養だという名目の下に、その死肉の中から知らず知らずに、
自己の体内に搬入しているのである。


          中村 天風  著書「錬身抄」より
702神も仏も名無しさん:2014/10/14(火) 23:36:46.64 ID:5dpEM20r
まじ肉食わんでいいよな
自分が殺生してなくてもやはり同じこと
思考が変わってしまう
703神も仏も名無しさん:2014/10/15(水) 00:06:36.41 ID:K6RyXWx1
植物も食べるために採取したらそこから腐敗は始まる。
生きるためには他の命を喰らわずにはいられない。
植物なら殺生ではないかのように思っているなら我儘勝手もいいとこ。
704神も仏も名無しさん:2014/10/15(水) 02:34:02.21 ID:IpViH7jR
肉食は、泣いて嫌がる動物を〆て血抜きして食うという面倒を知ると
食わなくてもいいなと思う。

肉体を維持するに必用な栄養が賄えれば、菜食が肉食よりも勝るというのは同意。
しかし、魚は適度に食べれば、精神的にも肉体的にもいい影響があるのは否定できないので
日本人としては、必用な分は食べた方がよろしいかと。
705神も仏も名無しさん:2014/10/15(水) 13:43:17.53 ID:HplETQO4
生類の命とやらは須らく等価だろ
人はそれらの命を頂かなきゃ生を長らえられない
どの命を頂くにしてもそれらに差などなく、殺生は殺生に過ぎない

偽善は止めようか
魚なら良いとか偽善に過ぎないんだから
植物にしても同じ事だ

何かの命を頂かなくては人は生き長らえられない
この現実から目を背けてはならない
706神も仏も名無しさん:2014/10/16(木) 03:16:44.13 ID:MRWrHqwD
アジアの住民の一部は厳格な菜食主義です。
彼らは温和な人々で、ほとんど戦争をしません。
中近東の人々は肉を食べます。彼らはよく戦争をします。

肉食をしないアジアの民族は、植物素材を肉に変えるために
自分の力をつかっているのです。
そのために、彼らは温和なのです。
肉食をする民族は温和ではありません。

人々は次第にこのような考えに到達します。
ただ、肉を食べる人は、このような考えにいたることができません。


by ルドルフ・シュタイナー
707神も仏も名無しさん:2014/10/16(木) 22:10:27.62 ID:TNV6wPUP
>>703
突き詰めれば同じかもしれない、しかし現実的に、
人が人を、というのと植物を、というのは我々が人間である以上同じではない
708神も仏も名無しさん:2014/10/16(木) 22:55:47.80 ID:iOl835Rb
>>706
話を単純化し過ぎじゃないか?
すごい差別主義者のようだ。
709神も仏も名無しさん:2014/10/16(木) 23:22:49.77 ID:iOl835Rb
動物にしろ植物にしろ、人間の食い物として存在しているわけじゃない。
仏教は人間中心主義ではないと思っていたのだが、どうもそうではないようだ。
710神も仏も名無しさん:2014/10/17(金) 02:49:11.22 ID:KpOzIo/2
>>709
人間は人間ではない、それを人間と呼んでいるに過ぎない
同じ様に、食い物という物も実には存在しない、それらを勝手に食い物と定めているに過ぎない
主義を定めてるのは人々の概念であり思いに過ぎず、主義と言うものがある訳ではない
711神も仏も名無しさん:2014/10/17(金) 06:35:32.98 ID:z4G+DDiG
>>710
>主義を定めてるのは人々の概念であり思い
そういうもので語っているに過ぎないだろ?と言っているんですよ
殺生だって概念であり思いに過ぎないし、あんな気がするこんな気がするだけのことを
ものものしく語っているに過ぎない
あなた本当に自分を便宜上人間と呼んでいるだけのことだと思っていますか?
主義を定めているのは人々の概念や思いに過ぎないと胆の底から思って書いていますか?
そう書いていることすら概念に過ぎないでしょう?
仏教はそうではないと思っていたけれど違うようですやはり
712神も仏も名無しさん:2014/10/17(金) 06:43:15.81 ID:1VvxPXqJ
>>711
仏法は無我にて候
是に尽きる
713神も仏も名無しさん:2014/10/17(金) 06:55:47.13 ID:1VvxPXqJ
>>711
>仏教はそうではないと思っていたけれど違うようですやはり

その思い一切に捉われてるうちは仏教を理解出来ないだろうな
勿論理解しようとする時点で見当違いでもあるんだが
いずれにしても、縁なき衆生は度し難しなんだよ
714神も仏も名無しさん:2014/10/17(金) 18:21:34.99 ID:z4G+DDiG
>>712-713
あなた達が仏法や仏教を語る限り、仏教はその程度のものですよ
715神も仏も名無しさん:2014/10/17(金) 22:59:59.00 ID:W7PmtDgw
>>710
>>711
>>712
みんなで一法庵へいっておいで^_^
716神も仏も名無しさん:2014/10/18(土) 09:39:15.73 ID:fxwkwkhw
一法庵のpodcastを聞いてると
元オウムとか幸福のなんとかの信者への
働きかけのような気がするなぁ
彼らの求めてるのが青空であれば
是非聞いてもらいたいと思う
717神も仏も名無しさん:2014/10/18(土) 15:00:34.05 ID:TY2Z+Qag
青空の正体は、とんでもないもんだよ
たぶん
718神も仏も名無しさん:2014/10/18(土) 19:45:33.34 ID:5f0PpfN1
<世界一の長寿村沖縄県が、戦後、豚肉主食により日本一の短命県に転落>

大腸がん死亡率:男性 [ 2012年第一位 沖縄県 ]
http://todo-ran.com/t/kiji/10434
沖縄県は65歳未満の死亡率が全国1位!
お酒による《肝疾患の死亡率》も沖縄県が全国1位
http://www02.bbc.city.okinawa.okinawa.jp/kouhou/h25/10/12.html
<糖尿病で、人工透析患者は沖縄県が全国ナンバー1>
http://www.qab.co.jp/news/2013112047901.html
沖縄県の糖尿病の死亡割合は全国1位(沖縄県役場調べ)
https://www.town.haebaru.okinawa.jp/hhp.nsf/0/8EEDA163B1209E6B4925771B001A7C3A?OpenDocument
---------------------------
肉食がガンを増殖させる、全米大ヒット映画
フォークスオーバーナイブズ 予告編
http://vegerevo.com/
---------------------------------
人は動物の肉を食べることによって、動物のなかに生じた
アストラル的な力の影響を受けるのです。
肉食をすることによって、人間は自分の神経組織に
影響を与えるものを摂取することになります

肉食によってもたらされるプロセスが高じると、
ヒステリー・癲癇(てんかん)、さまざまな神経症を引き起こします。

    by ルドルフ・シュタイナー

※神経症=統失、うつ病、不安神経症、ひきこもり等
719神も仏も名無しさん:2014/10/18(土) 23:14:24.03 ID:+YxJa4hz
>>617
ゲロゲーロ。
720神も仏も名無しさん:2014/10/21(火) 14:52:26.16 ID:4s5Bip7+
>>616
結局ワンダルマはもう飽きたのかw
飽きっぽいなお前
有相唯識なんて古すぎるよ今どき
721神も仏も名無しさん:2014/10/21(火) 16:22:13.48 ID:pD7C7N7y
 
八宗綱要(はっしゅうこうよう) 法相宗

第六項 三科と百法
十八界(十二処に眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識を加えたもの)は色心の両方を広く分類している。また、無為法も含まれる

有為法 - 縁起したものがある
無為法 - 縁起したものを離れることがある
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf

第九節 菩提と涅槃
第一項 転識得智と四種涅槃
諸段階での修行はみな「ただ、心のみである(唯識)」と観察することであり、悟りの結果証明されるのは「ただ、心のみである」事である
したがって、すべての行はみな唯識から起こり、あらゆる成果も唯識によって得られる

法相宗では八識(心)を転換して四智とする
その四智とは、1.大円鏡智、2.平等性智、3.妙観察智、4.成所作智である

初地に入る時、第六意識と第七末那識を転じて妙観察智、平等性智を得る
悟りを得る時、前五識と第八阿頼耶識を転じて大円鏡智、成所作智を得る

この瞬間に四智は完全に備わり、煩悩障・所知障は菩提・涅槃へと転換する
722神も仏も名無しさん:2014/10/21(火) 16:52:56.88 ID:9HtzcqYD
>>721
涅槃に照らして矛盾してる
論外
723神も仏も名無しさん:2014/10/21(火) 21:26:01.96 ID:pD7C7N7y
 
八宗綱要(はっしゅうこうよう) 真言宗

第五節 六大・四曼・三密

六大(地・水・火・風・空・識)を立てて、総じて仏の体をあきらかにする
六大が大日如来を成している
一切諸法は大日如来と異ならない
大日如来は法界(世界)に遍満している

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html

『有為法 - 縁起したものがある』と掴もうとしている想いも
『輪廻にある存在』と掴もうとしている想いも

『無為法 - 縁起したものを離れることがある』と掴もうとしている想いも
『涅槃』と掴もうとしている想いも

この想いは『掴もうとしている状態にある』と言う意味において

わずかな違いも、最も微細な違いすらも存在しない :中論25-19・20の超訳
724神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 08:32:10.37 ID:W59qtjY/
>>723
阿字観も満足に出来ないお前が何をか言わんかやだろ
725神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 08:42:48.91 ID:19gl4qSq
>>723
涅槃と輪廻に少しの違いも無い、と言われてる意味を探ってるんだな?

全ての物質は、どんな行為を以ってしても消え失せる事など出来ない
例えば焼き払おうとしてみても、灰の類やガスの類に「変質」して
物理的には違う物質に変じるだけで、決してその場から忽然と無くなる
と言う事は有り得ない

それが涅槃の事実なのであり、輪廻の実態なのである
だから輪廻と涅槃には双方に違いなど微塵も無い、となるんだよ
726神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 09:58:03.52 ID:6jW+qzmf
 
実践したことはないけど↓貼り付けて置きます

https://kotobank.jp/word/%E6%9C%88%E8%BC%AA%E8%A6%B3-45106
月輪観
自己の心を満月輪のようであると観じる密教の基礎的観法
阿字観や本尊観などを修する際に必ず,まず

『心のなかに,あるいは面前に月輪を観想する
 この月輪は自己の菩提心そのものを示すもので
 その月輪が円明無垢で光明が全法界に周遍する』

と観じると自己の菩提心そのものもそのように光明無垢となるから
この光明無垢の菩提心を根拠として行う種々の観法が修され,実効をあげうるとされる
727神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 10:23:41.33 ID:19gl4qSq
>>726
>心のなかに,

それは具体的にどこの事かな?
月輪を妄想しろって事じゃないのかな?
その家風ではそうなのかも知れんが、お前に向いてるかどうかは別の話だよな
問題なのは「お前はどうするのか?」では無いのかな?

お前のインチキ論は全て悉く対象が「他者」であり
お前自身は傍観者を気取ってるに過ぎない
そんな事だから何も解決できずに何年も堂々巡りなんじゃなかろうか

堂々巡りしか出来ないお前の論述論考に専ら勝ち目など無く
その勝ち目の無さに自尊心を傷つけられまいと必死に振舞うお前が
哀れでならないのは気の所為かのうw
728神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 10:34:09.70 ID:19gl4qSq
いいかおじゃる
全ての宗教は心と言う妄想上に展開された戯論で成り立っている
それは鎌倉仏教であっても免れ得ない、西洋宗教などいわずもがなである
そして、釈尊すらも戯論を用いた事実を免れ得ず、お前はその戯論自体に惑わされてるに過ぎないんだよ

涅槃に言語は成り立たない
涅槃に思念も成り立たない
それらは存在して無い訳ではないが、仮初に過ぎず
夢幻泡影の世を免れ得ない不確かなものに過ぎない
人の思いにお前は心縛られて心惹かれているが
人の思いは此の世界の基幹ではない
此の世界は人の思いで成り立ってはいないんだよ
釈尊はそれを四顛倒と正してちゃんと示している

愚か者はそれを知るべきである
729おじゃる:2014/10/22(水) 11:47:14.42 ID:6jW+qzmf
 
> 愚か者はそれを知るべきである

他の人に対して 『 愚か者はそれを知るべきである 』 とか逝っちゃってる人は相手にしない方が良いでしょう

今回の Podcast は

『ID:19gl4qSq のような
 威圧的・高圧的な物言いをする人は相手にするなっ!』

と言うような法話です

http://www.onedhamma.com/

14/10/19 青空に礙えられて
14/10/13 世間という名のカルト、または酸っぱい葡萄
14/10/05 サンガが妄想共同体にならないために

14/09/28 ZZ’線を突き抜けて、無時間の場所へ
14/09/21 仏教史で二回目のアップデートがいま始まる
14/09/15 「生命の実物」は青空からしか見えない

14/09/13 ZZ’線を立体的に覚蝕する
14/09/07 般若心経が邪悪なものを鎮める
14/08/31 自己ぎりの自己の中「ワンダルマ仏教僧」誕生
730神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 12:20:16.25 ID:5woLgiw2
>>729
法華経の方便品で、お前は釈尊の話を聞かず中座した群衆なんだよ

何が悪かったのか良く考えろ
731神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 12:31:37.06 ID:5woLgiw2
>>729
この世界の現実は実に威圧的且つ高圧的で残酷なのに
今更何をそんなにビビッて体裁ばかり気にするのかな?

斬新だよなお前w
732神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 13:28:54.77 ID:6jW+qzmf
 
今回の Podcast の法話 ↓ 14/10/19 青空に礙えられて

中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二

如来は、戯論を過ぎるが
而し ID:5woLgiw2 は、戯論を生じている
戯論は、慧眼を破る
慧眼を破っている ID:5woLgiw2 には仏が見えない

ID:5woLgiw2 は
無始からの輪廻を繰り返して
無明の暗闇に覆われて
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じて
渇愛に依存して
誤ったあり方を掴もうとして離すことが難しい固執が生じて

『 この世界の現実は実に威圧的且つ高圧的で残酷なのに 』

と掴もうとしている想いが

因と縁の双方が相応一致して
この現世に現れ
この現世から滅して逝く
733神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 13:35:34.68 ID:5woLgiw2
>>732
>この世界の現実は実に威圧的且つ高圧的で残酷なのに

事実だからこそ、お前の頭は壊れててお前の内臓は壊れてるんだろ
実に威圧的にして高圧的で残酷だろ
お前の好むと好まざるとに因ってない訳で

因と縁の双方が相応一致してこの現世に現れこの現世から滅して逝く

とお題目・念仏をいくら唱えても、残酷な現実はいつまでも解決しないぜ
お前が行動しなきゃな
734神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 13:39:08.67 ID:5woLgiw2
>>732
>慧眼を破っている ID:5woLgiw2 には仏が見えない

慧眼など法眼の比でもない
ましてや真に仏が観えてないのはお前(おじゃる)だろ
735神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 13:41:46.61 ID:5woLgiw2
>>732

因みにこの書き込みはお前の法華経であり
お前の真言であり、お前の呪詛の呪文と捉えようw

怨み節としては上出来かと思われるw
736神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 14:15:23.40 ID:6jW+qzmf
 
結局のところ

今回の Podcast の法話

14/10/19 青空に礙えられて

聴いてないんでしょ?

威圧的・高圧的な人への対処の説法をしているのだけど

http://www.onedhamma.com/
737神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 14:28:40.51 ID:5woLgiw2
>>736
結局の所お前聞いたって全然分ってないんでしょ
スダンマチャーラをバカにするものがそれ聞いて何が分るのか
こっちが尋ねたいよw
738神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 14:34:49.78 ID:Q9QxgJc1
>>736
どうして、えばる人とそれを崇拝する人が現れるのでしょうか?
739神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 14:41:35.84 ID:ov/GUmL/
だれでもあるでしょ?
見えませんか?
自分の中に

自分もそうです。
740神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 14:49:02.83 ID:5woLgiw2
媚を売るより威張った物言いの方が現代では真実を語り易い

何も好かれる為や人気取りの為に法を説く訳でもないしな
741神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 14:57:59.79 ID:5woLgiw2
そもそも現代日本では乞食を行う事が禁じられている
僧と言えども何か職なり生業を確固としなければ生きていけない
頭を剃って丸める理由は俗世間を離れてる事を民衆に知らしめる為で
糞雑衣を纏うのも理由は同じ、その両者は所有欲を離れ切れた証拠として
纏い整える、それが僧の井出達なはずである
僧は波羅提木叉を守っている限り「乗り物」には乗れない(自力以外の楽を戒律で禁じてる為)
であれば、スダンマチャーラはどうやって日本に帰ってきたのだろうか
そして、どの様にして各地に法話巡業に出かけられるのだろうか

言わずもがなであろうかと
742神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 15:03:27.75 ID:Q9QxgJc1
威張った物言いが好きな人に媚びるには威張った物言いをするとよい。
人気を取るコツねコレ。
743神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 15:11:24.83 ID:5woLgiw2
人気に何の意味が有ろうか
744神も仏も名無しさん:2014/10/22(水) 15:20:21.94 ID:Q9QxgJc1
媚を売るより謙虚な物言いの方が現代では真実を語り易い

何も好かれる為や人気取りの為に法を説く訳でもないしな
745おじゃる:2014/10/22(水) 17:14:53.60 ID:6jW+qzmf
 
> スダンマチャーラをバカにするものがそれ聞いて何が分るのか

山下良道(スダンマチャーラ比丘)をバカにしているのではなく

ID:5woLgiw2のことをバカにしているですよ

気づきませんか?

ID:5woLgiw2は『脳たりん』

(頭が悪い → 脳が足りない → 脳足りん)
746おじゃる:2014/10/22(水) 17:40:55.08 ID:6jW+qzmf
 
> どうして、えばる人とそれを崇拝する人が現れるのでしょうか?

例えば仮に
第六意識に前世に記憶がなかったとしても
前世からの相続に依存して

種子生現行の流れに依存して
末那識に依存して

威張(いば)る人とか
謙虚(けんきょ)な人などが

因と縁の双方が相応一致して
この現世に現れ
この現世から滅して逝く

と言うことであるらしい

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
此れ有るが故に → 彼れ有り。此れ起るが故に → 彼れ起る
無明に縁りて → 行に縁りて → 識に縁りて → 苦が起る

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
(種子生現行)阿頼耶識に縁りて → 末那識に縁りて → 第六意識に縁りて → 前五識に縁りて → 外界にあると認識されるもの
(現行薫種子)外界にあると認識されるものに縁りて → 前五識に縁りて → 第六意識に縁りて → 末那識に縁りて → 阿頼耶識
747おじゃる:2014/10/22(水) 18:09:21.22 ID:6jW+qzmf
 
>>746 の続き

第一能変
異熟というのは
阿頼耶識(根源的と呼ばれる識知)のことであり、あらゆる種子を内蔵している
感触・注意・感受・想念・意志をつねに随伴する
感受は不偏であり、かつそれは障害のない中性である
感触その他もまた、同様である
そして、根源的識知は激流のごとく活動している。「暴流の如し」

第二能変
末那識は
阿頼耶識にもとづいて活動し、阿頼耶識を対象として、思考作用を本質とする
末那識には、障害のある中性的な四個の煩悩がつねに随伴する
我見(個人我についての妄信)
我痴(個人我についての迷い)
我慢(個人我についての慢心)
我愛(個人我への愛着)と呼ばれる
なかでもとくに、当人が生まれているその同じ世界や地位に属するもののみを随伴する
さらにその他に感触などを随伴する

この末那識は自我意識と呼んでもよい
つねに煩悩が随伴するので「汚れた意(マナス)」とも呼ばれる

この末那識と意識によって、思量があり、その意業の残滓はやはり種子として阿頼耶識に薫習される
748神も仏も名無しさん:2014/10/23(木) 15:29:40.87 ID:Va1rgdzi
>>745
脳足りんで結構だよw
お前は仏の智慧が解らんから侮蔑としてそう言うんだろうが
無分別も極めるとバカと区別無いって事実をお前はやっぱり気付いてない
だから脳足りんで結構さw
749神も仏も名無しさん:2014/11/08(土) 23:05:37.50 ID:Se5r03hJ
podcastはverygood
750神も仏も名無しさん:2014/11/15(土) 00:22:47.21 ID:222kinBL
>>749
Podcast本当にいいと思うのですが、全部拝聴しちまいまして。
他に山下師のようないいのはあったりしますか?
751神も仏も名無しさん:2014/11/15(土) 02:34:52.42 ID:IJ5WtcNd
 
> 山下師のようないいのはあったりしますか?

http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 166〜167ページ参照

瞑想の最初の段階では、まず物質的・精神的現象の自然的性質を観察します

その後
私たちは無常、苦、無我、恒常的な実体がないこと、コントロールが存在しないこと

ある意味での空を、一般的に観察する
それから私たちは、生成と消滅を観察します

現象の生成消滅を観察しはじめた時、最初
私たちは生成を観察しますが、消滅は観察しません

一つの現象の消滅を見る前に、私たちは別の現象の生成を見る
一つのものが生じ、また別のものが生じる、といった形で、観察が進行します

その後
私たちは、生成、消滅、すき間
次の現象の生成、消滅、そしてすき間が一つ、といった様相を観察する
私たちは生成と消滅のあいだのすき間も、また観察するのです

しばらくすると、ただひたすら消滅していくことに、より多くの注意が払われるようになる
もう生成にあまり注意を払わなくなるのです

この段階では、無常がますます明らかになる
全てのものが、非常な速度で消滅していくのです
752神も仏も名無しさん:2014/11/15(土) 02:59:38.84 ID:IJ5WtcNd
 
http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 153〜154ページ参照

初心者に対しては、聞くこと、考えることといった全てに、意識的な気づきを入れていくように、教師は指導します
この段階に達しますと、気づきを入れようとした瞬間に、それはもう存在しなくなっている
ですから、あなたはもう気づきを入れることができない
意識的な気づきを入れることは諦めて、ただ気づいたままでいる。深く観察し続けるのです
この段階では、あなたはただ観察し、見ているだけです
もう意識的に気づくことはできないので、気づきを入れることはない
気づきはとても遅いのですが、観察はとても速いからです

この段階では、あなたはただ観察し、見ているだけです
もう意識的に気づくことはできないので、気づきを入れることはない
気づきはとても遅いのですが、観察はとても速いからです

この段階において、瞑想者は非常に明るい 『 光 』 を経験することがありますが
これは心がたいへん集中していることを示すサインですこれらの明るい光は
それぞれ異なった形や色をもつことが有り得ます

たいへん 『 明るい星が現れて、迅速に消えてゆく 』 こともある
視界の一方の端に現れて、それを横切って動き、瞑想者がたいへん興味を惹きつけられてしまうこともあります

明るい光が動いていて、それが月のように、どんどん大きくなってくるのを見ることもある
サマタ瞑想でも、この種の光は経験され得ます。それは集中と、心のエネルギーを示すサインです
753神も仏も名無しさん:2014/11/15(土) 03:07:49.17 ID:IJ5WtcNd
 
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-life/test/post-122.html

ある朝、空海は、行場の「神明窟」で虚空蔵求聞持法の修法に入り虚空蔵菩薩の真言を唱えつづけていた

虚空蔵菩薩
ノウボウ アキャシャギャラバヤ オン マリ キャマリ ボリ ソワカ
虚空蔵尊に帰命したてまつる。オーン。怨敵を打ち滅ぼすものよ。スヴァーハー

するとある瞬間、虚空蔵菩薩の象徴である 『 明けの明星 』 が飛来して、真言を唱える真魚(空海)の口に入った
真魚(空海)という小宇宙(人間)が大宇宙(虚空蔵菩薩という宇宙の仏)と無二一体となったのである
この超常状態を密教では「成就(シッディ)」という
具に言えば
真魚(空海)の誦ずる虚空蔵菩薩の真言のなかに言霊のように内在していた
虚空蔵菩薩が 『 明星の姿となって 』 真魚(空海)の口のなかに顕われたのである

http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-art/cat25/post-50.html
第十章 即身成仏

空海は
『自心の源底を知るものは仏の心を知る。仏の心を知るものは衆生の心を知る
  仏の生命を覚り、これと一体化して生きる肉体そのまま で速やかに仏になることができる
  それは仏の三密と人間の三業とが不二になる境地である』
と真言宗の即身成仏を説き、一座の天皇と高僧たちの前で
手に印 契を結び、口に真言を唱え、心を仏の三昧に住するという三密行を示し
自身金剛身(大日如来)となり即身成仏の境地に入ってみせ、体から黄金の 『 光 』 を放ちます
754神も仏も名無しさん:2014/12/17(水) 21:29:59.12 ID:tycAc3Ai
最近山下さんのことを知ったのですが
池田晶子さんが語られてた魂が
山下さんの語る青空なのでしょうか?
755おじゃる:2014/12/17(水) 22:23:49.89 ID:qG7U94Qg
 
> 池田晶子さんが語られてた魂が、山下さんの語る青空なのでしょうか?

池田晶子さんの本とかを読んだことがないので、わからないけど
例えば仮に「時空を超えて」という意味が
「妄想に影響されることのない」というような意味であるのなら
妄想に影響されることのない「あおぞら」というような意味になるかも
  _  _  _

思いを手放し、そして、思いが落ちて

厚い雲の隙間から
妄想に影響されることのない「あおぞら」を見て触れて知覚して住んで
この「あおぞらから、変化していく雲を観察していく」というような感覚で

この「あおぞら」の立ち位置から
平等性智(びょうどうしょうち)の立ち位置から

息を吐く時に自分の幸せを白い光の形で衆生に与え
息を吸う時には衆生の苦しみを黒い煙の形で受け取る
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf

http://www.genki-21.net/612.html
池田晶子の「魂とは何か」という本である
池田晶子の文体は、いつも、素手で、裸のままで、(今・ここ)から出発するという、正に天から、垂直におりてくる、言魂そのものであった
時空を超えて
756神も仏も名無しさん:2014/12/17(水) 22:45:27.21 ID:0e2oJg9o
やっぱり「あおぞら」より星空じゃね、昼間の明るさにじゃまされて
実際には星があるはずなのに見えてないつーことだからね
まだ浅いんだよ
757おじゃる:2014/12/18(木) 00:26:37.57 ID:tcABPyRW
 
「妄想に影響されることのないもの」であれば「あおぞら」でも「星空」でも「月輪観(がちりんかん)」でも良いかも

https://kotobank.jp/word/%E6%9C%88%E8%BC%AA%E8%A6%B3-45106

月輪観(がちりんかん)

自己の心を満月輪のようであると観じる密教の基礎的観法
阿字観や本尊観などを修する際に必ず,まず,心のなかに,あるいは面前に月輪を観想する

この月輪は自己の菩提心そのものを示すもので,その月輪が円明無垢で光明が全法界に周遍する

と観じると自己の菩提心そのものもそのように光明無垢となるから
この光明無垢の菩提心を根拠として行う種々の観法が修され,実効をあげうるとされる
758神も仏も名無しさん:2014/12/19(金) 10:28:13.90 ID:yz/FoLxA
clearsky(クリアスカイ)
759神も仏も名無しさん:2015/02/11(水) 16:15:57.22 ID:azyv26qJ
ttp://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2014/12/20/145212
ちなみに**・セヤドーは、「山*師はパオ僧院とは何の関係も....
760神も仏も名無しさん:2015/02/16(月) 10:01:35.09 ID:aa3O9nPu
* パオ     下

で、まだ僧なんだ。
761神も仏も名無しさん:2015/02/16(月) 10:10:25.38 ID:aa3O9nPu
ひっさしぶりに「2.01以降」cast聞いたけど、
あいかわらずまた世相とか時代を語ってるな。

この方、USBしかり、世相への洞察は結構な確率で外しっぱなしなのに
762おじゃる:2015/02/16(月) 17:23:05.97 ID:LhjMTjT3
 
>ひっさしぶりに「2.01以降」cast聞いた

時間に余裕がある時に↓聴いてみて下さいませ

http://www.onedhamma.com/
15/02/08 「近代の超克」を再び失敗させないために
15/02/01 「仏教3.0」から「世界3.0」が生まれる
15/01/31 生と死を乗り越えるためのマインドフルネス
15/01/25 神の名の下に人の命を弄ばないために
15/01/11 死んでも死なないいのちのために
14/12/21 気づきの場所に、神が顕現する
14/12/14 どんなに惨めな最後でも、青空の中だから

http://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/genzyoukouan.htm
諸法の仏法なる時節,すなはち迷悟あり,修行あり,生あり死あり,諸仏あり衆生あり
万法ともにわれにあらざる時節,まどひなくさとりなく,諸仏なく衆生なく,生なく滅なし

諸法:六大(地・水・火・風・空・識)、五蘊(色、受、想、行、識)など、あらゆるものごと
万法:諸法と同じだが、特に自己以外のものごとのすべて

現代語訳
「偏位」に立てば、迷いや悟りがあり、修行があり、生・死があり、諸仏・衆生がある
「正位」に立てば、迷いや悟りもなく,諸仏・衆生もなく,生・(死)もない

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
『中論』冒頭の帰敬偈において
不滅・不生・不断・不常・不一・不異・不来・不去という八不によって仏陀が形容されている
763神も仏も名無しさん:2015/02/17(火) 20:45:01.21 ID:tVlN9Suh
9.11とアルカイダのこたも挙げてほしかったな。
ニューヨークでの事件だったけど、日本ではお昼時だったから休憩時間のサラリーマンやOLもニュース見てショック受けてたんだよ。
アルカイダにハイジャックされた飛行機に日本の学生も搭乗していて死亡している。
そして、当時まだ10代後半だった日本人の少年が首をナイフで切断され、
星条旗がかけられた遺体の上にその首が置かれた。
ISILはアルカイダから派生している。
オサマ・ビンラディンは殺されたけど、アルカイダからの流れを汲んでいる。
それ以上前にもイスラム過激派組織によって、エジプトで日本人観光客が銃殺されている。
無抵抗な観光客達がテロリストの無差別乱射によって蜂の巣にされた。
その頃から、イスラム過激派組織にとって日本は敵・欧米側とみなされるようになったのだと悟った日本人は結構いました。
いずれ、エジプトでの事件や9.11についても意見や考察を求めてくる人が現れるかもしれないですよ。
764神も仏も名無しさん:2015/02/17(火) 22:17:46.64 ID:+uFeqjJ5
念のため追記。
エジプトの事件だけど、テロリスト側は観光客が日本人だと分かっていて乱射している。
ツアー客を狙う時は、事前にリストを入手して国籍チェックをしているそうで、
エジプトの銃乱射事件以前は、日本人は殺害対象外だった。
しかし、これからは欧米側の国とみなされて日本人も殺害対象になっていく。このように当時のニュースで語られていた。
765神も仏も名無しさん:2015/02/17(火) 22:17:50.69 ID:tVlN9Suh
念のため追記。
エジプトの事件だけど、テロリスト側は観光客が日本人だと分かっていて乱射している。
ツアー客を狙う時は、事前にリストを入手して国籍チェックをしているそうで、
エジプトの銃乱射事件以前は、日本人は殺害対象外だった。
しかし、これからは欧米側の国とみなされて日本人も殺害対象になっていく。このように当時のニュースで語られていた。
766神も仏も名無しさん:2015/02/17(火) 22:25:16.53 ID:tVlN9Suh
連投失礼。
聴き落としがあった模様。
9.11は挙がっていましたね。
すみませんでした。
767神も仏も名無しさん:2015/02/26(木) 06:42:20.29 ID:91M59qNi
仏教はお釈迦さまに教えてもらうからいい。
768神も仏も名無しさん:2015/02/26(木) 08:44:31.69 ID:6y2LENn1
 
>仏教はお釈迦さまに教えてもらうからいい

例えば、最古の仏典に、こだわるのなら
もっとも古いとされている『スッタニパータ』の第4章とか第5章などが良いかも

http://www.geocities.jp/avarokitei/indo-dojo-upanishado/upanishado-tetujin.htm
ウパニシャッド 6.3.4 …名称と形態namarupaをはっきりと展開した

http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
スッタニパータ
872
名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る
欲求がないときには、<わがもの>という我執も存在しない。形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない
874
「想いなき者」と掴もうとしている想いとか、「想いを消滅した者」と掴もうとしている想いなどの
ひろがりの意識は想いにもとづいて起きている、このように理解して
想いを手放し、想いが落ちた者の形態は消滅する

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF
スッタニパータの第4章と第5章
この部分がもっとも古い経典だったと考えられている
769神も仏も名無しさん:2015/02/26(木) 09:52:14.06 ID:6y2LENn1
 
>>768 の続き

大乗の場合なら↓これも良いかも

http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
般若経の解説
その当時のインドの人々は「輪廻している!」という想いに依存していたので、その「想い」を理解した上で
(大乗の場合の)世尊は
「(その当時のインドの人々は)
  永遠ばかりを探して、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていないので
  縁起・空・仮設としての色受想行識を観察していくことが難しい
  それ故に
  縁起・空・仮設としての色受想行識を観察していく為の練習が必要である」と導いていく

http://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html
チベット・ニンマ派
苦集滅道によって「煩悩障と所知障を取り除く」と導いていく

http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%A1%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86
煩悩障  我への執着(我執)によって生じ、それによって生死に流転する
所知障  「もの」(法)への執着(法執)によって生じ、それによって菩提を得ることができない

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
煩悩障  自己に対する執着
所知障  外界のものに対する執着
770神も仏も名無しさん
仏教→キリスト教